“黒”の紅茶《完結》 (山中 一)
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一話

 その日、フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアはいつになく気を張っていた。

 生まれついて動かぬ足の代わりとなる車椅子を操る手も、普段以上に力が篭る。

 それも無理のないことだろう。

 これから、彼女が行うのは、自身の、そして一族の未来を決する一大決戦――――聖杯大戦だ。

 六十年前に冬木で行われたオリジナルの聖杯戦争は、七騎のサーヴァントと彼らを使役するマスターが最後の一人になるまで殺しあうものだった。しかし、此度の聖杯大戦は、魔術協会からの妨害もあって、聊かそのあり方が変容してしまっている。

 集結するのは、かつての二倍、十四騎のサーヴァント。

 ユグドミレニアと魔術協会。各々が、七騎のサーヴァントを使役し、相対する七騎のサーヴァントを滅する。

 古今東西に名を馳せた無双の英雄達が一同に会し、かつてない規模で行われる『戦争』。それが、聖杯大戦だ。

 フィオレ達ユグドミレニア一族は、この戦いに未来のすべてを託している。

 敗れれば、滅亡する。

 後戻りは許されない。

 ユグドミレニアが、魔術協会から離反した以上は、この戦争に勝利する以外に生き残る術はない。

 フィオレは、その手に宿った令呪をしげしげと眺めた。胎動する魔力が、三つの印を形作っている。傍から見れば刺青のようにも見えるそれは、フィオレにとっての切り札であり、命綱であり、戦争へのパスポートである。

 マスターの手に宿る令呪は、三回限りの強制命令権。魔術師とはいえ一介の人間に過ぎないフィオレが、サーヴァント――――すなわち、英霊を統べるための唯一の手段なのだ。

 それがあるということは、フィオレは聖杯に認められたマスターの一人ということで間違いない。無論、ユグドミレニアの中で序列第二位に位置する彼女は、次期当主でもあり、そして、数だけは多い(・・・・・・)ユグドミレニアの中にあって数少ない一級品の魔術師である。選ばれない道理はなく、この話を当主であるダーニック・プレストーン・ユグドミレニアより聞かされたときから、自身の参戦はほぼ内定していたといってよい。

 そのため、フィオレは生き残るため、そして一族の命運を背負った責任を果たすため、方々に手を尽くして最高の英霊を迎える準備を整えた。

 膝に乗せた包みの中には、世界最高のアーチャーを呼び出すための触媒がある。

 神代より残る青黒い血のついた古い鏃。

 この鏃から召喚される可能性のある英霊は二人だけ。

 一人はこの矢を放った張本人。ギリシャ最強最大の英雄ヘラクレス。そして、もう一人はこの矢で射られた大賢者ケイローン。ともに、神話に名を残す最高の弓兵だ。どちらが呼ばれるにせよ、アーチャーのクラスで間違いはなく、そして、アーチャーに据えるのであれば考え得る限り最高の英霊だ。

 人の手の届かぬ高みにある彼らを、現世に呼び寄せ使役することに対して、恐ろしさや不安がないわけではない。

 先に召喚を済ませた当主たるダーニックのランサー。そして“黒”のマスター最年少の天才ゴーレム使いロシェ・フレイン・ユグドミレニアのキャスターは、ともに邂逅そのものが奇跡と呼べる偉人である。キャスターは、一般には知名度が低いと言わざるを得ないが、魔術師であるフィオレにとっては無視できない存在であり、ランサーに関しては、ここルーマニアの大英雄ヴラド三世だ。世界的に有名な上、この国においては知名度補正が最大値にまで膨れ上がる。

 ランサーのステータスは、ほぼ最大。サーヴァントとして、最高水準にある。

 彼の姿を見たときの衝撃は忘れようがない。これまで経験したことのない圧倒的な威圧感。それはまさに王者の風であり、人を超えた存在のみに許される、他の追随を許さない確固とした自我に他ならない。

 意志一つで人を跪かせる力の持ち主。それが、彼女達の当主が王と仰ぐ、“黒”の陣営の旗頭なのであった。

 

 

 儀式場にはすでに複雑精緻な魔法陣が、溶けた黄金と銀の混合物で描かれている。

 召喚者はフィオレをいれて四人。

 “黒”の陣営には残り五つの召喚枠がある。この日、その召喚枠のうち四つを一斉召喚によって埋めてしまおうとしているのだ。

 一人は、極東の島国で召喚を行うために、この場にいない。つまり、その一騎が合流しなければ、どうあっても数的不利な状況なのである。だからこそ、魔術協会が陣営を整える前に、こちらの駒をそろえなければならない。ただでさえ、地力では向こうが上なのだから、迎え撃つ準備に抜かりがあってはならない。

 これから、フィオレもまたサーヴァントを召喚する。

 狙うはアーチャーのクラスただ一つ。

 ざわめきが消え、見計らったように当主が立ち上がる。玉座にはランサー。高みから儀式を俯瞰している。

「それでは、各自が集めた触媒を祭壇に配置せよ」

 ダーニックの指示に、マスター達が頷いた。

 一人、また一人と触媒を祭壇に配置していく。

 俄かに緊張が高まり、心臓が飛び跳ねる。

 フィオレは慣れた手つきで触媒を操って、祭壇に配置し、決められた場所に戻った。

 胸が張り裂けそうになる。魔力は全身を循環し、魔術回路が備わる両足を責め苛む。

 

「告げる」

 

 この一瞬、四人の召喚者達は、ランサーの重圧すらも忘れてただ極大の神秘に触れる感動を味わった。

 

 

 

 □

 

 

 

 フィオレが引き当てたのは狙い通りアーチャーのサーヴァントだった。その時点で、彼女の身体からはそれなりの魔力が抜け落ちていたし、目の前の存在がこの世のものではないということは、降霊科に在籍していた彼女の目から見て明らかだった。よって、フィオレは滞りなく召喚が成功したと思ってほっと一息つき、安堵した。

 しかし、彼女の高揚感もこのときまでだった。

 召喚された四騎のサーヴァントの一角、ライダーのサーヴァント・アストルフォが各サーヴァントに真名を尋ねて回ったとき、フィオレのサーヴァントは如何にも重苦しそうな声で、それでいて気負うことなく言ったのだ。

『すまないが、君に私の名を教えることはできない。理由は分からないが、どうにも、記憶が混乱しているようでね。正直に言って、私は自分の名を思い出すことができないのだ』

 と。

 

 

 自室に戻ったフィオレは、不機嫌そうな顔で自身のサーヴァントを睨みつけていた。

 理由は明白、彼がフィオレの望んだサーヴァントではなかったからだ。

 ヘラクレスでもなければケイローンでもない。どこに不手際があったのか分からないものの、まったく別の英霊をサーヴァントとして呼んでしまったらしい。

 おまけに、自分の名が分からないという。ステータスも、七騎では優秀とされる三騎士クラスにありながら平凡の域を出ていない。

 サーヴァントのステータスはマスターの魔術師としての実力と、知名度に左右される。たとえ記憶喪失であったとしても、一流のマスターに召喚されていて、かつ歴史に名を残した偉人であれば高いスペックは維持されるはずだ。

 つまり、フィオレに召喚されていながら低スペックというこのアーチャーは、はっきりいって英霊としても低い位置にあると推測できてしまうわけだ。

「もう一度聞きます、アーチャー。先ほど、あなたがあの場所で言ったことは真実なのですね?」

 静かな口調に、虚言は許さないという意志が宿っている。

 問いを投げかけられた男は、特に表情を変えることなく、ああ、と答えた。

「はあ、本当に、どうしてこうなってしまったのでしょう……」

 アーチャーの答えに、フィオレはため息をついて項垂れた。

 勝たなければならないならない戦いのはずだった。勝つために最善を尽くしたはずだった。しかし、結果として召喚は失敗した。フィオレだけだ、狙いのサーヴァントを引けなかったのは。才能に劣る弟ですら、望みのサーヴァントを呼び出したというのに。

 おまけに召喚したサーヴァントは記憶喪失だと言い張ってその正体は不明のままだ。

 今、フィオレの胸中にあるのは、失望、絶望、焦燥、羞恥、それらが綯い交ぜになった複雑な苛立ちだ。

 一族の次期当主としても、それ相応の結果が求められたというのにこの体たらく。

 見事、セイバーを召喚したゴルドが向けてきた視線など、さすがに温厚な性格のフィオレをしても不快感を隠しきれないほど不愉快だった。

 フィオレは、壁にもたれて腕を組んでいるサーヴァントを改めて観察する。

 背の高い、白髪の男性だ。身体つきは筋肉質でありながらも、無駄がなく、それでいて無骨。基本的に研究者肌の者が多い時計塔にはいないタイプの人種だ。その鋭い目は鷹を思わせる。さすがに、アーチャーといったところか。彼の装備品――――赤い外套にボディアーマーという出で立ちは、騎士と呼んでいいのかわからないものの、外套自体がそれなりの概念武装であることは分かった。

 いずれにせよ、済んでしまったことはどうしようもない。

 低いステータスのサーヴァントでも、戦術とマスターの腕があれば厳しい戦局でも乗り切ることができるものだと思っているし、なによりもこの戦いはチーム戦だ。アーチャーが単騎で戦い抜かねばならないわけではない。

 いろいろと考えながら、自己正当化しようと躍起になっていたところで、アーチャーが声をかけてきた。

「察するに、君は私の召喚がお気に召さないらしいな」

 今さらながらの確認だった。

 フィオレは、当然です、と感情任せに言いそうになるのを堪える。

「確かに、あなたはわたしが呼び出そうとしたサーヴァントではありません」

 努めて冷静な口振りで、フィオレは認めた。

 過ぎたことを気にしてもしかたがない。どれほど文句を言ったところで、このアーチャーがフィオレのサーヴァントだという事実は変えようがなく、現状を正しく認識した上で、戦略を組み立てねばならない。

 そう思いながらも、フィオレは険のある表情でアーチャーに向けて言葉を紡ぐ。

「想定していたステータスよりも、あなたが劣っているという事実もあります。なにより、あなた自身が、自らの出生を語らないという点に関しても、不満があります」

 語ってから、フィオレは今さらながらに口を噤んだ。

 冷静であろうとしていながらも、ついつい胸のうちの蟠りを吐き出してしまったのだ。

 もう少し、言葉を選んだほうがよかったのかもしれない。

 いや、それ以前にアーチャーのステータスが低いということを真正面から指摘してしまった。オマエは期待はずれで、弱いのだ、と思い切り言ってしまったようなものだった。これでは、信頼関係など結びようがない。

 サーヴァントは、使い魔でありながらも自我を持つ。

 自らを一方的に非難する相手と手を組みたくはないだろう。

 戦いが始まる前からアーチャーとの関係が悪化したとなれば、ただでさえ悪い現状が、さらに悪くなってしまう。

 フィオレは、内心の焦りを押し隠しつつ、アーチャーの様子を窺った。

「フッ……」

 フィオレの不安を他所に、アーチャーは口元を小さく歪めて笑った。

 まるで、フィオレの未熟さを笑っているようで彼女は不愉快な気持ちになった。

「何がおかしいのですか?」

「いや、すまない。君があまりにも正直に胸中を吐露してくれたことが意外だったのだ。魔術師という人種は、あまり本心を口にしたがらないものだと思っていたのでね」

「ッ……」

 フィオレが『やってしまった』と思っていた部分を的確に突く指摘に、言葉を失った。

 どうやら、このアーチャーにはフィオレの内心の焦燥感など筒抜けになっているようだ。だからこそ、あのように泰然としつつもこちらを観察するようにしているのだろう。

 対等に見られていない。

 これでは、まるで子ども扱いだ。

 確かに、人生経験は向こうが上だ。魔術師とはいえ、アーチャーにとってフィオレは、ただの小娘でしかない。

 フィオレがいかに言葉を飾ったところで、意味がないのだ。そう、思わされてしまった。

「とはいえ、君のようについつい本心を口に出してしまう魔術師というのも面白い。そういった意味でも、君のそのあり方には好印象を受ける」

 次にアーチャーの口から飛び出した予想外の高評価に、フィオレは言葉に窮した。

 アーチャーの言葉は、単にフィオレの未熟を論っているように聞こえなくもなかったが、正面から好印象を受けると言われて嬉しくないわけがない。

 それを表に出さないようにしながら、フィオレは微笑する。

「一先ずは、誉め言葉と受け取っておきますね」

 多少の皮肉を織り込んで、フィオレはそう言った。そして、

「ですが――――」

 と、フィオレはそこで一旦言葉を切ってアーチャーを視線を交わす。

 息を吸って、吐く。

「これは聖杯大戦。先ほど申し上げたとおり、あなたのステータスは総じて低い。幸いなことに、通常の聖杯戦争のように、味方がいないという状況ではなく、おじ様たちが召喚したサーヴァントも優秀です。しかし――――」

 グッと、フィオレは膝の上で組んでいた両手に力を込めた。

「わたしには、ユグドミレニアの次代を継ぐ者としての責務があります。この戦いを、座して見守るわけにはいかないのです」

 フィオレは、ただ真っ直ぐにアーチャーを見つめ、己の覚悟を語って聞かせた。

 言葉は短いながらも、そこには聖杯大戦にかける、フィオレなりの切実さが込められていた。皮肉げな笑みを浮かべていたアーチャーも、フィオレの真剣な表情に顔を引き締め、そしてその告白を笑うことなく受け止めた。

 そして、しばしの沈黙の後、アーチャーが口を開いた。

「要するに君は、私がどの程度戦闘で使えるのか、という点に興味があるのだな?」

「ええ、そう受け取っていただいて構いません」

 フィオレが持つアーチャーの情報は、マスターに与えられた透視力――――視認したサーヴァントのステータスを把握する力によって得られる能力値と、弓使いという二点だけである。通常のサーヴァントならば、伝承なり神話なりを参考にすることもできるのだが、このアーチャーは出生から来歴まで謎に包まれている。戦略や戦術を組み上げるにしても、アーチャーの実力が分からなければ何もできない。

 果たして、このアーチャーがスペック以上の実力を持っているのか否か。それこそが、フィオレの未来を左右する最重要事項なのである。

 アーチャーは壁に背を預け、腕を組む。

 部屋の主を前にして、実に不遜な態度である。

 そして、アーチャーは呆れ混じりに嘆息し、

「それならば、問題はあるまい」

「え?」

「問題はない、と言ったのだ」

 アーチャーは壁から背を離し、ゆっくりと歩き出した。

 重々しいブーツの音が部屋に響く。

「もとよりこの身はサーヴァント。戦うことに否やはない。第一、私は敵を屠るために呼び出されたはずだが?」

「それは、確かにその通りですが……」

「君の言うとおり、私のステータスは他のサーヴァントに比べれば見るべきところはないかもしれない。しかし、それはあくまでもステータスでの話だ。そのようなものは戦い方次第でどうとでもなる。力任せに戦うことだけが、私たちの戦いではないからな」

 アーチャーの言葉にフィオレが言い返すことはできなかった。

 フィオレも、同じようなことを考えていたこともあり、反論する必要はどこにもなかった。それに、ステータスの問題も、一見すればサーヴァントとして低いというだけで、それが弓兵としての実力がないということにはならない。

 セイバーやランサーのような接近戦を主体とするサーヴァントであれば、それは致命的だろうが、彼はアーチャーだ。近接戦闘は行わないので、筋力や耐久といったステータスは低くとも問題はない。戦術さえ組み立てれば、如何様にでもなる。それが、アーチャーというクラスなのだ。

「でしたら、あなたは勝てるのですね。ほかのサーヴァントと戦っても、問題は一切無いと?」

 なおもフィオレは問う。

 その問いに、アーチャーは無論だと答える。

「なに、簡単なことだ」

 訝しげなフィオレの視線に、アーチャーは困惑するでもなく苦笑を以て接する。ついに、彼は、フィオレの正面にまで歩を進めた。車椅子生活を送っている上に、もともと小柄なフィオレは、自然と彼を見上げる形になる。

「君が召喚したサーヴァントが、最強でないはずがないだろう?」

 傲岸不遜とはこのことか。

 フィオレには、その自信がいったいどこからやってくるのか皆目見当もつかなかったものの、不思議と疑おうという気にはならなかった。

 彼自身も、あのランサーやセイバーを見ているのに、それでもなお最強を豪語する。

 しかし、滑稽とは思わない。数値とは別の次元で、彼の強さを垣間見たような気がしたからだ。

 そんなことはありえないと思いながらも、信じようとしてしまう自分がいる。それが、また可笑しくて、フィオレは破顔した。

「それが大言壮語でないことを祈りますよ、アーチャー」

 微笑を湛えてアーチャーに告げる。

 それは、フィオレがアーチャーに向ける、初めての笑みだった。



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二話

 召喚の儀から数日が経過した。“黒”の陣営が籠もるミレニア城砦は、ルーマニアの長閑な日差しの下に、静かに佇んでいる。

 敵陣営も七騎のサーヴァントを召喚したことは分かっている。

 未だ闘争は起こっておらず、互いが互いに神経を張り詰めながらも様子見に徹しているというのが現状だった。

 平穏な時間が流れている。しかし、誰もが理解していた。この凪いだ空気は見せかけのものでしかなく、水面下では熾烈な情報戦が行われている。武力を叩き付け合う以前の段階でしかなく、それもほぼキャスターとダーニックが行っていることであって、その下につく他のマスターやサーヴァントには関わりがない作業だった。

 よって、この数日間を、マスターとサーヴァントたちは各々自由に過ごしていた。

 本格的に闘争が始まる前の、この僅かな一時は、マスターとサーヴァントが互いを知る上で重要な時間である。

 ダーニックはランサーを王として迎え、臣下の礼を執る。

 ロシェはキャスターを師と仰ぎ、その技術、思想を残さず吸収しようと懸命に学びを深めている。

 セレニケはライダーの強すぎる好奇心に辟易しながらも、その可憐な容姿を如何にして汚すのかを思案する。

 ゴルドはセイバーが口を開くことを禁じた。セイバーもそれを是とした。互いに言葉を交わすことなく主と従僕の関係に終始することを選んだのだ。

 フィオレの弟のカウレスはバーサーカーと何とか意思疎通をしようとして健気に話しかけている。バーサーカーの狂化のランクが低いことから、コミュニケーションは可能かもしれない。

 そして、フィオレは――――

「あなたは、本当によくわからない人なのですね」

 未だ、アーチャーのことが理解できていなかった。

 二人の関係は良好だ。アーチャーは皮肉屋で、時折子どもっぽい部分が垣間見えることもあるが、それが人間臭くてフィオレには好ましく思えた。ランサーのような王者であったら、こうして同じ部屋にいるだけで息が詰まってしまい、戦う前からグロッキーになっていたことだろう。

 その点、アーチャーは優秀だ。

 足が動かないというフィオレのハンデを理解し、それに合わせて的確なサポートをしてくれる。サーヴァントとしてではなく、一個人として信頼に足る、と思える程度には、二人は言葉を交わし、互いの理解に努めていた。

 フィオレは、ティーカップをソーサーの上に置いた。

 仄かな紅茶の香りが、室内を満たしている。

「あなたが淹れてくれたこの紅茶、とてもおいしいわ。香りもすばらしい。いったい、どこでこのような技術を身につけたのですか?」

 フィオレは、ユグドミレニアの才女であり、魔術の総本山とも言えるロンドンの時計塔で学んでいたのだ。もともと、ユグドミレニアは魔術師の間では軽蔑の対象となっていたが、魔術協会を離反する前まで、ダーニックが協会の上位層に食い込んでいたこともあり、地位そのものは低くなかった。

 そういった事情から、フィオレは本当においしい紅茶というものを知っている。

 仮にも紅茶の本場であるロンドンで暮らしていたのだ。こと、紅茶に関しては舌が肥えている自負がある。そのフィオレをして、素直においしいと認めざるを得ない完成度。手順も完璧であり、茶葉のよさを知り尽くしているからこそ可能な技だ。

 フィオレが、感心しながら尋ねたことに、アーチャーは肩をすくめて答えた。

「さてね。残念ながら、それも思いだせん。記憶が無いにも関わらず身体が技術を覚えているのだから、奇妙なものだ」

「サーヴァントは完成された存在。生前の技能は余さず使えて当然ですものね」

 紅茶を淹れるのが上手い。サーヴァントとして必要な技能ではないが、傍に置くには申し分ないといったところか。

 それに、この技能一つである程度アーチャーが生きた年代が絞れるはずだ。

 紅茶がヨーロッパに伝わったのは、貿易で躍進していたオランダが中国から持ち込んだことを契機とする。

 イギリスには、西暦1600年代中ごろに入った。初めは薬として王侯貴族の間に広まり、その後、労働者階級に普及したことで、現在の紅茶大国としての地位がある。

 つまり、アーチャーの正体は紅茶がヨーロッパに受容された十七世紀以降の英雄に絞られる。なるほど、それならばステータスが低いのも頷ける。神秘は重ねた歴史の分だけ重く、強くなる。歴史の浅いアーチャーのステータスが低いのは魔術の常識に照らし合わせれば至極当然のことなのだ。

 しかし、十七世紀はロングボウが廃れ、マスケット銃が発展し始めた転換期に当たる。確かに、初期のマスケット銃よりは、ロングボウの方が威力で勝っているが、しかし、銃火器が台頭してきた時代にあって、果たして弓術で英霊まで上り詰めることができるのであろうか。

 そこまで、考えて、フィオレははたと気がついた。

 もしかしたら、アーチャーは、武名を上げ、人々からの信仰を得て英霊になったわけではないのかもしれない、と。

 英霊は基本的には人々からの信仰を得て、人の魂が精霊の域にまで昇華したものである。

 しかし、中には信仰ではなく、恐怖や憎悪といった負の感情が一周回って信仰心となったものもある。歴史に名を残した大悪人や、英雄に討伐された怪物、悪鬼などがそれである。そういった者は、正統な英雄ではなく、『反英雄』というカテゴリーに入ることとなる。

 もしかしたら、アーチャーはそれではないだろうか。この聖杯大戦は、ダーニックが手を加えたことで英雄としての側面を持つだけの存在でも召喚を可能としている。弟が呼び出したバーサーカーなどはその典型例だ。それならば、このアーチャーもまた、正統な英霊ではないのかもしれない。

 中世後半から近代にかけて、武器の発達と共に一個人が武名を上げる機会は大きく減った。しかし、メディアの発達に従って一個人が悪名を轟かせる機会は大幅に増えた。現代は、悪人の方が『座』に近い時代となってしまったのだ。

 だが、フィオレは茶菓子を仕舞うアーチャーの背中を眺める。

 このアーチャーが我欲に従って悪事を為すだろうか。

 答えは否だ。

 たった数日の付き合いでしかないものの、アーチャーの人となりはなんとなく感じることができている。

 このアーチャーは、私利私欲で動くタイプではない。

 これは、自分のサーヴァントが、そのような存在であって欲しくないという願望が多分に内包された思考であったが、フィオレは確信に近いものを感じていた。

 知らず、フィオレの中にアーチャーへの信頼が芽生えていたのだ。

 思考の海に沈みながら、アーチャーが淹れてくれた紅茶を口に運ぶ。

 途端、口内に広がる豊かな芳香に頭がくらりとする。身体の内側から温まり、活力がみなぎってくるようでもあった。

 紅茶でここまでの多幸感を得ることができようとは。

 フィオレにとって、それは初めての経験であった。

召使(サーヴァント)とはよく言ったものね。あなたのクラス、弓兵(アーチャー)ではなくて実は執事(バトラー)だったりはしませんか?」

 冗談めかしてフィオレは言った。

「ふむ、そうだな。おぼろげながら、執事の真似事をしていたような気もする。もしかしたら、生前の私の立ち位置は、そのようなものだったのかもしれん」

「あら? そうなの?」

 フィオレは、意外です、と言おうと思ったが、存外似合っているので言葉にできなかった。

「ああ」

 と、アーチャーは認めながら、視線をやや下方に向けた。

「しかし、そのことに関して思い出そうとすると、どうにも不愉快な気分になるというか……少なくとも、私の中では封印しておきたい類のモノなのだろう」

「そうなのですか。すみません」

「いや、君が謝ることではないさ。ところで、君は何をしているんだね?」

 アーチャーが視線を向けた先。フィオレは、なにやら布を手に取り、何かを磨いているようだった。

「これですか。ペンダントのお手入れをしているのです」

 フィオレが首にかけていたペンダントは、普段は彼女の服の内側に隠れている。故に、アーチャーもその存在に今の今まで気づくことがなかった。

 フィオレが掲げて見せたペンダントは、銀の鎖の先に真っ赤な大粒の燃えるように赤い宝石がついていた。手の平サイズのルビーは、緩やかなカーブを描く逆三角形。

「その、宝石は……」

 アーチャーが珍しく、目を見開いた。それも非常に僅かな間だけで、すぐにもとの質実剛健とした表情に戻ったが。

「この宝石が何か?」

「いや、キャスターが多くの宝石を欲していたのを聞き及んでいるのでね。てっきり、そういったものは供出されているのかと思っていた」

 アーチャーは取り繕うように、多少口早にそう言った。フィオレはアーチャーのそうした変化に気づくことなく、頷いた。

「そうですね。これは、キャスターのためにおじ様が取り寄せた宝石の中にあったものです。気に入ったので、無理を言って分けていただきました」

 フィオレは、よほど気に入っているのであろう。ペンダントの表面を愛おしそうに撫でてから、首に掛け、そして、それを衣服の中に仕舞いこんだ。術を施し、魔除けの力を込めている。これから先、魔術師との戦闘で少しは役に立ってくれるだろうという思いからだが、魔術師としての合理性と、少女としての貴金属への憧れを両立させる手段としているのは明らかだった。

 一方、フィオレの答えを聞いたアーチャーは、神妙な顔つきだ。

「……なるほど、そういうことか」

 彼は、彼なりに思うところがあったのか、それ以上の詮索をすることはなかった。

 それをフィオレは怪訝に思う。

「もしかして、宝石はお好みで無いのかしら?」

「いや。特に好き嫌いがあるわけではない。私は光物には興味がない」

「そうですか」

 英霊になってまで貴金属に執着するのは、むしろ意地汚いとも思える。このアーチャーは、金銭に執着はないようなので、きっと生前からそうだったのだろうと、彼の過去に思いを馳せる。

 無欲というか、朴訥としているというか。

 いまいち、このアーチャーが何を望んでいるのかわからない。

「あ……」

 フィオレは、そこで小さく声を漏らした。

「ん。どうしたんだね?」

 アーチャーが、そんなフィオレに声をかける。フィオレは、間抜けなことをしてしまったことを恥じ入り、顔を紅くした。

「いえ、なんでもありません」

 フィオレは誤魔化すように首を振った。

「ただ、此度の聖杯大戦における、あなたの望みを聞いていませんでした」

 フィオレに聖杯に掛ける望みがあるように、アーチャーにも望みがあるはずだ。聖杯戦争に召喚されるサーヴァントは、基本的にそういう者たちで構成されるからだ。

「聖杯に掛ける望み、ということか?」

「はい」

 フィオレは首肯して、アーチャーの次の言葉を待った。

「私は記憶が曖昧で、願いも何もないのだが……」

 アーチャーは困ったように呟いて、苦笑する。

「しかし、ここにいる以上は、あなたには聖杯で望みを叶える権利があります。もちろん、それはわたしたちが聖杯を無事手に入れてからの話ではありますが、その時に望みはない、というのでは困るでしょう?」

 アーチャーの記憶が無いことは百も承知。しかし、それでは困るのだ。パートナーであるからには、互いに確固たる目標を定めておく必要がある。フィオレは是が非でも聖杯が欲しい。この動かぬ足を癒し、大地をしっかりと踏みしめたい。だが、アーチャーのモチベーションが低ければその望みは叶えられない。

「そうは言ってもな。本当に聖杯に託す望みなど無いのだがな。記憶の有無に関わらず、望みは無いと答えたであろうし」

「望みがないサーヴァントなどいるのですか? 誰しも聖杯で叶えたい望みがあるから召喚に応えるのでしょう?」

 人の手に負えない高位の存在を使役するからには、それ相応の準備がいる。令呪などその際たるものだが、精神的な縛りというのも有効だ。サーヴァントの現界にはマスターが必要不可欠だ。マスターなくして聖杯戦争に生き残れないのであれば、積極的な裏切りには発展しにくい。そういった事情から願いを持つ英霊に呼びかける形で、召喚は行われるはずなのだが。

「そうとも限らん」

 しかし、アーチャーはそれを否定する。

「特に聖杯に興味がない者でも召喚には応えるものだ。例えば、より強力な敵と戦いたい、などという理由で召喚に応じる者もいるだろうし、単純に第二の生を謳歌したいという者もいるだろう。結局は、その者次第だ」

 なるほど、とフィオレはアーチャーの説明に納得した。聖杯戦争に召喚されるサーヴァントの多くは、世界的に有名な武人だ。そういう者は、ひたすら武を競いたいと思い召喚に応じるのだろう。それは、確かに納得のいく話だ。

「俄然、あなたの望みに興味が湧きました。あなたは聖杯に託す祈りはなく、それでいて武人として生きてきたようにも見えません。果たして、あなたは、如何なる望みを聖杯に託すのか。……たとえ、記憶はなくともいいのです。今のあなたが何を望むのかということのほうが重要ですから。教えていただけませんか?」

「なかなかに難しい注文だな」

「ですが、わたしの望みはお教えしました。あなたの望みを知らないのでは釣り合いが取れません」

 少し拗ねたように言うフィオレに、アーチャーはため息をついた。

 彼女の言うことが尤もなことに思えたからであり、ここまで言われて口を噤む意味もなかった。本当に、大した望みはないというのに。

「そうだな。強いて言えばだが」

 観念したように、アーチャーは嘆息する。そして、得意げな顔になって、己の望みを口に出した。

「世界の恒久的平和、などはどうだろう」

 

 

 □

 

 

「もう、まったくゴルドおじ様ったら!」

 アーチャーが暫定的な願いを口にした翌日のこと。鼻息も荒く、フィオレは自室に戻った。車椅子を押すのは、当然、最も傍にいるアーチャーの役割になっていた。

 フィオレが、らしくもなく憤懣やるかたないという表情を見せているのは、ほんの数分前にセイバーのマスターであるゴルド・ムジーク・ユグドミレニアと廊下ですれ違ったことに端を発する。

「ご自身が優秀なセイバーを召喚したからって、鼻高々になっているんだわ。ええ、そうに違いありません!」

 簡単に言えば、サーヴァントを馬鹿にされたのだ。さすがに、直接的に言われたわけではないが、アーチャーという特性も加味して、聖杯大戦は自分たちに任せていればいい。アーチャーは後方に控えていれば、勝利は決まる、などといった類のことを言われたのである。

「まあ、そう憤ることもあるまい。あれは、もとよりそういう類の人間だ」

「あなたは、なんとも思わないのですか?」

「仕方あるまい。彼が言ったことは事実だ」

 アーチャーがあっけらかんとゴルドの言葉を認めたことが気に入らず、さらに不機嫌になるフィオレ。

「セイバーが前衛。私が後衛。なんの不思議もないだろう。彼が仕留められなかった敵を、私が仕留めれば聖杯大戦も早期に決着する」

 アーチャーの言ったことが理解できず、フィオレは一瞬だけ思考を空白にした。それから、信じられないといった様子で口を開く。

「つまり、セイバーが倒せなかった敵を倒してみせる、と?」

「それくらいせねば、あれの鼻を明かしてやることはできまい」

 フィオレは意外そうな顔で、アーチャーを見た。

「もしかして、ずいぶんと怒っているのではありませんか?」

「あの程度で気を悪くするほど、私は狭量ではない」

 と、言いながらも、アーチャーから漂う雰囲気からは、明らかに機嫌を損ねていることが分かる。

 フィオレは、そんなアーチャーが可笑しくて吹き出してしまった。

「何かね?」

「ごめんなさい。何でもありません」

 ここ数日で、フィオレとアーチャーの仲は非常に良好なものとなった。

 召喚前に抱いていた偉人達への畏敬も、召喚直後に抱いた落胆も、どちらも今のフィオレにはない。このアーチャーを召喚した事実を受け止めるには十分な時間が流れたし、その人柄に触れ、使い魔というよりも一個人として接するくらいにはなれた。そのため、笑顔で軽口を交わすことは茶飯事なのだ。

「それにしても、あの程度のマスターに使役されることになろうとは。かの大英雄も哀れなものだ」

「アーチャー。あなた、まさかセイバーの真名を知っているのですか?」

 セイバーの真名は、ダーニックとランサーしか知らないはずだ。同じ陣営にありながら、真名の開示が致命的との理由から、ゴルドが真名を明らかにするのを拒否したからだ。

 そのため、“黒”の陣営の中には真名不明のサーヴァントが、セイバーとアーチャーの二騎存在していることになる。

「真名は知らんが、推測することはできる。私の特技は、刀剣類を解析することでね。召喚時に彼が背負う大剣を解析したのだよ」

「な……」

 フィオレは、絶句した。

 解析の魔術は、比較的初歩の魔術だ。特定の分野に特化したフィオレは、多くの魔術を不得手としているが、それでも解析程度は使用できる。だが、宝具クラスを解析しようとは思わない。神秘のレベルが違いすぎるからだ。解析しようとした瞬間に脳が焼かれてしまうかもしれない。

 しかし、アーチャーはそれを可能とした。しかも、今の口振りでは、その真名まで解き明かしているようだ。

「なぜ、それを早く言わなかったのですか?」

「君ときちんとしたコミュニケーションが取れる段階までは秘すべきだと判断したまでだ。まともに話し合いもできない関係で、火種を放り込むわけにもいかないからな」

 火種、とはゴルドとの関係だろう。

 フィオレがセイバーの真名を知ったとなれば、ゴルドはいい顔をしないはず。そのあたりの情報が揃い、また、フィオレの人となりを知るまでは、迂闊に口に出すことはできなかったということだろうか。

 マスター同士の人間関係も、この聖杯大戦では考慮すべき要素の一つである。

「ゴルドおじ様には、悟られないようにする必要があったわけですね」

「ああ」

「では、ゴルドおじ様が召喚したあのセイバーの真名は、いったい?」

 フィオレは、アーチャーに改めて尋ねた。

 セイバーの正体に興味がある。知名度補正が最高であるランサー――――ヴラド三世に見劣りしないステータスを持つ剣士。真名の開示は致命的だと言わしめるその伝説。そして、尚且つ自分のサーヴァントが、初めて能力を見せた瞬間だった。ゆえに、セイバーの正体を聞いておきたかったのだ。

「あくまでも、剣からの類推に過ぎないが、構わないかね?」

「構いません」

 フィオレが、首を縦に振るのを見て取って、アーチャーは答えた。

「あの剣は、ニーベルング族に伝わる聖剣・幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)。その担い手にして明確な弱所が伝承に残るとなれば、一人しかいないだろう」

「ネーデルランドの竜殺し――――ジークフリート」

 アーチャーの言葉を受けてフィオレはセイバーの真名を口に出す。

 そして、胸の内から湧きあがる大いなる畏怖に、息が止まりそうになる。

 ジークフリート。

 北欧神話のシグルズと起源を同じくするとされる竜殺しの剣士。

 悪竜ファブニールを倒した際、全身にその血を浴びて不死の肉体を得たという。

 そうだとすれば、ゴルドが真名の開示を渋ったのも頷ける。ジークフリートは如何なる攻撃も弾き返す鋼の如き肉体を持っていたが、その防御力は背中にまでは及ばない。竜血を浴びた際に、背中に張り付いていた菩提樹の葉のために、竜血が背中にまで届かなかったからだ。英雄ジークフリートの最後は、裏切りの刃をその背に受けたことによる。

 それほどまでの大英雄を、セイバーのクラスで召喚した。ゴルドの自信は、虚栄でもなんでもなく、最強のサーヴァントを召喚したという事実に基づいたものだったのだ。

「さて、私がセイバーの真名を見破ったということは、ランサーには報告しておいたほうがいいだろうな」

「それは、なぜですか?」

「彼は、我々の王なのだろう? 私のような正体不明の者が彼から信頼を勝ち得るには、こちらから情報を公開していく努力が必要だろう」

「なるほど。確かに、そうですね。それでは、そのようにしましょう」

 フィオレは、納得してこれからの予定を頭に浮かべる。

 くれぐれもゴルドと鉢合わせをしないように気をつけながら、ランサーが機嫌のいい頃合を見計らおう。いざとなれば、アーチャーに紅茶でも淹れさせればいい。

 そのようなことを考えながら、フィオレは車椅子のタイヤに手を伸ばしたのだった。




次話が最終話になるかと思います。

エミヤがApocrypha世界でどれくらいいけるか考えましたが、意外といけるんじゃね、という結論に落ち着いた今日この頃。
対“黒”のランサー戦。固有結界で勝利確定。結界内はルーマニアではない。
対“赤”のアサシン戦。上に同じ。バビロンの外では無力なセミラミスでは取り込まれた瞬間に敗北確定と見た。
対“黒”のキャスター戦。遠距離からの狙撃。もしくは固有結界。物量、威力共にエミヤが上。例の大軍宝具次第か。
対“黒”のライダー戦。あまり問題ないかと。近接ナメプして槍を喰らわなければ負けはないはず。解析で危険性も分かることだし、なによりホムンクルスを気にしてライダーが本気で戦おうとしない。
対“赤”のバーサーカー戦。破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)当ててから放置で終わるはず。バーサーカーだしあっという間に現界に必要な魔力を使いきるに違いない。
対“黒”のセイバー戦。ヘラクレス相手に六回も命を奪っていることからAランク宝具を六種類以上使えることは確か。それで遠距離から狙撃すれば、ダメージは与えられる。
“黒”のバーサーカーは問題ないはず。雷切とか投影できれば、電撃にも耐えられるかも。
 このあたりまでなら、弱点をつきつつなんとかなりそう。アキレウスは、対神宝具が効くかどうか。カルナとかはムリゲー。勝てる気がしない。
 ところで、アキレウスさんには破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)は効くのだろうか。


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三話

 その夜、ミレニア城砦の王の間に、マスターとサーヴァントが集っていた。

 キャスターの七枝の燭台(メノラー)に灯った火の光が、壁をスクリーンに外の映像を映し出す。

 映像では、一人の小柄な騎士と、無数のゴーレムが死闘を演じていた。

 映画ではない。今、まさにこのミレニア城砦の南側の街中で起こっている出来事だ。

 “黒”のキャスターが生み出したゴーレムは、強力だ。一体で、熟練した魔術師を容易く屠ることができる。しかし、それはあくまでも人間を対象にした場合。今回相対しているのは、“赤”のセイバー。

 全身を鎧に包み込み、その顔は兜によって隠れている。しかし、“彼”は重装備を物ともせずに縦横無尽に戦場を駆け回り、重戦車の如く突き進む。

 映像の中では、次々と“赤”のセイバーがゴーレムを切り伏せている。まったく、相手になっていない。こちらが送り込んだゴーレムの多くが一合で砕かれる。なんとか持って二合だ。

 ダーニックを除いた五人のマスターは、そのあまりの光景に圧倒され、息を呑んでいた。

 最後のゴーレムが、三合で切り伏せられたとき、送り込んだホムンクルスもすでに敵マスターに屠られていた。

「さすがはセイバーと言ったところかな」

 “黒”のランサーの言葉に、ダーニックは頷いた。

「幸運以外にC以下が存在しないとは、まさしく剣の英霊に相応しいステータスと言えるでしょう」

 臣下の礼を崩さないダーニックは、ランサーに告げた。サーヴァントのステータスを読み取ることができるのは、マスターだけだ。

「ほう」

 敵対するセイバーのステータスに、感心したように声を漏らした。さらに、ダーニックは報告を続ける。

「加えて、一部のステータスを隠蔽する能力があるようです。素性を隠し通す伝説を持つ剣士ということになりましょうか」

 マスターの透視力を遮断する能力がセイバーにあるらしい。それが、固有スキルか宝具かは分からないが、彼が振り回していた剣の意匠すらも想起できないくらいなので、よほど強力な認識阻害能力があるようだ。

 頷いたランサーは自陣のセイバーに視線を向けた。

「君は彼に勝てるかね?」

 無論だ、と視線で語り、セイバーは力強く頷いた。

 セイバーはランサーに対してもマスターの言いつけを守り無言を貫いている。

 ランサーは機嫌を損ねることなく、笑みを浮かべる。裏切りと欺瞞を何よりも嫌うランサーには、清廉で忠義に溢れたセイバーの態度はむしろ好ましいものに思える。

「剣を想起することすら困難か。アーチャーはどうかね?」

 ランサーは、フィオレを見た。この場には、サーヴァントも集結している。未だ合流していないアサシンと、“赤”のセイバーを目視で確認しに行ったアーチャーのみがこの場にいない。

 フィオレはアーチャーの言葉を代弁する形で首を横に振る。

 アーチャーは剣を解析し、“黒”のセイバーの真名を当てて見せた。予想外のアーチャーの能力に、ダーニックもランサーもアーチャーの評価を上方修正したのだが、さすがのアーチャーでもステータスを隠蔽する能力を相手にしては解析は難しかったようだ。

「そうか。ならば、しかたあるまい」

 剣を使う英霊は、セイバーだけではない。バーサーカーが剣を振り回すこともあるし、その他のサーヴァントが副装備として剣を帯びていることもあるだろう。何もセイバーの真名が掴めないことは不利には働かない。

 あえて、“赤”のセイバーの正体が分かるのか、と尋ねなかったのは、ゴルドがこの場にいるからである。

 ランサーは再び映像に目を向ける。

 そこには“赤”のセイバーが、そのマスターとともにゴーレムの残骸を眺めているところが映し出されていた。

 敵に解析されないよう、あのゴーレムは破壊された後自動的に焼滅するようになっている。だから、敵に手がかりを与える心配もない。

 今回は、敵の中でも特に注意を払うべきセイバーの実力の一端が垣間見えた。それだけでも十分な成果と言えるだろう。

 しかし、ここでランサーは何を思ったのか、自身の頤に手を当てた。

「一つ、アーチャーをぶつけてみるのはどうかな」

 ポツリ、と呟いたその内容に、思わずフィオレはランサーに視線を向けた。

 並み居るサーヴァントたちも、ランサーの判断に意外そうな顔をする。

「フィオレ。アーチャーは、あのセイバーと戦えるかな?」

 ランサーの意を汲んで、ダーニックがフィオレに尋ねた。

 フィオレは、すぐには返答しかねた。

 いかに、アーチャーとの間に信頼関係が結ばれていようとも、アーチャーがステータスの低いサーヴァントであることに変わりはない。

 それに対して、あの“赤”のセイバーは超一流のサーヴァントで間違いはない。格は明らかに向こうが上だった。

 衆目が一身に注がれるのを感じながら、フィオレは口を開いた。

 

 

 

『申し訳ありません、アーチャー。偵察だけのはずが、このようなことになって』

 使い魔を通してフィオレから連絡を受け取ったアーチャーは苦笑しながら、その要請を引き受けた。

「仕方があるまい。ここは、私の力を見せ付けるいい機会を得たと考えるべきだな」

 それにしても、ランサーめ。とアーチャーは内心で毒づいた。

 現在、アーチャーは“赤”のセイバーから二キロ離れた建物の屋上に立っている。向こうも、同じくらいの高さの建物の屋上にいるので、高低差はそれほどでもない。本来ならば、もっと高い建物があればよかったのだが、ないモノねだりをしても仕方がない。

「狙撃をするのであれば、キャスターと連携すべきところではあるが……」

 キャスターのゴーレムで撹乱しているところに、一気にアーチャーの長距離狙撃。これならば、セイバーに打撃を与えた上で、こちらも確実に撤退ができる。しかし、なぜよりにもよって戦闘が終了してからセイバーと戦えなどというのか。

「よほど、私の力に興味があると見えるな」

 これを機に、ランサーはアーチャーの戦闘能力を把握するつもりなのだろう。

 いいように使われるのは気に入らないが、向こうがそういうつもりなら、こちらもそれ相応の返礼はしてやらねばなるまい。

「I am the bone of my sword」

 もはや、自らの血肉に等しい呪文を口にする。

 イメージするのは最強の自分。

 己の敵は、“赤”のセイバーにあらず。乗り越えるべきは、常に自分自身だ。

 左手に現れた洋弓に、剣と見紛う矢を番える。

 その矢の禍々しさは、常人ならば、その場にいるだけで魂を汚染され、精神に異常を来たすであろう。

「“赤”のセイバーよ。最優のサーヴァントたる由縁、見せてもらおうか」

 解き放たれたアーチャーの矢が、空気の壁を吹き散らして一路、セイバーに迫った。

 

 

 “赤”のセイバーの全身に悪寒が駆け抜けたのは、切り倒したゴーレムが独りでに燃え始めた時だった。マスターの獅子劫界離が調査しようとして、顔に熱波を喰らったまさにその瞬間だ。

 狙われている。

 ゴーレムとは異なる、明確な殺気。

「マスター!」

「ぐえッ」

 セイバーが叫び、獅子劫の身体を突き飛ばすように抱きかかえて、一息に十メートルは飛び退いた。直後に、響き渡る轟音が屋上を叩いた。

「ゴホ、ガハッ。……オマエなあ……」

 突然のタックルに、息が詰まって咳き込む獅子劫であったが、その光景を目の当たりにして事情を察した。

 自分たちがいた場所が、抉り取られている。建物の屋上の一区画がごっそりとなくなっていたのだ。

 この攻撃に、歴戦の猛者である獅子劫はまったく気付かなかった。

「アーチャーだ」

「狙撃か、クソ」

 アーチャーの矢の威力は見れば分かる。セイバーが気づかなければ、まずもって助からなかっただろう。

「やってくれるじゃねえか。アーチャーよォ」

 セイバーが苛立たしげに、剣を構えた。

 獅子劫の目には、セイバーが睨み付ける先には何も見えない。しかし、サーヴァントとして、人を超えた知覚力を持つセイバーには、夜闇に潜む狙撃手の姿が見えているのだろう。

「さっそくぶった切って――――」

「おい、セイバー!」

「んだ、マスター。あ、クソッ!」

 今度は獅子劫が気づいた。アーチャーに気を取られていたセイバーは僅かに遅れてそれに気づき、

「なめんじゃ、ねェ!」

 背後から迫る赤き魔弾を迎撃する。

 ぶつかり合う鋼と鋼。

 激しい火花を散らして、標的から逸れたアーチャーの矢は虚空の彼方に飛んで行く。

 通常、矢は放ったが最後、軌道を変えることは不可能だ。それは、いかに常軌を逸したサーヴァントであろうとも変えることのできない原則である。

 しかし、何事にも例外というものは存在する。

 例えば、放たれた矢そのものが、宝具である場合。敵を狙い続ける必中の能力があれば、その矢は、獲物の喉を狙い続ける猟犬となる。

 故に、その真名は赤原猟犬(フルンディング)

 血を吸う度に強度を増すという伝説の魔剣をアーチャーが矢に改造した代物だ。

 音速を遥かに超え、ルーマニアの夜を切り裂く赤い閃光。

 地に落ちる星のように、一直線にセイバーに向かって駆けてくる。

 幾度目かの激突。

 剣と矢が触れ合うたびに、周囲には爆弾が破裂したような衝撃が奔っている。獅子劫はセイバーに庇われながら、身を低くしているのが精一杯だ。

「チィ」

 セイバーは舌打ちをして、十合目となる激突をやり過ごした。

 セイバーだけであれば、この状況でも生還は容易い。しかし、問題は獅子劫の存在だ。マスターがこれほど近くにいたのでは、セイバーではなくマスターを狙われかねない。いかにステータスが際立って高いセイバーといえど、この状況下でマスターを庇いながら戦い続けるのは、ただ徒に自身を消耗させるだけだと分かっていた。

「何度も同じ手が効くかってんだッ!」

 セイバーは、全力の魔力放出でブーストした剣戟を、魔弾の中央に叩き込んだ。

 攻撃を繰り返すたびに、精度と速度が鈍っているのを見て取って、十二分に引き付けてから、最高の一刀を繰り出した。

 案の定、敵の宝具は限界に達していた。

 打ち砕かれた矢は、床面を砕いて建物を貫通し、その下で爆発した。

「いくぞ、マスター!」

 セイバーは、獅子劫の首根っこを掴んで崩れ行くビルから飛び降り、路地裏に走る。

 獅子劫が息を整えたところで、セイバーは今後の方策を尋ねた。

「建物一つを爆破したんだ。セオリーなら、ここで引いてもいいんだがな」

 獅子劫は、路地裏からこっそりと大通りを覗いた。深夜のトゥリファスに響いた破壊音。しかし、誰一人として表に出てくる様子はない。

「大した魔術じゃないか。あの結界、建物が崩れたときの隠蔽にまで作用してやがる」

 自分たちの存在を探知した結界のほか、市街地戦を考慮に入れた隠蔽魔術までが施設されている。この辺り一帯が、敵のテリトリーなのだから当然と言えば当然だが。

「とするとだ」

「ああ、あの野郎狙ってやがる。オレたちがここから動いた瞬間に一撃入れるつもりだぜ」

 セイバーの直感は、限定的な未来予知に匹敵する。戦場において戦士の勘(・・・・)は馬鹿にできないものだが、それをサーヴァントとなったことでスキルとして備えているのだ。そのため、獅子劫もセイバーの判断に異を唱えることができない。

 しかし、そうはいっても獅子劫たちがこの場に残り、アーチャーとにらみ合いというわけにはいかない。

 先の魔弾は破壊した。宝具は基本的に一サーヴァントに一つか二つとはいえ、あの魔弾と同等の魔弾がないとも限らない。いや、あるはずだ。聖杯大戦の序盤で、いきなり唯一無二の宝具を使い捨てにするはずがない。

 となれば、アーチャーはその気になれば、今すぐにでも建物の陰に潜む二人を建物ごと吹き飛ばすことができるのだ。足止めを受けている間に、敵の増援が来る可能性もある。

「アーチャーを何とかするしかないな」

「何か策があるのか?」

 セイバーの問いに、獅子劫は手の甲に宿った三画の令呪を見せることで答えとした。

「なるほど」

 セイバーが兜の下に隠した顔に凶悪な笑みを浮かべた。

 

 

 

 今回の聖杯大戦はもとより、その原形となった聖杯戦争も、サーヴァントの器量だけで戦い抜けるほど生易しいものではない。

 最後まで生き残ることができるのは、サーヴァントの実力に加えて、マスターの実力も問われるのである。

 ここでいうマスターの実力とは、魔術師としての腕ではない。

 その身に宿した令呪という三回限りの奇跡を、いかにして運用するのか。その駆け引きを有利に運ぶ判断力のことである。

 

 それは、自陣のアーチャーと“赤”のセイバーの戦いを観戦していた“黒”の陣営にとって掛け値なしの不意打ちだった。

 当初は、予想以上の実力で以て敵セイバーを圧倒したアーチャーに、ランサーは満足げな笑みを浮かべて泰然と王座に座し、マスターであるフィオレは、はらはらとしながらも、アーチャーの矢の威力と効果に目を奪われていた。

 セイバーとそのマスターは撤退。アーチャーの初陣も、これで十分かと思われたまさにその時だった。

 

「アーチャーッ!」

 

 獰猛な叫び声と共に、捻じくれた空間の果てより、姿を現す騎士甲冑。速いという概念を超越した弾丸移動は、“黒”のマスター、そしてそのサーヴァントたちの意表を突く形で現実のものとなった。

 

 サーヴァントを強制的に自害させることも可能という規格外の魔力の塊である令呪を、サーヴァントの意に沿う形で使用した場合、その行動を補佐するブースターとして機能する。注目すべきは、その効力の規模。限定的な用法で使用すれば、それは奇跡すらも引き起こす力となる。

 例えば、単純な移動を、空間跳躍という極限の形にまで高めることすらも、不可能ではない。

 

 突如としてアーチャーの前に現れたセイバーに、“黒”のマスターたちは一様に驚愕に目を見開いた。令呪を使ったのだ、ということに思い至ることができたのは、聖杯戦争の経験者であるダーニックだけ。そして、ダーニックは、現状がまずいということが分かっていた。弓兵であるアーチャーが、剣士たるセイバーの間合いに入ってしまった。

 即座に、撤退するしかない。

 フィオレは、まだ令呪で撤退するという思考に至っていない。声を張り上げて、無理にでも撤退させるか。

 そう考えている間に、“赤”のセイバーはアーチャーに切りかかっていた。

 フィオレが短い悲鳴をあげ、ダーニックは顔を歪ませる。一瞬先の、アーチャーの敗北を確信して。

 

 

 散ったのは血ではなく火花。

 そこに吹き出すはずの鮮血はなく、虚しい鉄の音だけが響き渡った。

 驚愕は誰のものだろうか。

 踏鞴を踏んだセイバーのみならず、その様子を見ていた“黒”の陣営の誰もが、唖然としてアーチャーの姿を見た。

「双剣――――だと?」

 必殺を期した剣戟が弾かれた苛立ちが、そのアリエナイ光景に上書きされた。

 セイバーの前に立つ男の手には、弓ではなく二刀一対、白と黒の中華刀が握られていた。

 泰然とした立ち姿には隙がない。

 それが、見せ掛けの二刀流ではないということを、歴戦の勘が告げている。

「テメエ、セイバーか?」

「君は私がセイバーに見えるのかね?」

「いや、まったく。で、弓兵風情がこのオレ相手に白兵戦で挑むってのか?」

 なめられたもんだ、とセイバーは愛剣の柄を握りなおし、アーチャーを油断なく観察する。

「弓兵とて剣を執ることもあるだろう。何、そこらの剣士に引けはとらんよ」

「ハッ――――よく言った、覚悟しやがれ。アーチャー!」

 セイバーの背後の床面が、大きく抉れ消し飛んだ。

 爆発的加速。スキル魔力放出は、身体能力のブーストに使用するのが常であるが、このセイバーはその有り余る魔力をロケットのように噴射して、尋常ならざる破壊力をその一刀に乗せることができるのだ。

 荒れ狂う魔力の奔流は赤雷となり、閃電となったセイバーはその勢いを殺すことなくアーチャーに剣を振り下ろした。

 

 

「オオオオオオオオオオッ!!」

 セイバーが咆哮し、剣を振るう。

 振るって振るって振るう。その斬撃は音速を超え、常人の目には月光を反射する軌跡しか残らない。白銀の刀身は、夜闇を切り払い、大気はズタズタに切り裂かれて悲鳴をあげる。だが、止まらない。嵐の夜の海の如く、轟と吹き荒れる剣風は、時間と共に激しさを増していく。

 しかし、その荒々しくも間断のない攻め手が続いているということは、切り付ける対象が未だに存命であるということを意味している。

 アーチャーは、二刀を縦横無尽に駆り、セイバーの剣戟を受け止め、いなし、あるいはかわす。鷹の目には、聊かの曇りも見出せず、冷淡な表情でセイバーの攻撃を見切り続けている。

 

 ――――なんだ、コイツはッ!

 

 押しているのは確かにセイバーだ。

 そもそも、セイバーのクラスは、近接戦闘最強を誇り、三度行われた冬木の聖杯戦争では、そのすべてで最後まで生き残った実績がある。ステータスが一定ランク以上の英霊のみが召喚されるという厳しい条件もあり、あらゆる条件下に対応可能な柔軟性まで併せ持ったまさしく最優のクラスである。

 そのセイバーが、――――剣の間合いで弓兵を打倒しきれない。

 

 アリエナイ。ソンナコトガアッテハイケナイ。オレは、アーサー・ペンドラゴンの後を継ぐ者。名高き騎士王を乗り越える最強の騎士だ。

 

 “赤”のセイバー――――モードレッドは自らを鼓舞し、剣を振るう。

 時に愚直に、時に技を織り交ぜ、首を、胴を、腕を、足を狙いながらその尽くが届かない。

 無論、これほどの苛烈な攻撃に曝されて無傷で済むほど、アーチャーは頑丈ではない。鍛え抜かれた心眼が、セイバーの攻撃に対処する最適解を導き続けているからこそ、ギリギリの攻防を続けていられる。

 

 

 ――――ずいぶんと、大振りになってきたな。

 

 今のアーチャーは、嵐の海に漕ぎ出した一艘の船だ。大波に翻弄されながらも、生き残る活路を探し出すため、知恵と技を一瞬一瞬に集約させている。

 そして、歴戦の勇士でもあるアーチャーの目には、敵セイバーの剣術に粗が見え始めていた。

 それは、まさしく風と海流を掴んだ瞬間であった。

「セイッ!」

 セイバーが振り下ろした剣が床面を抉るのに合わせて踏み込んだアーチャーの黒い陽剣・干将がセイバーの鎧に吸い込まれた。

「このッ」

 セイバーは苛立ち、兜の奥に隠れた顔を歪ませた。高い耐久力に加え、頑丈な鎧に身を守られているセイバーには、一撃入ったところでダメージにはならない。だが、弓兵に近接戦で切りつけられたことが、セイバーのプライドを激しく傷つけた。

「ダラアアアアアッ!」

 咆哮と同時に四方に赤き雷が走る。魔力放出スキルのはずだが、放出された魔力はセイバーの性質に合わせて変化しているようだ。

「ぐ……ッ!」

 膨大な魔力は、それだけで物理的衝撃を伴う。アーチャーは踏鞴を踏んで距離を取った。しかし、その僅かな後退は、セイバーにとって一歩で詰め寄れる距離しか稼げず、下から切り上げられた剣を受け止めた白き陰剣・莫耶が後方に弾き飛ばされてしまった。

 そもそも、筋力からしてセイバーとアーチャーでは格が違う。まともにぶつかってはアーチャーの敗北は必至であり、うまく衝撃を受け流すことで渡り合ってきた。が、今回はセイバーの魔力放出で強化された斬撃をそのまま受け止めてしまったこともあって捌ききれなかったのだ。

「しゃあッ。覚悟ッ」

 双剣は、両手剣に比べてリーチに劣る。その代わり、小回りが利き、手数が多いという利点がある。そのため、防御に回った双剣使いは、峨峨たる城壁の如き防御力を有するものだが、二刀の内、一つでも潰してしまえば、防御力は半分以下、文字通り片手落ち状態だ。

 セイバーの剣を、アーチャーは残った干将で防いだ。アーチャーの姿勢が、衝撃で崩れる。取った。セイバーが確信した瞬間、彼女の直感スキルがそれを否定した。

「ク……ッ」

 視認に先んじて身を捻る。一瞬前までセイバーの首があった場所を、弾き飛ばしたはずの白剣が通り抜けていった。

「バカな」

 セイバーの驚愕にアーチャーは答えず追撃をする。三合ばかり打ち合って、互いに距離を取った。セイバーは驚愕から立ち直り、敵を分析するために。そして、アーチャーはセイバーへの深入りを嫌ったために。互いに敵の様子を確認し、それから自分の状態を確かめた。

 

 ――――ステータスでも、剣術でもオレが勝っている。弓兵風情にオレが押される道理はねえ。奇妙な手品を使うが、落ち着いて対処すれば、首を落とせる相手だ。魔力は充溢している。一気呵成に攻め立てて、叩き潰す。

 

 ――――高い耐久力に、全身を覆う甲冑。生半可な攻撃は通らないか。なによりも、あの魔力放出。直撃を食らえば剣ごと骨を持っていかれるか。身体のほうは問題は無いが、さて、どう切り崩すか。

 

 思考は数秒。にらみ合いは長くは続かず、再戦の火蓋はなんの予兆もなく切られた。

 セイバーが攻め、アーチャーが守る。

 初めから何一つ変わらない構図が維持される。戦局は膠着状態に陥った。剣士としての誇りを以て、攻め立てるセイバーに対し、アーチャーは己が剣術で劣ることを理解し、堅実な守りを固めている。幾十、幾百の剣戟を交えてなお、互いに一歩も引かない切り合いが展開されていた。

「てめえ、いったいどこの弓兵だ。このオレ相手にここまで守りきれるヤツなんて知らねえぞ!」

「さて、どこの弓兵かな。私自身、その辺りはよく分からなくてね」

「ほざけッ」

 セイバーの剣が、アーチャーの剣を弾く。しかしセイバーが、二撃目を放つ頃にはすでにアーチャーは万全の守りを固めている。いったいいくつの宝具を隠し持っているのか。それも、すべて同じ宝具である。分裂系の能力をもつ双剣であろうか。

 これだけ、剣を交えれば、セイバーもアーチャーの剣が見えてくる。この剣は、剣の鬼才であるセイバー(モードレッド)の対極に位置する剣。才能のない者が、死に物狂いの努力の果てにたどり着いた極地である。 

 血反吐を吐く努力というものは、セイバーの好むところだが、これほどの剣技を手にするのに、一体どれほどの修羅場を潜ったことだろう。相手の過去に思いを馳せながらも、セイバーは剣を振るう手を止めない。

 

 セイバーがアーチャーの過去に思いを馳せていた時、狙い済ましたようにアーチャーもまたセイバーを思っていた。

 敵が振るう剣に、覚えがあったからである。

 野性味に溢れ、積み上げた技よりも本能を優先する戦い方をするのが、“赤”のセイバーだ。しかし、同時に騎士風の剣が、そこに同居している。獣と騎士。相容れない二つの感性が、この剣士の中に絶妙なバランスで根付いているのだ。そして、その根本――――剣術思想ともいうべき部分に、アーチャーは懐かしさを覚えたのだ。

 そう、この剣は彼女の――――セイバー(アルトリア)の剣によく似ているのだ。

 自分が、まだ青臭い理想を語る子どもだったとき。運命の夜に出会った彼女のことは、絶望と狂気の果てに磨耗した記憶の中で、色あせることなく燦然と輝いている。

 

 聖杯大戦というイレギュラーが呼び寄せた二人の英霊。

 生まれた時代も、育った環境も異なるセイバーとアーチャーは、奇しくも同じ師を仰いだ。

 

 一方は、剣の天才として生まれ、憧れた剣を余さず我が身に取り込んだ。

 一方は、剣の非才として生まれ、届かないと知りながらも生涯をかけて手を伸ばし続けた。

 

 ただ、アーサー王(アルトリア)に届きたい。

 二人の原点は、この一点に尽きる。

 

 同じ剣を夢に見た二人が、時代を超えてぶつかり合う。なんという運命だろうか。

 しかし、夢の饗宴も永遠には続かない。

 久遠の長さに思える剣戟も、剣を止めてしまえば一瞬の出来事のように思える。

 日が上り始め、空が白み始めた時、どちらともなく距離を取った。

「弓兵のくせに、なかなかやりやがるな、オマエ」

「だから言ったろう。そこらの剣士に遅れは取らんと」

 見たところセイバーは無傷。アーチャーは身体中の至るところに裂傷を生じているが、どれもかすり傷程度だ。

 これは所詮は前哨戦。決着を急いでつける必要はない。少なくとも、アーチャーの側は。しかし、セイバーとしては、剣の英霊でありながら剣術で攻め切れなかったことに加えて、令呪一つ分を消費した手前、アーチャーの首が欲しい。

「ここまで来たんだ。最後まで付き合って貰うぞ、アーチャー」

 その顔は兜に隠れて見えないが、セイバーは戦意を衰えさせることなく、むしろ高揚しているようにも思えた。

 だが、アーチャーが取り合うことはなかった。フィオレからいい加減に帰って来いとの命令が下っている。なにより、これ以上セイバーに付き合っていては何れ討ち取られてしまうだろう。

「すまんが、その誘いには乗れんな。私はこの辺りで引かせてもらう」

 何、とセイバーが食って掛かる前に、アーチャーは投影した三本の短剣を飛ばし、セイバーの足元に突き立てた。

 飛び退くセイバーを尻目に、アーチャーは呪文を口にする。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 途端、激しい閃光が屋上を覆う。短剣が一斉に爆発したのである。すでに二人の戦いで激しく損傷し、屋根としても使えないほどになった床面は、それだけで簡単に崩落した。

「なッ……アーチャー。テメエッ」

 瓦礫と共に落ちて行くセイバーと、霊体化して戦線を離脱するアーチャー。

「アーーーーーーチャーーーーーーーッ!!」

 セイバーの叫びも虚しく、去ったアーチャーが戻ってくることはなかった。

 

 

 

 

 ミレニア城砦に帰還したアーチャーを真っ先に出迎えたのは、マスターであるフィオレでもなければ、王であるランサーでも、そのマスターであるダーニックでもなかった。

 桃色がかった長髪を纏めている少女、に見紛う少年である。

「お帰りアーチャー! あのセイバー相手に近接戦で打ち合うなんてすごいじゃないか!」

 好奇心旺盛なライダーは、天真爛漫な笑顔でアーチャーに話しかけた。

「それに、あの矢。あれ、アーチャーの宝具なんでしょ? いったい、どんな所縁があるのか、教えてくれないかな?」

 そう詰め寄ったライダーにアーチャーは、一先ず、マスターの元に向かわせてくれと言って、ライダーの追及から逃れた。

「ああ、そうだね。僕としたことが失念していたよ。あの娘のところに行くのが筋だよね。ごめんね、引き止めちゃってさ」

「いや、気にしないでくれ、ライダー。また、折を見て話をしよう」

「ああ、それじゃあね!」

 ライダーは人好きのする笑顔でアーチャーを送り出した。フィオレの元に向かう途中、セイバーとすれ違った。

「……いい剣だな」

 すれ違い様に、セイバーが言葉を発した。

 そのことに驚きながらも、アーチャーは口元に笑みを浮かべた。

「君の剣ほどではない」

 セイバーは首を振った。

「技のほうだ。真っ直ぐに積み上げた、曇りのない、見事な剣だった」

 剣士であるセイバーにとって、剣術は生涯をかけて突き詰めたものだ。言ってみれば、そこには人生のすべてが濃縮されている。果たして、セイバーはアーチャーの剣に何を見たのだろうか。

 しかし、セイバーがそれを語ることはなかった。

 忠義の騎士は、ただそれだけを言い終えると、マスターの命に従って再び口を噤み、視線で別れを告げて去っていった。

 

 

「遅い」

 フィオレの元に戻ったアーチャーは、開口一番にそう言われた。

 ムスッとした表情で、アーチャーの遅参を責めた。

「ふふ、でも、許してあげます。よく戻ってくれました、アーチャー」

 剣呑な表情をすぐに解し、フィオレはアーチャーを労った。

「ああ、今戻った。フィオレ」

 フィオレは、車椅子を動かして、アーチャーの傍に近寄った。

「アーチャー。あなたには、まず最初に謝っておかなければなりません」

 フィオレは、申し訳なさそうな顔をして、アーチャーにそう前置きした。

「わたしは、あなたの実力を疑っていました。まさか、あのセイバーを相手に接近戦ができるほどの技量の持ち主だとは思ってもいなかったのです。わたしの不明を許してください」

 アーチャーは初めから自分がサーヴァントとして優秀である、と自信満々に語っていた。しかし、マスターであるフィオレは、その人格面は措いておいて、戦闘時の実力に関しては半信半疑だったのだ。 

 今日の“赤”のセイバーとの戦いで、フィオレはそれが見当外れも甚だしいことを知った。そして、自分の人を見る目のなさを恥じたのだ。

「何かと思えば、そのようなことか。謝る必要はないだろう。まだ聖杯大戦は序盤に過ぎない。多くのサーヴァントが未だに戦場を経験しておらず、その戦闘能力は数値でしか知ることができない。ならば、君が私をそのように評価していたのは合理的な判断の結果だ」

「しかし……」

「ついさっき、私は敵のセイバーと戦った。その結果が、私の実際の実力の一端ということになろう。それを見て、どう判断するのか、という点こそが重要だ」

 額面上の数字ではなく現実を見て判断しろ、とアーチャーは言っているのだ。そして、アーチャーの実際は、高位のサーヴァントに対し、相手の土俵で戦って引き分けに持ち込むことができ、自分の領分では対軍宝具を思わせる大威力の誘導弾を放つ。十分すぎるほどの戦闘力。おまけに今回の戦闘では、敵のマスターに令呪を一画消費させることもできた。戦術的勝利と言っても過言ではない。

 なんといっても、あのランサーをして、信頼に足る戦闘能力と言わしめたのだ。フィオレがアーチャーの力を認めない理由はなく、それはほかのマスターやサーヴァントも同じであろう。

 フィオレは、アーチャーの言葉を呑み込み、胸に刻み込んだ。

 このサーヴァントを認めるのではない。このサーヴァントに認めてもらえるようにならなければ、フィオレは自信を持って、アーチャーのマスターだと言うことができない。

「アーチャー。あなたは、わたしがマスターでもよかったと思いますか?」

 フィオレは不安そうに尋ねた。

「無論だ。合理的判断を下す冷静さと、弟を気遣う優しさを併せ持つ魔術師。人格面も否定的に見る点はなく、マスターとして仰ぐには十分だろう」

「そうですか。それは、よかった」

 アーチャーに否定されなくてよかったと胸を撫で下ろしたフィオレは、ふっと微笑んだ。

「それでは、これからもよろしくお願いします。アーチャー」

「ああ、この弓と剣を君に捧げよう。よろしく、頼む。フィオレ」

 アーチャーは、フィオレが差し出した手を握り返した。

 このとき、二人は正しく主従となった。

 “黒”のアーチャーと“赤”のセイバーの戦いは、“黒”のアーチャーの戦術的勝利という形で幕を閉じた。しかし、これはあくまでも前哨戦に過ぎない。脱落したサーヴァントは一騎もおらず、互いの陣営は着々と戦の準備を進めている。

 聖杯大戦は、これからが本番なのである。

 




明けまして、おめでとうございます。
これで、完結です。エミヤとモードレッドは、互いにアーサー王と関わりがあるということでぶつけてみました。
それでは、また次回作、もしくは今書いている何かでお会いしましょう。


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四話

 フィオレに戦果報告を済ませたアーチャーは、彼女の部屋を後にして宛がわれた私室に戻った。

 ミレニア城砦は広く、六人のサーヴァントに私室を与えるくらいの余裕はある。ユグドミレニアを率いるダーニックは、第三次聖杯戦争に参加していたことがあり、サーヴァントという存在を他のマスター以上に理解していた。

 誇りを傷つけること、在り方を損なうことがマスターとサーヴァントとの間にどれほどの不和を齎し、戦力を低減させるか理解していたからこそ、サーヴァントたちへの配慮もしっかりとしていた。

 特に、彼のサーヴァントであるランサー(ヴラド三世)は生粋の王。

 私室の一つも与えないのでは初日から首を刎ねられてしまうかもしれない。

 そういうわけで、すべてのサーヴァントに一部屋ずつ与えられていたのである。

 もっとも、これをどのように使うかはサーヴァント任せだ。キャスターのように工房から出ない者もいるし、セイバーのようにマスターの傍にずっと控えている者もいる。アーチャーは、マスターが年頃の娘ということもあり、比較的部屋の使用頻度が高かった。

 マスター(フィオレ)に何かあればすぐに駆けつけられる体勢を整えつつ、ダーニックが用意した資料に目を通す。

 時計塔に忍ばせたという血族から取り寄せた魔術師の資料だ。

「獅子劫界離。死霊魔術師(ネクロマンサー)か」

 “赤”のセイバーのマスター。

 魔術協会が送り込んできた刺客。フリーランスの魔術師で、賞金稼ぎとして数多くの戦場を経験している。

 どうやら協会は確かな実力者を送り込んできたらしい。

 そもそも、死霊魔術の使い手は、魔術のために多くの死体を必要とする。その結果、戦場へ出向く機会が多くなるのだ。

 それが、フリーランスの賞金稼ぎともなれば、魔術師としての実力だけではなく、戦闘技術も一級品と見るべきだ。

 フィオレもそれなりの修羅場を潜ってはいるが、本物の戦場を経験している獅子劫のほうが戦運びは上と考えるべきだろう。

「む」

 扉の向こうにサーヴァントの気配を感じ、アーチャーはそちらに目を向けた。

 ノックの音がする。

「アーチャー。ボク、ライダーだけど、部屋に誰かいるかい?」

 サーヴァントの正体はライダーだった。

「いや、誰もいないが」

 そう返事をすると、ライダーは扉を開けて中に入ってきた。

 肩に裸の少年を担いでいる。

「ライダー。ここは連れ込み宿ではないのだがね」

「そんなんじゃないし、ボクは男だよ?」

「冗談だ。が、裸の少年を肩に担いで堂々と持ち運ぶのはさすがにな……」

 アーチャーはそう言いながらも事情をある程度は察していた。

 ライダーをベッドに案内し、少年を寝かせた。

「ホムンクルスか。いったい、どういうことだね。これは?」

 抜けるような白い肌に、白銀の髪の少年。おそらく、瞼に隠れた瞳は赤いのだろう。

「廊下で倒れてたから助けた」

 ライダーは、あっけらかんと言う。

 助けた結果どうなるか、などということは一切考えていない。彼の中では、助けようと思ったときには助けることが決定しているのである。

「水槽から抜け出してきたということか」

「みたいだね。キャスターが追いかけているんだよ」

「ふむ。魔力供給用のホムンクルスの管理は、確かに彼の仕事だ。とはいえ、抜け出したホムンクルスをわざわざ探すのも彼らしくない」

 魔力供給用のホムンクルス。セイバーのマスターであるゴルドが主導して完成させた、ユグドミレニアの秘策の一つ。

 通常の聖杯戦争では、マスターはサーヴァントの全魔力消費を負担する。そのため、戦闘ではマスターに掛かる負担が大きくなり、切り札である宝具の発動にも一定の制限が掛かってしまう場合もある。膨大な魔力を消費する宝具は連続使用ができない、というようにだ。

 だが、ユグドミレニアは魔力供給をマスターと生贄とで分割した。サーヴァントを律するのに必要な部分の魔力供給をマスターが、それ以外を生贄のホムンクルスが担当する。

 資金があれば、いくらでも創り出せるホムンクルスは、魔力を生み出す電池として都合がよかったのである。

 創ればいくらでも手に入る電池。

 それがこの要塞の中でのホムンクルスの地位である。

 だからこそ、腑に落ちないのはキャスターの動向である。人付き合いすら嫌う彼が、逃げ出したホムンクルス一人に執心するのは奇妙だった。

 アーチャーは、ホムンクルスの脈を取る。

「脈は正常だな。ただ、魔術回路が暴走した形跡がある。慣れない魔術行使で、魔力の制御を誤ったのだろう。鬱血しているのは、魔力が血管内で暴れた証拠だ」

「詳しいね、アーチャー。医者でもやってたのかい?」

「何、私も経験があるだけだ。問題は疲労だな。僅かの距離でも、まともに歩いたことのない彼にとっては千里の道だ。廊下で動けなくなっていたというのは、疲れ果てて倒れていたということだろう」

「そっか。彼は生まれたての赤子なんだね」

 ライダーは頷いて、ホムンクルスを見た。

「さて、これからどうするつもりだね。ライダー」

「どうするって?」

「彼のことだ。このままというわけにはいくまい」

 キャスターが探しているとなれば、城内に匿うのも限度がある。

「ホムンクルスは総じて短命だ。たとえアインツベルンの技術で生み出された者でも、人並みには生きられん。まして、彼は生きることを前提に創られてはいない。もって、三年といったところだ」

「三年か。短いね」

 ライダーは、沈鬱な表情でホムンクルスを見た。

「けど、それだけあれば、生きる意味だって見つけられるさ」

 しかし、持ち前の前向きさでライダーは言った。

 アーチャーはため息をついた。

 問題は寿命の短さだけではない。まず、この城砦を抜け出す必要があるし、抜け出した後の生活をどうするのかという問題もある。ライダーが救ったのだから、ライダーが最期まで面倒を見ればいいとも思うが、残念ながらライダーもアーチャーもサーヴァントだ。聖杯大戦が終われば、結果はどうあれこの世界から消滅する。三年後には、いなくなっている。

 だが、ライダーはそれらの事情を理解していながら、とりあえず『今』、目の前のホムンクルスを助けることに力を注ぐだろう。その後のことは度外視にして。

「やれやれだ。ライダー。彼に構うのはいいが、サーヴァントの本分を忘れないでくれたまえ」

「もちろんさ。ボクはそのために呼ばれたんだからね」

 ライダーはにこやかに宣言した。

 

 

 

 ■

 

 

 

 結局、アーチャーはホムンクルスを見逃すこととした。

 キャスターに報告する義務はない。何より、ホムンクルスを生贄にする魔力供給に思うことがあった。

 合理的且つ戦闘に於いてはこの上ないアドバンテージを得ることができるシステムだと評価している一方で、感情面では好ましく思えないところもあった。

 ただの感傷だ。

 救えなかった義姉がホムンクルスだったというだけの、斬り捨てた過去の残滓に過ぎない。

“それにしても、冬木の聖杯にアインツベルンのホムンクルス。それに遠坂の宝石か”

 本来とは異なる世界線。

 並行世界であり、ここにはアーチャーの八つ当たりの対象は存在しない。

 ならば、純粋に聖杯を求めてみるのも悪くはない。

 ルーマニアの聖杯戦争でありながら、縁のある単語が時々聞こえてくるのはこそばゆい思いがする。

 ライダーとホムンクルスを自室に置いておいて、霊体化したアーチャーは城内を散策することにした。

 アーチャーの戦いを夜通し観戦したマスターたちは、すでにベッドの中にいる。

 動く気配があるのは、警備用の魍魎とホムンクルスだけだ。

 しばらく散策していると、ある部屋からの扉の隙間から光が漏れているのを見つけた。

 フィオレの弟で、バーサーカーのマスターでもあるカウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニアの私室である。

 興味本位でアーチャーは扉をノックした。

「アーチャーだが、今いいかね?」

「ア、アーチャー!? あ、いや、いいけど……」

 カウレスは突然のアーチャーの訪問に驚愕したらしく、返事には戸惑いの感情が含まれていた。

 姉もそうだが、弟も魔術師らしくない。微笑ましく思いながら、アーチャーが部屋の中に入った。

「こんな時間にすまない。扉から光が漏れていたものでね」

「ちゃんと閉まってなかったか」

 カウレスは頭を掻きながら、決まり悪そうにする。

「姉ちゃんは?」

「フィオレなら眠っている。君も、この時間ならベッドに入っておくべきだと思うが」

 アーチャーはカウレスが向かい合っているそれに目を向けた。

 パソコンだ。

「夜遅くまでインターネットか。歳相応と言えばいいのか、聊か不健康ではあるがな」

「なんだよ。別にいいだろ、これくらい」

 拗ねたように、カウレスは言った。

 カウレスが他の魔術師たちと異なるのは、思考が一般人とそれほど変わっていないということだ。魔術師は総じて神秘を敬愛し、科学技術を魔術の下に位置づけたがるものだ。実際、この要塞の中でインターネットへの理解があるのはカウレスとセレニケだけだ。そのセレニケも黒魔術の触媒に使えないかと研究しているからであって、興味があるわけではない。嗜好品としてパソコンを有するのは、この城砦の中ではカウレスだけなのだ。

「ウー」

 カウレスの傍で呻き声を発するのは、バーサーカーのサーヴァントである。

 純白のドレスに彩られた可愛らしい少女だが、機械の部品と思しきものが身体の至るところについている。

「バーサーカーか。しかし、まさか女性とはな。花嫁のほうではないのだな?」

「それは俺も思ったけど、正真正銘の本物だってさ」

「そうか。まあ、驚くことではないのかもしれんが……」

「いや、そこは驚けよ」

 バーサーカーの真名はフランケンシュタイン。

 人造人間の代名詞であり、ハリウッド映画などの題材にもなってきた怪物だが、フランケンシュタインを女性として描いた作品はあっただろうか。

 少なくともカウレスの記憶にはない。

 神秘としては比較的新しく、バーサーカーとして召喚されていながらステータスに見るべきところはない。

 それでも、カウレスにとってバーサーカーは最適なサーヴァントだった。

 彼女の宝具『乙女の貞節(ブライダルチェスト)』は、大気中の余剰魔力を吸収して再利用する。魔術師としては未熟なカウレスにとっての最大の不安は魔力供給であったが、この宝具のおかげで、それを気にする必要がなくなったのである。

 フランケンシュタインが女性だということに、少なからず驚いたのはアーチャーも認めるが、そういった事例は経験済みだ。深く考える必要はないと思っている。

「英霊とはそういうものだ」

「いや、どういうことだよ」

「伝承と実体が異なるのは、彼女だけではあるまい。例えば、高名な騎士を召喚してみたら、実は女性で、生前は男装していたから男として伝わっただけだった、などということもあり得る」

 アーチャーは、そう言ってバーサーカーを見た。

 しかし、カウレスは胡散臭そうな視線をアーチャーに向け、

「……ないだろ、さすがに」

 そう呟いた。

「ところで、それは今使えるかな?」

 アーチャーは、パソコンを指差して言った。

「ああ、使えるけど」

「そうか。では、少し調べて欲しいものがある」

「何?」

 カウレスは、驚いたように目を瞠る。

「お前、サーヴァントだろ? ネットなんか使うのか?」

「何か問題があるのか? 今の時代、簡単なものは本を開くよりこちらを使ったほうが早いだろう」

「そりゃ、まあそうだけど」

 インターネットがどのようなものかは、聖杯からの知識で概要くらいは教えられているかもしれないが、それを積極的に使おうというのにカウレスは驚いていた。

「おまえ、本当に変わったサーヴァントだな」

 真名すらも分からないこのサーヴァントは、一流の魔術師であるフィオレが召喚したとは思えないほどステータスが低い。正直、バーサーカーと同じくらいである。が、戦闘能力は桁外れ。それを、先ほど見せ付けられたばかりだ。

 紅茶を淹れるのが上手いとフィオレが自慢してきたこともあったが、さらにインターネットに理解を示すか。

「こういうのに、理解があるってのがまず驚きだ」

「そうだろうか。魔術師とはいえ、科学技術に対応せねば生き残れまい。都会には監視カメラが溢れているという。魔術では人目を避けることはできても、カメラを誤魔化すことはできん。違うかね?」

「それは、確かにそうだ」

 使う魔術にもよるだろが、認識に干渉する催眠の類は人には効いてもカメラには効果がない。科学への理解のなさは魔術の漏洩に繋がりかねないのだが、それを自覚している魔術師は驚くほど少ない。

「で、何を調べるんだ?」

「冬木だ」

「……なるほど」

 カウレスは得心がいったというように頷いた。

 日本の冬木市は、聖杯戦争発祥の地。何を隠そう、このユグドミレニア主催の聖杯大戦は、冬木の聖杯を強奪してきたものなのだ。アーチャーが興味を抱くのは不思議ではないだろう。

 カウレスは手早く検索ワードを打ち込み、検索した。

「すまないが、暫し借りてもいいかね? 使い方は、ある程度心得ている」

「ああ、いいけど。……心得ている?」

 奇妙に思いながらも、アーチャーに席を譲る。

 アーチャーは席に座り、パソコンを操作する。マウスの操作も苦にする様子もなく、表示されるページに目を通してはブラウザバックを繰り返す。

「アーチャー。もしかして、パソコン操作のスキル持ってたりするのか?」

「そんなスキルがあるわけないだろう。変わったことを言うな」

「お前に言われたくねえよ」

 平然とパソコンを操作するアーチャーのほうが百倍変わっている。パソコンを操作する魔術師よりもパソコンを操作するサーヴァントのほうがおかしいと誰もが口を揃えて言うだろう。

「で、調べたいものは見つかったか?」

「ああ、どのような街なのか気になっただけなのでな。町並みさえ見れればそれでよかった」

「そうかよ。じゃあ、もういいか?」

「ああ、手間を取らせたな」

 そう言って、アーチャーは出て行った。

 去り際に、

「ああ、こんなことを今さら言うのもどうかと思うが、夜更かしは身体によくない。休むべきときはきちんと休んでおくべきだな」

 そう言い残した。

「ウィィ……」

 バーサーカーがカウレスの袖を引っ張り、不快の念を伝えてくる。

「アーチャーと話をしたのが気に入らないのか?」

「ウウ」

 頷いた。

「今は敵じゃないんだからいいだろう」

 カウレスはイスの背もたれにもたれかかった。

 夜明け近くなって、やっと眠気が訪れた。遅すぎるが、眠るとしよう。

 ベッドに入ったカウレスは、眠りに落ちる直前にふと思った。

“結局、アーチャーは何者なんだろう”

 

 



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五話

 “黒”のアーチャーが“赤”のセイバーと戦ってから数日が経ったある晩のこと、城砦内にいるマスターとサーヴァントに召集がかかった。

 こちらのアーチャーが敵のセイバーと戦ってからこの日まで、相手方に動きはなくこちらも打って出ることはしなかったため、戦闘は小康状態に陥っていた。

 ところが、ここにきて敵に動きがあったという。

 ゴルドと“黒”のセイバーが席を外しているのは、そのためである。

「聖杯大戦の第二戦といったところでしょうか」

「相手はランサーのようだな」

 キャスターのゴーレムが映し出す映像を見る。“黒”のセイバーと“赤”のランサーの戦いは、夜更けに始まり、すでに数時間が経過していた。

 闇の中、燦然と輝く二騎のサーヴァントが死闘を繰り広げている。

 飽くことなく剣と槍を打ち付けあう様は、殺し合いをしているというよりも演舞をしているという感覚に近いものがある。

 ただし、常人では彼らの『舞』を目で追う事は不可能であるが。

 剣戟は激しく、血風と共に火花が散る。

 “黒”のセイバーはジークフリート。世界的にも有名な竜殺しの英雄であり、鋼鉄の肉体を持つ不死の剣士の代表格。霊格は最高位といっても過言ではない。

 彼の宝具『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)』はBランク以下の攻撃をすべて無効化し、それを上回る攻撃に対してもBランク相当のダメージ分を軽減するという。

 セイバーを傷つけるにはAランク以上の攻撃手段を持っていなければならず、それはつまり英霊の中でも上位層に入る者でなければ彼を傷つけることができないという反則級の防御宝具である。

 しかし、相対する“赤”のランサーの槍は一撃ごとに“黒”のセイバーの身体に傷を作っている。それは治癒魔術で即座に塞がる程度の傷でしかないが、あのサーヴァントの槍は、真名解放せずともAランクに届く威力があるということである。

 さらに、“赤”のランサーが纏う黄金の鎧は、『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』の斬撃を受け止めるほど頑丈だった。

 共に相手の攻撃が致命傷にならないほどの防御力を有し、技量はほぼ互角。

 その結果、“黒”のセイバーと“赤”のランサーの戦いは均衡し、勝敗がつくことなく夜を徹して行われているのである。

「ルーラーか」

 アーチャーはスクリーンに映し出された映像に表れた少女を見た。

 腰まで届く金色の髪を編んだ少女で、見た目は人並みはずれた美しさであることを除けば一般人と変わりない。なんといっても服装が現代風なのだから。

 この戦いの元凶とも言うべきサーヴァント。

 聖杯戦争が破綻しかけたときに召喚されるというイレギュラークラスのサーヴァントである。

 アーチャーも、聖杯から与えられた知識でその存在を知っていたが、まさか召喚されるとは思わなかった。

「味方に引き込めれば御の字だったが、そう上手くはいかないか」

「少なくとも中立に徹することが分かっただけ、よかったでしょう」

 アーチャーとフィオレが小声で話す。

「それに、どういうわけか相手はルーラーを始末するつもりだったようだしな」

「ええ、そこが不思議なのですが、どういうことなのでしょう」

「さてな。もしかしたら、ルーラーが強権を発動するほどの反則を犯しているのかもしれん。注意は必要だろう」

 ルーラーは単騎で聖杯戦争を管理するだけの権限が与えられているという。

 それだけの力を持っているのだから仲間に引き入れたいと思うのは当然のことである。しかし、いきなり攻撃を仕掛けるというのはどうにも解せない。 

 強権が自分たちに振るわれることを恐れて、可能性から潰そうとしたとも取れるが、だとしても早急すぎる。

 ゴルドによれば、問答の余地なく殺しにいったようだし、“赤”の側には、何か後ろ暗いものがあるのかもしれない。

 映像の中で曙の光が夜闇を払っていた。

 二騎はどちらともなく武具を収め撤退する。締め切った室内には、朝日も入ってこない。時間の感覚を掴みづらい環境だが、映像から朝が訪れたことが分かった。

 

 

 

「また徹夜だったな、マスター」

「ええ、本当に。魔術師としては当たり前なのでしょうけど、お肌が荒れてしまわないか心配です」

 アーチャーはいつも通りにマスターの車椅子を押す。

 召喚されてから、ずっと車椅子を押すのはアーチャーの仕事である。

 二人の関係は、他の組に比べても良好だ。

 対等なパートナーという形で戦いに臨めている。

 どのようにサーヴァントと接するべきかはマスターたちが頭を悩ませるところで、ダーニックのように傅くことで関係を良好にしようとする者もいれば、ゴルドのように一切のコミュニケーションを拒否する者もいる。

 そういった中で共に信頼しあうというところまで早々に行き着いたフィオレは運がよかった。

 彼女の性格とアーチャーの性格が上手く噛み合った結果である。

 自室に戻ったフィオレは、アーチャーに頼んで薬を用意してもらう。

「確か、これでよかったか」

「はい、ありがとうございます」

 アーチャーが用意した薬湯と粉末状の薬を確認してから、フィオレはそれを呷るようにして飲んだ。

「足の痛みを和らげる薬だったか」

「ええ、そうです」

 フィオレは頷いた。

 彼女の足は、生まれつき動かない。病気ということではなく、変性した魔術回路の影響だ。そのため医学では回復させることができず、二本の足で大地を掴むには、魔術回路を取り去らねばならない。だが、魔術師であることを捨てるわけにもいかない。

 そう、故にフィオレが聖杯に託すのは、魔術回路をそのままにした足の治療である。

 人としての身体機能を取り戻しながら魔術師として最高峰を目指す。それが、フィオレの望みなのである。

「アーチャー」

 フィオレがアーチャーを呼ぶ。

 手を広げているのは運べというパフォーマンスか。

 フィオレの意図を汲んだアーチャーは、彼女を抱きかかえて、ベッドまで運ぶ。

 両足が使えない彼女にとっては、車椅子からベッドに移るだけでも一苦労。普段はゴーレムなり使い魔なりに手伝わせていたが、今は頼れる執事がいる。

 それに、アーチャーとしても頼ってもらえるのは、悪い気がしない。

「薬が効いてきましたので少し眠ります。アーチャーは自由にしてください」

「分かった。では、お言葉に甘えるとしよう」

 アーチャーはマスターの眠りを妨げないように、そっと部屋を後にした。

 

 

 

 □ 

 

 

 

 フィオレの私室を後にしたアーチャーは、真っ直ぐに自室に戻った。

 扉を開くと、やはり、

「ライダー。やはり来ていたのか」

 少女とも思える愛らしい外見をした少年騎士がいた。

「アーチャーか。驚かせないでよ」

「私が扉の前に立った時点で気付いていただろう」

「まあね」

 チロッと舌を出してライダーは言った。

 アーチャーはベッドの傍まで歩み寄る。白銀のホムンクルスがそこにはいる。

 薄らと目を開け、アーチャーを見る。

「まだ夜明けだが、起きているのか」

 ホムンクルスの少年はゆっくりと頷いた。

 今現在、この要塞内で彼の味方と言えるのはライダーとアーチャーのみ。こうしてアーチャーの私室に匿われていなければ、一日と生きながらえられないだろう。

 今の彼は、それだけ脆弱な生物だった。

「ホムンクルスは生まれながらに完成しているというが、やはりそれは知識面のみか。肉体面は鍛えなければどうにもならん」

 これが、戦闘用のホムンクルスであれば、また別だったのだろうが、彼は特別な調整を施されたわけではない。強いて言えば、より多くの魔力を搾り取れるように多少は生命力を強く設定されているが、それだけだ。

 外で生きることを想定されていない身体は、赤子に比肩する脆弱さとなっている。

 長くて三年という寿命を、どのように生き抜くか。

 彼もまた、サーヴァント同様自分の運命と戦わねばならない。

「まずは自分で逃げられる程度に体力をつけることが重要だな」

「歩く練習だね。ボクも時間を見つけて付き合うよ」

 アーチャーの言葉を遮る形でライダーがホムンクルスに言った。

 アーチャーは苦笑して、

「聞いての通り、ライダーが付き合ってくれるそうだ。ああ、何か困ったことがあれば彼に聞くといい。今さらだが、彼は面倒見はいいようだからな」

「え、そこでボク任せか」

「君が拾ってきたのだろう」

「まあ、そうだけどね。ボクはこの通り理性が飛んでるからね。あまり頼りにならないと思うよ」

 ライダーは軽い口調で言う。

 犬猫のような扱いだが、実際にそうだから仕方がない。

 それに、ライダーは責任感のないおちゃけたサーヴァントのようだが、やると決めたことは命を賭してやる。

 後先を考えないから様々な騒動を引き起こす種となる。

 だが、そのすべてが善行なのだ。巻き込まれた人間は苦労することになるかもしれないが、ライダーにとっては紛れもなく善を為しているのであり、間違っても自分が悪いことをしていると考えることはない。

 そういう思考がそもそも存在しないのだ。

 それも、彼が英雄たる由縁だろう。

 そして、あらゆる条件を度外視して目の前の問題に取り組むライダーだからこそ、ホムンクルスは救われた。

「ライダー。彼にとって、君は正義の味方なのだ。ならば、それは最後まで貫き通さねばなるまい」

「正義の味方かー。なるほど、だったら頑張らないとね! うん、それじゃ早速練習だ。ほら、君立って!」

 ライダーは意気揚々とホムンクルスをベッドから引っ張り出そうとする。

「なるほど、朝早いからこそマスターたちやキャスターの監視も緩む。歩く練習には最適な時間帯かもしれないな」

 などと、アーチャーは言って、ホムンクルスに助け舟を出すことはなかった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 今までにサーヴァント同士がぶつかったのは二度。

 一度目は“黒”のキャスター及び“黒”のアーチャーと“赤”のセイバーの戦い。

 二度目は“黒”のセイバーと“赤”のランサーの戦い。

 どちらも、英雄の戦いと言うに相応しいものだった。

 遠くに見えるミレニア城砦に篭城する“黒”の陣営。相対するは“赤”。その“赤”の陣営の中で唯一マスターとしてサーヴァントたちの前に姿を曝しているのが聖堂教会から派遣された監督役兼マスターのシロウ・コトミネ神父である。

 彼はアサシンのマスターであり、他の魔術協会から派遣されたマスターたちとサーヴァントたちの間に立ち、指示を与える役目を担っていた。

 サーヴァントが召喚されたときからずっと。

 そのため、“赤”の陣営のサーヴァントたちはセイバーを除いて自分のマスターを見たことすらないという異常な状態が続いているのである。

 そのシロウ神父は、イスに腰掛け資料に目を通していた。

 二度の小競り合いで、得た情報を纏めたものである。

 彼が召喚したアサシンは鳩を使い魔とし、その監視網はルーマニア全土に及ぶ。さすがに、結界に守られた敷地には、ただの鳩では入れないが、二度の小競り合いはどちらも鳩の目で見ることができる場所で行われた。

 “黒”のキャスターは姿を見せていないものの、ゴーレムを操る魔術を得意とする英霊だということは分かる。ゴーレム使いの英霊に絞れば、候補だけは挙げることができるだろう。

 “黒”のセイバーは驚異的な剣士だった。その防御力は、“赤”のランサー――――カルナの黄金の鎧に匹敵する。

「さすがはジークフリートと言ったところですか」

 シロウは使い魔を通して視た戦いを振り返る。

 あの剣士の頑丈さは、常軌を逸している。だが、それもジークフリートであれば、納得がいく。“黒”の陣営は、ランサーとして召喚したヴラド三世と同様に非常に知名度の高い剣士を呼び寄せている。

 もっとも、セイバーとランサー以外のステータスは平均程度。半世紀もの時間をかけて用意したにしては、召喚されたサーヴァントは低スペックだ。

 ユグドミレニアの宣戦布告を聞いてから聖遺物を準備した魔術協会のほうが、優秀な英霊を手に入れているというのは、なんとも情けない話ではないか。

「さすがはマスターじゃ。セイバーの真名をすでに把握したか」

 シロウの傍らに実体化したのはアサシン。

 女の色香を振り撒く、黒の魔女。

「ジークフリートか。厄介な相手じゃな」

「ええ、ですが。それだけです。セイバーがジークフリートだったことで、少なくとも“黒”の陣営の上位二騎ではこちらのライダーを倒せないことが確定しました」

 “赤”の陣営が誇る二騎の大英雄。一騎はインド神話の太陽英雄カルナ。太陽神の息子であり、現代でもインドでは最大級の知名度を誇る英雄の中の英雄。そして、もう一騎、“赤”の陣営には、カルナに匹敵する大英雄が控えている。

「それと、真名が分かっておるのはアーチャーか。なんという英霊なのじゃ?」

「……」

 アサシンに問われて、シロウは困ったような笑みを浮かべた。

 そもそも、この問答からしておかしいのだ。

 “黒”のセイバーはマスターからの命令で一切言葉を発することを禁じられている。肉体の頑丈さから真名を推測することは可能かもしれないが、宝具も使っていないこの状況で、相手の真名を断定するなどありえない。

 だが、シロウは“黒”のセイバーをジークフリートだと断言し、アサシンはそれを疑うことなく“黒”のアーチャーの真名まで分かっているという前提で話を進めようとしている。

「どうした、マスター。まさか、セイバーの時と同じくあのアーチャーが真名秘匿のスキルなり宝具なりを持っているとでもいうのか?」

「いえ。そういうわけではないのですが、聊かイレギュラーなことなので困惑しているのですよ」

 女王として君臨した彼女は、人の嘘偽りを見抜くセンスがある。ランサーほどではないにしても、人を見る目には自信がある。だから、シロウが嘘を言っているわけではないと察し、どういうことなのかとシロウの言葉を促した。

「彼の真名は視えました(・・・・・)。ですが、どのような英霊なのか私の知識に存在しないのです」

「何?」

 アサシンは不審げな表情をする。

 一目でサーヴァントの真名を見抜いたということもおかしいが、それが可能であるとして、サーヴァントを知らないなどということがあるだろうか。

 サーヴァントはすべて歴史に名を残した偉人だ。歴史を遡れば神話なり物語なり歴史書なりに名前が挙がっている。人々に知れ渡らねば、英霊には至らないからだ。

 これが、歴史や神話に興味のない一般人ならばまだしも、聖杯大戦に関わるマスターが知らないということはよほど無名のサーヴァントということになるが、それに関してもこのマスターに限ってありえない。

「それで、“黒”のアーチャーの真名は?」

「エミヤ・シロウというようですよ。ああ、ファミリーネームが先ですよ」

「エミヤ・シロウ? 確かに知らぬ名じゃ。聖杯からの知識にも、そのような英霊は存在せぬ。しかし……」

 アサシンはシロウ神父に意味ありげな視線を送る。

「マスターと同じ名じゃなあ。くっく、同郷かの」

「偶然でしょう。まあ、おそらくは日本の英霊なのでしょうが」

 “黒”のアーチャー。

 真名を明かされて尚、正体不明のサーヴァント。

 スペックは低いものの、そのありえない立ち位置が一層不気味に思われた。



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六話

 ルーラーのサーヴァント。

 特定の条件下でのみ、聖杯から直接召喚されるという極めて異例のサーヴァント。

 マスターを持たず、現世に望みを持たず、ただの一騎ですべてのサーヴァントを律する特権を与えられたサーヴァントは、聖杯戦争を監督するという使命を帯びて現れる。

 ルーラーが召喚されるのは、その聖杯戦争が著しく常道を離れ、それによって世界の秩序が崩壊する恐れがある場合である。

 だが、召喚されたルーラー――――ジャンヌ・ダルクが困惑しているのも事実であった。

 彼女はルーラーとして召喚され、自身の役割を正しく認識している。

 ルーラーが召喚されるのは聖杯戦争によって世界が危機を迎える可能性があるとき。だが、具体的に何が世界の危機となるのかはルーラーが実際に戦場に赴いて判断しなければならない。

 今回、ルーマニアで行われている聖杯戦争が、考え得る限りの最大数である七騎のサーヴァントによる『戦争』ではなく、その二倍、十四騎による七対七の『大戦』となったことが要因とも思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 そもそも、十四騎での戦いというのは、冬木の聖杯に備わっていたシステムの一つであるから、これ自体が世界の秩序の崩壊に繋がるということはありえないだろう。

 また、彼女の存在自体にもイレギュラーが発生している。

 純粋なサーヴァントではなく、フランス人の少女に憑依する形で召喚されたルーラーは、実体があるために霊体化できず、身体は生理的活動――――主に食事を必要としてしまう。

 ルーラーの活動には支障がないのだが、霊体化できないことでフランスからルーマニアまで公共交通機関を利用する必要があった。

 こういった、極めて不可解な召喚が、この聖杯大戦の影響によるものだとしたら、ルーラーの召喚に干渉するほどの何かがこの戦いの裏に隠れているということになる。

 そんな漠然とした、それでいて確固たる不安をルーラーは抱いていた。

 

 

 夜。トゥリファスは死んだように眠りについていた。

 発展を拒絶してきたかのように古の情緒を漂わせる町並みは、繁華街の喧騒とは無縁の闇に包まれている。

 眠気を抱えつつ、ルーラーは滞在していた教会の外に出た。

 規則正しい生活を送ってきた肉体には、夜更かしが耐え難い苦痛になっているのだが、聖杯大戦が主として夜に行われる以上、生活リズムは否応なく変えなければならない。

 ルーラーは、教会で汲んだ聖水を一掬いして宙に撒いた。やにわにその聖水は物理法則を無視して動き出し、街の立体図を描き出す。ルーラーの特権の一つ、サーヴァントの探索機能である。

「……“赤”がシギショアラに一騎。斥候、ということですか」

 トゥリファスではなくシギショアラにサーヴァントを配置しているのは規定を侵しているとも取れるが、トゥリファス自体がユグドミレニアの支配下にあることを考慮すれば特例として認められる範囲であろう。すると、“黒”が六騎しかいないのも、一騎を偵察に出しているからと考えられる。

 ルーラーが立体図を眺めていると、“黒”のサーヴァントたちが慌しく動き出した。街ではなく、森のほうへ向かっている。

「なるほど、今夜は郊外での戦いになるわけですか」

 どういうわけか、“赤”のサーヴァントが一騎、突出して森を進んでいる。そのサーヴァントに追いすがる形で二騎。計三騎が“黒”の陣営の本拠地に攻め込む構えを見せているのである。

 敵兵の半数で城攻めを行おうというのは無謀の極み。“赤”が条理を覆す英雄ならば、“黒”とて同じく英雄だ。

 何かしらのアクシデントか、単なる蛮勇か。

「まあ、一般人が巻き込まれなければいいですけど」

 呟いて、ルーラーは森に向かって移動を始めたのだった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 ミレニア城砦王の間。

 戦術会議を行う場であるそこは、今、豪華絢爛な会食の場となっていた。

 長机には色とりどりの食べ物が並び、召集されたマスターとサーヴァントの胃袋を刺激した。

「まさか、これほどとはな」

 感嘆の呟きを漏らしているのは、ダーニックである。

 参加者が多く、料理の種類も多様なため、立食形式という形を取った。ただし、ランサーだけはイスに腰掛けホムンクルスに料理を運ばせていたが、彼は“黒”の王。誰が言うまでもなく、そのようになるのだ。

「まさか、君にこれほどの技能があるとは思っていなかった」

「何、私だけではないさ。有能なホムンクルスたちが手伝ってくれたからこそ可能だったのだ」

 ダーニックに話しかけられたアーチャーは、得意げに言う。

 並ぶ数々の料理を手がけたのは、アーチャーである。

 生前、料理を得意としたという話をしたところ、作ってみないかという流れになったのである。

 無論、ただの娯楽で行ったことではない。

 “黒”の陣営はミレニア城砦に篭城しているのが現状である。大聖杯が手元にある以上、要塞の防御力も加味して圧倒的に優位に立っている事実はあるが、それでも常に受身に回るのは想像を絶する精神的負荷がかかる。

 食事というのはいつの時代も兵の士気を高揚させるのに最適であり、何れ破綻するとしても(・・・・・・・・)、各組同士の交流を図るのは必要不可欠であると言えた。

「アーチャー。これは、なんという料理だね?」

 玉座のランサーが自らの料理を指して尋ねてきた。

「それは、牛ロースのグリエに旬野菜のエテュぺだな。ライダーに合わせてフランス料理を作ってみたのだが、口に合うかね?」

「ああ、なんとも美味だ。生前に味わうことのできなかった異国の料理を口にできるというのも、聖杯戦争の醍醐味かな」

 上機嫌にランサーは料理を口に運んだ。

「ところでアーチャー。これほどの料理の技能を有する君は、何者なのだね。記憶は戻ったかな?」

「すまないな。王よ。四騎同時召喚というイレギュラーもあったためか、未だに記憶が定かではない。ただ、私は比較的近代の英霊だということは伝えておこう」

「なるほど、近代の英霊か。それならば、異国の料理ができるのもおかしくはないか。人の移動は文化を伝える。近代ならば、他国の文化を知る機会も多かろう」

「すまないな。私も真名くらいは思い出せればと思っているのだが」

「何、気に病むことはない。君の戦闘技能の高さは証明されている。戦に於いてその力を役立ててくれれば文句は言わぬよ」

「感謝する。王よ」

 アーチャーは一礼してランサーの下を辞した。

 記憶が定かではないのは事実。だが、真名はすでに思い出している。記憶の磨耗は、そもそも召喚の不手際によるものではなく、彼が本質的に抱えているモノが原因だ。

「すまんな、ランサー」

 名を隠すことがサーヴァントの基本なら、セイバーと同様アーチャーも名を隠そう。

 聖杯大戦という形式ではあるが、聖杯が最後の一人にのみ所有権を認めるのに変わりはなく、“赤”の次は他の“黒”を相手にしなければならない。

 ならば、例え身内と雖もみだりに名を明かすべきではない。

 明かさぬ理由を作れる以上は、隠し通すべきだ。

「ふぁーふぁー。ふぇふぁにふぃないと思ったふぁ、ひゅうほうらったんふぁね。あむあむ」

「まずは飲み込んでから話したまえ、ライダー」

「んぐ。ぷあ。いやー、これどれもすんごいおいしいね。しかもボクたちの出身に合わせて料理を作ってくれるなんてイカしているじゃないか」

「そう言ってもらえると嬉しい。とはいえ、時代までは考慮にいれてないからな。フランス料理でも、君が知らないものも多くあるだろう」

 アーチャーは、各サーヴァントの出身国の料理を揃えていたが、それぞれが活躍した時代が異なるため、時代に合わせた料理まではしていない。彼のレパートリーにも古代食のようなものはさすがになく、料理担当のホムンクルスも現代食しか作れなかった。

 ランサー(ヴラド三世)のルーマニア料理。ライダー(アストルフォ)のフランス料理。キャスター(アヴィケブロン)のスペイン料理。セイバー(ジークフリート)は厳密にどこの国とするわけにもいかないので、オランダからドイツの料理を用意した。バーサーカー(フランケンシュタイン)は果たして食事を採るのか分からなかったが、とりあえずスイス料理を出しておいた。

 バーサーカーは狂化のランクが低いこともあって、高次の思考ができるので、味も分かるらしい。それを言語化する術を持たないだけで、好みはあるということか。カウレスの後ろをついて歩きながら、目に止まった料理を掴み食いしようとし、それを慌ててカウレスが止め、皿にとって渡すというのを繰り返していた。

 人嫌いのキャスターはやはりこういった環境が好みではないらしい。最小限の料理だけとって、壁際でロシェと二人で会話をしている。

 セイバーもゴルドの騎士という立ち位置を崩すことなく、その後ろにいる。

「彼も頑なだな」

「ありゃ、マスターが悪いよね」

 ライダーのゴルドへの評価はなかなかに手厳しい。

 ゴルドの『一言も話すな』という命令を、律儀に守り続けているセイバー。二人の間に交わされる言葉はない。

「セイバーは彼の命令をすべて是とするつもりだろうか」

「そうなんじゃない? 良くも悪くも施しの騎士だからねえ」

 ライダーはまた食べ物を頬張る。

「それにしても、対等に話ができるのが君しかいないというのも問題があるんじゃないかと思うがね」

「キャスターは人嫌い、セイバーは口利かない、バーサーカーは話せない、ランサーは王様。ハハハ、まいったね、こりゃ」

 “黒”の陣営は、コミュニケーションが非常に取りづらい環境ということだ。明朗快活な性格なのはライダーのみ。それだけならばまだしも、積極的に話をしないというなんとも消極的な人付き合いをするサーヴァントが多いというのが現状だ。

 それぞれに思うところがあり、同じ目標に向かっているから問題はないのであろうが、同じ陣営なのだから接点くらいは持とうと思ってもいいのではないか。

「さて、私はマスターが呼んでいるのでそちらに向かうとしよう。それと、ライダー。これを持っておくといい」

「ん?」

 アーチャーはタッパーをライダーに渡した。

「どうせ、この量ではあまりが出るだろう。『彼』に持って行ってやるといい」

「おお! ありがとう、アーチャー!」

 タッパーを受け取ったライダーは、嬉々として、それでいてこっそりと料理を詰め込んだ。誰かに見られて、ホムンクルスを匿っていると知られるのは困るからだ。特に、キャスターと自分のマスター。幸い、どちらもライダーを見てはいなかった。

 セレニケはゴルドと魔術について語り合っているし、キャスターはそもそもライダーに興味がない。

 そして、さりげなくアーチャーがその大きな身体でライダーの行動を隠してくれていたということもあり、ライダーは無事料理を確保することができたのであった。

 そして、ライダーがタッパーに料理を詰め込んだことを確認すると、アーチャーはライダーの下を去り、フィオレのところに足を運んだ。

「楽しんでいるかな、マスター」

「ええ、おかげさまで」

 フィオレの隣にいたカウレスが、不思議そうにアーチャーを見る。

「紅茶にネットに料理かよ。本当に何者なんだ、お前」

「さて、それが分かれば苦労はないが。フィオレには言ったが、生前に執事の真似事をしていたような記憶がある。これも、その時に取った杵柄だよ」

「アーチャーを雇うって、それはそれですごいよな」

 一人で、なんでもこなすアーチャーがいれば、人件費が浮く。貴族的性格の強い魔術世界にあって、カウレスはそのような小市民的思考をする少年だった。

「そうですね。その時の主がどのような方か、興味があります。思い出せますか?」

 アーチャーはフィオレの言葉に眉根を寄せる。

 あまり思い出したくない類なのだが、フィオレたちは、アーチャーの表情から失われた記憶に該当するのだろうと考えたようだ。

「あまり、深く考えなくてもいいのですよ」

「…………いや、気にしないでくれ。ただ、思い出したくない記憶というものもある」

「あ、すみません」

 興味本位で聞いてしまったが、以前にも同じようなことを言われたのをフィオレは思い出したのだ。

「以前の主か。……そうだな、もっとも鮮烈なのはあれだな。真冬のテムズ川に叩き落されたのは、忘れようにも忘れられん」

「……さすがに嘘だろ?」

「さて、どうかな。君も、泳ぎの練習はしておいたほうがいい。今後何があるか分からんからな」

「少なくとも俺には寒中水泳を強要される予定はない」

 真冬の川に落ちたらどうなるか、想像したのだろうか。カウレスは顔を歪めて言った。

「水泳ですか。わたしは足がこのとおりなので、少し羨ましい気もしますが」

「それは何か違うぞ、姉ちゃん」

 カウレスはため息をつくように、フィオレに言った。

 そうして、宴も酣となった頃、ダーニックがランサーに耳打ちをした。

 その後、ダーニックはおもむろに前に立ち、拡声の魔術を使って声を大にして、

「諸君、アーチャーが用意してくれた料理は堪能したかな。戦の中でのささやかな気分転換になってくれたと思う」

 ダーニックは全体を見回して、自分の声が届いていることを確認する。

「とはいってもだ。やはり、戦いの最中というのは変わらない。我々が舌を楽しませていることは、敵にとっては考慮すべきことではないのだから」

 途端、室内が暗くなる。そして、壁に白い光が投射された。キャスターが警戒のために放ったゴーレムから送られてくる映像である。

 その映像の中には、あまりにも巨大な筋肉の塊が映し出されていた。

「キャスターによれば、このサーヴァントは、昼夜を問わずこのミレニア城砦を目指して進んでいるらしい。私は、これをバーサーカーのサーヴァントだと睨んでいる。おそらく、狂化のランクが高すぎて暴走しているのだろう」

 映像の中で、青白い肌をした大男は、森を猛進している。

 ただの一騎で敵の城に攻め寄せるなど、正気の沙汰とは思えないが、バーサーカーに正気を期待しても仕方がない。

「どうなさいます。叔父様?」

「無論、この気を逃す手はない。サーヴァントを三騎も出せば足りるだろう。だが、これは此度の聖杯大戦で唯一無二の好機だ。上手くすれば、このサーヴァントを我等の手駒にできるかもしれないと考えている」

 ダーニックの言葉に、その場がざわめき始める。

 “黒”の側はアサシンが合流していないことで一騎欠けた状態で開戦している。たとえ、バーサーカーであっても、いや、むしろ理性を持たないバーサーカーだからこそ、奪えれば強力な爆弾として使用することができる。

 それは、高潔な騎士を奪うよりも、ずっと楽で確実な仕事である。

「では、策を聞こうか。ダーニック」

「はい、領主(ロード)よ」

 こうして、“赤”のバーサーカーを捕獲する作戦が密やかに始まった。

 あの大男は、最短距離を進んでいるものの比較的緩慢な動きであり、城砦に到達するのは一両日はかかると見られている。

 その間に、準備を整え、確実にバーサーカーを獲る。

 ダーニックの指示の下、サーヴァントたちは一斉に動き出した。

 

 

 

 ■

 

 

 

 “赤”のバーサーカーの進撃は止まらない。

 ミレニア城砦から打って出たのは百を越えるゴーレムと戦闘用ホムンクルス。たった一騎の敵を相手にするにはあまりにも過度な物量であるが――――サーヴァントにとっては鎧袖一触。塵芥でしかない。

 ゴーレムはキャスターが生み出した物ではあるが、それでもバーサーカーは止められなかった。

 青銅製の巨体が宙を舞い、両断され、押し潰される。

 ひたすらに力。膂力無双の怪人物は、右手に持つ剣を振り回して敵を殲滅する。

 

 バーサーカーは狂っていて当たり前だが、それでもこれほどの狂気は珍しい。

 

 振り下ろされる斧剣を、青銅製の拳を、避けることなくその肉体で受け止める。

 超圧縮された筋肉は、鎧を必要としないほどに硬く、ゴーレムとホムンクルスの攻撃を防いでいる。表面に傷がつくことはあるが、そんなものは引っ掻き傷程度にしかならない。

 それだけ頑強な肉体ならば、確かに鎧を着ても意味がない。それは、ただ動きを妨げるだけであろう。

 しかし、それでも。

 自ら攻撃に当たっていくような行動には、誰もが眩暈を覚える。

 まして、笑みを浮かべるなど。

「圧制者の犬たちよ。せめて私の腕の中で眠りなさい」

 言語能力を失うバーサーカーの特性を覆して、彼は明確な言葉を発した。

 “赤”のバーサーカーは会話をすることができるのだ。ただし、思考が固定されているために、自分の考えを変えることは決してない。『圧制者を打倒する』ことへの狂信とも言うべき思考回路は、それ以外の余分な思考が介在する余地がない。

 それは、確かに狂気であろう。

 バーサーカーは、百の敵をなぎ倒して進み続ける。

 この先に待つ、『圧制者』を目指して。

 

 

 

 ■

 

 

 

 “赤”のバーサーカーの快進撃にも、“黒”のサーヴァントは驚いたりはしない。

 ゴーレムやホムンクルスなどは所詮雑兵でしかない。そのようなものを何千と倒したところで、評価するようなものではない。サーヴァントならば、できて当然のことだからだ。

 桁外れの膂力を持つ“赤”のバーサーカーを迎え撃つのは“黒”のライダー。華奢で小柄なライダーからすれば、あのバーサーカーは岩山のようにも見える。

 一撃貰えば、それだけでライダーには致命傷となるだろう。

 あの怪物の拳に耐えられると思うほど、ライダーは自分の耐久力に自信はない。

「まあ、やるしかないんだよねぇ」

 サーヴァントとしての本分は戦うこと。目の前にどれだけ痛めつけられても笑顔で猛進してくる大男がいても、それに立ち向かわなければならないのである。

 ちょっと、いや、とても嫌だけれども仕方ない。

「いっくぞー。おー」

 気合を入れて、ライダーは弾丸のような速度で駆けた。

 手にはいつの間にか一挺の馬上槍。

 黄金色に輝くそれを掲げ、

「うひゃあっ」

 情けなく、吹き飛ばされた。

「ははははははははははははははははははははははっ。圧制者の走狗よ、ついに見えたな!」

 ライダーを敵と見定めたバーサーカーは、屈強な肉体を精一杯使った大威力の一撃で地面を抉ったのである。意外なほど俊敏だったバーサーカーに、ライダーは目測を誤った。

「危ない、危ない。危うく死ぬところだった」

 髪や肩についた砂を払い落として、馬上槍を握りなおす。

「ボクじゃあ、あれは倒せないなあ」

 などと、呟く。事実として、ライダーの火力ではバーサーカーにどこまでのダメージを与えられるか疑問である。もちろん、自分の最強宝具を発動すれば、なんとかいけるかもしれないが、疑問符はつく。頑丈さを売りにしたサーヴァントは、小技の応酬などどこ吹く風だろうし、何よりも、大量の魔力を消費する宝具は使いたくなかった。

 だが、それでもライダーがバーサーカーの相手を務めたのは、他のどのサーヴァントよりもライダーが適任だと判断されたからだ。

「ま、倒す必要はないし、パパッとやって帰るか」

 そして、ライダーは再びバーサーカーに向かっていく。

 無謀とも思えるそれを、ライダーは平然とやってのけるのだ。

「その傲慢。なかなかだ。さあ、来い。嬲ってみろ」

 バーサーカーの攻撃を、ライダーはふわりと避ける。そして、黄金の馬上槍を突き出した。

 当然のようにバーサーカーは己の肉体で受け止める。

 それがなんであれ、被虐の英霊たるバーサーカーは相手の攻撃を受け、その上で反撃する。ライダーの放つ小さな槍は、バーサーカーの身体に致命的な傷を負わせることはできず、そして彼の反撃を受けてライダーの身体は両断される。その、一瞬先の歓喜を前に、バーサーカーはぐらりと視界が揺れるのを感じた。

「いくぞ、『触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)』!」

 ライダーが己が宝具の名を叫ぶ。

 その槍の真の力は、触れた敵を転倒させること。華々しい馬上試合で、数多くの武勲を立ててきたこの槍は、サーヴァントに用いられた際には、下半身への魔力供給を一時的に断ち、強制的に霊体化させる効果を持つ。

 戦場に於いて、機動力を奪われることは、すなわち死を意味する。

 相手の攻撃をとにかく身体で受けるバーサーカーにとっては、触れただけで効果を発揮する『触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)』はまさに天敵と言えた。

「足を奪われたからと言って、私を止めることはできない」

 それでも、バーサーカーは止まらない。

 腕を伸ばし、身体を引きずるように城砦に迫る。

「いやー、根性がスゴイねぇ。ま、ボクには関係ないけどさ」

 そう、ライダーの出番はここまで。

 バーサーカーの機動力を奪うまでが、ライダーの仕事である。

 バーサーカーに向かって、ゴーレムが殺到する。重さ一トンにはなるゴーレムがバーサーカーの身体に圧し掛かり、動きを止めようとする。

 けれど、それすらも、彼にとっては喜びであって苦痛ではない。

 二本の腕で、ゴーレムを砕きながら前進するのだから驚きだ。

「卑下することはないぞ、キャスター。お前のゴーレムは実によくやっている。このバーサーカーが異端なだけだ」

 そして、“黒”のランサーがバーサーカーの前に現れる。

 バーサーカーが最も嫌い。最も憎み。乗り越えんとするモノの気配を湛えて。

 

 

 

 ■

 

 

 

 目標であった“赤”のバーサーカーの確保は問題なく遂行された。ランサーが宝具を解放し、バーサーカーを『串刺し』にしたことで勝負ありだ。後は、キャスターが暫定的なマスターとして彼を使役するための儀式を行うだけである。

「バーサーカーのほうは片付いたか」

 フィオレの傍らで、アーチャーは呟いた。

 弓兵らしく、彼は後方支援を担当する。

 バーサーカーの捕獲に、アーチャーの力は必要とされていない。何かあるとすれば、バーサーカーを追って侵入してくる“赤”のサーヴァントたちである。 

 一騎が減るだけで、大きな損失になる。 

 みすみす見殺しにはしないだろうから、バーサーカーに他のサーヴァントをつけることは予想されていた。

「想定外は、敵の強さか」 

「そうですね。まさか、セイバーとバーサーカーの二人掛りで勝てないなんて」

 バーサーカーの支援に現れたのは二騎。

 その内の一騎が、こちらのセイバーとバーサーカーを相手取って互角の勝負を繰り広げているのである。

「下がったのは、アーチャーか」

「そのようですね。完全に気配を絶っているようです。少なくとも、わたしには、アーチャーを見つけることはできません」

 完全に森と同化したようなそれは、まさしく狩人の手並み。

 弓兵の真骨頂というところか。

「狙撃の可能性もある。君は下がっていてくれ」

「あなたは?」

「以前、言っただろう。セイバーに仕留められない敵を私が仕留めると」

 アーチャーはそう言って、霊体化する。

 彼が見定めた狙撃ポイントに移動したのだ。

 アーチャーに心配をかけないように、フィオレは車椅子を操って奥に下がった。

『そうだ、マスター。一つ頼まれてくれるか?』

「なんでしょう」

 アーチャーからの念話が届く。

『セイバーとバーサーカーに念話を繋げるか?』

「はい、可能ですが」

『私はこれから宝具を使う。巻き込まれぬよう、タイミングを見計らって下がってもらう必要がある』

「なるほど、分かりました。すぐに、念話を繋ぎます」

 アーチャーの言葉を受けて、フィオレは戦場へ使い魔を放った。

 

 

 

 アーチャーはここに召喚されてから四方に狙撃するためのポイントをそれぞれ探しておいた。

 当然、その狙撃ポイントには森を狙い撃つ場所も含まれる。

「不死性の宝具か。敵に回ると厄介だ」

 相手は、ライダーを名乗ったらしい。

 騎乗兵でありながら、騎馬を用いず、軽装とも言える服装と簡素な槍でセイバーとバーサーカーの二騎と戦っている。

 “黒”のセイバーはBランク以下の攻撃を無効化する頑丈さがうりの防御宝具。今のところは“赤”のライダーの攻撃を完璧に凌いでいる。対する“赤”のライダーも無傷。セイバーの斬撃も、バーサーカーの打撃も一切効果がない。

 あの不死の種がセイバーと同じ単純な頑丈さであればいいが、そうではなく、概念的な守りだとすれば少々まずい。

 『特定の条件を満たさなければ無効化』というのであれば、条件を探さなければならない。そして、その条件がこちら側では満たせないとなれば、敗北はせずとも勝利もない。

 どこにいるかも分からない敵のマスターを探すため、篭城の有利を捨てて外に出る必要がある。アサシンがいない状況で、それはこちらをより不利にする。

 だが、悲観的なことばかりを考えても仕方がない。

 まずは、敵の不死がどちらに属するのかを探らねばならない。

「I am the bone of my sword」

 弓に()を番える。

 捻れた剣は、周囲の魔力を喰らって牙を磨ぐ。

 すぐ近くに、フィオレの使い魔が現れる。これはある種の電話である。こちらの声を向こうに届けてくれる。

「セイバー、バーサーカー。そのままで聞いてくれ」

 セイバーとバーサーカーに使い魔を通して念話を届けるのだ。

「これから、宝具を使う。カウントするので、タイミングを見計らってライダーから離れてくれ」

 バーサーカーは、唸り声を返答とし、セイバーは返答しないので承諾したものとする。たとえ巻き込まれたとしても彼の頑丈さなら大丈夫だろうと思い、まずはスリーカウント。

「2」

 バーサーカーがライダーの蹴りを利用して下がった。

「1」

 セイバーが、ライダーに剣戟を叩き込み、それと同時に大きく距離を取った。

「0」

 ライダーが僅かに遅れてこちらに気付くが、もう遅い。

「我が骨子は捻れ狂う――――偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)!」

 真名を解き放ち、空間を捻じ切る雷光が迸った。

 

 



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七話

 セイバー(ジークフリート)は決断を迫られていた。

 再三に渡るマスターからの指示を黙殺して宝具を解放せずに“赤”のライダーと打ち合っているが、さすがにマスターのほうが焦れてきている。

 技に劣るわけでもなく、頑丈さで劣るわけでもない。

 だからこそ、両者は拮抗した戦いを演じることができていた。

 こちらの攻撃も通らないが、相手の攻撃もこちらには通らない。

 千日手に陥ったこの状況を打開するには、確かに宝具以外にはないかもしれない。

 しかし、それは賭けだ。

 相手の守りが、自分と同じ『一定ランク以下を無効化』するというタイプの宝具であればいい。

 それならば、極端な話、誰にでも突破の糸口が与えられている。

 要するにそれは、極限の頑丈さということであり、防御力を上回る攻撃は防御力分を差し引きはしても、すべて通る。

 どれほどの防御力でも、さすがにA+ランクの幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)を防ぐことはできないだろう。

 だが、もしもこのライダーの宝具が『特定の条件を満たさなければ無効』という類だったなら。 

 幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)は意味を成さず、自分は不用意に真名を口にした愚か者として扱われてしまうだろう。

 この宝具を使用するのは、最後の最後。本当にこれ以外の手段がなくなった時に限るべきだ。そうでなければ、宝具の正体のみならず、自分の名まで知られてしまう。

「やれやれ、ここまで攻撃が通らねえか」

 “赤”のライダーは、舌打ちしつつセイバーを睨み付けた。

「ふん、このままじゃ埒があかねえな」

 幾度刃を交えただろう。

 ライダーの槍は何度もセイバーの身体に届き、セイバーの剣もライダーの身体に叩き込まれている。

 けれど、互いに無傷。

 ライダーはセイバーのみを標的として、バーサーカーを敵視すらしていない。彼女の攻撃もまた、ライダーにはなぜか通じないのである。

 ここまで戦って、セイバーもバーサーカーも感じていた。

 彼の守りは、力任せに突破できるものではなく、何かしらの条件が必要なのではないか。

 火か水か風か雷か、それとも森の中であれば不死であったり夜間は不死であるなどの環境か。“黒”の二騎の攻撃にはそれが足りず、“赤”のライダーはそれが分かっているから余裕で剣戟に応じている。

『何をしているセイバーッ。ヤツは傷一つついていないぞッ! 宝具だッ! 宝具を使えッ!』

 マスターが指示を飛ばしてくる。

 だが、応じることはできない。

 それは、あまりも愚かな選択だ。

 確かに、宝具を使えばはっきりするだろう。――――敵の不死性の正体が、自身の聖剣を以てしても傷付けられないということが。

 それは、彼の英霊としての誇りを傷付けることでもあったが、世界中から猛者が集まる聖杯大戦に於いて、自分と相性の悪いサーヴァントが召喚されてもおかしくはない。この展開を想像していなかったわけではないし、攻撃が効かないからといって諦めるようでは英霊にはならない。

 あの悪竜との絶望的な戦いに勝利したときと同じく、全力で喰らい付けばいい。

 それに、この戦いは悪竜との戦いの時とは異なり、頼れる仲間がいる。

『セイバー、バーサーカー。そのままで聞いてくれ』

 使い魔越しにアーチャーが念話を届けてくる。

 侵入してきた敵を警戒するために、アーチャーは後方配備となっていた。

『これから、宝具を使う。カウントするので、タイミングを見計らってライダーから離れてくれ』

 アーチャーの宝具は以前見た。

 捻れた剣のような矢。 

 如何なる伝承を持っているのか分からないものの、対軍宝具に比する威力と一度放たれれば敵を討ち果たすまで止まらない呪いのような執念を感じさせる矢は、まさにアーチャーの宝具に相応しい。

 アーチャーの宝具ならば、確かに聖剣を発動させずに敵の不死性を確かめることができる。

 バーサーカーと違い、マスターから声を発することを禁じられているセイバーには、アーチャーに返事をすることができない。

 しかし、それを知っているアーチャーは、こちらが了承したものとしてカウントを始めている。

 猶予は三秒。

 バーサーカーは戦士でもないのに相手の蹴りを利用して上手く距離を取った。

 自分は、直前まで敵に挑むと決めた。

 アーチャーの狙撃を悟らせないために、前に出ねばならない。

 力強く一歩踏み出して、突き出される槍をその身で受け止める。

「む……!」

 セイバーの剣がライダーの腹に吸い込まれた。

 ギロチンのような刃はしかし、ライダーには通じない。それでも、衝撃だけは通る。セイバーの聖剣は鈍器ほどの殺傷力も発揮しないが、ライダーを押し退ける程度はできる。

 バックステップで距離を取り、バーサーカーの隣まで退く。

「なんだ、仕切り直しってか」

 槍を得意げに振り回し、ライダーは笑う。

 その時、後方で魔力が爆発した。

「な……ッ!」

 それは、雷だった。

 超速で飛来した無骨な矢は空間を捻じ切り、大気を掻き回しながらライダーの身体のど真ん中に命中した。ライダーも直前に気付いたようだが、遅かった。

 アーチャーの矢は、ライダーに直撃すると、轟音と閃光を撒き散らして爆発した。

 天を突くような光の柱。 

 セイバーとバーサーカーは、それが宝具を自壊させることで内包するすべての神秘を叩き付ける禁じ手、壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)によるものだと理解できた。同時に驚愕する。今の宝具は“赤”のセイバーに用いた宝具ではなかった。あの宝具は“赤”のセイバーに破壊されたのだから当然かもしれないが、それでも、アーチャーが宝具を失するのはこれで二つ目ということになる。

 サーヴァントが持つ宝具は通常一つから二つ。ライダーのように宝具の多彩さを売りにするクラスでも二桁には届かない。敵に七騎のサーヴァントがいて、何れはこちら側での内部分裂が予想される中、平然と宝具を使い捨てにする所業が信じられなかった。

「ウウウッ」

 バーサーカーの周囲が不自然に軋む。

 アーチャーの宝具で四方に散った魔力を、吸い上げているのであろう。

 セイバーは爆心地を見る。

 閃光が消え、濛々と粉塵が舞う。

 アーチャーの宝具の威力はAランク相当はあったはず。つまり、およそあらゆる英雄の中でも最硬の肉体を持つ自分(ジークフリート)の守りを突破しうる宝具である。

 その矢の直撃と、壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)による大威力攻撃の二段構えだ。

 平均的なサーヴァントなら跡形もなく消し飛び、即死する。

 地面は大きく抉れ、クレーターとなり、周囲の木々は根こそぎ吹き飛ばされた。

 それほどの威力。

 だというのに、

「なんだァ。今のはそっちのアーチャーか?」

 粉塵の中から、ライダーの声がする。

「威力だけは大したもんだ。姐さんとどっちが上かな」

 粉塵が晴れる。

 クレーターの中心で、傷はおろか煤汚れ一つない姿で。

「だが、ま、俺には通じねえな」

 ライダーは立っていた。

 ありえない。

 セイバーは予感が的中したことを表情に出さず苦々しく思い、バーサーカーは唸り声を強める。

 マスターたちの様子はどうか。感じる範囲では、絶句しているようだ。

 ゴルド(マスター)も、一言も発せないようで、宝具を使えという指示も聞こえなくなった。

「で、どうするよ、お二人さん。いや、アーチャーも含めて三人かな」

 クレーターから飛び出したライダーは、槍を肩に担いで余裕の笑みを浮かべた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 率直に言えば、聖杯大戦には大きな期待をしていたのだ。

 洋の東西、時代を問わずに英雄豪傑が呼び出される一大大戦。規模は聖杯戦争の比ではなく、“赤”も“黒”も面子をかけて挑むからにはそれなりの英雄を用意するだろう。

 そうした期待を抱いての参戦だった。

 “赤”のライダー・アキレウスは、世界に数多くいる英雄の中でも指折りの猛者であり、知名度で言えば最高クラス。彼は知らぬ者のいない大英雄であり、その最大の特徴は(はは)から与えられた不死の恩寵であろう。

 弱点である踵を除いて、ライダーはあらゆる刀槍を弾き返す無敵の肉体を得た。生前、踵を射抜かれて倒れるまで、その不死性を遺憾なく発揮し、自身に伍する英雄ヘクトールを打ち破る戦果を上げた。

 トロイア戦争の英雄は、自らに比肩する英雄との熱き戦いを求めて時の果てまでやってきたのだ。

 だから、第一戦目から期待はずれだった。

 ライダーに傷をつけるには、神からの祝福に対抗するもの、神性スキルが必要だ。

 だが、“黒”のセイバーも“黒”のバーサーカーも神性スキルを持たず、ライダーにとっては倒しにくいだけの壁でしかなかった。“黒”のランサーも同じ。ヴラド三世という時点でライダーの敵ではない。長距離狙撃をしてくる“黒”のアーチャーも、最高位の宝具を持っているものの神性スキルは持たないようで、宝具の解放にも、こうして五体満足で乗り切った。残りで期待できるのは自分と同じライダーとゴーレムばかり繰り出してくるキャスター。そして、可能性は低いながらもアサシンと言ったところだ。

 もしも、万が一敵陣に神性スキル持ちが一人もいなかったとしたら、この戦いはライダー一人で終わらせることになってしまう。

 それは、あまりにも面白みがない。

「で、どうするよ、お二人さん。いや、アーチャーも含めて三人かな」

 これほどの不死を前にして、いったいどう出る。

 逃げるならばそれでもよし、向かってくるのであれば叩き潰すだけ。

 個人的には後者であって欲しい。なんにしても、乗り越えるべきは英雄であるべきだ。

 果たして、“黒”のセイバーは前に出た。

「そう来ると思ったぜ」

 自陣のランサーと互角に打ち合ったという英雄。たとえ敵わぬと知っても、諦めずに向かってくるだろう。それでこそ、英雄だ。

 “赤”のライダーは紛う事なき英雄だ。何よりも自分が“英雄らしくある”ことを第一義としている男である。だから、敵対する者にも英雄らしくあって欲しいと願っている。

「いいぜ、来いよセイバー。剣戟の果てに、ともすれば、この身に届くかも知れんぞ」

 そして、槍と剣が交差する。

 戦いは再び拮抗する。なんにしても、ライダーもセイバーも互いに傷をつけることができないのだから当然のことだった。

 聞いたとおりの頑丈さ。

 埒が明かぬは証明済み。

 ならば、こちらも宝具を使うか。

 戦車と槍。どちらも自慢の逸品で、有象無象に使うようなものではないが、目の前のセイバーになら使っても問題はなかろう。

 あるいは、“赤”のランサーの獲物を横取りすることになるかもしれないが、それは戦争だから仕方がないということで勘弁してもらおう。

 そう思い、距離を取ったところで、キラリ、と夜を切り裂く何かが視界に入った。

「ぐ……」

 右肩に衝撃。ダメージはない。

「アーチャーか。性懲りもなく」

 アーチャーの最大宝具が効かないと分かっていて、攻撃を仕掛けてくるか。もはやアーチャーの攻撃など、避ける意味すらない。

 爆撃のような矢を避け、槍で弾き、身体で受ける。

 面倒なのは敵のアーチャーとしての能力が高いことか。動く先を読んでいるかのように矢が飛んでくる。効かない攻撃でも、これはさすがに厄介だった。

「なんだ、コイツの矢は」

 ライダーの動体視力は、その矢に奇怪さを見抜く。

 黄金であったり、白銀であったり、さらには赤や緑、青といった色とりどりの装飾がされた矢は、どちらかといえば剣に近い構造であり、そんなものを矢として扱う技術自体に覚えがない。弓の名手であるケイローンに師事して狩りの技術を習得したライダーには弓矢の知識がある。戦場でも弓矢は主力となる武器だ。しかし、このような形状の矢は常軌を逸している。

「こんな形状の矢は見たことねえ。しかも、全部が宝具ってどうなってんだこりゃ」

 おそるべきはその魔力。

 ただの矢ではない。すべてが格に差こそあれ、宝具であった。見たことのない捻れた剣は、すべてまったく別の宝具なのだ。

 しかもそのすべてを、自壊させ爆風をライダーに叩き付けてくる。

 信じがたい光景に、さすがのライダーも驚きを隠せない。

「これほどの宝具を使い捨てにする英霊だと。何者だ、アーチャー」

 炎が、水が、風が、雷が、炸裂する宝具から吹き出してライダーを襲う。そのどれもが、彼に傷一つ付けることができずに霧散する。

 アーチャーは多彩な宝具で、ライダーの不死を貫く条件を探しているのだ。

 その槍で打ち払った剣は十を越え、視界の中で炸裂した宝具は五十に近い。英雄のシンボルたる宝具を湯水のように使う英雄。これまでに出会ったことのないタイプの英霊である。

 通常のサーヴァントは宝具を使えば九割方真名が露呈する。

 それは、宝具がサーヴァントと対になったものだからである。

 その宝具を使用した英雄が伝説上に複数人いなければ、宝具の真名とサーヴァントの真名は対になって暴かれる。

 しかし、このアーチャーはどうだ。

 無数の宝具を持ち、それらをなんの未練もなく爆破する。しかも、そのどれも見覚えがないものばかり。宝具を使えば使うほど、正体が絞り込めなくなるとは。

「へッ。おもしれえ」

 ならば、使うだけ使えばいい。

 アーチャーの自慢は宝具の数なようだが、自分の不死は貫けない。炎や雷でもなく、昼や夜といった環境でもなく、もっと高次の概念によって守られているのだ。

 湯水のように宝具を使わせ、真名を暴く。このまま正体不明のアーチャーでしたでは、手土産としては下の下だろう。

 踊るように、矢と格闘する。

 数え切れない武具が雨あられと降り注ぐ中をライダーは駆け抜ける。

 もしかしたら、この雨の中に自らの不死を覆せる武具があるかもしれないと期待し――――そんなことはありえないと理性で理解しながら、俊足の英雄は槍を振るう。

 故に、それは理性ではなく、戦士の勘。

 数えるのも馬鹿らしい鋼の雨の中に見えた一筋の光。自らの顔を目掛けて墜ちてくるそれに対して、背筋が凍るような戦慄を感じて顔を逸らす。

 頬を掠めるように後方に消えた金。

 そして、

「何……」

 誰もが息を呑んだ。

 戦場で見守っていたセイバーとバーサーカーだけでなく、他ならぬライダー自身が驚いていた。

 頬に一筋の赤。

 何人たりとも傷つけることができない無敵の身体に刻まれた、切り傷。

「ッ!」

 ライダーは大きく後方に跳躍した。

 その直後、ライダーのいた場所が大きく抉り取られた。ライダーを傷付けた宝具とまったく同じ宝具である。

 アーチャーは遂に、ライダーの守りを貫く概念を見出したのである。

 ライダーに襲い掛かってくるのは、もはや雨と形容してよいものではない。そのすべてが、彼の身体を貫きうる宝具なら、それは文字通り鋼の砲撃だ。

 捻れた剣が多数を占めるが、中には槍や鎌もある。だが、形状は問題ではない、これらの宝具には等しい概念が込められているのである。

「面白いぞ、アーチャー! 貴様が何者か知らんが、この俺を傷付けられる者はそういない!」

 久しく感じることのなかった痛みが、ライダーを高揚させた。

 敵の中に自分を倒し得る者がいる。それが分かっただけでも収穫だ。

 血統ではなく、宝具を駆使して神の恩寵を打ち消すサーヴァント。正体は分からないが、その首を落とすのは自分だと決めた。

「仕切り直しだアーチャー! 次に見えるまで、その首は預けておくぞ!」

 数的不利なこの状況で、これ以上ここにいればアーチャーの狙撃が胸を抉りかねない。何よりも、アーチャーを誰の邪魔も入らないところで、始末すべき相手だと認識した。

 ライダーが指笛を鳴らすと、たちまち空から三頭立ての戦車が舞い降りてくる。不死の神馬クサントスとバリオス。そして名馬ペーダソスが繋がれた戦車は、かつてライダーと共に多くの戦場を駆け抜けたものであり、彼がライダーとして召喚された由縁である。ひらり、と御者台に飛び乗ったライダーは、鞭を入れて天に戦車を走らせる。

「姐さん!」

 そして、ライダーは、木陰から飛び出た“赤”のアーチャーを拾って堂々と空の向こうへ去っていった。

 たったの一騎で三騎のサーヴァントを相手取ったライダーは、自分の圧倒的な実力を存分に示し、“黒”の陣営を引っ掻き回したのである。

 

 

 

 ■

 

 

 “赤”のライダーが去ったのを見届けたアーチャーは、弓を下ろして一息ついた。

 “赤”のライダーは、大英雄たるに相応しい武勇であった。

 魔力供給が潤沢なのをいいことに、宝具の乱射を行ったのが功を奏した。こちらを警戒されたであろうが、ライダーの不死を突破する“概念”を見つけられたのは幸いだった。

「それにしても神からの恩寵か。厄介な英霊だな」

 だが、対神宝具が作用したとなれば、相手は神性を有するサーヴァントであり、その不死もまた、神性由来の力であろう。

 あの槍の持ち主となれば、その不死性も納得できる。大英雄と呼ぶに相応しい伝説の数々と血統を有するだけに、この聖杯大戦における最大級の壁として立ちはだかるのが容易に想像できる。

 神を害する伝説は世界中に多々ある。そうした伝説の中で活躍した武具には対神宝具としての性質が宿る。

 もっとも、アーチャーが記録している対神宝具は、その大半が“原典”なのだが。

 今回の聖杯大戦。

 ユグドミレニアに召喚されたアーチャーには潤沢な魔力供給がある。

 セイバーがその気になれば、宝具の真名解放を連発できるようにホムンクルスを利用した魔力供給は魔力消費を考慮に入れずに宝具を使うことができる。

 もともと、高ランクの宝具でも、投影して爆弾にするのであれば、真名解放並みの威力を出しながら真名解放ほどの魔力を消費しないという反則的な能力を持つアーチャーであるが、潤沢な魔力供給はさらにアーチャーの能力限界を超えた宝具の投影を可能としている。

 剣の概念から外れた宝具の投影には三倍の魔力を消費する。

 だが、その枷が今のアーチャーにはない。

 対神宝具も、剣に限らなければストックはさらに増える。同じ宝具を無数に投影するという手もある。とにかく、ライダーを攻略する糸口は見えた。

 後は、あの大英雄に遅れを取らぬように、死力を尽くせばいい。




今回は独自解釈として、対神宝具は神の恩寵を打ち消せるとしました。
ついでに、ホムンクルスからの魔力供給で、魔力消費を考えなくてもよいため、槍や楯、鎧なども五次以上の精度で投影できるとしました。


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八話

 “赤”のライダー、アキレウス。あの英雄殺しの槍の所有者ならば間違いなく彼であろう。

 アーチャーは解析した槍から“赤”のライダーの真名にほぼ確信に近いものを抱いていた。

 圧倒的な不死性。三頭立ての戦車。ランサークラスを凌駕する敏捷性。そして、あの槍。これだけ揃えば、アキレウスという名が脳裏に浮かんでいてもおかしくはない。

 アーチャーの解析能力を知るのは、現状ではフィオレとダーニック、そしてランサー(ヴラド三世)の三名だけだ。

「まあ、報告はしておくべきだろうな」

 アーチャーは呟いて、弓を収めた。

 フィオレとアーチャーは、ダーニックとランサーの下を訪ねた。

 先の戦いの報告をするためである。

「ライダーの正体はアキレウス。なるほど、それならばあの不死性も納得がいく」

 ダーニックはアーチャーからの報告を受けて神妙な顔つきになる。

 アキレウス。知らぬ者のいない大英雄だ。

「トロイア戦争の英雄ともなれば、皆一級のサーヴァントだろう。中でもアキレウスは図抜けている。だが、攻略の糸口は見えた。そうだろう、アーチャー?」

 ランサーは玉座からアーチャーを見る。

 アーチャーは頷いて、

「そうだな、王よ。私の通常の攻撃は通らなかったが、神殺しの逸話を持つ宝具であれば傷を与えられた。ならば、対神宝具を持つ私か、他のサーヴァントでも踵狙いでいけばいいだろう」

 “黒”のセイバーが背中に護りがないように、アキレウスも踵が致命的な弱点だと思われる。サーヴァントは伝承にある弱点をそのまま持って召喚されるのが常だからだ。

「それと、アーチャー。一つ聞きたいことがあるのだが、いいかな?」

 ダーニックがアーチャーに向き直って言った。

「構わないが、何かね?」

「君の真名についてだ」

 “黒”のアーチャーの真名のみ、誰一人として知る者がいないのである。彼は今までずっと記憶に混乱があると言って真名を口にしてこなかった。

 だが、ダーニックとしては早急に真名を把握しておきたい。

 理由は二つ。 

 一つ目は、ジークフリートやアキレウスのように伝承上に弱点が記されている英霊だった場合、何かの拍子にその弱点を突かれないとも限らない。こちらがアーチャーの真名を知らない以上、敵が知ることもないだろうが、偶然という災厄は存在し得る。

 それが、不死を唯一突破する弱所のような明確さでなくとも、例えばフィオレが本来召喚する予定だったケイローンはヒュドラの毒で命を落としている。仮にケイローンがサーヴァントとなった場合、何よりもヒュドラの毒には注意しなければならない。もっとも、幻想種の中でも高位のヒュドラなど、もはや手に入れようがないのだが。

 サーヴァントはそういったように、弱点を持つものも多い。そうでなくとも、竜の属性を持つサーヴァントには竜殺しの逸話を持つ剣が効果的、というように相性として現れる場合もある。

 真名を把握するのは、こういった点に注意を払うのに必要なのだ。

 二つ目は、いざアーチャーと敵対した場合の対処である。

 今でこそ、“赤”の陣営を相手に戦争という状況を作り出しているが、それが済めば今度は“黒”の陣営内で殺しあうことになる。その際に、アーチャーは間違いなく障害としてダーニックの前に立ちはだかるだろう。

 少なくとも、“黒”のセイバーと同等の危険性をアーチャーは持っているとダーニックは評価している。

 ダーニックの問いに、アーチャーは渋い顔をする。そして、ため息をついて、答えた。

「すまないな、まだ記憶が戻っていない」

「記憶はなくとも、手がかりはあるのではないか? ライダーを相手にあれほど宝具を使ったのだから」

 ダーニックがアーチャーを評価し同時に警戒しているのは、その宝具の量である。

 通常のサーヴァントは、宝具を一つから二つ程度しか持たない。豊富な宝具で敵を圧倒するライダークラスは別だが、それでも両手の指で数えられる程度が限度であるはずだ。

 アーチャーのクラスは総じて宝具そのものが強力な傾向があるというが、このアーチャーは矢そのものが宝具であり、数十の宝具を放っては、使い捨てている。それは尋常のことではないのだ。唯一無二の宝具を、何の未練もなく使い捨てるという戦術は、まっとうなサーヴァントが取るものではない。

「確かに、あのときに使ったのはすべて宝具だ。だが、あの中の宝具に見覚えがあったかね?」

「……それは」

 ダーニックは口篭る。

 宝具自体、目にする機会などそうあるはずがない。そこに見覚えなどと言われても困るだけだが、なんにせよ、無数の宝具を使う英霊となるとウルクの英雄王しか存在しない。そして、アーチャーは王ではない。

「それに正確に言えば、あれは本来の意味での宝具ではない」

 アーチャーの言葉に、ランサーが興味深そうに笑みを深めた。

「それはどういう意味だね。アーチャー」

「あれは、紛い物だ。紛い物ならば、綺羅の如く輝く英雄のシンボルたり得ないだろうし、使い捨てるのに戸惑うことはない」

「紛い物。ほう、あれが」

 サーヴァントであるランサーの目にも、アーチャーの攻撃は正真正銘の宝具に見えた。しかし、それを紛い物というのはどういうことか。卑下しているわけではない。ならば、あれは間違いなく贋物の宝具なのだろう。

「しかし、宝具の贋作など……それもサーヴァントに傷を負わせるほどのものなど、そう簡単に用意できないでしょう?」

 フィオレの問いに、アーチャーは苦笑する。

 サーヴァントと戦って数合しか持たないゴーレムですら、キャスターが作り上げたものなのだ。サーヴァントに致命傷を負わせられるような贋作なら、それを作るために必要な労力はどれほどのものになるだろう。

「大して労力も必要ない。あれは、魔術によるものだ。必要なのは、相応の魔力だけだ」

「魔術? あれが……?」

 フィオレは首を傾げる。

 アーチャーは確かにスキルとして『魔術』を持つ。低ランクで、アーチャーが使える程度の魔術ならばフィオレのほうが高い精度で扱えるくらいのものでしかない。生前に魔術を齧っただけというように見ていたのだが、そうではないのか。

 アーチャーの魔術は解析と強化、そして、贋作を創り出す魔術。

「まさか、投影魔術?」

「馬鹿なッ! 宝具クラスの完全投影など、できるはずがない!」

 フィオレの言葉に真っ先に反応したのはダーニックだった。

 時計塔で長年講師を勤めてきただけに、魔術に関する知識は深い。そして、未だかつて投影魔術で宝具を創り出したなどという話は聞いたことがなかった。

「ダーニック。投影魔術というのは、どのようなものだね?」

 ランサーは投影魔術を知らない。それは、彼が生前魔術とは縁のない一国の王だったからである。また、深く十字教を信仰していた彼は、聖言に触れる機会はあっても魔術に触れることはなかった。

「は、投影魔術とは魔力を基にして擬似的に物体を創造する魔術のことです。通常は儀式などを行う際に足りない道具を一時的に補うといった場合に用いられますが、あくまでも姑息な手段にしかなりません。投影された物体は、長時間存在できないばかりか、機能としては本物に格段に劣ります。ナイフを投影しても、肉を切ることができないほど脆弱なものしか創れないのが通常の投影です」

「だが、彼は違うわけだ」

「はい。信じ難いことですが」

 ダーニックは、未だ怪訝そうな顔でアーチャーを見る。

 無理もない。アーチャーの魔術は、数千年の魔術の常識を覆して余りある。

「私が自分の真名に思い当たらないのも、その部分が引っかかっているからだ。投影魔術を用いて英霊となった者に、私は心当たりがない」

「なるほど、確かにそうだ。宝具の投影など、封印指定になってもおかしくない力だ。私が知らないはずもないか」

 マイナーな英霊ではなくマイナーな魔術師という観点から見ても、アーチャーの真名に該当する魔術師は存在しない。

 ランサーやアーチャー自身も、聖杯から与えられる英雄の知識があるのだが、投影魔術を使う英雄は歴史上確認できなかった。

「なるほど、君は名もなき英雄ということか」

「《無銘》か。それはそれで、私らしいかもしれんな」

 宝具を使い捨てることができる。それは、ジョーカーを無限に持っていることと同義ではないか。

「投影もそれほど便利ではない。一を極めたサーヴァントには及ばない。私では投影品の真価を引き出すことができない上に、ランクが下がる。ジョーカーと言えるほどのものでもない。」

 アーチャーは肩を竦める。

「では、私はこれで失礼する。投影魔術師について何か情報があれば、知らせて欲しい」

「ああ、分かった。さすがに期待はしないでいてもらいたいが、可能な限り資料を当たってみよう」

 そして、アーチャーはフィオレと共にダーニックとランサーの下を辞した。

 部屋に戻る道すがら、フィオレはアーチャーに尋ねた。

「アーチャー。あなた、生前は魔術師だったのですね」

「まあ、そうなのだろうな。師と思しき人からは、一生努力しても三流などと言われもしたがね。事実、私はオーソドックスな魔術を最低限習得したこと以外には投影にしか才がなかった」

「それでも、英霊にまで至ったのです。ならば、それは誇るべきことではありませんか」

 アーチャーはフィオレの言葉に口を噤んだ。魔術を使って英霊に至ったのは事実だ。だが、それは魔術を評価されてのことではない。アーチャーにとっての魔術はあくまでも手段に過ぎなかった。そして、アーチャーが英霊になったのは、積み上げた功績によるものである。それが、善行であれ、悪行であれ、世界は守護者に相応しい者としてアーチャーを評価した。

「…………どうだろうな。私には、魔術というものに対する執着はそれほど存在しなかったようだ。それ以上に、大切なものがあったようにも思う」

 燃えるような、強迫観念とも思える初心があった。叶えるべき夢があり、追い求めた光があった。

「だが、それも夢幻のような過去のこと。今、私たちが為すべきは勝利のために剣を執ることだ」

「ええ、よろしくお願いしますね。アーチャー。あのライダーに正面から傷を付けられるのは、あなたしかいません」

「ギリシャの大英雄からすれば、私の相手など役不足も甚だしいだろうが、死力を尽くすとしよう」

 全力を出し切らなければ、勝てない相手。

 未だに名は分からないが、“赤”のセイバー、“赤”のランサー共におそらくは名の知れた英霊であろう。“赤”の陣営は、本気でこちらを潰す気で大英雄たちを揃えてきたらしい。

 それでも、負ける気は毛頭ない。

 絶望的な戦いを幾度も潜り抜けてきたアーチャーは、紛れもない英雄の一人なのだから。

 

 

 

 □

 

 

 

 アーチャーが私室に戻ったのは、フィオレと談笑してからのことであった。

 “赤”のライダーとの戦いを終えたアーチャーは少なくない疲労を感じていたのだが、それも、潤沢な魔力供給ですぐに回復できるものであった。

 アーチャーは扉を開けて、部屋の中に入る。

 そして、すぐに異変に気がついた。

 いつもならば、ベッドに寝ているはずのホムンクルスがいない。

 キャスターが捕らえたという話も聞いていない。ならば、“黒”のライダーが彼を連れて逃げたということになるだろう。

 タイミングとしてはこれ以上ないものだ。

 すべての目が戦場に向けられていたのだから、ホムンクルスが逃げ出したとしても追う者はいないだろう。

 見つかったとしても、所詮はホムンクルス一体だ。量産できる彼らを、魔術師が時間と労力をかけて追うとは思えなかった。

「だが、気にはなるか」

 放置しても問題はないだろうが、ライダーほどではないにしても面倒を見た仲。せめて、見送りくらいはしてもいいだろう。

 アーチャーは霊体化して部屋を辞した後、屋根の上で実体化した。

 ライダーたちはすぐに見つかった。

 アーチャーの鷹の目ならば、数キロ先にいようとも造作もなく見つけることができる。障害物に隠れながら行くのならば、ともかく、森の中を素直に進んでいくのでは話にならないだろうに。ライダーには隙が多すぎる。

「いったい、何をやっているのだ?」

 問題は、そのライダーがセイバーに拘束されていることだ。ホムンクルスは地に伏して虫の息。セイバーのマスターが激しい暴行を加えた直後であったらしい。

 なにやら尋常ではない事態になっている。

 ホムンクルスを巡って、ライダーとセイバーが争いかねない。

「たかだかホムンクルスに英雄と魔術師が寄って集って何をしているのか」

 アーチャーは毒づきながら霊体化して、現場に向かった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

「どうして、もっと早く決断しなかった! 止められたはずだ! 君なら、あの馬鹿を止めることができただろう!」

 ライダーが涙を流しながらセイバーを責めた。

 ライダーはホムンクルスの傍らに膝を突き、その手を握り締めている。ホムンクルスは今にも死んでしまいそうで、もはや、一刻の猶予もない。すぐに、然るべき処置を施す必要がある。だが、そのためには魔術師に助力を請わねばならない。それは、できないのだ。ライダーはその魔術師からホムンクルスを救うためにここまで逃れてきたのだから。

「すまない」

 セイバーはライダーとホムンクルスに謝るしかできなかった。

「すまないで済むか! こんな……彼は必死に生きようとしただけなんだぞ! ボクたちはソウルイーターで、人殺しで、ただのサーヴァントかもしれないけど、でも……生きようという意思を、尊重することすらもできないなんて……」

 セイバーはライダーに返す言葉がない。

 施しの英雄として、多くの願いを叶えてきた。その代わりに、多くの嘆きを見過ごした。請われなかったから、望まれなかったから、手を差し伸べなかった。そのようにして、数多の後悔を抱きながら死を迎えたセイバーが第二の生を得てまで同じことを繰り返そうとしている。

 問答の余地もなく、それはセイバーの罪だった。

 ライダーの言うとおり、後一歩マスターにセイバーから踏み出していれば、この結末を変えられたかもしれない。

 言葉を尽くし、語らえば、マスターも理解を示したかもしれない。その努力を怠り、ただ機械的に指示に従っていたのは、生前となんら変わることのないセイバーの悪癖だ。結局、セイバーは声すら上げられなかった小さな命を足蹴にした形になったのだ。

「くそ、くそぅ。逝くな。君はまだ生きられるんだ!」

 ライダーの真摯にホムンクルスを思う気持ちに比べれば、セイバーの在り方の矮小さがよく分かる。

 赤の他人の望みを叶えるだけの機械ではなく、誰かの幸せのために笑い、悲しみのために泣くことができるライダーこそが、真の英雄に相応しい。

「俺は、また道を踏み外そうとしていたようだ」

 セイバーは己の胸に手を当てる。 

 そこにある鼓動。竜の血を送り出す、彼の命の結晶。

「まだ、終わったわけではない。まだ、俺には、彼に捧げるべき命がある」

 自分の迷いのために、生きようと願う一つの命が失われようとしている。ならば、その責は己の命で贖うべきだ。その結果、茨の道を歩ませることになるかもしれない。だが、今のセイバーにできるのは、それしかない。

「セイバー。それは、まだ早いぞ!」

 セイバーの悲痛な覚悟に割り込んできたのは、アーチャーだった。

「アーチャー!」

 ライダーが、振り向いて彼を呼ぶ。

 そういえば、ライダーとアーチャーは他のサーヴァントに比べてよく話をしているところを見かける。もしかしたら、ホムンクルスのことも承知していたのではないだろか。

「セイバー。サーヴァントの肉体を分け与えるのは、最期の最期に取って置くんだ。まだ、終わったわけではない」

 セイバーの行動の意味を察することができたのは、セイバーを注視していたアーチャーだけだった。

 アーチャーは真っ直ぐにホムンクルスの下に歩み寄ると、その傍に膝を突き、脈を取った。

「まだ、脈はある。ホムンクルスにしてはずいぶんと頑丈だな」

 無意識のうちに魔術で防御でもしていたのだろうか。

同調開始(トレース・オン)

 アーチャーはホムンクルスの身体を解析する。

 人体は無機物以上に魔力を流しにくい。だが、この分野に関して言えば極めているアーチャーならば、ホムンクルスの身体を調べるのは容易だった。

 内臓に軽度の損傷。頭蓋骨と頬骨に罅。内出血多数。まずいのは極度の疲労。慣れない魔術を連続で行使したのだろう。

「救えるのか?」

 それでも、セイバーの問いにアーチャーは頷いた。

「この程度の怪我なら、生前に何度も出くわした」

 アーチャーは、即座に優先順位を決めて治癒魔術を行使する。アーチャーが習得したオーソドックスな魔術の一つ。精度は一流の魔術師に大きく劣るが、それでも応急処置にはなる。解析で治療箇所を明確化して、そこを重点的に修復する。

 重傷ではあるが重体ではない。傷を癒しさえすれば、まだ救いようはあった。

 手の平から零れ落ちる命を救うために、ひたすら学んだ治癒魔術。そして、ホムンクルスに関しても、それなりに縁があり、知識があった。

 ホムンクルスは人間と異なり脆弱だが、その分肉体に柔軟性がある。乱暴な治癒による多少の変質もそのままに受け入れられるはずだった。

 そこに一縷の望みを賭けた。

 二十分ほど治癒をかけ続けたことで、ホムンクルスの呼吸は穏やかになった。意識は戻らないが、それでも命の危機だけは去ったと思われた。

「体力の回復に時間はかかるだろう。これから先、彼が生きられる時間はあまりに短い。それでも、今日のところは生き残れたな」

「よかった。――――よかったッ!」

 ライダーはホムンクルスに抱きついて泣き出した。

 命を繋ぎ止めた。ただ、それだけが嬉しかった。

 それでも、問題は山積みだ。アーチャーの拙い治癒術では、万全にまで回復させることはできなかった。これは傷を切り貼りした程度の応急処置に過ぎない。だが、アーチャーには投影がある。

 投影するのは名もなき短剣。宝具ですらない。

「なに、それ?」

「大したモノではない。ちょっとした治癒の魔術が施された短剣だ。魔術が使えなくても、持っているだけで多少の効果はある」

 アーチャーはその短剣を鞘に納めてホムンクルスの胸の上に置いた。

「護身用だ。傷を癒し、厄災から身を守るだけの機能しかないがね」

 それでも、今のホムンクルスには必要なものだ。

 ゆっくりと、剣の力が彼の身体を癒すだろう。生前、アーチャーが出会った概念武装や魔術礼装には、剣の形をしていながら、魔術の触媒として利用するものが多々あった。宝具クラスの投影ができて、それらの武装を投影できない道理はない。

 この短剣も生前に知り得た礼装の一つである。

 常に傍らに置いていれば、もしかすれば、多少の延命はできるかもしれない。

 魔術は時に条理を覆す。

 朝になれば、きっと歩けるくらいに回復する。

「後は彼自身が決めることだ」

 アーチャーは立ち上がる。

 ホムンクルスは落ち着いた、一定のリズムで呼吸している。外傷はなく、内側もほぼ元通り。そして、短剣が残りの損傷を治癒させてくれる。今の時点で為すべきことはすべて為した。

「ライダー」

「ああ、分かってる」

 ここまでだ。

 ライダーが彼を気にかけていられるのは。ここから先は死者であるライダーには踏み込めない。ホムンクルスの生き様は、生者である彼が決め、歩まねばならないからだ。

「アーチャー」

 セイバーが重々しく口を開いた。

「感謝する」

「気にすることはない。私は私のしたいようにしただけだ。問題は、これからのことだ。少なくともキャスターからの恨みは買っただろうし、君は、マスターのこともあるだろう」

 マスターを殴り飛ばしてしまったのだ。あのマスターの性格から、後でどのような展開になるのか想像もできない。

「大丈夫だ。マスターから理解を得られるよう、言葉を尽くす」

「ならばいいが」

 アーチャーはこれから先のことを考える。

 ホムンクルスを逃したことについて、申し開きをする必要はあるだろう。

 ダーニックは理解しないに違いない。けれど、ランサーはまた別だ。

 セイバー、ライダー、アーチャーが声を揃えれば、悪いようにはならないだろう。



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九話

 見当識が失われた状態から、どれくらいの時間が経っただろうか。

 ホムンクルスは、自分が生きていることに驚きながら身を起こした。湿った地面。苔むした岩。風に揺れる木々。景色は意識を失う直前となんら変わらず、それでいて彼の周りにあの明るい笑顔はない。

 静まり返った森の空気。そこから伝わる虚無感が、身体の芯に染み込んでくる。ライダーが側にいたときには感じることのなかったものだ。

「これは……」

 ホムンクルスの手には、一振りの剣が握られていた。簡素な装飾の鞘に納められた剣からは、魔力の気配を感じる。彼には、一級の魔術回路がある。魔術師として完成された個体であるが故に、その剣の性質をすぐに理解できた。

 この剣は業物であるが、それ以上に魔術礼装としての意味合いが強い。治癒と簡易的ながら認識阻害の術を放ってくれるらしい。この剣のおかげで、ホムンクルスは一命を取り留めたようなものだ。

「アーチャーか……」

 自分に手を差し伸べてくれる人物で、この剣の持ち主だと思えるのは彼くらいのものだった。

 ライダーはこの剣を持っていなかったし、最後に意を決してマスターに諫言をしてくれたセイバーも魔術的な能力の持ち主ではなかったはずだ。正体不明の、それでいて実直な性格の赤き弓兵。

 彼らが側にいないというだけで、心細く思える。

 ホムンクルスにとって、数少ない理解者であり庇護者であったライダーとアーチャー。マスターと対立してでも、自分の命を救おうとしてくれたセイバー。三人の英霊に生かされて、ホムンクルスはここにいる。

 なんたる奇跡か。

 彼は、大きく息を吸って、空気で肺を満たし、ゆっくりと吐き出した。

 痛みはない。治癒の魔術が、ホムンクルスが受けた傷を癒していた。

 ただ、息を吸って吐く。この一連の動作が、これほどまでに開放感のあるものだとは思わなかった。ホムンクルスは、今は生を実感している。死に怯えていた日々からの解放。新たなる人生の門出。それが今だ。

 歩まなければ。

 ホムンクルスは、とにかく森を出ることにした。近くの人家を探す。ミレニア城砦から離れることが何よりも大事だ。捕まれば、今度こそ死んでしまうだろう。

 救い主である三騎の英雄は、これから聖杯大戦に復することになる。

 歴史に名を残した英雄でさえ、容易に生き残ることのできない絶望的な戦に。

 それが、彼らの義務ならば、自分の義務は生き残ることである。彼らに託されたこの命を、精一杯に燃やし尽くすことが、礼儀であり、義務だ。

 庇護者は去った。

 雛鳥として庇護される日々は今日を以て終わりを告げたのだ。

 歩くことすらままならなかった彼は、ついに籠から解き放たれ、自由を得た。その代償に、己の足で立ち、歩み続けなければならなくなったが、それは、いつまでも守られてばかりはいられないという至極真っ当な流れであろう。むしろ、ここまで自分を守り慈しんでくれた彼らに、感謝しなければならないだろう。

 息はすぐに上がり、心臓は破裂しそうに高鳴っている。足は瞬く間に熱を帯びて痛みを訴える。だが、それは生の証だ。

 短い人生を生きるために、必要な痛みなのだ。

 

 

 自分だけが戦いから逃れている。そのことに、後ろ髪を引かれながら、ホムンクルスは前を向いて歩き続けた。

 

 

 

 □

 

 

 

 ダーニックは自らの書斎でため息をついた。

 すでに一世紀近くの年月を重ねていながら、その秀麗な面持ちからは聊かの衰えも伺えない。その代わり、一組織の長としての気苦労が滲み出ていた。

 魔術協会からの離反を宣言し、聖杯大戦を開始してからかなりの時間が経ったようにも思う。

 半世紀の長きに渡って、大聖杯を秘匿し続け、魔術協会の中で獅子身中の虫として機会を窺い続けたのも、すべてはこの戦いで勝利するためだ。

 通称、『八枚舌のダーニック』。策謀家として名の知れた彼は政治の分野で傑出した能力を発揮する。ユグドミレニアが、今の今まで無視され続け、結果として魔術協会の不意を突く形で聖杯大戦を勃発させることができたのも、ダーニックの政治手腕によるところが大きい。

 準備は万端だった。半世紀の時間を費やして一族を肥え太らせ、魔術協会の講師職を隠れ蓑にして油断を誘い、各地に諜報員を放ち、万全の態勢を整えて聖杯戦争(・・・・)に臨んだのだ。

 だが、戦争というのは、いつの時代も、そしてどのような場合も生物だ。この戦いでも、ダーニックはそれを痛感させられた。

 宣戦布告してから、今日に至るまで、策謀家のダーニックをして想定外の事態がいくつか生じている。

 まず第一に、聖杯の予備システムを起動させられたこと。

 本来、ダーニックは聖杯大戦など想定していなかった。一族内で聖杯戦争を行い、聖杯をユグドミレニアで独占する腹だった。だからこそ、自分以外のサーヴァントの霊格が低くても問題はなかったのである。最後にはダーニックが召喚したランサーが勝利を手にすることが約束されているようなものだからだ。

 だが、魔術協会が放った五十人の刺客がその前提を崩してしまった。

 生き残った魔術師が予備システムの起動に成功、結果として聖杯大戦という形で魔術協会が介入してきた。おまけに、魔術協会は“黒”の陣営を上回る強大な英霊を揃えてきた。一族内での戦争にダーニック自身が確実に生き残るために、あえて触媒の探索を各自に任せていたことが、ここにきて仇となった。もしも、ダーニックが率先して触媒を集めていれば、もっと高いスペックの英霊を呼び出しうる触媒を手に入れていただろう。

 第二に、アーチャーの存在。

 正体不明どころではない。真名はおろか、宝具の投影という破格の魔術を使う無名の英雄。過去の文献を漁ってみたが、この英霊に該当する魔術師は見つからなかった。

 だが、今となってはこのアーチャーも貴重な戦力だ。

 第三に、アサシンの欠落。

 “黒”の陣営に属するはずのアサシンは召喚されていながら連絡がとれない。今、どこにいるのかも分かっていない。最悪、敵側にいる可能性もある。

 “赤”のバーサーカーを手に入れたが、あれは戦場で使い潰すための兵器に過ぎない。アサシンの不在は、敵を利することにしか繋がらない。

 そして、第四に、キャスターの最終宝具が完成しないことである。

 ゴーレム使いのキャスターの宝具は、やはりゴーレム。史上最高のスペックを持つA+ランクの対軍宝具『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』である。その材料を集めるために、ダーニックは資産の三割を費やした。だが、それだけではまだ足りない。この宝具には核となる炉心が必要だ。その炉心だけは、ダーニックでも容易く手に入れられるものではない。

 すなわち、一級品の魔術師。

 そのようなもの、マスターの中にすら二流の魔術師がいるユグドミレニアが用意できるはずがない。

 唯一、代替案として突然変異的に才覚を持ったホムンクルスが使えるという話だったが、これもライダーたちによって庇われてしまった。

 生粋の魔術師であるダーニックには、ライダーやセイバー、アーチャーがどうしてそこまでしてホムンクルス一体を救おうとするのか理解できない。合理的に考えれば、本来、替えの利かない魔術師を使うべきところを、消耗品一つで補えるのであるからこちらの方が優れた案のはずだ。本音を言えば、今からでも、追いかけて捕らえたいところだ。だが、それはできない。こちらの陣営でも最高位の一角であるセイバーとアーチャーが共にホムンクルスを庇っている。主犯格であるライダーも、貴重な戦力であることに変わりはない。彼らの思いを踏みにじることは、“黒”の陣営を二分することに繋がってしまう。

 ダーニックは、冷静且つ合理的に物事を考えられるがゆえに、魔術師としてでなく戦術家として彼らを尊重することができる。

 また、ホムンクルスを追わなかった理由として、ランサーが彼らの行動を英傑の振る舞いとして理解を示したことも大きい。

 領主(ロード)と仰ぐ者が認めた事柄に、異を唱えるわけにもいかない。

 なによりも、今回は運がよかった。

 聞けばセイバーは自分の心臓をホムンクルスに捧げてでもその命を救おうとしたという。

 アーチャーが止めなければ、こちら側は切り札であるセイバーをつまらぬいざこざで失っていたのだ。替えの利かないセイバーと、他にも方法を探ることができるキャスターの宝具。どちらを優先すべきかは言わずとも分かるだろう。

「ままならぬな」

 再度、ため息をつく。

 キャスターの宝具が起動すれば、万に一つも負けはない。

 だからといって、セイバーを失えば、“赤”のランサーを抑えられる者がいなくなる。敵のセイバーもまた強力。戦力を失うわけにはいかない以上、ホムンクルスを追うという判断もできない。無理を押してホムンクルスを追えば、陣営内に不穏な空気が流れることになる。令呪で縛る手もあるが、それでは万全の状態で敵を迎え撃てなくなる。ただでさえ、質で劣るのだ。できるだけ、令呪はブーストとして使いたい。

 様々な事情を勘案し、ここはキャスターに引いてもらうように願い出た。

 キャスターのゴーレム作りにかける意気込みは、同じ魔術師として理解できる。実際、ダーニックは今回召喚された英雄たちの中でヴラド三世と同じくらいにキャスターを理解しているつもりでいた。

 汚名を雪ぐ。その一点のために召喚されたヴラド三世の願いには共感するところが多々ある。そして、魔術に対する姿勢という点で、キャスター――――アヴィケブロンに対しても共感することができる。

 しかし、彼は、魔術師らしい魔術師であるが故に、英雄の思考は想像の埒外である。

 おまけに、王と騎士では重んじる方針も異なる。アーチャーに関しては魔術師なのか騎士なのかよく分からない。

 様々な個性が入り混じった陣営。しかも、一人一人が英雄であり、精神の強さは人間を凌駕する。華々しいと言えば聞こえはいいが、誰もが主役という状況は、采配する側としては気が気でないのだ。

「だが、最悪の事態にはなっていない」

 そう、まだだ。まだ、絶望的な状況ではない。

 アサシンを除いて、こちら側は無傷で陣営を整えている。そこに加えて、スパルタクス(バーサーカー)がいる。ミレニア城砦という鉄壁の砦もある。頭を悩ませている采配に関しても、ダーニック自身の才覚と、全体がランサーを王に戴くという共通認識を持ってくれているために上手く成り立っている。そして何より、こちらのランサーは、あのヴラド三世だ。ルーマニア最大の英雄。串刺し公。彼のステータスはほぼマックスであり、この辺り一帯をスキルで領土と化している。

 ルーマニアで戦う限り、彼に敗北はない。

 一流の魔術師を如何にして手に入れるか。それが、悩みどころであった。

 

 

 

 □

 

 

 

「一時はどうなることかと思ったねー」

 私室に向かう道すがら、ライダーは相変わらず明るい顔で言う。

 ホムンクルスを意図して逃がした件に関して、事情聴取を受けていた三騎の英雄は、これといった咎を受けることなく解放された。それは当然、戦力の半分である三騎のサーヴァントが一様に庇うホムンクルスを害することなどできないということである。

「令呪でも使われるかと思っちゃったけど」

「戦争も序盤、しかもこの程度のことで令呪を消費するなどありえんよ。ダーニックのような魔術師ならば尚のことだ」

「ハハハ、だろうね。それにしても、ランサーがご機嫌だったのは意外だった」

 アーチャーの至極まともな答えにライダーは顔を綻ばせて笑う。

「彼は、誇り高い行いを尊ぶ。尊厳、意地、忠義、そういったものだ。それを貫いたライダーの行為を英雄として否定できなかったのだろう」

 自らの枷を壊したセイバーは、そう言って(・・・)ランサーを分析する。

 ランサーは自らの誇りをとりもどすためにこの戦いに参加している。ならば、誇りを傷付ける行いを許すはずがない。そして、その逆はむしろ賞賛するだろう。利敵行為ならばまだしも、失われたのはホムンクルス一体だ。英雄の誇りと釣り合うものではない。

「大丈夫かな、彼は」

 ライダーは一瞬、崩していた相好を不安そうにした。

「さてな」

 アーチャーは、肩を竦めて言った。

「アーチャー。少しくらい大丈夫とか言えないのか」

「彼が外の世界でどう生きるか、それはもう我々には関わりないことだ。心配するのは君の勝手だが、いつまでも子離れできぬ母親のようでは、この先が思いやられるぞ」

「うわ、辛らつだな。まあ、分かってたけどさ」

「君たちは理想主義すぎるからな、私が現実主義を気取ってもまだ二対一だ。全体としての調和は取れているはずだが?」

「待て、アーチャー。さり気なく俺をライダーと同種のように数えるのは止めてくれないか。俺は彼ほど真っ直ぐな男ではない」

「それ、誉めてる? 貶してる?」

 首をかしげているライダーがセイバーに尋ねる。

「ところで、セイバー。君のマスターは?」

 セイバーのマスターであるゴルドは、セイバー自身の手で意識を吹き飛ばされた。

「今、自室で休んでいる。じきに目が覚めるだろう」

「覚めてからが問題だな」

 セイバーは沈鬱な表情で頷く。

 ゴルドは、セイバーを信じきっていない。今回のセイバーの行いはゴルドのプライドを激しく傷つけたに違いない。

「もう一度、彼と話をする。同じ過ちは繰り返さない」

「そうか。ならばいいが」

 セイバーは一拍置いて、

「どうやら、マスターが目を覚ましたようだ。俺はこれで失礼する」

「健闘を祈るよ、セイバー!」

 ライダーが去っていくセイバーの背中に声をかけた。

 気難しいマスターに仕えると、サーヴァントも大変だ。マスターのご機嫌取りなど、サーヴァントの仕事ではないというのに。

 



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十話

 休息をはさみながらホムンクルスは森を抜けた。

 結界に守られた森には鳥の声すらもなかったが、結界の影響力が届かないところまで辿り着いたとき、唐突に世界に『色』が増えたように感じた。

 それは五感で受け取れる刺激が急増したことによる錯覚であるが、すべてがホムンクルスにとって初めての経験であり、新鮮であった。

 鳥の声すら、聞いたことがなかったのだ。外界のことは、知識でしか知らない。実際に風を肌で感じ、鳥の囀りを耳で聞くのはこれが初めてとなる。

 なるほど、世界はこれほどまでに輝いていたのか。

 ホムンクルスは心臓の鼓動が早まるのを抑え切れなかった。

 輝かしい世界への感動は、感性で世界をみることのできる無垢な彼ならではかもしれない。

 森を抜けるのに、半日近い時間を要した。

 幸いなことに追っ手がかかることもなく、彼はミレニア城砦からかなりの距離を取ることができた。

「ライダーたちは、大丈夫だろうか……」

 彼を助けてくれたライダーとアーチャー、そしてセイバー。

 どのような理由で一ホムンクルスに過ぎない自分を“黒”の側が確保しなければならなかったのかは今となっては詮索のしようがない。

 外の世界ではそう長いこと生きることができない脆弱な身体だということは十分に理解している。だからといってのたれ死ぬような真似は絶対にできないしするつもりもないが、“黒”のマスターたちは生粋の魔術師であるからホムンクルス一人では何もできないと知って(思い込んで)いる。それが、彼が逃げ延びる隙になるはずだったのだが、キャスターはなぜか自分を連れ戻すのに躍起になっていたらしく、最終的にはセイバーを動員してまで連れ戻そうとした。結局セイバーが反意を示してくれたことで事なきを得たが、それは間違いなく彼らのマスターと意を異にするものだったはずだ。

 自分のために身体を張ってくれたのだから、文句が言えるはずもない。しかし、そのために彼らを逆境に追い込んでしまったのであったなら――――。

 ホムンクルスは思考の渦に巻き込まれながらも足だけは止めなかった。

 陽の光の下に出たとき、心を蝕んでいた不安が解消されたような気すらした。これで本当に自由になったのだと、彼は心底そう思えた。

 彼が彼女に出会ったのは、そのときだった。

 

 

 

 □

 

 

 

 “黒”と“赤”の激突は、ルーラーが想定する中でも非常に小さいほうで、街への被害は零。森の木々が多少吹き飛んだ程度で通常の聖杯戦争と大差ないものだった。

 この時点で一騎のサーヴァントが“黒”に取り込まれ、戦闘は“赤”六騎に対して“黒”七騎。策謀を駆使した結果、“黒”は数的不利を見事にひっくり返した形になる。

 一騎の差を見るのが大きいか小さいかは、各陣営で判断が分かれることだろう。

 寝返ったのはバーサーカーのサーヴァント。大方の聖杯戦争で最初期に倒されるサーヴァントの一クラスであり、この聖杯大戦でも、言い方は悪いが『兵器』という扱いを避けられないと思われる。兵器ならば使い捨てにしても問題はない。ただ、その兵器が敵の手に渡ったとなると事情が変わる。

 要するに、兵器がどれほど強力なのかで戦力差に関わる影響力は変わってくるということだ。

 あの“赤”のバーサーカーを見る限り、真っ当に使役するのは難しい。その反面、極めて強力なサーヴァントだということも一目瞭然で、全面戦争を前に“赤”の陣営から“黒”の陣営に渡ってしまったのは、“赤”からすれば痛手ではないか。

 

 

 ともあれ、しばらくは静観に徹するべきだろう。

 両陣営のバーサーカーは共に“黒”のミレニア城砦の中である。気に病んでいた『バーサーカーによる市街地戦』が発生する可能性が大幅に減じたのは胸を撫で下ろすところだ。

「これといって大きな問題もありませんでしたね」

 ルーラーは夜陰に紛れて戦いの後を検分し、そう結論付けた。

 七騎対七騎の史上希に見る聖杯大戦だが、今回の戦いはサーヴァント戦の基本を覆すようなものではなかった。

 戦いの鉄則といってもいい一般人の目からの秘匿は完全に守られていたし、戦いに繰り出したすべてのサーヴァントが各々のクラスに応じた力で戦った。“赤”のライダーが“赤”のランサーに匹敵する大英雄だということは驚いたが、そのライダーに傷をつけた“黒”のアーチャーも無視できない。不死の概念を持つ英雄はそれだけで優位に立てる。その優位性を崩したのは、数え切れないほどの宝具による遠距離狙撃であった。サーヴァントの常識に当てはめても、あれは常軌を逸している。“赤”の陣営はランサーとライダーが筆頭格。この二騎が文字通りの切り札であろう。対する“黒”の陣営は、三騎士クラスが皆優秀。質という面ではどうしても“赤”の陣営に軍配が上がるが、それでも“黒”のランサーと“黒”のセイバーは最高位のサーヴァント。そして、“黒”のアーチャーは正体不明ながら宝具の所有量では他の追随を許さない。狙撃に徹する限り、“赤”の陣営にとってアーチャーは、恐ろしく強力な壁となるだろう。

 つまり、両陣営ともに敵の切り札を封殺することができる可能性があるのだ。

 聖杯大戦が動き出したとはいえ前哨戦に過ぎない昨夜の戦いだけで判断するわけにはいかないが、実質的な戦力では拮抗しているとみたほうがいいだろう。

「ふう……」

 ルーラーは必要な作業を一通り終えて、息を吐き出した。

 結果として、ルーラーの調査は不発に終わり何も得るものがなかった。

 夜を徹して調査活動に当たったのは、偏に理由のない不安を解消するためである。

 何かがおかしい。

 そういう類の根拠のない確信がルーラーにはあった。

 これが気のせいであって欲しいと思うものの、何か致命的なズレがあるような気がするのだ。その正体を掴まないことには枕を高くして眠れない。

 やはり、“赤”の陣営がルーラーを狙ってきたことだけが手がかりか。

「う……」

 ルーラーは手近な木に手を突いた。

 どうやら身体が睡眠を欲しているらしい。

 通常のサーヴァントならば、睡眠を取る必要はない。しかし、ルーラーは現実に肉を持つフランス人少女レティシアに憑依する形で現界した。そのため、この身体は生ある少女らしく食事も睡眠も必要になってしまうのである。

「く……一瞬でも寝ることを考えるとだめですね」

 頬を抓りながら、ルーラーは森を抜け、下宿先の教会に戻ることを決めた。

 朝日が昇り始めたおかげで、聖杯大戦は小休止を余儀なくされるだろう。昼間に本格的な戦いが起こるとは思えない。まして、前夜に一当てしたばかりだ。これから両陣営共に情報の解析や整理に追われるはずだ。

 そういうことなので、ルーラーが教会の屋根裏部屋に戻って一眠りするだけの時間はあるはずだった。

 問題は教会に辿り着けるかだ。

 この強烈な眠気と空腹は、ルーラーの精神力を以てしても如何ともしがたい。

 薄暗い森を抜け出たところで、ルーラーは太陽光を浴びて僅かばかり眠気を散らした。

「あ、そうだ。確か、教会で頂いた……」

 鎧兜を脱ぎ捨て、簡素な私服に戻ったルーラーはポケットを探った。

「そう、えと、ガムでしたか……」

 シスターのアルマがお菓子と言っていたそれは、銀色の紙包みに包まれた板状の食べ物だった。

 さわやかな香料の香りがする。ミントの香りはそれだけで眠気を吹き飛ばす。知識によれば、これは飲み込めないらしいが、今のルーラーは口に入れれば何であれ消化する自信があった。木の根とガム。腹に入れるならどちらがいいかというところまで追い詰められているのである。

「いただきます」

 ルーラーにとってガムは未知の食べ物だったが、それでも一般的に食されているのだから口に入れるのにためらうことはない。

 そして、ルーラーはいそいそと包みを開いて、ガムを口に放り込んだ。

「ごぶぅッ」

 瞬間、舌や喉を焼くような清涼感がルーラーを叩きのめした。

 思わず口元を押さえる。

 死ぬほどスースーする。息をするだけで喉が寒い。眠気など一撃で消し去られた。

「あ、ひあ、な、なんなんですこれッ」

 ミントはただの香り付け、お菓子なのだから味は甘いのだろうと思っていたがそんなことはなかった。

 誰もいない田舎道で、一人悶絶する。

 頭を打ちぬくような壮絶な清涼感は、初めての経験である。生粋の田舎娘であるルーラーは、それほどいい食事に恵まれていたわけではなく、当人も美食家ではなく健啖家に分類される。だが、さすがにこれには食物という認識は持てない。

「現代のお菓子事情は複雑怪奇です……」

 文句を言いながら吐き出すことなく噛み続けるのは、顎を動かすことで空腹が抑えられることを知っているからだ。

 慣れるまで、相当の時間がかかった。

 だが、慣れてしまえばどうということはない。

 教会まで、なんとか持つだろう。そんな希望の光が見えてきたとき、不意に誰かに見られているような気がして振り返った。

 そして、目があった。

 そこにいたのは一人の青年だった。自分とは正反対の紅い瞳と銀の髪。素直に綺麗だと思った。整いすぎた無機的な顔立ちに、確かな意思を感じさせる空気を纏っていた。

 そして、ルーラーは彼を知っている。より正確には、彼と同型の人形たち、すなわち、錬金術で作り出される人造の生命体――――ホムンクルス。

 “黒”の陣営が尖兵として製造していたはずだが、なぜ、こんなところに単独でいるのだろうか。

 そのホムンクルスは困ったような表情で、ルーラーを見ている。

「あの……わたしに何か?」

 問われたホムンクルスは、困ったようなその表情をそのままに、答えた。

「気に障ったのなら謝る。蹲ったり、頭を掻いたりと、どうにも不思議な行動をしていたようだから、何かあったのかと思ったんだ」

「う゛……」

 それはおそらく、ミント味のガムに悶絶し、文句を垂れ流していた場面だろう。

 見られていたのか。

 ルーラーは顔を紅くして、憎憎しげに奥歯でガムを噛み締める。

「そ、それは大丈夫です。はい。もう、解決しましたから」

「自己解決したのか。それはよかった」

「……」

 ルーラーは押し黙ってホムンクルスを見る。

 彼は“黒”の陣営に属しているのではないのか。以前は“黒”のセイバーのマスターがルーラーを引き入れようと動いたことがあったが。

 悩んでも仕方がない。直接尋ねてみることにしよう。

「あなたは、ユグドミレニアのホムンクルスではないのですか?」

 そう尋ねたときの、ホムンクルスの表情の変化はルーラーを僅かに忘我させた。そこにあったのは、驚愕。そして、その裏に恐怖の念を感じた。明らかに、このホムンクルスはルーラーを恐れている。

「……君は、魔術師か?」

 ホムンクルスはそう言ってルーラーから距離を取るように後ずさり、たどたどしく短剣を抜いた。細い身体にはその短剣すらも大きく見える。そして、魔術で隠蔽されていたその短剣は、まさしく魔術礼装である。

「ま、待ってください! あなたは“黒”の陣営に製造されたホムンクルスで間違いないんですよね?」

「……その通りだ。その言い方からすると、君は“赤”の側のマスターか? いや、それにしてもこれは……」

 ホムンクルスは混乱したようにルーラーを眺める。マスターというには、ルーラーから魔術の気配を感じないのだろう。それは、今のルーラーが消耗を抑えるために霊格を押さえ込んでいるからである。

 今のやり取りだけで、このホムンクルスはルーラーをルーラーと知って近づいたのではなく、ただ善意でルーラーの手助けをするために近づいたのだということが分かる。

「あ、えと、とにかく、わたしはあなたの敵ではありません」

 ホムンクルスの青年は、僅かにいぶかしむ様子を見せたものの、短剣を鞘に納めてルーラーに向き直ってくれた。

「あ、信じてくれるんですか?」

「ああ、なんとなくだが。それに、こんなところで悶絶するのは、“赤”の陣営の関係者としては考えられないしな」

「その話はもういいです!」

 ルーラーは顔を紅くして言う。

「わたしは、今回の聖杯大戦を監督するために召喚されたルーラーのサーヴァントです。ルーラーについてはご存知ですか?」

「あ、ああ。そのクラス名は聞いたことがある。特別な権限を持っていると聞いている」

「ええ、そうです。もちろん、わたしはその権限を乱用することはありません。しかし、使わざるを得ない場面も想定されます。そのために、わたしは昨夜の戦闘痕を検分していたのです」

「なるほど。情報を集めているということか」

「はい」

 ルーラーの端的な説明にホムンクルスは納得してくれたらしい。意外にもあっさりと話が通ったのは、ルーラーのスキルも大きかったのだろうが、それ以上にこのホムンクルスが純真だったからだろう。疑うことを知らない無垢な魂の持ち主であり、赤子なのだ。

「もう一度、同じことを尋ねますが、あなたは“黒”の側が用意したホムンクルスなんですよね?」

「ああ、そうだ。だが、所属しているというわけではない。昨夜の戦闘の際に、隙を見て脱出した」

「え? 脱出、ですか?」

 ホムンクルスは頷いた。

「しかし、そんなことが?」

「俺一人では不可能だっただろう。だが、ライダーやアーチャー、セイバーが俺を助けてくれた。そのおかげで、俺は今ここにいる」

 その言葉に、ルーラーは衝撃を受けると共に唐突な嬉しさが心の奥底から湧き上がってくるのを感じていた。

 殺伐とした聖杯大戦の中で、ホムンクルス一人を逃亡させるためにサーヴァントたちが協力したというのだ。

 それぞれが願いを持ってこの世界に召喚されながら、ただソレのみを優先するのではなく英雄としての誇りと矜持を持ち続けている。それが、たまらなく嬉しいのだ。

「そうですか。サーヴァントが、あなたを救ったのですね」

「ああ」

 ならば、彼が先ほど抜いた短剣はそのサーヴァントたちの餞別なのだろう。治癒と認識阻害の魔術がかけられた短剣は、脆弱な彼が生きていくのに必要不可欠な魔術だ。

「それなら、あなたはなんとしてでも生きていかなければなりませんね」

「もちろんだ。将来(さき)のことは分からないが、あそこに連れ戻されて死ぬことだけは御免被る。それに、つまらない死に方をしては、彼らに申し訳ないからな」

 それだけ意思が固ければ、大丈夫だろう。

 もちろん、不安は大きい。ホムンクルスの肉体は脆弱で、寿命も短い。市井には魔術を使えば簡単に紛れ込めるだろうから、心配はいらないだろうが、生活を保障するものは何もないのだ。

 そう考えたとき、ふと、閃いたことがあった。

「そうです。わたしが泊めていただいている教会があるのですが今後、しばらくはそこに滞在するというのはどうでしょうか?」

 唐突な提案に、ホムンクルスは戸惑ったようだった。

 無理もない。初めて会う相手にこのようなことを言われるのだから警戒しないほうがおかしいというものだ。それでも、他のサーヴァントが共同で救ったこのホムンクルスに出会った以上、その存在を無視して放置するわけにはいかないと思ったのだ。

「教会に」

「はい。教会は迷える子羊に救いの手を差し伸べる場所。きっと、あなたの助けになってくれます」

 ルーラーの言葉に、ホムンクルスはしばし悩む。

 しかし、行き場がないのは変えようがない。その点で、ルーラーの申し出はありがたい話だった。

「分かった。それではお言葉に甘えることにする」

「はい、それでは案内しますね」

 そう言って、ルーラーはホムンクルスの前を歩き始めた。

 

 

 

「あ、ところで、あなたのことはなんと呼べばいいんでしょうか?」

「そうだな。俺にはまだ、名がない。よければ、名をつけてくれないか?」

「いいんですか? 分かりました。では、僭越ながらわたしが名付け親(ゴッド・マザー)になってあげます。そうですね。ホムンクルスを短縮してほむ君というのはどうでしょう?」

「ふむ、よくわからないのだが、なんとなくそれはないと思う」

「えぇ~」

 ルーラーはショックを受けたようにしょぼんとしてとぼとぼと歩を進めるのだった。




Cパート☆

 白き少女は己の髪と同じ色の景色の中にいた。
「イリヤ……」
 美遊は最後の戦いに赴く戦友の背中に呟くように声をかける。
 イリヤはいつもの屈託ない笑顔で振り返った。
「美遊、サファイア。もしもわたしが『この世すべての悪をもたらす者』になったら、その時は躊躇わずにここを撃って」
「あ、あれ、やだなぁイリヤさん。冗談はよしてくださいよ~」
 イリヤは自分の相棒でもあるステッキを指差すとステッキが緊張感のない声で言った。
 騎士王型黒化英霊ゴ・アルト・リアとの戦いでルビーに生じた傷は今でも治っていないのだ。
 美遊は共に戦えない悔しさを噛み締めて、せめて戦友が心置きなく戦えるように頷いた。
「分かった。イリヤに人を殺させない」
「承知しました。イリヤ様」
 美遊とサファイアの返答に、イリヤは安心したように微笑んだ。
「あっれ~、おかしいなサファイアちゃんまで何を言って……」
「クラスカード『アヴェンジャー』――――夢幻召喚(インストール)!」
 ルビーの抗議を無視してイリヤは禁じ手を発動する。
 最後の敵と同等の能力を持つカード。人間に対して絶対的な殺害能力を有する敵には、同等の力で能力を相殺しなければ勝ち目はない。英霊の力を媒介にしていても彼女たちは人間なのだから。
「イリヤ……」
 美遊の呼びかけに変身したイリヤは答えない。
 赤黒い刺繍に全身を彩られたイリヤは美遊たちに背を向けて、サムズアップ。そして、吹雪の中に消えていった。
「イリヤーーーーー!」
 美遊の叫びが、冬山に木霊して消えた。

「やっとなれましたね。『この世すべての悪をもたらす者に』」
 待ち受けるのはラスボス型ヒロイン、ン・サクラ・ゼバ。
 お互いに殺戮能力を封じあった二人の少女は、雪山にて近接格闘戦に突入する。

 次回 カレイドライダー・イリヤ EPISODE48 「イリヤ」



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十一話

 視界一杯に焦熱地獄が広がっていた。

 天高く上る火炎の渦。

 耳朶を叩くのは、苦痛と怨嗟の声。

 

 このような光景を、フィオレは知らない。

 気がつくと、彼女は灼熱の世界に放り出されていたのだ。

 見たことのない街が、猛火の中で朽ち果てていく。足元には身元が分からない真っ黒な人型が転がり、そして、今尚多くの人々がこの炎の中で命を失っていく。

 この絶望的な状況にあって、フィオレは声を出すこともできず、ただ眺めていることしかできなかった。

 そう、おそらくこれは夢。フィオレではなく、アーチャーの過去を覗き見ているのだろう。

 サーヴァントと霊的に繋がっているマスターは、時として契約したサーヴァントの記憶を夢の中で追体験すると聞いたことがある。

 フィオレはその話を聞いたとき、楽しみだと思ったのだ。

 神話の英雄と契約した者ならば、神代の景色を夢で見ることができる。

 それは、本来であれば絶対に見ることのできない景色であり、知ることのできない光景なのだ。神話上の戦いも、伝え聞くものであれば覚悟はできるだろうし、フィオレはこの現象に関して、映画を見るような感覚だろうと考えていたこともある。

 いずれにしても、アーチャーの過去に踏み入るには覚悟が足りなかったという他ない。

 

 ――――これが、アーチャーの過去?

 

 この空間に絶望以外の色はない。

 空はコールタールのように粘ついた暗雲に覆われ、地上は炎と死に埋め尽くされている。

 この世界にある怨嗟は、フィオレが知るあらゆる呪詛よりも強烈だ。

 夢と分かっていながら、フィオレは胸が引き裂かれるような思いに囚われた。

 いったい、この街で何があったのだろうか。

 自然災害か戦争か。ある日突然、この街の住人たちに突如として災厄が降りかかったのである。街に溢れる怨嗟の声は、逃げ遅れた人々から発せられているのか。

 炎の弾ける音、熱風が吹き渡る音。あらゆる音に、憎しみが宿っているように思えてしまう。ここにいるだけで死を選びたくなるような絶望の海を、一人の少年が懸命に泳いでいる。

 耳を塞ぎ、目を閉じて、助けを求める声を無視し、差し出された手を振り払う。誰が彼を責められるだろうか。この状況下で、十ほどの少年が他者を助ける余裕などない。少しでも他所に意識を割けば、瞬く間に炎と煙に巻かれて死んでしまう。

 そして、少年はついに一度も歩みを止めることなく日の出を迎えた。

 

 

 気がつけば焼け野原に仰向けに寝そべっていた。

 炎の気配はとうに遠のき、空は重厚な雨雲に覆われているのが見える。

 もうすぐ、雨が降るのだろう。それでいい。雨が降れば、この地獄も綺麗さっぱり洗い流されるかもしれないから。

 周囲には、焼け焦げた人の遺体が転がっている。真っ黒になってずいぶんと縮んでしまったそれらは、もはや人としての原形を留めていない。

 この人たちがこんな姿になってしまったのに、どうして自分は生きていられるのだろう。きっと、単に運がよかっただけなのだろう。

 ああ、でもここまでだ。

 息をするだけでも苦しい。体力は限界を迎え、身体の感覚は失われている。

 それでも、空に手を伸ばした。

 何かを意識したわけではなかった。

 ただ、空が遠いなあ、と他人事のように思っただけ。

 その行為で、なけなしの体力を使いきってしまったのか、急速に襲い掛かってくる眠気に抵抗することもできずに少年は暗闇に落ちる。

 その刹那。

 固い地面に投げ出されるはずの手を、力強く握る手があった。

 

 

 その顔を覚えている。

 

 

 目に涙を溜めて、生きている人間を見つけ出せたと、心の底から喜んでいる男の顔を。

 

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 目覚めは最悪。

 今までにないほどの悪夢だった。

 ベッドから身体を起こしたフィオレは、内心の動揺を隠し切れず、ため息をついた。

 夢で見たのは、アーチャーの過去で間違いない。

 焼け野原になった街で、もはや助かる見込みのない少年は何者かに命を救われたのだ。そして、その果てに、少年は今のアーチャーへと姿を変えていく。

 フィオレの中で、アーチャーに関する情報が結びついていく。

 アーチャーは記憶がないと言っている――――ただし、それを証明する手段は令呪以外にはない。

 そして、夢でアーチャーの過去を追体験できたということは、少なくともあの夢の辺りに関しては記憶が戻っていると考えられる。

 ならば、何故それを自分に伝えないのか。 

 アーチャーとの信頼関係は確かに築けているはずだ。少なくとも、フィオレは彼に全幅の信頼を置いている。

 だが、その一方でアーチャーは自分のことをひた隠しにしている。

 投影魔術を扱う魔術師だったということくらいしか、今のフィオレにはアーチャーの生前を知ることのできる情報がない。

 フィオレは心に寒風が吹き込むような感覚を味わった。

 裏切られた、とは違う。信頼されていないのではないか、という不安か。そう思うと、極めて曖昧模糊とした、とらえどころのない憤りが湧き上がってくる。

「でも、あれほどの災厄に見舞われたのであれば、それを人に言いたくないのもわかりますけど」

 フィオレが見た光景は、アーチャーが実際に体験した現実なのだ。

 あれは、彼のスタート地点に違いない。彼は、地獄からの生還者だ。その苦しみを、語れと強要するのは気が引ける。

 理性的にも感情的にもあの少年には同情できるし、あの災厄を心苦しくも思える。だから、アーチャーのトラウマを抉るようなことはしたくないし、できない。

 そうして理性的に考えれば、アーチャーが過去を語らないということにも、一応の説得力を持たせることができる。

 アーチャーが過去を語らないのは、フィオレの力不足ではなく、あくまでも彼の心理的な要因によるものだと信じることができる。

 そうしてフィオレが感情を抑え、アーチャーの過去に思いを巡らせていると、徐々にアーチャーの過去をもっと知りたいという興味が芽生えてきた。

 語らせてはいけないと、頭では分かっているのに、絶望の果てに救われた彼が、どのようにして英霊にまで昇り詰めたのかを知りたい。

 極めて珍しい、現代の英霊(・・・・・)である彼が、その人生に何を見たのか。

 それが、フィオレには気になって仕方がなかったのだ。

 

 

 

 フィオレに呼び出されたアーチャーは、何故、フィオレがこうも不機嫌さを醸し出しているのか皆目見当がつかなかった。

 何か不手際でもしてしまっただろうか。

 考えられることと言えば、ホムンクルスを逃がしたことくらいだが、あの件に関してはすでに決着している。今さらフィオレが蒸し返すとは思えない。

「私に何か用があるのではなかったのかね?」

 分からないことを考えても仕方がないので、単刀直入に尋ねることにした。

 尋ねられたフィオレは、困ったような顔をする。そして、ため息をついた。

「アーチャー。あなたの記憶について、聞きたいことがあります」

 それを聞いて、アーチャーはなるほどと納得した。

「君は、私の過去を見たのか」

 問いではない。それは、確信だった。案の定、フィオレは頷いた。

「申し訳ありませんでした。決して、盗み見るつもりはなかったのです」

「分かっている。これといって自慢できる過去も持ち合わせていないのでね。見られたところで、どうということもないが。君が言いたいのは、そういうことではないな」

「はい」

 フィオレの不機嫌の理由は、おそらくアーチャーが自分の過去を彼女に語らなかったことだろう。

 アーチャーは、フィオレに対して自分の記憶が定かではないと言い張ってきたのだ。それが、夢を介して過去を見られた。彼女は今、何故真実を告げなかったのかと憤っているのだ。

「フィオレ。君はいったい何を見た?」

「燃える街を。それと、幼い頃のあなたです」

「なるほど……」

 それはまた、懐かしい光景だ。

 アーチャーのスタートライン。冬木の聖杯によって、すべてを失ったあの日、アーチャーは一生を賭けて追い求める夢を見たのだ。

 アーチャーを英霊にまで押し上げた、強迫観念とも言うべき強烈な夢。

「そして、あなたは現代、もしくは未来の英霊ですね」

「…………」

 フィオレの言葉にアーチャーは口を噤む。

「俄かには信じられませんでしたが、当時のあなたの服装……どう考えても現代のものとしか思えませんから。わたしがあなたを召喚できた理由までは分かりませんが、英霊は時間軸に縛られない存在です。わたしには分からない理由があって、ケイローンではなく、あなたが召喚されたのでしょう。それは、深く考えても詮無いことです。わたしが確認したいのは、記憶の有無。何故、わたしに今まで黙っていたのかということです」

 アーチャーは腕を組んでフィオレを見る。

 一切の虚言は許さないという意思を感じる。フィオレはアーチャーの夢を見てしまったことを後悔する一方で、記憶が戻ったことを報告しなかったのを責めている。

「一つ、弁明させてもらうと、私は記憶を完全に取り戻したわけではない。召喚の影響で記憶が混乱していたのは事実で、思い出せたこともそう多くはない」

「それは、本当ですか?」

「ああ」

 アーチャーは頷いた。

「生前の記憶は、未だに鮮明になっていない。それでも色褪せないものは確かにある。君が見たのも、その一つだ」

「あれは……いったい、なんだったのですか?」

 フィオレは逡巡しつつ、尋ねた。

「とある魔術の儀式が失敗した結果だよ。七人の魔術師と七騎のサーヴァントによる命を賭けたゲームだ」

「え……そ、それは、まさか……」

「そう、聖杯戦争だ。幼い頃の私は、冬木で行われた第四次聖杯戦争に巻き込まれ、家族とそれ以前の記憶を失った。私を救ってくれたのは、その聖杯戦争に参加していた魔術師の一人なのだよ」

 フィオレは、それを聞いて顔色を失った。

「聖杯、戦争が、あのような結末を迎えたのですか?」

「ああ」

「まさか……そんな……」

 フィオレからすれば、聖杯は万能の願望機という認識でしかなかった。実際に、秘されていた聖杯をその目で見たときに、それが齎す奇跡を信じることもできた。だが、アーチャーが経験した聖杯戦争は奇跡などとは口が裂けても言えない災厄そのものだ。

 扱い方を間違えた聖杯が、世界にどのような災いを振り撒くのか、如実に物語っていた。

「しかし、アーチャー。あなたは、今第四次聖杯戦争と言いましたか?」

「ああ、そう言ったが」

「それはありえません。だって、冬木の聖杯戦争は第三次を以て終結しています。ここに、冬木の大聖杯があるのですから」

 冬木市で行われた聖杯戦争は第三次までである。それ以後は起こるはずがない。今の冬木に聖杯はなく、ダーニックが聖杯を確保してルーマニアまで移送したからだ。

 現在、冬木の聖杯で聖杯大戦が行われている以上、冬木で聖杯戦争が起こるはずがない。

 だが、フィオレの問いにアーチャーは苦笑する。

「それは、この世界での話だろう。我々英霊に、世界の違いは関係がない。私が存在した世界ではダーニックが冬木の聖杯を確保することがなかった。ただ、それだけのことだろう」

「つまり、あなたは完全な並行世界の住人ということですか」

 確かに、英霊ともなればそのようなことも起きるだろう。

 だが、その一方で、自分と縁も所縁もないアーチャーが、何故ケイローンの触媒に優先して呼ばれたのか分からないままだ。未来や並行世界の英雄がサーヴァントとして呼び出されることなど基本的にありえない。未来の英雄が持つであろう触媒を用意するくらいしかないが、そんなものはあてずっぽうに過ぎない。触媒を使わなかった場合であっても、過去の英雄の方が優先して呼ばれるはずだ。それは、今と過去の繋がりのほうが、無限に分岐する未来よりも深いからだ。

「どうして、あなたはわたしに召喚されたのですか?」

「君が触媒を用意したからだろう」

「しかし、わたしはあなたを呼ぶような触媒は持っていませんが……」

 フィオレの言葉は不意に打ち切られた。

 フィオレの目は、アーチャーの手に吊り下げられたルビーのペンダントに引き付けられていた。

「それは……」 

 フィオレは慌てて自分の首から提げているペンダントを取り出す。

「同じ、ペンダント……?」

 似ているどころではない。まったく同一のペンダントがそこにはあった。

「私の辿った歴史では、そのペンダントの持ち主は私の命の恩人なのだ。私はそのペンダントを命の恩人が残してくれたものと思い、生涯、肌身離さず持ち歩いた」

「そして、そのペンダントを、この世界でわたしが入手していた? それが、あなたを呼ぶ触媒になったということですか?」

「おそらくはそういうことなのだろう」

 それは、幾重にも積み重なった偶然が収束した必然だ。

 たまたま目に入った宝石を譲り受け、たまたま儀式場まで持っていった。そして、それがアーチャーの所有する物と同一のペンダントだった。始まりは偶然だった。しかし、ペンダントを儀式場に持ち込んだ時点で、アーチャーが召喚される確率は必然にまで跳ね上がっていた。

「一つ、君に尋ねたいことがあるのだが、いいかね?」

「はい、なんでしょう?」

「聖杯についてだ。君は、聖杯をその目で見たことがあると言っていたが、どのようなものだった?」

「どのようなものというと……」

 ユグドミレニアの陣営の中で、大聖杯を見たことがあるのはダーニックとフィオレだけだ。フィオレはアーチャーが召喚されるよりも前に、次期当主ということで見ることを許可されたのである。

「今まで見たことも感じたこともない、膨大な魔力を蓄えていました。ええ、あの聖杯が完成すれば、世界を改変することも可能だと信じられるほどでした。それが、どうしました?」

「いいや。なんでもない。それほど近くで見て問題ないと判じられるのであれば、この聖杯は問題ないということだろう」

「あなたの世界の聖杯は問題があったのですね」

「そういうことだ。しかし、この聖杯は半世紀の間ダーニックが調査し続けていたのだ。もとより、その点に不安はなかったが、フィオレの口から確認できたのはありがたい」

「もしも、あなたの知る聖杯と同じだった場合は、どうしましたか?」

「無論、破壊する以外にはないだろう。夢で破壊された冬木の街を見ただろう。あれは、悪に汚染された聖杯の一部が流れ出た結果だ。この世界の聖杯が同じ物であれば、当然破壊以外に破滅を回避する手段はない」

「悪に汚染された聖杯」

 フィオレはその言葉を繰り返す。

 聖杯は基本的に無色の魔力を貯蔵している。それは善にも悪にも変質しうるということでもある。用途が固定されていない、純粋無垢なエネルギーだからこそ、あらゆる願いに対応できるのだから。

 アーチャーの世界の聖杯は、何かしらの理由で無色な魔力が悪の願いに染まってしまっていたのだろう。世界を改変できるほどの魔力が、悪の指向性を持って解き放たれれば、当然世界は崩壊する。

「今後もフィオレは私の夢を見ることになるだろう。私自身の記憶が磨耗している以上、ノイズ混じりの映像になるだろうがな」

「そうですか。分かりました」

 記憶の磨耗。

 おそらくそれは恒常的なものではないのだろう。何かしらの切っ掛けがあれば、取り戻すことができるかもしれない。

 それに、その言葉に嘘はないはずだ。

 夢で記憶を覗けるフィオレに言葉で嘘をついたところで、意味がない。その都度思い出したのだと言い訳を並べる意味もないし、何よりも並行世界の未来から召喚された英霊だということがすでに分かっている。これ以上、アーチャーが隠すことはないはずだ。

「それでは、最後にアーチャー。あなたの真名を教えてください」

「シロウだ。エミヤシロウ」

「エミヤシロウ……なるほど、確かに日本人らしい名ですね」

 ファーストネームとファミリーネームの順が異なるのは有名な話。エミヤが姓でシロウが名ということだ。

 今まで分からなかったアーチャーの来歴の一部と真名が判明したことで、フィオレは機嫌を直した。

 名前の交換は信頼関係を創出する。

「ところで、フィオレ。私の件はダーニックに報告するのか?」

 アーチャーに尋ねられて、フィオレは暫し悩んだ。

 サーヴァントの真名開示は、彼らを召喚する前から各マスターとの間で交わされていた約束だった。強制力はないものの、真名を秘すべき聖杯戦争に於いて真名を開示しないのは不信感を生み出すため、組織を維持する上で必要な約束だった。

 しかし、セイバーの真名を秘す特例が認められ、アーチャーもまた記憶の混乱を理由に真名を秘している。その現状を、敢えて変える必要性はあるか。

「そうですね。アーチャーはしばらくは今のまま、正体不明のサーヴァントでいてもらいましょうか」

「いいのかね?」

「ええ。叔父様ではありませんが、漏れる口は少ないほどいいので。敵にとっても正体不明のサーヴァントです。未来の英霊だと分かるよりは、謎の英霊のほうが疑心暗鬼を深められるでしょう」

「なるほど。了解した」

 アーチャーは頷いて、フィオレの方針を受け入れた。

 アーチャーの正体は公表しても問題はないのだ。

 並行世界の、それも未来の時間軸上に誕生する英霊がこの時代の資料に現れるはずがないのだ。よって、彼の正体を知ったところで、有効な対抗策が採れるはずがない。

 しかし、同時にそうと分かってしまうと、相手はそれ以上の詮索をする必要がなくなる。

 僅かでも相手を梃子摺らせ、疑心暗鬼に持ち込むには正体不明というのは都合がいいのである。

 だが、そうした戦略上の理由に隠れて、アーチャーの真名を知っているのは自分だけでいいという欲が僅かばかり思考を誘導したことも否めないのであった。

 アーチャーが退出した直後、フィオレは自分の思考に介入した我欲を自覚し、ため息をついた。




Cパート

 テーブルを挟んで二人の少女がにらみ合っている。
「イリヤさん。いいえ、クロさん。諦めなサイ。あなたは、もう終わりデース」
 金剛は自らの最高の布陣で勝負に挑んでいた。
 今、彼女の場には最高の性能を誇るモンスターカード『大和』が鎮座している。
「ふふ、『波動砲』を装備し、『近代化改修』まで施したワタシの『大和』を倒すことは不可能デース。守備表示のモンスターカードから、バーニング・ラーヴ!」
 金剛が誇る最強のカード『大和』。攻撃力、防御力共に4000を超え、『波動砲』を装備することで、攻撃力を+1000し、飛行能力を付加する。クロの手持ちのカードに、コレを打ち破るカードはない。
 そして、金剛の左目に宿る神代の力『千年愛(ミレニアム・ラブ)』は、相手の心を読む力。
 数多の敵の手札をこの目で見破り、対処してきた。たとえ、相手が自分と同じ能力持ちであっても、これならば先読みができる。
「な……!」
 だが、金剛は唖然とした。カードが見えないのだ。クロの心の中に、クロではない別人がいる!
「人の心を覗き見するなんて、淑女のすることではありませんわ」
「クロ、そんなヤツ、ぶっとばしなさい」
「クロ、頑張って」
 イリヤ(クロ)の仲間たちの心が、クロの中に入り込み、金剛の読心術を妨げているのだ。
 クロはにやりと笑う。それは勝利を確信したものの笑みだ。
「今よ、もう一人のわたし(クロ)
「了解。わたしは、『ランサー』を生贄に、『バーサーカー』を召喚するわ!」
 現れたのはクロのデッキで最強のモンスターカード。攻撃力、防御力共に5000と極めて高い。
「このカードは、レベル7以下のモンスターの攻撃や能力を無効化する。何体モンスターを取り揃えても無駄よ。さらに、装備カード『射殺す百頭』で、攻撃力を+2000し、敵のターンを九回スキップする!」
「What!?」
 金剛の悲鳴が上がる。
「やっちゃえ、バーサーカー!」
 バーサーカーが大和に襲い掛かる。
「ト、トラップカード『海軍の支援を要求する』を発動デース。これで、攻撃を宣言したモンスターカードは破壊され、……ッ!?」
「ダメよ。バーサーカーは十二回殺されないと墓地には行かないし、同じ手で墓地に行くことは二度とない! わたしのターン。やっちゃえ、バーサーカー!」
 『大和』轟沈!
「Nooooooooooooooo!」
「わたしのターン。やっちゃえ、バーサーカー!」
 『比叡』轟沈!
「ひえぇええええええええ!」
「わたしのターン。やっちゃえ、バーサーカー!」
 『長門』轟沈!
「わたしのターン……」
「もう止めて! クロ!」 
 そこに飛び込んできたのは美遊だった。
「放して!」
「とっくに金剛さんのライフはゼロよ!」
 見れば金剛は、放心状態のままで轟沈している。
 金剛のライフがゼロになり、デュエルは終わったのだ。
 奪われた士郎の魂は解放され、少女たちは平穏な日常へ戻っていったのであった。

 


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十二話

「ホーエンハイム君。食器洗いをお願いできますか? わたしは買い物に出かけないといけないので」

「了解した。すぐに取り掛かる」

 ルーラーが教会にホムンクルスを連れて来たとき、さすがにアルマは驚いていた。しかし、彼が身寄りがなく、病弱で困っているという話を聞き、しばらくの間逗留することを認めてくれたのである。

 その際、彼はホーエンハイムという名を名乗った。

 特に意味があるわけではないが、ホーエンハイムと言えば世界最大の錬金術師の一人である。彼の肉体を形作る錬金術は千年間外界から隔絶した環境に身を浸していたアインツベルン式の錬金術であるため、ホーエンハイムの系譜を引くわけではないが、それでも偉大な錬金術師の名を名乗ることになったのは不思議な感じがした。

 つい先日まで、生命とも認められていなかっただけに、一個の名を持つことができるというのは新鮮だった。

 ホーエンハイムは、ルーラーと共に教会に寝起きし、アルマに労働を提供することで宿代としていた。

「ほむ君。あまり無理をしてはいけませんよ。その短剣のお陰で、体力面でも筋力面でも一般人と変わらず活動できるとはいっても、身体の頑丈さまで補われているわけではないのですからね」

「ああ、分かっている」

 ホムンクルスの脆弱な肉体は、本来であれば僅かな肉体労働にも耐えうるものではない。彼の筋力は、外見年齢よりもずっと貧弱で、労働力としては疑問符がつく程度のものだ。だが、それも治癒の短剣の効力でどうにか誤魔化せる。

 傷ついた筋肉がその都度修復されることで、実は急速に筋力が上がっている。その上、生来の一級品の魔術回路が、万全とはいかないまでも行使できる。これまでは身体が魔術の行使についてこなかったのだが、短剣が持つ治癒魔術の効果は肉体の損傷全般に行き渡っているようで、魔術による自傷にも効果が発揮されている。

「俺の身体の構造は基本的に人間と同じだ。こうして活動していれば、自然と体力がつくだろう」

「そうですか。それはよかったです」

 それでも、寿命のほうは如何ともしがたい。

 人工生命体であり、彼自身も優れた錬金術師だからこそ分かる。治癒術によって肉体の損傷が抑えられていても、多少延命できる程度でしかない。三年から五年が限度か。十年は期待できない。

 ホーエンハイムが洗う食器は三人分。洗い終わるのに十分とかからない。アルマが戻ってくるまで、次に手伝うこともなく、ホーエンハイムは暇な時間を過ごすことになる。

「ほむ君。あなたはこれからどうするのですか?」

 唐突に、ルーラーが尋ねてきた。

「これまでは、まだあそこから逃げ出してきたばかりということで、尋ねませんでしたが自由になったあなたはこれからどのように生きていこうと考えていますか?」

「どう生きるか、か……」

 ホーエンハイムは俯きつつ思考する。それから、首を振った。

「いや、どうにも想像ができない。不思議なものだ。城砦にいたときは、あれほど死にたくない、生きていたいと思っていたのに、いざその環境に身を浸すと、途端にどう生きていけばいいか分からないとは」

「それも、一つの発見ですね。その環境に飛び込まなければ分からないこともあります。今までのあなたは『生きる』ということのみを目指していました。言ってみれば、それが目標だったわけです。しかし、今のあなたはその目標を達成してしまいました。これからは、『どのように生きるのか』という新たな目標を設定する必要があると思います」

「生きる目標か」

「ようするに夢です。やってみたいこととか、何でもいいですよ。身近なところからで構いません」

「そうか。すべて、自分で決めていかなければならないのか。自由とは、なかなか不自由なものだな」

 そう言うホーエンハイムの顔にはこれといって不自由している様子は見られない。ただ、先のことを考えて悩んでいるという風ではある。

「難しいな。これが所謂自由の刑というものか」

「じゆうのけい?」

 ルーラーは知らぬ言葉を聞いて首を傾げる。

「サルトルという思想家の言葉だ」

 単なる自由は方向性が定まっておらず、自分で進む先を決めていかなければならないために、苦痛を伴う。自由は言葉にすれば良いものだが、実際にその状態になるとそれはそれで大変だということである。

「俺の人生だから、俺の責任で決めなければならないか」

「そうですね。ですが、そこまで思いつめる必要はないですよ。ほむ君は生まれたばかりなんですから、もっと頼れる大人を頼っていいんですよ。難しい問題ですから、無理に自己解決を図る必要はないんです」

 そう言って、ルーラーはぐ、と親指を立てて自分を指差す。

「なるほど、では後でアルマ殿に相談することにしよう」

「あらら?」

 姉貴分を自負するルーラーはスルーされて少し落ち込んだ。

 

 

 

 □

 

 

 

 二度の小競り合いの中で、カウレスができたことは一つもない。

 カウレスは自分が一流に届かない程度のスペックしか持っていないことは百も承知であるし、本来ならば令呪が宿ることもないと思える程度の実力しかない魔術師だと正しく認識している。そうした中で、通常の二倍は魔力を消費するというバーサーカーを選んだのは、それ以外に選択肢がなかったということが大きい。

 一級のサーヴァントは端から使役できるはずがないと諦めていた。低級のサーヴァントでも狂化によってパラメータを上げることでそれを補える。カウレスに要求されるのは、どちらにしてもバーサーカー以外にはなかった。

 これが通常の聖杯戦争ならば、カウレスは真っ先に脱落していただろう。

 しかし、この聖杯大戦はそうでもない。

 まず、強力な仲間がいる。それに、加えて彼が召喚したバーサーカー(フランケンシュタイン)は、パラメータこそ低いものの、特筆すべきはその宝具の性質である。

 『乙女の貞節(ブライダル・チェスト)』は、攻撃能力こそないものの、大気中の余剰魔力を吸収し、再利用する能力がある。これにより、バーサーカーの消費魔力は実質ゼロとなった。ホムンクルスを生贄にすることで宝具発動の魔力を得ることもできているので、実際にカウレスがマスターとしてすることは、ただ生きていることだけであった。

 さすがに、カウレスが死んでしまえば、バーサーカーをこの世に繋ぎとめておく楔がなくなってしまい、無制限に魔力を得ることができる彼女でも消えてしまう。

 カウレスには戦闘の心得がないし、頭が回るわけでもない。理性のないバーサーカーは戦場にあってはただ敵を屠るだけの兵器になってしまうので、指示自体に意味がそれほどない。

 正直、自分は必要ないだろうと思う今日この頃だった。

 

 

 聞き慣れた車椅子の音にカウレスは伏していた視線を上げた。

「姉さん?」

 現れたのはフィオレとアーチャーだった。

 そして、フィオレの装いを見て、カウレスは表情を変える。

 サーヴァントに車椅子を押させていることに問題があるわけではない。アーチャーは正体不明ながら優秀なサーヴァントで、そんな人物に執事の真似事をさせているのがカウレスとしては信じがたいことであるが、フィオレとアーチャーの関係は単なる主従というよりも友人のそれに近いと思っている。おそらく、この陣営の中でもとりわけ良好な関係を築けている。ならば、そのアーチャーがフィオレの世話をすること自体が間違いとは思わない。

 ここで、カウレスが目ざとく見つけたのは、フィオレの膝の上に乗っているスーツケースだ。

「そんな物騒なものを持って、どこかにいくの?」

 フィオレのスーツケースには、彼女だけの礼装が入っている。一流の魔術師ですら容易く葬る、フィオレの切り札である。それを持ち出すということは、何かしらよからぬ事態が進行しており、彼女がそれに対処する必要性に追われたと考えられるのだ。

 案の定、フィオレは頷いた。

「これから、アサシンとそのマスターにコンタクトを取りに行きます」

「コンタクト? それにしては物騒じゃないか」

 フィオレの言うアサシンは、今まで合流していなかったサーヴァントだ。真っ当に考えれば、こちら側のはずなので、わざわざ武装して出迎えるというのは、おかしい気もする。

 そんなカウレスに、フィオレは嘆息する。

「カウレス。パソコンもいいけど、地元の新聞もきちんと読みなさい」

「はいはい、分かったよ」

 いい加減な生返事をするカウレスに、フィオレは眉を吊り上げかける。

「フィオレの言うとおりだ、カウレス。特に、昨今の若者の活字離れは深刻だというからな。新聞を活用する教育も行われているというし、あれに目を通すのは、悪いことではない」

「だから、お前はいつの時代の人間だよ」

 アーチャーの言葉に、カウレスは言い返す。パソコンの次は新聞か。このアーチャー、現代に溶け込みすぎである。

 そうしたやり取りを見て、フィオレは思わず失笑してしまった。

「何がおかしいんだ? 姉さん」

「ごめんなさい、つい……」

 いぶかしむカウレスに答えぬまま、アーチャーがフィオレの車椅子を押す。問答はここまでと言外に告げている。

「それじゃあね、カウレス。留守番よろしくね」

 最後に、フィオレはそう言い残してアーチャーと共に去っていった。

 姉とそのサーヴァントを見送った直後、カウレスの服の裾をバーサーカーが引っ張った。

「なんだ、もしかして怒ってるのか?」

 バーサーカーは唸りながら頷いた。

 カウレスは首を傾げる。今の会話にバーサーカーが憤るところがあっただろうか。問いかけても、言語能力を失った彼女から明瞭な答えがあるわけではない。

「まさか、姉さんのことか?」

「ヴヴ……」

 どうやら、そのようだ。

 このバーサーカーは、狂化のランクが低いために、言語能力を失うことと、高次の思考に耐えられなくなっているが、話に聞く他の聖杯戦争でのバーサーカーのデメリットを持っていない。

 暴走の可能性は低く、カウレスが魔力を枯渇することもない。彼女自身、感情を失っておらず、幼児レベルの思考くらいは維持している。

 会話できずとも、YesとNoでやり取りをすることができるので、意思疎通に不便はあっても不可能ではない。

 カウレスが自室に戻ったときには、すでにバーサーカーの意図がある程度理解できていた。

 カウレスはイスに逆向きに座って、背凭れに顎を乗せた。

「要するに、お前はいつか敵になるかもしれない姉さんと俺が仲良くするのが気に入らないのか」

 こくん、とバーサーカーは肯定する。

 今でこそ、“赤”という共通の敵がいるが、それを倒せば、次は聖杯を独占するための熾烈な内部分裂が始まる。

「そうは言っても、あの姉さんだからなあ……」

 カウレスが仮にフィオレとぶつかった場合、勝利できるかというと、まず無理だ。一流の魔術師を始末できる姉と一流に届かないレベルの魔術師である弟。真正面から対峙して戦えるはずがない。

「それに、あのアーチャーは謎過ぎる。そうだろ?」

「ヴゥ……」

 バーサーカーにとってはアーチャーの真名などどうでもいい。そもそも、真名から対策を練るという思考に彼女は耐えられない。だが、それでも、理性がないからこそ鋭敏になる野生の勘はアーチャーの宝具の危険性を感じ取っていた。無数の宝具を扱うサーヴァント。敵に回すには危険に過ぎる。もっとも、それは他のサーヴァントを相手にする場合も同じだ。結局、バーサーカーはどのサーヴァントを相手取っても劣勢に回らざるを得ない。

「とにかく、“赤”をなんとかしないことには始まらない。バーサーカー。お前、あのランサーとライダーには近づくなよ」

「ウィィィ」

 最高位のサーヴァントである“赤”のランサーと“赤”のライダーは、バーサーカーの手に余る。特にライダーはこちらのアーチャーでなければ傷一つ付けることができないのだ。そんな相手に挑むのは無謀を通り越してただの蛮勇だ。

 バーサーカーも、一度“赤”のライダーと戦って懲りたのか、これにはあっさりと頷いてくれた。

「新聞か……」

 バーサーカーとの会話が一段落すると、姉の言葉が脳裏を過ぎった。

 一応、この部屋にも新聞は置いてある。カウレスは、それを手にとって適当に流し読みをした。

 そして、新聞を畳むと、バーサーカーに告げる。

「バーサーカー。俺、ちょっと姉さんを助けてくる。お前は、要塞を守っててくれ」

「?」

 意図が掴めないまま、バーサーカーは頷いた。やはり高次の思考ができないからか、疑問を抱いても、深く考えることはしないらしい。

「大丈夫だ。あの姉さんがそうそう後れを取るはずがないし、真っ当な魔術師なら、二対一の状況は避けるだろう」

 希望的観測、とは思わない。

 それは魔術戦でのある種のセオリーだからだ。

 カウレスは直接的な戦闘能力はないが、自分の存在を利用してハッタリを仕掛けることくらいはできる。

 

 カウレスの見た新聞記事。

 そこには、ルーマニア全土を揺るがす大量殺人事件が、センセーショナルに報じられていた。

 

 

 

 □

 

 

 

 獅子劫とセイバーは身を潜めていたトゥリファスを離れてシギショアラにやって来ていた。

 寝床にしていたカタコンベではなく、他人が宿泊していたホテルの一室を暗示で占拠してのことだ。シギショアラは観光地として有名で、小さなホテルのベッドでもそれなりのものを用意していた。カタコンベで安物の寝袋に包まれるという生活を送っていたセイバーは、当然のように嬉々として真っ先にベッドを占拠し、その所有権を主張した。獅子劫はこれがあのモードレッドなのかと疑わしくなったが、二つあるベッドの片方だけの所有権を主張しているだけなので、特に文句を言うこともなく承諾した。

 その結果、獅子劫はセイバーのベッドに腰を下ろすだけで文句を言われることになったが、それもまた特に非難することでもないので、適当に相槌を打って受け流した。

 本格的に二人が行動を始めたのは、その翌日である。

 獅子劫は魔術協会からの指示を受けて、シギショアラの調査に当たることになったのだ。

 なんでも、魔術協会から派遣されているサポート役の魔術師たちと連絡が取れなくなったというのだ。このサポート体制はしっかりとしていて、以前行われた“黒”のセイバーと“赤”のランサーとの死闘も具に観察し、貴重な情報を獅子劫たちに送り届けていた。

 戦地に送られるということで、能力もそれなり以上の魔術師を選抜していたはずなのだ。それが、一斉に連絡を絶った。

 何かあると思った魔術協会は調査を獅子劫に依頼し、こうしてシギショアラにまで出向いているのだが、犯人の目星はここに来る前にすでについていた。

「“黒”のアサシンか。どんなヤツなんだろうな」

 獅子劫はポツリと漏らした。

 現在、獅子劫が確認していない唯一のサーヴァント。それが、“黒”のアサシンだ。魔術師狩りの目的は、魔力補給だろう。獅子劫が確認した遺体は、すべて心臓が綺麗に切り取られていた。この心臓を摂取して、足りない魔力を補っているのだ。

「ハッ、なんにしたって真っ当な英霊じゃねえだろうよ」

 忌々しそうに吐き捨てるセイバーは、“黒”のアサシンの所業に呆れるやら怒るやらで大変そうだ。

 “赤”のサーヴァントはすべて揃っていて、魂食いもしていないというのはシロウ神父から確認が取れている。“黒”の陣営は、アサシン以外はすべてミレニア城砦の中に篭っているので、どう考えてもシギショアラで蛮行をしているのは“黒”のアサシンということになる。

「アサシンの癖にここまで目立つことをしてんのは気になるが……」

「そこまで頭が回らねえ暗殺者ってことだろ。気にすんなマスター。暗殺者程度に遅れは取らねえよ」

「まあ、そうだろうがな」

 気をつけるべきはセイバーではなく、獅子劫なのだ。

 アサシンのクラスはマスターの天敵とされるクラスだ。気配を消して近づいてきて、背後から首を刎ねに来る。総じて戦闘力は低いが、その特性から厄介であることに変わりはない。如何に強力なサーヴァントでも、マスターを失えばそこで終わる。聖杯戦争は、自分だけが生き残ればいいという類ではない。事実、アサシンを召喚したマスターが三日で亜種聖杯戦争を終わらせたという記録も残っているくらいだ。

 それでも、獅子劫がこうして我が身を曝して夜のシギショアラを練り歩いているのは、今の状況下ではほぼ確実に獅子劫を狙ってアサシンが現れるだろうと予測したからである。

「本当に出るのか、マスター?」

「たぶんな。連日連夜の殺人事件で人通りもない。効率よく魔力を得ることができる魔術師はもう全滅状態。今のアサシンはエサに餓えてる」

「はあ、なるほど。つまり、マスターは餓えたアサシンから見ると高級ステーキに見えるってとこか」

「なんだ、食いたいのか」

「何、食えんの?」

「アサシンを獲ったら考えてもいい」

「マジで!?」

 セイバーは兜の奥で目を爛々と輝かせる。

 そして、セイバーは大剣を夜闇に突きつけ叫ぶ。

「来いよ! アサシン! 隠れてないでかかって来い!」

 人気の消えた路地に、セイバーの大音声が響く。

 それから、静寂が戻ってくる。

「……」

「なんだよ」

「いや、元気があるのはいいことだと思ってな」

「……」

 セイバーは何も言わずに剣を降ろした。もしかしたら、調子に乗りすぎたと今さらながらに恥ずかしがっているのだろうか。

 しかし、次の瞬間、セイバーは鎧を揺らして剣を構えた。

「なんだ、どうした」

「悪い、マスター。集中させてくれ」

 セイバーの第六感が警鐘を鳴らしているのだ。

 獅子劫は何も感じない。だが、セイバーには『直感』のスキルがある。彼女が危険を感じているということは、十中八九何かが潜んでいるということだ。獅子劫も、手持ちのショットガンを用意して襲撃に備える。

「霧が出てきたな……」

 獅子劫は呟く。

 遮蔽物のない直線上の路地は、遠くまで見通すことができていた。しかし、今、獅子劫たちを囲むように霧が立ち込めてきたのである。

 あまりにも唐突な霧の発生。自然現象ではありえない。

「ッ――――セイバー。吸うな。毒だ!」

 獅子劫が気付けたのは、対魔力の高いセイバーと異なり、霧の影響をそのまま受けてしまったからだ。

 喉と鼻腔を焼くような痛みが走る。

 獅子劫は魔獣の革から作ったジャケットで口と鼻を守る。ジャケットを通して息を吸うと、僅かにだが呼吸が楽になった。

「まずいな。とにかく、この霧を出るぞ、マスター」

 セイバーは獅子劫の手を引いて走り出した。

 この霧は魔術というよりも宝具に近い。間違いなくアサシンの能力だろう。ただでさえ気配を消すスキルを持っているアサシンが姿を消す宝具を持っているのだ。この霧の内部は、アサシンのテリトリーに相違ない。

 幸い、セイバーが持つ『直感』のスキルは霧による視覚への影響をほとんど無視するレベルに達している。霧の領域をどのように走れば抜けられるか、勘ながら分かっていた。

 正しい道を、最速で駆け抜けたお陰か、霧は次第に晴れてきた。

 脱出に成功したのは確実だ。ならば、この次に備えなければならない。これがサーヴァントによる攻撃である以上は、これだけで終わるわけがないのだ。

「抜けたぞマスター!」

 セイバーの宣言に、獅子劫は大きく息を吸って喘いだ。新鮮な空気を吸い込んで、思考をクリアにする。安堵が胸に広がる瞬間を、狙い済ました斬撃が襲う。

「あ……」

 キン、と甲高い音と共に、地面に斬られたナイフの先端が落ちた。

 獅子劫が振り返ると、そこには少女が立ち尽くしていた。

 すぐ背後だ。セイバーが剣を振り抜かねば、間違いなく獅子劫は殺されていたはずだ。

 これが、“黒”のアサシン。

「斬られちゃった。酷いことするね」

「フン、お前の都合なんぞ知るか」

 セイバーは大剣を構えなおす。相手が小柄な少女であろうと、加減するつもりはない。目の前の敵は、英雄の誇りなど持たない薄汚れた殺人鬼であり、敵のサーヴァント。何よりもマスターを狙ってきた。故に、姿を現した以上、斬り殺さねばならない敵である。

「――――なんにしても、てめえは俺の晩飯だ。高級ステーキだ。さっさと首を置いていけ」

「えー、あなた、変なこと言うね。今日の夕ご飯はあなたたちの心臓でハンバーグなのに」 

 セイバーは素早く腕を振るう。予備動作なく顔面に投げつけられたナイフを籠手で弾き、次の動作でアサシンに斬りかかった。

 それを、アサシンは後方に跳んで避ける。

 敏捷値は相当高い。だが、それだけだ。このアサシンの直接の戦闘能力はセイバーに劣る。ならば、間違いなく攻めれば勝てる。

 そう確信して、セイバーは大剣の切先を眼前のアサシンに向けるのだった。




Cパート♡

 士郎は突然現れた記憶喪失の義妹の扱いに困っていた。手掛かりになるのは、彼女が持っていた一冊の本だけだ。『偽臣の書』と題されたそれを開いてみても、見たことない文字が並んでいるだけで解読はできそうにない。
 ため息をつきつつ、士郎は本を閉じた。このとき、彼は予想だにしていなかった。この出会いが、彼の運命を大きく変えることになるなどということは。

「英霊同士の戦いだって?」
 家に押しかけてきた金髪ドリルが大仰に説明する。
「そうですわ。戦いの名は聖杯戦争。あなたは千年に一度の、英霊の座の王を決める戦いに巻き込まれたんですの」
 青い本を手に、彼女は宣言する。
「本を渡してくださいまし、シェロ。あなたを傷付けたくはありません」
 戦いは加速していく。
 士郎とイリヤはたくさんの敵と戦い、たくさんの仲間を得る。

 迫り来る強敵たち。
「王の威光を股間の紳士に!」
「チャーグル!」
 黄金の敵の股間が黄金に輝く!
「フィオレE.O.のE.O.はE.O.(イスに代わっておしおきよ)のE.O.ですよ!!」
 特に理由のない暴力がアーチャーを襲う!
「イリヤスフィール。座に戻ってくるときは、メロンの種を持ってきてください」
 清廉な騎士は、イリヤにそう言い残して消える。
「ディルムッド様だわ」
「ディルムッド様よ」
「ハハハ、ラガッツァ&バンビーナちゃんたち、そんなに慌てて、いったいどうしたんだい?」
「そんなことより、わたしのおっぱいもいでみて」
「いいのか~い?」
 

「わたしたちのママが今の座の女王なの」
 イリヤと同じ顔をした敵の正体とは!?
「戦うよ、お兄ちゃん!」
「おう!」
 イリヤは激闘を駆け抜ける。
「わたしは優しい女王様になるんだからーーーーーーーー!!」
「第一の術、フォイア!」
 
 


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十三話

 “赤”のセイバーと“黒”のアサシンの戦いは、アサシンの牽制をセイバーが弾き、セイバーの斬撃をアサシンが距離を取ってかわすという一連の流れに終始していた。

 アサシンはセイバーに近接戦で勝てないことを理解していたし、何よりもセイバーの重装甲がアサシンの攻撃の一切を弾き返してしまう。

 それに鎧も厄介だが、その内側――――すなわち、セイバーの肉体自体も、かなりの耐久力があるようだ。猪突猛進な攻め方は合理性を欠いているようでいて非常に理にかなったものであり、アサシンは隙を作るためにナイフを投じるも、蚊に刺された程度のダメージも与えられない。

 それでも、アサシンがセイバーと戦えているのは、セイバーが常に獅子劫を背に庇わねばならない位置にアサシン自身がいるからだ。

 彼女の攻撃をかわせば、獅子劫にナイフが届いてしまう。

 よって、セイバーは獅子劫との位置関係を常に意識せざるを得ず、アサシンを問答無用で斬り殺すことができないでいた。

「ちまちまちまちまと面倒なことばかりしやがってッ。ビビッてんのか!?」

「ビビッてる? そんなことないよ。実力差を正しく把握して戦うのはじゅーよーな戦術でしょ」

 舌足らずな言葉回しで、アサシンは嘯く。

 コイツ、とセイバーは内心で舌打ちをする。

 このアサシンは頭が回る。

 セイバーが敵を正面から打ち砕き、喰らい尽くす虎だとすれば、アサシンは、罠を張り、弱所を探り、確実に敵の息の根を止める蜘蛛だ。

 まともにセイバーとぶつかる愚を避け、セイバーの唯一の弱所であるマスターを常に狙える位置を取ろうとしている。

 虎だろうがライオンだろうが関係ない。サーヴァントであれば等しく致命的な弱所を抱えている。マスターは人間で、マスター失くしてはサーヴァントはこの世にいられない。そして、強大なサーヴァントほど、マスターの不在は早く強烈に影響する。マスターはサーヴァントにとって露出した心臓に等しい。非力なアサシンでも、マスターを狙えば聖杯大戦を勝ち残ることは十分にできるのである。

 アサシンはセイバーの剣が威力を発揮する圏内に入ることを避け続け、獅子劫を射線上に捉える形でナイフを投げる。セイバーは否応なく、足を止め、剣と身体で獅子劫を庇わねばならなかった。

 これが、真っ当な英霊であれば、このような手は使わない。

 英雄の誇りがそれをさせないからだ。だが、このアサシンに誇りなどという高尚なものはない。純粋な殺人鬼であるアサシンは、相手の隙を突き、弱所を突き、勝利のために手を汚す。そこに抵抗を覚えることはなく、セイバーが抱く英雄の誇りすらも使えると思えば利用する狡猾さを持っている。

「わたしたちの霧の中でそんなに動けるんだ。すごいね」

「ぬかせ、アサシン」

 アサシンが蜘蛛ならば、この霧は蜘蛛の巣だ。獲物を捕食するための小道具であり、アサシンが十全の力を発揮するための土俵である。

 霧に隠れたアサシンは姿が捉えられず、声も反響して位置が割り出せない。時間をかければ獅子劫が霧にやられてしまうということもある。

 おまけに、この霧にアサシンの『気配遮断』のスキルが加わって、アサシンの居場所がますます分からなくなっている。通常の『気配遮断』は攻撃行動に出ると大幅にランクが落ちて、位置を特定できるのだが、霧に隠れたアサシンは常に気配を絶っている。

 セイバーは憎憎しげに、鎧を鳴らした。

「ああ、そうか。あなた女の人だ」

 どこからか聞こえた声に、セイバーは歯軋りする。

「だったらなんだってんだ?」

「だったら、ね」

 その時、セイバーの総身を駆け抜けた感覚は、悪寒と形容するのも生ぬるいものだった。まるでナメクジが背筋を這うような不快感。『直感』が警鐘を鳴らしているのだ。一瞬を読み間違えば、そのまま死に直結すると。

 つまりは、宝具か。アサシンの言葉からセイバーは自身に致命的な何かを読み取った。

「ハッ。だから、舐めんなよ、殺人鬼」

 しかし、セイバーは怖気づくことなく言い放つ。

 致命的? それがどうした。その程度のことなら、生前にいくらでも経験してきた。ガウェインを討ち、アーサー王と半ば相打って、ブリテンの栄華を終わらせたモードレッドが、今さらこんな小さな暗殺者に殺されるなど、天地がひっくり返ってもありえない。

「赤雷よ」

 セイバーの全身から鮮血のような雷撃が溢れ出す。

 霧が邪魔なら吹き飛ばせばいい。

 まさに雲散霧消。黄ばんだ霧は、セイバーの赤が塗り潰し、夜闇に散った。

 残ったのは、セイバーの前にぺたんと座り込むアサシンだけだ。

「終わりだな、アサシン」

「やだよ。まだ、お腹空いてるもん」

 駄駄を捏ねるように、アサシンは肉斬り包丁を構える。セイバーは上等、と剣を突きつけた。

 霧が晴れたことで、セイバーを苛んでいた悪寒も消えた。どうやら、霧の中にいるのがまずかったらしい。万全の状態に戻ったセイバーにはアサシンを一撃で斬り殺す自信があった。

 距離を取った獅子劫は物陰に身を隠し、広範囲に人払いの結界を敷いた。大都会のメインストリートでも、人気を絶たせるほどの強い人払いだ。建造物への被害を考えなければ、思い切りぶつかることができる。

「んじゃ、終わりだステーキ」

 適度に警戒しつつ、セイバーは一気呵成に攻め込んだ。

 アサシンが再び霧を構築する前に、有利な状況で打ち倒しておこうと考えるのは当然のことだ。もともと、セイバーはこそこそと策を練るのは好きではない。目の前に敵がいるのなら、叩き潰す。単純明快な戦術が好みである。

 一方のアサシンは、もはや逃げることは許されず、セイバーをなんとしてでも乗り越えなければならない。この戦いが敗北必至だというのはさすがに理解していたし、生き残るためにはセイバーを倒すまでは行かなくとも撤退する隙を作り出すことが必要だと分かっていた。

 故に、アサシンはセイバーに全力で挑まなければならない。そうでなければ、アサシンはセイバーに傷一つつけることはできないのだから。

 狙うは唯一刃が通りそうな首。鎧と兜の隙間から、刃を滑り込ませるしかない。

 幸い、アサシンにはその技量がある。セイバーの剣を潜り抜け、ナイフを振るう。

 そのための加速を得るために、アサシンもまた前に出る。高い敏捷性を駆使した走り出しは、それだけで陸上の世界記録保持者を追い抜くことができるほどだ。

 人間にとっては一瞬、しかし当事者にとっては無限とも思える刹那の時間。

 敵の状態、位置、能力、現状、あらゆる要素を感覚で把握し、計算し、セイバーは勝利を確信する。一秒もかからず目の前の殺人鬼の首を刎ねることができる。――――しかし、それと時を同じくして、セイバーは己の死を自覚した。

 アサシン、ではない。

 別の誰かが、遠距離からセイバーを狙っている。考えられるとすれば、投擲か狙撃。ランサーかアーチャーだ。

 セイバーはアサシンを無視して身体を捻る。『魔力放出』で急激に進路を変える。無理な挙動で身体が芯から悲鳴を上げるが、気力でねじ伏せる。

 アサシンは『魔力放出』の煽りを食らってひっくり返る。

 ちょうどその時、そのままではセイバーとアサシンが激突したであろう箇所に一振りの剣が突き立ち、炸裂した。

 

 

 

 ■

 

 

 

 射った()は狙い通りの地点に着弾した。

「どうですか?」

「失敗したようだ。さすがにセイバー。勘が鋭い。直前で、回避を選択したようだ」

「アサシンのほうは?」

「そちらも仕留め損ねた。セイバーの『魔力放出』が彼女を押し戻してしまったようだ」

 アーチャーとフィオレは、“赤”のセイバーと“黒”のアサシンとの戦いを、高所から俯瞰していた。シギショアラの名所の一つである時計塔は高さ六十四メートルを誇り、四方を見渡すことができる位置にある。アーチャーとフィオレの二人は、この時計塔の尖塔の上に立っているのだ。

 アーチャーの報告を受けてもフィオレは特に非難することはなかった。もともと、サーヴァントをこれだけで倒せるとは思っていない。倒せれば僥倖。そうでなくても手傷くらいはと期待していただけである。

 尖塔の上を吹き渡る風は強い。常人ならば、バランスを崩して地に落ちる。サーヴァントであるアーチャーがこの環境を物ともしないのは当然として、フィオレはどうだろうか。

 彼女は先天的に足が動かない。ここには車椅子が入る余地もなく、本来ならばフィオレがこの場にいるということがありえない。

 しかし、それは常のフィオレであればだ。今のフィオレは戦いに臨む魔術師としてのフィオレだ。彼女の車椅子は時計塔の下の階に置いてきている。その代わり、彼女の手足となるのは接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)。一見するとそれは四足の蜘蛛を思わせる奇怪な金属腕の集合体である。

「アサシンは撤退を決めたようだな。どうする」

「では、当初の予定通り、“赤”のセイバーとの戦いに移行しましょう。わたしは獅子劫界離の相手をしますので、あなたはセイバーを」

「了解した、マスター」

 アーチャーは弓に矢を番えてセイバーを見る。七つあるクラスの中で最も視力がいいアーチャーは、ここからでもセイバーの顔を視認できる。

 どういうわけか、セイバーは兜を外していた。露になった顔は怒気を孕み、溢れる魔力が赤雷となって身体から漏れ出ている。

「……ッ」

 僅かに、アーチャーが動揺したのをフィオレは感じ取った。

「どうしましたか?」

「いや、なんでもない」

「そうですか」

 また何か隠している。そんな気がしてフィオレはムッとする。だが、それは今追及するべきではない。後々尋ねればいいだけのこと。今は、目の前の戦いに集中しなければならない。

「では、御武運を、アーチャー」

「そちらもな」

 そう言って、フィオレは時計塔を辞した。“赤”のセイバーを迂回して、獅子劫界離に向かう。

 フィオレを見送ってから、セイバーを睨む。どうやら、向こうもこちらと戦う気が満々なようだ。

「まさか、君と戦うことになろうとはな」

 アーチャーの言葉は誰に届くこともなく風に流れていく。

 彼の顔に浮かんでいるのは戸惑いと憂い。

 アーチャーは“赤”のセイバーの真名を知っている。忘れることなどできない。彼女(・・)との出会いは、戦いの果てに磨耗していった記憶の中に於いて色褪せることなく燦然と輝いている。

 戦い方、言動。過去に対峙した時のそれから考えれば、同一人物ということはありえない。ならば、彼女と同じ顔を持つあのサーヴァントの正体は一つに絞られる。

 セイバーは自分の真名を秘匿するスキルか宝具を持っているようだが、アーチャーの記憶にまでは干渉できなかったようだ。不用意に素顔を曝したのは失敗だったということだ。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 “赤”のセイバーはマスターである獅子劫界離が呆れるくらいにあからさまに不機嫌だった。

 怒り心頭といった様子で時計塔のほうを睨みつけている。

「おい、マスター。また、あのアーチャーだぞ」

「ああ。まさか連中もここに来ていたとはな。どうする?」

「当然、ぶっ殺す。食い物の恨みは恐ろしいってことを、骨身に教え込んでやらあ」

「ダメだっつっても聞かないんだろう。いいぞ、思う存分やっちまえ」

「よっしゃあッ!」

 ドン、とセイバーは地面を踏みしめ、アーチャーの下へまっしぐらに駆けて行く。弓兵相手に正面から挑むのは愚策と言う外なく、あのアーチャーにはかつて一度痛い目にあわされている。それでも、セイバーはアーチャーに挑みかかる。

 そして、獅子劫もまた戦いの気配を感じ取っていた。

 おそらくはアーチャーのマスター。セイバーをアーチャーが引き付けている間に、自分を討とうという腹だろう。

 とするとこのマスターは“黒”のマスターの中でも実力者であるフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアと当たりを付けることができる。ダーニックはおそらくはランサーのマスターであろうし、ゴルドはすでにセイバーのマスターだということが判明している。残りのメンバーもゴーレム使いのキャスターのマスターが同じくゴーレム使いのロシェであると予想するのは当たり前のことで、そうなると残りの“黒”のマスターで直接前線に赴いて戦いそうな魔術師はフィオレ以外にいない。

「やだねえ、まったく」

 魔術師ならば情を排して戦うのは当然のこと。しかし、それでも歳若い少女と戦うというのは好ましいものと思えなかった。

 

 

 

 “黒”のアーチャーが驚異的な能力の持ち主だということは、“赤”のセイバーとて熟知している。

 セイバーの初戦の相手がアーチャーであり、その際に対軍宝具並の矢と鉄壁の守りを実現する双剣術を披露して見せた。

 その戦いは終始セイバーがアーチャーの手の平の上で踊らされるという展開になってしまい、最後まで決着をつけることができなかったということも相まって、今思い返しても腹が立つ思いだ。

 夜闇を割き、矢が襲い掛かってくる。

 これは、以前見た剣のような矢と異なり、通常の矢である。しかし、それは見た目だけ。威力は鉄板を易々と貫き、地面を掘り返すほどである。無論、そんなものはセイバーの分厚い装甲を前にしては豆鉄砲も同然である。

 矢の威力は、セイバーの鎧の薄い部分であれば貫通。胸部などの重装甲の部分では確実に防げるといったところか。速度は軽く音速以上。連射速度は秒間五矢以上。正確性は折紙つき。――――だが、それだけだ。

「俺を射殺したければトリスタン以上でなければ無理だぞ、アーチャー」

 そう嘯きながら、セイバーは剣を振るい、ジグザグに走って矢をかわしていく。普通ならば、この時点で蜂の巣になっているはずだが、最優のサーヴァントの誉れ高いセイバーには大した脅威にもならない。

 もっとも、アーチャーの弓の技量がトリスタンに及ばないということはないだろう。

 どこの英霊か分からないが、セイバーの知るなかで最高の弓の使い手に匹敵する怪物だということは正しく理解している。セイバーは自信家だが、敵の技量を低く見積もる愚者ではないのだ。

 セイバーを近寄らせまいと、放たれる矢。殺す気がないのなら、どれほどの無謬の技であっても恐ろしくはない。

「舐めてんのか、アーチャー……!」

 殺意のなさに苛立ちが募る。

 だが、次の瞬間にそれがまやかしであると悟った。

 不意に矢が途絶えた。

 一拍の後に、いぶかしむセイバーの視界を無数の剣が覆い尽くした。

「なんだそりゃッ!?」

 思わず叫ぶ。

 数え切れないほどの剣が空から切先を下にして落ちて来る。

 アーチャーの矢に力が篭っていなかったのは、こちらに力を割いていたからか。

 それはまさに剣の雨。鋼色の龍の顎だ。

「ッ……やべえッ」

 セイバーの顔に危機感が浮かぶ。

 剣は矢よりも重い。

 その単純な理が、セイバーの鎧を貫けるか否かを別つ。

 それに加えて、このアーチャーの剣は爆発する。

 それを知っているからこそ、セイバーは剣の雨から距離を取ろうとする。だが、左右は建物に塞がれていて逃れられない。

 判断は一瞬。

「オオォッ!!」

 セイバーは両手で大剣の柄を握り、一閃した。

 紅き雷光が、豪風となって剣雨を迎え撃つ。

 輝かしい破壊の閃光が、シギショアラの夜闇を払った。

 広がる爆炎は、純粋な魔力の塊だ。

 宝具ではないただの剣でも、数百からなる剣を同時に爆破すればそれなりの威力にはなる。

 しかし、“赤”のセイバーを仕留めるにはやはり足りない。

 閃光の中から無傷で生還を果たしたセイバーは、今度は自分の番だとでも言うように、猛烈な加速で以て時計塔に接近する。

 アーチャーが大技に力を消費したこの瞬間を狙い済ましたかのように、赤雷の粉を振り撒いて爆発的に加速する。『魔力放出』を加速に用いているのだが、その加速力は今までの比ではない。兜を外したことで、そこに消費していた魔力を加速に流用したのである。

 瞬く間にセイバーはアーチャーの足元にまで辿り着いた。

 残るは時計塔の六十四メートルを走破するだけ。階段を使うなどという常識的な手段は取らない。必要な歩数は十二歩。よじ登るのではなく二本の足で駆け上る。セイバーは勢いのままに時計塔の外壁を駆ける。さながらミサイルのようだ。

 そして、アーチャーは予定通り(・・・・)に事が運んだのを見て取ってほくそ笑む。

 セイバーの目に、アーチャーの笑みが映ることはなかった。

 なぜならば、セイバーの眼前には巨大な壁が立ちはだかっていたからだ。

「んなッ!?」

 突然現れた壁の正体は、人をすっぽりと覆い隠せるほどに大きな円形の楯だ。

 血のように赤い半透明な楯は、そこに込められた魔力から宝具の類だとすぐに察せられる。

「ぐ……ッ!」

 そして、セイバーは楯に激突した。さすがに宝具にまで昇華した楯を体当たりでぶち抜くことはできない。勢いを削がれたセイバーは、そのまま重力に引かれて地面に向かって墜ちていく。

 『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)

 アーチャーが持つ防御系宝具の中でも最硬の楯である。

 今回は七枚ではなく、敢えて不完全な四枚の楯に抑えた。

 理由は一つ。

 完全な『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』は、他の宝具と併用するには、負荷が大きすぎるからだ。

 セイバーが時計塔を駆け上ってくるというのは、当たり前のように知っていた。かつて、似たような光景を目の当たりにしていたからだ。

 それに、このセイバーの性格なら勢いのままに行動するだろうとも思っていた。

 アーチャーは弓に捻れた剣を番える。

 楯が消え、視界が広がったセイバーは、それを見て背筋を凍りつかせた。

 ――――あれはまずい。

 今までの矢の比ではない。桁外れの魔力。総身を駆け抜ける悪寒は、形振り構わず回避せよと命じてくる。

 足場を失った今、セイバーにできるのは『魔力放出』による瞬間加速だけだ。

「ではな、モードレッド」

「な……」

 アーチャーの呟きを、セイバーの耳が確かに捉えた。

 サーヴァントの常軌を逸した知覚力が、仇になった形だ。

 なぜ、ヤツがオレの真名を知っている?

 その僅かな驚愕が、セイバーに回避に必要な時間を消費させた。

 チクショウ、と毒づきたい気持ちを抑えて、セイバーは生き残るために最後の手段に打って出る。

 半ば、身体が勝手に動いたといっても過言ではない。

 メキメキと音を立てて、セイバーの大剣が形を変える。変化は一瞬。輝かしい剣は禍々しい魔剣へと変貌した。

 そして、互いの殺気が限界まで到達する。

 空間すらも歪める魔力の激突の中で、

偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)!」

 アーチャーが矢を解き放ち、

我が麗しき父への反逆(クラレント・ブラッド・アーサー)!」

 ほぼ同時に、セイバーが宝具を解放した。

 

 

 

 凄まじい威力だ。

 アーチャーはセイバーの宝具を間近に見て冷や汗をかいた。

 追い詰めておきながら、最後の最後で危うくアーチャーは蒸発させられるところだった。

 時計塔は崩落。

 瓦礫をブーツで踏み鳴らし、アーチャーは目前のセイバーと向かい合った。

「アーチャー……ッ」

 セイバーが怒るのも無理はない。

 敬愛し、憎む彼女の父の名を持つ宝具を回避のために使用させられたのだから。アーチャーとしても、まさか空中で宝具の真名解放を行うとは思っていなかった。

 その剣を開放される直前、アーチャーは剣の解析に成功した。それは、セイバーの『不貞隠しの兜(シークレット・オブ・ペディグリー)』の効力が、対軍宝具の発動で途切れたからであるが、そのおかげで、アーチャーはセイバーの真名解放が対軍宝具であると即座に理解できたのである。

 セイバーを射抜くはずの『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』を壊れた幻想で爆破して紅き雷光の奔流を反らしていなければ、今頃はアーチャーのほうが致命的なダメージを負っていただろう。

 宝具のランクはA+。『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』と相殺できたのは、セイバー自身が極めて不安定な状況下に置かれており、宝具の発動に十全の力を注げなかったからか。

 それでも、アーチャーの片手に火傷を負わせるまでに至ったのだから、直撃を食らえば死ぬ以外にない。

 膝をつき、剣を支えにするセイバーからアーチャーは距離を取った。

 今のセイバーは手負いの獅子。おまけに宝具を無駄打ちさせられて怒り狂っている。こちらも負傷している上にここは平地。セイバーの土俵である。

 セイバーの真名も把握したことだし、ここで撤退しても問題はないだろう。

 そう思って、アーチャーはフィオレに撤退の意思を伝えた。





 


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十四話

 アーチャーに撤退の旨を具申されたフィオレは、その場で撤退を承諾した。

 この時、フィオレの戦いは膠着状態に陥っていた。

 “赤”のセイバーのマスターである獅子劫界離は名うてのハンターだ。基本的に研究者であるフィオレに比べれば潜り抜けた修羅場の数が違う。

 総合的な魔術師としての腕はほぼ互角と言えるだろう。加えて、魔術のセンスはフィオレの方が上なのは間違いない。だが、それは戦闘という極限の場面で活かせるものではない。勝敗は魔術だけで決まるものではない。自分の魔術を上手く使いつつ、地形であったり、その他道具を駆使したりして敵を倒すのが戦闘だ。そこに必要なのは、魔術を目的とする研究とは異なる次元の魔術行使である。

 フィオレはそれを分かっているつもりでいたが、やはり戦術家としては獅子劫の方が一枚上手だった。

 カウレスが介入しなければ、今頃はフィオレの頭はショットガンで撃ち抜かれていたことだろう。

 失態というほどでもないが、それでも“赤”の魔術師は皆ダーニックに比する実力を持った魔術師であるか、そういった相手を仕留めてきた一流の狩人だ。獅子劫は、特に魔術師が忌み嫌う現代火器すらも礼装として扱っているようだし、魔術の研鑽を目的に魔術を学んできたフィオレとは対極に位置している。

 敵がまだ切り札を切っていない可能性も捨てきれない。向こうが、こちらの礼装の欠点を知ってしまった以上は深入りすべきではなかった。カウレスも戦力には数えられない。彼のはったりが効いているうちに退くのが無難だ。

「それでは、獅子劫様。わたしはこれにて失礼します」

「逃げるのか?」

 挑発的な獅子劫の言葉。しかし、フィオレは取り合わなかった。

「次はトゥリファス――――我等が城砦にて、お待ちしております」

 そう言い残してフィオレは去って行った。

 追撃するか――――否。

 獅子劫は即座に欲目を打ち捨てた。

 カウレスという不確定要素が存在するからには、深追いは危険だ。

 最低でも、サーヴァントと合流してから追撃すべきだし、その頃にはもう敵は追いつけないところまで撤退していることだろう。

 セイバーがアーチャーを倒してくれれば、万々歳なのだが、先ほど空に撃ちあがった宝具からセイバーが宝具を解禁したことが分かる。それでいて、彼女が意気揚々と帰ってこないところを見ると、仕損じたと考えるほうがいい。

 無論、セイバーが倒されたということはありえない。そうであれば、令呪を通してそうと分かるからだ。

 サーヴァント同士の戦いも、引き分けに終わったらしい。あるいは、向こうの方が先に手打ちとなり、その結果としてフィオレが撤退したのかもしれない。

 いずれにしても、今日はここまでだ。

 獅子劫はその場にどっかと座り込み、タバコを咥えた。ライターで火をつけて、肺に煙を溜める。分かっていたことだが、やはりまずい。高級なだけで好みに合わないタバコは、なんとも言い難い無常感を獅子劫に与えるのだった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

「“赤”のセイバーの正体はモードレッド。……それは真かね、アーチャー」

 ミレニア城砦に帰還したフィオレとアーチャーは、今回のアサシンとのコンタクトを命じたダーニックに報告に上がった。

 そして、“黒”のアサシンと“赤”のセイバーの戦闘とその後の“赤”のセイバー及び獅子劫界離との戦いに関しても報告を行った。

「確かだ、ランサー」

 玉座に座るランサーからの問いに、アーチャーは頷いて肯定した。

「“赤”のセイバーは宝具を用いて、私の矢を迎撃した。その際に、例の認識阻害の効力が失われたようだな。今でもはっきりと剣の意匠を想起できる。もっとも、宝具を使われた段階で正体は知れているのだから、剣を解析するまでもないのだがな」

「なるほど。それで、宝具のランクは?」

「A+。対軍宝具だ。こちらのセイバーと同等だな」

「ほう……。だが、そうと分かれば対応も可能だ。実に有益な情報だった。ご苦労、アーチャー」

「恐縮だ。ランサー」

 アーチャーは慇懃に頭を下げる。

 アーチャーが手に入れた情報の価値は高い。

 A+ランクは、宝具としては最上位と言っても過言ではない。通常のサーヴァントが持つ宝具は平均してBランク。Aランクを超えるとなると神話級の英霊の中でも高位の英霊に絞られることになる。

 反逆の騎士として悪名を轟かせているモードレッドだが、セイバーとしての性能は非常に高い。幸運以外がBランクを超えているという数値上の事実に加えて、それを裏付ける伝説内での活躍もある。

 ガウェイン卿を討ち、アーサー王に致命傷を与えたという実績。そして、魔女モルガンがアーサー王から製作したホムンクルスであるという血統の裏づけ。

 そして、アーサー王に「剣の中の王」と評された宝剣を奪い、アーサー王と戦った。セイバーとして召喚されれば、強大な敵となって立ちはだかるのは当然と言えるだろう。

 “赤”の陣営で明確に真名が分かっているのはセイバーとライダーの二騎。真名までは分からないものの、ランサーは“黒”のセイバーと互角に打ち合える猛者であり、アーチャーは女性の英霊ということまでは分かっている。バーサーカーは捕獲してこちらのキャスターがマスター代理となっている。“赤”の陣営で姿を見せていないのは、アサシンとキャスターの二騎だ。

 だが、それは当然のことで、この二騎は前線に出てくるクラスではない。敵の本拠地で、悠然と事に構えているのか、こちらの隙を窺っているのか分からないが、共に背中を狙ってくるクラスだけに、動きが見えないのが不気味なのだ。

 フィオレとアーチャーが退出した後、ランサーの横で話を聞いていたダーニックは、脳裏に戦略図を描いた。

 サーヴァントの質では確かに向こうが上だ。それは認めざるを得ない。しかし、こちらのサーヴァントも負けているわけではない。ランサー(ヴラド三世)セイバー(ジークフリート)は共に誰もが認める英雄であり、アーチャーもジョーカーとして機能しうる。敵のバーサーカーも手中に収めた今、数的優位に立っているのは明確だ。

 現状、こちらに大聖杯があるからには敵はミレニア城砦に攻め込んでくるしかない。

 こちらから外に出なくても、向こうからやってきてくれる上に、準備には半世紀を費やした。城砦には強力な魔術が施してあり、宝具を使用されてもある程度は耐えることができる。もちろん、アサシンと雖も易々と進入することはできない。それだけの結界を敷き詰めてある。だからこそ、こちらには落ち着いて迎え撃つだけの余裕がある。

 サーヴァントの数、地形、魔力供給量ではこちらが上なのは間違いない。そして、それらは聖杯戦争を勝利するために必要な要素である。サーヴァントの質で僅かに劣るといっても、現状では有利に事を運んでいる。

 そう、恐れる必要などない。

 その時、ダーニックの身体に淡い電流のような刺激が流れた。

「ダーニック」

「はい、領主(ロード)。どうやら、来たようです」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 シロウは目を閉じて、気持ちを落ち着けるようにゆっくりと肺腑の空気を吐き出した。

 静かな気持ちで耳を澄ますと、虫の声や風の音がはっきりと捉えられる。生まれた土地とはまったく異なる異国の地。視界に映る景色もまた馴染みのなかったものだ。しかし、こうして目を閉じると、それらが些細な違いでしかないと思える。

 たとえ目に映る景色が変わろうとも、世界が自分の知らないものになったわけではない。この世は未だに苦痛と怨嗟の循環の中にあるが、それでも確かに(アガペー)はある。

 ならば、なぜこの世には救われない者が多いのか。

 神の両手は、世界中の人間を拾い上げるほどに広大なはずなのに。

 シロウはゆっくりと目を開けた。

 開けた視界には、満天の星空が広がっている。

 田舎町だからだろうか。小さな瞬きは、くすむことなく明瞭に輝いている。

「さて、瞑想は済んだかの、我がマスター」

「アサシン。いつからそこに?」

「小一時間ほど前か。いつ気付くかと思っておったのだがな」

 クックとアサシンは何が楽しいのか喉を鳴らして笑った。

「意地が悪いですね、アサシン。まったく気が付きませんでしたよ」

「何、我はアサシン故な」

 アサシンの『気配遮断』スキルはサーヴァントの知覚力すらも欺くことができる。攻撃態勢に移らない限りは、あらゆる敵に忍び寄ることができる。いくらシロウが聖堂教会に属する者だとはいっても、彼女が本気で隠れた場合、気付くことは不可能だ。

「気を付けよマスター。我が敵のアサシンであったなら、今頃マスターの首は落ちておるぞ」

「そうですね。ありがとうございます」

 シロウは、アサシンの脅し文句に臆することなく悠然と微笑んだ。

「それに、そのことはあまり気にする必要もないでしょう。“黒”のアサシンは、“黒”の意思とは無関係に行動していると言いますし」

 “赤”のセイバーが“黒”のアサシンと“黒”のアーチャーと交戦したということは報告されていた。その際、アサシンをアーチャーが攻撃したということ、さらに魂食いの犯人がアサシンであるということからも、アサシンは独自行動を取っていることが分かる。

「“黒”の連中は飼い犬に手を噛まれたか」

「どうやら、そのようですね」

 あるいは、そもそも別人がマスターになってしまったのか。可能性としてはそちらの方が高そうだ。

「そのアサシンが侵入してくるやもしれぬが?」

「その時は仕方がありません。あなたに助けてもらう他ないですね」

「……」

 アサシンは口篭った。

 シロウは彼女のマスターだ。故に、シロウの身に危険が生じた場合、アサシンが助けなければならないのは当たり前のことだ。

 それでも世界最古の毒殺者である自身をこうも真正面から信頼しているように言われてしまうと、聊か毒気を抜かれてしまう。

 正直に言えば、やりにくい。

 アサシンにとって、男とは唾棄すべき醜悪な存在である。女を前面に押し出せば容易に手の平の上で転がる程度の獣でしかない。ところが、この少年にはそういった我欲が一切ない。ただただ一心に、信念を守り、目的のために邁進している。その目的すらも我欲とは呼べないモノだ。

「つまらんのう、マスター。聖杯は目の前にあるというのに、権力にも金にも女にも興味がないとは」

「こういう人間なもので。それに、そんなものに執着するマスターであれば、真っ先にあなたに殺されていたのではないですか?」

「クク、よく分かっているではないか」

 アサシンは、愉快げに笑う。

 彼は、アサシンの知らないカテゴリーにある人間だ。少なくとも、アサシンの定義する「男」とは異なる立ち位置、精神性の持ち主である。

 そのためか、不思議と男性でありながら不快感がない。

「ところでアサシン。あなたが、ここにいるということは……」

「準備はすでに整っておる。いつでもいけるぞ」

 アサシンは艶美な表情で自慢げに微笑んだ。

 

 

 玉座の間に到着すると、そこにはすでに二騎のサーヴァントがいた。ただし、待っていたというほど殊勝な表現は使えない。

 自由気侭に自堕落に、各々が適当に活動した結果ここに行き着いたというだけであろう。

 アーチャーは自分で仕留めた動物の肉を串に刺して焼いて食べているし、ライダーは寝転んで天井を見上げている。

 シロウは特に何も苦言を呈することなく、ランサーとキャスターの所在を尋ねた。

「あー、ランサーはなんかボケッと外を眺めてたぜ。キャスターは工房だ」

「ありがとうございます」

 シロウは礼を言って、残る二騎を呼びに行こうとした。

「まあ、待て。マスターよ。わざわざ呼びに行くまでもなかろう。我が念話で呼び出せば済む話だ」

 アサシンは暗殺者ではあるが、同時に高位の魔術師だ。彼女の固有スキル『二重召喚(ダブルサモン)』は、二つのクラス別スキルを併せ持つことができるという破格のスキルだ。このスキルのために、アサシンでありながらキャスターの能力も保有しているのである。彼女は伝説上に於いても強力な魔術師として描かれる。キャスターとして召喚されてもおかしくない英霊である。

 まず、アサシンの念話を受けてやってきたのはランサーであった。

 背の高い、黄金の鎧を纏った精悍な顔つきの若々しい男である。ただ、寡黙で表情の変化が乏しいために、趣味嗜好が分かりにくい。無駄口を叩かず、ひたすら黙然と任を全うする気質の人物である。

「呼び立ててしまって、すみませんね」

「構わない。何かあったのか?」

「それは、もう一人が来たらお話しします」

 それから、たっぷり五分。時間に遅れても堂々と、悪びれる様子なくキャスターは玉座の間に入ってきた。

「ハハハ、申し訳ない。ついインスピレーションが湧き上がってしまいましてな」

「執筆作業は順調ですか?」

「ええ、マスター。この聖杯大戦。実に刺激的です。『まったく想像力でいっぱいなのだ。狂人と、詩人と、恋をしている者は』」

 実に楽しそうに、キャスター――――ウィリアム・シェイクスピアは語る。

 おそらくは、今回の聖杯大戦で召喚されたサーヴァントの中でも随一の知名度を誇るサーヴァントであろう。中世ヨーロッパを席巻した偉大なる劇作家。知らぬ者のいない偉人である。

「ところで、マスター。この時代には確かキーを打つと一文字打てる機械が発明されているそうですね」

「パソコンのことですか?」

「そう、それです。できれば都合していただけないでしょうか?」

「分かりました。明後日までには都合をつけましょう」

 この答えにキャスターは満足そうに頷いた。

「キャスター。お主、聖杯大戦を忘れるでないぞ」

 執筆意欲に溢れるキャスターをアサシンがため息交じりに嗜める。

「当然ですとも。アッシリアの女帝殿。我輩、これでもサーヴァントたるの役目を忘れたわけではありませんぞ」

「ならばよいがな」

「ともあれ、我輩。魔術だの戦闘だのは門外漢でして、皆様の激闘を記録することが我輩の役目と心得ております」

「お前、キャスターだろう」

 ライダーが堪りかねて呟いた。

 キャスター以前に、サーヴァントとして論外の心構えである。彼は当事者でありながら他のサーヴァントたちとは異なる立ち位置に身を置いている。戦えないサーヴァント。世界中で名を知られており、その知名度補正は最高でありながら、戦闘に関する能力を一切持たない彼は、文字通り最弱のサーヴァントである。そもそも、魔術に関する逸話を持たないキャスターというのが前代未聞である。

「まあ『しかし神々は我々を人間にするために、適当な欠点を与えてくるものです』。それが我輩にとっての魔術だったり、戦闘力だったりするわけです」

「こともあろうに、最も必要なモノではないか」

 アサシンは頭痛がするとでもいうように額に手をやった。

 男は総じて愚か。その意見を覆すつもりはないが、それでもこのキャスターに比べればまだマシに思えてくる。あるいはこれほどに飛び抜けていたからこそ、歴史に名を残したのか。サーヴァントには、一癖も二癖もあるのが常だが、このキャスターもその点に関しては例に漏れないらしい。

 いつまでもキャスターの相手をしているわけにもいかない。アサシンは他のサーヴァントたちに向き直った。

「まあ、あれはあれでよい。とにもかくにもまずは開戦よ。我等の準備は整った。敵は城砦から出てくることはなかろう。小競り合いに耽るのも飽いた頃合であろうし、そろそろ、こちらから攻め込むとしようではないか」

 アサシンの言葉に、ライダーとアーチャーが目の色を変える。英雄らしい英雄であるライダーも狩人として名高いアーチャーも、小競り合い程度の戦いで満足するような英霊ではない。己の技量を余すことなく注ぎ込んで、敵を討ち果たして初めて満足するのである。それほどの強敵が、目の前にいる。特にライダーは自分の身体に傷を付けることのできる“黒”のアーチャーを打倒すべき敵と見定めている。攻め込むという言葉に否やはない。

「ああ、やっとですな。我輩、この時を待ちに待っておりましたとも! 『期待はあらゆる苦悩のもと』。我輩、この数日、期待という名の苦悩に苛まれておりました! 血湧き肉踊る英雄豪傑たちのドラマが待ちきれぬと!」

 キャスターが歓喜の声を上げる。

 ライダーとアーチャー、そしてランサーもまた来るべき戦いの気配を感じて顔付きを険しくした。

「ところで、女帝殿。攻めるといっても、敵もまた城砦に篭ったまま。はてさて、如何にして攻めるおつもりですかな? 『まず計画はよく行き届いた適切なものであることが第一。これが確認できたら断固として実行する』。実行するのは大いに結構ですが、計画としてはどのように?」

「キャスターも、偶にはまともなことを言うんだな」

 ライダーは意外なものを見るかのようにキャスターを見つつ、アサシンに尋ねる。

「それで、どうなんだアサシン。見た感じ、こっちも向こうに負けず劣らず亀みたいに立て篭もっているように見えるが?」

 “赤”の陣営は、アサシンが用意した巨大な城を本拠地としている。これが、アサシンの宝具なのは当然に知っているが、具体的な能力までは分からない。

 唯一、この城の正体を知っているキャスターだけが、目を輝かせて、やはり、としきりに頷いている。

 アサシンは、にやりと笑った。

「立て篭もる? それは違うぞライダー。我のこの宝具はそもそも、攻め込むためのモノなのだ」

 アサシンの言葉を理解できなかったのか、ライダーは首を捻る。

 彼の常識としては動く建造物は『トロイの木馬』程度しかない。それも、ライダーの死後の話である。具体的に、これほど巨大な建造物が移動する様子をイメージできないのだ。

「アサシン。そうもったいぶらずに、私たちにも体感させてください」

「応。マスター。お主も心が湧き立っておるの」

「これでも男ですからね」

 アサシンは苦笑しつつ、玉座の肘掛に埋め込まれた宝石に手を翳した。

 途端、大地が大きく振動した。激しい地震は十秒ほど続き、それから不意に収まった。

「そら、外を見てくるといい」

 アサシン以外の全員が、玉座の間を飛び出していく。

 アサシンが引き起こした地震の正体はすぐに知れた。

「な――――」

 外を見て、さしものライダーも絶句した。

 そこには何もなかった。

 眼下にはだだっ広い空間が広がっており、雲が異様に近い。つまり、浮遊しているのだ。

「『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』。我が宝具は見ての通りの空中要塞なのだよ」

 アサシンの宝具『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』は世界七不思議にも数えられる伝説の空中庭園である。史実に於けるそれは、現在の紀元前六〇〇年頃に新バビロニアの王ネブカドネザル二世がバビロンに建造した屋上庭園であるとされる。

 よって、本来のアサシンの宝具ではない。

 だが、二千年以上の長きに渡って語り継がれた伝説は、サーヴァントとして召喚された彼女に、この宝具を与えるに至った。人々の想念で編まれる英霊は、それによって能力にも影響を受けるからだ。

 その名に「虚栄」と付くのは、そういう意味もあってのこと。しかし、虚栄であろうとも、彼女がこの世界で現実に宝具を作り上げた今、それは実体を伴ってこの世に現れている。

 女を慰めるために建造された空中庭園は、アサシンの手によって凶悪な空中要塞へと姿を変えた。

 今まで、“赤”の陣営に大きな動きがなかったのも、すべてはこの宝具を生み出すための時間が必要だったからだ。

 サーヴァントが個人で所有するにはあまりに巨大な宝具は、場合によってはこの世で一から作り出す必要がある。

 彼女の場合は、特定の地域の木や土や石や水を集め、組み上げて長い儀式を経る必要があったのだ。

 一度起動してしまえば、もはや止めることはできない。対城宝具ですら、この宝具を前にどこまで通じるか。

 それほどの威容を振り撒いて、空中要塞はゆっくりと空を進んでいく。

「それでは、皆さん戦の準備を。この速度なら、ミレニア城砦に到着するのは一時間後と言ったところでしょう」

 シロウの言葉に、浮き立っていた空気が沈み込む。沈黙の中に、隠しきれぬ熱意があった。具体的な数字を聞いて、心が戦場に向かったのだ。

 これまでの戦いは、アサシンが言ったとおり小競り合いに過ぎない。互いに手の内を隠しつつ、探り合いながらの戦いだった。

 だが、この先に控えている戦いは規模が違う。

 正真正銘の大戦だ。

 新旧の英雄たちが入り乱れて戦う、壮絶な殺し合いなのである。

 臆するものはこの場にはいない。おそらく敵もまたそうだろう。英雄ならば、戦いに尻込みするはずがない。

 じわりとした熱気が、物言わぬサーヴァントたちの間を流れていった。

 



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十五話

 ユグドミレニアは戦術を組み立てる上で、当然のように敵の進軍ルートを複数設定していた。

 街を抜けて攻め入るか、以前のように森を踏破してくるか。現代の魔術師では飛行はほぼ不可能になってしまったが、それでもサーヴァントが相手ということで空から攻め込んでくるという可能性も考慮はしていた。

 とはいえ、まさか――――領土ごと攻め込んでくるとは予想していなかった。

 城壁に立つアーチャーは千里眼で、ライダーは驚異的な視力でそれを捉えていた。

「これで、お互いに城持ちになったということだな」

 アーチャーが呟くと、ライダーが腰に手を当てて笑った。

「ふふん。分かりやすくていいじゃないか。敵が領土ごと攻めて来たってことは、あれが敵の全兵力ってわけでしょ。探す手間が省けたってことさ」

「そうだな。もとより、全兵力でぶつかるのは、この聖杯大戦での当然の帰結だ。今さら恐れることでもない」

 すべてのサーヴァントが個別に戦う聖杯戦争と異なり、明確な陣営に別れての戦いだ。小競り合いを続けても囲まれて仕留められる可能性が高く、決着をつけようとぶつかるとすれば、それは一騎打ちが確実に実現できる総力戦に持ち込むべきなのだ。まして、こちらはミレニア城砦という地の利を持つ。“赤”の陣営は個別に攻めても埒が明かない。

「で、アーチャー。あれ、撃ち落せない?」

「無茶を言うな。あれほどの質量、対城宝具クラスでも怪しい」

「だよねー」

 移動要塞の巨大さは、まさに規格外。ミレニア城砦を丸ごと空に浮かべているようなものである。

「アーチャー。では、始まるのですか?」

 アーチャーの隣にいたフィオレの言葉には、僅かな震えが混じっていた。無論、それは極めて微小なものであり、傍目から見ても決然とした様子に見えたことだろう。サーヴァントとして、彼女の傍らにいたアーチャーだからこそ、彼女の僅かな怯えを感じることができたのだ。

「ああ、敵の準備も整ったということだろう。さかしまの城。ネブカドネザル二世かあるいはセミラミスか。向こうのアサシンかキャスターなのだろうが、厄介なものを持ち出してきたものだ。……フィオレ、事ここに至っては、サーヴァント同士の戦いが中心になる。おそらく、敵のマスターは出てこないだろう。君は城砦の中へ」

「アーチャーの言うとおりだ、フィオレ。敵がこのような出方をしたのだ。ここは彼らに任せなければ」

 とん、とダーニックが城壁に着地した。

「敵はどうやら竜牙兵を召喚したらしい。おそらく、こちらのゴーレムとホムンクルスに対応するためだろう」

 ダーニックは見てきたように言った。方法は不明ながら、敵の様子を偵察したのだろう。大胆なことだ。

「おじ様……」

「サーヴァント同士の戦いに魔術師ができることはない。今、我々がすべきことは、彼らの邪魔をしないことだけだ」

 マスターが出てくるのであれば話は別だが、敵が本拠地ごと乗り込んできたからには個別にマスターが現れるということはまずない。敵マスターは最も安全で、戦場を俯瞰できるあの要塞に閉じ篭っているはずだ。

「ダーニック。お前の言うとおり、後は我々サーヴァントの仕事だ。早々に中に入るといい」

 煌びやかな粒子が人の形を取る。“黒”のランサー(ヴラド三世)が凄絶な笑みを浮かべて現れた。ランサーは、空中に浮かぶ『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』を忌々しそうに睨み付ける。

「我が領土に醜悪な要塞で乗り込んできた挙句、あのような汚らわしい骸骨兵を撒き散らすとはな」

 ランサーの身体に、敵を屠らなければならないという義務感が満ちる。

 サーヴァントとしての使命とは別だ。ここはルーマニアで彼の領土なのだ。そこに、攻め込んでくる時点で問答の余地なく『敵』なのだ。それこそ、彼が最も毛嫌いするオスマントルコに等しい蛮行である。

 生涯侵略者と戦い続けた“黒”のランサーは、この状況を苦々しい思いで懐かしむ。

 勝ち目などない戦だった。

 だが、屈服することだけはありえなかった。

 そして、万に一つも勝ち目のない戦いを勝利に導いて彼は英雄となった。

 ならば、今さら領内に敵が侵入したからと言って絶望することなどありえない。それがたとえ、神代の英雄であろうとも、この地(ルーマニア)に足をつけているランサーに負けは許されないのである。

「それでは領主(ロード)よ。私たちは要塞の内部に避難します。それと、敵があの地点に陣取る以上、我々は街を背にして戦えます。存分に力をお振るいください」

 ダーニックは恭しく一礼して城砦の中へ消えていった。

「アーチャー。あなたの相手は……」

「ライダーだろう。私以外に、アレの相手ができる者もいないからな」

 “赤”のライダー――――アキレウス。

 全世界規模、知らぬ者のいない大英雄だ。パラメータを視ても、アーチャーを遥かに凌駕していた。

「何、心配はいらない。例え、相手が大英雄であろうとも、私が為すことに変わりはない。何より、君が召喚したサーヴァントが、最強でないはずがないだろう」

 正面から、アーチャーは宣言する。

 その言葉に、フィオレは息を呑んだ。

 それは、あの日、アーチャーがフィオレに言ったこととまったく同じ言葉だったからだ。

 実際、彼は“赤”のセイバーとの二度の戦いと、“赤”のライダーとの戦いでその実力を見せ付けてくれた。パラメータや知名度だけではサーヴァントの実力が測れないという実例を示して見せた。

 知名度がまったくない、未来の英霊というハンデを抱えながら、神話の大英雄と互角に戦うと言う。傍から見れば無謀なのだろう。しかし、フィオレにはそうは思えなかった。

「わかりました、アーチャー。わたしは、もう何も言いません。……あなたに、すべてお任せします」

 フィオレはそう言うと、ダーニックを追って城砦の中に避難した。

 ザァ、と風が吹く。

 風に乗るように粒子が城壁上に揺蕩い、現実の肉を得る。

 “黒”のバーサーカー――――フランケンシュタイン。

 身の丈ほどのメイスを背負い、表情なく彼方の城を見る。

 “黒”のキャスター――――アヴィケブロン。

 捕縛した“赤”のバーサーカーを伴い、全体の一歩後ろに立つ。仮面の下の顔は見えないが、彼も英霊。戦いに臨み、臆する様子はない。

 そして、“黒”のセイバー――――ジークフリート。

 聖剣の切先を下にして、静かに佇んでいる。

 総計七騎。

 これが“黒”の陣営が誇る総兵力だ。

 両手で数えられる程度の戦力だ。だがしかし、その存在感、煌びやかさは大国の軍隊すらも霞ませる。

「皆、揃ったな」

 ランサーは、一歩前に踏み出して言う。

「ライダー。編制したホムンクルスとゴーレムの指揮を執れ」

「ラジャー!」

 ライダーは屈託のない笑顔を浮かべて胸を叩く。

「アーチャー。君は“()”のライダーの抑えだ。あれの相手は君でなくては務まらん」

「精精期待に応えるとしよう」

 “赤”のライダーはアーチャーの宝具でなくては傷付けられない。間違っても、アーチャーが他のサーヴァントと出会ってしまうことは避けねばならず、彼は序盤から“赤”のライダーの相手をすることに決まっていた。

「キャスターはここで待機だ。“()”のバーサーカーを解放するタイミングはお前に任せる」

 キャスターはゴーレムの操作以上に、バーサーカーの扱いに注意しなければならない。このバーサーカーの代理マスターである彼は、一応バーサーカーを魔力供給という鎖で繋いでいるが、この狂戦士は思考が「反逆」という一点に固まっているという理由でバーサーカーになっている。それは、思考そのものが存在しない通常のバーサーカーと異なるし、それ故に、マスターが彼の思考に反した場合、自らの意思で反逆を起こしかねない。

 扱い辛さということに関しては、随一のサーヴァントだ。

 キャスターは頷いてから、

「ああ、それとランサー。王たる君がまさか徒歩で戦争というわけにもいかないだろう。馬を用意させた」

「ほう」

 ランサーは興味深そうに、キャスターに視線を注いだ。

「無論、造り物だが」

「大いに結構。ただの馬ではこの戦いについていけぬ」

 キャスターはゴーレム製作に特化した魔術師だ。故に彼が用意するのもまた馬の形をしたゴーレムである。

 身の丈ほどの馬のゴーレムは青銅と鉄を継ぎ接ぎしたマダラ模様で、サファイアとルビーの瞳が怪しく輝いていた。

「大いに結構」

 ランサーは、大層満足したようで、頷いてから颯爽とその背に跨った。

「セイバー。君の相手は“赤”のランサーでいいだろう」

 セイバーは黙然としたまま頷いた。

 願ってもないことだ。竜の鎧に傷を付けることができたのは、生前から今までを通して“赤”のランサーだけである。それも宝具を解放することなくだ。

 彼との再戦は、セイバーの願望と言っても過言ではない。

「バーサーカー。お前はただ目の前の敵を屠れ。本能の赴くままに果てるまで暴れるがいい」

「ゥ……ゥィィィ……」

 バーサーカーは、僅かに残った理性でランサーの言葉を理解する。

 城壁の縁に両手をかけて、今にも飛び出していきそうだ。

「さて、諸君。いよいよ雌雄を決する時が来たようだ。皆、それぞれ心の準備はできていると思うが、改めて問おう。殺し、殺される覚悟はあるかと」

 誰も、敢えて答えを発する者はいない。

 言うまでもなく理解している。戦いとはそういうものだ。敵を殲滅しなければならない聖杯大戦に召喚された時点で、覚悟するまでもなく理解している。理解したが故に召喚に応じたのだ。

「敵は六騎のサーヴァント。奴等のバーサーカーがこちらの手にあるが所詮は使い捨ての兵器に過ぎぬ。実質兵数は拮抗しており、“赤”のランサーはセイバーと互角に戦い、“赤”のライダーはアーチャーの宝具でなければ傷一つ付かない。あの巨大宝具を操るのはアサシンかキャスターであろうが、いずれにしても皆難敵に相違ない」

 ランサーはそこで言葉を切る。戦場を俯瞰し、空中要塞を睨み、そして頼れる戦友たちを視界に収める。

「ここまで聞いて、怖気づいた者はいるかね?」

 いるわけがない。

 “赤”のバーサーカーを除いた全員がそれぞれの言葉と仕草で否定する。

「それでこその英雄だ。皆それぞれ、乗り越えてきた苦難があったろう。それを思えば――――この程度の苦境、乗り越えられずして何が英雄か!」

 ランサーは語気を強めて言い放つ。

 オスマントルコの侵略者に包囲され、これを打ち破ったランサーにとっては、これは窮地でもなんでもない。

 確かに敵はこちらの懐に入り込んでいる。

 王城を目の前にして、王の首と財宝を求めて剣を磨いでいることだろう。

 来るなら来い。

 お前たちに待っているのは『串刺し公(ブラド三世)』。侵略者の天敵に等しい苛烈なる王である。

「あれは蛮族だ。他人の土地を踏みにじり、財を奪い、大地を血に染める汚らわしき蛮族だ。血で血を洗うことしか頭にない愚者共は、徹頭徹尾躾け直さねばならぬ」

 ランサーの物言いは実に分かりやすい。

 生かして帰すな。

 偏にそれだけのことである。

「では、先陣を切らせてもらおう」

 ランサーは馬のゴーレムと共に城塞から飛び降りた。

 キャスターのゴーレムは、たとえ戦闘用でなくとも頑丈だ。この程度の高さでは破損もしない。

 『騎乗』スキルを持たないランサーは、それでも持ち前の馬術だけでこの馬を操り、着地を成功させた。そして、ゆっくりと草原を歩む。

 戦場。

 久しく感じなかった戦いの気配に、ランサーは闘志が燃え上がるのを感じていた。

 かつて、二万の軍勢と相対した故国ルーマニアの大地に、奇しくも再び仮初の生を得た王は、己が人生を省みるように戦場に舞い戻ってきた。

 今度の敵は、六騎だけ。しかし、オスマントルコよりも尚強力な六騎だ。

 だが、それでも敗北はないと確信できる。

 生前、ランサーを追い込んだのは深刻な人手不足であった。一騎当千の将が手元にいなかったのである。もしも、彼の手元に一軍を相手にできる『英雄』がいたならば、ランサーの戦術眼と相まって、串刺しという手を取るまでもなく敵を撃退できただろうに。

 あの日々を思えば、今のランサーは実に幸運だ。

 少なくとも、敵を退ける戦力が手元にあるのだから。

 ランサーの背後にライダーに率いられたゴーレムとホムンクルスが整然と並んだ状態で現れた。

 さすがにライダーは高位の騎士なだけあって、その指揮は見事なものだ。

 その軍勢の脇に、“赤”のバーサーカーが連れ出される。屈強な肉体が、ギチギチと拘束具を鳴らしている。この分なら、解き放てば命令するまでもなく敵の下まで突き進むだろう。 

 アーチャーの姿はすでにない。彼は早々に姿を潜め、敵の襲来に備えているのだろう。

 そして、こちら側のバーサーカーは全体から距離を取った位置にいる。彼女はバーサーカーにしては理性的な方だが、それでも全力を出すとなると周りを巻き込む。特に、最期の一撃を放つとなれば、周囲に味方はいない方がいい。

 こちらの戦列は整った。次は“(あちら)”の番だが。

「さて、どう来る」

 ランサーは滞空して動かない『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』を見上げて呟いた。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 戦いの用意ができたのは“赤”も同じ。

 戦場に出てきた敵軍の威容に、当たり前のように戦意を高めていく。

 “赤”のアーチャー、アタランテは天穹の弓「タウロポロス」に二本の矢を番える。その名はアルテミス神の別名であり、添え名でもある。意味は「雄牛の屠殺者」。狩りの女神であるアルテミスから送られた至高の逸品である。

「我が弓と矢を以て太陽神と月女神の加護を願い奉る」 

 朧な月光に照らされる晩秋の月夜。冷え冷えとした光を降り注がせる月に向かって、アーチャーは二本の矢を放った。

 彼女の宝具は弓でもなければ矢でもない。弓を引き、矢を放つ。この一連の術理こそが彼女の宝具なのである。

「『訴状の矢文(ボイポス・カタストロフェ)』!」

 アーチャーの宝具は、太陽神(アポロン)月女神(アルテミス)に加護を願う代わりに、敵の命を捧げるというもの。

 空高く放たれた矢は、やがて死の雨へと姿を変える。

 幽玄なる月時雨は、その一粒一粒が明瞭な殺意に溢れていた。

 蕭蕭と、静かに風を切るのは光り輝く矢である。

 数え切れないほどの光が地上に死を振りまく。巻き込まれたホムンクルスはただの一矢で即死し、頑強なゴーレムが針鼠にされて砕け散る。攻撃範囲を広く設定したために、サーヴァントを傷付けられるほどの密度は持たせられなかった。敵のサーヴァントは、かわし、打ち払い、受け止めてアーチャーの宝具を耐え抜いた。

 雨後の花は真紅に染まる。

 己の宝具が齎した凄惨な光景を冷厳な眼差しで見下ろして、アーチャーは振り返る。

「露払いは終わったぞ。交代だ、ライダー」

「応!」

 心底嬉しそうにしたライダーが走り出す。

 もとより、アーチャーの役目は先制攻撃で敵の機先を制することである。一番槍は、不承不承ながらライダーに譲っている。

 ライダーは空中要塞から飛び降りると、ぴゅう、と口笛を吹いた。

 それを合図に、天から堂々たる三頭の馬に引かれた戦車が舞い降りてきて、ライダーを拾い上げる。

「さあ、開戦だ。“赤”のライダー。いざ、先陣を切らせていただく!」

 御者台の上でライダーは高らかに宣言する。

 筋骨隆々な神馬と名馬に引かれた戦車は急降下して戦場を疾駆する。

 立ちはだかるは戦闘用ホムンクルスとゴーレム。魔術師程度ならば軽く捻り殺せる性能を持つ集団を前にして、ライダーは口角を吊り上げて笑う。

「そんな雑兵で―――――――――この俺を止められるか!」

 それは一陣の豪風であった。

 通り抜けた跡には轢殺死体と粉砕された瓦礫しか残らない。

 恐るべき破壊力。

 特別に調整されたホムンクルスが、史上最高のゴーレム使いが生み出した一トンを超えるゴーレムが、僅かばかりも持ちこたえることができずに砕け散る。

 それもそのはず。彼の戦車を引く三頭の内の二頭は海神(ポセイドン)から与えられた不死の神馬であり、もう一頭も不死ではないものの名高い名馬なのである。

 それ単体でサーヴァントを屠れる神獣が二頭。そして、それに匹敵する名馬が一頭。三頭の馬の圧倒的な突進力で突き進むライダーをいったい誰が止められようか。

 少なくとも正攻法では不可能だ。

 破壊することは不可能。力ずくも難しい。ならば、搦め手に頼るのみ。

 “黒”のキャスターは自分のゴーレムが蹴散らされるのを漫然と見つめていたわけではない。

「そう易々とは行かないぞ、“赤”のライダー」

 滑らかな動作で指を動かす。

 驀進する“赤”のライダーの前に、三体のゴーレムが現れた。

 特別強くも硬くもない。ライダーもそれが分かっているからこそ、舌打ちをしつつ当たり前のように粉砕を選択する。

 だが、仮にも“黒”のキャスターが鋳造したゴーレムが、ただ巨体に任せて敵を殴るだけのデカ物ばかりなはずがない。

 戦車と接触する瞬間、ゴーレムはどろりと溶けて粘塊に変貌するとそのまま馬の足に絡まって硬質化した。

 あの“赤”のバーサーカーすらも拘束する特別製の拘束具だ。如何にアキレウスの神馬と雖も、容易く抜け出すことはできない。

 戦車が加速力を失って停止する。

 その隙を逃すまいと、ホムンクルスたちが襲い掛かる。足を奪われたライダーは、一気に弱体化するものだ。『ライダー』のクラスは一般的に強力で多彩な宝具を持つ代わりにサーヴァント本体の実力はそれほどでもないものである。が、その常識はこのライダーには通じない。

「しゃらくせえ!」

 吼えたライダーは腰の剣を引き抜いて身体を捻ると、一太刀で押し寄せるホムンクルスを横一文字に両断した。

 彼はライダーだが、戦場で戦車など必要ない出鱈目な身体と武技を持っているのである。

 ホムンクルスをいとも簡単に両断したライダーは、木々の間に金色の光を垣間見た。

 

 ――――眉間か。

 

 根拠はないが、確信はあった。

 槍を取り出し、片手で回す。戦士の勘は、見事に的中し、槍の柄は飛来した神剣を打ち払った。

「来たか、アーチャー」

 ライダーは獰猛に笑う。

 “黒”の陣営に、自分を傷付けられる者がアーチャーしかいない以上、どうあってもライダーの相手はアーチャーで決まりだ。

「“黒”のアーチャーは何処や!? 預けた勝負、取り戻しに来たぞ!!」

 姿の見えぬ敵に呼びかけるライダー。返礼とばかりに、金色の閃光が襲い掛かってくる。

 だが、手の内の知れた相手の攻撃がそう何度も通るライダーではない。宝具の矢を、ライダーは槍で迎撃する。

「相変わらず、宝具だらけだな。いいね、一つ、どんなヤツか顔を拝んでやろうか」

 常道ならば、ゴーレムの拘束を砕き、戦車で以て戦場を走破するべきなのだろう。彼に与えられた一番槍の役目は、何もただ敵陣に最初に突っ込むことだけではなく、後続に道を作り出すことも含まれている。

 しかし、それはあくまでも常道に限った話。

 この案には、森の中に潜む敵手に背を向けなければならないという致命的な欠陥がある。

 それは、背中から敵に射られるなどという話ではなく、もっと根本的な問題――――――――敵に背を向けるのは英雄の誇りに反する、という一点である。

 『英雄らしく振舞うこと』が、ライダーの本懐なのだ。彼は生前も死後()も、英雄として誇れる生き方を第一義としている。たとえ、その先に死が待っていようとも、臆することなく突き進むのが“赤”のライダーなのだ。

 偉大なる英雄である父と女神である母、そして苦楽を分かち合った友の名誉のためにも、断じてアーチャーを無視するわけにはいかない。

 飛び降りたライダーは、戦車を霊体化すると、そのまま自らの足で森に踏み入っていった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 “黒”のランサーは槍兵のクラスで召喚されながら無手である。

 そもそも彼には剣も槍も弓も騎馬も縁がない。武芸で伝説を打ち立てたわけではなく、類希な戦術眼とオスマントルコを撃退したという実績を以て『座』に招かれた英雄だ。一般の『ランサー』とは、毛色が違う。

 さて、それでは何故に彼がランサーで召喚されたのか。

 それは、“黒”のランサーに係る歴史的事実をなぞるのであれば、槍兵のクラスこそが最も相応しいからだ。

 それは、決して槍ではない。まして、手に取って振るうようなものでもない。いや、そもそも本来は武器ですらないのだ。

 ランサーは指揮でもするように両手を挙げる。目の前には無数の竜牙兵たち。無論、ランサーにとっては有象無象の雑魚に過ぎない。

「さあ、我が国土を踏み荒らす蛮族どもよ、誅罰の時だ。慈悲と憤怒は灼熱の杭となって貴様等を刺し貫く。そして、それは、真実無限であると知れ!」

 轟、とランサーの身体から魔力が迸る。

「『極刑王(カズィクル・ベイ)』!」

 ランサーの進む道を阻む骸骨たちは、何が起こったのか分からなかっただろう。

 僅かに揺れる大地。次の瞬間には、彼らは足元から突き出してきた細長い杭に串刺しにされてしまった。

 無残にも曝されてしまった罪人の如く、骸骨たちは物言わぬ骸へと還り、カラカラと虚しい音を立てるのみ。

 ランサーの周囲にいた竜牙兵が全滅するのに、一秒とかからなかった。

 ランサーは自らの戦果を確認することもせず、馬を走らせる。

 当初の予定通り、アーチャーが敵の敵主力の両翼の一であるライダーを引き付けている。次に攻めて来るのは、ランサーかアーチャーか。

 いや、両方だったか。

 ランサーの視線の先に、戦場を疾駆する二つの影がある。

 黄金の鎧に身を固め、驚くほど神々しい槍を持つ“赤”のランサーと先ほど先制攻撃を仕掛けてきた“赤”のアーチャーだ。

 ランサーは二騎に向かって杭を一斉召喚。杭の津波を浴びせかける。風のように大地を駆けていた“赤”のアーチャーの速度が鈍った。

 “赤”のアーチャーはするりと杭の間を抜けると、流れるような動作で矢を放った。

 放たれた矢はランサーを貫く前に間に入ってきた杭によって防がれる。

 続けて二矢。しかし、それもランサーには届かない。さながら杭の結界だ。並の攻撃ではランサーには届きもしない。

「ちと、面倒なやつだな」

 “赤”のアーチャーは舌打ちをして矢を続け様に放つ。

 結局、彼女は弓術によって敵を討つしかない。

 

 

 杭に守られたサーヴァント。

 世界は広く、歴史も深いが杭をこのように扱う英雄は一人しかいない。

 あのサーヴァントはヴラド三世で確定だ。

 アーチャーは持ち前の敏捷性で杭をかわしながら矢を放つ。遅れて“赤”のランサーもまた豪槍を振るってアーチャーを援護する。

「“黒”のランサー――――ヴラド三世とお見受けする」

「ほう、余を真名で呼ぶ貴様は“赤”のランサーか」

 『ランサー』同士の対決。

 通常の聖杯戦争では絶対に起こらない対戦カードである。同じクラスの敵との邂逅に奇妙な愉悦を抱きつつ、“黒”のランサーは杭を召喚する。

 “赤”のランサーは出現した杭をあっけなく打ち砕く。

「やはり、この杭が宝具か。しかし……この数は異常だ」

 “赤”のランサーは呟きながらも足を止めない。止まってしまっては格好の的だ。“黒”のランサーの杭は威力も低く、宝具と言うには聊か脆い。“赤”のアーチャーの普通の矢で破壊できる程度でしかない。

 だが、この宝具の真価はそこにはない。

 確かに一本一本の杭は脆いだろう。しかし、それが数え切れないほど集ったらどうなるか。

 足元から突然突き上げてくるということに加えて、無制限に現れるという物量。それが、この宝具『極刑王(カズィクル・ベイ)』なのである。

 有効半径一km、最大展開数二万本。

 戦が物量で決まるというのなら、この時点で“黒”のランサーは勝利したに等しい。

 『極刑王(カズィクル・ベイ)』。所有者と同じ名を冠したこれは、二万人のオスマントルコ兵を串刺しにしたという歴史的事実を具現した、“黒”のランサーの象徴的宝具なのである。

 攻めるに攻められず、“赤”のランサーと“赤”のアーチャーは“黒”のランサーから一定の距離のところで足踏みする。

 壊してもかわしても次の瞬間には新たな杭が現れる。下手をすると押し返されてしまい、ますます距離ができる。

「では、そろそろ前座も終わりだ」

 “黒”のランサーが指を鳴らすと、杭が一列に突き出して“赤”のランサーと“赤”のアーチャーを分断する。

 そこからさらに杭は花を咲かせるように左右に広がっていく。

 当然のように、“赤”のランサーと“赤”のアーチャーは引き離されることになる。

 

 

 

 杭に追い立てられるように、“赤”のランサーは“黒”のランサーを中心に円周上を駆ける。

 だが、唐突に、杭の森に果てが見えた。真実無限と嘯いた杭が、唯一展開されていない場所。そこには一人の青年が佇んでいた。

「お前は……」

 杭に襲われながらも終始無表情だった“赤”のランサーの目に僅かな感情の揺らぎが生まれた。

 白銀の長い髪を風に乗せ、聖剣を肩に担ぐのは、“赤”のランサーの序盤の相手――――“黒”のセイバーであった。

「なるほど、端からこうするつもりだったか」

 “赤”のランサーは豪槍を構えながら敵を見る。

 “黒”のランサーは、初めから“()”のセイバーを自分にぶつける算段だったようだ。自身の豪槍をその身に受けて浅手で済む頑強な肉体を持ち、如何なる苦境にあっても屈しない不屈の精神の持ち主。前回の戦いでは夜通し打ち合って互いに決め手はなく、不完全燃焼に終わった。だが――――

「どうやら、誰の邪魔もなくお前と殺し合えるようだな」

 スッ、とセイバーが聖剣を構えることで返答とする。

 無駄口は叩かない。ただ、己の役割にのみ従事する。そんな、彼の態度を“赤”のランサーは悪く思わない。“赤”のランサーもまた言葉による応酬を望んでいるわけではないのだ。

 今、このセイバーは自分を殺りに来ている。

 それが分かれば十分だ。

 殺気が充満し、荘厳な闘気がぶつかり合って大気を揺るがす。

 もはや、杭の壁も視界に入らない。

 何処かで戦うサーヴァントたちとホムンクルスたちとゴーレムたちの狂騒すらも耳に届かず、ただ目の前の勇士と刃を交えることのみに注力する。

 始まりはどちらともなく。

 気が付けば、豪風の中に鮮烈な火花が咲き乱れていた。



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十六話

 胸部装甲は艦の規模が大きくなるほど大きくなるんだって!


 “黒”のマスターたちは各々、安全と思われるところでサーヴァントたちの戦いを見守っていた。

 ある者は地下室へ潜り、またある者は自室の結界の中に閉じこもった。

 一箇所に集まる、などということはしない。一箇所に集っていた場合、仮に敵の侵入を許せば、一網打尽になってしまう可能性がある。何より、自分の部屋は自分の工房であり、他人の部屋は他人の工房だ。自分の工房が自分にとってもっとも安全であるという自負が一部を除いてそれぞれにはあった。

 戦いの火蓋は瞬く間に切られ、草原を舞台に凄惨で苛烈な殺し合いが始まった。

 サーヴァントを助けに行こう、などという愚挙を犯す者はいない。すべてのマスターが、戦闘開始五秒と経たずに理解したのだ。この戦場に生身で立てば、それだけで命は尽きたも同然であると。

 故に、彼らは亀のように閉じ篭り見守ることしかできないのである。

 

 

 “黒”のマスターの一人、ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアは実に複雑な表情で水晶に映し出される戦場を眺めていた。

 彼の表情には焦りがあり諦観があり、苛立ちがあった。

 ゴルドの手の甲には三画の令呪。それは、彼のサーヴァントとの霊的繋がりを示すものでもある。

 自信を持って召喚したセイバー(ジークフリート)を、ゴルドは信じきれないでいた。それは、ジークフリートという英雄の最期があまりにも有名だからである。

 サーヴァントの真名を秘匿する必要性を語る際に、必ずと言ってもいいくらいに名前があがるのがジークフリートの最期である。

 無敵の肉体を持つ大英雄でも弱所たる背中を狙われれば一溜まりもない。

 サーヴァントは史実神話伝承に謳われる無双の豪傑たちを呼び出したものであるが故に、その弱点もまた背負っている。そして、ジークフリートという英雄は弱点を突かれて命を落とした英雄の代表格でもあるのだ。

 だからこそ、ゴルドはセイバーに会話を禁じさせ、“黒”の陣営内でもダーニックとランサー以外には真名を露呈させないように気をつけてきたのである。

 

 その結果、ゴルドとセイバーは致命的なまでにコミュニケーションが不足してしまった。

 ゴルドからすれば、セイバーは自分の切り札であると同時に一介の使い魔でしかなく、令呪が手元にある以上は逆らうことはありえない――――つまり、言葉を発さないセイバーはゴルドの兵器でしかなく、人格を持っていないのと同様の扱いになってしまうのである。

 

 そのセイバーがゴルドに反抗した。

 ホムンクルスを逃がすためだけに、彼はマスターを殴り飛ばし、気絶させたのである。無論、ゴルドはサーヴァントに逆らわれた愚かなマスターということになる。それはゴルドのプライドを大いに傷つけることに繋がった。

 ゴルドは烈火の如く怒り、セイバーに向かって暴言を吐いた。

 傀儡風情が主人に楯突くとは何事か。

 よくもムジーク家の名を汚してくれたな。

 顔を紅くして唾を飛ばし、ゴルドはセイバーを責め立てた。

 それでも、セイバーは一言も言い返すことなく粛々とゴルドの言葉を聞き続けた。

 その上で、セイバーはゴルドに言ったのだ。

『俺は、マスターに勝利を捧げるサーヴァントだ。そのことに否やはない。マスターは俺を勝利のために召喚したはずだ』

 思えば、それがゴルドとセイバーのかわす初めての会話だった。

『ならば、もう少しだけ俺を信じて欲しい』

 信じて欲しい。

 ただそれだけが、この大英雄の望み。

 ゴルドはそれを聞いて口を噤まざるを得なかった。

 セイバーを信じないということは、自信を持って召喚した自分の実力を否定するということでもある。その上、数値上もセイバーはランサーと互角であり所有する宝具は文字通り必殺。背中が弱所という一点を差し引いても、彼が強力なサーヴァントであるという事実は変えようがなく、それを否定する者は現実が見えていない愚か者でしかないのである。

 

 

 ――――ならば、示してみろ。

 

 ゴルドは戦場を俯瞰する。

 比喩でなく、目にも止まらぬ速さで刃を振るう“黒”のセイバーと“赤”のランサー。両者は互いに譲らず、火花が際限なく散っている。

 結局、ゴルドはただひたすらにセイバーの勝利を信じることしかできない。その現実に歯噛みした。

 

 

 

 ■

 

 

 

 颶風が逆巻き、虚空に眩い剣華が咲いた。

 ぶつかり合う刃と刃は小手調べの段階をすでに終え、純粋な力と技の激突に昇華していた。

 “黒”のセイバーは改めて“赤”のランサーの膂力と技量に賛嘆し、敬意を以て柄を握りこむ。一方の“赤”のランサーもまた久しく味わうことのなかった戦の喜悦を能面の如き無表情に滲ませて豪槍を突き込む。

 セイバーが誇る防御宝具『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)』はBランク以下の攻撃を無効化する反則級の防御宝具だ。生前、セイバーを傷付けることができた者はおらず、その最期も自ら弱所を曝したことによるものであった。しかし、目の前のランサーはセイバーの鉄壁の肉体をただの刺突で突破する。

 傷は浅く、治癒魔術で瞬時に治る程度のものでしかないが、それでも正面からセイバーを傷付けることができるランサーは、間違いなくこの聖杯大戦でも最強クラスの白兵戦能力を持っている。

 もはや槍撃の濁流。寸分の隙間もない黄金の刃の中を、セイバーは一歩、また一歩と進んでいく。

 身体の頑丈さに物を言わせているわけではない。同格の敵との戦いは、僅かな傷ですら後々の戦いに影響する。治癒術によって傷が治るまでの僅かな時間に決着する可能性。零とはいえない。真名が分からないものの、相手は間違いなく大英雄。自らと同格以上の敵と戦い、その生涯に於いて数多の艱難辛苦を乗り越えてきたはずなのだから。

 故に、セイバーは自らの肉体の頑丈さと、積み上げた武技を駆使してランサーの変幻自在にして豪快な槍術に相対する。 

 頑丈さだけではない。鋼の如き肉体が大きく取り上げられるセイバー(ジークフリート)だが、彼は何も肉体の頑丈さだけで英雄となったわけではない。彼の生涯最大の武功である悪竜退治の際は、未だに肉体は特別なものではなかったのだ。つまり、セイバーは頑丈さ頼みではなく、悪竜を屠れるほどの巧みな剣捌きを有しているということである。

 セイバーは心臓に向かってくる槍に剣を絡ませ、あらぬ方向にいなしつつ、また一歩前に出る。

 

 

 戦いの有利不利は射程の長さで決まるのが一般的だ。

 人類の戦いとは、常にそうした技術を発展させる一助となってきた側面がある。

 射程が敵よりも長ければ、安全な場所にいながらにして敵を一方的に蹂躙することができるからである。

 槍が白兵戦最強の武器とされるのは、白兵戦で用いることのできる武具の中で最大の射程を誇るからである。

 剣では相手を斬り付ける前に首を取られる。

 如何に名刀と雖も敵を斬り付ける前に使い手が倒されては意味がない。

 

 だが、槍が完璧かというと必ずしもそうではない。

 まず、長柄の武器の宿命として取り回しの悪さが上げられる。

 長ければ長いほど重量は増大し、攻撃速度は低下する。槍は一撃の威力が大きい分、避けられた際の隙も大きくなる。ましてや穂の部分だけで一メートルを超える巨大な槍であれば、使い手に圧し掛かる負担は尋常なものではない。

 無論、それを苦もなく操ってこその大英雄。セイバーが驚嘆するのは、まさに“赤”のランサーの恐るべき槍術であり、それを実現する膂力であり、また、それらを絶技にまで磨き上げた精神性である。

 

 セイバーはランサーが撃ち込みのために槍を引き戻すコンマ一秒未満を突いて距離を詰めていく。

 突きこまれる刃を聖剣で打ち払い、嵐のような連撃を精緻な剣術で払い除ける。

 やはり、すばらしい。

 セイバーは心の中でランサーを絶賛する。

 ランサーの攻撃の中心は刺突である。セイバーを近づけまいと神速の連撃を放ち、文字通りの弾幕を張っている。

 だが、本来槍術に於いて刺突は悪手である。

 確かに刺突は速い。槍術の中でも最速の一撃であろう。しかし、その一方で威力は最小だ。人の手で繰り出される刺突には力がなく、首などのむき出しの急所に当たらない限りは鎧に弾かれる。そして当然のように、長柄の武器は仕損じた敵からの反撃には弱い。

 故に、槍術の基本かつ必殺はその長さを有効活用し、遠心力と重力までも利用して放たれる打撃である。

 しかし、このランサーはセイバーの肉体をただの刺突で傷付ける。

 額と胸に、受け流しきれなかった刺突が入る。

 信じがたい衝撃を地に足をつけて、耐え忍び、しかと両目を見開いて槍の動きを見切り、前へ進む。

 

 対峙する“赤”のランサーもまた、この“黒”のセイバーの揺ぎ無い精神と剣技を内心で賞賛する。

 自らの槍術と互角に張り合う剣術を持ち、神ですら容易には切り裂けない黄金の鎧を幾度も斬り付けるような英雄には滅多に出会うことができない。

 生前ではアルジュナかクリシュナか。それくらいでしかなく、彼らとの死闘も、呪いで十全にはできなかった。それを思えば、マスターからの魔力供給量という不安を抱えているものの、好敵手と呼ぶに相応しい実力者と刃をかわすことができる幸運に感謝せねばなるまい。

 渾身の一撃はやはり浅手を与えるに過ぎず、返す刀で鎧を斬り付けられる。

 

 剣と槍の応酬に曝された世界は破壊の一途を辿る。

 巻き上げられた砂塵は魔力の暴風で吹き散らされ、踏み砕かれた地面はより細かく砂礫になるまで撹拌される。

 戦いは激化し続け、彼らの周囲は円形に切り取られたように荒野と化す。

 それでも、戦いは終わらない。

 かわすべき言葉はなく、視線は戦意に溢れかえる。振りかざす刃は誇りを輝かし、栄光を求めて愚直にぶつかり合い、火花を散らす。

 どちらか一方が首兜を明け渡すその時まで、いつ終わるとも分からぬ剣舞は続く。勝敗がつかなければ、永遠にでも戦い続けるのみ。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 この戦いは文字通りの総力戦だ。

 “黒”のセイバーと“赤”のランサーが互いに覇を競っている様は、実に見ごたえがあり息がつまるほどの畏怖を感じる。しかし、この地に集う英雄豪傑は都合十三。“黒”のセイバーと“赤”のランサーの戦いは、全体の一部でしかないというのだから、聖杯大戦の規模の大きさが窺い知れよう。

 そして、英雄たちの戦いは、何も地上だけに限ったものではない。

 古今東西数多の伝説には、空を駆ける戦士も多く存在する。

 彼もその一人。

 桃色の髪を棚引かせ、愛馬に跨るのは“黒”のライダー(アストルフォ)だ。

 戦場の喧騒を物ともせず、悠々と月光を浴びて夜風を切る。

 見上げる天空には蒼銀の天蓋。彼のユメの到達地点が顔を覗かせている。

「よし、行くぞ」 

 静かに、愛馬に鞭を入れる。あそこに辿り着くためには、とりあえず聖杯に辿り着かねばならない。ライダーは静かに呟くと弧を描くように加速する。

 目指すは敵の本丸、『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』だ。

 敵が空に陣取るなら、空を駆ける己が行くしかあるまい。

 勝算もある。

 ライダーの宝具『魔術万能攻略書(ルナ・ブレイクマニュアル)』は所持しているだけでAランクの対魔力を得ることができる。現代の魔術師は言うに及ばず、神代の魔術師ですら彼を傷付けるのは容易ではない。あの宝具の持ち主がキャスターかアサシンだということは分かっている。キャスターならば、この宝具がある限り敵ではなく、アサシンは直接的な戦闘能力が高いクラスではない。故に、『この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)』を発動させないという無理も押し通せると踏んだ。

 もちろん、彼が今そうしているようにヒポグリフを召喚して使役する程度なら、魔力消費はそれほどでもなく可能だ。だが、仮にその真の力を発動させた場合、魔力消費量は格段に跳ね上がり、Aランク宝具の全力解放に匹敵、あるいは上回ってしまう。その上、ヒポグリフを駆る間は消費し続けるという燃費の悪さだ。

 だからこそ、アストルフォは宝具を封印した。マスターへの配慮ではない。都合のいいことを考えていると分かっているが、魔力供給用ホムンクルスたちを思うと、使う気になれなかったのである。

 

 

 “黒”のライダーの駆るヒポグリフを視認して、“赤”のアサシンは薄ら笑いを浮かべる。

 ただ一人、要塞に残ったのは、ここが彼女の戦場だからである。

「ほう、向こうのライダーも天かける馬を持っていたか。ならば、こやつらも無駄にはなるまい」

 アサシンは糸を繰るように指を動かす。

「暫し遊戯に耽るとしようか。“黒”のライダー」

 

 

 そして、ライダーの前に現れたのは形容し難い容貌の怪物たちだった。

妖鳥(ハルピュイア)?」

 それは生前彼が追い払った魔物の群れを想起させた。

 だが、ハルピュイアも異形であったが、この怪物たちはさらに酷い。上半身が竜牙兵で、下半身が鳥だ。残忍な性格だが臆病なハルピュイアは番犬には使えない。しかし、その性質をアサシンの手駒である竜牙兵と混ぜ合わせれば対空用の番犬に早変わりする。

 強いて名付ければ竜翼兵であろうか。

 空を覆う魔鳥の群れがただ一騎のライダーに襲い掛かる。

 敵を鋭い爪と牙で切り刻み、喰らい尽くす様は、さぞ陰惨な光景となろう。

 だが、この時ばかりは相手が悪かった。

 よりにもよって相対するのはシャルルマーニュ十二勇士が一、アストルフォだ。伝説上、こういった手合いを始末する方法は心得ている。

「はい、一列に並んでぇ――――『恐慌呼び起こせし魔笛(ラ・ブラックルナ)』!」

 気の抜けた言葉と共に、腰にぶら下げていた笛がライダーの身体を覆うほど巨大になる。

「散れ!」

 ライダーは魔笛を思い切り吹く。

 伝説では音を聞いた魔鳥が逃げ出したとあるが、これはそのような生易しいものではない。

 音を音とも思えぬ衝撃波が一瞬にして竜翼兵を粉々にしてしまったのである。

 ランクは低いが宝具の真名解放だ。たかが使い魔如きが耐えられるものではない。

 

 空での騎乗戦はライダーの独擅場(どくせんじょう)だ。彼が跨るのは馬を喰らう神獣グリフォンと牝馬との間に生まれた有り得ない生物――――ヒポグリフだ。

 その生物は、捕食者と被捕食者とのハーフという出自から、古代より有り得ないものを指す比喩として使われた。やがて時が下り、その生物にヒポグリフの名が与えられるに至ってやっと存在を確立させた。

 親であるグリフォンには及ばないものの、幻獣という高い次元に位置する生物に、生半可な空中戦は挑めない。

 そして、ライダーの持つ槍は傷付けただけで相手を転倒あるいは下半身を霊体化させる。空でこの槍を受ければ、転落以外に道はない。

 空でならライダーに敵う乗り手はおよそ存在しないはずだった。

「地に足つけてれば話は別かぁ」

 敵の姿を目にしてライダーは一人ごちる。

 墜ちるも何も彼女にとってはそこが地面だ。

 要塞のテラス部分に姿を見せた漆黒のドレス姿。艶やかな長い黒髪が妖しい色香を漂わせている。

「“赤”のキャスターとお見受けする! どうか、お覚悟を!」

 その容貌、そしてこの状況からライダーは敵のクラスを判断した。

「はずれだ。可憐な乙女よ。我は“赤”のアサシン……もっとも、見ての通り魔術の腕にも覚えがある」

 アサシンは呪文も唱えずに膨大な魔力を魔術に加工した。

 青い魔法陣が四つ。それはまさしく砲門であり、すべてがライダーに狙いをつけている。

「な……」

 ライダーはそこに込められた魔力に瞠目する。

 これほどの魔術を扱うサーヴァントがキャスターでなくアサシン? 何かのブラフかとも思ったが、この状況でブラフを使う意味もない。恐らくは彼女はアサシンなのだろう。

「それでも、君を倒せば済む話だ!」

 魔術は要塞を介して発動している。ならば、この要塞の主は彼女であり、真名はセミラミスで決まりだ。“赤”のアサシンさえ倒してしまえば、この要塞は機能を停止し、攻め込んでいる“赤”の陣営に大きな痛手を与えることができる。

 相手が想定していたキャスターからアサシンに変わっただけ。それも魔術を使うとなれば、魔書の能力が遺憾なく発揮される。

「墜ちろ、ライダー」

 アサシンの砲撃は青白い稲光。

「そう簡単には行かないね!」

 対するライダーは、強大な対魔力を楯に、ヒポグリフを加速させた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 剣と槍、魔術と幻馬、杭と矢。現代では見ることのない遥か古の戦場を、真っ向から否定するかのように一台の車が爆走している。

 伝統あるアメリカンスポーツカー、シボレーコルベットはあちらこちらを歪にへこませて、それでも懸命にタイヤを回転させている。

 戦場が古式ゆかしいだけに時代の感覚がおかしくなるが、本来この時代の戦場には剣もなければ槍もない。スポーツカーというのも不釣合いだが、馬を駆るよりもこちらのほうが時代的には正解だ。

 戦場を走り抜けるスポーツカーの運転席に座る“赤”のセイバーは、上にレザージャケットとタンクトップ、そして下にカットジーンズという軽装だ。

 服装はピクニックにでも向かうかのようだが、車体は血と泥で汚れている。

「おい、マスター。このアメ車もうガタが来てんぞ。もっと頑丈なのなかったのかよ」

「無茶言うな。戦場を走り回るように設計するバカがいるか! そもそもなぁ……」

「おおっと、危ねえ!」

 セイバーは思い切りハンドルを右に切った。

 “黒”のキャスターが操るゴーレムを迂回し、ホムンクルスを撥ね飛ばす。

 『騎乗』スキルがBランクのセイバーは、運転席に座った時点でこの世の誰よりもこの車を上手く運転できる――――はずなのだが、セイバーの運転は荒っぽいなどというものではなかった。急停止、急発進は当たり前、独楽のようにドリフトしてホムンクルスをなぎ倒し、崩れたゴーレムを台にして跳ぶなど、ハリウッド映画さながらの運転を好んで行う。見た目は派手だが、現実的にこのような運用に耐えうる車体は存在しない。

「一応、俺の装備で二番目に高いんだからな、この車!」

「いいじゃねえか。どうせ、盗んできたもんだろう? オレもやったぜ、盗んだ名馬で走り回んのは気分がいいよなァ!」

 ギャリギャリギャリ、と断末魔の悲鳴を上げながらも、最後の一線を踏みとどまる往年の名車。

 すまねえ、持ち主。と獅子劫は顔も知らない車の持ち主に心から謝罪した。これではどうあってもスクラップ一直線だ。それでも、伝説の騎士に乗り回してもらったことがせめてもの救いになるか。

「頑丈って触れ込みの割には、馬より脆いじゃねえか」

「そら馬がおかしいんだ」

 回る視界の中で、獅子劫は涅槃の境地でつっこんだ。ちなみに、彼の全財産で最も価値があるのはヒュドラの仔を加工した短剣(ダガー)である。

 セイバーが運転する暴走車は停まることを知らず、休みなく敵を求めて戦場を走り回る。

 六対七の総力戦なのだから、どこかに手の空いたサーヴァントがいるはずだ。

 軽口を交わしながらもセイバーは神経を尖らせて戦場の気配を探った。

 

 

 結果として、それがセイバーの命を救ったと言える。

 一瞬、ゴーレムかと思った。それくらいに巨大な、見上げんばかりの大男だったからだ。

 木々を蹴散らし、進路上のゴーレムも竜牙兵も区別なくなぎ倒し、シボレーコルベットの前に躍り出た白蝋の肌の男。

「うおおっと」

 セイバーはハンドルを右に切り、サイドブレーキをかけてドリフト。勢いが死ぬ前にアクセルを踏み込み、振り下ろされる小剣(グラディウス)をかわす。

「ありゃあ、こっちのバーサーカーじゃねえか」

 顔を青くした獅子劫が、“赤”のバーサーカーを見て呻いた。

 敵に奪われたと聞いていたが、まさか出くわすことになろうとは。

「マスター、運転代われ」

「このスピードで!? アホか!?」

 セイバーは獅子劫の襟首を掴んで引き寄せる。獅子劫はシートベルトを慌てて外し、ハンドルを受け取った。もちろん、こうしている間にも車は進み続けている。

「巻き込まれるなよ、マスター」

 セイバーは獅子劫の返事を聞く前にドアを蹴破り、車外へ飛び出す。白と赤の閃光が彼女を包み、一瞬で重厚な鎧兜姿に変わった。

 獅子劫は文句を言う余裕もなく、速度を落とし、敵に捕まらない程度の速度でセイバーがここまで切り開いてきた道を引き返す。

 最低でも、セイバーをサポートしつつ敵から身を隠せる場所を確保しなければならないからである。

 

 “赤”のセイバーは、敵に鞍替えした“赤”のバーサーカーと向き合う。

 身長差は約70センチメートル、体重差は約120キログラムにもなる。

 まさに大人と子ども。本来ならば、戦いにすらならない。それでも、セイバーは堂々とした風に剣を構える。

「バーサーカー。このパーティーの初戦が獣風情ってのも味気ねえが、まあいい。早々にぶっ飛ばせばいいだけだしな」

 彼女の中の優先順位は第一に因縁ある“黒”のアーチャー、第二に同クラスである“黒”のセイバーである。バーサーカーなど眼中にも入れていない。

 それでも、立ちふさがるのであれば蹴散らす。倒せる敵は倒しておく。

 爆発的な加速で、セイバーはバーサーカーの懐に入り込む。ロケットを思わせる突進は、バーサーカーの反応速度を優に超え、勢いのままに大剣は腹部に深々と突き立った。

 あまりの衝撃に、バーサーカーの巨体が宙に浮き、数メートルは後退した。

 分厚く、鋼鉄にも勝るバーサーカーの腹筋を貫いた大剣は、彼の血が柄まで滴っている。

「んだよ。あっけねえな」

 セイバーは吐き捨てる。

 獣程度の相手だけに、期待はしていなかったが、それでもあっさりと串刺しになってしまうなど期待はずれにもほどがある。

 セイバーは剣を引き抜こうとして、がっちりと剣が食い込んで動かないことに気が付いた。

「なん……」

「これしきのことで、私は倒れない」

 のっそりとした重々しい声でバーサーカーが話した(・・・)

「てめえ……ッ!」

 “赤”のバーサーカーのパラメータの中でも特筆すべきは、『耐久』と『狂化』であろう。そのランクはEX、つまり評価規格外である。

 バーサーカーは串刺しにされながらも常識はずれの耐久力で耐え抜いたのである。

 セイバーは総身が粟立った。

 バーサーカーが小剣を振り上げたこともあるが、何よりも腹を貫かれていながらも笑顔を絶やさないことが、異様に過ぎる。

「オオオオォォォォォォォッ!」

 セイバーはバーサーカーの腹を蹴り、魔力をジェット噴射のように放出して後方に跳んだ。幾度か地面を転がる羽目になったが、それでもあの丸太のような腕から繰り出される斬撃の直撃を受けるよりはましだ。

 素早く起き上がったセイバーは兜に隠れた顔を怒りに歪ませる。

「畜生の分際で、人語を話すか。この、イカレ野郎」

 理性のないバーサーカーに泥をつけられたことがよほど腹に据えかねたらしい。

 セイバーは怒りのままに剣を握りなおした。

「ミンチになる覚悟はあるんだろうな……バーサーカーッ」

「ハハハハハハ、実に良い。私を畜生と呼ぶ貴様はまさしく圧制者の走狗。来たまえ、蹂躙して見せろ!」

 大きな口を開けて笑うバーサーカーの言葉が起爆剤となり、セイバーは雄叫びを上げて斬りかかる。

 剣を振るう小柄なセイバーと、屈強な肉体で刃を受け止めるバーサーカー。

 通常では子どもが大人に突っかかっているような光景になるのだろうが、そこは互いにサーヴァントだ。実際にはセイバーの斬撃を目で追うことはできず、これを身体で受け止めるなど浅はかにも程がある。“黒”のセイバーのような防御宝具にまで昇華した肉体を持つわけでもなく、“赤”のランサーのように神々に守護された鎧を持つわけでもない“赤”のバーサーカーは、純粋な身体の頑丈さだけで剣を受け止めようというのだ。

 いずれにしても、受け止めてから反撃するというプロセスを踏む以上、このバーサーカーに勝ち残る術はない。

 

 

 彼の宝具を考慮に入れなければの話だが――――――――。

 

 

 




Cパート
 魔法少女。
 絶望を喰らい成長する黒化英霊を人知れず倒す正義の味方。
 そう思っていた時期もあった。
 
 唐突に倒れたクロを、凛が抱き起こした。
「何よコレ……この娘、死んでるじゃない!」
 戦慄が駆け抜ける。

「もう一人じゃありませんわ」
 ルヴィアはガンドを連射して敵を打ち砕く。

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。奇跡も魔法もあるんだから」
 クロは怪我で中華鍋を振れなくなった士郎の手を取った。



「世界を渡れるんだよね、ミユ……」
 力尽きたイリヤは曇天を見上げて涙を流す。
 頷く美遊に、イリヤは最後の願いを託した。
「ルビーに騙されたバカなわたしを助けてあげて」


「必ず助ける。イリヤはわたしが守る」
 少女はただ一人、親友を守るために世界を渡る。

 魔法少女いりやマギカ、はじまります。


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十七話

 “黒”のバーサーカーは戦列を離れて森を疾駆する。

 敵対する“赤”の陣営のサーヴァントを求めてのことだが、マスターからの念話ですでに“黒”のセイバーと“赤”のランサー、“黒”のランサーと“赤”のアーチャー、“黒”のライダーと“赤”のアサシン、“黒”のアーチャーと“赤”のライダー、そして“赤”のバーサーカーと“赤”のセイバーが交戦中とのことだ。彼女は完全に出遅れている。“黒”のキャスターは全体を俯瞰しゴーレムを操っているので、バーサーカーの役目は自ずと“赤”のキャスターを打倒することとなるはずだ。

 バーサーカーは宙に浮かぶ城を見上げる。

 念話によると、あれはアサシンの宝具だという。キャスターだとばかり思っていたがそうではないらしい。だとすると、“赤”のキャスターはあの城の奥にいるのではないか。『キャスター』のクラスは自分にとって都合のよい環境を整える『陣地作成』のスキルを持つ。それは、魔術師の工房であり城だ。基本的にキャスターは打って出ることはなく、『待ち』の姿勢でいることが多い。

 さて、アサシンの大宝具である城の内部に工房が設置されていた場合、“赤”のキャスターの守りはミレニア城塞の城壁を遥かに上回るものとなる。おそらく、彼女の火力で抜くことはできないだろう。

 そうなると、あの空中庭園の中に潜入しなければならないが、“黒”のライダーと“赤”のアサシンの激突は空を斬り裂く華々しい魔力光を散らしている。

 『対魔力』がAランクのライダーですら、一定の距離を維持しなければならないほどの高度な魔術を連発するあの空中庭園に近づくことは、バーサーカーにとっての死を意味する。

「ウ……ヴゥ……」

 狂戦士でありながら、高度な知性を維持している彼女は生死のなんたるかを知っている。死んでしまえば元も子もないということを理解しているが故に、逡巡する。だが、長考はしない。そもそも、そのような思考には耐えられない。できるか否か、やるかやらないか。それだけである。そして、やらねばならないことが明白ならば、考える余地など初めからない。

 問題は、どうやってあの空中庭園に侵入するかである。

 可能性があるとすれば、令呪による転移くらいしかないが、あそこに“赤”のキャスターがいる保証はない。いなかった場合は令呪の無駄使いになってしまう。

 その時、木陰に人影を認めてメイスを抜き放つ。

「おや、なるほど。どうやら私の相手は貴女のようですね。“黒”のバーサーカー――――フランケンシュタイン」

 現れたのは黒衣白髪の青年だ。

 見たところ、鍛えてはいるようだが人の枠を越えるほどではない。この戦場にいる以上は敵側のマスターであることは変わりないのだが、ここまで堂々と姿を曝しているのが気にかかる。“黒”の陣営のマスターたちはこの戦いがサーヴァント同士の戦いと断じて要塞に篭っている。まさか、このマスターはその思考を読んで要塞に殴りこみをかけようとしているのだろうか。

 それはあまりにも、“黒”の陣営を甘く見ているとしか言いようがない。

 だが、バーサーカーがいぶかしむのは、この青年の行動ではない。そんなものは、考えなしのマスターということで片付く話。問題なのは、彼が自分の真名を平然と口にしたということだ。

「ヴヴ……ヴ……」

 そもそも言語能力のない彼女は自分の意思をYesとNoで伝えることしかできない。自分の名前など、こちら側のマスターかサーヴァントが口を割らない限りは漏れる情報ではないのである。

「ふむ、確かに貴女は狂戦士でありながらある程度高次の思考回路を保持しているようですね。なんとも近代的な英雄です」

 屈託のない笑みを浮かべて、青年は手を差し出した。

「私は貴女をよく知っている。よく理解している。どうです、貴女さえよければスパルタクスの代わりにこちらに来ませんか? 待遇は応相談で、決して悪いようにはしませんよ?」

 その手に、バーサーカーはメイスを振るった。

 明確な拒絶の意を受けて、青年は苦笑して半歩下がった。

「おや、残念」

「そりゃ、そうでしょうよ、マスター」

 青年の背後に実体化したサーヴァントを認識していよいよバーサーカーの警戒心は最高潮に達した。

 やはり、敵のマスター。従えるサーヴァントは、現状確認されていない唯一のクラス。つまり、“赤”のキャスターで決まりだ。

「おっと、失礼。戦うのは我輩ではありませんよ。貴女のダンスのお相手はあくまでもこちらの我がマスター。我輩はただ見守り、応援するだけ」

 そして、そのサーヴァントは事もあろうにマスターの背に隠れるように後退したのである。

「ええ、その通り。貴女の相手はこの私。シロウ・コトミネが務めます」

 そう言って、青年――――シロウは腕を振るった。

「ッ!」

 バーサーカーは咄嗟にメイスを回転させる。

 三回、立て続けに金属音が響き、地面に銀色の剣が落下した。

 『黒鍵』という教会の代行者が使用する概念武装だ。もっともスタンダードな装備ながら扱いが難しく、好んで使う者はよほどの好き者か真正の実力者くらいであろう。そして、今の抜き打ちを見る限りこの男はかなりの腕前だ。サーヴァントの前に立つだけのことはあるということか。

「ナーーーーーーーーーーーーオォゥゥゥッ!」

 だが、それだけだ。

 所詮は人間技に過ぎない。

 如何なる策を巡らしたところで、サーヴァントに人間が敵う道理はない。

 バーサーカーは実体化した敵のキャスターに注意を払いつつも、目下の障害をこのシロウと名乗ったマスターだと認識した。

 魔力を振り撒いて、バーサーカーは突貫する。シロウが四本の黒鍵を投じる。人間にしてはなかなかの技の冴え。しかし、正面から芸もなく投じられただけの黒鍵など、避けるまでもない。

 バーサーカーはメイスを振るって障害物を除去し、突き進む。彼我の距離は僅かに二メートル。後一歩踏み込めば、それだけであの白髪頭をミンチにできる距離だ。

「惜しい惜しい」

 それにも拘らず、シロウは薄ら笑いを浮かべているのだ。気色が悪い。

告げる(セット)

 シロウの身体から魔力の気配を感じた。

 直後、バーサーカーは身の危険を察して速度を緩め、身体を捻ってメイス――――『乙女の貞節(ブライダル・チェスト)』を振るう。なんと、打ち落としたはずの黒鍵が回転しながらバーサーカーの首を狙っていたのだ。

 そこに、シロウがさらなる追撃を仕掛ける。

 右手の指に挟み込む黒鍵は三本。それを投じる。背後からの攻撃に対応したバーサーカーは崩れた体勢でこれを迎撃しなければならなかった。

 メイスと黒鍵が激突する。今まで通り、何事もなく弾き返せると油断していたバーサーカーは、理性なき思考を驚愕に染める。

 信じがたいことに、バーサーカーの膂力でも受け止め切れないほどの衝撃が、彼女を襲ったのだ。体勢を崩していたこともあり、バーサーカーは跳ね飛ばされた。

 魔術的な何かが用いられたのか。サーヴァントである彼女を跳ね飛ばすなど、通常の人間の筋力では不可能である。

「ヴ……ウゥゥッ」

 受身を取って立ち上がる。

 苛立ちが募る。

 油断ならぬ敵だが、人間だ。その人間に、手玉に取られているのが気に入らない。

「ヴヴヴ、ナーーーーーーーーオウッ」

 叫び、魔力をジェット噴射のように利用して突撃する。

「来ましたか。キャスター、私の刀を」

「ええ、ええ、いいでしょう。存分にお使いください! 烈火の如き戦いは、未来永劫醒めることのない物語を紡ぎだす! さあ、我がマスターよ。貴方の栄光の物語を、どうか我輩に見せてくださいませ!」

 シロウが手を虚空に翳すと、落雷めいた閃光と共に一振りの日本刀が現れる。

 バーサーカーは、一目でそれが宝具であると看破する。

 この人間は宝具を使うのか!

 だが、それでも身体能力はバーサーカーが上だ。筋力も速度も上回っている上に、なによりもバーサーカーに疲労はない。それが、この敵マスターと彼女の単純で明確で致命的な差。

 バーサーカーは途切れることなく連撃を放つ。

 一撃当たればそれだけでシロウは即死する。シロウは嵐のようなバーサーカーの攻撃を、刀を振るって掻い潜る。通常の武具ならば折れ曲がり使い物にならなくなるはずだが、宝具にまでなった刀はバーサーカーの攻撃を防ぐ楯として存分に機能していた。

 シロウの剣術はほぼ並だった。

 達人には程遠く、華々しく戦う武の体現者たちとは比較にならないものだ。ただただ基礎に忠実な剣術は、堅実ではあるが決定力に欠け、無骨極まりない。そんな剣術に、バーサーカーが遅れを取るはずがない。バーサーカーも、武人として名を馳せたわけではない。だが、サーヴァントであるという以前に、機械仕掛けという時点で人間を遥かに上回る身体能力を持っているのである。加えて、バーサーカーは第二種永久機関を擬似的に再現した存在だ。大気中の魔力を取り込んで自らの活動に再利用することができる彼女には疲労や魔力不足という心配がない。理論上無限に活動を続けることのできるバーサーカーに、体力や精神力の限界がある生物である人間が敵う道理がそもそもないのだ。

 時間はバーサーカーを利するのみ。

 どういうわけか攻めきれない苛立ちを雄叫びでかき消して、バーサーカーはメイスを振るい続ける。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “黒”のキャスターは戦場を俯瞰する。彼のゴーレムは尖兵としては有能だが、サーヴァントに止めを刺すのには向いていない。それなりに強い物でも十合と持たないからである。

 しかし、それは彼のゴーレムが弱いということを意味しない。

 普通の魔術師が作ったゴーレムは、サーヴァントと相対して一合と持たないのだ。僅かでもサーヴァントと打ち合えるのは、キャスターのゴーレムがそれだけ強力だからである。

 戦場となる草原に、キャスターのゴーレムはばら撒かれている。およそ、この戦場で起こっている事象はキャスターの下に情報として入ってくる。

 彼の役目は、各戦場の情報を伝える司令塔なのである。

「叶うことならばこの戦場で僕の宝具を使いたかったのだが」

 A+ランクの対軍宝具だ。単純な神秘は“黒”の陣営でも最高だと自負している。何よりも、キャスターはその宝具を完成させるため(・・・・・・・)にこの聖杯戦争に参加している。

 生前創り出すことのできなかった史上最高のゴーレムを製作する。彼には聖杯に託す望みなどなく、宝具の起動と宝具が織り成す世界を見ることだけが彼のユメなのだ。

 一度動き出せば世界を塗り替える至高のゴーレム。ゴーレムの原点にして原典。苦難に満ちた民草を栄光に導く者。それが、彼の宝具『王冠・叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』なのだ。

 問題は、生前完成させることができなかったことから、この時代でも特定の材料を集めて一から創らなければならないということである。

 ダーニックが資産の三割を割いて、必要な材料を集めてくれたおかげでその問題もクリアしつつある。後は最後の一手。『炉心』を手に入れればすぐにでも起動ができる。

“先生!”

 黙考していたキャスターの下に念話が届く。

 彼のマスターであるロシェだ。“黒”の陣営でも最年少ながら稀有な魔術の才を持つゴーレム使い。つまり、彼はキャスターの魔術を受け継いだ家系の出身でもあるのだ。

 時の果てに、自分の魔術の後継者がいる。人嫌いを自認するキャスターにとっては、極めて意外で不可思議な事実である。

“どうしたんだ、ロシェ”

“あの、先生。戻ってきたら、ゴーレムを見てもらえませんか? 今度は上手くいったと思うんです”

 ほう、とキャスターは感心する。

 ロシェのゴーレムに対する情熱はなかなかのものがあった。実力も秀でていて、生前ならば弟子にしてもいいと思えたくらいである。

“では、時間があれば見させてもらう”

“ありがとうございます!”

 およそ、戦場でする会話ではない。

 だが、それも仕方がないだろう。彼はキャスターの敗北など考えてもいない。ロシェはキャスターが戻ってくると信じきっているし、キャスターもまたこの戦いで果てることなど望んでいない。彼の望みは聖杯に託すようなものではないが、それでもユメ半ばに倒れるようなことがあってはならない。

“危ないから、工房に戻っていなさい”

 キャスターにそう言われてロシェはそそくさとキャスターの工房に戻った。ミレニア城塞の中でも、キャスターの工房ほど安全な場所はないだろう。魔術的な要塞ではなく、ゴーレムの生産工場となっている彼の工房だが、その役割から戦場に出撃していないゴーレムたちが未だに眠っている。万が一侵入を許しても、即座にそのゴーレムたちが迎撃に出ることができる。

 そのため、キャスターはロシェには工房に入っていてもらわねばならない。仮にロシェが討たれてしまえば、キャスターが五体満足でも消滅を免れないからだ。

「やはり、子どもは苦手だ」

 生前は病を患っていたこともあり、人を遠ざける生活を送っていた。それが人間嫌いを加速度的に進行させる要因にもなったのだが、何の偶然か第二の生を得てロシェと言葉を交わすようなことになろうとは。

 まあ、悪くはない。

 個人的にロシェには好感を持っているのである。ただ、子ども慣れしていないというだけで、ロシェを嫌う要素はないのである。

 そこにゴーレムを通して興味深い情報が入った。

 主戦場となっている草原から僅かに外れた森の中で、“(こちら)”のバーサーカーと“赤”のキャスターとそのマスターが交戦をし始めたらしい。

「ふむ……」

 キャスターは頤に手を当てて僅かに思案する。

 それからゴーレムを操って、一団をバーサーカーの元に向かわせた。

 どういうわけか、“赤”のキャスターは戦わずマスターに戦わせているのだという。サーヴァントに匹敵する魔術師などそうそういるはずもない。いたと仮定しても、バーサーカーの相手をしながらゴーレムの集団に対処するなど不可能だろう。

 “赤”のマスターならば、炉心にしても構うまい。幸い、敵のキャスターに戦闘能力はないようだし、“黒”のバーサーカーが炉心を殺してしまう前に回収しておきたいのである。

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のセイバーには、敵対する大男がもともと“赤”の陣営であったなどという意識は毛頭ない。端から暴走して使い潰されるだけの駒だというシビアな認識だったし、だからこそ、彼が暴走して“黒”の陣営に乗り込んで行ったときにも早々に見切りをつけていた。

 だが、結局敵対するのであれば、あの時に斬っておけばよかったとも思う。

 “赤”のバーサーカー、スパルタクス。

 神話と史実の境目。紀元前のローマ帝国を震撼させた反乱の首謀者である剣闘士だ。

 『筋力』A、『耐久』EXという極めて高い数値。その一方で『敏捷』はDランクとセイバーに比べれば鈍足に過ぎる値だ。

 どれだけ破壊力があろうとも、当たらなければ意味がない。

 セイバーは重装甲を物ともしない爆発的な加速でバーサーカーを翻弄し、愛剣で滅多やたらに斬り付ける。

「オオッ!」

 赤雷が弾け、剣閃が夜闇に紅い線を引く。

 青白いバーサーカーの肌は、セイバーが剣を振るうたびに斬り裂かれ、肉と血を露出させる。

「ハハハハハハ。大した剣だ。どれ、もっと痛めつけてみるがいい」

 バーサーカーは気色を露にして微笑んだ。額が割れて血が流れ出ているのに、顔には戦闘が始まってからずっと笑顔が張り付いている。

「コイツ、キメェ……」

 セイバーの背筋に冷や汗が浮かぶ。

 彼女も今まで様々な敵と戦ってきた。そこには誇りがあり、名誉があり、喜びが、憎悪があり、怒りがあった。無論、快楽というものもあったはずだ。しかし、剣で斬りつけられて悦に入るのは、さすがにぶっ飛んでいるとしか思えない。

「いや、だからこそのバーサーカーか」

 彼は口が利けるが意思疎通できるわけではない。『狂化』のランクがEXと桁外れに高いくせに人語を話すのでどうしたのかと思ったが、このサーヴァントは思考が固定されている。それはおそらく彼が生前歩んだ、『困難』という名の道を突き進む行為に限定されているのだろう。

「ハッ……そんなに欲しいんならくれてやるよ。脳天にブッ刺して、イッちまいなッ!」

 セイバーは『魔力放出』でブーストし、バーサーカーの懐に飛び込む。そのまま、青白い膝を足場にして身体ごと剣をバーサーカーの顎に突き立てた。

 セイバーの剣はバーサーカーの下顎から脳天まで貫通し、押し出された脳漿が耳からこぼれ出た。

 さすがのバーサーカーも動きを止める。ごぼり、と口から血が溢れる。砕けた顎がぶら下がり、無残な姿を曝した。

 そして、黒目がぎょろりと動き、セイバーを捉えた。

「テメッ!?」

 バーサーカーが、両手を大きく広げ、セイバーの小さな身体を抱きしめた。

 脳を潰されていながら活動するなどありえない。サーヴァントの霊核は脳と心臓にあり、どちらか一方が破壊されれば消えるしかないのが常識だ。

 だが、常識はずれの耐久力はセイバーの攻撃から身を守り続け、宝具である『疵獣の咆哮(クライング・ウォーモンガー)』はセイバーから受けたダメージを魔力に変換し肉体に蓄積する。そして、蓄積された魔力はバーサーカーの身体能力を向上させるブースターとなるのだ。

 ただでさえ強力な筋力が、さらに増強される。

「ほうら、抱き締めて上げよう」

 砕けた顎の奥から響く不気味な声。そして、異様な金属音が響く。

「あ、ぐがあああああああああああッ!!」

 丸太のような両腕がセイバーを締め上げる。Bランクの『耐久』を持ち、重装甲に身を包んだセイバーでもこのままでは押し潰されてしまうのは明白だ。

「な、めんじゃ、ねえェェェェェェッ!!」

 赤雷が全方面に噴射された。『魔力放出』の攻撃のための用法。密着状態からのジェット噴射は、バーサーカーのみならずその足元の地面を抉るほどの威力であり、セイバーを抱きかかえていたバーサーカーからすれば文字通り手榴弾を抱きかかえていたのと同じような状態に陥ったのである。

 爆発音と共に、セイバーが投げ出される。

 地面に強く叩きつけられて転がるも、すぐに起き上がる。剣を構えなおし、バーサーカーを見る。

 崩れ落ちるバーサーカーの膝。上半身は腹部から上が大きく捻じ曲がり、右半身が大きく抉れていた。両腕は肘から先が吹き飛んでいる。原形を留めているのは下半身だけという惨状で、ボトボトと臓物が零れ墜ち、肉が飛び散った。

「手間、かけさせやがって狂獣風情が」

 刀身の血を払うように大きく剣を振って肩に担ぐ。

 あれでは如何に『耐久』がEXランクであっても瀕死は免れまい。バーサーカーはもともと通常のサーヴァントの二倍の魔力を消費するクラスでもある。あれほどの傷を治癒しようとすれば、マスターの方が枯れてしまう。

 勝敗はここに決した――――かに見えた。

「何?」

 セイバーは目を見張った。

 バーサーカーの骸がもぞもぞと動き出したのである。傷口からは血の泡が溢れ出て、肉が盛り上がる。吹き飛んだ両腕は、なぜか傷口から二股に分かれて腕の数が倍になった。抉れた上半身は亀の甲羅を背負っているかのように背中が膨らみ、頭が肉の壁に半ばまでめり込む。

“なあ、マスター”

“なんだ、セイバー”

 堪らず、セイバーは念話で獅子劫に語りかけた。

“ローマってのはどうやってあの怪物を囲ってたんだ?”

“囲えなかったから反乱されたんだろ”

“ああ、まあ、それもそうだけどよ”

 セイバーはバーサーカーを睨む。すでに人の姿を忘却している。神の加護も悪魔の契約もなしに、異形と化すとは、あまりに常軌を逸している。

 頭を貫いても、上半身を吹き飛ばしても復活する。細胞レベルで蒸発させる以外に倒す術はあるのだろうか。

「まあ、いい。死ぬまでやるだけだ」

 巨人殺しはアーサー王も成し遂げた偉業だ。彼の後継であるモードレッドが臆する道理はない。

 セイバーは戦意を露に、バーサーカーに斬りかかって行った。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “赤”のライダーは森を飛ぶように駆ける。

 鬱蒼とした木々が行く手を遮っているにも拘らず、速度が低下することはない。最速の英霊たる『ランサー』を尻目に両陣営の中で最高の『敏捷』を誇っている。なにせ、彼の真名はアキレウス。あらゆる英雄の中で最も速いとされた神速の英雄なのだ。

「どこだ、“黒”のアーチャー! 隠れてないで出て来い!」

 視界の端に光るものを見つける。ライダーは槍を振るい剣を弾く。その瞬間を狙っていたように、四方と上方から計五挺の剣が襲い掛かってくる。

 おそらくはすべてが対神宝具だ。ライダーの身体に傷をつけるにはそれしかない。

「小細工を!」

 ライダーは苛立ち混じりに舌打ちし、枝を蹴る。一足で最高速度になったライダーは、剣の包囲網を容易く抜ける。後方で宝具が爆発したようだが、その時にはすでにライダーは爆発の効果範囲から逃れていた。

 爆風すらもライダーの背中に届かない。

 まさしく疾風。

 吹き渡る風の如くライダーは森を駆け抜け、アーチャーの仕掛けたトラップを潜り抜けていく。トラップの反応速度が、ライダーの移動速度に追いつけない。

 降り注ぐ剣の雨。

 ライダーは止まらない。

「止まって見えんだよ、そんなのはな!」

 またしても一足飛びに罠を抜ける。

「こんなものか、“黒”のアーチャー! 小賢しい罠ばかりでまともに相対しようとしない。貴様はそれでも英雄か! 英雄の誇りはどうした!」

 大木の枝に着地して、ライダーは叫んだ。

 槍の石突で枝を叩き、苛立ちを露にする。

 アーチャーからの返答はない。代わりに、捻れた剣が射出された。

「チィ……」

 ライダーは身を屈めてこれを避ける。

 標的を見失った剣は、木々を削り飛ばして闇の中に消えていった。

「ああ、理解したぞ。テメエは俺の嫌いなタイプだ」

 ダン、とライダーは枝を蹴る。瞬間的に最高速度に達したライダーは、目にも止まらぬ速度で移動する。

 トラップは底を突いたか。どの道如何なるトラップを仕掛けたところでライダーには意味がない。ライダーを傷付けることができるのは対神宝具のみ。そして、それは宝具であるが故に、膨大な魔力を放っている。トラップとして使用するにはもともと目立ちすぎる代物だ。そして、アーチャーもまた身を隠すことができない。宝具を使用するアーチャーの居場所は森の中で火を焚いているかのようにはっきりと知覚できる。

 轟という風切り音を聞いて、ライダーは身を捻る。

 真紅の剣は、ライダーの肩口を浅く切って背後に消える。そうしている間にライダーは片手で目前の枝に手を突き、前に押し出すようにして勢いを付ける。

 風を切り、矢よりも速く駆け抜ける。

 彼は亜種聖杯戦争を含めた全聖杯戦争の中で最速のサーヴァント。襲い掛かる光の先に立つ弓兵を目掛けて一直線に突き進む。

 

 

 ザン、という足音。

 ライダーが大地を踏みしめ、遅れて枯葉が舞った。

「やっとご対面だな、“黒”のアーチャー」

 浅黒い肌と白髪を持つ男。手には赤黒い弓が握られている。鷹の目を思わせる鋭い眼光は、なるほど確かに弓兵といったところか。

「覚悟はいいな、アーチャー」

 ライダーの問いに、アーチャーは失笑を漏らす。

「それは、君にも言えることだぞ。“赤”のライダー。まさか、もうすでに勝った気になっているのか?」

 おかしい話だ。

 ライダーは確かにアーチャーを追い詰めている。

 長距離物理攻撃に特化しているからこその『弓兵(アーチャー)』だ。“黒”のアーチャーの矢はすべてが宝具という信じられないものであり、物理攻撃手段としては最高峰と言える。だが、それでもアーチャーはライダーを仕留めることができず、こうして接近を許してしまっている。

 十メートルもない至近距離。それは、ライダーならば、相手が弓に矢を番える間もなく槍で心臓を撃ち抜くことができる距離だ。

 睨み合いの中で徐にアーチャーが手を動かした。

「させるかよッ!」

 射る前に殺す。ライダーは神速の突きでアーチャーの心臓を狙う。しかし、その直後、人を覆い隠すほどの大きな剣が眼前に何挺も現れ、壁を作り出したことで好機を逸した。

 一突きで五挺の剣を砕いた。だが、アーチャーには届かない。そして、砕けた剣の向こうで、螺旋くれた宝具が牙を剥く。

「ぐ……ッ!」

 ライダーは持ち前の反射神経と運動神経で瞬時に飛び退き、放たれた矢をかわした。

「さて、“赤”のライダー」

 アーチャーは弓を片手に泰然として、ライダーの前に立つ。

「覚悟はいいかね?」

 その意趣返しに、ライダーは喜悦を露にして笑う。

「ハッ――――上等だ、アーチャー!」

 

 

 

 □

 

 

 

 “黒”のセイバーと“赤”のランサーの戦いは依然として拮抗したままである。

 小手調べ程度の戦いで、丸一晩打ち合ったのだ。開始から一時間も経たないのでは勝敗を決することなどないだろう。

 以前と異なり、互いに必殺を誓って刃を取るが、だからこそ拮抗が続くという側面もある。

 セイバーが渾身の力を込めて聖剣をランサーに叩き付ける。しかし、それもランサーの黄金の鎧に妨げられて決定打にはならない。

 ランサーの鎧はAランクの防御宝具。神々でさえ破壊は困難とされる、光の結晶だ。インドラでさえ、破壊を諦めて姦計を以て強奪したほどの防具に守られたランサーを誰が傷付けられようか。斬り付けるだけ無駄であり、それは徒労である。

 だというのに、ランサーは感嘆の念を禁じえない。

 セイバーの剣は確実にランサーの身体に届いている。大幅にダメージを低下させているが、確かに傷を負わせているのだ。持ち前の自己治癒能力で修復できる程度であり、大勢には影響がない。だがしかし、傷を負わせるということがすでにして尋常の域ではない。ランサーは、これほどの好敵手に巡り合えた奇縁に感謝して槍を振るう。

「……」

 ランサーはセイバーの打ち込みを受けきれずに後退する。

 セイバーの剣が、以前打ち合ったときよりも重い。ステータスが召喚されてから変わることはないだろうし、見た目にも変化はない。

 これは恐らくは心情の変化によるものか。

 目を見れば分かる。

 剣を振るうことに一切の迷いがなく、自分を打ち倒すべき敵と認識してそこに立っている。

「どうやら、短い期間に何かあったらしいな。以前に比べて格段に重くなった」

 ランサーの言葉にセイバーは僅かばかり目を見張る。

「貴公ほどの英雄にそのように評して貰えるのはありがたい。だが、だからと言って加減はできない。今日の俺はマスターに勝利を献上すべくここにいる」

 答えがあるとは思っていなかったランサーもまた少し驚いたように表情を変える。

 それから、ランサーは頷いて槍を構えなおした。

「なるほど。剣を執る理由を見出したか。ならば、尚のこと今のお前は一筋縄では行かんだろう」

 そう言ったランサーの身体が、突如として眩い炎に包まれる。

 膨大な魔力が炎の形をとって顕現したのだ。

 スキル『魔力放出』。“赤”のセイバーが持つものと同名のスキルだが、ランサーのそれは『炎』に特化している。

 文字通りの爆発。太陽の如き煌きが地面を溶かし、ランサーの槍を射出する。

 燃え盛る炎が槍の穂先に収斂し、灼熱の神槍がセイバーの肩口を抉った。

「ッ……!」

 今度はセイバーがたたらを踏んで後退する。

 今まで受けた中で最も深い傷を負った。傷口は焼かれていて出血はない。マスターからの治癒魔術で修復する。

 炎を纏う槍の刺突は、セイバーの竜の鎧を以てしても脅威的である。

 セイバーとランサーの視線が交差する。

「勘違いするなよ。別に隠していたわけではない。サーヴァントとしてのオレは燃費が悪くてな、これもそう濫りに使用するわけにもいかないのだ」

 ランサーの真名は古代インドの大英雄カルナ。太陽神の息子であり、彼自身も現代に至るまで信仰され続けてきた英雄の中の英雄だ。黄金の鎧に神殺しの槍。そしてこの『魔力放出』。彼は存在するだけでも甚大な魔力消費を伴うサーヴァントなのである。

 ランサーは言葉の通りに炎をあっさりと収めた。しかし、槍の穂先は未だに熱を持ち陽炎を纏っている。

 太陽の化身とも思える戦士を前に、セイバーは僅かに口角を吊り上げた。

 そうでなければならないと、喜びを明確にする。

「来い、“赤”のランサー」

「行くぞ、“黒”のセイバー」

 赤熱の槍と黄昏の聖剣が激突する。

 稀代の大英雄同士が競い合う聖杯大戦の中でも彼らほど戦いを堪能しているサーヴァントもいないだろう。

 互いに口を噤み、ひたすらに相手を打倒するために頭と身体を酷使する。苦痛すらも敵を乗り越えるための試練の一つだと認識し、戦いに耽溺する。



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十八話

怨霊になって麗しのアタランテちゃんと合体したい。


 “黒”のライダーは、ヒポグリフを駆って空を行く。

 その軌道は曲線的でありながらも、直角軌道を織り交ぜるなど、物理的にありえない軌跡を描く。

 それは、如何に幻想の生物であるヒポグリフであろうとも身体に負担のかかる運動だ。だが、それをしなければならないほど、主従は追い込まれているのだから仕方がない。ヒポグリフとて撃ち落されたいはずがない。必死になって砲撃から身をかわし続ける。

 最高速度からの急激な方向転換。

 肉が引き攣り、骨が軋む。

 敵の名はセミラミス。『アサシン』のクラスで現界した、“赤”のサーヴァントであり、黒魔術と毒殺で伝説に名前を残したアッシリアの女王だ。

 だから、アサシンを名乗るのも分かるし、魔術を武器とすることも分かる。

 そして、魔術の心得がある程度の暗殺者であれば、“黒”のライダーとヒポグリフの主従が後れを取ることなどありえないのである。

 何せライダーにはあらゆる魔術を打ち破る魔本がある。

 その本を手に入れてから、彼を魔術で傷付けた者は皆無であり、サーヴァントとして召喚された彼はその伝説をAランクの『対魔力』として再現した。

 残念ながらライダーは魔本の真名をすっかり忘れているが、それでも持っているだけでAランクの『対魔力』を得ることができるのは大きい。『セイバー』のクラスに匹敵する高い対魔力は、現代の魔術の一切を無力化し、神代の魔術ですらほぼ防ぎきる。魔術という攻撃手段に訴える以上、“赤”のアサシンはライダーに討ち取られる運命にあるというのが、常識的な考え方だろう。

 そもそも魔術師たる『キャスター』のクラスは、魔術師の大儀式である聖杯戦争に於いて常に劣勢に立たざるを得ないというジレンマを抱えたクラスだ。基本となる七騎のうち半数が、大なり小なり『対魔力』のスキルを有していることがその理由であり、それゆえに多くの『キャスター』は工房に立て篭もり、その叡智を篭城と策謀に費やさねばならないのである。

 本来ならば、砲撃を思わせる遠距離攻撃という非常に強力な火力を以て敵を駆逐できるはずなのに、それが叶わない。結果、『キャスター』のクラスで亜種聖杯戦争を乗り切ったという報告は非常に少ないものとなった。

 だが、それは翻せば『対魔力』を突破するほどの神秘を持った『キャスター』であれば、その膨大な魔力と知識で敵を駆逐できるということでもある。

 

 “赤”のアサシンは召喚されたクラスこそ『キャスター』ではないが、『キャスター』のクラス別スキルを持っている。また彼女は、神々が跋扈していた神代の魔術師であり、彼女自身もまた女神とシリア人との間に生まれた半神半人の英雄だ。その身に宿る神秘は二千年を超える。

 

 扱う魔力はAランクを上回るEXランク。

 

 それは事実上、すべての『対魔力』を突破できるということを意味していた。

 

 展開する魔法陣(砲門)は計十一。

 すべてがライダーとヒポグリフに向けられている。

 一つ二つならば最速を以て回避可能。五つまでならなんとか持ちこたえられる。だが、両手の指で数えられないほどの大魔術の一斉掃射を受けては、さしものライダーとて抗し難い。

 

 青白い雷撃の渦がライダーの視界を覆い尽くす。

 ついに均衡が破れ、ライダーの全身に雷撃の蛇が絡みつく。

「うああああああああああああああああッ!!」

 ランクAの『対魔力』は突き破られて、内臓と骨を粉微塵にするかのような濃密な魔力に蹂躙される。

 ヒポグリフと共に、ライダーは落下する。

 墜落死。

 太陽に近付きすぎたイカロスのように、無作法にも女王の神殿に土足で踏み入ろうとした不心得者には相応しい末路であろう。

 アサシンは、醒めた目つきで戦場を俯瞰する。

 見たところ戦況は互角。

 炎を巻き上げ槍を振るう“赤”のランサーは“黒”のセイバーと打ち合っているし、“赤”のアーチャーは“黒”のランサーの杭を動物的な動きでかわし、僅かな隙間を縫って矢を放っている。“赤”のライダーは森に誘い込まれたらしいが、問題あるまい。あの大英雄の相手はアサシンのマスターと同じ名を持ち、マスターと同郷だと思われる謎の弓兵。宝具を湯水のように使うという規格外の能力で“赤”のライダーの不死を突破している。パラメータは低いが、正体不明のため、伝説から足跡や思考を探れない。謎というのは万全の体制を整えるべき『計画』の支障になり得る不確定要素である。ここで倒れてくれるとありがたい。

「さて、我がマスターは……」

 上手いこと、サーヴァントと出会えたらしい。

 “黒”のバーサーカー。敵の中では最も弱いサーヴァントだ。マスターの相手としては妥当だが、少し残念にも思うのだ。あの程度の雑兵では、マスターが追い詰められないではないか。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のライダーは愛用する槍を片手に“黒”のアーチャーと睨み合う。

 ライダーがアーチャーと直接接触するのはこれが初めてである。“黒”の陣営の中で唯一、自分の守りを突破して見せたサーヴァントということで非常に興味を持っていたし、決戦となればアーチャーを真っ先に仕留めると決めていた。

 自分に傷を負わせられないような相手と戦っても面白くもなんともない。それは作業であって戦いではない。

 子どもの我侭染みた思考は、しかし、確定的な未来を暗示していた。

 何せ、ライダーがどのように思っていようとも、“黒”の陣営はアーチャーで迎撃しなければならないのだ。

 ライダーが存在する限り、ライダーの相手はアーチャーで確定する。

 

 現状でライダーが有するアーチャーの情報は、宝具を大量に所持しているということと、“赤”のセイバーと斬り結んだということだけである。真名はおろか、容姿すらもここに至るまでは分からなかった。

「“(こっち)”のセイバーと斬り合ったってのは、マジか?」

 ライダーは油断なくアーチャーを観察しつつ、尋ねた。

「弓兵が剣を執ってはおかしいかな?」

「いや」

 と、ライダーは首を振る。

「弓兵だろうが剣も槍も執るだろうさ。戦争だからな」

 ライダーは、槍を持つ手に力を込める。

「ただ、俺が気にしてんのは、お前が早々にリタイアしちまわねえかってことだ!」

 ライダーは俊足の踏み込みで槍を突き放った。

 音すらも置き去りにして、アーチャーの心臓を抉りにいく。

 走る閃電。

 槍の白刃は、無骨な黒刃に阻まれる。

「何、心配には及ばん。私も簡単に倒れるつもりはないのでな」

 中華双剣を構えるアーチャーが皮肉げに笑みを浮かべる。

「ソイツがセイバーとやりあった剣か……」

 値踏みするように、ライダーは双剣を眺める。

 ライダーはこの双剣の独特な形状からそれが中国由来の剣だということを理解している。彼が生きていた時代の中国はちょうど殷の終わりごろであり、中国の文化に触れる機会はなかったものの、聖杯戦争にサーヴァントとして召喚された彼には時代を超えた知識がある。

 そして、ライダーは僅かに思考する。

 このアーチャーの正体は中国の英雄だろうか。

 中国神話は四千年を数える世界でも最古の部類。数多くの戦乱を経験したことで、名のある戦士は数多くいる。

 弓と双剣を使う戦士も皆無というわけではないが、それにしても宝具の数が異常だ。

 敵は待ちの姿勢。

 堅固な要塞を思わせる隙のない構えを見せる。

 どうやら、弓だけでなくこの双剣も相当使いこんでいるようだ。

 ライダーは慣れた手つきで槍を打ち込む。手先に狂いはなく、過たず胸を穿つ。ただの弓兵では、ここで終わっていただろう。

「チッ」

 白刃と白刃が絡み合い、槍が弾かれる。二の手をすかさず放つ。白き剣は間に合わない。だが、それも届かない。白刃を追うように斬り上げられた黒刃が穂先を払う。

 ライダーは『ランサー』として召喚されても問題がないほどの技量を持つ。そして、彼はあらゆる英雄の中でも最速を誇るアキレウスだ。刺突の速度も通常のサーヴァントとは比較にならない。

 

 打ち合わせた刃の数は十を超え、二十に達しようとしていた。

 それは、弓兵が至近距離でライダーの攻撃を捌ききっているということでもある。

 双剣と槍の相性もあるだろう。

 守りに徹した双剣を突き崩すのは難しい。手数の多さと取り回しのよさ、そして幅広の刀身が楯となって使い手を守るからだ。一方の槍は、刺突がどれほど速くても威力を得るためには引き戻しの作業がいる。それは、明確なタイムロスとなって双剣に対処する時間を与えることとなる。

「ッ」

 ライダーは背を仰け反らせて閃光をかわした。

 唐突に目前に現れた剣がライダーの眉間を狙ったのである。追撃の可能性を考慮して、一時距離を置く。驚異的な反射神経と運動神経による一連の行動は、すべて一息のうちに行われた。

 なかなか厄介だ。

 双剣による防御はライダーの突きを防ぎ、両手が塞がったままどこからともなく剣を召喚して射出する能力がある。

 双剣だけでなく、他の剣がどこから現れるか分からないのだから、これほど攻めにくい相手はいない。

 だが、この程度は小手調べでしかない。

 今の段階で、ライダーは七割ほどの力しか出していないのだから。

 

 

 

 

 対するアーチャーは心中穏やかというわけにはいかなかった。

 そもそも、アーチャーとライダーでは、英雄としての格が違いすぎる。三千年の歴史を持つ神代の大英雄と知名度補正が皆無の未来の弓兵では、サーヴァントとしてのスペックに断崖の如き差が生まれるのは想像に難くない。

 だからといって敗北を甘んじて受け入れるはずもないので、彼を傷付け得る宝具で罠を仕掛け、得意の脚力がある程度は封殺できると踏んだ森に誘い込み、遠距離からの狙撃で仕留めるという算段を立てていたのである。

 弓兵の真価は遠距離からの狙撃であり、敵の手の届かないところから一方的に射抜くのが正しい在り方だ。近接戦闘の心得があるからといって、あえて格上に近接戦闘を挑むのは愚の骨頂というものである。

 しかし、その常識を理解していても尚、アーチャーはライダーの接近を許してしまった。

 これはライダーの能力が、アーチャーの想定を遥かに上回っていたことと、ライダーに対抗し得る手札に限りがあるということに要因がある。

 障害物の多い森の中では速度を維持できないだろうという常識的推測は、ライダーの驚異的な機動力を前に覆された。A+ランクの『敏捷』だけで説明できるものではなく、速度を維持するようなスキルなり宝具なりを持っていると思われる。罠を置き去りにする速力で、ライダーは森を駆け抜けてきた。加えて、ライダーに対しては対神宝具以外にダメージを与えることができないという縛りがある。

 生前愛用してきた武具の大半は効果を発揮せず、慣れない対神宝具の投影は慣れ親しんだ宝具の投影に比べて時間がかかる。それがコンマ一秒未満の僅かな差であろうとも、最速の英雄にとっては十分にアーチャーの懐に潜りこめる隙となる。

 こうした要因のために、アーチャーはライダーの接近を許してしまった。

 

 ライダーに接近を許した時点で半ば以上詰んでいる。

 

 だが、アーチャーはライダーに敗北することは許されない。

 彼が敗れることはつまり、“黒”の陣営の敗北を意味するからだ。

 故に剣を執る。

 そもそも、生前からアーチャーはあらゆる敵が自分よりも格上だったのだ。今さら大英雄と対峙したところで、恐れることはない。

 

 両手の双剣は守りの布陣。

 対神宝具ではないので、武器としては役に立たない。だが、防具としては一級品だ。何よりも慣れ親しんだこの双剣は、弾かれても即座に投影できる。

 ライダーがアーチャーを仕留めるためには両手の双剣を叩き落してから胸を抉るしかない。つまりは最低でも三手必要になる。それだけの時間があれば、弾かれた側から投影できる。そうすれば、どちらか一方の手には剣が握られていることになり、決して無手にはならない。

 これが、アーチャーを圧倒しながらライダーが攻めきれない理由である。

「これで、三十七ァッ!」

 ライダーの槍がアーチャーの白刃を弾き飛ばす。

 黒き刃がライダーの槍を迎撃し、気が付けば白刃が手元に戻っている。そんなことを、三十七回も繰り返している。

「おいおい、さすがにおかしいだろ。同じ宝具を何個持ってんだお前! 量産品かよ、それ!」

「舌の回りは快調だな。ライダー。仮にも宝具だ。そこらに転がっている石ころのように言うのは止したまえ」

「お前が言うのかよ、それ」

 呆れ混じりのライダーは、それでも思考を止めない。

 アーチャーの技量は、かなりのものだが、それでも一流(セイバー)には及ばない。当然ながらトロイア戦争の大英雄たるライダーの敵ではない。が、それにも拘らず、この戦いは拮抗している。それは、彼の双剣術が守りに特化したものであるという点を加味してもおかしいのだ。

 それを実現するのが、弾いたはずの剣がいつの間にか手元にあるという怪現象。

 これが、この宝具の能力だということだろうか。

 何れにせよ、この拮抗状態を崩すには突き技や払い技とは別の一手が必要だ。

 ここにきて、ライダーは戦術を組み替えた。

 速度による連撃ではなく、フェイントを織り交ぜ、アーチャーの隙を窺うようにしたのだ。

 守りを剥ぎ取ることができないのであれば、守りをすり抜けて心臓を打つ。小技の応酬とここぞという場面での一撃、これのほうが有効だ。

 天秤は徐々にライダーの方に傾き始めていた。

 槍で双剣の片割れを弾き飛ばす。次の刺突を迎撃するのは残る一方。ここまでは先ほどまでとまったく同じ展開だ。ならばこの次は新たに現れた剣が第三の防壁となって立ちはだかるか――――否だ。焼き直しなどこりごりだ。アーチャーが剣を召喚して槍を防御する直前に、ライダーの蹴りが割り込んだ。

「ぐ……」

 ライダーの蹴りはアーチャーのボディアーマーに見事に入り、その身体を吹き飛ばした。

 均衡が崩れた。

 ライダーはこの隙を逃さない。

 体勢の崩れたアーチャーとの距離を一瞬で詰める。一陣の疾風は、文字通り目にも止まらぬ速さで以てアーチャーを必殺の距離に捉える。

「貰ったッ!」

 勝利を確信してライダーは刺突を繰り出す。

 双剣の守りは確かに鉄壁。正面から崩すのは至難の技だ。だが、片手で扱う武器という性質上、どうしても力で劣る。速度を加算したライダーの突きに対処することなどできるはずがない。

 アーチャーもまた、次に襲い掛かってくるライダーの攻撃を双剣で捌くことができないと理解していた。どこに刺突が繰り出されるか分からないが、とにかく防御しなければ敗北は必至。判断は一瞬よりも早く、身体はさらに判断の先を行く。

投影開始(トレース・オン)

 撃鉄を上げる。

 楯では投影が間に合わない。剣の類であり、あの刺突を防げるほどの硬度を持つもので、且つ楯としても機能するもの。

 ――――該当、アリ。

 イメージするのは最強の大英雄。

 誇り高き、巌の巨人、その斧剣だ。

「何ッ!?」

 ライダーが驚愕に目を剥いた。

 必殺を期して放った刺突は、またしても防がれた。

 ライダーとアーチャーの間に現れたのは、巨大な岩の剣。それは武器というよりも岩塊であり、研ぎ澄まされた刃もなければ、輝かしい装飾もない。ライダーの槍は、この岩塊に阻まれてアーチャーを取り逃がした。

 それだけならばまだいい。これがただの岩塊であれば、ライダーの槍を防いだことで役割を終えているからだ。だが、これは岩塊でありながら、剣でもあった。アーチャーの手は確かに柄と思しき部分に添えられている。

 止まっているわけにはいかない。

 この岩塊の正体は分からないが、もしも対神宝具であればライダーを斬り伏せることも可能なのだ。

 俊足を活かして後退する。その刹那――――

全工程投影完了(セット)――――是、射殺す百頭(ナインライブズ・ブレイドワークス)!」

 俊足を捕らえる神速の九連撃が放たれた。

 

 

 

 ランクにしてA以上。

 アーチャーが持つ宝具の真名解放の中でも最高峰の威力を誇り、近接戦では必殺と言うべき大斬撃。かの大英雄ヘラクレスが為した『ヒュドラ殺し』の逸話が昇華し流派となったもので、本来はヘラクレス以外に使い手のいない宝具である。

 ただの模倣。

 アーチャーではヘラクレスには届かない。

 しかし、それでもこの技はヘラクレスの神技である。

 九つの斬撃は、重なり合って獲物を捕らえる網となる。

 惜しむらくは対神宝具ではなかったことか。

 直撃はさせたが、ダメージにはならなかった。

 それでも、ライダーが地面から足を離していたこともあり、斬撃の衝撃で大きく距離を取ることには成功した。

 吹き飛ばされたライダーは膝を突くこともなく平然と立っている。

 だが、さすがに困惑しているようだ。

 一瞬とはいえ俊足を上回られた。それもあるが、それ以上に、

射殺す百頭(ナインライブズ)だと?」

 それは、彼と並ぶギリシャの大英雄が至った武の境地。彼と同じ師を仰ぎ、数多の伝説を生み出した男の技である。

「てめえ、マジで何者だ?」

「見て分からんかね?」

 アーチャーはライダーから距離を取ったこの間に投影の準備を進める。睨み合う時間すら、彼にとっては武器を生成する貴重な時間だ。

「しがない、ただの弓兵だよ」

 投影した対神宝具を弓に番え、無造作に射放った。

 

 

 




Cパート

 鏡面世界で、少女たちは人知れず戦う。
 生き残った最後の一人は、願いを叶えることができるという。契約英霊と同化して、少女は魔法少女へと変身する。


 戦いを降りることは許されない。
「わたしは……わたしは幸せになりたかっただけなのに!」
 クロの夢は夢に終わる。
「戦わなければ生き残れないの」
 美遊の言葉が、イリヤに非情な現実を叩き付ける。



 だが、それでもイリヤは叫ぶ。
「人を守るために魔法少女になったんだから、魔法少女を守ったっていい!」
 イリヤはカードを装填する。
《ファイナルベント》
約束された(エクス)――――――――勝利の剣(カリバー)!」


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十九話

召喚と同時に自害せよで七騎分の魂を回収して聖杯を完成させ、完成した聖杯で敵サーヴァントを殲滅し、再び七騎分の魂を回収して万全の状態になった聖杯で魔術協会に挑んだほうがいいんでわ?
なんて思った。
ヴラド三世を吸血鬼にするにしても、ユグドミレニアに害を与えるなって令呪で縛って、最後に自決させればよかったんじゃなかろうか。



「やはり向かうのか?」

 ホーエンハイムは、常と変わらない落ち着いた声で尋ねた。

「はい。それが、わたしの役目ですので」

 白髪赤目のホーエンハイムとは対照的な金髪碧眼の少女は、凛とした表情で頷いた。

 ルーラーのサーヴァント。真名はジャンヌ・ダルク。世界で最も高名な聖女の一人であり、祖国フランスに希望を齎した英雄だ。

 知名度はどこに行ってもほぼ最大値。とりわけ西洋では、彼女の名を知らぬ者は一人もいないだろう。

「ほむ君は、ここに残ってくださいね」

「む……悔しいが、仕方がないのだろう。俺にはあなたを手助けすることもできない」

 治癒魔術が施された短剣の効果で、彼の肉体は劣化を免れている。だが、それは通常のホムンクルスに比べればという程度であり、決してサーヴァントたちが鎬を削る戦場に飛び込めるものではない。

 迂闊に踏み込めば十中八九死が待っている。

「俺はここで、あなたの帰りを待っていることにする」

 帰りを待つ、という言葉に若干鼓動を早めてルーラーは頬を掻いた。

「なんというか、それは逆な気もしますが」

「?」

「ああ、いえ。こっちのことです。気にしないでください」

 取り繕うようにして、ルーラーは武装を展開し、鎧を身に纏う。

「ところで、何か言伝はありますか?」

 ルーラーの言葉に、ホーエンハイムは僅かに黙考する。

 それは、おそらく自分を救ってくれた彼らへの言葉であろう。

「もしかしたら、誰かには戦場で出会うかもしれませんので。せめて、言葉くらいは承りますよ?」

「分かった。それならば、俺は名を得て、街で元気にしていると伝えて欲しい。それと、感謝の言葉を」

 結局、彼らには礼を言うことすらできなかった。それが、心残りでならないのだ。

「分かりました」

 ルーラーは、しっかりと頷いた。

「……それでは、行って参ります」

 ルーラーは、それだけ言って走り出した。

 一度戦場の空気に触れれば、気持ちを切り替えることができる。

 ホーエンハイム、そしてアルマと過ごした時間は僅かではあるが、心が安らぐ一時だった。だが、この身は『ルーラー』だ。己が職責は、最期まで貫き通さなければならない。

 

 

 聖杯大戦は、その始まりからして異質である。

 本来の聖杯戦争は、最大でもサーヴァント七騎によるバトルロイヤルであり、“赤”と“黒”の二つの陣営に分かれて、文字通りの戦争を行うという展開になったことはない。

 参加サーヴァント数は計十四。

 それだけでも、冬木の聖杯戦争の二倍の数になる。

 そして、召喚されるサーヴァントは、そこらの亡霊などではなく、歴史や神話に名を残した偉人たちなのだ。彼ら一騎一騎が、龍を屠り、巨人を狩り、悪鬼羅刹を駆逐して人々の記憶に英雄として刻まれた猛者である。ただ一騎で一軍を相手にできる力の結晶が、十四騎揃って決戦となれば、周囲に与える影響も極めて甚大なものになりかねない。

 だが、果たしてそれだけだろうか。

 ルーラーは、胸に吹き込んでくる寒風の如き不安に突き動かされるようにして戦場に飛び込んだ。

 もともとルーラーが召喚されること自体が、聖杯戦争の根幹を揺るがす危険が差し迫っているのを示している。だが、その原因までは特定できない。ルーラーの役目は聖杯戦争が脱線しないように、彼女自身の采配で監督することである。

 戦場に感じるサーヴァントの気配は十四。すべてのサーヴァントがこの草原と森を舞台に戦っているようだ。

 この聖杯大戦はどこかおかしい。

 サーヴァントの数はこの際問題ではない。

 ルーラーがフランス人の少女の肉体に憑依する形での変則召喚だったということがそもそもの疑問の出発点だが、それはこのルーマニアに到達したときに“赤”のランサーに襲撃された一件で半ば確信に変わった。

 どういうわけか、“赤”の陣営は自分を排斥しようとしているらしい。

 基本的に中立の立場にいるルーラーを意図的に攻撃する時点で、何か後ろ暗いものを抱えているのは明白だ。それが、ルーラーをここまで急きたてる要因に違いない。

 だからこそ、ルーラーの目的は“赤”のマスターだ。

 彼らの真意を問いただし、見極めなければ、公正な判断はもはや不可能である。

「む……!」

 ルーラーの前に立ちはだかるのは、無数の竜牙兵たち。“黒”のキャスターが操るゴーレムを無視してルーラーを攻撃しようとしている。

「やはり……ッ!」

 ルーラーは聖旗を振るい、竜牙兵を一纏めになぎ倒す。

 ここまで明確に敵対行動を取ってくれれば、むしろ分かりやすい。

 一山いくらの雑兵をどれだけ並べたところで、ルーラーに対しては足止めにもならない。サーヴァントに相対するにはサーヴァント。それが原則であり、イレギュラークラスの『ルーラー』に召喚されたサーヴァントと雖も保有する戦闘能力は通常のサーヴァントに劣ることはない。さらに、彼女には聖杯戦争を監督するという役割がある以上、一流のサーヴァントを相手にしても有利に戦えるだけの特権が付与されている。それだけ強力なサーヴァントを、中立と分かっていて攻撃するのだから、これはよほどの事情を抱えているに違いない。

 幸い、“赤”の陣営の拠点は分かっている。

 宙に浮かぶさかしまの空中庭園が、そうであろう。

 宙に浮かぶ超巨大宝具など、早々現れるものではない。あれを操るのは、未だに物理法則が安定していなかった神代の魔術師であろう。

「ッ!」

 ルーラーは咄嗟に旗を振った。

 瞬間、全身に壮絶な衝撃が襲い掛かってきた。眩い光に包まれて、視界が白く染まる。

 空中庭園から放たれたEXランクの魔術である。

 なんという強大な魔術だろう。神秘の濃密さは魔法にすら匹敵するのではないか。だが、それだけの攻撃の直撃を受けていながら、ルーラーは無傷だ。彼女の対魔力はEXランク。事実上、すべての魔術が彼女には通じない。

 故に、魔術師(キャスター)ではルーラーは倒せない。

「く……ッ!」

 しかし、それが分かっていながら爆撃は止まるところを知らない。

 雷撃に爆炎、魔力砲撃などなど多彩な魔術がルーラーに放たれては弾かれる。辺り一帯は瞬く間に焼け野原となり、無事なのはルーラーが立っている場所だけだ。ゴーレムも竜牙兵もすべて、ルーラーを避けて四方に散ったEXランクの魔術で消し飛ばされている。

 ルーラーの対魔力は魔術を打ち消すのではなく散らす。

 彼女自身は魔術で無傷でも、周囲はルーラーに弾かれた魔術で焼き払われるのである。

 周囲に人がいなくて良かった。

 ルーラーはほっと胸を撫で下ろしつつ、状況を分析する。

 先ほどまで周囲に群がっていた竜牙兵は消滅した。その代わり、間断なく魔術が降り注いでくる。ルーラーが傷つかないと分かっていながら攻撃を続けるのは、やけくそになったからではない。そこには明確な意図がある。彼、あるいは彼女は、ルーラーを倒すのではなく足止めをしようとしているのだ。翻せば、それはこの先に聖杯大戦の鍵を握る人物がいるということでもある。

 ならば、押し通るのみ。

「ハアッ!」

 聖旗を振るい、魔術を消し飛ばし、地面を踏みしめて一気に駆け出す。竜牙兵も消失した今、辺りは何もない平原になっている。ルーラーを邪魔するのは空から降り注ぐ光の柱だけであり、それも大した意味を成さない。

 ルーラーを止めるには、物理的な壁が必要だ。

 そのようなものは早々現れない。ルーラーを止めるものは、もはや何もないかのように思われた。

 ルーラーにとって最悪なことに、そして宙のサーヴァントにとっては幸運なことに、都合のいい楯がすぐ側に進撃してきていたのである。

「な……ッ!」

 ルーラーは自らの勢いを無理矢理殺して後方に跳んだ。それは、視認するよりも先に身体が動いたというような動きであったが、彼女の危険察知能力は非常に高い。まして、尋常ならざる魔力を振り撒いて突撃してくる巨体に気付かないはずがない。

 一瞬、それが何か分からなかった。

 見るに耐えない、とも思った。

 見上げんばかりの巨大な怪獣である。身長はすでに十メートルを超え、蝋のような薄く血色の悪い肌がところどころ脈打っている。それが、人の姿をしていればまだましなのだが、残念なことに、この怪物はすでに人の姿を留めてはいなかった。

「まさか、“赤”のバーサーカー!?」

 衝撃的ではある。

 彼の真名はスパルタクス。古代ローマに実在した反逆者である。その経歴から魔術とは縁がなく神々が闊歩した時代よりも後の英雄であるため神々の恩寵を持つわけでもない。そう、彼は古いとはいっても史実の英雄なのだ。

 しかし、何がどうなっているのかその姿は神話の魔物を想起させるほどに醜悪に変質していた。

 腕は四本にまで増えている。肉体は大きく膨れ上がり亀のように背中が隆起している。首はもう肉の中にうずもれており、肩には目と牙が出現していた。あまりに大きな身体を支えるためか足も増設され、姿勢は四足歩行の動物のようになっている。

 伝説や逸話が宝具として具現すると、生前に持たなかった能力が身につく。これもその類なのだろうが、

「異形と化す宝具……?」

 人の肉体を忘却し、純粋な力の塊となる。たしかに、『バーサーカー』のクラスに相応しい能力と言えるだろう。しかし、それが本来の力というにはあまりにも異常に過ぎる。これはおそらく、宝具の副産物。自らの肉体を強化する能力が暴走を繰り返した結果ではないだろうか。

 ルーラーが距離を取ったとき、もう一騎のサーヴァントが空から落ちてきた。全身を鎧で固めた“赤”のセイバーである。セイバーは、着地すると、バーサーカーに注意を払いながらもルーラーに視線を向けた。

「てめえ、サーヴァントか?」

「“赤”のセイバーですね。わたしはルーラーのサーヴァントです」

「ルーラー? ああ、いたなそんなのも」

 イレギュラークラスである『ルーラー』が今回召喚されたことについては、セイバーも報告を受けていた。

「中立のはずのルーラーがなんで戦場のど真ん中にいる?」

 バーサーカーの鞭のように撓る腕を飛び越えながら、セイバーはルーラーに問う。

「わたしが審判として正しい判断ができるように、情報収集をする必要があるからですよ」

「なるほど、そりゃ大変だ。で、一つ聞くが、コイツ相手に中立が務まるか?」

「は?」

 ぎょろりと、バーサーカーの目がルーラーを捉える。

「このイカレ野郎にとって、お前は味方に映るか?」

 セイバーの剣がバーサーカーの首を斬る。噴き出す血はあっという間に止まり、患部が膨らんでさらに異形化を推し進める。

「ッ……」

 バーサーカーには、もはや敵味方の判断ができるのかどうかも疑わしい。さらには、彼は強権に反抗することを第一義とするサーヴァントだ。聖杯大戦の審判という、この上ない権力者が目の前にいたとき、バーサーカーが襲い掛からない理由がない。

「ルーラーと言ったかああああああああッ」

「く……ッ」

 獣の雄叫びを上げて、バーサーカーが嬉々とした表情でルーラーに殴りかかる。

 それは必然的にセイバーに背を向けることになり、それを見逃さないセイバーは、バーサーカーの足の腱を両断する。

 バランスを崩したバーサーカーが転倒し、土煙を上げる。

「セイバー? あなた、わたしに彼を押し付けるつもりだったのでは?」

「はぁ? んなことしたら、オレがコイツから逃げたみてえじゃねえか」

 バーサーカーの背に飛び乗ったセイバーが脊髄に剣を突き立てる。ゴキ、と太い骨がへし折れる音がする。

「チィ、やっぱ回復しやがる」

 セイバーは飛び退いて、バーサーカーの背から降りる。脊髄を絶たれ、足の腱を斬り裂かれたバーサーカーは、すでにその傷を修復してセイバーとルーラーを前に昆虫のようになった腕を広げた。

「圧制者共よ。私の腕に抱かれて潰えるがいい……」

 ただそれだけを願ってこの戦場にいる。それがバーサーカーだ。彼は迷わない。考えない。思考は固定され、それが究極の善だと信じて疑わない。ルーラーはこういった人間を知っている。己が信じるもののために我が身を犠牲にし、その過程で他者を虐げることすらも正当化する。そして、その自覚を一切持たない者たち。すなわち、狂信者。

 スパルタクス。まさしく、反逆の道に殉教した狂信者だ。

「ルーラー。どうする。コイツ、お前にも目をつけたみたいだが?」

「く……仕方ありません。ですが、決してあなたに肩入れするわけではありませんからね」

 ルーラーは中立を維持しなければならないが、それでも降りかかる火の粉は払わなければならない。倒すとなればやり過ぎだが、自分の身を守るくらいは許される。

「上等」

 セイバーはそう言いつつ、ルーラーに突進するバーサーカーの側面に回りこむ。

 バーサーカーは強大なサーヴァントというわけではないが、その能力が極めて厄介だ。セイバーとルーラー。共に一流のサーヴァントだが、その二騎を以てしても苦戦は免れないだろう。

 

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “黒”のランサーと“赤”のアーチャーの戦い方は非常に対極的なものとなっていた。

 ランサーは自身の宝具『極刑王(カズィクルベイ)』を展開し、自身の周囲一帯を杭の山に変えている。地面からランサーの意に従って突き出てくる杭は、彼の魔力が続く限り無限に生産できる。杭の一つひとつはそれほどの脅威ではないが、足元から突き出てくるということと、数があまりにも多いということが大きな強みである。

 ランサーはまるで自らの城に篭っているが如く、戦闘開始時から一歩も動いていない。馬に跨ったまま、アーチャーを攻撃し続けている。

 一方のアーチャーは杭の林を持ち前の脚力で駆け抜け、杭の隙間を縫って矢を放っている。狩人である彼女にとっては、正面から戦うことよりも身を潜めての狙撃の方が性分に合っているのだが、こうなっては仕方がない。

 無数の杭が襲い掛かってくるのは確かに脅威だが、これまでにアーチャーを捉えられた杭は一本もない。それは、アーチャーの俊敏性がそれだけ優れているからである。

 軽装で鎧すらも着ていない彼女は、一撃喰らうだけでも致命的な傷を負いかねない。しかし、アーチャーは“赤”のライダーと並んでギリシャ神話に於いて最速の英雄の一人だ。生前、彼女に速度で勝った者は一人もいない。卓越した弓術と速度。この二つが、アーチャーを最高峰の弓兵に押し上げているのだ。

 さらに拮抗した戦いを続けることができるのは、アーチャーのスキル『追い込みの美学』も関わっている。

 敵に先手を取らせ、それを確認してから先回りして行動することができるこのスキルは、必ず先手を取ってくるランサーに対して高い効果を発揮していた。杭は必ずアーチャーの足元から出現する。攻撃に関して、アーチャーは常に先手を取られる立場にある。しかし、ランサーの先手に対して、アーチャーは敏捷性とスキルを活かして立ち回り、いかなる不利な体勢でも急所に狙撃を加えることができる。

「しかし、厄介な」

 アーチャーは表情を引き締めて杭の一本をよじ登る。ランサーを視界に収めて矢を放つ。大道芸のような一連の動作には一切の無駄がない。

 アーチャーの矢は、ランサーを守るように展開された杭を砕いて止まる。先ほどから、同じことの繰り返しだ。

「ふむ……何処の英霊か分からぬが、大した弓の腕前だな。“赤”のアーチャー」

 ランサーは余裕を持って笑む。ランサーは敵と異なり、宝具にも魔力にも制限がない。拮抗した戦いに見えて、実のところランサーがアーチャーをじわりじわりと追い込んでいる。

 この物量を前にして、臆することなく立ち向かってくる勇気は称えよう。

 だが、無駄なのだ。

 アーチャーがどれほど優れた弓兵であっても、弓に城壁は崩せない。

 アーチャーが相手にしているのは一軍の将程度の相手ではない。その存在自体が、既にして城であり、国なのだ。

「見目麗しき蛮族の女狩人か。我が治世には貴様のような猛者はいなかった。これも聖杯大戦ならではというところか」

 ランサーが生きた時代には、女性が戦場で活躍する機会はほとんどなかった。その数少ない例にジャンヌ・ダルクがいる。彼女はランサーが生まれた年に火刑に処されている。フランスを救った聖女の逸話を生前から知るだけに、女性英雄の存在をありえないと否定することはないが、珍しいことに変わりはない。

「女と思って甘く見ると痛い目にあうぞ。ランサー」

「甘く見る? それこそありえぬ。女の身で英霊にまでなったのだ。むしろ警戒して当然だろう」

 ランサーはその言の通り、アーチャーから視線を外すことはない。軽口を交わしているように見えて、ランサーはアーチャーの隙を探しているし、その反対にランサーが隙を窺っていることをアーチャーも気付いていた。

「ちょこまかとすばしこいのは結構。だが、それがいつまで持つかな」

 ランサーにはまだ余裕がある。

 魔力供給は潤沢で、知名度補正は最高値。世界中、どこを探してもこれほど好条件で戦いに望めるサーヴァントは他にいない。“赤”のアーチャーが何者か分からないが、このランサーほど好調ということはありえない。

 戦いは、準備段階から始まっている。

 ならば、最高の準備を半世紀に渡って続けてきたダーニックのサーヴァントが史上最高のサーヴァントとして召喚されるのは当然のことで、ランサーに挑んだ時点でアーチャーが不利になるのもまた至極当然のことなのである。

 

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 魔力が荒れ狂い、風に血臭が乗る。

 地面には無残にも打ち砕かれたゴーレムと肉の塊と化したホムンクルスたち。主人公たるサーヴァントは未だ誰一人として脱落することはなく、雑兵たちが消費されていく。

 事ここに至り、彼らの存在意義すらも怪しくなってくる。

 サーヴァント同士が戦いをはじめた以上、彼らが介入することはできない。もともと足止め程度の役割しか期待されていなかっただけに、彼らが竜牙兵と戦って倒れていくのはもはや無意味にも思える。

 だが、彼らが止まることはない。

 ゴーレムは創造主たる“黒”のキャスターが指示したとおりに動く人形であり、その役目はやはり敵の殲滅である。目の前に竜牙兵がいれば攻撃以外に選択肢はない。そして、ホムンクルス。彼らは、自分で考えることができるだけゴーレムよりも高次の存在と言えるだろう。しかし、それでも彼らは無垢で何も知らず、与えられた任を全うすることしか思考できない。

 死を知らず、恐れを持たず、故に兵士としてはこの上ない駒であり、だからこそ簡単に消費されることになる。

 濃い霧が突如戦場を覆った。

「おいしそうなごはんがいっぱいだ!」

 舌足らずな声が耳朶に届く。それと同時に、目が、喉が、肺が、激痛に苛まれた。空気が欲しい。けれど息を吸えば喉が焼け爛れる。目からは涙が止まらない。あまりにも激しい痛みはホムンクルスたちから戦えという命令を忘却させた。

 武器を取り落とし、方々に駆け出す者。あるいはその場に崩れ落ちる者。様々であったが、皆一様に自覚はしていた。

 自分たちは捕食される運命にあるのだと。

「これがより取り見取りってやつかー。本当に迷っちゃうなぁ」

 姿の見えない敵がホムンクルスたちを一人また一人と喰らっていく。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “黒”のバーサーカーと対峙していたシロウは、その気配に気付く。冷静沈着な彼でも、さすがに舌打ちを禁じえなかった。

「キャスター。撤退しましょう。予想以上に彼女の『気付き』が早い」

“公正無私な判断を行うため、『ルーラー』として召喚されるサーヴァントは聖人と伝わる者が多いと聞きますが、その類でしたか、彼女は”

 霊体化している“赤”のキャスターは、本当にシロウを助けることもなくただ見守っていただけだった。

「急ぎましょう。ここで彼女が私を弾劾すれば、物語は破綻します。所謂打ち切りというものですね」

“作家としては、なんとしても避けたい結末ですな、それは。仕方がありません。マスターの初陣は一先ずここまでということで”

 追撃を仕掛けようとしたバーサーカーの面前に黒鍵を投じ、シロウは全力で戦場を離れる。

 鍛えているとはいえ、異様な速度だ。月明かりも届かない暗い森の中を、時速六十キロ近い速さで疾走する人間を人間と評していいものだろうか。人体の限界に到達する聖堂教会の人間だからこそできる離れ業である。

 確かにシロウは速い。並の人間ではとても追いすがることはできないだろうし、彼を追走するならば自動車の力を借りねばならないだろう。

 だが、それは追走者が人間だった場合の話。つい今しがたまで対峙していたバーサーカーは人間を超越した英霊だ。たとえ、その神秘が浅く見た目は可愛らしい少女であろうとも、ただの人間に速度で劣るということはない。まして、彼女はフランケンシュタイン。機械仕掛けの英霊だ。人間がどれだけ身体を鍛えても、力と速度で機械に勝てるはずがない。

「ナーーーーーーーーーーーーーーーオゥ!!」

 バーサーカーは逃すまいとシロウを追う。

 黒鍵の壁に邪魔をされ、出遅れはしたが楽に挽回できる程度の距離しか開いていない。バーサーカーは鬱蒼とした夜の森で、確実にシロウの姿を捉えていた。

「バーサーカー……追ってきますか」

 シロウは焦燥に胸を駆られながらも足を止めずに走る。

“さすがに機械仕掛けのお嬢さん。足の速さも中々ですな”

「ええ。ですが、バーサーカーを相手にして、私は死ななかった。どうやら私は正しかったようです。ここを乗り越えれば、私たちの勝利ですよ」

 本来、シロウが戦場に出る必要はなかった。

 だが、危険を押してでも戦場に出たのは自らの行いが是か非か運命に問うためだ。死が充満した世界の中で、まだ生きながらえることができるのなら、それは彼の計画が神に認められているということになるのではないか。

「……これはッ」 

 バーサーカーから逃れるシロウの両脇の木々が吹き飛んだ。木っ端を吹き散らして現れたのは、ゴーレムだ。

「“黒”のキャスターまで参戦ですか。こんな時に」

 ゴーレムの戦闘能力は低い。あのバーサーカーにも及ばない程度のものでしかない。しかし、すぐにこの場を離れなければならない状況下で囲まれるというのは、決してよいことではない。

「そこを退いていただきましょうか」

 シロウは宝具の刀を振るい、ゴーレムの肩関節を斬りおとし、返す刀で頭を落とす。彼は達人というほどの剣術家ではなくその技量は並かその上程度だが、ゴーレムをあしらう程度はできる。

 倒すことに固執せず、最小限の動きで身動きを封じ、逃れる。

 しかし、シロウを逃すまいとしているのかゴーレムたちは数を増していく。バーサーカーもそこに追いついてしまい、ついにシロウは八方塞の状態に陥った。

「さて、キャスター。この状況、どう考えます?」

“ふむ。そうですね。我輩一人なら生還可能と言ったところですかな。何分、我輩文筆家なものでして”

「そうですね。ならば、私が足掻くしかないのでしょう」

 キャスターは作家であって魔術師ではない。魔術師としての伝説があるわけでもない彼は、当然の如くスキルと宝具を除いて特別な力がない。もちろん、マスターを苦境から脱出させる力があるわけでもない。戦闘能力ならば、シロウの方が上という始末である。

 シロウはゴーレムの拳をかわしてネズミのように地を駆け、足を斬り付けて姿勢を崩させる。そしてその背に飛び乗り、頭部まで駆け上がってから、その隣のゴーレムに飛び移り頭を落とす。

 このくらいの相手ならまだ吸血鬼の方が大変だ。それにしても数が多い。体力的にもかなりきついが、バーサーカーまでいるというのが状況をさらに厳しくする。

「それでも、私は止まるわけにはいかないんですよ」

 呟いて必死に剣を振るう。

 キャスターの力で宝具となった日本刀は、切れ味も鋭く敵キャスターのゴーレムすらも斬り裂ける逸品だが、集団を相手にできる特別な力があるわけでもない。時間と共にシロウが不利になっていくのは目に見えて明らかだ。

“何をやっているか、マスター!”

 “赤”のアサシンが念話で叱咤を飛ばしてきた。そして、耳を劈く轟音が響く。シロウの周辺に、無数の雷撃が落ちてきたのである。

 ただそれだけで、ゴーレムは消し飛んだ。

「助かりました、アサシン」

“…………ふん、礼はいらん。お主に倒れられると我も現界できんからな。……今ので小娘にお主の居場所を察知されたぞ、急げ”

「ええ、そうします」

 シロウはアサシンの魔術で更地になった大地を踏みしめて走り出した。

 木々は燃え、消し飛び、ゴーレムもまた砕け散った。空中庭園から繰り出される攻撃は規格外のものばかり。その爆撃は地上にあるあらゆるものを吹き飛ばす。

 それは、サーヴァントとて同じ。

 アサシンの一撃で損傷を受けたバーサーカーは、それでも尚シロウを追いかけようとしていた。ゴーレムが壁になったことと、シロウから比較的離れた場所にいたために、直撃を受けなかったからだ。

 そんなバーサーカーに対して、宙からダメ押しの雷撃が降り注いだ。

 

 




Cパート


「あなたのサーヴァントは、被害者自身にも、法律にも見えないし、分からない。だから、わたしが裁く!」
 イリヤは己のサーヴァントを出現させる。
 筋骨隆々な巌の巨人。パワーとスピードに秀でた近接最強のサーヴァントだ。

 凛は敵マスターに堂々と相対す。
「わたしのサーヴァントは、お父様(マジシャンズ・レッド)! 熱と炎を操るサーヴァントよ!」
 紅蓮の炎を纏う、凛の炎はあらゆるものを焼き払う。

 士郎は遂に仇敵を追い詰めた。
「これからはお前は泣きわめきながら地獄へ落ちるわけだが、ひとつだけ地獄の番人にはまかせられないことがある………… それは! 「針串刺し」の刑だッ!」
 セイバーの神速の突きが、敵をズタボロにする。

「『相手が勝ち誇ったとき、そいつはすでに敗北している』これが衛宮切嗣のやり方さ」
 槍使いのマスターは、切嗣の手の平の上だったのだ。戦いにおける年季があまりにも違いすぎた。 絶望する間もなく、マスターは打ち倒された。

 そして、言峰は潜伏する教会で協力者に対して語る。
「正確に言おう! 衛宮に恐怖しているのではない! 衛宮の血統はあなどれんということだ!」


「おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおおのれおのれおのれおのれおのれおのれ!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」
 最後の戦い。金色のサーヴァントを相手に、イリヤは時すら止める速度で戦いを挑む。
 
 第三部、完


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二十話

 ダーニックは流麗な顔を僅かに強張らせて戦況を見守っていた。

常に余裕を持って行動し、敵対者がいたとしても、自分の手の平の上で動かして勝利をもぎ取るのが本来の彼の戦い方である。

 今回の聖杯大戦も、イレギュラーが重なり魔術協会の干渉を受けることになったとはいえ、考え得る限り最高の英霊をサーヴァントとして召喚することに成功した時点で、ダーニックの勝利はほぼ確定したはずだった。

 だが、現実は思惑通りには運ばない。

領主(ロード)をして、互角にまで持ち込まれるか”

 “赤”のアーチャーは未だに健在。“黒”のランサーが圧されているわけではなく、二万本の杭という圧倒的な物量を前に、“赤”のアーチャーは回避に専念せざるを得ない状況になっている。

 ルーマニア国内でなら、勝るもののいない大英雄。それが、ダーニックのサーヴァント“黒”のランサー(ヴラド三世)である。

 しかし、そのランサーであっても、必ずしも勝利を手にできるというわけではないのだ。

 聖杯戦争とはそういうものだ、という思いはある。

 七十年前に、冬木の聖杯戦争に参戦したときに、サーヴァントという存在の規格外さ理不尽さは身をもって経験している。

 だからこそ、より確実な勝利を実現するために“黒”のランサーを召喚した。

 だが、こちらの陣営全体で見れば、サーヴァントは低位の者が多い。

 身内同士の戦いというある意味での出来レースを想定していたダーニックと聖杯大戦のために英霊を選別した魔術協会との戦略の差が露呈した形になる。

 フィオレが偶然にも引き当てた“黒”のアーチャーとゴルドが召喚した“黒”のセイバーがいなければ、敗北はほぼ確定していた。

 当初の聖杯戦争であれば、この二騎はダーニック最大の敵となっただろうが、今となっては良き兵として戦ってくれている。

 聖杯大戦そのものが想定外であった以上、ダーニックの基本戦略――――自らは高位のサーヴァントを従え、他のマスターには低位のサーヴァントを召喚させることで、聖杯戦争での自らの勝利を確定させる――――は、完全に裏目に出た形になる。

 さらに、これに加えて“黒”のランサーが敗れることになれば、これまでのすべての努力が徒労と化してしまう。

 それだけはなんとしてでも避けなければならない。

 ダーニックは、自らの令呪を見る。

 三回限りの絶対命令権。

 これを使えば、“黒”のランサーに切り札を使わせることができる。

 『鮮血の伝承(レジェンド・オブ・ドラキュリア)

 “黒”のランサーの最強宝具であり、それと同時に彼が最も忌み嫌う災厄の宝具。

 発動させれば、“黒”のランサーは肉体面も精神面も伝承に謳われる吸血鬼へと変貌することになる。英雄ヴラド三世ではなく、恐怖の体現者たる魔物吸血鬼となってすべてのサーヴァントを殲滅することだろう。

 ただし、使えばダーニックは死ぬ。

 他ならぬ“黒”のランサー自身がダーニックを殺しに来る。

 彼は、ヴラド三世の名に張り付いた吸血鬼という屈辱の伝承を取り払うために聖杯を求めているのだ。吸血鬼化する宝具を使うことは、彼の存在の全否定に繋がる。

 さらには、サーヴァントという枠組みから逸脱した吸血鬼には、令呪が効かない可能性もある。

 不確定要素は極力排除して事に臨みたい。

 宝具の強制は、ダーニックの死と引き換えに聖杯を獲得するという結果に繋がるだろう。そこに、ダーニックの勝利はない。

 しかし、“黒”のランサーに切なる望みがあるように、ダーニックにもまた叶えなければならないユメがある。

 ならば、無駄死にはできない。なんとしてでも、己の願望を叶えなければならないのだ。

 そのためには、何者をも犠牲にする。

 己のサーヴァントの望みも、自分の命も。

 勝利しなければ滅亡は必至、勝利することが最低条件のこの聖杯大戦に於いて、誇りのために潔く散る、などという選択肢はそもそも存在しない。

 醜くくしがみ付いてでも、勝利を希求しなければならないのである。

 彼に戸惑いはない。

 他者を蹴落とす人生を送ってきたダーニックが、今更誰かの願いのために勝利を捨てるはずもなく、己の願望のためならば、他のすべてを亡ぼしても平然としているだろう。

 コーヒーを口にしたダーニックは深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。

 イスの背凭れに体重を預けて、思考を巡らせる。

 必要なのは死ぬ覚悟。

 そんなものは、とうの昔にできている。

「ままならぬものだな」

 呟いて、天井を見上げた。

 後は状況次第か。

 敗北が決まったわけでもないこの状況で、慌てて宝具を使わせる必要もない。だが、敗北が確定しかけたその際には、躊躇することなく令呪を行使しよう。

 ダーニックはそう判断すると立ち上がって、私室を辞した。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 城塞宝具『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』は空に浮かぶ天空の城。戦場の喧騒に左右されることなく、ただ悠々と圧倒的な威圧感を放ち続ける。

 英雄が覇を競う大地とは裏腹に、城塞内部は実に静かなものだ。小蝿のように煩わしかった“黒”のライダーを撃墜した今、ここは正しく安全圏である。

「戦況は五分五分と言ったところか。さすがに敵も英霊。質を気力で押し戻すだけの覇気はあるというところか?」

 “赤”のアサシンは、戦場全体を舐めるように眺めてほくそ笑む。

 敵サーヴァントの真名は、“黒”のアサシン以外はすべて把握している。

 ネーデルランドの竜殺しジークフリート、ワラキア王ヴラド三世、シャルルマーニュ十二勇士が一アストルフォ、人造人間フランケンシュタイン、ゴーレム使いアヴィケブロン、そして、正体不明のエミヤシロウ。

 一流のサーヴァントと呼べるのは、“黒”のセイバーと“黒”のランサーの二騎。ジョーカー足り得る“黒”のアーチャーは、注意深く様子を見る必要がある。

 額面上の数値は決して恵まれたものではなく、大英雄が揃った“赤”の陣営の面々からすれば最低ランクであろう。無論、“赤”のキャスターは考慮の外である。

 しかし、さすがにアーチャーというだけあって、射撃の腕は一級品。さらに、こちらのアーチャーと異なって矢そのものが宝具というのだから厄介だ。

 サーヴァントのステータスは、近接戦闘を行う際の指標にはなるが、『アーチャー』や『キャスター』といった、遠距離戦闘を主体とするクラスの場合は英雄の格を図る程度の意味にしかならない。遠距離攻撃に『耐久』や『敏捷』のステータスがどれほど貢献するというのか。

 どういうわけか、“黒”のアーチャーは接近戦を好むと見えて、“赤”のライダーに対しても互角に斬りあっている。

 武術に縁のないアサシンからすれば、奇妙奇天烈なことであり、最速の大英雄に喰らい付く“黒”のアーチャーはそれだけ近接戦闘にも秀でたサーヴァントなのかとも思ってしまう。

 近接戦闘ができるアーチャーというだけで、距離の有利不利が大きく変わってしまうので攻略が難しくなる上に、無数の宝具を使用するという謎の能力がある。

 あのサーヴァントは、陣営による削り合いという聖杯大戦に於いてこの上ないスペックの持ち主なのだ。

「もっとも、それもこちらのライダーに倒されなければの話だが……」

 そもそも、あのライダーに勝るサーヴァントなど、そうそう召喚できるものではない。

 綺羅星の如き英雄たちを輩出してきたギリシャ神話の中でも、一、二を争う英雄なのだ。生まれながらに神の恩寵を受け、最高の師から教えを授かり、数多の戦場を駆け抜けた根っからの英雄。彼が召喚された時点で、“赤”の陣営は勝利したといっても過言ではないのだ。

 早々にあのジョーカーを潰し、後顧の憂いを断ってくれるとありがたい。

「さて、我がマスターは上首尾に終わるだろうかな」

 アサシンは、ポツリと呟いた。

 彼女のマスターは、無事敵手から逃れこの城塞に帰還を果たしている。死中に生を見出したことが自信になったのか、シロウは即座に計画を次の段階に進めることにしたのだ。

 最大の敵であるルーラーが“赤”のバーサーカーに梃子摺っている今が好機だ。仮に、ルーラーがシロウと出会ってしまえば、計画は頓挫する。それでは面白みがない。計画を知らされている“赤”のキャスターと加担者である“赤”のアサシンを除いて城塞内にはサーヴァントがいない。これもまた絶好の機会である。

 彼女たちの真の目的を知るものしか城塞内にはおらず、今を除いて計画を遂行する機会はない。

 “赤”のアサシンはマスターたるシロウの安全が確保できた段階で、計画の成功を確信していた。準備に費やした時間は十分にあり、そして彼女自身の毒まで使っているのだ。これで失敗するようなら、マスターと雖も見限る他ない。

 無論、失敗することなど万に一つもありはしないのだが。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 最後のサーヴァントが討ち果たされて、聖杯大戦は終わりを告げた。“黒”の陣営のサーヴァントは強力ではあったが、“赤”の陣営のサーヴァントに尽く討ち取られ、敵マスターも絶望と失意の中で果てた。魔術協会を裏切ったユグドミレニアは完全に地に墜ちて、二度と這い上がってくることはないだろう。

 いい様だ、と誰かが言った。

 魔術師を愚弄する血族、魔術協会に泥を塗ったダーニック。それらすべての望みが絶たれたのも自然の摂理だ。その滅びは、嘲笑にも値しない。魔術協会から目をつけられるような行動した者が辿る、極ありふれた結末でしかない。

 “赤”のマスターたちは、イスに腰掛けて各々疲れを癒していた。この戦い、今までにない規模の聖杯戦争ということで、半ば死ぬ覚悟までしてきたが、まさか誰一人かけることなく戦いを終えることができようとは予想だにしなかった。

「それだけ、敵が弱かったということだろう」

「まあ、我等は狩猟の専門家。二流三流の寄せ集めでしかないユグドミレニアなど、この程度さ」

 紅茶を楽しみ、談笑する。戦いの最中ではありえなかった光景だが、戦が終わればこのようなものだ。戦友たちは、互いに商売敵。もしかしたら、この先激突するかもしれないが、それはそれ。今は、共に戦場を駆け抜けた友として、語り合おう。

「お楽しみの最中に申し訳ありません」

 マスターたちの会話に割り込んできたのは、もう一人のマスターであるシロウ・コトミネだ。“赤”のマスターたちの中では、最年少のマスターであり、監督官。当初は、教会が送り込んできた刺客かとも疑い、警戒していたが、実に精力的に働いてくれた。彼が身を粉にして利害調整などを行ってくれたからこそ、空中分解することなく、戦い抜くことができたのだ。

「どうかしたかね?」

「聖杯戦争も終了したことですし、皆様から令呪をお預かりしたいと思いまして」

「令呪?」

「はい。私は監督官ですので、余った令呪を回収して次回の聖杯戦争に備えなければならないのです」

「そうか。そういえば、そうだったな。すっかり失念していた」

 令呪はサーヴァントを律する鎖。聖杯戦争に於いては何よりも重要な刻印である。しかし、聖杯戦争が終わり、サーヴァントの離反に備える必要もないのなら、持っていても宝の持ち腐れである。引き渡したところで、何一つ損害を被ることはない。

「なんでしたら、教会に費用請求されてはどうでしょう。この戦いはいつ命を落としてもおかしくはない過酷なものでしたし、令呪を教会に引き渡す際の交換条件にでもすればよろしいのではないでしょうか?」

「いいのかね。君は教会の人間だろう?」

「請求されるのは私ではなく教会ですから、私の懐は痛みません。それに、私も聖職者ですから、皆様のご期待に沿うだけの財産はありませんし。これは、まあ、このような戦いに若輩者を送り込んだ上に対する、意趣返しのようなものです」

 悪戯好きの少年が見せる、無邪気な笑顔そのもののシロウの顔を見て、思わず冷徹な魔術師たちも顔を綻ばせる。

「まあ、確かにそれくらいしてもいいだろう」

「そうだな。我々は命まで懸けたのだからな。教会からも報酬を受け取らねば割に合わん」

「魔術協会からの報酬と合せれば、最高級のスクロールを購入してもおつりがくる額になるだろうな」

 魔術とは、とりわけ金食い虫だ。彼らが命懸けで任務に臨むのも、すべては魔術を極めるための金を得るため。聖杯戦争などという、考え得る限り最大の戦いに身を投じたのだから、それに見合った報酬が期待できるはずだ。

「しかし、君には損な役回りだな。教会からは我々ほど報酬が出るわけではないだろう?」

「ええ、清貧に甘んじるのも主の教えに適う行動ですから、それは受け入れますよ。それに、私も皆様から働きに見合うだけのものをいただけますので」

「何か約束したかな?」

「お忘れですか? 戦いが終わった暁には、マスター権を下さると仰ったではないですか」

 マスター権。

 それは、サーヴァントとの契約を示す、何よりも大切な聖杯戦争への参加権。

 それがなければ、サーヴァントを御することはおろか魔力供給すら行えない。サーヴァントとの契約が切れてしまえば、ただの魔術師に成り果てる。襲われても、誰も助けてはくれない。決して、勝利することなどできないし、生きて帰ることができるか怪しい。

「まあ、いいだろう」

 だが、そんな不安が僅かに頭を掠めただけで、一同は了承した。思考は正しい。令呪もマスター権も聖杯戦争には必須で、それがなければ、いつ命を落としても不思議ではない。だから、それらは何よりも重要。

 正しく理解している。

 そして、それらの権利も、聖杯戦争が終わってし(・・・・・・・・・・)まえば無用の長物である(・・・・・・・・・・・)

「ありがとうございます。では、移譲の儀式に取り掛かりますので、暫しご歓談ください」

 シロウは深々と礼をして去っていく。

 魔術師たちは、深いことを考えることもなく再び会話に没入する。外の様子を一切気にかけることもなく、自分のサーヴァントと顔を合わせたことすらないにも拘らず、それを不審に思う様子はない。

 確かに、そんな彼らにとって、令呪もマスター権も必要ないだろう。

 何せ、彼らの聖杯戦争は始まる前から終わっていたのだから。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 ミレニア城塞の一室で、カウレスは脱力してため息をついた。

 傍らには、彼のサーヴァント“黒”のバーサーカーがいる。戦場で猛り狂い、果てるまで戦うのが彼女の役目だったし、カウレスもバーサーカーもそれを承知していた。

 しかし、それは無駄死にを肯定するものではない。 

 出会ってから、共に過ごした時間は僅かでしかないが、それでもこのバーサーカーが聖杯に託す望みを抱いて聖杯大戦に参戦し、カウレスのサーヴァントになってくれたことを踏みにじるわけにはいかない。バーサーカーに戦略的な思考ができないのならば、カウレスが失われた理性の役割を担うしかない。

 文字通り、カウレスとバーサーカーは一心同体を為している。

 “赤”の陣営の空中要塞から放たれた雷撃は、現代の魔術師では再現できないほど強大な魔術だった。それが、“黒”のライダーのような高い『対魔力』のスキルを持つサーヴァントならば、なんとか耐えられたかもしれないが、『バーサーカー』のクラスには、『対魔力』のクラス別能力はなく、フランケンシュタインという英霊にも魔術に抵抗できるような固有スキルはない。近代に入ってから成立した英霊だけに神秘も浅く、とても神代の魔術を受けて無事でいられるとは思えない。

 あの空中城塞からの攻撃は、バーサーカーを一撃で屠れるものだ。

 三流とはいえ、魔術を齧っているカウレスは、一目で空中城塞から放たれる魔術の威力を見抜いていた。

 よって、バーサーカーが狙われたと分かれば、例え臆病者の謗りを受けようとも即座に令呪で撤退させる心構えでいられたし、それ故に“黒”のキャスターのゴーレムが消し飛ばされた時点で、カウレスは令呪を発動させる決心をすることができた。

 結果として、カウレスはマスターとして最高の仕事をしたと言える。

 聖杯戦争に参加するマスターの役割とは、窮極的にサーヴァントの維持と補佐に集約される。カウレスはバーサーカーの宝具の能力によって前者の役割を免除されているに等しい状態のため、とにかくバーサーカーをどう運用するかという点のみが彼のマスターとしての実力が問われるところと言えた。

 それを考えれば、一秒先の死が確定したサーヴァントを令呪を用いて救うというのは、マスターとして最高の仕事と言う外ない。

 バーサーカーが雷撃に撃たれる直前、カウレスが発動した令呪の強制転移がバーサーカーを救ったのだ。

 令呪はサーヴァントの行動を縛る役割もあるが、使い方次第ではサーヴァントに利する方向で一時的な奇跡を具現することも可能だ。

 魔術師としても三流を自負するカウレスでは、空間跳躍の魔術が執り行えるはずもないが、令呪の膨大な魔力にものを言わせれば、その奇跡にも手が届く。三回だけの奇跡をどのように消費するかは考えどころだろうが、サーヴァントを失えばすべてが無駄になる。

 敵前逃亡という結果になってしまったが、判断は決して間違いではなかった。

 この部屋に他のマスターがいれば、居た堪れなさに閉口してしまっていたかもしれないが、幸い、ここはカウレスの工房だ。他にマスターはいない。

「怪我は大丈夫か、バーサーカー」

 カウレスはバーサーカーに問いかける。機械仕掛けのバーサーカーに怪我という言葉を投げかけるのは聊か奇妙な感じもしたが、意思ある彼女をただのからくり人形と同義に扱うつもりは、カウレスにはない。

「ゥー……」

 バーサーカーは頷いた。

 神父の黒鍵によって受けたダメージは微々たるものでしかなく、“赤”のアサシンの魔術攻撃で受けた傷も治癒魔術で瞬く間に塞がる程度でしかなかった。

 だが、傷を完全に治療した後も、その顔には明確な不満が張り付いている。

「どうしたんだよ」

「ヴヴ、ゥ」

 苛立たしげに、バーサーカーは唸る。言葉のやり取りができないので、カウレスは彼女の表情や行動から気持ちを推し量ることしかできない。

「あの神父にしてやられたことが不満なのか?」

 あてずっぽうに尋ねてみると、バーサーカーは唸りながら石床を踏み鳴らした。ただの人間にしてやられたことが、よほど悔しいのだろう。狂化していても尚、地団太を踏むほどには彼女の思考力、感情は維持されている。

 カウレスは、シロウと名乗った神父を思い返す。

 サーヴァントを相手に、単身日本刀で立ち向かった黒衣の僧。教会の代行者ともなれば、死徒を相手にも戦えると言われているが、このバーサーカーも低位ではあるがサーヴァント。まして、人造人間だ。そのスペックは誕生時点で人間を上回っているはずである。

 人を超えた存在である彼女に、手傷を負わせるまでに迫ったあのマスターは一体全体何者だ。

 考えても仕方のないことであるが、思考の海に沈んでしまう。

 あのマスターを危険と判断したバーサーカーの本能は正しい。理性的に見ても、あれは異常だった。

「バーサーカーはしばらく待機だ。今は迂闊に出るときじゃない」

 “赤”のアサシンと“赤”のキャスターが戦場から離れている今、戦場にいる敵サーヴァントは四騎。こちらはここにいる“黒”のバーサーカーを除いて計六騎だ。バーサーカーがいなくても、数的優位に立っているので、あわてて戦場に戻る必要はない。状況をよく観察して、必要なところに戦力を割くほうが重要だ。今のバーサーカーは、墜落した“黒”のライダーと同じく遊軍として、自由に動けるという強みがある。

 なによりも戦場に残っている敵サーヴァントは、このバーサーカーの手に負える相手ではない。

 最終宝具を使わなければ手傷すらも負わせられまい。そして、最終宝具を使うということは、即ちバーサーカーが消滅するということでもある。ならば、尚のこと迂闊に戦場に出すわけにはいかないのである。

 




Cパート

わたし、遠坂凛高校生。
最近、聖杯戦争が近付いてきたのに触媒が用意できてないのが悩みかな。

そんな時に出会ったのがこのアーチャー!

一晩たったの六時間で壊れた天井を直しちゃう優れもの。
ポイントを押さえてあるから紅茶を淹れるのだってプロ並みよ。

そして、実力も申し分なし。あっという間にどんどん勝ち進めるの。

今なら赤ザコ先生の添削指導が一回無料で体験できる特別講座がついてくる! これはもうやるっきゃない!

聖杯戦争対策は早めが肝心。
戦いに勝ち残って、みんなの夢を叶えましょう!!


提供、冬木の未来を愉悦する冬木教会





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二十一話

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 “赤”のライダー(アキレウス)は、視認することすら不可能な神速の槍で以て“黒”のアーチャー(エミヤ)を攻め立てる。それはもはや閃電といっても過言ではなく、アーチャーの動体視力ですらその槍を捉えることは難しい。

 あらゆる英雄の中でも最速を誇るライダーは、その俊足のみならず槍術に於いても速度を重視した攻め方を得意としていた。

 『速さ』は、そのまま『力』となる。

 相手が相手なら対峙した瞬間に決着がついていてもおかしくはない。

 しかしながら、相対する“黒”のアーチャーは弓兵ながらライダーの槍術に喰らい付く。

 戦闘が始まって幾許かの時が過ぎた。

 力関係は当初と変わらず、ライダーが優勢を維持している。アーチャーは反撃もおぼつかず、双剣でライダーの槍を凌いでいる。

 だが、それはつまり『凌がれている』ということである。

 大賢者ケイローンから基礎を叩き込まれ、数多の戦いを乗り越えて磨き上げた槍が、自分の間合いに入った弓兵に凌がれているという事実。

“速さも力も、俺のほうが圧倒しているのは間違いない。何故、攻めきれない!”

 打ち合う刃は千を越え、眩い火花が夜の森を照らし続ける。

 ライダーに傷はなく、アーチャーは少しずつダメージを蓄積している。

 このまま攻めれば勝てるとは思う。

 しかし、それと同時にアーチャーの堅実な守りに阻まれて、勝敗がつかないのではないかという思いも芽生え始めていた。

 それほどまでにアーチャーの守りは硬かった。より正確に言うのなら、守り方が非常に上手い。

 ライダーは仕切り直しとばかりに距離を取る。

 弓兵を相手に距離を取るのは悪手でしかないが、デメリットを考慮しても、一旦すべてをリセットして新たな攻め口を探るべき頃合であろう。

 ほんの一瞬のうちに、三十メートルばかりの距離を取ったライダーは、アーチャーを睨み付ける。

「一発、でかいのを試してやるか」

 ライダーはくるり、と槍を回して逆手に構える。

 手にとって振るうことのみが、槍の使用法というわけではない。

 むしろ、古代の戦争では弓矢と並んで主たる遠距離攻撃武器として活躍していたのである。人類の文明とほぼ時を同じくして誕生した、敵を、獲物を害するための武器。

 ライダーが活躍した古代ギリシャに於いてもそれは例外ではなく、ライダー自身もまた多くの名のある戦士を自慢の投槍にて討ち果たしてきた。

 全身の筋肉を収縮させ、振りかぶる。

 邪魔な木々は、二騎のサーヴァントの激突によって消し飛ばされ、開けた平原と化している。その投擲を、阻むものは何もない。

 

 

 予感はあった。

 烈風の如き圧倒的な速度での刺突から、距離を取ったライダーの意図は、仕切り直しであるのは明らかだった。

 槍兵の間合いから弓兵の間合いへ。

 せっかく詰めた間合いを捨て、自ら不利な状況に追い込むのは、この程度の距離などいつでも詰められるとの自負からか。

 あるいは、この距離こそ、新たな攻撃に必要だったのか。

 おそらくは後者。

 宝具の解放というには魔力の発露が小さい。スキルか生前から積み上げた技術による投撃に違いない。

「チィ……!」

 とはいえ、ただの投撃も“赤”のライダー(アキレウス)の投撃となると話が違う。たとえ宝具ではなくとも、その技量は間違いなく宝具並の力を有するであろう。

 アーチャーは確信する。

 あの投撃は、仮に『ランサー』のクラスで召喚されていれば、宝具としての神秘性まで付加されて間違いなく必殺の一投となるものであろうと。

 弓での狙撃も、投影宝具による射撃も間に合わない。ならば、回避か。否。最速の英雄が放つ投撃を、この距離で回避するなどあまりにも無謀である。

 ならば、より確実な方法――――即ち、手持ちの兵装の中で最強の防壁を用意するしかない。

 ライダーはすでに槍を振りかぶっている。間に合うかどうかは五分五分の賭け。魔術回路を全力起動。限界を超えた魔力を引き出し、脳裏のイメージをそのままに、この世に花弁を具現する。

 ライダーは槍を振りかぶり、アーチャーは右手を掲げる。

 

「行け、宙駆ける星の穂先(ディアトレコーン・アステール・ロンケーイ)!!」

 

 ライダーは己が槍の銘を叫び、射出する。軌跡は緩やかな放物線を描く。しかし、その槍は神速にして流星さながら。穂先は大気を抉りとり、瞬きをする間もなくアーチャーの胴体に着弾して爆発的な魔力をばら撒く。

 土煙が吹き荒れ、大地が捲れ上がる。それが、宝具ですらないただの投撃だなどと誰が理解できよう。綺羅星の如きギリシャの英雄豪傑の鎧を貫き、頭蓋を砕いた絶技。ライダーですら半ば勝利を確信するほどの会心の一投であった。

「な……に……」

 ライダーは目を見開き、喉を震わせた。

 信じ難いものを見たとでも言うように、全身を硬直させてそれを見た。

 

 アーチャーが生きている、――――それはいい。

 槍が防がれた、――――聖杯戦争だ。そういうこともあるだろう。

 だが、魔力と砂礫の粉塵から咲き誇る真紅の花弁だけは、この場にあってはならないものだった。

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!!」

 

 神速の投撃を正面から防いだのは、アーチャーの姿を覆い隠さんばかりの巨大な花。

 トロイア戦争に於いて、強大なヘクトールの投撃を防いだとされるが故に、投擲武器及び飛び道具に対しては無敵という概念を有する概念武装にして、アーチャーが持つ守りの中で最硬を誇る防御宝具。

 ライダーの速すぎる投撃を防ぐには、これ以上ないという絶対防御であった。

「てめえ、……!」

 それを見て、顔色を変えたのはライダーだ。

 明確な怒気と殺気を視線に込めて、ライダーは吼える。吼えて、消える。

 楯に弾かれた槍を俊足で回収したライダーは、地を蹴ってアーチャーに迫った。

 アーチャーは再び双剣を構え直し、ライダーを牽制するべく対神宝具を射出する。

「何故、てめえが、――――アイツの楯を……ッ。持ってんだあああああああああああッ!」

 叫ぶ。走る。

 アーチャーが展開した守りは、まさしくアイアスの楯。見間違うことなどありえない。その本来の持ち主である大アイアスは、アキレウスに次ぐ実力を持つとされたアカイアの猛将であり、アキレウスとは従兄弟の関係にある。友人の宝具を使われて、冷静ではいられない。

 剣の群れを駆け抜けて、アーチャーに襲いかかる。

 アーチャーとライダーの激突は一秒にも満たない時間の後に行われる。

 そうなる、はずであった。

 こことは異なる、別の戦場で生じた強大に過ぎる閃光が、アーチャーとライダーが激突するこの場にまで襲い掛かってこなければだが。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “赤”のバーサーカーは思考する兵器だ。

 ただ敵を圧倒的な力で蹂躙するだけのモノでありながらも、破壊対象には明確な優先順位があり、狙った者を殺害し、粉砕するまで決して止まらない恐るべき執着の持ち主である。

 もはや、その肉体は人の形を喪失し、異形のソレへと成り果てた。

 人型だったころを忍ばせるものは何もない。蜘蛛や竜や鳥や獅子を思わせる様々な部品パーツに彩られた生物の出来損ないのような形態は、神話に現れる合成獣キマイラを思わせる。

 もっとも、この怪物は喉に鉛を詰まらせて窒息死してくれるような可愛らしいものではない。

 何せ、いつ死ぬとも分からぬ驚異的な回復力の持ち主だ。不死性の宝具やスキルではなく、極端なまでに高い『耐久』スキルでひたすら攻撃に耐え、受けたダメージの一部を宝具『疵獣の咆哮(クライング・ウォーモンガー)』によって、魔力へと変換し肉体に蓄積する。それが、尋常ならざる異常回復となって傷を癒し、ダメージを受けることによる過剰な魔力供給が肉体をさらに変貌させていく。

 ルーラーにとっても、これはどうしようもない暴虐だ。

 鞭のように撓るバーサーカーの腕を掻い潜るも、その腕が粉砕した地面から飛び散った礫が彼女の鎧を削る。

 驚嘆すべきことに、バーサーカーが抉った岩にすら、彼の魔力が染み付き、サーヴァントを傷付ける飛び道具にしてしまっている。

「ああ、もう、いつになったら死ぬんだよ、コイツは!」

 “赤”のセイバーは苛立たしげにバーサーカーの腕を斬り落とす。その直後、斬り落としたはずの腕から、獅子の顎が生えてセイバーに牙を剥いた。

「めんどくせーッ!」

 獅子の頭を斬り飛ばして、セイバーは後退する。

「権力の走狗たる貴様に、この私は倒せない」

 にたり、とバーサーカーは笑みを浮かべた――――ように見えた。

 すでにその顔も半ば肉に埋もれていて表情は分からない。彼には、自分の身体が変貌している自覚がないのだろうか。

「コイツ、さっきから同じようなことしか言わねえな」

「このバーサーカーは、最も困難な道を選ぶという思考で固定されていますからね。会話はもとより成立しません」

「結局、バーサーカーはバーサーカーってことだろ。狂獣風情が、王たるべきこのオレの前に出るんじゃねえよ!」

 立ち塞がるもの皆斬り殺す。

 気合を入れて、セイバーはバーサーカーに斬りかかる。

 歴史は確かに、バーサーカーのほうが古い。しかし、英霊としての格はセイバーのほうが格段に上だ。

 古代ローマに反逆したはいいが、何も為すことなく死したバーサーカー(スパルタクス)と、アーサー王に致命傷を与えたセイバー(モードレッド)では戦士としての性能も成し遂げた偉業にも大きな開きがある。

 もちろん、バーサーカーの行動が古代ローマの剣奴たちに大きな希望を与えたことは言うまでもなく、それは歴史的にも大きな功績だ。だが、それでもやはり栄光に彩られたアーサー王伝説を終わらせたセイバーには見劣りする。

 何よりも理性のない狂獣に遅れを取るのは英雄の誇りが許さない。

 それが、セイバーがこの怪物に挑む唯一つの理由だ。

 バーサーカーの狙いがルーラーだから、ルーラーにすべてを押し付けて逃げても構わない。だが、それは王たる者のすることではない。この戦いは、セイバーとバーサーカーのものだ。後から出てきたルーラーに横取りさせるのは気に入らない。

 このセイバーの行動が、皮肉にもバーサーカーの宝具の威力を存分に発揮させている。

 強烈な斬撃の応酬に、動きの鈍いバーサーカーは全身を傷だらけにしている。そして、受けた傷を片っ端から修復し、肉体を肥大化させていく。肥大化した分だけ、動きは緩慢になる――――などということもなく、むしろその動きは鋭さを増して、徐々に突進の速度を上昇させている。

 今や、セイバーの攻撃はバーサーカーを肥え太らせるだけになってしまった。心臓も脳も急所にならない怪物を相手に、セイバーはいよいよ危機感を覚えるようになった。この化物は、勢いと力だけでは到底止まらないと。

 そうであるならばマスターを仕留めればいいのだが、生憎とこのバーサーカーのマスターが誰か分からない。

 “黒”の陣営に強制的にマスター権を奪われているのだろうから、ミレニア城塞に篭る敵マスターが“赤”のバーサーカーを使役しているという構図なのだろうが、そこまで辿り着くのは難しい。

 圧制者を叩き潰すという思考以外を放棄したバーサーカーは、王を自称するセイバーと聖杯大戦の裁定者であるルーラーを己の敵と見定めている。

 もはや、バーサーカーにはこの二騎以外を視界に入れるつもりはなく、取り逃がすつもりもない。

 凶悪な自己強化宝具によって、異様な姿に変わったバーサーカーは、当初の動きの鈍さはすでにない。蓄積された膨大な魔力を燃やし、身体能力を向上させているので、セイバーやルーラーの敏捷性に迫る素早さを有している。おまけに、異形の姿が厄介だ。ヒトの姿を離れ、様々な生物の一部を継ぎ接いだような形態は、人との戦いに慣れた二騎にとって実に戦いにくかった。

「うぎゃッ!」

 ルーラーに襲い掛かるバーサーカーを背後から斬りつけようとしたセイバーが弾かれて地面を転がった。

 『直感』によって直撃を避けたが、砕けた地面の欠片が魔力に汚染され、弾丸のような勢いで全身鎧を削った。

 セイバーを襲ったのは、先端が刃のようになった尾であった。

 その形状は、サソリのそれに似ている。おまけに、先端の刃の根元にはご丁寧に魚の目のようなものがついている。それが、転がるように蠢きセイバーを捉えると、尾は彼女を串刺しにせんとして鋭く襲い掛かってくる。

 その動きは、まるで蛇のようであった。

 愛剣で刃を受け止めて、返す刀で斬り飛ばす。しかし、それも徒労に終わる。斬った直後に、さらに太く強靭な刃が生えてくるからだ。

 さて、どうするか。

 セイバーはバーサーカーの尾を避けながら思案する。

 このままではジリ貧だ。

 あのバーサーカーは致命傷を与えても即座に修復し、さらに強くなる。このバーサーカーには、ただの剣術では意味を成さない。

 小さな傷では意味がないのなら、全身隈なく塵一つ残さず消滅させるしか、手は残されていない。

 

 

 ルーラーはちらりと空中要塞に視線を向けた。

 本来、ルーラーの目的地は戦場を見下ろすあの空中要塞であり、中立を旨とする彼女が“黒”の手駒と化したバーサーカーと戦うことは想定していない。これが“赤”のサーヴァントであれば、ルーラーは確信を持って“赤”のルール違反を糾弾できたかもしれないが、バーサーカーは暴走していて敵味方の判断を独自に行っている。バーサーカーには聖杯への想いはなく、陣営への所属意識もおそらくはない。ならば、彼を理由にどちらかの陣営を裁くわけにはいかない。

「ッ……」

 身を低くしたルーラーの頭上を、バーサーカーの腕が通り過ぎていく。鞭のように撓る丸太の如き腕で殴られては、一撃でルーラーの身体が粉砕されてしまうかもしれない。

 今はとにかく、この難敵をどうにかしなければならない。

 状況は奇しくも空中要塞に身を潜める“赤”のマスターの意に沿う形に落ち着いている。

 バーサーカーはルーラーを足止めし、その命を狙っている。大抵のサーヴァントに対しては、特権というアドバンテージを有するルーラーも、このバーサーカーを相手にするには具合が悪い。

 『バーサーカー』のクラスで召喚されたサーヴァントは、常に暴走の危険性を伴うものだ。サーヴァントを縛るという令呪の基本的な役割が最も期待されるのは『バーサーカー』に対してであろう。

 だが、その一方で『狂化』のランクが高いサーヴァントは時折令呪の拘束すらも弾いてしまうことがある。

 『対魔力』がAランクであれば、一画までならば耐えられることは周知されているところだが、『狂化』による令呪への抵抗は、そのサーヴァントの『狂化』のランクとスペックに左右される。

 それを考えれば、このバーサーカーは最悪だ。

 評価規格外の『狂化』に、異形と化した肉体。通常状態でさえ、令呪を重ね掛けしなければ行動を抑制することすらもできないのだから、今の状態には三画の令呪を用いても効果が期待できない。

 ルーラーの手にあるバーサーカー用の令呪は二画。

 とても、特権でどうにかできる相手ではなかった。

 故にルーラーは焦燥に駆られる内心に反して、この戦場から抜け出すことができないでいる。

 特権というアドバンテージが活かせない上に、ルーラーの攻撃はすべてバーサーカーのブーストに使われる。

“どうすれば……ッ”

 ルーラーが歯噛みをして思案した、まさにそのとき、強大な魔力の渦が彼女とバーサーカーの側で湧き上がった。

 魔力風の発生源は、“赤”のセイバーだった。兜を外し、禍々しい邪剣を掲げて赤き魔風の只中に髪を遊ばせている。

 セイバーが宝具を解放しようとしている。

 ルーラーはこのとき初めてセイバーの真名を知ることができた。その名と性別が一致しないことに驚きつつも、それ以上に危険な何かをルーラーは感じてしまっていた。

 何かがマズイ。

 あの宝具は確かにバーサーカーを消し飛ばすことができるだろう。セイバーの宝具は、おそらくは対軍宝具だ。巨大化したとはいえ、十メートルに満たないバーサーカーは、直撃すれば塵一つ残さないだろう。

 常識的に考えれば、この一撃で勝敗は決する。

 そのはずなのに、どうしてかルーラーはセイバーの宝具の発動の結果とそれがもたらすものに対して矛盾した危機感を抱いている。

 セイバーは確実にバーサーカーを仕留めるだろう。だが、それと同時にセイバーやルーラー。そして、この戦場にいるすべての存在に、これ以上ない災厄が降りかかる。そういう確信がある。

「セイバーッ。ここでの宝具は……ッ」

「どけッ、ルーラー! 一緒に吹っ飛ばすぞ!」

「聞いてください! このままでは大変なことが……!」

「今ここでこうする以外にねえだろ! つべこべ言うんじゃねえ!」

「ッ……」

 ルーラーは唇を噛んだ。

 ルーラーは未来予知にも比する感覚の持ち主であり、このバーサーカーにこれ以上のダメージを与えるのは危険だと感じている。おそらく、それはセイバーも同じだろう。彼女の『直感』のスキルもまた、ルーラーほどでなくとも危険に対しては敏感だ。そして、セイバーはそれでも尚宝具を解放しようとしている。宝具を解放して得られる利と宝具を解放することで被る被害を天秤に掛けて、その上で宝具の解放を決めたのだ。

 だから、ここでセイバーが宝具を解放するという選択以上の利を示せない時点でルーラーは彼女を止めることはできない。

 ルーラーは、バーサーカーの一撃を旗で受け止めるふりをして、その勢いを利用して大きく距離を取った。計られたバーサーカーは、そうと理解できずに笑みを深くする。

 バーサーカーの優先順位は、絶対的な特権を有するルーラーが第一だ。そのルーラーが吹き飛ばされたことで、やっとセイバーに意識が向いた。

 その時点で、セイバーの宝具はすでに発動を数秒後に控えていた。

 振りかざす邪剣は、赤雷を纏い、周囲のすべてを吹き散らす豪風を放っている。

「オオッ」

 バーサーカーは、ソレを見て、恐怖するでもなく――――逆に歓喜した。

 乗り越えるべき壁が迫っているのを肌で感じて、

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――――――――――――――蹂躙して見せろッ! 権力に阿る犬よッ! その悪しき光を、私は乗り越えて見せる」

 バーサーカーが、その巨体でセイバーを押し潰さんと跳んだ。それは、投石器で投じられた岩塊のようであった。大気の壁を蹴散らし、巨大な身体と圧倒的な重量でセイバーを圧殺しようとバーサーカーは手足を大きく広げる。

 極めて単純な戦術。

 面積を大きくし、打撃によって潰す。

「ハッ……でけえ的だ」

 バーサーカーを鼻で笑う。

 バーサーカーの奇怪な宝具も、異常な『耐久』もすべて理解している。あのバーサーカーの戦術は確かに正しいのだ。彼はその高すぎる防御力と敵の攻撃を自分の能力値の上昇に利用できる宝具を組み合わせているので、己の身体を的にしながら突き進むことができる。

 だが、バーサーカーはセイバーを分かっていなかった。

 彼女の手にあるのは、剣の王とも称された至高の宝剣であり、セイバーの禍々しい増悪に歪んだ邪剣。A+ランクの対軍宝具を、これまでのちっぽけな斬撃と一緒にしている時点で、バーサーカーは終わっているのだ。

 もはやセイバーが為すべきことはただ一つ。 

 迸る魔力を破壊に変えて、真名を解き放つことだけだ。

我が麗しき父への反逆(クラレント・ブラッド・アーサー)!」

 灼熱の光が墜ちる。

 バーサーカーの視界は一瞬にして絶望の赤へと変わり、その全身は怒涛の雷撃に打ち砕かれていく。肉が焼け、骨が砕け、再生すらも間に合わず、セイバーの宝具の一撃が身体を溶かしていく。

 これは、まさしく反逆の光。

 体制に叛旗を翻し、あらゆる増悪と熱狂を一身に受け止めた魔性の力に相違ない。

 その在り様に、バーサーカーは初めて敬意を覚え、なればこそ乗り越えねばと吼える。

 だが、それも僅かの抵抗でしかなかった。

 バーサーカーの突進が拮抗できたのは、ほんの一瞬に過ぎず、灼熱の奔流がミキサーのようにバーサーカーの身体を粉々に粉砕し、焼き払い、押し流していった。

 

 

 

 目を焼くような閃光が消え、夜の帳が戻ってきたとき、残されたものは何もなかった。

 赤き熱線は、射線上のすべてを焼き払ったのだ。

 立ち込めるのは、草木が焼ける臭い。地面は抉れて熱で爛れ、草原に一条のラインを引いていた。バーサーカーの巨体もそこにはなく、蒸気を上げる地面だけが顔を出していた。

「やったん、ですか?」

 思わず、ルーラーは呟いた。

 セイバーの宝具は凄まじい威力だった。単純威力系の宝具の中でもかなり高位に位置するであろう一撃だ。特別な防御宝具でもない限り……否、あったとしても直撃すればサーヴァントの大半が死に絶えるであろう。

 懸念していた不安も、バーサーカーが消えたとなれば解消される。

 セイバーがバーサーカーを倒しきってくれたおかげで、災厄は回避された。

「ハッハー。ざまみろや、デカ物!」

 セイバーは剣を振り回して勝利の雄叫びを上げていた。

 自慢の宝具が決まったのがよほど嬉しいのだろうか。今にも飛び跳ねんばかりである。

 ところが、セイバーの宝具で焼き払われ、黒くなった地面に突如として魔力の塊が現れたのである。それは、脈打つ心臓であり、拍動のごとにおそるべき魔力を放出している。

「な、に……!?」

 セイバーは目を見開き、再び剣を構える。対軍宝具で身体を消し飛ばされ、心臓だけになっていながらまだ生きているというのは、あまりにも異常だ。

 それも見る見るうちに、肉に覆われていく。

 むき出しの心臓は、筋肉と骨に守られるようにその中に埋もれていき、赤黒い肉の中から目玉らしきものが現れては肉に埋もれていく。触手のような腕が生え、骨が飛び出し、内臓はそのすべてが筋肉へと変質していた。皮膚もなく、ただの筋肉の塊に成り果てたバーサーカーは、それでもこの世にしがみ付いていた。

「コイツ……ッ!」

 セイバーは怒りのあまりに言葉を失った。

 父の名を冠する宝具の直撃を受けていながら、醜くも生に執着する敵が許せない。

 彼女にとって、この剣は父に致命傷を与えた剣であり、故に、この剣で殺せない敵の存在は、それだけで許し難い大悪となる。

 なんとしてでも、この場で殺す。

 そう誓って歩を踏み出したときに、セイバーの『直感』が本格的な警鐘を鳴らした。

 この場に踏みとどまっていたら、それこそ致命的な事態に陥る。

 戦いの本能が、叫んでいた。そして、ルーラーも。

「セイバー!」

 危難を報せる叫びに、セイバーは己の激情を押さえつけた。もはや肉の塊となった者に感情をぶつけるのは愚かしいと、無理矢理に納得して、セイバーは飛び退いた。

 そうしている間にも、バーサーカーだったものは膨れていく。その内側には、膨大極まりない魔力が渦を巻いている。

 ルーラーはそれを見て、即座に災厄の正体を悟る。

「この場のすべてを纏めて破壊し尽くすつもりッ!?」

 今やバーサーカーは魔力爆弾であった。

 対軍宝具の真名解放すらも上回る膨大な魔力を、一撃の下に解き放とうとしているのである。

「セイバー、この場を離れなさい!」

「てめえは!?」

「わたしは、これを凌ぐことができますのでご心配なく!」

「そうかい。じゃあな!」

 セイバーは、それだけを言い残して霊体化した。彼女もまた、バーサーカーの狙いは察していたのだ。自爆するというのなら、セイバーが手を下す必要はない。そして、それに巻き込まれるようなダサい死に方をするつもりもないので、早々に撤退する。

 セイバーのあっさりとした退き際に毒気を抜かれたものの、気を取り直してルーラーは旗を掲げた。

 バーサーカーの肉体の変容は、すでに許容範囲を超えている。

 この数秒後にでも、バーサーカーの肉体は崩壊し、内包したすべての力を全方位に解き放つだろう。

 バーサーカーの意識もすでになく、ただ破裂し破壊を撒き散らすだけの兵器としての機能だけが残っている状態だ。止めることは、不可能である。

 霊体化して戦場を離れることのできるセイバーと異なり、ルーラーは霊体化することができない。

 今から全力疾走したところで、逃げ切れるはずもない。

 

 そして、憤怒と歓喜に彩られたバーサーカーの最強の一撃が、戦場を震撼させた。一瞬にして荒ぶる暴虐の化身と化したバーサーカーは、自らの肉体すらも魔力に変換して大爆発を起こしたのである。

 その一撃は、核爆弾を思わせる光と熱の暴虐だった。 

 ルーラーが直感したとおり、彼はこの場にあるすべての物体をこの世から消し飛ばす。無論、その最初の犠牲者となるのは、最も近くにいたルーラーである。

 戦場にあるすべてを打ち砕くための、反逆の鉄槌に対して、ルーラーは風に棚引く旗を振るい、

我が神は(リュミノジテ)――――」

 その真名を高らかに謳い上げる。

 ルーラーを象徴するのは、真白な聖なる旗。刀剣ではなく、武器にすらならないこの聖旗は、それでありながら多くの将兵を鼓舞し、常に先陣を切るルーラーを守護し続けたという。

ここにありて(エテルネッル)!」

 宝具として解放された聖旗は、ルーラーの規格外の対魔力を物理的霊的を問わずあらゆる種別の攻撃に対する守りに変換する極めて強力な防御宝具だ。

 墜ちる星にも似た究極の破壊を前にして、ルーラーという少女はあまりにも小さく矮小で儚い。

 吹けば飛ぶような、塵にも等しい存在だ。だが、そんなルーラーは、圧倒的な暴虐の中で、流されることもなく地に足をつけて立っている。

 両手に渾身の力を込めて、苦悶に顔を歪めながらも決して折れることないその姿は、ルーラー――――ジャンヌ・ダルクという少女の生き様を体現している。

 そう、この程度の暴虐に抗えずして何が英霊か。何が聖女か。

 バーサーカーが己のすべてを擲って解き放った最期の一撃は、対軍宝具を上回る攻撃範囲を誇り、戦場に出ていたホムンクルスやゴーレム、竜牙兵の大半を死に至らしめ、ミレニア城塞を半壊させるという戦果を残した。

 それでも、それだけの威力を誇る攻撃に曝されたルーラーは、五体満足で立っていた。

 光の津波を斬り裂いたルーラーは、戦場の惨憺たる光景に呆然とし、聖旗がなければ自分も跡形もなく消し飛んでいたという事実を改めて突きつけられて、神の偉大さを再確認した。

 

 



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二十二話

フィオレは姉なのにラスボスって感じがしない。型月の姉は癖のあるキャラばかりだと言うのに。三枝ちゃんばりの良心とは。マジカル薬草やクレイジーサイコ女神や傷んだ赤色とかはその辺りをきちんとですね。ああ、妹なのにラスボス張っている人もいたか。条理を覆して触手しちゃうから残念扱いされちゃう形になったのではなかろうか。まあ、fateの最終回Cパートは三枝ちゃんの邪悪な笑みで終わりですわ。ところで三枝ちゃんにはIV号戦車の上であんこう踊りに勤しんでもらいたい。……うん? こんな時間に客か。電撃の海賊本がやっと届いたのかもしれn


 ルーラーは確かにバーサーカーの攻撃を防ぎきった。だが、それはあくまでもルーラーの身に降りかかる災厄を防ぐ程度の範囲でしかなく、よくてその周囲も纏めて守るというくらいでしかない。バーサーカーの攻撃は、戦場のすべてを一撃の下に巻き込めるほどの攻撃範囲を誇っており、ルーラーが防いだからといってほかへの影響が皆無というわけにはいかない。

 

 

 光の斬撃は戦場を焼き尽くしただけでなくミレニア城塞にまで達していた。

 魔術による突破はほぼ不可能。その防御力は、サーヴァントの宝具にすらも耐え切れるともされた“黒”の陣営の拠点は、しかしただの一撃を以て半壊にまで追い込まれていた。

「ッ……」

 落ちて来た瓦礫に頭を打ちつけたのか、カウレスの額からは出血が見られた。

 地震の経験もないカウレスにとっては、天地がひっくり返ったかのような振動というのはこれが初めてであり、何が起こったのかも正直、よく分かっていなかった。

 ただ、それでもミレニア城塞が何か強力な攻撃に曝されて、崩壊したという事実は無理矢理にでも認識させられた。

 そして、それが分かるのはカウレスがミレニア城塞の外にいるからだった。

 “赤”のバーサーカーの最期の一撃は、カウレスの篭る工房を掠めるように城塞を砕いた。そのままであれば、カウレスも巻き込まれて死んでいただろうが、己のバーサーカーが傍らにいたことが命を救った。危険を感じた瞬間、バーサーカーはカウレスを抱えて城外に脱出した。おかげでカウレスはかすり傷で済み、バーサーカーも健在のままだ。

「バーサーカー、大丈夫か?」

「ヴィイィィ……」

 隣に立つバーサーカーが頷いた。どうやら彼女にも怪我はないらしい。

 カウレスは、ハンカチで額を押さえながら治癒魔術で怪我を治療する。そうしながら、ミレニア城塞の惨状を眺めた。

 鉄壁のはずの城塞の外壁は消し飛び、文字通り両断されてしまっていた。

 カウレスの記憶では、崩落しているところに自分の工房以外の工房があったということはない。

「とにかく、姉さんと合流しよう。もう、城塞の守りは期待できないしな」

 カウレスは呟き、バーサーカーを引き連れて城塞に戻る。壁が崩れているので、中に入るのは簡単だ。瓦礫で塞がれた道をなんとか乗り越えて、カウレスは城塞内部に戻る。

 このとき、カウレスはこれが聖杯大戦であるということを失念していた。

 確かに、戦闘はサーヴァント同士の一対一の様相を呈していた。だが、それは成り行きでそうなっただけに過ぎず、サーヴァント戦以外のところでも戦いは行われていた。竜牙兵とゴーレム、ホムンクルスの意味もない雑兵たちによる削り合いが。

 今、“赤”のバーサーカーの災厄を逃れた竜牙兵がカウレスの背に迫っていた。ただの一体。だが、三流魔術師のカウレスを仕留めるには十分な戦力だ。

「ヴヴ、ナーーーーーーーーオウ!」

 カウレスの命を救ったのは、またしても己のサーヴァントだ。

 彼女は、自身のマスターの背に迫る不届き者に飛び掛り、宝具たるメイスで滅多やたらに殴り倒して粉砕した。その際、バーサーカーはカウレスを城塞内に押し込んだ。

「う、わあッ」

 事情が飲み込めないままに、カウレスは地面を転がり、起き上がって初めて竜牙兵に襲われそうになっていたことを知った。

「すまない、バーサーカー。助かったよ」

「ヴヴヴ……」

 気を付けろと言わんばかりに、バーサーカーは腰に手を当てて怒った、ような仕草をした。

 ほっと一息ついたカウレスの耳に、炸裂音が届いたのはそのときであった。何かが爆発したような音が、要塞の奥から響いてきたのだ。

「まさか……」

 カウレスの脳裏に最悪のシナリオが浮かんだ。

 今、カウレスは竜牙兵に襲撃された。それは、この雑兵がミレニア城塞に紛れ込んだからだが、それはつまりこんな雑兵でもミレニア城塞に入り込めるだけの入口ができてしまっていることを意味している。周囲に張られた結界もすでに消し飛んでいるということであり、侵入を妨げる物理的な障害も今はない。

「バーサーカー、行くぞ!」

 骨身に寒風が吹き込んでくるような怖気を感じて、カウレスは走り出した。

 竜牙兵は雑兵だが、それはサーヴァントの感覚で表現したときの話だ。魔術師とはいえ人間である。竜牙兵の手に絶対に掛からないという保証はない。カウレスを除いて、他のマスターたちのサーヴァントはすべて払っているのだ。今のマスターたちは裸も同然である。

 今回、聖杯大戦に臨むに当たり、戦略的な見地から“黒”のマスターたちは各々の工房で、別個にサーヴァントを運用している。

 リスクを分散しようと考えた結果である。

 もしも、城塞内に敵が侵入した場合、マスターが一箇所に固まっていれば一網打尽になる可能性がある。その点、マスターを分散しておけば、即座に全滅という憂き目に遭う可能性は著しく下げることができる。

 だが、それは侵入してくる敵が少数であると仮定した場合の戦略であり、ミレニア城塞の防御力を頼みとしたものであるのは明白だ。

 複数の敵の侵入を許したとき、この戦略はすべてのマスターがほぼ同時に命を狙われていながら個別に対処しなければならないという極めて脆弱なものに変わる。

 マスターが死亡すれば、天下の大英雄でも消滅は免れない。是が非でもマスターの命は守らねばならない。通廊を走って行った先には、姉のフィオレの部屋がある。

 フィオレの工房が見えてきたとき、その扉が吹き飛んだ。

 砕け散った扉は木屑となって、反対側の壁にぶつかって落ちる。

「姉ちゃん!」

 慌てて、カウレスはフィオレの部屋に飛び込んだ。

 カウレスの目に飛び込んできたのは、荒れ果てたフィオレの私室。ベッドは乱れ、壁に掛けられていた絵画は破れ、窓は割れている。

 そして、床には砕かれた竜牙兵と思しき物体が転がっていた。

「あら、カウレス。よかった、無事だったの」

 フィオレは、背中に装備した巨大な金属腕で竜牙兵の頭を鷲掴みにして宙吊りにしており、さらに別の腕で竜牙兵を踏み潰している最中だった。

 接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)

 フィオレが独自のアレンジを加えて誕生した、三流の魔術師でも一流の魔術師を仕留められるとされる強力な魔術礼装である。その反応速度は銃弾にすら対応し、遠くの敵に対しては光弾を放つこともできるという優れものである。

 足が不自由なフィオレが、これまで魔術戦で生き残ってこれたのも、この礼装が手足の代わりとなって敵を叩き潰してくれたからだ。

 フィオレは、その恐るべき金属腕で竜牙兵の頭を握りつぶしてから、カウレスに歩み寄った。

「カウレス。他のマスターたちは?」

「さあ。真っ直ぐこの部屋に来たから。アーチャーは?」

「無事なようです。とにかく、敵の雑兵が城塞内に侵入してきた今、ここはもう安全じゃないわ。移動しないと」

「ああ、だけど他のマスターたちの安否確認もしないと。サーヴァントも」

 カウレスの言葉に、フィオレは頷いた。

 戦力がどこまで残っているのか、今の“黒”の陣営が正しく戦える力を残しているのか。それがはっきりしないことには打って出る、守りに徹するといった戦術的な段階まで思考が進まない。

 カウレスとフィオレは、目茶苦茶になった部屋を出て、ダーニックがいる王の間を目指した。現状では、そこが最も頑強に作られているからであり、カウレスが外から見た様子では王の間がある区画には破壊の手が及んでいなかった。

「アーチャーからの念話では、敵のサーヴァントもどういうわけか撤退したみたい。仕切り直しということかしら」

 桁外れの破壊をもたらした大爆発は、各所での膠着した戦いを有耶無耶にするには十分なものであった。指向性を持たない力の塊ゆえに、敵味方の区別なくその破壊は牙をむいた。

 さすがに、あれで脱落したサーヴァントはいなかったようだが、それでも戦局は多大に混乱し、状況を整理するためにも、一旦俯瞰的な視点に立ち返る必要に迫られた。

 とりわけ、要塞を破壊された“黒”の陣営にとっては態勢の立て直しは急務といえる。指揮系統の確認も含めて、一回でいいので各マスターと合流を果たしたいところだった。

「ッ……!」

 二人の前に立ちふさがったのは、竜牙兵であった。

 骸骨の群れが、廊下を塞いでいる。

「バーサーカー、頼む!」

「ウィイイイイッ!」

 咆哮を発し、バーサーカーは突貫する。暴力の塊と化したバーサーカーは、猛烈な勢いでメイスを振るい、骸骨兵を粉砕していく。

 弱小のサーヴァントとはいえ、竜牙兵如きに遅れを取るバーサーカーではない。

 バーサーカーがメイスを振るい、敵の前衛を蹴散らした直後、砕けた骸骨を掻い潜って矢が放たれた。バーサーカーを倒せなくとも、その後ろのマスターを仕留めてしまおうという腹であろう。

 とはいえ、それも甘い。フィオレの接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)の反応速度は銃弾にすら先んじる。ただの矢では、当然ながら弾かれるだけである。フィオレだけならば、この場を自分ひとりで切り抜けることすら可能だろう。

 しかし、バーサーカーのマスターであるカウレスは、違う。フィオレのような便利な礼装もなければ、強力な防御魔術も扱えない。必然的に、フィオレとバーサーカーはカウレスを庇うことになる。狭く隠れる場所もない廊下での、矢による面制圧射撃は、防御に徹するしかないフィオレたちにとっては脅威であった。しかも、フィオレの礼装は面での防御ではないため、制圧射撃には弱いという弱点もある。反撃のタイミングが掴めず、歯噛みする。

 そこに、赤熱した矢が降り注いだ。

 炸裂した魔力が一瞬にして敵弓兵を粉微塵に打ち砕く。

「無茶が過ぎるな、マスター」

「お互い様です、アーチャー」

 フィオレは駆けつけてきたアーチャーに微笑みかける。

 アーチャーの身体は至るところ傷だらけで、“赤”のライダーとの戦いが如何に苛烈を極めていたのかが窺える。頬はざっくりと切れているし、両手も血に塗れている。

「すぐに治療します。アーチャー」

「それはありがたい。ああ、そうだ。他のサーヴァントも、それぞれのマスターの下に戻ったようだ。幸い、まだ一騎も脱落してはいないようだな」

 “赤”のバーサーカーの消滅は、予定通りと言っていい。アーチャーは、“赤”のバーサーカーの行動を把握していたわけではないが、最期の自爆以外は“黒”の陣営に都合のいい動きをしたと考えている。

 アーチャーの報告を受けて、フィオレは頷いた。

 味方は無事。

 その報告だけでも、フィオレの心には安堵の気持ちが溢れてきた。“赤”の陣営がこれで撤退したというわけではないのだから、それではダメだと自らを奮い起こす。

 膨大な魔力の渦が空中要塞から落ちてきたのは、まさにそのときであった。

 

 

 

 

 ■ 

 

 

 

 

 “赤”のアサシンは、己が宝具『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』から眼下に広がる惨状を俯瞰する。

 焼き払われた草原。無数に転がっていた死体や砕けたゴーレムの瓦礫も今はなく、ただ一面に黒ずんだ地面が広がっている。その先には、崩落した敵陣営のミレニア城塞がある。

「あの城を崩すには、ランサーの宝具でも使わねばと思っておったが、手間が省けたな」

 アサシンは、優美な顔に笑みを浮かべる。

「ご苦労だったな。英雄たち。各々の相手との決着は付かなかったようだが、何、暫しの辛抱よ。直に再戦だ」

 “赤”のバーサーカーの自壊は、戦場のほぼ全域を巻き込む大爆発となった。その結果、それぞれの場所で一騎打ちを行っていた各サーヴァントは戦闘が有耶無耶になってしまい、“赤”の陣営に関しては空中庭園に撤退することになったのである。

 “赤”のアーチャーが、アサシンに尋ねる。

「それは構わぬが、城塞に接近してどうする? まさか、敵のマスターを直接殺す気か?」

「知れたこと。大聖杯を返してもらうだけよ」

 アサシンの言葉の真意を知る者は、この中ではシロウと“赤”のキャスターだけである。

 “赤”のランサーですら、僅かに首を傾げた。

「まあ、見ておれ」

 空中庭園は戦場を我が物顔で通りすぎ、ミレニア城塞に真上に陣取った。

 空に浮かぶ城などというのは、御伽噺の中にしかない空想上の産物であるはずだ。月を覆う天蓋ともなる巨大建造物が空に浮かんでいる様を見たら、トゥリファスの住民たちはどう思うだろうか。

 そして、それ以上に、そんなものに頭を押さえられた“黒”の陣営はどうであろうか。

 慌てふためく様が目に浮かぶようだ。

「さあ、見るがいい。これが、魔術の深奥というものだ!」

 アサシンが両腕を広げて術式を解放する。

 轟、と風が吹き上がる。竜巻が生じ、崩れた城塞に向かって延びていく。

「まさか、本当に奪う気か?」

 “赤”のライダーの言葉に、アサシンは頷き叫ぶ。

「無論だ。そも、この庭園はそのために造られた物故な。そら、神代の秘奥に比する神秘を見せてみよ。その輝かしく、醜悪な姿を曝すがいい!」

 アサシンの起こした竜巻は、瓦礫を掃き清め、地盤を削り、とうとうむき出しの聖杯がその姿を表した。

「あれが、聖杯だと」

 アーチャーが瞠目し、

「ハハハハハハ、あれはすばらしい! まさしく傑作! 魔術師ですらない我輩ですら分かるこの圧倒的な魔力! 美しすぎるあまり、怖気すら奔るッ!」

 キャスターが歓喜を露にする。

 寡黙なランサーですら、目を見張っている。あれほどの逸品は神代ですら珍しい。なるほど、確かに万能の願望機と呼ぶに相応しい代物だ。

 六十年前の聖杯戦争で散った六騎の魂と六十年に渡って蓄えられてきた高純度の魔力。今回の変則的な召喚で、それらは削り取られてしまっただろうが、それでも戦慄すら覚える魔力を有している。今ある魔力だけでも、大半の願望は叶えられるのではないだろうか。

「チッ、完全に霊脈と癒着しているな。者共、我はしばらく聖杯に力を注がねばならぬ。露払いは任せるぞ。ここで、敗れればすべてが泡沫と消えることを努忘れるな」

「言われずとも分かっておるわ。汝こそ、失敗するなよ」

「やらなきゃならねえことは分かってんだ。いちいち命令すんじゃねえっつーの」

 聖杯が空中庭園に納まるまで、まだ幾分か時間がかかる。その間に、“黒”の陣営はなんとしてでも聖杯を取り戻そうと躍起になるだろう。それは、ミレニア城塞を攻略しようと策を練っていた“赤”の陣営と攻守が交代したことを意味している。

 空中庭園とはいえ、聖杯を奪取するためにミレニア城塞にかなり近付いている。この距離ならば、サーヴァントの脚力で十分に侵入可能である。

「セイバーは俺が殺る」

 己が見定めた敵を横取りされまいとしているのか、珍しくランサーが自分から宣言した。

 それもまた当然の帰結だろう。ランサーはセイバーを好敵手と認めている。戦う機会があるのであれば、なによりもまず彼と決着を付けようとするだろう。

 そして、ライダー、アーチャーにも決着を付けるべき相手がいる。

 今、優位に立っているのは明らかに“赤”の陣営だ。だが、だからといって油断するわけにはいかない。こちらで戦力に数えることができるのは、アサシンを含めて四騎だけだ。セイバーは単独行動中、バーサーカーは消滅、キャスターは論外。一方の“黒”の陣営は、ライダーとバーサーカーが戦線離脱、生死不明の状態。アサシンは姿を見せず。となれば、数の上でも互角だ。だが、厄介なのはルーラーのサーヴァント。あのサーヴァント一騎で戦局が変わることは十分に考えられる。まして、シロウとアサシンの真意を知られては対立は免れない。

 故に、優位に立っているとしても、油断はできないというのだ。

 聖杯を“赤”が確保するまで、“黒”の攻撃を凌ぎきれるか否かが、勝負の分かれ目だ。

 その場にいる誰もが、そして攻め上ってくる“黒”のサーヴァントたちとそれを見守るマスターたちもまた。これが時間との戦いだということを、正しく理解していた。

 

 



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二十三話

世の中はバレンタインでしたね。皆様は如何お過ごしだったでしょうか。ちなみに私はチョコレートをたくさん戴きました。期間中ログインすると毎日一つプレゼントされるのです。本番は高感度の高い娘三人から戴けました。食べるとスタミナが回復して、パリンしなくてもよくなるのです。さすがアイギス様は女神だなあ(パリンパリン)


 大聖杯の喪失。

 それは、“黒”の陣営の優位性が完全に失われたことを示唆していた。

 如何に強いサーヴァントを従えていようと、聖杯戦争は聖杯の奪い合いが根底にある。聖杯を駆動させる大聖杯を手中に収めている“黒”の陣営にとっては、これこそが戦いの旗頭であり希望の象徴でありユグドミレニア再興の道しるべであった。

 それが、敵の悪辣な策謀によって奪取されようとしている。

「まずいな」

 空に引き上げられる大聖杯を見て、真っ先にアーチャーは呟く。

 大聖杯を失えば、“黒”の陣営はますます不利な状況に追い込まれることになる。狙撃しようにも相手は要塞の中に引き篭もって出て来ない。僅かでも顔を出してくれればいいのだが、そういうわけにもいかないらしい。

「アーチャー、そこにいたか」

 瓦礫を踏み越えてやってきのは、“黒”のセイバーだった。涼やかな表情は変わらず、しかし緊張の面持ちは戦に臨む前にも増して厳しい。

「セイバー。そちらは」

「マスターたちの安全は確保した。俺たちはこれから大聖杯を取り返しに行く。ランサーはアーチャーの参戦も希望しているが」

「なるほど。王の命令とあらば、拒否するわけにもいかんな」

「心強い」

「君ほどの活躍はできんさ」

 努めて真面目に振る舞うセイバーにアーチャーは皮肉気な笑みで答えた。

 大聖杯はまだ完全に空中要塞に取り込まれてはいない。今のうちに大聖杯と空中要塞との繋がりを断てば、まだ取り戻すことはできる。

 そのためには、あの空中要塞の中に踏み込み敵サーヴァントと戦わなければならない。

 相手の陣地に突入し、格上と戦うというのはまともな神経の持ち主ではまず躊躇する状況ではあるが、生憎とそこはサーヴァント。艱難辛苦は覚悟の上。それを乗り越えてきた英雄である。危険を危険と理解して、しかし恐れて足を止めることはない。

「そういうことだ。フィオレ、カウレス。私はセイバーと共に敵陣に乗り込んでくる。おそらく敵のキャスターは聖杯奪取に力を注いでいるのだろうし、バーサーカーがいれば当面は安全だろう」

 バーサーカーにマスターである二人を託してアーチャーはセイバーと共に空中要塞に向かう。途中で合流した“黒”のランサーや“黒”のキャスターも含めて、動員できる“黒”の兵力を駆使して大聖杯を奪い返すために、空中要塞に戦いを挑んだ。

 

 

 

 □

 

 

 空中要塞に突入してきた“黒”のサーヴァントを迎撃するのは、待ち構えていた“赤”のサーヴァントたちである。

 ライダーの相手はこれまで通りに“黒”のアーチャー。誰と戦うのかは、攻め込まれた“赤”の側に選択権があるが、ライダーはとにかくあのアーチャーと「けり」を付けるまでは他のサーヴァントと戦うつもりはなかった。

 

 

“面倒だな”

 “赤”のライダーは舌打ちして、飛び退いた。そこを、狙い済ました黄金の矢が通過していく。

 ライダーはトロイア戦争で活躍した大英雄。世界的に有名で、その実力はあらゆる英雄の中でも最上位に位置づけられるほどのものだ。そして、サーヴァントのステータスは、知名度にも大きく影響される。その土地で名を知られているサーヴァントほど、生前に近い戦闘能力を発揮することができる。だからこそ、ライダー――――アキレウスのステータスは、極めて高い。彼の名を知らぬ者など、そうそういない。まして、ヨーロッパならばなおさらだ。“黒”の陣営は、聖杯大戦の土地がルーマニアということでこの国の大英雄であるヴラド三世をランサーに召喚した。これも、知名度を利用した戦術であるが、“赤”のライダーからすれば、その程度と一笑に付すものでしかない。地元でしか本来のスペックを発揮できない“黒”のランサーと異なりライダーはどこででも最高性能で戦えるのだ。そして、それこそが、真の大英雄というものである。

 だがしかし、それは翻せばライダーは、知名度補正を得られない状態で戦うという可能性を考慮していないということでもある。

 “赤”のアサシンの超宝具『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』は、宙に浮かぶ巨大要塞であり、この要塞内に於いてアサシンのステータスはすべてランクアップし、最高の知名度を獲得する。しかし、その反面、要塞内がアサシンの支配下になるためアサシン以外のサーヴァントの知名度が零に等しくなるという欠点がある。

 それは、最高峰の英雄ほど大きな枷を嵌められるということになる。

 ライダーが感じる身体の重さ、動きにくさはまさしく、知名度補正が受けられないことによる霊格の低下が招いたものだったのだ。

 敵対するのは、“黒”のアーチャー。

 聖杯強奪を阻止せんと、空中庭園に乗り込んできた“黒”のサーヴァントを迎撃する“赤”のサーヴァントという構図は、直前までのミレニア城塞を攻城する“赤”のサーヴァントという構図と正反対のものとなったが、それぞれの相手が変わることはなかった。

 皆、各々が敵と見定めた者は、その首を獲るまで戦いたいと思っていたし、ライダー自身もこのアーチャーは己が討ち果たさねばならぬと考えていた。

 故に、アーチャーが敵として現れるのは、問題ではないのだ。

 ライダーが突く槍を、アーチャーは双剣でいなして、空中に待機する宝剣を射出する。相変わらず、変幻自在、無数の宝具を操る不気味なサーヴァントだ。たとえ、それが紛い物であろうとも、宝具の格を有するのは脅威である。

「どうした、ライダー。ずいぶんと身体が重そうだな。もう疲れたのかね?」

 アーチャーは、鋭い視線はそのままに、ライダーに挑発するように問いかける。

「ハッ。……ぬかせ、アーチャー。そうして余裕ぶっこいていられんのも今のうちだ」

 ライダーとアーチャーの再戦が始まってから、押しているのはライダーである。それは、先ほどまでと何も変わらない。アーチャーの身体能力は高いものではなく、知名度が零のライダーでも問題なく倒せるレベルでしかない。それが未だに叶わないのは、アーチャーがライダーでも舌を巻く戦上手だからだろう。才能は感じられないものの、それでも英雄の域にまで鍛え上げた武の真髄がここにある。およそ一〇かそこらで並み居る英雄に匹敵する武を手に入れた天才肌のライダーの対極の剣術であり、それだけでもアーチャーの積み重ねた努力が窺い知れるというものだ。

 押されているわけではないが攻めきれない。

 構図は変わらず、アーチャーの反撃だけが僅かに増えた。

“まったく、有名すぎるってのも考え物だぜ”

 内心で埒もないことを考えながら、ライダーは飛んできた剣を槍の柄で叩き落した。

 もちろん、身体が重い程度でどうこうなるライダーではない。英雄とは、英雄になったことで強大な力を得るのではなく、強大な力を存分に世に示した証として与えられる称号だ。ならば、知名度が零だからといって、ライダーが臆するなどありえない話だ。

 ただ一つ、気にかかるのは敵対する“黒”のアーチャー。

 彼もまた、空中庭園の影響で知名度補正が受けられなくなっているはずだ。それにも関わらず、その動きに大きな変化が見られないのはどうしたことか。 

 ライダーほどの技量があれば、刃を打ち合わせただけで敵の調子を測ることは容易だ。その上で判断するならば、あのアーチャーはこの戦場の影響をほとんど受けていない。外で戦っていたときとまったく同じステータスのままだ。

 大英雄たるライダーは、その知名度の高さ故に空中庭園内でかかる制限は大きなものとなるが、対するアーチャーは、もともと知名度が低かったために知名度補正を失うというデメリットが小さかったのだろう。

 ライダーは簡単にそう結論付けた。

 これによって、僅かではあるが、ライダーとアーチャーのスペックの差が縮まったと言えるだろう。

 アーチャーの反撃が増えたのも、これが原因だ。

「ま、確かに戦いにくいっちゃ戦いにくいが……それだけだ、アーチャー。慣れちまえば、どうってことはねえ」

 僅かにスペックが近づいたからといっても、それは微々たるものでしかなく、ライダーは相変わらずの大英雄でありアーチャーはどこの誰とも知れぬサーヴァントという点に変わりはない。アーチャーが強化されるわけでもないのだから、ライダーにとっては動きにくさに慣れれば今までと大差なく戦える。

 速攻を仕掛けたライダーの槍を、アーチャーは咄嗟に双剣を重ねて防ぐ。

「ぐ……ッ」

 アーチャーが苦悶の声を漏らした。

 神速とも言えるライダーの体重の乗った刺突を受け止めるのは至難の業だ。アーチャーは、受けると同時に後方に跳んでいなければ、剣を弾かれて胸を抉られていたことだろう。

「今のを止めるか。認めてやるよ。その戦術眼と技術は、トロイア戦争でもそれなりに通用するだろうよ」

「お褒めに預かり光栄だ。ライダー」

 体勢を立て直したアーチャーは、双剣の柄を握り締めて構える。質実剛健な構え。それそのものに隙はなく、見えたと思った隙もまたフェイク。

 まさに攻城戦も同義の戦だが、だからこそ討ち果たす価値がある。

 ライダーは己の槍に全霊を込めて、アーチャーの心臓を抉るべく刺突を放った。

 しかし、ライダーの槍がアーチャーを貫くことはなかった。

 ライダーの槍がアーチャーに届く前に、ライダーは攻撃の手を引いて距離を取った。

 アーチャーから視線を外してでも確認しなければならない異常事態が生じたからである。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 押されている。

 “黒”のランサーは、歯を食いしばって後退した。

 大聖杯が奪われるという予想外の事態に、“黒”のサーヴァントたちは敵の本拠地に乗り込み奪還を図った。ランサーもまた、領主として自身の宝を奪う賊を始末せねばならない立場だ。乗り込んでいって打ち倒す。そう意気込んでいたのだが、

「ふむ、やはり本調子ではないようだな、ランサー」

 “赤”のアーチャーの分析通り、ランサーの動きは固く、力は弱まっている。

 先ほどまでの力を十とすると今はその六割ほどだろうか。

「ここは、こちらのアサシンが支配する土地。ルーマニアではないから、汝の知名度も地に落ちたも同然だ」

 サーヴァントの戦闘能力は、もとの英霊のスペックとマスターの力量、そして、知名度に左右される。その土地でどれだけ多くの信仰を得ているかで、能力値が増減するのである。ルーマニアでは救国の英雄である“黒”のランサーは、ルーマニア国内では最大級の知名度を誇り、また、そのスキル『護国の鬼将』によって領土と定めた土地ではAランク相当の『狂化』に匹敵する戦闘力ボーナスを得る。それは、逆に言えば、一歩でも領土から出てしまえば、大幅に弱体化するということでもある。

 加えて、ランサーはルーマニア国内でこそ大英雄の一人と認識されているが、その外ではオスマントルコから国を守った英雄としてではなく、吸血鬼のモデル、あるいは串刺しという残虐性が殊更に強調されているために、反英雄的な側面も浮き出てしまう。特に前者は、人ならざる魔性であり、幻想種とも異なる完全なる空想の魔物だ。英雄として召喚されたヴラド三世(ランサー)にとっては、この悪しき名がバッドステータスになってしまう。

「く……」

 ランサーは負けじと衣服の内から杭を召喚する。だが、その速度も威力も先ほどまでと比べ物にならないほど脆弱だ。

 最大展開数二万を数えた対軍宝具も、領土の外に出てしまえば恐れるほどのものでもない。

 ランサーは王であり、武勇の人ではないのだ。スキルと知名度で一流の武人系のサーヴァントに比肩する能力を得ていたが、彼個人の武勇はそれほどでもない。素の力比べとなれば、ギリシャ最高の狩人であるアーチャーに及ぶべくもない。

 アーチャーの放った矢が、ランサーの肩に突き刺さる。二の矢を槍で弾くも、三の矢が膝を射抜いた。

「ぐ、ぅ……」

 それでも、ランサーは膝を突かない。

 英雄としての力量は、アーチャーの方が圧倒的に上である。“赤”のライダーに勝るとも劣らない脚力に、必中の弓矢の技法を有し、誇りよりも現実的な判断を優先する狩人の思考。まさしく、典型的な『アーチャー』のサーヴァントであり、そのクラスに該当するサーヴァントの中でも最高峰の射手であろう。

 ランサーは槍を振るい、杭を放って交戦する。スペックがあまりに違いすぎる相手に、立ち向かっていくのは偏に英雄の矜持があるからである。

 吸血鬼という悪名を雪ぎ、真に英雄としての名を取り戻すのが彼の夢。

 ならば、英雄として折れるわけにはいかないのである。英雄であることを諦めては、彼に残るのは残虐な化物という汚名だけになってしまうからだ。

 だが、届かない。

 槍の達人でもないランサーの攻撃が、最速の英雄に名を連ねるアーチャーに届くはずがないのだ。

 ランサーの槍は空を切り、杭は無造作に地面を抉って転がるだけ。そして、返す刀で放たれる矢は確実にランサーを死に追いやっていく。

 致命傷こそ、辛うじて避けているものの、もはや限界を迎えつつあった。

“そうか、余は死ぬか”

 不意に確信する。

 仕方がない。これが、英雄としての力の差だ。作戦にミスもあっただろう。まさか、地形効果を変質させる空間があるとは思わなかった。大聖杯の強奪という最悪の事態を予想していなかったのも痛い。今回の戦いに対して、ランサーもダーニックも考え得る限りの手を尽くしていたが、相手の方が一枚上手だったということだ。

「いいえ、まだ終わったわけではありません、領主(ロード)。貴方が、その宝具を解放してくださるのでしたらね」

 それこそ、魔法のように現れたダーニックの言葉に、その場にいたサーヴァントたちの動きが止まる。

 ダーニックの言葉には、ランサーの宝具がこの局面を打開する切り札になるという意味が篭っているからだ。“赤”の陣営は警戒感を露にし、“黒”の陣営も、敵サーヴァント及びランサーから距離を置く。

 そして、ランサーだけが、明確な殺気を漲らせてダーニックを睨みつけていた。

「ダーニック、貴様、今、余になんと申した?」

「貴方が有する最強宝具を解放なさいと進言したのです。それ以外に勝機はない」

「ふざけるなッ!」 

 ランサーは力の限り吼えた。

「余は断固としてあの宝具を使わぬ。そう言った筈だな、ダーニック! いいか、たとえここで無念と共に、志半ばで朽ち果てようとも、受け入れよう! それが敗者の定めだからだ! 仮に勝機があろうとも、余はあのような醜悪な姿になりはせぬ! そのような姿で勝利を掠めることは、断じて許さぬ!」

領主(ロード)。もはや、そのようなことを言っている場合ではないのですよ。過去の亡霊に過ぎない貴方と異なり、我々には明日を紡ぐ義務がある。この戦い、敗北で終わるわけにはいかないのです。故に――――」

 ダーニックがランサーに令呪を見せ付けた。

「ダーニックッ!!」

「令呪を以て我が領主(ロード)に命ず“宝具『鮮血の伝承(レジェンド・オブ・ドラキュリア)』を発動せよ”」

「おのれェェェェェェェェッ!! ダーーーーーニックゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」

 ダーニックの腕から令呪が消えた。それと同時に、ランサーの身体に異変が生じる。

 漆黒の靄が、ランサーの身体から吹き出した。膨大な魔力が、その身を変貌させていく。

「第二の令呪を以て命ず。“聖杯を得るまで生き続けよ”」

 ランサーの悲痛な叫びも、ダーニックには届かないのか、第二の令呪がランサーを縛り付けていく。

「ぐ、お、ゴオオオオオオオオオオオッ!」

 ランサーがダーニックに飛び掛った。薄ら笑いを浮かべながら彼はランサーの腕を受け入れる。鮮血が噴き出し、肉が抉り取られる。魔術師と雖も、身体を貫かれる痛みは想像を絶するものだ。しかし、ダーニックは血を吐きながらも笑みを絶やさなかった。魔術師ならば、後継者に先を残さねばならない。魔術協会によってユグドミレニアの未来が絶たれ掛けている今、長として命を賭して先を示す義務がある。

「失礼、ランサー。せめてもの詫びに我が血肉を糧とするがいい。魂など薄味だろう! 貴方はすでに、この世の肉と血を糧とする吸血鬼なのだから! 第三の令呪を以て命ず“我が存在をその魂に刻み付けろ”!」

 ダーニックの言葉の意味を、この場の誰が理解できただろうか。

 サーヴァントが人の魂を喰らって能力を向上させることは儘ある。実力不足を認めるような行為なので真っ当な魔術師ならば選ばない選択肢ではあるが、霊体であるサーヴァントは人の魂を喰らうことができる。だが、その逆はない。サーヴァントの魂は、常人の理解の範疇を超えている。喰らうことなどできるはずがない。

「そうだ、サーヴァントはただの人が喰らうことなど不可能。だが、刻み付けることはできる。この私の百年に渡る執念を、聖杯に託す望みを……もはや、私はダーニックでもなければヴラド三世でもない。それで、構わぬ」

 ランサーの顔が歪み、ダーニックの面持ちとなる。かと思えば、またランサーの顔に戻る。サーヴァントは基本的に霊体なので、その霊体が変質してしまえば容貌も変わる。

 ランサーの魂に寄生したダーニックの妄念が、ランサーそのものの在り様を変質させようとしているのである。

 ダーニックはもともと魂の専門家だ。彼は長年の研究の結果、他者の魂を己の糧とする魔術を編み出していたのだ。

 魂は器に移し替えたり、観察したりするのが限度。直接、これを我が物としても扱えるものではない。

 それを、自らの力に変換する魔術を編み出したダーニックは、やはり一級の魔術師なのだ。

 もっとも、その魔術には大きな危険が伴う。

 魂とはそもそも己だけのものであり、自己を構成する根幹ともいうべきものである。そこに、他者の色を取り込むのだから、自己の中に他者のアイデンティティを植え付ける結果にもなる。最高の条件を揃えて儀式に臨んだとしても死が付きまとう危険な魔術であり、この六十年の間、彼が取り込んだ魂は三人分だけと非常に少ない。しかし、その僅か三回の儀式で、すでにダーニックの自我はかなり薄らいできているのだ。あと一人分取り込めば、もはやダーニックという名はただの記号に成り下がり、まったく別の何かになってしまうだろう。

 妄執が実現した、非道なる魔術。

 人間の魂を己に取り込む程度の術式が、限定的な奇跡すらも実現する令呪の膨大な魔力によって、サーヴァントの魂すらも改変し、ダーニックというラベルを吸血鬼と化すヴラド三世の魂に貼り付ける。

「ダー、ニック……おのれ、おのれェェェェェェェッ!!」

 轟、と魔力が渦巻いて旋風を巻き起こす。

 知名度を失ったことによるステータスの低下など、初めからなかったかのような威圧感を撒き散らし、ランサーは吼えた。

「血迷うたか、ランサーのマスター!」 

 到底理解できないダーニックの妄執に、“赤”のアーチャーは吐き気すらも催し、早々に退場させてやろうと矢を放った。

「何!?」

 だがしかし、“赤”のアーチャーは驚愕を浮かべざるを得なかった。

 “赤”のアーチャーの矢は確かにランサーの胸に突き立った。動かぬ相手だ。この至近距離で外すはずもなく、的確に心臓を射抜いている。だが、流れるべき鮮血は滴ることなく、代わりにおぞましい黒い靄が湧き立ったのだ。

「心臓を貫かれて死なんのか」

 一流の狩人にして、カリュドンの大猪を討伐した彼女でも、心臓を射抜かれて死なない怪物と出会ったことはない。それはもはや、生物としての常道を逸脱して余りある。

「まずいことになったな」

 “赤”のランサーが“赤”のアーチャーに並び立つ。鋭い視線を元“黒”のランサーに向ける。

 “黒”のセイバーとの戦いを一旦切り上げて駆けつけてきたらしい。“黒”のランサーがここまで変貌した以上、“黒”の陣営も戦いどころではない。それぞれ、一時休戦してこの異常事態の推移を見守っている。

「もはや、あれに霊核の破壊は無意味か。サーヴァントであることすらも忘却し、伝承に謳われる吸血鬼と化したようだな」

 “赤”のランサーの見立ては正しい。

 通常、サーヴァントの霊核は心臓と脳の二箇所存在するが、そのどちらか一方を破壊されるとこの世に存在できなくなって消滅する。だが、サーヴァントという枠から外れ、伝承にある吸血鬼と化した“黒”のランサーは、肉体そのものがサーヴァントのそれとはまったくことなるものに変質していた。

「化物だな」

 死徒とも異なる、まったく新しい吸血鬼。それでいて、ごく一般的な吸血鬼であるドラキュラ。物語の中にしか存在しない魔物である吸血鬼は、強靭な肉体と不死性、吸血による増殖などで恐れられている。

 そんなものが、解き放たれてしまえば、ルーマニアは一夜にして死都となるだろう。

「英雄たち……道を開けてくれ……私は聖杯を手に入れねばならんのだ。私は増えねばならぬ。一族のために、魔術の研鑽のために聖杯を手に入れて、後に続く者たちを生み出さねばならぬ。だから、そこをどけ。聖杯は、……聖杯は、私のものだッ!」

 如何なるときも高貴な気風を絶やすことのなかった“黒”のランサーの姿はもはやない。

 貴族服はボロボロに朽ち、人型の魔物に堕している。

 聖杯への望み、一族の妄執。魔術師としての根源への到達という究極目標を達成するために、その前段階である一族の繁栄に力を注いだ人生の集大成を願う。

 彼が仮に聖杯を手に入れてしまったら、吸血鬼ドラキュラという魔物が無限に増殖していくという悲劇を迎えることとなろう。もはや、ダーニックでもなければ“黒”のランサーですらない吸血鬼は、魔術師としての望みなど持つはずがない。まして、“黒”のランサーの悲願であった『吸血鬼という血塗れた名を返上する』という自己否定でしかない願望を口にすることはないだろう。

「ハッ、なんにしても神々には程遠いバケモノでしかねえんだろッ!」

 “赤”のライダーは、俊足を活かして間合いを詰め、槍を放つ。

 音速を凌駕する刺突を、吸血鬼は己が腕を犠牲にして防いだ。血肉が拉げ、骨が露出する。しかし、吸血鬼の再生能力がその傷をたちまち修復してしまう。おまけに痛みも感じていないらしい。槍が腕に突き刺さったまま、吸血鬼はライダーの襟首を掴んで、強靭な腕力で引き摺り倒した。

「チィ」

 吸血鬼は、一回り大きくなった犬歯でライダーに噛み付こうとする。今度はライダーが腕でガードする番だ。ライダーの肉体には、神に連なる者か、神の恩寵を打ち消せる物でなければ傷を付けることができない。それを理解していながら防ごうとしたのは、吸血鬼の行為に何か引っ掛かるものを感じたからだ。

 ライダーは腕に噛み付かれた瞬間に、むず痒さを覚えた。

“毒か!?”

 そうと感じたとき、飛来した二本の矢が吸血鬼の両目を抉った。

 “赤”のアーチャーが狙撃したのである。

「離れよ、ライダー」

「すまねえ、姐さん!」

 目を潰した隙に、ライダーは吸血鬼を蹴り上げて脱出する。

「油断するでないぞ、ライダー。神の恩寵は攻撃に対しては無類の強さを誇るが、吸血には効果がないようだ」

「ああ、みたいだな……」

 ライダーにとっては甚だ遺憾なことだが、彼の身体に付与された神の恩寵は、友愛を示す吸血行為には効果がないらしい。危うく、吸血鬼の仲間入りを果たすところだった。

 吸血鬼が吼え、疾走する。“黒”のランサーだったころとは比較にならない脚力で、ライダーたちに迫る。

「何!?」

 “赤”のライダーも“赤”のアーチャーも驚いた。吸血鬼は、彼ら二人には目もくれず、その頭上を飛び越えてしまったのだ。

「まさか、聖杯か!」

 その叫びは誰のものか。

 吸血鬼は目の前の敵を倒すことよりも、聖杯を奪取することを優先したのである。サーヴァントを倒さなければ聖杯は完成しないという基本的な原則すらも忘却しているのだろうか。

「いかんな」

 それに対応したのは、“黒”のセイバーだった。

 大きな身体で、吸血鬼の前に踊り出る。

「王よ、どうか、正気にお戻りください。貴公の望みはこのような結末ではなかったはずだ。誇り高き英霊、ヴラド三世の矜持をお忘れか」

 諭すような言葉に、吸血鬼は足を止める。ギリ、と奥歯を噛み締めた。

 その表情に、吸血鬼の中の葛藤を読み取ったセイバーは、一歩踏み出して諭すように語り掛ける。

「王」

「黙れッ」 

 セイバーの言葉を遮って、吸血鬼は血を吐くような形相で叫んだ。

「黙れ黙れ黙れ黙れッ。聖杯は私のモノだ。誰にも渡さぬ。私の望みを、一族の繁栄を実現せねばならないのだッ」

 吸血鬼は、すでに思考が聖杯を手に入れるというただ一つの事柄に限定されてしまっている。前に歩み出たセイバーもまた、彼にとっては頼れる味方などではなく、ただの障害に過ぎないのか。握りこんだ拳を、容赦なくセイバーに繰り出した。

「ッ!」

 セイバーが驚いたのは、吸血鬼の膂力。

 吸血鬼の拳を受け止めたセイバーは、そのあまりの衝撃に体勢を崩さざるを得なかった。

「オオオオオオオオオオオオオオッ!」

 その隙に、吸血鬼はセイバーの腹を蹴飛ばした。跳ね飛ばされるセイバーは空中で体勢を立て直して着地する。セイバーに対する追撃を、“黒”のアーチャーの狙撃が防いだ。

「セイバー、無事か?」

「ああ、問題ない」

 “黒”のセイバーの耐久力は非常に高い上に、高位の防御宝具がある。殴られたり蹴られたりした程度ではかすり傷一つ負わない。

「あれでは話にならんな。キャスター、彼は正気に戻ると思うかね?」

「無理だろうな。存在そのものが書き換えられている上に、ダーニックが魂に寄生している。すでにランサーそのものが存在しない。何より、令呪を三画もつぎ込んだのだから、どうにもならないだろう」

「そうか」

 魔術師としての冷静な見解は的を射ている。『対魔力』がAランクであっても、二画の令呪には逆らえない。聖杯を手に入れるため、三画の令呪を費やして怪物と化した“黒”のランサーは、もう元には戻らない。

 次に生じる問題は、あの吸血鬼が“黒”の陣営と利害を共有できるかという点だ。

 捨て置いて敵を殲滅し、聖杯を持ち帰ってくれるならば戦う必要はない。だが、その聖杯を使って自分の望みだけを叶えようとするのなら、放置するのは“黒”の陣営としても問題が大きすぎる。

 そして、吸血鬼の様子を見る限り、利害の共有はほぼ不可能と断言していいだろう。

 吸血鬼の行く手を遮るようにして、“黒”のアーチャーと“黒”のセイバーが立つ。

 忌々しそうにする吸血鬼は、ふと、何かに気付いたようにサーヴァントたちとは異なる方向に視線を向けた。

 現れたのは、煌く金色の髪を棚引かせ、聖なる旗を掲げる少女だった。

「ルーラーか」

 彼女と面識のある“黒”のセイバーの言葉に、ほかのサーヴァントたちの視線もルーラーに向かう。

「ランサー……いえ、吸血鬼と成り果てましたか」

 衝撃的なその姿に、ルーラーは絶句しながらも具に観察する。

 ルーラーが召喚されるのは、聖杯戦争が常道を外れる危険がある場合。サーヴァントという枠に収まらない魔物と化す宝具を所持してる“黒”のランサーの召喚が引き金だったということだろうか。そうではないような気がする。が、このまま吸血鬼を捨て置けば、世界が滅びるのも確かだ。

 即座に、ルーラーは判断を下した。

「聖杯大戦調律のため、一時的にみなさんには協力体制を敷いていただきます」

「相手は、この吸血鬼か」

 “赤”のランサーの言葉に、ルーラーは頷いた。

「はい、彼を倒すために協力してください。この吸血鬼を聖杯に辿り着かせるわけにはいきません」

 ルーラーは袖を捲くり、令呪を露にする。

 そして、毅然として告げた。

 

 

「この場にいる全サーヴァントに令呪を以て命ず。元ランサーのサーヴァントである吸血鬼を打倒せよ!」

 

 

 




臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申上げます。ユグドミレニア広報部発表。“黒”の陣営は本日未明、ミレニア城塞領内の草原において“赤”の陣営と戦鬪状態に入れり。

本日朝來敵空中要塞より發進せる敵サーヴァントは數次に亙り主としてミレニア城塞領内の草原及び森林に來襲せり。
右サーヴァント戰に於いて我方のアーチャーの狙撃により敵ゴーレム二百五十体を撃滅並びに、敵ライダーを撃破せり。この間我方損害なし。

本日明朝敵より鹵獲せしバーサーカーの暴走に拠り戰地に多大なる損害有り。敵サーヴァント、右の事由に拠り撤退せり。ミレニア城塞の損害輕微なり。

“赤”の陣営、我方所有の大聖杯強奪を企むも、我方のサーヴァントによる敵城塞への決死突入により失敗せり。戰鬪は尚も続行中にしてサーヴァント部隊の収めたる戦果中現在迄に判明せるもの次の如し。
 撃滅ライダー。
 撃滅ランサー。
 撃破アサシン。
 その他竜牙兵多數。

「アーチャー。令呪を以て命じます――――着剣!」


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二十四話

 

 

「この場にいる全サーヴァントに令呪を以て命ず。元ランサーのサーヴァントである吸血鬼を打倒せよ!」

 

 

 膨大な魔力が解き放たれて、眩い輝きを放つ。

 ルーラーの特権が、その最大の威力を発揮した瞬間であった。

 令呪を核として発生した莫大な魔力は個々のサーヴァントに戒めとなって絡みつき、その行動を限定する。吸血鬼と戦う際には能力を向上させ、令呪に逆らう場合には大きな枷となって動きを阻害する。

「こうなっては仕方がないか。少々良心が痛むが、悪く思うな、ランサー」

 “黒”のアーチャーが陰陽剣『干将(かんしょう)莫耶(ばくや)』を構え、“黒”のセイバーは『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』の柄を握る。  

 ほんの数分前まで頼れる将であった者に武器を向けることに若干の後ろめたさを感じつつも、今討たねばならぬと分かっているアーチャーに臆する心はない。

「まあ、仕方ねえか。姐さん」

「うむ。援護は任せろ」

 “赤”のライダーが槍で突き、“赤”のアーチャーが矢を放つ。ワンテンポ遅れて、“赤”のランサーが黄金の豪槍を振るった。

 ランサーの槍は吸血鬼の頭蓋を押し潰し、身体を大きく拉げさせた。

「む……」

 だが、再生する。

 肉体の損傷は、吸血鬼の命に僅かばかりの影響も与えないのか。神すら殺す槍を以てしても、吸血鬼の苦悶に満ちた笑みを消すことはできなかった。

 逆に、吸血鬼の怪力が近接戦を挑んだ英雄二人を殴り飛ばす。吹き飛んだ二騎のサーヴァントと入れ替わるように、ルーラーが前に出る。彼女が持つ旗は聖旗である。十字教の教えに則った武具は、それだけで吸血鬼の弱点となる。旗に打たれた吸血鬼が忌々しそうに後退する。そこに、“黒”のアーチャーが斬りかかる。

「ハッ!」

 黒刃が吸血鬼の右手を斬り裂き、返す白刃が胸に浅く横一文字を刻む。

「オオオオッ!」

 吸血鬼が苦悶の声を上げる。

「これは……!」

 ルーラーが、吸血鬼の変化に気付いた。

 “黒”のアーチャーに斬り付けられた箇所から白煙が上がっている。今までのような常軌を逸した再生ができないようだ。

「その剣の効果ですか、アー……チャー?」

「何だね、その目は?」

 『アーチャー』が剣を持っていることが珍しかったのか、また別の理由か。ルーラーの表情には僅かな困惑が見られた。

「いえ、失礼しました。その双剣には、吸血鬼に有効な能力があるようですね」

「そのようだな。このような形で活躍してくれるとは思わなかったが」

 アーチャーの双剣は、投影品のためにランクが下がっているものの、その本来の能力はあらゆる怪異に対して絶大な力を発揮するというものだ。

 オリジナルの『干将(かんしょう)莫耶(ばくや)』ならば、ゴルゴンの怪物すらも両断できるという。

 怪異の代表格である吸血鬼には、効果的な武器だろう。

 だが、それも吸血鬼の命を僅かに削るのみで、決定的な攻撃にはならない。“黒”のセイバーの聖剣をかわした吸血鬼に、“黒”のキャスターが自ら操る十体のゴーレムが襲い掛かる。“赤”のライダーと“赤”のランサーが後れを取るまいと示し合わせて吸血鬼を左右から刺し貫き、ルーラーが聖旗で強かに打ち据える。サーヴァントたちの隙間を縫って“赤”のアーチャーが矢を放つ。

「また、霧に!」

「面倒なッ」

 サーヴァントの総攻撃を受けながら、吸血鬼は健在だ。受けるダメージもルーラーの聖旗によるものと“黒”のアーチャーの双剣によるものだけであり、それらも危険と分かればまともに受けたりはしない。倫理観が欠如しているのに、理性はあるから厄介だ。『バーサーカー』のように暴れまわるのではなく、彼なりに敵を分析しているのだ。

 神秘としては百年ほどの浅い歴史。元となった“黒”のランサーにも届かぬ薄い神秘だ。小説の中の化物でありながら、世界を覆い尽くした恐怖の元凶の実力は、神話の英雄たちでも一歩間違えば死を与えられてしまうほどである。姿を蝙蝠や霧に変え、あるいは強靭な拳と爪で襲い掛かり、サーヴァントたちに囲まれても一歩も退かずに戦っている。

 吸血鬼の漆黒の衣から、杭が生み出された。

 “黒”のランサーだったときの名残が今でも残っているらしい。地面から突き上げてくるものではないので、不意を打たれることはないが、この杭の投擲は当たり前のように音速を上回る。

「ええい、鬱陶しい」

 狙われた“赤”のライダーは、英雄の中で最速。たかだか音速程度では捕らえられない。槍を振るって杭を弾き、瞬間移動にも等しい移動速度で吸血鬼の心臓を抉る。

 飛び立つ蝙蝠を“黒”のアーチャーが斬り落とし、ルーラーが叩き落す。

 “黒”のアーチャーとルーラーが吸血鬼に危害を加えることのできるサーヴァントだ。それを、吸血鬼自身も理解している。だからこそ、この二騎を最大限に警戒して距離を取っている。この二騎に対しては、煙に巻くように蝙蝠と霧で対応しているのだ。

「意外だな。そこまで成り果てて、合理的な思考をするか」

 霧は斬れない。いかに対怪異宝具でも、霧化されれば討ち取れない。その霧は“赤”のランサーの炎が押し戻してくれるので、吸血鬼を逃すことはないのだが、決め手がない。

 とはいえ、現状は不利なわけではない。

 吸血鬼は確かに強大で、その能力は厄介極まりないが、明確な弱点というものも併せ持っている。

 このまま戦い続けても、サーヴァントたちが有利になっていくだけである。日が昇れば太陽光が彼を焼く。時はサーヴァントたちを利するだけである。

 しかし、その一方で、サーヴァントたちも魔力という名の燃料がなければ活動できないという弱点を抱えている。

 “黒”の陣営に魔力切れはないが、“赤”の陣営はどうか。これほどの大英雄たちを朝まで全力戦闘させる余裕があるだろうか。

 常識的に考えれば、そんなことはありえない。

 誰か一騎のマスターがリタイアすれば、その時点で戦列が崩壊する恐れがある。

 故に、日の出を待つよりも、早々に決着をつけることが望まれる。

投影開始(トレース・オン)

 戦いの最中に、後退した“黒”のアーチャーが投影したのは、宝具ではなかった。

 それは、短い柄と細長い両刃の刃を持つ剣だった。

「アーチャー、それは」

 それは、ルーラーも知る浄化の剣。

「ルーラー、君は聖言を使えるかね?」

「え、ええ。もちろん、習得していますが」

「よし、黒鍵を預ける。私は所持していても、あれを浄化する技能はないのでな。こちらで隙を作るが、使用するタイミングは君に任せる」

「承知しました。任せてください」

 そう言って、アーチャーはルーラーに剣を預けた。

 アーチャーが投影し、ルーラーに預けた黒鍵は、代行者が使用する概念武装の一つだ。対死徒用の武装だが、浄化の効果からこの吸血鬼にも効果があるはずだと睨んだ。『十字架が嫌い』など、多分に宗教的な要素を持つ小説の怪物だけに、聖言を会得しているルーラーが使用する黒鍵は吸血鬼にとって致命的な毒となるだろう。

 当てれば勝てる。

 ルーラーもそう確信する。黒鍵と聖言を組み合わせれば、あの吸血鬼を消滅させることができる。

 が、しかし、そのような明確な弱所を持つ者が、天敵に己が姿をむざむざと曝したりはしない。

「おい、ルーラー。ソイツはこの吸血鬼を確実に仕留められる代物か!?」

 “赤”のライダーはルーラーに尋ねた。

「はい、間違いなく。ただし、蝙蝠や霧ではなく、彼の身体そのものに突き立てる必要があります」

「上等だ。隙を作ればいいわけだな!」

 討伐の糸口が見えただけでもありがたい。

 無論、そんなものがなくとも日の出まで戦えばいいのだからライダーにとっては勝利したも同然の戦なのだが、持久戦はそもそも彼の意に沿うものではない。それに、太陽(アポロン)に頼るより、討ち果たしたほうがすっきりする。

 ということで、“赤”のライダーは俄然やる気を出して槍を振るった。その他のサーヴァントもそれに続く。

 “黒”のアーチャーが振るう双剣だけではない。英雄たちの攻撃が徐々に通るようになって来ている。再生速度が低下し始めたのだ。

 考えてみれば、もともとこの世のものではない吸血鬼が存在するためには、そのためのエネルギーが必要だ。生き続けろと令呪で縛られているとはいえ、その命令を実行するための魔力が尽きれば弱体化、あるいは消滅もするだろう。

 “黒”のセイバーの剣と拳が逃れようとする吸血鬼の胸を打つ。弾かれる吸血鬼は、くるりと回転して着地する。霧化の速度が鈍っているのか、吸血鬼への攻撃に手応えがある。これまでは暖簾に腕押しという状態だったが、吸血鬼の実体を捉えられるようになってきたのである。

「英霊でもなく、魔術師ですらない今のお前の苦痛は尋常のものではないだろう。未練を残すな、怪物。疾く、消え去るがいい」

 “赤”のランサーの言葉通り、吸血鬼にはもはや自己はない。ヴラド三世の人格も、ダーニックの人格も消滅し、まったく別のナニカに組み替えられていた。

 妄執、怨念、あるいは妄念。誇りなど欠片もない、動物的で本能的な衝動に任せて命を貪るだけの存在に成り果てた英雄の苦痛たるや、想像できるものではない。

 己すらも失った彼が、それでも聖杯に向かって突き進むのは、偏に令呪で命じられたからに過ぎない。

「嫌だね。まだ消えん! 私はまだ殺されてやるわけにはいかないのだ! 聖杯を……聖杯を手に入れるまでは、断じてな!」

 神殺しの豪槍に胸を突かれて、僅かに勢いを殺しながらも、吸血鬼は前に出る。その顔面に矢が降り注ぎ、背中を英雄殺しの槍が突き、腕を双剣が斬り裂いて、腹部を聖剣が串刺しにする。最後に全身を青銅のゴーレムが殴りつけた。怒涛の連続攻撃に、吸血鬼は吹き飛ばされる。

 この隙に、とルーラーが三本の黒鍵を指に挟んで吸血鬼を狙う。

 だが、この瞬間、あまりにも唐突に“赤”のサーヴァントたちが苦悶の表情を浮かべてふらついた。さすがに、膝を突くことはなかったが、ほんの一瞬、存在がひどく不安定化した。

「が、ぐ……!」

「な、んだ……? マスターか?」

 あまりのことにルーラーは期を逸した。そして、それを好機とばかりに吸血鬼が跳躍する。一息にサーヴァントたちを飛び越えて、一目散に聖杯を目指して走る。

「しまった、“黒”のアーチャー! 足止めを!」

 ルーラーが叫ぶ。遠距離攻撃手段を持つのは、二騎のアーチャーのみ。そして、“赤”のアーチャーは正体不明の異変によって存在がぐらついたばかりだ。

「いや、ルーラー。まずは、君が黒鍵の準備をしてくれ」

 “黒”のアーチャーは、真っ直ぐ吸血鬼の後姿を見つめる。

「隙はこちらで作ると言った」

 

 

 

 吸血鬼は薄暗い廊下を疾駆する。

 綺羅星の如く輝くサーヴァントたちから受けた傷は、大半が修復済みだ。特に両足は完全に再生しており、可能な限りの速度で走っている。身体能力は高位のサーヴァントに匹敵するだけに、目的地までは瞬く間だ。

 激痛すらも忘れる狂おしいほどの渇望がある。この先に、望んで止まない聖杯があると思うと胸が痛む。聖杯を手に入れて、どうするのかすら理解できず、ただ辿り着きたい一心で足を動かした。

 一歩一歩が遠い。

 喉は渇き、胸は苦しく、身も心も苦痛に満ち溢れている。

 ただ辿り着く。手に入れる。そのためだけに、何もかもを投げ出した。その結末が、すぐそこに迫っている。

「セイハイ、セヰハイ、ハ汰死ノセヰハ夷ッ!」

 狂気のままに叫ぶ。

 喉を裂かんばかりに猛り。願望の成就を前に、今までにないほど我が身は昂ぶっている。

 目指してきたユメが、すぐ目の前にある。誰の邪魔もないこの通廊を駆け抜ければ、彼のユメは叶う――――もはや、己のユメすら判然としなくなった中で、ユメを叶えるためだけに苦痛を物ともせずに足を動かし続ける。

 希望の中に絶望があり、絶望は流転して希望へと変わる。混濁した意識の欠片が、令呪の力でただ一つの目的に束縛されているからこそ、すべてを失いながら一点を目指して走ることができる。

「やっとボクの出番だね」

 しかし、そんな吸血鬼の前に、やおら桃色の髪のサーヴァントが立ちはだかった。

 その身体は、吸血鬼からすれば取るに足らないほどに小さい。武勇輝かしいサーヴァントたちを相手に立ち回り、出し抜いてみせた吸血鬼が、今更この弱いサーヴァント一騎に目くじらを立てることもない。

 ただ、邪魔ではある。

 それならば、蹴飛ばせばいい。転がっている小石を蹴飛ばす感覚で、排除すれば済む話だ。彼の戦闘能力が、今の吸血鬼に勝るものではないと、かつて仲間だったときの知識が教えてくれる。

「どけえェェェェェェェッ!」

 吸血鬼は、“黒”のライダーに勢いのままに襲い掛かった。

 このとき、“黒”のライダーを弱小サーヴァントだと知っているからこそ、吸血鬼は判断を誤ったのかもしれない。彼が前に出たときに、その武器の危険性を正しく認識できていたならば、無造作に飛び掛ったりしなかったはずだ。

「いくぞ」

 静かに、かつての仲間を手に掛ける覚悟を口にした“黒”のライダーは、黄金の穂先を持つ馬上槍を掲げる。槍は薄暗がりの世界に、月光の如き金色の軌跡を描く。

 強力な不死性を有する吸血鬼は、槍で貫かれた程度で死にはしない。相打ち覚悟の突撃でも、自分は生きながらえることができる。

 “黒”のライダーでは自分を殺すことはできない。

 それが、吸血鬼の大きな勘違い。“黒”のライダーは、そもそも吸血鬼を殺そうなどとはこれっぽっちも考えていないのだから。

 向かってくる吸血鬼に対して、“黒”のライダーは進路を空けるように横に移動した。正面から受け止めるのを避けるつもりだろうか。

 それから、黄金の穂先を持つ槍を掲げて、叫ぶ。

「さよならだよ、ランサー。――――『触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)』!!」

 姿勢を低くした“黒”のライダーは、吸血鬼の突進をかわしながらその手に掠めるように穂先を当てる。その瞬間、吸血鬼の視界が回った。

「な、がッ」

 吸血鬼の両足が消失して、身体が宙を舞った。

 “黒”のライダーは、確かに吸血鬼とまともに戦えるだけの攻撃力も耐久力も有していない。

 だが、それも適材適所だ。言うまでもなくこの吸血鬼は、槍で心臓を抉られても、次の瞬間には炉端の石のように“黒”のライダーを蹴飛ばせるだろう。しかし、それは吸血鬼の足が正しく機能したときの話である。

 “黒”のライダーは自他共に認める弱いサーヴァントだが、多彩な宝具で敵を追い詰めることは可能であり、この宝具も“黒”のランサー自身が“赤”のバーサーカーを捕獲する際に実際に使わせていたではないか。あの屈強な戦士ですら、“黒”のライダーの宝具にしてやられたというのに、それが吸血鬼に通じないなどということはない。

 そう、決して忘れてはならなかったのだ。こと足を掬うという一点に関して、“黒”のライダーの右に出る者はいないのだということを。

「ごめんね、ランサー。そして、ダーニック。ここが、君たちのゴールだよ」

 心からの謝罪の言葉を投げかける。

 宙を舞う吸血鬼の胸に、三挺の黒鍵が突き立った。浄化の力が、吸血鬼の身体を蹂躙する。ただの人間が使う黒鍵ならば、まだ抗しようもあった。だが、これは世界で最も信仰を集める聖女が放った黒鍵だ。その威力、聖性は、並みの黒鍵とは比べ物にならない。

 背中から地面に落ちた吸血鬼は、肺腑の空気を吐き出そうとして、黒鍵に貫かれていたことを思い返して喉を干上がらせた。

 

「主の恵みは深く、慈しみは永久(とこしえ)に絶えず」

 

 歩み寄るルーラーの聖なる言葉が通廊を満たす。

 

「貴方は人なき荒野に住まい、生きるべき場所に至る道も知らず」

 

 すべてが無に帰す恐怖に、吸血鬼は悲鳴を上げる。

 

「餓え、渇き、魂は衰えていく。彼の名を口にし、救われよ。生きるべき場所へと導く者の名を」

 

 吸血鬼の足掻きも意味を成さない。足を失い、身体を縫い止められた死に体に何ができるか。

 

「渇いた魂を満ち足らし、餓えた魂を良き物で満たす」

 

 ルーラーの言葉は力強く、鋼のような信仰が一言一言に現れている。今や信仰を失い、何者でもなくなった存在に抵抗することなど許されない。

 ルーラーの聖言が、刃となって吸血鬼の魂に突き刺さり、切り刻んでいく。

 

「深い闇の中、苦しみと(くろがね)に縛られし者に救いあれ」

 

 人の身では為し得ない、破格の洗礼詠唱。それはまさしく、教義の敵そのものとなった吸血鬼の天敵に相違ない。そもそも、吸血鬼(ドラキュラ)は教えに敗れることを前提に創作された魔物なのだ。

 

「今、枷を壊し、深い闇から救い出される」

 

 ルーラーの言葉が耳に届くごとに、聖杯が遠退いていく。絶望と焦燥が、吸血鬼の胸を覆い尽くしていく。僅か数時間前まで、胸に抱いていた栄光へのユメが崩れ落ちていく。

 

「罪に汚れた行いを病み、不義を悩む者には救いあれ」

 

 ああ、だが何故だろう。

 不思議と心が安らいでいく。かつて、敬虔な信仰者であったころの名残だろうか。魂の奥深くに染み込んで来る聖なる言葉が、吸血鬼を浄化していく。

 

「正しき者には喜びの歌を、不義の者には沈黙を」

 

 そして、ルーラーは最後の言葉を口にする。

 この魔物に、安らぎと慈悲を届けるために。 

 

 

「――――去りゆく魂に安らぎあれ(パクス・エクセウンティブス)

 

 

 

 ■

 

 

 

 しゅうしゅうと白い蒸気を吹いて吸血鬼は消えていく。

 伝承では灰になるとも言われるが、彼は何も残すことなく魔力に還元されて消滅する運命にあるようだ。

 それが、あのダーニックと“黒”のランサーの最期だと思うと、言い知れぬ無常感に囚われてしまう。

 決定的な隙を作り、吸血鬼の討伐に功を上げた“黒”のライダーは、理性が蒸発していると言われながらも、その行き着く先は『正しい行い』に集約される。彼はとことんまでバカみたいに笑いながら、悪を挫き、弱きを助ける者なのだ。だから、吸血鬼を討ち果たすという行為を躊躇うことなく行った。令呪による強制も必要なかった。やるべきことははっきりしていたから、躊躇もしない。だが、その吸血鬼が、かつての仲間だと思うと、やるせない思いにはなってしまう。

「こんなことになるなんてね」

 死ぬ順番は、彼が最後だと思っていた。彼はそういう立場だったし、文句なく最上のサーヴァントだった。まさか、マスターと共に、真っ先に倒れることになるとは予想外にもほどがある。

「なんとかうまくいったか、ライダー」

「まあね。アーチャーは怪我してない?」

「ああ、問題ない」

 “黒”のライダーは、“黒”のアーチャーの言葉に満足げに頷いた。

「そうか。アーチャーは僕並に『耐久』が低いのに、前に出るから心配だよ」

「君に言われたくはないな」

 “黒”のライダーは、他の“黒”のサーヴァントに遅れて城塞に侵入していた。物陰に隠れて、戦況を窺いつつ、“赤”のアサシンへの抑えとして控えていたのだ。

 まさか、“黒”のランサーを討ち果たすことになるとは思っていなかった。

 

「聖杯を目にすることもなく、志半ばで果てましたか――――ダーニック」

 

 弛緩した空気が、一瞬にして引き締まった。

 現れたのは一人の少年だった。

 “赤”のアサシンを引き連れて現れたということは、彼がアサシンのマスターであろうか。

「何……?」

 そして、“黒”のアーチャーは、我が目を疑うこととなった。

 褐色の肌に、白い髪。カソックの上に赤いストラとマントを羽織っているその姿は、一見すればただの聖職者だ。

 だが、驚くべきことに、彼から漂ってくる気配はサーヴァントのそれである。ならば、“赤”のアサシンのマスターはサーヴァントだということになる。

 もちろん、それだけならば問題はない。ルール違反ではあるが、現象としては有り得る。“黒”のアーチャーも生前にそういう事例を目撃している。問題は、彼がサーヴァントだとすると、“赤”の陣営に八騎のサーヴァントが属していることになるということである。

「そんな……!?」

 そして、絶句するのはルーラーだった。

 彼女はスキル『真名看破』によって、視認したサーヴァントのクラスや真名を把握することが可能である。この少年がサーヴァントならば、当然彼のクラスや真名を一目で見抜くことができる。

「どうして、ルーラーが……」

 そう、少年のクラスは『ルーラー』。何があっても、重複することなどありえないクラスである。

「始めまして、今回のルーラー」

「君、何者だい?」

 “黒”のライダーですら、不信感を露にしてもう一人のルーラーを見つめている。

「さて、何者でしょうか。そこのルーラーなら、もう察しはついているでしょうけど」

「アサシンのマスター。貴様、マスターに何をしたッ!?」

 そこに駆けつけた“赤”のアーチャーが、問い詰める。激高しつつある“赤”のアーチャーの視線を受けても、動じることなく、含み笑いをしながら袖を捲くった。

 彼の腕には、“赤”のセイバーを除く、“赤”のサーヴァントたちの令呪、総数十八画が刻み付けられていた。

「平和的な交渉の末に、譲っていただきました。心配せずとも、皆さんを現界させるのに必要な魔力は大聖杯に接続した今、問題にもなりません」

「平和的に、だと?」

 誰かの呟きに、少年は“赤”のランサーを一瞥する。

「ええ、そうです。何せ、こちらのランサーは嘘を見抜くことに長けた英雄ですから、極力嘘をつかないようにしなければなりませんでした。マスターを介して皆さんに命令を出させたのもそのためですよ。誰も嘘はついていない。皆さん、今でも自分が正気だと思っているのですよ」

 ルーラーは、神父の顔を見て自分の中の言い知れぬ不安の意味を悟った。これまでのルーラー襲撃も、不可解なまでに拙速な聖杯強奪も、すべては彼が裏で糸を引いていたのだ。

「理解しました。神が警告していたのは、貴方だったのですね」

「どうでしょう。私としては、神の意思に逆らっているつもりは毛頭ありませんが」

 ルーラーはこの時、ついに自分が召喚された理由を察した。

 フランス人の少女、レティシアに憑依するというあまりにもイレギュラーな召喚方法で強引にこの世に呼び出されたのも、すべては『ルーラー』のクラスが重複するというあってはならない事態に、聖杯が混乱を来たしたからだ。

 そして、彼がひたすらルーラーから逃げたのも、ルーラーに自分の正体を見破られるのを恐れたからだ。もしも、戦場でルーラーが彼を発見してしまえば、『真名看破』によってすべてがひっくり返ってしまう。

「貴方は、第三次聖杯戦争で召喚されたルーラーですね」

 その言葉に、その場に集った誰もが息を呑んだ。それと同時に納得もする。ダーニックの名を知っていたことも、もう一人のルーラーであることも、それならば合点がいく。

「ええ、そうです。だから、貴女と顔を合わせることは避けねばならなかった。何せ、貴女には令呪がありますから、いざとなれば、一瞬で俺の夢を壊しかねない」

 落ち着いた声に憎悪も敵意もない。ただ、純粋な意思だけがあった。その瞳にあるのは、ただただ強固な信念だけだ。

 この少年には説得は無意味だ。殺されるまで、彼は止まらない。故に、ルーラーは剣を抜く。

「何が目的なのです、天草四郎時貞」

「知れたこと、全人類の救済だよ。ジャンヌ・ダルク」

 



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二十五話

“天草四郎時貞だと……?”

 “黒”のアーチャーはルーラー(ジャンヌ・ダルク)の声に内心での驚愕を押し殺す。

 褐色の肌に銀髪の神父姿。年の頃は十代の後半ほどに見えるが、その正体がアーチャーの知る天草四郎だというのならば納得だ。サーヴァントは最盛期の姿で召喚される。十代後半で死亡した英雄ならば、自ずと肉体年齢は十代後半に固定されるであろう。

 もっとも、相手のサーヴァントに天草四郎がいたからといって、どうということはない。

 天草四郎は、日本では知らぬ者のいない偉人であり知名度の補正を最大限に引き出せるが、ここは日本の影響がほとんどないルーマニアである。彼の個体能力は著しく低下しているのは確実で、戦闘においてはアーチャーはおろか“黒”のライダーにすら劣るだろう。何せ、天草四郎には武勇譚がない。あるとすれば、小規模な奇跡を行使したという伝説のみである。指揮官としての実力も、本人の戦闘能力に大きく左右される聖杯戦争では脅威の度合いを大きく下げる。

 とはいえ、これは聖杯大戦。

 複数のサーヴァントを配下にして戦うとなれば、指揮官系サーヴァントをトップに据えるという人事も分からなくはないが、問題はそのサーヴァントが他のサーヴァントのマスター権まで簒奪したということ。そして、そのサーヴァント(天草四郎時貞)が、第三次聖杯戦争で召喚された『ルーラー』だということだ。

 “赤”のサーヴァントたちの焦燥ぶりを見ると、四郎の暗躍は彼らの知るところではなく、そして所謂黒幕が姿を現したということは、この聖杯大戦が単なるユグドミレニア対魔術協会、“黒”の陣営対“赤”の陣営に枠組みの収まらない形で動き出したことを意味している。

 二騎のルーラーが互いに視線を交わし、睨み合う。 

 金色のルーラーは敵意を隠さず、唇を引き結び、銀色のルーラーは余裕を感じさせる薄ら笑いでそれに応じる。

 厳密に、彼が優位にあるとは思えないが、この余裕は裏で動き続けた者の胆力が為せる業なのだろうか。

「全人類の救済ですって――――? そんな馬鹿げた話を、本気で?」

「これは驚いた。聖女とも謳われるあなたが、よもや全人類の救済を馬鹿げた話だと? およそ総ての聖人君子が胸に抱く悲願だと、私は信じているのですがね」

「確かにその通りです。しかし、それを実現できた者は未だ嘗て存在しませんし、口先だけで実現できるものでもありません。たとえ、それが聖杯であったとしても、同じはずです」

 万能の願望機である聖杯は、あくまでも願いを叶えるための過程を省略するためのものでしかない。結果を手に入れるために必要な年月や努力、資金といった様々な要件を無に帰して、一瞬にして結果を引き出すのが聖杯の能力である。そのため、叶えられる願いは確定した結果が存在する場合に限られ、人類の救済といった抽象的な概念を具体化する力を有するわけではない。

 四郎がどこまで聖杯の機能を知っているのかは不明だが、仮にも『ルーラー』として召喚されたのであれば、当然聖杯の限界も知っているはずで、人類救済などという叶うはずのない望みを口にするとは思えなかった。

 よって、この時点ではルーラーも四郎の発言を本音だとは微塵も思っていない。

 しかし、ルーラーの詰問を、四郎は首を振って流した。

「可能なのですよ。ルーラー」

「え……?」

「この聖杯は、人類を救済するに足る力を持っている。六十年以上前、聖杯に触れたあの時に私は確信したのですよ」

 ルーラーの目が驚愕に見開かれる。

 理性ではそんなことはありえないと否定できる。ルーラーは聖杯が招いた特殊なサーヴァント。言うなれば聖杯側に立つサーヴァントである。そのルーラーがありえないと否定できるからには、聖杯に人類救済を成し遂げる力はないと断言していいはずである。それは目の前のルーラー(天草四郎時貞)も同じはず。だというのに、この自信はいったいどこからやってくるのか。嫌な予感がしてたまらない。

「さて、図らずして大半のサーヴァントが一堂に会することになりましたが、私としては“黒”の皆さんには降伏をお勧めしたい」

「降伏だって?」

 真っ先に食いついたのは“黒”のライダーである。

「はい。そちらは、先ほど要であったランサーを喪失し、アサシンは行方不明という状況です。加えて私はそちらのバーサーカーと対峙しましたが、あれもサーヴァント戦で活躍できる英霊ではありません。さらに、この空間はセミラミス(アサシン)の支配下です。あなた方の不利は否めない」

「不利だって? それはどうだろうね。そっちだって一枚岩じゃないでしょ。僕は戦力としてはあれだけど、こっちにだって十分戦える戦力はあるし、状況的にルーラーだってこっち側だ。別段、降伏する要件を満たしているとは思えないけど?」

 この場には“黒”のバーサーカー以外の四騎が揃っている。“黒”のセイバー、“黒”のアーチャー、“黒”のキャスター、“黒”のライダーと、未だに戦力の過半数が健在で、敵地の中枢に乗り込んでいるという状況である。対して“赤”の陣営はといえば、そもそもマスター権の移譲にサーヴァントたちが同意しておらず、統率が取れていないこともあり、質では“黒”の陣営を凌駕しているものの、軍としての体を為しているとはいえない。数も互角。今なら一戦に及び、大聖杯の確保と敵の殲滅も可能性としては零ではないというところまで来ているのである。

「なるほど、アストルフォ(・・・・・・)の言葉にも一理あります。では、あなたはどうですか、アヴィケヴロン。あなたもそこのライダーと同意見ですか?」

 ルーラーの特権である『真名看破』のスキルを考えれば、四郎がサーヴァントの真名を口にすることに違和感はない。あえて真名を露呈させたのは、“黒”の陣営に対する牽制の意味もあるのだろうか。

 真名が明らかになったところで、特に伝承上の弱点を抱えているわけではない“黒”のキャスターにとっては心を動かすようなものでもなく、驚くことなく四郎に問いを投げかけた。

「なぜ、そこで僕を指名するのかな?」

「騎士ではなく、真理を探究する魔術師であるあなたなら、組織の利害に関わりなく有利なほうを選んでくれると思ったからですよ」

「ふむ、それでは質問を一ついいかな?」

「なんなりと」

「僕を味方に引き入れるとして、倒すべきサーヴァントの数は足りているのか? 聖杯を起動するには、それなりの数のサーヴァントを倒さなければならないはずだ。今の時点では脱落者はそちらのバーサーカーとこちらのランサーだけだが」

 聖杯は無色の魔力によって願いを叶えるものであるが、その際に使用される魔力は地脈から吸い上げた魔力だけでなく、脱落したサーヴァントの魂をも使用する。というよりは、むしろサーヴァントを生け贄にすることで成り立つ儀式でもあるという面を考えれば、後者にこそ重きが置かれている。サーヴァントが倒れない限りは、聖杯は起動することはなく、よしんば起動したとしても願いによっては聞き届けられないこともあるだろう。

「問題ありません」

 四郎は自信ありげに言う。

「この大聖杯は第三次聖杯戦争で敗北した私を除く六騎のサーヴァントの魔力を未使用のままで貯蔵していました。ダーニックがルーマニアに移送する際に、いくらか失いましたし、今回十四騎を召喚するという荒業をやってのけましたが、それでも願いを分配する程度のことは可能です。あなたの望みは私の望みと重複することなく達成されるでしょう」

「そうか」

 感情を感じさせない言葉で呟いたキャスターは、“黒”の陣営に背を向けて四郎の前に歩み出た。

「キャスター! 何やってんのさ!」

 ライダーは喉を裂かんばかりに怒声を上げた。

 しかし、そんなライダーの声を無視してキャスターは四郎と契約を結ぶ。

「手袋越しで失礼」

「ええ、以後よろしくお願いします」

 握手を交わして、四郎は再契約の呪文を紡ぐ。

 唖然とするライダーは、今にも飛びかからんばかりの形相でキャスターを睨んでいた。

 セイバーとアーチャーは何も言わない。“赤”のランサーとライダーの動きを視界の隅に入れて警戒している。

 そうしながらも、キャスターの裏切りにアーチャーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 サーヴァントは一騎一騎が替えの利かない戦力である。

 敵に対して数的に互角であったからこその勝機であったのに、キャスターが寝返ったのでは一気に数的不利に陥ってしまう。

 一人脱落すれば、穴は一つで済む。しかし、一人が寝返れば、数の差は実質二騎分にまで膨れ上がる。この差は、総力戦において大きく影響する。一堂に会したこの場は、“黒”の陣営にとって一段と不利な空間になっているのである。

 たとえ、相手のサーヴァントが黙して語らずとも、令呪が四郎の手にある以上はその意思に関わらずこちらを殴殺させることもできる。敵が一枚岩ではないというのは、希望的観測に過ぎない。

「さて、もう天秤は傾きました。一応、あなた方にもお聞きしますが、ジークフリートにエミヤシロウ。お二人に降伏の意思はありませんか?」

 サーヴァントたちの間に、ざわめきが起こる。真名が露呈したことで、好奇の視線が“黒”のセイバーと“黒”のアーチャーに注がれる。

 二人に対する視線は、まったく異なるものである。 

 セイバーの真名であるジークフリートは、あまりにも有名な英霊である。『セイバー』のクラスで召喚するのであれば、真っ先に名前が挙がるくらいには高名で竜殺しの逸話と無敵の肉体、そして愛用の聖剣と共に語り継がれる大英雄である。

 推測する材料はいくらでもあった。

 高水準の能力値と異様なまでに頑強な肉体とくれば、ある程度は絞り込める。サーヴァントの多くは戦場を駆け抜けた戦士たちである。ジークフリートの名を聞けば、興味を抱かずにはいられない。その一方で、アーチャーに対してはまた別種の視線を向けられる。

 エミヤシロウと名を聞いても、まったく心当たりがないというのがその理由である。

「エミヤシロウ?」

 “黒”のライダーが首を傾げた。

 サーヴァントには召喚されたときに、現代まで伝わる英雄豪傑たちの逸話が情報として与えられる。そのため、真名さえ明らかにすれば、そのサーヴァントが何者であるかすぐに理解できるはずなのだが、この場にいるすべてのサーヴァントたちには、エミヤシロウという英雄の名に心当たりがなかった。

「真名を読み取ってなお、正体不明であり続けるか。まったく、難儀なサーヴァントよな、お主は」

 四郎の隣に侍る“赤”のアサシンは、妖艶な表情で笑みを浮かべた。

「イレギュラーということもないのでしょう。英霊が時間軸に囚われない存在である以上、そういう可能性は常にあります。ただ、現在が過去の積み重ねであるからには、過去との結びつきがない未来の英霊など、そうそう召喚することはできません。ユグドミレニアも、面倒なことをしてくれたものです」

「ずいぶんと確信的に言うのだな」

「それ以外に辻褄が合いません。未来、あるいはこの世界では歴史に名を残さなかった並行世界の英霊。それがあなたでしょう。私としても同郷のサーヴァントと会うのは初めてなので、少々高揚しているのです」

「高名な天草四郎殿にそう言ってもらえるのは、光栄の至りだな」

 アーチャーは肩を竦めて言う。

「私の出身国では、まともな教育を受けた者で君の名を知らないということはまずないだろう。生前、天草四郎の名を学び舎で学んだよ。このような形で顔を合わせることになるとは思わなかったがね」

「ほう、それはまた。気恥ずかしいものですね」

 四郎は困ったような顔をする。その隣で、“赤”のアサシンは妙に嬉しそうな顔をしている。マスターを誉められて嬉しかったのであろうか。女帝の意外な一面にアーチャーは内心で苦笑する。

「天草四郎。君は全人類を救済すると言ったな」

「ええ、そうです。それが私の望み。誓って嘘はありません」

 全人類の救済。

 それは、エミヤシロウがかつて追いかけた夢に酷似している。正義の味方になると息巻き、愚かにも世界中を巡り巡って、結局本当に救いたいものすらも見失い戦い続けた人生。聖杯でそれが為せるのであれば、なるほど魅力的な提案である。

「アーチャー。あなたが聖杯に託す望みはなんですか? ものによっては、私の望みと並行して叶えることもできるでしょう」

「私の望みか、聖杯に託すものなどないがな。……君のそれに似ているが、世界の恒久的平和くらいか」

「ほう、ならば話は早い。考えるまでもなく、どちらに就くのが賢明か分かるでしょう」

 四郎の言葉にアーチャーは黙る。 

 それに対して、ライダーが怒鳴った。

「アーチャー。馬鹿なことを考えるなよ! 裏切りなんて許さないぞ!」

「裏切りというのはどうでしょう。人類救済は私だけでなく世界の悲願です。叶えるために手を尽くすのは、決して悪ではありませんよ、ライダー」

「僕はアーチャーに言ってるんだ」

 噛み付かれた四郎は、機嫌を損ねるでもなくそうですか、と身を引くだけだ。“黒”のライダーに交渉は意味がない。理性が蒸発しているとされたアストルフォは、合理的な考えで行動するタイプのサーヴァントではない。嫌なものは嫌だと、自己完結して行動する。よって、ライダーは決して寝返らない。

 そんなライダーには目もくれず、アーチャーは四郎に尋ねた。

「人類救済は確かに人類の夢であり、願望機に託そうという意図は理解できる。しかし、そこのルーラーが言った通り、具体性のない夢は夢でしかない。君は叶うと言ったが、どのように人類救済を具体化するつもりだ?」

「そ、その通りです。聖杯が願いを叶えるには、目的を達成するための手順を知っている必要があります。単なる人類救済では、聖杯は途中で停止してしまいます」

 ルーラーが慌ててアーチャーの言葉に追随する。

 “黒”のライダーも大きく頷いて、そら見ろと言わんばかりに四郎に敵意を投げつける。

「私の思う人類救済は、至極単純です。人類共通の根源的欲求の充足――――即ち、死への恐怖を取り除くことです」

 四郎の言葉を、誰もが即座に理解できなかった。唯一、この場で事情を知る“赤”のアサシンのみが訳知り顔でほくそ笑んでいる。しかし、その内容自体は四郎が言うように単純であった。砂に水が染み込むように四郎の言葉を理解したアーチャーは、驚愕の面持ちで四郎を見た。

「まさか、貴様。……第三魔法を!?」

「いかにも。遍く人類を救済する究極の秘奥、天の杯(ヘブンズフィール)を全人類に対して行使します」

 それは、あまりにも突飛な誇大妄想で、――――しかし、聖杯があれば確実に実現可能な奇跡であった。

 そもそも、冬木の聖杯とはそこに至るための手段である。万能の願望機というのは釣り文句でしかない。本来の用途は、七騎のサーヴァントの魂が『座』に帰る際の力を利用して世界に孔を穿ち、根源の渦に到達することである。とりわけ、御三家の一つであるアインツベルンは、聖杯を彼らの家系から失われた第三魔法を取り戻すための手段であると位置づけていた。

 つまり、冬木の聖杯を用いて第三魔法に至れないと考えるほうがおかしいのである。

「一人が魔法に到達するだけでも至難の業。ですが、調整を加え、優れた霊脈から莫大な魔力を引き出し続ければ、必ず全人類の魂を高次の存在に押し上げることができるでしょう。朽ちぬ肉体は人々の生存本能を薄れさせ、結果として無益な争いは根絶される」

 第三魔法は、魂の物質化。肉体を捨て去り、魂だけで活動できる真の不老不死を実現する。もしも全人類が正しく不老不死に至れば、死後の世界を考察する必要は皆無となろう。現実世界に存在する飢餓とも無縁となり、何もしなくても生き続けることができるのであれば、命を賭して生存を勝ち取るサバイバルレースに興じる意味はなくなってしまう。

 生存のために争うという生物であれば逃れられない宿業から、人類種は解放される。

「それが、君の救済だと?」

「これ以外に総ての人類を救う手立てはありません」

 アーチャーの問いに四郎は断言する。

 そこにあるのは絶対の意思。鋼のように頑強で、一切の妥協を許さない確固たる精神が、四郎の論を支えている。

 不老不死に到達すれば、確かに総ての人間は死に恐怖することはなくなる。高次の存在へと昇華すれば、人類が抱えるエネルギー問題を初めとする解決困難な課題も一挙に解決するだろう。多くの人間が、汗水たらして努力してきた総ての時間をあざ笑うかのように、一昼夜もかからず事は終わる。

「君が救済する人類は、まさか過去の人間まで含むなどとは言うまいな」

「何を言うのです。言ったでしょう。総ての人類を救済すると。過去も未来も、善も悪も関係ない。人間という種は、須らく救済すべきです」

 四郎のそれは人類の歴史そのものに対する挑戦である。

 人類史に刻まれた悲劇の総てを、歴史から消滅させる。新世界には戦争で活躍した英雄は存在し得ない。取りこぼすような命はそもそも存在せず、失われる未来もない。――――その一方で、新たな人類の未来もまた閉ざされる。完成した世界は停止し、緩やかに眠りに就くだろう。その先に何が待っているのか、誰一人として予測はできない。

「嘆きも悲しみも、確かに人類からは切り離せない業というべきものだろう。だが、それを見つめなおし、乗り越え、前に進むのが人類ではないのか。死んでいった者を悼み、置き去りにしてきた者のために未来を作ろうとしてきた人々の努力はどこへ行く?」

「その置き去りにしてきた人々をこそ、私は救いたい。悲しみの根本を根絶し、世界を完成させる。そのための奇跡を実現するのが聖杯でしょう」

 アーチャーは四郎の想いと妄執を理解する。

 彼は、心の底から人間を救おうと考えている。そこに、一片も迷いはなく言葉で考えを改めることは決してない。そして彼の人類救済の夢にはアーチャー自身もまた惹かれるものが確かにある。それは、否定し難い事実であった。そのために費やした人生だった。死後すらも捧げて、人々のために尽くそうとした。その過程にはアーチャー(エミヤシロウ)では救いきれなかった人々がどうしても出てしまったが、それでも一人でも多くの人間に笑顔であって欲しいと駆け抜けた人生があった。そのため、天草四郎の想いには、多分に共感するところがある。

 けれど、四郎の救済を受け入れるということについては、どうしても納得がいかなかった。

「どうやら、君とは相容れないらしいな」

 アーチャーは数え切れないほどの悲しみを見てきた。悲しみの根本原因を取り除く奇跡は、なるほど確かに黄金に比する価値がある。しかし、その悲しみを懸命に受け止めて、日々を生き抜き、生を全うする人々の人生には黄金を上回る価値があるはずだ。人間の歴史を紡ぐのは、そうした人々の自省と創意工夫である。気の遠くなるような時間と世代をかけて、人類は一歩一歩前に進んでいる。

 四郎の救済は、その価値を溝に捨て去り、努力を詰り、四郎自身の一方的な価値観による価値の押し付けを行おうというものである。

 少なくとも、“黒”のアーチャーにはそう感じられた。

「悲しみや嘆きは確かに肯定されるべきではない。だが、だからこそ忘れてはならないものだ。故に、人類の歴史をなかったことにするなどということは、許されない蛮行ではないか。君が人類のために奇跡を望むのなら、聖杯の奇跡は過去ではなく、未来のためにこそ行使すべきだ」

 未来が過去の積み重ねによって成るのなら、過去を否定し、消し去ることは、未来を失うに等しい。悲しみを取り去るにしても、その過程を失うべきではないのだと、アーチャーは四郎に言う。

 僅かの沈黙の後、四郎は呟く。

「それがあなたの結論ですか」

「ああ、君と剣の向きを揃えることはできなそうだ」

 アーチャーは断言した。言葉にした以上は後戻りはできない。圧倒的に不利な状況を、死力を賭して覆す。それ以外に考えるべきものはない。

「なるほど――――」

 四郎はそれまでの飄々とした態度を改めて、アーチャーに敵意を向けた。

「ならば、オマエは俺の敵だな。アーチャー」

「今更、確認するまでもない」

 アーチャーは“黒”で四郎は“赤”。聖杯大戦が始まったそのときから、互いの立ち位置は変わっていない。

「いよっし、よく言ったぞアーチャー。信じてた。僕は信じてたぞ!」

「途中で怒り心頭だったと記憶しているが?」

「気のせいさ!」

 “黒”のライダーが槍を取り回し、肩に担ぐ。天真爛漫で可憐な少女にも見えるサーヴァントではあるが、これでシャルルマーニュ十二勇士に数えられる英霊である。

「すまないなセイバー。君が問答する時間はなさそうだ」

「問題ない。俺はマスターのために剣を振るうと誓った身だ。敵に降る理由がない」

 “黒”のセイバーもライダーと共にすでに戦闘態勢に移行している。天草四郎から聞くべきことは聞いた。後は、刃を交えるのみ。

 先に動いたのは“黒”のセイバー。重々しい踏み込みで、首魁たる四郎に肉薄しようとする。それを、遮るのは灼熱を纏う黄金の戦士。

「オレを差し置いてそちらを狙うのか、セイバー」

「貴公ならば、俺の前に立ちはだかるだろうと思ったまで」

 火花を放ち、剣と槍は離れる。

 宙を舞い降りる雷光は、“赤”のアサシンの大魔術。『対魔力』の低いアーチャーならば、直撃すればそれで終わるかと思える一撃であるが、それをルーラーが旗を振るって散らす。即製の魔術は、如何に大魔術であろうともEXランクに至るルーラーの『対魔力』を突破することはできない。

 そこを、“黒”のアーチャーが投影宝具で狙撃した。一〇挺の刃が“赤”のアサシンと天草四郎を狙い撃つ。“赤”のアサシンは攻撃直後で対応が遅れた。

「ッ……!」

 血は流れず、儚く消えるのは閃電と火花。割って入った神速の槍捌きが、宝具の雨をあらぬほうに弾き飛ばす。

「感謝します、ライダー」

「ふん」

 “赤”のライダーは不承不承といった顔つきで四郎に背を向ける。視線はすでに“黒”のアーチャーを捉えていた。

「ほう、君が出るか。英雄の誇りとやらは、どうしたのだね?」

「こいつをマスターと認めたわけじゃねえが、死なせるわけにもいかねえからな」

 かといって、素直に戦うのは四郎の手の平で踊らされているようで癪に障る。

 “黒”のセイバーと戦うことを望みとする“赤”のランサーは、そういった観点で考えることはないのだろうが、この赤”のライダー(アキレウス)は生前から、気に入らなければ自軍の総大将にすら平然と逆らい、目の前の戦争をボイコットしてしまうような我の強い男である。納得がいかなければ、令呪を使わない限り四郎と足並みを揃えることはない。

 “赤”のアーチャーも黙然として語らず。成り行きを観察しているだけだ。四郎のマスター換えに、真っ先に牙を剥いただけに、四郎と“黒”のアーチャーの問答を聞いていても、まだ据えかねているものがあるらしい。

「仕方ありません。ここは、お願いします。キャスター」

「了解した」

 積極性のない“赤”のサーヴァントでは、敗北はなくとも勝利もない。説得は状況が落ち着いてからとし、まずは目の前の脅威を取り去らなければならない。

 新たなマスターから指示を受けた“黒”のキャスターは得意のゴーレムで直前まで仲間だったサーヴァントたちを包囲する。

 キャスターが自ら操るゴーレムは、自立型ゴーレムとは脅威の度合いが異なる。機敏な動きで迫る巨体は、近接戦に特化したサーヴァントであっても苦労する性能を持っている。

 物量こそがキャスターの真価。一つの指に一体のゴーレムを繰り、一度に押し潰さんとする。

 頑強な巨体は、一撃や二撃では崩せない。乱戦の中で、“黒”の陣営は消耗して圧殺される。

「そりゃあああ!」

 そんなとき、愚かにも巨体に飛び掛る一際小さなサーヴァント。桃色の髪を棚引かせ、勇猛果敢に挑む姿は、英雄に相応しい。とはいえ、それは蛮勇である。彼は非力なサーヴァントである。殴り合いでゴーレムに勝ることができるか否か。一体倒したところでまた一体。“黒”のライダーでは、どう足掻いたところで戦局を左右することはできない。

 そう断言するのであれば、アストルフォという英雄を見誤っているとしか言えまい。

 確かに彼は自他共に認める弱いサーヴァントである。ステータスを見ても特筆するところは何もなく、ちょっと一撃を貰えばすぐに倒れてしまうような貧弱さ。だがそれでも彼は英雄だ。

 槍の穂先がゴーレムの腕を傷付ける。

 瞬時に入れ替わる天と地。ゴーレムはひっくり返って背中から地面に落下した。

 ゴーレムを倒すのに、力は要らない。技も不要。“黒”のライダーの槍は、触れるだけであらゆる敵を転ばせる。

 おまけに転ばせた相手にはバッドステータスとして「転倒」が付与される。

 幸運に恵まれない限り、しばらくは立ち上がることもできない。

「ふふん、でかい的だね!」

 ライダーはその勢いで三体までのゴーレムを素早く無力化し、得意げに笑った。

 しかし多勢に無勢。キャスターのゴーレムだけならば、ライダーだけでもまだ対処の仕様はあった。しかし、遠距離魔術攻撃を行える“赤”のアサシンなどが多用な攻撃を仕掛けてくる中では、“黒”の陣営はジリ貧になってしまう。

 今は“赤”のライダーと“赤”のアーチャーのやる気がないだけに均衡を保っていられるが、この二騎の気が変わるだけで、戦局は悪化の一途を辿るであろう。態勢を立て直すために、一旦空中庭園の中から脱出しなければならない。

 あと一手が欲しい。

 そんなとき、乱戦の中に飛び込んできたのは一陣の赤い稲妻であった。

「貴様ッ」

 顔を歪めて怒りを露にする“赤”のアサシン。その視線の先には、ゴーレムを両断する“赤”のセイバーの姿があった。

「セイバー、貴様裏切る気かッ」

「裏切りだとッ。笑わせんな!」

 『魔力放出』によるジェット噴射で、“赤”のアサシンに向けてゴーレムの残骸を吹き飛ばした“赤”のセイバーは、忌々しそうに吐き捨てる。

「オレたちを最初に裏切ったのはてめーだろうが。人のマスターに毒を盛ろうとしやがって。その時点で、てめえはオレの敵だッ」

 獅子の鬣のように金色の髪を振り乱し、翡翠色の瞳は猛獣を思わせる眼光を湛えて仲間だった“赤”のサーヴァントを見据えるセイバー。その突撃により、ゴーレムの包囲網には完全な抜け穴が生まれていた。

「撤退しますッ」

 ルーラーが叫び、“黒”のサーヴァントは一斉に離脱を始める。

 “黒”のセイバーとの死力を尽くした戦いを望む“赤”のランサーもまた一先ずは槍を引いた。

「今は後ろが気になって真っ当に戦えまい。後回しとするのは聊か不満が残るが、次こそは決着を付けるぞ“黒”のセイバー」

「ああ、我が剣に誓って」

 互いの距離は初めの打ち合いから変わらず、牽制と細かな技の応酬に終始した不本意な戦いであった。状況が状況だけに、“赤”のランサーとて全力で戦えるわけでもない。戦士としての本能を刺激する相手である。両者共に邪魔が入らず、周囲を気にする必要もない状況で一騎打ちに興じたかった。

「待て、逃がすかッ」

 “赤”のアサシンが魔力を右手に集めて撤退する“黒”のサーヴァントに強烈な一撃を放とうとする。そのアサシンに、“赤”のランサーは忠告する。

「その魔力を防御に回したほうがいいぞ。アッシリアの女帝」

「何、――――ッ!?」

 瞬間、視界が白く染まった。

 空間内が、膨大な魔力の爆風に包まれたのである。

 咄嗟に防壁を展開し、自分とマスターを守っていなければ、倒されるまではいかなくともそれなりの手傷を負っていたことだろう。

「今のは……」

「あちらさんのアーチャーだな」

 答えたのは“赤”のライダーであった。あのアーチャーは無数の宝具を飛ばすだけでなく、爆破することで内包する神秘を叩きつけてくる面制圧も行ってくる。

 今回爆発したのは、先ほど“赤”のライダーが弾いた一〇挺の宝具の他、その後の乱戦で飛ばした諸々の宝具であった。

 端から撤退時の目晦ましを目的として宝具を放っていたのであろうか。

「追跡は僕に任せて欲しい」

 鮮やかな引き際に追撃の機を失した“赤”の陣営ではあったが、だからといってみすみす見逃すというわけでもない。とりわけ“赤”のアサシンは気色ばんで追撃の構えを見せたが、それを遮ったのは寝返ったばかりの“黒”のキャスターであった。

 キャスターは、意外そうな顔をする“赤”の面々が口を開く前に、自らゴーレムの肩に乗ると、そのままその場を後にした。

「では、彼に任せましょうか」

 四郎はキャスターの言葉を尊重し、追撃をキャスターに任せるという判断を下す。

 “黒”のキャスターの目的は、予想可能である。“赤”の陣営に就いたのも、“黒”が不利であったというだけが理由ではない。

 彼はただ、自分の目的に従って活動しているだけなのだ。そのために、“赤”に就くのが都合がいいと判断すれば、“黒”を裏切ることもありえた。それは、“黒”のマスターたちは想定していない事態だっただろうが、実際には彼を召喚したそのときから常に付き纏う危険でもあったのである。

 

 

 

 



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二十六話

 “黒”のキャスターはゴーレムの背に揺られ、空中庭園を疾走する。

 生来虚弱な彼はサーヴァントとなっても身体能力は下の下でしかないが、ゴーレムを足代わりとすることで一流の近接戦闘能力を有するサーヴァントに伍する速度で移動が可能となる。

 “黒”を裏切ったことに一片の後悔もないといえば嘘になる。

 今更言い訳の仕様もないが、人並みの罪悪感は抱いている。しかし、それはそれ。彼は人間である前に魔術師である。そして、サーヴァントである前に一ゴーレム使いでしかない。求めるところはカバリストの悲願である人類の始祖の再現であり、そのために生涯を費やした。

 今、サーヴァントとして召喚された彼には、究極宝具として生前に叶えられなかった夢を叶える力が与えられている。

 対軍宝具『王冠・叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』。

 多くのサーヴァントが持つ宝具と異なり、生前完成することのなかったキャスターですら動いているところを確認していない未知の宝具である。

 しかし、自分の宝具である以上はその性能も強さもよく理解できている。

 問題なのは、敵に勝つことでも聖杯を手に入れることでもない。

 ただ偏に、『王冠・叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』が、キャスターの追い求める最高傑作であるか否かである。

 恨まれることも承知の上である。

 命を落とすことになるかもしれない。

 しかし、そんなことは宝具を起動するという崇高な理念の前には瑣末事でしかない。

 キャスターは今や繋がりの断たれた元マスターであるロシェに念話をする。彼は、事の次第を知らない。“黒”のキャスターが“赤”の陣営に寝返り、今まさに“黒”の陣営に牙を向こうとしていることに気付いていない。

 ほかの“黒”のサーヴァントが自分の裏切りをマスターたちに伝える前に、ロシェを引き離す。

 ロシェに何かあっては、せっかくの裏切りが水泡に帰してしまうからである。

 未だ、キャスターを先生と呼ぶロシェに申し訳なく思いながら、淡々とキャスターは用件を伝えたのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のセイバーは裏切ったとはいえ“黒”の陣営と歩調を合わせるつもりはないらしく、敵の追走を逃れたと判断するや、自分のマスターを引き連れて何処かへ消えて行った。

 叶うことならば共に戦いたかったのであるが、呼び止めて交渉する時間はない。

 “黒”のキャスターの裏切りに聖杯の喪失、さらに敵の首魁に第三次聖杯戦争の生き残りである天草四郎時貞(ルーラー)のサーヴァントがいて、一騎で残るセイバーを除く“赤”のサーヴァントたちを手中に収めているというおよそ考え得る限り“黒”の陣営にとって最悪の状況となってしまった。これに対して、何かしらの対抗策を講じなければならない。

 敵地を飛び出してみると、空中庭園は当初の位置から移動していて、ミレニア城塞から距離を取っていることがわかった。“黒”のサーヴァントの襲撃にも拘らず、“赤”のアサシンは領土ごと撤退を始めていたようだ。

「いやいや、スカッとしたねアーチャー。あのスカした神父に一矢報いたって感じ」

 “黒”のライダーはにこやかに笑って“黒”のアーチャーが敵の誘いを蹴ったことを喜んでいる。

「私は私のエゴを通したに過ぎない」

「ええ、ですが、人類にとって何が重要なのかという命題は、人類が議論を尽くして答えを出すべきです」

 ルーラーは、しっかりとアーチャーの言葉に賛同の意を示した。

 しかし、アーチャーもルーラーも人類の救済が実現できるのならそれに越したことはないという考えでは一致している。迷いもあった。今の人類では必ず最後に血を流すことになる。それを避けるためには、その根本となる原因を取り除くというのは理に適った考え方である。

 しかし、アーチャーは悲劇を乗り越えてきた人々の想いを無駄にはできず、ルーラーは人類の未来に希望を見出している。

 人類の救済は人類の総意によって為されるべきで、ただ一人の、それも過去の人間のエゴで押し付けるものではない。

 その一方で四郎は、人類を放置していてはいつまでも平和を実現することはできないと確信していた。

 この戦いは、“赤”と“黒”という単純な対立構造による魔術儀式という枠組みをすでに崩壊させており、天草四郎の出現により、人類という存在への信と不信のせめぎ合いが今回の聖杯大戦の要旨となるに至った。

「アーチャー。現時点を以て聖杯大戦は完全に本来の道程から外れたと断言できます。このままでは世界規模で災厄が発生する可能性が高い。特定の陣営に肩入れするようで気が引けますが、“黒”の陣営に協力を要請できますか?」

「それが合理的だな。ダーニックがああなった以上、ユグドミレニアを統べるのは私のマスターとなるだろう。私が決めるわけにもいかないが、その方向でマスターに打診しよう」

「お願いします」

 サーヴァントの速力ならば、ミレニア城塞まではそう時間をかけることなく帰還することができる。

 しかし、いくらサーヴァントといえど、足を使って移動しているという点は人間と大差がない。そして、一般的には、走る速度は乗り物に比べて劣るものである。

「あれは……!」

 “黒”のセイバーが目を僅かに見開いて、城塞を見る。否、より正確には、城塞の屋根に屹立する一体の巨人を見て、唖然としたのである。

「“黒”のキャスター!?」

 ルーラーは奥歯を噛んで渋い顔をした。 

 敵に寝返ったキャスターが、“黒”のサーヴァントに先んじてミレニア城塞に到達していたのである。

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のセイバーのマスターである獅子劫界離は、顔面を蒼白にして地面に腕を突いていた。

 宙には去っていく『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』。聖杯奪取のためにある程度低空飛行をしていたとはいえ、人間からすれば十分な高度である。一流の魔術師である獅子劫は、確かにこの高さから飛び降りても、気流操作や重力操作などを用いれば、着の身着のままでも何とかなったが、こともあろうにセイバーは『魔力放出』を利用したジェット機を思わせる飛び降りに獅子劫を付き合わせた。

 言葉遊びでも何でもなく、死ぬかと思った。

「セイバー、お前な……」

「固いこと言うなよマスター。勢いってのは大事だろ」

「精神面ではな! 物理的にはいらねえよ!」

「それだけ喋れれば問題ねえな」

 命綱なしのバンジージャンプあるいはジェット飛行を体験して怒鳴れるくらいには獅子劫の腹は据わっているということが証明された。健康面でも問題なしだ。

「で、マスター。どうする?」

「どうするも何も、これにけりつけなきゃいけねえだろ。聖杯を獲るには、どうあっても“黒”の連中と手を組まないとな。そうしなくちゃ話にならん」

 “赤”のサーヴァントから“赤”のセイバーが抜けても敵は未だ強大に過ぎる。状況の変化が激しすぎて付いていくのも難しいが、とにかく聖杯を手に入れるという至上命題を達成するためには“黒”との協力体制の構築は必要不可欠である。

 そのために、無理をしてセイバーを突撃させたのである。後はどのタイミングで“黒”と接触するかという点が重要である。相手に足元を見られないように、対等に近い形で同盟を結べるのならそれに越したことはない。幸いというか、“黒”もキャスターの裏切りで困惑していることだろう。“赤”のセイバーという強力な戦力は、“黒”のキャスターに代わる戦力としては十分に過ぎる評価が与えられるに違いない。よって、自分たちの価値を最大限に高めて売り込める時期を見計らうのが何よりも大切である。

「だったら、今すぐにでも連中のところに向かったほうがいいんじゃねえか?」

「何?」

「あのキャスターのヤツ、もうやる気だぞ」

「なんだと? それを早く言え! 出遅れちまうじゃねえか!」

 獅子劫は表情を厳しくして立ち上がった。 

 それから、走り出しかけた足を止める。

「セイバー、“黒”のキャスター以外の“赤”の連中は?」

「あん、ここにオレがいるだろ、――――ああ、分かってるよ冗談だって、そんな怖い顔すんな。出てったのはキャスターだけだったぜ。魔術師風情が一人で何ができるんだって話だがよ」

 獅子劫は自分の心に引っかかっている「怖い顔」というワードに微妙に傷つきながらも、セイバーの言葉を吟味する。

 そして、首を振って言った。

「いや、キャスターはもともと“黒”の陣営に属していたからな、要塞の弱点を知っているってことは十分に考えられるだろ。それに、裏切りの情報がどこまで届いているかも分からんし、何よりも一人で動いたってことは、それだけ自信があるってことだ」

 本来、聖杯戦争において『キャスター』は不利なクラスとされる。それは、『キャスター』が得意とする魔術が『対魔力』を持つほかのクラスに弾かれやすいからである。しかし、その反面綿密な準備を重ねるなど力を蓄えた『キャスター』は非常に強大で、現代の魔術師では到底敵わない。そのため、『アサシン』に次いでマスターの天敵と称してもいいくらいの反則クラスでもある。

 “黒”のキャスターは、ゴーレム使いでもある。ゴーレムの攻撃は物理攻撃なので『対魔力』のスキルはほぼ意味を成さず、前述の綿密な準備も魔術協会側の“赤”の陣営以上に準備期間を設けることのできた“黒”の陣営に属していたために十分にあっただろう。

 おそらく、その宝具は強大なゴーレムの類であると推測できる。

「よし、行くぞセイバー」

 “黒”のキャスターが“黒”の陣営を引っ掻き回してくれれば、自分たちが付け入る隙も大きくなる。様子を見て、セイバーを飛び込ませるタイミングを見計らうために、獅子劫はミレニア城塞に近付くという決定を下した。

 

 

 

 □

 

 

 

  “黒”のバーサーカー以外のサーヴァントが出払ったミレニア城塞に残されたのは、五人のマスターと雑用のために残されたホムンクルスだけであった。 

 空中庭園内の様子はアーチャーと視界を共有することである程度理解できていたのだが、“赤”のライダーとの戦いの最中に映像が途絶え、念話も届かなくなってフィオレは慌ててアーチャーとのパスを確認する。

“アーチャーが負けたわけじゃない”

 今もアーチャーにはフィオレからの魔力が送り込まれている。

 空中要塞の中は敵の本陣であり、内部の様子を探られないように様々な仕掛けがあるのは分かっていた。妨害があるのは当たり前で、“黒”のアーチャーの目を通して状況を把握することは、これで不可能となった。ゴルドやセレニケにも尋ねてみたが、そちらにも手が回っているらしい。

 五人のマスターのうち、ロシェとセレニケを除いた三人――――フィオレ、カウレス、ゴルドは指揮所として機能していた王の間で合流を果たしていた。

「姉さん、他の二人は?」

「自分の工房が無事だからって、そこに篭っているわ。まあ、気持ちは分かるけど」

 黒魔術師のセレニケとゴーレム使いのロシェは共に一流の魔術師であり、自分の技に自信を持っている。とりわけロシェは自分以上のゴーレム使いである“黒”のキャスターには心酔していて、彼と共に造り上げ、管理してきた工房から移動することを頑として拒んだのであった。

 数分前に、“黒”のランサーの消滅が霊器盤で確認された。“黒”の陣営の旗頭が真っ先に脱落した異常事態に、全身の細胞がざわついたのを覚えている。表情には出せない。けれど、心中は不安が渦巻いている。ダーニックも応答がない。ランサーの死亡とあわせて考えれば、まず間違いなくダーニックも共に討ち死にしたというのが正しい解釈だろう。アーチャーと念話ができれば、確認も取れたのであるが。

 ついに、マスターにまで犠牲者が出てしまった。それも、全体を統括する頭脳であるユグドミレニアそのものとも言うべき長のダーニックが最初の脱落者である。

 このような事態を誰が予想できたであろうか。王と当主が真っ先に倒される陣営など、滑稽でしかないではないか。

 もしも、本当にダーニックが死亡したのであれば、繰り上がりでフィオレが長に就任することになる。

 自分でも気付かず、フィオレは車椅子の肘掛けの上で、拳を握り締めていた。

「姉さん。どうかしたのか?」

「なんでもないわ」

 カウレスに尋ねられて、フィオレは初めて手の平に汗をかいていることに気付いた。よほど、緊張しているのであろう。無理もない。魔術の研鑽の過程で死ぬのは覚悟しているのが魔術師とはいえ、死ぬのが怖くないかというとそうではない。聖杯戦争を始めるときは、誰もが死を覚悟しながら、心のどこかで自分だけは生き残ると根拠のない自信を持っているものである。優秀な魔術師ほど、その傾向は強くなる。しかし、戦局が不利に傾き、ともすれば何も為せず、何も遺せずに消えていくことになる可能性が見えると、平静でいるのは難しくなる。

 半壊したとはいえ、ミレニア城塞が今のところ最も安全な場所であるという点は変わらない。

 戦力としては心もとないが、“黒”のバーサーカーがいるというのも心強い。竜牙兵程度ならば、地形効果とフィオレの礼装による援護も可能で一方的に打ち倒すことができるだろう。迎撃の準備は可能な限り整えたので、サーヴァントが直接乗り込んでこない限りは問題はない。

『フィオレ、聞こえるか?』

 そこに飛び込んできたのはアーチャーからの念話であった。

 久しく聞いていないような錯覚すらも覚える声音に安堵しつつ、フィオレは応答した。

『はい、大丈夫です。そちらは?』

『敵地から脱出したところだな』

『お怪我は?』

『問題ない。それと、悪い報せが二つある。一つはランサーとダーニックが共に討たれたこと。もう一つはキャスターが裏切ったことだ』

『え!?』

 ランサーとダーニックについてはすでに諦観していたところもあり、驚くようなことではなかった。アーチャーから伝えられて、辛く胸に迫るものはあるが、受け止める準備はできていた。しかし二つ目の悪い報せについては想定外にもほどがある。

『ど、どういうことですか!?』

『キャスターは、――――』

 ぶつん、と念話が途絶えた。

 外部からの干渉で、強制的に連絡が絶たれたのである。

 それから数秒もせず、ミレニア城塞を揺るがす振動が王の間を駆け抜けた。

「な、なんだ!?」

「ヴィイイイイイイッ!」

 バーサーカーが唸り、カウレスとゴルドを抱えて部屋を脱出する。少女の外見をしていてもバーサーカーはサーヴァントであり人造人間である。大の男二人分の体重を運ぶ程度は造作もない。それに続き、フィオレが接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)の補助を受けてバーサーカーに続いた。

 城壁の一部が倒壊して、粉塵が背後から攻め寄せてくる。

 フィオレは魔術で粉塵を吸わないように空気のマスクを生成すると、廊下を疾駆するバーサーカーに叫んだ。

「バーサーカー、そこのテラスから外に出ましょう。敵はわたしたちの居場所を把握しています! 屋内では不利です!」

 屋内を逃げ回れば、相手の目を誤魔化せると思うのは早計であろう。当初の居場所から王の間に移動したフィオレたちを正確に狙ってきたところから考えて相手は屋内を逃げ回る自分たちを屋外から狙い打つことができる。それでは、相手が見えないのはこちらだけとなってしまい、城塞の中にいることには反撃するにしても逃げるにしても利するところはない。

「聞いたなバーサーカー! 外だッ!」

「ヴィィ」

 フィオレとカウレスの言葉を聞いてバーサーカーはテラスの窓を蹴り破って外に飛び出した。フィオレも遅れを取ることなく、屋外へ避難する。もちろん、そこには襲撃者の姿があるだろうが、一方的に攻撃されるだけよりはましだと判断したのである。

 



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二十七話

やっとミコトとシビラを覚醒ラインに乗せた。あとは宝珠。宝珠さえ稼げば……! アイギス様、おらに結晶を分けてくれッ!




 そして、外でフィオレたちを出迎えたのは見上げんばかりの巨人(ゴーレム)であった。その肩には“黒”のキャスターが乗っている。

「キャスター。裏切ったというのは本当でしたか」

「う、裏切った!?」

 フィオレの呟きにバーサーカーに担がれた状態のカウレスは驚いて視線をフィオレに向けた。

「貴様、恥を知れキャスター! 何の理由があって我々を裏切ったのだ!」

 青筋を浮かべたゴルドが吼える。

 絶望的な状況に自棄になっているようにも見えるがその問いにキャスターは、

「理由か。この宝具を使ってみたかったというのが理由と言えば理由か。このアダムによって救済された世界を見ることが僕の夢であり、そのために聖杯大戦に参加したのだからね」

「何?」

「この宝具は生きた魔術師を炉心として使用する必要があってね。ホムンクルスを逃がしてしまったことだし、どうしたものかと思っていたのだが、都合よく“赤”の陣営から声がかかったものだから、そちらに移籍したというわけだ。納得したかな」

 キャスターの言葉に、フィオレたちは絶句した。

 “黒”のキャスターであるアヴィケブロンの宝具は巨大なゴーレムであることは伝えられていた。

 特徴として、歴史上完成することがなかった宝具であるために、この世の材料を用いて一から作成する必要があったということも聞いている。

 材料は人の手による加工を受けたことのない天然の木と土と石であり、それらを集めるためにダーニックは資産の実に三割をつぎ込んだ。

 フィオレが知っているのはこれとさらに炉心が必要であるということだけであった。

 目の前で稼動しているゴーレムの能力も知らなければ、炉心に何を使うのかも聞かされていなかったので、炉心が魔術師であると聞いて愕然とした。

 魔術師ならば誰でもいいというわけでもないだろう。

 キャスターは宝具の完成度を極限まで高めたかったはずであり、そのためには良質の魔術師を生け贄にする必要があった。しかし、“黒”の陣営にいてはそのような魔術師は手に入らない。マスターとして参加する魔術師ですら、一流と呼べるのはダーニックとフィオレ、そして二人に次ぐゴルドやロシェが限界である。全体的に衰退した一族の寄せ集めであるユグドミレニアではキャスターの希望に沿う形で魔術師を用意することはできないのである。

 要するにキャスターとしては宝具を発動する材料と環境が整っていれば、どちらの陣営に属しているかは関わりのない話だったということである。

 しかしながら疑問も残る。

 ダーニックが用意できたのは、あくまでも「物」として扱われる材料である。一流の魔術師など金では買えない貴重品であり、そのような人材がいれば、人手不足のユグドミレニアは、生け贄として消費するくらいならマスターとして参加させる。

 しかし、あれが動いている以上は、魔術師の誰かが生け贄にされていなければおかしい。

「まさか、ロシェを炉心にしたのですか!?」

 諸々の条件を満たしているのは、キャスターの元マスターであるロシェだけであった。

 すでにマスターではないのだから切り捨てても実害はなく、それでいてキャスターを心酔しているために彼の言うとおりに行動してしまうだろう。どの時点で裏切りに気付いたかは推測することもできないが、そのときにはすでに手遅れになっていたはずである。

「彼が僕に向けてくれた感情は実に心地よいものだった。けれど、これは僕が叶えるべき願いであり、民族の悲願だ。僕を非難したければするがいい。君たちにはその権利がある。だが、だからといってアダム(・・・)が止まることはない」

 A+ランクの対軍宝具『王冠・叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』は、見上げんばかりの巨人型ゴーレムであり、自然界に存在する木や土と人体を用いて創られた人工物である。しかし、どうしたことだろうか。視界にまともに収めることができないのである。魔術的な干渉によるものではなく、畏怖に近い感情が想起される純然たる神々しさによるものであろう。

 踏みしめる大地は活性化し、次々と木々が生え、実を付ける。成った果実は熟して地に落ち、新たな木として成長する。大気には甘い香りが満ち満ちて一呼吸で不可思議な陶酔感を味わうことができる。

 ゴーレムが生み出すのは楽園(エデン)である。

 彼が信仰する宗教に伝わる、人類が追放された祝福に満ちた大地。ゴーレムは、そこにいるだけで楽園を形成する。

 周囲を異界化する能力を持つ自立式固有結界。

 それが、“黒”のキャスターの宝具にして至宝たる『王冠・叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』の正体であった。

 キャスターの合図で、ゴーレムが黒曜石に近い輝きを放つ石剣を振り上げる。

 脆弱な“黒”のバーサーカーでは太刀打ちできない。逃げるにもゴーレムの巨体から放たれる一撃からは絶対に逃げ切れない。

 誰もが死を覚悟したそのとき、夜闇を斬り裂く一筋の魔弾がキャスターに襲い掛かった。

 衝撃波を撒き散らし、疾駆する魔弾の先には無防備な“黒”のキャスターがいる。防壁を張ったところで遅い。即製の魔術では、この一矢から逃れることはできず、ひき肉となって消失するのみである。

 解き放たれた猟犬がキャスターの頭蓋を砕き、肉体を細切れにしようかというまさにそのとき、攻撃態勢に入っていたはずのゴーレムが即興で優先順位を切り替えて、手に持つ石剣で迎撃したのである。予期せぬ反撃にも、魔弾は負けることはなく、石剣と拮抗を演じた後、その守りを突き破って直進する。しかし、僅かな遅れが必殺の機を失わせた。ゴーレムは端から石剣を犠牲にするつもりであったと見えて、幅広の剣を楯にするや背を大きく逸らして魔弾の進路から主を遠ざけていたのである。結果、目標を仕損じた魔弾は夜の闇に消えていく。

「アーチャー。君の攻撃は最優先で警戒すべき対象だ。今このとき、攻撃してくるのは君以外にいないだろうからね」

 遠距離狙撃以外にマスターを守る術がないのだから、“黒”のアーチャーがこのタイミングで攻撃してくることは予想の範囲内であった。分かってさえいれば、防御するのも容易い。少しでも時間を稼げば、その攻撃範囲外にまで脱出することはできる。

 しかし、時間が欲しかったのはアーチャーも同じである。

 “赤”のバーサーカーの一撃で多くの木々がなぎ倒され、半ば平原と化したイデアル森林を低空飛行する“黒”のライダーは、ヒポグリフに鞭打って逸早くフィオレたちの下に駆けつけた。

 “赤”のアサシンとの戦いで消耗しているヒポグリフは、かなり辛そうにしているものの主の意思を受けて懸命に翼を羽ばたかせている。

「あぶねー! でも間に合った!」

 ヒポグリフの背には“黒”のセイバーも跨っている。

「セイバー! 遅い、何をしていた!」

「すまないマスター。この失態は、あのゴーレムを討つことで返上する」

 ヒポグリフから飛び降りたセイバーは、宝剣を抜き放ちゴーレムを見据えながら言う。己のマスターとその仲間を庇うように立つ威風堂々たる姿に、ゴルドはそれ以上叱責を続けなかった。

「言ったからには果たせ、セイバー」

「承知」

 ドン、と地を蹴って竜殺しの英雄は巨人に挑む。

 空を飛ぶライダーは、真っ直ぐに巨人に挑みかかるセイバーに対して無謀だとは思わなかった。俯瞰していて、あの巨人の危険性はよく分かる。単騎突撃して勝てる相手ではない。しかし、ライダーにはどうしてもあの“黒”のセイバーが敗北するという未来絵図が見えなかった。

 竜殺しの大英雄が、石ころの寄せ集めに遅れを取るなどありえないからである。

『マスター聞こえる?』

『ええ、聞こえるわ』

『その分なら、全然平気みたいだね』

『わたしの工房はキャスターの攻撃を受けていないから、何の問題もなく稼動しているわ』

 ライダーのマスターであるセレニケがこの場にいないことをいぶかしみながら、彼女であれば自分の工房に引き篭もってもおかしくないかと考え直す。自分が空中要塞に向かったときからずっと、同じ部屋で戦局を見守っていたらしい。

『なら、そっちは問題ないか』

『そうね。こちらは気にしなくてもいいわ。とりあえず、今は裏切り者の始末だけを考えなさい』

『そうだね。それはもちろんそうするよ』

『ああ、それとライダー。怪我だけはしないでね』

 最後にそう言って、セレニケは念話を打ち切った。

「はあ、やれやれだなぁ」

 ライダーは頭を掻く。マスターに心配されたというのに、その顔には喜悦の類は一切ない。それも当然だろう。セレニケがライダーの心配をしているのは事実だが、それはライダーのためではないのである。ただ、ライダーを傷つけ、穢し、犯すのは自分でなければならないという歪んだ所有願望の発露である。

 彼女に指示されるまでもなく、“黒”のキャスターは討伐するが、その後でセレニケと顔を合わせるのは気が引ける。

「とりあえずは安全第一だね」

 自分が傷つかないようにするということではなく、外に脱出したマスターたちを安全圏まで離脱させなければならないということである。

 ついでに、分かっている範囲で今の状況をフィオレたちに伝えておこうとライダーはヒポグリフを降下させた。

 

 

 

 □

 

 

 

 黒曜石の巨大な剣と黄昏色の魔力を放つ大剣が激突する。

 衝撃で木々が消し飛び、火薬の爆発めいた轟音が雨となって森林を揺らす。

「ぐ……!」

 顔を顰めて“黒”のセイバーは後ずさる。

 近接戦闘能力では間違いなく“黒”の陣営で最強のセイバーが、僅かに押し負けた。

 巨体から繰り出される攻撃は、すべてが宝具の一撃に匹敵する猛威である。防御宝具とAランクの『耐久』によって防御面でも隙のないセイバーであっても、そう何発も喰らってはただではすまない。

 しかし、それだけならばセイバーの持ち前の技量と膂力でどうにでもなる範囲でしかない。

 真に厄介なのは、――――。

「ふむ、さすがに易々とはいかないなセイバー」

 “黒”のキャスターはゴーレムの肩の上で呟く。

 セイバーの宝剣は、ゴーレムの黒曜石の剣と打ち合って砕けることはなく、それどころか逆に砕き返すほどに頑丈である。

 だが、いくら砕かれたところで問題にはならない。

 事実、ゴーレムが今持っている剣も、少し前にアーチャーの狙撃で破壊されたはずのものだからである。

 そう、このゴーレム――――『原初の人間(アダム)』とキャスターが呼ぶ巨人は、強力な復元能力を有しているのである。その回復力は武器にまで及び、セイバーの攻撃を徒労に終わらせる。

「いつまでも肩に乗っていては、戦いにくいか。ならば、中で観戦するとしよう」

 戦うのはあくまでもゴーレム。そして自立式であるこのゴーレムにはキャスターがいちいち指示を出す必要すらない。たとえ、キャスターが討伐されたとしても、自ら活動に必要なエネルギーを調達して世界を創り変えることであろう。

 キャスターを取り込むように溶けた石が盛り上がりキャスターを内部に引き込んでいく。

 ゴーレムはサーヴァントのようなものであり、キャスターはそのマスターである。キャスターを守るために、ゴーレムは彼を自らの身体の内側に格納したのである。

「世界を塗り潰す宝具とは、……天草四郎の前に大層な物を出してきましたね」

 遅れて駆けつけたルーラーは、規格外の宝具を前に顔を歪める。しかし、考えていても仕方がない。ルーラーは旗を掲げてセイバーに加勢する。二対一と数的優位には立てた。しかし、それでもまだ足りない。

 まるで暴風雨に等身大の人間が挑んでいるかのようだ。

 受け止めるにはあまりにも重いゴーレムの攻撃を、セイバーは正面から受け止め、捌き、返す刀で反撃を加える。そこにルーラーの刺突が加わって、ゴーレムは体勢を崩した。

 まさしく、その瞬間を狙っていたといわんばかりに、彼方へ消えた魔弾が帰ってくる。

 音速の六倍を上回る速度で牙を剥く赤原猟犬(フルンディング)は赤い軌跡を刻んでゴーレムの腹部を背後から貫通し、大量の土砂をばら撒かせた。

 ぐらり、と揺れる巨体にルーラーもセイバーも一瞬勝利を幻視した。

「ッ」

 しかし、現実は甘くない。

 もはや、それを現実と呼んでいいのかどうかも怪しいが、確かに目の前の巨人は実在する。腹部を貫かれ、辛うじて上半身と下半身が繋がっている状態でありながら、最も近くにいたセイバーに剣を振り下ろしたのである。セイバーは飛び退いて剣を躱し、そして見た。ゴーレムの腹部の穴が瞬く間に塞がっていく様を。

「そこまで強力な再生能力が!?」

「いえ、違います。あれは、大地からの祝福です!」

 沈痛な面持ちで口に出したルーラーは、大地から両足を通してゴーレムに魔力が供給されているのを感じていた。

 楽園で傷つくものなど存在しない。故に、楽園にある限り、あのゴーレムは極めて高い不死性を得る。

 まだ、楽園はミレニア城塞の周囲を侵食する程度であるが、時間とともにその範囲は広がっていく。楽園の面積が大きくなればなるほど、ゴーレムは力を増し、最後にはここに揃ったサーヴァントが死力を尽くしても手の施しようがないというところまで強化されてしまうに違いない。

「どうすれば倒せる?」

「あのゴーレムはサーヴァントと同じく霊核に依存して活動しています。つまり心臓と頭が弱点らしい弱点と言えるでしょう」

 ゴーレムの心臓に当たる部分には炉心がある。かつてロシェ・フレイン・ユグドミレニアという少年だったものであり、魔力の流れから炉心が基点になっているのは分かる。そしてそれと同時に頭にも霊核があり、どちらかを破壊しても即死に至らせることはできない。

 そして、即死しなければ大地からの祝福によって強力な再生能力が発動し、せっかく与えたダメージが零になってしまう。しかも、その再生能力は時間と共に上昇している。ゴーレムを倒すには、速攻で方をつけなければならないという時間的制約まであるのだ。

「つまり、あのゴーレムを倒すには、大地からの祝福を断った上で心臓と頭を同時に破壊しなければなりません」

 ルーラーは自分で言葉にしていて心が折れそうになる。

 巨大なゴーレムはA+ランクの対軍宝具であり、急速にこちらの攻撃から学習して戦闘経験を積み上げていく戦士でもある。そのような相手に、同時に三箇所を攻撃しなければならないとなると、それは至難の業となる。

 ただの斬撃では通らない。

 強大な攻撃系宝具の解放が必要である。

「なるほど。道筋は見えたな」

「道筋って、極めて困難ですよ。第一、あなたの宝具でもどちらか一方を破壊することしかできないのではないですか?」

「そうかもしれない。アーチャーの宝具も警戒されていて確実に当たるとはいえない。ルーラーの言うとおり、難しい戦いだ」

 調律された自然災害とも言うべきキャスターの宝具は着実に“黒”のサーヴァントたちを追い詰めている。時間とともに勝率は低下していき、やがては手も足も出なくなるだろう。

「時間は俺が稼ぐ。手早く、対処法を考えてくれ」

「な、……正気ですか、セイバー!?」

 単騎であのゴーレムを相手取り、時間稼ぎに徹すると言うのである。それは、いかな大英雄といえど無謀ではないか。

 だが、“黒”のセイバーは大剣の柄を握り締めて、ゴーレムの前に立つ。

「ファヴニールに比べれば、大したことはない」

「セイバー……分かりました。そう時間はかけませんので、何とか凌いでください」

 ルーラーは一旦後方に跳躍し、セイバーは逆にゴーレムに立ち向かう。

 ゴーレムが叩き付ける石剣の横を、セイバーは巧みな剣術で受け流す。セイバーを仕留め損ねた石剣は、セイバーから二メートルほど逸れたところに叩きつけられて、土砂を巻き上げる。

 もちろん、ただ一撃逸らされた程度で止まるはずもない。怒涛の連続攻撃はもはやセイバーを狙うという次元の話ではなく、セイバーが佇む一帯を纏めて耕すかのように石剣を振り下ろす。地響きは留まることなく、木々は千切れ飛び、大地は崩れて砂となる。

 ゴーレムはセイバーがどうなったのかを確かめるために攻撃を止め、いつでも剣を振り下ろせる体勢で地面を睥睨する。

 風に流れる粉塵。視界が良好になったところで、セイバーの姿がないことに気がついた。

 掘り返された土に埋もれているのか、あるいはすでに消滅したか。

 答えはどちらも否である。

 竜殺しの英雄は、この程度の攻撃ではびくともしない。それどころか、攻撃そのものを受けてすらいなかった。

 荒れ狂う破壊の猛威の中で、セイバーは自分の剣をゴーレムの石剣の腹に突き立て、それを取っ手として石剣の腹にぶら下がっていたのである。

 ゴーレムの動きが止まったこの瞬間、セイバーは石剣を蹴り、剣を抜いてゴーレムの頭を目掛けて跳んだ。

「『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』!」

 黄昏の剣気が刀身から溢れ出し、至近からゴーレムの頭を土くれに変える。

 ゴーレムの頭を砕いてもなお止まらぬ魔力の波は、森の木々を抉り地面に扇形の破壊痕を刻み込む。

 頭を潰されて、踏鞴を踏んだゴーレムは、しかし、倒れることなく空中のセイバーを剣を持っていないほうの腕を振るって弾き飛ばす。このときにはすでに頭が半ば再生していた。

 地面に叩きつけられたセイバーは、身体についた埃を払って追撃に対処するべく剣を構えなおす。

「やはり、頭を潰した程度では効果なしか」

 ゴーレムの頭は再生した。

 今はセイバーの剣技も宝具の解放も通用する。どちらかと言えば、まだセイバーのほうが全体として上回っている。それは、数多の戦闘を乗り越えた経験がものを言っているからであろう。

『やはり、僕のアダムでも大英雄を相手にするのは時間がかかるな』

 どこからかキャスターの声がする。

『悪く思わないでくれ、とは言えないが、合理的に判断はさせてもらう』

 ただ殴り合うだけの戦い方をしていたゴーレムは、ここで戦い方を変えた。標的をセイバーから別の何かに変更したのか、地面を蹴って跳躍し、セイバーを飛び越えた。

「何?」

 巨人の脚力はかなりのものである。一歩が大きいため、追いつくのも難しい。逃げるのか、と一瞬思ったが、そうではなかった。ゴーレムはミレニア城塞に組み付くと、石剣の切先を真下に向けて、思い切り突き立てた。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “黒”のキャスターが取った行動は、ルーラーにとっては奇妙なものであり、首をかしげる行為であったが、しかし、“黒”の陣営にとっては大きな意味のある行動であった。

 キャスターが砕いたのはミレニア城塞の外壁ではない。その目的はその奥に隠される貯水槽を並べた部屋であった。

『アーチャー! すぐにキャスターを遠ざけて!』

 フィオレの指示はあまりにも遅かった。

 すでにキャスターは目的を達しており、城塞に拘る必要もない。

 アーチャーから放たれた矢が砲弾のような勢いでゴーレムを襲うが、ゴーレムは石剣で矢を払い除け、二の矢を城壁から飛び降りることで躱す。そして、バックステップをしながら三の矢を手の甲で受ける。そこに、空から飛来した宝具()が右肩を貫通する。

 崩れかけた右腕は、瞬時に再生を果たす。追撃をかけるセイバーは、心なしか動きが鈍っているように見える。

「魔力供給に難ありか。やってくれる」

 聖杯大戦を勝ち抜くために“黒”の陣営が用意した秘策。ホムンクルスを用いた潤沢な魔力供給によって、サーヴァントはマスターの能力に関わらず全力を出すことができていた。しかし、そのキャスターが貯水槽を破壊したことで、魔力供給量が減少した。実質マスターからの供給量だけでサーヴァントの維持と宝具の解放をしなければならなくなったのである。

『アーチャー!?』

『私は問題ない。だが、このままではセイバーが持たんぞ』

 アーチャーの魔力消費量は、セイバーに比べれば軽い。フィオレにかける負担も少ないが、セイバーは大英雄に相応しい燃費である。竜の心臓を持っているから、まだましではあるが、それでもゴルドにかかる負担を思えば、宝具の連続使用は封印しなければ自滅する恐れがある。

「アーチャー。あのゴーレムを止めるには頭と心臓を同時に破壊しなければなりません。セイバーと協力して、同時に破壊は可能ですか?」

「やれと言うのならやるが、楽観視はできん。それに再生のほうはどうする?」

「それは、……」

 アーチャーの矢ならば、ゴーレムを貫通するほどの威力を出すことは可能であるが、それが当たるかどうかは別の話である。防御される可能性が否定できない以上は、極めて危険な賭けとなる。おまけに貫いたとして再生されては元も子もない。

「ルーラー。ゴーレムの再生能力は、あの足元の木々によるもので正しいか?」

「木々、というよりもあの両足が踏みしめる大地そのものから力を吸い上げているような状況です。あの領域が広がるほど、ゴーレムの力は増していきます」

「なるほど。では、領域そのものをどうにかできれば、ゴーレムは丸裸も同然というわけだな」

「それはそうですが、そんなことは……」

 楽園は今でも拡大している。 

 すべてを焼き払うには、対城宝具クラスの広範囲攻撃を連発する必要があるだろう。楽園を破壊するというのは、現実的な案ではない。

「いや、可能だ。私が奥の手を使う」

「え……」

 ルーラーが驚いたように顔を上げる。

 気にせず、アーチャーは、フィオレに念話を飛ばした。

『マスター、少々多めに魔力を持っていくことになるが余裕はあるかね?』

『はい、大丈夫です。しかし、アーチャー。相手の侵食能力を考えれば、上書きされる可能性もあるのではありませんか?』

『その前に倒すさ』

『でしたら何も言いません。全力でお願いしますね』

 念話を終えて、マスターの許可を取った。

 ホムンクルスを用いた魔力供給に問題が発生したために、マスターにかかる負担が大きくなる。フィオレは一度や二度の宝具の発動にも耐えられないような貧弱な魔術師ではないが、念のために確認だけはしておいたほうがいいと判断したのである。

「ルーラー。私はゴーレムの地形効果を何とかする。ただ、私がゴーレムを攻撃する余裕を持てるかどうかは不透明だ。攻撃手段の確保はできないか?」

「あのゴーレムに通用するだけの一撃を持つサーヴァントと言われても……」

 ルーラーの奥の手をここで使うわけにもいかない。セイバーとアーチャー以外に対軍宝具を持つサーヴァントは“黒”の陣営にはいない。

 “黒”の陣営にいなければ、“赤”の陣営を利用すればいい。

 閃くものがあった。

 ルーラーは旗を空に突き出して、声を張って叫んだ。

「“赤”のセイバー。我が真名ジャンヌ・ダルクの名に於いて参陣を要求します! 声が聞こえない場所にいるわけでもないでしょう、来なさい!」

 ルーラーの感知能力はすでに“赤”のセイバーが近くにいることを見抜いていた。

 隠れる意味もないと、あっさりと現れた“赤”のセイバーは兜を外してふてぶてしく笑っていた。

「来てやったぞルーラー。それで、オレに何をさせたいんだ?」

「あの巨人を倒すのに協力してください。あなたの宝具で頭か心臓のどちらかを破壊できますか?」

「あん?」

 “赤”のセイバーはゴーレムに視線を向けて、それから頷いた。

「あの木偶人形をぶっ飛ばす程度、造作もねえな」

「ではお願いします。“黒”のセイバーと呼吸を合わせて、同時に攻撃してください。“黒”のアーチャーが楽園を何とかしますので、その隙を突いてください!」

 “黒”のアーチャーと聞いて“赤”のセイバーはルーラーの傍らにたつアーチャーを威嚇するように睨み付けた。

「てめえかよ」

「さっきぶりだな、セイバー。色々と言いたいことはあるだろうが、後回しにしてくれないか」

「ああ、はいはい。そうだな」

 驚いたことに“赤”のセイバーは“黒”のアーチャーから視線を外してあっさりと鉾を収める。

『“黒”のセイバー。あなたはそれで構いませんか?』

『ああ、俺はいつでもいける』

 ルーラーに問われた“黒”のセイバーはゴーレムと打ち合いながら答えた。

 これで準備は整った。

 これでいける、とルーラーは直感する。

「おい、ルーラー」

「何ですか?」

 “赤”のセイバーに声をかけられてルーラーは眉を顰めた。

「ルーラーは各サーヴァントに使える令呪を持ってるんだよな?」

「え、はい。そうですが……」

「なら、それくれ。オレの分全部」

「はあッ!?」

 ルーラーはあまりに傲岸な“赤”のセイバーの要求に唖然とした。

「ダメに決まっているでしょう。この令呪を移譲するなんて」

「協力者にタダ働きなんてさせねえよな。聖女様がよぉ」

「ぐく……ですが、二画はダメです。せめて一画」

「よし、決定だな。アーチャー、さっさと鬱陶しい楽園を何とかしろ」

 “黒”のアーチャーは、嘆息して言う。

「君たちで一分、持たせてくれ。すぐに準備する」

「しくじんなよ!」

 “赤”のセイバーは、『燦然と輝く王剣(クラレント)』を憎悪で歪め、ゴーレムに突貫していく。

「アーチャー、頼みます」

 ルーラーも“赤”のセイバーに続く。

 “黒”のセイバーにさらに二騎が加わって、ゴーレムとの戦いは佳境を迎えた。

 猛烈なゴーレムの攻撃を、二騎のセイバーが宝剣と邪剣で見事に弾き、ルーラーが伸びきった肘を強かに打つ。

 体格差はまさしく人と羽虫だが、英雄たちの攻撃は蚊に刺された程度と馬鹿にすることはできない。

 三騎の前衛が死力を尽くしてゴーレムを受け止める中、“黒”のアーチャーは目を瞑り、魔術回路を回転させる。

 “黒”のアーチャーが有するたった一つの魔術にして切り札。

 最後の一言まで明確に、ゴーレムの動きに気を払うこともなく、粛々と自らの役割をやり遂げる。

 

身体は剣でできている(I am the bone of my sword.)

 

血潮は鉄で心は硝子(Steel is my body,and fire is my blood.)

 

幾たびの戦場を越えて不敗(I have created over a thousand blades.)

 

ただの一度も敗走はなく(Unknown to Death.)ただの一度も理解されない(Nor known to Life.)

 

彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う(Have withstood pain to create many weapons. )

 

故に、その生涯に意味はなく(Yet, those hands will never hold anything.)

 

その体は、きっと剣で出来ていた (So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS. )

 

 静かに“黒”のアーチャーは謳い上げる。

 雑念は一切なく、自らの内側に沈み込んでいくかのような感覚を覚えて、人生の結晶を完成させる。

 そして、押し広げられる炎を壁と共に、世界が切り替わる――――。

 

 

 □

 

 

 

『バカな……』

 “黒”のキャスターにとっても、そしてゴーレムに立ち向かっていた三騎にとってもそれは想定外の光景であった。

 夜の闇は取り払われた。

 生命に満ち溢れた世界は一転し、地平線まで続く不毛の大地が足元に広がっている。

 空には雲に代わって巨大な歯車が当たり前のように浮かんでおり、視界を覆わんばかりに茂っていた木々は消え去り、その代わりとばかりに地面に突き立つ数多の刀剣が、悲しげに鈍く光を放っている。

「固有結界……それが、“黒”のアーチャーの能力」

 ルーラーはおぞましい魔力を放つ魔剣聖剣の山々に息を呑む。名のある武器もあれば、無名の武器もある。如何なる能力なのか、この世界には古今東西の刀剣が満ち満ちている。

「なんだ、こりゃあ……」

 “赤”のセイバーは呆然と周囲を見回す。どことなく見覚えがあるような剣も含まれている。無数の剣を操るサーヴァントは、本当に無限とも思える物量を有する剣使いだったのである。これだけ多くの宝具を所持しているからこそ、使い捨てるような戦い方も可能となるのだろう。

『まさかとは思ったが、君は魔術師だったのか』

「キャスターを名乗れるほどではないがね」

『固有結界など、大魔術師でもそうそう到達できない極みの一つだろうに』

 ぎしり、とゴーレムの身体が揺れる。

 世界そのものを塗り替え、異なる位相に引きずり込む大魔術によってゴーレムは大地との繋がりを断たれ、その力を半減させた。今となっては、ただの石と土の塊に過ぎない。当然ながら、大地との接触によって得ていた再生能力もまた皆無となった。

『アダムを甘く見るなよ、アーチャー!』

 “黒”のキャスターは決して諦めない。

 無数の宝具に対して、生涯をかけて追い求めた究極のゴーレムで挑むことに臆するような気持ちは起こらない。英雄豪傑なんのその、キャスター自身はひ弱でも、このゴーレムは大英雄を凌駕する。世界を救済し、受難の民族を導く救世主がこのような不毛の大地を認めるはずがない。

 切り離された大地から、少しずつパスを通そうとする。

 侵食力の戦いだ。

 ゴーレムの侵食力とアーチャーの維持力がゴーレムの足元を基点にぶつかり合う。ゴーレムの足元からは少しずつ、木の芽が生えてくる。

 成長速度は今までに比べれば明らかに遅い。それでも、アーチャーが危惧したとおり、固有結界を侵食し始めている。

「セイバー、急いで!」

 ルーラーは叫び、二騎のセイバーに宝具の解放を促す。

「王剣よ!」

 赤雷が弾け、憎悪の剣が魔力を吹き荒れさせる。

 同時に、“黒”のセイバーが宝剣を振り上げた。

 黄昏の帳が落ち、赤い極光が眩く剣の墓場を照らしていく。

 最後の仕上げとばかりに、アーチャーはゴーレムの足元に突き立つ剣を一斉に爆破した。両足首が砕け、膝をついて前のめりにゴーレムは倒れ込む。

 手を伸ばし、体勢を立て直そうともがくゴーレムに、二騎のセイバーは容赦なくその輝きを叩き付ける。

「『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』!」

「『我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)』!」

 赤雷は一直線にゴーレムの頭部を蹴散らし、時を同じくして黄昏の剣気が炉心を砕く。再生力を失った状態で、霊核を完全に砕かれたゴーレムは、ただの土と石の塊に戻って崩壊していく。

 前傾姿勢のまま倒れるゴーレムは人の形を留めることもできず空中で崩れて土砂となる。

 落ちる土砂の中を、ルーラーは駆ける。土津波を潜り抜け、跳んだ先には土の中から顔を出した“黒”のキャスターがいた。

 ルーラーは旗を突き出し、キャスターの胸を突く。

「ぐ、が……!」

 キャスターは跳ね飛ばされ、ルーラーと共に土砂から弾き出される。

 ルーラーは難なく地面に着地して、胸を突かれたキャスターは為す術なく錐揉みして落下した。

 アーチャーの固有結界は消滅し、世界は再び夜闇に包まれる。

 ゴーレムが消えたことで、楽園も枯れ果てた。

 ゴーレムが現れる前の世界へと回帰したのである。

 自分のゴーレムが掘り返した土の感触を背中に感じながらキャスターは仰向けで横たわる。

 心臓を潰されたキャスターは、もう戦えない。残りの魔力が失われれば、現界を維持できず聖杯に魂を回収されることであろう。

「僕の負けか」

 呟くキャスターを取り囲む四騎のサーヴァント。怒りや恨みを叩きつけられる覚悟はあったが、彼らの表情からはそういった感情は読み取れない。

 人との関わりが少なかったキャスターが、感情の機微を感じられないだけかもしれないが。

「何か言い残すことでもあるかね?」

 “黒”のアーチャーの言葉に、キャスターは小さく首を振った。

「今更言うべきことはない。僕は望みを叶え、君は裏切り者を処分した。それ以外に言うことはないだろう」

 悪びれることなく、キャスターはそう言って身体を魔力の塵に変えていった。

 キャスターを見送って、ルーラーは手を組んだ。

 敵であり、裏切り者ではあるが、その信念は本物であった。彼なりに世界の救済を思い、何にも変えがたい願いのために命を賭けたのである。

 他のサーヴァントはどうか知らない。

 “黒”の陣営としては言いたいことはいくらでもあるだろう。しかし、誰もキャスターに雑言を投げかけることもなく、ルーラーは静かに祈りを捧げていた。



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二十八話

 寝返った“黒”のキャスターが滅んだことで、“黒”と“赤”による総力戦は一先ず沈静化した。

 勝敗は確定していないが、聖杯奪取とマスター権の獲得という目的を果たした四郎神父――――天草四郎時貞が戦略的勝利を収めたというように受け取るべきであろう。

 “赤”の陣営は“赤”のバーサーカーを失い“赤”のセイバーと袂を別ったとはいえ、バーサーカーは戦力とは見なせるものではなく、“赤”のセイバーも単独行動を旨としていた。加えて、意思決定権を持つ一人のマスターにサーヴァントが一極集中し、しかもそのサーヴァントは尽く大英雄とあっては損害は軽微であるとしか言えない。

 一方、“黒”の陣営はミレニア城塞の大破、最高戦力であった“黒”のランサーと一族の当主であるダーニックの死、“黒”のキャスターの離反と討伐。そして聖杯の喪失と敗北の二文字に相応しい大損害を被った。

 現有戦力は、“黒”のセイバー、“黒”のアーチャー、“黒”のライダー、“黒”のバーサーカーの四騎とルーラー、そして“赤”のセイバーで計六騎である。数の上では互角ではあるものの、相手のサーヴァントの戦闘能力を考えれば、ライダーやバーサーカーは不安が残る。

 劣勢に立たされたことは素直に認めなければならない。

 その上で打開策を見出さなければ、ユグドミレニアだけでなく世界が影響を受けることとなる。

 破壊されたミレニア城塞の中は荒れ果てて以前の姿を見ることはできない。

 ダーニックが滅んだことで、指導者に繰り上がったフィオレはルーラーと“赤”のセイバーとそのマスターを会議室に招き入れて、今後の方針を話し合うことにした。無論、ほかの“黒”のサーヴァントとマスターたちも揃っている。

 室内の調度品は衝撃で倒れ、シャンデリアは落下して無残な姿を曝していたが、フィオレとゴルドが手分けして元の整然とした状態に回帰させた。職人でも数週間は必要とする修復作業も、魔術を用いれば数秒で事足りる。

 話ができる状態を作って、ルーラーは敵地で見聞きした情報を詳細を知らないマスターたちに語って聞かせた。

「第三次聖杯戦争を生き抜いた、ルーラーですって?」

 信じ難い情報をルーラーの口から聞いて、フィオレをはじめとする“黒”のマスターたちは押し黙っていた。重い沈黙を搾り出すような声で破ったのは、壁に背を預けたセレニケであった。

「サーヴァントが敵のサーヴァントを全部従えているっていうの?」

「そういうことになります。英雄の誇りがあろうとも、“赤”のマスターたちから奪った令呪がある限りサーヴァントたちはあのルーラーに従わざるを得ないでしょう」

 ルーラーの答えに再び場は沈黙する。

 “赤”のライダー、“赤”のアーチャー、“赤”のランサーの三騎はまさしく“赤”の陣営の主力を担うサーヴァントである。そんな彼らであっても、令呪の縛りからは逃れられない。Bランク以下の『対魔力』では一画にすら抵抗することができない。

 理想とすれば、“赤”のサーヴァントが叛旗を翻して自害を強要されることであるが、天草四郎は自害させずとも、令呪によって強制的に従えることもできるので望みは薄い。

「聖杯を手に入れて、ルーラーは何をしようというのですか?」

 フィオレが恐る恐る尋ねた。答えたのはアーチャーであった。

「全人類の救済だそうだ」

「全人類の、救済……?」

 フィオレはアーチャーの言葉を飲み込むように口に出す。

「なんか、聖杯を使って世界中の人間を不老不死にする計画だってさ」

 “黒”のライダーは頭の後ろで両手を組んで、椅子の背凭れに大いに体重をかけてつまらなそうに言った。

「不老不死だと? 全人類を相手に? 馬鹿馬鹿しい、そんなことで救済などできるか!」

「一つの可能性としてはアリだがね。まあ、問題がないわけでもない」

 半信半疑のゴルドに、アーチャーは肩を竦めて言う。

「アーチャー、なぜそう思うのです?」

「救済の定義は人によって様々だ。天草四郎の望む救済が世界中の人々の不老不死であっても不思議ではないし、不老不死が実現すれば、生存欲求を満たすための争いは根絶されるだろう。死後がなくなるのだから、死後の安息を謳う宗教は意味を成さなくなり、宗教間の諍いも消えるだろう」

「それじゃ、問題ないじゃないか。救済になっているんじゃないのか?」

 総ての人間が死なない世界が実現すれば、死に脅える多くの人々は救われる。無残な死に方をする必要はなく、餓えに苦しむこともない。

「死なないということは、永遠に奴隷として扱われる者もいるかもしれない。不老不死の世界で、人間社会がどのような形になるか分からないが、完成した世界は変化を忘れ、時間すらも停止することだろう。格差の固定化は、結局のところ虐げる者と虐げられる者とを永久に別つことにもなりかねない。こうした問題は、生存欲求に根ざしたものではないから、不老不死で解決するとは思えん」

「な、なるほど。……なんか、理想社会(ユートピア)みたいだな」

「完全無欠の管理社会を実現するということで言えば、確かにそういった見方もあるのだろうな」

 天草四郎の目指す平和の先には、人類の発展はない。足りないもののない社会は一見して理想的であるが、人間は自己の自由を失い、意欲を失い、次第に枯れていくことであろう。

「気味の悪ぃ世界だ。そんなつまらん世の中なんて、吐き気がするぜ」

 “赤”のセイバーは忌々しそうに吐き捨てる。

「第一、全人類に不老不死を与えるとなれば、相当の魔力を使うはずです。魔法に到達するのと同義ですからね。一人ですら、聖杯の許容量ギリギリだというのに」

 ルーラーは不安そうな顔をして呟く。

 本来、聖杯戦争で降臨する聖杯は七騎のサーヴァントの魂を生け贄にして根源への道を切り開くことを目的として製作されている。有象無象の願いならば、完成させなくても叶えるだけの力があるが、根源に到達するには七騎全員の魂が必要である。たった一人を魔法に到達させるだけでも、それだけの膨大な魔力が必要になるのだから、全人類に適用するとなれば、一体どれほどの魔力が必要になるのか。聖杯の能力を大きく超えている願望だとしかいえない。

「じゃあ、結局総ての人間を不老不死にすることはできないの?」

 “黒”のライダーの言葉にルーラーは首を振って答える。

「そうとも言えません。足りなければ他所から持ってくるというのはどの世界も同じです。魔力が足りないのならば、別の場所から調達するでしょう。霊脈の一つや二つ、枯らしてしまうかもしれませんが」

「冗談じゃない! 霊脈を枯らすなど、魔術に影響するだけじゃ済まんぞ!?」

 ゴルドは信じ難い暴挙だとばかりに怒鳴る。

 霊脈は自然にある魔力の流れであり、それが滞留する場所が霊地となる。川の流れのようなものであり、世界中を循環しているものであるが、霊脈が枯れるのはその土地の死にも等しい重大事である。魔術の使用が困難になるだけでなく、生態系が崩壊する可能性すらもある。

 衰退しつつある一族の集まりであるユグドミレニアの魔術師にとっては高位の霊地を確保することは至上命題でもある。聖杯がルーマニア国内で発動する以上、ユグドミレニアの本拠地であるトゥリファスほか、関連する土地にも多大な悪影響が考えられる。

 人類の救済など興味はないが、魔術の可能性が潰えるかもしれないとなると声を荒らげざるを得ない。

「グダグダ話したって埒が明かねえ。アイツラの目的が何であれ、聖杯を獲るには倒さなくっちゃいけねえんだろ? だったら、あの神父の目的を議論してても仕方ねえんじゃねえか?」

 “赤”のセイバーがつまらなそうに言い切って、議論の流れを修正する。言葉は乱暴であるが、彼女の言うとおり、これから自分たちがするべきことは、四郎の目的の如何に関わらず“赤”の陣営との決着を付けることである。

「確かに、セイバーの言うとおりだ。そこで、マスター。どのようにあの空中要塞に立ち向かうかということに焦点を絞った議論にするべきだと思うがどうだろうか?」

 同意したアーチャーは議論の主導権をフィオレに渡すべく、あえてフィオレに問う。フィオレは頷いて、敵地へ乗り込むための議論に話題を変えることとした。

「しかし、追いつくにしても位置を特定しないことには乗り込むこともできません。ルーラー。あなたは、空中要塞の位置が特定できますか?」

「そうですね。わたしは特に聖杯との縁が強いサーヴァントですから、大まかな位置は離れていても特定は可能です。ですが、特定できたとしても、乗り込む手段がない」

 空中要塞は文字通り空に浮かぶ大宝具である。規格外の巨大さに加えて、はるか高高度にまで上昇されては襲撃するのも困難になる。

「僕のヒポグリフならびゅーんって行けるんだけど」

「サーヴァント全員を連れていけますか?」

「無理。戦車は持ってきてないし、一人が限界かな」

 飛行能力を持つ唯一のサーヴァントである“黒”のライダーは、弱小英雄。当然ながら、単騎で敵地に乗り込んで成果を挙げられるはずもなく、何かしらの手段でサーヴァント全員を運ぶ必要があった。

「アーチャー。あなた、飛行宝具は出せませんか?」

「無茶振りが過ぎるな、マスター。出せたらライダー相手に白兵戦などしていない」

 無数の宝具を操るアーチャーであるが、何でも出せるというわけではない。彼が扱えるのは基本的に白兵戦用の武器に限られ、それから離れれば離れるほど精度が低下していく。飛行宝具など、手持ちにあるはずもなかった。

「では、やはり飛行機しかありませんか」

「現実的には飛行機だけど、向こうにもアーチャーがいるのよ。それはどうするの?」

 色々と考えて、結局は文明の利器に頼らざるを得ないという結論をフィオレは導き出したが、セレニケは“赤”のアーチャーの存在を指摘する。

 人間が引く弓矢では、鉄の塊である飛行機を落とすなど夢のまた夢であるが、サーヴァントの放つ弓矢はミサイルに匹敵する威力と精度を持つ。飛行機を落とせない理由を探すほうが難しい。

「しかし、飛行機以外に移動手段がありません。“赤”のアーチャーへの対策は後々考えるとして、方向性としてはこのような形でよろしいですか?」

 フィオレの確認に、各サーヴァントとマスターは首肯した。

 まだ突き詰めるべき点はあるものの、飛行機以外の代案がない以上は、飛行機をどのように運用するのかという方向で話を進めるべきであった。

 聖杯大戦を終結させるために、これから命を賭して戦わなければならない。

 万全を期して挑んだはずの戦いが、あれよあれよという間に長は死に、最強のサーヴァントを失い、聖杯まで奪われるという劣勢に立たされた。敵はイレギュラーであり、極めて強大である。さらに、長を失った一族を立て直さなければならないとなれば、フィオレに休んでいる時間はない。

 窓から曙光が差し込むに至って、時の流れを知る。

 長い夜が明け、入ってきた朝の日差しに目を細める。それから、マスターとサーヴァントに目配せをして、議論を尽くしたと判断したフィオレは、ここで一旦解散することとした。

「それでは、朝になったことですし、今回はここまでとしましょう。朝食を摂りたい方は食堂へ、お休みになりたい方は空いている部屋をご自由にお使いください」

 フィオレは疲れを見せることなく、微笑んだ。

 空気が弛緩して、それぞれの視線がフィオレから外れる。

「よし、アーチャー。朝食だ。朝食!」

 開口一番、ライダーが飛び跳ねるようにして立ち上がり、アーチャーに言った。

「作れと?」

「だって、一番上手いのはアーチャーじゃないか。まあ、疲れてるだろうし、無理なら冷蔵庫漁るだけでいいけど」

「いや、いい。君では食材を荒らすだけだろう」

 ため息をついてアーチャーは朝食作りを請合った。食材を無駄使いされるような事態はなんとしても避けなければならない。

 

 

 

 

 料理は掛け算だ。

 ただ目の前にある材料を口に放り込むだけでは足し算にしかならず、場合によっては引き算ともなる。しかし、正しい過程を経て完成した料理は、食材の味を足し合わせるのではなく、互いに引き立てあう相乗効果によってより高い次元に到達する。

 己が信念を表すかのように、“黒”のアーチャーは豪快に中華鍋を振るった。

 チャーハンの香ばしい香りが食堂に満ち溢れ、聞くだけで食欲をそそる油の跳ねる音が小気味よく響いている。

「なんだこのメシ、うめえッ」

 感動を露にしてガツガツと口に料理を放り込むのは“赤”のセイバーである。

 料理と聞いて目を輝かせたセイバーは、獅子劫を連れ立って食堂に来ていたのである。結局、食堂に顔を出したのは馴れ合いは好まないと工房に向かったセレニケと自分の仕事に取り掛かったゴルド主従以外の面々であった。フィオレも慎ましくジャムパンを口にしている。

「姉ちゃん、それだけでいいのか?」

 カウレスは小食な姉を気遣って声をかける。

「昨夜十分食べたから、いいの」

 フィオレはそう言ってパンをちぎって口に運ぶ。

 普段は夜食も摂らないフィオレだが、昨夜は別であった。アーチャーへの魔力供給量を僅かでも確保しようと、夜のうちに軽食を摂っていた。ホムンクルスの補助があるので、微々たるものであったが、フィオレの魔力が潤沢であるほうがいい。もちろん、食事を摂ったからといって即座にエネルギーになるわけでもないので、気休めにしかならないが、できる範囲でサポートするのもマスターの役目である。

「ふぅん、そうか。姉ちゃん、気にするほど重くな……」

「――――カウレス?」

「俺、バーサーカーのとこ行ってくるから」

 失言に気付いたときには、フィオレは氷の微笑で弟を射抜いていた。カウレスはそうそうに逃げ出そうと、自分のサーヴァントの下に慌てて去って行った。

 そんな弟の背中を見送って、フィオレは眉根を寄せる。

「まったく、失礼するわ」

 魔術師とはいえ乙女である。体重を気にするのは当然のことで、ましてフィオレは運動ができる身体ではない。出て行くものが少ない分だけ、摂取量を調整するのは当然の配慮であった。

 しかし、口に出すことはないものの思い切り食べてみたいという気持ちもある。

 フィオレは恨めしそうな視線を密かにどか食いするサーヴァントに向ける。

 “赤”のセイバーと“黒”のライダー、そして実はかなりの量を平らげているルーラーの三騎。ライダーは容姿はともかく性別は男だからまだいいとして、他の二騎は女性でありながら健啖家でもあった。サーヴァントはいくら食事を口にしても太ることはない。総て魔力に変換されるからである。少し、いや非常に羨ましいと思わざるを得なかった。

 “赤”のセイバーは、フィオレからの恨みがましい視線を気にも留めず、見せ付けるかのように料理を口に放り込んでいく。

 朝食というにはボリューム満点に過ぎるが、サーヴァントの胃は頑丈である。美味いものはいつでもいくらでも食べられる。

「なんつーか、あれだな。イメージ壊れるな」

 もきゅもきゅとフィッシュバーガーを頬張りながら、セイバーは横目で調理担当のホムンクルスを指導するアーチャーを見た。

「そうですね。意外にもエプロンが似合うところがなんというか負けたような気になってしまいます。あ、これ美味しい」

 ルーラーは、鮭のムニエルに舌鼓を打つ。すでにずいぶんと食べてしまったが、まだまだいける。飽きない。心の奥底で、レティシアが不安そうにしているが、美味しい料理を前にして食べないというのは行儀が悪いと言い聞かせて食べる。

「うん、アーチャーは“黒”が誇る料理人だからね。しかたないね」

 二騎に追随するライダーもシュウマイを纏めて三つ飲み込むようにして食べた。

 朝から胸焼けのする光景に、“赤”のセイバーのマスターである獅子劫もまいったようにコーヒーブレイクに突入した。

「そうだ、ルーラー」

 獅子劫は正面に座るルーラーに声をかけた。

「なんですか。今、忙しいのですが」

「スプーンを置けばいいだろ。結構大事な話だぞ」

「む、仕方ありません」

 ルーラーは食事への心残りを明らかにしつつ、スプーンを置いて獅子劫の話を聞く体勢を整える。

「ま、難しい話じゃねえ。せっかくだから例の約束を履行してもらおうと思ってな」

「お、そうだ。忘れそうだったぜ。ルーラー、約束どおり令呪くれよ」

 獅子劫の言葉を聞いて、“赤”のセイバーもルーラーに約束の履行を要求する。

「ぐ、く。覚えていましたか」

 ルーラーは嘆息する。獅子劫と“赤”のセイバーは揃ってにやりと笑みを浮かべた。

 しかし、そこに割って入ったのはライダーだった。

「ちょっと待ってよ。令呪くれって何さ」

「ん。そりゃ、“黒”のキャスター討伐のときに、協力する対価に令呪を一画寄越せって話をしたんだよ」

「なんだよ、それ。ずるいじゃないか。それだったら、僕らにも令呪を一画くれてもいいんじゃない?」

「えッ!?」 

 ルーラーは、目を見開いてライダーを見る。

「なるほど、そういえばそのような話をしていたなルーラー」

 いつの間にかルーラーの背後にやって来ていたエプロン姿のアーチャーが、ルーラーを見下ろしていた。

「あ、アーチャー……?」

「ライダーの言うとおりだ。特定のサーヴァントを利するのはルーラーとしてどうかと思う。であれば、これから共に“赤”の陣営に挑むためにも平等に令呪を配付するのが最良だと思うがどうかな?」

「な、なぁッ。だ、ダメです。これは、大切なもので」

 そこに、話を聞きつけたフィオレが車椅子でやって来る。ルーラーは一瞬助け舟が来たかと喜んだが、すぐに敵であることを悟った。

「ルーラー、まさかわたしたちに協力要請をしておいて、“赤”のセイバーだけに契約料を支払うような真似はしませんよね」

「ぐぬ、ぬぅ……」

「ルーラーとしての職務はよく理解していますが、そもそも敵にもルーラーがいるのです。事態が事態だけに、もはや全サーヴァントを平等に扱うという形式は崩れています」

「それは、そうですが……」

「官軍は我々ですよね。令呪は戦略的にも戦術的にも重要です。世界を守るためにも、合理的に判断したほうがいい段階にきているのではありませんか?」

「ぐ、うぬぅ……」

 四面楚歌の状況で、ルーラーは俯く。

 ルーラーとしての責任もあるが、“赤”の陣営との戦いも重要。そして、負ければ世界は塗り替えられて取り返しの付かないことになってしまう。

 さらには“赤”のセイバーとの約束も破るわけにはいかず、しかし履行すると“黒”の陣営からは不満が出る。

 ぐるぐると回る思考のドツボに、ルーラーは陥っていった。

 

 

「う、ぐす。わたしは、ルーラーなのに……」

 さめざめとした様子のルーラーに対してマスターたちはご満悦である。

 結果として令呪の移譲は滞りなく行われた。

 一画ずつ移植されたことで、獅子劫とカウレスの腕には三画、フィオレの腕には四画の令呪が存在することになる。ゴルドとセレニケにも後で移譲することになった。今となっては“黒”のサーヴァントをルーラーが処断する機会も訪れないと思われ、令呪はブースターとして使用するほうがいいとなれば、悪い判断ではなかっただろう。

 カウレスだけは、少々申し訳なさそうにしつつ日本料理だという卵焼きを食べていた。

 言いだしっぺの“赤”のセイバーは満足げに笑みを浮かべて、獅子劫の完全な形を取り戻した令呪を眺めていた。それから、アーチャーに視線を向けた。

「ところで、アーチャー。お前、未来の英霊なんだってな」

 “赤”のセイバーの言葉に、一瞬食堂内が静まった。

「それがどうしたのかね?」

「確かに英霊は時代に関わらず召喚される可能性があるけどよ、未来の英霊がサーヴァントになるってのはレアケースだろうよ」

 アーチャーの正体については、天草四郎が暴露してしまっているので、今更隠すまでもない。しかし、未来の英雄であることが分かっても、その経歴は分からないのである。聖杯が与える知識は、召喚された時代までのあらゆる英雄の知識を持っているが、未来はカバーしていない。

「“赤”のセイバー。確かに興味があるかもしれませんけど、わたしたちがアーチャーの素性を話す必要はありますか?」

 フィオレが、声を抑えるようにして言う。

 “赤”のセイバーは当然だと、声を大にして言い切った。

「前に戦ったとき、コイツはオレの真名を言い当てた。オレの兜は真名を秘匿する力があるにも拘らずだ。これから協力していくってのに、そんなんじゃ不信感を抱いてもしかたないだろう?」

 違う。

 不信感を抱くなどということはセイバーにはない。表情を見ていれば分かる。しかし、アーチャーが自分の素性を語っていないのは、フィオレ以外の“黒”の陣営も同じである。内部に好からぬ罅を作りかねない。

 フィオレはアーチャーと目配せし、ため息をついた。もはや、記憶喪失では納得させることはできないだろう。

「私が君の真名を知っている理由は簡単だ。もともと君の顔を知っていたからだよ」

「あ?」

 アーチャーが“赤”のセイバーと戦った際には、兜の宝具(シークレット・オブ・ぺティグリー)の効果を使っていたとはいえ、兜そのものは外していた。確かに、アーチャーが彼女の素顔を見ることは可能である。

 しかし、

「未来の英霊がオレの顔を知っているってか。ありえねえ」

 “赤”のセイバーが生きた時代はアーチャーが生きた時代はあまりにも異なる。顔を知っているなどということは、常識的にありえない。

「アーチャー。きっちり答えろよ」

「別にありえなくはないだろう。現に、ここで私と君は顔を合わせているではないか」

「は……?」

 セイバーはぽかんとし、獅子劫は小さくなるほどな、と呟いた。

「要するに、聖杯戦争に参加したことがあるんだな。マスターとして。生前に」

「そういうことになるな」

 驚いたのは、セイバーだけではなかった。

 食堂内で耳を傾けていたほかの面々も驚愕を露にした。

「じゃあ、アーチャーはこれからこの戦いがどうなるか知ってるのか? 未来の英雄なんだろ?」

「生憎だがな、ライダー。この世界は私が生まれ育った世界とは異なる流れの中にある。よって、私が未来の知識を持っているわけではない。言うなれば、私は並行世界の未来から召喚された存在ということだな」

「並行世界だって?」

「私の世界では聖杯戦争は冬木以外では行われなかった。第三次聖杯戦争でダーニックが聖杯を奪えなかったからだ」

 今、世界中で聖杯戦争が行われているのは、ダーニックが冬木の聖杯を奪ったときに術式の一部が漏洩してしまったからである。

 ダーニックが聖杯の器盤を奪えなかった世界では、聖杯の術式が外に出る機会がなかったために、その後も第四次、第五次と聖杯戦争が続いていたのである。

「で、お前はコイツを召喚したってのか?」

 獅子劫は親指でぞんざいにセイバーを指した。マスターの行為に不快そうに顔を歪める。

「いや。私が召喚したのは“赤”のセイバーではない。が、顔立ちは驚くほど似通っているな」

「テメエ、まさか……」

「そのまさかだ。私はアーサー王を『セイバー』として召喚した。二週間ばかりだったが、大きな刺激になったよ」



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二十九話

 獅子劫界離と“赤”のセイバーは、正午になる前には“黒”の陣営から離れて独自行動を再開していた。今後、“黒”の陣営を協調路線を取るとはいえ、心から信用できるというわけではなく、何れは聖杯を巡って争う間柄である以上は必要以上に深入りしてはならないと戦場で生きてきた傭兵の勘が告げていた。

 状況からして寝首を掻かれることはないだろう。

 しかし、信用もされなくなるだろう。共に活動していれば、「こいつらは何を考えているのだろうか」と、疑いの視線を向けられることとなる。そうなれば、対“赤”の陣営という構図の中に、表面化しない内部抗争の図式が生まれてしまう。その小さな罅が、後々致命的なものになる可能性が否定できないからには、互いに適度な距離を保つ必要があると判断したのである。

 美味い飯と高級ベッドには、後ろ髪を引かれるのだが、敵地であることを忘れて牙を抜かれては話にならない。

 ただ、令呪とトゥリファスを自由に行動できるようになったことを収穫とすべきであろう。

 獅子劫は車を走らせて、石造りの街並を通り抜ける。

 さすがにユグドミレニアは金があると見えて、使わない車を一つ譲ってもらえたのである。

 獅子劫はハンドルを握りつつも、助手席でアンニュイな雰囲気を醸し出している自分のサーヴァントに視線を向けた。

 セイバーは窓際に頬杖をついて、外を眺めている。

 元気ハツラツとした雰囲気が鳴りを潜めて、すっかり物静かになってしまった。正直に言えば、非常にやりにくい状況である。

「アーサー王があのアーチャーに召喚されたことが気になるのか?」

 意を決して、獅子劫はセイバーに尋ねた。

 アーサー王。

 六世紀ごろにブリテンを治めたとされる伝説的な騎士王。その栄枯盛衰は文学作品として中世以降大いに西洋諸国を熱狂させ、一時は廃れたこともあったものの、十九世紀ごろからは再び人気を取り戻して今となっては世界的に知れ渡っている。

 英霊としての格は最高位と言っても過言ではないだろう。

 『セイバー』として召喚するのであれば、まず真っ先に名前が挙がるサーヴァントに違いなく、そして『セイバー』として召喚できれば、間違いなく最強クラスのサーヴァントとして猛威を振るうのは想像に難くない。

 アーサー王は、円卓の騎士を率いた正真正銘の王であり、自らも一騎当千の武人であった。

 ブリテン島の外から押し寄せる数多の蛮族を討ち果たし、衰退しつつあったブリテンに栄光と繁栄をもたらした奇跡の王にして、朋友たるランスロットと后のグィネヴィアとの不倫から始まりモードレッドの反乱によって国を滅ぼされた悲劇の王でもある。

 “黒”のアーチャーが生前に参加した冬木の聖杯戦争では、アーサー王をセイバーのサーヴァントとして召喚したという。

 しかも、彼はセイバーと共に最後まで生き残り、汚染された聖杯を破壊して聖杯戦争のすべてに決着を付けたというのだ。

 この世界では決して行われることのない第五次聖杯戦争。

 『セイバー』はアーサー王。

 『アーチャー』はギルガメッシュ。

 『ランサー』はクーフーリン。

 『キャスター』はメディア。

 『ライダー』はメドゥーサ。

 『バーサーカー』はヘラクレス。

 『アサシン』は佐々木小次郎。

 名前を聞くだけで、頭が痛くなる面子である。

 現在行われている亜種聖杯戦争では、アーサー王が参加しただけでほとんど勝敗が決まったも同然となる。

 著名なサーヴァントを召喚するための触媒の値段は高騰し、争いの中で散逸してしまっているから、高位のサーヴァントそのものが召喚しにくい環境になっているのである。

 しかし、“黒”のアーチャーが生きた世界はそのようなこともなく触媒の用意は比較的容易だったとはいえ、参加したサーヴァントはどれも超一級のサーヴァントである。

 佐々木小次郎は、この中では格下であると言わざるを得ないが、しかし剣技だけはアーサー王を凌いだというのだから驚きである。

 敵が敵だけに多大な苦戦をしたという。しかも、マスターであった“黒”のアーチャーは満足に魔力を供給することすらも儘ならない三流以下の魔術師であったらしい。その状態で、超一級のサーヴァントが集った聖杯戦争によくもまあ勝利できたものだ。

 獅子劫の問いにセイバーは軽く頷いた。

「気にならねえっつったら嘘になるな。まあ、父上は最上級の英雄だから、サーヴァントとして召喚されるのは当たり前のことだ」

「へえ、意外に冷静なんだな」

「ふん」

 獅子劫にとって意外だったのは、セイバーがアーチャーの話を聞いた後で、すっかり大人しくなってしまったことであった。

 セイバーが父に抱く感情は一言では言い表せないものであり、彼女の性格からすればアーチャーの経験談に影響されて大騒ぎになる可能性を危惧していたのだが、まったく正反対の空気に獅子劫は困惑するばかりである。

「だが、よかったじゃねえか」

「あ?」

「お前の目指すところはワールドランクでトップだったってことが証明されたんだからよ」

 アーサー王は大きな足枷をされながら、超一級のサーヴァントが集った聖杯戦争で勝ち残った。聖杯そのものは降臨した時点で使い物にならなくなっていたものだから破壊したというが、その判断の如何は問わず、勝ち残ったという事実は、セイバーにとってモチベーションを上げる要因となるはずである。

「父上が聖杯戦争に勝ち残ることに疑問はねえ。ただな……」

「なんだ?」

「あの父上が、魔術師共が用意した聖杯なんぞを使って何をしようとしていたのかなってな」

「アーチャーに聞けばよかったじゃねえか」

 セイバーは答えず窓の外に視線を戻した。

 確かに、アーチャーに聞けばアーサー王の望みを知ることができるだろう。しかし、セイバーはあえてアーチャーに尋ねなかった。そこには、彼女なりの複雑な理由があるのであろう。

 獅子劫は、その日はそれ以上アーサー王の話題を出さず、聖杯戦争とは異なる話題でコミュニケーションを取ることに終始した。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 知らない街並の中に、わたしはいた。

 街角を吹き抜ける風は冷たく、雪はなくとも真冬の一風景であると理解できた。

 立ち並ぶ家々には近代的なデザインが多いものの、石造りの街並の中で育ったわたしには文化の違いが新鮮だった。

 主人公は赤毛の少年だった。

 わたしよりも少し年下であどけなさが残るものの、きちんと鍛えているのだろう。バランスのよい筋肉のつきかたをしているのが制服の上からでも見て取れた。人体工学を得意とするわたしは、そういった身体的特徴を把握する術に長けているのだ。

 そしてどうやらここは日本らしい。

 詳しくは知らない遠い異国。魔術師の世界では、聖杯戦争発祥の地として知られているし、それ以外ではサムライ、ゲイシャ程度の単語を時々聞くくらいだ。

 しかし、話に拠れば今回の聖杯戦争の黒幕である天草四郎時貞は日本の英霊だし、自分が召喚したアーチャーのサーヴァントは日本人だったという。

 となれば、きっとこれはアーチャーの記憶だろう。

 ここはアーチャーが生まれ育った街。並行世界の冬木市なのだと思う。

 サーヴァントとのパスを通して、マスターはサーヴァントの記憶を夢見ることがあるという。

 意識的にカットすることもできるが、アーチャーの過去には興味がある。申し訳ないが、このまま見させてもらおうと、意識を調整する。

 よりクリアになっていく視界、その一方で映像にはラグが走り、時折ブレーカーがチャンネルが変わるかのように場面が切り替わる。アーチャーの記憶が磨耗しているという話は間違いではなかったらしい。

 「衛宮」と呼ばれる少年は、一見すればアーチャーとは似ても似つかないのだが、眉や目元にどことなく面影がある。この少年が、後々英雄として語り継がれることになるのかと思うと不思議だ。

 それにしても、魔術師として三流だったというアーチャーの言葉は正しかったらしい。強化の魔術すら満足にできないどころか、魔術回路の扱いからしてなっていない。彼がやっているのは、いたずらに自分の身体を痛めつけるだけの狂気の沙汰だ。魔術の修行にすらなっていない。自殺志願者と言われても、わたしは納得できるだろう。

 夢の中に度々出てくる「正義の味方」というキーワード。

 おそらくは、これがアーチャーの根幹に関わるのだろう。

 そして、場面は急速に切り替わっていく。

 夜の学校で、ランサーのサーヴァントに殺害されたこと。それを誰かに救われたこと。そして、そのときに拾った宝石が、わたしがアーチャーを召喚した触媒になっていたということ。あまりにも唐突に聖杯戦争に巻き込まれた未熟者は、自宅で再びランサーの襲撃を受ける。

 逃げ回る彼は必死になって敷地内の倉庫のような建物に逃げ込んだ。

 だが、そこは死地だった。

 逃げ場のない建物の中ではランサーから逃げ切ることはできない。

 ついに追い詰められた少年は、それでもランサーに向き合った。サーヴァントに殺意を向けられて、凶器を突きつけられていながら、少年の意志は砕けなかった。

 それが、わたしには信じられなかった。鋼のような意思が、どこからやってくるのか理解できず、そしてそれでもランサーには敵わないと分かっていたから、無駄と知りつつ止めに入ろうとしてしまった。 

 突き出される槍に、万事休すかと思ったそのとき、突如湧き上がった魔力の輝きと共に現れた一人の騎士が少年を救った。

 月光を背景に振り返る騎士はこの世のものとは思えないほどに美しかった。

 “赤”のセイバーに酷似したその顔を見れば分かる。

 これが、アーサー王。

 アーチャーがかつて召喚した、セイバーのサーヴァント。

 騎士王は尻餅を突いた少年に、問いかける。

 

 

「問おう。あなたがわたしのマスターか」

 

 

 それは、運命の幕開けだった。

 アーチャーが語ったとおり、聖杯戦争は苦戦の連続だった。断片的に覗き見た戦いは、どれも尋常のものではなく、わたしたちの聖杯大戦にも匹敵する戦いを街中で行うのだから信じられない。さぞ、隠蔽工作が大変だったことだろう。 

 少年はなんとか聖杯戦争を生き残り、汚染された聖杯を破壊してアーサー王と別れた。

 輝く日々を印象付けるような最後だった。

 だが、彼の人生の中で聖杯戦争は運命の序章に過ぎなかったのだと理解させられた。

 魔術の研鑽のための渡英。

 それは、魔術の世界に身を浸した人間ならば誰もが目指すところだろう。それ自体にはおかしなところはない。ロンドンの時計塔は、魔術を学ぶ上では最高の環境が整っている。彼自身は時計塔に入れるだけの力はないが、その師匠となった遠坂の令嬢の付き添いという形ならば関わることはできる。

 もしも、時代や世界が同一だったなら、彼と魔術協会で出会うこともできたかもしれないと思うと奇妙な感覚に囚われる。

 ロンドンで、彼は魔術の研鑽に励んだ。

 しかし、魔術師たちの中にあって彼はあまりに異質だったし、彼自身も魔術そのもののあり方には興味がなかった。

 「正義の味方」を実現するために、ひたすら生きた彼は引き止める友人たちに背を向けて戦いの日々に身を投じた。出口の見えない戦争の中を駆け回り、一人でも多くの人を救おうと腐心した彼は次第に多くを大のために小を斬り捨てる冷酷な判断を下すようになっていった。

 見たことのない現代の戦争の悲惨な光景に吐き気がする。

 諸悪の根源を潰すことで、安定を目指した彼は、いつの間にか悪人として世界に名を知られるようになっていった。その過程を飛び飛びながら追体験させられたわたしは、もう限界だった。

 なぜ、人を救いたいと真摯に願い続けた彼が、こんな目に合わなければならないのか。どこで歯車が狂ってしまったのか。

 目を背けることもできず、わたしは夢が覚めることをただ願いながら、過ぎ去っていく血塗れの日々を見続けた。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 まったく困ったことになったものだ。

 ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアは苛立ちを隠しもせずに頭を掻き毟る。

 彼がいるのは貯水槽が立ち並ぶ部屋である。

 ホムンクルスから魔力を搾り取り、サーヴァントたちに供給する発電所かつ送電施設とも言うべき場所であったが、今となっては見る影もなく、天井は崩れ落ち、瓦礫によって多くの貯水槽が押し潰されていた。

 “黒”のキャスターがやらかした破壊行為によって魔力の生成量は最盛期から七割減はするだろう。

 今は、緊急措置としてパスをすべてマスターに接続しているが、今後もしばらくはこの状態を続けなければならないだろう。

 ゴルドは優秀な魔術師だが、それでも大英雄を全力で戦わせるとなると何かしらのバックアップを用意しなければ耐えられるかどうか分からない。相手は大聖杯と接続しているために魔力量が無尽蔵になっていることもある。

 よって、ゴルドの役目は低下した魔力生成量を何とかして上昇させることにあった。

 セイバーは室外で霊体化させている。こうなった以上は魔力の消費量を抑えてもらわなければならない。それが、ゴルドにとっては腹立たしい。想定外な事態が起こりすぎていて頭が回らない。まったく予定通りに進まない。自分の知恵を結集した貯水槽を容易く破壊され、敗北の二文字がちらつく状況で、ゴルドは足掻かなければならない。どこかで諦め癖のついていた中年には、今更死に物狂いで足掻くなど滑稽にしか思えないが、しかし、そうしなければ、本当に死ぬ。“赤”の連中に殺されるか、それとも魔術協会に殺されるかは分からないがどちらにしてもまともな最期を迎えることはあるまい。

 ならば、自分が出来る範囲の足掻きくらいはみせてやろうとゴルドは修復作業に入る。

 貯水槽そのものは魔術を使えばすぐに元通りにすることができる。

 壊れた机も椅子も直すのに苦労することはない。

 問題はホムンクルスの確保だ。

 魔術師型のホムンクルスは、魔力の生成効率はいいものの生み出すのにそれなりの時間がかかる。ならば、別の手段で代用するしかない。魔力の生成効率を無視して、量産しやすい生物に切り替える。魔術の実験によく用いられる犬猫の類、いや、もうここまできたらいっそ動物の形をしている必要もない。極端に無駄をそぎ落とし、実用主義を貫こう。魔術回路を備えた肉の塊でいいと割り切れば、それなりの数を用意することはできるだろう。

 長時間の戦闘には耐えられないが、決戦を下支えすることは可能なはずだ。

“なぜ、この私がこのような雑な仕事をしなければならんのだ”

 ゴルドとて錬金術師としての誇りがある。

 肉塊をひたすら生成するなどという誇りも何もない仕事をしなければならないのか。

 名誉ある戦いだったはずなのに、自分のそれまでのすべてが否定されているかのようであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 フィオレが眠りに就いてからしばらく経った。

 目覚めるころには、日が暮れているに違いない。昼夜逆転の生活は身体によくないのだが、と心配しつつ廊下を歩く“黒”のアーチャーを呼び止めたのはルーラーであった。

「アーチャー。……と、ライダーもそこにいましたか」

「おまけみたいに言わないでもらえる?」

 廊下の曲がり角からひょっこりと顔を出した“黒”のライダーは、不機嫌さを隠しもしないでやってくる。

 それから、ルーラーはきょろきょろと見回して、

「“黒”のセイバーはどこにいるか分かりますか?」

「彼ならばマスターの護衛をしているだろう」

「なるほど、では彼に後で伝えるとします」

「何か私たちに用事でも?」

「あなた方がここから救い出したホムンクルスの少年から言伝を預かっています」

 ルーラーの言葉にライダーは飛びかからんばかりに詰め寄る。

「なんだって!? あいつは無事なのか!? なんでルーラーが知ってるんだよ!?」

「ちょ、ちょっと。落ち着いて、きちんと話しますから」

 ルーラーに詰め寄るライダーの襟首をアーチャーは掴み、引き戻す。

「ルーラー。どういうことだね。君は彼と面識があるのか?」

「はい」

 ルーラーは頷いて続けた。

「彼とはミレニア城塞の外に逃げていたところで出会いました。今は、ホーエンハイムと名乗って、街の教会で寝起きしています」

「ホーエンハイム、か。なるほど、ホムンクルスにかけたか」

「街で元気にしているとあなた方に伝えるよう頼まれました。感謝していると」

 ライダーは大きく頷いて、笑った。

「そっか。あいつ、元気にしているのか。それはよかった! なあ、アーチャー!」

「そうだな」

 それはもう、心から嬉しそうにしてライダーは笑った。

「ホーエンハイムか。そうか、いい名前だ」

 新たな名を得た無垢な少年は、残りの短い人生の中で何を得るのだろうか。

 ホムンクルスである以上、人並みに生きることは許されない。もとより、長く生きることを想定されていないから、三年も持てばいいほうだろう。それは何かを学ぶには短すぎる。何も得ないまま人生を終える可能性のほうが高い。

 しかし、ライダーはそんなことは構わなかった。

 ただ、生きて元気にしてくれていればそれでいい。所詮は死した存在である自分が、この世に何かを残せるのならそれに越したことがない。エゴかもしれないが、彼が彼の人生を全うしてくれることを祈るばかりである。

「きっと、セイバーも喜ぶ。うん、今すぐ教えに行こう」

 ライダーはそれまでの不機嫌そうな顔を一変させて、すっかり上機嫌になってセイバーの下に向かう。

「言伝はわたしが頼まれたのですから、わたしも」

 と、ルーラーもその後に続いた。

 アーチャーはその後姿を見送った後で踵を返して廊下を歩いていった。

 

 

 それから数時間。

 日が暮れた後で、フィオレは目覚めた。

 ベッドから身体を起こした後で顔にかかった髪をかきあげた。

 アーチャーの記憶を見た。英雄の記憶は華々しいものだと、心のどこかで思っていたが、現代人である彼にそれは求めることはできなかった。なるほど、彼の人生は英雄と呼ぶに相応しいものだった。誰かのために自分を犠牲にし、自分は何も求めずにただ戦い続けた。

「聖杯戦争の記憶だけでよかったわ」

 大英雄が集った彼の聖杯戦争。

 神話に語られる英雄を見る機会はこのような場合以外にはない。彼は高校生の頃に名だたる英雄たちを相手に立ち回ったのだから、それは大きな経験になったことだろう。

「アーチャー。そこにいますか?」

 声をかけてから数秒、部屋の外の気配が室内にまで移動してきた。実体化したアーチャーは、普段と変わらない様子でフィオレの傍にやってくる。

「目覚めたようだな、フィオレ」

「ええ、ずいぶんと長く眠ってしまったようで。その後、何か大事ありませんでしたか?」

「いいや。これといった変化はない。今のうちに休憩しておいて、英気を養うのは悪いことではないだろう」

 自分が寝ている間にトラブルが起こっていないかと心配したのだが、そういうこともないらしい。

「ところで、君はよく眠れたのか?」

「どうして、そのようなことを聞くのですか?」

「どうにも、顔色が優れないように見えるからな」

 顔に出ていただろうか。

 フィオレは自分の顔に軽く手を当てて、意外そうな顔をする。

 夢見が悪かったのは、アーチャーの記憶を見たからだ。

「アーチャー。あなたは生前、聖杯戦争に参加しましたよね」

「それは以前言ったとおりだと思うが。“赤”のセイバーにも、大まかに説明したではないか」

 フィオレもその場にいたのだから、アーチャーがどのような説明をしたのかは知っている。主に、自分のサーヴァントであったセイバー(アーサー王)の活躍に焦点を絞ったものであった。アーチャーの夢を見たフィオレは、断片的ではあるが、彼が関わった聖杯戦争の流れを視認している。

 そして、彼の説明に矛盾があることも理解している。

「ですが、『アーチャー』についてはギルガメッシュと事実と異なる説明をしましたね」

 アーチャーは、自分の経験した冬木の聖杯戦争に参加した『アーチャー』のサーヴァントを英雄王(ギルガメッシュ)としていた。しかし、フィオレの夢に出てきた『アーチャー』は、ギルガメッシュとは別のサーヴァントであった。

「なるほど、君は私の記憶を見たのか」

「はい」

「まあ、隠し通せるものでもないが、奇妙な話なのでな」

「確かに、それは思います」

 過去の自分と未来の自分が出会う。有史以来そのような経験ができた人間がどれくらいいるだろうか。少なくともフィオレの記憶には、そのような話は聞いたことがない。

「英霊になれば、時間に囚われないからな。未来に呼ばれる場合が多いが、私のように過去に呼ばれることもある。聖杯戦争に生前関わっていれば、出会うこともあっただろう。正直、見ていられなかったよ」

「それは、なぜ?」

「好き好んで未熟以外のなにものでもない過去の自分と言葉を交わしたいとは思わないだろう。君とて、幼い頃の失敗や後悔をもう一度直に見つめろといわれればいい思いをしないはずだ」

「……そうですね。確かに」

 昔書いた日記を見返すようなものだ。しかも日記は話すし行動する。

「それで、フィオレ。今度は、どこまで見た?」

 アーチャーの質問に、フィオレはすぐに答えられなかった。

 凄惨な戦場の光景が脳裏に蘇ったからである。

「すみません」

 フィオレは謝罪する。

「あなたの戦いの日々を垣間見てしまいました」

「そうか」

 アーチャーは嘆息する。

 マスターと繋がっていれば、その過去を見られるのは当たり前のことだ。責めるものではない。

「アーチャー。あなたの望みは、世界の恒久的な平和だと言いました。あなたの人生はそれを追い求めたものでしょう? 天草四郎の望みとあなたの望みは何が異なっているのでしょうか?」

「簡単なことだ。彼は過去を否定し、未来を消し去ろうとしており、私は過去を踏まえて未来を目指すべきだと考えている。言葉の上では世界平和は同じだが、その過程が大きく異なる。要するに、彼は人類に失望しており、私はそこまで人類に否定的ではないということだ」

 アーチャーの言葉に違和感を覚えてフィオレはさらに尋ねた。

「あなたは、恨んでいないのですか?」

「恨むとは?」

「あなたの努力に報いなかった諸々の要因、裏切った友、変わらぬ人類――――様々あると思いますが」

「そういったものは特にない。大抵の望みは生前に叶えたし、裏切られたのも私の選択の結果でしかない。よって、私が恨むべき者はいないのだ」

「損な性格だと言われませんか?」

「さて、どうかな。日本には三つ子の魂百までという諺もあるが、こればかりは性分でね。死んでも治らん。あるいは八つ当たりの対象でもいれば別だったかもしれんが、そういうわけでもないからな」

 肩を竦めるアーチャーは、どこまで本気なのか分からない顔で苦笑いを浮かべてみせる。

「まあ、これならこれでいいだろう。やつに啖呵を切ったからか色々と吹っ切れたよ」

「そうですか。それなら、いいのですけど」

 フィオレは微笑んで、口を噤んだ。

 そんなフィオレを見て、アーチャーは不意を突くように疑問を投げかけた。

「君はどう思った?」

「え?」

「私の夢を見たのだろう。君はあの世界を見てどのように思った?」

 アーチャーの記憶の中にはフィオレの知らない世界が広がっていた。

 民族紛争に端を発した内乱もあれば、領土争いで国家が激突した紛争もあった。どれもフィオレの身近にはない景色であり、それでいて今もこの世界のどこかではありふれた光景なのである。

 アーチャーの記憶は他の英雄たちの過去の武勇譚とは異なる。今、あるいは未来の出来事なのだ。新聞などで報じられた情報の蓄積だけでは、到底理解できない現実がそこにはあった。

 魔術師同士の殺し合いとはまったく質の異なる狂気に満ちた殺し合い。そこには名誉も誇りもなく、搾取する者とされる者との二項対立構造が成立しており、しかもそれは時として入れ替わる。

 押し黙るフィオレの答えをアーチャーは強要しなかった。

「あの戦場を渡ってきたものとしては、君が彼らに対して何かしらの思いを抱いてくれると嬉しい」

 それだけを言って、アーチャーは部屋から出ていった。その背中にフィオレは声をかけようとした。

「何かしらって」

 そのような中途半端で軽いものではないはずだ、と続けようとして思い止まった。

 魔術師であるのなら、ああいった紛争の中にすら根源への可能性があるのではないかとまずは疑うべきである。死霊魔術師(ネクロマンサー)が死体収集に戦場を訪れるように、それを糧として根源を求めなければならない。

 ならば、夢に出てきた人々の死にいちいち心を動かしていてはいけない。

 それは魔術師としては、非合理的な考え方だからである。

 寝起きなのに非常に疲れた。

 フィオレは肺腑の底から吐息を漏らして、再びベッドに身体を預けた。



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三十話

ザギデンギ グスダバ バパギグギ ゲギドブドザルゲンビ ジョレビギダギ ジャゲンギジョグ


 以前からもしかしたらと思っていたが、やはりそうかと“黒”のアーチャーは納得した。

 時刻は現地時間で午後九時を回ったところである。

 激戦を越えたばかりで疲労もあるだろうが、アーチャーは確認したいことができたために“黒”のバーサーカーのマスターであるカウレスの部屋を訪ねていた。

 相変わらずカウレスはパソコンを弄るのに忙しいらしく、アーチャーが尋ねたときも画面の前の椅子に腰掛けていた。バーサーカーはベッドの上にちょこんと座って感情の掴めない顔のまま虚空を眺めている。こうして見ると、装飾などもあって本当に人形のようである。

「で、なんだよアーチャー。聞きたいことって」

「フィオレのことだ」

「姉さんの?」

 カウレスはパソコンの前の椅子に腰掛けたまま、アーチャーのほうを見た。

「君は魔術師としての彼女をどう見ている?」

「は? 突然どうしたんだよ、アーチャー」

 カウレスはアーチャーの言葉に目を丸くする。

 ダーニック亡き後、フィオレはユグドミレニアを背負って立つ魔術師となった。繰り上がりではあるが、そうなったのは魔術師としての力が抜きん出ているからである。

「そりゃ、俺と違って優秀な魔術師だと思うぞ。何か不満があるのか?」

「いや、そういうわけではない。例の魔力供給が途絶えた後も、我がマスターからの魔力供給は私の戦闘を支えるのにまったく支障がなかったからな」

「じゃあ、何だってんだ」

「ユグドミレニアの歴史は私も伝え聞いている。ダーニックが一代で築き上げたに等しいこの血族を纏め上げるには、それ相応の政治的センスが必要だ。聖杯大戦を生き残れば否応なく魔術協会との権謀術数に明け暮れることになるだろう、――――果たして、彼女にそれが耐えられるか否か。それが心配なのだ」

「ッ――――」

 ユグドミレニアの長となるということは、それだけで命懸けである。

 これまでの発展は、ダーニックの政治力に支えられてきたことが大きい。卓越したカリスマ性を持つ指導者がいたからこそ、成り立っていた組織であると言える。指導者が優秀であればあるほど、次世代への負担は大きくなる。まして、一族の存亡がかかった戦いの後である。今ですら、一部の血族からはユグドミレニアから離脱する動きがあるくらいなのだ。

 聖杯を手に入れなければ、ユグドミレニアは滅亡する。そして、その際に責任を取るのは、間違いなく長として纏めている人間である。歳若いフィオレが、魔術協会の老人たちを相手に策略を繰り広げることができるかと聞かれて、カウレスは答えに窮した。

 できないということはないだろう。フィオレは頭がいい。通常の外交であれば、問題なく乗り越えられるだろう。

 だが、それが穏当な手段によるものではなくなったとき、彼女はその現実を受け止められるのだろうか。

 魔術協会との交渉が不調に終わり、実力行使に発展した場合、そこには命のやり取りが発生する。今までは、命じられているからという免罪符があった。しかし、長となれば、命じる立場になるのだ。自分の仲間に死ね、あるいは殺せと命じるのはかなり強固な精神が必要となる。

 ずっと傍で見てきたカウレスは理解している。

 フィオレはそのように育てられてきたわけではないし、そのように育ったわけでもない。

「そうだとして、どうして俺に言うんだよ?」

「出会ったばかりの私では、そこまで深く踏み込むわけにはいかないからな。フィオレを傍で見てきた君に尋ねたほうがいいと思っただけだ」

「確かにアーチャーの言うとおり、姉さんは良識人過ぎるところがある。多分、魔術に関わらないのであれば、それで正しいんだろうけど」

「魔術師となれば、人道に反する行いをすることもあるだろう。一族の長となれば、その機会も増える。してはいけないと分かっていることを、平然と行わなければならなくなったとき、彼女は想像を絶する苦しみを味わうことになるのではないかと、私は危惧しているのだ」

 アーチャーの表情には冗談の気配はなく、憂いの色がありありと浮かんでいた。

「君たちは理想的な姉弟だと私は思う。しかし、魔術師としてはどちらも足りないものがあるな」

「余計なお世話だ」

 フィオレは魔術師たらんとする心が、生来の感性に追いついていない。魔術師としての倫理観を醸成する前に、人間としての倫理観を持ってしまったのであろう。肉体的に魔術と相性がよくても、心が魔術を求めなければその世界で生きていくことは難しい。

 カウレスは魔術師としての心構えを持っている。好んで殺人をするわけではないが、魔術師として必要に迫られればするだろう。完全にとは言えないが――――しかたないと割り切ることができる。ただし、肉体面では魔術の才能に恵まれたわけではない。

「どっちにしても我が家はどん詰まりか」

 魔術を研究する者としてはカウレスのほうが適性がある。突き詰める楽しさを知っている彼は、状況次第では命にすら手を伸ばせる。しかし、魔術を使用するスペック、後継者としての才能ではフィオレが格段に上である。家としてはフィオレがこのまま跡を継いで、魔術を極めてくれればいいのだが、そうはいかないかもしれない。研究には情熱と覚悟が必要だからだ。

「アーチャーは姉さんがこのまま魔術の世界にいたらどうなると思う?」

「さあな」

 と、アーチャーは腕を組む。

「だが、非人道的な行いを否とする良識を持ちながら、罪を犯さなければならない世界に飛び込んだ人間はまともではいられない。大概が、壊れるか慣れるかの二通りに分かれる。壊れれば自暴自棄になって破滅するが、恐ろしいのは慣れてしまった場合だな」

「慣れるとどうなるんだよ」

「罪を犯すべきか否かを機械的に処理するようになる。理想と現実の狭間でもがきながら、強迫観念に突き動かされるように行動し、自分は悪くないと言い訳を並べて自らの行いを正当化しようとする。麻薬中毒みたいなものだな。自分では決してその道から抜け出せず、壊れるまで動き続ける。こういうのはな、自分が正しいと信じられるのなら負担にはならないし、しかたないと割り切れるのなら苦しくもないのだ。問題は、割り切りたくても割り切れないタイプの人間だよ」

「姉さんはそういうタイプだってことか?」

「私が見た限り、彼女は人の生き死にに対しては一般人並の感性だ。理性的に魔術師であろうとしているがな」

 フィオレの性格は、カウレスも承知している。

 だから、アーチャーの指摘を覆せる材料がない。

「フィオレがどのような選択をするにしても、覚悟は必要だ。そのとき、傍で支えになる人間が必要になる」

 魔術師を続けるのは、フィオレの精神に多大な負担を強いるだろう。それでも、彼女は優秀だから心の悲鳴を無視して研鑽を続けられるかもしれない。しかし、数年、数十年先に彼女がトラウマに悩まされずにいられるかどうかは不透明だ。そして、魔術師を辞めるのは、さらに覚悟のいることである。ユグドミレニアとフォルヴェッジ、双方の未来と過去に背を向けるのは、並大抵の覚悟では選べない道である。どちらにしても、フィオレには茨の道となるだろう。

「なんだ、長々と話して結局は姉さんを助けてやれってことが言いたかっただけか」

「端的に言うと、そうなる」

「分かったよ。もともと、俺は姉さんに取って代わろうなんて思ったこともないしな。判断は姉さんに任せるとして、どっちに転んでも最善になるように俺が姉さんを支えるよ」

 魔術師の家系に生まれた子どもは跡取りになれるかどうかで未来が定まるのが普通だ。フォルヴェッジ家の場合は長子のフィオレが優秀だったために、何の疑いもなくフィオレに家督が約束され、弟のカウレスはフィオレのスペアとして魔術を学んだ。

 どこまで行っても、カウレスはフィオレの弟でありフィオレの影なのだ。そして、それすらも自明のものとして受け入れてきたカウレスは、フィオレを支えるということをアーチャーに頼まれなくても当然のようにするだろう。

「それを聞いて安心した」

「別にいいよ。そもそも、弟は姉の後ろをついていくものだって昔から決まってるからな」

 それを聞いたアーチャーは、今までで一番大きく表情を変えた。

 驚いたというわけでもなく、面白がったわけでもない。どこか悲哀を感じさせる表情であるような気がした。それも一瞬のことで、アーチャーは苦笑して、小さく、

「耳が痛いな」

 と呟いただけだった。

「では、私は失礼する。やはり、君たちはいい姉弟だよ」

 そうして、アーチャーは霊体化して去っていった。

 カウレスは頭を掻いてからパソコンをシャットダウンする。

 ベッドの上ではバーサーカーが唸りながらゴロゴロと転がっている。バーサーカーは彼女自身の宝具が永久機関となっているので、実体化しているだけならば非常に低コストで運用できる。ホムンクルスを用いた魔力供給が半ば停止していても尚、カウレスのスペックでこうして遊ばせていられるのも、宝具のおかげであった。

 フィオレとカウレスがいい姉弟だというのなら、フィオレとアーチャーはいい主従といったところだろうか。

 プツン、と画面が暗くなった。

 昼間に一眠りしたが、まだ眠い。夜型の生活には慣れているが、完全に昼夜逆転は厳しいので寝ることにする。

 バーサーカーを霊体化させてから、カウレスはベッドに潜った。

「もしかしたら、アイツにも姉がいたのかな」

 明かりを消した後、窓の外に浮かぶ月を眺めていて、ふと、そんなことが頭を過ぎった。

 姉弟関係に言及したり、カウレスの発言に思うところがありそうな表情を浮かべたりとアーチャーなりに感じるところがあったのかもしれない。

 

 

 

 □

 

 

 

 集合場所は前日と同じく会議室である。“黒”の面々とルーラーは渋い表情を浮かべて集っていた。“赤”のアサシンの超宝具は、黒海方面にゆっくりと移動しているのが分かっている。動きは鈍重なので、飛行機でもあっという間に追いつくことができる程度であるが、迎撃されることを考えれば、十分に対策を取る必要があった。

「で、それは分かったけど、肝心の飛行機は?」

「もう少し待ってください。物が物だけに、まだ三日はかかります」

 ダーニックが積み上げた資産の大半をつぎ込む必要があったが、それでもユグドミレニアは一般の感覚からすれば、超大富豪である。飛行機を数機購入することも不可能ではないのである。

「“赤”に対するのはまた次の機会にしましょう。今は、もう一つの問題に取り組まなければなりません」

「もう一つ?」

 フィオレは、ライダーに新聞を渡した。

「?」

 ライダーは新聞の見出しを見て、呟く。

「切り裂きジャック? 何これ」

 それは、ルーマニア国内で起きた殺人事件の記事であった。

 連続殺人は分かっているだけですでに十件を上回り、犯人の正体は依然として不明というところから、かつてイギリスを恐怖に陥れた伝説的殺人鬼に準えて報道されている。

「これが?」

「“黒”のアサシンによる犯行と思われます」

「あえ?」

 ライダーは妙な声を出した。ルーラーも新聞を覗き込んで尋ねた。

「“黒”のアサシンはあなた方の管理下にないのですか?」

「恥ずかしいことですが、わたしたちが用意したマスターは、アサシンを奪われたようなのです」

「どういうことですか?」

「詳しいことは分かりません。“黒”のアサシンのマスターとして参加した相良豹馬は、アサシンとして召喚されるべきハサン・サッバーハに限界を感じ、最新の英霊であるジャック・ザ・リッパーに活路を見出しました。彼は、ジャックと相性のいい土地として地元の東京を選び、そこで儀式に臨みました。それ以降の消息は、不明です」

 『気配遮断』スキルを有する『アサシン』のサーヴァントはマスターの天敵として知られている。基本的に『アサシン』の戦闘能力は低く、サーヴァント戦では後れを取る機会が多くとも、人間であるマスターを殺害すればサーヴァントも消滅する。『アサシン』は有効活用さえできれば、極めて強力な手駒となるのである。

 しかし、『アサシン』のクラスはそのクラスそのものが触媒の役割を果たしており、召喚されるのは「アサシン」という言葉の語源となったハサン・サッバーハの中の誰かであると特定されてしまう。

 聖杯戦争が世界各国で行われるようになると、十九人のハサンは宝具も癖も情報が明らかとなってしまい、暗殺者にとって致命的な状況に陥ってしまった。

 対ハサン戦術が確立した以上は、ハサンを召喚するのはあまりにも危険である。

 よって、最近は召喚の呪文に改良を加え、別の触媒を用意することでハサン以外の『アサシン』を召喚するのが定石となっていた。

「相良豹馬は、ジャック・ザ・リッパーの情報の少なさに着目しました」

「サーヴァント戦を想定しなければ、戦闘能力はそれほど重要ではありませんからね。近代の英雄でも、マスターを殺害するのは難しくありませんし」

 ルーラーは、“黒”のアサシンを選んだ理由については納得した。

 しかし、どこかで“黒”のアサシンは他者の手に渡り、今ルーマニアで凶行を繰り返している。

「“赤”と雌雄を決するのに、後方をアサシンに撹乱されては力を注げません」

「では、今日ここに集まったのは」

「“黒”のアサシンの討伐、あるいは合流するためのものです」

「まだ合流の可能性はあるのですか」

「戦力の一つに変わりありません。もっともアサシンが制御不能となれば、討伐するしかありませんが、わたしたちは未だ意思疎通すらも行えていない状況です」

 犠牲者の中には一般人だけでなくユグドミレニアや魔術協会の魔術師たちも含まれる。これまでは、“赤”の陣営との本格的な戦いに備えていたために、それほど“黒”のアサシンに力を注いでこれなかった。

 しかし、即座に“赤”の陣営と戦えないとなれば、その時間を“黒”のアサシンに使うことができるようになった。

 だが、その反面、時間もない。フィオレたちは、“赤”の陣営との戦いの準備が整う前に“黒”のアサシンの問題を解決する必要があった。

「姉さんとアーチャーは、前に“黒”のアサシンと接触しにいったんじゃなかったっけ?」

 カウレスに聞かれたフィオレは頷いた。

「ええ、でもそのときは“赤”のセイバーとの戦いに発展してしまったから」

「“黒”のアサシンがどんなやつなのか、見なかったのか?」

「え、いえ。見ましたよ。ステータスも読み取り、ました……し……」

 フィオレは言葉尻をすぼめて愕然とした。

「アーチャー、アサシンがどのようなサーヴァントだったか覚えていますか?」

「む、そういえば、どうだったか。……奇妙だな、思い出せない。アサシンの宝具かスキルか」

 フィオレも“黒”のアーチャーも、どちらとも目視したはずなのに記憶に残っていない。記憶が消しゴムでかき消されたかのようであった。

「アサシンの宝具かスキルってことね。自分の情報を抹消する能力があるわけ」

 気だるそうにするセレニケが会話に加わる。

「手掛かりがないとなると、アサシンを討伐するのも難しいんじゃない?」

「しかし、アサシンの問題をどうにかしなければ“赤”の陣営との戦いにも問題になります」

 仮に“黒”のアサシンを放置したまま“赤”の陣営に勝負を挑んだとすると、どう頑張ったところでマスターががら空きになる。そこを突かれれば一溜まりもなく“黒”の陣営は敗北するだろう。

 だが、“黒”のアサシンの討伐は非常に困難である。

 『気配遮断』スキルを持つサーヴァントは気配を辿ることで探り当てることはできない。“黒”のアサシンが攻撃してくるのを待つのが定石ではあるが、こちらにはその時間はない。

「ルーラー、あなたは“黒”のアサシンの居場所を掴めますか?」

「難しいですね。『気配遮断』をされると、大まかな位置を把握するのが限界になります」

「とにかく、足を使うしかないですね。まずは、トゥリファスで連絡を絶った魔術師の潜伏先に向かわなければなりません」

 ユグドミレニアの所属する魔術師たちが、次々とトゥリファスで連絡を絶っている。十中八九“黒”のアサシンの手に掛かったと見るべきである。

「では、わたしが行きましょう。大まかとはいえ、アサシンの居場所が掴めるわたしがいるほうがいいでしょう」

「お願いします、ルーラー。それから、セレニケにも頼めますか?」

「わたし? まあ構わないわよ、やることもなかったし」

「もしも、魔術師が殺害されているのなら、黒魔術が使えるあなたがいると情報が引き出しやすいですからね。それにライダーは『対魔力』のランクがAもありますし」

 魔術師の工房に足を踏み入れるのだから、魔術に対する対策は必要だ。その点、“黒”のライダーは『対魔力』がAランクと現代の魔術師では傷一つ付けることができない領域にあるので、工房の調査には都合がいい。

「フィオレはどうしますか?」

「わたしはこの通りの足ですので、追撃戦には向きません。何か手掛かりがないか、こちらで分析してみることにします。それにアーチャーにもセイバーにもやってもらいたいことがありますし、ゴルド叔父様も忙しいですからね」

 ゴルドの必死の修復作業のおかげで、魔力供給はかなり持ち直している。これから、調整を続ければ、魔力の供給効率がさらに上がる余地が残っており、ゴルドはこの会議の後でその作業にかかりきりになる予定であった。

「じゃあ、とりあえず俺も行くか」

「カウレスも?」

「ここにいてもすることがないからな。外で役に立てることがあるかもしれない」

「そう。じゃあ、お願いね」

 カウレスはこれまで活躍できていないと感じていたから、少しでも役に立ちたいと思ったのであろう。

「それでは、みなさんお願いします。当世風の衣装が必要な方には用意させますので、少し待ってください」

 そうして会議は終わった。

 “黒”のアサシンを探し、接触を図るために“黒”の陣営は動き出した。

「アーチャーとセイバーは別に頼みたいことがあるので残ってください」

 呼び止められて、“黒”のアーチャーと“黒”のセイバーはその場に残った。

「私たちは何をすればいいのだ?」

「戦後も踏まえて、できる範囲で資金を掻き集めておきたいのです」

 聖杯が“赤”の陣営に奪われたことで、“黒”の陣営は非常に敗色濃厚となってしまった。もちろん、敗れるつもりはまったくないが、聖杯が手元に戻ってこない可能性もある。そうなれば、聖杯大戦には勝利できてもその後の魔術協会との戦いでは手も足もでなくなる。

「そこで、申し訳ありませんが、アーチャーにはそこそこの礼装を用意していただきたいのです」

「あー、つまり……売りさばくつもりか?」

「そうなります」

「守銭奴と言われそうだな」

「罪を犯すわけではありませんから、とやかく言われる筋合いはありません」

 ぴしゃり、とフィオレはアーチャーの皮肉を斬り捨てる。

「しかし、魔術協会と断交した今、どのように資金を集めるのだ?」

「叔父様が構築した裏ルートがあります。魔術協会から離れてもキャスターの宝具の材料を集めることもできたわけですから、問題はありません」

 なるほど、とアーチャーは苦笑しつつ引き下がった。

 マスターは本気なようだ。

 飛行機の購入にも多額の資金を投入する以上、資金を集めるのも戦争の一つであろうか。残り数日でどこまで金に換えられるかは分からないが、アーチャーは投影するだけなのであまり労力は使わない。

「それで、俺は何をすればいいのだ?」

 アーチャーが物品を用意するのは分かった。では、“黒”のセイバーは何故呼び止められたのか。

「セイバーには『黄金律』のスキルがありますので、手伝ってもらいます」

「……あのスキルは俺が金銭に困らないという程度でユグドミレニアに恩恵はないが」

「ですが、セイバーが稼いだお金をユグドミレニアに寄付という形にすることは可能ではないですか?」

「できなくはないが……」

「それではお願いします。時間を無駄にはできないので、一時間後に交渉に入りますので、準備をお願いします。アーチャーはとりあえず宝剣を百ほど用意してください」

 セイバーのスキルは彼が言うとおり彼にしか影響しない限定的なスキルである。であれば、セイバー自身が稼げばいいというのは理屈としては分かるが、天下の大英雄にさせることではない。フィオレもそれを分かっているが、無為にするのはもったいないので思い切って協力を申し出た。

 セイバーのスキルがどこまで恩恵をもたらすかは不透明だが、アーチャーの宝剣は極めて高い価値で取引されるに違いない。

 アーチャーとセイバーはどうしたものかと視線を交わした。

 

 



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三十一話

 何もやることがないというのは、実は非常に落ち着かないものである。

 暇を持て余したことのない戦場を渡り歩いてきた英雄にとって、暇とは天敵のようなものであった。

 “赤”の陣営は“赤”のアサシンの空中要塞の中に篭ったきり一度も出撃していない。

 英雄にも様々あるが、聖杯戦争に召喚される英雄は大体武人である。当然自らの武力を誇示したい、戦いたいという欲求がある。

 しかし、今の“赤”の陣営は“黒”の陣営に背を向けて遁走している最中であり、敵と刃を交えるような状況にはない。否応なく気が抜けるし、やることがなくて困惑する。

 退屈そうにしてだらけている“赤”のライダーや“赤”のアーチャーに“赤”のアサシンは優艶な笑みを浮かべて語りかける。

「さすがの大英雄も暇には勝てぬか」

「目の前に「暇」って名前の敵がいりゃあぶっ飛ばしてんだがな」

「落ち着きのないことだ」

 アサシンは妖しい色香を纏ったまま、竜牙兵にぶどう酒を金の杯に注がせた。

「なんだ、欲しいか?」

「いらねえよ。つーか、あんたの真名知っててその杯を受け取るのはアイツくらいのもんだろ」

 ライダーはここにはいない、アサシンのマスターに言及した。

 アサシンは複雑そうな表情をして、ぶどう酒で唇を湿らせた。それから、まだ何か言いたそうなライダーを睨み付ける。

「なんだ?」

「あの我欲のなさそうなマスターと我欲の塊みたいな女帝さんがよろしくやってんのがな」

「今更あやつに不満でもあるか」

「怒るなよ、女帝様。マスターとして認めるかどうかは別として、その理想には手を貸してやってもいいってのが俺のスタンスだからな。仕えてねえんだから、不忠でもないだろ? この件はあんたのマスターも認めてるところだぜ」

「詭弁を」

「くく、別に俺は事実しか言ってねえけど?」

 瞬間、ライダーに雷が襲い掛かった。

 眩い光が駆け抜けた後にはライダーはいなくなっていた。

 アサシンは振り上げた手を下ろし、部屋の隅にあるルネサンス期を思わせる彫刻の上に飛び移ったライダーを睨む。

「危ないじゃないか」

「減らず口を減らすにはちょうどよかろう」

 アサシンの敵意を前に、ライダーは余裕である。

 アサシンの雷撃はライダーの不死を突破しうるものであるが、それでもライダーはアサシンをからかった。反撃がくることも、折込済みである。

「なんの騒ぎですか?」

 そこにやってきたのは、天草四郎その人であった。

 きょとんとして、杯を持つアサシンと彫像の上にしゃがんでいるライダーを見比べる。

「別に何でもねえよ」

「そうですか」

 四郎はこれといって興味もなかったのか、それ以上の追及はしなかった。

「マスター、何かあったのか?」

「いえ、聖杯も安定したので、そろそろあちらの様子を探らなければと思いまして。そこで、アーチャーには斥候として出ていただきたいのです」

 四郎はアーチャーに視線を向ける。

「ふむ、まあ、この退屈を何とかできるのであれば、何でも構わん」

 『アーチャー』のクラスは『単独行動』のスキルがある。マスター不在でも行動することができるこのスキルは、『アサシン』の『気配遮断』と同様に斥候向きのスキルである。

「なあ、俺は?」

「あなたほど斥候に向かない人物はいないと思いますよ」

 さらり、とライダーを除外して、四郎は続ける。

「何か問題があったら念話で連絡をしてください。令呪でサポートします」

「そのような瑣事に令呪を使っていいのか?」

「私はあちらのルーラーと異なり、マスターから令呪を受け取りましたから、契約しているすべてのサーヴァントに令呪を使うことができます。バーサーカーの分が余っているので、問題になりません」

「なんとも贅沢な使い方だな」

 表情を変えることもなく、“赤”のアーチャーは髪を掻き揚げた。アサシンのような男を惑わす仕草ではなく、野生的な、邪魔だからどかしたという程度の所作である。

「では、わたしは出てくる。帰りは令呪を頼むぞ」

「ええ、分かっていますよ。お願いします、アーチャー」

 “赤”のアーチャーはそのまま振り返らずに斥候に向かった。

 

 

 “赤”のアーチャーはマスター権を奪われた当初こそ激高したものの、今となっては天草四郎の願いに共感する部分があり、マスターとして認めるまでに至っていた。

 彼女は英霊ではあるが、戦士という意味での英雄ではない。

 “赤”のライダーのような戦士の誇りは持ち合わせておらず、自分の元マスターについても聖杯戦争で毒を飲まされる迂闊さに呆れる気持ちのほうが強い。

 彼女は、とどのつまりは現実主義者であり、生きるか死ぬかの世界では隙を見せるのが間違いなのである。

 よって、天草四郎の願いが自分にとって都合がよければ、彼に与する可能性は十分にあった。そして、全人類の救済は、アーチャーの願いと被っている。

 すべての子どもが慈しまれる世界が、四郎の願いの先に広がっているのなら、現実的に考えて、彼に就くほうがいいのは目に見えているのである。

 過去の人間も含めて不老不死にしてしまうというのなら、英霊としての自分も消滅するかもしれないが、そんなことは瑣事に過ぎなかった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “黒”のアサシンの捜索に参加したのは、ルーラーとセレニケ、“黒”のライダー、カウレス、“黒”のバーサーカーである。“黒”のサーヴァントの戦闘能力は低いものの、アサシンの戦闘能力を考えれば二騎もいれば十分であると言え、ルーラーという高位のサーヴァントがいる時点で戦力は十分であった。

 まだ人目のある時間帯ということで、サーヴァントたちを霊体化させており、レティシアの肉体を持って霊体になれないルーラーを先頭にして街を練り歩く。

 カウレスはルーラーに尋ねる。

「ルーラー、アサシンの場所は掴めないのか?」

「そうですね。わたしの知覚力は四方十キロに及ぶのですが、『気配遮断』を持つアサシンは大まかにしか分かりません。間違いなくこの街にはいるようですが、特定はできません」

「じゃ、やっぱり一つひとつ当たっていくしかないか」

 トゥリファスにはユグドミレニアの魔術師が潜伏して、後方支援に当たっていた。そのうち、実に十人もの魔術師が連絡を断っている。

「最初はカール・レクサーム。この少し先に住んでいる魔術師ですね」

 カールが暮らしているのはトゥリファスの新市街地にある。古風な石造りの家で、立方体に近い形状であった。閉鎖的な環境は魔術師が好むものである。魔力が散逸しにくく、隠匿もしやすい。よって、人知れず実験するには都合のいい環境となると必然的に石造りの建物ということになる。新市街といっても、オスマントルコが退けられてからの成立であるため、西洋の中世建築物が立ち並んでいる。魔術の本場が西洋なのはそうした理由もあるのだろう。

 家の中は外からでも分かるように簡素であった。

 リビングと洗面所に台所。内装には個性がなく、生活感がない。これならば、モデルルームのほうが人の気配を感じることができるだろう。

 実体化したライダーが我が物顔で室内を物色する。

「ライダー。人の家なのですから、あまり汚さないようにしてください」

 ルーラーがライダーを嗜める。しかし、ライダーは真面目に受け取らなかったか、あるいはすでにこの家の住人に配慮する必要がないと確信しているのか部屋の中をいったりきたりする。

「うん、なんか血の臭いがするね」

 それから、ライダーは天井を見上げながら言った。

「そうですか?」

 ルーラーはカウレスらに視線を向ける。

 カウレスは首を振り、セレニケは目を細めて室内を見た。ライダー以外には、感じ取ることができていない。

「気のせいではありませんか?」

「いいえ、そうでもないわ」

 ルーラーの言葉をセレニケが否定する。

 セレニケは魔術を使い、室内を魔力でサーチした。血液に反応し、対象を淡く発光させる魔術である。

 効果はてきめんであった。

 部屋のいたるところに血が飛び散っているのが分かる。目で見ることはできないが、薄く引き延ばされているところを見ると、拭き取られているのであろう。

「掃除されているのですか」

「普通魔術師は自分の領域に血液を残したりしないわ」

「では、これはこの家の主が拭き取ったものと?」

「どうかしらね。まっとうな魔術師なら、こんなところで派手に血を垂れ流すような不手際はしないわ。小動物をさばく程度なら、あるかもしれないけれど」

 セレニケは視線をライダーに向ける。

「ライダー、他に気になったことはないかしら?」

「んー、地下室があるみたいだけど」

 ライダーは部屋の隅にある書棚の下に隠された地下室への入口を見つけていた。

 部屋の中を歩き回っていたときに、僅かな軋みによってその存在に気付いたらしい。

「なんで分かるんだよ」

「音も臭いも戦場で必要になるからねー」

 軽く答えながらライダーは地下室に踏み込んだ。

 魔術師の工房に踏み込むのは自殺行為だが、ライダーの『対魔力』には無意味であった。

「死体あったよー」

 数回の魔力の動きの後に、ライダーは地下室の中から呼びかけてきた。

 罠が幾度か発動したようだが、ライダーはすべてを突破して目的を達したらしい。

「ライダーを連れてきたのは正解だったわね」

 その様子を眺めつつ、セレニケたちは後に続いた。

 

 地下室の中には薄らと魔法陣が残っており、なんらかの儀式を行っていた節がある。天上からつるされた鼠や鳩などの小動物や何かしらの木乃伊や小瓶を見ると、この魔術師は黒魔術の使い手であったらしい。

「ふへえー。もう大分腐ってるね」

「ライダー。そんな言い方はよしなさい」

 うつ伏せの死体をひっくり返したライダーの言葉をルーラーは嗜める。

 死体は死後数日が経過しており、強烈な腐臭が漂っていた。

「心臓が抉られていますね」

「死因は頚動脈の切断。心臓はその後に抉り出されたようね」

「新聞で報じられている通りですね。アサシンの仕業と見て間違いないでしょう」

 セレニケは死体の傍らに膝を突き、その身体を検分する。

 黒魔術師として非常に優れた腕前を持つセレニケは、死体の中で暮らしてきた。こうした状況には慣れている。

「魔術的な意図は皆無と言っていいわね。心臓は、まあ魂喰いに利用したんでしょうけど」

「では、本当に心臓を喰らうためだけに殺したわけですか」

「この死体を見る限りそうなるわね」

 サーヴァントは霊体なので、魂を喰うことで力を蓄えることができる。アサシンの場合は、他者の心臓を取り込むことで、力を得るのだろう。

「人間の心臓なんて食べたくないなぁ」

「普通はそうだろ。アサシンが真っ当じゃないだけだ」

 顔を顰めたライダーにカウレスが言った。

「とりあえず、ここだけだとなんとも言えないわね。状況から見て、ほぼ即死だし、本人は何をされたのかも分からないまま逝ったんじゃないかしら。次に行きましょう」

 状況の異様さにも変わらないセレニケの淡々とした言葉に幾分か救われた気になる一行は、頷いて地下室を後にする。

 次に尋ねた魔術師の家でも死体が見つかった。

 ただし、こちらは状況があまりにも異なっていた。

「こりゃまた……」

「原型を留めていませんね。心臓は抉り出されているようですが。やはり、拷問でしょうか」

 見つかった死体は徹底的に陵辱されていた。

 これまでと同様なのは、殺されたことと心臓が抉り出されていることだけである。もはや死体と判別することもできず、性別すらもはっきりしない。

 その後も同じような死体が連続した。

 捜索対象となった十件の魔術師の家のうち、七件まで回ったが大半が激しい暴行を受けた形跡が認められた。

 八件目の死体も心臓が抉り出された上で殺害されていたが、肉体の破損は目を覆わんばかりの惨状であった。

「もう、これ人肉ばら肉三十グラムおいくらユーロって感じだね」

「ライダー、変なこと言うな」

 カウレスは目を背けながらライダーに言う。

 そんなカウレスをルーラーは心配して話しかけた。

「大丈夫ですか?」

「ああ、なんとかな……」

 感覚が麻痺してきたのか、三回目の現場で一度吐いてからは落ち着いてきた。今だけで、きっと後から夢に出るんだと思うと今から憂鬱である。

「セレニケ、何か分かることはありますか?」

「そうね。まず、魔術を使った気配がないのが気になるわね」

「アサシンが魔術師ではないからでは?」

「でも、マスターがいるでしょう。わたしたち以外にこの家には二種類の足跡があったわ。その一方はヒールだった。アサシンのものでなければ、マスターのものよ。この死体、男でしょう?」

「よ、よく見つけましたね」

 血痕は拭き取られていたが、足跡までは気が回らなかったらしい。

 セレニケが指摘した足跡は、入口を入ってすぐのところに一つあり、地下室の工房に二つあった。地下室で二種類に増えたところを見ると、新たに増えたほうがアサシンの足跡と見るべきだろう。この魔術師は、工房で襲撃されたのである。

「アサシンのマスターは女性」

「女装癖がなければね。魔術師かどうかも怪しい。こうも頻発して魂喰いをさせているとなれば、アサシンに魔力供給できていない可能性も出てくるわ」

「魔術師でもないのに、アサシンを従えていると?」

「推測でしかないけれど、そもそも魔術師なら報道されるようなことは慎むでしょう」

「確かに」

 神秘は秘匿するべし。魔術師ならば死んでも守るべき鉄則である。それが徹底されていないどころか、当初は隠しもしなかったところから見ても、魔術師の基本を分かっていなかったとしかいえない。

「最近は獲物を魔術師に絞っているみたいだけど、魔術師の心臓は魔力の源みたいなものだから、一般人を狙うよりは効率がいいんでしょうね」

「しかし、それならどうしてこのような惨い殺し方をするのですか?」

 心臓を喰らうだけならば、普通に殺害することもできるだろう。それこそ、初めに見つかったカールのように。

「普通に考えれば、拷問したからでしょうね」

「やはり、そうですか」

「傷の具合から見れば、相手に効果的に痛みを与えるようにわざと急所を外しているように見えるわ。殺さないように痛めつけているのは間違いないでしょう」

 死体の損壊具合が異なるのは、必要な情報を聞き出すのにどれだけ時間がかかったかであろう。

「なあ。拷問したなら、聞き出したい情報があったってことだろう? アサシンは何を聞き出したんだ?」

 カウレスの言葉に、誰も答えることができなかった。

 それを知っているのは現場にいた人間だけである。

「しかたないわね。残留思念を再生するわ」

「大丈夫ですか?」

「わたしは黒魔術師よ。殺人鬼如きの拷問なんて、どうということはないわ」

 残留思念を再生すれば、この部屋の中でどのような凄惨な事件があったのかということが分かる。完全とはいかないが、この場で死んだ者の最期の嘆きがセレニケの中に再生される。

 術者にとってもかなりリスキーな魔術である。

 同調しすぎれば、被害者の苦痛をそのまま感じてしまう。

 もっとも、セレニケほどになれば、その痛みをねじ伏せることは容易だろうし、ミスをすることもない。淡々と脳裏に被害者の最期を再生できる。

 セレニケは椅子に腰掛けて、ポーチの中から小瓶を取り出す。中に入っているのは透明な液体だ。

「これから、同調するわ。五分とかからないから、その辺りで好きにしておいて」

「好きって……」

 ルーラーは呆れながらセレニケを見る。

 すでに霊薬を一滴舐めて目を瞑り、同調に入っている。セレニケはこれから極めて危険な魔術を用いようというのに余裕である。

 しかし、置いてけぼりにされたほかの面々は複雑だ。

 何せ、この場はあまりにも凄惨な殺人現場である。腐臭が漂っていて、死体の顔には恐怖が染み付いている。

 どうしたものかと、ルーラーたちは困ったように視線を交わした。

 そうしているうちに、セレニケが身体を震わせた。

 犠牲者の最期と同調したのである。今、セレニケの身体には犠牲者が最期に感じた苦痛が流れ込んでいる。

「痛覚、遮断」

 セレニケの震えが収まる。

 卓越した黒魔術師であるセレニケにとって苦痛など大した問題ではない。痛覚を操ることは、黒魔術の基本だからである。他者に痛みを与えるだけでなく、それが自分に跳ね返ってきた際にどのように対応するのかも知っている。

 五分とかからず、セレニケの魔術は終了した。

 セレニケは、すべてが終わった後で天井を仰いで息を吐き出した。

「大丈夫ですか?」

 ルーラーは恐る恐るセレニケに尋ねた。セレニケはハンカチで額に浮かんだ汗を拭い、大丈夫と答えた。

「まったく、人間の弱点を的確に突いてくるわね。あのアサシンは」

「分かったのですか?」

「一応ね。あのアサシン、城塞への侵入方法を聞きだしてたわよ」

「え……?」

 ルーラーは目を丸くして驚いた。

 カウレスやライダーも固まった。

「そ、それはまずいだろ! それで、どうなったんだ!?」

「あっという間に吐いたわよ」

「ッ」

 カウレスは冷や汗をかいた。

 “黒”のアサシンは極めて理知的な性格なようだ。

 城塞に闇雲に挑戦するのではなく、防衛設備の詳細を調べ、その穴を聞き出してから攻撃に移る。どれだけ頑強な壁に囲まれていても、『気配遮断』を持つアサシンの侵入を拒むには至らない。何重もの結界があって初めてアサシンの侵入を阻むことができるのである。その結界をすり抜けられるとなると、城塞に起居する魔術師たちはアサシンの刃を喉元に突きつけられているに等しい状況になる。

「カウレス、フィオレに連絡を!」

「分かっている!」

 ルーラーに焚きつけられ、カウレスは地下室を飛び出していく。

『姉さん、大丈夫か!?』

『カウレス、どうしたのいきなり?』

 念話が繋がって、フィオレの声を聞くことができてカウレスは安堵した。

『今、セレニケが残留思念を再生して、アサシンの情報を引き出した』

『あら、そうなの。それで、何か分かった?』

『今すぐに城塞の警備状況を見直してくれ。アサシンは、城塞への侵入方法を知っている可能性が高い。アーチャーを傍において隙を見せないでくれ』

『なんですって? それは本当なの?』

『ああ』

 念話の向こうのフィオレも相当慌てたらしい。

 結界による防護壁はコンピュータのウィルス対策ソフトに近い。無害だと判定されれば、たとえ悪意ある存在であろうともすり抜けてしまえる。

『分かったわ。すぐにゴルド叔父様にも伝えるから安心して。それから――――』

 フィオレが何か続けようとしたまさにその時、ぶつん、と念話が遮断された。

 一瞬、カウレスは頭が真白になった。

 魔術的な繋がりによって相手と思念をやり取りする念話は、魔術的手段によってでなければ遮断されることはない。

 つまり、フィオレとの念話が切れたということは、カウレスとフィオレの間のパスを遮る何かが発生したということであった。

「どうかしましたか、カウレス」

 カウレスの顔色の変化を読み取ったルーラーが尋ねる。

「姉さんとの念話が切れた。何かおかしい」

「急いで戻りましょう。アサシンの情報が僅かに得られただけでも、今日は収穫とすべきです」

 城塞には“黒”のセイバーと“黒”のアーチャーがいる。“黒”のアサシンが襲撃したところでみすみすマスターを暗殺されるということはないだろうが、万が一もありえる。

 カウレスたちは、慌てて扉を開けて外に飛び出た。

 日はすでに没し、夜闇が広がっている。 

 連続殺人鬼の出現で、人通りは皆無だ。静まり返った街は、まるで停止したかのよう。

 最初に異変に気付いたのはカウレスであった。

「ッ――――」

 突然、肌がひりついた。

 気のせいかとも思ったが、次には目や喉といった粘膜が焼け付くように痛んだ。

「あぁ、痛ぅあああ!?」

 激痛にしゃがみこむ。

 全身が焼かれているかのような痛みで、目を開けていられない。喉が痛くて息をすることもできない。

 背後では、セレニケも同じように倒れた。

「カウレス! セレニケ!」

 ルーラーが二人に駆け寄り、薄くて赤い布を顔に巻いた。すると、息が楽になった。布を通せば、外を見ることもできる。

 ルーラーから巻かれた布は魔力を持っていて、その力によって外からの干渉を遮断しているようだ。未だに、肌はひりつくが、顔は何とか大丈夫だ。

「聖骸布です。これで多少はこの霧の影響を軽減できるでしょう」

“霧?”

 カウレスはルーラーに言われて初めて霧が出ていることに気が付いた。

 夜なのではっきりしないが、どうにも黄色っぽく見える。酸っぱい臭いが鼻を突き、思わず顔を歪める。

「“黒”のアサシンの能力でしょう。城塞ではなく、こちらを狙ってきたようですね。油断しないでください」

 カウレスを守るように“黒”のバーサーカーが実体化する。

 ライダーも槍を出して周囲を伺い、ルーラーは鎧と旗で武装した。

 霧の中で視界が悪い。しかし、サーヴァントは三騎もいるのだ。“黒”のアサシンが何者であろうとも、戦いを挑んだところで返り討ちになるのが常識である。

 たとえ『気配遮断』で忍び寄ってきたとしても、攻撃態勢に移行すればそのランクは大きく下がり対応は可能となる。

 アサシンが忍び寄ってきたところを、倒す。

 しかし、どうしたことだろうか。

 ルーラーは、それではダメだと感じていた。理由は分からないが、このままでは致命的に大きな問題が発生する――――。

 

 

 獲物は五人。

 サーヴァントが三人とマスターが二人だ。

 当初は城塞に侵入しようとしていたが、セイバーとアーチャーが守る城塞でマスターを暗殺するのは危険だから延期した。

 優先順位は女が先。

 以前殺した魔術師の家から出てきた五人のうち、実に三人が女だった。男は一人で、もう一人はよく分からない。機械みたいなサーヴァントもいる。どんな反撃がくるか読めないのが不安である。

 やはり、確実を期してマスターを狙うのがいいだろう。

 

 そして、アサシンはこれと定めた獲物に忍び寄る。

 硫酸の霧の中、すべての条件が揃っている。今や、アサシンはあらゆる敵に対して先手を取ることが許されているのである。

 

 

 始まりは終わりと同義であった。

 サーヴァントたちに囲まれ、守られたセレニケが唐突に悶絶した。黒い何かがどこからともなくセレニケに絡みつき、――――誰が反応するよりも早く、臓物を外に引きずり出した。

 

  

 



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三十二話

古鷹の黒インナー、右と左のどっちから手を突っ込むべきなのだろうかと考えていたのだが、やはり、左太ももの後ろからずずいといくのがいいという結果に落ち着いた。


 “黒”のアサシン(ジャック・ザ・リッパー)の宝具はすべて、彼女の生前の伝承を再現するものである。

 『暗黒霧都(ザ・ミスト)』は、彼女が活動した一八五〇年代のロンドンを襲った強烈な大気汚染を由来とする硫酸の霧による結界を張る。

 『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』は、ジャック・ザ・リッパーの代名詞でもある正体不明の殺人事件を対象に叩き付ける。

 夜であること、霧が出ていること、対象が女であることで最大の威力を発揮し、回避も防御もできない呪詛という形で対象の内臓をぶちまける。

 さらにスキル『霧夜の殺人』によって夜に限って必ず先手を取ることができる。

 スキルと宝具のコンボによって、相手が女であれば格上のサーヴァントであろうとも確実に殺害することができるのである。

 

 

 

「ア――――ぎ、、ガ、アアアアアアアアアアアッ!!」

 セレニケが耳を劈く絶叫を上げた。

 何事かと周囲の者たちが振り返ったときには、内側から噴き出した血が噴水のように噴き上がった。

 まるで、赤い色水を入れた風船を破裂させたかのように、セレニケは爆ぜておぞましい肉の塊へと変貌した。

「ま、マスターッ!?」

 “黒”のライダーが目を見開いてセレニケに縋りつく。

「ご、ごぴぅ……」

 血の涙を流し、口からは血の泡がもれ出る。

 零れ落ちた臓器は元に戻ることはなく、表に出た心臓が意味もないのに震えて血液を外に運び出す。

「な、なんだよこれ!」

 ライダーは自分のマスターが突然殺害されたことに驚愕し、動転した。

「アサシンの攻撃……強力な呪詛です! なんとしても、この霧から出なければ!」

「何だよ、何が起こったんだ?」

 カウレスは状況が掴めず、身体に飛び散った温かい液体の正体が分からない。

 倒れたセレニケは魔術刻印の影響でまだ生きている。歴史を重ねた魔術師は、重傷を負ってもそう簡単には死ねない。魔術刻印が強制的に宿主を生かそうとするからである。魔術刻印を移植された魔術師の身体は、もはや魔術師個人のモノではなく、一族の歴史を継承するための物品と化すのである。

 だが、いかに魔術刻印の修復力があったとしても、内臓を引きずり出されて生き永らえる道理はない。セレニケはそこまで人間を逸脱していない。ただ、死ぬまでの時間が長くなるだけである。生きていることそのものが苦痛以外の何物でもない状況で、逆流してきた血液によって喉がふさがれ酸素が脳に行かなくなる。じゅくじゅくと細胞が必死になって組織を繋げようとする音が聞こえる。

 これが、歴史ある黒魔術師の家系であるアイスコル家の最期の足掻きである。

「ぐ、く……!」

 ライダーは唇を噛み締めて、セレニケの末路を見届ける。腰の剣を抜いたライダーは、ごめん、と謝ってセレニケの首を刎ねた。

 心臓が引きずり出されていたために、首を刎ねても大した出血はなかった。

 ライダーは、自分のマントを外してマスターの遺骸に被せる。

「ルーラー! アサシンはどこにいるんだ!?」

「分かりません! この霧のせいか、気配がはっきり掴めないんです! ただ、近くにいるのは確かです!」

「ちくしょう、宝具なのか、これはッ」

 霧の濃度は徐々に増していく。

 後数分もすれば、すぐ近くにいるはずの味方の位置すらも分からなくなるだろう。

「ライダー、あなたは大丈夫ですか?」

「『単独行動』のスキルがあるから、しばらくは。でも、ヒポグリフを使うとなると厳しいよ」

 マスターを失ったライダーは魔力を失えば消滅する儚い存在へと零落した。『単独行動』のスキルがあるために、何もしなければ二日は存命できるが、敵に襲われている今はその限りではない。戦闘行動に移れば著しく魔力を消耗することになる。宝具(ヒポグリフ)の使用も控えなければ自滅するだろう。

「この状況を切り抜けるには、あなたの幻獣が必要です」

「そんなこと言ったって……」

「一時的にわたしがあなたのマスターを代行します。レティシアの肉体を持つわたしなら、サーヴァントの依り代になることができますから」

「なんだって?」

 ライダーは驚いてルーラーを見る。

 だが、考えている余裕はない。

「分かったよ。すぐに契約しよう」

「わたしの手に触れてください」

「ん」

 ライダーはルーラーの左手に触れる。すると、ルーラーとの間にパスが通り、魔力が供給される感覚が身体の芯に入り込んでくるのが分かった。

 ルーラーはレティシアというフランス人少女の肉体に憑依する形で召喚された異例なサーヴァントである。肉体を持ち、サーヴァントと契約するというのは、奇しくも天草四郎に通じるものとなった。

「ルーラー。何とかならないのか?」

 カウレスは息も絶え絶えといった様子でルーラーに尋ねる。

「そうですね。ライダーのヒポグリフを使えば何とか脱出はできると思います」

「え、でも、この霧じゃどこにどう行ったらいいかも分からない。これ、多分方向感覚を狂わせる効果あるよ?」

「大丈夫です。わたしが導きます」

 ルーラーのスキル『啓示』は、『直感』のスキルと同等の効果を発揮し、しかも戦闘時だけでなく普段から目的を達成するための道のりを感じ取ることができる。ランクもAと非常に高く、正しく機能すれば状況を打破する手段を理屈を抜きにして知ることができる。

 おまけに『カリスマ』のスキルは理屈に合わないルーラーの言葉ですら相手に信じさせることができるのだから、『啓示』と相性がいい。

 万策が尽きかけている状況なので、ルーラーが大丈夫と言ったことに賭けるしかないと全員が思っていた。

「よし、行くぞ。出て来いヒポグリフ!」

 ライダーの呼びかけに応じて現れるのは、幻獣ヒポグリフ。グリフォンと馬との間に生まれたというありえない存在である。霊格はグリフォンには劣るものの、生物としての格は現実に存在する生物を遥かに凌ぐ。

 出現と同時に魔力の暴風が吹き上がり、霧を押し退ける。ライダーはヒポグリフの背中に飛び乗る。

「よし、みんな後ろに乗って!」

 ルーラーはカウレスを抱えてヒポグリフの背に飛び乗る。生きている者を連れ帰るのが限界で、セレニケは連れて帰れない。

「く、ば、バーサーカー!」

 ヒポグリフの背中に乗れるのは二人が限度である。カウレスも、ルーラーの小脇に抱えられるような格好になっている。霊体化したところで、呪詛を防げるわけでもなくバーサーカーを置いていくこともできないと、カウレスはバーサーカーの手を掴んだ。

 硫酸の霧で傷んだ手でしっかりと自分のサーヴァントを掴む。

「どこに行くの?」

 霧の奥から声が響いてくる。

 幼さの残る少女の声のように聞こえる。

 “黒”のアサシンの声であろう。

「ライダー! 出してください!」

 ルーラーは“黒”のアサシンの能力の危険性から問答している時間はかけられないと感じていた。まともに応じることなく、ライダーに離脱を命じる。

 ライダーはヒポグリフの首元を踵で蹴って走らせた。視界はすでに零に等しい。一寸先は闇という状況の中でヒポグリフは乗り手を信じて翼を羽ばたかせた。

「ど、どうするのさ、ルーラー!」

「全力で斜め上に直進してください!」

 ヒポグリフは地を蹴って飛び上がる。霧の能力なのか、飛び上がった瞬間に方角が分からなくなる。足元すら見えないのだから、天地を喪失した恐ろしさだけが胸に去来する。

「カウントするので、合図をしたら左方向に! 三、二、一、今です!」

「もう、信じるぞ!」

 手綱を操り、馬首を左に向けるライダーは、霧の中をしゃにむに翔ける。

 ルーラーの言葉には迷いがない。

 今となっては、ルーラーの言葉のみが脱出の手掛かりであった。

 

 

 

 “黒”のアサシンにとって、霧の中に入ってきたあのサーヴァントたちはただの餌であった。蜘蛛の巣に引っかかった蝶でしかなく、霧の効果から逃亡は不可能なはずだった。

 だが、どうしたことだろうか。ヒポグリフは確かに目的を持って飛行している。

「え、うそ。逃げ道が分かるの?」

 ここに来てアサシンは焦った。

 霧から脱出されると必殺宝具『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』の威力は激減する。霧の中だからこそ、アサシンは絶対の強者として振る舞えるのである。

「逃がさないよ」

 確実に殺せる、弱そうな戦力を討つ。

 『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』は強烈な呪詛である。物理攻撃でもなければ魔術攻撃でもない。どこからともなく忍び寄る魔性の呪いは、霧の中にいるあらゆる敵の命を刈り取る。

 マスターからの魔力供給が皆無なために、不発は許されない。

 アサシンは標的を見定めて、宝具を発動した。

 

 

 

 あと少しで霧を突破できる。

 ルーラーは確信した。

 もはや遮るものもない。周囲は霧に閉ざされているが、それなりの高度にまで飛び上がっているものと思われ、建物に激突する心配もない。

 濃霧は徐々に消えていくのではなく、あるところで突然晴れた。

 空が眼前に押し寄せたような感覚すら覚えた。

 正常な空気に皆意識せずして咳き込み、酸素を取り込んだ。

「で、出たぁ!」

 ライダーは叫び、笑みを浮かべた。

 背後には霧の海が浮かんでいる。

「やばかった。ルーラー、ありがと」

「どういたしまして。ですが、脱出できたのはあなたとヒポグリフの力のおかげです」

 ルーラーはほっと息をついた。

 ライダーはヒポグリフを降下させ、路上に着地させた。

「カウレス、大丈夫ですか?」

 ルーラーは、自分が抱きかかえていたカウレスに声をかけた。しかし、カウレスは答えなかった。様子がおかしいと思い、ルーラーはカウレスを見下ろして、初めて異状に気づいた。

「な……」

 カウレスの右手に掴まっていた“黒”のバーサーカーの下半身が喪失していた。

 その身体の状態は、セレニケのそれとよく似ていた。アサシンの攻撃によってバーサーカーの身体は破壊され尽くしていたのである。

 バーサーカーを下ろしたカウレスは、呆然として傍らに座り込んだ。

「ヴぃ、ヴィィィ……」

 バーサーカーは弱弱しく唸った。

 これだけの重傷を負っていながらバーサーカーが消滅していないのは、人造人間であるということ、特に彼女の心臓が『乙女の貞節(ブライダル・チェスト)』に存在しており、身体の外に出ているという点が大きい。

 つまり、バーサーカーの霊核は脳とメイスに存在しているので肉体が大きく破損しても、即死するということはない。しかし、サーヴァントは怪我をすると霊核も弱まる。下半身が砕かれた今、バーサーカーは持って数分といったところであろうか。

 カウレスは言葉もなく、バーサーカーの手を握った。

 ルーラーとライダーもカウレスにかける言葉がなかった。霧から脱出してクリアになった視界に飛び込んできたのが、自分のサーヴァントの変わり果てた姿だったのだから、カウレスの受けた衝撃は如何ばかりであっただろうか。

 ふと、前を向くと月光に照らされた霧のドームがこちらに迫ってくる。

「いけない。アサシンはまだこちらを狙っています!」

「まずいって。ねえ、カウレス。早く退くよ。バーサーカーを背負ってさ」

「そうですね。ここまでくれば、わたしは走って逃れることができます。カウレスはバーサーカーとヒポグリフの背に」

 ルーラーとライダーが促す。

 バーサーカーは、視線をカウレスから迫り来る霧のドームに移す。

「ヴぃ、ギィ」

 バーサーカーの声は苦痛を訴えるものではないとカウレスは思った。

 バーサーカーはカウレスの手を握り返して、何とかして意思を伝えようとしている。彼女の呻き声にも、きちんとした意味がある。

「おまえ……」

 二人の間には、ルーラーとライダーには分からない絆があるのだろう。

「バーサーカー……すまない……」

 カウレスは唇を噛み締めて、握ったバーサーカーの手を自分の額に押し当てる。そして、そのまま令呪の膨大な魔力をバーサーカーに注ぎ込んだ。

「宝具『磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)』を解放し、“黒”のアサシンを討伐せよ」

 

 

 

 “黒”のアサシンは敵が霧の中から脱出したときに撤退してもよかった。

 姿を見せたわけではなく、彼女が撤退すれば敵から宝具の情報が抹消される。まさしく神出鬼没で正体不明の殺人鬼として、常に敵に対して先手を取り続けることができる怪物である。

 だが、この日ばかりは欲を出してしまった。

 それは、二人を確実に仕留めたということと、敵が霧の結界を動かせば再び取り込める位置で止まったこと。そして、それが罠の類ではなく味方の死を嘆いてのものであることなどの要素があり、最も強そうなサーヴァントが女だということもあって、狙いどころだと感じたからであった。

 霧の結界が敵を再び取り込む前に、外部で魔力が爆発したのをアサシンは感じた。

「え……」

 おかしい、と思った。

 霧の中に隠れている限り、アサシンの姿を目視することはできない。今回は完全に存在を隠したまま襲撃しており相手はこちらの姿すらまともに見ることができなかった。狙いをつけるなど不可能である。だというのに、空に立ち上る雷撃は明らかに宝具の発動を意味している。

「うそ、どうして!?」

 アサシンには霧を突き破り一路自分を目指して伸びてくる雷の蛇を前にして、迎撃しようなどという発想は出てこなかった。必死になって建物の陰に飛び込み一目散に逃げる。

 だが、アサシンの懸命の逃走をあざ笑うかのように雷は捻じ曲がり、アサシンを目掛けて伸びる。

 雷は鞭のように撓って家々を貫き、あっという間にアサシンの背中に迫った。

「うあああああああああああああああああああッ」

 アサシンは一瞬後の死を自覚して絶叫する。

 令呪に縛られた宝具の雷撃がアサシン一騎を始末するためだけに標的を絞ったことで、因果律すらも歪めてアサシンを喰らい尽くそうとする。

 まさに、雷撃に呑まれそうになったその瞬間、アサシンの身体を魔力が優しく包み込み、別の場所に転移させた。標的を捉えそこなった雷撃は地面にクレーターを作って消滅した。

 アサシン自身も生きているのが不思議であった。

 だが、すぐにマスターが令呪で助けてくれたのだと知って涙が溢れた。

 足が鈍く痛む。

 見れば右足の膝から先が焼け爛れていた。

 アサシンを討伐せよという令呪の力を、アサシンを救おうとする令呪の力でなんとか打ち消したものの、完全に拮抗できなかったのは、消費した令呪の数によるものだろう。

 マスターが消費した令呪は一画。本来はそれだけで十分だったはずだが、相手が二画以上の令呪を使っていたことで押し負けた。アサシンが生きているのは、霧の結界に身を潜めていたことと必死になって逃げたことが敵の宝具の力をアサシンを追いかけるという余計な部分に使わせたからであろう。

おかあさん(マスター)……おかあぁさぁん(マスター)……う、うう、痛い、よぅ」

 アサシンは足を引き摺りながらマスターの元に向かう。

 涙に濡れた顔は、とても連続殺人鬼には見えない。あどけない表情で涙を零し、アサシンは姿を消した。



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三十三話

対軍宝具を素で何とかしてしまったカルナさんすげーって思ったけど、カラドボルグをただの石器で何とかしてしまったヤツが初代にいたと思えば大したことはなかった。
ただの石器の癖にカラドボルグで砕けなかったのはどうしたことか。


 カウレスとの念話が遮断されたことで、彼らが敵に襲われたということがすぐに分かった。

 “赤”のサーヴァントではない。

 間違いなく“黒”のアサシンによる襲撃であろう。

 アサシンは今トゥリファスでカウレスたちを襲っている。

 魔術の知識を与えたホムンクルスたちとゴルドのおかげで城の防衛設備は以前とは別のものに切り替わりつつあり、“黒”のセイバーもいるのでアサシンの襲撃がこちらにまで来ることはないだろう。

 フィオレはすぐにアーチャーをトゥリファスの旧市街地に向かわせて、カウレスたちを援護させた。

 が、しかし――――、

“やれやれだ。まさか、森を出てすぐに足止めとは”

 アーチャーはある住宅の後ろの陰に隠れて様子を窺う。

 完全に後手に回った。

 頬から滴り落ちる血はすでに乾き、治癒魔術によって癒えている。

 少し前まで立っていた通りには、一本の矢が突き立って地面を砕いている。

「“赤”のアーチャーか。確か、アタランテと言ったか」

 想定していなかったわけではない。

 元々『アーチャー』のクラスは斥候に向いているので、“赤”の側が彼女を投入するのはフィオレたちも考えていた。

 だが、このタイミングで狙撃してくるとは実に間が悪い。

 通常の聖杯戦争ではクラスの重複などありえないのでこのような事態もないが、『アーチャー』同士の戦いとなると先手を取ったほうが圧倒的に有利である。

 狙撃手との戦いは生前から幾度となくやってきたことで、今更珍しいとも思えないが相手はギリシャ最高の狩人と名高いアタランテである。その弓の腕は神技と呼ぶに相応しく、音もなく影から急所を射抜いてくるであろう。

 狩人という出自から森林での戦いでも不利となる可能性もある。障害物は矢から身を守るには都合がいいが、狙撃手がどのように移動しているのかということがこちらから見えないので敵の位置を探りにくい。せめてルーラーがいてくれればアーチャーの居場所を感知できたのだろうが、今は念話も繋がらない状況である。

 ともあれ、ここで“黒”のアーチャーが“赤”のアーチャーを撤退に追い込む、ないし膠着状態を維持しなければ、“黒”のアサシンと交戦中のルーラーたちがますます不利になってしまう。

 さて、どうするか。

 今、“黒”のアーチャーが身を潜めているのは入り組んだ路地の只中である。

 弓が非常に機能しづらい環境に身を置いて、“赤”のアーチャーの狙撃から身を守っている。

 路地での戦闘に合わせて得意の双剣を投影し、油断なく周囲の様子を窺う。魔力探査ならびに視力と聴力を駆使して“赤”のアーチャーの居場所を探る。

 対する“赤”のアーチャーはとある住宅の屋根に立っていた。狙撃手は高いところを確保したものが優位に立てる。高台にあるミレニア城塞ほどではないが、“赤”のアーチャーが確保した家は他の家に比べて一階分だけ背が高い。

 しかし、住宅街に逃げ込まれたことで“赤”のアーチャーは狙撃できなくなった。

 多少高い程度では、路地に逃げ込んだ“黒”のアーチャーを捕捉できない。姿こそ物陰に隠れているものの、確かに彼はそこにいる。だが、油断をすれば見失ってしまうだろう。入り組んだ路地を使って“赤”のアーチャーの背後を取るという可能性も否定できない。こちらが優位性を保つには、相手を視界に収める狙撃ポイントを確保する必要がある。

「しかたあるまい」

 “赤”のアーチャーはトントン、と片足のつま先で屋根を叩く。それから、弓に矢を番えるでもなく、目的地を見定め、弓を持たないほうの手を下に向ける。

 彼女の姿勢は短距離走で見るクラウチングスタートによく似ていた。誰に教えられたわけでもない。動物的な本能が、肉体を最も的確に用いる方法を編み出したのである。

 そして、“赤”のアーチャーは自らを矢とするかのような勢いで、跳び出した。 

 風を切って、弾丸のように飛翔する“赤”のアーチャー。

 それは、単なる跳躍である。しかし、ただの一歩で数百メートルを走破する跳躍を人間ができるものでもない。まさしく、英雄アタランテの為せる業。俊足の英雄は、“赤”のライダー(アキレウス)だけではない。彼女もまた俊足の逸話が残る英雄の一人であり、“赤”のライダーに勝るとも劣らない足を持っている。

 伝承はスキルとなって蘇る。

 『アルカディア越え』のスキルによって、“赤”のアーチャーは戦場のあらゆる障害物を跳び越えて移動することができるのである。魔術的加工の施されていないただの住宅など、どれだけ並べたところで彼女の行く手を遮る障害には成り得ない。

 疾風と一体となった“赤”のアーチャーは、空中で弓に矢を番えた。

 

 

 

 “黒”のアーチャーは僅かな風切り音を聞きとがめて空を見る。建物によって狭まった空を、何かが過ぎった。

「ッ……!」

 咄嗟の反応が命を救った。

 頭蓋を射抜くはずだった矢は“黒”のアーチャーの頬を浅く裂くだけで終わった。

 “赤”のアーチャーの出現は一瞬だ。

 家々の屋根から屋根を飛び回り、“黒”のアーチャーが視界に入ったその僅かな時間を利用して狙いを定めて矢を射放つ。

 “黒”のアーチャーは完全に守りに回ってしまった。

 今の段階では、どうあっても狩人に殺害される獲物でしかない。

 “黒”のアーチャーは路地を駆けながら宝具を投影する。刺々しい魔剣は刃を失い、ただ抉るだけの存在へと変わり果てている。

『アーチャー、大丈夫ですか!?』

『何とかな』

 フィオレが治癒魔術をパスを通じて送ってくる。

『要塞から、“赤”のアーチャーの姿が見えるか?』

『そのはずですけど、少し待ってください』

 ミレニア城塞は、トゥリファスの街を一望する高台にある。物見台に上がって、望遠の魔術を使えば魔術師でも細部まで見渡せるし、トゥリファスそのものにユグドミレニアの魔術が染み渡っているので、街の中で起こっていることを把握するのは難しくない。

 フィオレは物見台まで礼装を駆使して即座に移動して、トゥリファスの市街地を睥睨する。

『確認しました。今は屋根の上に佇んでいるようですね……。ですが、動き出したら、わたしの目では追えませんよ』

 “赤”のアーチャーの動きはあまりに速い。サーヴァントの戦闘は人間の動体視力で捉えられるものではないが、数百メートルも離れれば話は別だ。高速で動く物体も、距離次第では動きを目で追うことはできるものである。

 最速の英雄の一角を担う“赤”のアーチャー(アタランテ)をフィオレが目で追うのは難しい。

『いや、構わない』

 “黒”のアーチャーは言う。

『君と視界を共有させてほしい』

『なるほど、そういうことなら。すぐに結びます』

 サーヴァントと視界を共有するのは、マスターの基本技能の一つである。サーヴァントが何をしているのか安全圏から知るためには必要不可欠な魔術である。

 視界を共有するためには両者の合意が必要だが、合意さえできればマスターはサーヴァントが見ているものを見ることができる。そして、滅多に使用する機会もないが、理論上はマスターの視界をサーヴァントが見ることも不可能ではない。

 だが、視界をフィオレと同調するということは、“黒”のアーチャーは自分の視界が失われるということである。

 何をしようとしているのか分からないが、戦術についてフィオレが口出しできることはほとんどない。

 請われた通りに視界を“黒”のアーチャーと繋げる。

 そのとき、トゥリファスの旧市街地――――“黒”のアーチャーがいる辺りから、空に一筋の赤い光が打ち上げられた。

 空に昇った赤い魔弾は、百メートルほど上昇した後、隕石のように地上に向かって落ちる。その先には、“赤”のアーチャーがいた。

 驚いたのは“赤”のアーチャーであった。

 “黒”のアーチャーの宝具には狙った対象を追い続ける魔弾があると聞いた。

「わたしの居場所をどうやって!」

 “赤”のアーチャーは舌打ちをして、住宅の屋根を飛び回る。追走する赤い魔弾は屋根に当たる前に進路を変えて屋根すれすれを飛び、“赤”のアーチャーを追撃する。

 “黒”のアーチャーが何かしらの手段で自分の居場所を的確に捉えているのか、それともあの赤い魔弾そのものに自動追尾機能があるのか、それは“赤”のアーチャーの与り知るところではないが、威力の凄まじさは見て分かる。“赤”のライダーや“赤”のランサーならばまだしも、彼女の『耐久』は宝具の直撃に耐え得るものではない。ギリシャ最高峰の『敏捷』によって回避するしかない。が、しかし魔弾は一度避けて終わりというものではない。

 当たる直前に飛び退いて辛うじて回避しても、すぐに切り返して次が来る。“黒”のアーチャーと同じように路地に逃げ込むか、と考えもしたが“黒”のアーチャーの魔弾が爆弾となるのは周知の事実である。辺り一帯を根こそぎ吹き飛ばされたとき、逃げ場がなければ大打撃を受ける。

 回避できないとなれば、迎撃するしかない。

「『訴状の矢文(ボイポス・カタストロフェ)』!」

 空に射放つ矢は“赤”のアーチャーと関わりの深い月の女神アルテミス並びにその双子の兄にして太陽神のアポロンへ加護を訴えることで、敵対者に無数の矢を降り注がせる対軍宝具である。

 今回はその効果範囲を極限にまで絞り、自分を狙う魔弾を迎撃させる。

 宝具と宝具の激突は、双方が四散する形で決着した。爆風の影響で“赤”のアーチャーは吹き飛ばされたが、野山での生活で培ったバランス感覚は空中で軽々と体勢を整えさせて、猫のように着地する。

「“黒”のアーチャーは……?」

 今の爆発で“黒”のアーチャーの気配が読めなくなった。

 それは、狙う側と狙われる側が入れ替わったことを意味している。

 となれば、撤退するべきだろう。

 地理的優位性があったからこそ“黒”のアーチャーに手を出したが、それが失われた以上は戦い続ける意義がない。

 “赤”のアーチャーには戦士の誇りなどない。奪うか奪われるかという世界で生きてきたから、奪われないようにさっさと撤退するくらい恥でもなんでもない。

 戦場から離れ、遠目に様子を眺めることにしよう。

「と……ッ」

 “赤”のアーチャーは首を振る。

 飛んできた矢が髪を数本切って、夜闇に消える。

「アーチャー」

「君もだろう」

 “黒”のアーチャーが路地から飛び出してきたのである。彼我の距離はすでに二十メートルほどに縮まっている。サーヴァントならば一息で詰められる距離である。

 両手には『干将・莫耶』が握られ、近接戦の構えである。

 “黒”のアーチャーは“赤”のライダーと打ち合って生き残った技能の持ち主である。弓の腕前で鳴らした“赤”のアーチャーであるが、弓の使えない近距離での戦闘では押し負けるのは考えるまでもない。

 だが、まだ遠い。

 矢を番えて射るのに一秒とかからない。

 “黒”のアーチャーを射殺してやろうと矢を番えたとき、双剣が“赤”のアーチャーに投じられた。

 “赤”のアーチャーは身を低くしてこれを躱す。

鶴翼、欠落ヲ不ラズ(しんぎむけつにしてばんじゃく)

 “黒”のアーチャーが前に踏み出した。両手にはすでに投じた双剣とまったく同じ双剣がある。今更“赤”のアーチャーは驚かない。

心技、泰山ニ至リ(ちからやまをぬき)心技黄河ヲ渡ル(つるぎみずをわかつ)

 再び“赤”のアーチャーが“黒”のアーチャーを狙った。その背後を、路地から現れた『干将・莫耶』が襲う。躱した双剣とは異なる、二組目の『干将・莫耶』である。さらに躱したはずの双剣が戻ってくる。完全な不意打ちに、“赤”のアーチャーの動きが止まった。

 回転する二組の双剣は互いに惹きつけ合い、その進路上に立つ“赤”のアーチャーを斬り裂く檻となる。

唯名別天ニ納メ(せいめいりきゅうにとどき)両雄、共ニ命ヲ別ツ(われらともにてんをいだかず)!」

「アーチャー!」

 “黒”のアーチャーの近接戦闘における切り札である鶴翼三連により、“赤”のアーチャーは完全に退路を断たれた。

 何もしなければ斬り捨てられる。

 “赤”のアーチャーの判断は早かった。後ろにも左右にも、もちろん前にも逃げ場はない。なければ作るしかないのである。弾丸のように矢を放つ。

「ッ……!」

 “赤”のアーチャーが放った矢は的確に“黒”のアーチャーの『干将』を弾く。

 “黒”のアーチャーは双剣の一方を弾き飛ばされつつ、腕を伸ばすようにして『莫耶』で刺突を放った。だが、『干将』を失ったことで檻に穴が開いた。進路さえ開けば、“赤”のアーチャーに逃れられない道理はない。

「ああああああああああああああああああああああああッ」

 裂帛の気勢を上げて、“赤”のアーチャーは“黒”のアーチャーの脇をすり抜けた。さらに“赤”のアーチャーは振り返り、バックステップを踏みつつ矢を放ってくる。

「チィ……ッ!」

 “黒”のアーチャーが舌打ちをして『莫耶』で矢を斬り払ったときには、すでに“赤”のアーチャーは霊体化して撤退していた。

 気配が遠のき、追撃よりも優先すべきことがある以上は彼女との戦いはここまでだ。

『終わったようですね、アーチャー』

 フィオレから念話が入った。

『ああ。そちらは何かあったか?』

『――――バーサーカーとセレニケが討たれたらしいの。今、霧から脱出したっていうから合流して帰ってきて』

『そうか。了解した』

 “黒”のアーチャーはため息をついて“黒”のアサシンから逃れた仲間の下に向かった。

 

 

 

 □

 

 

 

 セレニケと“黒”のバーサーカーを失ったことは“黒”の陣営にとって少なくない打撃を与えた。“黒”のライダーは暫定的にルーラーをマスターとして現界を維持しているが、バーサーカーはどうしようもない。“赤”の陣営と戦うには戦力としては心もとなかったが、Bランクとはいえ対軍宝具を有するサーヴァントは貴重な戦力であった。

 それが失われたのだから、“黒”の陣営に走る動揺は非常に大きかった。

 ダーニックに続いてセレニケが死んだ。

 幸い、夜で人通りが少なかったこともあって遺体が人目につく前に収容することができたが、彼女の最期はあまりにも悲惨であった。

 内側から臓器が引きずり出されていた。

 本来は即死するべき重傷だったが、魔術刻印による延命作用で死に切れず、結果として介錯されて身体から切り離された顔には苦悶の表情が浮かんでいた。

 彼女の遺体を見たフィオレは、何を思ったか表情に変化はなかったが、無意識なのか車椅子の肘掛を強く握り締めていた。

「フィオレ、もういいだろう。“黒”のアサシンへの対処を考えるのが先だ」

「……そう、ですね。行きましょう、アーチャー」

 遺体は魔術刻印を回収してから埋葬されることとなる。アイスコル家に彼女を上回る魔術師はいないので、おそらくはここでアイスコル家は打ち止めとなるだろう。セレニケは、基盤を失って衰退していた家系にやっと現れた逸材だったのである。それが、このような形で失われたのだから、もうアイスコル家は立ち上がれまい。

 フィオレはアーチャーに車椅子を押されて会議室に戻った。

 会議室には、“黒”の面々が揃っている。その中に“黒”のアサシンの宝具を受けて怪我をしていたカウレスの姿もあった。

「カウレス、あなたは休んでいなさい」

「そういうわけにもいかないだろ、姉さん。“黒”のアサシンをどうにかしようってときに、アイツと対峙した人間がいないのはまずいって」

 カウレスは全身を包帯でぐるぐる巻きにされている。ライダーはその姿を木乃伊男みたいだとからかったものだが、そうした軽いノリが、サーヴァントを失ったばかりのカウレスには救いだった。

「怪我なら治癒術でもう治りかけてるからさ、心配しなくても大丈夫だって」

「そう、なら無理強いはしないけど」

 それから、フィオレは車椅子を自分の定位置にまで進ませた。

「ところで、姉さん。商談はどうなったんだ?」

「それなら、何とかなったわよ。ジャンボジェットがあと五機は買えるくらいにはなったかしら」

「め、目茶苦茶大金じゃないか!?」

「でも、高価な礼装だし、もっと高く売りつけようと思ったのだけど、向こうが出せない金額でも意味はないでしょ。これでも、それなりに良心的な価格設定なのよ」

 フィオレは憂鬱そうに頬に手を当てて言った。

 フィオレの発言にゴルドは詐欺だろうと思ったが決して口には出さない。

 フィオレが闇ルートの魔術師に売りつけた礼装は、一般には流通していない極めて高い神秘性を有した品である。聖杯戦争が各国で行われている今、聖遺物のみならず強力な礼装も高額で取引されるので今回の商談はものがものだけに交渉相手にも多少の無理をしてでも買い占めたいと思わせた。

 さらにユグドミレニアの現状も拍車をかけた。

 彼ら闇の販売人たちの主な取引相手は魔術協会に属さない在野の魔術師である。もちろん、魔術協会も取引の相手としているが、主要なルートではない。魔術協会から離反したユグドミレニアはここ数ヶ月は最大の取引相手ではあったが、この聖杯大戦の行方次第では滅亡してしまう勢力でもあった。ユグドミレニアが滅亡すれば、貴重な礼装は魔術協会に接収されることとなるだろう。つまり、今確保しなければ今後一切、宝具級の礼装を手に入れることはできないのである。

 フィオレは追い込まれた自分たちの現状を利用しつつ、商談を進めたが、相手に金を出させるだけ出させるに至ったのは、“黒”のセイバーも商談に参加したことが大きい。

 彼はほとんど口を開くことはなかったが、相対する魔術師としてはその存在感だけで思考が停止するほどだっただろう。セイバーの人となりを知るフィオレからすれば滑稽だが、商談相手にとってはそうではない。サーヴァントの存在を利用して脅しをかけるようにしてフィオレは商談を成立させた。

 さらには売り払った礼装はすべて元手のかからない投影品である。

 そのうち消えるかもしれないが、そのときにはもう出自不明の礼装となっていてフィオレたちに疑いの目が向けられることはない。闇ルートというのは、もともとそういうものである。

「お金は三日以内に現金でこちらに送られるはずですから、それでいいとして、アサシンの対処をしなければなりませんね」

「だが対処と言っても、そう簡単ではないだろう。結局、ヤツの宝具は分からずじまいでセレニケとバーサーカーがやられたという事実だけが残っている始末だ」

 ゴルドが腕を組んで不愉快そうに言った。

 アサシンの情報抹消能力は、襲撃を受けたルーラーやカウレスらの記憶からアサシンについての情報を掻き消していた。これでは、こちらが一方的に被害を受けただけで何も得るものがない。アサシンと対峙するときは、必ず初戦にまで状況がリセットされる。

「いや、そうでもないぞ」

 しかし、ゴルドの呻きを否定する声が上がる。

 カウレスが机の上に置いたのは一枚の羊皮紙であった。

「カウレス、それは?」

 ルーラーがカウレスに尋ねる。

「アサシンに襲われているときに、俺が見たり聞いたりしたことを魔術で書き込んでたんだよ。姉さんとアーチャーのおかげで、アサシンには記憶に干渉するスキルか宝具があるって知ってたからな」

「な……!?」

 ルーラーは驚いてカウレスの羊皮紙を手に取って、眺めた。

 A4程度の大きさの羊皮紙にはカウレスの血で文字が書き込んであった。流体操作の魔術で自分から流れ出た血を操って、文章にしたのである。ペンを走らせるよりも早く文章を完成させることができるので、緊急時に何かを書き残したい場合には時々使用される。それは、アサシンに気取られないようにするという意味もあり、カウレスは緊迫した状況下の中でセレニケの死の一部始終や、アサシンの宝具の外見的特徴などを箇条書きで書き記していた。

「酸の霧、ですか」

 まったく記憶に残っていないが、何かから脱出したということだけは分かっていた。それが霧の宝具だと分かって、ルーラーは喉に刺さった小骨が取れたようなすっきりとした気分になった。

「セレニケは呪詛のようなもので倒されたのですね」

 フィオレも羊皮紙を覗き込んだ。

「直接触れることなく、発動したら最後、問答無用で相手を倒す呪いですか。これは厄介ですね」

「ですが、そこまで強力なものとなると何かしらの発動条件があるはずです。生憎とこれだけでは絞り込むことはできませんが……」

 フィオレの呟きを拾ったルーラーが言う。だが、発動条件を探ろうにも、ジャック・ザ・リッパーの伝承は謎に包まれている。もはや、謎そのものがサーヴァントとなったようなものであり、どのような形で召喚されるのかもはっきりしない。ジャック・ザ・リッパーの名を冠した別物が召喚されていても不思議ではない。

「アサシンの能力を纏めると、酸の霧と敵を解体する呪詛と言ったところか。霧そのものは脅威ではないにしても、呪詛のほうは危険だな」

 アーチャーの言葉に全員が頷いた。

 フィオレは顔を顰めて呟く。

「しかし、アサシンに時間をかけるわけにも行きません。可能なら、すぐにでも動きたいところですが」

 だが、アサシンを探し出すのは容易ではない。

 暗殺を旨とするクラスなので、それも当然だが影に潜んだアサシンは向こうから出て来ない限りは捉えられない。

「ルーラー。まだ、アサシンはトゥリファスに潜んでいますね?」

「それは確実です。おぼろげではありますが、アサシンの気配は確かにトゥリファスにあります」

 それを聞いて、カウレスは唇を噛んだ。

 “黒”のバーサーカーの最終宝具は発動すればバーサーカー自身が消滅する自爆宝具である。よって、相手を確実に道連れにする局面でなければ使ってはいけなかった。バーサーカーが消滅する間際に、最期の一働きをさせてやろうと令呪で発動を強制したが、それでもアサシンを仕留めるには至らなかったらしい。

「“黒”のアサシンに“黒”のバーサーカーの宝具に耐えるだけの能力があるとは思えません。おそらくは、アサシンのマスターも令呪を使ってアサシンを撤退させたのでしょう」

 ルーラーはそう断言する。

 そうであってほしいという願いが多分に含まれているが、それ以外には考えられなかった。

 カウレスが使った令呪は二画。霧で姿を隠しているアサシンに向かっていくだけの指向性を与えるには、一画では不十分だと判断したからである。目的そのものはほぼ達成したが、アサシンを仕留めるまでにアサシンのマスターが令呪を使った。だからこそアサシンは今でも生きている。

「どのようにしてアサシンを探し出すか。それが問題ですね」

 ルーラーは腕を組んで思案する。

 トゥリファスが如何に小さな都市であるとはいえ、そこから人間を探し出すのも簡単ではない。ましてや相手は『気配遮断』を持つアサシンである。限られた時間内に探し出すのは、砂漠の中から一粒のダイヤを探し出すことに匹敵する労力と危険を伴うものと思われた。

「なあ、アサシンを探すのが大変なら、マスターを探したほうが早いんじゃないか?」

 そんな中で提案したのはカウレスだった。

「なるほど、マスターは『気配遮断』をしているわけではないし、情報によれば魔術師ですらない。それならば、マスターを探したほうが確かに効率がいい」

 アーチャーは頷いてカウレスの意見に賛同する。

「ですが、マスターを探すと言ってもわたしたちにはマスターについての情報がありません。魔術師ですらないのなら、一般人とほぼ同じではないですか。トゥリファスに、一体何人の一般人が暮らしているか……」

 トゥリファスの人口はおよそ二万人である。ここはユグドミレニアの管理下に置かれた街であるが、一般人のすべてを把握するなど不可能にもほどがある。

「いや、マスターを特定するのなら、この街の人間に注目するべきではない」

「アーチャー?」

「フィオレ。アサシンのマスターとなるはずだった男は、日本で召喚を行ったな?」

「え、はい。本当はロンドンで召喚するのが一番なのですが、あそこは今敵地ですので、ロンドンに近い環境にある新宿という場所で召喚を行うとのことでした」

「ならば、話は早い。アサシンがそこでマスターを裏切ったというのなら、マスターは日本人だろう。相手が魔術師でないなら身分を誤魔化す手段も持たないはずだ。アサシンが召喚された後にルーマニアに渡ってきた日本人の中にマスターがいると考えるべきではないか?」

「あ、そういうことですか!」

 ルーマニア国内で起こった切り裂きジャック事件は、ブカレストに端を発している。ブカレストにはアンリ・コアンダ国際空港がある。アサシンのマスターはここでブカレストに入り、シギショアラを経由してトゥリファスに入ったのであろう。

「ブカレストからトゥリファスに直接向かうバスはありません。わたしはここに来るのにヒッチハイクで来ましたけど、公共交通機関を使えばシギショアラに立ち寄らなければなりません」

 ルーラーが自分の経験を交えてブカレストからトゥリファスへの移動方法を例示した。バスを使うのが一般的だが、どうしたところでシギショアラに一回立ち寄らなければならないという。

「魔術師じゃないなら暗示もできないだろうし。俺、空港に潜ませた血族にリストを流させてくる。よく分からないけど、ルーマニアに来る日本人はそう多くないだろ?」

 日本ではルーマニアはメジャーな観光地というわけではない。ルーマニアの人間にとって日本はあまりにも遠い異国であり、それは日本人からしても同じはずである。

 まして、観光地でもないトゥリファスに向かおうというのは少数派を通り越して皆無のはずだ。

「アジア人は目立つからな。トゥリファスで捜索すれば、情報くらいは入りそうだけど」

 “黒”のキャスターがいれば、トゥリファスの街中を日がな一日偵察できたのだが、今となっては使い魔を放つくらいしかできない。

 後は聞き込みをするしかない。

「明日の朝一番で街にでて、日本人を探しましょう。ルーラーにお願いしたいのですが、よろしいですか?」

「そうですね。わたしなら、人々から情報を引き出すのも難しくありませんし。ですが、あまりに捜索範囲が広いように思います。アサシンがいる辺りといっても……」

「暗示が得意なホムンクルスを動員します。交渉している時間はないので、片っ端から暗示をかけて記憶を引き出します」

「ご、強引ですね」

「当該人物の絞込みはカウレスと血族が行います。朝にはそれなりのものが仕上がると思いますよ」

 フィオレはそう言いながらカウレスを見る。

 木乃伊状態のカウレスは、包帯の上からでも分かるくらいに顔を顰めて視線を逸らす。

 この姉は、自分に徹夜をしろと言っているのだ。

 心配してくれたと思った矢先にこうも人使いが荒いと素直に感心してしまう。

 トゥリファスから離れればユグドミレニアの影響力は下がる。しかし、公共交通機関については、魔術協会の魔術師が利用する可能性を考慮して、この戦いのために多めに人材を割いていた。飛行機とバスは、国外からトゥリファスに入るために使う交通手段としては最も利用される可能性が高い。

 期間もそれほど長くなくていい。

 ジャック・ザ・リッパーが召喚されてからそれほど長い時間が経ったわけではない。

 ルーマニアに入国し、シギショアラを経由してトゥリファスに向かった日本人に限定して捜索を行えば、アサシンのマスターに辿り着くことは決して不可能ではないだろう。

 



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三十四話

 浅い眠りから早朝の日差しで覚醒した。

 薄い掛け布団をどかして身体を起こすと、すぐ隣で膝を抱えて眠る少女がいる。彼女は、母親(マスター)の起床に気付いて、もぞもぞと動き出し、目を擦りながら欠伸をした。

マスター(おかあさん)、おはよう」

「おはよう、ジャック」

 銀髪とアイスブルーの瞳を持つ少女に母と呼ばれるのは、髪をブロンドに染めたアジア人の女性である。

 六導玲霞というのが彼女の名である。

 その名が示す通りの日本人である。ゆったりとした長い髪で、美しいというよりも艶めかしいというべき容貌は、見ようによっては西洋人にも見えて、あらゆる男を誘惑する。

 もともとは新宿で生計を立てる娼婦であった。

 だが、運命のいたずらによってジャック・ザ・リッパーを召喚するための生け贄に選ばれ、そして“黒”のアサシンに気に入られてマスター権を手に入れた。

 玲霞はアサシンの髪を櫛で梳く。

 アサシンは大人しくされるがままになっている。 

 普通の親子がそうするように、彼女たち主従(親子)はそれを自明のものとして毎日を送っていた。

 玲霞にとってはアサシンは自分の娘に等しく、アサシンにとって玲霞は母親に等しい。

 互いに空虚を埋めるために、互いを必要としている共依存的関係は、これを維持するために他の命を奪い尽くしても構わないと思えるほどに深くなっていた。

 ただの人間である玲霞には魔術など理解できない。

 自分がとてつもないことに巻き込まれたことは正しく認識している。しかし、だからどうした。自分の娘が夢を叶えたいと言っているのだから、母親が手伝わないわけにはいかない。

 もとより人生を見失っていた玲霞にとって、目的を与えてくれたアサシンは何にも勝る宝である。

「これから、どうしましょうか、ジャック」

「うーん、聖杯は赤いほうに取られちゃったし、聖杯を取るにはおっかけないといけないんだよね」

「いざとなったらハイジャックでもして、あの大きな要塞に入り込めばいいのだけど、昨日やっつけたサーヴァントの仲間がまだあなたを狙っているのでしょう?」

「そうだね。だから、早くやっつけないといけないかな」

 “黒”のアサシンにとっては“黒”も“赤”も等しく敵である。聖杯を手に入れるには十三騎のサーヴァントを出し抜かなければならないのだから、陣営に意味はない。さらには、第一義として玲霞と共にいることが必要だ。どちらの陣営に就いたところで、魔術師ではない玲霞とのパスを切られるのは確実と言えたので、決して協調路線を歩むつもりはない。

「それじゃあ、今晩勝負をしかけましょうか」

「今晩?」

 ジャックは首を捻る。

「あの人たちはわたしたちを探して外に出ると思うからね。夜になれば、あなたの宝具は最大の威力を発揮するのだから、迎え撃ってしまえばいいのよ。昨日仕留め損ねた女性サーヴァントもいるんでしょ?」

「うん」

 アサシンの宝具は“夜”“霧”“相手が女”という三点を揃えたとき、問答無用で相手を絶命に至らせる強大な呪詛を叩き付ける。性別についてはアサシンではどうすることもできないが、日が落ちるのを待ち、そしてもう一つの宝具『暗黒霧都(ザ・ミスト)』を使えば霧の条件もクリアできる。戦闘を行う時間さえ選択できれば、アサシンは圧倒的強者として猛威を振るうことができる。

「でも、出てくるかな?」

「出てくるわ。絶対」

 玲霞は断言した。

「だって、“黒”のほうは聖杯を奪われちゃったんでしょう? だったら、取り返しに行かなくちゃいけないわよね」

「そうだね」

「だけど、わたしたちをどうにかしないと追いかけることができない、……だったら、必ずわたしたちを捜しに来るわ」

 “黒”の陣営が望むのは間違いなく短期決戦である。

 昨日の戦いで一人のマスターと一騎のサーヴァントを失った。しかし、だからといって聖杯を取り返さなければならない以上は空中庭園に乗り込まねばならず、そうすれば全面対決以外に事態を収拾する術はない。

 二つの陣営が激突すればアサシンに目を向ける余裕はなくなるだろう。

 そのときにアサシンを放置していれば背後を突かれて終わりだ。

 よって、“黒”の陣営は“赤”の陣営と決着を付ける前に“黒”のアサシンの問題を片付けておかなければならないのであった。

 そのような状況下で長期戦を挑んでくる可能性は皆無である。

 “黒”のサーヴァントたちは是が非でもアサシンを探し出さなければならない。

 だが、アサシンの宝具は待ち伏せに高い効果を発揮するタイプの代物である。アサシンを求めて彷徨う敵を、こちらは一騎一騎あるいは一人一人始末していけばいい。

「そうだわ、ジャック。足の調子はどうかしら?」

「怪我ならもう大丈夫」

 アサシンは敵の宝具によって怪我をしていた。魔術師ではない玲霞にはアサシンの怪我を癒す術はなく、アサシンの自己治癒力とスキルに任せるしかない。

 アサシンには『外科手術』のスキルがあり、このおかげで自身とマスターの怪我を治療できる。見た目は保証されないが、命を繋ぐこともできるから、治癒術の恩恵を受けられないアサシンが戦い続けるために非常に重宝していた。

 “黒”のバーサーカーが命を賭して負わせた傷は、セレニケの心臓を捕食したことで補給した魔力と『外科手術』によってほぼ完治していた。

「さすがに、マスターになった魔術師は効率が違うわね。もちろん、ジャックのスキルがあってこそだけど」

「ん」

 玲霞はアサシンの頭を優しく撫でる。

 彼女の右手には二画の令呪が宿っている。アサシンが『外科手術』によって本来のマスターの遺骸から剥ぎ取り、玲霞に移植したものである。

 この令呪のおかげで、今回はアサシンを窮地から救い出すことができた。

 敵の死力を尽くした一撃に対処するには、冷静で素早い判断が必要だったが、玲霞にはまったく苦にならなかった。

 玲霞には物事を俯瞰して捉える癖がある。自分の命すらも、彼女の視界の中では代替可能なピースの一つでしかなく、だからこそ最適解をその都度導き出すことが可能なのである。

 特殊且つありふれた「最低な家庭」の一風景の中で育ったからだろうか。

 彼女は極端なまでに割り切りがよく、目的遂行のための犠牲を必要なものと理解し、殺人にも手を染めている。命を奪うことはいけないことだと分かっているが、愛しい娘のためならば許容される。少なくとも、玲霞の中では。

 こうした冷徹な思考が、アサシンの危機に対して令呪を使うという素人らしからぬ判断をさせた要因であろう。

 生き残るためにはどうするか。アサシンの願いを叶えるためにはどうするか。玲霞にできることは少ない。戦闘を補佐できるのはあと二回が限度であり、これから先を思えば、この二画の使い道は決して誤ってはいけないのである。

 

 

 

 □

 

 

 

 “黒”のバーサーカーのときもそうだったが、“黒”のライダーも騒がしい。

 カウレスは包帯の取れた顔を顰めて自分のテーブルに頬杖をついて少女にも見える少年騎士を見た。

「治癒魔術ってのはやっぱりすごいなぁ。あの焼け爛れた顔がつるつるになっているじゃないか」

「ライダー。何の用だよ」

 カウレスは“黒”のアサシンの宝具の影響で全身が焼け爛れてしまっていた。喉まで焼かれていて、魔術師でなければ数分で死に至っていただろうという重傷だったのだ。

 治癒術のおかげで肌が再生し、火傷は残っていない。

 ライダーはりんごを頬張りながら、カウレスに微笑みかけた。

「その腕の怪我はまだ治っていないんだね」

「ん、ああ。まあな」

 カウレスは自分の両腕に視線を落とす。

 包帯で隙間なく覆われた両腕は指の先まで肌が見えない状況である。

「そこには治癒術をかけないのかな?」

 ライダーは膝を組んでカウレスに尋ねた。

「気付いてたのか」

「そりゃ、他が治ってるのに一番大切な腕がまだってのは疑問だろう。まあ、理由が分からなくもないけど」

 ライダーはにやにやとした顔でカウレスを見ている。

「なんだよ、その顔は」

「いや、バーサーカーはいいマスターを持ったなと思っただけさ」

「ほっとけ」

 カウレスの両腕の傷はアサシンに付けられたものではない。

 そこに刻み込まれているのはバーサーカーの最期の一撃がもたらした火傷であった。令呪で指向性を与えられたバーサーカーの雷撃は、周囲にばら撒かれることはなくすべてがアサシンに向かって伸びていったが、彼女の手を握っていたカウレスはそれでも少なからぬ被害を受けた。

 カウレスはそのときの怪我を今でも消せないでいた。

 痛みがないわけではない。激痛に顔を歪めたくなることも一度や二度のことではないのである。しかし、この痛みこそが自分を聖杯戦争に引きとどめるものであると思っている。

 バーサーカーが生き残る可能性は初めから低かった。宝具も平均的な威力でしかなく、しかも一撃使えば彼女自身が消滅するという諸刃の剣である。バーサーカーが願いを叶えるためには、宝具を一度も使用せずに生き残らなければならないという極めて厳しい条件の下で戦う必要があった。

 最期の最期で、バーサーカーは自分の宝具を使うようにカウレスに伝えてきた。何を思ったのかは分からない。だが、彼女はカウレスたちを生かすために自らの最期を選択したのである。しかし、それでもバーサーカーに死ねと命じたのはカウレス自身だ。そのために背負った痛みから、安易に逃げてはならないような気がするのである。

「で、おまえは何でここにいるんだ?」

「そりゃ、これから僕のマスターになる人間とは会話をしておかなくちゃいけないからね」

「なんだって?」

 カウレスは唐突なライダーの申し出に目を白黒させる。

「俺がお前のマスター? ルーラーと契約しただろ?」

「でもルーラーはサーヴァントでもあるからさ、前線で戦うじゃん? そうすると、いつ消えちゃうか分からないからルーラーと契約を続けるのはリスキーなんだよ」

 セレニケがアサシンに殺された後、ライダーはルーラーと契約を結んだ。そのままでは『単独行動』のスキルを持つライダーでも消滅は時間の問題で、ヒポグリフを操るためには彼に全力を出してもらわなければならなかったからである。

 しかし、その後生じた問題としてはルーラーが最前線で戦うサーヴァントであるということと彼女の最強宝具が“黒”のバーサーカーと同じ自滅宝具であるということであった。

 ルーラーが全力を出さなければならない相手と戦うことになった場合、高確率でルーラーは消滅する。

 そうなれば、ライダーも共倒れすることになりかねない。

 よって、マスターはルーラーではないほうが現実的だと判断されたらしい。

「君のお姉さんにも許可は取ったよ。後は君次第だ」

「姉さんもか」

 確かに、ライダーの言い分はもっともである。

 これから“赤”と最終決戦に入るに当たって、サーヴァントが二騎も共倒れするような可能性は排除しなければならない。

 今の時点で手の空いているマスターはカウレスだけである。

 ライダーがカウレスに白羽の矢を立てるのも分かる。

「バーサーカーに義理立てしているのかな?」

「別にそんなんじゃないさ。ただ、こんな俺がマスターとしてまた契約する羽目になるとは思わなかっただけだ」

 弱小魔術師でしかないカウレスには、同じく弱小サーヴァントであるライダーですら荷が重い。

 魔力供給はゴルドが何とかしてくれているからいいとしても、身を守る力にも乏しいのだからマスターに選ばれること自体がおかしいのである。

「でも、見越してただろ?」

 ライダーに言われて、カウレスは言葉に詰まる。

「なんでそう思う?」

「あの状況で、アサシンの宝具の性質を書き残すような判断力のある魔術師が、考えていないほうがおかしい」

「マスターとして、俺にできることはほとんどない」

「僕もサーヴァントとしてできることなんてほとんどないから、お互い様だね」

 カウレスは黙り込んだ。

 ライダーの言っていることはすべて理解できる。そして、彼自身も後々ライダーと契約することになるだろうとは思っていた。――――戦う意思は、まだ消えていない。

「分かったよ。じゃあ、契約しよう」

「よし、おっけ。令呪は後でルーラーから移譲を受けてくれよ。今はルーラーが僕の令呪を持ってるからさ」

 ライダーはにかっと笑ってカウレスの手を取った。

 ルーラーからカウレスへ、パスが切り替わる。ルーラー自身も認めているため、契約変更は何の問題もなく行われた。

「で、そのルーラーは?」

「寝てる。朝まで起きないと思うよ」

 騒がしいサーヴァントを寄越し、彼との契約を迫った挙句、自分は寝ているとは夜通し作業をしなければならないカウレスに対するあてつけか何かだろうか。

 そんなことはないと分かっているから、口をへの字にしてパソコンに向かう以外にカウレスは取り得る行動がなかった。

 

 

 □

 

 

 

 ルーマニアは日本人にとっては観光地としてマイナーの部類に入る。

 旅行客数も年間で一万人程度と決して多いとはいえないのが現状である。そのような中で、日本人が入国すれば、記録の上でも非常に目立つ。

 聖杯大戦が始まってからの入国者に絞れば、該当する日本人は十名しかおらず、その大半がすでに帰国していることを加味すれば、ほぼ確実に絞り込めたと言えるだろう。

 さらにバス会社やタクシー会社に忍ばせた血族と連絡を取り、また、ホテルの宿泊記録を確認すると、奇妙なことにルーマニア国内にいるはずなのに、宿泊記録がまったく出て来ない人物が浮上した。

 カウレスが持ってきた書類を見て、フィオレは呟く。

「六導玲霞。……年齢は二十三歳ですか」

 パスポートから得られる情報では、その人物の人間性などには触れられない。人相と年齢が分かる程度である。

「一般人かどうかはまた別として、彼女の行動が不審であることは疑いようがないだろう」

「アーチャー。では、彼女がアサシンのマスターとして考えていいのですか?」

「恐らくはな」

 玲霞の情報は入国記録とブカレストからシギショアラに向かうバスの監視カメラに映っていた姿が最後である。

 それ以降は、玲霞の足取りを示すものはない。

 では、ほかの日本人はどうかというと、玲霞以外の日本人は、全員宿泊記録が残っており、すでに出国した者も多い。

「六導玲霞がこの街にいるとして、どうやって探し出すかですね」

「日本人は目立つはずだが、変装している可能性もあるな。ホテルに宿泊していないのも宿泊記録を残さないためだろう。ならば、この女性はなかなか頭の回る人物だということになる」

「アサシンに脅されているわけではないということですか」

 令呪を使用するなど、聖杯戦争の基礎となる部分は理解している。そして、勝ち残るために、彼女たちなりの戦略を編み上げている。

「ルーラーがいる限り、アサシンの奇襲は防げるでしょう。アーチャーも物見台から目視で街を監視してもらうことになりますがよろしいですか?」

「ああ」

「後はルーラーにお任せしましょう」

 “黒”のアサシンは狡猾で強力であるが、聖人であるルーラーならば、アサシンの宝具に対処できる可能性が高い。

 また、ルーラーの『カリスマ』は交渉に強い効果を発揮する。

「とにかくカウレスが持ってきてくれた資料はすべてルーラーに回します。ライダーにも偵察に出てもらいましょうか」

「総力戦だな」

「時間がありませんから」

 フィオレは微笑み、そして資料をファイルに仕舞って膝に乗せた。

 “黒”のセイバーは仮にアサシンが要塞に攻め込んできたときの備えに残しておかなければならないが、それ以外のサーヴァントは出撃させることができる。“赤”のサーヴァントが一騎を除いて戦場から離脱しているので、そちらに警戒心を割く必要がないのである。

 アーチャーはフィオレの車椅子を押して、ルーラーの下に向かうのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 六導玲霞は魔術師ではないという。ならば、一度でも捕捉してしまえれば、どれだけ逃げても追いかけることは可能である。魔術から逃れるには、魔術を以てするほかない。

 太陽が南に輝き、昼時の麗らかな日差しが石造りの街に温もりを与える。

 夜の不気味な街並とはまったく別の世界にいるような気分にすらさせる。連続殺人犯が活動するのは夜である。昼のうちは、ユグドミレニアによる影からの支援によって比較的よい治安が維持されている。

 髪を目立たないように金色に染めたホムンクルスが街中に散って行った。一般人に対して暗示を使い、記憶の奥にある玲霞の情報を引き出すためである。

 ルーラーは彼らとは別行動をする。

 ルーラーの感知能力は“黒”のアサシンを確かに捉えている。おぼろげで掴みづらいが、まだこの街の中にいる。

「あの、すみません」

 とりあえず、ルーラーは路肩に停まっていたタクシーの運転手に尋ねてみることにした。

「どこか行くのかい?」

「いえ、そういうわけではないのですが、人を探していまして。この方なのですが、ご存知ありませんか?」

「うん?」

 ルーラーは玲霞の顔写真を見せる。

「綺麗な人だね。アジア人か?」

「日本人だそうです。このシギショアラからこの街に来たようなのですが」

「うーん、アジア人を乗せれば覚えているはずだけど、この人は記憶にないな」

「そうですか、ありがとうございます」

 ルーラーは礼を言って、また別の人を当たることにする。

 人が集まる場所、特に生活必需品を購入するショッピングモールなどを重点的に調べようと思った。

 それから三時間、延々と聞き込みをして回るルーラーであったが、有益な情報はまったくと言っていいほど出てこなかった。名前と顔と国籍だけを頼りに二万人の人口の中に潜むたった一人を探し出すというのがこれほど大変な作業だとは夢にも思っていなかった。

 アサシンに気取られないように、サーヴァントの気配を極力薄めていることも災いして、足腰が悲鳴を上げつつあった。

「はあ、疲れた。ふぅ……」

 ルーラーは小さな喫茶店で紅茶を啜り、遅めの昼食を摂る。

 人間をベースにしているルーラーは、睡眠も食事も必要とする不完全なサーヴァントである。昼食を摂らなければ、いざというときにアサシンと戦えない。

 サンドイッチを頬張りながらルーラーは店内に視線を走らせた。

 客はルーラーともう一人、中年の男性しかいない。赤レンガの古風な店で、カウンターに腰掛けるルーラーの前で白髪頭の女性店主が皿洗いをしていた。

 日が沈めば、アサシンが活動する時間となる。――――もしかしたら、アサシンが夜に活動するのは宝具にも関わるのかもしれない、と不意に思った。

 宝具はサーヴァントの伝承を具現化したものも多い。ジャック・ザ・リッパーに魔術的センスはないはずだから、呪詛を使うのは彼あるいは彼女に纏わる伝承を再現する宝具であるはずだ。となれば、殺人事件をなぞる宝具ということだろうか。発動条件に“夜”が含まれていても不思議ではない。

 確証はない。それに、聖杯戦争は夜に行うのが基本である。夜に戦闘を仕掛けてくるのであれば、こちらにとっても都合がいい。

 探すのであれば、マスターでなければならないが、向こうから出てくるのであれば戦闘を行えばいいだけであり、そちらのほうが幾分か楽である。

 店主がルーラーの面前にやって来たのを見計らってルーラーは声をかけた。

「なんだい、お嬢ちゃん」

「今、人を探しているのですが、このお店にこの方が来店したことはありませんでしたか?」

 ルーラーは、この日何度目になるか分からない質問をした。

 女性店主は、眉根を寄せて写真を見て、首を振った。

「いや、知らないね。この街の人間じゃないんじゃないか?」

「日本人だそうです」

「日本人? そりゃあ、珍しい。あんたの知り合いかい?」

「ええと、わたしの友人の知り合いみたいなもので、……何日か前にトゥリファスに来たみたいなのですが、その後連絡が取れなくて」

「あら、そうなの。心配ねぇ。今はほら、ジャック・ザ・リッパーなんてのがいるし、早く見つかるといいねぇ」

「はい……本当に」

 嘘をついたことに一抹の罪悪感を覚えつつも、ルーラーは頷く。

「ねえ、あんたはどうだい。この女の子、連絡付かないんだってさ」

 店主はカウンターの端で新聞を読んでいた中年男に親しげに問いかける。どうやら常連客だったようである。

 写真を見せられた男は気だるそうにしながら首を捻る。

「あー……どこかで見たような気がするなぁ」

「ほ、本当ですか!?」

「アジア人なんて珍しいのがいるなぁって思ったんだ。でも、髪の色が違うしなあ」

 髭をなぞりながら男は首を捻った。

「まったく、はっきりしないねえ」

「いえ、アジア人だというのであれば、恐らくこの方です。それで、どちらで見かけたのですか?」

「もう何日も前だけどなぁ。旧市街地の奥のほうに入っていくのを見かけたんだ」

 それを聞いて、声を上げたのは店主であった。

「旧市街地の奥って、もしかしてあの危ない場所かい?」

 男性は頷いた。

「どうしてこの時期にあんなところに行くのかねえ」

「あの、そこはそんなに危ないところなのですか?」

「そりゃあねえ。あそこは、不良の溜まり場みたいな区画だから、そんなところに女の子が一人でうろついていたら狙われるに決まってるよ。あんたも、捜しに行くようなまねはしないほうがいい。可愛いんだから尚更だね」

 その後、ルーラーは昼食の代金を支払って外に出た。

 店主は最後までルーラーが該当区域を訪れないようにと念を押してくれたが、チンピラ程度にどうこうされるルーラーではない。

 店主が言うには、そこの住人もここ数日はかなり静かなのだという。夜な夜な街に繰り出して騒いでいた若者が急にいなくなったという話も聞いた。

 ここに来て、ルーラーは確信する。

 アサシンとそのマスターが潜伏しているのは、旧市街地の奥のとある一画であると。

 フィオレに念話で情報を伝え、ルーラーは早足でそこに向かう。

 太陽は沈み始め、夕暮れの光が街を燃え上がらせる。

 辿り着いたのは、トゥリファスの旧市街地の中でも特に奥まった場所で、どことなく荒廃した雰囲気の区画であった。

 街の空気が住人をそうさせるのか、あるいは住人がこうだから街の雰囲気が変わったのか、疎らに見える人々は、皆厭世的な空気を漂わせている。

 なるほど、ここならば隠れ潜むにはもってこいであろう。

 住人たちは自分のことしか考えていない。自己中心的ということではなく、他者を鑑みる余裕がない。そのため、誰が消えても気にすることもなく、日常が回る。

 先ほどまでに比べて、アサシンの気配が強くなっている。

「ここにいますね、“黒”のアサシン。今日はあなたに用があって来ました。隠れていないで出てきてください。まさか、聞こえていないとは言わせませんよ」

 人気のなくなった街にルーラーの言葉が空しく響く。

 これで大人しく出てくれば話は早かったのだが、そんなはずもない。呼ばれて顔を出す暗殺者(殺人鬼)など、三文小説にも出て来ない。

 ただし、返答はあった。

 速やかに、風に乗り、硫酸の霧が一区画を覆い尽くす。

「やはり、そう来ましたか」

 ルーラーは霧が濃くなる前に素早く鎧を身に纏い、聖なる旗を掲げて警戒する。

 先手は敵に譲る。

 ルーラーはその後を狙う。

 ルーラーの感知能力からはアサシンとて逃れられない。

 ルーラーを攻撃して、『気配遮断』の効果が薄れたその瞬間を狙うのである。

 未だ、六導玲霞を捕らえたという報告はない。

 アサシンがどこまでこちらの行動を察しているかは不透明だが、ルーラーにアジトを見抜かれたことは確信しており、だからこそ霧を発生させているのであろう。もしかしたら、この霧に乗じて玲霞が逃げ出すかもしれない。それは、非常にまずい。

 フィオレが交通規制を敷いている。さらに空からはライダーと使い魔たちが監視網を形成しているのである。ただの人間がトゥリファスから逃げ果せるなどできるはずもない。

 だが、この霧の中ではサーヴァントの視界すらまともに機能しない。

 決して戦う必要はない。

 霧に紛れて逃走すれば、新たな塒でこちらの寝首を掻く機会を探れるのだから。

「しかたありません」

 正直に言えば、この手だけは使いたくなかった。

 判断を誤れば『ルーラー』の職権を乱用することになるからである。

 だが、“黒”のアサシンは特定の陣営に属さず、一般人を公になる形で惨殺している。これは、聖杯戦争のルールを根底から覆すルール違反である。

「令呪を以て“黒”のアサシンに告げます。わたしの前に出てきなさい」

 業を煮やした、と言うこともできるだろう。

 ルーラーの腕には各サーヴァントに対応する令呪が二画ずつ存在する。一部は“黒”のマスターと獅子劫界離に移譲して失われたが、“黒”のアサシンにはまだ二画残っていた。その内の一画を消費して、アサシンを強制召喚した。

 颶風を纏って現れたアサシンは、何が起こったのかまったく理解できていないといった顔つきでルーラーを見た。

「始めまして、“黒”のアサシン」

「どうして……?」

「わたしは『ルーラー』のサーヴァントですので、今回の聖杯大戦に召喚されたすべてのサーヴァントに対応する令呪を所有しています。その一画を用いてあなたを呼ばせていただきました」

「な、そんなの、ありえない!」

 アサシンは目を見開いてルーラーから距離を取ろうとする。その機先を制して、ルーラーは旗を突きつけた。

 ルーラーとアサシンの『敏捷』は互角のAランク。そして、戦場を駆け抜けたルーラーのほうが戦士として強靭である。アサシンの霧もルーラーにとっては視界を遮る程度の効果しか発揮しておらず、『敏捷』の低下すらも引き起こせない。桁外れの『対魔力』が霧の影響を遮断しているのである。

 ルーラーが驚いたのは、アサシンが子どもの姿で召喚されていたことであったが、すぐにそれもありえると納得する。

 ジャック・ザ・リッパーは正体不明として語られた殺人鬼である。

 存在するのは確かながらも真実は虚飾に塗れて一定した形を取っていない。ならば、どのような姿で召喚されても不思議ではないのである。

「さて、アサシン。わたしとしてもこのような形になったのは心苦しいのですが、あなたのマスターの下に案内してください。あなたが引き起こした凶行について弁明していただきます。もちろん、あなたでも構いませんが」

「ッ」

 アサシンは悔しそうに唇を噛んだ。

 アサシンにはルーラーの能力値は視えないが、それでも強力なサーヴァントだということは理解できる。ぶれることのない旗の先は地面に膝をついた自分の鼻先に向けられている。

 下手な返答はこの場で頭を打ち砕かれることを意味しており、アサシンでは到底彼女と打ち合うことはできない。

「あなたをおかあさん(マスター)のところにはいかせない!」

 アサシンは肉きり包丁を振るってルーラーの旗の先を逸らさせ、弾かれたように後方に跳躍した。さながら軽業師のような動きであったが、ルーラーはすぐにこれを追って疾駆する。

 アサシンは八本のメスをルーラーに投擲。旗を振るってこれを撃ち落すルーラーには、傷一つつけることはできない。が、旗を振るったことが僅かにルーラーの速度を鈍らせる。

 その一瞬を、アサシンは利用する。

「――――此よりは地獄。“わたしたち”は炎、雨、力」

 アサシンはルーラーと打ち合うだけのスペックを持っていない。そのようなことは他ならぬアサシンがよく理解している。

 近代に現れた一介の殺人鬼に過ぎないジャック・ザ・リッパーが神話の英雄豪傑の中を生き抜くのは難しい。だが、不可能ではないのである。

 “夜”“霧”“女性”すべての条件が今満たされている。自分とマスターを付け狙う不届きなサーヴァントが何者かは知らないが、この必殺からは逃げられない。アサシンはただ必殺宝具を発動させるだけの時間があればそれでよかった。

 そうして、アサシンは『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』を発動する。 

 ルーラーに呪詛が絡みつき、その美しい肢体を解体する。

 ルーラーが頬を歪め、アサシンは勝利を確信した。すべての条件が満たされた環境で、アサシンに挑むことこそが悪手である。この世界では、あらゆる女はその実力の有無に関わらず解体されて肉の塊に変貌する――――そのはずだった。

 確かな手応えに反して旗を棚引かせるルーラーが猛然と突進してくるのを見て、アサシンは瞠目して動きを止めてしまった。

「逃がしません!」

 ルーラーが旗を一閃する。

 アサシンの目には光が横一文字に過ぎったとしか思えなかった。

 アサシンは胴を強かに打たれて宙を舞う。

「くは、あ、ぐぅぅぅううううううッ」

 背中から地面に叩きつけられて、アサシンは苦悶の声を漏らした。

 アイスブルーの瞳が苦痛に歪む。

 あばら骨が二、三本折れたかもしれない。じわりとした痛みが胸に広がるが、武人でもなければ医者でもないアサシンには細かいことはまったく分からない。

 ただ、一つ確実なのは――――このままでは、自分は殺されるということだけである。

 『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』が通じない相手に、アサシンが勝てるはずがない。ルーラーはアサシンの天敵である。宝具を無効化し、近接戦闘では圧倒的にルーラーが勝っている。アサシンは知るよしもないが、ルーラーにはマスターが存在しないというのも、マスター殺しのクラスで召喚されたアサシンにとって致命的であった。

「終わりです、アサシン」

 万民からすれば聖女であるルーラーも今のアサシンからすれば悪魔に等しい。

 迫るルーラーから逃げようと、アサシンは必死に起き上がろうとした。

「い、やだぁ」

 うつ伏せになり、地を這ってルーラーから遠ざかる。

 子どもの外見で召喚されたのではなく、彼女は正しく子どもなのだろう。どのような巡り会わせで、ジャック・ザ・リッパーの形を取ったのかは分からないが、伝承が形を得るための核に子どもに関わる何かが取り込まれているのかもしれない。そうなると、ここで討ち果たすのは気が滅入る。僅かな憐憫の情を抱きつつも、ルーラーはアサシンに止めを刺すべく旗を振りかぶる。

おかあさん(マスター)!……おかあさん(マスター)! おかあさん(マスター)! 助けて、よう……!」

 もはや霧の宝具を維持する力もないアサシンは、マスターに救いを求める以外にない。

 その訴えが通じたのか、アサシンの身体が魔力の光に包まれる。

「令呪……ッ!」

 失敗した。

 ルーラーは舌打ちする。

 アサシンの外見と言動に惑わされ、僅かに情を移してしまったことが令呪を使われる隙となってしまった。“黒”のバーサーカーの宝具から逃げる際にも空間転移をしていることもあり、アサシンのマスターは令呪を使えば如何なる危機からでも逃れられると分かっていたのだろう。

 アサシンは目の前で掻き消えた。

 だが、ルーラーの知覚能力はまだアサシンを捕捉している。間違いなく、そこにアサシンのマスターもいる。ルーラーはその場に向かおうとして、気付いた。

 サーヴァントがもう一騎、アサシンがいる辺りに潜んでいたのである。

 

 

 

 □

 

 

 

 六導玲霞は、恐ろしいまでに動物的な勘に秀でていた。

 これまでの逃避行で一度たりとも魔術師に足跡を辿られなかったのも、アサシンという最良のパートナーがいるだけでなく、彼女自身の才覚によるものでもあった。

 昨夜、敵のサーヴァントとマスターを倒すという大金星を上げたアサシンを労った後、捕食とスキルによって傷を癒したアサシンが告げた情報は玲霞の退路をほぼ断ち切るものであった。

 即ち、街中に“黒”の陣営が使い魔を放っているというのである。

 敵の膝元で魔術師たちを殺害していたのであるからいつかは捜索の手が伸ばされるとは思っていた。そのため、それ自体に驚きはなかったが、ではどうするかという点で手詰まり感があった。 

 サーヴァントとマスターを殺されたからといって、相手がこちらの都合に合わせてくれるはずもない。

 ここは敵の領域なのだから、本気で捜索されれば、仮の塒もすぐに発見される。しかし、逃げようにも使い魔とかいう魔術師のペットが空から見張っているのでどうにもならない。

 一番は動かないこと。息を潜めて、やり過ごす。“黒”の陣営は“赤”の陣営に奪われた聖杯を取り戻さなければならず、アサシンとの短期決戦を望んでいるはずである。ときが来れば否応なく“赤”の陣営に勝負を挑まなければならないのではないかと玲霞は睨んでいたので、そのときまで潜伏できればマスターを狙える可能性は残る。

 が、それも予想以上の早さでやってきた少女の姿をしたサーヴァントによってご破算となった。

 『気配遮断』を持つアサシンの居場所が容易く割れるはずがない。

 玲霞は素人であるが、アサシンの言葉は信じているしそのスペックも把握しているつもりである。見つからないはずのアサシンが見つかったのには理由があるはずと考えて、すぐにそれが自分であると気付けた。

 アサシンは隠れることができても、六導玲霞はきちんとした戸籍を持つ個人であり、気をつけていても情報は残ってしまう。残さないようにしても、むしろ残っていないほうが不自然なこともある。とにかく素人の玲霞はどうあっても存在を完全に消すことはできないのだから、“黒”の陣営は玲霞を追いかければアサシンに辿り付くこともできるだろう。

 敵も味方もマスター狙い。

 色々な手段で引っ掻き回していたが、それも限界がある。

 “赤”の陣営が去ったことで、短期間ながらも全エネルギーを“黒”のアサシン捜索に注ぐことができたこと。

 トゥリファスが“黒”の陣営の本拠地であり、管理下に置かれていたこと。

 玲霞が魔術師ではなかったためにアサシンの補助を満足に行えず、挙句に様々な痕跡を残してしまったこと。

 天地人のすべてが、玲霞たちに災いしたのである。

 空には監視の目があり、すぐ近くにはサーヴァントが近付いている。

 こうした状況の中で、玲霞はアサシンと図ってトゥリファスからの逃亡を画策した。

 この街に留まるのは危険すぎる。相手は時間をかけたくないようだから、こちらは目一杯時間をかけてやればいい。街を出れば、玲霞たちを捕捉することなど不可能なのだから。

 そして、アサシンが出した霧に乗じて外に出た玲霞はマンホールの蓋を外してその中へアサシンと共に身を翻した。

 そこまでは上手くいった。

 上空に監視の目があるのなら、地下から逃げるしかない。霧に乗じたことで、下水道に飛び込んだ姿は捉えられなかったはずである。

 しかし、ほっと一息ついたのも束の間、アサシンは強制転移で連れ去られてしまった。令呪はマスターだけが持つものだと聞いていたが、そうではなかったということか。玲霞にはアサシンの状況を知る術がない。外に出るわけにもいかず、我が子の身の安全を願いながら暗闇の中で息を潜めていた。

 そして、今、玲霞の腕の中には弱りきったアサシンがいた。

 二度目の令呪の使用に戸惑いはなかった。

 我が子が助けを求めている。令呪以外に救う手立てがなかったのだから、使うのはしかたない。

「大丈夫、ジャック?」

「ん」

 アサシンは尻餅を突くようにして座っている玲霞の胸に顔を埋めて頷く。

 強がっているのだな、と玲霞は思いながらアサシンの頭を撫でる。

 しかし、困った。

 魔術師の心臓のストックはもう底を突いている。

 玲霞ではアサシンを回復させる手段がない。

おかあさん(マスター)……」

「大丈夫よ、ジャック。大丈夫だから……早くここから出て、新しい居場所を見つけましょう」

 弱ったアサシンは一刻も早く魂食いを行わなければ消えてしまう。

 玲霞が魔力を提供できない以上は人間の生け贄を探すしかないがトゥリファスではもう狩りができない。少なくとも、敵の監視の目のない場所まで逃れなければならない。

おかあさん(マスター)

 身じろぎしたアサシンが玲霞から離れた。覚束ない足取りで立つと、包丁とメスで武装する。

「もう少し様子を見ようと思ったのだが、さすがに気付くか」

 反響する声。その直後、実体化した赤い衣服の男。

「サーヴァント」

「如何にも。“黒”の陣営でアーチャーを務める者だ」

 “黒”のアーチャーは武装もせずにアサシンと玲霞の前に立つ。

 この時点でアサシンは完全に詰んだ。

 もはや逃亡できる可能性は皆無であり、玲霞もまた同じであった。

「どうして、ここにいると分かったのですか?」

「君の判断は正しかったが、相手にしていたのが魔術師であるということは念頭に入れねばならなかったな。まあ、魔術師ではない君には不可能なことだが。……この街は我がマスターの血族が作り上げたものだ。当然、用水路の形状から流れまで街の中で魔術を扱うことを前提に設計されている。他所の街ならばまだしもトゥリファスの用水路に逃げ込んだのは悪手だったな」

 魔術と液体は切っても切り離せない関係にあり、大きな水の流れはそれだけで霊脈にも影響する。近くに工房を構えれば、術式の残留物が川を汚染する可能性もあり、魔術の儀式もそうしたことを念頭に置かなければならない。同時に、大きな水の流れをそのまま都合よく操ることができれば、それだけで一つの巨大な儀式場を作ることも不可能ではない。

 トゥリファスが長年ユグドミレニアの影響下にあったことを考えれば、用水路に魔術的な仕掛けが施されていないはずがない。

 玲霞の敗因はどこまでも「魔術師ではない」という点に尽きるだろう。

 魔術師にとっての常識は彼女にとっての常識ではない。

 これは、プラスに働くこともあればマイナスに働くこともある。

 これまでは、魔術師ではないという点がプラスに働き、正体を覆い隠していたが、身元がばれた途端にそれは尽くマイナスに働き続けた。今回の判断ミスも、魔術師の常識を知らなかったが故にしてしまったものであった。

「そう。またわたしはジャックの足を引っ張ってしまったということね」

おかあさん(マスター)。そんなことないよ」

 悄然とする玲霞にアサシンが声をかける。それだけを見れば、本当の母娘のようだ。

「さて、手早く用件を済ませてしまおうか。“黒”のアサシン。この場で降伏し、我々の軍門に降る気はあるかね?」

 問われたほうは意外な申し出に一瞬だけ唖然とした。

「どうして、わたしたちを殺さないのですか?」

「私としてはこの場で君たちの首を刎ねることに異論はないが、我がマスターは違うらしい。君たちが討ち果たしたバーサーカーの分だけ、そこのアサシンを働かせるつもりのようだな」

 腕を組むアーチャーの顔を見れば、それが彼の意に反するものだというのは分かる。あからさまに不愉快そうにしているのは、アーチャーにとってマスターの意思を尊重しているが自分は違うという意思表示であり、自分はいつでもアサシンとそのマスターを殺す用意があると明示するものであった。

「ここで降伏した振りをして、わたしたちがあなた方を裏切るとは思わないのですか?」

「無論、裏切れないように契約を結んでもらう」

 そう言ったアーチャーは一巻きのスクロールを玲霞に投げ渡した。

 古い羊皮紙には英語で契約の文章が書かれていた。

 玲霞は一通りの英会話ができるだけの教養はあるので、この文章を読むことに苦労はしなかった。

「これにサインするとどうなるのですか?」

「契約者の意に反して、契約内容を履行させる力が働く。口約束は信用ならんのが魔術師の世界だからな」

「そうですか」

 困ったことに玲霞は魔術師ではないので、この契約書の真贋を見極めることができない。騙されている可能性も当然あり、一方的に玲霞が不利益を被るということもあるだろう。

 だが、玲霞にも相手の思惑は読めた。

 アサシンを戦力として迎えたいという気持ちは本当だろう。傍から見ていても“黒”の陣営は不利な立場にある。だからこそ、アサシンの価値は高い。そして、玲霞の存在はアサシンを縛り付けるのに都合がいいと向こうは判断したのであろう。そのために、アサシンではなく玲霞に降伏の判断をさせようとしているし、契約も玲霞と結ぼうとしている。玲霞を人質にしてアサシンを動かそうというのである。

「それと、君たちが本気になって聖杯が欲しいと言うのなら我々と手を結ぶ以外にないぞ」

「どういうこと?」

 アサシンが尋ねる。

「すでに“赤”の陣営は願いを叶える段階に近付きつつある。我々が勝負を挑もうが関係なくな」

「そんなことありえない。聖杯戦争は最後の一人になるまで戦うものでしょ」

「ところがそうではない。いいかね、願いを叶えるのは聖杯だが、その原料となるのは膨大な魔力だ。ならば、その魔力さえどうにかしてしまえれば、すべてのサーヴァントを脱落させる必要はない。前回脱落したサーヴァントの分が一部残っていると言うし、今回脱落したサーヴァントもいる。よほど大きな願いでなければ今の時点でも叶えられるだろう。もっとも、向こうも些細な願いではないから、そう簡単にことは運ばないがな。さらに君にとって悪いことに、向こうには人間のマスターが存在しない。よって、聖杯で願いを叶えるなら、聖杯を求めて戦う意思を持つ我らと組むほかないわけだ」

「人間の、マスターがいない?」

「そうだ。向こうのアサシンのマスターは受肉したサーヴァントだったのだよ。それが裏で策謀を張り巡らせて、“赤”のセイバー以外のサーヴァントのマスター権を簒奪している。よって、人間狙いという戦術はすでに使えないわけだ」

 そして、“黒”の陣営に敵対しようものならば、この場で“黒”のアーチャーが斬り捨てる。

「お、おかあさん(マスター)?」

 話を聞いて不安そうにするアサシンを後ろから抱きすくめ、玲霞はアーチャーを見つめる。

「その話を信じる根拠はあるのですか?」

「ないな。私は君たちの生死には頓着しない。信じるも信じないも自由だが、君の行動次第では私の行動も変わる。ただそれだけだ」

 感情を感じさせない声は巌のように揺ぎなく、これ以上の譲歩を引き出すのは難しそうだ。

 今、“黒”の陣営に降伏するべきだと説いたのも、彼のマスターの意向を尊重してのことだろう。彼本人は、彼の言葉どおり玲霞とアサシンを殺害することも辞さない構えである。

「一つだけ確認させてください」

「なんだね?」

「ご存知かとは思いますが、わたしはこの娘に魔力の供給ができません。この娘を戦力とするのなら、そのための魔力をどうされるのですか?」

 契約内容を見れば、玲霞は“黒”の陣営の管理下に置かれることとなる。玲霞がアサシンの魂食いを容認していたのは単純にそうしなければアサシンが消えてしまうからであり、それができなければアサシンは戦力には数えられない。

「我々にはマスターからの魔力供給とは異なる形での魔力供給を可能とする技術がある。君はそのアサシンと契約したままで構わない。むしろ、我々にとってもその方が都合がいい」

「そうですか」

 素人がマスターであれば、様々な面で与しやすい。魔力は別から持ってくればいいのだから、マスターの資質は大きな問題にはならない。アサシンが玲霞を慕っていることから、精神的にもアサシンを縛り付ける材料とすることができる。

 アサシンを戦力とするのなら、玲霞を傷害するのは得策ではないというのが“黒”の陣営の考え方のようだ。

「分かりました。降参します」

 アサシンと離れる必要はなく、アサシンが夢を叶える可能性を残すには、どの道契約書にサインするしかない。その結果、自分はどうなるか不透明だが、娘には希望を残すことができる。今はそれだけでも、収穫としなければならないだろう。

 そうして、玲霞は契約書にサインをした。

 悪魔との取引のように思えたが、悪魔のような所業を繰り返してきた自分にはこれが似合いだろう。

 



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三十五話

『バーサーカー』の所持品
何スロット→アロンダイト
スパさん→グラディウス
フランちゃん→メイス
バサクレス→腰布みたいな鎧?

どうして身一つで召喚されているのか。宝具でないにしても棍棒くらい持たせてあげても良かったのではないか。
ところでFate/Labyrinthとは一体……? 私、気になります。


“そうですか。分かりました。気をつけて帰ってきてください”

 フィオレはアーチャーから“黒”のアサシンとの契約が締結されたことを聞いて、胸を撫で下ろした。

「本当にこれでよかったの、カウレス?」

「何だよ。今更だな姉さん」

「だって、相手はあのアサシンよ」

 アサシンそのものは、脅威ではない。戦力としては利用できるが、“黒”の陣営にとって必須かというとそう断言できるものではない。もちろん、サーヴァントというのは替えの利かない戦力なので、一騎でも味方になってくれれば御の字である。

 とはいえ、“黒”のアサシンはセレニケと“黒”のバーサーカーを殺した相手である。それを仲間として引き入れるのには、少なからぬ抵抗があるのも事実だった。

「バーサーカーを殺されたことと、アサシンを戦力に加えることは別の次元の話だろ。私情を交えて好機を逃すべきじゃない」

「それは、そうですけど……」

 カウレスの割り切りのよさに、フィオレは言葉を失った。

 カウレスとバーサーカーの間に溝があったという事実はない。言葉こそ通じなかったが、二人の間には確かな信頼関係が結ばれていた。

 バーサーカーの消滅後、カウレスが酷く消沈していたのを知っているだけに、アサシンを引き入れるべきだと進言してきたときは驚いたものだ。

 カウレスは理性と感情を完全に区別している。

「これは聖杯戦争だからな、弱いサーヴァントが消えるのは当たり前なんだ。あいつが真正面から戦えないくらいに弱いってことを俺は知ってたし、理解して召喚した。だから、バーサーカーが負けたのはアサシンの所為というよりも、俺の采配が悪かったってことだ」

「そんなはずはないでしょう。アサシンの宝具なんて、それこそルーラーでなければ防げない代物です。それを予見しろというほうがどうかしてるわ」

「かもしれない。けど、満足に思考できないバーサーカーの代わりに考えるのが俺の仕事だった。それをミスって死なせたんだから、責任は俺にあるだろ」

 カウレスは、そこで責任を論ずる不毛さに気付いて口を噤んだ。

 自分に責任があるのは疑いようもない事実だ。それを他人に言ってどうする。姉から同情を引いたところで、バーサーカーが帰ってくるわけでもない。悲劇のヒロインぶって不幸自慢するのは、格好がつかない。

「とにかく、“黒”のアサシンを味方にするのは、別にアサシンを許すってことじゃない。欠員補充以外の理由はないよ」

 恨む恨まないで言えば、カウレスはアサシンを恨んでいる。けれど、それがどうした。大局にたった視点に、自分の感情がどれだけ重要なのだろうか。今は“黒”の陣営が生き残ることを第一義とするべきである。

「ずいぶんと甘い契約内容だったように思うけど」

「時間がないんだろ? 相手が余計な抵抗をするような内容だったら無駄骨だよ。俺たちに利益があればいい」

 契約内容は期限付きの同盟に近い。“赤”の陣営との戦いが決着するまで、六導玲霞とアサシンには“黒”の陣営へのあらゆる敵対行動が禁止される代わりに、“黒”の陣営は玲霞とアサシンの安全を保証する。

 もちろん、契約の抜け道も存在する。

 例えば、“赤”のセイバーやルーラーはこの契約の範囲に含まれていない。アサシンが暴走し、玲霞の命を無視して活動を始めるような事態になった場合、彼女たちが手を下すということも可能である。

「それじゃあ、後は」

「大聖杯を取りに行く。それだけだな」

 “黒”のセイバー、“黒”のアーチャー、“黒”のライダー、“黒”のアサシン、そしてルーラーと“赤”のセイバー。こちらの戦力は、計六騎と聖杯大戦が始まってから顔ぶれの入れ替わりがあっただけで数自体は変わっていない。“黒”のバーサーカーを失ったのが悔やまれるが、考えても意味のないことである。

「今晩は落ち着いて休めるわね」

「俺はもう昼夜逆転している感じがするなぁ」

 “赤”の陣営との戦いが本格化してから、夜型の生活が強まった。カウレスは調べ物に駆り出されていたので、徹夜続きであり、朝日を拝むことにも慣れてしまっていた。

「わたしは、アサシンのマスターと面会します。あなたはしっかりと休養を取りなさい」

「そうさせてもらうよ。後、ちゃんと気をつけろよ、姉さん」

 カウレスはそう言って、部屋を辞した。

 そろそろ、アーチャーがアサシンとそのマスターを伴って城塞に帰ってくる頃合だ。恐らくはルーラーにも小言を言われるだろう。だが、とにもかくにも障害の一つは乗り越えた。飛行機の都合もついたことだし、後は策を練るだけである。

 

 

 

 □

 

 

 

 六導玲霞はとても美しい女性だった。顔立ちも身体つきも、人種が異なるフィオレですら羨むほどである。ルーラーのような「聖」に属する美しさではなく、どこか危険で退廃的な「俗」の領域にある美しさであった。

 フィオレよりも僅かに年上の女性だが、妙に包容力を感じさせるのはどういうことだろうか。

「始めまして、“黒”のアサシンのマスター。“黒”のアーチャーのマスターのフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアと申します」

「ご丁寧にありがとうございます。“黒”のアサシンのマスターの六導玲霞です」

 玲霞はフィオレの前に座っており、フィオレの背後には“黒”のアーチャーが控えて、不慮の事態に備えている。そして、ルーラーが玲霞の後ろに立ち、様子を窺っているという構図だ。

 アーチャーとルーラーで玲霞と霊体化しているアサシンを挟む。『気配遮断』も今は禁じているので、アサシンが玲霞の隣を漂っているのが分かる。

「ずいぶんと落ち着いているのですね。ここは先ほどまで敵対していた陣営の本拠地ですのに」

「契約してしまいましたし、わたしはもう運を天に任せることしかできませんから」

 玲霞はそう言って微笑む。

 肝が据わっているのか諦観しているのか、まだよく分からない。

「でも驚きました。聖杯戦争、でしたか。そんな物騒な戦いにあなたのような女の子が参加しているだなんて」

「あなただって同じようなものでしょう。それに、魔術師ですらない一般人がマスターになることのほうがよほど異質です」

 フィオレの言葉にも玲霞は感情の動きを見せることはなく、淡々と「それは、そうですね」と言葉を紡いだ。空恐ろしいほど、玲霞は冷静だった。まったく緊張している様子もなく、流れに身を任せている。

 確かに契約を受け入れていて、彼女の身体には魔術が打ち込まれている。

 “赤”の陣営との決着が付く前に“黒”の陣営を裏切るようなことをすれば、玲霞の神経系は激しく痛み、肉体を崩壊に導くことだろう。その説明もきちんとしている。自分では理解できない呪いが身体の中に打ち込まれていて、どうしてこのように平然としていられるのだろうか。

「あなたはどうしてアサシンのマスターを続けているのですか?」

 フィオレはふと、胸に湧き上がった疑問を口にした。

 魔術とは無縁の彼女が相良豹馬と関わりを持ってしまったことからなし崩し的にアサシンのマスターとなったことは分かる。だが、命懸けの戦場に単身乗り込む必要はなかったはずだ。令呪でアサシンに自害を命じれば、元の日常に戻れた。

 フィオレの問いに、玲霞は静かに答えた。

「母親が子どもを助けることに理由が要りますか?」

「母親……?」

「はい。もちろん、実の母親ではありませんが。……あの娘はわたしにとって我が子も同然なのです。わたしの人生に、意味を与えてくれた。だから、わたしは精一杯あの娘の夢のために尽くしたいと思っただけです」

「そう、ですか……」

 母性というべきだろうか。このマスターは自分の精神的支柱としてアサシンを定義付けている。

 フィオレはその精神性に圧倒された。

 玲霞には自分のためにという発想がない。サーヴァントに人格を認めるだけでない。我が子として扱うなど、マスターとサーヴァント関係が破綻していると言っても過言ではない。聖杯戦争の本義に則るのなら、マスターがサーヴァントに入れ込みすぎるのは問題がある。

 だが、彼女は魔術師ではない。

 魔術師ではないから、魔術師とは異なる価値観でサーヴァントと契約している。

「アサシンが多くの人を殺傷したことを、どのように考えていますか?」

「特に、どうとも。悲しいことですが、しかたのないことです。だって、ああしなければあの娘が消えてしまいますからね」

 玲霞は淡い微笑を湛えたままである。

 そこにはただアサシンへの慈愛だけがあった。

 罪を罪と理解しながら、人道と母性を天秤にかけて後者を取った。気が狂っているわけではない。六導玲霞はどこまでも冷静である。

 これが本当に一般人なのか。何か、自分の知らない世界に暮らす存在と相対しているかのような気分になる。ぞくり、とフィオレの背筋が粟立った。触れてはいけない、見てはいけない世界にいる人間だと、直感したのである。フィオレの深層心理が、この六導玲霞という女性を恐れている。

 フィオレはそのような自分の心の震えには目を向けず、努めて淡々と会話を続けた。

「分かりました。あなたの罪を裁く者がいるかもしれませんが、我々には関わりのないことですね。この要塞の中で自由に過ごしていただいて構いません。ただし、最低限の監視は付けさせていただきます」

「はい。……ありがとうございます」

 玲霞は頭を下げた。それから、フィオレが呼んだホムンクルスに案内されて、宛がわれた部屋に向かっていった。

「ずいぶんと甘い対応だな、フィオレ」

 玲霞が出て行った後で、アーチャーが苦言を呈した。

「そうですか?」

「ああ。そもそも、彼女たちと対等に契約しようという発想そのものが甘い」

「そうかもしれませんね」

 玲霞は魔術師ではないのだから、魔術契約を律儀に結ぶ必要はなかった。一方的に相手を縛るような契約でも、何も問題はなかった。カウレスも当初はそのように提案していた。しかし、フィオレは最終的に信義を取った。理由としては、契約さえ結べば裏切りのリスクはほぼ皆無となるのだから、信頼関係が崩れることにこそ注意すべきというものと、生真面目なルーラーへの配慮の二点を挙げたが、それもよくよく考えればさして重要ではない。

「……とにかく、その話は終わりです。済んだことですし、契約内容に関わらずこちらに実害はありません」

「それもそうだがな」

 アーチャーは呆れたとばかりに肺腑の底から息を吐き出した。

「何か問題でも?」

「いいや。君らしいと思っただけだよ」

 ニヒルな笑みを浮かべたアーチャーは、そのまま霊体化して消えた。

 含むところがありそうなアーチャーの態度にフィオレはムッとして唇をへの字にした。

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のアーチャーは『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』に無事帰還した。

 “黒”のアーチャーとの遭遇戦では危うい場面もあったが、何とか乗りきり、無傷での生還を果たしたのである。

「アーチャー。“黒”のアサシンはどのようなサーヴァントか分かりましたか?」

 出迎えた四郎がアーチャーに尋ねた。

「いいや。戦闘はあったが、姿は見なかったな」

「そうですか」

 四郎はこれといって落胆するわけでもなく、相変わらずの飄々とした態度のまま言葉を続ける。

「ところで、“黒”のバーサーカーを討ったのはあなたですか?」

「“黒”のバーサーカー? いや、わたしではないな。死んだのか」

「はい。あなたではないとすると、“黒”のアサシンによるものですか」

 霊器盤を持つ四郎はどこにいても現存するサーヴァントのクラスを知ることができる。“赤”のアーチャーを斥候に送り出してから消滅したのは“黒”のバーサーカーだけである。

「そうだ。どうやら、向こうは“黒”のアサシンを味方に引き入れたようだぞ。マスターに接触を図ったようだった」

「そうですか。では、後方撹乱ももう期待できませんね」

 四郎としては、可能な限り“黒”のアサシンにはもう少し暴れてほしかったところだがしかたない。

 アサシンがどれほどの能力を持っているのか、いまいち分からないが直接的な戦闘能力で“赤”のサーヴァントたちを凌駕するとは考えられない。アサシンらしい、トリッキーな戦いをするのであろう。

 ここは“赤”のアサシンが支配する領域である。“黒”のアサシンがどれだけ高度な『気配遮断』を持っていたとしても、決して好き勝手に動き回ることはできない。姿を隠せないアサシンなど、敵ではない。油断はしないが、過剰に不安視する必要もないだろう。

「ありがとうございました。“黒”のアサシンの問題が片付いたので、向こうも本腰を入れてこちらに攻め込む準備に入るでしょう。敵が現れるまで、どうぞ御緩りとお過ごしください」

「まあ、いいさ。わたしは好きにさせてもらう」

 必要以上に馴れ合わないという態度は終始変わらず、そのまま振り向きもしないでアーチャーは四郎の前から姿を消した。

「これでようやく役者が揃ったってわけか」

「そうなりますね、ライダー」

 四郎の傍に実体化したライダーは、退屈そうな表情を隠しもせず、首を鳴らしていた。

「あなたの相手は、恐らくはアーチャーになるでしょうが」

「だろうな。向こうで俺を傷付けられるのは、アイツくらいのもんだろうからな」

「可能ですか?」

「誰にモノを言ってんだ?」

 僅かな敵意。

 物怖じせずに四郎は薄く笑う。

「失礼しました。ですが、あのアーチャーはなかなか特異な人物ですからね。私にも真名以外に大した情報がありません。無論、神秘の薄れた未来の英雄程度に神代を駆け抜けたあなたが敗れるとは思っていませんよ」

「ふん……前回仕留め切れなかったのは俺の落ち度だ。言い訳はしねえ」

 ヘラクレスに並んで古代ギリシャの大英雄として名が上がるアキレウスは、“黒”のアーチャーをはるかに上回る戦士であることは間違いない。それは、誰の目から見ても明らかであり、“赤”のライダー自身も自覚している。だからこそ、そんな“黒”のアーチャーを、自分の間合いで倒せなかったことに関してはそれなりに思うところがあった。

「まあ、今のあなたはいちいち魔力を気にする必要もありませんし、心配はしていませんよ。いずれにしても、次が最後の戦いです」

「分かってるよ。サーヴァントの勤めくらいきっちりやるさ。こう見えて色々と学んできたんだが、終ぞ手加減の仕方にだけは縁がなくてな」

「そうですか。それでは、大英雄の戦いぶりに期待させていただきますね」

 そう言い残して、四郎は庭園の奥に消えていった。

 言われるまでもない、と“赤”のライダーは鼻を鳴らす。

 “黒”のアーチャーは倒すべき敵である。“赤”と“黒”という形式に拠らず、自分の猛攻を凌いで見せたというだけで刃を合わせるに足るだけの実力者だ。一戦士として、力を競える相手がいるというのは喜ばしい。しかし、それでも大英雄を自負する自分が、己の間合いで弓兵を倒せなかったのは恥に思わざるを得ない。

 相手が上手かったというのもある。しかし、それは自分の力で十分に叩き潰せる程度のものであるはずだ。振り返ってみても、あのとき仕留められなかった理由はない。“黒”のアーチャーは防戦に秀でた剣術で“赤”のライダーの猛攻を辛うじて凌いでいたが、途中で“赤”のバーサーカーが余計な横槍を入れなければ間違いなくあの牙城を切り崩して勝利していただろう。希望的観測でもなく、厳然たる事実として。結果が伴わなかったので、たらればの話をしても意味がないのは分かっているが、“黒”のアーチャーが戦士として自分に劣るのは確実である。ならば、なぜ攻め落とせなかったのか。

 弓兵如きが、と侮る気持ちがあったかもしれない。

 マスターの魔力供給が、ライダーが全力を出すに値するだけの量に届いていなかった、ということもあるかもしれない。

 考えればいくらでも原因と思えるものは出てくるが、どれも決定的ではない。となれば、恐らくは考える必要もないくらいに些細なことで乗り切られたのであろう。戦場では時としてそういった運の要素も絡んでくる。運も何もなく、神々の気分で勝敗がひっくり返ることもあった自分の時代に比べれば、憤るほどの問題はない。

 肉体的・精神的問題、能力、準備、意思そういった諸条件が組み合わさって出た結果だ。そこに言い訳を並べ立てても意味がない。

 大切なのは、倒せなかったという事実を事実として受け止めることだ。

 相手は格下、自分は強い、勝てるはずだった。そのような思考は、命のやり取りの場に持ち込むべきではない。

“ヤツは最善を尽くし、俺はどこかで侮っていた、か。油断も慢心もなかったはずだがな”

 敵は死力を尽くしてこの“赤”のライダー(アキレウス)から生き残った。

 それは正しく賞賛すべきことであろう。その上で、自分は“黒”のアーチャーを圧倒する。やるべきことは至極単純で、悩む必要もない。

「おやおや、ライダー殿。このようなところで何をされているのですか?」

 やってきたのは“赤”のキャスターである。

 騒がしいヤツが来た、とライダーは顔を顰めた。

「別に、何でもいいだろ」

「ふむ。我らがマスターと言葉を交わし、思うところでもありましたかな?」

「話通じてるか?」

 しかも、四郎と会話をしていたことまで筒抜けだ。どこかで盗み見ていたか、あるいは四郎との間にやり取りがあったか。

「まあいい。別にアイツと話をしたからといって、何が変わるわけでもねえ。自分のすることを確認しただけだ」

「左様ですか」

 肩透かしを食らった風でもなく、キャスターは頷いた。

「そうだ、一つ聞かせてもらおうか」

 ライダーはそこで、思いついたようにキャスターに尋ねた。

「お前らは今、何をしている? “黒”の連中を迎撃する準備ってわけにも見えないが」

「ああ、なるほど。それなら簡単ですよ。我らがマスターの夢を実現するための調整に入ったところです」

「お前もそれに駆り出されていると」

「ええ。我輩、魔術は使えなくとも魔術師のサーヴァントとして奇跡を織り成す業を有しております。それで、マスターの支援に当たるというのが、まあ我輩のサーヴァントとしての唯一の仕事になりますかな」

「唯一な……」

 『キャスター』のクラスに呼ばれながら魔術の素養が一切ないという稀有なサーヴァントであるキャスター(シェイクスピア)は、魔術が使えない代わりに魔術とはまた異なる形で奇跡を起こす能力を付与されている。作家系サーヴァントの面目躍如といったところであろうか。戦闘能力が皆無のこのサーヴァントは通常の聖杯戦争では序盤で脱落すること必至でありながら、天草四郎時貞の計画にはなくてはならない歯車としてここにいる。

 むしろ、役割が与えられていることに驚きを禁じえないライダーだが、今の状況は戦うことだけがサーヴァントの仕事ではない、というところにまで聖杯大戦そのものが路線変更をしてしまっている。

「ところで、キャスター。お前はどうしてそこまでしてアイツに協力してるんだ?」

 話を聞く限り、このキャスターは初めから四郎の計画を知っていた。どのような過程を経てキャスターが四郎と共謀していたかは想像の域を出ないが、何を考えているのかも分からないキャスターが積極的に四郎に協力するからには彼の琴線に触れる何かがあったとしか思えない。

「マスターに協力する理由ですか。そのようなものは簡単ですよ。ただ、見てみたい。それだけです」

「何?」

「我輩、かつて人間の一生を『人生は、二度繰り返される物語のように退屈である』などと評しましたが、マスターの計画はそんな人間の在り方を根本から覆す一大エンターテインメントです。その過程も含めて、我輩のインスピレーションを刺激するすばらしいものだと思うのです」

「てことは、あれの善悪も正否も興味ねえってわけか」

「『物事によいも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる』。ましてや人類がこれまで成し遂げたことのない不老不死。まったく新しい概念に正しいも悪いもないでしょう。まあ、『戦いを交えるに当たっては、その唯一の目的が平和にあることを忘れてはならない』というように、彼の信念はまさしく人類を思ってのことであり、それ以外の要素をこの戦争に持ち込んではいませんな。そういう意味では正しいと言えるのかもしれません」

「要するにお前は人類がどうなろうが劇的ならば構わねえってわけだ。その先のことも深く考えてはいないと」

「その先のことはマスターが熟考を重ねておいででしょう。なにせ、我輩が生まれてから死ぬまでに流れた時間よりも長い時をこの現世で費やしておられるのですからな。マスターは救うことにしか興味がないようですが、その後は女帝殿がどうにかするでしょう。『弱いものを救い上げるだけでは十分ではない。その後も支えてやらなければ』。お二人は上手いこと役割を分担されておられる。ははは、まさしくベストカップル、いやベストパートナーですな。成功の暁には愛の詩でも贈呈しましょうか」

「そりゃあいい。花束と一緒に送りつけてやれ。顔真っ赤にして喜ぶだろうよ」

 にやり、と笑ったライダーは、キャスターが立っている方向とは正反対のほうに視線を向ける。ライダーから十メートルほど離れたところに、黒いドレスの女が立っていた。霊体化を解き、実体化した“赤”のアサシンであった。

 日頃の悠然かつ酷薄とした表情は一転し、頬をひくつかせてあからさまに不機嫌な様子である。

「おや、女帝殿。いらしたのですか」

「ああ、いたとも。ところで、二人揃ってなかなか愉快な話をしていたようだなぁ」

 ビリビリとアサシンは身体に電気を走らせている。

「ライダー殿。我輩、執筆作業がありますので失礼致します。締め切りに追われるのも我が宿命。致し方ありませんな」

「ん、あ、おい」

 ライダーが呼び止めるも空しく、キャスターは消えた。

 ほとんどの危険から逃れることのできる『自己保存』のスキルを持つキャスターに危険を察知された時点で如何に“赤”のアサシンであろうとも彼を害するのは難しい。怒りの矛先は、当たり前のようにギリシャの英雄に向けられる。

「たく、そらないわな、女帝さんよ」

「痛い目に遭う覚悟はあるのだろうな?」

 肩を竦めるライダーに対して、女帝はすでに臨戦態勢である。目が本気だ。

「ちなみにその理由は?」

「我が庭園で無駄口を叩いた罪というのはどうだ?」

「冗談」

 ライダーはトン、と地を軽く蹴り、アサシンはそこに雷を打ち込んだ。ライダーの反応はアサシンが魔術を紡ぐよりも速く、雷は床を焦がしただけだった。

「照れ隠しに雷なんて、おっかなくて茶化せもしねえぜ」

 二度目の雷撃もライダーは軽々と避けて霊体化する。

 消える間際にライダーが残したにやけた笑みにアサシンは歯軋りしてから、しばらくライダーが消えた空間を睨んでいたが、やがて取り合うだけ無意味と自分に言い聞かせて、ライダーとキャスターの会話を苦々しく思いながら去っていった。

 




ステイナイトを久々に起動しようとしたらトロイの木馬がどうとかでて、ウィルスバスターが頑張ったらファイルが消えた。

とりあえずオデュッセウス表出ろ。


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三十六話

 “黒”のアサシンを味方に引き込んだことで、“黒”の陣営は“赤”の陣営に対して本格的な攻勢を仕掛ける準備に入った。

 サーヴァントの数では拮抗しているものの、質では遙かに“赤”の陣営が上回っている。

 大英雄は“黒”のセイバーくらいのもので、戦士としては“黒”のアーチャーが辛うじて追随できる程度である。“赤”のセイバーとルーラーを勘定に入れたとしても不利であることは言うまでもない。

 困ったことに、万全の状態であったとしても“黒”の陣営は追撃戦には向かない構成になっている。空を自由に翔けることができるのは“黒”のライダー一騎だけであり、他のサーヴァントには飛行能力がない。空中庭園に辿り着くことそのものが非常に困難なミッションなのである。

 空を飛ぶ能力がないのなら、文明の利器で補うしかない。

 しかし、ないなら他所から持ってくるのが魔術師である。資産を費やしてジャンボジェット機を購入するところまでは、辿り着けた。後は出発して、敵陣に乗り込むだけだ。

「飛行機はブカレストの空港にありますので、出発はブカレストからとなります。えぇと、あの、聞いてますか?」

 フィオレは困ったような、それでいて怒ったような顔で全体を見回す。

 ここは食堂で、各々の前にはアーチャーとホムンクルスたちが作った料理が整然と並んでいる。

 時間を無駄にはしたくなかったから、全員が集まる食事時に情報を整理して戦いに備えようとしたのに、食事に意識を奪われた何人かはまったくフィオレの話に耳を傾けない。

 パンプキンポタージュに浸したパンを口に運び、うっとりとした表情で咀嚼するルーラー。

 ガツガツと口の中に鮭と玉葱のエスカベッシュを放り込んではおかわりを要求するライダー。

 ふおおぉぉ! と感嘆の声を漏らしてデミグラスソースの煮込みハンバーグを頬張るアサシン、などなどである。

「姉さん。後にした方がいい」

「そうね。食事は大切だものね」

 ため息をついてフィオレはナイフとフォークを持った。

 こうして食事の風景を眺めていると、人となりが出るのが分かる。

 アーチャーは厨房で鍋を振るっているから省く。ゴルドは中性脂肪が増えそうな食事にばかり手を伸ばしている。そのサーヴァントであるセイバーは多少酒を舐めた程度で積極的に食事をしようとはしていない。着席もせずに後ろに控えているのは、マスターと同じ席にはつけないという配慮であろうか。

 ライダーとルーラーが健啖家なのは今に始まったことではない。ライダーと異なり、ルーラーは肉体を有するために魔力だけでなく実際の食事で栄養補給をする必要があるという切実な問題を抱えているのだが、それでもあの食事量は生来のものだろう。

 新規加入のアサシンはその隣に座る玲霞に甘えながら、実に子どもっぽく――――その実子どもなのだが――――振る舞っており、口元に付いたソースを玲霞が拭き取るのも一度や二度のことではなかった。

 神話や叙事詩、歴史に伝説とサーヴァントの由来は様々であるが、こうしてみていると彼らも意思を持った「人間」なのだということが分かる。

 サーヴァントは駒としてではなく、その人格を尊重して友として接するほうが最終的な勝利に近づけるのではないか。フィオレはそう確信していた。

 

 

 食後、食器が片付けられた後の食堂で、フィオレは改めて全員と向かい合った。

「先ほど申し上げましたが、聞いていなかった方もいらっしゃるようなので、もう一度言いますが、ジャンボジェット機の準備ができました。明日からでも聖杯を取りに向かうことができます」

 フィオレの言葉に、食堂内に緊張が走った。

 近く決戦になるのは誰もが覚悟していたこととはいえ、やはり目の前に突きつけられると衝撃を受けないわけにはいかない。

 もちろん、衝撃を受けているのは主にマスターたちだけで、サーヴァントたちはどこ吹く風である。

 曲がりなりにも歴史に名を残した猛者たちだ。

 敵が強大であろうと、臆することはない。

「やっぱ、飛行機で行くのか?」

「だって、それ以外にないでしょう。まさか令呪で跳躍するわけにもいかないんですから」

 カウレスの問いにフィオレは当たり前だとばかりに答えた。

 空中庭園がどこになるのかは、大まかに特定できている。最大の問題は空中庭園がその名の通り空に浮かんでいることであった。

 いくらサーヴァントであっても、空に浮かぶ大要塞に突入するのは骨が折れる。飛行機でも使わなければ、後は令呪以外に方法がない。そして、令呪をそのようなことに空費するわけにはいかない。

「しかし、それでも迎撃されるという問題は消せません」

 ルーラーが口を開き、フィオレは頷く。

「そうですね。向こうにはアーチャーがいますし、ライダーの戦車も空中戦ができるのは最初の一戦で確認されています」

「それにさ、あの空中庭園そのものが防衛機構積んでるからね。僕はそれに撃ち落されちゃったわけだし」

「見ていました。大魔術をああも簡単に放たれると、本当にアサシンなのか疑わしいくらいですが」

 “赤”のアサシンの真名は黒魔術で知られる最古の毒殺者セミラミスである。『キャスター』と『アサシン』の二つのクラス別能力を兼ね備えた破格の女帝であり、攻撃性能は紛れもなく『キャスター』の中でもトップクラスである。

「アーチャー、ライダー、アサシンの攻撃を潜りぬけてわたしたちは空中庭園に突入しなければなりません。それに、まだ姿をはっきりと見せていない“赤”のキャスターもいますし、“赤”のランサーも強敵です。キャスターは別としても、ランサーが空を飛ぶことはないと思いますから、彼との戦いは要塞突入後ということになるはずですが」

「ランサーの相手は俺が引き受けよう」

 フィオレの呟きを拾った“黒”のセイバーがすかさず宣言する。

 断固とした意思がそこにはあった。

 開戦当初から一貫してセイバーは“赤”のランサーと戦い続けてきた。これまでのところ五分五分の戦いを演じており、どちらかに天秤が傾いた(ためし)はない。

「もちろんです、セイバー。あのランサーと戦えるのはあなただけですから」

「となれば、ライダーの相手は私だな」

「そうですね。よろしくお願いします、アーチャー」

「承った」

「“赤”のアーチャーについてはわたしとそこのアサシンで何とかしましょう。協力してください、アサシン」

 ルーラーがアサシンを見る。

「まあ、いいけど。わたしたちは何をすればいいの?」

 たどたどしい声音で、アサシンはルーラーに尋ねた。

「あなたの宝具で、飛行機を隠してくれればいいのです。ただ、かなりの高度での使用になりますから、霧がどこまで出せるかというところですけど」

「大丈夫。わたしたちの霧は、自然の風なんかでどうにかなるものじゃないから」

 できれば敵陣そのものを霧で覆えれば一番だろうが、そこまでは不可能だ。接近する際に、ジャンボジェット機を敵の目から隠すことができればそれでいい。後は攻撃密度の下がった矢をルーラーが撃ち落していけば、何とかなるだろう。

「あのアーチャーの宝具は広範囲に矢を降らすものだったはずだ。ルーラーは対応できるか?」

 セイバーに問われてルーラーは頤に手を当てて眉を顰めた。

「そうですね。飛行機数機分程度であれば、わたしの旗で守れるかもしれませんが……それ以上となると難しいですね」

「ならば、あのアーチャーが宝具を使ったときは俺が撃ち落そう。どの道、ランサーが出てくるまでは暇だからな」

 敵地に辿り着かなければ、“赤”のランサーと戦うことができなくなる。そうなるのは、セイバーの望むところではなくその道程で宝具を使うことになっても構わない。

 ただ、魔力という問題もあるが、

「それで何とかなるのなら、宝具くらいいくらでも使えばいい。私も戦いに備えてそれなりの準備はしているからな」

 擬似ホムンクルスによる魔力供給は、ゴルドの努力のおかげで七割程度の稼働率まで上昇した。一流の階に足をかけているゴルド本人の魔力もあり、“黒”のセイバーが宝具を無駄撃ちしてもまだ余裕がある程度にはなっている。

「では、残る問題は要塞そのものの防衛設備ですか」

 “赤”のアサシンの超宝具『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』の外部に設置された十一基からなる防衛機構『十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)』は、それ自体が砲台として機能しており、Aランクの『対魔力』を持つ“黒”のライダーを失墜されるほどの威力の魔術を叩き込むことができる。十一基すべてを合わせれば、その威力はA+ランクの対軍宝具『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』と互角の威力を発揮できるとも目される。

 無論、そのような攻撃に曝されれば、ジャンボジェット機など紙屑に等しく破壊されてしまうだろう。

「三、四基ほどならば、私が狙撃できるが」

「しかし、それでも半分も落とせません。せめてライダーが出てこなければいいのですが」

 “黒”のアーチャーの狙撃ならば確実に防衛機構を破壊できるだろう。しかし、アーチャーには“赤”のライダーという第一に優先すべき敵がいて、いつまでも要塞そのものを相手にできるわけではない。

「まあ、いざとなったら僕がヒポグリフで引っ掻きまわるって手もあるよ。『対魔力』Aだし」

 重くなった会議の中で、ライダーが明朗快活とした様子で言う。理性が蒸発しているというだけあって、危機感のようなものは感じない。しかし、その明るさに救われることもある。もっとも、ライダーの言葉には現実的な要素がまったくないのだが。

「あなたは一度撃ち落されているでしょう」

 フィオレは困ったようにライダーに言った。

 以前の戦いで、ライダーはヒポグリフごと“赤”のアサシンに撃墜されている。引っ掻き回すといっても、限界があり、落とされればそれまでだ。

「んー、まあほら。僕にはどんな魔術でも無効化する本があるからさ。大抵の魔術に耐えられるし。真名忘れちゃってるから、本領発揮は無理なんだけどね」

 背凭れに体重を預けて、ライダーは笑いながら言った。

 その発言の中にある重要性に、まったく気付いていない様子である。

「ちょ、ちょっと待ってくださいライダー。あなた、今、なんて言いました?」

 フィオレが慌ててライダーに尋ねる。

「ん? だから、これ」

 ライダーはどこからか一冊の本を取り出すとテーブルの上に放り投げた。

 辞書かと思うほどに分厚い本はそれだけで大量の情報が記されているものだと分かるが、何よりもそこに込められた魔力が凄まじい。

 ただの魔導書ではなく、宝具の域に到達した魔導書なのだ。

「こ、これは……?」

「昔ロジェスティラっていう魔女に貰ったやつ」

「そ、それは知っています!」

 ライダーの異様に高い『対魔力』の秘密もここにあったのだとフィオレは納得する。

 もともと、“黒”のライダー(アストルフォ)には魔術に対抗できる素養はなく、クラス別能力として与えられる『対魔力』も三騎士には及ばない。それにも拘らず、ライダーが『セイバー』クラスに匹敵する高い『対魔力』を有していたのは、この宝具を所持していたからだったのである。

「ライダー、この書物の真名を、忘れているのですか?」

「そうなんだよね。こう、喉まで出掛かっているんだけど……」

「すぐに思い出してください! これは、真名を解放することで真価を発揮する宝具ですよ!」

 フィオレが声を荒げて懇願する。

 本来の能力が発揮されていない状況でもAランク相当の『対魔力』なのだ。真の力を引き出せれば、空中庭園に対しても切り札として活用できる。“黒”の陣営にとっては、ライダーが宝具を使えるか否かは死活問題なのだ。

「えぇ、そう言われてもなぁー」

 ライダーは困ったように頭を掻いた。

 思い出せと言われて思い出せるのなら苦労はしない。うぬぅ、とライダーは腕を組んで目を瞑る。

「ん」

「思い出せましたか?」

「いや、全然まったくこれっぽっちも」

「アーチャー、解析は?」

 がっくりとしたフィオレはアーチャーに尋ねた。

「無理だな。魔術を打ち破る魔導書に解析は通じないな」

「ですよね」

 フィオレは俯いて顔を手で覆った。それから髪を掻き揚げる。

「あ、でも」

 そこでライダーが声を上げる。

「思い出せましたか?」

 フィオレは顔を跳ね上げてライダーを見る。他の面子も期待の眼差しを向けるが、無情にもライダーは首を振った。落胆が食堂を包み込む。

「ただ、真名を思い出す方法は思い出したよ」

「本当ですか!? それで、その方法は!?」

 フィオレは身を乗り出すようにしてライダーに尋ねる。

「月の出ない夜であること。そのときだけは、僕は理性を取り戻せるんだ。だから、宝具の真名も思い出せるはずだよ」

「月の出ない夜……」

 月は古来より狂気の象徴とされてきた。月が顔を出さなければ、狂気は失われるということだろうか。

「新月は、今から五日後だぞ」

「そんなに、待てません」

 カウレスが教えてくれたが、五日も待てば状況は深刻化する。

「ねえねえ、五日も待ったら向こうが願いを叶えちゃうんじゃないの?」

 アサシンが不安そうにフィオレに尋ねた。

 フィオレは唇を噛んで口を噤んだ。聖杯についてはフィオレは知らないことのほうが多い。そのため、アサシンの質問に答えるだけの情報がない。

 それを否定したのはルーラーだった。

「聖杯を満たす魔力が足りないはずですから、それはありません。トゥリファスの霊脈から引き剥がした際に一部漏洩していますし、今の聖杯は霊脈と繋がっていませんからね。それでも膨大な魔力を持っているのは確かですが、現状では魔法に至るだけの魔力は蓄えていないはずです」

 天草四郎の目的は魔法に至ることだ。

 冬木の聖杯で魔法に至るには、最低でも七騎のサーヴァントを供物として捧げなければならない。今回は前回分を引き継いでいるとはいえ、失われた魔力もある。何より、今回の聖杯大戦で脱落したサーヴァントは、まだ三騎しかいない。

 今のままでは、魔法には到底届かない。

 しかし、この中の誰かが討ち死にしたり、あるいは敵を討ち取ったりすれば、死したサーヴァントは聖杯に回収されて純粋な魔力として四郎を助けるだろう。結局、聖杯に辿り着く前に、四郎の計画は加速度的に早まることになるのはどうしようもない。

「あの天草四郎(ルーラー)が取り返しの付かないことをする前に攻め込むだけの猶予はあるということか」

 アーチャーの確認にルーラーは頷いた。

 戦いそのものが土台からひっくり返されることはない。後は、自分たちがいつ出発するのかということだ。戦争を仕掛けるに当たって日時を選べるのはアドヴァンテージにもなりうるが、今回はこちらもかなりのリスクを負わなければならない。

「もしも、五日も待ってしまったら、聖杯の所有権を失うことにもなりかねません」

 『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』の移動速度が鈍いといっても、五日も待てばルーマニアの国外に出るだろう。国内と国外ではユグドミレニアの発言力は雲泥の差になってしまう。魔術協会の魔術師(ハイエナ)も介入してくるのは確実で、聖杯を失えば聖杯大戦を生き延びてもユグドミレニアは潰される。

 誰も願いを叶えることもできず、ただユグドミレニアは命を賭して戦っただけで終わる。

「一回解散しよう」

 そこで、カウレスが言った。

「カウレス?」

「明日行くか、五日後に行くか。すぐに結論するには厳しいからな。一時間後に会議室に集合ってことにして、クールダウンしたほうがいいんじゃないか?」

 カウレスの提案にライダーとアサシンが乗った。いい加減、会議に飽きていたらしい。

「カウレスの言うことにも一理ある。議論が行き詰ったときは、一回離れてみるのも悪くない」

 アーチャーも賛同したのでフィオレはしぶしぶ会議の解散を告げた。

 途端に、会話が増える。ゴルドはセイバーを伴って貯水槽の様子を見に部屋を出ていく。アサシンは玲霞の膝に飛び乗って菓子を頬張り始めた。

 各々が息抜きをしているのを見て、カウレスがフィオレの傍にこっそりとやってきた。

「姉さん。話がある」

「話……?」

「とにかく、ここじゃ話しづらい。空き部屋でもいいから移動しよう」

 

 

 

 □

 

 

 

 カウレスと連れ立って別室に移動したフィオレは脳裏に「?」を浮かべながらカウレスと向き合った。

「カウレス、話って何?」

 今は大切な会議をしていたところなのだ。いくら弟であっても、個人的な話題などは後回しにするべきだ。カウレスは頭がいいので、そんなことは分かっているだろう。ならば、フィオレに内々の話があるというのはよほどの事情なのだろうと予想はできた。

「姉さん。どうする」

 カウレスは冷厳とした顔つきでフィオレを見た。

 聖杯大戦が始まるまでは、これといって主張することのなかった弟が、ここ数日の間に一気に大人びたような気がする。背伸びをしているというわけではなく、身の丈にあった成長をしていると感じてしまう。

「どうするも何も、聖杯を取り返しに行くわ。わたしとしては明日中に出立しなければならないと思っています」

「危険だぞ」

「ライダーの宝具の件もありますが、それでもリスクを承知で挑むべきよ。そうでなければ、聖杯が失われてしまうじゃない」

 ルーラーの報告によれば、敵は黒海に向かっている。最悪でも明日中に追いつかなければ、聖杯はルーマニアの国外に持ち出されているであろう。

 そうなれば、たとえ聖杯大戦に勝ち残っても、最終的には滅亡するしかない。

「なあ、姉さん。俺は、ここが分水嶺だと思うんだ」

「分水嶺? この戦いに勝てるかどうかってこと?」

 カウレスはゆっくりと頭を振った。

「違うよ姉さん。姉さんが、このまま魔術師としてやってくか人間に戻るかってことだ」

「な――――ッ」

 ぞわり、とした悪寒にフィオレは絶句した。

 喉が干上がるかと思ったくらいだ。カウレスの瞳は深海のように暗く、吸い込まれそうだ。冗談でもなんでもなく、フィオレに究極の選択肢を投げかけたのである。

「わたしに魔術師を辞めろってこと……?」

「それは姉さんが決めることだ」

 投げ遣りではないか。フィオレはさすがにこれには腹が立つ。が、カウレスはフィオレが口を開く前に、言葉を続けた。

「俺たちには二つの選択肢がある。一つは明日出発すること、もう一つは五日後に出発することだ。明日出れば、かなりのリスクを負うことになるけど、五日後に出れば要塞に到達する可能性は大きく上がる」

「そんなこと、分かってるわ。でも、後者はありえないでしょう。だって、そんなことをすれば聖杯は――――」

「手に入らない、かもしれない。けど、上手くすれば聖杯の悪用は止められる」

「何を、言ってるの?」

「俺たちが負ければそれまでだけどさ。そういうのは別にして、辿り着けるかどうかが問題だろ」

「それでも、辿り着かないといけないでしょう。聖杯はユグドミレニアの存続に大きく関わるものだもの」

「ユグドミレニアは関係ない。姉さんが意識しなければならないのはそういう結果じゃない。それは、ダーニックの選択だ」

 ダーニックが始めた聖杯大戦は、ダーニックが聖杯を完成させ血族を繁栄させることを目的としたものであった。そこには崇高な信念が確かに存在したが、どこまでも魔術師然としたダーニックは過程における犠牲も厭わない狂信的な面もあった。魔術師として当然だろう。自分の命もサーヴァントの命も、聖杯の前には天秤にかけるに値しないという考え方は。彼ならば、迷うことなく聖杯を獲得できる可能性に賭けた。その過程にどれだけの犠牲が出ようとも一顧だにしないだろうし、どれだけ撃墜される危険があったとしても出撃を強要するだろう。それは、ダーニックの考え方の大前提に聖杯の完成があるからである。

 対して、フィオレはどうか。

 フィオレが聖杯を求めるのは、ただ自由な足を取り戻したいという自分のための望みだけだ。

 血族のためでもなければ、魔術を究めたいという魔術師としての望みでもなかった。

 ユグドミレニアがどうかという話は、ダーニックの後を継いだことでフィオレに圧し掛かってきただけで、本来彼女には関わりのないものなのだ。

「血族も何も関わりなく、姉さんはどうするのが最善だと思うのか。それが大切なんじゃないか?」

「最善、ですって……?」

 フィオレは小さく呟いた。

 そのようなことは問われるまでもない。明日、出発するのが最善なのだ。誰が犠牲になってでも、聖杯に辿り着き、ユグドミレニアの繁栄のために聖杯を確保する。全滅の憂き目も遭うかもしれないが、成功したときの見返りを考慮すれば必要なリスクである。

 だというのに、どうしても「最善」だと口に出すことができなかった。

 口に出せば決まってしまう。

 犠牲の容認をフィオレ自らが判断したことになってしまう。

 それが、とても恐ろしかった。弟や仲間たちに死ねと命じる勇気が、フィオレには湧いてこない。

「なあ、姉さん。昔、犬に低級霊を憑依させたことがあっただろ。覚えてるか?」

 カウレスの言葉にフィオレは目を見開いた。

 幼い頃、父親が目の前で行った魔術の失敗例、そのために消費された一匹の犬のことをフィオレもカウレスも忘れていなかった。

「――――覚えてるわ」

 低級霊に憑依され、その扱いに失敗したときにどのような苦痛が肉体に襲い掛かるのか。フィオレは僅かな時間ではあったが、共に過ごした犬が目の前で苦痛に喘ぎながら崩壊していく様を見せられた。それでも何事もなかったかのように受け入れて、今まで過ごしてきたのだ。

「それが、何?」

「しかたないって思うか、それとも、可愛そうだって思うか。姉さんはどっち?」

 問われて、フィオレは唇を噛んだ。

 魔術の実験で命を失う生き物がいるのはしかたがない。魔術師ならば、生け贄は日常茶飯事だ。一般社会でも、薬の開発などでマウスを犠牲にしている。そこにあるのは命に対する割り切りだ。魔術、あるいは技術の発展のためには必要な犠牲だと容認することである。しかし、魔術師はその割り切りが人間に対しても平然と行使される。そう、それは“黒”のアサシンのマスターである玲霞がそうであったように、しかたがないで人命を奪う行為に他ならない。玲霞と面会したとき、フィオレは玲霞を恐れた。しかし、玲霞の目的のために手段を選ばないという思想は、本来魔術師が有しているべきものである。

 フィオレは俯いて、声を搾り出すようにして口を開いた。

「そんな、の。しかたないわけ、ないじゃない……」

 フィオレは許容できなかった。

 数ある生け贄の一つとして、幼い頃に触れ合った犬を忘れることがどうしてもできなかったのである。

「なら、姉さんは魔術師には向いてないよ。そんなんじゃ、儀式だって満足にできないだろ。あの犬のことだって、さっさと忘れればいいのにそうしなかった」

「だって、そんなの。あんな風に死んでいって、忘れられるなんて……それじゃ、あの子が報われない」

 フィオレは黙って、ぎゅっと拳を握り締めた。

 肉も骨も砕かれ、全身を引き裂かれて死んでいった犬の末路を見届けた。両親には決して悟られぬように平静を装いながらも、心はズタズタに切り刻まれたような気がしていたのである。それを知っているのは、カウレスだけだ。あの日、泣きながら作った墓は、風雨に曝されて何処かへ流れていった。墓も遺骸もこの世には残っていない。あの犬は最早フィオレとカウレスの記憶の中にだけ存在するのである。魔術師の都合で殺しておいて、魔術師の都合で忘却するなど、フィオレには到底できなかった。助けを求めているかのような、あの黒い瞳は、今でもありありと思い出せる。

 これから先、魔術師として生きていくのならこのような経験は掃いて捨てるほどあるだろう。

 人間は慣れる生き物だ。きっと、何度か繰り返すうちに流れ作業になって難なく生き物を捕殺できるようになるに違いない。魔術師として正しい在り方も、そこに至った時点でフィオレが大切に抱えていたものは失われている。あの犬をただの消耗品としてしか理解できなくなる。それは――――決してあってはならないと、思うのだ。

 

 

 

 □

 

 

 

 “黒”のアーチャーは物見台で夜風を浴びていた。

 トゥリファスの街明かりは仄かな暖かみを持ち、澄んだ空気を抜ける天上の星々は砕け散った森林を冷たく照らしている。

 ふと、背後に人の気配を感じて振り返る。

「物珍しいものでもありましたか、アーチャー」

「日没後間もないとはいえ、夜は冷えるぞ、フィオレ」

 礼装に支えられたフィオレは、物見台を悠々と上ってアーチャーのところにやってくる。

「物憂げに外を見渡しているから、どうしたものかと思ったのです」

「物憂げでもないがな。ただ、思えばこの国にはあまり縁がなかったなと。ただそれだけだ」

 生前、駆け抜けたのは世界各国の紛争地である。およそ“黒”のアーチャーほど広範囲を又にかけて活動した英雄はいない。東西南北を踏破し、数千の人命を救ってきた。――――その反面、それに近い数の人命を奪いもした。

 とはいえ、アーチャーが活動したのは戦争が行われている地域であり、そうした国や地域は概ね貧しい。中東やアフリカがメインで、先進国ではさほど活動していなかった。ルーマニアは、アーチャーにとっても縁のない土地なのである。

 フィオレは小さく相好を崩した。

「アーチャー、ちょっとした重大発表があります」

 静かに紡ぐ、夜風に流れないしっかりとした声だった。

「わたし、魔術師を辞めることにしました」

 きっぱりと、フィオレは宣言した。

 半ば覚悟していたことではあった。カウレスがフィオレに決断を促したのであるが、それをフィオレが受け入れるのにどれだけの苦痛を感じたことか。

 魔術師が魔術を手放すというのは、己の半生のみならず一族の歴史そのものを捨て去ることにも繋がる。衰退する一族を立て直すことがユグドミレニアに組み込まれた多くの魔術師たちの夢であることから考えても、一流の実力者であったフィオレの決断は、フォルヴェッジ家の終わりに等しく、またユグドミレニアそのものの瓦解を印象付けるものでもあった。

「後のことは弟が引き受けてくれるそうです」

「カウレスか。思いのほか、しっかりとした弟だな」

「本当に。……いつの間に、あんな風に育ってしまったのでしょうね」

 つい数週間前まで、頼りない弟だったカウレスは、この数日の間に急激に成長したように思えた。きっかけは聖杯大戦であることは間違いない。中でもバーサーカーの死は彼に不可逆の変化を引き起こした。

 決して悪い変化ではない。

 失ったモノは大きかったが、そこから得たモノも多い。清濁を併せ持つ、一人の男として二本の足で立って歩いていくだろう。

 もう、彼が姉の背中を見ることはない。

 二人の道は、ここで決定的に分かれた。

「後悔はしないのか?」

 アーチャーに問われたフィオレは、首を振る。

「あります。後悔は、しています。けれど、多分これは、いい後悔なのだと思います。少し、肩の荷が下りました」

 本当にカウレスに任せて大丈夫か。親戚や両親はどう思うか。魔術協会との関係はどうしたものか。考えることはいくらでもあるし、自分の魔術師の腕にも自負はある。魔術の研鑽は楽しかった。だから、魔術の世界に背を向けるのは、心苦しい。けれど、自分には決定的に足りないものがあった。目的のために手段を選ばない冷酷さを、自分は持てない。その勇気がなく、どこかで敬遠してしまう。魔術を究めるだけの、精神性がなかったのである。となれば、やはり才能がないということだろう。

「わたしは魔術は使えますけど、魔術師としてやっていく自信がありません」

「そうか。それも一つの判断だ。残り数日ではあるが、可能な限り応援しよう」

「ありがとうございます、アーチャー」

 フィオレはまた、小さく笑った。

 後腐れのないすっきりとした笑み。大きな決断をしたことで、一つ前に進んだと実感したのであろう。

「まあ、魔術師として失格なのは私も似たようなものだからな。その件についてとやかく言える立場にはない」

「ああ、確かにそうですね」

 と、フィオレは素直に頷いた。

「あなたは生前、名前も知らない人々を救うために魔術を行使した人ですからね。本物の魔術師なら、あなたの行いにこそ憤るべきだったのでしょうけど」

 魔術はなべて秘匿されるべし。

 表に出た神秘は神秘性を失い劣化するからである。

 生前のアーチャーはその禁を破り、多くの魔術師を敵に回した。フィオレが真っ当な魔術師ならば、アーチャーの魔術の使い方に対して怒りの念を抱いたことだろう。

「ですが、わたしはあなたの魔術の使い方を正しいと感じてし(・・・・・・・・)まっていました(・・・・・・・)。人の命を救うために、自分自身を犠牲にする生き方に畏怖を抱きもしました。ほら、やっぱりわたしは魔術師としては落第ですよね」

「だが、人間としては真っ当だ。私の生き方に共感するのは問題だがね」

「確かに、あなたの生き方は自己犠牲が強すぎる嫌いがありました。今更言ってもしかたがないとは思いますけど」

 アーチャーも嫌というほど理解していることを、フィオレはあっけらかんと言った。

「それでも、わたしはあなたの理念は正しいと思いますし、それを目指して戦ったあなたの人生は決して間違いではないと信じています」

 真摯な表情で、正面からこのように断言されて、アーチャーは言葉を失った。それから苦笑したアーチャーは、

「参ったな。そのように言われてはこちらとしては返す言葉がない」

 と、降参のジェスチャーをする。

 フィオレはアーチャーにつられて失笑する。

「魔術師失格のマスターですが、最後まで付き合ってくれますか、アーチャー?」

「むしろ、望むところだな。だが、いいのか? こちらは知っての通り、魔術師失格のサーヴァントだ」

「問題ないでしょう。少々皮肉屋なのが玉に瑕ですけど」

 そう言って、フィオレは右手を差し出した。

 アーチャーはその手を包み込むように握る。

「それでは、よろしくお願いします」

「君の新たな門出を、最上の勝利で飾ると約束しよう」

 決戦は五日後。

 結果はどうあれ、アーチャーとはそこで別れることになる。アーチャーの勝利を願い、祈り、精一杯のサポートをすることだけが、フィオレに残された魔術師としての最後の仕事になるだろう。

 少しだけ寂しいが、同時に誇らしい。

 今となっては恐怖もない。

 巨大な敵に相棒と共に立ち向かう高揚感だけが、フィオレの胸を満たしていた。

 



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三十七話

 決戦は五日後。

 その決定を受けても、ゴルドは何も感慨が湧かなかった。

 万全を期したはずの聖杯戦争は、瞬く間に聖杯大戦へと姿を変え、そうかと思えばこちらが聖杯を追う展開になだれ込んだ。

 怒涛の展開に頭がついていかないのも無理はない。

 初めに抱いていた小さな自負など、とうの昔に消し飛んでいる。英雄の戦いに魔術師ができることなど何もない。ただ見守ることだけが、ゴルドの役目だった。一流だろうがなんだろうが、彼らからみれば木っ端のようなもので、ゴルドは自分の命運をサーヴァントに託す以外に生き残る術がない。

 魔術師としての未来と誇りを賭けて望んだはずの戦いは、まったく見当はずれのところに突入し、そしてゴルドがほとんど関わることなく最後の時を迎えようとしている。

 当初はもっとできるはずだと思っていた。

 途中からどうしてこうなったのだと考えを改めた。

 今となっては、なるようにしかならないと受け入れるまでになった。

 先行きは暗く、自分は穴に引き篭もって日がな一日貯水槽で肉塊と向き合う日々だ。穴倉の鼠でももっとマシな時間を費やしている。

 貯水槽は何とかサーヴァントの魔力をカバーできるところまで稼動させたが、“黒”のキャスターの襲撃によって破損した部分に応急処置を施して騙し騙し運転しているものもあるので、ゴルドは長時間この部屋を離れるわけにはいかないのである。

 先ず間違いないなく、『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』に突入するメンバーに加わることはないだろう。ここでも、自分は流れの外に追いやられている。傷つくべき自尊心など、とうの昔に彼方に置いてきた。

 戦いに敗れれば自分にも死が待っているのだ。今、ゴルドを動かしているのは偏に死にたくないという単純な本能であった。

「なんだ、ここはお前のような英霊が踏み入る場所ではないぞ」

 不機嫌そうに、ゴルドは扉を開けて入ってきたセイバーに言った。

「アーチャーからの差し入れだ、マスター」

 真っ暗な中で、水槽のみが青白く発光している。液体の中に浮かぶのは不定形の青白い肉の塊である。ホムンクルスになる過程の肉塊に魔術回路を組み込んだだけの簡単な生け贄である。

 そんなものが浮かんでいる水槽がいくつも立ち並ぶ部屋に、“黒”のセイバー(ジークフリート)という大英雄はあまりにも似つかわしくない。

 ゴルドの辛らつな言葉に、セイバーは不機嫌になる様子もなく手に持っていたサンドイッチと紅茶が載ったお盆を空いたテーブルの上に置いた。

「そんなものはホムンクルスにやらせればいいだろう」

「いや、俺もマスターの仕事ぶりをもう一度見ておきたいと思ったからな」

「こんなものを見ても楽しくも何もないだろう」

 ゴルドはセイバーに背を向けて、機器の調整を再開する。

 そんなゴルドにセイバーはどのような感情を抱いているのか。彼の表情は相変わらず大きく変わることはなく、ゴルドの対応に不満を漏らすこともない。

「そうだな。俺にはマスターのような錬金術の才はない。だから、この技術を見てどうということはできないが、貴公の力が、俺たちの助けになっているのは紛れもない事実だ。我がマスターが“黒”全体を支えていると思えば、悪い気はしないものだ」

「お前は何を言っている」

 顔を顰めてゴルドは手を止めた。

 支えになっているなどと、これまで一度たりとも言われたことはなかった。

 魔力供給パスを形成する技術は、ゴルドが考案し実現したものだ。だが、それは戦争に勝つための手段であり、やって当たり前のことでもあった。誰に誉められるものでもなければ、認められるものでもなかったのである。

 それを、理由にしてこの大英雄はマスターであるゴルドを悪くないと評しているのである。

「もういい。気が散るからその辺りをうろついていろ」

「そうだな。長居し過ぎたようだ。俺はこれで失礼する」

 セイバーを外に追い出して、再び仕事を再開する。

 この数日で多少やつれたような気もする。だが、それも最終決戦までの辛抱だ。

 口を開くなと命じたのが遠い昔のようだ。

 セイバーはもとより口下手なようで無駄話はほとんどしないが、時たま二言三言会話をすることがある。

 それがゴルドにはちょうどいい。

 ライダーのようなお調子者やアーチャーのような皮肉屋では精神が疲れるだけだ。セイバーのように必要最小限の情報交換に終始するほうが、幾分かやりやすい。

 ゴルドは自分の仕事をただ繰り返す。

 没頭して没頭して没頭する。

 今までにないくらい、頭の中は冴えている。

 自分にできることをそれぞれがただ積み上げることしか、今はない。

 ゴルドの仕事はまさしく彼にしかできないことであり、セイバーが言ったとおり、ゴルドの働き次第でサーヴァントの戦闘に大きく影響するものでもあったから、ゴルドは手を抜くわけにもいかず黙々と仕事を続けるのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 夜が明けた。

 ルーマニアの空は青く、高い。

 魔力供給の要であるゴルドを除いた面々は、トゥリファスからブカレストに移動していた。国際空港に止めてあるプライベートジェットに乗り込み、“赤”の陣営に最終決戦を挑むためである。

 出発を四日後に控え、静かな緊張感が陣内に漂っている。

 打って出れば、高確率で死ぬ。

 もう戻ってこられないとなれば、口数が減るのは当たり前か。

 無論、一度死を経験したサーヴァントはまた別だ。嵐の前の静けさというべきか。彼らの間に流れているのは、恐れでも憂いでもなく、武者震いに近い緊張感である。

 四日も前からこれでは、本番に精神が磨り減ってしまう。 

 フィオレの提案で、サーヴァントも含めて各々が自由行動をすることになったのであった。

「そういえば、このような形でアーチャーと表に出るのは初めてだったか」

 当世風の衣装に身を包んだ“黒”のセイバーが徐に口を開く。

「確かにそうかもしれん。君は、常にマスターと付かず離れずの距離を維持していたからな」

 “黒”のアーチャーもまた、一般人に紛れるように私服を着込んでいる。

 三騎士に該当するサーヴァント二人が街を練り歩けば、発する空気からして周囲の視線を誘う。

 まして、顔立ちが整っているのだから注目されるばかりである。

 とりわけ注目されるのはセイバーの服装だ。

 長い髪に隠れているが、セイバーの衣服は後ろが大きく裂けたようなデザインとなっていて、鍛え抜かれた肉体が髪の後ろに見え隠れする。スマートさを追及した落ち着いた衣服のアーチャーに対して、ワイルドさを醸し出したセイバーの衣服は、彼の長髪も相俟って見事な調和を生み出し、奇抜なデザインが極自然なものに見えてしまう。

 背中が開いた男物の服はそう多くなく、どうしようもなかったのでフィオレがホムンクルスに作らせたものである。

 セイバーは弱点となる背中を隠すことができない。

 これは、サーヴァントとして召喚されたときにかけられた聖杯からの呪いのようなものだ。

「アーチャーはこの時代に近い時間軸で生きた英霊だったな。では、これといって珍しいものもないか」

「そうだな。私にとっては見慣れた光景がほとんどだな。もちろん、この国に来た記憶があるわけではないが、それなりに発展した国ならば、どこも似たようなものだよ」

「俺の時代とは、かなり異なるな。その辺りの事情は」

 中世ヨーロッパを生きたセイバーにはグローバル化社会などという概念自体が異質なものに思える。人間の技術についても、目覚しく発展しており、彼にとっては建物を除くすべてが新鮮だ。

「ところで、セイバー。君はマスターとのパスは大丈夫なのか?」

 マスターとサーヴァントとの繋がりは、霊的なもののために距離の影響は余り受けないのだが、それでも万が一ということはある。ゴルドはトゥリファスで魔力供給槽の調整をしなければならないために最終決戦には参戦できず、結果としてセイバーはマスターを地上に残して空中庭園に乗り込むことになる。

 未だ嘗て、聖杯戦争でマスターとサーヴァントが数百キロもの距離を隔てたことはない。

「それならば、問題ない」

 と、セイバーは言う。

「念のために、マスターが令呪でパスを強化した」

「なるほど。ならば、万が一もないか」

「俺のことよりも、今はライダーが不安だ」

「確かに。だが、ルーラーが上手くやっているだろう」

 好奇心の塊であるライダーは理性が蒸発しているためにトラブルメイカーを素で行くサーヴァントとなっている。伝説の通り、表に出れば騒動に巻き込まれないことはない。今はルーラーが監督しているが、それもどこまで持つか。

「彼を大人しくさせるには、それこそ令呪以外にないからな」

 もちろん、その令呪も高すぎる『対魔力』によって幾分か軽減される。そんなくだらないことに令呪を二画も使っていられない。

 二人の性格からして、会話が盛り上がるということはない。

 だが、途切れるということもなく続く。

 特にセイバーは現代の技術にそれなりに興味を示しており、そういった技術に親しみのあるアーチャーが説明するという形で会話は続いていた。

 アーチャーにとっては前時代の遺物でも、セイバーにとっては初めて見る最新の技術である。時代が異なるからこそ生まれるギャップは、新たな発見にも繋がるもので、息抜きにはちょうどいい。

 そうして街中を歩いているとき、サーヴァントの気配を感じて二人は足を止めた。

 ルーラーや“黒”のライダーではないだろう。“黒”のアサシンは気配を感じ取れるかどうか怪しい。そもそも、彼女は母親の膝の上で昼寝をしている頃合である。

 アーチャーとセイバーは互いに視線を交わし、気配を発する誰かの下へと向かうこととした。

 “赤”の陣営に属する誰かだというのは確実だ。この状況下で考えられるのは、一人しかいないが、それ以外であったとしても昼間から戦闘に突入することはないだろう。

 果たして、アーチャーの推測は的を射た。

 獅子を思わせる金色の髪を後ろで纏めた少女が、赤いジャケットのポケットに手を突っ込んで街を練り歩いていたのである。

「あ? なんで、お前らがここにいるんだ?」

 出会い頭に顔を歪めた少女が、喧嘩腰になって問う。

「やはり君か、“赤”のセイバー」

 唯一、“黒”の陣営と協調路線を取った“赤”のサーヴァント。“赤”のセイバーがそこにいた。

 マスターの姿はない。

 どうやら、単独で街をぶらついていたらしい。

「君はマスターの傍にいなくていいのか?」

「当面の敵が引き篭もってんだから、護衛する意味もあんまねえだろ。そっちがやる気なら遠慮なく買うけどな」

「そうか。私たちも最後の戦いを前にした息抜きの最中でね。君とわざわざ鋒を交えるつもりはない」

「聞いたぜ。確か、四日後だったな」

「そうだ。足はこちらでも用意しているが……」

 アーチャーの言葉を遮って、“赤”のセイバーが手を適当に振って言う。

「悪りぃが馴れ合いはしねえよ。こっちはこっちで好きにやるさ」

「それならば、それで構わない。互いにできることをすればいいだけの話だからな。だが、どうやって空中庭園に辿り着く?」

「その辺はマスターの仕事だ。何かあんだろ」

 セイバーは適当に答えた。

 すべてをマスターに放り投げているように聞こえるが、実際はできると思っているからやらせているのであろう。そこには確かな信頼関係があるように見える。このサーヴァントは信じない者はとことん信じない。利用することはあっても信頼はしないし背中を預けることもしない。ならば、彼女にとってマスターは、信頼に足る存在であるということだろう。

「君のマスターも相当にできる人物のようだ――――武運を祈っている、ではなセイバー」

 “赤”のセイバーは強力なサーヴァントである。それこそ、となりにいる“黒”のセイバーに並ぶ猛者としてこれからの戦いで活躍してくれることだろう。完全に味方というわけではないが、敵を同じくしている段階では非常に心強い。

 別行動を取るので、これが今生の別れになるかもしれないがアーチャーも“黒”のセイバーも“赤”のセイバーと語らう必要性を感じていない。

 彼女が言ったとおり、馴れ合いはサーヴァントにとって大きな意味を持たない。

「待て」

 立ち去ろうとした二人を“赤”のセイバーが呼び止めた。

「アーチャー。あんたに聞きたいことがある。ちょっと付き合え」

 

 

 

 

 “赤”のセイバーが聖杯大戦に参加したのは、万能の願望機で以て選定の剣に挑むことを夢見たからであった。

 偉大なる王の跡を継ぎ、ブリテンの王として君臨する。自らの実力を広く示し、歴史にブリテン王として名を刻むことが、彼女の目的であった。

 聖杯は王に至るための通過点である。

 聖杯そのものに、王となるという夢を託すわけではない。

 “赤”のセイバーには聖杯を手に入れるだけの願いがあり、執着がある。志半ばに死したからには、その志を全うする好機が与えられて挑戦しないという選択肢はない。

 そうして召喚された聖杯大戦で、“黒”のアーチャーの存在が彼女の中に疑念を呼び起こした。

 “黒”のアーチャーは、並行世界で英雄と化した人物であり、“赤”のセイバーが生前も死後も追いかけ続けているアーサー王を自身のサーヴァントとして召喚し、聖杯戦争に臨んだことがあるというのだ。

 アーサー王を従えるという時点で、腹立たしいがそれはこの際不問にする。

 “赤”のセイバーが知りたいのは、何ゆえにアーサー王は聖杯を求めたのかということであった。

 アーサー王は、彼女から見ても完璧な王だった。

 我欲を抱かず、ただ国のために戦い続けた。その生に瑕疵などあるはずもない。ただ、あの王を理解しなかった者がいただけだ。

 故に、アーサー王が聖杯戦争に参加したという話を聞いてまっさきに脳裏を過ぎったのは、完璧な王がいったいどのような望みを聖杯に託すつもりだったのかということであった。

 近場の店を選び、オープンテラスの席に腰掛けたセイバーは、乱暴に足を組んでアーチャーを睨め付けた。

 俺は席を外そう、そう言って、“黒”のセイバーは離れていった。アーサー王という共通の話題がある者同士で会話をするべきである。これは、サーヴァントの「願い」に深く関わる問答だ。“黒”のセイバーが二人から離れたのは、そうした配慮があったからであろう。

 邪魔者がいなくなった“赤”のセイバーは、注文したオレンジジュースを一気にグラスの半分ほど飲んでから、改めてアーチャーに尋ねる。

「で、父上はどんな願いで聖杯戦争に参加していたんだ? マスターだったんなら、知ってんだろ?」

「それを、私が君に言う理由はあるのかね?」

「ねえ。が、言わねえなら、力ずくで聞き出す。そっちにとってどうか知らんが、オレにとっては重要だからな――――」

 昼の街中では戦わないが、決戦まで四日もある。決闘を挑む機会はいくらでもあるのである。

 “赤”のセイバーは本気であった。

 少なくとも、アーチャーに口を割らせるために如何なる手法でも用いる覚悟があった。

 当然、アーチャーとしてはここで仲間割れはしたくない。

 “赤”の陣営に属するサーヴァントである“赤”のセイバーは、一旦は“赤”の陣営を見限ったもののかといって“黒”の陣営に完全に鞍替えしたわけでもない。ここでの争いは“赤”の陣営を利するだけであった。

「まあ、いい。私に不利益があるわけでもないからな」

「もったいぶらずにさっさと言えってんだよ」

 じれったそうにする“赤”のセイバーは、絵本の続きを強請る子どものように身を乗り出した。

 暴れられても困るので、アーチャーはしかたなく口を開いた。

「選定のやり直し、だそうだ」

「何……?」

「選定のやり直し。完璧な王の治世が滅びに向かったのであれば、王の選定が誤りだった。セイバーは本気でそう思い込み、そして聖杯を用いてアーサー王の歴史のすべてをやり直そうと……」

 アーチャーの言葉は最後まで続かなかった。

 一際甲高い、ガラスの砕ける音が響き周囲の目を引いた。

 ぼたぼたとオレンジ色の液体がテーブルを染め、雫となって滴り落ちる。

「お客様、お怪我はありませんか!?」

 慌てて駆けつけた店員が台布巾や塵取りで後始末をする。

 “赤”のセイバーはその握力でグラスを握りつぶしてしまったのである。まさか、こんな少女がグラスを砕くとは誰も思わない。叩き付けたわけでもないので、状況としてグラスに欠陥があったというように受け取られるだろう。店側の謝罪をセイバーはぞんざいに受け流し、代わりに持ってこられたオレンジジュースを苛立たしげに睨み付ける。

「あまり人目を引く行動は慎んでくれないか?」

「うるせー」

 “赤”のセイバーは呟いた。

「あの王が、間違っていた? ありえない。父上はいつだって完璧だった。非の打ち所のない、理想の王であり続けたんだよ。それがやり直しだと……?」

 セイバーがグラスを砕いたのは純粋な怒りに、力のコントロールを誤ったからであった。

 アーサー王が聖杯に託した願いは、到底受け入れられるものではないのだから。

「君はアーサー王を憎んでいるのではないのか?」

「あ?」 

「そうだろう。君は『アーサー王伝説』を終わらせた英雄ではないか。アーサー王が気に入らないから反乱を起こしたのだろう?」

 気に入らないから、と他人に言われるのは虫唾が走る。

 そうではない、と否定したい気持ちが湧いてくる。

 “赤”のセイバーがアーサー王に抱く気持ちは極めて複雑だ。アーチャーが言うような憎しみもあれば、初めてアーサー王を見たときに抱いた純粋な憧憬も持ち合わせている。様々な方向性の感情が綯い交ぜになっているので、一言で言い表すのは難しい。

 “赤”のセイバーは頬杖をついてそっぽを向いた。 

「答えにくいか。では、質問を変えよう。君は、どうして反乱を起こしたのだね?」

 “黒”のアーチャーはアーサー王(セイバー)をパートナーとして聖杯戦争を戦い抜いた人物である。自分のサーヴァントと生前因縁がある人物に、反逆の真意を問い質したいと思うのは自然なことか。

「反逆の理由か。そんなものはな、決まっている。あの王がオレに王位を譲らなかったからだ」

「それで滅ぼしたのか」

「そうさ。政治も軍事もオレのほうが上手くやれる。あの人の血を継ぐのはオレだけだ。血統も能力もすべて王として問題なかったはずだ。だが、アーサーはオレを一度たりとも見なかった。最後の最後までだ」

 血統で見れば、アーサー王に何かあれば親戚筋のガウェインに王位が移ったであろう。

 しかし、それはアーサー王の血筋ではない。アーサー王の跡継ぎとして、正しく国を統治できるのは、自分以外にいないのだと“赤”のセイバーは思っていた。

 ところが、アーサー王は王位を誰にも譲ることはなく、“赤”のセイバーの出生の秘密を知った後でも対応を変えることはなかった。 

 偉大な父親への敬意は、時と共に憎悪へと変転し、そして遂には大規模な反乱へと向かっていく。

 アーサー王が憎かったこともあるが、それ以上にただ認めてほしかった。

 反乱を起こさないという選択肢はなかった。

 自分自身どうかと思うが、反乱しなければモードレットという英雄は誕生しなかったに違いない。名もない一騎士として常人よりも短い生涯を終え、何一つ得ることなく、満足もせず、ただ消えるだけだったはずである。

「国を滅ぼしたことは、何とも思ってないわけか」

「ふん、別に。……国が終わったからどうだってのは、ただの結果論だろ。自分の行動の結果を、後で悔やんでも仕方ねえんだよ」

 終わってしまったことも、志半ばで死んだことも重要ではない。

 カムランの丘でアーサー王と全力で打ち合ったあの一瞬だけは、少なくともモードレットはアーサーの前に立ちはだかる壁であることができた。自己満足でしかなく、歪な形ではあるが、アーサー王と向き合えたことのほうが、彼女にとっては重要であった。

「それをなんだ。あの王は、血迷ったか? 反乱を起こしたのはオレだろうに、よりにもよって自分が間違っていただと? 結局、死んだ後までオレのことは眼中にねえのかッ」

 “赤”のセイバーは歯軋りして、俯いた。

 筋道としては反逆の罪を犯したモードレットを取り除くのが先だろうに、それをせずに自分が過ちを犯していただとか、なかったことにするだとかいうのは、反逆を犯してまでアーサー王に固執したモードレットにとっては己の存在を否定されたに等しい蛮行に思えた。

「君にとって都合がいいのではないのか? アーサー王が王位を否定すれば、挑戦権が他の騎士に与えられるだろう。まあ、そのときに君がいるとは限らないが……」

「どの道、アーサーがいなければオレは存在しねえし、そんな世界に意味はねえ。オレはあの王を越えるために剣に挑むんだからな」

 とどのつまり、“赤”のセイバーが必要としているのはアーサー王の正統な跡継ぎであるという「証明」である。よって、ただ王位に就ければいいという問題でもない。

「そうか。アーサー王(セイバー)が君にどのような思いを抱いていたのかは、私にも分からない。が、セイバーは聖杯戦争を通して自分の望みの危うさを認識し、迷いを払拭して帰っていったよ。もう、自分自身を否定することもないだろう。無論、これは私の個人的な願いでもあるがね」

「そうかよ。なら、まあいいんだがな。腑抜けられても、乗り越え甲斐がねえからな」

 ガシガシと、“赤”のセイバーは頭を掻いた。

「ところで、君に聞いておきたいことがあるのだが、いいかね?」

「あ、何だよ、改まって」

「君の夢のことだ」

 己の聖杯にかける望みについては、今までに散々口にしてきた。

 それを、わざわざ確認するとはどういうことか。

「君はアーサー王を越える王になると言ったな」

「ああ、言った」

「それはどのような王だ?」

「どういうことだよ?」

「これでも、私は世界を旅した経験がある。統治者に虐げられるのはいつも弱者だ。あれは悲惨でね。アーサー王を越えるのであれば、是非善き王を目指してほしいと思ったまでだよ」

「――――そんなことは当たり前だ」

 悪しき王になどなるつもりはない。

 “赤”のセイバーはアーサー王に叛旗を翻した騎士だが、決して悪意を民草に叩き付けるような人間ではないのだ。

「聞きたいことは聞いたし、オレはもう行く。次は空中庭園だな。会えるかどうかは知らねえがな」

 “赤”のセイバーは最後にグラスを空にして、ジャケットを翻して帰路につく。

 アーサー王を越えるには、どうすればいいのか。

 目指してきた背中は大きく、遠い。

 目印とするには十分に過ぎる。

 聖杯に到達し、選定の剣に挑戦して新たなブリテン王となった暁には、自分はアーサー王の先を行く者にならなければならない。

 善き王となるにしても、何をすればいいのか。

 戦での勝利、国の発展、国土の統一、すべてアーサー王はやり遂げている。アーサー王を越えるとなれば、彼以上の手柄を立てる必要がある。王として、国をどのように導くのか。目指すばかりでは、どこにも辿り着くことはできないのではないだろうか。

 きっと、アーサー王ができなかったことをすればいいのだろうが、果たしてそれはなんだったか。

 思索の海に沈みながら、“赤”のセイバーはマスターの待つカタコンベへと歩を進めるのであった。

 



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三十八話

 “赤”のアサシンが全員に召集をかけたのは、“黒”の陣営がトゥリファスからブカレストに移動した直後であった。

 王の間に集った“赤”のサーヴァントたち。珍しく“赤”のキャスターまでいる。

「アサシンによれば、“黒”の陣営がいよいよ動き出したようです。早ければ明日にでもなんらかの方法でこちらに攻め込んでくるでしょう」

 四郎の報告に、今更驚く者はいない。

 聖杯がここにある以上、決戦が近いのは誰の目から見ても明らかだからである。

「まさか、そのためだけにここに全員を集めたわけではあるまい」

 “赤”のランサーの言葉に、四郎は無言で腕を掲げて見せた。

 そこに、令呪の輝きが宿っている。

「私はこれから計画の最終段階を進めなければなりません。しかし、そうなるとルーラーの令呪を打ち消すことができなくなります。そこで、今のうちに令呪を二画使ってルーラーの令呪に対する抵抗力を与えておきます」

 ルーラーが特権として保有する令呪は各サーヴァントにつき二画ずつである。それは、第三次聖杯戦争において『ルーラー』として召喚された天草四郎時貞がよく知っている。

 令呪の強力な強制力には、令呪でなければ干渉できない。

「あのルーラーがするとは思えませんが、自害を命じられて果てるわけにはいかないでしょう」

「ま、そらそうだわな」

 “赤”のライダーだけではない。

 他者に死ねと命じられて死ぬなど、英雄かどうかに関係なくお断りである。

 令呪であれば、世界屈指の大英雄である“赤”のライダーや“赤”のランサーであっても例外なく自害させることができる。戦力に劣る“黒”の陣営が、追い込まれて令呪に訴えないとも言い切れない。

「一応、皆さんに令呪を行使するわけですから、直接お伝えしようと思いましてお呼びしたわけです」

「律儀なこったな」

「では、異存はないということで」

 そうして四郎は令呪の輝きを解き放った。

 見た目に何かしらの変化があるわけではない。サーヴァントの力を上昇させることもなければ、何かしらの奇跡を起こすわけでもない。

 しかし、相手の切り札の一つを潰すという点においては、これ以上の使い方はないのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 フィオレとカウレスは、決戦を前にして、フォルヴェッジ家の人間としてしなければならないことがあった。

 魔術刻印の移植である。

 家の跡継ぎとして期待されていたフィオレは、挫折した。

 もう、彼女は魔術師として立つことはできない。家を継ぐのは魔術師としては頼りない出来の悪い弟である。

 移植そのものには、大した時間はかからなかった。

 刻印は臓器のようなものだ。

 通常は、数年おきに少しずつ移植することで身体に慣らしていくのだが、今回、カウレスはフィオレから全体の八割方の刻印を譲られた。

 身体にかかる負担も相当なものとなる。

 刻印が疼き、脳に痛みを送り込む。

 こんなものに、姉が何年も耐えてきたのかと思うと自分が泣き言を言うわけにはいかないと奮い立った。

 それから、何時間が経っただろうか。

 疲れ果てて眠りに就いたカウレスは、深夜に目が醒めた。

 身体は相変わらず重く、頭はずっしりとしている。

 身体を起こして室内を見回しても、薄い月明かりが窓から差し込んでいることが分かる程度で細かいところまで見通すことは出来ない。

 しかし、調度品の中にある花瓶に差された花ははっきりと見て取れた。

「ッ……」

 不意に胸に去来した痛みは、魔術刻印とは関係がないのだろう。

 “黒”のバーサーカーは花が好きだった。

 そもそも少女の姿をしているとは思っていなかったが、性別を思えば花を摘んでいても不思議ではないのかもしれない。少女だから花が好きというのも短絡的かもしれないが、彼女の容姿は花によく合っていた。

 だが、バーサーカーはもういない。

 カウレスは手の甲に浮かび上がる令呪を見た。

 そこにあるのはバーサーカーの令呪ではなく、ルーラーから移譲されたライダーの令呪である。バーサーカーとの繋がりは、彼女が消えた瞬間に失われた。

 カウレスが死ねと命じたのである。使えば最期、消滅してしまう宝具の使用を令呪で強制したのである。

 彼女の夢を知りながら、それが叶わないと初めから覚悟していた。

 最初からバーサーカーを裏切っていたようなものではないか。

 姉もアーチャーもルーラーも、口に出せばそうではないと否定してくれるだろう。しかし、カウレスは、どれだけ慰められたところで納得することができないに違いない。ならば、この罪悪感をずっと背負っていくしかないのであろう。

 相変わらず胸はギチギチと痛んでいる。

 ルーラーの聖骸布でも、この痛みだけは消してくれない。

 カウレスは目を瞑る。

 眠りに落ちればこの痛みも消えてくれるかもしれない。

 今は“黒”のライダーのマスターである。

 夢の中であの能天気な英雄の記憶が覗き見れるかもしれない。

 淡い期待を胸に抱き、カウレスは睡魔に身を委ねた。

 

 

 

 □

 

 

 

 夜が深ける。

 月明かりの下、“黒”のアーチャーは中庭に出た。

 全身の力を抜き、脳裏に一挺の槍をイメージする。

投影開始(トレース・オン)

 アーチャーは静かに呟き、右手に槍を投影する。

 剣からかけ離れた物品ほど、投影には時間と魔力を要するが幸いにして今はその心配はない。

 投影したのはアキレウスの槍。

 投擲に優れ、取り回しやすい、青銅の穂先を持つ短い槍である。

 伝説には、不治の呪いを有するとされていたが、解析したところ、この槍そのものにはそういった呪いはないようだ。

 『ランサー』として召喚されれば、宝具の能力として解放されるということか、それとも呪いの槍とは別物ということであろうか。

 いずれにしても、伝承通りの能力ではない。

 万全の状態でこの槍を使わせれば、アーチャーは限りなく不利になる。ただでさえ、素のスペックが違いすぎるのだ。

「憑依経験」

 アーチャーの身体にアキレウスの槍技が伝わる。三連の刺突。上体を崩して足払い。倒れたところに止めの刺突。これを、ほぼ一瞬のうちに行う。

 “赤”のライダーの槍筋を可能な限り頭と身体に叩き込む。

 アーチャーが再現できるのは、劣化した槍術ではあるがそこにある癖や型は事前に学ぶことが可能である。戦場で“赤”のライダーを相手に同じ技を使うことはできないが、彼と対峙するからにはその技をイメージできるようにしておくのは必要である。

 次の戦いでは、“赤”のライダーはかつてない猛攻を仕掛けてくるに違いない。

 前回の戦いでは、アーチャーの引き出し(投影)をどこか警戒して最後の一線に飛び込まないところがあったように思う。

 圧倒的強者が全力を尽くして自分を殺しに来る。

 そそり立つ壁はあまりにも大きく、乗り越えるには厳しい道のりである。

 アーチャーは“赤”のライダー個人に対して思うところはない。恨みもなければ憧憬もない。ただ、聖杯に至り、天草四郎の望みを絶つためには排除しなければならず、“黒”の陣営の中で“赤”のライダーに対処できるのは自分だけであるから戦うのである。

 その槍は突くというよりも撃つに近い。

 ミレニア城塞での戦いで、幾度となく撃ち込まれたから理解できる。こうして、その技量を再現してみても、技量に身体がついていかない部分がどうしても出てくる。型落ちでこれなのだ。最後の戦いにおいて、その力がどれほどのものになるか想像もできない。

「アーチャー、一人で鍛錬ですか」

 車椅子を操って、アーチャーのマスターであるフィオレがやってきた。

「フィオレ、まだ起きていたのか」

「どうしても、眠れなくて。緊張しているのでしょうか」

「決戦までまだ四日もあるのだ。今から緊張していたら身体が持たんぞ」

「そうですね。なんとかしないと」

 フィオレはくすり、と笑った。

「身体のほうはどうだね?」

「わたしは問題ありません。刻印の大半がなくなったので、むしろ体調がよくなったくらいです」

「では、足も」

「そうですね。魔術師を諦めましたから、リハビリ次第では足が動くのも夢ではありませんね。何年先になるか分かりませんが、何とかやっていこうと思います」

「いいことだ。挫折を経験しても、そこで折れないのは君の美徳だろう」

「次があるかどうかは、最後の戦い次第ですけどね」

 フィオレは手の甲をなでて、言った。

 フィオレは前線に乗り込むつもりでいるという。聖杯を最後に確保するために、サーヴァントだけでなくマスターも同行しているべきだと主張して退かなかった。命の危険は無論ある。しかし、マスターとして、あるいは魔術師として、この戦いに最後まで関わるのは己の責任であると思っているのであった。

「あの、アーチャー。気を悪くしないで聞いてください」

 フィオレはそう前置きをした上で、口を開いた。

「ライダーは、非常に強大なサーヴァントです。無数の宝具を有するあなたでも、極めて厳しい状況だと思います」

 厳然たる事実として、大英雄として名を馳せたアキレウスと未来では違うかもしれないが現代では無名のエミヤシロウでは英霊としての霊格も戦闘能力も何をとってもアーチャーが勝るところはない。

 オブラートに包む必要がないくらいに、それは明々白々であった。

「しかし、それでもわたしたちはあなたに賭けなければなりません。飛行機が空中庭園に到着する前に、ライダーに撃墜されないようにするためには、あなたにライダーの足止めをしてもらわなければならないのです」

「ふむ、それで」

「わたしの手に在る令呪の一画を、あなたに転写しようと思います」

「何……?」

 アーチャーは目を見開いた。

 令呪を、自分のサーヴァントに与えるなどというのは前代未聞の判断である。

「正気か、フィオレ」

「もちろん正気です。わたしは四画もの令呪を持っているのです。一画をあなたに託し、あなた自身の判断で使ってもらったほうがいい」

 令呪の本来の用途はサーヴァントの反逆を防ぎ、自由意志を奪うためのものである。

 その一方で、強大な魔力はサーヴァントの能力を上昇させたり、一時的に奇跡に近い現象を引き起こすことも可能となる。これが、令呪が切り札として認識されている理由である。

 そして、令呪はサーヴァントでも持つことは可能なのだ。

 令呪をアーチャーが持つことで、アーチャーはここぞというときに己に令呪の加護を与えることができるようになる。

 勝率を僅かにでも引き上げるための苦肉の策であった。

「まったく、君も思い切ったことをする」

「ですが、必要な措置です」

 アーチャーの能力が低いのなら、可能な限り令呪で補強する。

 アーチャーが“赤”のライダーとどこまで戦い続けられるかというところに、作戦の正否がかかっているのだから当然であろう。

「ルーラーが持っている最後の令呪も、強化に回せるかどうか交渉中です」

「彼女が同意するかな」

「世界の命運がかかっているのです。ルールに固執してもらっては困ります」

 フィオレは苦笑しつつ真面目な少女を思い浮かべる。

 世界的に名を馳せた聖女。享年は自分よりも若く、その悲劇的な生涯は決して真似できるものではない。しかし、会話をしてみると特別なものは何もない普通の少女といった印象を受ける。

 説得するのは骨が折れそうだが、彼女も最前線で全力を尽くすためならば、アーチャーの時間稼ぎは必要不可欠のはずだ。

「それでは、アーチャー。手を……」

 赤い光が舞い上がり、フィオレの手から令呪が一画消える。

 そして、アーチャーの手に転写された令呪は莫大な魔力を湛えて使用されるときを今か今かと待っている。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 “黒”のアサシンと玲霞は努めていつも通りに生活していた。

 ゴルドと異なり、ミレニア城塞に逗留していた玲霞には人質以上の価値はなく、敵地にアサシンが乗り込んでしまえばもはや反抗の仕様もない。よって、アサシンの精神面を支える意味も加味して玲霞はブカレストにやってきていた。

 ベッドに腰掛ける玲霞の隣には、アサシンが座っていて玲霞が開いた料理本を興味深そうに覗き込んでいる。

マスター(おかあさん)。これ、何?」

 アサシンが指差したのは、煮込み料理の写真であった。キャベツと豚肉のほか、人参やジャガイモが入っているのが見て取れる。

「ポテね。フランスの煮込み料理の一つよ」

「ポトフじゃないの?」

 アサシンは、つい先日夕食で出たフランスの代表的家庭料理を思い浮かべた。 

 ポトフもまた煮込み料理である。フランス人のルーラーなどは故郷の味に近いとして喜んでいたが、料理担当のホムンクルスが料理名をアイントプフであると主張したことからちょっとした論争に発展した。

 地域が変われば呼び名が変わる。

 ポトフもアイントプフも、フランスとドイツの違いだけで、大きな違いはなく料理としてはほぼ同じである。

 現地では日本版ポトフとしておでんを紹介することもあるなど、煮込み料理全般にポトフという呼称が用いられつつある。

「ポトフとは厳密には違うみたいね。牛肉なのか豚肉なのかとか、材料で変わるみたいだけど、詳しくは分からないわ。ごめんなさい、ジャック」

「ううん、謝らなくてもいいよぅ」

 アサシンは、玲霞の機嫌を損ねたと思ったのか申し訳なさそうな顔をした。それから膝立ちで玲霞の後ろに回りこみ、後ろから玲霞に抱きついた。

 玲霞は小さなアサシンの手の甲に自分の手を添えた。

「ん……」 

 母親の手の温もりにアサシンは目を細める。

 戦いは四日後だという。

 玲霞には、アサシンを正しくサポートすることはもうできない。成り行きに任せて、見守ることだけが玲霞にできることのすべてである。

 だが、フィオレに頼めば、アサシンと視界を共有することもできるかもしれない。

 そうすれば、最後の令呪の使いどころも見極められるかもしれないのである。

マスター(おかあさん)。ハンバーグ、食べたい」

 アサシンは玲霞を揺する。

 無邪気なアサシンの要求に、玲霞は微笑みを浮かべた。

「あら、アーチャーさんのハンバーグじゃなくてもいいの?」

マスター(おかあさん)のがいい」

「そう? それなら、頑張ろうかしら」

 厨房は使えただろうか。 

 もしも冷蔵庫に何もなければ食材の用意も必要だが、一応はこれまでに稼いだ軍資金がある。ちょっと上等な肉を購入しても問題ない。

 玲霞は立ち上がって、アサシンと手を繋ぐと、一緒に部屋を出ていった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 そして、決戦までの日々は、流れるようにあっという間に過ぎ去った。

 各々が思い思いに四日という時間を使った。

 “赤”のサーヴァントが攻めてくることもなく、開戦以来久しぶりの穏やかな日常であった。

 そして、今いよいよ決戦に挑むため、サーヴァントとマスターは空港にやってきた。

 戦いのために必要な準備はすべて済ませた。後はもう、決戦に臨むだけである。

 そのための足もすでに飛行場でエンジンを温めている。

「本当に、これを……?」

 空港に集った面々は、すでに戦闘用に衣服を整えている。

 当世風とはとても呼べない鎧兜に身を包むサーヴァントと魔術礼装を自らの足とするフィオレ。人込みに紛れることができるのは、カウレスと玲霞だけである。

 しかし、今はその心配をする必要もない。

 広い空港のロビーは見事なまでに人気がない。入口を、黒服の男が守るだけであった。

 その異様さに、ルーラーはただ息を呑むばかりであった。

「空港を丸ごと貸切にするなんて、とんでもないことするなぁ、姉さん」

「でも、これ自体は大したことないわよ。かかった費用もわたしが自分で捻出できる程度だったし」

 空港を十二時間貸し切るのに使用した費用は、フィオレが開発した魔術礼装五つ分である。

 それを高いというか安いというかは個々人の感覚に拠るところが大きいが、自分の才覚でも資産を築くことのできるフィオレの感覚ならば、まだまだこのくらいは、という程度なのか。

「それ以上にお金がかかったのは、飛行機のほうです。さすがに、これだけの数を用意するのは大変でした。どうせ潰すのだから、中古の安いものでよかったのに」

「……ジャンボジェットだから、高いのは当たり前だろ」

 カウレスの冷静な言葉も、飛行場に鎮座する十五機あまりのジャンボジェットを前にすれば霞んでしまう。

 いったい、どれだけの金がここに費やされたのか想像もしたくない。

 “黒”のアーチャーと“黒”のセイバーが協力して築き上げた追加資金も、ほぼ消し飛んでいる。

「配置は事前に決めたとおりになります。それと、ライダー」

「うん?」

「あなたの宝具が頼りです。可能な限り、敵アサシンの魔術を防いでもらわないといけませんが……思い出しました?」

 “黒”のライダーの魔導書はあらゆる魔術を打ち破る能力がある。最強クラスの魔術師である“赤”のアサシンが張り巡らせた防衛機構を突破するためにも、どうあってもライダーが魔導書の真名を思い出す必要がある。そのために、新月の夜を選びユグドミレニアの最終的な勝利を擲ったのである。

「え、えぇとね」

「ちょ、本当に大丈夫なんですか!?」

「だ、大丈夫大丈夫。まだ、夕方だからあれだけど、夜になれば間違いなく思い出せるから!」

「本当ですね。信じてますよ」

「任せて」

 ライダーは自信満々に胸を張る。

 とはいえ、思い出すかどうかは完全に本人にしか分からない。他人は信じることしかできないのだから疑念の目は自然とライダーに向く。

 さすがに居心地が悪くなったライダーは、視線を彷徨わせた。

 そのライダーの視線がある一点で止まった。

 そして、その目が大きく見開かれた。

「ど、どうして!?」

 ライダーの視線の先には銀色の髪と赤い目の少年が立っていた。剣を佩いたホムンクルスである。外見的な特徴はミレニア城塞で働く個体とほぼ同じだ。だが、まったく別物だと分かる。第一に、明らかに無我ではないからだ。それだけで、大きく雰囲気が変わる。フィオレとカウレスはこんなホムンクルスはいただろうかと首を傾げたが、サーヴァントたちはそうではなかった。

「わ、わ、ちょっと。どうして彼がいるのさ!?」

 ライダーが驚いて声を上げた。

「わたしがお呼びしました。最後になるかもしれませんから」

 答えたのはルーラーである。

「もしかして、以前アーチャーたちが逃がしたというホムンクルスですか?」

「ああ、今はトゥリファスの街中でホーエンハイムと名乗って生活しているようだ」

 声を潜めてアーチャーに尋ねたフィオレは、想像が当たって納得したというような表情になる。

 それにしても、ホーエンハイムをホムンクルスが名乗るというのは、魔術師としては奇妙な感覚がする。

 表の歴史にも名を残した偉大なる錬金術師ヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス。賢者の石やホムンクルスの作成で名高く、魔術師としては五大元素を操るアベレージ・ワンであったと伝えられている。

 そんな偉人の名を冠するホムンクルスはさりとて特別な何かがあるわけでもない。彼の寿命は三年ほどで尽きる。今更フィオレの前に現れたところで、彼を害する理由はない。

 ライダーは慌てて駆け出し、ホーエンハイムの下へ急いだ。

「久しぶりだな、ライダー。また会えて嬉しい」

「会えて嬉しい、とかそんなこと言ってる場合か。下手したらここも戦場になったかもしれないのに、わざわざ安全なところから出てくるなんて」

「だが、最も危険なのはライダーたちだろう。これが最後になる公算が高いと聞いて、一言言葉を交わしたかったんだが、迷惑だったか?」

 ホーエンハイムにとってブカレストはとてつもない異世界である。

 トゥリファスの五十倍の人口を誇るルーマニアの首都は、無知に等しいホーエンハイムを圧倒して余りある。

「迷惑なんかじゃないけど、どうやってここまで来たんだ?」

「俺の下宿先の人がここまで送ってくれた。帰りもその人の車で帰ることになっている」

 ホーエンハイムの下宿先の教会でシスターをしている女性は、ジャンヌ・ダルクの影響を大きく受けた人物でもあった。聖堂教会の関係者でもあり、今回の聖杯大戦を密かに監視しているのである。そんな人物だから、ルーラーの要請を断ることはない。

 ホムンクルスの作成は神の領域を侵す蛮行ではあるが、生まれてきた命に罪はない。

 ホーエンハイムについても、最大限に理解を示してくれている。

「そ、そうか。一人じゃないなら、大丈夫かな」

「俺は、一人で外出も儘ならないような子どもではないのだが」

「君、生まれて一ヶ月も経ってないだろう」

「む、それは、確かにそうだが」

 ホーエンハイムはそこで言葉に詰まる。

 ライダーの言うとおり、彼には人生の積み重ねがない。知識だけならば、一般人を凌駕しているものの、それは知っているだけだ。経験の積み重ねによって形成される人生の知恵は小さな子どもと同程度でしかない。

「ルーラーに聞いてたけど、そっか。元気にしているのか」

「ああ。俺は何の問題もない。それもこれも、すべてライダーたちのおかげだ。一度、直接会って礼を言いたかった」

「そんなの、別にいいのに」

 ライダーはそれでも嬉しそうに相好を崩した。

「あのとき、君がいなければ始まらなかった。ありがとう、ライダー」

「いやいや、照れくさいな。僕は僕にできることをやっただけだってのに」

「ああ、それでこそライダーだ」

 ホーエンハイムは最後に会ったときとほとんど変わらず、ライダーに全幅の信頼を置いている。

「どういうこと?」

「君はもともとやるべきことをやり遂げる人間だろう。これからも、それは変わらないはずだ。これは、まあ、俺の勝手な考えだが」

「む、……ははは、いや参ったね。そのとおり。僕は僕にできることを最後までやり遂げる。ここだけの話、自信はなかったんだけど、うん……でも、君のおかげでどうにかなりそうな気になってきた」

 ライダーは大いに笑った。

 彼が言ったとおり、最後の戦いに臨むに当たって大きな不安を抱えていた。しかし、そんなことはこのホーエンハイムが直面するであろう、未来の問題に比べればなんと分かりやすく、乗り越えやすいものであるか。

 到達すべき場所ははっきりしている。乗り越えるものも明確だ。道に迷うことなどありえず、ならばただ進めばいい。理性があろうがなかろうが、アストルフォには変わりない。

「よし、じゃあセイバーとアーチャーにも挨拶していけよ。出発まで、もう少しあるはずだからさ」

「む、迷惑でなければそうしたいが……」

 ホーエンハイムの答えを聞く前に、ライダーは彼の手を引っ張ってセイバーたちのところまで連れて行く。困ったような顔をして、ホーエンハイムはその後ろをついていった。

 

 

 

 すっかりと日が没し、星が輝く夜がやって来る。

 月明かりはまったくなく、新月の夜に相応しい闇がそこにあった。ブカレストは人工の光に照らされてまだ明るいが、飛び立ってしまえば四方は深海の如き闇に包まれるであろう。

 複数の飛行機に、それぞれ分散して乗り込むことで撃墜の危険性を可能な限り低減する。

 費用を度外視すれば、実に理に適った戦術である。

 操縦は飛行機の操縦法をインプットしたゴーレムに任せる。

 ロシェが遺した作品をそのまま流用したものである。

「アーチャー。これが、最後ですね」

「そうだな。遂に、聖杯に挑むときがきたというわけだ。今のうちに新たな願いを考えていたほうがいいのではないかな、フィオレ」

 常と変わらない減らず口に、フィオレは緊張を忘れて微笑む。

「この飛行機にも、ずいぶんと魔術を打ち込んだようだな」

「飛行機というのは存外に脆いものです。機体に穴が開けばそれだけで砕けてしまいますから、補強のための強化です」

 鉄骨などで支えられている建造物と異なり、飛行機は卵の殻と同じように筒状の構造を取ることで圧力を均等に散らしている。こうした筒状の構造をモノコック構造といい、飛行機の場合は更に強度を確保するために骨材を水平方向に組み込み、支えとするセミモノコック構造を採用しているものが多い。

 この構造はメリットもあるが同時にデメリットもある。そして、戦闘という本来の用途から大きく外れた使用方法では、そのデメリットが浮き彫りになる。

 圧力を散らして機体全体で支える構造は、一部が破損するだけで容易く崩壊する。

 高高度での戦闘は想像に難くない上に、敵の攻撃に曝されては飛行機の胴体は容易く穴が開いたり、引き裂かれたりするだろう。地上では形を保てても、機体の内外の圧力差の急激な変化や飛行速度による慣性などであっという間に粉微塵になってしまうということもある。それでは、あまりにももったいない。

 そうならないように、魔術で強化を施した。

 単純な材質の強化はもちろんのこと、圧力そのものを魔術で受け流す。

 相手には長距離狙撃を旨とする“赤”のアーチャーがいる。加えて空中を自在に疾走する“赤”のライダーまでいるのである。飛行機を落とすことなど、造作もない。

「アーチャー。あなたが一番手です。令呪まで使ったのですから、きっちり空中庭園を捕捉してくださいね」

「ああ。まずは、その期待に応えることから始めよう」

 アーチャーがどれだけ“赤”のライダーを押さえ込めるかで戦いの趨勢は大きく変わる。

 しかしながら相手は正真正銘の大英雄。

 まともに戦っては、如何にアーチャーが守り上手であっても切り崩される公算のほうが高い。

 そこで、フィオレは弟のカウレスから令呪を一画だけ譲り受け、アーチャーの強化に使用した。

 “黒”のライダーは敵との直接的な戦闘を想定しておらず、アーチャーを強化するのに使用するほうがいいという判断からであり、もはや聖杯大戦後に内輪揉めをする可能性も潰えたといっても過言ではないこの状況では、令呪も“黒”の陣営が共有する武器の一つとしてカウントされていた。

 強化内容は「スキルランクの向上」。特に、『千里眼』と『心眼(真)』に限定して令呪のブーストをかけた。

 スキルのランク上昇は令呪を以てしても極めて限定的にならざるを得ないが、それでもアーチャーの索敵能力並びに動体視力は向上した。要するに、今のアーチャーは未だ嘗てないほどに目がよくなっているのである。

 ルーラーの気配感知能力とアーチャーの視力で空中庭園を早々に発見。然る後にアーチャーの長距離狙撃による先制攻撃を放つ。

 先の戦いでは“赤”の陣営に先手を許した。

 この最終決戦では、“黒”の陣営が先手を取る。

 それは、“黒”の陣営が勝利に拘っているという、何よりの証であった。



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三十九話

 『虚栄の宮中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』を成り立たせているのは、さかしまの流れという概念である。

 上下の意味は反転する。

 超重量級の宝具は地に落ちることもなく、空を舞い、内包する水は下から上に流れ落ちる。

 そういった機能を特に強く体現するのが、大聖杯を格納する地下室である。

 祭壇と“赤”のアサシンが呼んでいるその空間は、一言で言えばありえない場所であった。

 何せ、面積があまりにも広大だ。

 聖杯が発する青白い光以外が存在しないということを差し引いても、端が見通せないというのは異常に過ぎる。まず間違いなく空間を魔術で歪めているのだろうが、空間に干渉するというだけで魔法に近い大魔術の領域に足を踏み入れている。

 神代の魔術師、とりわけ大魔術師とされた神話の魔女たちにとってはこの程度、片手間でできることなのだろう。ましてや、“赤”のアサシンは空中庭園にいる限り生前と変わらないポテンシャルを発揮することができる。魔力さえあれば、できないことを探すほうが難しいというレベルの怪物である。

「いやはや、いつにも増して気がおかしくなりそうな光景ですな」

 “赤”のキャスターが天井を見上げて苦笑する。

 彼がこの場を訪れたのは一度や二度のことではないが――――それでも、驚くことに変わりはない。

 キャスターは魔術師を表す『キャスター』のクラスで呼ばれたサーヴァントであるが、魔術師ではない。それどころか、魔術と縁があったという話すらない。彼はあくまでも劇作家であり、著作に描かれる魔女や祈祷師らもすべて想像の産物に過ぎない。

 サーヴァントとして呼ばれて、初めて魔術に触れたようなものであるから神代の大魔術を前にして驚きを隠せないのも無理はない。

「我輩の想像力も負けてはいないと自負していますが、実際に大魔術とやらを目にするとインスピレーションが際限なく湧いてきます。我輩にとってはすでにこの戦いそのものが宝の宝庫なのです」

 聞いてもいないことを大きな声で語るキャスターに、四郎は微笑を湛えたまま告げる。

「キャスター。私の準備は整いました」

「ええ。我輩の宝具も万全です」

 四郎は空中に浮かぶ大聖杯を見上げる位置に立ち、静かに息を整える。

 『右腕・悪逆捕食(ライトハンド・イヴィルイーター)』並びに『左腕・天恵基盤(レフトハンド・キサナドゥマトリクス)』。

 天草四郎時貞の奇跡を起こし続けたという逸話を宝具化した両腕は、あらゆる魔術基盤にアクセスするスケルトンキーである。これに加えて『開演の刻は来たれり、此処に万雷の喝采を(ファースト・フォリオ)』を組み合わせ、四郎は万全の態勢で大聖杯の根本部分に挑戦する。

 聖杯は無色透明で、何人にも汚染されていない圧倒的なまでの魔力を滾々と湛えている。その魔力は今の時点でも大方の願いは叶えてしまえるほどである。

 だが、まだ足りない。

 四郎の望みは彼個人に帰結するものではなく、全人類を魔法の域に引き上げることにある。

 そのためには、ただの聖杯では出力が不足している。

 天草四郎の目的の第一段階――――大聖杯の奪取と戦争での戦術的勝利には成功した。計画は最も重要な最終段階――――大聖杯の根本部分の改変に突入する。

 それは狂気の沙汰と言っても過言ではない。

 この聖杯のシステムは、“赤”のアサシンですら神代の秘儀に匹敵すると舌を巻くほどのものである。魔術師たちの総本山である時計塔は現段階で冬木の聖杯の複製を作成できておらず、アインツベルンですら、新たな聖杯の作成に数世紀をかける覚悟で臨んでいる始末である。

 それほどにまで複雑怪奇かつ精緻なシステムに介入するのは自滅行為である。聖杯に排除される可能性もあれば、聖杯戦争そのものを台無しにする可能性もあった。

 だが、四郎は臆することなく大聖杯に挑戦する。

「では、キャスター。準備を――――と、その前に」

 四郎は、キャスターに向けて腕を突き出した。

 そこで薄らと輝く令呪の一画が一際明るく瞬いた。キャスターの顔が驚愕に歪む。

「令呪を以て命ず。キャスター。私に関して悲劇を書くな」

「ッ」

 その命令は、四大悲劇と称される名作を生み出した伝説の作家にとってはまさしくアイデンティティーの喪失を強要するものであった。

 令呪の戒めがキャスターの心身に喰らいつく。

 もはや、キャスターはこの天草四郎時貞について、悲劇的結末を用意することは不可能となった。

「これは、あまりにあんまりですぞマスター。作家に書くなと命じるなど」

 キャスターはあからさまに項垂れる。

「申し訳ありません。勘違いしないでいただきたいのは、私は作家としてのあなたを尊敬しているということです。ですから、分かってしまう。あなたは、きっと、ここぞという場面で悲劇を書きたくなってしまう。ですから、これは必要な行為です」

 それを言われてはキャスターは反論できない。

 無論、悲劇など書くつもりは毛頭なかった。すべてを失った聖人が、それでも人類救済を夢に見て、挑戦する。それだけでも創作意欲が湧いてくる題材である。その結末を悲劇にするか喜劇にするかは作家次第であるが、キャスターはとりあえず喜劇にするつもりでいた。何せ、未だ嘗て人類が成し遂げたことのない偉業である。成功すれば世界が組み変わるほどの大きな計画を悲劇的結末にしたところで何も面白くない。凡俗な世界が続くだけでは、得るものがない。

 しかし、それでもキャスターの筆が勝手に悲劇に突き進むことも考えられる。それは、呪いのようなものだ。キャスターの理性以上に作品へのこだわりが先行するかもしれない。作家ならではの業であろう。ならば、端から書けないようにしておくしかない。

「しかたありませんな。受け入れましょう」

 役者もかくやという大仰な仕草で肩を落としたキャスターに四郎は改めて礼を言う。

『遅い。いつまで待たせるつもりだ』

 幾分か苛立ったような声で“赤”のアサシンは念話を響かせる。その声は、キャスターにも届いている。

 天井の水のさらに上。王の間の玉座にでもアサシンは座っているのだろう。

「ごめん、アサシン。すぐに始めるよ」

 四郎は天井を見上げて答えた。

『万が一のときはお主を切り捨てる』

「もちろんです。そうでなければ困る」

 情を一切感じさせないアサシンに、四郎は鷹揚に答えた。

 自分のサーヴァントが切り捨てるはずがないと思っているのか。否だ。セミラミスがそのような女帝ではないことくらい、最も長く傍にいた四郎がよく分かっている。

 ならば、何故このように落ち着いていられるのか。

 アサシンは本当に、万が一のときは四郎を捨てて保身を選ぶだろう。それでも、心配する必要がないのは、失敗するつもりが毛頭ないからか。

 裏切り者は儘いるが、裏切られてもしかたないと覚悟して前に進める者はどれくらいいるだろうか。

 それだけでも、四郎の特異性は明らかであろう。

『ならば、始めよ。よいかマスター。失敗は許さん。必ず勝て』

「当然です。――――ありがとう、アサシン」

 アサシンは四郎の返答を聞いて満足したのか念話を切る。

 それから四郎は深呼吸をして、カソックを脱ぎ捨てた。ストラも肌着も取り払い、半身を露にして大聖杯に歩み寄る。

 褐色の肌には痛ましいまでに刻み込まれた刀傷や火傷の跡が残っている。

 すべて、四郎が背負ってきた業の爪痕だ。

 四郎の両腕に鈍く輝く光が満ちる。

 令呪とは異なる光は、四郎の宝具が起動した証に他ならない。

「では、まず私から」

 空中に固定されている大聖杯に向けて、四郎はゆっくり歩みだす。

 サーヴァントの魔力供給のために繋いだ糸を辿り、大聖杯の内部へ侵入するためである。

 そうして大聖杯に接続した瞬間、天草四郎の世界は捲れ上がった。

 

 

 “赤”のキャスターはマスターを見送った後、自身の工房とも言うべき書斎に篭って筆を取る。

 作家系のサーヴァントである彼には戦闘能力は皆無である。ただこの筆の運びのみが奇跡を織り成す手段であり、書くことにのみ意味がある。

 誰に強制されるでもなく、キャスターは著述を続ける。

 夢を語る作家に不可能はない。

 天草四郎の物語を最高の喜劇にするべくキャスターは書き続ける。

 シェイクスピアの物語は因果すらも捻じ曲げて、マスターを成功に導くであろう。

 失敗すれば、恐らく自分はアサシンに殺されるだろうからどうあっても成功してもらわなければ困るのだ。失敗などつまらない。つまらないものは書かない。作家の信念がそうさせる。

 大聖杯の中で四郎は数多の困難に出会うだろう。

 かつての仲間、かつての父、かつての母、ただ見ているしかなかった数万の死。そして、この受肉してからの七十年で直面した世界の現実。

 殺されたのだから殺し返せ。

 救いは復讐の先にある。

 人類が積み上げてきた摂理を、四郎はどのように跳ね返すか。

 面白い。 

 実に面白い。

 それでこそ、聖人。

 狂気に満ちた聖なる光は、キャスターの想像すらも乗り越えて前に進んでくれるであろう。

 いつになく進む筆は、しかし不意の振動によって停止した。

 空に浮かぶ空中庭園が、振動するなどまずありえない。

「来たかよ、聖女!」

 いよいよ舞台はクライマックスに突入した。

 天草四郎の物語に力を注がなければならないのは残念だ。是非ともジャンヌ・ダルクの物語にも関わりたい。

「しかし、あの田舎娘ならばあるいは」

 キャスターは笑みを零して執筆を再会する。

 敵が迫ろうとも作家のすることに変わりはない。

 ジャンヌ・ダルクが真に聖人ならば、強大無比な英傑を乗り越えて天草四郎と邂逅してくれるだろう。そうであってくれなければ面白みがないというモノだ。

 

 

 空中庭園の振動は、“赤”のサーヴァントたちに敵襲を知らせる狼煙としては十分に機能した。

 玉座に腰掛けていた“赤”のアサシンは、目を開いて驚愕を露にしていた。

「我の守りを砕いただと……!」

 十一基の砲台『十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)』はアサシンの魔術を増幅し、対軍クラスの攻撃を放つ迎撃機構である。そのうちの一基が、敵の先制攻撃で崩壊した。

「チィ、アーチャーか」

 遠距離攻撃を可能とするのは、“黒”のアーチャーに違いない。

「ライダー、アーチャー。すでに分かっているだろうが敵襲だ。どのような手段を講じてきたか知らんが撃墜できぬということはあるまい。早々に叩き潰せ」

 自分が手を下すという手もあるが、それでは他の英雄たちから不平が出る。英雄の心情をこじらせるのは、悪手であるとアサシンは熟知していた。

 念話で指示を出したアサシンは、さらなる振動で二基目の迎撃機構が潰されたと察して、苛立ちに顔を歪める。

『ああ、じゃあ俺が先に出させてもらう』

 問答をする時間はない。

 アーチャーの狙撃は確実に一つひとつ迎撃機構を撃ち抜いていくだろう。

 アサシンは攻撃術式を変更して防御術式に切り替え、防衛機構そのものを守るようにする。こちらのサーヴァントが出撃するまで、出来る限り被害を最小限に抑えなければならない。

 

 

 女帝に指示されたライダーは上から目線に不快感を示しながらも向かってくる敵に対して闘志を露にしていた。

 夜を斬り裂く赤い魔弾は、すでにアサシンの防衛機構を三基叩き潰している。

 恐るべき速度で飛び回る魔弾は、矢というよりもミサイルと呼ぶほうが相応しい。わざわざ弓に番えなくとも、自在に敵を狙い撃つ矢は、改めて狙撃するよりもずっと効率よく防衛機構を破壊して回れる。放置すれば数分で十一基すべてを落としてしまえるに違いない。

 弧を描いた魔弾は四基目に牙を剥く。直撃するその瞬間、魔弾は真上から強襲してきた太陽の槍に打ち砕かれた。

「ランサー」

 粉微塵に砕け散った魔弾。

 魔力の粉塵から飛び立った炎の翼は防衛機構のうちの一つに舞い降りる。

「真っ当にやろうと思えば、多少は時間がかかりそうだな」

 敵の魔弾を落としたことについてはまったく誇らず、“赤”のランサーは正面を見据えた。

 確かにな、とライダーは頷いた。

 視線の先には、不自然な形の黄色い雲。

 空中庭園は雲海を下に眺める高度七五〇〇メートルを浮遊している。それにも拘らず、目の前には雲海についた瘤のように黄色い雲が漂っていて、着実に迫ってきている。

 間違いなく、“黒”のサーヴァントの誰かの宝具であろう。隠蔽能力。あの雲そのものの効果は今一つ分からない。だが、矢はあの雲の中から撃ち込まれたものである。ならば、あの雲の中に“黒”のアーチャーがいるのは間違いない。

「まあ、出てみなけりゃ始まらねえ。――――叩き落してやるぜ、アーチャー!」

 雄叫びを上げて、ライダーは地を蹴った。

 高高度にあることなどまったく意に介さない。ライダーにとって、天上も地上に変わりない。

 ポセイドンから賜った不死の神馬クサントスとバリオス、そしてエーエーリオンを陥落させた際に手に入れたペーダソスによる三頭立ての戦車(チャリオット)。世界を自在に駆け抜ける、超速宝具。『疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・トラゴーイディア)』である。

 

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 身を切るような冷たい風が吹き抜けていく。

 ジャンボジェットは編隊を組んで空を征く。

 先頭を十機のジャンボジェットが鶴翼の陣で突き進み、その背後に五機のジャンボジェットが続く。先頭にいるのは、“黒”のアーチャーだけである。残りのサーヴァントは皆後方の五機に身を潜めている。

 アーチャーが強化された視力で敵の本丸を視認したとき、“黒”のアサシンは『暗黒霧都(ザ・ミスト)』を全力展開した。その規模は今までの比ではない。トゥリファスを丸々一つ飲み込めるほどの規模で展開することで、ジャンボジェットそのものを敵から覆い隠す。

 アサシンの霧は誰に効果を与え誰に与えないのかを選別することができる。

 アサシンと協力することで、濃霧の中でもアーチャーは視界を確保し、的確な狙撃を可能としていた。

 ジャンボジェットの群れのさらに後方、小型の旅客機にはフィオレとカウレスが乗っている。英雄たちの乗る飛行機を囮として近付くために、出発のタイミングをずらしていたのである。

『先制攻撃は成功したぞ。これから、可能な限り潰す』

『ありがとうございます、アーチャー』

 念話でアーチャーが攻撃成功を報告してくれる。

 一つでも多く防衛機構を破壊してくれれば、“黒”のライダーの負担は大きく減る。

 もっとも、こちら側にとっては“黒”のライダーですら囮(・・・・・・・・・)なのだが、彼の活躍次第で突入作戦の成功率は格段に上がる。そのための布石として、アーチャーの限界まで魔力を充填した赤原猟犬(フルンディング)は必要不可欠であった。

『さて、ライダーが出てきそうだ。巻き込まれないように気をつけてくれ』

 フィオレはごくり、と生唾を飲む。

 遂にこのときが来たかと緊張に手を握りこむ。

『分かりました、アーチャー。あなたの固有結界で、ライダーを可能な限り足止めしてください』

 アーチャーの強みは固有結界の存在である。

 相手を位相の異なる世界の引きずりこむことのできる固有結界は、足止めにこれ以上ない効果を発揮してくれる。

 固有結界が発動すれば、“赤”のライダーはジャンボジェットの撃墜を行うことはできない。だが、その反面、誰も二人の戦いに介入できなくなる。アーチャーは格上のサーヴァントに単独で戦いを挑まなければならなくなるのである。

 ライダーという死の塊に対して、アーチャーはあまりにも力不足である。無論、信頼はしているが――――、

『フィオレ、一つ確認していいかな』

 死ねと命じる。弟がやり遂げたその選択の重さをフィオレは改めて感じる。

 勝利のためには仕方がないが、言葉を交わし、幾度となく頼りにしてきた相棒にそれを告げるのは辛すぎる。

 そんなフィオレの逡巡にも関わらず、アーチャーの言葉は非常に落ち着いていた。

 ゆっくりと、フィオレを落ち着かせるようにように――――、

『足止めするのはいいが、別にアレを倒してしまっても構わんのだろう?』

 フィオレは、一瞬唖然としてしまった。

 強大無比、存在そのものが反則と言っても過言ではない古代ギリシャの大英雄を相手に打倒すると宣言する。虚栄心など感じられず、ただ事実としてアーチャーは言っているように聞こえる。

『――――あなたって人は』

 驚愕から立ち直ったフィオレは、思わず失笑してしまった。おかしくて仕方がないというように、笑みを浮かべる。

『決めましたアーチャー。足止めは不要です』

 アーチャーの大言壮語は、信じるに値する。初めて出会ったあの夜に、得意げに宣言したのだ。今まで、彼は体当たりであのときの誓いを守ってきた。ならば、マスターである自分が信じなくてどうするというのか。

『令呪を以て我が最強のサーヴァントに命じます。固有結界を駆使して“赤”のライダーを撃破してください』

 三画あった令呪の一つが霧散する。

 断固とした口調は、それが絶対の命令であることを示している。

『重ねて命じます。勝利のために全力を尽くしてください』

 続けて二画目の令呪が消滅する。

 莫大な魔力がパスを通じて自分のサーヴァントに流れ込むのが分かる。令呪は奇跡すら実現する。ならば、アーチャーが“赤”のライダーに勝利するという奇跡を起こしてこその令呪ではないか。

『最後に――――重ねて我が友に命じます。死ぬことも許しません。必ず帰ってくるように』

 そして、フィオレは最後の令呪を惜しむことなく消費した。

 アーチャーの敗北はユグドミレニアの敗北。

 令呪は一画たりとも残さない。そのすべてを、アーチャーの勝利に賭けたのである。

 消失した令呪の痕跡をなぞり、フィオレは少し寂しい気持ちになる。アーチャーとの繋がりが一つ失われたことが、文字通り最後の戦いであることを窺わせる。しかし、彼のためにできることはこれですべてだ。

 後はその勝利を信じ、マスターとして聖杯大戦の行方を見守ることだけがフィオレの仕事である。

 

 

 

 □

 

 

 

 ルーラーが用いた令呪によるスキル強化に加え、フィオレが消費した三画の令呪によって“黒”のアーチャーのステータスは一部一から二ランクの上昇を果たしていた。

 それでも“赤”のライダーは強大に過ぎる。

 光り輝く超速戦車は、躊躇なく霧の中に突入する。

 『神性』を持たない“黒”のアサシンの宝具は“赤”のライダーにはまったく効果がない。ただし、それは肉体的な部分であって霧による物理的な視覚妨害は有効である。

 一寸先は闇という状況でありながらも“赤”のライダーは陽気に笑い突貫する。

 視覚を奪われたからどうだというのか。ライダーはその程度で戦いに臆するような臆病者ではない。

「らあッ」

 僅かな音と魔力の動きを頼りに、狙撃を感知する。相手の矢が対神宝具である以上、宝具を構成する魔力を隠すことは出来ない。

「そこ、だあッ」

 ライダーは手綱を手繰って戦車をさらに加速し、矢の射出方向に戦車を走らせる。一瞬にして、馬蹄と車輪が一機のジャンボジェットを解体しつくした。

 アーチャーは仕損じた。別の飛行機に跳んだらしい。

「ぐ……!」

 ライダーは頬を掠めた光に呻く。頬から出血。矢ではない。何があったと疑問に思うのも束の間、戦車の速度が落ちる。

 飛行機の中にはアーチャーの宝具が搭載されていたのである。

 ライダーが戦車で飛行機を解体すれば、飛び散った宝具がライダーや神馬らを傷付ける。至極単純なトラップだが、視界がない状況で手当たり次第に飛行機を落としていけば、こちらも徐々に傷を負っていくことになる。

 相変わらず陰気な戦術を使う。

 飛来する矢を槍で弾き飛ばし、絶妙な手綱捌きでアーチャーの狙撃を回避する。

身体は剣でできている(I am the bone of my sword.)

 ライダーの高速戦車は極限まで強化されたアーチャーでも捉えきれない。霧による視覚妨害とジャンボジェットに仕込んだ罠のおかげで、幾分か神馬にダメージを与えていたが、まだまだ足りない。

血潮は鉄で心は硝子(Steel is my body,and fire is my blood.)幾たびの戦場を越えて不敗(I have created over a thousand blades.)

 詠唱を続けながら、狙撃を繰り返す。

 恐ろしい戦士の勘で、的確にアーチャーの居場所を探り当て、破壊的な芝刈り機と化した戦車が一瞬で目前に迫る。

 間一髪、アーチャーは回避。ジャンボジェットをさらに乗り換える。燃料に引火して、巨大な火の玉が生まれる。飛び散る宝具を爆破して戦車を牽制しつつ、アーチャーは詠唱を続ける。

ただの一度も敗走はなく(Unknown to Death.)ただの一度も理解されない(Nor known to Life.)

 アーチャーの足場である十機のうち、すでに五機が失墜した。

 ライダーもまた、戦車に積み重なるダメージは無視しきれない。しかし、魔力と衝撃波を駆使してジャンボジェットに仕込まれた宝具を吹き散らすことで被害を抑えていた。

彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う(Have withstood pain to create many weapons. )

 このままではアーチャーのほうが落とされる。

 その前に、一つ賭けをする。

 戦車の速度と方向を追い、ジャンボジェットの一つを壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)で吹き飛ばす。

「何ッ――――」

 爆風が戦車を叩く。対神宝具に内包された神殺しの概念が神馬を痛めつける。侮るな、とライダーは吼えた。神速の戦車は若干の速度低下を余儀なくされながらも、圧倒的な破壊力でアーチャーを追い詰めている。その実感が、ライダーを加速させていく。

「そこ、だあああああああああッ」

 ライダーの戦車がアーチャーの居場所を捉える。今度こそ逃さない。別のジャンボジェットに飛び移ることも許さず根こそぎ解体してやる。

 Aランクの宝具の直撃は、“黒”のアーチャーを跡形もなく打ち砕き消滅させるであろう。

 勝利を確信したまさにそのとき、ライダーの面前に広がったのは真紅の大楯――――『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』であった。

「て、めえ……!」

 激しい衝撃が走り抜け、霧が飛び散った。

 露になったアーチャーの姿は、懐かしき真紅の楯の奥にある。

「そいつを、俺の前で使ってんじゃねえぞッ」

 楯の頑丈さは、大アイアスと共に戦ったアキレウスだからこそよく知っている。『疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・トラゴーイディア)』の全力でも食い破るのは難しい。が、それは楯の話。アーチャーの足元のジャンボジェットは、決して頑強にできていない。

 爆発的な魔力の奔流と共に、アーチャーの足元が砕け散る。アーチャーは顔を歪めて、『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』ごと宙に投げ出される。と、それに一瞬先んじて、真上から落ちてきた矢がペーダソスの頭蓋を射抜いた。

 不死性を持たないペーダソスだけは、対神宝具を用いなくても殺傷できるのである。

 『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』に激突して動きが止まったその瞬間を狙われた形になる。

「アーチャー!」

 だが、落下するアーチャーに追撃をかけるのをライダーは止めない。

 三頭立てが二頭立てに変わったからといってどうだというのか。相手は足場を失い、墜落するだけ。霊体化される前に周囲の空間を抉り取るようにして止めを刺す。

故に、その生涯に意味はなく(Yet, those hands will never hold anything.)――――――――その体は、きっと剣で出来ていた (So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS. )

 隕石もかくやという超速で迫る戦車。不死の神馬の蹄がアーチャーの身体を打ち砕く前に、魔術は完成していた。

 燃える世界の壁が、硫酸の雲を消し散らす。

 夜の闇は燃え落ちた。

 上空七五〇〇メートルという覚束ない足場は今や消え失せ、地平線まで見通せる不毛の大地が広がっている。

 剣の丘。あるいは墓場か。

 生物のいない黄昏の世界は、英雄豪傑が振るったであろう無数の宝剣が眠るにはあまりにも寂しすぎる。

「な、に……コイツは」

 今まで、数多の敵と戦ってきたライダーも、これには驚かざるを得ない。

 見たことのない世界。

 大地に突き立つ無限の剣の中には、恐るべき魔力を秘めているモノが何挺も存在している。

「剣を内包した固有結界――――それが、てめえの能力だったってわけか」

 未来の英雄、“黒”のアーチャーは無数の宝具を自由自在に使ってみせる謎多き存在であった。通常ならばありえないその能力の本質は、この世界だったのである。

「如何にも、“赤”のライダー」

 双剣を手に、“黒”のアーチャーはライダーを睨み付け、

「見ての通り私の武器は無限の剣。――――果たして、君に乗り越えることができるかな?」

 古代ギリシャの大英雄を相手に、“黒”のアーチャーは大胆不敵な笑みを浮かべて愛剣を構えるのであった。

 



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四十話

アブソリュート・デュオ。
まったく知らなかったけど、久しぶりにいい闇墜ちがあると聞いてそこだけ見てしまった。なんで闇墜ちしたのかはよく知らんけど、とりあえずいいね。


 “赤”のアサシンに敵の迎撃を命じられた“赤”のアーチャーであったが、さてどうしたものかと攻撃を躊躇していた。

 理由は簡単で、敵が目視できないからである。

 “黒”の陣営と戦い始めてから今まで見たことのない光景である。黄色い霧が敵の移動手段を覆い隠している。

「いや、もしかしたらあれが“黒”のアサシンかもしれんな」

 アーチャーは呟く。

 以前、一度“黒”のアサシンの宝具を目の当たりにしているはずなのだが、どういうわけかアーチャーはその詳細を記憶していなかった。“黒”のバーサーカーが消滅したとき、“黒”のアーチャーと戦っていたこともあるが、それでも“黒”のアサシンの戦闘について何も得るものがなかったというのはありえない。

 あの霧を恐らく自分は以前に目の当たりにしている。

 スキルか宝具か、情報を隠匿する能力によってアーチャーの記憶から失われているだけであろう。

 そんな霧の中に単身踏み込んでいった“赤”のライダーであるが、善戦しているらしい。砕け散った鉄くずが、霧から地上に降り落ちている。

 あのペレウスの息子があの程度の障害で攻略されるほど生ぬるい英雄であるはずもない。その点に関して、アーチャーは“赤”のライダーの実力に全幅の信頼を置いている。

「勘任せの射であろうと外したと思われるのは癪だからな」

 アーチャーは自慢の弓に矢を番えて空に向かって放つ。

 天には月もなければ太陽もない。しかし、彼女を庇護する弓神は、新月にも関わらず敵に死を振り撒いてくれる。

「アーチャーを仕留めても悪く思うな、ライダー。――――『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』!」

 霧に隠れて姿が見えないのであれば、霧の中を丸ごと射抜いてしまえばいい。

 攻撃範囲を極限まで拡大した結果、密度そのものがかなり小さくなってしまったが“黒”の陣営の移動手段が航空機であることを考えれば、一矢でも十分に撃墜することが可能である。

 天高く、成層圏から降り注ぐ流星の矢。

 数え切れない数の矢が霧を引き裂き、内部でいくつかの炎が上がる。

 射抜いたと確信し、次いで炎上した機体が霧から落ちて黒海に沈んでいく。さて、これでどれくらい敵に打撃を与えられただろうか。

 霧が消えていないということは、“黒”のアサシンはまだ健在ということなのだろうが。

 これは、少し面倒だ。

 アーチャーは淡々と二の矢を番えた。

 実質魔力量は無限大。

 迎撃しろというのなら、何度でも宝具を発動する用意があった。

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のアーチャーの広範囲攻撃に肝を冷やした“黒”の陣営であったが、彼らの乗る飛行機には幸いなことに影響は皆無であった。

 偶然ではない。

 “赤”のアーチャーは、“黒”のアサシンが発生させた霧に絞って宝具を発動させた。空から射抜くという性質上、その射線は斜めになる。よって、霧のさらに後方に控える航空機には届かなかったのである。

 霧は、“黒”のアーチャーと“赤”のライダーが戦うためのリングであり、敵の目を誤魔化し、如何にもその中に潜んでいると思わせるための巨大なデコイなのである。

 ジャンボジェットの速度は平均して時速九〇〇キロメートルほどだが、今の時点ではその三分の一程度の速度しか出ていない。

 失速もギリギリの状況。空中庭園が発する魔術的な影響が機体を押し戻そうとしているためである。

 それでも、空中庭園の鈍足に追いつくには十分だ。

 この分なら後十分ほどで敵地に到着できる。

『ライダー。準備はいいですか?』

 ルーラーからの念話が入る。これは、“黒”のアーチャーが“赤”のライダーを固有結界に引きずり込んだことを意味している。

 計画の第二段階を始動するときが来たのである。

『おーけーさ。今すぐにでも出撃可能だよ』

 旅客機の中で召喚したヒポグリフが犬のようにお座りしている。生前からの相棒である彼の首を優しくなでて、ライダーはその背中にひらりと飛び乗った。

『アーチャーが三基の防衛機構を破壊してくれました。ライダーには、最低でも後五基を破壊していただきたいのです』

『ふっひゃー、そりゃブラックだ。でも、いいさ。なんたって僕はシャルルマーニュ十二勇士だからね』

 ライダーはヒポグリフに命じてドアを蹴破らせて外に躍り出る。

 夜風が気持ちいい。

 死ぬかもしれないと思うと、生きた心地がしない。理性はすっかり取り戻されている。槍と魔導書、角笛、槍だけでは心許ないとアーチャーから託された宝剣、そして、ヒポグリフ。これが、ライダーのすべてである。サーヴァントとしては宝具の数が多いが、一つひとつの神秘性は低いほうというのが悩みの種である。

 自他共に認める弱小英霊が、最強クラスの“赤”のアサシン(大魔術師)に挑むのはそれだけで心胆震え上がる暴挙である。しかし、今のライダーには勝機がある。万に一つとかそのような低確率ではない。相手が魔術に頼る限り、EXランクの魔法スレスレの秘儀だろうが固有結界だろうが攻略する術があるのである。

『ご武運を』 

 ルーラーはそう言い残して念話を切った。

 下は果てしなく続く雲の海。空は光り輝く星の天蓋。空を行くジャンボジェットはさながら海を行く船のようで、旅をするには絶好のロケーション。――――まったく、これが命懸けのクルーズでなければ尚よかったのだが、などという馬鹿な考えが浮かびもした。

 今のライダーには理性がある。

 理性があるときは、決まって戦争が恐ろしい。震え上がって、今にも吐いてしまいそうになる。

「弱気になるな。そうさ、僕は僕。理性があろうとなかろうと、やりたいようにやって結果を出すもんさ!」

 ライダーはヒポグリフを駆り、雲海の中に飛び込んだ。

 神獣たるグリフォンには一歩及ばないものの、幻獣の格を有するヒポグリフは人類の科学で可能な飛行速度を優に上回る高速飛行を可能とする。

 時速三〇〇キロメートルで鈍足飛行しているジャンボジェットを瞬く間に置き去りにして、ライダーは雲の下から空中庭園を強襲した。

 雲から跳び出したライダーは、一直線に『十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)』を構成するプレートの一基に突貫する。

「“黒”のライダー、アストルフォ。我が一槍、馳走仕るッ!」

 いつになく凛々しい声音で叫ぶライダーは、その一撃で一基を砕き、岩塊に変えてしまった。

「う、ぐうぅぅぅぅぅッ」

 ライダーは痛みに顔を歪める。

 ヒポグリフの突進は、Aランク宝具の一撃に匹敵する破壊力がある。だが、突撃である以上、その反動を自分も受けることになるのは自明の理。相手が人型ならばまだしも、魔術的な加護を施されたプレートともなれば話は別になる。

「まだまだァッ!」

 今の段階で一番危険な目にあっているのは、ライダーではない。最悪の敵を単独で引き受けた“黒”のアーチャーに笑われることがないように、そして地上で見送ってくれた友のために格好悪い姿は見せられない。

 ヒポグリフは奮闘し、二基目のプレートを打ち砕く。アーチャーが破壊した分と合わせれば合計五基。防衛能力はこれで半減したと言っていい。

 しかし、ライダーが一方的に攻撃を加えることができたのはそこまでだった。

 ここから先は、敵の反撃が来る。

 もちろん、相手は“赤”のアサシン。いいようにされて腸が煮えくり返っている。

「一度墜ちたことをもう忘れたか。いや、忘れているのだろうな。何せ貴様は理性のない弱小騎士。蛮行や愚行を重ねても反省するという発想がないのだろう」

 プレートが動き出す。

 Aランクの『対魔力』を容易く貫く最高威力の魔力弾が生成される。“赤”のアサシンにとってライダーは羽虫に過ぎない。これまでの増長は、七千メートル下への墜落死によって償わせよう。

「全砲門一斉解放。羽虫如きには過ぎた一撃だが、心して味わうがいい」

 常人がその笑みを直視すればそれだけで失禁するであろう。蕩けるような笑みの中に凶悪な嗜虐性を滲ませた女帝は、それこそ蝿を追い払うかのような気安さで手を振った。それが引き金となり、災厄の魔術砲が一斉に火を吹いた。

 

 雷撃であり火炎であり竜巻であった。

 六種の魔術が合成されたかのような強大な魔力砲は、翼を舞い散らせて天かけるヒポグリフを狙い過たず呑み込んだ。

 ルーラーを除くあらゆる生物はこの光の中では存在し得ない。圧倒的な輝きの中に消えた“黒”のライダーは、抵抗することもできず、愛馬と共に聖杯の糧となる、――――そんな未来を女帝は幻視していたのかもしれない。

 他の“黒”のサーヴァントであれば、間違いなくそうなっていただろう。

 『キャスター』のクラスが聖杯戦争で不利とされるのは、単に『対魔力』を備えたクラスに不利だからである。が、しかし“赤”のアサシンにそのような常識は通じない。彼女は独力で、ただの魔術で以て最高ランクの『対魔力』を打ち破る。

 規格外の『対魔力』を持つルーラーでもなければ、跡形も残さず消えるのは道理である。

 だが、ここに一つの例外が立ちふさがった。

 ガラスが砕けるような音と共に、魔術の暴風が消し飛んだ。中から現れた“黒”のライダーは依然として健在である。

「いやったー! 決まったぜぇ!」

 握り拳を上げて喜ぶライダー。ヒポグリフも嘶きで喜びを露にする。彼らの周囲を舞うのは無数の紙片。一枚一枚に内包された魔力は、一流の魔術師であっても目を剥く濃度である。

「どぉりゃあああああああああ!」

 ライダーは余勢を駆ってさらにもう一基のプレートを破壊した。

「い、いででで……ちょっと、調子乗りすぎたかな」

 そして、少しだけ後悔する。額が割れて血が噴き出した。ヒポグリフと『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』の神秘はほぼ拮抗している。グリフォンに比べて格が落ちるヒポグリフと、オリジナルの『バビロンの空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』に比べて格が落ちる『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』。結果として互いに勝利の目がある状況が生まれている。

「う、ひあ」

 光がライダーに襲い掛かる。

 けれど、それも無為に終わる。アサシンの断続的な光の雨が、尽くライダーに触れては消えるを繰り返す。

「ヒポグリフ、後もう少しだ。頑張るぞ!」

 ライダーがヒポグリフに語りかけ、さらに加速を促した。

「いいぞ、来いよ。全部、海に落としてやる! 出力上げるよ――――『破却宣言(キャッサー・デ・ロジェスティラ)』!」

 

 

 

 □

 

 

 

 何と忌々しい。

 飛び回る“黒”のライダーに、自分の魔術がまったく通用しないという現実に、“赤”のアサシンは歯噛みした。

 生き残ったサーヴァントの中では間違いなく最弱に分類されるであろう“黒”のライダーが、女帝たる“赤”のアサシンを手玉に取っているのだから、腹立たしいにも程があるというものだ。

 だが、攻撃が効かないということは厳然たる事実であり、それは受け入れなければならない。受け入れた上で、どのように対応するか。

「“黒”のライダーはアストルフォであったな。とすれば、魔術破りの魔導書を宝具としていてもおかしくはないか」

 弱い英雄であるアストルフォが、多くの武勇譚を残せたのは彼が多くの宝具に縁があったからでもある。ヒポグリフは彼の代名詞であるが、それ以外にも魔法の槍やハルピュイアを追い払った角笛などが有名所であり、実際にこの聖杯大戦でも持ち込んでいるのが確認されている。 

 宝具の豊富さを売りにしている『ライダー』のクラスということもあり、女王ロジェスティラに与えられたという魔術破りの魔導書を所持しているのは至極当然と言えた。

 魔術破りの魔導書は、言ってみれば“黒”のライダーにEXランクの『対魔力』を与えたのと同じ効果を発揮している。魔術は効かないので、アサシンの攻撃は大半が無効化される。だが、その一方で魔術以外の攻撃ならば問題なく通るということも間違いない。

 魔術の戦いというのは、剣と楯との戦いではなく、コンピュータウィルスとファイアウォールとの戦いに近い。

 通るものは通るし通らないものは通らない。通らない以上は別の抜け道を探さなければならない。

『ランサー。飛び回っている不埒者を撃ち落せ』

 魔術がダメなら物理をぶつける。

 サーヴァントに対して通常の物理攻撃は意味を成さないが、神秘が僅かにでも含まれていれば普通に通る。魔力で強化されたナイフでも当たりさえすればサーヴァントに傷を与えることができるのだ。

 魔術破りも物理にまで対応しているわけではない。

 そこで、“赤”のアサシンが選んだのは、最強の槍。

 太陽神の息子にして古代インド最高の戦士、“赤”のランサーであった。

『了解した。と言いたいところだが、少し遅かったらしい』

 基本的に唯々諾々と従う“赤”のランサーが、ここで“黒”のライダーの撃墜に待ったをかけた。

 予想外の返答に、アサシンは言葉を失った。それから、どういうことかと問い返す。

『気付いていないのか? まあ、あのライダーに気を取られすぎていたということだろう。“黒”のサーヴァントはすでにこの城に侵入を果たしているぞ』

『なんだと!?』

 魔術で宮殿内をサーチすると、“赤”のランサーが言ったとおり、“赤”のサーヴァント以外のサーヴァントの反応があった。

 数は二。

 表には“黒”のアーチャーと“黒”のライダーがいるから、恐らくは“黒”のセイバーと“黒”のアサシンに違いない。“赤”のランサーの近くにいるのが“黒”のセイバーで“赤”のアーチャーの傍で霧を発生させているのが“黒”のアサシンであろう。

『いつの間に……!』

 してやられたと、女帝は臍を噛む。

 敵のライダーに気を取られている間に、敵の侵入を許すとは。許容し難い失態である。さらに、防衛機構が落とされる。見れば、“黒”のライダーは全身が傷つき満身創痍といった有様ではないか。アサシンの防衛機構と心中でもするつもりなのだろうか。

 いや、問題はあの弱小サーヴァントではない。

 霧が晴れた雲の上からやってくるジャンボジェット。その屋根の上に、真白な旗を掲げた聖女が佇んでいる。

「ルーラー……!」

 思うようにいかない戦況に、“赤”のアサシンはいよいよ頬を引き攣らせるのであった。

 

 

 □

 

 

 “赤”のアサシンが“黒”のサーヴァントの侵入に勘付く少し前のことである。

 戦場を遠目に見て、ルーラーはごくりと生唾を飲んだ。

 このような高所にやってきたのは、フランスからルーマニアに入るあのとき以来である。中世の常識に縛られているルーラーとしてはこのような鉄の塊が空を飛ぶというのが未だに信じられず、正直に言えばサーヴァントと戦うよりもジャンボジェットに命運を託すほうが恐ろしいくらいであった。

 しかし、それも機内から外を眺めている間のことである。

 自分でもどうかと思うが、一度外に出てみれば何と言うこともなかった。激しい気流が吹き抜けるジャンボジェットの頭まで歩き、旗を掲げる。

 最前線で戦う“黒”のライダーと位相を異にする場所で死闘を繰り広げているであろう“黒”のアーチャーの勝利を願うと同時に、これからの戦いにおける勝利を祈る。

 七色の光がライダーを飲み込んだ。

 「あ」とルーラーは思わず口を覆う。けれど、彼の言ったとおりであった。魔術は“黒”のライダーには通らない。

 激しい魔力の渦を笑い飛ばして天翔けるライダーに、ルーラーは元気付けられたような気がした。

 そして、“黒”のライダーが“赤”のアサシンの意識と防衛機構そのものを引き付けているこの瞬間を狙い、ルーラーは計画の第三段階を実行する。

 腕を天に掲げたルーラー。その腕には未だ消費されていない令呪が宿っている。

「令呪を以て告げます。“黒”のアサシン。敵地に乗り込んでください!」

 令呪による空間跳躍。

 ルーラーはこの負けられない戦いで、令呪も含めて戦力に数えることにした。そこで問題となるのが、神代の大魔術師である“赤”のアサシンである。

 令呪とは当然ながら現代の魔術師が考案したシステムに拠るものであり、理論としては現代の契約魔術に分類される。あまりに魔力が膨大なのでサーヴァントすらも従えられるが、根っこが魔術ならば魔術師が干渉できても不思議ではない。

 実際、強化、改良を施した令呪で聖杯戦争に臨む魔術師も少ないながら例はある。

 あの聖杯に固執する天草四郎のサーヴァントが、聖杯のシステムに触れないはずがない。令呪を無効化される可能性があったために、序盤では使えなかった。

 しかし、その懸念も“黒”のライダーが“赤”のアサシンを思い切り引き付けている間は払拭できる。

 如何に大魔術師とはいえ、あれだけの大魔術を連続行使している間に霧の奥に潜むルーラーの令呪を知覚するのは容易なことではないからである。

 時を同じくして、ゴルドがルーラーと同じ方法で、“黒”のセイバーを空中庭園に送り込んでいるはずである。

 そうして、多くの困難を乗り越えて彼と彼女は戦場に降り立った。

 

 

 鋭い眼光に激烈な闘志を織り交ぜて、黄昏の剣は太陽の槍と相見えた。幾度目かになる邂逅。これが、正真正銘最後の戦いになると予感して、互いに武器を構えた。

 

 

 闇に潜む暗殺者はこれと狙いを定めた被害者に忍び寄る。すでにそこは彼女の巣の中であり、被害者である以上は、加害者に勝つことなどできはしない。

 

 

 戦いは第二段階へ移行した。

 空の戦はこれにて終了。これから先は、空中庭園に舞台を移し、各々雌雄を決する大一番の幕が開く。



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四十一話

 剣の英雄と槍の英雄は、空中庭園の外縁部で再会を果たした。

 “黒”のセイバーが如何なる手段を講じて乗り込んできたのかは、“赤”のランサーには理解できていなかったが、それでも彼の相手が自分であることはこの戦争の最も序盤の段階から確信できていたことである。

 望まれたから、力を求められたから召喚に応じた聖杯大戦であるが、戦いの最中であっても己の願望を抱くことができたのだから幸運である。

 即ち、この敵を討ち果たすのは己の武具であってほしいという願いである。

 幾度も剣を重ねれば、相手もこちらを敵と見定めているのが伝わってくる。それが、“赤”のランサーには嬉しい。戦士として、倒すべき壁だと認識されることは何よりの僥倖だからである。

 “黒”のセイバーも“赤”のランサーとまったく同じ心境であった。

 背負っているものは大きく異なり、“黒”のセイバーはこの儀式を止めるという最終目的がある。道理に従えば“赤”のランサーを相手取るのではなく、上手く回避して聖杯に向かうべきなのだろう。とはいえ、それは理想論でしかない。現実的に考えて敵陣最強のサーヴァントを相手にしないわけにはいかない。どこかで激突するのが避けられないのであれば、彼を押さえることのできる唯一のサーヴァントとして“黒”のセイバーがこの場にやってくるのは至極当然であった。

 そして、“黒”のセイバーもまた一人の戦士として“赤”のランサーを討つことを望んでいる。

「この聖杯大戦、どのような形に落ち着くか分からんが、――――この大きな舞台でお前と雌雄を決することになった幸運に感謝しよう」

 静かに、“赤”のランサーは闘志を漲らせた。

 それだけで、大気が焼け付いたかのようではないか。まだ、日付が変わったばかりなのに、“黒”のセイバーは彼の背後に巨大な太陽を幻視した。

 そして、武者震いに震え、笑みを浮かべた。

「再戦の約定を果たせたことを嬉しく思う」

 その表情、仕草を見て“赤”のランサーもまた彼が全力で戦いたがっていることを実感する。

「“黒”のセイバー。このようなときに言うのも酷く場違いな気もするが、一つ頼みを聞いてはもらえないだろうか」

「頼み……?」

 ここに来て、何を言うのかと思ったが“赤”のランサーが無駄な時間稼ぎをするはずもない。

「内容にもよるが」

「その通りだな。時間がないので簡潔に説明するが、オレたちのマスターについてだ」

 “赤”のランサーのマスターは、現在天草四郎時貞となっているはずである。“赤”のランサーを乗り越えた先には、四郎と激突することになるであろう。

「今のマスターではなく、オレたちを召喚したマスターのほうだ。実は彼らは、まだこの庭園内に隔離されていてな」

「生きているのか?」

 四郎と共謀した“赤”のアサシンによって、すでに亡き者にされていると思っていた。あの女帝は決して無駄なことをしないだろうし、何よりも命を奪うことに躊躇する人格ではない。邪魔な元マスターなど、マスター権を奪った時点で殺害するのが道理であろう。無論、それは“赤”のアサシンの道理だが。

 しかし、“黒”のセイバーの問いかけに“赤”のランサーは頷いた。

「ああ。前後不覚になってはいるが、生きていることには変わりない。そこで、お前たちに彼らを預かってほしいのだ」

 “赤”の陣営で参戦したマスターの保護。それが、“赤”のランサーの頼みであった。

 その可否の判断を、“黒”のセイバーだけですることはできない。

 一旦ゴルドに念話を繋ぎ、“赤”のランサーとの会話の内容を伝えると、保護を快諾する返答を得ることができた。

 “黒”の陣営にとっても魔術協会から派遣されてきた魔術師たちには利用価値がある。聖杯大戦に勝っても負けても魔術協会に潰される公算の高い現状では、交渉の材料は一つでも多いに越したことはない。

「マスターからの許可が出た。貴公の申し出を受けることとする」

「感謝する、セイバー」

「その代わりにオレの頼みも聞いてほしい。もうじき、空中庭園に二人の魔術師が到着するだろう。彼らについては見逃してやってはもらえないだろうか」

「ふむ、それはお前のマスターか?」

 問われて“黒”のセイバーは否と答える。

「こちらのライダーとアーチャーのマスターだ」

「なるほど……まあ、構うまい。いずれにしても、お前と対峙しているときに、ほかに意識を配る余裕があるはずもない。サーヴァントならばまだしも、魔術師を取りこぼしたとしてもさしたる害にはならんだろうしな」

 “赤”のランサーからの確約を受けて、“黒”のセイバーは約束を実行することにした。

 “赤”のランサーが言うかつてのマスターたちは、外縁部の日乾煉瓦の階段を下ったところにある小さな部屋の中に隔離されていた。

 隔離と言っても、監禁されているわけではない。思考を奪われ、会話にもならない会話を繰り広げる人形に成り果てた者を閉じ込めておく必要もない。食事を与えられるだけで、彼らは完全に放置されていた。

 酷いものだ、と“黒”のセイバーは思う。

 彼らは戦うためにやってきたはずなのに、戦う前から脱落させられていた。戦士にとっては屈辱以外の何物でもない。とはいえ、それは余計な感傷であろう。

「彼らをここから出すと言っても、手段はあるのか? 生憎、こちらには連れ出す手段がないが?」

「それについては問題ない。地上への転送装置がある。幸い、オレでも使える代物だ。そちらで座標を指定してくれれば、ある程度は任意に送れるはずだ。さすがに、トゥリファスは遠すぎるがな」

「承知した」

 可能ならばトゥリファスへ転送したかったところだが、それは虫が良すぎるか。周辺各国に魔術協会の魔術師が潜んでいるのは確かなので、ルーマニア国内に一先ずは転送することにする。ゴルドに連絡を取り、転送できる範囲で最もユグドミレニアが迅速に動ける地域を指定し、“赤”のランサーに伝えることで五人の魔術師たちは戦場から立ち去ったのであった。

 

 

 

「これでオレも肩の荷が下りた」

 “赤”のランサーは“黒”のセイバーとそのマスターに礼を言う。

「では、今度こそ約束を果たすとしよう。この先に、オレたちが雌雄を決するに相応しい場所がある」

 ついて来い、と“赤”のランサーは言う。この小屋では、二騎が争うには狭すぎる。一合も刃をぶつければそれだけで木っ端微塵に砕け散るであろう。

 “赤”のランサーに案内される道すがら、“黒”のセイバーは尋ねた。

「何故、彼らを救おうと思った?」

 もはやマスターではなく、完全に繋がりも切れた人物であった。それどころか、“赤”のランサーは彼らとまともに言葉を交わしたこともないという。それにも拘らず、敵の手を借りてまで救おうとしたのは何故なのか。

「一時とはいえ、彼らはオレたちのマスターだった。だが、守れなかった。サーヴァントの最低限の務めすらも果たせなかったのが心苦しくてな、せめて、命だけでも救われればとそう思ったのだ。傲慢かもしれんが、オレにはこうするほかに術がない」

「傲慢などと言って己を卑下しないでほしい。貴公の清廉な人柄に、俺は感服するばかりだ。心技に亘って優れた戦士と戦えることは誇らしい限りだ」

 偉大な血筋、鍛え抜かれた武術の冴え、多くの人々の信心を一身に集める大英雄ながらも決して驕ることなく、むしろ常に謙虚であり続けているというのが“黒”のセイバーには好ましい。

 これほどの戦士には未だ嘗て巡り合えたことがない。

 これまで、悪竜を上回る強大な敵に出会ったことがない“黒”のセイバーにとっては、己と同じように自らを鍛えぬいた戦士が壁として立ちはだかってくれるのが何よりも嬉しい。サーヴァントとして戦士として、この強敵は乗り越えなければならないのである。

「ここならば、オレたちが全力を尽くしても問題あるまい」

 やってきたのは広々とした円形の空間であった。

 障害物は何もない。薄ぼんやりとした明かりに照らされる空間は、まるで二騎のための特設リングのように思えた。

「侵入者を迎撃するための空間だ。サーヴァント戦を想定し、広く造られていると聞いている」

「なるほど、この上ない舞台だ」

 魔術による空間拡張が施されているのであろう。この部屋は、宝具を使用しても耐え得る広大さであった。敵を引き入れて、サーヴァントで迎え撃つための部屋だというのは見て分かる。

 彼の言うとおり、ここならば自分たちが死力を尽くして激突しても外部に影響を与えることはないだろう。今度こそは邪魔が入る余地もない。

 “黒”のセイバーは、“赤”のランサーから十メートルばかりの距離を取って向かい合う。手には輝ける大剣が握りこまれている。“赤”のランサーもすでに臨戦態勢を取っていて、巨大な豪槍がいつ“黒”のセイバーを貫いていても不思議ではない状況であった。

「始めるぞ、“赤”のランサー」

「受けて立とう、“黒”のセイバー」

 そして、遂に両陣営が誇る最強の戦士が激突した。

 

 

 

 □

 

 

 

 “黒”のセイバーが“赤”のランサーと英雄の誇りに則り死闘を繰り広げているとき、空中庭園の別の地点では“黒”のアサシンと“赤”のアーチャーが対峙していた。

 ただし、こちらは華々しい決闘とは様相を異にしている。

 それも無理からぬこと。

 “黒”のアサシンは正真正銘の殺人鬼であり、英雄の誇りなど欠片も持ち合わせていない。対する“赤”のアーチャーも誇り高い狩人ではあるもののその根底にあるのは英雄の誇りではなく必要なモノは奪い取るという殺伐とした野生の原理であった。

 殺人鬼と狩人。

 どちらも、真っ向勝負をするタイプではない。

 このような場合、先手を取ったほうが有利となるのは自明の理。

 殺人鬼は自分にとって都合のいい環境に敵をおびき出して殺害するのが常であるし、狩人も獲物を影から仕留めるべく身を潜める。

 そして、“赤”のアーチャーは自分が敵の土俵に上がってしまったことを悟っていた。

 周囲には立ち込める霧。

 取り込まれた瞬間から方向感覚が掴めず脱出も容易ではない。霧の中では狙撃もできない。

 “黒”のアサシンの正体は知らない。

 だが、暗殺者である以上この霧の宝具に紛れて手を打ってくるに違いない。姿を曝すという無様な真似はしないはず。

 “赤”のアーチャーは弓を引き絞った状態を維持し、いつでも敵を射殺せるように待機して息を殺す。

 “黒”のアサシンはこちらの姿を認識しているだろう。『気配遮断』スキルは攻撃に転じた瞬間に大幅にランクダウンする。その一瞬を狙って頭蓋を射抜いてやろう。

 ほんの僅かでも物音を立てれば、“赤”のアーチャーは即座にこちらを射抜いてくるだろう。視界に有無など、彼女には関係がない。故に“黒”のアサシンは一切の身動きをすることなく、『気配遮断』を駆使して霧の中で息を潜めている。

 相手は古代ギリシャ最高の狩人だというが、何と言うことはない。この霧の中では自分は加害者で、相手は誰であろうと被害者という役割を押し付けられる。

 ましてや今は夜で、相手は女である。――――条件は、すべて満たされている。

 “赤”のアーチャーにはすべてが不利に働いている。

 彼女は“黒”のアサシンの正体を知らず、能力を知らない。一方の“黒”のアサシンは“赤”のアーチャーの真名も能力も知っている。宝具を使わせてしまえば、この霧の中を絨毯爆撃されてしまうかもしれないがそんな時間は与えない。

 “黒”のアサシンの宝具は先手必勝。発動したら最後、すべての女は肉の塊となって果てるのみ。そして、『霧夜の殺人』によって、夜という時間限定ながらも彼女は必ず先手を取ることができるのである。

 “黒”のアサシンは必勝を期して迷うことなく『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』を発動する。“黒”の陣営に対して猛威を振るった凶悪な呪詛が、また一人被害者を作り上げようとしてた。

 

 

 “赤”のアーチャーが“黒”のアサシンを知らなかったように、“黒”のアサシンもまた“赤”のアーチャーを完全には理解していなかった。

 遙か昔、神代の話である。

 ギリシャ最速の女狩人は、求婚してくる男たちに一つの課題を出した。

 “赤”のアーチャー(アタランテ)自身と徒競走をして、勝利した者の妻となる。ただし、負けた者はその場で射殺するという非常に冷酷な課題であった。

 この徒競走で、“赤”のアーチャーは男たちを先に走らせて、自分は後から走り出して追い抜くという方法で、多くの求婚者を射殺している。

 この逸話を、“赤”のアーチャーはスキルに昇華させた。

 その名は『追い込みの美学』。

 敵に先手を取らせ(・・・・・・・・)、その行動を確認してから先回りして行動することができるのだ。

 このスキルは常に先手を取りうる立場にある『アサシン』のクラスに対して非常に有効なものとなっている。『気配遮断』で忍び寄ってくる暗殺者が、攻撃に出た瞬間、“赤”のアーチャーは敵の攻撃が自分に当たる前に射殺することができるからである。

 

 

 “黒”のアサシンは『霧夜の殺人』の効果によって完全無欠の先制攻撃を放つ。宝具の名は『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』。

 “赤”のアーチャーは『追い込みの美学』の効果によって“黒”のアサシンの先手に先回りして反撃する。宝具の名は『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』。

 

 

 敵の先手に対して回りこみ、宝具を放つ。

 この時点で、勝利するのは“赤”のアーチャーであると思われた。

 先手を取ったはずの“黒”のアサシンは、“赤”のアーチャーに先回りされて攻撃を受ける。それが道理である。確実に先手を取れるスキルは、先手を取らせた上でそれを覆すスキルに対して致命的に相性が悪い。

 だが、今回ばかりはそうもいかない。

 『追い込みの美学』が先手に回り込むものである以上、敵の先手そのものを打ち消すことにはならない。――――即ち先手必勝の宝具を消滅させるには至らず、結果として両者の宝具はまったく同時に発動した。

 

 

 

 意識を消失していたのは、ほんの数秒程度だったらしい。

 うつ伏せに倒れていた身体を起こすと、全身に激痛が奔った。

「う、うぅ……」

 左腕が千切れかけており、脇腹は抉られている。周囲の地面には、無数の弾痕のような痕が刻み込まれていて、石造りの地面が畑のように耕されている光景は凄まじいの一言である。  

 ズルズルと這って、壁に背を預けて座る。痛みに顔を歪めて、呼吸を整える。勝敗を分けたのは、必殺か否か(・・・・・)。もしも、霧がなく視界が良好だったなら、自分は肉片も残さず破壊され尽くしていたに違いない。

 だが、そうはならなかった。

 墜ちたのは“赤”のアーチャーで、僅かな一瞬を競り勝った“黒”のアサシンが生き残った。

 とはいえ、この怪我だ。即座に戦線復帰は難しい。マスターは治癒魔術などできないので、これから数分をかけて自分で治療しないといけないのである。

 “黒”のアサシンは涙目になりながら、千切れかけた腕の治療を始めたのであった。



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四十二話

 ジャンボジェットに着陸などという当たり前の動作を強要することはない。

 自分に対して令呪を行使できないルーラーは、ジャンボジェットに最後までつき従った。空中庭園に衝突して無残な鉄くずに成り果てたジャンボジェットに礼を言い、ルーラーは旗を振るって塵を払う。

 道は示されている。

 ルーラーの知覚力が聖杯の在り処を伝えている。余所見をする必要はなく、今は仲間を信じて真っ直ぐに進めばいい。

 と、そこに――――、

「ぶぼぉッ」

 重苦しい音を響かせて、落下してきたヒポグリフと“黒”のライダーがクレーターを作ってひっくり返っていた。

 慌てて駆け寄ったルーラーが、ライダーを覗き込む。

「だ、大丈夫ですか?」

「あ、ルーラーか。あぶねー。“赤”の誰かだったらやばかったな」

 ライダーの損傷は傍目から見ても酷いものだ。

 衣服は血まみれで、端整な顔も八割方血に染まっている。骨もいくらか折れているに違いない。

「あの石クズ、全部海に沈めてやったぜ。これで、マスターたちも安全に降りられるだろ」

「ええ。あなたのおかげです、ライダー」

「ははは、まあね。でも、セイバーとアサシンは?」

「セイバーはランサーと交戦中。アサシンは敵のアーチャーを撃破したようです」

「え、マジ?」

「はい」

 ルーラーの知覚能力は空中庭園を覆い尽くしている。どこにいようとも彼女に居場所を悟られないということはない。つい先ほど、“赤”のアーチャーが消滅した。相性からいって勝率の高い組み合わせだったが、それでも“黒”のアサシンの能力の危険性を改めて認識させられる形となった。

「敵が一つ消えたのなら、こっちにも希望はあるな」

「数の上でも優位に立っていますからね。まだ、ひっくり返せるはずです」

「なんか元気出てきたぞ。なあ、相棒」

 やおら立ち上がったライダーは隣でぐったりしているヒポグリフをポンポンと叩く。軽くやったつもりだったが、傷口を刺激したらしい。けたたましく鳴いて、ライダーを嘴でつついた。

「ぐおぉ、いてぇッ。お、まえなぁ」

 しゃがみこんだライダーは頭を押さえる。鋭い嘴が刺さったのは、彼の脳天だった。

「もういい、とりあえず寝てて」

 ライダーは苛立ち紛れにヒポグリフに命じて霊体化させる。

 ヒポグリフはライダーの切り札である。無理をさせて大事なところで使えないというのは問題である。

 後は武器として使えるのは角笛と曲がってしまった魔法の槍。そして、宝剣。狭い屋内での戦いならば、これだけあれば大丈夫だろう。

「ライダー、あなたは傷を癒すのを先にしたほうがよさそうですね」

「そうは言ってもな」

 ライダーに治癒術は使えない。自己修復能力も決して高いほうではないので、“黒”のセイバーのように傷を負いながら戦い続けるというのには向いていない。多くの『ライダー』がそうであるように、多種多様な宝具と機動力で圧倒するのが彼の戦い方である。とはいえ、すでにその機動力も失われつつあるのだが。

「いえ、別にあなたでなくともカウレスかフィオレが治癒すればいいのですし、すぐそこに来ているので合流するのがいいでしょう」

「お、じゃあ、マスターたちも無事に辿り着けたんだ」

 この傷ではルーラーと共に戦うというのは難しい。足を引っ張るのが関の山である。ならば、マスターと合流し、治癒してもらった上で護衛に当たるのが正解ではないか。

「んじゃ、お言葉に甘えて治療させてもらおうかな」

「はい。わたしは、先を急ぎます。二人のこと、どうか頼みますね」

 ルーラーは、ライダーにそう言い残して近くの通路に飛び込んだ。内部が迷路になっていようと、ルーラーは踏破できるに違いない。

 彼女の『啓示』はこういうときに便利でいいな、とライダーは思った。

「つーッ。とりあえず、マスターと合流しないと」

 念話でカウレスに呼びかけてこちらに来てもらうことにする。敵のサーヴァントはそれぞれの敵に忙しい。カウレスやフィオレを狙い撃ちする余裕もないだろう。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 端的に言って“赤”のライダーは速すぎる。

 一歩で景色を置き去りにし、突き出す槍は視認することすら困難を極める。あらゆる英雄の中で最速と謳われるアキレウスに追いつける者などありはしない。

「オラオラオラオラオラァッ!!」

 疾風の槍撃が放たれる。

 無限の剣など恐れるに足らない。数多の戦場を踏み越え、一人で万軍を相手取った英雄は、使い手のいない剣などに圧倒されるはずもない。

 小回りの利かない戦車を捨て、ライダーは槍を片手にアーチャーに攻めかかる。視界に入るすべてが間合いとでも言うように、アーチャーが弓を構える余裕すら与えず近接戦闘の領域に踏み込んだ。

 対する“黒”のアーチャーは双剣を必死に振るって“赤”のライダーの最速の突きを捌く。令呪の補助を受けていながら、一歩二歩と後退しなければ即死は免れないという状況である。

 『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)』で形作られる心象世界はどこまでも続く平原――――障害物がなければ速度に勝るライダーにも地の利はある。イデアル森林のような森ならば、まだ地形を駆使することも不可能ではないのだが、この世界は真っ向勝負の世界である。アーチャーの世界ながら、アーチャーに地形が組するとは限らない。

「ハァッ!」

 アーチャーは双剣が弾かれると同時に対神宝具を手に呼び出し、ライダーに突きを放つ。 

 この世界でアーチャーが無手になることはない。投影する必要もなく、思うだけで手元に手繰り寄せることができるからである。

「温いぞ、アーチャーッ」

 ライダーは笑みすら浮かべてアーチャーの刃を受け流す。それだけに留まらず踏み出す足でアーチャーの脛を砕こうとする。アーチャーが足を引いてこれを避けると、今度は身体を反転させ、真横から槍を振るった。

 ライダーの筋力に遠心力を加えた横薙ぎの打撃を、アーチャーは咄嗟に剣の柄頭で受け止める。

「ぐ、……!」

 歯を食い縛り、アーチャーは衝撃を堪える。

 が、二段目の攻撃までは防げない。ライダーの大雑把な前蹴りがアーチャーの腹を強かに打つ。ボディアーマー越しでも凄まじい衝撃であり、血を吐きながら十メートルは飛ばされた。

 それでも、アーチャーの目はしっかりとライダーを見据えていた。

 アーチャーが地面に叩きつけられるまでの僅かな時間の間に、ライダーは槍を二回回転させて調子を整え、その後一気にアーチャーに追いすがる。

 『疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・トラゴーイディア)』から降り立つことで発動する常時解放型宝具『彗星走法(ドロメウス・コメーテース)』は、広大なフィールドを一呼吸のうちに走り抜ける疾走宝具である。障害物を物ともしない高速移動は、あらゆる英雄を凌駕してあまりある。無論、このような平原で彼を捉えるとなれば、それだけの目の良さが必要になる。そして、幸いなことに令呪によってスキルとステータスを限界まで強化されているアーチャーは、辛うじてその姿を追うことに成功していた。

 疾走するライダーの目の前に現れたのは、剣の壁。固有結界の内部に限り、アーチャーは過程を省略して剣を呼び出すことができる。対神宝具であろうと、一瞬で数百からなる剣群を生成可能なのである。

「大盤振る舞いだな、アーチャー!」

 膨大な魔力を秘めた剣の群れ。綺羅星の如き殺意の雨だ。神代ですら、これほどの宝具の雨に巡り合ったことはない。

 そのすべてが、対神宝具。ライダーの加護を打ち破り、彼に突き立つ刃である。

「剣ってのは、振るわれてこそ意味があるんだぜ……そこどきなッ」

 こともあろうに、ライダーの選択は槍を振り回しての突撃であった。剣の雨の中を、勢いをそのままにして突き進む。

 出鱈目だ。いや、だからこその大英雄か。

 剣の壁を掘り進み、突き破った時にはライダーの身体にはいくらかの損傷が生まれていた。しかしそれでも衰えない速度で弾丸のように地面を蹴り、アーチャーに槍を撃ち込んでくる。

 火花が散り、肉が裂ける。大気は絶叫し、血飛沫が舞った。

「ずいぶんと調子がいいようだな、ライダー」

「たりめーだ。これが最後だってんだからな! 全力全開でぶっとばすだけよ! そら、怠けてると死ぬぜ、アーチャー!」

 蛇のように絡みつく槍が、『干将』を捻り上げる。このまま柄を握っていては、手首をへし折られると確信したアーチャーは惜しげもなく武器を手放す。がらんどうになった半身に突きこまれる穂先を『莫耶』で弾き、そのまま反転。徒手となった手に対神宝具を呼び出してライダーを斬り付ける。

 背を逸らしたライダーの頬を切先が掠める。

 ライダーは三歩下がって、滴る血を拭った。

「どうした、怠けたのかね」

「ハッ! なわけねぇだろ!」

 苛立ちと喜悦を織り交ぜて、ライダーは槍を手繰る。速度重視の技だけでは同じことの繰り返しになる。突き、薙ぎ、払い、時に蹴りまで織り込んでトリッキーな戦術を構築する。

 アーチャーが防戦一方なのは今までと変わらない。今回のアーチャーは今まで以上に動きが鋭く、技も冴えているがそれでもライダーに追いすがるのがやっとというレベルでしかない。どれだけアーチャーが守り上手であっても、全力のアキレウスが打ち砕けぬ守りなど存在しない。

 一瞬一瞬の判断ミスが命取りになる超速の世界で、アーチャーは剣を振り続ける。

 思考する時間すらも惜しい。

 剣戟の音すらも思考の彼方に追いやって、もはや光としか認識できない槍の中を潜り抜けていく。身体が勝手に動く感覚、致命傷を優先的に回避するも、小さな裂傷は幾重にも積み重なっていく。フィオレの治癒も効率を考えて重傷に絞っているので、アーチャーの身体は瞬く間に真紅に染まってしまう。それでも、アーチャーは剣を振るうことを止めない。彼の剣は彼が積み重ねてきた生涯を表している。アーチャーが剣を振るうのを止めるのは、その肉体が滅びたときである。そして、敵を倒すまで滅びるわけにはいかないから、固有結界の中には金属を打ち合う音が響き続ける。

 無数の剣戟音が一連のものに聞こえる。身体を奔る刺すような痛み。剣は幾度も砕け、その手から零れ落ちる。その度に白刃と黒刃は新たに生まれ、ひたすらに剣戟を繰り返していく。ときには体勢を崩し、地を転がることもあった。深く肉を抉られたのも一度や二度のことではない。だが、生きている限りは喰らい付く。万に一つの勝機を手繰り寄せるために、まずはその状況(・・・・)を生み出さねばならない。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のランサー――――カルナは槍を操りながらも思う。

 生前の戦いで、これほど目の前の敵を討ち果たすことに心血を注いだことがあっただろうか。

 無論、手加減などしていない。そのようなことは戦ってきたすべての戦士への非礼と侮辱である。が、それはランサー自身の精神面での話であって、彼の戦いは常に彼の力を制限する形で行われてきたのもまた事実である。

 数多の英雄が跋扈した古代インドにあって、最強の武人と恐れられたからこそ、ありとあらゆる姦計が襲い掛かってきた。

 絶体絶命の危機に際して弓の奥義を忘れる、危機的状況下で戦車が動かなくなる、そのような呪いに苦しめられ、雷神インドラの策略によって黄金の鎧すらも奪われた。それでもなお、彼は一切を恨まず、すべてを受け入れて戦場に臨み、激戦の果てに死を得た。

 しかし、それでもその生涯を悔いたことは一度もない。ただ、なるべくしてそうなったというだけだ。故に、聖杯にかける望みもない。

 今、ランサーにあるのは戦いだけだ。

 かつても戦いに始まり戦いに終わる人生であったが、それでもそこには目的があった。誰かを助けるため、誇りを全うするため、戦いそのものではなく戦いによって得られる果実を目的としたものであった。

 今は違う。

 サーヴァントとして召喚された彼には、そのような目的意識は必要とされていない。

 彼に求められているのは純粋に力のみ。目の前の敵を叩き潰すことだけである。

 太陽を示す大槍は紅蓮を巻き上げ竜の騎士を穿つ。

 並のサーヴァントならば即死するであろう一撃は、しかし“黒”のセイバーによって尽く受け止められる。

 ともすれば、自分の武が正面から踏破されそうになっている。

 万全ならば三界を制するとまで謳われた戦士の技と拮抗する戦士と、ただ死力を尽くして戦えるのが存外に心地いい。

 政治的な策謀も、呪いも一切ない。

 ここにあるのは一本の槍と一振りの剣だけである。

 それだけで、二騎の世界は完結していた。

 “黒”のセイバー――――ジークフリートもまた剣を合わせる喜びに打ち震え、猛攻を叩き込んでいる。

 邪悪なる竜を仕留めてから、一度として対等な戦いなどできなかった。圧倒的な剣術に伍する猛者はほとんどおらず、いたとしても無敵の肉体の前には歯が立たずに敗れていったからである。

 富と名声を欲しい侭にし、そして裏切りの刃に倒れた生前。清廉な生き方ではあったが、物足りないと思うことは多々あった。求められるままに剣を振るう日々に空しさを感じていたのもまた事実である。

 さながら、その生き方は人の形をした願望機。力を以て、他者の望みを叶えるために戦っていた。戦いに己はなく、善も悪も関係がなかった。請われるままに戦い、望まれるままに振る舞ってきた人生の中で、ふと気が付くと彼は夢も希望も見失っていた。 

 そしてまた、請われるままに召喚されたこの時代で、“黒”のセイバーは初めて心の底から乗り越えたいと思える相手に巡り合った。

 気合を込めて剣を叩き込む。

 剣術は通じている。ただし、直撃させたとしても黄金の鎧がほぼ無効化してしまう。ランサーの刺突もセイバーを貫くには至らないので、結局はこれまでと同じ近接戦による音速の打ち合いが再現される。

 ランサーの豪槍が文字通り火を吹いて襲い掛かってくる。炎を纏った槍撃は、セイバーの『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファブニール)』を貫くほどの威力がある。

 紅蓮の穂先をセイバーは真横から叩く。左から右へ、刺突の方向を誘導し、セイバー自身は大剣の向きをそのままにして時計回りに駒のように回転する。

「オオオオオオオオオオオオオオオッ」

 吼えた。

 喉を裂かんばかりに吼えて、セイバーは自慢の大剣をランサーに叩き込む。

「ぐ……!」

 想像以上に強力な斬撃に、ランサーは踏ん張りきれずに弾かれる。それでも倒れることのない太陽英雄は、両足で踏ん張りながら黄金の槍を構え直して、目を見張った。

 決闘場に、黄昏の帳が下りる。

 それは昼と夜の境界にして、数多の生命が途絶える死の世界。

「『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』!」

 振り下ろされた聖剣は柄頭に込められた真エーテルを増幅し、黄昏色の剣気に変換して放出する。

 光の津波が真っ直ぐにランサーに押し迫り、ランサーは為す術なく押し流される。A+ランクの対軍宝具の直撃は、上級サーヴァントですら消滅させる。ただの聖杯戦争ならば、これで決着と思っても差し支えない状況であるが、――――――――。

 黄昏の極光が消えた世界で、粉塵を貫いてきたのは太陽の紅蓮。

 驚くようなことではない。もとより、宝具の直撃で倒せるとは思っていない。燃える槍を剣で受け、再び刃を交える。

 ランサーの豪快な振り下ろし。

 大きな隙と見えるそれも、このランサーの速度ならば付け入る隙にはならない。セイバーはその振り下ろしを半身になって躱し、剣の切先を突きこもうと構える。そんなセイバーに対して、ランサーは槍を構え直さなかった。その代わり、地に突き立った槍を引き、身体を前に押し出す。単純なショルダータックルであったが、意表を突かれたセイバーは思い切りこれを受けてしまう。

 踏鞴を踏んだセイバーを、ランサーは蹴り飛ばした。

「ッ――――!」

 踏ん張ってはランサーの次なる手に対応できないと判断したセイバーは、後方に跳躍しつつ勢いを殺していく。体勢を立て直すのに必要だった歩数は三。距離にして、十四、五メートルほどといったところであろうか。

「お前にばかり宝具を使わせるのも面白みにかけるな」

 言うや否や、ランサーは炎を神槍に収束する。輝ける太陽の光が世界を彩っていく。神槍の外装の一部が外れ、刃そのものが膨大な炎を吹き上げた。

 これはまずい、とセイバーは『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』を煌かせた。

 セイバーの宝具の気配にはまったく構わず、ランサーは、石畳を踏み砕いて必滅の刃を射出する。

「行け――――『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』!」

 押し広がる極光に、太陽の渦が捻じ込まれた。二色の光は互いに喰らい合い、目を覆わんばかりの輝きで周囲一帯を照らし上げる――――。



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四十三話

 天草四郎時貞は決して奇跡を起こしたわけではない。

 確かに伝説ではそのように語り継がれているし、事情を知らない人間はそのように理解していただろう。

 しかし、現実には彼が起こした奇跡とはただの魔術に他ならなかった。

 彼の両腕はありとあらゆる魔術基盤にアクセスする能力を持った万能のスケルトンキーであり、時に魔術回路すらも増減するほどであった。通常、生まれたら一生変わることのない魔術回路も、四郎のそれは常に変化し続けるものになっていた。

 要するに彼は生まれついての魔術使いであり、それ以上のものではなかったのである。

 だが、それも生前の話である。

 サーヴァントとなった彼の両手は正しく奇跡を織り成す技を持つ。

 大聖杯にアクセスする。

 この世の魔術師はおろか“赤”のアサシンですら到達し得ない奇跡の領域。大聖杯のシステムを改竄し、第三魔法を普遍化する。

 この世の誰もがその領域に押し上げられれば、きっとそれは奇跡ではなくなるだろう。

 それでいい。 

 不老不死が当たり前の世界では、奇跡など必要とされないからである。

 四郎にとっても未知の世界。だが、その先にこの世のすべての人が笑顔になれる世界があると信じている。

 大聖杯が鳴動する。

 聖杯に問う。

 我等の望みは邪悪か否か。我等の希望に汚点はあるか、と。

 聖杯は答える。否だ、と。その祈りに邪悪はなく、世界の平和に非難の余地は皆無だと。

「ならば、我が望みを聞き届けよ! 我等の祈りを以て、現実を昇華させよ! 人類は天の杯に至り、無限の星々に到達するのだから! この世界を、未来への希望で満たすのだ!」

 弱肉強食の世界。

 対立する願望。

 迷える子羊たちは、二千年経とうとも行き付くことができておらず、未だに放蕩を続けている。

 そんな在り方が肯定されていいはずがない。

 誤った世界なら、それを正す誰かが必要だ。人間にできぬなら、聖杯という奇跡を以て成し遂げるまで。

「さあ、聖杯よ。全人類を次なる世界に導け!」

 全身全霊をかけて、四郎は吼える。

 両腕にかかる負荷は凄まじいの一言に尽きる。しかし、大聖杯の基盤が、ユスティーツァの魔術回路を基にしたものならば、天草四郎にハッキングできないはずがない。燃えるような両腕の熱は、大聖杯の鼓動で歓喜に変わる。

 ――――我は至れり。

 輝く大聖杯は、確かに四郎の夢を聞き届けた。

 人類は一夜にして、大きな一歩を歩みだすことだろう。世界は一変し、未知の明日が待っている。

 

 

 

 

 幾重にもなる罠も、ルーラーの防御の前には歯が立たない。触れるだけで魔術は消え失せ、旗の一振りで岩塊は砕け散った。

 道は示され続けている。

 『啓示』は、戦時も平時も作用するスキルだ。目的を完遂するために必要な過程を感じ取ることができるこのスキルは、“赤”のアサシンの庭園の中でも正しく機能し、迷路の如き『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』を攻略する。

 近い、とルーラーは直感した。

 もうじき終着点に行き着くであろう。問題は、そこで待っているサーヴァントである。未だ姿を見せない“赤”のキャスターか、あるいはこの庭園の主である“赤”のアサシン。“赤”のセイバーはこちらに味方している。“赤”のランサーは今“黒”のセイバーと死闘の真っ只中。二騎が激突しているのは、ずっと同じ位置に二騎のサーヴァントが留まり続けているところから判断できる。“赤”のライダーも、“黒”のアーチャーの固有結界に押さえ込まれている状況である。

 これまでの因縁を思えば、この先に待っているのは“赤”のアサシンの可能性が高い。

 ルーラーの絶大な『対魔力』は、“赤”のアサシンの魔術を尽く封殺してみせるし、この旗がある限り、物理攻撃も含めて無効化される。こと防御という点に於いて、ルーラーは規格外の性能を誇っている。

 しかし、それでも魔獣の召喚や刃を召喚するなど『対魔力』をすり抜ける魔術の使い方も当然あるので、油断はできない。

 “赤”のアサシンほどの実力者ならば、それくらいは容易にやってのけるであろう。

 回廊を駆け抜けた先に、両開きの鉄の門が聳えていた。

 どうやら、当たりを引いたらしい。

 ルーラーは、呼吸を整えて門を押し開いた。

 そこは王の間であった。

 仕えるべき騎士もいなければ、道化師もいないが王気を纏う女帝が玉座に座っている。ただ、それだけの事実があれば王の間と呼ぶに相応しい風格を持つ。

 玉座は獣の骨を組み合わせてできていた。その下には水が満ち満ちて、睡蓮が咲き乱れている。地下のはずだが、天井は吹き抜けを思わせるほどの高さにあった。

「やはり、あなたでしたか。“赤”のアサシン」

「よく来た、ルーラー。歓迎はできぬがな」

 アサシンはそう言って、無言で指を鳴らす。それを合図に、壁の一部が消え失せて魔術で構築された扉が開く。扉の奥には、下層に続く階段があった。

「そこを抜けて階下に降りるがいい。そこで、我がマスターが待っている」

「何ですって?」

 ルーラーは唖然としてアサシンを見る。

 この道が罠ではなく正しい道であると分かっても、即座に動くわけにはいかなかった。

「ふん、そう疑うな。我とて不本意なのだ。だが、我がマスターがそうしろと言ったからには従わないわけにはいくまい」

 言うだけ言って、アサシンはルーラーから興味が失せたとでも言うように視線を逸らした。

 多少の敵意は抱いているが、彼女自身でルーラーを排除しようという意識は感じ取れなかった。

「では、これが今生の別れですね」

「そうなるだろうな。さらばだ、ルーラー。お前は、実に退屈な聖人だ。定められた道しか歩めぬお前には、何一つ面白みを感じんよ」

 ルーラーは、アサシンの毒舌を無視して先に進んだ。

 ルーラーの背中を見送って、アサシンはため息をつく。ルーラーと天草四郎では、英雄としての格が違う。戦闘能力も含めて四郎が不利には違いない。如何に聖杯と接続を完了したとはいえ、確実に勝てるかと言うと否である。ならば、命令に逆らってでも、ここで自分が足止めをするべきだったのだろうが、そういうわけにもいかない理由があった。

 この部屋は大聖杯へと至る道のすべてが交錯する最後の関門。

 “黒”のサーヴァントは“赤”のサーヴァントを倒すか出し抜くかしてここに辿り着かねばならない。故に、“赤”のアサシンは敵のサーヴァントをこそ討ち果たさねばならない。

 ルーラーと自分の相性は最悪である。さらに、そこにほかのサーヴァントが加勢に来れば、アサシンとてどうなるか分からない。

 敵は分断して各個撃破するのが最もよい戦術である。

 今の時点で、この部屋に向かってくるサーヴァントは二騎。

 一騎は“赤”のアーチャーを撃破した“黒”のアサシン。もう一騎は、特に妨害を受けることなく罠と竜牙兵をなぎ倒して進んでくる“赤”のセイバーである。

 

 

 

 “赤”のアーチャーが死んだことは、正直に言って想定外であった。それも決戦の序盤での脱落である。彼女は大英雄というほどではないが、それでも上位の英霊であることに変わりがない。それが、暗殺者風情に仕留められるとはどうしたことか。

 “赤”のアサシンは、こう結論付ける。

 “黒”のアサシンの宝具ないしスキルは、対象を無条件に殺傷する運命干渉系または呪詛的、魔術的性質を帯びたものである、と。

 こうした能力は物理的な破壊力に劣るものの、対人戦闘においては無類の強さを誇る。発動させれば終わりなのだから、そこにサーヴァントのステータスは意味を成さない。ジャイアントキリングを成立させる悪辣な能力である。

 今分かっているのは、“黒”のアサシンが霧に紛れて行動するということと、彼女の戦闘終了後にこちらの記憶から情報が抹消されるということである。

 これについては、事前にアーチャーがもたらした情報から推測できており、“黒”の陣営のカウレスと同様に別途記録することで事なきを得ていた。

「……アーチャーの戦闘を記録しておくのであったな」

 アーチャーの実力を高く評価していたので、まさか敗れるとは思っていなかった。想定外が重なり、はっきり言って非常に苛立っている。

 庭園の深部、王の間で玉座に座っている“赤”のアサシンは、肘掛に頬杖を突いてにやり、と笑った。

「来たか」

 王の間に硫酸の霧が立ち込め始めた。

 “黒”のアサシンが遂に“赤”のアサシンの領域に足を踏み入れたのである。

「同一クラスでの激突というのも乙なものではないか――――なあ、“黒”のアサシン」

 無論、返答はない。

 霧の中に潜む“黒”のアサシンは、完全に気配を隠し切っている。

 この霧がある限り、“黒”のアサシンを捉えることはできない。

「舐めるなよ、“黒”のアサシン。貴様がルーラーの後をつけていたことに気付かぬとでも思っていたか?」

 蛇の如き目で以て、見えないはずの“黒”のアサシンを睨み付けた女帝は、王の間を瞬時に換気した(・・・・)

 結界宝具たる霧がそれを上回る神秘を宿した強風に吹き散らされていく。

 “赤”のアサシンは最古の毒殺者。その歴史は、人類史の初期に当たる。三千年前にアッシリアに君臨した女帝が内包する神秘は、その十分の一に満たない歴史しかない近代の怨霊如きとは比較にならない。

 神秘はより強い神秘に打ち消されるのが道理である。“黒”のアサシンが近代の英霊である以上、正面から能力をぶつけ合った場合劣勢に立たされるのは不思議なことではないだろう。

「ほう、……貴様のような小娘が、な」

 惚けたような顔でこちらを見上げる幼い少女。

 ところどころに血がついているのが、アーチャーと戦ってきた証と言えるだろう。

「ッ――――!」

 少女の判断は早かった。

 敵わないと判断して、そのまま王の間からの脱出を図ったのである。“赤”のアサシンにはステータス情報は読み取れないが、“黒”のアサシンの『敏捷』はかなり高いようである。もっとも、この女帝がむざむざと脱出を許すほど生ぬるいはずもない。

「逃がさんぞ」

 雷光が煌いた。

 伸び上がった雷の蛇が“黒”のアサシンの足に噛み付き、炸裂する。

「あああああああああああああああッ」

 “黒”のアサシンは絶叫し、宙を舞って壁に激突した。

 何とも脆いが、所詮は暗殺者。直に戦えばこの程度であるのも頷ける。

 もちろん、女帝たる“赤”のアサシンにとって暗殺者は大敵に等しく、手ずから抹殺する対象であるのは言うまでもない。

 笑みすら浮かべて次なる魔術を解き放つ。

「霊体化するか? 『気配遮断』に頼るか? 何でも構わん。使ってみろ。この我の前で使えるのならな」

 ここは“赤”のアサシンが構築した庭園である。この庭園の内部は魔術師の工房と同じ役割を、魔術師の工房の数千倍の濃度の魔術で果たしている。ただの魔術師ですら、その気になれば『アサシン』の侵入を防ぐことができるというのに、“赤”のアサシンにできないなどということはない。まして、一度取り込んだ相手を逃がすようなことは絶対にありえない。

 “黒”のアサシンがこの王の間にやってくることができたのは、偏に“赤”のアサシンが招き入れたというだけで、それはつまり“黒”のアサシンは自ら蛇の口に飛び込んだに等しい状況になってしまったことを意味していた。

 

 

 

 □

 

 

 

「あなたもずいぶんと無茶をしますね」

 呆れたようなフィオレの言葉に“黒”のライダーは頬を掻いて笑った。

「いやぁ、冒険好きってのは、無茶しないことには成果を感じることができない生き物でさ」

「それで死んだら元も子もありません」

「まったくだ。今は一人でも戦力が欲しいってときなんだからさ」

 カウレスはライダーに治癒魔術をかけていた。

 ライダーはヒポグリフと共に空を駆け抜け、“赤”のアサシンの守りを破壊し尽くした。あの砲台を破壊するのに、無茶をしないというのが土台無理な話で、それはフィオレもカウレスも分かっている。だが、分かってはいてもそれを口に出すのは憚られた。自分たちは彼らサーヴァントに頼るしかない。こんなに近くに来ているのに、できることと言えば見守ることくらいしかないのである。それが、魔術師の限界であった。

「それにしてもマスターは治癒術が上手くないね」

「ほっとけ」

 ライダーのあっけらかんとした指摘にカウレスは眉根を寄せる。

 治癒術は基礎中の基礎。オーソドックスな魔術の一つであり、魔術基盤の違いによらず存在しているポピュラーな魔術である。細かい術式の違いは流派や家系ごとにあるにしても、治癒という結果をもたらす魔術は、魔術師の世界では必要不可欠のものであった。

 それでも、ライダーの重傷を治癒し尽くすにはカウレスでは少々荷が重い。フィオレの手を借りたいところであるが、彼女は彼女でアーチャーを遠隔治癒しなければならないので、手を借りることはできないでいた。

 それでも、カウレスが苦心して治癒した結果、運動機能については問題ないところまで修復されていたし、表面的な部分は別にしても骨折などの戦闘に関わる部分は何とか治療を終えることに成功した。

「じゃあ、行こう。僕と一緒にいれば、とりあえず魔術の類は何とかなるから」

「そうですね。後はトラップに気をつけて進めば、行けますか」

 フィオレは悩みながらも先に進むことにする。

 この先は死地だ。

 魔術師がほかの魔術師の工房に足を踏み入れる際には死を覚悟しなければならない。ましてや相手はサーヴァント。並の工房とは比較にもならない。仕掛けられている罠は尽く一級品であろう。如何にあらゆる魔術を無効化するライダーの『破却宣言(キャッサー・デ・ロジェスティラ)』があったとしても、断じて油断していいわけではない。

 それでも先に進まなければならない。

 “黒”の陣営を束ねる長としての最後の仕事だ。聖杯に辿り着き、何とかして聖杯を確保する。それがだめなら、破壊するかその場で願いを叶えるか。状況に応じて方法を変えなければならないものの、すべては聖杯に辿り着けるか否かが勝負どころである。

 

 

 

 □

 

 

 

 黄昏の極光と太陽の焔は、互いの中間地点で激突し破壊的なエネルギーを放出して果てた。

 眩い光が消えた後には、僅かな暗闇だけが残った。光の加減で照明が落ちたかのような錯覚に陥る。あまりにも膨大な光の量に感覚が麻痺しているのであろう。それ以前よりも一層暗くなったような気すらする。しかしながら、それは所詮錯覚に過ぎない。明暗に順応する程度、サーヴァントならば造作もないことであり、あっという間に視界は元に戻った。

「互角か」 

 互いに無傷。

 『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』と『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』は両者譲らず拮抗し、最後には対消滅する形で決着した。

 “赤”のランサーにとっても、今の宝具は自身の生涯を通じて切り札としてあり続けたものであった。相殺されるなどありえないと、思っていたわけではないが実際に目の前で相殺されると何ともいえない気持ちになる。

 己の秘儀が通じなくて無念であったか。違う。この感情は、恐らく喜悦の類であろう。

 『不滅の刃(ブラフマーストラ)』は、“赤”のランサーだけの宝具ではない。古代インドの勇士が挙って修練に励み、到達した武の頂点にして必殺の奥義である。それだけに、この一撃を受け止めた“黒”のセイバーには驚きと共に敬意を抱くに値する。

 この勇士とどこまでも武を競い、そして討ち果たしたい。

 “赤”のランサーは、より強く“黒”のセイバーの打倒を願った。“黒”のセイバーの真名はジークフリート。ネーデルランドの王子にして竜殺し。富と名声を恣にして、悲劇のままに散った大英雄。どこかアルジュナを思わせながらも、その目からは確かな餓えを感じ取れる。

 武具を操っての近接戦闘能力はほぼ互角。宝具の真名解放も互角。そして、肉体の防御力もほぼ互角。現状、“赤”のランサーと“黒”のセイバーは互いに決定打を与えるには至っておらず、その道筋も見えていない。

 “赤”のランサーは、黄金の鎧が敵の攻撃を無力化し、宝具の直撃にすら平然と耐えてみせる。

 “黒”のセイバーもまた竜の血を浴びて頑強となった肉体が“赤”のランサーの攻撃を弾き返す。

 微細な傷を負うことはあったとしても、それが戦闘そのものに影響を与えることにはならない。

「このまま刃をぶつけ合っても一向に構わんが、それではお前を打倒することはできまい。かといって、『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』も相殺されるのでは芸がない」

 仮にもインドの勇士が振るう必殺奥義。軽々しく放ち、封殺されるというのは、先達に合わせる顔がない。さらに言えば、直撃させたとしても完全に倒しきるのは不可能だろうし、“黒”のセイバーの宝具はこちらの宝具よりも連射性に優れているようにも思う。攻撃態勢に入ったのは“赤”のランサーが先立ったにも拘らず、“黒”のセイバーは合わせてきた。相手の魔力量がどの程度か不明だが、二度の真名解放をした後でも平然としているところを見ると彼のマスターは相当な魔力タンクであるらしい。あるいは、“赤”のランサーと同じく魔力供給を別の場所から受けているか。いずれにしても、宝具の撃ち合いとなれば押し切られる可能性が高い。それは、威力ではなく性質の差。

 尚且つ、この戦いには制限時間がある。

「大聖杯の調整が今しがた終わったらしい。機関を温めている段階に入ったというが、後一時間もしないうちに稼動を始めるだろう。そうなれば、オレたちの戦いも終わることになる」

 世界救済が始まれば戦う理由が失われる。それだけでなく、サーヴァントの役目も終わり聖杯に還ることになるだろう。どの道、天草四郎の望みが叶ってしまえば、英雄などという存在も消えてしまうかもしれないのでサーヴァントそのものがなかったことになる可能性も無きにしも非ずだ。

「となれば、今までの戦いの焼き直しでは意味がない。有無を言わさず決着する必殺の一撃が必要だな」

 ただの打ち合いでは朝までかかっても決着しない。現段階で開帳した宝具でも決着には程遠い。

 ランサーは一瞬でセイバーから大きく距離を取った。セイバーの脚力ならば、一瞬で踏み込める距離ながら、相手の出方を窺って剣を構え直す。

 ランサーは宝具を解放しようとしている。彼の言葉から察すれば、伝説に謳われる最強の神殺しの槍に違いない。 

 セイバーの宝具を遙かに上回る強大な神秘を持つ雷神の槍。確実に勝利しようというのなら、出させない、あるいは無駄撃ちさせるのが常道であるが、今の状況ではどちらも不可能。慌てて踏み込めば、至近距離から大破壊力の火炎を受けることとなるだろう。

 それが分かっているから、セイバーは自分の宝具が最大威力を発揮する間合いで迎撃することを選択した。

 だが、果たしてそれが正しかったのであろうか。

 “赤”のランサーの周囲は、今や炎の海と化している。あまりにも絶大な力の波動は空間そのものを焼き焦がしているようにすら思う。壁も床も天井も、何れは融解して潰えてしまうに違いない。

 ランサーの槍は、雷神インドラから授けられた神殺しの神槍。

 ただし、それは慈悲があってのことではない。

 太陽英雄カルナ最大の宝具たる黄金の鎧がある限り、彼は不死に近い力を持つ。それでは、自分の息子たちが殺されてしまう。息子のアルジュナは偉大な英雄であるが、黄金の鎧を持つカルナが相手では分が悪い。

 そこで、インドラは一計を案じた。

 バラモン僧に化けたインドラは、沐浴の最中であったカルナに黄金の鎧を寄進するように頼んだのである。

 沐浴の際にバラモン僧に求められたものはそれが何であれ寄進すると、カルナは誓いを立てていたのである。インドラはそれを利用した。

 そうした事情を予め、すべて知っていながら、カルナは迷うことなく自らに癒着する黄金の鎧を引き剥がし、インドラに手渡した。

 カルナの高潔な態度に恥じ入ったインドラは、その代わりとして絶大な威力を持つ神槍を彼に手渡したのであった。

 “赤”のランサーの本職は、『アーチャー』や『ライダー』である。しかし、この逸話によって彼は、『ランサー』のクラスでは最大火力の宝具を所持して召喚されるだけの性質を得たのであった。

 ランサーの黄金の鎧が砕け散り、炎の中に消えていく。伝承の通り身体に癒着していたのであろうか。血が流れ出てランサーの顔に苦悶が浮かぶ。

 手にしていた槍が消失し、代わって現れたのは信じ難いほどに神々しい豪槍であった。

 轟き渡る雷光を鍛えて刃にすれば、このようになるのではないかとすら思うほどである。

 激しい炎の嵐と神々しい雷光の輝きを前にして、セイバーは己が宝具『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』が棒切れのように思えてしまった。自分の宝具が、これほど頼りなく感じられるというのは、俄には信じがたいことである。

 だが、それは一瞬の出来事である。

 このまま挑めば敗北するかもしれない。跡形もなく消し飛ばされて、後には何も残らないということもありえる、どころかその可能性のほうが高い。

 

 ――――それがどうした。

 

 純粋に、面白いと思った。

 これほどの緊張感は、悪しき竜に挑んだあのとき以来、いや、それ以上だ。

 十割方死ぬという状況で、ありえないはずの生を拾うのが英雄である。乗り越えるべき困難が強大であるほどに、乗り越えた後は、言葉にならないほどの爽快感を得るだろう。

 その機会を与えてくれた“赤”のランサーに心からの感謝と賛辞を送り、“黒”のセイバーは黄昏の剣気を放出する。

 それが、引き金となった。

 ランサーは槍を構えて最強の槍を解放する。朗々と、気高く誇り高い太陽は、その名を謳い上げる――――。

 

 

「神々の王の慈悲を知れ」

 

 

「インドラよ、刮目しろ」

 

 

「絶滅とは是、この一刺」

 

 

「焼き尽くせ――――『日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)』!!」

 



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四十四話

 それはまさしく墜ちる太陽そのものであった。

 輝く紅蓮。

 燃え盛る炎。

 対神宝具『日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)』――――雷神インドラですら使いこなせなかったとも伝わる古代インド最強の神槍であり、ただの一撃ですべてを焼き払う猛火の具現。

 その神威を前にして生を拾おうなどと考えることそのものがおこがましい。

 逃げることも防ぐことも不可能。ありとあらゆる存在は、ただ焼き払われて死ぬだけである。

 そこに一つの例外も存在しない。

 英雄はもちろん、幻想種も要塞も魔術も空間も、――――そして神すらも等しく焼き払う超絶宝具は、今まさに一人の大英雄を焼滅せんと牙を剥いた。

 迎え撃つのは竜殺しの大英雄“黒”のセイバー(ジークフリート)。その手に輝く『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』は、かつて邪悪な竜(ファヴニール)を討ち果たした至高の聖剣である。

 生半可な宝具では、この聖剣には歯が立たない。現に、災厄の象徴たる悪竜を討伐しているではないか。

 されど、竜種が如何に幻想種の頂点に君臨していようとも、神霊種には及ぶべくもない。 

 あらゆる命を摘み取る竜殺しの聖剣はしかし、神殺しの神槍を前に傍目から見ても劣勢と分かるほどに押し込まれていた。

「ぐ、ぐくぅ――――!」

 歯を食い縛って灼熱に耐える。

 黄昏色の極光は尚も燦然と輝きを放っている。しかし、相手は事もあろうに太陽そのものである。如何に強烈な輝きであろうとも、太陽を上回る明るさなど、この世にありはしないのである。

 踏み込む地面がひび割れる。

 視界は隈なく赤熱して燃え上がり、決闘場を構成する空間は宝具の発動と共に焼け落ちた。後はひたすら耐える竜殺しが太陽に呑み込まれてすべてが終わる。

 一秒後か、二秒後か、多く見積もっても五秒は持つまい。

 そこに大した理由は必要ない。

 厳然たる事実として、最大威力の『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』が、『日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)』に遠く及ばなかったということが突きつけられるだけである。

『令呪を以て、告げる――――』

 その時、唐突に、脳裏に響いた言葉があった。

 黄昏の剣気は膨れ上がり、太陽に再び喰らい付く。その勢いは今までの比ではない。押し迫る太陽を、黄昏の帳が受け止めた。

『何を弱気になっている、セイバー! 貴様、まさか私に勝利を捧げると言ったのは出任せか!』

 令呪で強化されたパスを通じて、マスター(ゴルド)の声が頭を叩いた。

 セイバーの瞼の裏にゴルドの姿が浮かび上がる。

 小心者で、ひねくれ者。魔術師の誇りを掲げながら、どこか人間臭い――――ありふれた男だ。夢を捨てきれないところなど、意外にも好感が持てた。そもそも、夢を見失ったセイバーにとっては、ああいった人物は羨ましく思えるのである。

 よもや、そのマスターに叱咤されることになるとは思いもしなかったが、確かに彼の言うとおりだ。

 まだ、死んでいない。

 死んでいないのであれば、最期の一瞬まで諦めてはならない。諦めた瞬間にすべてが終わる。どうせ終わるのなら、最期まで喰らい付く。あの竜を倒したときのように――――。

 

 

 

 トゥリファス、ミレニア城塞内。

 ゴルドは貯水槽が乱立した工房で、手を握って歯軋りしていた。

 苛立ちはある。当然だ。必勝を期した聖杯戦争が、思いもよらない形で進展し、そして終わろうとしているのだから。

 たとえ勝利したとしてもユグドミレニアは終わるだろう。魔術協会によって取り潰されるに違いない。“黒”のセイバーが確保した交渉材料に一縷の望みを賭けるしかないという状況である。そんな中で、さらに自分のサーヴァントが死を迎えそうになっているのだ。

 このままでは、ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアは負け犬以下だ。

 状況に流されて、満足にマスターとしての仕事もこなせず、穴倉に篭って肉塊と四苦八苦しているだけではないか。

 己の力不足は散々痛感した。

 自分が原因で敗北するというのであれば、まだ分かる。

 最強のサーヴァントを召喚していながら使いこなせなかったということだ。

 だが、自分と関わりのないところで敗北するのは許し難い。

 それでは、そのサーヴァントに目を付けたことそのものが失策だったということになる。それはマスター以前の話ではないか。

 そもそも、聖杯戦争に参加するということ自体が穴だらけだったのだ。

 神話の英雄を召喚して殺しあう。馬鹿げている。馬鹿げているからこそ、ダーニックは全身全霊をかけ、自分たちはそれに唯々諾々と従った。

 どうしようもなく愚かだ。

 魔術師として秀でていたところで、何も意味がなかった。

 彼らの戦いに、魔術師は魔力タンクとして存在していればいいだけで、魔術師の誇りなど欠片もない。これは、そういう儀式だったのだ。だというのに、自分の命は担保にしなければならない。割りに合わないどころの話ではない。

 ダーニックであれば、よかったのだろう。あるいはフィオレであれば、聖杯大戦でない聖杯戦争でも勝ち残れたに違いない。

 けれど、ゴルドはだめだ。自分でも実感する。自分にはサーヴァントを使役することはできても、使いこなすことはできなかった。指示を出すなどもっての外だ。ゴルドには魔術を手繰ることはできても、戦略や戦術を組み立てる力がなかったからである。

 だから、マスターとしてはおそらく三流なのだ。

 今、視界を共有して自分のサーヴァントが太陽に焼かれそうになっているにも拘らず、まともな打開策を打ち出すこともできないでいるのだ。

 令呪一画では、僅かに拮抗する時間を作れただけだった。その拮抗も、徐々に崩れてきている。

 令呪で転移させようか。

 一瞬そう思ったが、即座に不可能だと悟る。

 令呪の奇跡も、方向性を定めねばならないという点では聖杯と同じだ。転移させるのであれば、どこに転移させるのかを明確に意識しなければならない。

 だが、ゴルドはセイバーの視界を通してでしか状況を認識できない。そして、セイバーの視界は、今太陽で燃えている。よって、どこに転移させるのか狙いを絞ることができないのであった。

 マスターとしてゴルドにできることは、魔力供給量を増加させるということだけであった。

 ゴルドは、セイバーを支援するために、予備として用意していた貯水槽をすべて稼動させた。不測の事態に対処するための予備バッテリーは、そのすべてがセイバーとのパスに接続されて急速に魔力を供給する。だが、これでは焼け石に水でしかない。現状維持では、話にならない。

 もうどうにでもなれ、とゴルドは捨て鉢になった。どうせ、ここで押し負ければ終わりなのだ。

『二画の令呪を以て告げる。セイバー、お前の宝具で以て押し返せ!』

 令呪の使い方としては極めて頭の悪い方法で、全令呪を消費する。莫大な魔力を、ただ『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』の出力上昇に費やしたのである。

 

 

 

 “赤”のランサーはここにきて顔を歪め、瞠目した。

 灰すら残さず焼き払う神殺しの槍が、黄昏の光と拮抗を始めたのである。急激に相手の宝具の威力が上昇した。その原因に心当たりがないわけではない。サーヴァントは一人で戦っているわけではない。姿は見えずとも、彼の背後にはマスターがいて、令呪で以て“黒”のセイバーを後押しすることができる。

 令呪というのは、時として奇跡すら呼び起こす。

 とはいえ、奇跡を一つ起こした程度で神殺しの槍とは拮抗できない。ゴルドが用いたように、さらに二つの奇跡をこのときに限定して宝具の出力を上昇するという方法は、令呪のブースト機能を最大に高める使い方であったが、それでも尚押し戻すには足りない――――。

「なるほど、ジークフリート。お前は強い。この槍がなければ、鎧を持つオレすらも討ち果たしたかもしれん」

 静かに、ランサーは呟いた。

 余裕があるわけではなかった。気を抜けば、あの黄昏が太陽を押し戻してしまいそうだからである。故に、ランサーは、勝利を願い、全力を打ち込むのである。

 自らを呪縛するように、ただ負けないと心に誓う。

「神の慈悲まで賜って得た自慢の槍だ。さすがに撃ち負けるわけにはいかんのでな」

 柄にもない、とランサーは思う。

 それでも、雄叫びを上げなければならなかった。

 地面を踏みしめ、槍を突き出し、黄昏の帳を引き裂かんと魔力を燃やす。

 この一撃で、勝負を決するために全力を尽くす。

 それが、“黒”のセイバーとの誓いであり、戦士(クシャトリヤ)の誇りだからである。

 今、この場で勝敗を決するのは純然たる力のみ。

 圧倒的な力は、小手先の技を打ち砕き、絶望する間も与えず敵を焼き払うであろう。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 戦況は七:三で“黒”のアーチャーが不利。

 “赤”のライダーを固有結界に取り込むことで、“黒”の陣営は戦車の猛威に曝されることもなく空中庭園に突入できたが、アーチャーはライダーと一対一で戦う必要に迫られた。

 それ自体は問題ない。

 今までもあったことだ。

 すべての令呪を費やした補強によって、アーチャーは常にない力を発揮することができる。

 全身の血液が沸騰しそうな感覚。

 視神経は今にも裂けそうなくらいに悲鳴をあげ、骨という骨はとうに磨り減り、筋肉は次々に断裂していく。

 だが、止まらない。

 戦えと命じられたから。勝利すると誓ったからである。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」

 裂帛の気合を込めて、アーチャーはライダーを蹴り飛ばす。ダメージにはならないが、彼を押し返すことはできた。

 アーチャーはすでに限界が見えつつある。一方のライダーはまだ余裕が持てている。決定打はなくとも、アーチャーは何れ崩れるのが見て取れるので、ライダーのほうに焦りは一切ない。

「弓兵如きがと甘く見てたぜ。アーチャー。ここまでこの俺に食い下がれる弓兵はそうはいねえ」

「ありがたい言葉だな。もっとも、これは私だけの力ではない。我がマスターの助力があってのことだ」

「ははあ、なるほど。つまりは令呪か。俺の全力を防げるのもそこに秘密があったわけか」

 別に不思議にも思わないし、卑怯とも思わない。

 脆弱な人間が自然界で生きていくために武器を取ったのと同じこと。自分にとって使える武器は何であれ使うべきだ。そうでなければ、全力とは言い難い。使えたのに使わなかったから負けたのだと、後で吼えられても締りが悪いだけである。

「必要なものはほかから持ってくるのが魔術師だろう。私が君を傷付ける武具を用意するのと同じことさ」

 予備動作など必要ない。

 アーチャーが召喚した巨大な剣が、瞬時にライダーの周囲を取り囲む。さながら、それは剣の檻とも言うべきものであった。

 対神宝具でなくとも、ライダーの動きを押さえるくらいの仕事はできる。障害物として利用するだけならば、大きさだけがあればいい。

 とは言っても、この檻すらも数秒の時間を稼ぐことにしかならない。

 ライダーはアーチャーの剣を砕き、容易く檻から脱出を果たすであろう。

 事実、この状況下にあって、ライダーは笑っている。

「ハッ! こんなもので、この俺を抑えきれると思っているわけじゃねえだろうな、――――アーチャーッ!」

「もちろんだ、ライダー。とはいえ、如何に君と雖も、これを避けきることはできんだろう」

 アーチャーが必要としたのは、攻撃準備のための時間である。

 そして、その時間は一瞬あればいい。

 何せ、ここは『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)』の内部である。ライダーが停止した一瞬で、無数の剣を空に待機させることができる。

 詠唱は不要。

 過程すらも意味をなさない。

 この世界の内部には、すべての剣が装填されている。後は、アーチャーが引き金を引くだけで、(弾丸)は射出される。

「てめッ」

 宙に舞う剣を数えることなど不可能だ。視界を埋め尽くす黄金の輝きは、三百六十度すべてを隙間なく覆っており、ライダーに逃げる道を与えない。

 速すぎて捉えられないのであれば、そもそも走らせるスペースを与えなければいい。考え得る限りの逃げ道をすべて潰し、絶対に避けられない攻撃をすればいいのである。

「私の剣が、私の周囲に展開されるものだけだと思っていたのかね? だとしたら浅慮に過ぎる。見てのとおり、視界に映るすべてに、私の剣は存在しているのだからな」

 もはや、ライダーにこれを捌く時間は残されていない。如何に最速のサーヴァントといえど、球状に自分を包み込む剣の群れを相手に槍一本でどのように戦うというのか。一度に弾ける剣の数に限りがある以上、飽和攻撃に対処するなど不可能である。

 “赤”のライダーはその俊足で以て視界に映るすべてを間合いに収めていると豪語するが、“黒”のアーチャーは視界に映るすべてが射程に収まっている。

 そして、例え俊足のライダーであっても、足を止めればただの的に等しい。

 宙に浮かぶ天蓋は、対神宝具で構成された神殺しの刃の塊である。ライダーの不死は、あの剣を前にすればあってないようなものである。

 アーチャーが掲げた腕を振り下ろす。それを合図に天蓋が崩れ、剣の壁が押し迫る。“赤”のライダー(アキレウス)が大英雄であろうとも、蘇生能力を持たない以上は、全身を引き裂かれ、剣に刺し貫かれれば死ぬだろう。

 バーサーカー(ヘラクレス)のような規格外でなければ、一回殺せば終わる。そう思えば、精神的に多少は楽になるというものである。

 そして、今まさにアーチャーはライダーを仕留めようとしていた。

 剣の檻には脱出可能な隙間はなく、破壊したとしてもその外側には剣の群れが押し迫る。一秒後には、血と肉の塊ができあがっているという状況の中で、――――それでも、“赤”のライダー(アキレウス)は笑ったのだ。

「侮るな、アーチャー――――」

 視界を覆い尽くす剣の雨に曝されているのだ。解決策を模索する時間もなく、逃げ道もないという中で、万人は死を自覚して思考を停止するであろう。しかし、ライダーは違う。須らく絶望するべき状況にあってなお、彼は笑って乗り越える。

 その手に現れたのは一つの円楯であった。

 ただの楯ではなく、宝具であることは見て分かる。

 トロイア戦争でのことである。“赤”のライダー(アキレウス)が戦いをボイコットしたとき、アカイア勢はこれ幸いと攻めかかるトロイア勢によって撤退寸前まで追い込まれたことがあった。この危機を救ったのは、ライダーの武具を携えて戦いに望んだ親友(パトロクロス)であった。彼は、ライダーとは竹馬の友であり、曾祖母アイギーナより分かれた一族の者でもあった。パトロクロス自身も優れた武人であり、“赤”のライダー(アキレウス)に扮して大いに善戦し、敵を押し戻してアカイア勢の士気を高めることに成功した。

 しかし、大英雄にしてトロイア最大の勇士たるヘクトールには届かず、その槍を受けて落命してしまう。

 この戦いで、ライダーは出陣を決意してヘクトールを討ち果たすのであるが、このときにパトロクロスが纏っていたライダーの武具は戦利品として敵に奪われてしまっていた。

 武具をなくした息子を憐れんだ女神メティスは、鍛冶神へパイトスに懇願し一つの防具をライダーに送り届けた。

 それこそ、『イリアス』に百行以上に亘って謳われた伝説の楯。至高の芸術品にして、人智を超えた究極の逸品。――――その名は、

「『蒼天囲みし小世界(アキレウス・コスモス)』!」

 真名の解放と共に、楯に刻み込まれた世界が動き出し、前面に押し出される。

 大地と空と太陽と月。神と人と自然が絡み合い、戦いと娯楽が混ざり合う。そして、それらすべてを取り囲む最果ての海。

 これは、“赤”のライダーが駆け抜けた世界そのもの。

 彼が全身全霊をかけた生き様の結晶であった。降り注ぐ神殺しの剣も、世界そのものを殺すには至らない。たとえ神が消えても、世界は変わらず時を刻むであろう。

 アーチャーの宝剣は、ライダーの楯に傷一つ付けることができずに弾き返される。壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)を叩き込んだとしても、あの世界を揺るがすことすらもできまい。

 宝剣の包囲網が崩壊した。

 それが楯である以上、一方向からの攻撃を防ぐことしかできないのは他の楯と変わらない。しかし、包囲網に一つ穴が開けば、ライダーはそこから脱出することができる。

 もはや楯は必要ない。

 剣の壁は崩落し、アーチャーに向かって道は開かれた。

「終わりだ、アーチャー」

 そして、最速の英雄が、その脚力を遺憾なく発揮する。

 それは瞬間移動にも等しい奇跡。

 大気そのものを後方に置き去りにして、ただの一歩でライダーはアーチャーに肉薄する。

 最早回避は間に合わない。

 鉄壁の守りを見せた双剣も、撃ち出される槍を前にしては頼りない。神速の槍は、一直線にアーチャーの心臓を目掛けて突き進む。

「ガッ――――」

 遂に均衡は崩れ落ち、双剣使いの弓兵は血を吐いた。

 英雄殺しの槍は、アーチャーの胸を深々と貫き、滴り落ちる血が柄を伝って流れ落ちる。

“終わったな”

 “黒”のアーチャーには驚かされることが多かったが、それもここまでだ。

 最期の足掻きで槍の軌跡に剣を割り込ませ、全力で回避行動を取ったようだが、それも心臓から逸らすのが精一杯であった。ライダーの槍はアーチャーの右胸をしっかりと刺し貫いている。

 アーチャーの手から双剣が地に落ちて、霧散していく。

 後は止めを刺せば完全に終わりだ。

 ライダーは槍を引き抜こうとして、目を見張った。

 アーチャーが、自らを貫く槍を右手で握ったのである。血塗れた顔に、死相はなく、不敵な笑みが浮かんでいた。

「アーチャー……てめッ」

 何かある。

 この男には、何か思惑があるに違いない。ライダーは危機感と共に、距離を置こうとする。アーチャーを蹴飛ばして、槍を抜くと共に後方に跳躍すればいい。

 ライダーが強烈な蹴りをアーチャーに叩き込もうとするその一瞬前に、すでに準備を完了していたアーチャーが動いていた。

「令呪を以て我が身体に命ず――――」

 アーチャーの右手に隠された令呪が起動する。その強力な強制力が、対象となったアーチャーの身体を縛りつけ、生きている限りその命令を実行させようとする。

 右胸を貫かれ、満身創痍の状況で、アーチャーだけの力ではどうしても目的を達成できない。

 それを、令呪が強制的に実行させる。

「“赤”のライダーの踵を、穿て――――!」

 アーチャーの左手に、長柄の鎌が現れた。

 銘を『ハルペー』。

 不死殺しの神鎌は、ライダーよりも遙か前の時代で活躍した英雄が振るった高名な宝具である。

 出現した瞬間には、すでにライダーの踵に照準を合わせている。鎌という性質上、ライダーの背後から奇襲するという形を取ることができるというのも効果的である。

 正面から刃を突き込めば、たとえ令呪で縛っていたとしてもこの英雄は回避するなり防御するなりしてしまうだろう。

 だが、背後から踵を狙う鎌を、この一瞬で防ぐのはまず不可能である。

 ライダーはアーチャーを蹴り上げようと上げた足を、蹴りではなく回避に使用する。

 地を蹴り、身体を捻って己の弱所を鎌から守る。

 踵だけは、ライダーの不死性が機能せず、伝承をなぞるのであれば、間違いなく踵を穿てば不死の鎧を剥ぎ取ることができるはずであった。

 最速のサーヴァントたるライダーが全力で回避しようとすれば、大半の攻撃は空しく宙を切るだけで終わるだろう。

 しかし、今アーチャーはライダーの槍を掴み、令呪まで用いて奇襲している。

 アーチャーの肉体の限界を超えて、アーチャーの腕は勝手にライダーの踵を狙い撃つ。

「――――ぐッ」

「――――がッ」

 引き抜かれた槍が血の糸を引く。アーチャーは後ろ向きに倒れ、苦悶の声を上げる。 

 振るわれた鎌が鮮血を纏う。ライダーは空中でバランスを崩し、踵から走る激痛に顔を歪めて地に落ちた。

「が、――――ぐ、があああああああああッ!?」

 ライダーの全身が激痛に苛まれる。

 生肌を引き剥がされたかのような痛み。激烈な痛みが、脳を焼く。痛みが生前の記憶をフラッシュバックした。太陽神アポロンの加護を受けたパリスに踵を射抜かれ、心臓を撃たれて死したあのときとまったく同じ激痛であった。

「き、さま――――アーチャーあああああああああああッ!!」

 立ち上がるライダーは激高のままに槍を握り締めた。

 そんなライダーに対し、アーチャーは座り込んだまま弓に矢を番え、無造作に射放った。明らかに宝具ではないただの矢。踵を斬られる前のライダーならば避けることもなければ弾くこともなかったであろうそれを、ライダーは槍で打ち払った。

「やはり、踵に傷を負うと君の不死は解けるらしい。賭けに出た甲斐があったな」

 “赤”のライダー(アキレウス)は、踵を除いて不死身の英雄であった。しかし、そんな英雄が死したのは、踵を射抜かれた後で心臓を穿たれたことによるものであった。サーヴァントが自らの伝説をなぞる存在であるとするのなら、踵を射抜かれれば不死身の宝具を失うのも不思議ではない。

 アーチャーはやおら立ち上がり、双剣を構えた。この双剣でも、ライダーを傷付けることはできるようになった。

「さて、ライダー。この空間のすべてが君を傷付けうる刃となったわけだが、それでも挑むのかね?」

「たかが踵を斬ったくらいで図に乗るなよ、アーチャー」

 弱点を突かれ、弱体化したライダーであったが、それでも覇気は失われていなかった。

 足の速さもしばらくは三割ほどに抑え込まれた。だからどうした。もとより速すぎる英雄だったのだ。三割程度に減少したとはいっても、それでも高速移動が可能なレベルに留まっている。

 第一、速度が衰えたからといって、ライダー自身の技術が失われたわけではない。

 おまけに、アーチャーはすでに死に体だ。

 傷の度合いでいえば、踵を斬られただけのライダーに比べて、アーチャーは胸に穴が開いている。どこからどう見ても重傷なのだ。

 ライダーは臆せずアーチャーに接近する。射放たれた三矢を弾き、顔面を狙って槍を撃つ。アーチャーは咄嗟に顔を逸らしてこれを躱すも、頬から血が噴き出した。『干将・莫耶』で斬り合いを演じるが、アーチャー自身も動きが大幅に鈍っていた。

 息が詰まる。

 出血は止まることを知らず、息はすでに止まりつつあった。血の気はすでに引き、痛みを感じる力すらも残っていない。

 そんなアーチャーが生きていられるのは、偏にフィオレの令呪のおかげである。

 三つの奇跡は、アーチャーに擬似的な『戦闘続行』スキルを付与しており、霊核を潰されるなどの致命傷を受けなければ、瀕死の重傷でも戦い続けることができる。

 戦え、負けることは許さない。

 肉体に宿った強制力が、アーチャーに戦いを促し続ける。

 この固有結界はアーチャーの意思では解除できず、剣を握る手を止めることもできない。

 ライダーの槍がアーチャーの左二の腕を引き裂いて肩に抜けて行く。同時にアーチャーが突き込んだ剣がライダーの右肩に突き立つ。

「ご、おおおおおおおおおおおッ」

「あああああああああああああッ」

 そして、二騎はほぼ同時に蹴りを放って互いの胴を打つ。両者共に後方に飛ばされた。ダメージが多いのは、やはりアーチャーのほうか。筋力数値はもとよりライダーが有する高ランクの『勇猛』が格闘ダメージを向上させているからである。

 だが、吹っ飛びながらもアーチャーは剣を空に呼び出した。

 降り注ぐ剣群は対神宝具に留まらず、その場で瞬時に呼べるものを掻き集めたものであった。

「このッ」

 ライダーは細かく動き、槍を回して剣を払い、隙を見つけて大きく飛び退く。その直後、激しい爆発が生じ、ライダーの背中を爆風で押す。

「チィ、鬱陶しい!」

 ライダーは、流麗に槍を手繰り、アーチャーと向かい合う。無数の剣が叩きつけられ、その身に爆風を受けながらもライダーは倒れない。

 何とか踵を傷つけ、敵の不死性を破ったはいいものの、その命に手を伸ばすとなると今までの攻撃ではまったく以て力不足である。それは、アーチャー自身がよく理解している。

「この世界で君を倒せと、マスターからこっぴどく命じられていてな。例え君が大英雄であろうとも、この世界がある限り、私は負けんよ」

「この世界、な」

 固有結界は術者の心象世界が具現化する大魔術。

 アーチャーがライダーに喰らい付くことができたのは、偏にこの世界の特性によるものであるというのはライダー自身も分析済みであった。表と異なり瞬間的に、際限なく剣を用意できるという特性は、手数で速度を補う形でアーチャーを助けている。

 乗り越えられないというほどではないが、厄介なのは確かだ。

 ライダーの選択肢は三つある。

 一つ目は、このまま槍術で戦いを挑み、圧倒する。

 近接戦の技術も耐久力もライダーのほうが上であり、アーチャーは死に体となっている。これならば、押し切れる。

 二つ目は、戦車の宝具で叩き潰す。

 圧倒的な破壊力で以てアーチャーを抉り殺す。ただし、すでに戦車を牽引するのが神馬の二頭になっており、最高速度、最大威力は期待できない。小回りが利かないというリスクもあり、現実的ではない。

 三つ目は、最終宝具を解放する。

 この槍に隠された真の力を引き出し、アーチャーを倒す。

 大英雄ヘクトールを討ち果たした英雄殺しの槍は、一度解放すればアーチャーの世界を上書きし、あらゆる武具も宝具も機能しない真の意味で対等な空間が生成される。

 この忌々しい宝具(英雄たちの誇り)を平然と愚弄する世界を打ち壊すことで、アーチャーとの戦いに決着をつける。

「――――決めたぞ、アーチャー。貴様のこの大層な世界。そろそろ終いにしてもらおうか!」

 宣言と共に、ライダーが己が宝具()を地面に突き立てた。

 ライダーの最終宝具の効果を、アーチャーは解析によって理解していた。万全の状態で使われれば、まず間違いなく敗北する。

 しかし、同時にこのとき、アーチャーが死に物狂いで構築してきた勝利のための方程式が完成した。

「『宙駆ける(ディアトレコーン)――――」

後より出て先に断つ者(アンサラー)――――」

 ライダーが真名を紡ぐと同時に、アーチャーの背後に帯電した鉄球が浮かび上がる。迎撃のつもりか――――ライダーは構わず魔力を槍に注ぎ込み、最後の一節を解放する。

星の穂先(アステール・ロンケーイ)』!!」

 ライダーがアーチャーに先んじた。

 ライダーの『宙駆ける星の穂先(ディアトレコーン・アステール・ロンケーイ)』は槍として使う宝具ではない。固有結界に酷似した、両者平等な決闘場を生み出す大魔術である。一度発動したら最後、その空間で武器にできるのは己が肉体のみ。即ち、アーチャーの迎撃は何の意味も為さず、固有結界は書き換えられる。

「『斬り抉る戦神の剣(フラガラック)』!!」

 その発動にほんの一瞬、されど明らかに遅れてアーチャーの帯電した球が真の力を解き放つ。

 

 

 

 固有結界が崩壊する。

 灼熱した大地は色を失い、漆黒の空へと変わる。満天の輝く星々。

 世界の崩壊と共に、弓兵は先を進み、騎乗兵は失墜した。

 大理石の大地に、アーチャーは到達した。固有結界を解除する際に、多少は出現位置を調整できる。空中庭園の守りはすでになく、アーチャーが乗り込むのは難しくなかった。

 アーチャーにとって重要だったのは、タイミングであった。

 ライダーの『宙駆ける星の穂先(ディアトレコーン・アステール・ロンケーイ)』に飲み込まれれば、起動状態に入った『斬り抉る戦神の剣(フラガラック)』が打ち消される恐れがあった。決戦前のイメージトレーニングの最大の目的は、この最後の一手を絶妙なタイミング――――ライダーが真名を解放し、その能力がアーチャーに及ぶまでのほんの一瞬にカウンターを合わせられるようにすることであった。

 逆光剣とも称される『斬り抉る戦神の剣(フラガラック)』は、相手が切り札を使用したときのみ、発動順序を改竄する運命干渉系の宝具である。

 明らかに遅れて発動した宝具は、時間を遡りライダーが宝具を解放する寸前でその心臓を撃ち抜いた。倒れた者に切り札は使えない。結果としてライダーの槍の効果はキャンセルされ、ライダー自身も何が起こったのか理解できないまま、崩れ落ちたのであった。

 対ライダー戦の戦術は二つの段階に分かれていた。

 第一段階は、何としてでも踵を穿ち、不死の宝具を無力化すること。そして、第二段階が、ライダーに槍の宝具を使わせることであった。

 

 極めて危険な綱渡りをしてきたとしか言えない。

 仮に、第一段階が達成されていない状態のまま、ライダーが『宙駆ける星の穂先(ディアトレコーン・アステール・ロンケーイ)』を使っていたら、『斬り抉る戦神の剣(フラガラック)』は無効化されていただろう。踵を斬り裂くことができなかったら、そもそもアーチャーは敵の猛攻を凌ぎきれずにやがて討ち取られていたに違いない。そのほかにも様々な敗因が考えられる。アーチャーがライダーを倒すには、不死を打ち消した上での『斬り抉る戦神の剣(フラガラック)』以外になかった。

 傷ついていない部位がないというほどに、徹底して痛めつけられた。

 戦士として遙かに格上の敵を相手にするには、やはり宝具の存在は大きかったということであろう。まともに戦えば、万に一つも勝ち目がない。それほどの、強敵だったのである。

 吐血したアーチャーは近くの柱に手を付いた。倒れるわけにはいかない。これだけの重傷を負えば、サーヴァントとしては致命的だろう。霊核も無傷とはいえない状況であり、遠からず消滅する。だが、まだ消えるわけにはいかない。最後の命令をまだ遂行していないのだから。

 そのとき、血の気の引いたアーチャーの背筋に、追い討ちをかけるかのような悪寒が走り抜けた。身体が、勝手に横っ飛びをする。

「ぐ、があッ」

 背後から襲い掛かってきた何かが、アーチャーが直前までいた場所を通り過ぎていった。大理石の床は砕けて、石柱は木っ端微塵に飛び散った。

 衝撃で吹き飛ばされそうになったアーチャーは、歯を食い縛って敵を見た。

 空を駆ける一両の戦車が、神馬の嘶きと共に舞い上がっていた。

 手綱を持つのは、当然“赤”のライダーであった。

「舐めるな、アーチャー――――――――この、俺を、舐めるなああああああああああああッ!!」

 雲下に失墜したはずのライダーが、戦車を駆って舞い戻ってきたのである。

 馬鹿な、とアーチャーは目を剥いた。

 心臓を宝具で貫かれていながら、あそこまで激しい魔力消費が可能なのか。霊核はあらゆるサーヴァントにとっての急所であり、蘇生能力を持たない限りは修復することも困難な部位である。脳と心臓のどちらを破壊されても、サーヴァントは現界できずに消滅するのがルールだというのに、このサーヴァントはそのルールを覆そうとしているのか。

 そんなはずはない。

 世界の法則を意思一つで覆すことなどあってはならない。

 そこには何かしらの理屈がなければならない。

 そして、このライダーについていえば、きちんとした理屈が存在する。

“なるほど、『戦闘続行』のスキルか――――!”

 瀕死の重傷であっても戦い続ける往生際の悪さ。パリスに心臓を射抜かれながら、死ぬそのときまで戦い続け、数多くのトロイア兵を道連れにしたライダーは、このスキルをAランクという極めて高いランクで保持している。

 ただし、それは死を覆すスキルではない。

 死を緩慢にし、僅かな時間で敵を道連れにするためのスキルである。

 決して死なないというわけではなく、霊核を失った以上“赤”のライダーは消え去るしかない運命にある。だが、それでも尚、彼は戦うために死力を尽くしている。

 事前に一頭射殺しておいてよかった。

 戦車の速度が、従来のままであれば、弱りきったアーチャーでは一撃目で撥ねられていただろう。

 地面を転がって、戦車の突進を回避しつつアーチャーは弓を呼び出した。

I am the bone of my sword.(我が骨子は捻れ狂う)―――― 」

 捻じくれた宝剣を弓に番え、弓弦を引き絞る。切先から魔力風が吹き荒れて、

「ぶっ飛ばすぞ、『疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・トラゴーイディア)』!!」

「捻り撃ち抜け、『偽・螺旋剣』(カラドボルグⅡ)!!」

 墜ちる彗星と伸び上がる虹がクロスする。

 炸裂する閃光は、月のない漆黒の夜空に巨大な星を生み出して、夜闇の中で眠りに就く下界にまで、地鳴りの如き爆音を轟かせた。



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四十五話

 フィオレとカウレスは、“黒”のライダーの先導で先を進む。

 これまでにいくつかの魔術が発動して一行を迎撃したが、すべてライダーに触れる前に霧散した。ありとあらゆるトラップは、『破却宣言(キャッサー・デ・ロジェスティラ)』を前にして意味を成さず、尽く砕けて消えていく。

 迷宮というものは、入り組んだ構造と罠で侵入者を叩き潰すのが基本なのだが、“黒”のライダーには迎撃機構がまったくと言っていいほど機能していない。ミレニア城塞の廊下を歩いているときと、至って同じ感覚で道を進む。

 それでも、竜牙兵のような物理攻撃までは打ち消せない。敵が出てくればライダーをフィオレが支援する形で突き進むしかない。

 無論、カウレスは戦力外通告済みであった。

「なんか、長いな道が。大した罠はないけどさ、こうも何もないと面白みがない」

「ライダー。今のあなたは理性があるのですから、その点心配していませんが、本当に無茶はしないでくださいね」

「大丈夫大丈夫。そんなおっかないこと今の僕にはできない――――」

 笑顔を浮かべていたライダーは、そこで言葉を切って身を固まらせた。

 何かに驚いて、身体を硬直させた、などというわけではなくとてつもなく膨大な魔力の奔流を警戒してのことであった。

 ――――この近くで、誰かが特大の宝具を解放した。

 ライダーでは想像もできないほどの大宝具である。

 そして、どうやらこの先にある扉の向こうにその莫大な魔力の源があるらしい。

「ライダー。これは、もしかして……」

「ああ。たぶんだけど、セイバーとランサーが戦ってるんだ」

 カウレスの問いにライダーは答える。

 こちらの切り札にして最強のサーヴァント“黒”のセイバーは、敵の切り札である“赤”のランサーとの戦いに集中しているはずである。この空中庭園全体を揺るがすほどの宝具の激突は、対軍宝具以上の規模かつAランクオーバーの最高位宝具が激突して初めて生じるものである。

 地響きに庭園が振動し、三人は息を潜めて決着を待った。

 全身が震えるほどの緊張感がその場を満たした。

 仮に、セイバーが敗北したら、ランサーを押さえるのはここにいる“黒”のライダーということになる。

“本当に、それ笑えないなー……”

 自他共に認める弱小英雄アストルフォ。実際のステータス云々の問題ではなく、そもそも武勇というよりも持ち前の幸運と多種多様な宝具で生き残ってきた策士というほうが近い。

 その宝具ですら、Aランクを超える神秘を持つものを今のライダーは所持していない。グリフォンを連れて来られれば、あるいはAランクを超えたかもしれないが、今更言っても詮ないことである。第一、それら持ってきていない様々な宝具のすべてを動員できる英霊アストルフォであっても、恐らくはサーヴァントカルナには到底及ばない。

 要するに突っかかるだけ無駄であり、下手をすれば一撃で殺される。

 地響きが止んでからも、しばらく三人は身動きが取れなかった。一歩動けば死ぬかもしれない。そんな恐怖感が漂っていた。

「行きましょう」

 そのような中で決断したのはフィオレだった。

「大丈夫かい?」

「今更後には退けません。いざとなったら頼りますので、よろしくお願いします」

「う、うん。まあ、それは当然なんだけど」

 勝てるかどうかは別にして、“赤”のランサーがこちらに武器を向ければ、ライダーは応戦しなければならない。恐ろしくはあるが、サーヴァントの務めは果たす。尻尾巻いて逃げ出すのは、格好がつかない。弱くとも、誇り高いのがアストルフォだ。

「よし、行くよ」

 魔術破りの紙片に先導させて、ライダーたちは前に進む。行き当たった扉の前でごくり、と生唾を飲み、意を決して扉を押し開けた。

 

 

 まず初めに感じたのは強烈な熱気であった。

 ただの人間であれば、全身の皮膚が焼け爛れていただろう。フィオレとカウレスは咄嗟に魔術で身を守ったが、この熱そのものが一般の生命に対して致命的であった。

 次に遅れて鼻を突く臭いに顔を顰める。

 化学物質の臭いに近い。

 石材が融解し、蒸発した際に生じる悪臭である。この広大な部屋で行われた激烈な戦闘が、三人の想像を絶するものだったということが、それだけで分かる。

 床のあらゆる場所から白い蒸気が出ていて、視界を塞ぐ。可燃物がなかったから火の海にならなかったものの、もしもこれがイデアル森林だったらと思うとぞっとする。

「セイバー……」

 カウレスが呟いた。

 白い煙の中に、見覚えのあるサーヴァントが倒れていた。視界が悪いために状態がよく分からないが、見るからに重傷だった。ピクリとも動かない。完全に倒れてしまったのか。この空間に刻み込まれた傷跡を見れば、彼が敵の超宝具を受けたことは明らかで、だとするのなら治癒を施す必要がある。だが、それが分かっていたのに駆け寄りたくても駆け寄るわけにはいかなかった。“黒”のセイバーが倒れているということは、つまり――――。

「お前は、“黒”のライダーか」

 陽炎の先に佇む人影――――“赤”のランサーがライダーに問いかけてきた。

 激しい戦いの後だというのに、その顔には疲れた様子は一切ない。そもそも無表情なのか、戦いを制した喜びを表してもいなかった。ライダーは内心で舌打ちをする。あのサーヴァントには付け入る隙がまったくない。狙われたら最後、逃亡すら許してはもらえまい。

 以前見たときと異なるのは、荘厳な黄金の鎧を身に纏っていないことである。身体中に赤黒い染みがついているが、これは出血の跡であろう。

「ああ、そうだ。僕が、“黒”のライダーであってる」

 ライダーは緊張しつつ、弱みを見せないように努めて構える。宝剣を抜くベきか、それともこの曲がってはいるが、使い慣れた槍で立ち向かうべきか。無理を押してヒポグリフを呼ぶしかない状況だが、果たしてどのタイミングで投入するか。

 ライダーは常にはないほど冷静に戦況を分析する。

 今までは感覚で決定していたことも、理性を得た今ではしっかりと思案しなければ方向性をさだめることができない。

 結果として、勝率は限りなく零というところに行き着くわけだが、逃げることもできない以上は武器を手に取り挑むしかない。

 ランサーはセイバーを相手に全力を出し、宝具を解放した直後である。黄金の鎧もなく、少なからぬ消耗がある――――と信じたい。

『二人とも、僕が合図をしたらあの扉に走るんだ』

『ライダー!?』

 フィオレとカウレスを庇うように立つライダーが念話で告げたことに、カウレスは驚いた。妥当な判断だ、と思う一方で無茶にも程があるとも思う。ライダーではひっくり返ってもあのサーヴァントには届かない。

『フィオレ、君の礼装ならマスターを連れても十分な速度が出せるでしょ。僕が時間を稼ぐから、その隙を突くんだ。一回しかチャンスは作れないから、絶対に無駄にしないでくれ』

『し、しかしライダー。あなたは……?』

『サーヴァントの務めを果たすよ。怖いけど、まあ覚悟はしてたしね』

『ライダー……』

 “赤”のランサーはあまりにも強大なサーヴァントである。霊格、実力、宝具、ありとあらゆる点で“黒”のライダーを凌駕して余りある。“黒”のセイバーに打ち勝ったという時点で、ライダーに勝ち目がないことは明白ではないか。あのランサーに挑みかかることは、死ぬことと同義である。

 セイバーは“黒”の陣営で最強のサーヴァントであった。

 少しネクラで真面目すぎるところがあったが、誠実な人となりは信用に値する。ライダーの知る剣使い(セイバー)は、ちょっと困った人格だったので、ああいった人物もいるのだと面白く思ったものだ。

 色々と頭の中で考えてみたが、やはりこう表現するのが一番適しているように思う。

 ――――仲間がやられて、腹が立つ。

 敵は確かに強大だ。

 挑めば死ぬ。それは分かる。そして、挑まなくても死ぬ。間違いない。ならば挑むしかないが、やけくそになって挑むのではない。死を覚悟して、それでも仲間の仇を取らねばならぬと奮闘するのだ。結果として届かないかもしれない。むしろ、その可能性が極めて高いが、それでも尻尾を巻いて逃げ出すのは筋が通らない。

 ライダーの戦意を感じ取ったのか、ランサーはライダーを鋭く睨み付ける。

 その一挙手一投足を見落とさないように、しっかりと見つめて、いざ、

「待て、ライダー」

「う……?」

 唐突にランサーに呼び止められて拍子抜けした。

 ある意味では機先を制されたとも言える。しかし、敵には戦略的な目的があったわけではなく、ただライダーに用事があったから呼び止めたという程度だろう。

「な、何さ。人がこれから真剣に戦おうとしてたってのに!」

「そうか。それはすまない。オレも向かってくるのであれば、いつでも相手にするが、その前にお前の後ろにいる二人の魔術師のことだ」

 ランサーの視線が、ライダーが庇うフィオレとカウレスに向けられた。

「なんだよ。僕たちのマスターに何か用があるのか? ことと次第によっちゃ、覚悟してもらうよ?」

 ライダーが挑発的なことを言う。

 時に煽て、時に挑発し相手の精神的間隙を突いて戦いを有利に運ぶのが、ライダーの常套手段だった。

 しかし、そんなライダーの挑発にはランサーは一切反応を示さなかった。相変わらず、表情の読めない顔つきのまま、

「その二人については見逃すようセイバーから頼まれている。魔術師、そこの扉を進むがいい」

 意外に過ぎる言葉に、三人の思考が停止した。

「なんだって? セイバーと約束した? 俺たちを逃がすって?」

 カウレスがランサーに問い返した。高潔な武人であると聞いている“赤”のランサーが、姦計を弄するとも思えないが、この場を守るサーヴァントとしての務めに反しているような気がする。それはどうなのだろうか。

「セイバーには、オレのエゴに付き合ってもらう代わりにライダーとアーチャーのマスターがここに来たときには手を出さないと誓ったのだ」

 セイバーがランサーに何かしらの交渉をしていたというのだ。その情報は、まだフィオレとカウレスの元には届いていない。届いていたとしても信用はできなかっただろう。こちらのセイバーはすぐそこで倒れている。消滅してはいないが、それでも戦える状態かどうかは分からない。動かない敵との口約束を履行する意味がそもそもないのだ。ここで、四人纏めて倒してしまうほうがずっといい。

 だが、それでもランサーはセイバーとの誓いを守ってフィオレとカウレスを見逃すと言うのだ。

 そこで、ライダーがおずおずと尋ねる。

「あのー、ちなみにその中に僕は入っているのかな?」

「サーヴァントについては約束の中には入っていない。故に、ここで通すのは魔術師二人と考えるのが筋だろう」

「ああ、やっぱりそうなるよね」

 できれば、自分はマスターの手荷物的な感じで一括りにしておいて欲しかった。

 サーヴァントと魔術師では扱いが違うのは当たり前。ライダーが“黒”の中で最も戦闘能力に劣るサーヴァントとはいっても見逃す理由を探すほうが難しいか。

 いずれにしても、セイバーの敵討ちはしなければならないので、二人が見逃されるのならそれでいい。

 しかし、ライダーの言葉を聞いたランサーは少し悩んだように押し黙った後で頷いてこう答えた。

「だが、まあいいだろう。“黒”のライダー。お前もマスターたちと進めばいい」

「は……いや、君正気? 何言ってるか分かってる?」

「少なくともオレは正気のつもりだ。お前の宝具は威力こそ脅威ではないが、厄介な能力を秘めているということを知っている。一対一なら負けはないが、――――さすがに、セイバーを相手にしているときにお前まで相手にするのは分が悪いからな」

「え……?」

 慌てて、ライダーは倒れていたセイバーを見た。

 うつ伏せで倒れていたセイバーが動き始めていた。ゆっくりと、たっぷり十秒近くかけて、セイバーは身を起こし、さらに十秒をかけて立ち上がった。

「セイバー、君ってヤツは……!」

 ライダーは息を呑んだ。

 何故、セイバーはここまでになって生きていられるのかと。

 痛々しいとしかいえない状況。肉体の限界をとうに超え、様々な箇所の肉が焼け落ちていた。外見でこれだ。内側はもっと酷いことになっているに違いない。気管や肺が焼け爛れているかもしれない。骨や筋肉も使い物にならない部分があるだろう。立ち上がることなど、決してできないはずなのに、“黒”のセイバーは立ち上がったのである。

 ゴルドが遠隔での治癒魔術を使っているのか、一部の傷は修復を始めている。しかし、そんなものは文字通りの焼け石に水である。セイバーの自己治癒力がどれだけ高くとも、回復に専念し、高額の霊薬をつぎ込んだとして完治には数日かかる。

 ほぼ傷らしい傷のない“赤”のランサーと立っているだけで命をすり減らす“黒”のセイバー。最早、勝敗は誰の目から見ても明らかだった。

「すまないな、“赤”のランサー。……情けない、ことに……少し、寝てしまったらしい」

 情けないなどということがあろうか。

 神すら焼き殺す宝具をその身に浴びて、生きていること自体が奇跡だというのに。

 A+ランクの対軍宝具を残りの令呪二画で強化し、さらにそこにB+ランク分のダメージ数値を削減する防御宝具とAランクの『耐久』を合わせたのである。むしろ、それだけの神秘を重ねて重傷を負ってしまったことがランサーの宝具の凄まじさを物語っていると言ってもいい。本来ならば、最上位宝具ですら軽症で留めるだけの力を注いでいたのである。

「せ、セイバー!」

 ライダーの呼びかけに、セイバーは視線をライダーに向けることで応えた。

「後は、任せる。……行け」

 声は掠れて、サーヴァントの聴力でなければ聞き取れないほどの小ささだ。やはり、息をすることも億劫になるほどのダメージを受けている。加勢に行くべきだ、と理性は思う。けれど、ここで手を出したら、セイバーにもランサーにも失礼だ、と本能が警鐘を鳴らした。

「分かった。セイバー」

 ライダーは、本能の声を優先した。 

 カウレスとフィオレを連れて、ライダーは扉の奥へ進みだす。最後に、一度だけ振り返り、

「死ぬなよ、セイバー!」

 大声で、盛大なエールを送って去っていった。

 

 

 

 “黒”のセイバーは肉が焦げ付いたような臭いを纏いながらも、精妙かつ威風堂々たる立ち居振る舞いにはまったくの変化がない。

 大剣を握る両腕は、自らの筋肉の動きだけで血を噴き出すほどだが、それでもその大剣は“赤”のランサーを両断しようと鈍く刃を輝かせており、彼の腕は正しくこちらの命を狙うであろう。

 何故動くのか。

 セイバーは、しっかりとした足取りでランサーに大きな一歩を踏み込んだ。

 剣と槍が互いに火花を散らす。

 どこまでも、底の見えない戦士だと“黒”のセイバーは思う。

 一歩進み命を削り、剣を振るって命を削り、槍を受けてまた命が削れていく。竜の心臓は懸命に全身に血を循環させ、肉体を維持しようとしているが、それを上回るペースで命が零れ落ちていく。

 喉は枯れ果て、気勢を上げることもできずただ剣を振るう。

 “赤”のランサーは戦い方を変える必要性に迫られた。

 セイバーと異なり、ランサーは肉体的に余裕がある。魔力は充溢しており、戦闘に支障のある怪我は一つも負っていない。しかし、それでもセイバーを攻め崩せないのは、黄金の鎧の有無にあった。

 ランサーの槍がセイバーの肩を撃つ。

 岩も鉄も粘土細工のように貫く豪槍が僅かにめり込むだけで弾かれる。『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)』はセイバーの肉体そのものである。そのため、彼がどれだけ重傷を負ったところで機能を失うことはない。 

 セイバーの動きは鈍く、キレも失われているが、それでも侮れないのは自らの防御力を頼みにした超近接戦闘である。

 これだけの怪我をしながら勇猛果敢に攻めかかってくるか。

 “赤”のランサーは表情こそ変えないものの、内心は喜悦に震えていた。

 セイバーの剣の切先が、ランサーの胸を裂く。

 横一文字に血が流れ出た。

 これが、ランサーが攻めきれない理由の一つ。

 黄金の鎧を失った今のランサーは、大剣の一太刀が致命傷になりかねない。『耐久』はCと低く、これまでのような「打ち合い」に興じることはできないのである。

 セイバーはそれを理解しているからこそ、そこに活路を求めて踏み込んでいる。

 ランサーは距離を取ろうと跳躍するが、セイバーがそこに喰らい付く。後方に跳ぶのと前方に跳ぶのでは、やはり飛距離などで違いが出る。

「ここまで来て押し切られるわけにはいかん」

 黄金の槍に炎が宿る。『魔力放出(炎)』が、穂先を燃やし、ジェット噴射の如き威力で大気を焦がしつつ、セイバーの身体を強かに撃つ。咄嗟に左手を楯にしたセイバーであったが、ランサーの槍はそのまま左の前膊を刺し貫いた。

「ッ――――ぐ、ごおおおあああッ」

 返す刀でセイバーは大剣を突きこむ。セイバーの剣の切先は、ランサーの無防備な左肩を抉った。互いに武器を抜き、回転、同時に振り抜いて空中で火花を散らす。

「なるほど、お前の攻撃はすべてが捨て身か。これは、生半な手は通じんな」

 セイバーは自分の生存を度外視している。ランサーの攻撃を頑丈な肉体で受けて、それでもなお前進し、ランサーの首を取るつもりでいる。となれば、防御力で劣るランサーは、セイバーの接近を許さないように戦うか、自らもかなりのリスクを背負って刃を振るうか判断しなければならない。

「ならば、こちらも命を懸けよう」

 宣言と共に再び槍に炎が収斂する。『魔力放出(炎)』での刺突――――ではない。この魔力の動き、炎の煌きは宝具の真名解放である。

 それが対人宝具ならばまだ分かる。個人を殺害することに特化した対人宝具ならば、至近距離で放ったところで問題はないだろう。だが、ランサーの宝具は対軍の規模に留まらない対国宝具。おまけに本来は飛び道具として発動すべきものを、至近距離で放つというのだから、それは自分を巻き込む暴挙である。しかし、そうでもしなければ、この剣士は止まらない。

 ランサーの宝具の輝きを見て取って、セイバーもまた刀身を黄昏色に輝かせた。もはや無想の域に達したセイバーは、考えるまでもなく真名解放を選択した。

「『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』!」

「『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』!」

 彼我の距離はほぼ零。殲滅宝具の接射は幾度目かの激突の果てに赤と黄昏が混ざり合った巨大な星を形成する。星の色は僅かに赤が優勢か。無理もない。セイバーには最早、宝具を支える力がないのだから。

 打ち勝ったのは、太陽であった。黄昏は消え、太陽の渦が一直線に決闘場を駆け抜ける。紅蓮を纏った槍が、遙か後方で炸裂して、庭園の壁に大穴を穿った。

「なるほど、こういう結末か」

 光が消えた後で、“赤”のランサーは呟いた。

 口の端から血の雫が流れ出る。

 胸に視線を遣れば、セイバーの『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』が突き立っていた。最後の最後で押し負けたその瞬間に、身体を砕かれながらもセイバーはランサーに向けて大剣を投じたのであった。 

 ランサーは宝具を発動した直後で手元に得物がなく、セイバーは余波に巻き込まれながらも黄昏の波動の影響で直撃だけは回避した。両者の距離が近かったことも大きい。もしも、彼我の距離があと二十メートル離れていたのなら、セイバーは広がる火炎に呑まれて剣を投じるまでもなく消失していただろう。

 ランサーは、胸に刺さった剣の柄に手を伸ばす。美しくも妖しい輝きの宝剣は、ランサーが触れる前に砕け散り、大気に溶けていく。

 剣の持ち主は、直線状に焼け爛れた地面から僅かに外れたところで座り込んでいた。頭を垂れ、剣を投じた姿勢のまま力を使い果たしたかのような姿であった。左腕は太陽に焼かれて失われていた。

 ランサーはゆっくりと、宿敵と見定めた男の傍まで歩み寄った。

「どうやら、俺は、貴公に及ばなかった、よう、だな」

 白い前髪の間から垣間見える瞳は、無念と喜びを綯い交ぜにしたかのような色を浮かべている。

 乗り越えるべき壁を見つけた喜びと、乗り越えられなかった悔しさ。この男が抱いている心情を、カルナは手に取るように理解できた。

 乗り越えるべき壁だと認識していたのはカルナも同じ。命を消費して互いにひたすら武をぶつけ合う鮮烈な一瞬を思えば、それが失われることが空しくて仕方がない。

「今回は天秤がこちらに傾いただけだ。お前の刃はオレに確かに届いていたぞ」

 ランサーの言葉にセイバーはどのような思いを抱いたのだろうか。ランサーの角度では俯くセイバーの顔は窺えない。

 問い質したいと思わなくもなかったが、勝者が敗者の思いを掘り返すのは愚行以外の何物でもない。今は静かに、この強敵を見送ることがランサーのするべきことであった。

 セイバーの身体が透けていく。

 当然だ。

 脱落した以上、サーヴァントはこの世には残れない。輝かしい黄昏も、絶対的な太陽も、消えるときは何も遺さず消滅する。今回は、黄昏が先に潰えた。ただ、それだけのことであった。

「さらばだ、セイバー。お前ほどの英雄と戦えたことを誇りに思う」

 いよいよセイバーが消滅するその間際、ランサーは心からの賛辞と共にセイバーを送り出す。

「――――感謝する、ランサー」

 最期にそんな残響を残してセイバーは消失した。

 後に残されたのは、太陽英雄と竜殺しが繰り広げた激烈な死闘の痕を色濃く残す空間、そして、この胸の痛みだけである。

「ごふ、……」

 ランサーの口から再び血が零れ落ちた。

 セイバーの最期の一撃が重かった。それだけ強大な敵だったということだ。あれほどの英雄を相手にして、勝利を掴み取れたことは奇跡に等しいとランサーは分析する。

 治癒魔術を使えるマスターがいないランサーは、自己治癒力で傷を癒すしかない。

 この傷を完全に癒すとなると非常に骨が折れる。

 ランサーは戦いの余韻を心に刻み込むようにして、目を瞑り、その場に腰掛けたのであった。




カルナ攻略法
とりあえずシャクティを使わせる。→何とかしてシャクティを乗り切る。→防御力の下がった(それ以外は問題なし)カルナを何とかして仕留める。
この手に限る。


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四十六話

 獅子劫は“赤”のセイバーと共に空中庭園を目指した。

 用いたのはルーマニア空軍が正式に採用している戦闘機ミグ21近代化改修型である。別名を「Lancer」といい、ソ連で生まれ、半世紀あまりも運用されているミグ21シリーズを現代戦に通用するようにしたものである。

 セイバーが有する『騎乗』スキルは、動物に限らず人間の乗り物であればなんであれ対応する。操縦席に座れば、それだけで一流のパイロットを上回る機体制御を可能とする。

 そうして、“黒”のサーヴァントたちが“赤”のサーヴァントを抑えている隙を突き、“赤”のセイバーは空中庭園の中に何の妨害を受けることもなく侵入できた。

「さて、これは好機だぞ、セイバー。今、“黒”も“赤”も互いに全力でぶつかり合っている。これがどういうことかっていうと」

「聖杯まで一気に突っ切れるかもしれねえ」

「そういうこった」

 にやり、と互いに笑いあった。

 二人の目的はあくまでも聖杯の確保である。“黒”の陣営を利用してはいても、決して仲間として戦っているわけではない。隙あらば出し抜き、自分たちで聖杯を手に入れ願いを叶える――――その方針は、当初から変わっていない。

 しかし、やはりここは“赤”のサーヴァントの中でもとりわけ悪辣な女帝セミラミスの究極宝具の内部である。そこかしこにトラップが仕掛けられていて、侵入した当初のように一気に突っ切れるかも、などと甘いことを言っていられる状況ではなかった。

「ああ、クソ。またかッ」

 セイバーは剣を振り回して襲い掛かってくる竜牙兵を斬り倒し、蹴り砕き、そして放り投げた。

 竜牙兵はまだ優しいほうだ。

 底の見えない落とし穴や、落ちてくる天井などファンタジーゲームの定番から空間そのものに対する魔術など生きた心地のしない凶悪な罠の数々に、獅子劫はもとよりセイバー自身も大いに危機感を抱いていた。

「頼むぜ、セイバー。もうお前だけが頼りなんだからな」

「マスターもなんかやれよ」

「さっきから偵察してやってるだろ」

 獅子劫は、フクロウの目を使って自分では見えない場所を見ることができる。罠が至るところにしかけられているこの状況下では、先に罠の存在を確認するというのは非常に重要な作業であった。

 それでも、最後に頼りにするのはサーヴァントだ。

 特にセイバーの『直感』は、こうした危機的状況において力を発揮する。戦闘時に限られるが、どのような行動を取るべきか、理屈を抜きにして感じ取ることができる。逆に言えば、『直感』のスキルが発動しているということがそれだけ危機的状況となっているわけであり、敵が目の前にいないが戦闘状態に突入していると認識されているということになるのである。

 はずれの部屋も多い。

 扉を開けた途端に大爆発ということも一度や二度のことではなかった。獅子劫は、自分が今大した怪我をすることもなく動けている現実に感謝すると共に、意地の悪い罠を仕掛けた女帝への恨み言を心中で漏らしていた。

「おら、出て来いよセミラミス! つまんねえ罠ばっかりでヒキコモリってか? 最近流行りのヒッキーかぁ? お城の奥深窓の令嬢ぶってんじゃねえぞ、カメムシババア!」

「お前ホント口悪いな」

 獅子劫は呆れながらセイバーの後ろについていく。

 獅子劫が“赤”のアサシンへ悪口を言わないのは、偏に相手を怒らせるのが嫌だったからだが、セイバーはそんなことは一切気にしていない。むしろ、獅子劫の心中を知ったら臆したか、などと言って食って掛かってきそうだ。

 挑みかかるのは最悪の魔女。世界最古の毒使い。悪女と名高いセミラミス。セイバー自身、『アーサー王伝説』の黒幕とも言うべき母親(モルガン)に似ていると初見で感じるような人物である。セイバーの性格からすれば、“赤”の陣営への協力を続けるなど初めからありえなかったし、激突するのは時間の問題だったが、やはり相手の領分での戦闘となると相応の覚悟が必要である。まして、相手は『キャスター』と『アサシン』を兼ねる怪物である。

「マスター。あれ」

 セイバーが前方の扉を顎でしゃくった。

「ゴールか?」

「サーヴァントの気配がする。二騎だな」

「アサシンとキャスターか?」

 待ち構えているサーヴァントならば、その二騎が疑わしい。アサシンもそうだが、未だ姿を見せない“赤”のキャスターも気になるところだ。

 だが、セイバーは首を振った。

「一騎は“黒”の誰かだな。戦ってるみてえだ」

「一番乗りは取られた後か」

「順番なんて気にすんな。最後に勝ったヤツが勝ちなのさ」

 セイバーらしい清清しい言い回し。獰猛な笑みを浮かべて剣を一回転させ、肩に担いだ。

「で、どうする?」

「無論、嫌がらせするに決まってんだろ」

 壁の奥で、魔力が脈動している。強烈な魔術が連発されているようだ。ここまでくれば、獅子劫の魔術回路も強大な魔力を感知して意図せず励起してしまう。

 正直に言えば、サーヴァントとして召喚されるような強大な魔術師に現代の魔術師でしかない獅子劫が立ち向かうのは自殺行為に等しい。セイバーがいなければ、近付こうとすら思わないだろう。

 敵の悪意を、セイバーも感じ取っている。

 セイバーは鎧をガチャガチャと鳴らして、最後の扉に向かって歩いていった。

 

 

 

 □

 

 

 

 苛立ち紛れに“黒”のアサシンを甚振っていた“赤”のアサシンであったが、相手は飛び跳ねるだけでまともに反撃してくることもなく、ただこちらの攻撃を凌ぐだけでまったく話にならない。やはり、宝具に特化したサーヴァントであったらしい。発動条件を厳密に暴いたわけではないが、現状ではあのアサシンの宝具が使われる気配はなく、ただ“赤”のアサシンの手加減した魔術によって磨り潰されるだけになっている。

 “黒”のアサシンの両手両足はすでに機能していない。

 女帝として君臨する。それが“赤”のアサシンの願望であり生き方だ。暗殺者は権力者の天敵であり、発覚した場合には凄惨な死に方をするのが歴史の常である。使い古したボロ雑巾のようにして、何の希望も抱けないままに消滅させてやろう。

「それにしても、もう少し抵抗してくれてもよかったのだがなぁ。まあ、いい。死ね小娘」

 うつ伏せに倒れた“黒”のアサシンは逃げることなどできはしない。

 雷撃がたゆたい、“赤”のアサシンの挙げた腕に纏わりついた。遊びはこれまでとし、跡形もなく蒸発させることにした。

 計画を邪魔してくれた“黒”のアサシンへの罰は、これでいいだろう。

「む……」

 “赤”のアサシンは、振り下ろしかけた腕を真横に振るった。雷撃は“黒”のアサシンではなく、王の間の扉に向けて雷光の蛇が迸る。

 王の間への入口は、この一撃で砕け散った。

 粉塵が舞い上がる。その中を斬り裂いて、二つの人影が飛び出てきた。

「“赤”のセイバー。早かったな」

 “赤”のアサシンは舌打ちをした。“黒”のアサシンで遊びすぎたか。いや、時間の配分を失敗したとは思えない。ただ、セイバーが罠を突破する時間が想像よりも早かっただけである。

「聖杯、貰い受けに来てやったぜ!」

「抜かせ、裏切り者が吸うべき空気など、ここには一ミリも存在しない」

 赤雷と紫電が交錯した。

 

 

 初めから二騎の相性は最悪だった。

 自らに比肩する者の存在を許さない女帝と王と国を滅ぼした反逆の騎士では、そもそも在り方が正反対である。反逆者は“赤”のアサシンにとって罰する対象であり、王は“赤”のセイバーにとって討ち果たすべき存在である。まして、セイバーから見れば、“赤”のアサシンは忌々しい母親に雰囲気がよく似ている。それだけで、警戒するし、嫌悪感を抱く。

 “赤”のセイバーと“赤”のアサシンの激突は、どうあっても避けられなかった。これは両者が同じ聖杯戦争に召喚されたその瞬間に確定した未来であり、この場での戦いはある意味では初めから定められていたともいえるだろう。

「どりゃあああああああああああああああああ!」

 雄叫びを上げて斬りかかるセイバーを、玉座に座る“赤”のアサシンは軽々と迎撃する。空中で魔術と剣が衝突して弾け跳ぶ。

「どうした、セイバー。ほれ、我が首はここだぞ」

 トントンと、“赤”のアサシンは自分の首を叩いてセイバーを挑発する。

「あんだと、こらァ」

 『魔力放出』でブーストした疾走で、セイバーは“赤”のアサシンに迫る。一撃を入れれば、勝てる。しかし、ここは“赤”のアサシンが支配する領域である。彼女にとっては、この王の間の内部は『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』の機能を凝縮したかのような環境である。“赤”のアサシンは玉座に座っているだけで、世界を支配する。 

 セイバーの突貫も、“赤”のアサシンにはまったく危機感を抱くに値しない。指を鳴らし、口笛を吹き、発動した魔術で押し返す。

 セイバーの『対魔力』は、Aランクに満たないレベルでしかない。現代の魔術師で傷つけるのが難しいというレベルの『対魔力』も、“赤”のアサシンにとっては紙でしかなく、セイバーですら直撃は避けなければならない。

「ずいぶんと下手な踊りよな。セイバー」

「ふん、ガキ甚振って悦に浸る魔女にゃ、踊りなんて分かりそうもないがな」

 セイバーは襲い掛かってくる緑色の鎖鎌を一刀の下に斬り捨てる。

「さて、その減らず口、どこまで開いていられるかな」

 女帝は艶美な唇を凶悪に歪めて、手を挙げた。

 その瞬間、身体に走り抜けた戦慄は聖杯大戦に参戦して以来感じたことのないほどに強烈だった。詰んでいる。この空間にいる限り、“赤”のセイバーはどこまでも敗者でしかなかった。

「マスター! 今すぐ逃げろおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 声を荒げたセイバーは、魔力の突風で獅子劫を打ちのめした。マスターに対してするような行為ではないが、今はそれ以外にマスターを逃がす術がなかった。

 突然、セイバーに吹き飛ばされた獅子劫であったが、それがこの部屋で戦う不利を悟ってのことだというのは説明されなくても分かった。よって、勢いを殺すことなく地面を転がり、身体強化まで使って破壊された入口から転がり出た。

 その後をセイバーが追おうとする。

「貴様は逃がさんよ、セイバー」

 意識一つでこの空中庭園を組み替えることができる“赤”のアサシンは、当然のように出入り口を塞いだ。そこまでなかった壁が出現し、継ぎ目すらなく王の間を外部から隔離する。

「チィ……!」

 逃げ場を失ったセイバーは最大限の警戒心と共に『燦然と輝く王剣(クラレント)』の柄をしっかりと握りこむ。

「では、終われ。セイバー」

 “赤”のセイバーの奮闘にも戦意にも、まったく評価を加えることなく、無慈悲なままに“赤”のアサシンは、この舞台に幕を引くため、己が伝説の象徴たる第二宝具を発動した。

 

 

 

 □

 

 

 

 ルーラーは回廊を駆け下りる。

 自らをこの世界に呼び出した聖杯が、この道の先にある。待ち受けるサーヴァントは二騎感じ取れる。一騎はキャスター、そしてもう一騎は天草四郎時貞に間違いない。

 ルーラーの知覚力は、聖杯大戦のサーヴァントに機能するものだが、これだけ近距離にあれば魔力の反応などほかの機能を駆使して四郎を捉えることができる。

 回廊を駆け下りているときに、“黒”のセイバーの消滅を確認した。

 対峙していた“赤”のランサーがどのような状況にあるか分からないが、“黒”のセイバーと戦って無傷ということはあるまい。ほかの戦場にランサーが現れるまで、まだ時間があるはずである。

 一歩歩を進めるごとに、天草四郎の願いを思う。

 全人類の救済。強制的な魂の昇華の果てに、人類に平和がもたらされると、彼は本気で信じている。

 しかし、その先に本当に平和があるという保証はない。

 ――――保証がなければ手を伸ばさないのか。

 脳裏に声が響く。

 誰のものでもない己の疑問。

 もしも、本当に天草四郎の願いが世界のために正しいのなら、ここでルーラーが彼を止めることにどんな意味があるのだろう。

 “黒”のアーチャーはやり直しを奇跡に求めるべきではないと一蹴した。彼の理念は正しく美しい。そして、そうして失われたすべてを救いたいという四郎の願いもまた、正しく思える。正しいということは、こうまで難しく理想への到達には、人類にとってあまりにも長い道のりを必要とする。

 ならば、やはり四郎の遣り方は性急に過ぎるだろう。

 人の考える平和は千差万別で、確定した答えは何一つない。その人生も何一つ同じものはない。画一的な救済は、決してすべての人類を救済したことにならないのではないか。

“見えた”

 回廊の終わりが見えた。

 大きく重厚な扉が聳え立つ、無機質な石の空間。その扉の向こうに、サーヴァントの気配を明確に捉えて、ルーラーは一瞬だけ躊躇した。

 天草四郎と姿を見せぬキャスター。

 戦闘での脅威で言えば、キャスターのほうを警戒すべきだが、単なる魔術は神代のものでも弾けるルーラーに、正統な魔術師は相性が悪い。しかし、キャスターの恐ろしさはありとあらゆる方法で攻撃することができるという点にある。

 単純な魔術攻撃以外にも環境を創り変える、武器を生み出す、恐るべき魔獣を召喚する。系統は数え切れないほどに分化し、どの系統に属するかで脅威の度合いが大きく変わる。

 今まで現れなかったキャスターは果たしてどのような人物なのか。

 願わくば、はずれサーヴァントであってほしい。

 亜種聖杯戦争では度々報告される事例だが、偶々キャスター適性を持っていただけの名もなき魔術師モドキが召喚されることがあるという。戦闘能力を持たないが故にそもそも戦争が成立しない。

 残念ながら“赤”のサーヴァントは魔術協会が聖遺物を選別したというから、はずれが出てくる可能性はほぼ皆無である。伝説の勇士ならばまだしも、魔術の総本山が魔術師の聖遺物で選択を誤ることはあるまい。

 ともかく、どのような敵が現れるにしてもルーラーが剣を納める理由にはならない。

 そっと手を伸ばすと、扉が思いのほか軽い音を立てて開いた。魔術によるロックなどは何もなかった。

 そして開かれた世界は、まるで聖堂の内部のような静けさと厳粛さを併せ持つ広大な空間であった。

「ようこそ、ジャンヌ・ダルク。あなたなら、真っ先にここに辿り着くと思っていましたよ」

 装いを新たにした天草四郎時貞が、青白く発光する大聖杯の下に佇み、ルーラーに淡い微笑みを浮かべていた。

 そして、その背後には、四郎に仕える宮廷道化師のような男がいる。

「イングランドの……シェイクスピア」

 距離は遠く、貴族服が舞台俳優のように映えている。“赤”のキャスター――――シェイクスピア。生前に面識はなかったが、彼がジャンヌ・ダルクを題材とした著作を残していることは知っている。レティシアの知識の中に、彼の著作があったからである。

 敵味方(フランスとイングランド)に分かれていたこともあって、ジャンヌ・ダルクの扱いは決してよいとはいえなかったが。

 作家系サーヴァントとともなれば、前線に出ることはまずない。戦闘能力のない『キャスター』の代表格が作家系サーヴァントである。その一方で、作家系サーヴァントは宝具が強力であることが多く、決して油断はできない。

「初めまして、片田舎の狂人娘。如何にも、我輩が“赤”のキャスターです」

「あなたが、わたしの相手をするのですか?」

「ハハハ。そうですな。あなたがあともう少し、ほんの少し早かったのなら我輩が誠心誠意お相手したことでしょう。我が宝具の出来もなかなかですからな。しかし、あなたは間に合わなかった。間に合わなかった以上は、我輩は最後の足掻きを観戦するだけ。真打は、我輩ではありませんのでな!」

 長々と、キャスターは大声で喋りぬく。大仰な台詞と仕草ではあったが、結局彼が言いたいことはルーラーとは戦わないということだろう。

 彼も聖杯に託す願いがあるのなら、聖杯を死守しようとするだろうが、自分以外に適任がいれば当然、そちらに戦いを譲る。

 キャスターは戦わない。

 それはいい。初めから、彼に戦闘ができるとは思っていない。それよりも、もっと重要なことをキャスターが言っていなかったか。そう、――――。

「間に合わなかった?」

 まさか、とルーラーは大聖杯を見上げた。

 茫、と淡く光る大聖杯。膨大な魔力の塊を湛えるそれが、胎児の心臓を思わせる。

「大聖杯は、すでに我が願いを聞き届けました。直に、全人類を不老不死にするために稼動を始めるでしょう」

「ッ――――」

 ルーラーは絶句する。

 聖杯大戦の決着を待たず、天草四郎は願いを強行しようとしている。これはまずい。願いの規模が大きいために、即座に稼動を始めることはないにしても、それも時間の問題であろう。

「本当に実行するつもりですか、天草四郎!」

「我が願いはかつて宣言した通り。この七十年を、私はこのために生きてきた。止めたければ、俺を滅ぼしていくがいい!」

 大聖杯が大きく輝いた。

 かつての邂逅で、ルーラーは天草四郎の願いを知りながら“黒”の陣営に就いた。最早その時点で九割方敵であると四郎は認識している。

 四郎が掲げた腕に呼応して、宙に魔力が結集する。それはさながら巨人の腕のようであった。

「私は確かにあなたには及ばない、極東の聖人モドキです。しかし、大聖杯と接続した今の私はご覧の通り、余剰魔力だけでもあなたを討ち果たすだけの力がある」

 四郎としてはこの余剰魔力であっても無駄にせず、大聖杯にくべたいところであったが、ルーラーを四郎の実力だけで止めるのはほぼ不可能である。強大な聖杯の補助を受けて初めて彼女と対峙できる。

「キャスター。聖杯の様子には気を配ってくださいね」

「ええ、ええ。もちろんですとも。一世一代の大仕事ですからな!」

 キャスターが待ちに待った展開。天草四郎とジャンヌ・ダルクの激突だ。世界的に有名な聖人を、極東の小英雄が打倒できるか否か。精神面では、成熟しつくした四郎に軍配が上がり、サーヴァントとしてはジャンヌ・ダルクに軍配が上がるが、果たしてどのような形に落ち着くか。作家として、この戦いは目に焼き付けておきたい。

 

 

 

 青い光がルーラーの視界を覆い尽くす。ただの一撃が致命傷になる。天草四郎の両腕を基点とし、強大な魔力が吹き荒れている。

 四郎の両腕はあらゆる魔術を使用する万能の魔術回路。大聖杯と接続したことで、その膨大な魔力を魔術師では扱えない規模で支配できる。

 それは結晶と化してルーラーを襲う。種別は物理攻撃。『対魔力』では防げない。

 ルーラーが掲げるのは純白の旗。

 幾多の戦場を乗り越えてきた白は、聖杯の魔力如きには侵されない。

 途方もない衝撃がルーラーの全身を駆け抜ける。

 四郎の光はルーラーの守りをして脅威である。

 突進するルーラーと佇む天草四郎。ルーラーには時間がなく、四郎の攻撃も馬鹿にできない。力いっぱい旗を振るって拳を打ち払う。

「天草四郎。あなたは、そうまでして人類の可能性を摘み取りたいのですかッ?」

「不特定な未来のために、人類は無益な血を流してきました。有限の命は人類が夢を叶えるには少なすぎる。結果、強い者だけが未来を掴む世界ができあがる。あなたはそれを、肯定するのか」

「それでも人類は前に進んでいる。――――わたしたち過去の亡霊には、それは実感できるはずです」

 四郎の言うことは一つの真理だ。すべての人間が望みを叶えることなどできはしない。幸運と実力とその他様々な要素を満たした人間だけが望みに手を伸ばすことができる。その過程で、争いが生まれることは否定できない現実だ。

 しかし、ルーラーは思う。

 人間はそれでもよく前に進んでいる。

 彼女を焼き殺したイングランドと祖国のフランスは、事あるごとに戦争を繰り返してきた歴史がある。しかし、現代に擬似的に蘇り、人の営みを見てみれば分かる。世界は確実に戦争を忌諱する方向に進んでいる。それは、長い時間をかけて人間が学び、語らい歩んできた証ではないか。

 人類の歩みと営みは正しかった。

 ルーラーは自信を持って宣言できる。

「人類の歴史――――その過程で流れた血を思えば、決して正しいとは言えない!」

 だが、四郎は過程を嫌悪する。結果を求めて血が流れるのなら、結果を求める必要はない。四郎がすべてを用意する。大聖杯で以て不老不死を授け、未来に餓える必要性を取り除く。それで、すべてが解決する。

「そんなものは思考停止に他なりません」

「かもしれません。故に、血も流れません」

 爆音が響き渡った。

 四郎の砲撃をルーラーが逸らしたことが原因だ。あらぬ方向に飛ばされた光が床石をこれでもかと打ち砕いた。

「――――ッ!」

 ルーラーは歯を食い縛り、銃弾のような速度で四郎に肉薄した。

 突き出される旗。

 音速を超えて打ち出された旗を、四郎は腰に佩いた太刀で払った。

天の鉄槌(ヘブンフレイル)――――落ちろ!」

 二合打ち合い、四郎はルーラーの攻撃を凌ぎ切った。第三撃で太刀が叩き落された。留めの一撃は頭蓋狙いだが、放つことは許さない。空から墜ちる鉄槌がルーラーと四郎を分断する。

「く……!」

 ルーラーは旗で一撃を受け止めて、顔を歪めて後ずさりした。

 惜しい。

 後一瞬、四郎の反応が遅ければ相打ちでも仕留められたものを。

 ルーラーは墜ちてくる巨人の腕を防ぎ、旗を振るう。

 あの天草四郎が、二度の接近を許すことはないだろう。ルーラーの武装は最終宝具を除いて近接戦用。旗も剣も武器として使えば、間合いまで近付かねばならない。

 少し、逡巡する。

 宝具の使用はルーラーにとって大きな賭けになる。使い方を誤れば、すべてを無為に帰してしまう。四郎の底が見えないのに使っても大丈夫だろうか。

 悩んだのは、ほんの数秒だった。

 ルーラーは真っ直ぐ天草四郎を見据え、覚悟を固める。そして、左手で旗を支えながら、空いた右手で己の剣を抜き放ったのであった。




実は性別偽ってましたってサーヴァントも増えてきたから、それで聖杯戦争が見たい。大体セイバーが多いからあれだけど、数だけなら揃ってるだろうし。
セイバー・・・アルトリア
アーチャー・・・ノブ
ランサー・・・アキレウス
ライダー・・・ネロ
アサシン・・・桜セイバー
バーサーカー・・・ヘラクレス

こんなところか。ほかにももーさんとかアストルフォとかいろいろいるね。


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四十七話

 車輪が砕け、傾いた戦車に背中を預けた“赤”のライダーは、最期の力を使い果たして消滅しかけていた。神馬も崩れ落ちて動きを止める。対峙した“黒”のアーチャーは、五メートルも離れていないところで倒れている。

 手応えからして、殺しきれたわけではないだろう。

 アーチャーの霊核にも少なからずダメージを与えていたが、こちらはアーチャーの宝具によって霊核そのものが砕かれた状態だった。宝具の全力解放をすれば、数分と持たずに消滅するのは分かりきっていた。それを意地を張って押し留めていたのだから、ここまで持ち堪えたことそのものが奇跡と言えよう。

“締まんねえ最期だぜ……”

 踵と心臓を穿たれて死ぬとは、生前とまったく同じ終わり方だ。馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。とはいえ、世界の変革という巨大な夢に槍を預けることができたのは、面白かったと思うが。

 天草四郎の夢の正誤は、ライダーには分からない。

 恐らく、正しいと確信しているのは四郎だけだろう。これまで、数多の英雄を初めとする指導者たちが取り組み、挫折した人類の救済。確たる自分の意思でそれを成し遂げようとする小英雄。霊格でも実力でも遙かに劣る男であったが、彼が生きた十七年と七十年はライダーの生涯に倍する時間だ。それほどの時間をたった一つの壮大な夢にかけた男には、何か褒美がなければならない。

 四郎の在り方に感じ入るものがあったから、ライダーは槍を貸すことにした。

 四郎の夢が正しいかどうかは置いておく。命を奪って成り上がった英雄に、世界の平和を説く資格はもとよりなく、世界の在り方にも興味はない。けれど、心の底から世界平和を望み、誰も為し得なかった偉業に手を伸ばそうとする馬鹿な男に、少しだけライダー自身も夢を見た。

 英雄になるべくして生まれ、英雄として死ぬために駆け抜けた人生だった。

 四郎の夢は、そんなライダーの人生を根本から否定するものではあったが、それでも、あそこまでの信念を持って戦いに赴くというのは、紛れもない英雄の所業である。

 故に、夢の一翼を担えたことをライダーは後悔していない。むしろ、清清しいまでに爽快だった。いけ好かない女帝の意外な一面も見れたことだし、悪くはなかった。

 彼の夢が叶うとすると、自分も不老不死の肉体を得て、英雄ではないただの人間としてケイローンと共に山野を駆け回っているのだろうか。それとも、逢うことの叶わなかったヘラクレスと力比べができるのだろうか。あるいは、武芸を離れ、両親と共に生きるということもありえるか――――。

 埒のないことを思い浮かべたライダーは、なるようになるかと思考を放棄した。

 ともあれ、自分はここでリタイアだ。

 どうやら、アキレウスという英雄は、物語の最後には付き合えない運命にあるらしい。

 せめて、どのような結末に至るのか、それだけは見ておきたかったが――――。

 小さく自嘲気味に笑みを浮かべて、大英雄は逝った。

 主を失った神馬と戦車が、主人の後を追うように消えていく。

 風に流れて、輝く魂は夜の闇に溶けていった。

 

 

 

 □

 

 

 

 手足が痺れる感覚。

 視界が歪み、呼吸ができず、肌が焼かれるような痛みを感じる。

「クソ、毒かッ」

 “赤”のセイバーは、危険を感じて咄嗟に兜を取り出し、顔を覆った。対毒性能は持たないものの、この兜そのものが宝具である。防具は外敵から身を守るもの。その在り方がある限り、毒をそのまま通すことはない。

「ほう、それならば多少は持つな。さて、どれくらい踊り続けることができるかな」

 クスクスと“赤”のアサシンが笑うのが聞こえる。

 ――――腹立たしい。

 召喚された鎌の海を剣と赤雷で粉砕し、“赤”のアサシンに突貫する。

 全身を鎧で固めたセイバーの突進は、進路上のすべてを粉砕する。剣で斬る必要もなく、体当たりで“赤”のアサシンの身体を砕くこともできるだろう。

「フン、そよ風のようだぞ」

 ほくそ笑んだ“赤”のアサシンが、指を宙に走らせる。

 真っ黒な球が召喚され、その中から神魚が躍り出た。ウツボのような姿をした巨大な魔獣である。大きな顎でセイバーを噛み砕こうとする。

「こ、な、くっそおおおおおおおお!」

 セイバーは、さらに魔力を炸裂させる。後方に噴き出した魔力はまさしくジェット噴射。雷光を纏うセイバーは、臆することなく魔獣の口内に猛然とタックルする。硬質な歯が砕け、上顎が内側から砕かれる。

「魚如きがデカイ顔曝してんじゃねえ」

 セイバーはドリルのようにウツボの頭を掘り進む。魚の声なき絶叫は、頭蓋を木っ端微塵に砕くことで封殺する。

 しかし、それまでだ。

 外に飛び出た瞬間に、セイバーは弾き飛ばされた。

 真横から跳んできた鉄球が、セイバーの小さな身体をゴム鞠のように撥ね飛ばしたのである。

「ぐ、があッ」

 バウンドして地面を転がるセイバーは、即座に立ち上がろうとして両腕に力を加える。

「が――――ッ?」

 身体を起こそうとしたセイバーは、がくりとその場に倒れ伏した。

 両腕がブルブルと震えて力が入らない。

「どうした、セイバー。動けないか? 動けないだろうなぁ。そういう毒を使ったのだからな」

 ねっとりとした声がセイバーの耳に届く。が、反論することもできない。忌々しいことに、舌も痺れて発声できないのである。

「世の中には様々な毒がある。我はな、この王の間においてのみだが、ありとあらゆる毒を生成できるし、ありとあらゆる毒に対して耐性を有する。それが、我が宝具『驕慢王の美酒(シクラ・ウシュム)』の能力だ。どうだ、セイバー。如何なる英雄であろうとも、毒を前にしては手も足も出まい」

 戦場にあって無双を誇る大英雄ですら、毒に倒れて死んだ。

 絶対の強者などこの世には存在しない。何かしらの理由で必ず死ぬ。故に英霊なのだ。英雄の死因は様々だが、“赤”のセイバーのように戦場で果てない限りは大概が病死か暗殺だ。そして、暗殺には毒が付き物である。

「どうして我が戦場を駆ける騎士どもと同じ舞台で戦うと思った? 愚かよ、セイバー。実に愚かだ。増えることにも使えぬメスは、そのまま苦悶のままに果てるがいい」

 セイバーに盛った毒は麻痺毒。次は、激痛を与える毒にしてみようか。セイバーの前に“黒”のアサシンに止めを刺すのが先か。

 少し考えてから、“赤”のアサシンは“黒”のアサシンを捨て置くことにした。いつでも殺せるが、脅威の度合いとしては極めて低い。毒素の充満したこの空間にあっては、“赤”のアサシンがわざわざ手を下すまでもなく死に至る。

 自分はただ苦しみ、死んでいく敵を高みから眺めていよう。

 絶対の強者は地を這う弱者を玩ぶ権利を有する。男も女も関わりなく、英雄豪傑も女帝の前に膝を屈するのが当然なのだ。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “赤”のセイバーが敵の術中に嵌ってからも、しばらく活動できたことは獅子劫も把握している。

 戦況は極めて劣勢。

 王の間にはセイバーのほかにも“黒”のアサシンがいるが、とても戦力として数えられるほどではない。突入時に遠目で確認したが、あの時点で戦う力を喪失していたのは間違いない。つまり、“黒”のアサシンに助けを請うことは不可能だし、利用することもできない。

 三画あった令呪は二画に減った。 

 令呪を使用して、セイバーに撤退を命じたのである。

 ところが、結果は散々だった。令呪が失われただけで、セイバーは依然としてこの壁の向こうに取り残されている。

「ここで令呪封じとか、クッソ」

 獅子劫は苛立ちを露にして壁を殴りつけた。

 “赤”のアサシンが令呪による転移を封殺したのである。神代の大魔術師である“赤”のアサシンが令呪に干渉できる可能性は以前から指摘されていたことであったが、実際にされるとなると驚愕せざるを得ない。

 令呪の存在は聖杯戦争に参加したマスターにとっては切り札であり、サーヴァントを統べるために必要不可欠なものである。

 サーヴァントが令呪システムに干渉するとなると、聖杯戦争の根本が崩壊する。

 そもそも楔としての令呪は、“赤”のアサシンのような従えるには危険なサーヴァントを統べるために用意されたものだというのに、それがサーヴァントの意思一つで支配されるとなるとマスターは常に身の危険にさらされることになる。

 おまけに、今回“赤”のアサシンが干渉したのは敵対する獅子劫の令呪だ。

 反則にも程がある。

“どうすりゃいい――――!”

 焦るなと自分に言い聞かせても、無理というものだ。セイバーはすでに動けず、視界を共有しても真っ暗なままで内部の様子が分からない。セイバーが視力を失っているか、目を瞑っているかのどちらかだ。

『おい、セイバー聞こえるか!?』

 答えはない。

 答えはないが、繋がっているという確信はある。魔力はきちんとセイバーに供給されていて、彼女の存命を伝えている。

『答えろよ、セイバー!』

『……うっせー。耳元で叫ぶな!』

 怒鳴り声に怒声で返答があった。思っていたよりも元気があって、少しだけ安心する。だが、このまま放置すれば、セイバーは死ぬ。今元気かどうかは、この先の展開には何の楽観的要素にならない。

『マスター、何とかしろ』

『何とかするつっても、こっちにゃ状況が分からん。分かる範囲で説明しろ』

 お互いに言っていることが無茶だということは理解できている。

 “赤”のセイバーは、ただの魔術師である獅子劫がこの状況を何とかできるとは思っておらず、獅子劫も毒に苛まれているセイバーに詳細な説明は難しいと考えていた。

 しかし、会話することによってセイバーの意識を繋ぎとめることはできるはずだ。『戦闘続行』スキルを有する彼女は、そう簡単に死ぬことはない。猶予はないが、完全に詰んでいるわけではない。

『あのクソババア、玉座で踏ん反り返りやがって。この、チクショウが。うぜえ、チョーうぜえッ』

『うぜえのは分かるが、お前、見えてるのか?』

『辛うじてな。目ぇ瞑ってんだよ。魔術の発動の気配くらいは感覚で分かるしな』

『そうかい。それを聞いて安心したぜ』

 セイバーは起死回生の一撃のために、視力を失わないようにしている。毒の性質は分からないが目に入れば視力を失うような劇薬など自然界にも存在するようなありふれた物だ。

 問題なのは、セイバーは麻痺毒を受けて身体が動かないということである。一撃入れようにも、そんな状態では宝具すらまともに使えない。

 ではどうするか。

 獅子劫が生き残るためには、この空中庭園から脱出しなければならないが、そのためにはセイバーが必要だ。だが、セイバーを連れ出そうにも令呪は封じられている。打つ手がない。打つ手がなければ、命を賭して足掻くしかない。

『セイバー。アサシンは生きてるか?』

『どっちのだ?』

『“黒”』

『ああ“黒”な……』

 数秒してからセイバーは答えた。

『死にかけだが?』

『生きてるなら、逆転の目はある』

 サーヴァントが二騎いる。セイバーは近接戦を主体にするサーヴァントだから、麻痺してしまえば無力化されるが、“黒”のアサシンは違う。彼女の宝具は呪詛である。つまり、身体が動くか否かは関係がない。

『セイバー。お前、できる範囲で女帝様を見張れ』

 そう命じてから、獅子劫はセイバーの念話のラインにさらに“黒”のアサシンのラインを繋いだ。

『“黒”のアサシン。起きてるか? しゃべれるか? ダメでも返事はしろよ、呻き声でもいいからな!』

 これは賭けだ。

 ここで、“黒”のアサシンの意識がなければ、それで終わる。手も足も出ず、女帝になぶり殺しにされる。だが、女帝の毒は、敵対者に苦しみを与える類の代物だ。意識を失うことを許さず苦しませて殺す。悪辣で陰湿な毒物だが、“黒”のアサシンが完全に死んでいないのなら、まだ可能性が残っているということでもあった。

 何度か呼びかけると、かすかに答える声が聞こえた。

『“黒”のアサシン。お前の宝具を使ってもらうぞ』

 

 

 全身を走る激痛に、思考そのものが失われつつあった。

 “黒”のアサシンは喉が焼け、皮膚が爛れて悶絶し、涙を流してただ死を待っていた。

 “赤”のアサシンは容易い死を許さない。毒は確かに“黒”のアサシンを蝕んでいるが、放っておいても死ぬからと、トドメを刺されずに苦しむ様を観賞されている。

 痛すぎて、何が起こっているのかも分からない。

 マスター(お母さん)に助けを求めても、答える声はない。見捨てられたのか、と一瞬絶望したが、そんなはずはないと否定する。空中庭園が遠すぎて、玲霞との間に念話が通じていないのだ。玲霞は“黒”のアサシンの状態を理解できず、ただその帰りを待っている。

 “赤”のセイバーのマスターが念話を繋いできたのはそんなときであった。自分の宝具を使えと、“赤”のセイバーのマスターは言う。さらに、男は続けた。

『お前、このまま殺されていいのか?』

 一度しか会ったことはないが、ふてぶてしい魔術師だと思った。彼の言葉はそんな“黒”のアサシンの感想を裏付けるものであった。

『……な、に』

 頭が割れるような痛みを堪えて微かな返事をする。

『このままじゃ死ぬぞ』

 優しい言葉をかけてくれる母はおらず、そこにいるのは厳然たる事実を告げる魔術師である。

『何も遺せず、死ぬ』

 獅子劫に言われて、“黒”のアサシンは恐怖に震えた。

 “黒”のアサシンはすでに二度の死を経験している。生まれることすら許されずに破棄された命の集合体。それが、ジャック・ザ・リッパーの正体であった。

 反英霊となる以前はただの数千数万の胎児の怨霊であった。凶行の末に名もなき魔術師によって討伐されたが、彼女が繰り広げた凶行は歴史的なミステリーとして語り継がれ、現在に至る。

 胎児としての死、怨霊としての死、どちらも最悪の経験だった。自分が消える感覚。この世に何も刻み込めず、消滅する恐怖は絶対に味わいたくない。

『いや、だぁ……』

 “黒”のアサシンは呻いた。恐怖が痛みを凌駕する。彼女は英雄ではない。ただの怨霊で子どもだ。だからこそ、痛みからも恐怖からも逃げようとする。立ち向かうという感覚はもともとなく、安全圏を捜し求める。それがだめならどうするか。自らを害する者に対して、復讐しようと怨嗟の念を募らせる。何も遺せず死ぬなど真っ平だ。自分を殺そうとする者は、何であれ殺害する。

『死にたくない……!』

 “赤”のアサシンを殺す。

 何をしてでも殺害する。

 聖杯に辿り着き、マスター(お母さん)の下に帰還するために。

『よし、言ったな。なら、お前の宝具をあの女帝さんに食らわせてやるんだ。隙は、俺たちで作る。外すなよ』

 いいだろう、と“黒”のアサシンはどろりとした感情を募らせた。

 “赤”のセイバーとそのマスターがどのような方法で隙を作るのかは分からない。けれど、一度宝具を使えれば殺せる。相手は女で今は夜。条件を満たすには、あと霧が必要だが、自分で生成できる上に発動に時間はかからない。

 

 

 

 女帝は蛇のような視線で毒の世界を睥睨した。

 王の間を支配する絶対的存在である“赤”のアサシンは、この部屋に存在する限り無敵だ。ここは王が世界を見下ろす場であり、有象無象を処分する処刑場であり、そして娯楽のための鳥かごでもあった。

 気に喰わないのは“赤”のセイバーがまったく屈服する様子を見せず、懸命に立ち上がろうともがいていることだ。“黒”のアサシンは毒によって死に瀕しており、あと数分で消滅するだろう。

 やはりあの兜が邪魔だ。

 生かさず殺さず、しかし悶絶させるためには、兜を取り除く必要があろう。

 最強クラスの毒をぶち込むという手もあるが、自分の手をここまで煩わせた敵に恩情をかけてやるほど“赤”のアサシンは優しくはない。

 動くこともままならず、剣を振るう力もない“赤”のセイバーなど恐るるに足らない羽虫でしかないが、それでも反逆の騎士という呼び名が示す通り、あの英雄は逆境に強い。追い込まれた鼠は猫を噛むという。決して近付かず、隙を見せず、しかし堂々と女帝たる威を示してセイバーを魔術で強かに撃つ。

 兜が壊れればそれでよし。壊れなくとも、無様に地面を転げまわる様を見るだけで嗜虐心が充足されるので、それもよし。

 “赤”のアサシンが負ける道理はない。

 ほぼ、勝利が確定したと思ったその瞬間、唐突に出入り口を塞いでいた石壁が爆発して砕け散った。

「何……?」

 魔術の発動は感知できなかった。となれば、現代兵器の類であろう。

「セイバーのマスターか」

「どーも、女帝さん」

 愚かにも毒の空間に足を踏み入れてきた“赤”のセイバーのマスターは、顔をジャケットで覆い、対毒礼装を一気に発動させた。

 獅子劫のジャケットは、魔獣から引き剥がした革で造り上げたものだ。外部からの魔術的干渉、概念攻撃に対して耐性を持つ。さらに、時計塔からヒュドラの幼体を手に入れていたことで、万が一に備えて対毒礼装を装備していた。

 可能な限りの毒への耐性を身に纏い、踏み込んだ獅子劫はショットガンの引き金を徐に引いた。銃口は滑らかに“赤”のアサシンへ向けられ、火を吹く。射出されたのは魔術師の指で作った指向性のある呪弾である。たとえ、実体化していても霊体にカテゴライズされるサーヴァントに通常の兵器は通じないものの、魔力が込められたものならその常識には囚われない。まして、対魔術師用の呪いが篭った弾丸は、当たりさえすればサーヴァントにも効果がある。

 しかし、そんなものを正面から撃たれて直撃するようならサーヴァントなどできはしない。 

 獅子劫の銃弾を、“赤”のアサシンは動くことなく指一つで魔術を操り防いでしまう。撃ち尽くしたショットガンを捨て、獅子劫はしなびた心臓を投じる。呪いの爆弾は、“赤”のアサシンの正面で爆発する。

「鬱陶しいな、魔術師」

 “赤”のアサシンに傷はなく、ただ無駄な抵抗をされたことが不快だと雷撃を獅子劫に向ける。

「よし、行けッ、セイバーッ!!」

 “赤”のアサシンの注意が獅子劫に向いたその時、倒れ伏した“赤”のセイバーが吼えた。出ないはずの声を出し、魔力のジェット噴射で女帝に対して猛然とタックルする。

 まだ動けたことには驚いたが、それも無意味だ。

 動かない身体を『魔力放出』で弾丸のように飛ばしただけである。放たれた弾丸は、途中で進路を変えることもできず失墜するのが関の山であった。

 それを、マスターが覆す。

「セイバー。宝具を開帳しろッ」

 獅子劫の手から令呪が消える。

 封殺されたはずの令呪。しかし、今度は明確にセイバーの身体に令呪の魔力が纏わりついた。やはり、と獅子劫はほくそ笑む。“赤”のアサシンにできたのは令呪そのものへの干渉ではなく令呪によって編み上げられる空間転移の術式だ。令呪は魔力の塊であってそれ以上のものではなく、転移などの命令にはそれぞれ独自に術式を編み上げることで奇跡を為す。故に、宝具をブーストする際の術式と転移の術式は別物であり、逃げられないように転移を封じても、別の命令を打ち消すものにはならない。

我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)!!」

 痺れた身体を動かして、セイバーが邪剣を振り下ろす。

 赤雷の収束エネルギーが、容赦なく女帝に向かって駆け抜ける。

 逃げるには一瞬遅い。

「みずの、おう」

 “赤”のアサシンが、自身の持つ防御手段の中で最強の守りを展開する。

 現れたのは澄んだ水のような美しさを湛えた一枚の巨大な鱗。神代の海を泳いだ海棲生物の鱗であり、その防御力は神々の楯に比肩する。

 絶望を謳う邪剣の一閃は、“赤”のアサシンの大楯と鎬を削る。轟音を立てて、青と赤が互いを塗り替えようと喰らい合う。

「どこまでも目障りな、“赤”のセイバー――――。無益な抵抗だ。そのような中途半端な宝具で、我の楯は越えられぬぞ!」 

 本来、“赤”のセイバーの宝具は“赤”のアサシンが正面から受け止めるには威力が高すぎる。この大楯でも防ぎきるのは不可能であろう。しかし、弱りきったセイバーは話が違う。空中での振り抜きという枷もあって、令呪の補佐を受けていても万全の宝具解放には及んでいない。

 “赤”のアサシンはそう判断し、セイバーの宝具に対して余裕を持って対処する。

「ハッ。……そいつは、どうかな」

 兜の奥で、“赤”のセイバーが獰猛に笑った。

 今、王の間を満たすのは眩いばかりの赤と青。そこに、濁りきった黄色が混じる。

「何……」

 この異変を、“赤”のアサシンは即座に察した。察して、しかし手出しができない。完全に墜ちていると判断した“黒”のアサシンが、ここに来て手を伸ばしてくるということが想像の範囲外だったからである。

「“黒”のアサシン――――貴様ッ」

「バイバイ、――――『聖母解体(マリア・ザ・リッパー)』」

 そして、すべての条件を揃えた最大威力の必殺宝具が発動した。

 ありとあらゆる女を問答無用で殺害する呪詛が“赤”のアサシンの身体を捉え、その腹部に手を伸ばす。

 

 

 

 □

 

 

 

「ガハッ、うぐ、へはぁッ!」

 “赤”のセイバーは兜を外して大きく深呼吸した。

 王の間に充満していた毒素は完全に消失した。宝具によって生み出された毒は、極めて凶悪な代物ではあったが魔力に依存する概念上の毒であるために残留性が低い。“赤”のアサシンからの魔力供給を失った以上、消滅するのは当たり前であった。

「セイバー。大丈夫か?」

「ああ、なんとかな。クソッタレ、あのカメムシが、マジで死ぬかと思ったぞ」

 大の字になって寝転ぶセイバーの顔は焼け爛れていて見るも無残と言った有様だった。しかし、それも治癒魔術で修復できるものである。霊体であるセイバーは毒が消えれば肉体の異常も時間と共に消えるだろう。短時間ではあるが、毒に触れた獅子劫のほうが命を削っている。

「仕留めたと思うか?」

「いいや、ダメだろ。崩壊の兆しもねえからな」

 獅子劫の問いをセイバーは無情にも否定する。

 “赤”のアサシンは“黒”のアサシンの宝具を受けて怪我をしたのは間違いない。だが、必殺を誇るはずの宝具はなぜか必殺には届かず傷を負いながらも“赤”のアサシンは転移の術を使って王の間から脱出した。

「マスターは大丈夫かよ」

「大丈夫かどうかっていえば、大丈夫じゃねえな。けど、怪我の具合はどっこいどっこいだろ。俺は、見ての通り身体は動く」

 対毒礼装を合わせても“赤”のアサシンの毒は強かった。肉を持つ獅子劫は一度毒に蝕まれれば、その毒がなくなっても侵された臓器の機能が戻るわけではない。死に至るほどではないが、まともに動かせば危険というほどには侵食されていた。

 治癒術も万能ではない以上は、この毒に蝕まれた部位を完璧に治すには時間を要することになる。

 それから、獅子劫はうつ伏せで倒れる“黒”のアサシンの下に歩み寄った。

 “黒”のアサシンは、最期の意地を貫いて力尽きたのかすでに下半身が消えかけていた。

「“黒”のアサシン。お前のおかげで、こっちは命拾いしたぜ。感謝してる」

 “黒”のアサシンは答えない。もう、ほとんど死んでいるのだから無理もない。今は身体に残った魔力だけで存在を維持している状況であった。

「最後に、お前さんのマスターに念話を繋いでおいた。魔力供給のパスが別だったんで、ちっと手間取ったが、何か言い残したいことがあるんなら、残しとけ」

 念話は魔術師にとっては基本的なスキルである。他者の念話に介入するのは電話を傍受するようなもので中々難しいのだが、“黒”のアサシンのマスターは魔術師ではない。こちらから一方的に術をかけることは可能であった。その際、目の前にいないというのが問題だったが、それもパスを通して逆探知することで何とか繋ぐことができた。数分もかからずにこのような離れ業を成し遂げたのは、戦場を渡ってきた獅子劫が何よりも情報を重視していたからである。

「じゃあな、“黒”のアサシン。俺たちは先に行ってるぞ」

 そう言って、獅子劫は鎧を解除した“赤”のセイバーを背負って王の間をゆっくりと降りていく。向かう先には聖杯がある。そして、そこでは生き残ったサーヴァントによる最後の戦いが行われているはずであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 “黒”のアサシンの視界はすでに失われ、真っ暗に染まった。

 墜ちていく、どこまでも。

 深い闇の中に取り込まれ、永遠に抜け出せない。

 嫌だなぁと、漠然と思った。“赤”のアサシンに一矢報いたものの、自己の崩壊は止められない。“黒”のアサシンの戦いはここで終わった。

「お帰り、ジャック」

 意識が完全に消えてなくなるその瞬間、優しいマスター()の声が聞こえた。死に際の走馬灯か幻聴か、何でもいいが、アサシンはそれだけで泣きそうになった。

「よく、頑張ったわ、ね……!」

 不思議だ。

 死ぬのは冷たい世界に放り出されることだと知っていたのに、どうしてこんなに温かいのだろう。

 優しく髪を梳くように撫でられているのが分かる。

 この香りも、この温もりもすべて知っている。

()マスター(お母さん)……?」

「なに、ジャック」

 恐る恐る問いかけると、当たり前のように返事があった。目は見えず、表情は窺えないが、それでも自分が母の傍にいるのが実感できた。如何なる奇跡か分からないが、アサシンは今空中庭園を離れて母親の膝の上に頭を乗せているのである。

 それだけで、すべてがどうでもよくなった。

「頑張ったわね。すごいわ、ジャック」

 誉められた。

 それだけで、心が満たされてはち切れそうになった。

 痛みではなく、幸福感に包まれる。胸が苦しくなって涙が溢れた。

「疲れたでしょう。少し、休もうか」

「うん。ちょっと、疲れた、かな」

 急速に襲い掛かってくる眠気にアサシンは身を委ねる。母が近くで見守ってくれる。それだけで、アサシンは幸せだった。夢は志半ばで届かなかったけれど、欲しかったものは手に入ったから。

マスター(お母さん)

「なぁに、ジャック」

「起きたら……」

 起きたら、何をしようか。

 魔力供給は安定しているから人を殺す必要はない。だったら、もっといろいろな経験がしてみたい。遊びや食事、やりたいことは一杯あった。ああ、どうしよう。眠る前に伝えないと、突然言われてもマスター(お母さん)は準備できないかもしれないから。

「目が醒めたら、また、ピアノが聴きたいな……」

 墜ちる寸前に思い浮かんだのは、ある魔術師の家にあったピアノを玲霞に弾いてもらったときの記憶であった。

 あのときは、途中で演奏を切り上げて塒に戻ったのだった。聞いたことのない曲だったが、とても優しくて安らいだ気持ちになった。

 そう、だから戦いの後にはマスター(お母さん)の弾くピアノを聴いてみたい――――。

 そして、アサシンは静かに息を引き取った。三度目になる命の終わりを、彼女は夢見心地の中で受け入れた。魔力は散って、彼女がいたという痕跡は何一つ残らなかった。

 空港の待合室でただ一人、愛する娘の最期を看取った玲霞の心に去来したのは、ただただ大きな虚無であった。心に大きな穴が開いたような気持ちになり、頭の中が真白になった。

「ごめんなさい、ジャック……本当に、本当に、ごめんなさい……」

 ぎゅっと握り締めた手の甲に、水滴が零れ落ちた。

 自分がもっとしっかりとしていれば、せめて魔術師であったなら、彼女を救えたのではないか。もしも、彼女と出会っていたのが自分ではなく、正規のマスターであったならこんな形で死を迎えなくても済んだのではないか。

 膝の上で感じた重さはすでにない。覚悟していたなどまったくの嘘だった。悲しいなどという言葉では語れない感情の波が玲霞の心を蹂躙する。

 こんなに胸が苦しくなるのは、いったい何年ぶりのことだろうか。

 だが、どれだけ泣いても意味がない。生者は死者を思い涙することしかできない。

 最後の令呪は消滅し、六導玲霞の聖杯大戦はここに終結した。



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四十八話

静謐のアサシンちゃんといちゃいちゃする方法を示してくれたホーエンハイム先生はさすがやで。


 “黒”のライダーはカウレスとフィオレを庇いながらも前進を続ける。

 二人の魔術師を守らなければならないので、移動速度は比較的ゆっくりとしている。人間が走れるペースにあわせなければならないのだから、サーヴァントとしてはランニング感覚である。

「ぐ、う……!?」

 走っている最中に、カウレスが胸を押さえてふらついた。

「カウレス!?」

「だい、じょうぶ。ちょっと、痛んだだけだ」

 フィオレが顔を蒼白にするが、カウレスはそのまま走り続けた。

「どうしたんだ? 胸、……魔術刻印?」

「分からない。けど、悪いものじゃない」

「どういうこと?」

 ライダーの問いかけを、カウレスは黙殺した。

 カウレスの身体にはフィオレから移植された魔術刻印がある。それに身体が慣れておらず、拒絶反応が出たのかと思ったが、そういうわけではないらしい。誰にも理由が分からないが、カウレスは思い当たることがあるようで、気にせず足を動かし続けている。

「気をつけて!」

 ライダーが叫び、紙で織り成された蝶が一斉に震えた。黒い渦が三人を取り囲み、一息に押し潰そうとするのを、ライダーの魔導書が一撃で粉砕する。

 魔術による妨害は、ライダーの前には意味を成さない。

 捻じ曲げられた道はライダーが通るときには直線に戻り、数百からなる幻の扉は飛び回る紙ふぶきに洗い流され正しい扉のみが残る。

 空中庭園の防衛機構が魔術に依存している以上は、“黒”のライダーを妨害することなどひっくり返っても不可能である。EXランクの魔術ですら、彼の行く手を阻む障害には成り得ない。

「おっと……」

 ある場所に来たところで、三人は足を止めた。

 行き止まりだった。道は閉ざされ後ろに戻るしかない。しかし、ここに来るまで一本道だったはずだ。となれば、――――ライダーは四方八方に魔導書の項を飛ばした。

 壁に張り付いた蝶が、周囲の魔術を尽く無効化していく。

 環境を書き換えていた魔術が消失する。その結果、三人の足場を構成していた床が砕けて七五〇〇メートル下の闇へ落下する。

 襲い掛かる極寒の気流が身体中に突き刺さった。

「はい……?」

 フィオレはぽかんと首をかしげる。

「お、おい……!?」

 強烈な浮遊感にカウレスは総身を震わせた。

「そーくるかああああああああああッ!」

 ライダーは魔術破りを逆手に取った罠に笑みすら浮かべて重力の手に掴まった。

「ライダーああああああああああああッ!?」

「きゃああああああああああああああッ!!」

 カウレスとフィオレが宙に投げ出されて落下する。

 高高度からの自由落下はパラシュートでも持っていない限りは死ぬしかない。魔術師としては甚だ遺憾ながら、魔術でこの高度から生還するというのは非常に難しい。礼装と魔術刻印を備えた万全のフィオレでも高確率で死ぬ。当然、魔術刻印を備えていたとしてもカウレスが乗り切れる高さではない。

「こんなもので僕をどうにかできると思うなよ、ヒポグリフ!」

 ライダーは異界から相棒を呼び出した。金色の光が結集し、ライダーを背中に乗せるとそのマスターと姉をふわりと掬い上げて、元いた場所を目指して飛翔する。

「た、助かった……?」

「ライダーが飛行宝具持ちで助かったわね……」

 一瞬で十年は老けたような最悪の気分だった。

 パラシュートなしのスカイダイビングを強制されたのだから、げっそりとするのは当たり前だ。正直なところ、ヒポグリフの背に乗っている今の状態でも非常に不安でいっぱいなのだ。徐々に、速度が低下しているのだから尚のこと――――、

「あの、ら、ライダー。ヒポグリフ、大丈夫ですか?」

「うん、なんかきつそうだよね。どうしたのかなー。やっぱり重かったかな」

「重かったって!?」

 ヒポグリフも要塞突入時の戦闘で怪我をしているのだ。休ませるために一時送還していたが、ここで無理を押しての再登場である。身体に負担を感じてもおかしくはない。

「やっぱり、あれだ。言いたくないけど、フィオレが重い」

「何か言いました、ライダー?」

「い、いや。えぇと、ほら。……その礼装、鉄の塊でしょ」

 手綱を操るライダーでは背後が見えないのだが、それでもフィオレが氷のような微笑を浮かべているのがよく分かった。

「ここでこの礼装を捨てたら、わたしは動けなくなります! ライダー、ヒポグリフ、何とかしてください!」

「わ、分かってるよ。ヒポグリフ、頑張れ。あと少し、二メートルだよ、ほら!」

 結局、不安に負けたフィオレが(アーム)を伸ばして庭園の床を下から掴み、全体を引き上げる形でヒポグリフを助けた。

「死ぬかと思いました」

 何とか庭園の内部に舞い戻ってからフィオレは息をついた。心臓は未だに激しく音を立てている。今までで一番死を自覚した瞬間だった。サーヴァントに殺されるとかは現実感がないのだが、墜落死は想像できるから恐ろしい。

「と、ともかく生き残ったね。あ、ぶなかったぁ」

 ライダーはヒポグリフから降りて、冷や汗を拭った。

 ヒポグリフの身体の大きさだと、空中庭園の内部を探索するのには向かない。また霊体化させる必要がある。

「とりあえず、ヒポグリフの傷を何とかしましょう」

「できるの?」

「分かりません。幻想種に通常の魔術が効果を発揮するのかも怪しいですから。一応は、治癒魔術の他にも持ち込んだ霊薬がありますけど……」

 神秘の結晶である幻想種は、存在そのものが魔術の上位に当たるものも珍しくない。神秘はより強い神秘に打倒されるのが魔術の道理であり、その道理に沿えば幻想種に魔術をかけるのは非常に難易度が高い。

 それでも、相手が受け入れれば何とかなるだろう。治癒魔術は、害になるものではないし弾かれることもないと思い、とりあえずフィオレは簡単な治癒魔術をヒポグリフに施した。

 

 

 

 □

 

 

 

 時は僅かに遡り、未だ“赤”のアサシンが“赤”のセイバーと“黒”のアサシンを押さえているころのことである。王の間での戦闘が佳境に入ったそのとき、王の間の下方に位置する地下空間でも二人のルーラーの戦いは最終局面を迎えていた。

 “赤”の陣営と“黒”の陣営が互いに到達すべき場所。

 大聖杯を背景に、ルーラーは鎬を削りあう。

 圧倒的に不利なのは、当初の予想に反してルーラー(ジャンヌ・ダルク)。聖杯の主となり、膨大な魔力の支援を受ける四郎の破壊的な攻撃を、ルーラーは受け止めるのが精一杯であった。

 一瞬の勝機を逃したルーラーは、もう接近戦を挑むことはできない。 

 

 “黒”のセイバーの消滅を確認。

 “赤”のライダーの消滅を確認。

 

 サーヴァントが敵味方を問わず倒れていく。

 すべてはこの場に辿り着くため。

 “黒”のアーチャーは見事に“赤”のライダーを討ち果たした。正直に言えば、驚愕している。まさか、足止めだけでなく、討ち果たすところまで行き着くとは。しかし、消滅を確認できていないものの、受けたダメージは相当なものであろう。こちらに間に合うかは微妙なところだ。さらに懸念事項として“赤”のランサーが生き残ったという点である。

 あの大英雄を相手にするには、こちらの残りの戦力では厳しい。となれば、“赤”のランサーが戦線に復帰するまでに、事を終わらせねばならない。

 四郎を武で打ち倒すには時間も能力も不足している。

 ルーラーは、左手に持った旗を振るう。

 絶対無欠の防御宝具。

 ありとあらゆる邪悪を寄せ付けない神秘の楯にして故国を救済したジャンヌ・ダルクの象徴である。

 しかし、それはあくまでも守るためのもの。味方を鼓舞し、奮い立たせるための光であり、決して敵に向けるものではない。

 ルーラーは右手で剣を抜く。

 銀色に輝く直剣である。聖カトリナ協会で授けられた剣は、大聖杯の輝きを受けて青く光り輝いている。

 旗と剣は、そのまま西洋騎士の楯と剣の役割を果たす。

 敵の攻撃を左手で受け止め、敵の首は右手で落とす。至ってシンプルな戦い方だ。だが、それがどうした。銀の剣は宝具に換算してCランク程度の神秘しか有さない。それは、天草四郎の三池典太と同程度の宝具であることを意味する。直接斬り付けられれば死ぬだろうが、そんな隙はもう作らない。あの剣で、天草四郎を殺すことは不可能である。

 しかし、どうしたことだろうか。

 四郎は焦燥している。

 啓示を受けることはできなくなったが、彼の両腕には奇跡を起こす宝具がある。その内の右手『右腕・悪逆捕食(ライトハンド・イヴィルイーター)』が、四郎の脳裏に危険信号を発している。

 可能な限り迅速に叩き潰せ。

 この女は、今に天草四郎の夢を食い潰すぞ――――。

 

  

 ルーラーはすでに決断していた。

 天草四郎の夢を根底から否定できたわけではない。ルーラーとて、彼の理想は理解できる。流れる血も、苦しむ人々も、少ないに越したことはない。零になれば、文句なしに喜べる。

 しかし、人が生きていくのに、未来は必要なのだ。

 未来を否定して過去を拾い上げるのは、やはりどこか歪な救済ではないか。

「諸天は主の栄光に。大空は御手の業に――――」

 ルーラーの心に迷いはない。

 ただ、自分の為すべきことを為す。宝具の使用を決断したとき、あらゆる葛藤は彼方へ置いてきた。

「暖かな光は遍く全地に、果ての果てまで届いて、天の果てから上って、天の果てまで巡る――――」

 そもそも悩むこと自体が、問題だ。

 未来を信じ、未来に結末を委ねるのなら、自分たち過去の亡霊が口出しをするべきではない。

「我が終わりは此処に。我が命数を此処に。我が命の儚さを此処に――――」

 ルーラーは柄ではなく、刃を握り己の手を斬り付ける。

 聖女が血を流す。滴る赤は、ゆっくりと宝剣を濡らしていく。

「我が弓は頼めず、我が剣もまた我を救えず。残された唯一つを以て、彼の歩みを守らせ給え――――」

 青い光が墜ちる。

 聖旗の守りは打ち捨てた。直撃すれば、死ぬだろう。けれど、問題ない。なぜなら、この宝具は――――ルーラーが唯一、敵を撃ち果たすために用いる刃は、彼女自身すら焼き尽くすからである。

「主よ、この身を委ねます――――」

 少女の祈りは輝かしい奇跡となって具現する。

 巨人の腕は、ルーラーを止めることができずに燃え落ちた。

「固有結界ですと……!?」

 驚愕に目を向いたのは“赤”のキャスターであった。世界が捲れ上がるような感覚に、聖杯から与えられた一通りの魔術の知識に備わる大魔術を思い浮かべた。

 だが、それを四郎が否定した。

「いや、違う。あれは概念武装! 己の心象風景を結晶(やいば)として立ち向かう特攻宝具です!」

 ルーラーが持つ剣の柄から紅蓮の炎が立ち上る。

 太陽英雄の焔にも匹敵する裁きの火。

 ジャンヌ・ダルクの聖性は、故国の救済を成し遂げた英雄としての側面もさることながら、そのあまりにも印象的な最期が多くの人々の涙と同情を誘ったことに一因がある。前者を象徴する宝具が守護の旗『我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)』であり、今遂にその真価を発揮した宝具『紅蓮の聖女(ラ・ピュセル)』は後者を象徴する宝具である。

 この炎こそはジャンヌ・ダルクに死を与えた火刑の炎。

 彼女を魔女として火刑に処した者たちは、この炎を懲罰と信じ、そして彼女自身は自らの戦いの終焉であると信じた。

 滅びはもとより覚悟の上だった。

 どれだけ大義を掲げても流れた血と朽ち果てる骸は確かにあったのだ。多くの人を救ったが、同時に多くの人を死なせてきた。その報いをいつの日か受けることになると理解して、それでも尚駆け抜けた人生。この火はまさに、その終わり。ルーラーのすべてを終わらせる報復の炎にしてあらゆる不浄を焼き尽くす断罪の火炎。聖杯の余剰魔力で編み上げた巨人の腕はなるほど確かに強力で、対軍宝具並の威力を誇るだろう。けれど、それもこの炎の前には無意味である。跡形もなく、灰も残さず燃え落ちるのみ――――。

 

 

 

 □

 

 

 

 見たところ、宝具のランクはEX――――評価規格外だ。

 Aランクを超える宝具を持ってやっと一流の(きざはし)を踏み出せるサーヴァントの世界でEXランクを誇る攻撃宝具を有するサーヴァントは紛れもない大英雄である。

 もちろん、極東の小英雄でしかない天草四郎時貞には、そんな大出力の宝具はない。彼の宝具は対人宝具であり、しかもランクはDと底辺にある。

 この炎を止める手立ては、ない。

 しかし、立ち向かわなければならない。

 この炎は世界を焼き払う。消滅するのが四郎だけならばまだいいが、背後の大聖杯まで巻き込むとなれば話は別だ。

 ルーラーは四郎ではなく大聖杯をこそ破壊の対象としているようだ。

 この戦いの根幹を成す大聖杯を焼き払い、聖杯大戦に終止符を打つ積もりなのだ。故に、四郎は逃げられない。逃げれば夢が潰える。そんなことは、あってはならない――――。

天の杯(ヘブンズフィール)所有者(オーナー)への注力開始。『右腕・空間遮断(ライトハンド・セーフティシャットダウン)』、『左腕・縮退駆動(レフトハンド・フォールトトレラント)』」

 四郎の両腕が奇跡を練り上げ始める。

 手順を意識することはない。やることは魔術の領域にあることだが、この両腕は目的達成のための知識の有無を無視して術式を組み上げる。

 四郎個人の能力では、ルーラーの特攻宝具には及ばない。拮抗も許されない。しかし、今の四郎はそれ以前の四郎に比べて遙かに強大な力を有している。そう、――――聖杯を支配する四郎ならば、その莫大な魔力を一つの魔術として利用することも不可能ではない。

 四郎は、自分の右腕の機能を縮小して左腕に移し代える。体内へのフィードバックを抑えるために、右腕の回路そのものは遮断し、そこだけで魔力が完結するように調整を加える。型落ちはするが、左腕ですべての機能を賄えるようにしつつ、大聖杯の魔力を右腕に注ぎ込む。魔術回路は一気に暴走を始め、遮断しきれない力が身体に激痛をもたらす。さらに目の前には炎が迫る。一秒後には四郎は蒸発しているに違いない。恐怖はない。爆走する魔力の渦を右腕に抑え込み、術式を駆動する。時間感覚は崩壊し、すべてが静止しているかのような錯覚の中で、四郎は確かにその魔術を完成させる。

 

「――――右腕・零次収束(ライトハンド・ビッグクランチ)

 

 あらゆる罪障を払う紅蓮の炎に対するのは、何もかもを塗り潰す漆黒の闇。

 掻き集めた魔力を集中して、解き放たれた四郎の魔術は、彼の右腕を代償として絶大な破壊力を実現した。

 ルーラーの炎は外へ向かう力だが、四郎の闇は内へ墜ちる力であった。

 超重力の塊――――極小のブラックホールが、襲い来る炎の津波と衝突する。

 四郎は右手を消失しているが、痛みそのものは喪失した。今はこの戦いの結末を見届けるのみ。魔力を全力で闇に送り込み、聖女の炎を食い尽くさせる。

 四郎が思いつく限り最良の防衛方法。

 爆発に爆発で挑めば、余波で聖杯が傷を負う。超重力で余波すら食いつくすことが、儀式を成功させる上での最良の方法なのだ。

 しかし、それも拮抗、ないし凌駕できればの話。

 聖女の炎は、四郎の死力をあざ笑うかのように闇を溶かして前進する。

「お、のれ――――」

 四郎は歯軋りする。

 右腕を犠牲にして、大聖杯の魔力まで注ぎ込んだ。儀式が遅延するがそれも仕方がない。だが、ここで大聖杯を破壊されることだけは、仕方がないでは済まされない。

 人類救済は世界の望み。今こうしている間にも何人の命が奪われていることか。どれだけの人々が餓えに苦しみ、病に脅えているだろうか。

 ここで失敗しても、次を目指せばいい。

 しかし、その次にどれだけの年月がかかるのか想像もできない。

 魔術協会ですら、まともに再現できない冬木の聖杯だ。他の亜種聖杯では魔法に至ることができないので論外であり、魔術師たちは根源に至るという目的に聖杯が利用できることにすら気付かず、願望機という表向きの理由のみに焦点を絞った粗悪品である。

 となれば、真実を知っている魔術協会の上層部以外に冬木の大聖杯を再現できる者はおらず、その魔術協会ですら満足に解析できていない秘法中の秘法である。

 百年や二百年では、再現しきれないかもしれない。 

 もう二度と、次の機会がないかもしれない。

 今、ここで勝ち抜く以外に世界を救う手段はないのだ。

 故に、天草四郎に敗北は許されない。

 断じて、ここで折れるわけにはいかないのである。

「侮るなよ、ジャンヌ・ダルク。この俺を舐めるな。この俺の――――七十年の執念が、貴様に劣るはずがないッ」

 二十も生きていない小娘が、どうして四郎を否定できようか。 

 この結論は長らく生きてきた中で見つけ出した人類救済への唯一の手段であり、その理想系なのだ。

 穢されるわけにはいかない。

 聖杯の光が、炎に押されていく。

 闇が必死になってそれを妨げる。

 光と闇が混ざり合って、大気に激震を走らせた。膨れ上がる炎に肌が焼かれていく。思考はただ一点、黒の星をより強めることにのみ集中する。

 余計なことは考えるな。

 今は、ただこの瞬間を押し切ることだけを考えろ。

 己を叱咤し、天草四郎はありったけの魔力を叩き込む。

 絶望などしない。そのようなものは、天草の地に置いてきた。この程度の炎如きで、絶望などするものか――――。

 

 

 息が止まり、紅蓮の光は消え果てて、静寂の中に青い光が漂っている。

「か、はッ。――――、あぐ、く……」

 倒れこんだ四郎は、口から血を吐き、失った右腕から鮮血を撒き散らしながらも生きていた。呼吸によって肺を動かし、自らの鼓動を感じて生を実感する。

 生きている。

 生きているということは、即ち――――四郎の執念が、ルーラーの特攻宝具を受けきったということである。

「聖杯はッ」

 四郎は半ば潰れた身体を起こして、聖杯を見た。

 見るも無残な、破壊痕。

 大聖杯は、半壊を通り越して崩壊しかけていた。その有り様に、四郎は絶句し、しかしそれでも脈打っている奇跡に感動した。

「やった……聖杯は、生きている。生きているぞ!」

 太刀を拾い上げ、それを支えに立ち上がる。

 身体に走る痛みは忘れた。左腕が勝手に治癒魔術を使い始めているが、そんなものはもうどうでもよかった。自分の身体ではなく、大聖杯こそが儀式の根幹なのだから。

 魔力を一部失い、ダメージも受けた。儀式の成立には多少の遅延が発生したが、問題にはならないだろう。恐らくは夜明けまでには、すべての人間を不老不死にするべく第三魔法への道を開くに違いない。

 四郎はそれからルーラーに視線を向ける。

 最大宝具を使い、己の魂すらも賭けた最期の一撃を防がれた聖女は、その結末を見届けたのか否かも分からなかった。

 そこにいたのは、たった一人の少女であった。

 顔立ちはルーラーと同じだが、四郎のスキルが教えてくれる。

 あれはただの人間だ。

 四郎に抗する力はなく、ジャンヌ・ダルクに巻き込まれた一般人に他ならない。

 勝利した。

 最大の敵であったルーラーはここに滅びた。

 これで、儀式は一層高い確度で成功への道を進むことができる。

 勝利を確信したとき、王の間から続く回廊から獅子劫と“赤”のセイバーが現れた。見れば、獅子劫の背に背負われていて、満身創痍だということが分かる。

「“赤”のセイバー」

「よぉ、久しぶり」

 彼女がここにいるということは、“赤”のアサシンは敗北したということなのか。パスは繋がっているので、消滅はしていないはずだが、突破を許したらしい。

 あの身体のセイバーの実力がどの程度なのかまったく予想がつかない。攻めかかって倒せるか否か。しかし、彼女がどのような思想の下に動いていようと、大聖杯は四郎の願いを聞き届けたのだ。

「少し、遅かったですね。“赤”のセイバー」

「何だと」

「大聖杯は、私の願いのために稼動を始めました。もう少し、ルーラーが来る前に辿り着けていれば、あるいは間に合ったかもしれませんがね」

 聖杯が万能の願望機たりえるのは、偏に無色の魔力であるからだ。しかし、そこに四郎の願いが加われば、それはもう無色の魔力とはいえない。つまり、万能の願望機は、この時点で四郎の願いを叶えることにのみ魔力を使う存在に堕してしまった。

 獅子劫とセイバーの願いは、恐らく届かない。願いの方向性が異なる以上、応用するという発想も使えまい。

「てめえェ……!」

 獣の唸り声のような声をセイバーは上げた。

「だったら、儀式を止めるだけだ!」

 そこに飛び込んできたのは“黒”のライダーだった。事ここに至り、天草四郎は冷や汗をかく。“赤”のセイバーはまだいい。すでに死に体だからだ。やりようはある。しかし、見たところ“黒”のライダーは軽症。この場には“赤”のキャスターはいるが、戦力には数えられない。四郎一人で、この二騎と対峙しなければならないのである。

「来るなら、来い。セイバー、ライダー……!」

 能力は従来の半分に低下した。身体の損壊も激しい。しかし、だからといって敗北するわけにはいかない。ここで負ければ、すべてがなかったことになる。

「行くぞッ」

 ライダーが折れ曲がった槍を片手に走り出した。

 あの槍は宝具だ。アストルフォの魔槍。折れ曲がったところで穂先に宿る転倒の魔術は消えていない。近接戦において、この危険な槍は要注意である。

 もちろん、近付かせる理由もない。

 四郎は、左腕に魔力を集中し、聖杯と再接続する。巨人の腕で押し潰す。

“出力が……再接続に時間が……”

 愕然とした。予想以上に宝具の起動速度が遅く、大聖杯からの魔力供給が遅れている。ライダーが迫る。しかたない、と四郎は片手で太刀を操る。

 弾丸のように迫るライダーに、突然青銅の鎖が絡みついた。

「な……これはッ」

「アサシン!」

 四郎の傍に転移してきたアサシンが、その魔術で召喚した鎖でライダーを絡め取ったのである。

 さらにアサシンは鎖を手繰り、ライダーの小さな身体を振り回し、投げ飛ばす。

「ぐ、あッ」

 投げ飛ばされたライダーに、さらに鉄球が襲い掛かった。

「オラァ!」

 ライダーと鉄球の間に飛び込んだのは“赤”のセイバーである。弱りきった身体に鞭打って、鉄球を砕く。

 セイバーは鉄球を砕いた直後に、呻いて膝をつく。

「セイバー、君!」

「うるせえ、触るな!」

 セイバーは獰猛に叫んで、立ち上がる。

 四郎の夢が叶う一歩手前にあって、セイバーの戦意は衰えない。自分の夢はもう叶わないかもしれないが、それ自体はどうでもいい。今のセイバーを突き動かすのは、怒り――――王の治世そのものをなかったことにしようとしている四郎への怒りである。

「マスター、悪いな」

「ん、まあいいさ。これも運命ってヤツだ」

 無念がないわけではないだろうに、獅子劫は頭を掻いて笑って見せた。

「やろうぜ、王さま。これが最後だ。派手にやろう」

 獅子劫は自らの腕をセイバーに突き出した。令呪が蠢き、淡い輝きを放つ。

「セイバー、全力で戦え」

「受けたぞ、マスター!」

 セイバーの身体は限界に近いが、それを無理矢理令呪で動かす。命を救うことはできないが、死ぬまで戦うことはできる。やはり、“赤”のセイバーは途中で倒れるような存在ではない。最期まで戦い抜くのが“赤”のセイバーなのだ。

「アサシン。身体は?」

「問題ない。向こうのアサシンに一発貰ったがな……我は黒魔術師よ。例え宝具であったとしても、呪詛の類が効くものか」

 四郎には視線を向けることなく、アサシンは敵の二騎を睨み付ける。

「アサシン、頼みます」

「無論だ。後は意地の張り合いだな」

 四郎は“赤”のアサシンに目を向ける。

 傍目から見れば、傷がないように見えるが、取り繕っているだけだというのが分かる。仮にもマスターだ。彼女の身体の内側に、多大なダメージがあることを理解できていた。その身体を敵と同じく令呪で保護し、儀式の完成に向けて時間を稼ぐ。

「邪魔を……するなッ」

 “赤”のアサシンが無数の鎖鎌を召喚する。

 鎖鎌の海を、セイバーの『魔力放出』が割った。鎖鎌の破片の中を、ヒポグリフを召喚したライダーが一気に駆け抜ける。

 ヒポグリフの突進は、アサシンでも四郎でも脅威以外の何物でもない。

「一歩遅かったな、ライダー!」

 四郎が魔力を充填した青い拳が完成した。突進してくるライダーを側面から襲った。ヒポグリフを殴り倒すことができる拳を貰うわけにはいかない。

「ちくしょう……!」

 ライダーは高度を上げて、辛うじて巨腕の一撃を回避したが、攻撃の機会を喪失した。

 しかし、ライダーが通り抜けた穴はぽっかりと開いたままである。その道を通り抜け、“赤”のセイバーが突貫する。

「ランサー、来てください!」

 アサシンの魔術は間に合わず、四郎の腕もライダーを牽制するので精一杯だ。故に、令呪を以て最強の槍を転移させる。

「な……ッ!?」

 セイバーが兜の向こうで目を見張る。

 突然現れた黄金の豪槍が、セイバーの白銀の剣を受け止めていた。

「申し訳ありません、ランサー」

「構わん。聖杯を敵にくれてやるわけにはいかんからな」

 “赤”のランサーに四郎を手伝う理由はない。彼のマスターは今でも脱出した召喚主だからである。しかし、聖杯を守るのは、その召喚主の意向に沿うものでもある。サーヴァントとして敗北は許されていない。だからこそ、ランサーは四郎と矛先を揃えた。

「てめえはッ」

「下がってもらおう、セイバー」

 炎が上がり、豪槍を一閃する。セイバーは大きく跳ね飛ばされた。

 空中で猫のように一回転したセイバーは、バランスを立て直して着地する。

 ランサーは一瞬にしてセイバーに肉薄する。

「う、おぉ……!?」

 ランサーは胸に深い傷を穿たれながらも衰えることのない槍捌きでセイバーを追い詰める。鎧の端が次々と抉れ、セイバーの柔肌が露になっていく。

「舐めんじゃ、ねえッ」

 爆弾が爆発したかのような衝撃が炸裂し、赤雷がランサーを押し返す。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオッ」

 狂戦士の如き突進。

 セイバーの猛攻をランサーが受け止める。一撃一撃が周囲に衝撃波を放ち、床石が粉々に粉砕される。

 ライダーはそんなセイバーとランサーを睥睨し、聖杯に向けてタックルをする。

 ランサーは自らの怪我を省みずにセイバーを蹴飛ばし、炎の羽を纏って空のライダーに猛然と襲い掛かる。

「嘘だろッ――――!」

 ライダーは絶句し、攻撃を中断せざるを得なかった。

 事もあろうにランサーは炎を噴き出して進路を変え、弧を描いて逃れたライダーを猛追する。弧に対して直線で飛んだランサーは、ライダーに難なく追いついて神槍を以てヒポグリフを撃墜する。

「ぐ、うあああああああああ」

 地面に叩きつけられたライダーとヒポグリフは、そのまま三回ほどバウンドして転がった。

「お前に恨みはないが、これも定めだ。ここで倒れてもらおう」

 ライダーに止めを刺そうと槍を振り上げたランサーは、槍の向きを変えて真横に振るう。

 接近してきたセイバーが剣を振るってランサーに挑みかかったのである。剣と槍が激突し、赤雷と炎が舞い上がって、近くにいたライダーとヒポグリフはさらに飛ばされた。

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のランサー一騎で“赤”のセイバーと“黒”のライダーを圧倒している。

 ランサーも胸を貫かれて重傷を負っているというのに、その槍は衰えることを知らぬとでもいうように世界に黄金の軌跡を刻み込む。

 これで、戦いの趨勢はほぼ決した。

 魔術師三人では、“赤”のアサシンはもとより四郎ですら傷つけることはできない。

 王手だ。

 ランサーという壁を突破し、さらにアサシンと四郎を乗り越えるなど、敵の戦力では不可能以外の何物でもない。

 空に現れた無数の刀剣が、四郎と聖杯に刃を向けたのはそのときであった。

「な、に……!?」

 四郎は愕然としてその宝剣を見上げた。

 この宝剣の雨は、まさしく“黒”のアーチャーの能力。“赤”のライダーを乗り越えて、ここに辿り着いたというのか。

 一体どうやってあの大英雄を倒したのだろうか。気になるが、そんなことは今どうでもいい。ルーラーによって損害を与えられた大聖杯に、宝具の雨が直撃すれば、それだけで終わる。ランサーは二騎のサーヴァントで手一杯。

「この――――!」

 四郎は大聖杯に手を向けて、巨人の腕で大聖杯を守る。降り注ぐ雨と巨人の腕が激突し、激しく世界を揺るがした。

 宝具の雨から、大聖杯は守られた。

 だが、四郎自身はどうにもならない。巨人の腕を大聖杯の守りに使った以上、四郎自身は無防備となる。刺し貫かれて、死ぬだろう。問題はない。大聖杯さえ無事ならば、四郎自身はどうなっても構わないのだ。故に、自分の命は擲った。

「馬鹿者ッ! 何をぼさっとしているッ!」

 しかし、それをよしとしない者がいた。

 四郎のサーヴァント、“赤”のアサシンであった。

 彼女は咄嗟に四郎と宝剣の間に割り込むと、魔術の防壁を展開した。

 雨を弾く傘のように、半透明な魔術の楯は四郎を宝具から救う。しかし、咄嗟に展開した防壁は、完全に防ぎきるだけの強度を有してはいなかった。

 一挺一挺が宝具なのだ。防ぐには、最高ランクの守りでなければならない。重傷を負っている上に、不意を突かれたアサシンには、その防壁を張るだけの力はない。

 結果、防壁を突破した宝具が、次々にアサシンの身体に突き刺さった。

「あ、が――――、ぐ、ぐぅああああああああああッ」

 肩に胸に腹に足に宝剣が突き立ち、黒いドレスを血に染めていく。それでも、魔力を注ぎ込み、絶叫する。アサシンは、激しい咆哮と共に宝具の雨を押し切った。

 口から血が零れ落ちる。

 ふらりと倒れたアサシンを、四郎が後ろから抱きとめた。

「アサシン、何故……」

 血塗れの顔を四郎は覗き込む。

 それは、純粋な問いだった。アサシンと四郎はギブアンドテイクの関係だったはずだ。四郎が失敗すれば、アサシンは彼を切り捨てる。そういった、冷ややかな関わりだった。信頼はあっても命を預けあうものではなかったはずである。

「何故、か……」

 ぐったりとしたアサシンは、そのまま四郎の顔を見上げて呟いた。

「それが分かれば、苦労はせんのだがなぁ……」

 女帝が世界を統べるためには、生きていなければならない。聖杯が救済した世界で君臨するためには、四郎を切り捨ててでも生き残る必要があったはずだ。それだというのに、降り注ぐ宝具に四郎が晒されたとき、アサシンは深く考えることもなく四郎の前に身を投げ出した。

 サーヴァントの存在意義に殉じたというのか、マスターを生かすために我が身を差し出すなど、本当にらしくない。

 自嘲して笑い、四郎の頬に手を伸ばしたアサシンは、そのまま目を瞑った。

 力が急速に抜け落ちて、死のまどろみの中に落ちる。

 ――――無念だ。

 命が燃え落ちる瞬間に、アサシンは脳裏に思う。

 この聖人が、自分の死に際してどのような反応をしてくれるのか、それが見れないのが残念で仕方がない。



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四十九話

 フィオレはカウレスと共に回廊の内部に身を潜めてサーヴァントの勝利を願うしかなかった。

 “赤”のランサーが出現したところを見ると、“黒”のセイバーは完全に敗北したのであろう。

 “赤”のセイバーと“黒”のライダーが二騎でかかっても、ランサーに喰らい付くのが精一杯であった。見るからに不利だ。特に、ライダーはあのランサーには遠く及ばす、セイバーとランサーの激突に介入する力すらない。

 打つ手がない。

 “黒”の陣営は大聖杯を前にして敗北する。奮闘したし全力も尽くした。しかし、最後の一歩が及ばなかった。魔術師が神に祈るなどどうかと思うが、それでもフィオレは祈らずにはいられない。

 ぎゅっと目を瞑って、かつて学んだ言葉を脳裏に思い描く、その直前だった。

『神に祈るのは、すべてが終わってからにしたらどうだね、フィオレ』

 ハッとフィオレは目を開けた。

 幻聴かと思った。“赤”のライダーと死闘を演じていたはずの自分のサーヴァントはある時を境に連絡が付かなくなったからである。

「アーチャー……?」

「それ以外の何に見えるのだ?」

 不敵な笑みは相変わらずだ。

 いつの間に追いついてきたのだろうか。フィオレの最後の令呪が、アーチャーをここに導いたのであろう。必ず帰って来いと、フィオレは令呪で命じていた。

「アーチャー。お前、“赤”のライダーはどうしたんだ?」

 カウレスが、アーチャーに問いかけた。

「強敵だったよ。勝利できたのは、フィオレのおかげだな」

 フィオレもカウレスも、アーチャーの発言には驚かざるを得なかった。

 フィオレは違うが、カウレスはアーチャーが“赤”のライダーに勝利する可能性はほとんどないと考えていた。フィオレが三画の令呪をすべて費やしても、アーチャーが乗り切れるとは思えなかったのである。

 しかし、そんな下馬評を覆してアーチャーは駆けつけてくれた。

 全身に重傷を負っている。動けるのが奇跡に近い。フィオレとの約束を履行したために、アーチャーを守っていた令呪の効果が消滅した。

 アーチャーは裸一貫の状態で戦場に立たねばならない。

 その身体に刻み込まれた傷の数々は激烈な戦闘を乗り越えてきた証であり、アーチャーがいつ消滅してもおかしくない綱渡りの状態で存在していることを如実に表すものでもあった。

「さて、フィオレ。私は決着を付けにいく。巻き込まれないように、下がっていてくれ」

「もう、行くんですね」

「ああ。今なら敵を一騎、上手くいけば二騎纏めて倒せそうなのでな」

 声には疲労の色が濃く浮き出ている。

 血を滴らせ、アーチャーは戦場に向かって歩き出した。

 フィオレは声をかけることもできず、ただ巨大な敵に立ち向かうその背中を、厚い信頼と共に見送った。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 腕の中で女帝を看取った四郎は、立ち上がり、踏み込んできたアーチャーを睨み付けた。

「ライダーを倒してきましたか、“黒”のアーチャー」

 想定外といえば、“黒”のアーチャーが“赤”のライダーを討ち果たしてこの場に現れたことである。

 “赤”のランサーが四郎の下を離れて二騎のサーヴァントを相手にしているその隙を突き、四郎と大聖杯を狙った宝具の掃射を行った。

 アーチャーの狙いは四郎だったのだろう。

 四郎は聖杯を守らざるを得ず、我が身を捨てて聖杯を守るとなれば、宝具を受け入れるしかない。“赤”のアサシンが守らなければ、すべてが決着していた。

 マスターを失えば、アサシンもランサーも存在できないからである。

「世界平和を謳いながら、やはり私の邪魔をするのか?」

「押し付けられる平和など平和ではないだろう。ただの管理社会だ。その世界に、人類の笑顔があるものか」

「そんなはずはない。――――誰も血を流さない世界が、幸福以外の何だというのだ」

 両者の溝は埋め難い。

 そも、ここでの問答は意味がない。アーチャーと四郎の立場は決定的に違っており、激突は避けられない。避けることができるのなら、この部屋で出会うこともなかっただろう。

「決着を付けるぞ、アーチャー。お前の偽善を、俺はここで叩き潰す!」

 四郎は残された左腕を掲げ、大聖杯の魔力を紡ぎだす。巨大な拳が、生成されて宙に浮かび上がる。

「墜ちるのは君のほうだ、天草四郎時貞。君の正義を私は否定する!」

 アーチャーは三十あまりの宝剣を投影し、その切先をすべて四郎に向ける。

 喉を裂く咆哮は同時。

 射出された宝具と拳が、空中で激しく激突して火花を散らす。

大聖杯(ユスティーツァ)、同調開始」

 四郎は魔術回路に全身全霊をかける。聖杯の魔力を肉体の限界まで引き出して、空の拳を二つに裂いた。左腕が激しく痙攣する。痛みは超越し、身体のどこかが崩壊した。それでも、対軍クラスの一撃を断続的に振るうには、命そのものを賭ける以外にないのである。

「オオオオオオッ」

 対するアーチャーは宝剣を打ち込み、墜ちる星を弾く。

 一発の威力は敵のほうが遙かに上で、壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)による魔力の炸裂で辛うじて逸らす。

 やはり、対軍宝具並の一撃を連続できる四郎のアドヴァンテージは大きい。

 アーチャーも、上位宝具を使用すればどうにかなるだろうが、そのために魔力をチャージする時間が与えられていないのだからどうにもならない。

 強烈な四郎の攻撃は、弱りきったアーチャーでは耐え切れない。直撃は一発たりとも貰うわけにはいかず、その隙を見せるわけにもいかない。

 しかしながら、攻撃を受ければ終わりだというのは四郎のほうも同じだ。

 宝具に貫かれて生きていられるスキルを四郎は持たない。霊体ではなく肉体を持つが故に、身体の破壊は致命的なものとなる。

 勝機は皆無ではない。

 この戦いは、先に一発入れた者が勝利する。アーチャーは状況的に不利ではあるが、決して勝ちの目がないわけではなく、僅かでも可能性があるのならそれを掴み取ってみようと激痛に苛まれる身体を叱咤する。

「――――投影、開始(トレース・オン)

 青い爆撃が地面を穿つ。 

 砕けた石がアーチャーの身体を叩き、骨を砕いた。

 構うものか。

 もとよりこの身体は死に瀕している。骨の一つや二つが砕けたところで問題にならない。フィオレの治癒も、アーチャーの欠損を埋めるにはまったく足りない。

「――――工程完了(ロールアウト)全投影、待機(バレットクリア)

 アーチャーは投影した双剣を四郎に向けて投じる。引き合う夫婦剣は回避されてもブーメランのように四郎の首を狙う。

「――――停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)!!」

 心臓は鼓動を止め、内臓が悲鳴を上げる。魔術回路が限界まで励起して、可能な限りの投影宝具を射出した。

 

 

 

 □

 

 

 

「ッ――――」

 ライダーは頭から血を出して地に墜ちた。

 痛みで目尻に涙が溜まる。

 せっかく施してもらった治癒魔術でどうにか癒した傷が開き、血が滴り落ちる。

 目を開けると“赤”のセイバーと“赤”のランサーが激しく火花を散らしている。どちらも一級のサーヴァントで、どちらも重傷を負っている。

 天秤がどちらに傾くかは、傍で見ていてもまったく分からない。

 ランサーは強靭な意志で以て胸の痛みを押し殺し、宝槍を振るう。

 セイバーは反逆の意思と令呪の縛りで以て、宝剣を振るう。

 二騎の刃はすべてが音速を超えて交じり合う。

 常人の目では、空間に刻み込まれる光の軌跡を追うことしかできない。

 神速の槍と超速の剣は洗練された技と必ずや打倒してやろうという肉食獣の如き意思が込められていて、結果として戦いが長引いた。

 両者のステータスはほぼ同等。

 性質こそ違えど『魔力放出』による能力のブーストが重なり、周囲一帯はまるで台風に襲われたかのような激しい風に曝されている。

 一歩間違えば死ぬという状況で、セイバーは『直感』で以てランサーの槍筋を読み取る。

 忌々しいことに、このランサーの槍術はセイバーにとっても脅威であり、明らかに彼女の剣技を越えた巧みな技である。

 持ち前の防御力と自慢の鎧を駆使しても、ランサーの槍を防ぐことはできまい。

 そして、今のセイバーは令呪の補助を受けて辛うじて動くことができる。次に致命傷を受ければ、ほぼ間違いなく戦闘不能に陥るであろう。

 大英雄カルナ――――想像以上の難敵である。

 “赤”のランサーにとってもセイバーは油断ならぬ敵だ。

 彼女の剣術には決められた型がない。

 根本にあるのは騎士の剣術のはずだが、そのあり方はどちらかというと野生の化身のような戦い方だ。人間を相手にしていると思っていると、足を掬われることになるだろう。

 攻撃力の高さにも目を向けなければならない。

 黄金の鎧を失ったランサーの『耐久』では、セイバーの攻撃には耐えられまい。

 “黒”のセイバーに受けた傷が大きく響いているのは否定できない。彼が自身の胸に付き立てた剣は、未だにランサーを蝕んでいる。

 ランサーを突き動かすのはただ一点。この傷に恥じない戦いをしなければならないということである。

 穂先だけで一メートルはあろうかという豪槍が、蛇のようにセイバーの剣に絡みつく。

 セイバーは驚愕し、そしてこれは危険だと直感する。

 セイバーの剣は真上に跳ね上げられて、胴ががら空きになった。

「お、おおおおおおおおおおおおおおッ」

 負けてたまるか、という根性がセイバーの命を救った。

 魔力を噴射して、セイバーは無理矢理自分の身体を捻じ曲げた。メキメキと鎧が拉げ、身体が悲鳴を上げるが、左足を軸にして回転する。

 ランサーの槍が狙いを逸れてセイバーの腹部を掠める。そのまま、セイバーは独楽のように回って、横薙ぎに剣を振るう。

 白銀のギロチンが、ランサーの首に迫る間にランサーは左手でセイバーの籠手を叩く。セイバーの剣は斜め上に逸れて、ランサーを仕留めることはできなかったが、そのままセイバーは後方に大きく跳躍した。

「セイバー!」

 ライダーがセイバーに呼びかける。

「こっちは気にすんな。まずいぞッ」

 セイバーは剣を構えてランサーを見ている。 

 ライダーもセイバーが感じた危機感を、我が身を以て感じていた。

 

 

 ――――他の追随を許さない魔力の渦が、ランサーを中心に燃え上がっている。

 

 

 

 □

 

 

 

 サーヴァントの戦いは星と星の激突に似ている。

 輝かしく、個性的な光が瞬いては消える。瞬間瞬間に全力を打ち込む彼らの戦いに、魔術師は介入できず眺めていることしかできない。

「クソ……」

 カウレスは舌打ちする。

 ただ眺めているだけというのが辛い。何か彼らの助けになることができないだろうかと、必死に頭を働かせる。

「姉さん。あれ……!」

 扉の影に隠れて中を窺っていたカウレスが何かに気付いて姉に呼びかけた。

「あれは……ルーラー?」

 サーヴァントの激闘に目を奪われて気付かなかったが、戦場のど真ん中にルーラーが倒れている。

「いや、でも、あれはサーヴァントじゃないぜ。きっと、……」

「レティシア……!」

 フィオレは顔を青褪めさせて口を手で覆った。

 ルーラーは自分とよく似た特徴を持つフランス人少女に憑依する形で召喚されたと言っていた。レティシアはその肉体の持ち主の名である。

 だとしたら、非常にまずい。

 ルーラーのサーヴァントならばいざ知らず、ただの人間がサーヴァント戦の只中で放り出されているとなれば、いつ死んでもおかしくない。

 四郎がどうかは分からないが、アーチャーは彼女を気にして戦うだろう。

 レティシアとの距離は、実に一五〇メートルは離れている。

「わたしが行くわ」

「姉さん」

「わたしなら、あそこまですぐに行ける」

 フィオレの接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)は、人間を遙かに越える速度で移動できる。

 レティシアとの距離など、数秒で詰められる。

 その数秒が命取りになりかねない現状では、それすらもあまりに危険なのである。

「でも行くわ。カウレス、あなたはライダーを助けてあげて」

 ごくり、とフィオレは生唾を飲んだ。

 アーチャーが戦っている戦場に、生身で飛び込むというのか。馬鹿げていると思うが、彼が少しでも後方の憂いを感じることなく戦えるのなら、命くらい賭けてやる。

 それが、マスターの務めではないか。

 そしてフィオレは、自慢の礼装に魔力を通し、英雄たちの戦場に身を投じた。

「姉さん!」

 魔術師を捨てるといいながら、マスターとしての責任は最後まで果たそうとしている。

 まったくどこまで真面目なのだか。

 フィオレがその気になったのだから、必ずレティシアを救い出すだろう。

 それでは、カウレスはどうすればいい。

 フィオレの援護かライダーの援護か。それともアーチャーの援護か。考えるのがマスターの仕事であり、カウレスはそういった分野についてはそこそこの自信がある。

 考えるのが苦手な“黒”のバーサーカーのマスターとして参戦し、理性が蒸発しているという“黒”のライダーのマスターとして最後の戦いに臨んでいる。

 どのタイミング、いったい何をすればいい――――。

 聖杯の魔力が空間を満たす。

 緊張に胸が張り裂けそうだ。

 いや、これは違う。

 魔術回路が激しく励起している。この心臓の痛みは、大気に満ちた魔力に心臓が応えている証――――。

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のセイバーの危機感は最大級に膨れ上がっていた。

 “赤”のランサーは、激しい炎を穂先に集め、魔力の激流が視界を埋め尽くす。

「女帝が倒れ、この庭園も直に崩壊するだろう。聖杯は問題なかろうが、お前たちがドサクサに紛れないとも限らんのでな。――――ここで、決着を付けさせてもらう」

 ランサーの宝具が雄叫びを上げる。

 世界を絶叫させ、国すら滅ぼす対国宝具が“赤”のセイバーと“黒”のライダーを焼きつくさんとしている。

「ちくしょう――――!」

 セイバーは白銀の剣に魔力を込める。

 メキメキと音を立てて邪剣へと変貌する宝剣は、赤き雷を振り撒いて怨念の叫びを轟かす。

「ライダー。テメエは離れてろッ」

 セイバーがライダーに言い放つ。

 あのランサーの宝具をどうにかできるのは、セイバーのみである。ライダーでは歯が立たず消滅する未来しか残らない。

「逃がさん。二騎纏めてここで潰えてもらう」

 ライダーが脱出しようというのかヒポグリフに跨った。ここで逃すわけにはいかないと、ランサーは宝具を解放する。

「『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』!」

「『我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)』!」

 紅蓮の炎と赤き稲妻が同時に炸裂した。

 二つの宝具は絶望的な赤い光をばら撒いて世界を侵す。

 その射線上には何も残らず、万物の一切を打ち砕き、焼き払うであろう。

「ぐ、ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああッ」

 セイバーが全力で声を振り絞る。

 魔力という魔力を身体から絞り上げ、剣に食わせる。アーサー王の命にすら届いた邪剣の光だ。国を滅ぼし、偉大なる騎士王の栄光に幕を引いた輝きが、太陽如きに落とされるものか――――。

 しかし、万全の状態ならばまだしも、今のセイバーは限界に近い状態を維持しているに過ぎない。宝具の出力も全開の三分の二に届けばいいという程度でしかない。獅子劫の支援ももう受けられない。最後の令呪は身体を動かすのに使ってしまった。

 肉体の限界はとうの昔に振り切った。

 踏み込む地面が砕け、骨という骨が悲鳴を上げた。

 身体の感覚はいつの間にか失われ、ただ剣に命を懸ける自分がそこにいる。

 恨みも妬みも焦りも何も感じない。

 世界にはただ自分と剣だけが存在している。

 剣と向かい合う――――そんな、始まりの景色にも似た世界の中に入り込む異物。

 セイバーは舞い散る羽に視線を奪われた。

 賭けに出るのはまさしくこのときである。

 “黒”のライダーは英雄なのだ。自分の力が弱いことは重々承知しているし、“赤”のランサーには絶対に及ばないことも分かっている。

 しかし、それでも負けてはならないところで負けるようなことはしたくない。

 ライダーはヒポグリフに鞭を入れ、空へ飛び上がる。

 炎と雷が鎬を削る光の中で、ライダーは槍と剣を携えて太陽に挑みかかる。

 ライダーには何か策がある。

 セイバーは、視界の端に映り込んだライダーが決して逃げるのではなく戦いに臨む騎士の顔をしていたことに、言いようのない安堵を覚えた。

 あのライダーは弱いが、一発逆転の何かを持っているに違いない。

 それ以前に、大敵に挑みかかるその意気が快い。

 このランサーを討ち果たすその瞬間はきっと爽快に違いない。

「こんのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 セイバーは笑みを浮かべて赤雷を放出する。

 絶対の太陽が雷に押し戻される。

 身体中の骨を軋ませ、それでもセイバーは前進して剣を突き込んだ。太陽の心臓を穿つかのように、捻じ込んだ大剣は赤き雷の光で以て紅蓮の炎を打ち消した。

 激烈な衝撃がセイバーに叩きつけられ、小さな身体が宙を舞う。

 消え果そうな意識を必死に繋ぎ止め、空を駆けるライダーに後を託す。

「行けええええええええええええええええ! ライダーああああああああああああああああ!」

 

 

「上等だあああああああああッ!」

 “黒”のライダーはヒポグリフを駆って急降下する。

 衝撃波の渦を物ともせず、槍を振るって“赤”のランサーに突撃する。

 ヒポグリフの宝具としてのランクはB+ではあるが、その突進による物理攻撃の威力はAランク宝具の真名解放に匹敵する。

 宝具の全力を解き放った直後のランサーならば、その隙を突いて一息に突き崩せる。

 ランサーはバランスを崩しつつも、ライダーの姿を捉えていた。

 極めて強い眼力がライダーを射抜いた。

“まさか――――嘘だろッ”

 このことを予見していたとでもいうのだろうか。

 ランサーは事もあろうにライダーの動きを見切っていた。すでにその手には豪槍が戻っており、焔を纏ってライダーとヒポグリフを貫く準備を整えていた。

「“黒”のセイバーに似たような一撃を貰ってな。二度は通じん」

 ライダーの与り知らぬことであったが、“黒”のセイバーとの宝具の激突の際に、その終焉の隙を突かれたランサーは胸に深手を負った。

 まさしく、今回の焼き直しである。

 ランサーほどの英霊に、同じ手は二度通じない。その眼力は、ライダーの突進を予見しており、返す刀でその小さな身体を貫くであろう。

「負ける、もんかあああああああああああああッ!!」

 ライダーは魔力を全力で練り上げて、迫る槍にあえて飛び込んだ。

 策はある。

 この危険を乗り越える最後の一手が、ライダーでは歯が立たずとも――――人馬一体となった今、ヒポグリフの真の力を解き放つ。

「『この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)』!!」

 そして、奇跡が幻馬の嘶きと共に誕生する。

「ッ……!」

 ランサーが驚愕に目を向いた。

 突き込む槍は過たずライダーとヒポグリフを刺し貫くはずであった。その未来に、まったく疑問を持っていなかったランサーは、しかし、自らの予想に反した結果に愕然とする。

 ライダーとヒポグリフが、ランサーの槍と身体をすり抜けて背後に出現したのである。あたかも、ライダーがランサーの立つその場から消失したかのようであった。

 元来、ヒポグリフとは「ありえない存在」という意味が込められた名である。

 グリフォンとその餌であるはずの雌馬から生まれるという奇跡によって形作られたヒポグリフは、実在しているのかしていないのか、その存在感が非常に曖昧なのだ。

 圧倒的な力と魔力を誇る幻獣は、その真名を解放し力を誇示するごとにこの世界から存在感を消していく。

 故に、『この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)』は真名を発動した瞬間、ほんの一瞬だけではあるがこの世界から離れることになる。結果、ランサーの槍は世界から外れたヒポグリフとその騎手を捉えることができずに宙を切った。

「――――次元跳躍!」

「その通りッ!」

 背後に現れたライダーは、ヒポグリフから飛び降りた。真っ直ぐにライダーはランサーに飛びかかる。ライダーの『触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)』がランサーの首を狙った。

 しかし温い。

 避けるには一瞬遅いが、この折れ曲がった槍ではランサーは殺せない。しかしてその伝承を手繰れば触れることもできない。ランサーは一歩退いて、槍でライダーの槍を打ち払った。黄金の穂先を持つ槍は、豪槍の一閃で砕け散った。

 終わった。

 ライダーの攻撃宝具はここで打ち止めだ。

 ライダーがどれだけ頑張ったところで、素手でランサーを殴り殺せるはずもなく、宝具でもない剣ではランサーの肉体にどこまで傷を負わせることができるか怪しい。

 しかし、ランサーはこのときライダーを見誤ったと言える。

 槍の間合いの遙か内側に飛び込んだライダーはランサーに槍を砕かれながらも前進した。最後の一歩はすでに踏み出されている。槍で打ち払うには、あまりに内側に入られすぎた。それでも問題ないと判断してしまったのは、ライダーの素の能力が非常に低いからであるが、彼が手をかけた剣が鞘から刃を見せた瞬間に、ランサーは失策を悟った。

 遂に、その封印が解かれる。

 鞘から解き放たれた剣は輝く銀と天使の祝福に満ちていた。

「役に立たなかったらぶっ飛ばすぞ、ローラン!」

 それは、かつての仲間が帯びていた至高の剣。

 その刃の前に斬れないものは存在せず、破壊することすらもできはしない。

 大仰に振り上げる必要もなく、力を込める必要もない。その切れ味は大英雄の肉体であろうと容易く両断するだろう。

「『絶世の名剣(デュランダル)』!!」

 輝く宝剣は太陽を斬り裂いた。

 右の脇腹から左肩まで通り抜けた宝剣は、太陽の命を確かに両断したのである。

 手応えを感じ取ったライダーは勢い余ってランサーの脇を通り抜け、炎に焼けた地面に頭からダイブしたのであった。



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五十話

 地面を転がった“黒”のライダーは、すぐに立ち上がると『絶世の名剣(デュランダル)』を構え直した。

 “黒”のアーチャーが投影した宝剣は、どことなく彼が知るそれとは異なるような気がしなくもないが、その完成度はすばらしいの一言である。 

 これが、本当に偽物なのだろうか。

 記憶にあるローランの宝剣に勝るとも劣らない見事な出来ではないか。

 持ち主の能力に拠らず最高の切れ味を維持する宝剣は、能力の低いライダーの奥の手とするにはちょうどよかった。

「失態だな。いや、お前のほうが一枚上手だったということか」

 “赤”のランサーは静かに佇み、ライダーを見ていた。その瞳は凪いだ湖のように静かで、太陽の苛烈さは感じられない。

「上手も何も、僕だけの力じゃないからさ。自慢になんてならないけど」

「そのようなこともないだろう。足りぬものを他者の協力で補うのは至極当然のことだ。それでも、その剣はお前には荷が勝ちすぎているように思うがな」

「一言余計だよ、ランサー」

 言われなくても、ライダーにはよく分かっている。

 この剣を帯びていいのは唯一ローランのみ。シャルルマーニュ十二勇士最強の男以外が振るうことは許されるものではない。

 それでも、勝つためにはしかたない。

 “黒”のライダー(アストルフォ)は伝承の時点で人から様々な宝具を借りたり貰ったりして、多くの強敵を討ち果たしてきた。

 “赤”のランサーもまた、そんなライダーに倒された強敵の一人となったということだ。

 ランサーの身体が足の先から消えていく。

「逝くのか、ランサー」

「ああ、どうやらオレのほうにも時間が来たらしい」

 “黒”のセイバーに一撃を受けてから、満足に傷の治療をしないままに戦ってきた。偏に討ち果たした男に恥じぬように死力を尽くした結果であるが、それもここまでのようだ。

 よもや、“黒”のライダーに討たれることになろうとは思ってもいなかったが、――――。

「いや、違うな。お前は、“黒”のセイバー(ジークフリート)の仇討ちのために、勝てないと知りつつオレに挑む覚悟のある男だったな。ならば、オレが敗れるのは必然か」

 大切なのは勝算ではない。

 勝てないと知りつつ、その高みに手を伸ばす愚者が、奇跡を積み上げることで英雄となる。勝てる戦いに勝利したところで名声には程遠く、なればこそ勝算の低い戦いに挑む者には敬意を込めてその生き方を評価しなければならない。 

 ジークフリートが竜に挑み、そして鎧を失ったカルナが死を覚悟してクルクシェートラの戦いに臨んだように、“黒”のライダーは負けると分かっていても絶対にランサーから逃げることはしなかっただろうし、そんな男だからこそ、勝ち目のない戦いをひっくり返すことができたのだろう。

 今更ながらに気付くとは、まだまだ未熟だったようだ。

 “黒”のセイバーを倒して、どこか満足したということもあるだろう。無論、手加減したつもりはまったくないが、ここで倒れたとしても、これといった無念も残らない。

 やるべきことはやりきったという、至極落ち着いた心持のまま、太陽の子は去っていった。

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のランサーが消滅し、“赤”の陣営で生き残っているのは天草四郎時貞と“赤”のキャスターだけとなった。

 キャスターは戦力外なので、後は“黒”のアーチャーが何とか四郎を倒せば、戦いは終わる。

 “赤”のセイバーと“黒”のライダーの奮闘が、“黒”の陣営に勝利の光をもたらしたのである。

 しかし、天草四郎もそう簡単には落とせない。

 アーチャーの弾幕を巨人の腕で粉砕し、さらにアーチャーを叩き潰そうとまでするのである。

 信仰あるいは信念、妄執の類。

 カタログスペックなど、最早意味を成さない。大聖杯と接続し、自身の肉体の崩壊すらも覚悟した男を止めるには、こちらも一秒後の死を覚悟してことに当たらなければならない。

「そこをどけ、アーチャー……! あの日置き去りにしてきた者たちが、俺の救済を待ち望んでいるのだッ! 俺を信じてくれた皆のためにも、貴様の偽善を許すわけにはいかないんだッ!」

「気持ちは分かる。救いたくても救えぬ者が、この世界にはどうしても出てしまう。それを許容しろとは言わん。だが、その絶望を乗り越えて、人は未来を見る。いい加減、人類を信じてみたらどうだね、天草四郎時貞!」

 宝剣の掃射と分裂した魔力の拳の散弾が、宙で激突して華々しく散る。

 夜空の星のように散りばめられた光が、一際強く輝いた後で、対消滅し、一瞬の闇を呼び込んだ。

「性善説か? そんな理想論で人は救えない。現実の行動に拠らなければ、信じるだけでは決して人類は成長しないんだよ!」

「理想論というのなら、君のほうこそ理想論だ。全人類の不老不死などで、幸福な未来が訪れるものか。変化のない世界で人類を待っているのは、停滞と諦観だけだと思うがね」

「血を流さぬ世界だ。苦しみはなく、我欲もない。争いは発生しえず、争いがなければ、不幸になる者もいないッ」

 宙空で合成した拳。その大きさは、ルーラーに叩き付けたソレに比べても一回りは大きいだろう。その巨大な拳が、アーチャーに向かって無造作に落下する。

 激しい爆発に身体が打ち震える。

 対軍宝具に匹敵する攻撃をたった一人に向けて叩き付けた。アーチャーのスペックでは、この一撃に耐えることはまず不可能――――。

 青い爆発の中に、一輪の花が咲く。

 七枚の花弁が雄雄しく咲き誇り、アーチャーと拳を決定的に別った。

「ッ……防御宝具かッ」

 正体不明ながらも相当に強力な防御宝具なのだろう。

 だが、今の一撃を避けずに宝具に頼ったということは、即ち避けられなかったということだ。アーチャーの肉体に限界が生じ、足が止まったからに他ならない。

 あの楯を突破すれば、天草四郎の勝利だ。

 一発、二発、三発と青い拳が叩きつけられる。

 一撃ごとに衝撃が走り、屈強な楯に罅が入る。一枚が砕け、二枚目が散った。三枚目からは瓦解の速度が速まって、気がつけばもう五枚目が砕けようとしている。楯を支えるアーチャーの顔が苦悶に歪んでいる。

 このまま、押し切れる。

 四郎が全力を費やしてアーチャーを討ち果たそうとしたそのとき、視界の隅に一騎のサーヴァントが躍り出た。

 

 

 

 □

 

 

 

 レティシアを拾い上げたフィオレに突きつけられたのは、空中庭園の崩壊という絶望的なシナリオであった。

 天井が砕けて、岩塊が落下してくる。

戦火の鉄槌(マルス)!」

 フィオレは礼装を駆使し、光弾を機関銃のように連射して落下してきた岩塊を打ち砕いた。

 “赤”のアサシンが消滅したことで、魔力の供給が途絶えた宝具が瓦解を始めている。不幸中の幸いだったのは、この空中庭園が、実在する物質を材料に組み上げたものであるということであった。アサシンが消えても、この世に存在する物質は消滅しない。ネブカドネザル二世が有する本物の空中庭園であれば、あるいは魔力へと還っていったかもしれないが、セミラミスのそれはあくまでも虚栄であってオリジナルではない。結果として、組み合わさった建材は互いに支え合い、崩落をギリギリのところで抑え込んでいた。

「姉さん!」 

 そこに駆けてきたのは、カウレスとライダーだった。

「カウレス!? どうして出てきたの!?」

「し、しかたないだろ、回廊が崩れ始めたんだから!」 

 聞けば、カウレスが潜伏していた回廊とこの部屋の境に天井から石が落ちてきたらしい。それで、ランサーとの戦いが終わったこともあって手が空いたライダーの傍に来たということだった。

「レティシアって言ったっけ」

 ライダーは、フィオレが抱えるルーラーだった少女を見て言った。

「気を失っているだけだね。しかし、それにしても本当にルーラーによく似てる」

「ルーラーは彼女に憑依する形で召喚されていましたから、似ているも何も顔の造詣はレティシアのものでしょう。ただ、条件に合致する人物を選定したはずですから、生前のルーラーと瓜二つでも驚きませんけど」

 ルーラーがサーヴァントとして肉体に依存するデメリットを感じてはいても容貌や身長、手足の長さなどからくる感覚の乱れに悩まされなかったところから見るに、生前と瓜二つの容姿というだけでなく、年齢や身体の各部位の特徴までよく似ていたのであろう。強大なサーヴァントが憑依するというだけで、常人ならば肉体と魂が変質して死に至る。聖杯がバックアップしていたとはいえ、常識的に考えて彼女もかなりの綱渡りをしていたのである。

「この娘の安全は、君に任せるよフィオレ」

「それはもちろんです。あなたには、アーチャーの加勢に行ってもらいませんと」

「当然、ここまで来たんだ。行くところまで行ってくるさ」

 ライダーは『絶世の名剣(デュランダル)』を携えて天草四郎を倒すべく動き出した。

 『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』の頑強な守りが砕かれつつある中で、ライダーの加勢はアーチャーにとっては非常にありがたく、四郎にとっては忌々しいものであった。最弱とはいえその手に握られた宝剣は一級の宝具であり、何よりもサーヴァントという時点で最大級の警戒対象である。“赤”のランサーが途中で敗退したことも大きい。

 だが、ライダー自体は弱いサーヴァントであり、遠距離攻撃手段を持たない。近付かせなければいいという点で、アーチャーよりも危険性は低い。

「負けるものか……!」

 四郎は左腕が裂けるような感覚を覚えながらも魔力を操るのをやめない。むしろ無理矢理にでも出力を上昇させ、アーチャーとライダーを纏めて相手にする。

 余裕はないが、無理を押し通す。

 そのための力はここにあるのだから。

 

 

 ライダーが戦いに加わったことで、アーチャーへの負荷が減った。しかし、四郎の間断ない攻撃は苛烈さを増し、弱った二騎を押し留めている。

 後一手が必要なのだ。ほんの一つの判断で、戦いの趨勢を大きく変えることができる。

 “黒”の陣営と“赤”の陣営の最後の戦いは、一つの判断ミスで勝敗が入れ替わるほど難しい局面を迎えていた。

 ライダーは俊敏性を活かして四郎に肉薄しようとするも、命を削って放たれる連撃を前に近づけず、アーチャーは楯を維持するのに手一杯で攻撃を再開できない。

 時間は徐々に削れていく。

 タイムリミットが迫る。

 四郎が浪費した魔力も、地脈から吸い上げれば補完できる程度のものであり、世界最高峰の大英雄の魂を取り込んだことで、聖杯はさらに完成に近付いた。

 時間がモノを言う。

 天草四郎は二騎のサーヴァントと互角に戦っているものの、時間を稼げば、大聖杯が稼動を始める以上は、敵を倒せなくても問題がない。ただ、聖杯を守り通せばいい。一方の“黒”の陣営は四郎を倒さなければならないというのは変わらない。

 聖杯を破壊するためには、その前に立ちはだかる天草四郎が邪魔である。

 四郎を倒さなければ、大聖杯には届かず、彼の野望を挫くことができない。

 状況が悪すぎる。

 “赤”のセイバーは遂に昏倒して加勢できない。アーチャーとライダーで、勝負を決さなければならない。

 しかし、どうにかして天草四郎を崩さなければならない。

 だが、四郎の『対魔力』はAランクもある。

 EXという規格外を除けば、この『対魔力』は最高峰であり、神代の魔術ですら弾くことができる。カウレスは言うに及ばず、フィオレの全力の魔術であってもそよ風のように受け流せるだろう。それでは、注意を引くことすらできない。

 ドクン、と心臓が脈打った。

 頭の中に電気が走ったように気がした。

 思考は限りなくクリアなのに、どうしてそんなことを思いついたのかまったく分からない。極限の状況に追い込まれて気が狂ってしまったのだろうか。

「姉さん。俺、ちょっと行ってくる」

「カウレス……?」

 フィオレが何事かと尋ねる前に、カウレスはすでにフィオレに背を向けていた。

「カウレス、あなた、まさか……!?」

「大丈夫、――――この前の決着を付けるだけだからさ」

 そうして、カウレスは、無謀にも英雄たちがぶつかり合う戦場に向けて足を踏み出した。

 両腕を苛む痛みは熱となって包帯を焼き払った。

 燃え落ちた布地の下から、火傷の痕が露になる。手の甲から走る赤黒い筋は、前腕部を蜘蛛の巣状に駆け回り、カウレスの腕を痛々しく彩っている。

 衝動のままに駆け出した。

 どこからやってくるのかも分からない、戦闘本能のようなものがカウレスを突き動かしている。

 激しく鼓動を刻む心臓。血流は加速して、身体中を魔力が行き交う。カウレスが今までに体験したことのないほどの魔力が身体の中から湧いてくる。

 前に進む足は魔力で強化され、魔力の過剰な流入が神経系に痛みを走らせる。

呼吸するごとに、心臓が拍動するごとに、大気中を漂う魔力が体内に取り込まれ、身体を動かす動力へと変換される。熱力学のエネルギーに拠らない――――第二種永久機関に等しい奇跡がそこにあった。

 無制限の魔力を受け止められるほど、カウレスの身体は頑丈にはできていない。

 もともと少ない魔術回路は、一度に流せる魔力の許容量も少ないからだ。

 だが、肉体の崩壊はカウレスが思っているほど深刻ではなかった。身体のほうも、微妙に造り変わってしまったのだろうか。

 カウレスの地力ではありえず、受け継いだ魔術刻印でも説明できない異常事態である。しかし、カウレスにはその原因に心当たりがあった。 

 触媒に使った設計図に記されていた。

 “黒”のバーサーカーの奥の手は、極低確率ながらも第二の彼女を生み出すのだと。

 ここに――――この心臓に、彼女の欠片が宿っているのなら、この不可解な現象が説明できる。

 この腕の中で息絶えたバーサーカーを思う。 

 カウレスが死ねと命じ、見事に戦って消えたバーサーカーが最期に残した存在した証。

 カウレスの中にしっかりと根付いたバーサーカーの末期の祈りは、サーヴァントの戦闘本能をカウレスに植えつけて、彼の精神から戦いへの恐怖を取り払う。

 それはあたかも、バーサーカーが導いてくれているかのようであった。

 

 ――――天草四郎時貞。

 ――――あのとき、お前はバーサーカーを相手に余裕の表情だったけどな。

 ――――バーサーカーは、お前が思っているような、弱いヤツじゃなかったんだぜ。

 

 少なくとも、この戦いの趨勢を決する力を、彼女は持っている。“黒”のバーサーカー(フランケンシュタイン)は滅びてしまったが、その欠片はここにきちんと残っていて、聖杯大戦の最後を飾ろうとしている。

 ライダーがカウレスに気付き、早く下がれと叫ぶ。

 カウレスはサーヴァントの指示を黙殺した。

 ライダーに遅れて、天草四郎はこちらに気が付いた。

 魔術師如きが何のつもりだと、払えば落ちる蟻のような存在だとでも思っているのだろうか。彼の『対魔力』を思えば、カウレスが障害になると思うほうがどうかしている。

 その思考の間隙をこそ、カウレスは突く。

 距離はざっと三十メートル。 

 十二分に射程に収まっている。

 使い方は、身体が覚えている。彼女の欠片とカウレスの意思は合一し、両腕(砲身)はその照準を四郎に合わせた。

 カウレスの身体から紫電が発し、両腕の火傷の痕を循環する。

 ここに至って、四郎は明確にカウレスを危険だと認識した。だが、もう遅い。引き金はすでに引き終わっている。

「ぐ、ごおおおおおおおおおおおおおおおおッ」

 神経が焼かれるような激しい熱が、腕を駆け巡る。庭園の内部だというのに、暗雲が立ち込め、風が舞う。心臓に充填されたエネルギーは、両腕の火傷(回路)を巡って収束する。

 天草四郎は、全人類を救済すると言っているが、その救済におそらく人造人間であるフランケンシュタインは含まれていないのだろう。彼が見ているのはあくまでも人類であって、その枠の外には目を向けていないから。

「今度こそ、一緒に戦うぞ――――バーサーカーッ!」

 そして、『磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)』が雷撃の剣となって四郎へと解き放たれた。

 

 

 

 □

 

 

 

 結果としてカウレスが放った一撃は、四郎の身体には届かなかった。

 四郎が咄嗟に形成した青い拳が頑強な防壁と化して、『磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)』を防いだからである。

 威力にすればCランクに届くかどうかの雷撃は、たとえ直撃していたとしても命を奪うには至らなかったであろう。

 カウレスは確かに“黒”のバーサーカーの宝具の影響を受けてフランシュタイン化とも言うべき肉体の変質を遂げたが、当然本来の“黒”のバーサーカーそのものになれるわけではない。

 出力はオリジナルには遠く及ばず、その一撃は四郎の命を脅かすには至らない。

 しかし、意味がなかったかと言えばそのようなことはない。

 少なくとも、この一瞬、四郎は確かに二騎のサーヴァントから注意を逸らさなければならなかった。そして、その僅かな時間を、二騎のサーヴァントは最後の隙と見て攻勢に出た。

「今度こそほんとに下がれよ、マスターあああああああああああああああ!」 

 四郎が力を暴走させたりすれば、カウレスのいる場所も巻き込んでしまう。ライダーはカウレスに怒鳴りつつも、一気に肉薄する。

 『絶世の名剣(デュランダル)』に斬れないものはない。

 四郎が操る青の拳をライダーは両断する。

 たとえ彼が、宝剣の真の力を引き出せる本来の担い手ではなくとも、その剣そのものに付加された伝説は確かな効力を発揮してくれる。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああッ!」

 四郎が絶叫し、迫るライダーの眼前に特大の魔力砲を叩き込んだ。指向性を持たせただけの魔力の塊は、ライダーの足元の地面を打ち砕き、爆発的な衝撃波で彼を弾き飛ばす。

 絶大な魔術耐性を持つライダーであっても、物理的な衝撃までは殺しきれない。

「アーチャーッ!」

 吹き飛ばされながらも、ライダーは『絶世の名剣(デュランダル)』を逆手に構えて四郎に向けて投じる。その切れ味は投撃に用いても十二分に機能する。

 四郎は、ライダーの投撃を青い拳を楯にして防いだ。 

 宝剣の刃が柄まで突き刺さる。

 その直後、青い拳に突き立った『絶世の名剣(デュランダル)』が内側から崩壊し、激しい閃光を伴った爆発を起こした。

 Aランクに匹敵する宝具が、内包する神秘を撒き散らし、青い拳ごと辺り一帯を吹き飛ばす。可能な限りの強化を施した天の鉄槌(ヘブンフレイル)であったとしても、内側から吹き飛ばされたのでは耐えようがない。

「ぐ、くぅ……!」 

 四郎の顔に飛び散った小石が傷を付ける。左腕を楯にして飛び散る礫から目を守りつつ、様子を探る。

 来る、と直感した。

 爆発を突き抜けて、アーチャーが駆け抜けてくる。

 天の鉄槌(ヘブンフレイル)が使えない近接戦の間合いで、アーチャーは確実に決着を付けるつもりでいる。全力で展開した天の鉄槌(ヘブンフレイル)を地面に叩き付けた。粉塵が舞い上がっている所為で敵の姿が見えず、気配を辿っての攻撃になった。

 負けるわけにはいかない。

 かつての戦場で無為に失った無辜の民のためにも、そしてこの戦場で散ったサーヴァントたちのためにも、天草四郎は計画を完遂しなければならない。

投影、開始(トレース・オン)

 アーチャーは、青き鉄槌の雨を潜り抜けて四郎に迫った。

 その手に輝ける黄金の剣を携えて、

「アーチャーああああああああああああああ!」

 対する四郎は左手で太刀を操り、アーチャーに向かって踏み出した。

 この左腕は、『心眼(真)』と『心眼(偽)』に類似した機能がある。剣術では隻腕ということもあってアーチャーには劣るが、先読みではアーチャーに勝ることができる。そして、互いに防御力はほぼ皆無と言ってもいい状況のため、必然的に最後の一撃を入れたほうが勝利者となる。

 たとえ、Cランクという低い神秘であったとしても三池典太で首を刎ねることは不可能ではない。

 確かに、先読みで勝ればアーチャーに打ち勝つことは十分に考えられるだろう。肉体面での負傷の度合いに関しても、アーチャーのほうが四郎よりも重傷である。勝機はあると考えるのも無理のない判断であった。ただし、仮定条件を見誤っていれば、四郎の判断は根底から覆ることとなる。

 アーチャーは重傷を負っていて、能力も『心眼(真)』があるだけである。彼自身の剣術は優れたものがあるが、四郎の先読みがあれば乗り切れる。

 だが、四郎はアーチャーについての理解が足りていない。

 このアーチャーについては、視た通りの能力値で判断はできないし、してはならないのだということを。

「憑依経験、共感完了」

 この時点ですでに、彼の剣術はアーサー王のそれと化していたのだということを、四郎は知らなかった。

 『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』。

 アーサー王伝説の始まりを飾り、そして英霊エミヤの原点とも言うべき至極の宝剣である。

 天草四郎の理想が分からないわけではない。

 彼は置き去りにしてしまった者たちをこそ救いたい。彼らの死を認められず、彼らの死を否定したいのである。それは、聖杯でなければ叶わない願いに違いない。しかし、アーチャーは否定する。置き去りにしてきた者を偲び、前を向いて必死になって進んでいった人々を知るが故に、その苦しみと努力を無駄にしたくない。

 悲劇の中で死んでいった者と悲劇から生還し、未来を歩んだ者。

 二人は同じ理想を掲げながら、その始まりからして異なる立ち位置にいた。

 故に、この対立は避けられず、必然とも言うべきものとしてここに顕れたのである。

 一合目で四郎は失策を悟った。

 二合目で太刀が弾き飛ばされ、手首を傷める。

 次は打ち合わせる刃はなく、ただ先読みを駆使して避けた。

「アーチャー、それほどまでに人類の救済を拒むのかッ……!」

「私が拒むのは、君の救済だよ。人類にはそれぞれに見合った救われ方がある。画一的な救済はどこかで必ずほころびが生まれるッ」

 隻腕の四郎では、最早アーチャーの打ち込みを抑えきることなどできはしない。

 遂に、アーチャーの剣は四郎の心臓を貫いた。

 体重を乗せた体当たりにも似た刺突を防ぐ手立てを四郎は持たず、避けることもままならない。ここに、四郎は敗北した。

 四郎の口から、大量の血が零れ落ちた。

「生憎と私は自分の無力を恨んだことはあっても、人類を否定したことはなくてな。どこまでも君とは相容れない」

 剣を通して伝わる四郎の最後の鼓動。刺し貫かれた心臓は、戦いの終わりを告げるかのように停止した。

「ああ、そうか。……それは、残念だ」

 アーチャーは剣を抜き、四郎は仰向けに倒れた。血の海が、彼の肉体を中心に広がっていく。

「だがな、アーチャー。……俺も、お前を受け入れられないし、聖杯はすでに完成している。……人類の救済は、もう止められない……俺の勝ちだよ、アーチャー」

 それを最期に言い残し、四郎は目を瞑った。

 激動の人生を屈強な精神で走り抜いた聖人の最期であった。

 

 



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五十一話

 四郎が敗れ、“赤”の陣営はここに倒れた。

 激闘を繰り広げたアーチャーは、膝をつき、幾度目かの血を吐いた。この日だけで、一生分の血を流したに違いない。令呪の補強もない今、消えるのも時間の問題だろう。

「アーチャー!」

 一番初めにレティシアを抱いたままフィオレが駆けつけてきた。

「アーチャー、怪我を。……すぐに治療します」

 そう言ってフィオレはアーチャーに治癒魔術をかける。聖杯大戦は終わり、誰一人として勝者にはなれなかった。アーチャーも直に消えるとなれば、フィオレの治癒魔術に意味はない。

 しかし、それを分かっていてフィオレは治癒魔術をかけようとしたし、アーチャーも甘んじて受け入れる。

「全員ボロボロだな」

 そこにやってきたのは獅子劫であった。

 彼自身、“赤”のアサシンの毒を僅かなりとも受けてしまっていて、火傷のような傷を全身に負っている。カウレスも自分の力の限界を超えた宝具の使用で激しく消耗していて、両腕は筋肉の断裂や皮膚からの激しい出血などの怪我をしている。

 怪我らしい怪我をしていないのは、直接戦闘に参加しなかったフィオレとレティシアだけであった。

「なあ、アーチャー。その剣」

 “赤”のセイバーは、獅子劫に背負われたまま、アーチャーが持つ聖剣を指差した。

「紛い物だぞ」

「知ってる。でもよ、ちょっと持たせてくれ」

 アーチャーにとって重要な意味を持つ『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』であるが、この剣はセイバーにとっても大きな意味を持つ聖剣である。

 彼女が興味を示すのは当然であった。

 アーチャーから剣を受け取ったセイバーは獅子劫の背中に張り付きながら器用に剣の調子を確かめるように柄を握り直し、それからアーチャーに返却した。

「いいのか?」

「ああ。何か、もういい――――。分かったよ」

 セイバーは、それから獅子劫の背中で丸くなった。彼女なりに、何か思うところがあったのであろう。

「コイツ、どうすんだ?」

 獅子劫が大聖杯を見上げて尋ねてきた。

「止めなければなるまい」

 四郎が倒れても、大聖杯は停止していない。確かな鼓動を刻み、膨大な魔力で世界中の人間を不老不死にするために動き出す。すでに、その活動は始まりつつあった。不幸中の幸いだったのは、ルーラーの攻撃によって大聖杯の八割が損壊していたことと、四郎が戦闘にいくらかの魔力を流用したことで、完全な起動に多少の時間を要するということであった。

「しかし、止めるといっても、どのようにして……?」

 大聖杯は魔術の塊なので、正規の手段で停止させようとするのならシステムに干渉する必要がある。しかし、神代の魔術に匹敵する高度な術式で組み上げられた大聖杯にさらに四郎が改良を施したこれは、現存する魔術師の手におえる代物ではない。

「私が残るしかあるまい」

「そんな、アーチャー!」

 フィオレが悲鳴にも似た声を上げた。

「この中でこの聖杯を術式ごと破壊できるのは私くらいのものだ。ライダーはフィオレたちの脱出に必要だし、セイバーは宝具の振り抜きができる身体ではないからな」

「ッ――――」

 フィオレは息を呑み、唇を噛み締めた。

 彼の言うとおりだ。

 フィオレとカウレス、そしてレティシアの三名がこの空中庭園から無事に脱出するにはライダーのヒポグリフに乗っていく必要がある。そして、“赤”のセイバーは限界に達して宝具が使えるような状態ではない。となれば、魔術を破戒する力のある短剣を有するアーチャーが、聖杯を根本から打ち壊すより他にない。

 選択の余地が、そもそもないのである。

「冬木の聖杯を破壊するのは、私の得意分野だ。ここはプロに任せて、君たちは早々に撤退するべきだな」

 相変わらずの皮肉気な笑みを浮かべて、アーチャーは言い切った。

「そんじゃ、俺たちはここで退散させてもらうぜ。じゃあな、フォルヴェッジ姉弟」

 獅子劫はセイバーを背負ったまま一目散に去っていった。“赤”のアサシンが滅びた以上、空中庭園の内部にあったトラップはすべて解除されている。空間拡張も消滅したために、脱出ルートは比較的短いはずであった。

 アーチャーは弓を取り出し、捻れた剣を番えた。

「『――――偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』」

 ただの石材と化した空中庭園を、アーチャーの宝具が真っ直ぐに貫いていく。完成したのは、ヒポグリフ一頭が辛うじて通れる程度のトンネルであった。

「君たちも、早く行け。この空中庭園は、もう保たないだろう」

 地鳴りのような音が響き渡った。落ちる天井、裂ける床石。アーチャーがせっかく造ったトンネルも、下手をすればすぐに崩落するかもしれない。

「アーチャー。あなたは、……あなたは、これでよかったのですか?」

 フィオレはおずおずとアーチャーに尋ねた。

 正義の味方として名も知らぬ誰かのために戦った名もなき英雄。この戦いが終われば、きっとアーチャーは守護者の任に戻るであろう。

「気にすることはない、フィオレ。私は私で、天草四郎の望みに思うところはあったが、それは自分の望みと在り方を考える機会に恵まれたと捉えている。そして、私は自分なりに考えた上で剣を執った。故に、心残りは存在しない。後は、君たちが無事に帰還できればそれでいい」

 真摯な態度で、アーチャーはフィオレに言い聞かせるように言った。

 ライダーがヒポグリフに飛び乗り、カウレスがレティシアを抱えてそれに続いた。

「頼むぞ、ライダー」

「ああ。アーチャー、必ず送り届ける。任せとけ」

 ライダーが笑って言った。どこか、無理をしているようなそんな笑みであった。

 最後にフィオレがヒポグリフの背に乗った。明らかに定員はオーバーしている。ヒポグリフの負担を考えて、フィオレは、しかたなく自らの礼装をここに置いていくことにした。

「これからの君には、その礼装は必要ないからな」

 フィオレは魔術師を辞め、一般人として新たな世界で生きていく。血生臭い戦いの日々はここに終わり、彼女は太陽の下でその生を全うするだろう。

「これで、終わりなんですね」

 礼装を外して地面に落とす。身体にかかっていた重圧がなくなり、フィオレは纏わりついていた何かから解放されたかのような気持ちになった。家の歴史、魔術師としての未来、他者の期待、そういったしがらみをフィオレは脱ぎ捨てたのである。

「魔術師としてのフィオレはここで死んだ。もう二度と命を懸けるような事態にはならんだろう。――――だがな、フィオレ。君自身の戦いはここから始まるということを忘れないでほしい。君の未来に大いなる祝福があることを祈っている」

 胸が苦しく、張り裂けそうに痛い。

 ここで、ヒポグリフが走り出せば、もうアーチャーと言葉を交わす機会は二度とやってこないだろう。命を賭けて自分との約束を果たしてくれた戦友に、言葉をかけようとして何を言えばいいのか分からない。何か言わなければならないと思いながらも、ここに来てまったく言葉が出てこなかった。

「アーチャー。わたしからも、何か気の利いたことが言えればよかったのですが……すいません。本当に……」

 大事なところで泣いてしまって、フィオレは言葉を紡げない自分を恥ずかしく思った。視界は涙で一杯になり、アーチャーの顔をまともに見ることができない。

 そんなフィオレに、困ったように笑みを浮かべたアーチャーは、 

「そうだな――――それなら、私からの頼みを聞いてもらえないだろうか」

 と、フィオレに言った。

 

 

 アーチャーの願いを聞き届けたフィオレは、目尻に涙を溜めて頷いた。

 フィオレにできることであり、彼女にとっても必要なことであった。悲しいが、アーチャーとの約束を果たさなければ、フィオレは前に進んだことにはならない。

「準備オーケー。マスター振り落とされないように注意してね!」

 意識のないレティシアや両手が傷ついたカウレス、そして両足が不自由なフィオレと背中に乗せるには不安な面々が揃っている。ライダーは、彼らを紐で繋ぎ、ヒポグリフの背中で安定するように工夫したのである。

「令呪を以て告げる。ライダー、俺たちを連れて全力で離脱しろ」

 カウレスの令呪がライダーとヒポグリフの身体に纏わり付いた。

 ヒポグリフの怪我やライダーの状態を考えて、念のために補強する。高高度で力尽きられても困るから必要不可欠な補強であった。

「じゃあな、アーチャー。世界のどこかで、また会おう!」

 ライダーがアーチャーに別れを告げ、カウレスが軽く手を振った。ヒポグリフは一声大きく嘶いて、アーチャーが生み出したトンネルに勢いよく飛び込んでいく。

 最後にフィオレが振り返ると、アーチャーは大聖杯に向かって歩み始めていた。

 赤い背中が遠くなっていく。

 押し迫る悲しみにフィオレはカウレスの背中に顔を押し付けて小さく嗚咽を零した。 

 

 

 

 □

 

 

 

 帰り道は思いのほか楽だった。

 行きであれほど苦労したのが不思議なほどに道は短く、強化した足で駆け抜けること五分ほどで庭園の外に出ることができた。

 その途中で、何度か崩落した岩に潰されそうになるなどのアクシデントもあったが、上手く切り抜けた。ここまで来て死んで堪るかと身体に鞭打ったのである。

「よかったよかった。上手いこと生き残ってくれてたぜ」

 獅子劫が植木の陰から引っ張り出したのは、二人分のパラシュートであった。その近くには半壊した戦闘機が横たわっていて、セイバーの乱暴な着陸で使い物にならなくなってしまったことを如実に物語っていた。

「やっと、スカイダイビングか」

「おう、楽しみにしてただろ」

 座り込むセイバーに笑いかけた。

 獅子劫は生きて帰れないことも覚悟していたが、それでも幸運の女神に愛されて生き残れるかもしれない。そう考えて、パラシュートを用意していた。

 場合によっては聖杯大戦の決着が付かず、脱出という可能性もあったので、セイバーの分もあった。もちろん、セイバーはサーヴァントなので、霊体化すれば問題ないのだが、彼女が機会があればパラシュートを使ってみたいと駄駄を捏ねた結果であった。

「ところで、セイバー。お前、これの使い方知ってるか?」

「大丈夫だろ。『騎乗』スキルは人間が造ったものなら、すべての乗り物に対応するからな」

「そうか、なら大丈夫だな」

 深いことは考えず、セイバーの身体に獅子劫はパラシュートを装着する。

 自分一人ではパラシュートの着脱もできないのだから、仕方がない。

「準備できたな。んじゃ、さっさと飛ぶぞ。完全にこの庭園が崩落したら、こっちまで巻き込まれちまう」

「高度七五〇〇メートルからのスカイダイビング。おまけに頭上からは瓦礫の山か。ハハハ、スリルがあっていいじゃねえか、マスター」

 セイバーが笑い、マスターは冗談じゃないと顔を顰める。

 昔見たアニメ映画に似たようなシーンがあったが、瓦礫をばら撒く天空の城からの脱出は実際にやってみるとかなり危険な挑戦になるのだ。

「なるようにしかならねえか。行くぞ、セイバー」

「応」

 獅子劫はセイバーを突き飛ばし、自らも空に身を投げた。

 高度七五〇〇メートルからのダイブ。

 超低気圧に超低温、さらに酸素濃度が極めて薄いと人間がまともに生きていられる環境ではなく、スカイダイビングの経験のない獅子劫が挑戦するのは自殺行為ではあるが、そこは魔術師。肉体強化や気流操作はお手の物である。苛酷な環境は、獅子劫にとっては大きな問題ではなく、一番まずいのは空から落ちてくる瓦礫であるが、こればかりは運を天に任せるしかない。

 伏せの姿勢での落下速度は時速二〇〇キロメートルに相当し、パラシュートの操作を間違えばそのままミンチになって死ぬ。

 雲の海を突き抜けて、獅子劫は落ちる。

 比較対象がないために、落下しているという感じはなく、強風を受けて宙を泳いでいるかのようであった。

『どうだセイバー。初めてのスカイダイビングは?』

『悪くねえな。これで、日が出てれば文句なしだったんだけどな』

『そりゃ、仕方ねえ。日が出るまで待ってたら死んじまう』

 日の出まで、あと数十分といったところであろうか。

 アーチャーがどのタイミングで聖杯を破壊するか分からないが、庭園が崩壊するか聖杯が壊れるかするのは日の出までかからないだろう。

『悪かったな、セイバー』

『なんだ、いきなり』

『聖杯だよ。今回は獲れなかっただろ』

『なんでマスターが謝るんだよ。聖杯戦争はサーヴァントの戦いだろ。それで、勝てなかったんだから、オレの失態だ』

『んなわけねえだろ。お前でダメなら他のサーヴァントを当たってもダメだっただろう。お前に落ち度はねえ』

 獅子劫は本心からそう言った。

 彼女のスペック、宝具の威力、性格、すべてが獅子劫の理想に合致したサーヴァントであった。剣士としてもサーヴァントとしても高い実力を誇った彼女と共にあって失敗したのだから、マスターの采配ミスと言うほかない。

『なあ、マスター。あんたはどうなんだ。聖杯』

 セイバーに問われて、獅子劫は悩んだ。

 聖杯。聖杯は確かに欲しい。根源への欲求などフリーランスの獅子劫は持たないが、次の世代へ獅子劫家を繋げたい。先祖が日本で出会った悪魔と交わした契約の対価を何とかしてなかったことにしたかった。しかし、それも諦めた夢であり、やっぱりダメだったと言われても、そうだったかと納得できる程度でしかない。

『聖杯に関しちゃ、もういいかって感じだな。それより、お前のほうだ。一番上等な聖杯はダメだったが、世の中には亜種の聖杯戦争がごまんとある。どっかで適当な聖杯戦争に飛び入りして、聖杯分捕るって手もあるぞ』

 馬鹿な話だと、獅子劫自身も思う。

 聖杯の補助をなくしてサーヴァントを維持するなど、普通に考えれば不可能である。獅子劫は類希な魔術回路を持っているので、セイバーを現界させておくことも不可能ではないかもしれないが、成功したとしても魔力の大半をセイバーに供給しなければならず、魔術師としての活動はほぼできなくなる。おまけにセイバー自身も戦闘できるほどの魔力を得ることができない。

 しかし、今回の聖杯大戦で二種類の魔力分割方法を見ることができた。

 それを調整すれば、外部から魔力を補うことができるかもしれない。獅子劫の提案は、決して的を外したものではなかった。

『あー……それもいいかもしれねえけど。マスターは、もう聖杯、いいんだろ』

『ん、まあな』

 冬木の聖杯ほどの奇跡なら、諦めた夢を叶えられるかもしれないと思ったから参戦したが、もともと獅子劫は亜種聖杯戦争には興味がなかった。冬木の聖杯がダメなら、他の聖杯を探そうなどとは思わない。

 ただ、セイバーが惜しかった。

 彼女が、何も得ることなく消えていくのが堪らなく惜しい。 

 空中庭園からわざわざ二人で脱出したのも、偏にセイバーを存命させるためであった。

『マスターがいいんなら、オレもいいや』

 しかし、セイバーの言葉は意外なものであった。

『お前、王になるんじゃなかったのか?』

『そうだな。王にはなりたい。……けど、な、……なんていうのか、オレは結局父上が背負っているものを一緒に背負いたかったんだと思う。王を目指したのも、その延長だったんだろう。あの頂に至れば、きっと父上はオレを見てくれる。父上は、他の連中に見せない顔を見せてくれる。そんな気がしてたんだろう。王は孤高であるべきだが、決して孤独であるべきじゃない。――――オレは、完璧さを押し付けられたが故に孤独になっていったあの人の助けになりたかったんだと、そう思えたんだ』

 “黒”のアーチャーに手渡された選定の剣を持ったとき、こんなものかと肩透かしを食らった。もちろん、それが偽物で本物には遠く及ばない代物だと理解していたが、オリジナルと寸分違わぬレプリカである。それなのに、自分でも思っていたほどの感動がなかった。

 それもそのはずだ。

 “赤”のセイバーが求めていたものは、選定の剣ではなく王位でもなかった。最終的には王位であるが、それは騎士王にしっかりと認められることが前提であり、認められるということは、騎士王と公私に亘る関係を築けたということでもあった。

 どこかで、その気持ちを履き違えたのだろう。反逆という形でしか、自らの存在をアピールできなかった過去の自分を自嘲するしかない。歴史は覆らないし、覆そうとも思わない。それはそれで終わったことで、言い訳を並べても意味がない。

 騎士たちは騎士王に完璧さを強いながら、我欲のなさを恐れた。セイバーですら、騎士王には我欲はないと思っていた。内面では、そんな騎士王の「私」の部分にこそセイバーは触れたかった。孤高で孤独な騎士王の傍に歩み寄りたくて剣を磨いた日々だったし、血縁であると知ったときの喜びはまさしく、かの王に最も近い者であるという誇りに他ならなかったのだ。

 アーチャーは騎士王も悩み、苦しんだと言っていた。我欲がないと思っていた王が聖杯を求めてまで苦しみ抜いて、最後には満足するに足る答えを得たと言っていたのだ。

 あの王ですら時として道に迷う。

 大切なのは、迷い、悩んだ果てに自分なりの結論に至ることではないのか。

 今は、それでいい。

 歴史には反逆の騎士として未来永劫刻み込まれることなど、大した問題にはならないし、そんなことはどうでもよかった。

 自分なりに、納得のいく答えが見つかったのだから、満足だった。

『お前がそれでいいんなら、別にいいさ』

『おう……』

 そこそこの高さまで降りてきたので、獅子劫はパラシュートを開いた。

 視界の隅でセイバーもパラシュートを開いていた。

 『騎乗』スキルとは便利なものだと、獅子劫は改めて思う。パラシュートや戦闘機まで自由自在とは、傭兵業を生業とする獅子劫からすれば羨ましい限りである。

 パラシュートにぶら下がって地上にゆっくりと降下する。

 風に乗って空を漂う獅子劫とセイバーは、いつの間にか空中庭園からずいぶんと離れたところに流されていた。

 空中庭園の全貌が、すっかり視界に収まるくらいの場所までやってきたとき、セイバーが再び念話を寄越してきた。

『なあ、マスター』

『なんだ?』

『この前さ、宮廷魔術師がどうとかって言ってただろ』

『ああ、あったな。そんな会話』

 もうずいぶんと前の会話のように思う。

 獅子劫はセイバーとの会話の中で、自らを宮廷魔術師に例えた。無論、セイバーは大笑いしてありえないだの似合わないだのと言って獅子劫を憮然とさせた。

『それで、今更そんな話を持ち出してどうしたんだ?』

『あんたが宮廷魔術師に興味あんなら、オレが雇ってやってもいいぜ』

『何?』

 それこそ、意外な申し出に獅子劫は思わず問い返した。

『マスターの実力だと、円卓はまだ遠いけどよ、オレの直臣ってことで下積みさせてやるって言ってんの』

『そりゃあ――――』

 獅子劫はふと考える。

 どうしてセイバーはこんな提案をしてきたのだろうか。彼女にはマーリンというとんでもない怪物的実力の魔術師の知り合いがいる。獅子劫界離など彼の足元にも及ばず、獅子劫はマーリンとは比較対象にもならない小物ではないか。

 しかし、彼女が何かを企んでいる。

 王位の簒奪ではないが、宮廷の中での発言力の強化か、今度こそ騎士王に自分を見てもらうための何かをするのか。アウトロー出身の獅子劫をスカウトして、独自の勢力を築くのか。

『――――楽しそうだ』

 間違いなく断言できるのは、彼女と一緒であれば、宮廷だろうが戦場だろうが絶対に退屈はしないだろうということだ。

 もとより、あちらこちらに漂う根無し草だ。行き着く先が宮廷であっても構うものか。

 そのとき、空中庭園がついに崩壊した。

 内側から莫大な魔力を撒き散らし、圧倒的な威容を誇った大要塞が消し飛んだ。

 爆発で生じた風が獅子劫のパラシュートを襲い、激しく振り回す。

「ぐ、くおおおおおッ」

 必死になって魔術を行使し、風を受け流しパラシュートを強化する。下は海ではなく陸地である。どこの国かは分からないが、空中庭園は黒海の外縁部を飛んでいたのであろうか。それとも、“赤”のアサシンが死んだことでコントロールを失いあらぬ方向に流れたのか。

 ともあれ、まだ地上までは数百メートルはある。ここまで来て落下など笑えない。

『おい、セイバー。お前は大丈夫だったか?』

 獅子劫の魔術で乗り切れたのであれば、セイバーは余裕だろうと思いながら問う。

『セイバー?』

 てっきり、空中庭園の爆発に対して愚痴でも言ってくるのかと思っていたが、何の答えもなかった。奇妙に思い、さらに数回呼びかけたが、そもそも念話が通じていない。

 いつの間にか、獅子劫とセイバーとの間に繋がっていた魔力供給のラインが途絶えていた。

「たく、アイツは……」

 獅子劫は空を見上げた。

 暁の水平線が眩しい。空に高々と舞い上がった無人のパラシュートが、風に乗って何処かへと流れていく。何物にも縛られず、自由を謳歌する鳥のように、じゃじゃ馬で意地っ張りで騒がしい、剣士の魂は、誰の手も届かない場所へ旅立っていく。

 彼女らしい実にあっさりとした別れだった。

「あばよ、セイバー」

 内定取り消しだけは勘弁しろよ、と内心で呟いて獅子劫は新しい朝を迎えたのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 空中庭園に一人残った“黒”のアーチャーは、召喚されてから今までの日々を思い返していた。

 一つひとつの思い出が奇跡の産物であったと言えるだろう。

 冬木市での戦いは第三次聖杯戦争を境に途絶し、その影響で第四次聖杯戦争の悲劇は起こらなかった。この世界には、アーチャーの元となった人物は誕生し得ない。そもそも初めから存在しないが故に、アーチャーは誰に八つ当たりをするでもなくサーヴァントとしての務めに従事できた。

 そうして戦っているうちに、若かりしころの青臭い理想が蘇り、天草四郎との問答の中で自分の本質を再確認した。どこまでも救いのない、お人好し。自らの破滅を思いもせず、他者の未来に希望を描いた愚か者。

 唾棄すべきもののはずだが、今度ばかりはそれでよかった。

 少なくとも、この自分はフィオレの未来を繋ぐことができて満足だったからである。

 一族の宿命や魔術師の誇りという枷から自ら飛び立つことを決心したフィオレは、アーチャーが今までにあったことのない人種だったと言える。人間らしい魔術師には生前に散々世話になったが、人間そのものの魔術師は彼女が初めてだ。

 だからこそだろう。

 あまりにも普通の彼女が、背負ってきたものを捨てるのは、途方もない勇気のいる行為である。

 フィオレが、完全に魔術と袂を別つと決めたとき、その将来を台無しにするような真似は許さないと誓ったのは。

 彼女はいつか己の両足で大地を踏みしめ前に進んでいくだろう。

 その痛みは彼女が自分で受け止めなければならないものだ。

 命の尊さを知り、大きな決断をすることのできる彼女の未来を停滞させるわけにはいかなかったのである。

 不老不死。

 確かにすばらしい夢のような概念だ。聖杯を使えば、夢を現実にすることも可能だっただろう。

 だが、その世界にはフィオレの頑張りを評価する者がいなくなる。

 生きるということが、決して当たり前のことではないのだと気付き、失った命を胸に抱いて前へ進むフィオレのような人々を無碍にすることだけは、アーチャーにはできなかった。

 それが、四郎と敵対した最大の理由であった。

 大聖杯は輝きを強め、今まさにそのときを迎えようとしている。

 ライダーは安全圏に脱した。獅子劫界離とセイバーも空中庭園から離脱したらしい。

 戦いを終えて十五分が経とうとしていた。

 そろそろ、この世界と縁を切る頃合であろう。

 アーチャーが短剣を投影したとき、背後に気配を感じて振り返った。

「君は、確か“赤”のキャスターだったか」

 立っていたのは、“赤”のキャスターであった。

「ええ、如何にも。“赤”のキャスター。真名をシェイクスピアと申します。以後、といってももう時間ですが、お見知りおきください」

「シェイクスピアか。なるほど、確かに戦場で見なかったわけだ」

 作家系サーヴァントは当たり外れが大きく、よほどの計画性がなければ進んで召喚しようとは思わないだろう。結局、アーチャーがキャスターを見かけたのは、最後の戦いが繰り広げられているこの部屋の中だけであった。それも途中退席したようだったが。

「今、ここで決着でも付けるかね?」

「まさか。我輩の宝具はひっくり返ったところであなたには効果がありませんし、マスターを失った今、我輩にできることはありません。強いて言うのなら、物語の最後を締めくくらなければならないということでして」

 エミヤシロウという真名以外は分からないという隠匿性が、キャスターの宝具を不発にしていたという点が大きい。

 キャスターの宝具はキャスターが描く物語に相手を引き込む精神攻撃である以上、キャスター自身が相手のことをある程度知っている必要がある。

 大抵のサーヴァントであれば、真名を知った時点でその人物の人生を聖杯の知識から参照できるが、アーチャーだけは別である。

「では執筆に戻ったらどうかね。見ての通り、私は今忙しい」

「存じております。あなたは己の大義のために我らがマスターの大義と夢を打ち砕く。世界の平和を夢見た者同士の些細な方向性の違いが生んだ結末は実にドラマティックと言えましょう。この戦い、ルーラーとマスターを主軸にしておりましたが、あなたのようなエキストラが活躍されると軸がぶれて仕方がない」

「恨み言か?」

「いいえ」

 と、キャスターは首を振る。

「最後にあなたのことを一筆書き記したいと思いましてね。他の皆さんについては言及したのですが、あなたについては情報がなさ過ぎる。英雄たちの物語に正体不明がいるのは少々浮きすぎるのですよ」

「で、結局何が聞きたいんだね?」

 アーチャーは若干苛立ちながらもキャスターに尋ねた。

 キャスターの身体はすでに半透明になっている。

 彼が言うとおり、すでにキャスターは無害な作家である。

「時間もないので、一つだけ。一個人が名を残すことの難しいこの時代で、英雄に到達したアーチャー殿を突き動かした信念について、お教え願いたい」

 キャスターは、信念と言った。

 立場や血統ではなく信念こそが、この世界で名を残す重要条件だと理解してのことであった。

 兵器が発達し、英雄が誕生し得ない現代を駆け抜け、座に登録されるまでになったアーチャーが何を思って生涯を送ったのか。その根本に当たる部分を問いかけたのである。

「信念、か。そうだな、強いて言えば――――」

 思えば苦しいことばかりだった。

 けれど、そこに笑顔がある限り、エミヤシロウは戦えた。

 それこそは、自分が最も忌み嫌う存在であり、永劫エミヤシロウを放さない枷の名。そして、未だに捨てきれない(到達点)――――。

「簡単な話だ。私はただ、正義の味方になりたかったのだ」

 そう言って、アーチャーは短剣(ルールブレイカー)を大聖杯の基部に突き立てた。

 

 

 

 □

 

 

 

 “黒”のアーチャーが魔術殺しの短剣を振り下ろし、大聖杯は完全に崩壊した。

 魔力の制御は失われ、噴火を思わせる暴走と共に空中庭園の上半分を消し飛ばした。

「いやはや、まさか正義の味方とはッ! ははは、面白い! 実に面白い!」

 天井が吹き飛んで、激しい乱気流に見舞われる書斎にあって“赤”のキャスターは自らが書き上げた原稿の最後の一ページにペンを走らせる。 

「時代は違えど同じ国に生まれ、同じ名を名乗り、そして夢まで似通いながらも対立する二人の英雄。今回は二人の聖人の対立に主眼を置いたが、ううむ……惜しい。ああ、惜しい。物語は完結したが、しかしその内容は不完全! まるで、この世界そのものではないか! ままならぬものだ!」

 だが、それでいいとキャスターは思う。

 完璧な物語など反吐が出る。

 物事には空白が付き物だ。物語にあってもそれは同じ。読者がそれぞれの視点で穴を埋めることで、初めてその世界は完成する。

「しかし現実とは真に皮肉なものですな。大いなる夢の前に立ちはだかるのは、絶対的な現実ではなく同じ夢を見た者であったとは。人の夢を壊すのは人の夢。そして、人の夢を受け継ぐのもまた人の夢。――――ならば、いつの日かマスターの夢を継ぐ者が現れるのでしょうな!」

 そのときは、さぞ大きな祭になるのだろう。

 今回の物語は今までで一番面白かったと断言できる。古今東西の英雄たちが、互いに意地とプライドと夢を賭けて戦い抜いた。その一連の大騒動を記録できることが幸福だった。

 これから先、しばらくはこの規模の戦いは起きないだろう。

 けれど、人間とは業が深い存在だ。

 世界各国で亜種聖杯戦争が行われている。その中にもしも、再び天草四郎が呼び出されたら。あるいは、彼と同じ理想を掲げた誰かが聖杯に手を伸ばそうとすればどうなるか。

 必ず誰かが邪魔をする。

 今回のように。 

 そして、その戦いは世界を賭けた一大決戦となるに違いない。

 是非とも来るべき祭の折には、このシェイクスピアに声をかけてもらいたいものだ。

 そう心から願いながら、消えてなくなるそのときまで、偉大な作家は思いのままに筆を走らせ続けた。

 

 

 

 □

 

 

 聖杯大戦が終結してから二日が経とうとしている。

 サーヴァントたちの手で命を繋がれたホーエンハイムは、下宿先の教会の一室で眠れない夜を過ごしていた。

 前日にトゥリファスのホテルで“黒”の陣営の勝利が知らされた。

 教えてくれたのは、“黒”の陣営を率いていたフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアである。そのときは、“黒”のライダーが生き残ったということも知らされた。

 聖杯戦争が最後の一人になるまで殺しあうデスゲームであれば、勝者はライダーということになるのだろう。今回の聖杯大戦も根底は同じだった。もしも、天草四郎が余計な事をしなければ、あるいはライダーが聖杯を手にしていたかもしれない。

 ベッドに寝転がりながら、考える。

 消えていったサーヴァントを思う。

 不老不死によって人類の平和を実現しようとした天草四郎のことを考える。

 そして、天草四郎を否定し、今までと同じ明日を紡ごうとした“黒”のサーヴァントたち……。

 何が正しくて、何が悪なのか、ホーエンハイムにはまったく分からなかった。

 “黒”のサーヴァントたちは間違っているはずがない。しかし、人類の平和を謳った天草四郎が間違っていたとも思えない。

 ライダーならば、何か答えがあるのだろうか。

 ライダーはどうしているのだろう。今、どこで何をしているのだろうか。

 そんな風に鬱々と考えていたときであった。

 コンコン、と窓がノックされたのだ。

 この部屋は教会に併設された住宅の二階である。とても人が窓をノックできるはずがない。人でないのなら――――ライダー以外にいないではないか。

 ホーエンハイムは飛び起きて、カーテンを開く。

 三日月をバックに“黒”のライダーが微笑んでいた。

「やあ、二日ぶり。ホーエンハイム」

 窓を開けると、すぐにライダーはぴょんと軽快なステップで部屋の中に飛び込んだ。

「霊体化できるだろうに、わざわざ妙なところから来るんだな」

「ハハハ、まあ、ほら深夜だし。というか、もうすぐ朝か。ごめんね。ほんとはすぐに顔を出すつもりだったんだけど、バタバタしちゃってさ」

 それから、ホーエンハイムはベッドに座り、ライダーは椅子を持ってきて、そこに腰を掛けた。

 戦いの顛末はライダーから詳しく聞くことができた。 

 “黒”のセイバーや“黒”のアーチャーの戦いとその終わり。“黒”のアサシンもどこかで果てたらしい。“赤”のセイバーは脱出したらしいが、その後は不明だ。獅子劫界離がユグドミレニアに連絡を寄越していないので、生死不明というのが正しいのだとか。

 面白おかしく、楽しそうにライダーは英雄たちの活躍を語った。

 敵も味方も、ライダーからすれば皆尊敬すべき人物である。決して他者を悪く言うことなく、誇り高い戦いぶりをホーエンハイムに語って聞かせた。

 話の内容はどれも信じられないものばかりで、神話か叙事詩を語っているのではないかとすら思ってしまう。そして、そんな戦いを繰り広げたサーヴァントたちに命を救われたという事実が、こそばゆく誇らしい。

 どれくらい話をしただろうか。

 ここまで会話を続けたことがなかったので、喉が疲れて声が枯れそうだ。

 時計に目を向けると、驚いたことに一時間半も経っているではないか。

「なあ、ライダー」

「なんだい?」

「天草四郎という英雄が成そうとしたことは悪だったのだろうか?」

 ホーエンハイムがずっと考えてきたことだった。

 聖杯の確保以上に、“黒”の陣営は天草四郎を止めることに力を注いでいるように見えたからである。

「天草四郎が悪だったか。それは難しい問いだ」

「難しいのか?」

「ああ。とっても難しい。僕らも、彼を悪だと決め付けて戦っていたわけじゃない。彼の理想そのものは間違いなんかじゃないから当然だよね」

「間違いじゃないのに、ライダーたちは止めようとしたのか」

「ああ」

 ホーエンハイムの疑問にライダーは頷いた。

 だが、それだとおかしい。

 それでは、ライダーたちが悪になってしまう。

 ホーエンハイムの混乱したというような表情を見て、ライダーは笑った。

「僕たちが悪か。もしかしたらそうかもしれない」

「そんなはずはない。ライダーもアーチャーもセイバーも、決して悪人ではないだろう」

「嬉しいこと言ってくれるね。うん、そうだよ、少なくとも僕はその意見には賛成だ。けどね」

 ライダーは言葉を切って、ホーエンハイムの目をしっかりと見つめた。

「善悪っていうのは、完璧に二つに分けられるものじゃないんだ。誰かのためにしたことが、誰かを傷つけることだってある。善にも悪にもきちんとした定義はないし、誰にも定めることなんてできないんだよ」

「定義がない?」

「ああ。僕は悪事を為したことはないと断言できる。けど、やっぱり別の視点から見れば、悪いことをしているっていう評価になったりもする。それが当然で、いろんな物の見方があるのが健全なんだ」

「いろんな物の見方か。……すまないが、俺にはよく分からない」

 ライダーが悪を為すということも悪であるという評価もピンと来ない。

「それは仕方がないよね。だって君はまだ生まれたばかりだ。知識のある赤ちゃんさ。赤ちゃんに善悪の区別なんてできやしない。だからさ、ホーエンハイム。君は、いろんな人と関わって、いろんな意見に耳を傾けるようにするといいよ。無責任な話だけどさ、僕たちサーヴァントはこの先を見ることはできないからね。――――僕らの代わりに、この世界の未来を見届けてほしい。そして、君なりの答えを見つけてほしいんだ」

 しっかりとした声で、ライダーはホーエンハイムに言った。

 ああ、理解した。

 ライダーは戦勝報告に来たのではない。

 残された時間を使って、自分に別れを告げに来たのだ。

「もう、逝ってしまうのか、ライダー……」

 当然であろう。

 聖杯大戦は終わったのだ。聖杯がなくなった以上、サーヴァントはあるべき場所に戻らねばならない。

 ただ、このライダーならばそんな不条理を覆して現世を闊歩するのではないか。そんな、淡い期待を抱いていたのである。

「そんな顔をしないでくれよ。ホーエンハイム。せっかくの君の門出だぜ」

「そんな顔と言われてもな……」

 自分がどんな顔をしているのか、知りたいとも思わなかった。知ってしまえば、何かが瓦解しそうになっているからだ。

「まあ、本当は僕も未練があるっちゃあるんだけどね。でもしかたない。僕たちみたいな過去の亡霊が無限の未来を持ってる君たちに過度に干渉するべきじゃないだろうってね。理性のある僕がそう結論付けたんだ。じゃあ、従うしかないだろう?」

 ライダーのマスターであるカウレスがその気になれば、ライダーをこの世に留め置くことは可能かもしれない。彼はフランケンシュタイン化した心臓を持ち、魔力量は事実上の無制限である。しかし、人間の肉体は、永久機関の負担に耐えられるようにはできていない。使いこなせるようになる前に無理をすると、身体が崩壊しかねない。そして、サーヴァントを維持するのに必要な魔力量は、永久機関を手に入れたカウレスをして膨大である。

 そんなわけで、ライダーはすでにカウレスとの契約を切っていて、今は『単独行動』のスキルによって現世に留まっているという状態だったのである。

「いろいろと世界を見てみたかったけど、それはもうダメみたいだ。だから、君に任せる。君は自由だ。時間もたくさんある。様々な価値観に触れて大いに悩み、そして大いに生を謳歌してくれ。それが、未来ある人間の生き方だからさ!」

 悩むことを知らなかったホムンクルスにとって、それそのものが新たな価値観だった。

 悩んでもよかったのだ。答えを出せず懊悩することは、決して無駄ではなく未来へ歩むために必要な過程だったのだと、このとき初めてホーエンハイムは理解した。

「分かった」

 と、ホーエンハイムは言う。

「君と、そしてセイバーやアーチャーに貰った命を、俺は絶対に無駄にしない。君たちが紡いだ未来の姿を、俺はできる限りこの目に焼き付ける。君の分までしっかりとだ」

「うん――――よろしく頼むよ、ホーエンハイム」

 ホーエンハイムの答えを聞いて、ライダーは心底安心したように穏やかな笑みを浮かべた。

 あれほど鮮烈だったライダーの存在感が、徐々に薄らいでいるのが分かる。遂に、別れのときが来たのであろう。

 ホーエンハイムは握り拳をライダーの前に突き出した。

 ライダーは驚いて、ホーエンハイムの拳を見つめる。それから相好を崩した。

「まったく、どこで覚えたんだよ、それ」

「見聞を広めろと言ったのは君だろ」

「ファーストステップはもう踏み出してたか。よかったよかった。僕が心配するまでもなかったね」

 笑いながら、ライダーは拳を握り締め、ホーエンハイムの握り拳に軽くぶつけたのであった。

 

 

 

 扉がノックされたので返事をする。

 ゆっくりと扉が開いて、中に入ってきたのはアルマであった。

 ホーエンハイムが下宿する、この教会に二十年勤めるシスターである。

「朝早くにごめんなさい、ホーエンハイム君。人の話し声が聞こえたものだから。――――誰か、ここに来ていましたか?」

 問われて、ホーエンハイムは答えに窮した。

 サーヴァントのことをアルマに話すわけにはいかない。しかし、こんな明け方に誰かが部屋を訪ねてくるなど、不自然以外の何物でもない。

 それでも、ライダーを存在しなかったかのように扱うことだけは、ホーエンハイムにはできなかった。

「少し、友人と話をしていた」

「あら、そう。それで、その方は今どちらに」

 アルマは視線を室内に走らせた。

 おかしなところは何もない。強いて言うならば、ベッドに腰掛けたホーエンハイムと向かい合うようにして置かれた一脚の椅子があるくらいだ。

「彼なら、もう帰った」

 言葉にするのが辛くて、目頭が熱くなった。

 胸が痛くて、涙が溢れ出てくる。こんな異常は初めてだった。もう二度と、あの笑顔を見ることができないと思うと、身体中に痛みが走る。

 しかし、それと同時に偉大な英雄たちに未来を預けられたという誇りが、胸いっぱいに満ち満ちている。

 この気持ちを悲しいと言うべきか、嬉しいと言うべきか分からなかった。

 

 ――――ああ、また分からないことが一つ増えたぞ、ライダー。

 

 そのとき、一陣の風が室内に吹き込んできた。

 カーテンが大きく広がり、開け放たれた窓から朝の日差しが差し込んだ。

「今日は、風が強い日になりそうですね」

 ホーエンハイムの変化にアルマはあえて気付かぬふりをしたのか、そ知らぬ顔で窓を閉め、鍵をかけた。

 それから、アルマは部屋を出て行こうと扉に手をかけて、振り返る。

「ホーエンハイム君。さっきまで、この部屋にいたという友人ですけど、その方はあなたにとっていい友人ですか?」

 何を言っているのだろうか。

 考えるまでもない。

 答えはたったの一つしかありはしないのだから。

「とてもいい友人だ。かけがえのない、――――大切な存在だ」

 アルマはそうですか、と言ったきり何も言わず、満足げに微笑んで部屋を出ていった。

 彼女の問いの真意は聞けなかった。

 その必要もなかった。

 日常を生きるだけで、分からないことや答えの見つからないことはたくさんある。生きるとは考えることだと、教えてもらった。安易に答えを出してはならず、いろんな考え方をしなければならないと。それはきっと正しいアドバイスなのだろう。

 しかし、ライダーがよき友人であること。

 これだけは、誰が何と言おうと考えるまでもなく断言できた。

 そして、よき友人と恩人たちから受けた恩を無駄にしないために、生きていくことをホーエンハイムは胸に誓ったのであった。




次回、エピローグ予定


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エピローグ

 聖杯大戦という激烈な日々を過ごしたのは、もう二年も前のことになる。

 二年前、日本の東京、新宿にて生け贄にされそうになっていたところを“黒”のアサシンに救われた。

 異常と言えば異常だろう。

 それまでは一般の世界で生きていながら、その日を境に命を奪う側へと回ったのだから。

 しかも、自分の心は命を奪うことにそれほど葛藤することがなかった。道理とか人道とか、理解してはいたけれど、命の恩人で、我が子も同然のアサシンが生きるにはそれ以外に方法はなかった。

 六導玲霞は、あの戦いの後で日本に帰国した。

 身寄りはないし、頼れる友人もいなかった。

 玲霞はルーマニアで、命よりも大切なものを失った。ぽっかりと開いた胸の穴は時間と共に広がっていくような気がして、何もできない日々が続いた。

 失ったものはあまりにも大きく、取り戻せるものではない。

 亜種聖杯戦争で、ジャック・ザ・リッパーを呼び出せても、そこに現れるのは“黒”のアサシンとは別の個体であるという。

 魔術師ではないから、玲霞に参加資格はそもそもないが、あったとしても参加しないだろう。

 ほかのサーヴァントと契約するなどまっぴらだ。

「はいはい、みんな静かに」

 玲霞はピアノの前に座って声をかける。

 ピアノの回りには、小さな子どもたちがいる。

 アサシンよりもさらに幼い子どもたちが目を輝かせて玲霞を見ている。

「せんせい、次なに?」

「知ってる曲がいい。ジューレンジャー」

「それピアノの曲じゃないー」

 騒がしいけれども、思いのほか楽しい。

 こんな楽しみに気付かせてくれたのもアサシンだったのだ。

 アサシンの人生は、夢で何度も見ていた。

 その度に、無責任に子どもの命を絶つ母親に言い知れぬ気持ちを覚えたのである。それが、憤りなのだと気付いたのは、日本に戻ってからのことであったが、この日本にすら、恵まれない子どもがいる。

 第二第三のアサシンが生まれないとも限らない。

 それは、きっと子どもたちにとっての不幸以外の何物でもなく、アサシンとの出会いで何かが変わっていた玲霞は、奮起した。

 幸いにして貯蓄はあったし、時間もあった。問題は年齢だが、まだ二十代の前半だ。やり直しは十分可能であった。

 道を見つけて一年半。

 今はまだ教育実習生という肩書きだが、次の春には保育士の採用試験を受けるつもりでいた。自分のような堕落した人生を歩んできた女がなれるかどうかは分からないが、ダメでも子どもと関わる仕事を選んで働き口を探そうと思っていた。

「じゃあ、先生の好きな曲を弾くわね。終わるまでに、次の曲を考えてね」

 玲霞の指が、白と黒の鍵盤の上で踊りだす。滑らかに、滑るように。

 「これ、何て曲?」と子どもの一人が尋ねてきた。

「『トロイメライ』。先生の、思い出の曲なの」

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 戦いに参加したのは、十六人の英雄たち。 

 聞いたことのある名前もあれば、そのときに初めて知った名前もあったが、全員が掛け値なしの偉人だった。すべての英雄たちがそれぞれの信念を持っていて、決して折れることなく最後まで貫いた。その在り方はまさしく英雄と呼ぶに相応しく、人間を超越した偉大な魂の持ち主であるということが否応なく理解できた。

 そんな彼らでも人類の救済という命題に直面しては、頭を悩ませるしかなかったというのが少し意外だった。あの聖女(ジャンヌ・ダルク)ですら、懊悩を抱えていた。結局、自分は何も彼らにしてあげることができなかった。それを悔しく思い、そしてただの人間に過ぎない自分が彼らと共に僅かにでも歩めたことを誇りに思う。

 瞼を閉じれば、今でもあの濃厚な日々を思い起こすことができる。

 出会いは奇跡というほかなく、しかしなるべくしてなったのだろうとも思った。偶然ではなく、必然。レティシアが聖女を受け入れ、あの場に立ったことにはきっと何か大切な意味があったに違いない。

 それが何か分からないけれど、今はただ真っ直ぐにできることを積み上げていこうと思う。

 

 

 学校を無事卒業したレティシアは、他の学生たちと同じく進学の道を選択した。

 進路はずいぶんと悩んだ。

 特に学科を選ぶのに一ヶ月近くも悩み、先生を困らせてしまったのが申し訳ない。

 神学、史学、文学、この三つの学科でレティシアは悩みに悩み、最終的に文学を専攻することにした。今では、パリの大学でマイペースな学生生活を送っている。

 大学図書館を出たレティシアは、抜けるような快晴の空を見上げた。手提げバッグに詰め込んだ書物の重みで肩が痛い。

「おーい、レティシア」

「はい?」

 背後から声をかけられて振り返ると、三人の友人たちがそこにいた。

 可愛らしい顔立ちで煌びやかに着飾った今時の若者。高等学校時代からの友人だ。何の縛りもない大学生活を送りながら、彼女たちのような明るい生活に溶け込めない自分はやはり田舎者なのだろうと、出会う度に感じる。

「ねえ、これから暇?」

「え……?」

「これから、サークルの仲間で集まって昼食にするんだけど、来る? あんたに興味あるって男の子も結構いてさ、紹介しろってうるさいの」

 目を白黒させたレティシアであったが、

「いえ、わたしはそういうのは。それに、今日は先約がありますので」

 と、レティシアは丁寧な断りを入れる。

 真面目だと昔から言われてきたが、もはや習性に近いことで自分ではどうにもならない。顔も知らない人と酒を飲み共に食事をするのは苦手なのだ。それに、先約があるというのも本当である。それがなければ、断るのを躊躇したかもしれない。

「また教会?」

「あんたも変わらんね。信心深いっていうか、びっくりですわ」

「そんなんだと、男もできんぞー」

 友人たちは気分を害したわけでもなく、呆れたような表情を浮かべて口々に言った。

 そんなことを言われても、とレティシアは困り顔を浮かべる。

 信心深かったり教会に通ったりするのと異性と交際するのは別の問題な気もする。しかし、やはり色々と遊び慣れている彼女たちと自分とでは物事の捉え方が異なる上に、そういった分野では一枚も二枚も上手だ。もしかしたら、最近の男性は信心深い女性を敬遠するのかもしれない。

 しかし、そうは言っても今の生活のペースを変えるつもりはない。

 聖女と同じように、とはいかないが、その背中に近づけるように日々を過ごしたいからである。

 友人たちは未練があるのか、さらにレティシアを誘うそぶりを見せたが、レティシアの傍に現れた人物を見て停止した。

「レティシア、ここにいたのか。待ち合わせの場所にいないから探したぞ」

「え、もうそんな時間でしたか。すみません、ヴァン君」

 やってきたのは白銀の青年だった。

 透き通った白い肌は女性のレティシアからしても羨ましくなるほどで、銀色の髪が陽光を受けて煌いている。

 ヴァン・ホーエンハイム。

 レティシアと共にあの聖杯大戦に関わり、生き残ったホムンクルス(一般人)。死すべき運命を、英雄たちによって覆された奇跡の人。そして、今は薬学の道を志す将来有望な学生でもあった。

「あの、わたしはこれで。また、誘ってください」

 レティシアが友人たちにそう言うと固まっていた時が動き出したかのような驚愕の絶叫が上がった。ホーエンハイムは訳が分からないというような目で三人を眺め、レティシアは悪戯が成功した子どものような笑みを浮かべたのであった。

「さっきのは何だったんだ? 非常に奇妙な言動だった。友人だというのなら精神科医を紹介してあげたほうがいいんじゃないか?」

 ハンドルを握るホーエンハイムが、本気で心配した口調でレティシアに言った。

「大丈夫ですよ。彼女たちは、少し驚いただけですから」

「俺が何かしたんだろうか……?」

 ホーエンハイムは首を捻った。

 二年経ち、ホーエンハイムも人の世界に馴染みつつあるが、時折見せる天然さは相変わらずのようだ。

 彼は、カウレスとアルマの支援の下に戸籍を獲得し、有能な学生として今に至る。魔術の世界とはレティシアが知る限り関わりを持っていない。

 これから二人で向かうのは、ドンレミ・ラ・ピュセル。パリから離れた地方の街で、ジャンヌ・ダルクの生家が保存されている場所だ。

 レティシアとホーエンハイムが共に世話になった人物の故郷を、身辺が落ち着き、学校が長期休業に入ったところで訪ねてみようという話になったのである。

「また、ずいぶんと本を借りてきたようだな。課題でも出ているのか?」

 ちらり、とホーエンハイムが後部座席に目を向ける。そこには、レティシアが借りてきた本を詰め込んだバッグが置いてある。

「いいえ。でも、これを研究するために今の学科に入ったので、時間を見ては関連書籍に目を通したいんです」

 フランスを代表する偉大なる騎士たちの物語と聖女を題材にした文学作品。絶望と祝福に彩られた彼らの生涯を学ぶことを、レティシアは選んだ。

「『狂えるオルランド』はあるか?」

「考察書であれば、今ありますよ」

「そうか、よければ、後で貸してもらえないだろうか」

「もちろん」

 実のところ、彼が読みたがるだろうと思って借りてきたのだ。

 『ローランの歌』『狂えるオルランド』『恋するオルランド』などなど、ホーエンハイムにとって、忘れられない人物が活躍する物語である。特に『狂えるオルランド』では英雄アストルフォがヒポグリフに乗ったり月へ旅行したりする。ホーエンハイムが知るライダーに近い描かれ方で、彼のお気に入りの書物の一つであった。

「お身体の具合はどうですか?」

「健康体だ。何も問題ない」

「本当ですか? どこかで倒れられたら困ります」

「君が困るのか?」

「む、……それはそうです。心配しているんですから」

「なるほど。だが、大丈夫だ。俺はどうやら本当に彼らに生かされたらしい」

 口元に、笑みが浮かぶ。

 安静にして余命二、三年という見立ては大きく狂った。本来であれば、彼は車を運転することはおろかベッドの上から出ることすらも許されないほどに衰弱しているはずであったし、彼自身、それを自覚していたはずだったのだが、蓋を開けてみればこうして普通に暮らすことができている。

「奇跡の七日間、ですね」

 ポツリ、とレティシアは呟いた。

 あの戦いの直後、およそ一週間に亘って世界を覆った小さな奇跡たち。詳しいことは魔術を知らないレティシアには分からないが、ホーエンハイムの見立てでは、遙か上空で炸裂した大聖杯の魔力が、その周辺各国に降り注いだことが原因ではないかとのことであった。

 その魔力は無色ではなく、天草四郎の願いに染まっていた。

 人類の不老不死は叶わなかったが、その魔力を浴びた者たちは小さな奇跡を経験したのである。

 癒えぬはずの病が癒えた。助かる見込みのない怪我人が一命を取り留めた。終わらぬはずの戦争が終息に向かった。

 ある一日を境に、世界はほんの少し平和を知った。

 そして、余人の知らぬことではあるが、短命に終わるはずのホーエンハイムは、人並みに健康な身体を手に入れた。

 他はどうか知らない。

 しかし、ホーエンハイムが生き永らえたことは、彼にとってもレティシアにとっても奇跡と呼ぶに相応しいものであった。

「この前、ヴォルムスに行ってきた」

「ヴォルムス――――“黒”のセイバー(ジークフリート)終焉の地、ですね」

「ああ」

 日々勉学に励む彼は、中々時間と資金の捻出ができないと楽しそうに嘆いていたのは二ヶ月前。それでも、何とか都合をつけてドイツへ旅行に行ったのだという。

 ライダーとの約束を果たすために、まずは恩人たちを偲ぶことから始めようと、時間をかけてでも彼らの物語を追いかけている。

 半年ほど前にはアストルフォが最期を迎えたロンスヴォー峠の戦いの舞台となった地を訪れている。

「ヴォルムス、どうでしたか?」

「いいところだった。それに、ジークフリートはやはり大英雄なのだと再認識した」

 聞けば、ヴォルムスを中心にニーベルンゲン街道やジークフリート街道が走り、観光地となっているらしい。『ニーベルンゲンの歌』が成立して八〇〇年。ジークフリートは未だにヴォルムスの人々の心の中に生きている。

「あとは、“黒”のアーチャー(エミヤシロウ)の冬木だな」

 “黒”のアーチャーは特殊な英雄だ。並行世界かつ未来の英雄のため、彼の人生を記した書物は存在せず、彼自身がこの世界で誕生するのかどうかも分からない。

 その源流が冬木の聖杯である以上、それがなくなったこの世界で英霊エミヤは誕生しないのだろうというのがマスターであったフィオレの見立てであった。

「冬木と言えば、フィオレさん。移住するらしいですよ」

「冬木にか?」

「はい。今は留学生として、そして行く行くはあちらに根を下ろしたいとのことでした」

 それから少しの間、二人は静かに流れていく景色を眺めた。

 都市から農村地へ。ドンレミ村にパリから公共交通機関で行こうとすれば、およそ五時間弱かかる道のりだ。車でもそれなりの時間を必要とする。

 会話が途切れてから、レティシアはかねてから聞いてみたかったことを尋ねてみることにした。口にするのは恥ずかしくて、また非常に覚悟のいることだったが、大戦から二年経ち、偶然にも大学で知り合った彼と過ごすうちにどうしても気にかかってしまうのである。

「あの、ヴァン君」

「どうした?」

 少しだけ、言いよどんでからレティシアは、

「ヴァン君は、やっぱりライダーさんのような女性が好みなんですか?」 

 おずおずと、問いかけた。

 乙女としての決死の覚悟で問うたのだが、問われたほうは、はて、と首を傾げた。

「女性……? ライダーは男だぞ」

「え……?」

 レティシアは固まった。

「アストルフォは男だろう。彼は、れっきとした男性だ」

 今更何を言っているのだろう、とでも言うような口振りでホーエンハイムは言い切った。

「うえええええええええええええええッ!?」

 恐らくは人生で一番大きな声を上げたのではないだろうか。

 ルーラーの『真名看破』ですら見破れなかった“黒”のライダーの性別は、その外見と服装もあっててっきり女性だとばかり思っていた。まさか、ただの女装だったとは、思いもよらなかった。

 レティシアが知らなかったということはルーラーも知りえなかったということである。

 “赤”のセイバーが女性だったこともあって、“黒”のライダーも同じく伝承と異なる性別なのだと思っていた。

 “黒”のライダーの二年越しの悪戯にまんまと引っかかったレティシアを乗せて、ホーエンハイムが運転する車はドンレミ村に入っていった。

 

 

 

 □

 

 

 

 カウレスにとっては、聖杯大戦が終結してからが本番だった。

 戦争というのは、戦っているときよりもその後の処理が面倒だったりする。今回はそもそも魔術協会にユグドミレニアが喧嘩を売ったところから始まっており、聖杯大戦そのものに勝利したとしても、それは魔術協会と立場が対等になったということではない。

 ユグドミレニアはほぼ壊滅、魔術協会は追手が潰されただけで損害らしい損害は被っていない。

 ユグドミレニアは大戦には勝ったものの、勝負には負けたのである。

 しかし、幸運の女神は見放していなかった。

 これは、“赤”のランサーと“黒”のセイバーに感謝しなければならないことであるが、彼らが確保した“赤”の陣営の魔術師たちの中に時計塔の次期エースと見なされていた一流の魔術師がいて、その家の発言力が比較的大きかったことも手伝って、聖杯大戦そのものがなかったことにされたのである。

 戦わずして敗北したなど一族の恥。戦いをなかったことにしてほしいとのことであった。もちろん、そんな虫のいい話は通じないのが魔術の世界だが、カウレスはこれまでダーニックが積み上げてきた資産や特許を賠償として交渉し、粛清だけは何とか逃れることに成功した。

 聖杯大戦は存在せず、ユグドミレニアは解散して歴史の闇の奥深くに埋没する。フォルヴェッジ家もムジーク家も負け犬のまま静かに消えていくがいい、というのが魔術協会の最終的な決定であった。

 カウレスは人質もどきとして時計塔に渡り、ゴルドはムジーク家の当主として衰退する一族と共に汗を流す。

 魔術師として生き残った二人の道はそこで分かれ、再び交わることはないだろう。

 

 中世と現代が入り混じる大都市ロンドン。

 その一画には、百を越える学術棟と四十以上にもなる学生寮を有する魔術師の総本山が鎮座している。

 カウレスがやってきたのは、時計塔と称される区画の僅かに外側、それでいてれっきとした時計塔の一学部を構成する場所――――現代魔術科が管理する区画であった。

 この日、カウレスは現代魔術科の学術棟を一ヶ月ぶりに訪れていた。

 魔術師が管理するビルではあるが、エレベーターが普通に機能しているという少し奇妙な建物である。これも現代に即した魔術を研究するという一環なのだろうか。

「点検かよ……」 

 だが、無情にもこの日、エレベーターは定期点検の日を迎えていたらしい。運が悪い。カウレスは頭を掻いて、階段を早足で駆け上がる。

 目的の階までやってくると、廊下側から走ってきた小柄な人物とぶつかりそうになった。

「おっと」

「あ、すいません」

 少女の顔を見て、カウレスは一瞬だけ心臓が止まりそうになった。“赤”のセイバーかと思ったのである。だが、違う。彼女はただ似ているだけの別人だ。

「カウレスさん、どうもお久しぶりです」

「ああ、久しぶり。グレイさん」

 グレイ。灰色。くすんだ金色の髪を持つ、“赤”のセイバーにそっくりな外見の少女は、この現代魔術科を統べるロード・エルメロイ二世の弟子である。

「あの、さっそくですけど、拙のためを思って嘘をお願いします」

 そう言って、彼女は一足飛びで屋上を目指して階段を駆け上がっていった。

 そこに、

「グレイたーーーーーーーーーーーーーーーーん!!」

 騒がしい、金髪カールの少年が飛び込んできたのである。カウレスは少年が現れると同時にさっと身を躱す。ここにいるのがグレイとでも思ったのか、少年はそのまま階段に激突した。

「愛が重いよ、グレイたん」

「誰がグレイだ……」

「む、その声はカウレス。まあ、いいか。ここにマイフェアレディベスト可愛いガールのグレイたんが来たはずなんだが、知らないかな?」

 なんだその適当な語を継ぎ接ぎしたような形容詞は、とカウレスは心底呆れながら階下を指差す。

「下に逃げたよ。多分、もう外に出たんじゃないかな」

「グレイたーーーーーーーーーーーーーーーーん、今行くよーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 少年は、カウレスの嘘を信じて全力で階段を駆け下りていった。

 ため息をつく。

 魔術協会は変人の魔窟だ。もっとも、変人の中に天才が混じっているのは、魔術だろうと科学だろうと変わらない真理かもしれないが。

「どうもありがとうございます。カウレスさん」

「あんたも大変だな。追い回されて」

「正直、大変です」

 表情を変えずに、グレイは言った。

 隠蔽系の魔術まで使って身を隠す徹底振りである。彼女が身の危険すら感じている証であった。

「師匠が報告を待っていますよ」

「分かってる。今、行くとこだよ」

 

 

 応接間で待っていたのは、長い髪の男性魔術師であった。

「お久しぶりです。エルメロイ教授」

「二世だ、カウレス。二世を付けたまえ」

 ここ最近、忙しかったのだろう。

 エルメロイの目の下には、薄らと隈ができている。

「何かあったのか?」

「いつものことです」

「ああ……」

 小声でグレイに尋ねると、あっさりとした答えが帰ってくる。それだけで、また問題児が騒ぎを起こしたのだと悟れてしまった。

「教授、報告書です」

 二世をつけるのが面倒なので、役職で呼び、カウレスはカバンから紙の束を提出した。

 昨年から取り掛かっている、「奇跡の七日間」についての調査報告書であった。

 大聖杯の炸裂は、聖杯の術式そのものを完全にこの世から失わせる惨事ではあったが、その影響を受けた者が世界中にいるという点でサンプルは多い。

 大聖杯の完全複製を目指す時計塔としてはこの現象を調査し、後の研究に活かそうとするのは当然であったが、同時に学部間のいざこざなどもあって中々調査に力を注げないという問題があった。

 そんなときに目を付けられたのが、新設ゆえにしがらみの少ない現代魔術科であった。ロード・エルメロイ二世が、亜種聖杯戦争を生き残ったマスターであったという経歴もあって、彼にとっては甚だ迷惑ながら大聖杯がもたらした影響を調査する責任者にされてしまったのであった。

「確かに受け取った。精査に時間がかかるが、また近く外に出てもらうかもしれん。心の準備だけはしておくように」

「……はい、了解です」

 人使いの荒い教授だとカウレスは内心で呟く。

 しかし、これもエルメロイからの気遣いである。ユグドミレニア出身のカウレスが魔術協会に従順であると示すためには、魔術協会にとって利になる結果を出すのが手っ取り早い。

 エルメロイの狙いは、聖杯大戦の元凶の一人でもあるカウレスに責任を取らせることで、カウレスの身の回りを落ち着かせようというものである。おかげで、ずいぶんと現代魔術科は過ごしやすい。カウレスが二年前に獲得した電気エネルギーを魔術に応用する特性も、この学科と親和性が高く、エルメロイが彼に便宜を図るのも将来性に期待してのことであった。

 カウレスの肉体は、下手をすれば封印指定にされかねない希少性を持っている。

 魔術協会の中での居場所は一応作れたが、命の危機が完全に去ったわけではなく、次世代にどうにかして受け継がせられるように研究を進めなければ、十年後にはホルマリン漬けという最悪の事態もありえる。

「よお、ロード。頼まれた品、持って来たぜ」

 と、そこに乱暴に扉を開いて入ってきたのは、革ジャンの男であった。

「ん、フォルヴェッジ弟じゃねえか。元気してたか」

「獅子劫界離。なんで、あんたがここに?」

 現れたのは、“赤”のセイバーのマスターであった獅子劫だった。

 フリーランスで活動していた獅子劫も、最近は魔術協会に出入りする機会を増やしていると聞いている。ニアミスを繰り返したために、顔を合わせるのは空中庭園以来のことであった。

「俺は、教授に頼まれごとさ。ほれ、取ってきたぜ」

 ガタガタと動く木箱をエルメロイに渡した獅子劫に、エルメロイは小切手を渡す。あの木箱の中身はおそらく知らないほうがいいのだろう。

 我が物顔でソファに座った獅子劫は、まったく似合わないケーキの箱を机の上においた。

「灰色ちゃん、土産だ。ロード、一応あんたのもあるぜ」

「灰色って言わないでください。でも、貰えるものは貰います」

 グレイは獅子劫の土産をいそいそと開封して、中からショートケーキを取り出し、小皿に移して、さっそく食べ始めた。

 エルメロイはそんな弟子を見てため息をつく。

「まったく、そんな暇があれば自分の子に買っていけばいいだろう」

「うちのは、まだケーキ食える歳じゃねえっての」

「おっさん、子どもできたのか?」

 子どもとかそんな柄ではないと思っていた獅子劫が、いつの間にか後継者を作っていたことに驚く。

「今、半年だ。すげえだろ。めっちゃ可愛いぜ。ちなみに女の子だが、てめえにゃやらん」

「典型的な親バカじゃねえか……」

 カウレスは呆れてものが言えない。この風貌で親バカというのは何かの冗談としか思えなかった。

「カウレス。そこの男も奇跡の七日間の影響を受けた男だ」

「そうなのか?」

「ああ、まあな」

 獅子劫は頷いた。

 そして、彼の一族が抱えた問題を知る。

 子を成すことができない呪い。

 衰退しつつあった獅子劫家が起死回生を期して日本で出会った悪魔のような何かと結んだ契約の影響が彼の代で発現した。結果、獅子劫の魔術刻印は獅子劫以外の肉体に絶対に適合しないようになってしまったのだという。子はできず、養子に刻印を移植することもできない。魔術師としては完全に終わった。それが、大聖杯の魔力を受けたことで、どういうわけか解呪された。今では新たに妻を迎えて後継者まで誕生した。

「いいことだ。いっそ、このまま隠棲してはどうかね」

「いやいや、まだ働き盛りだっての。むしろここからだろ。変な人生歩んで、内定消されても困るからな」

「内定?」

「おう。セイバーが雇ってくれるって話だったんでな」

 カウレスは意味を理解できていなかったが、エルメロイは感じ入るものがあったらしい。小さく笑みを漏らした。

「さて、奇しくもこの場にマスターの経験を持つ者が集ったわけだが、いつまでも思い出話をしているわけにもいかん。獅子劫にはロッコ翁がお呼びをかけているし、カウレスは遅らせていた課題があるだろう。グレイ、お前も礼装の手入れが行き届いていない。やり直しだ」

 エルメロイに言われて、獅子劫は明らかに嫌そうな顔をし、カウレスも忘れようとしていた課題を思い出させられて内心でため息をつく。

 仕事終わりに課題をしなければならないとは負担が大きい。

 だがこの道に進むと決めたのはほかでもないカウレスだ。魔術の研鑽は好きだったし、落ちるはずの首はこうして無事に繋がった。

 未来のことは分からないけれど、修羅場を潜り抜けて腹が据わったのか、悪いようにはならないだろうと楽観的に考えることにした。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 やっぱりまだ見慣れない。

 杖を突いてゆっくりと歩くフィオレは、興味深そうに街並を見回す。

 石造りの世界しか知らなかったフィオレにとっては、極東の木造建築はそれだけで珍しい。日本で暮らして一年になるが、大きく変わった景色に戸惑うことはまだ多い。

 冬木に足を向けるのは、これが始めて。

 なかなか心の準備ができなかったのが原因だが、“黒”のアーチャーとの最期の約束を果たすために、遂にフィオレはこの街にやってきた。

「どうして、こう。この街は坂が多いのでしょう」

 息を荒げて冬木の住宅街を歩く。

 フィオレの足が動かなかったのは、変性した魔術回路の影響であった。魔術師を辞めたことで、その魔術回路も必要なくなり、結果としてフィオレは自由に動く足を手に入れた。

 何年も動くことのなかった足は筋肉が衰え、すぐには身体を支えられなかった。しかし、本来は五、六年はかかるであろうという見通しだったものがたった二年で歩けるまでになったのは、やはり大聖杯の魔力の影響であろう。

 ――――何人も血を流さぬ世であれ。

 小英雄の願いは、もしかしたら全人類の魂に焼き付けられたのかもしれない。

 ただの方向性。

 殺し合いを忌諱する本能という形で人類種の魂に変革をもたらした――――のかもしれない。

 こればかりは、検証のしようがない。

 カウレスたち時計塔の研究者が何十年もかけて調査する必要のある難問だ。

 もっとも天草四郎の願いの対象が「全人類」だったことを考えれば、すべての人間にささやかながら影響を与えていてもおかしくはない。大聖杯が崩壊した時点で、あの魔力には天草四郎の思念が溶け込んでいたはずだからである。

 フィオレはゆっくりと目的地に向かって足を進めた。

 しっかりと、一歩ずつ踏みしめるように。

 辿り着いたのは、一軒の洋館であった。強力な結界が張られている。冬木市を管理する遠坂家の屋敷であった。

 深呼吸して、呼び鈴を鳴らす。

 答えはなく、もう一度鳴らしても結果は同じであった。

「どうしましょう……」

 ここまで来て引き返すのも面倒だ。

 できるだけ歩くことを心がけているために、バスを使わずここまで来たが、その苦労を台無しにするのは嫌だった。

 ならば、ここで待つか。

 平日の夕方。

 遠坂家の令嬢は、部活動をしていないはずだからいるものと思っていた。

 十分ほど、経っただろうか。

「どなたですか」

 と、黒髪の少女がフィオレに話しかけてきた。

 不審げな顔をしている。それも当然だろう。西洋人が、そもそもこの国では目立つ。

 フィオレは、彼女の顔を見て、すぐに目的の人物であると判断できた。

「遠坂凛さん、であっていますか?」

「はい、……そうですけど」

 よかった、とフィオレは胸を撫で下ろした。

 遠坂凛。

 遠坂家の現当主で、宝石魔術の使い手。五大元素を操る天才児で、高校卒業に合わせて渡英し、時計塔に留学する予定であるとカウレスが情報を送ってくれた。

 彼女が渡英したら、目的を果たすのが難しくなる。フィオレが決心した理由であった。

「初めまして。わたし、フィオレと申します」

「フィオレ、さん?」

「はい。今日は、あなたにお渡ししたいものがあって参りました」

 そう言って、フィオレは肩にかけてたカバンから手の平大の包みを取り出した。

「確認していただけますか?」

 見知らぬ外国人からなにやら訳の分からない包みを貰う。

 凛にしてみれば、警戒感を出さないわけにはいかないだろう。彼女が解析の魔術を使ったのが分かる。そして、顔色を変えた。

 包みを開けた凛は、中から真っ赤なルビーのペンダントを取り出した。

 それは、アーチャーを召喚したときに図らずも触媒となったペンダントであった。

「あの、……これ、は?」

 凛は動揺を隠し切れず、震えた声でフィオレに尋ねた。

「わたしの恩人に頼まれて、お届けしました。もともとは遠坂家に伝わるペンダントだったようでして、その方に是非、遠坂家に返してほしいと頼まれたのです」

「これが、うちに……?」

 凛はペンダントに見覚えがなかったらしい。

 流出したのは、ずいぶんと昔のことのようだったので、凛が知らないのも当然だろう。

「これ、でも。こんな……」

「驚かせてしまって申し訳ありません。それが不要なら、廃棄していただいても構いません。わたしは、ただ恩人の言葉を守りたかっただけですので」

 凛は、少し悩んだ後でペンダントを包みに入れなおし、フィオレに頭を下げて礼を言った。

「フィオレさん、ありがとうございます。遠坂の者として、お礼を言わせてください」

「わたしのほうこそ、突然変なことを言ってすみませんでした。――――これで、やっと肩の荷が下りました」

 くすり、とフィオレは笑った。

 それから、フィオレは遠坂家の門前を辞した。

 凛はアーチャーの夢の中で何度か見たことがあったが、そのときの印象のままに、この世界でも生きていた。 

 彼女に渡した大粒のルビーのペンダントに思い入れがあるのはフィオレだけだ。凛にそのつもりがないのだから、もしかしたら売られるかもしれないし、宝石魔術の触媒にされるかもしれない。

 しかし、それはフィオレにとっては重要ではなかった。

 あのペンダントを渡し、アーチャーとの約束を果たしたということが重要だった。

 フィオレが所有する物の中で、唯一聖杯大戦を偲ばせる物品だったのである。それを、手放すということは即ち、この日を以て完全に過去と決別することを意味していた。

 重い足取りで坂道を下る。

 今後、この街で生きていくことになる。地理にはまだ疎いがゆっくりと覚えていけばいい。

 ふと、気が付けば高校の傍に行き着いた。

 夕日に照らされたグラウンドを生徒たちが駆けている。

 あんな風に走れるようになるには、あとどれくらいの時間がかかるのだろうか。少しだけ、憂鬱になりかけたとき、グラウンドの隅で高飛びをしている少年を見つけた。

「あ……」

 思わず、声が漏れた。

 夕焼けに照らされた明るい髪色の少年は、失敗にもめげずに何度も何度も挑戦を繰り返している。部活動の何気ない一風景だと、無視することができずにフィオレはしばらくその姿を目で追ってしまった。

 もう止めればいいのに、少年は諦めることを知らないかのように挑戦し、そして日が暮れる直前になってようやく成功させた。

 フィオレが見つける前から繰り返していたのだろうから、いったい何回の試行錯誤を行ったのだろうか。

 成功に至る道のりは険しく、乗り越えられる保証もなく、そして身体には痛みと疲労が蓄積していたはずである。それを、「彼」は乗り越えた。その姿に、励まされたような気持ちになって、フィオレはまた一歩足を踏み出した。

 きっと明日には筋肉痛になっているだろう。

 足は疲れるし、身体も痛くなる。けれど、それは生きているからこそ得られる痛みであった。自分の足で歩いている証拠なのである。

 未来は見えず、先行きは不安ばかりだ。

 けれど、――――。

“大丈夫。わたしは、ちゃんと歩いていけますよ。アーチャー”

 冬木の街を風が吹き抜け、フィオレの背中を柔らかく押した。

 約束を守れた喜びを噛み締め、足の裏で地面を感じて身体を進ませた。

 魔術師でもマスターでもなく、何も持たない平凡な人間として、フィオレ・フォルヴェッジは新しい日々を歩いてく――――。




“黒”の紅茶。これにて完結となります。
途中かなり無茶があったかとは思いますが、とりあえず辻褄は合わせられたかなと思っています。

例の如くプロットも設定も作ってないものだから当たり前ではあるのですが、書いていて咄嗟に路線が変わることが何度かありました。
直前まで退場させる予定だったキャラが生き残ってしまったりとか――――太陽英雄、お前だよ。

全体のおよそ半分を一ヶ月ほどでやるとか意味の分からないことをしてんなと振り返って思います。

ともあれ、無事終わりました。少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。


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