斯くして、一色いろはの小悪魔生活は終わりを迎える。 (蒼井夕日)
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1話 生徒会選挙とかいうモノ

本編はいろは初登場のシーンから分岐となります。
不定期投稿になると思いますが、感想などいただけると嬉しいです!


 

 「邪魔するぞー、少し頼みたいことがあるんだが…………」

 

 そう言いながら勢いよくスライド式の扉を開けて中に入っていった平塚先生を廊下で眺めながら、わたしは深呼吸をした。

 

 「すぅ、はぁ」

 

 小さくしたつもりだったのに、隣にいた城廻先輩はこっちを見て、「大丈夫だよ、いろはちゃん」と声をかけてくれる。

 

 わたし、緊張することなんて滅多にないんだけどなぁ。人生で一番緊張したのが総武高校の受験当日くらいで、それが最初で最後だったと思う。

 昔から大体のことは卒なくこなせたし、愛嬌を振りまいておけば大体の男子は騙せた。失敗しない自信があれば、緊張なんてしないのだ。なのに、なんだろう。この気持ちは。

 

 「あはは。私もなんとなくわかるよ。ここの教室って、なんか異様なオーラ放ってるっていうか」

 

 ふわふわとろとろ、まるでプロのシェフが作ったオムレツみたいな話し方の城廻先輩。

 ただ、わたしが緊張している理由はちょっと違う。

 

 わたしは今日、というか今、ある面倒事を解決するために特別棟の教室前にいる。

 ここは、『奉仕部』とかいう、名前だけ聞いたらちょっとだけ誤解しちゃいそうな部活が使っている部室らしい。

 なんとも変な名前だなと思っていたけど、平塚先生から聞くところ、この部活には二年の雪ノ下先輩と結衣先輩が所属しているらしい。葉山先輩以外の人間に興味のないわたしだけど、さすがにこの二人のことは知ってる。だって、ね。総武高有名人ランキングでもつくったら、たぶん十本の指に入るくらい有名だし。

 

 雪ノ下先輩は、成績優秀で、社長の娘。おまけに容姿端麗な見た目で男女問わず注目を集めている。

 結衣先輩は、雪ノ下先輩とはちがう可愛らしさをもち、男女分け隔てなく友達が多いことから周りからの人気が高い。わたしも結衣先輩にはちょっとだけお世話になったり。

 

 簡単に言っちゃえば、わたしの上位互換。だって、わたしって女子からの人気ないし、成績もたいして良くない。…………そう、可愛い以外の取り柄がないのだ!

 さっきは『なんでも卒なくこなす』とかかっこつけたけど、それって全部が普通ってこと。唯一二人に勝っているところといえば、男を手玉に取るスキルくらいだ。

 そんな二人の前で、これからいつもの『アレ』をしなきゃいけない。それが緊張の理由。

 

 さてさて。そんなことを考えているうちに出番が来たみたい。

 ちょっとだけ女の子としての自信を失いかけていたけど、それも両頬をぺしっと叩いて一掃。『きゃるんっ!』という効果音が出そうなくらいの笑顔を作って、城廻先輩の後ろをついていく。

 

 「ちょっと相談したいことがあって……」

 「あれ、いろはちゃん?やっはろー」

 「結衣先輩、こんにちは~」

 

 うん。いつものはちゃんと出来てる。お母さん口伝の「どんな男も悩殺!詐欺笑顔!」

 わたしのあざとさは完全に母親譲りなんだよね。

 

 「一色さん、ね。こんにちは」

 

 結衣先輩との挨拶を終えると、こんどは隣に座っていた雪ノ下先輩が言う。この人もうちょっと高校生の雰囲気出せないのかな。背筋がひんやりする。

 

 ちょっと怖いけど、いつもの詐欺笑顔は崩さずになんとか返事ができた。

 ついでに端っこにいる男子にも悩殺笑顔を忘れない。すっごい影薄くてびっくりした。なにこの人?なんでこんなぬってしてるの?まあいいや。

 

 促されるまま席に座り、わたしが生徒会選挙の生徒会長に立候補したという旨のことを話した。

 

 「生徒会選挙に立候補?」

 

 最初に反応したのは結衣先輩だ。

 

 「はい。あっ、今向いてなさそうとか思いませんでした~?」

 「いや、別に……」

 

 愛想の悪い男子、確か……比企谷先輩?だったかな。その比企谷先輩の方を向きながら言う。

 

 大体の男子ならこれでデレデレするんだけど、この人の無反応ぶりハンパない。むしろ引かれてる気がする。

 

 「よく言われるから分かるんですよ~。とろそうとか、にぶそうとか~」

 「それで、何か問題が?」

 「一色さんは生徒会長に立候補してるんだけど、なんていうか、当選しないようにしたいの」

 

 わたしの言葉を代弁して、城廻先輩が説明してくれる。

 

 「えっと、つまり生徒会長やりたくないってこと?」

 「はい、そうです」

 「なら、なぜ立候補を?」

 

 うん、そりゃあ聞くよね。わたしだって知りたいくらい。

 

 「えっと、わたしが自分から立候補したんじゃなくて、勝手にされててぇ~」

 

 ほんと、どこのアイドルだって話なんだけど、実際そんなのじゃない。

 そう、わたしが率先して生徒会長なんてやるわけないのだ。

 クラスでいつも男子からちやほやされてるわたしを見て、妬んでいる女子がいることは知ってる。きっと今回の仕業は彼女たちによるものだ。ほんと、面倒くさい。

 

 「わたし結構悪目立ちっていうんですか~?サッカー部のマネージャーとかやってたりして、葉山先輩とも仲良くしてるせいだと思うんですけど~」

 「悪戯にしても手が込んでますね。立候補には30人以上の推薦人が必要だったはずですが」

 「無論しでかした生徒はこちらで指導する」

 

 確かに生徒会長というステイタスは、内申とか経験とか得なことは多いのかもしれないけど。

 それでも、やっぱり悔しいじゃん。女子から妬まれるのは慣れてるけど、彼女たちの思い通りに動くのは嫌だから。

 

 

 「やりたくないなら選挙で落ちればいい。ていうか、それしかないだろ」

 「でも立候補が一色さんだけなんだよね」

 「となると、信任投票ですね」

 「信任投票で落選とか、超かっこ悪いじゃないですかぁ」

 

 

 そう、ブランドを気にするわたしにとって、対決馬もいない選挙で落選なんて沽券に関わる。

 我ながらわがままだと思う。けど、クラスの彼女たちの狙いはきっとそれなのだ。信任投票で落選させて、見返してやろうっていう魂胆。もー!面倒くさい!!

 

 そんなわたしの心配をよそに、向かって左側にいる比企谷先輩は何か思いついたというように目を見開いた。生き返った魚みたいでちょっと面白かった。

 

 「応援演説をやるやつは決まっているのか?」

 「いえ、まだ……」

 

 「なら簡単で手っ取り早い方法があるぞ。信任投票で落選して、一色はノーダメージで切り抜けられればいいんじゃねえの。要は一色が原因で落選したわけじゃないってことをみんながわかってればいい。応援演説で落選なら、誰も一色のことは気にしないだろ」

 

 一気に説明する比企谷先輩の案に内心びっくりする。

 

 なるほど、選挙には出馬するけど、わたしは応援演説者を見守っていればいいだけ。それならわたしじゃなくてその応援演説者のせいで落選したことになる、ってことかな。

 

 え、なにこの先輩賢そう。何かと使えそ……頼りになりそうだ。

 でも、それなら誰がその応援演説を……?と、わたしの考えを結衣先輩が代弁する。

 

 「ねぇ、その演説ってさ、だれがやるのかな」

 

 わたしの単純な疑問とは違う、何か意味を含んでいるような言い方に、空気が一瞬ひやりとする。

 

 「そういうの、やだな……」

 「……それは、できるやつがやればいいんじゃねえの」

 「そのやり方を認めるわけにはいかないわ」 

 「……理由は?」

 「それは……確実性がないからよ。それに、不信任になるようなひどい演説は、一色さんにも迷惑がかかるわ。仮に不信任になったとしても、再選挙なんてするとおもう?それから……生徒会への関心が低いのだから、票数を公開せず結果だけ出したって誰も気にしないわ。だからその気になればいくらでもっ……!」

 「雪ノ下」

 

 焦るように話し続ける雪ノ下先輩を、平塚先生は落ち着いた声音で宥める。

 

 あ、あれ?なんか秒で空気悪くなってない?これわたしが原因だよね……?

 さっきまでのぶりっ子態度がバカに思えるような雰囲気になり、ちょっとだけ恥ずかしくなってしまった。

 

 「……失言でした。撤回します。ほかの候補を擁立して選挙で勝つしか方法はないでしょうね」

 「そんなやる気のある人間なら、もう立候補してないとおかしいだろ」

 「でも、その……やってくれそうなひとに聞いてみれば……」

 

 結衣先輩の怯えたうさぎのような声に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 トップカーストの結衣先輩のことだから、この部活内でもそうなのだろうと勝手に思っていたけど……。

 

 「すぐに結論は出なそうだな。また後日にしよう」

 

 悪くなっていた空気をおさめるように、平塚先生が取り仕切ってくれた。このまま誰も止めなかったら、抜けだすことができなかったかもしれない。

 今日のところは平塚先生にお預けし、お開きとなった。

 

 城廻先輩と教室を出て、少し歩いたところで大きくため息をつく。

 

 「はぁ~。わたし、なんかまずいことしましたかねー?」

 「ううん、ちがうんじゃないかな。一色ちゃんは関係ないと思うよ」

 「だといいんですけどね」

 

 落ち込むわたしを励ましてくれる城廻先輩だったけど、なんとなく罪悪感は拭えない。出鼻を挫いたっていう言い方が正しいのかはわからないけど、少なくとも良好な滑り出しとは言えなそうだ。

 

 これはもう選挙諦めるしかないのかなぁ。

 

 沈んでいく夕日を眺めながら、もう一度ため息をついた。

 

* * * 

 

 奉仕部の部室から出てそのまま直帰しようと思ったけど、なんとなく心が晴れなくて近くのスターバックスによることにした。普段はあまり一人で来ることはないんだけど、気晴らしにと思って入ってみると、窓際のカウンター席に見覚えのあるアホ毛を見つけた。

 

 「あれ、比企谷先輩?」

 「……おぉ」

 「いや、反応薄すぎないですか?」

 

 え、声かける人間違ってないよね?この人今日会った人だよね?

 まさかとは思うけど、名前忘れられてるんじゃ…………って、さすがにそんなわけないよね。

 

 「ええと……名前なんだっけ」

 「なっ……!!一色ですよ!一色いろは!」

 「ああ、すまん、一色か。どうした?」

 

 そんなわけあった。今日会ったばっかりの人の名前忘れる!? 

 いやまあ確かにわたしも告白された男子の名前なんてだれ一人覚えてないけど、この人にとってはわたしも同類ってこと?びっくりすぎて久しぶりに大声出しちゃった。

 

 「……まあいいです。隣いいですか?」

 「いや無理だけど」

 「なんでですかぁ!」

 「いやほら、知り合いに見られたら恥ずかしいし」

 「…………は?」

 

 何勘違いしてるのこの先輩。思わず素の反応が出てしまった。落ち着け。くーるだうん。まあ比企谷先輩がそういう感じの人じゃないってことは最初に見た時からなんとなく気づいていたけど。

 ていうか、比企谷先輩って長いな。んー、先輩でいいや。

 

 反射的に一歩後ろに下がってしまったけれど、わざとらしい咳払いをしながら先輩の隣に座る。

 

 「こほん。実は、今日のことで先輩に謝りたいことがありまして」

 「今日?なんかしたのか?」

 「わたしが原因ですよね。部室の空気、悪くなっちゃったのって」

 

 いつものぶりっ子を引っ込めて、それでも先輩の方は見ずに注文したコーヒーをストローでかきまぜる。

 心なしか、語尾が弱くなっていた気がする。

 

 「いや、一色はなにもしてないだろ。気に病む必要なんてないと思うぞ」

 「ほんとですか?」

 「ん、本当だ。あとそれあざといから」

 

 言われて気づく。左にいる先輩を斜め下から見上げるような体制。あれ、わたしって素でもこんなあざとかったっけ。

 

 「え~、なんのことですか?」

 

 ちょっとばかしの対抗心を込めて、さらにぐいっと顔を寄せる。大体の男子はこれでイチコロなんだけど、先輩はといえば……

 

 「……」

 

 すっごい嫌そうな目で見られた。

 なんか、この先輩の前で自分装うのがばかばかしくなってきた……。

 

 「まぁ、依頼のことは心配すんな。できる範囲で善処するつもりだ」

 

 声をかけた時からテーブルに置いてあった文庫本を鞄にしまいながら言う先輩。

 部室で言っていた案は雪ノ下先輩に否定されていたけど……

 

 「なにか考えでもあるんですか?」

 「ない」

 「上げて落とす天才ですか……」

 

 わかりやすく肩を落とすわたしに、先輩は「そうだなぁ」と付け加える。

 

 「一色以外に立候補がいれば話は早いんだがなぁ」

 

 全然悩んでいなそうな顔で、気だるげに言う先輩。

 にしても、今日あったばかりの人の相談についてこれだけ考えてくれるなんて、案外いい人なのかな。

 

 「もう一色が生徒会長やっちゃえば?」

 

 前言撤回。全然考えてなかった。

 

 「だったら最初から相談なんてしてませんよぉ~。それに、なんか悔しいっていうか」

 

 拗ねるように言ったわたしをちらっと見て、先輩は。

 

 「まぁ、わかるけどな」

 

 何も言っていないのに、ほんとにわかっていそうな気がしてしまうから不思議だ。

 さてどうしようかと考えを巡らせていると、一つの案を思いついた。

 

 「あ、そうだぁ!先輩が生徒会長になるっていうのはどうですか?」

 「…………馬鹿なの?」

 

 そんなわたしのひらめきを、先輩は会ってから何回か見せる嫌そうな顔で一蹴した。




一色視点から始まりましたが、八幡視点もあります。多分半々くらい。

誤字脱字の報告、お願いします!




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2話 死にかけのカエルさん

一話の時点でお気に入りがごじゅう、だと……?
本当にありがとうございますっ!!
評価者もいてくれて、ほんとにマジでガチ嬉しいです!!
テンションあがってヒトカラいっちゃいました。


………………ええ、ひとりですとも。


 「……馬鹿なの?」

 

 先輩が生徒会長になるという私の渾身のひらめきは、低い先輩の声で一蹴された。

 

 確かにおつむは弱いかもしれないけど、馬鹿ではないと思うんですよー?

 ほら、馬鹿っぽく見せたほうが女の子的に~みたいなこと言うじゃないですか。…………あれ、言うよね?

 

 「え~、いいじゃないですかぁ。立候補が一人しかいないなら、生徒たちもやむなしってなりません?選挙で真面目に投票する人なんてほぼいないですよ、たぶん」 

 「残念だが、30人もの推薦人を集められないんだ。そもそも立候補ができない」

 

 集まったとしてもやるわけないんだけどと窓の外を眺める先輩。

 真正面から見たらどうしても目の方に注目しちゃうけど、こうやって横から見たらそこそこかっこいい顔をしてると思う。この角度だけならあの奉仕部の二人にも釣り合ってるかも……なんて、すぐ査定しちゃうのがわたしの悪いとこだなぁ。

 

 「確かに、先輩友達いなそうですもんねー」

 「今日会ったばっかの人にこんな罵られるの?いや、ぐうの音も出ないほどその通りなんだけどさ」

 

 うっかり口に出てしまった言葉も、先輩は全く気にしてないというふうに自虐する。

 

 いつものわたしなら言葉のひとつひとつを計算して喋るのに、この人の前だと思ったことがそのまま口に出ちゃうのはなんでだろう。

 たぶん、わたしも先輩も、お互いに興味がないからなんだと思う。普通の男子なら好かれようと必死になったり、下心丸出しだったりするけど先輩はちょっと違う。葉山先輩みたいな感じかな?うーん、葉山先輩とも違う気がする。

 

 そんなわけで、いつもより毒舌なわたしなのでした。ちなみに、女子と口喧嘩するときはもっと毒舌だし言葉遣いも悪くなる。男の子はみんな女子に幻想抱き過ぎだと思うけど、逆に言えば勝手に美化してくれるからチョロい。

 

 「ていうか……お前にとっては生徒会長になっといた方が何かと都合がいいんじゃねえの」

 「都合って、何がですか?」

 「推薦したやつらは、みんなお前が生徒会長をやりたくないと思っているから推薦したわけだろ。なら、仮にお前が生徒会長になりたかったとしたらどうだ」

 「え?だから私はやりたくないって……」

 「ブランドだ」

 

 ずっと気だるげに話していた先輩は、真剣そのものという眼差しで見つめてくる。

 突然の態度変更に、思わず背筋が張った。

 

 「生徒会長で得られるもの、内申とか経験とかいろいろあるが、一色にとってはそれだけじゃない」

 「……はあ、なんですか?」

 

いろんな人をこき使える・・・とか?それだったら今のままで間に合ってるんですよ。戸部先輩とか雑用に関しては10人力です。

 

「それはな・・・」

 

 もったいぶった言い回しをする先輩に危うく「いいからはやく言え」ってでちゃうとこだった。ひっこめ、一色くろは!

 

 先輩はこほんとわざとらしく咳払いをすると、ほっぺに人差し指を当てて、顔を傾けた。そして────

 

 「『一年生で生徒会長やってるわたし~♪』 だ」 

 「うっわぁ・・・」

 

 え、これわたしの真似なの?今の死にかけのカエルみたいな声がわたし……? 

 この人、魚とかカエルとか変身できる能力でも持ってるのかな。脊椎動物変身能力とかなにそれいらなっ!

 

 「……ま、まあつまりだ。一年生で生徒会長というブランドはデカい。男子からの注目を集められるだけでなく、学園トップという玉座で片肘ついてるお前にちょっかいを出す女子なんていなくなる」

 

 死にかけのカエルを引っ込め、死にかけの魚の目で説明を続ける先輩。

確かに、生徒会長になることで他の女子からちょっかいを出されなくなるという話にはちょっとだけ惹かれたけれど。それ以上に困ることもあるのだ。説得する先輩に、ちょっとばかしの反抗を試みる。

 

 「で、でも大変ですよね。ほら、私サッカー部のマネージャーもやってますし、両立できるかどうか……」

 

 そう、それは、サッカー部に顔を出せなくなることが増えるということだ。

 ──そうなってしまうのは大変困るのです。わたしは今、絶賛乙女中だからなのです!関係ないけど、乙女って『乙な女』だから失敗する未来しか見えないよね。

 と、心の決意を固めたわたしに、先輩はとどめの一撃をお見舞いしてくる。

 

 「なんかあったら葉山にでも泣き付け。あいつならなんでもしてくれるだろ、知らんけど。それに、生徒会が大変なら部活に逃げればいい。逆もまた然り。ヘルプという大義名分で生徒会室にでも呼び出せば、『アタシの葉山』の完成だ」

 

 あ、やばいおされそう。このままだと先輩の思うつぼだ。

 ──そう、サッカー部には我らがキャプテン、葉山先輩がいるのだ。今まさに、葉山先輩に気に入られようとしている真っ最中。まぁ、見事に玉砕してるんだけどね……。

 

 「……ていうか、なんで葉山先輩なんですか?」

 

わたしが葉山先輩のこと気になってるなんてこと、言ったっけ。いや、さすがにそれはないと思うんだけど・・・・・・。

 

 「葉山目的以外が理由でサッカー部のマネやってるやつなんていんの?」

 「全員が全員そうだと思わないでくださいよー」

 

 確かにうちの部の女マネの9割が葉山先輩狙いだけど。

 と、わたしの一言を聞いてちらとこっちをみる先輩はちょっとだけ驚きの表情を見せながら。

 

 「え、お前葉山好きじゃないの?」

 

 いやまあ、そうなんですけどね。その9割の中に私も含まれてますけど、そこで「はいそうです!」なんていう女子いるわけないですし。

 ──────ん?

 

 「なんですか口説いてるんですか好きな人がいないとわかった途端態度変えるとか下心丸見えだし好きな人がいるので無理です」

 「いやそういうんじゃねえよ……。普通に聞いただけだ。てか振られるスピードえげつなくない?なに、ガトリンなの?」

 

 男子によくありがちなパターンそのいち──遠まわしに好きな人がいないことを確認してくる。

 まさか先輩がそんな手を使ってくるとは、油断大敵ですね。っていうかガトリンって何?

 

 まくし立てて喋ったせいで肩で息をする私を見ながら、「まあなんでもいいけど、生徒会長も案外悪くないんじゃねえの」と帰り支度を始める先輩。呆れ顔しているように見えるのは気のせい気のせい。

  

 「もうかえるんですか?」

 「あぁ。今日はちょっと疲れてるんだよ」

 

 「小町と喧嘩しちゃったし」とゾンビ顔を浮かべる先輩の腰はどこか重そうに見える。コマチ……?お米?

 

 「わたしがお話きいてあげてもいいですよ~?」

 

 今日お話聞いてもらいましたし。人情うすなわたしが珍しくお返しをしてあげようというのに、この先輩ときたら。

 

 「いらん」

 

 すんごい真顔で言われましたとさ。

 …………なんかもう、逆に面白くなってきちゃった。

 

 「可愛い後輩の親切を三文字で切り捨てるなんてひどいです」

 「はいはい、あざといあざとい。てか、初対面からなんでこんなに馴れ馴れしいんだよこの後輩は」

 「あ、待ってくださいよ~」

 

 適当にあしらってそそくさと店をでていく先輩だったけど、わたしがコーヒーを全部飲み終わったのをさりげなく見計らってたみたいだ。それに、もう暗いからと駅まで送ってくれた。落として落として最後にちょっとだけ上げるって、先輩の方があざとくないですかね。

 

 「先輩ってエレベーターみたいな人ですね」

 「なんだよそれ……。人間エレベーターとか、どこの奴隷だよ売れねえよ」

 「先輩が人間とか、何十年前の話ですか?」

 「いやゾンビじゃないから。ちゃんと生きてるから」

 

 初対面とは思えない、気が置けない会話。

 普通の男子が相手ならひたすらに自分を繕って、声もちょっとだけ高くするけれど。先輩のこのやる気のない喋り方に、わたしもちょっとだけ気が抜けてるのかもしれない。本音で話すってこんな感じなのかな?勝手に生徒会に推薦されたというストレスが、すーっと晴れて、引いていく感じがした。

 

 「あっそういえば……」

 

 自転車を押す先輩の横で、思い出したポーズをとるわたし。わざわざとったポーズも、先輩は微塵もこっちを見る気配がないのがちょっとだけむかついた。

 

 「わたし、先輩のこと知ってたかもです」

 「え、なんで?ツイッターで俺の悪口でも書かれてたの?泣いていい?」

 「違いますって。比企谷先輩のことを呟くひとなんて誰一人いないと思いますから」

 「やっぱ泣いていい?」

 

 それはそれで悲しいだろうが……と肩を落として見せる先輩だけど、本気で落ち込んでるわけじゃなさそうなのでそのまま続ける。

 

 「まあツイッターではなく、噂で聞いたことがあるんですよ」

 「噂?」

 「文化祭で女子を言葉責めして泣かせた……とか」

 「い、いや、まあ大体あってんだけどさ。にしても、尾ひれの付き方に悪意しか感じないんだけど」

 「あとは…………修学旅行で告白を横取りした、という話も聞きました。主に戸部先輩から」

 

まあこんな噂を聞いた時はそんな変な人もいるんだな、関わらないようにしなきゃ程度にしか考えてなかったんだけど、もうここまで来たら後戻り出来ないしね。確かに目付きだけだとやらかしかねないけれど、話してみると悪い人ではないということくらいはわかる。

 

 「くそ、あいつには教育が必要だな」

 

 あ、珍しく先輩の顔がちょっとゆがんだ。先輩、戸部先輩みたいなの苦手そうだもんね。でも、アレでも手懐ければ案外便利ですよ?

っべー、ヒキタニくん、まじべーわ。っべー!

 あれ、おっかしーなー。なんだか幻聴が聞こえてきた。わー、うるさ。

 

 「噂って全部、奉仕部が関係してたりするんですか?」

 「まあな。ほんとろくでもないぞあの部活。上司の厳しさとか、ブラック企業といい勝負してるぞ」

 「でも先輩、ブラック企業似合いますよ」

 「全然嬉しくねえ……ブラックで言うなら、お前の腹の方だろうが」

「もう、お腹は肌色に決まってるじゃないですか〜」

 

そうとぼけるわたしに「あざとい・・・・・・」と呆れ顔をする先輩。そういうことは口に出さないものですよー?初対面からあざとくない女子なんていないんですから。

 

 そんな会話をしていると、あっという間に駅についた。 

 久しぶりに、会話が楽しいって思ったかも。なんて。

 

 「送ってくれてありがとうございました」

 「これも仕事だ。気を付けて帰れよ」

 

仕事だからやるという先輩はやっぱりブラック企業が似合うんじゃないかと思ったけれど、口には出さないでおいた。

 

 「はい、これからよろしくお願いします!」

 

 あ、ちょっとこのセリフ取り消したい。ほら、なんかプロポーズのお返事みたいだし。そういうのはもっと特別な日に取っておきたいし…………むー、こうなったら。

 

 「もしかして今ので恋人になったとか思っちゃいましたか別に深い意味は一切合切これっぽっちもないので勘違いしないでくださいごめんなさい」

 「もうなんでもいいけどね……」

 

 疲れ顔を浮かべる先輩に、「では」とお辞儀する。

 

 改札を抜けてもまだ待ってくれていた先輩の目は────うん、遠目から見てもやっぱり目死んでるんだよなぁ。

 

帰り道の足取りが、いつもよりも軽かった気がした。

 

* * * * *

 

 「はあぁぁ……」

 

 一色を駅まで送った後には夕日はすっかり沈み、晴れた空には星が煌めいていた。

 ペダルをこぐ足はいつもよりも重い。

 傍からみたら、煌煌と輝く星の光で体内エナジー吸われているゾンビにでも見えてるんじゃないかと思う。

 ロハでも朝から気分重かったというのに、あざとい後輩から面倒くさそうな依頼もくるしで絶賛大忙し八幡の特売セールだ。

 

 「帰りたくねえなぁ」

 

 人がいないことを確認して、ぼそっとぼやく。

 冬の夜は音がよく響くんだったっけか。まあ、冬っていうには少し早い気もするが。

 

 いつもの俺なら下校中に店によってコーヒーを洒落こむなんてことはせずに光の速度で直帰するのだが、今日はそんな気も起きなかった。

 ことは今朝に遡る。

 

 『また何かやらかしたんでしょ?一つ一つ話してみそ』

 『ん、やっぱなんもないわ』 

 『え~またまた。で、何があったの?』

 『……しつけえよ。いい加減にしろ』

 

 いやはいここだけ聞くと完全に俺が悪いですね。てか、切り取るところ他になかったのん?トリミングセンスなさすぎでしょ……。いやどことっても多分俺が百悪いんだけどさ。

 

 とはいえ、兄弟喧嘩なんてこんなものだ。些細な事でいらいらするし、それで数日顔すら合わせなくなることもよくある。兄妹だからこそ、干渉されたくないことだってあるのだ。今までの俺なら、そんなこともなかったんだが……。

 …………くそ、小町へどう謝ろうかを考えたいのになぜか先のあざとい後輩、あざ後輩が脳裏を横切る。もう頭の中一色フィーバーなんですけどやだもう好きかもっ!

 

 「生徒会長、ねぇ」

 

奉仕部に来た時には確信はなかったが、先程マンツーで話してから一色という人間がわかった気がする。一色があのあざとキャラを計算して作っているなら、逆にそれを手玉にとって生徒会長に押し上げるということは可能だ。方法はまあ、さっきもやった通り説得しかないんだが・・・・・・今のところは望み薄なんだよなぁ。

 

 そもそも我々部外者からすれば、生徒会なんて何してるかわからないけど何かすごいことをしてる人たちの集まり程度にしか認識がない。そのくらい無関係者にとって生徒会という組織に興味なんてないのだ。正直生徒会に入るやつらは何が楽しくて立候補するんだろうか。クラスという組織にすら溶け込めていない俺にとっては、気が狂っているとしか思えないんだが。

 いやしかし、何しているかわからない組織、か。秘密結社というか、四天王感あってちょっとかっこいいな……。

 

 ──と、中学時代の病気が目を醒ましかけたところで、ポケットの中からスマホのバイブレーションが響いた。

 なんだ?前の迷惑メールは着拒したはずなんだが……

 あ、これ電話の着信音か。し、知ってたんだからね!誰からも電話こないから着信音を忘れてたとかそんなんじゃないんだからっ!

 『平塚先生』と表示された液晶に怯えを抱きつつ、恐る恐るスマホを耳に近づける。

 

 「もしもし……?」

 『あー、比企谷、私だ。遅くにすまんな』

 「どうかしたんですか?」

 

 電話の理由を問うと、平塚先生はどこか気まずそうに「いや……」とためらってから、先を続けた。

 

 『比企谷お前、生徒会長になりたいのか?』

 

 「…………は?」

 

 だいぶ間抜けな声が、夜空に響いた。




女子視点ってこんなにムズいんだね・・・・・・もっと女の子と話す練習しとかなきゃ・・・・・・。なんかいろはの初期好感度が高い気もするし・・・・・・でもっ!!(苦悩)

更新頻度、もっと上げたいんだけどなぁ・・・。さすがに一週間一本じゃあ遅いですよね。
もっと頑張りたい。頑張ってヒトカラ行ってきます。

誤字報告、お願いします!


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3話 イジメじゃないから

お気に入りが!!100を!!突破しましたー!!!
ありがとうございます!!すんごいモチベ上がります!
コメント・感想もよろしくお願いします!


 開門締め切りを告げるチャイムを聞きながら、いつもと変わらない喧噪な教室のドアを開く。ガラガラと響く扉の音は生徒たちの話声でかき消され、「おはよー」と声を掛けられるわけでもなく廊下側の席へ腰を下ろす。

 

 変わらない。イヤホンをつけて机に突っ伏するのも、いつもと同じ流れ作業だ。ただ、その何も変わることのない日常を俺は求めている。

 

 毎日同じであることがつまらないとリア充は言う。

 気になるあの子と新しい関係になりたいとリア充は言う。

 「っべー、現国の教科書忘れちった。俺どこのヒキタニ君だよー」と戸部は言う。うるせえ戸部。

 

 戸部はともかく、リア充は何かにつけて転校生やら行事やらに飢え、渇望する。

 目新しく異質なものをまわりと共有し共感し認められることは、人間元来の欲求であるからだ。故人、アメリカの心理学者、マズローが考案したように、欲求五段階説の中位に位置する所属欲求は誰しももっているはずなのだ。

 

 しかしそのようなイベントごとは、俺にとっては何の関係もない。

 何かを共有する友もいなければ、他者から異質だとみなされる者の末路を知っているからだ。

 ──さて、皆に問う。その末路とはいったい何であろうか。異質だと見做されてきたが故に自由を奪われた者の末路とは。

 

 

 ──答え。それは俺だ。かつては新しい何かを渇望し、クラスのあの子と新しい関係を築こうと勇気を振り絞ったあの日から、俺は間違った分岐点を歩む羽目になった。

  

 畢竟、リア充なんぞ皆爆発すればよいのだ。さて、この学校に爆弾を仕掛けるならどこがいいか…………

 

 と、俺の総武高テロ計画が顔を出したところで、机に突っ伏していた肩をトントンと叩かれる。場合によってはすぐにでもお前を爆破するぞという気概を持って、俺は重々しく顔を上げた。

 

 「おはよ、八幡」

 

 視線を上げた先には──。

 神々しく輝く眩しい笑顔。細い体。白皙の肌。さらさらな髪の毛。

 そんな女の子よりもかわいい男の子、戸塚彩加は、控えめな笑顔で俺の疲れを全身から取り去った。

 

 ──変わらない日々?リア充爆発?誰だそんなことを言ったのは。

 この子に見せてあげたい、新しい世界を。そして毎日新しい笑顔を俺に見せてくれ……。一緒にリア充になろう、戸塚……。

 

 「なんか疲れてるっぽいね。何かあった?」

 

 あぁ、どうしたらこの純真無垢な天使を外の害悪から守ることができるのだろうか。くそ、俺にもっと力があれば……、

 

 「八幡?」

 

 何を思いあがっているのだ比企谷八幡。

 俺ができることは、俺と関わらないようにしてあげることくらいではないか。戸塚に俺みたいなろくでもない友達がいるとわかったら、戸塚にまで被害が及ぶ可能性が…………

 

 「もう、八幡ってば!」

 「んお、おぉ、すまん。おはよう」

 「大丈夫?ぼーっとしてたみたいだけど……」

 

 戸塚は俺の顔を覗き込むようにすると愁眉を浮かべた。近い!戸塚が近いっ!!

 女の子を心配させてはいけないよといういつかの小町の言葉を思い出し、残り少ないエネルギーを振り絞った。

 

 「大丈夫だ。心配させて悪いな」

 「ううん、気にしないで。僕じゃ力になれるかわからないけど、なにかあったら話してね」

 

 「それじゃあまた」と言って自分の席に戻っていく戸塚の背中を眺めながら、昨日のことを振り返る。

 

 一色の依頼。奉仕部での確執。小町との喧嘩。そして────

 

 『比企谷、お前生徒会長になりたいのか?』

 

 この言葉を電話越しに伝えてきたのは、我らが奉仕部顧問、平塚静(独身)である。最初聞いたときは拗らせも末期まで来て俺をからかっただけなのではとも思ったのだが、どうやら本当らしい。昨日雪ノ下が話していたように、立候補には30人の推薦人が必要なのだが、その推薦人もしっかりぴったり30人集められているようだ。

 平塚先生(独)によると、推薦人名簿に書かれた名前には、俺の顔見知りはいそうにないのだと言う。

 まあ、俺は一色と違って嫉妬されるような人間でもないし、知らん生徒がただ退屈凌ぎでやったことなのだろう。そいつらにすれば、道の小石を蹴飛ばすようなものなのかもしれないが、やられる方は堪ったものではない。絶対許さない。

 

 とはいえ、俺は背負う誇りも何もない。犯人捜しなんて七面倒くさいこともしたくないし、適当に演説して落選すればそれで事は終わる。 

 ただ問題視すべきは一色の方だ。依頼にも来た通り、あいつの猫かぶりといいあざとさから考えれば、周りからのブランドイメージというものがあるのだろう。まして女子同士の確執ともなると、選挙で終わるとは思えない。

 

 このままでは一色を説得して会長にさせるというのも望み薄だろうしなぁ。ていうか、会長立候補してる二人がどっちもイジメられてるとかどんな学校だよ。

 

* * *

 

 ぽけーっとしているうちに昼休みを迎えた。

 昨日の電話で、昼休みには平塚先生のところにくるよう言われている。

 

 昼休み教室抜けだして先生に会いに行くだと……?そんなの完全にお弁当イベントじゃねえか!おいおいいつから平塚先生√入ってたのん?このままじゃ先生の男弁当に惚れて婿入り確定しちまうぞ………案外悪くないな……。

 

 なんて思ってた時期は一瞬しかなかった。一瞬でもあったのかよ。

 

 「さて、話を聞こうか」

 「そんなこと言われましても……俺が一番聞きたいくらいっすよ」

 

 職員室の最奥にある、パーテーションで仕切られた応接室。

 白衣姿の平塚毒女は煙草を吸いながら例の推薦人名簿を手渡し、続けざまにボディーブローをかましてきた。

 

 「ぐっはぁっ!な、なにするんすか……」

 「なぜかわからんが急に腹が立ったんでな」

 「あんたよくそれで教師続けてられるな……体罰で退職とかなればただでさえ薄い結婚の可能性が…………ってストップストップ!暴力はノーがっはぁッ!!」

 「こうなったのもその減らず口が原因だろう」

 

 平塚先生はとんとんと推薦人名簿を爪で叩いて、缶コーヒーを俺の前に置いた。

 今飲んだら絶対ゲロっちゃうからあとで飲むことにします。マジで痛ぇよ……。

 殴られた部分をさすりながら、推薦人名簿に書かれた名前を眺める。確かに、俺の知る名前は一つもない。

 

 「周りの人間もやっと俺の才能に気づいたんじゃないですかね。聡明だし、国語学年3位だし」

 「現実を見ろ比企谷」

 

 俺の名推理は、平塚先生の煙草の煙と共に一蹴された。

 

 「にしても、推薦人だけで立候補がまかり通っちゃうとか、この学校の選挙システムどうなってるんですかね」

 「それには私も同意するな。まあ、ここの生徒会は他校と交流して共同活動することが多いしな。よほど意識が高い者でもなければ候補者すら集まらん。それを考慮して、私が赴任する前から採用された制度らしい」

 

 なるほど確かに、行事ごとで他校からの支援が手厚いのは生徒会による賜物だったわけか。まあ関係ないしめっちゃどうでもいいんだけど。

 

 「それで、どうするのかね」

 

 煙草を灰皿にこすりつけながら、平塚先生はこの問題の回避方法を問う。

 

 「いや、どうするもなにも……。立候補が確定したからには普通に演説して負けますよ」

 「なら、一色はどうする」

 「…………」

 

 そういえば、応援演説が原因で落選っていう案だしたの俺だっけか……。その役は俺がやるつもりだったが、それは雪ノ下と由比ヶ浜には却下されているし、俺も立候補するとなるとそもそも実行できない。そして一色の説得は望み薄……。デッドロック状態だ。

 

 「八方ふさがりってこういうことを言うんですかね」

 「まあ何か困ったら、依頼でもしてみたらどうだ。奉仕部に」

 

 いや、俺も一応奉仕部部員なんですけど。あれ、俺が部員ってこと忘れられてないよね?え、大丈夫?

 

 「……考えておきます」

 

 存在感の薄さに不安を覚えていると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

* * *

 

 「…………」

 

 はぁ、結局来てしまった……。

 

 目の前に佇む奉仕部部室のドア。

 特別棟に位置するこの教室は本棟とはちがって冷たいすきま風が吹き抜け、首元を滑っていく。

 帰りのホームルームを終え自販機で時間を稼いだ後、かれこれ10分くらいはここでうじうじしている。

 

 さすがに寒い。体冷えすぎてほんとにゾンビになっちゃう。

 

 何故来る目的が違うだけでこうも緊張してしまうのか。

 もはや初めて行く美容室くらい緊張してる。

 

 ほんと、なんで美容室ってあんなにオシャレ感漂わせてんのかね。もっとウェルカム感だしてこうよ!ほら、ジャパリパークみたいにさ。どったんばったん大騒ぎっ!

 某けものアニメよろしく心臓がどったんばったんと脈打っているが、そろそろ入る決意しないと…………

 

 「せんぱいなにしてるんですか?」

 「っひゃぁ!ってなんだよびっくりするだろうが……」

 

 ドアに手をかけようしたところで、横からひょいっと顔を出してきたのは、例のあざ後輩、一色いろはである。まじでびっくりしすぎて出したことない声出ちゃっただろうが…………。

 

 「びっくりしたのはこっちのセリフです。急に変な悲鳴出さないでくださいよ」

 「……何しに来たんだ」

 

 眉を傾けてあざとく頬を膨らませる一色になるべくめんどくさそうに返す。

 なんでこいついちいち仕草が可愛いんですかね。

 

 「今日も放課後来るよう言われてまして」

 「そうか、ならちょうどいい」

 「え?」

 

 一色の疑問を置き去りに、今度こそ部室のドアを開ける。

 ぶっちゃけ昨日のこともあるし入りにくいことこの上ないが、今の俺は藁にも縋る思いだった。

 

 「あら、来たのね。一色さんも、こんにちは」

 「やっはろーいろはちゃん。てかヒッキー、ずっと部室前にいたのバレバレだし」

 

 「え、まじ?」と喉まで出かかった言葉をすんでのところで飲み込んだ。内心は「え、まじ?」状態だしすっごい恥ずかしいんですけどてかそれならそっちから声かけてくれてもよかったじゃ……。

 

 「ヒッキー……?」

 

 俺はいつも座っている端っこの椅子を依頼者用の椅子の隣に並べ、雪ノ下と由比ヶ浜に対面するように座った。一色も俺の行動に戸惑いながら、「失礼します」と倣って腰かけた。

 

 二人が驚くのも無理はないだろう。

 今日の俺は「奉仕部部員」としてではなく、あくまで「依頼者」として訪れているからだ。

 目を見開いていた雪ノ下と由比ヶ浜、それと一色に、事の顛末を説明した。

 

 「なるほど、そんなことが……」 

 「でも、誰がそんなことするのかな。ヒッキーのこと知ってる人なんてほとんどいないのに」

 「おい、さらりと俺を傷つけるな」

 「先輩…………イジメられてることを女子に相談とか、超かっこ悪いですよ」

 

 横から可哀そうな人を見るような視線を感じるので、誤解を解いておく必要があるようだ。

 

 「いじめ?何言ってんだ一色。これはいじめじゃない。ほら、よく言うだろ。好きな男子にはちょっかいをかけたくなるとか、これはそういうのだ」

 

 今日一自信たっぷりの顔で答えてやると、三方向から憐憫ビームが飛んでくる。いや、ため息って三人同時にすることってあるの?ラノベじゃないんだから。

 

 「比企谷君…………現実から目を背けたくなる気持ちはわかるけれど、あまり自分の世界に閉じこもってしまうといつか腐ってしまうわよ?あなたみたいに」

 「その理論だと、俺もうすでに手遅れだろ……」

 「ヒッキーの世界、空気わるそ~」

 

 こいつら言いたい放題ですね……。

 正面で「ゾンビ多そうー」だの「じめじめしてそうー」だのいう二人をよそに、一色は横からひょいっと顔を寄せてきた。

 

 「じゃあわたし、お邪魔しちゃおっかな~、せんぱいのせ・か・い♪」

 「……っふぇ!?」

 

 満面の笑みで体を寄せてくる一色に、豆鉄砲をくらったような声を出す由比ヶ浜。そのあざとさにはいい加減慣れてきたから。…………ほんとだよ?顔赤くして目そらしたりなんかしてないよ?

 

 「くんな。あいにくだが入国許可証は戸塚にしか渡してない」

 「え~いじわるぅ~」

 「そ、そうだよいろはちゃん、やめといたほうがいいよ!絶対気分悪くなるよ!ねえゆきのん!?」

 

 急に由比ヶ浜に振られて困惑した雪ノ下は、「そ、そうね。汚染物質とか漂っていそうだし……」と顔をそらした。

 

 そんな必死に罵らなくてよくない?いい加減泣いちゃうよ?

 

 二人を驚いたような顔で眺めていた一色だったが、「ところで」と話をもとの路線へと戻した。

 

 「結局先輩は何に困ってるんですか?」

 「そうね。もともと分かれて一色さんの依頼に当たるということだったし。あなたは普通に落選すればいいだけでしょう。何か問題でも?」

 「…………これは勘だ。だから聞き流してくれても構わない。違ったら違うと言ってくれ」

 

 そう、昨日一色から依頼が来た時から思い当っていたことだ。

 雪ノ下は応援演説が原因で落選を狙うという俺の案を否定し、一色よりも知名度人気度ともに高い候補者を擁立するという案を俺が否定した。ともなると、取れる作戦はほとんど限られている。こと責任感の強い雪ノ下が実行しそうなこと、それは。

 

 「雪ノ下、自分が立候補しようとか思ってたりするか」

 「……っ!」

 「ゆ、ゆきのんが!?」

 

 図星をつかれたような表情の雪ノ下は、諦めたように顔をうつ向かせた。

 

 「……ええ、他に浮かぶ案がなければ、そうするつもりだったわ」

 

 そう言った雪ノ下の目は力強く、だがどこか、寂寥感を込めているように見えた。その両義を汲み取ったのか、となりにいる由比ヶ浜も視線を落とした。

 

 雪ノ下ならば、まず間違いなく生徒会長に当選するだろう。そして、その責任感の強さから、生徒会の仕事に徹底し抱え込み、奉仕部に顔を出すこともできなくなるだろう。

 

 そうなってしまえばこの奉仕部がどうなるか、予想するのは難くない。 

 だから俺は。

 

 「雪ノ下、先に言っておく。お前が立候補する必要はない」

 「……え?」

 「どゆこと、ヒッキー?」

 

 にやりと不適な笑みを浮かべて見せて。

 

 「一色も雪ノ下も会長にはさせず、かつ恥をかかせようとしてきた連中も見返す。そしてこの奉仕部を潰させない。────まあ、あとは俺に任せろ」

 

 完全に酔っているとしか思えないセリフを吐き捨てて、一色と部室を後にするのだった。






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4話 先輩、これ苦いです……

感想、お気に入り、ありがとうございます。とても励みになります


 「それで、女の子をひとり人気の少ない放課後の図書室に連れ込んだ理由を聞いてもいいですか?」

 「ちょっと?誤解招く言い方やめてくんない?そもそも勝手についてきたのそっちだろうが」

 「む、先輩が急に出ていくからわたしもみたいな空気あったじゃないですか。責任はそちらにあると思います」

 

 

 部室を出たあとまっすぐ図書室へ向かった俺は、後輩から理不尽な説教を受けていた。といっても、俺はプリントの裏に文字列を書いていくことに勤しんでいるため、ほとんど聞き流している。もう一色の説教がBGMになってた。『JK(CV:佐倉〇音)のお説教サントラ』とかなにそのサントラ絶対買うんですけど。

 

 ていうか、女子が「責任」って単語使うだけでちょっとドキッてしちゃうからやめてほしい。どんな内容でも責任取りかねないから。マジで。

 

 「さっきから何してるんですか?」

 

 はぁ、と一息ついてから、一色は呆れ半分疑念半分の声で聞いてきた。

 俺は一度手を止め、一色の方へ顔を上げた。 

 

 「他の立候補者を擁立する」

 「え?でもそれって…………」

 

 そう、それは雪ノ下が提示した案だった。そして俺は、「やる気のある奴ならもうとっくに立候補しているはずだ」という建前で否定した。

 なぜいまさらと思われるかもしれないが、実際100%のやる気で立候補する奴なんていないと俺が気づけたからだ。わざわざ部室抜け出して図書室に来たのも、一度否定した手前当人の前でその作業をするのが憚られたからなわけで。…………いや、ほんとだよ?自分でもビビるくらい恥ずかしいセリフ吐いたからその場にいられなくなったとかそんな理由じゃないよ?

 

 

 「選挙まで二週間を切った今日で、選挙日とか立候補者は公示されてるんだ」

 「えっと、朝のホームルームで配られたプリントのことですよね」

 「ああ。それで、生徒会長の立候補の欄は見たか?」

 「……?いえ、興味ないので見てないですけど……」

 

 さっきから何言いたいんだこの人という一色の疑問に答えるべく、俺は書いていたプリントを裏返し、表を一色の方へ向けた。

 

 「これ、今日配られたプリントですよね?…………あっ!」

 

 一色は気づいたのか、静かな図書室に響きわたるくらいの声をあげた。おかげで、慌てて両手で口を覆ったのもむなしく、近くを通りかかった図書委員に注意された。

 

 「わたしの名前が、書いてない……?」

 「そうだ。一色が立候補する前にはすでに一回目の公示は作られてたんだ。だから生徒会長の欄はいまだ募集中になってる。もちろん、俺もな」

 

 公示が行われるのは、当日から二週間前と一週間前の計二回だ。

 一度目の公示で立候補者がいた場合、それが一色や葉山、雪ノ下であればわざわざ好き好んで直接対決をしに来る奴なんていない。わざわざそんなことするのはドMか戸部くらいだ。

 しかし都合がいいことに、一度目の公示では一色いろはの立候補については記載されていなかった。一色は間違いなく可愛い。雪ノ下のような辺りを払うような可憐さ、由比ヶ浜のような天真爛漫さはないものの、ルックスだけで言えば二人に勝るとも劣っていない。

 

 そんな、一般生徒にとってはデカい壁になるだろう一色いろはの立候補が公になっていないのなら。

 

 「先輩、ニヤニヤして気持ち悪いですよ」

 「君、オブラートに包むって言葉知ってる?」

 

 いや後半の方は割と自覚あったけどさ。むしろ、「くっくっく」キャラとかミステリアスでかっこいんじゃね?なんてことを思い始めてたくらいなんだけど。なんだよ「くっくっく」キャラって。

 それはさておき。

 

 「そろそろ立候補を決めあぐねていた奴らが数人出てくる頃だ。この学校はそこそこの進学校だし、意識高めな奴らは結構いるはずだ。──でも、狙いはそこじゃない。モブがどれだけ出てこようが、どうせ一色には勝てないからな」

 

 ──と、ここまで説明したところで先ほどまで難しい顔をしていた一色は、俺が書いていたプリントを見てから「なるほど!」と手を打った。

 

 「校内で悪い噂がたちまくってる先輩が立候補してるって葉山先輩とかに広まれば、周りの人のおぜん立てで立候補せざるを得なくなる…………ってことですか」

 「……………………その通り」

 

 東〇王ばりのタメで答えてやると一色は「ふっふ~ん」と満足げに胸を張った。

 いや、こいつの頭の回転速度と理解力に正直かなりビビっている。計算高い奴だとは思っていたが……。

 劣化版城廻先輩兼上位版相模兼超劣化版はるのんと侮ってましたすいません。さすがはあ〇ねるさんマジパネェっす!

 

 「先輩ってもしかして頭いいんですか」

 「まあな」

 

 聞かれ、俺もどや顔で返してやる。が、正直確実性に欠けていることは否定できない。俺の立候補で回りが騒ぎ立てるという前提も自意識過剰と言われればそれまでだ。──が、その心配はなさそうだ。俺が思っていたよりも、俺の名前は全校で知れ渡っているらしい。学年も違う一色が俺のことを知ってるといっていたのがなによりの証拠だ。

 

 「だから念のため、こうやって選挙活動用の広告を作ってるってわけだ。後日印刷して学校中に貼る予定だ」

 「でも、上手くいくんですかねー」

 「まあぶっちゃけ、完全にこの学校のやつらにかかってるからな。だからうまくいかなくても俺のせいではないということだけは先に伝えておこう」

 「完全にトカゲのしっぽ切りじゃないですか……」

 

 なんだこの頼りない先輩は…………とため息をつく一色。

 まあ、いくら生徒会への興味が薄いとはいえ、悪評つきまくってる俺が立候補するとなればそれなりの話題性にはなるだろう。トップカーストの連中がそれを耳にして、かつ行動に移してくれたら今回の作戦は成功とはいえるが、ぶっちゃけ半分博打だ。

 

 「ていうか、大丈夫なの?」

 

 粗方の説明を終えたところで、俺は一つの疑問を呈した。

 

 「大丈夫って、なにがですか?」

 「お前は俺の噂知ってたんだろ。周りに色々言われんじゃねえの」

 

 俺が危惧しているのは、一色の沽券だ。どっかの相模様のおかげで悪評たちまくりの俺と一緒にいるところをみられて変な噂でもたてば困るのは一色の方だろう。

 現に、先ほどから図書室を行きかう生徒からちらちら視線感じるし、本棚の影からひそひそとこちらを伺っているやつだっていたくらいだ。

 

 一色は聞かれると、顎に人差し指を置いて考える人ポーズで口を開いた。

 

 「ん~、そうですねー…………………………はっ!なんですか口説いてるんですか放課後に二人で図書室にいるだけで彼氏面とか単純だし気持ち悪くて無理です」

 「だから違うから……。単に心配しただけだろうが。てか、振られる理由前と違うんだけど」

 

 返して。俺の心配返して。

 にしても、よくもまあそんなすらすらと言葉が出てくるもんだ。どんだけ振り慣れしてるんですかね。イチローにだって引けとってねえぞ。………………イチロー、引退しちゃったからなぁ。野球全然知らんけど。

 

 俺が疲れの表情を浮かべると、一色は「それは冗談として」と今度こそ真剣な面持ちで答えた。

 

 「人の評価くらい、自分で決めたいじゃないですか。仮にその人がうわさどおり変な性格だったとしても、自分と気があってればそれでいい気がするんです」

 

 真面目な意見に気恥ずかしくなったのか、「みたいな?」と誤魔化す一色だったが、それはどこか他人事ではないような語り口にも見えた。まるで、自分のことを話しているような。一色を、自分のキャラクター性とブランドを重視する小悪魔と認識していた俺にとっては意外で、少し感心してしまった。

 

 「ほーん。そういうことも考えてんのな。正直意外だ」

 「えっへん。こういうところをちらっと見せたほうが男ウケいいんですよねー」

  

 しかしこの小悪魔は、俺の感心をコンマゼロ秒で一蹴しやがった。いやー、危うく俺もこの小悪魔のブラックホールに飲み込まれるところだったわー。絶対ハマったら抜け出せない自信あるわ。

 

 「ほんといい性格してるな…………」

 「ありがとうございます♪」

 

 全然褒めてないんだけど、こいつは自分の長所として捉えてそうだからなお(たち)が悪いんだよなぁ。

  

 「ほら、あばたーもえくぼっていう言葉もあるじゃないですかー?」

 「どこの青い人だよ。それをいうなら“あばたもえくぼ〟だ。ていうか、使い方間違ってるから」

 

 それじゃあまるで俺が一色を贔屓目に見てるみたいじゃねえか。俺が贔屓するのは小町と戸塚と戸塚だけだから。

 

 つか、自信満々で難しい単語使おうとしてくるあたり、どっかの由〇〇浜さんに似てアホの子なんですかね。とかいったら〇比ヶ〇に怒られそうだからやめておこう。普段優しい女の子が機嫌悪い時ほど怖いことないからなぁ…………。

 

 「もう遅いな。続きは明日やればいいし、俺は帰るわ」

 

 気づけば赤い夕陽が図書室を満たし、時計に目をやると18時を回っていた。暗くなる前に一色も帰ったほうがいいだろうという気づかいだったのだが、目の前の一色は頬を少しだけ膨らませて、「まさかわたしを置いて帰るんですか?」とかヤンデレヒロインみたいなことを言ってきた。

 

 なんか圧がすごいんですけど。あれ、俺何か間違ったこと言った?

 何が理由で責められてるのかがわからない俺に、一色は心底呆れたようにため息を漏らした。

 

 「これじゃあ、結衣先輩も苦労しそうですね。同情します」

 「さっきから何言いたいんだお前は。言いたいことははっきり言えって中学のクラスの連中に教わらなかったのか?」

 「中学時代に先輩がイジメられてた話は聞いてないですから……」

 

 バッカお前いじめられてなんかねえし?ただ席に座ってたらちょっとヤンチャな男子たちに囲まれてそう言われただけだから?休み時間に同級生に席囲まれるとかいう数少ない俺のリア充エピソードだから泣いてねえからマジで。

 

 「それじゃ、帰りましょうか。もう暗いですし」

 

 後ろ手にバッグを持って図書室を出ていこうとする一色の後ろ姿を眺めながら、俺も図書室を後にした。

 

* * *

 

 外靴に履き替え外にでると、サッカー部や野球部やらの青春を感じさせる掛け声が響いていた。

 金属バットの音、フェンスにボールが当たる音、サッカーボールが蹴られる音が、ここが高校であるという意識を強くさせていた。

 俺もまともな分岐点を選んでいたのなら、彼らのように一つのボールを追いかけ、汗を流し、敗北に涙するという所謂"高校生らしい高校生〟の人生を歩んでいたのだろうか。

 

 ────答えは否。愚問である。

 

 一人一個しか持つことを許されない人生において、そのような問いかけは意味をなさない。

 

 人生山あり谷ありという言葉がある。

 人間生きていれば良いことも悪いこともあるということを比喩的に表現したことわざであるが、実際は違う。

 だって、普通谷とか危険だろ。どうやって山から下りるんだよ。

 

 そう、このことわざはよく誤用されている。

 

 実際人生なんて悪いことしか起きない。ソースは俺。

 義務教育を課せられてから今現在まで人から距離を置かれる人生を歩み続け、高校入学初日に車にひかれ、挙句の果てにはよくわからん部活に強制入部させられた男のどこに〝良いこと〟があっただろうか?

 

 人生は無限の選択肢があるとか言われるが、実際予定調和によってそれは一つしか存在しない。

 過去のどこかで、たった一度の選択ミスを犯した時点で挽回など不可能。

 俺はどこかで間違えたのだ。俺の人生は遥か遠い昔に、詰んでいたのだ。

 

 畢竟、ただの運で選択肢を一度も間違えずにこれたような、人生ヌルゲーモードリア充なぞ、皆爆発すればいい。

 

 さて、この学校に爆弾をしかけるならどこがいいか…………。

 

 「あ、八幡!今帰り?」

 

 と、俺が再び総武高テロリズム計画を案じていたところで、テニスコートがある方向から名前を呼ばれた。

 振り返るとそこには──。

 

 白皙な肌、さわやかな笑顔、さらさらな髪の毛に、華奢な体躯。

 運動後なのか、首から滴る汗をタオルでふきながら、頬を朱色に染めた男の娘、戸塚彩加がてててっとこちらへ駆け寄ってきた。

 

 前言撤回。

 人生の選択肢を間違えた?リア充爆発?誰だそんなことを言ったのは。

 

 俺の人生において、この天使と出会えたことがなによりの幸福ではないか。

 守りたい。この子の人生を。

 一緒に二人の未来予想図を完成させよう、戸塚…………、

 

 「ああ。戸塚は部活か?」

 「うん、今休憩してるところ」

 

 戸塚の後方、テニスコートのほうを見やると、確かに休憩中の部員たちがベンチで水分補給をしていた。

 戸塚もその最中で、たまたま駐輪場へ向かう俺を見つたのだろう。

 

 嬉しさのあまりににやけ顔を浮かべていると、戸塚は俺の後ろの方をちらっと一瞥し、軽くお辞儀をした。

 はて、誰か知り合いでもいたのだろうか。ここで俺も振り返って挨拶するべきか迷ったのだが、そのあと話すことも特になくて俺と戸塚の空間に気まずい空気が流れるのは嫌だったので無視することにした。

 

 いやー、知らんぷりってマジ便利。居留守とか効用性高すぎて愛用してるまであるしな。ちなみに、小町宛の配達までも居留守を使うとあとでこっぴどく怒られるので注意な。

 

 「えっと、八幡と同じクラスの戸塚彩加です」

 

 と、俺の予想と反し、いきなり自己紹介を始めた戸塚。知り合いではなかった?じゃあ今俺の後ろにいるのは誰だ?

 

 「あ、初めまして。一年の一色いろはです」

 

 振り返って、同じく頭をぺこりと下げていたのは。

 

 「あ、一色か」

 「はい?」

 「……いや、なんでもない」

 

 っぶねー、人生と戸塚のことを考えるのに頭使いすぎて一色のこと完全に忘れてたわー。忘れられることに定評のある俺はもちろん忘れられる奴の気持ちも慮れる人間なので口には出さないよ?

 

 ん?ていうか忘れてたんじゃなくて俺自転車とりにいくからっていって別れたよね?なんでこいついるの?

  

 俺の内心を知ってか知らずか、戸塚に初対面スマイルを見せる一色。

 戸塚もそれに柔らかい笑顔で返すと、「あっ……」と俺と一色を交互に見て、

 

 「ご、ごめんね。僕そろそろ部活に戻るね。また明日!」

 

 そういって、先ほどきた道を通って部員たちの方に戻っていった。休憩時間が終わったのだろう。

 戸塚の後ろ姿をしっかり見送ってから、俺は一色の方へ視線をくれた。

 

 「で、さっき別れたよね?なんで帰ってないの?」

 「せっかくなので、先輩に送らせてあげようかとおもいまして」

 「なんでそんな上から目線なんだよ…………」

 

 この子自分に自信ありすぎじゃないかしら?誰が好き好んで女子を家まで送るとかいうラノベ主人公みたいなことするんだよ。てかこいつと歩いてたら絶対目立つし嫌なんですけど。

 

 「わたしと一緒にかえれるなんて、同級生の男子たちはお金払うレベルですよ?」

 「俺をそんなアッシーと一緒にするな、てかその話マジ?」

 「マジです」

 

 ほーん、まあ一色はこの学内ではアイドルみたいなもんだろうからな。一色ファンクラブなるものがあったところで別に驚きはしないな。

 

 「なるほどなぁ。いつか悪い方向に行かなきゃいいけどな」

 

 話しているうちに駐輪場につき、自分の自転車を見つける。

 

 「んじゃ、気を付けて帰れよ」

 

 そういってペダルに足をかけ、地面を蹴ろうとしたのだが。 

 

 「ちょっと?」

 「よくこの流れでわたしを置いていけますね……」

 

 ち、ばれたか。

 自然な流れで逃げ出そうとしたのだが、しっかりキャリアをつかまれてましたお疲れ様です。

 

 「…………わかったよ」

 

 くそぅ…………。依頼という仕事でさえなければ隙見て速攻逃げ出したのになぁ。“仕事”というワードの拘束力ハンパない。これがバイトだったら問答無用でバックレてたんだけどな。

 

 「ありがとうございます♪」

 

 中学の俺だったら完全に落ちていたであろう笑顔をぱぁっと咲かせた一色。

 仕方なく自転車からおりて押していくことにした。

 

 「ていうか、部活でなくていいの?」

 

 今もなお部活動中のサッカー部の方を遠く見ながら聞くと、一色はため息を含んだ声で答えた。

 

 「それなんですよぉ。聞いてくださいよ先輩。前言ってたわたしを生徒会長に推薦したっていうクラスの女子いるじゃないですかー?あの子つい先週からサッカー部のマネージャーになったんですよ!!わたしを陥れた挙句わたしのいるサッカー部にですよ!?ほんっと信じられないです」

 

 言いながら、ぷんすかぷんすかと愚痴をもらす一色。

 

 なーるほどなぁ。一色を生徒会長に推薦したのは葉山と仲のいい一色を生徒会という仕事で縛らせて、その隙に自分は葉山とお近づきになろうということだったか。

 いや、こわっ!もうずるい賢いとかそういう次元じゃないんですけど。

 

 「そう考えると、お前のずるさが可愛く見えてくるな……」

 「女子の嫉妬ほどめんどくさいものないですからね」

  

 そういって一色は、もう一度ため息をついて肩を落とした。どっと体も重くなったのか、歩く速度も遅くなってどんどん視界の後ろへ消えていった。

 

 嫉妬というのは人間の醜いところの代表例といっていいものだろう。自分より優れたものがよくその嫉妬の対象となる。

 

 雪ノ下も、そういう経験が多かったと語っていたことがある。

 優れすぎた容姿に、優れすぎた才能。彼女に嫉妬した者はおそらく一色のそれよりも多かったのではないだろうか。それでも彼女は、人間が『そういう生き物』だからと早くに悟り諦めることで、嫉妬されることに慣れてしまった。

 

 しかし彼女と一色は違う。

 

 隣をみれば、一色がそれに耐えられるような屈強な精神を持っていたり、妬まれることで快感を覚えるサディスティックな人間ではないことは一目瞭然だ。

 

 一色がこうして部活から逃げてきたのも、きっと傷つくのが怖いからで。

 やりかえそうとしないのも、きっと優しい心を持っているからで。

 だから自分が傷つかないような立ち回りを計算して、ずる賢い女を演じて見せる。

 

 ────出会って間もない一色がそう見えたのはきっと、違う女の子と重ねてしまったからだと、俺は自覚しているのだろうけれど。

 

 

 「まあなに、ほら、なんか飲むか?」

 

 学校から数百メートル歩いたところで、小さな公園が見えてきた。

 公園の入り口横に設置された自販機に小銭を入れて、少し後ろを歩いていた一色に問うと、

 

 「あ、先輩やっさしー♪」

 

 さっきまでの落ち込んでた表情をすって引っ込め、ぴっとボタンを押した。

 意外にもブラックコーヒーを選んだ一色と、いつものようにマッ缶ことMAXコーヒーのボタンを選んだ俺。

 

 自転車を押しながらは飲めないので、一色のたまってる不満でも聞いてやろうという目的も込めて公園のベンチで小休止することにした。もちろん、これも仕事の一つだが。

 

 「にしても意外だな。お前ならキャラメルフラペチーノカフェオレチーノマキアートみたいな長い名前の甘いやつ飲むかと思ったんだが」

 「何ですかそのセンスのない名前の飲み物。スタバじゃないんですからないですよそんなの」

 

 どうやら背伸びしてかっこつけたのがばれたみたいだ。いやだってね?スタバとか本読んだりするのにちょうどいいから行くけど、あんな長い名前恥ずかしくて注文できないでしょ?仕方なくブラックコーヒーにミルクと砂糖大量に入れて飲むしかないんだから。

 

 ぷしゅっと蓋をあけて、意を決したようにぐいっとBCを呷る一色。酒かよ。

 

 「先輩、これ苦いです……」

 「ブラックなんだから当たり前だろ。なに、なんでそれにしたの」

 

 背伸びしてたのは一色の方だったわ。どうみてもブラック飲みそうなキャラじゃないもんね。お腹もブラックだからもしかしてとか思ったけどそんなことなかったわ。

 

 うげぇ苦い……と舌を出す一色。

 

 「人生とどっちのほうが苦いのかなって」

 「そんなの人生に決まってるだろ」

 

 即答で返して、マッ缶をちびりと飲む。やっぱこの甘さは絶妙。これ考えたやつマジ神。

 

 「そうですか。わたしは、こっちのほうが苦かったです」

 

 言って、それ以上コーヒーには口をつけず、閑静な公園に目を配った。

 その横顔を見ることがなんとなく罪悪感で、俺も一色に倣って誰も使っていないブランコの方に視線を逃がした。

 

 そして思う。俺はこんなとこでなにしてんだ………………と。公園のベンチで休憩とかどこのカップルですか。

 こんなところ誰かにみられたらどうしよう。戸塚に見られて誤解でもされたらショックで1か月は不登校になる自信あるわ。

 

 「せんぱい」

 

 卒然に、顔の目の前に黒色の缶を押し付けてきた一色。

 なんだよ邪魔くさいなという視線を送ると、いつもの三倍あざとい猫なで声で、

 

 

 「これ飲めないので、交換してくれませんか?」

 「ムリ」

 

 

 俺は、その小悪魔の提案を、脊髄反射で拒否った。




え、タイトル?なんのこと?(汗
公示を二回行うとか現実の生徒会選挙であるのかよと自分に突っ込みながら書いてました今日です。
 全然筆が進まずに、一日300字とかしか書けず、投稿がかなり遅れてしまいました。大変申し訳ないです!
 八色モノなのに、戸塚がかわいい。とっつかわい~~~!((もっと執筆がんばりまする。


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5話 冷めた缶と後輩

8月、あちぃ………………。


 「これ苦いので、交換してくれませんか?」

 

 

 ────間接キス。

 

 

 それはある人の唇が触れたものに別の人が唇を当てる行為を指す言葉だが、この言葉の捉え方は人によって大きく変わる。

 

 古くは小学生まで遡り、その“現場”を目撃、若しくは“うわさ”として耳にしたことは誰しもあるだろう。それは…………。

 

 ──リコーダーであるッ!!

 

 小学校の音楽ではソプラノリコーダーをつかう学校が大半を占め、使い終わったリコーダーは教室のロッカーに置いて行っても注意されないことが多い。

 毎回持ち帰る生徒ももちろんいるのだが、中には所謂「置きリコーダー」をする女子も少なくない。そう──それは──つまるところ────。

 

 ────必ずと言っていいほど女子の置きリコーダーをぺロる(やから)が現れるッッ!!

 

 もちろん普通に考えれば即お縄レベルなのだが、小学生であるが故に許されてしまうケースが多い。好きな女の子の使用済みリコーダーでナニしたいという気持ちを「異常」の一言で一線を画すには(いささ)か気が引けるのだが、もしそれを目撃され噂がクラスで広まってしまったらソイツは好きな人から嫌われるだけでなく、「リコーダーペロ太郎」のレッテルを背負ったまま生きていかなければならない。

 

 そして、比企谷八幡もそのレッテルを貼られた経験がある男の一人である。

 もちろんこの男にそんなことをする度胸もあるわけがない。朝学校に行くと生徒たちの視線がなにやら冷たかったあの日、比企谷八幡が女子のリコーダーを…………ということになっていたのだ。

 

 それからというもの、この男はそんなトラウマ故に、自分をぼっちの道へと追い込んだ「間接キス」というワードには敏感なのであるッッ!

 世のペロ太郎の諸君、ダメ、ゼッタイ………………────。

 

 

 ──と、か〇や様風ナレーションが頭の片隅でタキオン級の速さで走る中、俺の視界に映るのは黒で染められた缶コーヒー。

 単体では飲料であること以外の何の意味をもたないそれは、プルタブが開けられ、飲み口にはコーヒーのあとが残っていた。いくら恋愛経験が豊富な俺でも、唇経験ゼロのDt.であることには変わりなく動揺を隠せなかった。

 

 間接キスを「皮膚と皮膚の接触」とするものもいれば、もちろん俺のようにそうでない人もいる。一色が俺をDt.だからとからかっているのは一目瞭然だ。であるならば。

 大人をからかったら痛い目に遭うのだということを、この小娘に教えてやらねばならない。

 俺はヤるときはヤる男だ。ここは毅然な態度で一色の缶を受け取って、マッ缶を渡せばいい。

 

 一色の爆弾発言から刹那、0.1秒にも満たない思考の探検を終え、俺は意を決して口を開いた。

 

 「ムリ」

 

 はいヘタレ乙。

  

 いやちっげえし。俺はただこの愛するマッ缶を手放したくなかっただけだから。この甘さをわかってやれるのは俺だけだから。誤解しないでよねっ!

 そんな俺の内心を見透かしたのか、一色は「まあ冗談ですけど」と言って手をひっこめた。ほんといい性格してる、この(むすめ)

 

 その後も我慢しながらちびちびと飲んでいたようだが、やはり苦いのかその量はほとんど減ってなさそうだった。かくいう俺も調子こいて長い方を買ってしまったので、まだ飲み終わるまで時間がかかりそうだ。

  

 一色の愚痴を聞いてやろうという目的で小休止をとったのだが、今の一色を見ている限りではそこまで悩んでいる様子はなさそうだ。これでも、うちの妹さんのおかげで「女の子の愚痴へのベスト対応マニュアル」はしっかりと伝授されている。

 たとえ女子が愚痴を言ってきたとしても、解決策は出してはいけない。求めているのは、聞いてくれる人がいることへの安心感と共有であり、正論で返すのは超NGだということをみっちり小町に教え込まれた。

 

 お察しの通り、そんな機会は一度たりともなかったが。

  

 

 先のやりとりから寸刻、一色が口を開いた。

 

 「先輩ってヘタレですね」

 「うっせ。草食系なだけだ」

 「いやいや、先輩は肉食だと思いますよ?人の肉とか食べそうですし」

 「物理的じゃねえか。完全にゾンビ扱いされてるんですけど、大丈夫ですかね」

 

 カニバリズム、ここに極まれり…………。

 にしても後輩からこんだけいじられても怒らない俺ってばやっさしー。完全に舐められてるだけですねはい。

 

 「まあでも、奉仕部の方々と仲直りできたみたいでよかったです」

 「……別に、お前が気にすることじゃないだろ」

 「だって、雪ノ下先輩が怒ってるときって超怖いじゃないですか」

 「それ、超わかりみ深いわー」

 「うわぁ…………」

 

 家での小町を真似て言うと、一色は背中に虫が走ったようにして拳一つ分距離をとった。いや、別にいいでしょ?うわさだと今どきの高校生はみんなこんな変な言葉使いするって八幡聞いてるよ?奉仕部でも由比ヶ浜とかめっちゃつかってるし。「それわかりみ!!」とか超いってるぞあいつ。

 

 いやでも、戸塚が使ってるところはあまり見たくないな…………。

 

 「げふん。まあ今回の件はいいんだよ。どっちかっつーと、今は奉仕部より妹の方が大変だ」

 「もしかして、前言ってたコマチって子ですか?」

 「ちょっとした兄妹喧嘩中なんだ。触れないでやってくれ」

 

 およよと泣き崩れる素振りを見せると、横から「…………シスコン?」と心底引かれた声が聞こえてきたのは気のせいですかそうですか。

 

 「でも、ちょっとだけ羨ましいです」

 

 引き顔を引っ込め、微笑を浮かべる一色。兄妹喧嘩のどこに憧れポイントがあるのかと視線だけで問うと、

 

 「だって兄妹同士の喧嘩って、確かにちょっとしたことで始まったりするかもですけど、心の内では自分が悪いんだっていうのがわかってる感じっていうか。兄妹だからこそお互い謝りにくくて、でも兄妹だからすぐ仲直りできて、またいつも通りみたいに話して────。なんというか、ああ、それが本物なのかなって、ふと思うんですよ」

 

 一色はぽつぽつと言葉を紡ぐように、憧憬に焼かれるように沈む夕日を眺めていた。

 「ま、全部妄想なんですけど」といつもの調子で言う一色。

 

 兄妹の話をしているはずなのに、聞いていた俺が今想起していたのは、奉仕部だった。その理由に自分でも気づいてしまっていることが何よりも今の俺の弱点であるような気がして、思わず一色の方から視線をそらした。

 

 「本物、ねぇ」

 「…………なんか、ものすごい恥かしいことを口走っちゃった気がします」

 

 両手で握った缶をにぎにぎしながら、口をとがらせる一色。そこには今までのようなあざとさではなく、恥ずかしさを隠すような素の仕草が伺えた。

 

 「それもチラ見せ戦法ですかね」

 「今のは素だったんですけど……」

 

 ふむ、一色にも狙っていないあざとさもあると。

 ………………え、なにそれ一番性質(たち)悪くない?一色から打算がなくなったらただの天然で可愛いだけの後輩になるしいつしか俺が攻略されて挙句の果てには捨てられる道まで見えるんですけど。捨てられちゃうのかよ。

 

 

 

 「お、一色ちゃんじゃ~ん?」

 

 

 そろそろ冷めてきた缶を片手にくだらない会話をしていると、公園の入り口から総武高のブレザーを着た二人組の男子が手をぷらぷら振りながらこちらへ歩いてきた。一人は赤髪で、片耳ピアスとネックレスが、そのチャラさを助長していた。見た目と声の出し方から、クラスの中心的人物在だろうか。例えるなら劣化版葉山みたいな感じだ。いやー、まさに「校則守らない俺かっこよくね?」っていうオーラがプンプンする。

 まあつまり、俺が嫌いなタイプだ。

 

 「あーと……二宮先輩、どうもです」

 「通るとき見つけてさ。てか、部活じゃないの?」

 

 二宮、というのがこの男の名前だろう。

 え、君たち知り合いなの?俺すんごい場違い感あるんですけど。てか絶対邪魔っすよねすんません帰ります。

 

 突然の一色の知り合い登場に浮足立っていた俺は、なるべく存在を悟られないように「じゃ、俺はここで……」と自分ですら聞こえない声量でベンチから立ち上がろうとして────、

 

 「…………ん?」

 

 5センチほど腰を浮かしたところで、ブレザーをくいっと引っ張られた。強めに引き戻されたせいで、ドスンとベンチの背もたれに背中を打った。意外といてぇ。

 なんだなんだと横をみると、ブレザーを引っ張ったのは一色だった。一色は二宮という男にいつもの営業スマイルを浮かべながら、ノールックで俺が逃げようとしていたことを看破したらしい。めんたま何個ついてんだよ……。

 

 「ちょっと色々ありまして」

 

 一色が答えると二宮は、「ふーん」と鼻をならしながら俺の方をちらと見た。もちろん「ダウジング・ボッチ」性能が備わってる俺は今のがどんな意味を孕んでいるのかは大方察知できた。

 

 「ていうか、一色ちゃん最近大変みたいじゃん?噂できいたよ」

 

 喋ったのは、二宮の隣にいたへらへらと笑みを浮かべている男だ。

 

 「まあ、大変っちゃ大変ですかねー」

 「だよね~。よかったら俺ら相談のるけど?どっか店でお茶でもしながらさ」 

 

 「お茶する」というワードをドラマとアニメ以外で初めて聞いたが、トップカーストの人たちはよく使うんですかね。君たちお茶よりお酒しそうですけどね。

 それとこういう輩がいう「お茶する」っていう誘い文句の裏は「ホテル行かない?」か「路地裏いこうぜ」なので絶対についていってはならない(俺調べ)。 

 

 一色との付き合いは俺よりも前からありそうだし、一色はそっちにノるのかと思ったが予想は外れたみたいだ。

 

 「いえ、悩んでるってほどでもないですし、大丈夫です」

 「まあ直接だと言いにくいこともあるか。ラインでならいつでも話きいてあげるからさ、交換しない?」

 「あ、俺もまだ一色ちゃんのラインもってなかったわ」

 

 言いながら、各々ポケットからスマホを取り出す二人。しかし一色は、

 

 「えとー……すいません、今日スマホ家に忘れちゃって…………」

 「そうなの?じゃあまた今度ね」

 「あはは、すいません」

 「そんじゃ、俺ら帰るわ」

 

 「じゃあまたこんどー」と言って、男二人は来た道を戻っていった。

 完全に空気扱いされてたけど、変に絡まれなくて安心した。

 それで…………。

 

 「そろそろ離してほしいんですけど」

 「え?あっ……」

 

 言うまでブレザーをつかんだまま離さなかったので、「お前は逃がさんぞ」ということだと思ったのだが。

 

 「すいません、ちょっとだけ、その……こわくて」

 

 離した右手を見ると、確かに少しだけ震えていた気がしたが、一色はそれを見られまいと左手でぎゅっと抑えていた。察するに。

 

 「苦手なのか、あいつら」

 「……」

 

 こくこくと頷いて答える一色の表情は俯いた髪で伺えないが、少なくともいつもの小悪魔のような余裕はどこにもなく、ただ縮こまっている小動物にしか見えなかった。

 それならなぜあいつらと関わっているのか、なんて聞くのは野暮だろう。

 悄然と俯いたままの一色になんと声をかければいいのかわからないまま、それでも一人にするのも違うだろうということだけはさすがの俺でもわかったので、冷めきったマッ缶で時間をつぶすことにした。こんな時にこそ相談に乗ってやれない自分を無力に感じながら空を見上げると、夕日は大分沈んでいて、本格的に暗くなっていた。帰りにコンビニケーキでも買って、いい加減小町と仲直りしないとなぁなんてことを考えていると、

 

 「えいっ」

 

 という声と共に。

 俺のマッ缶を横から奪い取った一色は。

 

 「ちょっ……」

 

 ぐいっとビールでも飲むかのような勢いでもって残りを飲み干した。そして、

 

 「なーんて、わたしが落ち込むとでも思いましたか?」

 

 ぺろり、と唇についたコーヒーをなめて、いつもの数倍あざとい小悪魔が、赤い夕日が沈むと同時に誕生した。

 街灯が灯らない公園に心なしか安心した俺は、目の前の後輩にチョップをかまして公園を出た。

 

* * *

 

 一色を駅まで送り、帰宅してから3時間。

 リビングのソファに座りながら今日も今日とてぐでっているかまくらをふぁっさふぁっさと弄びながら、テーブルの上に置いたコンビニ袋を眺めていた。

 

 「…………」

 

 愛しき自宅だというのに、いつになく緊張している理由はもちろん小町の帰りを待っているからだ。

 受験が迫っている小町は第一志望の総武高に向けて夏から塾に通っているため、帰りは9時を過ぎることがほとんどだ。

 

 受験を控えている小町に悪影響を与えないためにも、いち早く仲直りしておこうと決心したのだ。喧嘩したときは兄から謝る。このルールは比企谷家においては絶対不変のルールとなっているため、謝罪に関してはもう慣れたものだ。

 

 

 

 

 ────嘘であるッッ!!!

 

 この男、家に着いた3時間前からソファから一ミリたりとも動いていないうえ、緊張故に先刻からプルプルと全身震えてるのであるッ!!

 ルールとはいったが、謝っても無視されるなんてことは過去にいくらだってあったし、そのたびに比企谷八幡のメンタルはズタボロ!そして今回に関しては百パーセントこの男が原因で喧嘩が勃発している。妹の比企谷小町が許してくれる可能性は極めて低い。絶対絶命のこの状況に追い込まれてなお、かまくらをなでることで平常心を保たれていることは称賛に価するだろう。

 

 

 

 時計の刻む音と心臓が脈打つ音だけが耳に響く中、ついに小町が帰宅した。

 

 「こ、小町、おかえり」 

 「…………」

 

 勇気を振り絞って声をかけたが、やはり無視。

 しかし、ここまではまだ予想通りだ。傷付かなかったかと言われれば嘘になるが、兄貴としてもう一歩踏み出さなければ。

 

 そのまま自室へ向かおうと再び扉のドアノブに手をかける小町。

 思わずテーブル上のコンビニ袋を手に取って立ち上がった俺に、小町は少しだけ逡巡したように見えた。

 

 「小町、その…………すまなかった」

 「…………なにが?」

 「あの時は、お前の気持ちも考えずに自分のことばっか考えてた、と思う」

 「………………うん」

 

 背中越しに聞いていた小町は、くるっと振り返って。

 

 「小町も、ごめんなさい」

 

 ぺこり、と頭を下げた。その声から、もう怒っていないというのが伝わってきて、俺はほっと胸をなでおろした。

 あ、やばい緊張の糸切れて泣きそう。泣きそうなくらい嬉しいマジでよかったよおぉぉ!!!

 

 「それで!!それだけじゃないでしょ?小町色々聞いてるんだから」  

 「まあ…………なに、これでも食べながら話聞いてくれ」

 「ん、わかった。ショートケーキに免じて聞いたげる。ケーキに罪はないもんね~♪」

 

 小町はショートケーキを、俺はショコラケーキを食べながら、事のいきさつを小町に話した。




赤坂アカ先生、大変申し訳ありませんでした((汗
小悪魔、爆誕しました。


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6話 安息の危機

 「………………そっか。なるほどねー」

 

 小町が帰宅してから30分。

 コンビニケーキをつつきながら、一色いろはという後輩の依頼や、俺が生徒会長選挙に立候補していること、さらには雪ノ下や由比ヶ浜とのちょっとした確執などを端折りながら説明した。

 小町は終始真剣な顔で適度な相槌を打ち、俺の話を聞いてくれた。

 受験も控えているというのにこうして真剣に相談にのってくれる小町には感謝よりも罪悪感の方が強い。

 本来相談に乗ってやらないといけないのは兄である俺の立場なんだけどな。

 

 「ところで、そのイッシキさん?って人はどんな人なの?」

 「そうだな。わかりやすく言えば可愛くない小町みたいなやつだ」

 「全然わからないんだけど……」

 「俺もわからん」

 

 適当な答えに、はあっと呆れる小町。

 実際本当にわからないんだから仕方ない。

 まだ知り合って一週間も経っていないこともあるが、一色に限っては1年たってもわかる気がしない。

 

 逸れかけた話を戻すべく、背筋を伸ばして軽く頭を下げる。

 

 「……その、すまん。お前も大変な時期なのに余計な荷を」

 「はいストップ!そこまで~!」

 

 と、そんな俺の謝罪を小町はフォークを向けて遮った。どこのクイズ司会者だよ、と内心ツッコみをいれると、小町は残りのケーキをぶすっと豪快に指して続けた。

 

 「小町も色々変なこと考えちゃったりしてさ。…………ほら、最近こういう話することなかったでしょ?ちょっとした喧嘩みたいのもさ」

 

 そう顔を俯かせて柔和な笑みを浮かべる小町の顔は、小さな火種が破裂しないように、なにかを抑えているように見えた。きっと受験勉強の悩みだろう。最近模試でもいい結果がでなかったと聞いていたし、不安だったり、諦めたい思いも抱いているのかもしれない。

 

 「でもさっ!」

 

 しかし、そんなモノは何処吹く風というように、ぱっと明るい顔で。

 

 「お兄ちゃんと喧嘩できてよかったよ!」

 「いや意味わかんないから。喧嘩したあの日からお兄ちゃんがどれだけ枕濡らしたかわかってるの?」

 「知らな~い♪」

 

 なんてヤツだ。どれだけ鼻セ〇ブ消費してゴミ箱に白いバラ咲かせたと思ってんだよ。いや、先に言っとくけど違うよ?枕濡らしたのは涙でだからね? 

 

 「でも大丈夫なの?」

 「なにが?」

 「いやほら、お兄ちゃんはまた自分をエサにして解決しようとしてるわけでしょ?」

 「…………まあ」

 

 弱点を看破するように、小町は眉をひそめた。

 今回俺がやろうとしてるのは、俺の悪名を利用し、生徒会長立候補者を煽ることだ。それに加えトップカーストが周りのお膳立てによって立候補をせざるを得ない状況を作れたらという作戦だが、もちろんその確実性の足りなさは一色にも指摘されたとおりだ。俺もその自覚はある。が、しかし小町は問答無用で追い打ちをかける。

 

 「でもお兄ちゃんがエサだったら誰も食べに来ないと思うんだけど」

 「はい…………」

 「お兄ちゃんにそんな影響力あると思ってるの?」

 「思ってないです……」 

 「しかも雪乃さんと結衣さんを怒らせたってのに、また自分でどうにかしようとしてるわけでしょ?」

 「い、いやでもほら、案外あいつらも「こういうダメなところもハチマン」みたいになるかもしれないじゃん?」

 「ならないからこうして小町に話してるんでしょ?」

 「はい…………」

 

 もはやぐうの音もでないほどの正論ガトリングに、完全に言い返す気力をなくしてしまう。格好つけた挙句八方ふさがりになったこの状況をなんとかしなければと模索した結果、俺は受験勉強真っ只中の小町に相談することにしたのだ。

 なんと傍迷惑な男であろう、比企谷八幡。

 

 悄然とする俺を一瞥し、小町ははぁっと疲れたため息をついて続けた。

 

 「でも、お兄ちゃんが格好つけたのは奉仕部を守るためだったんだよね」

 

 思わず目を逸らしたが、きっと心の内では認めていた。雪ノ下が生徒会長に立候補すればまず間違いなく当選する。そうなれば、半端を嫌う雪ノ下は奉仕部に顔を出すことは減るだろう。奉仕部という部活はなくならないとしても、実質自然崩壊していくということを、俺だけでなく由比ヶ浜や、当人の雪ノ下でさえも感じていただろう。あの時は、それを防ごうと口から出まかせで適当なことを言ってしまったが、その結果がこれだ。いやー、アドリブなんてするもんじゃないな。

ベテランに限ってやたらアドリブ入れたがって新人の役者が対応できずにつぶれていくんだからな。あ、アドリブした俺がつぶれてたわ。

 

 「まあ、あんまり早く帰っても母さんに心配かけるしな。時間つぶしにはちょうどいい部活だ」

 「また捻デレちゃってー。…………んで言っとくけど、小町にできることなんてないと思うの」

 「ああ。さすがに勉強時間削ってまで解決案考えてくれなんて言わん。選挙活動についてちょっと聞きたくてな」

 

 小町はこうみえて、生徒会役員だったりする。

 つまり選挙活動もやっているし、選挙で選ばれるという経験もしているはずだ。

 

 「まあ小町は信任投票だったから参考になるかわかんないけど、手伝ったげる」

 「マジ助かる」

 「あっそういえば小町、欲しいものがあるんだよね~♪」

 

 英世と諭吉が宙を舞う幻想が脳内で再生されながら、ポスター制作に取り掛かるのだった。

 

 

* * *

 

 

 「…………よし、これで最後か」

 

 そんな独り言をぼやく昼休み。

 「比企谷八幡」と無駄にデカい字で書かれた最後のポスターを壁に貼り付ける。

 昨夜、ものの数十分で小町とつくり上げたのだが、小町が途中から面白がって描いた千葉県マスコットキャラのチーバ君がやけに目立つ。

 「大丈夫大丈夫、ちっちゃく描くから!」と言いながら赤いクレヨンを取り出した時の小町は完全にはるのん化していた。

 どこに地元のマスコットキャラを選挙ポスターに描く奴がいるんだよ。

 

 目的は目立つことだけで、真面目な活動をしたいわけじゃないからいいのだが、やはり自分の名前がこうもでかでかと廊下に晒されるのは居心地が悪い。「せっかくだから顔写真も撮ろうよ!」という小町の提案は却下して正解だったな。

 

 「せんぱーい、こっちも終わりました~」

 

 さて教室に戻るかとつま先を反転したところで、てててっと駆け寄ってきたのは同じく俺のポスター張りをしていた亜麻色髪の後輩、一色だ。

 一色の走った後の残り香に鼻をすする男どもは見なかったことにして、ついでに一色のこともみなかったことにして教室へつながる階段に足をかける。──が、

 

 「なんで無視するんですかあ!」

 「え、終わったんでしょ?ならもう戻っていいぞ。手伝ってくれてさんきゅな。んじゃ俺は飯食うから」

 「…………………………そういえばですねー」 

 「なんで我が物顔でついて来てるんだよ……。おまえの教室逆方向じゃないの?」

 「昨日テレビで見たんですよ」

 

 この女、聞いちゃいねえぜ……。

 もしかして俺の声届いてないの?これがナギナギの実の能力だな。コラさん、ローのことは俺に任せてっ!!

 

 「そっけない態度をとる男性の心理って、好きな人への照れ隠しらしいですよ」

 「何の話だよ急に」

 「先輩のことですよ?」 

 「その理論だと、俺が一色に恋してることになっちゃうんですけど」

 「だって先輩、たまに私のこと口説こうとするじゃないですかー」

 「いやしてないから断じて」

 

 なんでこの娘こんなに自分に自信あるわけ?

 謙遜って言葉知らないの?

 

 「さっきだってほら、ポスター少なめの方を渡してきたり」

 「そりゃまあ、手伝ってもらってるわけだし、普通だろ」

 「普通はかっこつけて、全部俺に任せろって言うところじゃないですか」

 「俺は男女平等主義だからな。割勘せずに全部男に払わせる女がいれば、地獄の果てまで請求書配達するまである」

 

 真面目な顔でそう主張すると、隣を歩く一色は呆れた表情を浮かべてため息をついた。

 

 「何言ってるんですか……」

 

 そんなことを言いながら未だついて来る一色だったが、とうとう2年F組の教室が見えてきた。こいついつまでついてくるんだろうか。

 

 と、俺が一色に「早く自分の教室戻れ」という意を込めて視線を送っていると、2年F組教室から出てきた高身長茶髪爽やかイケメンと遭遇。さらにその高身長茶髪爽やかイケメンにきゃいきゃい騒ぐ女子ども数人。てかその数人に一色混ざってたわ。

 

 「あ、葉山先輩!どうもです~」

 「やあ、いろはじゃないか。どうして2年教室に?」

 「葉山先輩の様子でも見にこようかなーとおもいまして」

 

 財布片手の葉山を見る限り、購買にでも行くのだろう。いつもは戸部やら童貞風見鶏大岡を引きつれているのに、一人とは珍しい。

 しっかし、今どき「やあ」なんて挨拶する人いるんですね。これが材木座とかなら、波動でも出そうとしてんじゃないかとか思ってしまうだろうが、様になっている所がこの男の凄いところだ。

 

 すると葉山は俺の方を一瞥して、驚きの表情を浮かべた。

 

 「比企谷と一緒か?珍しい組み合わせだな」

 「別にそんなんじゃないですからねー」

 

 美男美女カップルが廊下でいちゃつき始めたみたいな空気ができ、完全に蚊帳の外なので俺は一目もくれずに教室へ逃げこむ。

 いつもなら昼食はベストプレイスと決まっているのだが、ポスター貼りに疲れてそこまで歩く気力もなかった。

 小町が朝作ってくれた弁当を取り出しながら、ふと気づく。

 なるほど、一色は葉山目当てでここまでついてきたわけか。

 正直葉山狙いの奴の恋心なんてとか思っていたが、先ほどの態度を見る限りちゃんと恋する乙女やってるんだな。感心感心。

 

 さて、「小町との仲直りの印弁当」でも食べてゆっくり休むか。

 俺にしては珍しく、るんるんしながら弁当箱を開けると────

 

 「卵焼きにタコさんウインナー、唐揚げ、金平ごぼうとほうれん草の胡麻和え…………」

  

 誰だよ俺の大事な弁当の中身をみんなにバラそうとしてるやつは。

 この弁当は俺と小町の愛の結晶だ誰にも邪魔させやしないぞという気概で睨みつけようと視線を上げると、先ほどまで葉山と話し込んでた一色の顔が。お前かよ。

 

 「なんだよ。葉山と話してたんじゃないの?」

 「はい、さっき終わりました」

 

 じゃあなんでここにいるんだよ。

 さっきから周りの奴らの視線がすごくて八幡押しつぶされそうなんですけど?

 というか、よく1年なのに2年の教室にずかずか入ってこれるもんだ。

 俺なんて自分の教室ですらちょっと申し訳なくなるくらいだぞ。

 

 「いっとくが、この弁当はやらんぞ」

 「いやいや違いますよ。……………………まあその、違わないんですけど」 

 「……は?」

 

 果たしてこの女は何を言っているのだろうか。

 俺の「小町との仲直りの印弁当」をよこせだと……?

 

 「いやー、実はですね。今日朝お寝坊しちゃいまして、お弁当作る時間なかったんですよ。おまけにお財布もわすれちゃって、あはは」

 

 てへっ☆と頭に手を置く一色。

 なんてあざと可愛いんだ。

 

 「……別に俺じゃなくても、クラスの女子とかに分けてもらえばいいだろ」

 「そのクラスの女子の悪戯で立候補させられたわたしに友達なんていると思います?」

 「……なるほど。お前もこっち側だったのか…………」

 

 こいつ、ゆるふわギャルでみてくれもいいくせに女友達いないのかよ。

 よくよく考えれば、葉山争奪戦の最前線を走ってる一人だったな。

 男子こそ騙せても、一色の腹の黒さは女子には知られているのだろう。

 

 「朝ごはんも食べてなくてお腹すいてるんですよー。ねえ先輩、だめ、ですか……?」

  

 上目遣いに猫なで声をトッピングしてきた一色に、俺の退路はもうなかった。

 

 「いや、だめじゃないけど……」

 

 俺のチョロさもかなり末期まで来ていた。

 いや、こんな迫られ方されて断れる男がいるなら名乗り出てほしい。

 

 「ありがとうございます♪それじゃあ移動しましょうか」

 

 ここでもなんですしと言って先に教室を出ていく一色。

 まあさすがに女子とお弁当イベントとか見られて耐えられるもんじゃないしな。

 てかもう手遅れな気がするんだけど。

 戸部とか口ぽっかりあけてるんですけど。

 

 ああ、愛する妹小町よ。

 お兄ちゃん、行ってきます…………────。

 

 

* * * 

 

 

 「んー、これおいしいです!」

 「そりゃどうも。作ったのは妹だけどな」

 

 いい感じに日が差すベストプレイス。

 疲れたから来ないと決めたのに結局来てしまった。

 

 そして隣には遠慮もなくウィンナーをばくつく一色。  

 俺が口つけた箸で食べさせるわけにもいかなかったので先に食べさせたのだが。

 ここにきて八幡、重大な事実に気づいてしまう。

 

 「……購買でパン買ってくるわ」

 

 一色が先に口つけたら俺が食えねえじゃねえか……。

 というか、金だけこいつに渡しておけばそれですべてが済んだのでは……。

 この男、小町と仲直りしたことで完全に浮かれて(かま)けていた。

 

 「しょうがないですね。先輩もお弁当食べますか?」

 「いつのまにか弁当の所有権変わってるんですけど」

 

 言っても聞かず、「えい、えい」と卵焼きを向けてくる。

 おい、こぼれるだろうが。

 

 「おぉ、器用ですね」

 

 俺好みに合わせて作ってくれた小町特製卵焼きを落とさぬよう、何とか箸に口をつけずに食すことに成功。

 うん、うまい。

 うまいはずなんだけど、全然味がしねえよ……。

 後輩にあーんされるとか俺には早すぎるよぉ……。

 

 「……もう全部食っていいぞ。俺はそんな腹減ってないからな」

 

 思わず昨日の間接キスを思い出し、嘘をつく。

 ほんとは超腹減ってたけど。  

 八幡これ以上あーんできない。

 

 「そうですか?それじゃ遠慮なくいただきます!」

 

 言って勢いよく食べだす一色。

 だが一口が小さくて全然減ってない模様。

 はて、俺はここで何をしてるんだろうか。

 

 「というか、それこそ葉山にでも頼めばよかったんじゃないの?チャンスでしょ」 

 「そうしようと思ったんですけどねー。そうできない理由もありまして」

  

 葉山とお近づきになる絶好のチャンスなのではと思いつつ、一色の言葉を待つ。

 

 「ほら、葉山先輩っていつも三浦先輩とかとお昼食べてるじゃないですか。それで誘うとか自殺もいいとこです」

 「あー……」

 

 あーしさん、確かに怖い。超わかる。

 まして相手は上級生。一色にとっては虎穴に入るようなもんだろう。

 他だと由比ヶ浜とかならまだ頼めるだろうが、雪ノ下もそこにいるとなれば遠慮したいところだろう。

 うちの学校怖い人多いもんね。川なんとかさんもね。

 

 「ま、いいけどよ。てか、普段はどこで食べてるわけ?」

 

 まさか、こいつ教室でぼっち飯を展開できる鋼メンタルの持ち主か?

 おいおい、俺でもそこそこハードル高いんだぜあれ……。

 

 「普段は…………トイレで……………………」

 「お、おい嘘だろ?」

 「嘘です」

 

 くっそなんだよ本気で同情しかけたぞ今のは。

 ぼっちが同情するぼっちとか救いようねえよ……。

 

 「普通に教室で食べてますよ。適当な男子が話しかけてくるのでぼっち感は薄まります」

 「ああ、君男子には人気だったね、そういえば」

 

 気づけば一色は弁当を完食したのか、両手を合わせて「ごちそうさまでした」とこちらに一礼。

 俺の嫌いなトマトまですっかりきれいに食べて満足したようだ。

 

 「そういや、自分で弁当作ってるのか?」

 

さっき教室で、弁当を作る時間がなかったとか言っていた。

こいつもしやまあまあ女子力高いのではと思って聞いたのだが。

 

 「はい。お母さんが忙しい人なので…………ってなんですか口説いてるんですか遠回しに毎日お味噌汁作ってくれとでも言いたいんですかごめんなさい今日のお弁当は感謝しますが不味いとか言われるの嫌だしまだちょっと無理です」

 

 はいはい、いつものいつもの。

 

 「そろそろ教室戻るぞ」

 「あ、お弁当箱は……」

 「別に気にすんな。明日も使うしな」

 

 言って、軽くなった弁当箱を受け取る。

 実際小町の気分で弁当か購買パンか決まるのだが、そこまで気を遣わせる必要もないしな。

 

 「すいません、何から何まで……」

 

 一色にしては珍しく申し訳なさそうに俯く。

 

 「ま、ポスター貼り手伝ってくれたお礼だと思ってくれ」

 

 そんな適当な理由をいって教室に足を向け振り返ると、

 

 「比企谷君と、一色さん?」

 「雪ノ下?」

 

 そこには、弁当袋を片手に持った雪ノ下が佇立していた。

 意外な組み合わせだったのか、その顔には驚きの表情を浮かべていた。

 

 「雪ノ下先輩、こんにちは」

 「え、ええ、こんにちは」

 

 目をぱちくり瞬かせると、気を取り直すように俺の方に視線をやり、ここへ来た経緯を伝えた。

 

 「あなたに用があって教室にも行ったのだけれどいなかったから、ここならいるんじゃないかって由比ヶ浜さんが。……邪魔だったかしら」 

 「別に気にしなくていいぞ」

 

 言って、一色に先に戻ってろという視線を向ける。

 視線の意が伝わったのか、一色は「今日はありがとうございました」と俺と、そして雪ノ下の方にも軽く一礼をしてこの場を離れた。

 

 「んで、どうかしたのか?」

 「選挙のことで聞きたいことがあって。昨日あなたが言っていたことは…………その、信用していいのかしら」

 

 雪ノ下が言っているのは、昨日の部室での件だろう。

 俺は昨日、雪ノ下と一色が生徒会長にさせない方法があると啖呵を切った。

 実際、その方法の内容は雪ノ下と由比ヶ浜には伝えていなかったから、わざわざその確認をしに来たのだ。

 ぶっちゃけ確実性も低い上に代案もないので不安しかないのだが、後戻りできないのも事実。

 

 「ああ、信用してくれ。もちろんお前らに否定されたやり方は回避するつもりだ」

 「そう、ならいいのだけれど……」

 

 了解の言葉とは裏腹に、その顔にはまだ不安と心配が残っていた。

 しかし雪ノ下を立候補させないことが最優先事項である以上、雪ノ下に内容を告げるわけにもいかない。

 

 「俺は言ったことは守る男だ。安心してくれ」

 「あなたがそれを言うと、何とかなる気がするから不思議ね」

 

 そういって破顔する雪ノ下。

 彼女がこう微笑むようになるとは、出会った当初を思い出すと考えられないことだなと思った。

 

 「……とりあえず、私が立候補するという選択は排除しておくわ。由比ヶ浜さんにも、そう伝えておくから」

 「ああ、よろしく頼む」

 

 修学旅行での一件から、由比ヶ浜との会話の数は減った。

 とはいえ仮にも奉仕部部員の一員であるからには、活動の方針は伝えておかなくてはならないだろう。

 普段由比ヶ浜のポジションである仲介役を雪ノ下が担ってくれるというのは変な感じだ。

  

 聞きたいことは済んだのか、「それじゃ」と言って戻る雪ノ下だったが。

  

 「それと、比企谷君」

 

 嫋やかに長い髪を揺らしながら、もう一度こちらへ振り返って。

 

 

 「私たちの部活、守ってね」

 

 

 澄んだ声で、まるで懇願するように、期待に溶かされるようにそう言って、去っていった。

 

 

 一人取り残されたベストプレイス。

 気づけば日陰が出来ていて、流れ込む風が冷たい。

 こうも寒いと強制的にも秋を感じさせられる。

 読書の秋だのスポーツの秋だの、秋というのは何かと他の言葉が勝手にくっついてくるリア充のような季節で、俺はあまり好きじゃないのだが。

 逆に言えば、こんなにもいろんな色を持つ季節もそうないわけだ。

 

 ────さて、俺もそのリア充の仲間にさせてもらいますか。




更新、大変遅れてしまい申し訳ありません。
何をどうしたら2ヵ月も途絶えるのかという疑問を自分で抱きつつ、何とか投稿までこぎつけました。

それと!!!お気に入り数900こえました!本当にありがとうございます!


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7話 おーるおっけー。

お気に入り数1000こえました。本当にありがとうございます。



 ────朝。

 

 本日俺が最初に頭に浮かんだ言葉がそれだ。

 閉じた瞼越しから差し込む日差しが煩わしく、数秒前まで寝ていた脳が覚め始める。

 昨日カーテンあけっぱで寝たせいか。くそったれ!と昨日の俺を軽く恨む。

 ついでにちゅんちゅんうるさいスズメも恨んでおく。

 

 「…………んがっ」

 

 しかし目覚ましなしで起きる朝というのはそんなに悪い気がしないもので、普段なら寝ながら二度寝に挑む俺も自然と瞼が開く。

 

 「ふぁぁ……」

 

 頭をがしがし掻く。無事起床。

 一週間の中で学生人気No.1の土曜日の朝8時。

 

 欲を言えばもう少し寝ていたかったが、せっかくの貴重な休日だ。

 最近何かと忙しくて消化できなかったアニメもあるしな。

 慎重すぎる勇者とか、勉強できない奴らのアニメの2期とか数えたらキリがない。早起きバンザイ。

 

 顔を洗い、リビングへ行くと、先に起きていたらしい小町が下着エプロンという超破壊力コスで朝飯の用意をしていた。

 

 「あ、おにいちゃんおはよー」

 「おはよ。小町ちゃん、風邪ひくから服着なさい」

 「はーい」

 

 小町は一度フライパンの火を止め、ソファにかかっていた俺のジャージに着替える。

 どう見てもサイズ合ってないんですけどね。 

 こういうのを彼カジっていうんだっけ?

 いつか小町も彼氏を家に連れてきたりするのかしら。ッチ。考えただけで虫唾が走るぜ。

 

 浮かんだ小町の彼氏を脳内でぼこぼこにしつつ、ソファに座る。 

 

 「ふぁぁ……」

 「なにその地底怪獣バラゴンみたいなあくび」

 「ひでえな。その例え方はさすがに見過ごせないんだが」

 

 てかなんで知ってんだよ、バラゴン。親父ですら世代じゃねえぞ。

 いや、平塚先生なら知ってそうだな……。

 あの人少年向けの作品ならかなり精通してるからなぁ。

 へたしたら親父より親父くさいし。

 

 再び調理場へ向かった小町は、「そういえば」と包丁の手を止めた。

 

 「お兄ちゃん、こないだは誰にお弁当食べてもらったの?」

 

 ギクリ。 

 そんな擬音が背中で響く。

 

 振り返ること二日前、弁当を忘れたという一色に俺のを少しわけてくれと頼まれたのだ。

 しかし何故だ。何故バレたんだ?

 一色と小町は接点ないはずじゃ…………。

 

 「なんのことだ?」 

 「トマト」

 

 しかし小町のその一単語で、俺の懐疑は確信へと変わる。

 そうでしたね。どこかの後輩ちゃんがペロリと平らげてましたもんね。

 

 まあでも、別に疚しいことなんてないしぃ?

 後輩から頼まれただけだしぃ?

 だからやめて小町さんそんな目で見ないでっ!!

 

 「もしかして、前いってたイッシキさんってひと?お兄ちゃんのお弁当食べれるなんて、肝座ってんね」

 「いや、言わんとしてることはわかるが作ったのは小町だろ?なら問題ないでしょ」

 「イッシキさんのことは否定しないんだ?」

 

 「かかったな」というように、口角をにぃっと上げる小町。

 な、なんだと…………? 

 この俺が小町の策謀に嵌められただと……?

 くそっ、俺としたことがっ……!

 なんか小町が一色に見えてきたんだけど。病気かな。病気だな(確信)。

 

 「ま、小町にとっては吉報だからいいけどね~♪」

 「そもそも一色が女だとは一言もいっていない」

 「最近お兄ちゃんから女のにおいがする」

 「こえぇよ……女子こわい……」

 

 ほんと、女子の嗅覚ってなんでそんな発達しちゃったの?ウルフなの?

 

 「でもお兄ちゃんさ、他の新しい女と仲良くなるのも否定はしないんだけどさ。結衣さんと雪乃さんとも仲直りしなきゃだめだからね」 

 「その言い方だと誤解招くからやめてくれ。…………まあ、言うほど仲違いしてるわけじゃないと思うんだがな」

 

 実際、この間部室でも話したし、傍からみても確執があるようには思わないだろう。

 表面上、特に問題があるようには思えないが、しかし小町は人差し指をぴっとこちらへ向け指摘してくる。

 

 「あのねお兄ちゃん。女の子ってのはそういうのに敏感なの。ちょっとしたことでも夜も眠れないくらい気にしちゃうんだよ」

 「…………そういうもんなのか?」

 「そういうものなの」

 

 “そういうの”の解釈がもしかしたら違う可能性もあるのだが、小町が言うならそうなのだろう。

 しかし言われても俺に何ができるだろうか。

 今更改めて「ごめんな」なんて言うのも気恥ずかしいし。

 

 「ま、それはいいとして。お兄ちゃん、ちょっと買っといてほしいものがあるんだけど」

 

* * *

 

 小町に頼まれ、俺はとある駅近くのショッピングモールに来ていた。

 受験を控えた小町に変わり、食材の買い出しなどをすることが増えたのだが、土曜日にまで外に出るのは俺にしては珍しかった。

 いやほら、休日の駅周辺とか知り合いに会う可能性が高いし。

 それが普通に話せるレベルの友人なら問題ないのだが、顔だけは知ってるみたいな奴とばったり遭遇した時の気まずさったらない。まあ戸塚しか友達がいない俺にとっては関係ないんだがな。

 むしろ戸塚なら毎秒会いたいまである。エブリデイ戸塚!!

 

 そんな休日の可動限界が近所のコンビニまでである俺は、早速人酔いしていた。

 軒を連ねたように並ぶ小売店舗や飲食店を出入りする人々に、「貴様らは止まったら死ぬ、まるでマグロのようだな」と意味不明な悪態を心の中でつぶやきつつ、歩を進める。

 

 と、そんな人混みの中から一人の見知った顔を見つける。

 あれは、一色か……?

 射程距離20メートル、進行方向は俺とは逆方向の西南西、敵はこれから雑貨店に入る模様。仲間は…………一人だな。

 よし、ステルス機能を発動していれば、見つかることはなさそうだ。

 っふ、俺のボッチセンサーマジ有能。

 

 こんな休日にまで学校の後輩に会うなんてごめんだ。

 まして一色とか超めんどくさそうだし。

 

 さて、気にせずショッピングを楽しもう────

 

 「あれ~?先輩じゃないですかぁ」

 「ひぃッ!!!」

  

 ──としたところで、先ほど雑貨店に入ったはずの一色が目の前に現れた!

 いっしきは「逃げられるとでも思ってるんですか?」といいたそうにこっちをみている。

 

 いやビビッた。ホラーかよ。びっくりしすぎて変な声出ちゃっただろうが。

 

 「先輩ってたまに気持ち悪い声出しますよね。そんな驚かれるとさすがに傷つきます」

 「急に話しかけるなよ……。最初の村でデスタムーアに出くわしたら誰でもこうなるでしょ」

 「ならないですよ……。ていうか、わたしをそんな変なのに例えないでください」

 

 言って、むすっと眉を顰める一色。

 なんだと……ド〇クエネタが通じねぇ……。

 

 後ろを見ると、一色の同級生と思わしき男が手提げ袋両手に駆けてきた。

 こいつのことだから、荷物持ちにでもされてるのだろう。

 まあ、さっきから一色にデレデレしてるから本人は嬉しいんだろうけど、気の毒だなぁ……。

 

 「なんで気づいたんだよ」

 「知りたいですか?」

 「い、いや、やっぱいいです……」

 

 怖っわ!女子こっわ!小町といい、ほんと嗅覚どうなってるのん?いやマジ怖いから……。

 しかし悟られるわけにはいかん。 

 まあ折角声をかけてくれたんだし、二言三言の会話はしておいた方がいいか。

 あくまで先輩としての威厳を保つため、俺は深い深呼吸で一色に対峙した。

 

 「買い物か?」

 「はい。先輩は一人で買い物ですか?」

 「一人でのところ強調しなくていいからね。まあそんなとこだ」

 「ふーん…………」

 

 え、なに?なんで全身じろじろ見てくるの?

 何かを見定めているのか──というより品定めに近いが──ふんふんと人差し指を顎に当てる一色。

 なんか背中ムズムズするからやめてほしい。ボッチは見られることに慣れてないんですよ?

 

 やっと何かを決断したかのように、一色はくるりと同級生君の方に振り返った。

 

 「ね、井坂君。タピオカクレープ?が話題のお店が近くにあるんだけど、買ってきてくれないかな?」

 「え、それって確かこのモールにはなかったような……」

 「いさかくぅん、だめ……?」 

 「い、いえっ!!今すぐ買ってきます!!!」

 

 韋駄天走りで去っていく同級生君を見送り、「さて」と一色が振り向く。

 

 「どうかしましたか?男って単純で扱いやすいな、と思う可愛い後輩の内心を知ってしまったみたいな顔してますけど」

 「まさにその状況の最中なんですけど……」

 「やだなぁ。そんなこと思ってるわけないじゃないですかぁ」 

 

 内面に反してなんでこんな笑顔できるんですかね。むしろ尊敬するわ。

 しかし同級生君よ、気持ちはわかるぞ。

 2年前の俺であれば確実に落とされていただろうしな。

 強くなれよ…………。

 

 「…………んで、なんであんなことしたわけ?」

 「先輩の方が一緒にいたら楽しそうかなーって」

 「え、ついてくんの?」

 「はい」

 「やだよ。知り合いにでも見られたらどうするんだよ。それこそ葉山にでも見られたら困るのはそっちでしょ」

 「それに、昨日先輩がなんであんなことを言い出したのかも聞いておきたいですし」

 「いやそれは…………まあ、何の説明もないってのもあれか……」

 

 一応依頼主にも関わることだし、仕方なくそう返事を返す。

 昨日葉山と話してるところを一色に問いただされ、お茶を濁したままだった。

 こうなるから休日の外出なんてしたくなかったんだよなぁ……。

 

* * * * *

 

 先輩の買い物を終え、ショッピングモールを出て数分。

 わたしの「駅にパンケーキが美味しいカフェがある」という発言に、「まだ解放してくれないのかよ……」とぶつぶつ悪態をつく先輩と街を歩いていた。

 

 今日は同級生の男子にちょっとしつこく誘われてモールまで来たけれど、正直退屈だったんだよね。

 なんというか、接待されてるような気分。

 男子からちやほやされるのは嫌いじゃないけど、そこに必死さが見えちゃうとちょっと引け目感じたり、面倒だったりする。

  

 だからそんなときに先輩を見つけたのはラッキーだった。 

 先輩っておもてなしとは程遠い人間だし、わたしの裏の性格を知ってる数少ない男子の一人だから一緒にいて楽なのだ。

 でも、もうちょっとわたしに興味を持っていいと思うんですよー?

 ちょっとしたボディタッチとかおねだりとかには頬を赤らめてはくれるけど、それは先輩が女子慣れしていないだけで、先輩の心にまでは響いてない。

 

 今日先輩を連れまわそうと思ったのも、それがちょっとだけ悔しかったからだ。

 だから、葉山先輩を落とす前の前座なんだから。

 ちょっぴり興味があるだけ。

 先輩なんてお通しなんですから。

 

 「さっきの男はどうすんの?男子の恋心とか簡単に拗れるからな。あとになって刺されても知らんぞ」

 「脅されてついていくしかなかったって言っておくので大丈夫ですよ」

 「それだと刺されるの俺になっちゃうんだけど」

 

 「これで訴えられるのが男側とか、世の中どうなってんだよ……」とため息をつく先輩。

 

 そんなことを言いながらも、ヒールを履いたわたしの速度に合わせてくれるところがあざとい。おまけに、さりげなく道路側にうつってくれたこともわたしは見逃してないんですからね。

 たぶん、先輩の場合はさりげなさすぎて、その優しさに誰も気づかないんだと思う。

 奉仕部の二人は気づいてるからこそ、心を開いてるんだろうなぁ。

 結衣先輩とか、バレてないとでも思ってるんですか?って言いたくなるくらい好き好きアピール全開だもん。鋭い先輩なら、結衣先輩の気持ちに気づきそうなものだけど。

 

 「あ、やばっ……」

 「なに、どしたの?」

 「井坂君です、こっちに来ます」

 

 と、前方に先ほど別れた井坂君を発見。

 両手にはわたしがさっき頼んだタピオカクレープらしきものを持ってるから、これからモールに戻るんだろう。

 このままでは見つかってしまう。どうしよう。

 

 ────ええい、こうなったらしょうがない。

 見つかって面倒なことになるよりは……!

 

 「うぉっ、お、おい?」

 「先輩、しー!」

 

 とっさの判断でとったわたしの行動に、先輩は思わず動揺したご様子。

 それはそうだろう。

 だって、先輩に抱きついたもん、わたし。それも正面から。

 わたしだって自分にビックリしてるよ。

 

 でも、先輩の大きい体のおかげで、わたしの目立つ髪の毛は井坂君の死角だ。

 先輩も背中を向けてるから顔を見られることはないし、傍からみればただ路上でいちゃついてるカップルにしかみえないはず。

 

 「ちょっとだけ我慢してください」

 「…………」

 

 胸に顔をうずめてるせいで上手く喋れなかったけど、どうやら伝わったみたい。

 井坂君の走る音が近づくにつれ、緊張感が高まる。

  

 ────何これ。先輩の胸の中意外とあったかくて、結構落ち着くんだけど。

 匂いも、嫌いじゃない。というかむしろ……──。

 

 「あのー、一色さん?」

 「ふえぁっ!?」

 「変な声出すなよ……。もう行ったぞ」

 「え、あ、んとー、はい?」

 「だから、井坂?もう行ったぞ。ったく、もっと他に方法あったでしょ」

 

 わたしとしたことが…………先輩なんかにドキドキしてどうするのさ。

 よく考えればわたし、男子の胸に抱き着いたこととか一度もなかったっけ。

 いつも男子に囲まれてたから、てっきり慣れてるものだと思ってたよ……。

 というか、先輩も先輩です。なんであんな落ち着く匂いするんですか、先輩のくせにっ!

 

 「ま、まぁとっさでしたし。というか、先輩も超胸どきどきしてましたよ?」

 「……してねーよ」

 

 そんな赤くして言っても説得力ないですよー。

 先輩はふいっとそっぽを向いてまた歩き出したけど、耳まで真っ赤になってるのがわかった。

 かくいうわたしも、まだちょっとだけ胸が鳴ってる気がする…………気がするだけ!

 わたしのこれは井坂君の出現にびっくりしただけだから。断じて先輩に胸キュンしてるわけじゃないから。

 だって、わたしには葉山先輩がいるんだし。

 

 「先輩って体温高めの人ですか?」

 「そうだな、確かに高めかもしれん」

 「なるほど。じゃあ先輩は心が冷たいんですね」

 「それ手じゃないの?」

 

 よし、いつもみたいに会話できてる。問題なし。おーるおっけー。

 一時は動揺しちゃったけど、歩いているうちにいつものわたしに戻ってきたみたい。

 

 「ここか?」

 「あ、ですです。どうですか?外観かわいくないですか?」

 「そうですね」

 

 と、先ほどの事件から3分ほど、目的のカフェに到着。

 

 心底興味なさそうな先輩が、装飾が施されている木製の開き戸を引いて──

 

 「…………?」

 「入んないの?」

 「っ……!」

 

 あーもう、せこいなこの先輩は……!

 ちがうちがう。ドキッとしたのはさっきのがあったせいで、他意は全くないんだから。

 

 にしても、こういうのを素でやっちゃうあたり、先輩は天然のすけこましだきっと。

 いや、敏感な先輩だから、本当は狙ってやったとか…………?

 

 「寒いからはやくしてくんない?」

 

 あ、ないわー。この人に限って狙うとかないわー。

 おかげでわたしも素に戻れたので良かったですけど!でももうちょっと余韻に浸らせてくれてもよかったんじゃないですかねー!いやよくないからっ!!

 なんかわたし、おかしくなってきた……。

 

 先輩のペースに合わせちゃだめだ。

 いつも通り、わたしのペースだ。

 

 心の中で自分でツッコみ(喝)をいれつつ、店内に入る。

 外が寒かったこともあって、店内の心地いい暖かさが体を撫でる。

 お昼時も過ぎ店内の客はまばらで、控えめに流れる瀟洒な音楽が心を安らがせる。

 実はこのカフェはまだ二回目だったけど、店内の内装も結構好きだし、リピート確定かも。

 

 「それで先輩。昨日のことを聞かせてもらってもいいですか?」

 「まあ、話しておいた方がいいか」

 

 窓側の席でホットコーヒーとミルクティーを注文し、昨日から気になっていたことを改めて問いただす。

 まあ、実際は気になってるどころの騒ぎじゃないんだけどね。だって──

 

 「先輩が生徒会長になるとか言い出すなんて、信じられないですもん」 

 

 そう、直接きいたわけじゃないけど、昨日先輩が葉山先輩にその話をしていたところを偶然見かけたのだ。

 放課後にそのわけを聞こうとしたんだけど、何故かはぐらかされたままだった。

 

 だって、この先輩が生徒会長だよ?

 いや確かに出会った当初に「先輩が生徒会長になるとかどうですか?」とか言ったけど、まさかそれが現実になろうとしてるなんて。

 というか、勝算あるのかな……。

 

 「まあなに、俺が生徒会長になろうとしたきっかけはともかく」

 「そこっ!そこが一番気になるんですけど!」

 

 ともかくって、まさか話さないつもりだったの?

 雨どころか惑星が降ってきてもおかしくない大事件なんですよこれは。

 

 「…………」

 

 わたしの指摘に、居心地悪そうに口を噤む先輩。

 このままでは一向に話してくれなさそうだったので、一つだけある心あたりを口にしてみた。

 

 「もしかして、一昨日の昼休みに話してた雪ノ下先輩の言葉がきっかけだったりします?」

 「……っ。それも聞いてたのかよ……。盗聴魔なの?漆黒のスパイかなんかですか」

 「気になっちゃいまして、てへ」 

 

 こんっと頭に手を置くわたしに、先輩は「はあ……」と観念したかのようにため息をつく。

 一昨日の雪ノ下先輩の言葉。

 「私たちの部活、守ってね」と言っていたけれど、あれがどういう意味を含んでいたのかはわからないし、先輩がそれを受けてどう感じたのかもわからない。

 それに、雪ノ下先輩のあの期待に焼かれるような表情は、わたしがこれまで聞いていた冷酷な雪ノ下先輩のイメージとはかけ離れていた。

  

 そんな場面に出くわして、気にするなと言う方が無理な話だ。

 

 「まあ、あれだ。端的に言えば、出ていったきり帰ってこないカマクラ的な話だ」

 「かまくら?何の話……?」

 

 この先輩、全然伝える気ないぞ……。

 そもそも千葉はカマクラ作れるほど雪降らないし。

 ていうかカマクラが出ていくってどういうことだろう。

 

 「自分の居場所くらいは自分で守るってことだ。これでいいか?」

 「……へー、ふーん?」

 「な、なんだよ?」

 

 先輩は恥ずかしそうに頬かいてそっぽを向く。

 こんな人でも、奉仕部のことをちゃんと思ってるってことかな。

 こういうことはわたしじゃなくあの二人に言ってあげてください。

 結衣先輩とか顔真っ赤にして喜ぶと思いますよ。

 

 「まあいいです。それで、どうやって戦うんですか?先輩、わたしに勝てるんですか?」

 「ああ、応援演説を葉山に頼んだ。まあ、勝算はそれだけじゃないけど」

 

 先輩は、運ばれたホットコーヒーにミルクと砂糖を大量に入れながら、その勝算とやらを話した。




更新が毎度毎度遅くてすみません。
いや違うんですよ?とあるネトゲのレベリングとか緊急クエとか色々ありまして……。期間限定イベとか始まっちゃったらやめるにやめれなくてですね。

・・・さて、言い訳はこのくらいにしておきますか( ^ω^)
次話もよろしくお願いします。
感想待ってます!!


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8話 桃色のリップ

誤字報告、感想、評価ありがとうございます……!

いやー、実は家にいろはタペストリーが届いたんでゲスよ……。
これで快眠寝不足解消いろはバンザイ!


 砂糖とミルクの大量投下によって、見た目からでもわかるほど激甘そうな色になった元ブラックコーヒーをぐびっと口に含む先輩。

 どうせそんな甘くするんだったら、わたしと同じカフェオレとかにすればいいのにと思うけど、そこは先輩なりのこだわりがあるのだろう。マッ缶愛好家を名乗る先輩にそこをつっこんだら、「カフェオレなんてコーヒーじゃねぇ!」とか言ってきそうな気もするし。ていうかカフェオレの語原もコーヒーだと思うんだけど……。

 

 そんな先輩が語った、先輩が会長に当選する勝算。

 

 その一つは、最初に言っていた、葉山先輩を応援演説にするということだ。

 葉山先輩はいうまでもなく学内カーストの最上位にいる人気アイドルだし、バックアップとしては力強い味方になる。男子人気オンリーのわたしとちがって、男女問わず注目を集めている。 

 先輩とは対極にいる葉山先輩に頼んでも請け負ってはくれないだろうと思って質問したんだけど、

 「一色のためだ」という一言で折れてくれたらしい。葉山先輩の人情深さを利用する狡いやり方がまさに先輩らしいけど、わたしのために葉山先輩が手伝ってくれるというのはちょっとだけ嬉しかったりする。

 

 そして二つ目は、わたしの選挙ポスターを校内中に掲示したことだ。

 はじめはわたしの立候補がなるべく漏れないようにするために選挙活動は一切しなかったんだけど、先輩が生徒会長になるという突然の作戦変更によりわたしのポスターが校内の至る所に貼られているらしい。あ、もちろんちゃんと許可はとったから大丈夫。

 

 そうすれば立候補者への牽制となって、わたしと先輩との一騎打ちになるわけだけど。

 

 「葉山先輩に協力をお願いするのはいいと思うんですけど、結局立候補するのは先輩ですよね?本当に勝てるんですか?」

 「問題は立候補者の方じゃない。会長候補が誰であろうと、その推薦人が葉山であることには変わりはないからな。んでさらに、いくら悪評があったとしても、それは一部だけで俺の知名度自体は低いから、とりあえず俺に投票しとくって生徒が大半だ」

 「なるほど……」

 「それと、一色が一番危惧している沽券────ブランドについてだが、それも心配ない。お前は俺じゃなくて葉山に負ける。それなら問題ないだろ?」

 「は、はい。ありがとうございます」

 

 えっと、とりあえず大丈夫、なのかな……?

 問題を解消するための案を、指を一本ずつ折りながら講じる先輩。

 先輩が会長になる勝算だけではなく、あくまでもわたしの当初の依頼──他人からの同情的な視線を回避するということを念頭に置いてくれたのだ。

 

 紆余曲折はあったけど、わたしへの配慮は欠かさない。

 見た目に似合わず世話焼きさんなのは、妹がいることと関係あるのかな。

 先輩の妹とか、どんな人なんだろう。先輩に似てたら可哀そうだなー。

 

 「あとは一色の応援演説なんだが……」

 「あ、それは大丈夫です。適当に男捕まえておくんで」

 「そうか。一色の了承も得たことだし、選挙に関して留意すべきことはなくなったな」

 

 粗方の説明を終え喉が渇いたのか、先輩は残ったコーヒーを一気にあおる。

 わたしも、数分前に注文していたパンケーキを一口。うん、やっぱ話題にあがるだけのことはあって、他のお店と比べて断然おいしい。パンケーキのふわふわ感はもちろんなんだけど、このシロップとクリームが絶妙にマッチしていて、噛むたびに甘さが際立っていく。こんなに甘くて、砂糖不使用らしい。これは女性に人気なわけだよ。

 

 「これでもしわたしが勝っちゃったら、先輩どうしてくれるんですか?」

 「っふ、俺を甘く見るな。土下座の心構えはいつだって出来てる」

 「それだけじゃダメです。もしそうなったら、会長権限で先輩を奴隷にしますから」

 「会長権限強すぎない?どうか日本国憲法の範囲内でお願いできないですかね」

 「……仕方ないですね。先輩にだって一応人権ありますもんねー」

 

 事務的な話──選挙についての話は一区切りつき、他愛もない雑談を交わし始めていた。あたりを見渡せば、わたしたちが入った時よりも人は増えていて、その客層は若い女性が多かった。

 

 中には初々しいカップルなんかもいて、周りの女性客が面白そうに二人を見てくすくすしていた。

 

 つられてわたしもそのカップルに視線がいく。

 

 ──ふむふむ。見た感じ、女の子の方は結構気合が入っていて、髪も美容院にいったばっかりって感じだ。黒のニットに、ミニスカートから除く絶対領域。今季流行りのブーツなんかも履いていて、傍から見れば恋する乙女にしか映らない。

 それに対して正面の男の子の地味さと言ったら……。いや、別に顔も悪くないし細身でスタイルもいい。けど、服も到底見繕ったとも言い難いし、ぴょんっとはねた寝ぐせくらいは直してもいいんじゃないかと言いたくなる。反対にいる女の子とは不釣り合いに見えるけど……。

 

 「なんか、あの人先輩に似てますね」

 「いや、似てないでしょ。俺はもっといい目つきをしてる」

 「先輩のっていい目つきなんですね……。というか、先輩っていうより──」

 

 あのカップル、いまのわたしたちっぽいような……。

 お洒落可愛い女の子と、冴えない男子。

 その構図はわたしと先輩の関係を表しているようで。

 

 っていやいや、それじゃあわたしが先輩を好きみたいになってるし。

 あの男子がもっとイケてる男の子だったら、この瀟洒なカフェに似つかわしい、完成品のようなカップルだと認めるだろう。でも今の二人じゃあ天秤にのっけたら完全に女の子の方に傾いてしまいそうだ。

 しかし、先輩は同情的な表情を滲ませた。

 

 「あの男も気の毒だ。絶対弱み握られてるでしょ、アレ」

 「そんなことないですよー。案外まんざらでもない感じじゃないですか?顔赤くしてますし」

 「いや、周囲の視線が痛いだけだろ。もう拷問レベルだと思うんだけど」

 「……確かに、先輩と同じで友達いなそうですし、見られることに慣れてなさそうですしね」

 

 改めて周りを見てみると、くすくすと興味深そうに二人を見守る人たちが「付き合ってるのかなー?」「いいなぁ、わたしも彼氏つくろっかなぁ」などと話はじめていた。助けてあげたい気持ちもちょっとだけあるけど、そんなわたしも興味本位でカップルさんを観察してしまう。

 

 …………んー、でもせっかくだし、先輩をからかってみるのもアリかな。うん、いいこと思いついちゃった。

 

 あー、あー、んんっ。よし、準備万端っ。

 

 「せんぱぁい、わたしのパンケーキ、一口たべますかぁ?」

 

 普通に会話するには少し大きめに、パンケーキより甘い声で先輩に身を寄せる。予想通り、先輩は嫌な顔をしたけれど。

 

 「いや、いらんけど。急になんだよ」

 「ほらほら、あの人たちだけに注目されるのはちょっと悔しいじゃないですか。おすそわけもらいましょうよ」

 「視線のおすそわけとかいらないから。ちょっ、おい、押し付けてくるな」

 「いつもみたいにぃ、あーんってしてくださいよぉ~」

 「毎日お前に介護されるほど老体になった覚えはない」

 「でも前もお弁当の時したじゃないですかぁ。パンケーキ落ちちゃいますよ。それに、このままだと周りの視線も……」

 「わかった、食う、食うから」

 

 先輩は周りの視線に気づいたのか、のけ反った姿勢のままはむりとケーキを口に含む。「またしちゃいましたね、間接キス」と追い打ちをかけようとも思ったけど、顔を軽く赤色に染めながらこちらを睨む先輩を見たら、なんかもうお腹いっぱいになっちゃった。

 そういう初心な反応されるとこっちも恥ずかしくなるのでやめてください。

 

 「美味しいですか?」

 「よくわからん……」

  

 言って、口の中をすぐに流そうとコーヒーを飲む先輩に、再び小悪魔いろはが顔を出した。

 

 わたしはわざとらしく唇を舌でぺろりとなめて、 

 

 「あー確かに、今日は桃味のリップ塗ってるのでそのせいかもですね」

 「げほッ!!お、おまえな……」

 「あははっ、冗談ですよ冗談」

 「…………」

 

 いい加減怒られそうなのでやめておこう、うん。でも、恨みがましそうな鋭い目つきも、赤らめた頬のせいで怖くはない。…………あ、あれ?先輩がいつにもまして強めに睨んでくるのに変に背中がゾクゾクする。もしかしてわたし、そっちの気あるのかな。自分では今までSかと思ってたし周りにもそう言われてたけど……。

 なんだか変な性癖に目覚めてしまいそうになったので、手の甲をつねって我に返る。

 

 にしても、かわいいなーこの人。からかえばからかうほど面白い。

 間接キスくらいで動揺してしまうなんて、ほんとに女性経験少ないんだろうな。

 

 「……それ食ったら出るぞ。おまえのせいでここ修羅場だから」

 「はーい」

 

 女性客の視線に居心地悪そうな先輩は、まだ顔を赤らめたまま残りのコーヒーを飲み干した。

 

* * * * *

 

 「疲れた……」

 

 一色と店を出て、ショッピングモールに戻ってきた俺は手頃なベンチに腰かけていた。

 何故帰らないのかという問いに答えるなら、まだ解放されてないからと言うほかない。一刻も早く我が家へ帰ろうとつま先を帰路に向けると「ちょっと井坂君に言い訳だけしてくるので待っててくれませんか?逃げちゃだめですからね♪」と首根っこ掴まれたのが2分前の出来事である。

 

 別にしっぽ巻いて逃げてもいいのではないかと自問したのだが、あいつのことだからその選択肢は真っ先に消去した。後日になってから責められるのも嫌だし。

 

 そうして、焦らしプレイ真っ只中の俺は浅くため息をつく。

 

 ──なぜ一色といるとこうも疲れるのか……。

 

 一色と会ってからの数時間で既に気骨が折れているが、すこし考えて合点がいく。数日前まで一色を、劣化版城廻先輩兼上位版相模兼超劣化版はるのんだと侮ってたのは俺じゃねえか。つか、活字にしたらすげえ技名みたいで読みづれえな。

 

 それに加え最近は、由比ヶ浜や小町っぽさもどこかある気がする。いや、もちろんすべてのステータスにおいて小町が圧倒的勝利を飾るのは間違いないんだが、5人の性格を足して5で割ったような性格をしていればそりゃ疲れるわけだ。三位一体どころか五位一体とか、キリスト様お怒りになるのでは……。

 なんなら一色なら本当に男神ですら手懐けてしまいそうだから怖い。神チョロいな。

 

 そんなことを考えつつ暇を潰すも、手持無沙汰であることは変わらない。 所在無くあたりを見渡す。

 飲食店をはじめ、ブティックやアクセサリーショップが多く並ぶこの階では特に中高生や大学生が多いが、中には子供連れの若いご夫人なんかもいる。特に学生の喧噪な話声がさらに疲労を助長させる。こいつらなんでこんな声でかいんだよ。特に大学生。おい、今こっち見て笑ったろチャラ男。

 目の前を過ぎ去っていく腰パンチャラ男野郎の背中を睨みつけていると、その男のさらに奥に、小学校低学年くらいかと思われる少女が佇立していた。

 

 

 両手で目をおさえつけている所から推測すると、おそらく迷子で泣いているのだろうか。

 あたりを見渡してみるも、無視するものと好奇の目で少女を見るものばかりで救いの手を差し伸べようとするものはいない。

 

 ────マジか……。

 

 心の中でそうこぼす。

 せめて先ほどのご夫人がいれば声だけでもかけてくれたのかもしれないが、俺の期待を裏切るようにまわりにいるのは学生ばかり。

 正直いえば、俺は子供が苦手だ。だから俺じゃない誰かが助けてやるのを待っていたかったのだが、ずっと衆目の目に晒されている少女を見捨ておけるほどの度胸もなかった。これでしらん顔して背向ければプリキュア教訓を裏切ることになりかねない。自分を信じて!そうだよ、私たちはプリキュアだもん!

 

 暴走するトラウムロボを止めるべく、ベンチから立ち上がり少女に声をかけた。

 

 「どうした?母ちゃんとはぐれたのか?」

 「…………誰?」

 

 いつもより気持ち優しい声音で聞くと、少女が開口一番に発したのがこれだ。

 いや……、まあ正しいよね。うん、君がもう少し大人だったら俺ただの不審者だもんね。

 

 「別に怪しいものじゃないから心配するな。俺は八幡だ」

 「怪しいものじゃないっていう人とお話ししちゃダメだって、おねえちゃんがいって……いってました」

 「あー……はい、すまん」

 

 もうこの子救いの手いらないくらいしっかりしてない?逆に謝っちゃったんだが。

 しかしここまで来たからにはあとには引くまい。俺は少女と目線を合わせるべく腰をかがめ、小町が昔使っていた、キャラクターがプリントされたハンカチを少女に手渡した。

 

 「……ありがとう、ございます」

 

 少女は流した涙を静かに拭くと、拭いた側を反対にして折って返した。

 不慣れな敬語といい、こういうところでこの子の育ちの良さがわかる。将来は有望な文学少女になること間違いないな。

 俺は泣き止んだ少女の、ショートボブくらいある黒髪をくしゃって撫でる。深い意味があったわけではないが妹属性だから仕方ない。考えるより先の行動に不安を覚えるも、嫌がってないようで内心ほっとする。

 

 さて、どうするか。

 

 迷子は迷子センターに届けるのが一番いいのだろうが、「ついてこい」と言ってついてくるだろうか。会ってまだ3分も経っていないが、この子の賢さからすれば信頼を得ることが先だろう。

 

 「えーと……名前はなんていうんだ?」

 「みずき、といいます」

 「みずきか。よし、こっちゃ来い」

 「……?」

 

 通路で話し続けるのも邪魔になるだろうと、先ほど座っていたベンチに再び戻る。そして、俺がこの少女──みずきから信頼を得る方法それは。

 

 「これ知ってるか?電子ノートっていうんだ」

 「でんし?」

 「まあ俺も今朝知ったばっかなんだがな……」

 

 俺が手提げ袋から取り出したのは、小町からお遣いとして頼まれていた電子ノートである。遠目で見れば黒い板にしか見えないそれにはスタイラスペン、もしくはタッチペンのようなものが付属しており、そのペンを使って文字や絵を描くことができる画期的な電子機器である。

 電子機器と言ってもいたってシンプルで、電源ボタンはなく書いた文字を消すボタンがあるのみだ。計算用にはちょうどいいからという小町から頼まれたコイツを少女に見えるように、俺はすらすらと絵を描き始める。白一色で俺が描き始めたのは、昔小町を喜ばせるために練習していたリアル熊である。動物全般は得意なのだが、特に熊は得意で、この黒い体毛に覆われた筋骨もなかなか再現度が高いと自画自賛する。

 

 俺の画力たるは、横から興味深そうにノートを覗き見るみずきが「おぉー、おおー」と目を輝かせて感嘆するほどだ。

 

 「ほれ、なんか描いてみ」

   

 リアル熊を描き終えペンとノートをみずきへ渡す。

 最初は戸惑っていたようだが、意を決してペンを握って──

 

 「……ん?」

 

 ──握った、というよりも、構えた、といった方が適切だった。 

 みずきは右手に構えたペンを、プロのイラストレーターの如く素早く筆を走らせていく。

 もはやお絵かきの次元を超え、美術の域へと達しているそれを唖然と見届ける俺。シャッシャッっという音を奏でながら、その絵はものの数分で完成へと近づいていき、

 

 「……で、きた」

 

 ぽつりと呟いて、完成したらしい絵をこちらへ向ける。

 そこに写るのは、蹲って泣いている少女に手を差し伸べる細身長身の男──おそらく先ほどまでの、俺とみずきを表しているのだろう。背景などは一切描かれておらず、二人だけがいる世界で二人の孤立と出会いを現すように、その液晶に広がっていた。

 

 「すげぇな……」

 

 と、そうこぼすしかなかったのは、「上手い」という一言で称賛するには些か失礼だと無意識的に感じたからだろう。それほどに、少女の描いた絵には才覚が現れすぎていた。

 

 「絵描くのが好きなのか?」

 「うん、好き、です。はちまんも好きなの?」

 

 俺が描いた端っこにいる熊を指差すみずきだが、なんなら消してしまいたい。

 芸術作品の隅っこに落書きしたかのようにいるそいつを恨めし気に見つつ、答えた。

 

 「いや、好きってわけでもないな」

 「そうなん、だ。上手なのに」

 

 そういった少女の言葉には一切の嫌味はなく、本心から出たものだと感じられた。

 

 「それを言ったらお前の絵の方が全然すごいだろ」

 「……そう?」

 「ああ。俺は今まで見てきた絵のなかで一番好きだぞ、これ。額縁に飾っときたいくらいだ」

 

 一片の嘘偽りなくそう言うと、少女は出会って始めて見せる笑顔を必死に隠すように、唇をかみしめた。そして、かみしめた唇をゆっくり開き、

 

 「わたし、大人になったら絵を描くお仕事をしたいの、です」

 

 恥ずかしそうに俯くみずきだが、何を恥ずべきことがあるのだろうかと、再び彼女の頭に手を置き、

 

 「いいじゃねえか。お前なら絶対なれる」

 「うんっ…!」

 

 みずきはぱっと快活に笑い、元気よく返事をする。

 そうそう、子供は子供らしく元気なのが一番だ。

 出会ってから何かと育ちの良さを感じたり、喋ってるときの独特な間とか妙に大人っぽい雰囲気を見ると、子供時代の雪ノ下はこんな感じだったのだろうかと思ってしまう。

 

 ともあれ、そろそろ迷子センターへ届けたほうがいいだろう。

 母ちゃんも心配して探しているだろうしな。

 

 「よし、そろそろ母ちゃん探しに行くか」

 「おかあさん、なんで?」

 「なんでって、一緒に来たんじゃないのか?」

 「きょうはおねえちゃんと一緒、です」

 「んじゃ姉ちゃんを探しに行くぞ。歩けるか?」

 「うん」

 

 電子ノートを再び紙袋に戻して立ち上がる。一色は……まあいいか。

 俺のブルゾンの端っこをつまむ少女を横目に見ながら、迷子センターへと歩き出したのだった。

 

* * * 

 

 「本当に、ありがとうございました」

 「あ、いえ、全然大丈夫なんで。俺はこれで失礼します」

 

 迷子センターからの迷子のお知らせがモール内に響いた数分後、みずきの姉らしき女性が登場。

 女性というには随分若く、もしかしたら俺と同年代か一つ上くらいの印象をうけた。

 彼女はみずきを一度抱きしめた後に、その肩ほどまである内巻きの茶髪を激しく揺らし、俺への謝辞を述べた。その謝辞っぷりといったら、大型犬の水浴び後くらいブンブンしてた。さぞ妹思いの姉なことで。ただ言っとくが妹思い度で言えば俺も負けてねぇからなっ!勘違いすんなよなっ!

 

 「八幡、もう行くの?」

 

 足元に視線を下げると、名残惜しそうな目で見上げるみずきがズボンの端をつまんでいた。随分なつかれたもんだと思いながらも、腰を屈んで最後、少女の髪をくしゃっと撫でてやった。

 

 「次は迷子になんなよ」

 「……うん、わかった」

 

 去り際、みずき姉に軽く頭を下げてから、迷子センターを後にした。

 

* * * 

 

 迷子センターを出て、再び先ほどのベンチへ戻らなければならない俺は超遠回りしていた。いや、だってね?一色が先にもどってて何かと言われるの嫌だし。なんならもう帰ってしまおうかと思いつつもこうしてまだモール内にいるだけでも褒めてほしいんですよ?

 だから俺は「ごっめーん、トイレ行ってたー♪ここすごく広くて迷子になるとこだったよ~、マジ、ごっめーん!」と言い訳する準備だけし、エスカレーターで上の階へ上っていた。

 

 それは冗談として、実際はもう一台の電子ノートを買うためにわざわざこっちまで来たのだ。つい数分前にみずきが描いていた絵は本格的にうちに飾ろうと目論んでたので、小町用にもう一台買おうと思っていた。

 

 エスカレーターを登り一歩踏み出すと、数時間前、小悪魔との邂逅を果たした雑貨店前が目の前に広がった。右へ折れて、さっさと買ってしまおうと店へ向かおうと思ったのも束の間。

 数十メートル後方から背中に届く声に、足を止めた。

 

 「あれぇ、一色ちゃんじゃん。こんなところで会うなんて偶然だねー」

 

 一色という聞き覚えのある名前に、一瞬背筋が凍る。バックレようとしてたことがバレてしまえば元も子もない。俺は不安に冷や汗を流したが、それは次の言葉で霧散した。

 

 「え、一人できてんの?ウケるんだけど」

 「アレでしょ?お昼とか教室で一人でご飯食べてるし、友達いないんでしょ?」

 

 振り返り見ると、派手に崩した総武高校の制服を着た女子三人が、一色を足止めするかのように並んでいた。

 おそらく一色の顔見知りだろうが、その彼女たちが投げかける言葉が友好的なものでないことは、当該者じゃない俺でもわかった。

 悪意に口角を吊り上げる女子に、嫌気がさす。

 これは、俗にいうイジメというやつだ。イジメられることに関して言えば一流の俺が言うのだから間違いない。

 

 彼女らに対する一色の表情をうかがうと、何故か満面の笑顔を浮かべていた。

 まさか人間の機微に目ざとい一色が、彼女たちの悪意に気づいていないということはないだろうに。

 

 ことを荒げないためか、もしくは反抗心を剝き出してパブリックイメージを損ねないためだろうか。

 今日はなんかトラブル多いなという愚痴は心に留め、俺は一色を助ける大義名分を頭に浮かべつつ足を前に出そうとして──。

 

 「しかもさー、最近もっさい男と一緒にいるよねぇ」

 「あ、知ってる~。なんか目つきヤバい人だよね。ああいうの陰キャっていうんでしょ?」

 

 彼女たちの追撃に、動かしかけた足が止まる。

 それもそうだ、その陰キャには心当たりがある。ていうかここにいるんですけど。おーい、聞こえてますかー?俺を陰キャ呼ばわりした奴覚えとけよー?

 

 そんな心の声も空しく、しかし困ったことになった。

 ここで俺が颯爽と飛び出していっても、事態は収拾しない。例え今日逃げられたとしても、休日に俺と会っていたことが学校中に知れ渡ればそれこそ一色の沽券に関わることだ。

 

 再び一色を見やれば、先ほどまでと同様、笑顔を保っていた。

 しかし後ろで組まれた腕を辿っていくと、自分の腕を指でつねっているのが見えた。

 

 ──これは、ヤバいな。

 

 感情に任せて今いったところで、結果的に一色を助けることにはならない。

 むしろ彼女らの嗜虐癖を刺激し、悪化させるだろう。

 

 「てかさぁ、葉山君に付きまとうのやめてくんない?」

 

 へらへらと挑発的だった目は、今度は恨み敵を睨みつけるように鋭くなる。まるでクレバスのようなその眼差しに、さしもの一色もびくりと肩を跳ね上げた。

 

 「ぶっちゃけあんたウザいんだよね。猫かぶってんのだって、どうせ葉山君にもバレてるし」

 「どうせ相手にされないから大丈夫だって!」

 

 お前の裏はもう看破してるんだぞと言外に伝えるゆるふわショートボブ──略してボブ──に、ぱんぱんと一色の肩を何度もたたく特徴ナシ子──略してナシ子──。

 主犯はこのボブとナシ子の二人だ。ボブの方ならまだしも、他の二人に関しては特に可愛いとかそういう類に分類される見た目ではない。たぶん一色は内心、「はっ、勝った」とか思ってんだろうなぁ。彼女の余裕そうな笑みを見ていれば何となく想像がつく。

 

 とはいえ、とばっちりが愛しの葉山に向いたことが少し効いたのか、片腕をつねっていた後ろ手は握りこぶしに変わっていた。いい加減、怒りに限界が来る頃だろうか。

 先ほどの迷子と違って、迂闊に出ていくのは一色にとって危険だ。走って逃げだすというのも、三人に囲まれてる状況からして無理な選択だろう。

 

 「さっきから何笑ってんの」

 「っ……!」

 

 と、俺が状況を整理しているうちについに痺れを切らしたボブが、一色の胸倉をつかんだ。期せず体勢を崩された一色の表情には先の笑顔は消え、怯んだ表情が浮かんでいた。

 それを見ていたずっと口を開かなかった最後の一人が、「まあまあ」とボブを制した。

 

 「私たちのこと下に見てんでしょ。そういうのが腹立つんだよ」

 

 ここまで直接的な行動をとるとは思っていなかった俺はさすがに焦り、気づけば一色の方へと駆け付けていた。のだが──。

 

 「いろは……?それにほのかたちまで」

  

 颯爽と現れた葉山隼人が、異変に気付いたように彼女たちに声をかけた。

 その場にいた4人が皆驚きの表情を浮かべたが、一人ボブの表情は一転し、葉山の方へ笑顔を振りまいた。

 

 「私たちはさっき偶然ここであっただけですよー。それより葉山君、今日一人ですか?」

 

 数秒前のドスを聞かせた声からは信じられない猫なで声で葉山の横を陣取るボブ。その仕草といい、ゆるふわな見た目。なるほど完全に一色とキャラ被りしてる。ボブがやたら敵対視している理由はこれか。しかも、一色が完全に上位互換だからなおさらなんだよなぁ。

 

 「いや、優美子たちと一緒だよ」

 

 言って葉山は後ろを振り返る。その方向からいつものメンツが登場した。

 先頭を歩くあーしさんの睨みに怯んだボブが、「あ、あー、そうなんですね。それじゃあ私たちはこれで」と足並みを揃えて逃げていった。

 

 「は、はやませんぱぁい、助かりましたぁ」

 「いろは、どうかしたのか?」

 「……まあちょっと、女子のいろいろというやつですよ」

  

 ほっと胸をなでおろした一色は、葉山に縋るような声でため息をついた。

 お人好しの葉山には、「女子のいろいろ」がまさかイジメだろうとは思い当らないだろう。しかし対蹠的に傍らのあーしさんは察している様子。さすがあーしさん。略してさすあーし。

 

 結局俺は何もできなかったが、とりあえず何事も起きなくてほっとする。

 あのまま女子トイレにでも連れ込まれてたら女装以外に取れる手なかった。いやしないよ?

 

 「それじゃあ、わたし待たせてる人がいるのでこれで」

 

 辞去を述べて、こちらへ向かってくる一色。

 エスカレーターに乗るのだろうが、こっちは来ちゃダメ!いるから!俺いるから!

 このままでは助け舟も出さず傍観していたことを責められる。

 俺はせめてバレないように、くるりと180°回転、反対を向いて歩きだした。

 

 「せんぱぁい?」

 「…………ですよね」

 

 しかしそれも空しく、肩をがしりと掴まれた俺は早々に抵抗を諦めて、連行されるのだった。

 

* * * * *

 

 「んじゃ、気をつけて帰れよ」

 「はい、今日はありがとうございました」

 

 駅から離れていく先輩の背中に手を振りながら、数十分も前のことを振り返ると胸が苦しくなった。

 

 あそこまで直接的に感情をむき出しにされたのが初めてだったからかもしれないし、胸倉をつかまれたことに存外びっくりしたからかもしれない。

 

 葉山先輩の登場によりなんとかその場は収まった後。

 エスカレーターの近くで後ろを向いている猫背を発見したのだ。

 でも、何故助けてくれなかったのか、とは聞かなかった。

 

 もし先輩があそこで出てくれば、その場はさらに悪化するとわかっていたんだと思う。それに、先輩ならビビッて「あ、えとー、人違いでしたぁははは……」とか言って逃げていきそう感あるし。

 

 だから、わたしを助ける役は葉山先輩でよかった。颯爽と登場した葉山先輩は事態を理解してはいなかったけど、それでも3人組を散らすには十分だった。さすがわたしが憧れる葉山先輩だ。だから今でも追っかけてる。顔もよくて運動も勉強もできてみんなに人気。それが葉山先輩なんだ。

 

 ──それなのに。

 

 わたしは葉山先輩が来た時に思った。思ってしまった。

 

 ──もし、先輩が来てくれてたら。

 

 先輩なら、格好つかなくて捻くれて、それこそ王子様とはほど遠いような参上をするんだろうけど。

 それでもわたしはあの時、先輩に来てほしいと思った。

 どれだけ恰好悪くてもいいから、先輩が助けに来ないかなと思った。

 葉山先輩という選択肢は、わたしのなかにはなかった。

 たらればなんて意味がないのに、そんなことばかり考えてしまっていた。

 

 なぜだろう。なぜだろう。

 

 さっきからずっと考えてるのに、その答えはまるで、霞の中に埋もれるように見つからない。

 

 手を伸ばしても、その霞に手を入れてもわからない。

 

 でも、わからなくていいと思った。

 わからない方がいいと思った。

 

 もしこの答えを見つけてしまえば、今までの自分を否定することになる気がした。

 

 今まで、いろんな人を欺いてきたことが。

 今まで、好かれるためにすべての努力を注いできたことが。

 今まで、自分すらも欺いていたことが。

 

 それらがすべて顔をだして、わたしを呪う気がした。

 だからわたしはそいつらを抑えるために、唇を強く噛んだ。

 目頭が熱くなって、赤く輝く夕日の方向へ歩いて行く先輩の後ろ姿が、ぼやけて見えた。

 

 噛んだ唇がほのかに、桃の味がした。




文字数が1万を超えてしまいました。(謝)
思いの外調整難しくてちょっと長めになってしまいましたが、これも投稿が遅れた分という言い訳を投下しておきます。

それとここで出てきた「みずき」ちゃん。書きながら「あれ、みずきって平塚先生のこどもだっけ……?」とか混乱しましたが安心してください、違います。平塚先生はしょz(超殴)


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9話 前進

難所は…………超えた……ぞ……。


 

 夕日に消えていく先輩を見送って、わたしは改札へ向かおうと踵を返す。

 危なかった。もう少し先輩が帰るのが遅れていたら、泣いてしまってたかもしれない。涙で化粧がぐちゃぐちゃになった顔なんて、女子的に超アウト。ヘタしたら寝起きよりも見せられるものじゃない。

 それに、もし泣き顔をみせたら、先輩に罪悪感を抱かせるかもしれない。お人好しの先輩なら帰るに帰れず、渋々わたしに付き添ってくれただろう。でもそれじゃあ、今まで繕ってきた自分が台無しになってしまうから。

 

 だからわたしは、先輩がいなくなった今でも涙をこらえていた。

 これから一人で家に帰らなければならないと思うと、一気に寂寥感に襲われる。

 ダメ。泣いちゃダメだ。

 目の下にぐっと力を込めて、歩き出した。

 

 ──寂しい。寂しい。

 

 そんな情けない弱音を押し殺して、前へ進んだ。

 

 ──助けて。助けて。

 

 そんな望みのない懇願が、哀願が、切願が、体の中から弾けてしまいそうに苦しい。どくん、どくんと、心臓が五月蠅い。

 

 自分の心臓の音だけが耳に届いて、この世界にわたし一人しかいないような錯覚に陥る。

 しかし、雑踏も喧噪も何も聞こえない世界に、新しい音が生まれた。

 

 ──コツコツコツコツ。

 

 後ろから、誰かが走ってくる音が聞こえた。

 その音は次第に近づいて、やがて荒い息遣いが鼓膜に届いた。

 

 わたしは、振り向かない。

 今振り向いてしまえば、嬉しさのあまりに抱き着いてしまいそうだったから。

 それは、過去のわたしを殺すことに等しい。弱い自分を認めて、わたしを助けてくれる「その人」に縋ってしまう。

 そんなのダメ。

 ダメ、なのに。

 

 「一色」

 

 その低くてぶっきらぼうな声で名前を呼ばれて、わたしは思わず振り返った。

 目の前に、「その人」が映る。肩で息をして、心配そうに微笑を浮かべる彼を見て。

 わたしはついに、堰を切ったように泣いてしまった。溜め込んだ涙が、あふれ出した。

 

 「えぇ……人の顔見てそんな泣く?さすがにひどくない?」

 「ひっぐ……ぜんばぁい……ぜんばぁい!!」

 

 酷い有様だ。醜いったらない。 

 こんな雑踏の中で、涙も鼻水もだらだら流して、女子失格だ。

 ほら、先輩だって戸惑ってる。急に抱き着いたりなんかしたから、手のやり場に困ってる。

 それでも、見上げた先に映る先輩の柔和な微笑みが、わたしの感情を大きく揺さぶる。

 

 「ちょっと……人見てるんですけど。せめて人気のないところで……」

 「なんですかぁ……ひっぐ。弱った女の子をそんなとこに連れ込んで……ひっぐ。何をするつもりですかぁ……。っひ、んぐ……口説くんだったらもっとちゃんと、口説いてくださいよぉ」

 

 あぁ、本当にひどい。まるで酔っ払いだ。こんな姿見せたら、先輩に引かれてしまうではないか。

 ──でも、それでもいい。

 頭にのっかる先輩の手が、意外に大きくて暖かいから。

 しばらくはこの暖かさに、甘えていたい。だから。

 

 「もう……わたしを口説いていいの、今日だけなんですからね……」

 

* * * 

 

 「……………………」

 

 じりじりじりとうるさい目覚まし音が頭に響く。

 徐々に覚醒する意識とともにゆっくり目を開け、見上げた先にあるのは見慣れた天井。

 

 まだ朦朧とした意識の中、上半身を起こす。

 

 

 「…………え」

 

 

 まだ覚醒しきっていなかったはずの脳にフラッシュバックするのは。

 泣きじゃくったわたしと──。

 

 

 「……………………ゆ、め?」

 

 

 しかしその先を思い出しかけて、瞬時にそれをシャットアウト。

 思考停止を試みるも、記憶というのはそう簡単に操作できるものではなくて、思い出したくないことも勝手に思い出してしまう。次の瞬間。わたしはとんでもない夢を見たことに気づいて、一気に顔が熱くなった。

 

 

 「あ、あ、あ……あわわ…………」

 

 

 わなわなと唇が震える。いや、手も震えてた。ていうか全身震えてた。

 思い出さないようにしていた夢の内容は見事余すところなく、最初から最後までを思い出してしまった。人間の記憶ってすごいね。有能。マジ便利。

 

 「じゃないよぉおおおお!!!何あの夢!!あの人だれ!?わたし!?あの痛すぎる女がわたしなの!?」

 

 枕に顔を埋めて、夢へのありったけの感想と愚痴を叫ぶ。

 未だ目覚ましが鳴っていたけど、そんなの気にしてられない。

 

 「しかも……」

 

 しかしどれだけ叫べど、夢の記憶は次々と掘り起こされる。

 

 『わたしを口説いていいの、今日だけなんですからね……』

 

 「うわあああああああああああああ!!!!」

 

 最低。最悪。死にたい。

 あ、やっぱ死にたい……。

 

 叫んだのが原因とは思えない疲労に、枕を顔に埋めたままばたりとうつ伏せになる。

 いや、確かにいつもあんなあざといセリフを言ったりする。けど夢の中でのわたしはそれとは違った。完全に『ガチ』の人だった。男子を手玉にとるためではなく、自分が甘えるためだけの言葉と涙。

 しかも、その相手があの先輩だ。

 

 「はぁ……こんな最悪の目覚めないよ……」

  

 ため息とともにひとりごちて、仕方なく切り替えて目覚ましを止める。

 そろそろ準備しなきゃ学校に遅刻しちゃう…………──

 

 「ってやば!」

 

 やっと寝坊したことに気づいて、枕を投げ捨ててベッドを飛び出した。

 

* * * * *

 

 うつらうつらしながら朝のホームルームを終えると、眠気に耐えかねてさっそく机に突っ伏した。月曜の朝ということもあるのだが、理由はそれだけじゃない。

 

 土曜日は不幸にも一色に捕獲され、休日とはいえない休日を過ごした。おまけに迷子といい一色の色々といい、俺のキャパを圧倒的に超過するトラブル続きによって体力がもたなかった。

 そんな疲弊した体のままの日曜日も、選挙当日にしなければならない演説の原稿を叩いていたために今日の寝不足に至るのだ。

 

 二日続けて休日出勤とか、俺はどこの社畜ですか……。ブラックにもほどがあるんじゃないですかね。

 しかし演説の原稿考えるのがあんなに面倒だとは思ってなかった……。完全に舐めプだった。いやだってね、普段から捻くれたこと考えてるせいでまともな演説とかわかんねぇんだよ……。あたりさわりのないように、かつ生徒会長たりえる威厳を示す原稿を作るのには思いの外骨が折れた。そう愚痴を零すものの、こと今回に限っては自主的に会長になると決めたために自業自得である。勝手に仕事を増やしたのも俺だし、残業する羽目になったのも俺が悪い。

 

 

 自営業者は休む時間を自分で作らなくてはならないのだ。よしっ、頑張って休むぞい!

 

 ──と気合を入れて数分。気づけば帰りのホームルームを迎えていた。うん、どう考えてもタイムリープ。これは時を超える車に乗っていたに違いない。時をかける少女、比企谷八幡っ!

 確認せずとも性別は変わっていない。だってほら、こちらに手を振る戸塚にこんなにも胸がドキドキするんだもの。男が女に惹かれるのは自然の摂理。故に戸塚は女子。Q.E.D……。

 

 戸塚に手を振り返して、未だ茫然とする意識をなんとか引っ張り起こし、左斜め後方窓際の席を見やる。そこにはいつものメンバー、葉山をはじめとし三浦や海老名、三バカが談笑している。しかしそこに由比ヶ浜の姿はない。おそらくすでに部室へ行ったのだろう。

 

 由比ヶ浜とは修学旅行の一件から会話の数は減った。朝玄関で会えば挨拶は交わすものの世間話は一切せず、各々教室に向かうという日々がここ数日だ。

 

 ぶっちゃけ超気まずい……。

 

 しかも、喧嘩で仲が悪くなったというわけではないからなお質が悪い。

 そもそも仲が良かったのかと言われたら、「ぼ、僕なんかがそんな……」と両手人差し指を合わせてもじもじするのが八幡クオリティである。

 

 そんなヘタレ谷を心の内に抑え込み、俺もスクールバッグとマフラーを片手に抱えて教室を出た。なにを隠そう、俺はそんな由比ヶ浜がいるだろう奉仕部部室へとはせ参じなければならない。

 結局最後に部室に行ってから、一色の依頼を対処する方法を伝えていないのだ。

 別に彼女らと別行動をとっているわけでもないし、「任せておけ」と啖呵を切ったからにはその内容を共有する必要があるだろう。

 

 だからこうして重たい足を必死こいて前へ運んではいるのだが……。

 嫌だなぁ……。気まずいなぁ……。行きたくねぇなぁ……。

 

 しかしそんな心の声も空しく、気づけば部室前である。

 すっげぇデジャブなんだが……。

 

 一色が後ろからひょいっと出てくる可能性を恐れ、くるっと後ろを見渡す。よし、誰もいない。知り合いも……いないな。安否確認完了。なんだろう、このツタヤの暖簾くぐるような気分は。い、いや、ないよ?僕17ちゃいだからまだくぐったことないよ?ほら、今の時代なんでもスマホで済ませられるしね。DMMの有用性マジ神(紙だけに)。

 

 咳払いで気を取り直して、スライド式のドアを開ける。

 ──と同時、部室から食い気味で明るい声がかけられた。

 

 「あ、ゆきのん!やっは……ろ……」

 「……」

 

 部室にいるのは雪ノ下と由比ヶ浜…………ではなく、由比ヶ浜だけだった。

 これはさすがに予想外だった。っべー、これまじ、っべー……。

 しかもそう露骨に気まずそうな感じ出すなよ……。こっちだって雪ノ下がいるもんだと思ってたんだよ……。

 

 「……おう」

 

 残念ながら俺はゆきのんではないので、少し間を開けて会釈する。ここで「教室間違えたおっ☆ごめんちょ!」という言い訳は通用しないよなぁ……。

 

 「ひ、ヒッキー、やっはろー……」

  

 この状況でもその挨拶するんですね。そのやっはろー精神、素晴らしいと思います。

 

 「一人か?」

 

 言って、俺は廊下側の少し離れた席に腰かける。いつもの席だ。

 

 「うん、ゆきのんはちょっと遅れてくるって。…………いろはちゃんの依頼はどう?」

 「それなんだが、雪ノ下が来てからでいいか?」

 「あ、うん……」

 

 小さく返事をして、俯く由比ヶ浜。

 っべー……。普段沈黙を気にしないのになにこの気まずさ……。

 

 元はと言えば、この気まずさの原因は俺にあるのだ。経緯はどうあれ、その責は負わねばならないだろう。

 何か気が利いた事を言えたらいいのだが、それも思いつかずにちらちら由比ヶ浜の方をうかがう。 

 すると、由比ヶ浜はこの沈黙を破るように口を開いた。

 

 「……なんか最近ヒッキー頑張ってるよね。目の下クマできてるし」

 

 俺の目の下を指でさして、困ったように笑う由比ヶ浜。

 

 「別になんもしてないけどな」

 

 実際、昨日徹夜した以外は本当になにもしていないので、いたたまれなくて視線を逸らす。

 

 「ううん、してるよ。ヒッキーはいつも一人で頑張ってる」

 

 何かを思い出すように焦がれた表情で俯く由比ヶ浜の声音には、言葉とは裏腹にどこか寂しさを滲ませていた。それを見て、俺は思わず閉口してしまう。

 

 「なんかさ…………。あたし、ちょっと怖かったんだ。……ううん、今も怖い」

 

 机の下で組んだ手を見つめながら、由比ヶ浜は紡ぐように声を絞り出した。

 差し込む夕日に照らされた表情にどこか懐かしさのようなものを覚えて、俺は口を噤んで続きをまった。

 

 「ほら、ヒッキーっていつも見えないところで頑張るでしょ?だからまたあたしたちの知らないところで無理してるんじゃないかなーとか、また一人で解決しちゃうんじゃないかなーとか考えてさ。……今回もそう。何してるのかはわからないけど、また一人でやろうとしてる。…………それでまた、傷つくの」

 

 消え入りそうな声音で話す由比ヶ浜に、俺の視線は落ちていた。

 言い訳の余地もなく、自覚していたことだったからだ。わからないふりをして、見て見ぬふりをして、その甘えが俺ではない誰かを傷つけることになった。もはや俺一人の行動は俺だけの問題ではなくなっていたということは文化祭や修学旅行の件で十分に思い知らされた。

 しかし今もなお、俺の言葉や行動で由比ヶ浜や雪ノ下を傷つけるというのは傲慢な独りよがりで、ただのエゴイズムなのだと俯瞰する自分がいるのも事実だった。

 今はそんな自分を許せる気もしない。今日奉仕部へきたのも、理由過程をすっ飛ばせば同じことだ。俺はこれから二人に、自分が生徒会長になるということを言わなければならない。

 困ったような微笑みを(たた)えている由比ヶ浜の顔を見据え、口を開いた。

 

 「今回は…………大丈夫、だと思う。たぶん」

 「……そっか」

 

 情けなくそんなことしか言えない俺に、由比ヶ浜は柔和な眼差しを向けてくる。

 それがどこかむず痒く、視線をそらす。

 

 ていうか、そもそも何しにここに来たんだっけ……。

 一色の依頼についての話と……ああそうそう、ガ浜さんへの謝罪でしたね。

 小町にもしっかりしなさいと言われたしな。

 

 

 「…………その、すまんかった」

 

 突然の謝罪に、ぽかーんと口を開ける由比ヶ浜。

 なんのことやらと言いたげな顔をする由比ヶ浜に、俺は続けた。

 

 「次は上手くやる。ぶっちゃけ言うと自信はないが、確信はあるつもりだ。今までとは違う。だから……」

 

 由比ヶ浜にはそれを見ていてほしい、と言いかけて、やめた。今それを言うのは卑怯な気がした。俺が今言おうとしたことは、ただの手のひら返しに過ぎない。今まで築いてきた関係に亀裂が生じたことを恐れたが故の欺瞞だ。俺は由比ヶ浜結衣という女の子に嫌われないために、嫌われたくないがために自分に逃げ道を作ろうとしたのだ。

 

 そのことに思い至って、開けたままだった口をそっと閉じる。

 由比ヶ浜もそれに気づき視線で問うてくるが、俺はそれ以上口を開くことはできなかった。

  

 ──と、再び部室内に沈黙が走ったところで、がらがらと音を立てて扉が開かれた。

 そちらへ振り返ると、雪ノ下が驚いたように目を瞠って俺を見ていた。

 

 「……こんにちは」

 

 しかしすっといつものすまし顔に戻し、会釈した。俺も「うす」と頭を軽く下げる。

 

 「ゆきのん、やっはろー!…………あれ、いろはちゃん?」

 

 先程の緊張した空気は消え去り、由比ヶ浜は元気よくいつもの挨拶をすると、雪ノ下の背後を見てこてっと首をかしげる。

 見ると、一色が手をひらひらと振りながら、雪ノ下に続いて部室へ入ってきた。

 

 「結衣先輩、こんにちはー。…………うげっ」

 

 こちらに気づいた一色が、めっちゃ嫌そうな顔で半歩下がる。

 いや、そこまで嫌がらなくてもよくない?俺何かした?心当たりありすぎてわかんねぇ……。

 

 「なんで生きてるんですか?」

 「なんでいるんですかの間違いだよなそうだよな。てかなんでいるんですかもおかしいだろ。一応俺、部員なんだけど……」

 

 一色はじとっと俺を睨みつけて罵倒を浴びせてくる。

 しかし俺の反論に答えたのは一色ではなく、その前を歩く雪ノ下だった。

 

 「部員……?部費の間違いでは?」

 「ちょっと?歩く財布扱いしないでもらえる?中学時代のトラウマ思い出して笑えねえよ……」

 

 忘れない、中二の夏休み明け。

 夏休み中、ばあちゃんの畑の手伝いで稼いだ金をとなりのクラスの連中に巻き上げられたおもひで……。

 「俺たち友達だろ?」という一言で、浮かれきった俺は喜んで財布を差し出したのだった……。あとになって友達じゃなかったと知って、おもひでじゃなくて涙をぽろぽろしたのはかけがえのないメモリーだ。絶対許さねえぞあいつら……。

 

 「あら、ごめんなさい。でもその方がモテると思うわよ」

 「だとしたら、モテてるの俺じゃなくて諭吉なんだよなぁ……」

 

 いつにも増して切れ味鋭くないですかこの子たち……。

 とくに一色さん?なんでそんなに睨んでくるの?僕の肩に虫でもついてるのかな?

 

 ちょっと心配になって自分の体を見渡してみるも、どうやら虫はいないようで安心する。

 雪ノ下も一色も席につくと、由比ヶ浜が雪ノ下に寄って話しかける。雪ノ下は「近い……」と居心地悪そうにするが、頬を紅潮させて満更でもなさそうだ。なんなら百合が始まるまである。僕は気にしないからどうぞごゆるりとゆりゆりしてくださいご褒美です!

   

 ちらちら二人のいちゃいちゃを横目で眺めていると、一色が入りづらそうに身を捩っていた。そういえば、なぜこいつがいるんだ……。

 一色の方に若干体を傾けて、小声で問う。

 

 「ていうか、なんでお前いるの?」

 「……は?なんですか耳元で囁いて口説こうとしてるんですか二人がいる前でとか最悪だし今日はちょっと朝から機嫌悪いので死んでくださいごめんなさい」

 「えぇ……。いくらなんでも理不尽すぎないですかね」

 

 なにやら今日は一色の機嫌が優れないらしい。いつもの早口論破も、増して切れ味がすごい。

 朝からなにがあったのかは考えたところで仕方ない。俺がなにか怒らせるようなことをしたなら、思い当るのは一つしかない。このままずっと睨まれるのもなんだと思って、おそるおそる聞いてみる。

 

 「……昨日大丈夫だったか?あの後」

 「え?」

 

 問うと、意外だったのか一色はぽかんと口を開けたあと、顎に人差し指をあてて少し考えるポーズをした。この後輩、いちいちあざとい。かわいい。略してあざかわっ!

 そんなくだらないことに考えを巡らせていると、一色はくすっと笑った。

 

 「せんぱい、心配してくれてたんですか?」

 「…………してねえよ」

 

 悪戯に微笑む一色に、俺は視線をそらす。いや心配とかしてないんだからねっ。超心配してたんだからねっ!

 くそっ、一色のからかうような視線が痛い。見るな。そんな目でこっちを見るな。

 

 「こんだけ機嫌悪かったら心当たり探るでしょ。直近に思い当るのがあっただけだよ」

 「……ふーん、ま、そういうことにしといてあげます」

 

 咄嗟に思いついた言い訳に不満そうにしながらも、一色は姿勢を正した。俺も襟を正して座りなおした。

 何やら左側から視線を感じるなと思ってそちらをみると、雪ノ下と由比ヶ浜がしらーっとした眼差しをこちらへ向けていた。

 

 「さっきからこそこそと、何を話しているのかしら」

 「なーんか怪しい!」

 「別に、なんでもねえよ」

 

 痛くもない腹を探られ、ばつの悪さにごほごほとわざとらしい咳払いをする。

 三方向からの視線に居心地の悪さを覚えるが、話すタイミングとしては、期せず注目を浴びた今しかないだろう。

 俺は浅い深呼吸をして、一度三人の顔を見渡す。その態度を見て首を傾げる三人に、重々しく口を開いた。

 

 「今日来たのは一色の依頼について話すためだ。一色のイメージが損なわれず生徒会長にさせない。かといって雪ノ下に立候補させるわけにもいかない。ぶっちゃけ、一色を説得しようかとも思ったんだが……」

 

 雪ノ下は真っすぐにこちらを見据え、由比ヶ浜は心配そうに愁眉を浮かべていた。 

 一方の一色は、これから俺が話すことを把握しているからか、瞠目して聞いていた。

 

 「……一色と直接対決をして俺が生徒会長になる。二つの条件を考慮に入れながら、奉仕部を維持する。誰も困らず穏便に済む方法だ」

 

 人差し指を立てて言うと、二人は驚きを表情に浮かべた。そして三人の真ん中にいる雪ノ下が次の瞬間、キッとこちらを睨む。わかっている。また自分を犠牲にしたやり方をするのだと思われることはわかっていた。

 

 「あなたはまたそうやって……!」

 「ゆきのん、待って」

 

 苛立ちを吐きだそうとする雪ノ下を、横にいる由比ヶ浜が制止する。由比ヶ浜は戸惑いながらも確信を宿した目でこちらに向き直る。雪ノ下はそれを受け、続きを促すようにこちらを見据えた。俺はそれに軽く頷いて徐に口を開いた。

 

 「勝算もちゃんとある。応援演説を葉山に頼んだ。立候補者が俺とはいえ、もし投票しなければ葉山を裏切っているのと同じだ。だから一色のイメージが崩れることはない。一色は俺じゃなくて葉山に負ける」

 「…………一色さんにどう勝つかは分かったわ。でも、部活はどうするの?あなたが生徒会長をやるというのなら私が立候補すればよかったし、その方が確実だった。何も…………何も変わらないじゃない」

 

 雪ノ下は俯きながら、その声は段々と弱くなっていた。

 そうだ。雪ノ下の言う通り、俺が生徒会長になるくらなら雪ノ下がやった方が確実だ。生徒会長になった後も確実に正確に、仕事を遂行するだろう。しかし、だからこそ────。

 

 「だからこそ、雪ノ下にやらせるわけにはいかない」

  

 自分が思っていたよりも語気が強くなっていたことに驚く。それは雪ノ下たちも同じだったようで、下がっていた顔をぱっと上げた。

 

 「お前が生徒会に入れば奉仕部はなくなる。それは雪ノ下だけじゃなくて、たぶん由比ヶ浜でも同じだ」

 「なら、あなたも同じじゃない。いつも一人で解決して、勝手に終わらせた気になって……今回もそう。何も変わってない。あなたが会長をやっても、きっと奉仕部はなくなる。私たちは…………またあなたに頼りっきりになる」

 「…………だから」

 

 雪ノ下も由比ヶ浜も、勝手に俺を美化しすぎだと思う。

 俺は確かに今まで一人でやった気でいた。今までそうしてきたように、自分でやってしまえばいいとそう思っていた。しかし違う。俺は一人でなんでもできるほど優れてはいない。そんなに優れていれば、長年ぼっちなんてやってない。俺が奉仕部という部活で上手くやってこれたのは紛れもなく二人のおかげだ。だから俺は今まで通りにするだけだ。例えそれが、共依存だと言われたとしても。

 

 「だから、もし部活に来れないほど生徒会が忙しい時は依頼として手伝ってほしい。勝手なのはわかってる。本来俺がやるべき仕事で、誰かに頼っていいものじゃない。それでも、頼みたい」

 

 絞り出すように言って、軽く頭を下げた。視線は落ちていて、目の前に映るのは年季の入った茶色の机だけ。彼女たちがどういう表情をしているのかはわからない。怖くて想像を拒否してるだけなのかもしれないが、衣擦れの音や軽い吐息だけが耳に届いた。

 

 

 「あたしは、手伝いたい」

 

 

 緊張した空気を最初に切り裂いたのは由比ヶ浜だった。雪ノ下が最初に答えを出すのだろうと思っていたものだから正直意外だった。

 

 「ヒッキーだけじゃない。ここであたしたちが応えなきゃ、あたしたちだって今までと変わらないもん」

 「……助かる」

 

 言うと由比ヶ浜は優しく破顔し、うん、と頷いた。由比ヶ浜はそのまま雪ノ下の方へ顔を向けて、膝上で握られた雪ノ下の手の上に自分のを重ねた。雪ノ下は未だ俯いたままだったが、きゅっと引き結ばれた唇だけが伺える。やがて顔を上げると、俺の胸のあたりに視線を置いて口を開いた。

 

 「…………それが、あなたの答えなのね」

 

 雪ノ下の言った〝答え〟。それはきっと、あの日の昼休みだろう。

 一色とベストプレイスで昼食をとったあとに雪ノ下から頼まれたのだ。奉仕部を守ってほしいと。

 俺がそんな大役を任されるなんて過大評価にもほどがあるが、あの冷酷だった雪ノ下からそこまで期待されてしまえば応える他ない。その結果俺がとった方法が正しいのか正しくないのかはさておき、少なくとも尽くせる限りは尽くしたつもりだ。

 

 「ああ、そのつもりだ」

 「……そう」

 

 雪ノ下は短く答えて少し考えた後、こちらへ向き直った。

 

 「あなたの依頼、受けるわ」

 「…………助かる」

 

 雪ノ下のその一言で、強張っていた身体が解けていった。

 ずっとだんまりをきめこんでいた一色も同じなのか、「ほっ」と愁眉を開く。

 

 「まあ、全ては受かってからの話だけれど」

 「この状況でそれ言うのかよ……。ほんと空気読めねえな……」

 「空気本人に言われるとは心外ね」 

 「誰が空気だ誰が」

 

 軽口をたたいて、部室内が段々と弛緩していく。

 由比ヶ浜はそっと胸に手をおいて「よ、よかったぁ……」と漏らす一方、一色は呆れたような困り顔でぶつぶつ何か言っていた。

 

 「この人たち、もっと上手くできないんですかねー……。空気に圧し潰されて死ぬかと思いましたよ」 

 「っはん。甘いな一色。呼ばれていないお誕生日会に行って『え、なんでこいついるの?』と無言の圧力をかけられたことがないからそんなこと言えるんだよ」 

 「普通に生きてればそんなことはありませんから……」

 

 は?こいつ何言ってるんだよ。そんなイベント誰にでもあるだろうが。チュートリアルレベルだぞこんなの。インストールからやり直せ。

 

 「あー、確かに……。全然話したことないのに誕プレ渡されても反応困るんだよね……」

 「え、あ、いや、すいません……。でもこっちだって一生懸命考えて選んだプレゼントなんですよ?」  

 「まさかの経験あった!?ち、ちがくてっ!嬉しんだけどさ、ほらなんというか、貰っちゃうと返さなきゃいけない感じあるんじゃん?だからぶっちゃけめんどいっていうか……」

 「結衣先輩、全然フォローになってないですよ……」

 

 あたふたと手をパタパタさせる由比ヶ浜に、一色はため息をついた。

 

 「誕プレなんてもらったことないから、そんな苦労があるとは知らなかったんだよ……」

 「ちなみにわたしは4月16日ですよー、先輩」

 「聞いてねえよ……」

 

 ナチュラルに自分の誕生日教えてくるなこいつ。俺に祝われなくても祝ってくれる男子なんて大勢いるだろうに。

 にしても4月16日か。チャップリンと同じ誕生日と覚えておこう。

 

 「比企谷君に誕生日がない話はさておき」

 「さておいていい話なの?それ」

 

 あるわ誕生日。8月8日生まれだから八幡。なんて安直なんだようちの親。でも覚えやすいよね!家族以外に覚えられた試しがないんだけどね!そもそも名前を覚えられないからね!

 

 「そろそろ下校時刻だし、今日は終わりましょうか」

 「わ、ほんとだもうこんな時間!」

 

 雪ノ下の合図で部活を終えると、各々マフラーを巻くなり帰り支度を始めた。

 由比ヶ浜がいそいそと、バスケットに残ったお菓子を口の中に詰め込んでいた。お菓子で膨らんだ頬がちょっとリスっぽい。

  

 部室を出て、雪ノ下が鍵を閉める。

 

 「それじゃ、私は鍵を職員室へ戻しに行くから」

 「あたしもいくー!じゃ、ヒッキーといろはちゃん、またね」

 

 ばいばいと手を振って去っていく由比ヶ浜たちを見送って、隣の一色に目を向けた。

 

 「お前ほんと何しに来たんだよ……」

 「えー先輩、そんなわたしに興味あるんですか?」

 「ない」

 「即答……。まあちょっと雪ノ下先輩と依頼について話して、ついでにって感じです」

 「そうか」

 

 本棟へと繋がる階段を降って、生徒玄関へ向かう。

 下校時刻が過ぎて暖房が切られてるのか、巻いたマフラーの隙間から冷たいすきま風が入り込む。

 

 「でも、良かったですね、言えて」

 「ん、まあな」

 

 どうやら心配してくれていたらしい。

 当事者と言うこともあって責任を感じてるのだろうか。だとしたらそれは杞憂だ。

 

 「ありがとな色々と」

 「なんですか急に気持ち悪い」

 「ひでえな……。いやなに、色々巻き込んじゃっただろ、奉仕部のこととか」

 「ああ、それですか。別に気にしてないです」

 

 俺だったら絶対面倒で関わりたくないのに、一色はこう見えて寛容だな、しみじみ……と感心したのも束の間。一色は顎に手をやって少し考えた後、わざとらしい演技で、

 

 「あ、やっぱ気にしてます。大変なことに巻き込まれて疲れちゃいました。いやー、誰のせいなのかなこれーチラッ。本当に申し訳ないと思ってるなら今日の帰りごはんでもおごってくれるんだろうなぁ……チラ。ね、先輩」

 「………………わかったよ」

 

 小悪魔の背中を睨みつけながら、学校を後にしたのだった。




難所は超えました。この9話、マジで長く感じた……。

感想、評価、誤字報告いつもありがとうございます!!


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10話 つーわけで俺、リア充になりました。

12月!師走!わーい!


 気づけばすでに12月に入り、本格的に布団から出たくない欲求が暴れだす季節となっていた。ほんと出たくない。いやったらいやっ!一生一緒だからなっ、布団ちゃん!──と睡眠ツーラウンドに突入しかけたところで小町に起こされたので仕方なく起床。いつも通り顔を洗い、着替え朝飯歯磨きをして小町より遅く家を出た。

 

 昨夜からの雨により、今日は電車での登校となった。天気予報によれば、雨は今日の夜まで続くらしい。別に夏の雨は嫌いじゃないが、この時期だと寒いくらいに冷たくて鬱陶しかった。

 

 生徒玄関で濡れた傘をばさばさした後傘立てにつっこんで、靴を履き替える。

 いつもなら二年F組へつながる左手の階段を上っていくのだが、今日は他用で右手に曲がる。進むほどに人が増えていき、角を曲がった先では数十人の生徒が烏合のように掲示板に集っている。俺もその集団の後ろから掲示板を眺めた。

 掲示板には縦横1メートルほどのポスターが張られている。選挙の当落発表が掲示されているのだ。自分の名前を探そうと、俺も周囲に倣って人差し指を辿る。

 

 『生徒会長:比企谷八幡』

 

 「おぉ、あった」

 

 薔薇を模した花飾りの下に書かれた俺の名前にほっと胸を撫でおろす。

 先週の月曜日、奉仕部へ赴き生徒会長になることを雪ノ下と由比ヶ浜に伝えた丁度一週間後──すなわち昨日が選挙日だった。

 人前に出ることなど滅多にない俺が、全校生徒の前であんな輝かしい演説を見せたのは涙の一幕であった。……まあ、輝かしかったのは応援演説の葉山だったんだが。得票率は81%で、信任投票の場合6割を取れば当選の会長ではかなりのオーバーキルだったのはさすが葉山。なんなら立候補してたの俺じゃなくて葉山だと思われてたまである。

 しかし問題点はそこではない。そもそも信任投票であること自体がおかしいのだ。

 

 俺は眉をひそめ、睨みつけるようにポスターをもう一度見やる。

 

 『副会長:一色いろは』

 

 …………おい。なんのバグだよこれ。なんで副会長のところにこいついんの?デバッグしてないの?いや、全校生徒からしたら何も不思議な点はないのだ。なぜなら昨日の選挙で一色は副会長候補として演説したのだから。

 

 「あ、せんぱーい!名前ありましたねー」

 

 噂をすればやってきた、副会長のおでましである。

 

 「ねえ、ほんとどういうこと?」

 「ふえ?」

 「ふえじゃねえよ。なんでちゃっかり副会長になってるわけ?」

 「えっと、わたしが副会長に立候補して、ふつーに当選したからじゃないですか?」

 

 こてっと首をかしげてわざとらしく言う一色に、俺はじと目を向ける。

 

 「そうじゃなくて……お前会長候補だっただろうが」

 「それはまあ、選管の子とかにおねだりしてー…………まあ色々ですかね。かなりチョロかったです♪」

 「だめだ。こいつと話してたら人間不信になるわ……」

 「もうなってるからいいじゃないですか」

 

 こいつが裏ルートで副会長に立候補したことは100歩譲ってわかった。ならそもそもなんでこいつは副会長に立候補したのだ。普通に戦って負けたとしても、一色にはほとんどダメージがないはずなのに。一色が副会長になったところで得られるメリットなんてあるのだろうか。

 そうこう考えてるうちに登校時刻終了のチャイムが鳴り、周りの生徒はぞろぞろと教室へ戻っていく。

 

 「それじゃ、わたしも教室に戻りますね」

 

 何食わぬ顔で立ち去っていく一色の背中を眺め、大きくため息をつく。

 

 ──もうやだ。一生帰りたい。

 

* * *

 

 選挙に当選したからと言って誰かに祝われたりクラッカーがはじけ飛んだり胴上げされたりなどはない。別にいいもんね。戸塚から祝ってもらったもんね!もう生徒会室に呼んで二人っきりで愛を育む予定だもんね!

 そんな未来日記をつくっていると、気づけば帰りのホームルームを終えた。俺はすぐさまスクールバッグとマフラーを片手に持って教室を出る。しかし向かうのは特別棟へつながる階段ではなく、一階につながる階段だ。今日からさっそく生徒会の仕事が始まるのだ。

 

 今日やることといえば生徒会室の掃除と、書類等の整理。前生徒会やってくれてねえのかよ……と内心ぼやきつつ、気づけば到着。奉仕部部室とは違って本棟にある生徒会室はさほど遠くないからありがたい。

 

 スライド式の扉を開けると、むわっとした暖気とともに、話声が流れ込んできた。

 

 「あ、先輩どうもですー」

 「……うす」

 

 中に入ると、一色はてててっとこちらへ駆け寄る。さらに奥を見ると、メガネをかけた少女が控えめにお辞儀をしていた。

 

 「それとも、会長と呼んだ方がいいですか?」

 「鬱陶しい。呼ばなくていいから」

 「むー」

 

 あざとい上目遣いを手で払いのけると、一色はぷーっと頬を膨らませる。なんだお前それ可愛いな。

 

 「か、会長、よろしくお願いします。書記の藤沢といいます」

 

 奥のメガネ少女は折り目正しく、三つ編みを揺らして頭を下げる。

 うーん、いい感じの地味加減だ。漂う書記感といい、こいつはなかなか仕事をしてくれそうだ。よろしく藤原!

 

 「んで、今なにしてんの」

 「不必要な書類を段ボールにまとめて、これから運ぶところです」

 

 確かに入り口付近に5、6個段ボールが積まれている。持たなくてもわかる。これ絶対重い。

 

 「そうか。んじゃ俺はここで書類の整理を…………」

 「…………」

 

 いそいそと紙の束に手をかけようとしたところで、じとっと一色に睨まれる。ですよねー。

 

 「先輩はもちろんこっちです。わたしも手伝ってあげるので、早くいきますよ、っと!」

 

 段ボールを持ち上げながら言う一色に続いて、俺も積まれたうちの一つを持った。

 

 「それじゃ、書記ちゃんここおねがいしまーす!」

 「は、はい」

 

 生徒会室を出て一色の半歩後ろを歩きながら朝聞きそびれたことを聞こうとしたが、先に口を開いた一色に阻まれた。

 

 「さては、なんで副会長やってんの?とか思ってますね?」

 

 探偵気取りなのか、一色はきらっとした目つきで振り返る。

 

 「思うだろ……。最初から副会長やるんなら、俺完全に無駄骨だったでしょ」

 「んー、まあ……気が変わったのが一週間くらい前っていうのもありますし。それに、サッカー部に戻ったところで居場所ないですもん」

 

 居場所、か。そういえば、一色を推薦した奴、葉山を狙ってサッカー部入ったんだっけか。強敵となる一色を葉山から遠ざけるためにそんなことをしたのだろうと推測できるが、一色にしてはらしくないと思った。

 

 「そんくらい今に限ったことじゃないだろ。葉山どころか、手あたり次第彼女持ちの男にも手だしてそうだし」

 「失敬ですね。せいぜい告られるくらいで、ちゃんと全員振ってます」

 「余計性質(たち)悪いじゃねえか……」

 「前にモールで絡んできた女子覚えてますか?わたしを推薦した張本人がその中の一人なんですよ」

 「…………あー、ボブ」

 

 もう一週間以上も前で記憶があやふやだったがなんとか思い出した。ていうか、人がいじめにあってるシーンなんてそうそう忘れられない。ちなみになぜボブという名前になったのかは一切覚えていない。

 

 「……ボブが誰のことかはわかんないですけど、たぶんそれです。その人がいる限り、しばらくは部活にも出れなさそうです」

 

 苦笑気味に眉を曲げる一色。確かに、あんなに人がいる中で胸倉を掴んでくるような奴だ。部活内であればその過激さは増すだろう。

 

 「ていうか、前の公園の男といい、お前ほんと敵多すぎだろ……。なに、敵作るのが趣味なの?」

 「それはまあ、可愛い女の子としての宿命なので……あ、今ならわたしを敵から守ってくれるナイトさん募集中ですよー先輩」

 「どう考えてもナイトじゃなくて歩兵なんだよなぁ……」

 

 一色の敵対勢力とか考えたくねえ……。徹底的にボコられる未来しか見えないんだよなぁ。

 

 「それが理由の一つですかねー」

 「一つ?」

 「はい。ほんとはもう一個の理由があるんですけどー……」

 

 一色はもったいぶるようにタメをつくって、ちらっと俺の顔を覗くと、

 

 「それはヒ・ミ・ツです♪」

 「……さいですか」

 

 ぺろっと舌を出してウインクする一色に、俺は嘆息する。

 まあ、女子が秘密だというのならそれ以上踏み込んではいけないことを俺は知っている。ソースは俺。家には、俺の秘密にはズカズカ土足で入り込んでくるくせに自分のことを聞かれると逆切れする妹がいる。長年一緒に住んでるおかげで女の子の日とかであれば察せるが、もしかしたらその秘密の内容が色恋沙汰なんじゃないかと思い始めたら三日三晩眠れないのが兄の性質である。よく勘違いされるから訂正しておくが、シスコンではなく妹想いなだけだ。

 

 これ以上何か聞いたところで、一色の当選が覆されるわけでもないし別に俺がとやかく言う権利もない。追及はこのくらいにしておこう。

 

 「あ、ここですね」

 

 目的の倉庫前に来ると、俺は一色より先に段ボールを置き、引き戸のドアを開ける。ありがとうございますと小声で言う一色を横目に中を覗くと、広さは体育館倉庫くらいで、暫く掃除されてないのか埃っぽい。よっこらせっと段ボールを置いて、この埃っぽい部屋からすぐ脱出。

 

 「これを後2、3回か……」

 

 なにこれめっちゃきついじゃん。自転車通学の俺をしてもすでに腕きついんだが?

 

 「一色、よくこれ持てたな」

 「あ、はい。わたしのはバインダーしかはいってないやつなので」

 「あ、そう……」

 

 ま、まあ?女子に重いもん持たせるわけにもいかないしい?男が重いもの持つの当たり前だけど?にしてもなんだろう。この裏切られた感は。

 

 「安心してください。すぐに助っ人が来ると思うので」

 

 言って、一色は来た道を見る。すると、そちらの方向からなにやら「っべー」だの「これ重すぎね?マジいい筋トレになるわー」だのよく通る声が響いてきた。言うまでもなく戸部だ。段ボールを2段重ねで担いできた戸部の横には葉山も並んでいた。

 

 「ここでいいのかな?」

 「はい。葉山先輩、手伝ってくれてありがとうございますー」

 「全然いいよ、これくらい」

 「あんれー、ヒキタニ君じゃん!にしても、まさかヒキタニ君が生徒会長になるとはなー、この学校崩壊待ったなしでしょー。でもすげえわ、当選おめ」

 

 ニッと口端をつりあげ、ぐっとこちらへサムズアップする戸部に「お、おう」と俺もサムズアップ。いかんいかん……、急に褒めてくるもんだからついつられてしまったわ。こいつウザいけどいい奴だなー、ウザいけど。

 戸部と葉山は段ボールを倉庫に押し込んだ。

 

 「っふー、これでもう終わりっしょ?」 

 「はい。あでも、戸部先輩はまだです。これから生徒会室の模様替えするので」

 「べー……。いろはす鬼畜すぎん?まあ部活までまだあるし、やるけどよー」

 

 そんなやりとりをしながら先をいく二人を追おうとしたが、扉を閉めて「よし」と息を吐く葉山の方へ向き直った。別にこいつと世間話をするような仲でもないが、今回の一件に関しては巻き込んだことも含めて改めて感謝しておきたい。

 

 「あー……その、ありがとな」

 「なんだよ、気持ち悪いな」

 

 頬をぽりぽり掻いて言うと、葉山は苦笑した。

 ていうか、俺が感謝するとそんな気持ち悪いの?僕だって感謝するときくらいあるんですよ?ほら、刊行開始から応援していた作品がアニメ化した時とか……。そのまま大人気になって実写化とかしても、原作者の利益になるならばと奥歯を噛みしめて感謝しますよ?

 そんな感じで常に感謝の気持ちを忘れない俺だが、陽キャとかイケメンに感謝の言葉を口にするのはどうも居心地が悪い。しかし葉山は何でもないことのように続けた。

 

 「別に比企谷のために協力したわけじゃないさ」

 「わかってるよ。それでも言っとかないと後味悪いだろうが」

 「まあ、君が生徒会長になるなんて聞いたときは正気の沙汰じゃないと思ったけど」

 「うっせ。色々あんだよこっちにも」

 「ほんと、素直じゃないな、君は」

 

 ははっと笑って歩き出す葉山の数歩後ろをついていく。

 

 「ここまで協力するなら最後まで責任持ってやれよ。あいつも喜ぶぞ」

 「その言葉、そっくりそのまま返すよ。俺じゃあいろはを幸せにできないし、責任も持てない。それに、いろはは最近君になついているだろ?」

 「手懐けられてるだけだろあれは……」

 

 言いながら、数メートル先を歩く一色と戸部を眺める。俺は一種の共感と同情を込めて戸部を見やった。

 なんなら「お手」とか言われたら従っちゃうレベル。ペットプレイ、大歓迎!

 

 「その様子だと、なんでいろはが副会長になったのかもわかってなさそうだね」

 「聞いても教えてくれなかったんだよ」

 「だろうな」

 

 肩を竦めて困り笑顔を浮かべる葉山を、俺は訝しむように睨みつける。お前は知ってるのかよ。いや別に俺はもう知らないままでいいけどね。むしろあいつの考えてることとか恐ろしすぎて知りたくないまである。

 

 「俺は部活に行くよ、じゃ」

 

 手を軽く上げて階段へ向かう葉山に、俺は何も言わず首肯だけした。戸部は部活まで時間あると言っていたが、部長となると早めに顔を出さなければならなかったりするのだろう。

 葉山が階段を下りる様子を最後までみず、俺は一色が歩いているだろう前方に顔を向ける。

 しかし一色の姿はすでにない。きっと、既に生徒会室へ戻ったのだろう。 

 

 生徒会室に近づくにつれて、人の気配と話声はどんどんと増えていく。

 見覚えのある人もいるが、おそらく前生徒会役員だろう。彼らに残された仕事はもうないはずだが、きっと次世代の生徒会を軽く見に来たとか、最後のお別れを言いに来たとかそんなとこだろう。生徒会に「秘密の力を継ぎし者たち」感を出されても正直困るんだが。どこのヒーローアカデミア?ワンフォーオールかよ。

 

* * *

 

 掃除と書類の整理、ついでに一色の指揮の元で模様替えを終えたころには下校時刻30分前となっていて、生徒会室に差し込んでいた夕日はすっかり沈んでいた。

 途中城廻先輩が来たりして、若干涙目になりながら「生徒会をよろしくお願いします」と言われたときは猫背の俺も背筋が伸びた。そこまで思い入れが深かったのかと思いつつ、俺も城廻先輩には色々と世話になっていたので深々と頭を下げて返した。

 書記の藤……ふじ、フジファブリック?書記のフジファブリックちゃんや会計君もすでに帰宅し、生徒会室には俺と一色だけとなっていた。

 

 「先輩、どうします?もう帰りますか?」

 

 ハロゲンヒーターで暖を取りながら、一色は少し疲れた様子で聞いてきた。

 

 「いや、一応奉仕部の方にもちょっと顔出してくわ」

 「わかりました。それじゃ、生徒玄関で待ってますねー」

 「別に先帰ってていいぞ」

 「それじゃ、生徒玄関で待ってますねー」

 「いや、だから……」

 「それじゃ、生徒玄関で待ってますねー」

 

 怖い怖い、怖いから。え、なに?もしかしてループしてる?「はい」を選択するまで進行しないギャルゲーみたいになってるんですけど?

 

 「……すぐ行く」

 「はいっ!」

 

 諦めて肩を落とすと、ぴしっと敬礼ポーズをとる一色。だからそれあざといんだって。

 一色と別れ部室までくると、上窓から蛍光灯が漏れていた。どうやらまだ残っているらしい。先週は一応毎日部活には参加していたが、生徒会長となって改めて顔をだすとなると少し緊張する。

 

 一度深呼吸をしてドアを開ける。すると、どんっどんっどんっとゴジラが進行するような地響きと共に、むさくるしい男が俺の目の前でわめきだした。

 

 「うおぉぉぉい八幡!!!!お、おまっお主っ!!バグったのか!?ついに人生バグったのだなっ!?早まるなよ!?まずは深呼吸して手のひらに人の字を書くのだ!」

 「痛い痛い、肩を揺らすな。お前が落ち着けよ……」

 

 ぶんぶんと肩を揺らしてくる材木座をチョップで制し、奥を見る。

 

 「ヒッキーやっはろー!」

 「こんにちは。今日はこないと思っていたけれど」

 

 いつもの席に座っている二人に会釈し、俺は説明を求めた。

 

 「まあ顔くらい出してこうと思ってな。……それでこいつは?なんでいるの?」

 「あなたが会長になって思うところがあるのでしょう。友達なら、ちゃんと説明することね」

 「そうだよヒッキー。中二1時間前からずっといてさ、鼻息とか超うるさいし……」

 「お、おう、わかった」

 

 由比ヶ浜の材木座に対する扱いはともかくとして、確かにこいつには説明くらいしてやってもいいだろう。友達ではないが。

 俺は材木座の肩にぽんと手をおいて、戸部よろしくサムズアップを決め込んだ。

 

 「つーわけで材木座、俺はリア充になった。今後ともよろしくな」

 「ふぁっ…………ふぁぁぁ………………」

 

 にっと口角を吊り上げて言うと、魂が抜けたようにしなしなと崩れ落ちていく材木座。よし、こいつは暫くの間動けないだろう。

 廊下と部室の間でピクピク倒れてる材木座を放置し、中に入る。帰る前に声だけかけていこうと思っただけなので、椅子に座るわけでもなく立っていると、由比ヶ浜が「そういえば」と手を打った。

 

 「いろはちゃんが副会長候補になってたの驚いたよね。しかも当選したし!」

 「俺も全然知らんくてビビったわ。理由聞いても答えてくれなかったし」

 

 由比ヶ浜の言葉にうんうんと激しく同意していると、雪ノ下だけはすまし顔のまま文庫本をぱたりと閉じた。

 

 「まあ、私は知っていたけど」

 「ゆきのんしってたの!?あたし何も聞いてないのに―!」

 「なんで知ってんだよ……」

 

 一色ってたしか雪ノ下のこと苦手じゃなかったっけ?いつのまに二人だけの秘密交えるほど仲良くなってんの?

 

 「先週一色さんから、役職を変更するという前例はあったのか、と相談があって。上の者に問い合わせてみたら一週間前までなら可能だそうよ」

 「できるんだ!?」

 「なんだよ上の者って……。大丈夫だよな?権力で威圧とかしてないだろうな?」

 「ええ、してないわ。少ししか」

 「したんじゃねえか……」

 

 なにこいつさらりと「当たり前でしょう?私なのだから」みたいに言ってんの?ていうかそれができるんだったらマジで無駄骨だったじゃねえか……。俺の努力返して。マジで。

 

 「そもそもの選挙システム自体に欠陥しかないのだから、立候補の不手際が生じる可能性も考慮すべきだと指摘したら承諾してくれたわ。もちろん一色さんの名前は伏せて」

 「ほんと抜かりねえな……」

 

 敵にしたくない人間ランキングナンバーツー、雪ノ下雪乃。ちなみにナンバーワンは姉ノ下さん。まじでこの姉妹どうなってんだ。

 

 「でも、ヒッキーが会長ってなんか新鮮だよね。超似合わないし」

 「っふ、言ってろ。今後俺をイジメてくる奴がいたら問答無用で退学だ」

 「会長にそこまでの権利があるわけないでしょう。アニメの見過ぎ」

 「ぐっ……」

 

 くそ、事実だから何も言い返せねぇ……。なんでアニメの中の生徒会ってあんなやりたい放題できるんだろうな。食〇のソーマの十傑とか、あとは…………あ、あれ、思ったよりない?そもそも十傑って生徒会だっけ……。もしかして、生徒会ってそんなに好き勝手出来ないのか?くっそぅ、俺の生徒会ハーレムラブコメ計画がっ……!

 と、俺が絶望に暮れていると、由比ヶ浜が俺が普段座っている椅子の方を見ながら言った。

 

 「それより、ヒッキー座んないの?」

 「ああ、いや、一色を玄関に待たせてるんだ。先帰れっていったんだけど」

 

 言うと、由比ヶ浜は椅子を座り直して視線を泳がせた。

 

 「あ、あーいろはちゃんね。…………一緒に帰るんだ?」

 「……まあ」

 「ふ、ふーん?」

 「……」

 

 沈黙する雪ノ下と捨てられた子犬のような由比ヶ浜の目に、俺はどこか居心地の悪さを覚える。何故俺はいま罪悪感を覚えたんだ……。あ、あれだ。部活出ずに先に帰る罪悪感だ。残り二十分ほどしかないとはいえ、先に切り上げるのは悪いと思いながらも、一色が待っているのだから仕方ない。が、雪ノ下はすたっと立ち上がってスクールバッグに文庫本をしまった。

 

 「もう依頼人も来ないでしょうし、部活はこれで終わりましょう。比企谷君、せっかくだし一緒に帰りましょうか」

 

 冷ややかな微笑みで早口に言われ、俺は「お、おう……」と狼狽えるしかなかった。このターゲットを射るような眼光は確実に「お前を逃がしはしない」と言っている。まあ別にいいんだけどよ。最近は一色も雪ノ下とも仲が悪いわけでもないみたいだし、気まずい空気にはならないだろう。

 

 二人の帰り支度を待って、部室を出た。ていうか、いつの間にか材木座いないんだけど。今度ラーメンでも連れてってやろう。

 

* * * 

 

 学校を出た俺たちは、由比ヶ浜企画の元「選挙お疲れ会」なるものを駅前のサイゼで開くことになった。ぶっちゃけ早く帰りたいことこの上なかったのだが、意外にも雪ノ下が「別に構わない」と賛同的だったので多数決で決まってしまったのだ。

 

 窓際4人席の向かい側には雪ノ下と由比ヶ浜が、俺の隣には一色が座っている。座っているんだが……。

 

 「それで先輩、この状況は一体どういうことなんですかねー?」

 「痛い痛い。足踏んでるから」

 「わざとですけど」 

 「……俺何かしました?」

 「べっつにぃー?」

 

 俺は絶賛お説教中だった。理由はマジでわからない。

 ていうか、さっきから耳元で話さないでもらえる?くすぐったいし恥ずかしいんですけど?

 しかし一色はつーんと唇を尖らせて、ミルクティーをストローでぶくぶくさせていた。こら、マナー悪いわよ一色ちゃん。でもわかるわー。何歳になってもストローとか噛んじゃうよね。誰も見てなければ俺もぶくぶくするし。

 まあいい。こいつの機嫌が悪くなるポイントなんて聞いたところでわからないだろうし、放っておけば勝手に治るだろう。

 

 「な、なんか最近二人仲いいよね」

 「いや、そんなことないでしょ」

 「でもなんか近いし……」

 

 と、いまだぐりぐりと一色に足を踏みつけられる中、由比ヶ浜が伺うようにこちらを見て口を開いた。だからその目やめていただきたい……。

 

 「そんなことないですよ結衣先輩。わたし先輩のこと嫌いですもん」

 「ズバリ言うなよ……。寄ってきてるのはお前だろうが」

 

 いや別に慣れてるから嫌われるのはいいんだけど、いざ人に言われると案外ダメージデカいんですよ?特に後輩の女子に言われる破壊力はパない。

 一方の雪ノ下は、コーヒーカップをソーサーに置くとシニカルな眼差しを向けてきた。

 

 「その割には満更でもなさそうだけれど」

 「ねえ、この中に俺の味方いないの?冤罪だ冤罪」

 

 訝しむ雪ノ下に俺は無罪を主張する。もしかして一色の行動はすべて俺を貶めるためか……?だとしたらこいつ、小悪魔どころの話じゃない。それに俺を窓側に座らせることで逃げ道を塞いでいる。俺としたことが、完全に失態だ。

 俺が自分の甘さに後悔していると、一色は「でもー」と頬に人差し指を当てて、

 

 「先輩のことは大嫌いですけど、座る距離が近いと二人は困ることでもあるんですか?」

 

 とぼけるように嘯いて、一色は由比ヶ浜の方をちらっと見る。それを受けた由比ヶ浜は手をぱたぱたと忙しなく動かした。

 

 「べべべべ、べつに!?別に何も困らないけど!?でもほら、なんというか……」

 

 尻すぼみで後半何を言ってるのか全く分からなかったが、雪ノ下がその続きを受け取った。

 

 「そ、そうね。困ることなんて何もないわ。でもその男は奉仕部の部員よ。なら、所有権は部長の私にあるはず」

 「いえ、それを言うなら先輩は生徒会の会長です。同じ生徒会のわたしの方が先輩を好き勝手出来ると思います。コレはわたしの道具です」

 「それは横暴にもほどがあるでしょう」

 「あ、あたしだってほら、同じクラスだしっ!」

 「せめて人扱いしろよお前ら……」

 

 なんだよこの全然嬉しくないラブコメ展開は……。そういうのはもっと顔を赤くして照れながら「こいつは渡さないんだからっ!」っていうもんだろ。

 でもこの状況、なんかモテモテっぽいからいいや。

 ──と油断したところで、ついにこちらへ火の粉が飛んできた。

 

 「こうなったら先輩に決めてもらいましょう」

 「いいわ。比企谷君、あなたは誰のモノになりたいの?」

 「ひ、ヒッキー、あたし!あたし!!」

 

 だからさっきからなんなんですか?ラブコメの神様、やるなら最後までラブコメしてくれよ。この選択全然嬉しくねえよ。

 

 「割と誰でもいいなぁ……」

 

 三方向からの視線にそんな適当なことを言うと、両足に軽い痛みが走る。

 足元を見れば、左から一色が足を踏みつけ、前から由比ヶ浜が脛をこつんと蹴っていた。い、いやほら、アレでしょ?こういう時の主人公って優柔不断で結局誰も選べず「みんな好きだ!」とか言ってヒロイン怒らせるのがテンプレでしょ?…………いやはいほんとヘタレですいませんでした。

 

 「これ打ち上げだよね?君たちもっと仲良くしたら?」

 

 特に一色、最初会ったときはあんなビビってたくせになんでそんな雪ノ下に張り合えるんだよ。俺ですら未だビビるときあるんだぞ。

 三人とも俺の答えを聞くのを諦めたのか、それぞれ呆れたように嘆息した。すると、一色は俺の耳元に口を寄せると、

 

 「せっかくのチャンス逃しましたね」

 

 そんな意味深なこと言われてもマジでわからないんですけど。

 もしかして伝える能力低いんですかね。今度国語学年三位の俺が言葉の伝え方教えてやるか。ボッチだけど。

 

* * * 

 

 打ち上げは円満に進行し(といっても普通に食って飲んで話してただけだが)、時刻は7時半を回ろうとしていた。そろそろ帰る雰囲気が出てきていたので、俺もぬるくなったホットコーヒーを一気に呷った。

 しかし目の前の由比ヶ浜はアイスクリームやらフルーツやらがトッピングされたパフェと格闘中だった。

 

 「お前、パフェ頼むタイミングもっとあっただろ……」

 「だ、だって急に食べたくなったんだから仕方ないじゃん……一口食べる?」

 「食べねえよ……。待ってるからゆっくり食っていいぞ」

 

 言うと、由比ヶ浜はしゃりしゃりもぐもぐとパフェに手を付け始めた。口に頬張るたび「あまぁ~」と幸せそうな顔をする由比ヶ浜を頬杖ついて眺める。なんだろう、人がパフェを食べてるところって意外と見てられるよな。「こいつ混ぜる派か」とか、パフェの食べ方で性格が表れたりして結構面白い。

 すると、左から生温かな視線を感じてそちらを見ると、一色がニマニマして俺を見ていた。

 

 「なんだよ……」

 「いえいえ、わたしのことは気にしないでどうぞー」

 「なにをどうぞされたのか全然わかんないんだけど」

 

 雪ノ下の手伝いもあって、パフェは意外とすぐに完食したようだ。

 

 「ごちそうさまでした!」

 

 ぱん、と手を合わせて、由比ヶ浜が言う。それじゃ帰るかとお互い視線を合わせたところで、通路側に女子数人がこちらへ歩いてくるのが見えた。彼女たちは総武高のブレザーを着ていて、手には飲み物の入ったグラスを持っていた。さらに視線を上へやる。瞬間、背筋に冷や汗が流れる感覚を感じた。こいつは、ボブだ。

 

 ────嫌な予感がする。

 そう思ったのはもう遅く、ボブは一色の姿をとらえるとテーブルの横で立ち止まった。

 

 「…………へぇー、こんなところで何してるの?」

 

 その顔には明らかに苛立ちの感情を浮かべていた。

 数週間前に一色を見たときは嗜虐的に嗤っていたのに、随分と態度が変わっている。

 一色を生徒会長に推薦した張本人。一色と葉山を隔離するためだったらしいが、一色が副会長となった今では、こいつにとっては不本意で、邪魔な存在なのだろう。

 しかし一色はあからさまに敵意を向けられても、笑顔を崩そうとはしなかった。

 

 「先輩たちとお食事してるだけだよ」

 

 一色は淡々と言ったが、それが逆に彼女の苛立ちを刺激したのだろう。

 ボブは眉を歪めて、唇をわなわなと震わせた。

 

 「あんたが、あんたさえいなければ…………」

 「ちょ、ちょっとほのか?」

 

 ────嫌な予感がする。

 

 この展開はラノベやアニメで飽きるほど見た展開だ。この後どうなるかその予想はついているのに、俺は口をはさめずにいた。前の席に座る由比ヶ浜は戸惑ったように、雪ノ下は事を察したようにボブを見ていた。しかしさしもの雪ノ下といえど、その先の展開はさすがに予想できないだろう。

 ボブは炭酸の入ったグラスを強く握りしめていた。

 そして、濁った眼をキッと吊り上げて、グラスを軽く振りかぶる。

 ──ああ、やはりだ。

 

 展開はわかっていたのに、その事態を回避することができなかった。そんな意味のない後悔をする間もない。

 だから俺は、ボブがグラスの中身をぶちまける前に、反射的に、無意識的に一色の体を引き寄せ、覆いかぶさるように抱きしめた。

 

 次の瞬間、後頭部と背中に冷たい感覚が走った。






いつも感想、評価、誤字報告ありがとうございます!


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11話 なくはない

 

 そろそろ帰ろうかという雰囲気が流れていた時に視界に映ったのは、同級生の倉敷ほのかだった。

 わたしは、彼女を見た瞬間に体が硬直してしまった。なんとか笑顔をつくれたのは、いつも男子に愛想を振りまいていた賜物だ。まさかこんな形で役に立つとは思っていなかったけど、これで彼女の怒りが収まってくれるならいい。

 でも、わたしの希望は薄く、彼女の目には未だ憎しみのような感情が宿っていた。ああ、どうしよう。こんなところで暴れないでほしい。せっかく先輩たちと楽しくお話ししていたのに。

 

 「あんたが、あんたさえいなければ………」

  

 震えた声で口をひらく彼女に、わたしは少しだけ視線が下がる。

 

 ──また、それか。

 

 わたしが葉山先輩にくっついていることをよく思わない女子がいるのは知っている。会えば普通に話すような人にも、陰でこそこそと言われているのだって気づいていた。わたしが女子に嫌われるような女子だってことは、わたしが一番わかっている。

 

 ──でも、それがなんだ。男子に好かれたいなんて当たり前だ。一番人気のある人に好かれたいなんて当たり前だ。ちやほやされることでしか自分を確立できないことの何が悪い。

 

 …………なんて、今までのわたしならそう返していたかもしれない。

 でも最近のわたしはちょっとだけ変だ。

 先輩と、先輩たちと出会ってから、わたしの中の何かが少しずつ変化していた。過去のわたしを振り返る度に、誰かが囁いてくる。

 

 ──違う。違う。間違ってる。

 

 うるさいうるさい。そんなのわかってる。

 本当は、本音でぶつかりあう奉仕部の先輩たちを羨ましいと思う自分がいる。今からでも、わたしもこんなふうになれるかなとか思ってしまう時がある。

 結衣先輩がいて、雪乃先輩がいて、そして先輩がいる。その輪の中に、わたしなんかが入っていける余地なんてないんだろうけれど、いつかわたしも〝それ〟を手に入れることができる日があれば──。

 

 

 ぐんぐんぐんぐんと沈んでいく思考を起こしたのは、強い振動だった。

 ぱっと現実世界に引き戻されて、我に返る。そうだ、わたしは、…………あれ?

 

 ぎゅっと、体を抱きしめられる感覚。

 視界がまっくらだけど、暖かい。

 え、死んだ?

 

 …………いや、大丈夫だ。ちょっとだけ右腕がひりひりしているから痛覚はある。

 

 「大丈夫か?」

 

 先輩の声が体に響いた。

 そして、少しずつ体の拘束が解かれていく。隙間から光が漏れていて、そこを覗くと倉敷さんがグラスを逆さにした状態で睨んでいた。それを見て、わたしは状況を察した。

 

 わたしの頬がちょっとだけ濡れてるのはそういうことか。

 先輩が庇ってくれたんだ。

 わたしをかばって自分が浴びたくせに、「大丈夫か」って、大丈夫じゃないのは先輩の方じゃないですか。まあそういうところも先輩らしいけど。

 

 「あ、ありがとうございます……」

 

 先輩の胸のなかでごにょごにょと聞き取れるかあやしい声で言うと、先輩はほっと安心したように息を吐いた。しかし、先輩の攻撃はまだ終わりじゃなかった。

 

 「あー、ちょっと濡れたな。すまん」

 

 先輩は申し訳なさそうに眉を下げて、少し濡れたわたしの頬をブレザーの袖で拭いた。

 あ、だめだコレ。今脳内で顔が「ボンッ」と破裂する音が聞こえた。顔が熱い。息がかかるほどに顔が近い。本当に破裂するんじゃないかなこれ。さすがにこの流れでその行動は色々とアレなんじゃないんですか先輩?もう動揺しすぎて指示語が多くなっちゃったよ……。ていうか、なんで先輩はそんな平然としてるんですかね。いつもはちょっと近づくだけで頬を赤らめてキョドるくせに。

 いや、これは違う。だって普通の女の子ならこんなことされたら誰が相手だとしてもキュンとするだろう。それが今回はたまたま先輩だっただけのことだ。何も動揺することない。だから今のドキドキはノーカン。問題なし!のーぷろのーぷろ!!

 

 そんな思考を頭の中で繰り広げていると、先輩はすっと背中に回していた手をどけた。ちょっとだけ名残惜しさを感じるけど、今はそんな余韻に浸ってる場合じゃないだろう。現に、向かいに座る結衣先輩は顔に怒りをたっぷりためてだんと立ち上がった。

 

 「ちょっと!!」

 

 結衣先輩が叫んでも、倉敷さんはそちらを向こうとはしない。倉敷さんの視線の先にあるのは、わたしと、わたしをかばった先輩だった。

  

 「っは、目きも。あんたら付き合ってたんじゃん。しかも二人して生徒会?生徒会室でナニするつもりなんですかぁ?むしろそれが目的?うっわキッモ。まあでもキモイ同士いいじゃんお似合いでさ。私応援してるよ。だから葉山君に手出すのやめてその男と子作りでも頑張って────」

 「黙りなさい」

 

 たかが外れたように罵倒を口にし続ける倉敷さんを止めたのは雪乃先輩だった。

 雪乃先輩の静謐ながらも鋭い声に、倉敷さんはくっと押し黙る。

 

 「もう気は済んだでしょう。それとも、まだ騒ぎを起こすつもり?」

  

 言って、ちらとまわりに視線を向ける雪乃先輩。

 気づけば、店内の客は皆こちらのテーブルを伺っていた。客だけじゃなく、店員さんもこちらへ駆けつけているところだったらしい。それを見て、さすがの倉敷さんもこれ以上大事にする気はないのか、こちらを一度睨んで店を出ていった。

 

 数秒だけテーブルに沈黙が訪れた後、結衣先輩があわあわしながら口を開いた。

 

 「ヒッキーといろはちゃん大丈夫!?」

 「わたしは大丈夫です。先輩が庇ってくれたので…………」

 「ああ、軽めのスプラッシュマウンテンに乗ってたと思えば大丈夫だ」

 「それ大丈夫じゃなくない!?ヒッキーはそこに立って後ろむく!」

 

 いそいそと可愛らしいピンクのハンカチをとりだして、結衣先輩は人差し指でぴっと先輩を差す。

 

 「い、いや、せめて自分で拭くから」

 「いいから!」

 「…………はい」

 

 むっと眉間にしわをつくった結衣先輩に、先輩はしぶしぶ背中を拭かれていた。普段部室では結衣先輩を子供のように扱っているけど、先輩は意外と結衣先輩に弱いところがある。今の先輩はまるでお母さんに叱られる子供のようで、完全に立場が逆転していた。

 結衣先輩は心配そうに先輩を見ていた。そうだ。彼女は先輩のことが好きなのだ。本人からは聞いてないけど、聞かなくたって態度でまるわかりだ。そして傍からみればだけど、先輩だって満更じゃないと思う。数分前の、パフェを食べる結衣先輩を見守る先輩の優しい眼差しには思わずわたしもニヤニヤしてしまった。一生その目で生きていけばいいと思う。

 

 わたしは二人を横目にしつつ、正面の雪乃先輩に向き直った。

 

 「雪乃先輩、ありがとうございました。わたし、もう少しでぶん殴っちゃうとこだったので」

 

 わたしだけを罵るのなら別に構わない。けれど倉敷さんはわたしだけじゃなく、先輩のこともバカにした。それがとても悔しくて苛立って、危なく停学処分レベルの行動をとるところだった。いや、ぶん殴るとは言ったけどせいぜいビンタくらいですよ?後ろ手に包丁隠し持ってたりはしないからね?

 

 「いえ、気にしなくていいわ。私も似たような経験があるから」

 

 雪乃先輩は何も気にしていないような素振りだけど、たぶんわたしなんかよりもたくさんひどい扱いをされてきたのだと思う。それがどの程度のものだったかは想像するのも怖いけれど、だからこそ彼女は、わたしの気持ちを一番わかってくれているんじゃないかと思う。

 

 「ああいった人を排除しようとすることしか出来ない人間は一定数いるもの。何か困ったことがあればいつでも奉仕部へ来なさい」

 「雪乃先輩…………」

 

 一見したら木で鼻をくくったような態度に見えるけれど、その実わたしへの配慮を欠かさずいつでも受け入れてくれるという雪乃先輩。そんな彼女の言葉に、わたしは思わず涙ぐんでしまった。さっきは先輩や結衣先輩、雪乃先輩が守ってくれていたから心を保てたけど、倉敷さんが去って安心したと同時に恐怖や罪悪感が一気にこみあげてきた。

 

 「みなさん、本当にありがとう、ございました。それと、こんなことになってしまって、すいません」

 

 喉が苦しくて、途切れ途切れになってしまう。三人の顔を見るのがなんだか怖くなって、視線も落ちていた。

 

 「全然!!いろはちゃんが謝ることじゃないでしょ!ていうか、マジで超むかつくんだけどアレ!!」

 「ぶっちゃけここまで面倒くさい奴だったとは思ってなかったな。女子高生の闇ってあんな深いの?完全に侮ってたわ……」

 「まあ、人は色恋沙汰になると客観性を失うし、邪魔な存在は淘汰しようとするのでしょう。恋ほど面倒なものはないわね。比企谷君とは無縁の話かもしれないけれど」

 「お前に言われたくねえよ……。むしろ俺は恋愛経験豊富なんだよ。顔も成績もそこそこいいし、彼女だって作ろうと思えばいつだって作れるんだよ俺は」

 「あなたはそれ以外の能力が致命的に欠落してるでしょう……」

 「ヒッキーの彼女とか、ウケる」

 「いや、ウケねえから……」

 

 わたしが押し黙っている間にも、三人のやりとりは繰り広げられていた。

 相変わらず先輩をいじり倒すことを軸にした会話に、わたしは思わずくすっとしてしまう。

 すると、そんなに大きく笑ったつもりはなかったのに、三人が一斉にちらっとわたしを見た。

 

 ああ、そっか。みんな気を使ってくれてたんだ。わたしを元気づけるために、あえていつものようにくだらない会話をしてくれたんだ。

 心がぽっと、温かくなる。心臓の中でろうそくを灯したように、胸が熱くなる。

 本当に、居心地がいいなぁ、ここは。

 

 「確かに、先輩ってわたしにもたくさんフられてますもんねー」

 

 いつまでも先輩たちに気を遣わせるわけにもいかないので、わたしもいつものようにあざとい後輩を演じることにした。

 

 「お前に告った覚えなんてねえよ……。いつも勝手に振ってるだけだろうが」

 「もうしつこくてしつこくて嫌になっちゃいますもん」

 「ねえ聞こえてる?俺の声聞こえてる?」

 

 じと目で抗議してくる先輩の前で、結衣先輩がむーっと頬を膨らませて先輩を睨んでいた。だからそれ、もはや「嫉妬してます」って言ってるようなもんですよ?結衣先輩。

 

 「……ヒッキー?」

 「ストーカーはやめなさい、比企谷君」

 「だからしてねっつの……。この地獄いつまで続くの?永遠ループしてない?」

 

 はあっとため息をつく先輩。

 相変わらず雪乃先輩の言葉は毒舌だなー。整った表情と射るような眼差しによって鋭さが増している。わたしは、そんな雪乃先輩の耳元に顔を近づけて小声で耳打ちをした。

 

 「というか雪乃先輩、先輩の顔がいいことは認めてるんですね」

 「なっ……」 

 

 言うと、雪のように白い肌はぶわっと一気に朱に染まった。ビンゴだったみたいだ。みんな気づいてなかったみたいだけど、わたしは聞き逃さなかったんですよ?

 

 「よかったですね、気づかれなくて」

 

 いつも先輩に向けるような意地悪な微笑みを浮かべ、雪乃先輩にくっと詰め寄った。

 

 「大丈夫です。内緒にしてあげますので」

 「な、なんのことかしら……」

 

 普段の雪乃先輩からは想像できない動揺した顔で、ふっと目を逸らした。

 こういうところもあるんだなー。可愛いなー。先輩だけど。ていうか、雪乃先輩のコレも結衣先輩と同じものと判断していいよね?本人は気づいていないだろうけど。

 

 「てかヒッキー、このブレザー明日着れなくない?結構匂いついちゃってるよ」

 

 結衣先輩が先輩のブレザーを犬のようにくんくんすると、雪乃先輩も気を取り直すようにそちらを見た。たぶんわたしから逃げるためだろうけど。

 

 「比企谷君、よければブレザーはうちで洗濯するわ。洗濯方法を間違えば解れたりもするから。私の家はそこまで遠くないし」

 「さすがにそこまでしてもらわなくていい。リセッシュかけときゃ大丈夫だろ」

 「かけられたのは炭酸でしょう?それだけでは落ちないわ。比企谷君と同じで頑固な汚れは洗うのに手間がかかるから」

 「お前はいちいち一言多いんだよ……。つってもな、着替えがな……今日体育なかったからジャージもないし」

 「あ、よければわたしのジャージ貸しますよ?ちょうど今持ってるので」

 

 小さく手を挙げて言うと、先輩は少し顔をひきつらせた。ほかの二人も一瞬動揺するように、ピクリと眉を上げた。

 

 「いや、それはさすがに」

 「そ、そうね。そもそもサイズが合わないのでは?」

 「わたしはちょっとぶかぶかに着るために大きめのサイズなので、たぶん先輩でも着れると思います」

 「そういう問題じゃないんですけど……」

 

 さすがに今のは結衣先輩と雪乃先輩の前で攻めすぎたかな?

 二人とは今後も仲良くしていきたいので、嫉妬されて嫌われるのは避けたいところだ。まあ、二人に限ってそんな小さい器じゃないとは思うけど。

 結衣先輩はジャージを持ってないことが悔しいのか、うぅーっと唸っている。

 

 「まあ、しょうがないよね。よし、んじゃゆきのんちにいこー!」

 「おー!」

 「親御さんが心配するでしょうから、連絡はしておきなさい」

 「はーい」

 「了解ですっ!」

 「…………俺の発言権はないんですかね」

 

 そそくさとテーブルを後にするわたしたちに、先輩は死んだ声で悪態付く。

 あ、なんか緊張してきた。

 

* * *

 

 雪乃先輩の部屋は、一人暮らしとは思えないほどに広かった。

 ルーム内にはオレンジ色の控えめな照明が満たされていて、隅には観葉植物が置かれている。ここが15階ということもあって、大窓から見渡せる夜景はかなりロマンチックだ。

 部屋の中央にはŁ字型のソファとテーブル、向かいには70インチくらいありそうなテレビが壁にはめ込まれているように掛けられている。

 

 なにこの部屋すっごい住みたいんですけど……。ダメ?ダメか。

 おずおずと部屋を見渡すわたしとは違って、先輩と結衣先輩は落ち着いていた。もしかしたら来たことがあるのかもしれない。

 

 ファミレスの席配置と同じように、エル字の片方にわたしと先輩が、もう片方に結衣先輩と雪乃先輩が座る形になっていた。

 

 「それじゃあ比企谷君、ブレザーを脱いでちょうだい」

 「………………え、ここで?」

 「なっ……そ、そんなわけないでしょう。馬鹿なの?露出魔?変質者?それとも八幡?」

 「八幡は悪口じゃねえよ。罵倒に使うならヒッキーの方にしてくれ。親が泣くだろうが」

 「ヒッキーも悪口じゃないからねっ!?あだ名だし!ジャーキーみたいで可愛いじゃんヒッキー」

 「そもそもジャーキーは可愛くねえだろ……」

 

 三人がわいやわいやとしている間に、わたしはジャージを取り出す。

 それを見た先輩が居心地悪そうに頬をかいていた。

 

 「…………ほんとに借りていいんだな?」

 「は、はい……」

 

 わたしもどこかむず痒く、視線を逸らしながらジャージを渡す。あ、汗とか大丈夫だよね……?今日はそんなに動いてないし汗はかいてないけど……。わたしの匂い好きじゃないとか言われたらさすがに傷つく。

 

 「脱いだブレザーは洗濯かごにいれておいて。あとで洗濯するから」

 「はいよ」

 

 先輩が着替えに別室へ行くと、三人の間に沈黙が生まれる。

 これヤバい。超気まずい。2人とも先輩のことが気になってるだけあって、気まずさ5割増しくらい。

 

 「な、何か飲み物を淹れてくるわ。紅茶でいいかしら?」

 「あ、ありがとうございます」

 

 気まずさに耐えかねたのか、雪乃先輩がこの沈黙レースからいちはやく離脱。残ったのがわたしたち二人だけになったところで、結衣先輩は伺うように体をよせて耳元で聞いてきた。

 

 「い、いろはちゃんってさ、その…………ヒッキーのこと、す……どう思ってるの?」

 

 自分の口に手を当てて小さい声で言う結衣先輩に、わたしは目を見開いた。

 わたしが先輩をどう思ってるかなんて、正直自分でもわからなかったからだ。

 ぶっきらぼうで捻くれてて、わたしの仕草に全然ときめかないくせに、たまにわたしをドキドキさせてくる。実際わたしの好みとはまったく正反対で、普通なら話す機会すらないような人だ。出会った当初は少し変で挙動がキモイくらいにしか思っていなかったけれど、最近はどうだろう。家で一人でいる時も何回か考えたことはあるけど、その答えは未だ見つかっていない。気になっていないと言えば嘘になるかもしれない。結衣先輩にそのことを正直に伝えるべきかは迷ったけれど、今一番しっくりくる言葉で答えることにした。

 

 「まぁ正直、なくはない、ですかねー」

 

 好きかと言われれば頷きがたい。でも、気にはなる、その程度だ。

 しかしそれを聞いた結衣先輩は、

 

 「そ、そそそそそうなんだ!さ、最近仲いいもんねーあはは……」

 

 めっちゃ動揺してた。もう目泳ぎまくってる。なんならうっすら涙すら浮かべてる気がする。結衣先輩、めっちゃ乙女で可愛いやん……。

 

 「でも先輩はきっと、わたしに脈ナシですよ。全然響かないですし」

 

 励ますつもりではないけれど、実際結衣先輩や雪乃先輩の方が先輩はお似合いな気がする。それに、先輩はきっと、わたしを好きになることはないと思う。あの人、年上とか大人っぽい人が好きそうだし。

 せっかく聞かれたので、結衣先輩にも聞いてみることにした。

 

 「結衣先輩は好きですよね先輩のこと」

 「ええええっぇ?な、なにが!?なんのこと!?」

 「その感じでよくバレずにやってこれましたよね……」

 

 ほんとうにこの人は嘘をつくのが下手だ。

 手をばたばたして誤魔化そうとする結衣先輩に、わたしはにまにまとした表情を向けた。

 

 「…………や、やっぱわかる?」

 「超わかります」

 「あ、あはは……。い、言わないでね?」

 「もちろんです。二人の秘密です」

 

 お互い見つめあって小指を交わすと、ほっと胸をなでおろす結衣先輩。

 ああ、恋バナ楽しい……。女友達が少ないから、こういう話するのすごい久しぶりだ。

 いつか雪乃先輩ともできたらいいなー。

 

 「これからは恋のライバルとして頑張りましょう♪」

 「なんか全然信用できなくなってきた……。こうなったらあたしも負けないからね!」

 「お前らはこそこそ何を話してんだ」

 「っうぇぁああっ!?ひ、ヒッキー!?いるなら言ってよ!!」 

 「いや、いるだろ、そりゃ」

 「………………き、聞いてた?」

 「いやなにも。そもそも聞こえなかったし」

 「そ、そっか……」

 

 相変わらず感情の緩急が激しい人だ。ちなみにわたしは気づいてた。

 先輩はすでに着替えが終わったようで、わたしの貸したジャージを着ていた。サイズ的には問題なさそうだけれど……。

 

 「一色、これありがとな」

 「いえ。…………あの、先輩。大丈夫ですか?」

 「なにが?」

 

 別に聞かなくてもいいことなのに、気になって口が開いてしまった。

 先輩は気にしてないような顔をしているけど、わたしはおそるおそる口を開いた。

 

 「その、汗の匂い、とか…………」

 「汗?別に一色の匂いしかしないが……。むしろ好きだぞ」

 「なっ……!」

 

 あ、ダメだ。また顔が熱くなった。先輩は今日確実にわたしを殺しに来てる。なんならもう2、3回死んでるんですけど。なんか最近先輩ぐいぐいな気がするんだけど。これが無自覚たらしってやつ?

 匂いが嫌だとか言われるより全然恥ずかしい。あと隣の結衣先輩がめっちゃ引いてた。

 

 「え、ヒッキーマジでキモイ」

 「その発言、セクハラと受け取られても仕方ないわよ。次は気をつけなさい」

 「気をつけなさいとか言いながら携帯取り出してんじゃねえよ……。別にそういうつもりじゃなかったんだよ、すまん一色」

 

 結衣先輩と、いつのまにか人数分の紅茶を入れて戻ってきた雪乃先輩に罵られて自分の発言を顧みたのか、先輩はばつがわるそうに肩を落とす。

 

 「い、いえ、わたしは気にしてないですから……」

 

 本当に今日は調子を狂わされてばかりだ。 

 それに、「お前の匂いがする」とか言われたら普通寒気しかないけど、先輩に言われても全然嫌じゃなかった。いつものわたしなら身を引いてムリムリアピールをするのに。

 たぶん、さっき結衣先輩と話したから意識しちゃってるだけだ。ファミレスでの一件もあったし……。

 

 「せっかくなら結衣先輩と雪乃先輩の匂いも嗅いだらどうです?」

 「ちょっ、いろはちゃん!?」

 「い、一色さん、一体なにをいってるのかしら?」

 「まあまあいいじゃないですか。ね、先輩」

 「いや良くないでしょ。頭大丈夫?」

 「えー」

 

 とはいいつつ、さりげなく自分の服をすんすんする結衣先輩と雪乃先輩。

 大丈夫です。二人ともすごくいい匂いなので。

 

 「きっと先輩デレますよ?見たくないですか?」

 

 こそっと先輩二人に言うと、「ま、まぁ……」と満更じゃないみたいだ。よし、主導権はもらった!

 わたしは二人の恋を応援してるのでこれくらいのおせっかいはさせて欲しい。

 

 「女の子は自分の匂いが男子からどう思われてるのか気になるものなんですよ、先輩」

 「まあ確かに、それは男でも気にすることあるけど……」

 「はい、じゃあ結衣先輩から」

  

 企画立案のわたしが指揮をとって、『女子の匂いを嗅ぐ大会』は始まった。

 

 「は、はい、ヒッキー……」

 

 結衣先輩は真っ赤にして両手を広げた。結衣先輩、それはハグするときのポーズですから……。

 

 「なんでこんなことになった……な、なあ、せめて後ろからでいい?正面はさすがに」

 「しょうがないですね」

 

 ぶつくさ文句をいいながらも、先輩は背後に回って、座る結衣先輩の首辺りに顔を近づけた。

 

 

 「ん……」

 「…………」

 「……っ」

 

 な、なんだろう。この背徳感は。見てるだけなのにこっちまで緊張する。ていうか、なんか…………すごいやらしいんですけど……。結衣先輩も匂い嗅がれてるだけですよね?何で身を捩ってるの!?

 

 「……もういいか」

 「う、うん…………どうだった?」

 「いや、うん。全然良かったと思うけど」

 「そ、そっか」

 「…………」

 

 二人とも顔を真っ赤に染めて、それっきり黙り込んでしまった。

 いや、この空気は変な声を出す結衣先輩が悪いんですからね。

 

 「で、では次、雪乃先輩!」

 「なあ雪ノ下、無理して参加しなくていいんだぞこれ」

 「別に無理なんてしてないわ。早く終わらせなさい」

 

 つっけんどんな言い方の割に、さっき二人の様子をちらちら見てたのはわかってるんですよ?

 雪乃先輩はツンなイメージしか今まではなかったけど、よく観察したら結構天邪鬼なだけだったりするのだ。

 先輩はさっきと同じように雪乃先輩の首に顔を近づける。

 

 「っ……」

 「…………」

 「ちょ……ん、ぁ…………」

 

 ………………ねえこれいいの?未成年のわたしたちがやっていいゲームじゃないよこれ。これ企画したの誰ですかー?

 

 「まあ、いいんじゃないの」

 「……それだけ?」

 「余計なこと言ってセクハラ扱いされたくねえんだよ……」

 「別に私は、気にしないけれど……」

 

 こちらも顔を真っ赤にする二人。 

 雪乃先輩に至っては耳まで真っ赤にしていた。

 もともと先輩をデレさせるためにやったこのゲームだったけど、一番デレてたのは結衣先輩と雪乃先輩だったなー。…………うん、しばらくこういうおせっかいはやめておこう。

 

* * * * *

 

 一色企画の意味不明な大会でしばらく変な空気が流れたリビング。

 ぶっちゃけ恥ずかしすぎてもう匂いとか覚えてないけど、たぶん二人が気にするようなことはないと思う。…………嘘ですめっちゃいい匂いでしたはい。でも一色のジャージのやりとりもあった手前素直に言うのも憚られたのだ。 

 てかなんでこんなことなったんだよ。そもそもブレザー洗濯しにきただけなんですけど?

 おい一色、お前がなんか喋れよ。この空気の原因はお前だろうが。

 俺は一色にじと目を向けつつ、こほんと一度咳払いをした。

 

 「雪ノ下、ブレザーなんだが……」

 「え?あ、ああ、そうね。乾燥もしておくから、たぶん明日までには間に合うと思うわ。明日の朝渡すということでいいかしら?」 

 「ああ、助かる。悪いな」

 「いえ、そもそも私が止められればこんなことにはならなかったのだし、あなた一人責任を感じる必要ないわ。むしろ、あそこで行動できるのは本当にすごいことだと思う」

 「うんうん、ヒッキーかっこよかったよ。いろはちゃんをぎゅって守ってて!」

 「いやまあ、咄嗟だったから……。そういや一色、あん時けっこう腕強く握っちゃったけど、大丈夫だったか?」

 

 褒められるのがむず痒く、話題を逸らそうと一色の方を向いた。

 

 「あ、はい。全然大丈夫です。改めて、あの時はありがとうございました」

 「ん」

 

 くそう、人に感謝されるのって嬉しいけどこんなに恥ずかしいものなんだね。僕、久しぶりに人の心に触れた気がする……。

 

 「そんじゃ、帰るわ」 

 「そだね。もう遅いし」

 「紅茶ごちそうさまでしたー!」

 

 帰り支度をして玄関へ向かう。

 

 「それじゃ、気を付けて」

 

 さっきの雪ノ下を思い出してしまって思わず目を逸らす。俺は顔を合わせず雪ノ下に会釈して、マンションを後にした。

 

* * *

 

 「ヒッキー、いろはちゃん、ばいばい!また明日―!」

 「結衣先輩、また明日ですー」

 「気つけて帰れよー」

 

 先に降りた由比ヶ浜と別れ、電車で揺られるのは俺と一色。

 まさかこいつと降りる駅が一緒とはなんたる災難……と気を落としつつ、そういえば前も駅前のモールで鉢合わせたことを思い出す。あの日俺は、あのモールには二度といかないと強く決意を固めた……。

 

 「今日は色々ありましたね」

 

 隣に座る一色が、ぐっと伸びをしながら言った。

 

 「ほんとなぁ。最近の俺多忙すぎるんだよなぁ……」

 「何言ってるんですか。会長になったらもっと忙しくなりますよ」

 「それなぁ……」

 「部活にも出るんですよね?」

 「まぁなぁ……」

 「もー!さっきからわたしへの対応が適当過ぎませんかね!わたしと話すのそんな嫌ですか!」

 「まぁなぁ……って痛い痛い。腕つねんな」

 「つーん。もう先輩なんて知りません」

 

 疲労により適当に受け流していると、一色はふいっとそっぽを向いた。

 ……まあ、確かに今日は一色の方がメンタル的にもつらいことがあっただろう。表に出さないだけで、こいつはストレスとか溜め込みそうな気がする。

 そう思うと少し申し訳なくなって、機嫌を取りなそうと仕方なく話しかけることにした。

 

 「……ジャージ借りちゃってるけど、明日とか大丈夫か?」

 「明日も体育ありますけど、二着もってるので大丈夫ですよ。なんですか?ほしいんですか?それ」

 「いや、いらんけど」

 「むー」

 

 適当に手でぱっぱとあしらうと、一色はむっとふくれっ面をする。一色に対するこの扱いはもはや癖になってる。仕方ないね。だってこいつあざといんだもん。あざかわなんだもんっ!

 

 「もしかして、わたしの首の匂いだけ嗅げなくて怒ってるんですか?」

 「むしろあの企画を提案したことに怒ってるんですけど」 

 「でも先輩、二人の匂い嗅いだ後めっちゃ顔赤くしてましたよ」

 「それは…………誰でもなるでしょ、あんなの」

 「へー、どっちのが好きでした?」

 「…………」

 「それとも、二人よりもわたしの方が好きだったり」

 

 言って、唇に指を添えて悪戯っぽく笑う一色。

 だめだ、こいつ止まらねえぞ……。

 完全に俺をいじることで面白がってやがる。

 

 果たしてこの地獄がいつまで続くのだろう。と、次の停車駅をちらと確認すると、俺が降りる駅まで5分ほどかかるくらいだった。

 結構かかるなぁと思っていると、一色はぽつり、と呟いた。

 

 「わたしは…………」

 

 真っ赤にした顔を俺の首元に近づけて、一色はすんすんと鼻をならす。

 その瞬間匂いを嗅がれたのだと気づいて、俺はぱっとそちらを振り返ってしまった。振り返った先の一色の顔が近い。熱でもあるのではないかと思うほど首元にかかる息は熱かった。拳一個分くらいの距離にある一色の前髪が揺れ、ふわりと甘い匂いが脳を刺激する。一瞬、意識がくらりとしたが、一色はその瞬間を見逃さないようにか、上目遣いで俺を見上げた。そして、

 

 「先輩の匂い、好きですよ」

 

 (あで)やかで小悪魔的な囁きに、俺は不覚にも惹かれていた。 




な、なんか八幡の主人公補正がすごい件……。これもいろは視点ということで多めに見てやってください。

そして、この『斯くして~』ですが、実は選挙後からがメインのつもりで書き始めたんですよ……。あ、あれ?まだ10話……?


感想、お気に入り、評価、誤字報告いつもありがとうございます!


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12話 年下の女の子

 選挙の当選発表から二日あいた金曜日の放課後、俺は誰もいない生徒会室に監禁されていた。

 

 会長席の机に積まれた紙束の一枚を取ってはハンコをトン。もう一枚取ってはハンコをトン。トントン、トントン…………トントントントンヒノノニトン…………と曲に合わせてハンコを押し続けて一時間。俺はもはや辛いとすら思わなくなっていた。某車のシーエムを脳内で無限再生させることで感情を無にし、俺はハンコを押すマシンになることに成功した。もう危険察知も完璧で今すぐローン組みたくなる境地にまで達している。

 

 …………この紙束札に変わんねえかなぁ。ハンコを押すことが会長の仕事ならだれでもなれるよなぁ。俺、何してるんだろ…………といい加減集中力が切れながら紙束に手を伸ばしたが、スカっと空振り。どうやらすべての書類を一掃したようだ。っしゃおら帰るぜェェ!!と勢いよく席から立ったのも束の間、生徒会室の扉が開かれた。

 

 「よお比企谷、やってるかー」

 

 ノックもせずに入ってきた白衣姿の残念美人、平塚先生の登場である。

 疲労のせいか白衣が一瞬ウェディングドレスに見えたのは絶対に黙っておこう。

 

 「ちょうど今終わったところですけど……」

 「そうか。実は別件で頼まれてほしいことがあってな」  

 「時間あるので別にいいですけど……ハンコ押せばいいんすか?」

 「…………へっ!?そっ、え、いや…………。ひ、比企谷、お前……いいのか?」

 「……?別にいいですよ。今の俺なら100枚とかでもイケるんで」

 「そんなに!?」

 

 なぜかさっきから平塚先生が動揺している。

 最初は座高より高い紙束を持ってきたというのにずいぶんな変わりようだ。

 平塚先生は髪を忙しなくいじったりけほけほと咳払いをして、伺うようにこっちを見ていた。よく見たらうっすら頬が赤くなってる。風邪か?

 と、今ありうる情報から推理していると、平塚先生は「じゃあ……」と両手を後ろへ回して一枚の紙をとりだした。

 どこにしまってんだと思いながらもそれを受け取ると、

 

 「いやこれ婚姻届けじゃねえか……。あのすいません、ハンコってそういう意味じゃないんすけど……」

 「え…………あっ」

   

 机に積まった書類を見てやっと気づいたのか、平塚先生はぶわっと顔を赤くして俺から婚姻届けを奪い取った。

 

 「な、なーんてなっ!冗談だよ冗談!いやー、こういうの忘年会とかで結構ウケるんだよなあははは!」

 「…………」

 

 果たして俺はこれを笑って見逃すべきなのか……。それともお説教すべきなのか……。

 悩んだ挙句、俺は平塚先生のためにと後者を選択した。

 

 「職場に婚姻届け持ってくるとか、いくらなんでも拗れすぎでは」

 「ぐはっ……!!」

 「自分の氏名記入と押印だけしっかりしてるところがマジでリアル……」

 「みっ、見たのか!?やめろっ……。頼む、忘れてくれ…………」

 「しかも見境なく自分の教え子にまで手を出すとは……」

 「う……うぅ……」

 

 涙目で──というかボロ泣きしながら崩れ落ちていく平塚先生に、俺は手を差し伸べ優しい微笑みを向けた。

 

 「悪いことは言いません。その子、今ここで破り捨てましょう」

 「っ!?い、いやだ!こいつとは長い付き合いなんだ!」

 

 愛娘のように婚姻届けをぎゅっと胸に抱きしめ、涙目で訴えてくる平塚先生。

 しかし俺は心を鬼にして追い打ちをかける。

 

 「出会いあれば別れありです。そして、別れがあれば出会いもあります。一旦その子とはお別れして、また先生のところに帰ってくるのを待ちましょう。きっと……いえ、いつか絶対帰ってきますから」

 「……ほんとうに?」

 「ええ、本当です」

 「…………」

 

 平塚先生は立ち上がり、涙をいっぱい溜めた大きくて綺麗な瞳を腕でごしごしと拭った。そして、その婚姻届けに優しい眼差しを向けると、

 

 

 「また…………また会う日まで……」

 

 

 そう呟いて、婚姻届けを破いた。

 静まり返る空間に、紙片と一筋の涙が滴り落ちた。

 

* * *

 

 「さて、別件についてだが」

 「あんた情緒どうなってんだよ……」

 

 破いた婚姻届けをきれいさっぱり燃やしてから数十秒。

 平塚先生はハンカチをスーツのポケットにしまうとドカッとソファにもたれかかった。まるで先ほどまで何事もなかったかのように、とぼけるでもなく涼しい顔で話を進める先生に俺はため息をついた。

 マジでさっきの茶番なんだったの?しかもちょっといい感じの感動話になってたのはなに?

 

 色々ツッコみたいところはあるが、いちいち触れていては先に進まない。俺は一度こほんと咳払いをして会長席に腰かけた。

 

 「実は他校から合同イベントの話が持ち掛けられていてな。その会議が今日なんだ」

 「急っすね。他校と合同って……そんな取り立ててやるほど重要なんですか?」

 「重要か重要でないかと言われれば重要ではないんだが、今回に関しては開催日が差し迫ってるからな。ほら、あれだ」

 「あれ?」

 「……チィッ」

 

 平塚先生は舌打ちをすると、渋い顔で指の爪をギッと噛んだ。言いづらそうというより言いたくないというその表情と、開催日が差し迫っているということからおおよその予想はついた。

 

 「……クリスマスですか」

 「あー言った!比企谷が悪口言った!」

 「クリスマスって悪口なのかよ……。クリスマスにいい思い出がないのは俺もわかりますけど、あんた大人でしょうが」

 「まあそんなわけで今日は海浜総合高校の生徒会とどんなイベントをやるか話し合ってこい」

 「んなこと言われてもなぁ……。生徒会ってこんな感じなんですか?」

 「通常であれば何ヵ月も前から折衝を重ねてからやるんだが、あちらの新しい生徒会たちがかなり意気込んでるようでな」

 

 平塚先生はこめかみに手を当てて疲れたようにため息を吐くが、そうなるのもわかる。大半の学校は、大きな行事は前期にあることが多いうえに、後期にはこれといった行事はない。だから残された予算なんて雀の涙ほどしかないのだ。そんな状況下にあるのは相手校も同じはずなのだが。

 

 「生徒会メンバー入れ替えのこの時期に差し迫ってるクリスマスイベントとか普通開催しないでしょう。時間が足りないし、今後のことも考えれば残された予算も慎重に使わなきゃいけない。よりによって一番金使いそうなクリスマスとか、皮算用にも程がありますよ。絶対あっちの生徒会碌な奴いないっすよ。断るのが賢明だと思いますけどね」

 「うむ、やはり君はしっかりと現状を理解できているな」

 「……」

 

 別になんてことはない。ただ単純に俺が面倒くさいからやらない口実を適当に述べてるだけだ。なんで俺がリア充のためにせっせ働かなきゃならんのだ。俺は働きたくないんだ。

 今回の件が水泡に帰すように、先生がなんとかしてくれないかなという希望をもって待っていると、平塚先生は右手で顔を覆い、指の隙間からこちらを睨んだ。

 

 「だが断るッ!」

 「お、おぉ……」

 

 あまりの覇気に若干気圧されてしまった。完全にジョジョじゃねえか。世代が丸わかりなんだよなぁ。

 

 「そういう窮地にいてもなお成し遂げられるかが人間の山場さ。限られた現状でどう戦うか、それを外部の者と協力してやらなければならない難しさもわかるはずだ。君の腐った根性の更生にも持って来いだろ?」

 「正論過ぎて何も言い返せねえ……。わかりました。とりあえず話だけでもしてきますよ」

 

 こうして、俺の脱仕事計画は儚くも泡沫に帰してしまったのだった……。いやまあ、平塚先生がこの話を持ち込んでる時点で俺に拒否権はないのだ。いくら会長といえど生徒。先生に反駁する権利などない。

 

 「今日は初回だから相手も生徒会長だけで来るだろう。君一人でも別にいいが、一色副会長を連れて行っても構わん。場所はコミュニティセンター、17時半集合だ」

 「了解。さすがに一人で行く勇気ないんで連れてきますわ」

 「そうか。一色はさっき奉仕部にいたから行ってみるといい」

 

* * *

 

 「こんにちは」

 「うす」

 「ヒッキーやっはろー。もう終わったの?」

 「いや、これから外に出ないといけなくてな。それで一色を探しに来たんだが……」

 

 言いながら中を見渡すが、部室にはいつも通り雪ノ下と由比ヶ浜しかいなかった。

 くそ、平塚先生め。婚姻届けの件があったから少し怒ってるんじゃないの?そうやって男に嘘ばっかつくから婚期が遅れるのでは……。

 

 「いろはちゃんならさっきまでいたんだけど、これから約束があるって行っちゃったよ」

 「ちょうど入れ違った感じか」

 

 先生、疑ってごめんね!婚期は目前だから心配しないで!

 

 「人手が必要なら、私も行くけれど」

 「いや、別に一色もいてもいなくてもよかったからいいわ。ただ他校と会議するだけだし」

 「そう、なら私もいくわ」

 「え、聞いてた?」

 

 雪ノ下はすたっと席を立ちあがるとすぐさま文庫本を鞄にしまった。由比ヶ浜もそれを見てせかせかとマフラーを首に巻いていた。

 いつも思うけど、みんな俺の話聞かなすぎじゃない?みんな僕のこと見えてないのかな。なんだか幻のシックスマンになれる気がしてきたぞっ!

 

 自分の存在感に疑問を感じつつ二人の行動に訝しんでいると、雪ノ下がさも平然とした態度で答えた。 

 

 「あなた一人で行くつもり?総武高の代表者がこんな偏屈で根性の曲がった人だと思われるのは生徒として看過できないもの」

 「……まあ別に来てもいいんだけどさ。にしても会長に対する信頼なさすぎじゃない?こうみえて、全校生徒の過半数の得票はあるんだぞ」

 「私は投票してないもの」

 「してなかったのかよ……」

 

 ここ最近で一番の衝撃事実が発覚したんですけど……。仮にも半年近く同じ部員としてやってきてこの信頼関係はどうなんですかね。でもよく考えたら信用を無くすような言動しかしてなかったわ。完全に俺が悪かったわ。

 

 「…………それに、部活に出られない時は手伝うと言ったでしょう」

 「……助かる」

 

 ぽつり、と雪ノ下がそう零す。いつだか二人を説得するときに俺が頼んだことだ。部活に出れないほど生徒会が忙しければ手伝ってほしいと。あの時は奉仕部に軋轢が生じていたからあえて気にしないようにしていた。しかし改めてその言葉を発した雪ノ下の表情は、どこか憂いを帯びたように昏く、沈んでいた気がした。ただの気のせいかもしれないと、そうやって逃げを弄してもなお残るこの違和感はなんだ。掛け違えたボタンのように、上手くかみ合わない歯車のようにもどかしいこの違和感を目の前にして、知らず俺は目を背けた。逸らした先にうつる由比ヶ浜にどこか安心感のようなものを抱いて、すっといつもの日常に戻る。

 

 「……あたしはしたけどヒッキー」

 「別にフォローしなくていいから」

 

 何故か不満げに睨む由比ヶ浜に、俺は安堵に似たため息をつく。気づけば、どうやら二人とも準備が完了したみたいだ。これから出発してもまだ集合時間より30分ほど早く着くだろうが、早いに越したことはない。なにより一人で行く羽目にならなくてよかった。

 

 部室を後にして廊下を歩きだす。平行に差し込む夕日が眩しく窓から外を眺めると、二階の高さまで伸びる枝葉が揺れているのがわかる。風に揺れて舞い散り、枝に残る葉は数少ない。取り残された葉はどの角度から見ても寂しく、互いに支えあうように重なった姿は痛ましさすらあった。

 やがて窓は壁にとって代わり、彼らの行く末は見届けられない。 

 俺は視線を前に戻し、先を歩く二人の背中を追うように歩いた。

 さきほど感じた違和感の正体に気づいていたことさえ、自覚しながらも。

 

* * *

 

 移動中に説明を済ませ、ちょうど集合時間30分前にコミュニティセンターに到着した。

 ついたころには外は薄暗い逢魔が時で、ほっと吐き出す息は煙りのように白い。

 

 「あたし小さい時ここ来たことあるかも」

 「ここは夏に七夕まつりが開催されるのよ。昔、私も来たことがあるから」

 「えっ!それじゃあたしたち昔に会ってたかもじゃん!」

 「え、ええ。わかったから、とりあえず離れてちょうだい」

 

 二人の様子を横目に中へ入ると、管理係と思われる中年女性が会議場まで案内してくれた。

 「講義室1」と書かれた部屋に入ると、ロ型に配置されたテーブルがあり、椅子の数は対面で5席ずつにわかれている。総武高からの参加者は奉仕部三人に一人加えて四人だ。電話を掛けたらものの2分でやってきた超絶暇人のその男は、俺の肩をボンボンと叩いて、けぷこんけぷこんとわざとらしく咳ばらいをした。

 

 「ところで八幡、我もリア充の仲間入りになれると聞いてついてきたがそれは本当だろうな?」

 「ん?ああ、本当だ。非リアの世界にお前ひとり残していくわけにはいかないからな」

 「は、はちまぁん……」

 

 うるうると希望を瞳に込めた材木座に嘯いてやると、すりすり頭をこすり付けてきて気持ち悪い。はなれろクソ鬱陶しい。もちろんリア充になれる話というのは材木座を呼びよせるための口実だ。何故そんなことをしてまで材木座を呼んだのかといえば、それは総武高側が主導権を握るためだ。

 外部と連携するタイプの会議においてどちらが主導権を握れるかは進行においては重要になる。合同イベントの発案者が向こう側だからといって、こちらが常に受け身にならなければならないのかといえばそうではない。

 平塚先生によれば、海浜総合高校からの参加は会長のみ。そこで俺がとった行動、それは数の暴力だ。なにか意見が飛び交えば、賛成か否かは多数決で判断することが多い。言うまでもなく参加人数の多い総武高が有利になる。

 

 俺は数という圧倒的で理不尽な暴力の強さを知っている。何故って?それは言わずもがな。察してくれ。

 

 そんなわけで材木座を呼び出したわけだ。無駄に風格のあるこいつと、場をまとめて仕切れる雪ノ下がいれば優位に話を進めることができるはずだ。

 ちなみに、この話を雪ノ下と由比ヶ浜にした時は若干引いていた。ちっげんだよ。ゲームは始まる前に終わってんだよ。先手必勝。今こそ機先を制する時だ。さぁ、ゲームを始めよう……。

 

 席について待つこと10分、海浜総合の制服をきた生徒が二人やってきた。てっきり一人で来るもんだと思っていたから虚を突かれたが、さして問題ないだろう。

 

 「やあ、僕は海浜総合高校生徒会長の玉縄。よろしく」

 「総武高の雪ノ下です」

 

 爽やかに髪をふぁさっとかき上げて自己紹介をする玉縄と名乗る男に軽く会釈する。あとは上座に座る雪ノ下にすべてまかせよう。世の男どもよ、これが本当のジゴロだ。 

 

 「早速ですが、今回のイベントの目的と方針を教えていただいても?」

 「そうだね……」

 

 玉縄はゲンドウポーズで少し考えたあと、余裕の微笑みを湛えて軽やかに口を開いた。

 

 「生徒会は新しいニューメンバーを迎えて経験が浅い。だから今回のイベントで、互いの能力のアビリティをリスペクトしあって、他校との良いパートナーシップを築いて、シナジー効果を生んでアライアンスできたらなって思うんだ」

  

 言い切って、玉縄はきりっとした眼差しを向けてきた。

 こいつのっけから良いパンチうってくるなー。

 8割がたなにいってんのかわかんなかったぞ。新しいニューメンバーとか、能力のアビリティとか同じこと言ってんじゃねえか。これが意識高い系ってやつか?うわぁこれは面倒くさい……。

 と、隣の由比ヶ浜と一緒に頭の上にはてなマークを浮かべていると、雪ノ下は平然とした顔で答えた。

 

 「……つまり、自己成長が目的と?」

 「まあ、そういうことになるね」

 

 一行でまとまっちゃったよ。すごいねゆきペディアさん。どれだけ難しい言葉でもすぐわかっちゃうんだから!

 

 「クリスマスイベントは子供やお年寄り向けのイベントだったはずですが」

 「もちろん。プライオリティは子供やお年寄りが楽しめるかどうかさ」

 「……そうですか。ちなみに、具体的な内容は決まっていますか?」

 「まだだよ。これは総武高とのタイアップイベントだからね。こちらだけで決めるより、お互い意見を出し合ってインセンティブを刺激して、よりベターな案を出す方がいいさ」

 「ブレーンストーミング、だね」

 

 相変わらず余裕の表情で語る玉縄に、隣に座る男がぱちっとウィンク。それを受けて玉縄も「それだ」と指を鳴らしてウィンク。君たち何を分かり合ってるの?こっちは全然わからないんだけど?

 

 「ね、ねえヒッキー、あの人たち何話してんの?」

 

 由比ヶ浜が俺の太ももをつんつんして小声で聞いてきた。やめてそれくすぐったい。

 

 「いや、俺もわからん。まあ、雪ノ下が全部なんとかしてくれるから心配ないだろ」

 「めっちゃ人任せだ……」

 

 残念な人を見るように身を引く由比ヶ浜の奥では、材木座が「なるほど、つまりはきのこ派ということか」などと意味の分からないことをぶつぶつ言っているが気にしない。

 

 「正直、うちの高校は予算にそれほど余裕があるわけではありません。それに加えてクリスマスまで時間も残されていないので、綿密な話し合いをするのも難しいでしょう」

 「そうだね。でも、それはスウォット分析で解決していこうよ。目先のリスクにばかりとらわれていては視野が狭まるからね」

 「スウォット分析、だね」

 「そう、それ」

 

 またもお互い顔を見合わせてウィンクからの指パッチン。

 一向に話を聞いてくれそうにないあちらの態度に、雪ノ下は疲れたようにこめかみを押さえた。このまま放っておけば泥沼化することは目に見えている。せっかく用意した人員も彼らには通用しない。であるなら、ここは強行策に出るしかない。

 

 「さっきも言った通りうちには予算がないんだ。このまま停滞するようなら合同イベント自体に参加しかねる。まだ正式な取り決めはされていないからな。…………できれば、決定権はこちらに譲ってもらいたい」

 

 言うと、さすがに二人ともばつが悪そうに口を噤んだ。

 今の会議のボトルネックは明確な決定権を持つ者がいないことにある。例え強行策だとしてもこの現状は回避せねばならない。しかし、これはあくまで脅しだ。ここで相手がノッてこなければそれまで、俺の発言は無意味なものになる。

 お互い顔を合わせて「どうしようか」と悩む二人を待っていると、背後からぎっと扉の開く音がした。振り返ると、

 

 「ど、どうもですー」

  

 気まずそうに中を覗いていたのは、一色だ。一色は上半身だけ出し、きょろきょろとあたりを見渡して俺を見つけると、ちょいちょいと手招きをした。俺は向かいの二人に軽く頭を下げてから一色の方へ向かった。

 

 「どうしたんだよ」

 「すいません、平塚先生に言われて来たんですけど……」

 

 一色はドアの外側、足元をそろーっと見下ろした。見れば、誰かと手をつないでいるようだ。気になって俺も部屋の外を見てみると、

 

 「……ん?」

 「なんかついてきちゃったみたいで……」

 「みずき?」

 「はちまん!」 

 

 一色の足元にいるのは、いつぞやの迷子少女、みずきだ。

 みずきは一色とつないでいた手をぱっと放すと、俺の足にぎゅっと抱きついてきた。

 一色が「え、隠し子?」とマジ顔で言っていた。

 

 「ちょ、おいっ」

 「八幡、ひさしぶり、です」

 「お、おう?みずき、なんでここにいるんだ?」

 「お兄ちゃんがここにいるから?」

 「兄ちゃん……?」

 

 兄ちゃんとは果たして誰のことだ。もしかして俺?俺がみずきのお兄ちゃんか?いや、しかし俺の妹は小町一人しかいないはず…………義理?義理ルート入ったのか?…………と色々考え考えしていると、後ろからずさっと立ち上がる音がした。振り返ると、玉縄が慌てたようにこちらへ駆け寄ってきた。

 

 「こ、こらみずき。外で待ってなさいと言っただろう……」

 「ごめんなさい」

 

 お兄ちゃんって玉縄かよ。確かに、髪が黒いところとか似てる。むしろそこしか似ていない。

 

 「まあいいじゃねえか。そもそもこんな小さい子どもに一人で待ってろってのも酷だろ」

 「そうだそうだ」

 「ま、まあそうか……。まさかみずきにまで言われるとは……」

 

 年の離れた妹にマジダメ出しされる兄の図ってこんな情けねえんだなと俺も妹持ちとして気を引き締めていると、玉縄はぐるんっと振り返って肩に手を置いてきた。

 

 「それより、なんで君はみずきのことを知っているんだい?」

 「いや……前に迷子センターに届けただけだよ」

 「そうだったのか。うちの妹が迷惑をかけたみたいで……。ありがとう」

 「お、おう」

 

 なんだよこいつ、普通に喋れんじゃねえか。それともさすがに妹の前で格好つけるのは恥ずかしいんですかね。

 まあ、みずきには静かに待っててもらえばいいだろう。この年齢でも礼節は弁えられる子だから大丈夫だ。俺はみずきの頭にぽんと手をおいて身を屈めた。

 

 「みずき、中で静かに待ってられるか?」

 「うん、待てます」

 

 くすぐったそうに身を捩るみずきだったが、視線を上げれば玉縄がとても怖い笑顔で睨んでました。

 

 「それじゃあ会議を再開しようか」

 

 玉縄は席に戻り、一色は材木座から少し距離を取って座った。俺も席につこうとしたのだが、みずきがブレザーの裾を掴んで離さないので仕方なく、俺が座っていた席にみずきを座らせ、俺はその後ろに立った。

 

 「ねえヒッキー、この子は?」

 

 由比ヶ浜がぽんぽんとみずきの頭をなでると、聞いてきた。

 

 「前に迷子になってたところ声かけたんだ。そしたら妙になつかれてな」

 「この子には比企谷君がヒーローに見えたのね」

 「まるでお前には悪役に見えてるみたいな言い方やめてくれる?」

 「そう言ってるのよ」

 

 雪ノ下の相変わらずの扱いはいったん無視しよう。会議の場で楽屋落ちはあまり褒められたものじゃないだろう。

 

 「それで、話の続きだけど、決定権をそちらに譲るのは……まあいいとして、なにか考えでもあるのかい?」

 

 こほんと咳払いをした玉縄が、ちらちらとみずきの方を気にかけながら聞いてくる。みずきはいつのまにか由比ヶ浜の膝の上に落ち着いたみたいなので、俺はあいた席に腰かけた。

 

 今一度、現状を整理しよう。

 決定権を有した今、いっそのこと内容を提示した方がいいように思える。

 予算を少なく済ませて、時間もたいして使わない。

 それでいて、地域の子供とお年寄りが楽しめるクリスマスイベント………………。

 

 そんなものが果たしてあるのだろうか……と顎に指をあてながら、左にすわるみずきに目を向けた。

 そういやみずきって超絵上手いんだっけな。みずきが描いたあの絵は、しっかりと俺の部屋に飾ってある。

 

 絵……?なるほど。これは、いいかもしれない。

  

 きっと、ドラマの探偵が事件の糸口を見つけたときはこんな気持ちなのだろう。 

 頭の中でピッカーンというSEが流れる中、俺はぴっと人差し指を立てて提案した。

 

 「地域のこどもたち集めて、クリスマスに沿った芸術作品、例えばサンタの絵とかなんでもいいが、そういうのを描いてもらうなり作ってもらって展示するってのはどうだ。これなら費用もそんなにかからないし、こどももお年寄りも楽しめるんじゃないか」

 

 言うと、向かいの二人も隣に座る総武高の面々も「お~」と感心したような声を漏らす。いや、我ながらなかなかにいかした案だと思う。あれ、俺ってばもしかして天才……?

 と自画自賛モードで悦に入っていると、隣の由比ヶ浜が「それある!!」と親指を立てた。

 

 「なんかそれ超うざいからやめてくれない?」

 「ひど!?」

 

 なんだろう、今の不快感……。一瞬、思い出したくない中学の過去とか思い出しそうになったけど、たぶん気のせい。絶対に気のせい。思い出してはいけない。キープアウトよ、八幡。

 

 「確かに面白い案かもしれないけど、そもそも地域の子供はどうやって集めるの?」

 「ああ、そうだな。それは俺の得意分野じゃない。……玉縄、今の案に異論はあるか?」

 

 聞くと、玉縄はぐっと悔しそうな表情を浮かべた。もっとビジネス用語をひけらかしたりしたかったのだろうが、今や決定権がこちらにある上、妹を助けてくれた相手だと知って反論するのも憚られるだろう。

 案の定、玉縄は諦めたように肩を落として隣のチャラメガネと目を合わせた。

 

 「まあ、異論は……ない……けど」

 「なら、一つ頼めるか?みずきの通ってる幼稚園か保育所かの子供たち、それが足りなければ近隣の小学校に話を通してイベントに参加してくれそうな人を集めてほしい」

 「……まあ……わかった。それはこちらで請け負うことにしよう。……あ、アジェンダ、とかは……」

 「スケジュールの作成や設備の設計、運営はうちでやる。次会議する時は学校に直接連絡するから、それまでに今言ったことと議事録まとめやっておいてくれ」

 「…………うん」

 

 粗方の説明だけ終え、俺はふっとため息をつく。説明中玉縄がずっと前髪をふーふーしていた。

 

 「それじゃあ、とりあえずは解散ってことで」

 

 俺の一言で、第一回の会議は終了となった。

 みずきに別れの挨拶だけすると、玉縄たちは会議室を後にした。

 

 「……せ、先輩?先輩ですよね?中身誰かと入れ替わっちゃったりとかしてないですよね?」

 

 席に座ってもう一度浅くめ息をついていると、一色が震えた声でわなわなと聞いてきた。何を言ってるんだこいつは。

 

 「うん、なんか今のヒッキー、ちょっと頼りがいあるかも」

 「頭でも打ったの?」

 「お前ら何なんだよ……。ちょっと生徒会長らしいことしただけじゃねえか」

 「だからそれが異常なんですよ……」

 

 ほんとこいつら失礼だな。これで失敗したとか報告すれば平塚先生に正拳突きくらうのは俺なのだ。それはマジで勘弁。アレ超痛いんだよ……。

 

 「お前らが普段俺のことをどう思ってるのかは大体わかった。…………ところで材木座は?」

 「中二?中二ならさっき、『我はもうこやつについていけぬ……』とかいって泣きながら帰ってったよ」

 「似てねえ……」

 

 由比ヶ浜が材木座の真似をして言う。結局材木座、今日全然必要なかったな。むしろデカい分邪魔だったまである。最近あいつには嘘ばっかついてる気がするし、体育の体操仲間としてしっかり謝っとかねえとなぁ。

 

 俺は帰り支度を済ませ、未だ納得しきれていない三人を置いていくように、会議室を後にした。

 

* * *

 

 「んじゃ俺買い物あるから、ここで」

 「そう。また学校で」

 「じゃねー」 

 

 駅に向かう途中で、俺は二人と別れた。

 歩きながら見つけたマリンピアを見て、そういえば小町にケンタの予約頼まれていたっけと思い出したのだ。たしかマリンピアの中にあった気がする。なければしゃあなし。ケンタのバカ、もう知らないっ!

 看板は煌煌とライトアップされていて、自動ドアを出入りする人に倣って俺も入店すると暖かい暖気がむわっと流れてくる。普段ここに来ることはそうないが、にしても人が多いなときょろきょろ店内を見渡していると、どうやらクリスマスセールでもやっているらしい。

 これはパーティーバーレルもお安くなってるんじゃないかしら……と期待に胸膨らませて歩いていると、背後から聞きなれた声が届いた。

 

 「これはパーティーバーレルお安くなってるかもですねー」

 「お前も来るのかよ……」

 「はい。お母さんに頼まれてて、せっかく先輩もいるのでおごってくれたらラッキーみたいな」

 「いや奢らんけど、絶対」

 

 もう急にこいつが後ろにいるオチは慣れた。いや、声かけられるまで気づかなかったけど。本当ならゴルゴばりに「俺の背後に立つな!」とか言ってみたいんだけど。

 

 「先輩って年下好きですか?」

 「急になんだよ……」

 「いやほら、さっきのみずきちゃん?にもすごいデレデレしてましたし」

 「あれを年下カウントしちゃったら人としてアウトだろ……。まあみずきはともかくとして、年下は嫌いではないな」

 

 なにせうちには小町という圧倒的に可愛い妹がいるからな。妹を年下扱いしてる時点で終わってるんだよなぁ。

 

 「なるほど……。それってつまり、わたしのことが好きってことでいいですよね?」 

 「思考回路ぶっとんでんの?」

 「だって、先輩が話せる年下なんて、わたししかいないじゃないですか」

 「まあそうだが……実際お前4月生まれだから、そんな年下って感じしないんだよなぁ」

 

 チャップリンと同じ誕生日だから、たしか4月16日だったはずだ。俺はこれでも人の誕生日をけっこう覚える方だ。なぜなら覚える誕生日自体そもそも少ないからだ。

 言うと、一色は少し驚いたように目をぱちぱちさせた後、赤く染めた頬をマフラーで隠すように埋めて、ふごふごと何か言っていた。店内はかなり暖房をきかせているからそのせいかもしれない。

 口元をマフラーに埋めたままの一色だったが、すっと片手でマフラーを下げて口元を見せると、

 

 「覚えててくれたんですね」 

 「っ……」

 

 きゅっと唇をかみしめて、はにかむように破顔する一色に、俺は思わず目を背けた。

 

 やばい、こいつ結構可愛いぞ……。そういう自然な笑い方もできるんじゃねえか。危ない危ない。あと1秒目を背けるのが遅れてたら完全に好きになっちゃうところだったわ。そのまま勢いで「しゅきぃ!」と告白して振られる10秒後の俺まで想像ついたわ。

 そんなくだらないことでも考えてないと、割と俺のメンタルはやられそうだった。しかもさっきまで年下だのなんだの話していたせいで余計意識しちゃってるんですけど?これはあれだ。ストックホルム症候群的なあれだ。全然しらないけど多分それだ。

 俺は熱くなった頬をマフラーで隠してやり過ごすことにした。マフラーってすごい便利……。

 

 「結構すいてるみたいでよかったですね」

 

 思考がもやもやとしていたが、目的のケンタに到着したみたいだ。

 一色はどれにしようか悩んでいたので、先に予約をぱぱっと済ませて、近くのベンチに座って待つことにした。

 別にすぐ帰ってもよかったんだが、先に予約を済ませた俺にあせあせしてる一色を見たからには待つほかあるまい。いつも小悪魔みたいにあざといくせに、そうやって素の態度とられたら何か心にぐっとくるものがある。まあそれすらも計算してるとか言われたらもう女性不信になるけど。

 

 「すいません、お待たせしました」

 「別に、じっくり選んでてもよかったけど」 

 

 予約を終えたのか、ててっとこちらへ駆け寄る一色。

 俺はベンチから立ち言うと、少しの沈黙の後、一色は両手を胸のところまで上げて、ぶんぶんと顔を振った。

 

 「……はっ!なんですか口説いてるんですか買い物を楽しむお前の後ろ姿をずっと眺めていたいとかそういうことですかごめんなさいもっとロマンチックじゃないと嫌です出直してください…………って!最後まで聞いてくださいよぉ!」

 

 途中から聞くのを諦めて歩き出す俺に、一色は「もー!」とふがふが言いながら小走りで駆け寄ってきた。

 よくもまあそんなすらすらと言葉が出てくるもんだと少し感心するが、最後に振られることはわかりきってる。そもそも告ってないんだけど……とため息ついていると、一色は背負っていたリュックを体をひねってぶつけてきた。

 

 「先輩、ライン教えてください」

 「無理」

 

 出し抜けに言って自分のスマホを取り出した一色に、俺は知らん顔して歩を速めた。




平塚先生ルートの可能性はないのでご安心ください。
誰か、誰か早くもらってあげて!

感想、お気に入り、誤字報告、いつもありがとうございます。


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13話 先輩の好きな人

くーりすーまーすーが今年もやあってくる~(震)
というわけで、クリスマスというめでたい日に一人でssを読んでるssガチ勢の皆さん、こんにちは。
リア充撲滅委員会 副委員長の蒼井夕日です。ちなみに委員長はいません。

※タイトル変更しました。変更した理由に関しては活動報告でお知らせしてあるのですが、ただの言い訳なので見なくてもいいです。タイトルは変わっても内容は変わりませんので、今後ともよろしくお願いします。


 「先輩、ライン教えてください」

 「無理」

 

 マリンピア内にあるケンタでパーティバーレルの予約を済ませると、一色が聞いてきた。今どきの高校生はすぐライン交換したがるんだよな。それで卒業してしばらくすると、交換して以来連絡とってなかった男から「元気?」とかくる。あれ送ってくるやつの9割は「二人で会える?」の意味だから注意な。

 

 「いいじゃないですかべつにぃー。どうせ先輩、普段連絡する相手なんていないんですし、わたしが練習相手になってあげますよ。そもそも先輩のスマホ、ライン入ってるんですか?」

 「バカにするな、ちゃんと入ってる。俺には小町という話し相手がいるからな。もう毎日ライン使いまくりだし、今日の朝だって使ったし」

 「どうせ無視されてるんですよね?」

 「なんで知ってんだよ……」

 

 そうだよ小町からは買い出しのラインとかは来るけど、俺から送った何気ないラインには一切返事来ないんだよ。そもそもライン始めろっていったの小町なのに、これじゃあライン恐怖症になるよぉ……。

 

 「妹のコマチちゃんにもいつか彼氏ができて、プロフィール画像にラブラブのツーショットとか載せたりするんでしょうねー」

 「なん……だと……?」

 「先輩の知らないところでその彼氏にハートを送り送られ、デートの約束をして、『今日は楽しかったよ♡』とか惚気たりするんでしょうねぇ」

 

 「……………………………………………………………………………………」

 「え、ちょっ!?先輩!?無言で泣かないでくださいよ!」

 

 

 はれ…………?目の前にお花畑が広がってる……。こ、小町ぃ……。

 

 

 「全部嘘ですから。これで涙拭いてください」

 「ナミ……ダ……?」

 「先輩も泣いたりするんですね」

 「コレガ………ナミダ……」

 「初めて感情を知ったロボットみたいになってますよ。……もう、仕方ないですね」

 

 

 ぼやけた視界の中、一色がハンカチで俺の顔を拭いてきた。

 別に一色の話が事実だとは思ってないし思いたくないが、いつか小町もそういうやりとりをするようになるのかとか考えたら勝手に涙が流れていたとかなんだよそれ超痛いな俺。死にたい。

 てかそれ恥ずかしいし可愛いからやめてほしい。自然と距離近くなってるし上目遣いとか可愛くてなんか可愛い。つまりあざとくて可愛い。

 

 「適当につくった話だけでこれなら、妹さんが結婚したら先輩死ぬんじゃないですか?」

 「大丈夫だ。そん時は結婚する前にその彼氏を殺して俺も死ぬつもりだからな。小町は俺が守る」

 「完全にヤバい人じゃないですか……。シスコンすぎて引きます。…………冗談はともかく、単純に生徒会の事務連絡とかラインの方が便利なんですよ。ほら、今日みたいに行き違いになったら面倒じゃないですか」

 「まあそうだけど……」

 

 女子とライン交換とかしちゃっていいのん?未だ小町と材木座としか交換していない俺のラインだぞ。利便性に関しては一色の意見に賛成だが…………しかし女子と初めてのライン交換は戸塚と決めているのだ。すまんな、一色。

 

 「そうはいっても、今日スマホ持ってきてないし……」

 

 視線を逸らしながら嘯いたところで、ブレザーのポケットから着信音とバイブレーションが鳴り響いた。言うまでもない、俺のだ。

 

 「スマホがなんですかー先輩?」

 「…………」

 

 っちぃ!誰だよこんな大事な時に滅多に来ない電話寄こしてくれたやつぁ!と苛立ちを込めてスマホを取り出すと、そこには『平塚』という名前が浮かんでいた。俺はすぐさま電話に出た。

 

 「……はい」 

 「比企谷、私だ。たった今コミュニティセンターについたところなんだが終わってたみたいだな。会議はどうだった?」

 「まあ、上々ですかね。予想通り相手の生徒会は碌な奴じゃなかったですけど、なんとか低予算で出来そうです」

 「そうか、君もやればできるじゃないか。正直、比企谷が生徒会長になると聞いたときは遂に頭がおかしくなったのかと心配だったんだがな……」

 「超失礼だなあんた……。……それで、用は他にもあるんですよね?」

 「ああ、今日の会議内容の報告書と予算案を作って提出してくれ。予算案が出来次第活動費を渡すことになる。私は明日学校にいるが、どうする?」

 

 明日……つまり土曜日。ワードやエクセルを使い慣れていない俺だとかなりの作業時間になる……そうなると休日が丸一日潰れる…………。おいおい、嘘だろ?生徒会って休日潰してまで出勤しないといけないのかよ。そのくせ給与も福利厚生もなし……。ブラック企業もお手上げレベルじゃんこれ。

 うーんうーんと悩んで視線を泳がせていると、ふわっと甘い香りが鼻をつついた。匂いの供給源を見ると、一色がスマホに顔を近づけて盗み聞いているようだ。

 近いし良い匂いだし近い。あと近い。

 後ずさるように一色から離れると、一色はむっとしてまた一歩俺に近づいた。なんならさっきよりも近い。

 こうなったら早く電話を終わらせよう。休日出勤となってしまうが、背に腹は代えられない。

 

 「……わかりました。明日行きます。何時頃行けばいいですか?」 

 「土曜の学校は9時開門だからそれより後なら何時でもいいが、私は15時から他用なんだ。それまでに済ませてくれたら助かる」

 「わかりました。じゃあ10時頃行きます」

 「うむ。着いたら鍵を取りに来なさい。昼食はそのまま生徒会室で済ませても構わん。それじゃあな」

   

 電話を切って、ふっとため息。

 全然気にしない風を気取っていたが、じとっと一色を睨んで視線で訴えた。

 

 「明日、学校行くんですねー」

 「これも仕事だからなぁ。まあどうせ明日やることなかったしいいんだけどよ」

 「それで先輩、スマホがなんでしたっけ?」

 

 ぐるんっと話題を180度回転させて、さっきの話を持ち込む一色。

 なんでそんな冷たい笑顔つくれるんだよ。超こわいんですけどいろはす……。

 俺は諦めたように肩を竦め、スマホを一色に差し出した。

 

 「ここにあります……」

 「よくできました♪」

 

 なくなくライン交換を済ませて、マリンピアを出た。

 ひゅっと冷たい風がマフラーの隙間に入り込み、思わずぶるっと身震いする。心なしか入る前よりも寒く感じるのは人気が少なくなったからだろうか。

 ぽちぽちスマホをいじっている一色と並び駅に歩いていると、ぴろんと再びスマホが震えた。緑のアイコンをタップし開いてみると、ハートのチョコレートを両手に持ってこちらに差し出すウサギのスタンプが送られており、その上には『いろは』と表記されている。

 

 「てへっ☆」

 「はいはい、あざとい」

 

 こういうスタンプをやすやすと男に送ってはいけない。中学の俺だったら完全に勘違いしてるレベルの事案だ。

 

 「あざとくないですしー!ていうか先輩、既読無視しないでくださいよ」

 「えぇ……」

 

 こんなやりとりがこれから続くのかよ。まあでもどこぞのバカップルよりかはましか。今どきのカップルは「3分以内に返信しなきゃやだ」とか「おやすみはせーので言おうね♡」とか1年後みたら黒歴史として後悔するようなラインばっか送りあってるらしいからな。ソースはない。

 

 とはいえ、既読無視の辛さは小町に散々されている俺もわかるところだ。仕方なく、茶色い熊がガルルッと威嚇しているスタンプを送ってやった。 

 

 「……うーん、これはポイント低いですよ先輩」

 「ポイント稼いでなんかいいことあんのかよ」

 「もちろんです。貯まったポイントでわたしの心を買えちゃいます♪」

 「一生かけても貯まる気がしないんだよなぁ……」

 

 そのポイントで戸塚の心買えたら喜んで貯めるんだけどなぁ。八万ポイントでなんとTSもできちゃう!なんだよその夢と胸が膨らむ需要しかないポイントは。命賭して貯めちゃうんですけど。

 

 気づけば、お気に入りスタンプ大会みたいなのが始まっており、思いの外盛り上がっていると駅に着いた。電車でもその大会は終わらず、一色が送ってくる色んな種類のスタンプに「ほーん」とか「へー」とか相槌を打ちながら眺めていると、降車駅に到着した。 

 

 先に改札を抜けた一色に続いて俺も改札を通ると、一色はくるっと振り返った。

 

 「先輩、ライン見てみてください」

 「ん?」

 

 開いてみると、何やら一色からプレゼントが届いている。クリスマス仕様に包装された箱をぽんとタップしてみると、

 

 

 「わたしのお気に入りのスタンプです。それ使って、頑張ってわたしのポイント稼いでくださいね」

 「……なんだよそれ」

 

 

 思わず、ふっと笑みがこぼれてしまった。 

 セリフがあざといくせに、言った一色の仕草が自然に見えたからだろうか。

 いつもあざとい仕草ばかりするから、素の態度が一瞬垣間見えるとこちらも拍子抜けするのだ。

 俺は誤魔化すようにはっと白い息を吐いて、もらったスタンプを早速一色に返した。すると、一色のスマホがぴろんと響いて、一色も自分のスマホに視線を落とす。

 

 

 「1ポイント獲得ですね、おめでとうございます」

 「道のり果てしなくないですかねこれ」

 

 

 言うと、一色は片手を口元において、くすっと微笑んだ。何がそんなに面白いのだろうかと思いつつも、スマホの電源を切りポケットにしまう。

 

 「んじゃ、帰るか。…………あー、送ってくか?」

 「いえ、わたしの家は近いので大丈夫ですよ」

 「そうか。じゃあ気を付けて帰れよ」

 「はいっ!」

 

 去っていく一色の後ろ姿を見送って、俺も帰路につく。

 明日8時起きだなぁ……行きたくねえなぁ……と前を歩くサラリーマンよろしく肩を落としていると、ぴろんとスマホが鳴る。

 

 『いろは:明日、先輩の分のお弁当も作っていくので楽しみにしててくださいね♡この前お弁当を分けて頂いたお礼です!あっ、「いらん」とか送ってきたら奉仕部のお二人に、先輩に傷つけられたって泣きつくので♪今日はありがとうございました!』

 

 「…………」

 

 

 マジで行きたくねえなぁ……。

 

 

* * *

 

 

 行きたくなくてもちゃんと来るあたり、俺もすっかり社畜になったもんだ。

 朝から晴れだったから何とか体を起こせたが、たぶん雨だったら来てなかった。もうめっちゃ晴れ。どこぞの名探偵が「ばーろぉ」とか言い出しそうなくらいには太陽らんらんしてる。しんいちぃ!

 

 小町は今頃図書館に行ってるだろうが、俺が家をでる時に、「頑張ってね、お兄ちゃん♪」とニヤニヤしていたのは昨晩の出来事が原因だ。俺が風呂に入ってる間、俺のスマホに通知がきたことを怪しんで問い詰められたのだ。勝手に中をみないところが小町の優しさだが、一色のラインは秒で非通知設定にしてやった。もちろん俺は小町に言われた通り仕事を頑張るだけだ。今日も一日頑張るぞい!

 

 野球部やテニス部らの気炎をBGMに、黙々とノーパソに打ち込みを始めてから1時間半ほどたち、時刻は11時半を回ろうとしていた。

 普段パソコンとかそんなに使わないせいか、結構目が疲れる。これを機にブルーライトカットのメガネ買おうかしら……。

 と、眉間を寄せて目をしばしばさせていると、ノック音とともに生徒会室の扉が開かれた。

 

 「せんぱーい、おはようございますー」

 「…………」

 

 世紀の小悪魔、一色がジャージにリュックを背負ってやってきた。

 俺は無言で睨みつけるが、一色は何も気にしてない風にずかずか入ってくる。

 

 「ミーティングが思ったよりも長引いて遅れちゃいました。進捗どうですか?」

 「まあ、ぼちぼち」

 「…………ぼっち?」

 「いや違うから。違くないけど違うから。…………ていうか昨日のライン、どういうつもりなの?」

 

 会長机に置いたスマホをトントンしながら聞くと、一色は「よくぞ聞いてくれました」とリュックをガサゴソ漁り、可愛らしいキャラクターがデザインされた弁当箱を取り出した。

 

 「じゃーん!」

 「……前も言ったが、弁当を分けたのはポスター貼りを手伝ってくれた礼だ。だからそれ貰って余計な借り作りたくないんだよ」

 「…………」

 

 嘘偽りなく、一色を奉仕部の問題に巻き込んでしまったことにはそれなりの罪悪感はあった。俺が生徒会長になるという身勝手な判断をしたにも関わらず、奉仕部が差し支えなく活動できているのは一色が潤滑油としていてくれたおかげなのだ。これ以上世話になるわけにもいかないし、なによりもこいつに貸しをつくるのが超嫌なので、しまってくれと押し返す。

 どうせ言い返されるのだろうと心構えていたが、しかし一色は素直に弁当箱を背中の後ろに回し、一歩下がった。その顔は悄然としていて、心なしか肩を落とし、ぽつり、と口を開いた。

 

 「……そう、ですよね。わたしが作ったお弁当なんて、いらないですよね。……押し付けがましくてすみませんでした。このお弁当はもう…………捨てます、ので……」

 

 喉を詰まらせながら言葉を紡ぐ一色の後ろ姿は小刻みに震え、振り返る瞬間の横顔には涙が流れていた。

 

 え、ちょ、嘘でしょ?俺泣かせちゃったの?女の子を泣かせちゃったの??そういえば、こいつは朝からサッカー部のミーティングがあったと言っていた。だとしたら、この弁当は早起きしてまで作られたものだ。それを俺のような人生5流の人間が軽々しく断ってしまったのは極刑に価するし、断るにしてももっと伝え方があったはずだ。いくら一色が小悪魔とはいえ、傷つかないわけじゃないのだ。

 

 俺は慌てて席から立ち上がり、届かない一色の肩をつかむように手を伸ばした。

 

 「い、いや、そういうわけじゃなくてだな……。無償の施しを受けるのは俺の性格上アレというか……」

 「……いえ、先輩は気を使わないで大丈夫ですから。急に変なこと言って、すみません、でした…………」

 「…………すまなかった。その、遅いかもしれないが、もらってもいいか?」

 「本当ですか!?ありがとうございますぅ!先輩超やっさしぃー♪」

 

 ……………………ん?

 俺の見間違えじゃなければ、一色は今ものすごい勢いで振り返って女神も慄くほどの小悪魔的笑顔を刹那の内に咲かせたように見えたのだが。しかも、片手に持ってる目薬は一体なんですか?あ、あれかな?泣くと目が乾燥するタイプかな?なにそれ奇行種~♪

 一色は、先ほどのテンションが嘘のようにルンルン鼻歌唄いながら弁当箱の蓋を開けた。

 

 もう絶対信じない。いやぶっちゃけこうなるんじゃないかとは薄々感じてはいたが、この裏切り方はさすがに俺の良心も傷つくぞ。こいつ女優としてそこそこイケるんじゃねえの、マジで。

 

 「じゃあ、食うぞ?」

 「ど、どうぞ」

 

 箸入れから可愛らしいピンクの箸を取り出し、目の前に広がる弁当と対峙する。もう女子の箸を使うってだけですでに緊張してるんですけどね。一色もなんかすっげえ見てくるし。ぼっちあるあるだが、他人に見られながらだと飯食いづらいんだよ。

 

* * *

 

 一色お手製の弁当を食べ終え、疲れ切った脳にも糖分が回る。  

 正直、かなり俺好みの味だった。味付けは濃すぎず、栄養バランスの偏らないメニューから、普段から自分で料理をしていることが伺える。ていうか、前にそんなことを言っていた気がする。忘れたけど。まあ、愛情の込め具合の差で小町の弁当が圧勝なんだがな。愛してる人の弁当ならなんでも美味いのだ。

 

 「ごっそさん。うまかった」

 「お粗末様です。どうです?掴まれましたか?」

 「胃袋なら掴まれてないから安心しろ。まあでも、見た目の鮮やかさとか栄養面に関しては小町より手こんでると思うぞ」

 「えっへん。やっぱお弁当って味も大切ですけど、彩りとか食材のカットの仕方に女子力が表れますからね。花嫁修業もばっちしです」

 

 料理が上手いと普通は家庭的だとか親思いだとか言われるが、こいつは完全に下心丸出しなんだよなぁ。「男子の胃袋をキャッチ♡」とか言って心臓まで握りつぶされそうだから怖い。特に平塚先生あたりとか『死に戻り』というワード聞いただけで心臓潰してきそう感ある。

 

 「こういう家庭的なところ見せてけば葉山も少しは心揺れるんじゃねえの、知らんけど。ていうか、三浦がいない今日とか絶好のアピールチャンスでしょ」

 

 言うと、一色はぽかんと口を開けて茫然としていた。しかしそれは一瞬のことで、すっといつもの表情に戻る。

 

 「無理です無理です。今は三浦先輩よりもおっかない相手がいるので。さっきだって、ミーティング中目を合わせないように必死だったんですよ?」 

 「あー……そうだな、余計なおせっかいだった。すまん」

 「む、先輩らしくないですね。なんか最近素直じゃないですか?」

 「俺はずっと素直なんだよ。素直に生きてきたからこうしてボッチ生活送ってんだろうが。誰も俺の素直レベルについてこれないんだよな」

 「マジで何言ってるのかわかんないです」

 

 なんだか核心を突かれたような気がして、誤魔化すように口からでまかせを言ってしまう。自分でも何言ってんのかわからんかったし。

 

 「その辺、葉山に相談とかしてんの?いくら生徒会があるとはいえ、さすがにずっと休んでたら怪しまれるんじゃねえの」

 「そうなんですよねぇ……。今はとりあえず合同イベントを口実に休めますけど、それが終わればもう言い訳するネタがないです。何より、ビビッてサボってると思われるのが一番やっかいっていうか、何を言われても傷つかないわたしのイメージが崩れるんですよね。…………せんぱぁい、わたしどうしたらいいんですかねー?」

 

 ぐでっと机に突っ伏しながらぼやく一色に、俺は瞠目して口を開いた。

 

 「正直、初めて会ったときは自己愛の塊が服着て歩いてるような奴だと思ってたわ」

 「先輩、わたしになら何言ってもいいとか思ってますよねー?傷心してる女の子には寄り添って口説くものだと相場が決まってるんですよ?」

 「どの口がいってんだ……」

 

 そうやって天邪鬼な態度で誤魔化しはするが、出会った当初ほど、俺は一色に対する評価は低くない。むしろ逆ですらあった。自分を研磨することに関して一色は決して努力を惜しまないし、嫌われることも承知でそれでも前に進む。しかしこいつは、肝心なところで不器用だ。明らかな敵意に対して言い負かすことだってできるはずなのに、一色はそれをしない。変に真面目っていうか、根が優しいのかどうか。まあ一番こわいのがそもそも敵とすら思ってない場合だが、今一色が抱える問題がボブの敵意であるならば、その可能性はないだろう。

 

 「まあそういういざこざに関しては俺とか雪ノ下よりも由比ヶ浜の方がいいアドバイスくれると思うぞ」

 「たしかに、雪乃先輩って女子からの嫉妬の目線とか気にしないタイプですもんね」

 

 気にしないというよりも、諦めたという方が正しいように思える。端から人に期待していないから、自分が傷つくこともない。その点では俺と雪ノ下は似通ったところがあるが、あいつに言ったら「一緒にしないで」とか怒られるんだろうなぁ……。俺も同じ人間なんですよ……?

 

 「先輩って好きな人います?」

 「は、はあ?」

 

 机に突っ伏したままの一色が、出し抜けに聞いてくる。あまりに突拍子もない質問に、俺は若干動揺して眉を顰めた。

 こういう具体性に欠ける質問はやめていただきたい。まあ大義の意味で言うなら小町と戸塚は好きだ。どうせこいつは異性としての好きな人を聞いているのだろうが、いつもやられっぱなしなのも癪だ。たまには俺が一泡吹かせてやろう。

 

 「まあ、いるな」

 

 ポーカーフェイスで答えると、一色はがばっと身を起こした。その顔には驚きというより、動揺した表情が浮かんでいる。うむ、人をからかうのも案外悪くない。からかい上手の比企谷さんなんてタイトルで漫画でも描いたらそこそこ売れそうな気がするが著作権侵害で訴えられそうだからやめておこう。

 

 「…………あ、騙されませんよ?どうせ先輩のことだから妹が大好きみたいなことですよね。っふ、まだまだ甘いです」

 

 見破ってやったというように満足気に頷いてる一色に、しかし俺は知らん顔で嘯く。

 

 「いや、お前の言う好きな人って家族に対してとかそういうことじゃないだろ?」 

 「……え?」

 「その人を見れば胸が高鳴るとか、もっと一緒にいたいとか、他の男と一緒にいたら嫉妬するとか、そういう相手なら、まあ……いる」

 

 目線を逸らし頬を掻きながらつぶやくことでリアリティを高めるという演技力に自分で恐れ慄きつつ、どれだけ引かれているだろうかと一色の方をちらと見ると。

 先ほどの動揺した様子もなく、かといって俺の嘘を看破しているようにも見えない。ただ呆然としたように、ぽかんと口を開けてこちらを見ていた。もう少し反応してくれればこちらもネタバレのし甲斐があるというものなのだが、一向にリアクションをとる素振りもない。なんなら超気まずい。なんだよこの空気。引きすぎて石にされたのかな?俺が好きな人がいる発言ってメデューサ並の衝撃でもあるのかよ。

 

 「まあ、その好きな人ってのは──」

 「わ、あー!あー!先輩大変です!!」

 

 気まずさに耐えきれずネタ晴らしをしようと口を開いたところで、ダンっと立ち上がった一色に続きを阻まれた。

 

 「な、なんだ?」

 「ミーティング第二部がもう始まりそうな時間なので今日はここで失礼します!お仕事頑張ってください!」

 「ちょ、おい……」

 

 一色は早口で頭を下げ、生徒会室を飛び出していった。ばたん、と勢いよく扉が閉められ、生徒会室に静寂が訪れる。

 

 …………おいおい、どうすんだよ。誤解されたままじゃねえか。あれで葉山とかサッカー部に広められたら俺不登校必至なんだが?特に戸部に知られてしまえば一巻の終わりだ。マジで慣れないことなんてするんじゃなかった。完全に詰んだわ。

 

* * * * *

 

 先輩の言葉を待たず、わたしは生徒会室を勢いよく出て全力で走っていた。

 

 ────なんだ。なんだこれは。

 

 こんな感情になったのは二回目だ。

 先輩に好きな人がいると聞いた瞬間、ショッピングモールの時に似たあの感情が、濁流のように流れ込んできた。先輩の好きな人を聞くのが怖くて逃げ出してしまった。これじゃあ本当に、わたしが先輩を好きみたいじゃないか。ちょっと前までは、ただの「なくはない」だけの人だったはずなのに。わたしは葉山先輩が好きなのに。

 

 自分でも理解できない感情を振り払うように、わたしは胸を押さえて走った。

 吐き出す息が鋭くて、蹴り飛ばす地面は硬くて、肌を滑る風は切りつけるように冷たい。

 それでも、わたしは走るのをやめなかった。

 このまま止まってしまえば、きっと自覚してしまう。わたしが欲しかったものが手に入るかもしれないと勘違いしてしまう。

 

 あの捻くれた先輩が、自分から好きな人を告白するなんて考えられない。

 どうせ騙そうとしただけだ。

 

 そうわかってはいても、この胸の鼓動は一向にやみそうになかった。

 

 どれだけ走ったのかはわからないけど、さすがに心臓と肺が痛くなってきた。サッカー部のマネージャーと言えどここしばらくサボっていたし、最近ちょっと甘いものばかり食べすぎていたから太ったのかも。

 痩せなきゃなーなんて思って壁にもたれかかると、ちょうどサッカー部のミーティングルーム前だったようだ。扉を開けて、中に入る。もちろんミーティング第二部なんてのは嘘っぱちなので誰もいない。

  

 扉にもたれかかって息を整え、ぼさぼさになった髪の毛を手櫛で適当に直した。あー、これは先輩に見せられる髪じゃないなぁ。久々に全力疾走したせいでじんわり汗もかいちゃったし、一刻も早く家に帰りたい。

 急に飛び出しちゃったことは帰ってからラインで謝ればいいよね。

 

 そう思って振り返り、スライド式のドアノブに手をかけようとしたところで扉が開かれた。

 

 「…………え」

 

 扉の先にいたのは、倉敷ほのかだった。




たぶん年内最後の投稿となります。
2020年にまたお会いしましょう。
先輩、来年もよろしくお願いしますね♪


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14話 難問

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

それと!UAが10万を突破していました!ありがとー!
正月ボケがまだ抜けてませんが、どうぞー!


 ドアの向こうに映る、パーマがかった茶色の髪。

 肩よりも短いそれが揺れると、片耳ピアスがキラリと輝く。

  

 それが因縁の相手、倉敷ほのかだとわかると、わたしは無自覚に後ろへ下がっていた。

 後退し続け、やがてゴンッと長机にぶつかる。わずかにだけど、自分の膝下が震えているのがわかった。

 

 彼女がここに来た理由はなんだ。

 ミーティングだって終わったはずだし、もちろん第二部なんてのもない。

 

 もしかして、わたしと対立するため? 

 わたしがこの教室に入っていくのを見て、ついに恋敵ぼこぼこにできるチャンスだと思ったとか?

 だとしたら勘弁してほしい。取っ組み合いとかになれば負け必至だ。生徒会室から全力疾走した疲れがまだ抜けてないし、なによりも彼女は結構高身長だ。150半ばのわたしよりも頭一個分高く、体格差で敵うはずもない。

 そうなると如何にして逃げるかなんだけど、ドアの前にそうも仁王立ちされたら逃げようもない。

 

 彼女は胸の下で腕を組んだまま、威圧するように詰め寄ってくる。 

 あ、もうだめかもと半ば諦めて目をぎゅっと瞑ると、その瞬間、こんこんとドアのノック音が響いた。

 

 「ここで何してるのかね?サッカー部のミーティングはすでに終わっているはずだが」

 

 珍しく白衣ではなくスーツ姿の平塚先生だ。

 先生は訝しむようにわたしたち二人を交互に見やっていたけど、倉敷ほのかは威圧的な態度を一変させた。

 

 「私はただ忘れ物を取りに来ただけですよぉー、せんせ」

 「なら早く済ませなさい。鍵を閉めなければならないのでな」

 「はーい」

 

 倉敷さんはわたしの横を通り過ぎて机の中のポーチを取ると、すぐに教室を出ていった。

 思わずわたしがこぼしたため息に、平塚先生も同様に苦笑を飛ばすようにため息をはいた。

 

 「優れた女は報われないな」

 「ほんとそうですねぇ。平塚先生が結婚できない理由がよくわかります……」

 「それは褒めているのかね……」

 「もちろんです。…………助けていただいてありがとうございました。超危なかったです」

 「私は何もしてないさ。それに、一時的な抑止力にしかならないだろうな」

 「…………」

 

 そうだ。倉敷ほのかが未だ直接的に関与してこないのは、いつも誰かに助けてもらっていたからだ。奉仕部の先輩方はもちろん、葉山先輩たちや平塚先生がその場に居合わせなければどうなっていたかわからない。このままじゃきっと何も変わらない。わたし自信が解決しなければいけないことだ。

 

 「やっぱ部活やめるしかないですかねー。正直、今やめてもそんなに悔いとか名残惜しさとかはない気がするので」

 「…………ふむ、なるほど」

 

 平塚先生はにやりと口角を上げて、わたしをじっと見た。一体なにに納得したのかはわからないけれど、少しだけ居心地の悪さを覚える。

 

 「部活以外のところで充実してるのだろう。…………そんな君に、先生からクリスマスプレゼントだ」

 「はい?」

 

 先生はたわわな胸元からシュッと何かを取り出すと、こちらに「じゃーん」と見せびらかした。

 

 「ディスティニーランドペアチケットだ。先日忘年会のビンゴ大会で当ててなぁ……。『ペアチケット(笑)』と鼻で笑ったあのハゲ頭野郎のことは絶対に忘れないぞクソッ!」

 「ちょ先生、チケットくしゃくしゃになりますって!」

 「あ、ああ、すまんな。………とにかく、これで羽を伸ばしてくるといい。ワタシには!使いどころがないのでなぁ!がっはっは!」

 「あ、ありがとうございます。…………ていっても、わたしも一緒に行く相手なんてそんなにいるわけじゃ……」

 「ちょうどいい暇な男がいるだろう?生徒会室に」

 「………………えっ、先輩と!?」

  

 咄嗟に大声で口に出してしまって、ぱっと口元を押さえる。しかしそれも遅く、平塚先生はまたもニヤニヤしながら前かがみになっていた。

 ディスティニーに、先輩と二人……?

 いやいや、さすがにそれは色々と飛ばし過ぎだ。おまけに数分前のことだってあるし、今は先輩に顔を合わせるのもアレっていうか……。いやべつに深い意味はないから決して。ほんとだよ?

 

 「思ってた以上に可愛い反応するじゃないか」

 「い、いや!そういうわけじゃなくてですね!?遊園地デートってもっとエスコートしてくれる人が相手じゃないと気が乗らないですし、待ち時間のトーク力とか絶対必要ですし……。それに先輩こういうの絶対来ないですよ。めんどくさいとか言って!」

 

 捲し立てて両手をブンブンと振っても、平塚先生はまた煽るように腕を組んだ。

 

 「断られるのがそんなに怖いか?」

 「なっ……!」

 「なんてな」

 

 ニカっと笑って舌を出す平塚先生は、いつもの大人の雰囲気なんてどこにもなく、ただ悪戯好きな子供のようにしか見えなかった。わたしだって先輩から小悪魔呼ばわりされるくらいなのに、この人には一生勝てる気がしない。

 

 「…………」

 「一色」

 

 静まり返った教室に、平塚先生の精悍な声が響いた。

 そこにはさっきまでのふざけた様子は全然なくて、真面目で真剣で、焦がれた表情が浮かんでいた。

 

 「本当は気づいているのだろう。ただ、初めてだから受け入れるのが怖い。知ってしまうのが怖い。自分が自分でなくなるような感覚が、何よりも怖い。…………でもね、逃げてはいけないよ。答えを出さなくてもいい。しっかり向き合うんだ。それは君にとって、とても大切なことだから」

 「………………平塚先生も、そういうのあったんですか?」

 「ああ、あった。何もできなかった自分が悔しくて何度も後悔したよ。あの時に拗れたせいで今頃独身なんてやってんのかもしれないしなぁ……」

 

 平塚先生の言葉を咀嚼して、わたしは先輩のことを思い出してみたけど、すぐにやめた。

 考えるのはもう疲れた。それが先輩のこととなればなおのことだ。あの何考えてるのかわかんない人のことを考えてもしょうがない。もともとわたしは考えるのは得意じゃない。だから今まで、全部行動で示してきたじゃないか。今更何をビビってるんだ、一色いろは!

 

 「とはいえ、大人がこどもたちの恋愛に口出しするのはご法度だからな。それをどう使うかは君が決めろ」

 「……ていうか、わたしが先輩を好きみたいな流れになってますけど、全然そういうんじゃないですからね?」

 「どっかの誰かに似て君も強情だな。じゃあそのチケットは奉仕部員のどっちかに……」

 「やっぱり使わせていただきます。平塚先生の甘酸っぱい想いと怨念も背負って、先輩を連れまわしてきます」

 「言ってくれるじゃないか。…………じゃあ、行ってこい」

 「はいっ!」

 

 ピシっと敬礼して、小走りでまた生徒会室へ走り出す。

 床を蹴る足がさっきよりも軽くて、なんだか不思議な気分だった。

 

* * * * *

 

 「なんだこれクソ終わんねぇ……」

 

 昼休憩を挟んで数十分、カタカタカタカタ……ターンッ!!(Enter)とキーボードを打ち続けたが一向に終わる気がしなかった。オタク兼引きこもりの俺にとってパソコンは虎の子のような存在だが、ビジネス用のソフトとかになると滅法弱い。普段dアニメストアくらいしか使わないし、一生働かないから必要ないんだよな。てかこれ完全に会計の仕事だろ。話したことないから頼みづらいんだよなぁ……。

 ギシッと椅子にもたれかかって、机に置かれた弁当箱を眺める。

 

 ──これ、なんて言い訳すりゃいいんだ……。

 

 洗うために家に持ち帰らないといけないし、そうなれば小町に見つかってしまう。

 可愛らしい弁当箱を持って帰ってきたお兄ちゃん。こんなの小町に面白がられるに決まっている。戸塚に作ってもらったって言えばセーフか?セーフだな。こんな愛妻弁当セーフどころかホームランに決まってるな(迷)。

 

 と、腕を組んで一人頷いていると、視界に亜麻色が映った。

 見ると、扉を数センチだけ開けて、小悪魔……もとい小悪魔がこちらを覗き込んでいた。

 

 「何してんの」

 

 訝しんで聞くと、小悪魔一色は無言のままギギッと扉を開ける。

 後ろに手を組んで、そろりそろりとどこかの狂言師ばりにそろりしながら生徒会室へ入ってきた。

 

 「………………」

  

 睨む一色。睨み返す俺。一歩前に踏み出す一色!身構える俺!!さえずる小鳥!!!

 と謎の臨場感が生まれてるのは俺の脳内だけで、実際にはそこそこの気まずさが残っていた。

 だってまださっきの誤解解けてないし。もう今ネタ晴らししちゃおう。別に誤解されてもされなくてもいいんだけど、後々言いふらされても面倒だ。

 

 「さっきの、戸塚だから」

 「……………………………………へ?」

 「だからさっきの好きな人、戸塚だから。戸塚男だから」 

 「いやいや、え?男?…………え?」

 

 そうそう、その反応を望んでたんだよ。やったね、ドッキリ大成功!

 

 「せ、せんぱい?男が好きって、そういう意味で?」

 「いやそうじゃなくて。友達としてって意味だから」 

 「………………」

  

 うん、俺を一瞬でもホモ認定したことはともかく、お前友達いないだろと言わなかったことは褒めてやろう。しかし一色は『戸塚』という名前を聞いてもピンと来てないらしく、暫く考え込んでいた。

 

 「前に会っただろ。テニス部のキャプテンの」

 「…………あ、あー!!えっ!?アレ男の子なんですか!?」

 「残念ながらな……」

 

 テニス部と聞いてどうやら思い出したらしい。

 一色と戸塚は以前帰宅する途中で会ったことがある。こいつのことだから一回見ただけの相手をいちいち覚えることなどしないだろうが、戸塚の可愛いインパクト、略してトツカワインパクトで覚えていたらしい。わかるわかる。俺もあのトツカワインパクトは忘れられないし。

 

 「そうだったんですか。…………ウザいんでああいう面倒くさい言い回ししないでもらえます?」

 「お、おう……」

 

 急に言葉遣い悪くなってどうしちゃったんだよいろはす……。由比ヶ浜の言う「ウザい」と違ってダメージえげつないんですけど。小町の「気持ちわる……」くらい傷ついたぞ。

 

 「ていうか、ミーティングはもう終わったのか?」

 「あー…………あれです、はい。終わりました」

 「んじゃもう帰れよ。こっちだってすぐ終わらせたいんだよ」

 「そんな冷たいこと言わないでくださいよ。わたしだって生徒会副会長ですよ?別にいてもいいじゃないですかー」

 「…………」

 

 とかいってどうせ手伝わないんだよなーこいつ。なんならずっとしゃべり続けるから邪魔まである。

 しかしそんな俺とは裏腹に、一色はずんずんと会長机の前まで歩み寄ってくる。その表情はなぜかニッコニコしている。これはもうラブライバーになるしかない。にっこにっこにー!

 

 「そういえば、わたしクリスマスイブは暇じゃないですかー?」

 「じゃないですかーって、知らないけど」

 「なんと、ここにディスティニーのペアチケットがあるんですよ」

 「……」

 「しかも、先輩もクリスマス予定ないじゃないですかー?これもうデートするしかなくないですか?」

 「俺の予定を勝手に決めるな。てかデートって何?誰と?俺と?」

   

 唖然とする俺に、ニコニコと無言を貫く一色。これはアレか。無言は肯定みたいなことか。

 いやいや、こいつ何言ってんだ?俺がクリスマスイブに?女子と?ディスティニー?

 何目当てだよこいつ。金しかないですねはい。金すら持ってないので勘弁してほしいんですけどね。

 

 「いや、無理でしょ。イブのディスティニーとかどんだけ混むんだよ」

 「でも妹さんへのクリスマスプレゼントとか選んだりできるんじゃないですか?」

 「まあそうだけど……」

 「他に予定でもあるんですか?」

 「ないけど……」

 「わたしと行きたいですよね?」

 「行きたくないに決まってるけど……」 

 「じゃあ、決定ー!細かい時間と集合場所はLINEで連絡しますね♪」

 

 こいつ、モノローグを入れる隙すら与えてくれねえ……。俺の心読んでるレベルの即答で怖いんだけど。マジで心読まれてそうだから怖い。とはいえ、俺のセンスだけで小町へのプレゼントを買うのは不安だ。若い女子の意見もおれば参考になるだろう。

 

 「俺がディスティニーに行く理由はわかったけど、お前にメリットないだろ?」

 「いえいえ、ありますよ。イブに予定もなく家でゴロゴロとか、女子高生として超ダサいじゃないですか。お母さんとお父さんにそう思われるのも嫌ですし、平塚先生からのクリスマスプレゼント無駄にしたくないですし、他に誘える友達なんていないですし……」

 「わ、わかった。もういい。なんかすまん」

 

 嘘だろおい。ボッチ検定免許皆伝の俺ですら悲しくなってきたぞ。マジでこいつ友達いないのかよ。今度材木座でも紹介してやろう。案外いい仲になりそうだよな。

 

 「じゃあ、行くってことでいいですか?」

 「行く行く。超行くわ」

 「やった!それじゃ、お仕事終わるまで待ってますねー」

 

 ルンルンと弾んだ声で言うと、ソファに座る一色。

 最近マジで多忙すぎだろ、俺。

 

* * *

 

 本日12月15日火曜日。海浜総合高校と2度目の合同活動である。

 時刻は17時を過ぎ夕陽も沈んだ中で、千葉コミュニティセンターに集うのは両校生徒会の8名と、みずきをはじめとする小学生だ。

 前回の会議で大体イベントの眼目は決まり、玉縄は「イベントに参加してくれる小学生を集めてほしい」という俺の依頼をちゃんとやってくれたらしい。今日参加している小学生だけでも20人ほどで、思ったよりも多くてビビってる。小学生がいっぱいだね(犯罪)。

 

 ロ型のテーブルで絵を描いたり粘土をこねたりしてる小学生たちをぐるぐると見渡していると、部屋の端っこでもじもじしている材木座を発見。どうせ暇だろうしと思って今日も呼んだのだが、相変わらず所在無さ気にしていた。こいつと小学生をセットで置いたらマジで犯罪の臭いしかしないんだけど、実際こいつも俺と同様、どうやって小学生と接すればいいかわからないだけだろう。材木座もこちらに気づくと「はちまーん」と手を振ってきた。実にウザいが気持ちはわかるので助け舟でも出してやろう。

 

 「そろそろ交代の時間だな。海浜総合と交代して設営に回るぞー」

 「了解でーす」 

 「ふむん!力仕事は我に任せよ!」

 

 一色、材木座の返事を聞いて、廊下で設営をする海浜総合と交代。

 絵や工作を展示する廊下は玄関に直結しているだけあって若干寒く、長机を運ばなければならないので体力的にはそこそこきつい。そういう時にこそ分業だ。小学生たちを見守るグループと、設営グループでローテーション。なんて俺らしい効率的なやり方なんだ。

 

 「総武と海浜総合で分けるあたり、先輩らしいですよねー」

 「いや、お互いよく知る者の方が効率的だし、分けることで競争し合ってより良い結果を生むんだよ。別に人見知りだからとかじゃないから。戦略的撤退だから」

 「撤退って言っちゃってるじゃないですか」

 

 苦笑してため息を吐く一色だが、「まあわかりますけど」と納得してくれたらしい。材木座はいわずもがな。

 

 「そういえば、今日は雪乃先輩と結衣先輩いないんですねー」

 

 思い出したかのように言う一色に、俺は閉口した。本来今日も来るはずだったのだが、大した仕事はもうないから来なくてもいいと伝えたのだ。乗りかかった舟だと雪ノ下は最初食い下がったが、俺の意見が曲がらないのを見て取ったのか、了承してくれた。

 

 なぜ断ったのかというと、単純に手伝ってもらうほどの仕事ではないからという理由もある。確かに部活に出れないほど忙しい時は手伝ってほしいと言ったが、かといって奉仕部を何日も活動休止にするわけにもいかない。

 

 しかし本当の理由はほかにあった。

 そもそもの話、俺が生徒会長をやると決めたのは雪ノ下の立候補を阻止するためだった。あの時は無理してやる必要はない、一色の件は俺がなんとかすると言ったが。

 

 もし、雪ノ下が本当は生徒会長をやりたかったとしたら、俺がしたことは間違ってるのではないかという疑念が残る。ずっと馴れ合いのように依存しあっていたことを雪ノ下は誰よりも早く気づき、自分は一人でもできるのだということを誇示するために、生徒会長をやろうとしたのではないか。

 しかし俺は、共依存だとわかっていながらも、奉仕部を存続する方法を提示してしまった。その罪悪感が、きっと俺が彼女らを避けている理由で、はけ口のない違和感なのだと思う。

  

 「先輩?どうかしましたか?」

 「あれだ、珍しく依頼人でも来てんじゃねえの。それに、生徒会役員になってそうそう頼りっきりって訳にもいかないしな」

 「ま、そうですよねー」

 

 エントランスから講義室までは10メートルほどあるが、壁には絵を展示する用の額縁のような掲示板が張られ、長机の運搬もすでに終えているようだった。あとはクリスマス仕様にツリーやらの飾り付けをすれば廊下の設営は終わるだろう。なんだよ、結構仕事できるじゃねえか、玉縄。めっちゃ舐めてたわ。

 

 「ツリーはエントランスでいいですよね?」

 「ああ。ちなみに、みずきが通ってる小学校がモミの木と飾りを提供してくれたらしいぞ」

 「八幡、ツリーのてっぺんにのせるこの星はベツレヘムという名前でな、古くはキリストの誕生を導く……」

 「ああはいはい。んじゃ飾り始めるぞ」

 

 得意げに顎を撫でる材木座を手であしらって、各々飾り付けを開始してから5分が経過した。

 雑談を交わしつつ作業を進め、結構それっぽくなってきたところでひゅうっと冷たい風が肌を撫でた。誰かが来たのだろうと玄関の扉を見やると、そこから見覚えのない男が入ってきた。

 コートを着ていてズボンしか見えないが、おそらく海浜総合の制服だろう。痩身で身長も高く、肌は病気を疑うほどに白い。幸薄そうな顔立ちだが、十分イケメンといえる類だと思う。

 

 「海浜総合高校の者なんだけど、総武の生徒会ですか?」

 「え、あ、はい」 

 

 急に話しかけてきたからびっくりしたじゃねえか……。海浜総合の生徒と名乗ったその男は、近くで見るほど肌白で、力の抜けた目はこちらまで脱力させる。なんだよこの喋り方が独特な美青年は。端的に言えば、ただ者の雰囲気ではなかった。アニメで例えると某巨人アニメのミ〇サみたいな感じだ。女じゃねえか。

 

 「妹を迎えに来たんだけど」

 「小学生は奥の講義室にいますけど………………って、えっ!!もしかして裕君!?」

 

 講義室を指さして説明した一色が、男の顔を見て驚愕の表情を浮かべた。知り合いだろうか。

 

 「え?………………いろは?」

 「わ、すごい久しぶりだねー!元気だった?雰囲気もなんか変わったよね?」

 「そうかな?いろはだって、なんか今どきの女子高生って感じだし……可愛くなった?」

 「そんなことないよー」

 

 お、おう……。なんかすっかり二人だけの空間になってんだが……。アレだ。休み時間に友達と話してたら友達の友達が来て一気に気まずくなったみたいな感じなんですけど。戸塚と話してたらたまにあるんだよなぁ。あれクッソ邪魔なんだよなぁ……。

 

 未だわんやわんやと久しぶりの邂逅を喜び合う二人を眺めていると、横の材木座がメガネをカチャッとかけなおして俺の肩にボンと手を置いた。

 

 「八幡よ、案ずることはない。自分と仲良くしてくれる女子には大体友達がいるものよ。その類の勘違いで傷つくなんて今まで散々してきたであろう?」

 「いや、別にそんなんじゃないから。これはあれだ。お兄ちゃん子の妹が彼氏連れてきたみたいなそんな感じだから」

 「十分傷ついてんじゃん……」

 

 喋り方が素に戻ってるぞおい。

 まあ、材木座の言ってることを全否定はできないことは確かだ。一色に友達といえる友達がいないことに、俺はどこか親近感のようなものを感じていたのかもしれない。だからといって裏切られたとかそんなのは全くない。こいつに元彼的なのがいてもなにも不思議なことではないし。強いて言うならこの男がイケメンなことだけが俺の癪に障ってはいる。なんだよこのミ〇サ。巨人なら俺の横にいるからこいつ連れて一刻も早く帰ってほしい。

 

 「へぇ、いろは副会長やってるんだ」

 「うん。この人が会長だよ」

 「あ、ええと、どうも」

 「僕は九条裕介。いろはとは中学の時塾で一緒だったんだ。よろしくね」

 「あ、はい」

 

 やべぇ、この男の方が上だと本能が言っている。この天才的なオーラにやられているのか材木座も影を潜めている。俺はせめてもの反抗として、「初対面には敬語使えやクソガキがッ!」と心の中でつぶやくことにした。

 

 「しかも裕君ってあだ名じゃね、八幡」

 「材木座うるさい」

 

 こういうイケメンはなんで名前までイケメンなんだろうな。九条とか、金持ち以外許される苗字なんですかね?

 

 「ところでさ、いろは。来週のイブにうちでパーティをするんだよ。せっかく再会したんだし、よければ来ないかい?」

 「え?あー……」

   

 九条の提案に、気まずそうにちらとこちらを見る一色。

 知り合ってからまだ一か月ちょいの俺と中学からの知り合いでは言うまでもなく後者を優先すべきだろう。そこに俺が介入するのも気が引ける。

 

 「?なんか予定あるの?」

 「んーと、まぁ……」

 「別に気使わなくていいぞ。そっち行って来いよ」

 「え?いや、そういうことじゃなくて……」

 

 まあこの程度では気使いの一色なら申し訳なさで引き下がらないだろう。自分から誘っておいてドタキャンほどしづらいものはない。ここは徹底的に俺が後押ししてやろう。

 

 「クリスマスに人んちのパーティに招待されるとかそうないぞ。こっちはまた別日に行けばいいし」

 「会長さんもこう言ってるし、どう?」

 「……………………うん、じゃあ行こっかな」 

 

 よし、これにてめでたしめでたし。沈黙の間に一色がすごい睨んでた気がするけど気がするだけだ。超気のせい。

 

 「我なにも話についていけないんだけど、今の選択はまずかったのではないか?」

 

 材木座が何か言っているが気のせいだ。実際ディスティニーに行くにしてもチケットの期限は年末まであるし、九条の方を優先するのが得策なのは確かだ。未だ一色の視線が気になるが、俺は止まっていた作業を再開した。 

 

 「それじゃあ、僕は妹を迎えに行くよ。またね」

 

 爽やかに黒い髪を靡かせ、奥の講義室へ消えていく九条を見送ると、一色は笑顔で俺の足を踏んできた。

 

 

 「先輩はあっちの飾り付けお願いします♪」

 「いや、まだここ終わってないんだけど……」

 「いいから行け♪」

 「あ、はい……」

 

 …………っべー。マジで背筋が凍った。なんであんな怒ってるのん?女心難しすぎない?

 

 「だからまずいと言ったのに……」

  

 何はともあれ、今日材木座連れてきたの失敗だったわ。 




なんだか不穏な空気が漂ってきた本編ですが…………。
ここで出てきた九条祐介(くじょうゆうすけ)ですが、ビジュアルイメージは髪が短いミカサです(伝われ)。喋り方は食戟のソーマの薙切薊(学生時代)です(伝わらない)。

そんなことよりもうセンター試験だね。懐かしいなぁ。センターを目前にこのssを読んでる受験生は多分いないと思うけど、頑張ってね!
知らない人から言われる「頑張れ」ほど力にならないものはないけどそれでもいうよ!がんばれー!



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15話 あの日の

 「よし、行くか……」

 

 海浜総合と二度目の活動を終えて翌日、12月16日水曜日。

 いつも通り6限とホームルームを半醒半睡で切り抜け、気づけば放課後である。

 

 窓際後方では葉山グループがまだ談笑しており、その中にはもちろん由比ヶ浜の姿もあった。

 ポチポチと椅子にもたれてスマホをいじる三浦に話しかけつつも、無駄にでけえ声で喚く戸部にも上手く対応し、面倒になれば大和や大岡に話を振って受け流す。相も変わらずのコミュ力お化けだなぁとチラっと後ろを見ると、不意に由比ヶ浜と視線がぶつかった。慌てて逸らしたがそれも遅く、由比ヶ浜は話を切り上げてこちらへ駆け寄った。

 

 「ヒッキー、今日部活は?来る?」

 

 伺うように体を屈める由比ヶ浜に、俺は少しだけ体を反って距離を取った。近いしいい匂いだし明らかに後ろから視線感じて恥ずかしいからやめてほしい。

  

 「……今日特にやることないし、行くわ。めんどいけど」

 「そっか!……ていうか、めんどいとかいうなし」

 「いったぁ……」

 

 とん、と肩パンで抗議する由比ヶ浜に、さして痛くもないがそう言った。

 いやもうほんと、後ろから「ひゅ~」とかいう声が心に痛くて仕方ない。戸部マジでうるさい。

 

 「それじゃ一緒にいこ!準備してくるから!」

 「おぉ」

 

 ぬるっと返事をして、いち早く教室の外で待つことにした。だって、あの状況で教室で待つとか無理ゲーでしょ。三浦とか一見気にしてない風に見えるが、あれで由比ヶ浜大好き人間だから下手に動くといつ撃たれるかわかったもんじゃない。あれは暗殺者というよりスラムの街道で堂々とピストル構えてるタイプだわ。想像したら似合いすぎててちびる。

 

 「なんで先いくし」

 「いったぁ……」

 

 不満げな顔で、今度はわき腹にスクールバッグをぶつけてきた由比ヶ浜。

 マフラーとコートを着て準備が整ったようなので、俺は痛くもないわき腹をさすりながら歩き出した。

 これから部室に行くのだと思うと昨日のことを思い出してしまって気が滅入る。手伝わなくてもいいといった手前、どう雪ノ下に顔を合わせればいいのだ。そう思うと、右手に持ったスクールバッグも心なしか重く感じた。

 

 「いやー、冬休みも来週だね。ヒッキーは冬休みの予定とかあるの?」

 「あああるぞ。お年玉が小町だけに渡されてると知ってショック受けたりとか、家族旅行を見送ったりとかな」

 「ヒッキーの冬休み悲惨だ!?」

 

 ほんとそれなぁ……。家族旅行に関しては来週に行くらしいが、「どうせ来ないでしょ?」って端から誘われてなかったんだよなぁ。いやまあ、どうせ誘われても悩みに悩んで結局行かないから結果同じなんだけど、誘ってくれてもいいじゃない?僕も家族の一員なんですよ?

 

 「えーと、ほ、ほらっ!クリスマスの予定とかは?」

 

 気の毒なほどの俺の予定を聞いて、由比ヶ浜は慌てたように話を逸らす。この流れからしたらその話もアウトなことくらい察してほしいものだ。まあ昨日までは予定はあったんだが、それも無しってことになったしな。

 

 「普通に家にいると思うぞ。まあ小町のプレゼント買いに行くかもしれないけど」

 「ふ、ふーん」

 「クリスマスは家でゆっくりしたいもんだよな。なにせ最近の俺、珍しく忙しいし」

 「で、でもクリスマスの夜景とか超きれいじゃない?デートしてるカップルとか見るとあたしもその、憧れるっていうか……」

 「いいことを教えてやる。クリスマスでデートしてるカップルの8割はクリスマス用なんだよ。しかも2か月後にはバレンタインもあるからそれに向けて相手が欲しいだけで、4月になれば秒で別れるぞ」

 「彼女いたことないヒッキーに言われても全然説得力ない」

 

 由比ヶ浜の夢をぶち壊してやろうとクリスマスカップルの闇を語ると、由比ヶ浜はつーんっと拗ねたように口をとがらせる。

 甘いぞ由比ヶ浜。俺レベルのオタクともなると彼女はいなくても嫁がいるんだよ。つまりオタクは陽キャよりもリア充してるんだぜ。

 

 「…………あ、あのさ!」

 「どうした?もう着いたけど」

 

 何か言いかけた由比ヶ浜を遮ったせいで、やけに気まずい空気が流れた。やべーなんだよこの空気。なにその気まずそうな顔。最後まで聞いときゃよかったと若干後悔していると、由比ヶ浜は「ううん、なんでも!」と表情を一変させて、部室へ入っていった。

 

 「やっはろー!」 

 「こんにちは」

 「あっ、こん…………こんにちはー結衣先輩」

 

 由比ヶ浜を追うように俺も部室へ入ると、雪ノ下に加えて一色もいたらしい。

 

 あ、あれ……おかしいな。今完全に一色と目が合ったのに、由比ヶ浜にしか挨拶してなかったぞー?きっと僕の影が薄いせいで気づかなかったんだね。ちゃんとアピールしなきゃねっ!

 

 「比企谷君も、こんにちは。今日は来たのね」

 「……うす。生徒会の仕事全部会計と書記に押し付けてきたからやることなくてな」

 「生徒会長とは思えない発言ね……。投票しなくて正解だったわ」

 「違うな雪ノ下。それだからお前は協調性がないとか言われるんだ。これはワークシェアリングの一環なんだよ。新人には仕事を割り当てないといつまでたっても成長しない」

 「自分のことを棚に上げるとはよく言ったものね」

 

 呆れかえってこめかみを押さえる雪ノ下に、俺は言い返しもせずに文庫本を取り出した。棚どころかエベレスト山頂まで持ち上げてるまである。

 

 思っていたよりも普通に会話出来て心なしかホッとしたのは胸にしまっておこう。

 

 「一色はなんでここにいんの?」

 

 奉仕部でもないのに、と言外に聞いても、一色はこちらを振り返る素振りすら見せない。

 昨日、一色は九条祐介という海浜総合の男のパーティに招待され、俺と行くはずだったディスティニーの予定は変更することになった。おそらくそれから機嫌が悪くなったのだが、未だその理由はわからん。一色が九条のことを嫌ってる、という可能性も考えたが、だとしたら「裕君」なんて親し気に呼ぶだろうか。

 そして何よりも、材木座はその理由に気づいてる感じが一番鼻につくのだが……。

 

 にしても、反抗期すぎないですかいろはさん?

 

 「あ、そういえば結衣先輩、昨日オープンしたケーキ屋さん知ってますか?」

 「えっ?あ、うん、知ってるよ?」

 

 一色は全力で無視する気なのか、俺の話はなかったかのように由比ヶ浜へ話題を振った。由比ヶ浜と雪ノ下はそれを不自然に思ったのか、ちらちらと俺を見る。

 ま、まあ人に気づかれないとか「うんそうだねー」と適当に流されるとかは経験のある俺だが、こうも露骨に無視されると多少なりとも傷つく。

 

 俺は今にもあふれ出しそうな涙を堪え、そっと文庫本を開いた。

 

 「実はそこ、ネットでも結構バズってるんですよー。よかったら帰り行きませんか?わたしたち三人で!」

 

 倒置法でさらに心を抉ってくるという高度テクを使って、一色は露骨に俺を省きだした。

 こいつ……。イジメ側にいたらそこそこ厄介なタイプだわー。タイマンではなく城壁のように周りを取り込むその感じ、中学の時にもそういう奴いたわー。

  

 「ね、ねえいろはちゃん、ちょっと……」

 

 さすがに見過ごせなくなったのか、エアリーダー由比ヶ浜がちょいちょいと手招きして一色に耳打ちをしだした。俺は文庫本に目を落として、「別に気にしてねえけど?」と平然を装いつつもちらちらと二人の様子を見やった。

 

 「ヒッキーとなんかあったの?」

 「なんかもなにも、この人とは最初からなんの関係も交友も縁もないですよー」

 「絶対なんかあったじゃんその感じ!」

 「えー…………じゃあ結衣先輩は、わたしが先輩と『何かあった』方がよかったんですかー?」

 「へっ!?だ、ダメに決まってんじゃん!!い、いろはちゃんまさか……」

 「なーんて、なにもないですけどねー」

   

 こそこそやいやいと何を話しているのかわからないが、話しながらも二人はちらちら俺を見てきて居心地が悪い。わ、悪口とか言われてないかしら……。

 とちょっと心配になっていると、雪ノ下がぱたりと文庫本を閉じて軽蔑した目線を送ってくる。

 

 「どうせ、比企谷君がまた嫌がらせでもしたのでしょう?」

 「前科持ちみたいに言うじゃねえよ。してないから、たぶん」

 「その含みのある言い方、心当たりはあるのね」

 「なんか俺が加害者みたいになってるけど、いつも被害被ってんの俺だからね?そもそも、こんな棘だらけでやったら100倍でやり返してきそうな面倒な奴に俺が積極的に関わるわけがない。友達クエストレベル100くらいの難易度でしょ、コレ」

 

 「コレ」呼ばわりしたことも相まってか、一色は俺の訴えにピクリと反応すると、超絶冷え切った笑みを浮かべて、

 

 「何か言いましたかぁ先輩?」

 「いえ何も言ってないですごめんなさい」

 「やっぱりなんかあったんじゃんこの二人……」

 

 物理的に人を射殺しそうなこの笑顔にはさしもの俺も抗えそうにない。その瞳の奥で「次なにかいったら、わかってますよねー?」と死刑宣告しているに違いない。

 

 この部室にはもはや安息のスペースはない。

 もうおうち帰ろっかな……。俺の安住地は我が家しかないのかおよよ……と心の中で泣き崩れていると、雪ノ下が呆れたようにこめかみに指を当てて、

 

 「まったく、まるで痴話喧嘩ね。聞いていて辟易するわ」

 「ち、ちわっ!?」

 

 その雪ノ下の言葉に一も二も無く反応したのは、由比ヶ浜。

 しかし驚きと動揺を露にした由比ヶ浜とは対蹠的に、向かいの一色は心底嫌そうな顔を浮かべた。

 

 「やだなー雪乃先輩。いくらなんでもそれは笑えませんよー」

 

 手を横に振って「ムリムリ」という一色を、由比ヶ浜が伺うように見る。一色はそれを受けて、両手で小さくバツをつくり。さらにそれを見た由比ヶ浜が「うんうん」と小さく頷いて両手で小さくガッツポーズを一色に見せた。そして、「シャキーン」と音がしそうなほどのサムズアップをお互いに交わすと、二人は何事もなかったかのように紅茶をすすった。

 

 え、何その意思疎通?今二人の間でどんな駆け引きが繰り広げられていたのか俺には全く見当もつかないんだけど?これが噂に聞く女子語という奴だろうか。きっと、男には底知れぬコミュニケーションを交わしていたに違いない。

 

 と、女子の驚異的な意思伝達方法を垣間見てブルブルと内心恐れ慄いていると、コンコンと部室のドアからノック音が響いた。

 珍しい来訪者に俺たち四人は視線を合わせると、部長の雪ノ下が「どうぞ」とドアの向こうにいるだろう人物に声をかける。

 

 「し、しつれいしま~す……」

 

 弱々しい声と共に、一人の女子生徒が入ってくる。キョロキョロと部室内を見渡す彼女に、雪ノ下が「こちらの席へ」と一色の隣に置いてある依頼者用の席を指示した。

 一色にとっては初めての依頼者(といっても一色は奉仕部員じゃないが)ということもあってか、一色はあたふたしながら由比ヶ浜と雪ノ下の間に席を移動した。

 

 「ここが奉仕部の部室って聞いてきたんですけど……」

 

 肩まである内巻きの茶髪を揺らし、恐る恐る依頼者用の席へ腰かける。

 

 「部長の雪ノ下です。さっそくですが、なにかお困りなことが?」

 「あ、はい。えっと……」

 

 静まり返った部室で口を開きにくいのか、おずおずと視線をちらつかせる彼女。その視線がやがて俺のところでとまったかと思うと、次の瞬間ふっと顔を逸らした。

 

 ──おっとこれは?露骨な「視野に入ってくんなテメエ」な態度か?

 中学にもあったんだよなぁ。俺とうっかり目が合った女子に「あ、ごめん無理」と告ってもないのに振られた経験が。コイツもそのタイプかオラッ!?とトラウマ八幡君が顔を出し始めていると、しかし彼女は少し顔を俯かせて、俺を伺うように。 

 

 「あの、覚えてませんか?以前モールで会ったことがあるんですけど……」

 「……はい?」

 

 突然ご指名を受けたおかげで、三人の視線が一気に俺に集中する。

 以前モールで会っただと?果たして誰と勘違いしているのだろうかと思いながらも、最後にモールへ出かけた一か月ほど前の記憶を遡る。確かその日は小町のお遣いで駅構内のモールへ出かけ、そこで一色に捕まって……──。

 

 「あ、みずきの」

 

 記憶がつながり、俺も指を差し返した。

 そうだ。たしか、みずきの姉だ。もはや一か月も前で記憶からうっすら消えかかっていたものの思い出せたのは、今でもみずきと顔を合わせる機会があるからだろう。

 

 「覚えててくれたんですか!?そうですそうです!あの時はありがとうございました!本当に助かりました!」

 

 キラキラと瞳を犬のように輝かせ、犬のようにぶんぶんと頭を下げた。

 数分しか顔を合わせていなかったが、この犬感には確かに覚えはある。おまけにみずきの兄はあの海浜総合高校の生徒会長ときたもんだ。ということは。

 

 「あ、紹介が遅れてすいません。三年の玉縄といいます」

 

 ですよねー……。

 

 ここ一か月の登場人物三人が縦一直線につながり、俺は思わず苦笑を浮かべた。

 みずきと玉縄姉の間にヤツがいると思うと一気に脱力してしまうのはなぜだろう。思い出しただけでロジカルシンキングだのブレストだの脳内でリフレインしてマジで玉縄うるせえ。

 

 「みずきちゃんって海浜総合と会議した時の?」

 「ああ。迷子センターに届けた先で、な」

 「へー……」

 

 聞いといてそのそっけない返事はなんなんですかね。ていうか、おい由比ヶ浜やめろそんな目で俺を睨むな。なにもしてないのに何かやらかしたのかと思ってちょっと心配になるだろうが。

  

 「それで、相談というのは?」

 「あ、はい。その前にお三方にお聞きしたいことがあるんだけど、いいかな?」

 

 茶色の髪をさわさわといじりながら、女子三人を伺う玉縄姉。

 「三人」という単語に自分も含まれているのかと遅れて気づいた一色は背筋を伸ばし、雪ノ下と由比ヶ浜に関してはさして身構えるでもなく玉縄姉の続きを待っていた。

 

 女子空間が一層強まる部室に、果たして俺はいていいのだろうか。なんなら今すぐ抜け出してマッ缶買いに行きたい。そんな居心地の悪さマックスに浮足だっている俺を見ずに、玉縄姉は「すぅー」と大きく息を吸い込み。

 ビシっと俺を指さして、叫んだ。

 

 

 「私は比企谷君のことが好きですが三人は比企谷君のことをどう思いますか!!!!!」 

 

 

 そう、それはもう叫んでいた。

 

 標高数千メートルの山から轟く山彦のように。

 あるいは、夏の甲子園、決勝の舞台で声援を送るチアリーダーのように。

 そしてあるいは、メガホン片手に必死で講じるウグイス嬢のように。

 

 

 ……──。

 …………──。

 ………………──。

 ……………………──。

 

 「………………………………はぁ?」

 

 

 数秒停止していた脳が無意識的に発したのは、そんな間抜けな声だった。

 あ、あれかな。聞き間違いかな?比企谷君のことがスシですがって言ったのかな?じゃないとあんな大声でしかも本人のいる前で言うはずがないだろう。

 

 身体が硬直していく中、そう自己完結に至っていると、同じく硬直していた雪ノ下が頭痛を押さえるようにこめかみに手をあてて、俺の言葉を代弁した。

 

 「き、聞き間違いでしょうか?比企谷君のことを好きだと言ったのですか?」

 

 頼むから嘘であってくれという意味を孕んでそうな雪ノ下の質問に、しかし玉縄姉、平然とした表情で。

 

 「はい。言いました」

 「………………」

 

 その玉縄姉の答えに、雪ノ下は名状しがたい表情を浮かべる。

 そしてその横、一色と由比ヶ浜は口を半開き状態で石像化していた。

 

 仕方ない。ここは再起不能の三人に代わって俺がこの謎を解読してやろう。

  

 モールで一度会った以外に接点のない、まして名前すら知られていないはずの女子からの告白。こういった類は中学で既に経験済みなのだ。こいつらは知らないだろう。物陰に隠れてクスクスと笑っていやがる生徒たちがいることを。

 

 「それで、これはなんの悪戯ですか」

 「え?」 

 「いや、話したこともほとんどないですし、好かれる理由がないじゃないですか。罰ゲームとかそういうのじゃないんですか」

 

 さして気にしていない風に聞くと、玉縄姉はぽかーんと口を開けた後、考えるように人差し指を顎に当てた。

 

 「全然そんなじゃないよ。迷子センターで初めて会って、かっこいいなって思ったの。そしたら比企谷君総武高の生徒会選挙に出て、しかも会長でしょ?それを知った時に、「あ、あの時の人だ!」ってなって、それから気になり始めて、気づいたら好きになってたんだよね」

 

 ほんのりと顔を赤らめ。

 もじもじと身を捩りながら。

 極めつけにえへへっと困ったような微笑みを浮かべたその表情に。

 

 俺は不覚にも見惚れてしまった───…………。

 

 

 

 なんてラブコメ展開はもちろんあるわけがなかった。

 

 いや、え?この人マジなの?マジで俺に惚れちゃってる雰囲気出してるけどマジなの?

 ていうかなんでこんなところでそんなこと口走ってるの?馬鹿なの?死ぬの?

 そうだきっと天も呆れるほどの阿呆に違いない。でなければ他に人がいる前で告白なんてしないし、俺を好きになる時点で俺の中でヤバい人認定されてるまである。

 

 さすがは玉縄の姉と言ったところか。思い返せばみずきも独特の雰囲気を持っていたりするし。

 どうなってんだよ玉縄家。

 

 「や、やめておいた方がいいですよ?確かに先輩は友達いないしどうしようもないロクでなしだから簡単に騙せそうですけど、実際根性ひん曲がってて人のこと全然信用しないから美人局なんて通用しないですよ絶対」

 「お前の俺に対する評価はいったん気にしないでおくけど、俺会長で君副会長だからね?一応いっとくけど」

 

 先ほどまで固まっていた一色がつらつらと俺の悪口を言い連ねていくその横で、由比ヶ浜はまだショックが抜けきれないのか、明後日の方向を眺めていた。

 

 「騙そうなんてとんでもないよ。私は真剣に比企谷君のこと好きだもん。それで、実際どうなのかな?」

 「え、えっとー、そうですね……」

 

 一色は真摯に向けられた眼差しから逃げるように頬を掻き、由比ヶ浜に耳打ちをした。

 

 「ちょ、ちょっと結衣先輩固まってる場合じゃないですよ。この人色々ヤバいです」

 「……………………へ?あ、えーっと、うん、そだよね。そのケーキ屋さん行ってみたいかも」

 「ダメだこれ……」

 

 こいつはもう使いモノにならんと呆れてため息をつく一色は、今度は雪ノ下に体を寄せた。

 

 「雪乃先輩、どうします?」

 「そ、そうね。そもそも彼女の質問に答える義理はないのだし、ここは退席してもらいましょう」

 

 雪ノ下はコホンと一度咳払いをすると、玉縄姉へ向き直って。

 

 「恐れ入りますが、依頼がないのでしたら応じかねます。ここは奉仕部ですので」

 「あ、ごめんなさい。率直に言えば比企谷君と付き合いたいの。だからそのお手伝いをしてほしいんだけど……」

 

 「ちょっと飯食ってくる」くらいのノリで放たれた玉縄姉の衝撃的な言葉に、奉仕部メンバー一同プラス一人は頭の回転が追い付かなかった。

 待て待て。コイツ色々とネジがぶっ飛んでやがる。

 

 「……え、つきあ…………え?」

 

 壊れたロボットのように口をパクパクする雪ノ下に、玉縄姉はなおも続ける。

 

 「でも比企谷君と仲いい三人は総武高屈指の美少女でしょ?だからこの三人の誰かと付き合ってたら私なんかじゃ敵わないなって」

 

 …………なるほど。コイツの言い分はわかった。コイツには好きな人がいて、付き合えるように手伝ってほしいと。でもその好きな人と仲がいい女子は超絶美少女達だから手を出しづらいと。

 

 いたって普通だ。普通の女子高生っぽい悩みだ。それを相談のプロ(仮)である奉仕部に依頼するのも悪くない。

 

 ただ、その好きな人当人が目の前にいることだけを除いては。

 

 いや、普通恋の相談とか好きな人がいないところでやるだろと、俺は誰もが抱くであろう最大の疑問を彼女にぶつけた。

 

 「あの………百歩譲って俺を好きだってのはわかりましたけど、なぜその話を俺の前で?」

 「男子はその方が意識するって聞いたから」

 「は、はぁ……」

 

 つまりアレか。「おい、あの子お前のこと好きらしいぜ?」と男友達などから噂を聞くとやたらドギマギしたり逆に気になったりするんじゃないのかってことか。

 だとしても何かが違う気がするが……。

 

 しかし今の俺には言い返す気力は残ってなかった。仮に言い返してもこの変人先輩が聞き入れてくれる気がしない。玉縄家には人の話を聞かないとかいう家訓でもあるんですかね。

 

 いい加減、考えることすら面倒になってきて思わずため息を吐いてしまった。ふと一色の方を見ると、なにやら俯いて肩を震わせていた。どうかしたのかと声をかけようとしたところで、一色は手をそろそろと上げた。

 

 「わ、わたし……」

 「一色さん?」

 

 耳まで真っ赤に染まり、どこか強がるように笑みを浮かべると、一色は。

 

 

 

 「わたし!!先輩と付き合ってるんで!もう、き、キスとかめっちゃしてますし!超ラブラブですし!だから先輩はあなたと付き合わないですから!!!」

 

  

 言い切って、一色はふんすと、どこか誇らしげに胸を張った。




こんにちは、こちら寒いです。

今後のお話(文章)の書き方についてご意見を頂きたくて……。もしよろしければ、最新の活動報告を覗いていただけると嬉しいです。お願いします。……ぃします…………ます…………す……。


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16話 会長だから

先日アドバイスしていただいた方々、ありがとうございました……!
このままで読みやすいというお声を多く頂いて、嬉しくてバレンタインデーに泣いちゃいました(大嘘)
バレンタイン、めっちゃチョコもらいました(大嘘)



 その一色の言葉に、部室の気温は氷点下まで急降下し、石像化していた由比ヶ浜は灰となって風に散った。

 

 そして対面に鎮座する本日の依頼者、玉縄姉は今何を思っているのだろうか。

 好きな人に彼女がいると知り、さらには「キスしまくり」「イチャイチャ」と恋する者には少々ショッキングな言葉を聞いて、第一に抱くのはやはり嫉妬心だろうか。とはいえ、それも全ては自業自得だ。そもそも自分から付き合ってるのかどうかを聞いてきたのだ。完全に自爆である。ボンバーマンで言ったら自分の置いた爆弾に挟まれて死ぬようなものだ。

 しかし、その表情は俯き、茶色の髪で隠され伺うことができない。

 

 片や、俺。

 もちろん、一色の言葉に動揺なんてしているはずがない。

 何故ならコイツとはイチャイチャもしてなければキ…………sもしていない。付き合っているなどもってのほかだ。

 一色の突拍子のない言動にはさすがに慣れてるのである。

 

 そう。

 例え「キス」という単語を聞いても、一色とのソレを想像したりなんてしていない。してないったらしてない。するとしたらしっかりと家に帰って一人になってからする。いや今はその話はどうでもいい。

 つまり、畢竟、帰するところ、だ。

 

 クッソ地獄の空気が流れていた。

 

 きっと、今ここに可憐な一輪の花が咲いていたとしたら、躊躇いなく枯れることだろう。

 そんな現状を引き起こした当人、一色いろはは何故か誇らしげに胸を張って、ふんすと鼻を鳴らした。

 

 「先輩はわたしのことを好きどころか、超超超大好きなので、きっと玉縄先輩なんかには見向きもしないです」

 

 何故この空気の中、言うに事欠いて追い打ちをかけられるのか、それはまた今度じっくり聞くことにして。一色の意図するところは理解できる。

 この話の聞かなそうな先輩を退出させるための発言なのだろう。

 だとしてももっと他にやり方があるだろ。そんなオーバーキルまでしたらいつメンヘラになるかわかったもんじゃない。

 

 そう内心不安になりつつも、俺は玉縄姉の反応を待っていた。

 いや、別にポケットからカッターナイフを取り出したりするんじゃないかとか疑ってるわけではなく。

 すると玉縄姉は、俯かせた顔をそっと持ち上げて、震える唇を開いた。

 

 「そっ、か。そう、だよね。うん。……正直、比企谷君は誰とも付き合ったりしないだろうなって、勝手に思ってたから、ちょっとびっくりしちゃった」

 

 拙く言葉を紡ぐ彼女の目には、しかし涙は浮かんでいない。あまりに衝撃的すぎてショックよりも驚きが強かったのだろうか。

 むしろ彼女は、「あはは」と困ったような笑みを浮かべていた。

 なんだろう。この罪悪感。俺はなにも悪いことしてないのに……。本当にこれでいいのか比企谷八幡。もしこのチャンスを逃したら一生彼女ができないのではないのか。今ならまだ間に合うのでは…………。

 と一瞬悩みかけた俺だったが。

 

 「一色さん、それ、嘘じゃないよね?」

 

 冷え切った玉縄姉の言葉に、俺は背中に冷や汗を流した。

 言われた一色もピクッと眉を震わせた。

 

 「う、嘘じゃないですよ?」

 「…………そっかー。ワンチャンあるかなって思ったんだけどなぁ。…………比企谷君、なんかごめんね」

 「あ、いや、別に……」 

 

 こ、こっえー……。

 先ほどまで柔らかい印象を抱かせていた玉縄姉の雰囲気が、今の一瞬だけ雪ノ下姉に匹敵するくらいの冷ややかさを持っていた。

 

 「変な依頼してごめんなさい。失礼しました」

 

 玉縄姉はそう一言だけ残して部室を出ていくと、由比ヶ浜除く3人は弛緩した部室にため息を吐いた。

 

* * *

 

 玉縄姉が部室を出て行って30分ほど経っただろうか。

 モノトーン化して動かなかった由比ヶ浜に、一色は全ての事情を話した。

 事情というのはもちろん俺と一色が本当は付き合っていないということだが、そんなこといちいち説明しなくてもわかることだろと言いたい。まあ、ガ浜さんといろはすは結構仲いいみたいだし、そんな可愛い後輩が俺みたいなロクでなしと付き合ってると聞けばそれなりのショックを受けるのだろう。

 

 「まるで嵐のような人だったわね」

 「ほんとですよぉ。悪気ない感じとか、城廻先輩の天然とはベツモノっていうか。あの人絶対女子に嫌われるタイプですよ」

 

 女子に嫌われてる女子代表のお前がそれ言うのかよ……と喉まで出かかった言葉を必死に飲み込んだ俺、超グッジョブ。一色は嫌われ女子日本代表選手に選ばれても不思議じゃない。もう豪炎寺君も顔負けでストライカーになれるまである。

 

 「いやー、びっくりしたよね、色々」

 「結衣先輩の今後が心配になりました……」

 「い、いろはちゃんのせいでもあるからね!?」

 「それは本当にごめんなさいです」

 

 いつも通り、部室内に和やかな空気が流れ、これにて一件落着……とはいかず。

 三人の視線が急に俺へと集まった。

 

 「それで、比企谷君。どういう方法でたぶらかしたの?」

 「そうですよー。先輩の目を見て惚れるなんて天地がひっくり返ってもありないですし」

 「しかも結構可愛い系だったよね。男子からはモテそうな感じだったし……」

 

 矢先を俺に向けたかと思えば相変わらずひどい言いがかりだ。

 俺は訴える視線を三人に向けつつ、ごほんと咳払いをした。

 

 「むしろ、俺のモテる要素といったらこのキリッとした目とスタイル以外ないでしょ。内面知られてないからこそ玉縄姉は俺を好きになったんじゃねえの?」

 「なんだこの人ムカつく」

 

 いや自分で言ってても煽ってるようにしか思えねえな。でも実際そういう事になっちゃうだろ……。

 それといろはすさん?ムカつくなんて言葉使いが悪いわよ。一応僕先輩だからね。

 

 「いっそのこと、あなたの内面を知ってもらった方が手っ取り早く諦められたかもしれないわね。例えば個室で二人きりにさせて対談するとか………………しかし、それだと彼女が何をされるかわからないわね。ごめんなさい、撤回するわ」

 「ねえ、悪口言うために自分で振るのやめてもらえる?」

 

 ノリツッコみならぬノリ悪口とか何それ斬新だなおい。ゆきのんさんはなんでそんなに俺の悪口言うの好きなの?ドSなの?ドSだったわ。

 と恨めし気に睨んだが、確かに雪ノ下の言わんとしていることはわかる。あくまで今回の対処は一時的なものに他ならないということだ。

 由比ヶ浜もそれに気づいているのか、不安気に一色に尋ねた。

 

 「でもさいろはちゃん、大丈夫なの?」

 「何がですか?」

 「俺と付き合ってるって校内に広まったら、何かとまずいんじゃないかってことだ。会長と副会長でってなると、学校の模範としてはよく思わない生徒もいるだろ。それにまあ……面白がる奴もいるしな」

 「それは…………すいませんでした。咄嗟だったのでよく考えずに口走っちゃって……」

 

 一色は自分の軽率さを省みるように、語気は尻すぼみに弱くなっていた。

 申し訳なさそうに眉を曲げ、落ち込む一色に俺は少し罪悪感を覚えた。

 

 決して一色を責めてるわけではない。今回の噂が流布すれば、一番ダメージを負うのは一色なのだ。「よく思わない生徒」とは言ったが、実際俺が危惧しているのは「面白がる奴等」の方だ。特に女子の敵が多い一色が俺と付き合っている噂なんか広まれば、ボブを始めとした連中が一色に何をするのかわかったものではない。

 

 肩を落とす一色に、俺は思わず頬を掻きながら声をかけた。

 

 「いや、まあでもアレだ、……助かった。実際結構困ってたし、一色が言ってくれなきゃたぶんどうにもできんかった。だからまあ………サンキュな」

 

 人に感謝の言葉を伝えるのはどうしてこうも気恥ずかしいのだと感謝の神様に内心悪態吐きつつも、俺はなんとか最後まで言い切ることができた。も、もうゴールしてもいいよね……?

 

 「い、いえ……わたしは何も…………」

 

 そうそう。感謝を伝えられる方も結構恥ずかしかったりするんだよな。俺も小町から面と向かって言われると結構照れ臭かったりするし。

 だから一色さんお願いしますそんな顔赤くしないでもらえます?なんか変な空気になっちゃってるでしょ?

  

 心なしか自分の顔が上気している気がして、悟られないように視線を逸らした。

 そんな俺をしらーっとした眼で見てくる雪ノ下と由比ヶ浜をわざとらしい咳払いで受け流し。

 再び文庫本に手をかけようとしたところで、ガラガラと部室のドアが開かれた。

 

 「比企谷、いるかー?」

 

 いつもの如く白衣を纏った平塚先生が俺を呼び出しに来たみたいだ。

 いやー、危なかったな。俺が女子に告られたとか知ったら平塚先生嫉妬で卒倒するかもしれないしな。 

 

 「生徒会について話があるんだ。ちょっといいか?」

 

 こっちに来いと席を外すよう促す平塚先生に、俺は三人の方を向いて頷いた。

 

 「時間もいい頃だし、戻らなくていいわ。鍵は閉めておくから」

 「あいよ」

 「またね、ヒッキー」

 

 マフラーとバッグを片手に持って、俺は平塚先生の後をついて行った。

 …………一色だけ別れの挨拶がなかったんだけど。こいつまだ怒ってんのかよ。

 

* * *

 

 「昨日の合同イベントに顔を出せなくて悪いな。進捗はどうかね?」

 「まあなんとかやれてるんじゃないですか?こっちの負担も最小限に抑えられてますし」

 「それは相手校の負担が最大限に増えているということだろう……。君は合同という意味を改めて理解する必要がありそうだな」

 

 平塚先生は嘆息しながら、生徒会室中央に設置されたテーブルをはさんで、対面のソファに腰かけた。

 

 書記と会計は俺が押し付けた仕事を既に終えたのか、会長机に数枚の書類が重ねられていた。

 うーん、あいつら会長の俺より圧倒的に優秀なんだよなぁ……。全く使いモノにならない会長と副会長の下でよく仕事するもんだ。社畜検定免許皆伝の資格を与えたくなるな。

 

 「予算についても特に問題はないですよ。あとは展示品をクリスマスまでに完成させられるかにかかってるんで、やれることは小学生たちのサポートと、直前の会場設営だけですかね」

 「そうか、ならいい」

 

 言って缶コーヒーを呷る平塚先生を横目に、すっかり暗くなった外を眺めた。

 奉仕部もそろそろ解散してる頃だろうか。俺もさっさと済ませて早く帰りたい。

 

 「それで、話ってなんですか?不審者に襲われたくないんで早く帰りたいんですけど」

 「安心したまえ。不審者が不審者を襲うことはないからな」

 「教え子に言うセリフですか……」

 

 平塚先生は生徒会について話があると俺を呼び出した。生徒会の話なら、なぜ一色も呼ばなかったのだろうか。まさか俺だけ仕事が増えるのでは……と少し億劫になっていたが、しかし平塚先生は軽くため息を吐いた後、神妙な顔持ちで口を開いた。

 

 「まあ……ちょっと一色についてな」

 「一色?」

 

 拍子抜けした俺に、平塚先生は続ける。

 

 「彼女のことだ。少なからずよく思わない生徒がいることは予想に難くないだろう」

 

 婉曲的な言い回しだが、先生の言おうとしていることはその曇った視線からもわかった。なるほど。一色を呼ばなかった理由はこれか。

 一色がボブ──倉敷ほのかを取りまく女子生徒から嫌がらせを受けていることは俺だけでなく、雪ノ下や由比ヶ浜も目の当たりにしていることだったからだ。

 

 「……まあ。俺も何度か居合わせたことありますし。何も出来なかったですけど」 

 「君が罪悪感を抱く必要はない。本来、教師である私がなんとかしてやらねばならないことだ」

 

 平塚先生にしては珍しく、俯いた目は虚ろで、その表情には何もしてやれなかったという無力感にも似た複雑な感情が見て取れる。

 きっと、倉敷から嫌がらせを受けていたのは最近に始まったことではないのだろう。それこそ、生徒会選挙が始まるよりも前にあったのではないか。

 平塚先生も何度か直接指導はしたのだろうが、アレはそれだけで更生するような質じゃない。

 

 「もちろん、一色の周辺には私も細心の注意を払うつもりだ。しかし残念なことに、常に監視できるわけじゃない」

 

 言って、平塚先生は真剣な眼差しを向けると、背筋を伸ばした。

 

 「だから、比企谷。私の目の届かないところでは、お前が彼女のことを見ていてくれないか」

 「えぇ……なんすかその元カレと今カレの意志みたいなの……」

 

 ピシッと折り目正しく頭を下げてくる平塚先生に、俺は居心地が悪くなってそんな軽口をたたいた。

 一色の現状は俺も理解しているし、何とかできたらとは思う。だが実際、そんな大役俺には向いてなさすぎる。

 平塚先生は頭を上げると、少し呆れたように苦笑いを浮かべた。

 

 「ばかもの。そこは嘘でもかっこつけるところだろう」

 「……ていうか、なんで俺に?人を守れそう感で言ったら、たぶん奉仕部の女子二人にすら負けますよ、俺」

 「あの二人は少し頼りがいがありすぎるのさ。もう少し弱みを見せたほうが可愛げがあるんだがなぁ……。…………まあしかし、君にしか頼めない理由もある」

 

 ほう、それは一体何だろうと考える俺を見て、平塚先生は手のひらを上にして人差し指をこちらへ向けた。まるで悪戯っ子が微笑むような顔で、先生は。

 

 「会長、だろ?」

 

 その言葉を聞いて俺は少しだけ顔をひきつらせてしまった。

 だって、イミワカンナイんだもん……。無駄にイケボだったのが余計に意味わからない。

 と未だににピンと来ていない俺に、平塚先生は得意げに腕を組んだ。

 

 「生徒会の存在意義は、生徒が健やかで快適な学校生活を過ごすために問題を解決することだ。生徒会長はその象徴的存在ともいえる。そして、その生徒の中にはもちろん副会長も含まれる」

 「はあ……」

 

 急に正論言わないでよぉ……。骨身に堪えるよぉ……。

 と、俺は会長になったことを改めて後悔した。いやまあ、そこまで言われたらやりますけども。

 

 「これ以上の説明はいるかね?」

 「いえ、いいです……。ていうか、会長なんて建前なくてもやりますよ別に」

 「ほう?」

 

 俺の言葉に、平塚先生は少し驚いたような表情を見せた。

 例え一色が俺と知り合う前から倉敷から嫌がらせを受けていたとしても、俺と無関係だということはもうないのだ。むしろ、俺が原因で悪化さえしているのではないかと思う。ならば、その責任は最後まで果たすのが筋だろう。

 

 「一色にはいろいろ助けられたりもしましたし、知ったうえで無視なんてしたら妹に怒られるんで」

 「…………」

 「それに……」

 

 と、付け足して、俺は視線を逸らした。

 

 「平塚先生に頼まれたら、やりますよ」

 

 言うと、先生は少しの間ぽかーんと口を開けた後、テーブルを飛び越えて俺の頭をガシガシと撫でてきた。

 

 「比企谷ぁ!!お前ってやつはぁ!嬉しいこと言ってくれるじゃないかこのこの~!」

 「ちょっ、な、なんすか……」

 

 わしゃわしゃと髪を雑に弄ぶ先生に口で抗議するも、しかし突き放したりはしなかった。

 ………………いや、うん。別に、さっきから顔に当たる胸的な何かを意識してるとか、何だコレ一生埋まっていたいとか考えたりなんてしていない。ワイシャツのボタンが顔に引っかかってそこそこ痛いのも気にならないくらい柔らかいとか絶対に思ってないんだからぁ!

 

 と、いい加減引きはがそうとしたところで、先生は手を止めて、落ち着いた声音で口を開く。

 

 「…………頼んでおいてだが、無茶だけはするなよ」

 「大丈夫っすよ。無理をしないのが俺の信条なんで」

 「そのくらいでなきゃ、私が心配だからな」

 

 そう言って、平塚先生はやっと俺を解放した。

 俺は乱れた髪を適当に手櫛で直しながら、平塚先生に向き直る。

 

 「まあ頑張ってみますけど、あんまり期待しないでくださいよ」

 「……ああ、わかった」

 

 先生はそう返事をすると、テーブルの上に置いていた缶コーヒーを持った。話は以上だという合図だろう。俺もそれに続いて帰り支度を済ませる。

 生徒会室の電気を消して出ると、廊下はほとんど消灯されており、薄暗かった。

 平塚先生に別れの挨拶をし、生徒玄関へ歩き出す。

 

 ……まずはあいつの機嫌直しから始める必要があるんだよなぁ……。

 

* * *

 

 生徒玄関は森閑としていて、俺の足音だけが響いていた。

 下校時刻がとっくに過ぎているせいか電灯も消されていて、玄関のガラスドアから照らされる月明かりがやけに青く見える。

 下駄箱から靴を取り出して、つっかけるように履いていると、生徒玄関外に佇む一つの人影が見えた。月明かりの逆光で後ろ姿がよく見えないが、誰かを待っているようだ。

 ドアをくぐり、横を通り過ぎようとした時に、その髪色は見覚えのある亜麻色だった。もしやと思って顔を覗くと──、

 

 「一色?」

 「……先輩遅いです」

 

 不満げな顔をした一色が、スクールバッグをとんとぶつけてきた。

 

 「何してんの?」

 「先輩を待ってたんです。もう暗いですし、早く帰りましょう」

 

 何事もないような口ぶりで歩き出す一色に、俺も一拍遅れて歩き出す。

 えっと?色々聞きたいことがありすぎて僕ちょっと混乱してるんだけど、君怒ってたんじゃないの?いや今も怒ってるっちゃ怒ってる態度だけども。そもそもなぜ一色は俺を待ってたのか。

 何から聞こうかと逡巡する俺を見ず、一色が先に聞いてきた。

 

 「生徒会の話って言ってましたけど、なに話してたんですか?」

 

 思わぬ質問に、俺は一瞬だけ狼狽えた。

 まさか一色を守る云々の話など、一色本人には口が裂けても言えない。

 一色もそんな話をされてるとは思っていないのか、あっけらかんとしていた。

 

 「今後の活動方針についてちょっと話しただけだ。…………ていうか、君怒ってたんじゃないの?」

 

 ばつが悪くなって、話を逸らした。

 すると、一色は急に立ち止まって、前を向いたたまま答えた。

 

 「怒ってますけど」

 「怒ってんのかよ……」

 

 答えて、一色はまた歩き出す。

 ほんっと女子って難しいなぁ……。彼女歴白紙の俺にどうやって女子の気持ち理解しろっていうんだよぉ……。

 と内心半べそかきつつ、別の気になることを口にした。

 

 「それで、怒ってんのになんで俺を待ってたわけ?」

 「……………………だって、お仕事を終えた会長を労う後輩副会長とか、超評価高くないですか?」

 「労ってから言ってくれませんかね」 

 「こんな可愛い女の子、見てるだけで疲れ取れるじゃないですかー?」

 

 くるっと振り返って、あざとく上目遣いをする一色。

 あながち当たってるから何も言えないんだよなぁ……。

 ていうか、怒るのかぶりっ子するのかどっちかにしてもらえませんかね。

 

 「………………」

 「…………」

 

 気づけばお互い口数は減り、地面をたたく二人分の足音だけが夜空に響く。

 秋までは自転車通学だったが、この時期になると自転車では風が冷たく、仕方なく歩きで登下校することが多いのだ。電車賃はかかってしまうが、受験生の小町に風邪を移すわけにいかないという俺の説得で交通費は親からもらえている。俺ってばこういう時にだけやたら頭回るんだよなぁ……とそんなことを考えながら歩いていると、斜め前を歩く一色は空を見上げていた。

 つられて俺も見上げる。

 

 空には雲ひとつなく、青い背景に無数の星が煌めいていた。

 クレーターまで見える満月はその星々よりも何倍も大きい。

 

 二人、夜空を見上げたまま数秒、あるいは数分経ったのかわからないが。

 ふと、一色がぽつりと呟いた。

 

 「月、綺麗ですね」

 

 一色の言葉は柔らかで、白い息とともにすぐに溶けていった。

 

 文学に興味のない者でさえ、この文言は知っているだろう。

 知ったうえで、一色はあえて俺にそれを言ったのか。それとも、ただの感想なのか。 

 どちらにせよ、月明かりに照らされた一色の横顔に、俺は思わず見惚れてしまった。

 すると、一色はそんな俺の内心を知ってか知らずか、急にくるっとこちらへ振り返る。

 

 小悪魔の如く悪戯な笑みを浮かべ。

 獲物を捕らえるかのように目を細め。

 妖艶に、あざとい上目遣いで、

 

 「ドキッとしました?」

 

 そんなあざとすぎるセリフを吐いた。

 この後輩には情緒とか情操というものがないのだろうか。

 それとも一日10回以上あざといセリフを言わないと死ぬとかデ〇ノート的な制約でもあるのだろうか。

 

 立ち止まった一色を無視するように、横を通り過ぎて言った。

 

 「最後の一言がなきゃな」

 

 何気なく発した言葉に、しかし俺は「しまった」と思って慌てて振り返る。

 

 「いや……」

 

 と、弁護しようとした俺を遮って、しかし一色はニヤニヤと顔を近づけてくる。

 

 「へえぇぇ~。『最後の一言がなければ』ですかぁ♪」

 

 してやったりと顔を覗き見る一色を、俺はガシガシと頭を掻いて、何もなかったかのように歩き出した。

 くそ、俺のばかっ!なんで小悪魔に餌を与えてしまったんだ!

 そう後悔してる俺を、一色は「あ、待ってくださいよぉ」と早足でついて来る。

 

 こいつ、本当はもう怒ってないんじゃないの?

 さっきからキャラがぶれぶれなんですけど?

 ……まあ、機嫌が直ったならいいんだけど。

 

 未だ小馬鹿にしたようにニヤけている一色を無視し、俺はまた駅へ歩き出した。

 

* * *

 

 それから特に会話することもなく駅に着き。

 特に会話することもなく電車に揺られ。

 特に会話することもなく改札を抜けた。

 

 こうして一色と一緒に改札を抜けるのは3回目かとかなんの生産性もないことを思いながら駅を出ると、先を歩いていた一色がこちらへ振り返った。

 

 「それじゃ、わたしはここで。…………あ、家まで送ってくれてもいいですよ?」

 「じゃあそうするわ」

 

 俺の即答に、一色は間抜けな表情で口を開けていた。

 まさか帰り道にまで倉敷達が待ち伏せてるなんてことはないだろうが、平塚先生に頼まれたばかりだ。いつでも腹積もりはしておいた方がいいだろう。

 

 「なっ、なんですか口説いてるんですか家まで送ってあわよくば上がり込もうとかそういう魂胆ですかごめんなさい部屋掃除してないし心の準備がまだなので無理です」

 「自分から言っといて断るのかよ。いいから行くぞ。歩かないと寒い」

 

 早口でまくし立てる一色の言葉を背中で聞いて、置いていくように歩き出す。

 ぶっちゃけ家まで送ってくとかそこそこ勇気いるんだが、そんなの気にしてられない。こういうのは「は?お前なに意識してんの?俺は何も思ってねえけど」感を最大限に出すことが重要なのだ。

 

 しかし先に歩き出したはいいが、大体の方向はわかってても何処歩いて行けばいいのかわからないぞ……。

 そろそろ分岐路が多くなってきたし…………ときょろきょろしていると、

 

 「どこ行くんですか。こっちですこっち」

 「あ、はい……」

 

 この男、全然動揺を隠せていなかった。

 そりゃそうだろうが。女子を家まで送るとかそうそうないイベントだぞ。ギャルゲならこの後雨降りだす展開だ。

 そんなギャルゲ展開に期待に胸膨らませて歩くこと少し。 

 駅から離れるにつれて人影も減っていき、住宅街を歩いていた。

 家を過ぎるたびに漂って来る夕飯の香りが、どこか懐かしさのようなものを感じさせる。

 すると、一色がつっけんどんに口を開いた。

 

 「家まで送って好感度立て直そうとか思ってるならダメですよー。わたしすごく怒ってますから」

 

 ぷいっと顔を逸らして、一色は口を尖らせた。

 どうやら今更怒ってる設定を思い出したみたいだ。

 しかし、「怒ってる」というところだけを切り取って主張するのは、なんで怒ってるのかは自分で考えろってことだろう。

 いるんだよなぁ。「なんで怒ってるかわかる?」とか聞いてくる面倒くさい彼女。しかも、その理由が大体理不尽なものか、男子には到底理解できないものばかりなのだ。まあ彼女いたことないんだけど。

 ただ、何となくの覚えはある。

 

 「機嫌悪い理由、クリスマスのことと関係あるか?」

 

 聞くと、一色はピクリと眉を動かした。これは…………正解でいいのか?

 

 「だとしても、それと機嫌悪いのとなにが関係してるのかさっぱりなんだ。あのいけ好かない男のパーティに行きたくないとかそんくらいしか思いつかん」 

 「はずれです。裕君がどうのっていうことじゃないです」

 「だよなぁ」

 

 ほかに考えられる理由としては、俺とディスティニーに行けないとかだが、いくらなんでも自意識過剰すぎるのでこれは真っ先に除外した。相手が葉山とかであればあり得るんだが……。

 もう八幡わかんない。ムリムリ。女ムリ。迷宮ラビリンス謎ミステリー。この難問に比べたら、数学の方がよっぽど簡単だわ。

 

 「それじゃあ、ヒントを上げます」

 

 一色は俺の前で立ち止まって、一歩俺の方に歩み寄った。

 そして、あざとさの欠片もない微笑みを浮かべて、言った。

 

 「わたし、先輩とクリスマスにデートするの、結構楽しみだったんです」

 

 暗がりで顔色は伺えないが、ほんのりと顔が赤く染まっているように見えるのは錯覚だろうか。

 しかしさっきの今で、この小悪魔の言葉を真に受けられるほど俺は純粋じゃなかった。…………まあ、一瞬だけ鼓動が弾んだことは認めよう。一歩前に踏み出せばぶつかってしまうほど一色との距離は近いし、さっきからふわりといい匂いが鼻をくすぐってくるし。さらに、吐き出す息が白いせいか、それがかかると余計に意識してしまう。

 しかし鋼のメンタルで有名な男、俺。後ろで腕をつねって理性を取り戻すことに成功。

 あとはここから脱出するだけなんだが、一色に詰め寄られているせいで逃げ場がない。

 

 このままでは色々と押し切られてしまう──と思っていると、バッグの中でバイブレーションが響いた。

 

 「すまん、電話だわ」

 

 一色から半歩下がってスマホを取り出し、『小町』と表示された画面をタップし電話に出た。マジ天使小町ぃ!!

 

 『お兄ちゃん、帰り遅いけど大丈夫?』 

 「ああ、ちょっと生徒会で遅くなった。今から──」

 

 帰る、と言おうとしたところで、スマホを持った右手にふわっと柔らかい感触を感じた。見ると、一色が俺のスマホごと手を掴んでいたみたいだ。なんだよ、と言おうとするよりも先、一色はそのまま俺の手を下に下げて、ぐっと、顔を近づけてきた。

 

 「最後まで、聞いてくださいよ」

 

 まるで、子供がふてくされたかのように、一色は唇を尖らせた。



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17話 望まないエンカウント

お気に入り数2000ありがとうございます!すっげー!!

それと、「なんか評価数全然増えないな……」とかずっと思ってたんですが、一言文字数を50に設定してたのが関係してたのかな……。
投稿者のくせに全然わかってないんですけど、とりあえず一言無しに設定してみたので、もしよろしければ評価の方もお願いします!


 「最後まで、聞いてくださいよ」

 

 子供がいじけたように唇を尖らせる一色に、俺は思わず言葉を詰まらせた。

 右手はスマホごと握られ、一色の手の感触に全身が硬直する。意図せず女子の肌に触れるというビッグイベントに、背中に電撃が走る。

  

 「ど、どうしたんだよ」

   

 上ずりそうな声を必死に抑え、何とかポーカーフェイスで口を開けた。

 

 しかし、息がかかるほどに近い一色は上目遣いで睨んだまま何も返そうとしてこない。

 ──もはや半殺しである。もう死ぬ。いや、タヒぬ。これもうタヒ必至。なんなのこの娘?なんでこんな可愛いの?じゃなくてなんでこんなあざといの?そろそろ手離してくれないと、手汗とかかいてきて恥ずかしいよぉ……。あと息がくすぐったいよぉ……。

 

 それにさっきからスマホから『お兄ちゃん?誰かいるの?』と小町が呼び掛けてくるのだが、スマホは一色に拘束されている。

 

 さて、どうするか。

 もう少しこのままでも…………。

 いやダメだ比企谷八幡!理性を取り戻せ!

 

 「ちょ、近いんですけど……」

 

 言外に離れてくれと伝えると、一色はスマホを取り上げ、ひらひらと俺に見せびらかした。

 

 「一歩でも動いたら、妹さんにあることないこと言っちゃいますよー?」

 

 この後輩、マジでなにがしたいんだよ……。なんか今日ずっと情緒が不安定な気がするんだけど、あれか。女の子の日とかそういうことか。だとしたら機嫌が悪いのも頷ける。妹がいる者としてはその辺の事情については理解のある方だ。実際どうなのかはわからないが、ここはストレスを与えずに宥めるのが得策だ。

 

 「わかった。言うことはなんでも聞く。だから一度小町と電話させてくれ」

 「…………やけに素直ですね。まあいいでしょう」

 

 言って、一色はやっと俺の人質もといスマホを返した。

 帰りが少し遅れるということだけ伝え、電話を切った。なんでいろはすさん満足気な笑顔してるんですかね。

 

 「なんでも言うことを聞いてくれるんですよねー先輩?」

 「聞くとは言ったがするとは言ってない。まだまだ甘いな」

 「うわ、この人ずるっ!」

 「国語学年3位の言葉遊びなめんな」

 

 ふんっと得意げに鼻を鳴らし、しばし止まっていた足を前に出した。

 いい加減、こいつも体が冷えてくる頃だろう。風邪でも引いて移されたら小町に迷惑かかるし、それは避けねばならない。

 

 「ていうか、家どこなの」

 「ここですけど」

  

 振り返って聞くと、一色はすぐ目の前の一軒家を指さした。確かに、家の表札には『一色 ISSHIKI』と書かれている。なんだよ、さっきから一色の家の前で話してたのか。

 あっぶねー……。あの状況で一色父が出てくるとか考えただけで恐ろしい。

 

 「んじゃ帰るわ」 

 「……わかりました。今日のところはこれくらいにしてあげます。でも、さっきの答え、正解するまでは許してあげませんので。締め切りは12月23日までです」

 「宿題かよ」

 「もし正解しなかったら、先輩とディスティニー行ってあげないですから」

 「……善処する」

 

 特に言い返すことはせず、俺はやっと帰路へとついた。

 ディスティニー、人多いし普通に行きたくないんだよなぁ……。

 

* * * * *

 

 お風呂から上がって、自分の部屋でテレビを見ながら髪を乾かしていた。

 最近は恋愛ドラマなんかはすっかり見なくなって、バラエティ番組のチャンネルばかり入れるようになった。

 今までは、恋愛ドラマであざとい仕草とか男子の興味を引く表情の作り方を勉強していたけど、今のわたしにはあまり必要性を感じないのだ。もう男子を落とす技を大体覚えたっていうのもあるんだけど、どっちかというと、男子からちやほやされたいと思う事がなくなったのだ。

 

 ……たぶんわたしがそうなったのも、あの先輩たちが原因だ。

 先輩と一緒にいる時間が長くなってから、わたしは少しずつ変わったと思う。先輩と奉仕部二人の関係を見て、憧れのようなものを抱いてしまった。今まで偽り続けて固まったメッキが剥がされていくように。本当に、不思議な人たち。

 

 そして、今その先輩と絶賛喧嘩中(仮)な訳だけど……。それもこれも全て先輩が悪いのだ。だって、わたしとの約束を後回しにして、裕君のパーティに行けっていうんだもん。あそこは普通かっこつけて止めてくれるところだ。

 

 「まあ、あの人に普通を求めるのも無理な話だけど……」

 

 そんな不満を口の中でごにょりながら、ドライヤーを止めて、化粧水を顔にぱんぱんとつける。

 少し時間をおいて、化粧液、乳液の順に塗ってスキンケアは完璧だ。

 

 そろそろ宿題やらなきゃなーでもやりたくないなー。まあ後でもいっか。

 時間つぶしにベッドに腰かけ、スマホを開いた。

 クラスの男子からのラインを適当に返信して、『お気に入り』にいるこの人をタップした。

 『ひとこと』の欄はなにも書いていなくて、設定されたプロフィール画像は初期設定のまま。アカウントでも変えたんじゃないかと思うような無機質な設定に今日も苦笑しつつ、『トーク』をタップした。

  

 すると、そこにはスタンプのやりとりだけがあって、会話は一切していない。

 交換した日にスタンプを送り合ったんだけど、それ以来なにも連絡はしていないのだ。

 

 「たまには送ってきてくれてもいいんじゃないですかねー」

 

 と小声で文句を言いつつ、『先輩』と登録された名前を睨んだ。

 

 昨日の海浜総合との活動から今日まで機嫌の悪い態度を見せてたから、もう呆れられたかもしれないと思っていたけれど。

 でも先輩は今日、家まで送ってくれた。びっくりしたけど、ちょっとだけ嬉しかった。…………ううん。正直、かなり。

 あれこれ理由をつけて雪乃先輩と結衣先輩を先に帰らせた甲斐があったなー。結衣先輩はちょっと怪しんでいたけど…………もう戦いは始まってるんですよー結衣先輩。

 

 ベッドにうつ伏せになって足をパタパタさせていると、突然、「しゅこっ」という音がスマホから聞こえた。

 この音は、相手からラインが送信された時の音、なんだけど────。

 

 「え、嘘っ!?」

 

 まさかと思ってガバッと体を起こし画面を見てみると、そのまさかだった。

 

 『言い忘れてたけど、明日16時から生徒会室で会議。外にいる時間長かったと思うから、体温めてから寝ろよ』

 

 まさかの。まさかの事態だ。

 あの先輩からの、初ライン。

 

 普通だったらもっと喜ぶところなんだけど、今はもうそれどころじゃない。 

 先輩からラインが来た時、わたしは先輩のトーク画面を開いていたのだ。

 そう、これはつまり。

  

 『即既読』だ。

 

 ──あー、死んだ……。

 

 絶望に暮れるように、わたしは倒れるこむように枕に顔を埋めた。

 これじゃあまるで、わたしが先輩のラインをずっと待ってたと思われてしまう。……いやその通りなんだけど……。

 

 よし、一度落ち着け一色いろは。既読してしまったものは仕方ない。とりあえず、もう一度メッセージ内容を確認しよう。

 

 『外にいる時間長かったと思うから、体温めてから寝ろよ』

 

 「~~っ!」

 

 ダメだ。顔のにやけが止まらない。鏡で見なくても、自分が今人に見せられない顔をしてることがわかる。見返すたびに、胸の鼓動が高鳴る。

 悶えるように体をくねらせ、お気に入りのジェラートピケで顔を隠した。

  

 『体温めてから寝ろよ』

 

 誰、このイケメン……。

 先輩か、うん、『先輩』と名前登録してるのは先輩しかいないし、たぶんあの先輩だとは思う。先輩もラインになると態度変わるタイプの人なのかな?あからさまに口説こうとしてくるクラスの男子とか、ラインだと急に優しくしてきたりするんだけど、先輩もその手を使ってきたか……。

 だって、普段の先輩ならこんな言葉かけたりなんか…………あれ、意外としてる……?

 …………してたかもしれないけど、いったんそのことは忘れよう。

 

 先輩からラインがきてから、どれくらい経っただろうか。頭を整理していたせいで時間感覚がわからなくなったけど、そろそろ返信しないとまずいよね。

 

 「『了解です!今日は送ってくれてありがとうございました!』っと。これくらいでいいかな?」

 

 先輩、絵文字とか使う人好まなそうだし、気持ち淡泊くらいが丁度いいよね。運よく即既読にも気づいてなさそうだし、これで送信、と。

 

 「つ、疲れた……」 

 

 動き回ったせいで、ベッドのシーツと掛布団がぐちゃぐちゃだ。こんな不意打ちないよ……。

 

 はぁっとため息つきながらベッドをリメイクし、もう一度ばたんと倒れこんだ。

 さすがに、これはもう認めるしかないよね。

 

 

 わたしは、先輩が好きだ。

 

 

 と、思う。正直、認めたくはないけど……。

 こんな反応しておいて、好きじゃないですと言えば確実に嘘になる。 

 もし100人がさっきのわたしをモニタリングしていたら、満場一致で「好き」判定でもしてくるだろう。自分でもそう思えるくらい、わたしは先輩が好きだ。

 

 今までは気づかないようにしていた。認めてしまうのが怖かった。

 でも今ではもう、隠しようもないほどに、先輩という存在はわたしにとって大きいものとなっている。

 ちょっと前まで、葉山先輩を追っかけていたわたしだけど。その恋は本物じゃなかったのだと、今になって思う。

 ……………なんか今のセリフ、完全に沼にハマる女みたいだけど……。それを踏まえても、先輩に対する想いは本物だと確信をもって言えるのだ。

  

 実をいうと、先輩を好きだと認めたのはこれが初めてなのだ。まだ心の中でだけど、ちゃんと認めることができた。そう思うと、今まで心の内にかかっていた靄のようなものが、すっと晴れていった気がした。

 

 「……よしっ」

 

 とベッドから起き上がって、壁に掛けられた鏡の前に立った。 

 

 「…………」

 

 両頬をぱしっと叩いて、大きく深呼吸。

 

 「すぅ、はぁー……」

 

 目の前に映る自分とにらめっこをして、ゆっくりと口を開いた。

 

 「わたしは、先輩のことが……」

 

 顔を真っ赤にした自分が、その続きを言おうと口をぱくぱくとさせている。

 

 「先輩、が………………」

 

 ………………………………………………うん。ま、まだ口に出して言う勇気はないけれど……。この言葉は本番に取っておこう。よしそうしよう!

 そうやって自分に言い訳をしつつ。

 すっかり熱くなった顔を手で仰ぎながら、またベッドにうつ伏せになった。

 

 わたしはいつから、こんなにも先輩のことが好きになったんだろう。

 自分が認めなかっただけで、結構前から気になってはいたのだ。

 

 「結衣先輩と雪乃先輩は、どう思うかな……」

 

 雪乃先輩に関してはまだ自覚がないみたいだけど、二人とも先輩にべた惚れなのだ。

 そんな中で、わたしも先輩のことが好きだと知ったら。

 

 「あの二人には、嫌われたくないなぁ」

 

 数少ない、わたしを可愛がってくれる先輩たち。

 いくら恋敵とはいっても、これからもぜひ仲良くしていきたい。

 でも、ライバル視はさせてもらいます。二人に比べたら時間的不利があるし、密度でカバーだ。あの人、押しに弱そうだしね。

 

 さっきよりは心が落ち着いて、高鳴っていた鼓動も今は穏やかに脈打ち始めた。 

 動き回って疲れたせいか、眠気が一気に襲ってきた。

 

 「ふふっ。明日はどうやって先輩をからかおうかなー」

 

 いつもはポーカーフェイスなのに、ちょっと近づいただけで顔を赤くしたり。照れてそっぽをむいたり。やりすぎて、今度は不満げに悪態をついてきたり。そんないじらしい先輩のことを思い浮かべながら、わたしは静かに眠りについた。

 

* * * * *

 

 本日12月23日土曜日。クリスマスイブ前日の朝。そして、冬休みである。

 例年総武高校の終業式は24日なのだが、今年の24日は日曜日なのだ。つまり学校は昨日で終わっており、2週間のパラダイスが今日からスタートしたのだ。

 しかし、俺ほどの聖者ともなるとその程度で浮かれたりなどしない。

 今日もたまたま早く起きてしまっただけで、別にワクワクとかウキウキとかしているわけではないのだ。

 起きてから数分、修行僧のように心を落ち着かせていると、部屋の扉が突如開かれた。

 

 「…………何してんの」

 「あ、いや別に……」

 

 前言撤回しよう。この男、超浮かれていた。寝起きそうそう電気の紐でボクシングをし始めるくらいには浮かれていた。

 

 「今日コミュニティセンター行くんでしょ?時間大丈夫なの?」

 「別に何時に行くって決めてないからな。ちょっと様子見に行くだけだし」

 「そか。小町も図書館いくついでに見にいこっと~♪」  

  

 だだだっと階段を下りていく小町を、朝から元気だなーとか思いながら俺も着替えてリビングへ向かった。

 海浜総合高校との合同活動は滞りなく進行し、小学生たち全員の展示作品が完成したのだ。会場設営も昨日で終わらせ、今日から三日間コミュニティーセンターは自由開放されている。別に行かなくてもいいんだけど、活動結果をレポートにまとめないとならんので様子だけでも伺っておきたいのだ。

 

 「あ、もしかして今日イッシキさん来たりする?」

 「いや知らんけど、なんで?」

 「だってぇ、最近お兄ちゃんと仲いい後輩さんでしょぉ?来年は小町の先輩になるかもだしぃ?将来的にはおねえちゃんにだってなるかもだしぃ?」

 「いや、なんないから」

 

 最近、小町は一色のことで俺をいじってくる。俺とラインを交換している数少ない人間として、小町は一色に一目を置いているみたいだ。クリスマスは家にいないかもしれないと言ったときも、何かを察してニヤニヤしていたりしたし。

 

 ただ、なぜだろう。俺の危険信号が告げている。小町と一色を混ぜ合わせてはいけないと。

 二人とも微妙にキャラが被ってるし、人間の機微に聡い小町なら、一色の表向きの振る舞いに違和感を感じるのではないだろうか。知らんけど。

  

 「小町的に雪乃さんと結衣さんのどっちかを選んでほしいんだけど、お兄ちゃんを幸せにできる人なら誰でもいいのです。あっ、今の小町的に超超ポイントたっかい~♪」

 「それな。お兄ちゃん今うるってきたわ。最後の一言で涙引いたけど」

 

 朝飯を食べ終えて小町と他愛もない話をしていると刻々と時間は過ぎていき、そろそろ向かっていい時間になった。

 まだ昼前だが、あまり遅くなるとご老人たちも帰ってしまうだろうしな。

 

 「小町ー、そろそろ行くぞー」

 「あいあいさー」

  

 どうか知り合いに会いませんようにと神に祈り、俺は憂鬱にマフラーを巻いた。

 

* * *

 

 「へー、結構人いんね」

 

 コミュニティセンターは思いのほか賑わっており、ご老人や主婦層が踵を接して出入りしていた。

 中に入ると、エントランスに設置されたクリスマスツリーが際立っていて、続く廊下の両壁にクリスマスを題材とした絵が一つ一つ額縁に入れられて掛けられている。

 廊下の天井からはモビールのようにメッセージカードが吊るされ、そこには参加してくれた小学生たちの『サンタさんへの願い事』が書かれている。

 まあ正直、小学生にしては少し子供感ありすぎるのではという議論もあったのだが、結構クリスマス感が出ていて悪くない。ちなみにこれは一色の案だったのだが、初めて一色を褒めたいと思ったくらいだ。

 

 「このイベントさ、お兄ちゃんの発案なんでしょ?」

 「っふ、まあな」

 「あのひん曲がったお兄ちゃんがこんなファンシーでメルヘンなイベント考えるなんて、小町感無量だよ~!」

 

 ルンルンと廊下の奥に歩いて行く小町の言葉に、俺は何故か、苦笑してしまった。

 本当に、少し前までの俺なら、こんな優しい企画など考えもつかなかっただろう。それこそ、昔の俺がこれを見たら「なにこの偏差値2くらいの頭悪そうな企画」とか鼻で笑ってたと思う。割とマジで。いや、なんなら今もちょっと思ってるまであるから全然成長してないぞこの男。

  

 歩き進めるとやがて廊下の突き当りまでついた。

 そしてその突き当りの壁には、一枚の絵が、ぽつん、と寂しげに飾られている。

 

 その絵に映るのは。

 青の照明で満たされた部屋。その部屋にあるのは、ただ一つの薄汚れたベッド。ベッドの上には膝を抱いて座る一人の少女が、明日来るクリスマスを楽しみにするように静かに笑っている。 

 

 しかし絵の描写説明が精一杯で、その感想は一向に出てきそうになかった。 

 佇む一枚の絵は、押しつけがましさなど一片もなく、ただ静謐で歪に、壁に溶け込んでいた。

 

 「この絵、すごい」

 

 まるで口から勝手に出たかのように呟いた小町の一言で、俺ははっと意識を取り戻す。

 この感覚は、ショッピングモールの時と同じだ。

 ていうか、こんなハンパじゃない絵を描ける知り合いなんて一人しか知らない。

 絵の下には名前と作品名が書かれている。

 作品名は『さんにんのクリスマス』。

 

 ぶっちゃけ、芸術センスの欠片もない俺には意味不明である。

 この絵には一人の少女しか描かれていないのだが、両親もいる、ということだろうか。それともあれか?ウォー〇―を探せ的な奴か?俺は圧倒的ミ〇ケ!派だったんだよなぁ……。

 

 そして、名前の欄には。

 

 「みずき、だよなぁ」

 

 俺は必死に、苗字の「玉縄」を見ないように心掛けた。いや、あの玉縄だけだったらまだ耐えられたんだが、その姉のせいで玉縄家には良いイメージないんだよな。

 

 まだ魅入っている小町を置いて、俺は突き当りを右に曲がって会議室へ入った。

 教室よりも一回り広いこの会議室には絵画ではなく粘土などの工作物がロ型に展示されており、7、8人ほど客がいた。

 するとその主婦やご老人の中に、桃色がかった茶色のお団子髪を見つけた。

 

 「あれ、ヒッキー?」

 「おぉ」

 

 驚いたように目を見開く由比ヶ浜。どうやら粘土細工を見ていたらしい。

 

 「来てたのか」

 「あ、あはは……。どんな感じなのかなーって思ってさ。結構楽しいね、ここ」

 「遊園地かよ」

 

 いつもなら雪ノ下とかあーしさんとかと一緒にいる由比ヶ浜だが、あたりを見渡してもいない。いやほんと、いなくてよかったわ。あーしさんとかこういうとこ来なさそうだもんね。

 

 「ヒッキーが小学生と協力するって言ったときはびっくりしたけどさ、なんかいいね、こういうイベント」

 

 展示物が並べられたテーブルに沿って、後ろ手にゆっくり歩く由比ヶ浜。 

 

 「これが合同イベントである必要性はなかったと思うけどな」

 「ヒッキーにはあるよ」

 「暗に協調性がないって言うのやめてもらえる?」

 「でも、そんなヒッキーも小学生には優しく接するんだね。千葉村のときも思ったけどさ」

 

 こいつは俺を何だと思ってんだ……と後ろから睨みつつ、流すように紙細工や粘土細工を見ていると、気づけば一周していたらしい。

 そして、由比ヶ浜と会議室を出て、あることに気づいた。小町がいねえ。

 もしやと思ってスマホを見てみると。

 

 『それじゃ、小町図書館行って来るから!いってらっしゃーい♪』

 

 やけに会議室に入ってこないと思ったらこれかよ。てか、行ってらっしゃいってなんだ? 

 

 「…………」

 

 エントランスまで歩いて後ろを振り返ると、由比ヶ浜が自分のスマホを凝視していた。その表情は何故か動揺しているように見える。

 

 「……ね、ねえヒッキー。小町ちゃんのクリスマスプレゼントってさ、もう選んだ?」

 「いや、まだだけど」

 

 伺うようにちらちらとこちらを見る由比ヶ浜に、俺は続きを待った。

 

 「じゃ、じゃあさ、もしよかったらなんだけど……一緒に買いに行かない?あたしも小町ちゃんに何か買おうと思ってたし……」

 

 なんだよ。変に溜めるからこっちもちょっと緊張しちゃっただろ。

 しかしなるほど。確かに小町へのクリスマスプレゼントは今日か明日に買っておきたかったところだ。

 せっかく外出てるし、ついでに買いに行けば手間も省ける。

   

 「んじゃ行くわ。俺のセンスだけじゃ不安だったし、選ぶの手伝ってくれたら助かる」 

 

 言うと、由比ヶ浜はぱぁっと花を咲かせたように目を輝かせた。後ろ髪が犬のようにブンブン揺れている。

 

 「それじゃ、さっそく出発しよーう!小町ちゃん何喜ぶかなー」

 

 イベントの様子を生徒会備品のカメラで何枚か撮ってから、俺たちはコミュニティセンターを後にした。

 

* * *

 

 「ヒッキー、こういうのいいんじゃない?」

 「高級入浴剤か。そうだな……。でもこういう系のものはキモがられるでしょ。セクハラ扱いされない?」

 「いや考えすぎだし……。兄弟でセクハラとか言ってる時点でキモイし」

 「えぇ……」

 

 コミュニティセンターから徒歩10分圏内にある千葉駅構内でプレゼントを選ぶことにしたのだが。

 早速俺の慎重っぷりを発揮させていた。もう慎重すぎて慎重勇者になりそうなレベル。

 

 「じゃあ逆に聞くけど、俺がお前にシャンプーとかボディソープとかプレゼントしたらどう思う?」

 「た、たしかに言われてみれば……想像されてるのかなとか思っちゃうかも」

 「そうそう。つまり女子に何かプレゼントするときは、肌身につけるものとかR18連想しやすい物はNGなんだよ。兄妹でも例外じゃない。一生懸命考えたプレゼントをキモイと言われた日には一生傷つくし、ビビッて二度と渡せなくなるんだよ」

 「言ってることはわかるけどなんかカッコ悪い……」

 

 ダメな人を見るような目で呆れる由比ヶ浜は、手にした入浴剤をもとに戻した。

 こんな感じで、由比ヶ浜が何か選んでは俺が棄却し、逆に俺が選んでも何か違うと由比ヶ浜が棄却するというやり取りが1時間ほど続いていた。

 由比ヶ浜はもうすでに選んだらしいのだが、なかなかどうして俺のプレゼントが決まらない。

 それもこれも俺の不甲斐なさが原因だ。由比ヶ浜も態度には出さないが歩き疲れてきてる頃だろう。

 

 「……付き合わせて悪いな。少し休むか?」

 「ううん、全然!こういうの最近なかったから結構楽しいし」

 「ならせめてなんか奢らせてくれ。でなきゃ俺の気が済まない」

 「んー………じゃあ、お言葉に甘えよっかな」 

 

 構内を少し歩いて由比ヶ浜が選んだ店は、「ラデュレ」とかいうかなりオサレなカフェだった。ピンクを基調とした店前の看板にはケーキやマカロンなどの商品と値段が載っていて、どう頑張っても俺みたいなのが入れるようなところじゃない。ここの店員、「メルヘンプリティまじかるぶりゅれ☆」とか言い出しそう。ヴィジュアルが完全にマジカルパティシエ〇咲ちゃん。

 

 「入ろっか」

 

 おどおどと足を震せる俺とは反対に、しかし由比ヶ浜は臆することなく入店していった。

 俺もきょろきょろと店内を見渡しながらついていくと、窓際奥の2人席に案内された。

 

 「なんかこのテーブル、ハート型なんだけど……」 

 「あ、あはは……。店員さんに勘違いされちゃったのかな」

 

 苦笑する由比ヶ浜だが、俺は内心、かなり落ち着かなかった。

 ほかのテーブルを見てみると、女性客だけで来てる席は丸型テーブルだ。どうやら、カップル席に案内されたらしい。

 

 正直今すぐ逃げ出したかったが、店を選んでくれたのは由比ヶ浜だ。

 しかもプレゼント選びを手伝ってもらってる側としては、ここは耐えしのぐしかない。

 

 「ヒッキーはお腹空いてないの?」

 「俺はコーヒーでいいわ。ゆっくり選んでくれ」

 「そっか。じゃあ頼んだの分けたげる!」

 

 うん、優しい心遣い感謝しよう。そもそも俺の奢りだけどね。

 

 そして数分、注文した品が運ばれてきた。

 相変わらず美味そうに食う奴だなーなどと思いつつ。

 カップルや女性客が5,6組いる中で、所在なくホットコーヒー(砂糖超マシマシ)を飲んでいた。

 由比ヶ浜はクリームやサクランボがトッピングされた5段パンケーキに取り掛かっており、すっかり食いしん坊キャラが板についている。栄養が胸ばかりにいってこちらも色々捗りますと最低なことを考えかけたが一瞬で払拭し。

 特に見るところもなくてパンケーキをぱくつく由比ヶ浜を眺めていた。すると、

 

 「ふぇ?なんかついてる?」

 

 見られてることに気づいたのか、由比ヶ浜が素っ頓狂な声を上げた。

 

 「めっちゃついてる」

  

 言うと、由比ヶ浜は「うそ!?」と慌てて口元のクリームを拭き始めた。

 まるで餌付けしてるみたいで悪くない。この犬感、やみつきになりそうっ!

 

 由比ヶ浜がまた食べ始めた頃。入店を知らせる鈴音が響いた。

 どうやらカップルが来たらしい。これで俺もまた肩身が狭くなると憂鬱になったのだが、しかし次の瞬間、背中に冷や汗が流れた。

 その二人は店員に案内される通り、こちらへ近づいてくる。そしてやがて、俺と由比ヶ浜の存在に気づいた。

 

 「………………………………」

 

 俺の記憶が正しければ、そこにいる男は海浜総合高校の九条祐介。

 そして、俺の記憶が正しければ、その隣にいるのは、総武高校一年の一色いろは。

 

 「…………」 

  

 別に悪いことは何もしていないのに、妙に感じるこの罪悪感はなんだろう。あ、アレか。『一色が怒ってる理由を当てる宿題』の締め切りが今日だった。完全に忘れてたわ。

 

 ていうか、この二人付き合ってたの?合同イベントで毎回会ってたのに全然気づかなかったわ……。

 一色も、俺と由比ヶ浜にエンカウントするとは思ってなかっただろうし、もし付き合ってたとしたらあまり知られたいことじゃないかもしれない。

 だとしたら、ここで俺が取るべき選択肢は、そう。見てみぬフリしかないでしょ。由比ヶ浜はまだ気づいていないようだし、ここはそっとホットコーヒーを──

 

 「こんにちはー先輩♪」

 

 ──飲もうとしたところで、一色(超笑顔)が俺たちのテーブルに近づいてきた。

 

 やっぱり、この店にしたのは失敗だったかもしれない。




気付けば書籍一巻出せるくらいの文量を書いていたらしく、自分でもかなり驚いています。
そして本編。今回はかなりビクビクしながら書きました。だって、ねぇ。これいろはストーリーなのに、ねえ?………………ねえ!??


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18話 たったそれだけ

『一言文字数』をなしに設定してみたら、評価数がちょっとだけ増えてたのでこれでよさそう!わからないけど!みなさん感想お気に入り評価誤字報告ありがとうございます!


   

 「こんにちはー先輩♪」

  

 にこやかと、女神すら慄く満面の笑顔で、一色は俺たちのテーブルに歩み寄ってきた。

 さて、問題だ。一色は笑顔で挨拶をしてきただけなのに、俺の足がこんなに震えているのは何故か。

 答えは、先祖代々何千年と伝えられてきた俺の野生の本能が危機を告げているからだ。

 

 古来、我々人間の先祖たちは。

 狩猟時代には、粗末な石を鋭利に削り、獰猛で危険な動物たちに、生きるためだと割り切り果敢に立ち向かっていった。

 戦中には、自国の領土と家族を守るために、自らが命を投げ打ってきた。

 

 そのようにして生存競争を勝ち抜き、幾度もの修羅場を潜ってきた勇者たちの末裔であるところの俺にも、その魂は受け継がれているのだ。

 

 人々は言うだろう。

 現代日本国は戦争もなく平和だと。

 

 ──断じて否!!

 

 今俺の視界に映るこの恐怖を前にして、誰がそんな言葉を口にできようか。いや、誰もいない。

 一片の曇りもないように見えるこの、黒瞳。それは火を見るよりも明らかに、美しいものだと言えるだろう。

 

 しかし油断してはならぬ。

 人が人に殺されるのは、いつだってそう。裏切りによるものなのだから。

 きっと彼女は、後ろ手に包丁を持っているに違いない。

 

 俺は一色の放つ圧倒的威圧感に、足どころか全身、全身どころか心臓までもが震えあがる感覚を味わっていた。

 

 落ち着け八幡。

 ここはカフェだ。こんなメルヘンが盛りだくさんなところでは、さしもの一色といえど手は出せまい。

 もし仮に出してきたとしても、今すぐ店員が変身して、「悪事はここまでよ!くらえっ!まじかるぱわーいちごあたーっく!」と助けに来てくれるに違いない…………──。

 ……──。

 …──。

 ──。

 ─。

 

 さて。

 一色の醸し出す威圧感を500字以内で説明し終えた俺の目の前。

 由比ヶ浜は驚きのあまり、口いっぱいに頬張っていたパンケーキをごくりと飲み込んだ。

 

 「い、いろはちゃん!?」

 「結衣先輩もこんにちはですー。こんなところで会うなんて奇遇ですねー」

 「そ、そだね。えっと……」

 

 と、由比ヶ浜は一色の隣で柔らかな笑みを湛えている男子に目をやった。

 そうか。由比ヶ浜と九条は初対面か。

 

 「あ、裕君です」

 「どうもこんにちは、九条祐介です。いつもいろはがお世話になってます」

 「あ、はいこちらこそ……」

 

 気まずそうにお辞儀をした由比ヶ浜は、一色をちょいちょいと手招きして、耳打ちを始めた。

 何を話してるのかわからんが、きっと俺の悪口を言ってるに違いない。耳打ち=悪口。これ豆な。

 

 由比ヶ浜とこそこそ話を終えた一色が、今度は俺の耳元に顔を寄せてきた。

  

 「え、先輩こんなところで何してるんですか?結衣先輩を誑かしてクリスマスイブ前日にデートですか?しかもこのカップル席なんですか?もしかして付き合ってるんですか?ていうか先週わたしが言ったこと覚えてないんですか?締め切りは今日までだったはずですけどまさか忘れてないですよね?もう冬休み入っちゃってますよ?」

 

 冷え切った声で言葉を連ねる一色に、俺の背筋は自然、伸び切っていた。もうユグドラシルばりに高々と聳えていた。

 なんでこんな笑顔でそんな声出せるんだよ。ほんと怖いよぉ……。クエスチョンマークが多すぎるよぉ……。 

 と、全身ガクブル状態の俺に、由比ヶ浜が救いの手を差し伸べた。

 

 「ま、まあまあ……せっかく会ったんだし、いろはちゃんたちがよければ一緒しない?」

 「わたしは別にいいですけど……」

 「僕も気にしないよ」

 「そっか!ならよかったよ」

 

 いや、俺にも聞けよ。ちなみに俺は超気にする。なんでほとんど話したことない奴とご一緒せんといかんのだ。なんなら苦手なタイプだぞ、コイツ。

 しかしここで文句を言えば一色に殺されるかもしれないので、俺はそっと、口にチャックをした。

 

 

 …………知り合いに会いませんようにとあれだけ祈ったのに。もう絶対神信じない。神のバカ!もう知らないっ!

 

* * *

 

 「次の曲あたしだ!」

 「結衣先輩頑張れ~!」

 「……」

 

 はいはーい!とマイクを手に持ち立ち上がった由比ヶ浜の横で、俺は両手に持ったマラカスを睨んだ。

  

 何故カラオケ…………。

 

 その言葉を、俺はここへ来てから何度心の中で呟いただろうか。

 別にさっきのカフェでちょっと話して、そのまま別れるとかでも良かったんじゃないの?もうカラオケ来ちゃったらこの後の行動も共にしなきゃいけないだろうが。 

 それに、男女比が一対一になってるせいで雑な合コンみたいになってるんだけど?

  

 そもそも、俺はカラオケは得意ではないのだ。

 こうして団体で来てしまえば、たとえクラスの隅っこで暮らしてるようなボッチでも歌わないといけないという強迫観念が働く。あれほんと何なんだろうな。無理やり歌わせておいて全然盛り上がらない上に、俺の番の時にやたらみんなトイレに行く。てめえら嘘でも盛り上がりやがれ。

 

 そんなわけでカラオケにはトラウマ意識のある俺だが、由比ヶ浜と一色、たまに九条がローテーションで歌っており、俺は歌わない分マラカスでリズムを取っていた。

  

 対角に座る九条と一色は、由比ヶ浜の歌に合わせて合いの手を打ったりなど、結構慣れているようだ。 

 

 「いや~、久々に気持ちよく歌えたかも」

 

 無心でリズムを取っていると、どうやら歌い終わったらしい。

 次の曲は選択されておらず、休憩タイムに入ったようだ。

 すると、一色はふうっと一息し、タンバリンを置いて口を開いた。

 

 「なんか不思議なメンバーですね」

 「だよね。ゆきのんも来ればよかったのに」

 「用事なら仕方ないだろ。この時期、何かと忙しそうだしな、あいつ」

 

 30分ほど前、由比ヶ浜は雪ノ下に来れるか連絡したらしいが無駄骨に終わったのだ。

 だったら俺、戸塚誘えばよかったなぁ……。男が九条だけとか何かと気まずい。よし、今度二人で行こう。それで帰り道に雨が降って「ここ入ろっか……」と顔を朱に染めた戸塚がピンクいお城に俺を誘うという未来なんてあるかもしれない。

 

 むふふと鼻息荒く戸塚とのデートを妄想した後、俺は空になったコップを持った。

 

 「飲み物取ってくるけど、他にいる人いるか?」

 「あ、じゃああたしオレンジ!」

 「わたしはいいので早く行ってきてください」

 

 ふぅ~、まだ怒ってるこいつ~♪

 怒ってるのはいいけど、ちょっとは機嫌いいフリくらいしてくれませんかね。由比ヶ浜が苦笑いしてるんだけど。

 と、肩を落としつつ、俺は目だけで九条の方を見た。

 

 「あ、じゃあ僕もいくよ」

 「え、いや、俺とってくるけど」

 「いいよいいよ。全部持つのは大変でしょ?」

 

 えぇ……。普通に気まずいから嫌なんだが……。

 しかしそんな俺の内心にも気づかないのか、九条は自分のコップを持って立ち上がってしまった。

 

 「行こうか」

 「…………」

 

 何を言っても聞かなそうなので、俺は諦めて、自分と由比ヶ浜のコップを持ってカラオケルームを出た。

 まあ人の親切心を無碍にするのも気が引ける。あっちが気まずいとか思ってないなら俺も気にする必要はないだろう。

 

 ドリンクバーについたはいいものの、何にしようか決めずに来てしまった。

 俺のは最後でいいかと由比ヶ浜の分だけ入れ、九条に先を譲ろうと振り返った。

 すると、思いのほか九条が俺のすぐ後ろに立っていたせいでぶつかり、オレンジが少しだけこぼれてしまった。

 「あ、悪い」と反射的に謝って、見上げた先にある九条の顔には。

 さっきまでの、柔和な笑みを浮かべた表情はどこにもなく。

 ただ、真顔で、むしろ睨むような眼で俺を捉えていた。

 

 その威圧感に、俺は思わず半歩下がる。

 

 「ちょ、よけてもらえる?」

 

 ぶつかったのにも関わらず、九条は足を引く素振りも見せずに佇立していた。お陰様で逃げ場がない。

 俺の言葉に、しかし九条は眉一つ動かさない。

 そして、ゆっくりとその口を開いた。

 

 「やめろよ。いろはに付きまとうの」

 

 キッとクレバスのように目を薄め、九条は言った。

 その声のトーンにはいつもの爽やかさなど微塵もなく、ただ敵を射すくめるように低い。

 

 予想外過ぎる言葉に、思わず「は?」と拍子抜けた声が出てしまったが、九条の顔は先程から変わらない。

 

 「コミュニティセンターでいろはと話すとき、いつも話にあんたが出てくる。今日だってそうだった。あんたがいろはをたらし込んでるんだろ。そうでもなきゃ、いろはがあんたみたいな奴と関わったりしない。勘違いして思いあがるなよ。あんたはいろはに相応しくない」

 

 九条は俺の目を射抜くように睨んだ。その表情は依然として至極真面目だが、整った顔のせいで気迫すら感じた。

 

 なるほど、と、今の九条を見て察しがついた。

 ここ二週間の合同イベントで、九条は誰に対しても気さくに話しかける姿が目に映っていた。

 しかし、今目の前にいる九条は、まるで仮面を外したように態度が一変していた。

  

 「何が言いたい」

 

 警戒心を剥きだして、俺も九条を睨み返した。

 すると、九条もまた、俺の目を覗き見る。

 

 「僕は中学の時からいろはのことを想ってる。僕なら彼女に相応しいし、幸せにしてあげられる」

 「…………はぁ?」

 

 こいつ、相当危ない奴なのではないだろうか。

 九条の圧倒的ストーカー気質に、俺は若干の恐怖を覚えた。 

   

 まだ何か言ってくるのだろうかと続きを待ったが、しかし九条は口を閉じたままだ。どうやら俺のターンらしい。

 俺が知るストーカーの特徴は、相手の話を聞かないとか、自分の主張だけやたら押し付けてくるとかだが、こういうところがやけに冷静だ。

 

 「…………つまり、一色と付き合いたいから邪魔するなってことか?」

 「違う」

 

 何故か即答された。いや、百億パーセントそうとしか思えないんだが。

 

 「僕はいろはが幸せになれるなら誰でもいい。ただ、彼女のことを一番知っているのは僕だ。だから彼女を幸せにできるのも僕しかいないというだけだ」

 「…………」

 

 一旦整理しよう。

 

 こいつ曰く、一色を幸せにできるのは自分しかいない。もし自分より一色を幸せにできる者がいるのなら誰でもいい、と。そして、俺は「一色を幸せにできる権利」を持ち合わせていないから付きまとうな、と。

 

 なるほど、納得はできないが理解はした。

 つまりこいつ──九条祐介は、所謂一色いろは信者であり、一色いろは至上主義者なのだろう。

 例え一色に受け入れられなくとも、一色さえ幸せであればそれでいいと。これは確かに、自己の満足のみを追求するストーカーとは一線を画す考え方だ。

 

 「お前の言いたいことは分かった。ただ、いくつか勘違いしてるぞ」

 「……なんだ」

 

 眉をピクリと動かして、九条は早く先を言えと睨む。

 俺はコップを持っていない右手の人差し指を立てて口を開いた。

 

 「まず、一色が俺を好きだという前提で話してることだ。今は会長と副会長だから一緒にいる時間が長いってだけで、だからってなにかあるわけじゃない。さっきお前が言った通り、俺は一色に好かれるような人間じゃない」

 「…………」

 

 言い返すでもない九条に、俺は二本目の指を立てた。

 

 「そして二つ目は、むしろお前が警戒するべきは俺じゃないってことだ。一色を狙ってる男なんて腐るほどいる」

 

 三つ目の指を立てて、俺は続けた。

 

 「んで三つ目、一色はそいつらにちやほやされることを望んであのキャラを演じてる。あいつがそれを望んでんなら、見守ってやれよ」

  

 自分でも驚くほどに、語気が強くなっていた。

 さっきこいつの言い分を聞いて、苛立っていたのだと思う。

 己の方が一色を知っている。だから一色には己が相応しいと、九条は言った。ただ、こいつの言う「知っている」というのは、誰もが閲覧可能なプロフィールを人より暗記しているだけに過ぎないのではないだろうか。確かに、知り合って一か月とちょっとの俺に比べれば、一色の個人情報は九条の方が知っているだろう。ただ、それで一色を知った風に語る口が、俺は何よりも嫌悪に感じた。

 

 「……僕に指図するな」

 

 黙り込んでいた九条が、やっと俺から視線を逸らした。

 どうやら、とりあえずは言い逃れ出来たらしい。

 

 緊迫した空気が漂う中、廊下の方からパタパタと足音が聞こえてきた。

 

 「遅いですけど、どうかしたんですかー?」

 

 訝しんだような表情の一色が、ひょこっと半身だけ壁から乗り出して様子を覗いてきた。

 飲み物を持ってくるだけだというのに、確かに時間がかかり過ぎていた。

 

 九条は一色の声を聞くとすぐに俺から一歩距離を置いて、いつもの柔和な笑みを浮かべた。

 

 「ちょっと話してたんだ。せっかくだし友達になれないかなって思って」

 

 どの口が言ってんだこのクソ腹黒野郎。

 なんなのコイツ?あれなの?腹黒同士の仲間意識で一色を気にかけてるの?そう考えたら一色の腹黒が可愛く思えてくるな。

 

 「無理に決まってるじゃん。先輩、一人も友達いないんだから」

 「ほっとけ」

 

 やれやれとため息つく一色に、俺は紛らわすように悪態をついた。

 一色は、先ほどの九条の一面を知らないのだろうか。それとも、知って認めたうえで仲良くしているのだろうか。 

 その真偽はわからないが、それを今考えるのはやめておこう。

 

 九条は何かを思い出したように手をポンとうった。

 

 「あ、そういえば今日これから用事あるんだった。ごめん、僕先帰らなきゃ」

 「え、そうなの?」

 「うん、それじゃあ明日ね。比企谷さんも、今日はありがとうございました」

 「………………」

 

 爽やかな笑顔で帰っていった九条を見送って、俺は気づいた。

 一色とタメってことはあいつ、後輩じゃね?もう絶対会いたくないんですけど。後輩なのに超怖いんですけど。

 

 「何話してたんですか?」

 「いや、別に」

 「ふーん。……それで先輩、忘れてませんよね?」

 

 出し抜けに聞かれて、例の宿題を思い出す。

 その宿題が、本日12月23日締め切りで、正解できなければディスティニーの件はなし。

 すっかり忘れていた。いや、正確には忘れたフリをしていた。

 ここ一週間、なぜ一色が怒っているのかを何気なく考えてはいた。なんなら昨日、小町に相談しようかと思ったくらいだ。

 しかしお分かりの通り、その答えは未だわかっていない。

 

 「あー、後で言うわ後で」

 「むー……」

 

 帰りまでには考えておこうと適当に流し、俺はまだ入れていなかったコップにコーヒーを入れた。

 一色は、「結衣先輩待ってますし……」と俺が持っていたオレンジの入ったコップを受け取ると、先を歩いていった。

 俺はその後ろ姿を少しだけ見ていたが、しかしすぐに手元のコーヒーに視線を落とした。

 

 さっき、俺は一色を知った風に語る九条に対して、嫌悪感を抱いた。

 しかし今となって、それが勘違いも甚だしい、ただの傲慢だったのだと後悔する。

 

 一色がなぜ怒っているのか。

 未だそれをわかっていない俺が、どの口を言っているのだと。

 

 不快な感情が胸の中で燻ぶって、前を歩く一色の後ろ姿さえ、今は見ることが出来なかった。

 

* * *

 

 カラオケを出た頃にはすでに夕暮れ時で、これから帰宅するだろうサラリーマンや買い物帰りの主婦たちが行き交っていた。三人、駅前につくと、由比ヶ浜がくるっと振り返る。

 

 「ごめんねヒッキー、小町ちゃんのプレゼント選べなくて」

 「なんでお前が謝るんだよ。むしろ助かった。ありがとな」

 「へっ?あ、うん全然……えへへ」

  

 言うと、由比ヶ浜はお団子髪をくしくしといじって視線を逸らした。差し込む夕日のせいか、その頬がすこし赤らんで見える。

 そして、なぜか隣の一色にしらっと睨まれる俺氏。結局、九条帰った後もいたんだよなぁ、こいつ。まあいいけど。ちなみに、俺は一色の無茶ぶりで一曲だけ歌わされる羽目になった。九条いなかったからまだよかったけど、ふぇぇ……緊張したし恥ずかしかったよぉ……。

 

 「まあ明日でも間に合うし、今日の意見参考にさせてもらうわ」

 「うん、小町ちゃん喜んでくれるといいね。それじゃね!」

 「おう」

 「結衣先輩、さようならー」

 

 改札を抜ける由比ヶ浜の後ろ姿を見送って、俺も改札の方へ歩きだした。のだが──、

 

 「んげぇッ」

 

 歩き出した方向と逆向きに襟を引っ張られて首が詰まった。思わず変な声出ちゃったろうが。

 

 「なにすんだよ……」

 「……」

 

 首をすりすりとさすりながら、首吊り他殺未遂を働いた張本人を半眼で睨んだ。

 しかし睨まれた方の一色は、なにやら不満げにむくーっと頬を膨らませている。その目は「お前のターンだ早くドローしろ」と訴えているようだ。

 さすがにわかっている。いい加減答えを出さなきゃ、こいつの気も済まないだろう。

 

 「まあ、あれだな……。とりあえず乗りません?」

 「………………」

 

 俺の提案に、一色は応じることなく改札へと歩き出した。たぶん、「まあよい」ということだと思う。知らんけど。

 

 改札を抜け電車に乗ると、この時間にしては乗客が少なく、席もそこそこに空いていた。

 先に座った一色から人一人分開けて座ると、ゆっくりと発車する。

 

 ふっと一息ついて、隣の一色を横目に見た。

 

 やはり、どうしても九条祐介が頭をちらつく。

 九条のあの裏の姿が、何よりも一色を崇拝する姿勢が、俺には不可解だった。

 一色を狙う人間など総武高には何人もいる。しかしそれは、あくまで自分の性的欲求を満たしたいがための者ばかりだ。

 一方で、九条の場合は。

 例え自分が付き合えなくとも、一色さえ幸福であればいいのだという。その考え方はわからなくもない。オタクがアイドルを神的なものとして見ているのと似たようなものだろう。

 

 ぶっちゃけいうと、外面(そとづら)だけで生きてるような一色に、そうまで思わせるような何かがあるとは思えないんだが……。

 

 もしかすると、九条は一色の裏の姿を知っているのだろうか。

 そもそも、一色と九条はどういう関係にあるのか。

 人んちのクリスマスパーティに参加するほど、密な関係なのか。

 その答えは本人に聞かなければ、あるいは聞いてもわからないだろう。

 

 そも、本来ならば、知らなくてもいいことだ。

 しかし、今の俺には一色に無事でいてもらわなければ諸々困る。主に平塚先生に殴られたりして内臓の諸々が飛び出す危険があるのだ。

 

 九条という男の人間性は未だつかめないが、一色にとって危険因子となる可能性があるなら遠ざけたいところだ。 

 だから俺は、なるべく深掘りしない程度で、当たり障りのない質問をすることにした。

 

 「…………一つ聞いてもいいか?」

 「……どうぞ」

 「お前、九条のことどう思ってんの」  

 「………………………………」

 

 なるべく一色の方は見ず、「まあ興味はないけど」感を出して聞いたのだが、逆に何かしらのリアルさを感じさせたのか、一色は呆然と口をポカーンと開けて俺を見ていた。

 すると、その顔がぶわっと朱に染まって、ひと二人分、つまり材木座一体分の距離を俺からとった。

 

 「な、なななんですか口説いてるんですか」

 「いやちげえけど……。すまん、忘れてくれ」

 

 質問の仕方がまずかった。これじゃあ「あ、あんた好きな人とかいん?べっべつにそういうんじゃないんだからぁっ!」みたいな顔を赤くしたツインテール低身長ツンデレ幼馴染が登場してしまいそうだ。ちなみにツンデレは嫌いじゃない。むしろ好きまである。

 

 何か気まずい空気になったなと思って視線を反対に向けていると、一色は離れた分を詰めなおした。気のせいか、さっきよりも距離が近かった。

 

 「先輩、もしかして嫉妬してるんですかぁ~?」

 「だからちがうから。嫉妬ってのは同等レベルの人かそれ以下の人にしかしないもんなんだよ基本。だから大抵人の下にいる俺は嫉妬なんてしない」

 「出た先輩の謎理論……」

 

 やれやれと呆れため息をつく一色は、過去を振り返るように蛍光灯を見つめ、口を開いた。

 

 「それじゃあ、嫉妬してる先輩のために言いますと、裕君は別にそういうのじゃないですよ。前も言いましたけど、塾が同じだったってだけで、高校入ってからは全く関わりありませんでしたし。…………続き、聞きたいですか?」

 「…………まあ、参考までに」

 

 視線を逸らして答える俺に、一色は悪戯に微笑んだ。

 

 「当時その塾の中では、わたし一番成績良かったんです」

 「嘘つけ……って痛い痛いつねんな」

 

 俺に水を差されたせいか、一色は不満げに唇を尖らせた。

 

 「いいから最後まで聞いてください。……それで裕君、今でこそ爽やかな感じですけど、当時見た目はもっさりしてて勉強も出来なかったんです。それで結構、学校ではひどい目に遭っていたらしくて」

 

 確かに、今の爽やかイケメンな感じからすると想像もできないことだ。それに、海浜総合は総武高には及ばずとも県内でも有数の進学校だ。並の学力で入るのは難しい。

 

 「隣に座ってたわたしがたまに勉強を教えたりしてまして、なんとか海浜総合高校に合格するまでになったんです。唯一自分に優しくしてくれるわたしが、裕君は救いだったみたいで。でもわたしは総武高校に受かったので、お互い別々の高校に通ってずっと会うことはありませんでした。そしてこの間のコミュニティセンターで、二人は感動の再開を果たしたのでした」

 

 「めでたしめでたし」と一色はしめくくり、小悪魔のような笑みで俺を見た。

 

 「…………結局惚気じゃねえか」

 

 と、俺は思わず呆れしまった。

 誰が聞いても惚気でしょこれ。もう完全にラブコメの主人公とメインヒロインみたいな出会いと再会じゃねえか。

 

 しかし一色は、俺の言葉にムッとして、とんとんとんとんと俺の太ももを軽くたたいてくる。

 

 「やきもち妬かないでくださいよー。わたしはみんなのいろはなので、心配しなくても大丈夫です♪」

 「だからちがうっての……」

 

 きゃるんっとウィンクして、とんとん太ももを叩いてくる一色に、たいして抵抗もせずにぼやいた。ほんといつも思うけど、なんてあざといんだこの子は……。

 

 しかし、一色の話を聞いてようやく整理できた。

 何故九条があれだけ一色の幸せにこだわるのか。

 言うまでもなく、自分を救ってくれた相手には幸せになってほしいと願うのは、何ら不思議なことではない。九条にとって、俺の存在は一色にまとわりつく害にしか見えなかったのだろう。だから今日、明らかな敵意を見せたのだ。今の話を聞いた感じだと、一色は九条の裏の一面を知らないようだ。まあ、九条が一色に何か危害を加えるとは思えないし、言う必要も無いだろう。

  

 そう思っていると、電車が止まり、10人ちょっとが乗り込んできた。俺たちが降りる駅までは残り3駅だ。

 そろそろ本題に入らないといい加減怒られるかもしれない。

 ドアが閉まって発車するタイミングで、俺は本題を口にした。

 

 「先週のアレだが、正直言ってまだわからん。そもそも、怒ってるとか言う割に全然怒ってるように見えないんだが、実際のところどうなの」

 「………………わたしにもわからないです」

 「えぇ……」

 

 これじゃあ本末転倒じゃねえか。

 もし怒ってないとしたら、答えなんてないどころか、そもそも問題にすらなってない。

 

 しかし、さすがの俺でも、今一色が言った「わからない」が、建前であろうことくらいはわかった。

  

 「それにですね」

 「……?」

 

 一色は、何故か少しだけ誇らしげに、胸を大きく張った。

 

 「答えを当てて欲しいなんて、実はこれっぽっちも思ってないんです」

 「は、はぁ?」

 「それにそれに、もしあってても間違ってても、答え合わせをする気もなかったんです」

 

 まるで他人事かのように、ケロリとした態度で一色は言った。

 返して。俺が真剣に悩んでた一週間返して。

 

 「だとしたら、どっちみちディスティニーには行けないんじゃないの、それ」

 「それはアレですよアレ。応相談です」

 「……」

 

 呆れを含んだじと目を向けると、一色はあっけらかんとして人差し指を立てた。

 

 「仕方ないですね。特別に答えを教えてあげます」

 

 一色は少しだけ溜めをつくって、その答えとやらを発表した。

 

 「こんなに可愛い女の子が別の男子にホイホイとついていくところを、先輩がぜんっぜん引き留めようとしなかったことです。むしろ先輩、そっちに行けとか言ってたじゃないですかー?もうわたしのプライドずたぼろでした」

 「いや……えぇ…………それ当たるわけなくない?」

 「先輩が原因ですよ?」

 「俺何も悪いことしてないし、やっぱ理不尽じゃねえか」

 

 一週間考え続けた答えがこんなのとか、当たるわけがなくて呆れたわ。好きでもない男子に引き留めて欲しいとか、もはや天才数学者ですらお手上げレベルの超難問だわ。

 

 「ていうか、マジでそれだけの理由で怒ってたわけ?」

 

 なるべく低い声でそう聞くと、一色は柔らかに微笑んで、ファー素材のマフラーに口を埋めた。

 覗く頬がほんのりと赤くなっていて、そういう一面を見ると、一色が年下の女の子であることを思い出す。

 一色はこちらを見ないまま、絡めた自分の両手を見つめて、小さく呟いた。

 

 「はい、たったそれだけですよ」

 

 一色はそれだけ口にすると、久しく見せていなかった屈託のない笑顔を浮かべた。




あまり進展がなかった本編でしたが、12月23日はまだまだ続きます。だって、まだ八幡に引き止めてもらってないもんね。

そして、何かと体調を崩しやすい時下ですので、皆様どうか次話まで生き延びてくださいね。


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19話 ラブコメの神様っているのかな

 降車駅について電車を降りると、一色はつーんとそっけない態度で口を開いた。

 

 「そういうことなので先輩、今ならまだ間に合うかもしれないわけですが」

 「…………」

 「とはいえ裕君にはもう明日のパーティに行くと言ってしまいましたし」

 「…………」

 「今日だってそのパーティに向けての買い物をしにきたくらいですし」

 「…………」

 「だからもし断るとしたらわたしの交友関係にも支障を来すわけでして」

 「…………」

 「そういう状況の中でどうしても先輩がわたしとディスティニーに行きたいっていうなら、それなりの覚悟と責任をもってわたしをどうにかしなければいけないと思うんですけど」

 「…………」

 「…………」

 

 淡々と、ロボットのようにフラットな態度で、一色は何かを訴えかけてくる。階段を登り切って、改札を抜ける前に立ち止まった。

 

 長々と喋ってはいたが、つまり一色はこう言いたいのだろう。

 「わたしを誘え」と……。

 

 一色曰く、総武高校一年随一の美少女のプライドが俺によってずたぼろにされたらしい。九条のパーティに行こうとする一色を俺が止めなかったことが原因なのだが、何をどう考えても理不尽だと思う。

 

 「いやでも、そっち行った方がいいでしょ。中学からの付き合いなんだろ?あっちの家だって色々準備してるだろうし、俺に引き留められなかったからってお前が気にするようなことじゃないでしょ」

 「あーそういうこと言っちゃいますか!!もういいです先輩なんて!」

 

 ふんっとそっぽを向いて憤慨する一色に、俺は「えぇ……」と肩を落とす。

 正直言って意味不明である。特にここ数週間の一色の態度は俺の理解を逸してる部分が多い。

 

 それに、さっきの今で九条の機嫌を損ねるようなことは安易にしたくない。

 それこそ、九条家のパーティに一色が行くのを妨げでもしたら、割と刺される可能性があるのではと思ってるまである。あいつ、一色のこと好きすぎだし、俺が一番警戒されている節がある。だから一色は九条ん家に行ってほしいというのが俺の切な願いなのだが。

 

 どうやら一色さんご立腹。そっちがその気なら俺も怒ったかんな!許さないかんな!

 

 徐々に一色に対して鬱陶しい感情が渦巻き始めるも、なんとか言葉には出さず改札を抜けた。そこから少し歩くと、外が見えてきた。のだが、

 

 「雨か……」

 

 話していたせいで音にも気付かなかった。

 まあ、毎朝ZIPを欠かさず見てるZIPガチ勢の俺ともなると、今日この時間に雨が降ることは昨日の時点で確認済みだ。もちろん折りたたみ傘は持ってきてる。はちじにじゅっぷん!はちじにじゅっぷん!ちなみにこれはめざましテレビのめざましくんな。

 一色は持ってきているのだろうかとちらと横を見ると、はあっとため息ついて棒立ちしていた。

 

 「持ってきてないのか」

 「はい……朝天気予報確認してなかったので……」 

 「……」

 

 俺は鞄から折り畳み傘を取り出し、意を決して聞いた。

 

 「…………入ってくか?」

 「……お願いします」

 

 …………ふ、ふう、よかったよかった……。「は?てめえの傘なんて汚いし一緒とかマジ無理だからキモ〇ね」とか言われたらどうしようかと思ったわ……。今のご立腹いろはすだったら言いかねない。この時期の雨はかなり冷たいし、何を言われたところで貸すつもりではあったけど。

 

 バサッと傘を展開すると、一色はおそるおそる入ってくる。

 折り畳み傘で仕方ないのだが、かなり近づかないと範囲内に収まらないから超近いし、なんならちょっとだけ肩触れてて僕の心臓が悲鳴を上げていた。

 もうドキドキしすぎて左手に持った手が若干震えてるまである。女子と相合傘とかしたことないんだよ……。男ともねえけど。

 

 「んじゃ行くか。………………えーと、左足から?」

 「…………っぷ、なんですか、それ」

 

 緊張のあまり変なことを口走ってしまった……。しかしそれを聞いた一色は、さっきの不機嫌なんてどこ吹く風、吹き出して笑った。それを見ると、心なしか俺の緊張も解ける。

 

 しっかし、後輩女子との帰りがけに雨降るとか、ラブコメの神様もちゃんと働いてるようで何よりだ。もっと休めよ。俺の心臓が持ちそうにないので永眠していただきたい。

 

* * * 

 

 ドキドキの相合傘を凌ぎきり、なんとか一色宅までたどり着いた。いやほんと、だんだん慣れるどころか、肩が触れ合う度に一色が変な声を出すもんだから心臓がはち切れそうだった。そのうえ傘は大分一色側に寄せていたから、俺の半身はかなり濡れている。帰ったらすぐ風呂に入ろう……。

 

 「んじゃ俺は帰るけど、さっきの話はラインでってことでいいか?」

 「ちょっと待ってください」

  

 帰りかけたところで、一色は家のドアを指さした。

 

 「先輩の家、ここから結構遠いですよね?雨やむまでうちに上がりませんか?」

 「無理だけど」

 

 一色の提案に、俺はほぼ反射的に答えた。こいつ、ここがどこかわかって言ってんのか?女子の家だぞ。もっかい言うけどここ女子の家だぞ。そんな未踏のサンクチュアリに俺が入れる訳ないだろが。

 

 「でも風邪引いちゃったら妹さんの迷惑になるんですよね?結構濡れてるみたいですし」

 「いやでもな……」

 

 むしろ女子の家に入る方が体調崩しそうまである。なんせ玄関前ですらちょっと落ち着かないほどだ。

 しかし俺の反応など知ったことかというように、一色は説教顔で睨んでくる。

 

 「いいから入ってください。傘忘れたわたしにも責任あるんですから」

 

 ぐいぐいと腕を引かれ、もはや抵抗しても無駄のようだ。これはもう腹を括るしかない。

 なんでもかかってきやがれ!という気概を持って、俺はついに一色家の敷居を跨いだ。中へ入ると一色は「タオル持ってくるので待っててください」と奥へ消えていき、ぽつんと玄関に取り残されてしまった。

 

 一人になると、所在無く視線をうろつかせてしまう。家内は白を基調としており、玄関のシューズボックスの上にあるキキョウの生け花が清潔感を作り出している。

 そして何よりも、人の家の独特な匂いが鼻をくすぐって居心地が悪い。いや、まったく不快じゃないしむしろ好きな香りなのだが、人の家に来ることなんてほとんどない俺にとっては背筋を伸ばさずにはいられない。

 

 そしてふと、何やら視線を感じた。

 先ほど一色が消えていった部屋より手前のドアから、亜麻色の髪がちらちらとこちらを覗いている。一色かとも思ったのだが、にしては長すぎる。

 あ、まさか。と思ったのも束の間、ドアが開かれた。

 

 「あ、見つかっちゃったぁ」

 

 ふわふわとした声と共に、その人は近づいてくる。そう、おそらく一色の母親であろう人が。

 

 「あ、どうも。お邪魔してすいません。総武校の比企谷と言います」

 「初めまして~。いろはの母です」

 

 おいおい嘘だろ俺。めっちゃ普通に挨拶出来たじゃん……。

 女子の家に入るよりもどちらかというとその母親の方が強敵だと思ってたのだが、きっとこの人の第一声で緊張がほぐれたのだと思う。「あ、見つかっちゃったぁ」とか何それ初対面で年上なのに超かわいいんですけど。話し方の雰囲気がどことなく城廻先輩に似ている。

 

 「いろはのお友達?そ、れ、と、も~?」

 

 ふふふっと悪戯に微笑む母はすさん。しかしそれは娘の一色のような小悪魔的な笑みではなく、いたずらっ子な子供のような印象を受ける。仕草がいちいちあざとくなくて可愛い。年上だけど。

 しかしなんて説明すればいいのだろうか。友達ではないし、母はすの言う「それとも」でももちろんない。先輩です、はおかしいし、生徒会長です、というのも何か変な気がする。

 

 身を寄せてくる母はすに、さてどうしようかとのけ反って悩んでいると、

 

 「ちょっとお母さん!?」

 

 バスタオルを持った一色が慌てたように駆け寄ってきた。

 

 「リビングから出てこないでって言ったじゃん!」

 「だってぇ、いろはが男の子を家に連れてくるなんて初めてでしょ~?そんな一大事に黙ってるなんてできないじゃない♪」

 「も、もう余計なこと言わないでよ!いいからあっちいって!」

 

 一色は顔を真っ赤にしながら母はすの顔にバスタオルを押し付けて、ぐいぐいとドアの向こうに連れて行った。一色の慌てた感じとか普段見ないからなんか新鮮だ。さすがの一色といえど母には逆らえないらしい。

 

 「な、なんかすいません。お母さんいつもにも増してテンションあがってるみたいで……」

 

 一色は疲れたようにため息を吐きながら戻ってくると、タオルを貸してくれた。

 

 「さんきゅ。まあなに、仲良さそうで良いんじゃないの」

 「先輩はさっきの会話すべて忘れてください」

 

 何故かちょっと不服そうな顔をしている。まあ正直、一回も男入れたことないとか意外だなと思ったし、すでに何十人も連れ込んでるビッチとか思ってましたすいません。

 

 「体冷えるといけないですから、とりあえずこちらへどうぞ」

 

 そう促されるままに、俺は脱衣所へと案内された。

 

 「着てる服は洗濯しますので、乾くまでお父さんので我慢してください」

 

 見ると、洗濯かごにジャージの上下が置かれている。

 ちょっと待て。これはさすがに難易度高すぎない?娘が連れてきた男が自分の服を着てるとか知ったら殴りかかってくるのではないだろうか。もし俺が逆の立場だったら迷いなくそうするし。

 貸してもらって文句は言えない、が……。

 

 「一応聞きたいんだけど、父ちゃんいつ帰ってくんの?」

 「そうですねー、土曜日は大体飲んで帰ってくるので深夜帯になると思いますけど……あ、先輩もしかしてビビってるんですかー?」

 「ばっかお前ビビるだろこんなの。世界三大怖いものといえば、小中学校の同級生、他人の父親、平塚先生、そしてセーブデータの消滅と相場が決まってんだよ」

 「四つ言ってるじゃないですか……」

  

 特にスーファミのドラクエなんかだと、「ぼうけんのしょ1ばんはきえてしまいました」という身の毛もよだつ一文が恐怖の音楽と共に画面に表示されるのだ。ちょっと本体にぶつかったりして画面がフリーズした時は諦めたほうがまだ精神的に余裕を持てる。

 今は呪文とか覚えなくていいし、いい時代になったなぁ……。

 

 としみじみしていると、一色は「どうでもいいですけど、ちゃんとあったまってくださいね」と言って出て行ってしまった。

 俺、生きて帰れるのかしら……。

 

* * *

 

 風呂から上がって、父はすジャージを身に纏い、脱衣所を出た。

 ええと、どこ行けばいいんだろ……と思いながらも、さっき母はすが出て来たドアを開けた。おそらくここがリビングだろう。

 開けると、一色がソファに座って雑誌を読んでおり、母はすはキッチンで料理をしていた。

 

 「あの、服まで借りちゃってすいません」

 「いいのよ~。あら、似合ってるじゃない」

 

 間延びした声で、全然嬉しくない褒め言葉をもらってしまった。一色が貸してくれたジャージは大学生がよく来てるようなお洒落ジャージで、着心地も悪くない。でも、なんか俺が着ると陰キャが背伸びしてる感あるんだよなぁ……。

 さわさわとジャージを触りながらリビングに入ろうか入らないか迷っていると、一色がたたっと駆け寄ってきて、こそっと耳打ちした。

 

 「お母さん邪魔ですし、上行きましょ上」

 「え、ちょ……」

 

 腕を引っ張られたままリビングを出た。後ろから「青春ね〜」とか聞こえたが無視し。階段を上り、一つの部屋の前に着く。その部屋のドアプレートには「いろは」と書かれていた。

 え、ちょっと嘘でしょ?マジなの?これマジなの?女子の家どころか部屋にまで入っちゃっていいの?なんかここから魔力的なものを感じるんだけど入ったら死んだりしない?

 

 「ちょ、ちょっとだけ待っててください」

 

 言って、一色だけ中に入ってしまった。

 1分くらい待つと、再びドアが開かれた。

 

 「ど、どうぞ」

 

 そう顔を赤くされると勘違いしちゃいそうだからやめてほしい。家に男子を入れたことないってことはもちろん部屋に入れたこともないはずだ。ここまできたら、俺がこの未踏の地のパイオニアになってやろうふっはっは!と自分を誤魔化して足を踏み入れた。

 

 部屋に入った途端、爽やかな柑橘系の香りが鼻を撫でる。たぶんタンスの上に置かれたプリッツみたいなやつが香りの供給源だろう。

 そして、ピンクを基調とした部屋に、勉強机やテレビ、ベッド、こたつなどの家具が設置されているが、どのデザインにも女子っぽさを感じる。特にベッドの上のテディベアや、ピンクの絨毯に置かれたハート型のクッションに一色っぽさが顕れている。まさに今日由比ヶ浜と行ったラデュレみたいにピンクだらけで超メルヘン。場違いすぎて思わず息を止めてしまった。

 

 「あんまじろじろ見ないでくださいよ」

 「いや、罠とか仕掛けられてたらどうしようと思って」

 「わたしを何だと思ってるんですか……」

 

 もはやこの部屋自体がハニトラなんじゃないかとか思い始めてきたわ……。

 しかし、これが女子の部屋か。マジでドラマとかアニメで見るような感じなのな。ていうか、雪ノ下の部屋は行ったことあったな。アレは女子の部屋っていうより高級ホテルって感じだったけど。

 

 「別にリビングでも良かったんじゃないの?」

 「いや、それはそうですけど……まあいいじゃないですか。ここの方が二人でお話しできますし」

 「そ、そうか……」

 

 別に他意はないんだろうけど、そんなあっさりと「二人で」とか言わないでほしい。いちいち緊張してしまう。

 一色がベッドにすとんと座ったので、俺もどこに座ろうかと悩んだ結果、こたつの横の絨毯に座ることにした。ただの絨毯なのになんでこんなにもっふもふしてるんだろう、不思議。

 

 「…………」

 「……」

 

 そして、沈黙が訪れる。

 

 俺は当然のことながら、一色もなんかそわそわしていて余計に落ち着かない。

 こういう時どんな会話したらいいの?しりとり?でもしりとりって本来一人でする遊びだし、二人以上でのやり方を知らないのでやっぱやめておこう。

 

 ……そういえば、一色も部屋着に着替えてたのか。なるべく直視を避けていたので気づかなかった。ピンクがかったベージュのネルシャツはドット柄で、上下セットのルームウェアだろう。女子の部屋着といえばモコモコしたヤツを想像するのだが、こういうのも悪くないな。小町とか俺のおさがりジャージをこれでもかと言うほどはだけさせて着てるから、こういう女子っぽい部屋着を見るとなんだか新鮮な感じだ。まあ、なるべく見ないようにしておこう。怒られたくないし。

 

 「…………」

 「……」

 「…………」

 「………………」

 「…………」

 「……………………ん゛ん゛っ」

 

 ついに沈黙に耐えかねたのか、一色が鈍い咳払いをした。思わず俺もびくっとなってちらと一色を見ると、一瞬だけ目が合ってすぐに逸らされる。そして再びの沈黙。

 もうどこを見たらいいのかわからなくなり、俺は自分の指紋の数を数えることにした。

 

 ひぃ、ふぅ、みぃ…………あれ、どこまで数えたっけ……。よしもっかい。ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……………………。

 

 しかしものの8秒で飽きてしまい、また手持ち無沙汰になる。一色はどうしてんだろうかと再び見た。すると、

 

 「あっ……ん゛ん゛っ」

 

 また視線がバッティング。咳払いと共に逸らされる。

 

 もう将来働くので誰かこの状況から救ってください……。

 と涙目になりかけていると、一色がベッドから下りて、俺とは対面側のこたつの中にぬくぬくと足を入れた。

 

 「……よければ先輩もどうぞ。まだ部屋寒いので」

 

 言われるままに、俺もこたつに足を入れてみる。うーん、ぬくい。やっぱここだけは実家と変わらぬ安心感があって落ち着くな。

 ぬくぬくと温まっていると、こたつのテーブルにぐでっとなった一色が「そういえば」と口を開いた。

 

 「先輩今日コミュセン行ったんですよね。どんな感じでした?」

 「ああ、思ったより人多くて賑わってたわ。管理さんが照明とかやってくれたみたいでな、子供向け美術館って感じだった。美術館行ったことないけど」

 「へー」

 「あと、モビールがいい感じの雰囲気出してたわ」

 「えっへん。さすがわたし」

 

 聞いといて適当に返事する一色が、急に怒ったように眉間に皺を寄せた。

 

 「ていうか、そもそも誰も何も案出さないから、仕方なくわたしが出したんですからね。両校の生徒会長がどっちも役立たずで困りました。副会長って一番楽な役職だと思ってたんですけど」

 「いや、案外俺も仕事してたでしょ?企画案出したのだって俺だし……」

 「企画しといて中身全然考えないとか、むしろその方が困るんですけど」

 「ぐうの音も出ねえ……」

 

 むくっと頬を膨らませて、一色はこたつの中で足を蹴ってくる。なんならご褒美。

 まあ、今回のイベントの一番の貢献者は一色だったことは確かだ。うちの書記と会計はともかく、あっちの生徒会はやたら会議したがるし、やたら仕事を押し付けてくるしで正直いない方が楽だったのではとか思ってた。とはいえ、海浜総合のコネクションがなければそもそも小学校を抱き込むことさえできなかったのだから文句は言えないが。

 

 「次からはちゃんとしてくださいね、会長」

 「ん、おう。次からは仕事が来ないように善処するわ」

 「そういうことじゃないんですけど……」

 

 ダメだこの会長……と一色は半眼で肩を落とした。

 そんなやりとりのおかげか、さっきまでの緊張感はなくなり、いつもの調子が戻ってきた。

 

 「冬休み開けたら、またいつも通りに戻るんですね」

 「……そうだな」

 

 いつも通り、か。

 ここ2週間、合同イベントを理由に奉仕部にはほとんど行っておらず、2,3回ほどしか顔を出していない。まあ行こうと思えば行けた日もあったが、そうしなかった理由は正直自分でもわからない。

 雪ノ下と顔を合わせることの気まずさからなのか、それとも由比ヶ浜の気使いに対する罪悪感からなのか。その理由が判然としないまま、不問にしたまま、合同イベントが終わってしまった。どちらにせよ、冬休みが明けて生徒会の仕事が落ち着けば、部室に行くことになる。

 

 直球で言うと行きたくない。婉曲的に言うと行きたくない。なんなら学校にも行きたくない。一生家にいたい。戸塚と結婚したい……。

 

 そう5段落ちして現実逃避する俺を、一色が横目で見ていた。なんとなくだが、俺が奉仕部に行きたがらないのを一色は察している気がする。

 

 「まあいつも通りつっても、この時期俺ら二年は0学期とか言われてなんか勉強しないといけない空気になるんだよな。あの因習マジで滅ぶべきだと思う」

 「先輩も受験生ですもんねー。…………あ、そうだぁ!」

 

 一色は何か思いついたというように、がばっと体を起こした。

 

 「先輩って頭だけはいいじゃないですかー?」

 「だけとか言うな」

 「それに、2月に学年末テストもあるじゃないですかー?それで、わたしが先輩に勉強を教えてもらったら、わたしの成績が伸びるだけじゃなく、先輩も1年生の復習ができてお得!みたいな」

 「えぇ……」 

 「先輩どうせ一緒に勉強する人いないですし、わたしならほら、生徒会室でお勉強出来ますし」

 「えぇ…………」

 

 とか嫌風な返事をしておきながら、案外いい考えとか思ってしまった自分がいる。確かにインプットばかりするより、教えたほうが覚えられるっていうのは一理ある。が、

  

 「ちなみに、今成績どんくらい?」

 「…………」

 「この前の期末の順位は?」

 「………………にひゃく、じゅう……でした…………」

 

 ぼそぼそと口の中でぼやく一色だが、しっかり聞きました。

 一学年400人弱だとすると、まあ大体真ん中くらいか。それだったら俺でも教えられそうだが。

 

 「わ、わたしだって本気出せば10位以内とか余裕ですしっ!」

 「本気出してから言うもんだぞそういうの。ていうか、教えるんなら男子の俺より女子の方がいいんじゃないの?学年一位の雪ノ下がいるんだし」

 「そ、それはほら……、雪乃先輩は人に教えるのとか苦手そうじゃないですかー?」

 

 確かに、俺が奉仕部に入った当初。雪ノ下が由比ヶ浜にクッキーの作り方を教えたのだが、お世辞にも教え上手とは言えなかった。天才からすれば「なんでこれくらいできないの?」という感覚なのだろう。

 

 「それもそうか」

 「ですよね!?だから、先輩が教えてくれたらお勉強も捗るなーなんて!」

 「なんでそんな必死なんだよ……」

 「べ、別に必死とかじゃ……~~っ!もう先輩のばかっ!!超ウザい!」

 

 前のめりになる一色に何気なくツッコみを入れると、一色は顔を真っ赤にしてハート型のクッションを投げつけてきた。

 え、なんで俺今罵られたの?

 

 その理由もわからないままに、一色はぷんすことこたつの向こう側に隠れてしまった。

 最近の一色、なんかほんと情緒不安定だな。ちょうど合同イベント始まって俺といる時間が長くなったくらいからか。…………あれ、もしかして俺が原因じゃね?完全に俺がストレッサーだったわメンゴ……。

 

 「まあ俺にもメリットあるし、時間あるときだけな」

 「ほんとですか!?やったぁ!」

 

 言うと、一色はぱぁっと瞳を輝かせた。

 

 ……いかんいかん。騙されるな俺。あくまで一色が求めてるのは俺の学力だ。ここで勘違いすれば中学の二の舞だ。しかも、思わせぶりな態度をとるのがうまいからな、こいつ。己を戒めろ……。

 まあしかし、そうも嬉しそうに「んふふー」と微笑まれるとこっちまで嬉しくなったりはする。今くらいは勘違いしてもいいか。

 

 「じゃあ今やりましょう!」

 「は?」

 

 一色は俺の疑問を無視して机から問題集を持ってくると、再びこたつに入った。

 

 「冬休みの宿題終わらせたいですし」

 「まあ別にいいけど……数学は聞くなよ」

 「了解です!」

 

 こうして、俺たちのこたつイン勉強会が始まった。どこにインしてんだよ。

 

* * *

 

 始めてから10分ほど、一色は俺に質問することなくすらすらと問題を解き進めていった。

 もうこれ俺いらねんじゃね……と自分の存在意義に不安を覚え始めていると、一色が「ん~わかんない~」と頭を抱えた。

 

 「どれ」

 「この4番の問題なんですけどー……」

 

 4番4番…………ってこれ数学じゃねえか。お前話聞いてたの?と睨んでやると、一色は「解けるものなら解いてみろ」とばかりに笑顔を浮かべていた。しかし、そう思い通りにはさせないぞ。

 

 「なんだ、簡単だろこれ」

 「えっ嘘!?」

 「っふ、甘く見るな一色。今でこそ最下位の俺だが、一年の時は友達欲しくて数学の勉強もそこそこ頑張ってたんだよ」

 「そ、そうだったんですか。その成果が全然出てないことにはあえて触れませんけど、正直なめてました」

 

 目を瞠る一色に、俺はふんっと胸を張る。

 

 「それで、どう解けばいいんですか?平方完成まではしたんですけど……」

 

 その先がわからない、という一色が聞いてきたのは、二次関数の問題だ。俺も一応検算してみたが、ここまでは合ってるっぽいな。

 

 「この二次関数は軸はわかってるが定義域が未知数なんだ。こういう時は場合分けをする」

 

 図を描きながら説明していくと、一色は「ほうほう」と頷く。

 ノートを反対側に向けてるから実に描きづらい。

 

 「あ、教えづらいですよね。場所移りましょうか?」

 「勉強机にか?出来ればこたつから出たくないんだけど」

 「なので、わたしが先輩の横に行きます」

 

 言って、反対側に座っていた一色はこたつから出ると、俺の隣に移動し、再びこたつに入った。え、まって。近い。このこたつそんな大きくないから腕とか足とか当たってる!

 

 「ちょ、近いんだけど……」

 「隣の方が教えやすいじゃないですか。それにあったかいですし」 

 

 …………うん、確かに温かいけども。密着する肩もこたつの中で触れる足もとても温かいけども。むしろ暑すぎて背中に汗かいてきたし、触れた肩から心臓の鼓動が伝わってないか不安になってきた。もう超爆音。 

 

 「じゃあ続きお願いします」

 「お、おぅ」

 

 しかし、一色は平然としているのに俺だけ意識してるとか格好悪い。ここは強い意志を持つんだ。

 やっぱ俺、生きて帰れそうにないわ。

 

* * *

 

 「………………い」

 「…………てください」

 「……起きてくださいってば、せんぱーい」

 

 聞きなれた声に少しずつ意識が覚醒していくと、ゆさゆさと体が揺らされてることに気づいた。

 目を開けると、テーブルにはノートと問題集が広がっている。

 

 「ん……」

 「あ、やっと起きましたか。おはようございます」

 「えっ、と……?」

 

 そして、やっと自分が寝ていたことに気づいて、思わず時計を見た。現在の時刻は19時半。40分くらい寝てたのか……?窓から差し込んでいた夕日もすっかり沈んで真っ暗だ。雨は……降ってるか。

 

 「まだ寝ぼけてるんですか?まったく、勉強を教えるとか言って寝るとか、とんだ先輩ですね、先輩」

 

 先輩を悪口用語にするな、と心の中だけでツッコみを入れられるくらいには目が冴えてきた。よし、一度状況を整理しよう。

 俺、こたつで寝落ちしていた。以上。

 まあ風呂上りにこたつで温まってたら、睡魔が襲ってきても仕方ない。にしても、俺はこの状態でどうやって寝てたんだろうか。机に突っ伏してたわけでもなさそうだし。

 

 「すまん、完全に寝落ちしたわ、宿題は順調か?」

 「まあわからない問題もいくつかありましたけど、とりあえず半分くらいは」

 

 隣に座る一色はカチカチとシャーペンをノックして、問題集と睨めっこしていた。その横顔に、少しだけ違和感を覚える。

 

 「……なんか顔赤くないか?」

 「き、気のせいです!…………ああもう、一生眠らせてあげましょうか!?」

 「な、なんでキレてるんだよ……」

 「誰のせいだと思って……」

 

 さっきよりも顔を真っ赤にして、一色は不満げに唇を尖らせる。いや、寝てたことは俺が悪いけど、そんな怒ります……?眠気は生理現象なんですよ……?

 と申し訳なくなっていると、コンコンと部屋のドアがノックされた。

 

 「ふたりとも~、ご飯できたわよ~」

  

 こののほほんとした声は母はすだ。

 

 「あら、随分仲良さそうね。お邪魔だったかしら?」

 「そ、そういうんじゃないから!……先輩も食べていきますよね?」

 

 一色はすさっとこたつから出ると、誤魔化すように咳払いをした。

 え、俺も食べてくの?さすがにそれは世話になりすぎだろう。風呂と服を貸してもらっただけでもかなりありがたかったのに。

 

 「いや、さすがに悪いんでもう帰ろうかと……」

 

 言うと、母はすは人差し指を頬に当て、わざとらしく、

 

 「困ったわね~……。じゃあ用意した比企谷君の分は捨てないと……」

 

 ふふっと悪戯に笑って、俺を見る。こういうところが本当に娘さんに似て策士だ。それを言われたら食べてかなきゃ失礼だしな。

 

 「それじゃあ、頂いていきます」

 「あ、それと~」

 

 母はすはまだわざとらしい演技を続けて、窓の外を見た。

 

 「今夜、爆弾低気圧が来るらしいわよ~?」

 

 

 物理的に、生きて帰れる気がしなかった。




今回は頭から尻尾まで盛りだくさん。一万字の一色いろはでお届けしました。
生来、尻尾にあんこが入っていないタイプのたい焼きを好む僕にとって、ちょっと甘すぎたかなと思ったりもしましたが、たまにはこういう回もあっていいよね、知らんけど。
なんにせよ、ラブコメの神様はいるみたいですね、知らんけど。

いつもお気に入り、評価、誤字報告ありがとうございます!知らんけど!


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20話 先輩、わたしもう……

感想いつもありがとうございます。20話だぁー!


 「比企谷君、お味はどうかしら?」

 「あ、美味しいです」

 「ふふっ。それはよかったわぁ」

 

 ニコニコと嬉しそうに頬に手を置く一色さんに見られながら、俺はカレーライスを食べていた。カレーと言えば、各家庭ごとで具材とか味付けに個性がでる代表的な料理だが、一色家ではホタテやイカが入った海鮮カレーが普通らしい。マジで美味くて超ビビる。うちだとシンプルにじゃがいもとか人参しか入っていないから、こういうカレーも新鮮だ。

 

 「先輩、福神漬けいりますー?」

 「ん、もらうわ」

 「はい、どうぞ」

 「さんきゅ」

 

 隣に座る一色から福神漬けを受け取って、じゃっじゃっと適当にぶち込む。

 うん、この甘さと食感が癖になる。神を食らってる気分で悪くない。

 

 「そういえば、比企谷君生徒会長なんだってね。すごいわぁ」

 「あ、いえ全然……会長なんて名ばかりで」

 「もう、謙虚なんだからぁ~」

 

 実際副会長の一色の方が仕事してるから事実なのだが、なんか勝手にいい方向で解釈してもらってるし黙っておこう。

 

 半分ほど食べた頃、一色が聞いてきた。

 

 「ご飯食べたら何しましょうか」 

 「いや、何するって言われても……」

 「食べ終わるまでに考えといてくださいね。せっかく泊ってくんですし」

 

 その一言でどくん、と心臓が跳ね、口に運びかけたスプーンが空中で停止する。

 

 部屋の角に置かれたテレビに映るのは、今夜関東に接近する爆弾低気圧について扱ったニュース。そのアナウンサーの声にハモるかのように、家の屋根には弾丸のように雨音が響いていた。暴風が窓を乱暴に揺らし、小さな子供なら泣き出してしまうのではないかとすら思う。だって、17才の僕の心がこんなに泣いてるんだもの……。おうち帰りたい……。

 

 「今夜はお父さん帰ってこれないみたいだし、ゆっくりしてってね~」

 

 微笑む母はすの笑顔が、今は悪魔に見えて仕方がない。

 一色もなんか平然としてるけど、この親子、男を家に泊めることにためらいとかないの?

 

 「ご馳走様でした……って、先輩食べるの遅くないですか?」

 「寝起きだからな」

 

 色々考えてる間に、一色は食べ終わったらしい。

 なんかもう緊張で胃が痛くて食欲なくなってきた。

 

 「わたしはお風呂入ってきますねー」

 「お、おう……」

 

 食器を下げて、すたたっと一色は部屋を出ていってしまった。

 これが意味すること即ち──。

 

 「…………」

 「んー、ちょっと辛すぎたかしら」

 

 一色さんと一対一になってしまった……。一色さんは気にしてないんだろうけど、年上の女性とサシとか高校生の俺にとっては正直しんどいものがある。

 俺は気まずさを誤魔化すように、残りのカレーを無心でかきこんだ。

 

 「ごちそうさまでした。かなりうまかったです」

 「お粗末様でした。食器はそっちに置いておいてもらえる?」

 「あ、洗わせてもらっていいですか?お世話になってばかりなので」

 「ふふ、紳士なのね。じゃあお言葉に甘えちゃおうかしら」

 

 食器をシンクにおいてお湯につけてる間に、一色の分を先に洗った。

 いやもちろん下心なんてないよ?スプーンはなるべく先端部分に手を触れないように心がけてるからな。

 あ、いいことを思いついたぞ。「このスプーンを使ったのは材木座」と思い込めば何の問題もないのでは?(問題)

 

 そう迷想していると、一色さんも食べ終わったのか、食器を持ってきた。

 

 「これもお願いしていいかしら?」

 「あ、はい」

 

 受け取ったものの、何故か一色さんは一向に離れようとしない。

 食器を洗う俺の手元を「慣れてるわねー」と感心するように見ている。すると、少し考えるように眉間を寄せた。

 

 「比企谷君、いろははどう?」

 「……はい?」

 

 要領を得ない質問に、聞き返してしまった。この人のことだから「お嫁にどう?」的な意味で聞いたのかとも思ったのだが、しかし一色さんの表情は先ほどとは打って変わって真面目だ。

 

 「あの子、可愛くて人当たりもいいから昔から男友達は多いんだけど……かえって恨みをかうことが多くてね」

 

 何故俺にそんな話をするのだろうか、とも思ったが、一色さんの言わんとしていることはわかる。一色本人、自分の容姿が優れていると自覚してるきらいがあるからこそ、ああいったあざとい仕草ばかり身につけているのだろう。それ故に、女子との人間関係にも亀裂を来しているという事実は、倉敷ほのかの一例を見れば明らかだ。

 

 「学校で一番人気のある人を好きでもないのに追っかけて、そのたびに自分の本音を隠すの」

 

 「ま、女の子は嘘で強くなるんだけどね」と付け足して、一色さんはあざとくウィンクした。

 しかしその表情はまたすっと真面目なものに戻る。

 

 「でもね、一か月くらい前からいろはは変わったわ。家で学校の話なんてしなかったのに、今日はこんなことがあったーとか、奉仕部っていう部活に変な先輩がいるーとか。あんなに楽しそうに話すいろはを見るのは本当に久しぶりだった。きっと、あなたのおかげ」

 「いや、そんなことはないと思いますけど……」

 

 即答した。

 俺が一色にしてやれたことなんて、本当に何もない。あったとしてもごくわずかだ。

 一色が最初に持ち掛けた依頼も、俺の解決策では確実だったとは言えないし、実際雪ノ下が根回ししてくれなければ失敗していた可能性もある。それに、倉敷ほのかの件だって何一つとして解決していない。

 

 俺の否定に、しかし一色さんは柔らかに首を横に振った。

 

 「ううん、そんなことあるわ。でなきゃ、あなたを家に入れたりなんてしないもの。きっといろはは、あなたをとても信頼している」

 

 言われて、俺は口を噤むことしかできなかった。なんて返すべきかも、どんな反応をすべきかもわからなかったのだと思う。

 

 あるいは、戸惑っていたのかもしれない。

 

 一色にとって、俺は使い勝手の良い先輩程度にしか思ってないのだと思っていた。いや、今ですら思う。

 ショッピングモールで俺を連れまわしたのだって、同級生の男子から逃げるための消去法だった。クリスマスイブに俺を誘ったのも、他に予定がなかったがための穴埋めだと言っていた。思えば、一色が俺を利用した場面なんていくらでもある。

 いずれも自分の利益のためだった。

 

 しかしだとすれば、一色は何故、俺を家に入れてくれたのか。

 俺を家に入れることで、一色には何の利益があったのか。

 そんな疑問が解決しないままに、一色さんは俺を正面からとらえた。

 

 「いろはがあなたをどう思ってるか、なんて今は考えなくていいわ」

 

 まるで俺の考えを看破したかのように、一色さんは真っすぐに俺の両目を見つめる。

 

 「だから、もう一度聞くわ比企谷君。あなたは、いろはをどう思う?」

 

 そう質問した一色さんの声音は真剣そのもので、こどもを想う母親の声だった。

 ならば、俺も真剣に答える必要があるだろう。

 ──と、考えを整理しようとしたところで、一色さんは少し慌てたように両手を振った。

 

 「ど、どう思うっていってもあれよ?どう見えてるかってことよ?好きとか付き合いたいとかは私じゃなくていろはに言ってあげてね??」

 「は、はぁ……」

 

 どこを心配してんだこの人は……。まあ、おかげで俺も緊張が解れて考えがまとまった。そもそも考えて出した答えなんて求めてないだろう。純粋に一色に抱く印象を言葉にすればいい。

 

 「…………正直、最初会ったときはかなり苦手なタイプでしたけど、生徒会入って一緒にいる時間が増えてから印象は変わりました。……結構努力家っていうか、繊細っていうか」

 

 繊細であるからこそ、自分を研磨して見栄を張っているのだ。例えそれが虚勢だとしても、あそこまで自分を磨き上げる努力ができるというのは俺には到底ない一面で、尊敬できるところでもあった。

 

 俺ごときの人間が誰かを尊敬するなど、自分でも片腹痛くなる話ではあるが。

 

 「努力とか頑張るとか、俺はそういうのって自己満足でしかないと思うんですけど」

 

 話してることがめちゃくちゃだ。起承転結も知らんのかと自分で自分を叱りたくなってくる。きっと、聞いてくれる一色さんの瞳が優しくて、柔らかいから、不思議と言葉が出てきてしまうのだと思う。 

 

 「でも、せめて俺くらいは、その自己満足をちゃんと見てやりたいと思ってます。……………………生徒会長なんで」

 

 最後の最後で保険をかけるあたり、さすがのヘタレ谷。

 たぶん、俺の顔今超真っ赤になってると思う。耳がさっきからずっと熱い。

 

 おそるおそる一色さんの反応を伺うと、豆鉄砲でも食らったように、ぽかーんと口を開けていた。

 そして、くすっと破顔する。

 

 「よし、決めたわ」

 「ん?」

 

 そういって笑顔になると、一色さんは提案するようにぴんと人差し指を立てた。そして、口にする。

 

 「いろは、お嫁にどう?」

 「…………」

 

 いや、マジで言いやがったよこの人……。

 今の文脈からなんでそういう話につながるんだよ。思考回路がぶっ飛んでるところ、やはり一色の母と言ったところか

 

 「ふふっ冗談よ、じょ・う・だ・ん♪」

 

 娘に似た小悪魔のような仕草、声音、表情で、ふふふっと微笑む一色さん。

 この人の場合、全く冗談に聞こえないから怖い。

 

 「急に変なこと聞いてごめんなさいね。でも、いろはのことちゃんと見てあげてる人もいるってわかって良かったわ。ありがとね、八幡君♪」

 「は、はぁ…………え?」

 

 ちょっと??なんで俺の名前知ってるのん?苗字しか教えてないんですけど!?

 と訝しむよりも先に、一色さんはるんるんと嬉しそうにソファに腰かけ、テレビを見始めた。

 

 何だったのこれ。

 

* * *

 

 皿洗いを終えた頃には時刻は20時半を過ぎていた。リビングのソファで母はすと他愛のない話をしていると、一色が風呂から上がってきた。

 

 「ふぅ、気持ちよかったー」

  

 バスタオルで髪を拭く一色の顔は、長湯のせいか上気していて、顔が赤い。ついついそのタオルで体とか拭いたのかしらとか思っちゃう。だって、男の子だもん。

 

 「あの……本当に泊ってもいいんですか?」

 

 世話になってばかりで申し訳なく、伺うように一色さんに聞いた。

 

 「もちろんよ~。私も八幡君と仲良くなりたいし♪」

 「…………」

 

 若干顔が引きつってたかもしれない。母はすさん、一色の母ということだけあって顔がかなり整っているし、肌も20代が顔負けするくらい滑らかで、姉と言われたらギリ信じちゃうほどだ。

 こんな美人さんにそんなこと言われたらドギマギしちゃう。だって、男の子だもん(二回目)。

 

 「先輩人の家とか泊ったことなさそうですしねー」

 「いや、友達いないお前に言われたくいったぁ!」

 

 言ってる途中で思いっきり足を踏んできやがったこいつ。クソ痕残ったじゃねえか……。

 俺は赤くなった足をさすりながら一色と睨み合った後、家に連絡した。

 我が偉大なる母上によると、小町も友達の家に泊ることになったらしい。相手が男じゃないことを祈るばかりだ。

 

 「それじゃあ私もお風呂入ってくるわね~」

 

 一色さんはソファから立ち上がり、風呂へ向かおうとドアに手をかけた時だった。

 くるんっと振り返って、満面の笑顔で俺を見た。

 

 「あ、八幡君のお布団はいろはの部屋に敷いておいたから~」

 「「え」」

 

 俺と一色の声が重なる。もうその時にはすでに一色さんはリビングを後にしていた。

 

 「………………」

 「………………」

 

 ちょ、え?嘘でしょ?俺が一色の部屋で寝るだと……?いやさっきも寝たけど、それとこれとは訳が違うだろう。別に疚しいことなんて何一つないが、だとしても………………。

 

 そろそろと、一色の方を見てみた。すると、一色は無言のまま自分の体を抱きしめて、三歩後ろに下がった。

 

 「なんだよその腹立つ反応……いや気持ちはわかるけどさ」

 「な、何する気ですか」

 「何もしねえよ……」

 

 そう、俺と一色の間に間違いなんてたとえ天変地異が起きたとしてもあるはずがない。神と戸塚に誓おう。しかし一色は「それはそれでなんかムカつくんですけど」と頬を膨らます。女子心ってムズカシイね。

 

 「別に俺はリビングでもいいぞ。泊ってる身で迷惑かけたくないしな。ここのソファ借りてもいいか?」

 

 何もしないとは言っても、女子からしたら不安だろうしと思って提案したのだが、一色は何故か不満そうな顔をすると、俺の腕をぐいぐいと引っ張った。

 

 「別にもう今さらですしいいですよ。先輩にそんな意気地ないことは知ってますし」

 「それはそれでなんかムカつくんですけど」

 「む」

 

 棒読みで返してやった。いや、事実だけど。

 

 「いいから!いきます!よっ!」

 

 ぐいっぐいっと引っ張られる。あれ、なんかこれデジャブ。せめて歯磨きだけさせて欲しい。

 

* * *

 

 「あ、揃いました」

 

 そういって一色はしゃっと二枚のトランプを布団に(ほう)った。

 そして、俺は一色の札から一枚を引く。あ、7持ってた。手札の7と一緒に布団に抛る。そして、自分の手札を蛇腹のように開いて、一色に引かせる。

 

 何をしてるかって?お分かりの通りババ抜きだ。

 一色の部屋に戻って速攻、一色がトランプをやろうと提案してきた。

 別に断る理由もないので、母はすが床に敷いてくれた俺用の布団の上に二人座り、トランプ定番のババ抜きをすることになったのだ。こたつは部屋の奥に寄せられている。ていうか。

 

 「なにこれ……」

 

 そもそも二人ババ抜きってなんだよ。引いたら絶対揃うじゃねえか。ジョーカー俺持ってんのもバレバレでババ抜きの醍醐味皆無なんだけど?

  

 いや、七並べとか神経衰弱とか、一人トランプに関しては一家言ある俺だが、さすがに一人ババ抜きはしたことがない。一級ボッチストの俺とて、こんなハイレベルな遊びしないぞ。

 

 「ほら、先輩が引く番ですよ」

 

 俺の手札から一枚引いて、ペアになったカードを抛りながら一色が言う。

 

 「いや、これもうジョーカー含めて三枚あれば事足りない?わざわざ53枚からやる必要なくない?」

 「あ、確かに」

 

 はっと気づいたような顔をする一色だが、それでも何故か試合は続行する。

 仕方なく一色の手札から一枚引くが、さすがに退屈なので何か話を振ることにした。

 

 「最近、部活とかどうなの」

  

 倉敷ほのかについて聞こうとも思ったのだが、ド直球すぎると思って遠まわしに部活からせめてみる。

 

 「生徒会を口実にしてサボってますよ?」

 「まあそれは見てりゃわかるけどよ」

 

 合同イベントで部活をサボってたのは俺だけじゃなく一色もそうだった。もちろん単純に忙しくもあったが、何かと理由つけては生徒会でパソコンを叩いたりしていた。一色も倉敷ほのかがいるサッカー部にはわざわざ行きたくないだろう。

 

 そこまで思い至ると、数時間前一色が口にした「いつも通りに戻る」のいつも通りの意味がよくわかる。

 

 「冬休み開けたらどうすんだ?ていうか、サッカー部は冬休み中もあるだろ、部活」

 

 揃ったカードを捨て、一色の方は見ずに聞いた。

 

 「んーどうしましょー」

 

 まるで他人事のように間延びした声で答える一色。

 決めてなかったのかよ。

 

 「葉山にも最近会ってないだろ。とられるんじゃないの、知らんけど」

 

 聞くと、札を引く一色の手がピタリと止まった。しかしそれも一瞬のことで、すぐに俺のハートのジャックを奪っていった。

 

 「わたしのほうが可愛いですし、たぶん大丈夫ですよ」

 「その自信どこで買えるの?」

 「もち非売品です」

 

 清々しいまでの自画自賛ぶり、さすがです。

 

 「わたしだって何も考えがないってわけじゃないんですよ?副会長権限で会長を首にして、先輩の責任者の葉山先輩が会長になってくれれば、いつでも好きな時に会えるじゃないですかー」

 「副会長の方が権限上なのかよ……」

 

 まあ人望とか人気とか諸々上だけど。いや大体の人間が俺より上だけど。……え、俺よく会長なれたなぁ。

 一色はする必要もないシャッフルをしながら口を開いた。

 

 「先輩、もしかしてなんですけど、倉敷さんのことで心配とかしてくれてたりします?」

 「え、あ、いや……別にそういうわけじゃないけど」 

 

 図星過ぎて目が泳ぎまくってた。もう北島ばりにスイスイしてて超気持ちいい。

 

 「なるほどです。だから最近、積極的に家まで送ってくれてたんですねー」

 「いや……」

 「それなら心配いらないですよ」

 

 俺を遮って、一色は笑顔すら浮かべて言った。

 

 「わたしは平気ですから」

 

 その言葉を聞いて、俺は何故か閉口してしまった。

 気のせいかもしれないし、思い違いかもしれない。単なる偽善的正義感なのかもしれない。ただ、それでも。

 浮かべる一色の笑顔が、強がっているようにしか見えなかった。

 

 その真偽はわからない。聞いても教えてはくれないだろう。本音というのは、本当に信頼のおける人にしか言わないのだ。仮にこれ以上踏み込んだとしても、信頼のない者から差し伸べられる手など何の救いにもなりはしない。だから、俺が言えることなんてきっと何もないのだと思う。

 

 「……そうか」

 

 自分の手札を見つめながら、届いてるかもわからない声でぼやいた。

 一色が今どういう顔をしているのかはわからないが、もしさっきの笑顔のままならば、俺は見ることができないと思った。

 

 「はい、わたしの勝ち~」

 

 弾んだ声に前を見ると、一色は両手の平を俺に見せるようにしてひらひらした。

 気づけば、俺の手札はジョーカーのみとなっている。

 

 「トランプってこんなんだっけ?」

 「んー、でもわたしは楽しいですよ?罰ゲーム何にしよっかな~」

 「ちょっと?そういうの先に言ってくんない?」

 「だって聞かれてないですもん~」

 

 一色はどこか楽し気に胸を張り、ふふんと鼻を鳴らした。それを見ると、さっきの心配はただの杞憂だったと思わされる。

 

 「ん……?」

 「どうかしました?」

 

 よっこらせと手を地面につけると、ベッドの下で何かノートのようなものとぶつかった。なんだ、と思って取り出してみると、使い古されたキャンパスノートだった。そしてその表紙には、丸っこく可愛らしい字で、こう書かれていた。

 

 「『わたし流 男子をめろめろにする方法』……?」

 「わああああああああああ!!!!!」

 

 そのタイトルを口にして読んだと同時、一色がものすごい大声を上げながら飛びかかってきた。反動で、俺はどん、と床に背中を打ち、仰向けになる。いって。

 その隙に、持っていたノートを強引に奪われた。

 

 背中をさすりながら起き上がると、一色は奪ったノートを両手で抱きしめて黙り込んでいる。俯いた髪でその表情は伺えないが、一色の背中から黒い炎が燃え立っていた。

 

 「………………見ちゃいましたね」

 「ひっ!?い、いやこれは不可抗力というかなんというか……別に悪気があったわけじゃなくてだな……」

 

 修羅のような威圧で颶風が襲い、俺はしどろもどろに御託を並べた。 

 しかしどれだけ言い訳しても、背後の黒炎が収まる気配はない。

 

 「その、すいませんでした……」

 

 素直に謝ると、逆立った一色の髪の毛は元に戻り、黒炎も鳴りを潜めた。

 ふ、ふぅ、あぶなかった。危うく石にされるところだったぜ。

 

 「………………」

 

 刀を鞘に納めこちらを睨む一色の目には、うっすら涙が浮かんでいる。

 いや、まあ気持ちはよくわかります。俺だって中学の時、『最強必殺技集』とかタイトルつけたノートを作ったりしたし。もちろんそのノートは全力で燃やして地下深くに埋蔵したが、その黒歴史は俺の中で永劫に生き続けている。誰しも、そのような時期はあるのだ。いやまさかベッドの下にあるとは思ってなかったけどさ。

 

 「先輩、そういえば罰ゲームがまだでしたよね」

 「ちょ、ちょっとまて。いや待ってください。この流れでの罰ゲームは俺の存亡に関わる気がするんですけど……」  

 

 後ずさって両手で制すと、一色は青菜に塩をかけたように、へなへなと布団の中に潜り込んだ。

 

 「もう、お嫁にいけない……」

 

 布団の中で何言ってんだこいつは。

 

 「ま、まあなに。誰だってあるだろ、そういうの。俺なんかもっとひどいぞ」

 

 俺のに比べたら、『男子をめろめろにする方法』なんて現実的で実現もできる。俺が創作した『最強技』なんて自分で出来たことないし。

 

 「それに、一色はそのノートを実行して自分を磨いてきたんだろ。何も恥ずべき事ないでしょ。むしろ、俺は普通にすげえと思うけど」

 

 一色さんにも話したことだが、一色の、努力し実現するというところは本当に尊敬しているのだ。その努力の過程がこのノートに集約されているのだから、バカになどできるはずもない。悔しいから本人には言わないけど。

 

 「…………ほんまですか?」

 「ほ、ほんまほんま」

 

 なぜお互い関西弁になってるのかは知らんが、まあ一色も落ち着いたことだし良しとしよう。

 一色は涙を強引に袖で拭うと、はあっとため息を吐いた。

 

 「とにかく、このノートは他言無用でお願いしますよ?」

 「言わねえよ。別に言う相手もいないしな。ていうか、もっと見つからないところに隠しとけばよかっただろ……」

 「先輩を部屋に入れるとか全然考えてなかったので、急いで片づけた結果ここに……」

 

 そういえば、最初入ろうとしたとき部屋の前で待たされたっけ。まさかこのノートを隠すためだったとは思いもしなかったけど。

 

 「ああもうこのことは忘れましょう!先輩には夜通しでわたしに付き合ってもらいますから!」

 「お、お手柔らかに頼む」

 

 うん、元気になったようでなによりです。

 

* * *

 

 「先輩、そこ右です」

 「いやこれ操作ムズすぎだろ……」

 

 時刻は23時。テレビ2画面分割で協力型ゲームをしていた。そこそこゲーマーの俺でも混乱する操作を、一色はいともたやすくこなしていく。昼寝したおかげでまだ眠くはない。

 

 

 「お前どんだけダメージくらってんだよ。ヒールする人の気持ち考えたことないの?」

 「上達する速度がゴキブリ並みでちょっと引くんですけど……」

  

 時刻はてっぺん、24時。

 2時間もやってればそれなりに慣れてきた。なんなら一色が足手まといだった。

 目が疲れてきたがまだ眠くない。

 

 

 「先輩、わたしもう眠いです……」

 「は?ボス戦の際中に何を…………っておい、バフしろバフ、死にそうなんですけど」

 

 時刻は25時。一色がうつらうつらしながらキャラクターを操作する。俺も結構眠くなってきたけどまだイケそうだ。

 

* 

    

 時刻は25時5分。5分しかたってないのかよ。

 まあそれはさておき。なんとか一面をクリアした。

 やり始めは操作に慣れるのに精一杯だったが、今では一色よりも上手くなっていた。さすが俺!ゲーマーの星!きゃー抱いてっ!

 ボスからドロップしたアイテムを回収して、疲れをほぐすようにぐっと伸びをした。すると、さっきまで感じなかった眠気が一気に襲い掛かってくる。ていうか、一色はコントローラーを持って座ったまま寝ていた。

 

 「……すぅ、すぅ……ん……むにゃ」

 

 この野郎、可愛い寝顔で可愛い寝息たてやがって。

 つか、なんか人の寝顔見てると背徳感があるんだけど、これ見ていいものなの?でもまあ、タダだしいいよね。普段無駄に硬い外骨格纏ってるから、こういう無防備な姿もいいよね。

 

 しかし、困ったことになった。そこで寝られると俺の寝場所がなくて困る。さすがに一色のベッドで寝るわけにもいかんし……。

 

 「おい、一色」

 「んぅ……」

 

 起こすのも気が引けて、起こさないトーンで呼びかけた。もちろん起きるわけがなかった。俺はテレビの電源を切り、部屋の電気を常夜灯に設定した。

 

 許せ、一色。 

 そう心の中で先に謝ってから、一色の背中と膝裏に腕を通し、よっこらせっと立ち上がった。すると、一色は「んっ」と変な声を出しやがった。なんかそれやめろ。それにわかってはいたが、予想以上に軽くてビビる。

 

 止める必要もない息を止めてベッドまでくる。

 起こさないようにそっと一色を下ろし、腕を抜こうしたその時だった。

 

 「ん?」

 

 寝ていたはずの一色が急に眼を開け、俺の首に腕を回してきた。

 そして、首がぐっと引かれる。

 腰を曲げて力が入らないこの体勢では抗えるはずもなく、どすん、と一色の上に覆いかぶさってしまった。

 

 「ちょっ……」

 

 がばっと顔を起こすと、拳一つ分先に一色の顔があった。薄暗くてよく見えないが、瞳はわずかに潤んでいて、ほんのりと顔が赤くなってるように見える。

 

 「起きてたのかよ……」

 

 体を起こそうとしても、首に腕を回されているせいで離れられない。

 ベッドに乱雑に広がる一色の髪からシャンプーの香りが鼻をつついて、そのたびに頭がくらっとする。

 

 「…………」

 

 ………これは色々とヤバすぎる。何がとは言わないけど、俺の胸にほど良い二つの柔らかなモノがあたってヤバい。あと一色の息が顔にかかってヤバい。あと語彙力もヤバい。なんで女子ってこんなにいい匂いするの?

 

 「そろそろ離してくれ。色々な部分がマズい」

 「いやです」

 

 一色はさっきよりも腕に力を入れる。おかげで顔が枕にめりこんだ。

 そのままベッドに倒れこみ、俺は一色の横で添い寝をするような形になる。

 

 お互い目を開けたまま、見つめ合っていた。いや、俺に関しては緊張で硬直しているせいで、目を逸らしたくても逸らせない。

 部屋の中が緊張感で静まり返る中、一段と強くなった暴風が窓を叩きつける。

 

 すると、一色は首に回していた腕をほどき、今度は俺のジャージの胸辺りをきゅっとつまんだ。

 今が引きはがすチャンスと、一色の手をつかむ。しかし、

 

 「一色……?」

 

 掴んだ手が震えていた。

 一色の顔を見ると、何かを堪えるようにきゅっと唇を噛んでいて、今にも泣きだしそうだった。それを見て、俺は戸惑いからかつかんだ手を離した。

 

 「……本当は、すごく、怖いです」

 

 消え入りそうな声音は暴風の音でかき消されそうなほど小さい。

 

 「先輩が、先輩たちがいてくれなかったら、耐えられなかったかもしれません」

 

 それを聞いて、俺ははっとした。

 

 俺は知っていたはずなのだ。一色いろはという女の子が、本当は弱くて傷つきやすいことを。普段はそれを隠すように振舞っていることを。

 一色が「平気」だと言ったときに気づいていたはずだ。それなのに、気づいていないふりをした。一色さんにもヒントをもらったのに、自分が一色にとって取るに足らない人物だと決めつけて逃げを弄した。

 

 一色に弱音まで吐かせて、選択肢を与えられなければ何もできないのか、俺は。

 

 そう自虐しても、今は何も生まれない。

 だから、今度こそは。

 

 「一色、お前が俺をどう思ってるのかはわからない。けど、もしお前が望んでいないとしても、俺はお前の力になりたいと思ってる。これは完全に俺のエゴで、自己満足だ。必ず助けになるとも限らない。だから拒絶してくれてもいい。きっと俺より頼れる人は」

 

 いるはずだ、と言おうとしたところで、目の前が真っ暗になった。

 突然のことに戸惑ったが、数秒して、一色が抱き着いてきたのだと理解した。

 

 「なんですかそれ、プロポーズですか?」

 「は?いやちが」

 「頼りにしてます、先輩」

 「…………」

 

 耳元で囁いた一色に、俺は照れ臭さとか恥ずかしさとか諸々の感情に苛まれていた。

 それだけじゃない。数秒前のことなのに、さっそく「俺なにクッソ寒いこと言っちゃってんの死ぬの?死ねよ」と後悔の念に駆られていた。数秒前の俺を殺したい。ええい、こうなったらやけだ。

 

 「それと、明日のイブなんだが……」

 「…………」

 

 また我に返る前に口にしてしまおう。そして抱きついてきた一色を引きはがそう。暑い恥かしい。

 

 「まあ都合いいことだとは思うし、もう日付変わってて締め切りは過ぎてるし、このタイミングで言うのもアレだとは思うし」

 「いいから早く言ってください」

 「わかった言う!言うから離してください!ごほッごほッ……」

 

 なかなか言い出さない俺の首を、一色はヘッドロックのように締め付けてきた。どこで覚えたその技。

  

 「小町のクリスマスプレゼント、選ぶの手伝ってくれるか」

 「……………………………………」

 

 勇気を振り絞って言ったのに、一色はしんと黙り込んだ。あれ……もしかしてこの流れで断られる?

 

 「ふーん……わたしは結衣さんの代わりですかそうですか」

 「はぁ?いや、元々そういう約束でディスティニー行くって話じゃなかった?」

 「それはそうですけど……なんか腑に落ちません」

 

 抱き着かれてその表情は伺えない。けどきっと不満げに唇を尖らせてるのだと思う。

 なぜって?俺の首がまた絞めつけられているからさ……。

 

 苦しい苦しいと一色の腕を叩くと、一色はやっと抱きつくのをやめた。ただ、これはこれで顔を合わせることになって困る。どこ見たらいいんだろう。

 と、目のやり場に困って視線をきょろきょろさせていると、「でも」と、少し弾んだ声で、一色は口にした。

 

 「仕方ないので、誘われてあげます」

 

 偉そうに、一色はにこっと笑顔を浮かべた。

 今更だが、なぜ寝っ転がりながら話していたのだろうと疑問に思った。

 




僕が思ってたお泊りデートとは何か違う気がするんですけど……。だって女子の家にお泊りとかしたことないんだもん……。
『カップル お泊り 何する』でネット検索した時の僕の気持ちを誰が理解できましょうか。ていうか何だよこいつら。早く付き合えよこんちくしょう。。。

ともあれ、長い長い23日を終えまして、次から24日に入ります。一応ここまでが第一章のつもりで書きました。それでは第2章でお会いしましょう!


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21話 こんな時間も悪くない

前回から1か月半が経ってしまいました。
お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません!

(お気に入り外さないでいてくれて、ありがとう……!)


 一色の家に泊まって一晩が過ぎた。男女のお泊りといっても、諸君が期待しているようなことはもちろんないし、一色が寝落ちした後、俺は自分の布団で寝たので至って健全。自分の超理性に驚嘆さえしたね。

 …………いやまあ正直、女子の部屋で、女子のベッドで、女子と密着しておいて何も思わなかったかと言えばそんな訳はない。むしろ超ムラついてたし、自分の布団に潜っても一睡もできなかったんだけど。あまりにムラムラしすぎてそこそこの村作れるレベル。

 

 そして現在の時刻は15時20分。

 低気圧は夜のうちに通過し、空は雲一つない晴天だ。

 

 そんな晴れ空のもと、俺は厚手のスタジャンに黒のジーンズを身に纏い、駅のモニュメント前にあるベンチに腰かけていた。

 イブだけあって、あたりを見渡せばどこもカップルばかりでうんざりする。一人で立ってスマホをいじる男も女も、皆デートの待ち合わせ中だろうか。なんだお前ら。他にやることないのかよ。勉強しろ勉強。

 

 そんな悪態も吐きたくなる。

 俺も待ち合わせをしてる一人ではあるが、その旨はデートではなくショッピングだ。お前らみたいな『デート』と書いて『下心』とルビを振るような休日は過ごさない。絶対になぁ!

 

 そんなわけでこれからディスティニーへと小町のプレゼントを買いに行くわけだが、ここ千葉駅からディスティニー最寄りの舞浜駅は、京葉線乗り換えで30分ほどの距離にある。多少時間はかかるが、本でも読んでいればすぐにつくだろう。なんなら千葉駅と千葉みなと駅間をモノレール往復して一生本読むという選択肢すらある(ない)。

 

 そして、今日のショッピングバディである一色は、結局、九条家に顔を出してからここに来るらしい。ドタキャンせずに少しでも行くあたり、さすが外面だけは完璧な一色。俺なら問答無用でバックレるし、逆に誘われてないお誕生日会には何故か参加して白い目で見られるなんてよくあったものだ。

 

 ていうかその一色が来ない。もう20分の遅刻なんだけど?

 これあれか?九条ん家行ったきりそっちの方が楽しくなって面倒になっちゃったみたいなケースか?あるいは端から来る気なくて俺を嵌めようとしたという線もある。まあどっちにせよ、小町のプレゼントを買うというミッションをこなすだけなので俺には関係ない。待ち合わせ場所に来ないとかもう飽きるほど経験してるんだぜ、俺。だから傷ついたりなんてしない。ほ、ほんとだし。強がってなんかないし!

  

 まあ九条んとこにも顔出してるわけだし、多少遅れることもあるだろう。ラインだけ送ってもう10分待ってみよう。そんで返事なかったらもう一人で買い物して帰る。寒いし。

 

* * * * *

 

 「お食事美味しかったです。お邪魔しました」

 「またいつでもおいで、いろはちゃん」

 「じゃあね、いろは」

 

 裕君の家を出た頃には、既に待ち合わせ時間が過ぎてしまっていた。

  

 「うー、30分の遅刻はやばいなー」

 

 速足に歩いて、鞄からスマホを取り出す。

 わ、先輩からラインきてる。やっぱ怒ってるかなぁ。…………でもなんでだろう。この通知画面一生見てられる。きゃー、スクショしとこ。

 

 ……そんなこと言ってる場合じゃない。とにかく返信しなきゃ。

 5分程度の遅刻ならまだ可愛げがあるし言い訳のしようもあるけれど、さすがに30分はないよね。しかも、遅刻の理由が他の男子とダブルブッキングだからとか、正直自分でもどうかと思う。わたしのバカ野郎。こういうことするから先輩にビッチとか尻軽とか思われるんだ。

 

 もう絶対同じ過ちは犯さないと心に誓って、わたしは必死の言い訳をラインで打ち込んでいた。歩きスマホ、ダメ、絶対。

 

 フリック入力しながら歩いていると、ふと、昨夜のことが頭をよぎった。思い出すだけでも顔から火が出そう。先輩の前であんなことを言い出すなんて、昨日のわたし本当にどうかしてた……。戻れるなら過去に戻って昨日のわたしを殴りたい。しかもそのまま寝落ちとか、わたし的にポイント超低い。

 まあでも、先輩にお姫様抱っこされた時は幸せが絶頂だったしいっか。

 そう思うと、駅へ向かう足どりが少しだけ弾む。

 

 「うん、これでよし!」

 

 メッセージを打ち終えて、送信ボタンを押そうとしたその時。

 道路を挟んで反対側の歩道から、4、5人の男女の声が聞こえた。聞き覚えのある声だと思ったら、総武校の同級生たちだ。

 わー、これ、気づかれたくねー……。 

 へっといやぁな顔を浮かべて、視線を前に向けた。

 すると、今度は、横断歩道を渡る女子が目に入る。あれは…………見間違うはずもない。倉敷ほのかだ。

 だぁぁー、絶対見つかりたくない…………。なんでここにいるの?何?嫌がらせ?いるだけで人を不快にさせるとか、それどこの先輩?

   

 と、とある先輩の顔を思い浮かべながら見ていると、反対側にいるさっきの人たちが彼女に手を振っていた。クリスマスだし、きっと待ち合わせでもしていたのだろう。

 彼女もまた手を振って、ぱたぱたと駆け足で横断歩道を渡る。その拍子に、彼女のコートのポケットから、するっと、スマホが落ちた。

 

 ──おーい、スマホ落としてますよー。

 わたしの中の僅かな良心が言ってます。心の中でだけど。

 

 しかし、わたしの心の囁きは届くはずもなく、彼女は落としたことに気づかず横断歩道を渡ってしまった。

 どうかスマホが無事でありますようにと、わたしの中の僅かな、とても僅かな良心でもって祈っていると、彼女はやっとスマホを落としたことに気づいたみたい。慌てて振り返ったけど、信号は既に赤だ。

 大丈夫、わたしも一緒に祈るから!

 

 そんな意地の悪いことを思っていると、だっと、彼女は横断歩道へ飛び出した。

 合流した同級生たちが、「危ない!!」と鋭く刺すような金切り声を上げた。

 

 何をしてるんだ。バカなんじゃないのか。

 間に合うわけがない。のに、彼女は、既に発進して加速する車に気づいていない。

 

 本当にバカだ。何をしてるんだ、わたしは。

 今まで散々嫌がらせを受けたのに。今から駆け出しても、間に合わないのに。

 

 

 先輩が、待っているのに。

 

 

* * * * *

 

 

 千葉市一帯は昨晩のうちに雪に覆われ、地面は一面真っ白だった。かくいう今も、しんしんと雪が静かに降っている。ぐきゅっぐきゅっと雪を踏みしめる音は俺だけのものではなく、歩行者の分だけ鳴り響いていた。もはやぐきゅぐきゅ言いすぎて「くぎゅううううう!!」と叫びたくなるレベル。

 

 校舎について教室に入ると、冬休みで会えなかったせいか、話し声がいつもより一層賑やかに思える。

 今日は冬休み明けの1月7日、始業式である。なので、ホームルームやら校長の訓辞を適当に聞いていればいいだけの日。あれ、ていうかもう帰りのホームルーム終わってるんですけど……。冬休みぼけが抜けてないのかしらと、そんなすっとぼけをかまして帰り支度を済ませた。

 今日は全部活動が始業式のためないのだが、しかし、まだ帰れないのが会長の命運。後期の予定決めや、クリスマスイベントの結果を報告書にまとめたりなど色々しなければならないので、生徒会メンバーは全員集まらなくてはならない。

 

 なくなく重たい足を生徒会室へ運んだ。まあ、気が乗らない理由は他にあるんだけど。

 

 きっと、一色もいるのだろう。あー、やだ。やだやだ。いきたくないぉ……。しにたいぉ……。おうちかえっていっしょうげーむしゅるぉ……。

 

 などと、偏差値を2兆ほど下げて精神を安定させる日々がここ数日続いていた。

 結局、あのクリスマスイブの日、一色が待ち合わせ場所に来ることはなかった。

 送ったラインは既読無視をされ、それから返事が来ることもなかった。

 仕方なく一人で買い物をして帰ったのだ。

 

 それからの冬休みもあちらから連絡が来る様子もなく、もちろん俺から送る勇気などあるわけもなく。

 

 そもディスティニーだってあちらから誘ってきたわけだし、それ自体嫌がってるわけではないはずなのだ。九条家のパーティを抜け出せなくなったとしても、連絡一つしないというのは些か不自然ではある。

 

 だとしたら、やはり辿り着く結論は一つ。

 クリスマスイブ前日、一色家での夜の出来事。

 

 セリフの一言一句までは思い出せないが、めっちゃ気持ち悪いことを言った覚えだけはある。今思い出しても死にたくなる。しかし、何か理由があるとすればそれだろう。

 

 はぁぁぁ……と大きく深くため息をつくと、生徒会室に到着してしまった。のろのろと歩いたせいで、集合時間から少し遅れている。もう全員集まっているはずだ。

 深く深呼吸して、扉を開けると、会計と書記、そして生徒会の管轄を任されている平塚先生だけがいた。

 

 「会長になって重役出勤とは、随分と偉くなったものだな、比企谷?」

 「いや、5分で重役とか、その会社ホワイトすぎるのでは……」

 

 とはいっても遅刻は遅刻。二人に軽く頭を下げて、会長席へとついた。

 それを確認した平塚先生が、よし、と腕時計を確認する。

 

 「それじゃ、会議を始めるぞー」

 「あの、一色さんは……?」

 

 書記のフジファブリックが、そろそろと手を上げて言った。俺が聞きづらいことを聞いてくれるとか、こいつもしかして優秀なのでは?などと思っていると、平塚先生は「聞いてないのか?」と俺を見た。ふるふると顔を振って応えると、平塚先生は、一色が冬休み中に事故に遭ったことを話した。

 

* * *

 

 平塚先生から一色が千葉市海浜病院に入院していると聞いて来てみたものの、いざ病院に入るとなるとそこそこの勇気がいるものだ。しかし、「行け」と言われたからには来るしかあるまい。

 フロントで面会許可証を受け取って、リノリウムの床をこつこつと歩いた。病院特有の臭いに鼻をさすると、『一色いろは様』と書かれた名札を見つけた。

 

 泊った日以来一色に会ってないとはいえ、何故俺はこんなに緊張してるのだろうかと思いつつ、悩んでも仕方がないので、スライド式のドアをゆっくりと開けた。

 病室は一人部屋のようで、すぐにベッドに座った一色が見えた。

 

 一色は窓から夕日を眺めているのか、こちらに気づく様子はない。声をかけようとしたのだが、差し込む夕日が一色の白い肌に反射し、きれいだな、などと場違いな事を思った。

 すると、一色はやっと気づいたのか、こちらに振り返った。

 

 「あっ、先輩来てくれたんですか?お久しぶりですー!」

 「……随分とのんきですね、君。入院とか何も聞いてなかったんだけど?」

 「む、まずは体の心配をして欲しかったです」

 

 むすっと不機嫌な顔を作って見せて、一色はふいっとそっぽを向いた。

 意外にもピンピンしてたことに拍子抜けしつつ、ベッド横のスツールに腰かけた。

 

 「足以外は大丈夫なのか?」

 

 白い布でぐるぐる巻きにされて吊るされている右足を見ながら聞いた。俺が事故に遭って入院した時と同じ装備を施してるんだなぁなどと思っていると、一色はがくっと肩を落とした。

 

 「全然大丈夫じゃないですよぉ。足はすりむいてヒリヒリするし、スマホもぶっ壊れましたし」

 「ぶっ壊れたて……。それで連絡できなかったのか」

 「そうなんですよー。そのせいで、この10日間超暇でした。それと…………」

 「……?」

 

 上目づかいで申し訳なさそうに、一色は俺を見やる。

 そして、ぺこり、と頭を下げた。

 

 「イブの日、行けなくてすいませんでした」

 「いや、仕方ないんじゃないの。世の中、犬を助けるために道路に飛び出すやつもいるしな。平塚先生に聞いたけど、お前も似たような感じだったんだろ」

 「はい……」

 「ていうか、謝るところが違うんだよ」

 「…………はい?」

 

 何言ってんのお前?みたいな顔で聞き返されたが、こっ恥ずかしくてこんなことは言えそうにない。だから、別のことを口にした。

 

 「色んな人心配させただろ。たぶん。家族とか。謝るならそっちだろ」

 

 俺の言葉に、一色はぽかーんと口を開けて呆けていた。

 そして、うっすら頬を赤らめて俯いた。

 

 「…………先輩も、心配してくれたんですか」

 「いやまあ、するでしょ。人並くらいには」

 

 そんな捻くれた回答に、一色はまたもむすーっと頬をぱんぱんにさせる。何だそれ可愛いなおい。 

 

 「まあいいですけど」

 「退院はいつになるんだ?」

 「骨折なので、1月10日くらいですかね。リハビリの具合にもよるんですけど」 

 「そうか。んじゃ帰るわ」

 「いやいやいやいや」

 

 すっとスツールから立ち上がると、一色は、お前何言ってんの童貞?というような声で手をムリムリと振った。どうやら帰るなと言う事らしい。仕方なくスツールに腰かけた。

 

 「いや、お見舞いの友達とか来たら困るし」

 「友達なんていないですし」

 「いや、いるだろ。雪ノ下とか由比ヶ浜とか」

 「……そうでした。でも、二人とも知らないと思いますよ、入院してること」

 「そうなのか。二人には俺が伝えとくわ。んじゃ、またな」

 「いやいやいやいや」

 

 再びスツールから腰を浮かしたところで、童貞ワロタみたいな言い方で、一色はまた手を振った。

 

 「家族も帰ったばっかなので大丈夫ですよ。誰も来ません。面会終了時間まで付き合ってくださいよー」

 「まあ、それくらいならいいけど……」

 

 入院中の退屈さは、俺も経験があるから理解できる。俺は本を読んで過ごせるしよかったが、一色はスマホが壊れてるらしいし、少しくらい付き合ってやってもいいだろう。

 

 「ていうか、お見舞い品の一つもないんですかこの先輩は」

 

 そんな不平を言いつつも、なぜだか嬉しそうに弾んだ声だった。

 しかし、っべー。お見舞いの品とか完全に忘れてたわー。っべー……。

 リンゴとかパイナップルとか、そういうものを買ってくるべきだったのだろうか。お見舞いされたことがないから知らんけど。

 

 仕方なく、俺はスクールバッグからMAXコーヒーを取り出した。

 

 「これがラスト一本だ。大切に飲めよ」

 「お見舞いにマッ缶とか、全世界探しても先輩だけでしょうね……」

 

 うげぇっと嫌そうな顔で受け取ると、一色はふふっと笑い出した。

 思わず、俺もつられて笑ってしまう。

 

 ああ、こんな時間も悪くないと、そんなことを思った。

 

 

 




果たしてまえがきのネタ、何人に伝わるのかと不安になりつつ……。
リハビリもかねて、ちょいと短めでしたが、こんな感じで二章が始まります。三章まで行く予定はないので、これが最終章になる感じです。

そして、投稿遅れてすいません!
この時下でお休みすると、色々心配させてしまうな、などと自意識過剰なことを思ったりもして、実際に心配してくださった方が何人かいてくださって、書かねば……書かねば……!となった所存です。

とりあえず、僕は無事です!みんなも気を付けてね!


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22話 浜辺での一幕

お気に入り数3000突破&20万UAー!!ありがとうございます!


 夕日が差し込む病室。俺がここへ来てから20分ほど経った頃だった。

 コンコン、と病室の扉が弱々しくノックされた。それに俺と一色は互いに顔を合わせると、一色は「はーい、どうぞー」と間延びした声で応じる。

 恐る恐る開けられたスライド式のドアから、肩ほどまで伸びた派手めな茶髪がのぞく。きょろきょろと視線を泳がせて入ってきたのは、

 

 「…………失礼、します」

 

 緊張からか、上ずって震える声にはあまり覚えがなかったが、その顔は忘れるはずもない。倉敷ほのかだ。

 えーと、なぜコイツがここに……と、狐につままれたように、俺はものすごい勢いで一色に振り返って視線で問うた。が、当の一色さんはまるで動揺してる様子はなく、さも来ることがわかっていたように悠々としていた。

 

 「…………」

 「…………」

 

 一色と倉敷の間で交わされる視線。しかし倉敷は、一色の視線からすぐに目を背け、顔を俯かせた。わずかに唇を噛みしめているのが、前髪の奥で見えた。

 

 ……しかし、おかしい。俺の記憶にある倉敷ほのかは、もっと高飛車な態度をとっているクズのイメージしかないのだが、今の倉敷は、虎に怯えるスズメにしかみえない。そして、まさに虎のような風格を発するのが一色さん。いつも嫌がらせを受けていたはずの一色が、どこか高圧的に倉敷を捕らえていた。

 

 「…………あー、取り込んでるなら俺出るけど……」

 「いえ、先輩もいてください」

 「あ、はい……」

 

 スツールから立ち上がったが、すぐに引き留められてしまったので秒で着席。

 まあ確かに、冬休み前、一色が危険にさらされないようにと平塚先生から頼まれたのだ。今の倉敷が一色にとっての危険因子になるのかはわからないが、万全は期した方がいいだろう。

 

 「…………あの時、助けてくれて、…………その、ありがとう」

 

 ぽつりと、倉敷が口を開いた。なんのことやらと一瞬考えたが、はたと思い至る。一色は道路に轢かれそうになった人を助けて怪我をしたと言っていたが、その助けた相手が倉敷だったのだろう。だとしたら、この逆転した立場にも納得がいく。

 

 「それと、ごめん。私がちゃんと注意していれば……本当にごめん」

 

 そして、倉敷は深々と頭を下げた。

 その倉敷の謝罪を受けた一色は。

 

 「別に謝らなくていいよ。謝礼金は十分すぎるくらい受け取ってるし、たぶん、他の人でも同じことしてた。だから、ぜんぶわたしのせい」

 

 その声音には、慰めの色は一切なかった。別にお前のためにやったわけではないと、淡々と告げる様は冷酷にも見えるが、その冷酷さが一色なりの優しさなのかもしれない。罪悪感を抱くものに、半端な慰めは逆効果になるからだ。

 しかし、今まで散々されておいて随分と寛大なものだとちょっとだけ感心していたが、次のセリフで霧散した。

 

 「まあ、倉敷ちゃんのことはふつーに嫌いだし、今までわたしにしてきたことは絶対許さないけどねー☆」

 

 …………いや、コイツ超怖いんですけど……。「絶対」をつけてる辺りがリアリティあって余計怖い。あとさりげなく「ちゃん」呼びなのも怖い。一色さん、マジ怖い……。

 

 と、あまりの怖さに語彙力が低下していると、態度一変、倉敷がふん、と背を向けた。

 

 「は?それ言ったら私もあんたのこと嫌いだから」

 「それはどうも。ていうか、嫌ってる理由、わたしが倉敷ちゃんより可愛いからだよねー?わたしに葉山先輩がとられるって嫉妬しちゃったんだよねー?」

  

 ぷーくすくす、という一色の明らかな煽りに、倉敷は顔を真っ赤にして青筋を立てた。

 やめて!仲良くしてっ!

 

 「さっきから調子ノリすぎだし、そういうのほんっとうざいから」 

 「あー、ごめんごめん…………。いっ、足が……急に痛んで……」

 「え、ちょ、どうしたの……?だ、大丈夫?」

 「なんちゃってーぷぷぷーw」

 「~~!!」

 

 またしてもぷーくすくすと口角を歪めて嘲る一色に、倉敷はおもいっきし地団駄を踏んだ。さすがにこの状況で殴りかかったりはしないらしい。……ていうか、もうなんか仲良さそうですね、君たち……。おじさん、こういうの嫌いじゃないよ……。

 

 「言っておくけど、わたしもう葉山先輩のこと好きじゃないから」 

 

 一色の唐突な告白に内心驚いていると、何故か一色はにんまりと笑顔を向けてきた。

 

 「あ、そ。そんなの見てたらわかるし」

 「ふーん、もっと喜ぶと思ってたけど」

 「………………まあ、なに、私ももう諦めたっていうか、吹っ切れたっていうか、そんな感じだから」

 「え、なになに、振られたの?」

 「あーもう!うっさい!とにかく、私はもうあんたに関わらないから、それでいいでしょ」 

 

 倉敷は最後に、「せいぜいお大事に!」と意味の分からないキレ方をして病室を出ていった。

 そして、さっきまで二人が騒いでいた反動のせいもあるのか、二人だけになった病室がしんと静まり返る。倉敷が来てから10分も経っていないが、窓の向こうの夕日は既に沈み、気づかなかったが、病室の電灯がつけられていた。

 

 「…………いいのか、あれで」

 「いいんですよ、あれで」

 

 恐る恐る聞くと、一色はいっそ清々しい表情で返した。

 「絶対許さない」など言いながら、あれじゃあまるで許したも同然だ。今まで受けてきた被害もすべてチャラにしてあげたようにしか見えない。

 

 「先輩、前から倉敷ちゃんのことで気にかけてくれたりしてた感じでしたけど」

  

 ぐいっと前のめりになって、一色はいつもより少しだけ大人びた表情で、俺の顔を覗き込んだ。

 

 「わたしだって、ただ守られるだけの弱い女の子じゃないんですから」

 

 その言葉を聞いて、思わず、俺は苦笑した。

 ああ、本当にそう思う。庇ったことにかこつけて、罪悪感を押し付けることだって出来ただろう。嫌いな相手ならばなおのことだ。

 いや、もしかしたら、少し前の一色だったらそうしていたのかもしれない。

 自己愛に満ちて、自己利益のことしか頭になかったあの一色が、なぜ倉敷ほのかを貶めなかったのか。

 

 それはきっと、やり返されることが怖いわけでも、倉敷ほのかを許したわけでもないのだろう。

 ただ、捻くれているのだと思う。 

 他の人からすれば意味不明だし、共感も納得も得られないだろう。それが理由で、離れていく人もいるのだと思う。

 同じ捻くれ者だから、たぶん、わかる。

 

* * *

 

 冬休みが明けて一週間が経った。

 クリスマスイベントの片づけや報告書のなんやかんやを終え、やっと生徒会にも平穏が訪れると油断したのも束の間、次はゴミ拾いというミッションを課せられた。生徒会は学校行事くらいでしか活躍しないイメージがあったが、裏方では、募金などのボランティア活動も積極的に行うらしい。いや、これくらいならボランティア部がやればいいのでは……?最近の俺、良いことし過ぎて真人間になっちゃうぞ?

 

 そんなわけで、授業を終えた放課後、稲毛海浜公園にある千葉県唯一の海水浴場へ来ていた。

 

 「ゆきのん、海だよ海!夕日きれーだね!」

 「そうね。この時期だとさすがに寒いけれど」

 

 そして、何故か来ちゃったこの二人。最近は依頼もなく部活が暇なせいか、退屈した由比ヶ浜が平塚先生に交渉したらしい。『奉仕活動の一環』とかもっともらしい大義をあの由比ヶ浜に掲げられ、顧問の平塚先生も無下には出来なかったんだとか。まあこちらとしては参加者が増えてくれるのは嬉しいし楽だからいいんだけどね。ガ浜さんが少しずつ成長してくれてパパ嬉しいよ……。たんと育っていくんだよ……。

 と、感謝の気持ちと期待を込めて、一ついいことを教えてやることにした。

 

 「しかもここ、人工浜なんだよな。日本で作られた初めての人工浜だし、マジ千葉最先端。超パイオニア」

 「出た、ヒッキーの千葉知識……」

 「それだけじゃない。ここ稲毛海浜公園の近くには野球場にテニスコート、プール、流水プール、造波プールなどが隣接していてだな……」

 「なんかめっちゃ詳しい!?」

 「しかもプールばかりなのね……」

 

 俺の驚異的な千葉の知識量に、由比ヶ浜と雪ノ下は「こいつマジか」みたいな目で引いていた。まあ俺も実際に行ったことはないんだけど。

 

 ふふんと鼻をならしていると、つんつんと腕をつつかれた。

 振り返ると、両手に松葉杖を装備した一色が、何故か不機嫌そうに頬を膨らませている。

 

 「別に来なくても良かったんだぞ。ていうかなんで来ちゃったの?松葉杖じゃ砂場入れないでしょ?」

  

 一色は先日、無事リハビリも終えて退院した。まだしばらくはギプスと松葉杖に世話になるだろうが、車に轢かれて片足の骨折だけなのは運が良かった。ほんと、その胆力たるや……。

 

 「え?先輩がおぶってくれるんじゃないんですか?」

 「おぶらないし、それじゃゴミ拾いできないし、そもそもおぶる理由ないし」

 「いやいや、忘れたんですかー?わたし、今先輩の彼女なんですよ?」

 

 何言ってんだこいつ……。

 と冷たぁい視線をじりじりと一色に送っていると、反対側にいた由比ヶ浜と雪ノ下から冷ややかな目で見られていた。

 

 「……ヒッキー?」

 「どういうことかしら、比企谷君?」

 「いや、なわけないでしょ。ほらあれだろ、玉縄姉の時の設定でも思い出したんじゃねえの」

 

 懐かしいなぁ玉縄姉。元気かなぁ、一切興味ないけど……とか考えていると、一色がわざとらしく目元に手をやり、泣きの演技を始めた。

 

 「ひどいっ……!クリスマスだって一緒にディスティニーに行ったのに!」

 「いやそれは…………え、行ってないでしょ?」

 

 否定したものの、実際行く予定ではあったので口ごもってしまった。その一瞬の仕草を、雪ノ下が逃すはずもなく。

 

 「比企谷君がいつ誰と何処へ行こうと勝手だけれど、くれぐれも犯罪事には手を染めないことね。同じ学校から性犯罪者が出るなんて、私の将来にも影響するし。まあ比企谷君がどうしても私の将来に関わりたいと言うなら話は別だけれど……」

 「いや、なんもしねえから……」

 

 なんで後半顔赤くしてるんですかね、ゆきのんさん……。

 

 「ヒッキーにそんな度胸ないし大丈夫じゃない?」

 「あら、そうだったかしら」

 

 そういってクスクスと笑い合う二人に、俺はジト目を向けた。いや、それはそれで男としてのプライドが……などと思っていると、ぐぎゅう、と右腕をつねられた。見ると、一色がまた不貞腐れたように頬を膨らませている。どうやら、今日は一色将軍閣下のご機嫌が優れないらしい……。これはもうそっとしておこう……。てか腕いてぇ……。

 

 さすさすと腕をさすりつつ、ずっと目を背けていた、一色の奥にいるそいつをチラと見た。

 

 「なんで私まで……」

 

 そうため息をこぼすその人──倉敷ほのかは一色をじとっと睨んだ。

 その視線を、一色はヘラヘラと半笑いで受け止める。

 

 「だってねー?ゴミ拾いは生徒会の仕事なのに、わたし、怪我しちゃってて参加できないじゃん?あーあ、わたしも参加したかったのになぁ、この足じゃねー?」

 「うぐっ……。ああもう、やるわよ。やればいいんでしょ!」

 

 一色の言葉攻めに、倉敷は歯ぎしりでなんとか持ちこたえた。

 これじゃあどっちがクズなのかわからんな……。少なくとも今は完全に一色が悪魔だが。

 何はともあれ、君たち仲良くなったんだね。その調子で一色のお友達になってくれると助かります。その小悪魔、友達いなさすぎて拗らせてるし。

 

 「んじゃ、やるか」

 

 10人ほどメンバーがそろうと、平塚先生の指揮のもと、海浜清掃はスタートした。  

 

* * *

 

 「ほいヒッキー」

 「ん」

 「比企谷君、これも」

 「あいよ」

 

 由比ヶ浜と雪ノ下が、俺の持つゴミ袋へすたすたとゴミを投下していく。

 海浜清掃も終盤まで来ており、粗方のごみは片づけられていた。

 

 夕日も沈みそうだなーと思いながら水平線を見ていると、倉敷が近づいてきた。

 

 「ちょっと。こういうのも捨てたほうがいいの?」

 「ん?あ、おう……そうしてくれると助かります……」 

 

 急に話しかけるなよ……。一色との仲は少し良くなったみたいだけど、俺君のこと普通に苦手なんですよ……。ファミレスで炭酸ぶっかけられたこと忘れないからね?あと、俺の名前「ちょっと」じゃないからね?

 

 立ち去ってゴミ拾いを再開しようとする倉敷を横目で見ていると、倉敷の足がピタと止まる。

 

 「あと、なに。……色々、ごめん」

 

 ぼそり、と、倉敷が呟いた。

 それに「お、おぅ……」と自分でも聞こえない声でごもごもと返事を返す。

 な、なんだよ……。急にそういうのやめてくれる?良い人なんじゃないかとか思っちゃうだろ。いや、君も大分前に比べたら変わったのかもしれないけどさ。

 

 なんにせよ、人は案外変わるものなのかもしれない。

 本質的な部分は変わらないにせよ、表現の仕方、自分の見せ方、そして、他人の見え方はきっかけ一つであっさり変わってしまうのだ。

 いつしか小町が「将来はお兄ちゃんと結婚する!」と言わなくなったように。人は無情にも変化していくのだろう。でも大丈夫、お兄ちゃんはいつだって小町と結婚したいよ!うーん、普通に気持ち悪いんだよなぁ……。

 

 そんなくだらないことを考えていて気にならなかったが、ずしりと、急に腰が重くなった。意外と、この砂浜でのゴミ拾いは体力的にしんどいのだ。

 

 特に大変なのが、今倉敷がポイとゴミ袋へ投げ捨てた、貝の欠片だ。巷に聞くところ、貝の欠片で足を切って出血してしまうことはよくあるらしい。子どもの足が切れて親からクレームが来ることもままあるそうだ。ったく、サンダル履けば済む話でしょうがっ!などと内心愚痴るが、これも仕事だし仕方ない。

 

 例えそれが破滅の一歩を辿るとわかっていたとしても、上司の命令一つで実行せねばならんのが下っ端の定である。ここでいう上司とはもちろん平塚先生のことな。

 

 そんな瞑想を繰り広げていると、バシャッと顔面に水がかけられた。

 

 「うっひゃー、つめたっ!」

 「……ねえ、バカなの?今何月だと思ってるの?」

 

 見ると、由比ヶ浜が浅瀬の海水をかけて来たらしい。マジで冷たい。

 恨みがましい目線を送ると、由比ヶ浜は「うっししー」と悪戯に成功した子供のように笑っていた。…………そういう無邪気で天真爛漫な態度がですねぇ、世の男たちに黒歴史をつくらせるんですよ?特に俺のような非モテは、こういう水をかけっこする男女に憧れを持っていたりするのだ。勘違いしてうっかり告白してフラれちゃうでしょ?

 

 「もう夕日も沈むし、これくらいにしとくか。ゴミも大体片付いたでしょ、たぶん」

 

 由比ヶ浜に渡されたハンカチでぬぐぬぐと顔を拭って、砂浜から上がると、他の面々もぞろぞろと作業を終えてきた。

 

 「あら、でもまだここに大きなゴミが残っているけれど……」

 

 言いながら、雪ノ下がじーっと俺を見てくる。誰がゴミだ誰が。

 俺をゴミ扱いしてくる雪ノ下は無視して、一色のいる方へと戻る。30分以上ずっとお留守番だった一色はどこか遠い目をしていた。

 

 「だから来なくていいっつったろ……」

 「随分楽しそうでしたねー先輩」

 「何が」

 「べっつにぃー」

 

 だから、なんで君は今日そんなおこなの?

 まあ気にしていても仕方がない。とにかく寒い。海辺ということもあって、潮に流される冷たい風が肌を突きさすようだ。

 

 「うーさっぶー……。ゆきのん、車もどろ~」

 「ええ、そうね。平塚先生、私たちは先に車へ戻ります。鍵を開けてもらえますか?」

 「ああ、わかった。今日は手伝ってくれて助かったよ。男子たちはゴミ袋を駐車場まで持ってきてくれ」

 「うっす」

 「了解っす」

 

 平塚先生の指示に、生徒会男子ーズは適当に返事をしてゴミ袋を抱え、駐車場へと向かった。

 

 「私ももう帰るから。一色、こういうのは今回だけだから」

 「はいはーい、お手伝いありがとねー」

 「……」

 

 一色の言葉に、倉敷は何も返さずすたすたと帰っていった。ほんと、素直じゃないなぁ……。

 さてと、俺も俺も……とゴミ袋を持とうとしたところで、一色に呼び止められた。

 

 「先輩先輩」

 「ん?」

 「ちょっとこっち来てもらえます?」

 

 ちょいちょいと一色に手招かれるままに近づいてみると、一色は松葉づえを器用に使いこなし、ぐいっと俺に顔を寄せた。

 

 「はい、ちーず!」

 

 掛け声とともに、カシャッというシャッター音が浜辺に響いた。

 どうやら、スマホで写真を撮ったらしい。

 

 「ねえ、ちょっと?肖像権って知ってる?」

 「知ってますけど、でもほら、いい写真じゃないですか?」

 

 そういって、一色はスマホ画面を見せてきた。

 画面に映るのは、もちろん、俺と一色。一色はばっちりと決め顔をしているが、その隣の男はなんとも間抜けな顔をしている。

 その二人の奥で、沈んでいく夕日が赤く輝いて海辺に反射する絵は、とても幻想的に見える。

 

 「先輩にも送っときますねー」

 「ん、おう」

 

 不意打ちのせいか、どこか照れ臭く、視線を逸らして頬を掻いてしまう。なんだこいつ、超あざといんですけど……。ほんと、恐ろしい子ッ!

 

 「みんな待ってる。早くいくぞ」

 

 気づけば男子ーズの姿もなく、人影は俺たち以外すっかりなくなっていた。

 今まともに一色の顔を直視できる気がしない。

 先に駐車場へ行こうと歩き出すと、がしゃん、という音がした。

 その音に振り返ったと同時。

 

 ぎゅっと、一色が抱きついてきた。

 

 「ちょ、なにして………………んぐっ!?」

  

 そして、視界が塞がった。

 いや、目の前に一色がいる。

 一色は目をぎゅっと閉じて、唇を押し付けていた。────そう、俺の唇に。

 

 「んん!んんんっ!」

 

 訳がわからず必死に抗議するも、口は塞がれているので喘ぐだけだった。

  

 ──え、なにこれ?一色さん?え?キス?それともちゅー?なんで?え?

 ていうか、唇、やっわ……。めっちゃ良い匂いする…………じゃねえよ死ね俺ぇッ!

 

 このまま快楽に身を委ねてしまいたい気持ちもあったが、いい加減混乱で頭がおかしくなりそうだったので、バンバンと一色の肩を叩いた。すると一色は、ゆっくりと唇を離した。

 

 「…………」

 

 一色の顔は前髪で隠されていて良く見えないが、頬が真っ赤になっているのがわかった。

 

 「あ、あの……、一色、さん……?」

 

 震える声でなんとか聞くと、一色は静かに口を開く。

 

 「すいません、転んじゃい、ました……」

 「え?あ、そういう……」

  

 まだ脳が混乱してるが、ゆっくりと整理しよう。

 まず、最初に鳴ったガシャン、という音。あれは松葉づえだ。一色の後ろにそれが転がっている。

 そして、一色は支えがなくなってバランスを崩し、俺に倒れ掛かってしまったと。

 そしてその拍子に、唇が接触。

 …………。

 あー、はいはい。これはあれだ。ラノベとかアニメでよくあるラッキースケベ的なアレだ。なんだよ、危うく勘違いする所だったぞ……。

 しかし、だとしたら申し訳ないことをした。偶然とはいえ、俺とキスなどしたくなかっただろうに。でも俺は悪くないし、謝るのも変だよな……。

 

 やっと落ち着いてきた脳で考え考えするが、ふと、一色の唇に視線がいってしまう。

 小さくて形が良い、きれいな桜色の唇。さきほどキスをしてしまったせいか、少しだけ湿っぽく濡れているのが余計に艶っぽい。さっき、それが俺の口に……。

 そんな邪念を必死に取り払い、一色から半歩距離をとる。

 が、一色はまた一歩、俺に近づいて、

 

 「んぐ!?」

 

 俺の両肩をぎゅっと掴み、再び自分の唇を俺のそれに重ねた。

 さっきよりも必死で、さっきよりも、唇が濡れていた。

 

 「んはぁっ……んんっ!」

 

 もう、頭が沸騰しそうだ。訳が分からない。

 どうしたらいいかわからず、思わず息を止めてしまった。

 

 どれだけの時間が経ったかはわからないが、一色はゆっくりと唇を離す。

 今にも泣き出してしまいそうな瞳で俺の目をじっと見つめ、静かに、濡れた唇を開け、

 

 

 「先輩、好きです」

 

   

 その弱々しい声は、誰もいない浜辺に溶けていった。




最近自炊をちゃんとして気づいたのですが、自分で作る炒飯とカレーって世界一うまいよね。

え?そんなことはどうでもいいって?
ハハハ、何のことやら……(;^ω^)汗

正直、今話はいろいろアレでかなりビビってます。でも、仕方ないの。許してください。


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23話 真面目な話

感想、お気に入り、評価ありがとうございます!
それと、いつも誤字報告ありがとうございます。
ほんと助かってますm(_ _)m


 一色はその言葉を口にすると、唇をきゅっと噛みしめ、見つめる瞳はかすかに潤んでいた。

 肩に置かれていた両手は、今は俺のブレザーの襟を弱々しくつまんでいる。

 その指先から、一色の緊張感が伝わってくる。

 

 さきほどのキスの余韻がまだ残っているからか、一色の告白を聞いた俺は数秒間身動きすらとれなかった。脳を溶かすような感覚が意識を朦朧とさせ、焦点が合わない。ドクンドクンと心臓は強く脈打ち、全身が熱かった。

 

 そう当惑している俺を見つめ、一色は再び口を開いた。

 

 「付き合って、くれませんか……?」

 

 伺うように、躊躇うように、そして不安が入り混じったように。その黒瞳は俺の答えを待っている。 襟をつかんでいた手も、心なしか弱くなっていた。

 

 さすがの俺でも、これがドッキリの類ではないということはわかった。

 小学校から中学校まで散々嘘の告白を受けてきた俺だからこそ、一色の告白が本気だということは、痛いくらいに伝わる。 

 だからこそ、一色の視線から目を背け、奥歯を強く噛んでしまう。

 

 嬉しくないと言えば嘘になる。一色は間違いなく可愛い。それは客観的事実としてももちろんだが、主観的に見ても可愛いと言えるほどに。

 正直、最初にあったときには苦手意識しかなかった。しかし、生徒会で一緒になって、会うたびに、話すたびに、日を追うごとに、一色に対する印象は変わり、一緒にいる時間が、居心地がいいとさえ思った。嬉しくないはずがない。

 

 ──だが。

 今の俺に、その告白を受ける資格などない。

 

 「…………すまん」

 

 口からでた言葉は、思いの外落ち着いていた。 

 

 

* * *

 

 

 家に着いたころには20時を過ぎていた。

 コートを脱いで、ブレザーのネクタイをしゅるるると解きながらリビングへ入ると、小町が炬燵のテーブルに突っ伏していた。

 

 「……ただいま」

 「あ、おにちゃんお帰りー」

 

 ろくにこっちも見ずに突っ伏したまま手をひらひらさせてくる我が妹君。大方、勉強してたら受験が不安になって炬燵に入り、結果お尻に根が生えちゃって2時間経過した、ってとこか。この時期になってくると、勉強そのものよりもメンタルコントロールの方が大変だったりする。伊達にお兄ちゃんやってないからな。しっかりとサポートしてやらんと。

 

 「頑張ってんだな。そんな寝方したら腰悪くするし、お兄ちゃんの膝貸してやるぞ。頑張る妹へのご褒美だ」

 「わわっ!なんだか急にやる気が出て来たよっ!お兄ちゃんすごいよ!」  

 「そりゃどうも…………」

 

 小町は勢いよく体を起こすと、「元気元気!」とマッスルポーズを決めてきた。そんなにお兄ちゃんの膝枕嫌なの?ちょっぴり傷ついちゃうぞ?

 

 「…………」

 

 傷心していると、小町はじーっと俺の顔を覗きこんでくる。

 

 「なんだよ」

 「……なんか、あった?」

 

 少しだけ躊躇って、小町は伺うように聞いてきた。

 2ヵ月ほど前、同じように聞いて喧嘩になったことを気にしているのだろう。そんなに顔に出していたつもりはないのに、やはりこの出来た妹は気づいてしまうのだ。

 そして、また喧嘩になるかもしれないと思いながらも聞いてくれたのだ。その小町の優しさは、今度こそ無下にできない。

 

 「まあ、ちょっとだけ、あった。と思う。わからん」

 

 そんな曖昧な答えに、小町は「なにそれ」と笑う。正直、受験期の妹に相談することなのだろうかとも思うが、「なにもない」と言ったところでどうせ嘘だとバレるのだ。小町にとっても、ここまで踏み込んだら最後まで聞いた方がストレスもないだろう。

 

 「あのさ、それ、聞いてもい?」

 

 またも、小町は不安そうに俺を見上げる。

 俺はゆっくりと首肯し、壁掛けの時計に目をやりながら、どう話すべきかと算段をつける。その間、小町は何も言わずに待っていてくれた。

 カッカッと秒針の音だけが響くリビングで、俺はようやっと、重たい口を開けた。

 

 「……実は今日、後輩の女子に告られてな」

 「いや、ないない」

 

 そんな一世一代の俺の相談を、小町は鼻で笑い流した。

 

* * *

  

 「ふーん、それで?」

 「いや、それでって……」

 

 とつとつと言葉足らずながら説明を終えると、小町は興味なさげに半眼で睨んできた。ていうか話の途中からもうこんな感じだったけど。

 もちろん相談事というのは、今日の海浜清掃を終えた後の一色の告白についてだ。

 一色は俺の答えを聞いた後、「車、戻りましょっか」と、何事もなかったかのように表情を一変させた。取り残された俺はしばらく呆気に取られていたが、あの一色の素振りをみた限りでは、本当の告白じゃなかったのではとも思えてくる。

 だとしたら、あのキスはなんだったのか。嘘の告白だったとしたら、キスなんかしないだろ、普通。…………え、しないよね?一色のことだから普通にあり得そうなんだよなぁ……。

 

 そんな感じで、家に帰ってくるまで悶々と考え続けてはいたのだが、やはり整理がつかない。なにせ、なんで一色が俺なんか好きになったのかが全く分からない。フラグを立てた覚えはないし、むしろポキポキと折り続けてきたくらいだ。フラグクラッシャーの名は伊達じゃない。

 

 しかし、何故俺が一色の告白を断ったのか。その理由だけは判然としていた。

   

 「つまりなに、ゴミいちゃんは一色さんに好意的な感情は持ってるし、なんなら好きな可能性もあると?」

 「…………まあ、否定はできない」

 「でもそれはただの独占欲であって、恋愛感情ではないと?」

 「……まあ」

 「そんで?独占欲を抱いちゃって罪悪感を覚えてると?」

 「罪悪感とはちょっと違うな。そうだな、んー…………なんてーの?」

 「いや小町に聞かれても」

 

 小町は文字通りゴミを見るような眼で俺を睨む。もうこいつの話なんて聞いてらんないというような顔だ。

 

 しかし、小町に話しているうちに、少しずつ整理が出来てきた。

 俺が一色の告白を断った理由。それはきっと、ことこの状況に至って、自分の愚かしさに気づいてしまったからだ。

 

 日を重ねるごとに、少しずつ一色が俺に心を許してくていたのは薄々気づいていた。

 だからこそ。

 俺はそれに甘えてしまっていたのだ。あまりにも居心地がいいから。自分に弱みを見せてくれたから。そんなどうしようもない自己承認欲求から目を背け、気づかないふりをしてきた。

 だから、俺には、一色の告白を受ける資格がなかった。

 

 以前カラオケに行った時、九条は自分の方が一色のことを知っていると言っていた。俺がその言葉に嫌悪感を覚えたのは、一色に抱く独占欲に起因しているのだ。

 

 それがようやっと自覚できると、俺は、へっと自虐的な笑みがこぼれてしまう。

 同時に、一色に対しての申し訳なさが、一気にこみあげてきた。

 

 「やっぱこれ罪悪感だよなぁ……俺、クズだなぁ…………死ねばいいのになぁ…………今死のうかなぁ…………」

 「お、お兄ちゃん?」

 

  自分に悪口を言いながら、重力に身を任せて頭を炬燵にぶつけると、ゴンッという鈍い音が響いた。すると、小町が心配そうに声をかけてくれる。

 

 「はぁー、あのねお兄ちゃん」

 「なんだい小町ちゃん」

 「お兄ちゃんがクズだなんて、自然の摂理でしょ?」

 「スケールがでけぇよ……。傷心してる兄にかける言葉かよ。………………いや、そうか。そうだな。お兄ちゃんはクズでゴミだな。ほんと。可燃廃棄物として捨てられてカラスに食われればいいのにな。なあ小町、もっと罵ってくれ。いや、罵ってください」

 「お、お兄ちゃんが壊れた…………」

 

 ぐりぐりとテーブルに額をこすり付け、変な性癖に目覚めかける俺を小町は憐憫の眼差しで見下げた。

 

 「そもそもな、俺と一色じゃ釣り合いが取れてないんだよ。あっちは学年一の美少女でサッカー部の人気マネージャー。会長と副会長っていう明確な上下関係がありながら均衡を保ててる今が不思議なくらいだぞ。そのうち付き合ってるみたいな噂流れて総スカンくらうのはあっちなんだよ」

 「はぁ、ダメだこりゃ。何もわかってないよこの人」

 

 俺の全力の言い訳を聞くと、小町はやれやれと欧米人がやりそうなポーズをとる。 

 そんな小町に目もくれず、未だぐりぐりと炬燵に額をこすり付けていると、両頬をむにゅっと掴まれ、頭をグイっと持ち上げられた。

 

 「小町が言いたいのはね、そんなクズなお兄ちゃんでも、好きになってくれる人がちゃんといるってことだよ。お兄ちゃんに告白してる時点で、周囲の目線がどうとかはもう承知の上なの。わかる?」

 

 子供に説教をするように、小町は語気を強めて俺を見つめる。

 

 「だから、その好きになってくれた人を、お兄ちゃんは一生懸命大切にするの。それができないとしても、目背けちゃだめだよ。小町にしてくれたみたいにさ」

 

 コンッと自分の額を俺の額にくっつけて、小町は目をつぶった。

 昔の母を彷彿とさせるような柔らかい声音が、俺の心をゆっくりと溶かしていく。

 なにこのママみ……。すっごい包容力……。

 

 「わかったら、はやく一色さんに電話すること!」

 「ったぁ……」

 

 小町の包容力にバブみを感じていると、ゴツンッと額をぶつけられた。

 

 「…………え、電話?なんで?」

 「決まってんじゃん。そんな意味不明な理由で断られて、一色さんが納得するとでも思ってるの?」

 「いや、そもそも断った理由とか伝えてないし、納得も何もないじゃない?ていうか振った相手に電話するとか余計ダメでしょ?クズ男のやることでしょ?空気読め?」

 「空気云々の話お兄ちゃんにされるとか心外すぎるし!……だってお兄ちゃん、明日からもまた生徒会で会うんでしょ。だったら余計ちゃんと話さなきゃ気まずいでしょ」

 「いやまあそれはそうなんだけど、ソレとコレの話は別のアレで……」

 「あーもう超めんどいんですけどこの人!」

 

 一向に終わらない押し問答に、ふがふがと憤慨する小町さん。だが、ここは俺も譲るわけには行かない。考えても見ろ。振った相手に電話して、なぜ振ったのかを訥々と聞かされるとか地獄以外の何物でもないだろ。

 「人としては好きだけど、恋愛対象とは違くて……」「個性的なところもいいなーとは思うよ?」「でも正直ノリが違うなーって」「だって比企谷、あまり人と関わらないし」

 

 とか。ほらな、考えただけでも悲しくなるだろ。途中から完全に俺の話なんだよなぁ……。

 

 「そりゃ普通の人がやったらただのクズだけどさ、お兄ちゃんは普通じゃないんだから」

 「ねえ悪口?それ悪口ですか?」

 「そりゃそうでしょ。お兄ちゃんは悪が服着て死んでるような人なんだから」

 「せめて生かしてくれ……」

 

 いや確かに死んでるけど。目とか性格とか。

 

 「でもさ」

 

 と、小町の声が、再び柔らかくなる。

 しかしそれは先ほどの包容力のある声ではなくて、どこか慈愛に満ちた、憂いの帯びた声音だった。思わず小町の方を見上げると、その瞳が、何か昔を懐かしむように潤んでいた。

 

 「そうでもしなきゃ、お兄ちゃんはその人と距離とっちゃうよ。こんなどうしようもないお兄ちゃんのことを知っててさ、理解しようとしてくれる人がいるんだよ?そんなの絶対いい人じゃん。一色さんだけじゃなくてさ、結衣さんも、雪乃さんもそう。お兄ちゃんの周りにはこんなに素敵な人たちがいっぱいいるんだから」

 

 小町はテーブルに置かれたコーヒーカップを見つめながら、親指、人差し指、中指と順番に折る。 

 口から紡がれた言葉は独り言のようで、少しでも気を緩めてしまえば、聞き逃してしまいそうだった。

 

 「あと、小町とか」

 

 ぽつりとそういって、少し頬を赤らめると、薬指をゆっくりと折り曲げた。

 

 「あ、偶然にも薬指が小町なの、小町的にポイント高い」

 「妹的にはポイント低いでしょ、それ」

 

 まあヒロイン的なポイントが爆上がりしてるんですけどねっ!今結構ドキッてしたんだけどね、僕。そういう余計なこと言わなければ八幡的にもポイント高いんだけどね!

 

 とはいえ、これが小町なりの照れ隠しだということはわかっている。本当に、どこかの誰かに似て捻くれているのだ、この妹は。

 

 「お兄ちゃんはまだみんなのことを知らなすぎなんだよ。だからまず、一色さんがなんでお兄ちゃんに告白したのかを聞くの!そんでもって、お兄ちゃんが思ってること言う!おけ?」

 「お、おっけー」

 

 全然オッケーじゃないけど、ここまで背中を押されてしまえばそう答えるほかない。

 しかし、まあ、自分を好きでいてくれる人のことくらいは少しでも理解しようってのは、何となくわかる気がする。ただでさえ友達が少ないのだ。戸塚と小町に加え、もう2、3人くらい真剣に考えるてみるのは訳ないだろう。たぶん。

 

 「……ありがとな」

 

 こたつから立ち上がっていうと、小町は「ん。いてらー」と適当に手をひらひらさせて俺を送り出した。ほんと、そうやって恥ずかしさを誤魔化そうとするところが、超あざとい。

 

* * *

 

 リビングを出て自室へ来てから30分が経過した。

 その間ずっとライン画面を開いてはいたのだが、緊張しすぎて『通話』ボタンを押すことができないでいた。いや、だってね?あれだけ小町に後押しされたとはいえ、どうやって会話を切り出せばいいのかわからないんですよ。「今日は告白を断ってすまなかった」とか?それどこの間男?

 

 しかも、もう21時を過ぎてるし、こんな遅くに電話すんのも失礼では?などと考えてしまうと、どうもあと一歩を踏み出せない。このままでは小町に面目が立たない。

 

 考えるからダメなのだ。そうだ。何も考えるな。頭を空っぽにしろ。俺は戸部…………俺は戸部…………あれ、こっちには玉縄が…………っべー。玉縄の顔を思い浮かべただけでなんか謎の余裕が出て来たぞ。玉縄の即効性パない。

 

 俺の中へと玉縄神を呼び寄せて、勢いに任せて『通話』ボタンをぽちっとな。

 ラインのコール音が1回響く。そして2回、3回、4、5……6…………7………………──。

 

 「出ねえ……」

 

 おいおい、わざわざ玉縄とフュージョンまでしたってのにこれかよ。玉縄損じゃねえか。

 しかし、出ない、か。まあ、うん、予想していたとはいえ、思ったよりも精神的ダメージがデカいな。完全に無視されてるよなぁ、これ……。

 

 はぁっと深いため息をついて、俺はこの複雑な感情を処理するために、一度ラインを閉じ、電話帳を開いた。

 まあ、こいつだったら出てくれるだろう。

 最後に電話をかけたのは文化祭だったけなどと思いながら電話ボタンをタップすると、コール音が鳴るよりも早くつながった。

 

 「わどぽぉんっ!どうしたのだ八幡。我は今新しいラノベのプロットを考えるのに忙しいのだが」

 「その割にほぼノータイムで出たけど、ほんとに考えてたのかよ」

 

 こいつ、プロットとかかっこつけてただ妄想してただけだろ。それも主人公は自分で異世界無双の俺TUEEE。電話越しにハヒィハヒィと気色の悪い吐息が聞こえてくることから予想するとそんな感じだろう。

 

 「して、何か用でもあるのか?」

 「いや、まあなに、そうだな……」

 

 そう言われると困る。あれ、なんで俺、材木座に電話なんかしてんだろう。

 

 「ほむぅ?いつもよりワントーン低い気がするな。お主、さてはおなごにフラれたな?ぷぷーww」

 

 一瞬沸いた殺意を押しとどめ、深呼吸。いかんいかん。今日に限っては少しナイーブになってるせいか、いつもは何とも思わない材木座の煽りにも敏感になってしまった。ていうか、なんで俺の声のトーンとか覚えてんだよ。こええよ。

 

 「そうだな。まあそんなところだ」

 

 深呼吸に必死で適当な返事をすると、材木座は「ふっははははぁーーー!」と高笑いをしだした。絶対近所迷惑だからやめとけそれ。

 

 「お主www最近天狗だったのでござるよ~ww同級生の美少女二人や一年生の副会長に鼻の下のばしてwwwちょっと調子に乗りすぎだったからのぉwww身の程を弁えよぉうっ!?お主はもともとこちら側の人間であるからしてっ!?どうあがいても陽のモノにはなれないのだぁッッ!!」

 

 だぁッ!……だぁッ……だぁ…………ぁ…………──。

 

 叫喚音が、俺の部屋に反響した。

 いや、ここまでクズだといっそ清々しい。

 最近は特に、生徒会長になった俺に色々思うところもあったのだろう。「もともと」とか言ってるし、俺に置いてかれた気分だったのかしらね。可哀そうに。

 

 「…………材木座、一つ聞いていいか」

 「よかろう」

 

 電話越しにいる材木座を憐れみつつ、俺は気をとりなして咳払いした。いちいち返事がウザい奴だ。

 

 「もし学年一の美少女に告られたら、お前ならどうする?」

 「そんなの決まっておろう?回れ右して一目散にダッシュだ」

 「だよなぁ……」

 

 俺たち非リアにとって、『美少女からの告白』=『クラスの悪戯』は一般常識で共通認識だ。浮かれて「はい」なんて返事した時には次の日連中からバカにされるし、「いいえ」と言ったところで「調子乗ってる」と批難される。故にこのクソイベを乗り切るためには、そもそも「はい」も「いいえ」も選ばないことだ。だが、今回ばかりは俺の諸事情によりケースが異なる。

 

 「それじゃあ、もし不意打ちのキスをされた後の告白だったらどうだ?」

 「ふぬりゅぅ……?その種の悪戯にあったことないからわかんないけど……」

 

 まさかこれが俺の経験談だとは思わないのか、材木座は中途半端に素に戻り、真面目にうーんと悩んでいる。

 

 「それは、我がそのおなごに好意を抱いているという前提か?」

 「…………まあ、多少の」

 「そうだな。もしそんな夢シチュがあれば、断るやもしれぬ」

 「……なんでだ?」

 

 予想外の答えに思わず虚を突かれて聞くと、材木座は無駄にイケボで答えた。

 

 「もしその子が我なんかといると知られたら色々面倒だしな。女子社会の人間関係は恐ろしいと2チャンで聞くし」

 「……まあ、そうだな。俺もたぶん同じ理由で断る。ていうかソース2チャンかよ」

 「ただ、方法は他にもある」

 

 と、材木座はまたも無駄なイケボで食い気味に言った。見えないが、電話の向こうで心底鬱陶しい決めポーズでもしてるのだろう。

 

 「その女子(おなご)がバカになどされないような、超絶カッコイイ(おのこ)になればよいだけの話だ。我の場合だとそうだな……。まずコミュ力を上げ、文科系の部活に入り、勉強を少し頑張れば間違いなくモテる」

 「だったらその項目にダイエットも追加しとけ」

 

 そう軽口をたたきつつも、思わず俺は感心してしまった。

 「好きだけど、自分とその子は釣り合わないから距離を置く」というのは、自己防衛であり逃避にすぎないのだと、材木座は言っているのだろう。特にそういう気質が根付いているのが非リアの性質なのだ。

 しかし、話はもっと単純だ。釣り合うように自分を磨けばいいだけのこと。俺たち非リアは、その単純明快な解決方法から逃げているだけなのだ。本当に想っている相手ならば、それくらいの試練は乗り越えてしまえるのかもしれない。

 

 「……でも参考になったわ。まあ、どれだけ磨いても性格がアレなんだけどな」

 「だぁまらっしゃいッ!!それはお互い様であろう」

 「……そうだな。お互い様だ」

 

 壁掛け時計を眺めながら、適当に返事をした。

 自分を磨く、なんて単純明快でゴールもないクソゲー、それをできる人間はほんのごく一部だろう。それこそ、葉山隼人や雪ノ下雪乃のように。いや、葉山隼人や雪ノ下雪乃でさえ、誰かに焦がれて、その誰かに認めてもらいたいという端緒と信念がなければ成し得ないのではないだろうか。そういう信念が、彼らを突き動かすのかもしれない。

 

 ──では、比企谷八幡は。

 比企谷八幡にとって、自分を磨くための信念があるのか。

 

 そう自分に問いかけたところで、ぶっちゃけそんな面倒なこと絶対したくない。自分を磨くとか、変えるとか、人の性格はそんなことで簡単に変えられるものじゃない。そう簡単に直せるような拗れ方はしていない。

 だがもし仮に、一色に釣り合うような男になったとしよう。

 じゃあその俺は、当初一色が好いてくれた俺なのだろうか。元の俺を好いてくれたのなら、変わること自体を拒むのではないのか。

 一色は俺に何を望み、何を見て、好きになったのだろうか。

 

 問いかければ問いかけるほどに、疑問や疑念が浮かび上がってくる。

 

 「まぁ、それも全部話さなきゃわかんねえか」

 「ん?全部話すとは何のことだ?」

 

 小町の言葉を思い出して、そんなことをごちる。

 話すっつっても、さっき電話繋がんなかったけど。どうしようかなぁ……。

 

 「おーい、はちまーん?……あれ、聞こえてないのかな……。おーい?」

 「なんだようっせぇな殺すぞ」

 「ほへっ!?き、聞こえてたなら早く返事をせよ!ふ、不安になるだろぅ……?」

 「小声でキモイ事言うんじゃねえよ。んじゃな」

 

 そう言い残して電話を切り、スマホをベッドに投げた。

 まあ、材木座は気晴らしにはちょうどいいな。 

 おかげで沈みかけた心も軽くなる。さて、気分転換に風呂でも入るか。

 

 と、立ち上がったところで、スマホから電話のコール音が鳴った。

 くそ材木座かめんどくせえなと思いながらスマホ画面を見てみると、そこには『一色』の文字が。

  

 まさかあっちからかかってくるとは思ってなかったから全然心の準備ができてないんですけど?

 しかし、この機を逃せばチャンスはもうないだろう。意を決して、応答ボタンをタップした。

 

 『あ、こんばんはです~。すいません、さっきシャワー浴びてたので出られなくて』

 「お、おう……」

 

 ……この子、随分とピンピンしてますね。いや、告白を断った時からそうなんだけど、なんでそんな平気で会話できるわけ?普通そこは、お風呂で浴槽につかりながら湯舟を口でブクブクさせてるまでがテンプレでしょ?

 まあ、逆にこういういつも通りの対応をしてくれるのは助かるけど。

 

 『こんな夜遅くにどうしたんですか?わたしをこっぴどく振った先輩さん?』

 「え、いや、そんな酷い言い方したつもりなかったんだが……まあなに、あれだ」

 

 しどろもどろと何か言い訳を探していると、一色は「はーなるほど」と何か納得がいったように。

 

 『妹さんですね』

 「……よくわかりましたね」

 『いやぁ、こんな気使いができるとか絶対先輩じゃないですもん』

 「ばっかお前、気とかめっちゃ使えるから」

 『へー。先輩の妹さんとか、一回くらいあってみたいです』  

 「いや、絶対会わせないけど」

 『えー』

 

 一色の不満そうな声が聞こえると、ばしゃん、と水の跳ねるような音がした。なんだ今の音?……そういえば、さっきから気になっていたのだが。

 

 「なんか声くぐもってない?」 

 『あー、今お風呂入ってるので声反響してるかもです』

 

 なん、だと……?

 つまり一色は今浴槽に浸かってる状態で、一糸まとわぬ姿で通話しているということか……?

 いかんいかん。つい想像しかけたが、もう今日のキスだけで俺の性的なイマジネーションがイノベーションを起こしているのだ。これ以上考えたらパンクしそうだ。

 

 「そ、そうか。アレだったらまたかけ直すけど……」

 『いえ、別に気にしないでください』

 「お、おう……」

 

 色々と妄想したい気持ちを抑えて、そろそろ本題に入ることにした。

 

 「ちょっと聞きたいことがあってな」

 『…………なんですか?』

 「いやまあなに、アレだ。今日の告白についてなんだが、あれって、ちゃんとした奴?」

 

 まず、これだけは聞いておきたい。そもそも一色の告白が嘘であったなら、俺の悩みは一切無駄なものになる。が、一色は俺の問いにくすっと笑って答えた。

 

 『なんですか、それ。当たり前じゃないですか。超本気でしたよ』

 「そ、そうか、すまん」

 『いやいや、全然謝意が足りないですから。土下座して言ってください』

 「おう、そうだな…………ん?なんか違くない?」

 『冗談です』

 「ねえ、さっきから話逸らそうとしてない?全然本題入れないんだけど?」

 『そうですか?気のせいですよ気のせい。先輩なんてこの世にいないですから』

 「俺の存在も気のせいにするのやめてもらえる?」

 

 一色がいつにもまして皮肉を言うもんだから、全然本題に入れない。いや、あえて話を逸らそうとしているのかもしれない。その証拠か、一色は「気のせい~♪先輩は気のせい~♪」などと謎の歌を口ずさんでいる。

 

 「少しだけ真面目な話だ」

 『…………』

 

 気持ち語気を強めて言うと、一色は黙った。こうでもしなきゃ、聞いてくれそうにない。

 

 『…………なんですか。ちょっと怖いんですけど』

  

 一色は少し冗談めかすように言った。

 まあ、聞きたいことは色々ある。何故俺なんかが好きなのか。それはいつからなのか。葉山や九条のことは好きじゃなかったのか。

 しかし、今それを聞くのは野暮だろう。

 

 「一色が俺をす…………俺に好意を抱いているとして、でも、なんで今日だったんだ?」

 

 純粋な疑問だった。今まで(本当の)告白などされた経験がない俺にとって、そういうシチュエーションはドラマやアニメ、漫画でしか見たことがないのだ。放課後の校舎裏や帰り道、熱が冷めやらない行事後。所謂エモいシチュが整ってから、告白と言うのはされるものだ。

 しかし、今回俺が告白されたのは海水浴場。それも、ゴミ拾い後だ。こんな夢もなにもないシチュエーションがあるのだろうかとも思う。まあ、水平線とか夕日とかは綺麗だったけど。

 

 『そうですねー。うーん、言わなきゃだめですか?』

 「え、なに、怖いんですけど。何言うつもりなの?」

 『いや、まあいいです』

 

 決心したように深呼吸をすると、一色はとつとつと話し始めた。

 

 『先輩たち三人を見ていて、羨ましいって思ってたんです。こういう本音でぶつかりあえる関係ってなんかいいなって。どうすればわたしもその輪の中に入れるのかなって思って、だから最初は興味本位で先輩に近づいたんです。生徒会に入ったのも、実はそれが理由です』

 

 要領を得ない一色の話をなんとか理解しようと、耳を傾ける。

 

 『倉敷ちゃんを助けたのも、優しさとか全然違くて、そうすれば少しでも先輩に近づけるんじゃないかって思ったからなんです。先輩なら、先輩たちならそうするだろうって。…………でも、やっぱ無理でした。今日三人を見て、あ、わたしはここにいれないんだって、分かっちゃったんです。だから、手に入らないってわかった途端に切なくなって、欲しくなって……それで、想いが溢れちゃったんです』

 

 これで話は終わりなのか、ぽちゃん、と優しく水面を叩く音がした。

 正直、曖昧で抽象的なことばかりで理解するのに時間がかかりそうだ。だから、まず率直に。思ったことを口にした。

 

 「重っ」

 

 えーなにこれ、予想してたより数段重たい話だったんですけど……。

 一色さん、俺たちに憧れてたのかよ。え、なんで?どこに?輪とかなんとか言ってたけど、俺たちそんな仲良さそうに見えるの?いやぁ、ないでしょ。特にあの雪ノ下さんが輪を乱してるからな。特に修学旅行の一件から、微妙にすれ違いがあるような気もするし。

 

 しかし、岡目八目という言葉もある。

 傍から見ればまた、違った見え方がするのだろう。特に性格を拗らせた一色だからこそ、ってのもあるのかもしれない。

 

 そんな俺の言葉に、一色はあからさま不機嫌そうな声で抗議してくる。

 

 『な、なんですかそれ!あーもう知りません。先輩のばーかばーか、どーてーボッチ野郎』

 「おい、最後。最後で可愛げなくなったぞ」

 

 あざとさ守るなら最後まで守ろうね。

 

 「まあなに、正直超重いし、ぶっちゃけちょっと引いたけど」

 『うっさいです』

 「でもあれだ。聞けて良かった。さんきゅな」

 『…………』

 

 実際、俺は知らなかったのだ。小町が言ったように、身近にいる人でさえ、俺は目を背け続けてきた。だから、知れてよかったのだと思う。

 

 『はっ、告白断っといて、なんで今告ったんだとかなんですか。しかも聞けて良かったとか、先輩はどこのド畜生ですか?喧嘩売ってんですか?』

 「いや、それはごめんね?自分でもわかってるから許して?」

 『…………ほんと、意味わかんないです』

 

 一色がそう言葉をこぼすと、また、ばしゃんと水面を叩く音がした。

 本当に、意味が分からない奴だと思う。自分でもそう思うのだから、他人からしたらなおさらだろう。

  

 『あ、ちなみにアレ、わたしのファーストキスですから』

 「……マジ?」

 『マジです』

 「……」

 

 出し抜けに言われて、思わずそのシーンを思い出してしまう。

 もちろん俺も初めてだったが、感触はもう覚えてない。レモンの味はしなかったと思う。

 しかし、一色が初めてだとは意外すぎる。まあこいつ、男子とは普通に遊びに出かけたり九条の家にも行ってるけど、肝心なところでガードが堅いところあるしな。家にも入れたことないって言ってたし、嘘ではないのだろう。

 

 『なに黙っちゃってるんですか。あ、もしかして~?今わたしの裸想像してるんですか~?』

 

 いつもの小悪魔のように、一色は猫撫で声で挑発してくる。

 

 「いや、してないから……」

 『ふーん?まあ別にしてもいいですけど、その代わり、わたし以外でしちゃダメですよ?』

 「なんか君、ちょっとテンションおかしくない?だいじょぶ?」

 『気のせい~♪』 

 

 うーん、これ完全にテンションおかしいですねぇ。のぼせてるんじゃないですか一色さん?

 それか、男にフラれたショックでハイになっちゃったかのどっちか。それはないか。

 

 とりあえず、話を聞いて、一色という人間性が少しはわかった気がする。

 いや、まあ、ほんとうに少しではあるんだが。

 

 「んじゃあ、そろそろ切るわ」

 『あ、最後にわたしも言いたいことあるんですけど、いいですか?』

 「ん?ああ」

 

 『本当に大好きですよ、先輩』

 「っ……。そ、それは、ちょっと、えぇ……」

 

 ………………なにこの子。めっちゃ可愛いんだが?いや、不意打ちすぎでしょ。普通に告白の時よりもドキドキしちゃったんだけど。さっきからこの小悪魔さん、開き直りすぎではないですか。気のせいですか。そんなにグイグイ来られたら余裕で好きになっちゃうんですけど。

 

 『わたし、諦めませんから。明日からもよろしくですっ!』

 「お、ぅ……」 

 

 言葉にならない声を残して、俺はすぐさま通話を切った。

 最近、一色の弱みや本音ばかり目にしているから忘れかけていたが、結局どこまで行っても、小悪魔は小悪魔なのだ。

 この小悪魔には、一生敵う気がしない。

 

 本当に、危ない。




開き直った女の子は最強……これに尽きる……。
あと、小町が超かわいい。妹ってやっぱ最強。

もう特に書くことがないので告知です。来月の18日誕生日です。わーい。


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24話 非行少年少女たち

感想、お気に入り、評価、誤字報告いつもありがとうございますん!!


 

 海浜清掃を終えた翌日。生徒会活動も特にないために時間稼ぎに興じる放課後である。

 時間稼ぎをすることには定評のある俺だが、されることは嫌いだ。

 例えばウイイレ。友達なんかとやっていると、一点決めた途端に残り時間無限にパス回しをされてひたすらボールを追っかける羽目になることもしばしば。アレ本当ムカつくからやめてほしい。オンライン対戦ではマナーはしっかり守ろうね。友達いないからわかんねえけど。

 

 閑話休題。

 なぜ放課後に時間稼ぎなんかに興じているのかと言うと、これから部室に行かないとならないからだ。なんのことはない、ただの部活動。年末年始を挟んだせいもあって、生徒会活動がやけに忙しく部活をサボる日々が続いていた。

 そんな罪悪感もあり、部室へ赴くのが少々躊躇われていた。

 

 一向に進まない時計の長針をぼけーっと眺めていると、後ろから、たたたっと駆けてくる音が聞こえた。

 

 「ヒッキー、今日部活来る?」

 

 とんとん、と肩を叩いて聞いてきたのは、もちろん由比ヶ浜。今日に限ったことじゃなく、放課後になるといつもこうして声をかけてくれていた。いつもは生徒会を理由に断ってばかりだったが、今日に関しては特に用事もない。こうも直接聞かれてしまえば逃げようもないし。ていうか、いきなり肩をトントンしてくるのやめてもらえませんかね?そういう軽はずみなスキンシップ、本当に心臓に悪い。あと恥ずかしい。

 

 「ん、行くわ」

 「おっけー!」

 

 それだけ言って、由比ヶ浜は元いた席に戻って支度を始める。

 えーっと……これは一緒に行こうってことなんですかねぇ。たまに一緒に行ったりするけど、でも今回は「ちょっと待ってて」なんて言われてない訳だし……。だとしたら、これで待っていたら「何彼氏面してんの?超キモイんですけど」とか思われたりしない?

 

 などと懊悩していると、「おまたせ!」と由比ヶ浜は再び駆けてきた。準備が整ったらしい。

 

 うん、別に待ってないけどね?それともなに、「全然待ってないよ今来たとこだよ」とか言うべきなの?そういうこと言われちゃうとうっかり彼女なのかと思っちゃうだろ。

 

 由比ヶ浜と並んでこつこつと廊下を歩いていると、由比ヶ浜が「そういえば」と手を打った。

 

 「昨日のごみ拾い大変だったよねー。超寒かったし」

 「まあそうだな。別にお前らは来なくて良かったんだけどな」

 「もーまたそゆこと言う。最近三人でなんかすることってなかったし、たまにはああいうのもいいじゃん」

 「……まあ、そうだな」

 

 そう返事をすると、由比ヶ浜は不満げに口を尖らせて、ぽすんとスクールバッグをぶつけてきた。

 

 「クリスマスイベントも最後まで手伝わせてくれなかったし」

 「いやほら、ね?最初っから手借りちゃうと今後もそういう流れになるでしょ?一色とか味しめて雪ノ下に頼りっきりになるぞ」

 「あはは……それは否定できないかも」

 「そうそう、だから、あまり人任せにして書記と会計を甘えさせるわけにはいかないんだ。うちの生徒会はあいつらが主戦力だからな」

 「人任せだ!?」

 

 由比ヶ浜は驚愕とばかりに顔を引きつらせた。

 無能な上司がこうも他力本願だと、部下たちがどんどん有能になってくんだよな。いや、違うよ?人任せにしてるのは書記と会計の成長ためだから……。これぞ八幡考案の現代型成長プログラム。自分が楽するためならとことん他人を利用しちゃう。

 特別棟へと入ると、本棟より幾分か暗くなった。特別棟は基本的に使われない教室しかないので、電灯はほとんどつけられていないのだ。

 まあそのおかげもあって、窓から差す夕焼けが映えるのだが。

 

 

 「…………そいえばさ、あの後どうかしたの?ほら、いろはちゃんと残ってたみたいだから」

 

 

 卒然と、由比ヶ浜が聞いてきた。ちらとそちらを見ると、由比ヶ浜は聞くのを躊躇っていたかのように俯いている。

 

 由比ヶ浜が言う「あの後」というのは、海浜清掃後のことだろう。車へ戻るのが遅れたせいで疑心をかけられているのかもしれない。

 しかし、言えるわけがない。一色にキスをされて、しかも告白までされたとか。 

 

 「まあ、ちょっと倉敷のことでな。ほら、昨日もいただろ」

 

 咄嗟だったわりに上手い言い訳が出てきてくれた。

 由比ヶ浜と雪ノ下は以前のファミレスで倉敷と面識があるはずだ。俺が炭酸をぶちまけられた光景は、由比ヶ浜も覚えてるだろう。

   

 「あー、うん。なんか、ちょっと変わったっていうか。あの後、あたしとゆきのんのとこに謝りに来たんだよね」

 「そうなのか。まあ、失敗を反省する年頃とかなんじゃねーの、知らんけど」

 「……いろはちゃんはもう気にしてないみたいだけどさ、…………でも、あたしはあまり、好きになれそうにない、かな。あはは……なんかあたし、性格悪いこと言ってるかも」

 

 由比ヶ浜は頬を掻きながら自嘲するように笑う。

 

 「いや、逆だろ」

 「へ?」

 

 言うと、由比ヶ浜はほけっと口を開けて呆けた。

 

 「もし許せたとしたら、最初から怒ってないか、人に興味がない奴かのどっちかだろ。人のために人を嫌いになれるってのは、そう簡単にできることじゃないからな。俺も絶対許せない奴は山ほどいるし」

 

 婉曲的な言い回しだったせいか、由比ヶ浜は暫く口を開けたままだったが、少しすると一気に顔を赤くして、ペシッと腕を叩いてきた。

 

 「つ、伝わりにくいし!」 

 「ったぁ……」

 

 たっと一歩俺よりも先んじると、由比ヶ浜はぽしょぽしょとお団子髪を撫でる。

 それを横目で見ながら、叩かれたところをさすさすして歩いていると、やがて部室についたらしい。

 先を歩いていた由比ヶ浜が、扉の前で立ち止まる。

 

 

 「……ありがと」

 

 

 ぽしょっと小声でそう言うと、勢いよく扉を開けた。

 

 

* * *

 

 

 「昨日はどうもでしたー」

 「ううん、全然!最近運動とかしてなかったし、ちょうどよかったくらい」

 「生徒会の人員も足りていなかったみたいだし、仕方ないわ。もっとも、私は無理やり連れ出されたようなものだったけれど」

 「うぐっ……ゆきのん、もしかして怒ってる?」

 「べ、別に怒ってはないけれど……。ただ、次からはもっと早めに知らせてくれれば、その……」

 「ゆきのーんっ!」

 「ちょ、近い……」

 

 由比ヶ浜がむぎゅうっと抱き着くと、雪ノ下は別段抵抗もせずに顔を赤くする。

 

 「てかいろはちゃん、足だいじょぶ?いろいろ不便じゃない?」 

 「そうですねー。学校だと移動がいちいち面倒ですけど、今は側室を設けてるんでむしろ快適っていうかいい気味っていうか」

 「そく……?」

 「由比ヶ浜、それは知らなくていい単語だ。そもそも側室の使い方間違ってるし。……ていうか、なんでお前今日もいるの?」

 「ふぇ?」

 

 俺の問いに、こてりと小首を傾げるのは誰あろう、一色いろは。

 今日も今日とて奉仕部に居候し、この場にいることがもはや自然過ぎてスルーする所だったが。

 こいつ、部員じゃないんですよ。知らぬ間にマイカップとか持参してきて紅茶とか飲んでるし、ちょっと馴染みすぎでは?

 

 「倉敷とももう和解したんだし、サッカー部の方行けよ。ここにいるメリットもうないでしょ」

 「だぁってぇ、外寒いんですもん。こんな時期に外練とか、あの人たち頭おかしすぎなんですよ」

 「マネージャーとは思えないセリフね……」

 「特にマネージャーって基本じっとしてるだけなのでなおさらです」

 

 はぁっと深くため息を吐いて、やれやれポーズをとる一色。

 

 実際のところ、昨日のこともあって単純に俺が気まずいだけなのだが、どうしてこの子はこんな飄々としてるんですかね。俺だけ超気にしてるのバカみたいでしょ。

 

 そう恨みがましく一色の方をちらと見ると、ふと、昨夜の電話でのやりとりを思い出す。

 電話を切る直前、一色から不意に投げかけられた言葉。

 思い出すだけで恥ずかしく、背中がむず痒くなる。

 言われ慣れていない言葉だったこともあるのか、電話を切った直後もずっと悶々として結局3時間しか眠れなかった。なんなら今もちょっと悶々してるまである。一色が一糸まとわぬ姿だったことを想像してしまえば、シナジー効果で俺のナニかがどうにかなってしまいそうだった。

 

 そんな経緯もあって、一色とどう接するべきなのか、いまいち距離感がつかめずにいる。

 

 「寒いならホッカイロ買えホッカイロ。うちの部費貸してやるから」

 「ちょっと比企谷君、何勝手なことを言ってるのかしら。そもそも、この部活に部費なんてないのだけれど」

 「え、ないの?」

 

 マジかよ、ないのかよ……。

 いやまあ考えてみれば、運動部はもちろん、書道部や美術部などの文化部も、大会やコンクールに参加しなければ部費は出ないのだ。

 ここの部活、ただ本読んでお茶請けつまんでるだけだしな……。

 

 「まあいいじゃないですか。それとも、何かわたしがいたら困る理由でもあるんですかー?」

 

 一色はとぼけるように人差し指を唇に当て、俺にだけ伝わるようにニヤリと微笑んだ。

 動揺が顔に出るところだったが、辛うじて目線を逸らしてやり過ごす。

 

 「…………別に」

 「はぁ~いわたしの勝ち~♪」

 

 うわぁ、クソうぜぇ……。

 もう昨日のトキメキが嘘かと思えるくらい殺意沸いたんですけど……。

 落ち着け俺。深呼吸して一句読むんだ。アメンボあかいなあいうえお。ふえぇ……活舌良くなっちゃうよぉ……。

 

 ……しかし、ただ殺意だけ沸いていた以前とは違って、一色のこの手のウザさも許容出来てしまっている自分がいるのは何故だろうか。

 一瞬、本当に俺も一色に毒され、好きになってしまっているのではないかなどと陳腐な考えが過ったが、きっと違う。

 俺が今の一色を許容出来てしまうのは、返報性の原理が働いてしまっているからだろう。

 好きだと言われた分、自分もそれに報いようと本能的に、無意識的に行動し、思考してしまうのだ。恋愛経験の未熟な中高生が「もしかしたら好きかもしれない」などと思ってしまうのはまさにいい例だ。

 その返報性の原理が、「俺も一色のことを好きになる」という形で達成されるなど、本当にありえない話で、くだらない。それこそ、俺が心底嫌っている欺瞞というものだ。

 

 だから、改めて。

 改めて一色いろはという人間を、フィルターを外して見る必要がある。

 

 

 「……」

 

 

 一色のことが好きかもしれないと、そんな紛い物の感情を捨ておいて。

 

 

 「…………」

 

 

 ──捨て、おいて。

 

 

 「………………」

 「なんですかさっきからジロジロ見てきて」

 「あ、いや、別に……」

 

 

 ……まあ、あれだ。

 そりゃあ今まで妹くらいにしか見てなかった相手からキスをされたのだ。意識するなと言う方が無理な話だ。……ていうか、俺なに普通に見惚れちゃってんの?脳内お花畑なの?フィルターを外すとか言っておいて、この男、めっちゃ色眼鏡かけてるのでは。

 

 ケホケホとわざとらしく咳払いをして、一色から目線を外す。いったん、これまでの思考をリセットしよう。

 

 なんせ、女子は吹っ切れるのが早いと巷で聞く。男がやたらとドギマギしている一方で、女子の方はあっさりと他の男を好きになっているなんてよくある話だ。

 うっかり告白とかして振られて気まずいことになりたくないし、なるべく考えないようにしよう。  

 

 そう決意を心に決めると、ガララッと扉の開く音がした。ノックもなしに入ってくるのは一人しかいない。

 

 「比企谷、ちょっといいかね」

 「先生、ノックを……」

  

 例のごとく俺を呼び出しにきた平塚先生に、雪ノ下がはぁっと嘆息する。

 

 「一色もいたか」

 「はい?」

 

 平塚先生は一色もいたことに目を丸くすると、「んー、そうだな……」と考えるように顎に手を当てた。

 

 「せっかくだ。雪ノ下と由比ヶ浜、君たちもついてきなさい。ちょっと面倒な問題が発生している」 

 「……?」

 「少し外に出るが……一色はどうする?」

 

 言いながら、平塚先生は一色の足へと視線を移した。松葉づえだと靴を履き替えるのにも手間だろう。が、一色は平気だとばかりに自分の太ももをペシペシと叩いた。

 

 「全然行けます!」

 「あの、先に要件を言ってほしいんですけど……。これ、何も知らないまま巻き込まれたら関係者扱いされちゃう奴じゃないすか」

 「何か言ったか?」

 「いえ何も言ってません」

 

 ふえぇ……。パワハラだよぉ……。

 目が既に凶器だよぉ……。

 

 出鼻から拒否権を奪われたので仕方なく、しぶしぶ立ち上がり、くるりとマフラーを巻いた。

 

 一色さん、寒いから外嫌だとか言っておいて、結局行くんですね。

 

* * *

 

 平塚先生に連れて来られたのは校舎裏。

 この校舎裏には、生徒会が管理している体育倉庫や運動部の部室が軒並んでおり、一般生徒は普通足を踏み入れない。おまけに、サッカー部やラグビー部など運動部は総じて校舎横で部活をしているので人気が少なく、日が当たる角度と丁度反対側ということもあって薄暗い。ぶっちゃけちょっと怖い。こんなところで告白する人とかいるのかしら。

 

 平塚先生を追うように部室の横をするするとすり抜けていくと、やがて曲がり角へとつく。と、そこで平塚先生が立ち止まった。

 

 「見たまえ」

 

 平塚先生が顎で指示したのは校舎の壁だ。見ると、

 

 「わ、なにこれ」

 「これは……落書きですか」 

 

 そこには、スプレーやフェルトペンで乱雑に落書きをされたと思われる跡があった。絵だけでなく、英字や記号も描かれていて、数人でやった仕業だと推測できる。

 

 「ああ、一週間前に、朝練をしていた運動部の生徒がこれを見たと報告に来てな。それからホームルームでも忠告はしているんだが、まあこの通り、一向に収まらん」

 「そういえば、担任のせんせーも言ってた気がする」

 「こういうの、グラフィティアートっていうんでしたっけ?」

 「そうだけど、これアートって言えんのか」

 

 見た限り、絵と言えるような秩序性は皆無だ。芸術センスがないからわからんが、どちらにせよ落書きは落書きだ。校舎に直接ペイントされているのも悪質極まる。

 

 「なんか懐かしいなー。子どものころ道端によくチョークで絵描いてたの思い出すよー」

 「由比ヶ浜さん、今は感慨に耽っている場合ではないのだけれど」 

 「わ、わかってるし!」

 

 そこの親子はさっきから何してるんですかね。まあいいですけども。

 

 「収まらないなら、犯人を特定すればいいだけなんじゃないすか?放課後と休み時間に限定して監視していればそのうち来るでしょう」 

 

 聞くと、平塚先生ははぁっと眉間を寄せてため息を吐いた。

  

 「それもこの一週間続けてはいるんだが犯人は現れないんだ。おそらく、生徒も教員も全員帰った深夜帯だろうな。カメラを設置すると言っても、わざわざこのためだけに暗視カメラを買うわけにもいかんだろう。警察に通報しようにも、犯人を特定できる証拠もアリバイもなければ動いてくれないからな」

 「………………え、いや、まさか深夜ここきて見張ってろとか言わないですよね?」

 

 恐る恐る聞くと、平塚先生は苦笑いをして首を横に振る。

 

 「それができるならそうしたいんだが、そもそも深夜は門限外だからなぁ」

 

 それもそうだ。教師がそれを強制して学校にバレたりすれば首が飛ぶだろう。

 

 「じゃあなんでこれをわたしたちに?」

 「うむ。君たちには解決法を考えてもらう」

 

 一色の質問に、平塚先生はニヤリと口角を歪めて答えた。ねえ、犯人この人じゃないよね?なんかちょっと楽しそうなんだけど?

 

 「また随分と出し抜けに……」

 「ぶっちゃけ我々教員もお手上げだ。なんせ、深夜に残ってまで監視したくないし」

 「直球だ……」

 

 平塚先生の体たらく発言に、由比ヶ浜が若干引いていた。なんなら言葉にしなかっただけで雪ノ下と一色も引いていた。

 でも、わかるなぁ。俺も絶対やりたくないし。

 

 「最初は生徒会だけに話そうとも思ってたんだがな。……ただまあ、これは依頼ではないから、雪ノ下と由比ヶ浜は今回の事件に関与しなくても構わん」

 「知らぬ間に俺は関与してるんですね……」

 「これを見てしまった以上、無関係とはいきません。学校からの依頼として、引き受けます」

 「あ、あたしもあたしもー!なんか楽しそうだし!」

 「だから遊びではないのだけれど……」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が言うと、平塚先生は少し困ったように眉尻を下げた。

 その間がどこか不自然で、思わず俺は平塚先生を見てしまう。

 

 すると、平塚先生は俺と一色の方を順に見やって、うんと頷いた。

 

 「……では、頼もう。解決策は学校側も考えているところだ。あまり気負い過ぎないようにな。何か手伝えることがあったら言ってくれ」

 

 平塚先生はそうとだけ言うと、白衣を翻して戻っていった。

 取り残された四人。さてどうしましょと目線で問うと、雪ノ下がふむと顎に手を当てて考えるポーズをとった。

 

 「罠を仕掛けるのが一番手っ取り早いのだけれど……」

 

 なに、縄とか用意して木に吊るしたりとかすんの?そんなワイルドなやり方あんのかよ。アマゾネスかよ。

 

 「いくら正当とはいえ、怪我を負わせてしまえば私たちも停学になりかねないわね」

 「怪我しない方法ならいいんじゃない?ゴキブリホイホイみたいな!」

 「そうだな。犯人がゴキブリだったら効果的だろうな」

 

 由比ヶ浜が「閃いた!」みたいな感じで言うので、優しく却下してやった。おそらくトリモチのことを言いたいのだろうが、それを一面に仕掛けるとすればかなり地面が汚れてしまうだろう。そもそも靴を脱がれたら意味がない。

 

 「まあ急に解決法出せって言われても難しいだろ。一旦帰って明日ブレストでいいんじゃねえの」

 「そうね。そろそろ寒くなってきたし」

 

 さて帰りましょという空気が流れて皆一様に踵を返すと、「あのー」とずっと閉口していた一色が口を開いた。

 

 「結局のとこ、犯人がわかっちゃえばいいんですよねー?」

 「そうだが……」

 「だったら、わたしに策があります」

 

 もったいぶった言い方に、三人の視線が一色に集中する。

 その視線を受け、一色はにやりとニヒルな笑みを浮かべると。

 

 

 「今夜、四人で監視に来ればいいんですよ!」

 

 

 どやさっとばかりに胸を張る一色に、俺と雪ノ下は可哀そうな人を見るような眼で嘆息した。

 まじかよ。後輩がここまでアホの子だとは思ってなかったぞ。話聞いてなかったの?それをしないために解決策考えるって話だったでしょ?

 

 しかし、一色の案に、もう一人のアホの子がここぞとばかりに台頭した。

 

 「それ超楽しそう!いいじゃんいいじゃん!やろーよ!」

 

 「ねっ!?ねっ!?」と俺と雪ノ下を交互に見るガ浜さん。そのたびにゆさゆさと揺れるメロン的なそれが「やろーよー!」と主張してくる。いやいや、変な意味じゃないですよ?

 

 「話聞いてなかったのかよ。門限過ぎてるんだっての」

 「そんなの無視すればいいんですよ。別に停学になるわけでもないですし」

 「そうだとしても、保護者の了解が得られないでしょう。私は一人暮らしだからその点の心配はないけれど」

 「こっそり抜け出せば行けるくない?あたしもたまに優美子と夜遊んだりするけど、帰りはサブレの散歩行ってたって言えばバレないよ?」

 「それはそれで聞き捨てならないわね……」

  

 とんだ非行少女じゃねえか。まあでも、高校生ならそれくらいやってる人も少なくないのだろう。斯くいう俺も、深夜に抜け出してもバレないどころか、バレても何も言われないまである。もっと俺を心配してくれよ、母ちゃん……。

 

 「先輩も大丈夫ですよねー?」

 「いや、普通に夜来るとか嫌なんですけど。寒いし怖いし明日も学校だし。あと肌も荒れるし」

 「うっわー……」

 

 断る理由が私的すぎたせいか、一色が引き気味の声を漏らす。

 むしろ最後は君たちに気を使ったんですよ?俺の優しさですよ? 

 

 「いいんですかー?夜の街を女の子三人で出歩かせて、油ぎっとぎとの中年おじさんにつかまって変なことされても」

 「生々しい例え方すんじゃねえよ……」

 

 ちょっと心がもやっとしちゃったじゃねえか。

 知り合いの同級生が強姦にあったとか、そんなの確実にトラウマになるわ。だからと言って、俺がいたところで戦力にはならんだろうけど。

 

 「ていうか、その足じゃお前が無理でしょ。外出歩けないでしょ」

 

 言うと、一色の顔がピッキーンとひびが割れたように固まった。まさかそれを考慮していなかったらしい。

  

 「そ、それは、そのー、なんというか……………………ねぇ、せんぱぁい」

 「やだ」

 「まだなんも言ってないじゃないですかぁ!」

 

 俺の即答に、一色は頬をむくーっと膨らませて、駄々をこねるように睨んでくる。

 大体一色の言おうとしてることがわかっちゃう自分が怖い。どうせ自転車に乗せてくれとかそんなところだろう。ただでさえ門限外外出だというのに、自転車に二人乗りまでしたら警察にご厄介になってしまう。

 

 「そもそも、もしそれで犯人がわかって翌日学校に報告したとしても、私たちが深夜に監視していたことは前提になってしまうわ。どのみち最善策とは言えないでしょう」

 「あー、たしかに。深夜に落書きしてるってことは学校側もわかってるもんね。なんで犯人特定できたんだーって、逆にあたしたちが責められそう」

 

 一色の策の抜本的な欠点を指摘する雪ノ下と由比ヶ浜に、一色は「うぐぐぅ……」と唸る。二人の言うことは至極もっともで、俺たちが深夜外出しているとバレてしまえば元も子もないのだ。だが、その事態は回避出来うる。

 

 「匿名でやればいいんじゃねえの。学校側としては犯人を特定できるわけだし、わざわざ誰が報告したのかなんて問題にしないでしょ」

 「それもそうだけど……。平塚先生には勘づかれるのでは?私たちにこの件を解決するよう話したのは平塚先生なのだし」

 「だったらそれを逆手に取ればいい。たまたま見かけた一般住民からの情報っていう体で、平塚先生経由で学校にリークするんだ。平塚先生が俺たちに解決するよう依頼したのなら、俺たちが深夜外出した責任も顧問の平塚先生になりかねない。だから先生も俺らの名前は出せないはずだ」

 

 説明しているうちに、思わず口角がにやりと性格悪く歪んでしまう。完全に平塚先生を抱き込むことになるが、それも致し方ない。ごめんね、先生!

 

 「うわぁ……、ヒッキーのやり方、超せこい……。先生可哀そう」

 「完全に責任逃れようとしてますよ、この人……」

 「さすが、私たちには思いつかないようなことを考えるわね。犯人側の意見があるととても参考になるわ、前科谷くん?」

 「ちょっと?俺やってないからね?疑いの目線向けるのやめてね?」

  

 ひどい言われようだ。現状の問題を踏まえた上での解決策だというのに、ここまで否定されるとちょっと悲しくなってくる。ていうか、いつのまにか一色の策を擁護しちゃってたし。

 

 「とはいえ、それが一番合理的ではあるのよね……。私たちも他に考えがあるわけでもないし」

 「だねー。帰って準備しなきゃ。何もってくればいいかなー。寝袋と、お菓子と……あとあんぱんとか?」

 「別に潜入捜査するわけじゃないからね」

 「由比ヶ浜さんにとってあんぱんとお菓子は別分類なのね……」

 

 しかも寝袋て。この人完全に寝る気じゃねえか。いや別にいいけど、寝ても。

 

 とまあ、気づけば一色の策が実行されようとしているが、何日も長引いてしまうよりはいいだろう。今日で解決できるのならしてしまいたい。

 と、自然と帰宅する流れになったのだが、一色が「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」と俺たちを引き留めた。

 

 「え、行っちゃうんですか?わたしが考えた案なのに、わたしを置いて行っちゃうんですか!?」

 「いや、普通に行くけど」

 

 うるうると瞳を潤ませて懇願してくる一色に即答すると、どこからか「ガーン」というSEが鳴り響いた。おそらく目の前の一色さんからだろう。

  

 「だ、だったらわたしも行きます!」

 「ダメです。怪我人はおうちでじっとしてなさい」

 「やーだー!わたしもいきますー!つれてってくださいよぉ~!おねがいですからぁ~!」

 「ちょ、痛い、痛いから。揺らすな」

  

 おもちゃを買ってもらえない子供のように駄々をこねる一色に抵抗するも、存外強くブレザーを握りしめられているせいで引きはがせない。おまけに横からの二人の視線が痛い。睨まれてる。超睨まれてる。

 

 「駄々をこねるんじゃありません」

 「じゃあ連れてってください」

 「連れてくっつっても、そもそも方法がないでしょうが」

 「先輩が自転車に乗せてくれればいいじゃないですかぁ」

 「事故ったら責任とれないのでダメです」

 「ふがーっ!」

 

 さらに強く揺さぶってくる一色さん。さすがにちょっと酔ってきて意識が飛びそうになる。ていうか、雪ノ下さんと由比ヶ浜さんはなんで止めてくれないんですかねー?と、遠ざかる意識の中ちらと二人の方を見ると、由比ヶ浜が「なんか!なんかー!!」と何やらうなされていた。隣の雪ノ下さんに至っては無言でシニカルな眼差しを向けてくる。どうしろってんだ。

 

 やがて一色も疲れたのか、俺を揺らし続けていた手がピタと止まった。

 そして、俯いた口からぽつりと言葉が漏れる。

 

 

 「仲間外れに、しないでくださいよぉ……」  

 「や、そういうことじゃなくてね……?」

 

 

 弱々しく紡がれた言葉は、おそらく俺にしか聞こえなかっただろう。昨夜一色と電話して、一色が俺たち三人に抱く印象は聞いていた。だから、その一色の言葉に、それ以上何か返せる言葉が思いつかなかった。 

 

 「もう暗くなってきたし、そろそろ帰りましょうか。とりあえず、23時頃に校門集合ということでいいかしら」

 「あ、うん、おっけー。いろはちゃんも一緒に行きたかったけど、今回は仕方ないよ」

 「……わかりました」

 

 やっと俺から離れて、一色は壁にかけていた松葉杖に手を伸ばす。

 まあ、今回ばかりは仕方がない。せめて何か慰めの言葉でもかけてやろう。

 

 「まああれだ。これで犯人が現れる確証もない。そん時はまた別の方法でやることになるだろうし」

 「そーゆー慰めいらないです」

 「あ、はい……」

 

 ひどい……。せっかくの善意を何だと思ってるんだ。いやまあ、むしろけろっとした様子だからいいけども。

 

 ともあれ、落書きの犯人探しは、今夜さっそく実行に移されることになった。




また更新が遅れてしまった……。申し訳ないっ!
ウイイレアプリのレートが1300を超えて嬉しくなったのでウイイレネタを入れてしまいました。


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25話 臆病者

二日投稿に深い意味はありません。そのかわりいつもより短いです。いつもが長いんです。

※前話、一部平塚先生のセリフを加筆しました。


 しっかりめの防寒対策をし、財布、スマホ、念のためのブルーシートを鞄に詰め込んで準備は完了。集合時間までは30分くらい余裕があるし、今から自転車で行けば十分間に合うだろう。

 

 「んじゃ、行ってくるわ」

 「ほいほーい。頑張ってねー」

 

 出かけの直前にリビングにいる小町に一声かけておく。小町には全部事情を話しているので、両親から何か聞かれたときはなんとか誤魔化してくれることになっている。さてと、ちょっくら宵の街へとしけこむとしますか……。などと内心格好つけながら玄関の扉を開けると。

 

 「あ、先輩こんば」

 

 反射的に、扉を閉めてしまった。

 ……いや、さすがに見間違いか。

 

 なんか今扉の向こうにチラッと亜麻色の小悪魔が見えた気がするんだけど……。いや、気のせいか。気のせい気のせい。絶対に気のせい。むしろ気のせいじゃなきゃ許されないレベル。と、再びゆっくりと扉を開けた。

 

 「ちょっとー、閉めないでくださいよぉ」

 「……なんで来ちゃったの?来るの諦めたって言ってたよね?」

 「あー、あの連れてもらえなくて傷心する女の子を演じて油断させる作戦のことですか?」

 「こいつ……」

  

 せっかく俺が一思いに同情していたというのに、この娘……。

 これまでの一色を考えて、こんくらいのことはするだろうと予測すべきだった。

 

 「ていうか、なんでうち知ってるわけ?住所教えてないよね?」

 「それは結衣先輩の協力を得ていまして……、どうしても行きたいですって結衣先輩に相談したら、先輩の自転車に乗せてもらえーって。それで、お母さんに先輩の家に泊まるって言ってここまで送ってもらいました」

 「…………」

 

 俺の預かり知らぬところでえげつない企みが展開されてるんですけど、いいんですかね。

 

 「あ、そう……もういいけどね……。言っとくが、二人乗りならよく小町を乗せてるけど、事故らない保証はないからな。小町の体重は軽いからいいけど」

 「…………わたしが重いとでもいいたいんですか?殺しますよ?」

 「んなこと言ってねえよ……」

 

 年上になんて言葉を……。仕方ないだろ。小町の体は天使の羽のように軽いんだから。あと戸塚とかもな。戸塚に関しては存在が天使みたいなもんだけど!

 

 そう心の中でごちりつつ、一色の松葉杖を庭の見えないところに隠す。さすがに自転車では持っていけないだろう。

 

 鞄を自転車の前かごに突っ込んで、サドルにまたがる。

 そして、一色の鞄も前かごに入れてやろうと手を差し伸べた。のだが……。

 

 「……?あっ、ありがとうございます……」

 

 一色は最初は呆気にとられたようにぽかーんとしていたが、はたと気づくと、顔を赤くして差し伸べた手をぎゅっと握ってきた。

 ……ちょっと、この人何してるの?別に怪我してるからエスコートしたとかじゃないんですよ?

 

 「いや、鞄持つって意味なんですけど……」

 「えっ?あ……さ、先に言ってくださいよ!」

 「ふごっ」

 

 自分の間違いに気づいたのか、恥ずかしそうに顔を赤くした一色が、ぐいっと俺の顔に鞄を押し付けてきた。 

 そういうたまに見せる素の態度、八幡的に超ポイント高いけど、それすら演技とか言われたら女性恐怖症になるなぁ……。

 

 すりすりと鞄クラッシュをくらった鼻をさすっていると、すとん、と自転車に重みが増した。一色がキャリアに座ったのだろう。

 

 「んじゃ、行くか。ちゃんとつかまってろよ」  

 「了解ですっ!れっつごー!」

 

 言うと、一色は俺のお腹に手を回して、ぎゅっと体を寄せてくる。

 なにこれ、全然落ち着かない……。

 いやね、家に泊まった時から思ってはいたんですけど、この子、意外とあるんですよ。いわゆる「着痩せするタイプ」なのだろう。さっきから背中に当たってるんですよ……。

 

 などと、ドギマギしながら自転車をごきごきとこいでいると、背中をとんとんとグーで叩かれた。

 

 「てか、私服で来てる女の子にはまず服を褒めてあげるべきなんじゃないですかねー」

 「出待ちしてるファンの私服を褒める芸能人がどこにいんだよ」

 「わー、自意識かじょー」

 

 うっせ。

 人の服とか覚えないんだよ、俺は。そもそも人のファッションがお洒落かどうか見定めるほど知識があるわけじゃないし。

 そう内心愚痴りつつ、一色の服装を思い返してみる。たしか、ベージュのチェスターコートにインナーは白のタートルネックセーター、下はデニムパンツ、そして白のスニーカーだった気がする。めっちゃ覚えてるぅ!

 

 「そもそも、そんなオシャレしてこなくていいでしょ。監視なんだから、むしろ目立たない服の方がいいんじゃないの」

 「先輩のために着てるんですよ?」

 「…………そうですか」

 

 そう返されてしまえば何も言えない。

 一色のその類の言葉には、今までなら『あざとい』とか『はいはい』で返せばよかったが、昨日の今日で現実味が帯びているせいか、こっちも変に意識してしまう。

 

 ――――こいつ、俺のこと好きなんだよな……。

  

 つい、そんな自意識過剰なことを考えてしまう。 

 玉縄姉の件を除けば、人に好意を伝えられるというのは生まれて初めてのことだ。だから、それを断ればある程度一定の距離感を置かざるを得ない状況になる覚悟は出来ていた。

 実際、俺が中学の時に告白した女子ともその後話すことなんて一回もなかったし。「友達でいよう」なんて嘘っぱちじゃねえかなどと、当時の俺は枕を濡らしたものだ。

 

 だが、一色の場合はどうだろう。 

 告白を断って、無碍にしたにも関わらず、その翌日も変わらずに話しかけてくる。内心はどう思っているかわからない。が、今日もこうして奉仕部への依頼に足つっこんで、その解決法に一役買って出ているくらいだ。一色が雪ノ下と由比ヶ浜との関係を保つためにそうしているとするなら、変に確執意識を持つこともないのかもしれない。

 

 ……あれー、これ、完全に雪ノ下と由比ヶ浜に責任転嫁しようとしてんなー。マイプリンセス妹に怒られそう。 

 

 自転車をこぎ続けていると、やがて海沿いの道路へと差し掛かる。この道はマラソン大会でも走行区間として利用される道で、漂う潮風がつんと鼻を刺激するが、俺はそんなに嫌いじゃない。人気が一切ないこの時間だと、ざぁ、ざぁという波の音が耳に心地よかった。

 

 「先輩、上見てください上。星が綺麗です」

 「今俺が上見たら確実に事故るんですけど。二人揃って星になる未来しかないんですけど」

 「……なんですかそれ口説いてるんですか?同じお墓に入ろうとかなら全然アリですけど星にかけてダジャレでプロポーズとか超ダサいんでもう一回やり直してもらっていいですかごめんなさい」

 「振り落としたろか……」

 

 背中越しにフラれるとか斬新すぎる。そもそも告ってないんだけど。

 

 「……ねえ、先輩」

 

 ふと、一色が俺を呼んだ。

 その呼びかけに、俺は無言で続きを促す。

 

 「わたしが先輩を好きって知って、実際どう思いました?迷惑だなーとか思いました?」

 「何その質問……。まあ迷惑っちゃ迷惑だったけど」

 

 唐突な質問に、俺は例の如く皮肉で返す。どうせいつもみたいにぶーぶー文句を言われるのだろうと思っていたのだが、しかし一色は俺の言葉に何も言わない。

 その代わり、俺のブルゾンを掴んでいた手が、心なしか弱くなった気がした。

 

 「あー、いや、うそうそ。超嘘だから」

 

 だからか、思わずそんなフォローをしてしまった。何を焦ってんだ俺は……。

 

 「なんつーかだな……。えぇ……なにこれ。俺は今何を質問されてるんですかね」

 「もーほんと優柔不断ラノベ主人公ですね。先輩は誰が好きなのかって話ですよ」

 「いや微塵もそんな話してなかったよね」

 「いないんですかー?」

 「…………これ、なんて答えるのが正解なの?」

 

 告白を断った相手に好きな人は誰なのとか、地獄の質問すぎる。もう地獄に落ちて鬼灯さんにお世話になってしまいたい。

 

 「…………臆病者」

 「悪かったな……」

 

 臆病でなけりゃぼっちなんてやってねえっつーの。

 

 「もし先輩に好きな人が出来たら、ぜひわたしに相談してください。全力で邪魔してあげますので!」

 「支離滅裂すぎんだろ……」

 「てへっ」

 

 何宣言なんだよそれ。

 

 まあ、とはいえ、それくらいするのが一色いろはらしいといえるか。

 簡単に人に譲らず、欲しいものは何をしてでも自分のモノにする。そうやって、一色いろはは自分を磨いてきたのだから。

 その姿勢が、腐った俺の眼から見ても本当に美しいと思える。

 そして、多くの者が、そういう人間には近寄りがたいと忌避してしまう。

 

 だからかもしれない。ペダルを踏む足に、一段と力が増した気がしたのは。

 

 

* * * * *

 

 

 

 

 

 

 ずーっとこの時間が続けばいいって思った。

 

 星が綺麗で、海が綺麗で、波の音が心地良くて、ペダルをこぐ度に軋む自転車の音が耳障りで。

 

 耳が痛くなるほど寒いけど、抱き着いた背中から感じる体温はとても暖かい。

 

 平坦な道を選んでくれる彼が、いつもよりちょっぴり大人っぽく見えて。

 

 それでも、ガタン、と揺れてしまった時に、ちらっとこちらを振り返る彼は、少しだけ子供っぽく見えた。

 

 そんなアンバランスなものが混じり合って、調和する。

 

 きっとこれでいいんだと思った。

 

 これがお互いの心地の良い距離なんだと思っていた。

 

 でも、少しでもこの手を離したらと思うと、遠くへ行っちゃいそうで怖くなる。

 

 彼が悩んでいることを知っている。

 

 彼女たちが人知れず葛藤していることを知っている。

 

 そして、彼らが何かを知ってしまうことが、とても怖い。

 

 結局後ろにいるしかないのだと、悟って諦めてしまうのではないかと。

 

 そう思ってしまう自分が臆病で、情けない。

 

 わたしはわがままで、自分勝手だから。

 

 欲しいものは、何としてでも手に入れたい。

 

 きっと彼と彼女たちの関係が壊れてしまうとわかっていても。

 

 それを見なかったことにして、知らないふりをして、彼らを、彼を、傷つけたら。

 

 そしたら、その時は。

 

 あなたは、一番近くにいるわたしを、選んでくれますか。

 

 

 

 

 

 

 

  



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26話 第四者

ここらからちょいとシリアスになります。
苦手な人は苦手かもです。


 学校で雪ノ下、由比ヶ浜と合流してから30分ほどが経った。

 俺たち四人がいるのは校舎裏から少し離れた名前もわからない木の下。校舎は全体的に高さ1メートル弱のフェンスで覆われているため、その外側にいる俺たちは校外から監視する形になっている。そのうえ歩道と直結しているため、歩行者が来た場合は完全に俺たちは不審者だ。まあ屈めば多少は隠れられるが。

 

 監視を開始してから今のところ、落書きの犯人らしき人物は現れそうにない。もし来るとすれば0時過ぎが妥当だろうが、雪ノ下と由比ヶ浜に至っては終電もある。

 

 「俺らは自転車だからいいが、何時までやる?」

 「私たちは最悪タクシーでもいいけれど……あまり長く居すぎるのも体力的に厳しいでしょうね。今日で犯人が現れなければ明日明後日も続くだろうし」

 「だよね。とりあえず1時くらいには帰ろっか?」

 「だな」

 

 とはいえ、タクシー代だって安くはない。そう何日も続けるのも厳しそうだ。雪ノ下と由比ヶ浜だけ先に終電で帰らせて、自転車の俺が残って監視ということにもなるかもしれない。むしろ俺はその方が気が楽だからいいんだが、雪ノ下が認めないだろう。

 

 すると、ブルーシートに座った一色が、げんなりと肩を落とした。

 

 「わたしが発案しといて言うのもあれなんですけど、これちょっときつくないですかー?」

 「ほんとにお前が言う事じゃねえな……。まだ1時間も経ってないんだぞ」

 「だってー」

 

 いつもだけど、今日の一色さんは特にわがままですね。無理やり来るとか言ったり家まで押しかけたり。聞き分けの悪い娘が出来た気分である。休日のパパの気持ちがよくわかります。

 落ちそうになる瞼を必死に開けて校舎裏を睨んでいると、俺ははたと思い至った。

 

 「これ犯人が総武校の生徒とは限らなくね……」

 

 ぽつりと漏らすと、雪ノ下がはぁっとこめかみに手を置いて呆れたようにため息を吐いた。

 

 「あなた、今気づいたの?」

 

 はい、今気づきました。面目ねえ。

 固定観念に囚われてしまっていたが、総武校の校舎に落書きされたからといって、犯人が総武校の生徒とは限らねえよな。こんな単純なことに何故気づかなかったのだ。俺は柔軟性だけが取り柄だと言うのに、頭が凝り固まってたぜ……。最近脳トレやってなかったからかなぁ……。DS、まだ家にあったっけ……。

 

 「総武校の生徒であろうとなかろうと、一応スマホで写真は撮っておくわ。フラッシュはさすがに焚けないけれど、状況証拠と特定証拠にはなるでしょう」

 「さすがっす……」

 

 眠すぎてリアクションと語彙力が奈落まで低下してしまった。

 

 とはいえ、やはり冷静に考えてみれば、今回一色の発案した策が得策だと言えるかは微妙だ。確かに、犯人を特定するだけならば実際に監視するということ自体にはなんの問題もない。が、俺たちはまだ状況を理解していなさすぎるのだ。例えば、何故犯人が総武校の校舎に落書きをしたのかとか、ある程度の憶測くらいは立てておくべきではなかったのか。

 

 今更だが、俺が気づいたくらいだ。雪ノ下であればそれくらいのことはとっくに気づいているだろうに、何故却下しなかったのだろうか。

 

 「…………」

 

 まあ、考えても仕方ないか。

 そう思って、再び校舎裏へと視線を向けていると、駅の方角から女性の笑い声が近づいてきたのがわかった。その音に反射的に身を屈め、息を潜める。

 目の前を通りすぎるところで、俺は半歩、足を後ろに下げた。が、その時。

 バキッという小枝の折る音が鳴ってしまった。

 

 どうか聞こえてませんようにと願ったのも切なく、女性グループの一人が不振に思ったのか、俺たちのいる木の方へ近づいてきた。

 

 「なんかこっちから音しなかったー?」 

 「そう?猫かなんかじゃないの?」

 「だとしたら愛でるチャンス…………って、ありゃ?」

 

 音に気付いてやってきた一人が、俺たちの顔を確認すると、目を丸くして見開いた。 

 驚きを表情に浮かべるその顔を見ると、俺はひやりと背筋が凍るのを感じた。

 

 「なんで比企谷君がここにいるの?…………それに、雪乃ちゃんとガ浜ちゃんも?」

 

 その女性の正体は、雪ノ下陽乃だった。

 

 

* * *

 

 

 「ね、姉さん、どうして……」

 「それはこっちのセリフ。こんな時間に何してるの?」

 「そ、それは……」

 

 突然の雪ノ下姉の到来に、俺たち四人は動揺を隠せずにいた。俺と由比ヶ浜と一色は開いた口が塞がらず、そんな中、雪ノ下がなんとか言い訳を探そうと言い淀むが、その続きの言葉が出てこないようだった。

  

 「まあ比企谷君がいるってことはなんか理由はあるんでしょ?面子見た限りだと、また部活かな?」 

 

 言って、陽乃さんは俺に視線を向ける。その視線から逃れられる気がしなくて、俺は静かに首肯する。

 

 「だからって、高校生がこんな時間に外出するのは見過ごせない。そもそもこんな時間だと部活とさえ言えないでしょ。早くお家にお帰り。詳しい話は後で聞くからね」

 「でも」

 「雪乃ちゃん」

 

 静かな微笑みを浮かべながら、しかし確かな威圧を込めて、陽乃さんは食い下がる雪ノ下を睨む。

 

 「比企谷君も、らしくないじゃない。君はこういうの、しないタイプだと思ってたけど」

 「ははは……俺もそう思ってたんですけどね」

 

 乾いた笑みが口の端からこぼれ出る。

 こればっかりは仕方ない。どう考えても、陽乃さんの言ってることが全て正しく、高校生の俺たちが何か言い返せることなどない。もとよりこうなる覚悟は出来ていたはずだし、その相手がたまたま陽乃さんだっただけのこと。

 

 「ち、ちがうんです!その、あたしがやろうって、ゆきのんとヒッキーを無理やり誘ったから、それで……」

 

 雪ノ下と陽乃さんの間に割って入るように、由比ヶ浜が弁明する。それを聞いて、一色が目を見開いた。

 

 「そ、それは違います!わたしが、わたしがやりましょうって、皆さんを誘ったんです!」 

 「んとー、君は初めましてだよね?どっちが言い出しっぺとかは今はいいのよ。結局来ちゃったんなら自己責任だし」

 「……」

 

 陽乃さんの言葉に、今度は一色が押し黙る。

 この言い争いは何の意味も見出さない。この状況で俺たちに言い訳をできる余地はない。ここは陽乃さんの言う通り、すぐに家に帰るべきだろう。

 

 そう提案しようとしたところで、陽乃さんは俺たち四人の顔を順番に見て、目を眇めた。

 すると、陽乃さんは呆れたようにため息をつき、期待外れの物を見下すような、ともすれば使い飽きた玩具を見るような眼を向けた。

 

 「……ふーん。なーんか、見ない間に随分変わっちゃったじゃない」

 

 その言葉に、俺は、あるいは俺たちは、何か図星を突かれたように心臓が跳ねた。

 そして一気に、不快で不愉快で不明瞭な感情が、濁流のように押し寄せてくる。

 

 「これが君たちが欲しかったものなの?」

 

 それ以上言うなと、そう言える勇気があればよかった。しかし、そう言えなかったのは他でもない俺に思い当る節があったからだろう。だから、俺は陽乃さんの言葉から目を背け、唇を強く噛むしかできなかった。

 

 しかしこの人は、それすらも許してくれない。

 

 「自分たちでも気づけてないみたいだし、お姉さんが教えてあげる。君たちは依存してる。…………ううん、それよりももっとひどい何か」

  

 まるで興味を失ったように陽乃さんは話し続ける。その続きを誰一人として聞きたくはないのに、耳を塞ぐことさえできない。

 

 「心中、共倒れ、あるいは道連れ。今の君たちにピッタリ――」

 「姉さん――!」

 「あれ、言いすぎちゃった?でも事実よ。ガ浜ちゃんがいるから、辛うじて取り繕えてるだけの紛い物。放置しすぎて、腐りかけてる。ね、比企谷君?」

 

 君なら気づいてるんでしょ?と、やり玉に上げられるが、情けないことに俺は何も言い返せない。陽乃さんの選ぶ言葉には悪意しか感じない。しかしその言葉一つ一つは確かに心当たりのあることで、否定などできようもなかった。

 

 「そんな、ことは……」

 

 だから、俯いた由比ヶ浜の掠れた声が、俺の耳に痛いくらい刺さる。

 誰よりも負担を感じていたはずなのは由比ヶ浜だ。そして、そうさせた自覚が俺と雪ノ下にはあった。それを見て見ぬふりをして放置してきた代償が、陽乃さんが指摘するこの現状。

 

 「ガ浜ちゃんにそんな気がなくても、他の二人はとっくに感じてたんじゃない。だから雪乃ちゃんも比企谷君も、今こうしてここにいる」

 「……!」 

 「ねえ、比企谷君。これが君の求める本物?」

 

 再度、雪ノ下陽乃は問いかける。

 一体何のことだと、何の話なのだと問い返して、しらを切ることだって出来たはずなのだ。

 しかし、そうしたところで。

 

 いや、そうしてしまえばこそ。

 今度こそ本当に、雪ノ下と由比ヶ浜との関係が、一切絶たれるような気がしてならない。

 今まで俺たちが積み上げてきたもの全てを、自分で否定することに他ならない。

 

 「……どう、ですかね」

 

 だから、そんな言葉しか出なかったのだと思う。

 肯定も否定もしない、結局は何の意味も持たない返事に、陽乃さんは明らかな失望を瞳に宿した。

 

 「………………そ。じゃ、私は友人を待たせてるから行くね。君たちも早く帰りなさい」

 

 そう言って、陽乃さんは身を翻して戻っていく。

 その後ろ姿を見送ることもできないまま、俺は苦虫を噛み潰したように唇を強く噛んでいた。

 

 「……まって、ください」

 

 ぽつりと、陽乃さんの足音だけが鳴る世界で、弱々しい声が響いた。 

 その声に、俺は俯いた顔を上げる。

 隣を見れば、座っていたはずの一色が立ち上がって、陽乃さんの背中を睨んでいた。

 明らかな敵意を宿したその瞳は今にも涙が溢れようとしていて、拳は爪が食い込むほどに握りこまれていた。

 その姿にただ驚くだけで、俺たちは言葉が出なかった。

 

 「なん、なんですか。わたしたちのことをわかったみたいに、根も葉もないことばっか言って……」

 「そうだよ。根拠も何もない、ただの勘。でも、当たってたでしょ?」

 「っ……。それは……」

 「別に他人だったら私だって何も言わないよ?でも、こんな弱った雪乃ちゃんを見ちゃったら、姉として看過できない。今の雪乃ちゃん、まるで借りてきた猫みたいでぜーんぜんつまんないもの」

 

 視線を向けられた雪ノ下の表情が強張る。

 そしてそのまま自分の体を抱きしめるように腕を抱えて、俯いた。

 

 借りてきた猫、という表現が正しいのかはわからない。ただ、以前の雪ノ下を知る俺や由比ヶ浜から見ても、彼女の性格が柔らかくなり、軟化している印象はあった。ただ俺たちは、それが決して悪いことではないと、そう信じていたのだ。

 陽乃さんに指摘された今となって、もしかしたらそれは狂信で妄信だったのかもしれないという不安と疑念が、心の奥底で蟠る。

 

 俺も由比ヶ浜も、そして雪ノ下も、ただ地面を見つめていた。それで何を得られるわけでもないのに、何かをよすがにして縋っていなければ、立っていられない気がした。

 

 しかし、ただ一人。

 一色いろはだけは陽乃さんを真っ向から睨んで、食い下がる。

 

 「だったらっ!何がいけないっていうんですかっ!!」

 「………………いっしき、さん……?」

 

 一色の叫びに、俺たち三人は顔面を殴られたように顔を上げた。

 その顔を見ると、先ほどまで溜めていた涙が溢れだしていて、それでも瞳には信念を込めて、確かな怒りを宿していた。

 

  

 「そんなの、わかってますよ……。この三人を、一番近くで見て来たんです。雪乃先輩が二人を頼るようになって、わたしなんかにも優しくしてくれて、やっぱり困ったときには助けてくれて、かっこよかった。嬉しかった。結衣先輩がこの関係を終わらせないようにって、誰よりも悩んで、考えて、繋ぎとめてくれて、誰よりもわたしを可愛がってくれて、嬉しかった。雪乃先輩と結衣先輩を見守る先輩の目が暖かくて、たまに寂しそうで、そんな先輩を見ていることが、いじらしくて、大好きなんです。先輩たちが自分をどう思ってるかなんて知らない。他人が先輩たちをどう思うかなんてどうでもいいっ!そんな一生懸命で歪で青臭い三人が大好きな人が、ちゃんと、いるんです。依存とか、心中とか道連れとか、そんなのほんっっとどうでもいいっ!わたしがっ……!わたしが大好きな先輩たちの邪魔をするの、やめてくださいっ!!!」

 

 

 涙ぐんだ声が、夜の校舎裏に反響した。

 やがてハウリングとなって耳に残り、一色の言葉がゆっくりと、静かに、心の中へと溶けていく。

 

 「いっ、しき……?」

 

 気づけば一色の名を呼んでいた。そうするまで、俺は呼吸することさえ忘れていたと自覚する。

 口もしばらく半開きのままだったのか、喉が急速に乾いていく。

 

 「いろは、ちゃんっ……」

 

 見れば、由比ヶ浜と雪ノ下の瞳にも涙が溢れようとしていた。

 そして一方で、陽乃さんは目を丸くして、珍しいものをみたというように口をぽかんと開けている。 

 それもそうだ。

 

 一色が言ったことには、何の合理性も論理性もなかったのだから。

 ただの想い出話。ただのわがまま。主観的感情。

 一色が吐き出した言葉は誰を説得するわけでもない個人的なもので、いくらでも美化されうる過去の話。

 それをこの場で聞かされたとて、陽乃さんの言ったことが否定されるわけでもない。

 

 ただ、否定した俺たちを肯定したのだ。  

 それで、陽乃さんが納得するわけがないのに。

 いや、納得できるわけがない。

 

 なぜならその過去の話に、陽乃さんは一切として関与していないのだから。

 これは、俺と雪ノ下と由比ヶ浜と、そして一色だけが知りうる世界の話。

 

 だからこそ、陽乃さんは押し黙ることしか出来なかったのだろう。

 言い負かされたから、というわけでは全くないだろう。

 一色の個人的感情に、誰も干渉なんてできないからだ。

 だからか、陽乃さんはなにか眩しいものをみるように、憂いを帯びたように目を薄めた。

 

 「…………そう」

 

 ぽつりと言葉を残すと、陽乃さんは再び身を翻し、こつこつとヒールを鳴らして夜の街へと去っていった。

 

 

* * *

 

 

 結局、陽乃さんが去った後、俺たちはすぐに解散することになった。

 雪ノ下と由比ヶ浜は終電で、俺と一色は自転車だ。

 来るときには晴れていた空が、一時間ほどたった今では少しだけ雲で陰っていた。

 後ろに乗る一色は、あれから暫く口を開いておらず、背中に伝わる体温がここへ来る時よりも熱い気がした。

 なんと声をかけるべきか、それとも何も言わないべきなのかわからなくて、無言の状態が続いていた。

 

 下り坂をゆっくりと降りていると、冷たい風が顔を刺すように痛い。

 

 一色のあの姿を見てから、心にぼっかりと穴が開いたような感覚がある。

 虚無感とは言えない、脱力感ともまた違う。

 

 ここ2か月ほど蟠っていた靄のようなものが晴れて、いっそ清々しい気持ちだった。

 それと同時に、はたと思い出した。

 

 陽乃さんが指摘した奉仕部の現状。

 この現状を招いたのは、俺なのだ。

 目を逸らしたのも、知らないふりをし続けたのも、由比ヶ浜でも雪ノ下でもなく、紛れもないこの俺だ。

 

 俺が生徒会長になった理由。

 

 それを今になってやっと思い出して、俺は自分に呆れるのと同時に、自虐の笑みが口の端からこぼれる。

 

 

 ――――ああ、そうだ。 

 彼女の依頼が残っている。

 これでようやっと、全てが終わるのだろう。




結衣と誕生日が同じということが唯一の誇りです。明日、由比ヶ浜結衣生誕祭だよ!


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27話 わからないこと

3期、、、3期、、、!!


 「……………………………………死にたい」

 

 寝起きそうそう枕に顔を埋めても、黒歴史が消えるなんてことはなく。

 嫌でも昨夜のことがフラッシュバックしてしまう。

 

 ――三人の前で、あんな…………。

 

 「うにゃああああああああああああああああ!!!!」

 

 バカなんじゃないのバカなんじゃないの!?昨日のわたしほんっとバカなんじゃないの!?

 涙と鼻水で顔ぐしゃぐしゃにして、何をあんな恥ずかしいこと言っちゃってんの!?ばーかばーか!!

 

 「ったぁ………………うぅ……」

 

 ぐねぐねとベッドの上をのたうち回っていると、壁に頭がぶつかってゴンッと鈍い音が鳴る。

 足りない…………痛みが全然足りないよ………………。どなたかわたしに昨日の醜態をかき消すほどの痛みをください…………。

 

 「…………あーあ、やっちゃった」

 

 呟いても、取り返しがつくわけでもないけれど。

 本当にやってしまった。

 

 あれだけは絶対に言わないと、我慢していたのに。

 どうしてか、堰を切ったように言葉が口からどんどん溢れて、止まらなかった。

 

 あの時、ほんの一瞬だけ思ってしまったのだ。いや、もしかしたらそれよりも前から。

 ただ傍観者として何も言わないで、あのまま三人の関係が壊れちゃえばいいのにって、そうしたらわたしの欲しいものが手に入るんじゃないかって、そんなことを思ってしまった自分が醜くて、情けなかった。

  

 でも違う。

 わたしは先輩が好きで、雪乃先輩と結衣先輩も大好き。

 だから、三人を悲しませて、わたしだけ幸せになろうなんてやっぱり思えない。

 

 きっとこれで、先輩たちは前へ進むのだろう。

 自分の気持ちに目を背けてきた先輩は二人と向き合って、二人はそれを受け入れる。

 雪乃先輩と結衣先輩は、わたしなんかよりよっぽど素敵な人たちだもん。先輩がどっちを選んだとしても、負け惜しみなんて出来るはずもない。

 

 「……ばぁーか」

 

 そうぽつりとぼやいて、やっとベッドから体を起こした。

 

* * * * *

 

 「よし。授業はこれで終わりにする。比企谷はこの後職員室まできなさい」

 

 四限の現国が終わると、平塚先生は俺を呼び出した。

 教室を出て十メートルほど先を歩く平塚先生のあとをてくてくと歩いていると、平塚先生はふと立ち止まった。俺が来るのを待っているようだ。

 気持ち早歩きで追いつくと、平塚先生はこちらを確認するでもなくまた歩き出して口を開く。

 

 「昨日の件はどうかね。何か進捗はあったかい?」

 

 問われるが、深夜に監視しに来ていたなどと言えるわけもない。

 

 「進捗っていっても、手掛かりが何もないんじゃどうしようもないですからね。むしろ、なんで先生が俺たちに落書きの件を話したのか不思議なくらいですが」

 

 まるで試すかのような言い方――いや、事実その通りだったのだが、わざわざ口にして謀ろうとした自分が気持ち悪くて仕方がなかった。

 平塚先生もさすがに気づいたのか、困ったような笑みを浮かべた。

 

 「場所を変えよう」

 

 言うと、平塚先生は階段を降り始めた。

 その後ろを無言でついていくと、昇降口を抜け、グラウンドの方へと歩いて行く。

 本校舎下にあるピロティは本棟と特別棟に挟まれており、中庭から風が吹いて結構寒い。

 ピロティの中ほどまで来ると、平塚先生はベンチに座るよう促し、自販機で買ったホットコーヒーを俺に手渡すと隣に座った。

 

 「きっかけになればいいと思ったんだ。別に今回の件が特別って訳じゃないさ」

 

 平塚先生は煙草の葉を詰めながら口を開いた。

 

 「……きっかけ、ですか」

 「ああ。前から薄々感じてはいたが、昨日の君たちを見て確信した」

 

 何が、とは一切言わないが、俺も平塚先生もきっと同じことを考えているのだろう。

 あえて言葉にしないことでどうとだって逃げようもあるが、それが通用しないことはわかっている。やはり、この人はよく見ているのだ。

 

 「今の君たちを見てるとなぁ、つい昔の私と重ねてしまうんだよ。だからヒヤヒヤもするし、手を差し伸べて導いてあげたくもなる」

 「一応言っときますけど、そういうのお節介っていうんすよ」

 「そうだ、お節介だ。特に君は本当に世話が焼ける」

 

 開き直られてしまえば返す言葉もない。

 

 「だから、ただの大人のお節介だと思って聞いてくれたらいい。聞きたくなければ耳でも塞いでくれ」

 「…………」

 

 そのまま続きを促そうとじっと待つ俺を見ると、平塚先生は一度煙を燻らした。

 

 「自分がどうすべきなのか、一番葛藤しているのは雪ノ下だろう。彼女は彼女なりに前へと足を進めている。それが前なのかどうかもわからないままな。だから君に託した。それはきっと願望じゃなくて、そうせざるを得なかったからだろう」

 

 雪ノ下から聞いたわけでもないのだろう。おそらく、平塚先生の推測、推察で、彼女の本心は直接聞かなければわからない。

 事実、あの日の昼休みに雪ノ下が俺に言ったことは、彼女自身がそう願ったものであるとしか思えない。平塚先生の言う通り、もしあれが願望ではなくて、そうする他なかった選択なのだとしたら。

 

 「君は、彼女に罪悪感を抱いているかい?」

 

 責め立てるでも、強要するでもない純な疑問。 

 きっと、何度か考えたことではあった。

 

 俺が生徒会長になった理由は、雪ノ下に立候補をさせないためだった。

 しかしもし、雪ノ下が生徒会長を本当にやるつもりであったのなら、俺がしたことは間違いだったのではないかと。そう思ってしまうたびに、彼女に対しての罪悪感が募り、自ら距離を置いてしまっていたのだ。 

 そして何より、何かを諦めてしまったような彼女の微笑みが、俺は受け入れることができないのだ。

 

 それをどうにか言語化しようと頭で整理すると、未だ熱を持った缶コーヒーのプルタブを見つめながら、口を開いた。

 

 「……これを罪悪感と呼んでいいのかはわからないですけど、たぶん、納得が出来てないんですよ。あいつが誰かを頼るのは悪いことじゃないですし、むしろ抱え込まなくなれば由比ヶ浜も心配しなくて済む。ただ…………。…………誰かの選択を自分の選択のように振る舞って、取り繕おうとするあいつの姿が、気にくわない」

  

 思えば、合同クリスマスイベントや海浜清掃、今回の落書きの件だってそうだ。

 本来は生徒会がやるべきはずのことに、雪ノ下は難色を示すことなく協力しようとしてきた。

 確かに、俺が生徒会長になるという話をしたときに「手伝ってほしい」とは言ったが、だとしても、なんの前検討もリスクヘッジもせずにというのは彼女らしくない。昨日の一色の提案に乗ったことは、それが顕著に出ている。

 そもそもの話、「手伝ってほしい」という俺の依頼を、彼女がすんなりと受け入れたことに違和感を持つべきだったのだ。気づかないふりをしていた、と言う方が正しいが。

 

 「それで、君はどうしたい」

 「……このままでいいとは思ってないです」

 

 言うと、平塚先生は顔をこちらに向け、俺を真正面からとらえた。

 

 「だったら、考えるよりまず周りを見ろ。君の悪い癖だ」

 

 そう言われるが、俺は人間観察においては自負のある方だ。

 人より何倍も周りを見ている方だし、現状を把握する能力は我ながら長けているとすら思う。

 しかし、平塚先生はそんな俺の思考を読んでか、ふるふると顔を横に振った。

 

 「俯瞰じゃなくて、ここで見るんだよ」

 

 先生は握りこぶしをつくると、とん、と俺の胸を叩いた。

 そんな芝居じみた仕草さえ様になるのだから、茶化すこともできなかった。

 

 「人の行動を理解できなかったり納得できないのは、第三者視点でものごとを捉えてしまっているからだ。自分が感じたこと、伝えたいこと、苦しんだこと。それらはいつだって当人にしかわからなくて、当人でさえわからない」

 「いや、わからなかったら意味ないでしょ」

 「いいや、ある。分からないのに、分かろうとしてくれる人がいる。そして、得てしてそういう人が、分かっている人よりも救いになったりするんだ」

 「…………」

 

 正直、納得が出来なかった。

 分かってほしいと誰かに縋るのは、自分で自分を肯定出来ていないだけではないのか。他者に共感を求めなければ自己を確立できないのなら、それは単なる甘えで、それこそ――――。

 

 「でも、そんなの」

 「ただの欺瞞だと、本当にそう思うかい?」

 

 言おうとしたことを先に言われ、俺は口を噤んだ。

 

 「そうしてくれていた人が、もっと身近にいたはずだ。一色いろはという女の子は、君たちにとって、君にとって、どういう存在だった」

  

 唐突に、平塚先生の口から一色の名前が出たことが意外で、同時に、どくんと、自分の胸が高鳴る。

 一色が、俺にとってどういう存在か。

 問われても、それに相応しい答えは正直今は浮かばない。

 だが、昨夜一色が吐き出した想いを、欺瞞だなどと言えるはずがない。

 

 俺たちがお互いどう思っていようと、その関係に違和感を持っていようと、目を背けて逃げ続けようと、それでも、そんな俺たちの考えなんて知ったことかと切り捨てて、大好きだと言ったのだ。

 一色がなぜそこまで俺たちに固執し、気にかけ、好いてくれるのか、その理由はまだ判然とはしない。ただ、俺たちがどうあろうと、どう変わろうと、それでも彼女だけは最後まで見ていてくれるのではないか。そう確信させられる。多少の願望もあるかもしれない。

 

 どれだけ不格好で不甲斐なくても、彼女が見ていてくれるのなら。

 

 「……まあ、やれるだけやってみますよ」

 

 そう言って缶コーヒーを一気に呷ると、口の中に慣れない苦みが広がった。

 何も言わない平塚先生を不思議に思って見ると、目を丸くしてこちらを見ていた。

 

 「…………ほう」

 

 すると、意味深に呟いて、にたぁっと嫌な笑みを浮かべる。

 

 「なんすか」

 「いいや、なんでもないよ」

 「……まさかとは思いますけど、俺に一色を見守るように言ったのもわざとだったんですか」

  

 先ほどの平塚先生の言い回しで、はたと思い至る。

 平塚先生のことだ。一色が俺たちに何かしらの影響を与えると期待して、俺にあんなことを頼んだのではとも思えてくる。

 俺の予想通りだったのか、平塚先生はニカッと悪戯な笑みを浮かべた。

 

 「さあな。ただ、彼女を見て、何か感じて欲しいと思ったのは確かだ。……彼女は、強い子だよ」

 「……お陰様で間近で見せられてきたんで。まあ、強いってより強かって感じですけど」

 「ははっ、違いない。……そろそろ戻ろうか」 

 

 平塚先生はくすっと破顔して立ち上がると、昇降口の方へ歩いて行った。話はこれで終わりらしい。

 俺も続いて立ち上がって、自販機横のごみ箱に飲み干した缶を投げ入れた。

 カランッとゴミ箱の中で響く音が、寒い中庭にまで反響する。

 

 それを最後まで見届けて、俺も昇降口へと歩いて行く。

 口の中に残ったコーヒーが、やっぱりまだ苦かった。 

 

 

 



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28話 陽だまり

 放課後になると、部活へ行く者、帰る者、教室に残っておしゃべりをする者とで別れ、この一幕がここが高校であることを想起させる。何気ない放課後イベントでさえ、いつしか色濃い想い出になるのだろう。

 まさしく俺もその一人で、帰り支度をささっとすませると椅子から立ち上がる。後ろをちらと見ると、由比ヶ浜はもうすでにいないようだった。

 昨夜のこともあったし、顔を合わせづらいこともあるのだろう。雪ノ下陽乃によって、しばらく奉仕部に漂っていた違和感が表面化されたのだ。俺だってどういう顔して話したらいいのかわかっていない。

 

 こういう時こそすぐに家に帰って、我が妹の小町と夜通しでお話したいという妹さえいればいい状態に陥っているのだが、今日も今日とて部活に行かなければならないから仕方ない。

 

 そしていい加減、この関係にもケリをつけなければならない頃だ。そうするきっかけと理由はもうもらった。ならば、あとは話をつけるだけ。

 

 そう決心して、俺は教室を出て特別棟を目指した。

 

 部室前まで来ると、いつもは廊下まで漏れる由比ヶ浜の声が聞こえない。もしかしたら雪ノ下しか来ていないのだろうか。そう思うと、扉に伸ばしかけた手も億劫になる。

 意を決して扉を開くと、むわっとした暖気が流れてくる。

 そして部室には、雪ノ下と、由比ヶ浜がいた。一色はいないようだ。

 雪ノ下はいつも通り文庫本を、由比ヶ浜はスマホをいじっている。

 普段ならこの光景にさして違和感も抱かないが、いくらか浮ついた空気を感じた。きっと、いつも通りを装って、まるで何事もなかったかのように振舞おうとしているのだろう。その証拠か、いつもなら暖気と共に流れてくる紅茶の香りがしない。

 

 「うす」

 

 軽く挨拶をすると、雪ノ下と由比ヶ浜もいつも通りに返してくる。

 それを聞いて、俺は指定席に座る。

 

 いつもならば、ここで文庫本を取り出して部活が終了するまで読み耽るのだが、今日はそうもいかない。まずは落書きの件について話しておくべきだ。雪ノ下も由比ヶ浜もそのことは念頭にあるだろう。

 

 「あー、依頼の件だが……」

 

 そう切り出すと、雪ノ下も由比ヶ浜もめいめいに顔を上げる。

 

 「……そうね。昨日のこともあるし、何か別の方法を……」

 「いや、そうじゃなくてな。……もうやめようぜ、こういうの」

 

 雪ノ下の言葉を遮って言うと、雪ノ下と由比ヶ浜は言葉を詰まらせ、目を瞠った。

 何をとも言っていないのにも関わらず彼女たちが口を噤んだのは、きっと彼女たちも同様に、今の三人の関係に問題があることは認識しているのだろう。

 部室内がピシピシと凍り付いていくような、静観とした空気が耳に痛い。

 

 「こんなこと続けても、意味ないだろ」

 

 目線は由比ヶ浜にも雪ノ下にも向けられず、机の網目をただ見つめていた。今の彼女たちの表情は見るに堪えないだろう。少しでも見てしまえば、その先の言葉が出てこない気がしたのだ。

 

 「……。なんで、そんなこと言うの?」

 

 なぜ今更、今までの私たちを否定するのかと。口にはしていないが、由比ヶ浜はそう言いたいのだ。この三人の関係をこれまで維持しようとしてくれていたのは由比ヶ浜だけだった。その負担を押し付けていたくせにどの口叩いてんだと、自分ですら思う。

 だが、俺たちはこの関係を終わらせなければならない。由比ヶ浜に、これ以上の負担はさせない。

 

 「この現状を巻き起こしたのは俺だ。だから、今日でちゃんと終わらせる」

 「……?」

 

 言って、俺は顔を上げて二人を見る。今にも泣きだしそうな由比ヶ浜の表情に、出かけた言葉が出なくなる。

 でも、終わらせて、また始めなければならないから。閉じかけた口を、ゆっくりと開いた。

 

 「自分で選択しなきゃならないんだよ。何が正解で、間違っていて、どうしたいのか、どうすべきなのか。その過程を放棄したから正解がでなかった。正解が出ないから不安で、不安だから誰かに託すんだ」

 「…………それって、どういう……」

 

 話の要領がつかめないのか、由比ヶ浜が意味を問おうと口を開くが、自分を抱くように腕を組んで目線を逸らす雪ノ下を見て閉口した。

 雪ノ下には痛いほどに伝わるだろう。それもそうだ。

 これは俺と雪ノ下が引き起こした問題なのだから。

 今まで、二人で目を背けてきたことを指摘されようとしているのだ。

 

 「でも、それは間違いだ」

 

 だから、しっかりと口にする。

 

 「誰かに託すことは楽なんだ。それで失敗したとしても、自分のせいにしなくて済むからな」

 「……!」

 

 言うと、雪ノ下はばっと顔を上げた。

 その表情は悲痛で、俺の主張を否定せんと首をふるふると横に振った。

 

 「ちがう!そんなつもりじゃ…………。私は…………私はただ、あなたがそうするならって、だから……」

 「ゆきのん……」

  

 声は震えていて、尻すぼみに小さくなる。

 その雪ノ下の表情を見ているだけで、自分の胸がきゅっと詰まる感覚がした。

 ああ、やはり間違っている。

 

 雪ノ下雪乃が、自分の選択を誰かに託すなど。

 ましてその相手が俺であるなど。

 

 そうわかっていたはずなのに、俺がこれまで俎上にのせなかったのは、きっと浮かれていたからだ。

 あの雪ノ下に頼られて、望まれて。それが正しい選択だと思い込んでいたのだ。

 本当は、自分の選択を誰かに委ねて、自己防衛をしていたのは俺だった。

 

 「ああ。……だから、そもそもを間違えてたんだ」

 

 弱々しく瞳を潤ませる雪ノ下を見つめて、首を振る。

  

 「雪ノ下。お前の依頼、覚えてるか」

 「え?」

 

 聞くと、雪ノ下はなんのことだと戸惑うが、少し考えると、はっとしたように目を開いた。

 あの日、雪ノ下は希った。奉仕部を守ってほしいと。

 その懇願に対して、俺は否定も肯定もせず、ただ黙っただけだった。

 沈黙は肯定ともいうが、それは暗黙の了解に他ならない。

 あの時、俺が首を縦に振らなかった時点で依頼は成立していない。だから、今ここで答える。

 

 「お前の依頼は受けられない。俺は奉仕部を守れないし、それをするのは俺じゃない」

 「…………」

 「ただ、この部活の部長はお前だ。だから、お前がそれをするのなら、俺はお前をサポートする。お前がこの部活を維持したいと願うなら、俺もそれをサポートする」

 

 だから自分で選択しろと、視線を向ける。

 奉仕部が現状抱く問題は、雪ノ下自身にある。雪ノ下自身が決断することを恐れているから、以前のような関係を保てなかったのだ。

 ならば、解決する方法は一つしかない。

 雪ノ下自身に決断させる。

 

 が、問いかけても、雪ノ下は視線を逸らして唇を噛んでいた。

 

 「……」

 

 ぱくぱくと口を開けては閉じてを繰り返す雪ノ下。

 沈黙が十秒ほど続いた。

 

 すると突然、その沈黙を破るように、ガラガラと部室のドアが開かれた。

 

 「こんにちはでーっす!」

 

 快活な声が響き渡る。やってきたのは一色だった。

 一色は挨拶と共に敬礼ポーズをとって、顔にはにっこり笑顔を浮かべていた。

 どんなタイミングで来てんだよ、と突っ込みたくもなるが、先ほどまでの部室の雰囲気からそんなことも言えるはずない。

 

 「い、いろはちゃん、ごめんね。今はちょっと三人で話してて……」

 

 と、由比ヶ浜が申し訳なさそうに言うが、一色は神妙な空気を漂わす三人を見ても気まずくなるどころか、むしろ全てを把握したかのように笑顔のままで、のっしのっしと松葉杖もつかずに入ってきた。

 そして、雪ノ下の前で立ち止まると、雪ノ下の両頬を両手で挟んだ。

 

 「い、一色さん?」

 

 ──ゴツンッ

 

 と、鈍い音が響いた。

 一色が雪ノ下に頭突きをしたのだ。

 

 「っ……!?」

 「ったぁ…………」

 「い、いろはちゃん!?」

 

 雪ノ下は頭突きで赤くなった額をさすりもせず、ただ驚きに目を見開いていた。

 一色は自分で頭突きしておいてかなり痛そうにしている。何してんだこいつ。

 

 「お、おい……」

 

 俺も一色の行動の意味がわからずに戸惑うだけだったが、一色は俺の呼びかけを聞かず、雪ノ下の両頬を挟んだまま、雪ノ下を真正面から見つめた。

 

 「なーに辛気臭い顔しちゃってんですか。それでもわたしの憧れた雪乃先輩ですか。くっだらないことに無駄に悩んでる暇があったら、まず先に行動したらどうですか」

 

 一色はさっきの部室での話を聞いていたのだろう。

 言い方はつっけんどんだが、その実、無情とはかけ離れていた。

 これが一色なりの優しさで、精一杯の愛情表現だということはすぐにわかる。 

  

 「どうしたらいいのかわかんないから誰かに任せちゃうなんて、そんなの雪乃先輩らしくないです。てかそもそも、結衣先輩も先輩も、もちろんわたしも、雪乃先輩と同じように何もわかってないんですよ。だからわからなくてもいいんです。間違ってても、雪乃先輩を責める人なんてこの中にはいません。もしいたらわたしがぶっ飛ばしてやるってもんですよ」

 

 相変わらずのぶっきらぼうな物言いに、雪ノ下の視線は戸惑うように揺れていた。が、次の瞬間、一色の声音が暖かくなる。

 

 「誰かが決めなきゃなんです。まあ結衣先輩だとちょっと不安だし、先輩なんかもっと不安ですけど…………。なんで、相対的に言うと雪乃先輩が決めたことならわたしは安心できちゃいます」

 

 一色は雪ノ下の頬から両手を離すと、そのまま後ろ手を組んで、困ったように笑ってみせた。

 

 「わたしが雪乃先輩を見てます。カッコイイとこ見せてくださいよ。それだけじゃ、足りませんか?」

 

 雪ノ下は、はじめは当惑した様子だったが、ふるふると顔を横に振ると、強い眼差しで一色を見つめた。

 

 「…………そんなこと、ないわ。ありがとう、一色さん」

 

 そして、視線を俺と由比ヶ浜に移した。

 その顔には、少し前までの弱々しい雪ノ下などいない。

 

 以前のように、いやむしろ以前よりも、確固とした意志を持った眼差しを俺と由比ヶ浜に向ける。

 

 「ごめんなさい、みっともないところを見せてしまって」 

 「別にいいんじゃねえの。見せたくなくても常にみっともなくてろくでもない奴とかいるしな」

 「それは自己紹介かしら」

 

 俺の軽口に、雪ノ下はくすっと笑った。

 

 「ゆきのん!!」

 

 そんな雪ノ下の表情を見てか、がばっと由比ヶ浜が雪ノ下に抱き着いた。それに引きはがすでもなく、雪ノ下は諦めたようにため息をついて、困り笑いを浮かべる。

 

 「いろはちゃん…………。ありがと。大好き」

 「な、なんですか急に。そゆの直球で言われるとちょっとアレなんですけど……」

 

 言いながらも、一色は若干顔を赤くして視線を逸らす。

 一色は、雪ノ下に理由をあげたのだ。

 雪ノ下が自分で決断してもいい理由を。

 それは俺でも由比ヶ浜でもきっと出来ない役割だ。後輩の一色だったから、雪ノ下もそれを許容し、受け入れ、前へ進むことが出来るのだろう。 

 

 「ヒッキーも。…………ありがとね」

 「いや、礼を言うのはこっちだ。……その、すまなかったな。色々大変だったろ」

 「いや、それお礼言ってないし。完全に他人事だし」

 「確かに…………。さんきゅな」

 

 むすっとした由比ヶ浜だが、改めてお礼を言うとえへへーとまた雪ノ下に抱き着いた。

 

 「近い……」

 

 ああ、そういえば、こんなんだったっけか。

 あまりにも久しくて、懐かしいから忘れていた。

 

 「時間もないし、さっそく作戦会議を始めましょう。少し考えがあるの」

 

 雪ノ下はそう言ってニコリと不敵に微笑むと、俺たち三人を見渡した。

 

 差し込む陽だまりが、ぽかぽかと部室を温める。

 きっとまた、すぐに、紅茶の湯気が立ちこめる日々が来るのだろう。



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29話 放課後の保健室

あぁぁぁ!!!遅れましたぁぁぁ!!!


 「それで、考えって?」

 

 一色も席につくと、由比ヶ浜が雪ノ下に問いかけた。

 雪ノ下はそれに頷くと、一色の方へ振り返る。

 

 「まず初めに、一色さん。昨日あなたが考えた策案だけれど、却下するわ。深夜に監視なんて効率が悪すぎるし、確実性がない。犯人が総武校の生徒じゃなければ手の出しようもないし、現状起きている問題が把握できていない限り、行動に移すのはリスクがあるわ」

 「は、はい。……………………雪乃先輩だって昨日はあんなノリノリだったくせに……」

 「何か言ったかしら?」

 「いえ何でもないです!」

 

 ボソッと文句を垂れる一色に、地獄耳さんが刺すように睨む。

 さっきまでその一色に頭突きをされたというのに、一気にいつも通りの関係に戻っている。

 いやー、僕も頭突きされたいなー。衝撃で中身だけ入れ替わって色んなことしたいなーむふふなどと思っていると、由比ヶ浜がこてっと首を傾げた。

 

 「でも現状って言ってもさ、落書き以外のヒントとかなくない?」

 「ええ、そうね。犯人の特定に直接つながるような証拠品はない。でも逆に言えば、落書き自体にヒントが隠されている、とも考えられるわ」

 「落書き自体に?」

 「ああ、それな。グラフィティアートにもルールとかあって、上手い奴の絵よりも上に描いちゃいけないとか、全部の落書きをつなげると暗号になるとかあったりするらしいぞ」

 

 得意げにグラフィティアート知識を披露していると、由比ヶ浜が「……?ぐ、ぐらふぃてぃ?……アポロ?」と頭にはてなマークを浮かべていた。そりゃポルノグラフィティだ。広島出身のロックバンドじゃねえか。

 

 「グラフィティアートですよ結衣先輩。簡単に言うと壁とかにされた落書きのことです」

 「へ、へぇー」

 

 一色の得意げな補足説明に、由比ヶ浜がなるほどと嘆息する。しかし、雪ノ下が目をキラリとさせて早口に捲し立てた。

 

 「正確には、単に落書きを言うのならグラフィティが正しいわ。海外では街の美化を目的に芸術的なグラフィティを公的に認めることがあって、それをグラフィティアートと言うの」

 「「「………………へ、へぇー…………」」」

 

 俺たち三人の引いた声が重なった。

 えー、なにこの人……。負けず嫌いにもほどがありませんか。さっきまで得意げだった俺と一色も笑みが引きつるしかないですよこれは。グラフィティアートの知識量はさすがのユキペディアさんだが、絶対にこいつとは友達になりたくないとだけは言っておく。いやほんとに。

 

 「そ、それで、落書き自体にヒントがあるってどーゆーことですか?」

 「例えばだけど、あれが風刺画だとしたら必ず作者の意図が隠されている。なら、その意図から作者の心理状況を逆算して、犯人を特定することもできる」

 「おぉ……、なんかちょっとカッコイイかも。そゆのヒッキー得意そうじゃない?国語学年三位?なんでしょ?」

 「そんな特殊スキルねえよ……。あの絵が風刺画だったとしても、そこに隠されたメッセージとか読み取るのはさすがに無理だろ」

 「ええ、そうね。学年一位の私がわからなかったもの、比企谷君がわかるはずないわ」

 

 いちいち張り合ってくんじゃねえよ……。

 と、目線だけで抗議していると、雪ノ下は「だから」と続けた。

 

 「たとえあの絵が風刺画だとしても、私たちがその意図を汲むことは不可能でしょう」

 「じゃあどうするの?」

 「私たちがわからないなら、わかる人に聞けばいいのよ」

 「わかる人……?」

 

 雪ノ下の言葉を一色はおうむ返しするようにつぶやいた。

 わかる人って誰ー?コ〇ン君?もったいぶらずに教えて、雪ノ下先生ー!と聞こうとしたところで、一色が「あっ」と手を打った。

 

 「美術部とかならわかるかもですねー」

 

 言うと、雪ノ下がこくと頷き、由比ヶ浜がパチーンと手を叩いた。

 

 「そっか、美術部の人なら絵のこととか詳しそうだもんね!」

 「適材適所、苦手なことはその専門の人に聞いた方が早いわ」

 

 二人が一色の意見にうんうん頷くと、一色は得意げに鼻を鳴らす。

 なるほど。餅は餅屋と言う言葉もあるが、自分の出来ないことは誰かに頼るということか。

 わからないことがあっても助けを乞う友達がいない俺には思いつかない考えだ。ここはさすがの陽キャさん方。

 

 「それじゃ、さっそく美術部にいこー!!」

 

 すると、由比ヶ浜がどがっと勢いよく立ち上がり、雪ノ下の腕をぐいぐいと引っ張った。

 

 「ゆ、由比ヶ浜さん、痛いわ。自分で歩けるから」

 「いいじゃんいいじゃん。ヒッキー、いろはちゃんよろしくねっ」

 「え?ちょ、おい……」

 

 由比ヶ浜はくるっと振り返って俺にそう言うと、雪ノ下を連れて部室を後にしてしまった。

 よろしくってのは、きっと一色の足を気遣ってのことだろう。だからってなんで俺が……。

 と、そんな由比ヶ浜を不思議に思ってか、一色がこてっと首を傾げた。

 

 「どうかしたんですか?行かないんですか?」

 「足」

 

 一色の足を見ながら言うと、驚いたように目を丸くした。そしてすぐに、誤魔化すように自分を抱きしめるようにして身を捩った。

 

 「え、なんですか触りたいんですか?そのために二人を先に行かせたんですか変態ですか?」

 「いやちげえよ。さっき松葉杖もつかないで歩いてただろ。絶対痛いでしょ」

 「あー、それで……。いや、でも大丈夫ですよたぶん」

  

 平気平気と太もものあたりを叩く一色に、だが俺は食い下がる。

 こうなったのも俺たちが原因だ。せめてその責はとらなければなるまい。

 

 「別に無理することでもないでしょ。ほら、保健室行くぞ」

 

 俺の意志が曲がらないことに気づいたのか、一色は諦めるようにため息をつくと、今度はにやりと小悪魔な笑みを浮かべた。

 

 「じゃあこのままじゃ歩けないですし、保健室までおんぶしてくださいよー」

 「えぇ……。後輩女子をおんぶして校内歩くとかそれどこの拷問?松葉杖あるんでしょ?それで行きなさいよ」

 「いやいや、拷問どころか超役得じゃないですか。それに、わたしをおんぶしたら男子の嫉妬の視線に晒されるというお得なオプション付きです」

 「そのオプション絶対いらないんだよなぁ……」

 

 あたかもプレミア感満載みたいな感じでいってるけど、悪徳セールスマンとやってること同じなんだよなぁ。

 

 「はぁ……わかったよ」

 「ふふん♪」

 

 仕方なく了承して、ささっと一色をおぶって部室を出た。

 できることならマッハで保健室まで運んでしまいたいのだが、一色の足を気遣うとそうもできない。本棟一階にある保健室までどうか誰にも会いませんように……と神に祈りつつ歩いていると、耳元で一色がはぁっとため息をついた。

 

 「……まったく、せっかく諦めがつくと思ったのに。そうやっていつもわたしを困らせてきますね、先輩は」

 「え、なに、何のこと?俺なんかしたの?何もしないことに定評のある俺が?」

 「いやそこでドヤられても……。まあわかんないならいいです」

 

 こんなにも人畜無害に生きている俺が……とも思ったが、俺のことではなく俺たち奉仕部のことだろうか。さっきだってそうだが、路頭に迷った俺たちを導いてくれていたのは一色だ。一色がいなければ、俺も今日行動に移すことはできなかっただろう。

 

 「まあなに、お前には色々迷惑かけた。すまなかった。おかげでなんとかなりそうだ」

 「あー、そのことですか。全部わたしがやりたくて勝手にやってることなんでいいですよ。奉仕部がなくなっちゃうのはわたしも悲しいので」

 「それでも、かなり助けられた。さんきゅな」

 「…………別に、何も、してないですって」

 

 肩に置かれた一色の手が、ぎゅっと握りこまれた。心なしか、若干声もくぐもっている気がしたが、その表情を伺うことも出来ずに廊下を歩み進めていく。

 本棟に入っても結局誰ともすれ違うことなく、無事に保健室へとたどり着いた。保健室には保険医も誰もいない。一色をベッドにおろすと、一色は「ありがとうございました」と頭を下げた。

 

 「先輩。とても言いづらいんですけど、実は嘘ついてました」

 「え?」

 「これ、骨折じゃなくて捻挫です。なんなら三日くらい前にもう結構治ってます」

 

 全く悪びれもせずに言う目の前の小悪魔。

 その証拠にと、ぶらぶらと骨折していたはずの右足をぶらつかせた。

 

 「ね?」

 「いや、ね?って……。何のための嘘だったのそれ?」

 「このおかげで体育サボれますし、倉敷ちゃんに見せつけてこき使えますし」

 「普通に最低なんだよなぁ……。いや、もう無事ならいいんだけどさ……」

 

 呆れかえって肩を落とすと、一色はきゃるんとウィンクをした。

 

 「それに、こうして先輩におんぶしてもらえましたし」

 「お気に召したなら幸甚の至りだよ。もう二度としねえけどな」

 「えぇー、けちー。まあでも、完全に治ったわけじゃないですし、さっき無理したせいで痛むのは本当なので、わたしはもうちょっとここにいます」

 「だったら保険医呼んでくるぞ」

 「そこまでじゃないので大丈夫ですよ。ほらほら、先輩は早く美術部行ってください」

 「お、おう?」 

 

 その言葉に、どこか突き放すような感じがして、俺もそれ以上は食い下がれなかった。

 怪我人を放置していくことには若干の抵抗を覚えるが、一色が行けというのなら無用に構う必要もないのだろう。

 

 「雪乃先輩と結衣先輩が待ってますよ」

 「…………そうか。じゃあ、行ってくるわ」

 

 そういって、保健室を後にした。

 

 

 

 

  ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 

 保健室を出ていく先輩を見送って、わたしは痛む右足をそっと撫でた。

 

 三人の間にあった確執も今日で最後。

 

 別に、わたしが助けた、なんて思えるほど自惚れてはいないし、実際、あんなことをしなくたって彼女たちは独力で解決できただろう。

 

 だから、ただの自己満足だと、そう言えたならよかった。

 

 でも本当は、もっともっと薄汚れた下心があったのだ。

  

 甲斐甲斐しく最後までお節介を焼いてしまう献身的な後輩。

 

 最後になってまでそんな空虚な自分を演じて、先輩に気に入られようとした。

 

 もう諦めたはずだったのに、二人の先輩を踏み台にして、そんな醜い悪足掻きをした自分が嫌になる。

 

 だから今になって、ああ、本当に行ってしまったという実感が胸を締め付けた。

 

 行ってほしくなんてなかった。

 

 何よりもわたしを優先してほしかった。

  

 涙が零れてくれればよかった。

 

 そんなことを思っても、先輩はもう戻ってこない。

 

 縋る気持ちで、スカートのポケットから携帯を取り出して、写真フォルダを開いた。

 

 何百枚とある中から、その写真はすぐに見つけることが出来た。

 

 いつだったか、うちに先輩が来て、泊まった日のこと。

 

 先輩と距離を縮めたくて、勉強会と嘯いて、こたつで先輩と並んで座るわたし。

 

 その写真には、わたしの肩に頭を預けて眠る先輩が映っている。

 

 まんざらでもなさそうな顔をしたわたしが幸せそうにはにかんでいて、その横では先輩がすやすやと気持ち良さそうに眠っている。

 

 なんだか懐かしくて、切なくて、写真にうつる先輩をそっと撫でた。

 

 テーブルに散らばった教科書が、お風呂上がりの先輩の匂いが、触れる体温が、まるでその時にいるみたいに思い出す。

 

 見ているだけで、心がこんなにも満たされる。

 

 それなのに、涙が止まらなかった。

 

 拭っても、拭っても、止まらない。

 

 涙で目が滲んで、写真がぼやけて見えた。

 

 画面に涙が落ちるたび、ぽたり、ぽたりと音が鳴る。

 

 このままずっと、止まらなければいいのに。

 

 

 

 

  △ △ △

 

 

 

 

 本棟二階に位置する美術室。何気に初めてくるからちょっぴり緊張しているどうも俺です。

 すでに雪ノ下と由比ヶ浜も来ているだろう。待たせるのも悪いし、さっさと開けてしまおう。

 

 ガラガラとスライド式の扉を開けると、イーゼルやデッサン用の石像があちこちに散らばっていて、その中央に雪ノ下と由比ヶ浜がいた。目立つ二人だけあって、数人の部員たちもそわそわとしている。

 

 「あ、比企谷君!!」

 

 まっさきに俺に気づいたのは、雪ノ下と由比ヶ浜の対応にあたっていた女生徒だった。え、なんで名前知ってんの?誰?と思ったが、肩ほどまで伸びる内巻きの茶髪で俺の記憶がカムバック。

 忘れたくても忘れようもない。いつだか奉仕部に突然やってきて、俺に公開告白を執り行った三年のイカれた先輩、玉縄姉である。

 

 あの時、玉縄先輩の告白を俺は受け入れなかったのだ。正確に言うと俺が振ったわけではないのだが、それでも気まずいものは気まずい。その時この人結構落ち込んでたし。

 しかし、そんなことなどまるでなかったかのように、玉縄先輩は俺のところに猪突猛進してくると、その勢いのままガバッと俺に抱き着いてきた。

 

 「え、いや、ちょっ!?」

 「比企谷君~~!会いたかったよぉ~寂しかったよぉ~~~」

 「なっ!?ちょ、何してるんですか!!」

 

 気遅れした由比ヶ浜が慌てて俺と玉縄先輩を引きはがしにかかる。玉縄先輩は特に抵抗することもなく離れてくれた。…………いやなにこの人急に抱き着くとかやっぱ頭おかしいんじゃねえか?などと思ってると、由比ヶ浜と雪ノ下がギロリと睨んできた。

 

 「………………ヒッキー、なんで顔赤くしてるの?」

 「何を鼻の下伸ばしてるのかしら。気持ち悪い」

 「責められる謂れがねえよ……」

 

 完全に被害者なんですけど?ていうか鼻の下とか全然伸ばしてねえし。ちょっとドキッとしただけだし。いやほら普通に女子に抱き着かれるとかそうそうないし、この人普通に美人といって差し支えないし男としては仕方のないことなんですよと心の中で必死に言い訳をしていると、玉縄先輩が「あはは」と困ったような笑みを浮かべた。

 

 「ごめんね。久しぶりに会ってちょっと嬉しくなっちゃって」

 「いや、まあ今後気を付けてくれれば…………。で、なんでここにいるんすか?」

 「なんでって、私、美術部員だからね。推薦で進学は決まってるから、部活には参加してるんだ~」

 「あ、それで……」

 

 妹のみずきの画力はもしかするとこの人譲りなのだろうか。だとしたらちょっとだけ感心してしまう。

 

 「それで、玉縄先輩。さっきのお話についてなんですけど……」

 

 逸れかけた話を雪ノ下が本筋に戻すと、玉縄先輩はニコッと微笑んで、両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。

 

 「うんっ!比企谷君のお役に立てるなら喜んで!」

 「では、一度校舎裏までお願いします」

 

* * *

 

 「この絵に見覚えとか、なにか思いあたるものはありませんか?」

 「え~?う~ん…………」

 

 四人揃って来たのはもちろん落書きのある校舎裏。

 雪ノ下が問いかけると、玉縄先輩はう~んう~んと記憶を手繰り寄せるようにして悩んでいた。まあそう上手くいったら苦労はしないだろう。

 

 などと思っていたのだが、玉縄先輩はじーっと落書きと睨めっこをすると、「あっ!」と思い出したように手を叩いた。

 

 「わかったかも!」

 「まじすか」

 「うん。タッチがね、こないだコンクールで銀賞だった子のそれとそっくりなの。ほら、ここの色の抜き方とか凄い上手じゃない?」

 

 「わかるでしょ?」みたいに聞いてくる玉縄姉だが、芸術センスのない俺には共感しかねる。そもそもこんな乱雑な絵ともいえるかわからない落書きなのに、色の抜き方など意識されているか怪しいところだ。それだけでその銀賞の人とやらが犯人だと決めつけるのは少し早計に思える。

 そう思ったのは俺だけではないのか、由比ヶ浜も疑わし気に問いかけた。

 

 「でも、たまたま同じ感じになったってのもあるんじゃないですか?」

 

 しかし玉縄先輩は、ふるふると首を横にふった。

 

 「ううん、絵に偶然なんてないからね。どんな絵を描いても、性格とか個性、その時の感情が表れるんだよ。これは間違いなくその子の絵だと思うよ」

 「ほぇー……」

 

 由比ヶ浜が感心するのも頷ける。もしかしてこの人、ただ者じゃないのでは……?

 それともそれっぽいこと言って適当ぶっこいてる可能性もあるが、雪ノ下はそう思ってはいないらしく、ふむと頷いた。

 

 「ちなみに、この絵から作者の感情、というのは読み取れますか?」

 「うーん、結構くらーい感じがする。憎しみ、嫉妬、それか憧憬……?」

 「それって……」

 

 くりくりと可愛らしく首を傾げながら言う玉縄先輩に、俺と雪ノ下がもしやと顔を合わせる。

 

 「あの、ちなみにそのコンクール、玉縄先輩も参加したんですか?」

 

 俺が聞くと、玉縄先輩はニコパッと微笑んで、子犬が尻尾を振るような様子で近寄ってきた。

 

 「うん、したよ!しかも金賞だったの!すごいでしょ!褒めて褒めて、比企谷君~!」

 「…………」

 「…………」

 「…………」

 

 暫くの沈黙。カァカァと夕焼けを背景に鳴くカラス。

 何やら嬉しそうな玉縄姉をよそに、俺たち三人の間でしらーっとした空気が漂う。

 由比ヶ浜が「お前がなんか言えよ」みたいな目で俺を見てくる。やめろそんな目で見るな。

 雪ノ下が可哀そうな目で玉縄先輩を見る。やめたげて。そんな目で見ないであげて。

 

 「どうかしたの?」

 「あ、いや、なんでもないっす。凄いっすね」

 「えへへ~」

 

 棒読みで心にもない褒め言葉を言うと、玉縄先輩は素直に喜んだ。やだこの人普通に可愛いんですけど……。

 

 「あの、それでその人って……」

 「うん、確か海浜総合高校の人。学年まで覚えてないんだけど」

 「ああ、いや、もう充分情報はあるんで、大丈夫です。ありがとうございました。雪ノ下、後は任せた」

 「はぁ……。総武校ならまだしも、他校の生徒を尋問するのは少し気が引けるわね」

 「とかいって爪とか剥がすなよ」

 「あなたは私を何だと思っているの?」

 

 ギロっとした目を向けられる。なんかゾクゾクしちゃうっ!

 まあ、とにかく、だ。

 犯人がこの玉縄姉にコンクールで恨みをもった海浜総合高校の生徒、しかも銀賞の受賞者だということまでは絞れた。あとは尋問を雪ノ下に任せれば解決するだろう。うん、完璧。

 

 「じゃあ明日だね。今日はもう遅いし」

 「ええ。玉縄先輩、ご協力感謝いたします」

 「ううん、全然!頑張ってね!」

 

 …………元凶、あなたなんですけどね。

 

 

* * *

 

 

 部室に戻ったころには部活も終了時刻になっており、そのまま解散ということになった。この時間の生徒玄関はちょうど人がいなくて静かだ。

 部室から荷物を持ってきて下駄箱で靴を履き替えていると、帰り支度を済ませた由比ヶ浜もやってきた。

 

 「いろはちゃん、大丈夫そうだった?」

 「どうだろうな。本人は大丈夫って言ってたけど」

 「それ絶対無理してる時に言うセリフじゃん」

 「んなこと言われてもなぁ、むしろ、早くこっちの方手伝いに行けって追い出されたくらいだぞ」

 「…………」

 

 外靴をつっかけながら言うと、由比ヶ浜は神妙な面持ちで俺を見つめてくる。不思議に思って視線で返すと、由比ヶ浜は背負っていたリュックを両手で握りしめて俯いた。

 今日、骨折してるのに無理していた一色を心配しているのだろう。

 だとしたらそれは杞憂だ。なぜならあいつ、骨折してないし。

 

 「ていうか、骨折じゃなくて捻挫だったらしいぞ。しかももうほぼ治ってるみたいだし」

 「うん、それは知ってた。昨日いろはちゃんから聞いたし」

 「は?なんで?」

  

 なんで由比ヶ浜には言ったのかという疑問でもあったし、なんで俺にだけ教えなかったのだろうかという疑問でもあった。しかし由比ヶ浜は見透かしたように言う。

 

 「その理由、ヒッキーは知ってるでしょ?」

 「…………」

 

 その聞き方はまるで俺を責め立てるようだった。

 理由、というのは、一色が俺にだけ嘘をついていた理由のことだろう。

 わざわざ聞いてくるということは、由比ヶ浜は一色の俺に対する気持ちを知っているのだろうか。

 そう考えると、俺に一色を保健室へ連れていくよう言ったわけにも合点がいった。

 

 そこまで考えが至ると、由比ヶ浜は答え合わせでもするかのように口を開いた。

 

 「あたしは…………知ってるよ。いろはちゃんがヒッキーを好きなこと」 

 「いや、それはないでしょ。性格とかまるで正反対だし、いつも尻に敷かれてるし」 

 

 取り繕うように、誤魔化すように連ねるが、これが最低な欺瞞だということにすぐに気づいて、後悔した。

 

 「ううん、知ってるの。いろはちゃんがヒッキーに告白したこと」

 「…………見てたのか」

 

 これ以上誤魔化せないとわかると、俺は諦めて聞いた。

 すると、由比ヶ浜は「たははー」と困ったような笑みを浮かべる。

 

 「いやー、海浜清掃の次の日から二人の感じ見てたらなんとなくわかるよ。特にヒッキーとか超よそよそしかったし、超キョドってたし」

 「……でも、だったら知ってるだろ。俺が一色を振ったことも。知っててなんで二人にしようとしたんだよ」

 「だって」

 

 微笑ましいものを見るように目を細めて、由比ヶ浜は背負っていたリュックの紐をぎゅっと握りこんだ。

 

 「ヒッキー、いろはちゃんのことが好きだから」

 「………………………………は?」

 

 俺が一色のことを好きかどうか云々よりも、由比ヶ浜が、まるで当たり前かのように言ったことが驚きで、そんな素っ頓狂な声が漏れた。

 

 「見てたらさすがにわかるよ。……ずっと、見てたんだもん」

 「いや、見てたって、はぁ?いや、ないでしょ。ないない。いやマジないから」

 「いや必死過ぎだし、顔真っ赤だし」

 

 そんな俺を指さしてクスクスと笑う由比ヶ浜。

 どんどん顔が熱くなっていくのが自分でもわかった。からかわれたせいなのか、それとも図星だったからか。

 

 しかし、一色を好きかどうかに関しては、何度も何度も自問自答を繰り返した。そのたびに頭に浮かぶのは、独占欲。これは以前、小町とも話したことではある。

 確かに一色の発言、行動にドキドキさせられることもあるし、一色が他の男子といちゃついているところを想像すれば腹はたつ。だが、嫉妬することと好きかどうかは別の話だ。

 後者に至っては小町に対してだって抱く感情だ。

 

 「ヒッキーのことだから、またあれこれ変てこな理由ばっか考えて逃げるだろうけど、だいじょぶだよ。あたしが保証人になったげる」

 「保証人て……何それプロポーズ?俺が将来借金したら肩代わりとかしてくれたりすんのかね」

 

 なんとか話を逸らそうと、俺はそんな冗談でお茶を濁した。

 しかし由比ヶ浜は、うん、と首を縦に振って。

 

 「うん、プロポーズかも。あたし、ヒッキーのことが好きだから。ずっとヒッキーを見て来たあたしが言うんだから、間違いないよ」

 「……………………………………」

 「……あはは、なんか勢いで言っちゃった」

 

 恥ずかしそうに頬を掻いて、顔を赤らめる由比ヶ浜。

 一方俺は、あまりの情報量の多さに思考が停止していた。

 好き?好きって言ったの?由比ヶ浜が?俺を?それはどういう好きなの?

 

 「からかって」

 「ないです」

 「で、ですよね……」

 

 きっぱりと食い気味に言われ、気まずさに目を逸らす。

 いかんいかん。動揺とか衝撃とかが置いてけぼりとなって、今はとにかく照れと恥ずかしさが襲って、顔が一気に熱くなった。

 嬉しくないと言えば、嘘になる。

 いや、正直、嬉しい。ていうか、相当嬉しい。由比ヶ浜の告白が嘘ではないと、今でははっきりとわかるから。

 一色の時と、どっちが嬉しかっただろうかと、一瞬だけ考えてしまって、すぐにやめた。

 なぜなら──。 

 

 「なんでヒッキーが泣くし」

 「は、はぁ?な、泣いてねえし。ほんと泣いてないから。あれ、なんだこれ。いや違くて……えぇ……なにこれ……。目からなんか体液が……」

 「意味わかんないしキモイし」

 

 自分でも理解できず、つっと頬を伝う涙を必死に拭う。

 ぼやけていく視界の中に、由比ヶ浜が映っていた。滲んでいたから、気のせいだったのかもしれない。でも、上ずった由比ヶ浜の声で、確信してしまう。きっと由比ヶ浜も、涙を流していたのだろう。

 ああ、そうか。

 タイミングさえ違えば、こんな未来もあったのかもしれないと。おそらく俺が泣いてしまったのは、そんな無意味な想像をしてしまったからだろう。

 にしても、告白してくれた女子の前で泣くとか、あまりにもダサすぎる。

 

 なにか言葉をかけるべきだろうか。由比ヶ浜の告白に、まだ応えていない。

 

 「その……だな。すまん、俺」

 「いいから。わかってるから言わなくていいよ。てかこれ以上なんか言われたらたぶんあたしもっと泣くから」

 「えぇ……なにそのメンヘラみたいな発言……普通に怖いんですけど」

 「うっさい。ばか。バカヒッキー」

 「それなぁ……」

 

 うんうんと共感すると、由比ヶ浜はぬぐぬぐと袖で涙を拭きとって、ぱぁっと笑った。

 

 「っし!帰ろっか!ていうか先帰ってて!あたし忘れ物とってくるから」

 「そ、そうか。…………んじゃ、また」

 「うん。また明日ね」

 

 大きく手を振って校舎内にまた戻っていく由比ヶ浜を見送ると、俺は生徒玄関を抜けた。

 

 今からでも間に合うだろうか。

 スマートフォンを取り出そうと、ブレザーのポケットに手を伸ばす。

 が、伸ばしかけた手がそこに届くことはない。

 

 保健室での去り際、最後に見た一色の顔を思い出しながら、コートのポケットに手を突っ込んだ。




次話が最終話!明日投稿するよてい。それと一緒にアフターストーリーも投稿しますんで、よければそちらもお願いします!


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最終話 二人だけが知る世界

 

 夕日はもう沈む寸前で、赤く染まったこの通りを歩いていると、左側に公園と自動販売機を見つけた。

 

 「……のど渇いた」

 

 意味なくそんなことを呟いて自販機の前に立つ。

 何か月前のことだろう。

 前に、この自販機で先輩におごってもらったことがあったっけ。あの時は調子にのってブラックコーヒーを選んで痛い目にあったけど、その時の苦みが今になって鮮明に思い出せた。先輩と出会って、まだ数日とかだったころだ。

 

 「懐かしいなぁ」

 

 チャリンチャリンと小銭を入れて、わたしはブラックコーヒーではなく、黄色のラベルにゴシック体で印字されたそれをぽちっと押した。

 取り出し口から取り出して、プルタブを開けようとしたところで手を止める。

 今飲んだら、余計に喉が渇きそうだったから。

 

 結局そのままスクールバッグにしまって、さっき歩いていた道をまた歩いた。

 

 「らーらーらー、らららーらー」

 

 口の中だけでごもごもと歌ってみる。なんだか今日は独り言が多い気がするけど、誰も聞いていないからいいよね。こんな日もある。さっきまであんなに泣き散らしていたくせに、今はむしろ心が晴れていた。

 ……いや、もやもやした気持ちを、必死に晴らそうとしていた。

 

 だって、聞いてしまったから。

 二人の──先輩と結衣先輩の会話を。

 

 保健室で泣き晴らしてから、帰ろうと生徒玄関に向かったところで、二人が下駄箱の前で話しているところを聞いてしまったのだ。目も結構腫れていたからという理由もあったけど、思わず影に隠れてしまって。

 そしてちょうど、結衣先輩の声がしたのだ。

 

 『ヒッキー、いろはちゃんのことが好きだから』

 

 なんて。

 

 いやいや、ありえない。

 ない。絶対ない。

 だって、それを言ったのはもちろん先輩本人じゃないんだから。

 結衣先輩が憶測で言っただけ。

 

 だけど……。

 つい、期待してしまう。

 もしかしたらがあるのかなって。

 

 しかも、言われた後の先輩の変なきょどり方も見たせいで、わたしの期待は大きく揺さぶられる。

 

 「ない、よね……」

 

 そんなことを呟いたけど、わたしの顔は少しずつ熱くなっていた。

 完全に期待しちゃってる証拠だ。

 

 でもダメだ。結果が期待してたことと違ったとき、きっとショックを受けるから。たぶんしばらくの間不登校になるくらい。

 

 だから、今はとりあえずこの熱を冷まさないと。

 そう思って、バッグにしまったばかりの黄色い缶を頬に当てた。

 

 缶を当てたまま、手を団扇のようにして扇いで歩いていると、ちょうど丁字路から曲がって歩いてきた人とぶつかった。

  

 「わっ!?ご、ごめんなさい!大丈夫ですか…………へ?」

 「ったた…………って、あれ?」

 

 倒れかけたわたしの体を支えたその相手は、海浜総合のブレザーを着た男子。中学時代から垢抜けて美青年になった裕君だった。

 

 「ゆ、裕君!?」

 「いろは?ごめんぶつかっちゃって。大丈夫だった?」 

 「うん、わたしは大丈夫。こっちこそごめんね。…………ていうか、なんで裕君がここに?」

   

 本当はちょっとだけ足がズキっとしたけど、心配されるのも面倒だったから嘘をついた。

 

 「部活終わりに総武校の友達と遊びに行くことになってね」

 「そ、そうなんだ。あの超陰キャの裕君にも友達かぁ。本当は彼女とかじゃないのでござるか~?」

 

 うりうりと肘で突いてからかうと、裕君はくすぐったそうに身を捩った。

 

 「ち、ちがうから。僕はそもそも…………好きな人いるし」

 「ほほう、なるほど。……して、告白は?」 

 「…………」

 

 ニヤニヤしながら聞くと、裕君は照れたように顔を赤くして逸らした。

 垢抜けても恋愛に関しては初心なところが中学生の頃から変わっていない。だからついいじってしまう。そして、いじられたときにすぐ話を逸らそうとするのも裕君の癖だ。

 

 「い、いろはは帰りの途中?」

 「うん」

 「じゃあ帰りまで送ってってもいい?」

 「え?別にいいけど……お友達は?」

 「いいのいいの。あとで合流すればいいだけだから」

 「そ、そう?」

 

 結局押し切られて、わたしと裕君は駅へと歩いた。

 その道すがら、裕君とはいろんな話をした。

 学校のこと、部活のこと、進路のこと。

 そして、先輩の話も。

 

 「ていうか、いろはこそ…………好きな人はいないの?」

 

 おそるおそる、伺うように聞く裕君にちょっぴり驚いた。

 今まで、わたしが裕君の恋愛話を聞くことはあっても、裕君が聞いてくることはほとんどなかったからだ。

 裕君は正直に答えてくれたし、まあ、減るもんじゃないしと思って、正直に頷いた。

 

 「うん、いるよ。もうフラれちゃったけどねー」

 「…………」

 

 言った途端、裕君が息を飲んだように見えた。人の恋バナに緊張してるのかな。

 

 「それって…………やっぱり比企谷君のこと?」

 

 少しだけ声が低くなった。前から気づいてはいたけど、裕君は先輩のことをあまり良くは思っていないみたい。カラオケに行ったときに二人が言い合いしてるところも見たし。

 まあ先輩は普通にしててもいろんな人から反感買うし仕方ないけど。

 

 「……そうって言ったら?」

 「アイツはッ!……比企谷君は……いろはとは釣り合わないよ。もっと他に相応しい人がいると思う」

 

 一瞬顔が出かけた黒い部分をなんとか押しとどめ、裕君は深く呼吸して言う。

 本人は気づかれていないと思ってるみたいだけど、わたしは裕君が普段猫をかぶっていることは知っている。まあわたしも似たような感じだから、むしろ好感を持てたりするんだけど。特に裕君に関しては、わたしを心配してのことってわかってるから許せてしまう。根は優しい人なんだよ?本当だよ?

 

 「うーん、まあ先輩は誤解されやすい人だからねー。裕君も先輩と一緒にいてみれば印象変わると思うよ?うわ、コイツ思ってたより百倍はめんどくせぇ……ってなるから」

 「そんな人のどこがいいのさ」

 「そんなめんどくさいところが、だよ」

 

 にかって笑って言うと、裕君はやれやれと呆れたようにため息を吐いた。

 どうやら先輩の良さはわかってもらえなかったらしい。自分でもニッチな趣味してると思う。

 

 駅前まで来ると、主婦や仕事終わりのサラリーマンなどが行き交って賑やかだ。

 

 「のど渇かない?あそこでなんか買って来るよ」

 

 裕君はスターバックスを指さした。ちょうど喉は乾いていたし、素直にお願いした。

 待ってる間、手頃なベンチに腰掛けてぼーっと通行人を眺めていると、その集団の中からぴょんとはねた黒いアホ毛を見つけた。

 見まがうはずもない、先輩だ。

 

 先輩はわたしに気づく様子もなく、何故か駅構内から反対のこちらへ向かってくる。

 どうか見つかりませんようにと顔を俯かせていたんだけど、先輩の足跡は段々と近づいてきて。

 

 「…………あ」

 「……………………」

 

 ついにばったりとご対面。

 声をかけるか知らないふりをするかを迷っているようだった。

 いつもの先輩なら後者を選択するだろうと思っていたから、完全に油断しきっていた。

 

 「一色」

 「っひゃい!?」

 

 だから、不意に名前を呼ばれて変な声が出てしまった。生徒玄関での会話を思い出してしまったからかもしれない。

 今は、まともに先輩の顔を見て話せる気がしない。せっかく冷めた顔も、どんどん熱くなっていく。

 

 「ど、どうもです」

 

 なんで今日に限って声をかけてくるんだこの人は。

 しかもいつもならこんなところでうろつかないで、即行家に帰るくせに。

 

 「ちょっといいか」

 

 いつものぶっきらぼうな声よりも、少し緊張が感じられた。

 わたしは先輩を直視しないまま応じる。

 

 「なんですか?」

 

 なるべく平静を装って、上ずりかけた声を必死にこらえる。

 

 「その……。話がある」

 「っ……!」

 

 ああ、いけない。

 自意識過剰だ。

 自惚れちゃいけない。

 期待するな。

 勝手に思いあがるな。

 ただの勘違いだ。

 結衣先輩が言ってたことも、きっとただの聞き違い。

 

 「それって今じゃなきゃだめなんですか?ちょうどお友達待たせてるんで、合流してからとか……」

 「……できれば、二人で」

 「…………どんな、話ですか?」

 

 決定的な問いかけだった。

 どくんどくんと、心臓が強く跳ねる音が全身に響く。

 わたしはそれを望んでいるはずなのに、なぜだか聞くのが怖かった。

 

 「…………ちゃんと、答えを出していなかった。どうすればいいのか、どう振舞うのが正しいのか、ずっと考えて、逃げ続けて。……でも、今日由比ヶ浜と話して、自分なりの答えを導いた。だから、その話を」

 

 先輩の言葉を最後まで聞かず、わたしは走り出していた。

 何をしているんだろうと、自分でも思う。でも、勝手に身体が動いていた。最悪の選択だ。

 雪乃先輩と、そして何よりも結衣先輩の顔を思い浮かべて、胸がきゅっと苦しくなる。 

 なのに、嬉しくて、嬉しくて仕方がない。わたしがずっと欲していた答えが、聞けるかもしれないのだから。

 

 そんな自分が、嫌になった。

 

 

* * * * *

 

 

 駅の中へと走っていく一色の背中を、ただ呆然と眺めていた。

 伸ばした手は届くはずもない。

 

 これは…………逃げられたってことなんでしょうかねぇ。

 いや、うん。一色も俺の様子から察しがついていたのだろう。

 つまり、そのうえで逃げられたということは。

 

 「……めっちゃ振られてんじゃん」

 

 ははっと乾いた笑みがこぼれた。

 俺が一色に声をかけ、話があると持ち出したのは、まあ、そういうことだ。

 きっかけは由比ヶ浜との会話。つい数十分前のことだ。

 由比ヶ浜の言葉を受け止め、整理をつけるために駅前のカフェで熟考を重ね、カフェを出たところで一色と邂逅した。

 ここでケジメをつけなければ、その後も一生逃げ続けるだろうと自覚していたから声をかけた。由比ヶ浜の後押しがあったというのも大きい。

 だが、その結果がこのザマである。

 本当に情けない。

 ダサすぎて笑えない。もうおうち帰って寝よう。

 深いため息を吐いて、俺は重たい足を駅へと向けた。

 

 すると、その先に見知った男が立っていた。九条祐介だ。

 

 「…………」

 「………………っす」

 

 自分で聞こえるかも怪しい声で会釈をして、すすすっと素早く通り過ぎようとしたところでガシッと腕を掴まれた。

 

 「無視するな」

 「……んだよ。一色が言ってた待ってる友達ってお前のことか?だったらさっきどっか行ったぞ」

 「ふん、わかっている。見てたからな。見事なフラれっぷりだったなぁ!はっはっは!!」

  

 性格悪そうに、そしてめちゃくちゃ嬉しそうに高笑いする腹黒美青年。

 しかしそんな煽りにさえ今は返せる気分でもなかった。

 

 「いや、振られてはないだろ。告ってないし」

 「だったらなんでいろはは逃げたんだ?」

 「…………関係ねえだろ」

 

 若干の苛立ちを込めて吐き捨てると、ぴくりと九条の眉毛が動く。

 

 「君じゃあいろはと釣り合わない」

 「……」

 「僕のほうがいろはのことをずっと想ってる。いろはと並んで歩ける男になろうと努力だってした」

 

 んなとこは言われるまでもなくわかっていることだ。

 葉山に劣らないほどルックスの良いこいつと一色なら、きっと傍から見れば、お似合いだろう。

 だから余計に腹が立つんだが。

 

 「そうかよ。だったら告ればいいだろ」

 「おまけに性格も悪いな。いろはが僕じゃなくてお前を好きなことは知ってるだろ。ったく、なんでいろははこんな男を……」

 「奇遇だな。それに関しては俺が一番感じてることだ」

 「なぜ得意げに言うんだ……」

 

 胸を張って言うと、九条は呆れたように肩を落とす。

 これ以上長話をするつもりはない。

 そこで話を打ち切るように、九条の横を通り過ぎた。

 

 そして次の瞬間、お尻に強い衝撃が襲った。

 

 「ったぁ!?」

 「バカか貴様は。いいから早く走っていろはを追いかけろ。殺すぞ」

 「は、はぁ?くそ、マジで痛ぇ……。本気で蹴りやがったなクソ……」

 「いろはは今不安なはずだ。お前が半端な気持ちで逃げ続けて来たからだ。そのくせちょっと逃げられたくらいで心へし折れるとかどんだけメンタル豆腐なんだよ女かっての!逃げた分の清算くらい自分でしやがれヘタレ野郎がッ!」

 

 俺の親が聞いたら泣いて崩れるんじゃと思うほどの罵声を、九条は一切の躊躇なく浴びせてくる。しかしその内容は、痛いほどに胸に刺さる。完全に図星だった。

 

 「うわ……めっちゃ泣いてんじゃん」

 「うるさい泣いてねぇ!」

 

 九条は叫びながら、ぼろぼろと目に大粒の涙を浮かべていた。

 それもそうだ。こいつにとって一色は恩人で、俺よりも一色を想っているというのは本当だろう。いや、きっとこの世の誰よりも、一色を好きでいるのはこの男なのかもしれない。にも関わらず、俺を一色のもとへと行かせようとするのは、やはりどこまでも一色のことが好きだからに他ならない。

 

 「……わかった。おかげで覚悟が固まった。感謝する」

 「ふ、ふん。わかったならさっさと行ってこい。どうせまた振られるだろうけどな」

 

 そんな九条の憎まれ口を背に、俺は駅へと走り出した。

 

 

* * *

 

 

 電車に乗ったはいいものの、そもそも一色が電車に乗ったのか、乗ったとしてもどこで降りたかなんてわからなかったので、とりあえず、俺と一色の家から最寄りの降車駅で降りた。

 電車を降りた頃には、外は土砂降りだった。傘は持っていなかったし、さすがにこの状況で外に出たというのは考えにくい、が……。

 

 「…………」

 

 とりあえず一色家方面の道だけでも探すことにしよう。

 そう思って、俺は駅を飛び出した。

 傘はしていない。なぜなら今、アドレナリンがどっぱどぱ出ているせいで寒さがあまり感じないのだ。由比ヶ浜の告白から始まってこの状況だ。普段と違いすぎるシチュエーションに、多少興奮してしまうのは仕方ない。

 

 全身濡れ鼠になるのも構わず走り続けると、見つけた。一色だ。

 傘もささず、疲れ切っているのか重たい足取りで歩いていた。

 

 「い、いっし…………ごほッ!ごほッ!いっ……はぁ……はぁ……」

   

 やっと追いついたはいいものの、まったく呼吸が整わなくてまともに喋れない。アドレナリンのせいで疲労の感覚も鈍っていたのだろうか。

 

 「なんで…………なんでですか。なんで、来たんですか……」

 

 こっちを振り返らずに、一色は責め立てるように言った。その肩は微かに震えているように見える。

 

 「先輩は、結衣先輩のことが好きなんじゃないんですか?」

 「…………」

 「せっかく結衣先輩が告白してくれたのに、なんで断っちゃったんですか?」

 「みっ……見てたのかよ……」

 

 まさか、今日の下駄箱前での会話を聞かれているとは思わなかった。 

 ということは、俺が由比ヶ浜の告白を断って、俺が泣いたところまで見られたという事か。なにそれ恥ずかしい。死にたい。

 

 「あんな素敵な女の子、もうこの先何千年待っても現れないですよ。きっと」

 「だろうなぁ……」

 「後悔してないんですか」

 「…………してない」

 「なんですか今の間」

 

 上ずった声が急に低くなる。怖い。

 

 「まあなに、とりあえずここ寒いし、雨だし、風邪ひくし。俺の家上がるか?」

 

 着ていたブレザーを一色の頭にどさっと乗せて言った。

 普段の俺ならば絶対に出ない行動と発言。それもこれもすべてアドレナリン以下略。

 

 断られたらどうしようとも思ったが、一色は頬を微かに赤らめて、こくりと頷いた。

 やばい。なんか急に一色がめちゃめちゃ可愛いんだが。

 

 

* * *

 

 

 「…………」

 

 自宅の扉を開けると、ちょうど自室のある二階から小町が降りてくるところだった。

 

 「た、ただいま」

 「お、おに、お兄ちゃんが…………?」

 「おい、その先を言ったらいくら優しい兄でも怒るぞ?」

 「…………こ、こっほん!いやぁ~、初めましてようこそ我が家へご足労頂いてありがとうございますぅ~。私は兄の妹の小町です!すぐにタオルをお持ちしてくるので少々お待ちくださいませ!」

 

 あまりにも不自然な歓迎の挨拶を一色にすると、小町は奥にたたっと消えた。

 

 「そういえば会ったことなかったか」

 「は、はい……。全然似てませんね」 

 「自分の名前より聞いた一言だ」

 「でしょうね……」

 

 一色は物珍しそうに、下駄箱の上の置物などを眺めていた。

 

 「足まだ痛むんだろ。あんま無理したら悪化するぞ」

 「このくらいの痛み、生理痛に比べたら大したことないんでへっちゃらですよ」

 「あ、そ、そう……」

 

 うん、まあそうなんだろうけど、だからってそういう単語急に出されると心臓に悪いからやめてほしい。

 

 「お待たせいたしました~!ささ、こんなこともあろうかとお湯も沸かせてますから、どうぞごゆるりとお寛ぎください!」

 「は、はぁ……」

 

 ぐいぐいと一色の背中を押して、脱衣所へと連れて行った。

 手際の良い小町のことだ。着替えとかも用意してあるのだろう。

 すると、小町が脱衣所からダッシュで俺のもとへ走ってきた。

 

 「ちょちょちょちょちょお兄ちゃんなにあの美人さんいや普通にビビるから事前に連絡してくれないと困るんだけど?おかげで小町、あんな美人さんを『アイラブ千葉Tシャツ』でお出迎えしちゃったじゃん!誰!誰!ねえ誰!」

 「お、落ち着けって。前にも何回か話しただろ。アレが一色だ。ていうか俺のシャツ勝手に着といてその言い草はちょっとひどくない?」

 「ほぁ~……あの人がイッシキさんの正体…………。え、お兄ちゃんあの人に告白されたの?」

 「まあ、そうなるな。雨止むまでだから、我慢してくれ」

 「いや、我慢ってか……。ちょっと小町買い物行ってくるから。うち今なにもないから」

 「そんな気回さなくていいと思うが」

 「はぁ?お兄ちゃんが女の子を家に連れ込むなんていうビッグイベントにこの妹小町がじっとしていられるもんですかっ!」

 「お、おう……」

 

 小町は謎のテンションで財布とカッパを装着すると、韋駄天走りで家を出ていってしまった。

 受験勉強の気晴らしにでもなるならよかった、といえるのか。

 

 そして一色を待つこと十数分。

 小町の部屋着に着替えた一色が、おそるおそるリビングに入ってきた。

 

 「すみません、お風呂と……着替えまで借りちゃって」

 「ああ、気にするな。前俺が泊った時の借りだと思ってくれ」

 

 そう冷静に対応するが、内心の俺はもはやかなりの興奮状態だった。

 パーカーはまだわかる。小町が着ればダボっとしたサイズでも、一色にはちょうどいいように見える。

 しかし問題はパンツ。ねえ、小町さん?なんでショートパンツにしたの?もっと布面積が広いのあるでしょ??

 そのおかげで、一色の細くも程よく柔らかさを帯びていそうな艶やかな太ももに視線がいってしまう。

 いけないいけない。ただでさえ家に女子を招いているのだ。下心があるなんて思われたくない。

 

 「あれ、小町ちゃんは?」

 「なんか張り切ってるらしくてな。買い物に行ったわ」

 「そ、そうですか」

 「………………」

 「………………」

 

 あれ、普通に考えてこの状況結構まずいのでは?

 家に二人とか、それだけで下心があると思われるのでは?

 

 一色はそわそわと髪を触ったりして落ち着かない。

 

 「…………あの、それで……聞かせてもらってもいいですか。先輩の、話」

 

 覚悟を決めたような、ともすれば緊張を隠すような声だった。

 

 「いや、でもここだといつ小町が帰ってくるか……」

 「…………じゃあ、先輩の部屋で、とか」

 

 

* * *

 

 

 流されるように来てしまった俺の部屋に、俺と一色は座っていた。

 なぜか、床に。しかも対面するように。彼我の距離わずか3センチほど。

 近い。めっちゃ近い。

  

 もちろん俺が狙ってこう座っているわけではない。

 ベッドに座るのはどうかと思ったし、勉強机にしても俺だけ座るのはアレだと思ったので床に座ったら、一色が俺の目の前に座ったのだ。だから仕方ない。 

 

 「その、だな……」

 「…………」

 

 おそらく、俺も一色も、その「話」の認識は同じだ。

 そして、きっと少なくとも悪くない結果になるのではないか、という望みがあった。

 一色もきっとそのつもりだから、髪をいじったり、ちらちらと伺うように見てくるのだろう。

 

 「わたし、今かなり期待しちゃってます。もし全然違う話だったらショックのあまりぶん殴るかもです」

 「えぇ……。たぶん大丈夫だと思うが……」

 「ほんとでござるか~?」

 「ほんとほんと。これが嘘ついてる顔に見えるか?」

 「そんなこと聞かれましても、先輩つねにペテン師顔してるのでなんとも。あ、でもなんかちょっと顔が赤いですね?緊張してるんですか?」

 「するだろそんなの。そっちだって、緊張を隠そうとして軽口叩いてるのバレバレだから」

 「なっ…………ち、ちがいますし!先輩がヘタレて中々言わないから……!」

 「……わかった。じゃあ言うぞ?」

 「……………………」

 「あの、言いづらいから急に黙るのやめてもらえる?」

 「も~なんなんですかぁ!」

 

 そんな緊張感の何もないやりとりをする傍らで、俺の右手と一色の左手はしっかりと繋がれていた。指一本一本を絡めるように。いわゆる、恋人繋ぎと言う形で。

 一色はぷりぷりと文句を言いつつも、感触を確かめるようににぎにぎと握ってくる。

 

 「言う気がないなら帰りますよ?」

 「いや待て。今度こそ言うから」

 「…………」

 「正直、自分でも整理がついてない。一色に対するこの気持ちが何なのか、真剣に考えずに逃げてきた」

 

 上手く言葉にできる気がしない。

 それでも、一色は黙ってその先を聞いてくれた。

  

 「奉仕部に亀裂が生じた時、俺はどうしたらいいか分からなかった。自分がした選択が正しいのかさえわからなかった。結局何も変わらなかった」

 

 俺が生徒会長になったきっかけを思い出しながら言葉にした。

 

 「あの夜に一色が俺たちに対する想いを伝えてくれたから、俺は行動できたんだ。おかげで今日、なんとかなった。助かった。ありがとう」

 「…………」

 「つまりだな……なんていうか、一色の言葉で元気づけられたっていうか……一色が見ていてくれると思ったら何でもできる気がするっていうかだな……」

 

 ここへきて、肝心の一言が喉でつっかえて出てこなかった。自分の本音を伝えることはとても勇気がいることだから。

 だからつい、誤魔化してしまう。

 

 「そう、つまり一色は俺にとってきびだんごのような存在で……」

 

 言いかけた途中で一色の顔が引きつった。ほんとごめんなさい。

 

 「……せっかくのムードが台無しです。どこに女の子をきびだんごで例える男がいるんですか桃太郎ですか」

 「いや……今のはそばにいて欲しいっていう意味の比喩表現でだな……」

 「………………」

 

 むーっと頬を膨らませて訴える一色。

 そんな仕草さえ可愛いと思ってしまうんだから俺もチョロくなったものである。

 

 「一言、言ってくれればすむじゃないですか」

 「それだけじゃ足りないんだよ。どれだけ言葉を尽くしても足りない」

 「それでも、言ってほしいです」

 「…………」

 

 さっきまで繋いでいなかったもう一方の手も、右手と同じように指を絡ませた。

 そして、どちらからともなく、顔を寄せて、こつん、とおでことおでこを合わせる。

 一色が息をするたびに、甘い香りが脳を揺らす。

 

 「言ったら、満足するか?」

 「…………それだけじゃ、無理かもです」

 「わかった。言う」

 「…………はい」

 「一色」

 「……はい」

 

 

 

 「好きだ」

 「…………………………………………わたしも、です」

 

 

 

  ……………────。

 

 

 

 瞬間、唇が優しく触れ合った。

 

 「ん……」

 

 目を閉じた先で、一色の声が漏れる。 

 お互いの熱を確かめ合うように。ゆっくりと、数秒、数十秒。

 

 俺からも、一色からも、触れた唇を離そうとはしない。

 触れるだけだった口づけは、やがて押し付けるように。

 

 

 少しでも、離してしまわないように。

 

 

  

  ▼  ▼  ▼  ▼ 

 

 

 

 そのあと何かあったのかと聞かれれば、特に何もありませんでしたという男として情けない回答をせざるを得ないわけだが。

 それも仕方ない。家には小町がいるんだもの。

 兄のそういうのって見たくないだろうしね。

 

 翌日になると、落書きの件が既に解決していることを聞かされた。

 昨日のうちに雪ノ下が色々と手を回してくれていたらしい。犯人はほとんどわかっていたし、別に尋問なんかしなくても、海浜総合の先生に密告をして事は万事解決したというのが雪ノ下の証言だ。尋問じゃないにしろ、『密告』っていうあたりが怖い。さすがの雪ノ下軍隊長である。

 

 

 そして、放課後。

 俺はいつもより早くに奉仕部部室へ来ていた。

 

 「あら、こんにちは。今日は早いのね」

 「うす」

 

 席に着くと、雪ノ下はすぐに紅茶を入れてくれた。

 

 「さんきゅな。なんか一人で色々やってくれたみたいで」

 「別に私は大したことはしていないわ。玉縄先輩から得た情報を平塚先生に伝えただけだから」

 「……そうか」

 

 ずずっと紅茶を啜る音が鳴る。こうして雪ノ下と二人だけで部室にいるのは、なんだか懐かしい気分だった。

 

 「それと、比企谷君」

 

 不意に、雪ノ下は文庫本から顔を上げた。

 

 「あなたが私に対して何か危惧していることがあるとするなら、それは杞憂よ。私があなたを頼ったのも私の選択で、あなたはあなたの思う選択をした。ただそれだけ」

 「…………そうか。わかった」

 「結局、一色さんには助けられちゃったけれどね」

 

 ふっと笑う雪ノ下のその表情は、少しだけ子供っぽく見えた。

 

 「やっはろー!」

 

 ガララッと無駄にデカい音を立てて入ってきたのは由比ヶ浜。

 昨日のことを思い出すと、まともに顔を見れる気がしなかった。

 

 「ヒッキーもやっはろー!」

 「お、おう、はろー……」

 

 名指しで挨拶をされてしまえば否応にも返さざるを得ない。

 なんでこいつはこうもピンピンしてるのだろうか。振った俺がむしろ気にしてるこの状況、絶対おかしい。

 

 そして、そろそろアイツが来てもいい頃だ。

 いつもなら半泣き(演技)で奉仕部にやってきて雪ノ下に頬ずりするプロの後輩、一色。

 

 と、思っていると、そろそろと部室のドアがゆっくりと開かれる。

 

 「あのー…………」

 「あら、来たのね一色さん。どうぞこちらへ」

 「ひ、ひぃ……」

 

 なぜか怯える一色と、獲物を捕らえるようににっこりと微笑む雪ノ下。 

 

 「なに、どうしたの」

 「な、なんかその……話があるから放課後来いって、直接一年の教室まで来まして……」

 「うわこっわ……それでよく来たな」

 「来なかったときの方が余計怖いですよ。何されるか分かったもんじゃないです」

 「一色さん?」

 「ひゃい!?」

 「それと比企谷君?」

 「な、なんでしょう?」

 「いくら付き合ったからと言って、これ見よがしにイチャイチャするのはやめてもらえるかしら?」

 「「え」」

 

 俺と一色の声が重なった。

 え、いや、まだ誰にも言ってないはずなんだけど……。

 と、視界の横で顔を逸らしているガ浜さんを発見した。

 

 「おい」

 「や、やー!違くて!いや違くないんだけど、その、小町ちゃんから……ね?」

 「…………あいつかよ」  

 

 うちにスパイがいやがった……。

 まあとはいえ、いつか言おうと思っていたことではあったのだ。

 それが早まったと思えばいいだろう。

 

 「まあなに、その……そういうことなんで、よろしく……」

 

 おそるおそるいう横で、一色が顔を俯かせていた。

 

 「その……結衣先輩……」

 「いーのいーの!後悔はしてないから」

 「結衣、先輩……」

  

 平気平気と言う由比ヶ浜に、一色の目はどんどん潤んでいく。

 

 「だからって、諦めたわけじゃないから。女の子が同じ人を好きになった時は、ね?」

 「ひゃ、ひゃい……」

 

 突然鋭くなった由比ヶ浜の声に、一色は震えるように肩を揺らした。

 

 「雪乃先輩、は……」

 「あなた、もしかして私がこの男を好きだとでも思っているの?寝言は寝て言うものよ」

 「で、ですよねー……ってちょっとちょっと握りこぶしつくるのやめてください無理やり寝かそうとしてるじゃないですか!!」

 「冗談よ」

 「ゆ、雪乃先輩は冗談が冗談に聞こえないから怖いんですよ……」

 

 二人の先輩の圧力によって完全に委縮している一色は俺に助けを乞おうと見てくるが、顔を背けて知らんぷりを決め込んだ。

 一色はそれを見ると、むくっとふくれっ面をして俺の腕を引っ張っていく。部室の外へ。

 

 「ちょっと、あなたたちどこ行くの?」

 「なんか怪しい!ヒッキーもちょっとは抵抗してよ!」

 「へっへん。今や先輩はわたしのものです。結衣先輩の言うことなんて聞きませんよーだ」

 

 ぐいぐいと引っ張られる。痛い。

 俺も抵抗しようと試みるが、存外力が強いし関節を決められてるとわかってすぐに諦めた。

 

 「先輩、いきましょ!」

 「行くって、どこにだよ……」

 

 聞くと、一色は俺の耳に口を寄せて、こそっと、俺にだけ聞こえる声で。

 

 「二人きりになれるとこです」

 

 小悪魔のように微笑んで、そんなあざといセリフを囁いた。

 今までウザいとしか思っていなかったそんな仕草さえ、今では愛おしいと感じてしまう。

 

 きっと、これからも。

 

 

 一色いろはの小悪魔生活は終わらない。

 

 

                   了



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prologue 桜が散る季節に

 「あーやー、さっきからわたしの話聞いてるの~?」

 「聞いてる聞いてる。比企谷先輩が大好きでしょうがないって話でしょ?いろはの惚気話なんてもう聞き飽きたよ」

 「全然聞いてないじゃん!ちがうの!先輩がひどいって話だよー」

 

 間延びした声でゆさゆさと私の体を揺らしてくるいろは。何やら珍しく比企谷先輩と喧嘩してご機嫌ナナメな様子だけど、聞かされるこちらの身にもなってほしい。だって、そのほとんどが愚痴と見せかけた惚気話なんだもん。彼氏のいない私のライフポイントはもう残ってないよ……。こんな時は適当に聞き逃してやり過ごすんだけど、そんな私の態度が気に食わないみたいだ。

 酔っているせいもあって、呂律も回っていない。

 

 「それで、何がひどいって?」

 「一昨日わたし誕生日だったじゃん。四月十六日。一年に一回きりの記念日じゃん!?お祝いしてくれるのかなーとか、ご飯誘ってくれたりするのかなーとか、楽しみにするじゃん!なのにね!忘れてたのあの人!もうばーかばーか!先輩のばーかぁ!」

 「ちょ、声でかいし……」

 

 ビールジョッキ片手に叫び散らすいろはに、周りも苦笑いせざるを得ない。 

 そう。一昨日四月十六日はいろはの20歳の誕生日だった。私も靴下と香水をプレゼントしたんだけど、さっそく今日使ってくれてるみたいでちょっぴり嬉しかったり。

 そして、今日は人生初のお酒でさっそく酩酊なさってる様子。たった一杯飲んだだけでこれなんだから先が思いやられるよ。

 

 あ、自己紹介が遅れました。

 私は稲本綾香、19歳。いろはと同じ千葉の大学に通ってる2年生です。いろはとは一年のころからサークルが同じでそれからずっと友達。

 今日は新歓の飲み会でとあるお店に来ているんだけど、たまたまテニスサークルの新歓と被って同じ席で歓迎会が開かれています。テニスサークルの中でもガチ勢とエンジョイ勢の派閥で分かれているんだけれど、今同席しているのは後者の方で。

 こうやってお酒に酔う女の子を狙う人たちもいるわけで……。

 

 「へー、その先輩って人ちょっとひどいね。こんな可愛い子を蔑ろにするなんて。ねえ、どうかな?俺はこう見えて結構一途なんだけど」

 

 酔ってるいろはを狙ってたのか、違う席から引っ越してきたテニスサークルの部員。喋り方から想像できると思うけど、かなーりチャラめのやり手っぽいです。しかも、そこそこルックスがいいのが質悪いです。

 

 「……誰?」

 「誰って……はは、直球だな。そういうストレートなところもいいね。俺は三回生の吉田だよ」

 「そうだったんですねー!結構モテそうですし彼女さんとかいるんじゃないですかぁー?」

 

 はい、出ました。いろは得意の猫かぶり。

 比企谷先輩と付き合ってからこうやって猫かぶるのもやめたらしいけど、今日は酔ってる上に比企谷先輩と喧嘩中でやけになってるところもあるらしい。いろはの代わりに解説すると、男子は「モテそう」と言われると嬉しくなるし、「彼女いるんでしょ~?」と聞かれれば「もしかして俺のこと好きなんじゃね?」と勘違いするものらしい。高校時代はこうやって男を手玉に取っていたと聞いたときは、もし私が同じ高校通ってたら絶対良くは思ってなかったと思った。まあ今ではそういうとこも凄いと思ってしまうんだけど。

 

 「いやぁ、まあ実は俺も彼女とちょっと倦怠期?みたいな感じでさ。そろそろ別れ時かなーって」

 「へ~」

 

 あれ、さっきコイツ自分のこと「一途」とか言ってなかった?彼女いるくせに声かけるとか一途の意味知らないんじゃないの?みたいな相槌を打ついろはさん。しかし男の方は気づいていないみたい。

 

 「お互い彼氏彼女のことで悩んでる同士だし話聞くよ。その彼氏より良い男、知ってるから」

 

 さりげなく一歩分いろはと距離を詰めて、吐息多めの声でいろはに言う。その男の視線がさっきからいろはの胸元とか太ももを舐めまわすように見ているのは一目瞭然。友達としてさすがに止めなきゃなんて思っていると、いろはは持っていたビールジョッキをドンとテーブルに叩きつけた。

 

 「先輩よりカッコイイ人なんてこの世にいないからっ!!」

 

 あちゃー、完全にやっちまってるよこの人……。

 仕方ない。この様子だといろはは一人じゃ帰れなそうだし、そろそろ比企谷先輩に連絡しよう。

 

 「あー、もしもし、夜遅くにすみません。稲本です」

 『なに、どうしたの』

   

 スマホのスピーカーから、低くてぶっきらぼうな声が響く。一見塩対応にも思えるけど、この人の場合これが通常運転だから気にしない。

 

 「いろはが飲み会で潰れちゃって。大学のすぐ横の飲み屋さんなんですけど、今から迎えに来ていただくことって出来ますか?」

 『はぁ?いや、知らんし。ほっとけばいんじゃないの。自業自得でしょ』

 

 いろはの名前が出ると、今度こそあからさまにぶっきらぼうな声で言う。比企谷先輩は結構サバサバしてそうなのに、喧嘩のことはまだ根に持ってるのかも。

 でも、近くで散々見せつけられた私ならわかるのだ。

 

 「いろは、かなーり酔ってるんですよ。しかもこの見た目じゃないですか。今テニサーの人に無理やりお持ち帰りされかけてるんですよねー」

 『………………すぐ行く』

 

 私がありがとうございますと言うよりも早く、ぶつっと電話が切られる。

 ふふん。どうですか。これが私の誘導術ってもんですよ。比企谷先輩、なんだかんだでいろはのこと心配してるんです。まあいろはが他の男にホイホイついていくわけないんだけど、嘘は言ってないよね。うんうん。

 

 そして時間が経つこと10分。比企谷先輩が息を切らしてやってきた。

 こっちこっちと手を振ると、比企谷先輩は軽く会釈をして向かってくる。

 

 「おい、飲み過ぎだ。帰るぞ」

 「…………へ?せんぱい?」

 「稲本、わざわざすまんな。世話かけて」

 「いえいえ、全然いいですよー。慣れてるんで」

 「ほら、早く行くぞ」

 

 いろはの腕をぐいっと引っ張って行こうとする比企谷先輩に、いろはは何が何やらと困惑している。そんな二人を見てか、ついさっきまでいろはをナンパしてた吉田という男が比企谷先輩の腕をがしっと掴んだ。

 

 「待てよ、いろはちゃん困ってるだろ」

 「あ?」

 「あ、いや……なんでもないっす……はは……」

 

 しかし持ち前の目つきの悪さを活かしてナンパを一蹴。う~ん、知り合いじゃなかったら普通に私もビビってたところだよ。まあでもそういうとこにいろはも惹かれたんだろう。だって、今のいろは、王子様に連れ出されるお姫様みたいな瞳してるもん。

 

 「ちょ、ちょっと……」

 「…………」

 

 お店を出ていこうとするお二人さん。私もそろそろお暇したい頃だったのだ。乗るしかない。このビッグウェーブにッ!!

 

 「い、痛いですって先輩!」

 「ん、おお……すまん」

 「もう…………。…………………………はれ、なんで先輩がここにいるんですか?」

 「まだ酔ってんのかよ……」

 

 比企谷先輩はやれやれとため息をつくと、私のほうを見てくる。

 

 「稲本から電話来たんだよ。迎えに来いって」

 「そうだったんですかぁ。…………むっ!いつの間に二人そんな連絡を取り合う仲に!!むーっ!」

 

 千鳥足で私の顔を覗き込んでくるいろはに、比企谷先輩はごつんとチョップをした。

 

 「今回みたいなことになるかもしれないからあらかじめ交換してたんだよ。いや、その前に言うことあるでしょ。何?あの頭の悪そうな飲み会。別に飲み会くらいはいいけど、ああいう偏差値低そうなのはダメって言わなかった?案の定この有様じゃねえか」

 「ら、らってぇ…………」

 

 彼氏さんに説教をされて落ち込むいろはの図がこちらです。いや、偏差値低そうな飲み会て。言葉選びのセンスどうなってるのこの人。

 それに、いろはの舌ったらずなとこが酔っているせいなのかそれともわざとなのか、測りかねるところだ。とにかく可愛いから良し。

 

 「歩けるか?」

 「バカにしないでください。ぜーんぜんあるけまぁーす」

 「いや全然歩けてないから電柱ぶつかるから」

 

 あやうく電信柱に衝突しかけたいろはの首根っこを掴む比企谷先輩。もう完全に猫の親子だよこの二人。

 

 「ん」

 「……なんですかそれ」

 「何って、おんぶだけど。歩けないでしょ」

 「やです」

 「はぁ?」

 「一人で歩けますし」

 「ああ、そうですか」

 

 おんぶ体制から立ち上がろうとする比企谷先輩に、いろはは「むー!!」と頬を膨らます。きっと誕生日忘れられたことをまだ根に持ってるんだろうなぁ。と思ったけど、「諦めるの早すぎダーイブ!」とか叫びながら立ち上がりかけた比企谷先輩の背中にジャンピングダイブ。ていうかもうタックルだった。ラグビーみたことないけどラグビー選手かよとか思った。

 

 「いや、重っ。なに、なんなの。どっちなの」

 「…………」

 

 何も言い返さないいろはに、比企谷先輩は「女子むず……」と肩を落とす。まあ同じ女子としていろはの気持ちはよくわかる。比企谷先輩には一生わからないことだろう。

 

 「………………やば、今の反動で何かが込み上げて来た……」

 「おい、それこの状況で絶対込み上げちゃいけないものだから。絶対我慢して。お願い」

 「くっくっく……。この服がどうなってもいいのかい……」

 「こいつ酔うとめちゃくちゃめんどくせえな……」

 

 まあこんな感じでしっかりと会話からハブられる私。この光景が今日に限ったことじゃないんだから困る。あれ、私何分間喋ってないっけ?

 とか思ってると、しっかりといろはをおんぶした比企谷先輩は私に振り返った。

 

 「稲本、今日は助かった。帰り大丈夫か?心配なら送るぞ」

 「あ、私はすぐそこなので大丈夫です。帰り、気をつけてください」

 「そうか」

 

 う~ん、この状況でもしっかり私にも気を配れる辺り、意識はしてないんだろうけど中々やるなぁ。本人は学校内で孤高を貫いているらしいけど、女子の間で隠れファンとかいても不思議じゃないと思う。身長高いし、顔もそこそこ整ってるし、すらっとしてるし、気配りできるし。…………あれ、この人もしかしてかなりハイスペックなのでは……?

 まあ、わたしの好みとは違うんだけどね。でも、いい先輩ではある。と思う。

 

 「いろはをよろしくお願いします!」

 「おう。気を付けて帰れよ」

 「あや~、また明日~」

 

 起きてるのか寝てるのかわからない虚ろな目のいろはが、比企谷先輩の背中からひらひらと手を振ってくる。

 そんな二人が見えなくなるまで見送ってから、私は自分のアパートに足を向ける。

 二人とも、付き合ってもう4年になるらしいけど、4年目とは思えないほどのラブラブ具合で何よりだ。何度か倦怠期もあったみたいだけど、それも克服して、今ではもう良いおしどり夫婦って感じ。きっと誕生日の件だってすぐ仲直りするよね。

 

 あぁ、いいなぁ。羨ましいなぁ……。私も彼氏欲しいなぁ……。

 

 

    ▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 一色を担いで歩くこと少し。人通りが少なくなったころだ。

 背中に乗る一色がすぅすぅと小さな寝息を立て始めた。

 あれだけ飲んで騒いだらそりゃこうなる。しかも初めての飲酒でちょっとだけテンションが上がっていたらしく、立派な飲んだくれの完成である。将来は有望な海賊王になること間違いなしだな。なるとすればハスハスの実の能力者かな?何それ絶対卑猥っ!

 

 そんなことを考えながら歩いていると、ふと一昨日のことを思い出した。

 俺が誕生日をすっぽかしたせいで、昨日一色と喧嘩をしてしまったのだ。いや、まあ俺も悪いとは思ってるけど、一昨日は遅くまでバイトがあったせいで疲労のあまり帰ってすぐに寝てしまったのだ。仕事だったんだから仕方ないでしょ。俺がそう言い返した所で、見事喧嘩の成立である。うーん、完全に俺が悪いですねぇ。

 

 ただ正直、誕生日を忘れたくらいでそんな怒るものかとも思ってしまう。しかし男と女で誕生日の重要度は違うのだろう。20歳の誕生日ならばなおさらだ。

 一度一色を背負いなおして、寝ているとはわかっていながらも口を開いた。

 

 「いつもありがとうな」

 「…………まあ起きてるんですけど」 

 「え、ちょっとまって、起きてたの?忘れてくださいお願いします」

 「ふふん、しっかり聞いちゃいました。こちらこそ、いつもありがとうございます」

 「…………」

 「………………なんか、改めて言うのはちょっと照れ臭いですね。良くこんな恥ずかしいこと言えましたね、先輩」

 「うるせぇ……」

 

 くっ……、とんだ失態だ。耳と顔が一気に熱くなる。こうしてまた黒歴史が一つ増えてしまった。あー、死にたい。

 

 「そんなことより、初飲み会はどうだったの」

 「ん~、なんかびみょーでしたねー。あやがいなかったらふつーに帰ってました」

 「ほーん……」

 「急にそんなこと聞いてきてどうしたんですか?」

 「別に、なんでもねえよ」

 「えぇー、なんか怒ってません?」

 「いや、怒ってないから」

 「いやいや、その感じ絶対怒ってますから」

 「俺の感情を勝手に決めつけるのやめてもらえる?」

 「…………はっはーん、もしかして先輩、妬いてるんですか~?」

 「……別にそういうんじゃねえよ。さっきも言ったけど、ああいう頭の悪そうな飲み会は頭の悪い奴しか集まらないからダメだ。見境なく手出す奴もいるからな」

 「やっぱ妬いてるじゃないですか。先輩かっわい~」

 「…………」

 「……ごめんなさい、冗談が過ぎました。ああいうのはもう行きません」

 「わかればよろしい」

 

 本日何度目かの説教に、一色は反省の色を見せるように謝罪する。

 別に嫉妬なんてものじゃない。

 自分の彼女が飲みの席に参加すれば誰だって心配になるし、言い寄られているとなれば腹も立つ。さっき一色に声をかけていたあの男の顔を想像するだけで横っ面ぶん殴りたくもなるし霊長類最強の女子を召喚したくもなるハイこれは完全に嫉妬です。

 

 「ていうかですよ」

 

 語気強めに、今度は逆に俺に説教をするような声音で一色は口を開いた。

 

 「わたしが先輩以外の男にホイホイとついていくとでも思ってるんですか?」

 「いや、そういうわけじゃなくてな……」

 「わたしがどれだけ先輩のことを愛しているか先輩は知るべきです!」

 「街中でなに言ってるの?普通に近所迷惑だようるさいよ?」

 「…………わたしをお持ち帰りしていいの、先輩だけなんですから」

 

 甘やかな猫撫で声が耳元をくすぐる。

 不覚にもドキりとしてしまったが、次の一色の言葉でそれは泡沫に消えた。

 

 「まあ今まさにお持ち帰りされてる最中なんですけど!なんちゃって!」

 「うわぁ……」

 

 酔っ払いクソめんどくせえ……。

 

 「んふふ~、せんぱぁい、せんぱぁ~い」

 「ちょ、頭揺らさないでくれる?髪の毛くすぐったいんですけど」

 「だってぇ、なんか嬉しくって~」

 「…………そういえば、大分伸びたな。高校の時はもっと短くなかったか?」

 「先輩が長い方が好みって言ってたからですよ?」

 「全然覚えてねえ……。別に自分の好きな髪形にすればいいだろ。髪型が変わったくらいで…………」 

 「くらいで…………?」

 「……なんでもない」

 「えぇ~!?最後まで言ってくださいよぉ!こんな中途半端にときめかせるとか半殺しもいいとこです」

 「……人は髪型が変わったくらいで中身まで変わらない。人の性格はそう簡単に変えられないからな」

 「ああそういうの今はいいんで」

 「あ、はい……」

 

 俺のありがたい啓蒙をばっさりと切り捨てる一色さん。

 ついさっきまで喧嘩中だったことがまるで嘘かのような空気になり始めたが、しっかりと俺が謝るべきだろう。今回に関しては俺が100パーセント悪いし。

 

 「……一昨日、すまなかった。また別の日に埋め合わせする。どうかそれで許してください」

 「仕方ないですね。わたしは寛容な彼女なので、許したげます」

 「そりゃどうも……。なんか欲しいものとかあるか?」

 「それは自分で考えてください。サプライズサプライズ~。女の子なんてサプライズしときゃなんでも喜ぶってもんですよ。まあもらったプレゼントが全然いらないものだったら普通に幻滅しますけど」

 「闇深すぎません?」

 「先輩にもらったものならなんだって嬉しいですから」

 「……そうですか」

 「ふふ、耳が赤くなってますよ~」

 

 どうやら一色さん、夜風に当たっているうちに少しずつ酔いが覚めて来たらしい。

 そんな話をしている間に自宅に到着。もちろん一緒に住んではないのだが、一色が去年の四月に俺の部屋の隣に引っ越してきやがったので、今では彼氏彼女ってより仲の良いお隣さんのような感じは否めない。

 

 「今日くらい先輩の部屋に泊めてくれてもいいじゃないですかぁ」

 「だめです。どっちにしろ毎朝こっち来てんだし変わらんでしょ」

 「むー」

 

 鍵を開けてもらって、部屋に入る。

 一色がうちに来ることは何度もあるが、俺が一色の部屋に入ることがほとんどないので少し緊張してしまう。実家暮らしの自室と変わらない、いかにも女子っぽい部屋だ。

 暗い部屋を慎重に歩いて、一色をベッドの上にそっとおろす。

 

 「寝る前に水飲んどけよ。あと歯磨きも」

 「いつもすまないねぇ」

 「それは言わない約束でしょ。んじゃ俺は自分の部屋いくから」

 「え、もう行っちゃうんですか?」

 「行くけど」

 「酔った女の子と部屋で二人きりですよ?先輩は何を考えてるんですか。襲うなら今がチャンスじゃないですか。常識的に考えてくださいよ」

 「そんな常識があってたまるもんですか。ていうか何とんでもないこと言っちゃってるの?」

 「わたしたち、付き合ってもう四年も経つじゃないですか」

 「……まあ、そうだな」

 「それなのにまだちゅーしかしてないじゃないですか」

 「はい?」

 「しかもそのちゅーですら最後にしたの三か月前ですよ!?」

 「あの、一色さん?酔ってらっしゃる?」

 「以上の理由から考慮して、そろそろ先に進んでもいいと思うのですが、比企谷さん的にはどうなんでしょうか?」

 

 ベッドにちょこんと座ったまま、目の前に立つ俺にエアーマイクを向ける一色。

 しかし、そんな質問に堂々と答えられるほど肝っ玉が据わってはいないわけでして。

 

 「先、とは……」

 「……………………うりゃぁっ!」

 「どわっ!?」

 

 お茶を濁そうとしたところで、一色が俺の腰に腕を回してベッドに引き寄せてきた。

 その勢いのままベッドに倒れこんでしまい、仰向けになる一色に覆いかぶさる体勢になってしまう。一色の長い髪の毛がベッドに乱雑に広がり、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。すぐ目の前の一色と目が合う。酔って顔が火照っているせいなのか、頬が赤らんで見えた。

 

 「な、ななななに、何なの」

 「ちゅーだって、付き合ってまだ十回しかしてないんですよ?」

 「なんで数えてんだよ怖えよ……」

 「ちょっと少なすぎると思います」

 「うん、それはまあ俺も思ってるけどさ……。でもほら、タイミングとか色々ね?」

 「………………先輩は、いや、ですか?」

 

 鎖骨のあたりに手を添えて、上目遣いで一色は見てくる。

 その動作一つ一つが艶めかしくて、自分の体が一気に火照っていくのがわかった。うん、主に下半身がなんだけど。もう過去最高ってくらいに火照りまくり。

 今すぐにでもこのまま身を任せたいところなのだが、僅かな理性が働いてしまう。俺の中の天使と悪魔がまさに大論争中だった。

 

 『けっけっけ、そのまま脱がしちまえよぉ、なぁ?さあ八幡、まずはそのストッキングをビリビリに破いてやれぇ!』『だっ、ダメだよ八幡!ストッキングは履かせたまま他の服を脱がしてあげるべきだよ!』 

 

 そっちかー。誰も止めてくれねえじゃねえか。なんなら天使側の方が変態だったまである。ちなみに俺は断然天使派。

 

 「嫌とかそういうわけじゃなくてだな……」

 「したくないんですか?」

 「めちゃめちゃしたい」

 「即答じゃないですか……ちょっと引きます」

 「なんていうか、あれだ。酔った勢いでってのは俺の理念に反する。するならそうじゃない時にだな……」

 「……やっぱ変なとこで真面目ですね。先輩らしいです。先輩らしくて超めんどくさい」

 「悪かったな……」

 「別に勢いってわけでもないんですけどねー」

 「え?」

 「…………でも酔ってない時なら今までだってチャンスはあったわけじゃないですか」

 「ほら、十代でってのもなんかあれじゃない?体目当てとか思われるかもしれないじゃない?」

 「いや思いませんし」

 「つまりあれだ。お前とはちゃんとしたいってことだよ」

 「…………ふ、ふん、都合のいいことばっか言って……。なら仕方ないですね。…………てゆーか、そゆこと言いながら思いっきりお腹に当たってるんですけど。ガチガチじゃないですか」

 「いやそれはほんとごめんなさい。生理現象なんです」

 「スケベ」

 「はい……」

 「変態」

 「…………」

 「ガチマン」

 「もうやめてっ!」

 

 とんだあだ名をつけられてしまった。中学生だったら不登校になるレベルだぞそれ。男の子なんだから仕方ないでしょう?とぶつぶつと心の中で言い訳をしていると、一色は俺の首に両手を回した。

 

 「じゃあぎゅってしてください。今日はそれで許したげます」

 「えぇ……」

 「何か文句あるんですかガチマン?」

 「ないですないのでその呼び方やめてください」

 

 まことに不名誉なあだ名が定着してしまうのも嫌なので、一色のお願いに従うことにした。

 のだが、この体勢でどう抱きついたらいいのかわからず、ただ一色に体を乗せるような体勢になった。ちょうど一色の胸の位置と俺の胸の位置が重なると、どくん、どくんと心臓が脈打つ音が俺の体にも響いた。

 

 「大丈夫?重くない?」

 「超重いです」

 「重いんかい……」

 

 今のは「そんなことないです」待ちのつもりで聞いたんですけどね。

 仕方なく体を起こそうとしたが、首に回された一色の両手の力が増して起き上がれなかった。

 

 「先輩、わたしの体を大切に思ってくれるのはすごく嬉しいんです。でも……」

 

 か細く、今にも壊れてしまいそうなほど繊細で優しい声で一色は言う。すると、ふっと一色の腕の力が抜けて、俺と一色は拳一個分の距離で見つめ合う形になった。その瞳は微かに揺れ、湿っぽく艶やかな唇がわずかに動いた。

 

 「少しくらい乱暴にしてもいいんですよ?」

 

 その言葉を聞いた途端、酔ったかのように頭がくらりとした。

 一瞬理性が飛びそうになるのを、首をブルブルと振って何とか抑える。

 

 「いや、ほんと、だめだから。そういうのだめだから」

 「むー、先輩ってほんと理性の塊みたいな人ですね。わたしの攻撃をかわすとは」

 「ふっ。今のを耐えたのはさすがの俺も自分で驚愕しているところだ」

 

 誇らしげに鼻をならすと、一色は不満そうに頬を膨らませた。

 

 「そんなに揺らいでくれないと女子として自信なくしちゃいます」

 「いやいや、揺らぎまくってるから。今だって断ったことを後悔してるくらいだから」

 「ふーん……。じゃあそーゆーことにしといてあげます」

 

 不服そうにしながらも、一色は首に回した両手をほどいた。

 やっとベッドから起き上がって立ち上がろうとすると、ぎゅっと左手が握られる。

 

 「寝るまでそばにいてくれませんか?」

 「……まあ、それくらいなら」

 

 言うと、一色は満足げに両目を閉じた。

 そうやって無防備にされると少しは信頼されてるのかなどと思って嬉しくなってしまう。俺も単純になったものだ。

 

 「すぅーすぅー、むにゃ」

 「いや寝るのはっや……」

 

 まだ十秒もたってねえぞ。の〇太くんかなんかですか?

 

 

    ▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 ピンポンピンポンと煩わしい機械音に、半覚醒だった意識が段々と覚めていく。今日の講義は午後からだしもう少し寝ていたかったが、宅急便だったら配達のお兄さんに申し訳がないので気合で体を起こした。ぽりぽりと腹を掻きながらドアスコープを覗いた先にいたのは、亜麻色の綺麗な長髪をおろした美少女だった。

 

 なんてモノローグから始まるラノベを書きたい今日この頃。

 仰々しく紹介したが、まあただの一色だ。

 

 「おはようございまーす!先輩、今日から一緒に住みませんか?」

 

 ドアを開けると、今日もしっかりおめかしした一色が敬礼ポーズでお出迎え。毎度恒例の、何回目になるかわからない一言を添えて俺の部屋にやってきた。

 …………じゃねえよ今何時だと思ってんだ朝7時だぞ帰れ。

 

 

    ▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 一色は俺の部屋に入るや否や、キッチンでエプロンを装着し始めた。毎朝こうやって飯を作ってくれるのは超ありがたいんですけどね。別に強制してるわけではないんだけどね。せめてもっと遅く来てくれると嬉しいんだけどね……。

 

 

 「可愛い彼女をパンツでお出迎えとか彼氏として失格なんじゃないですか?」

 「毎朝七時に彼氏の部屋のインターホン連打するとか彼女として失格じゃないですか?」

 「それとこれは訳が違いますし。なんか履いてくださいよ。汚い」

 「昨日俺を襲った輩が何か言ってんぞ……」

 

 言い返すと、一色はなにやらにやにやして、ゴミ箱をじーっと見始めた。

 

 「どーせ先輩、あの後自分の部屋で一人でしてたんですよねー?」

 「え、なんで知ってんの?」

 「え、ほんとにしてたんですか?」

 「…………」

 「……………………」

 「…………………………」

 「………………………………」

 「やめて無言で顔赤くするのやめて。いや違くてね?」

 「やめてください近寄らないでくださいわたしのあられもない姿を想像して何してんですかこの変態っ!」

 「ひどい言われようだな…………」

 

 いや一色のあられもない姿を想像したのは本当だから否定はできないんですけども。でも男子諸君ならわかってくれるよね?悶々としたままむしろ一人で済ませたことは称賛してほしいくらいだ。

 

 「まったくもう……。そこのごみ箱は自分で片づけてくださいね。わたし料理するんで」

 「イェス、マム……」

 

 ここ俺の部屋なのに、完全に主導権握られてるんですけど……。まあ今に限ったことじゃなく一年前からずっとこんな感じだから慣れてはいるんだけど。

 せっせせっせとテーブルおよび部屋中の掃除をしていると、ティロリンとスマホの通知が鳴った。これはラインの通知だ。

 開くと、そこには『ゆい』という名前が表示されている。

 

 と、ちょうど朝飯も出来たようだ。一色が皿に盛りつけた料理をテーブルに運んできた。

 

 「どうかしたんですかー?」

 「ん、おお。なんか、今度みんなで飯食おうって、由比ヶ浜が。小町とか戸塚も誘って」

 「あ、いいですねそれ~!みんな元気かなぁ~」

 「元気じゃない時に誘われたらとんだ迷惑だけど」

 「うわっ、いまの先輩ちょっと高校の時っぽくてウザいです」

 

 二人席について、「いただきます」と手を合わせてからシーザーサラダに手を伸ばす。うん、うまい。サラダは誰が作っても美味いからいいよな。ぶっちゃけ料理によっては一色の味付け薄いことあるからな。まあそんなことも言えるわけない。作ってもらって文句を言うなど男としても彼氏としても失格である。まあ大体ほとんど美味いから嬉しいんですけど。

 

 「じゃあこれを機に一緒に住みましょうよ」

 「何を機にしたのか全然わかんないんだけど。ていうか、それ言うの何百回目なの?」

 「だってその方が家賃安く済みますし、彼女の生モーニングコールで起きれるし役得じゃないですか」

 「朝七時に起こすことは変わんねえのかよ……」

 

 文句を言いつつ、つんつんとレタスを箸でつつく一色をじっと見つめる。すると一色は不思議そうにこてっと首を傾げた。それに何でもないと首を振って、むぐむぐとレタスを口に頬張った。水で流しこんで、一息ついたところで口を開いた。

 

 「…………そうだな。一緒に住むか」

 「…………………………………………ふぇ?」

 

 言うと、カランッという音が部屋に響いた。見ると、一色が持っていた箸を落とした音だった。

 すると次の瞬間、一色の右目からつっと涙がこぼれた。

 

 「え、ちょ、なんで泣くの!?俺なんかした?死んだほうがいい?」

 「…………あ、いや、違くて……。あれ、なんだろ、これ」

 

 しどろもどろになりながら、一色は伝う涙を必死に拭く。が、どれだけ拭いても涙は溢れて止まらない。

 

 「んぐっ……ずっと、その言葉を聞きたくて、やっと聞けて嬉しいはずなのに、なんだかびっくりしちゃって……」

 「………………」

 

 その言葉を聞いて、嫌がっているわけではないと知って安心する。

 これまで、何度も「一緒に住もう」とは言われていたが、その態度が毎度軽い言い方だったせいで、いざ泣かれるとこちらも動揺してしまう。

 

 「いや、すまん。せめて一色が20歳になってからだと思っててな……。ここまでとは思ってなかった」

 「い、いえ、わたしも泣くほどとは思ってなかったんですけど、なんででしょうね、これ。なんだかプロポーズされた気分です」

 「気が早え……」

 

 プロポーズ、か。その時まで俺たちの付き合いが続いているかどうかは当人の俺でさえわからない。でもきっと、一色とならどこまででもやっていけると、今ならそう思う。この気持ちだけはずっと変わらないだろう。

 ここでこんな泣かれたら、いざプロポーズの時に全然反応が薄かったらどうしよう。大丈夫だよね? 

 

 「あと、これ」

 

 そういって、いつ渡そうかとずっと悩んでテーブルの下に隠してた長方形の箱を一色の方に差し出した。その上板だけをとって一色に中身を見せる。

 

 「え、これ…………って……」

 「遅れてすまなかった。誕生日プレゼント、買うのに金が足りなくてな。一応自分で選んでみたんだが……」

 

 そう。俺がここ最近アルバイトに打ち込んでいた理由は、一色の誕生日プレゼントを買うためだった。今後の生活費とか学費とか色々考えると、バイトを詰め込まなければ買えなかったのだ。とはいえ、誕生日当日までバイトを入れてしまったのは大きな誤算だったが。

 

 その長方形の箱の中身に入っている物──シルバーのネックレスを見て、一色は暫くぽかんとしていた。

 すると次の瞬間、一色の目に大粒の涙が浮かんだ。

 それを我慢するでもなく、堰を切ったように一色は泣き出して、テーブルを飛び越えて突進してきた。

 

 「うわあああああああぁぁぁぁぜんばぁいぃぃぃ……!!!」

 「ったぁ…………。えぇ……そんな泣く?」

 「ぜんばぁぁぁいぃぃ!!」

 

 すりすりごりごりと鳩尾を頭で抉られ正直かなり痛いのだが、今は男らしく我慢して、一色の頭をそっと撫でた。

 

 「ごめんなざぁいぃっ…………!わたし…………わたし……っ!」

 

 きっと、二日前のことを謝ろうとしているのだろう。しかしその必要なんてない。誕生日を当日に祝わなかったことは事実で、それを言い訳になどできるはずもないのだから。

 

 俺は箱からネックレスを取り出した。

 

 「その…………受け取ってもらえるか」

 「そんなの……!!受げ取るに決まっでるじゃないでずがぁぁぁ!!」

 

 いまだわんわんと泣き散らし、鼻水も容赦なく俺の服にこすり付けて一色は言う。

 そんな一色の顔を無理やり剥がして、ネックレスを首に回した。

 

 「うん、俺の贔屓目で見たら全然似合ってると思う」

 「ひっぐ……んんぅ…………」

 

 ぬぐぬぐと袖で涙を拭うと、一色は首にかけられたネックレスに手を置いた。

 その感触をしっかりと確かめるようになぞると、こてんと俺の目の前で正座をした。せっかく拭いた涙もまたあふれ出しそうになっている。

 

 「こんなの、ほとんどプロポーズですよぉ……」

 「うん、ごめんね?ネックレスはちょっと重いかなとか思ったんだけどね?」

 「ううん、全然嬉しいです。嬉しすぎます。ちょっと今キュンキュンし過ぎて死にそうです。先輩の顔まともに見れません」

 「うん、わかったから。とりあえず落ち着いて?」

 

 呼吸を整える一色の背中をさすさすとさすってやる。

 自然とボディタッチを出来ていることに自分に感心してしまう。付き合って四年目でこのレベルですよ。

 

 「せんぱいっ!」

 

 涙を拭き切った一色が、それでも涙目のままで、ぱぁっと笑顔を浮かべた。

 

 

 「こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 

 一色の、涙を浮かべた笑顔があまりにも美しくて、俺は少しだけ呆気に取られてしまった。

 ああ、そうだ。この嘘偽りのない、屈託のない笑顔に俺は惚れていたのだ。

 いつも一番近くで見ていたから忘れていた。

 

 段々と、桜が散る季節が近づいていた。

 それでも、来年になればまた春は訪れる。

 

 誰よりも愛らしいこの後輩となら、きっといつまでも待っていられるのだろう。

 

 

 

 

  ---完---

 

 

 




完結です!ありがとうございました!


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