騎士王の花婿 (抹茶菓子)
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Introduction:Lostbelt

初投稿です。
企画の主旨だけ説明しとくと、どうも小出しにされる情報見るに第六異聞帯が見てみたかった感じとは違うくさいので、なら自分で書いてみようかなって。
だってメンタル鋼鉄製の完全体我が王見たい……見たくない?

なお拙作を公開するにあたり、一番割りを食ったうえにイギリスまでぶん取られてしまったベリル・ガット氏には深くお詫び申し上げます。ごめんね。



 

 

 

 その襲撃は、あまりにも唐突に行われた。

 その破壊は、あまりにも徹底的に行われた。

 そしてその蹂躙は――あまりにも速やかに完了していた。

 

 状況は把握できていない。事態には対応できていない。ただひとつ明確なのはここから戦局を覆すのが不可能なこと、自らがすでに敗北を終えてしまっていることで――けれど決意は固かったから。諦めることだけはしてはならないと己の魂に誓っていたから、カドック・ゼムルプスは傍らの皇女に語りかけた。

 

「アナスタシア。あとどれだけ保つ?」

「一分だって耐えられるわけがないわ。見ればわかることでしょうに。いつの間に失明したのかしら」

「令呪を切る。三画すべて消費してもいい。明日以降のことを何も考えず、全性能をこの場に傾ければどうだ」

「同じことよ。私たちの余命が三分伸びるかどうか、というところね」

 

 無駄だわ。もう勝てない、どうしようもない――冷たく切り捨てる自らのサーヴァントの予想通りの言葉に、さもありなんとひとつ頷く。

 わかっていたことだ。状況はすでに終了している。心はとうに折れ果てた。それでもどうにかしようと足掻くのは、単なる無様な意地でしかない。いくら無才、落ちこぼれの自分とはいえ、カルデアと接触することもできずに何ひとつ理解できないまま死ぬことなど許容できるはずもなかった。

 

 周囲を睨みつけ、何か一つでも現状を理解する糸口はないかと視線を巡らす。

 目に映るのは視界いっぱいの、世界を包むような地獄だった。否、『ような』ではないのだろう。実際にこの――()()()()()()()()()()は、自らが担当するロシアの異聞帯全域に広がっているはずだ。

 

「何が……起きたというんだ」

 

 今もって、カドックには理解が及んでいなかった。

 異星の神と契約し、自らに割り当てられた異聞帯。恐ろしい皇帝とその尖兵たちが統治するヤガたちの国は、零下百度を下回る極寒の大地であったはずだ。吹雪は絶えず、陽光に照らされることもない、明日をも知れぬ厳しい世界。僅かな暖を取ることでさえ困難であったはずのこの地が――今や灼熱の炎に覆われ、皇女の宝具を全力稼働させてなお滝のような汗が流れる大熱界へと変貌している。アナスタシアが冷気の操作に長けていたという幸運さえなければ、カドックはとうに全身の水分を蒸発させられていただろう。

 

「この異聞帯は終了した。この歴史に残る生命は、もはや僕と君しかいない。ヤガも、あの雷帝すらもがすでに炎に焼かれている。ここは元より死の大地でこそあったが、これじゃあまるで意味が違うぞ。冗談にもなっていない。こんな、まるで――」

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()、でしょうか?」

 

 

 

 己の思考を読み取ったかのような涼やかな声に、反射的に背後を振り向く。

 瞬間、アナスタシアが全霊で維持する局所的なブリザードを紙でも裂くようにして抜けてきたのは、金髪の眩しい優男だった。

 

「ご歓談中、失礼。しかし私と対峙した者は、なぜか残らずそのようなことを言うものでしてね。今回も同じなのかどうか……少々、確かめたくなってしまった」

「誰かしら。随分と不躾な男だけれど……畏れ多くもこの国の皇女と、その主の前よ。まず跪き、そしてしかるのち名乗りなさい」

 

 ずい、とマスターを押しのけるようにして前に出るアナスタシア。自らの盾となってくれたサーヴァントへと感謝し、その背後まで下がりながら、カドックはこの地獄を敷いたであろう敵手を静かに観察する。

 

 輝くような金髪の男だ。少し癖のある髪を長めに伸ばし、頭の後ろで纏めている。肌は白、瞳は炎を思わせる橙。優れた体格を傷ひとつない白銀の鎧に包み、群青の外套を羽織っている。右手に握る剣の存在を鑑みるに、剣士か騎士といったところだろう。付け入る隙があるとすれば左目に装着した眼帯か。視野の狭さに望みをかけて――いいや、あの下が魔眼という可能性もある。そも相手は、恐らくは単騎でこの地を壊滅させた男だ。たとえ真に隻眼であったとして、それが突破口になるかどうか……。

 

「……ふむ、良い目だ。この状況下でまだ観察を怠らない。勝てないことをどこか確信しつつ、それでも思考を走らせ続けている。魔術師としての貴殿の評価は私の知るところではありませんが、カドック・ゼムルプス殿、貴殿は優れた指揮官であるようです」

 

 唐突に、ゆるく笑ってこちらを褒め称える敵対者。その言葉をすべて無視して、カドックは警戒を一段深めた。こちらの名前を知っている――それは情報戦においても、目の前の正体不明の剣士が自らを上回る証明だ。アナスタシア、と小さく名を呼んで合図を送る。それを読み取った氷の皇女は、自らの窮地をまるで感じさせない無表情でさらに一歩前に出た。

 

「聞こえなかったのかしら、不埒者。跪き、名乗れと言ったのだけれど。誰の許可を得て私のマスターに目を向けているの」

「ああ、これは失礼、殿下。皇族の方に対し不作法であると自覚してはいるのですが……私が膝を折ると誓ったのは、後にも先にも『陛下』のみ。殿下の前に頭を垂れることは致しかねます。度重ねる無礼、私の愚かさに免じどうかご寛恕いただきたく」

 

 慇懃無礼。いやあれで本心からの言葉なのだろう。謝意などわずかにも感じさせず、しかし男の表情に隠された侮りは見られない。金髪の剣士は絶体絶命の小動物を欠片も見くびることなく、純粋な敬意を向けてきている。それはカドック・ゼムルプスという男にとって本来こそばゆいものであっただろうが、今なお肌を焼く灼熱の地獄がその安直な油断を許さなかった。

 ぴくり、と顰められる皇女の細い眉。ああ確かに、彼女はこの手合いと相性が悪いだろう。ここは自分が引き継ぐべきだと即断して、カドックは乾いた唇を湿らせる。必要なのは度胸だ。敵の目を見ろ、声を震わせるな。たとえその浅知恵が見抜かれるとしても、この恐怖は隠さなければならない――。

 

「ならせめて、アンタの名前を訊きたいところだな。侵略者……その姿を見るにセイバーか? カルデアはまだこの異聞帯に到着していなかったはずだ。アンタは一体どこの誰で、何を目的としてこの歴史を焼き払った」

「セイバー? いえ、なにやら誤解があるようですが……残念ながら私は星見の一派でも、まして英霊とやらでもないのですよ」

「何だと……?」

 

 理解不能。すでに思考が麻痺しかけている混乱の上に、さらに奇妙な言葉が上乗せされた。

 カルデアの者ではない。それはいい、予想の範囲内である。だが英霊でないとはどういうことだ。この異聞帯に独自の英霊が生まれ得ない以上、どれほど強力でも相手は汎人類史のサーヴァントであるはず。それ以外の可能性などありえない。剣士の言葉が真実ならば、帰結として彼はこの異聞帯の外側の生命ということになるのだろう。そんなもの――いや、だが、まさか。恐ろしい事実を予感して、カドックの顔色が蒼白になる。

 

「……嘘だろう? まさか、()()なのか? だがラスプーチンどもやキリシュタリアのカイニス以外に、そんな都合のいい存在が……」

「ああ、やはり貴殿は頭がいい。隠してこそいませんでしたが、今のやり取りで察しましたか。――ええ、そうです。()()()()()()()()()()()()()。もっともお恥ずかしながら、それ自体は私の力というわけではありませんが」

「ありえない……だが、ああ、クソッ! ならこれは()()()の仕掛けたことか! これだから才能のある奴は……ッ!」

 

 ガリガリと頭を掻き毟る。自身の無能さに吐き気がした。突然の侵略、炎熱の地獄、そして自らの敗北。すべてすべて、あの男が関わっているというなら納得できる。無意識に選択肢から外してはいたが――キリシュタリアが動かないからと、アイツまで動かないと誰が決めた!

 

「ちょっと、マスター。一人で勝手に納得していないで、理解したのなら説明なさい」

「簡単なことだ! 簡単なことさアナスタシア! これは異常事態でもなんでもなかった……僕らは単に、()()調()()()()()()()()! 他ならぬ八人目のクリプター、あの天才が遣わした『太陽の騎士』の手によって!」

「太陽の、騎士……?」

 

 叫ぶ魔術師と、困惑する皇女。その様子にやはりクスリと笑んだ金髪の剣士――否、騎士は、携える聖剣を鞘に納めながら堂々と告げる。

 

「遅ればせながら、仰せの通り名乗りましょう。ご記憶にどうぞ留め置きください」

 

 其は太陽の騎士。

 第八にして、()()()()()()()()()()()異聞帯において最優と謳われた炎熱地獄の体現者。

 彼の国に輝く五つの聖剣、その一振りを担う者。

 

 

「我が名は――――」

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

「――あはは、ガウェイン卿もやるものだね。加減はあるけど容赦がない。彼ならもっと穏便に済ますかと思っていたけど、あれで気が急いているのかな。まあ先の戦争のことを思えば仕方がないとも言えるけれど」

 

 空中に浮かんだ水鏡に映るその情景を見て、少女はどこか楽しそうに笑みを深めた。

 長い白髪をなびかせた、まだわずかに幼さの残る女性である。草花模様の刺繍を散らした白いローブを羽織り、嫋やかな右手に握るのは長い杖。薄紫の瞳は妖しく蕩けて、ここではないどこか遠くを見つめているようにも感じさせる。人形じみた美貌には見た目にそぐわぬ妖艶さすら通っていた。

 美しく、だがどこまでも不気味な少女だ。決して心を許す気にならない。

 だがその少女が唐突に己の方を向いたものだから、男は瞬間わずかな緊張を強いられた。

 

「ねえ、マスターはどう思う? ボクはちょっと、見ていてさすがに哀れに思えてくるけれど」

 

 質問には無言を返す。答える言葉など持ちはしない。そう言外に伝えるものの、少女の視線は外れない。これは何かを返さなければならないかと、極めて短時間で観念した男は大げさに息を吐いて見せた。

 

「……どうもこうもない、キャスター。ガウェイン卿とカドックくんがぶつかればこうなるのは目に見えていた。どうせ最後にはこうなったのだから、そこに至る過程になんて、この場合たいした意味はないだろう」

 

 そもそも君、別に哀れになんて思っていないだろうに――そう言って、男は自身を囲む六つの水鏡に視線を巡らす。

 白髪の少女――キャスターが投影した物見の鏡。六枚のそれには自ら以外が担当する各異聞帯の様子が映し出され、そのひとつひとつが例外なく地獄の様相を呈していた。

 

 氷雪と獣の帝国は、今や太陽の灼熱に焼かれている。

 巨人と神々の大地は幾万の獣に呑み込まれた。

 理想郷の支配者はすでに斃れ、女を庇う鋼鉄の人馬にもはや動く力はない。

 世界を治める絶対の神はいまだ女騎士ひとりに傷を負わせることすらできず。

 密林にはどこからか、幾条もの流星が降り注いでいる。

 そしてアトランティスの宮殿では――ああ、今まさに最後の令呪を切らされたキリシュタリア・ヴォーダイムが、雷光に貫かれて倒れ伏した。

 

 戦争、ですらない。これは一方的な蹂躙だ。

 あまりにも強大すぎるこの異聞帯、そのあまりにも強すぎる王が決行した全異聞帯に対する『同時六正面作戦』――それがつつがなく、完璧に終えられたということでしかない。

 そしてそれは、男にとって予想通りの光景でしかありえなかった。

 

「まあ、強いて言うならばガレス卿。彼女があの神に勝てるのかというところはあるけれど……」

「ああ、まあでも彼女は『負けない』しね。時間の問題じゃない?」

「そうだな。それに直接勝てないならば、ガヘリス卿も送り込んで空想樹だけでも刈り取ればいい。状況はもう終了したよ」

「ふうん、なんだか淡白だね。他はともかく、ほら何だっけ、北欧の彼女。友達なんじゃなかったの? 安否とか気にならないわけ?」

「ならない。そのためのパロミデス卿だろう。わざわざ王に嘆願した配置の意味を、僕はしっかりと自覚している」

 

 パロミデス卿。この異聞帯が誇るもっとも獰猛な、しかして王に忠実な騎士。あれの忠節は度を越している。王の命令をたとえ事故であれ違えるなど、死んでも許さないだろう。そしてまた別の理由から、ガレス卿が無為な犠牲を許容することもあり得ない。

 ()()()()()()()()()()()()()――そう命じられた今回の作戦の中で、だからオフェリア・ファムルソローネとスカンジナビア・ペペロンチーノの生存だけは確定している。

 

「二人。その生存が確定していて、片方が僕の友人であるなら十分だ。王にそれ以上を望める立場に僕はない」

「そうかなぁ? 我らが王は、キミの願いなら聞いてくれると思うけど。何せほら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そういえば式の日取りとか決まったの? ボクも一発芸とか準備したいし、教えてくれると嬉しいな」

「本当に下世話だな、君……。決まってないよ。決まっているわけがないだろう。というかキャスター、たぶん君は式場出入り禁止だぞ」

「えっ、なんでさ。ボクは宮廷魔術師マーリンだぞぅ! 入れないわけないじゃないか!」

「むしろ入れるわけがないだろう。君、こんなにも栄えるこの異聞帯でなぜ自分だけサーヴァントになっているのか忘れたのか? ()()()()()()()()()()()

「ううん……ない、とは言えないのが悲しいなぁ……でもでもさぁ!」

 

 

 

『――夜分すまない、婿殿。入室させてもらいたい』

 

 

 

 何かをわめきかけた少女の声を裂くようにする、ノックの音と涼やかな声。

 途端マーリンは口を押さえ、じっと男のことを見つめた。苦笑して、ひとつ頷く。するとマーリンは指を振って水鏡を消し、自らも素早くどこかに転移した。

 その様子を尻目に、男は身だしなみを整える。衣服のしわ、なし。髭、剃った。髪は――決まっているかはわからないが、まあ寝ぐせはついていないだろう。無礼にならない程度の格好であることを確認してから、自室の扉に声をかける。

 

「いいよ、アーサー。入ってくれ」

「失礼する。……こんな時間にすまないな。寝ていたか?」

「いいや、キャスターと少し話していたところだよ。……ああ、そんな顔はしないでほしい。もう控えさせたから」

 

 扉が開かれ――瞬間、部屋の温度が上昇したような錯覚がした。存在そのものが放つ威圧感。それを認識すれば誰であろうと膝を屈したくなる、赤熱した水銀の海に押し潰されるかのごとき重圧。こんなものを『純粋な人間』が放つのだから笑えない。男は頬を噛んで強く意識を保ちながら、入室者を歓迎する。

 

 『それ』は、長身の美女だった。

 形容するならば『黄金』の言葉がふさわしいだろう。白い肌、金の髪、金の瞳。人間離れした美貌。神が削り出した彫刻のような黄金比の肉体。純白の鎧に身を覆った彼女はこの世の何よりも美しい。たなびく長髪は獣の鬣を幻視させ、両眼の奥には意志の炎が燃えている。顔の左側を覆う火傷の痕でさえも、彼女の勇ましさを称える勲章にしかなりえない。その佇まいは勇と美の二文字を体現し、立ち上る王威はどこか鋼を思わせる。名匠の絵画にも相応しい姫のようで――だが彼女は紛れもなく戦士であり英雄だった。彼女の前には全ての美神が膝をつき、全ての武神が逃げ出すだろう。それを、想像でなく確信させる存在感。初めて見た時から変わらないその姿を目にするたびに、男は何度でも小さく息を呑む。

 

 彼女こそが、男の担当する異聞帯の王。人中至高の大英雄。

 神秘薄れる中世にあり、その黄金の意志と鋼の祈りをもって救済を果たした頂の騎士。

 愚王を排し、邪竜を斬り、十二の騎士たちを纏めあげ、祖国を救った――救ってしまった偉大なる王。

 名を、アーサー・ペンドラゴン。

 その『勝利』によって汎人類史から排斥された、最強無敵の存在だった。

 

「どうしたんだい、いったい。用があるなら呼びつけてくれればいいと、いつも言っているだろうに。()()自ら僕のもとにまで、わざわざ足を運ぶべきじゃないよ」

「いいや、それは違う、婿殿。卿はクリプター――この閉じた歴史に『未来』という可能性を与えてくれた救済者だ。この国の王たる私が礼を尽くすのは当然のこと……何度でも言うが、そう畏まらないでほしい」

「君はもう少し自分を客観視するべきだな、アーサー。君を前に畏まらずにいられる存在なんて、それこそキャスターくらいのものだ。僕のような小物なんて、こうして君の前で平静を装うだけで精一杯さ」

「しかし……いや、すまない。夜遅くに押しかけておいて話すべきことではなかったな。簡潔に用件だけ述べよう」

 

 しかしこの件については後日また話し合う――そう無言で告げながら、騎士王は男の瞳をしかと見据える。

 

「報告がふたつある。ひとつは『例のモノ』について」

「ああ……首尾はどうだい?」

「よくはないな。悪いと言い切ってもいい。ギャラハッド卿とケイ卿が全霊で捜索しているが、影も形も見つからない。彼らが動いて無駄だとなれば、やはり『外』に存在するのだろう」

「そうか。なら、六正面作戦の早期決行は正しかったということだね。まあこれについては、焦っても仕方がないだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()――僕らは常に自陣の万全を保つしかない」

「そうだな。卿の敷いた『陣』もある。当面は問題ないだろう……あくまで当面は、ではあるが」

「それで、もうひとつは?」

 

 ふわり、とあくびをしながら問いを放つ。王が何度も言う通り、時刻はすでに深夜だ。

 さすがに少し眠気が出てきた――だがそんな男の思考は、騎士王の次の言葉で吹き飛ばされた。

 

「ああ――派遣していたベディヴィエール卿から連絡があった。明朝、カルデアがこの地に到着する」

 

 ばちり。自身の脳に魔術で軽く電流を流し、強制的に集中を全開まで持っていく。

 フィニス・カルデア。星見の天文台、その残党。かつて一度、世界を救った少年たち。

 なるほどそれは、寝ている場合ではないらしい。

 

「なるほど、それで?」

「ひとまず王城に招いてある。段取りはベディヴィエール卿に一任したゆえ、すぐにでも会って話せるだろう。私はこれからその準備に赴くが、卿はどうする?」

「無論、同行するさ。キリシュタリアたちを相手にした()()とはわけがちがう。この地にカルデアが来るのなら、ここからこの戦争は本番だ――『私』も、もう呆けてはいられない」

 

 魔術師としての己を完全に起動させた男の一人称が変化する。

 意識の転換。視点の変質。思考を合理の歯車に乗せ、自身がひとつの機構へと造り変わるのを認識する。これよりは闘争の時間。そこに不要なヒトとしての己には、しばしの間別れを告げよう。代替にここには、意志を持つ呪いを創りあげる。

 瞳には怜悧な光。氷のように低い温度の、しかし王に似て鋼を思わせる意志の形。

 ああそうだ、この戦いの幕はここから。オフェリアもカドックも、キリシュタリアすら問題ではない。カルデアだ。カルデアが――中でも最も平凡であろう少年こそが、全ての事態の鍵を握る。才も幸運も踏み潰し轢殺する『運命』の担い手。彼こそがすべての本命なのだと、己はすでに知っているから。

 

「元よりクリプターの責務に興味などない。キリシュタリアの頼みさえなければ、あそこで死んでいたって構わなかった。皆には悪いが、私は本来世界や未来などどうでもいい類の人間だ。――ああだが、しかし」

 

 そう、しかし。

 彼にはもう逃げられない理由がある。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私はすでに、あらゆる退路を失っている。ならば……やるしかないだろうさ」

 

 言って、冷えた瞳で将来の伴侶を静かに見る。

 美しい女は、燃える瞳を輝かせながら頷いた。

 

「ならば行こう、我が伴侶。案ずるな。どのような地獄でも卿の傍らには私がある」

「わかっているさ、我が王よ。私と君に、敵はない」

 

 先導する王に続き、宮殿の廊下を歩きながら決意を固める。

 

 ああ、そうとも。世界の筋書きなど知ったことか。

 こんな己でも、己の尻拭いくらいは自分でする。

 星見ども、何するものぞ。異星の神、何するものぞ。クリプターなぞ障害にすらなりえない。

 ■■■■よ、首を洗って待つがいい。

 

 

 アーサー・ペンドラゴンと沙条綾人は――必ず世界を救済する。

 

 

 

 

 




結末は考えてるけどそこに至る過程はふわっふわなので更新は不安定ですが、ご意見、ご感想等あればお待ちしています。優しくしてね。

なお本家FGOにて第六異聞帯が公開された結果どうしようもない感じでネタ被りや矛盾が発生した場合、当小説は赤っ恥をかいた作者により爆破される可能性がありますことを予告しておきます。


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Introduction:Chaldea

昨夜投稿した第一話、存外に多くの方に目に留めていただけたようで。
驚いたことにすぐに感想、評価までいただけました。これでも結構緊張していたので嬉しい限りです。やはり流行に乗っかったのが良かったんでしょうか。原作の力って偉大。

そんなわけで嬉しかったので続きです。基本ノリで書いてるのでストックとか特にないんですが、まあそのあたりは明日の自分を信じましょう。

導入部後半、カルデアのターンをどうぞ。


 

 

 

 

 

 ――――時は、僅かに巻き戻る。

 

 人理継続保障機関フィニス・カルデア。かつて偽りの魔術王を打倒し、世界を救う冠位指定を成し遂げた天文台の壊滅からおよそ三ヶ月――より正確に述べるなら、二ヶ月と二十一日が経過した朝のこと。

 人中至高の英雄、騎士の国をその光輝にて統治する栄光の王が六つの異聞帯に自らの手足を派遣したおよそ一時間後に、その邂逅は果たされた。

 それをやはり、語らぬわけにはいかないだろう。

 

 少年と、彼が対峙する運命との対面。

 正史に紛れ込んだ異物と並び立つ、この英雄譚のもうひとりの主演。

 平穏なはずのその朝に訪れた衝撃を真の開幕として――この物語は始動する。

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

 意識が、揺蕩っている。

 深く暗い闇の底に、己の魂は存在していた。

 かつて第七特異点への突入の折、潮騒の声を聴いた時もあったが、これはどこかそれにも似ていた。

 なるほど、ならば夢かと認識する。ままあることだ。特異点での戦いのさなか、あるいはカルデアにおける騒動の前。何かが起きる予兆として、自分の魂がどこかに接続するのは初めてではない。『惹かれやすい』――それはもはや貴様の才能であろうな、と言ったのは黄金に輝く……あれはどちらの王だったか。

 まあともあれ、そういうことだ。これはおそらく何かの前兆。油断はできないが情報を得る機会でもある。恐れていても始まらない。焼却された一年間で鍛えた度胸に活を入れ、暗い世界に視線を巡らす。

 だが瞳の中に映るものはひとつもなかった。闇、闇、闇……何もわからない。これが己とカルデアの現状を暗喩しているというなら、まあよくできた皮肉だろう。まさに一寸先は闇、だ。乾いた笑いを漏らしそうになって、これではいけないと気を引き締める。どうもあの襲撃以来、己はひどく悲観的だ。心など()()()()()()()()と考えた夜もないではない。

 

 だが己は、やはり人理最後の砦なのだ。昨年と状況は何も変わらず、戦えるのは自分しかいない。

 諦めるわけには、いかないのだ――そう叱咤し目を凝らし続ければ、霞むほどの遠くに小さな光が見えた気がした。

 ほら、やはり。光明はある。天文台を導く北極星(ポラリス)は死んでいない。

 

 この夢がいつ覚めるのかはわからないが、ひとまずあそこを目指して進んでみようか。

 暫定的にそう決断して、一歩足を踏み出した――直後、それを感じて息が止まる。

 

 見られている。誰かがじっと、確かに己を見つめている。

 燃えるような、あるいは鋼のような、質量と熱さえ感じる視線だ。ただその視界に入っただけであるというのに、全身が発火している錯覚さえある。それが錯覚だと理解できるのは幾度となく火傷を負った特異点での経験があるからこそで、自分がいまだ平凡な学生をやっていたならこれで死んでいただろう確信があった。

 なんという強き視線か。カルデアにいた数多の王たちの中にさえ、これほどの視線を投げる者はない。重圧で全身の骨が潰れそうになる。口内は一瞬で乾いていた。魔眼の前に身をさらす方が精神的には楽なのではないだろうかと思えてしまう。もはや一歩も動くことはできなかった。指一本、両の瞼でさえ己の意志を離れている。

 

 くそ、ああ、何が北極星。浮かれるのも大概にしろ。

 こんな己でもすぐにわかる。この視線は――あの光から来ているぞ。

 

 じりじり、じりじりと、落ちそうな意識を支えながら、残る気力を総動員して眼球を光の方に向ける。英雄ならぬ己の瞳には、そこに何が在るのかはわからない。だがそれでも、これが夢なのだとしても、伝えなければならなかった。

 あれが味方ならば、助力を願うことになる自分の意地を。

 そしてあれが敵ならば――この程度では折れぬぞという、精一杯の宣戦を。

 

 

『――なるほど、卿が――――』

 

 

 漏らされたような、微かな、それでいて美しい声。

 やはり鋼を思わせるその声を最後に、藤丸立香の意識は闇の底へと墜落した。

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

「――い。先輩。……先輩!」

 

 そして、立香の意識は覚醒する。

 がばり、と上半身を跳ね上げた。動悸はいまだおさまらない。全身はぐっしょりと汗に濡れていて、シャツは不快に肌に張り付いている。夢の感覚が体から抜けていなかった。自分は本当に生きているのか――確かめたくて思わず下を殴りつければ、シャドウ・ボーダーの硬い寝台は拳にかすかな痛みを返してくる。ほっと一息、安堵。その痛みは立香の生存の証だった。

 と、そこで自らを見つめる視線に気が付く。横を向けば、そこには菫色の髪の少女。立香の後輩を自称するマシュ・キリエライトが、心配そうな瞳で少年のことを見つめている。それもそうだろう。起き抜けにいきなり自分のベッドを殴りつける輩がいれば、立香だって声をかけるはずだった。

 

「ああ……ごめん、マシュ。ちょっと、その……夢見が悪くて。もう大丈夫だから」

「はい、それはその……お察ししますが」

「あはは、やっぱりちょっと、俺も参ってるのかな。あとでムニエルさんにメンタルチェックしてもらうよ」

「了解しました。私が後ほどお伝えしておきます。ですが、先輩……いいえ、マスター・立香。心苦しいのですが、その前に少しお話が」

 

 申し訳ありません。私は、先輩がうなされていることに気がついて起こしたわけではないのです――そう言って、しかしマシュ・キリエライトは美しい瞳を向けてくる。儚げで、けれど芯の通った雪華の瞳。その輝きに魅入ってしまいそうになりながらも、その時点で立香はだいたいの事情を察していた。

 具体的には、彼女の『マスター・立香』という呼称で。

 

「……緊急事態?」

「ええ、それも、特一級レベルのものです。可及的速やかに完全装備と心の準備を終え、作戦室に向かってください」

「わかった――三十秒だけ待ってほしい」

 

 言って、寝台から立ち上がりシャツを脱ぎ捨てる。異性に着替えを見られる気恥ずかしさなど、ローマを越えた頃には失っていた。汗はひどいが拭いている時間はないだろう。ハンガーにかけていた戦闘服を急いで羽織り、腕輪型の魔術礼装――かつて共に戦ったキャスターたちの置き土産だった。カルデアから持ち出せたのは、数点の小物だけだったが――を身に着ける。ズボンと靴は何をする必要もなかった。いかなる状況にも即応できるよう、その二点だけは就寝中も装備するように以前から通達を受けている。

 部屋に備え付けられた鏡を見て、呼吸をふたつ。立香には魔術師たちの言うような精神の『スイッチ』はなかったが、意識的に集中を高めることは随分と前からできるようになっていた。

 

「よし」

 

 ぱちり、と両頬を張って準備完了。魔術師ならぬ、マスター藤丸立香が完成する。

 行こうか、と信頼する後輩に声をかけてドアを開いた。

 

 ――どんな戦闘態勢も、今からでは無駄かもしれませんが。

 着替えの途中あえて聞こえないふりをした、彼女の弱音だけが気にかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「藤丸立香、入ります! それで状況は――って、え、何これ」

 

 一体どんな地獄がやってきてのか。

 そんな戦々恐々とした己の心を隠しながら作戦室の中に駆け込んだ立香を出迎えたのは、彼の想像の千倍は平和な光景だった。

 

「ああ、おはよう立香くん。起きたようだね……まあ座るといい。話はそれから始めよう」

 

 飄々とそう言い放ちながら、紅茶を啜っているのはカルデアに協力する名探偵だ。

 シャーロック・ホームズ。世界初にして唯一の諮問探偵。解き明かすもの。今や万能の天才と並び、カルデアの頭脳を務める二大巨頭――いやそれはいい。彼の存在は立香には既知のものだったし、いることに何も問題はない。英国人である彼ならば、早朝に紅茶を嗜みたいこともあるだろう。

 だから問題なのはそのこと自体ではなかった。大事なのは、おそらくは立香を呼びつけたであろうその名探偵が優雅な様子で作戦室――それも本来ならばゴルドルフ新所長が座すべき司令官席に着席し、シャドウ・ボーダー内では貴重な嗜好品として配給を制限された紅茶を惜しげもなく飲んでいるということだった。

 驚きのままに周囲を見渡せば、そんな様子はホームズだけに留まらない。作戦室に集合している全スタッフの手元には一様に紅茶が用意され、女性職員の手元にはクッキーまでもが置かれている。なんだこれは、唐突にパーティーでも始まったというのか。いや本当にどうなってるの。助けを求めて最も親しい職員ムニエルに視線を投げれば、彼は諦めたようにホームズの少し後ろを指差した。

 

 何が――と見て、そこでようやく立香は気づく。

 

「おはようございます、藤丸立香様。このような早朝にお邪魔いたしまして、誠に申し訳ございません。お詫びと言っては何ですが、現在皆様にモーニング・ティーを振る舞わせていただいているところです。シャドウ・ボーダー内部の備蓄ではなく、私めが持参したものでありますゆえ、どうかご安心ください。よろしければ藤丸様もいかがでしょう? 手前味噌ながら、味には少々自信がございますが」

「えっと、いや……ごめんなさい、誰?」

 

 ホームズの背後に控えるようにして、一人の男が立っていた。

 銀の長髪を首の後ろで纏めた、新緑の瞳の男だ。柔和な表情で微笑んでいて、敵意のようなものは感じさせない。その立ち位置、着込んだ純白の燕尾服も相まって、立香には彼が執事か何かのようにしか見えなかった。優しそうな人だな――と、呆けるだけで済んだだろう。彼が立香の知らない人間である、という唯一にして最大の異常に気づかなければ。

 

「さて」

 

 と、混乱する立香を置き去りにしてホームズが言う。

 

「君の要望通り、我らがマスター・藤丸立香はここに呼んだ。わめいて話を妨害するだろうミスター・ゴルドルフには私の判断で一時ご退場願ったし、ダ・ヴィンチはそもそも手が離せない。これですべての条件は満たされただろう。そろそろ君の要件を聞かせていただきたいのだが……構わないかね、侵入者くん?」

「ええ、お話しさせていただきます。……では藤丸様、キリエライト様、どうぞこちらへ。勝手ながらご用意させていただいた紅茶と茶菓子ですが、よろしければお召し上がりください」

 

 気づけば銀髪の男はホームズのそばを離れ、二つの椅子を引いて立香とマシュを招いていた。ご丁寧にも司令官席を除けば最奥に位置する上座である。並んだ机には確かに湯気の立つカップと茶菓子があった。目を離してはいなかったはずなのに、立香はその動きの一切を知覚できていない。侵入者というホームズの言葉も合わさって、立香は全身の血が冷えていく感覚を味わった。なるほどこういうことか。確かにこれは、多少の装備など無意味な状況と言えるだろう――。

 

「先輩、行く必要はありません。敵対的でこそありませんが、彼はどう考えても私たちの味方とは言えない。可能な限り距離を――」

「いや、いいよ、マシュ。……座ろう」

 

 心配して腕を引く後輩の意見を退けたのは、立香の経験則だった。

 確かに、常識的にはマシュの判断が正しいのだろう。いまだ戦闘にこそ発展せず、どんな被害も出てはいないが、彼はおそらくカルデアの『敵』だ。こんな状況でいきなり強力な味方を引き寄せるほど幸運に恵まれてはいない。いつだって彼の協力者は、それを得るに相応しい試練と共に訪れた。

 だが同時に、こうも思う。銀髪の男はこちらとの対話を望んでいる。ならば会話をするべきだ。

 だって藤丸立香が踏破した旅路の中で、会話が無駄であったことなんてない。その結果決裂したことも、悲劇につながったこともあったが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 だから立香はいつだって、言葉を交わそうとする誰かからは逃げ出さないと決めている。

 

「なるほど……素晴らしい胆力です。ご用意した席に座っていただけるとは、実のところあまり考えておりませんでした。私の狭量と愚昧をお詫びいたします」

「いいえ。それで、もう一度聞きたいんですが――あなたは、いったい?」

 

 マシュを伴って着席し、一度した問いを重ねながら淹れたての紅茶に口をつける。緊張で味などわからなかったが、これは必要なポーズだった。自分は相手の話の、あるいは交渉のテーブルに着くと示す行為。わざわざ自分の前で紅茶を啜ったホームズが『毒はない』と示した以上、それに躊躇いなどあるはずもない。

 立香のその姿を見て、銀髪の男は優しく微笑む。

 

「それではご説明いたします。まず最初に明かさねばならないのは、私の所属についてでしょう。――お察しの通り、私はカルデアの皆様が『異聞帯』と呼ぶ領域より遣わされた使者になります。より具体的に申しますと、現在ブリテン島全域、皆様がイギリスと呼称する地域に根付いた異聞帯の王、そしてその担当クリプターであらせられる『沙条綾人』様の連名により派遣されました使節です。無礼千万と承知の上ではありましたが、此度は綾人様の召喚なされたサーヴァントの助力によって、事前の一報なくお邪魔させていただきました。当方の目的といたしましては――皆様を我らが国へお招きしたく思い、そのご案内のため参上した次第です」

 

 やはり、という納得と、なぜという困惑が同時に立香の心を襲った。

 異聞帯の者である。それはいい。だがそこにわざわざ招くとは? 使者とはいったい何のために?

 藤丸立香には理解できる。目の前のこの男は強い。武器を持っているようにこそ見えないが、経験が警鐘を鳴らしていた。ヘラクレス、カルナ、あるいはクー・フーリン……彼の大英雄たちがいれば違っただろうが、およそ戦闘タイプとは言えない英霊二騎と戦えなくなったデミ・サーヴァントなど容易く殺してのけるだろう。聡明なる名探偵がまったく戦闘態勢を取っていないのがその証拠。戦っても無駄なのだ。戦闘という段階にすら持ち込めないほど彼我の戦力差は隔絶している。ゆえに彼が異聞帯の者だというなら、立香らを全員ここで殺せばいい。カルデアという敵対者を、なぜ自ら家に上げてやるという?

 それに――そう。担当クリプターの名が問題だ。

 それはカルデアにおいて、キリシュタリア・ヴォーダイムに並び最も警戒されている男だった。

 

「……沙条、綾人」

 

 沙条綾人。

 元Aチームにおける二人の日本人のうちのひとり。極東では黒魔術の名家として名を馳せる沙条家の長男として生まれ、しかし何を思ってか十五歳で時計塔へと出奔した謎の人物。降霊科の主席であり、専攻する黒魔術以外にもあらゆる系統を修めたという天才。魔術協会の歴史における最短記録で典位を取得した怪物。しかしながら彼は、十年以内の色位も確実と囁かれたその栄光の道に何の未練も見せず、マリスビリーから受けたカルデアへの勧誘に頷いた。寛大でありながら冷淡で、自身にも他者にも期待という感情を持たず、最も接しやすかったのに最も恐ろしかった――と立香に伝えたのは彼の後輩だ。なまじうっすらと人物像がわかるだけ、デイビットなどよりも不気味に感じたのを覚えている。

 

「ふむ、沙条、沙条ね……なるほど、イギリスの異聞帯が彼だったか。個人的には大西洋の方かとも考えていたのだが、どうやら予測は外れたようだ。やはり情報が揃わぬまま推理を行うべきではないな。イギリスの方は、ベリル・ガットかデイビット・ゼム・ヴォイドだと思っていたよ」

「いいえ、ホームズ様。ご明察お見事です。その予測は外れてはいらっしゃらない。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ほう? それは面白いことを聞いた。それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことと、何か関係があるのかな?」

「申し訳ありませんが、ホームズ様。私はその問いにお答えする権限を預けられておりません。ただひとつ言えるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということです」

 

 これ以上は、平にご容赦を――そうして頭を下げる銀髪の男を数秒観察し、シャーロック・ホームズは息を吐く。

 

「ベリル・ガットの担当()()()()()。異聞帯は確かに八つ存在()()……ね。いいだろう、今はこれ以上求めまい」

「ご配慮に感謝いたします」

「こちらこそ、情報提供に感謝するよ。多少は事態を把握できた」

「微力がお役に立ちましたなら幸いです」

 

 そこでホームズから視線を切った銀髪の男は、さて、と切り替えて変わらぬ微笑で立香を見た。

 

「当異聞帯、またその王、および綾人様のご詳細につきましては割愛させていただきます。いずれにせよ近くおわかりになることでしょうし、そも御方々のお考えを私ごときが得意げに語るなどあってはならぬこと。それよりも、本題について続けさせていただきたく……よろしいでしょうか、藤丸様?」

「……『様』って、なんか、こう……いえ、大丈夫です。本題というと……」

「はい。皆様を当異聞帯にお招きしたい、というお話です」

 

 勿論、皆様の行動を強制するような意図はございません、と男は言う。

 

「あくまでもそのお誘い、ということでございます。お断りいただいてもかまいません。その場合、私は速やかにこの場より退去するとお約束しましょう。ですがお応えいただけるということであれば国賓として遇させていただきますし、思うまま過ごしていただいて結構です。一度だけ、我らが王とお会いしていただきたく存じますが……それ以外の事柄については、私とその部下が快適なご生活を保障いたします」

「なんですかそれは――信用できない」

 

 耐え切れない。そんな風に声を上げたのはマシュだった。

 勢いよく立ち上がり、鋭く銀髪の男を見つめている。瞳には炎が燃えていた。衝撃でカップが倒れ紅茶がこぼれたが、そちらには見向きもしていない。常にない激しさを見せる少女の裡には、複雑な感情が荒れ狂っている。特に『手が届く位置に敵がいるのに、自分はマスターの盾にさえなれない』という彼女の自尊心を刺激する現状が、マシュの冷静さを奪っていた。だがその言葉自体は、立香や他のスタッフが感じていた思いを端的に表現しているのも事実だった。

 

 マシュ、落ち着いて――そう呼びかける暇さえなく、少女はさらに言葉を紡ぐ。

 

「私たちカルデアとあなたたちクリプターは、敵対状態にあるはずです。攻撃する理由はあってもその逆はない。それを、招く? 遇する? それが嘘でないという保証がどこにありますか。敵地に、敵に誘われるまま、その先導を受けて上陸すると? 我々が――そこまで愚かに見えましたか!」

 

 その叫びを受けて、立香は気づく。

 マシュが怒りを見せているのは、何も彼女が抱える問題だけが理由ではないのだ。

 

 クリプターたちは一度、あの忌まわしい年末に騙し討ちを仕掛けてきている。

 自らの勢力を魔術協会の者だと偽って――そう、嘘をついて。そしてカルデアのスタッフたちを虐殺した。あの厳しい一年間を共に乗り越えた、家族に等しい隣人たちを。

 あれからまだ、三ヶ月だ。立香の中でもその記憶は薄れていない。まして心優しいマシュであるなら、どれほどに傷ついているのだろう。今の彼女はおそらく、あの清姫よりもなお嘘という裏切りに敏感だ。特にクリプターとその一派の言動に対して、まるで信用を置けないでいる。

 マシュの強い視線を受けて、微笑みを絶やさなかった男の細い眉が小さく下がった。

 

「……申し訳ありません、キリエライト様。皆様のご信用を損なう、我が弁舌の無才を恥じるばかりです。中でも、ああ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……なんですか、それは。どういう意味で――」

「しかし僭越ながら――前言を翻し、浅ましくも我が王の深慮の一端を想像し、口にさせていただけるなら。これは皆様への『ご忠告』、そして『ご助言』でもあるのです」

「それは、どういう……」

 

 不躾ではありますが、と続け、銀髪の男は再びホームズに向き直った。

 

「現在皆様は、カドック・ゼムルプス様のご担当であるロシア異聞帯に向かわれているものと推察します」

「……そうだね、その通りだ。決定事項ではないが……ひとまず我々はロシアに向かい、なるべく近距離からかの異聞帯を観測するつもりだ。そのまま突入することも、場合によっては視野に入れている状態だよ」

「ゆえに、でございます。大変無礼な物言いとなり恐縮ですが、その計画は確実に破綻いたします」

「ふむ、どういう意味だろうか」

「もうまもなく、ロシア異聞帯は刈り取られる――ゆえ、観測そのものが不可能になるということです」

 

 今度こそ、純粋な困惑が立香を襲う。

 異聞帯が? 消滅する? なぜ、誰の手によって……そもそもどうして彼はそれを知っている?

 ホームズすら口を閉ざした空気を置き去りに、銀髪の男は淡々と告げる。

 

「ロシア異聞帯のみではございません。北欧異聞帯にはパロミデス卿が。中国異聞帯にはランスロット卿が。インド異聞帯にはガレス卿が。大西洋、ギリシャ異聞帯にはモードレッド卿が。そして南米異聞帯にはトリスタン卿が、それぞれ本日未明より侵攻を開始しています。六つの異聞帯は、それほど間を置かず消滅することになるでしょう。皆様、私のような木偶とは異なる真の騎士です。敗北は万に一つもありえません。どちらにしろ皆様は我が国を目指すしかなくなってしまわれる……それゆえ先んじて、お招きしている次第なのです」

 

 言って、銀髪の男は自らの右肩をさらりと撫でる。

 立香はそこで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あまりに完璧で優美なしぐさ、その端麗な容姿に気を取られ気が付かなかったが――いやまて、だとしてもなぜ気づかない? 四肢の欠損だ、そんな特徴を見落とすわけが――違う、それ以前の問題だ。目の前の男は何と言った? パロミデス? ランスロット? ガレス、モードレッド、トリスタン? 馬鹿な、ならばイギリス、いいやブリテンに出現した異聞帯とは――隻腕たるこの男とは!

 

「ああ、そういえば――申し遅れておりました。やはり我が身は無才、不明……」

 

 嘆きながら、恥じるように男は言う。

 どうかこのような愚物の名前、明朝にはお忘れくださいと囁きながら。

 

「我が名はベディヴィエール。円卓第二席にして、畏れ多くも陛下より『静寂』の号を賜った小人です。騎士の末席を汚す弱卒ではございますが、皆様、今しばらくこの愚者にお付き合いいただければ……」

 

 ベディヴィエール。誇り高き円卓の、隻腕の騎士。

 千年を超え王への忠節を誓い続けた――光り輝く、銀腕の。

 

 わかっている、別人物だとは理解している。名が同じでも、この男は異聞帯における存在だ。だがそれでも……かつて味方だった、あれほど頼もしく心優しかった青年と同じ名の人物が敵の陣営として現れた衝撃は大きかった。

 言葉を失う立香、厳しい顔をするホームズ。顔色を失った菫色の少女。

 音の消えた作戦室に、しかし今度は無粋な通信が大きく響く。

 それはシャドウ・ボーダーの操縦室からの叫びだった。

 

 

『ヘイ、ヘイ! ホームズ、ムニエル、ついでにまだ気絶してないならミスター・ゴルドルフ! マシュと立香くんもそこにいるね!? お客人と何を話しているのかわからないが、ダ・ヴィンチちゃんから緊急事態のお知らせだ! 悪いが一度こっちの報告を聞いてくれ! ――()()()()()()()()()()()! 繰り返すぞ、ロシア異聞帯が消滅した! ロシアだけじゃない、北欧、中国、南米……大西洋とインドだけはまだ残ってるが、信じられない速度で反応が小さくなっている! ああくそ、五分以内に消えるぞこれ! いったい何がどうなってる! ホームズ、お得意の推理で状況を推測できないか!? ……おい、ホームズ聞いてるかい!?』

「……ダ・ヴィンチ、一度こちらに戻ってほしい。早急にだ。シャドウ・ボーダーは巡航状態で放置して構わない。ああ、客人と何を話しているのかと言ったね――喜びたまえ、彼は唯一健在なブリテン異聞帯からの使者だそうだぞ」

『――――はぁ!?』

 

 

 衝撃と混乱、抜けきらない困惑の坩堝。

 その中にあって、最も事情を知るだろう銀髪の騎士に皆の視線が集中する。

 だが彼はやはり、優美に微笑むだけだった。

 

 ――――ご安心ください。順に、説明いたしますよ。

 

 その涼やかな声に、何かを返せる者はない。

 

 

 

 

 




ベディヴィエール卿が侵入してきた瞬間あまりにも騒いだのでヤク中名探偵にバリツ・アンブッシュを食らった我らがゴルドルフ所長ですが、手加減されていたのでちゃんと無事です。美味しいステーキを食べる夢でも見てご機嫌になったことでしょう。

次回、たぶんカルデア一行のブリテン突入。


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謁見 / 前

どうでもいいんですがタグちょっと編集しました。



 

 

 

 

 

 順に説明する、とは言ったものの。

 その後ベディヴィエール卿がカルデアの面々に語った内容は、非常にあいまいな大枠の流れだけでしかなかった。

 

 そもそも八人のクリプターは一枚岩の仲間ではなく、それぞれに思惑はあるものの潜在的には敵対していたこと。

 それゆえブリテンの異聞帯においても、他の異聞帯との抗争については常に考慮されていたこと。

 そしてある事情によりアーサー王がその開戦を早めるべきであると決断し、少々強引な各異聞帯への侵攻が強行されたこと。

 その侵攻はベディヴィエール卿と彼の所属する異聞帯の面々の予想通り、速やかに完了したということ――。

 

 情報量としては、甚だ不十分と言えるものだっただろう。彼の騎士が語った内容の中にはカルデアがすでに把握している情報も多く存在した。だがそれ以上の問いかけに対し、ベディヴィエール卿は頑なに口を噤んだのだ。空想樹や異星の神といった存在について、彼の異聞帯について、そして騎士王が開戦を決断した理由であるという『ある事情』について。己にはそれを語る赦しが与えられていない――あくまでも恥じるようにそう言った彼の中では、王の御心を類推しあまつさえ口にしたという『失態』がいまだ尾を引いていたのだろう。銀髪の騎士は二度目の越権を決して己に許さなかった。

 

 だからカルデアが新たに知ったのは、結局たったふたつの事実。

 自分たちが乗り越えなければならないと思っていた八つの試練が、すでにひとつまで減らされたこと。

 そして残ったそのひとつが、他の七つを単独で圧殺してあまりあるほど強大であるということだった。

 

 虚数潜航艇シャドウ・ボーダーがブリテン異聞帯に到達したのは、隻腕の男がすべてを語り終えてより八時間後のことである――。

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

「こちらです」

 

 静かな声で先導する銀髪の男に続き、藤丸立香は回廊の分かれ道を左折した。

 王城を進む一行――ベディヴィエール卿、立香、そして一応の護衛としてのホームズ――に必要以上の会話はない。その余裕がないのだと言い換えてもいいだろう。名探偵はこの異聞帯に到着した瞬間からずっと思考を巡らせていたし、立香は立香でシャドウ・ボーダーに残してきた他の面々のことが心配だった。浮上地点――あれはこの城の中庭だったのだろうか。植えられた木々や花々が美しく整えられていた――では同行を懇願するマシュや逆に頑なに拒否するゴルドルフと随分に揉めた。なんとかそれぞれを納得させてこの人選へと落ち着いたものの、あちらで何か起こっていないかと不安な心は拭えない。

 いや、それ以前にここは紛れもなく敵地なのだ。今この瞬間にも戦闘にならないとどうして言えよう。目の前にいる銀髪の騎士はいまだこちらに敵意を見せず、何なら到着までの時間まるで使用人でもあるかのようにカルデアへの接待を続けていたが、他の騎士がそうであるという保証などない。

 

 状況に流されている――そう自覚して、立香は背中に嫌な汗をかいた。

 昨日早朝よりカルデアを巻き込んでいるこの現状。そこに、立香たちの意志と呼べるものはまるで介在していない。いまだ混乱は極致にあった。招かれるままこの城に来てしまったのは他に向かうべき場所を知らぬがゆえ。戦闘に発展していないのだってそれが無駄だからにすぎない。目下カルデアの戦力はゼロに等しく、策もなしに開戦してしまえば死は必定だ。けれど敗北の決まりきった戦いを許されない立場であるから、立香はこうして『時間稼ぎ』を行っている。

 

 ベディヴィエール卿は到着したカルデア一行に王への謁見を願い、立香らを城内へと招き入れた。ならばそれを利用してこの城を、王を、異聞帯をホームズに見せる。名探偵が考えを組み立てられる情報をひとつでも多く収集させることこそが、今の立香の役割だった。

 

「気になりますか」

 

 唐突に、それまで事務的以上の言葉を発しなかったベディヴィエール卿が口を開いた。

 何かに感づかれてしまったかと立香の肩が小さく震える。だが彼はそれを隠すようにして、なるべく平静に言葉を返した。

 

「……何が、でしょう」

「先ほどから、どうも城内の窓をお気になさっておいででしたので。庭園に残された皆様のことをお考えであるのかと……ご期待に沿えず申し訳ありませんが、城の設計上この場から中庭はご覧いただけません。しかしながら、シャドウ・ボーダー近辺には私の部下を配置しております。ご心配は不要のものかと」

「ああ……はい、いえ」

 

 それのどこが安心できる。あなたもカルデアの敵だろう――思わず吐きかけた毒を呑み込んで、立香は苦笑いを作って見せる。

 

「違うんです。城が思ったよりも立派なものでしたから……街の様子なんかも見れないかなって」

「なるほど、そうでしたか。邪推をお詫びいたします。城下となりますと、北棟からの光景こそが最上であると存じます。王都の美しい眺めが一望できるテラスがございまして。後ほどご案内も可能ですが……しかし愚考を述べさせていただければ、実際にキャメロットをご観覧いただくのもひとつの手かと」

「観覧? それは、まさか街を? 俺たちが自由に見て回ってもいいと?」

「国賓待遇での歓待を、と王より言付かっております。皆様へのご対応に関しては全権を委任されておりますので、私の権限の及ぶ範囲でしたらご随意に。王城内部に関しましてはこの無才の一存では明言いたしかねますが、城下でしたらすぐに準備を整えましょう」

 

 微笑みを崩さぬまま言う彼に、やはり悪意はないように見える。

 立香には彼のことがわからなかった。強いのだろう、そのことはわかる。円卓の騎士の人数には諸説あるが、通例としてその立場は平等だ。曰く単独で異聞帯を刈り取ったというガウェイン卿やランスロット卿と、おそらく同一の位階に彼はある。だがそれにしてはあまりにもへりくだった言動であるし、やっていることはまるで一介の召使いだ。紅茶や茶菓子の準備、招かれた客人の接待。どれも騎士の仕事ではない。だが彼はそれを受け入れるかのように、白い燕尾服すら着こなして行っていた。

 

 妙だ、と立香は思う。確かにかつてのカルデアでの日々にあっても、家事や雑事を率先して行う英霊は存在していた。エミヤやブーディカなど、厨房を取り仕切っていた者たちがいい例だろう。だが彼らは総じてどこか世話焼きな性格をしていて、口では何を言いつつも嬉しそうにそれをこなした。それは、悪く言えば奉仕体質。他人の面倒を見ること――あるいはそのような形で他者と触れ合うことを、彼らは好ましく思っていたのだ。

 だが目の前の、この銀髪の男は何かが違う。数多の英霊と接し磨かれた立香の瞳にはそれが映る。こちらへの敬意はあるのだろう。饗された茶や菓子も相応のもので、仕事に手を抜いていたとは思えない。けれどその一方で彼の口から時おり漏らされる過ぎた自虐は、どろどろと濁りきった情念を感じさせた。彼は他者への奉仕を『仕事』として全うし十全に職責を果たしているが、それだけだ。特別に好きで行っているわけではない。

 ならば彼は、いったいどうしてそんなことをしているのだろう。円卓第二席、サー・ベディヴィエール――下働きの立場を、まさか強制される身分でもあるまいに。

 

 それがどうしても不気味に思えて、立香は気づけば口を開いていた。

 

「……そういえばベディヴィエール卿は、鎧を着ないんですね」

「と、申されますと?」

「いえ、ちょっと気になって……。以前、汎人類史のベディヴィエール卿にお会いしたことがありますけど、彼は普通に鎧を着ていたものですから。あなたはその、まるで執事みたいな格好だし、剣も持っていないみたいだ」

「ああ……私のこの装いのことでしたか。ご不快でしたら申し訳ありませんでした」

「そんな、別に不快とかじゃ」

「よいのです。確かに不自然にお思いでしょう。しかし私にとって、鎧とは真の騎士たるものの証なのですよ。このような……無才の木偶が身に着けてよいものではない。私程度にふさわしきはこのような使用人の服なのです。そう、私など、王や円卓の皆々様の雑用をこなす程度が相応……藤丸様もどうか、小間使い程度にお考えいただければ」

 

 透明な声音で、銀髪の騎士はそう言った。

 そこには多分な自嘲が含まれている――ような気がしたが、前を行く男の顔はよく見えない。少年はあいまいに相槌をうつことしかできなかった。

 

「それから剣に関してですが、これは私に限ることではございません。我々円卓の騎士は有事の際の自衛を除き、王の許可なく帯剣することを禁じられております。特にこの王都内部においては、訓練用の木剣にも使用申請が必要です」

「えっ……それはまた、いったいどうして」

「何と申しますか――何かの拍子でどなたかが抜剣された場合、一帯が消滅する可能性がございますから」

「――――」

「私ごとき弱卒にはそのような大事は起こせませんが、モードレッド卿など凄まじいですよ。中でもガウェイン卿におかれましては……ああ、噂をすれば」

 

 さらりと告げられた内容に絶句する立香を置いて、ベディヴィエール卿は廊下の前方を指し示す。促されるまま視線を遣れば、赤絨毯の敷かれた通路の先の大扉から、ちょうど一組の男女が出てきていた。

 金髪の癖毛を頭の後ろでまとめた眼帯の男。そして彼に並び立つさらさらとした金髪の少女である。両者とも瞳の色は明るい橙。その顔立ちはどこか似通っていて、濃い血の繋がりを感じさせる。白銀の鎧を身に着けた二人は正しく騎士の身分なのであろうが、確かに剣を携えてはいなかった。それはベディヴィエール卿の発言が真実であることを示すと同時に、彼ら二人が円卓に列せられる英雄であることも証明している。

 

 抜剣のみで地形を変えうる怪物が、これで三人。いや、ベディヴィエール卿の謙遜が真実であるならば二人なのか? どちらにしろ恐るべきその現実に、立香の顔に汗が滲む。指先もわずかに震えていた。ああ、ここに自らが信を置く最高の盾を欠くことの、なんと心細いことだろう――。だが立香の心情などまるで察することもなく、こちらに気が付いた二人の騎士は一礼をして近づいてくる。

 ベディヴィエール卿は彼らが十分に距離を詰めるのを待ってから、立香に振り向いて穏やかな表情で口を開いた。

 

「ご紹介いたします。右手側より円卓第五席、『太陽の騎士』ガウェイン卿。並びに円卓第九席、『清貧の騎士』ガレス卿。共に我が国至上の真なる騎士であらせられます」

「ご紹介に預かりました、ガウェインと申します。粗忽者ですが、ご記憶いただければ幸いです」

「……ガレス、です。お初にお目にかかります」

「ガウェイン卿、ガレス卿。こちらはフィニス・カルデアよりお越しの藤丸立香様、そしてシャーロック・ホームズ様です」

 

 紹介に合わせて、軽く頭を下げておく。先ほどから無言を貫くホームズもこれには倣った。

 ガウェイン卿、そしてガレス卿。共にアーサー王伝説ではメジャーな騎士だ。異聞帯とはいえ、円卓の騎士が激しく入れ替わっているものでもないらしい。ガレス卿が女性であるのは汎人類史の原典と異なってはいたが、それ(女体化)はむしろ立香には日常茶飯事だった。場違いな安心感すら覚えてしまう。

 

「お二方とも、王自らお招きされた大切なお客人でございます。両卿には申し訳ありませんが、これより謁見の間へとお通しすることになっておりまして。この場ではご紹介以上は……」

「ええ、ベディヴィエール卿。私たちも今しがた王へのご報告を終えたところです。大方の事情は承知しています。すぐに退散しますよ」

「ご配慮、ありがたく存じます。ガウェイン卿も大過なく任務を終えられたこと、まこと喜ばしく……しかし、そうなりますと他の皆様は?」

 

 同列のはずの仲間に対し、あくまでも低く頭を下げるベディヴィエール卿。その姿に何かを思ったのか、あるいはまた別の事情か……ガウェイン卿は苦い笑みを顔に浮かべながら首を振る。

 

「さて、我々も帰還したのはつい先ほどでして。トリスタン卿とパロミデス卿については何も。モードレッド卿はすでに帰参していたようでしたが……あの未熟者め、どうにもアトランティスで手傷を負わされたようでしてね。ランスロット卿に鍛錬場に引っ張っていかれたと聞いています」

「左様ですか。ではモードレッド卿に関しましては、後ほど私が治療の準備を」

「不要です。先の戦いで『アレ』を目にしていないせいか、彼女はどうも緊張感が足りていなかった。これもいい薬になるでしょう」

「は……でありましたら、そのように」

「念のため後ほど私が様子を見ておきます。ベディヴィエール卿はお二方のご案内に注力していただければ」

 

 畏まりました。そちらはガウェイン卿にお任せいたします――そう言って一礼した同僚にひとつ頷いて、ガウェイン卿はさてと場の空気を入れ替えた。

 

「あまり陛下をお待たせするわけにもいきません。我々はこれにて。行きましょう、ガレス卿……ガレス卿?」

 

 立香とホームズに会釈し場を辞そうとした太陽の騎士。しかし彼は動こうとしない自らの隣の女騎士に気づき歩みを止めた。

 やっと気づいてくれたのか――内心で呟きながら僅かな安堵を滲ませたのは藤丸立香だ。

 

 ずっと、ずっと。ずっとである。

 ガウェイン卿とベディヴィエール卿が言葉を交わしている間中――自らの名を告げたその瞬間から、ガレス卿はなぜか立香のことを睨んでいた。

 円卓第九席、ガレス。そう名乗った彼女が汎人類史と変わらぬ立場の者ならば、目の前の少女はガウェイン卿の親類……実の妹であるのだろう。肩まで伸ばされた金髪には癖もなく、その髪質は異なるようではあったが、顔立ちはよく似通っている。どこか熾火を思わせる橙の瞳など瓜二つだ。整った容貌に浮かぶ生真面目な表情は立香に『学級委員』という言葉を思い出させた。だがその相手が不穏に自分を見つめているとなれば、それがどんな美人であろうとも平和な印象など吹き飛んでしまう。

 

 なぜだ。なぜ彼女は自分を睨んでいる。この短時間で何かをしてしまったとでも言うのだろうか。

 対応しかねた立香は恐る恐るガウェイン卿に視線を投げる。金髪の男は申し訳なさそうな表情で妹の肩を叩こうとした――が、その手が彼女に届くよりも前に、ガレス卿は口を開いていた。

 

「あなたが」

「……?」

「あなたが、藤丸立香殿。四十八人の、四十八番目。星見の天文台で綺羅星のごとき英雄を率い……世界を救った。あの魔術師より話は聞いています。私はずっと、あなたを――」

「――ガレス卿」

 

 静かな表情で何かを言いかけ、しかし彼女の言葉はガウェイン卿に遮られる。眼帯の男の声は大きくはなかったが、そこには確かな怒りが感じられた。

 

「今、なんと? 『あの魔術師』……私の耳にはそう聞こえましたが。畏れ多くも王婿殿下になんという言い草ですか」

「……まだ、『殿下』ではありません」

「同じことです。卿の言動はクリプターという、我々の歴史に奇跡をもたらしたあの御方の立場を軽んじている」

「……ですが、彼は魔術師です」

「そう、魔術師です。()()()()()()()()()()。卿のそれは歪んだ偏見だ」

「しかし、兄上!」

「――――お二方」

 

 言い争う金髪の兄妹。その不穏な空気を強い言葉で断ち切ったのは、意外にも銀髪の騎士だった。仲裁の言葉は常のように涼やかで、だがこれまでの彼らしからぬ恐ろしい鋭さを孕んでいる。

 

「お客様の、御前です」

 

 ただ一言で、しん、と静まり返る回廊。ベディヴィエール卿が発した言葉はそれだけで猛る二人を鎮火させ、熱しかけた空気を冷やしていた。

 数秒の沈黙――大きく息を吐いてガウェイン卿が、次いでガレス卿が深く頭を下げる。

 

「申し訳ありません、醜態をさらしました。円卓の騎士にあるまじき狼藉です」

「ガウェイン卿、謝罪の相手が異なります。それは私風情に述べるべき言葉ですか?」

「いいえ。重ねる非礼、申し開きもなく。……藤丸殿、ホームズ殿、遅ればせながら謝罪いたします」

「私も……申し訳ありませんでした」

 

 ベディヴィエール卿はその姿に頷いて、立香らの方に向き直る。――お許しいただけるでしょうか? 無言でそう問いかける彼の表情はやはり微笑で、そこにはわずかな険もない。困惑した立香がおずおずと頷けば、銀髪の騎士はありがたく存じますと謝意を述べた。

 

「頭をお上げください。藤丸様もホームズ様もお許しくださるとのことです。しかしながらこの無才より申し上げますれば、以後は是非にお気をつけいただければと」

「は。ご忠告、しかとこの身に刻みます――では今度こそ、我々はこれにて。行きますよ、ガレス卿」

「……兄上」

「『ガウェイン卿』、です。インドで貴殿に何があったのかは知りませんが、やはり先ほどから公私混同が過ぎる。この場は見逃しますが、続くようならば私も卿に()をしなければならなくなるでしょう。――行きますよ」

 

 言い捨てて、ひとり先を進むガウェイン卿。その兄の背中を見ながらそれでも何かを言いたそうにしていたガレス卿だったが、彼女もまたベディヴィエール卿の視線を受けるとすぐにその場を歩き去った。

 

 回廊を反対方向にすれ違っていく騎士二人――その姿が見えなくなるまで待ってから、ベディヴィエール卿は立香らに改めて頭を下げる。

 

「醜態をお見せいたしました。まことに申し訳なく……」

「いや、いいや。逆になかなか面白いものを見せてもらったよ。ベディヴィエール卿――自分を小間使いと卑下するわりには、君もどうして強い言葉を使うじゃないか」

「お恥ずかしい限りです、ホームズ様。感情のままにものを言うなど、この木偶には過ぎた権利……しかしながら道化のごときさまが無聊をお慰めしたならば、私もわずかに救われます」

「ふむ。……我々にはやはり、その低姿勢を崩してはもらえないようだね」

「生来の性分にございます。どうかお許しください」

 

 随分と久しぶりに口を開いた名探偵は、燕尾服の男が下げた頭をじっと見つめる。おそらくは『観察』であろうその視線に、常人が察することのできる色はない。透徹とした視線がかすかに揺れる銀髪を貫く――だが数秒して、ホームズは諦めたように肩をすくめた。

 

「お手上げだ。隠す、いや誤魔化すのがうまいな君は。何かがあることは隠しもしない。だがそれが何かは頑なに秘す……ああ、実に興味をそそられるよ」

「恐縮です。しかしこちらの不手際で申し訳ありませんが、少々お時間が押しております。私ごときについてのご詮索でしたら、後ほどに回していただけますと」

「そうだね。ならば少し急ごうか。先ほどガウェイン卿は『王に報告を終えたところ』と言っていた……ならば察するに、あの荘厳な大扉の向こうに君たちの王がいるのだろうか?」

 

 言って、ホームズが指すのは回廊奥の大扉。二人の騎士がつい先ほどに出てきた場所だ。

 ご明察にございます――ベディヴィエール卿はそう囁いて、その扉へと足を向ける。

 

「あちらに見えます部屋こそ謁見の間。臣下や客人が王に拝謁をたまわる由緒ある広間です。民からの直訴も時に届けられる場合がございます。藤丸様、ホームズ様におかれましてはそのご待遇は国賓相当となりますゆえ、作法などに関してましてはご心配の必要はございません。常の通り、おもねることなく王に接していただければ。我が王もそれを望んでおられるでしょう」

 

 そう言葉を紡ぎながら歩みを進めるベディヴィエール卿に連れられて、ついに立香は扉の前に到達する。

 この先に、王がいる。異聞帯を単騎で壊滅させる超常の英雄、それら円卓の騎士を従える光輝の王。祖国を襲う滅びの運命を、逆に踏み潰した稀代の勇者。その『勝利』によって汎人類史から排斥された――曰く人中至高の大英雄。

 ごくり、と緊張で湧いた生唾を呑む。そんな立香を穏やかに見ながら、ベディヴィエール卿は扉に手をかけ口を開いた。

 

「時に、藤丸様」

「……え、あ、はい。なんでしょう」

「藤丸様は先ほど、汎人類史における私を見たことがある、と仰いましたね。では、汎人類史の騎士王にお会いしたことは?」

「それは……ええ、ありますけど」

 

 藤丸立香は思い出す。汎人類史における彼の王を。

 祖国を救うため剣を取り、しかしてその宿願を果たすことなく。苦難し後悔し、それでも自らの答えを得て前を向いた栄光の王。

 その半生において十二の戦いを制したという、聖剣の、あるいは聖槍の――。

 

「そうですか……汎人類史における王は、女性であらせられましたでしょうか?」

「? はい。そうでしたね」

「ならば真名は、もしや『アルトリア』と?」

「…………ええ。彼女は、俺と会った時にはそう名乗ってくれました」

「嗚呼……そうでしたか」

 

 意図をつかめぬまま、素直に問いへの答えを返す立香。

 その言葉を聞いたベディヴィエール卿は、嘆くように――どこか憧れるように、小さな声で囁いた。ならば、そちらの私は……。

 

 かき消えた、銀髪の騎士の言葉の後半。しかしそれについて何かを尋ねる前に、ベディヴィエール卿は次の言葉を紡いでしまう。

 

「僭越ながら、お二方に嘆願が。私めは先ほど、陛下に対しお二方が何をおもねる必要もない、とお伝えしました。その言葉に嘘はございません。しかしながらひとつだけ――この扉の向こうにおわす我らが()()のことは、どうか『アーサー王』とお呼びください」

「……それは、いったいどういう……」

「アルトリア……その名は陛下にとって、()()()()()()()()()()()()()()。我が王の名は、アーサー・ペンドラゴンただひとつ。それは彼の御方の覚悟にして、もっとも古き誓約……。藤丸様が棄て名をお呼びすることを王がお咎めすることはないでしょうが、私の不遜な申し出を、どうか……」

「……わかり、ました」

 

 あまりに真剣な、そして悲壮さに満ちたベディヴィエール卿の瞳。新緑のそれに縋るように見つめられた立香に、頷く以外の選択肢はどうしても思いつかなかった。

 けれど立香には、己が間違った答えを返したとも思えない……安堵するように笑みを浮かべたベディヴィエール卿の顔を見れば、なおさらに。

 

「そのお慈悲に、無上の感謝を。この無才よりお願い申し上げる議は以上です。――それではこれより、扉を開かせていただきます」

 

 そして、一瞬で常の涼やかな表情を取り戻したベディヴィエール卿が姿勢を正して声を張る。

 

「陛下。円卓第二席ベディヴィエール、御国賓を連れここに帰参いたしました。只今こちらには、フィニス・カルデアより代表者藤丸立香様、ならびにその護衛シャーロック・ホームズ様がお越しです。ついては先に嘆願申し上げたよう、御入室の許可をいただきたく」

『――――赦す。入れ』

 

 はっ――恭しく一礼し扉を押し開くベディヴィエール卿。だがその姿がまるで目に入らなくなるほどに、立香は戦慄を覚えていた。

 

 今の、声。美しく凛とした、だが炎のように熱く、鋼を思わせる硬質さの。

 僅か二言ではあったが……あれは、まさか。立て続く混乱で忘れていた夢の記憶が蘇る。あの視線、あの重圧、あの光。いつかのように立香の夢が何かの暗示であったとするなら、この扉の先に在るのはあの声の――。

 

 ゆっくりと開かれていく扉。徐々にあらわになる、謁見の間の美しい装飾。鮮やかな絨毯、白壁に刻まれた精緻な紋様。広間最奥の壁に掛けられた竜と魔猪、巨熊の描かれた三枚の旗――だがそれらすべてが塵に見えるほど輝かしいのは、目を瞑り脚を組んで玉座に腰掛けるその『黄金』。

 ああ、と呻くような声が漏れる。一日ぶりとなる重圧が立香を包んだ。あの光輝。肌を焼く熱量。重金属の海に叩き落されたかのような、呼吸すら妨げる威圧感。あれこそが、六つの異聞帯を片手間に滅ぼした最強の王。鬣を思わせる美しい髪をなびかせる、誇り高き獣のような。

 

「さて――よく来てくれた、星見の者らよ」

 

 そして、閉じていた黄金の瞳が開かれる。

 

「名乗ろう。我が名はアーサー・ペンドラゴン。この国を統治するだけの只人だ。――藤丸立香殿。卿とは、あの夢以来になるな」

 

 かつて世界を救った少年と、祖国を救った王の瞳が――この瞬間、交錯した。

 

 

 

 

 

 





次回、立香死す。


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謁見 / 後


なんというか、難産でした。
まだ四話目で難産とか大丈夫かお前……って感じですが、まあノリで書いているので詰まることもあるのでしょう。これからも更新ペースはこんなものかも。

そんなわけで謁見後編です、どうぞ。



 

 

 

「どうした、何をしている?」

 

 壮麗豪華な謁見の間に響く、騎士王の凛とした涼やかな美声。その言の葉に激情や侮蔑の色はなく、ただかすかな疑問だけが滲んでいる。何かを、おそらくは己に問いかけているのだろう。だがこの強大な王が、己ごときにいったい何を――そこまで思考が及んだところで、立香は()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 え、と小さく息が漏れる。同時に恐怖が背筋を這った。

 いつ。いつだ。なぜどうして、何を思って己はここに膝をついた。自らの記憶を想起するも、確かなことはわからない。立香はそれを『いつの間にか』と称することしかできなかった。

 ベディヴィエール卿によって押し開かれた、謁見の間の大扉――そこから一歩も進むことなく、敷居を跨ぐことすらなく。少年は膝をつき頭を垂れ、忠実な臣下ですらあるかのように頽れて礼を取っている。一面に鮮やかな赤絨毯を映す立香の視界に光輝の王の姿はない。それは彼が――曲がりなりにも七つの特異点を駆け抜け、世界を救った少年が――目の前の女王と視線すら合わせられていないことの証左だった。

 

「藤丸――いや、立香殿と呼ばせてもらおうか。卿らは私が自ら招いた客人だ。我が民でも、まして臣でもなし。そのような礼は不要だとも。どうか顔を上げてほしい。そして、いま少しこちらに寄りたまえよ」

 

 玉座に腰掛けたまま、悠然とそう述べる光の女王。その声にやはり、試すような何かはない。『これ』を前に貴様は立てるか――などと、威圧しているわけではないのだ。この王の、彼女の常態こそがこの姿。その事実に、立香は戦慄を覚えずにはいられない。これほどまでの怪物が、これまでの自分の旅路にはいただろうか……少なくともあの回帰の獣を前にしてすら、何もできず膝を屈することだけはなかったというのに。

 

「……立香くん」

「ごめん、ホームズ。でも、これ……ッ」

「いいや、気持ちはわかるとも。仮にも英霊である私すら、この場では呼吸が難しい……これは少々、予想外だね」

 

 様子を見かねたのか、少年に近寄って言葉をかける名探偵。その声音には純粋な心配が覗いていた。常に冷静な彼の口調にそこまでの感情を滲ませる己の情けなさに、立香は知らず歯を食いしばった。

 礼など不要、と告げるアーサー王。だがそんなこと、少年はとうに知っている。ベディヴィエール卿はそのことを立香らに正しく伝えていたし、そうでなくとも眼前の王はクリプターと組む『敵』なのだ。あえて粗暴に振る舞うつもりこそなかったが、へりくだるつもりもまたなかった。ただ堂々と、泰然と、どれほどに絶望的な戦力差があろうともカルデアが諦めることはないと……そう宣言してやるつもりで。だから今でも、立香の心は立ち上がろうと叫んでいて。なのに少年の肉体は、彼の言うことを聞いてくれない。

 『これほどの傑物を前にして、なぜ恥知らずにも立とうとできる?』――そう、まるで立香の心の方こそがおかしいのだと糾弾するような身体の叫び。単純で原始的な、生物の本能的恐怖への屈伏。震えながらその『敗北宣言』を伝えてくる全身の細胞に、立香は喉を掻き毟りたくなるような苛立ちを覚えた。

 

 

 ――――男の声が響いたのは、その時だ。

 

 

「アーサー、あまり無理を言うものじゃない。言ったろう、君の前で畏まらずにいられるのはキャスターくらいのものなんだよ……」

 

 王に似て涼やかで、悠然とした声だった。

 若い男の、柔らかで、どこか余裕のある口調の言葉。いまだ絨毯を見つめるばかりの立香には正確な位置は見えないが、それは玉座の傍らから聞こえてきていた。

 

「まったく、これじゃあ自己紹介もままならない。静かにしていようと思ったんだけど……仕方ないな」

 

 呆れるような息をひとつ。困ったものだね、などと呟きながら、声の主は静かに歩いて近づいてくる。謁見の間の柔らかな絨毯は彼の靴音を響かせることはなかったが、その接近を立香は肌で感じていた。

 自然、体が硬くなる。この異聞帯を統治する、目の前の王への気さくな言葉。発したキャスターという単語。ならばこの声の主とは、おそらくはクリプター――謎多き魔術師、沙条綾人。先ほどは騎士王の存在感に紛れ見落としていたが、最初から彼女に並び立っていたのだろうか。

 いつでも潰せるだろうカルデアをわざわざ客人として招いた以上、彼には何か思惑があるのだろうとは思う。敵意の有無は置いておくにしても、何か立香にやらせたいこと、聞かせたい言葉があったからこそこの場を設けているはずだ。そのことを、理性では理解できている。だが彼個人の人格がどのようなものであれ、カルデアとクリプターは敵同士。その相手が動けない状態の自分に近づいてくる状況で、何も感じるなというのは少々無理な相談だった。

 

「ああ、そう睨まないでくれないか、名探偵。別に取って食おうなんて思っていないよ。危害を加えたりもしない。君なら私の言葉の真偽くらい、この場でも読み取れるだろう。少し……そう、彼の緊張をほぐしてあげようと思っただけさ」

 

 膝をつく己の頭上で行われる静かなやり取り。おそらくは立香を護ろうとしたホームズが何か行動を起こそうとし、それを察した綾人が言葉で宥めているのだろう。数舜の沈黙――その中で彼らの間に何が交わされたのかはわからなかったが、ホームズは迷いを残しつつも立香から離れ……男の気配はとうとう彼の手前にまでやってきた。

 

「さて……失礼するよ」

 

 軽く言って、立香の正面に同じようにして膝をつく綾人。

 彼は立香の肩にそっと手を置くと、ゆっくりと傾いた上体を起こして顔を合わせる。

 そこで初めて、立香と綾人の視線が絡み――綺麗な人だな、と立香は場違いにも思ってしまった。

 

 柔和な、そして整った顔立ちをした青年だ。白く日焼けのない滑らかな肌。月のない夜のような黒髪。そして自分とどこか似た――けれど、後輩に青空のようだと称された己のものとは確かに違う、深い海を思わせるような――蒼い瞳。浮かぶ微笑は絵画のように芸術的だ。あるいは人形のよう、と言い換えてもいいかもしれない。

 そう、人形。多くの目を惹く魅力があり、それでもどこか人工的――作為的で、整いすぎていて。言ってしまえば無機質な。だから、格好いい、美しい、ではなく……綺麗。

 マシュの言っていた言葉の意味が、立香には少しだけわかった気がした。()()、と直感する。この男は、沙条綾人は――藤丸立香がこれまでに対峙してきた誰とも違う、不可思議な性質を保有していると。

 

「いいかい、私の目を見て。呼吸はゆっくり、自然に……いつもの自分を思い出して……そう……三、二、一……」

 

 ぱちん、と。あまりにも軽く感じる、指を弾いた音が聞こえて。

 そしてそれだけで、立香を包んでいたあの重圧はどこかに消えてしまっていた。

 

「これで、少しは良くなったはずだけど……どうかな」

「……楽に、なりました。ありがとうございます。でも……いったい何を?」

「気付けのおまじない、みたいなものさ。立てるかい?」

 

 気楽そうに言って、手を差し伸べる黒髪の青年。立香は微妙な心境でその手を取ると、ようやく己の足で立ち上がった。

 綾人はそのまま握手でもするかのように立香の手を握って、笑みを崩さぬままに続ける。

 

「王に倣って名乗ろうか。私は沙条綾人。こう言っていいのかはわからないが……()()()()()()

「藤丸立香で……って、ぇ……久し、ぶり?」

「ああ、やはり覚えていないかな。まあ無理もないけれど」

 

 くすくす、と綾人は笑んだ。まるで、何かを懐かしむように。

 

「自分の情けなさを実感するから、あまり思い出したくはないんだが……ほら、ブリーフィングがあっただろう。すべてが始まる前、レフ教授がカルデアを爆破する直前の。藤丸くんが爆睡してオルガマリー前所長に叩き出されたやつ。あのとき私は、君の隣に座っていたんだ――面白い子が来たものだと思ったのを、今でもよく覚えているよ」

 

 ()()()、と。世間話でもするかのような綾人の態度に、立香は得体の知れない感情が湧き上がってくるのを自覚した。

 別段、話題としておかしなことは言っていない。カルデアマスター候補生Aチームのエリートがあの時点での藤丸立香を記憶していたことは意外だったが、座っていたのが隣だったならそういうこともあるだろう。立香だって、大事な会議で眠りこけているような変人がいれば印象に残るかもしれない。だから、いい。まだそれはいい。

 だがあまりにも、沙条綾人の言葉は()()()()。レフ・ライノールの裏切り。カルデアの爆破……それは藤丸立香にとっては世界を巡る旅路の始まりだったが、目の前の男にとっては自らの死因にも等しいのだ。なのに黒髪の魔術師は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ほがらかに、微笑みすら浮かべながら。

 

 寛大でありながら、冷淡。沙条綾人を評したマシュの言葉は間違っていない。

 この男は裏切りによって自分が殺されたことにも、その裏切り自体にも、それによって自分たちが得るはずだった功績を立香に掠め取られた事実にも、たいした意味など感じていない――そう思った瞬間に、立香は沙条綾人の手を振り払っていた。

 あ、まずい――生理的嫌悪を抑えきれなかった自分を恨めしく思うも、手を振り払われた側の綾人の態度は変わらない。少し意外そうにしてから、ああ、と変わらず笑うだけだ。ごめんね、男が長々と手を握るのは気持ち悪かったかな――その平静な表情がより一層、立香の心を煽りたてる。

 

「まあ、私のことはいいんだ。ここは今、君と王との語らいの場……藤丸くん、もう気分は平気かい?」

「…………はい。俺なら、もう大丈夫です」

「そうかい、よかった。なら私は控えていよう」

 

 そう言って沙条綾人は、玉座の傍らへと戻っていく。

 その不気味な後姿に続き、低頭したままのベディヴィエール卿を扉の前に残してようやく広間へと入室した立香。彼の視線は先を行く男を追いかけて――自然、再び黄金の瞳と目が合った。

 眼前で行われた一連のやり取りを無言のままに眺めながら、玉座に腰掛ける王の姿。純白の鎧を纏うその全身から発される威圧感は依然かなりのものだったが、それでも再び立香に膝を屈させるようなものではなくなっている。

 

 呼吸を深く、ふたつ重ねる。たったいま感じた違和と不快さは一度頭から追いだした。この場は彼女と立香のためのものだと、沙条綾人はそう言った。主賓は己で、ホストは王だと。それはホームズの発言力を削ぐ牽制でもあったのかもしれないが、同時に沙条綾人もこの場ではこれ以上表立たないという宣言でもある。ならば切り替えなければならない。今、藤丸立香が向き合うべきはアーサー王だ。不気味な魔術師への警戒を怠ってはならないだろうが、そちらはホームズに任せると即断する。ちらと傍らの名探偵に視線を投げれば、彼は了解を示すように頷いて視線を黒髪の青年へと固定した。

 そうして、努めて精神状態を平静な位置まで戻した立香は今度こそ異聞帯の王に向かい合う。

 その様子を見て取って、騎士王は静かに口を開いた。

 

「ふむ……礼を失したのは私だったか。あい済まぬな、立香殿。私はどうにも、昔から無意識に他者を威圧するらしい。これでも抑えるよう努めているつもりなのだが……」

「……いえ。今はもう、問題ありませんから」

「そうか。ならば、よい――しかし」

 

 とん、と騎士王が玉座の肘掛けを指で叩く。小さく、けれど繰り返して。どこから話したものか、とでも迷うかのように。

 

「まず話さねばならぬのは……やはり、『なぜ』という部分なのだろう。なぜ、私はカルデアをこの地に招いたのか。なぜ、卿らを攻撃しようとも、捕縛しようともしないのか。私という人間が、あるいはアーサー・ペンドラゴンが率いる勢力そのものが、いったい何を考えているというのか……卿らの心には今、多くの疑念が渦巻いているはずだ」

 

 淡々と、その鋼の面差しを揺るがせぬままに女王は言った。

 

「だが――実のところを言えば、この場で多くを語るつもりは私にはない」

「……それは……妙な、話ですね。アーサー王、あなたが――もしくは、沙条さんが俺たちと何かを話したいから、カルデアはこの場に招かれた。俺はそう、認識していたんですが」

「然り。卿の考えは正しいよ。我々はある取引を持ち掛けるため、カルデアを我が居城へと招いた。その意味において、私には卿と語らねばならぬことが多くある。だがそれをこの段階で行うのは……そうさな、パーシヴァル卿に倣って言えば、『公正』ではないと思うのだよ」

「公正では、ない?」

「私がこの場でカルデアに何かを求め、その対価として何かを差し出すと約束したとする。だがそれを私が卿らに支払うという信用も、支払うべき対価がこの異聞帯に存在するという確証も、そもそも私が虚言を弄さぬという信頼も、卿らはまだ得ていない。加え我らには戦力差がある。この状態で持ち掛ける交渉は『脅迫』と呼ばれるべきものであると、私はそう考えている」

「……脅迫、ですか」

 

 言い得て妙、とでもいうべき表現だった。

 カルデアとブリテン異聞帯には、絶対的なまでの戦力差がある。それは単純な戦闘能力であり、物資的な話でもあり、掴んでいる情報量という意味も含んでいた。圧倒的な武力をちらつかせ無知な相手に取引を迫る――それは確かに、非道と言える行いだろう。それをとうの敵側から告白されるのは、どうにも妙な心地だったが。

 

「今、この場に限って卿をこの部屋へ招いた理由をあえて告げるなら……我々の誠意を見せておこう、という程度の話なのだ」

「誠意……?」

「そうだ。大前提として、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。他の異聞帯がどうであったかは、今となってはわからぬが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ゆえに、その機会を失いたくなかった。敵対が決定的になる前に顔を合わせておきたかった。今さら何を、という気持ちもわかる。性急な招待が拉致まがいの強引さであったことは認めよう。そのことについては謝罪もする。賠償を欲するなら支払うとも。だがそれだけ――我らも本気なのだよ」

 

 女王は言う。

 我々はこの時点で、カルデアに何も求めない。

 我々はこの時点で、カルデアに僅かも攻撃しない。

 我々はカルデアに、態勢を整える時間を与える。

 この異聞帯を見よ。民から話を聞け。存分に情報を求め、望むなら野良の英霊も掻き集めよ。

 情報差を埋めよ。戦力差を埋めよ。その間、卿らが不当にこの国の民を傷つけぬ限り、天文台には手を出さぬ。

 そして王が差し出すその『誠意』を対価として――ただ一度、この異聞帯と対等な交渉の席に着けと。

 

「無論、期限は区切らせてもらう。だが数日などと無理をいうほど差し迫っているわけでもない。焦らずとも構わんよ。卿らにはベディヴィエール卿を付けるゆえ、何かあれば彼を通して伝えるがよい。私からも何かあれば彼を通す。国賓として招いた以上、宴席や客室も用意しているが……我らが信用ならぬというなら、それらに付き合わずとも構わぬ。ベディヴィエール卿を伴うのであれば王都を出ることも許可しよう。思うまま過ごされよ、立香殿。繰り返すが――私は卿と、手を取り合いたいと思っている」

「…………あな、たは」

 

 理解不能――立香は限界を迎えそうな思考の中で、だが精一杯そう絞り出した。

 泰然として君臨する、光り輝く騎士の王。燃え滾る熱と鋼の冷たさを両立させる、人中至高の大英雄。その精神は超然として、立香には何も読み取れない。あるいは隣に並ぶホームズであれば違うのかもしれなかったが、彼はいまだ黙して語らない。少年は目の前のこの王に何を見出すこともできなかった。

 けれどだからこそ、問わねばならないことがある。己こそは藤丸立香、平凡なる人理の砦。始まりは望んだものでなくとも、ここに立つと決めたのは他ならぬ自分なのだから。

 対峙する間、ついぞ僅かにすら揺れることのなかったその黄金の瞳に向けて――たったひとつの問いかけを。

 

「あなたは最終的に、俺たちに、何を望むんです。異聞帯を六つも潰しておきながら。それだけの力がありながら。どうして、全ての勢力の中で一番弱いだろう俺たちと手を組みたいなんて言うんです。仮にカルデアがその交渉に応じたとしたら――俺たちは、何をやらされるんだ」

「ああ――簡単な話だよ」

 

 それに女王は、やはり表情を変えぬまま返答した。

 

 

「――――『敵』がいるのだ。何を置いても討つべき『敵』が。我々が刈り取った七つめの……否、()()()()()()が残した負の遺産がな」

 

 

 

 そのために、どうか卿らの力を借りたい。

 よい返答を期待しているよ――――世界を救った、勇者殿。

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

「――――さて」

 

 ベディヴィエール卿によってしめやかに閉じられた謁見の間の大扉――その向こうに立香らの姿が消えた瞬間、どこか楽しげに声を発したのは綾人だった。

 

()()()()()()()()。どう見る、アーサー。僕の言っていたことがわかったかい?」

 

 私人としての己に立ち戻りながら、しかし魔術師としての微笑は崩さぬままの曖昧な問い。何かを試すような色を含んだその声音にしばし沈黙を返してから、アーサーは瞑目して己が伴侶の言葉に応えた。

 

「……そうだな。彼は良い目をしていた。かつて幾度も目にした輝きだ。婿殿の言う通り……叶うならば、本当に敵対したくはない」

「なぁんだ、だめだめ。まったくわかってないじゃないか。困るよ我が王、そんなことでは。何のために手間隙かけて、君と彼をこの段階で引き合わせたと思っているんだい? 僕は藤丸立香とできれば敵対したくないなんて言ってない――()()()()()()()()()()()()()()()()()と言ったんだ。この違いは重要だよ。そこだけは、共有してくれないと」

 

 どこか遠くを見るようにして、綾人は緩く目を細める。

 半ばまで瞼に隠されたその瞳の奥には、追憶とも憎悪とも取れる歪な澱が揺蕩っていた。

 

「『いる』んだよねぇ、ああいうのって。同伴がシャーロック・ホームズだったのがいい証拠だよ。レオナルド・ダ・ヴィンチかキリエライトさん、それともいっそ全員で来てくれればこの場で王手だったのに……ああ、どこまで見抜かれたかな。幸いにも君は嘘を言ってないから、それでうまくミスリードされてくれればいいんだけど。あの名探偵、本当に早めに退場願いたいよ……藤丸くんがそばにいるなら無理だろうけど」

「いやに警戒するな、婿殿。立香殿はそこまでか」

「そこまでさ。ひょっとして最初に膝をついたから評価を下げたかい? よくないな、それはとてもよくないことだよアーサー。あんなことはもう二度とない。次に会えば彼は立てる。その次には君に軽薄な冗句さえ飛ばすだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「卿は、私が敗北すると?」

「いいや、“勝つ”のは君だ。個としてアーサー・ペンドラゴンに勝る生命体などこの世にはいない。だが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『意味のある勝利』を得るには、ここからの立ち回りが重要なのさ」

「……やはり、私には『それ』は視えんな」

「だろうね。これは、きっと僕だけのものだから」

 

 それに、視えて嬉しいものでもない――自嘲するように息を吐いて、綾人はくつくつと喉を鳴らした。

 さらり、と傍らの女王の御髪に指を通す。おそらくはこの国でただひとり、己だけが赦しなく触れられる伴侶の黄金。絹糸よりもなお柔らかなそれに沿うように手を這わせていけば、やがて指先は形のいい耳にたどり着いた。それを軽くくすぐりながら微笑んで、黒髪蒼目の魔術師は言う。

 

「まあ、心配はしなくていいよ。アーサー、我が伴侶。勝ち筋はある。君は常のように正道を歩め。王として、この国を護るために必要なすべてを行うんだ。嘘と非道はすべてこの身とキャスターが請け負おう。そして必要になれば僕すら斬って、この地に安寧をもたらすがいい」

「……ああ、そうだな。そうするとしよう。だが婿殿――叶うならば、私に卿を斬らせてくれるなよ。我が千五百年を哀れんだ卿を、故にこそ私は信じているのだから」

 

 その言葉には応えずに、綾人は王の金髪から手を離した。

 そしてそのまま、ひらひらと手を振って扉に向かっていく――その背を黄金の瞳で静かに見つめる女王の面差しに、やはり目に見える感情は浮かばない。揺らがぬ声音をそのままに、騎士王は花婿へと問いかける。

 

「どこへ?」

「『保険』を仕掛けに」

「クリプターか。六名全員、生きてはいると報告は受けているが……どうするつもりだ?」

「さて。でもまあ、順当にいけばペペ、かな。そこはケイ卿と話してから決めることにする――まあ、それはともかく」

 

 そこでくるりと振り返って、綾人は艶然と微笑んだ。

 

 

 

「開幕の時間だよ、我が王――――ここからは、英雄譚を始めよう」

 

 

 

 

 

 




【悲報】藤丸立香、初手から超警戒される【頑張れ】

なお今後解説予定のない裏話をしておくと、オリ主くんが動けない藤丸くんにかけてあげたのは『気付けのおまじない』でもなんでもなく『警戒心を鈍化させる呪い』です。藤丸くんは完全体我が王を怖いと思う生物的本能を麻痺させられたことで普通に立てるようになりました。でも善意でかけてあげたのは本当なのでホームズセキュリティは突破してます。わあ悪辣。まあ彼の専攻は黒魔術なので許してあげてください。

次話更新日時は未定ですが、それではまた次回。


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友人として


お待たせしました、第五話です。
拙作を読んでいただいている読者様の大半は大丈夫だと思うのですが、一応二部二章におけるオフェリアについて少しネタバレがありますので注意喚起しておきます。

それでは、どうぞ。


 

 

 

 ――――昔から、日曜日が嫌いだった。

 

 別に、そうたいした理由があったわけではない。重大な事件に巻き込まれて、以来その日がトラウマになったとか。大切な人やペットを亡くしたとか。そういう特別な何かが起こったことは一度もなかった。けれど、ただなんとなく。気がついた時にはいつの間にか、己という女は日曜日を憂鬱に感じるようになっていた。

 

 原因はたぶん、家族だったのだろうと思う。日曜日――曰く神様が「光あれ」と唱えたという七曜の始まりは、多くの人にとっての休日で。例に漏れず、己の両親もそういう人たちであったから。その日には、父と母が家に揃ってしまっていたから。だから日曜日が嫌いだった。

 愛されていなかったわけではない。むしろ両親は、多くの愛をこの身に注いでくれたと思う。暴力や貧困に苦しめられたこと一度もなかった。才、愛、富、血――多くの人々がそのうちの何かを欠きながら生きるこの世界で、魔術師という生まれでありながらすべてを満たされていた自分は、きっととんでもなく恵まれた人種だ。確かな才を持ちながらその血の薄さゆえに苦しむ魔術師。何ひとつ悪事など成していないのに正当な愛を受けられない孤児たち。彼らを差し置いてそんな低俗なわがままを言うべきではないなんて……そんなことは、わかっている。けれど、ああ、それでも。大好きなはずの両親が生家に揃う日曜日が、私には憂鬱で仕方がなかったのだ。

 

 日曜日が嫌いだった。

 両親が自分に向ける、期待の視線が重かったから。

 日曜日が嫌いだった。

 己の成長を父母に確認されるその日の家が、まるで厳格な法廷のようだったから。

 

 日曜日が嫌いで、憂鬱で。時計塔に入って独り立ちし、生家に帰る機会が減っても、その日を迎えると最低な気分になってしまう呪いは解けてくれなくて――だから『彼』と出逢った土曜日も、憂鬱な明日の存在を少しでも忘れ去ってやろうと降霊科の課題に挑んでいたのだ。

 

 

「――そこに『退去』の陣を置くのは、少し強引じゃないかな」

 

 

 なんて。たしか最初に、彼はそんな唐突なことを言ったのだったか。

 茜色の夕日が差す図書室で、初対面の相手の前に臆することもなく座りながら。

 

 

「三重陣にこだわるから上手く『遊び』を確保できないんだ。僕なら外から『召喚』、『変遷』、『交換』、『使役』……そして『契約』に繋げるけれど」

 

 

 何を馬鹿な、と、最初は一蹴したと思う。

 そもそもが知らない男の言葉だったし。そうでなくても、自分が挑んでいた課題は『強力な使い魔の召喚を可能とする三重陣』というものだった。五重陣などという、組み方次第で英霊すら召喚できる大儀式についてのものではない。

 降霊科でないのか、この課題すら与えてもらえなかった落ちこぼれなのか知らないが、的外れな忠告は不要。そんな見たことも聞いたこともないふざけた陣は、家に帰ってひとり寂しく描いていろ――とか。気が立っていたのもあって、随分と酷く当たったように記憶している。今思い返してみれば、いくら何でも失礼だと反省するくらいには。

 けれどその時の彼は、くすくすと笑ってこちらの言葉をいなすだけだった。

 

 

「そうかな? 課題がそもそも三重陣に限定されているというのは、そりゃあ知らなかったけれど……いま言ったやり方も、冗談で口にしたわけじゃないよ」

 

 

 ほら、なんて軽く言って、さらさらとペンを走らせる彼。白紙のノートの隅に描かれていくその五重陣は教科書に載っていてもおかしくない程度には完璧で、芸術的で。けれど今までに読んだどんな参考文献にも似たようなものは書かれていなくて。これほどまでの魔術を思いつきで組み上げてしまう目の前の少年はいったいどこの誰なのかと、戦慄と共に初めてそこで顔を上げた。

 

 そうしてようやく目の前の彼と目が合って、まず感じたのは『綺麗』という不思議な印象。

 夜のような黒髪。海のような蒼瞳。柔和な笑み。整っていて――そして整いすぎていて。どこか人形じみて無機質な。

 恐ろしい絵画や彫刻に、それでもなぜか惹き込まれるかのような感覚。その少年から、どうしても自分は目が離せなくなってしまって。だから小さく震える声で、彼の名前を訊いたのだ――触れてはならない、関わるなと、本能は一瞬で警戒を促してくれていたのに。

 

 

「ああ、僕は沙条綾人。今日から降霊科に来た編入生さ。日本から来たもので、まだ知人のひとりもいなくてね……早めに誰か知り合いをつくっておきたかったんだ。それで――たまたま僕の目に留まってしまった、不運な君のお名前は?」

 

 

 ……私の、名前は。

 

 

 

 これは、誰にも話さない最初の記憶。

 どこまでも綺麗で、けれど歪な、他人から嫌われやすい彼との出逢い。

 オフェリア・ファムルソローネの、たったひとりの大切な――――。

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

 眠っていた意識を優しく引き上げたのは、漂う紅茶の香りだった。

 とても、懐かしい匂い。かつてロンドンで、そしてカルデアで、幾度となく嗅いだ香しさ。クリプターとなり北欧へ渡ってからはすっかりと嗜むこともなくなっていた、言ってしまえば故郷の香り。ああだけど、これはそれだけではないような。時計塔で学んだ日々――カルデアに来る少し前までの『日曜日のお茶会』で、彼がよく淹れてくれていた。

 

「……ああ、そうか」

 

 そこまでを想起して、オフェリアはようやく重い瞼を開いた。

 目に映るのは知らない天井。身を包むのは柔らかな、これも覚えがない寝具。けれどああ、鼻をつくこの香りだけは知っている。

 

 のそりと身を起こして部屋を見渡せば、そこにはやはり知った人間の姿があった。

 夜のような黒髪。海のような蒼瞳。出逢ったあの日から成長しても、無機質で柔和な姿はそのままの彼。

 ソファーに腰掛けてこちらを見つめる、己のたったひとりの友人。

 

「……私、負けたのね、綾人」

「そうだね、君は私に敗北した。――けれどともかく、おはようオフェリア。あれから三日経つけれど、気分はどうだい?」

「『私』……そう。あなた今は魔術師(そっち)なのね。なら私も、少し入れ替えないとダメかしら」

 

 ふう、と大きく息を吐いて、オフェリアは気怠さの残る身体を起こした。

 己の身体に怪我がないことを確認し、ふらつきながら立ち上がって、なんとか綾人の対面のソファーに腰掛ける。視線で催促してやればカップに紅茶が注がれたから、それで唇を潤した。躊躇いは特にない。綾人という友人がこんなどうでもいい場面でどうでもいい毒を仕込む輩ではないことを、オフェリアはとうに理解していた。

 何を言うでもなく視線を彷徨わせ、部屋の内装を眺めていく。寝台、ローテーブル、蔦模様の描かれた壁紙、毛足の長い柔らかな絨毯。ソファーはふたつ。開かれた窓は大きくて日当たりがいい。吹き込んだ風が優しくオフェリアの頬を撫でた。そのこそばゆさにようやく思考が回り始めるのを自覚して、彼女は静かに口を開く。

 

「気分は……まあ、良くはないわ。心配されるほど悪くもないけど。三日というのは?」

「私が君たちの異聞帯を刈り取ってから三日、ということさ。カルデアがここに到着してからは二日かな。彼らは昨日から王都の屋敷を拠点に活動しているね」

「カルデアが? 居場所がわかっているならどうして捕らえに行かないの?」

「そういう方針だから、かな。……私も色々、考えながら手を打っているところでね」

 

 君のところに来たのは、そういう諸々の一環でもあるんだ――微笑みを崩さないままに綾人は言う。その姿にオフェリアは懐かしい不気味さを感じた。カルデアに召集されてからは特殊な生活が続いていたせいか、魔術師としての彼に相対するのは随分と久しぶりだ。相も変わらず、自己を()()()()()彼は微笑む。それは仮面なのか威嚇なのか……魔術師・沙条綾人は絶対に微笑を崩さない。その笑顔はぞっとするほどに綺麗なもので、だからオフェリアは彼のその顔が嫌いだった。

 

「私にも、まだ何かをさせたいということね。……いいわ、私、もう負けているんですもの。勝者の話は聞きましょう。けれど――」

「けれど?」

「聞きたいことが幾つもあるわ。すべてに、とは言わないから私の質問に答えてちょうだい」

「構わないよ。それで、君の納得を得られるなら」

 

 そうね――小さく呟いて、オフェリアは自身の心の内を整理した。

 疑問。目の前の青年に問うべきこと……思いつくことはいくらでもある。すべてを厳しく追及していけば日が暮れてもまだ足りないだろう。だから優先順位をつけて、端的に組み立てていかなければならない。

 

「……『君たちの』、と言っていたわね。ならまず、私たちの異聞帯を襲った理由を聞こうかしら。『クリプターは互いに過度な干渉をしない』――協定はそうなっていたはずだけれど」

()()()()()()()()()()。異聞帯が順に潰されてそのリソースを回収される、という事態だけは避けたかった」

「順に潰されて? あなた、カルデアが私たちに勝てるとでも思っていたの? 私やカドックならともかく、キリシュタリア様やあなたにまで?」

「そういうわけじゃない。ああいや、クリプターなんてどれだけいようが藤丸立香に勝てはしないと考えていたのは事実だけれど……この場合、ブリテンによる異聞帯襲撃とカルデアに直接的な関係はないよ。だけど今は、これ以上は言えないかな」

「……そう。なら、今はいいわ」

 

 オフェリアは息を吐いて、あっさりと追及を諦めた。

 彼女と綾人の付き合いは長い。彼が時計塔にやってきたその日から、もう十年近くにもなるだろうか。その間の付き合いで、オフェリアは綾人の私人としての性格も、魔術師としての力量も理解している。言えない、というならば彼は絶対にそれを秘し続けるし、口を割らせるような手札はオフェリアにはない。無駄な時間は嫌いだった。

 それに――言えない、だ。言わない、ではない。ならば理由があるのだろう。それはきっと甘さと称される弱点なのだろうが、彼女は友人の秘密を無理に暴こうと考えることはできなかった。

 

「次の質問。異聞帯を襲撃しながらも、あなたは私を生かしている。その理由は? そして、他の皆はどうしたの?」

「前者には三つの回答がある。クリプターとして、大令呪を失わせたくなかったから。魔術師として、そうすることが利益になると考えたから。そして私人として――オフェリア、君が私の友人だからだ」

「後者については?」

「とりあえずは生きている。カドックくんとデイビットさんは負傷してまだ目覚めていない。芥さんはちょっと感情的になっていて、今は話にならないから拘束中。ペペとはもう話をつけて、契約が成立したから好きにさせてる。今は王都でも観光してるんじゃないかな」

「……ヒナコが……いえ、いいわ。キリシュタリア様は?」

「『北』に発った。彼はさすがに、一目で色々と()()()くれてね。キリシュタリアには独自に動いてもらった方がいいと判断したんだ」

「なら、その……ベリルは?」

()()()

 

 端的な、斬るような一言。それを発する瞬間にも、綾人の微笑は歪まない。だがその声音の奥の奥に、オフェリアは長い付き合いだからこそ感じられる不吉な影を読み取った。()()か、と瞬間的に悟る。寛大でありながら冷淡、およそ世界の事物のほとんどに執着や熱意を持たず、当初クリプターとしても最もやる気に欠けていた彼――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ほど生きることに興味を持っていなかった綾人が、こうまで積極的に動く理由。

 沙条綾人が能動的に動いている――そもそもオフェリアからすればありえない、この奇妙な事態のすべての原因はそこにあるのだ。

 

 とはいえオフェリアは、そこに更に踏み込む選択はしなかった。

 先ほどと同じだ。沙条綾人が何かを秘すには、それを秘すだけの理由がある。それを暴くことは自分にはできない。

 だから頭を切り替えて、彼女は次の問いに移行する。

 

「……なら、ここからは個人的な質問。北欧異聞帯に乗り込んできた『アレ』は、いったい何?」

「『百獣の騎士』、パロミデス卿さ。栄えある円卓の第十席だよ。彼は名乗らなかったのかい?」

「名乗るも何も、そんな状況じゃなかったけれど……サー・パロミデス? あれが、かの高名な? あれで本当に騎士だっていうの?」

「ああ、まあ言動は野卑なところがあるからね。口の悪さにかけて、円卓で彼の上を行くのはケイ卿くらいだ」

「そうじゃなくて、いいえ、それもあるけれどそれ以前に――()()()()()()()()()?」

「――なるほど、そうか。君は見たんだね」

 

 くすりと笑む綾人の瞳を覗き込みながら、オフェリア・ファムルソローネは想起する。

 あの男。雪のような白髪を乱雑に伸ばした粗野な戦士。幾万の獣を引き連れ――()()()()()()()()()()()()()

 あれは、あの男は、あの怪物は何だったのか。高らかに誇りを謳いながらに、老若男女の区別なく、神も英霊も人間も、あの地にあったあらゆる命を余さず()()()()()()化け物。今もって肌が粟立つような悍ましさを思い起こさせる彼が騎士であるなどと、オフェリアは断じて認めたくなかった。

 だが彼女の厳しい視線を、綾人はゆるく笑って受け流す。

 

「すまない、オフェリア。彼について私から多くを語るには、王の赦しが必要だ。だからひとつだけ、彼の口癖を言わせてもらえば――『それが一目で見抜けないうちは、何度やったって彼には勝てない』。君が負けたのは、つまりそういうことなのさ」

「……そう。…………そう、そうね。私は敗北者――だからこの問いも、この感傷もここまででいい」

 

 深く――本当に深く、肺の中の空気をすべて絞り出すようにして息を吐いた。

 思うところはある。悲しみも、怒りも、心残りも。自分はあの地に、たとえ命を引き換えにしてもいいほどに求めた『何か』を置いてきてしまったのではないかと、そんな思いは拭えない。だが時間とは、魔法に至らぬ限りは巻き戻せないものなのだ。切り替えよう、とそう決める。自らが生き残ったことに意味を与えるために、オフェリアは『ここから』を戦っていかなければならない。

 

「わかったわ。今は、ここまで。聞きたいことも言いたいこともあるけれど、この場では胸にしまいましょう。――綾人、あなたの話を聞くわ」

「ありがとう、オフェリア。ならばここからは、契約についての話をしたい」

 

 いつの間にか空になっていた互いのカップに紅茶を注ぎなおして、綾人はにこやかに言葉を続けた。

 オフェリアにとっては、理解の及ばない言葉を。

 

「端的に言おう、オフェリア――()()()()()()()()()()()。報酬にすべてが終わった後、君と君が望むもう一人の生存を確約しよう」

「……意味が、わからないわ。綾人、あなたとは長い付き合いになるけれど……こんなにも混乱するのは久しぶり」

 

 友人の異聞帯を突然に破壊しておいて、その友人に今度は味方になれと告げる――その精神性についてはもはや何も言うまい。魔術師としての沙条綾人はそういう男だ。他者の情を理解しないわけではなく、だが察したうえで無意味と断ずる。その性質を知っているから、オフェリアは今更そこには言及しない。

 だが味方が欲しいという、その申し出自体はまるで理解できなかった。七つの異聞帯をすでに消滅させた彼に、戦力的な不安があるとは思えない。自らの魔眼を欲するならば理解できたが、それならば彼はもっと具体的に要求を提示するはずだ。味方――その言葉がどこまでを指すのか。敵とはどこまでを指すのか。オフェリアの中で、いくつもの思考が錯綜する。

 

「味方……戦力なんて、あなたにはもう円卓の騎士がいるでしょう」

「彼らは『王の味方』だ。私が騎士王に与しているから、今は私にも従っているだけに過ぎない。キャスターに至ってはもっと特殊な立ち位置にある。信用は出来ても、とかく信頼のおける相手がいないんだよ。――ここから何がどう転んでも、どんな状況にあろうとも味方であると確信できる誰かが欲しい。私はそれを、オフェリアとペペに依頼したい」

「……あなた、どこかで異聞帯の王と手を切るつもりなの?」

「今のところ、そのつもりはない。けれど、ああ……『鼠』がいるものでね。盤面がどう崩されるかわからないんだ。逆に言えば崩されることだけは確定しているから、それに備えたいんだけれど」

「盤面、って……まるでゲームみたいに言うのね。人を、何かの駒みたいに」

「実際にゲームだよ。オフェリア、今この異聞帯で行われているのは()()()()()()()()()()()()()()()()という勝負なんだ。全員を駒にした盤遊戯さ。指し手を兼ねる駒が三つ、状況を大きく動かす駒が幾つか、そして盤を破壊する特異点が三つある。私は私で、今もかなりの綱渡りなのさ」

 

 微笑む綾人の面差しに、オフェリアは何も見て取れなかった。

 いつもそうだ、変わらない。それなりに長い付き合いのこの友人は――オフェリア・ファムルソローネを呪わしい日曜日から連れ出してくれたこの青年は、いつもオフェリアには見えない何かを見ている。同じ光景を見ているのに視点が重ならない寂しさを、何度感じたことだろう。

 十年も交友を重ねても、オフェリアは時おり綾人がわからなくなる。あるいは理解できたことの方が、もしかすれば少ないかもしれなかった。

 

「報酬についても同じことだ。この先の盤面で、誰がどう落ちるかはまだわからない。シナリオはまだどうとでも転ぶ。まあ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――それでも君が協力してくれるなら、私は君が絶対に生存するシナリオをつくりあげる。そしてそれだけでは不足だろうから、さらに君が望むもうひとりも生き残らせよう。キリシュタリアか……君はキリエライトさんも気に入っていたね。そちらでも別に構わないよ」

「……何よ、それ。円卓……あの男に並ぶ英雄の集団が半壊? あなたはいったい、何を……」

「まだ言えない。いいや違うな、これについては()()()()()()。だから最後まで明かせない」

「無茶苦茶な契約よ、そんなの。あまりにも情報が少なすぎる。呑めるわけがない。私とペペを味方に、とあなたは言ったけれど……ペペがそんな条件を呑んだっていうの?」

「呑んだよ、あっさりと。彼に提示した報酬は君とはまた違うものだけど。『貸し』があった、というのも大きいだろうけどね」

「なら残念ね、私はあなたにこんな契約を呑むような借りはない」

「そうだね、だけど私たちには友情がある――だから頼むよ、オフェリア。どうか『僕』に力を貸してくれ」

 

 唐突にその微笑みを崩し、困ったように眉を寄せて綾人は言った。

 一瞬で行われる、魔術師から私人への転換。不気味な合理の化身から、歪な心の人間にまで沙条綾人は戻ってくる。その切り替えにオフェリアは呻くように息を呑んだ。

 ずるい、と思う。彼は肝心な時ひどく卑怯だ。非人間的な無機質さと当たり前の情動を、見ている側が不安になるような儚い一線で使い分ける。魔術師としての沙条綾人には対立できても、友人としての彼の懇願なら断れない――そんなオフェリアの弱さを知っていながら、こうして蛇のように絡みつくのだ。そしてその観察眼が正確であるがゆえに、オフェリアは綾人の手を振り払えなくなってしまった。たとえ最初オフェリアに相対したとき魔術師として接したのがこのための伏線だったと察していても――この転換が、冷淡な計算のもとに行われていると理解していても。

 

 ああ、綾人の言う通りだ。

 オフェリア・ファムルソローネは沙条綾人に借りなどないが――多少の貸し借りなどでは揺るぎもしないほど、抱いてしまった情がある。

 

 数十秒にも及ぶ沈黙を経て、オフェリアは俯いて口を開いた。

 この落としどころを、綾人は最初から見据えていたのだろうと察しながら。

 そしてこの場面で私人としての己を表に出した綾人の、()()()()()をうっすらと理解してしまいながら。

 

「…………ひとつだけ、聞かせて。綾人、友人としてのあなたによ」

「いいとも、オフェリア。僕は、君には嘘をつかない」

「……パロミデス卿が、北欧で確かこう言っていた。『気に食わない魔術師が、我らが王と婚約した』と。その鬱憤を晴らすかのように、彼はあそこで暴れまわった。王と婚約した婿というのは……あなたのことよね」

「そうだね。僕は現在、騎士王の花婿ということになっている」

「その関係には、もちろん盟約の楔としての側面もあるのでしょう。政略結婚なのは理解している。でも、ねえ綾人。ほんの少し、欠片ほどの感情だっていい……あなた、その女王を愛しているの?」

「面白いことを訊くね、オフェリア。ああもちろん――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 嗚呼――天を仰いだオフェリアは、状況のすべてを理解した。

 そうか、そういうことなのか。およそ他者に好悪を抱かず、オフェリアという例外を除けば近しい人間すらいない彼が、女王のことは嫌っているのか。

 そしてゆえに、だからこそ彼はここにいるのだろう。こうして挑むことにしたのだろう。口では何と言いつつも、まだ諦めていないから。あの夜に、まだ囚われたままだから。

 この先、彼が状況をどう動かすつもりなのかはわからない。何が起きていて、誰がどこに向かっているのかなど知りもしない。だがこの戦いが、彼にとって何のためのものであるかをオフェリア・ファムルソローネは直感した。してしまった。

 彼は退かないだろう。その先がたとえ地獄だとしても、彼はやり通すのだろう。けれどそれは――その真実は、なんて、哀れな。

 

「……綾人。あなたは」

「ああ、そうだオフェリア。我が生涯の命題に答えを見つけるために、僕はこれから戦うんだよ。クリプターの責務など知ったことじゃない。カルデアなんてどうでもいい。異星の神だか汎人類史だか知らないが、この機会を邪魔などさせない。たとえ抑止力が相手になろうと、アリストテレスが出てこようとも、まとめてすべて轢殺してやる。僕のこの問いに――答えが得られるというのなら」

 

 それは。

 その表情は――ひと欠片の笑みすら浮かばない、何かに取り憑かれたようなその表情は。

 オフェリアが十年の付き合いの中でついぞ引き出すことの叶わなかった、綾人の最奥に潜む濁りきった情動だった。

 

「……わかったわ、綾人。なら――それなら私は、あなたのために協力する。魔術師としてのあなたと契約はできないけれど、友人としてのあなたに約束しましょう。オフェリア・ファムルソローネは、この戦いが終わるまで決してあなたを裏切らない。でも、あなたも私に約束して」

「……それは、何を?」

「可能な限り不要な犠牲を減らすこと。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――難しいね。けれど、ああ、いいだろう。その程度の難題ならば、君の友情の対価には軽いものだ。約束するよ。沙条綾人はこの戦いで可能な限り犠牲を減らし、キリシュタリアとの最初の契約を履行する」

 

 再び空になったカップを置き、差し出された綾人の手――それを、しっかりと握り返して。

 オフェリア・ファムルソローネと沙条綾人の『約束』は、ここに確かに交わされた。

 

「……それで、私は何をすればいいのかしら」

「詳しくはまだ言えない。しばらくは安静に過ごして、体調を完全に整えてほしい。三日後の夜に使い魔を送るから、まずはそれを合図に王都を出てくれ」

「出て、どこに?」

「北西――()()()()()()()。そこに、この異聞帯の始まりがある。それを確かめてから、使い魔を通して今度は君から連絡をくれ。次の依頼はその時に出す」

「……わかったわ。でも、どうして三日後に? 悠長に構えていて平気なの?」

「ああ、それはね。いま君を王都から送り出しても、三日後に確実に死ぬからさ。だからそれまでは、騎士王の膝下にいた方が都合がいい」

「それは、どうして……」

 

 疑問符を浮かべるオフェリアに、綾人は優しく口を開く。

 その顔にやはり、蠱惑的な笑みを浮かべながら。

 

 

「『悪夢』が来るんだ――――愉快な恐怖劇(グランギニョル)がね」

 

 

 

 

 




オリ主くんはぐっちゃんと同じタイプのクリプター。異星の神とか異聞帯とか汎人類史とかまとめてどうでもよくて、自分の目的のために動いてるよって話。そしてオフェリアさんは拙作で唯一、オリ主くんのそういう個人的因縁を知っているキーマンでもあるのでした。

なお前書きのような注意喚起を何度も重ねるのもあれなのでここで断言してしまいますが、拙作は本家FGOで公開されている情報はガンガン作中で取り入れます。今後、第五以降の異聞帯が公開されてからもそうです。いつどこにどんなネタバレがぶちこまれるかは保障できません。それらを嫌う読者様がいらっしゃいましたら、お手数ですがどうにか自衛をよろしくお願い申し上げます。


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祭前の仕度

お久しぶりです(寝起きドッキリ並みの声量)。
久しぶりすぎて自分でもびっくりしています。お待ちいただいた読者の皆様におかれましては申し訳ございません。言い訳は色々ありますが、まあここで述べることでもないので本編をどうぞ。ただどうも、作者の力量不足により今後の更新ペースもこんなものかもしれないということだけはお伝えしておきます。


 

 

 ダン、ダン――ダン、ダン――と。

 内心の苛立ちを叩きつけるかのように荒い靴音を立てながら、彼は螺旋状の石階段を登っていた。

 

 ひらひらと外套の端を靡かせながら階段を登りゆく彼は、妙な風体の男だった。

 くすんだ金髪を後ろへと撫でつけた青年だ。わずかに日に焼けた肌に、瞳の色は薄い青。その体躯は大柄で、筋骨隆々でこそないものの引き締まった細い筋肉を身につけていることが目に取れる。一見すれば細身の戦士――だが彼は鎧を身につけてはおらず、騎士階級を示す群青色のサーコートのみを纏っていた。傷跡ひとつない顔や指先の様子を見れば文官や政務官と言われても不思議ではなく、しかし雰囲気そのものは粗野と言っていいほどに荒々しい。その秀麗な顔は沸騰する怒りを堪えるかのように歪められ、眉間には深いしわが刻まれていた。

 

「……糞が」

 

 唸るように呟き、大きくひとつ舌を打つ。

 実際、彼の心中は多大なる怒りと呆れで埋め尽くされていた。

 

 ブリテン異聞帯――ああ、不遜にもどこぞの何者かにより『不要』と断じられたこの世界――を取り巻く現状は決して好ましいものではない。種々の問題は山積し、状況は非常に不安定だ。数日前にこの地に来訪したという星見の一行は知りえぬことであり、また()()()()()知られてはならないことだが、一見すれば盤石に見えるこの国の平穏は仮初のものだ。先の戦いを凌いでからというもの、ブリテン島は徐々にだが確実に疲弊している。この国に外部の人間が想像しているほどの余裕はない。それこそ千二百年ぶりに円卓の騎士全員が戦線に立ち、カルデアという外部戦力を利用せざるを得ないほどには。

 

 『あれ』がもたらした強大な、そして粘つくように重たい悪意。思い返すだに嫌悪を誘うその瘴気は、彼が女王と共に歩んだ千五百年の歴史にあっても類を見ないほどに歪んだものだ。その襲来において円卓の席が欠けなかったのはある意味での奇跡だろう。円卓第一席、騎士王アーサー・ペンドラゴンの存在がなければ――そしてこの異聞帯を担当するクリプターが沙条綾人であったという偶然が重なっていなければ、この国はすでに滅んでいてもおかしくはなかった。

 現状は予断を許さず、慢心などもっての外。円卓の十三人と舞い戻った花の魔女、そしてそのマスターたる魔術師が揃い踏み、()()()()()()()()()()()()()がいまだどこかに潜んでいるのだ。この国の未来のため、この歴史の存続のため――そんな小さな枠を超えて、この星と(ソラ)のために『あれ』は討滅せねばならない。そのためにはあらゆる手段を取る覚悟がいる――ああそうだ、だというのに。遊興に耽る暇など今やなく、我々円卓は常時臨戦態勢を解かぬようにと伝達は成されているはずなのに、あの男は。

 

 自らの苛立ちの原因となっている騎士の顔が脳裏にちらつき、彼の怒りはいや増した。ガツン――気を紛らわすように軍靴を石段に叩きつければ、仄暗い通路にむなしく音が反響する。

 

「……くそ、ああ、ダメだ。落ち着け、俺」

 

 その音の響きに僅かに冷静さを取り戻した男は、気を落ち着けるように顎の無精髭を撫でながら大きく口から息を吐いた。

 そう、これはよくない。己が冷静でないなど許されない醜態だ。怒るのはいいが、それを簡単に表に出すことはいただけなかった。これから赴く場所には末端の騎士たちが多くいるのだ。己のような()()が気炎を撒き散らしていれば、彼らは否が応にも緊張する。そのようなつまらないことで部下のパフォーマンスを下げるのは彼の望むところではなかった。

 

「よし、よし、よし……悪いのはアイツ、他に責はねえ。八つ当たるな、決して声を荒げるな」

 

 冷静になれ(ビークール)。そう何度も念じた男は、ひとまずは己の怒りに蓋をして残りの階段を駆け上がった。

 しばらくもせずに見えてくるのは両開きの木製扉。質素で何の装飾もなく、しかし上質で厚い木材からなるそこを押し開けば、陽光と共に一陣の風が彼を撫ぜた。

 

「おーおー、今日もまあ快晴だこって……これもガウェインの加護かねぇ」

 

 益体もないことを呟きながら男が見渡すそこは、城郭都市キャメロットを囲む堅固な城壁に設けられた見張り台だった。内を向けば栄えある白亜の街並みが、外を向けば草原と丘陵地帯、そのさらに奥に森が見える。柔らかな風が吹く空には燦々と日輪が照り輝き、高い声で鳴く飛竜が常のように天を駆けていた。晴天の下に映えるひとつの絶景――だが男はそれに何を思うこともなく、近くで見張り番を務めていた灰銀色の甲冑の騎士に声をかける。

 

「さて、と……なあお前さん、ちょっといいか」

「ん? なんだ、すまないが今は任務中で――と、こ、これは第三閣下!」

 

 億劫そうに振り向き、しかし男の姿を目に入れた瞬間に背筋を伸ばして敬礼する灰銀の騎士。まあそうなるだろうな――思いながらも、男はひらひらと手を振って姿勢を緩めるように告げる。

 

「ああ、いいからいいからそういうの。畏まるな。聞くこと聞いたらすぐ消えるから仕事の方に集中しろ」

「は、はあ。しかし……閣下がこのような外延部まで、いったい何用でありましょうか」

「ちぃっと()()()()でな。お前さんらの団長殿は今いるか?」

「は。第八騎士団長はこの奥にて任に就いておりますが」

「オーケー、ナイスだ。つまり野郎は仕事をさぼってねえってわけだな――まあそれが当たり前なんだがよ」

 

 うんうん、とひとり頷いて男は小さな感動に浸った。指示された者が指示された場所で指示された仕事をこなしている……あの男と比較してしまうと、こんな当たり前のことにすら喜びを覚えてしまう。それは明らかにおかしい感情であると男は自覚していたが、再燃しかける怒りを抑え込むためにひとまずは気が付かなかったことにした。

 

「うし、助かった。なら団長殿はちっと借りるぞ。俺はヤツと少し話があるが、お前さんは通常業務に戻ってくれ」

「畏まりました。では私は任務に戻ります」

「おう、頼んだぜ」

 

 灰銀の騎士の肩を軽く叩き、再び敬礼する彼を置いて男は奥へと足を進める。幾人かの騎士とすれ違いながら城壁の上を歩いていけば、やがて目的の人物が見えてきた。

 騎士らしからぬ華奢な軽装と、遠目にも目立つ赤い髪――その姿を確認して、男は声を張り上げる。

 

「――トリスタン!」

 

 男の声が響いて少し――やがて少し遠くで振り向いたのは、女性と見紛うばかりに美しい嫋やかな雰囲気の青年だった。

 色白の肌に細身の手足。白染めの布装束の上から身につけられた、要所のみを覆う灰銀の軽鎧。鷹羽根の装飾をあしらった簪でまとめられた紅の長髪。両の瞳を閉じたまま、しかし何の問題もなさそうにこちらへと歩くひとりの騎士――円卓第八席、『鷹の目の騎士』トリスタン。

 彼は男の前にまで歩み寄ると、穏やかな印象そのままの微笑で男に向かって語り掛けた。

 

「これはサー・ケイ。あなたが執務室から出てこられるとは珍しい。この陽気にはさしものあなたも散歩がしたくなりましたか? それにしてはどうにも、額にしわが寄っていますね」

「テメェのそのとぼけた台詞がなきゃあ一本くらいは眉間のしわも減ったんだがな。大きなお世話だクソッタレ」

「これは失礼。しかしそうなると、今度こそ本当に何用で? ベディヴィエール卿が動けぬ今、あなたは政務の八割を請け負っていると聞きましたが。このような場所においでになる余裕があるのですか?」

「ねぇよ。ねぇけど来てんだよ。来ざるを得なくなってんだよ。俺が受け持ってない二割のうちのほんの少し、雀の涙みてぇな量の仕事を投げだしたクソ馬鹿野郎のせいでな。なあおいトリスタン、とぼけた台詞はやめろって言ってんだろうが。テメエの『眼』がありゃ俺がここに来た理由なんざわかってるはずだ。――あの駄犬は今どこにいる」

「……はぁ」

 

 金髪の男――ケイ卿の低い問いかけには少なからぬ威圧が伴っていた。少なくとも先ほどの騎士に対して向ければ声も出せなくなるような強い感情。だがそれを涼風のように受け流しながら、トリスタン卿は呆れたように肩をすくめる。

 

「サー・ケイ。会話には順序というものがあります。それはたとえ互いが互いの事情を察していようとも従うべき『様式』ともいえるものです。あなたが効率を重視する方であることは知っていますが、この程度のやり取りも我慢ならぬというなら些か気が立ちすぎている。肩の力を抜かれてはどうです?」

「忠告は受け取る。だが従えねえな。テメェだってわかってんだろ」

恐怖劇(グランギニョル)、ですか? それは確かに脅威でしょうが、婿殿下の言によれば――」

「――『恐怖劇(グランギニョル)が意味を持つのは最終幕(フィナーレ)だけ。そこまではすべて余興に過ぎない』。知ってんだよそんなことは。アーサーの次にアヤトと話してんのはこの俺だぞ。この先の戦略についてはお前らの百倍話し合ってる。けどな、そうじゃねえ。()()()()()、って俺は言ってんだよトリスタン」

 

 ケイ卿の薄青い瞳がすっと細まり、冷たい眼光でトリスタン卿を貫いた。

 今の己には余裕がない。肩の力を抜くべきだ。ああ、ああ、至極ごもっとも。友からのありがたい忠言だろう――それが平時であったなら。

 状況はすでに変わったのだ。水面下でキャメロットは危機にある。この日この時は、ブリテンにとって千二百年ぶりの戦時であり千五百年ぶりとなる窮地。国難の危機に肩の力を抜くことなど、円卓第三席『無剣』のケイには許されない。円卓を囲む他の十二人が肩の力を抜けるよう、常に思考を回し意識を張り詰めさせることが己の責務であればこそ。

 

「状況は切迫してる。それは何も『あれ』のことだけを言ってんじゃねえ。どうして俺とギャラハッドが『探索』に回されてるのか――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。どうしてわざわざ、円卓第二席ベディヴィエールをカルデアの()()につけたのか。考えればわかるだろう。あのクソ犬……パロミデスを遊ばせておく余裕は、今はねえんだ。答えろ、あいつはどこに()()に行った」

 

 責めるように問いかけられたトリスタン卿は、それでもしばし沈黙したが――やがてその顔を天に向けると、閉じた瞼の下で小さく瞳を動かした。

 円卓第十席、サー・パロミデス。女王に絶対の服従を誓い、しかしてそれ以外の如何なる者からも指図を許さぬ円卓きっての問題児。度々城から姿を消しては目の前の男を怒らせる彼を捜索するのは、トリスタン卿の『瞳』にかかればそう難しいことではない。ほどなくして瞼の裏に雪白髪の男を捉えると、赤髪の騎士は静かな口調でそれを告げた。

 

「……『西』、ですね。ここから約三里地点、何かを待つようにして立っています。そこからさらに四里、サー・パロミデスに近づいているこの姿は……殿下によればランサー、でしたか。半刻もあれば接敵することになるでしょう」

「ファック! よりにもよって『狩り』の方か! あんの駄犬……『北』よりマシだろうとはいえ……クソッ、どうするか。あのランサーはまだ生きててもらわなくちゃ困るんだぞ」

「それについては心配無用かと思いますが……例の四騎については陛下より直言があったはず。サー・パロミデスは王命には背きません」

「ああそうだな、殺しゃしねえだろうよ。だが生きてるからって手足がなくなってりゃ死んだも同じだ。『興が乗った』でやり過ぎられちゃあ後がまずい」

「それは……確かに。死んでいないなら構うまい、とでも言い張りそうな男ですが」

「ガレス……いやこじれるだけか、それに間に合うかどうか。……仕方ねえ、モードレッドを向かわせる。駄犬もあれの言うことなら聞くだろう」

 

 あれは今ランスロット卿の『鍛錬』を受けていたはずだが、任務という扱いにしてしまえば構うまい。半刻以内――いや、これからモードレッド卿にその旨を伝達するまでにかかる時間を鑑みれば猶予時間は四半刻か。パロミデス卿とランサーが戦闘を開始する前に彼に接触し、何としてもあの男を王城へと帰還させる。なかなかに高難度な任務だが、であればこそランスロット卿もモードレッド卿を解放する可能性が高い。ケイ卿は素早くそこまで考えを纏めると、身を翻して足早に歩を進め始めた。

 

「もう行かれますか」

「用件はそんだけだからな。助かったぜトリスタン、テメェはテメェの任務に戻ってくれや」

 

 じゃあな――と軽く手を振って、くすんだ金髪の男は早足で場を離れていく。それを見送るトリスタン卿の瞳は変わらず閉じられ、顔には微笑を浮かべたままだったが、不思議とどこか呆れた雰囲気を感じさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく……相変わらず、せわしいお方だ」

 

 去っていく金髪の男を見送りながら、トリスタン卿は小さくひとつ息を吐いた。その美しい顔には、先ほどまでの微笑は欠片も残されてはいない。彼の嫋やかな雰囲気は雲散霧消し、その表情にはどこか憂鬱そうな暗い影すら浮かんでいる。

 彼の頭の中を占領するのは、ケイ卿が幾度も繰り返した言葉だった。

 

()()()()()……ね」

 

 ――わかっていますよ、そんなことは。

 

 言葉にはならないそんな呟きを、口の中で呑み下す。

 ケイ卿に言われるまでもなく、トリスタン卿は己の振る舞いについて自覚していた。今このとき、この国は戦時――その認識をしかと持ちながら、己の言動は穏やかすぎる。あるいは道化と称していいほどに呑気なものにも映るだろう。しかもそれは、ガウェイン卿のような余裕やランスロット卿のような泰然さから来るものではない。気の緩みから発生している安穏さだ。騎士として、それ以前に一兵士としてあるまじき心胆ではあるのだろう。

 だがそればかりは、仕方がないことだとトリスタン卿は思うのだ。

 

「サー・ケイ。誰もがあなたのように理性的では……陛下のように超然としては在れないのですよ」

 

 そう。円卓の騎士であれば、現状に穏やかでいられるはずもない。先日ガウェイン卿に叱責を受けたというガレス卿や、王都を離れて野を駆けたがるパロミデス卿の心境がトリスタン卿にはよくわかる。あえて気を緩め、道化のようにでも演じなければ。あるいは他のことに従事して頭をいっぱいにしなければ――ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先の戦いにおいてキャメロットに甚大な被害を与えたあの存在。その捜索に、万象万里を見通すトリスタン卿の瞳を回す余裕がない理由。あるいはその後の侵攻作戦においてモードレッド卿が手傷を負う事態を生み出した、彼女の精神の揺らぎの遠因。我ら円卓すべてが厭う、あのあまりにも疎ましきモノ。

 

「婿殿下は、我らに希望と共に厄介な敵をも運んできた。ああ、マーリン……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 じっと、じっと。閉じた瞼の裏からその姿を覗き見る。

 白髪に紫苑の瞳。どこか幼げで、されど淫蕩さすら感じさせる夢幻の魔女。己が知る中で誰よりも聡明で優れた魔術師にして――()()()()()()()()()()()

 忌まわしき千五百年前のあの日、円卓の絆と……なによりも、女王の信頼を打ち砕いたあの売女。英霊という格にまで貶められ、令呪という鎖で拘束を受けてすら何をしでかすかわからないその女を、トリスタン卿は彼女が召喚されたその瞬間から監視している。

 だがああ、やはり気に食わなかった。あれだけの裏切りをはたらいておきながら何事もなかったかのように騎士らに接するその厚かましさも、王の花婿に親しげに話しかけるその浅ましさも――トリスタン卿の()()に気が付いては時おりこちらに手を振ってくる、相も変わらぬ優秀さも。

 

「……いえ、囚われてはなりません。怨讐と怒り、負の感情こそあの魔女の手繰る最たるもの。あれの術中に嵌まるわけには、もういかない」

 

 だからやはり、今は道化を演じていよう。気の緩んだ優男として、日々の業務をほどほどにこなそう。

 遠くない未来、今度こそ必ず――王の代わりにあの者を射殺すそのときまでは。

 

「フランツ、少しいいですか」

 

 だからトリスタン卿は、気を取り直して傍に立つ側近の部下へと語りかけた。

 己の仕事を――そう、ほどほどにこなすために。

 

「は。どうされましたか、団長」

「弓と矢を少し貸してもらいたい。私のものは、まだ陛下から使用許可が下りていないものでしてね」

「畏まりました――どうぞ、こちらを」

「ええ、感謝します」

 

 灰銀の甲冑を着込んだ部下から手渡される黒塗りの長弓と矢筒を受け取り、一本の矢をつがえ構える。

 方角は南西。距離は――この程度ならば、何の技も必要あるまい。射れば必中。確信し、ゆえにこそ少しだけ狙いを下げて。

 

「この『挨拶』の意味を、理解していただけるといいのですが……」

 

 一矢、空を穿つ――赤髪の騎士が放った一撃は、轟音を立てて彼方へと飛び去った。

 

「ありがとうございました、フランツ。もう結構です。弓と矢はあなたにお返しします」

「お役に立てましたなら光栄です。しかし団長、いったい何を墜とされたので?」

「ああ……いえ、別に。何にも(あた)ってはいませんよ」

 

 クスリ、とトリスタン卿は微笑んだ。

 まるで道化のように――戦時とは思えぬ、気の抜けた穏やかさをたたえながら。

 

「少しばかり、彼に『お願い』したのです。()()()()()()()()()()()()、とね」

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

「ふむ、これは……『見えているぞ』、という警告か。はたまた『進めば射る』、という宣戦か」

 

 同刻。王都キャメロットより十二里ほどの南西にある、深く繁った森の中。

 轟音と共に足元に突き立った一本の矢を見つめながら、その男は呟いた。

 

 巌のような巨躯を誇る偉丈夫である。丸太のように太く、鋼のように鍛えられた筋骨隆々の腕と脚。贅肉の一切を削ぎ落した彫刻のような肉体美。浅黒く焼けた肌に施されるのは深紅色の戦化粧。身に纏う獅子の皮から造られた鎧は、彼の武功を讃えるように黄金の輝きを放っている。その顔はフードで隠され全貌を覗くこと能わなかったが、しかしその隙のない佇まい、発される神性の気配からは彼が尋常ならざる英雄であることが察せられた。

 

 男は黒塗りの矢――自らの右足の爪先を掠めるように、あまりにも正確に射られたそれ――を拾い、それが飛来してきた方向を見つめながら思考する。

 

「わからんな……我が身が弓兵なれば、また違っていたであろうが」

 

 この矢が放たれたと思しき方角――まだ足を運んではいないものの、そちらにはこの国の王都が存在すると聞き及んでいる。ならばこの一矢はそちらより己の姿を認識した何者かが撃ったものなのだろうが……その王都の様子はこちらからはまだ見えない。よく見えない、という段階の話ではなく、視界に入ってすらいないのだ。王都はここより十二里――約四十七キロメートルの遠方に存在する。いかに巨躯たる男といえど、地に足をつけた状態では地平線は五キロ先が精々のもの。己がクラスによってはスキルによってその先を視ることも容易かろうが、此度の現界においてはその類のものは所持していない。射手の姿は杳として知れず、その意図もはっきりとはわからない。とはいえ十二里……それだけの距離を正確に射抜くその者がわざわざ的を外した以上、これは警告に類する行為であろうが。

 

「貴様はどう思う、神父よ」

 

 つらつらと考えを巡らせながら、巌の男は自らの背後に佇む同伴者に声をかけた。

 

「さて、ね。この身は神に仕えるものであり、そもそも純粋な戦士ではない。英雄同士のやり取りの意図など、とてもとても測れはしないよ」

「戯言を……見ずとも不快な笑みが脳裏に浮かぶぞ、ラスプーチン」

 

 視線を合わせぬままに男がせせら笑えば、背後からはくつくつと喉を鳴らす音が聞こえた。

 グリゴリー・ラスプーチン――自らをそう名乗り、数日前に接触してきた()()の神父。彼からの情報提供を対価として一時的に共闘の契約を結んだものの、やはり腹の底も思惑も知れぬ不快な男だ。歴史を鑑みれば己と接点などあるはずもなく、またこの数日で諍いがあったというわけでもなしに、どうしてか不思議と殺意すら湧いてくる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな疑念はいつまでも拭えず、かといって今さら斬り捨てるにはこの男の持つ情報は有用に過ぎる。本人は何をするでもなく、ただ在るだけでさえ理性と感情を同時に刺激してくる手合い。苦手な部類だ。いや己の半生を省みれば、この身は武力で解決できないすべての事柄が苦手であろうが。

 これと関わったのは失敗だったかもしれんな――心中で小さく、男は諦念の言葉を噛み締めた。

 

「まあよい。何にしろ少し様子を見よう。ケリュネイアの時分と同じ……待つことには慣れている」

「ほう……だが一年も待たされては、こちらとしても困るのだがね」

「そこまで阿呆ではないさ。貴様に曰く、次に王都が襲撃されるのはおおよそ三日後なのだろう。ならばその混乱に乗じるのが定石だ。そこまでは……ああ、狩りでもして待つとしよう」

「なるほど。まあ構わん。戦闘能力において、今の私は君には遠く及ばない。計画が成功するのであれば君の指示に服すとしよう」

「ほざいていろ。私と貴様の協定は互いが王都に侵入するまでのものだ。その後になってわざわざ貴様を護ると思うな」

「くく――承知しているさ、大英雄」

 

 男はラスプーチンを一瞥すると、不快気に鼻を鳴らして森の奥へと歩き出した。

 

「しかし――」

 

 まとめるに、今回の己は運がいい。

 己が最強の座たる弓兵として現界することこそ叶わなかったが、この身に無様な狂化はなく、また怨讐の呪いを負ってもいない。己が記録を視る限りかつてないほど、生前に近い能力を発揮できる状態だ。問題があるとすれば敵対者もまたかつてなく強大なことであろうが、何、この身は巨人すら滅ぼせし者。超えるべき試練が眼前に在ればこそ我が真価は発揮される。十二里を超えてこの身を穿たんとする弓兵、それに並ぶ十一の騎士と、彼らを束ねる光輝の女王。しめて十三。かつて乗り越えた難題よりもひとつ多いが、相手にとって不足はない。

 だが――難題であることもまた事実。彼の国の守護を打ち崩すには、己ひとりの力では足りぬ場面も出てくるだろう。ゆえにこそ、それを補える戦友を――かのアルゴノーツにすら劣らぬ仲間を、今の己は探している。

 

「見極めねばならん。素早く、そして慎重に」

 

 生き残ったという計六人のクリプター。

 世界を救ったという星見の勇者。

 そして或いは、ひとつの推測が当たったならば――この異聞帯を星に呼び込んだ、『沙条綾人』張本人。

 護るべきもののため、果たすべき使命のため――己が主人(マスター)とすべきは誰なのか。

 

「カルデア、或いはクリプター。どちらとて構わんが――失望はさせてくれるなよ、魔術師ども」

 

 すべては三日後。

 来たるべきその夜に思いを馳せながら、英雄は獰猛に小さく笑った。

 

 

 

 

 





更新日時は未定ですが、ではまた次回。


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花の檻、牢の影


書き溜めをつくっていたはずなのにいつの間にかP5Rに時間を吸われている毎日に恐怖を覚えたので、生存報告もかねて投稿です。
おっかしいな……ゲームをやると執筆の時間が無くなる現象、どう考えても不合理すぎます。絶対に何かが狂っています。誰か助けてください。


 

 

 

 繰り返す。ただ、繰り返す。

 何度、同じ選択を迫られようとも――幾度、生まれ変わったとしても。

 その先が地獄だと知り得ていても、常に同じ道を選んでしまう。

 ヒトとはそういう生き物だと、()()は物心ついた時から悟っていた。

 

 その愚かしさを、人はある意味で強さと呼ぶのだろう。

 たとえば、果てに待つ己の破滅を知ろうとも(正義の味方の卵のように)自らのすべてを泡沫のように失おうとも(月を征した王者のように)この世界に二度と戻れぬと理解しようと(竜へと至った幼子のように)。約束のため、守るべき大勢のため、あるいは愛したたったひとりや、譲れない己の誇りのために――そうした困難に挑む者の心は果てしなく強い。そして彼らの決意は固く、悪く言ってしまえば馬鹿だから、何度選びなおせる機会があっても、必ず同じ決断をする。

 それはやはり愚かしく、どこかが狂ってしまっているが――だからこそ、彼らは他者には成し遂げられないことを成し遂げる。

 概して狂人が、史上では英雄と謳われてきたように。

 

 だが。

 ああ、だが――そうした彼らの強さに、狂気に。一片のまともさが加わったならどうだろう。

 まともさ、常識。そしてこの場合は……弱さと呼んでもいいものだろうが。

 そんなものがもし、一滴だけヒトの心に垂れ落ちたなら。彼らの強さはどうなるだろうか。

 

 答えは明瞭――だって()()は、そうした者たちも数多見てきた。

 

 繰り返す。ただ、繰り返す。

 何度、やり直す機会を与えられても――幾度、世界を巻き戻そうと。

 その先が地獄だと知っているから、常に同じ道を選んでしまう。

 ヒトの多くはそうした生き物だと、()()は気が付いた時には理解していた。

 

 決意は未練に。理想は我執に。未来に向けた歩みは、過去を向いた停滞へ。

 たった一滴の弱さが混じれば、すべての輝きには濁りが生じる。

 

 こんなはずじゃなかったと嘆いて、もっとうまくやれたはずだと泣いて。自分はこの程度で終わるはずじゃないなんて喚いては、()()()()()()()()で諦めて、忘れたふりをして生きていく。

 つらい現実に向き合いたくないから。自分の弱さを認めたくなくて。それともあるいは――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 たとえどれにせよ、そんなものだ。彼らの心は特筆して弱いわけではないが、まともであるがゆえ、その賢しさがために殻を破れない。何度過ちを正す機会があっても、必ず同じ失敗をする。

 それは、責められるほどに悪質な惰弱ではないが、嘆かわしいほどに普遍的な怠惰。()()()()()()()()()()()と、証明してしまう実数値。

 彼らは()()であるがゆえに、決して史に名を残せない。

 

 

 ――――正気(まとも)なままで偉業を成せてたまるものかよ。

 

 

 嘯く()()が好むのは、当然というべきか前者だった。

 偉人……戦士、賢者、そして王。英雄と呼ばれるに能う者たち。世に在る生命の中でも特に人間のうちから生まれるそれは、()()を強く魅了した。

 なぜなら、そう。見ていて退屈しないから。

 彼らの人生は劇的だ。理不尽への激情。離別への哀惜。困難を打破した瞬間の歓喜。そしてそれら当たり前の情動とは全く別に、栄光へと歩むことをやめられない彼らの狂いきった魂を()()はたまらなく愛している。英雄の生涯はなべて――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 世界が描く紋様に退屈していた彼女にとって、英雄たちの物語は甘露にひとしい馳走だった。

 

 どだい、世界はしょせん在るがまま。神も人も、幻想も現実も、星も(そら)も……この世を取り巻く運命はすべて、最後にはわかりきった結末にたどり着く。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、己や他者……世界のもたらす『結果』に価値を見出すことができず、故にこそ稀に見る英雄個人、その人生の『道程』が美しくあることを良しとした。

 

 英雄は好きだ。だって、彼らは見ていて飽きないから。

 凡夫は嫌いだ。彼らは、どれだけ見ていても退屈だから。

 それこそが、魔性と言われたこの身を形成した原初の理。()()の絶対の行動基準。

 

 

 ――――ああ、そう。だから。故にこそ。

 

 

 ()()は本当に、心の底からひとりの青年に感謝していた。

 夜の髪に、海の瞳。綺麗に整った、それでいて無垢の透明と濁りきった不明を共存させる不思議な男。()()をして初めて目にする、決して英雄ではなく、けれどそれ以上に興味深いあの魔術師。己と縁が繋がった以上、まともでないことなど出逢う以前からわかっていたが――それでも、よもやあそこまでとは。

 

 よくぞ、よくぞ。あの極上の主は、この身を盤上に招いてくれた。

 歓喜に震える心がやまない。全霊をもって讃えたくなる。

 だって彼のおかげで、()()は女王と再会できた。己が手掛けた最高傑作。世に在る誰にも敗れることなき絶対の光。

 かの王のもとに、再び傅くことができる。あの()()の続きを味わえる。それも此度は、好ましき我が主すら巻き込んで。

 それは彼女にとって、何にも代えがたい愉悦だった。

 

 だから――笑えるほどに、疑われているけれど。腹がよじれてしまいそうなほど、どいつもこいつも見当違いな警戒をこの身に向けてきているけれど。()()は別に、まったくもって主を裏切るつもりなどなかった。彼の信頼ならぬ信用に、十全に応えようと誓っていた。

 

 

 まったく、本当に嗤えてくる。彼らときたら、千五百年もかけて成長がない。

 この身に向けられる恨みや怒り、そんな感情がどう弄ばれるかなど――もう散々に味わい尽くしているだろうに。

 泰然と在る我らが王を、そしてこの身を『そういうモノ』だと受け入れた我が至上の主の度量を、少しは見習ってほしいものだ。

 

 

 ――――ねえ、キミもそう思うだろう?

 

 

 問いかけ、しかし返される言葉がないことを理解して、()()は愉しそうに喉を鳴らす。

 

 

 ――――ああ、やっぱりキミも凡夫(ダメ)かなぁ。

 

 

 彼のたってのお願いだったから、少しは期待していたのだが。

 その女に、いまだ目覚めの気配はない。現実から目を背け、どうあっても夢の中。

 その事実に想定通りの失望を覚えながら、けれどまあいいと()()は嗤った。

 

 

 ――――それでも、キミは彼の知人だ。このボクが面倒を見てあげるさ。

 

 

 さあ。この現実から、辛さ苦しさから、逃げたいのなら縋るがいい。

 花の香りはいつだって、弱き者たちを導くだろう。

 妄執へと堕ちた理想――それらが叶う、楽園(ユメ)のような夢幻(セカイ)へと。

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

「ところで……殿下」

 

 暗い回廊に響く声は、どこか鉄のような硬さを含んでいた。

 

「うん? どうしたんだい」

 

 呼びかけに答え振り向いた綾人の視線の先、彼の背後について歩くのはひとりの大柄な男だ。

 きっちりと整えられた黒い髪、血色の悪さが目立つ白い肌。固く引き結ばれた口元に、茶褐色の鋭い瞳。目元の隈からは連日の激務の疲労が、眉間に刻まれたしわからは彼の神経質な性格が見て取れた。丁寧な艶消しの施された重装鎧に身を包む彼は厳然とした態度を崩さず、感情の伺えない瞳を向けてきている。綾人がそれにわざとらしく首を傾げれば、男は何かを逡巡するかのように一度言葉を止めた後、どこか諦めた様子で言葉を発した。

 

「いえ……。あの者に、また新たな仕事を任されたとか」

「あの者? ……ああ、キャスターかい? たしかにひとつ頼みごとをしたけれど、それがどうかしたかな」

「は。殿下にもお考えあってのこととは存じております。ケイ卿が認めているとなれば、その決定に異を挟むのは私の仕事ではありません。ですがその任、我々第十一騎士団に御用命いただけなんだは何ゆえかと」

「ああ。君は……どうにも仕事熱心だね、アグラヴェイン卿」

 

 くすくすと綾人が軽く笑えば、男――円卓第十一席アグラヴェインは恥じるように目を瞑った。

 

「出過ぎた真似とは百も承知。ですが囚人の取り扱いとなれば、このキャメロットにおいては我々の領分です。その仕事があの者に劣るとは考えておりません」

「うん、そうだね。君たちの矜持を傷つけたなら悪かった。謝罪するよ、アグラヴェイン卿」

「そのようなことは構いません。第十一騎士団に誇りは不要。ただ厳格たることのみが我らの使命でございます。しかし殿下……私の以前の忠言を、覚えておいでか?」

「『キャスターを重用するな』、だったかな」

「然り。あれにしか成し得ぬことならば、あれに任せるが妥当でありましょう。しかし他でもよい任であるなら、我らか、あるいは第二、第三騎士団に御用命くださいとお願い申し上げました。それを……」

「今回キャスターに回したのはどういうわけか、ということかい」

 

 どこかからかうような綾人の声音に、アグラヴェイン卿は沈黙することで肯定を示した。

 『マーリンを信じるな。重用するな。決して、あれに心許すことなかれ』――それはアグラヴェイン卿のみならず、騎士王を除く円卓の騎士すべてが綾人に繰り返し告げていたことだ。ケイ卿、ギャラハッド卿、ガウェイン卿に留まらず、常日頃己の意志を示すことのないベディヴィエール卿や、決して綾人に好感を持っていないガレス卿やパロミデス卿でさえ、マーリンに対する警戒だけは促してきた。どれだけ嫌われているのかと綾人は苦笑したものだったが、彼らの言葉はみな真剣そのもの。幾度も聞かされたその言葉を、彼は忘れているわけではない。

 

「まあ、そうだね。君たちの忠告は覚えているよ。それが僕を慮ってのものであることも理解している。それでも僕からすれば、キャスターは十分信用に値する存在ではあるんだけれど……それはそれとして」

 

 柔らかな声音で、綾人は続ける。

 

「今回キャスターに芥さんのことを任せたのは、彼女が一番適任だったからさ。他意はないよ」

「……と、仰いますと?」

「いや、ちょっと芥さんに限界まで恨まれようと思ったから。そういう感情を弄ぶの、君たち騎士は苦手だろう?」

「な――御身はッ」

「うん、ごめんね。でも今回の場合、そういう心配も余計なものだったからさ」

 

 御身はその命の重さを理解しておいでか――叱責を含むアグラヴェイン卿の強い言葉を遮りながら、綾人は肩をすくめて苦笑した。

 

 沙条綾人の両肩にかかる責任の重さ。当然、綾人はそれを理解している。

 異聞帯と空想樹、そしてクリプターは切り離せない関係にある。このブリテン異聞帯を現在の地球に固定している楔が空想樹であるならば、さながらクリプターとは楔を安定させる調律機構だ。空想樹なくして異聞帯の存続はなく、クリプターなくして異聞帯の発展はない。たとえその裏に異星の神とやらの思惑があるにせよ、それでもブリテンは綾人を失うわけにはいかないのだ。綾人の存命はカルデアへの勝利よりも優先されるべき事柄であり、ある意味でその命はこの国の王たる黄金の騎士よりなお重い。円卓にとり沙条綾人とは、あらゆる危険から遠ざけ、何に代えても守護するべき存在だった――あるいは、王の傍らを片時も離れさせたくないほどに。

 

 だが沙条綾人という男は、それを十分に理解したうえで奔放に行動を重ねている。カルデアへの直接の接触然り、オフェリア・ファムルソローネへの交渉然り。キリシュタリア・ヴォーダイムに枷すらつけず解き放ったことこそ最たる例だ。王とケイ卿の認可あってこそ咎めてはいないものの、本当にこの方は何を考えておいでなのか――頭痛を堪えるように眉をしかめたアグラヴェイン卿に、綾人はひとつずつ指を立てながら静かな言葉を重ねていった。

 

「僕がキャスターに芥さんのことを任せたのには大きくみっつの理由がある。ひとつ、キャスターがそれを行うのが一番手軽で、そして早かったから。彼女でなければこの調整を恐怖劇(グランギニョル)に間に合わせられない。ふたつ、ベディヴィエール卿とケイ卿、そしてアグラヴェイン卿――君たちが担っている任こそ、君たち以外では代替が効かなかったから。いま君たちに余計な仕事を回すのは合理的じゃない。そしてみっつ……そもそも芥さんは、客人でも敵でも、囚人でもなかったから」

「…………」

「客人へのもてなしならばベディヴィエール卿に頼んだだろう。敵への備えならばケイ卿と行う。罪人の管理ならば、それこそ君たち第十一騎士団の役割だ。けれど彼女は、あくまで僕の知人だから。僕の事情は、僕の権限の範囲で片付けるべきだ。違うかい?」

「……いえ」

 

 涼やかに告げる綾人の表情に、アグラヴェイン卿は平静を装いながらもわずかな怖気を覚えた。

 確かに芥ヒナコは、ブリテンにとっては客人でも罪人でもないだろう。彼女は招かれてこの地を訪れたわけではなく、またブリテンの法を犯したわけでもない。だが綾人にとっては――より正確に言えば芥ヒナコにとっては、沙条綾人は紛れもなく『敵』であるはずだ。ランスロット卿から伝え聞いた中国異聞帯の様子を鑑みれば、彼は彼女から既に相当な恨みを買っているだろう。そうでありながらも王の花婿はあくまでも芥ヒナコを敵ではないと言い切り、しかし一方でさらなる怒りを受けようとしている。それは何かが致命的なまでにズレた態度で、どこか忌まわしき花の魔女を連想させる振る舞いだった。

 

 やはりこの男は、縁によって『あの』マーリンを召喚した存在なのだ――今さらに嫌悪が湧くことはなく、しかし黒鉄の騎士は認識を一段改める。

 ブリテンの未来に欠くことのできぬこの青年は、どうしようもなく危険であると。

 

「今キャスターには、芥さんに夢を見せてもらっている。繰り返し繰り返し、何度もね」

「夢、ですか。ならば確かに、あれの領分と言えましょうが……いったいどのような」

「彼女が自分の異聞帯で過ごした最後の一日の追体験さ。なんでもない幸せな一日を、突然襲ってきた騎士に無惨に破壊される――最愛のヒトとの二度目の離別を、何度も味わってもらっているんだ。少しずつ、内容をすり替えてね」

「それは……」

「中国異聞帯はアーサーの命によって、ランスロット卿の手で破壊された。それを少しずつ、少しずつ入れ替えるんだ。始めは王の命ではなく、僕の意向だったことにして。次には現れたのがランスロット卿ではなく、僕本人だったことにして。そしてそこからは、僕の破壊行為が徐々に残虐になるように……彼女の仇として、より悪辣に映るように。ヒトの記憶は思いのほか曖昧なものだ。繰り返せば繰り返すほど夢と現は混濁し、やがて認識さえ変わってしまう。そうなれば、彼女は僕を――」

「殿下」

 

 耐え切れず、アグラヴェイン卿は強い口調で遮った。

 理解できなかったからだ。沙条綾人の思惑、その行動原理のすべてが。

 なるほど確かに、手段はわかる。他者の記憶と認識を操作することにかけて、マーリンの右に出る者はいない。そうした計略を用いるならば、アグラヴェイン卿よりも花の魔女が適任だろう。マーリンの手繰る『夢』の性質を考えれば、芥ヒナコに対するその『処置』が失敗する可能性もまずないと言える。だがそうまでして、彼はどうして――。

 

「なぜ、芥ヒナコからそこまで恨みを買おうとするのです。殿下は何をお考えか」

「何って……()()()()()()()()()()

「それは……いえ、道理が通らぬ行いでしょう。オフェリア・ファムルソローネとの約束とやらを気にしておいでならば、芥ヒナコはこの戦いの終わりまで眠らせ続けていればいい」

「ああ……うん。まあ、それはそうなんだけど」

 

 『不要な犠牲を可能な限り減らす』――沙条綾人とオフェリア・ファムルソローネがそのような約定を交わしたことも、目の前の男がそれを律義に守ろうとしていることもすでに耳にしてはいる。今後の戦略に大きな変更が出るとケイ卿から伝えられたのは昨夜のことだ。ゆえに、その影響力の大きさから『死んでもかまわない駒』として分類されていた芥ヒナコを救おうとすることは理解できる。だがそれならば、いたずらに彼女を刺激する必要はそもそもない。『死んでもかまわない駒』とは、すなわち『殺すべき』でも『生かすべき』でもない、『盤上に不要な駒』だということ。駒を盤から除けばいいだけの話を、ここまで広げる必要はない。

 だが綾人は、困ったように頭を搔くと嘆息して言葉を紡いだ。

 

「そういえばケイ卿とアーサー以外には、全体を説明していなかったか……。とはいえ、誰にも彼にも説明するわけにはいかないんだけれど」

「殿下」

「ああ、うん。そうだな……結論から言えば、芥さんは最後に生きていようが死んでいようがどうでもよくはあるんだけれど、盤には存在してくれた方がいいんだよ」

 

 そもそも僕は、この戦いに本当に不要な駒ならきちんと始末しておくし――静かにごちて、綾人は続ける。

 

「芥さんにはやってもらいたいことが幾つかある。それは別に芥さんじゃなくてもできることだから、彼女が失敗しても構わないんだけれど……彼女がやってくれた方がいい。その分、彼女よりも大事な駒に自由な時間ができるからね。だから最善を求めるなら、芥さんは起こさなきゃならない。だけどまかり間違って起きた彼女がランスロット卿への復讐なんて企てちゃったら、彼女が死んでしまうだろう? ほら、彼女って――とても弱いから」

 

 だから僕に、恨みを集中させておくのさ――そう、朗らかに綾人は言った。

 

「キリシュタリアならともかく、彼女じゃあ円卓の誰にも勝てない。万が一にも勝機はない。君たちがどれだけ手加減したって、たぶん彼女はあっさりと死ぬ。だから芥さんは、君たちとは戦わせられない。その点僕なら、君たちほど狂った強さじゃないからね。殺さず彼女を相手にできる。だから彼女には、僕だけを狙って、執着してほしいんだ……理想を言えば暗殺しに来てくれるのが最高かな。そのときは、アグラヴェイン卿。彼女の行動は見逃してやっておくれよ。君たちが出てきては元も子もないからね」

「それは……しかし」

「もちろん、保険はかけてあるよ。芥さんにはコヤンスカヤさんをつける予定だ。彼女は『契約』で縛っておいたから、もう裏切る心配はない。それにそもそも、さっきの言葉とは違った意味で、芥さんは僕の敵じゃない。君たちの王が花婿に据えた魔術師は、彼女に負けるほど柔ではないさ。だから安心していい。ちゃんと――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 何でもないように、沙条綾人はそう告げる。

 友人と、確かに約束は交わしている。不要な犠牲を出すことはしないと。だがそれは、あくまで()()()()()だ。殺さなければならなくなったとき、殺すべき存在を殺すことを綾人が躊躇うことはない。寛大でありながら冷淡、どこまでも心広く無情な彼は――約定通り可能な限りの命を救うが、不可能ならばあっさりと殺す。救える可能性、わずかな『もしも』を探す労力までは払わない。

 それはオフェリア・ファムルソローネにも宣言し、彼女から了承を得ていることだった。

 

「…………」

「しかし君たちは、本当によくわからないなぁ……」

「……それは、どのような意味でしょうか」

 

 沈黙するアグラヴェイン卿に、綾人は思わずといった体でぼやく。

 黒鉄の騎士がそれに反応して問いかければ、綾人は彼を振り返りながら薄く笑った。

 

「いや、だってさ。『芥さんは戦いが終わるまで眠らせておけばいい』だなんて――――」

 

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「君たちはあれだけキャスターを嫌っているのに、本当、不思議な話だよね」

 

 その、ぞっとするほどに整った笑みに。

 アグラヴェイン卿は今度こそ本当に僅かな恐怖を覚え――ついぞ、何も返すことができなかった。

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

 ぎしり、と音を立てて開いた鉄製の大扉――その向こうから現れた人物を見て、スカンジナビア・ペペロンチーノは安堵のこもった息を吐いた。

 

「遅かったじゃない……綾人」

「すまない。待たせたね、ペペ」

 

 柔らかに微笑んでペペロンチーノの声に応えたのは、彼の同僚たる青年だった。

 沙条綾人。夜の黒髪に、海の瞳をした優男。整った――整いすぎた顔立ちの、クリプターの中でも最も異質で不透明な魔術師。その眼に透徹とした光の宿っていないこと――すなわち、今の綾人が『魔術師』ではないこと――を悟り、一段と心を安らげながらペペロンチーノは道化めかして肩をすくめる。

 

「まったくよ。昨日までは自由に観光でもしてていいなんて言っておいて、いきなりこんなところに呼び出すなんて。アタシすっごく驚いたんだから。……なんだか彼らも愛想ないし、ちょっと緊張してたとこよ」

 

 言って、ペペロンチーノはちらと自らの周囲に目を遣る。彼を囲むように佇むのは数人の黒鎧を纏った騎士――円卓第十一騎士団、アグラヴェイン卿の部下たちだった。

 数日前に綾人とひとつの契約を交わし、しかるべき時が来るまでの自由を保障されていたペペロンチーノ。その約定通りに王都を堪能していた彼は、今朝になって急遽この場所――キャメロット王城地下『大独房』へと呼び出されている。その際に迎えにやってきたこの騎士たちは必要以外の言葉を頑として口にせず、彼がここに連れ込まれる様子は『連行』と称しても構わないようなものだった。彼らの態度には協調能力の高いペペロンチーノといえど困惑し、これから何が起こるのかとわずかに不安を煽られたほどだ。

 最も己の雇用主があの『沙条綾人』である以上、無為に理不尽を強制されることはないだろうことはわかっていたが……。

 

「悪かった。少しこっちも立て込んでいてね」

「別に、それは構わないけれど。いったい何の用なのかしら。こんなところにレディを連れ込んで、まさかお茶会ってわけでもないでしょう?」

「うん。ちょっと――仕事のことで話を、ね」

「……ふぅん。いいわ、言ってみて」

 

 仕事。綾人が発したその言葉に釣られるようにして、ペペロンチーノの目がわずかに細まる。

 それは紛れもなく、深い警戒の証だった。

 スカンジナビア・ペペロンチーノは、決して沙条綾人を嫌ってはいない。どこか世から浮いたような彼は掴みどころがなく、かつてカルデアでも敬遠されがちな存在だったが、ペペロンチーノはその頃から綾人と交流を重ねていた。オフェリアのように友人と言えるほど近しい距離の人物ではないが、綾人が悪人でないこと程度は把握している。だが一方で自らが契約を交わした『魔術師』としての沙条綾人は、ペペロンチーノをしてあまり関わりたくはないと思わせるほどに不気味極まる存在だった。

 

 彼は、どこまでもわからないのだ。

 能力は高い。魔術師としての研究能力も、あるいは戦場での立ち居振る舞いも。通常の魔術関係者が敬遠するであろう先端科学や社会情勢にも明るく、その才は一般社会でも通用するものだろう。そうした書面に起こせるような情報は、ペペロンチーノも把握している。だがそこまでなら、彼らクリプターの頭目たるキリシュタリアとて同じこと。沙条綾人という男はその先――自らの来歴や人格、性根といった部分を決して他者に開示しない。それは別に、彼がそれらを隠しているということではないが……どうにも、踏み込むことを躊躇させる何かがあるのだ。

 

 趣味は? 好きなものは? あの人のこと、どう思う?

 そんな、キリシュタリアやデイビットには気軽に問える一言を……沙条綾人を前にすると、どうしてもペペロンチーノは訊けなくなる。そしてそれが、自らをここまで生き永らえさせてきた危機察知能力――生存本能の訴えによるものだと半ば理解しているからこそ、ペペロンチーノは綾人に一定より近づけない。

 たとえ本人に悪意がなくとも、関わっただけで周囲の人間をろくでもないことに巻き込む。綾人がそうした性質の人間であることを、ペペロンチーノは理解していた。

 

 まあ、己とて他人のことは言えないが――心の奥底で自嘲しながら、ペペロンチーノは綾人に話の続きを促す。

 彼の警戒を呼び起こした当の本人は、何でもなさそうに笑みを保ちながら口を開いた。

 

「昨日、少しオフェリアと話をしてね」

「あら。あの娘、目が覚めたの?」

「ああ。それで彼女と話し合った結果、今後の方針を変えることが決まったんだ。その影響で、君に頼みたい仕事が少し変わった。だからそれについて、今日のうちに説明しておきたかったんだ」

「方針……ねぇ。まあそれは、別にいいけれど。アタシとあなたの契約は、お互い魔術師としてのものでしょう? あなたには借りがあるけれど、あんまり内容が変わるようなら条件は詰めなおさなきゃいけないわよ」

「その心配はないと思うな。どちらかと言えば、君の仕事は簡単なものに変わるから」

 

 綾人は、変わらずゆるく微笑んで言う。

 だがその言葉や表情とは裏腹に、ペペロンチーノの内心には嫌な予感が渦巻いていた。

 

「本当に……そうなのかしらねぇ」

「そうだよ。僕は以前、君に()()()()()()()()()()()()()()()()()()と依頼していたけれど……君に、そこまでしてもらう必要はなくなった。ペペ、君には――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()役目をお願いしたい。あの名探偵には、君はもう手を出さなくていい」

「それは……楽な仕事になったのかしら。やりようによっては、そちらの方が難しい気もするわ」

「そんなことはないさ。手段も、こちらで貸し出すことにしたからね」

「?」

 

 綾人の言葉に、小さく首をかしげるペペロンチーノ。その彼にそっと笑いかけてから、綾人は自らの背後に佇むひとりの騎士に声をかける。

 

「お願いできるかな、アグラヴェイン卿」

「…………は」

 

 どこか神妙な、硬い表情をした黒鉄の騎士。彼は綾人の声に従って前に進み出ると、この場が大独房と称される由縁――石造りの広間の最奥に設けられた、ひと際大きく不気味な扉に近づいていった。

 

「ペペ。オフェリアに礼を言っておくといいよ」

「……あら、どうして?」

「これを直接言うのは、本当はあまり良くないことなんだろうけれど――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、それはそれで構わないだろうとも」

「――――」

「だけど、オフェリアはあまり人死にを出したくないようでね。お願いされてしまったから、不要な犠牲は減らす方針に切り替えたんだ。僕個人としても、君が死なないならばその方が喜ばしいことは確かだし」

 

 その、あまりに唐突な告白に絶句するペペロンチーノ。だがそんな彼の様子が目に入っていないかのように、綾人は言葉を紡ぎ続ける。

 

「これから君に見せるのは、君の仕事に役立ててもらいたい戦力だ。あれを連れていれば、少なくとも君がカルデアに殺されることはない。そのぶん僕の方がちょっと危うくなるけれど、まあ何とかなるだろう」

「ちょ、ちょっと待って綾人。色々と聞きたいことができたんだけれど――」

「ああ、扉が開くよ。ペペ、意識を強く保つようにね」

 

 ペペロンチーノの言葉を断つように、そっと警戒を促す綾人。

 それよりも、とペペロンチーノが更に言葉を連ねようとした――その瞬間、だった。

 

 

「円卓第十一席、我が『黒鉄』の名において赦す。――大独房よ、扉を開け」

 

 

 アグラヴェイン卿が大扉に手をかざし、言の葉を紡いだのと同時――その場にいたすべての者に、恐ろしいまでの魔力の重圧が降り注ぐ。

 

「なっ――」

 

 それはまるで、冷え切った鉛を全身の血管に流し込まれたかのような恐怖感。意識のすべてを独房の奥に占領される、強大極まる暴力の波動。

 体中の肌が粟立ち、心の奥底が悲鳴を上げる。直前の思考は完全に吹き飛び、脳神経は今すぐに逃げろと喚くように悲鳴を上げていた。

 

 

「――■■■■■■■■■■!!!!」

 

 

 次いで轟く咆哮は、さながら極大な雷鳴のそれだ。

 原始の叫びが空を裂き、大気を捩じ切るようにして幾つもの衝撃波を生み出す。その刃のような突風は呆然とするペペロンチーノの頬に裂傷を刻み、彼と綾人をその脅威から庇った騎士数人を壁まで吹き飛ばしていた。

 

「……綾人」

「うん?」

「……あれは。…………あれは、何なの?」

 

 震える声で問うペペロンチーノの脳裏には、自らが担当していた異聞帯の王の姿が蘇っていた。

 この世すべての神性を呑み喰らい、星に唯一絶対の存在となった黒き神。ペペロンチーノを幾度となく死の淵に追いやったあの存在。

 あれほどの存在は後にも先にも彼だけだろうと確信させた、超常者。

 だが、これは。いまだ姿すら見えない闇の奥に潜む、これが発する魔力の波動は。

 あれと同等か、もしかすればそれよりも――。

 

「言っただろう。戦力さ。君には『彼』を――『バーサーカー』を使って、任せた仕事をこなしてほしい」

「そんな、だってこれ……」

「心配ないよ。強さは折り紙付きだから。『彼』がいるならば、カルデアを窮地に追い込むことは簡単だろう。もっともそこで欲張ってしまうと、彼らは逆転の手段を見つけてしまうんだろうけれど……戦力を分断するくらいなら、そこまでリスクはないはずだ」

 

 くすりと、やはり綺麗に笑んで綾人は告げる。

 

「ああ、そういえば……『彼』を手懐けることも、君の仕事になるのかな」

 

 まあ、問題ない――そう、小さく囁いて。

 

「そこは、僕も協力するからね。気楽に構えていこうじゃないか」

「…………冗談でしょ」

 

 ペペロンチーノの頬に、ひやりと冷たい汗が走る。

 それは彼の血と混ざり合い赤く染まりながら、独房の間の床へと落ちていった。

 

 

 

 

 




続きは何話か先まで出来ていますが、本来は書き溜めして一気に放出する予定だったのですぐに投稿するかは未定です。今話も校正不足を感じているので、そのうちこっそり書き直すかもしれません。すべては作者がアトラスの呪縛から逃れられるかにかかっています。ほんと時間吸ってくなあのゲーム……。

ちなみに作者はぐっちゃんもペペも嫌いじゃありません、大好きです。ここで苛めてるのは後々の活躍への布石なので許してください。後半になればちゃんとオリ主くんが痛い目に遭います。たぶん。

次話投稿日は不明ですが、それではまた次回。


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神なき夜


お久しぶりです。
『R』と『S』を行ったり来たり、たまに機兵に乗ったりして楽しんでいたのですが、オリュンポスが来て現実に叩き落とされたので下書き仕上げて投稿します。コンスタントな更新ができない作者でごめんね。

今回はカルデアのターン。謎解きパートその1、『疑問点の整理』です。何がわかっていないのか、カルデアの目線から整頓してみました。

ではどうぞ。




 

 

 

 

 

 

「――――さて」

 

 その細い指で煙管(パイプ)の頭に火を灯しながら、彼は玲瓏に微笑んだ。

 

「解決編、とはいかないが……一度情報を整理しようか」

 

 ゆったりと深く息を吸い、細く長くそれを吐き出す。薄煙がふわりと広がり、視界に柔らかな靄をかけた。ちりちり、と葉の焼ける音。慣れ親しんだ香りが肺を満たす。高揚と沈滞の狭間、陶酔には一歩届かぬその感覚に安らぎを覚え、シャーロック・ホームズは目を細めた。

 革張りの椅子に背を預け、部屋を見回す。星見邸――カルデアへと貸与された屋敷の一室には、天文台のすべての人員が集合していた。立香、マシュ、ダ・ヴィンチ、ゴルドルフ……各々の表情に滲む疲労は色濃い。状況の不透明さが呼び起こす疑念、焦燥、そして何よりも敵地の中枢に身を置く緊張感が彼らを蝕んでいた。中でもムニエルをはじめとした技術スタッフの顔色は酷いものだ。彼らがこの数日身を窶した激務と、その成果を鑑みれば当然のことと言えるだろう。

 休息が必要だ。簡潔に済ませなければならない――微笑の裏で静かに方針を定めながら、ホームズはゆっくりと口を開いた。

 

「現状の共有から始めよう。現在時刻は三月二十五日、午後十時二十三分。カルデアがこの異聞帯に到着してから約百十時間が経過している。この間、当該異聞帯を統治する騎士王と契約を交わした我々は王都キャメロットにおいて情報収集を行った。対象は汎人類史とこの歴史との『差異』。シャドウ・ボーダーの各計器による観測……環境的、或いは神秘的側面と、文献記録や市井の様子から確認できる歴史的、或いは文化的側面の二観点を重視した調査だ」

 

 歴史的側面――すなわち『過去』を。

 環境的側面――すなわち『現在』を。

 この地がこれまでに歩んできた道筋を知ることによって、この歴史が『何』であるかを知る。

 それが、カルデアの二つの頭脳が算出した『短時間である程度の成果を得る』ための方法だった。

 

「この際、観測調査を担当するA班はダ・ヴィンチが、街頭調査を担当するB班は私がそれぞれ指揮を執らせてもらった。調査開始よりおよそ八十五時間……集まった情報は量としては甚だ不十分であるものの、状況は切迫している。私とダ・ヴィンチは状況認識の共有が急務であると判断した。このような時間ではあるが、まずは清聴を願いたい。……ここまではよろしいですか、ゴルドルフ所長?」

「…………ああ」

 

 ホームズがそっと上座に視線を向ければ、ゴルドルフ・ムジークは不貞腐れたように頷いた。表情は不満げだが、応える声はひどく小さい。常の彼ならば、自身を差し置いて場を仕切るホームズに物申しそうなところであるが――いや、とホームズは内心で首を振る。ゴルドルフの反応は人間として至極当然のものだった。目の当たりにした円卓の騎士という『異質』を、彼は素直に恐れている。

 ゴルドルフ・ムジークは見事なまでに平均的な人間だ。能力や人格の問題ではなく、『脅威への免疫』が足りていない。怯えるべきものに当たり前に怯え、思考は停滞し、行動が停止する。それは人理修復の過程において『止まらない強さ』を培ったカルデアの面々に比して、彼が劣る点のひとつだった。

 

「……ふむ、いいでしょう。では続けます」

 

 とはいえホームズは、それを悪いこととは考えていない。

 ゴルドルフは名目上はカルデアのトップであるが、彼が実際に指揮を執ることは不可能に近い。それは能力的な問題でもあったし――たとえゴルドルフが高い資質を備えていたとしても、積み重ねた時間が不足していた。緊急事態において集団の頭目に求められるのは、まず何よりも信頼だ。信無くば言葉には疑念が生じ、疑念はやがて分裂を生む。である以上、少なくとも今のゴルドルフには指揮権を預けられない。その点から考えて、自棄になる意気すら折られたゴルドルフの現状はホームズにとって悪くないものだった。何もできないが余計なこともしない――木偶は歓迎はできないが、船頭が増えるよりはよほどいい。

 

「まずはB班の報告から済ませよう。詳細は資料にまとめているが、重要なのは三点だ」

 

 ひとつ。煙をくゆらせながら、ホームズはぴんと指を立てる。

 

「この異聞帯、少なくとも王都キャメロット周辺において、汎人類史を大きく逸脱した文明発達は発見されなかった」

 

 騎士王との面会後、ホームズと彼の指揮下に入ったスタッフたちはベディヴィエール卿の案内によって王室蔵書を検め、その後キャメロットの民に対する聞き込みという形で情報を精査した。その結果判明したのは、ブリテン異聞帯の文明水準はそれほど高くはないという事実である。

 

「食事、建築、縫製、農畜産、芸術、娯楽……その他多くの面において、この国の生活水準は我々の理解の範疇に収まる。もちろんそれらは中世欧州と比べれば発展したものではあるが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という予想の域を出ない」

 

 このことが示す重要な事実はひとつだ――言って、ホームズは煙管(パイプ)に口をつけた。

 

「この異聞帯に起こった変革は『文明の進化』という方向ではない。高度発達技術の存在を否定はできない――ブリテン異聞帯がごく短期間で他の異聞帯を消滅せしめた事実を見れば、むしろ確実にそうした何かは存在するのだろうが、それが民間に秘匿、制限されている以上はごく狭い範囲でのみ運用されているのだろう。技術は、それが当たり前のものとして認知されるほど広まらなければ世界を変えるには至らない。では何がこの歴史を異聞帯たらしめたのか、という話だが……その前に二つ目の話だ」

 

 これを見てほしい――ホームズは二枚の羊皮紙を机に広げた。

 ぞろり、と覗き込む一同。何人かがわずかに首を傾げ、マシュがちらりとホームズを見る。

 

「あの、ホームズさん。これは……」

「見ての通り、地図だ。一枚はベディヴィエール卿に借り受けた王室保管資料、もう一枚はキャメロットのある雑貨店で入手した市販品だよ」

「ですが、その、おかしくありませんか?」

「そう、この地図には在るべきものが欠けている。だがこの地図は完成品であり、限りなく正確なものだそうだ。王都住民に無作為で確認も行ったが、回答は同一のものだった。しかし……」

 

 す――と、ホームズは羊皮紙のふちを指でなぞった。地図に大きく描かれた、ブリテン島を囲むように。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ここはイギリスではなく、ブリテンであるにもかかわらず。大きな差異と言えるだろう」

 

 アーサー王伝説の記述によれば、騎士王が統治したブリテンの国土は広大なものだ。現在のイギリス領土に加え、北欧、そしてフランスを中心にベルギーやスイス、オランダ……欧州の半数を掌中に収めたと言っても過言ではない。だがこの地図に描かれているのは、ブリテン島とアイルランド島のふたつだけだった。

 

「異聞帯の範囲がブリテン島周辺であるというならば……あの嵐の壁がブリテンの国土を分断しているのだという話なら、特に不思議なことではなかった。だが国土そのものが縮小しているとなれば、それは過去に汎人類史とは異なる何かが起こったということだ。そしてそれこそが最後の話――この歴史における『転換点』に繋がっている」

 

 ホームズは一度、そこで言葉を止めた。ほう、と息を吐き煙を弄ぶ。広がる僅かな沈黙……己に集中する視線を肌で感じて、名探偵は口を開く。

 

「ブリテン異聞帯が汎人類史から決定的に分岐したのは、おそらく千五百年から千二百年前のことだ。より正確な年代は不明……市井での調査では特定不可能。そしてその事実こそが、B班最大の収穫となる」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 世界最高の名探偵は、透明な表情のままにそう告げた。

 

「あえて伝聞をそのまま話そう。およそ千二百年ほど前、ブリテンでは大きな争乱が起こっていたそうだ。文字通りに天地を割るほどの戦い――国土の五割近くが焼け落ち、多くの民が死ぬことになった戦乱が。それを終結させた者こそが現在この地を治める騎士王アーサーと円卓の騎士であり、その功績によってこそ彼らは民の信を得ているという。そしてその際の大火によって、戦乱終結以前の記録は失われた……無論すべてが真実とは言えないが、嘘なら嘘で構わない。それは『隠すべき何かがそこにある』ということを示している。この世界が歩んだ歴史において非常に重要な転換点が、西暦五百年から八百年ごろまでの三百年間に発生したのは確かだろう」

 

 得られた情報が正確だなどと、ホームズは欠片も考えていない。

 民間に残された口伝の不確実性は言わずもがな、王室蔵書とて敵の中枢が保管していた資料である。細工などいくらでもできるだろう。それがカルデアに対する嘘でないとしても、歴史が虚偽まみれなどよくある話だ。民を騙すため、そもそも事実が抹消されている可能性は非常に高い。一時的に奇妙な不戦条約を結んだとはいえ――そして探偵としての勘が、騎士王のその申し出に偽りはないと判断しているとはいえ――根本的にカルデアと異聞帯は相容れない。『当面の間は手を組める』という騎士王自らの言葉通り、両者はいずれどこかで矛を交えることになる。ならば未来の敵に、一から十まで誠実である必要などない。少なくともホームズならば隠し事はするだろうし、あの女王の配下にそういった思考の持ち主がいないとは考えられなかった。だからこそ、ホームズはベディヴィエール卿に直接何かを尋ねることはしていない。

 四日前、女王の言葉は誠実だった。あれは正道を往く王なのだろう。だが正しい王の許には、必ず()()()()臣下が存在する――国を存続させるための嘘と罪を敷く、表向きに評価されることのない忠臣が。そうでなければ、国家という共同体は決して繁栄できないのだから。

 

 だがそれは、まだ述べるべきことではないだろう。探偵は推測を口にしない。シャーロック・ホームズが語るのは『事実』と『推理』のみであるべきだ。

 言葉にすることのない思考を煙と共に胸に収めながら、そして、と彼は言葉を続ける。

 

「この調査に伴い、ダ・ヴィンチの疑問は解決された。円卓の騎士は、全員が()()()()()()()()

 

 ぴくり、と反応する幼げな少女。万能を冠する碩学は鋭い視線で名探偵に問いを投げようとし、しかしそれよりも前に黒髪の少年が声を挙げた。

 

「え、それ何か変?」

「もちろんだとも、立香くん。君はカルデアという特殊環境に慣れ親しんだゆえに違和感を覚えなかったのかもしれないが――異聞帯における円卓の騎士とカルデアの彼らは根本的に違う存在だ。これは別人、という意味ではない」

「……?」

「簡単な話だよ。君の知る彼らは英霊だが、()()()の彼らは英雄だ」

「…………ん? え。あ、そうか」

「そうだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ゆえに私とダ・ヴィンチは当初、彼らが代々『円卓の騎士の称号(なまえ)』を受け継いでいるだけの人間であり、アーサー王伝説に描かれた騎士本人とは別の存在なのではないかと考えた。もっとも、これは否定されたがね」

 

 それは至極当たり前の――しかし、英霊という存在に触れ続けた立香には浮かばなかった疑問だった。

 

「人間の寿命は有限だ。無論、神秘に満ちた時代であれば不死に近い者とて存在するが、汎人類史における五世紀ブリテンは先天的な不死者が生まれうるほどの土壌ではなかった。『アーサー王伝説』に描かれる主要人物の中で永遠を生きる可能性を持つのは、聖剣の鞘を持つ騎士王と夢魔の血を引く魔術師のみ。他の騎士には生きていられる道理がない。もちろん後天的な不死の可能性を否定はできないが……」

「……魂が、変質するはず」

「その通り。かつてルキウスを名乗ったベディヴィエール卿、そしてカルデアのデータベースに記録されていた間桐臓硯。先天的にその素質のない者が外的要因によって肉体的長寿を得たとき、その代償は魂によって支払われる。だが私が目にした三人の騎士に、そのような不自然な危うさは見られなかった……これに関する調査は現在も難航しているが、彼らが千五百年間生き続けていることだけは判明している」

「根拠を聞かせてくれ、ホームズ」

()()()()()の証言だよ、ダ・ヴィンチ。専門分野を離れるために閲覧は表層が限界だったが、『蓄積年月』は間違いなく千年を超えているそうだ。そしてその蓄積は()()()()()()。英霊特有の、座への回収による記憶の断絶は見られない」

 

 ふむ、とダ・ヴィンチは小さく唸った。

 なるほど、信頼に値するだろう。情報秘匿のために召喚直後から原則として霊体化している『彼』ではあるが、その能力は証明済みだ。魂の損壊を生じない不老。魔術にも造詣の深い彼女にとっては認めがたい現象だが、否定できるだけの証拠もない。円卓の騎士はどうにかして千年以上を生きているのだろう。そしてそれはおそらく――

 

「この現象……円卓の騎士の不老もしくは不死化は、千二百年前に終結したという戦乱と深く関わりがある可能性が高い」

「戦いの結果として、不死になった……?」

「不死を得たからこそ争乱を終結させられた、とも取れる。いずれにせよ推論の域を出ないが、重要な事象が五世紀から八世紀に集中していることは確実だ」

 

 立香のつぶやきに、肩をすくめて応えるホームズ。彼は火皿の灰を一度落とすと、薄緑の瞳をダ・ヴィンチに向けた。

 

「簡易になるが、以上がB班からの報告だ。より詳細なデータ、調査中の所感については後ほど君と共有するつもりだが……」

「構わない。時間を取ろう。英霊に休みはいらないからね」

「助かるよ。ではA班の報告を頼む、ダ・ヴィンチ」

「りょうかーい。まあとはいえ、こちらは報告できることなんてたかが知れているんだけど……詳細はムニエルくんに頼むとしよう」

 

 ダ・ヴィンチが軽く手を叩く。それに合わせ、ムニエルは疲れの滲む表情で立ち上がった。

 一度眼鏡を外した彼は、指で眉間を揉みほぐす。重い溜息。眼鏡をかけなおし、陰鬱な気分で口を開く。

 

「あー、じゃあ報告するぜ。なんと言うべきか迷うが……ありていに言えば、A班の四日間はほとんど全部無駄になった。ついさっきな」

「と、言うと?」

「報告できると判断していた成果が、大前提が覆ったことで成果とは言えなくなったってとこ。詳細データは資料にあるが、ホームズ以外は読まなくていい。正直あまり意味がない」

 

 ひらひら、と見せつけるように手元の紙束を揺らす。ゴミと化したこの資料を、許されるならばちぎってばら撒いてしまいたいとムニエルは思った。

 

「植生、正常。生態系、正常。幻想種は存在するが、今更特筆するほどに巨大な反応も特異な反応もなし。空想樹とやらも、エネルギー反応は相当のもんだが目立った動きは見られない。この異聞帯に環境的な意味での障害は少ないだろうと、俺たちはそう考えていた」

「だが、そうではなかった」

「ああ。問題は大気だ。この異聞帯は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 がたり、と大きな音を立てて椅子が倒された。音の発生源は上座の一席――顔を青くして立ち上がるゴルドルフ・ムジークだ。

 

「な、そん――ありえない! 馬鹿な話だ! 計器の故障ではないのかね!?」

「いきなりうるせえな……質問があるなら挙手しろ挙手! 何回メンテと再計測したと思ってんだよ故障じゃねえよ!」

「所長に向かってその口の利き方はなんだねキミィ! いや今はそんなことはどうでもいい、防御礼装を、いやいや、私はシャドウ・ボーダーに戻るぞ!」

「話を聞けっつんだよ! さっきまでぼうっとしてたくせに保身のためには全力になりやがってこの野郎……!」

「なんとでも言うがいい! 私は――」

「――はい、そこまで!」

 

 言い争うムニエルとゴルドルフの間に、立香は身体を滑り込ませるかのようにして割り込んだ。

 ぴたり、と声が止む。喧嘩はやめようよ――そう言って笑う立香には、不思議な迫力があった。威圧感ではない、他人の意識を惹きつける雰囲気。二人の大人は立香に視線を吸い寄せられたことで一度怒りを忘れ、そこである程度の冷静さを取り戻した。

 

「真エーテルは確かに現代人には毒になる。それは俺も知ってるよ。でもカルデアの誰もまだ体調を崩してないし、シャドウ・ボーダーに戻るようにも言われてない。そこにはちゃんと理由がある……ね、ムニエルさん?」

「……ああ、すまん立香。俺は、」

「いいよ。みんな疲れてるんだ。気が立ってもしかたない――ほら、所長も落ち着いて?」

 

 ムニエルの肩を柔らかく叩き、今度はゴルドルフを宥めにかかる立香。その横顔を見つめて、ムニエルは強く唇を噛んだ。

 無様、である。あまりにも情けない。この状況、皆の肩には等しく恐怖と重圧がかかっている。英霊三騎を含めてさえ緊張のない者などいない。だがその中で、カルデアで二番目に幼い少年は力強く笑っている――だが大の大人ふたりはどうだ? 本来ならば慌てる子供を安心させなければならない立場の己は何をしていた? 身を焼くような羞恥の感情が渦巻いているのを感じる。ムニエルは叫びだしたくなりながらも、その気持ちを表に出すことが最大の恥だと腹の中に呑み込んだ。

 

「……報告を続ける。大気中に確認された真エーテルは本当にごく微量だった。正直に言って発見は偶然、ダ・ヴィンチが起こしたミラクルだ。本来なら、そこにあると最初からわかってないと探し出せない――濃度で言えば致死量にはほど遠い。神代エーテルの極低濃度状態なんて見たことも聞いたこともないが……この量じゃ、肉体的に健康な人間は死なない」

「五日前の初回観測で発見されなかったのはそのため、か」

「そういうこと。とはいえこれは観測班のミスだ。立香を、みんなを……新所長を、危険にさらした。技術スタッフ班長として、あとで始末書と観測計器の改造案をホームズに提出する」

「私への提出は必要ない。改造計画はダ・ヴィンチと協議し、具体案ができた時点で作業を開始。始末書も不要だ。そんなものを書かせている暇はない……ただし、ゴルドルフ所長には過失原因と改善方法を改めて口頭で説明するように」

「……わかった。ともあれ、真エーテルの存在そのものは緊急の問題を引き起こすものじゃない。なにがどうなればこんな状態になるのかは疑問だが……それよりも大きな問題は、四日前の観測は不十分ではあっても間違いではなかったってこと。つまりは、この異聞帯の大気は高濃度の通常エーテルに満ちてるってことだ」

 

 これは明らかに異常だ。それも、説明不能なたぐいの。

 ムニエルは頭を搔いてそう吐き捨てた。

 

「エーテルと真エーテルは()()する。ひとつの空間の中に共存するってことがない。無理に同じ場所に押し込むと爆発して対消滅するんだ。ジークフリートやパラケルススが持つ宝具の破壊力も、この現象を利用して増幅されている。けどこのブリテンでは……ふたつのエーテルが調和をとって存在している」

「魔術的な処理が発生している、という可能性は?」

「考えにくい。実際にそんなことが起こっているとすれば、それはこの異聞帯全域を工房として完全に制御してるってことだ。そんな巨大な力が人為的に働いているなら、必然的に動植物に影響が出る。いや、たとえ人為的ではない、自然形成された環境だったとしても、この大気の中で俺たちが見たことのある生態系が維持されていることがおかしいんだ。植物、昆虫、サイズの小さい生命体には変化が起こっているはずなのに」

「……()()()()()

「そうだ。ここは平和すぎる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺たちの集めた『正確な』データは、今や意味不明な数字の羅列だ」

 

 ホームズは顎に手を当て、素早く思考を巡らせた。

 未知の魔術、あるいは秘匿されている特殊技術――己で口にはしたが、まあないだろう。それをする意図がつかめない。大気中に二種のエーテルを共存させたとして、()()()()()()()()()()()。手間と利益が釣り合わない。いつ起爆するかもわからない危険物をわざわざ大気中にばらまいて放置するなど愚かそのものだ。ひとつのトラブルがどんな被害を生むか想像もつかない。

 そもそも神秘とは、原則としてどちらか一方のエーテルを媒介として顕れるものだ。真エーテルが不要となった世界で代替に生まれたのがエーテルであるのだから、両者を同時に必要とする神秘など存在し得ない。もしもふたつのエーテルが必要となる事態があるとすれば、それはムニエルの言葉通り『爆発』させるときだろう。

 

「少なくとも、沙条綾人の手によるものではない、か」

「そりゃそうだ。この大気組成は高度な魔術行使には邪魔でしかない。事故のリスクがどれだけあるか解説するか? カルデアの英霊召喚が無事に済んだのは、あくまであれが科学技術の流用で魔術的に簡略化されてるからだ」

「ならば――権能か? 神霊が召喚されている?」

 

 ぽつり、と言葉をこぼすホームズ。

 その声を拾ったダ・ヴィンチは目を閉じて、重々しく頷いた。

 

「濃厚なのはその線だろうね。権能はあらゆる理論を踏み潰す――事象の優先度が高い。だけどホームズ、権能を考慮に入れればそれこそ話は『なんでもあり』だ。そもそも、神霊反応は出ていない」

「隠蔽は……いや、そうか」

「そうだよ。国ひとつの大気を()()()にするような影響力のある権能の持ち主なら、その反応は強大だ。そいつの存在を隠すとなれば、これも権能レベルの偽装能力が必要になる。権能二種持ち? それとも神は二柱いる? 冗談だろ。はっきり言うけど、権能に対して予測や推論なんてものは無意味だ。検討すべき可能性が膨大過ぎる。シャドウ・ボーダーのシミュレーション演算がぶっ壊れるぜ」

「……まったく、神というのは探偵の天敵だな。機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)という名前も、そう考えれば皮肉なものだよ」

 

 苦笑して、ホームズは目を閉じた。

 論理を手繰る存在である彼にとって、それが通じないものは数少ない苦手分野だ。『権能であること』が確定すればそこから思考を広げられるが、出発点すら不透明ではとても解答にたどり着けない。思考の回転を緩め、呼気と共に煙を吐き出す――そして誰よりも考える者は、()()()()()()()()()()()に話題を振った。

 

「どう思う、立香くん?」

「え? 俺?」

 

 とぼけた声で、心底から不思議そうに首をかしげる少年。ここで俺に振るかなぁ、とぼやく彼には確かに叡智と呼ぶべきものはない。だが藤丸立香の『なんとなく』が時に己の思考速度を超えて正しき道を選ぶことを、シャーロック・ホームズは知っている。名探偵はにこやかに口角を上げて立香を見つめた。

 

「なに、意見は広く聞くに越したことはない。A班の報告に関することに限らず、気になったことがあれば言ってほしい」

「んん……俺も魔術の理論に詳しいわけじゃないしなぁ。種類とか対処法は教わったけど、仕組みはからっきしだし。この報告書も後でちゃんと読み直さないと正直……」

「そうか。いや、構わないよ」

「ごめんね。……ああでも、全然関係ないことで言えばひとつ――()()()()()()()()()()()、とは思ってる」

「……ほう?」

 

 目を細めたホームズは、そのまま立香に続きを促した。

 

「えっと、ほら。ベディヴィエール卿も言ってたけど、こっちの騎士王って『アーサー王』でしょ? でもB班の、ホームズの報告書を見る限り、彼女は最初から『女王』だ」

「男性名が不自然だ、と?」

「いや、なんというか……汎人類史の『アルトリア』が『アーサー』だったのは、女性が王として認められない時代だったからで……つまり彼女は、王になるために『アルトリア』を捨てたわけで。俺はなんとなく、こっちでもそういうことがあったんだと思ってたんだけど――でもこの歴史では、彼女は『女王』。どうやってかはわからないけど、アーサー王は女性であることを公表したまま統治者として認められてる。だったらあの人が『アーサー』になった意味って、どこにあるんだろうなって」

「――なるほど。興味深いね」

「そ……そうかな?」

 

 立香は照れたように、だがどこか困惑した様子で頬を搔く。それを見たホームズの笑みは深まった。

 話の流れからは外れた立香の疑問。だがいつだって、彼は着眼点を間違えない。あの女王には『何か』がある。己の内側にあった予測の信頼度が上昇するのを感じる。ホームズは自らが組み上げていた仮説を一度解体し、騎士王に焦点を合わせて思考を構築しなおした。

 たとえば、論理の反転。世界に起こった変化の結果として女王が生まれたのではなく、女王が君臨した結果として世界が変わったとするならば。この異聞帯の中核が円卓ではなく、あくまでもアーサー・ペンドラゴンひとりであるとすれば――。

 

 

「うん、いいセンいってるぜ。だいぶ核心に近いんじゃない?」

 

 

 けらけらと笑う不躾な声は、その意識の空白を染め上げるようにして場に響いた。

 

 瞬間、状況の把握よりも速く三つの影が動き出す。立香を庇うように前に出るマシュ。礼装を展開するダ・ヴィンチ。唯一の前衛として臨戦態勢を取るホームズ――続けて顕現しようとしたアーチャーを、立香が念話で制止する。()()()()()()()()()()()。その間に距離を詰めた名探偵は、声の主へと手を伸ばした。

 重い音を立てて、ホームズは小さな身体を床に引き倒す。()()()。骨と筋の軋みが沈黙を裂いてその場の全員の耳に届いた。だがそんなことは何でもないという調子で、白髪の少女はにやにやと笑う。

 

「野蛮だなぁ。ギリシャ人でもあるまいし、言葉より先に手を出すなよ」

「君は――」

「キャスター・マーリン。なんてことはない亡霊さ。自己紹介も()()()()()()も言ったんだけれど、無視されちゃって寂しかったところだよ。ようやく仲間に入れてもらえて、ボクはとても嬉しいな」

「……ッ」

 

 花のような微笑み。自身にかかる拘束など知らぬと、痛みなど感じないと言わんばかりの艶やかな表情。その紫苑の瞳に浮かび上がる嘲りの色に、ホームズは知らず息を呑んだ。

 これは違う。汎人類史の憎たらしく、しかしどうしようもなく世界を好いていた青年とは似ても似つかない。香り立つおぞましさに、魔女を抑えつける己の腕が指先から腐り落ちるさまを幻視した。その錯覚を否定するように力を籠める。骨のひずむ感触。あと少しで()()の細腕を折ることができる――だがそこで、ホームズはぴたりと動きを止めた。

 

「――どちらだ」

「うん?」

「キャスター・マーリン。宮廷魔術師にして英霊。()()()()()()()()()()()

「……へえ」

 

 笑みが深まる。一段と美しく、呪わしく。瞳に映る嘲りの奥から僅かに顔を覗かせたそれは、はたして興味か興奮か。

 合格だ――眉を顰める名探偵に向けて、魔術師は言祝ぐように囁いた。

 

「冷静だね。とてもいい。そうだ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。既に掌の上。だから戦闘以外の道を探す。この時点でガレス卿より筋がいい」

「……」

「必要以上に言葉を交わさない。状況によるが、この場合は加点だ。ただしちょっとビビりすぎ。トリスタン卿と同点かな」

「我々はこの場合、どこに抗議をするべきかな? 『民間人に危害を加えない限りカルデアを攻撃することはない』。これは騎士王の言葉であり契約だが……君は我々に幻術をかけたね? 攻撃と取ることもできる」

「話を聞かない。強気で揺さぶる。素晴らしいな。ボクの用向きすら聞かないところは特にいい。キミ、円卓に入らない?」

「ダ・ヴィンチ、ベディヴィエール卿に連絡を。アーサー王本人をここに呼ぶよう伝えてくれ」

「そう怖いことを言うなよ。ボクは挨拶に来ただけで――」

「――ならもう少し礼儀を弁えた方がいい。キミのそれはまるで威嚇だ」

 

 横合いからの声と共に、マーリンの頭は踏み潰された。

 粘つく水音。鮮やかな赤花が床に広がり、脳漿がてらてらと光る川を作る。はじけた骨片がホームズの頬に当たって落ちた。ぐったりと力の抜けた少女の屍から視線を上げれば――そこには、白髪紫眼の少女の笑顔。

 

「すまなかった。どうにも()()は人見知りの激しい奴でね。あんな態度だったけど、緊張していただけで悪気はなかったんだ。()()に免じて許してほしい」

「趣味の悪い……」

「そんなことを言わないでおくれ。紳士なら美少女には優しくするものだよ――ねえ、そうだろう?」

 

 ぐるり、と。マーリンはおおげさな動きでカルデアの面々を見渡す。

 怯えるゴルドルフ。()()()()()()スタッフたち。険しい表情のマシュとダ・ヴィンチ――穏やかな表情の藤丸立香。隠すこともなく、マーリンは嬉しそうに微笑んだ。

 

「いいなぁ。キミはいい。藤丸立香くんだっけ? お近づきのしるしに握手してよ」

「ええ、いいですよ」

「先輩!」

「大丈夫、マシュ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この人、性格最悪だからつまらない悪戯はしないよ」

「最高だね、立香。キミとは仲良くなれそうだ」

 

 ま、怒られそうだから握手はしないけど――華やかに笑って、マーリンは踊るように回転した。

 くるり、くるり、くるり。廻る彼女は、立香と視線を合わせるたびに表情を入れ替えて遊んでいる。その道化めいた仕草に傍らの後輩が目を細めたが、立香は気にすることなく肩をすくめた。

 警戒を捨てたわけではない。だがすでに打つべき手は打った。何かあればアーチャーが動くだろう。それが読まれているならこの場は挽回不可能だ。ケイローンに鍛え上げられた戦術眼は冷静に状況を俯瞰している。ならば、打てる手を打ったあとは堂々と構えていればいい。それが指揮官の仕事であると、立香は経験で理解していた。

 

「騒がせたのは悪かったと思ってるよ。ただ少し、バランス調整が必要かなと思ってね」

「バランス調整……?」

「そそ。このゲームは基本的には早指しだけど、キミたちにはもうちょっとシンキングタイムがあってもいい」

 

 勘違いしないでほしいんだけど、ボクはわりとファインプレイしてるんだぜ――蕩けた瞳を今度こそまっすぐに立香へ向けて、魔女は大仰に腕を広げる。

 

「ボクはキミたちを護ったのさ。ボクがこうして会話を止めていなければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、カルデアが()()()()()()()()ことを知られていた。そしたらキミら、どっかで事故ってたよ」

「それを貴方が俺たちに伝える意味がわからないな、マーリンさん。カルデアが不利になったってブリテンは困らないだろう?」

「ブリテンはね。()()()()()()()()()。そして今、ボクはマスターのモノなんだ」

 

 どういう意味かな――重ねて問おうとした立香の言葉は、しかし発されることはなかった。扉を叩く小さな音が響いたからだ。

 僅かにはねる立香の肩。わかりやすく椅子から転げ落ちるゴルドルフ。少年がそっとマーリンを見やれば、彼女はうっすらと口の端を上げる。

 

『夜分失礼いたします、ベディヴィエールです。無礼ながら、僅かばかりお時間をいただきたく参上いたしました。入室をお許し願えますか?』

 

 凛と美しい声。瞳に憂いを帯びた彼が、扉の前で返答を待っている様子が目に浮かぶ。何も言わないのは不自然だろう。だがこの状況、どう捌くのが正解なのか。

 逡巡する立香――その耳元に、いつの間にか近づいていたマーリンが口づけるようにして囁きを贈る。

 

「また話そうね、立香。……あまりあの男に、心を開かないことだ」

 

 ふわりと匂い立つ花の香を残して、白い魔女は姿を消す。見ればいつの間にか()()()()()()()も消えていた。それどころか倒れた家具も元に戻り、皆いつの間にか最初の椅子に腰かけている。彼女の襲来を証明するものは何ひとつとして残っていない。

 幻――いや、夢であったのだろう。どこからどこまでかはわからないが。やられたな、と思いつつも、全員無事ならそれでいいとすぐに割り切る。死ななければ安い。腹に穴が開いたわけでも、全身を焼かれたわけでもない。肉体的欠損が生じなければ、藤丸立香は問題なく戦える。こちらの手札(アーチャー)を切ることなく相手の手札(キャスター)を見られたのだから、収穫と考えるべきだろう。

 

 ちら、とホームズに目を向ける。問題はこのことをベディヴィエール卿に告げるかどうかだ。おそらく、報告すればあの騎士王は何らかの形でカルデアに補償をするだろう。だがマーリンの言うことが、もし一部でも事実であれば。視線で己の意見を問われ、立香は小さく首を振った。魔女と銀騎士のどちらが信用に値するのか、判断する材料がない。だがどちらを敵に回したくないかと言われれば、今の時点ではマーリン――より正確に言えば、その手綱を握っているらしい男だった。

 

 ホームズが小さく頷く。任せる、ということか。

 ならばと立香は扉に振り向いて、隻腕の騎士の言葉に応えた。

 

 抱えた秘密の重さを隠した、常と変わらぬ明るい声で。

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

「――先刻、王より勅令が下りました」

 

 涼やかに、ベディヴィエール卿はそう告げた。

 星見邸最大の部屋――この三日間は主に食堂として使われている小綺麗な広間に、彼らの姿はある。

 思い思いの席に腰を下ろすカルデアの面々。大窓から中庭を覗く白髪の魔女。そしてそのすべてを見渡せる位置に凛然と立つ銀の騎士。相も変わらず純白の燕尾服を着こなす彼の腰にはしかし、これまでに見ることのなかった()()()()()()が佩かれている。

 

「これより明朝までの間、円卓に帯剣を命じる――内容としてはそのようなものです。今宵皆様にお集まりいただきましたのは、この勅に関してご説明が必要であると陛下が判断なさったためでございます。我々の武装に、皆様を害する意図はないとご理解いただきたいのです。とはいえ言葉とは……中でも私のごとき口不精のそれともなれば、風に乗る葉のように軽いもの。信には値しないでしょう。そこで此度は、こちらのキャスター殿にご助力いただく運びとなりました」

「キャスターです。仲良くしてね」

 

 ベディヴィエール卿の紹介に合わせ、ひらひらと手を振って笑うマーリン。その仕草は自然そのもので、だからこそひどく滑稽だった。

 マーリン、と。先ほど隠すこともなく告げながら、今は真名を隠すその態度。ベディヴィエール卿の言葉を信用させるために来たと言いながら、直前にそのベディヴィエール卿への疑いを煽るようにして語った言葉。ふざけた嘘つきだ。言いたいことだけを言い放った魔女のおかげで、何もしていないベディヴィエール卿の評価が揺らいでいる。彼らは、きっと仲間であるはずなのに。

 

 立香のまっすぐな視線、そしてマシュとダ・ヴィンチのどこか冷めた瞳を真っ向から受け止め、しかし取り合うことなくマーリンはふわりと指を振った。

 音もなく、空中に水の粒ができあがる。露のように小さなそれは寄り集まって少しずつ大きく成長すると、やがて立香の全身を包めそうなほどの水球になった。鼻歌を奏でる魔女は、そこでさらにくるりと指を回す。水球は徐々に姿を歪め――やがて円盤状に形をとると、その波のない平面を立香たちに向けた。

 

「水鏡……」

 

 口の中で、少年は小さく呟いた。

 遠見の魔術の一つ、だったか。あまり使われない類のものだと玉藻に教わった覚えがある。使い魔を飛ばして視界を共有する方がずっと楽で、効率的ではないとかなんとか。あとはそう……水鏡を好んで使う魔術師は、日常的に()()()()()()()()()を覗き見ている輩だ、と。彼女はそんなことを言っていた。

 

「これより皆様にご覧いただきたいのは、ある戦いの様子です」

「戦い、ですか」

「ええ。もう間もなく、日付が変わります。……そしてそれと同時に、キャメロットは『襲撃』を受けるでしょう。円卓の騎士が命じられた帯剣は、これを討ち払うためのものにございます」

「その撃退戦を見届けろ、というわけか……失礼、質問をよろしいかな」

 

 す、と手を上げるシャーロック・ホームズ。ベディヴィエール卿は静かな瞳で彼を見遣ると、構いません、と短く告げた。

 

「その襲撃者は何者なのだろうか。もしもブリテンと敵対する汎人類史の英霊であるならば、戦闘に入るよりも先に交渉させてもらいたい。アーサー王は、カルデアがこの地に召喚された英霊を引き入れることを契約として許可したはずだ」

「ご心配は不要です、ホームズ様。()()()は英霊などではない……あのようなものが世界に召し上げられるなど、これまでに在ったすべての英雄への侮辱でしょう。我々にとっても皆様にとっても、等しく敵となる存在です」

「……では、それはいったい何なのだろうか」

 

 僅かに、男の目が伏せられた。かんばせに覗く想いは憂慮……恥じるようにして彼は言う。

 

「不明です。少なくとも我が王は、それを語ってはくださらない。……ですが全ては、三月前に遡ります」

 

 深翠の瞳が、どこかここではない遠くを見つめる。ベディヴィエール卿の意識が過去へと逸れていくのが立香には不思議と理解できた。

 三月前――この星に異聞帯が降り立った直後。まだ()()の異聞帯が健在であり、カルデアが虚数空間に潜っていたまさにそのとき。前触れなく……少なくとも誰にもそれを感じさせることなく、()()は来た。ベディヴィエール卿は、何かを確かめるようにしながらそう語った。

 

「『何』であったのかはわかりません。姿ももはや思い出せない。おそらくそうした能力を持つのでしょう」

 

 確かなことはふたつ。

 王都の守護に就いていた円卓の騎士のうち、五名が浅くない傷を負ったこと。

 そしてアーサー・ペンドラゴンと沙条綾人の力によって、()()を撤退まで追い込んだこと。

 

「キャメロットが受けた被害は甚大なものでした。民こそ無傷ではありましたが、国防の要たる円卓の騎士が事実上の敗北を喫した……その衝撃たるや、筆舌に尽くしがたい。数日は混乱が続きました。我が王の御言葉により一度それらは治まりましたが――しかし最初の襲撃から十数日、()()は再び姿を現した」

 

 正確には、襲撃の規模は小さなものになっていた。故にそのときは、王の出陣を要すことなく騎士のみで敵手を撃退せしめた。

 そう述べる隻腕の騎士の瞳には幾つもの感情が滲んでいる。

 

「それ以来、です。()()はある決まった夜に、キャメロットに尖兵を送り込んでくるようになった。新月の夜――天上に神なき日。王都には戦火が降りかかる」

「神なき、夜……」

 

 立香はふと窓を見る。

 星のよく見えるその空に、確かに月の光はない。

 

「今宵で、五度目。綾人様の言葉に則るならば――第五幕と申しましょうか」

「幕? 劇か何かのような言い方だが……」

「まさにその通りでございます、ホームズ様」

 

 理由は知らない。由来は誰にも語られていない。

 だが沙条綾人が名付け、女王がそれを認めたがゆえに、それはある歌劇に喩えられる。

 

「――――我々はこの襲撃を、『恐怖劇(グランギニョル)』と呼んでいる」

 

 銀色の騎士がその言葉を発すると同時。

 立香が見上げた夜空から――星の光が消え去った。

 

 

 

 

 




大事なのは順番。
『世界の変化』。
『円卓の変化』。
『騎士王の変化』。
どういう順序だったのでしょう。

と、言いたいこと言ったあたりで次回は恐怖劇。
まあ適当にお待ちください。ミッドガル旅行が早く終われば早く投稿されると思います。



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