Case.1.1儀式 (eldest)
しおりを挟む
Case.1.1儀式
「――それで、天井から落下しそうになったところを六合塚に助けられてな」
「ちゃんとお礼言ったんですか、宜野座さん?」
嘗ては後輩にして同僚。現在では彼の上司となった常守朱が問うてくる。
宜野座伸元は苦笑を漏らしつつ、赤くなった頬を擦る。
「実は、意識が朦朧としていたせいか、六合塚を狡嚙のやつと見間違えてな。……あいつが青森にいるはずないだろうに」
「……まさか、弥生さんにも話しちゃったんですか?」
「ああ、ついぽろっと。……グーで殴られたよ」
「ああ、それで……。そりゃ弥生さんだって怒りますよ。女性を男性と見間違えるなんて」
「まあ、その通りだ。弁解のしようもない。ただ、言い訳をさせて貰えば、あれは見間違いというよりは、幻覚の類いだったというか――」
弁解のしようもないと言いつつも言い訳を口にする伸元は、しかし途中で口を噤んだ。
いや、息を呑んだという方が正確か。
「――常森……何だ、その手は?」
というのも、何故か朱が伸元の両手を取っていたからだった。
まるで理解者――或いは、同好の士を見つけたとでも言わんばかりの有様である。
「宜野座さんも見えるようになったんですね!」
「み、見えるって、一体何を言ってるんだお前は?」
伸元は二重の意味で困惑を隠せなかった。
『見える』の意味が分からなかったのは当然として、ここまで朱が『楽しそう』なのは随分と久しぶりに思えたからだ。それこそ、彼女が配属されて1年目。自分がまだ監視官であり、狡噛慎也が逃亡する以前の頃に戻ったかのような。
しかし、そんなノスタルジックな思いは、次の瞬間には吹き飛ばされた。ドミネーターのデコンポーザーのような一撃で。
「何って、『煙草の妖精』ですよ!」
「は――――? すまない、よく聞こえなかった。何だって?」
「だから、煙草の妖精ですよ!」
「…………………」
伸元は天を仰ぎそうになる自分をなんとか自制しつつも、残念ながら咄嗟に言葉を継げなかった。
「あー……まさかとは思うが、その煙草の妖精というのは」
「狡嚙さんです」
「ぶはっ!」
伸元はとうとう我慢できずに噴き出した。
「ちょっ⁉ 宜野座さん、笑うなんて酷いですよ!」
「いや、これを笑うなって言う方が……くくっ……無理があるだろう。ひ、酷いのは貴方の方だ」
伸元は一頻り声を出して笑った。伸元自身、こんなに笑ったのはいつ以来かと思うぐらいに。
一方、朱はそこまで笑わなくてもと頬を膨らませ、その姿がまた彼の壺を刺激した。
「はー笑った笑った。――それで、煙草の妖精というのは? あいつにはこの間貴方も会っただろう?」
「えーっとですね……。煙草の妖精は狡嚙さんだけど狡嚙さんじゃなくて、私の頭の中にいる狡嚙さんというか」
「……頭の中」
「そうです。狡嚙さんが槙島聖護の思考を読んだように、私も『こんな時狡嚙さんだったら何て言うか』とか、『こんな時狡嚙さんだったらどんな風に考えるか』って考えるんです。それがパズルのピースみたいに上手くはまると」
「はまると?」
「声が聞こえてくるんです。場合によっては姿も」
「それは……」
それはかなり不味い兆候なのではないかと伸元は思うが、朱のPSYCHO-PASSが正常値なのは周知の事実である。
「そして、そのトリガーになるのが」
「煙草――という訳か。時折、貴方から煙草の臭いが香ることがあったが……」
「えっ。私、臭いますか?」
朱はスーツの袖を鼻に近づけてみるものの、首を傾げる。
「自分の体臭は自分では分からないものだ。まあ、そこまで強く臭うわけじゃないから、気にするほどでもないとは思うが」
「臭う臭うってそんなに言われたら気にもなりますよ!」
「俺にとっても嗅ぎ慣れた臭いだからな。あいつと、佐々山が吸ってた銘柄だ。不快には思わないさ」
「宜野座さんはそうかもしれませんけど……」
消臭スプレーかけた方がいいのかなぁ…と朱はぼやくが、伸元としては気がかりなことがある。
「それよりもだ、常森。知っているとは思うが、煙草は百害あって一利なしだぞ。肺癌になりたいのか」
「宜野座さんは相変わらず心配性ですね。煙草を吸っているからってみんながみんな癌になる訳じゃないですよ。それに、私は喫煙者じゃないです」
「……なら、煙草で何をやってるんだ?」
「それはですねー」
朱はよくぞ聞いてくれましたと伸元に灰皿を差し出す。
ガラス製の大きな灰皿で、周囲に奇妙なの窪みがある。
「お前一体何処からそんなもの出して――まさかデスクに隠していたのか?」
「みんなには内緒ですよ?」
「こんな秘密共有できても全く嬉しくないな」
「え?」
「いや、こっちの話だ。……続けてくれ」
「はい――と言っても、特に特別なことしてるわけじゃないですけどね。こうやって煙草をここの窪みに差して……」
言いつつ、朱は慣れた手つきで煙草を取り出し、先ほど気になった窪みへと差し込んでいく。
「これで準備完了です」
「あとはこれに火を点けると?」
「そういうこと」
「……まるでお香だな」
「確かにそうですね。煙を吸うというよりは匂いを嗅ぐのが目的なので――宜野座さん、どうしました?」
「いや」
「そうですか? 兎も角、火を点けてですね」
朱はやはり慣れた手つきでライターで火を点けると、瞼を落とす。
「さあ、宜野座さん、イメージしてください」
「は? 俺もやるのか?」
「宜野座さんもちゃんと最新版の画像にアップロードされてるでしょう?」
「最新版って……」
「メモリースクープする必要もありません。私の脳内には鮮明に焼き付いてます。さあ、イメージして宜野座さん! 最強の狡嚙さんを!」
「煙草の妖精じゃなかったのかというツッコミは野暮なんだろうな……。分かったよ。確かに、久しぶりに会ったあいつは、以前にも増して強くなっていた。あいつに勝てるくらい自分を鍛えたつもりだったんだけどな。次に会ったときは仕留められるように、イメージトレーニングは必須かもしれん」
そうして刑事課で二人、紫煙に包まれながらうんうん唸る。
それを窺い見ている人影があることにも気が付かず。
「狡嚙さん! 狡嚙さん!」
「煩いぞ常森! もう少しでコツを掴みかけ――て……」
「何やってるんですか、二人して」
奇妙なものでも見るような――実際この光景は奇妙と言う他ないが――目付きで佇んでいるのは、非番のはずの霜月美佳だった。
流石の朱も動揺を隠せないのか、
「美佳ちゃん⁉ ど、どうしたの? 忘れ物?」
「どうしたのってのはこっちの台詞ですよ、先輩。私は先日のサンクチュアリでの事件の報告書を局長に提出してきたところですが……。新しい報告書を作成する必要があるみたいですね」
「み、美佳ちゃん?」
「霜月……?」
美佳は胡乱げに二人を睨みつつ、罪を断罪するが如く宣言する。
「監視官と執行官が! 夜な夜な! 怪しげな儀式を! 刑事課内で執り行っている! カウンセリングが急務だと局長に報告してきます!」
言うが早いか、美佳は来た道を脱兎の如く引き返す。
「美佳ちゃん落ち着いて! 誤解なの!」
「霜月! 俺はおかしくなんてなってないからな!」
「二人とも自分を客観視した方がいいと思います!!」
目次 感想へのリンク しおりを挟む