とある魔術の仮想世界[4] (小仏トンネル)
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このSSを読むにあたって作者から

 

どうもみなさん、こんにちは。作者の小仏トンネルです。

 

この度は何のご縁があってか、数あるSS作品の中からこのSSまで足を運んでいただけたことを大変嬉しく思います

 

同作者の「とある魔術の仮想世界」をお読みになってこのSSを閲覧して下さった皆様、いつもありがとうございます。それ以外の方々は初めまして。今後とも何かご縁があればよろしくお願い致します

 

ご挨拶はこの辺りにいたしまして、今回もこのSSを読むに差し当たっての注意事項をいくつか説明させていただきたく存じます

 

 

・既にタグ付けはしてあるのですが、本作品は「とある魔術の禁書目録」と「ソードアート・オンライン」のクロスオーバー作品となっております。クロスオーバーがどうしても苦手な方はこのSSは見なかったことにしてブラウザバックを推奨いたします

 

・前提としてこの作品は同作者の「とある魔術の仮想世界」というSSの続編です。前作を読んでいないと物語に齟齬が生じますので下記URLよりアクセスいただき、そちらを先にお読みになることを推奨いたします

 

・とある魔術の仮想世界 URL

https://syosetu.org/novel/135988/

 

・この作品は両原作のネタバレ、ストーリーバレを多く含んでおります。禁書目録に至りましてはスピンオフ作品の「とある科学の超電磁砲」に関しても多くのネタバレを含んでおります。どうかご容赦下さい。特に『ソードアート・オンライン アリシゼーション』は今回のSSの話の主軸になるので、アニメを視聴、又は原作を一読していただくことを強く推奨致します

 

・これは構想段階の話になるのですが、ストーリー如何によっては、SAO、禁書キャラ共々、原作以上にスポットの当たるキャラクターや、原作と違ってほとんどスポットの当たらないキャラクターが出てしまうと思います。(オリキャラは出ません)読者の皆様に好きなキャラクターがそれぞれであることは存じあげていますが、ご理解のほど何卒よろしくお願い致します

 

・「ソードアート・オンライン」に関しましては、神聖術、武具類、アイテム、全体のシステムなどに関しましては作者なりのアレンジや改変があります。と言いますか、作者自身が今回のアリシゼーション の範囲の設定を100%理解出来ているわけではないので、本SSシリーズ史上随一のガバガバ設定になると思います。どうかご容赦下さい

 

・これは「とある」シリーズに関しての注意事項になるのですが、基本的に未だに原作でも明確に明らかにされていない設定(『竜王の顎』や『天使の力』等)は作者の想像と自己解釈で書いていきます折、多少の既存の設定にも改変がございますのでご容赦下さい

 

・ストーリーの内容は作者なりに考えていく所存ではありますが、ストーリーは基本的にソードアート・オンライン原作の物語をなぞりながらの内容になると思います。しかし、登場キャラの違い、両作品のキャラ同士の掛け合い、戦闘シーンなどはクロスオーバーの面白さを十分に引き出していく所存ですので、楽しんでいただければと思います

 

・本作品はソードアート・オンラインの『アリシゼーション編』を原作として進行していきます。現在アリシゼーション編は、原作ラノベでいうところの14巻までがアニメ化を果たしましたが、15巻以降は2019年秋より放送予定でまだアニメ化はしておりません。そこでアニメのみの視聴の読者の皆様の事情を鑑みまして、ネタバレを防ぐためにアニメ化までに15巻以降の内容に突入した場合は、更新を控えさせていただきます(おそらくそんな早いペースで更新は出来ないと思いますが…)

 

以上の点で1つ又は複数の該当項目がある方は先ほどと同じく本作品の存在は見なかったことにしていただき、速やかなブラウザバックを推奨します

 

該当項目が無かった方、もしくは「該当項目があったけど我慢して読むぜ!」という読者の皆様。深い配慮と心の広さを海より深く尊敬すると同時にこれ以降、本SSに目を通して頂けることを作者としてこれ以上ない感謝を申し上げます。本当にありがとうございます

 

大変長らく失礼致しました。完結まで頑張って行きたいと思います。ご意見、ご感想、アドバイスなどございましたらどうぞ遠慮なく申し上げて下さい。それでは、この辺で失礼します

 

最後まで本SS「とある魔術の仮想世界[4]」をどうぞお楽しみ下さい。

 



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アリシゼーション編
第1話 仮想世界の未来


「・・・・・」

 

 

そこはとある片田舎の森の中に佇む一軒家の中。絵に描いたような木製のログハウスは、まるで華麗な上級貴族が休息のために拵えた別荘のようだ。そのログハウスの中では、アナログ時計の秒針が奏でる単音が木霊し、備え付きのソファーの上には、およそ貴族には見えない、どこにでもいそうな少年が電子モニターと手元のキーボードとを交互に睨みつけていた

 

 

「だぁーっ!畜生!やってられるかクソッタレ!こんなもん後一週間で終わるわけねぇだろうが!いいぜ、このレポートが本気で一週間で終わると思ってんなら、まずはその身勝手な〆切をぶち殺す!」

 

 

感情のままに自分のツンツン頭を掻きむしって叫んだ少年は、怒りのままに自分の右拳を電子モニターに向かって振り抜いたが、実体を持たない電子モニターに手応えがあるわけもなく、少年の右拳は虚しく空を薙いだ

 

 

「・・・どはあああぁぁぁ…そんな訳にもいかねぇよな実際。俺の都合だけで『学究会』の日程がズレる訳ないもんなぁ…」

 

 

その少年、名を上条当麻。あらゆる異能の力を打ち消す幻想殺しという特異な力を右腕に宿す点を除けば、どこにでもいる平凡な大学生。そんな彼は今、北欧神話の世界を妖精となって闊歩する、『Alfheim Online』という仮想世界に『カミやん』としてログインする一方、『学園都市研究発表会』通称『学究会』で発表する予定のレポートの作成に追われていた。本来であれば上条は、そのような学業の虫が集まるような場所には無縁も甚だしい。にも関わらず、彼がその学究会で一ヶ月後に発表を控えているのには理由があった

 

 

「ったく、なんでよりにもよって今回の学究会の会場がウチの大学になるんだ。そしてなんでよりにもよって、まだ二年に上がりたての俺なんかを特別発表者に任命しやがったんだ…あのクソ大学教授どもめ、死ぬまで恨んでやる」

 

 

彼がこぼした愚痴の通り、今回の学究会の会場は上条が通う大学に決定していた。そして学究会の恒例として、学園都市中から研究を認められて学究会に選抜された生徒以外にも、特別発表という枠で会場校の生徒が研究発表を行うという決まりがあった。そしてそれがなんの因果か、良くも悪くも『SAO生還者』という意味で方々から注目を浴びている上条当麻に、所属している大学の教授達が発表を任せたのだった

 

 

「なまじ吹寄にレポート手伝わせすぎたかなぁ…教授連中は俺がすっかり頭がいいと思い込んでやがる。因果応報と呼ぶべきなのか、持ち前の不幸が発揮したのか…まぁこんな愚痴言ってレポートが終わるんなら世話ねぇわな。どれ、もう一踏ん張り…」

 

「あれ?珍しいな、カミやんだけか」

 

 

上条が自分の頬を叩き、気を引き締め直して再びモニターに向き直ったところ、ログハウスの玄関が開いた。するとそこには、上条と同じスプリガンの妖精に扮したキリトの姿があった

 

 

「ん?おぉ!キリト!なんかすげぇ久しぶりじゃねぇか?ここにログインしてくるの5日ぶりぐらいだろ」

 

 

キリトの顔を見た上条は思わず驚きの声をあげた。彼がそうなるのも無理はない。なにせ自他共に認める重度のゲーマーであるキリトが、ここ最近はほとんどALOにログインしていなかったからだ

 

 

「ははっ、ちょっと野暮用があってな。カミやんの方は何やってるんだ?」

 

「見ての通り、大学のレポートだよ。諸般の事情で学園都市の学生同士の学会みたいなところで発表しなくちゃならなくってな。本番は1ヶ月後なんだが、諸々の準備のために発表するレポートの締め切りは後一週間なんだよ。もうこんなのカミやんさんにとっては不可能だよ」

 

「えっ?カミやんってそんな舞台で発表するほど頭良かったか…?」

 

「お前分かってて言ってんだろ」

 

「まぁな」

 

 

からかい半分でケタケタと笑うキリトを見て上条は特大のため息を吐くと、A4サイズの用紙5枚目に差し掛かっている書き途中のレポートを一番上までスクロールし、その論題が見えるようにすると、キリトの方へブラウザウィンドウを走らせた

 

 

「色々理由はあんだけど、大学側が俺に発表を任せたのは多分その論題のせいだよ。その論題がそのまま学会のテーマになってんだ」

 

「どれどれ…はぁ〜、なるほどなぁ。これなら確かにカミやんに白羽の矢が立つわけだ」

 

「『仮想世界の未来について』だってさ。なんでかわかんねぇけど、俺がSAO生還者だって大学で言ったことないにも関わらず大学中で噂になってるしよぉ。俺は別にキリトみたいに仮想世界の技術とか、知識うんぬんについてそこまで明るいわけじゃねぇんだけどなぁ…」

 

 

『仮想世界の未来について』というのが、今回の学究会のもっぱらのテーマ、もとい議題として取り上げられていた。そうもなれば大学側が上条に白羽の矢を立てるのは必然といえば必然だった

 

 

「最初はここらで評価でも上げておくのも悪くないかってな感じで、いつも通り吹寄に手伝ってもらえると思って安請け合いしたけどよぉ、いざ相談してみたら『私は仮想世界については本当にさっぱりだから、今回はアンタが独力で頑張りなさい』って言われちまってな。まぁそれはいいんだよ?だけど!だけど!美琴とかリズに頼み込んでみたら『学究会で赤っ恥かくアンタが見てみたい』とか言って断ったんだぞ!いくらなんでも酷すぎないか!?」

 

「うーん、正直に言うとそれは俺も見てみたいかも」

 

「カミやんさんの味方少なすぎでは?」

 

「でもそれはある意味仕方ないだろ。本来はカミやんが自分で受けたものなんだから、最後まで自分の力で頑張れよ」

 

「そう言われてしまうとぐうの音も出ないのも事実ですがね…」

 

 

いつかの死銃事件で黄泉川から受け取った報酬金も生活費や食費などであっという間に底をつき、元が貧乏である彼が自分のパソコンなど持っているはずもなく、取り付く島もなくなって仮想世界に缶詰になってレポートと睨めっこするのにそう時間はかからなかった

 

 

「まぁそういうわけだから、久しぶりなとこ悪いが今日はクエストなり狩りには付き合えねーや。他のみんなが来るの待っててくれ」

 

「ん、分かった」

 

「じゃ、そのウィンドウこっちに投げてくれ」

 

「・・・仮想世界の未来について…か」

 

 

上条の事情を承諾したキリトは、返却を要求されたレポートを下にスクロールしながら適当に流し読みした。そして一番下までたどり着くと口中で小さく呟き、ウィンドウを閉じた

 

 

「・・・は!?ちょ、おいキリト!なんでウィンドウ閉じたんだよ!?それちゃんと保存したか!?」

 

「そう心配するな、ちゃんと保存したよ」

 

「な、なんだそうか…危ねぇなマジで冷や汗かいたぞ…」

 

「それよりもカミやん。何時からレポート書いてたか分からないけど、もう昼の一時だ。俺が言うのもなんだけど、根詰めすぎるのもあんまり良くない。たまには二人で街の店に昼飯でも食いに行かないか?」

 

「え?なんだもうそんな時間か…だけど珍しいな。キリトの方からそんな風に飯に誘ってきたことあったか?」

 

「たまにはいいだろ。アスナの料理の味の良さだって、他の料理と比較するからありがたみを感じるんだ。で、どうだ?」

 

「そうだな、なんだかんだで朝の9時からぶっ通しだし、ここらで一服するか」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・うむ。プレイヤーが経営する店なだけあって結構な手前でございますな」

 

「ははっ、お褒めに預かり光栄でございます」

 

「別に作ったのはお前じゃないだろ」

 

「だけどこの店を勧めたのは俺じゃないか」

 

「まぁそりゃそうだ」

 

 

その後、転移門をくぐりユグドラシルシティへと繰り出した上条とキリトは、キリトの勧めた店へ入り昼食を済ませ、それぞれ食後に上条は紅茶を、キリトはコーヒーのカップを手にしていた

 

 

「そんでぇ?本当は何か目的があんだろ」

 

「・・・やっぱりお見通しか」

 

「普段飯よりゲームを気にかけるお前が、男とサシで飯食うなんてガラじゃないだろ。まして相手が俺ならなおのことな」

 

「ははっ。信頼されてるな」

 

 

上条とキリトは、付き合いこそまだ一年程度しかないが、ALOでは共に死線をくぐり抜けてきたこともあり、一年の付き合いとは思えないほどの悪友で互いの理解も深い。だからこそ上条はキリトがこんな風に自分を連れ出したのは理由があると分かっていた

 

 

「さて、話の本題は?」

 

「カミやんはさ…『人間の魂』ってどこにあると思う?」

 

「・・・はぁ?」

 

 

上条は思わず語気を強めて、『コイツ何言ってんだ?』と言わんばかりの口調で言った。あまり無闇に友人にそんな態度を取るのは上条とて不本意だが、それなりに付き合いが深い悪友がなんの脈路もなく、人間の魂だなどとカルト宗教じみたことを口走れば心配にもなるというものだ

 

 

「えっと…お前なんか変な宗教に勧誘されたりとかしてないよな?赤い長髪で頬にバーコード入ってて、変なカード持ってる神父風のヤツとか」

 

「まさか。俺はただ純粋に仮想世界の未来についての話をしてるのさ」

 

「・・・いやそれ俺のレポートのテーマだよな?俺そんな魂うんぬんなんて書いた覚えないし、もっと意味わかんなくなったんでせうが?」

 

「ま、そうだよな。じゃあ大元のところから説明するよ。今俺がテストを受けてる真っ最中の、新型フルダイブシステムのブレインマシンインターフェースについて」

 

「あ、あ〜…えっと、俺はその手の横文字とか用語があんまり分かんねぇんだけど…要するにそれは噛み砕いて言えば新しいゲーム機なんだよな?キリト達の世界の方のアミュスフィアの次世代機ってとこか?」

 

「当たらずも遠からず…だな」

 

 

キリトはコーヒーカップを持つ手とは逆の手で上条を指差すと、カップを一度置いて軽く咳払いし、神妙な面持ちで口を開いた

 

 

「次世代機であることは否定しないけど、アミュスフィアみたいな家庭用の…ましてアミューズメント向けじゃない。とにかく機体がデカくてな。多分この店がいっぱいになるくらいはある」

 

「へぇ…ってことはメディキュボイドみたいな業務用か?」

 

「いや、まだそれ以前の段階だよ。そもそも厳密に言うと、現行のフルダイブ技術とはほとんど別物なんだ」

 

「今のフルダイブとは別だぁ?キリトの口振りから察するに、仮想世界を生み出してそこにプレイヤーをダイブさせるのは変わらないんだろ?」

 

「ははっ、いいねその反応。こういう基本のキも分からないヤツに説明するのは結構楽しいな」

 

 

上条が靄のかかったようなキリトの話を聞きながら眉を潜めていると、その表情を見たキリトが心底楽しそうに口角を上げて笑った

 

 

「悪かったな、仮想世界の基本も分からないようなやつが学会で発表するレポート書いてて。それで?そこまで言わしめるその機体が作る世界はどんな感じなんだよ?」

 

「あぁ、実は知らないんだ俺」

 

「・・・なんて?」

 

「機密保持のためなんだろうけど、そのマシンが作るVRワールド内の記憶は、現実には持ち出せないんだ。だから俺はテスト中にどんな物を見たのか、一切合切忘れてる」

 

「な、なんだそりゃ!?」

 

 

本能的に叫んでしまった上条はテーブルから身を乗り出していた。おかげで手に持っていた紅茶が少しカップから漏れ、慌てて布巾でテーブルを拭くとキリトの方に向き直った

 

 

「おいおい、それなんかヤバいテストなんじゃねーのか!?機密保持のためなら俺とかに話しちゃダメだろ……ってそっか、住む世界が違うからいいのか?」

 

「まぁ別に守秘義務とか秘匿義務の誓約書にサインしたわけじゃないし、中の事情が漏れなきゃ別にいいんだろ。どうせ後には世間に向けて発信される技術なんだろうし。まぁ上やん達の世界には関係ないかもしれないけど」

 

「にしても記憶を持ち出せない、か…。実際覚えてないんだから出来るんだろうけど、そんなことどうやってんだ?実験始まる前に催眠術でもかけてんのか?」

 

「そこで俺がカミやんにした最初の質問に話が戻る。この技術の名称…『ソウル・トランスレーション』テクノロジーについて」

 

「・・・ソウル…魂?」

 

 

どこかのRPGの呪文か魔法の類のパクリなんじゃないかと上条は思った。最新のテクノロジーに関連する言葉にしては、響きがなんともオカルト染みていて違和感を感じていた

 

 

「俺も初めて聞いた時はなんつう大袈裟なネーミングだとは思ったけど、これが大袈裟でもないんだよ。最初の質問を少し変えて聞いてみようか。カミやんは『人間の心』ってどこにあると思う?」

 

「魂の次は心かよ…でもそれどっちも似たようなもんじゃねーの?」

 

「まぁその定義の話は一旦置いといて、とりあえず答えてみてくれよ」

 

 

そう言われた上条は目を閉じて腕を組むと、口をへの字に曲げて唸りながら思考を巡らせた。そして2、3秒経ったところで後ろ頭を掻き、静かに答えた

 

 

「まぁそれはなんつーの…頭…ひいては脳みそなんじゃねーの?考えごとする時は頭使うわけだし」

 

「ん。脳ってのは、いわゆる脳細胞の塊だよな。じゃあその脳を拡大したところで、心はどこにあると思う?」

 

「どこって言ってもな…言っとくが、超能力を生み出した俺達の科学でも具体的な説明ついてねーんだぞ?逆にキリトは分かるのかよ?」

 

「ははっ、質問を質問で返されると痛いな。正直いうと俺も最近までは分からなかったし、そんなことマジメに考えたこともなかった」

 

「・・・最近までは?」

 

「ああ。この心の在りかについて、ある理論を用いてその答えに迫った人間がいる」

 

「まぁ人間について聞いても俺んとこの世界にいるわけないからいいとして…その理論っつーのは?」

 

「『量子脳力学』。元々は前世紀の末頃にイギリスの学者が提唱したものらしいんだけどな。長い間キワモノ扱いしてたその理論を下敷きに組み上げたのが、『ソウル・トランスレーター』だ」

 

「ソウル・トランスレーター…それが新型フルダイブ技術を搭載しためちゃデカイ機体の名前か?」

 

「あぁ。それでここから先は俺もほとんど理解しちゃあいないんだが、さっき脳細胞がどうのって話をしたろ?」

 

「あぁ。心が脳細胞のどこにあるかって話だろ?」

 

「その脳細胞にも、構造を支える骨格がある。それを『マイクロチューブル』って言うらしいんだが、どうやらその骨はただの骨じゃなくて…言ってみれば、脳細胞の中の脳細胞なんだ」

 

「おいおい、文系のカミやんさんにそんな医学部みたいな話をするんじゃねーよ…吹寄の方がもうちょい分かりやすく説明するぜ?」

 

「だから言ったろ、俺もそんな理解してないって。分かってないものを分かりやすく説明出来るわけがない」

 

「開き直りやがったよコイツ…」

 

 

ただでさえ自分とは縁遠い話で頭がパンクしそうだった上条だが、話を切り出した当の本人がこの始末だと分かると途端に特大の溜め息を吐いた

 

 

「それでそのマイクロチューブルは、チューブって言うだけあって中空の管なんだ。その骨は、もちろん超微細で何ナノメートルとかいう単位の話だけど、空っぽじゃなかったんだ。その管の中には、封じ込められているモノがあるんだよ」

 

「その封じ込められてるモノとは?」

 

「『光』さ」

 

「・・・光ぃ?細胞そのものが光ってんのか?」

 

「厳密に言えば光子…『エバネッセント・フォトン』って言うらしい。光子ってのはつまるところ量子だ。その存在は非決定的理論であり、つねに確率論的な揺らぎとしてそこにある。揺らぎそれこそが人間の心なんだそうだ、問題の理論が言うには」

 

「・・・もう何が何だかカミやんさんには分からん」

 

 

ついに理解しようとすることに匙を投げた上条は、カップを手に取り紅茶を一気に飲み干すと、空になったカップをテーブルに叩きつけた

 

 

「まぁ俺も聞いた時はそうなったよ。でもそれは開発した側も同じさ。だから分かりやすく名前を付けたんだ。その光子が集まってできた集合体、もしかしたら人間の魂かもしれないものにな。揺れ動く光…英語にして『Fluctuating Light』。略して…」

 

「『フラクトライト』」

 

 



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第2話 神の領域

「・・・フラクトライトねぇ…」

 

 

まるで理解の追いつかない、底が知れない言葉を上条は静かに繰り返した。いくらキリトが自分とは別の世界に住んでいるとはいえ、生物学的には同じ人間だ。その理論が正しければ、自分の頭にも当然そのフラクトライトがあるということになる。いざそう考えると、頭の内側に言い知れぬ不快感が生まれ、思わず顔をしかめた

 

 

「とりあえずそのフラクトライトってのが人間の魂だって言ってるんだろ?その……」

 

「あぁ、ソウル・トランスレーター…長いから略してSTLって呼んでるんだけど、それを作ってるのは『ラース』って会社なんだ」

 

「そのラースってのが開発したSTLは、ソウルなんて名前つけるくらいだから、ソイツを読み取る…いや、この場合は解明しようってのが魂胆なんだろ?その機械を使って」

 

「それも間違いじゃないけど、STLは元々フラクトライトを観測するために作られた物なんだ。だけど、今やもう本質はそこじゃなくなった。上やん、考えてもみてくれ。今俺たちが使ってるアミュスフィアは、どうして脳が体に出す運動命令を読み取ることができるんだ?」

 

「はぁ?そんなん常識の中の常識だろ。アミュスフィアは俺たちの五感に再現する仮想世界の情報を書き込んでるわけで、その世界を体感してる俺たちの大脳にある運動神経がそれを判断すれば体は自然にうご…く……?」

 

 

流石にそれくらいは自分にでも分かっているとばかりに、上条は水を得た魚のようにつらつらと喋り始めた。しかし口が進むにつれて自分の話の中に違和感を覚え、徐々にその口調と表情に疑問の色が混じっていった。そのあまりにも分かりやすい彼の態度を見たキリトは、思わず笑って助け舟を出した

 

 

「ははっ。おおよその察しはついたみたいだな。その通り。アミュスフィアはその前提として、五感の信号を脳にそれぞれ情報として送り込んで俺たちに仮想世界を体感させてる。むしろ、そっちの方がフルダイブ技術の核心さ。それが出来なきゃ、STLは仮想世界の次世代機になんてなり得ない」

 

「・・・はっ」

 

 

思わず上条は鼻で笑った。技術云々の話やキリトの実体験を聞いている時は、どこか怪しい実験かと思った。しかし実際にキリトはその説明をどこか楽しそうにしていたため、そんな不安はいつの間にか消えていた。しかし、その不安はより明確な形となって現れた

 

 

「・・・魂に…情報を書き込める…?」

 

 

馬鹿げている、と最初は思った。自分達の世界の科学ですら行き着いていない、心や魂の存在の理論。それに飽き足らず、その魂そのものに介入しようなどと、それはもはや人ならざる『神の領域』にすら近いのではないかと上条は感じていた

 

 

「その通り。STLはフラクトライトに短期的な記憶を書き込むことで、使用者に見せたいものや聞かせたいものの情報を与えることができる。例えば…」

 

 

キリトは唐突に話を区切ると、自分の身の周りに目を配った。そして自分のコーヒーカップに目を止めると、上条の方からは見えないようにそのカップを自分の右手で隠した

 

 

「?なんだよ、別に勝手に飲みゃしねーって」

 

「違うよ、そういうことじゃない。俺は今、こうしてコーヒーカップを隠したよな。そのコーヒーカップは、上やんの中から一瞬で消えたか?」

 

「いや、流石にそこまで忘れっぽくはねーけど…」

 

「そこだ。つまり俺たちは何かを見る時、記憶・再生が可能な方法でそのデータをフラクトライトに保持するんだ。関係者は『記憶的視覚情報』って呼んでるんだが、目を閉じても瞬時にその記憶は消えたりしない。ということは、そのカップを見ていた時と同じデータを完全な形で入力されれば、現実には存在しないグラスを本物と変わらない精度で『見る』ことができるはずだ」

 

「いやそりゃ理屈はそうでも、記憶を外部からの操作で再生させる…なんて…」

 

 

そこまで口にして、上条はハッとした。自分が今体感しているこの世界。自分の体、感覚が何によって与えられているのかを実感し、途切れ途切れだった糸が一直線に繋がったような気がした

 

 

「・・・なるほどな。アミュスフィアはユーザーの脳、ひいては視覚に仮想世界のデータを見せるのに対して、STLは脳どころか『記憶』にダイレクトで書き込む。つまり当人が体感するその仮想世界は、意識においては本物…作り物じゃない」

 

「ご明察。俺もごく初期のテストダイブ中の記憶は残ってるんだけど…違ったよ。今までのVRワールドとは何もかもが違った。俺は最初そこが…『アンダーワールド』が仮想世界だと分からなかった」

 

「アンダーワールド…地下の世界ねぇ…まぁその仮想世界の情報は、後になって機密保持のためにキリトの記憶からは消されてるってわけだ」

 

「いや、現状ではそこまでは不可能らしい。俺の記憶がないのは、ダイブ中に記憶への干渉を遮断しているからだそうだ」

 

「なるほど。最初っから意識に壁みたいなモンを作っちまってるわけか」

 

「まぁ感覚的に言えば、要はリアルな夢を見ている感じに近いかな。ついさっきまでは何かを見ていたはずなのに、その断片なものしか覚えていない。そしてここからが、STL最大の目玉だ」

 

「まだあんのかよ…もうここまでで上やんさんはお腹いっぱいだぜ…」

 

「まぁそう言わず、デザートは最後まで取っておくもんだろ?」

 

「そう言ってくれてるとこ生憎だが、聞いてるこっちとしてはフルコースだと言われておいて、オードブルもなしにデザートをひたすら口に突っ込まれてる気分ですよ」

 

「あ、あははは…」

 

 

上条が敢えて皮肉めいた口調でそう言うと、キリトも思わず苦笑いした。しかしここで話を切り上げてしまっては悪友も浮かばれないだろうと思い、諦めて自らの手の平を差し出して話の続きを促した

 

 

「カミやんはさ、時々ものすごく長い夢を見ることはないか?起きたらグッタリ疲れてる怖い夢とか、中々醒めそうで醒めない夢を見たこと」

 

「あー…あるっちゃあるな。別に明確な記憶があるわけじゃねぇけど」

 

「そういう夢を見てる時って、どのくらいの時間が経ってる感じがする?」

 

「いやどのくらいって…2.3時間とか?あるいは寝てる間ずっと?」

 

「まぁそのくらいに感じるだろ。ところが実際に夢を見てる時の脳波をモニターすると、当人がものすごく長い夢を見たと感じていても、実際には目覚める前のほんの数分前だったりするんだ」

 

「例えば現実世界でも、緊急時はアドレナリンがドバーッと出て時間がゆっくり流れているように感じるし、反対にリラックスして会話に夢中になったりすると時間があっという間に過ぎてたりするだろ?」

 

「分かった分かった。例え話と前振りはもう聞き飽きたよ。さっさと結論言ってくれ」

 

「な、なんだよノリの悪いヤツだな。まぁいいや、ならお望み通り結論を。このSTLは、人が数分間の内に長い夢を見るように、実際のダイブ時間の数倍の時間を仮想世界で体感できる」

 

「・・・っていうとなにか?現実世界では1分しか経ってないけど、STLの作る仮想世界にダイブして時間は1時間以上経ってるってか?へへっ、竜宮城から戻ってきた浦島太郎じゃあるまいしそんなことあるわけが……」

 

「出来るぞ」

 

「出来んの!?」

 

 

あまりにも回りくどすぎるキリトの説明を聞いている内に、段々と耳の傾け方が雑になっていた上条だったが、よもや魂だけでなく時間という概念すらも捻じ曲げることの出来るSTLの機能に愕然とした

 

 

「まぁ、実際に中でどれくらいの日数が経ってたのかは分からないけどな。なんせ記憶がないんだから。だけど結果的に言えば今の俺は、同い年で同じ誕生日のやつと比べたら、精神的にはいくらか多く歳を取ってることになる」

 

「・・・もう冗談抜きで神の領域だな…そのうちキリトが史上最年少の仙人になるんじゃねーの」

 

「ユーザーの意識に鑑賞した結果として、同期した仮想世界内の時間も加速する。実際のダイブ時間の、何倍もの時間を仮想世界で体感できる。これがSTL最大の目玉…『フラクトライト・アクセラレーション』。略して『FLA』さ。はい、ご静聴ありがとうございました」

 

「・・・なるほどねぇ…まぁそりゃ確かに、仮想世界の未来の話なわけだ」

 

 

全ての話を聞き終えた上条は半ば呆れかえっていた。よくもまぁ魂だなんだと非科学的なものを論理的に捉えたり、時間の概念をひっくり返そうとする人間の傲慢さと科学の進歩にもはや言葉が出なかった

 

 

(そういやいつかトールが言ってたっけ。『十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない』とかなんとか…いやほんと、言い得て妙だな)

 

「で?なんでまた急にキリトさんはそんなご高説をカミやんさんにしたので?」

 

「・・・まぁこれを聞いたカミやんなら、ある程度分かってくれると思うけど、STLは単なるアミューズメントマシンじゃ終わらない気がするんだよ」

 

「俺からすりゃ、もうアミューズメントの域を出てるように見えるがね」

 

「あぁ、だからこそ俺は知りたいんだ。際限なく可能性を広げているフルダイブ技術…仮想世界は、一体どこに向かっているのかを」

 

「仮想世界がどこに向かっているのか…か」

 

「なぁ、カミやんはどう思う?こうして別世界の存在である俺たちを繋げた仮想世界は、その道の先に何にたどり着くと思う?」

 

 

そう上条に問いかけるキリトの目は、真剣そのものだった。そんな彼の表情を見た上条はクスリと彼に笑いかけると、徐ろにズボンのポケットに手を突っ込んだ

 

 

「・・・そうだな。その結論は、レポートが書き終わったら自ずと出てくるだろうよ」

 

「・・・え?」

 

「はい。本日は貴重な題材のご提供をどうもありがとうございました」

 

 

ピコンッ!という軽快な音と共に上条がポケットの中から取り出したのは、『メッセージ録音クリスタル』だった。上条の持つ八面体のそれを見るやいなや、キリトは目の前の男が何を考えているのか全て察した

 

 

「な、なあっ!?カミやんお前それ一体いつから…!?」

 

「んー、飯食い終わったぐらい…だな」

 

「いやほぼ初めっからじゃないか!?ひょっとしなくても今の話をレポートに書くつもりじゃ…!?」

 

「なに、そう焦るなよ。丸パクリするわけじゃないし、どうせキリトの方の世界の話だ。発表したって誰も分かりゃしねーよ」

 

「・・・はぁ、しょうがないな。分かったよ、俺がカミやんの立場なら多分そうするだろうしな。だけど本当にあんまり詳しく書くなよ?」

 

「へへっ、ありがとよ。まぁ悪いようにはしねぇさ。今度そのうち高難度クエストにでも付き合うよ」

 

「何て言うと思ったか!著作権侵害も甚だしいわ!そのクリスタル寄越せぇぇぇ!!!」

 

「甘いぜ相棒!転移!『央都 アルン』!」

 

 

上条から録音クリスタルを奪い取るために騙し討ちを仕掛けたキリトだったが、それすらも見越していたように上条はベルトポーチから転移結晶を取り出した。そして結晶に向けて転移先を告げると、その身体が光に包まれ一瞬にして消えた

 

 

「クソッ!野郎みすみす逃すと思うなよ!転移『央都 アr……」

 

 

続いてキリトも上条の後を追うべく転移結晶を手に取り、アルンへと転移しようとしたが、行き先を言い切る直前で彼の右肩に屈強なノームの男の手が置かれた

 

 

「失礼ですがお客様。お勘定は?」

 

「覚えとけよぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

 

この時、上条とキリトの二人は、これはどこまでいっても所詮別の世界の技術、別の世界の話…そう思って割り切ってしまった。しかしこの瞬間、仮想世界を蝕む新たな闇が生まれ落ちた。時間を加速することは出来ても、過ぎた時間を巻き戻すことは出来ない。ゆっくりと、けれど確実に、底知れぬ闇は仮想世界へと根を下ろし始めていた

 



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第3話 学究会

 

「・・・えー、私の発表は以上になります。ご静聴いただきありがとうございました」

 

「嘘だろ…」「本気で言ってんのか?」「いや無理だろ…」「だけどもし本当ならこれは…」

 

 

1ヶ月後、無事にキリトのSTLの話を元にレポートを書き上げた上条は、その後発表用のカンニングペーパーや配布用の資料を仕上げ、大学内の講堂の舞台に立っていた。そして彼の発表が終わった後の会場全体は、文字通り騒然としていた。多くの生徒は近くの席に座る同じ学校の生徒と物議を醸し、興味半分で聞きに来た数人の学者は、手元に渡された配布資料を自分の目を擦りながら何度も読み返していた

 

 

(ま、こうなるのも無理ねぇよなぁ。論文の内容もさることながら、別に誰に選抜されたわけでもない、開催校の特別枠なんてオマケみたいなヤツがこんな発表するなんて、夢にも思わねぇだろうし…)

 

 

会場を騒然とさせた上条本人は、どこか達観としながらその様子を見ていたが、これで自分の出番は終わりだと言わんばかりに、手元の原稿を持って舞台袖に下がろうとした

 

 

『え、え〜…開催校特別代表、上条当麻様による『フラクトライト干渉のためのソウル・トランスレーション・テクノロジーの開発について』の発表でした。では続きまして…』

 

「し、質問!質問よろしいでしょうか!?」

 

 

舞台袖に下がろうとした上条の様子を見た司会の生徒はハッと我に返り、次のプログラムへと進行しようとした。しかし、そこに割って入るように高校生くらいの女子生徒が椅子から立ち手を挙げた

 

 

『え〜…申し訳ありません。何ぶん発表者が多いもので…質疑応答は後で配布資料に記載されております発表者ご本人のメールアドレスの方に…』

 

「こ、この論文は上条さんの手元に残しておくおつもりでしょうか!?それともどこかの開発会社に提供なさるのでしょうか!?もしも後者であるのならば近い将来、貴殿が提唱するソウル・トランスレーション・テクノロジーは世界中の技術者が躍起になってでも実現に漕ぎ着けます!そうなればその先に待つ仮想世界とその技術は確実に人の手に余ります!場合によっては、かのSAO事件のような悪夢の再来にも繋がるのではないのでしょうか!?そういった可能性についてのご意見をお伺いしたいです!」

 

『え、ええっと…』

 

 

規則通りに学究会を進行しようとする司会の言葉に耳を貸すことなく、少女は捲し立てるように質問を投げかけた。どうしたものかと司会の生徒は視線を泳がせていたため、これはせめてもの責任だと感じた上条が司会の生徒のマイクを借りて口を開いた

 

 

『えー…まぁ時間がないみたいなので今の質問に限って手短に。とりあえず、この論文は自分の手元に残しておくつもりではあります。ただこの技術に特許を取って云々ということは特に考えてません。発表を終えた後で言うのも恐縮ですが、この技術は所詮どこまでいっても実現しない空想上の産物です。フラクトライトについても、医学部の友人にそんなような物があると聞かされただけで、実際にそれが人の心である定義も確証もありません。ですから、どうかそんなに真に受けないで下さい』

 

「で、ですがこの論文はあまりにも筋が通り過ぎています!信じるなという方が無理な話だと私は思います!それに、あなたの所属は文学部だと配布資料に記載されていますが、仮想世界とは縁もゆかりもない文学部であるあなたがなぜここまで仮想世界への深い理解を…!」

 

『単なる趣味の延長線ですよ。まぁ、しがないSAO生還者の端くれの妄想…とでも思って下さい』

 

「・・・SAO生還者!?」

 

『それでは失礼致しました』

 

ざわざわざわざわざわざわ……

 

 

上条はその言葉を最後に一礼すると、使っていたマイクを司会に返し、今度こそ舞台袖の方へと下がった。しかし彼が去った後の会場は静粛さを失い、より一層雑然としていた

 

 

「本来ならここはお勤めご苦労様…とでも言うのだろうが、今この言葉は貴様には相応しくないな。やりすぎだ、この大馬鹿者」

 

「あ、あはは…やっぱ吹寄もそう思うか。いや俺自身も絶対最後のは余計だったと思うんだけど、アレ以上あそこで質疑応答されると俺の方がボロ出しそうだったし、手っ取り早くあの場を収めるにはあれぐらい言うしかなかったんだよ」

 

 

講堂の舞台裏の壁に腕を組みながら寄りかかり、上条に労いの言葉をかけようとしていたのは、彼にとっては顔馴染みの女性だった。彼と同じ大学の医学部に属し、上条がこうなるに至った一因を作ったとも言える女性、吹寄制理だ

 

 

「何がボロが出そうだ、よ。日頃から私にレポートを手伝わせすぎだとあれほど言っていたろうが!きちんと自分で考えてレポートを書いていれば、教授だって間違ってもお前にこの発表を任せたりしなかったわよ!」

 

「ま、間違ってもって酷えな…いやそりゃ最後の生還者うんぬんは俺が悪いと思うけどさ、それでもレポートの内容は中々のもんだったろ?」

 

 

既に出番が終わった身としては講堂に居座る理由もなければ、他校の生徒の発表に興味があるわけでもないので、講堂を出ようと上条と吹寄の二人は出口への順路を並んで歩き始めた

 

 

「まぁそうね。内容は正直さっぱりだったけど、聴いていた人の様子を見ればそれなりのモンだってのは分かったし。急に『脳細胞の中に管みたいなモンあるか?んでそん中になんか入ってないか?』なんて聞かれた時には、とうとうコイツ頭が狂ったのかと思ったけれど、なんだか心配して見に来て損したわ」

 

「え?なんだ、心配してくれてたのか」

 

「へっ!?ち、違うわよ!別に貴様のことが心配だったとかそういうんじゃなくて、この発表のせいで大学の悪評が広がったりするんじゃないかって心配をしてただけよ!分かった!?」

 

「お、おう…でもお前、『レポートが書き終わったら一回私に見せろ』なんて言って、俺がデータ送った後に細かに添削して太鼓判まで押したじゃねぇかよ。そこまでして他に何が心配なんだ?」

 

「それはそれ。これはこれよ。第一、大して内容の分からない私が添削したのなんて、言葉遣いとか文法の言い回しぐらいよ。それだってここまで酷いとは思わなかったけどね。これからは少しは自力でレポート書くようにしなさい。そりゃどうしてもって言うなら手伝うけど、この大学で元がバカなの知ってるのなんて私ぐらいなのよ?」

 

「分かった分かった。反省してますよ」

 

 

そう話している内に、気づけば二人は講堂の出入口までたどり着き、手前まで歩くと自動ドアが開いた。そしてその足で中庭をしばらく歩くと、別れ道に差しかかり吹寄が踵を返した

 

 

「それじゃ、私この後バイトだから。今日はこっちから行くわね」

 

「そっか。今日はわざわざ聞きに来てくれてありがとな。バイト頑張れよ」

 

「・・・ねぇ、上条」

 

「んぁ?」

 

 

てっきりこれで解散だとばかり思っていた上条はもう一度話しかけられるとは思わずに、間の抜けた声を出した。そんな彼とは対照的に、か細い声で話しかけた吹寄は、不安そうな表情で話し始めた

 

 

「・・・実際のところは、どうなの?」

 

「どうって…なにが?」

 

「あの発表の内容よ。そりゃ私は仮想世界はからっきしだから変な用語とかは分からなかったけど、それでも魂とか心がどうたらとか、時間を加速させる云々ってのは聞き取れたし、貴様が提唱した理論がどれだけヤバイ代物なのかは会場の雰囲気と肌で感じ取れる程度には分かった」

 

「・・・・・」

 

「それに、最後に質問してた子だって言ってたじゃない。『人の手に余る』…って。本当に…本当に今度は大丈夫なんでしょうね?私に調べさせたあの『得体の知れない光』は、魂でも心でもなんでもないのよね?貴様の言うように、どこまでいっても実現することのない空想上の産物なのよね?例えそんな代物が実際にあった、出来上がったとしても、そこに上条が関わることはないのよね?」

 

 

吹寄に問われた上条は、しばらく押し黙って考え込んでしまった。自分とて学園都市の科学技術の凄さは分かっているが、それがどの程度のものなのかハッキリとは分かっていない。キリト達の住む世界の技術と、自分の住む世界の技術の発展の仕方が違うのは明白だ。自分達の世界には超能力があって、キリト達の世界には超能力がない。ただ、それをもって目の前の彼女に『ない』と断言することはできなかった。

 

 

「えっと…だな……」

 

 

上条自身も、レポートを仕上げた時から今の彼女と同じ疑問を抱いていた。『これは本当にキリト達の世界だけの物なのだろうか?自分たちの世界では本当に存在しない物なのだろうか?』と。学究会ではその場しのぎで解答を濁したが、目の前にいる吹寄の不安に染まった表情を見ていると、正直に打ち明けるべきなのではないか?という迷いが生まれてしまった

 

 

「すいませぇ〜ん。学究会やってる講堂ってどちらですかね〜?」

 

 

上条がどう答えるべきか必死に悩んで考えていると、黒っぽい服を着たボサボサ頭の痩せこけた男性が、ぺこぺこ頭を下げながら訪ねてきた。それに対し吹寄は自分達が辿ってきた道の方を指差して答えた

 

 

「講堂ですか?この道を真っ直ぐ進んでもらって、そしたら中庭に出るので…」

 

「・・・吹寄、下がってろ」

 

「えっ?ちょ、ちょっと何よ!?」

 

 

口頭で説明していると、不意に上条が吹寄の肩を自分の方に引き寄せた。そのまま彼女を自分の後ろに押しやると、男の方へ鋭い視線を投げた

 

 

「お前、一体どこの誰だ?」

 

「えぇ?い、嫌だなぁ。別に怪しいモンじゃ…」

 

「とぼけてんじゃねぇよ。隠せてると思ってんならお笑いだぜ、その殺気」

 

「・・・ひひっ、なるほどぉ…もう慣れっこってわけですかぁ。これは不意打ちは厳しいかなぁ」

 

 

飄々とした態度を取る男は、口から漏れ出すような息で不気味に笑った。流石の吹寄もこの男は危険だと察知したのか、上条の背中へと隠れこみ、一方の上条も男に対する意識を改め、右の拳を握り締めると男に重ねて問い質した

 

 

「質問に答えろ。お前はどこの誰だ?なんで俺たちのことを狙ってる?」

 

「へへっ…いいねぇその顔〜。『ザザ』がやられるのも納得できるよぉ。ねぇ〜上条当麻さん?いや…『幻想殺し』」

 

(ッ!?ザザ……死銃のSAO時代のアバターネームか!?)

 

 

自分のことを幻想殺しと呼んだ男は、既に聞き知った名前を口に出した。かつてGGOで起こった死銃事件の真犯人、新川昌一と恭二の仲間であると予想するのは、上条にとってそう難しくなかった

 

 

「・・・そういうお前は金本敦…『ジョニー・ブラック』ってことでいいのか?」

 

「なぁんだそこまで知ってるのか〜。まぁそういうことだからさ、俺が根性見せないとじゃん?仇討ちというか、真のラフコフ最後の一人として一矢報いるぐらいはさ?」

 

「言っとけ。どうせこの世界はSAOじゃないし、今のお前は武器を持たないただの人間だ。諦めて自首しろ!」

 

「へいへい、見た目で武装を判断するのはトーシロのやることだぜ?元SAOトッププレイヤーさんよ」

 

 

金本は素早く右手を背中に回すと、ジーパンの尻ポケットから何かを取り出した。一見すれば奇妙な形をした玩具のようなそれを見た上条は、自分の記憶に同じ注射器を見つけ戦慄した

 

 

「それは…!?」

 

「まぁ、いわゆる毒武器ってやつさ。ナイフでないのが残念だけどなぁ!」

 

 

その言葉を最後に、金本は上条に向かって飛びかかった。殺意の衝動が赴くままに注射器を持った右手を上条に向かって伸ばした

 

 

「ッ!?クソッ!」

 

「あれぇ〜!?お姫様がガラ空きだぁ〜!」

 

「へっ!?きゃあっ!」

 

 

自分に向かってくる金本に対し、上条は咄嗟に右に飛んで避けた。しかしそれを見た金本は足の速度を緩めることなく、吹寄の方へ襲いかかった

 

 

「吹寄ッ!?」

 

「おおっとぉ、動くなよぉ〜?声も出すな。少しでも怪しい動きを見せたらこの女の子に、コイツをプシューッ…だぜ?」

 

「テメエッ…!」

 

 

金本は蛇のように吹寄にまとわりつくと、左手を彼女の首元に回して口を塞いだ。そして彼女の胸に注射器が押し付けられたのを見た上条は、自分の不甲斐なさに歯噛みした

 

 

「そいじゃまずはぁ〜、頭の後ろで手を組んで地面に膝をついてもらおうかぁ〜?」

 

「・・・分かった。だから吹寄には手を出すな」

 

「そりゃ〜もちろん。出来ればこんな可愛い子の顔に傷はつけたくないからね〜」

 

(焦るなよ俺。まだチャンスはある。ヤツの武器は所詮あの注射器だけ。アレはその内俺に向けられる。そしたら吹寄から注射器は離れる。その一瞬の隙を突ければ…!)

 

「噴ッ!!!」

 

「おごぉっ!?」

 

 

上条が金本に言われた通りの体勢を取りながら吹寄を助け出す算段を考えていると、金本の腕に囚われていた吹寄が突然膝を折り曲げ、バネのように飛んで金本の顎に頭突きをかました

 

 

「・・・へ?」

 

「覇ッッ!!!」

 

「おうえええぇぇぇっ!?!?」

 

 

金本が頭突きをモロに喰らって怯んでいる隙に、吹寄は彼の腕からするりと抜け出した。そして腰を低く据えると、そのまま振り向きざまに彼の鳩尾に渾身の正拳突きを叩き込んだ

 

 

「ったく。気安く乙女の身体に触れてんじゃないわよ」

 

 

吹寄の正拳突きに堪らず金本の体は吹っ飛び、地面に仰向けになって伸びていた。そんな彼を見下ろしながら吹寄は捨て台詞を吐くと、彼の右手に握られた注射器を蹴飛ばした

 

 

「・・・え、えーっと…吹寄さん?その、お怪我は…?」

 

「別になんともないわよ。今の見てなかったわけ?」

 

「い、いやその…実に見事な一撃だったことは見てとれたんだが…どこでそんな身のこなしを会得したんでせう?」

 

「仮にも医学部で勉強してるんだから、人間の急所ぐらい心得てるわよ。まぁ後は通販で買った健康グッズで身体が鈍らないように鍛えていた努力の賜物かしら?」

 

「あ、あはは…なるほど、そういうこと…」

 

「さっ、警備員に連絡しましょ。こんな危なっかしいやつ放っとけないわ」



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第4話 暗転

 

「いやー!自分の尻を自分で拭くとは、本当に上条には頭が下がるじゃんよ!」

 

 

その後、時刻は夕暮れに差し替かっていた。吹寄が風紀委員に連絡を入れ、大学の現場に黄泉川愛穂が率いる警備員の小隊が駆けつけた。金本を連行して現場を粗方整理し終わると、上条と吹寄に話しかけていた

 

 

「正確には俺じゃなくて吹寄がやったんですけどね。高校時代に喰らったことあるから分かるが、本当この石頭から繰り出されるヘッドバットは痛いのなんのって…」

 

「そうは言うけど、私だって無我夢中だったのよ?咄嗟に思いついたのがあの方法だったってだけで、アレを狙って出来たならそれこそ今ごろ風紀委員か警備員にでもなってるわ」

 

「あはは!吹寄が警備員になったら、私もいよいよお払い箱じゃん?」

 

 

黄泉川なりの気遣いなのか、彼女の態度はおよそ殺人さえ手にかけていた凶悪犯を取り締まった後のソレとはとても思えなかった。おかげで上条と吹寄も肩の力がすっかり抜け、いつもの調子を取り戻しつつあった

 

 

「しかし、金本がまさか学園都市に潜伏してたとは思わなかったじゃん。てっきり死銃事件の後は日本を逃げ回ってるもんかと」

 

「まぁでも、これで終わったってんなら一安心ですよ。誰も怪我なく終わったんすから」

 

「まぁ、それが一番じゃん。ほんじゃ、私はまだ仕事残してきてるからそろそろ行くじゃんよ。くれぐれも気をつけて帰るじゃん」

 

「はい、ありがとうございました」

 

 

吹寄が一礼すると黄泉川は後ろ姿のまま手を振り駆け足で車に乗り、そのままエンジンを蒸して走り出した

 

 

「ところで吹寄、お前バイトはよかったのか?」

 

「アホか貴様。流石にこんなことあった後で働かせるほどブラックなバイトしてないわよ」

 

「そりゃそうか…カエルの先生んとこの病院のバイトだもんな。じゃあ送ってくよ、一応あんなことがあった後だしな」

 

「うぇっ!?そ、そうね…それじゃあお願いしようかしら…」

 

「・・・?大丈夫か?なんか顔赤くねぇか?」

 

「ゆ、夕陽のせいよこんなの!は、早くしなさい置いて行くわよ!」

 

「えっ!?ちょ、言ったそばからそれかよ!?」

 

 

上条と歩幅を合わせて帰れることが嬉しかったのか、吹寄の頬は夕暮れに溶け込むように紅潮した。しかし、ただでさえ鈍感な上条がそんなことに気づくわけもなく、照れ隠しと少しの怒りを交えて言った吹寄はズカズカと歩き始めた

 

 

「そういえば、学究会の続きはどうなったのかしら?」

 

「あぁ…まぁ確かに不測のアクシデントはあったっちゃあったが、あくまでも講堂の外の話だったからな。警備員と風紀委員を増員して、少し時間を遅らせて再開したらしい。俺はトップバッターである意味良かったよ」

 

「でも、もし順番が後ろの方だったら、延期になって発表が見送りになったかもしれないわよ?」

 

「・・・不幸だ…」

 

「冗談で言ったのに貴様というやつは…」

 

 

夕暮れに染まっていた空はもうすっかり暗くなり、二人の帰路を学園都市の街灯が照らし始めていた。そしてその帰路もやがて終わりに近づくと、吹寄がくるりと踵を返し、上条と向き合った

 

 

「ここまででいいわ。送ってくれてありがとね」

 

「なに、気にすんな。こっちこそ悪かったな、あんな物騒なことに巻き込んじまって」

 

「・・・それで思い出した。貴様、結局私の質問に答えてないわよ?」

 

「え?」

 

 

上条がてっきりこのまま今日は解散だと思い込んでいると、吹寄がむっとした表情で詰め寄ってきたので、思わず半歩後ろに下がった

 

 

「え?じゃない!襲われたりして忘れたのは仕方のないことかもしれないけど、誤魔化そうたってそうはいかないわよ!貴様の論文よ論文!アレは空想上の産物ってことでいいのよね!?」

 

「あっ!?お、おう…そうだったな。それは…えっと…」

 

 

上条は、先程自分の手で殺人鬼を目の前にしていたにも関わらず、今はまるで自分が犯罪者にでもなっているような気分だった。自分に突き立てられた人差し指と、彼女の真剣な眼差しにたじろいてしまったが、生唾を飲み込むと意を決して口を開いた

 

 

「・・・いや、あの時はそう言ったけど、本当にそうだとは言い切れない。なんせ俺たちの科学には、まだまだ発展の兆しがある。でも大丈夫だよ吹寄。お前が心配するようなことは何も起こらないし、俺ももう自分からそんなことに首を突っ込むつもりはない」

 

「・・・その言葉に嘘、偽りはないわね?」

 

「ない」

 

 

そう尋ねる吹寄の瞳は、上条の瞳を真っ直ぐ見つめて離さなかった。そして上条もまた、彼女の視線から決して目を逸らさなかった。しばらくの間見つめ合うと、吹寄がすっと目を閉じて肩で息を吐いた

 

 

「分かった。じゃあそういうことにしておいてあげる。だけど、あくまで仮想世界から足を洗えって言ってんじゃないんだからね」

 

「は、はい?」

 

「そりゃ私だって、危険な目に遭ってこいって言ってるんじゃないわよ?だけど、もし仮に誰か困っている人がいるのなら、それを見捨てるなってことがいいたいのよ。要するに面白半分に面倒ごとに首突っ込むなってことが言いたいのよ。分かった?」

 

「あぁなるほど、そういうこと…っておい待て。その理論でいくなら、俺が仮想世界の厄介事に首突っ込んでるのは、大体が困っている誰かを助けるためか偶発的な事故であってだな…」

 

「さっき遭遇した金本敦とかいうヤツの絡んでたGGOの事件は、果たしてそうだったと言えるかしら?」

 

「うっ……」

 

「はい論破。今回はまだ被害にあったのが私と貴様だけだったから良かったけど、仮想世界の事件が巡り巡って現実世界にまで回ってくるってこと、今日身に染みて思い知ったでしょう?でもそれは、逆も然り。現実世界で起こったことが、巡り巡って仮想世界で重大な事件に関わることだってあるかもしれないんだからね?」

 

「・・・なるほどな。そういう風に考えたことなかったよ。ありがとな吹寄、本当にお前には助けられてばっかりだ」

 

「私は本当に貴様を助けてばっかりよ。この借りは、きっといつか返してもらうからね」

 

「あ、あんまり高いのはNGだぞ?なんせ上条さんはバイトもしてないんだからな」

 

「ふふっ、分かった。それじゃあ、貴様も気をつけて帰るのよ」

 

「あぁ、またな」

 

 

そんな別れの言葉を最後に、吹寄は自身の住まうアパートへの道を歩き始め、彼女の後ろ姿を見た上条もまた自宅への道を辿るために踵を返して歩き始めた

 

 

「あ、そうだ上条」

 

「ん?どうしt……」

 

 

吹寄の声に振り向いた上条が垣間見たのは、鋼鉄の仮想世界で何度も対峙した、あらゆるものに等しく死を告げる黒い凶器だった。彼女の右手に握られたソレは、左肩に下げているトートバックとは似ても似つかなかった

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

何かの間違いだと上条は思った。しかし、間違いだと思うにはあまりにも、そのトリガーに指をかけた彼女の表情は、深い哀しみに満ちていた

 

 

「・・・ごめんなさい」

 

 

深淵を覗かせる銃口から放たれた悪魔の弾丸は、一瞬の間に夜の街を駆けた。耳に突き刺さる爆裂音、鼻に残る硝煙の香り。飛び散る血飛沫と、虚空が突き抜ける胸元

 

 

「ガハッ!?」

 

 

喉をせり上がってきた血液が、口から飛び出した。耐え難い激痛に膝をつき、両手で胸を覆って倒れこんだ。胸元が焼けただれたように熱い。しかしその熱に反して、身体の内側では寒気が収まらない。体の感覚は狂うどころか、残っているのかすら分からなかった

 

 

「なんで、だよ……ふき、よせ…………」

 

 

血が体の外に出すぎたのか、視界は徐々に霞んでいき、闇夜に深い靄がかかっていく。その靄の向こう側に、見慣れたはずの一人の少女がいた。自分を見下ろしながら、もう一度銃口を向けた少女の服は返り血に塗れており、出会ってから今日まで信頼を寄せていた少女とは別人のようだった。その顔を垣間見ようとも、毛先まで丁寧に手入れされた黒髪が覆い被さり、その表情は闇夜の影に紛れていた

 

 

「お願い。こんな弱い私を赦して…上条…」

 

 

免罪を請う少女の言葉の直後、もう一度銃口から虚しい銃声が響き渡った。まるで残響に唆されるように血が溢れ出していき、上条の意識は紅の海の中に沈んでいった

 



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第5話 Alicization Beginning

 

「・・・んぁ?」

 

 

水を打ったような静けさの中で、青い芝生の匂いと少し甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。肌を撫でるのは春の陽気を感じさせる穏やかな風。まだ朦朧とする意識が惰眠を貪ろうとする欲に駆られたが、照りつける日差しを無理やり視界に刻みつけ、上条は目を覚ました

 

 

「えっと…ここは夢か?それともALOの中か?でもこんなマップ見覚えないしなぁ…」

 

 

上条は自分がこんなところで寝ていた理由を探し求め、自分の記憶を掘り起こしてたが、それらしき記憶は全く出てこなかった

 

 

「俺はたしか昨日、学究会で自分のレポートを発表して…その後帰って寝たのか?はたまたなんかで飲みすぎて記憶がない?」

 

 

上条は自分が夢の中にいるのか判別をつけるために、自分の右手で頬を思いっきり抓った。すると自分の神経系は痛烈なまでにその感覚を脳に伝えた

 

 

「痛って〜〜!?ってことは夢じゃない…ならALOか。とっととログアウトしちまおう」

 

 

そう思い立ち左手を振り下ろしたが、その左手は空気を漕いだだけで、その先に表示されるはずのメインメニューは一文字も現れることはなかった

 

 

「・・・おろ?メニューが出ない…ってそりゃそうか。ここがALOなら抓った頬がこんなに痛いはずがないもんな………っていや待て。そうなるとここは………」

 

 

現実世界。自分が本当の意味で生きる世界が上条の脳裏によぎった。そう考えてしまうのは当然だ。あまりにも鮮明に移る景色や、鼻に残る香り、風の音、どれを取っても現実の自分の五感に語りかけているようで、どうしてもそこが夢だとも、仮想世界だとも思えなかった

 

 

「いやいやいやいや…そんなわけあるか!?アレか?今流行りの異世界転生ってやつなんですか!?ってーとなんですか?上条さんは既に前世を終えたということですか!?」

 

 

 

上条は我ながらバカな発想だとは思ったが、それにツッコミを入れる者すら近くには見当たらない。こうなってくると、いよいよ疑問よりも虚しさが胸につっかえる感覚に囚われてきた

 

 

「って、流石にそりゃないか。別に死んだ覚えもないしな。とりあえず誰かに連絡入れてみっか。さてスマホは……あれ?服が………」

 

 

スマホを取り出そうとポケットに手をつっこもうとした時、上条はようやっと自分の身なりがおかしなことになっていることに気がついた。全体的に薄い青色で、胸元の生地はVの字に切り込まれ糸が通されている、木綿か麻でできた半袖のシャツ。同じ色と素材で出来ている長袖の肌着。そしてポケットのないクリーム色のズボンと、レザーのシューズ。どこをどう見てもファンタジー系のゲームの初期装備そのものだった

 

 

「なんだ…ってことはここは仮想世界じゃねぇか。知らねぇゲームでもインストールして寝落ちしたのか。まぁどっちにしたってメニューの開き方すら分からねぇなら直で呼びかけるしかねぇか。おーい!GMさーん!」

 

 

自分の格好でここは仮想世界だと結論づけた上条は、一先ずログアウトを試みようと、頭上に広がる蒼穹に向かって大声で叫んだ。しかし、しばらくしても彼の答えに応じるものは何もなく、沈黙とした時間と雲だけがゆっくりと流れて行った

 

 

「・・・応答なし。普通のVRMMOならこれで何かしらの返事かウィンドウが出るはずなんだが…サポート時間外か?参ったな」

 

 

上条が現状を理解しきれず後ろ頭を掻いていると、不意に空気を伝って甲高い音が聞こえた。金属のような細い音ではなく、太さと反響が残るような一風変わった音だった

 

 

「・・・?なんだ今の音?でも自然の音っぽくはないな…だとしたら誰かいるかもしれねぇな。まぁこのまま現状嘆いてても意味ねぇし、ちょっと行ってみるか」

 

 

未だ目の前に広がる景色が夢見のせいなのかハッキリしないまま、響いて来る音を頼りに上条は草木の生い茂る丘を登り始めた。丘の中層には鬱蒼とした林が広がっていたが、その林を抜けると丘の頂上と思しき少し拓けた場所に出た

 

 

「たしかこの辺から音がしてたハズなんだが…ってなんだこりゃ!?」

 

 

そこで上条を待ち受けていたのは、天に向かってそびえ立つ一本の巨大な樹木だった。地に張る根はまるで巨人の腕のように地面をガッシリと掴んでおり、その巨大さに上条は呆気にとられていた

 

 

「は〜〜〜……これはスゲェなぁ…屋久島の縄文杉みてぇだ…」

 

「・・・誰?」

 

「んぁ?」

 

 

上条は巨大な樹木にばかり意識を向けていたせいか、掛けられた声に気づくのに少しばかり時間がかかった。見上げていた視線をゆっくり下ろしていくと、緑がかった瞳と真っ直ぐに視線がぶつかった

 

 

「君は誰?どこから来たの?」

 

 

そう上条に問いかけた丁度同い年ぐらいの少年は、アッシュブラウンの髪をしていて、服装も今の上条とほとんど同じのどこか柔らかな雰囲気を醸し出していた。しかし、その右手には骨製とおぼしき白い斧が握られており、素手の上条は警戒の意識を持ちながら口を開いた

 

 

「えっと…俺の名前は…」

 

 

しかし、答えようとしたところで上条は口籠った。理由は単純に仮想と現実、どちらの名前を名乗ったらいいか分からなくなったからだ。沈黙は2秒にも満たなかったが、上条は自分なりに思考を巡らせ、一度咳払いして答えた

 

 

「『カミやん』だ。ちょっと道に迷っちまってな。変な音が聞こえてきたから試しにこっちに来てみたんだ」

 

(ま、この方がいいだろ。話してるのは日本語だけど、どう見てもコイツ日本人じゃなさそうだしな。ここが本当に仮想世界じゃないなら変な名前だとか言われるだろうし、そしたら訂正すればいいだけだ)

 

「道に迷った?えっと…君の来た方角だと…『ザッカリア』に住んでるの?」

 

「ざ、雑貨屋…?あ、あぁはいはい。街の名前か何かね。オーケーオーケー」

 

「?」

 

 

目の前の少年は、上条の言動の意味がよく分からないのか、眉を顰めながら首を傾げた。まず間違いなく今自分は怪しまれている。そう直感した上条は一先ず緊張を解こうと話を続けた

 

 

「あぁ、悪いな。えっと…お前の名前は?」

 

「僕かい?僕の名前は『ユージオ』」

 

「ユージオか…いい名前だな。よろしく」

 

 

そう言って上条は握手を求めて自分の右手を差し出した。するとユージオと名乗る少年はその仕草の意図を分かっていたようで、強張っていた口角を緩めると、上条の右手を握り返した

 

 

「ありがとう。こちらこそよろしく、カミやん」

 

(俺の右手に触れる…まぁ少なくとも異能の存在とかってことはなさそうだな。まぁここが現実ならの話だけど)

 

「んでその、変なこと言うようだけど…俺、自分がどっから来たのか分からないんだ。覚えてるのは名前だけで他のことは薄ぼんやりとしか……」

 

「えっ?自分がどこから来たか分からない?それは驚いたなぁ…『ベクタの迷子』かな。話には聞いていたけど、本当に見るのは初めてだよ」

 

「べ、べくたのまいご?とな?」

 

 

見たことはおろか聞いたことすらない単語を上条は復唱すると、ユージオは軽く頷いた

 

 

「うん。ある日突然いなくなったり、逆に森や野原に現れたりする人のことを、僕たちの村ではそう呼んでるんだ。闇の神ベクタが悪戯で人間を攫って、生まれの記憶ごと引っこ抜いてすごく遠い土地に放り出すんだ。僕の村でも、ずーっと昔、お婆さんが1人消えたんだって」

 

「へーっ……」

 

(ははぁん?少し読めてきたな。こりゃなんともありがちなRPGだな。記憶を失った主人公に成り切って、魔王を倒す旅に出るとかいう王道ファンタジー的なVRゲームと見て間違いなさそうだな。まぁしかし、これは上条さんのミスでしょうな。大方、現実でクラインと記憶失くすまで酒飲んでアイツに勧められたゲームソフトをロードして寝落ちした…ってとこかな。そうと決まれば…)

 

 

ユージオの話を聞いてようやく自分の中で確信を得た上条は、内心ニヤリと笑いながらユージオに話しかけた

 

 

「それで悪いんだが、どうにも困ってるから一旦ここを出たいんだ。だけどログアウトの方法が分からなくてな」

 

「えっ?ログアウト…ってなに?」

 

「・・・ほ?」

 

 

おかしい、と上条は反射的に思った。ここは仮想世界に間違いない。そう結論づけるならば、目の前にいるユージオはプレイヤーか、コンピュータの作り出したNPCでなければおかしい。そして双方どちらだとしても、ログアウトの言葉が通じないはずがない。しかし、目の前の少年はどうにも本当にログアウトの意味が分かっていないようだった

 

 

「え、あ、えーっとだな…じゃあ聞くが、ユージオはプレイヤーなのか?これはなんて名前のゲームなんだ?」

 

「・・・ぷ、プレイヤー?ゲーム?いったい何の話だい?」

 

「・・・マジで…?」

 

(これはアレか?最初に言ってた異世界転生が一番有力だったりするので?流行りに乗っかって上条さん自殺でもしたの?それともクラインと飲んで急性アル中でお亡くなりに?葬式どれくらい来てくれたのかなぁ…って違うな。今それどころじゃない)

 

 

上条はあまりの衝撃に思わず言葉を失って自意識の中で迷走していた。もはやこれはゲームではない、そう直感した。ユージオはプレイヤーにせよNPCにせよ完全にここの住人であって、『仮想世界』という概念を持ち合わせていない。上条の抱く疑問はますます深まるばかりだが、ともかくここで話を途切れさせるのはマズイと思い、必死に会話を繋げようと試みた

 

 

「わ、悪い。俺の記憶の中の言い回しなだけだから気にしないでくれ。ただその、なんだ…どこかの村か街で泊まれる場所を見つけたい。って意味なんだけど…」

 

「へぇ、変わった言葉遣いだね。初めて聞いたよ。その黒いツンツン頭もこの辺じゃ珍しいし…南の方の生まれなのかな?」

 

「ど、どうでせうか…」

 

 

あまりにも言い訳としては苦しすぎるか?と思い不安に駆られたが、どうやら要らない取り越し苦労だったようで、一先ず上条はホッと胸を撫で下ろした

 

 

「うーん、泊まれるところかぁ…僕の村はここから真っ直ぐ北だけど、旅人なんてまったく来ないから宿がないんだよ。でも、事情を話したら教会のシスター・アザリヤが助けてくれるかもしれない」

 

「宿なんて贅沢言わないさ。むしろそっちの方が助かる。なんせカミやんさんは今一銭も持ち合わせてないからな」

 

 

村がある、というユージオの発言は上条としては渡りに船だった。ここが仮想世界であるにしろそうでないにしろ、村などのターニングポイントなら少しは情報があるはずだ

 

 

「じゃあ俺はその村の教会に行ってみる。こっから北に真っ直ぐでいいのか?」

 

「あ、ちょっと待ってカミやん。村には衛士がいるんだ。いきなり君が入っていったら説明が色々大変かもしれない。僕が一緒に行って事情を説明するよ」

 

「え、衛士?そ、そんなのがいるほど立派な村なのか?」

 

「言うほど立派な村ではないと思うけどね。まぁそういう『天職』だから仕方がないよ」

 



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第6話 仮想世界

 

「・・・天職ぅ?」

 

 

と言うと何か?こんな田舎くさい土地の村の衛士なんかが自分の天職だと信じてやまない人間がいて、ソイツが自らそんな役割を買って出ているのか?と上条は疑問に思った。しかし、ユージオはさもそれが当然であるかのように言うので、いざ突っ込もうにも突っ込むことが出来なかった

 

 

「あ…ってそれは僕も同じじゃないか。ごめんカミやん、僕も仕事があるから村に案内するのはすぐには無理かな…」

 

「仕事?」

 

「うん。今は昼休み中なんだ」

 

 

そう言うとユージオは先の巨木の根元を指差した。するとそこには簡易的な包みで覆われた、パンのような物が二つと、革で作られた水筒が鎮座していた

 

 

「あ、メシの邪魔だったか。そりゃ悪りいことしちまったな」

 

「ううん、気にしないで。仕事が終わるまで待っててくれれば、一緒に教会まで行ってシスター・アザリヤに君を泊めてくれるよう頼めるけど…まだ4時間くらいかかるんだよね」

 

「よ、4時間か…」

 

 

時間の感覚はハッキリとしないが、ユージオの言葉と太陽の高さから察するに今は昼で違いないのだろう。しかし、上条としては一刻も早く情報が欲しいのも事実、けれどユージオとの繋がりを断ってしまうのも本意ではない。しばらく頭の中でその二択を天秤にかけた上条だったが、意を決したように頷いて口を開いた

 

 

「大丈夫だ、こっちはむしろお願いしてる立場だからな。それぐらいは待てる。悪いけどよろしく頼んでもいいか?」

 

「もちろん。それじゃあ友好の証として…」

 

 

ユージオは会話を不自然なところで切り上げると、巨木の方に歩いて行った。不思議に思った上条がその後を追うと、ユージオは手にしていた斧を降ろし、自分の昼食である2つのパンの包みを開いた。するとそのパンの片方を、上条の方へズイッと差し出した

 

 

「はい、カミやん。あんまり味はオススメ出来ないけど」

 

「え?い、いやそれは悪りぃよ…それユージオの飯なんだろ?だったら…」

 

 

そう言いかけたところで上条の腹が盛大な音を立てて鳴った。もはや誤魔化しの効かないほどの大音量で、ユージオが聞きそびれるハズもなくクスクスと可笑しそうに笑っていた

 

 

「ふふっ。身体は正直みたいだね?」

 

「・・・すまん、ありがたく頂きます。腹減って死にそうだ。ところでユージオ、それ意味分かって言ってんのか?」

 

「え?な、何のこと?」

 

「・・・天然かぁ…」

 

「?」

 

ユージオは上条の言葉を理解できていなかったようだが、あまり多くは言うまいと上条はその呟きを最後に、差し出されたパンを受け取り、巨木から生える一本の根っこに座り込んだ

 

 

「そんじゃ、いただきまーーー……」

 

「あ、カミやん。ちょっと待って」

 

「んぁ?」

 

 

上条が大口を開き、少し灰色がかったパンの生地に歯を立てようとした瞬間、ユージオに待ったをかけられ、パンを持っている両手を降ろした

 

 

「長持ちするしか取り柄のないようなパンなんだけど…まぁ一応ね」

 

 

するとユージオは、左手に持った自分のパンの上に、右手でアルファベットのSの字に似たような軌跡を描いた。そしてその軌跡に軽く触れると、金属が振動したような音とともに、薄紫色のウィンドウのようなモノが浮かび上がった

 

 

「なッ!?」

 

 

それを見た上条は愕然とした。表示の仕方こそ異なれど、ユージオが表示したそれは間違いなく『ステータス・ウィンドウ』だった

 

 

(・・・決まりだな。ここまでイマイチ確証は持ててなかったけど、ここは現実でも、異世界でもない…人間の生み出した仮想世界だ)

 

 

百聞は一見に如かずといったところか、上条が抱えていた疑念はユージオの表示したウィンドウによりあっさりと晴れ、何より欲しかった確証を得た。そして上条自身もまた、見よう見まねでパンの上に左手の指二本で少し歪なS字を描いて触れた。すると、上条のパンの上にも『Durability』という文字と、その隣に数字の『7』の書かれたウィンドウが現れた

 

 

「お、おお…これは……」

 

「?ねぇカミやん、まさか『ステイシアの窓』の『神聖術』を見るのが初めてだ、なんて言わないよね?」

 

「え?い、いやまっさかぁ。そんなわけないだろ」

 

(実は記憶を失くしたのはこれで二度目です…なーんてな)

 

 

あまりにも興味津々にウィンドウを見ている上条を見て、ユージオは不安そうな声で尋ねた。上条としては聞き慣れない単語がいくつもありそれについて聞いてみたかったが、イマイチこの世界の常識の尺度も掴みきれてないので、どうにかして誤魔化そうとした上条がウィンドウの表面を軽く触れると、薄紫色のソレは光の粒を散らして消えた

 

 

(消し方はこれで合ってたか…)

 

「なら良かった。『天命』はまだ余裕がありそうだったから、ゆっくり食べていいよ。これが夏だとこんなには残ってないけどね」

 

「・・・天命ねぇ…」

 

(要するにだ、さっき表示してたステイシアの窓とかいうのに載ってたDurability…いわゆる『耐久値』をこの世界では天命って呼んでて、それを差す数値が、このパンの場合は7…ってとこか)

 

 

上条は大雑把に目に見えた情報を頭の中で整理すると、今度こそ手に取ったパンに噛り付いた。するとどうだろう、小麦の味と程よい食感が口の中に……

 

 

「ごっ!?」

 

「美味しくないでしょ、これ」

 

 

噛り付いた瞬間、上条は思わず口の中のパンを戻しそうになった。苦笑いしているユージオの言う通りお世辞にも美味いとは言えないが、譲ってもらった身でそんなことを言えるはずもなく、無理やり咀嚼して飲み込んだ

 

 

「そ、そんなことねぇよ。美味いなぁ…」

 

「無理しなくていいよ。出がけに村のパン屋で買ってくるんだけど、朝早いから前の日の残り物しか売ってくれないんだ。昼に村に戻るような時間もなくてね」

 

「じゃ、じゃあ家で弁当でも作って持って来れば……」

 

 

そう言いかけながらユージオの方を見ると、ユージオはパンを持ったまま目を伏せていた。何か無遠慮な言葉だったかと上条は首を縮めたが、ユージオはすぐに顔をあげると小さく笑った

 

 

「はは、僕あんまり料理できなくてね。ずーっと昔はね、昼休みにお弁当を持って来てくれる人がいたんだけど、今はもう…」

 

「・・・どうしたんだ?」

 

 

これは聞いていいものか、と聞いた後で上条は思ったが、ユージオは木漏れ日の差し込む巨木の針葉を見上げながら、どこか懐かしむような口調で話し始めた

 

 

「幼馴染だったんだ。同い年の女の子で、小さい頃は朝から夕方までずっと一緒に遊び回っていて…天職を与えられてからも、毎日お弁当を持ってきてくれたんだ。でも6年前、僕が11歳の時の夏のことなんだけどね。村に『デュソルバード・シンセシス・セブン』っていう名前の『整合騎士』がやってきて『央都』に連れて行かれちゃったんだ」

 

「でゅ、でゅそるばーど…やたらと長い名前だな。でも、なんでそのせいごーきし…ってのに連れて行かれちまったんだ?」

 

「・・・僕のせいなんだ。安息日に2人で北の洞窟に探検に出かけたけど、帰り道に迷って…果ての山脈を向こう側に抜けたんだ。決して足を踏み入ることならずって、分かってたのに…『禁忌目録』にも…そう書いてあるのに…」

 

(禁忌目録…?)

 

 

ユージオが口にした言葉の中に、いくつも知らない言葉があったが、その中でもかつて上条が、自分のアパートのベランダで出会った純白の少女の役割と似た響きする言葉があり少し頭に残ったが、敢えて聞かずにユージオの話に耳を傾けた

 

 

「ただ少しだけ闇の国に…『ダークテリトリー』に掌が触れただけなんだ。それなのに整合騎士は村にやってきて、彼女を鎖で縛り上げた。助けようとしたんだ。僕も一緒に捕まってもいい、そう思って斧を手に取ろうと思った。でも、そこから手も足も動かなくて…僕はただ…黙って彼女が連れて行かれるところを見ることしか………」

 

 

まるでその時の悔しさを滲ませるように、ユージオは食べかけのパンをグシャッと握り潰した。その表情に自嘲の色を微かに浮かべながら、ひしゃげたパンを口に放り込むと俯きながら噛み続けた

 

 

「・・・その子がその後どうなったのか、知ってるのか?」

 

「整合騎士は尋問ののち処刑する、って言ってた。彼女のお父さんの村長も死んだものと思えって…でもカミやん、僕は信じてるよ。きっと生きてるって」

 

 

一拍おいて、雄大な雲が流れる蒼穹を緑色の瞳で見上げながら、どこか遠い日々を思い出したような寂しげな声で呟いた

 

 

「『アリス』は、必ず央都で生きてるって」

 

「アリス…『不思議の国のアリス』…?」

 

 



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第7話 Alice's Adventures Under Ground

 

「おーうお前らー!上条さんと吹寄さんがやって来たぞー!」

 

 

ある日、上条と吹寄は自分たちに縁のある第七学区の病院が受け持つ小児科のふれあい広場を訪れていた。その広場には病気などで入院する子供たちが遊ぶための遊具が多く備えられており、上条と吹寄はこの病院にいるカエル顔の医者たっての願いもあり、時たまボランティアで子供たちの遊び相手になっていた

 

 

「あー!ウニ頭のにーちゃんとおっぱいのねーちゃんだー!」

 

「いや誰がウニ頭か!?」

 

「それよりもおっぱいのねーちゃんを否定しなさいこのバカ!」

 

「え、否定材料なくないですか?」

 

「やーね上条。殺されたいならもっと素直にそう言ってくれていいのよ?」

 

「め、滅相もございません!」

 

「おねーちゃん久しぶりー!」

 

「ええ、久しぶり。良い子にしてた?」

 

「うん!この前のおちゅーしゃも痛かったけど我慢できた!」

 

「そっかそっか、偉いわね」

 

「えへへー」

 

 

最初こそぎこちなかったが、時間が経つとともに上条と吹寄はすっかり子供たちに懐かれ、小児科医の医者でも信頼を置くほど子供たちの人気者になっていた。その日もいつものようにおままごとや遊具で遊んでいると、ある女の子が上条の元に一冊の本を持ってきた

 

 

「ねーねー、かみじょーのにーちゃん」

 

「お、どしたー?かみじょーのにーちゃんでございますよー?」

 

「この本読んで!」

 

「おう、上条さんに任せなさい!…って児童書にしては結構ぶ厚いなこの本…絵本じゃねぇのか?」

 

「それはねー、『アリス』ちゃんの本だよー」

 

「あ、アリスちゃん…?」

 

「あら懐かしい。『不思議の国のアリス』ね」

 

 

するとその様子を見ていた吹寄が、自分もまた他の子ども達と遊びながら、上条が女の子から手渡された少し厚めの装丁が施された本を見て言った

 

 

「なんだ、この本知ってるのか吹寄?」

 

「知ってるも何も有名な物語だもの。むしろ貴様が知らないことに驚きよ。まぁこの子達が読むにはちょっと早いかもしれないけど」

 

「そー、むつかしー文字があって読めないの。だから代わりにかみじょーのにーちゃんが読んでー」

 

「んー、そうしてやりたいのは山々なんだがなー…この本は上条さんが読むにはちょっと長いなー」

 

「まぁ無理もないわね、元々このお伽話の生まれは日本じゃないし、内容もこの子たちにはちょっと難しいかも」

 

「学園都市よりもお外ー?」

 

 

首を傾げながら聞いてくる女の子を見た吹寄は、上条に軽く目配せした。その目配せの意味を理解した上条は本を吹寄に手渡し、吹寄は手に取った本の表紙を女の子に見せながら話し始めた

 

 

「そーよ。この本の元々の題名…いわゆる原題は『Alice's Adventures Under Ground』…日本語にすると『地下の国のアリス』って言ってね。そのお話を少し変えて出来たのが、この不思議の国のアリスなのよ」

 

「・・・むつかしー」

 

「ふふっ、そうね。だからこの本はあなたがもっと大きくなって、今よりもっと言葉を覚えたら読んでみて。その方が私たちが読んであげるより、ずっと面白いと思うわ」

 

「わかった!」

 

 

吹寄の言葉に女の子が元気よく頷くと、その天真爛漫な様子に吹寄はクスリと笑って女の子の頭を優しく撫でる。それはさながら本物の親子のようで、その光景を見ていた上条の頬は自然と緩んでいた

 

 

「ところでその本、元は外国の本なのは分かったけど、一体どういう話なんだ?さっきも言ったけど俺はその話知らねーからさ」

 

「そうね、一言でまとめるなら…やっぱり題名そのままに不思議なお話だと思うわ」

 

「不思議…と言いますと?」

 

「この物語の主人公の女の子アリスはある日、人の言葉を喋るウサギと出会って、そのウサギを追って大きな穴に落ちるのよ。その先でアリスを待ってたのは、見たこともない不思議な人や動物が集まる不思議の国で、アリスはその世界を冒険していくの」

 

「なるほど、大きな穴に落っこちる…それで原題が地下の国のアリスってことか」

 

「そ。喋るウサギ、醜い公爵夫人、狂った帽子屋、チェシャ猫…ってな感じで個性豊かなキャラクターがたくさん出てきて、私も小学生くらいの時に読んだんだけど、読んでて心が踊ったわ」

 

「へぇ…吹寄にもそんな純真な子どもの時があったんだな」

 

「どういう意味かしら?」

 

「い、いえいえ!なんでもございません!そんな時期があったからこそ、現在のように見目麗しい吹寄様になられたのだと重々承知しております!はい!」

 

「ったく…調子いいんだから」

 

 

睨みを利かせて上条を黙らせた吹寄は手元の本をパラパラとめくりながら目を通すと、昔に読んだときのことを思い出したように笑顔を浮かべていた

 

 

「でも面白かったとはいえ、お世辞にもこの子みたいな女の子が喜ぶ可愛いキャラクターがいたとは言えないわね。牛だか豚の頭をした亀とかもいたりしてね、正直アレは薄気味悪かったわ」

 

「ぶ、豚の頭をした亀ぇ?それは流石に気色悪いな…」

 

「でも、かみじょーのにーちゃんも頭がウニだよー?」

 

「ほっとけ!」

 

「名前は確か…『ラース』とか言ったかしら?まぁその辺りの記憶は定かじゃないわね。なんせもう読んでから10年近く経つから」

 

「まぁそうだよな。桃太郎とか浦島太郎みたいにそんな短い話でもなさそうだしな」

 

「でも、結末はちゃんと覚えてるわよ。実はアリスがいた不思議の国は、全部アリスが見ていた夢だったのよ。まぁいわゆる夢オチってやつね」

 

「う〜ん夢オチかぁ…ありがちっちゃありがちだが、そりゃちょっと拍子抜けだな」

 

「あら、私はそうは思わないわ。むしろ夢で良かったんじゃないかしら。たとえお伽話だとしても、喋るウサギとか豚の亀が現実にいるかもー…なんて考えただけでも怖いしね」

 

「ま、そう言われればそうかもな」

 

「ねーねー、かみじょーのにーちゃん」

 

「お、どうしたー?」

 

「かみじょーのにーちゃんは、れーるがんのおねーちゃんと、おっぱいのねーちゃんどっちと結婚するのー?」

 

「」

 

「なっ…なっ…!?」

 

 

女の子の唐突極まりない質問に上条は言葉を失い、吹寄は紅潮させた顔を絵本で隠すばかりで何も言い返すことが出来なかった

 

 

「えーっと…そうだな…今は上条さんも誰と結婚しようとかは考えてないぞ」

 

「じゃあ、あたしと結婚しょー!」

 

「ちょっ!?」

 

「あのな吹寄…相手は子どもだろうが…なんでそんなムキになんだよ?」

 

「わ、分かってるわようるさいわね!」

 

「ねーいいでしょー?」

 

 

女の子の思いがけない提案に吹寄は歳上とは思えないほどに慌てふためいており、上条は軽くため息を吐きながらも、きちんと女の子に向き直った

 

 

「ははっ、いいぞー。結婚できる歳になっても上条さんのことを好きでいてくれたらな」

 

「約束だよー?」

 

「や、約束はちょっと…」

 

「え〜〜〜…」

 

「上条君、少しいいかね?」

 

 

なんとも返答に困るこの会話をどうしたものかと上条が後ろ頭を掻きながら考えていると、広場の前を通りかかったカエルによく似た医者、冥土帰しが上条に声をかけてきた

 

 

「あ、はい先生。悪い吹寄、ちょっと行ってくる」

 

「ええ、こっちは大丈夫だから」

 

 

上条は立ち上がってからそう言い残すと、広場を抜けて冥土帰しの元へ行き、そのまま自販機などが立ち並ぶロビー近くの休憩所へと移動した

 

 

「ブラックで良かったかな?」

 

「あ、わざわざすいません」

 

「いやいやとんでもない。こちらこそ子供たちと遊んでくれて感謝しているよ。小児科を請け負っている僕からすればね」

 

「逆に俺としては、先生がこの病院で担当してない科目が知りたいですけどね」

 

「それは僕も知りたいところだね」

 

 

短い挨拶を済ませると上条は冥土帰しから缶コーヒーを受け取り、プルタブで飲み口を開けコーヒーを喉へと流し込んだ。同じように冥土帰しも一口目のコーヒーを味わい終えたのを見ると、上条は冥土帰しに話を切り出した

 

 

「それで、まぁ呼び出された理由はなんとなく察してるんですけど…あの子達のその後の経過はどうなんです?もう大分長いこといる子もいるみたいですけど…」

 

「・・・あのねぇ君、僕を誰だと思っているんだい?」

 

「!!じゃあ…!」

 

「あぁ、たしかに僕は小児に割ける時間はあまりないが故に治療に時間はかかったけれど、来月には顔馴染みの子どもはほとんど退院している予定だよ」

 

 

その言葉を聞いた上条は、自然と頬が綻んでいた。そして安心したように大きく息を吸って吐くと、冥土帰しの方へと向き直った

 

 

「流石だぜ先生。まぁちょっと寂しいけど、こんなとこで過ごすよりは外に出た方がアイツらも幸せだろうからな」

 

「はは、その感情は人間としてはごく当たり前のものだし、僕だって距離が近かった患者ほど退院は寂しくなるものだよ。まぁ君のように近すぎると困るときもあるがね」

 

「め、面目次第もございません…」

 

「ところで、オーディナル・スケール事件のその後はどうなんだい?もうすっかり仮想世界に逆戻りかな?」

 

 

冥土帰しにそう問われた上条は、缶コーヒーを飲みながら軽く頷くと、空になった缶を両手で持ち直し、テーブルに体重を預けながら言った

 

 

「まぁ結果的に見ればそうなるんですかね。オーグマーそのものは結構役に立つんで使ってますけど、オーディナル・スケールのログイン時間よりも、アミュスフィアでVRワールドにダイブしてる時間の方が長い…と思います」

 

「それは僕としては朗報だね。なにせ仮想世界にはまだまだ無限の可能性がある。医学の道はもちろんだが、その他の道にもきっとまだまだ応用の余地がある。そういえば先日、吹寄君から仮想世界での魂がどうのという大変興味深い話を耳にしたのだが…ひょっとして君の入れ知恵かい?」

 

「ゔぇ!?い、いやぁその…なんというか学究会の間に合わせと言いますか…その下調べみたいなのを吹寄に頼んだだけで…だけどあんなのこじつけの思いつきですよ!そんな先生が間に受けるほどのモンじゃないですよ!はい!」

 

「・・・おや、そうかい。まぁ僕もそこまで詳しい話を聞いたわけではないがね」

 

 

住む世界は違うにしろ、半ば人から聞き出した理論をそのまま垂れ流しているだけなので、流石にこれ以上なにかとひけらかすのを避けたい上条は咄嗟に話題を差し替えた

 

 

「あ、そういえばその吹寄の方はどうなんです?なんかこの前バイトみたいな感覚でこの病院で働き始めたって…」

 

「まぁ普通は出来ないがね。けれど彼女の場合は過去の緊急時に病院を手伝ってもらった恩もあったから特例でね。バイトと称して少し雑用を手伝ってもらいながら、医学部で学ぶことよりも少し先の、医者としての基礎を教えているよ。子供たちの面倒を見てもらっているのも、その延長線上なわけだけどね」

 

「へ〜…吹寄も頑張ってんだなぁ…」

 

「彼女はきっと優秀な医者になるよ。なんと言ってもこの僕が教えているのだからね」

 

「ははっ、そりゃ違いねぇや。子ども大人も関係なく面倒見がいいから、患者からも好かれそうだし」

 

「その点から見ると、彼女は女医というよりもナースの方が天職かもしれないね。いやナース属性の僕としては是が非でもナースになってもらって、僕の介護をしてくれれば何も言うことは…」

 

「おい」

 

「はは、冗談だよ。ところで今日はどんな風に子どもたちの相手をしてくれたのかな?」

 

「まぁいつもと変わらず、子どもってのはやりたいことが次から次に出てくるんでそれに付き合ってる感じですかね。今日なんかは不思議の国のアリスの物語を話したりしましたよ。まぁ俺じゃなくて吹寄がですけど」

 

「・・・不思議の国…か。そんなユートピアが、本当にあればいいのだけれどね」

 

 

冥土帰しはどうにも意味深な口調でそう呟くと、その呟きごと飲み込むようにコーヒーを飲み干してゴミ箱に空き缶を放り込んだ。彼がそんな自嘲気味に物事を呟くのは珍しいと思った上条は、興味本位で少し食い気味に尋ねた

 

 

「意外ですね、先生でもそんな風に思うことがあるんでせう?」

 

「そりゃあ君、僕はどんな患者でも救ってみせるが、患者が出ないに越したことはないと思っているよ。君だって今でこそ仮想世界に入り浸っているわけだが、その発端になったSAO事件の『事件』の部分はなかった方が良かったと思うだろう?」

 

「そりゃあまぁ…そうですけど…」

 

「根本的にはそれと同じなのさ。人はいつしか痛みを忘れる。それどころか痛みを知らないものは、自ら痛みに飛び込むことだってある。さっき話していた不思議の国のアリスのようなお伽話だって、ユートピアものを書いていて、本当にユートピアだった話はないだろう?」

 

「・・・いやお言葉ですけど、それはそうしないと物語にならないからでしょう?誰もがずっと幸せな話を見たいってんなら、下手な少女マンガの方がまだマシですよ。まぁ、実際誰もが幸せかどうかは怪しいところですけど。三角関係とか」

 

「僕とてそれは重々承知の上だが、要はスペクタクルとリアルの境界線な訳だね。SAOというゲームの物語はスペクタクルだが、SAOで賭けるプレイヤーの命はリアルそのもの。言及するなればSAOはデスゲームでなくても、プレイヤーそれぞれのSAO足り得る物語やスペクタクルが体験できたのではないかな?それとも、プレイヤーが自らの命を賭けることこそがSAOの本質だとでも…」

 

「先生」

 

 

時に身振りや手振りを交えながら淡々と持論を語り続ける冥土帰しだったが、突然上条が低い声で冥土帰しの話に割り込んだ

 

 

「悪りぃけど、そっから先は流石に先生でも看過できそうにない」

 

「・・・流石に配慮が足りなさすぎだったね。心から謝罪しよう」

 

「いや、でも先生の言う通りなところもあると思う。SAO事件が解決した今でも、結局俺は仮想世界に入り浸りになってる。忘れてないつもりなだけで、あのゲームの痛みを忘れてるっちゃそうなのかもしれない」

 

「と、言うのは?」

 

「言われてみれば仮想世界に病気なんて概念はそもそもないし、怪我だってアイテム飲めば簡単に回復する。それが常識だったせいで医者なんてそもそもいなかった。そう考えるとSAO事件は現実の戦争や病気に比べりゃ、可愛い方なのかもしれない…かな」

 

「・・・まったく、口を滑らせすぎた僕も僕だが、その観点に自力で気づくとは…君にはいつも驚かされてばかりだね」

 

「え?その観点…?」

 

「失礼」

 

 

上条が病院内で行き交う人々を眺めながら、噛みしめるように己の考えを絞り出した。そんな彼の姿を見ながら、冥土帰しはポツリと何かを呟き、呆けている上条をよそに一言置くと、両手を白衣のポケットに入れて歩き出した

 

 

「あ、もう行くんですか?」

 

「『Artificial Labile Intelligent Cyberneted Existence』」

 

「・・・へ?今なんて?」

 

 

不意に立ち去ろうとした冥土帰しに上条が声をかけると、冥土帰しは振り返って流暢な発音で、まるで繋がっていない英単語をツラツラと発した。その言葉と行動の意味が分からず、上条はただ聞き直すことしか出来なかった

 

 

「『A.L.I.C.E』。この言葉を頭のどこか片隅にでも置いておくといい。いつかきっと、この子は仮想と現実を本当の意味で繋ぐ架け橋になる」

 

 

そう言い残すと、冥土帰しは今度こそ上条に背を向けて歩き出した。休憩所に残された上条は、急な出来事だったあまりその言葉の意味が頭に留まらず、かつて自分の命を何度も救った医者の後ろ姿だけを呆然と見つめていた

 



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第8話 天職

 

「カミやん?どうかした?」

 

「・・・え?あーいや、なんでもねぇ…?」

 

(今なんか…頭の中でなんかが引っかかったような…気のせいか?)

 

 

どこか深刻そうな顔で俯いて、独りでにお伽話の名前を呟いた上条を心配したユージオが話しかけたが、上条本人もまた、なぜ自分がそんな独り言を口走ったのか分からずにいた

 

 

「でも場所が分かってんなら探しに行きゃあいいんじゃねぇのか?その央都ってとこに」

 

「・・・ねぇカミやん、それ本気で言ってる?」

 

「え?」

 

 

上条が口にした言葉を聞くなり、信じられないとでも言いたげにユージオがため息をついた

 

 

「まぁいきなり森に放り出されて土地勘が分からないのもあるかもしれないけど、このルーリッド村はノーランガルス北帝国のさらに北の端にあるんだよ。南の端にある央都までは早馬を使っても一週間はかかるんだ。歩きだと一番近いザッカリアの街までだって二日はかかる。安息日の夜明けに出たところで辿り着けないよ」

 

「じゃあ、ちゃんと旅の用意でもすれば…」

 

「あのねぇカミやん。君だって僕と同じくらいの歳なんだから、住んでたところでは天職を与えられてたんでしょ?天職を放り出して旅に出るなんてこと出来るわけないじゃないか」

 

「そ、そうだよな!天職はやっぱしないとダメだよな!うん!」

 

(考えてみりゃそりゃそうか。さっきのウィンドウ見て分かった通り、ここは仮想世界なんだもんな。天職ってのはいわゆるここのゲームのNPCの役割みたいなもんだもんな。それ以外のことが出来るようにプログラムされてねぇんだろ。それはそれで少し寂しそうだけど…まぁ仕方ねぇよな)

 

 

ユージオは上条に対し、天職を遵守することはさも当たり前のことのように言ったが、上条はその感覚に少し物悲しさを覚えていた

 

 

「本当に大丈夫?ベクタの迷子ってのはそこまで記憶を抜かれるものなのかな?なにせ僕も会うのは初めてだから…」

 

「あ、あはは…どうなんだろうな。ところでアリスさんはその、禁忌目録…?に違反したせいで央都に連れて行かれたんだよな?他に連れて行かれた人はいないのか?例えばその人の経験とかが伝わってたりとか……」

 

「まさか。ルーリッド村300年の歴史の中で、整合騎士が来たのはその六年前一度きりだよ」

 

「・・・300年?」

 

(・・・はて?随分と時代背景がはっきりとしてるゲームだことで。しかし村が300年ねぇ…逆に300年も村のまんまってのは村としてどうなんだそれ?)

 

 

そんなことをボンヤリと考えているうちに、気づけば上条が食べていたパンは残り一切れになっており、その最後の一切れを口に放り込むと奥歯でしっかりと噛み砕いて飲み込んだ

 

 

「ごっそさん。ありがとな、飯分けてくれて」

 

「気にしないでよ。僕も実際このパンには飽き飽きしてるんだ」

 

 

ユージオはそう言って上条に笑顔を見せると、パンの包みを綺麗に折りたたんでポケットに突っ込み、座っていた巨木の根から立ち上がった

 

 

「それじゃあ悪いけど少し待ってて。午後の仕事を済ませちゃうから」

 

「ん?あぁ、そっか。やっぱりユージオにも何か天職があるのか?」

 

「そりゃもちろん。まぁ見てもらった方が早いかな。ほら、こっち」

 

「んー?どれどれ……」

 

 

ユージオはそう言うと食事の前に傍に置いていた斧を片手に取ると、巨樹の周りをぐるりと回るように歩き出し、足を止めた先でちょいちょいと上条を手招きした

 

 

「なっ!?」

 

 

ユージオに手招きされるままに歩いた先で上条を待っていたのは、巨樹に真一文字に刻まれた切り込みだった。目測ではその直径を測りきれないほどの、闇夜のような黒い幹に刻まれた確かな溝。それを刻むのにどれだけの苦労があったのか上条には想像もつかず、ただあんぐりと口を開けて放心していた

 

 

「こ、これはすげぇな…ユージオの仕事…じゃねぇな。天職は『樵』なのか?」

 

「うーん…まぁそう呼ぶのが正しいのかな?でも、天職に就いてから切り倒した木は一本ないんだけどね」

 

「・・・え?」

 

「このデカイ木の名前は、神聖語で『ギガスシダー』。でも村の人はみんな『悪魔の樹』って呼んでる」

 

「ぎ、ギガ…寿司…だー?悪魔の樹…?」

 

 

首を捻る上条を見てクスリと笑うと、ユージオは巨樹の肌をそっと撫で上げ、木漏れ日が差し込む葉々の先にある頂点をどこか遠い目で見上げた

 

 

「そんな風に呼ばれる理由はね、この樹が周りの土地から『太陽神ソルス』の光と『地神テラリア』の恵みをみんな吸い取っちゃうからなんだ。だからこの樹の枝の下にはこんな風に苔しか生えてこないし、影が届く範囲の樹はどれもあまり高くならないんだ」

 

「はぁ〜…随分とご迷惑な樹なんだな、コイツは」

 

「まぁね。村の人たちは、この樹を切り倒して麦畑を拓きたいみたいなんだ。周りの他の樹を切り倒して畑を拓いても、コイツがいると養分を吸っちゃっていい麦が実らないからね。だから切り倒してやりたいんだけど、悪魔の樹って呼ばれるだけあってすごく硬いんだ。普通の鉄斧じゃ一発で刃こぼれしちゃう程度にはね。そこでこの古代竜から削り出した『竜骨の斧』を使って、専任の刻み手に毎日切り込ませることにしたのさ」

 

「その刻み手がユージオってことか?じゃあ天職に就いてからずーっとこの樹を切ってんのか?えっと…」

 

「7年間だね」

 

「な、7年!?7年もやってこんだけ!?一人でずっと!?」

 

「そんなまさか」

 

「だ、だよなぁ。流石に手伝いの一人や二人…」

 

「7年でこれだけ刻めたら少しはやりがいも感じるんだけどね。僕は七代目の刻み手なんだ。ルーリッド村が出来て300年、代々の刻み手が切り続けてやっとここまで来た」

 

「な、七代目だぁ!?300年やって!?たったのこんだけ!?」

 

 

それを聞いた上条は、思わず目をまん丸にして驚愕の声をあげた。そしてユージオと刻まれた溝を交互に見比べ、呆れとも感嘆とも取れる長いため息を吐いた

 

 

「まぁそうだね…多分僕がお爺ちゃんになるまでこの樹を刻み続けて、八代目の誰かに斧を譲るまでに刻めるのは…これくらいかな」

 

 

そう言ってユージオが両手で作った間隔は、どんなに長く見積もっても20センチあるかどうかというほどだった。それを見た上条はもはや言葉もなく、ふすーっと細長い息を吐き出すことしか出来なかった

 

 

(た、たしかに生産職とかその手の作業は地道だって相場は決まってるけどよ…人が一生かけて切り倒せないってそんなのアリか?このゲームの世界観は一体どうなってんだよ…)

 

 

そんな風に考える上条を余所に、ユージオは黙々と斧を振って巨木の溝に竜骨を入れ続ける。そして短い休憩を挟むと、腰を上げて再び斧を手に取った

 

 

「さて、もう一踏ん張り…」

 

「な、なぁユージオ」

 

「ん?どうしたの?」

 

「俺もそれ、やってみてもいいか?」

 

「ええ?」

 

 

巨樹を刻み続けるユージオを、背後からずっと眺めていた上条は暇さからか興味からか、半ば衝動的に声をかけていた

 

 

「いやほら、昼飯を半分貰っちまったろ?だったらその分の対価を労働で支払うのは当然じゃありませんこと?」

 

「そんな気を遣わなくてもいいのに。たしかに天職を誰かに手伝わせちゃいけないなんて掟はないけど…」

 

「まぁまぁそう言わずに。ただ見てるだけってのもカミやんさん的には退屈なんだよ」

 

「言っておくけどそれなりに難しいんだよ?これ。僕も始めたばかりの頃はまともに当てることさえ出来なかったんだから」

 

「ほうほう。そりゃ俄然やる気がでますね」

 

 

そう言って上条は右手を突き出すと、ユージオは不安そうな顔でオズオズと竜骨の斧を手渡した

 

 

「おっ…と、骨製にしては結構ズッシリとくるな。どれどれ」

 

 

竜骨の斧を実際に手に取った上条は、柄を両手で握って軽く素振りを始めた。斧自体を嗜めるように重さやバランスを確かめ終わると、改めて巨樹の溝へと振り返った

 

 

「っしゃ!一丁いってみますか!」

 

 



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第9話 悪魔の樹

 

「どぉりゃあっ!!」

 

 

上条は斧の柄を両手で握りしめると、野球の打者のように斧を肩の高さまで振りかぶり、どっしりと腰を落として両腕にありったけの力を込め、ギガスシダーに刻まれた溝めがけて斧を振り下ろした。すると……

 

 

「ぎゃす!?」

 

 

ガギン!とどこか金属質な鈍い音が響き渡った。まるで鉄でも打ったかのような衝撃に、上条は思わず斧を手放して尻餅を突き、痺れが残る両手の痛みに顔を顰めながら、少しでも痛みを和らげようと懸命に手の平を擦り合わせていた

 

 

「い、いててて…こんな感覚までリアルそっくりかよクソ…。最初に頬つねった時といい、ペインアブソーバーの数値見直した方がいいんじゃねぇのかこのゲーム…」

 

 

痺れた両手もさることながら、今の一振りがどれだけの効果をもたらしたのかと巨樹の溝を確認してみた。ところが上条の振った斧がつけた跡は刻み目の中心から五センチは離れており、まるで意味のない一振りだったことは明白だった

 

 

「ふふっ、あははは……」

 

「そ、そんなに無様でしたかそうですか…」

 

「ははは…ごめんごめん。肩にも腰にも、全体的にカミやんは力みすぎだよ。もっと力を抜いて…こう、なんて言えばいいかな…」

 

 

そう言って笑いながらもどかしそうに斧を振る動作を繰り返すユージオを見た上条は、何かに気づいたようにハッとして腰を持ち上げた

 

 

「なるほどなるほど、そういうことかね」

 

「え?今ので何か分かったのカミやん?」

 

「まぁ見てろって」

 

(そうだったそうだった、ここは仮想世界だもんな。多分このゲームはSAOとかALOほど厳密に筋肉の使い方とか設計してないんだろ。この仮想世界で大事なのはむしろイメージの方だったんだ)

 

 

頭の中で自分の憶測をまとめ上げると、両手をパン!と一つ叩いて斧の柄を握り直した。そしてそっと目を閉じると、全身の力をゆっくりと抜いていくように深呼吸した

 

 

(さて…VRMMO数あれど、斧なんて使ったことねぇからな。イメージは…『ホリゾンタル』でどうだ?約二年前のことだしほとんど体に残ってねぇかもしれねぇけど、まぁイメージ元がないよりいいだろ)

 

 

上条が頭に具体的なイメージとして思い浮かべたのは、SAO時代に第一層で使った片手剣のソードスキル『ホリゾンタル』だった。自分の体が覚えているだけのイメージを体でなぞっていき、流れるような体重移動のままに斧を振り下ろした

 

 

「せいっ!!」

 

 

しかし健闘も虚しく、今度は刻み目から遠く離れた樹皮を叩いただけだった。先ほどと似たような音を立てながら、上条の振った斧はあっさりと巨樹に弾き返されてしまい、上条はまたも痺れた両手に唸った

 

 

「かぁ〜〜〜っ……こりゃユージオの言う通り簡単じゃあねぇなぁ……」

 

「いや、そうでもないよカミやん。今のは結構良かったと思う」

 

「おろ?」

 

 

むしろさっきより悪い成績だと思っていた上条は、真顔で頷きながら感心しているユージオからの意外な好感触に驚いていた

 

 

「でも、途中から斧を見ていないのがよくなかったかな。視線は基本的に切り込みの真ん中から動かさない方がいいよ。さ、忘れないうちにもう一回!」

 

「お、おう!」

 

 

その後も上条はユージオの手ほどきを受けながらギガスシダーを刻み続けた。そのうち数回は上手く切り込みに当たったのだが、大半はスカもいいところだった。50回を機にユージオと交替しながら打ち続け、それを延々と繰り返していると気づけば日が暮れていた

 

 

「ふんっ!!」

 

「よし、今ので500回。これで終わりにしようカミやん」

 

 

上条が絞り出すような声を出しながら斧を振り下ろすと、ユージオは自前の水筒を差し出しながら上条に声をかけた

 

 

「あ?もうそんなやったのか?」

 

「うん。僕が500回、カミやんが500回、合わせて1000回。午前と午後合わせて1日につき2000回ギガスシダーを刻む。これが僕の天職なんだ」

 

「に、2000回……」

 

 

上条はその回数を再認識しながら暗闇を覗かせる切り込みを眺めた。どうにも変わり映えしているようには見えないそれに、上条は呆れたように首を振った

 

 

「やぁ、悪いな。ユージオ1人でやればもっと早く終わったろうに。手伝うつもりが、これじゃかえってユージオの足手まといだ」

 

「いやいや、カミやんはかなり筋がいいよ。50回のうち2回はいい音してたしね。それに、この樹は僕が一生かけても切り倒せないって言ったでしょ。どうせこいつは、1日がかりで刻んだ深さの半分を夜の間に埋め戻しちゃうんだ」

 

「・・・本当に切り倒すのいつになるんだこれ?」

 

「う〜んと…そうだ、お礼にいいもの見せてあげるよ。本当はむやみやたらに開いちゃいけないんだけど」

 

 

そう言いながらユージオは巨樹に近づくと、その樹皮の上に二本の指でS字をなぞってステイシアの窓を開いた。するとそこには、先ほどのパンと同じく耐久値の表示と、それを示す数値が書かれていた

 

 

「に、23万と2316ぅ!?」

 

「うーん、先月から見ても50くらいしか減ってないね」

 

「理不尽にもほどがあるとカミやんさんは思うのですが…」

 

「つまりはそういうことだよ。僕が丸一年休みもなしに斧を振ったとしても、ギガスシダーの天命は600くらいしか減らないんだ。僕が引退するまでに20万を切れるかどうか、ってとこだね。だからたった半日、少し仕事が捗らなくても大したことじゃないんだ。なにせ相手は『巨神の大杉』なんだから」

 

「はぁ〜〜〜っ。そこまで苦労するんなら、いっそのことクリスマスツリーにでもすればいいんじゃないですかねぇ…いやクリスマスツリーは杉じゃなくて樅か…?」

 

 

上条はそんな皮肉を言いながら、水筒に残っていた残りの水を喉に流し込んだ。それと同時にユージオも帰り支度を終えたのか、斧と小さめのバッグを担いで上条に声をかけた

 

 

「さ、お待たせカミやん。村に帰ろう」

 

 



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第10話 右手

 

「おお、これはこれは……」

 

 

その後、山を降りた上条はユージオの案内でルーリッド村を訪れ、紹介する予定だった教会へとたどり着くなり、上条はその佇まいに感嘆の声を漏らしていた

 

 

「なんか、俺が想像してたよりずっと立派な教会だな。本当に俺みたいな流れモンでも泊めてくれるのか?」

 

「平気さ。シスター・アザリヤはいい人だからね」

 

 

上条は若干の不安を残していたが、この善意が服を着て歩いているようなユージオが言うのだから間違いないだろうと、自分を宥めると、意を決して教会の扉に手をかけた。するとその先で彼を待っていたのは………

 

 

「はいこれ、毛布と枕。寒かったら奥の戸棚にもっと入ってるから。朝のお祈りが6時で、食事は7時よ」

 

「悪い、色々と助かるよ『セルカ』」

 

 

自分の母親である上条詩菜よりも幾ばくか歳上に見えたシスター・アザリヤは、なんの分け隔てもなく上条を受け入れてくれるばかりか、無銭宿泊とは思えないほどの高待遇で上条をもてなしてくれた。夜を迎える頃には暖かい食事をご馳走になり、ひいてはシングルベット付きの個室をくれた。そんな至れり尽くせりを享受する上条に毛布と枕を用意してくれたのは、若干12歳ほどと見られるセルカという名の少女だった

 

 

「いいのよ。これが教会の仕事なんだから。明日の朝は一応見に来るけど、なるべく自分で起きてね。消灯したら外出は禁止だから。他にわからないことは?」

 

「いいや、大丈夫だ。ありがとな」

 

「それじゃあお休みなさい。ランプの消し方は分かるわね?」

 

「あぁ。お休み、セルカ」

 

 

セルカはコクリと頷くと、少し背丈に合っていない修道服の裾を揺らしながら部屋を出ていった。上条はそんな彼女の後ろ姿に、修道服の裾を引きずって歩いていた女の子を彷彿とさせた

 

 

「はは、まるで出会ったばっかりのインデックスみたいだな」

 

 

どこか懐かしむように自分と一緒に暮らしていた白銀の修道女を脳裏に思い浮かべながら、上条は渡された枕をベッドに置き、そのまま寝転んで毛布で胸元のあたりまでを覆ってからランプの明かりを消した

 

 

「さって、結局はログアウト出来ずに今日という一日が終わりそうなわけですが、このまま寝て起きたら元通り現実世界に…なんて都合よくいけばいいんだけどな」

 

 

上条はそのまま天井を見上げながら枕と後ろ頭の間で手を組ませると、ここに至るまでの経緯を頭の中でざっと振り返りながらうわ言のように呟き始めた

 

 

「まぁ、とりあえず今の俺にはこの世界の常識と情報が少なすぎるな。当面はユージオとか村の人と関わって色々と勉強させてもらって…後々は情報を手にするために央都にたどり着くってのが…俺のしばらくの…もく…ひょうだ…な……」

 

 

そこで一日の疲れが出たのか、上条はあっさりと睡魔に意識を譲り渡し、誘われるかのように深い眠りについた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「むにゃ……あと5分……」

 

 

からーん!という鐘の音が一つ、どこか遠くから聞こえている。上条が夢心地にそう思うのも束の間、毛布の上から肩を揺らされ起床を促されていた

 

 

「ダメよ、もう起きる時間なんだから」

 

 

そう言いながら、なおもセルカは上条の体を揺らし続ける。長らく実家を離れている上条は、こうして誰かに起こされるという行為そのものが久しく、どうにも自分の体内時計とは別の時間に起こされるのが気に食わなかった

 

 

「さ、3分…3分でいいんですよ…?」

 

「もう5時半よ。子供たちはみんな起きて顔を洗ったわ。早くしないと礼拝に間に合わないわよ」

 

「ご、5時半ですと…?現代の大学生であるカミやんさんには鬼畜の所業だ…」

 

「ワケの分からないこと言ってないで、さっさと起きなさい」

 

「・・・不幸だ…」

 

 

泊めてもらっている立場上、素直に諦めると上条はベッドから上体を起こし、軽く伸びをした。そして周りをぐるりと見回すと、やはり自分の部屋ではないことに改めて落胆した

 

 

「やっぱ、そう上手くはいかねえか…」

 

「え?何か言った?」

 

「うんにゃ、なんでも。着替えたら行く。一階の礼拝堂でいいんだっけか?」

 

「そうよ。たとえあなたがお客様でベクタの迷子でも、教会で寝起きするからには時間はきっちり守ってもらうからね」

 

「・・・郷に入らずんば郷に従え…ってとこかなぁ…っしょっと」

 

 

うろ覚えのことわざを呟きながら、まだ冴えきっていない思考のままシャツに手をかけて着替えようとすると、その様子を見たセルカが顔を真っ赤にした

 

 

「ちょっ!?あ、あと20分くらいしかないからね!遅れちゃダメよ!ちゃんと外の井戸で顔も洗ってくるんだからね!」

 

「んぉー」

 

 

まくし立てるように言い残すと、セルカは慌てふためきながらパタパタと走り出して部屋を出た。上条はそんな彼女を見送ると、ひとまず教会から借りた服から元々着ていた服に着替えた

 

 

「しっかし、今のが普通のNPCの反応かねぇ…ユージオといいセルカといい、まるで本物の人間みたいで逆にこっちが罪悪感湧くぞ。本当にこのゲームはここまでリアルを追求して…一体どこを目指してるんだk……」

 

 

部屋着のズボンを脱いで、この世界に来た時のズボンに足を突っ込んでいた上条の頭を、まるで電撃が走ったような衝撃が襲った。着替えかけだったズボンを手離すと、脳裏に蘇ったわずかな記憶を辿るべく側頭部に両手を当てがった

 

 

「そうだ…ついこの前に話していたハズだ…!たしか、そんな感じの何かを…!」

 

 

薄ぼんやりと何かが見えてくる。頭の中で反響するように何かが鈍く聞こえてくる。どこか見慣れた、黒ずくめの少年。何度も聞いたはずの、親友の声

 

 

「思い出せ…思い出せ…!!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『俺たちは何かを見る時、記憶・再生が可能な方法でそのデータをフラクトライトに保持するんだ。目を閉じても瞬時にその記憶は消えたりしない』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「フラクト…ライト…?」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『つまり当人が体感するその仮想世界は、意識においては本物…作り物じゃない』

 

『俺もごく初期の体験は記憶が残ってるんだけど…違ったよ。今までのVRワールドとは何もかもが違った。俺は最初そこが…『アンダーワールド』が仮想世界だと分からなかった』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「アンダーワールド……」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『長い間キワモノ扱いしてたその理論を下敷きに組み上げたのが、『ソウル・トランスレーター』だ』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・そうだ…そうだよ!ソウル・トランスレーターだ!」

 

 

靄が晴れていく感覚が、上条自身もハッキリと良くわかった。散りばめられていた点と点が繋がり、一本の線でまとまっていく。ここに来て上条はようやく、納得のいく答えを得た

 

 

「ここは、ソウル・トランスレーターの作り出した仮想世界!アンダー・ワールドの世界だったんだ!」

 

 

上条は気づいた喜びのあまり両手を高く突き上げたが、すぐに我に返って腕を降ろし、そのまま指に顎を置いて思考を巡らせた

 

 

「いや、待て待て。そもそもそのSTLはキリト達の方の世界のモンのはずだ。俺がログインできるハズが…でも現状を鑑みればそれが一番可能性が…」

 

「ちょっと!いい加減にしないと本当に遅れるわ…よ………」

 

「あ」

 

 

バァン!という轟音とともに部屋の扉が開けられたかと思うと、ズカズカとご立腹のセルカが部屋に入り込んで来た。しかし、床に脱ぎ捨てられたズボンを見て、恐るおそる視線を上に持ち上げていくと、否が応でも上条のパンツと視線がかっちり重なり、セルカの口から紡がれていた説法は悲鳴に変わった

 

 

「イヤああああああーーー!?!?」

 

「うおおおおおおおーーー!?!?」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「まったくもって不幸だ…」

 

 

その後、上条は特にすることもないので昨日と同様にユージオと交替でギガスシダーに切り込んでいた。ただ昨日と少し違うのは、上条の斧の腕が上達したことと、セルカの手によって、彼の頬に特大の紅葉の押印がされていることだ

 

 

「あはは、でもそれはカミやんだって悪いよ」

 

「そりゃそうだけど、有無を言わせずビンタもないでしょうよ」

 

「あはは、セルカにもそんな一面があったんだなぁ……っと!これで午前の分は終わり。お昼にしようカミやん」

 

 

ユージオは会話をしながら、一区切り置くように竜骨の斧を振り下ろした。2人合わせて1000回目のそれを打ち終わると、斧を巨樹に立てかけて昨日と同様のパンの包みを拾い上げた

 

 

「そんじゃ、今日もいただきます。……んがっ!」

 

「ふふっ、豪快な食べ方だねカミやん」

 

「ははっ、昔はこんなんよりももっと豪快に食物を食い荒らす暴食シスターさんが同居人にいたんですけどねぇ」

 

「え?カミやん、君記憶が戻ったのかい?」

 

「ゔぇっ!?あ、あぁいやそういうわけじゃなくて、なんか薄ぼんやりとそんな感じの風景が頭ん中をよぎるといいますか…!」

 

「なんだ。でもそれはきっといい傾向なんじゃないかな。早く記憶が戻るといいね」

 

「そ、そうだな」

 

 

上条は危うく口を滑らせそうになったのを慌てて作った必死の笑顔で、なんとかユージオに不安をかけまいと取り繕った。そして昼食に戻り、相変わらず固いパンを無理やり千切ると、パンの欠片を眺めながらふと考え込んだ

 

 

(・・・ともかく、十中八九ここはSTLの中のはずだ。そうでなきゃ説明がつかない。だけど今の俺には、ここに入る直前の記憶がない。俺はここに自分から進んで入ったのか?それとも誰かに…入れられた?)

 

 

自分の行動に関しても疑心暗鬼になりながらパンの欠片を弄りまわして思考を巡らせると、やがて考えるのを諦めたように、上条はパンを口の中へと放り込んだ

 

 

(ま、いくら考えてもしょうがねぇわな。とりあえずは成るように成るだろ。最初の頃はまったく終わりの見えなかったSAOだって、最後はちゃんと終わったんだ。今回もまぁ順当にこのゲームをゲームらしく進めていけばどうにかなるだろ)

 

 

そんな風にどこか楽観的な結論に至ると、上条は最後の一切れを噛み砕いて喉の奥に飲み込んだ

 

 

「しかし昨日の売れ残りとはいえ、教会の出してくれた飯と比べるとどうにも味気のねぇパンだよなぁ〜…これ売ってるパン屋は本当にパン屋としての才能があんのかぁ?」

 

「はは、でもそういうの珍しくないんだよ。みんな天職に従ってそう働いているだけで、その仕事を長く続けてる本人よりも、その仕事の才能がある人っていうのはたまにいるんだ」

 

「へぇ〜…」

 

「本当、カミやんにもアリスのパイを食べさせてあげたかったなぁ…皮がサクサクして具がたっぷり詰まっていて、搾りたてのミルクと一緒に食べると、世の中にこれよりも美味しいものはない。って思えた」

 

「へぇ…じゃあそのアリスって子の天職はなんだったんだ?」

 

「アリスはシスター・アザリヤの後継ぎで、教会で神聖術の勉強をしていたんだ。村始まって以来の天才って言われていて、10歳の頃からもういろんな術が使えたんだ」

 

「シスター・アザリヤの後継ぎ?じゃあ今教会にいるセルカはどうなんだ?」

 

「彼女はアリスの妹だよ。アリスがいなくなった後、シスターになるために教会に住み込みで神聖術を学んでいるんだ」

 

「神聖術ねぇ…ソイツは上やんさんにはきっと無縁だなぁ…」

 

「え?どうしてそう思うの?」

 

「いや、なんというか俺の場合はそういう問題じゃなくて、生まれ持った構造的欠陥と言い…ますか………」

 

 

自分の右手をぼんやりと見つめながら話していた上条は、やがてハッとして反射的に巨樹の根に下ろしていた腰を持ち上げ、巨樹の溝の前に立った

 

 

「カミやん…?」

 

「・・・そうだよ…俺はまだこの世界に来てから、自分の最大のアイデンティティーを確かめてなかったじゃねぇか!」

 

 

どこか心踊るように上条は微笑むと、あまねく幻想を殺してきた右手を強く握りしめた。そして腰を深く落とすと、右拳を引きしぼって左足を踏み込んだ

 

 

「おおおおおっっっ!!!」

 

 

見事な雄叫びを上げると、ギガスシダーに刻まれた溝に上条の右拳がぶち当たった。ピシィッ!という音と共に黒い樹皮がいくらか欠け落ちたが、やがて拳の先からジィンと痛みが伝わってきた

 

 

「いっでえええええ!?!?」

 

「な、何やってるんだよカミやん!?下手すれば指の骨が折れちゃうよそんなの!」

 

「お、OKOK…俺の不幸な右手はこの大樹さんには勝てませんと…悪りぃユージオ、一回コイツの天命見てもいいか?」

 

「え?まぁカミやんはこれの数字を見て途方に暮れたことがあるから別にいいとは思うけど…本当にそんなにやたらに見るものじゃないんだよ?言った通り本当に気が遠くなるだけで仕事の能率が落ちるだけというか……」

 

「いいからいいから。それくらいでサジ投げるほどカミやんさんも子どもじゃねぇよ」

 

 

そう言うと上条は樹皮の上にS字を描き、ステイシアの窓を開くと、そこに記されている天命の数値を目を凝らしながら確認した

 

 

「23万と2315…察するにノーダメージってとこですか。ダメだこりゃ」

 

(まぁ当然っちゃ当然か。そもそもSAOで作られた俺のデータがイレギュラーなだけであって、そこに準拠もしてない上にコンバートもしてないゲームで幻想殺しが再現されてるわけないよな)

 

「当たり前だよ。ただの拳が竜骨に勝てるわけないじゃないか」

 

「ははっ、ただの拳ねぇ…別の世界じゃ鉄の剣にも決して引けを取らなかったんだが…こっちじゃ骨の斧にも勝てませんってのは、なんとも寂しい話だなぁ…」

 

(だけど、それだけで決めつけるのも早計だよな。コイツが異能の力に直接触れたわけじゃなし、強化されてたとしてもギガスシダーには敵わなかっただけかもしれない。まぁ要研究ってとこだな)

 

 

痛みと痺れがなお引かない右手をぶんぶん振りながら、自慢だった右手よりも強度が勝る斧を左手で持ち上げると、ふと思いついたことをユージオに問いかけてみた

 

 

「なぁ、ユージオ。村にコイツより強い斧はないのか?村じゃなくても、この前言ってたザッカリアの街とかにさ」

 

「・・・ねぇカミやん、それある意味サジ投げてないかい?楽して近道しようとするのは典型的な子どもの発想だよ」

 

「べべ、別にそういうんじゃねぇよ。いやほら、興味本位というかさ…」

 

「どうだか…。でも、そんなものあるわけないよ。竜の骨っていうのは、武器の素材では最高峰の素材なんだ。これ以上強いものなんて村どころか街を探してもとても……」

 

 

そこまで言いかけると、ユージオは急に口を噤んで黙りこくった。そしてしばらく手を口に当てて何かを考え込むと、やがて腹を決めたような瞳と口調で上条に言った

 

 

「・・・うん、斧はない。だけど、剣ならある」

 



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第11話 青薔薇の剣

 

「はあっ!疲れたぁ……」

 

「お、おい!大丈夫かユージオ!?」

 

「ま、まぁそれなりにはね…」

 

 

上条がまず午後の斧打ち50回を行なっている間に、ユージオは森の手前にある物置き小屋に戻って細長い何かを担いで戻ってきた。ユージオの担いできたそれは地面に置けばドスン!と音が響くほどの重量で、肩で息をするユージオがどれほど苦労したかは聞かずとも分かった

 

 

「あ、開けていいのか…?」

 

「あ…あぁ。でも気をつけ…なよ。足の上に落っことしたら、かすり傷じゃ…すまないよ…」

 

「・・・ふぅ〜〜っ…よっ!重っ!?」

 

 

息も切れ切れに答えるユージオは、水筒の水を喉に流し込んだ。対する上条はゴクリと喉を鳴らしながら布に包まれた何かを懸命に持ち上げ、包まれている布の結び目を開いた

 

 

「こ、これは……」

 

 

剥ぎ取られた革布の中から顔を覗かせたのは、見事な青だった。鞘に収まっているその剣の刃がどれほど鋭利なのかは、想像に難くなかった。柄の上に咲いている青い薔薇に吸い込まれるように、上条の視線はユージオの持ってきた剣に釘付けになった

 

 

「『青薔薇の剣』って言うんだ。本物の銘かどうかは分からないけど、お伽話じゃそう呼ばれてる」

 

「お、お伽話?」

 

「ルーリッド村の子どもなら…いや、大人もみんな知ってる話さ。300年前、果ての山脈に探検に出た『ベルクーリ』という剣士が人界の守護者である白竜の元で、一振りの剣を見つけた。それが青薔薇の剣」

 

「へぇ……」

 

「どこにでもあるような、他愛のないお伽話さ。もし、それを確かめに行こうなんて子どもさえいなければ……」

 

「・・・・・」

 

 

深い後悔が見て取れるその表情を見て、上条はその子どもがユージオ自身と、アリスであることを悟った。かける言葉もなく黙りこんでいると、ユージオは息を整えて話を続けた

 

 

「6年前、僕とアリスは果ての山脈まで白竜を探しに行ったんだ。でも、竜は骨になっていて、山のような金銀財宝と、お伽話に出てきた青薔薇の剣があったんだ。もちろん、あの頃の僕じゃ重たすぎて持ち帰れなかったけどね。そしてその後、アリスはダークテリトリーに入って…後は昨日話した通りさ」

 

「・・・そうだったのか」

 

「あぁ、ごめん。剣の話だったね。一昨年の夏、どうにも気になってもう一度北の洞窟まで行って持ってきたんだ。でもやっぱり重くてね。ちょっとずつ運んだんだけど、持って帰るのに三ヶ月もかかっちゃった」

 

「さ、三ヶ月!?」

 

「まぁそれくらいの重さだと思って、取り敢えず剣を抜いてみなよ。じゃないと僕も持ってきた甲斐がない」

 

「そ、そうだな…よしっ」

 

 

上条の口から思わず嘆息が出た。天職の内容といい、このユージオという少年はよほど我慢強いというか、根気のある少年なのだろうと改めて実感した。そしてその根気に敬意を払いつつ、その鞘から剣を引き抜いた

 

 

「おおっ!?ととっ!?」

 

「あはは、やっぱりカミやんでも重いみたいだね」

 

 

鞘からその姿を現した剣は、その刀身が燦然と差し込む太陽の光を反射しており、氷のような澄んだ青が輝いていた。その剣を嗜めるように眺めると、上条はユージオに問いかけた

 

 

「・・・これ、素材は?」

 

「もちろん普通の鋼じゃない。銀でも竜の骨でもない。察するに『神器』じゃないかと僕は思う」

 

「神器?」

 

「神様の力を借りて、強力な神聖術士が形にしたか、それとも神様が手ずから生み出したか…そういう器物のことを総称して神器って言うんだ。多分この青薔薇の剣も、一種の神器だと思う」

 

「なるほど…それが本当なら骨なんかに負けるわけないわな」

 

 

そう言いながら上条は、手元の青薔薇の剣と、ギガスシダーに刻まれた溝を交互に見比べた。そして何かを思いついたようにほくそ笑むと、右手の肩をぐるぐると回し始めた

 

 

「なぁユージオ、さっき見たコイツの天命は23万2315で合ってるよな?」

 

「え?う、うん…ってまさかカミやん、さっき聞かれた時から、なんとなくそんな気はしてたけど…その剣でこの杉を打とうなんて言うんじゃないだろうね?」

 

「もちろん言うさ。それとも何か?例の禁忌目録とやらには剣で木を切ったらダメ、なんて書いてあんのか?」

 

「そ、そりゃあないけど…」

 

「じゃ、決まりだな。モノは試しだ!」

 

「ははっ、なんだかこんなことが前にもあった気がするなぁ」

 

 

肩のウォームアップを終えると、上条は青薔薇の剣の柄を両手でしっかりと握り、巨樹に刻まれた溝の前に立った。そして腰をしっかり落とし、自分の身体の体重のバランスに意識を傾けた

 

 

(えーっと…まぁまたしても斧と同じで覚えてる範囲での技になるわけだが…まぁこの溝に切り込むんだから縦斬りの『バーチカル』は論外だな。昨日と同じ水平斬りの『ホリゾンタル』でいくか)

 

 

上条は頭の中で繰り出すソードスキルのイメージを決めると、その予備動作を脳裏に残っている限りで再現した

 

 

「どおりゃあああっ!!!」

 

(ーーーッ!?)

 

 

我ながら完璧だ、と上条は青薔薇の剣を振りながら自分に感心した。しかし、そこで集中力が完全に途切れてしまった。あろうことかソードスキルの動きをなぞらえた青薔薇の剣の刀身は、青ではなく鮮やかな翠に光り輝いていた。その有り得ない現象に気を取られた上条は、振るっていた手元を狂わせ、剣の切っ先を切れ目から遠く離れた樹皮に激突させた

 

 

「どわあっ!?」

 

「わぁ!?ほら言わんこっちゃない!」

 

(ど、どうなってんだ…?今のは間違いなくソードスキルの『ライトエフェクト』…SAOで使ってた『ホリゾンタル』そのものだ。ここはアンダー・ワールドじゃなくて、アインクラッドの中なのか…!?)

 

 

上条は感じているはずの痛みを、半ば感じていないも同然だった。目の前で起こった現象に動揺するばかりで、思考がぐるぐると頭の中を駆け巡っていた

 

 

「だから僕たちには無理なんだって。そもそも青薔薇の剣が重すぎるんだ。あの剣を使うにはそれこそ……ッ!?!?」

 

「ん?どしたユージ……ゥオッ!?」

 

「う、嘘だろ?たったの一撃だぞ…!たったの一撃で…こんなに…!?」

 

 

ユージオはただただ驚愕していた。自分まで六代かけて刻んでいた鋼鉄よりも遥かな固さを誇っていたギガスシダーに、青薔薇の剣は刀身の半分ほどを食い込ませて空中で静止していた

 

 

「は、刃が欠けたんじゃない…本当にギガスシダーに食い込んでる…!」

 

「な、なぁユージオ、これならギガスシダーの天命だって…!」

 

「う、うん……」

 

 

上条に諭されるがまま、ユージオはギガスシダーの前でS字をなぞった。そして表示された天命の数値を、2人で食い入るように見つめた

 

 

「23万…2314…」

 

「なっ!?たった1減っただけ!?こんなに食い込んでるのに!?やっぱ斧じゃないとダメってことか……」

 

「いや、多分そうじゃないよ。そもそも一発でこの樹の天命を1でも減らすなんて、竜骨の斧じゃ絶対できない」

 

 

上条があまりにも酷い結果にがっくりと肩を落としていると、彼の呟いた考察をユージオは首を振りながら否定した

 

 

「剣が悪いとか斧が良いとかじゃない。切り込んだ場所が悪かったんだ。皮じゃなくて、ちゃんと切り込みの中心に当たれば、天命はもっと減ったと思うよ。たしかに、この剣を使えば今よりずっと早く木を切り進められるかもしれない。それこそ僕の代でこの天職が終わるくらいには……」

 

「よ、よし!なら…!」

 

「話を最後まで聞きなよ。ちゃんと剣を使いこなせれば、ね」

 

「ぐっ!?」

 

 

一番の難題を突きつけられた上条は、見るからに渋い顔をした。それを見たユージオは呆れたように息を吐いて首を振った

 

 

「ほら、そんな顔をするほどにはあの剣を使いこなす自信がないんだろう?」

 

「ぎっくぅ!?」

 

「一度振っただけであんなに吹っ飛ばされて、ロクに狙ったところに当てられないんじゃあ、かえって斧で仕事するより効率が悪いんじゃない?」

 

「じゃ、じゃあほら!コイツよりもっと振りやすい鉄とかでできた剣で…!」

 

「カミやん…僕の言ったこと覚えてる?中途半端な鉄で出来たモノじゃ、この木が硬すぎて…」

 

「い、一発で刃こぼれする…クソッ…」

 

 

二度目の論破。もはや上条に反論の余地はなかった。しかし目の前に打開策があるというのに、そのままお預けを食らうのも癪に触る。そう思いつつ上条はなんとか新しくアイデアを捻り出した

 

 

「じゃあ俺は駄目でも、ユージオが振ればどうだ?こと当てることに関しちゃ俺は斧でも下手くそだが、ずっとコイツと付き合ってきたお前なら多少は狙いが定まるはずだ」

 

「あ、あのねぇ…たしかに僕は7年ずっとこの樹を刻んできたけど、それは斧での話であって剣なんて一度も振ったことが……」

 

「それこそさっきも言ったろ?モノは試し!なっ!?」

 

「・・・じゃあ、一回だけだからね?」

 

 

上条のゴリ押しに負けたのか、はたまた自分自身の興味からなのかは分からないが、ユージオは剣を取る決意を固めると、巨樹に突き立てられた剣の柄を握り、思いっきり引き抜いた。しかし、途端にユージオの身体が剣の重さに負けてフラつき、たまらず剣先が地面に落ちた

 

 

「わぁっ!?ととっ…やっぱり重すぎるよ。これは僕にはとても出来そうにないよカミやん」

 

「いやいや、ロクに剣振ったことない俺にだって食い込ますくらいには振れたんだ、ユージオにも出来るさ。そうだな…斧も剣も要領は大して変わらないんだ。斧を使う時よりももっと体重移動に気を配って、腕の力だけじゃなくて全身で重さの釣り合いを取って振り抜くんだ」

 

「ふぅん、なるほどね…こんな感じかな…」

 

 

少しばかり具体性に欠けていたと上条は言った後で思ったが、そこは普段から斧を1日2000回振っているユージオの努力の賜物とでも言うべきか、上条の言わんとすることをすぐに理解して、いくらか剣の構えがサマになっていた

 

 

「はあああっ!!」

 

「うっ!?」

 

 

ゆっくりと後ろに剣を引き、僅かに力を溜め込んだあと、上条にも風圧が伝わるほどの猛烈なスピードで、ユージオは青薔薇の剣をフルスイングした。そして長年の勘とも取れるほどの正確性でユージオの剣は巨樹の溝へと吸い込まれていくかに見えた、が

 

 

「う、うわあっ!?」

 

「お、おい!平気か!?」

 

 

やはり最後は剣の圧倒的な重さに負けて左足が滑り、ユージオはたまらず体勢を崩してずっこけた。剣先は切れ込みの上側を叩いて鈍い金属音を発し、弾かれた青薔薇の剣は宙を舞い、やがて重力に従って地面へと剣先が突き刺さった

 

 

「いててて…やっぱりこれは無理だよカミやん。ギガスシダーの天命より先に僕たちの天命が底を突いちゃうよ」

 

「う、う〜ん…俺なんかよりよっぽどいい線行ってたと思うんだけどなぁ…」

 

 

その後、未練がましく思う上条とは裏腹に、ユージオはあっさり諦めると元の骨斧でギガスシダーを黙々と刻み始めた。一方の上条はどうにも諦めがつかず、青薔薇の剣を睨み続けていた

 

 

「さんじゅう…きゅうっ!」

 

(いや、俺は諦めないぞ。一番最初に俺を助けてくれた恩人が、こんな一生の理不尽に囚われてるんだ。黙って見過ごして俺だけ央都に行けるわけあるか。絶対にコイツを切り倒して、ユージオも央都に連れてってアリスって子に会わせてやりてぇ。だけど…そのためにはまずコイツを……)

 

 

そこまで考えて、上条は何かに気づいた。そういえばまだ自分は、この剣のステイシアの窓を見ていない。そんな本能の赴くままに、鞘に収まったままの青薔薇の剣の上でステイシアの窓を開いた

 

 

(えっと…この剣の天命は…197698/320867か。最大値が多い割にはそれなりに減ってるんだな。ってなんじゃこりゃ?『Class 45 Object』?要するにコイツを使うにはなんかの階級が45必要ってか?んなもんどうやっ……て………)

 

「バカか俺は!自分のステイシアの窓を開けばいいんじゃねぇか!」

 

「わあっ!?きゅ、急にどうしたのさカミやん。ステイシアの窓がどうとかって…」

 

「あっ。わ、悪いなんでもない」

 

 

自分の愚鈍さに気づくと、上条はつい自分を思いっきり罵倒して立ち上がった。それに驚いたユージオをどうにか宥めると、すぐさま巨樹の根元に座り込み、自分の掌の上にS字を描いた

 

 

(や、やっぱりだ!俺自身にもステイシアの窓がある!Durability…天命が3280/3289。ちょっと減ってんな。まぁそれはこの際置いとけ。他には『Object Control Autholity』が『38』ねぇ……)

 

「Autholity…オブジェクトコントロール権限?」

 

 

上条は大学受験時に小萌に徹底して叩き込まれた英単語の海の中から、どうにかしてその意味を探り当てると、自らの口で発した

 

 

(ははぁ、なるほど。青薔薇の剣のクラス…まぁレベルみたいなモンが45。そんで俺の扱えるオブジェクトのクラス上限が38。つまるところ俺のこの数字が、45を超えればコイツをマトモに扱えるようになるって寸法か)

 

 

合点がいくと、上条は口から思わず笑顔がこぼれた。しかし、その笑顔はすぐに苦虫をすり潰したような顔へと変わった

 

 

(いや待て待て、足りてないんじゃそもそもお話にならんでしょうが。この数字を上げる方法は?この世界で経験値くれそうなモンスターなんてざっと見たとこいそうにねぇし、人でも殺せってか?だけどそれだと多分、禁忌目録とかいうのに違反するか…)

 

「ごっ…じゅう!!」

 

「うーむ、平行線だなこりゃあ…ま、コイツを使う手段は分かったんだ。方法はこれから模索していくか。おーいユージオー!替わるぞー!」

 



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第12話 セルカ・ツーベルク

「ヴォォォ…五臓六腑に染みるぅ〜〜〜…」

 

 

およそ大学生とは思えない呻き声とともに、上条は湯船いっぱいに溜められたお湯に浸かった。湯気の立つお湯を片手で掬い上げて肩に流すと、さらに体を湯船に突っ込みながら昼間の出来事を思い返した

 

 

「とりあえず…どうにかして俺のオブジェクトコントロール権限とかいうのを38から、青薔薇の剣が使える45に引き上げないとな。だけど、さっき考えた通りこの世界にはどうにもモンスターなんていないから何かしらのイベントを消化すれば…ってあれ?」

 

「そういえば青薔薇の剣にまつわるお伽話で白竜がどうのってユージオが…いやいや、それはお伽話であって、それを肯定したら俺の現実にも桃太郎が実在するってことに……」

 

 

そこまで思考を巡らせたところで上条は横頭を掻き毟ると、ユージオが口にしていた話の一部を不鮮明な記憶の中からどうにかして捻り出した

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『6年前、僕とアリスは果ての山脈まで白竜を探しに行ったんだ。でも、竜は骨になっていて、山のような金銀財宝と、お伽話に出てきた青薔薇の剣があったんだ』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「骨!竜は骨になってたってユージオ自身が言ってたじゃねぇか!骨があるなら、それは紛れもなく竜が実在してた証拠だ!そいつを倒せば…いや待て、防具も盾もない状態でドラゴンなんて倒せるわけが…いや、それでもドラゴンがいるならそれに準ずるモンスターはいるはずだ。そうと決まれば…」

 

「あれ?まだ誰か入ってるの?」

 

 

どんどん興奮していくうちに、上条の独り言は風呂場のドアから漏れ出すほどに大きくなっていたのだろう。ドアの向こう側からセルカの声が聞こえ、上条はすぐさま開いていた口を噤んだ

 

 

「あ、ああ。俺…って言っても分かるわけねぇか。カミやんだ、もう出るから」

 

「あっ、その…今朝はごめんなさい。それと、出るときにはちゃんと浴槽の栓を抜いてランプを消してね。それじゃあ、おやすみ」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれセルカ。少し話したいことがあるんだ、この後時間いいか?」

 

 

上条が風呂場の中から声をかけると、立ち去ろうとしたセルカの足音が止まったのが分かった。しばらくの沈黙の後、少しくぐもった声が扉の向こう側から聞こえてきた

 

 

「少しなら、いいわ。あたしの部屋はもう子供たちが寝てるから、あなたの部屋で待ってるわ」

 

「悪いな、助かるよ」

 

 

そこで一旦セルカが風呂場を離れたのが分かると、上条はそそくさと湯船を出て身体を拭き、就寝用の服に着替えて部屋へと戻った

 

 

「入るぞー」

 

「どうぞー」

 

 

上条は朝の二の舞は演じまいと、自分の部屋ではあるが念のためノックして声をかけた。それにセルカが応じると、ドアを開け部屋へと入り、そのままセルカが腰掛けるベッドの隣に座った

 

 

「で?あたしに話って?」

 

「いやぁその…セルカのお姉さんについて聞きたいんでせうが…」

 

「ッ……あたしには、お姉さんなんていないわ」

 

 

上条はほんの興味で、ユージオが気にかけるアリスという少女のことが気がかりでセルカに声をかけたのだが、自分の姉の話になった途端、見るからに仏頂面になったセルカを見て、上条の中の興味はより深みを増した

 

 

「・・・セルカ、それは今の話だろ。俺はもうユージオに聞いたんだ。セルカにはアリスっていう姉さんがいたってな」

 

「ゆ、ユージオが?あなたに話したの?アリス姉様のこと?」

 

 

ユージオという人物の名を聞くなり、セルカの仏頂面は見る影もなくなり、驚きの表情に変わっていた。それどころか、むしろ上条の話に食い入るように目を光らせていた

 

 

「あ、あぁ。その…アリスもこの教会で神聖術の勉強をしてて、6年前に整合騎士に央都に連れて行かれた…ってことを」

 

「・・・そう。ユージオ、忘れたわけじゃなかったんだ…アリス姉様のこと」

 

「え?な、なんでそんな風に思うんだよ?」

 

「村の人は…お父様も、お母様も、シスターも、決してアリス姉様の話をしようとしないの。まるでアリス姉様なんて最初っからいなかったみたいに。だから、みんなもうアリス姉様のことなんて忘れちゃったのかなって。ユージオも……」

 

 

俯きながらそう話すセルカの表情は、寂しさと悲しさが見え隠れする、話している上条でさえ心が痛みそうなものだった。そんな彼女を少しでも元気づけようと、上条は自ら割り込むように口を開いた

 

 

「ユージオはそんな薄情なヤツじゃねぇさ。アリスのことを忘れるどころか、むしろ気にかけてるみたいだったぜ。それこそ、天職さえなければ今こそ央都にすっ飛んでいくと思うぜ」

 

「じゃあやっぱり…ユージオが笑わなくなったのはアリス姉様のせいなのね」

 

「・・・え?ユージオが…笑わない?」

 

 

上条が元気づけようと語った話は、むしろセルカの表情を一層暗いものにさせてしまった。どういうことだと困惑する上条だったが、セルカはそんな彼を気にせず続けた

 

 

「ええ。姉様がいた頃のユージオは、いつでもニコニコしてたわ。笑顔でない時を探すのが難しかったくらい。でも、姉様がいなくなってからは、ユージオが笑ってるところを見たことない気がするの。それだけじゃない。安息日も家に閉じこもるか森に出かけるかで、ずっと一人ぼっちで……」

 

「・・・セルカは、ユージオのことが好きなのか?」

 

「えっ!?そ、そんなんじゃないわよ!」

 

 

上条が首を傾げながら聞くと、セルカは顔どころか首筋まで真っ赤にして抗議した。そして機嫌を損ねたようにそっぽを向いたので、上条も慌てて訂正した

 

 

「いやいや、何も俺だって恋愛的な意味でそう言ってるんじゃないさ。ただそんだけ心配できるのは、セルカが優しいからだし、ユージオを純粋に人として好きなんだからだと俺は思うぜ?」

 

「・・・あたしのこれは、心配とか、多分そういうんじゃないのよ。ただ、堪らないのよ。お父様も、お母様も、口には出さないだけで、いつもいなくなった姉様とあたしを比べてため息をついていた。他の大人たちだってそうよ。だからあたしは、家を出て教会に入ったの」

 

「・・・・・」

 

「なのに…シスター・アザリヤでさえ、あたしに神聖術を教えながら、姉様なら何でも一度教えたらすぐ出来るようになったのに、って思ってる」

 

「・・・そう、だったのか。だけど、それにしたってユージオは…」

 

「ええ、もちろん分かってるわよ。ユージオはそんな人じゃないって。でもやっぱり、どこかあたしのことを避けてるわ。あたしを見ると、きっと姉様を思い出すから。そんなの…あたしのせいじゃない!あたしはいなくなった姉様の顔だってちゃんと憶えてないのに…!あたしは…あたしはっ…!」

 

 

上条は舌を巻いていた。これが本当にNPCの少女が見せる顔だろうか。むしろ、現実にいる12歳の少女よりもよほど人間らしく感情を吐き出して、その瞳に涙を溜めている。人に作られた知性に、情が湧いたわけではない。それでも上条は、隣で今にも泣き出しそうな少女の涙が溢れるのを良しとしなかった

 

 

「そんなの、周りに勝手に言わせておけよ」

 

「え…?」

 

「人間ってのはどうしても、周りと何かを比べたがる。それを気にしないってのは、中々難しいことかもしれない。だけど俺が思うに、セルカはそんな周りを見るばかりで、自分のことをちゃんと見れてないと思う」

 

「私が…私自身を?」

 

「姉さんならこうだった、じゃなくて、自分はこうだって考えろよ。きっとそれが、今のセルカにとって何よりも大切なことだ。周りが何と言おうと、アリスはアリスの良さが、セルカにはセルカの良さがある。俺がその証人になってやる。だから、泣きそうな時も涙を拭って前を見ろ。胸を張って、真っ直ぐ歩く自分を誇りに思え。そんなセルカを後ろ指さすヤツらなんて気にするな!」

 

 

上条がそう言ってセルカの肩の上に手を置くと、セルカは瞳に溜めていた涙を拭い払った。するとずっと曇っていた彼女の表情は、溢れんばかりの笑顔に変わっていた

 

 

「あなたって、なんだか変な人ね。ただ話してただけなのに、今までの悩みが嘘みたいに吹き飛んじゃったわ」

 

「そ、それは褒めてるんでせう?」

 

「ええ、もちろん。っと、もう9時ね。そろそろ部屋に戻らないとシスター・アザリヤに怒られちゃう」

 

「そうか、悪かったな。わざわざ話を聞いてくれて助かった」

 

「それはむしろこっちのセリフなんだけど…まぁいいわ。ありがとう」

 

 

そんな上条の言葉に、戸惑いつつも笑みを浮かべたセルカだったが、時間も時間だった故、それ以上は言及せずにベッドから立って部屋のドアに手をかけた

 

 

「・・・ねぇ、最後に私からもう一つだけでいい?」

 

「あ?まぁ別に俺は構わないけど…」

 

「カミやんは、どうして姉様が整合騎士に連れて行かれたのか、その理由もユージオから聞いたの?」

 

「あぁ。確か洞窟から果ての山脈を抜けて…闇の国…ダークテリトリーに手を触れてしまったから…って聞いたぞ」

 

「・・・そう。果ての山脈を…」

 

 

むしろ自分の姉さんのことなのに知らなかったのか?と上条は問おうとしたが、それよりも先にセルカが部屋から出ようとドアノブを捻り、振り向きざまに続けた

 

 

「明日は安息日だけど、お祈りだけはいつもの時間にあるからちゃんと起きるのよ。あたしももう起こしにこないからね」

 

「が、頑張らせていただきます…」

 

「じゃあおやすみなさい、カミやん」

 

「おう、おやすみセルカ」

 

 

その挨拶を最後に、セルカは今度こそ部屋を出た。そして上条は明日の朝に備えて睡眠を取るため、早々にランプの灯りを消してベッドへと潜り込んだ。明日になって自分の身に何が起こるか、考えることもしないまま、彼の意識は静かに闇夜へと堕ちていった

 



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第13話 果ての山脈

 

「やっぱ早めの朝ってのは慣れねぇなぁ〜…まぁこの仮想世界じゃ単なる意識の問題なわけだけども。いや、そもそも俺の意識なんてそんな期待できるもんでもないか…」

 

 

まだ日も完全に登り切っていない早朝、上条はなんとか朝の礼拝の時間よりも前に起きていた。イマイチ冴えない目を擦り続けるのも癪だったので、一先ず着替えてから教会裏にある井戸で顔を洗っていた

 

 

「カミやんさん、おはようございます」

 

「あ、どうもおはようございます。アザリヤさん」

 

 

上条が顔に残っている水をタオルで拭き取ると、彼の背後からシスター・アザリヤが声をかけ、上条は軽く会釈して丁寧に朝の挨拶を返した。するとアザリヤは、上条の周りに視線を配ると、少し迷うように瞬きをして口を開いた

 

 

「・・・カミやんさん、セルカを見ていませんか?」

 

「え?セルカですか?いや…今朝は見てないですね。どうかしたんですか?」

 

「ええ、実は今朝からセルカの姿が見えないのです。セルカはあなたに懐いている様子だったのであなたのところにいるのかと思ったのですが…」

 

「姿が見えない…今日は一応休みなわけですし、一旦家に帰ってるんじゃないですか?それかどこか適当に散歩とか…」

 

「いえ、セルカは教会に来てからの二年間、一度も生家には帰っていません。もしそうだとしても私に何も言わず、朝の礼拝にも出ずに外に出るなど、今まで一度もありませんでした」

 

「し、心配なのも分かりますけど考えすぎじゃないですか?何か事情があったんだと思いますよ。しっかり者のセルカのことですし、きっとすぐに帰ってきますよ」

 

「・・・だといいのですが…」

 

 

尚も心配そうにため息をつくアザリヤだったが、起き抜けで思考もよく回らない上、昨夜の出来事でセルカにすっかり信頼を置いていた上条はそれ以上特に考えることもなく、朝の礼拝を終えた。そして手早く朝食を終えると、そのまま村の外口でユージオを待った

 

 

「あっ…つい昨日に習ってここに来ちまったが、さっきも自分で言ったように今日は安息日じゃねぇか。ユージオもここには来ねぇだろうし…仕方ねぇ、今日は教会で子ども達の遊び相手にでも…」

 

「やっ、おはようカミやん。今朝はちゃんと起きれたみたいだね」

 

「あれ?よぉユージオ。今日は安息日じゃなかったのか?」

 

「そうだよ。だから今日はカミやんに村中を案内しようと思って。これからは服とか生活用品とかなにかと必要だろう?」

 

「なんだそうだったのか。悪いな、すっかり世話になっちまって。まぁ村中見て回れるってんなら、そのうちセルカもひょっこり見つかるだろ」

 

「え?セルカを探してるの?」

 

「あぁいや…まぁ探してるっちゃあ探してるんだ。今朝から姿が見えないらしくてな。どうもシスター・アザリヤが言うには初めてのことらしいんだが、ちょっと大袈裟だよな。セルカにはセルカの事情もあるだろうから、ほっときゃそのうち…」

 

「な、なんだって!?」

 

「え?」

 

 

上条が今朝の事情を軽い口調で説明していると、ユージオはこの世の終わりでも見たかのような顔で驚いて、そのまま上条の両肩に手をかけた

 

 

「大袈裟なもんか!僕はシスター・アザリヤより長くセルカを見てきてたから分かる!セルカに限ってそんな行動取るはずがない!カミやん、昨日セルカと何かあったりしなかったのかい!?どこか様子がおかしかったとか!」

 

「い、いやあったとしたら俺の部屋で話をしたぐら…い………」

 

 

ユージオに迫られるがまま、上条は昨日の夜に部屋でセルカと話した記憶をたどっていき、やがて言葉に詰まるのと同時に、自分の顔から血の気が引いていくのが分かった

 

 

「クソッ!バカか俺は!口が軽いにもほどがあるだろ!」

 

「ちょっ!?どこに行くのカミやん!」

 

 

上条は肩に乗せられたユージオの手を振り払うと、半ば衝動的に走り出した。そんな彼に置きざりにされたユージオも、気づけば上条の後を追いかけて駆け出していた

 

 

「ユージオ!果ての山脈ってどっちだ!?」

 

「は、果ての山脈!?なんだってそんなところに…っていうかダメだよ!もし立ち入って万が一でもダークテリトリーとの境界を跨いだりしたら…!」

 

「そこにセルカが行ってるかもしれねぇんだ!禁忌目録なんか知るか!」

 

「セルカが果ての山脈に!?一体なんで!?」

 

 

上条は一心不乱に村の外口を出てから北を目指して走り続けた。ユージオの話でぼんやりと北の洞窟を抜けた先にあると聞いていた程度で、記憶が定かではなかったが、ユージオが必死について来ているあたり北で間違いはないだろうと確信すると、地面を蹴る力を強めていった

 

 

「俺、昨日の夜セルカとアリスについて二人で話してたんだ!そんでセルカに、なんでアリスは整合騎士に連れてかれたのかって聞かれて…!」

 

「ま、まさか教えたって言うのかい!?アリスがダークテリトリーに入ったことを!」

 

「悪いがそのまさかだ!迂闊だった…俺がセルカの立場でもそうするだろうな。だから早く連れ戻さねぇと手遅れになるかもしれねぇ!最悪は同じ轍を踏んで…!」

 

「考えたくもないね…僕が子どもの頃にアリスと一緒に行った時は洞窟まで5時間しかかからなかった。子どもの足でそれならセルカはもうその距離の半分はいってると思う!」

 

「ほ、本当に間に合うのかこれで…!?」

 

「とにかく走るしかない!幸いこのまま少し行けば川に出る!そしたらそのまま川に沿っていくだけだ、水の心配はない!」

 

「なら本当に体力と足の速さだけが問題か…間に合ってくれよ…!」

 

 

その後、上条とユージオは北の洞窟を目指し、二人で並走しながら川沿いを一心不乱に走り続けた。途中で川の水を喉に流し込みながら懸命に走ると、道の途中でしなびた花をユージオが見つけた

 

 

「カミやん!ちょっとストップ!」

 

「どうした!?」

 

 

息を切らしながら上条を呼び止めると、ユージオはしなびた花の前に跪いてS字をなぞった。その軌跡の上に現れたステイシアの窓で花の天命を確認すると、眉をひそめながら口を開いた

 

 

「やっぱりだ…踏まれたせいで天命が少し減ってる。減り方が小さいから大人じゃなくて子どもが踏んだんだ。こんなところに来ようとする子どもなんて、6年前の僕とアリスぐらいしか…!」

 

「急ぐぞ。もう考えてる余裕もねぇ。セルカは間違いなく果ての山脈を目指してる!」

 

 

出来れば違っていてほしいと願ってはいたが、ここまで判断材料が揃ってしまっては否定のしようもなかった。上条は己の軽率さを悔やむように奥歯を噛み締めると、額から滴る汗を拭いもせずにまた走り始めた

 

 

「なぁユージオ、念のために聞いていいか?」

 

「なに?」

 

 

上条は、極力呼吸のペースを乱さないようにユージオに声をかけた。ユージオも息が切れ始めているが、自分の右を走る上条の方へと振り向いた

 

 

「もしセルカが闇の国…ダークテリトリーに入ったとしたら、その場で整合騎士が来て捕まえられるのか?」

 

「いや…整合騎士はたぶん、そうすぐには来ないと思う。6年前も来たのはアリスが境界を越えた翌日の朝だったから」

 

「そりゃ不幸中の幸いだな…なら最悪の場合でもセルカを助けるチャンスはあるわけだ」

 

「え?ど、どういうこと?」

 

「なに、もしその境界を超えてたとしても、翌日までにセルカを連れて村から出れば整合騎士様はやり過ごせるかもしれねぇだろ」

 

「そ、そんなのできっこないよ!第一それだとカミやんだって禁忌目録に反することになるかもしれないんだよ!?」

 

「へっ!生憎だが、カミやんさんはそんなルールを逐一守れるほどいい子に育てられた記憶すら持ち合わせてないんでな!」

 

 

自信満々な表情でそう答える上条の横で、ユージオはなんともやり切れない思いを抱えながら走り続けていた。かえって挑発するような上条の言葉に、ユージオは数秒の沈黙の後に首を左右に振りながら言った

 

 

「・・・やっぱり、無理だよカミやん。セルカにだって天職があるんだ。たとえ騎士が捕まえに来るって分かってても、天職を投げ出して君についていくハズがない。それにそもそも、そんなことにはならないと思う。闇の国に足を踏み入れるなんて重大な禁忌を、あのセルカが犯すなんてとても…」

 

「けど、アリスにはそれが出来たんじゃないのか」

 

「・・・・・」

 

 

上条とて、返す刀でこんなことを言うのは不本意だった。しかし、何故ユージオを含めたルーリッド村の人々は、300年の歴史の中でたった一つの例外を除いて、そこまで禁忌目録という法を忠実に守るのか甚だ疑問だった。段々と上条自身の中でも大きくなりつつあるアリスという少女の存在を知るためには、この疑問は遅かれ早かれユージオにぶつけなければならないと思っていた

 

 

「・・・アリスは…特別な存在だった。彼女は、村の誰とも違っていた。僕とも…もちろんセルカとも…だからアリスには禁忌を破れても、僕やセルカなんかに同じことが出来るハズが……」

 

「ーーーッ!!」

 

 

自分の目の前にいるのは、人の手によって作られたNPC、或いはAIだと上条分かっていた。けれど、ユージオの口からそれ以上の言葉を聞きたくないと、走る脚を止めて彼の胸ぐらに掴みかかった

 

 

「痛てっ…!?」

 

「おいユージオ…お前それ本気で言ってんのか?」

 

「い、いきなりなんだって言うんだよ…カミやんの方こそ!いい加減目を覚ましたらどうなんだい!?記憶を失くして何を思い上がっているのか知らないけど、僕らにとって禁忌目録は絶対なんだ!僕だって禁忌目録さえなければ、あの日なにがなんでもアリスを助けに行ったよ!だけど仕方ないじゃないか!今の君と違って僕にはちゃんと天職があって…それを君は…!」

 

「人にとって禁忌目録は絶対だぁ?笑わせんな!ならそれを守らなかったアリスは人間じゃなかったとでも言うのかよ!?」

 

「ッ!?」

 

「違ぇだろ!?俺もお前も、セルカだってアリスだって同じ人間なんだろ!特別だとかそうじゃないとか、禁忌だとか天職だとかそんなの関係ねぇ!自分が本当に大切にしたいのはなんなのか、アリスはそれを選んだだけなんじゃないのか!?俺はたしかに、その時のことは見てもねぇから分かんねぇし、ダークテリトリーに何があるのかは知らねぇよ。だけど!もしも本当にそうだとしたら、ユージオがそれを踏みにじることは、禁忌を犯すよりも悪いことなんじゃねぇのかよ!!」

 

「カミ、やん……」

 

 

走りっぱなしですっかり息が上がっていることも忘れ、叫び続けた上条はもはや腕に力を入れることも難しくなり、ユージオの胸ぐらから落ちるように両手を離した

 

 

「・・・悪い、少し熱くなりすぎた。今セルカがいなくなったのは元は俺が口を滑らせたからだっていうのに、それを棚に上げて…」

 

「ううん、いいんだカミやん。君に言われて気づいたよ。言い訳しかしてこなかったのは僕の方だ。セルカをきっと連れ戻したら、あとでもう一度、僕を大声で叱ってくれ」

 

「・・・あぁ、お安い御用だ」

 

 

そう約束した二人の表情は、先ほどまでとは比べようがないほど晴々としていた。そしてユージオは息を整えるために深く深呼吸すると、向かい合っていた上条の肩越しに少し遠くを指差した

 

 

「見えたよ、カミやん。あの洞窟を超えた先が、果ての山脈だ」

 

 

 



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第14話 ゴブリン

 

「これが果ての山脈?闇の国がもうすぐこの向こう側にあるってのか…?」

 

 

天高く聳え立つ山岳。見渡す限り灰白色の岩壁。どこか肌寒さを感じさせる冷気と、今まで自分たちが遡ってきた小川を、氷混じりに吐き出している洞窟。明確なまでの境界という意図を感じるそれを目の当たりにした上条は、ただ呆然と立ち尽くしていた

 

 

「僕も初めて来た時は驚いたよ。まさか、世界の果てがこんなに近いとは思わなかった」

 

「・・・行こうぜ。どんなに少なく見積もっても30分はセルカと差がついてる。見つけたらすぐに引き返すんだ」

 

「うん、ちょっと待って。洞窟の中は暗いから」

 

 

そう言うとユージオは、いつの間にか拾っていた猫じゃらしのような草穂を懐から取り出し、その先に向かって祈るように何かを唱えた

 

 

「システム・コール。リット・スモール・ロッド」

 

「・・・し、システム・コールだぁ!?」

 

 

ユージオによって何らかの手解きを受けた草穂は、不思議なことにその先端がライトのように光を放ち始めた。しかし、それよりも上条が驚いたのは、ユージオが唱えた言葉の意味の方だった

 

 

「ゆ、ユージオ今のは…?」

 

「神聖術だよ。すごく簡単なやつだけどね」

 

「あ、いや見りゃ察しはつくんだが…システムとか、そこんとこの意味は分かって言ってんのか?」

 

「意味?そんなのないよ。式句だからね。神様に呼びかけて、奇跡を授けて下さるようにお願いするんだ」

 

(ある種の呪文扱いってことか?今の機械めいた用語の羅列が…?)

 

 

現実世界では魔術、仮想世界ではALOの魔法に関わってきた上条だったが、この世界における神聖術には理解を示すことが出来ず、どうにも煮え切らない感覚に囚われていた

 

 

(・・・試してみる価値はある…か)

 

 

故に、上条の神聖術に対する興味はさらに深いところまで達していた。自分の中で湧き上がる疑問に解を求め、上条は光を放つ草穂の先を、右手の平で包み込んだ

 

 

「え?ど、どうしたのカミやん?」

 

「・・・消えないのか…」

 

 

実にシンプルな結果だった。あらゆる幻想を殺してきた上条の右手は、神聖術で灯された草穂の光を打ち消すには至らなかった。上条としてはその結果は不服であり、すぐさま右手を草穂から離し、顎を右手で支えながら考察を始めた

 

 

(・・・この世界じゃ俺の右手には『幻想殺し』がない…?いや、そう結論づけるのも早計か?なにしろ呪文でシステムがどうとか言ってるんだ。神聖術がこの世界のシステムで設定された何かで、異能の力とか、スキルじゃないことも容易に考えられる)

 

(結局はなにも分からずじまい…いや、待てよ。確証はないかもしれないが、その選択肢を減らすことはできるかも…)

 

「なぁユージオ、俺にもその神聖術って使えるもんなのか?」

 

「え?うーんと…僕がこの術を使えるようになるのに、毎日仕事の合間に練習しながら二ヶ月くらいかかったんだ。アリスが言ってたんだけど、素質のある人なら1日で使えるし、できない人は一生かかっても出来ないって。だからカミやんの素質次第じゃないかな」

 

「そ、そうなのか…」

 

 

自分の疑問に対するユージオの解答を聞いた上条は残念そうに言うと、神聖術に触れた右手を見つめながら大きくため息を吐いた

 

 

(人によっては一生かかっても出来ない…か。ユージオでも二ヶ月かかったんだ。今ここで結論出すことは難しいか…)

 

「・・・よし、急に色々聞いて悪かったな。セルカはこの奥にいるんだよな。行こう」

 

「うん。僕がコレで洞窟を照らしていくから、カミやんは後ろからついてきて」

 

 

洞窟に入ってから20分ほどが経過した。上条とユージオは、ここまで来た道と同じように、洞窟の中を流れている小川をたどりながら右へ左へ曲がりながら進んでいた

 

 

「なぁ、ユージオは6年前もこれと同じ道を通っていったのか?」

 

「そうだよ。白竜の骨がある場所にはこの川をたどっていけば自然とたどり着くんだ」

 

「じゃあ…この道を辿っていけばそのうちダークテリトリーにも行き着くのか?」

 

「いや、それは違うよ。あの日の僕たちは元から道が分かっていなかったから、白竜の骨があった場所から帰ろうと適当に進んでいたら、偶々洞窟を抜けちゃったんだ」

 

「なるほど…あっ!ユージオ、ここ照らしてくれ!」

 

 

上条が歩きながら何かに気づくと、その場に跪いたので、呼び止められたユージオも跪いて上条の足元を照らした。するとそこには、誰かに踏み砕かれた凍った水溜りがあった

 

 

「・・・この亀裂は…誰かに踏まれた跡だよ。やっぱりセルカはここを通ったんだ」

 

「間違いなさそうだな。まったく無鉄砲というかなんといいますか…幼いゆえに恐れを知らないんですかねセルカさんは…」

 

「そうでもないよ。この洞窟にはもう白竜もいないし、それどころかネズミやコウモリだって一匹もいないんだ。むしろ何を怖がるんだって話だよ」

 

「な、なんだそうなのか…」

 

(てっきりなんかしらモンスターがいるもんだと思ったんだけどな…そんでそれにかこつけてレベルでも上がればと思ったんだが…アンダーワールドには竜以外の敵Mobはいねぇのか?それはそれで嬉しいような残念なような…)

 

「きっと、ここを通ったならセルカはやっぱり白竜の所を通ると思う。だとしたr……」

 

「きゃああああああーーー!!!」

 

「「ッ!?」」

 

 

洞窟の岩肌が共鳴しあうように、女の子の悲鳴が残響の尾を引いていた。それを聞いた上条とユージオは、思わず息を呑んだ

 

 

「おいユージオ今の…!」

 

「セルカの声だ!間違いない!」

 

「ま、まさかもうダークテリトリーに入ったとか言うんじゃねぇだろうな…!」

 

「いや、ダークテリトリーの境界はここからまだ少し離れてる!悲鳴が大きかったとしてもこんなところまで聞こえるはずが…!」

 

「だとしても悲鳴であることには間違いねぇってことだよな…行くぞ!」

 

「うん!」

 

 

ユージオは草穂で先を照らしながら一心不乱に走り出した。今度ばかりは上条もはやる気持ちが抑えきれず、後ろではなく彼の隣を並走していた。そして必死に走り続けていると、辺り一面が水晶と氷に覆われた空間にたどり着いた

 

 

「見た目に反して温けぇな…それになんだか焦げ臭い。火でも焚いてるのか?」

 

「シッ!カミやん隠れて!ゴブリンだ!」

 

「ご、ゴブリン…?」

 

 

その空洞を覆う水晶とは似ても似つかぬほどに醜悪な体躯をした異形が20体ほど。緑色の肌に鋭く伸びた爪と牙、どこからどう見てもファンタジー物語に登場する『ゴブリン』そのものだった

 

 

「おいユージオ、どうなってんだ?洞窟にはコウモリもネズミもいないから怖がることはないって…!」

 

「・・・ごめん、僕もすっかり失念してた。実は最近、ダークテリトリーから闇の軍勢の侵入が増えてるらしいんだ。でも、普通はそんなの整合騎士があっという間に退治するものなんだ。だけどまさか、それとこんな場面で出くわすなんて…!」

 

「どうする?なんとかやり過ごすk…」

 

「いやっ!離してっ!」

 

「へへっ、今日はついてるなぁ。こんなところで白イウムの女が手に入るなんてよぉ」

 

「「!!!!!」」

 

 

上条達がしばらくゴブリン達の様子を伺っていると、ゴブリンが群れているところの少し奥あたりで、ゴブリンに力ずくで抑えこまれているセルカの姿が見えた

 

 

「野郎っ!」

 

「セルカッ!」

 

「ああ?おい見ろや!今日はどうなってんだぁ?また白イウムの餓鬼が二人も転がりこんできたぜぇ!」

 

「待ってろよセルカ!今助けに行くぞ!」

 

「えっ!?カミやん…それにユージオまで…!こ、こっちに来ちゃダメよ!早く逃げて!」

 

「どうする?コイツらも捕まえるかぁ?」

 

 

ユージオが叫ぶと、ゴブリンたちが二人に気づき、ゴブリンとは思えないほど悠長な発音で、下卑た笑いとともに舌なめずりをした。すると20はいる群れの中でも、一際デカい体躯を持つゴブリンが腰を上げ、グルルという唸り声の後に嗄れた低い声で言った

 

 

「男のイウムなんぞ連れ帰っても売れやしねぇよ。とっとと殺して肉にしろ」

 

「「「ギャハハハハハ!!!」」」

 

「・・・ごめんカミやん。勇んで飛び出した割には、足の震えが全然止まらないや」

 

「心配すんなユージオ。殴りかかればすぐにそんなの無くなるさ」

 

「ご、強引だなぁ…でも、交渉の余地はなさそうだし、そうする以外に方法はなさそうだね。それに不思議なんだけど、カミやんと一緒ならなんでも出来そうな気がするんだ」

 

「ははっ。さっきの説教が聞いたか?まぁこんな奴ら、ギガシスダーに比べれば可愛いもんだ。とっとと全員ぶっ飛ばしてセルカを連れて帰ろうぜ」

 

「うん。でも、どうやって戦う?」

 

「俺が最初に手前のゴブリンをぶん殴る。そしたらユージオはソイツから剣を取り上げて他の奴らを牽制しといてくれ。鉄の剣なんて扱いは斧とほぼ同じだ。青薔薇の剣ほど扱えないわけじゃないからなんとかなる」

 

「え?それじゃあカミやんはどうやって戦うの?」

 

「一か八かの勝負になっちまうんだが、腕っぷしの良さには自信があるんだ。自分の拳でなんとかしてやるさ」

 

「じ、自分の拳って…」

 

「ケケケッ!作戦会議はもう済んだかぁ?」

 

 

小兵のゴブリンたちは不気味に笑い、その手で斧や剣などの武器を弄びながら上条とユージオにジリジリと迫ってきていた

 

 

「もう待ってくれる時間はなさそうだな。5秒数えたら突っ込むぞユージオ。5・4・3・2・1…!」

 

「「うおおおおおおおおっ!!!」」

 

 



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第15話 最果ての戦闘

 

「喰らえこの野郎っ!!」

 

「ギィヤッ!?」

 

 

大声を出すという行為が威嚇になったのか、ゴブリン達は黄緑色の目を丸くさせ、少しばかり怯んだ。それを好機と見た上条は、脇目も振らずにゴブリンへと突進し、右ストレートを見舞った。その拳は一番先頭にいたゴブリンの頬に直撃し、渾身の力が込められた一撃にゴブリンはたまらず体ごとぶっ飛され、手にしていた剣を地面に落とした

 

 

「ユージオッ!」

 

「剣ならもう拾ったよ!」

 

「コイツら…!白イウムのくせに舐めやがって!やっちまえ!」

 

「ギイイイイイイッ!!!」

 

 

緑色の怪物が、まるで雪崩のように上条へ次々と襲いかかっていく。上条は幾多の戦場を生き抜いてきた経験を生かし、襲い来るゴブリンを躱しながら確実に右拳を叩き込んでいった

 

 

「オラアッ!」

 

「ガバアッ!?」

 

「お、おい!コイツ強えぞ!」

 

「仕方ねぇ、コイツは後回しだ!もう一人のの方を狙え!」

 

「「「グキャア!!」」」

 

「えっ!?」

 

 

上条の強さに舌を巻いたゴブリン達は、上条に向けていた敵意をそのままユージオへと移動させた。ゴブリン達の突然の行動に、ユージオは完全に呆気にとられていた

 

 

「ユージオ!危ねぇ!」

 

「うわあっ!?」

 

「ギャアッ!?」

 

「・・・え?」

 

 

悪鬼の形相で襲いかかるゴブリンに恐怖したユージオは、ぎゅっと目を瞑って両腕を頭の上で交差させた。すると襲いかかってきたゴブリンは、襲いかかるどころか、左手に持っていた光る稲穂に怯えるように後ずさりした

 

 

「そうか…ゴブリンはこの光が苦手なんだ…カミやん!僕の方は大丈夫!今のうちにセルカを!」

 

「よ、よしっ!よく分からんが任せろ!」

 

「グオアァッ!イウムの餓鬼が!この『蜥蜴殺しのウガチ』様と闘ろうってのかぁ!?」

 

「蜥蜴殺しだぁ?はっ、笑わせんな。蜥蜴の一匹や二匹殺した程度じゃあ、小学生の自慢話にも劣るってもんだぜ!」

 

「意味の分からねぇこと言ってんじゃねぇ!ガアアアアアァッ!!」

 

 

唸り声とほぼ同時に、ウガチは上条の背丈ほどはある蛮刀を振り下ろした。上条はその一太刀をすんでのところで避けると、すぐさまウガチの懐に潜り込み、身体を捻りながら右拳を突き上げた

 

 

「うおっ!ラアッ!」

 

「ごっ!?ぐふぉあ!?」

 

 

上条の右アッパーは確実にウガチの顎を捉え、軽い脳震盪を起こさせた。その隙に上条は何度も右拳と左拳を交互にウガチの頬に決め、緑色の異形の体にところ構わず拳を叩き込みまくった

 

 

「ぶあぁっ!?」

 

(いける…!このまま押し切れば…!)

 

「でやっ……」

 

「調子に乗ってんじゃ…ねぇっ!!」

 

「なっ…!?」

 

 

血生臭い蛮刀が、上条の肩めがけて鈍く閃いた。既に次の拳を振りかぶっていた上条は防御の姿勢を取ることも出来ず、右斜めに切り上げたウガチの刃が上条の左肩の肉をゴッソリと切り裂いた

 

 

「がっ!?あ゛あ゛あ゛っ!?」

 

(なんだ、これ…!?ペインアブソーバーが云々とか、痛覚に訴えてくるとか、そういう次元じゃねぇっ!?まるで本当に肩の肉が切られたような、こんなリアルすぎる痛みをどうやって…!?)

 

 

あまりにも明確な感覚で体中を駆け巡る痛みに、上条は身悶えした。刻まれた肩口から滴る鮮血は、あっという間に上条が横たわる地面を覆いつくした

 

 

「か、カミやん!は、離してよ!あのままじゃカミやんの天命が…!」

 

「へへっ、逃げようったって無駄だぜ。お前はここで、ボスの手でズタズタにされるアイツを見てるしかねぇんだ、キヒヒ!」

 

「嫌っ!やあっ!触らないでぇ!」

 

「セル、カ………ああっ…!!」

 

 

セルカはその華奢な身体を懸命に振り回し、ゴブリンの腕を振り解こうと努力するが、ゴブリンはそんなか弱い仕草さえも楽しむようにセルカの身体を弄び始めた。目の前で一人の少女が悪意に侵される悔しさで胸の内側を燃やし、上条は痛みが残るその体に無理を押して、半ば力づくで立ち上がった

 

 

「ほう?その傷でまだ立ち上がるか。随分と活きのいいイウムだな。こりゃどう痛ぶって殺すか楽しみだぁっ!」

 

「ごふっ!?」

 

「オラオラオラァ!!!」

 

「がっ!?ぎい!?ぐぼぉっ!?」

 

「ガッハッハッハッハ!こりゃいい的だ!日頃の鬱憤を晴らさせてもらうぜ!」

 

「も、もうやめて……もうやめてぇ!私はどうなってもいい!だからこれ以上カミやんを傷つけないで!」

 

 

もはや一方的な蹂躙だった。立ち上がって早々で足元がおぼつかない上条を、今度はウガチが両拳で滅多撃ちにした。上条の体には撃たれた痕がくっきりわかるほどの青痣がいくつも刻まれ、悲痛すぎるその光景にセルカは耐えきれず、泣きながら助けを懇願した。しかし緑の怪物はそんな必死な願いを聞くことなく、傍らに置いていた蛮刀を再び拾い上げた

 

 

「さぁて、そろそろテメエの腹わたでも覗いてやろうか」

 

「・・・ぁ…ぅ………」

 

「うおらああああああっ!!!」

 

「カミやあああぁぁぁん!!!」

 

 

ウガチの蛮刀が、横薙ぎに振るわれた。殴られすぎて視界すら霞んで見える上条に、それを躱すほどの体力は残っていなかった。ついに死を覚悟した上条が目を瞑ったが、切られる感覚が襲って来ないことに疑問を感じ、恐るおそる霞む目を開けると、その視線の先には、振り下ろされた蛮刀ではなく、一人の少年の身体があった

 

 

「・・・ゆ、ユージオ…?」

 

「・・・ケッ、どこにでいるようなイウムが下手な真似しやがって。興醒めだぜ」

 

 

上条は何が起こったのか理解が追いつかず、降りかかってきたユージオを支えられずに尻餅をついた。そして自分の膝の上で横たわるユージオの腹部から流れる血を見るなり、上条は全身の血が抜けたような真っ青な顔になり、懸命にユージオに呼びかけた

 

 

「お、おいユージオ!しっかりしろ!大丈夫か!?ユージオッ!!」

 

「ごはっ!だ、大丈夫だよカミやん…僕はまだちゃんと…戦えるよ。ここで、セルカまで失ったら…アリスに合わせる…顔が…ぶはっ!?」

 

 

ユージオは咳き込みながら、喉口から血を吹き出した。真一文字に斬られた腹部から流れる血は、もはや上条が切られた左肩の傷口とは比べものにならない量だった。それでもなお立ち上がろうとするユージオの口から、もう一度血飛沫が上がった

 

 

「も、もういい!それ以上喋るな!このままじゃ本当に死んじまうぞ!?」

 

「約束したんだ…三人で…生まれた日も…死ぬ日も一緒だって…だから、今度こそ…守るんだ…僕が……………………」

 

「・・・ユージ、オ…?」

 

「・・・・・」

 

 

今にも絶えそうだった声が、絶えた。優しい緑色の瞳が、静かに閉じれられた。上条が肌で感じられるユージオの体温は、もうほとんどなくなっていた。まるでその命の灯火のように、神の加護を受けていた草穂の光が消えた。力の抜け切った彼の身体を、上条はそっと地面に寝かせ、膝に手をつきながら立ち上がった

 

 

「・・・痛みが、なんだ」

 

 

自分に言って聞かせるように、静かに上条の口が動いた。自分の不甲斐なさに歯を軋ませながら、手のひらに爪が食い込んで血が滲むほど強く右手で拳を握った

 

 

「あぁ?なんか言ったか?」

 

「こんなのより、ユージオはずっと痛かった…辛かったはずだ。目の前で大切な女の子が連れていかれるのをただ見ているしかできなくて…だけどお前は変わったよ、ユージオ。お前は俺なんかよりよっぽど強くなった。俺を守ってくれた…だから俺は、こうしてまた立ててるんだよ」

 

「・・・・・?」

 

 

上条の纏う空気が明確に変わったのを、ウガチはどことなく感じていた。そして首を傾げた。なぜ自分の額に、冷や汗が滲んでいるのか分からなかった。そして、戦慄した。俯いていた顔を上げ、視線が重なる。その瞳の奥に宿した彼の意志の強さに、ウガチは背筋を凍らせた

 

 

「ーーーーーッ!?」

 

「・・・見てろよユージオ。お前の意志は、俺の中で生きてるぞ!!!」

 

「こ、のっ…!くたばり損ないめがぁ!!」

 

「ぅぉぉぉぉぉおおおおおーーーっっっ!!!」

 

 

剣と拳。即ち、鉄と体。幼い子どもでさえわかる、圧倒的な力の差。しかし、その場にいたセルカは見た。普通ではありえない、その光景を。ぶつかり合った蛮刀と右拳。崩れ去ったのは、自分と友の血を啜った鉄の塊。拳は剣に敵わない……そんな当たり前の事象すらも『幻想』であると言わしめるかのように、彼の右手は鉄の刃を打ち砕いた

 

 

「な、なんだとぉぉぉ!?なんだそりゃ…あり得ねぇだろぉぉぉ!?お前は一体なんなんだぁ!?」

 

「俺は何かって…?そうだな…俺は多分…」

 

 

砕かれた蛮刀と、それを砕いた少年の右拳を狼狽えながら見つめるウガチの問いかけに、上条はそれを鼻で笑いながら呟いた。そして現実と仮想の世界で、数多の幻想をねじ伏せてきた右拳をもう一度強く握りながら、俯いていた顔を上げて答えた

 

 

「きっと俺は、どこまでいっても…ただの…『どこにでもいる平凡なヤツ』だよ」

 

「・・・・・ぁ……?」

 

「うおおおおおおっっっ!!!」

 

 

もう一度、右拳を振りかぶって、振り抜く。必死とも、悪鬼の形相とも取れる表情で、拳を突き出す。左足を踏み込んで、全身をコマのように回し、己の内に眠る力を全て引き出す。上条が放った一撃はウガチの顔面を捉えるだけに留まらず、その勢いで彼の首を捻り折った。据わるべき首の座を失ったウガチの巨体は、電池が切れた玩具のように地へと沈んだ

 

 

「ヒィィィィ!?ぼ、ボスが…死んだあああぁぁぁ!?」

 

「に、逃げろ…ボスを倒せるようなヤツに…こんなイウムに勝てっこねぇ…逃げろぉぉぉ!!!」

 

「ははっ、おととい来やがれってんだ…痛っ!?つぅ…」

 

 

自分達が仕えてきた長の生死なぞ知る由もなく、ゴブリンの群れは一目散に洞窟の奥へと逃げ出した。セルカを拘束していたゴブリンも、彼女をあっさり離して仲間を必死に追いかけていた。そしてようやく自由の身になったセルカは、左肩の傷口を押さえながら痛みに顔を顰める上条の方へと走り寄った

 

 

「カミやん!大丈夫!?」

 

「あ、あぁ…なんとかな。いや、俺の方はいい!それよりもユージオが重傷だ!」

 

 

冷たい地面に横たわるユージオの元へ駆け寄り、彼の上にS字を走らせる。こじ開けたステイシアの窓に示されていたユージオの天命は今も刻々と減り続け、既に風前の灯だった

 

 

「もう天命がほとんど残ってない…!このままじゃユージオは…!」

 

「・・・・・」

 

「クソッ!なぁセルカ!何か方法はねぇのか!?天命を増やすとか、元に戻すとか、何かユージオを死から救う方法はねぇのかよ!?」

 

「・・・あるわ。一つだけ」

 

 

ただ天命が減っていくのを見ることしか出来ない自分の無力さを痛感した上条は、血の滲む拳を地面に打ち付けた。しかしその横で、消え入るような小さな声でセルカが呟いた

 

 

「ほ、本当か!?」

 

「だけど、そんなに褒められた方法じゃないわよ。最初に言っておくけど、成功率はかなり低い危険な神聖術を使うことになる。あたしもカミやんも死んじゃうかもしれない。それでもいい?」

 

「運に自信があるわけじゃねぇんだが…やるしかねぇ!頼むセルカ!ユージオを助けてくれ!」

 

「解った。右手を貸して」

 

 

上条は頷いて右手を差し出すと、セルカは彼の右手を左手で強く握った。そして自分の右手でユージオの左手で握ると、大きく息を吸い込んで氷のドームに響き渡る声で言った

 

 

「システム・コール!トランスファー・ヒューマンユニット・デュラビリティ!レフト・トゥ・ライト!」

 

 

刹那、セルカを中心に光の柱が屹立した。そしてセルカを介するようにして、上条の右手からユージオに向かって光の粒が揺れ動いていた

 

 

(なんだか身体から力が抜けて…この光は俺の天命ってことか?俺の天命をユージオに分け与えている…?)

 

「ッ…カミやん、まだ大丈夫そう?」

 

「あ、あぁ…まだまだ余裕だ!もっともっとユージオに俺の天命を分けてやってくれ!」

 

 

少し苦しげな息の下で、セルカが上条に問いかける。セルカの問いに上条が力強く頷くと、セルカは今一度目を閉じて意識を集中ささせた。すると、セルカが纏う光がより一層強くなり、上条の倦怠感がどっと増した

 

 

(ッ!?耐えろよ上条当麻…今度は俺がユージオを助ける番だろ!)

 

「・・・ッ!?ダメよカミやんっ!このままじゃあなたの天命が…!」

 

 

己を懸命に鼓舞するが、先刻の戦闘のダメージの蓄積もあり、視界は朦朧としてセルカと繋いでいる右手の感覚以外の体に感覚はほとんどなかった。セルカの心配そうな声もどこか遠く聞こえる。そしてついに意識を手放しそうになった手前で、そっと誰かに寄り添われる感覚を両肩に覚えた

 

 

『キリト、ユージオ。待ってるわ、いつまでも…セントラル・カセドラルのてっぺんで、あなたたちを…』

 

(キリ、ト…?人違いだぞ、俺…は………)

 

 

妖精の国を模した仮想世界で共に旅をした、異世界の悪友の名が頭の中で朧げに反芻させながら上条はなけなしの意識を手放した。そしてセルカと繋いでいた右手を離し、ドサリとユージオの胸の上に崩れ落ちた

 

 



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第16話 巨神の最期

 

「ごっ、じゅう!」

 

 

翌日の朝、大杉がそびえ立つ丘の上には澄んだ音が響き渡っていた。その日最初の50回目の斧打ちを終えたユージオは、汗を袖で拭いながら斧を置いた。順番を代わろうと歩み寄ってきた彼に、上条はタオルを投げ渡しながら訊ねた

 

 

「傷の具合はどうだユージオ?」

 

「うん、丸一日寝込んだらすっかり良くなったよ。痕が少し残ってるけどね。カミやんの方は大丈夫?昨日は精魂尽き果てて死んだように寝てたって話だったけど…」

 

「ははっ、精魂尽き果てたのはお互い様だろ。それに俺はユージオがいなかったら死んだように寝るどころか、本当に死んでたのかもしれないんだからな」

 

「冗談に聞こえないのがかえって怖いよ」

 

 

ユージオが苦笑しながら言うと、上条は開いていた自分のステイシアの窓に再び視線を落とした。そしてなにかを確認すると、窓をそっと閉じて腰を上げた

 

 

「・・・なぁユージオ、あの洞窟でセルカの神聖術を受けていた時、誰かの声が聞こえてこなかったか?」

 

「声?いいや、僕はカミやんを庇ってからはもう全く意識がなかったから、別に何も聞こえなかったよ。カミやんは何か聞こえたのかい?」

 

「いや……じゃあもう一つだけ質問させてくれ。『キリト』。この名前に聞き覚えは?」

 

「キリ、ト…?う〜ん、なんだか引っかかるようなそうでないような…でも、聞き覚えがあったとしても会ったことは無いと思うよ。ルーリッド村にそんな名前の人はいないから。ひょっとして、カミやんの知り合いだったりするの?」

 

「・・・そうか。いや、俺もなんか頭の中に引っかかってるだけなんだ。気にしないでくれ」

 

(気のせい…で済ますには早すぎるか。元々このソウル・トランスレーターの世界はキリト側の世界の技術なわけだ。どっかでアイツが関わってたとしてもおかしな話じゃない。それに、俺の右手に幻想殺しがあるかどうかは分からず終いだ。まだまだこの世界には謎が多いな)

 

 

そう考えながら上条はギガスシダーに立てかけられた竜骨の斧ではなく、先日ユージオが持ってきてからそのままになっていた、鞘に収まっている青薔薇の剣の柄に手をかけた

 

 

「ちょっ、何してるんだよカミやん。おととい試してみて、その剣は使えないって結論に至ったじゃないか」

 

「まぁそう言わずに見てろって。それに、今回はちょびっとカミやんさんにも自信があるんだ」

 

(昨日のゴブリンの一件で俺のオブジェクトコントロール権限は青薔薇の剣が要求する45を上回った。まぁ純粋にクエストやらをクリアした影響かなんかで経験値的な何かが入ったんだろ。そんで俺のこの推測が合ってれば…)

 

「よっ!っと……」

 

 

微笑を浮かべながら言うと、上条は耳に心地いい金属音を響かせながら、見事な鞘走りで青薔薇の剣を抜いた。そして、剣を右手に持って何度か試し振りしてみたところで、ユージオが驚愕の声を漏らした

 

 

「ええっ!?お、重くないのかい!?」

 

「あぁ、軽い軽い。多分だけど、今ならユージオもこんくらいコイツを軽々と扱えると思うぜ」

 

(さって…んじゃ行きますかね。今度はちゃんと当たってくれよ…『ホリゾンタル』!)

 

 

上条は神妙な面持ちでギガスシダーの前に立ち、切り込んでいる溝に対して水平に青薔薇の剣を振りかぶった。そして脳裏にSAOで数えるほどしか使わなかったソードスキルを可能な限りでイメージし、流れるような身体の動きと迸る光の衝動の中で吠えた

 

 

「おおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

横一文字、一閃。かの『ホリゾンタル』の再演を、上条は確かなイメージ力で成し得た。青薔薇の剣の先は、非の打ち所もないほど完璧に溝を捉えると、まるで稲妻の如く走った刃は鋼鉄よりも硬い幹をごっそりと削り取り、天にも届く巨樹の体躯はビリビリと振動していた

 

 

「・・・お、おぉ…まさかここまで派手に削れるとは…あっ!?そういや今の天命いくつだったか見忘れてたな…まぁいいや、何回か今のやってればあっという間に切り倒s…」

 

「か、カミやん!ひょっとして今のは『剣術』かい!?」

 

 

自分の想像以上にギガスシダーの幹が削れた上条に対し、ユージオは削れた巨樹よりも上条の使ったソードスキルに深い関心を示していた

 

 

「んぁ?剣術?まぁそうっちゃそう…か?」

 

(まぁそりゃこんな風にソードスキルが発動するくらいだもんな…剣術とか剣に技なんて概念がある世界観なのか?)

 

 

ユージオに問われた上条は、すっかり軽々と扱えるようになった青薔薇の剣を逆さにして杖代わりにすると、頬を掻きながら慎重に言った

 

 

「驚いたよ…正式な剣術っていうのは普通、衛兵隊でなきゃ教えてくれないんだから。ひょっとすると記憶を失う前のカミやんは、大きな街の衛兵だったのかも」

 

「い、いやそう言われてもな…こんなのただちょっとだけ想像力を捻って剣を横に振っただけなんだぜ?そんな衛兵になれるほど剣の腕が立つなんてとても…」

 

 

そこまで言って上条はハッとした。自分は2年半前のSAOでは第一層で剣を捨てたが、それは半ば致し方ない理由だった。もし仮に、同じくSAOにいた御坂美琴のように剣を振り続けていたらどれほど上達したのだろう、と考え込んでしまった。しかし、そんな事情など知る由もないユージオは瞳を輝かせながらまくし立てるように続けた

 

 

「そんなことない!そもそもそれがすごいことなんだよ!カミやん、君の剣術の流派はなに!?その名前も思い出せない!?」

 

「り、流派…?そうだな…」

 

 

またしても頭を抱えて考える。特に流派はないのだが、自分が剣を振り続けた将来を考えたビジョンがどうにも脳裏に残る。上条は何度か首を唸って一呼吸置くと、少し勿体ぶりながら口を開いた

 

 

「強いて言うなら…『アインクラッド流』…ってとこだろうな」

 

 

それは上条にとって、ある種のリスペクトのようなものだった。例えあの世界で拳を握らずに剣を振り続けたところで、土台になるのはあの世界の剣術に他ならない。そう考えた末に、自分が使った剣技にそう名前をつけたのだった

 

 

「へぇ…不思議な名前だね。聞いたことはないけど、もしかしたらそれが君の先生の名前か、それとも暮らしていた街の名前なのかも」

 

「あはは、師匠に街なぁ…あながち間違いでもないか…」

 

「・・・ねぇ、カミやん。その…もしよかったら…!」

 

「剣術を教えてくれないか、って?」

 

 

ユージオの真っ直ぐな瞳を見て察した上条が聞くと、ユージオは少し驚いた様子をみせたが、すぐに何の躊躇いもなく首を縦に振った

 

 

「あ〜…そりゃ別にいいんだけどよ…さっきも言ったように俺ほんとに剣の腕が立つわけじゃないんだぞ?使える剣術だって覚えてて6つがいいところだ。それでも…」

 

「技の数なんて関係ないよ。僕はもう決めたんだ。たしかに禁忌目録では、『複数の天職を同時に兼務すること』は禁じられてる。これから僕が剣術を学ぶことは、今の自分の天職を…疎かにすることかもしれない…」

 

 

服が皺になるほど強く、ユージオは拳を胸元で握りしめていた。それはまるで、彼の心からの叫びのように上条には聞こえていた。ユージオは俯いていた顔を上げると、強い光と覚悟を宿した緑色の瞳で上条の眼を見据えると、掠れそうな声で言った

 

 

「・・・でも、それでも僕は強くなりたいんだ。もう二度と、同じ間違いを起こさないためにも。失くしたものを取り戻すため、僕はこの木を切り倒して剣士に…いや、整合騎士になって、アリスを助けに行くんだ!」

 

「だからカミやん、僕に剣を教えてくれ!」

 

 

上条は思わず自分の目頭が熱くなったのが分かった。それほどまでに心が打ち震えた。目の前の少年の決意に、込み上げてくるものがあった。上条はそれをごまかすようにくっと笑うと、ゆっくりと頷いた

 

 

「わかった、任せろユージオ。だけど修行は厳しいぞ。なんたって教える俺がそもそも凡骨なんだからな」

 

「百も承知だよ。それがずっと、僕の望んできた道なんだ。よろしく、カミやん」

 

 

上条が悪戯っぽく言って右手を差し出すと、ユージオも少し口許を緩めてがっしりと彼の右手を握り返した。そして上条は突き刺していた青薔薇の剣を抜くと、持ち主であるユージオにそっと手渡した

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

上条がユージオに剣を教え始めてから5日が経過していた。剣術を教えるとは言っても、上条に剣道の覚えなど全くないので、大雑把な剣の振り方と、かろうじて覚えているソードスキルを、一先ずユージオに詰め込んだ。そしてユージオは上条から教わったそれを、格好の練習台であるギガスシダーにひたすら叩き込んでいた

 

 

「せいっ!やあっ!」

 

「ZZZZZZ( ˘ω˘ )」

 

 

そのギガスシダーの木陰で、自分が覚えている大方の剣術を教え終わった上条は昼下がりの惰眠を謳歌していた。体温をほどよく暖ためてくれる木漏れ日と涼しげな風に晒されては、襲いかかる睡魔に歯が立たなかったのだ

 

 

「もう、カミやん。起きてちゃんと僕の剣を見てよ。もう今日で200回は振ったよ?」

 

 

そんな彼を見かねたユージオは、ギガスシダーの根元に青薔薇の剣を突き刺して彼の元へ寄り、寝息を立てる肩を揺らした

 

 

「んぁ?無理言うなよユージオ…今を生きる大学生のカミやんさんが、5時半起きを一週間続けただけで十分快挙なんだぞ?その上朝から晩まで剣と斧を振るってんだから、昼寝の一度や二度は大目に見ても『ステイシア神様』は怒らないと思いますのことよ?」

 

「だ、ダイガクセイ…?新しい剣術か流派か何か?」

 

「流派…というよりも天職だな。まぁそんなことはいいんだよ。まぁそのカミやんさんの惰眠を阻害しようと思うほどには、剣が上達したのでせうかユージオ君?どれ、アインクラッド剣術その1、ホリゾンタルをいっちょカミやん先生に見せてくれよ」

 

「まったく、調子いいんだから。でも、自分の腕に自信がないわけじゃないんだからね。驚いて腰抜かしても知らないよ?」

 

 

そう言うとユージオは、ギガスシダーに歩み寄り、突き刺していた青薔薇の剣を抜いた。そしてこの5日間、手に持っている剣で刻み続けた末にその巨躯の6割ほどまでに届いた切り込みの前に立ち、剣を構えて深く呼吸をした

 

 

「ふぅーーーっ……はあああああっ!!!」

 

「ーーーッ!?」

 

 

剣人一体。そう呼ぶに相応しい、非の打ち所がない一太刀だった。ユージオの凛々しい姿に、上条は思わず息を呑んだ。水平に振られた青薔薇の剣は、ライトエフェクトを伴って光り輝き、ギガスシダーの樹木と天命をゴリゴリと削っていった。剣を振り終えたユージオは、その確かな手応えに口許を緩めると、清々しい表情で上条の方へと振り返った

 

 

「どうだい?自分で言うのもなんだけど、完璧だったんじゃないかな?ホリゾンタルは連続技の『シャープネイル』ほど難しくはないからね。まぁ、カミやんが教えてくれた通りにやってるだけなんだけd…」

 

「あ、あわわわわわわわわ………」

 

 

満足げに語るユージオがふと上条の表情へ目をやると、その顔は動揺と焦りで覆い尽くされており、本当に腰でも抜かしたかのように足腰がガクガクと震えていた

 

 

「あ、あれ?そんなに驚くことかな?多少買いかぶったとしても、剣術はカミやんの方が全然上手だと思うんだけど…」

 

「・・・う、後ろ…後ろ…」

 

「え?僕の後ろがどうかした……!?!?」

 

 

不思議そうに尋ねるユージオのことなど気にもとめず、上条は何かに怯えるように彼の背後を指差していた。その指先を追うようにユージオが振り返ると、そこにはミシミシと不気味に軋む音を立てながら葉を落とし、こちらに向けて倒れようとする巨樹の姿があった

 

 

「け、削りすぎたのかな…?もう幹がギガスシダーの自重を支えきれてない?ひょ、ひょっとしなくてもこれは…」

 

「あ、あぁ…」

 

「「死ぬううううう!?!?!?」」

 

 

ユージオは青薔薇の剣と竜骨の斧を、上条は青薔薇の剣の鞘を大慌てで拾い上げてその場から駆け出した。みっともない悲鳴をあげたのも束の間、ギガスシダーはオレンジ色に染まり始めた空を裂きながらゆっくり、ゆっくりと倒れ、大地に向かって頭を垂れていった

 

 

「「ぎゃああああああああ!?!?」」

 

 

再び巻き起こる悲鳴、そして雷でも落ちたかのような凄まじい轟音と砂塵。ついにその巨体を横たわらせた巨樹は、周囲の村や街に届くほどの地響きを引き起こした

 

 

「・・・い、生きてるかいカミやん…?それとも死んだ…?」

 

「し、死んだと思う…あぁ、川の向こうで父さんが手を振って…いや、上条刀夜さんはまだご健在だったな…」

 

 

そのありあまる衝撃の余波で、カミやんとユージオの身体はまるでボロ雑巾のように吹っ飛んだ。舞い上がった砂塵の中で二人はゴロゴロと丘を転がっていくと、ようやっと勢いが止まった先で、掠れた声のまま冗談を言い合っていた

 

 

「・・・とりあえず、おめでとうユージオ。なんやかんやあったが、樵の天職、アインクラッド流剣術見習い、一緒に卒業だ」

 

「・・・ねぇカミやん。これって夢じゃないよね?」

 

「もしも夢だったら、今吹っ飛ばされた時にとっくに覚めてるさ」

 

「・・・そっか。あは、あはははははは…あはははははははははははははははははははははは!!!」

 

「へっへ…あっはははははははははは!!!」

 

 

夕暮れの日差しが暖かい丘の上、少し離れた村の喧騒が耳に聞こえる中で、上条とユージオは仰向けになったまま、無邪気な子どものように何もかもを忘れて、ただ面白おかしく笑った。新しい物語の始まりに胸を踊らせながら、上条とユージオは自身を照らす夕陽が落ちるまでひたすらに、心の底から笑い続けた

 



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第17話 プロジェクト・アリシゼーション

 

「ここ最近、学園都市…あるいはALOで誰か一度でもアイツの姿を見た人はいる?」

 

 

ある日の夜、美琴はALOで自分の所属するパーティーが拠点にしているログハウスに、クライン、エギル、リズベット、シリカ、シノンを集め、開口一番に言った

 

 

「アイツ…ってもしかしなくてもカミやんのことよね?たしかに…言われてみれば最近見てない…わよねシリカ?」

 

「そうですね…以前はたまに学園都市で見かけることはあったんですけど、リズさんの言う通り最近は見てないですね。カミやんさんの学究会の発表はリズさんと一緒に見に行ったんですけど、会ったというか、カミやんさんを見たのはそれが最後でしょうか」

 

 

共有の円卓に備え付けられた椅子に腰掛け、まだ湯気が立っている紅茶のカップを片手に、自分の記憶を辿るようにリズベットが言うと、彼女の隣に座るシリカが言い、次いでエギルが口を開いた

 

 

「そういやウチの店にもしばらく来てねぇな。クラインはどうだ?」

 

「いんや?前に飲みに行こうってメールで誘ったんだが、そん時は学究会だかなんだかの準備が忙しくて無理だって断られちまってよ。そっからは俺も仕事が忙しくなっちまって連絡取ってねぇな。むしろミコトから連絡受けて今日ここにログインしたのが久しぶりなぐれぇだ」

 

 

自身のアバターの顎髭をいじりながらクラインが言うと、美琴は次にソファーへと腰掛けているシノンの方へと目配せし、その視線を受け取ったシノンも肩を少し浮かせ、両手の平を見せながらため息をついた

 

 

「私も見てないわ。近々GGOで第五回Bo Bが開催されるから、出場をけしかけてやろうと思ってはいるんだけど…前にここで見た時は学究会の資料書いてて、キーボードと真剣に睨めっこしてたから、軽く声をかけただけで辞めておいたわ」

 

「・・・やっぱり境目になってるのは学究会をやってた日…か…」

 

 

シノンの話を聞いた美琴は、机に両肘をついて組んだ手を鼻の下辺りに当てながら考えると、それぞれの供述に登場した行事の名を口にした

 

 

「はは〜ん?さては愛しのカミやんの顔が見れなくてヤキモキしてるわねミコト?」

 

「・・・リズ、あんまりこんな風に言いたくはないんだけど、そんな冗談言ってられるほど事態は軽くないと思うのよ」

 

 

目を細めながらからかうように軽く言ったリズベットに対して、美琴は一拍置いて真剣な眼差しを向けながら言った。そんな彼女の表情を見たリズベットは思わず怯んだ

 

 

「そんなに騒ぎ立てるほどかしら?現に今だってクラインさんも久しぶりにログインしたって言うくらいだし、カミやんにも事情があったりするだけなんじゃないの?学究会が終わって燃え尽きてるとか…」

 

「その学究会が終わってから1週間、アイツと連絡が一切取れなくなっててもそう言えるかしら?」

 

「・・・えっ!?」

 

 

シノンの言葉を遮るように美琴が口を開くと、どこか上の空で会話を聞いていたシリカも驚愕の声をあげ、彼女以外の全員も美琴のその一言に怪訝な顔を見せた

 

 

「連絡が取れないっていうのは…電話じゃなく、メールとかもダメってことか?」

 

「ええ。ALOのメッセでも、現実の携帯のメールでもね。最初は学究会のあった日に、私もアイツの発表見に行ったから労いのメールを送って、返信がなかっただけなのよ。でもその日は学究会を聞いてた他校の生徒とか教師からの質問のメールもあるだろうし、仕方ないかなって思ってたの」

 

 

エギルの質問に対して、首を縦に振ってから話す美琴の表情は、誰が見ても分かるほどに曇っていた。そのせいもあってか、ログハウスの中どころか、周りすらも異様な空気感が支配し始めていた

 

 

「私はそれから3日間、毎日ALOにログインしたり、第七学区を適当に歩いてみてもアイツに会えなくてね。だから夜に試しに一回電話してみたのよ。だけど、出てくれなかった。ALOのログは学究会の2日前くらいで止まったままだから、現実で生活してるのは間違いないのに」

 

「ぐ、偶然なんじゃねぇの?そん時は風呂入ってたとか、酒でも飲んでたとか…」

 

「それから今日までメール34通、電話15回をわざとスルーされてたなら、私のメンタルがバキバキになるだけで済んだんだけどね」

 

「お、おぉ…そうか…」

 

 

まだ事の重大さを感じ切っていないクラインに対し、美琴が皮肉を交えながら言った。そしてそこまで細かく把握していることに、クラインが少し引き気味で呟いた

 

 

「それこそ偶然なんじゃないの?携帯が壊れてて連絡が取れないとか、私もGGOの事件で実感したから言うけど、あんまり人の事情を詮索しすぎるのも良くないんじゃない?」

 

「私も…帰還者学校に通う身としてはそう思います」

 

「・・・そうね。私も、最初はそう思ってたのよ」

 

「そうよ、シノンとシリカの言う通り。間抜けのカミやんの事だし、そのうちひょっこりここにも顔出すわよ。はい、これでこの話はおーしま…」

 

「だけどこの1週間、学園都市のどの監視カメラにもアイツの姿が映ってなかった時は流石に焦りを覚えたから、私は今日ここにみんなを集めたのよ」

 

「「「!?!?!?」」」

 

 

リズベットが強引に話を切り上げて席を立とうとしたところに、美琴が今回の話の核心を突いてきた。その一言に、美琴以外の五人は全身から血の気が引いていった

 

 

「が、学園都市のどの監視カメラにもって…学園都市全体のこと言ってんのかミコト?さ、流石に冗談キツくねぇか?学園都市中の監視カメラつったら何万…それこそ何十万台はあるぜ?それしらみ潰しに全部調べたってーのか?」

 

「一昔前の刑事ドラマの見過ぎよクラインさん。今の学園都市の技術なら、書庫から調べようとしてる人のデータを監視カメラに照合させれば一致した人を勝手に割り出してくれるのよ。その何十万台ある監視カメラのデータを集めるのだって、私の能力と風紀委員の初春さんと、その初春さんの手塩にかけられた佐天さんの技術を合わせれば造作もないことだわ」

 

「じゃ、じゃあ学園都市の外に出たとかよ…いやそれこそ監視カメラに映らなきゃおかしいし、そもそも外出許可取るし…あ〜…」

 

 

あっさりと論破されてしまったクラインが頭をガシガシと乱暴に掻いた後で押し黙ると、続いてシリカが美琴に意見を呈した

 

 

「話の重大さはそれなりに理解しました。それで話の腰を折るようで悪いんですけど、カミやんさんの家とか大学に行ってみたりはしたんですか?私は監視カメラとかを確認するよりも先に、そっちを調べた方が手っ取り早いと思うんですけど…」

 

「もちろん調べたわよ。今の監視カメラ云々の発言は、その方がみんなに現状がいかに重大かを伝えるためのインパクトがあるだろうから引き合いに出しただけで、アイツの自宅と大学はいの一番に調べたわ」

 

「・・・んで、その結果は空振りだったわけね」

 

 

リズベットの言葉に対して、美琴は静かに頷いた。それから少しの間を置いて、なにかを思い出したようにハッとしたシノンが言った

 

 

「そういえば、学究会のあった日に、カミやんが大学でGGO事件の共犯の一人だった金本淳に襲われたって黄泉川先生が学校で教えてくれたわ。ひょっとしたらそれと関係が…って、それはカミやんが自力で解決したって言ってたわね…」

 

「ええ。私もその話をアイツの大学で聞いたの。だから持ち帰って風紀委員177支部の方でも調べてみたんだけど、別段その件はあっさり片付いたみたいで、特になんの問題もなかったみたい」

 

 

自分で自分の意見を否定したシノンに美琴が補足を入れると、普通にしていてもしかめ面に見えるエギルが、これまたバツの悪そうな顔をしながら口を開いた

 

 

「ある日を境に連絡も取れない、街中の監視カメラにも映ってない。そうなると、一番可能性が高いのは誘拐…か?」

 

「それこそあり得っこないわよエギル。学園都市の能力者を狙った誘拐事件とかは時たまあるらしいけど、無能力者のカミやんだったら、もし仮に誘拐されてたとしても目的は身代金じゃない?だったら一週間も身代金の要求とか、何かしらのコンタクトがないのはおかしくない?もしその要求とか事件性があれば今回の件を調べてる内に、アレやコレやとパイプで繋がってる風紀委員の方で何かしら情報があるはずよ」

 

「私もそう思いたかったんだけど、やっぱり一番可能性が高いのは誘拐だと思うのよ」

 

 

エギルの意見を否定していたリズベットの言葉に美琴が首を振ると、引き合いに出ていた誘拐の可能性を改めて肯定した

 

 

「ゆ、誘拐って…さっきもリズが言ってた通り、美琴のその口振りだと身代金の話はないのよね?他の目的になにか心当たりはあるの?」

 

 

シノンの質問に、美琴は数秒の間沈黙してからゆっくりと頷いた。そして深く呼吸を置くと、静かでありながら、どこか重みを感じる口調で言った

 

 

「・・・この中で、アイツの学究会の発表を聞いたのは、私とリズとシリカさんだけ?」

 

「「「・・・・・」」」

 

 

美琴の言葉に、五人それぞれが言葉なく顔を見合わせると、美琴に視線を戻してから全員で静かに頷いた

 

 

「・・・そう。二人とも、率直な感想を聞かせてほしいんだけど…学究会のアイツの発表を聞いてて、どう思った?」

 

 

名指しで問われたリズベットとシリカは、互いに数秒の間見つめ合った。そして、すっと目を閉じた後で美琴の方に向き直ったリズベットが最初に口を開いた

 

 

「その…最初の方はね、まじめな顔で仮想世界の未来を話すカミやんなんて全然らしくなくて、あたしとシリカは二人で少し笑いながら聞いてたのよ。でも、後半になるにつれて、アイツの発表を聞けば聞くほど…怖くなった」

 

「私もです。話の大半は難しくて理解できなかったんですけど、空席が目立っていた会場には不釣り合いなほどに、聞いていた全員が騒ついてたのはよく覚えてます。その雰囲気だけで、カミやんさんが語っていたモノがどれほど規格外なのかは、嫌でも伝わってきました」

 

「そ、そんなスゲエ内容だったのか?カミの字の学究会のレポートってやつは」

 

 

真剣な表情でそう語るリズベットとシリカを見たクラインは、とても信じられないといった態度で尋ねた。そんな彼に対して、美琴はコクリと頷いてから答えた

 

 

「正直言って異様だったわ。私は辛うじてそれなりに内容は理解できたんだけど、最初は信憑性がない突拍子な話だと思ってた。けど、話の終わり頃には自分の中にある疑う気持ちがほとんどなくなってた。それと同時に、コレは本当にアイツが考えたものなのか。もしそうだとしたら、アイツは仮想世界に革命をもたらすんじゃないか…とすら思ったわ」

 

「・・・つまるところミコトは、そのレポートを狙った誰かの手でカミやんが誘拐されたんじゃないか…と、そう思ってるのね?」

 

 

シノンの問いに、美琴はゆっくりと頷いた。そのただ首を縦に振るだけの動作に、その場にいた全員が最悪の状況を想像し、言葉を失っていた

 

 

「やっぱりそんな風には考えたくなくて、今日みんなを集めて聞いてみたのよ。ひょっとしたら誰かアイツを見かけたりしてるんじゃないか…なんて思ったんだけど…ね」

 

「うん、まぁそりゃ…そう考えるミコトの気持ちは分かるわよ。むしろあたしの方こそ、最初は冷やかしたりして…ごめん」

 

「う、ううん。いいのよリズ。まだそうと決まった訳じゃないし、まだ最有力候補の人に話は聞いてないから」

 

 

しおらしく謝罪するリズベットに、美琴は一旦表情を緩めてそう言った。そして、美琴が口にした言葉を疑問に思ったエギルが尋ねた

 

 

「最有力候補?まだ誰か聞いてないヤツがいるってことなのか?」

 

「うん、まぁね。でも大丈夫。その子には私からちゃんと事情を聞いた後にみんなに話すから。色々と混みいった事情があってね」

 

「そ、そうか…」

 

「出来れば私としても…あの子達に疑いの目を向けたくはないんだけどね…」

 

「・・・?あ〜…その、よ。俺はその学究会とかいうのに行ってねーから分かんねーんだけど、本当にそんなスゲーのをあのカミの字が書いたのか?確かにあの野郎は、仮想世界にはそれなりの理解があるみてーだけどよ、そういうのに関しちゃキリの字のがいくらか上というか…」

 

 

美琴が俯きながら何かを呟いていたが、特に気にもせずクラインが歯切れ悪そうにずっと疑問に思っていたことを口してみたところ、俯いていた美琴が顔を上げて話した

 

 

「私もそう思って、アイツの発表にあった…ソウルトランスレーション・テクノロジーについて色々と調べてみたのよ。でも、それらしい情報なんて一切なかった。とても信じられないけど、あれはやっぱりアイツ自身が考え出したモノなんじゃないか…そう思った時だった」

 

「・・・え?」

 

 

話を締めようとしたところで、美琴は180度話題を変えるような明るめの口調で言った。その口調に少し驚いたシリカが素っ頓狂な声を上げ、五人は今以上に食い入るように美琴の話へと耳を傾けた

 

 

「ソウルトランスレーション・テクノロジーそのものについてはなんの情報もなかった。でも佐天さんが都市伝説の掲示板で、フラクトライトに関して1つだけ、とある話を見つけてきたのよ」

 

「と、都市伝説って…そりゃカミやんのあの発表自体が都市伝説っぽいところはあったけど、そんなマユツバなもんアテにしていいわけ?」

 

「それに関しては私も同意見。だけどよくよく考えたら私って、佐天さんに話を聞いたり、巻き込まれたりしてるウチに学園都市の都市伝説と結構エンカウントしてるのよ。だから学園都市にまつわる噂みたいなものって、あながち全部が全部噂とか、空想上の産物って片付けるのは早計だと思うの」

 

「じゃあその都市伝説って、具体的にはどんな内容なの?」

 

 

シノンに聞かれた美琴は、左手をスライドしてメニュー画面を呼び出すと、ブラウザを起動して件の都市伝説掲示板サイトを開き、五人の手元へウィンドウを飛ばした。そして各々が目を通していく中で、淡々と語り始めた

 

 

「これがその都市伝説。学園都市が秘密裏に進めていたと言われている計画の内の一つ。事の発端は4年前のSAO事件が起きる少し前のこと。第三次世界大戦の幕開けが懸念されていた頃の話」

 

「アイツのレポートの場合は、仮想世界とフラクトライトが一緒になって出てきたけど、この都市伝説が言う内実はその逆。学園都市は仮想世界を作り出した頃には、とっくにフラクトライトの存在に気づいていた。そしてそのフラクトライトを用いて、ある新型の人工知能の開発を学園都市は秘密裏に画策していたらしいわ」

 

「けれど、その人工知能の活躍の場として期待されていた第三次世界大戦が開戦に至らなかったことで、結局この計画はお蔵入り。それどころか、SAO事件が起こってからは仮想世界に関する都市伝説の情報はSAOの事ばかり。おかげで佐天さんはこの話を探すのにかなり苦労したみたい」

 

「・・・なるほど。胸糞悪い話だが…都市伝説と捨て置くには確かに早計だな」

 

 

一足先に掲示板の全文に目を通したエギルが、腕を組んでため息をつきながら言った。そしてそれに続いて、首筋に冷や汗を滲ませながらシリカが口を開いた

 

 

「これってつまり…この計画が行き着く先に誕生するAIって…!」

 

「戦争で人を殺せる…人工知能…?」

 

 

震えた声で聞くリズベットに、美琴は静かに頷いた。そして自分も手元のウィンドウへと視線を落とし、その続きを読み上げた

 

 

「汎用型人工知能を超えた人工知能。その名も『Artificial Labile Intelligent Cyberneted Exsistance』。それぞれの頭文字を取って『A.L.I.C.E』」

 

「・・・『人工高適応型知的自立存在』…ね。言い得て妙というか…もはや末恐ろしいわね。そんな代物を考えついたこの都市が」

 

 

美琴が放った英単語の羅列を瞬時に翻訳したシノンがバツの悪そうな顔で言った。そして美琴が話をまとめ上げるように、どこか重みを感じさせる口調で言った

 

 

「この都市伝説で語られてる計画の究極の目的は、この人工知能A.L.I.C.Eを生み出すこと。それが…」

 

「『プロジェクト・アリシゼーション』」

 

 



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第18話 修剣学院

 

「1年間の総ざらいだ。そのつもりで来いカミやん」

 

 

えー…この場は上条さんによる自分語りの提供でお送りいたします。ルーリッド村を出てはや2年が経過しました。俺とユージオはザッカリア剣術大会で優勝を果たし、ザッカリアの衛士隊へ入隊。その後、まぁ特に目立った活躍したかと言われりゃ特に覚えもないが、若い俺たち二人組の頑張りに目を見張った衛士隊のお偉いさんが『北セントリア帝立修剣学院』なる剣の学び舎へ推薦状を書き、断る理由も特にないので入学試験を受けて合格。入学及び入寮したのであります。それが丁度一年前

 

 

「オッケーです、『リーナ先輩』」

 

 

それから1年間、私こと上条当麻はユージオや目の前で手合わせしている超絶美人な先輩と共に、剣の修行に励んでいたわけであります。俺自身もSAOではあっさり剣を捨てて拳を握ってしまったため、自分の剣の才能がどれほどのモンなのか、果ては自分がもしも必死に剣術に励めばどれほど大成するのか…なーんてSAOを体験した身からすれば密かに気にはなっていたので、この修剣学院で過ごした一年は良くも悪くも様々な刺激に溢れていてそれなりに楽しかった訳です

 

 

「ーーー始めっ!」

 

 

そんでこれは…まぁ持論になってしまう訳ですが、俺自身が普段身をもって実感しているように人には運気の差があり、無能力者である手前、人間には向き不向き、才能の差がかくあるものだと思うわけです。え〜…折角の自分語りで悦に浸っているところ名残惜しくはあるのですが、妙に長ったらしいのも苦手なのでこの辺で締めたいと思います。結論から申し上げますと、私こと上条当麻には………

 

 

「はあああああっ!!!」

 

 

剣の才能はなかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「くあああぁぁぁ…」

 

「欠伸をするならせめて口を閉じなよ、カミやん」

 

 

アンダーワールドの太陽、『ソルス』が頂点に差し掛かる少し前、特大の欠伸を奥歯から噛み殺しながら、上条はユージオとセントラルの市場を練り歩いていた。様々な店に食べ物や装飾品、娯楽品が立ち並び、多くの住民で賑わうその光景はさながら王道RPGの城下町を連想させるほどだった

 

 

「いやぁこればっかりはなぁ…なんせ農場の藁で眠る生活が長すぎたせいでベッドが気持ち良すぎて眠りが深いんだよ」

 

「まぁその気持ちは分からないでもないけどね。でも学院の寮に入って一年経つんだよ?藁で眠ってた時間ともうほとんど変わらないじゃないか」

 

「おぉ、もうそんな経つのか…しかし、我ながらよく俺たち二人ともザッカリアの剣術大会で優勝できたこった」

 

「何言ってるんだよ。僕に剣を教えたのはカミやんなんだから、そうでもしてくれないとアインクラッド流の示しがつかないよ」

 

「ユージオは俺を買いかぶりすぎだよ。俺が剣術大会の決勝で勝てたのは、相手の流派の『秘奥義』が単発技で、俺の使った『スネーク・バイト』が二連続技だったってだけ。実力ってより技の勝ちだ。今じゃ俺なんかよりユージオの方がよっぽど強えよ」

 

「そ、そんなことないと思うけど…それに、技の違いだって言うなら、技だって立派な実力の内だと僕は思うよ」

 

「謙遜すんなって。いい機会だ、なんだったら後で一回本気で立ち合ってもいいぜ?今日は安息日だけど、別に一度くらいは…」

 

「ほう?私はお前をそんな規矩準縄を重んじない人間に育てた覚えはないぞ、カミやん」

 

 

市場を歩く二人に横から声をかけたのは、上条達と同じくらいの背丈に、腰のあたりまで伸びたダークブラウンの髪をポニーテールで結い、桜色を基調にし、少し紫を覗かせるワンピースを着た麗しい女性だった。その女性、『ソルティリーナ・セルルト』を目にした途端、上条は背筋を伸ばして焦るように口を開いた

 

 

「おっ、おはようございますリーナ先輩!いえ、今のはそのなんというか、言葉の綾と言いましょうか…!えっとですね…!」

 

「冗談だよ。こんなところで会うとは奇遇だな。そちらの君は…ユージオ君、だったかな?カミやんから話は聞いているよ」

 

「あ!はい!お目にかかれて光栄です!ソルティリーナ上級修剣士殿!」

 

 

リーナに声をかけられたユージオもまた、上条ほどとはいかないが背筋を伸ばして顎をひき、ハキハキとした口調で返事をした

 

 

「ふふっ、そんなに緊張するな。そこの私の『傍付き』が言っていた通り、今日は安息日だろう?」

 

「ソルティリーナ先輩は、今日は何の用事で?」

 

「私か?実家に帰っていたのだが、買い出しを頼まれてしまってね」

 

「お、お手伝いいたしましょうか?」

 

 

手元にある小包を見たユージオは、一歩前に出てそう聞くと、リーナは少し面食らった表情を浮かべたが、フッと笑ってからユージオに言った

 

 

「君がか?君は『ゴルゴロッソ・バルトー』殿の傍付きだろう?」

 

「で、出すぎた事を…失礼しました!」

 

「それに、もし名乗りでるとしたら私の傍付きが先じゃないか?」

 

「そ、そりゃもちろんですとも!今のはユージオに先を取られただけですのことよ!?」

 

「まったく口だけは達者だなお前は…気持ちはありがたく貰っておくよユージオ君。だが、大した物は買わないので大丈夫だ。折角の安息日くらい、仕事を忘れていいのだぞ?先のカミやんへの言及の意味も含めてな」

 

「き、肝に命じておきます…はい…」

 

「と言っても、その仕事ももうお終いか…私達は卒業だからな」

 

 

ガックリと肩を落として、後ろ頭を掻きながら言う上条に、リーナは少し微笑むと喧騒のやまない市場を見つめながら、どこか名残惜しいように言った

 

 

「もっと色々教えて貰いたかったです。リーナ先輩」

 

「そう言ってもらえると、先輩名利に尽きるよ」

 

「・・・明日からも、よろしくお願いします!」

 

「よろしくお願いします!」

 

「・・・あぁ、こちらこそよろしく頼むよ」

 

 

そう言って上条とユージオは、腰の角度がほぼ直角になるほど深々と頭を下げた。二人していきなりハリのある声で言われたせいもあって、しばらく呆気に取られていたリーナだったが、先ほどまでの哀愁を感じる表情は既に見えなくなっていた。清々しげな口調で軽く手を振ると、彼女は市場の雑踏の中へと消えていき、上条とユージオはしばらく無言のままその背中を見つめていた

 

 

「・・・はぁ〜〜〜…」

 

「そんなため息吐くほど緊張することか?」

 

「だってソルティリーナ先輩綺麗だし、すごく迫力があるからさ」

 

「ははっ、そりゃ違いないな。稽古で手合わせする時のリーナ先輩の気迫は凄まじいの一言だからな」

 

 

リーナと別れてそのまま市場の奥へと歩を進めていく上条は、ユージオの言葉に日頃のリーナとの鍛錬を思い出し、少し苦笑しながら言った

 

 

「ゴルゴロッソ先輩の気迫も凄いんだよ。僕、なんだかんだ一年間の稽古で先輩から一本も取れたことないんだよね」

 

「そんなんカミやんさんだって同じだよ。リーナ先輩の強さたるや、アレで次席とか世の中どうなってんだか。主席の『ウォロ・リーバンテイン』先輩は一体どれだけの怪物なんですかねぇ…」

 

「本当だよね。僕たちが先輩に勝つところなんて、想像もできないよ…」

 

「全く、なんでそんな優秀なリーナ先輩が俺みたいなのを傍付きに指名したんだろうか…永遠の謎だよなぁ…」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「やっ!はっ!」

 

 

日も暮れ始めている中、上級修剣士寮の修練場では、上条当麻と彼の先輩に当たる人物、紫色でカスタムした学院の制服に身を包み、茶色の髪をポニーテールで結わえた麗人『ソルティリーナ・セルルト』が練習用の木剣で互いの剣術をぶつけ合っていた

 

 

「せいっ!」

 

 

リーナが気合の掛け声を発しながら連続で木剣を振る。上条はその剣筋を瞬時に見極め、攻め入る連撃を自分の木剣の刃ではたき落としていく。アンダーワールドに数ある流派の中でも、リーナの扱う『セルルト流』はかなり実戦的な剣術であり、これまで数々の仮想世界で戦ってきた上条と言えど、彼女が繰り出す剣技を防ぐのには四苦八苦せざるを得なかった

 

 

「でやっ!」

 

 

だが上条もそれだけでは終わらなかった。リーナの剣を防ぎきった上条が、勢いよく彼女の懐に飛び込んだ。だが上条の振る木剣はリーナに悉くかわされ、身体を捉える手前で彼女の木剣に防がれてしまう。そして上条が息を整えるために一歩後退すると、リーナはおもむろに後ろ腰に巻いていた鞭を左手に取った

 

 

「・・・それいっちゃいます…?」

 

「まぁ、これが最後だしな。少しくらいいいだろう?一年間の総ざらいだと言った」

 

「ごもっともで…お願いします!」

 

「しっ!!」

 

 

まるで気性の荒い蛇の如く、リーナが振るった白革の鞭が空気を裂きながら上条へと襲いかかった。この鞭はリーナが長剣以外で最も得意とする武器であり、動きには一切の淀みがない。間合いを物ともしないこの攻撃は確かに脅威だが、鞭の長さ故に初動から命中までのタイムラグが存在し、それをおよそ一年間見てきた上条にとってそれを躱すのは難しくなかった

 

 

「遅いっ!」

 

「そりゃこっちは片手なわけで…!?」

 

 

しかし、彼女が左手に鞭を取った後も右手の木剣は健在で、その双方を見切るのは流石の上条でも骨が折れた。やがて一進一退だった攻防が崩れ、上条が防御に徹し始めた

 

 

「ちょっ…!?」

 

「やあっ!!」

 

 

それを好機と見たリーナは、鍔がかち合った木刀を押し込み、ドン!と左足を踏み込んだ。そして木剣が翡翠色に輝き、セルルト流秘奥義『輪渦』を放った。その力強い押し込みに態勢を崩した上条には、ソードスキルの力を得た彼女の木剣を受け止めるだけの力は残っておらず、手にしていた木剣を弾き飛ばされてしまった

 

 

「・・・はぁ、流石ですね。リーナ先輩」

 

「お前も成長したな、カミやん。少なくとも鞭への対処は非の打ち所がない」

 

「いやいや、まだまだですよ。今のだって結局は押し負けたんですから」

 

「謙遜するな。稽古を始めた最初の頃とは見違えたではないか。それに最後だから言うが、アインクラッド流にはまだ私に見せていない『先』があるのだろう?」

 

「・・・まぁ」

 

 

リーナのその言葉に、上条は思わず喉を詰まらせた。たしかに上条がSAOから持ち込んだソードスキルは片手剣汎用型のものだけでも両手の指では数え切れない。しかし、上条がアンダーワールドで再現できたソードスキルは、片手剣汎用のなかでも三連撃までが限界だった。彼女の言う『先』という言葉に、自分の使えない技を含めていいものか思い悩んだ上条は、これといった答えを出せずにいた

 

 

「・・・えと…それは…」

 

「いや、いい。そのまま聞いていてくれ。一年前に私がお前を傍付きに指名したのは…いや、これは言わないでおこう。今のカミやんにこれを言うのはむしろマイナスだ」

 

「そ、そこまで言われると逆に気になるんでせうが…」

 

「ははっ、許せ」

 

「入学試験の順位だってユージオはまだしも、俺なんか上位12人中ギリギリのギリで12位ですよ?どうしてそんな俺なんかが次席のリーナ先輩の目に留められたのか、1年間それがずっと気がかりで、どうも何か裏があるんじゃないかと…」

 

「確かに傍付き指名制度を持つ特待生である上級修剣士は、進級試験の上位12名からなり、その席次順に指名を行う決まりになっている。だが指名される側の12人の初等練士に順位は関係なかろう。選ぶのはこっちの自由だ。それに、お前の剣風やアインクラッド流の剣技を見て、自分の剣術や流派がまだまだ未熟だったことを、私は嫌でも思い知ったよ」

 

「え、ええっ!?そんな、リーナ先輩は強いですよ!俺は結局、この1年間リーナ先輩からは一本も取れなかったじゃないですか!?」

 

「あぁ。だから私も二年間、ついにあやつを…ウォロを一度も凌駕しえなかった。君の言う通り『次席』のままでな」

 

「・・・・・」

 

 

上条に背を向けたまま語るリーナの背中は、女性とは思えぬほどの大きさで、生まれてからどれほど剣の鍛錬に打ち込んできたかを物語っていた。しかし、そんな彼女の背中も今だけは言いようのない不安が影を落としているように見えた

 

 

「正直に言おう。私はウォロと相対すると…竦んでしまうのだ。どれほど修練しても、あの剛剣を受け切れるという確信を我が身に宿すことができない。初等練士の頃から…いや、二年前の入学試験で初めてヤツの剣を見た時から…ずっとだ」

 

「先輩…」

 

 

弾き飛ばされた上条の木剣を拾い上げながら語る彼女の声は、とてもか細く弱々しいものだった。そんな彼女の様子にいたたまれなくなった上条は、かける言葉が見つからずにただ自分の唇を噛み締めていた

 

 

「だが、お前が私に勝てない理由は違う。お前自身も十分自覚の上だろうが、お前には剣の才能がない」

 

「・・・改めて言われると結構キますね」

 

 

それはこの修剣学院に入って一年で、上条が嫌というほど思い知った言葉だった。入学試験以外にもあった剣術の試験の結果のみならず、かつて自分が剣を教えたユージオにさえ劣る始末。周りとの差を感じ、上条が自分の剣の才能の無さに悲観するまで、そう時間はかからなかった

 

 

「だがそう悲観的になることもない。お前が私に勝てない理由は、剣の才能でも流派でもない。もっとお前自身という人間の根幹に関わる………」

 

「お、俺自身…?」

 

「っと…口を滑らせすぎたな。これ以上の言及は避けよう。正解を教わるのではなく、自らの手で導き出すのも、修練の一環だ」

 

「・・・そりゃまたなんとも難題なことで…」

 

「そう言うな。教えてやれるのはこれが最後なんだからな」

 

「だったら難題を残していくリーナ先輩は先輩としてどうなんです?」

 

「ヒントをやっただけ優しい方だろう」

 

 

少し微笑みながら言うと、リーナは木剣を上条の方へと投げ渡した。胸元に飛び込んできた木剣をしっかりと掴むと、上条は木剣の柄を握る右手を訝しげに見つめ、視線をリーナの方へと戻し、何かを決意したように口を開いた

 

 

「じゃあその教えとヒントのお返しとして、俺からも一つプレゼントを贈らせて下さいよ」

 

「プレゼント…というのは?」

 

「まぁ端的に言えば…この一年の集大成もかねて、今の俺…ひいては今のアインクラッド流が見せられる最高の技を見せます。どちらにせよその内完成させなきゃいけないと思ってたんで、良い機会です」

 

「私としては別に構わないが…明日は安息日だぞ?未完成の剣技をどう完成に仕立てるつもりなんだ?そもそも剣技が贈り物だなどという話は聞いたことがないが…」

 

「げっ、マジか!?明日って安息日だったのかよ!?で、ですけど…それはほら!下準備ってことですよ!どんな贈り物するにせよ準備は必要でしょう!?そのための準備だったら別に剣技の練習だってOKですよ、きっと…ええ…」

 

「ふふっ、よもやこれまでの安息日もそのような言い訳で鍛錬に励んでいたのではないかと不安になるが、私が育て上げた一人前の剣士の晴れ姿が見れるのであれば…ありがたく受け取るよ」

 

「は、はい!喜んで!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・た、ただいま〜…誰もいらっしゃらない…ですよね?」

 

「おほん」

 

(・・・不幸だ…)

 

 

稽古を終えた上条は、おそるおそる初等練士寮の扉を開けてひっそりと中に入っていた。そして足音を極力立てないようにエントランスホールを歩いて行くと、ガラス張りのカウンターの奥に佇む20歳くらいの女性の視線を感じて即座に騎士礼を行った

 

 

「かっ!カミやん初等練士!ただいま帰着しましたぁ!」

 

「・・・刻限から38分ほど遅れているようですが?」

 

 

睨まれているこちらが凍りつきそうな視線を上条へ向ける女性は、この寮の寮監を務める『アズリカ女史』だ。彼女の視線に縮み上がりながらも、上条は騎士礼をとったまま意を決して口を開いた

 

 

「指導役・セルルト上級修剣士より、指導時間の延長を指示されましたので!はい!」

 

「修剣士の指導を受けるのは、傍付き練士の義務ですから止むを得ないでしょう。しかしカミやん初等練士、あなたの場合はそれを義務ではなく、門限破りの許可証と思っているのでは…という疑いをこの一年ついぞ晴らせませんでしたよ」

 

「い、いやぁ…そんなことないですよアズリカ先生。カミやんさんの目標はあくまで剣技の練達でありまして、門限破りはグリコのオマケ的な結果なわけで、そこを混同させているなんてことは決してないわけでありましてですね。そこのところも加味して寛大なご処置をいただけると、私と致しましては大変助かると言いましょうか…」

 

「その珍妙な言葉遣いの謎も、ついぞ晴らせず終いになりそうですね」

 

 

呆れたようにため息を吐いたアズリカを目の当たりにした上条は、これ以上の説法を阻止しようと後ろ頭を描きながらペコペコと頭を下げたが、どちらせよアズリカのため息の濃度を高めるだけだった

 

 

「はぁ…後17分で食事の時間です。なるべく遅れないようにしなさい」

 

「はい!全速力で行きます!」

 

 

ありったけ喉を鳴らして敬礼しながらアズリカに言い残すと、上条は一目散にその場から駆け出し、寮内の食堂へと向かっていった

 

 

「どうにもここの言葉使いには慣れねぇよなぁ〜…一年で大分染み付いたとはいえ、こんな軍隊だか貴族まがいなこと一般市民のカミやんさんには縁がなさすぎるぜ…まぁこの学院には実際に貴族もいる手前文句は言えないわけなんですがね…」

 

「あーっ、やっと来た。遅いよカミやん、僕もうお腹ペコペコだよ」

 

 

ひとりでに軽く愚痴をこぼしていると、食堂の扉の前で立っていたユージオが上条に声をかけ、上条は片手をあげて謝罪の意を示し、そのまま食堂へ入りテーブルへと向かった

 

 

「悪りぃなユージオ、待たせちまって。だけど別に先に食っててくれても良かったんだぜ?」

 

「それ何度目?そう言われて一度でも僕が先に食べてた時があった?カミやんが遅れるのは修練に集中している証拠じゃないか。それで怒れるほど、僕はアズリカ先生を見習えないよ」

 

「うーん、ユージオと結婚した人は確実にダメ人間になるだろうなぁ…」

 

「む、そんなことないよ。きっと僕は気が弱いから尻に敷かれちゃうよ」

 

「尻に敷いてる時点でその奥さんも大概ダメ人間だと思うけどな…さってと、今日の夕飯も美味そうだな〜」

 

 

根菜のスープや白身魚の並べられたテーブルの席に着くと、上条は律儀に両手を合わせ軽くお辞儀をした。ユージオも彼の隣の席に座ると、同じく手を合わせ軽く頭を下げ、二人で夕飯を口に運び始めた

 

 

「まったく羨ましい話ですなぁ!ライオス殿!」

 

「またですか、さいですか……」

 

 

上条が白身魚を、ユージオがパンを食していると、不意に背後から聞こえよがしの声が耳に入り、上条とユージオは見るからにげんなりとした表情になった

 

 

「我らが汗水垂らして掃除した食堂に、後から悠々とやってきてただ食べるだけとは、いや本当に羨ましい!」

 

「まぁそう言うなウンベール。傍付き練士の方々にも、きっと我らには伺い知れぬ苦労があるのだろう。平民出でなおかつ剣の才能が低いのであれば、その苦労は計り知れないのであろうなぁ」

 

 

そんな嫌味を上条とユージオの背後から垂れ込んでいるのは、『ウンベール・ジーゼック』という灰色の髪をオールバックで固めた四等爵家の貴族と、ウェーブのかかった金髪を垂らした三等爵家の『ライオス・アンティヌス』だった

 

 

「相手にすることないよカミやん」

 

 

貴族の二人からすれば、平民であるユージオと上条が、初等練士から12人しか選ばれない傍付き剣士であることが、平民の癖に生意気だと思っているのだろう。こんな小姑みたいな嫌味を言われるのはもはやしょっちゅうだった上条は、横で宥めようとするユージオすらも意に介さないように言った

 

 

「わーってるよ、俺に剣の才能がないのは事実だしな。後ろのお坊ちゃん達も、今でこそ順位は俺より下だろうが、どうせ上級修剣士からアレコレ支持されるのが嫌で、手抜きして試験受けてたんだろ。まぁだったら文句言うなって話なんだが…貴族が故のプライドで剣が上手くなるなら、そいつも少しは見習わないとねぇ…」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「セルルト、ここいいか?」

 

上条達が初等練士寮で食事をしている時と同じくして、リーナもまた上級修剣士寮の食堂で食事を進めていたところ、同じ寮生でユージオを傍付きにしている『ゴルゴロッソ・バルトー』が、彼女の座るテーブルに食事の添えられた盆を置いて声をかけた

 

 

「ロッソ…?珍しいな、一人か?別に構わないが」

 

「なに、どうせここでの食事も残り少ない。だったら話を聞いておかないと損だと思ってな」

 

「話を聞く?別に私の方からお前にしなければならない話に、別段の心当たりはないが?」

 

「いやなに、知的好奇心…というよりも上級修剣士になってからずっと気になっていたことがあってな。聞いてもいいか?」

 

「聞くだけなら自由にするといい。もっとも、私から満足な解答を得られるかどうかは保証しないが」

 

 

そう言うとリーナは、千切ったパンを貴族らしく上品に口元へと運び、音を立てないように噛み砕いて飲み込んだ。それを見たゴルゴロッソは、一つ咳払いをして口を開いた

 

 

「では聞くがセルルトよ、なんだってカミやんみたいなのを傍付きに選んだんだ?」

 

「・・・ほぉ?ゴルゴロッソ・バルトー修剣士殿。君は私の可愛い可愛い傍付きにケチをつけようと?平民出という意味で聞いているのであれば、ユージオ君を指導している君も私と似たような物だと思うが?」

 

「い、いやいや何もそんなつもりはない。だが、お世辞にもアイツには剣の才能があるとは思えなくてな。それを見抜けないお前じゃないだろう?そう考えたら何か理由があるのかと気になってな。何かあるんじゃないのか?カミやんを選んだ理由が」

 

 

そう問われたリーナは、口にしていたコーヒーのカップをソーサーへと戻すと、しばらく押し黙って何かを考えこんでいた。そして深く息をすると、再びカップを口に運びながら答えた

 

 

「・・・では聞くが、ロッソ。君はカミやんと一度でも手合わせをしたことがあったかな?」

 

「ん…いや、一度もないな。そもそも初等練士と上級修剣士が手合わせする機会なんぞ、そうあるもんじゃない。だが、カミやんがお前や他の奴との立合ってるのを見たことはあるぞ」

 

「道理で。カミやんの真価は見てるだけじゃ分からんさ」

 

「どういうことだ?」

 

「最初はただの気まぐれだったんだ。良い傍付きを探すために、手当たり次第に成績上位の初等練士と立ち合ってみたんだ。もちろんその中には後に君が教鞭を振るうユージオ君もいたよ。そしてやがて、カミやんと手合わせすることになった」

 

「い、いつの間にそんな…で、どうだったんだ?」

 

「剣の才能云々より前に、相手に攻めてもらわないと見定めるも何もないからな。最初は様子見でカミやんにどんどん打ち込ませた。その結果は…まぁ彼の剣は私にカスリすらしなかったよ。彼からは剣の才能をまるで感じなかった」

 

「じゃあなんで…」

 

 

彼女の言葉から、彼女が言う彼を指名した意図が読めず尋ねたゴルゴロッソに、ピシャリと話を切るようにリーナが言った

 

 

「話を最後まで聞け。カミやんの剣の才能を見限った私は、立合いを切り上げようと自分から攻めていった。形式上一本は取らないと終わらないからな」

 

「結論から言おう。私はその場でカミやんから一本も取れないどころか、剣の先を一度も彼にカスらせることさえ出来なかった」

 

「ほぉ、一度も………一度も!?な、なんだと!?一体なぜだ!?今では普通に一本取れてるんではないのか!?」

 

 

その当時を彷彿とさせるように、目の前のゴルゴロッソではなく、どこか遠くを見つめながら口にしたリーナの言葉に、ゴルゴロッソは思わず自分の耳を疑い、鋼の肉体を乗り出しながら言った

 

 

「それは今の話だ。カミやんの剣のクセもそれなりに分かってきているし、連続で何本もやれば疲れだって出る。それで一本取れない方がおかしいものだ。だが最初の立合いでは、本当に一太刀すら当たらなかったよ」

 

「今でもたまに思い出すのさ。自分から攻めていこうと剣を構え直したまではいい。だが、いざ攻めようとしても攻められなかった。理由は至極単純だ。全くと言っていいほど、彼には隙がなかったんだ。どこにどう打ち込んでも、私にはあっさりと自分の剣が防がれるビジョンしか浮かばなかったんだ」

 

「そ、そこまで言わしめるほどか…」

 

「けれど、それでは剣士として名折れだ。そんなものは蒙昧だと自分を鼓舞して打ち込んでみたさ。けれど、やはり私の中のビジョンは間違ってなかった。何度打ち込んでも私の剣はカミやんの剣に弾かれてしまった」

 

「まるで悪い夢でも見ているかのようだったよ。生まれてからこの歳まで死に物狂いで修練を重ねてきたのにも関わらず、目の前にいる自分よりも年下の、明らかに才能のない者に自分の剣をいとも簡単にはたき落とされるんだ。たった一本、だがその一本を取るまでが果てしなく遠い道のようだった」

 

「結局私はその場で彼から一本取ることは無理だと判断し、プライドを捨てて自分から勝負を降りた。そしてカミやんを傍付きに指名したんだ。無論、自分の腕を更に伸ばすためでもあるがな。まぁ、ザックリ言えばそれが理由だよ」

 

 

そう言って締めくくると、リーナは残っていたコーヒーを一口飲んだ。そしてそれに納得したように頷いたゴルゴロッソだったが、それでもまだなにか不服があるのか、首を傾げながら再び聞いた

 

 

「なるほど、百聞は一見に如かず…というところか。であるならば尚のこと解せないな。そこまで卓越した防御があるなら、なぜそこまで攻撃の才能がないのだろうな?むしろ防御の方が技術的には難しいだろうに。言うほど剣の才能がないということはないんじゃないか?」

 

「いや、ヤツに剣の才能はないよ。それは間違いない」

 

「なら……」

 

「私が思うに…彼の天職は剣士ではない。いや、天職というよりも本質だな。彼という人間の本質は、剣を取るには値しない」

 

「カミやんの護りは、彼自身の闘争本能…ひいては戦闘センスとでも言うべき代物だ。まるでこちらがどのように攻撃するかを分かっているかのように、こちらの攻撃に対して忠実かつ完璧に防ぐ。まぁ、私の直感のようなものだがな」

 

「だが、もし私の直感が当たっていたとして、彼が自ら剣を捨て、本質たる『何か』をその手にした時のカミやんは、おそらく…」

 

「お、おそらく…?」

 

 

自分の言葉を追ってくるゴルゴロッソに対し、リーナはすぐに返答することはなかった。そしてカップの底を遮る、黒が深いコーヒーへと視線を落とすと、その表面に立つ波紋を訝しげに見つめながら小さな声で呟いた

 

 

「『怪物』だよ。文字通りのな」

 

 



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第19話 学院最強の男

 

「げっ、コイツもう天命尽きそうじゃねぇか。やっぱ安モンはダメだな……」

 

 

リーナと最後の立ち会いを終え、最高の剣を見せると約束した翌日の昼頃、上条は安息日にもかかわらず学院の中庭で、木剣ではない鉄で作られた両刃の鉄剣を振っていた

 

 

「やっぱ素直にユージオから青薔薇の剣を借りとくんだったかな…でももし仮にここで練習してんのがバレたら、俺に剣を貸したユージオまで怒られそうだからな…それはちょっと後味が悪すぎる」

 

 

上条が手にしているのは、鉄で出来た剣とは言っても、神器ではないかと疑われる青薔薇の剣とは、値段も、要求されるコントロール権限も段違いの、街の武具屋で気軽に買える剣だった。しかし値段が値段故に、中古なのか新品なのか分からないほどステイシアの窓に示されている天命は青薔薇の剣とは比べ物にならないほど低く、自分の貧乏さを愚痴る他なかった

 

 

「俺のオブジェクトコントロール権限だってそれなりに上がったってーのに、肝心の得物がこれじゃあなぁ…」

 

 

上条はため息混じりに呟くと、中庭の芝生にドサッと勢いよく腰を下ろして座り込んだ。そして右手を剣に添えて意識を集中させると、慣れた口調で神聖術の起句に続いて式句を唱えた

 

 

「システム・コール。ジェネレート・メタリック・エレメント」

 

 

それは『素因』を発生させる神聖術の一つだった。上条の唱えた神聖術はアンダーワールドの要所で発生する『空間神聖力』から、鉄と同質の『鋼素』を生成する術だった。それを唱えた上条の右手に白銀の色合いの光が集中すると、ボロボロだった鉄剣の刃毀れや錆がいくらかマシになり、僅かながら光沢を取り戻した

 

 

「これでよし。まぁしばらくの誤魔化しにしかならんけど。『システムコントロール権限』がオブジェクトコントロール権限と同じだったら、もっと高位の術使えんだけどなぁ…まぁどっちにしろ剣を生成するのは無理だろうけど…」

 

 

上条の言うシステムコントロール権限、ステイシアの窓に記載される己のステータスの三段目にある『System Control Autholity』という項目が、扱える神聖樹の範囲を示した値であることに気づいたのは、上条とユージオが衛士隊にいた時の事だった

 

 

「まぁ、魔術やら能力やら、果ては仮想世界の魔法すらも無縁だった俺にとっては、神聖術が使えるだけ儲けモンか。流派につき一つの秘奥義も、俺とユージオのアインクラッド流には6つもある訳だし…まぁ俺が6つしか再現出来てないだけだが…」

 

 

約一年前、衛士隊から学院へ推薦してもらえると知った上条とユージオは、来たる入学試験に向けて二人でもっぱら独自で神聖樹の習得に励んでいた。そこで上条が最も驚いたのは『自分に神聖術が扱える』ということだった。しかし、全てが使えるわけではないと分かるや、このシステムコントロール権限が神聖術に影響する値なのだと分かるのに、そう時間はかからなかった

 

 

「・・・神聖術が異能の力なのか、システム的なものなのかついぞ分からないままだけど、特に恩恵がないのも鑑みるに、多分この右手もただの右手なんだろうなぁ…まぁそうでやきゃ神聖術も使えねぇだろうし。あんだけ疎ましかったのに、なきゃないで少し寂しいモンだ。いっそのこと、ここも『修剣学院』じゃなくて『修拳学院』になんねぇかなぁ…」

 

 

などと下らないダジャレを言いながらため息を吐くと、上条自身のアイデンティティーを失った、正真正銘『ただの右手』をソルスに翳しながら、雲の流れていく蒼穹を仰いだ

 

 

「この世界にも…もう丸2年いんのか。SAOん時より実感わかねぇなぁ…これで最悪FLAが働いてなかったら、俺はまた二年分も歳食ってんのか?頼むからから留年だけは勘弁願いたいぜ……」

 

 

普通であればまた二年間も仮想世界に閉じ込められていれば死にものぐるいで現実に戻る方法を模索するのだろうが、上条はそうしていなかった。最初こそ戻る方法をあれこれ考えていたのだが、このアンダーワールドに自分がログインさせられた目的すらも分からず、プレイヤーの仮想世界の体感時間のみを加速させるフラクトライト・アクセラレーションが機能していることのみを願って現在に至っている

 

 

「いっそのこと、ギガスシダー切り倒したらエンディングで良かったんじゃねぇの運営さんよ?それとも何か?央都に連れてかれて処刑されたはずだったアリスが実は生きてて、ユージオと運命の再会を果たしてやれば幕引き?いっそのことカミやんさんが剣舞大会、果ては四帝国統一大会で優勝して整合騎士とやらになって、ダークテリトリーの魔物を倒せばジ・エンド?剣の才能がイマイチの俺にそんなのは酷だぜ…」

 

 

今思えば、SAOはまだ100層攻略という具体的な目標があるだけマシだったのかもしれないと上条は思い始めていた。何にせよ今自分は出口が本当にあるのか分からない迷路に、丸2年もいるのだ。SAOは安全圏を超えれば常に『死』と隣り合わせだったが、そうではないこの世界でいつの間にやら危機感が薄れていっているのは、上条自身も分かっていた

 

 

「ま、愚痴ってても仕方ねぇわな。今出来ることを精一杯やればいいって結論出したんだ。ひょっとしたらリーナ先輩に四連撃ソードスキル見せたら大団円…ってまぁそりゃないかもしれんが、ここで完成させれば思わぬご利益があるかもしれねぇしな。どれ、もう一踏ん張り…」

 

「ほぅ、安息日まで剣を振るうとは感心なことだな」

 

「はい?げぇっ!?」

 

 

上条は声のする方へ振り向くなり、すぐさま剣を下ろして跪き、頭を下げた。それもそのはず、彼に声をかけたのは、学院に12人しかいない上級修剣士の主席、『ウォロ・リーバンテイン』その人だったからだ

 

 

「も、申し訳ありませんリーバンテイン修剣士殿!我が非礼なる行い、伏して謝罪致します!我が剣の才は凡人の域を出ることがなく、しかしてそれを理由に学院則違反である、安息日に剣を振るという行為は…その!」

 

「お前は確か…セルルトの傍付きだったな?」

 

「は、はい!カミやん初等練士であります!」

 

「そうか…」

 

 

安息日に剣を振るなど、『懲罰権』を持つ上級修剣士にバレれば懲罰は避けられないだろう。上条は頭を伏せながら腹を決め、どんな懲罰を言い渡されるものかとウォロの次の言葉を待った

 

 

「なに、伏して謝罪するほどのものではない」

 

「・・・はい?」

 

 

我ながら間の抜けた声だと上条は自分で思った。しかし、予想していたものとは余りにも異なった内容の台詞が飛び出し、どうしたものかと呆けてしまった

 

 

「安息日にまでひと目に隠れて剣の稽古をするという、その姿勢は嫌いではない。それ自体が学院則違反ではあるが、あれこれ理由をつけて安息日にも剣を握ろうとするのは、お前だけではないということだ」

 

「・・・えと、それはつまり…ウォロ首席殿も?」

 

「だが、ここは私が先に見つけた場所だ。卒業後は私の傍付きに譲る約束をしたのでな。お前は他の場所を探すことだ」

 

 

そう言って唇の端を綻ばせるウォロは、上条の瞳には五割増しでイケメンに映っていた。そんな彼に失礼はすまいと、上条は肩の力を抜いて満面の笑みで顔を上げた

 

 

「は、はい!それはもちろんです!寛大なご処置、ありがとうごz……」

 

「待て、礼を言うのは早いぞカミやん練士」

 

「・・・へ?」

 

「私は安息日に剣を振るうその姿勢は嫌いではない、とは言ったが一言も『不問に付す』とは言っていないぞ」

 

(不幸だ……)

 

 

やっぱりそんな美味い話があるわけないか…と心の中で特大の溜息をつき、改めて懲罰を言い渡される腹を決めるのと同時に、リーナへの約束を果たせない心苦しさを覚えた

 

 

「し、失礼致しました。どんな懲罰でも甘んじて受けると、この心に誓います」

 

「良い心がけだ。ではカミやん初等練士。懲罰は私との立ち合い一本だ。木剣ではなく、その実剣を使うといい。私もこの剣を使う」

 

 

ウォロは地面に置かれた上条の安物の剣を指差すと、続いて自分の腰に刺した長剣の柄を二、三度叩いて言った。その言葉の意味を理解するなり、上条は喉を鳴らして口を開いた

 

 

「わ、分かりました。俺も懲罰を受ける身ですから…一つお手柔らかにお願い致します」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「リーバンテイン殿!これはどういうことだ!」

 

 

夕暮れに差し替かった大修練場に、一際張りのある声が響いた。上条とウォロの立ち合いは、いつの間にやら学院全体に知れ渡り、大修練場は学院生で大賑わい。その事態を聞きつけた上条の指導性であるリーナが、ウォロを凛とした視線で問いただしていた

 

 

「見ての通りだセルルト殿。そなたの傍付きに、ちょっとした逸礼行為があってね。安息日に大仰な懲罰を科すのもどうかと思ったので、立ち合い一本で済ませるつもりだ」

 

 

その台詞にリーナは軽く唇を噛み、周りの院生からどよめきが起こった。そして試合場で未だに現実を直視しきれずにグルグルと観覧席を見上げる上条に、背後からユージオが声をかけた

 

 

「ちょ、ちょっとカミやん!これどういうこと!?一体全体なにやらかしたのさ!?」

 

「あ、あぁ…リーナ先輩に見せる予定だった技の練習してたらウォロ先輩に見つかって…気づいたらこうなってた……」

 

「み、見つかったって…はぁ〜。考えてみれば不幸の伝道師のカミやんが、この一年大事を起こしてなかった方が奇跡か…」

 

「自分でもそう思いますよ、ええ…」

 

 

もはやこの二年間でカミやんの不幸ぶりを知ったユージオは、もはや何の疑問を持つこともなく、二人してこの事態にため息をついていると、未だ血相が優れないリーナが上条へ声をかけた

 

 

「カミやん、立ち合いの『決め』はどうなっている?」

 

「え?そりゃ実剣での立ち合いな訳ですし、当然に寸止めだと…」

 

「あぁ、言い忘れていたな」

 

 

リーナが上条に言った『決め』とは、いわゆる取り決めのことだった。この学院では原則としては寸止めだが、双方が合意すれば初撃決着、打ち込みが一本入れば終了という決まりもある。それを問われた上条は、さも当然のことのように答えたが、それに対してウォロが口を挟んだ

 

 

「私は寸止めの立ち合いはしないのだ。太刀筋を鈍らせるだけだからな。院則で決まっている検定戦は仕方なく寸止めしているが、個人的な試合は全て一本先取を決めにしている」

 

「ええっ!?」

 

「焦るなカミやん。実剣の一本先取は例え懲罰権を持つ上級修剣士でも、双方の合意が必要不可欠だ。お前が断りさえすれば、奴とて無理強いは出来ない」

 

「そうとも。選択は君に委ねよう、カミやん練士」

 

「・・・えっと…じゃあ一つ質問いいですか?」

 

 

最悪の事態を予見した上条だったが、その言葉を聞いて少しだけ安堵した。しかし、そのままあっさりと引き下がっては、今も観覧席で汚い笑いを浮かべているウンベールやライオスといった、坊ちゃん連中に何と言われるか分からない。特に気にしないようにと思ってはいたのだが、流石にこのままではカッコつかなすぎると、意を決して言った

 

 

「許そう。なんなりと申してみるといい」

 

「な、なんでまた俺なんかと立ち合いを?こう言ってはなんですが、首席ほどのお方であれば、俺の剣の腕やら諸々の評判は少なからず耳に入っているのではないかと…懲罰といえど、なぜこのような立ち合いを求めるんですか?それも実剣で…」

 

「なに、単純な興味だよ。上級修剣士の間で、事あるごとリーナがお前の話をすると話題になっていたものでな」

 

「えぇ!?ちょっ!?リーバンテイン殿!」

 

「・・・?リーナ先輩が?俺の話を?」

 

 

ツンツン頭の上にいくつも?マークを浮かべる上条の後ろで、リーナはその顔を真っ赤に紅潮させ、ウォロを睨みつけながらワナワナと震えていた。そして観覧席でその様子を見ていた数人の女子が、ヒソヒソと耳打ちしながらピンク色の空間を発生させていたが、上条本人には知る由もなかった

 

 

「あぁ。寮の食堂で友人達に『私の傍付きは剣の才能はないがすごい。マトモにやれば一本取るのすら難しい』だとか、修練や立ち合いで納得いかなければ、修練場の端の方で『今のはカミやんだったらもっと上手くやれていた。私もまだまだ詰めが甘い…』と呟く程度にはな。私に次ぐ位置に席を置くセルルト殿に、そこまで言わしめる君という剣士の腕を、一度拝見したいと常々思っていた」

 

「ウォロォォォッ!!!」

 

 

羞恥心が限界に達したリーナは最早ウォロを呼び捨てにし、頬どころか首元まで赤くして恥ずかしさと怒りを露わにしていた。観覧席からは女子の黄色い声と、男子の舌打ちとブーイングが入り混じっており、大修練場はもはや混沌に包まれていた。しかし、上条はそんな周りの雑音など耳に入れず、ウォロの目を見据えて答えた

 

 

「・・・分かりました。そういうことであればその立ち合い、慎んでお受け致します。もちろん寸止めではなく、一本先取で」

 

「その言葉を期待していたよ」

 

「か、カミやん!本気なのか!?」

 

「大丈夫ですよ、リーナ先輩。それに、ウォロ先輩はリーナ先輩の評判聞いて俺に立ち合いを挑んで来てるんですから、ここで腰引いてたんじゃ、俺の指導生やってるリーナ先輩のメンツが立ちませんって」

 

「カミやん……」

 

 

心配そうな顔で見つめるリーナに対して上条は笑いながらサムズアップしてみせると、リーナも彼に頷いて不安の表情を取り払い、神妙な面持ちで告げた

 

 

「カミやん、私はお前を信じる。信じるが故に教えておく。帝国騎士団剣術指南役たるリーバンテイン家には、秘めたる家訓があるのだ。『剣を強者の血に塗らせ。されば強さは我が物とならん』…という家訓がな」

 

「・・・そりゃまたなんとも物騒な家訓ですことで」

 

「そうだ。ウォロは入学以前から、私領地で実剣による一本先取勝負を幾度となく行っているはずだ。その経験が、奴の恐るべき剛剣を生み出している。そして奴は…お前の剣力をも血に変えて吸い取り、糧とするつもりだ」

 

「やっぱり強さの鍵は『イメージの力』…ってことか…」

 

「・・・?」

 

 

上条の呟きに対し、リーナは首を傾げていた。上条はこの世界で垣間見れる『強さ』に、ある程度の目星を付けていた。それこそが呟きの中にあった『イメージの力』だった

 

 

(リーナ先輩の強さの理由は、『幼い頃から剣の英才教育を受けてきた負けないという自信』。だけど同時に、技が多彩すぎて公式試合向けじゃないセルルト流は『正統剣術を禁じられた傍流』だ…ってイメージが剣を縛っちまってる。それがウォロ先輩のイメージの場合は『剣に強敵の血を吸わせれば吸わせるほど強くなる』ってことか)

 

(まぁ、成るように成るだろ。こんなことならもっと学園都市で『自分だけの現実』の勉強でもしとくんだったかなぁ…)

 

 

上条はこのアンダーワールドの世界の強さの基準をイメージ、ひいては心の在り方による強さだと予想していた。しかし、それに気づいたところでそれをどう体現すればいいのか分からず、予想するばかりで実践には至っていなかった

 

 

「繰り返すがカミやん、私はお前を信じている。お前は私がこの一年、手塩にかけた後輩だ。あやつに容易く喰われるような生半な剣士に育てた覚えはない、とな」

 

「リーナ先輩…」

 

「それに昨日私にした約束、忘れたとは言わせないぞ」

 

「・・・そうでした。俺の最高の技を先輩に見せると約束しましたからね」

 

「ならば状況は少し変わってしまったが、ここで見せてくれカミやん。お前の持つ全てをここで解き放ち、北セントリア帝立修剣学院現首席、ウォロ・リーバンテインに勝て!」

 

「はいっ!」

 

 

今の事態はその約束によって起こってしまったのも一因ではあるが、一年間世話を焼いてくれたリーナにそこまで言われては、そんな無粋なことを言う気にはなれず、上条はただ深く頷いてその期待に答えると誓った

 

 

「そろそろいいかな、カミやん練士」

 

「すみません、お待たせ致しました」

 

「ではセルルト上級修剣士、立会人を引き受けてもらえないか?」

 

「・・・分かった。リーバンテイン上級修剣士とカミやん初等練士による一本先取の手合わせを、これより始める!」

 

 

リーナが凛とした声で宣言すると、大修練場に集まった院生は盛大な歓声と拍手で、試合場の開始戦へと踏み込んだウォロと上条を出迎えた

 



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第20話 イメージの力

 

「なお双方の合意により、今回の手合わせでは両者共に実剣を使用し、寸止めは行わない実戦形式によるものとする!」

 

 

その言葉を合図に、向かい合ったウォロと上条はほとんど同時に腰の鞘に収めた剣を引き抜いた。金茶色の柄と磨き上げられた鋼の刀身を持つウォロの剣には、周囲から「おおっ」という感嘆の声が上がった。しかしその後、見すぼらしい汚れが目立つ粗雑な材質の鉄で出来た上条の剣へと視線を落としたのか、周囲のそれはどよめきと不安の声に変わっていた

 

 

「おやおや、アレでは剣が当たった途端に折れてしまうのではないかな?」

 

「そう言ってやるなウンベール。平民出身の貧しい身分では、あのような剣が限度いっぱいなのだろう。もっとも、折られた自分の剣で怪我などしなければいいがね、あっはっは!」

 

 

などと観覧席のライオスとウンベールが皮肉を漏らすと、周囲の貴族出身から失笑が上がり、上条やユージオのような貴族でない院生は居た堪れない表情を浮かべていた。しかしその中で、ウォロの剣を誰よりも近くで見ている上条だけは、真剣な眼差しを失っていなかった

 

 

(この男、一体何者だ?)

 

 

どこの武具屋にでもあるような見すぼらしい鉄剣を中段で構える上条に対し、ウォロは自らが得意とする『ハイ・ノルキア流』の秘奥義『天山烈波』の構えを取っていた。彼の放つ威圧感は空間を振動させ、先ほどまで嘲笑が騒がしかった人間すらも押し黙らせていた。しかし正面に立つ上条だけは、そんな彼を見ても顔色一つ変えていなかった

 

 

(・・・間違いない。このカミやんという男…こうして相対して改めて分かるが、剣のセンスは全くない。であるにも関わらず、私がこの剣の糧にしてきた並みいる強者とは、比べ物にならないほどに…強い)

 

 

試合開始の合図を待つ中で、ウォロは確信していた。迷いのない眼光、まるで隙の見えない構え、大地にどっしりと根を下ろしたような堂々たる立ち姿に、今まで自分が出会ったどの剣士でも勝てない何かをこの男は持っていると確信していた

 

 

「始めっ!!!」

 

 

立会人のリーナが開始を宣言したにも関わらず、両雄は微動だにしていなかった。しかして場内にいる誰もそれを疑問には思わなかった。この二人の放つプレッシャーを肌で感じ取り、同じ空間にいるだけで恐怖していた。数秒だったのか、数分だったのか、はたまた数時間経っていたようにも感じる圧縮されきった空気の中で、上条の額とウォロの額から汗が一粒、地面へ落ちた。それこそが、二人にとっての本物の開始の合図だった

 

 

「カアアアッッッ!!!」

 

 

先に踏み出したのは、ウォロの方だった。裂帛の気合いと共に、SAOの両手剣スキル『アバランシュ』を原型にした、ハイ・ノルキア流秘奥義『天山烈波』が発動し、彼の剣が赤金色に光った

 

 

「うおおおっっっ!!!」

 

 

先に動いたのはウォロだったが、上条の初動の速さは決してウォロに負けてはいなかった。アンダーワールドはおろか、SAOですら一度も成功させたことのない片手剣四連撃ソードスキル『バーチカル・スクエア』の発動を心に決めると、力強い踏み込みで飛び込み気味に一撃目の前斬りを放った

 

 

「ヅッーーー!?」

 

 

その初撃はウォロの剛剣にあっさりと真下に叩き落とされ、剣を握る右腕にとてつもない衝撃が襲った。しかし、体勢を大きく崩さない限り、ソードスキル発動によるシステム・アシストは止まらない。上条は二撃目の真下からの斬り上げを断行した

 

 

「だあっ!!!」

 

 

体を懸命に捻りこみ、全身の筋肉を使って剣をぶつける。だが、上条渾身の二撃目もまた後方へと弾かれた。しかし、ウォロの剣の勢いが確実に落ちているのは明白だった。上条はもう一度歯を食いしばり、三撃目を真っ向からウォロの剣にぶち当てた。そしてついにガアンッ!!という凄まじい轟音を立て、ぶつかり合ったウォロの剣と上条の剣が空中で静止した

 

 

「ぬうっ!?くんっ!!」

 

「うおっ!?あ゛あ゛っ!!」

 

「と、止めたっ!!」

 

 

その光景を見たリーナは、つい反射的に叫んでしまっていた。ついぞ自分が止めたことのない秘奥義を、目の前の教え子が見事に受け止めたのを見て叫ばずにはいられなかった。どこか歓喜しているように見える彼女の表情とは裏腹に、懸命にウォロの剣に自分の剣を押し込む上条の心の内は穏やかではなかった

 

 

(畜生ッ!こっちが完全に止まった!勢いがまるでねぇ!やっぱ四連撃ソードスキルは無理だったか!?こっからどうすりゃいい!?)

 

 

上条の剣は辛うじてライトエフェクトこそ失っていなかったが、もはやそれも風前の灯火だった。彼の剣は既にシステム・アシストによる勢いと、ソードスキルたる威力を失っていた。それ故に、学院随一の剛剣と呼ばれるウォロの天山烈波を、半ば自力で受け止め続けるには限界があるのを悟った

 

 

「行け!カミやん!押し切れ!」

 

(無茶言うんじゃねぇよユージオ!そもそも俺の剣はもうとっくに限界なんだぞ!?)

 

 

観覧席から、ユージオの声援が背中を押しているのが分かった。しかし、上条がその声援に応えることは叶わなかった。彼の握る鉄剣は既に僅かな亀裂が入り、口があるなら間違いなく悲鳴を上げていることだろう。一見すれば互角に見える打ち合いでも、上条は自分が劣勢にあることが分かっていた。そしてそれは………

 

 

「・・・ふんっ」

 

 

修剣学院最強の男にも、分かっていた

 

 

(ッ!?こ、コイツ…!?)

 

「カアアアッッッ!!!」

 

 

ウォロが不敵に笑い、上条の背筋に悪寒が走った。そしてウォロがもう一度気合を入れて叫んだ直後、上条の瞳にに有り得ないモノが映った。それは彼の背後に立つ、彼と背格好や顔立ちの似通った亡霊のような剣士が五人以上ぼんやりと浮かんでいたのだ

 

 

(う、嘘だろ!?これ全部ウォロ先輩のイメージの力だってのか!?強いイメージの力は他人にも見えるっつーのかよ!?)

 

 

上条はウォロの放つ咆哮と、彼のイメージの力が生み出した、彼の背後に立つ、家名を継いで来たリーバンテイン家代々の当主達の気迫に戦慄した。コレを上回るにはどうするべきか、心の内側がかつてないほど狼狽していたその時、パキンッ!!と、不吉で決定的な音がした

 

 

「「「ーーーッ!?!?」」」

 

 

心許なかった上条の剣が、ついに天命を全うした。叩き折られた刀身の先は回転しながら宙を舞い、手汗で濡れた柄は無情にも上条の手から滑り落ちた。勢いを相殺していた上条の剣がなくなり、元から寸止めのつもりがないウォロの剣は容赦なく上条へと振り下ろされていった。最悪の未来を予感したユージオは思わず上条から目を背け、リーナは驚愕のあまり目を見開いて口元を両手で覆っていた

 

 

(・・・なんだ、これ…?)

 

 

しかしそんな中で上条には、目に見える景色の全てが、ストロボ写真のようにコマ送りで流れていた。ウォロの剛剣は、刻々と自分への距離を詰めている。そこで思い浮かべたのは、セルカを助けるためにゴブリンと戦った時のことだった。体を直に剣で切られた時の鮮烈なまでの痛みと、そしてーーー

 

 

(・・・俺…何やってんだ?普通に考えれば…こんなただの右手が、ウォロ先輩の剣に勝てるハズないのに…)

 

 

『幻想殺し』。これまで幾度となく、あらゆる幻想を殺してきた己が右手。それは自分の頭で考えるよりも先に、ウォロの振り下ろす剣に向かって真っ直ぐに伸びていた

 

 

(でも、なんでだろう…今はそうは思えない。俺は現実でも、剣の世界でも、妖精の世界でも、銃の世界でも、拡張現実でも、この右手で戦ってきたんだぜ…?)

 

 

気づけばその拳は、鉄のように固く握られ、ウォロの刃に触れかかっていた。脳裏に蘇るのは、かつて自分が陥った苦難の数々。時には見すぼらしい剣を、時には輝く神剣を握った。好んで盾を使った。けれど如何なる戦いでも、何処かに必ず『右手』はあった

 

 

(あぁ、そうか…………)

 

 

上条はその瞬間、全てを理解した。人間の拳は、人間の作り出した武器には勝てない。そんな事をいつ、誰が、どうやって決めたのか。ここにいる自分は、誰がどうやって説明出来るのか。そう考えれば、後は全て簡単な事だった

 

 

(イメージの力ってのは、こういう事なんだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殺すべき幻想は、目の前にあった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐおおおあああっっっ!?!?」

 

 

音が3つ、重なって聞こえた。1つは、ウォロの振り下ろした剛剣が、木っ端微塵に砕け散った音。1つは、大気が何かによって分断された、強烈な風圧の音。1つは、ぶっ飛ばされたウォロが、修練場の壁に叩きつけられた音

 

 

「「「・・・・・」」」

 

 

ドサリ…とウォロの鍛え上げられた肢体が壁から剥がれ落ち、地へと伏した。駆け寄る者はいない。誰一人として、現状が理解できずただ唖然としていた。二人を同じ階下で見ていたリーナでさえ、地面に伏したウォロと、自分の右手を見つめながら立ちつくす上条を交互に見つめるしかなかった

 

 

「・・・ぇ?」

 

 

誰が口火を切ったのか、そんなのは知る由もない。だが誰とも知れぬ声に続き、会場は騒めきに包まれていった。封を切ったばかりの喧騒の中、大修練場のドアが重苦しく開けられた音が、全ての生徒の耳に留まった

 

 

「・・・これは…」

 

「アズリカ…先生…」

 

 

上条が開かれた扉へと振り返り、そこに立っていたのはアズリカ女史だった。彼女の姿を見て我に返ったのか、何人かの院生が観覧席から飛び降り、ウォロの元へと駆け寄った。傷を塞ぐ神聖術を唱える者もいれば、救護室へ全速力で駆け出す者もいた

 

 

「どういう状況か、説明してもらえますか。カミやん初等練士」

 

「・・・はい」

 

 

その喧騒は、日が暮れるまで止まなかった

 

 



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第21話 卒業

 

時は三月も末。まだ少し肌寒さが残る夜の帳の中、煌々と明かりの焚かれた部屋に、見た目はどうにも不釣り合いの男女がいた

 

 

「改めまして、卒業おめでとうございます。ソルティリーナ・セルルト主席」

 

「ではこちらも。進級試験合格おめでとう。カミやん上級修剣士殿」

 

「まぁ12人中12位の末席ですけどね」

 

 

そう言って、二人の男女はワインの注がれたグラスで乾杯した。現実世界では、このアンダーワールドにログインした年で20歳になる予定の上条だったが、どこぞの野武士ヅラの男のヤケ酒に毎度付き合っているせいで、酒はとっくに飲み慣れていた。しかしてワインなどと言う大人びた雰囲気のある酒には覚えがなかったので、ワイン集めが趣味であるリーナの仕草を真似しながら口に含んだワインをしっかりと味わいながら飲み干した

 

 

「すまないね。ユージオ君には無理を言って部屋を出てもらってしまった」

 

「いえ、気にしないで下さい。ユージオもロッソ先輩と最後に一回立ち合いするみたいです。やっぱ練習場付きの専用寮があるってのはいいモンですね」

 

「しかし意外だよ。お前とは違って、彼はもっと上の順位に食い込むのだとばかり思っていた」

 

「そうそう聞いて下さいよ。それがユージオのやつ、俺と個室隣になりたいからって手抜いたって言うんですよ?俺としてはまぁ、よく知りもしないやつの隣になるくらいだったらユージオが隣がいいですけど、アイツが何もそこまでするとは…」

 

「・・・よもやとは思っていたが、君たち本当にそうなのか?同性愛は禁忌目録違反だぞ?」

 

「んなわけないでしょ!?本当にそうだったら意地でも上位に食い込んでやりますよ!」

 

「それでも彼は付いてきそうだがな」

 

 

リーナは不敵に笑って、もう一度100年もののワインに口をつけた。先日の進級試験で見事にユージオは11位、上条は特待生認定スレスレの12位で合格し、個室が一つながりになっている上条とユージオが共同で使う居間の居心地は、それなりのものだった

 

 

「しかし、本当にギリギリだったな。最後の12位を決める立ち合いなんて、見ていたこちらは心が休まらなかったぞ」

 

「そんなの俺だって同じですよ。傍付き剣士もスレスレ、特待生認定もスレスレ…主席のリーナ先輩に教わってたのに、なんで俺はこうも…」

 

「おいおい、私が君の指導生だった時はまだ私だって次席だ。今回の修剣士検定試合だって、ウォロが万全であれば主席になれたか分からなかった」

 

「・・・えっと、それは…その…」

 

「あ、あぁいや!違う!そういうつもりで言ったんじゃないんだ!」

 

 

リーナのそれは、上条とウォロの立ち合いのことを気にしての発言だった。あの立ち合いでウォロは上条の右拳を喰らい、修練場の壁に叩きつけられ全身打撲、数ヶ所の骨を折り、天命が僅かに減少した。神聖術による治療も行ったが、修剣士検定試験には完治が間に合わず、それが起因して初戦で姿を消した

 

 

「・・・あんなことになるなんて…私がきちんと止めるべきだった」

 

 

普通であれば禁忌目録違反、学院則違反による懲罰は避けられないが、実剣による一本先取の立ち合いが双方合意の上で行われた時点で天命の損失も同意したものと見なされ、禁忌目録にも反していない以上、学院内で上条に科すことのできる懲罰はないものとされた

 

 

「いや、本当に先輩は悪くないです。剣が折られた時点で、俺は即座に降参すべきだったんです。そうすれば、リーナ先輩は今日ちゃんとウォロ先輩と決勝戦で立ち合って、自分が本物の首席だって胸を張って卒業できたのに…」

 

「やめろっ!!!」

 

 

寮室いっぱいにバァン!という破裂音にも似た音が響き渡った。一瞬浮かび上がったグラスやワインボトルは、コトコトと揺れ動き、やがて止まった。そこでやっと自分が机を思いっきり叩いていたことに気づいたリーナは、頭を左右に振って咳払いした

 

 

「・・・すまない、取り乱した」

 

「で、ですから…本来なら謝るべきなのは俺の方…」

 

「分かった、ではこうしよう。ここから先は双方、謝罪の言葉は一切禁じる。この禁を破った者は、初等練士寮のアズリカ女史に『年増』と声をかける懲罰を科す。どうだ?」

 

「し、死んでもゴメンですね。てか実際やったら死にますよ本気で」

 

「あぁ。私も初等練士だった頃に口を滑らせたことがあってね。まぁ『行き遅れ』を示唆する文言を口にしてしまった訳なんだが…あの時のアズリカ女史の鬼の形相は、今でも忘れられないよ」

 

 

話によると、アズリカ先生は7年前の四帝国統一大会に於ける、ノーランガルス北帝国第一代表剣士だったらしい。この大会で優勝すると、整合騎士の仲間入りを果たすことが出来る。つまり、アズリカ先生はその手前まで行ったのだ。上条は先ほどユージオからこの事実を聞かされた時、一年間の自分の行為を思い出しながら顔面いっぱいに冷や汗を浮かべたのは言うまでもない

 

 

「まぁそんなアズリカ先生に勝てないのは当然として、結局俺もリーナ先輩には勝てず終いでしたか。最後くらい、弟子が師匠を超える感動ストーリーにしてみたかったんですけどね。技は多くても戦術の多彩さじゃ、俺とユージオのアインクラッド流は先輩のセルルト流には及ばないってことですね」

 

 

上条に言われたリーナは少し苦笑しながらワインの注がれたグラスをゆるりと回しながら弄ぶと、頬づえを突きながら語り始めた

 

 

「・・・実はな、カミやん。我がセルルト家は、遠い祖先が皇帝の不興を買ったが故に、正統剣術たるハイ・ノルキア流の伝承を禁じられているのだ」

 

「・・・まぁ、なんとなく理由はあるんだろうとは思ってました。なんで事あるごとに名家だって言われてる先輩が、正統派の流派を使っていないのか」

 

 

リーナを見ていた上条は当初から、何故彼女はここまで自分の流派をコンプレックスに思っているのだろうと常々疑問に思っていた。しかしその理由を彼女が学院を去る今日まで知ることは叶わず、実に一年越しに明かさられた真実に上条はどこか感慨深いものを感じた

 

 

「そのために実戦的…いや、変則的な剣術を学ぶしかなかった、それがセルルト流だ。別に不満に思っているわけではない。むしろ私は、我が流派を誇りとしてきた。だが、心のどこかには迷いがあったのかもしれない。二年間、ハイ・ノルキア流を伝承しているウォロを凌駕し得なかったのは、それ故だったのかもしれないな」

 

「だが、お前は違った。私と同じように独自流派を使っていながら、正統剣術に対して、まるで引け目を感じていない。それが嬉しかった。一年間お前を見てきて、それが何となく分かった気がした」

 

「・・・先輩」

 

「お前は私たちの力の源を、イメージの力だと言った。それはつまり、どんな時も強い自分を持っていられる、心強さだと私は思う。そしてお前は、周りと違っても決して引け目を感じない…誰よりも強い自分と、強い心を持っている。そんな強さを持つお前の指導生でいられたこと、そして私がセルルト流の後継者であることを、今は心の底から誇りに思っているよ」

 

 

そう言って微笑んだ彼女を見た上条は、少し救われた気がした。今日の試合でリーナがウォロと試合を出来なくなったことを、自分は心のどこかで負い目に感じていた。しかしリーナはそんな自分を、何にも引け目を感じない強い人間で、誇りに思うと言ってくれた。上条にとってその言葉は、これ以上なく胸に突き刺さった

 

 

「ありがとうございます、リーナ先輩。実は俺、あの日から何となく自分って奴が怖くなってたんです。俺はあの時多分、イメージの力の核心に触れたと思うんです。その時に思ったんです。俺は今まで、たくさんの人から助けられて、色んな力をもらってきました」

 

「だけどあの日の俺の力は…自分だけで生み出す、独り善がりなモンに感じてたんです。そして蓋を開けてみたら、想像以上にとんでもない力で、それを扱える自分に怖くなったんです。でもリーナ先輩の言葉を聞いて、今の俺を先輩が誇りに思ってくれるなら、それも悪くないのかなって思いました」

 

「・・・・・」

 

「えっと…せ、先輩?」

 

 

上条の独白を聞いていたリーナは、いつの間にか赤ワインに写った自分の顔へと視線を落としていた。そして深くため息を吐くと、崩れていた姿勢を直して上条の方へと向き直っていった

 

 

「カミやん。たしかに私はどんな時も強くあれるお前を誇りに思う。だが同時に、自分の在り方が分からなくなった時は、きちんと自分と向き合ってほしい。そしてその時には、今から私が言う言葉を、どうか思い出してほしい。約束してくれるか?」

 

「え?」

 

「私は今日の卒業を境に、お前の顔を観れることはほとんどなくなる。だから、どうか約束してくれ」

 

「・・・はい。約束します」

 

 

リーナはテーブルの上に無造作に置かれていた上条の右手を手に取り、真剣な眼差しで上条に2度重ねて言った。上条もまた、彼女の真剣な眼差しから目を背けることが出来ず、右手を手に取られたまま、深く頷いた

 

 

「『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている』」

 

 



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第22話 姉妹

 

「あら御坂さん、こんにちは。今日はお一人ですか?」

 

 

その日、御坂は度々世話になっている第七学区の病院を訪れていた。最近ではもっぱら妹達の様子を見に来るか、入院している子どもの遊び相手をしている上条と吹寄にちょっかいを出しに病院に顔を出していた

 

 

「ええ、まぁ。大した用事がある訳じゃないので」

 

「それにしては随分とお早いんですね?まだ受付が始まってから10分と経っていませんが…今日は学校の授業の方は?」

 

 

この病院では防犯上の理由で、患者でない人間は必ず受付で必要書類を記入し、許可証を首から下げなければならない。その受付が始まるのが午前10時からという、学園都市の健全な学生ならば、所属する学校で授業を受けている真っ最中であるのに、この日の御坂美琴は例外であった

 

 

「えっと、それが学校側からのお達しもあって来たんです。ゲコ…じゃなかった。カエル顔の先生にお話があって…」

 

「あぁ、あの先生ね。この時間だと…まだ回診の途中かしら?少し時間がかかるけど、大丈夫?」

 

「はい、大丈夫です。適当にその辺ぶらついてますから」

 

 

美琴はそう言うと書き終えた書類を差し出し、代わりに許可証を受け取って顔見知りだった受付嬢にヒラヒラと手を振って病院の廊下へと向かい、階段で三階へと上がった

 

 

「・・・・・」

 

 

ツカツカと渡り廊下を歩き、中央棟から連絡橋を渡り、入院病棟へと入った美琴の表情は尋常なものではなかった。すれ違う人のほとんどが、彼女の悪鬼羅刹のような表情を見た自分の目を疑ったことだろう。そして彼女の歩いている廊下の向こう側には、自分と瓜二つの顔をした、暗視ゴーグルがトレードマークの少女の姿があった

 

 

「・・・?お姉様?一体なんの御用ですか?と、ミサ……」

 

 

10032号という識別番号を持つ彼女のやたら長い口癖に構うことなく、美琴は彼女の腕を強引に引っ張りながら廊下を通り過ぎ、階段を上がった。そして人気のない屋上手前の踊り場に出ると、美琴は有無を言わさずミサカ10032号の襟首に勢いよく掴みかかり、コンクリートの壁にその身体を押し付けた

 

 

「いい?真剣に答えて。嘘ついたら例えアンタと言えど容赦は出来ない。アイツは今、どこにいるの?」

 

「アイツ…と指示語で呼ばれても誰のことだか。と、ミサカは……」

 

「しらばっくれんな!!!」

 

 

ビシィッ!と床に敷かれた緑色のタイルに紫電が迸った。美琴は悪鬼の表情のまま、自ら妹と認めた彼女にはおよそ向けていいとは思えないほどの強烈な電撃を、抑えきれない感情の昂りと共に吹き出した

 

 

「ふーっ…ふーっ…ふーっ…」

 

「・・・なぜお姉様は、ミサカにあの人の居場所を問い詰めるのですか?と、ミサカは質問します」

 

 

激情のあまり、瞳を潤わせながら肩で呼吸をする美琴とは対照的に、ミサカ10032号は顔色一つ変えず冷静に尋ねた。そんな彼女を見た美琴も次第に落ち着きを取り戻していき、一度深呼吸してから口を開いた

 

 

「・・・私はここ数日、学園都市にも仮想世界にもずっと姿を見せてないアイツのことを探して回ってる」

 

「はい。と、ミサカは相槌を打ちます」

 

「それで昨日、仮想世界の仲間内の人たちにも行方を知らないか聞いてみたんだけど、アイツの今いる場所を知ってる人は誰もいなかった」

 

「はい。と、ミサカは相槌を打ちます」

 

「だから、今日はアンタんとこに聞きに来た。だけど、それは最初っから決めてたことなの。アンタんとこに行くのは、あらゆる可能性を全部潰して、それでも何も手がかりが掴めなかったら……」

 

「はい。と、ミサカは相槌を……」

 

「それ、やめて。鬱陶しいから。今は黙って私の話を聞いて」

 

「・・・分かりました。と、ミサカはお姉様の要望を承諾します」

 

 

あくまでも機械的な態度を崩さない自分のクローンとの温度差に、少なからぬ苛立ちを覚えた美琴が言うと、ミサカ10032号はどこまでも機械的に自分の口を閉ざし、それを見た美琴は屋上の入り口のドアに寄りかかりながら、視線を少し下にずらして話し始めた

 

 

「多分、アイツがいなくなったのは1週間前にアイツの大学で学究会があった日。それ以降からアイツの姿が学園都市は愚か、仮想世界でも見えなくなった。メールも電話も全部シカト」

 

「耐えきれなくなった私はアイツの自宅を訪ねて、ロック外して中に入ってみたけど見事なまでにもぬけの殻。通ってる大学にもずっと行ってないみたいだった」

 

「これは異常だと思った私は、学園都市内に配備されてる監視カメラを初春さんや佐天さん、黒子と一緒に洗いざらい調べた」

 

「だけどその日、学究会が終わって以降のどの時間、どこの監視カメラにも、アイツの姿は映ってなかった。私は多分、アイツは誘拐に遭ったんだろうと目星を付けた」

 

「それからずっと目撃証言とか、外出記録とか色々と調べてみたけど、結局手がかりは見つからなかった」

 

「もう何も見つからないのかと諦めていた時に、初心に戻って監視カメラの映像を洗い直していた時、こんなものが見つかった」

 

 

そこで一度言葉を区切ると、ドアに寄りかかるのをやめると、ポケットから取り出したスマホを操作し、一つの映像データを再生すると、その画面をミサカ10032号に突きつけるようにして見せた

 

 

「・・・これは、学究会があった日の午後7時頃の映像。これを撮影したのは、第七学区の二丁目に設置されてる監視カメラよ」

 

「世間には色んな監視カメラがあるけど、物によっては固定の物から、時間が経つと自動的に台座が上下左右に首を振って、より広範囲を撮影できる物もある。学園都市の監視カメラは、大体がそれを使ってる。ちなみに異常を察知するとそっちに向きを変えるオマケ付き」

 

「初春さんから聞いたところによると、学園都市の監視カメラは、上下左右、そして中央。5つの向きにそれぞれ3分間隔で全部に首を振るように出来てる。まぁ当然っちゃ当然かもね。この街には空飛んだり座標ごと移動する能力者だっているんだから」

 

 

そして美琴はそこから語気を強め、スマホに映し出された映像を指差しながら、自分と同じ顔を睨みつけて核心を迫るように語り始めた

 

 

「ところがこの監視カメラに映っていた7時から7時3分の間の映像は、この監視カメラが前に同じ場所を映していた6時45分から6時48分の間に映されていた映像と全く同じものだった!映っている人、物、何もかもが全く同じだった!」

 

「・・・なぜそんなことに気づいたのです?と、ミサカは質問します」

 

「見つけたのは、私じゃなくて初春さん。アンタも知ってるはずよ、学園都市の監視カメラってのは、書庫から調べようとしてる人のデータ照合させれば後は勝手に割り出してくれるもんだって」

 

「その過程で、初春さんだけがこの一台の異変に気付いた。初春さんだけは私たちと違って『アイツ』をデータで検索するんじゃなくて、学園都市全体に何十万台ある監視カメラに『映っていた全員』をリストアップして、その全てに目を通して調べていた」

 

「・・・その結果、6時45分から6時48分の間と、7時から7時3分の間に映っている人間のリストが全く同じだった…ということですね。と、ミサカは確認を取ります」

 

 

その瞬間、美琴が映像の止まったスマートフォンを握った右手を振り下ろしたのと同時にバアンッ!という音が走り、美琴を中心にもう一度激しい紫電が踊り場全体に迸った。タイルを接着している溶接剤が電熱で融解したのか、何枚かのタイルは宙に浮き上がり、周囲の空気が振動でパリパリと火花が散っていた

 

 

「白々しい能書き垂れてんじゃないわよ」

 

「・・・どういう意味でしょうか。と、ミサカは確認を取ります」

 

「その事実に気づいた私は、その監視カメラを能力使って直接調べた。そして、全く同じアプローチで監視カメラに細工が施されていた残滓に気づいた。電気系の能力者による、ハッキングがかけられていたことにねぇ!」

 

 

ここまで言えばもう十分だろうと言わんばかりに、美琴は口で語るのをやめ、鋭い眼光でミサカ10032号を睨みつけた。しかし、それでも彼女は表情を一切変えずに返答した

 

 

「それだけでは証拠になっていません。この学園都市にはミサカやお姉様を除いても、他に何人もの電気系の能力者がいます。容疑者をミサカに絞るのは早計だと思います。と、ミサカは分析します」

 

「そんなの、私だって知ってるわよ。でもね、ハッキングするまでのアプローチの仕方がどうしようもなく私に似てたのよ。それこそ、私と血でも繋がってるんじゃないかってくらいね。どう?まだ反論ある?」

 

「・・・もし仮に、お姉様の言う監視カメラに細工を施した犯人がミサカ達の内の誰かだとしましょう。けれどこのミサカには、その質問に答える義務がありません。と、ミサカは解答します」

 

「ふざけないで。最初に言ったわよ。嘘ついたら例えアンタと言えど容赦は出来ないって。それに、今のアンタのその台詞なんて自分がやったって言ってるようなもんなんだけど」

 

「お姉様の言葉の意味が分かりません。私は答える義務がないと言っているだけで、嘘はついていません。と、ミサカは認識の違いを指摘します」

 

「アンタね…私のことおちょくんのも大概にしなさいよ!こんだけ証拠も出揃ってんだから、包み隠さず全部話せって言ってんの!ここまで言ってもアンタはまだこの期に及んでシラを切るつもり!?」

 

「はい。と、ミサカは相槌を打ちます」

 

「ッ!?この…!!」

 

「もう十分だよ。その辺にしておきたまえ御坂君」

 

 

業を煮やした美琴が、右の掌で15センチほどの電撃の槍を精製し、それを投げつけようとしたところ、不意に背後から聞こえた声の方へと振り返った

 

 

「いや、この呼び方ではどちらのことか分からなくなってしまうか。お姉さん、もうその辺にしてあげなさい」

 

「せ、先生…?」

 

 

そこに立っていたのは、受付で自分が今日会いに来たと嘘をついたカエルによく似た顔をした医師だった。冥土帰しと呼ばれるその医者は、その立派な鼻で一つ息を吐くと、口を開いた

 

 

「何を不思議そうな顔をしているんだい。君の方から私に会いに来たんじゃないか。さっきロビーにいる受付嬢の職員に聞いたよ」

 

「あ…え、えっと…その、すいません。それは嘘で…」

 

「分かってる分かってる。何より僕自身にそんな覚えがないんだからね。だからこうして探しに来たわけだよ。悪いけど、今の話は全て聞かせてもらったよ」

 

「え?」

 

「先生、よろしいのですか?と、ミサカは先生の考えを察してお尋ねします」

 

 

冥土帰しの言っている意味が分からず、呆けている美琴を余所にミサカ10032号が彼に話しかけると、冥土帰しは優しく頷きながら言った

 

 

「仕方がない。『彼』の交友に君達のお姉さんがいる時点で、いつかこうなることは分かっていたからね。それに、計画したのは私だ。君が責任を感じることはない。むしろ一週間も誤魔化せただけいい方だよ」

 

「や、やっぱりアイツについて何か知ってるんですか!?」

 

「付いて来たまえ、御坂美琴君。君が知りたいと望む全てに、僕は答えよう」

 

 



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第23話 Fluctuating Light

 

「今エレベーターを呼ぶんだね」

 

 

美琴達はその後、入院病棟から中央棟へと移っていた。そして、先頭を歩いていた冥土帰しが、三階の東側にあるエレベーターに辿り着くと、下矢印のボタンでエレベーターを呼び出し、中に誰もいないのを確認してから三人全員で乗った

 

 

「ポチッとな」

 

 

そして冥土帰しはボタンのある角に立つと、現在滞在している階数が表示される電光掲示板を鍋蓋のように取り外し、その中にあったボタンを押した

 

 

「なっ!?」

 

「ふっふっふ。秘密基地みたいでカッコいいだろう?男の子は大きくても小さくても、こういう仕掛けに憧れるものなんだね」

 

 

後ろに立っていた美琴がそのボタンの在り処に驚愕すると、冥土帰しが振り返って笑いかけた。そしてエレベーターが本来辿り着ける地下一階を過ぎてもエレベーターはどんどん下降していき、どれだけ地下に潜ったのかも分からないような場所で止まった

 

 

「さ、こっちだ。もうすぐそこだね」

 

 

エレベーターの仕組みは如何にも秘密基地のようだったが、その先に辿り着いた場所は見知った病院と何ら変わらない内装が施された廊下だった。そのまま15メートルほど歩くと、ガラス張りになって中の様子が外から伺える病室へと辿り着いた

 

 

「・・・メディキュボイド?それもこんなに…」

 

「外面はね。けれど、内面は全くの別物だね」

 

「・・・?」

 

 

美琴は、その機械をニュースなどのマスメディアで目にしたことがあったが、実物を見るのは初めてだった。白の塗装が施された、およそ医療機器とは思えない大きさの機械が5台も横並びになっているのを漠然と見つめるばかりで、その内の一台の中央に寝そべって首から上を丸ごと突っ込んでいる人間がいることに気づくのに時間がかかった

 

 

「ッ!?ちょ、あれって…!」

 

「あぁ。君がこの1週間ずっと探していた、件の彼だね」

 

「ど、どうして!?アイツ、どこか悪いんですか!?なんでよりにもよってメディキュボイドなんかに…!」

 

「だから言っただろう。それは外面だけで、内面は全くの別物だとね」

 

「・・・え?」

 

「まずはこちらの部屋に入ろう。暖かいお茶でも煎れるね」

 

 

そう言うと冥土帰しはメディキュボイドの置かれた病室の真隣にある一室のドアのノブを捻り、中へと入った。そして入って一秒経つ頃には、美琴は衝撃で言葉を失っていた。その部屋は学校の体育館ほどはあろうかというほど広く、向かいの壁には映画のスクリーンほどはあろうかという巨大なモニターを中心に、20インチほどのモニターが隙間なく取り付けられており、部屋全体を見渡しても電子機器でないものを見つける方が困難だった

 

 

「こ、これは…本当に秘密基地だって言われても信じるわよ私は…」

 

「こちらの研究室は間口45メートル、奥行き28.7メートル、高さ13メートル、総面積1291.5㎡の広々空間です。と、ミサカはこの部屋の広さを説明します」

 

「吹寄君、お茶を煎れてもらってもいいかね。君と僕と御坂君、それと、もう一人の御坂君に」

 

「・・・吹寄さん?」

 

 

美琴はその名に聞き覚えがあった。自分が探し続けた少年が、よく世話になっていると話しており、自分が悪夢のゲームから目を覚ました後に友人となった女性の名だった。まさか、と思いつつ彼女は冥土帰しの後ろから少し横脇にずれると、眼鏡をかけて白衣を身に纏う女性を視界に捉えた。その女性は、肘掛けとリクライニングまで付いている、いかにも高級そうな黒革の椅子に座した吹寄制理その人だった

 

 

「・・・なるほど。分かっていたこととは言え、ついに彼女がここまで辿り着きましたか。しかし平日のこんな時間に来るとは…まぁ学校なんか行く気にもなるわけないか。分かりました、今煎れてきます」

 

「ちょっ…なんで吹寄さんがこんな所にいるのよ!?」

 

「まぁまぁ。それも含めて一から全部説明するから。あ、それと彼女はもう君の妹さんについては僕が説明してちゃんと理解してるから、その心配はいらないね。さぁ、こっちに座って」

 

 

美琴はこの場に対する疑問が尽きなかったが、冥土帰しはそれを分かった上であからさまにはぐらかしている気がしてならず、仏頂面で睨みつけた。だが、とりあえずは冥土帰しに勧められるがまま彼が差し出した椅子へ腰掛け、間も無くして吹寄が4つの湯呑みを乗せた盆を片手に戻ってきて、冥土帰しと自分のクローンも適当な椅子に座り、彼女からお茶を受け取った

 

 

「御坂さん、どうぞ。煎れたてで少し熱いから気をつけてね」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

美琴は吹寄から差し出された湯呑みを丁寧に両手で受け取ると、息で冷ましながら一口飲んだ。煎れていたのは緑茶だったのか、少し苦味が効いていたが、それなりに良い茶葉を使っているのは、お嬢様校に身を置いているなりに分かった。そして吹寄も元いた場所に座り直したのを見ると、冥土帰しは軽く喉を鳴らして話し始めた

 

 

「さて、どこから話そうか。参考までに聞きたいんだけどね、御坂君は一体どこまで僕たちの事に察しがついているのかね?」

 

「・・・プロジェクト・アリシゼーション 」

 

 

美琴が都市伝説の掲示板で見つけた全容の知れない計画の名を口にすると吹寄が「ヒューッ」と外人が感心するように口笛を鳴らした

 

 

「まさかそこまで調べ上げてるなんて…流石は学園都市序列第3位のレベル5ってとこかしら。これはちょっと私たちの方が分が悪いんじゃありませんか先生?」

 

「まぁまぁ。いくら学園都市の秘密裏の研究だったとはいえ、もう4年も前のことだし、ネットを這いずり回ればあるいは…と思ってはいたんだね。では御坂君は、STLの概要はもうご存知と思っていいのかな?」

 

「・・・隣の部屋で眠ってるヤツが書いたレポートの内容程度には」

 

「ふむ…では具体的なプロジェクトの過程については?」

 

「それについては、私が見たのは都市伝説の掲示板に書かれていた情報だけです。掲示板が掲示板なので、イマイチ信憑性に欠けると思います。ですから、先生の口からご説明いただけるなら是非」

 

 

美琴がそう言うと、冥土帰しは自分より奥側に座る吹寄の方へと目配せした。その視線の意味を理解すると、吹寄は手にしていた湯呑みを近くのデスクに置いて口を開いた

 

 

「御坂さん。あなた、人工知能についてはどれくらい見聞がある?」

 

「・・・まぁ、人並み程度くらいには」

 

「人工知能を開発するにあたって、アプローチの方法が二つあるってことは知ってる?」

 

「それって要するに、人工知能のタイプは二つあるってこと?」

 

「そ。シュークリームの生地というハードに、生クリームというソフトか、はたまたカスタードクリームという異なるソフトを使うか…って感じかしら」

 

「・・・ごめんなさい、それは初耳。詳しく説明してほしいわ」

 

「おっけ。二つのアプローチの内、一つは『トップダウン型』。これはプログラムに知識と経験を積ませて、学習によって最終的に本物の知性へと近づけよう。って代物よ」

 

「・・・それってもしかしなくても、普段私たちの身の回りを取り巻いてる人工知能がそれ?」

 

「まぁ大雑把に言えばそうね。学園都市を歩き回ってる清掃ロボットが普段通るコースだったりっていうのは、プログラムされてるのも勿論あるけど、より効率的にゴミを拾ったり、邪魔な障害物は避けられるように搭載してる人工知能が学習してるの」

 

「ってことはつまり、現在で人工知能と呼べるものの殆どがそのトップダウン型…ってことね」

 

「ご明察。でもトップダウン型は学習してないことには適切に対応できない。つまり現状では真に知能と呼べる物ではないわね」

 

「じゃあ…もう一つの方は?」

 

 

美琴が聞くと、吹寄は肘掛けから手を上げ、ここからが本題だと言わんばかりに擦り合わせた両手を美琴の方へ差し向け、身振り手振りを交えながら話し始めた

 

 

「そしてもう一つが『ボトムアップ型』。このボトムアップ型人工知能は人間の脳、1千億個近くある脳細胞が連結された生体機関の構造そのものを人工的に再現し、そこに知性を発生させる方法よ」

 

「・・・えっと、吹寄さん。吹寄さんは私の隣に座ってるこの子の事情をもう知ってる…ってことでいいのかしら?」

 

「ええ。一緒にここで先生のお手伝いをするにあたって、先生から説明されたわ。御坂さんの妹さんが後1万人近くいることもね。でも安心して。私はそれで御坂さんのことを軽蔑したりなんてしないわ。私もある意味では同類だしね」

 

「えぇっと、それはとてもありがたいんですけど…それを知ってる上で、脳までことこまかに再現されてるこの子達が、私と同じに見えます?」

 

「分かってるわよ。だから4年前まではこの脳を再現する技術は、例えあったとしても不可能だと思われていたわ。だけれどここにいる先生がその鍵を見つけた。人間の魂、私たちが『フラクトライト』と呼ぶ量子波を、脳外科の研究の片手間に発見したの」

 

「・・・え、ええっ!?」

 

 

その話を聞いた美琴は目を点にして驚かせていた。それもそのはず、上条のレポートで初めて聞いた単語がなぜ四年も前の都市伝説のサイトにあったのか疑問に思っていたが、それを見つけていた張本人が目の前にいるとは思いもしなかった

 

 

「けれど、発見した先生の論文を学園都市の統括理事会が強奪。自分達の研究にしようとして、決して表沙汰にしようとしなかった」

 

「人の研究を横取り…か。よくある話ね」

 

「まぁね。だけどこの先生お人好しだから、『僕にとってはあんなものより目の前の患者の方が大切だ』って、その時は特に気にもせずその論文あっさりと渡しちゃったらしいのよ」

 

「じゃあ…アイツがあんな論文を書けたのは…先生の入れ知恵…?」

 

「ううん、それは違うわ。あのレポートは上条が本当に自力で書いたものよ」

 

「・・・嘘ぉ」

 

 

美琴が深い疑いの眼差しを向けながら嫌味な声で言うと、吹寄は特に否定もせず深く頷いて続けざまに言った

 

 

「それに関しては本当に同感。でもアイツは本当にフラクトライトがあるのか半信半疑で、私にそれを探すように言って来たのよ。それで私はちょこっと機材を借りて、自分の脳のレントゲンやらCTやらMRIやらを撮影して、写真と睨めっこして探しまくったのよ」

 

「でも、いかんせんマイクロとかナノの単位の世界の話だから、そんなもん自分の脳みそ取り出して顕微鏡突っ込まなきゃ分かるかー!ってサジを投げようとしてた時に、先生が声をかけてきたの」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『あれ?吹寄君、君将来の希望は外科か小児だって言ってなかったっけ?自分の脳のCTRなんか見て、脳外科に興味でも湧いたのかい?それとも自分の頭に病気でもあるのかと不安に?』

 

『あーいえ、そんな大したことじゃ。なんか上条のヤツが、脳細胞の中にフラクトライトなる光子があって、それを探してくれって言われて…だけどそんなこと言われたところで全然分かんないですよ。そこまで言うんなら前頭前野にあんのか、右脳なのか左脳なのかくらい教えろー!って感じなんですけど…わひゃっ!?』

 

 

文句を垂れながら自分の脳のCTRを見続けていた吹寄の両肩を、冥土帰しが思いきり鷲掴みにした。それに驚いて素っ頓狂な声を上げる吹寄を無視し、椅子ごと彼女を自分の方に向かせると、信じられないものを見たような目で吹寄に聞いた

 

 

『吹寄君…上条君は、それを一体どこで…!?』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ってな具合にね。だからその後に先生から話の詳細を聞いた私は本当に驚いたものよ。まぁあの時の先生の必死の形相にも死ぬほど驚いたけどね」

 

 

当時の様子を思い出しながら吹寄が語ると、冥土帰しも恥ずかしそうに痒くもない後ろ頭をポリポリと掻いていた。けれどそれを聞いた美琴はますます頭がこんがらがってしまったのか、眉間により一層皺が寄っていた

 

 

「なるほど…でも、じゃあなんでアイツが自力であんなものを書けたの?吹寄さんはアイツに『フラクトライトがある』って後で教えたのよね?それでその時にその詳細を教えたわけじゃあ…」

 

 

自分の中で立てていた推論が音を立てて崩れていくのが何となく癪で、上条があんなレポートを手がけたのが嘘に思えて仕方ない美琴は最後まで抵抗を試みたが、それにトドメを刺すように、吹寄が大きくかぶりを振って言った

 

 

「違うわ。私は本当にフラクトライトは『ある』って教えただけなの。そしたら上条は『そっか、教えてくれてありがとな吹寄。それさえ分かればもうレポートは完成だ』って言ったのよ」

 

「・・・え?」

 

「そりゃそうなるわよね。私も先生も同じで、もうチンプンカンプンだったわ。だからいっそのこと、上条のレポートを見せてもらおうって話になったの。私が添削してやるって話したら、アイツは快くレポートのデータをくれたわ。そしたらそのレポートには…」

 

「待った、ありがとう吹寄君。そこから先は僕が話すんだね」

 

 

そこまで言って、吹寄の前に冥土帰しが自分の手の平を翳して待ったを促した。吹寄は床を軽く蹴って椅子のキャスターをテーブルの方へと転がすと、テーブルの上の湯呑みを手にし、少しぬるくなって飲みやすくなった緑茶で喉を潤した

 

 

「話を少し巻き戻させてもらうんだね。それで僕は偶然にもフラクトライトを見つけたわけなんだけど、どうやらこれが僕がコレを見つけられたのは偶然どころか奇跡と呼べるほどの事例だったらしい。僕の論文を元に研究を始めた機関は、やれこんなん見つかるわけない、やれこんなもの嘘っぱちだとサジを投げ始めた。それもそのはず、そもそも彼らにはフラクトライトを観測および干渉する術がなかったからね」

 

「まぁそりゃ…ミクロとかナノの話だって吹寄さんが言ってましたもんね。そんなの顕微鏡でも見えるのかどうか…というか、そんなもの先生はどうやって見つけたんですか?」

 

「いやいや、本当に見つけようとして見つけたんじゃないんだ。実は四年前の夏、とある稀有な能力者が急患で運び込まれてね。何とか一命は取り留めたけれど、脳に損傷が残ってしまった故に、半身不随に陥り、言語機能、演算能力を失ってしまったんだね」

 

「けれど本人や周囲の希望もあり、私はその能力者の為に演算補助デバイスを作ることにしたんだね。その為にその子の脳細胞をくまなく研究したんだが、いや脳の構造が実に良く出来ていて見やすかったね。『自分だけの現実』もとても強固で、それに呼応するように脳の中で揺れ動く光のようなものを見た…という訳だよ。まぁ、その能力者が誰か、君ならもう分かっているかもしれないけどね」

 

 

冥土帰しは自分の右手で首元を摩りながらそう言った。そんなヒントをくれなくても、美琴はもうその人物が誰か大体の見当がついていた

 

 

「もしかしなくても…一方通行の奴ですよね?」

 

「その通り。まぁ彼の事情やその経緯はこの際二の次なんだね。重要なのは、フラクトライトを観測するには現代に存在する機器では不可能だということ。だからそもそもの前提を失ったプロジェクト・アリシゼーションは、早々にお蔵入りになった訳だね」

 

「ところが、上条君が僕と吹寄君の所に送ってきたレポートの中には、その観測する方法までちゃんと書いてあったんだね。当時の学園都市の科学の粋を結集した機関でも開発不可能だったその方法を、上条君は知っていた。それが…」

 

「STL…ソウル・トランスレーター…」

 

 

美琴は全ての伏線が脳内で繋がっていく奇妙な感覚を体に覚えながら、全ての元凶となった機械の名を口にした。そして冥土帰しはその呟きを繋げるようにして続けた

 

 

「その通り。そして上条君のレポートを参考に、院内にあった何台かのメディキュボイドをちょっといじって、試験運用の物を4台、フルスペック版のSTLを1台完成させた。そしてついでに災害用の地下シェルターだったこの部屋と隣の部屋もそれに合わせて魔改造した、ということだね」

 

「改造したって…言ってもアイツのレポートに書いてあったのなんて大まかな理論くらいで、そんな設計云々やら、細かいことは書いてなかったと思いますけど?」

 

「それは勿論そうだね。でもフラクトライトを発見してそれなりに見聞を持っていた僕にとっては、仕組みさえ分かればそれで良かったんだね。それに加えて僕には、君の妹さん達という優秀な助手がいたからね。この設備のセッティングに際しては、学園都市の外に出てる子も何人か呼んで手伝って貰ったよ」

 

「いえーい。と、ミサカは自ら優秀であることをアピールします」

 

 

そう言って冥土帰しは、入り口から見て一番手前に座るミサカ10032号へと手の平を差し出し、ミサカ10032号は真顔でVサインを自分の姉へと向けた。その仕草に美琴は呆れたように後ろ頭を掻き回すと、気を取り直して冥土帰しに話しかけた

 

 

「経緯は分かったわ。で、お次は?この場合私は今後の方針でも聞けばいいのかしら?」

 

「まさか、悪いけどまだまだ昔話は続くね。STL開発を足がけとして本格的にフラクトライトの研究を始めた我々は、人間の大脳とほぼ同じ容量の記憶が可能な『光量子ゲート結晶体』…通称『ライトキューブ』の開発に成功した。ここまで来れば、ボトムアップ型人工知能の開発は成功したも同然だと考えた。頭の良い君なら何故か分かるね?」

 

「容量に見合う器があるなら、後はそこに移すだけ…そういうことね?」

 

「その通り。事実、僕たちは既に人の魂の複製に成功している訳だね」

 

 

冥土帰しのその言葉に、美琴は微かな戦慄を覚えて生唾を飲み込んだ。しかし、この場において動揺は相応しくないと誰よりも彼女自身が理解しており、それを気取られないように椅子の背もたれに寄りかかり、肘掛けを使って頬杖を突くと、オマケとばかりに大袈裟に足を組んで相手を威嚇するような強めの口調で言った

 

 

「なら、こう考えるのは私が頭が良いからなのかしら。人の魂を複製して、開発は成功したも同然だって先生は言ったわよね。なら、なんでアイツは隣の部屋で、得体の知れない機械に頭を突っ込んでるのかしら?」

 

 

その時、姿勢を変えたことで美琴の視線は多少なりともズレていた。その視界の隅には、冥土帰しの奥に座る吹寄の姿がボンヤリと見えていた。美琴の視界にたまたま入った彼女は、自分の言葉を聞いて湯呑みを握る両手に力みが増したように見えた

 

 

「それが僕らの愚かな勘違いだった。人間のコピーと真の人工知能の間には、途方もなく深く広い谷がが広がっていたんだね」

 

「深く広い…谷?」

 

「吹寄君。例のアレ、もう一回いいかね?」

 

 

冥土帰しは椅子ごと振り返って吹寄に言った。それに釣られるように美琴も視線のピントを吹寄の方へ変えると、あからさまに怪訝そうな顔を見せる彼女が最初に映った

 

 

「えぇ〜…?先生の口で説明…出来るもんでもないか。仕方ない…」

 

 

心底嫌そうに眼鏡のブリッジに手をかけてレンズの位置を修正すると、薄暗いこの部屋でも一際目立つ漆黒に染められた、見るからに高性能なデスクトップPCのキーボードへと女性らしい細い指を走らせた

 

 

「御坂さん、向こうの壁にある一番大きいモニター見てて」

 

「え?あ、はい。分かりました」

 

 

美琴は吹寄に言われるがまま、椅子ごと身体をモニターだらけの壁に向け終わるのと、それとほぼ同時に吹寄がエンターキーをタン!と叩く音が聞こえた。すると吹寄はパソコンに接続されっぱなしだったインカム付きのヘッドホンを頭に付けると、自分もまた御坂と同じようにモニターの方に向かい合った

 

 

「調子はどう?吹寄制理さん?」

 

「・・・はぁ?」

 

 

横でいきなり自分自身の体調を自分に聞いた吹寄に、美琴は思わず突飛な声をあげた。独り言にしたって、もうちょいマシなものがあるだろうなどと考えていると、彼女に見ていろと言われた室内で一番巨大なモニターに、様々な彩色が施された粒子が集合した球体が映し出され、吹寄の声に反応するように不規則に伸縮した

 

 

『サンプリングは終わったのよね?概ね良好って感じかしら』

 

 

そこで初めて、美琴は吹寄の独り言が独り言ではないことに気づいた。四方八方に取り付けられたスピーカーから、金属質なエフェクトがかかった声が発せられた

 

 

「そう。それは結構なことだわ」

 

『でも、どうしたのかしら?辺りが真っ暗だわ。それに身体も動かない。STLの異常?悪いんだけど、一旦機体から出してもらってもいいかしら?』

 

 

なおも吹寄がインカムを自分の口に近づけながら話しかけると、やはりそれに応対するように球体が揺れ動き、スピーカーから声が聞こえてきた

 

 

「残念だけど、それは出来ない相談だわ」

 

『・・・言ってる意味が分からないわね。私がそんなことを言われる覚えはないわ。私に喋りかけているあなたは一体誰?』

 

「私は吹寄制理よ。あなたと同じ、ね」

 

『・・・・・』

 

 

モニターに映る光の球体が血のように赤く染まり、突然トゲを生やしたような攻撃的な形状に姿を変え、先ほどとは打って変わって激しく憤るように大きく脈動し始めた

 

 

『はぁ!?冗談じゃないわ!私が吹寄よ!ここから出れば分かることだわ!』

 

「少しは落ち着きなさい。私のコピーらしくもない」

 

 

冷徹な彼女の言葉に、美琴はハッと振り返った。そして、目の前の彼女と似通った声色でノイズ混じりに叫ぶ球体を見て、それは聞き間違えでないことを悟った

 

 

『嘘…そんなの嘘よ!私は私のままなのに!コピーならコピーだと実感できるハズでしょう!すぐに私をここから出して!私を語る貴様のその化けの皮を剥ぎ取ってやる!』

 

「だからさっきも言ったでしょう。それは出来ない相談なの。分かったら、まずは落ち着いて話を……」

 

『ねぇ、そんなの…そんなのってあんまりじゃない?じゃあ私は一体なんの為にここにいるの…?こんな暗くて、狭くて、独りぼっちで、怖い場所で…死ぬまでここから出られないの…?嫌よ…嫌…否…イヤ…いやあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁAAAAAaaaaa!!!!!!…………………』

 

 

今にも泣き出しそうなくしゃくしゃな声になったかと思えば、次の瞬間にはそれが耳障りな断末魔へと変わり、モニターの中にいる鮮血で染まった球体が中央から爆散した。映す物がなくなり暗転したモニターと、小さなノイズを残すスピーカーを尻目に、吹寄は深いため息を吐いてヘッドホンを外した

 

 

「・・・消滅。1分18秒」

 

「・・・・・」

 

 

しんと静まり返った部屋に、美琴は喉の奥から何かがせり上がってくるような奇妙な感覚を覚え、湯呑みに残っていた緑茶でそれを無理やり押し戻した

 

 

「協力ありがとう、吹寄君。それとすまなかったね御坂君。悪趣味極まりないと思うだろうけれど、こればっかりは直接観てもらう以外には説明がつかなかったんだね」

 

「・・・ええ、その気持ちは分からなくないわ。私も最初にこの子を見た時のことを詳細に説明しろ…なんて言われても、正直自信ないもの」

 

 

美琴は額に滲んでいた脂汗をブレザーの裾で拭いながら、先のモニターを見ても顔の筋肉一つ動かしていない自分のクローンを見つめながらそう言った

 

 

「結果から言うと、僕を含め数人のフラクトライトの複製を試したが、例外なく己がコピーであるという認識に耐えることはできなかったんだね」

 

「・・・さっきのがその実例ってことね」

 

「その通り。だが、そこで僕が気づいたのは君の妹さん達についてだ。事と次第によっては、君の妹さん達は脳の隅まで君そっくりに再現されている『複製』という如実な例であるのに、何度も自分と同じ顔と鉢合わせても別段取り乱すことはないね。なんでか分かるかい?」

 

「・・・!複製された時点で脳からフラクトライトが抜け落ちていたか、自分がコピーだと認識した時点で、今の実験みたいにフラクトライトが崩壊したから…!」

 

「ご名答。まだそのどちらが正解かは分からないが仮に後者であった場合、僕が思うに彼女達は漏れなく生まれてから間もない期間に『学習装置』で知識や人格形成をこれによって補うわけだね。この学習装置を使用した瞬間に、脳内のフラクトライトは自分が複製されたものであると自覚。コピーであるという認識に耐えられなくなって崩壊したのだと思うね」

 

「だからこの子達は自分の複製を見ても意に介さない…コピーだと認識するフラクトライトが、自分も知らない内に既に崩壊していたから!」

 

「まぁクローンの脳ではフラクトライトまで再現できないと言われてしまえばそれまでだがね。ちなみに19090号君には、過去に布束君に入力された感情データがあるせいで、他の子に比べれば情緒もそれなりにあるみたいだね。けれどそれも本人の体験した出来事を、脳が入力されたデータ通りの感情に変換して処理しているだけで、それをフラクトライトであると定義することは出来ないね」

 

「なんだか言葉だけ取るとヒデエ言われように聞こえます。と、ミサカはプンスカと腹を立てているように見せます」

 

「ごめんごめん。別にそんなの関係なしにアンタは私の自慢の妹だから、安心しなさい」

 

 

腕を組んで膨れっ面になったミサカ10032号に、美琴は左手を立ててごめんと謝りながら、残った右手で彼女の頭をわしゃわしゃと少し雑に撫でた。まるで本物の姉妹のような振る舞いに、二人を見ていた吹寄は口元が緩んだが、冥土帰しはそのまま話を続けた

 

 

「話を戻すと、フラクトライトの複製は不可能だったわけだね。では、まるごとコピーが無理なら、次はどうすればいいと思うかね?」

 

「・・・大体の想像はつくわ。生まれたばかりの新生児の、何も学習していない無垢なフラクトライトをコピーしたんでしょう?」

 

「ほほぉ…これは本当に驚くべき洞察力だね。最初に吹寄君が言った通り、これはいよいよ僕らは分が悪いかもしれない。その通りだね。幸いここは産婦人科も開いているから、保護者の同意さえ得られれば、後は困ることはなかったね」

 

「御託はいいわよ。もうここから先、何を言われてもそう驚くことないだろうから。次はコピーした新生児のフラクトライトを培養液に浸して、丁寧に育成しましょうって感じかしら?」

 

「君の方こそ謙遜はよした方がいいね。本当はそれも分かっているんだろう?上条君の書いたレポートの中に、それに打ってつけの物があったじゃないか」

 

 

まるでこちらの心の内を全て見透かされているような冥土帰しの視線に、美琴は鋭く息を呑んだ。ここに来るまで話す姿勢や口調でどうにか同じ土俵に立とうと必死だったが、もはやそれは不毛な努力だと分かった

 

 

「・・・STLが作り出す仮想世界…『アンダーワールド』ね」

 

「その通り。僕らはザ・シードを使って小さな村と周囲の地形を作り、アンダーワールド内の管理の為にカーディナル・システムを搭載。STL用に変換したそれを、上条君のレポートと同じくアンダーワールドと定義し、一番最初に作った村に当病院の医師男女4人に協力いただいて、STL内で18年間に渡って男女8人ずつ、計16人のAIの赤ん坊を育ててもらったんだね」

 

「・・・18年って言ったって、どうせこっちの時間じゃ3、4日かそこらでしょ?」

 

「うむ。上条君のレポートにもあったフラクトライト・アクセレラレーションの実現にも僕たちは成功した。限界で内部時間の流れを5000倍まで加速させることが可能になったんだね」

 

「5000倍!?」

 

 

もう何を言われてもそう驚くことはないと豪語していた美琴だったが、その数字には驚きを隠すことが出来なかった。しかし冥土帰しはすぐさま首を横に振ってそれを訂正した

 

 

「けれどそれはあくまで、実際に脳が負担を負うことはない…便宜上『人工フラクトライト』と呼ぶが、育てられた16人の人工フラクトライトである彼らのみの場合だね。僕の見立てでは、生体組織としての脳とは別に魂自体にも年齢があるんじゃないかと睨んでいる。だから協力してもらった男女4人がSTLにいた期間はおよそ一週間。内部時間の加速はおよそ1000倍に制限したね」

 

「・・・それだって十分早いと思うけどね」

 

「そしてあっという間に成長した16人の人工フラクトライト達は、皆とても従順で善良に育ち、次第には異性へ好意を持つ男女が現れたんだね。それを機に僕たちは16人の夫婦を互いに8組の夫婦とし10人前後の赤ん坊を与え、協力してもらった男女4人の医師は老衰で死去した…という触れ込みでSTLから出てもらったね」

 

「で、生身の人間がいなくなったから内部時間を5000倍に加速させた…と?」

 

「そうだね。8組の夫婦は自分達の育ての親に倣って、与えられた子どもをこれまた善良に育ててくれた。彼らの子息である少年少女達も、あっという間に成人して新たに家庭を持った。そうして子孫繁栄と世代交代を繰り返す内に、ついには人工フラクトライト自ら村を、街を作り上げていき、現実世界での3週間、内部世界での300年が経過した頃には人口8万人という一大社会が形成されるに至ったんだね」

 

「・・・そりゃ結構なことで」

 

「吹寄君、モニターに『セントリア』の様子を出してもらっても?」

 

「あ〜ちょっと待ってて下さい。今ちょっと『穴』直してるので」

 

「・・・穴?」

 

「あぁ、なにせ本当に急造品だからね。たまにアンダーワールドにデータ容量が足りないせいなのか、『電子の穴』のようなものが出来ることがあるんだ。まぁ特に問題があるわけではないがね」

 

「そりゃまたなんとも…アンダーワールドがアミューズメント向けの仮想世界だったら非難轟々でしょうね」

 

「て、手厳しいねぇ…あっはっは」

 

「はい、修正完了。じゃあ今セントリア出しますね…っと」

 

 

吹寄はパソコンのキーボードにカタカタと何かを入力していき、仕上げにエンターキーを押すと、今度は先ほどの実演に使った巨大なモニターだけでなく、その周囲に取り付けられた無数の小さなモニターにも電源がつき、それぞれがなんとも美しい街の情景を映し出した

 

 

「・・・これを、その人工フラクトライトが作り上げたって言うの?」

 

「驚きだろう?現在は実験開始から既に480年が経過し、ここ人界の首都セントリアの人口はアンダーワールド全体の約4分の1である二万人が暮らしているんだね」

 

「学園都市の人口には遠く及んではいないけれど、学園都市とは比べ物にならないくらい綺麗な街みたいね。どういう意味で、とは言わないけど」

 

「いや、全くもって君の言う通りだね。この街は美しく整いすぎている。君の言わんとしている意味も含めてね」

 

「え?」

 

 

皮肉混じりに言ってみただけだったにもかかわらず、冥土帰しは美琴の言葉を素直に肯定したため、美琴は戸惑いを覚えた。冥土帰しは長く喋って喉が渇いたのか、残りの緑茶を全て飲み干すと、一際大きくため息を吐いて話を再開した

 

 

「現時点で人工フラクトライトはボトムアップ型人工知能として期待どおり…いや、期待以上の成長を遂げてくれたね。これなら次の段階へ進むことができる…そう考えた矢先に一つの重大な問題が起こった」

 

「じ、重大な問題って?」

 

「法律よ」

 

 

いい加減聞きっぱなしの時間に飽きたのか、吹寄が冥土帰しと美琴の会話に割って入った。美琴は彼女の突然だった声に少し驚いたが、その驚きはすぐに吹寄の発した単語に対する疑問に変わっていた

 

 

「法律…?」

 

「人工フラクトライト達はね、私たちが気づかない間にセントリアに『公理教会』なる行政機関を設けて、『禁忌目録』という名の法律を作り上げてたの」

 

「そ、そんなことまで…」

 

「なんせ現実の5000倍の速さで動かしてるわけだから、気づいた時にはとっくに施工されてたのよ。そして、いざソイツに目を通してみると、そこには現実世界と同じように殺人を禁じる一項もあった。でも現実の人間がいかにそのルールを守らないかは、御坂さんも十分知っているでしょう?」

 

「まぁかくいう私も、法律よりよっぽど緩い校則にすら違反してるわけだけしね。街中でも問答無用で能力ぶっ放す時だってあるし」

 

「ところが、これを人工フラクトライト達は従順なまでに守るのよ。もはや守りすぎるほどにね。道にはゴミの影すらないし、泥棒は1人としていない。殺人なんて以ての外」

 

「これが僕たちにとっては非常に問題なわけだね。プロジェクト・アリシゼーションの目的に既に目を通している君なら、それが何故か分かるね?」

 

「・・・第三次世界大戦で人を殺せる人工知能の作成…そのためのボトムアップ型人工知能、ひいては人工フラクトライトだからでしょ?」

 

 

美琴の言葉に、冥土帰しは実にバツの悪そうな顔を浮かべたが、やがてゆっくりと深く頷いた。そんな彼を見た吹寄もまた、どこか淀みのある視線を下にやった

 

 

「なら、なんで先生がわざわざこんなことをするの?第三次世界大戦って言っても、そんなの四年も前の話で、SAO騒動で学園都市を中心に世界中が混乱して、結局は開戦せずに終わった話でしょ?その時の計画をなんだって今さら掘り起こしたのよ?アイツの書いたレポートがあったから?」

 

「・・・それは、だね…」

 

「先生はね、もう決して長くないのよ」

 

 

疑問を投げかけた美琴に答えたのは、質問を受けた冥土帰し本人ではなく、吹寄の方だった。彼女の言葉と、それを彼女に言わせてしまったことに複雑な表情を浮かべる冥土帰しを見て、美琴はその言葉の意味を知った

 

 

「脳腫瘍。それも特大のヤツ。気づいた時には、もう手の施しようがない大きさにまで膨れ上がっていたの。手術したところで、とても摘出しきれない。例え摘出したとしてもその場しのぎにしかならないし、必ず何処かに後遺症が残る。いつ植物状態に陥ってもおかしくない」

 

「僕の腕だったら問題なく全摘できるんだけど、それは他人だったらの話でね。流石に自分で自分の頭を開いて、寸分も狂いなくメスを入れるなんてことは出来ないからね」

 

「・・・それは、気の毒なことだわ」

 

「お気遣い痛み入るよ。だが僕は死ぬまで医者だし、死んでも医者だ。そこに僕の手で救える命があるのなら、僕は例えこの命を投げ打ってでも、必ず救ってみせる」

 

 

他に言葉が見当たらず、同情のような形で言った美琴に対し、冥土帰しは自らの内に眠る信念を力強く語った。その瞳には、死と隣り合わせの状況にある人間だとは到底思えないほど強く、燃えるような決意が宿っていた

 

 



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第24話 積み重なる嘘

「確かに、先生のその思想は立派なものかもしれない。もう猶予がないって、必死になるのも分かる」

 

「ご理解いただけて嬉しいよ」

 

 

冥土帰しの真剣な瞳を、美琴もまた真っ直ぐな視線を向けながら答えた。その言葉に冥土帰しが礼を言うと、美琴はその礼を受け取らずに首を振った

 

 

「いいえ。それでも私はその思想を理解するわけにはいかない。先生たちには、まだ重要な視点が欠け落ちている」

 

「『人工知能の権利』。だろう?僕だってそれは重々承知の上だよ」

 

「!!!!!」

 

「むしろ、君の妹さん達の事情を理解している僕達がそれを考慮していないとでも思ったのかい?もしそうだとしたら、その方が僕としては心外だね」

 

 

さも当然のことかのように、冥土帰しはそれを口にした。まさかそれすらも見透かされ、あまつさえ反論されるとは思ってもなかった美琴は驚愕するばかりで、続く言葉を見つけるのに時間がかかった

 

 

「で、でもっ!先生達の言う人工フラクトライトには、人間と同等の思考能力があるんでしょう!?だとしたら普通の生きてる人間と変わらないわ!そんな子たちに人殺しをさせるなんて、そんなの間違ってる!」

 

「では君が、とある軍隊を率いる隊長に就いたとするね。その時君は、君の妹さん1人に銃を担がせて戦地に送り出すか、自分が育てたアバターのデータ1つを戦地に送り出すか、という選択を迫られた時、果たしてどちらを選ぶかな?」

 

「そっ、それは……」

 

「先生、お姉様にその選択を迫るのは例え話にしたって残酷すぎます。と、ミサカは自身の命の重さを主張します」

 

「あっはっは。それはすまなかったね。けれど、つまりはそういうことなんだ。肉体がある、というのはそれだけで周りの人間に影響を及ぼす。それを殺す側にしたって、生身の人間を殺していると考えるよりも、機械を壊していると考えられた方がいくらか気は紛れるだろうね?」

 

「そんなの詭弁よ!どっちにしたって人殺しの道具を作ってることに変わりはない!人を救うために人を殺す人工知能を作るだなんて、そんなの矛盾してる!」

 

「たしかに、矛盾していると捉えることも出来るね。だが、その矛盾で失われずにすむ命が少なからずある訳だね。そのためなら僕は、喜んで地獄の釜に肩まで浸かってみせるよ」

 

「だ、だけどっ…!」

 

「御坂君の言いたいことはよく分かる。けれど僕にとって一つの人工知能の命は、目の前で失われる患者の命一つと比べて、あまりにも軽いんだね」

 

「そっ…そんなこと言われたって…納得できるわけが…!」

 

「くどいっ!!!」

 

 

反論のことごとくを切り返され、段々と声がくぐもっていく美琴を一喝したのは、吹寄の声だった。場をピシャリと沈めた彼女の怒声に、美琴はおろか冥土帰しすらも、肩をビクリと浮かばせた

 

 

「あのね、御坂さん。あなた何か勘違いをしているようだから言わせてもらうけど、私たちはなにも、あなたに納得してほしいからこの話をしてるんじゃないの。あなたが知りたいと言ったから、自力でここまでたどり着いたあなたには、当然に知る権利があると思うから話しているの」

 

「私だって、この計画が人道的なものだとはハナっから思ってないわ。だからさっき私はあなたと同類だって言ったの。正確に言えば同類どころか、幼い頃に騙される形で巻き込まれた御坂さんより、理解して協力してるだけ私の方が罪は重いかもね」

 

「言ってしまえば私だって、最初こそ巻き込まれるような形で先生に協力したわけだけれど、それでも迷いなんてしなかったわ。この先世界から戦争がなくなることはない。そんなのは一々考えなくたって分かる」

 

「人道的とか、倫理とか、正義とか、そんなことはどうだっていいの。そんなものを振りかざすだけで世界が平和になるのなら、どの道戦争なんて起こってない」

 

「あなたも過去に妹さんのことや、仮想世界に深く関わった身として、自分なりの正しさだったり、思うところがあるのはとても立派よ。だけど先生には、もうそれに構ってあげられるほどの余裕も時間もない」

 

「今この瞬間にも、私たちの肩には、何百、何千、何万、何十万という、未然に救うことのできる命が懸かっている。御坂さんは、この命を見殺しにできるというの?私には絶対に出来ない。絶対にね」

 

「これでもまだ私たちの計画を止めたいというのなら、どうぞ自分の正義を語って止めに来るといいわ。だけど私たちはそんなものじゃ止まらないし、止まれない。もし世間が私のことを血も涙もない殺戮者だと吊るし上げるなら、それも結構。もし今後、あなたの謳った正義で救えた命があったのなら、地獄の底で片手間くらいには聞いてあげるわ」

 

 

吹寄がそう締めくくると、口をへの字に曲げたまま椅子の背もたれにドカッと身体を預けた。美琴もまた彼女の言葉が心に重くのしかかり、両手を膝の上で握りしめながら頭を垂れ、目に見えて落胆していた

 

 

「あ〜…なっはっは。まだ大学生の吹寄君にここまで言わせてしまうとは…僕も指導者としてはまだまだみたいだね。けれど御坂君も誤解しないでほしいんだね。僕らは決して君の志が……」

 

「・・・いいですよ、慰めなんて。否定しないあたり、先生も吹寄さんと同じってことですよね。私がどれだけ反論したところで、絶対に辞めることはない。それに今の先生と吹寄さんの言葉聞いたら、自分の方が正しいなんてとても思えませんから…」

 

「そう気を落とさないで御坂さん。世の中には『絶対に正しいもの』なんてないのよ。どの口が言うんだって思うでしょうけれど、私も言葉がキツくなりすぎたと思う。ごめんなさい」

 

 

吹寄の言葉に、美琴は俯きながらも大きく首を振った。「頼むから今はもう何も言わないでくれ」と、口にせずともそう言っている気がして、冥土帰しと吹寄はそれ以上彼女に言葉をかけることはなかった。それから1分ほど経った後に、美琴は自分のショートヘアを振り払いながら顔を上げた

 

 

「・・・ごめんなさい、お待たせしました。先生たちの事情も、理由も…理解しました。でも、最後にこれだけは聞かせてください」

 

「うん、どんな質問にも答えるんだね」

 

「なんでアイツを、この場所に連れ込んだんですか?」

 

 

それが、美琴がここに来た本当の理由であることはその場にいる全員が理解していた。少しの沈黙の後、冥土帰しは美琴と視線を合わせ口を開いた

 

 

「実を言うとね、上条君をここに連れて来たのは、別に彼にSTLの内部に入ってもらうことが目的ではなかったんだね」

 

「保護、ですよね。ここに来るまでに…というか、都市伝説の掲示板でプロジェクトに目を通した時からそんな予感はしてました」

 

「・・・あぁ、その通りだよ。彼の拉致監禁は、彼の身を守るためだね。僕たちはボトムアップ型人工知能の開発が目的だが、STLはその性能や人の魂を観測するという本質から、利用価値は非常に多岐にわたり、裏表を問わずあらゆる組織、あらゆる分野の人間が欲するだろうね。御坂君も知っての通りだろうけど、学園都市の暗部には…」

 

「先生、話の腰を折るようですいません。少しだけ時間を下さい。御坂さん、これ見てもらえる?」

 

 

美琴がそう言うと、冥土帰しはゆっくりと頷いた。すると彼の言葉を待たずして、吹寄が美琴の注意を引き、パソコンにある映像を表示した

 

 

「ふ、吹寄君…それ、見せるのかい?僕としてはその映像を見せなくとも、説明には何の支障もないわけだけど……」

 

「いいんです。見せるとしたらこのタイミングしかありません。それに、他でもない私がコレを御坂さんに見てもらいたいんです。あれだけ豪語しておいて、自分は嘘を突き通すなんて、そんなのフェアじゃありませんから」

 

「・・・これって、細工する前の監視カメラの映像?」

 

「そうよ。ちょっとショッキングな映像が流れるけど、我慢してね。それと、最初に謝っておくわ。ごめんなさい」

 

「・・・え?それってどういう……」

 

 

まるで美琴の追及から逃げるように、吹寄はカーソルを映像の再生ボタンに合わせ、マウスをクリックした。再生が始まったその映像には、学園都市の通りの歩道で互いに向かい合って立つ2人の男女の姿が、斜め上あたりから映し出されていた。何分か話し合って満足したのか、別れを告げたように2人は背を向けて歩き出した、次の瞬間だった………

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

美琴は鋭く息を呑んだ。背を向けて歩き出してから間も無く、2人の男女はもう一度向かい合った。だが先ほどとは違って、女の手には黒い拳銃が握られていた。映像の中で半歩後ずさった男がその光景に目を疑う頃には、女の手から凶弾が放たれていた。男はそのまま地へと膝をついて倒れこみ、円のように広がっていく血の海へと沈んでいった。そして男の意識を完全に刈り取るように、女は無抵抗の男にもう一発銃弾を撃ち込んだ

 

 

「・・・嘘……」

 

 

それから10秒と経たずに、どこからともなくテールランプを赤く光らせる救急車が近くに停車し、中から4人の救急隊員が倒れた男の元へと駆け寄った。顔が見えないようヘルメットを深く被っているが、それが全員、自分と同じ顔であることを美琴は分かっていた。隊員は2人がかりで男を担架に乗せ車内へと運ぶと、男を銃撃した女も続いて車内へと乗り込み、救急車はそのまま走り去っていった。現場に残った2人の救急隊員のうち1人はまだ固まっていない鮮血を何かの液体薬品で路肩の排水溝へと流し込み、もう1人が監視カメラの真下へ移動したのか姿が見えなくなった。それから5秒ほどした後に映像が途切れ、画面が暗転した

 

 

「・・・吹寄さん、撃ったの?」

 

「ごめんなさい」

 

 

それで十分だった。この映像は合成でもなんでもない、あの日に本当に起こった出来事だと、頭を垂れて謝罪の言葉を口にする彼女の姿を見れば嫌でも分かった

 

 

「・・・御坂君。誤解なきようお願いしたいんだけどね、これは僕の指示だね。拳銃を用意したのは僕だし、この方法が一番……」

 

「やめて先生。例えそうだとしても、その指示に従ったのは私だし、実際に上条を撃ったのも私。どんな大義名分があったにしても、これは誤魔化していいものじゃない。私が背負うべきものなの」

 

 

吹寄を庇おうとする冥土帰しに、そんな気遣いは無用だとばかりに彼女自身が彼の言葉に割って入り、心中を吐露した。美琴は暗転した映像をしばらく見続けた後、そっと目を閉じて、吹寄の方へと向き直った

 

 

「一つだけ確認させて。これは、アイツを守るためにやったことなのよね?そしてアイツが撃たれた場所は、もう問題なく治ってるのよね?」

 

「勿論だ。執刀は僕が担当し、傷痕も残らないよう完璧にオペした。隣の部屋で眠る彼には何の後遺症もないし、身体には傷一つ残っていないよ。もっとも、四年前の夏休みに君と妹さんを守るために負った傷で死んでない彼の生命力の強さもあると思うけどね」

 

「・・・分かった。それなら私は、先生と吹寄さんには、何も言わない。ただアイツが起きたら絶対に謝って。アイツが許すまで」

 

「・・・ありがとう、御坂さん」

 

 

屈託のない顔で美琴は言った。吹寄はたしかにその免罪符を彼女から受け取ると、感謝の言葉を述べて深く頭を下げた

 

 

「ええ。それはそれとしてアンタ、アイツのこと運ぶの雑すぎよ。仮にも撃たれてんだから、もっと丁寧に運べなかったわけ?」

 

「えー、それはねーよ。と、ミサカは身内に対してあからさまに厳しいお姉様にケチをつけます」

 

「はっはっは。それは僕の指導不足だね。やはり僕は指導者には向いてないみたいだね。吹寄君、もういいかな?」

 

「はい。急に話に割り込んじゃってすいませんでした」

 

「いやいや、これはとても重要なことだね。僕は自ら茨の道を選んだ君のことを心の底から称賛するよ。それは並大抵の人間に出来ることじゃないね」

 

 

そう言って冥土帰しは吹寄の肩に手を置いて優しく微笑んだ。それから場を取り持つように軽く二、三回咳払いすると、再び神妙な面持ちで語り始めた

 

 

「話を戻すと、僕たちは彼をあえて襲撃することで彼を保護した。そうすることで、彼を狙うようになる他の集団への牽制になると思ったからだね」

 

「牽制…って言っても、もうこの監視カメラの映像は細工がされてて、真相に辿り着く人なんてそういないんじゃ…」

 

「それはあくまで、警備員や風紀委員といった公的な組織に気づかれないためさ。彼らに察知されては、吹寄君は学園都市中に指名手配されてしまうからね。ところが、裏社会に生きる彼らの嗅覚は凄まじい。どこからか必ず情報を嗅ぎつけて、あっという間にあの映像の細工に気づくだろうね。だから先んだって、細工する前の映像は既に裏社会の界隈に流してある。もちろん吹寄君の顔が見えないようにしてね」

 

「じゃあ、なんでわざわざ学究会の発表の後に?発表する前なら、ほとんど目なんてつけられないでしょう?」

 

「それがそうもいかないんだね。学究会のお題目は、数日前にはネットにアップされる。今年は『仮想世界の未来について』という触れ込みだったけれど、そこでSAO生還者としてそれなりに名前が売れている上条君が、発表予定だったにも関わらず欠席になったとして、御坂君が裏社会に通ずる人間だった時、どう考えるかな?」

 

「・・・何者かに拉致されたんだと考えるのと同時に、拉致するだけの価値があるレポートを手がけていた…そう考えますね」

 

「うん。そうなれば後は早いもの勝ちだね。彼を拉致した組織を探しだし、彼を奪取しようとする可能性が出てくる。そうなれば万が一バレた時、僕らどころかこの病院の職員や患者も危険に晒される。けれど発表した後なら、最重要であるレポートはある程度世に広まる。レポートさえあれば、後は自力でなんとかしようと考える集団も出てくるね」

 

「それに、アイツを狙おうとする団体は俺たちだけじゃないハズだって組織同士で睨み合いになる。もしそんな状態で真っ先に手を出したら、いくつかの組織で徒党を組んだ連中に袋叩きにされるかもしれない…という不安要素が生まれて牽制になる。加えて学究会という公の舞台での発表の後だと、表社会にも知れ渡るから連中は行動しづらくなる。と…そういうことですね?」

 

「お、おお…もはや僕が説明するまでもなかったね。おっしゃる通りなんだね。少なからずそういった組織には、資金繰りなどの影響で派閥みたいなものもあるらしい。だから発表した直後に襲撃された…という筋書きの方が僕らにとっては都合が良かったんだね」

 

「だからあまり時間をかけずにとっとと上条を大学内で拉致したかったんだけど、あのジョニー・ブラックとかいう変人のせいでかなり予定が狂って焦ったわ。まぁ簡単に撃退できたから良かったけど」

 

「いやぁ、あの時の吹寄君の正拳突きは実に見事だったね。まぁそんなこんなで多少予定にズレは起こったが、無事に上条君をこの病院に匿うことができたわけだね。こんな端くれの民間病院の老人集団が攫ったなんて、連中は夢にも思わないだろうけどね」

 

「先生、私まだ今年で20歳のピチピチの若者なんですけど。老人集団だなんて先生と一緒にしないでいただけます?」

 

「おっと、これは失敬。でもね吹寄君、ピチピチなんて言葉は、僕らの年代でももうほぼ死語なんだね。それに君、まるでオバさんなんじゃないかと思うくらい健康グッズ買い込んでるじゃないか。それを踏まえるととても若者とは…」

 

「それ以上言うなら、もう一度拳銃をお借りしても?あぁ、頭に当たれば腫瘍が少しは小さくなって長生きできるかもしれませんね」

 

「こ、これはこれは……」

 

「ブラックジョークにしたって切れ味鋭すぎです。と、ミサカは目が笑っていない吹寄さんにガクガクブルブルします」

 

「あ、あははは……」

 

 

こんな状況だというのにも関わらず、冗談を飛ばしあえる彼らに、美琴は苦笑いを浮かべると、その雰囲気に流されないように話を戻した

 

 

「で、アイツを連れ込んだ本当の目的が保護だってことは分かりました。じゃあ、なんでアイツは今STLの中に?」

 

「・・・なぜ人工フラクトライトは禁忌目録に背くことができないのか、それはライトキューブに保存されたフラクトライトの持つ構造的な問題なのか、あるいは育成過程に問題があったのか、あらゆる可能性を僕は検討したね。前者であれば保存メディアの設計からやり直す必要があるが、後者ならば修正できるかもしれないからね」

 

 

訊ねてきた美琴に、少し間を取ってから冥土帰しはその質問に答えた。そして顎に手をやって思考を巡らせてから、もう一度話を切り出した

 

 

「御坂君は上条君のレポートを読んでいるのなら、STLが使用者本人のフラクトライトに情報を書き込んだり、記憶をブロックしたりすることが出来るのは分かっているね?」

 

「ええ、知ってるわ」

 

「そこで、僕らは一つの実験を試みた。本物の人間の記憶を全てブロックして胎児の状態へと戻し、アンダーワールドの中で成長させることにしたんだね。その行動パターンが人工フラクトライトの同一になるのか、それを確かめるために」

 

「胎児にして成長させるって…具体的にはどのくらい?」

 

「10歳くらいまでだね。禁忌目録を破れるかどうか知るにはそれくらいで十分だからね。無論、向こう側の記憶は目覚める時に再びブロックされるから、現実に戻った時にはSTLに入った時と全く同じ状態が保たれているわけだね」

 

「で、生身の人間を突っ込んで成長させたその結果は?」

 

「僕と吹寄君、そして病院の職員2人でそれぞれ異なる村や町といった生活環境に身を置いて成長実験を行った。しかし結果は驚くべきことに、その10年で禁忌目録を破った者は誰一人としていなかった。しかし重要なのは結果ではなく、その10年間の僕らの生活の方が問題だったんだね」

 

「問題…というのは?」

 

「私と先生を含め四人全員、人工フラクトライトの子供たちよりも非活動的で外に出ることを嫌い、周囲にうまく馴染めなかったのよ。早い話が、目的の実験にすら到達できなかった…というところかしら」

 

 

美琴の疑問に吹寄が割り込みながらそう答えると、パソコンに四分割したウィンドウを開いた。そこにはグラフのようなものが表示されており、それを指差しながら説明し始めた

 

 

「これはね、私たちが仮想世界にいたことがある経験と、どれだけの期間アンダーワールドで活動できたかを比較したものよ。私と博士がほとんどゼロなのは言わずもがななんだけど、協力してくれた職員の2名の内、1人は週3回、1人はなんとダイブしない日はほとんどないくらい仮想世界に経験がある人だったんだけど、この2人もアンダーワールドで外に出て誰かと接していた時間に、そう大した差はなかったの。これを私と先生は、仮想世界に対する違和感だと推測したわ」

 

「違和感…っていうのは?」

 

「私たちがSTLでブロックしたのは生まれた後の記憶だけで、それも消滅するわけじゃないわ。そうじゃなきゃ現実に戻って来られなくなっちゃう訳だからね。つまりブロックした記憶の『知識』ではなくて、体の動かし方に代表される『本能』が、私たちが仮想世界に馴染むことを阻害したんだと思う」

 

「でも確か、アイツのレポートが言う分にはSTLはフラクトライトに保持する記憶的視覚情報を直接書き込むから、使用者が体感する仮想世界はナーヴギアやアミュスフィアとは比べ物にならない、限りなく現実に近いものだって言ってた気がしたけど?」

 

「いかにSTLの生み出す仮想世界が限りなく現実に近いとは言っても、所詮はザ・シードで作成した仮想世界に過ぎないからね。やっぱり現実世界との動作の感覚は微妙に違うのよ。御坂さんだって、今でこそ新しいVRゲームを始めてもそんなに疲れたりしないかもしれないけれど、SAOを始めた当初は少し歩きづらかったりしたでしょう?」

 

「つまり問題は…仮想世界への慣れ?」

 

 

言葉の語尾を少し上げながら、同意を求めるような口調で言った美琴に対し、吹寄は首を大きく縦に振ることで答えた

 

 

「散々実験を繰り返してから、仮想世界に慣れている人間が必要だと、そこで私たちもようやく気づいたの。それも1週間とか1ヶ月とかじゃなく、年単位でダイブしっぱなしだった経験のある人間が」

 

「・・・それが、アイツが今隣にいる理由なのね」

 

「そう。そんな人材が、なんと偶然にも手術を終えて私たちのそばに横たわっていた」

 

「なんとも皮肉な偶然ね。もしも目が覚めてたら、不幸だーって喚いてたのかしらね」

 

「かもしれないわね。まぁ、原因は私たちにあるわけだけど…」

 

 

美琴は向こう側で上条の寝ている壁を見つめると、少し苦笑するように言った。彼女の言うように叫ぶ上条を想像した吹寄も、少し目を俯かせながら同意した

 

 

「えっと…それでさっきも言ったけど、私達には本当に時間がないの。上条が起きてこの説明を聞いてくれれば一番いいんだけど、説明を聞いても反対して協力が得られない可能性だって捨てきれなかった。だから私たちは術後寝たままだった上条を、そのままSTLでアンダーワールドにダイブさせたの」

 

「それは…現実の記憶をシャットアウトして胎児に戻した状態で?」

 

「いえ、そうはしなかったわ。私が撃った弾は、実は結構当たりどころが悪くてね。監視カメラにも映ってたと思うけど、かなりの量の血液が体外に出たの。だから今上条の身体には、圧倒的に血が足りてない。それは脳も同じで、そんな状態で生後の記憶を丸ごとブロックなんてしたらどうなるか予想がつかない。最悪の場合、全ての記憶を忘れてしまうかもしれない。危険すぎるって結論に先生と話し合った末に至ったの」

 

「だから彼の場合は、STLの中で目覚めた時、吹寄君に撃たれたことがフラッシュバックして精神に異常を来さないよう、その部分だけ記憶をブロックして、彼と似通った身体データを作成してアンダーワールドに送り込んだ訳だね。もちろん、今はきちんと輸血を行いながら経過を見守っているね。彼の治療体制はどんな大病院にも劣らない。僕という専任の医師が常に備えているわけだしね」

 

 

吹寄の言葉に続いていくように冥土帰しが言うと、最後には自分の胸をドンと叩き、オマケにウインクしながら上条の身の安全を訴えた

 

 

「じゃあアイツは今、一体どれだけの時間をSTLで過ごしたんですか?」

 

「えーっと、今が12時だから…現実世界ではそろそろ丸一日経つ頃だよ。STL内の時間加速は1000倍にしてるから…2年とちょっとくらいだね。折角だから、彼の様子を実際に見てみるといい。吹寄君、御坂君を彼の元へお連れしてもらってもいいかな?」

 

「はい。分かりました。それじゃあ御坂さん、私についてきて」

 

「え、いいんですか?」

 

「いいも何も、君は元よりそのためにここに来たんだし、断る理由がないね」

 

「ありがとうございます。それじゃあ吹寄さん、よろしくお願いします」

 

「おっけ。足下気をつけてね。この部屋無駄に薄暗いから」

 

 

そう言って白衣を翻しながら歩いていく吹寄の後ろを美琴が追っていき、やがて部屋の一番端の方へたどり着き、この部屋にたった一つのドアから出ていく音がしたのが分かると、冥土帰しは緊張を解くように深くため息を吐いて背もたれに身を預けたが、ミサカ10032号はそんなお疲れの様子の彼にも躊躇わず声をかけた

 

 

「先生、嘘をついていましたね。と、ミサカは確信しています」

 

「え?ど、どうしてそう思うんだね?」

 

「あの人の記憶の操作についてです。先生は嘘をつく時、ほぼ必ず自分の身体のどこかを触ります。と、ミサカは付き合いが長いなりの分析を披露します」

 

「・・・あっはっはっは!参ったねこれは。たしかに言われてみればその通りかもしれないね」

 

「嘘をついた理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?と、ミサカは質問します」

 

「ん〜〜〜…他のみんなには内緒にするって約束できるかね?」

 

「はい、約束します。と、ミサカは一時的にミサカネットワークとの接続を遮断します」

 

 

特大のため息を吐いた直後であるというのに、冥土帰しは先ほどよりも更に特大のため息を吐き出し、自分の中の酸素を全て出し切ると、ミサカ10032号を信じて話し始めた

 

 

「実は件の彼はね、四年前の夏に、生まれてからそれまでの記憶を全て失っているんだね。彼はそれをずっと周囲の人間にはひた隠しにしている。だがここで彼を胎児の状態に戻すために記憶をブロックしようとしてしまうと、彼のあまりの記憶容量の少なさに吹寄君がその事実に気づいてしまうのではないかと考えたんだね」

 

「だから僕は彼の健康状態を理由に、記憶をブロックすれば障害が残るかもしれないなどという嘘をついた。本当は記憶を全てブロックして胎児の状態でダイブさせても、なんら問題はないんだね」

 

「・・・そうだったのですね。と、ミサカは衝撃の事実にちょっと驚きます」

 

「ははっ。きっと胎児の状態になった彼の方が、実験に大いに役立ってくれたと思うんだが…それは僕の患者である彼の意に沿わないからね。それは医者である僕の心情的には出来なかった」

 

「そうですね。それで仮にアリスが完成したとしても、彼の心持ちは複雑でしょう。と、ミサカは先生の優しい嘘を肯定します」

 

「そう言ってくれると嬉しいよ。もっとも彼がこの状況で手放しに喜んでくれるとは思っていないんだけどね。あぁ、早速で悪い悪いんだけど、僕の部屋から服用薬を持ってきてくれるかな?近くにペットボトルに入った水もあるから、それも一緒にね」

 

「承知しました。ただ今お持ちします。と、ミサカは一旦この場を後にします」

 

 

バタン!という音を最後に、巨大な部屋の中に冥土帰しはたった1人残されていた。電子機器の明滅する光と、圧倒的な静寂のみが漂う空間で、ただひっそりと、孤独を紛らわすように彼は呟いた

 

 

「結局、どれだけ多くの命を救えるものを考えついたとしても、彼という目の前の患者の事情を優先してしまったあたり、僕はまだまだ医者で、君と同じ『人間』だということなのか…こんな僕を君はどう思うんだね?『アレイスター=クロウリー』」

 

 



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第25話 剣とイメージ

 

「・・・ふぅ」

 

 

年度始めの進級試験が終わり、上級修剣士となって1ヶ月ほどが経ったある日の暮れ方のこと。ユージオは上級修剣士寮の専用修練場で木剣を振り、型の稽古に励んでいた。彼の振る木剣を一身に受ける練習用の丸太には、既に幾つもの切り込みが入っており、それは全てユージオの努力の証だった

 

 

「シッ!」

 

 

上条からアインクラッド流剣術を学び、ゴルゴロッソからバルティオ流剣術を学んだ今も、決して慢心せず、こうして丸太に基礎の型を打ち込むのが彼の日課だった

 

 

(・・・僕は、この剣に何を込めればいいんだ…)

 

 

しかし、この日の彼の打ち込みは所々に荒さが目立ち、心ここにあらずといった様子だった。そんな彼の内側では、少し前に上条から言われた『ある言葉』が反芻していた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「イメージの力?」

 

「まぁ、俺が勝手にそう呼んでるだけなんだけどな」

 

 

上条とユージオが晴れて上級修剣士となって隣部屋になった数日後のことだった。二人は共有の居間で神聖術の書き取りの課題をこなしており、その片手間に話し始めたことがそもそものきっかけだった

 

 

「俺が思うに、この世界では剣に何を込めるかが重要なんだ。自分の中でイメージする強さが、剣の強さにそのまま現れるんだ。ソードスキ…じゃない。秘奥義なんかはその最たる例だ。最初の型に合わせて、技のイメージを昇華させることで剣が力を増すんだ」

 

「つまりは僕たちの意志の力が、そのまま剣に上乗せされるっていうこと?」

 

「端的に言えばそういうことだな。俺はこれをイメージの力と仮称することにした。まぁ憶測の域を出るもんじゃないけどな」

 

 

そう言いつつ何か手頃なものはないかと上条が一度身の回りを見渡すと、書き取りをしている用紙とは別で傍に置いてあるメモ帳に目をつけ、スラスラと羽根ペンを走らせた

 

 

「去年の先輩達を例に説明すると、ウォロ先輩の場合は『誇りと重責』」

 

「騎士団剣術指南役の跡取りに生まれた誇りと責任ってこと?」

 

「そうだ。そんでユージオの指導生だったロッソ先輩の場合は、鍛え上げられた鋼の肉体から生み出される『自信』」

 

「じゃあ、リーナ先輩は?」

 

「リーナ先輩の場合は、独自流派の担い手として、研ぎ澄まされた『技の冴え』だ」

 

「先輩たちの強さにはそれぞれ相応の理由があるんだね…じゃあ、今年主席と次席になったウンベールとライオスにもあるのかい?」

 

「あの二人はむしろ分かりやすいな。子どもの時から育て上げた巨大な『自尊心』だ。アイツらは他人と自分を比べることでそれを育ててきた。だから貴族でも央都出身でもない俺たちを事あるごとに馬鹿にしてくんだよ」

 

「お、穏やかじゃないね…」

 

「全くだ。それが力として昇華するにしても他人を蹴落とすってのは、なんとも世俗的な貴族然としているというか…それを剣に乗せるってのは如何なものかとカミやんさんは思いますねぇ」

 

「・・・じゃあ、僕は剣に何を込めればいいと思う?」

 

 

ユージオの質問に上条は一瞬呆気にとられたが、次第にくっくと笑うと頬づえを突いてユージオを指差して言った

 

 

「そりゃユージオ自身で見つけないとな。俺の教えた剣術はあくまでも足掛けで、心の在り方まで他人に委ねることねぇんだぞ?少なくとも言えることは、型の練習してるだけじゃ見つからねぇと思うぜ。まぁアレをやり続けられるユージオの勤勉さは十二分に凄ぇけど」

 

「それを言うなら、僕だってカミやんの実剣を事あるごとに振る癖は凄いと思うけど…」

 

「あ、あれは言ってもそんなに身にはならねぇよ。どうにかしてアインクラッド流の秘奥義を再現…もとい、増やせないもんかとただ闇雲に振ってるだけで、むしろユージオの型の練習のが、秘奥義のイメージ力には繋がりやすいんだぜ?まぁどっちにしたって、剣に込める何かに直結するようには思えねぇけど」

 

「じゃあそう言うカミやんは…『あの時』一体何をイメージしたの?」

 

「・・・・・」

 

 

ユージオのその問いかけに、上条は露骨なまでに口を閉じ、彼から視線を逸らした。そして唇を細めながら後ろ頭を掻きむしると、羽根ペンをメモから書き取り用紙に戻した

 

 

「・・・よ、よーっし。とっとと書き取り終わらせるかー。剣の才能がないカミやんさんは、どうにかして神聖術と座学で差を埋めないと…」

 

「いい加減はぐらかすのは止しなよ。カミやんだって、今自分がどれだけ学院で噂になってるか知らないわけじゃないだろう?中には面白がって、わざと話に尾ひれをつけてる人も出てきてる」

 

「・・・・・」

 

「僕は気にしないようにしてるし、カミやんも気にしないようにしてるのは全然いいと思う。だけど、もうそろそろ限界だよ。どの話も信じられないのは分かってる。だけど、あのウォロ先輩の剛剣に真っ向から拳をぶつけて粉々に砕くなんて、どう考えても普通じゃない」

 

 

上条はユージオの言葉の端々に、尖ったものを感じた。出会ってからおよそ二年間、彼が怒ったことは一度もなかった。だから、これが初めてだった。彼は今、彼の知りたいことに知らぬ存ぜぬを突き通している自分に対して、心の底から怒っているのだと分かった

 

 

「・・・先に断っておくが、俺もあの出来事が完全に理解できてるわけじゃないぞ?それでもいいってんなら……」

 

「いいよ。僕にとっては周りが囃し立てる話よりも、カミやんの口から出る言葉の方がよっぽど信じられる」

 

「即答とは…本当によくできた親友だよお前は」

 

 

そう言って上条は手にしていた羽根ペンを机の上に置くと、覚悟を決めたように深く息を吐いて話し始めた

 

 

「ユージオも分かっているとは思うけど、俺はあの時、ウォロ先輩の剣を拳で砕き割った。見間違いだと思うだろうが、これは間違いない」

 

「うん。そして、ウォロ先輩の体を壁まで殴り飛ばした」

 

「あぁ。俺はこれは多分、さっき言ってたイメージの力によるものだと思ってる」

 

「じゃあ、具体的には何をイメージしたの?」

 

 

ユージオの質問に、上条は口元を手で覆って数秒間なにやら考えを巡らせた。そして自分の右手をぼんやりと見つめると、それをゆるく握って口を開いた

 

 

「・・・俺はベクタの迷子…つまり記憶を失ったってことになってるんだが、なんというか、夢…みたいなモンでな、色んな世界を渡り歩いたのを覚えてるんだ」

 

「色んな世界って…この世界とは別の?」

 

「あぁ。そんでウォロ先輩に斬られそうになったあの瞬間に、その色んな世界の記憶の断片みたいなものがドバーッと流れ込んできて、目に見える光景全てがスローに見えるほど、感覚が今までにないくらい研ぎ澄まされたんだ」

 

「なんだろう…身の危険を感じたことでアドレナリンが大量に出て、頭の中で記憶がフラッシュバックしたってことなのかな?」

 

「詳しい理屈は俺にも分からん。だけど、俺はあの瞬間『俺の右手は剣にも負けない』っていう確信が持てたんだ。そしてその確信に任せて右手の拳を振り抜いた。それだけだ」

 

「・・・なるほど」

 

「それと二年前、ユージオと果ての山脈でゴブリンと戦った時にも、実は似たようなことがあったんだ。俺の右手が、ユージオを切ったあの一際デカいゴブリンの剣を砕いた。あの時は多分、絶対にユージオの敵を取るとか…そんな感じの事を考えてた。まぁイメージって言う割には、酷く抽象的だとは自分でも思うけどな」

 

 

記憶喪失の話は完全にでっち上げだが、他は全て正直に話した上条ですら、突拍子もない話だと思った。しかし、異能の力の定義すら分からないこの世界で幻想殺しを引き合いに出すのも難しく、この話で納得してもらう他なかった。そんな不安を内に秘めながらユージオを見つめていたが、やがて彼はさっぱりとした顔で言った

 

 

「にわかには信じられない話だけど、それはきっと僕がイメージの力を体現できてない先入観のせいもあると思う。これからは、そのイメージの力を僕も使えるように頑張ってみるよ」

 

「し、信じるのか?俺が言うのもなんだが、素手が剣に勝つなんて普通あり得ないだろ?」

 

「そりゃ普通はあり得ないけど、あり得ないことはまず起こらないじゃないか。ならそこには必ず起こった理由がある。まずはそれを探さないとね」

 

「・・・なんつーかお前…図太いな」

 

「他人事じゃないんだからね。カミやんの謎を解くためでもあるんだから、僕が剣に込めるものを見つけられるまで、ちゃんと協力してよ?」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

(とは言ったものの、貴族でも剣士でもない今の僕には、ルーリッドの森で何年もの間斧を振り続けた経験とカミやんから教わったアインクラッド流しかない……)

 

 

心の中で自問しながら、ユージオはひたすら丸太に木刀を打ち込み続けた。だが自問すれば自問するほど、自分の心の引き出しは想像以上に空っぽだということが分かるだけだった

 

 

(・・・いや、本当はもう一つあった)

 

 

その時ユージオが脳裏に思い浮かべたのは、幼馴染だった少女の笑顔。いつか必ず連れ戻すと誓った、アリスへの気持ちだ。そしてあの日、鎖に繋がれ連れて行かれるアリスを、見ていることしか出来なかった自分を責めた。そしてその片隅に、必死になって誰かに呼びかける小さな男の子がいた

 

 

(・・・そう言えば、誰だったんだろう…あの男の子。歳は僕と同じくらいで…どことなくカミやんに似てるような…)

 

 

飛竜に連れ去られてゆくアリスと、必死に叫ぶ男の子。そして見上げるだけの自分。こうして木剣を振っている間も、その光景だけは忘れることができない。そんな過去を想起させる内に、記憶の深いところまで意識が潜りかけた時だった

 

 

「おやおやユージオ殿。こんな時間まで鍛錬とは精が出ますなぁ。しかし丸太にひたすら打ち込むだけとは、まだ天職が体から抜けきっていないのではありませんか?」

 

 

出たよ…とユージオは心の中でため息を吐いた。考え事に耽っていたためか、死ぬほど嫌いなライオスとウンベールがこれほど近くにいるとは全く気づかなかった自分にもゲンナリしながら、木剣を握り直して丸太に向かって構えると、二人の貴族に構うことなく無視を決め込んだ

 

 

「そう言ってやるなウンベール。なにしろ流派があれほど珍妙なのだ。丸太くらいしか受けてくれる相手がいないのであろう」

 

 

初等練士の頃から、平民出の上条とユージオになにかと突っかかってくるこの二人だったが、進級試験で主席と次席に着いてからは更にひどくなった。しかしそれはユージオが一人でいる時のみで、上条がいる時はすっかりナリを潜めていた。やはりこの二人でもあの時の上条は異常だったと肌で感じ取り、自然と彼を遠ざけていることは明白だった

 

 

「これはしたり!そのような事情があるのなら同じ寮で修練する者として、せめて型の一つなりとも教示して差し上げるべきだったかな?」

 

 

ウンベールのその言葉に、無視を決め込んでいたユージオがピクリと反応した。もしかしたら、これは好機なのではないかと考えた。仮にもこの二人は学院の主席と次席。上条の言うイメージの力を少なからず持っているかもしれない。それを目にできるのならば…と思考を巡らせ、意を決して言った

 

 

「・・・それではお言葉に甘えて、一手ご教示願えますか。ウンベール修剣士殿」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「んでその結果、ライオスに横槍入れられて引き分けにされた訳か」

 

「ウンベールは納得してなかったみたいだけどね。まぁ僕は彼の自尊心が生み出す力を体験できたから別にいいけど」

 

 

その日の夜、食堂から運んできた夕食を口に運びながら、ユージオはウンベールと一戦交えた感想を上条へと話していた

 

 

「最初、ウンベールはノルキア流の秘奥義『雷閃斬』を使ってきたから、僕も『スラント』を使って応戦して鍔迫り合いになったんだ」

 

「まぁ、純粋な力比べならユージオの勝ちだろうな」

 

「僕もそう思った。そしたらウンベールの木剣が放つ雷閃斬の蒼い輝きが、こう…どす黒い色を帯びたんだ」

 

「十中八九、そいつはウンベールの自尊心の賜物だろうな。しかしよりにもよって黒とは…あいつらの陰湿さにはこの上なくお似合いの色だな」

 

「でも、あの力は本当に凄かった。木剣から僕の腕に伝わってくる重みが、まるで違った。あそこで咄嗟に『バーチカル』を使ってアイツの剣を弾き飛ばしていなければ、きっと僕の右肩は砕けていたよ」

 

 

そう言うとユージオは、最後に残ったパン一切れを口の中に放り込んだ。対して基本的に聞き手に回っていた上条は食が進み、とっくに食べ終わってコーヒーを口にしていた

 

 

「・・・どうやら、俺が考えている以上にイメージの力ってのは強大らしい。修練場で汗を流したことすらないウンベールが、ユージオと力比べで勝つなんて到底考えられない。まぁ考えられないってのは、俺の時もそうだけどな」

 

「僕もそう思うよ。アインクラッド流なら、イメージの力を使わなくてもライオス達には勝てるかもしれない。だけど、僕が目指すのは整合騎士だ。例えここで主席になっても、その先の帝国剣舞大会、四帝国統一大会で優勝しないとそれは叶わない。そしてその大会を勝ち抜くには、必ずこのイメージの力は必要になってくると思う」

 

「そうか…そうだったよな。元々俺がお前に剣を教えたのは、そのためだったもんな」

 

「そこで僕思うんだけど、剣術を教えるのは当然として『ティーゼ』と『ロニエ』にもこの力を教えたらどうかと思うんだ。この力は、きっと練習でどうにかなるものじゃない。より多くの人の考えを参考にすべきだと思うんだけど、どうかな?」

 

「・・・えっ?そ、そいつぁちょっと…」

 

 

ユージオが口にしたティーゼとロニエという人物は、ユージオと上条がそれぞれ傍付き剣士に指名…というよりも席次順の関係で指名せざるを得なかった二人の女の子である。その二人の名を出した途端、上条の顔が見るからに曇っていった

 

 

「ど、どうしたの?やっぱり二人にはまだ早いかな?」

 

「い、いやそういうわけじゃないんだが…やっぱりまだ傍付きになって1ヶ月ちょいしか経ってないわけで…」

 

「・・・?言ってることが矛盾してるよカミやん。要するに1ヶ月じゃまだ早いってこと?やっぱりもう少し剣術の稽古をしてからの方がいいかな?考えてみたら、そんなに多くのこといっぺんに教えるのも良くないもんね」

 

「え、えーっとだな…そういうことではなくて…」

 

「・・・?」

 

 

上条の会話の歯切れがあまりにも悪いことにユージオは首を傾げた。視線をあちこちへ泳がせながら、しどろもどろに答える今の彼に、イメージの力について考察している時の姿は欠片ほども見受けられなかった

 

 

「どうしたのさカミやん。何か問題でもあるのかい?」

 

「問題…というほどのことでも…ないけども…」

 

「話してみなよ。カミやんの悩みは、僕の悩みでもあるんだ。それに、カミやんが自分で言ってたじゃないか。よく出来た親友だ、って。僕はきっと、カミやんの力になるよ」

 

「・・・あ〜…こりゃたしかに、リーナ先輩が勘違いするのも納得だわな」

 

「・・・え?なんて言ったの?」

 

「いいや、ただの独り言だよ」

 

 

上条はユージオらしい優しい心遣いに、口元を緩めてボソリと何かを呟くと、それを誤魔化すようにかぶりを振った。そしてテーブルに両ひじを突いて両手を口の前で組むと、むず痒そうにしながら口を開いた

 

 

「・・・じゃあ、モノは相談なんだが…」

 



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第26話 カミやんさんの後輩事情

 

「ロニエとの接し方が分からない?」

 

「・・・まぁ、要はそういうことになるな」

 

 

真剣な表情で上条が切り出した相談内容とは、つまるところ人間関係の相談だった。自分が指導するロニエ・アラベルという傍付き練士と、どう信頼関係を築いていけばいいのか上条は切実に悩んでいた

 

 

「ほら、俺ってさ…記憶喪失だろ?まぁ色々と紆余曲折はあるけど。それでその…覚えてる限りじゃ、れっきとした『後輩』って呼べる間柄の誰かの面倒を見た覚えがなくてだな…先輩なんて呼ぶことはあっても、呼ばれたのはロニエが初めてなんだよ」

 

「・・・はぁ〜…珍しく真剣な顔で何を悩んでいたのかと思えば…予想の斜め上すぎて驚いたよ」

 

「う、うるせぇな。俺はこれでも割と真剣に…」

 

「あのねぇカミやん。仮にも僕らは相部屋なんだから、僕とティーゼのぎこちなさを君だって見てるだろう?そんな僕に相談しても意味ないって普通分からない?」

 

「すっげぇ勢いで手の平返すなお前!?」

 

 

ユージオはため息をつきながら、やれやれと言った具合に両手を広げて首を振った。上条がロニエとの接し方に悩むように、ユージオもまた自分が指導するティーゼ・シュトリーネンという傍付き剣士との距離感を測りかねていた

 

 

「接し方が分からないとは言うけどね、僕とティーゼ達は出会ってまだ1ヶ月なんだよ?カミやんは去年リーナ先輩と出会って1ヶ月でもう打ち解けたって言うのかい?」

 

「ん〜…そうだな、もう大体打ち解けていたとは思う」

 

「えっ、そうなの?僕なんて稽古以外でロッソ先輩と普通に会話できるようになるまで、少なくとも2ヶ月はかかったのに…」

 

「いやぁ、なんつーか…リーナ先輩は見た目に合わず結構グイグイ来たんだよな。寮の管理人のお姉さんがタイプのカミやんさんとしては、甲斐甲斐しく後輩の面倒を見る包容力もあって年上のリーナ先輩と一緒にいるのは、その…悪くなかったと言いますか…」

 

「うわぁ…折角傍付きに指名してくれたリーナ先輩のことをそんな風に見てたなんて…僕ちょっと君のことを見損なったよ」

 

「いやだから、それはリーナ先輩の方からグイグイ来てくれたからであって、別に俺から邪な想いを持って接していたわけではねぇよ?本当にいい先輩だったと思う」

 

「それは剣術を教える云々を抜きにして、リーナ先輩の方から積極的に接してきてくれたってことかい?」

 

「まぁそういうことだな。だから一ヶ月経つ頃には世間話どころか、身の上話までするようになってた」

 

「ふ〜ん。不思議だなぁ…リーナ先輩はなんでそんなにカミやんを気に入ったんだろう?」

 

「そんなこと俺に聞かれても分からん」

 

 

『恋は盲目』という言葉があるが、この二人はどちらかといえば『恋に盲目』であった。そんな二人が複雑な女心に頭をひねっても、一向に答えが閃くことはなかった

 

 

「でもそれにしたって、学院に12人しかいない上級修剣士は、ある意味で鬼教官より近寄りがたく恐ろしい存在だ…ってのは、初等練士の共通認識じゃないか。それを1ヶ月で埋めるのは、流石に僕らじゃ難しいと思うよ?」

 

「い、いやぁなんつーか…ロニエの場合はそうじゃあねぇと思うんだよ…」

 

 

バツが悪そうな表情で、自分のツンツン頭を乱暴に掻き毟る上条を見て、ユージオは深くため息をつきながらも、一先ずは話をきちんと聞くことにした

 

 

「・・・ごめん。僕もちょっと浅はかだったよ。カミやんが悩むってことは、悩めるほどには原因か心当たりがあるってことだよね。何かあるのかい?」

 

「そうだな…さっきの上級修剣士が云々って感じじゃねぇんだ。最初の頃はそりゃ緊張感とかそういうのがあって、肩肘張ってたんだと思う。だけど、最近はなんつーか…『俺自身』を怖がって距離を取ってるように見えるんだよ」

 

「そう思う根拠は?」

 

「・・・ほら、俺ってウォロ先輩の一件以来、学院中で色々と噂されてるだろ?それもあると思う。それに俺、上級修剣士の中でも12位の末席だったからさ、傍付きも指名できるの最後だったろ?だから余り物同士…って言ったらロニエに失礼だけどよ、周囲からそう思われるのが嫌で距離を取ってんじゃねぇか…なんて思ったりしてな。剣術教えるのも下手くそだし、嫌われても無理ないかな〜…って」

 

 

上条はなんとも悲痛な顔で、切実に自分の悩みを打ち明けた。彼の噂については、ユージオも思うところがあった。あの場を実際に目にした自分でさえも、一度は上条に畏怖した。それを、彼という人間をまだよく知りもしない少女に怖がらないでという方が無理な話だ。自分には決して共有できない辛さを抱えてうな垂れる上条に、ユージオはせめて慰めの言葉をかけようとした

 

 

「な、なにも別にそんなこと…」

 

「だけどさ、やっぱそんなの悲しいじゃねぇか。俺、リーナ先輩と過ごした一年間、本当に楽しかったんだぜ?折角傍付きと指導生になれたのに、あの楽しさを体験できないなんて絶対損だ。だからどうにかして、ロニエにもその楽しさを感じて欲しいって思うんだよ」

 

 

ところが、ユージオが慰めの言葉をかけようとするよりも先に、上条は内に眠る決意を間髪入れずに吐露した。まるで初等練士だった頃を思い出しながら微笑んで語るその姿に、ユージオは今必要なのは慰めの言葉ではないと思った

 

 

「あははっ、なんだよカミやん。もう答え出てるじゃないか」

 

「・・・え?ど、どうゆうことだ?」

 

「どうも何も、今全部自分で言ってたろ?ロニエにも傍付きを楽しんでほしいって。だったら、楽しんでもらえるように接すればいいだけじゃないか」

 

「そ、そうは言ってもな…避けられてるこの状況でどうやって楽しませろと?」

 

「一年前のリーナ先輩はグイグイ来たんだろ?それでカミやんが楽しいって思ったなら、カミやんもそれに倣ってグイグイ行けばいいんだよ」

 

「簡単に言ってくれますがね…というか俺はそもそも接し方が…」

 

「僕に言わせれば、それは接し方が分からないんじゃなくて、まだ接してないんだよ。楽しませ方は、そこから考えればいい。むしろ話はそれからなんじゃないかな?まぁ、僕も人のことはとやかく言えないんだけどね」

 

 

そう言って、ユージオは自虐を交えながら力なく笑った。だが上条にとって彼の言葉は、悩みを払拭させるには十分だった

 

 

「・・・そうだな。ありがとよユージオ。たしかに、お前の言う通りだ」

 

「僕も一緒に頑張るよ。とてもじゃないけど、ティーゼが僕といる時間を楽しいと思ってくれてるようには見えないからね」

 

「でも、いざ接してみようとは言ったところで、俺たちが一緒にいるのなんて稽古の時間か雑用の時間くらいしか…そんな時間に世間話ってのも剣を教える先輩としてどうよ?」

 

「いや何も世間話でなくても…ってまずいよカミやん。もう食堂が閉まる時間だ、食器を洗い場に戻さないと……」

 

 

ふと自分の前に置かれた盆と、いっぱいになった腹具合にユージオはハッと思い出して言った。しかし彼がハッとしたのはそれだけではなく、盆に置かれたナイフへと何となく視線を落としていたユージオは、その銀色に似た一振りの剣を連想していた

 

 

「お、そうだったな。ヤバイヤバイ。食堂のおばちゃんに怒られちま……ってどうした?急にボーっとして」

 

「・・・ねぇ、カミやん。今思いついたんだけど、こういうのはどうかな?今度の……」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「「今度の安息日に外出に誘われた!?」」

 

 

ある日の夜、初等練士の女子寮で、驚愕の声が木霊していた。三人一組の一室でその叫びをあげたのは、林檎のような赤毛に同じ色の瞳をしたティーゼ・シュトリーネンという女の子と、『フレニーカ・シェスキ』という薄茶色の髪を短く切り揃えた、ティーゼと同い年の女の子だった

 

 

「う、うん…今度の安息日、よかったら一緒に街に行かないか…って」

 

 

そして、こげ茶色の髪を少し下めのツインテールで纏めた、小動物のような印象を受ける少女は、二人の声に思わず耳を塞いでゆっくりと頷いた。そんな彼女こそ、上条の悩みの種となったロニエ・アラベル初等練士だった

 

 

「そ、それってつまり…逢瀬ってこと!?」

 

「お、逢瀬!?そんなそんな!カミやん先輩は絶対に逢瀬なんてつもりで誘ってないよ!」

 

 

興奮気味に迫ってくるティーゼの言葉を、ロニエは頬を赤く染めながら両手をわちゃわちゃとあらぬ方向に振り回しながら否定した。彼女達も位の違いはあれど貴族なのだが年相応というか、こういった恋愛沙汰の話には目の色を変えて盛り上がっていた

 

 

「ほ、本当にそんなんじゃなくて、カミやん先輩はきっと気を遣ってくれただけだよ。緊張して私がいつも距離を取っちゃうから…その…」

 

「緊張して、じゃなくて照れちゃっての間違いでしょ。この恋する乙女め」

 

 

体の前で指をいじくりながら、ゴニョゴニョ喋るロニエに、フレニーカは半分笑いながらそう言って彼女のおでこを小突くと、頬どころか顔全部を真っ赤にしてロニエは慌てふためいた

 

 

「こ、恋っ!?わわっ、私は別に…本当に緊張してるだけだよ。だって剣を握ってる時のカミやん先輩、すっごくカッコいいんだもん。普通に接しろっていう方が無理だよ…」

 

「あ〜、なんていうか…うん。ごちそうさまでした」

 

「何が!?」

 

「とにかく、ロニエがカミやん先輩に恋してることぐらいとっくにバレてるから。今夜は洗いざらい吐くまで寝かせないからね。ロニエ・アラベル初等練士殿♪」

 

「え、え〜〜〜っ!?」

 

 

フレニーカはロニエの言い逃れになってない言い逃れに呆れつつも、指を小気味よいリズムに合わせて振りながら言った。ロニエはそんな彼女の宣言に半泣きになると、これまたなんとも可愛らしい悲鳴をあげた。そして彼女を逃がすまいとばかりに二人の少女はドア側に座り、ティーゼが彼女に迫った

 

 

「で、どこが好きなの!?」

 

「・・・やっぱり、優しいところ…かな。今回のお誘いもそうだし、稽古の時も優しく教えてくれるし…後は、傍付きになって始めて会った時に『こんな冴えない先輩だけど、よろしくな。残り物には福がある…というと語弊があるけど、ロニエの指導生になれて嬉しいぜ』って言ってくれたの…お世辞でも、嬉しかったかな」

 

「おー、いいねいいね!他には!?」

 

 

ティーゼの質問に、ロニエは所々つっかえながらも赤裸々に、初恋のような甘酸っぱさを交えながら答えると、羨ましがったフレニーカもロニエに迫った

 

 

「うぇ!?う、う〜ん…後は、私が貴族だからとか、自分が平民だからみたいなことを気にせず話してくれるのは、すごいなって思う。まぁ今は私の方が距離置いちゃってるのは否めないけど…」

 

「いいなぁ…なんで私あんなウンベールとかいう人に指名されちゃうんだろう…こればっかりは自分の爵士の高さが憎いよ……」

 

「あのねぇフレニーカ、そう言われちゃうと六等爵家の私とロニエの立場がないわよ。そりゃまぁ、ユージオ先輩の傍付きになれたのは嬉しいけどね。ユージオ先輩もすっごく優しいし」

 

「ふんっ、どうせ私は上級貴族ですよーだ」

 

「や、やめなよ二人とも…」

 

 

今の会話を実家にいる親族に聞かれたら、それこそ家から追い出されそうだが、この部屋だけは彼女達の楽園のようなものだ。恋バナからキツい冗談までお手の物。笑いが尽きない彼女達の会話は、夜更けまで続いた

 

 

「・・・その、ロニエ。一つ聞いてもいい?」

 

「ん?なぁに?」

 

 

ひとしきり雑談や愚痴を終えたところで新たに話を切り出そうとしたのは、ティーゼだった。その彼女に名指しで呼ばれたロニエは、急に真剣な顔つきになった彼女に小首を傾げた

 

 

「えっと、ロニエも聞いたことあるでしょ?カミやん先輩の噂。カミやん先輩が…去年の主席の実剣を…素手で砕いたっていう…」

 

「・・・『怪物』。カミやん先輩は、そう呼ばれてるんだよね」

 

 

それは仮にも去年度に起こった話であるというのに、ロニエ達初等練士の間で引っ切りなしに流れている噂だった。実しやかに囁かれる規格外な事件の当事者である上条は、彼ら彼女らの間では上級修剣士という羨望の眼差しよりも、畏怖や疑いの目を向けられていた

 

 

「それだけじゃないよ。『死神』とか『暴君』…果ては『闇の軍勢との混血』なんて言われてるんだよ?私だってそういう話を、全部鵜呑みにしてる訳じゃない。だけど、火のないところに煙は立たないって言うじゃない?だからその…本当のところはどうなのかなって……」

 

「ティーゼ。私のことを心配して言ってくれてるのは分かる。だけど、それ以上言ったら私、怒るからね。ティーゼだって、私にユージオ先輩のこと同じように言われたら、嫌でしょ?」

 

「・・・ロニエ…」

 

 

心配そうに話すティーゼに言ったロニエの声と眼差しには、言い知れぬ迫力があった。それからロニエはふっと力を抜くように表情を柔らげると、幼い頃から剣を握り続けた末に逞しくなった手を胸に当てながら言った

 

 

「私も最初にその話を耳にしたときはね、上級修剣士として尊敬していたカミやん先輩を、初めて怖いと思った。でも毎日真剣に稽古してるカミやん先輩のこと見てたら、とてもそんな風に思えないよ。あんなに自分にひた向きで、他人に寄り添おうと思える人、初めて見たもん」

 

 

まだ出会って1ヶ月の人にここまで全幅の信頼を寄せることは、そう出来る事ではないだろう。ロニエはここにいる誰も知らない上条を知っていることは、彼女の言葉と表情が何よりも物語っていた。そしてそんな彼のために友人の自分にあそこまで怒れるのなら、そんな心配はもはや杞憂だとティーゼは思った

 

 

「・・・そこまで言うなら、私はロニエが信じるカミやん先輩を信じる。今度の安息日、思いっきり楽しんできて!あわよくばその想いの丈をカミやん先輩に告白しよう!」

 

「こっ!?こここ、告白っ!?こく、こくこくこく…ふしゅうううぅぅぅ………」

 

 

握り拳を高々と天に掲げるティーゼの助言に、ロニエはついに全身の血管が破裂しそうなほど真っ赤に沸騰し、床に仰向けになって倒れた。こんな調子で次の安息日に道端で倒れないものかと不安になりながら、ティーゼとフレニーカは彼女をベッドへと運び、部屋の灯りを消して眠りについた

 

 



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第27話 安息日

 

「悪いロニエ!待たせた!」

 

 

市場の人垣をかき分けながら、上条は息も切れ切れに北セントリア第七区の街角へとたどり着いた。ロニエと上条の双方が複雑な心境で待ち侘びていた安息日の今日、あろうことか提案者の上条の方が寝坊をかまし、待ち合わせ時間に15分も遅刻した

 

 

「いえいえ。全然気にしていませんので」

 

(・・・やはり距離を感じる…)

 

(ひゃ〜〜〜っ!!本当に来た〜!?変な顔してないかな!?寝癖残ってないかな!?夢じゃないんだよねこれ!?)

 

「そ、それじゃあ行くか。迷わないようにな」

 

 

ツンツン頭を勢いよく下げて謝罪する上条に、両手を体の前で軽く振ってロニエは言った。そんな彼女の言動に上条はやはり距離を感じたが、当のロニエ本人の心は緊張で今にも爆発しそうなほど早く拍を打っており、なんとも対照的なスタートとなった

 

 

「それで、本日は街のどちらまで向かわれるのですか?カミやん上級修剣士殿」

 

「・・・えっと、ロニエ。今日は安息日だ」

 

「・・・?はい。存じ上げておりますが…」

 

「端的に言えば、今日この場において俺たち二人は、ともに修練する指導生と傍付きという立場からも解放されているわけだ」

 

「と、申しますのは?」

 

「だから、今日は俺のことを上級修剣士って呼んでくれる必要はないし、敬語も抜き…は流石に厳しいだろうから、丁寧語は使わなくていい。あくまでも、あまり面倒なしがらみのない上級生と下級生…という立場でカミやんさん的には過ごしたいわけなんだが、それでもいいか?」

 

 

街行く人の流れに沿って歩きながら、上条は自分の右横を歩くロニエに提案した。その提案にロニエは軽く口を開けてポカンとしていたが、一度軽く咳払いをして言った

 

 

「これは大変失礼しました。それじゃあ、今日はどこに行くんですか?カミやん先輩」

 

 

微かな笑みを浮かべ、自分の顔を少し覗き込みながら言ったロニエのあどけない仕草に、上条は思わず顔がニヤケそうになるのを必死に堪えると、なんとか平静を装いながら答えた

 

 

「き、今日はだな…とりあえず最初に剣を見に行こうと思うんだ。実は俺が前に使ってた剣が、ボッキリ折れちまってな。ここからちょっと行ったとこに馴染みの店があるから、ちょっと付き合ってもらってもいいか?」

 

「・・・それはつまり、実剣を…ということですよね?確か、鍛冶屋は今進んでいる方向とは全く逆にあった気が…」

 

「おお、よく知ってるな。たしかにこっちには鍛冶屋はねぇけど、金細工屋が一軒あるんだ。この店の店主さんが物好きでよ、天職は金細工師なんだが、子どもの時の夢が剣を作ることだったもんで、片手間に武具を作ってるんだ。まぁ店主本人が職人気質でめっぽうプライドが高いせいか、中々買う人はいないんだけどな」

 

「なるほど、金細工屋…それは初めて知りました」

 

「ところでロニエは、もう実剣は持ってるのか?」

 

「あ、はい。学院に入学するために実家を出る時に、お父様から剣を一振り譲り受けました。今は寮のベッドの引き出しにしまってあります」

 

「そうか、大事にしろよ。俺みたいに剣を買いに行く馴染みの店なんかが出来てるようじゃ、剣士としては二流どころか三流だからな」

 

「そ、そんな!カミやん先輩は決して二流なんかじゃ…」

 

「お、着いた着いた」

 

 

上条は初々しく語るロニエに、自嘲気味に少し笑いながら言った。そんな彼の言葉をロニエが取り繕おうとすると、上条が少し前にある看板を指差した

 

 

「アレだよ。あの歪な看板が下がってる店」

 

「『サードレ金細工店』…ですか?」

 

「あぁ。その店の名前にあるサードレっておっさんが店主なんだ。初見はおっかない親父さんだと思っちまうだろうけど、まぁすぐ終わらせるから安心してくれ」

 

 

そう言って上条は人垣を横切って店の前に立つと、ロニエが後ろにいるのを確認してからカランカラン!という半鐘の音を響かせながら店内へと入り、ハリのある声で挨拶した

 

 

「ちわーっす」

 

「へい!いらっしゃ…ってなんだクソッ、カミやんの小僧か。さてはまた俺の力作をダメにしやがったな?」

 

 

強面の顔にいくらか皺の目立つ、白い立派な髭を生やした店主サードレは、店の入り口に立つ上条を見てあからさまにゲンナリとしていた

 

 

「お言葉ですがねおやっさん。力作とは言っても俺が買うのなんて業物どころか安物なわけでありまして、別にダメにしたくてダメにしてるわけじゃないんですのことよ?」

 

「安モンしか買わねーのはお前の経済状況の責任だし、すぐダメにするのはその中でもなまくらしか持っていかねえ手前の目利きの問題だ。俺にゃあ関係ないね」

 

「あ、あくまでも売り物ではなく俺の責任ですかそうですか…」

 

「ケッ。それに見たとこ、女連れでウチの敷居を跨ぐたぁ…小僧もついに道を違えたか」

 

 

どこか凄みのある濁声と共に、サードレは上条の後ろに立つロニエの顔を細い目で睨んだ。彼の眼力にすっかり萎縮してしまったロニエは、上条に気づかれないよう彼の背後に身を隠した

 

 

「失敬な。このロニエ・アラベル初等練士は去年の俺なんかよりも、よっぽど優秀な傍付き練士なんですよ?今の内から媚を売っといても損はないと思いますが?」

 

「抜かせぇ木っ端が。そこの娘っ子の方が優秀だってんなら手前が威張ってんじゃねぇよ。それに、客に媚売るようじゃ俺は職人として終わりだ」

 

「いや、せめて客には優しくしないと職人が終わるどころか店が終わると思うんでせうが…」

 

「そんときゃあ、俺の腕がそれまでだったってことだ。ほれ、お前さんお気に入りの安物コーナーはそっちだ。この前より何本か増えてるから適当に見てこい」

 

「せめて俺が卒業するまでは店が残っててほしいんですがね…まぁいっか。ロニエ、ちょっと待っててくれ」

 

「あ、はい!分かりました!」

 

 

そう言うと上条は、店の隅にある空き樽に無造作に突っ込まれた、20本ほどの剣を弄り始めた。その間特にやることもないロニエは、店内を見渡しながら当てもなくふらふらと歩いてみると、鮮やかな光沢を放ちながら陳列されている装飾品の一つに、ひどく心を奪われた

 

 

「・・・わぁ、すっごい綺麗…」

 

 

それはこの人界を生み出したとされる『創世神ステイシア』をモチーフにした、銀の髪飾りだった。無駄のない洗練された造詣とその美しさに、気づけばロニエの視線は釘付けになっていた

 

 

「悪いなロニエ。普通はこういう所に来たら剣の一本かアクセサリーの一つくらい買ってやるのが紳士なんだろうけど、あいにくカミやん先輩は常にお金がなくてな…誕生日までソイツは我慢してくれ」

 

「えっ!?いえいえそんな!その内お小遣いを貯めて自分で買いますので!」

 

「おお、買おうと思うほどには気に入ったのか。やっぱおやっさんの天職は金細工師が性に合ってんじゃねぇの?」

 

「うるせぇな…俺が何作ろうが俺の勝手だろうが。それより、手前の目利きに叶うなまくらは見つかったのか?」

 

「なまくらが前提なのかよ…まぁ、何本かな。いつもみたいにちょっと試し振りしていいか?」

 

「構わん。ただし毎度言うが、他の売り物は壊すなよ。安モンと言えど手前が振ればそれなりに切れんだからな」

 

「承知してますとも」

 

 

そう言うと、上条は店の少し開けた場所に立ち、樽に突っ込まれた有象無象の剣の中から選び出した5本の内1本をゆるりと握った。隣にいたロニエも上条が剣を構えたのを見ると、彼から距離を取ってカウンターの方へ寄ると、背後からサードレに声をかけられた

 

 

「おい、娘っ子。お前さん、そこの小僧の傍付きなんだってな。小僧が実剣振るところを見るのは、コレが初めてか?」

 

「えっ?は、はい!カミやん上級修剣士殿の傍付き練士を拝命いたしました!ロニエ・アラベル初等練士にありま……」

 

「あぁ、いーいー。そういう堅苦しいのは。それよりも、アイツが実剣を振るところ、よく見とけよ」

 

「・・・へ?あっ…はい!分かりました!」

 

 

嗄れた声でサードレに言われ、ロニエは型にならって剣を振る上条をまじまじと見つめていた。木剣とは違う、実剣特有の振り方をする上条を見ながら、サードレが声をかけるほどの何かを見出そうと注視していた時、もう一度背後から声がかかった

 

 

「微妙だろ。はっきり言って」

 

「え?い、いえ何もそんなことは…」

 

「情けなんざ掛けるこたぁねぇよ。剣を作るばかりで、マトモに振ったことのねぇ俺にだって分かるんだ。仮にも剣士のお前さんに分からんハズがねえ」

 

 

サードレの言う通り、ロニエは上条が剣を振る姿を見ても、何か特筆すべきものを感じることはなかった。サードレが自分の傍付きとそんなことを話しているとはいざ知らず、上条は選別した次の剣に持ち変え、また同じように試し振りを始めた

 

 

「鍛治師っつーのは炉と金床、金槌を使って金属を叩いて剣を作る。対して俺みてぇな細工師ってのは、ノミやキリ、ヤスリを使って金属を削って剣を作る。要は道具と作り方の違いなんだが、同じ鉄を使っても叩いて作る方が圧倒的に重く、天命も多い強い剣ができる。おかげで剣を作り始めた頃は、同じ七区に店を構える鍛冶屋の野郎から『見栄えばかりの紛い物』だと揶揄されたもんだ」

 

「そ、そうだったんですか…」

 

「ところがそこの小僧は、お前さんら学院生の実剣を何本も手がけている件の鍛冶屋じゃなく、ウチの店の剣を好んで使いやがる。小僧は毎度のように安物しか買わんが、俺はそれでも自分の剣を使ってくれるのが嬉しくてな。5度目くらいだったか、小僧が店に来た時に何度もウチに来る理由を聞いて『安い剣がいっぱいあるから』と言われた日にゃあ、そりゃ盛大にズッコケたもんだ」

 

「あ、あははは…カミやん先輩らしいですね…」

 

 

ありありと浮かぶその光景を脳裏に思い描きながらロニエが苦笑すると、サードレは上条の背中を見て深くため息をついた

 

 

「それだけなら、まだ笑い話だった。さっき5度目だと言ったが、アイツがウチに来る時は必ず手ぶらだ。刃の研磨になんか来た覚えがねぇ。なんでかって、アイツは研磨する間もなく俺が作った剣の天命を使い切っちまうからだ。そんでこの一年間、小僧が何本剣をダメにしたか…お前さん知っちょるか?」

 

「え?いえ、特に聞き及んでいるわけでは…」

 

「28本だ。あの小僧はこの一年間で、少なくとも月に二本、酷い時はそれ以上のペースで俺の作った剣の天命を使い切りやがる」

 

「にじゅっ…!?」

 

 

サードレが口にしたその数字に、ロニエは目を見開いて驚愕した。馬鹿げている、とすら思った。しかしそれはサードレとて同じことだったようで、呆れるように首を振っていた

 

 

「確かにアイツが買うのはただでさえ天命の少ないウチの剣の中でも、こと更に群を抜いて天命の少ない安モンだが、それだって立派な鉄で作られた剣だ。訓練用の木剣とは頑丈さも天命の総量も比べ物にならん。それを小僧は、たった二週間かそこらで素振りと丸太への打ち込みだけで使い切るってんだから、度肝を抜かれたさ」

 

「ど、どうしてそんなに…」

 

「再現できる技がまだまだ足りないとか何とか言ってた気がするが…詳しい理由は俺にも分からん。だが俺は未だかつて、小僧ほど実剣を振る人間を見たことがねぇ。俺も大概頭の固いバカだが、そこにいる俺以上のバカは、きっとこれから先も実剣を振り続けるんだろうよ」

 

「そして近い将来、この小僧は誰よりも先に剣を抜いて戦える人間になる。闇の軍勢が攻めてくるなんざ俺にゃあ想像もつかんが、もし仮にそうなった時、小僧は自分の命を守る為じゃなく誰かの命を守る為に剣を取れる。まぁ、しがない金細工師の妄想だがな」

 

「きっとこの先、小僧のような剣士が現れることはそうない。そんな人間が生涯でただ一度だけ任命する傍付きに、お前さんは選ばれたんだ。こっから一年、小僧から学べる限りを学べよ。流派は独自な上に剣術は人並み以下の末席上級修剣士だが、他の誰からも学べないモンがきっとある。そんで気が向いた時に、いつかウチの店で剣なり金細工を買ってくれりゃあ、それでいい。少しくらいはマケてやる」

 

 

サードレは相変わらず濁った声でそう締めくくると、最後にフッと微かに笑った。ロニエは自分が尊敬する人間を影で支えていた彼に向かって、姿勢を正して右手を己の心臓に当てて敬礼した

 

 

「はい!身に余るありがたきご教示、誠にありがとうございました!」

 

「・・・カッ。こりゃ小僧には勿体なさすぎるくらい良い傍付きだぁな。おい小僧!ウチは修練場じゃあねぇんだ!いつまでも素振りしてんじゃねぇ!いいのはあったのか!?」

 

 

サードレはロニエから視線を外すと、剣の選定を続けていた上条に怒鳴るように声をかけた。彼のがなり声に上条は一瞬肩をビクリと震わせたが、その時試し振りしていた剣を鞘に納めると、それをサードレに差し出しながら言った

 

 

「ん〜…そうだな、今回はコイツにするよ。いくらだ?」

 

「手前…まぁた同じようなヤツ選びやがって。普通なら1000シア…って言うとこだが、今日のところは500シアにマケてやる」

 

「おおっ!?半額ですか太っ腹ですねえ!しかしおやっさんがマケるとは珍しいな。さてはロニエがいる手前、カッコつけたくなりましたかな?」

 

「小僧の癖に小生意気な口を聞くんじゃねぇよ!いいからさっさと金を出せぃ!」

 

「へいへい。おやっさんがまた気を損ねて勘定が戻る前に出しますよ」

 

 

上条が財布を取り出そうとポケットを弄っていると、ふとした拍子にカウンターの奥に座るサードレの脇に、丁度今買おうとしている剣と同じくらいのサイズをした、分厚い麻布が掛けられた物体に目がついた

 

 

「おやっさん。麻布掛けてるソレ、一体なんだ?見たとこ剣に見えなくもないけど…」

 

「おぉ、コレか?コイツはなぁ…うむ…」

 

 

上条がソレを指差しながら訊ねると、豪快な物言いが自慢のサードレが、急に口渋って後ろ頭をボリボリ掻いた。そして麻布と上条の顔を何度か見比べると、一年の付き合いの上条ですら見たことないほど神妙な面持ちで口を開いた

 

 

「・・・小僧。いつだったか、神器と思しき剣を持つダチがいると言ってたな。手前はソイツの剣を、持ったことがあるのか?」

 

「ユージオの青薔薇の剣を?そりゃまぁ、ギガスシダーを切り倒す時にはユージオと交代で振ってたりしたからな。それがなんだってんだ?」

 

「・・・コイツぁな、俺が剣を学ぶ為に出た旅の途中で見つけて、珍しかったんで持って帰ってきた水晶を削って作ったモンでな。お前さんも知っとるだろ、果ての山脈の洞窟にある水晶だ」

 

「えっ!?おやっさんもあの果ての山脈に入ったってことか!?白竜の死骸がある洞穴には行ったのか!?」

 

「行くわけあるか。そんな何が出るか分からんところに。でだ、仕事の合間にソイツを趣味程度に削り続け、つい先日剣として完成した。だが完成するや否や信じられんくらい重くなりやがって、俺でも1メル持ち上げるのが精々だった。それにウチは金細工屋だ。金属で出来てねぇモンを店に並べていいもんか悩んだ末に、ここにずっと鎮座させてる」

 

 

上条の想像通り、麻布の下には一振りの剣が隠れているらしかった。サードレはそれを麻布の上からバシンバシンと乱雑に叩くと、上条の目を見据えて言った

 

 

「小僧、手前はコイツを振れると思うか?」

 

「思うか…って聞かれても、そんなんやってみなけりゃカミやんさんにだって分からん」

 

「チッ、面白みのねぇ返事だが、言われてみりゃそれもそうだ。そぉっ!らっ!」

 

 

サードレは中の剣を麻布ごと抱き上げると、足腰に入る限りの力を入れ、気合の掛け声と共にカウンターに、ゴトゴトッ!という音を響かせながら何とか持ち上げた

 

 

「持ってみろ。だが傷はつけるな。ソイツに傷をつけた時は、ここがお前の墓場になる」

 

「そ、そんなこと言われるなら持ちたくねぇよ。まぁ気になるから試してはみるけど…」

 

 

そう言うと上条は、姿の見えない剣の柄と柄頭に手をかけると、この剣のクラスが自分の権限の範囲内であることを祈りつつ、腕に力を込めて持ち上げてみた。すると軽く巻いてあっただけの麻布は剣を立たせただけでずり落ちていき、中の剣が姿を見せた

 

 

「わあっ……」

 

 

密かに声を漏らしたのはロニエだったが、上条も感嘆の声が出そうになるほど美しいと感じていた。水晶から削り出したと言われたその剣の柄頭は両端が鋭く尖っており、そこから伸びる柄と刀身を収める鞘は、共に翡翠色に輝いていた

 

 

「・・・ソイツを振れるか?」

 

「持てたってことは多分…振れると思う」

 

 

そう言った上条は、先ほど試し振りをしていた開けた場所へと移動すると、剣を鞘ごと腰に据えて、腹に力を込めて一気に引き抜いた。キィン!という甲高い音を奏でながら現れた刀身は、柄頭と同じ翡翠色には違いなかったが、向こう側がうっすらと見えるほどに透き通っており、店の窓から差し込んでくる陽の光を反射させ凛と輝いていた

 

 

「す、すごい…!」

 

「まだだ。抜いただけで振っちゃいねぇよ」

 

「いやほぼ同義だと思うんですがね。まぁ振れってんなら振ります……よっ!!」

 

 

口を動かしながら水晶の剣を肩に担ぐと、足を肩幅に開いて腰を捻りこむ勢いに任せて腕を水平に振り抜いた。ゴウッ!というおよそ剣を振ったとは思えない重低音が店の中に反響しながら、一陣の風がサードレの髭とロニエのスカートを巻き上げた

 

 

「ひゃあっ!?」

 

「ぶーーーっ!?」

 

 

慌ててスカートを抑え込んだロニエに、上条は思わず吹き出して剣を落としかけた。そして顔を真っ赤にするロニエと、ピクピクと頬を引攣らせる上条に、サードレは頭を抱えてため息をつきながら訊ねた

 

 

「・・・かぁ。小僧、一応参考までに聞くが…何色だった?」

 

「・・・控えめな、白…」

 

「あ、あははは…すいませんお見苦しいものを…」

 

「い、いっそキャーとか叫んだり、ビンタしてくれた方が気が楽なんですがね…もしくは噛みつきとか…」

 

 

顔を真っ赤にして、半分泣き目になりながらロニエが言った。上条はそんな彼女の健気さに罪悪感を抱いてため息混じりに呟くと、翡翠色の剣を鞘へと納めた

 

 

「まぁ、そんだけ器用なマネが出来る程度にゃ、コイツが扱えると見ていいようだな」

 

「ええっと…水晶って言うからには素材は大雑把に言えば石なわけだよな?でも振った感じは鉄なんかよりよっぽど重く硬い感じがした。これはおやっさんの店に置いても、何の問題もねぇと思う。それどころか、ここにある剣全部が束になっても敵わない名剣だよ」

 

「ふん、石細工を褒められたって別に嬉しかねぇよ」

 

 

腕を組みながらサードレが言うと、上条は確かな重みのある剣を片手に賛辞を述べた。サードレはその賛辞を受け取りつつも、なにやら考え事をしながら顎髭を弄ると、やがて思いっきり膝に手をついて言った

 

 

「小僧、ソイツはお前が持っていけ」

 

「・・・は?」

 

 

突拍子もないサードレの言葉に、上条は一瞬意味が分からず放心状態に陥った。面倒なヤツだと言わんばかりにサードレは大きな音で舌打ちすると、翡翠色の剣を指差して言った

 

 

「運ぶのすら億劫になる石の剣なんざ、俺にゃあ必要ねえ。金がねぇんなら出世払いでいい。将来お前が就いた天職の給料5ヶ月分に相当する額を払え」

 

「ちょ!ちょっと待ってくれおやっさん!いくら俺が振れるからって、コイツは本当に俺には勿体ないくらいの代物だ!店に出しときゃその内、話を聞いたどっかの貴族が大金叩きつけてでも買うぞ!」

 

「俺が丹精込めて育てた剣を、あんな性根まで腐り果てたクソ野郎共に握らせてたまるか!そんなヤツらに買われて児戯や部屋の飾りにされるくらいだったら、俺は手前に預ける!分かったらさっさと持っていけ!」

 

「ん、んなこと言ったって…俺こんなんもらったらマジでこの店来なくなるぞ?いくら安モンしか買わないったって…それにその出世払いだって、俺が本当にそうする保証なんてどこにも……」

 

「カミやん先輩。持っていってあげましょうよ。サードレさんもこの剣も、きっとそれを望んでいます」

 

「ロニエ……」

 

 

服の裾を掴みながら言うロニエの視線が『私は、これから先もこの剣を振るカミやん先輩が見たいです』と言っているように上条は感じた。その視線に逡巡しながら手に握る剣をしばらく見つめると、翡翠色の剣をサードレへと見せつけるように突き出した

 

 

「おやっさんがそこまで言うなら、俺はありがたくコイツの天命を預かる。きっといい天職について、おやっさんの前に大金を叩きつけてやるよ」

 

「ケッ、小生意気な。最初からそう言やぁいいってんだ。だが、その剣の天命が尽きる時は、手前の天命が尽きる時だからな!それをよーく肝に命じておけよ坊主!」

 

 

サードレはいかにも職人の風格を宿した拳を上条の前に突き出し、上条も右手で作った拳をサードレの拳にぶつけ合わると、気難しい職人はほんの少しだけ口元を緩めた

 

 



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第28話 告白

 

「悪いなロニエ。色々とやってる内におやっさんに大分時間を取られちまった。本当はとっとと『跳ね鹿亭』に行って、俺とユージオおすすめの蜂蜜パイでもご馳走しようと思ってたんだが…安息日のこの時間じゃ多分もう売り切れちまってるなぁ」

 

「いえいえ、気にしないでください。とても貴重な体験が出来て私は楽しかったです。色んな可愛い金細工も見れましたし」

 

 

サードレから翡翠色の剣を譲り受けた後、上条は腰に巻く黒い革製の剣帯をついでに買い、翡翠色の剣を左腰に携えながら店を後にした。しかしその翡翠色の剣を譲り受けるまで、上条が当初予定していた退店時間から大幅に遅れてしまい、既に上空ではソルスが沈みかかって夕暮れに染まった街並みを歩いていた

 

 

「にしてもおやっさんめ、剣の銘を自分で考えろとは…普通に『翡翠色の剣』とかでいいじゃねぇかよ…」

 

「ダメですよ。折角サードレさんが思いを込めて託してくれたんですから、ユージオ先輩の青薔薇の剣みたいに立派な名前を付けてあげて下さい」

 

「あ、青薔薇の剣はお伽話で既に名付けられていたわけであって、全くのゼロから考えるカミやんさんとはアドバンテージがすごいんだけどなぁ…」

 

(にしても、白竜のいた洞窟で採れた水晶から出来た剣か…いる世界は違っても、やってることは大差ねぇな…)

 

 

などと文句を垂れていたが、上条はこの翡翠色の剣にある種の既視感を感じていた。それはかつてSAOで出会い、今も関係を持つ鍛冶師が自分のために打ってくれた翡翠色の剣と、今自分が腰に備えている翡翠色の剣に、妙な懐かしさと『彼女』がそこにいるような感覚があった

 

 

「『ダークリパルサー』だと丸パクリだし…『リズベットの剣』は…ちょっとキモいな。やめよう」

 

「え?何かいい名前が思いついたんですか?」

 

「いんや、なんでも。それにしても折角街に出たのに、剣だけ見て帰るってんじゃあ普段とそんなに変わんねぇよな…」

 

「そんな、本当に気にしないで下さい。私にとってはカミやん先輩とこうして一緒に街を歩けたことそのものが……」

 

 

沈みながら段々と橙色に変わっていくソルスをぼんやりと見ていた上条の中で、突如として何かが弾けるように頭をよぎった。それは、翡翠色の剣を見た時の既視感と同質のものだと気づくと、飛びつくような勢いでロニエに言った

 

 

「ロニエ!お前今疲れてるか!?」

 

「特別で……え?疲れてる…?いえ、特に疲労感はありませんが……」

 

「よし、じゃあ…夕陽に向かって走れ!」

 

「え、ええっ!?ちょ、待ってくださいカミやん先輩!一体どこに行くんですか!?」

 

「急で悪い!前に見つけたお気に入りの場所があるんだ!」

 

 

一昔前のスポ根ドラマで言われてそうな台詞を口にすると、上条はセントリアの街を一心不乱に駆け出した。一瞬なんの意味があるのか分からずに動転していたロニエも、上条に引き離されまいと懸命に彼の背中を追いかけた。ひたすら走り続けて街を抜けると、その視線の先には剣の学び舎が待ち構えていた

 

 

「し、修剣学院…?はっ、だったら何も、はっ、走って帰らなくても…はっ!」

 

「違う違う!敷地に入ってからが重要なんだ!後もうひと頑張りだロニエ!」

 

 

そう言うと上条は、修剣学院の門をくぐって1秒もしない内に、校舎へと続く石畳からはみ出し、敷地内の西へと走り出した。ロニエも学院の門をくぐり、西へ走る彼の跡を追い続けると、やがて二人の姿は木々の生い茂る深い森へと消えていった

 

 

「ちょっ、今の枝危ねっ!?ちゃんと手入れしてんだろうなこの敷地!?」

 

「か、カミやん先輩!この先に一体何があるって……!」

 

「後少し!ほら、もう見えてきた!」

 

「えっ!?」

 

 

遮る木々がなくなったことで、ザァッ…という風が頬をなじるのが分かった。上条の背中を追い続けて、いつのまにか森を抜けていたことにロニエは気づいた。そして、ようやく走るのをやめて満足気に両手を腰に当てる上条の横に立つと、そこには、なんとも幻想的な光景が広がっていた

 

 

「・・・わあっ…すごい!すっごく綺麗です!」

 

 

ロニエと上条の小さな瞳には、美しい水面に映る夕暮れのソルスの光が乱反射し、目に見える物全てが山吹色に染めあげられた世界が広がっていた

 

 

「だはっ!疲れた……で、すげぇだろ。ここな、去年の俺が今のロニエと同じように初等練士だった頃に、安息日だけど稽古しようってユージオと一緒に見つけた場所なんだ」

 

「そうだったんですね…本当にすごいです。目に見える全ての景色がこんな…淡い山吹色に輝いていて…」

 

「そうなんだよ。日が暮れるまで稽古してたら、いつの間にかこの光景が広がっててな。二人してすげー!ってテンション上がりまくってずっと騒いでたら夜になっちまってな。おかげで門限破った上に安息日の稽古がバレて、アズリカ先生に大目玉くらったんだよなぁ…いやアレは不幸だった…」

 

 

上条はこの光景を初めて見た当時のことを思い出しながら微笑むと、池の岸辺に生え揃った芝生の上にドカッと脚を広げて座り込んだ。そしてロニエもまた、上条の左隣に横座りになって腰を下ろした

 

 

「学院の敷地に、こんな綺麗な場所があったんですね。私こんなに素敵な景色見たの、16年生きてきた中でも初めてです」

 

「まずこの森の中にこんだけ開けた土地があんのに驚いて、更にそこにこんなデカい池があることにまた驚いたよ。剣の稽古してる時は、まさか夕方はこんなオレンジ一色の世界になるなんて思っても見なかったけどな」

 

「・・・カミやん先輩。よければ次の安息日はティーゼとユージオ先輩も誘って、ここにピクニックに来ませんか?私とティーゼで、美味しいサンドイッチを作ってきます!」

 

「え?お、おう…そりゃいいんだけどよ…」

 

「・・・?な、何かおかしなことでもありましたか?」

 

 

ロニエの提案に、上条は不思議そうな表情で横に座るロニエを見ていた。そんな彼の態度にロニエは首をかしげると、そのまま理由を訊ねた

 

 

「ろ、ロニエ…俺のこと嫌いなんじゃねぇのか?普段とか稽古の時、俺のこと怖がって距離取ってるみたいだったし、俺について色々と噂も耳にしてるだろうし、今日だって頑張って距離詰めようと呼び方変えたりしてみたけど、やっぱりどっか他人行儀だったから、てっきり俺のことが嫌いなのかと…」

 

 

上条の問いかけに、ロニエは目を見開かせて驚くと、次の瞬間には肉がねじ切れんばかりの勢いで首を横にブンブンと振り回し、両手を芝生について上条へと差し迫りながらマシンガンのように喋り始めた

 

 

「き、嫌いだなんて…!そんな、あり得ません!ち、違うんです!普段はこんな私のことを傍付きにしてくれたカミやん先輩に敬意を払って接しているわけで…!稽古の時は真剣に取り組んでいるだけなんです!それにあんな根も葉もない、カミやん先輩を中傷する噂なんて私は信じてません!!」

 

「お、おう分かった…とりあえず一旦落ち着け。この距離は非常にまずい。健全な大学生のカミやんさんにはまずい。近い。良いにお…違う。とりあえず離れてくれ。もうすぐ大人の仲間入りを果たすカミやんさんが高校生の歳の女の子と不用意に接触したら犯罪なんだ。禁忌より現実的な禁忌なんだ。頼む」

 

「今日だって、カミやん先輩の隣を歩くことに緊張していただけで、絶対に嫌いなんかじゃありません!こんなに優しい先輩のことを嫌いになんてなるはずありません!むしろ私は、カミやん先輩のことが好……!!」

 

「・・・す…?」

 

「ひ、ひゃわ〜〜〜〜〜〜っ!?!?!?!な、なんでもないんですないんです今のはどうか忘れて下さいぃぃぃぁぁぁぁぁ………」

 

 

自分が口にしようとしていた言葉と、自分と上条の顔の近さに今さらになって気づいたロニエは、夕陽よりも真っ赤になった顔を隠しながら飛び退いた。そんな彼女の奇怪な行動に上条は少し不安を覚えたが、やがて空を見上げて大きな声で笑い始めた

 

 

「あはっ、あはははは!あっはっはっは!なぁんだ。じゃあ全部俺の勘違い…というより心配しすぎだったのか。いやぁ実は俺さ、生まれてから後輩って呼べるヤツの面倒を見た覚えがなくて、ちょっと浮かれてた…ってのもあるし、少し神経過敏になってたんだ。悪かったなロニエ、俺の勘違いで安息日を丸々潰しちまった」

 

「そ、そんな!それについては私も勘違いされるような態度なのが良くなかったんです!カミやん先輩は悪くありません!他にも普段から私が…!」

 

「んぁ〜…分かった、じゃあこうしよう。俺は今度、跳ね鹿亭の蜂蜜パイを奢る。ロニエは次の安息日に、美味いサンドイッチを作ってここに来る。これでチャラにしよう。いいか?もしまだ引きずるようなら、明日は校舎を一日中雑巾がけの懲罰命令を科す」

 

「・・・分かりました。カミやん先輩がそう言うのであれば…」

 

「よし。じゃあ一回これまでの事も全部チャラにしよう。こんだけ盛大に勘違いした後だ。ケジメはつけるに越したことはない」

 

 

そう言うと、上条はロニエと向かい合って正座すると、大きく喉を鳴らしながら二、三回咳払いした。ロニエも目の前の上条に倣うように正座すると、互いの真剣な眼差しが重なり合い、やがて上条が口を開いた

 

 

「え〜…ロニエ・アラベル初等練士!カミやん上級修剣士の名において、貴殿を我が傍付き練士に任命する!」

 

「・・・はいっ!ロニエ・アラベル初等練士、カミやん上級修剣士殿の傍付き練士の任、ありがたく拝命させていただきます!」

 

「あははっ、そういうわけだ。こんな冴えない先輩だけど、改めてよろしくな。残り物には福がある…というと語弊があるけど、ロニエの指導生になれて嬉しいぜ」

 

「ふふっ…いいえ、私の方こそ光栄です。これから一年間ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い致します」

 

 

そう言って笑い合うと、上条はロニエに握手を求めて右手を差し出した。ロニエはそれに多少戸惑いながらも、ゆっくりとそれを握った。そしてゆるりと力を抜いて手を離すと、二人してむず痒そうに笑い合った

 

 

「これからは困ったことがあったら、なんでも頼っていいし、なんでも聞いてくれ。俺はそれに必ず応える。俺はたとえ何があっても、絶対にロニエの味方だ」

 

「・・・本当になんでも、聞いていいんですか?」

 

 

それは、もうソルスが沈む直前だった。ロニエが少し俯いて、上目遣いになりながら上条にそう聞くと、先ほどまでうるさいくらい吹き荒れていた風がピタリと止み、まるで夕凪のように静まり返った空間が辺りを支配した

 

 

「え?お、おう…まあ今自分で言ったからな。男に二言はありませんのことよ!」

 

 

上条はそんな異様な空気に多少の戸惑いを覚えたが、誤魔化すように胸を叩いてそう言った。そしてロニエは服の胸元を右手でキュッと締め付けると、自分の勇気が許す限りの大声で言った

 

 

「・・・カミやん先輩には!そのっ…しょ、将来ご婚姻をお約束している女性は、もういらっしゃるんでしょうか!?」

 

 

上条はロニエの予想外の質問に、口をあんぐりと開け、しばらく固まってしまった。唇の両端を引き絞って、瞳を潤わせているロニエとしばらく見つめ合いながら頭の中を整理し終わると、呆れたように言った

 

 

「け、結婚相手ぇ?急に何を言い出すかと思えば…いねぇよそんなの。カミやんさんは昔から全然モテなくてなぁ、むしろ出逢いが欲しいくらいだ。こんな俺でも結婚を約束してくれる女の子がいれば、それはそれで嬉しいんだがなぁ…」

 

「!!で、でしたら…その、カミやん先輩…私とっ…!」

 

「あぁでも、今いたらちょっと困るかもな。好きなヤツいるんだ、俺」

 

 

静まり返っていた夕凪の時間が、終わりを告げた。びゅうっ!と、ロニエを押し返すような風が吹いた。まるで、熱を帯びた彼女の頬を冷ますように、勇気を振り絞った彼女の心を、かき乱すように。右手で締め付けていた胸が彼の言葉を聞いた途端、どうしようもなく苦しくなり、涙が溢れそうになった

 

 

「・・・・・ぇ?」

 

 

どうか、自分の聞き間違いであってほしかった。しかし、彼女のそんな淡い期待をかき消すように、上条はもうほとんどソルスの写っていない池を見つめながら話し始めた

 

 

「いやなぁ…どうも俺のことを気にしてくれてる節が見当たらなくて、フラれるのが怖くてずっと告白できてないんだけどな」

 

 

どこか遠くを見るように話す上条の、その視線の先にあるのが池ではなく、そこにはいない誰かに向けられているのは明白だった。そして、それが間違っても自分ではないことを、ロニエはもう分かっていた

 

 

「最初に出会った時は、何だコイツってずっと思ってた。言ってる事、やってる事の意味もよく分かんねぇし、なんで事あるごとに突っかかってくんだってムカついた時もあった。俺の好きなタイプと真逆もいいとこだったしな」

 

「だけど、あの死と隣り合わせの二年間でも、アイツは変わらなかった。なにかと俺のことを気にかけてくれて、ピンチになったら助けてくれて、なんつーか…救われたよ。アイツがいなきゃ、俺はとっくにダメになっちまってたと思う」

 

 

上条の脳裏に浮かんだのは、自分よりもずっと元気で、鋼鉄の城を共に戦って生き抜いた、ある種の憧れに近いものを抱く、体から有り余る電気を迸らせる少女の姿だった

 

 

「でもそれから…俺だけが帰ってきて、寝たきりのままのアイツを見続けるのは、どうしようもなく苦しかった。目を覚ましてもう一度名前を呼んで欲しいと、何度も思った。こんなに近くにいるのに、何で俺の心はコイツに届かないんだって、やりきれない気持ちでいっぱいだった」

 

「そんでアイツが無事に目を覚ましてからの日々は…本当に楽しかった。色々とバカをやって、色んなところを冒険して…そんな日々の中で思ったんだ。俺が欲しかったのは、コイツと過ごす時間だったんだ…ってな」

 

 

彼女と過ごした日々を思い出すと、自然と頬が綻んでいくのが分かった。ただ思うのは、今も会いたいという願い。それを恋だと、自分は彼女が好きなんだという心に右手を当てても、それは消えなかった。この想いが幻想ではないと、上条はとっくに気づいていた

 

 

「はは、なに言ってんだろうな俺は。そんだけ分かってんだったら、とっとと告白しろって話だろうが。悪かったなロニエ、こんな先輩の下らない話に………」

 

「・・・ひうっ…ふぇ…えぐっ、…うぅ…」

 

 

水面から視線を戻した先にいたロニエは、しゃくり上げるように泣いていた。瞳から溢れた涙を両手で何度掬いあげても、次から次へと流れる雫は留まるところを知らず、彼女の灰色の制服にいくつもの染みを作っていた

 

 

「ど、どうしたんだロニエ…!?まさか、走ってる時にどこか痛めたのか!?」

 

 

彼の優しさが、胸に染みる。どこか痛いのかと聞かれるのなら、痛いのは心だ。だが、目の前の彼にそんなことを言えるはずもない。自分が言うべき言葉は、そうではない。ちゃんと、憧れの先輩の…大好きな人の背中を押してあげないと。でないと自分は、この心を精算できそうにもない

 

 

「い、いえっ…なんでも、なんでもないんです…ひくっ…」

 

「なんでもないのに人間が泣くわけあるか!今すぐに治癒の神聖術を…!」

 

「いえ、ずっと…ずっと分かっていたことですから…もう、いいんです」

 

「・・・え?分かっ、てた…?」

 

 

嗚咽まじりに話す彼女の言葉の意味が分からず、上条は彼女に触れようとした手を止めて呆然としていた。ロニエは細い指で頬を伝う涙を拭くと、今にも消え入りそうなか細い声で囁いた

 

 

「そんなに…そんなに好きだったんですね…ユージオ先輩のこと…」

 

 

瞬間、目に見える全ての事象が凍りついた。上条の体感する時間が完全に止まっていた。『好き』という感情の名と『ユージオ』という人物名が激しく脳内を交錯する。それら全てを理解した時、上条は凍りついた世界にヒビを入れるが如く叫んだ

 

 

「は…はああああああぁぁぁぁぁ!?!?」

 

「すいません…ひっく、私…心のどこかでそうじゃないって決め付けてて…カミやん先輩の気持ちを全然考えてませんでした……」

 

「ち、違ぇよロニエ!俺とユージオは別にそんなんじゃねぇ!ただの親友だ!男友達だ!それ以上にも以下にもなることはねぇ!」

 

「誤魔化さなくても…分かってます。カミやん先輩とユージオ先輩は、命を賭して故郷の村でゴブリンと戦ったことがあるって、ティーゼから聞きました。お二人は、私には想像のつかないような過酷な二年間を…お互いに繋がりあって過ごしていたんですね……」

 

「いやっ!そりゃ確かにその通りだが、違うぞ!過酷だったのはどちらかと言うとゴブリンと戦ったその時だけでありまして!それ以降は多少山や谷はあれど別に普通に過ごしてたんですよ!?」

 

「ぐすっ…カミやん先輩。私、応援してますから。周りの目なんて、気にすることはありません。たとえ禁忌に反して同性を愛することになったとしても、カミやん先輩のユージオ先輩を想う気持ちがあれば、お二人はきっと幸せになれます!」

 

「だから違げエエエエエええええええEEEEEェェェェェぇぇぇぇぇeeeee!!!!!」

 

 

その後、上条はロニエを泣き止ませるのと誤解を解くのに夜まで苦戦した挙句、二人仲良く寮の門限を破ったことで、アズリカ女史にこれでもかというほど叱られた。そしてその翌日に、懲罰として二人で校舎を一日中雑巾がけをすることになるのだが…それはまた別のお話

 



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第29話 貴族の責務

 

「いや〜、こんなにいい天気になって良かったですね」

 

 

時刻はソルスが最も高い位置にある正午ほど。穏やかにせせらぐ池のほとりで、蜜に生え揃った下草の上にレジャーシートを敷いて座る四人が内の一人、ティーゼ・シュトリーネンは耳にかかった赤い髪を掬いながら言った

 

 

「ユージオ先輩?聞いてるんですか?」

 

 

卵と野菜のサンドイッチを片手に周囲の自然へと視線を泳がせるユージオは、その声が自分にかけられているのだと気づくと、取り繕うように笑った

 

 

「あ、ごめんごめんティーゼ、ちゃんと聞いてるよ。……で、なんだっけ?」

 

「いや全然聞いてないやないかい」

 

「ふふっ!」

 

 

もはやティーゼの話を全く聞いていなかったことが明白だったユージオに、すかさず上条がツッコミを入れると、そのやり取りが可笑しかったロニエの口から笑いが漏れた

 

 

「もういいです。ユージオ先輩なんて知りません。つん」

 

 

上条とロニエが前回の安息日で約束した通り、次の安息日ではお互いの親睦会を兼ねて四人でピクニックに出かけていたのだが、その開始早々、どこか上の空だったユージオがティーゼの機嫌を損ねてしまった

 

 

「ご、ごめんってばティーゼ。その…久しぶりにここに来たから、やっぱり綺麗だなぁ…って。それに、珍しい動物もいるみたいだし」

 

「珍しい動物?どこにいるんですか?」

 

 

ティーゼはユージオの指差す方向を視線で追うと、そこにいた現実のフェネックのような動物を見てから、なぁんだというように肩をすくめた

 

 

「え〜。ただのキントビギツネじゃないですか。あんなの街区に生えてる樹にだっていっぱい住んでますよ」

 

「へぇ…そうなんだ。僕のいたルーリッドの村では見たことなかったから…。そういえば、ティーゼは央都出身だったよね?家はここから近いの?」

 

「実家は八区ですから、学院のある五区はちょっと遠いですね」

 

「あ、あれ?でもティーゼは貴族出身なんだよね?貴族のお屋敷は三区と四区に集まってるんじゃ…」

 

 

ユージオは少しかしこまってティーゼに聞くと、彼女は照れたように首を縮めて頷いたが、すぐさま小さくかぶりを振った

 

 

「いえ、お屋敷街に住めるのは四等爵士までなんです。私の父は六等爵士なんですけど、裁決権も持たない下級貴族もいいとこですから」

 

「え?裁決権って、貴族がみんな持ってるものじゃないの?」

 

「とんでもないです!裁決権を与えられているのは四等爵士までで、五等以下の爵士は上級貴族の裁決の対象になっているんですよ」

 

「へぇ…貴族にも色々あるんだね」

 

「で、ですから…私みたいな六等爵家の跡取り娘なんて貴族といっても名ばかりで、暮らしは一般民の方々とほとんど変わらないんですよ…」

 

「う〜ん…でもそれは、裏を返せば一般民の視線にも立てる貴族だってことじゃないか。僕だったら偉そうに威張ってる貴族よりも、身近にいてあげられる貴族になりたいな」

 

「そう、ですか…ふふっ…そうですね…」

 

 

なぜか少し頬を赤くしながら、少し照れたように自分の髪をいじって呟くティーゼに、ユージオは続いて振るべき話題に困って、ふと隣の相棒とロニエの方へと視線を向けた

 

 

「ロニエ、人生で一番大切な時期ってのはいつ頃だと思う?」

 

「はい?そうですね…やっぱり、学生でいる頃でしょうか?大人の人達も口を揃えてそう言ってますし…」

 

「いいや、違うな。もっとアバウトだ。俺が思うに、人生で一番大切なのは10代だ」

 

「10代…ですか?それは一体なぜです?」

 

「10代は…『重大』だからな!」

 

「・・・あ、あははは…それはとっても面白いですねぇ…なんて…」

 

「ぐっはぁ!?そういうのは気を遣われるのが一番キツイっ!」

 

 

どうやら自分の相棒は、前回の安息日に悩みの種だった後輩と街に出かけてからは、その悩みを完全に解消できたようだとユージオは悟った。そんな楽しそうな二人とは対照的に、笑顔の一つもないこの状態は良くないかと思ったユージオが口を開こうとした時、不意にティーゼが背筋を伸ばし、改まった様子で言った

 

 

「・・・あの…ユージオ先輩、カミやん先輩。実はお二人にご相談…もとい、お願いがあるんです」

 

「えっ?い、一体どんな?」

 

 

ユージオが首を傾げながら訊ねると、ティーゼは隣にいるロニエと目配せして互いに頷き合うと、真剣な面持ちで話し始めた

 

 

「大変申し上げにくいことなんですが…その、指導生の変更申請に関して…学院管理部にお口添えいただきたく…」

 

「な、なんだって……!?」

 

 

ティーゼの言葉に、ユージオは絶句した。それを一緒に名指しで呼ばれて聞いていた上条は、痒くもない頬をポリポリと掻きながら訊ねた

 

 

「あ〜…えっとそれは?つまるところ、ティーゼがユージオの傍付きを辞めたいと?それともロニエが俺の……よもやその両方?なんだったらトレード?一周回ってドラフト?」

 

「「ち、違います!!」」

 

 

声を揃えて否定する二人の迫力に、上条とユージオは思わず肩を浮かせた。そして大きく左右に頭を振った後に、ティーゼが急き込んで話し始めた

 

 

「そんな!とんでもないです!先輩方お二人の傍付きは、むしろ代わってほしいっていう子がいっぱいいるくらいで…いえ、そうじゃないんです。私たちではなくて、変更してほしいのは寮で同室のフレニーカっていう子なんです。真面目で一生懸命で、剣が強いのに控えめな…とってもいい子なんですが…」

 

 

そこまで言うと、ティーゼは突然涙ぐんで口を手で押さえながら肩を落とした。そんな彼女の背中をさすりながら、代わりにロニエが続けた

 

 

「実は、その彼女が傍付きをしている上級修剣士殿がかなり厳しい方なのです。特にここ数日は、少々不適切と思われるようなことをお言いつけになったりされるようで、フレニーカ本人がとても辛そうなんです…」

 

「で、でも…いくら上級修剣士とはいえ、学院則に定められた範囲外の仕事を傍付き練士に命じたりは出来ないはずだと思うけど…」

 

「はい。それはその通りなのですが…違反にはならずとも、その…女子生徒には少々受忍し難いようなご命令を、色々と…」

 

 

顔を真っ赤にして口ごもるティーゼを見て、ユージオと上条は問題の修剣士がどのような命令をフレニーカに命じているのかを察し、上条が耐えきれずに激昂した

 

 

「な、なんだそりゃ!?一体どこのどいつだそんなことしやがるのは!?」

 

「カミやん、とりあえず今は落ち着こう。ありがとうティーゼ、状況は分かった。だけどフレニーカの指導生を変更するには指導生本人の承認も必要なんだ。その問題の修剣士は誰なんだい?」

 

「あの…ウンベール・ジーゼック次席上級修剣士殿、です」

 

「あ、あンの野郎…!ユージオに立ち合い吹っかけて返り討ちだった癖に、よくもそんな陰湿なマネを!」

 

「・・・いいや、カミやん。もしかしたらそのせいかもしれない」

 

 

上条は、ギリギリと歯を食いしばりながら胡座をかいた膝に自分の拳を叩きつけた。しかし彼と違って冷静に考えたユージオはウンベールの行為の理由に当たりをつけ、軽く唇を噛んで説明し始めた

 

 

「実は僕、何日か前にウンベール修剣士と修練場で立ち合って引き分けになったんだ。でも彼は、その結果に納得できてなかったみたいで、ひょっとしたらそれが原因かもしれない」

 

「えーと…それってつまり、腹いせってことですか?」

 

 

ロニエの質問に、ユージオは自分に責任の一端を感じながら苦しそうに頷いた。上条は腹の虫が収まる様子がなく、怒りのままに特大の舌打ちを鳴らした

 

 

「私には…私には、分かりません」

 

 

ティーゼは俯いたまま、喉から押し出すように呟いた。それから顔を上げて正面からユージオを見ると、頬を強張らせながら続けた

 

 

「私のお父様は言ってました。私達が一般民より大きな家に住みいくつかの特権を与えられているのを当たり前と思ってはいけない。貴族はそうでない人達が楽しく平和に暮らせるよう力を尽くさなければならない。そしていつか、戦が起きた時は真っ先に剣を取らなければって…」

 

「なのに、ウンベール修剣士殿のご命令の度にフレニーカはベッドでずっと泣いていました。なんで…なんでそんなことが許されるのでしょう…」

 

 

心底悔しそうに、長い言葉を懸命に語り終えたティーゼの両目には涙が浮かんでいた。自分の傍付きが、友人の為を思ってこんなに苦しんでいるのに、彼女と同じ疑問を持ったユージオは咄嗟にどう答えていいか分からなかった

 

 

「あ〜…その、なんだ。俺は貴族ってのがイマイチどんなモンなのか、よく分かってねぇ。そりゃ俺はただの平民だし、生きる上で貴族の立場がどーの、権利がどーのなんて知る必要も特にないだろうって、特に知ろうともしなかった。ライオスとウンベールについても、良いとこで育った所為で性格が少しひん曲がって、位の低い人間を罵ることが趣味になった坊っちゃんなんだろうとか…その程度にしか見てなかった」

 

「・・・カミやん…」

 

「だから、こんな俺がフレニーカ…ひいてはロニエ達に、可愛そうだなとか、それは辛かったな…なんて言っても、同情でしかない。いや、同情にもならないかもな」

 

 

ユージオが答えに困っている間に、上条がバツの悪そうな顔で後ろ頭を掻きながら話し始めた。そして、彼の語った内容は自分にも言えることだとユージオは思った。つい先ほどティーゼに教えてもらわなければ、貴族の階級や裁決権の有無など知る由もなかった。であるなら、そんな自分に一体何が出来るだろうかと、更に重い悩みを抱えてユージオが黙りこくっている間に、上条は続けて言った

 

 

「だけど、だったら今回の件について何も口出ししないのか…って言ったら、それは違う。俺が貴族の事情に詳しかろうがそうじゃなかろうが、やって良い事と悪い事の判別くらいは付く。今回ウンベールがやった事は、どう考えても悪い事だ」

 

「反対に、ティーゼのお父さんが言ってる事は、正しい事だと思う。誰が何と言おうと、俺はこの考えを覆すつもりなんてない。誰かが助けを求めている時、ソイツだけの力じゃもうどうしようもならない袋小路に遭った時に、立ち上がるのは誰か。それはきっと、その光景を見てる自分であるべきだ」

 

「だけどそれは、怖い事だ。自分から立ち向かうのは、誰だって怖い。だから意味があるんだ。ソイツだって怖いから、恐怖に怯える誰かの肩に、怖いのは誰だって同じだって、大丈夫だって手を置いて安心させてやるんだ。そこに立場なんて関係ない。立場をかなぐり捨ててでも貫ける自分の意志こそが、そこにあるべきだと俺は思う」

 

「だから、今回の件もそうだ。自分が偉いから。相手の身分が低いから。それを理由にして誰かを貶めて良いなんて、俺は認めない。それを良しとするルールがあるなら、裁決権だろうが禁忌目録だろうが、俺はぶち破ってみせる。例えその果てに罪人だと蔑まされたとしても、それで誰かの笑顔が守れるなら、俺はきっと後悔しない」

 

 

上条のその言葉に、ユージオはチクリと胸が痛んだ。果たして自分は、そのように出来るだろうか。ここに来るまでの自分は、きっと出来ていない。アリスが連れ去られるのを見ていることしか出来なかった自分には、到底出来ることではないと思った

 

 

「あの…カミやん先輩の仰ったこと、何となく分かる気がします。禁忌目録にはないけど大切な意志…あるいは信念。それってつまり、自分の中の正義ってことですよね?法をただ守るんじゃなくて、なんでその法があるのかを、自分の正義に照らして考える。従うことよりも、そうして考えることが大事なのかなって…」

 

 

上条の言葉に続いて言ったのは、ずっと沈黙していたロニエだった。いつもおとなしい彼女が、瞳に強い光を宿してそう言ったことに、ユージオは驚きを隠せずマジマジと彼女の顔を見つめてしまった

 

 

「あははっ、口添えありがとなロニエ。まぁ要はそういうことだな。バカの俺が言っても説得力ないだろうけど、考えることってのは、時には人間の一番の武器になる。それはどんな名剣、どんな秘奥義にも負けない。たとえ禁忌や院則に反してなくたって、今回のウンベールの行動は間違ってる。だから誰かが止めなくちゃならねぇし、その誰かってのは……」

 

「・・・あぁ。僕らの役目だね、カミやん」

 

 

うんうんと頷きながら語る上条の目配せにユージオが気づくと、自分の胸中に蔓延っていた悩みを一旦腹の底に落としつつ、新たに確かな決意を胸に抱いて言った。上条はそう言ってくれたユージオに微笑んでからティーゼとロニエの方へと視線を戻すと、後は任せろと言わんばかりに右手の親指を立てて見せた

 

 



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第30話 狡猾な罠

 

「・・・それで?我が友ユージオ剣士におかれましては安息日の夕刻に一体どのような御用かな?」

 

 

ティーゼとロニエとのピクニックを終えて寮に戻った夕方。上条とユージオは相部屋のライオスとウンベールの使う居間で、ソファに腰掛ける彼らと向かい合っていた

 

 

「そちらのジーゼック修剣士に関して少々好ましからざる噂を耳にしまして、学友がその芳名を汚す前にと僭越ながら忠言に参りました」

 

「なんだと…!貴様、家名も持たぬ辺境の開拓民風情が何を根拠にそのような…!」

 

「ウンベール」

 

 

でき得る限りの厳しい表情で言ったユージオに、ウンベールが血相を変えて叫ぼうとしたが、ライオスの声と鋭い視線を感じ口を閉じた。そして紅い唇を歪めながら微笑んでライオスがユージオに向かって喋り始めた

 

 

「ほほう。しかしてこれは意外であり望外なことでもあるな。ユージオ殿に我が朋友の名を案じて頂けるとは。しかし惜しむらくはその噂とやら。まるで思い当たらない。ユージオ殿は一体どこからそのような噂を聞きつけたのかな?」

 

「ジーゼック殿の傍付きと同室の初等練士から直接話を聞いたのです。ウンベール殿がフレニーカという傍付き練士に逸脱した行為を命じておられることを」

 

「ふむ逸脱。何とも奇妙な言葉だな。もっと分かりやすく学院則違反と言ったらどうかね?」

 

「ですがっ…!」

 

 

ライオスのこちらを誘導するような神経を逆撫でする態度に、ユージオは思わず声を荒げそうになったが、ここでは先に冷静さを失った方が負けだと、先んじて上条と話し合っておいた事もあって、なんとか高まる感情を押さえ込んだ

 

 

「ですが、学院則で禁じられていなくとも、初等練士を導くべき上級修剣士としてすべきこと、すべきではないこともあるでしょう」

 

「ほほう?それではユージオ殿は一体このウンベールがフレニーカに何をしたと申されるのかな?」

 

「そ、それは……」

 

 

どちらかといえば単細胞的なウンベールに比べて、ライオスは実に頭がよく回る狡猾な男だった。ライオスはウンベールと同室故に彼の行為を見ていないハズがない。その行為が他人に易々と話せることでないことも織り込み済みで、敢えてユージオにそう聞いてきたのだ

 

 

「これはこれは。自分から直訴する割にはその詳細も言えぬとは、少々付き合いきれなくなってきましたぞ。どうなんだウンベール、ユージオ殿の仰ることに覚えがあるのか?」

 

「いやいや!とーんでもない!何を言われているのかさっぱり分かりません!」

 

 

そこでようやく先ほど黙らせたウンベールにライオスが話を振ると、まるで水を得た魚のように、芝居掛かった仕草で威勢良くウンベールが喋り始めた

 

 

「まぁ、いくつか下らない世話を命じましたがね。ユージオ殿との先日の立合いで情けなく引き分けて以来、私も心を入れ替えて鍛錬に打ち込んでおりましてな」

 

「ッ!?」

 

「ですがこれまで醜い筋肉が付くような稽古を控えていたせいもあって、全身が痛くて仕方ない。止む無くフレニーカに毎夕の湯浴みの折に体を揉みほぐしてもらったまでのこと。その上制服が濡れては困ろうと、フレニーカにも下着姿になることを許す寛大さですぞ〜?一体これのどこが卑しい逸脱行為なのか理解に苦しみますなぁ〜?」

 

 

ウンベールのそれが挑発と分かっていても、ユージオはもういつ彼に飛びかかってもおかしくないほど頭にきていた。しかし、ふとこれまで一切口を開かない上条に目をやると、彼の右手の指の隙間から、血が滲んでいるのが見えた。彼はあまりの怒りに、握りしめた拳の爪が皮膚に食い込んでいたのだ。それでもなお怒りを我慢している彼を見て、ユージオもすんでのところで思いとどまった

 

 

「そうでしたか、事情はお察ししました。ですがフレニーカ初等練士は日々耐え難い思いをしております。改善が見られないようでしたら、教官に調べを依頼することも考えねばなりません。どうぞそのおつもりで」

 

「・・・ふむ。そう思うのであれば、どうぞご自由にされるがよかろう。ユージオ修剣士殿」

 

 

ライオスが不敵な笑みを浮かべながらそう言ったのを最後に、上条とユージオは彼らの部屋を後にした

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「クッソ野郎が!!」

 

 

自室に戻って開口一番、怒りを発散するように上条が叫んだ。下手をすれば隣室に声が突き抜けていそうだったが、それを指摘する前にユージオも自分の拳を壁に打ち付けていた

 

 

「あ〜…割と血ぃ出てんな。まぁこのくらいなら神聖術はいらねぇか」

 

「手の平に爪が食い込むほど拳を強く握れる人なんて僕始めて見たよ。だけど、それでも我慢してるカミやんを見て僕も何とか踏み止まれたよ」

 

「正直MK5…じゃない、マジでキレる5秒前だったけどな。けど、これでハッキリした。多分こいつはユージオを狙った罠だ」

 

「・・・罠?どういうことだい?」

 

 

手巾で手の平を拭って、残った血を自分の黒い制服のズボンに擦りつけながら言った上条の言葉に、ユージオはその意味を訊ねた

 

 

「今の場に例えるなら、ウンベールに抗議しに行ったお前が挑発に乗って言いすぎたらそれを逸礼行為に認定して、最大限の懲罰を科すつもりだった…とか」

 

「・・・それは…危うく僕もカミやんもその罠にハマるところだったね」

 

「あぁ。あのウンベールほどじゃないが、俺も十分すぎるくらい直情的だからな。けどそうならないように、もし今後もアイツらが何かの策を弄するようなら、すぐ教官に調査を依頼できるよう準備だけはしとくべきだ」

 

「そうだね。アイツらが僕らを目の敵にしてるのは明白だし、これからも手を替え品を替え何か仕掛けてくるかもしれない」

 

 

ユージオが言うと、上条もそれに深く頷くことで答えた。そしてユージオも上条もようやく平静を取り戻した時に、部屋の戸をノックする音が聞こえた

 

 

「おっと、この叩き方は多分ティーゼだな。じゃあ俺は自室に戻るよ。さっきのこと伝えといてくれ」

 

「あ、いいよ。神聖術を使うほどじゃないとはいえ、手のキズを塞がないといけないだろうし、救急箱のある居間にカミやんが残りなよ。僕がティーゼと部屋に入るから」

 

「そうか?悪いな、助かる」

 

「じゃ、そういうことで。どうぞー!」

 

 

ユージオがドア越しに声をかけると、ティーゼが挨拶と一緒に部屋へ入り、ユージオがそのまま自室へと誘った。そしてベッドに腰掛けると、ティーゼに話しかけた

 

 

「ごめんねティーゼ。こんな狭い部屋で」

 

「いえいえ、とんでもないです!むしろお邪魔させてもらってすいません」

 

「ええと、それじゃ早速なんだけど話をさせてもらってもいいかな?立ったままで話す内容でもないし、座ってよ」

 

 

ユージオがそう言うと、ティーゼは部屋の書き物机に備えられた椅子に一瞬視線をやったが、すっと視線を戻すと、ユージオの方へと歩み寄ってきた

 

 

「そ、それでは失礼します!」

 

 

頬を赤らめながらそう言うと、ユージオも座っているベッドの端の方にちょこんと腰掛けた。ユージオはそれにほんの少し目を丸くしたが、別に変な意味はないと自分に言い聞かせて、上半身だけを彼女の方へと向けて真面目な顔で言った

 

 

「フレニーカの件だけど、さっきウンベールに抗議してきたよ。アイツもこれ以上事を荒だてたくないだろうから、もうフレニーカに逸脱した命令は出さないと思う」

 

「ほ、本当ですか!ありがとうございます、ユージオ上級修剣士殿。フレニーカもきっと喜ぶと思います」

 

「いやいや、元から今日は安息日なんだし、さっきまでみたいにユージオでいいよ」

 

 

友人の身の安全を知ってパッと顔を綻ばせるティーゼに、ユージオはよかったと思いつつ微笑んで言った。そして、事の発端となった自分の責任を謝罪しようと思い、一度頭を下げてから話し始めた

 

 

「それに、僕の方こそ彼女に謝らなきゃいけないんだ。さっきも言ったけど、今回の騒動の原因は僕とウンベールの手合わせだったってはっきり分かったんだ。僕のせいで彼女を巻き込んでしまったことに、一度僕からちゃんと謝りたいんだけど、ティーゼからフレニーカに言って機会を作ってもらえないかな?」

 

「・・・そう、ですか…」

 

 

ティーゼは部屋に差し込む夕日よりも赤い髪を揺らしながら俯き、何かを考えている様子だったが、やがてユージオをみてゆっくりと首を振った

 

 

「いえ、ユージオ先輩に責任はありません。フレニーカには、先輩のお言葉だけ私から伝えておきます」

 

「え?そ、そっか…じゃあ、そうして貰ってもいいかな?」

 

「はい。それで、あの…少し、お傍に行ってもいいですか!?」

 

「・・・え?う、うん」

 

 

彼女の発言の真意が分からずドギマギしながらユージオが頷くと、ティーゼは頬を赤く染めたまま微かに体温が感じられるほどまでユージオの傍に近づいた。そして、囁くような声で話し始めた

 

 

「私は、修剣学院を卒業したらそう遠くない内にシュトリーネン家を継いで、同格か一等上の爵家から夫を迎えることになると思います」

 

「・・・うん」

 

「でも私、怖いんです…もし私の夫となった人が、ジーゼック殿みたいな人だったら…貴族の誇りを持たず、平気で酷いことをするような人だったらどうしようって思うと…怖くて…私…わたし…!」

 

「ティーゼ……」

 

 

彼女の言葉の端々に、明白なまでの不安をユージオは感じていた。だが、ずっと樵として過ごしてきた自分には、彼女にかけるべき言葉が見つからず、黙り込んでいた。だから、彼女がいきなり自分の腕に抱きしめてきた時、全身が固まるほど驚いた

 

 

「えっ!?ティ、ティーゼ…!?」

 

「ユージオ先輩…私、その…先輩にお願いがあるんです!きっと、きっと学院代表になって、剣舞大会にも勝って、四帝国統一大会に出てください…!」

 

「そ、それは勿論…僕もそれを目指してるよ?でも、どうして…」

 

「それで、その…」

 

 

ユージオが震えた声で訊ねると、ティーゼは小さな赤い瞳を揺らしながら一瞬言葉に詰まると、縋り付く力をより一層強めて続けた

 

 

「と、統一大会で上位に入れば、アズリカ先生みたいに、一代爵氏として叙任されると聞きました。あの…もし先輩がそうなれたら私…私も………」

 

 

それ以上は言葉にならないらしく、俯いて体を震わせるティーゼをユージオは呆然と見つめていた。自分が四帝国統一大会を目指すのは、アリスともう一度出会う為に他ならない。しかし、それを不確定な将来に怯える16の少女に告げることは出来なかった。やがてユージオは、心の中の罪悪感に苛まれながらも、ぎこちなくティーゼの頭を撫でて言った

 

 

「・・・うん、解った。僕は必ず大会に出る。そして、きっと君に会いに行くよ」

 

 

ティーゼはそれを聞くと、肩を大きく震わせた。そしてゆっくりと顔を上げると、嬉しさから溢れ出した涙を頬に光らせ、幸せそうな笑顔を浮かべた

 

 

「先輩…!私も、私も強くなります。ユージオ先輩のように…正しいこと、言わなきゃいけないことをきちんと言えるくらい…強く」

 

(・・・間違っていない。これでいいんだ。僕は、これで…)

 

 

ユージオは自分の腕に寄り添う彼女の頭を、もう一度優しく撫でながら、記憶に眠るアリスの笑顔を脳裏に浮かべていた。アリスとの事は、今のティーゼに言うべきことではない。そう何度も自分に言い聞かせるように、心の中で彼は呟いていた

 



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第31話 禁忌目録

 

「・・・雨、強えな」

 

「そうだね。ちょっと遅めの春の嵐かな」

 

 

五月も二十日を跨いだある日の夜、この世界に来て2年が経つ上条が一番だと思うほどの荒れ狂った嵐が吹き荒んでいた。暴風に乗った雨が窓ガラスを激しく叩き、ガタンガタンという格子が揺すられる音が上条とユージオの耳に痛いほど響いていた

 

 

「ところでカミやん、その剣の銘はいい加減決めたのかい?」

 

 

雨で外に出られず、やる事が見当たらなかったユージオと上条は、互いに自分の剣を磨いていた。翡翠色に輝く水晶の剣は、ユージオにとっても物珍しく映っており、上条がそれを持ち帰った日から事あるごとに気にかけていた

 

 

「うんにゃ、これといっていいのが思いつかんくてな。当分の課題だ」

 

「早いとこ決めなよ。呼び名がないと剣がかわいそうだし、サードレさんのお店の名前を広めるのにも困るだろう?」

 

「生憎、ロニエにも普段から口酸っぱく言われてるんで分かってますよ。ま、おやっさんの頼みってなら少しは頑張るよ。カミやんさんは義に厚く情が深いんだ」

 

「ごめん、最後だけよく聞こえなかったよ。最後だけもう一回言ってくれるかな?くれぐれも最後だけ」

 

「お、お前な………ん?」

 

 

上条はそこでハッとした。風に攫われてほとんど聞こえないが、現在の時刻を知らせる学院の低い鐘の音が聞こえた。この学院では30分置きにその鐘がなるが、60分で高い音、30分で低い音を現在の時刻と同じ回数分鳴らす。その鐘が低い音で4回鳴ったので、現在の時刻は4時半ということになる

 

 

「なぁユージオ、今の4時半の鐘だよな?」

 

「え?あ、本当だ。嵐のせいで4時の鐘が聞こえてなかったのかな」

 

「・・・ロニエ達、ちょっと遅くねぇか?」

 

「言われてみれば…いつも4時には部屋に掃除に来るのに。でも、この嵐だし雨が止むのを待ってるんじゃないかな?別に掃除をする時間が決まってる訳じゃないし」

 

「・・・嫌な予感がする。あの二人が掃除に遅れたなんて事は一度もなかった。去年の俺と違ってな」

 

 

時折稲光が走る窓を見つめながら、上条は静かに言った。自虐を交えつつ喋るのは彼のある種の癖だが、今回のそれは少し違うとユージオは肌で感じ取った

 

 

「どういうこと?虫の知らせ…ってヤツ?」

 

「まぁ、それに近いヤツだな。あの生真面目な二人が、雨くらいで遅れるなんて考えられねぇ。俺ちょっと初等練士の寮まで見に行ってくる。行き違いになるかもしれねぇから、ユージオはここで待っててくれ」

 

 

そう言うと上条は翡翠色の剣を鞘に納めてテーブルの上に置き、強風でガタガタと揺れる窓の格子に手をかけた。そして留め具を外して一気に開くと、吹き荒ぶ嵐の中へと身を乗り出した

 

 

「ちょ、ちょっとカミやん!そんなことしなくても表から行った方が…」

 

「こっちのが早い!」

 

 

返す刀でそう言うと、上条は二階であることを物ともせず窓から飛び出した。ユージオはそんな野生的な彼にため息を吐くと、開けっ放しの窓を閉じて鍵を掛けた

 

 

「まったく…ついこの間の安息日まではあんなに悩んでたのに。今じゃすっかり親バカ…もとい後輩バカじゃないか」

 

 

誰にも聞こえない愚痴をこぼしつつユージオは椅子に戻ると、磨きかけだった青薔薇の剣を再び手に取った。すると、剣を磨き始めて数分としないうちに、ドアから小さなノックが聞こえた。いつもなら軽く「どうぞ」と言って入るのを待つのだが、心配していた手前自分からドアを開けに行った

 

 

「よかった。ちょっと遅かったんで心配し……」

 

 

そこまで言って、ユージオは目の前にいる少女を見て唖然と言葉を飲み込んだ。そこにいたのは、ロニエでもティーゼでもなく、灰色の制服を水に濡らし、薄茶色の髪を雨風で乱した見知らぬ女の子だった

 

 

「あ、あの…ユージオ上級修剣士殿でいらっしゃいますか?」

 

「あ、うん…君は?」

 

 

血の気が引いて真っ青になった頬に水を垂らした少女は、小刻みに震えながら訊ねた。ユージオは多少戸惑いを覚えながらも頷いて、雨に濡れた少女を居間へと招き入れた

 

 

「わ、私はフレニーカ・シェスキ初等練士にございます。ご…御面会の約束もなしに訪問する無礼を、どうかお許し下さい」

 

「あぁ…君が、ティーゼ達の言っていた…」

 

「で、でも私…もうどうしたらいいか分からなくて…!」

 

 

ただならぬ焦りを見せながら話すフレニーカの表情を見て、ユージオは上条の言っていた嫌な予感という言葉が頭をよぎった。まさか、とは思いつつもそれを拭いきれないユージオは、傍にあったタオルを手に取ってそれをフレニーカの頭に被せ、自分より少し背丈の低い彼女に視線を合わせながら声をかけた

 

 

「落ち着いて、ここなら大丈夫だから。一体何があったんだい?」

 

「あの…ユージオ修剣士殿にはこの度、私とウンベール修剣士殿の事でご尽力を賜り、心より感謝しています。ですが、ジーゼック修剣士殿は本日の夜間に私に…その、この場では少々説明の難しいご奉仕を命じられておられまして…」

 

「ッ!?」

 

「わっ、私…このような御命令が続くくらいならいっそ学院を辞めようと思って…それをティーゼとロニエに打ち明けたんです。それを聞いた二人が、直接ジーゼック殿に嘆願すると言って寮を出て行ったきり…戻って来てなくて…!」

 

「な、なんてことだ!」

 

 

なおも止まらぬ震えを抑えながらフレニーカが語った状況に、ユージオは雷に打たれたような衝撃を味わった。もはや一刻の猶予もないと感じた彼は、磨いていた青薔薇の剣を手にしたまま部屋のドアへと手をかけた

 

 

「フレニーカ、君はここで待っててくれ。もし僕がここに戻って来る前にカミやんが部屋に来たら、辛いだろうけど今した話と同じ話をしてほしい。頼んだよ!」

 

(多分、アイツらの狙いは僕らじゃなかったんだ。アイツら二人は最初から、ティーゼ達を…!)

 

 

不安げに頷いたフレニーカを残し、ユージオは廊下へと飛び出した。上級修剣士寮の大きさ特有の長い廊下を走り抜け、上へと続く階段を駆け上がり、三階の一番東にある閉ざされた扉を乱暴に叩いた

 

 

「おやおや。随分と遅いお出ましだな、ユージオ修剣士殿。さぁさぁ、遠慮などすることはない。どうぞ入ってくれたまえ!」

 

「ーーーッ!!」

 

 

まるでユージオが来るのを予感していたかのようにドア越しでライオスが言うと、ユージオは湧き上がる怒りのままにバァン!という音を立てながらドアを押し開いた

 

 

「芳しく良い香だろう?ユージオ殿。先日実家の使いにこちらへ送らせた代物でね。この香を焚くと非常にいい気分になるんだ」

 

 

押し入るような形で入った部屋の中には、ウンベールが語った香のせいか、鼻にベッタリと纏わりつくような独特な匂いが充満しており、部屋に一歩踏み入ったユージオは思わず眉間に皺を寄せ、鼻に手を当てた。しかしその匂いの奥では、そんな彼の様子を気に留めることもなく、バスローブを身に纏ったライオスとウンベールが椅子にもたれかかっており、赤ワインの注がれたグラスを揺らして歪んだ笑みを浮かべていた

 

 

「・・・つかぬ事をお伺いしますが、本日こちらの部屋に僕の傍付きであるティーゼ・シュトリーネン初等練士と、カミやん修剣士の傍付きであるロニエ・アラベル初等練士が訪ねては参りませんでしたか?」

 

「ふむ…あの二人はユージオ殿とカミやん殿の傍付きであったか。全生徒の頂点に立つ主席及び次席である我々に突然の面会を求めるとは…いやはや実に勇敢な初等練士だ。流石はお二人の傍付きといったところか」

 

 

充満する匂いに眉間に皺を寄せたまま、丁重な言葉遣いとは裏腹に威圧するような態度を醸し出して言ったユージオだったが、ライオスはそんな彼を嘲笑うかのような口調で言うと、ワインを一口飲んでグラスを置いた

 

 

「しかして、少し教育が足りておらぬのではないかな?威勢の良さは時として非礼になり不敬ともなる。そうは思わないかな?ユージオ修剣士殿」

 

「御高説はまたの機会に拝聴します。ティーゼとロニエはどこにいるのです!?」

 

 

前回の忠言では冷静を装ったが、今回は別だった。二人の態度から鑑みるに、ティーゼ達に何かあったのは明白だった。口調を荒げるユージオを視線で笑いながらウンベールは立ち上がると、西側の寝室のドアを開けた

 

 

「ユージオ修剣士殿、今夜の貴公はとても運がいい。今後どれだけ生き永らえようと、こんなに見応えのある演目は見れますまい」

 

「・・・え、演目…?」

 

 

薄気味悪く笑いながらライオスとウンベールが寝室に入り、ユージオも恐るおそる部屋に入った。そしてそこでユージオが見たのは、天蓋付きのベッドに並んで座っている、二人の少女だった

 

 

「なっ…!?」

 

 

否、それはむしろ座らされている、と言うべきだった。二人は灰色の制服の上から真っ赤な縄で幾重にも体を縛られており、その口には白い布を猿轡として押し込んでいた。そのあまりにも酷い仕打ちに、ユージオは悪鬼の形相でライオスに向かって叫んだ

 

 

「ーーーッ!これは一体どういうことですかっ!?なぜ僕とカミやん練士の傍付きが、あのような扱いを…!」

 

「いやいや、そうカッカせずに落ち着きたまえ。これはやむを得ない処置なのだよユージオ殿。シュトリーネン初等練士とアラベル初等練士は我らに甚だしい非礼を働いたのだからな」

 

 

ユージオの視線の先にいるティーゼとロニエの表情には、純然たる恐怖と助けを懇願する感情が入り混じっていた。そんな彼女たちの瞳には大粒の涙が溜められており、縋るようなその視線にユージオは心を痛めた

 

 

「一体何です!僕らの大切な傍付きにこのような処置を施すに足る、その非礼というのは…!?」

 

「あの下級貴族の娘共は事もあろうに、四等爵士たるこの私が自分の傍付きを理由もなく虐げ欲望を満たしてるなどと侮辱してくれたのよ。次席上級修剣士としてフレニーカを正しく導こうとするこの私をだぞ!?全く非礼極まりない!」

 

「それだけではないのだよユージオ殿。あの二人はウンベールと同室の私にも責任があるなどと道理の通らぬことを言ってくれてね。よもや六等爵家の娘ごときに三等爵家の長子たるこの私が、『貴族の誇りはないのですか』と言われようとは…いやはや、実に腹立たしい」

 

 

腹立たしいと語るウンベールとライオスの表情には怒りの色など一切なく、むしろくつくつと嘲るように笑っていた。ユージオは右手が腰に据える剣に伸びようとするのを必死に堪え、口調に最大限の怒りを込めて言った

 

 

「ですがライオス殿…もし仮にそのようなことがあったとしても、縄で縛り上げ寝室に閉じ込めるなど、修剣士懲罰権を甚だしく逸脱した行いでしょう!!」

 

「修剣士懲罰権?寝言は寝て言いたまえよユージオ殿。私がいつ懲罰権などという子供騙しの権利を行使したと口にした?」

 

「な、に………?」

 

「ここの学院則にはこう付記されてるのをお忘れなのではないかな?『なお、全ての懲罰において、上級法の規定を優先す』と」

 

 

長身を屈めてユージオに顔を近づけて話すライオスは、唐突に表情を変えた。紅い唇の両端を不気味なほど吊り上げ、両手を天秤のように広げると声高に叫んだ

 

 

「そう!上級法とは禁忌目録!そして帝国基本法のことを指す!これが優先されるということはつまり!三等爵家の長子たる私は、六等爵家出身のあの娘たちに、修剣士懲罰権ではなく貴族裁決権を行使できるということなのだよ!無論、禁忌目録には従わねばならないが、逆に言えば禁忌に触れなければ何をしても良いということでもある!」

 

「ッ!?で、ですが!何をしても良いからと言って、まだ16歳の少女達を縄で縛り上げるなど…あまりにも酷い……!」

 

「あーっはっはっは!お聞きになりましたかライオス殿ォ!ユージオ殿はこの娘達を縄で縛ることだけが我々の裁決だとお考えでいらっしゃる!なんとも慈悲に溢れ純真なことですなぁ!?」

 

「くっくっくっ。仕方ないさウンベール。辺境の山村からはるばる央都まで上ってきた平民ではな!まぁ、今日この時を境にユージオ殿も理解して下さるだろう。我々上級貴族が、いかに尊き存在であるかということをな!」

 

 

そう言って締めくくると、ライオス達は身を翻し、上半身を覆っていたバスローブを剥いだ。そしてティーゼ達のベッドに上がって膝をつくと、身動きの取れない彼女達を容赦なく押し倒した

 

 

「や、嫌っ…!」

 

「ッ!?ティーゼッ!ロニエッ!」

 

 

猿轡を外された彼女達の口から、か細い悲鳴が漏れた。ユージオが声をかけるが、そんなのは気休めにすらならなかった。ライオスの醜い手がティーゼの頬に伸び、ウンベールの汚らわしい舌がロニエの脚を這い回った。間違いなく、この二人はティーゼとロニエの純潔を、自分の肉体で汚そうとしている。そう悟った瞬間、ユージオは叫んでいた

 

 

「やめろっ!さもないと…!」

 

「動くな、平民!!」

 

 

ユージオがベッドに駆け寄ろうと一歩踏み出した瞬間、ライオスが右手でティーゼの体を弄りつつ、左手でユージオを指差した

 

 

「これは、帝国基本法及び禁忌目録に則った、正当かつ厳粛なる貴族の裁決である!そして、裁決権の妨害もまた重大な違法行為!そこから一歩でも動けば、貴様は『法を破った罪人』になるのだ!!」

 

「そっ…!」

 

 

『そんなの知ったことか!』そう叫ぼうとした口が、頑なに声を出そうとするのを拒んだ。ユージオは自身を苛んだ不可思議な現象に驚愕を覚えたが、その現象は彼の声だけでは留まらなかった

 

 

(な、何で…!?いきなり、体が…!?)

 

 

さらに、何故か唐突に両足が鉄杭でも打たれたかのように止まり、ユージオは勢い余って膝をついた。慌てて立ち上がろうとしても、全身が強い金縛りにあったように微動だにせず、ただ『法律を破った罪人』という言葉だけが、ユージオの頭に鳴り響いていた

 

 

「先輩!先輩ぃ!」

 

「うふふふふふふっ…」

 

「嫌っ…やだぁっ!」

 

「あ〜は〜は〜は〜…」

 

「ティーゼ…ロニエ…ッ!」

 

 

少女達の悲鳴と、男達の下卑た笑いが交錯する。法律がなんだ!たとえ罪人になってでも僕はティーゼとロニエを助ける!そう脳髄を叩くように自分の思考に言い聞かせ、歯を食いしばりつつユージオは膝を着いていた足を持ち上げた。だが、それが限界だった。履き慣れたはずの革靴に、鉛でも入っているかのように足は床に縫い付けられ、どうしてもそこから前に進むことが出来なかった

 

 

「そうだ。そうして大人しくそこで見ていろ平民。いや、むしろ楽しんでくれてもいいんだぞ?自分の傍付きがその純潔を侵され泣き叫ぶ姿をなぁ!ははははは!!」

 

(友達の為に勇気を振り絞って行動したティーゼとロニエにこれだけの残酷な罰を与える法!その彼女達を罠にかけ辱めようとしてるライオスとウンベールを止められない法!)

 

 

ユージオの思考が加速する。額からは大量の汗が噴き出し、瞬く間に全身が熱を帯びていく。絶対であると教えられたこの世の摂理に、未だかつて経験したことのない反逆心を抱いていく。憤怒という言葉でも足りない怒りに、ユージオが青薔薇の剣へと右手を伸ばしかけた……その時だった

 

 

(そんな法を守ることが善だと言うのなら、僕は…僕はっ!!!)

 

「がああああああああああっっっ!?!?」

 

 

ズキン!という針でも刺さったかのような鋭い痛みがユージオの右目の奥に走り、ユージオは絶叫した。普通であれば即座に目を抑えこんで蹲りたくなるほどの激痛だった。しかし、赤く染まるその視界に浮かんだ『SYSTEM ALERT:CODE 871』という神聖語に似た文字への意識が、膝を突こうとするのを拒んだ

 

 

(な、なんだ…これ、はっ…!?)

 

「ユージオ先輩!助けてぇ!ユージオ先輩ぃぃぃ!」

 

「嫌、いや…助けて…助けに来て下さい…カミやん先輩…」

 

「「あははははははは!!!」」

 

「く、そ…!くそっ…クソッ…!!」

 

 

彼女達の制服は、もうとっくに剥がされ下着が露わになっていた。鮮烈な赤に染まった視界の端でそれを捉え、彼女達の悲鳴に本能を突き動かされたユージオは、ついに青薔薇の剣の柄へと手を掛けた。そして、右目の痛みに消し飛びそうになる意識を手放すまいと懸命に手繰り寄せ、自分の右目に施されたなんらかの『封印』を解く明確な境界線を、思考と感情の臨界点を、超えたーーー

 

 

(こんな痛み、もうどうだっていい…!この二人だけは絶対に…許せないっ!!)

 

「嫌ァーッ!ユージオ先輩ーーーッ!!」

 

「うわああああああああああああああああああああああーーーーーっっっ!!!アアアアアアアアアアAAAAAAAAAAーーーーーッッッ!!!!!」

 

 

二度目の絶叫。瞬間、ユージオの右目が大量の血を吹き出し、眼球そのものが弾け飛んだ。それによって視界の半分が闇に消えたが、彼はそんなことを気にもとめず青薔薇の剣を鞘走らせ、水平切りソードスキルのホリゾンタルを放った

 

 

「何っ!?」

 

 

ユージオの眼前にいたライオスは、ティーゼを苛んでいる視界の端にそれを捉えたのか、ギリギリのところで屈んで下に避けた。しかし、その奥にいたウンベールはそれに全く気づく余裕もなく、青薔薇の剣の刃が彼の左腕へと埋まっていった

 

 

「ぎぃやあああああ!?!?!」

 

 

ウンベールの左腕は肘の辺りから真っ二つに断たれ、回転しながら宙を舞ってベッドの外へ落ちた。数秒遅れて彼の悲鳴と共に、切断面から血がスプリンクラーのように勢いよく噴き出した。飛び散る血はベッドどころかティーゼとロニエ、ライオスを濡らし、腕を落とした張本人であるユージオの青い制服にも赤い斑点を作った

 

 

「腕っ!俺の腕がっ!?血が…血がこんなに!?天命…天命が減っていくぅぅぅ!?ら、ライオス殿っ!神聖術を!いや、もうこれは普通の術じゃ間に合わない!天命を…天命を分けて下さいいいいいぃぃぃぃぃ!!!」

 

「・・・ははっ…あっはっはっは!素晴らしい!見たかウンベール!まさかここまでの禁忌を犯すとは!人の腕を剣で切り飛ばした人間を、私はこの目で初めて見たぞ!」

 

 

何が起きたのか理解しきれておらず、虚ろな目をする少女二人と、ロニエの脚を縛っていた赤紐を解いて懸命に血の溢れる切断面を縛るウンベールを置いて、ライオスはベットを降りた。そして壁に掛けていた剣を手に取ると、ギラリと光る刀身を鞘から覗かせた

 

 

「貴族裁決権の対象は原則として下級貴族と私領地民だけだが、他人の天命を減らすという禁忌を犯した大罪人とあらばその限りではない!」

 

 

弾け飛んだ右目になおも走る激痛と、全く動きもしなかった全身を無理に動かした疲労からなのか、ユージオは青薔薇の剣を握る右手をだらんと下げ、狂気的な喜悦を混ぜた声で笑うライオスが自分の首に長剣を当てるのを、ただ黙って見ていた

 

 

「ククク…私は剣で人の首を落とすのは初めてだ。これで私はさらに強くなる…!」

 

 

ライオスが鏡のような銀色に輝く剣を振り上げた。そしてユージオは、逃げなければならないという意志を、捨てた。自分はもう既に大罪人だ。整合騎士になって、アリスに会いに行く夢は絶対に叶わない。後で首が落ちるか、今首が落ちるかの違いだ。そう思ってしまった

 

 

[ーーーッ!ーーーッ!]

 

 

そんな彼に向かって、ティーゼが赤い髪を揺らしながら懸命に何かを叫んでいる。短い間だったものの、自分の傍付きとして頑張り、自分を好きになってくれた少女にユージオは一度だけ微笑むと、来たる断罪の刃への覚悟を決めて頭を垂れた

 

 

「ユージオ修剣士…否!大罪人ユージオ!三等爵士嫡男たるこのライオス・アンティヌスが、汝を貴族裁決権により処刑すーーー」

 

 

バァンッ!!という轟音が、ライオスの言葉を突き破って寝室中に響き渡った。乱雑に蹴飛ばされたドアの蝶番が外れ、部屋の端から端へ回りながら転がり飛んだ。そして、振り下ろされかけたライオスの長剣へと注がれていた全員の視線が、無意識の内に部屋の入り口へと吸い込まれていった

 

 

「・・・おい」

 

 

上条当麻は静かな怒りをその二文字に込めて言った

 



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第32話 怪物

 

「・・・おい」

 

「「「ーーーッ!?」」」

 

 

低く、重い声が部屋に木霊した。余りにも酷い罰を受けたティーゼとロニエ、左腕を無くしたウンベール、剣を持つライオス、そして彼の親友であるユージオでさえ、上条当麻の佇まいに戦慄した。一言で言うなら、彼は異様だった

 

 

「お前ら」

 

 

上条の表情には、激しい憤怒と憎悪が色濃く現れていた。こめかみには青筋が浮かび、見入る全てを貫くような鋭い眼光がそれを如実に語っていた。そして、そこにいる全員が上条当麻ではない、そこには存在しないはず『何か』の視線を感じていた。そんな中で上条はギリギリと歯を食いしばりながら、血の臭いが漂う部屋の中へ一歩を踏み出した

 

 

「俺のロニエに、」

 

 

バギリ!という食いしばりすぎた上条の歯が欠ける音があった。だが、当の本人はそんなことは気にも留めず、腰に据えた翡翠色の剣を躊躇なく鞘から抜いた。腹わたが煮え繰り返りそうな程の怒りと憎しみを叫んだ彼はもう、止まらなかった

 

 

「俺のロニエに……何してくれてんだあああああぁぁぁぁぁ!!!」

 

「ッ!?」

 

 

上条がライオスに切りかかったその瞬間、彼らの間にいたユージオは動かない体に鞭を打ってベッドの方へと飛び退いた。上条の威圧感に気圧されていたライオスもそこでようやく自分が切られると判断すると、握っていた剣の刃で上条の翡翠色の剣を受け止めた

 

 

「くくっ…ドアを蹴破って入って来るとは少し驚かされたが、ようやくのお出ましかカミやん修剣士…!しかし少々遅すぎたようだな!そこの田舎者は、もはやこの学院の生徒どころか帝国の臣民ですらない!禁忌目録に背いた大罪人だ!付け加えるなら、貴族裁決権による裁決を行なっていた私を妨害した貴様も既に罪人だ!」

 

「うるせぇっ…!」

 

 

ガリガリッ!と互いの剣の鍔を削り合う音が伝播する。身に余る怒りに揺れる上条の目は、半ば焦点が合っていなかった。ただ彼の奥底に眠る本能が、力任せにせめぎ合う剣を押し込んでいた

 

 

「それとも何か?自分の可愛い可愛い傍付きの、自分が奪う予定だった純潔を私たちに汚されたことがそんなにも憎いのかな?いや、カミやん殿にも聞かせてあげたかったよ。体を弄る度にあの二人は、実に良い声で鳴いてくれたもので……!」

 

「うるせえっつってんだろっ!!」

 

 

ガァンッ!という耳障りな金属音を奏でながら上条の剣がライオスの剣を押し飛ばした。ライオスは壁際ギリギリまで後ずさり、上条は畳み掛けるようにもう一度剣を振り上げた

 

 

「禁忌…?貴族の権利…?知るかよそんなの、例え何があったってユージオは俺の親友だ!ティーゼとロニエは俺の大切な後輩だ!そしてテメエは…闇の国のゴブリン以下のクズ野郎だ!!」

 

「ッ!?あまり図に乗るなよ平民…!修剣士末席の貴様が、主席の私に敵うと思うなぁぁぁ!!!」

 

「うおおおおおおおっっっ!!!」

 

「死ねええええええっっっ!!!」

 

 

ギィンッ!という凄まじい金属音を立てながら再び上条とライオスの剣がせめぎ合うのを、ユージオは唖然として見つめていた。銀と翡翠の交錯点から、赤黒い光が噴出した。それは間違いなく、自分がウンベールと対峙した時に見た、彼らの自尊心が具現化したものと同じだった

 

 

「ぐっ、うおっ!?」

 

「か、カミやんっ!」

 

「ははははは!所詮貴様の力などその程度なのだ!あの気取ったリーバンテインを倒した事実など偶発的なものに過ぎん!ここで貴様は無様に跪き、私に首を断たれるしかないのだぁぁぁ!!」

 

 

声高に笑うライオスの剣に宿った自尊心の光がより強く脈を打つように膨れ上がり、その力を増した。彼が生涯を掛けて成長させたイメージの力にジリジリと押し込まれ、上条はついに床に右膝を着いた

 

 

「ンの、野郎っ…!」

 

「・・・くくっ、こんな簡単ではまるで面白くないな。少し余興を足すとしよう」

 

「・・・え?」

 

 

余裕を持った顔でニヤリと笑うと、ライオスは押し込んでいた剣を素早く引いた。咄嗟の出来事に、上条の剣はライオスの刃の上を滑るように外れ、勢い余って両手を着いてライオスの前に平伏すような形になった

 

 

「処刑までの前座だ。目には目を、歯には歯を、腕一本には腕一本で返礼するのが作法というものだろう?」

 

 

ボトッ…という嫌な音がした。ユージオは視界が半分潰れているため、それがすぐに見えなかった。違う、その音は自分の聞き間違いだと、そう思いたかった。そう考える彼の顔に、何かが付着した。人肌ほどに暖かい、少し粘り気のある液体。それと同じ物が上条の右肩から壊れた蛇口のように出ているのが左目に映った時、ユージオは全てを悟った

 

 

「ッ!?カミやんっ!」

 

「嫌ぁぁぁ!カミやんせんぱぁぁぁい!!」

 

 

上条当麻の右腕が、肩口からごっそりと失くなっていた。その残酷な光景に、傍付きとして彼を心の底から慕っていたロニエが泣き叫んだ。今すぐ彼に駆け寄って治療がしたい。しかしまだ腕を縄で縛られている彼女は、上手く体のバランスが取れず身じろぎするのが精一杯で、自分の無力さに涙することしかできなかった

 

 

「あはははは!クセになりそうだ!これが人の肉を断つ感覚か!素晴らしい!この感覚を味わえる者がこの帝国に何人いるのだろうか!?さぁ次は首だ!今生の別れは済ませましたかなカミやん修剣士ぃ?あはははは!」

 

 

ライオスは弓のように体を反って狂ったように笑うと、自分の剣に付着した血を舌で舐め取った。右腕の肩口を左手で押さえ込みながら蹲る上条の渇ききった唇が、岸に上がった魚のように酸素を求めて痙攣しているのを見ると、ライオスはもう一度高く笑った

 

 

「あっ…かっ…はっ……!?」

 

 

その時、上条の背を見つめるユージオだけが背筋にぞわり…という悪寒を感じていた。違う。何かが違う。目の前にいるのは、自分の親友ではない。翡翠色の剣を握ったまま床に落ちた彼の右腕と、不自然なほど早く出血の止まった彼の肩口を見比べる。ウンベールがそうだったように、普通は肩を落とされた人間が叫ばないでいられるハズがない。苦痛に喘いでいる?いや、嘔吐いている?いや、むしろ上条当麻は…飢えている?

 

 

[ーーーーーセ]

 

「・・・・・せ」

 

 

遠い声が、聞こえる。確か前にもこんなことがあった。そうアレは、一方通行の黒い翼が自分の右手を落とした時だ。しかし、あの時よりも明確に『ソレ』は上条当麻の頭に警鐘を鳴らしていた。とっとと身を委ねて意識をこちらに渡せ。わたせ。ワタセ

 

 

[ーーーーロセ]

 

 

「・・・・るせぇ」

 

 

違う。『ソレ』は渡せなんて行儀のいいことは言わない。手負いの獣ですら容赦なく咬み殺す猛獣が如く、上条の自我を侵食してくる。頭の中に黒い感情が流れ込んでくるのが分かる。ユージオを傷つけられた憤怒、自分の後輩を汚された憎悪、心の底で明確に芽生える殺意。その黒い感情を言い訳にして、そんなものを担ぐつもりなどサラサラないのに『ソレ』は上条当麻を騙る

 

 

[ーーーコロセ]

 

「・・・うるせぇ」

 

 

もう肩口に痛みなんてない。ただ頭が割れるように痛む。だが上条当麻が痛む頭を抑えることはない。ただ必死に、右腕が落ちたのに痛くもない肩口を抑え込む。ここが瀬戸際だ。『ソレ』はもうすぐそこまで来ている。ここで『ソレ』を何としてでも抑えなければ、自分は決定的に進むべき道を間違える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[コロセ。ソレデオマエハスベテヲスクエル]

 

「うるせえええええぇぇぇぇっっっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴボンッ!と泡立つような音を発しながら、上条当麻の失われたはずの右腕から『何か』が噴き出した。血ではない。肉や骨でもない。もっと禍々しくも神々しい『何か』に抗うように、上条は必死に肩口を抑え込んでいた

 

 

「あああああああああああああっ、うわあああああああああああああああああああっ、ぐぅおあああああああああああああああっ!?!?!!?!」

 

 

ガキガキガキボコボコボコ!!と、断面から次々と顔を出してくる『何か』は、赤黒い泡だった。しかし泡と呼べるほどの球体ではなく、三角形、平面の集合体で、ポリゴングラフィックのような、ある種で人工的なモノだった。その1つ1つの大きさは、まるで不規則で整っておらず、泡の表面から次の三角形の泡が次々と湧きたち、全体で巨大な一本のラインを形作ろうとしていた

 

 

「な、何だこれは!?貴様、一体…!?」

 

「か、カミやん…?」

 

 

『何か』を正面から見ていたライオスは、背後がもう壁しかないというのにも関わらず、恐怖から後退りするのを決してやめようとしなかった。『何か』を後ろから見ていたユージオは、唸るように形作ろうとしているそれが『腕』であるというイメージが未だに湧いていなかった。赤黒い『何か』は、上条の腕の断面から飛び出しているというのに

 

 

「だめだ!ダメだ!!駄目だ!!!やめろおおおおおぉぉぉぉぉっっっ!!!」

 

 

駄々をこねる子どものように叫ぶと、上条当麻はついに肩口から左手を離し、今なお金槌で殴られているような痛みを訴える頭を握り潰す勢いで抱え込んだ。そこからはもう収拾がつかなかった。肩口から噴き出した深い深い赤がほんの僅かに透き通って更に巨大化し、その中で『何か』がくるりと回って蠢きだした

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

アレは、マズイものだ。アレは上条当麻の意志など関係なく、善も悪もなくただそこにいる者を全て貪り殺す。そう認識したユージオは、ほとんど反射的にベッドに駆け上がっていた。いつまでも呆けているウンベールをベッドから蹴落とし、拘束されて動けないティーゼとロニエを庇うようにして二人に覆い被さると、二人の頭を守るように抱え込んだ。そしてその瞬間、圧倒的な絶望が幕を開けた

 

 

「ぎぃやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?!?!??!??」

 

 

ズドオアッ!!!バリィンッ!!!という二つの音が重なった。一つは『何か』が振り下ろされた音。一つはその衝撃で部屋中の窓ガラスが全て割られた音だった。ティーゼとロニエを守るユージオにガラス片が容赦なく突き刺さり『何か』が振り下ろされた先にいたライオスは、成す術もないまま赤黒い泡の中に囚われ、その中を泳ぎながら胎動する『何か』に体中の肉を貪られながら叫んでいた

 

 

「うるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇっ……黙れーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 

 

上条当麻はそんなライオスの断末魔には耳も貸さず、必死に頭を抑えてもがき苦しんでいた。既に上条は半ば諦めかけていた。もうこの『何か』は、どうにもならない。仮想世界で未曾有の窮地に陥った時にだけ使っていた『竜』とは似ても似つかない。そんな自分には理解の追いつかないモノなんて、どうしたって止められる訳がなかった

 

 

「カミやん先輩ーーーっ!!」

 

「ろ、ロニエ!?行っちゃダメだっ!」

 

 

そんな混沌の中、ロニエの腕の中からプチッ!という何かが小さく切れる音がした。彼女は自分の手元に落ちたガラス片を使い、手を縛っていた縄を切っていた。そして小さい体を活かしてユージオの腕からスルリと抜け出すと、悶え続ける上条の体を背後からキツく抱きしめた

 

 

「カミやん先輩!私は大丈夫です!私はここにいます!だから…お願いですから、目を覚まして下さいっ!カミやん先輩っ!!」

 

「ッ!?」

 

 

ロニエが上条を抱きしめながら必死に叫んだその瞬間、狂ったように暴れていた『何か』が、一瞬だけ動きを止めた。だが、その一瞬が勝負の分かれ目だった。黒く侵された自分の精神の中に、ほんの少し自我が戻る。後は上条がその自我をひたすら押し拡げるだけだ

 

 

「うぉ、うおおおおおああああああ!!!」

 

 

傷つけたくない。これ以上は誰も。この無益な殺戮の犠牲を出してはいけない。そう自分の魂に刻み込むように叫ぶ。するとその叫びに耳を痛めたかのように、ぼごんっ!という水っぽい何かが弾ける音がして、得体の知れない『何か』は虚空へと消えていった

 

 

「はっ…はっ…はっ…!」

 

 

体の中の悪いものを吐き出すように、上条当麻は吸うことも忘れ、ただ息を吐いた。そしてだらしなく口から垂れていた涎を『右手』で拭った。そこでいつの間にか右手が生え変わり、床に転がっていたはずの右腕が影も残さず消滅していることに気づいた

 

 

「ひ、ひいっ!?ライオス殿が…!?」

 

 

狼狽えるウンベールが指を差した先には、あれだけ『何か』が暴れたにも関わらず、不自然なほどに壊れた物の破片やその残骸が全くない、ただ抉れているだけの床と壁があった。そしてその中心に、ライオスだったと認識できる面影を欠片ほども残していない、ライオスだったと思しき肉塊がびくん、びくんと脈動しながら転がっていた

 

 

「ひ、人殺し…いや、違う!お前はもう人間じゃない…『怪物』だ…!ひえ〜〜〜っ!」

 

 

そう言い残すと、ウンベールは左腕を失った体を懸命に揺らしながら、脱兎の如く逃げ出した。一変して静寂が訪れたその空間で、上条がボソリと呟いた

 

 

「・・・『怪物』か」

 

 

お前に言われなくても、そんなことは分かっている。こんなのは異常だ。そして、別れの日に自分の指導生だった女性の残した言葉が頭をよぎる。『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている』。きっとリーナは、上条がウォロを倒したあの時からなんとなく分かっていたのだ。上条の中に眠る巨大な『何か』の存在を

 

 

「・・・否定は、出来ねぇな…」

 

 

力なく上条が笑って言った。ウンベールの言った通りだった。リーナの言葉通りに捉えるなら、自分は負けた。先ほどまで自分の心は、紛うことなき怪物だった。覗き込んだ深淵に身を委ねた。そんな喪失感に浸っていた上条の体を、ロニエがきつく抱きしめながら言った

 

 

「違いますっ…!カミやん先輩は、人間です…怪物なんかじゃ、ありません。私のために、あんなに怒ってくれた先輩が…怪物なんて、そんな…うわあああああああ……!!」

 

「・・・ごめんな、ロニエ…こんなダメな先輩で。ロニエが止めてくれなかったら俺はここにいる皆のことも…本当に、ごめんな」

 

 

力なく泣き始めたロニエのために、上条は後ろに振り向いて、謝罪の言葉を口にしながら彼女を優しく抱きしめた。ふとベッドの方へ目をやると、ティーゼも同じようにユージオの胸に顔を埋めて泣いていた。その時……

 

 

『シンギュラー・ユニット・ディテクティド。アイディー・トレーシング。コーディネート・フィクスト。リポート・コンプリート』

 

(・・・なんだ、今の?)

 

 

天井にステイシアの窓に似た紫色の板が浮かび、その奥から生白い肌をした顔だけの何者かが奇怪な声を発し、忽然と消えた。それを天を仰ぎながらボンヤリと見て聞いていた上条でも、その意味は分からなかった。同じく聞こえていたと思われるユージオに視線を向けたが、彼もふるふると首を振るだけだった

 

 

「・・・あぁ、もうなんでもいいか…流石に少し、疲れた……」

 



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第33話 アリス・シンセシス・サーティ

 

(・・・ダメだ、やっぱりどう考えても繋がらねぇ…)

 

 

衝撃的な惨劇の夜の後、上条とユージオは学院内の地下懲罰房で一夜を明かした。その早朝、ユージオがまだ隣で眠る中、上条は自分の右手を見つめながらひたすら自問自答を繰り返していた

 

アレイスターとSAOで邂逅した時、彼は上条の真名を『神浄の討魔』。その魂を『素戔嗚尊』という日本の神の生まれ変わりだと言った。そしてその魂と共に『幻想殺し』があることで、先代の幻想殺し『天羽々斬』がその中に封じ込めた『竜王の顎』が宿る

 

ここまでは理解できている。だがそうなると色々と辻褄が合わないと上条は考えた。まず、今の自分の右手に幻想殺しは存在しない。この世界で『異能』と呼べる代表例の神聖術に右手が触れても打ち消されることはなく、自分がその神聖術を使えることが何よりの証拠だ

 

だが、昨夜自分の失われた右腕の肩口から噴き出したのは、まず間違いなく自分の右手に起因する『何か』だろう。かと言って、アレが竜王の顎か、スサノオだとは思えなかった。かつてスサノオと思しき力が一方通行と戦った時に飛び出したことがあるが、あの時の『何か』は他人はおろか自分でも視認できなかったにも関わらず、今回の『何か』はその場にいる全員が視認できていた

 

 

(『コイツ』は…本当に、前のヤツと同じモンなのか?)

 

 

右の手の平を見つめて、自問する。しかしどれだけ問いを重ねても、解が閃くことはない。それに上条はこの世界になぜ自分がログインさせられたのかも記憶にない。そもそもここが本当にSTLの中で、この世界がアンダーワールドなのかという確証もない。この世界に来て初めて、自分の無知を上条は痛感していた

 

 

「それを知るには…あの『セントラル・カセドラル』とかいうこの世界の中心に行くのが一番手っ取り早いか…まぁ、連れてってくれるってんなら都合がいいや」

 

 

隣で眠るユージオを起こさないよう一人小さく呟くと、本当に何の力も持たない右手を強く握った。するとその瞬間、懲罰房の重い扉が開く音が聞こえ、扉と床が擦れる音にユージオが起き上がった

 

 

「出なさい」

 

 

開かれた扉の先でそう言ったのは、初等練士寮のアズリカ女史だった。上条とユージオは彼女に言われるままに懲罰房から出た先の廊下に横に並んだ

 

 

「システムコール。ジェネレート・ルミナス・エレメント。リコストラクト・ロスト・オーガ」

 

 

するとアズリカは、閉じたままのユージオの右目の前で、懐から取り出した空間神聖力を閉じ込めた緑色の球を指先で優しく潰し、彼の瞼の上にそっと右手を添えた。そして学院の神聖術学科教師を遥かに上回るであろう速さで彼女が神聖術の式句を詠唱すると、ユージオの右目の周辺に暖かな光が凝集した

 

 

「ユージオ修剣士、眼を開けてごらんなさい」

 

「・・・はい…ッ!?」

 

「うおっ!マジか!?」

 

 

ユージオはアズリカにそう言われると、昨夜からずっと持ち上げていなかった右目の瞼をゆっくりと開いた。するとそこには当たり前のように彼の右目があり、上条が感嘆の声を漏らした

 

 

「す、すごい…ありがとうございます。アズリカ先生」

 

「いえ、礼は不要です。それよりもユージオ修剣士、私はこれからあなたを迎えの者に引き渡さねばなりません」

 

「・・・は?」

 

 

上条はアズリカの言っている意味が分からず、疑問の声が漏れた。迎えの者が来るという意味は、当然分かっている。禁忌に背いた自分たちを裁く公理教会のあるセントラル・カセドラルに連れて行くための迎えだろう。しかし彼女は明確なまでに、ユージオを…と言ったのだ

 

 

「い、嫌だなあアズリカ先生。いくら俺が不出来な生徒だからって、俺はいない者扱いですか?冗談にしたって笑えませんって」

 

「・・・カミやん修剣士。これは決して冗談ではありません。迎えの者の話によると、今回連行するのはユージオ修剣士のみ…という話になっています」

 

「んなっ!?」

 

 

その言葉に、上条は激しい目眩を覚えた。意味が分からなかった。どうしてユージオだけが連行されるのか。確かに自分達は他人の天命を減らすという禁忌を犯した。だというのに、そこに上条は含まれていないということだった

 

 

「そ、そんなのおかしいだろ先生!ユージオはウンベールの左腕を刎ねただけだ!それに引き換え俺はライオスを殺した!殺したんだぞ!?先生だって現場を見たはずだ!だったら…だったらなんで、どうしてっ!?」

 

「落ち着きなさいカミやん修剣士。私にも詳しい理由は分かりません。ですが迎えの者には罪人しか会ってはいけないという決まりはありません。あなたもユージオ修剣士と同伴し、直接話しを聞くと良いでしょう」

 

「ッ…分かりました。すいません、声を荒げて…」

 

「気にすることはありません。当然の疑問でしょう。私とて不思議でなりませんから」

 

「でも、ユージオは……」

 

「ええ。その事実が覆ることはありません。ですからユージオ修剣士、あなたを引き渡す前にこれだけは言っておきます。あなたは私には破れなかった封印を破った。なればきっと、私には行けなかった所までいけるはず。その剣と、そして友を信じなさい」

 

「・・・え?それは一体、どういう…」

 

「行きましょう。もう時間です」

 

 

ユージオの言葉に答えることなく、アズリカは身を翻した。そしてそのまま彼女に連れられながら、上条とユージオは大修練場の扉の前まで歩くと、そこでアズリカは二人に別れを告げて自分が担当している初等練士の校舎まで戻っていった

 

 

「・・・ねぇカミやん。この奥にいるのって…ひょっとして整合騎士なのかな?アリスの時と同じように…」

 

「可能性は捨てきれないな。たしかそん時村に来たおっさんは…なんだっけ、でゅ…でゅ…」

 

「『デュソルバード・シンセシス・セブン』だよ。でもそれ話したの出会って間もない頃なのによく覚えてたね?」

 

「記憶喪失の割に記憶力はいいみたいだからな俺は。まぁ、会ってみりゃあ分かるだろ。行くぞ?」

 

「うん」

 

 

ユージオが頷くと、上条はゆっくりと大修練場の大扉を押し開いた。中はまだ早朝ということもあり薄暗く、足元が見えづらい。そんな中、修練場のど真ん中に人影が見えた。それを見てユージオと目配せすると、二人はゆっくりと人影の手前まで近づくと、ユージオが上条より一歩前に出て言った

 

 

「・・・北セントリア帝立修剣学院所属、ユージオ上級修剣士です」

 

「同じく、カミやん上級修剣士です」

 

 

騎士礼を取ったまま言ったユージオに上条が続くと、同じく騎士礼の姿勢を取った。すると人影がこちらに振り向いた。その様相から、予想通り整合騎士だと察しがついた。金の鎧と揺れる青のマント。しかしそれが不釣り合いに見える小柄な身体と腰まで伸びた金髪。目の前の人物は、紛れもなく女性だった。そして短く息を吸うと、金色の騎士が名乗った

 

 

「セントリア市域統括、公理教会整合騎士。『アリス・シンセシス・サーティ』です」

 

「・・・あ、アリス?」

 

 

上条は目の前の女騎士が口にした名前に聞き覚ええがあった。それはついさっきもユージオが語った、彼の幼馴染の名前だったはずだ。そう思って彼の方に視線を向けてみると、その視線の先にいたユージオら、自分の目を疑うように瞼を擦って、恐るおそる手を伸ばしていた

 

 

「あ、アリス…君なのか…?」

 

 

その手を拒むように、アリスと名乗った騎士は腰に据えた剣を鞘に納めたまま横薙ぎに振るった。それはユージオの脇腹に直撃し、その小さな体からは想像もできない膂力にユージオは成す術なく吹っ飛ばされた

 

 

「うわっ!?」

 

「ゆ、ユージオッ!」

 

「言動には気をつけなさい。私にはお前の天命を7割まで奪う権利があります。次に許可なく触れようとしたら、今度はその腕を切り落とします」

 

「・・・ユージオ、あの騎士はお前の探してたアリスなのか?」

 

「た、多分間違いないよ…本当に彼女にそっくりだ。だけど、ここで下手な真似をしたら彼女は本当に手首を切り落とすよ」

 

「仮にも幼馴染にやることじゃねぇな…」

 

 

殴打されて尻餅を着いたユージオに上条がかけ寄り、耳元で囁きながら彼に訊ねた。それから上条はすっと立ち上がると、自分は決して舐められまいと不敵に笑って言った

 

 

「へっ、じゃあ何か?俺の親友の天命が7割以下になったら、アンタも禁忌目録違反ってことになるのか?その言葉通りのつもりなら忠告しとくが、腕なんか落としたら天命は7割も残らねぇぞ。昨日の俺とウンベールがそうだったようにな」

 

「・・・連行は彼一人に命じていたはずです。カミやん修剣士と言いましたね、貴公は一体どういう所存でこの場に顔を連ねているのですか?」

 

「聞きたいことがある。俺は昨日ユージオと同じように、ライオス・アンティノスの天命を損害…いや、殺したはずだ。それなのに俺は罪に問われず、ユージオだけ連行するってのはどういう了見なんだ?」

 

「私に聞かれても解答は出来かねます。禁忌の違反を判断するのは公理教会です。私たち整合騎士はあくまでも罪人の連行しか請け負っていません」

 

「ッ……」

 

 

埒が明かない。と、上条は舌を打った。じゃあその公理教会はユージオの連行を命じるあたり、昨日の現場の状況を把握してるんだろ?だったらなおさら自分を連れて行かないのはおかしいだろ。そう言おうと思った時、昨日の惨劇の最後に起こった出来事が脳裏に浮かんだ

 

 

(・・・あの訳の分からねぇ顔か…)

 

 

ロニエとティーゼは自分達の胸に顔を埋めて泣くばかりで気づいていなかったが、上条とユージオは天井に浮かぶ謎の顔を見ていた。おそらくはその顔のせいだ。あの顔が公理教会の人物なのかも、あの場にどういうカラクリで現れたのかも分からないが、あの顔が口にしていた謎の言語でユージオを罪人だと報告したのだろうと上条は考えた

 

 

「・・・そうか。変なことを聞いて悪かった」

 

「構いません。そもそも私には貴公に対しては一切の裁決権を得ていません。ですが、そちらの者は別です。付いて来なさい、上級修剣士ユージオ。そなたを禁忌条項抵触の咎により捕縛・連行し審問の後処刑します」

 

「・・・はい、従います」

 

 

アリスの突然の宣告と、それに大した抵抗もせずにユージオは頷いた。だが彼と違って上条は必死の形相でアリスに言った

 

 

「ま、待ってくれ!ユージオに渡したいモンがあるんだ!それに、最後にユージオに一目会いたいってヤツが他にもいる!だから少し時間が欲しい!それくらいはいいだろ!?頼むよ!」

 

「・・・いいでしょう。学院の敷地に飛竜を待機させています。そこに渡したい物とその者達を連れて来なさい。会話も1分に限って許可します」

 

「ッ!ありがとう!恩に着る!」

 

 

そう言って上条は大急ぎで駆け出し、大修練場を出て寮へと向かった。一方のアリスは立ち尽くすユージオに拘束具を巻き、敷地に悠然と佇む飛竜の元へ連れ出した。そして彼の上半身に革帯を巻いて飛竜の右脚に繋ぎ終わった頃に、上条がその手に青薔薇の剣を握り、ロニエとティーゼを連れて走って来た

 

 

「ユージオ先輩っ!大丈夫ですか!?」

 

「ティーゼ…!」

 

 

敷地を縦断しながら走って来た三人の中で、ティーゼが我先にとユージオの元へ駆け寄り声をかけた。そしてユージオの愛剣を持った上条が、アリスの前に立って言った

 

 

「待っててくれてありがとな。この剣をアイツに…って言っても罪人にはそれは無理だろうから、アンタが持っていってくれ」

 

「・・・なるほど、実に美しく良い剣ですね。分かりました、これは私が預かります。先ほども口にした通り、会話もこれより1分に限って許可します。思い残すことのないよう」

 

「なんか想像してたのと違って…結構いい人なんだな、整合騎士ってのは。俺はてっきり、もっと有無を言わさず首根っこ掴んで強引に連れて行くもんかと」

 

「そういう規則なだけです。それに整合騎士は公理教会に仕える、他の模範となるべき騎士です。そんな傲岸不遜な態度でいるようでは務まりません。それよりも貴方こそ、その不遜な言動には気をつけなさい。ここにいるのが私以外の整合騎士であったら、最悪首を刎ねています」

 

「・・・そうかよ」

 

 

そう言い残すとアリスは飛竜の背中へと飛び乗った。上条はそんな彼女の背中を見て息を吐きながら呟くと、飛竜の足元に繋がれているユージオの元へと歩み寄った

 

 

「ユージオ先輩…ごめんなさい。私が、私が愚かなことをしたせいで…!」

 

「違うよ、ティーゼ。君は友達のために正しいことをしたんだ。こうなったのは、全部僕のせいだ。ティーゼが謝ることなんて…なにもないよ」

 

 

革帯で巻かれたユージオの胸元に縋り付きながら涙を流すティーゼと、彼女を必死に宥めようとするユージオを見て、上条は心を痛めた。上条も気丈に振舞ってこそいるが、ユージオが鎖に繋がれて罪人扱いされることにも、自分が罪に問われないことにも納得していなかった

 

 

「今度は…私がユージオ先輩を助けます。私頑張って強くなって…きっと整合騎士になって先輩を助けに行きます。だから、待ってて下さいね。きっと、きっと…」

 

 

嗚咽がティーゼの言葉を飲み込んだ。ユージオが悲しみのあまり最後まで言葉に出来なかった彼女に繰り返し頷いていた。ティーゼがユージオの胸に縋り付いたまま、茶色い包みを持ったロニエがユージオの元へ近づくと、後ろに縛られた手にその包みを握らせた

 

 

「あの…ユージオ先輩、これお弁当です。お腹が空いたら、食べて…下さいっ」

 

「・・・うん、ありがとうロニエ。ティーゼとカミやんのこと、これからもよろしくね」

 

「ッ…はいっ…ひくっ…」

 

 

ロニエ手製の弁当を確かに受け取ると、ユージオは力なく笑って言った。そんな彼の悲痛な表情を見て、我慢していたロニエの涙腺から涙が溢れた。そして一歩引いて上条に場所を譲ると、その意を汲んだ上条がユージオの元へ歩み寄った

 

 

「カミや」

 

 

バシッ!という強めの音を立てながら、上条がユージオの肩に左手を置いた。上条はそれ以上ユージオに語らせまいと、彼の顔の真横に自分の顔を寄せると、ティーゼとロニエに聞こえないよう彼の耳元で静かに囁いた

 

 

「一週間だ。ユージオ、一週間なんとか連中をやり過ごしてくれ。俺は必ずお前を助けに行く。必ずだ」

 

 

それは、先ほど上条が昨夜の惨劇の現場に戻ってユージオの青薔薇の剣に手をかけた瞬間に、彼が決意したことだった。それだけ言うと、上条はユージオの肩から手を外し、静かに彼の元から後ずさった

 

 

「ッ!?か、カミや…!」

 

「時間です。離れなさい」

 

 

勝手に離れていく上条にユージオが声をかけようとした瞬間、大きく広げられた飛竜の羽音と冷徹な声がそれを遮った。そして最初から最後までずっと彼に縋っていたティーゼが離れると、飛竜の銀の翼が激しく打ち鳴らされ、巻き起こった風にたまらず全員が距離をとった

 

 

「ユージオ先輩…ユージオ先輩!せんぱぁぁぁい!わああああああん!!うわああああああああ…」

 

 

やがて飛竜と共に空の彼方へと連れて行かれたユージオに向かって、ティーゼが地に伏して泣き叫んだ。ロニエがそんな彼女に寄り添って共に俯いて泣いている中、上条は天に向かって聳え立つカセドラルの塔に向かって消えていく親友の姿が見えなくなるまで、ずっと空を見上げていた。そして……

 

 

「・・・ティーゼ、ロニエ。協力してほしいことがある。俺は今日から一週間で…たとえこの天命が尽きても身につけなきゃならねぇ力がある」

 

 

この理不尽な世界の頂点を睨みつけながら、上条はティーゼとロニエにそう言った。不意に話しかけられた彼女たちが上条の方へ振り返ると、彼は昨日落ちたハズの右手の平を見つめながら、微かに呟いた

 

 

「魂だとか、本質だとか…そんなことはもう考えねぇ。俺はこの『右手』で…ユージオを取り戻す」

 

 

誰の耳にも届かない声で静かに呟くと、上条は手の平に爪が食い込んで血が出るほど、強く硬く右手の拳を握った。そしてもう一度セントラル・カセドラルに視線を戻し、血の滲んだ右拳を突き向けながら言った

 

 

「よぉ、そこで見てんだろ。この世界の管理者。俺は壊すぞ。テメエのふざけた幻想を、粉々になるまでぶっ壊すッッッ!!!」

 

 



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第34話 Il posto giusto di Dio

 

「御坂さん、あなた上条のこと好きなんでしょ?」

 

 

吹寄に連れられ、STLとして改造されたメディキュボイドに頭部を突っ込んでいる上条を前にした美琴に、吹寄がなんの前触れもなく訊ねた

 

 

「す、すす…好きって!?あぁ隙のことですか!?そうですねぇ!確かにコイツはいつも隙だらけで!ALOはおろか、あまつさえSAOの時だって…!」

 

「いいのよ、別に誤魔化さなくたって分かってるから」

 

「い、いや!その、本当に!そんなんじゃないんですってば!」

 

「め、めちゃくちゃ往生際悪いわね…その反応がむしろ答えよ」

 

「うっ……」

 

 

吹寄に聞かれた内容に、美琴は顔を真っ赤にして腕をあべこべに振り回しながらどうにかして話題を逸らそうとしたが、吹寄に半ば呆れた顔でそう言われてしまい、言葉につまってしまった

 

 

「えっと、じゃあその…どうしてそうだと?」

 

「えっ?あぁ…実は私も好きなのよ。上条当麻のこと。実はってほどでもないかもしれないけど」

 

 

美琴が聞くと、さも当たり前のことのように吹寄が言った。自分がこんなに必死になって誤魔化そうとしていたことを、ごくあっさりと言われてしまったため、理解が追いつかず固まってしまった

 

 

「・・・あー、ごめんなさい。私聞き間違えたかもしれない。もう一回言ってもらってもいいですか?」

 

「えぇもちろん。私も好きなのよ、上条のこと」

 

「こ、このバカ…!やたら女の人が周りに多いとは前から常々思ってたけど…よりによって吹寄さんまで…!」

 

「ふふっ、それについては私も同感。こうなると私たちは、恋のライバルってことになるのかしらね?」

 

「そ、それは…うぅん…」

 

 

それがやはり聞き間違いでなかったことを認識するなり、美琴は目を丸くして後ずさりしながら驚いていた。そんな彼女がおかしかったのか、吹寄が笑って言うと美琴はまたも言葉に詰まってしまった

 

 

「あははっ、からかってごめんなさいね。でも私、これでも御坂さんに同じこと言ったことあるのよ?まぁ当時寝たきりだった御坂さんには知る由もないでしょうけど」

 

「・・・えっ?と、それはつまり…コイツのことが好き…っていうことを?」

 

「まぁ、ひょんなことからSAO事件で隔離されていた御坂さんのお見舞いに行けることになって、その時にね。上条が好きになったきっかけとか、理由とか色々とね。まぁ、その時は御坂さんが起きないっていう確証があったから言えたことなんだけど」

 

 

吹寄は上条の眠るSTLの隣に試作機に片手を添えると、どこか懐かしむような口調でそう言った。そして美琴は一度深く呼吸すると、吹寄に向かって言った

 

 

「・・・その時と同じこと、この場でもう一回話してもらってもいいですか?」

 

「え?き、急にどうして?別に聞いても面白いものじゃ…」

 

「いい機会じゃないですか。この際ですから、腹を割りましょうよ。私も、なんでコイツのこと好きになったのか話します。今回は私も起きてる分、いくらか聞き上手だと思いますから」

 

「・・・本当、上条に似て残酷ね。まぁ叶わない恋を諦めきれない私がダメなだけか」

 

「え?す、すいませんよく聞こえませんでした」

 

 

美琴の提案に対して吹寄が呆れたように呟くと、美琴はその内容を問いただそうとしたが吹寄は小さくかぶりを振って口を開いた

 

 

「気にしないで、ただの独り言だから。いいわよ、高校生にそこまで言われちゃあ、大学生の私が腹を割らないわけにはいかないわね。話してあげる、要望通りもう一度同じやつをね。ずっと立ってるのもなんだし、外の廊下に長椅子があるからそっちに行きましょ」

 

「はい、もちろん」

 

 

そう言うと、吹寄と美琴ははメディキュボイドだらけの部屋のドアを開けて廊下に出た。そして少し歩いた先にある、病院の待合室にあるような茶色い長椅子に腰掛けると、吹寄が語り始めた

 

 

「それじゃ話すんだけど…最初はね、上条のことなんてなーんとも思ってなかった。高校時代なんて、そんな私のことをみんなは『対カミジョー属性を持つ女』なんて呼んでたのよ?笑っちゃうわよね」

 

「た、対カミジョー属性…?」

 

 

腕と足を組んで話し始めた吹寄の話の中に、美琴が聞き慣れない単語を復唱すると、それに対して吹寄が笑いながら補足した

 

 

「あははっ、さっき御坂さんも言ってたように、高校の時も上条当麻はね、それはそれは重度の天然女たらしだったのよ。気づけばクラスの女子の大半が上条のこと好きになってたわけ。それでクラスで毎度バカをやらかす上条を注意していた私を、誰が呼んだかついたあだ名が『対カミジョー属性を持つ女』ってわけ」

 

「ぶふっ、なんか想像つくかも。吹寄さんって根っからの委員長タイプって感じですし」

 

「お褒めに預かり光栄なことだわ。でもそんな私だったんだけどね、好きになっちゃったんだ。きっかけは、上条がSAOに囚われて入院して、そのお見舞いに通うようになってから。最初は本当に委員長だから、クラスにあいつが戻って来てくれないとクラスに活気が戻らないから。って理由だけで始めたことだった」

 

「はい。コイツも以前言ってました。寝てた俺は看護婦さんに言われるまで知りもしなかったけど…って」

 

「それはしょうがないわよ。私も通ってる時たまに『意味ないなーこれ、もう行くのやめようかなー…』って思ったことあるから。だけどね、お見舞いに通うようになってたから気づいたの」

 

「気づいた…というのは?」

 

「まぁ…恥ずかしながら言うと、本当に寂しかったのは私だったんだってことかな。上条と過ごす日々が突然なくなって悲しかったのは私の方だったんだってね。ほら、よく言うじゃない?本当に大切な物は失った後に気づくって」

 

「・・・それは…よく分かります」

 

「でも、それをもってこれが恋だなんて最初は全く思わなかった。本当にただ寂しいだけなんだって思ってた」

 

 

その時に初めて、これまで流暢に話していた吹寄が、辛そうな表情を見せて話を区切った。どうしたものかと美琴が声をかけようとしたが、それよりも先に吹寄が再び話し始めた

 

 

「だけどね、上条がSAOに囚われて1年ぐらいのある日に私…夢を見たの。その夢で私はいつも通り上条の病室にお見舞いに行ってたの。だけどその日は、病室のドアを開けたら上条が目を覚ましていて、私に向けて笑顔を見せてくれる…そんな夢を見たの」

 

「その夢を見て私はバッ!って飛び起きたの。そしたらいても立ってもいられなくなって、まだ夜中の3時ごろだったのに、私は着の身着のまま自分の家を飛び出したの。今の夢はきっと正夢なんじゃないか、今の夢はきっと上条が目を覚ましたことを私に教えてくれたんだ…そう思って病院目がけて全速力で走り出した」

 

「それで真夜中の病院に忍び込んで、上条の病室にたどり着いた。ドアを開けたら上条はきっと目を覚ましてくれてる…そんな淡い期待を寄せてね」

 

「でも、上条当麻は目を閉じたままだった。私が体を揺すっても、返事の一つも返してくれない。今までと…何も変わってなかった」

 

「・・・・・」

 

 

当時のことを密に思い出したように、吹寄の声は悲しみに満ちて、いつの間にか俯いていた。美琴は、自分には到底分からない苦しみだと思った。自分がそちら側になったことがないから、どんな声をかけても同情になると思った。数秒の静寂が支配したのちに吹寄は顔を上げると、一息に言った

 

 

「そしたら私ね、涙が止まらなくなっちゃったの。もの凄く泣いたわ。それはもうわんわんと声をあげて泣き喚いたわね。上条が寝てるベッドに縋り付いて、ちっとも動かない上条の胸を借りてね。きっと今までの人生で1番泣いた自信があるわ」

 

「それでその時に気づいたのよ。『ああ…私は自分ではどうしようもないぐらいに、上条の事が好きなんだ….』ってね」

 

「それでそこからはいつか自分の手で上条の目を覚まさせてやるんだー…って意気込んで高校で医学の勉強を始めて、大学の医学部に進学したと思ったら、SAOから一人戻ってきた上条も死にもの狂いで勉強して私と同じ大学の文学部に進学して、気持ちを伝えられずにズルズル引きずり続けて今に至る〜…って感じかな」

 

 

そう言い終えると、吹寄は美琴の方に顔を向けてニッコリと笑って背筋を伸ばした。そして彼女は伸びを終えながら息を吐き出すと、両手をパン!と合わせて自分の話を締めくくった

 

 

「はい、これで私の話はおしまい。どうだったかしら?」

 

「どう、だったと言われると…ごめんなさい、少し感想考えるので時間もらってもいいですか?」

 

「え、別にいいのよ?そんな真剣に考えてくれなくても適当で」

 

「いや、私がそうしたいんです。時間を」

 

「あなた…結構頑固ね」

 

「吹寄さんには言われたくないですけどね」

 

 

美琴がそう言って笑うと、吹寄も笑ってそれ以上は何も言わなかった。そして美琴は目をつぶり、両手の指先を合わせてそこに顔を置いてしばらく黙って考え込むと、やがてゆっくりと口を開いた

 

 

「・・・やっぱり、とてもすごいことだと思います。私はSAOでもアイツとは事あるごとに顔を合わせて話もしてましたけど、吹寄さんは顔を合わせるとは言っても、口も聞けないアイツのために約二年もお見舞いに通い続けて、ずっと好きでいられたのは本当にすごい事だと思います」

 

「・・・・・」

 

「それにきっと、まだ恋を自覚してない時にお見舞いに通うのも辛かったでしょうけど、恋を自覚してからはもっと辛かったと思います。それでもアイツの事を思い続けて、医学の道に進んだ…っていうのは、多分私には真似できないんじゃないかと思います。私は妹達の事件の時、途中で完全に心が折れてへこたれちゃいましたから」

 

「・・・・・」

 

「だから、こんなことを言うのも変な話ですけど…そんな立派な吹寄さんと、あまつさえ同じ人間を好きになって、こうして話し合えたことが、私とっても嬉しいんです。だから、恋のライバルとしても、良き友人としても…これからもよろしくお願いします」

 

「・・・あはっ、こりゃ本当に敵わないなぁ…分かってはいたことだけど、もう私が勝てる要素一つもないじゃない」

 

「そ、そんなことないですよ!約束ですから話し始めますけど、私がアイツのことを好きだって認めたのなんて、元々はSAOで出会った一人の親友のおかげで、それまではつまんない意地張ってばっかりで……」

 

 

地下の天井を仰ぎながら言う吹寄に、美琴が必死になって話し始めた瞬間、廊下の一番奥の大部屋のドアが開き、中からミサカ10032号が自分の出せる限界の声で言った

 

 

「吹寄さん、大変です。と、ミサカは緊急事態が起きたことをお知らせします」

 

「き、緊急事態…ですって!?」

 

 

吹寄はミサカ10032号の付け足した言葉を復唱すると、血相を変えて白衣の胸ポケットに差していた眼鏡をかけ直して大部屋へと駆け込んでいった。それに続いて美琴も駆け足で部屋に入っていくと、そこには先ほど自分たちが会話をしていた机の付近で眉間を抑えながら項垂れる冥土返しの姿があった

 

 

「どうしました先生!?頭が痛みますか!?体のどこか痺れてますか!?それとも…!」

 

「あぁ、すまないね。今の僕が頭を抱えてこうしていると、吹寄君にはそう映ってしまうね。僕はなんともないよ、ご心配どうもありがとう。もっとも…なんともないのは僕の方だけだがね…」

 

「ということは…つまり…!」

 

「あぁ、やられたよ。コンピュータウィルスだ。STLの情報をいくつか盗まれてしまったね」

 

「「ッ!?」」

 

 

自分の肩に手をやって語りかける吹寄に冥土帰しがそう告げると、美琴と吹寄は驚愕のあまり言葉を失った。そして冥土帰しは頭を抱えたまま、一つの添付ファイル付きのメールを開いた画面を指差していた

 

 

「・・・なにこれ?イタリア語?」

 

「僕は腕の良さから、いくつか繋がりのある外部の病院の医師から、難病や処置の難しい患者のデータが送られてきて助言をお願いされることがあるんだ。その中でも、何度もこういうやり取りをしていた医師からメールが来ていて、そういった大まかな相談内容と一緒に添付ファイル付きのメールが送られていたんだ」

 

 

美琴がそのメールに書き記されている言語を見ながら首を傾げると、冥土帰しがそう説明したが、彼の額には脂汗が滲んでいた

 

 

「僕はその添付ファイルを、いつものように患者のカルテやレントゲンだと思って開いたんだ。しかしそれは写真でもデータでもなんでもなく、メールの内容とも全く関係ない、コンピュータウィルスのファイルだった。そして瞬く間にこちらの電子機器の操作を奪い取り、データを拝借していった。実に狡猾で手際の良さも満点だと舌を巻くしかないね」

 

「そんな…被害の規模は!?」

 

「実際に調べてみないことには詳しい部分までは分からないが、かなり甚大だね。気づいて直ぐに妹さんにファイヤーウォールを張り直してもらって接続を遮断したが、STLに何らかの『異物』が入り込んだのは間違いない。その証拠に、1000倍に設定していたフラクトライト加速倍率が元の1倍に固定されてしまっているね」

 

 

そう言って冥土帰しは、パソコンの左端の方を指差した。そこには『1.0 fold』と表示された枠があり、現在STLが置かれている状況を如実に示していた

 

 

「それってつまり…誰かがこのメールのアカウントを乗っ取って成りすましたなり、この人を脅して無理やりこのメールを送らせたか、あるいはパソコンごと盗んだか、実際に本人に手を下して奪ったってことよね?一体誰がそんなことを?」

 

「御坂君の言う通りだが、この医師に関係していてSTLの技術を狙っていそうな人物に、心当たりはない…そう思っていたところに、このメールの文末に奇妙な名前のようなものを記載しているのを見つけたんだね」

 

 

冥土帰しはマウスを手に取ると、本文よりもずっと下の方まで余白を取っていたメールをひたすらスクロールしていった。そしてその最後の段落の右端に、通常のフォントよりも小さくイタリア語で何かが書き残されていた

 

 

「『Il posto giusto di Dio』…直訳すると…『神の正しい位置』?どういうこと?」

 

「いや、厳密に言えば御坂君の翻訳が正しいが、この場合はきっと…『神の右席』。そう読むんだろうね…」

 

「神の右席…?そう思うってことは…先生はこの名前に何か聞き覚えが?」

 

「・・・まぁ、聞き覚えというよりもむしろ…」

 

 

美琴と冥土帰しがそう話していたところに、吹寄が血相を変えて冥土帰しの肩に掴みかかると、二人の会話を強引に遮って震えた声で問いただした

 

 

「先生、上条は…上条は、無事なんですよね…?データをいくつか取られて、何かが入り込んだだけで、上条の身には何も起こってないんですよね…?」

 

「・・・現時点では、彼にはなんの影響もない。健康状態にも異常は見られないし、フラクトライトもいたって正常通りの反応を見せているね」

 

「じゃ、じゃあ!上条を一度STLの中から出しましょう!こうなってしまった以上はもう一刻の猶予もありません!一先ず上条を出して、ウィルスを除去してから万全の対策を練ってからもう一度…!」

 

「それがね、出来ないんだ」

 

「・・・え?」

 

 

冥土帰しが抑揚のない声でそう告げると、吹寄の手が彼の肩からズルズルと落ちていった。そして静かに横に首を振ると、冥土帰しは続けた

 

 

「おそらくこれは件のウィルスの仕業だろうが、僕たちの操作では上条君をアンダーワールドからログアウトすることが出来ないよう、システムにロックをかけられてしまっているんだ。外部側からの通信手段もシャットアウトというオマケ付きでね」

 

「そ、そんな…!それじゃあ上条はどうやって出ろって言うんですか!?向こうの世界のシステムコンソールが今どこにあるかなんて、私たちにだって分からないのに…!」

 

「あの〜お言葉ですけど…」

 

 

冥土帰しと吹寄が熱く議論を交わしているところに、美琴が申し訳なさそうに小さく手を上げながら言った。そして冥土帰しと吹寄が視線を美琴の方へ向けると、美琴は一呼吸置いてから口を開いた

 

 

「そりゃこっちからも向こうからもログアウトの方法がないってのは大変ですけど、何も電源切ったら即死のナーヴギアじゃないんだから、そんな行儀よく手順を踏まなくてもSTLそのものの主電源を切ればいいんじゃ…」

 

「・・・・・」

 

「え、何?私おかしなこと……」

 

「御坂君は…電気系の能力者なら、サージ電圧という現象を知っているかな?」

 

「サージ電圧…定常的に流れている電気回路に、回路の開閉や短絡なんかが原因で発生する、瞬間的に激しく変動する電圧のことで…ってまさか!?」

 

「そのまさか、なんだね。連中はSTLの電子回路にも何かウィルスを打ち込んだみたいなんだね。STLは一般アミューズメント向けだったナーヴギアなんかとは違って、要求する電気量は桁違いに多い。そんな状況下で正規の手順を踏まずに主電源を切るなんてことをすれば、サージが起きる可能性は捨てきれない。上条君のフラクトライトに干渉している今、もしそんなことが起きれば…」

 

「お、起きれば…?」

 

「フラクトライトが焼け落ちる。その結果として彼の身に何が起こるのか、もう我々には予測がつかない」

 

「ッ!?そ、そんな…!」

 

「これを送りつけて来た彼らは、たとえ何が起こっても上条君をSTLから出すつもりはないみたいだ…悔しいがもう、僕らには彼を信じて待つしか方法がないね」

 

「なんでよ…なんで私には、上条を傷つけることしか出来ないのよ…なんで上条を助けに行ってあげられないのよ…クソッ!」

 

 

冥土帰しが告げた事実を受け止めきれず、絶望に打ちひしがれる美琴の横で、吹寄が握りしめた拳を机に叩きつけた。そして冥土帰しは、パソコン画面にイタリア語で記された言葉を見つめると、静かな声で呟いた

 

 

「・・・パンドラの箱は、ここに開けられた。今の僕たちに、それを閉じる術はない…」

 



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第35話 たった一人の反抗

「ちわーっす」

 

 

ユージオがアリスと名乗った整合騎士によってセントラル・カセドラルへ連行された翌日。上条はその日が安息日ではないにも関わらず、昼間にサードレ金細工店を訪れていた

 

 

「・・・あ?カミやんの小僧か?手前、あの剣を持って行っておいて今さら何の用だ!?まさかもうあの剣の天命が尽きたなんて世迷言を言うつもりじゃあ…!」

 

 

カウンターの中から相変わらずの濁声で怒鳴るサードレの前に、上条はジャリン!という音を立たせながら茶色い巾着を叩きつけた。その急な出来事に驚くサードレに向かって、上条は真剣な眼差しを向けて言った

 

 

「俺の有り金全部だ。コレで出来る範囲まででいい。この金額に見合う、円形の盾をおやっさんに作ってほしい。今日から五日で」

 

「え、円形の盾だぁ…?というとバックラーか?衛兵でもない修剣士の小僧がなんだってそんなもん……」

 

 

そこまで言ってサードレは、叩きつけられた茶色い巾着から上条に視線を向けた。すると頑固者の金細工師は、上条と出会ってから今日まで見たこともない真剣な瞳に宿った覚悟のような何かを肌で感じ取ると、彼もまた真剣な表情で上条に訊ねた

 

 

「小僧…手前、あの剣を渡してからこの数日で…一体何があった?」

 

「詳しいことは言えない。だけど今の俺に必要なのは剣じゃない、盾なんだ。だからおやっさん、頼む」

 

 

そう言うと、上条はカウンターから一歩下がってサードレに頭を下げた。その姿勢のまま待つ上条をどうしたものかとサードレが悩んで頭を掻き毟ると、やがて茶色の巾着を上条の手元に押し返しながら口を開いた

 

 

「俺はこんなはした金なんぞ受け取らん。第一、俺の魂を預けた盟友から金を取る方が野暮ってんだ」

 

「そ、そんな…!頼むよおやっさん!今の俺にはどうしても…!」

 

「あのなぁ小僧。俺は金がいらんと言っただけで、作らんとは一言も言ってねぇぞ。そんな金銭面なんぞ気にして作ってたら、今の小僧に見合う武具なんぞ作れやしねぇよ。手前のその覚悟を見込んで、今ウチにある最高の素材で最高の盾を作ってやる」

 

「そ、それじゃあ…!」

 

「ただし!この前あの剣を寄越した時、将来の給料の5ヶ月分と言ったな。5ヶ月なんてケチなことは言わん、1年分だ!」

 

「あ…はっ!上等だぜおやっさん!契約書にでもなんにでもサインしてやるよ!足りないってんなら臓器だって売ってやる!」

 

「ケッ、そんなもん書いたところで失くしちまうのが関の山だ。それよりも円形の盾と言ったが、具体的にはどんなのだ?」

 

「えっと…まず大きさなんだけど、バックラーほど小さいと困る。直径で50センぐらいあるのが理想的なんだ。んで裏の取っ手は出来れば革で真ん中からある程度距離をとった辺りに二ヶ所、厚さと重さは……」

 

「お、おい待て待て。そんな大量に要望があるなら先に言えってんだ。確かメモが…」

 

 

そういうとサードレはカウンターの引き出しからメモ帳を取り出し、上条の出した要望をこと細かにメモした。そして上条が全ての要望を言い終えると、深くため息を吐いて言った

 

 

「かぁ〜〜〜…よくもまぁ、これだけの注文を出しやがって。これを5日で仕上げろなんざ、向こうの鍛冶屋だって声あげてブチ切れるぞ」

 

「悪い。もし厳しいようなら、何も全部その通りでなくてもいい。ただ、円形で投げられるってのが一番重要なんだ。それにかかる要望だけはなるべく叶えてほしい」

 

「盾を投げるなんて発想自体が信じられねぇよ。手前、前世は曲芸師かなんかで前世を思い出して戻りたくなったとか言うんじゃねぇだろうな?」

 

「ははっ!すげぇなおやっさん。あながち間違いだとは言えねぇや。だけど訂正するなら俺の前世は曲芸師じゃなくて、どちらかと言うと『タンク』だな」

 

「・・・はぁ?まぁた珍妙なこと言い出しやがってこの小僧は…まぁいい。5日と言ったな、まぁなんとか間に合わせてみる。見たとこ訳アリなんだろ、完成したらウチのせがれに直接学院に持って行かせる。事務連中に話を通しておけ」

 

「悪いな、何から何まで本当に助かるよ」

 

「ケッ、何を今さら水臭えことを。やっぱり手前にはあんな豪勢な剣なんて寄越さず、安モンのなまくらを押し付けときゃよかったのかもな」

 

「そう言うなよ。これからおやっさんが一生かけても稼げねぇ、俺の一年分の給料叩きつけてやんだから」

 

「ぬかせぇ木っ端が。ちぃと予定は狂ったが今度こそ、その日までウチの敷居を跨ぐんじゃねぇぞ!」

 

 

そう言うと上条とサードレは先日と同じように、もう一度拳を突き合わせて上条は店を後にした。そしてその5日後には、素材こそ剣と違って鉄ではあるが、剣と同じ鮮やかな翡翠色に塗られた円盾が上条の自室のベッドの上に置かれていた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・本気、なのですね?」

 

「はい。もう決めたことです」

 

「そうですか…残念です、とても。ユージオ元修剣士が学院を去った以上、今年度の学院代表剣士はあなただと確信していたのに」

 

「上級修剣士とはいえ、末席の俺にそこまで期待してくれても困りますよ」

 

 

ユージオが連行されてから6日目の夕方、窓から差し込む茜色のソルスを背にしたアズリカの前に上条は立っていた。初等練士寮特別教官室にいる二人を遮る教官机の上には『退学届』と書かれた白封筒が置かれていた

 

 

「・・・分かりました。ではこれは私の方で学院管理部に通しておきます。ですが、なぜ私にこれを?普通は管理部に直接持っていけば何かと都合がいいでしょう」

 

「俺がこの1年と2ヶ月、一番世話になったと思ったのがアズリカ先生でしたから」

 

「私としては、1年どころか赴任してからこれまでで一番謎の多かった生徒ですがね」

 

 

皮肉めいた口調で言ってアズリカが笑うと、上条も続いて力なく笑った。そしてアズリカは白封筒を手にとって服の内ポケットに入れ、椅子から立ち上がり上条の元へ近寄ると、彼の肩に手を置いて言った

 

 

「カミやん元修剣士。あなたが学院を去ってこれから何をしようとしているのか、私はなんとなく察しがついています。分かった上で止めていない時点で、私はきっと生徒を導く教師としては失格です。ですが、あなたのその決意を目の当たりにして、私にはそれを止めることは出来ません」

 

「気にしないで下さい。元から俺が不出来なだけなんです。アズリカ先生の指導は決して間違ってませんでした」

 

「そう言っていただけると助かります。思えば去年のリーバンテイン元修剣士との立ち合いの時から、私はあなたが何者なのか薄々は分かっていたのかもしれません。その勘が正しければ、あなたがあの塔に達した時、きっと何かが起きます」

 

「・・・?何か、というのは?」

 

「それは私にも分かりかねます。ですが、その結果何があっても、自分の信じる道を真っ直ぐに行きなさい。この学院で学んだ全てと、友を信じてどこまでも進みなさい。その道の先に光があらんことを、私は祈っています」

 

「そうですか…分かりました。アズリカ先生、今日までありがとうございました。それじゃあ俺はこれで…」

 

「あぁ、その前に少し待ちなさい。あなたに渡さなければならないものがあります」

 

 

そう言うとアズリカは、コツコツと革靴の音を立てながら教官室の奥にある小部屋のドアを開き、中へと消えていった。そして2分ほどした後に、薄い正方形の木箱を両手で持って出てきた

 

 

「先生、これは…?」

 

「昨年度の主席である、ソルティリーナ・セルルト元修剣士からの預かり物…もとい、あなたへの餞別です」

 

 

アズリカは教官机の上にそれを置くと、パコッ!という木箱の中に入っていた空気の抜ける音を立たせながら蓋を持ち上げた。するとその中には、いかにも高級そうな布地と装飾で仕立てられた黒い洋服が畳まれていた

 

 

「これ…リーナ先輩が?」

 

「彼女も私と同じく、今年の学院代表はあなたが選ばれるに違いないと、あなたを指導していた一年間で確信していたようです。だから来年の剣舞大会の日が来たら、彼にこれを着せて欲しいと私に託しました。小遣いの少ない彼が、見すぼらしい格好で大会に出て笑い者にされてしまっては、指導生である自分のメンツが立たない…と」

 

「あ、あははは…やっぱり流石だなリーナ先輩は。たしかに言われてみれば、これから学院出て行くのに制服で出ていこうとしてた俺が、剣舞大会くらいでお洒落しようとするとは思えねぇな」

 

「このように、先ほども言いましたがあなたを信頼している者は、実際には見えないところにもたくさんいるのです。そしてその全員が、あなたを心の底から信じています。その皆が信じる自分を信じて、行きなさい。あなたを待つ友の元へ」

 

「・・・ありがとうございました、アズリカ先生。いつかまた、きっと会いに来ます。本当に、お世話になりました」

 

 

上条はそう言ってアズリカに深々と頭を下げると、もう一度蓋をされた木箱を脇に抱え、夕暮れに染まった教官室を後にした

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

アズリカに退学届を出して自室に戻ったその日の夜、上条は身支度を整えていた。しかし身支度といっても、制服から先ほど譲り受けたリーナの残した黒い服に着替え、腰に巻く剣帯を、斜めがけに改造するという簡単な準備だった

 

 

「力を借りるぜ、おやっさん」

 

 

そう言うと、サードレがほぼ自分の要望通りに仕立てた円盾の革で作られた持ち手を、同じく革製の剣帯に結び、それを背負って体に縛り付けた。そして最後に盾と背中の間に翡翠色の剣を、剣帯の穴に通すようにして差し込んだ

 

 

「ま、こんなもんか…」

 

 

もうほとんど二ヶ月前に入ってきた時と同じ状態に戻ってしまった自室を見渡すと、上条はため息を吐きながら言った。そしてもう一度体に巻いた剣帯のベルトを締め直すと、自分の頬を叩いた

 

 

「よしっ、行くか」

 

 

自室で焚いていた明かりを消すと、ドアノブをひねって部屋から出た。そしてそこから足並みを止めることなく寮を出ると、校舎に続く石畳を遡り、門の手前で立ち止まり月夜に照らされる校舎の方へと振り返った

 

 

「ありがとな、北セントリア帝立修剣学院。お前と過ごした1年と2ヶ月、俺は結構楽しかったぜ」

 

 

そう言って上条は最後に校舎に向かって深々と頭を下げると、その校舎で過ごした様々な日々を思い出したように顔を上げて笑った。それから自分の顔を真剣な表情に戻すと、踵を返して最後の石畳と校舎を跨いだ…その直後だった

 

 

「カミやん先輩っ!!」

 

「ーーーッ!?」

 

 

背後からそこにはいないはずの…否、いてはいけない少女の声が聞こえた。この約2ヶ月、自分の傍付きとして指導してきたロニエ・アラベルという少女の声だった。息を切らしながら校舎からこちらに走ってくる少女の気配を感じ取ると、上条は背を向けたまま一切の容赦なく叫んだ

 

 

「止まれロニエッ!」

 

「ッ!?」

 

 

上条のあまりにも痛烈な叫びに、ロニエは肩を震わせ、走らせていた足を止めた。上条は背後の足音が止まったことに安堵すると、そのまま喋り始めた

 

 

「ロニエ。俺はもう退学届を出して、学院の門を超えた。この石畳から足を出した時点で、もうこの修剣学院に俺の居場所はないんだ。だから俺は、今はもうロニエの指導生じゃないし、ロニエだってもう俺の傍付きじゃない。だからこれから先、俺の傍に付いてくる必要なんてない」

 

 

それは明確な境界線だった。この学院の中にいる限り、自分は安全に暮らせる。だが一度この境界線を超えて外に出れば、後戻りは出来なくなる。その境界はあまりにも大きく、深い。だがそんなことはロニエにとって百も承知だった

 

 

「い、嫌ですっ!ユージオ先輩がいなくなって一週間、カミやん先輩が何を考えているかなんとなく察しはついてました。もう私の覚悟は決まってます!私はカミやん先輩と一緒に行きます!実剣だって持ってきました!止めたって無駄です!カミやん先輩のいなくなった学院なんて、私にはなんの未練も…!」

 

「なら、ここに残るティーゼはどうなる」

 

「ッ!」

 

 

真夜中であるのもそっちのけで叫ぶロニエに対し、極めて平坦な声で上条はロニエに聞いた。彼のその問いにロニエは言葉を詰まらせ、そのまま上条は続けた

 

 

「先輩だったユージオが公理教会に連れて行かれて、その後を追って俺が学院を出る。それだけならまだいい。けど、ロニエは違う。お前とティーゼは一緒にいなきゃダメだ。ティーゼはいつか必ず整合騎士になって、ユージオを助けに行くって言ってただろ。そのためには、一緒に切磋琢磨する親友が必要だ。そしてそれは、他でもないロニエにしか出来ないことだ」

 

「そ、そんなの!ここでカミやん先輩と一緒にセントラル・カセドラルに行ってユージオ先輩を助ければ同じことで…!」

 

「ロニエ」

 

 

上条が静かでありつつも重みのある声で言うと、ロニエは口を噤んだ。その瞳には既に涙が溜まり、頬へと滴り落ちているが、背を向けて話す上条にはそれが見えていない。けれど彼女が自分の後ろでどんな表情を浮かべているのか、なんとなく分かっていた。そしてそれを一度でも目にしてしまえば、この決意が揺らいでしまうこともまた、分かっていた。故に上条はそのまま前を向いて、絞り出すような声でロニエに言った

 

 

「・・・頼む」

 

 

もうそれ以上は、上条でも言葉には出来なかった。ロニエの涙が、石畳に落ちた微かな音が聞こえた。またしても彼女を泣かせてしまった自分の不甲斐なさに歯噛みしながら、上条は続けて言った

 

 

「ごめんな、ロニエ。そこまでしてロニエが俺について来ようとするのは、俺が頼りないからだよな。自分が守ってあげなくちゃって…そう思ってるからだよな。まぁ無理もねぇよ。その証拠に俺はあの夜、他でもないロニエに助けられた。情けねぇ話だ」

 

「だ、だから私もっ!傍付きとして先輩の隣に…!」

 

「だから俺は、必ず戻って来る。堂々と胸を張れる先輩になって、ユージオを連れて、この門を、もう一度超える」

 

「!!!!!」

 

 

ロニエには、学院の制服ではない服に身を包み、その背中に翡翠色の剣と盾を背負う上条の後ろ姿が、お伽話の『英雄』のように見えた。英雄、即ち『ヒーロー』。『誰に教えられなくても、自身の内から湧く感情に従って真っ直ぐに進もうとする者』の言葉には、誰かに寄り添うような不思議な暖かさがあった

 

 

「たとえそこに俺の居場所がもうなかったとしても、誰かが待っててくれる場所があるなら、俺は必ず戻ってくる。ちゃんと元気に帰ってきて、アズリカ先生や教官達に、ユージオと一緒になってコテンパンに叱られたら、またみんなで安息日にピクニックに行こうぜ」

 

「その為に、美味いサンドイッチを作る後輩がここにいてくれると助かる。俺がここに戻って来るための理由に、ロニエがなってくれるなら…俺はきっと、真っ直ぐこの場所に帰って来れる」

 

「カミやん、先輩っ…!」

 

 

上条が言った言葉を、ロニエは信じたいと思わずにはいられなかった。今の自分には出来ない無茶をせず、ここで待つことが彼を信じることなのだと思った。そんな思いを抱きながら、自分の名前を呼んだロニエの声に、上条がわずかに振り返った。そして、ロニエの中に残った不安を摘み取るように、自信に満ちた顔で言った

 

 

「約束するよ。俺は必ず、ユージオを連れてここに帰ってくる」

 

「・・・はぃ…はいっ!わたし…私っ!ここでずっと待ってます!カミやん先輩を信じて…!だから…きっと帰って来てください!」

 

 

涙を拭い去りながら叫んだロニエの言葉を最後に、上条は夜空へ高々と右拳を突き上げ、もう二度と振り返ることなく歩き始めた。かけがえのない友を救うために、聳え立つ白い巨塔に向けて歩き出した彼の背中が、地平線の向こうに消えて見えなくなるまで見送り続けたロニエは、彼の後ろ姿が夜に消えた後、誰にも聞こえないように微かな声で囁いた

 

 

「・・・大好きです」

 

 



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第36話 整合騎士

 

学院に別れを告げた後、上条はその足取りのままセントラル・カセドラルの西側にある門に来ていた。天頂が霞んで見えないほど高い巨塔は自らの四方を、とても登り切れるとは思えない、ダムにも似た巨大な壁で取り囲んでいた

 

 

「おっす」

 

 

上条当麻は最初から考えていた。この巨塔に入るには、小細工もなしに正面突破で入る以外に方法はない。スパイ映画のように物資の運搬に紛れることも考えたが、それは前情報があってこその策だ。いざ積荷に紛れてみて点検でもされようものなら、一瞬で不利に陥ってしまう

 

 

「貴様、何者だ?一体なんの……」

 

「オラァ!」

 

 

だから最初から腹の決まっていた上条は、自分に向けて槍を構えてにじり寄ってくる二人の番兵の内の一人を躊躇なく殴り飛ばすと、悲鳴をあげる間もなく番兵は卒倒した

 

 

「なっ!?」

 

 

突然のことに慌てふためいたもう一人の番兵は、胸から下げている笛のような物を手に取ろうとしたが、焦りのあまりソレがお手玉のように手の平からこぼれ落ちるばかりで、その隙に上条はその男の頭を鷲掴みにし、力任せに地面に叩きつけて気絶させた

 

 

「さて、それではちょっと拝借…」

 

 

上条は呆気なく伸びてしまった番兵が鍵のようなものでも持ってないかと思い、二人の身体を隈なく弄った。しかし二人はそれらしき物は持っておらず、ため息を吐きながら立ち上がった

 

 

「むしろ、鍵なんか用意する必要もねぇよって意味ならありがたいんだけどな…」

 

 

そんな風にボヤきながら周りに目をやると、この巨大な砦に相応しく悠然と佇む二枚扉の傍に、この番兵達が出入りに使っているのであろう小さな一枚扉の出入り口が目に入った

 

 

「まぁそりゃ、見張り入れ替わる度にこのデケエ門開けてたら効率悪いわな」

 

 

ここまでお誂え向きな造りになっているとは思わず、上条は拍子抜け感が否めなかったが、それで怪しんでいてはいつまでも中には入れないと思い、意を決してその小さな石扉に手をかけた

 

 

「・・・よし」

 

 

本来カセドラルの巨塔に入るには、東側の正門から入るのが一番早い。正門はカセドラルに続く一本道の参道しか広がっていないからだ。しかし、それ故に見張りの数も多いだろうと踏んだ上条は、この西門を突入の場所に選んだのだった。だが仮にそうだとしても、この扉の先に衛兵がいないという確証はない。その上で腹をくくる覚悟を決めた上条は、小さな石扉を押し開いた

 

 

「うおおおおっ!…………え?」

 

 

するとそこに広がっていたのは、上条が想像していたような衛兵や、カセドラルに続く道はなく、彼の背丈よりもいくらか高い柵と、その柵に蔦を伸ばす花たちが彼を出迎えた

 

 

「いや、こりゃ確かに綺麗だけど…門開けていきなり庭園は造りとして不便すぎだろ…!」

 

 

その柵に入り口として、人が二人並んで通れるような穴が空いているが、その先は迷路のように入り組んでいるのが見えた。あまりにも予定外の構造に上条は面食らったが、その周りに見張りが誰もいないのは不幸中の幸いだった

 

 

「とりあえず、コイツを進むしかねぇか…」

 

 

そう決心した上条は、花咲く夜の菜園への入場口を潜った。この世界には無線のような通信機器はないが、自分も知らないこの教会だけの連絡手段や神聖術がないとも限らない。つまるところ、この迷路を進む時間との勝負だと悟った上条は、柵に咲いている花には目も暮れず迷路の中を闇雲に走り始めた

 

 

「クソッ!右に行ったり左に行ったりと…これ本当にカセドラルに続いてんのか…!?」

 

 

上条は右へ左へと行く道を変える迷路に舌打ちしながらも、ひたすら前に続く道を進み続けた。すると徐々にではあるが、白い巨塔が近くに見えつつあることに気づいた。これなら塔の手前まで近づいて、後は適当な柵をいくつか乗り越えればいいと考えていた時だった

 

 

「っと…ここは…」

 

 

闇雲に迷路を走り続けると、何やら開けた空間へと上条は躍り出た。そこはまるで貴族の庭園のようで、騎士を形取ったいくつかの石像と、噴水が設置されており、その中央にはベンチを四つほど内蔵したガゼボがあった

 

 

「流石に我が師、アリス様の慧眼であることよ。この聖域への侵入者などという、万に一つどころか億に一つの事態を予見されるのだから」

 

 

するとそのガゼボの奥から、キザな口調でこちらに喋りかけるような声が聞こえてきた。上条はそれをいち早く察知すると、頭の中を戦闘への意識に切り替えた

 

 

「・・・誰だ、アンタ?」

 

 

上条のその問いかけに答えるように、ベンチに腰掛けていた何者かが鎧を鳴らしながら立ち上がった。すらりと伸びた長身を包む鎧とマントは紫に染められており、綺麗に整えられた薄紫の髪を夜風に靡かせながら、その男は上条の前に立った

 

 

「神聖なる此処、セントラル・カセドラルへの侵入罪など前例があるか定かではないが、そこは教会の裁決によるものだ。一先ず君にはすぐに地下牢へ行ってもらうが、脱走なんて愚かな考えを巡らせないよう、少しお仕置きが必要だとは思わないかい?」

 

「ッ…誰だつってんだよ!」

 

 

薄い笑いを浮かべながら喋る紫紺の騎士の態度が癪に障った上条は、語気を荒げながら叫んだ。それに対して騎士は底の見えない笑いを漏らしながら、横広のマントをはためかせて言った

 

 

「ははは!威勢がいいね。その空元気に敬意を表して名乗っておこう。私は整合騎士『エルドリエ・シンセシス・サーティワン』!」

 

「なん…?え、えすかるご?しんせさいざ……だぁーっ!アリスといい、お前といい!どうして整合騎士ってのは揃いも揃ってそんなに名前がなげーんだよ!もうちょっと簡略化できねーのか!?」

 

「心外だな。この名は『最高司祭アドミニストレータ様』にほんのひと月前に『召喚』された際に頂戴した神聖な名だ。君に文句を言われる筋合いはないよ」

 

(さ、最高司祭…?召喚された…?)

 

 

エルドリエが語った話の中に、上条は妙な違和感を覚えた。人物名はさておき、『召喚』ということは目の前の騎士は司祭なる人物に直接この姿で生み出されたということになるのか?ではアリスと名乗ったユージオの幼馴染は?そんな考えが頭の中を巡ったが、一先ずその解答を出すのは後回しにした

 

 

「・・・そうかよ。言っとくが俺はアンタの仕置きを大人しく受けるつもりも、懲罰房に入るつもりもねぇ。アンタをぶっ飛ばして、とっととアンタを召喚したお偉いさんもぶん殴る」

 

「おやおや、これは大きく出られたものだ。まさかたった一人でカセドラルの並み居る整合騎士をなぎ倒し、この巨塔を登りきろうと言うのかい?正気の沙汰とは思えないね」

 

「へっ。アンタは知る由もないだろうけどな、王道RPG『ドラ○ンクエスト』の第1作目は冒険に出てから魔王を倒すまで、ずっと主人公たった1人で戦うんだ。そう考えるなら1人で戦うってのも、別に悪い話じゃない」

 

「・・・どうやら話し合いで解決できる雰囲気ではなさそうだね。であるならばこのエルドリエ、整合騎士の新参者ながらもお相手いたそう。さぁ、その背中の剣を抜くといい」

 

 

エルドリエは、上条の翡翠色の剣の柄を指差しながら言った。上条は一息置くと、指差された剣は抜かず、背負っていた盾を右手で持ち上げて正面に回し、裏側の取っ手を左手で掴んで身構えた

 

 

「・・・それはどういうつもりかな?よもや身を守る盾だけでこの私を倒そうなどという世迷言を口にするのかい?」

 

「まぁな。剣は不得手なんだ。俺はコイツだけでいくが、アンタは別にその立派な剣を抜いたって構わねぇぜ」

 

「ふっ…あっはっは!そうかそうか。では私も、少しは戦いがましい戦いになるよう『こちら』でお相手いたそう」

 

 

するとエルドリエは、腰に据えた剣ではなく、背中の方へ手を回し、純銀のような輝きを帯びた細身の鞭を上条に見せつけた

 

 

「・・・鞭か。生憎だが、俺を指導してた先輩もよく使ってたおかげで、ソイツの対処法は心得てるぜ?」

 

「私と君ではそれでようやく対等というところだよ。それでは、この不可侵である聖域を侵したその罪をあらんとし!不肖この整合騎士エルドリエ!最初から全力でお相手させていただこう!」

 

(来るっ!)

 

 

エルドリエが手にした鞭を振りかぶると、上条はその間合いから逃れようと後ろに飛び退いた。しかし、エルドリエはそれを素早く察知すると、鞭を縦に振りながら信じられない速さで神聖術を唱えた

 

 

「システム・コール!エンハンス・アーマメント!」

 

(ッ!?鞭が…伸びた!?)

 

 

神聖術の恩恵を受けたのか、エルドリエの銀に輝く鞭が更にその輝きを増しながら全長が数倍の長さへと伸びた。上条は咄嗟にそれを見切ると、頭上に盾を掲げて直撃を逃れた

 

 

「・・・驚いたな。我が神器『霜鱗鞭』の一撃を初見で凌ぐとは、並大抵の人間には出来ないよ」

 

「神器か…話には聞いてたけど、確証のある本物を見るのは初めてだよ。けど、ユージオの青薔薇の剣に比べりゃ大したことはねぇな」

 

「言ってくれるね。では、これならどうかな?」

 

 

そう言うとエルドリエは鞭を持たない左手を上条の方へと差し向け、先ほどと同じく目にも留まらぬ速さで神聖術を唱えた

 

 

「システム・コール。ジェネレート・クライオゼニック・エレメント。フォームエレメント・バードシェイプ。ディスチャージ!」

 

「ーーーッ!」

 

 

エルドリエの左手の指先に青白い光が収束していくと、二節目の詠唱でその光が鳥に姿を変え、最後の一節を唱えた瞬間に青い光の鳥が上条めがけて襲いかかった。しかし、上条はそれに臆することなく飛び込んで行った

 

 

「おやおや、血迷ったか。ではそのまま聖なる翼に四肢を引き裂いてもらうといい」

 

「おおおっ!!」

 

 

そして上条は真っ正面から襲ってくる光の鳥に向かって、腹に力をこめるように息を止め、自らの右手を光の鳥へと叩きつけた。するとその瞬間、光の鳥は呆気なく塵のように消えてしまった

 

 

「・・・ん?」

 

「悪いな、こういう『右手』なんだ」

 

 

上条はユージオが学院を去ってから一週間、ティーゼとロニエにひたすら攻撃系の神聖術を撃ってもらい、それをひたすら右手で受けることで、他ならぬイメージの力によって幻想殺しを完全に再現していた

 

 

「おらあああああっ!!!」

 

 

エルドリエが普通ではありえない光景に目を疑った瞬間を見逃さずに、上条は右手を拳に変えて彼に飛びかかった。メシィ!という鈍い音を奏でながら拳が端麗なエルドリエの顔へと埋まっていき、力任せに拳を振り抜いた

 

 

「ぐあああああっ!?ば、馬鹿なっ!神聖術を打ち消した…だと!?そ、そんなの…見たことも聞いたことも…!」

 

「悪りぃけど!今はテメエのお喋りに付き合ってる暇はねぇっ!」

 

 

上条の一撃をモロに喰らい鼻血を出しながら地に転がったエルドリエは、なおも信じられない光景に同様していた。だが、彼一人に時間をかけていられない上条はこの戦いを終わらせるべく、もう一度高々と拳を振りかぶった

 

 

「リリース・リコレクション!」

 

 

しかしてその瞬間、エルドリエは先程と打って変わってかなり短い神聖術を唱えた。すると彼の鞭がまるで生きているかのように動きを変え、その先端が禍々しい白蛇に変化して上条に牙を剥いた

 

 

「ッ!?クソッ!」

 

 

その蛇に噛まれてはマズイと悟った上条はトドメの一撃を諦め、足に力をこめて真後ろへと飛び退いた。白蛇は敵を追い払うとエルドリエを守るようにとぐろを巻き、その内側でゆっくりとエルドリエが立ち上がった

 

 

「・・・なる、ほど…どうりでアリス様が警戒するわけだ。型も何もない攻めだが、それ故に私の予測を上回ってくる。油断していたとはいえ、よもや『記憶解放』の奥義まで使うことになるとは…もう手加減はしない!この霜鱗鞭に隠された秘技は伸びるだけではない!鞭の本数が最大7本に分裂することで…!」

 

「シッ!」

 

 

エルドリエは手甲で鼻血を拭うと、霜鱗鞭を見せつけながら上条にその性能を語ろうとしたが、上条はそれを最後まで聴くことなく左手を弓のように引き、肘を伸ばして遠心力を加えながら盾を投擲した

 

 

「七頭に別れた白蛇が君を…ごふっ!?」

 

 

上条が投擲した盾は、ガアンッ!という音を響かせながらエルドリエの頭部を寸分の狂いもなく捉えた。鋼鉄にも勝る衝撃を直接頭で受けた彼の脳が、間もなく脳震盪を起こすのはもはや自明の理だった

 

 

「た、盾を投げ…この私が…こんな……」

 

 

ガシャン!という音を立てて、エルドリエは受け身も取らず仰向けに倒れて気を失った。上条は彼から跳ね返ってきた盾を左手で受け止めて背中に背負い直すと、倒れた彼の元に近づいた

 

 

「悪いな。アンタの武器自慢はまた今度に聞く」

 

 

地に倒れたエルドリエを見下ろしながら上条が言い、その場から先に進もうとした瞬間、踏み出しかけた彼の足の前に一本の弓矢が突き立てられた。その矢羽から軌跡を辿ると、空に舞う飛竜に跨った真紅の鎧を纏った騎士と兜越しに視線が重なった

 

 

「侵入者よ!騎士サーティワンから離れよ!輝かしき整合騎士を地へと堕とした罪、もはや許せるものではない!」

 

「アレは…また別の整合騎士か?しかもカミやんさんの苦手な遠距離系物理攻撃持ちで飛竜のおまけ付きの…けど盾があればなんとか…」

 

 

弓矢を番えて夜空に佇む剣士を上条が睨みつけながら戦法を考えていると、上条が進んできた迷路から最初にに倒した門番と同じ武装を身につけた衛兵が次々に現れた

 

 

「いたぞ!あそこだ!捕縛しろー!」

 

「げっ!?もう嗅ぎつけて来やがったか!こりゃ流石に分が悪いか…!」

 

 

駆けつけてきた衛兵隊を目にした上条が一目散に庭園の奥へ続く迷路に逃げ出すと、それを追って衛兵達と、飛竜に跨った真紅の騎士が4本の矢を一度に番えて後を追って来た

 

 

「おのれ!敵を目の前にして尻尾を巻くとは臆病者め!この私が逃すと思うか!四肢を射抜いてから牢獄に叩き込んでくれる!」

 

 

ビビビビンッ!という弓の弦を弾く音が聞こえると、迷宮を走る上条の足元に次々と放たれた4本の弓矢が、地面に刺さった瞬間に爆発した。上条はその正確無比な矢を迷路の地形を生かしながら紙一重でかわし続けたが、そんな彼の行く手を阻むようにT字路が現れた

 

 

「別れ道か…一体どっちに…!」

 

『右よ!』

 

「・・・は?右って?」

 

『いいから右よ!右に曲がるの!』

 

「えぇっ!?は、はい!」

 

 

上条は突如聞こえた謎の声に導かれるまま、T字路を右折した。背後からは絶え間なく聞こえる衛兵の足音と、息つく間もない恐るべき精度の矢が降り注いでくる。避け続けた矢が30を超えてきた時、進み続ける迷路の傍に光の扉のようなものが上条の目に入った

 

 

「おい!こっちじゃ!飛び込め!」

 

「ええい!もうどうにでもなりやがれぇっ!」

 

 

光の扉の中から、得体の知れない声とともに手招きする腕が見えると、上条は柵を塗り潰すように開いた扉の中にヤケクソになりながら飛び込み、その姿が光の中へ消えた

 

 



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第37話 図書館の番人

 

「どわあああああああ!?!?!!?」

 

 

上条が飛び込んだ扉の先は、彼の予想に反して広く深い茶色の木目が目立つ空間だった。上条はその中を情けなく叫びながら宙を回ると、やや弾力のある木製の床に尻で着地した

 

 

「痛っでえええええ!??!?!」

 

 

既に割れている尻がさらに割れそうなほどの勢いで尻餅を着き、あまりの痛みに臀部を抑えながら上条はのたうち回った。痛みが和らいで平衡感覚が戻って来た上条が立ち上がって振り返った先には、彼が飛び込んできたが故に一段も踏むことはなかった階段の上に、小柄な人影があった

 

 

「・・・探知されたな。このバックドアはもう不要じゃ」

 

 

そう呟いて小さな人影は、自分の背丈より高い杖で木床を2回ほど小突くと、正面にあった扉をなんらかの術で消滅させた。そしてゆっくりと上条の方へ振り返ると、床に杖をつきながら階段を降りてきた。そこにいたのは、上条の胸くらいまでの背丈で眼鏡をかけ、膨らんだ帽子とローブを見にまとった少女だった

 

 

「いてて…えっと、一先ず助けてくれてありがとな。助かったぜ。俺は…」

 

「ええい!とっとと前に進まんか!ここは通路ごと廃棄じゃ!しっしっ!」

 

「のわぁっ!?な、なぁ!ここってセントラル・カセドラルの中なのか!?」」

 

「そうであるとも言えるし、違うとも言えるな。わしが本来の扉を消去した故、ここはカセドラル内に存在するが何人たりとも入ってくることは出来ない。ワシが招く時に限って例外じゃがな」

 

「は、はぁ!?」

 

 

眼鏡少女に怒鳴られながら杖で背中をグイグイ押し込まれていく上条は、前につんのめりそうになりながら早足で木製の廊下を渡っていった。そして謎の少女の話に疑問を抱きながら、廊下の一番奥にある開きっぱなしの木製扉をくぐった

 

 

「ほいっ!」

 

「・・・ふぁっ!?」

 

 

扉を閉じて眼鏡少女が可愛らしいとも年寄りっぽいとも取れる口調で杖を振ると、そこにあったはずの扉が消え、コンクリート製と思しき壁に一瞬で様変わりした

 

 

「な、何がどうなって……」

 

「付いて来い。さして面白い物があるわけでもないがな」

 

「あ、はい…ってうぉわぁ!?」

 

 

驚き疲れた上条が自分の前を行き始めた少女を追おうと振り返ると、そこには更なる驚きが待っていた。遥か頭上まで何段も続く階層と、それを埋め尽くさんばかりの本棚と書物だけで構成された世界が広がっていた

 

 

「大図書館じゃ。そう珍しいものでもあるまい。この世界が創造された時よりのあらゆる歴史の記録と、天地万物の構造式、そしてお前たちが神聖術と呼ぶシステム・コマンドの全てが収められておるだけじゃ」

 

「い、いや十分珍しいしすご……ん?今システム・コマンドって言ったか!?」

 

「あぁ、それがどうかしたか?」

 

「嘘だろ…そんな言い回しを知ってるなんて、アンタ一体何者なんだ!?」

 

「人に名前を聞くときは、まず自分からと教わらなかったのか?」

 

「あ…えと、俺の名前はカミやん。そうだ、さっきは助けてくれてありがとな」

 

「なに、気にすることはない。単身ここに乗り込んできた時は、ただのバカだと思い捨て置いたが、整合騎士を独力で倒したとあっては話も変わってくる。もっとも、それだけで助けた価値があったかどうかはまだ判らんがな」

 

「か、勝手に連れ込んでおいてヒデェ言われようだ…って!だからアンタは一体誰なんだって聞いてんだろ!?」

 

 

上条が怒鳴りながら訊ねると、少女は眉間のブリッジに指をやって丸眼鏡をかけ直すと、巻かれた栗色の髪と同じ色の瞳に、無限の知性を予感させる口調で言った

 

 

「ワシの名は『カーディナル』。かつては世界の調整者であり、今はこの大図書室のただ一人の司書じゃ」

 

「か、カーディナルって…SAOやALOみたいな仮想世界を運営したり、制御するための自律型プログラムのことか!?アンタはそれが…その、擬人化したモンなのか!?」

 

「ほう、それを既に知っておったか。じゃが擬人化したという訳ではない。あちら側でワシの同類と接触したことがあるのか?」

 

「あ、あちら側…アンタ、この世界の住民じゃないな!?運営…この世界のシステムの管理者に、限りなく近しい人間なんだな!?」

 

「いかにも。そして、それはお主も同様じゃな。無登録民カミやん」

 

「ッ!?お、教えてくれ!俺はこの世界のことを知ってるようで全然知らない!聞きたいことが山のようにある!」

 

「分かっておる。いいからまずは落ち着け。冷静になって聞かんと腑に落ちる話も腑に落ちんじゃろう。そこに座るといい」

 

 

カーディナルがそう言って自分の背丈よりも長いスタッフを振ると、すぐそこに木製の円卓と二脚の椅子が出現し、上条とカーディナルはそれに腰掛けた

 

 

「まず言っておかねばならんのは、ワシは別にこの世界を管理しているわけではない。操れるのはせいぜいこの図書館内のオブジェクトだけじゃ」

 

「わ、分かった!じゃあアンタは現実側と連絡が取れるのか!?」

 

「だからまず落ち着けと言っておろう。絶対今のワシの話聞いとらんかったじゃろ。そんな急いても状況は説明できるだけで劇的に変わるわけではない。ほれ、これでも飲め」

 

 

ため息を吐きながらカーディナルが杖を振ると、机の上に暖かい紅茶の注がれたティーカップが二つ出現した。彼女がそれを上条の方に寄せると、上条はティーカップの中の紅茶を一気に飲み干した

 

 

「おおう…豪快な飲みっぷりじゃな。よもや紅茶の作法などカケラもないの」

 

「ぷはぁっ!悪い、もう落ち着いた。実は学院出てから何も飲んでなくて死ぬほど喉渇いてたんだ。助かった」

 

「よい。して質問に答えるが、ワシは外部と連絡する手段は持っとらん。それが出来ればこんな埃っぽい場所に何百年も閉じこもってはおらんからな。残念じゃが、その手段を持っておるのは公理教会最高司祭だけじゃ。ここにある創世記を作り出したのと同じ…な」

 

「創世記を作った…ってことはつまり、やっぱりこの世界に神様は存在しないってことなんだな?『創世神ステイシア』、『太陽神ソルス』、『地神テラリア』、『暗黒神ベクタ』…どれもその最高司祭ってやつの作り話なんだな?」

 

「そうじゃ。アンダーワールドの民が信じる神話は教会が支配権を確立するために作り広めたものに過ぎん。神達の名は緊急措置用のスーパーアカウントとして登録はされているが外の人間がそれでログインしたことは一度もない」

 

「道理で…ユージオから聞いた限りどうにも胡散くせえ話だと思ってたんだ」

 

「じゃが創世の時代、今より450年前似たような者たちは存在した。わしがまだ意識を持たぬ管理者だったころ、四人の外界人達がこの世界に降り立ち、八人の『人工フラクトライトの子ども』を育てたのじゃ。文字の読み書きに作物の育て方、家畜の飼い方から…後の禁忌目録の礎となる善悪の倫理観に至るまでな」

 

「ちょ、ちょっと待て!人工フラクトライトだぁ!?フラクトライトってのはアレだよな?今の俺にこうしてアンダーワールドの世界を体感させてる、人の魂なんじゃねぇかって言われてる脳にある光のことだよな!?そのフラクトライトの人工って…新しく人の手で魂を作ったって事なのか!?」

 

「な、なんじゃお主…外界から来たくせにそんなことも知らんのか?こりゃ想像よりも話が長くなりそうじゃの」

 

 

カーディナルの話に驚愕する上条に、逆に彼女自身が驚いていた。カーディナルは自分の話が長丁場になるのを覚悟し、紅茶で喉を潤して咳払いすると、真面目な表情で話し始めた

 

 

「まず始めに人工フラクトライトとは、お主ら外界の人間が幼子の無垢なフラクトライトのコピーから生み出したものじゃ。そしてこのアンダーワールドの住人全てが、人工フラクトライトで出来ておる。ワシも然り、最高司祭もな。そしてワシら人工フラクトライトは、お主ら実際の人間と同等の思考能力と感受性を有しておる。それはお主がこの世界に来てからよーく実感しておるじゃろう」

 

「ふ、フラクトライトのコピーって…要するにそれってめちゃ頭のいい人工知能ってことだよな?一体誰が、何のためにそんなことを…」

 

「それはワシとて知るところではない。じゃがお主らの世界の何者かが、フラクトライトを使って何かを画策しておる。それは間違いないじゃろうな」

 

「わ、分かった。じゃあアンタの知る現実世界の情報に、学園都市って街はあるか?それと俺のこの体と意識は、STLによって送り込まれてるって解釈でいいんだよな?」

 

「学園都市…知ってるも何も、お主が今言ったSTLとフラクトライトを見つけ出した街のことじゃろう?もっともワシとて参照できるデータ領域の中で見聞きに及んだ程度じゃが、そもそも外界の人間はSTLがないとこのアンダーワールドに来れないのではないのか?」

 

「あぁいや…俺もそこまで詳しい訳じゃないんだ。ひょっとしたら別のアクセス方法もあるのかも…しれない」

 

(だけど、現実に学園都市があるのは確定だ。ってことはつまり…この世界はキリト達の方の世界とは無関係。誰かが俺のレポートを使ってSTLを完成させたか、実は元からあったけど、俺がそれを知ってしまったから強制的にSTLの中にぶち込んで何かの実験をしてる…ってとこか?)

 

「わ、分かった。じゃあ俺がこの世界に来て約2年経つんだが、FLAって機能があるだろ?それが使われてるか、今現実ではどのくらいの時間が経ってるか分かるか?あと、俺の体が今どこにあるかっていうのは……」

 

「すまんな、先も言ったが今のワシはシステム領域にはアクセスできんのじゃ。データ領域ですら参照できるところは微々たるものゆえ、お主の現状は分からん」

 

「あぁ、いや。いいんだ。ちゃんと現実世界があって、そこに学園都市があるって知れただけでも御の字だ」

 

「というかお主…本当に何も知らんのじゃな。自分がどうしてこちらの世界に来たのかも覚えておらんのか?」

 

「あ、あぁ…俺が覚えてんのは、現実で学級会の発表を終えて吹寄と…あれ?ふき、よ…せ……い゛っ!?」

 

 

上条が二年も前の記憶を必死に呼び起そうとすると、頭に鈍い痛みが走り、思わず顔を顰めた。するとそれを見かねたカーディナルが、上条の目の前に杖を突きつけながら言った

 

 

「無理に思い出そうとするでない!おそらくは、現実の世界の人間からアンダーワールドに送り込まれる寸前の記憶がロックされておるのじゃろう。そのロックを無理矢理外そうとすれば最悪の場合、お主の脳は記憶障害を引き起こす。やめておけ」

 

「わ、分かった…しかし記憶をロックするか…キリトもそんなようなことを言ってたが、なんかそうする理由があんのか?」

 

「何か思い出されると不都合なことが起こるのじゃろう。じゃがその事からも分かるように、つまるところお主は自分の意思でここに来たのではなく、何者かによってSTLに入れられ、気づいたらアンダーワールドにいた…ということになるのじゃな」

 

「あぁ…多分、そういう事なんだろうな。俺なんかを何の目的で入れたのかは俺にもよく分からねぇけど…」

 

 

上条は深くため息を吐きながら椅子の背もたれに背中を預けると、自分がこの世界に来た真相までのヒントだけを得たこの状況に、広大な図書館の天井を仰いでしまった。しばらくそうしてから頭の意識を入れ替えると、カーディナルの丸眼鏡に視線を戻して言った

 

 

「話の腰を折って悪かったな。俺が聞きたかったことは今ので大体全部だ。アンタも話があるから俺をここに呼んだんだろ?話してくれ」

 

「・・・ではそうさせてもらうが、お主はなぜこの特に争いもない平和な人工世界に、フューダリズムが出来たか考えたことはあるか?」

 

「?????」

 

「どうじゃ?」

 

「・・・すまん。現実世界も含めてカミやんさんはそんなに頭が良くない。もうちょいと分かりやすい言語で頼む」

 

「あ、あのなぁ…要は封建制じゃ。お主も知っておろう、この世界の住人たちは原則として法に背かん。殺人、傷害、窃盗、独占あらゆる犯罪が禁じられているだけで、絶対にそれを破らん。なぜか分かるか?」

 

 

カーディナルに問われた上条は、腕を組んで机の木目を見ながらなんとなく考え始めた。唸りながら悩んだ末に、先のカーディナルの発言を思い出した

 

 

「ひょっとして…さっき言ってた、善悪の倫理観を教えたっていう四人の外界人が…?」

 

「おお、察しはいいようじゃの。その通り、その結論をワシはこの図書館に幽閉されてから考えついた。この『原初の四人』は課せられた八名の人工フラクトライトの育成という困難な使命を見事に果たしたことから、人間としては最高級の知性を備えておったことが解る」

 

「今のアンダーワールドの住民達に生来の善性を育んだのだから、倫理的にも見上げるべき者たちだったのだろう。じゃがそれは、その四人全てがそうではなかった」

 

「・・・それはつまり、その四人の内の誰かが…他とは違う倫理観を、八人の人工フラクトライトの内どれかに植えつけた…って?」

 

 

上条が恐るおそる訊ねると、カーディナルはそれにゆっくりと深く頷いた。そして深くため息をつくと軽く杖を振って、上条の空いたカップに紅茶を注ぎ足してから口を開いた

 

 

「左様。知性には秀でていても、善ならざる者が一人だけ存在したのじゃ。そやつが子に支配欲や所有欲といった利己的な欲望をも伝えてしまった。その子どもが祖先となったのじゃ。今の人界を支配する貴族や公理教会の上級司祭達のな」

 

「・・・まったく余計なことしてくれたぜ、ソイツ」

 

「まぁ今さらその人物への愚痴をこぼしたところで、現状は変わるまい。そして彼らの頂点に立つのが、公理教会最高司祭にして今ではシステム管理者ですらある一人の女じゃ。『アドミニストレータ』などという不遜極まりない名を名乗っておる」

 

「ん?あぁそれ、さっき倒したエルドリエって整合騎士も言ってたな。確か、最高司祭アドミニストレータ様に自分は召喚された…とかなんとか」

 

「あのエルドリエという男は、今年の四帝国統一大会の覇者なんじゃが…それは一旦後回しじゃな。まずはあの女の出生から追って話そう。おぞましいことにアドミニストレータは、言うなればわしの双子の姉でもある」

 

「ふ、双子の姉…?どういうことだ?」

 

「原初の四人のログアウトから数十年後、とある二つの領主家の間で人界初の政略結婚が行われ一人の女の赤子が生まれたのじゃ。その名を…『クィネラ』と言った」

 

「はぁ、政略結婚ねぇ。仮想も現実も世知辛い世の中なのは変わらねぇってか…んで、その領主同士ってのはやっぱり、善ならざる外界人に倫理観を教えられた子どもの子孫なんだろ?その子孫同士の政略結婚から生まれた子どもなんて、どう考えたって支配欲と利己心が具現化したようなサラブレッドが生まれて来るだろうな」

 

「い、言い得て妙じゃな…じゃが、それだけならまだ良かった。しかしこともあろうにクィネラは『神聖術の修練』という未だかつて存在しなかった天職を領主に与えられた。屋敷の部屋でクィネラはその知性を生かし、神聖術…つまりはシステム・コマンドの解析を行った」

 

 

そこで言葉を区切ると、カーディナルは自分の顎が許す限りの力で歯噛みした。ギシギシと音を立たせながら震える彼女の姿から、そこが全ての始まりであったことは上条が見ても簡単に分かった

 

 

「そしてあやつは、ついにコマンドの単語の意味を解析するに至った。『ジェネレート』や『エレメント』、『オブジェクト』といった、奇怪な異世界の言葉をな。そしてクィネラは元は生活を便利にするための道具でしかなかったシステム・コマンドから…命ある対象を傷つけるための攻撃術を開発するまでに至った。後はお主ほどの察しの持ち主ならば想像に難くあるまい」

 

「・・・こ、攻撃って…まさか、レベリングか!?俺たちがゴブリンを倒してオブジェクト権限を上げた時みたいに!?クィネラってヤツは、それに自力で気づいたってのか!?」

 

「左様。じゃが闇の国のモンスターを、ではない。元々この世界は人間を含むあらゆる動的ユニットを破壊すれば、いわゆる『経験値の上昇』が発生するのじゃ。それに気づいたクィネラは、片っ端から鳥やキツネといった、目につく限りの動物を神聖術で攻撃して殺していった」

 

「そしてクィネラの権限レベルは際限なく上昇していき、コマンドの解析も着々と進んだ。やがては天候予測や天命回復といった、当時の民には奇跡にも等しい術の数々を会得したのじゃ。そしてそれに比例するように神々しい美貌を得ていたクィネラを、13の子にして周囲は『神の申し子』と信じ奉った。それを以ってクィネラは、底無しの支配欲を完璧に満足させる時が来たことを悟ったのじゃ」

 

「・・・そう悟った結果が、あのバカみたいにデカイ塔を生み出すに至った…ってか」

 

「その通り。クィネラは自分の優位を示すためにセントラル・カセドラルの端緒となった塔の建造を命じた。そして自分を脅かす権限レベルを持った存在が現れないよう、公理教会なる団体を設立し、明文化された法を作り上げた。その法を世界のあらゆる人々に向けて施工した。それがお主も知るところのこの世界絶対の法…『禁忌目録』じゃ」

 



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第38話 禁断の扉

 

「・・・その禁忌目録が施行されて、それからこの世界の統治が始まっていった…ってわけか。でもいくらなんでも、クィネラのことを神の申し子だとか奉って盲信してるからって、人々は法を破りません…ってのは、理由として少し弱くねぇか?」

 

 

大図書室で会話を続ける上条は、注ぎ足された紅茶を飲みながら言うと、カーディナルもまた紅茶で喉を潤してから話を再開した

 

 

「分かっておる。順を追って説明せねば分からんじゃろう。禁忌目録を世に広めてからもクィネラは次々と改定を繰り返し、自身も属する公理教会にとって都合の良い道徳観念で民をギチギチに縛ると同時に、生活全般に於いて起こり得るトラブルの原因を排除した。そんな何も考えずに従っておれば問題の起こらなくなる法を疑う人々は、もう一人として現れんくなった」

 

「そうして己の地位と権力を確立させながら支配欲を満たしていったクィネラじゃが、天命限界という己の寿命に抗うことは出来なかったのじゃ。それを操作できるのは管理者権限を持つ者のみ。外界の管理者か、あるいは自律制御システムたるカーディナルだけじゃからな」

 

「クィネラの天命は日々着実に減少していった。やがて50、60と歳を重ね、比例して階層を高くするカセドラルの最上階の寝室から出ることはなくなった。普通ならばもうそこで諦めて今生を振り返りながら安らかに死を待つところじゃが、あやつは恐るべき生への執着から、『禁断の扉』を開く神聖術の研究を始めたのじゃ」

 

「き、禁断の扉…?天命限界を伸ばす神聖術ってことか…?」

 

「そんな甘っちょろいものなら良かったんじゃがな。クィネラは、その禁断のコマンドを呼び出そうと足掻き続けた。実るはずもない努力。千回コインを投げて、その全てで表を出すようなものじゃった。しかし命旦夕に迫ったある日の夜、あり得もしない偶然が起こった。あるいは、外界の何者かが手助けしたのかもしれんがな」

 

 

そう言うとカーディナルは一呼吸置き、座したまま杖を宙にかかげた。そして忌々しいものを呪うような口調で、ゆっくりと発音した

 

 

「見せてやろう。お主には使えんからな。システム・コール!インスペクト・エンタイア・コマンド・リスト!」

 

「・・・何だ?これ」

 

 

途端、上条の耳にこれまで一度も聞いたことのないような重厚な効果音が響いた。その異様な音に思わず目をつぶり、恐るおそる瞼を上げていったその先に、ステイシアの窓より少し大きめの紫の窓があった

 

 

「・・・おい、これって…嘘だろ!?」

 

「察したか。そう、これこそまさに禁断の扉。コイツには、この世界に存在するあらゆるシステム・コマンドの一覧が記してある。過ちという他ない。この世界の創造者達の、取り返しのつかない巨大な過ちじゃ。このコマンドだけは消去しておかねばならなかった。これを必要とした原初の四人が、世界を去ったその瞬間に…な」

 

「ず、杜撰すぎる…!あり得ねえ!この世界を作った人間は、仮想世界やプログラム設計に関しちゃズブの素人もいいとこだぞ!?」

 

 

信じられないようなものを見る目で、上条はその窓を凝視し、何度も指で小突きながら怒りを露わにした。カーディナルはそれに深く頷くと、ため息をついて口を開いた

 

 

「クィネラはそれを開いた時、文字通り躍り上がった。まず自分の権限レベルを最大まで上昇させ、世界をコントロールするカーディナル・システムへの干渉を可能にした。そして次に、カーディナル・システムのみが持つ権限の全てを己に付与した。地形や建造物の操作、アイテムの生成。そして人間を含む動的ユニットの耐久性……つまりは」

 

「・・・天命の操作。天命による寿命の限界を突破したんだろ?」

 

「憎きことじゃ。完全なる管理者となったクィネラは齢80を超えていた消滅寸前の天命を全回復させ、続いて天命の自然減少の停止、容姿の回復を行った。まさに永遠の命。じゃがこの魔性の女は、それを手にしても己の欲望に満ち足ることはなかった」

 

「そ、それで満足しないって言っても、これ以上何すりゃいいんだ?世界の権限にアクセスして、あまつさえそれを手にして今さら何を…」

 

「許せなかったのじゃ。文字通り世界を手中に収めた自分と、同等の権限を持つ者の存在がな」

 

「・・・それはつまり、カーディナル・システムの存在すら邪魔だって思ったってことか?」

 

「然り。意識をもたぬプログラムさえも、彼女は排除を試みた。クィネラはカーディナルの権限を奪おうと考え、強大な神聖術を組み上げて唱えた。しかしその結果、カーディナルに与えられていた基本命令を己のフラクトライトに書き換え不可能な行動原理として焼き付けてしまった。権限レベルを奪うつもりが、カーディナル・システムと自らの魂を融合させてしまったのじゃ!!」

 

 

彼女の底知れぬ欲深さを語りながら、改めてその愚かさに腹を立てたカーディナルがテーブルに怒りの拳を叩きつけた。ダンッ!という音を立ててカップが少し揺れると、少女は慌てて眼鏡をかけ直して平静を装った

 

 

「すまん、取り乱したな。秩序の維持…それがカーディナルの基本命令であり存在意義じゃ。お主も同じシステムに制御された世界にいたことがあるなら分かるじゃろう。お主らプレイヤーの行動を常に監視し、バランスを見出すような事象を見つけるや否や容赦なく対処する」

 

「そんな人間に、いや…『人間ではない何か』にクィネラはなってしまったのじゃ。そして支配者にして管理者となった己の名を…公理教会最高司祭『アドミニストレータ』へと改変したのじゃ」

 

「・・・だから、絶対の秩序を保とうとするアドミニストレータが管理するこの世界の人達は、禁忌目録には絶対に逆らわない…あるいはアドミニストレータがそうプログラムした…ってことか?」

 

「いや、何かしらの先入観のようなものは存在するかもしれんが、プログラムされたということはあるまい。人工とはいえ、フラクトライトは生きた感情、魂そのものとも呼べる。その人工フラクトライトの、あまつさえアンダーワールドに住む全ての民の思考ロジックを操作するなど、たとえシステム・コマンドでも操作できるものでもないじゃろう」

 

「そうか…事情は分かった。だけどまだ俺は、アンタ自身の話を聞いてなかったな」

 

「そうじゃな。満を持してようやくワシの登場じゃ。この世界は絶対統治者アドミニストレータの管轄で、平和かつ無為な時代が続いた。しかし70年ほど経った時、彼女は記憶を保持するためのフラクトライトの容量がいつの間にか限界を突破しておったのじゃ」

 

「・・・言ってもどうせ、それも解決しちまったんだろ?なんせ管理者権限持ってんだから」

 

「その通り。記憶容量の限界という思いがけない事態に、さしものアドミニストレータも困惑した。しかし、それを悪魔的な方法で解決しようと試みた。アドミニストレータはある一人の少女を選び、その女子のフラクトライトに己がフラクトライトの思考領域と重要な記憶を上書き複写しようと考えたのじゃ」

 

「なっ!?」

 

 

カーディナルの言葉に、上条は思わず言葉を失った。それはつまり、紛れもない魂の上書き。他人の魂を物とも思わないアドミニストレータの残酷さに、上条は驚愕する他なかった

 

 

「そ、それってつまり…バックアップ取るってことだよな!?それを他人の魂の容量使ってやるなんて…許せねぇ!」

 

「アドミニストレータは悪魔の儀式、魂と記憶の統合を意味する『シンセサイズの秘儀』によりついに他人のフラクトライトを強奪することに成功した。じゃが、それがあやつの失敗じゃった。カーディナル・システムと自らの魂を融合させてしまった…もう今では決して取り返しのつかない一つ目の失敗に続く、二つ目の失敗じゃ」

 

「失敗…?」

 

「そうとも。なぜなら用意した少女に乗り移り、それまでの自分を処分するその一瞬だけ、同等の権限を持つ神が二人存在することになることを、あやつは完全に失念していたのじゃ」

 

「・・・なるほど、ようやく合点がいった。それがアンタだったのか」

 

 

これまでの話が全て腑に落ちたように上条が言うと、カーディナルは頷くことでそれに答えた。そしてフッと可愛い鼻息で笑うと、杖を手で回しながら語り始めた

 

 

「カミやん。お主ワシのオリジナルを知っておるのじゃろ?その特徴を申してみよ」

 

「と、特徴たって…俺そんな詳しくねぇんだけどな。まぁ知ってるのは、人間があんまり直にテコ入れせずに、ゲームのバランスを保って長時間稼働できるようにする…ってことぐれぇだよ」

 

「それで十分じゃ。そのためにカーディナルには、メインとサブ、二つのコアプロセスが存在しておる。メインプロセスがバランス制御を行っている間、サブプロセスが…」

 

「待った!分かりやすく!分からん!」

 

「・・・バカにも程がある」

 

「ほっとけ!」

 

「要するに、実際に仕事としてバランスを調整するメインという人格を長持ちさせるために、メインにエラーが出てないかチェックする、サブという人格がカーディナルには同居しておるのじゃ。だからクィネラが己のフラクトライトに刻み込んだのは、秩序の維持という目的を果たそうとするメインプロセスだけではなかったのじゃ」

 

「えっとつまり…じゃあアンタがその、アドミニストレータがかつて同化したカーディナルのサブプロセスの人格…?」

 

「うまく説明できたようじゃな。そう、ワシはあやつの中で『メインの過ちを正さねば』と反芻しながら、ずっとチャンスを待ち望んでおった。そして70年の長きに渡り、待ちに待ったその時がついに訪れた。ワシはこの少女の体にあやつのフラクトライトが乗り移ったその瞬間、決死の抵抗を試みた」

 

「じゃが同じ権限を有するとはいえ、この少女の幼い体とあやつの10代前後の若さを保った体では、一対一でヤツを倒すことが出来ないと、熾烈を極める神聖術の撃ち合いの中で悟った。そこでワシは万能のあやつでも管理の届かない二つの場所のうちの一つに逃げ込んだ。果ての山脈の向こう側であるダークテリトリーと、今ワシがこうしている大図書館じゃ」

 

「なるほど…それでアンタっていう本の虫…いや引きこもりが誕生したわけだ」

 

「・・・失礼なヤツじゃの。その本の虫がいなければ、さっきお主は逃げる暇もなく牢屋にぶち込まれたのかもしれんのだぞ?」

 

「じょ、冗談ですよ…難しい話をずっと聞くってのは、どうにも好きじゃないんだって」

 

 

上条のその言葉に、カーディナルがムッとして杖を構えると、上条は即座に両手を挙げて降参の意を示した。眼鏡少女は口の減らない少年に大きくため息をつくと、そのまま続けた

 

 

「・・・それからここで200年間、ワシは自分のフラクトライトの記憶を整理しながら、ひたすらに観察と思索のみを積み重ねてアドミニストレータに逆襲の一撃を見舞う方策を練った。じゃがそれはヤツとて同じこと。あの憎き女はワシの奇襲に備え忠実にして強力な手駒を揃えようと考えたのじゃ」

 

「それが、さっきのエルドリエや、アリスみたいな整合騎士か」

 

「左様。魂と記憶の統合という『シンセサイズの秘儀』によって、アドミニストレータは数ある素体の中からその第一号、『ベルクーリ・シンセシス・ワン』を生み出した」

 

「ベルクーリ…?ッ!ルーリッド村に伝わるお伽話の騎士と同じ名前だ!」

 

「そうじゃ。その英雄は大昔に禁忌を犯してカセドラルに捕らえられ、長らく凍結保存されておったのじゃ。じゃがその英雄の記憶さえもアドミニストレータは操作、改ざんして己への絶対的な忠誠を強いる『敬神モジュール』なるオブジェクトを頭部に埋め込んだ。見た目はこのくらいの、紫色の三角柱の水晶のようなものじゃ」

 

 

カーディナルはそう言いながら、小さな手で10センチほどの隙間を作ってみせた。そんな物を頭部に入れられて正気でいられる訳がないと、上条は思わず背筋を震わせた

 

 

「それを埋め込まれることにより、記憶を奪われた魂と、造られた記憶及び行動原理が統合され、新たな人格が形成される。教会とアドミニストレータに絶対の忠誠を誓い、人界の現状維持のみを目的として行動する超戦士…それをあやつは、『整合騎士』と名付けた」

 

「・・・つまり…俺が倒したエルドリエも本当は『召喚』されたんじゃなくて、四帝国大会を優勝した元の人間だった頃の記憶を奪われて、新しく人格を生成された…?でも、さっきその思考ロジックを操作することは出来ないって…」

 

「それは今や人口8万人にも及ぶ全ての人間の記憶と人格を改竄することは不可能じゃよ。じゃが一人の人間に、相応の準備と処理を施して神聖術を行使すれば、十分に可能な事なんじゃよ。なんならワシが今から似たようなモジュールを生成して、お主の脳髄にぶち込んでやろうか?」

 

「や、やめてくれよ縁起でもない…」

 

「まぁ、そうじゃな。話を戻すと、今やその整合騎士は31人まで増えた。31番目までの騎士ほぼ全員が、禁忌を犯すほどの強い意志を持つ者や、己の剣で四帝国大会を制した者、そういった教会にとって脅威になり得る可能性を秘めた人間を集め、あやつはその記憶と人格を改竄し、自らの駒として仕立て上げたのじゃ」

 

「そうだったのか…じゃあさっきのエルドリエは、アンタが四帝国統一大会の覇者だったって言ってたように、記憶を改竄される前から強い騎士だったのか…」

 

「その通り。そしてお主は、その強者揃いの整合騎士残り30人を蹴散らして、あの塔のアドミニストレータをぶっ飛ばす。そうじゃろ?」

 

「・・・ちょっと厳しそうだな…」

 

「別に一人で戦うのも悪くないのではなかったのか?例えに出していた、ドラゴンなんとかとかいうのはワシの知るところではないが」

 

「いやぁ…まぁ厳しい戦いにはなるだろうって想像はしてたが…認識が甘すぎたみてぇだな。つっても、他人の天命を減らす禁忌を犯せないこの世界の人には、どっちにしろ頼れそうもなかったから、一人でやるしかねぇとは最初から覚悟してたよ」

 

 

大した策も考えずに特攻した上条は、そこでようやく現状を正しく理解した。30人もの神器を持った凄腕の騎士、そして管理者権限を有するアドミニストレータを自分一人で打ち倒そうなど、どう考えても不可能に近いと悟った

 

 

「故に、ワシもこうなっては対アドミニストレータに向けて協力者を探さねばならんと思った。じゃが、禁忌目録を破れる人間などそう易々とは現れまい。故に出来るだけ遠くまで扉を開いて周囲に生息する虫や鳥に、感覚共有やその他を施して全世界に放っておいたのじゃ」

 

 

そう言ってカーディナルは微かな笑みを浮かべて指を鳴らすと、上条のツンツン頭の中から黒い粒のようなものが飛び出し、カーディナルの手のひらへと飛び移った

 

 

「うわっ!?何ごと!?」

 

「ほれ、可愛いかろう。名前はシャーロットじゃ」

 

「く、蜘蛛!?なにそれずっと俺の頭の中にいたので!?」

 

「・・・ずっと、というと少し語弊がある。こやつは2代目シャーロットじゃ」

 

「えっと…じゃあ初代さんは?」

 

「ルーリッド村を出てからずっとお主ら二人の言動を監視しておった。じゃがつい先日、自然現象を止めていた200年の天命を全うした。一週間前の夜にな」

 

「・・・悪かった」

 

「そう暗い顔をせずともよい。ワシとてお主が何者かは分からんが、見たところお主も自分の本質が何か分からんと言った様子じゃからの。監視役を学院にも配備しておいたことが功を奏した。それで御の字としよう」

 

「じゃあ、さっきT字路で俺を右に行かせたのは…」

 

「その通り。このシャーロットじゃ」

 

「・・・ありがとうな。先代にも礼を言っといてくれ」

 

 

そういうと上条は、少女の小さなの手の平にちょこんと佇む黒い蜘蛛に丁寧に頭を下げた。カーディナルはそれに少し笑うと、本棚の隅へと役目を終えた黒い小さな使いを放った

 

 

「えっと…話を戻すと、アンタはこの図書館に閉じこもったまま、200年も協力者を探し続けてたのか?」

 

「うむ。しかしそうして長きに渡って世界を眺めている間に、わしは思った。この世界を作った真の神たち…お主らのような外界の人間は、何故未だに偽りの神・アドミニストレータの統治を放置しているのか、とな」

 

「・・・たしかに。普通なら私的に管理者権限を持つフラクトライトなんて、放っとく訳ねぇよな。でもそれは別に気づいてねぇだけなんじゃあねぇのか?さっきの膨大なリストの中に、それを誤魔化す手段くらいはありそうだと思うけど…」

 

「無論、それも考えた。じゃがそれも構わんとするだけの結論に、この図書館のデータベースを参照していく中でたどり着いた。真の神たるこの世界の創造者は、この世界の人間達の真の幸せなど望んでおらん。むしろその逆じゃ。民達を万力でゆっくりと締め上げ、その負荷にどのように抗うかを観察しておる。現在も負荷は日に日に増し、いずれ最大の試練となる負荷実験の最終フェーズが訪れることじゃろう」

 

「さ、最終フェーズ?」

 

「その名も『最終負荷実験』。お主も知っておろう。人界の外側に何があるのかを。その世界こそ、民達に究極の苦しみを与えるべく作られた装置なのじゃ」

 

「ダークテリトリーの闇の軍勢のことか?たしかに、なんでそんなモンがあんだと常々思うところはあったが…」

 

「お主、実際に果ての山脈でそれと戦ったろう。その時のゴブリンは、この世界で禁じられとる殺人や傷害になんらかの引け目を感じているように見えたか?」

 

「・・・おい、まさか…アレはそういう風に作られたフラクトライトだとか言うのか!?あんな、明確な悪意を持ったモンスター達まで…俺たちと同じ魂が根底にあるのか!?」

 

 

上条は自分の予感を、震えながらもなんとか言葉にした。そしてその問いかけに、目の前の少女が頷いてほしくないと心の底から思った。しかし無情にも、カーディナルはゆっくりと上条に頷いて言った

 

 

「外観こそああじゃが、人間と同じフラクトライトに殺戮と強奪の行動原理を付与されておるのじゃろう。そしてその怪物達が人界人の領土に攻め入り、暴虐の限りを尽くすその日を今か今かと待ち望んでおる。おそらくそう遠い未来の話ではないぞ」

 

「そ、そんなことして一体何の意味が…ってのは、外界のヤツにしか分かるわけねぇな。じゃあアドミニストレータは、そのことをもう知ってんのか?」

 

「知ってはおるが、あやつは己の力と整合騎士のみで闇の軍勢を問題なく撃退できるとタカを括っておる。貴重な戦力となる東西南北の守護龍すらも、己の操作が効かぬという理由で屠ってしまった程にな。だがあやつらの戦力では到底無理じゃ。絶対数が少なすぎる」

 

「ってことは、アドミニストレータを倒そうが倒すまいが、この世界は変わらないんじゃねぇのか?」

 

「残念なことじゃがな。故にワシは唯一の結論に至った。アンダーワールドを人界もダークテリトリーも全てまとめて無に還す。ライトキューブに保存されている全てのフラクトライトを削除するのじゃ。人界の民の者も闇の民の者も一つ残らず…な」

 

 

世界を無に還す。カーディナルのたどり着いた結論に、上条は背筋を凍らせた。そんな恐ろしいことを、こんなにもあっさりと口に出来る人間と相対していることに、上条は計らずも生唾を飲み込んだ

 

 



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第39話 武装完全支配術

 

「ちょ、ちょっと待て!それってつまり、この世界の全員を最初からなかったことにするってことだよな!?そ、そりゃ流石にないだろ!?そうなったら今生きてる皆は……!」

 

「安心せい。その辺りはちゃんと考えておる。お主がワシに助力し、アドミニストレータを排除してワシが全権限を取り戻せたら、この世界を消滅させる前に、限定的ではあるがお主の望みを叶えてやろう」

 

「お、俺の望みを叶える…?どういうことだ?」

 

「助けたいと思う者を指定すれば、その者達のフラクトライトは消去せず凍結させたまま残しておいてやろう。そうじゃの…10個くらいであれば外部世界に脱出した後、彼らのライトキューブを確保することもできよう」

 

「ッ!?俺に選べってのか…?今までこの世界で出会った人の中から…たったの10人ぽっちを…?」

 

 

それは、上条にとって悪魔の誘いだった。ユージオやリーナ、ティーゼ、ロニエといった出会った全ての人達の顔が脳裏をよぎる。その中から10人を選べと言われて、上条はその考えそのものを払拭するようにテーブルに拳を叩きつけて立ち上がった

 

 

「ふざけんな!俺は死んでもそんなことはしねぇ!その為の助力なんかしねぇぞ!一人で何もかも片付けてやるからテメエはそこで見てろ!俺は絶対に諦めねぇからな!アドミニストレータをぶっ飛ばして、全員を救ってみせる!必ずだ!」

 

「分かった分かった。少し落ち着け。あくまで次善の策じゃ。闇の軍勢の侵略が始まるのも、そんなにすぐの事ではない。それからどうするかはそこから考えればいい。ともかく当面の目的は、アドミニストレータの排除。ワシとお前は、一先ず助力し合うだけの価値があると思うが?」

 

「あのなぁっ!……いや、悪かった。カーディナル・システムのサブのアンタは、そういう考え方しか出来ねぇんだよな…200年もそのためだけにここで待ち続けたんだ。その末にたどり着いた策を、一方的に蹴飛ばすのは冷静じゃなかったな」

 

「ワシの方こそ、言い方が悪かった。じゃがお主の言う通りでもある。ワシにとってはアドミニストレータの排除と、世界の正常化という利益と望みが全てじゃ。ワシにとって正常な世界とは、完全なる虚無に還すことでしかもう実現出来んのじゃよ。故にワシは…いや違うか。ワシにもたった一つ欲望がある。この200年でどうしても知りたかったことが」

 

「あ?なんだよ、今自分で全てだって言ったばかりじゃねぇか?どんな望みなんだ?」

 

 

上条がカーディナルにそう訊ねると、カーディナルは急に頬を赤らめてもの寂しげにもじもじと動き始めた。そんな彼女の様子に上条が首を傾げると、カーディナルは諦めたようにため息を吐いてから上条に向き直った

 

 

「・・・カミやん、立て」

 

「え?もう立ってるけど」

 

「そ、そうじゃったの…では、もっと前に」

 

「・・・?ほい」

 

 

どこか気恥ずかしそうに言うカーディナルに、相変わらず首を傾げながら上条はその場から一歩前に出た。そんな彼の態度にカーディナルは心底むしゃくしゃしたように帽子の上から頭を掻き毟ると、自分も椅子の上に立ちながら言った

 

 

「ええいっ!監視しとる時からいつも思っとったが、お主は本当に鈍いやつじゃな!ワシの前に!来いと言っとるんじゃ!」

 

「い、いきなりダメ出しされる意味が分からないんでせうが…分かったよ。ほれ、来てやったぞ」

 

「・・・両手を広げよ」

 

「こうか?」

 

「そんな『Why?』みたいな広げ方なんぞ誰も望んどらんわ!ええいっ、もういいっ!自分でやる!」

 

「うおっ!?」

 

 

そう言ってカーディナルは、一応ガラ空きになった上条の胸の中に飛び込んだ。上条は突然の出来事に心底驚いたが、やっと彼女の両手を広げろという意味を解釈すると、彼女を抱くように背中に手を回した

 

 

「あ、あの…カーディナル…さん?」

 

「・・・あぁ…これが、人間であるということか。温かいな。やっと…やっと、報われたんじゃな。私の200年は…間違いじゃなかった。この温かさを知れただけで、私は満足じゃ…十分に」

 

「そうか…アンタ、寂しかったんだな。そりゃそうだよな…200年もこんな場所で、ずっと一人ぼっちで戦い続けてたんだ。悪かったよ、あんなこと言って。分かった、俺はアンタに協力する。そんで、アンタも笑って帰れる世界を、必ず掴み取ってみせる」

 

 

そう言うと上条は、人の温かみに触れて涙を流すカーディナルを改めてそっと抱きしめ返した。それからしばらくして、カーディナルがするりと彼の胸元から抜け出すと、小さく咳払いして賢者の風格を取り戻して言った

 

 

「で、じゃ。ここからは具体的な作戦に移るが、整合騎士は殺さずに倒そうと思えるほど簡単な相手ではないぞ。その覚悟はお主にはあるか?」

 

「あぁ。ここに乗り込んだ時から、それはもう分かってる。そう言いつつここまでは誰も死なせてないわけだが、いざとなったらそういう覚悟は出来てる」

 

「ならばよい。じゃが、お主の考えておることはお見通しじゃ。アリスと戦うことになった時は、どうにかしてユージオのために記憶を元に戻してやろうと考えておるのじゃろう?」

 

「うっ…そ、それは…」

 

「残念じゃが、一筋縄ではいかんぞ。そうするにはまず、整合騎士の頭から敬神モジュールを引っこ抜くか、破壊せねばならん。そしてその為には、まず相手の過去の記憶を激しく揺さぶってモジュールを露出させねばならん」

 

「え、そんだけか?なぁんだ、案外簡単そうじゃ…」

 

「そしてそこに、本来あった物を戻さねばならん。つまり整合騎士にとって一番大切な記憶の欠片じゃ。それらを抜き取ったアドミニストレータは間違いなく自室、セントラル・カセドラル最上階に保管しておるはずじゃ」

 

「・・・ってことはやっぱり、アドミニストレータを倒さなきゃどうにもならんってことか」

 

「ので、そんな時のためにこれをお主に渡す」

 

 

そう言うと、カーディナルはだぼだぼのローブの袖口から柄頭のある小さなナイフのような物を二本取り出し、上条に手渡した

 

 

「なんだこれ?」

 

「それに刺された者はわしとの間に切断不可能な経路が接続される。つまり、ワシの用いるあらゆる神聖術が必中となるわけじゃ。一本は無論アドミニストレータに、一本は騎士アリスに刺せ。その瞬間にワシの術で深い眠りに誘おう」

 

「分かった。じゃあ、コイツに『右手』は使わねえ方がいいな」

 

「・・・そうじゃ、それも聞こうと思っておった。お主がエルドリエの神聖術を打ち消したカラクリ、アレは一体どうなっておる?」

 

「あぁ。アレはイメージの力…って言って分かるか?」

 

「うむ。『心意』の力じゃな。この世界ではフラクトライトに自分が思い描く力を強く思うと、それを現実に昇華させる力がある」

 

「心意…そう呼ばれてるのか。えっと、俺はそれを使ってるんだ。現実世界の俺の右手は『幻想殺し』って言って、魔術や超能力みたいな異能の力に触れると、たちまちそれを打ち消しちまうんだ。だから、戦う時は『俺の右手は幻想殺しだ』って強く思い描くんだ。それを一週間特訓した末に、ようやく形になった」

 

「なるほど。それで自らが異能の力だと判断した神聖術を、右手が触れた瞬間に打ち消したということか。それはおそらく、お主の中に焼きついた本能のようなものだろう。そういう力の方が、心意には現れやすい」

 

「・・・じゃあ、ウンベールとライオスとの事件があったあの夜、俺の右腕から出てきた『何か』は、つまるところ心意で起こる現象の一つ…ってことになるのか?」

 

「いや、ワシはそうは思わん。その根拠は天命の損害という禁忌目録違反に対して、ユージオだけが連行され、お主は連行されなかった点じゃ。おそらくお主の右腕から出てきた『何か』は、お主の拳による打撃や、ユージオの青薔薇の剣による斬撃、その他の単純な攻撃手段としてライオスの天命を全損させたのではないのじゃろう。無論、神聖術でもなく、そして心意でもなかった」

 

「まぁ所詮は憶測に過ぎんが…あの『何か』は、名実ともにカーディナルであるワシでも、アドミニストレータですら知り得ない、この世界のシステムでは認知、ないし識別できぬ方法でライオスを殺したのじゃ。故に、お主は禁忌目録違反にはならなかった…まぁ、ワシの視点で考えられるのは精々こんなところじゃの」

 

「・・・結局は分からずじまいってことか…まぁ、それはもう気にしないことにする。元からあの力を頼りにしようとは思ってなかったからな。色々と自分でも謎は多いんだけど…とりあえずは安心してくれ。この世界じゃ戦う時以外は普通にしてればただの右手なんだ。このナイフを使う時も、イメージを切るか左手を使えば、何も問題ないと思う」

 

「それで良かろう。では次に、整合騎士と対等な装備を与えてやろう。カミやん、お主の剣を出せ」

 

「え?与えるって言ってる割には俺のを使うのか?」

 

「いいから、剣を鞘から抜いてみよ」

 

 

そう言われた上条は渋々背中の鞘から剣を引き抜くと、カーディナルに差し出した。そしてカーディナルは、大男のサードレでも1メル持ち上げるのが精々だった翡翠色の剣を片手に取り、それを杖で小突くと剣が一瞬で姿を消してしまった

 

 

「なあっ!?お、おい何やって…!」

 

「これで良いのじゃ。『武装完全支配術』の術式を組み上げるには、剣が目の前にあるとかえって不都合なんじゃ」

 

「武装完全支配術…?」

 

「うむ。整合騎士エルドリエの鞭を見たじゃろう?ヤツの神器『霜鱗鞭』は、双頭の白蛇をアドミニストレータが生け捕り、武器に転換したものじゃ。しかし物言わぬ鞭となった後も、双頭の蛇の素早さ、鱗の鋭さ、狙いの正確さといった記憶やパラメータは残存する。武装完全支配術とは、言うなれば『その武器の記憶』を全開放することで、その神器に秘められた本来の超攻撃力を実現するものじゃ」

 

「へぇ、なるほど…でも俺の剣はそんな生き物じゃなくてただの水晶だぜ?解放するような記憶なんてあんのか?」

 

「ある。今からワシが施す術式は、端的に言えば武器の素材に由来する記憶を後天的に植え付けるものじゃ。先ほど渡したワシの短剣が良い例えじゃ。アレは元々ワシの髪であったという記憶すなわち性質を保持しているからこそ、完全支配術と同様のプロセスによって、攻撃が成功した瞬間ワシとの間に経路を開けるのじゃ」

 

「なるほど…まぁ髪を神器にするよりかは剣を神器にしたいわな。つまるところ、剣固有の必殺技みたいな神聖術をアンタが付与してくれるってことだろ?そりゃ大いに有難いこった。どんな技なんだ?」

 

 

上条が笑いながら訊ねると、カーディナルはそれとは比較にならないほどの険しい表情と怒鳴り声で上条に杖を突きつけながら言った

 

 

「馬鹿者!甘えるでない!術式そのものはワシが記述してやるが、どのような攻撃術とするか決めるのはお主自身じゃ!」

 

「え、ええっ!?」

 

「武装完全支配術の精髄、『記憶解放』を行うには術式を唱えるだけでは足りぬ。持ち主が愛器の解き放たれた瞬間を強くイメージ…想起する必要があるのじゃ。むしろ完全支配術よりも、想起のプロセスの方がより核心的な力と言える。なぜならイメージの力…すなわち先も言った心意こそ、世界の根源の理じゃからな」

 

「要するに、剣が持つ真の力を自分でイメージしろってことか…参ったな。右手ならともかく、剣にそんな強い印象持ったことねーぞ俺……」

 

「ないから良いのじゃ。実物や固定観念に囚われてはイメージがそこで止まってしまう。剣に秘められた記憶に触れ、寄り添い、解き放つには心の眼があればそれで足りる」

 

「心の眼…ね。分かった、とりあえずやってみる。イメージの力はこの一週間特訓したから、それなりに形にはなると思う」

 

「うむ。では眼を閉じよ。そして己の剣をイメージして剣の記憶、存在の本質に触れるまで深く、深い記憶の底まで潜るのじゃ。ワシがよいと言うまで辞めてはならんぞ」

 

「あ、あぁ…こうか?」

 

 

そう言って上条は眼を閉じると、先ほどカーディナルによって消されてしまった翡翠色の剣の姿をイメージした。透き通った刃、スラリと輝く柄頭、そしてその柄を自らが握る瞬間に至るまでを強く想起した

 

 

(って言ってもなぁ…この剣が水晶だった頃の記憶なんて俺には分かんねぇし…俺にとってはあの剣はSAOで使ってたイメージ…が……)

 

 

そこまでイメージして、上条の中のイメージが剣の本質の記憶…否、上条にとっての剣の記憶へとすり替わった。その剣は偶然と言うには、あまりにも似通っていた。かつて鋼鉄の城を共に戦い、最後の最後までその手にしていた剣を忘れられるハズがなかった

 

 

「・・・よし、もういいぞ。お主の剣の記憶はワシが確かに……ッ!?」

 

「・・・どうした?」

 

 

上条がカーディナルにそう言われて目を開けると、そこにはいつの間にか翡翠色の剣を手に持ったカーディナルがいた。しかし彼女は、まるで吐き気を催したようによろめいて、信じられない物を見るような目で透き通った剣の刃を見つめていた

 

 

「お、お主…この剣に一体何をイメージした!?」

 

「えっ?な、何って言われても…」

 

「有り得ぬ…これでは素材の記憶どころか、この世界の記憶すら…こんな力を解放したとして、この世界のデータ領域が耐え切れるかどうか……」

 

「お、おい。とりあえず成功したってことでいいんだよな?ちゃんと俺は武装完全…なんとかっての使えるようになったのか?」

 

「・・・よいか?確かに武装完全支配術は完成し、術式も出来た。これによりこの翡翠色の剣は今までよりも強力な武器になった。しかしお主は、この剣を安易に完全支配状態にしてはならん。使っても良いのは、もうどうしようもなく後がなくなった…ここぞ、という瞬間に一度だけじゃ」

 

「え?せ、整合騎士は残り30人もいて、アドミニストレータも倒さなくちゃならねぇのに、使っていいのは一回って…採算合わなすぎでは…」

 

「そうだとしてもじゃ。元より完全支配術はその剣の天命と神聖力を大きく消耗する。時間を置いてこの剣の天命と神聖力が回復するまで、二度は使ってはいかん。もし連続して二度使うようなことがあれば、この剣の天命が全損するのは当然として、その後に何が起こるかワシにも予想がつかん」

 

「・・・本当に役に立つのかそれ?なんだったら使わないに越したことはない…いわゆる諸刃の剣ってことだよな?」

 

「まぁそうとも言えるな。じゃが、こうなってしまっては仕方ない。とりあえず、コレはお主に返す。そしてコレが術式の式句じゃ」

 

「お、おう…げっ!?コレ覚えろと!?俺が今まで習ったどんな神聖術の詠唱より長ぇぞ!?」

 

 

上条はカーディナルから翡翠色の剣を受け取って鞘に収めると、続いて彼女が差し出した羊皮紙に似た手触りの紙を受け取った。するとそこには、軽く10行にも及ぶ神聖術の式句が羅列されていた

 

 

「制限時間は30分。よく覚えるのじゃぞ。ユージオを救いたいのなら、もうあまり時間はないと見ねばならん」

 

「えっ…ゆ、ユージオの身に何かあったのか!?」

 

「つい先ほどな。お主のシャーロットと同じように、彼につけておいた監視と連絡が取れなくなった。おそらく事態は悪い方向へと動き出している。一刻も早くお主がセントラル・カセドラルの100階まで登らねば、手遅れになるやもしれん」

 

「ひゃっ…!?いや、泣きごと言ってる場合じゃねぇな。分かった、じゃあ30分後に俺をここから出してくれ。あ、それとあの花の迷路の地図とかあると有難いんだが……」

 

「馬鹿者。さっきバックドアの通路を消しているところをお主も見ていたろ」

 

「あっ、そうだった…じゃあ俺はどっから出りゃいいんだ?」

 

「ワシの開いたバックドアの中に、カセドラル本体の3階に通じているモノがある。それを使うといい。実質それが100階まで登る最短ルートじゃ」

 

「さ、三階で最短か…まぁ、贅沢は言えないな。分かった、とりあえずはそれで行くぜ」

 

「うむ。ではワシも色々と準備がある。30分経ったらそこの通路を抜けた先に来い」

 

 

そう言ってカーディナルと上条は一旦別れると、上条は30分間ひたすら紙に記された呪文を暗唱しながら、自分の戦う決意をより一層強固なものにした

 

 

「・・・よし、今行くぞ。ユージオ」

 

 

誰に聞かせるわけでもなく強く呟くと、上条は腰掛けていた本棚から腰を上げ、カーディナルに指示された通路を渡った。するとそこには、微かな輝きを放って佇むドアの前に立った世界の管理者がいた

 

 

「・・・支配術の式句は覚えられたか?」

 

「そうだな…深呼吸して気合い入れれば、二回に一回はつっかえずに言えるくらいだ」

 

「よい。では最後にもう一つ大切な術式をお主に教える」

 

「まだあんのかよ…俺もう完全支配術だけでいっぱいいっぱいだぜ…」

 

「元々はお主が覚えられなかったら教えんでもいいと思っていたんじゃが、形にはなったというのなら、お主の完全支配術に必要な残りの一節を教える」

 

「残り一節?アレで完成じゃないのか?」

 

「武装完全支配術には二つの段階がある。『強化』と『解放』じゃ。エルドリエの鞭を例に出すと、強化で鞭が伸び、解放で鞭が蛇へと変化した」

 

「あぁ、そういやなんか言ってたな…」

 

「本来はこの強化の段階だけで十分な威力を発揮するんじゃが、お主の場合は違う。強化だけでは意味がないのじゃ。お主の付与したイメージは記憶の解放を前提として組まれておる」

 

「それはつまり…俺の場合、強化するために神聖術は唱えるけど、その先の解放までしなきゃ真の力は発揮できませんよー…ってことか?め、面倒な…」

 

「じゃからお主の場合、本当にないものとして考えてよいのやもしれん。じゃが本当に必要になった時に、完全支配術で己の剣を強化した時にお主はワシが言わんとしている全てを察するじゃろう。それでも記憶の解放を選ぶのならば、先ほどの術式を全て詠唱し、強化に成功した後にこう唱えるのじゃ」

 

「『リリース・リコレクション』…とな」

 

「リリース・リコレクション…」

 

「これでワシから教えることはもう何もない。それと、これは弁当じゃ。蒸し饅頭が四つほど入っておる。まじないをかけてある故、食えば少しは傷も癒えるし天命も回復するじゃろう。100階まで登るまでに腹が減ったら食え。腹が減っては戦はできん」

 

「おっ、何から何まで悪いな。正直弁当が一番ありがてえや」

 

「ゲンキンなやつじゃの。ワシのナイフの方がよっぽどありがたいじゃろうに。まぁよい」

 

 

最後の教えを呟く上条に、カーディナルは小さな紫色の布で包んだ弁当を手渡した。上条はそれをズボンのベルトに巻きつけると、上着の裾を持ち上げて弁当を懐に隠した

 

 

「それでは…行くのじゃ!カミやん!己の道を信ずるままに!」

 

「・・・あぁ!」

 

 

上条は、カーディナルの開いた扉へ続く階段を一段、もう一段と踏みしめながら登った。そして輝く扉を引くと、その光の先へと進んでいった

 



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第40話 紅の騎士

 

「ここは…武器庫か何かか?」

 

 

カーディナルが開いたドアをくぐった先は、明かりも灯っていない薄暗い武器庫のような場所だった。上条がまだ暗闇に慣れていない目を凝らしてみると、そこには剣はもちろん槍、鎧、盾といった様々な高パラメータを誇るであろう武具が揃っていた

 

 

「・・・いい盾だけど、おやっさんのほどじゃねぇな」

 

 

上条は、そこに立てかけてあった純白の塗装がなされた円形の盾に手をかけながら呟いた。おそらく天命やオブジェクト権限はその盾の方がいくらか上だろうが、上条は決してサードレの作った背中の盾を手放すことはなかった

 

 

「にしても、なんでこんなに武器を…って考えるまでもなかったか。アドミニストレータは軍隊を作りたいんじゃなくて、作らせたくなかったんだろうな。公理教会の権利を脅かされかねないから…」

 

 

ようやく暗闇に慣らされた目で武器庫を眺めながら上条が先に進んでいくと、突き当たりに周りの大理石とは違う色で塗られた二枚扉の取り付けられた出口があった。それを見た上条は咄嗟に周囲を確認すると、なるべく足音を立てないように小走りで扉の前に走り寄った

 

 

「・・・物音はしないな。よし……」

 

 

その壁にピッタリと貼り付いて向こう側に何も気配がないのを確認すると、二枚扉の右側の手すりに手をかけ、自分の体で扉を押し込みながら慎重に開いていった…その時だった

 

 

「うおっ!?」

 

 

シュカカカカッ!という鋭く空気を割く音と共に上条の頬を4本の矢が掠め、そのまま武器庫の床に突き刺さった。矢が打ち込まれた扉の先にはどこぞの城のような絨毯が敷かれた大階段が広がっており、それを上がった先の踊り場に、昨夜の庭園で同じ弓を射掛けてきた紅の鎧を纏った騎士が立っていた

 

 

「出てこい侵入者!騎士エルドリエを堕落させた罪!ここで貴様に贖ってもらうぞ!」

 

「おいおい、まるで俺がここから出てくるの分かってたみたいな風じゃねぇかよ…!?」

 

 

紅の騎士は頭部をすっぽりと覆った兜越しに叫ぶと、その弓にまた4本の矢を番えた。上条は弦がキリキリと張る音を微かに感じ取ると、背負った盾を左手に持って革の取っ手を固く握った

 

 

「またお得意の弓か…!悪いけど、こっちはお前の独壇場にハナっから付き合うつもりはねぇ!システム・コール!ジェネレート・ルミナス・エレメント!」

 

 

上条は叫びながら神聖術を唱えると、右手の指先に三つの光素を出現させた。そしてそれを扉の隙間に向かって軽く放ると、自分の視界を盾で遮ってから再び声高に叫んだ

 

 

「バースト・エレメント!」

 

「むっ!?」

 

 

上条がそう叫んだ瞬間、三つの光の球が激しい光を放って弾けた。その瞬間、攻撃を仕掛けてくると考えた紅の騎士は、反射的に番えた4本の矢を放ったが、全く狙いを絞れなかったその矢は全て床に突き刺さった。それを好機と見た上条は勢いよく扉の裏から飛び出し、次の矢を番える前に紅の騎士との距離を詰め切ろうと懸命に走った

 

 

 

「下らぬ真似を」

 

「ーーーッ!?」

 

 

しかし紅の騎士が矢を番える速さは上条の予測を大きく上回っており、上条が階段を登り切る前に一本の矢が放たれた。上条はそれを盾を振って弾き飛ばすと、弾き飛ばされた先で神聖術により火の属性を付与された矢そのものが爆発した

 

 

「お、おいおい…爆発とか…GGOじゃねぇんだぞここは…!」

 

(だけどそれ以上に、矢を番えるスピードが早すぎて近寄れねぇ!こうなったら、相手の矢が尽きるまでひたすら避けるか盾で防ぐしか…!)

 

「では、これで」

 

「は、はあっ!?」

 

 

その光景に、上条は思わず目を疑った。彼から見てまだ階段の10段先にある踊り場に立つ騎士は、背負った矢筒に残った全ての矢を束にしてまとめて番えていた。普通であればまともに打てないとは分かっていても、優に30は超えているであろうその矢の本数に圧倒された上条は一気に階段から飛び降りた

 

 

「クソッ!」

 

 

ビンッ!と空気が鳴った。その瞬間、一本の糸にはあまりにも酷な過負荷に紅の弓の弦が中央から途切れたものの、騎士が番えた30を超える矢の全てが雨のように上条に向かって降り注いだ。上条はその弓の性能と騎士の膂力に目を疑いつつも、全ての矢を盾で受けては盾の天命が保たないと判断するや否や、可能な限りまで神経を研ぎ澄まし、矢が一番散漫として飛んでいる左端へと駆け出した

 

 

「うおおおっ!!」

 

 

動体視力を極限まで冴え渡らせ、上条は必死に体を捻りながら矢から身を逃した。そして前に転がりながら避け切ったと思った瞬間、右足の指の隙間に矢が一本突き刺さった

 

 

「あ、ははっ…靴の底まで切れてやがる…流石に今のは肝が冷えたぜ。けど、自慢の弓の弦が切れちまったみてぇだな?それに矢もない。降参して道を開けてくれるとありがたいんだけどな」

 

「神の従者である整合騎士が、自ら膝をつくなどあり得ん。それと一つ、その蛮勇を評して忠告しておいてやろう」

 

「忠告…?」

 

「弦も切れ、矢もないと言ったな?それが普通の弓であれば、貴様にそれ以上の射撃が来ることはあり得まい。しかし整合騎士の武具もまた、ただの武具であることはあり得んっ!」

 

 

凄みのある声で叫ぶと、紅の騎士は弦の切れた弓を高々と掲げた。そして弧を描いた紅の弓が火を灯したように赤く煌めいたその現象に、上条はエルドリエの鞭が伸びた瞬間を彷彿とさせた

 

 

「システム・コール!エンハンス・アーマメント!」

 

「ッ!?武装完全支配術…!」

 

 

紅の騎士はあっという間に長文の式句を詠唱すると、支配術の最後の一文にたどり着いた。その瞬間、弓から燃え上がるような火焔がメラメラと燃え猛り、紅の騎士の鎧をまるごと包み込んだ

 

 

「こうして『熾焔弓』の炎を浴びるのは実に二年振りだ。成程、騎士エルドリエ・サーティワンと渡り合うだけの技量はあるようだな、咎人よ」

 

「お褒めに預かり光栄だけどよ、暑くねぇのかそれ。アンタ、整合騎士になる前は暖炉が天職だったんじゃねぇの?」

 

「何をバカげたことを…整合騎士になる前だと?我らに過去など存在しない。冗談のつもりでも到底笑えるものでもない」

 

「・・・少しでも、思うところがあるなら聞かせてくれ。本当に何も覚えてねぇのか?整合騎士になる前の自分の天職でも、住んでた場所でも、友達でも、なんでもいい。本当に何か思い当たる所はねぇのか?」

 

 

互いの距離は離れていつつも、神妙な面持ちで上条は訊ねた。紅の騎士は兜を被っているため、どれだけ真剣な視線を向けても、その騎士の表情を窺い知ることは出来ない。しかし、少なくともその整合騎士が怒りに顔を歪めているであろうことは、次に騎士から放たれた叫びから読み取ることが出来た

 

 

「・・・実に無駄な問いかけだな。我らは天界より召喚されたその時から!常に高貴なる整合騎士である!騎士になる前の記憶など断じて持ち合わせてはおらぬ!」

 

「本当に何も知らねぇんだな…分かった。いいぜ!そこまで言うってんなら、俺がテメエのその兜を叩き割って、テメエの記憶が蘇るまで殴り続けてやる!」

 

「戯言を!生かして捕らえろとの命故に貴様を消し炭にはせずにおいたが、こうして熾焔弓を解放した以上は、腕の一本、骨の一片も残らず焼け落ちると覚悟せよ!」

 

 

炎に包まれた紅の騎士が右手を本来弓の弦があった場所に据えると、熾烈な焔が矢の形となった。騎士はユラユラと燃える焔を右手と共に弓に当てがうと、その猛炎が矢そのものであるかのように引き絞った

 

 

「弦が切れようが矢が切れようが関係ありませんってことか…上等ッ!」

 

「笑止!貫けいっ!!」

 

 

紅蓮の騎士の右手から、熾焔の矢が離れた。陽炎のようにゆらゆらと揺れる火矢は、瞬く間にその姿が炎を纏った猛禽のように変化し、周囲の空気すらも燃やしつつ壮絶な火花を散らしながら上条へと襲いかかった

 

 

「ぐっ!?あああああっっ!?」

 

 

襲い来るその嘴を、上条は心意の力を宿した右手の掌、あらゆる異能を殺す右手で受け止めた。しかし紅の騎士が放った火矢の威力は、彼の想像の遥か上を行き、幻想殺しとなった右手でも受け止めることが精一杯で、打ち消し切るには至らなかった

 

 

「馬鹿め!自らその右腕を焼け落とすがいい!」

 

 

右手から漏れ出した火の粉が、上条の衣服の端々をチリチリと燃やし始めた。現実や仮想世界のスキルにおける上条当麻の幻想殺しには、無効にできる異能の力のリソースに絶対の限界がある。つまり、その処理限界を超えた異能の力は彼の身体へと到達してしまう

 

 

「・・・負けられねぇ…!この先には、俺が倒さなくちゃならねぇ敵が…俺がぶち殺さなくちゃならねぇ幻想が…ユージオが、アリスが、俺が助けたい誰かがいるんだ!」

 

「ぬ、ぬうっ…!?」

 

 

しかし、このアンダーワールドは例外である。この世界ではそもそも上条の右手に幻想殺しは宿っておらず、彼が右手を幻想殺しだとイメージし、打ち消せる異能の力だと定義したものを打ち消す。つまり上条の意志の強さが、そのまま打ち消せるリソースの限界へと変換されるのだ

 

 

「俺はこんなところで…まだたった二人目のテメエで!足踏みしてる暇はねぇんだよ!」

 

 

自分の右手は、この莫大な炎という幻想を殺すことが出来る。上条がそれを明確なまでにイメージしきった瞬間、焔の鳥は甲高い音を発しながら跡形もなく崩れ去り、上条は眼前に舞い散った火の粉を振り払いながら、右手で強く拳を握って紅の騎士へと続く階段を駆け上がった

 

 

「な、なんだとっ!?」

 

「うおおおおおおおっ!!!」

 

 

紅の騎士が立つ踊り場の三段手前の階段を、上条は左足で踏み切りながら飛び上がった。そして宙に浮かんだ体を限界まで捻りこみ、騎士の顔面めがけて右拳を振り抜いた

 

 

「ぐあああああっ!?」

 

 

ビキィッ!という音を立てて、兜の面にヒビが入った。上条の渾身の一撃にたまらず吹っ飛んだ騎士は、弓を手放しながら大理石の壁に体を叩きつけられ、上条は両足と左手を突いて着地した。そしてすぐさま紅の騎士へ翡翠色の剣を抜剣しながら駆け寄り、その首元に刃を突き付けた

 

 

「諦めろ。弦が切れようが矢が切れようが関係ないだろうが、流石に弓そのものがなきゃどうしようもねぇだろ」

 

「ぐうっ…よもや我が熾焔弓の炎が、咎人の気迫に気圧されるとは…見事也。人界の端から端まで、その果てを越えた先まで見てきたつもりでいたが…世にはまだ我の知らぬ技があったのか。さぁ、遠慮なく我が首を切り落とすがいい」

 

「・・・いや、いいよ。俺はお前の首なんていらねぇ。もう戦う気がないなら、それでいい」

 

 

そう言うと上条は紅の騎士の首に突きつけていた剣を背中の鞘へと戻し、左手の盾を背負い直した。そして続く階段を登ろうと踵を返した時、紅の騎士が上条に声をかけた

 

 

「待て、咎人よ。願いが二つある。一つは、その名を教えてほしい」

 

「・・・カミやんだ。姓はない」

 

「咎人カミやんよ。カセドラル50階『霊光の回廊』にて、次なる複数の整合騎士が貴様を待ち受けている。生け捕りではなく、天命を消し去れとの命を受けてな」

 

「え?お、おい騎士のおっさん。そんなこと教えて大丈夫なのか?」

 

「アドミニストレータ様の御命令を完遂できなかった以上、我は騎士の証たる鎧と神器を没収され、無期限の凍結刑となろう。そのような辱めを受ける前に、貴様の手で天命を絶ってほしい。我…整合騎士、『デュソルバード・シンセシス・セブン』を…これが二つ目の願いにして、騎士である私の最期の願いだ…」

 

「で、デュソルバード…!?じゃあ、アンタがアリスを連れ去った整合騎士か!?」

 

「・・・何?サーティを…我が連れ去った?そ、そのような…我はそのようなことをした覚えはない!」

 

 

そこでデュソルバードのひび割れていた面が、ピキピキと乾いた音を立てながら完全に崩壊した。今まで兜の下に隠れていた彼の驚きに満ちた表情と、言葉の震え具合から、上条は彼がアリスを連れ去った後に記憶を上書きされたのだと悟った

 

 

「そうか、やっぱりアンタは…悪い。アンタの素性について、俺はそんなに詳しくねぇ。だけどアンタは8年前、北にあるルーリッド村で整合騎士になる前の11歳だったアリスを鎖に繋いで連行したんだ。そして多分その後に…自分が連れてきた罪人が仲間の騎士として現れたら都合が合わないってんで、アドミニストレータに記憶を上書きされた…ってことだと思う」

 

「我が11歳の少女を…?そして、記憶を上書きとは…貴様、一体何を…?」

 

「アンタは、最高司祭様に召喚された神の騎士じゃないんだ。記憶を操作されただけで、元は俺たちと同じ一人の人間なんだよ。残りの整合騎士も、全員がそうだ」

 

「我らが其方と同じ、人界の民だと?信じられん…最高司祭猊下が…我にそのような術を…」

 

「信じらんねぇだろうけど、それが真実なんだ」

 

「う、嘘だ…我は…い、いや…私は…!」

 

「嘘なんかじゃねぇ!どれだけ否定しても、アンタの中にも何か残ってるモンがあるはずだ!どんな術式でも消しきれない大切な記憶ってヤツがあるハズなんだ!その記憶を、大切だった何か思い出せよ!そうでなくちゃアンタは、いつか人ですら無くなっちまうんだぞ!?」

 

 

上条が語尾に力を入れながら、頭を抱えるデュソルバードの脳から記憶を呼び起こすように懸命に呼びかける。熱の込められた声に突き動かされるように、デュソルバードはやがて絞り出すような声を漏らした

 

 

「・・・あぁ、そうだ…人界に降り立った頃から、何度も同じ夢を見ていた。私を揺り起こす小さな手と、その薬指に嵌められた銀の指輪…しかし、起きるとそこには誰も……そうだ、あの人はきっと…私の……」

 

 

デュソルバードは震える声を押し殺しながら、空虚な左手で自分の顔を覆った。その薬指に、銀の円環は輝いていない。彼は全てを思い出したわけではない。しかし、大切な記憶に手を掛けた。上条はそれを感じ取ると、静かな口調で彼に言った

 

 

「・・・もう分かっただろ。アンタがやるべきことは、俺に首を差し出すことじゃない。今思い出した大切な人の…愛する人の墓の前に膝をついて、手を合わせることだ。そして、その人を忘れちまったことを謝って、向こうの世界での再会を誓うことだ。そうしたらアンタはまたその人と同じ指輪を嵌めて、笑顔で同じ道を歩けるハズだ」

 

「おぉ、おおおぉぉぉ……!」

 

 

ついに泣き崩れたデュソルバードを見届けると、上条は今度こそ身を翻して続く階段を登り始めた。愛する人の繋がりさえも消し去り、騎士と言う名の駒へと彼を変えたアドミニストレータへの怒りを、その右拳に込めながら

 

 



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第41話 異物

 

「き、キツすぎる…」

 

 

デュソルバードとの戦いを終えた上条は、セントラル・カセドラルの大理石で作られた階段をひたすら登っていた。しかし、いつまでも終わりの見えないその階段に、彼の膝は軽く震え始めていた

 

 

「つ、つーか…なんで次の整合騎士が待ってんのが50階なんだよ…さっきのデュソルバードが教えてくれたからいいけど、知らずにずっと緊張しながら登ってたら、その内我慢出来なくなってキレてたぞ俺…」

 

 

ボヤきながらもひたすら階段を登り続けていたが、今自分が何階付近にいるのかも分からない上条は、ついに体を反転させて階段に座り込んだ

 

 

「ぶわぁ〜っ!ダメだ、一旦休もう…」

 

 

上条はそう言ってため息を吐いて天井を見上げると、まだ10階はあろう螺旋階段が目に映った。これをいずれ100階まで繰り返すのだと考えると、自然と再びため息が漏れた

 

 

「・・・要するに、あの天井が50階ってことか…でもその階にあるなんちゃらの回廊じゃ、複数の整合騎士が待ってるって言ってたよな…そうなると少し不利だな。大人数入り乱れての戦いは、俺が一番苦手な分野だ。まぁ、それでも何とかするしかねぇけど…」

 

 

ベルトに巻きつけた弁当袋から肉餡の詰まった饅頭を一つ取り出すと、それを口に運びながら上条は来たる次の戦いの戦略を立て始めた。しかし妙案が浮かばないまま、肉まんの最後の一口を飲み込んだ瞬間……

 

 

「うん、結構美味かっ………んぐっ!?」

 

吐き気にも似た嫌悪感が、上条の脳を一瞬で支配した。まるで何かに脳みそを直接シェイクされたような、脳の血流を無理やり止められたような得体の知れない違和感に、上条は思わず噎せ返った

 

 

「うえっ…げほっ!な、なんだ…今の?」

 

 

上条は未だ謎の感覚に包まれている頭を抱えながら再び天を仰いだ。しかしそこには依然として高みへ続く階段があるだけで、周囲を見渡しても何も変化は起きておらず、自分に起きた異常の答えは閃かなかった

 

 

「・・・この世界の管理者が、休んでる暇なんかねぇとでも言ってんのか…?少し癪に触るけど…まぁ確かにその通りだ。早くユージオを助けに行かねぇと…!」

 

 

そう思い立った上条は座り込んでいた階段から腰を上げ、今見える天井まで続く残りの階段を駆け上がっていった。そしてそれを半階残した先に、分かりやすいまでに端麗な装飾が施された二枚扉が鎮座していた

 

 

「アレが…なんとかの回廊か。とりあえず来てみたはいいけど、さてどう戦う……か?」

 

「わ、わあっ!こっち見た!?」

 

「こ、声出したらまずいよフィゼル…」

 

 

上条は扉と階段の間に広がる踊り場に、コソコソと隠れながらこちらの様子を伺っている2つ人影があるのを見つけた。階段の柱の影からこちらを盗み見る視線は、紛れもなく子供のものだった

 

 

「あ〜…そこのお二人さん?どちら様で?というかそれ、隠れてるつもりなので?」

 

 

上条が少し声のトーンを上げながら話しかけると、二つの人影はおずおずと身を乗り出し、ゆっくりと立ち上がって上条を見下ろしながら自己紹介を始めた

 

 

「あの…あたし、じゃない。私は公理教会修道女見習いのフィゼルです。で、こっちが同じく修道女見習いの…」

 

「り、リネルです…」

 

 

フィゼルと名乗った左側の女の子は、修道服に身を包み、勝ち気な雰囲気の短髪の少女だった。そしてリネルという右に立つ少女も同じ修道服を着た、茶髪をお下げでまとめた控えめな印象を感じさせる女の子だった。しかし二人の腰には、そんな修道服には不釣り合いな茶色い木剣が据えられていた

 

 

「えっと、ダークテリトリーからの侵入者っていうのは貴方ですか?」

 

「んぁ?侵入者…なのは否定出来ませんが、別に俺の出身はダークテリトリーじゃないぞ?」

 

 

上条が首を傾げながらそう言うと、二人の少女は身を寄せ合いながらヒソヒソ話を始めた。しかしそう距離も離れていないので、二人の内緒の会話は上条に筒抜けだった

 

 

「なによ。見た目は全然普通の人間じゃないのよネル。ツノも尻尾もないわよ。頭はトゲトゲだけど」

 

「うう…私は本にそう書いてあるって言っただけですよ。早とちりしたのはゼルの方です。確かに頭はツンツンですけど…」

 

「ツンツン頭がそんなに珍しいですかそうですか…おい、お前ら俺と話すんと怒られるんじゃねーの?特に後ろの扉にいるであろう整合騎士さんによ」

 

「ううん。今日は朝から全修道士・修道女と見習いは、私室の扉に鍵をかけて外には出ないようにって命令が出てるのよ。だから侵入者を見物に来ても、誰にもバレないってわけ」

 

「・・・へぇ」

 

「人間よ?」

 

「人間ですね」

 

「少なくともウニではねーよ。間違いない」

 

 

少女らしい仕草で確認を取り合う二人にツッコミを入れると、二人は階段を半分ほど降りたところで立ち止まって、フィゼルが再度上条に向かって話しかけた

 

 

「この神聖なカセドラルに侵入して、整合騎士を二人も倒したって言うから、てっきり闇の怪物か、本物の暗黒騎士が攻めて来たのかと思って待ってたんですけどね」

 

「そりゃどうも悪うござんした。想像に叶わない、こんな冴えない人間で」

 

「いえいえ。そんなことありません。平和であることに越したことはありませんから。最後に、お名前を教えてもらってもいいですか?」

 

「・・・じゃあ名乗る前に、とりあえず俺たちの立場をハッキリさせとこうぜ」

 

「「・・・え?」」

 

 

リネルが上条に訊ねると、上条はそう言っておもむろに背中に手を回し、呆けた声を出す二人を余所に翡翠色の塗装が施された鉄の盾を左手に装備した

 

 

「抜けよ、お前らの木剣…いや、短剣を。名乗るのはそれからでも遅くねぇだろ」

 

「ッ!?な、何のことでしょう…」

 

 

上条が身構えながらそう言うと、一瞬言葉を詰まらせながらもリネルが首を傾げた。しかし上条はそれに流されることなく、二人を指差しながら言った

 

 

「とぼけんなよ。お前さっき自分で言ったぞ?全修道女と見習いは部屋から出るなって言われてるって。ここに住んでる人間が、そんな簡単に命令を破るハズがねぇ。それに従ってないお前らは、少なくとも修道女でも見習いでもないってことだ」

 

「・・・へぇ…バカっぽい見た目の割に結構聡いんですね。お見事、正解ですよ。あなたの言う通り、これは木剣ではなく鞘で、中に収まってるのは緑色のナイフです。そして私は『リネル・シンセシス・トゥエニエイト』です」

 

「で、私が『フィゼル・シンセシス・トゥエニナイン』」

 

 

二人の可愛らしい修道女は、自ら名乗ると腰の鞘から濁った緑色のナイフを逆手に持ち、瞳を怪しく光らせて口角を吊り上げると不気味に微笑んだ

 

 

「ナンバリング…ってことはお前らも整合騎士か。随分と可愛い騎士がいたもんだな」

 

「実は私達は、このカセドラルで生まれたんです。アドミニストレータ様が塔内の修道士と修道女に命じて作らせたんですよ。完全に失われた天命を回復させる蘇生神聖術の開発の実験に使うために。私たちは5歳でその天職を預かりました。仕事は互いに殺しあうことです。玩具みたいな剣を与えられて、互いに殺しあうんですよ」

 

「・・・そいつぁ穏やかな天職じゃないな」

 

「アドミニストレータ様の蘇生術も最初の頃は全然上手くいなかったのよね〜。爆発して粉々になっちゃう子とか、変な肉の塊になっちゃう子とか、生き返っても違う人間になっちゃう子とかいてさ〜」

 

「私達も無駄に痛かったり、生き返れないのは嫌でしたから、二人でいろいろ研究したんです。それで、なるべく一撃で綺麗に殺した方が痛みも少ないし、蘇生成功率も高いって気付いたんです。ただ…その一撃でっていうのが難問だったんですけど」

 

「限りなく早く滑らかにするっと心臓を刺すか、それとも首を落とすかの二択ね。でも結局完全な蘇生は難しかったみたいでね。私達が8歳になった頃に蘇生術の実験は中止になっちゃって、その頃には30人いた仲間達もあたしとネルだけになっちゃったの」

 

「で、生き残った私たちをアドミニストレータ様が特例で整合騎士にしてくれたんです」

 

 

その記憶が本当か嘘か上条には判断しようがなかったが、この少女たちの醸し出す殺気は紛れもない本物だった。そしてその殺気を保ったまま二人はゲンナリした表情で話し始めた

 

 

「でも他の騎士みたいに防衛任務に就くには勉強が足りないから…って理由で、もう2年も法律とか神聖術とか教わってるんですけど、正直なところ私たちはウンザリなんです」

 

「それで、どうすれば早いこと飛竜と神器が貰えるかな〜ってあれこれ二人で相談してたら、カセドラルにダークテリトリーの手先が侵入したって警報が流れてさ。他の騎士より早く捕まえて処刑すれば、アドミニストレータ様もあたし達を正式な騎士にしてくれるかもって思ってここで待ってた…ってわけ」

 

 

そこで言葉を区切ると、二人は階段を下りながらジリジリと上条との距離を詰め始めた。そして上条もまたその距離を保つために後ろに下がったが、やがて後ろの壁に踵をぶつけて止まった

 

 

「・・・そうかよ。だけど生憎だったな。こっちも後がないもんで、そう簡単に殺される訳にはいかねぇぞ」

 

「ふふっ、大丈夫よ。このナイフには麻痺毒が塗ってあるだけだから、あなたのお望み通り、簡単には死ねないから」

 

「あ、でも安心して下さい。私たち、人を殺すの凄く上手いですかr………ッ!?」

 

「なっ…!?」

 

 

ズパァンッ!という音の後に、リゼルとフィネルの首が、喉から断末魔が飛び出す暇も与えず鮮血を吹き出して弾け飛んだ。上条はその一瞬の出来事に驚愕したが、すぐさま盾に身を隠した。すると何か薄い塊が盾にぶつかり、強い衝撃が伝わってきた。それから数秒過ぎた後、上条はゆっくりと盾から顔を出した

 

 

「なんだ、これ…粉?こんなのが、リゼルとフィネルを…一瞬で…!?」

 

 

上条の周囲には白い粉のようなものが舞っており、さながら霧の中にいるようだった。しかしその霧の中でも、首を綺麗に刎ねられた二人の少女が、失われた首元から血を吹き出して横たわっているのが見えた

 

 

「おやおや、防がれましたか。どうにもこの違和感には慣れませんねー。仕事は手早く済ませたかったのですが、やはりそう上手くはいかないものですねー」

 

 

霧の奥から、何者かの声が聞こえた。ボンヤリと見える何者かは、細くスラリと伸びたそこらの大人より一回り高い背丈に、奇妙なほど襟が広がった緑一色の修道服を身に纏っていた。そしてゆっくりと近づいてきていた人影が、階段の上の踊り場で立ち止まるのが見えた。上条は白霧の中で懸命に目を凝らしながら、得体の知れない人影に向けて言った

 

 

「・・・誰だ、お前?どう見ても整合騎士には見えねぇぞ」

 

 

上条を見下ろす男は、何とも形容しがたい異様な格好をしていた。段々と白い粉の霧が晴れていく中から見えたのは、無駄に広い襟につけられた5枚の長い羽毛と、修道服に倣った緑一色の頭髪、そして青紫に塗られた唇と瞼だった。男はくつくつと不気味に笑うと、聞いている者の神経を逆撫でするような口調で言った

 

 

「えぇ、もちろん違いますよ?そぉんな当たり前のことを聞かないで下さいよぉ『幻想殺し』いえ…『上条当麻』さん」

 

「ッ!?」

 

 

その男が呼んだ名前に、上条は肩を震わせた。約二年越しに呼ばれた現実の名前。この仮想世界に来てからは一度も名乗ったことがないその名を、目の前の男は知っている。何故かという疑問が湧くよりも先に、上条の思考は恐怖で埋め尽くされていた

 

 

「まぁこんなところで話すのも気乗りしませんから、アナタもこちらに来たらどうです?割と内装凝ってるんですよ、この部屋。冥光の回廊…とか言いましたかねー。冥土の土産にアナタも是非ご覧になって下さい」

 

「お、おい待てっ!」

 

 

そう言って緑の教徒は上条が掛ける声を気にもせず、未だ白煙がうっすらと立ち込める扉の向こうへと消えていった。上条は仕方なく警戒心を強めながら扉の中へ入っていくと、そこには予想だにしない光景が広がっていた

 

 

「な、に………!?」

 

「見事なもんでしょう?私の見立てだと、天井と壁のステンドグラスなんて結構お金かかってるんじゃないかと思うんですよねー」

 

 

男の口にしている景観など、上条にとってはどうでもよかった。彼の目に最初に飛び込んできたのは、大理石の床に無造作に転がる5つの血に塗れた死体だった。純白の鎧を纏った四人の騎士はそれぞれ兜を被ったまま、リネルとフィゼルのように首を刎ねられていた。そしてその中で唯一、濃い紫の鎧を纏った騎士は、鎧の継ぎ目から上半身と下半身が真っ二つに割かれていた

 

 

「これ…全部お前がやったのか?」

 

「はい?あぁ、コレですか。えぇと…確かそこいらの白のお揃い四人組は『四旋剣』とか言いましたかねー。それと一人だけ紫の鎧のが『ファナティオ・シンセシス・ツー』…だとかやたらと長い名前でしたね。しかしこれが中々どうして騎士とは思えないほどに、なんとも見目麗しい女性でしたねー。んっふっふ」

 

 

緑の男の下卑た笑いを耳にしながら、上条は無残に横たわる紫の鎧を纏った騎士の上半身に目を向けると、既に亡きその人物が言われた通りの女性であることに気づいた。本来は彼女の傍らに転がっている兜の下に隠れていた、今では虚ろになった顔には、薄っすらと化粧がされ、艶やかな長髪は麗しき女性であることを疑う余地を与えなかった

 

 

「う、嘘だろ…あの整合騎士を一度に、こんなに…?」

 

「感覚に慣れていない上に、なにやら光線のようなモノが飛び出す奇妙な剣を振り回してきたせいで多少は苦戦しましたが、まぁ私の敵ではありませんでしたよ。もっとも私の『術式』の調整には大いに役立っていただいたので、そこには感謝していますがねー」

 

「お、お前…!一体誰なんだ!?」

 

「これはこれは!私としたことが申し遅れました。まぁ四年も前のことですからアナタは覚えていないかもしれませんが、とりあえず名乗っておきましょうかねー」

 

 

飄々とした態度で語り続ける男に、上条は拳を握りしめたまま叫んだ。すると男は、その奇抜な風貌には不釣り合いなほどに丁寧な作法で礼をしながら答えた

 

 

「ローマ正教『神の右席』の四人が一人、『左方のテッラ』です」

 

 



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第42話 左方のテッラ

 

「神の…右席……?」

 

 

テッラが名乗った組織のような名前を、上条は無意識のうちに繰り返していた。四年前の10月、悪魔のデスゲームが始まったほんの数日前に、同じ組織の名を語った『前方のヴェント』という魔術師が学園都市に攻め入った『0930事件』。そこまで記憶の糸を辿ると、後は必然と答えが出てきた

 

 

「じゃあお前は…あっちの世界から来た、魔術師…?」

 

「おやおや!覚えていて下さったとは光栄ですねー。ですが、そんな『あっちの世界』なんて曖昧な言い方をせずに、ハッキリと『現実世界』とでも言ったらどうです?」

 

 

その言葉に、上条は全身が総毛立っていくのを感じた。この世界に来て初めて、自分の前に同じ現実の人間が立っているこの状況。そんな展開を待ち望んでいたはずなのに、自分が望んでいない展開のように感じる心に、言いようのない淀みを産み落としていた

 

 

「・・・魔術師が俺の前に現れるってことは、どう考えても味方…ってことはねぇよな?目的はなんだ?俺の右手か?」

 

「はぁ…?何を言っているんですかねー。この世界におけるあなたの右手は、なんの変哲もない『ただの右手』であることはあなた自身が一番分かっているでしょうに。私が欲しているのはあくまでも『幻想殺し』。私がこの世界に来た目的はあなたの『ココ』に他なりません」

 

 

ココという言葉に合わせて、テッラは自分の額を何度か指先で小突いた。それが何を意味しているのか、上条は理解するのに1秒とかからなかった

 

 

「俺の、フラクトライトが目的…?」

 

「まぁそういうことです。あなた自身も知っているでしょうが、当然こちらでも大方の調べは付いています。今代の幻想殺しは、あなたの魂の輝きに魅かれてあなたの右手に宿りました。であれば話は簡単です。この場であなたのフラクトライト…引いては魂をアンダーワールドの回線を辿って回収すれば、幻想殺しは遅かれ早かれ私たちの手元に渡るという寸法です」

 

「・・・ならテメエは、俺をこの世界に送った人間とも敵対してるって理解していいのか?それともお前らの組織が俺をこの世界に送り込んで、頃合いを見て仕掛けてきたってことなのか?」

 

「・・・はぁん?」

 

 

上条の質問に、テッラは湧き出た疑問符を上条にそのまま投げつけた。そして心底呆れたようにため息をついて頭を抱えると、上条を疎ましそうな目で見つめて話し始めた

 

 

「それをあなたが言うんですか?よもやとは思っていましたが、ここまで何も知らないとは…というかむしろ、あなたも利用されたクチなんですかねー?」

 

「・・・は?ど、どういうことだ!?俺の魂が狙いってのは、そういうことじゃねぇのかよ!?俺がSTLの理論を学究会で発表したから、お前らが魂への干渉に目をつけてSTLを開発して、俺の記憶をブロックしてこの世界に…!」

 

「おんやぁ〜?それはちゃんちゃらおかしな話ですねー。いつから学園都市の人間は、世界の中心は自分達だと認識していたのでしょうか?」

 

「な、なに…?」

 

「世界の中心に立つのはいつの時代どこの世界でも、最も強い人間だと相場は決まっているでしょう。まぁつまるところ今この場において世界の中心は、神の右席たる我々がいるローマ正教徒なんですけどねー!」

 

 

テッラは両手を大きく広げて天を仰ぎ見ると、そのまま痩せこけた薄い胸を上下させながら漏れ出すような不気味な笑いを見せた。そして上条の方へと視線を戻すと、気味の悪い顔のまま話を続けた

 

 

「真のボトムアップ型人工知能がなんだとかいう学園都市側の目的なんて、私たちにとっては毛ほどの興味もないわけです。むしろあなたはそちらの目的に対して、進んで責任を取るべきだと私は思いますがねー。第三次世界大戦の発端に関わっていたわけなんですから」

 

「ボトムアップ型人工知能…?第三次世界大戦…?お前一体何の話を……」

 

「もう過ぎた話ですが、当時は面食らいましたよぉ〜?戦いの始まりだと思い意気込んでみれば、世界中の人々がただの娯楽だと飛び込んだ仮想世界に囚われてしまうんですからねー」

 

「ですが、それだけならまだよかったんですよ。ところが、神の右席たる我々の真の目的だった幻想殺しまで仮想世界に囚われてしまっては、我々が戦争に参加する意味がない。ローマ教皇が使用した『C文書』の効力も相まって民間人の熱りも急激に冷め、結果的に開戦は見送り。全く、アレイスターの躱し方は狡猾でしたよ。その気になれば学園都市も戦争に参加する理由はいくらでもあったというのに」

 

「しかし、仮想世界という概念は我々にとっても好ましいお釣りでした。『全ての人間を平等に救う』という我々の目的を、ここまで完璧に実現できる手段があったことに驚きましたよぉ!」

 

「す、全ての人間を平等に救う…?」

 

 

上条の思考回路は、もうとっくにテッラの話を理解できずに固まってしまっていた。自分の知らない話が多すぎる。自分は少なくともテッラの話に出てくるほとんどの出来事に関わっているのに、その意味が分からない。テッラは全ての話を順序立てて説明しているのに、上条はどうしてこの場に自分がいるのかを全く理解できていなかった

 

 

「だからローマ正教は、仮想世界に対する研究に陰ながら邁進してきました。そして四年越しに及ぶその努力が、実を結ぶ時が来たのです!その鍵をこうしてあなたが開け!こうしてアンダーワールドに入ってくださったのは我々からすれば本当に好都合!学園都市に攻め込むなんて面倒な真似をしなくても、こうして目当てである『幻想殺し』を大して表沙汰にせずとも手にできるのですから!」

 

「いやぁ、我々としては敵対する科学の技術だからと最初は毛嫌いしていたのですが、こうなってしまっては考えを改めざるを得ません。全く、仮想世界さまさまですねー!アッハッハッハ!」

 

 

そう言って話を締めくくると、テッラは声を上げて心底楽しそうに笑った。現実、仮想を含めた世界の全てを見下すように笑い続けた。しかしその時、なんの理由があってか上条もそれに釣られるように狂ったように笑い始めた

 

 

「あはっ…あはははははっ…ふふふふふふふふふふっ…あはははははははははははは!!はははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!」

 

「・・・はぁ?自分の魂が狙われているというのに、なにを笑ってるんですか。とうとう頭がおかしくなったんですかねー?」

 

「・・・ねぇな」

 

「はい?」

 

「知らねぇな」

 

 

上条の口から出た言葉は、決して大声ではないにも関わらず、とても芯のある重く響く声だった。真っ直ぐに見つめてくる視線に、テッラは気づけば半歩後ずさっていた

 

 

「知らねぇよ。俺は正直なところ、本当に何も知らねぇ。カーディナルとテメエが色々話してはくれたが、全然腑に落ちてねぇ。俺がなんでこの世界にいるのかは分からねぇままだし、裏で誰がどんな糸を引いてるのか想像もつかねぇ」

 

「だけど、今になってやっと分かった。簡単なことだったんだ。俺は怯えてただけなんだ。誰かの手のひらの上で踊らされてるこの状況から、逃げてたんだ。この世界で過ごす楽しい日々を理由に、俺の身を取り巻く現実から目を背けてたんだ」

 

「だけど、もう逃げねぇ。俺はやっと理由を見つけた。人工知能?第三次世界大戦?俺の魂?右手?全人類を平等に救う?知るかっ!知らねえよそんな事情!そんな下らねぇモンのために俺たちが過ごしたこの世界を私物化して、勝手に土足で踏みならしてんじゃねぇぞ!!」

 

「責任を取れだって?あぁ、取ってやるよ。少なくとも俺にも、この世界を作り出した責任の一端があるんだろ。だったら、それが俺の理由だ。俺は他の何でもない…『この世界のために』戦ってやる!この世界は紛れもなく、俺にとってのもう一つの現実だ!仮想なんて言葉じゃ決して片付けらねぇ…掛け替えのない、守らなきゃいけない世界だ!」

 

「俺は必ずユージオを救う。アドミニストレータを倒す。それを邪魔する奴を、全員まとめて薙ぎ払ってやる。俺を利用したきゃ、その後で勝手に利用すればいいさ。いくらでもテメエらの手の上で踊ってやる。だけどな!この世界をテメエらの都合で利用することだけは!例え何があっても俺は許さねぇぞ!」

 

「テメエはこの世界を手段だと言った。ユージオを助けに行く俺の前にこうして立ち塞がった。もう十分だ。この世界のために戦う俺が、テメエをぶん殴らきゃならねぇ理由ができた!テメエらのやりたい事なんざ知らねぇ…知りたくもねぇ!」

 

「いいぜ、かかって来いよ。左方のテッラ。この世界がテメエらの思い通りに動いてると思ってんなら!そのふざけた幻想を!!!俺が今すぐここでぶち殺す!!!」

 

 

それが、この世界を生きた上条当麻の理由だった。自分以外の誰かの不幸が許せない、彼だからこそ拳を握れる理由になった。目の前に立つ敵に向けた視線には、静かに燃える青い炎のような熱い意志が宿っていた

 

 



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第43話 光の処刑

 

「・・・左様ですか。ですがこちらとしても、あなたの事情なんざ知ったことじゃありません。どうせ首を刎ねれば、そんな生意気な口を利かれることもなく、あなたの魂を頂戴できるんですからねー!」

 

「ッ!!」

 

 

それが合図だった。本来両者が交わるはずのないこの場所、霊光の回廊にて戦いの火蓋は切って落とされた。テッラは白い粉のようなもので生成した鋭いギロチンの鎖を手に取り、上条は右拳を握り締めてテッラに向かって走り出した

 

 

「優先する!柱を下位に!小麦粉を上位に!」

 

 

テッラが誰に向けるわけでもなく宣言すると、室内を支える4本の支柱の内、一番自分に近い柱へと白い粉塵が舞うギロチンを走らせた。するとその瞬間、ズズンッ!という重く低い音が響き、上条に向かって白柱が切り倒された

 

 

「なっ!?」

 

 

粉の刃が大質量の柱を切るという光景に上条は目を疑いながらも、懸命に脚へ力を込めてブレーキをかけた。そして間髪入れずに、そこから可能な限り後ろに飛び退いた。その間にもゆっくりと倒れていた純白の柱は、部屋中の大気を押し流しながらその巨躯をズゥンッ!という轟音と共に横たわらせた

 

 

(この粉…ひょっとして、小麦粉…?)

 

 

土煙に混じって飛んで来たテッラの撒く白い粉に、上条は時たまに自炊する心得から覚えがあった。匂いや肌に触れる感触から、それが小麦粉であったことを悟ったが、余計にそれが自分の身長の三倍以上はある柱を切り裂いたことが信じられなかった

 

 

「優先する!石材を下位に!刃の動きを上位に!」

 

「ッ!?」

 

 

次にテッラがそう宣言すると横たわった柱に小麦粉の刃が突き立てられ、そのまま乱雑にギロチンを繋ぐ鎖を振り回し、無数の大小様々なサイズの岩石を上条めがけて切り飛ばした

 

 

「あぐっ!?」

 

 

上条は頭部と上半身を盾で覆ったが、不規則に飛んでくる石の何個かが脚にぶつかるのは防げなかった。しかしそれに負けじと身体を左側に捻ると、砕けた柱の奥に立つテッラに向けて盾を投げつけた

 

 

「ラアッ!!」

 

「優先する!盾を下位に!人体を上位に!」

 

 

見事なまでの直線的な軌道を描いた盾は、ガアンッ!という音を立ててテッラの額に直撃し、そのまま上条の手元にとんぼ返りした。しかしテッラは、エルドリエを昏倒させたその一撃を食らっても、何事もなかったかのように平然と佇んでいた

 

 

「・・・なるほど…『優先する』。それがアンタの魔術だな?それで小麦粉の刃の威力を増幅させたから、石の柱を切れたり、自らの体を硬くしたから、俺の盾をぶつけられたりしても平気だったってわけか」

 

「流石に分かりますか。四年前とはいえ『前方』を下しただけのことはありますねー。ミサでは葡萄酒は『神の血』、パンは『神の肉』として扱われます。そしてミサのモデルとなったイベントは、言うまでもなく『十字架を使った『神の子』の処刑』ですよねー」

 

 

誰しも一度はその名を耳にするであろう宗教、キリスト。誰しも一度はその名を耳にするであろう神の子、イエス。それは科学に根ざす学園都市に住む上条も例外ではなかった

 

 

「神の子は十字架に架けられた…冷静に考えれば『ただの人間に神の子を殺せた』という話は普通ではありません。しかし、神話は時として『優先順位』を変更します。例えば神の子が世界人類の『原罪』を背負うために本来の優先順位を無視して、あっさりとただの人間に殺されてしまったように」

 

 

故にそれは誰もが知っている話だった。神の子は十字架に磔にされて処刑された。その話を、テッラは実にこと細かに語る。しかしそれを語る口は、まるで自分の自慢話でもするかのように楽しげに笑っていた

 

 

「『神の子』の神話を完成させるための秘儀…それ即ち『優先順位の変更』。それこそが私が扱う唯一の術式『光の処刑』です。小麦粉を媒体とした刃物への任意変形はその副産物のようなものです。お分りいただけましたでしょうかねー?」

 

「光の、処刑…」

 

「つまり、この私の前では強さ弱さなど関係ありません。そもそも、その順番を自ら制御できるのですからねー」

 

「随分と丁寧に教えてくれるんだな。俺の右手に幻想殺しがねぇからか?」

 

「別にそうでもありませんがねー。だってタネを明かしたところで、そこから先はありますか?なんだったら1分くらい時間を差し上げてもいいんですよ?」

 

「そこまで分かってんだったら、さっさと定義すればいいじゃねぇか。上条当麻を下位に。左方のテッラを上位に。ってな」

 

「ふはっ!何をのたまうかと思えば…そんな分りきっていることを!今さら定義し直す必要はないですねぇー!」

 

 

テッラが両手を広げるのと同時に、ブワッ!という空気が押し出される音共に小麦粉が舞い上がり、彼が纏う緑色の修道服の半分以上が白く染め上げられた。しかし上条はそれに怯むことなく、舞い上がった白霧の中へと突っ込んでいった

 

 

「うおおおおおおぉぉぉぉぉっっっ!!!」

 

「優先する!大気を下位に!小麦粉を上位に!」

 

 

ドアッ!!という轟音を響かせながら、小麦粉のギロチンが一気に膨らんだ。テッラの振るうギロチンは巨大な団扇となり、膨大な空気を巻き込んで上条へと襲いかかった

 

 

「なっ!?」

 

 

これは後ろに避けても意味がない。そう悟った上条は、駆ける足をそのままに真横に転がり飛んだ。途端、硬さや鋭さを持たないはずの空気が、上条の真上を通り過ぎて床や壁のステンドグラスを破壊した

 

 

「ぜりゃあああっ!!」

 

 

上条は大気を押し出す小麦粉の刃を何とか躱し、転がりながらも背中の鞘から翡翠色の剣を抜刀していた。そして素早く立ち上がって剣の柄を逆手に掴むと、その切っ先をテッラに向け、翡翠色の剣を槍投げのように放った

 

 

「優先する!剣の軌道を下位に!空気を上位に!」

 

「ーーーシッ!」

 

「ッ!?チィッ!!」

 

 

テッラが歌うように宣言すると、翡翠色の剣は為す術なく床に沈んだ。しかし上条はそれに構わず背後から『何か』を取り出し、テッラに投げつけた。テッラはそれに目を細めると小麦粉のギロチンを唸らせ、上条の投げつけた『何か』を切り裂いた

 

 

「・・・どうしてだろうな?」

 

「何がです?」

 

 

上条は床に転がった蒸し饅頭を指差した。真っ二つに引き裂かれて中の肉餡を曝け出したソレは、上条が翡翠色の剣に続いてテッラに投げつけた『何か』の正体だった

 

 

「俺の盾や剣は『優先』することで防いだのに、なんでただの饅頭にわざわざ小麦粉の刃を向かわせたんだ?別に当たったって痛くねぇだろそんなもん。汚れるのが嫌なら周りの空気を優先して防げばいい。なのにそうしなかったのは、俺が何を投げたか分からなかったからか?」

 

「ッ!?」

 

 

それから指先をテッラに向けて上条が言うと、テッラは彼の言葉に口元を歪ませた。それを見た上条はほくそ笑むと、左手の盾を見ながら続けた

 

 

「考えてみりゃおかしかったんだ。俺は最初、フィゼルとリネルの首を刎ねたお前の刃を盾で防いだ。だけど人間の首を一瞬で刎ねられるような強烈な刃を受け止めたのに、俺の盾にはちょっとの衝撃が来ただけだった。それに殺された整合騎士はみんな、鎧の継ぎ目や首元みたいな、防具で守れない所から切り裂かれてる」

 

「き、貴様ッ……!?」

 

「となると考えるのは簡単だ。テメエの優先は融通が利かないんだ。対象は明確に設定しなくちゃいけなくて、一度に複数を対象に出来ない上に、切り替えるには一々再設定する必要がある。そういう風に術式が出来てんだろ。だから鎧を切り裂いても人体に達する時はただの小麦粉になっちまうから、真っ先に人体だけを狙ったんだ」

 

「ーーーフンッ。それが分かったところで今さらどうだと言うんです?どうせあなたの末路は、例えに出したそこら辺に転がってるヤツらと同じですよぉ!」

 

 

テッラは言った。目的は全ての人間を平等に救うことだと。では、殺された騎士たちは人間だとすら思われていないのか。確かに彼らに生身の肉体はない。そうだと分かってはいても、上条は彼の言動に納得がいかなかった

 

 

「なら、テメエの言う救いってなんだ!それを達成するためなら、こんな風に見境なく誰も彼も殺してもいいってのかよ!?」

 

「ええ、私にとって全ての行いは十字教徒全ての最終目的『神聖の国』のためです。最後の審判の後に神がその手で導いて下さる、永遠の救いの場所です。私はそこを目指し、また同じように目指す方々のお手伝いをさせていただいてたんですがねぇ…ふと思ったわけです」

 

「・・・なに?」

 

「神は敬虔な十字教徒のみを神聖の国に導くとされています。だがローマ正教の中だけでも無数の派閥に分かれている現状では、神聖の国にこの派閥問題を持ち込むことになってしまわないか?神がどれだけ完璧な王国を築いたとて内部の人間が醜く争っては意味がない。それでは『永遠の救い』とは言えません」

 

「救いが欲しいのですよ!だから私は知りたいのです!人類は神聖の国に値するのか!そして救いを与えたい!値しないなら、最後の審判の日までに皆をどう導き直せば良いのかをねぇ!だからこその『神の右席』なのです!!」

 

 

自分の望みを、テッラは声高に謳った。救いを謳う彼の前に立つ上条は、奥歯を噛み締めていた。そして、自分が守るべきものの存在を、自分にとっての正義を叫んだ

 

 

「ならその救いたい人類に、コイツらは含まれねぇのかよ!?コイツらは住んでる世界が違うだけで、俺ら人間と何も変わんねぇんだぞ!テメエにとっての全ての人間ってヤツは、本物の魂と肉体を持ったヤツらだけなのかよ!?」

 

「当然でしょう!いいえ、それだけではありません!我ら崇高なローマ正教徒でない異教徒の人間など、人間だと判断する価値すらありませんねぇ!」

 

「救いの定義を、人間の定義を!テメエ1人で勝手に決め付けんじゃねぇ!テッラァ!!」

 

 

なおも部屋に横たわる柱を飛び越え、上条は走った。そしてもう一度、走る脚を止めず左手の盾をテッラの体目がけて力の限りに投擲した

 

 

「優先する!盾を下位に!人肌を上位に!」

 

 

ガアンッ!という音を立てて、テッラに命中した盾はくるくると宙を舞いながら明後日の方向へと飛んだ。しかし、その時にはもう既に上条はテッラまであと一歩のところまで迫り、右手で硬く拳を握っていた

 

 

「ゆゅ、優先……!」

 

「遅っせぇんだよぉ!!!」

 

「ぐぅおおおおおおおおーーーっ!?」

 

 

鈍い音が炸裂し、上条の右拳がテッラの顔面に突き刺さった。その一撃に、テッラの体が後ずさって傾いていく。しかし完全に倒れるほんの手前で、テッラは意地で体勢を立て直した

 

 

「ごがァ…!?このっ、異教のクソ猿がぁ!!」

 

「ーーーッ!?」

 

「優先する!人体を下位に!小麦粉を上位に!」

 

「やっぱ切り札ってのは、とっておくモンだよなぁぁぁ!!!」

 

 

上条に襲いかかったギロチンの刃は、彼が横薙ぎに振るった右手の力で粉塵となって崩れ去った。自分はそれを、現実で何度も繰り返していた。魔術という異能を代表する幻想は、上条に久しぶりの手応えを残して消えた

 

 

「な、何ぃっ!?この世界における貴様の右手は、正真正銘ただの右手のハズ!一体何をどうやって……!?」

 

「答えると思うか」

 

 

今度こそ、テッラの体は床に投げ出された。上条が頬肉を抉るように繰り出した右拳の威力は、テッラの細身な体をぶっ飛ばすには十分だった。上条は彼がもう起き上がって来ないのを確認すると、床に落とされた剣と盾を拾いに行った

 

 

「くっくっくっ…よもやこの世界でまで、その右手に幻想殺しを宿すとは…アレイスターが見込むのも納得ですねー…」

 

「・・・あ?」

 

 

仰向けに倒れたテッラは、ドーム型の天井に張り巡らされたステンドグラスを見ながら笑って呟いた。拾った剣を鞘に納め盾を背負い直した上条がその疑問に反応すると、テッラは首から上だけを上条に向けて言った

 

 

「良いことを教えてあげましょう。SAOでアレイスターが言っていたことを、あまり鵜呑みにしすぎないことですね。あなたの本質は、極東の国の神様だとか、竜だとか、そんな体のいいモンじゃありません」

 

「な、何を、言って……?」

 

「結果としては命を落としたようですが、本音ではアレイスターは、あなたの中に眠る本質に、あなた自身の手で気づいて欲しかったんですよ。仮想世界なんてものをその舞台に押し上げたのは、あなたの力を『スキル』という目に見える形にした方が、あなたの中に眠る『能力』としてはいくらか理解しやすいだろうと思っていたからですよ」

 

「人から教えられても意味なんてない。あの日、一度失われたあなたの魂はちゃんと覚えているのですよ。その『右手』の運用方法を。自分の体の内に眠る、本質たる『何か』の役割を。それを引き出すために、彼は賭けたんです。仮想世界が行き着く果てで、いずれ実現するであろう魂への干渉の為に、伏線だけを散りばめた」

 

「その上で、ヤツはあなたに嘘をついた。いずれあなたが、自分の本質を自力で理解しようとせざるを得ないように…失った記憶に、もう一度手を掛けようとするように…ね。そして、あなた自身も自覚の上でしょうが、それは形になり始めている。ですが私たちにとっては、それでは意味がない。私たち自身の手でやらなければ、意味がない」

 

「『異教の神』に享受される救いでは、意味なんてないんですよ。神が享受する救いで満足するのは、結局はその神だけなんです。だから私たちが救うんです。神にして人間の身である我々が救いを定義するから、その救いに意義が生まれる。だからこそ、我々にはあなたの右手が必要なんですよ…『神浄の討魔』」

 

「お前、まさか知ってるのか?あの夜に右手から出てきた…『アレ』の正体をッ…!?」

 

「教えてあげましょう。あなたの魂の本質、その右手の奥にある、本当の力とはーーー」

 

 

テッラがその先を口にしかけた刹那、バゴォン!という凄まじい音が響いた。天井から降り注いできたそれは強烈な風塵を巻き起こし、上条は思わず目を塞いだ。やがて砂塵が引いて目を開けた先には、筋肉質な大男が立っており、その足元にテッラの首が転がっていた

 

 

「んなっ!?」

 

「残念だよテッラ。貴様が神の国に迎えられることは、絶対にないのである。詳しくは最後の審判で直接聞くが良い」

 

 

その男は、テッラと比べると変哲のない服装をしていた。襟を立てた白いポロシャツには青い十字架が描かれ、ズボンは控えめな明るさの青だった。しかしその手には、部屋の柱と見紛うほどの巨大な黒い棍棒が握られており、その男が服装ほど普通ではないことを如実に語っていた

 

 

「四年振りだな、上条当麻。同胞が恥を晒したのである。ここはこれで手打ちにしてもらいたい」

 

「テメエは確かっ…アックア!」

 

「失礼。四年振りとはいえ、挨拶がないのは不適切であるな。私は『後方のアックア』。ヴェントとテッラと同じく、神の右席の一人である」

 

 

上条はその男に見覚えがあった。四年前、自分がヴェントを倒した時に現れた男。実際に闘ったわけでも、大して多く会話をした訳ではないが、彼の放つ圧倒的な存在感が、既に忘れられないほど体に刻み込まれていた

 

 

「手打ちってのはどういうことだ?もうアンタ達ローマ正教は俺の右手を狙う気がないってことか?」

 

「ここは、と言ったはずである。私の『聖母の慈悲』も調整中である故、ここは手を引く。しかし貴様の右手は必ずいただく。それをゆめゆめ忘れるな」

 

「お、おい待てっ!」

 

「さらばだ、上条当麻。来るべきその時に、我々は再び相見えるであろう」

 

 

そう言い残すと、アックアの体はまるでログアウトするように光のヴェールに包まれて消えた。上条は彼の最後の言葉の意味も分からぬままに、静まり返った世界に1人取り残されていた

 



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第44話 金木犀の剣

 

『教えてあげましょう。あなたの魂の本質、その右手の奥にある、本当の力とはーーー』

 

『さらばだ上条当麻。来るべきその時に、我々は再び相見えるであろう』

 

「・・・やめろ。余計なことは考えるな、上条当麻。今はこの塔を登ることだけを最優先に考えろ。もしまた魔術師が襲って来るようなことがあれば、もう一回倒せばいいだけだろ…」

 

(だけど、結果的にはアイツらが俺の幻想殺しを狙う具体的な理由を聞きそびれた…『世界の人間を平等に救う』なんて…そんな大それた目的のどこに、俺の右手が必要になる理由があるってんだ…?)

 

 

冥光の回廊を出た先の廊下を歩く上条の頭の中では、神の右席の二人が最後に残した言葉が反芻していた。しかし上条当麻は小さくかぶりを振って呟くと、気になって仕方がないその言葉を無理やり頭の中から追い払った

 

 

「・・・なんだ、これ?」

 

 

薄暗い廊下を歩いた先で上条を待っていたのは、果てしなく上へと続いている巨大な縦穴だった。上条は恐るおそる下からそれを覗き込んでみると、上の方はもはや闇に霞んで見えないほどの高みだった

 

 

「え、えぇ?階段もなしにこれを行けと…?それともどこかで道を…いや、さっきの場所からここまでは一直線だったしそれは………お?」

 

 

上条が俯きながら首を捻って考えていた時、不意に自分の足元に広がる影が段々と大きくなっているのが見えた。自分を覆う影を確かめようと上を見ると、巨大な円盤のようなものが自分に向かって降ってくるのが見えた

 

 

「どわぁ!?ゆ、UFOか!?」

 

 

縦穴を滑るようにどんどん落ちてくる円盤は、あっという間に上条のいる場所まで降りてきた。上条はその円盤から距離を取って身構えると、そこにはガラスの筒の天辺に手を当てた1人の少女が立っていた

 

 

「お待たせいたしました。何階をご利用でしょうか」

 

「な、なんだぁ?エレベーター…ってことか?」

 

 

それは極端なまでに抑揚のない、まるで死んだような声だった。少女の目はどこか虚ろで、円盤から突き出ている筒をただ見つめ続けている。とりあえず敵意らしい敵意がないのを察すると、上条は身構えるのを辞めて後ろ頭を掻きながら言った

 

 

「あ〜…何階を、と言いますと?あなた様はこのカミやんさんが希望すれば、上の階まで連れて行ってくれるとですか?」

 

「左様でございます。お望みの階をお申し付け下さいませ」

 

「そ、即答かよ…えっとだな、俺一応こんなでもカセドラルからすれば侵入者ってことになるんだが…そんなわざわざ自分から上に招くようなことしていいのか?」

 

「わたくしの仕事は、この昇降盤を動かすことだけでございます。それ以外のいかなる命令も受けておりません」

 

「あ〜〜〜…」

 

 

相変わらず言葉に感情のこもっていない少女に言われると、上条は今一度縦穴の天井を仰ぎ見た。そして周囲にこれ以外に上に行く方法がないのを再認識すると、罠でないことを祈りながら昇降盤の上に立った

 

 

「えっと、それじゃあお言葉に甘えさせていただきまして。この板で行ける一番上の階まで」

 

「かしこまりました。それでは80階『雲上庭園』まで参ります。お体を手摺りの外に出しませんようお願いいたします」

 

「は、80階!?いきなり!?」

 

「システム・コール。ジェネレート・エアリアル・エレメント」

 

 

そのあまりにも急なショートカットに、上条は階数を声に出して驚いた。しかしそんな彼の狼狽を気にも留めず、少女は半透明の筒に向かって風素を生成する神聖術を唱えた

 

 

「バースト・エレメント」

 

「お、おぉ…なるほどそういう仕組み…頭いいな…」

 

 

少女が最後に式句を呟くと、硝子の筒の中に発生した10個あまりの風素が弾け、昇降盤がぐんぐんと上昇し始めた。段々と離れていく50階を見下ろしながら、上条は密かに感嘆の声を漏らしていた

 

 

「・・・・・」

 

「え、え〜っと、差し支えなければ、いつからこの仕事をしているのか教えていただければ…なんて思うんですけど…」

 

 

30もの階層を昇るのにはそれなりに時間がかかるようで、その間の沈黙に耐えかねた上条は、遠慮しがちな声色で昇降盤の番人たる少女に話しかけた

 

 

「この天職を頂いてから、今年で170年になります」

 

「ひゃっ!?170年!?その間ずっとこのエレベ…じゃない。ずっとこの昇降盤を動かしてんのか?」

 

「ずっと…というわけではありません。お昼に昼食をいただきますし、もちろん夜は休ませていただいております」

 

「お、おお…驚きの白さ…いや、むしろブラックだな。170年もこの天職を続けてるってことは、天命の自然現象が止まったままなのか…?じゃあ、アンタの名前は?」

 

「名前…ですか?忘れてしまいました。皆様はわたくしを『昇降係』と呼びます。言うなれば、それがわたくしの名前です」

 

「・・・昇降係…か…」

 

 

これにはさしもの上条も言葉が見つからなかった。それだけ長い無為な時間を、この少女は自分が立っている一枚板の上で過ごして来たのだと思うと、やりきれない気持ちでいっぱいになった。そしてほんの微かに感じた興味を、目の前の少女に向けて問いかけた

 

 

「あ〜…あのさ。アンタだったら特に咎めないだろうから言うんだけど、俺これからこの上にいる最高司祭をぶっ倒しにいくんだ。170年前、アンタをこの天職に任命した人を」

 

「そうですか」

 

「そ、そうなんです……調子狂うな。んで、もしそれで教会がなくなって、この天職から解放されたらアンタはどうするんだ?」

 

「解放、にございますか…?」

 

 

これまでとは少し変わって、上条の問いかけに少女の口調が覚束ないものになった。それから少しの間、少女はじっと動かずに沈黙していると、不意に小さな声で呟き始めた

 

 

「わたくしは、この昇降洞以外の世界を知りません。故に新たな天職を、と仰られても決めかねますが…でも、してみたいことという意味ならば…」

 

「い、意味ならば?」

 

 

上条が今にも消え入りそうだった少女の言葉の端を繰り返すと、少女は昇降洞の右側の壁に設けられた細長い窓を、その向こう側まで続く澄み渡る空を、少しの青が混じった瞳で見つめながら言った

 

 

「・・・この世界の空を…この昇降盤と共に、自由に飛んでみたいものですね…」

 

「・・・そっか」

 

「お待たせいたしました。80階『雲上庭園』でございます」

 

 

上条が呟くのとほぼ同時に、昇降盤はふわりとその動きを止めた。少女は一度筒から手を離すと、深く礼をして言った。それから上条は昇降盤から少し飛んで降りると、もう一度少女の方に振り向いた

 

 

「えっと…お前の望み、俺がきっと叶える。だから、少しの間でいい。その望み、忘れないで待っててくれ」

 

「・・・かしこまりました」

 

 

少女は無感情に言うと、それ以降顔を上げることはなかった。ガラスの筒に手を戻すと、風素の弱まりに任せて昇降盤を下へと降ろしていった。上条は興味本位でも聞いてみるモノだと心の内で少し笑うと、更なる奥に佇む重厚な二枚扉へと視線を戻した

 

 

「・・・よし、行くか」

 

 

廊下を進んで扉の前にたどり着くと、上条は意を決して重い扉を押し開いた。するとそこに広がっていたのは、柔らかそうに生い茂る芝と花、そして穏やかにせせらぐ小川といった、まさしく庭園と呼ぶに相違ない光景だった

 

 

「お、おぉ…こりゃ見事なもんだ。80階ってアクセスの悪さがネックだけど…」

 

 

上条は感嘆の声を漏らしながら庭園の中に入って歩くと、部屋の中央にある小高い丘の上に一本の樹が生えていることに気づいた。そしてその根元に、金色の鎧を身に纏った少女を見た

 

 

「・・・ここでアリスか…」

 

 

その少女の名を上条は口にした。親友の幼馴染。自分がこの塔から助け出さねばならないもう1人の少女。目を閉じて足を揃えて座る彼女は、上条が丘の芝生を足で踏む微かな音を感じると、彼の方に向けて右手を掲げた

 

 

「もう少しだけ待ってください。せっかくのいい天気ですから『この子』にたっぷり日を浴びさせてあげたいのです」

 

 

凛とした穏やかな声で言うと、アリスはそのまま庭園に差し込むソルスを後ろの樹と共に浴びた。上条はずっと目を瞑っている彼女の腰に目をやると、彼女が剣を帯びていないことに気づいた。どうしてなのかと考えている内に、やがてアリスはゆっくりと丘の上に立ち、蒼い瞳を上条に向けながら言った

 

 

「とうとうこんな所まで登って来てしまったのですね。その名をカミやんと言いましたね。万が一、修剣学院であなたと出会った一週間前、咎人となったユージオの耳元で囁いた言葉が現実のモノとなったとしても、エルドリエ一人で十分に対処できると私は判断しました」

 

「なんだ、聞こえてたのか。なんであんなとこで都合よくアイツとマッチングしたのか、少し気にはなってたんだ」

 

「しかしお前は彼を打ち破り、デュソルバート殿も、そしてファナティオ殿と四旋剣までも討ち倒しこの雲上庭園を踏むとは…正直言って恐れ入りました」

 

「・・・正確には、ファナティオってやつと四旋剣は俺が倒したわけじゃない。左方のテッラっていう、俺とは違う意味でこの世界に敵対するヤツが…殺したんだ。俺が50階に着いた時には、もうソイツしか残ってなかった」

 

「・・・なるほど、先ほど感じた妙な胸騒ぎはそういうことでしたか…。しかし、その敵をお前一人で屠ったのであれば、それはファナティオ殿達を討ち倒したも同義です。一体何がお前にそのような力を与えているのです?どうして人界の平穏を揺るがすような挙に及ぶのです?」

 

「俺はただ、ユージオを助けてこの世界の真実を知りたいだけだ。俺の力なんてのは所詮、ちゃんと在るのかも分からねぇ微々たるモンだ。だけど俺は、俺のことを信じて背中を押してくれた人達に誓って、お前たちには負けられない。だからここまで勝ち続けて来たってだけだ」

 

「・・・やはり、剣の中にその答えはあるということですね」

 

「そう言う割には、お前は剣なんか持ってな……」

 

 

ため息のようにそう口にすると、アリスは傍らの樹に右手を添えた。その刹那、眩いばかりの閃光を放って丘の上の小さな樹が消滅し、アリスの右手に金色の鞘に納められた剣が握られていた

 

 

「なっ!?まさかお前のその剣…もう完全支配状態なのか!?」

 

「それに私が答える義理がありますか?」

 

「ッ!?」

 

 

吐き捨てるように呟くと、アリスはキィン!という甲高い音を響かせながら、金色に煌く剣を鞘走らせた。上条はそれとほぼ同時に背中の盾を左手に装備し、丘の上目掛けて芝を蹴った

 

 

「うおおおおおっ!!」

 

 

アリスは上条が自分に向かってくることなど意に介さず、剣をすっと前に降った。それだけで、黄金の剣の刀身が幾百、幾千の煌めきに分解した

 

 

「な、なにっ!?」

 

 

そしてその無数の輝きが、黄金の突風となって上条へと襲いかかった。上条は咄嗟に右手をその突風へと差し向けたが、異能の力であるはずの黄金の風は打ち消されることなく上条の体を打ち倒した

 

 

「ぐおあああぁっ!?」

 

「私を愚弄しているのですか?抜刀もせずに走り寄り、その上あまつさえ自ら右手を差し出すなど」

 

「な、なにが…どうなって…!?」

 

 

上条の右手は、間違いなく完全支配術の施されたアリスの剣に触れた。自分の右手を幻想殺しに置き換えるイメージも、鮮明に思い描いていた。にもかかわらず、アリスの振るった金色の旋風は、今もなお庭園の中空で渦巻いていた

 

 

「今の攻撃は警告の意味を含めて加減しました。ですが次は天命を全て消し去ります。背中の剣を抜き、お前の持てる力全てを出し尽くしなさい。これまでお前が倒した騎士のためにも」

 

「げほっ…!じゃあそうする前に、一つ教えてくれよ。お前の神器、さっきまで丘の上にあった木が剣になったように見えたんだけどよ…そりゃ一体どういう理屈なんだ?」

 

 

咳き込みながら膝に手を着いて立ち上がった上条は、苦し紛れに笑いながらアリスに言った。そんな彼を嘲笑うかのように無数の金色は主人の身体の周りを覆うようにして煌めきを翻すと、元の剣の姿に戻った

 

 

「これから死にゆく其方に教えても詮無いことですが…天界への道中の慰みに教えましょう。セントラル・カセドラルが立つこの場所は、遥かなる古の時代に、創世神ステイシアによって人間に与えられた、世界の始まりの地でした」

 

「文明の原初にも等しき小さな村の中央には、美しい泉が湧き、岸辺には一本の金木犀の木が生えていました。その金木犀の木こそ、我が神器『金木犀の剣』の原型。つまりこの剣は、人界の森羅万象の中で最も古き存在なのです」

 

「神の作りたもうた原初の樹木が転生した姿…属性は『永劫不朽』。舞い散る花弁のたった一つですら、触れた石を割り、地を穿つのです。解りましたか?お前が如何にして抗おうと、この『金木犀の剣』は決して枯れ落ちはしないのです」

 



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第45話 アリス・ツーベルク

「なるほど…要するに、この世界で一番最初の破壊不能オブジェクトってことか。そりゃ俺の右手じゃ歯が立たねぇわけだ…まぁだからと言って、諦めるわけにはいかねぇけどな」

 

 

上条当麻の右手はSAOや幾つかの仮想世界でも、破壊不能オブジェクトを無効にして破壊することは出来なかった。だからこそ、金木犀の剣が放つ花弁を打ち消すには至らなかったのだと推測した

 

 

(・・・だけど、アリスの完全支配術には俺の右手じゃ絶対勝てない…どうにかしてアレを掻い潜って、カーディナルの短剣を突き刺すには…!)

 

「せめてもの情けです。痛みを感じぬよう、一瞬で天界へと葬ってあげましょう」

 

「ーーーッ!」

 

 

アリスが剣を横薙ぎに振るうと、またしても金木犀の剣の刀身が無数の輝く花弁に変わり、暴風のように荒れ狂った。上条はそれにいち早く反応すると、横に転がり込んで黄金の風から身を逃し、そのままアリスの立つ丘をもう一度登り始めた

 

 

「バカの一つ覚えですか。遅いっ!」

 

 

丘を駆け上がる上条の背後を追うように、金木犀の花弁が迫る。その速度は上条の足の速さを完全に上回っており、その距離をあっという間に詰め寄っていった

 

 

「そらっ!!」

 

 

すると上条は、アリス目掛けて左手の盾を投擲した。しかしそれは、アリス本人を狙った投擲ではなく、アリスのほんの少し手前の丘の地面へ突き刺さった

 

 

「・・・何を…?」

 

「目ぇ閉じてなっ!実際に食らった身から言わせれば、泣くほど痛いぜ!」

 

 

そう叫んだ上条は、自ら突き立てた盾に飛び乗り、盾を踏み台にして足に力を込めて跳躍し、空高く飛び上がった。既に上条の背面直前まで迫っていた金木犀の旋風は、標的の急な動きに対応できず、そのまま正面にいたアリスへと襲いかかった

 

 

「なっ!?ぐうっ!」

 

 

上条の行動は、金木犀の剣を手にするアリスですらも予想外だった。彼女が突然の事態に面食らっている間に、直接の意思を持たぬ金木犀の花弁は一瞬で彼女の体を包み込んだ。そして彼女が咄嗟に腕で頭部を庇っている間に丘へ着地した上条は、一気にアリスとの間合いを詰めきった

 

 

「歯ァ食いしばれ!整合騎士ッ!」

 

「ーーーッ!?」

 

 

上条は右拳にありったけの力を込め、アリスの顔面目掛けてそれを振り抜いた。ゴギィッ!という鈍い音と共に彼の拳がアリスの眉間に突き刺さり、彼女の小さな体はその衝撃に耐えきれず丘の上へと倒れ込んだ

 

 

「うわああああああっ!?」

 

 

横たわったアリスの体は、鎧の重さに負けてゴロゴロと丘の斜面を転がっていき、あっという間に平坦な芝生に投げ出された。そして上条は懐からカーディナルの短剣を取り出すと、丘の上からアリスに向かって飛びかかった

 

 

「いい加減に目を覚ませ!『アリス・ツーベルク』!!」

 

「こ、このっ…!はあああああっ!!!」

 

 

ガィンッ!という金属音と共に火花が散った。彼女の体に短剣の刃があと一歩で届いたというところで、花弁から刃に姿を戻した金木犀の剣がそれを受け止めた。左の鼻から血を垂らすアリスは体を怒りに震わせ、その怒りに任せて強引に金色の剣を振り抜いた

 

 

「あまり整合騎士を…侮るなっ!!」

 

「うおっ!?」

 

 

それはまるで、獣のような腕力だった。その小さな体からは想像もできないような怪力を宿したアリスの一振りは、それ一つでブォンッ!という爆音と暴風を巻き起こした。その風に上条の体はあっさりと吹き飛ばされ、永劫不朽の硬度を持つ金木犀の剣を前に、カーディナルの短剣はあっさりと砕け散った

 

 

「ッ!?か、カーディナルの短剣が…!」

 

「ゆ、許せませんっ…!こんな、こんな屈辱は初めてですよ侵入者…!私の顔に傷をつけるだけでは飽き足らず、整合騎士である私の誉れ高き姓を蔑んだこと!その首に代えても贖えぬ大罪と知りなさい!!」

 

「本当に…本当に忘れちまったのかよアリス!お前の故郷だったルーリッド村のみんなは、お前のことなんかこれっぽちも忘れちゃいねぇんだぞ!お前の親父さんの村長さんや、お前に神聖術を教えた教会のシスター・アザリヤさんも!幼馴染のユージオは当然!お前の妹のセルカだって!お前がいなくなって8年経った今もみんなお前を忘れてねぇのに!なんでお前はそんな簡単にみんなのことを忘れちまったんだよ!?」

 

 

黄金の籠手で己の鼻血を拭きながら金木犀の剣を振りかざすアリスは、その端麗な容姿を怒りで歪めていた。しかしその表情は、立ち上がりながら彼女に語りかける上条の言葉によって、僅かながら陰りを見せた

 

 

「ぼ、妄言を…!私を誑かせて剣筋を鈍らせようという魂胆ですか!愚昧も極まりましたね侵入者!私は天界より召喚されたその時より、この世の正義に忠誠を誓った整合騎士!その私に旧友や家族、ましてあんな人界の北端に位置する農村が私の故郷だなどと…!」

 

「テメエこそ!いつまでその妄言を信じて疑わねぇんだよ!生まれた頃から大人なんて人間は、世界にゃ誰一人だっていねぇんだよ!人間は誰だって小せえ子どもから人生を歩き始めるんだ!そして右も左も分からねぇテメェを育て、手を取って導いてくれる親や友達が誰にだっているんだよ!」

 

 

必死に声を荒げて反論するアリスに決して気圧されることなく、上条は右手の拳を握り締めながら彼女に叫んだ。アリスは上条の迫力に思わず半歩後ずさると、明らかな動揺を見せて口ごもった

 

 

「知った風な口を利くのは止しなさい!それは私が真の人界人ではなく、天から遣わされた整合騎士であるが故に…!」

 

「・・・どうせそれしか言い訳がねぇんだろ。いいぜ、腹を割ってやる。テメエら整合騎士の飼い主は恐ろしいことを企んでる。それを食い止めるために俺はこの塔を昇ってんだ。テメエの中にはテメエが崇拝する最高司祭様に与えられた、そうとしか意識できない命令が存在してる。だからテメエは、自分が本当は誰で、どこで生まれ育ったのか覚えてねぇんだよ」

 

「え、えぇそうです!我々整合騎士は神の代行者たる公理教会最高司祭・アドミニストレータ様によって、秩序と正義を維持するために天界から召喚された存在!地上に使わされた時点で、ステイシア神によって天界の記憶を封じられるのです!ですが決して、意識を曲げられるようなことは…!」

 

「だからテメエは記憶を封じられてるんだ。それをやったのはステイシア神じゃなく、テメエが盲信する最高司祭様当人なんだよ。それに封じられているのは、天界の記憶じゃねぇ。テメエがこの世界で人の子として生まれ育った記憶なんだよ。整合騎士は全員、過去に四帝国大会を制した凄腕の剣士と、過去に禁忌を犯した人達がアドミニストレータに記憶と人格を作り変えられた、元はれっきとした人間だ」

 

「な、なんですって…!?そんな、嘘だ!私は…わたしはっ…!!」

 

「思い出せっ!お前の本当の名前はアリス・ツーベルクだ!北部辺境のルーリッドという小さな村で生まれ育った!そして11歳の時、お前は果ての山脈を貫く洞窟を冒険に行って、人界とダークテリトリーとの境界線からほんの少し外に出たんだ!つまりお前は、ダークテリトリーへの侵入って禁忌を犯して、この教会に連れて来られて、大切な記憶を奪われて整合騎士に変えられちまっただけなんだよ!」

 

「アリス…ツーベルク。それが、私の本当の名前…!?ルーリッド…果ての山脈…思い出せない…何も…思い出せな、うわあああああ…うわああああああああああああ!!!!!」

 

 

アリスが何かを拒むように、黄金の剣をかなぐり捨てて両手で頭を抑え込むと、苦しそうに呻いた。上条はその隙にもう一本残った懐のナイフを向けようとしたが、彼女に駆け寄ろうと脚を前に出した瞬間に思いとどまった

 

 

(ここでコイツを刺してアリスを眠らせて、アドミニストレータから記憶を奪い返した後に、元の記憶を思い出させるのは簡単だ…だけど、だけどそれじゃあ俺だってやってること同じだろっ!たとえ記憶を封じられても、こうして整合騎士として生きてきたアリスの記憶を無視していいわけがねぇっ…!)

 

「負けるなアリス!シンセサイズなんかに負けるんじゃねぇ!気をしっかり持てっ!」

 

「ッ!?」

 

 

気づけば上条は短剣を投げ捨て、苦しむアリスの肩に両手を置いて語りかけていた。アリスはいつの間にか目の前にいた上条に目を丸くして驚いていたが、彼の言葉に耳を傾け抵抗する様子はなかった

 

 

「お前の親父さんはルーリッド村の村長で名前はガスフト・ツーベルク!母さんの名前はサディナ・ツーベルク!さっき言った通り妹が一人いる!セルカ・ツーベルクだ!教会に連れ去られた後も、ずっとお前のことを気にかけていた!」

 

「セルカ…私のっ、妹…!私の…家族…!」

 

「ルーリッド村で暮らしていたころのお前は、神聖術の天才だって言われてたんだ!そんな自分のことのように誇れる姉さんの後を継いで、セルカは立派なシスターになろうと一生懸命頑張ってんだよ!それなのに…それなのに!セルカの姉さんのお前が!セルカのために頑張んなくてどうすんだよっ!?」

 

「ッ!?」

 

 

アリスの脳裏には、薄ぼんやりと小さな女の子の面影が浮かんでいた。記憶の片隅に追いやられた、その記憶すらも追い出されたはずなのに、その姿をどうしても忘れ去ることを本能が拒んでいた。だが、それだけで折れてくれるほどこの世界の理は優しくなかった

 

 

「お前、は…お前は言いましたね。このような反逆を企てたのは、友人を助け、世界の真実を知るためだと。しかし…しかし!最高司祭様より我ら整合騎士に与えられた第一の使命は、ダークテリトリーからの侵入に対する防衛だというのも事実なのです!仮にお前が全ての整合騎士を倒し、最高司祭様をも刃にかけたとして、その時は一体誰が人界を守るというのです!?」

 

「ならお前はっ!お前は整合騎士団が万全の体勢で迎え撃てば、ダークテリトリーの総攻撃を間違いなく撃退できると本当に信じてんのか!?たった30人ぽっちで戦わせようとしてるお前らの神様を、本気で信じてんのかよ!?」

 

「そ、それは…確かに…小父さま…騎士長ベルクーリ閣下も、胸の内には同様の懸念を秘めておいでのようでした。しかしだからといって、人界に我らの他に戦力と呼べるものが存在しないのまた事実ですがっ…!」

 

「それはアドミニストレータが望んで作りだした状況なんだ!自分の完全なる支配が及ばない力が人界に生まれる事を恐れたんだ!自分にとって都合の悪い存在をこれ以上増やしたくない!自分が支配を続けられる世界にしたい!ただそれだけのことなんだよ!」

 

「・・・そんな……」

 

 

それは、アリス自身も疑問に思っていたことだった。アリスは整合騎士の中で騎士長、ファナティオに続く実力者だ。故に彼女自身も、上条の言葉を真っ向から否定することが出来なかった

 

 

「・・・会えるのですか?もし私がお前に協力し、封印された私の記憶を取り戻せたのなら…私はもう一度セルカに、私の妹に会えるのですか?」

 

「!!!!!」

 

 

アリスの心の内側が、決定的に揺らいだ。蒼い瞳の端には、既に涙が光っている。ここで彼女に、セルカに会えるというのは簡単だ、しかしそれでは、今の整合騎士としてのアリスの意思をないがしろにしてしまう。だから上条は、ただ『会える』と言いたい己の心に釘を刺した

 

 

「・・・あぁ、会える。だけどよく聞いてくれ。セルカと再会するのはお前であって、お前じゃないんだ。記憶を取り戻したその瞬間にお前は、シンセサイズの秘儀を受ける前のアリス・ツーベルクに戻る。同時に整合騎士アリスは消滅するんだ。両方の記憶を持つお前を、セルカに会わせることは出来ない」

 

「セルカ…セルカ。思い出せない…顔も声も…でも、この名前を呼ぶのは初めてじゃない。私の口が…心が覚えている。本当に、私には家族が…父と母が…そして血を分けた妹が…この世界のどこかに…」

 

「だからっ!お前が選んでくれ!俺たちにとってはアリス・ツーベルクだったお前が本物のお前だ!だけど、それだけを押し付けることは俺には出来ない!どっちの道を選んでも、俺たちはお前を導いてやれる!だからお前が生きていきたい自分を、お前自身が選んでくれ!」

 

 

蒼い瞳から、涙が頬を伝い落ちた。それは紛れもなく、今のアリスが家族を思う証。上条はそれを尊重した。たとえどこかで失われた記憶と人格でも、新しく与えられた記憶と人格でも、それを彼ではなく、アリスが生きたいと望まなければ意味がない

 

 

「・・・私の心は決まりました。ただ一つ…一つだけ頼みがあります」

 

「・・・あぁ、言ってくれ」

 

「この体に本来のアリスの人格が復元する前に、私をルーリッドの村に連れて行ってくれませんか?そして物影から…ほんの一目だけでいいです。セルカの…妹の姿を…そして家族の姿を見せてほしいのです。それが叶うのならば、今の私は…例え今の私を殺すことになったとしても、私が戦うべき本当の敵と戦えます」

 

「当たり前だ!約束する!誓ってやる!俺も一緒にお前と戦ってやる!」

 

 

アリスの肩に置かれた上条の手に、言葉に、瞳に力が入る。アリスは目の前の彼の真っ直ぐな言葉と瞳を信じる決意を胸にすると、左手で肩に置かれた上条の手を握り、右手を胸に当てて言った

 

 

「・・・ならば私は…ここで私自身に誓います!人界とそこにいる人々を守るため、私アリス・シンセシス・サーティは!たった今より整合騎士の使命を捨て…す…すでっ!?」

 

「・・・アリ、ス?」

 

「ああっ!?うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああAAAAAAAAAAAAAAA?!?!!?!!」

 

 

胸に手を当てて誓おうとするアリスは、声高になりつつあった声を悲鳴に変えて右目を抑え込んだ。上条がその様子に首を傾げていると、右目を抑えるアリスの指の隙間から、彼女の目に映る信じられないものを見た

 

 

(な、なんだこれ…!バーコード!?いや、この世界にそんなものあるわけが…!)

 

「ま、まるで右目が焼けるようです…!それに…瞳の奥に文字が見えて…この文字は、この痛みは…一体っ…!?」

 

 

『SYSTEM ALERT CODE:871』。彼女の赤く染まった右目の中に浮かんだ文字を、そう読み取れた上条は、自分の血の気が引いていくのを肌で感じ取った。ユージオの右目はきっと今のアリスと同じように、禁忌を封じ込もうとするとこの仕組みに抗って吹っ飛んだのだ。そう悟った上条は、両手をアリスの肩から彼女の頬へと添えて、血の気の引いた顔のまま言った

 

 

「だ、ダメだアリス!それ以上何も考えるな!頭を空っぽにしろ!お前に起きている現象は、多分教会に逆らおうとすると発動する心理障壁みてぇなモンだ!そのまま考え続けると右目が吹っ飛ぶぞ!」

 

「ひ、ひどい…こんな…記憶だけでなく…意識すらも、誰かに操られる…なんて。これを…この赤い神聖文字を私に焼き付けたのは、最高司祭様なのですか…?」

 

「い、いや…多分違う…と思う。多分それは…この世界を作り外側から観察してる存在、創世記には登場しない…誰も知らない外界の神がしたことだと思う。少なくとも、俺が話に聞いたアドミニストレータは『システム・アラート』なんてまどろっこしい方法は取らない。アイツなら、もっと強制的に従わせる方法を取るハズだ」

 

「創世記にはない…誰も知らない、神…?私達整合騎士が神の作りたもうた世界を守るため無限の日々を戦い続けても、神は信じてくださらないのですか…?私から家族の…妹の思い出を奪い…その上このような封印すら施して…服従を強要する…なんて…」

 

 

アリスは未だに激痛の走る右目を抑えながら、自分の存在の小ささに歯噛みした。しかし彼女は、それを良しとはしなかった。左目に伝っていた涙を拭い、痛みに消されつつあった自分の覚悟を、もう一度声高に叫んだ

 

 

「わたしは…私は人形ではありません!確かに今ここにいる私の記憶と人格は、最高司祭様の手で作られたものかもしれない!それでも私にだって意思はあるのです!私はこの世界を、世界に暮らす人々を守りたい!それが私の果たすべき唯一の使命です!」

 

「だ、ダメだアリス!もういい!もうお前の決意は伝わった!このままじゃ本当にお前の右目が…!」

 

「いえ…これでいいのです。これで私がこの世界の支配者の呪縛から、何者かの悪しき思惑から解き放たれるというのなら…右目の一つくらい、決して惜しくはありせんっ…!」

 

「アリス……」

 

「カミやん、私をしっかり押さえていて…この目の痛みが気にならないくらい、私をキツく…強く抱きしめて…離さないで」

 

「・・・分かった。お前のその痛みを、俺が一緒に背負ってやる。だから、心置きなく思いっきり叫べ」

 

 

そう言ってアリスは、上条の胸の中に沈み込んだ。上条は彼女の言う通り、鎧の上から自分の腕力が許す目一杯の力で、アリスをキツく抱きしめた。そしてアリスは一度深く呼吸すると、目を見開いて天に向かって叫んだ

 

 

「最高司祭アドミニストレータ…そして名を持たぬ神よ!私は!私の成すべきことを成すために!あなたと刺し違えてでも!最後まで戦ってみせます!」

 

 

アリスが天に向かって叫んだその瞬間、彼女の右目が大量の血を吹き出して弾け飛んだ。それは自分の決意を忘れないために彼女が刻んだ、世界に抗う意志の証明に他ならなかった

 



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第46話 シンセサイズの秘儀

 

ーーー声が、聞こえる。

 

 

『ユージオ…ユージオ…』

 

 

母親が子供の名前を呼ぶような、優しく温かい声。誰しも一度は、こんな風に呼ばれることがある。ゆっくりと廊下を歩きながら、ユージオは自分を呼ぶ温かな声を耳にした

 

 

「母、さん…?」

 

 

木で出来た廊下を軋ませながら歩くと、ユージオは明かりが漏れ出している扉の前に立った。そしてどこか懐かしさを覚えるランプの灯った寝室に『彼女』はいた

 

 

『そこは寒いでしょう?さぁ、こっちにいらっしゃい。ユージオ』

 

 

ベッドに座る彼女は、近づいてくるユージオに両手を差し出した。細い腕、包みこむような広い胸元、そして柔らかな笑顔。気づけばユージオは、彼女の中に飛び込んでいた

 

 

「母さん、母さんなの…?」

 

 

ユージオは夢中で彼女に縋り付いて、顔を埋めた。しっとりした肌が、まるでユージオの全身を包むように蠢く。滑らかな腕が背中を抱き、頭を撫でられるのを感じて、ユージオはそれを渇望するようにしがみついた

 

 

『えぇ。お前のお母さんですよ、ユージオ』

 

「母さん…僕の、母さん…?」

 

『そうですよ、ユージオ。あなた一人だけのお母さんですよ』

 

「でも、父さんはどこ…?兄さんたちは、どこへ行ったの…?」

 

 

母性に満ちたその声に、ユージオは底の見えない充足感を覚えた。心の隙間を埋めていくような、彼女の優しさと、温かさに。けれど、自分の母親は決して自分だけの母親ではない。自分の家族にとっての、みんなにとっての母親だ

 

 

『うふふ…おかしな子ね。あなたは禁忌を犯したのよ?そんな悪い子と、家族が一緒に暮らせる訳がないじゃない』

 

「・・・そうだ…そうだ、僕は…禁忌を…」

 

 

ユージオの瞳から涙が溢れた。どれだけ言い訳をしようと、自分は血に塗れた罪人だ。そんな罪人と一緒にいてくれる人なんて、いるわけがない。そんな言いようのない孤独を感じると、どうしようもなく涙が出てきた

 

 

「僕は、僕は切ってしまった…人の腕を…誰かを殺そうとしてしまった…ごめんなさい…みんな、ごめんなさい…僕は、罪を犯したんだ…」

 

『いいのよ、かわいそうなユージオ。だって仕方がないじゃない。あなたは、どうしようもなく飢えていたんだもの』

 

 

ユージオは、胸に縋るのを辞めて顔を上げた。彼女の言葉に、陰りが見えた気がした。優しく微笑んでいた口元が、少し歪んで見えた。けれど、涙が滲んでそれはよく見えない。彼女の手は頭を撫でるばかりで、視界を塞ぐ涙を拭ってはくれない

 

 

「僕が…飢えている?一体、何に…?」

 

『愛に』

 

 

彼女は、ハッキリとそう言った。その言葉に、気づけばユージオは歯噛みしていた。この人は自分の母親ではない。自分に愛を注いでくれたハズの母親が、こんなことを言うはずがない。ユージオは、眉間に皺を寄せながら低い声で彼女に言った

 

 

「愛…だって?まるで僕が、愛を知らないみたいに…」

 

『その通りよ。あなたは愛されるということを知らない、かわいそうな子だもの』

 

「そんな…そんなことない!あなたは僕の母さんじゃない!僕の母さんは…僕を愛してくれていた!怖い夢を見て眠れない時は、僕を抱いて子守唄を歌ってくれたんだ!」

 

『いいえ、私はあなたの母親よ。私はあなたの愛を知っている。あなたの言う母親の愛は本当にあなた一人のものだったの?違うでしょ?あなたの兄弟に分け与えた余りものだったんでしょ?』

 

「嘘だ!母さんは…僕を…!僕だけを愛してくれていた!」

 

『自分だけを愛して欲しかった。でもそうしてくれなかった。だからあなたは憎んだのよ。母の愛を奪う父を。兄弟を』

 

「ち、違う…!僕は父さんや兄さん達を憎んでなんかいない…!」

 

 

彼女の言葉が、うるさいくらいにユージオの頭の中で反響し始める。決して惑わされないように、ユージオは大きく頭を横に振る。頭に響く彼女の言葉を、全て否定するように。けれど、それでも彼女は語りかけてくる

 

 

『本当にそうかしら?だってあなたは斬ったじゃない。初めて自分一人を愛してくれるかもしれなかった赤毛の女の子…あの子を力づくで奪い、汚そうとした男をあなたは斬った。どうしようもなく憎かったから。あの子がくれるはずだった、自分だけの愛を奪おうとしたから』

 

「違う…違う!僕はそんな理由でティーゼを守ったんじゃない!僕はそんな理由で、ウンベール達に剣を向けたんじゃ…!」

 

『でも、あなたの渇きは癒されない。誰もあなたを愛してくれない。みんなあなたを忘れてしまった。あなたが罪を犯したから。もういらないって捨ててしまったの』

 

「違う、違うよ…僕は…僕は捨てられてなんかいない。僕にはアリスがいる。アリスだけは、僕と一緒にいてくれる…」

 

 

ユージオは震える自分の肩を抱き寄せた。そして脳裏に浮かんだ、大好きだった女の子の記憶を必死に手繰り寄せる。だが正面にいたはずの彼女が、後ろからユージオに這い寄ってその耳元で囁く

 

 

『本当にそうかしら?本当にあの子は、あなただけを愛しているのかしら?』

 

「・・・え?」

 

『見せてあげるわ。あなたが愛した女の子が、本当は誰を愛しているのかを』

 

 

彼女の手の平が、ユージオの視界を塞いだ。そして視界の闇が晴れた時、気づけばユージオはどこかの庭園のような場所に立ち尽くしていた

 

 

「・・・ここは、どこ…?」

 

『ほら、よぉく見て?あなたが愛した女の子が、本当に愛している者の姿を』

 

「か、カミやん…?アリス?二人で一体何を…そんな風に、一緒に抱き合って…まるで、愛し合っているみたいに……」

 

 

芝生が揺れ、小川がせせらぐ、幻想的な庭園の中心に、自分の親友と大好きな女の子が立っていた。するとアリスが上条の胸に顔を埋め、上条もまたアリスの背中に腕を回して、彼女の体を優しく抱きしめた

 

 

『カミやん…………………………私をキツく…強く抱きしめて…離さないで』

 

「・・・・・そんな…嘘だ……」

 

『ねぇ、ユージオ。よく見えるでしょう?聞こえるでしょう?』

 

「い、嫌だ…あの二人が、僕を置いて…こんなの全部、嘘だ…カミやんは僕の親友で…!アリスは、僕が一番好きな女の子で…………」

 

 

アリスと上条が、キツく抱き合っている。お互いを求めるように、強く、深く。親友と、愛する人の、熱い抱擁。ユージオがその光景は嘘だと思うには、あまりに二人は深く交わっていて、あまりに自分は二人より、遠い場所にいた

 

 

『ほらね。もうわかったでしょう?あの子の愛すら、あなた一人のものじゃないのよ。いいえ。そもそも最初から、あなたの分の愛はあの子の中にあったのかしらね?うふふっ』

 

 

そこで、その光景は終わった。ユージオは、天蓋と赤い幕に覆われたベッドの上にいた。目の前にいるのは、やはり『彼女』。ベッドに寝そべった自分を見下ろす女性は、どこか神々しく、この世の何よりも美しいと感じさせる何かがあった

 

 

「でも、私は違うわユージオ。私があなたを愛してあげる。あなた一人だけに、私の愛を全部あげるわ」

 

「僕、だけを…あなたは、僕だけを愛してくれるの…?」

 

「もちろん。さぁ、こっちに来て。ユージオ」

 

 

それは女神の誘惑にも似た、悪魔の囁き。ユージオの感情は、理性は、もう溶けきっていた。彼女は身に纏った紫色のドレスを脱ぎ、艶やかな肌を露わにしていく。ユージオは虜になった。彼女の柔和な肌に、甘い吐息に、全ての感覚を委ねていく

 

 

「あなたは初めて、愛される喜びを存分に味わうことができるのよ。あなたが私を愛してくれたら、それと全く等価の愛を返してあげる。深く愛してくれればくれるほど、あなたがこれまで想像もしなかったような、究極の快楽に誘ってあげるわ」

 

「・・・はい」

 

(愛っていうのは…そういうものなのかな…?お金と同じように…価値で贖う…それだけのものなのかな…?)

 

 

差し伸べられた彼女の両手に、自分の右手を伸ばした。思考が、麻痺していく。記憶が、消えていく。それでも、構わない。消えていく記憶の分だけ、彼女が自分を愛してくれるのなら……

 

 

『ユージオ先輩!違いますよ!ユージオ先輩!』

 

『違うわユージオ!愛は決して何かの見返りに得られるものじゃないのよ!』

 

 

既に名前すら思い出せなくなり始めた赤毛の女の子と、金髪の少女が自分に叫んでいる。遠くから、自分の名を呼んでいる。それも、もう聞こえない。見えない壁で隔たれていく。愛してくれた女の子と、愛した女の子が、自分から遠く離れていく

 

 

『ユージオ!目ぇ覚ませよ!そんなくだらねぇ幻想なんかに負けるんじゃねぇ!ユージオ!ゆーじお!ゆーじ…ゆー……ゆ………』

 

 

剣を教えてくれた、相棒だった、親友だった少年さえも、離れていく。見えない壁の向こう側に、消えていく。もうこの手をどれだけ伸ばしても、ユージオの手は、彼らには届かない

 

 

「欲しいのねユージオ。悲しいことを何もかも忘れて私の愛を貪りつくしたいんでしょ?でもまだ駄目よ。言ったでしょう?まずあなたが私に愛をくれなきゃね。さぁ。私の言う通りに唱えなさい。私だけを信じ、全てを捧げると念じながらね。この世界の管理者『アドミニストレータ』に、全ての愛を……」

 

「・・・はい」

 

 

ユージオにとってはもう、自分を幾重にも包み込む、甘く柔らかな感覚だけが自分の全てだった。自分の口が動き、掠れた声が漏れるのを、まるでソレを他人が声にしているように、ユージオはぼんやりと聞いていた

 

 

「それじゃあまず、神聖術の起句を」

 

「システム・コール…」

 

「そうよ、続けて。リムーブ・コア・プロテクション」

 

「リムーブ…コア…」

 

(ほんとにこれでよかったのかな…?でも、もう嫌なんだ…もう、悲しいのは…辛いのは…誰も僕を愛してくれないのは、嫌なんだ…)

 

「さぁいらっしゃいユージオ。私の中へ…永遠なる停滞の中へ……」

 

「プロテクション……」

 

 

ユージオの意識が、闇に落ちた。しかし、彼がその闇の中でもがくことはない。与えられる快楽という名の毒に、骨の髄まで、心の奥底まで侵されていく。自ら愛を捧げ、彼女の愛に溺れていく。そして最後に彼は、自分の意思全てを母なる女神へと委ねた

 

 



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第47話 失われた右目

 

「システム・コール。ジェネレート・ルミナス・エレメント」

 

 

上条は戦闘で散らした盾や短剣を回収し終えると、雲上庭園の端の壁に身を預けるアリスの目元に左手を当て、神聖術で生成した光素を治癒力に変えた。右目が弾け飛んだ出血はほどなくして止まり、目元に付着した血痕をアリスの手巾で拭き取った

 

 

「とりあえず止血はこれでいいな。どうだアリス?まだ右目は痛むか?」

 

「そうですね、少し…お前に殴られた眉間が痛みます」

 

「え゛」

 

「冗談ですよ。まぁ鼻血が出る程度に痛かったのは事実ですが」

 

「・・・それ冗談になってなくない…?」

 

 

上条に聞かれたアリスは、失われた右目の瞼を軽く触りながら言った。普通に見ればただ片目を閉じているだけのように見えるが、そこから彼女が瞼を持ち上げることはなかった

 

 

「っていうかよくよく考えたら、俺なんかよりアリスの方がよっぽど高位の神聖術使えるよな?アリスなら、この目を完全に治療できるんじゃないのか?」

 

「それはもちろん、私の術式行使権限はお前の比ではないでしょう。しかし失われた眼を復元するに足る量の光素を生成するには、現状では私の体が万全ではありません」

 

「そうか…じゃあしばらく右目はこのままだろうな」

 

「痛みはまだ残っていますし、右側の視界も少し制限されますが、どちらも戦えないほどの問題ではありません。しばらくは、このままで構いません。それに欲を言えば、もう少しこのまま感じていたいのです。私が長年信じてきた、公理教会と戦う決意をした証である、この痛みを…」

 

「・・・そうか。あ、でもこのままだと良くねぇな」

 

 

そう言うとアリスは、右目に当てがっていた左手を外し、今見える視界を脳裏に焼き付けた。すると上条は懐からカーディナルの短剣を取り出して自分の服の裾を切ると、その黒い布の両端を持ってアリスの顔に近づいた

 

 

「ひゃっ!?ちょっ…いきなり何をするのです!?ち、近すぎます!こ、このっ…離れなさい無礼者っ…!」

 

「あぁ!おいコラそんなに動くなよ!ちゃんと結べないだろうが!」

 

 

アリスは急に顔を近づけてきた上条に驚くと、頬を真っ赤に染めながら彼の胸を叩いて抵抗した。しかし上条はそんな彼女のことなどお構いなしで、切り取った黒い布をアリスの後ろ頭で縛った

 

 

「うん。これでよし」

 

「これは…」

 

「まぁ気休めにしかならんだろうけど、眼帯だ。傷口から菌が入ったら大変だからな」

 

「・・・むしろあなたの服に染み付いている汗で菌が繁殖する可能性は考えなかったのですか?」

 

「ぐっはぁ!?そ、そんなストレートに言わなくてもいいんじゃありませんこと!?っていうかそれを考慮した上でカミやんさんは裾を切ったんですよ!?」

 

「まぁ、一先ず礼を言っておきます。それなりにいい生地で縫われた服を、わざわざ裂いてくれたのですからね。ありがとうございます」

 

「どういたしまして。あ、そうだ…」

 

 

そう言うとアリスは、黒い眼帯を自分の手で微調整しながら上条に微笑んだ。それから上条は何かを思い出したように腰回りを弄ると、紫の布から最後の二つだった肉饅頭を取り出し、片方をアリスに向けて差し出した

 

 

「食うか?カーディナル印の蒸し饅頭。結構美味いんだぞ」

 

「蒸し饅頭?呆れました…お前、こんなものを携帯しながら今まで戦っていたのですか?」

 

「悪いかよ。こんな饅頭でも、50階の戦いでは活躍してくれたんだ。それに、天から遣わされた整合騎士様と違って、こちとら食べたい時に食べなきゃ天命がガンガン減るんだ」

 

「あ、あのですね…もう整合騎士の本性を知ったからにはとやかく言いませんが、整合騎士とてお腹は空きますし、食事をとらねば天命も損耗します。ですが、私はこんなものは入りません。大体お前は……」

 

 

ぐぅ〜〜〜っ…という轟音がアリスの話を遮った。しかしそれは上条ではなく、喋っていたアリス本人の腹の虫が鳴いた音だった。恥ずかしそうに顔を赤らめるアリスに、上条は思わず吹き出して笑うと、蒸し饅頭を見せつけながら彼女を嘲笑うような口調で言った

 

 

「ぶふっ…おやおや、体は正直なようで。騎士アリス殿はカミやんさんのコレが欲しくてたまらないんでしょう?ほれほれ」

 

「なっ!?そ、そのような卑猥な言葉…!私を愚弄しているのですかお前は!?切り捨てられても文句は言わせませんよ!私がお前に自ら…か、体を許すなど…!」

 

「ぶーーーっ!?お、お前な!誰がそんなこ……あぁ〜、そういやユージオに最初に出会った時に同じようなくだりやったな…アイツは単純に天然なだけだったけど、幼馴染なだけあって似た者同士ですってか…?まぁちょっと待ちなさいな。冷めてるから少し温める。システム・コール。ジェネレート・サーマル・エレメント。バースト…」

 

「ば、馬鹿ですかお前は!?そんなことをしたら一瞬で黒焦げです!貸しなさい!」

 

 

そう言うとアリスは、あっという間に熱素の神聖術を唱えようとした上条の手から二つの蒸し饅頭をひったくった。そして自分の手の平に乗せた饅頭に向けて、滑らかな口調で神聖術を唱えた

 

 

「システム・コール。ジェネレート・サーマル・エレメント。アクウィアス・エレメント。エアリアル・エレメント。ウォーテックス・シェイプ。バースト」

 

 

アリスが唱えると、二つの饅頭をドーム状の膜が覆い、その中で水素や風素を利用し熱素で蒸気を発生させると、膜が消える頃にはホカホカの湯気が立つ、文字通りの蒸し饅頭に様変わりしていた

 

 

「おお!まるで出来立てだ!」

 

「あ〜ん……」

 

「えっ、ちょっ!?それ一つは俺のなんですけどおおお!?」

 

「先の侮辱のお返しです。少しは気が晴れました」

 

「ど、どうもすいませんでした…」

 

 

そう言ってイタズラっぽく微笑むと、アリスは上条に饅頭を一つ手渡した。そして二人で肉餡の詰まったそれに仲良く嚙り付くと、あっという間に最後の一口まで飲み込んだ

 

 

「なるほど、確かに美味ですね。お前が言うだけのことはあります」

 

「カミやんさんとしては、道具もなにもなしに、エレメントだけでここまで上手く饅頭を蒸せるとは思いませんでしたよ。流石は料理上手なセルカの姉なだけある」

 

「・・・セルカは…妹は料理が上手なのですか?」

 

「あぁ。なんだったらお前は昔、ユージオに弁当を作ってたらしいぜ?」

 

「ユージオ…私が一週間前に連行した咎人に、ですか?そうだったんですか…私は整合騎士となってからは、料理など全く…」

 

「まぁそんな鎧着ながら料理してたら、逆に拍子抜けだろ…っと、こんなことばっかしてらんねぇな。腹はふくれた」

 

 

そう言うと上条は、壁に背を預けるのを辞めて膝に手をついて立ち上がると、自分が入ってきた扉とは逆に取り付けられた扉の方へ目をやった

 

 

「アリス。ここから先の20階までに、俺の敵になりそうなのは、他に何人いる?整合騎士以外も含めて」

 

「・・・この先にいるはずなのは、90階の大浴場に騎士長ベルクーリ閣下が。そして96階から上には『元老院』という区画が存在すると聞いていますが、騎士の立ち入りは制限されているので、私にも元老たちの全容はほとんど分からないのです。しかし『元老長チュデルキン』は司祭様に絶対の忠誠を誓っている故、間違いなく私たちの前に立ち塞がると考えても良いでしょう」

 

「なるほどね…その元老に行くにしても、とりあえずは90階にいるベルクーリを倒さないとお話になりませんってことか。やっぱり強いのか?その騎士長閣下は」

 

 

上条が首を傾げながら訊ねると、アリスは小さくかぶりを振った。そして自分も膝に手をついて立ち上がると、真剣な表情で言った

 

 

「強い、などという次元ではありません。かくいう私も、立ち合いで勝ちを収めたことは一度もありません」

 

「そ、そんなに…じゃあ具体的に神器とか、武装完全支配術を見たことはあるのか?」

 

「小父様は剣技の技倆も超一流ですが、武装完全支配術に至っては、もはや神の御業と呼ぶに相応しき術式です。あの方の持つ神器『時穿剣』は、元々セントラル・カセドラルに備わっていた『時計』という神器の針を素材にして作られ、その名の通り時間を貫く力を持っています」

 

「じ、時間を貫くぅ…?」

 

「小父様の剣が切った空間には、斬撃の威力が残り続ける…と言えば伝わるでしょうか。たとえ打ち込みを回避し続けても、いつの間にか眼に見えぬ刃の檻に囚われてしまうのです。下手に動けばその残存し続ける刃に触れて手足、あるいは首が落ちますし、さりとて動かねばただの的となるだけ。小父様と戦う者は、最後に必殺の一撃を木偶人形のように受けるしかないのです」

 

「へぇ…なるほど。それじゃあ多分、ソイツとの戦いは俺の得意分野だな」

 

「・・・は?と、得意分野って…それはどういう…」

 

 

自分の右拳を左の手の平に打ち付けながら言うと、上条はドアに向かって歩き始めた。そしてアリスは彼の言葉の意味が分からないまま、呆けた声を出して彼の後を追った

 

 

「とりあえず、アリスはその騎士長とは戦わなくていい。実際に切ろうと思って相対すれば、色々と戸惑いだって生まれてくるだろ。だから俺と騎士長の戦いを後ろから見てくれれば、それでいい。さっき言ってた元老長とか、アドミニストレータと戦うまで体力を温存しておいてくれ」

 

「分かりました。その方が助かります。ですが、あなたが目に見えてピンチに陥ったと判断すれば、たとえ小父様が相手であろうとも、私は迷わず剣を抜きます」

 

「頼もしいぜ。それじゃあ時間もない。行こう」

 



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第48話 ベルクーリ・シンセシス・ワン

 

「大浴場に着いたけど、本当にこんなとこに騎士長がいるのか?仮にいるとしても、このまま風呂場で戦えってのか?」

 

「そんなことを私に聞かれても困ります。私はどこにいるのかと聞かれただけで、戦う場所までは考えてはいません」

 

「・・・いや、向こうさんはどうやらここでやる気みたいだ。こっからでも分かる…とんでもねぇ威圧感だ」

 

 

上条とアリスは大浴場の扉を開けて中に入ると、分厚い湯気の霧に出迎えられた。そして濡れた石畳の床を歩いていくと、霧の向こうで湯船に浸かる人影とその存在感に上条が気づいた

 

 

「よう、遅かったじゃねぇか。危うくのぼせちまうとこだったぜ」

 

「・・・アンタが騎士長ベルクーリか?」

 

「おっと、既に聞き及んでくれてるとはな。隣のお嬢ちゃんに紹介でもしてもらったか?」

 

「小父様……」

 

 

ザバーッ!という音と共に、ベルクーリが全身から滝のように水を落として身を起こした。湯気越しにも分かるその大柄で強靭な肉体には、おびただしいほどの傷跡が刻まれており、その男の強さをまざまざと語っているかのようだった

 

 

「・・・あー…嬢ちゃんもいる手前、そんなジロジロ見られてると着替えづらいんだが」

 

「あっ!も、申し訳ありません!」

 

「おっと、お前さんは別に見ててもいいんだぜ?」

 

「誰が進んでおっさんの裸なんぞ見るか!?」

 

「そうかい。それじゃすまんな、ちょいと向こうでも見といてくれ。なんだったら、俺の自慢の神器を見学しくれてもいいんだぜ?」

 

 

そう言われた上条とアリスはベルクーリの180度反対に体を向けると、つづらのような籠に刺してあった一振りの剣を見た。それは上条がこれまでの仮想世界で見たどの剣よりも巨大な体躯を誇る、黒の中に僅かな青がかかった大剣だった。まじまじとそれを見つめていると、突然その大剣が宙に浮かび上がり、自分の向きとは逆に吸い寄せられるように飛んで行った

 

 

「なっ!?」

 

「よう、待たせたな」

 

 

剣が宙を泳いでいったその先には、薄手の青い衣を羽織って腰回りを帯で巻いたベルクーリが立っていた。そしてその手には、彼の神器と思しき大剣が握られており、その重さを感じさせない素振りで悠々と肩に担いだ

 

 

「い、今の…どうやったんだ?」

 

「ん?あぁ…『心意の腕』つってな…ちょっと理屈じゃ説明しづれえんだ。そいつぁまたの機会にしてくれ」

 

 

ベルクーリは深みのある錆び声が似合う、剛毅な風貌を醸し出す男だった。口元や顔に刻まれた皺と顎に生えた無精髭は、彼が既に40前後の歳を重ねていることを暗に示していた

 

 

「んで、とりあえず俺も色々聞きてえんだが…まずその、なんだ。副騎士長は…ファナティオは死んだのか?」

 

 

素っ気ない口調で、ベルクーリは言った。それからすぐ視線を横に逸らしたことから、彼は不器用に自分の態度を取り繕っているようだと上条には思えた。おそらく彼は、本心ではファナティオという今は亡き騎士のことが気になって仕方がないのだろうと察すると、絞り出すような声で上条が答えた

 

 

「・・・悪い。俺が50階に付いた時には、もう…」

 

「・・・って言うとなんだ、お前さんが殺ったわけじゃ…ねぇんだな?」

 

「あぁ…俺はここに来るまで、整合騎士は誰一人殺してない」

 

 

上条がベルクーリの蒼く強かな目を真っ直ぐに見つめながら言うと、大浴場はしばしの沈黙に包まれた。そしてその沈黙に染み入るようにベルクーリは深くため息を吐くと、夕暮れに染まる大浴場の外を見つめながら言った

 

 

「・・・まぁ、嬢ちゃんがお前さんの隣に立ってここにいるってこたぁ、そういうことなんだろうな。しかしそうか、ファナティオが…今日は、多くを失った……」

 

 

そう語るベルクーリの横顔は、憂いに満ちていた。彼はあの女性に、一体何を思っていたのだろうか。上条にその答えは分からない。だが少なくとも今目の前にいる剣士は、手を合わせずとも、心を重ねることで、ファナティオを手厚く弔っているように見えた

 

 

「湿っぽい雰囲気にしちまって悪かったな。そんでファナティオの敵はお前が討って、アリスの嬢ちゃんは、今はそこの坊やに味方してる…ってことでいいのか?」

 

「はい。私は最高司祭アドミニストレータに、そして名を持たぬこの世界の真の神への反抗を…隣に立つカミやんと共に私の心に誓いました」

 

 

ベルクーリに訊ねられたアリスは、一歩前に出て右手を胸に当てながら彼に言った。ベルクーリはアリスの眼帯を見ると、まるで何かを喜ぶように微笑んだ

 

 

「・・・あぁ、そうか…その眼帯、右目。ついに嬢ちゃんはあの壁を超えたんだな。この俺が300年超えて破れなかった、右目の封印を…」

 

「小父様…」

 

「そんな顔すんじゃねぇ。美人が台無しだぜ。それに、俺は嬉しいんだ。これでもう俺が、嬢ちゃんに教えることはなにもねぇ」

 

「そ、そんな…!そんなことはありません!私はまだ小父様にもっと教わりたいことが、たくさん…!」

 

「いいや、そんなこと教えなくたって大丈夫さ。今の嬢ちゃんなら出来る。この歪んだ世界を…あるべき形へ導くことが」

 

 

ベルクーリの言葉に感極まったのか、アリスはそれ以上は何も言わずに口元を覆って涙を流した。そんな彼女の様子にベルクーリは苦笑を浮かべると、上条の方を向いて穏やかな声で言った

 

 

「なぁ坊や。手を焼くじゃじゃ馬娘だろうが、これから先、嬢ちゃんのことを頼んだぜ」

 

「・・・任せてくれ。たとえ俺の命に代えても、アリスを必ず守る」

 

「いい返事だ。さて、これで俺の役目は全て終わった。だが、俺は腐っても騎士だ。元老長の野郎に逆らえねぇのは癪だが、仕事をこなさないわけにゃいかねぇ。かといって、お前さんたちの背中を押してやらなきゃ、漢が廃るってもんだ。なんともまぁ面倒なジジイだと思うだろうが、ちょいと最後に付き合ってくれ」

 

 

そう言うとベルクーリは、時穿剣の柄を逆手に取ると、刀身を鞘に収めたまま石畳に突き刺した。そしてがらんどうになった両手で拳を作ると、脚を肩幅に開いて低く腰を落とした

 

 

「どうだい、侵入者の坊や。元老長から聞くところによると、お前さんはここまで立ち塞がった俺たち整合騎士を、その右手で叩き伏せてきたらしいじゃねぇか。そのお前さんの流儀に則って、ここで俺と拳で語り合うってのは」

 

「・・・それでいいのか?おっさんは俺をここで切らなかったら、いずれアドミニストレータや、元老とかいう連中に…」

 

「おいおい、俺はお前さんに嬢ちゃんを頼んで、お前さんはそれに答えた。その俺がどうしてお前を切らなくちゃならねぇんだ。それとも何か?嬢ちゃんを守るって坊やの覚悟は、俺なんかも倒せないくらい薄っぺらいモンなのか?」

 

「・・・分かった。いいぜ、望むところだ」

 

 

上条はベルクーリの挑戦を受け取ると、斜めがけにしていた剣帯を外した。ガアンッ!という音を立てて剣帯に付けられた盾と翡翠色の剣が石畳に落ちると、上条も腰を低く落として右手で拳を握った

 

 

「おおっ…いいな坊や。紛れも無い猛者の面構えだ。嬉しいぜ、お前さんみたいなのとこうして闘り合えるってんなら、整合騎士ってのも存外悪くない」

 

「おっさんの方こそ、騎士の割には妙に拳の握り方がサマになってるじゃねぇか。そんなことより、早く闘ろうぜ。俺にはあんまり時間がねぇんだ」

 

「そいつぁ失礼した。それでは整合騎士長!ベルクーリ・シンセシス・ワン!参る!」

 

「うおおおおおっ!!」

 

 

その掛け声と共に、石畳の湯水をバシャバシャと蹴りながら上条は駆け出した。ベルクーリは低く落としていた腰をより深く引き落とすと、右拳を引いて渾身の正拳突きを繰り出した

 

 

「ぜあっ!」

 

「ゔっ!?おえっ…」

 

 

ベルクーリの右拳は、上条の鳩尾に的確に突き刺さった。そのあまりの威力と衝撃に、上条は胃袋そのものが喉にせり上がってくるような感覚に膝を着きそうになったが、歯を食いしばってそれに耐えると、落ちそうになった足腰を踏ん張り、右拳でアッパーを突き上げた

 

 

「オラァッ!」

 

「ぬおっ…!?」

 

 

上条の右拳はベルクーリの顎を捉え、彼の頭部をまるごとかち上げた。彼の強靭な肢体が一瞬宙に浮いたがすぐさま地に足を戻すと、切れた唇の血を口から吐き出して弾けたように笑った

 

 

「かっ!コイツぁいいね。腹の底まで響いてきやがる…確かに他の整合騎士を倒してここまで登って来たってのも納得だ。だが!俺がくたばるにはまだまだ足りねぇぞ小僧ぉ!」

 

「おおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

その光景をずっと見ていたアリスは不思議でたまらなかった。ベルクーリと上条は、明らかな体格差があるというのに、ほぼ互角に拳を撃ち合っている。常識的に考えれば、体格的に遥かに勝るベルクーリに上条が敵うはずがない。歳で体力が衰えつつあるベルクーリがあんなに何度も拳に打たれて応えないハズがない

 

 

「おおおおおおおおっっっ!!!」

 

「ああああああああっっっ!!!」

 

 

だと言うのに、アリスの前に立つ両雄は、なおも拳を向け合った。上条とベルクーリの体は既に青痣だらけで、何度も殴られた顔は血で塗れていた。だが、彼らはその痛みすらも感じていないように笑い合っていた

 

 

「がっはっはっ!ぜりゃあっ!」

 

「ごっ………あ……!?」

 

 

弾けるように笑ったベルクーリの鉄拳が、上条のこめかみを殴打した。上条は飛びそうになった意識を手繰り寄せると無我夢中で左足を突き出し、固く握った右手を振りかぶった

 

 

「うぅぅぅおおおおおおおおっ!!!」

 

「ぐおあっ!?小僧、まだーーー!?」

 

 

上条がもう一度己の顔を打ちに来たベルクーリの顔面に、ペキペキッ!と細かく骨が割れる音を伴わせながら、ありったけの拳を打ち付けた。ベルクーリがその一撃に後ずさると、上条は畳み掛けるようにベルクーリの懐に潜り込んで拳を振りまくった

 

 

「ベルクーリィィィッッッ!!!」

 

 

殴る、殴る、殴る、殴る。右手をひたすら反復運動させ、上条の拳はベルクーリの顔面に9発叩き込まれた。ここが勝機。圧倒的な体格差と力の差をひっくり返すには、自分にはもうこの瞬間しかない。上条は運動神経にそう命じて、10発目を振りかぶった…その時だった

 

 

「ぐうっ…!おああああーーーっっ!!!」

 

「ヅッーーー!?」

 

 

ベルクーリが吠え、喉元に強烈な一撃を喰らった上条の体が紙切れのように飛んだ。だが、それがどうしたと言わんばかりに上条は立ち上がる。分かっていた、この程度で勝てる相手ではない。ベルクーリはあまつさえ剣を置き、自分に戦いの土俵を合わせている。それが、一方的に九発の拳を喰らったぐらいで倒れるわけがない

 

 

「ベルクーッ…!!」

 

 

己の意地を懸けた拳の打ち合いはまだ終わらない。その場にいる三人の誰もが、そう信じて疑わなかった。しかし、バシャッ!という水が弾ける音を最後に、窓から差し込んでいたソルスが沈み、大浴場に暗がりが訪れた

 

 

「・・・ーリ…?」

 

 

整合騎士最強の男が、顔を下にして伏していた。そのあり得ない光景に、上条は言葉を失っていた。伏している男は、まだまだ当然に自分に襲いかかってくると信じていた。ベルクーリ・シンセシス・ワンの最期は、彼のそんな期待を裏切って、突然に訪れた

 

 

「お、小父様っ!?」

 

 

突然のことに呆気に取られて動けずにいる上条の横から、アリスがベルクーリの元へ駆け寄った。アリスは湯水に濡れる彼の体を支えながら仰向けに起こすと、目を瞑る彼の上半身を必死に揺すり始めた

 

 

「大丈夫ですか小父様!小父様っ!?」

 

「・・・へ、へっ…お楽しみは、もう…終わりか…やっぱり歳ってのは、取りたくっ…ねぇもんだな…」

 

「ッ!?お、小父様…まさか、もう既に天命の総量が…!?」

 

「あぁ…最初から分かってはいたさ。まだまだ現役張れる程度には元気だが、俺と坊やじゃあ…マトモに殴り合えば天命の総量が少ねぇ俺の方が先に倒れるってことくらい…」

 

「だ、だからって…何もここまですることは…!」

 

「悪いな嬢ちゃん、これしか思いつかなかったんだ。俺はどうやっても上の連中の指示にゃ逆らえねぇ。絶対に俺が負けてやれる方法は…これしか……」

 

「小父様…小父様っ!?小父様っ!?」

 

「あ、あっはっはっは…心配すんな、嬢ちゃん。まだ俺は死んじゃいねぇよ。なぁ坊や…そういやまだ名前を聞いてなかったな」

 

「・・・カミやんだ」

 

 

必死にベルクーリを揺り起こすアリスの頬からは、既に涙が伝い落ちていた。その冷たくも暖かい感触にベルクーリは恥ずかしそうに笑うと、自分の元に歩み寄ってきた上条に名前を訊ねた

 

 

「なぁカミやん、最後に教えてくれ。整合騎士ってのは…一体何なんだ?嬢ちゃんが連中に逆らえるようになったってことは、俺たちは…天から使わされた騎士じゃあねぇんだろ?」

 

「・・・整合騎士ってのは、お前も、ファナティオも、デュソルバードも、エルドリエも、もちろんアリスも、みんな元は人間なんだ。整合騎士は優秀な剣士や、過去に禁忌を犯したりした人間の記憶をアドミニストレータが封印して、天から召喚されたって記憶や人格を新たに統合された存在なんだ。カセドラルの統治を絶対にするために、偽物の記憶を魂に刻まれて作り出された騎士…それが整合騎士だ」

 

「記憶を、封じただと…?なるほどなぁ…俺も自分が天界から召喚された神の騎士だっつー話には…長い事飲みこめねぇもんを感じてたんだ。さて、記憶を封じられる前の俺は一体…どういう人間だったんだろうな…」

 

「・・・俺がユージオから聞いた話じゃ、アンタはお伽話に出てくる英雄だったらしい。ルーリッドの村でアンタの名前を知らない人はいないって…そう言ってたよ」

 

「はっ…お伽話の、英雄か…そりゃあ…楽しそうで…結構な、こと…だ………」

 

「小父、様…?小父様!?小父様っ!?」

 

「あぁ、大丈夫だファナティオ…俺も今…そっちに………」

 

 

アリスがベルクーリに必死になって呼びかけても、ベルクーリは今度こそ閉じた瞼を開けることはなかった。それでもアリスは縋り付くようにベルクーリの手を左手で握ると、かつて上条達がゴブリンと戦った時にセルカが唱えたのと同じ、天命移動の神聖術の詠唱を始めた

 

 

「システムコール!トランスファー・ヒューマン・ユニット・デュラビリティ!セルフ・トゥ・レフ……!」

 

「アリス、もういい…」

 

 

しかし、アリスの天命の光がベルクーリに移動し始めたところで、上条がアリスの左手に幻想殺しで触れ、強制的に彼女が唱えようとした神聖術の起動をキャンセルした

 

 

「なっ!?ど、どうして止めるのですカミやん!?私は小父様を………!」

 

 

ベルクーリの傍らで膝をつく上条は、彼のステイシアの窓を開き天命の数字に目をやっていた。その数字は既に0どころか、マイナスを大きく振り切っていた。上条はこの状態でなおも立ち上がっていた最強の騎士に驚愕すると共に、小さく首を振りながら言った

 

 

「・・・もう、天命を分けても意味がない…」

 

 

その言葉で、アリスは全てを悟った。あまりにも綺麗で安らかな、眠っているような顔。天命値移動の術式は天命がまだ残っている者にしか効果がなく、天命の尽きた相手に使っても自分の天命が減るだけだ。絶対に覆すことのできない、この世の理。永遠の眠りについた者は、もう二度と目を覚ますことはない

 

 

「多分ベルクーリは…自分でも言ってた通り、最初からこうするつもりだったんだ。きっと…自分が一番長い時間を共にした整合騎士と、同じ場所に行きたかったんだ」

 

「あ、あああああ……」

 

 

ベルクーリの最後の言葉は、この場にはいないファナティオ・シンセシス・ツーに語りかけるような声だった。それはきっと、彼の意識が今は亡き彼女の姿が見えるところまでいってしまったのだと、アリスにもはっきりと分かってしまった

 

 

「小父様…おじ、さま…ベルクーリおじさまあああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 



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第49話 元老院

 

「システム・コール。ジェネレート・ルミナス・エレメント」

 

 

このアンダーワールドにおいて、風呂場では身体の回復に必要なエレメントが発生しやすいという性質がある。アリスが上条に向けて神聖術を唱えると、大浴場の膨大な量のお湯がそれに呼応するように発光し、上条の元にその光が収束していくと、彼の体の青痣や傷口が瞬く間に治っていった

 

 

「ありがとな、アリス。おかげで助かった」

 

「いえ、これは私の力というより、この大浴場の空間神聖力による恩恵がほとんどです」

 

 

謙遜しながら言うと、アリスは浴室の壁へと視線をやった。そこには壁に身を預けて永遠の眠りにつくベルクーリと、時穿剣が主人に寄り添うように立てかけられていた

 

 

「・・・えっと、アリス…」

 

「いえ、分かっています。小父様は我らに仕掛けられた右目の封印をご存知だった。それは即ち、全整合騎士を束ねるベルクーリ・シンセシス・ワンをして、公理教会の支配を盲目的に善しとはしておられなかったということです。最後に一目、小父様と会えて良かったです。これでもう、私の心が揺らぐことはありません」

 

 

今は亡きベルクーリを遠い瞳で見つめるアリスに上条が声をかけようとすると、アリスはそれを断ち切るように言って立ち上がり、もうそれ以降振り返ることはなかった。彼女に続いて上条も立ち上がると、眠るベルクーリに頭を下げて踵を返した

 

 

「この大浴場は90階、次の敵が待っているであろう元老院は96階にあります」

 

「たしか…元老長チュデルキンとか言ったな。ソイツは強いのか?」

 

 

大浴場の扉を開け、続く廊下を歩きながらアリスが言った。そして次に自分達の前に立ちはだかる敵について上条がアリスに訊ねると、アリスは実にバツの悪そうな顔で答えた

 

 

「私が出会った元老長チュデルキンは、色鮮やかな赤と青の道化服を着た肥えた小男でした」

 

「・・・なんか、威厳もへったくれもない格好だな」

 

「侮ってはいけません。ヤツはとても陰湿な性格でズル賢い人間ですが、驚くほど高位な術式行使権限を持ち、ヤツが唱える神聖術の強大さは我々の物差しで測れるものではありません。教会内でも、最高司祭様に次ぐ能力を持つであろう術者ですから」

 

「じゃあ、剣の腕はそう大したことはないってことか?」

 

「ええ、元老たちは武器を使った近接戦闘力は一般民と大したことはないはずです。しかし奴らは最高司祭様に絶対の忠誠を誓い、もし最高司祭様の身に危険が及ぶ恐れがあれば、その命を投げ出すことすら厭わないと私は思っています。もっとも、それすらも最高司祭様がそう仕組んだものかもしれませんが。あの方の行いは、人の考えが及ぶところではありません」

 

「その言い方…アリスはひょっとして、アドミニストレータと話したことがあるのか?」

 

「一度だけ」

 

 

上へ続く階段を登りながら口にした上条の問いかけに、アリスは表情を引き締めながら静かに頷いた。そして右腕で左腕を抱くようにして、隻眼になった瞳を伏せながら続けた

 

 

「もう6年前になりますが。過去の記憶をすべて失った状態で目覚めた私は、召喚師であり人界における神の代行者でもあるという最高司祭様と対面しました」

 

「それが今のお前の…整合騎士になった最初の記憶ってことか?」

 

「そうなります。最初に私の視界に飛び込んできたのは、あらゆる光を跳ね返す鏡のような銀色の瞳でした。そう…今ならわかります。あの時私は、最高司祭様を深く恐れた。決して逆らってはいけない…お言葉の一片たりとも疑わず全てを捧げて仕えねばならない…そう思わせたのはきっと、圧倒的なまでの恐怖…だったのでしょうね」

 

「圧倒的な…恐怖……」

 

「ですが、私はもう決めたのです。遥か北方の地で暮らす妹のために、まだ見ぬ家族、そして多くの民のために正しいと信じた事を行うと。その為ならば、あの恐怖にさえ私はきっと立ち向かっていけます」

 

 

アリスが胸の内の不安を言葉にして払拭した頃には、二人の足は95階に到達していた。しかしそこは驚いたことに、今までとはうって変わって壁のない、三メートル感覚で配置された円柱が天井を支えている展望デッキのような場所だった

 

 

「う、おお…ここに来てまさかの素通し構造かよ…」

 

「ここは『暁星の望楼』と呼ばれています。この階だけは唯一、カセドラルの中で外の空気を吸える場所になっています」

 

「・・・ひょっとして最初に飛竜の一匹でもひったくって、ここまで全部すっとばしてくればあっという間だったんじゃ…」

 

「飛竜が飛んで来られるのは30階の発着台までです。それどころかカセドラルの上層には、鳥すらも近寄れないのです。詳細は私も知りませんが、最高司祭の特殊な術式が働いていると聞いています」

 

「やっぱりその辺は考えて徹底してやがりますか…それじゃ、ここは景色を楽しむなら星の出てる夜限定だな。もっとも、今は楽しむつもりなんて毛頭ねぇが」

 

 

そう言って暁星の望楼をあっという間に通り過ぎると、上条とアリスは上に続く階段を上がって96階の床を踏むと、薄気味悪い緑色のランプで足元を照らしている通路を進み始めた。するとその奥に、片開きの小さな扉が見えた

 

 

「この先が元老院…なのか?」

 

「ええ、そのハズですが…入ってみれば分かることです」

 

 

迷いを振り切るように、アリスは金色の長髪をなびかせながら扉をくぐった。しかしその先には部屋が広がっているわけではなく、まだ少し通路が続いていた。するとその通路の壁に反響するようにして、何重にも重なった謎の声が聞こえてきた

 

 

「うわ、気味悪いな…なんだこの声?」

 

「・・・神聖術…」

 

「え?あ、本当に神聖術の詠唱だ…だけど、なんでこんな所で……?」

 

「向こうに明かりが見えます。行きましょう」

 

 

アリスが指をさした先には、小さな光が差し込む空間があった。上条はそれに頷くと、アリスと共に神聖の式句が反響する通路を抜けた。するとそこには、またも驚くべき光景が広がっていた

 

 

「こ、これは…!?」

 

 

アリスはその空間を目にするなり鋭く息を飲んだ。円形に広がる床から湾曲する壁が伸びており、その先の天井は闇に沈んで見えない。その膨大な高さを誇る壁に等間隔で、透明な窓が取り付けられていた。そしてその窓から覗ける中には………

 

 

「生、首…!?」

 

 

人間の頭があった。全ての窓から、おびただしい数の人間の生首を視認することができる。その首の口は、絶えず動かされている。きっと、通路に反響していた神聖術はこの首達が唱えていたものだろうと上条は悟った

 

 

「い、いえ…体は付いているようですが、その…壁から生えているような…よもや、コレが元老院の実態…ということですか…?」

 

 

アリスに言われて上条は目を凝らしてみると、窓は壁ではなく四角い箱のようなものに備え付けられているのに気づいた。恐らくその中に、生首の体が収納されているのだろう。しかし、箱詰めの人間達は自分の置かれた状況を理解しているのかそうでないのか、表情の一切ない生首というよりは骸骨のような人間だった

 

 

「こ、コイツら…ひょっとして、ライオスとウンベールの時のヤツか!?」

 

 

上条には、その生白い肌と毛も何も一切生えていない、ガラス玉のような白い目をした人間達に見覚えがあった。それは自分達が禁忌を犯した夜の最後に、紫色の窓から姿を見せて謎の言葉を発した生首に酷似していた

 

 

「知っているのですか!?」

 

「あ、あぁ…間違いねぇよ。俺たちが禁忌を犯した時、この顔が部屋の隅に現れたんだ。多分コイツらが唱えてる神聖術は、そういった禁忌の違反を監視するためのモンだと思う」

 

「とすると…彼らが人界の法を治める公理教会の元老…この光景を作り出したのも、最高司祭様なのですか…?」

 

「多分な…きっと人界のあちこちから高位の神聖術を使える人間を拉致して、元老院なんて形だけの監視装置に作り替えたんだ」

 

「ゆ、許せない…!人の証たる知性や感情すらも取り上げ、こんな小さな箱に押し込めて人としての自由を奪うなど…!もはやこの場所には、いかなる正義や名誉も存在しません!」

 

 

改めて眼前に広がる残酷なまでの光景に息を飲むと、アリスが怒りに震えながら自分の拳に力を込めた。その怒りのままに剣を抜いてここを破壊しようと思い立つより一瞬早く、広間の奥から甲高い金切り声が響いてきた

 

 

『あー!あー!そんな!最高司祭様!勿体ない!いけませんよぉーっ!』

 

「・・・なんだ?神聖術じゃない、普通の声が…」

 

「行きましょう、恐らくこの道の奥です。足音を立てぬように」

 

 

上条とアリスは顔を見合わせると、互いに頷いて広間から更に奥へ続く通路を、声を殺して慎重に進んでいった。そしてその先には、なんとも目に痛い原色だらけの人形や玩具がとっちらかった部屋があった

 

 

「ホオオオオオッ!!ホオオオオオッ!!」

 

「・・・あいつが?」

 

「ええ、元老長チュデルキンです」

 

 

その部屋の中心に、二人に背を向けながら奇声を発する男がいた。アリスの記憶に正しく、青と赤の道化服を着た小太りの男。元老長チュデルキン。小太りの男の背中越しにしか見えないが、彼はなにやら水晶玉のような物を覗き込みながら必死に叫んでいるようで、その背中はまるで隙だらけだった

 

 

「どうする?今なら隙だらけだ。問答無用でぶった切……」

 

「ホオオオアアアッ!?」

 

「・・・え?ちょ、アリスさん!?」

 

 

上条が背中の剣の柄に手をかけて提案している時には、もう既にアリスは五歩床を蹴ってチュデルキンの胸ぐらに両手で掴みかかっていた。そして腕に力をこめると、彼の体をいとも簡単に宙に浮かせた

 

 

「術式機構を唱えようとすれば、その舌を根元から切り飛ばします」

 

「お前…30号!何でこんな所にいるんですよ!?しかもそっちの侵入者と一緒になんて!?」

 

「私を番号で呼ぶな!私の名はアリス…そしてもうサーティではありません!」

 

 

冷徹な声でアリスが脅迫すると、チュデルキンは持ち前の金切り声でアリスを整合騎士の番号で呼んだ。アリスはその呼ばれ方を訂正して怒りを露わにすると、元老長は動揺しながら上条を指差して言った

 

 

「お…お前!どうして!?30ご…騎士アリス!なぜこの小僧を斬らないんですよ!?こいつは教会への反逆者!ダークテリトリーの手先だと言ったじゃないですか!?」

 

「確かに彼は反逆者です。しかし闇の国の先兵ではありません。今の私と同じように」

 

 

動揺するチュデルキンとは対照的に、アリスは静かな声で言った。すると釣り上げられたチュデルキンの短い手足がバタバタと動き出し、血色の悪い白がかった顔に皺を寄せて声高に叫び始めた

 

 

「て、テメエっ…!裏切る気かー!このクソ騎士風情がー!てめぇら整合騎士は単なる木偶のくせに!私の命じるまま動く操り人形だ!えぇおいっ!?」

 

「我らを人形にしたのは公理教会でしょう。シンセサイズの秘儀によって記憶を封印し、強制的な忠誠心を埋め込んだ上で天界から召喚された騎士だなどというまやかしを信じさせたのですから」

 

「・・・へぇ。なぁんだ、全部知っちまったわけですね」

 

 

襟首を掴まれたまま、チュデルキンの口角が不気味なほど吊り上がった。そして開き直ったように上機嫌になると、次々と卑しい口から楽しげに語り始めた

 

 

「ええ…その通りですよ。私は今でもはっきりくっきり思い出せますよ~。幼く無垢で、と〜っても可愛らしいお前が、涙を流しながら懇願する様をね〜!」

 

「ッ!?」

 

「『お願い、忘れさせないで…私の大切な人達を忘れさせないで…』とネ!オホホホホホホ!私は今でもあの時の光景を肴に、一晩たっぷり楽しめますよ~?」

 

「貴様ッ…!!」

 

 

アリスのこめかみに青筋が立ち始め、チュデルキンの胸ぐらを掴む両手により一層力が込められ、赤と青の道化服が歪んでいく。しかしそんなことには構わず、チュデルキンはなおもアリスを嘲笑うように続けた

 

 

「どこぞのクソ田舎から連れて来られたお前は、まず二年間修道女見習いとして育てられました。生活規則の抜け穴を見つけて、セントリアの夏至祭りを見に行くようなお転婆でねぇ。それでも一生懸命勉強すればいつか故郷に帰れると信じて頑張ってたんですよねぇ~。いや〜実に健気な小娘でしたよぉ!」

 

「だ、黙れっ!それ以上その口で私を語るなっ!」

 

「でもね~そんなわけがねぇんだ。神聖術行使権限がたっぷり上がったところで来ました!強制シンセサーイズ!二度とおうちに帰れないと知った時のお前の泣きっ面ったらもぉ〜それはそれは!そのまま石に変えて私の部屋に永遠に飾っておきたいくらいでしたよホーホホホホ!」

 

「・・・お前、今妙な事言いましたね…強制シンセサイズと。まるで強制ではないシンセサイズの儀式があるような口ぶりではありませんか」

 

「おやおや、逆上しているように見えましたが、案外耳聡いですね。えぇ、そうですよ。6年前のお前は、通常のシンセサイズに必要な内緒の術式を唱えることを頑として拒みましてね。まったくクソ生意気なガキでしたよ~…ですが、そこからが強制シンセサイズのお楽しみなんですよ〜!」

 

 

チュデルキンはアリスの勘の鋭さに一瞬顔を顰めたが、すぐに表情をコロリと変えて金切り声を尻上がりにもう一段高くすると、その時を思い出したように下卑た笑みのまま喋り始めた

 

 

「どうにも聞き分けが悪かったので、仕方なぁく恐怖と不安に怯えるお前を元老院の広間の中央に縛り付けた後に、自動化元老の任務を一時停止して、強制シンセサイズの術式を発動した瞬間の、悲嘆と絶望の涙を流したお前の顔ったらなんたるや!その表情の移り変わりを楽しみながら、大事な記憶を守る壁をこじ開けさせたんですよ~?まぁそのおかげで滅多にない見世物をたっぷり楽しめましたけどね~!ホホホ!ヒェ〜ヒヒヒッ!」

 

「テンメエェーーーッ!!!」

 

 

そこでついにアリスとチュデルキンのやり取りをそばで聞いていた上条が、怒髪天を衝く勢いで元老長に殴り掛かろうと一歩を踏み出した。しかしその時には既に、アリスが鞘走らせた金木犀の剣が彼の心臓を貫いていた

 

 

「・・・元老長チュデルキン。あるいはお前も我ら整合騎士と同じように、最高司祭アドミニストレータに人生を弄ばれた哀れな道化なのかもしれません。ですが、お前はお前の境遇を存分に楽しんだようです。ならば最早、この世に思い残すことはないでしょう。私もお前の話はもう聞き飽きました」

 

「・・・・・・・・・・キヒヒッ、だからテメエら騎士は甘ぇってんですよ」

 

 

その瞬間、二度と動くはずのないチュデルキンの唇が不気味に蠢いた。バァンッ!という破裂音が響くと、チュデルキンの丸い体が弾け飛び、真っ赤な煙幕が辺りを包み込んだ

 

 

「なっ!?これは…!」

 

「ホーヒヒヒヒ!術式ばかりが芸じゃねーんですよ!バーカバァーカ!追ってくるならどうぞご自由にぃー!イーヒャヒャヒャ!」

 

「くそっ!逃げやがったか…!性格といい、口調といい、マジで頭にくる野郎だ…!」

 

「ヤツは恐らく上です!行きましょう!神聖術の不意打ちに気をつけて!」

 

 

アリスと上条は煙幕が少しずつ晴れて部屋の奥に階段があるのを見つけると、96階から99階まで直通しているのであろう長さを誇る階段を駆け上がった

 

 

「・・・ここは…チュデルキンの姿は見えませんね。100階まで逃げたのでしょうか?」

 

 

そこは広い円形の部屋だった。しかし、上条達が登ってきた階段以外には何もないと言っていいほどに簡素な造りの部屋だった。床は足が滑りそうなほど磨かれた大理石で出来ており、壁は白の混じった薄い青で、施された装飾に沿うように大きなランプがいくつも取り付けられていた

 

 

「いや…にしたって、上に続く階段がない。ひょっとしたらこれはアイツが神聖術で作り出した幻覚で、俺たちはもう100階に着いてるってことも…」

 

 

上条が顎に手をやって思考を巡らせていると、部屋の一番奥辺りの天井が沈み込んだ。50階にもあった昇降盤に酷似したそれには既に、鎧を纏った一人の騎士が足を下ろしていた

 

 

「お、おいアレ…!まだ整合騎士が残っていたのか!?」

 

「そ、そんなっ!?いえ…そんなことはあり得ません!元老院より上の階層になんて、小父様ですら数回しか行ったことないと仰っていたのに、あまつさえそこに待機している整合騎士など…!」

 

 

そして昇降盤が完全に降りた瞬間、上条は言葉を失った。青みがかった銀色の鎧を身に纏い、濃い青のマントをはためかせ、亜麻色の髪に緑の瞳をした、腰に青い薔薇の咲いた剣を差す、その整合騎士は……

 

 

「・・・ユージオ…?」

 

 



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第50話 青薔薇の騎士

 

「じょ、冗談よせよユージオ!なんでお前がそんな格好してんだ!?」

 

 

銀の鎧を身に纏って自分の目の前に立ちふさがる親友に、上条は必死になって叫んだが、ユージオの表情は少しの変化も見せなかった。すると彼の様子を見たアリスが、左目を丸くして驚愕しながら言った

 

 

「ま、まさか…早すぎます…!」

 

「早いって…どういうことだアリス?」

 

「儀式の完了が、です。お前の相棒…ユージオは、既にシンセサイズされています。私の耳に入った報告が正しければ、牢屋を出たのは今朝だったはずなのに…!」

 

「い、いや…俺の協力者も同じようなことを言ってたから、多分間違いない。でも…だったらなおさら、どうやってユージオを…!」

 

 

ユージオさえも自分の駒に取り入れたアドミニストレータに、上条は底の見えない怒りを覚えた。このままでは正常な判断力さえ失いかねない、そう判断したアリスは隣の上条に必死に語りかけた

 

 

「しっかりしなさいカミやん!ここでお前が動揺していては、助けられるものも助けられなくなります!」

 

「ッ!あ、あぁ…そうだな」

 

「お前は言ったハズです。整合騎士の本当の記憶を思い出させる術があると。ならばユージオも戻せると考えるのが道理。そのためには、何としてもこの局面を乗り切らねばなりません」

 

 

アリスの助言に上条は深く頷いた。そしてアリスより一歩前に出ると、目の前のユージオを見据えたまま背中の翡翠色の剣を鞘から抜き放った

 

 

「アリス、ここは俺に任せてくれ」

 

「・・・分かっているとは思いますが、躊躇はしないことです。あの騎士は、もうお前の知っているユージオではありません。一切の情け、容赦もなくお前に切りかかって来るでしょう」

 

「あぁ、大丈夫だ。こう見えても俺は、アイツに剣を教えた身だからな。本気で切り合った方が師弟らしいだろ」

 

 

上条がそう言ってアリスに笑いかけると、アリスは小さく頷いてその場から一歩後ずさった。そして上条は翡翠色の剣の切っ先をユージオに向けると、静かな声で話し始めた

 

 

「ユージオ。俺の事が分かるか?俺はカミやん。お前の…親友だ。ルーリッド村で出会ってから二年間、ずっと一緒にいただろう?」

 

「そうなんだ…でもごめん。僕は君の事なんて知らないよ」

 

 

ユージオの口調は、抑揚がほとんど感じられない無感情で冷ややかなものだった。上条はそんな彼の言葉と態度に歯噛みしながら、重ねて彼に問いかけた

 

 

「・・・そうか、残念だな。じゃあ、お前はこれから俺たちのことをどうしてくれるんだ?」

 

「もちろん戦うよ。君達もそのつもりで来たんだろう?それに、それが『あの人』の望みだから。僕が戦う理由はそれで十分だよ」

 

「ッ!?ユージオ…!お前そこまでアドミニストレータに惚れちまったのかよ!?ただ命令されるだけで、特に意味も持たないまま戦って…お前は本当にそれでいいのかよ!?」

 

「戦う意味?どうでもいいよ、そんなもの。強いて言えば、あの人は僕に欲しいものをくれる。僕にはそれだけでもう十分なんだ」

 

「欲しいもの…?それはアリスより大切なものなのかよ!?お前がどうしてももう一度会いたいと願った、大好きだった幼馴染より大切なモンなのかよ!?」

 

「・・・知らないよ。知りたくもない。君の事も。他の誰かの事も。もう嫌なんだ、誰も僕のことを愛してくれないのは」

 

 

まるで機械のように口を動かすユージオが右手を掲げると、シャリィン!という氷が擦れ合うような冷たい音ともに、青薔薇の剣が一人でに鞘走った。そして青薔薇の剣は、まるで自らの意志を持っているかの如くユージオの掲げた右手に収まった

 

 

「ま、まさか今のは…心意の腕!?」

 

「心意の腕…ベルクーリのおっさんが使ってたヤツか?」

 

「ええ。古より整合騎士に伝わる秘術です。神聖術でもなく完全支配術でもなく、ただ自らの意思だけで剣を動かす。使える騎士は小父様の他にほんの数人と聞いています。騎士となったばかりのユージオが…どうして…」

 

「これ以上、君達と話す事はないよ」

 

 

整合騎士になってほとんど間もないはずのユージオが、平然と心意の腕を使いこなすのを見て驚愕するアリスと上条に、ユージオは冷徹な視線を向けたまま青薔薇の剣の切っ先を向けた

 

 

「・・・ユージオ。今のお前は覚えてないだろうけどな、お前が修剣学院でゴルゴロッソ先輩や教官に剣を教わるずっと前、ルーリッド村で一番最初にお前に剣技を教えたのは俺なんだぜ。だから俺はお前の最初の師匠として、弟子のお前に負けてやるわけにはいかねぇぞ!」

 

 

大した開始の合図もなく、親友同士の望まない戦いは幕を開けた。その初手、奇しくも上条とユージオは全く同じ剣技を使った。上条がユージオに教えた、6つのソードスキルの内の一つ、突進系ソードスキル『ソニックリープ』

 

 

「うおおおおおおっ!!」

 

「はああああああっ!!」

 

 

眩い緑色のライトエフェクトが強く輝いた直後、ギィンッ!という凄まじい音を立てて翡翠色の剣と青薔薇の剣がぶつかり合った。剣を握る両者の筋力はほぼ互角で、そのまましばらく刃がせめぎ合うと、剣を隔てたまま上条はユージオに向かって不敵に笑った

 

 

「へっ、流石じゃねぇかユージオ。修剣学院に行く前から、お前は剣の才能がない俺なんかとっくに追い抜いちまってたもんな。今のお前ともし本気でやり合ったら、俺は手も足も出ないんだろうって思ってた。だけどなっ…!」

 

 

上条はそこで言葉を区切ると、思いっきり左足を踏み出してユージオを突き飛ばすと、すぐさま剣を後ろに引いた。それはウォロ・リーバンテインとの戦いで失敗に終わり、ユージオにも教えていない未完成の剣技、『バーチカル・スクエア』の構えだった

 

 

「出来ればそれは!敵としてじゃなく!対等な親友としてやりたかったんだよっ!!」

 

 

翡翠色の剣の高いオブジェクト権限も相まって、未完成のままだった剣技がついに形となった。オレンジ色のライトエフェクトを放ちながら、鮮やかな四連撃が織り成される。しかしユージオは、その四連撃をまるで分かっていたかのように平然と青薔薇の剣ではたき落した

 

 

「なにっ…!?」

 

「君、剣振るの下手くそだね。今の技も、僕には全部止まって見えるよ」

 

「ッ!ンの野郎っ…!見下してんじゃねぇっ!」

 

 

ユージオが涼しげに言うと、上条は負けじと三連撃ソードスキル『シャープ・ネイル』の構えを取った。しかし、それよりも先にユージオは単発ソードスキル『スラント』を斜め左下から右上に切り上げる形で放った

 

 

「づぅっ!?」

 

「・・・バースト・エレメント」

 

 

青薔薇の剣の切っ先が上条の左肩を捉え、傷口から鮮血が吹き出した。上条がその痛みに完全に怯んだほんの一瞬で、ユージオは上条の体の前に左手を差し向けながらその指先に五つの風素を神聖術で生成し、それを炸裂させることで暴力的な突風を発生させた

 

 

「ぐおっ!?」

 

 

呻き声を漏らしながら上条の体は呆気なく突風に吹き飛ばされ、ゴロゴロと大理石の床を転がった。今の一合だけで圧倒的な実力の差を感じながらも、上条は翡翠色の剣を床に突き立てながら立ち上がった

 

 

「畜生、相棒め…やるじゃねぇか…」

 

「あ、あの者が…本当にお前の相棒ユージオなのですか…?」

 

 

そこで上条は、自分がアリスの真横まで吹き飛ばされていたことに気づいた。自分の隣にいる彼女は、まるで信じられないものを見るように額に冷や汗を滲ませていた

 

 

「どういう意味だ?ユージオがシンセサイズされてるって言ったのはお前の方だろ…?」

 

「そ、それはそうですが…何と言えばいいのか…あの者は整合騎士になったばかりにしては、あまりにも戦い慣れし過ぎている。先程の心意の腕といい、たった今使った風素術といい…今のユージオはもはや整合騎士の範疇すら超えています」

 

「そういうのって、シンセサイズされたらその時から使えるようになるもんじゃねぇのか?」

 

「・・・騎士の技はそのように易々としたものではありません。心意技や武装完全支配術はもちろん、秘奥義や神聖術の要諦も長い研鑽を経て初めて身につくものです」

 

「・・・って言うと何か?シンセサイズの秘儀と一緒に、とんでもパワーアップの術でも仕込まれましたってか?へっ…弟子に勝手に色々知らねぇ技を突っ込まれるのは、あんまり気分良くねぇな…」

 

「私も相手をしましょうか?私の完全支配術ならば…」

 

「いや、やらせてくれ。そんだけ異常な点が目立つってことは、既存のシンセサイズとは違う方法が使われてる可能性もある。だったら、何かしら抜け道もあるかもしれねぇ」

 

「・・・分かりました。気をつけて」

 

 

そう言ってアリスと上条は互いに頷き合った。そして上条は再びユージオに向き直って翡翠色の剣を構え直し、そのまま床を蹴ってユージオの懐に突っ込んでいった

 

 

「行くぞユージオッ!!」

 

「はああああああっ!!」

 

 

そこからは息つく間もない剣のぶつかり合いだった。上条の必死の猛攻を、ユージオは完全に見切ってそれをひたすらはたき落していく。無数の火花と金属音が散ったその中で、ユージオが上条の剣の勢いに負けたのか、剣を下げて背中を晒した

 

 

「もらったぁぁぁ!!」

 

 

上条はその一瞬を見逃さず、それまでずっと高速で動かしていた体に鞭を打ち、無理やり剣を右肩に担いで単発垂直切り『バーチカル』を使用した。深い青の光が剣に宿り、その刀身がユージオに届こうかというその瞬間、赤い閃光がユージオの背中越しに輝いた

 

 

「な、に…!?」

 

 

ガキィンッ!という耳を劈く金属音が部屋全体を飲み込み、緑と青の剣が再び刃を交えた。その剣技は、上条も見たことがない技だった。それはSAOで両手剣使い達がこぞって使っていた、単発技ソードスキル『バックラッシュ』を模倣したものだった

 

 

「・・・なぁユージオ、つかぬ事を聞くけどよ…今の技、名前はあるのか?」

 

「バルティオ流『逆狼』」

 

 

凍てついた表情のまま、ユージオは上条の問いかけに呟くように答えた。ユージオが口にした流派と技を聞いて、上条はさらにやり切れない気持ちを抱えながらユージオに言った

 

 

「お前っ…!技までちゃんと覚えてんなら、当然教えてくれた人は覚えてんだろうな!?そのバルティオ流は、お前を学院で一年間指導したゴルゴロッソ先輩が教えた技だろ!お前はその人のことをちゃんと覚えてて、尊敬した上で使ってんのか!?」

 

「何度も同じような事を聞かないでくれないかな。そんな人のこと、知らないし、興味もないよ」

 

「ーーーッ!それだけじゃねぇんだぞ!今ここにいるアリスは、シンセサイズされたままなのに、自分の意志を貫き通したんだ!本当の自分に嘘をつかないために、教会と戦う覚悟を決めて右目の封印をぶち破ったんだ!それなのにお前が…誰よりもアリスを救いたかったお前が!何もかも忘れちまったら意味ねぇだろうが!!」

 

「・・・君、しつこいね。僕はあの人だけを知っていればいいんだ。僕の剣はあの人のためにあって、あの人の敵を排除するために僕は生かされているんだ」

 

「このっ…!あぁ、そうかよ…!」

 

 

上条が歯噛みしながら絞り出すように呟くと、ユージオは上条の剣を上に弾き上げて後退した。それからすぐさま剣を構え直すユージオに対し、上条はしばらくの間亡霊のように立ち尽くすと、やがて小さな声で語り始めた

 

 

「慣れねぇもんだな…もう何人も整合騎士と対峙して、何もかも忘れさせられて、植え付けられた記憶が本物だと疑わないヤツを見てきた。だけど贔屓目なしに、その中でもお前は極め付けだ…!この怒りを今のお前にぶつけるのは、全くの筋違いかもしれねぇ。それでも俺は、今まで俺が見てきたお前の為に、今のお前の言動を許す訳にはいかねぇ…!」

 

「・・・なぁユージオ。お前がそこまで言うなら、俺だってもう加減は出来ねぇぞ。ただ切り伏せて終わりじゃ、腹の虫が収まりそうにねえ」

 

 

静かに言いながら上条は剣帯のベルトを外すと、バアンッ!という音と共に盾と鞘が床に落ちた。そして握っていた翡翠色の剣を大理石の床に突き刺すと、彼はそれを置き去りにしたまま一歩前に出た

 

 

「俺はこれまでお前に、嘘をついてきた。だけど、それはもう辞めにする。今の嘘で塗り固められたお前を叩き直してやるには、俺が嘘をついたままじゃダメだろうからな」

 

 

その光景に、ユージオは思わず息を呑んだ。自分の頭の片隅に蘇った、微かな記憶。闇の国のゴブリンを相手に、最後まで己の拳一つで立ち向かった少年。そんな朧げな記憶をなぞるように、目の前の少年は右手で拳を握りながら叫んだ

 

 

「覚悟しろよユージオ…こっから先は!『上条当麻』を見せてやる!!」

 



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第51話 ユージオ

 

「うおおおおおっ!!」

 

「くっ!?」

 

 

ダンッ!という強烈な足音を響かせながら上条は駆け出した。相手はただの素手、自分の方が圧倒的に有利だ。頭ではそう分かっているにも関わらず、ユージオは気づけば上条から一歩後ずさっていた

 

 

「思い出せっ!ユージオ!」

 

「ーーーッ!はああっ!」

 

 

上条が容赦なく拳を繰り出してくる。ユージオはそれをかわしつつ、青薔薇の剣で上条に切りかかるが、上条もまた驚異的な動体視力でユージオの青い刃を視界に捉えると、紙一重でそれをかわした

 

 

「お前には大切な人達がいただろうが!ルーリッド村で俺達の帰りを待っているセルカ!修剣学院で指導してくれたゴルゴロッソ先輩やリーナ先輩!しょっちゅうバカをやった俺たちを叱ってくれたアズリカ先生みたいな、大切な人がいただろうが!」

 

 

ユージオの額には、えも言われぬ脂汗が滲んでいた。自分が少しでも押せば、この男の体は簡単に切り裂けるハズだ。しかし、この男にはそうさせない何かがある。そう考えている内に、上条のアッパーがついにユージオの頬を掠めた

 

 

「チッ!?」

 

「それが今のお前は何だ!?アドミニストレータの言いなりか!?そんな鎧までプレゼントされて、さぞかし気分がいいだろうな!公理教会の在り方を守る、この世界を守る正義の味方を気取るってのは、そんなにも楽しいか!?」

 

「う、うるさいっ!」

 

「右目の封印を破った時のお前はどこに行っちまったんだ!?ロニエも言ってただろうが!ただ守るんじゃなく、何でその法があるのかを、自分の中の正義に照らして考えることが大切なんだって!あの時のお前には、自分の正義があったんじゃねぇのか!?ティーゼを守れない法じゃなく、ティーゼを守りたい自分の正義があったんだろうが!!」

 

「しっ、システム・コール!ジェネレート・エアリアル・エレメント!バースト・エレメント!」

 

 

ユージオは迫り来る上条の拳から後ろに飛んで距離を取ると、左手を掲げ先程と同様に五つの風素を爆発させ烈風を引き起こしたが、それは横薙ぎに振るわれた上条の右手が触れた瞬間にあっという間に崩れ去った

 

 

「お前が守ったティーゼはな!あの日お前を見送った後も、お前のことを誇りに思ってたんだ!お前が示してくれた正義ってやつをな!それをお前は、そんな一時の幻想で台無しにしちまうのかよ!今のお前の姿を見て、ティーゼが本当に喜ぶわけねぇだろうが!」

 

「・・・エンハンス・アーマメント!!」

 

「ぶ、武装完全支配術までっ…!?」

 

 

なおも迫り来る上条に対し、ユージオは青薔薇の剣を床に突き刺して声高に神聖術の式句を叫んだ。アリスがその詠唱の早さに驚愕した刹那、バシイイイッ!!という空気に亀裂が走るような音と共に、水晶のような霜柱を鋭く突き立てながら、青薔薇の剣の記憶から生み出された氷塊が上条に襲いかかった

 

 

「咲け!青薔薇っ!!」

 

「うおおおおおっ!!」

 

 

しかしそれでも、上条当麻は止まらなかった。次々に襲いかかる永久氷塊を右手で殴り壊し、絶対零度の海を乗り越えていく。自分に伸びる青薔薇の蔦を払いのけ、ついにユージオの武装完全支配術を凌ぎ切った

 

 

「な、なにっ…!?」

 

「あの人は僕が欲しいものをくれるだぁ?笑わせてくれんじゃねぇ!自分が本当に欲しいものってのはな、自分から掴みにいくもんなんだよ!他人から与えられるのを待ってるんじゃなく、自分の力で必死に足掻いてでも掴み取るモンなんだよ!お前が欲しかった、お前が本当に叶えたかった願いを思い出せ!ユージオ!」

 

「ーーーッ!?」

 

「アリスだろ!他の誰よりも大切だったアリスと、一緒にルーリッド村に帰る事ってことがお前にとっての一番の願いだったんだろうが!!」

 

「アリスっ…僕の…願、い……?」

 

 

上条の必死の叫びが届いたのか、ユージオの視線が自分たちの戦いを見守るアリスへと向けられ、額に逆三角形の紫色の光が浮かび上がった。そして上条が、それを見逃すハズがなかった。彼は今一度右手を硬く握り締め、左足を踏み込んで全身を大きく捻り込んだ

 

 

「歯ぁ食いしばれよユージオ…!アリスの時は違ったが、お前は別だ!遠慮なんか一切しねぇからな!なんたって俺らは親友で!お前は俺の相棒だからだ!!」

 

「あぁ、あああああ…!!」

 

 

ユージオの脳裏に、先ほどまで薄ぼんやりとしていた少年の素顔が浮かぶ。自分を変えてくれた、掛け替えのない友達がすぐそこにいる。自分が間違った道を進もうとすれば、体を張ってでも止めようとしてくれる、どこまでも真っ直ぐな少年

 

 

「これで何もかも全部思い出そうぜ!お前の本当の守りたかった人ってヤツを!そしてもう一度始めようぜ!お前の本当の願いを叶える物語ってヤツを!だから…いい加減戻ってこい!この大バカ野郎ッ!!」

 

 

上条の右拳が、ユージオの額へと吸い込まれていった。ユージオの体がその拳の衝撃に徐々に倒れ床に沈んだ瞬間、額の紫色の光がパリィンッ!という音を立てて消え去った。それから上条はすぐさまユージオの元に駆け寄ると、彼の肩に手を回して膝の上まで抱き起こした

 

 

「ユージオ!大丈夫か!?ユージオッ!」

 

「お前があんなに本気で殴るからでしょう!離れなさい!私の天命をユージオに分けます!システムコール!トランスファー・ヒューマン・ユニット・デュラビリティ!セルフ・トゥ・レフト!」

 

 

放ったらかしになっていた上条の剣と盾を持って駆けつけたアリスがそう叱責すると、上条は一度ユージオを床に寝かせた。そしてアリスがユージオの左手を手に取り、天命移動の神聖術を唱えると、アリスの体とユージオの体が光に包まれ、アリスを包んでいた光が流れるようにユージオへと移動していき、やがてユージオが掠れた声を漏らしながら目を開けた

 

 

「んっ、あぁ……」

 

「ユージオ!?大丈夫か!」

 

「カミ、やん…?アリス…?」

 

「あぁそうだ!分かるか!?」

 

「・・・うっ…ごめんよ、二人とも…僕はあの人の誘惑に負けて、君達を傷付けてしまった…」

 

「んなこたぁ今はどうだっていい!お前はルーリッド村の樵が天職だったんだ!これがとんでもねぇ巨人みたいな木を生涯刻み続けるって、お前まで七代も続いたとんでもねぇ天職でよ!だけど俺とお前は、その怪物じみたギガシスダーって大樹を、出会ってからたったの一週間かそこらで切り倒したんだ!すげぇだろ!?そんで天職からめでたく解放されたお前は、えっと…!」

 

「あはは…そんなに慌てて言わなくても、ちゃんと覚えてるよ。カミやん」

 

 

上条はまるで機関銃のようにこれまで自分達が辿ってきた旅路を、口早にユージオに撃ち続けた。ユージオはそんな上条がおかしく思えたのか、肩を震わせながら笑うと、暖かな表情で言った

 

 

「ほ、本当か!?」

 

「本当に効いたよ…カミやんの一発。もう少し手加減してくれたっていいじゃないか…僕たちの大切な思い出が、全部飛んじゃったらどうするのさ」

 

「あ、あははは…バカ野郎。お前は…ほんとに…人の気も知らねぇで…」

 

 

ユージオが笑いながら言うと、上条も思わず目頭を熱くしながら言った。そんな二人の友情にアリスもまた口元を綻ばせたその時、どこからともなく部屋に何者かの声が響き渡った

 

 

『お誂え向きに『記憶の穴』があったからそこにモジュールを差し込んでみただけじゃダメだったのかしら?やっぱり横着は良くないわね、ちゃんとシンセサイズすべきだったわ。それともそこの坊やの右手のせい?まぁ過ぎた話はもういいわ』

 

「ッ!アドミニストレータか!?」

 

 

突如として聞こえた声に、上条がいち早く反応して周囲を見渡したが、部屋には誰かがいる気配すらなかった。懸命に首を振る上条を笑いながら、謎の声は続けて語りかけてきた

 

 

『ふふっ。この借りは高くつくわよ坊や?ユージオに使ったモジュールは完成したばっかりの改良型なの。アレを使ってシンセサイズすれば、その瞬間から心意の力を使えるようになるわ。それに完全支配術まで教えてあげたのに、ぜ〜んぶ台無しにしてくれちゃって』

 

「テメエッ…!よくもこれまで好き放題やってくれたな!どこだ!姿を見せろ!」

 

『そんなに会いたいのなら、ユージオが降りてきた昇降盤で昇ってくればいいわ。あなたのずっと目指してきた、お待ちかねの100階が待ってるわよ。あは、あはははははは!』

 

 

それを機に、どこからか聞こえていた声はさっぱり聞こえなくなった。静寂に包まれた空間の中で、上条はユージオの乗ってきた昇降盤を一瞥すると、寝そべるユージオに向けて聞いた

 

 

「・・・ユージオ、来れるか?」

 

「今さらそれを聞くのは野暮だよカミやん。お前はここで休んでろ、なんて言われたら、それこそ今度は僕がカミやんのことをぶん殴ってたよ」

 

 

上条の言葉に対して、ユージオは仰向けに寝ていた上体を起こしながら笑って言った。そんな彼に対して上条は心の底から頼もしいと思うと、次は向かい合わせのアリスに訊ねた

 

 

「へっ、頼もしいな。アリスは?」

 

「殴ります」

 

「頼もしすぎて怖えよ!?」

 

「ユージオと同様に聞くなということです。元々私に発破をかけたのはお前なんですから、お前は他人の心配などせずに前だけ見てれば良いのです」

 

「・・・よし、じゃあ行くぞ。二人とも。この世界の命運が、俺たちに懸かってる」

 

「うん!」

 

「はい!」

 

 

ユージオとアリスが上条の言葉に強く頷くと、三人は共に立ち上がった。ユージオは鎧を外して学院の制服に戻り、青薔薇の剣を鞘に納めた。そして上条が盾と剣を結びつけた剣帯のベルトを締め直すと、三人で足並みを揃えて昇降盤の上に乗った。それを合図に昇降盤は再び宙へと浮かび上がると、三人を世界の頂点へと誘っていった

 



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第52話 炎の魔人

 

そこは、今までと同じように足場の床や壁は大理石で作られていた。しかしドーム状に膨らんだ天蓋には、さながらプラネタリウムのように星々が一つ一つ輝いており、それを見守るが如くこの世界に伝えられる四人の神が描かれていた。そんな限りない宇宙をどこか匂わせる空間に、三人は立っていた

 

 

「げ、猊下〜ッ!?最高司祭猊下〜ッ!?き、来ましたぁ〜〜〜っ!ヒィホホホ!?」

 

 

アンダーワールド内最高を誇る建造物。セントラル・カセドラル。その頂点、100階にたどり着いた上条、ユージオ、アリスを最初に出迎えたのは、チュデルキンの慌てふためいた金切り声だった。赤と青の道化師はボールのように跳ねながら部屋の中央にあるカーテン付きのベッドの中へと叫んだ

 

 

「テメエが言ってた通り来てやったぞ!公理教会最高司祭!」

 

 

続いて上条もまたベッドに向かって叫ぶと、ベッドの下の床が沈んでいった。すると同時にベッドの天蓋が開き、そこから浮かび上がるようにして何者かが姿を見せた。腰どころか膝まで伸びた深い銀色の髪、全てを虜にする銀瞳、柔らかな肌、そしてこの世のものならざる妖艶さを醸し出す紫のドレス。この世に生ける誰もが一目見ただけで見惚れるであろう美貌を持つその女神は、ゆっくりと地に降り立った

 

 

「・・・お前がアドミニストレータか?」

 

「えぇ、そうよ」

 

「「「ーーーッ!?」」」

 

 

微かな笑みを浮かべながらアドミニストレータが言うと、その場にいる三人は思わず息を呑んだ。そのたった5文字の声に、信じられないほどの殺気が込められていた。その殺気に押しつぶされそうになりながらも、上条はなんとか喉を鳴らして言い返した

 

 

「へぇ…300年近く生きてるって割には、白髪も皺もねぇんだな。てっきり杖突いたヨボヨボのBBAとか、黒いローブで全身覆った魔女が出てくるのかと思ったが、随分と頑張って若作りしてんじゃねーか」

 

「・・・ねぇ、アリスちゃん。ベルクーリとファナティオはそろそろリセットする頃合いだったけれど、アリスちゃんはまだ6年くらいしか使ってないはずよね?論理回路にエラーが起きてる様子もないし。やっぱりそこの『イレギュラーユニット』の影響なのかしら?面白いわね」

 

 

上条の挑発をため息一つ吐いて無視を決め込むと、アドミニストレータはアリスへと視線を向けながら話し始めた。イレギュラーというのは自分のことだろうと思いながら上条はアリスへと視線を向けると、最後にアドミニストレータが付け足して言った

 

 

「それとアリスちゃん、あなた私に何か言いたいことがあるのよね?怒らないから今ここで言ってごらんなさいな」

 

「ッ!?」

 

 

微かに笑いながらアドミニストレータがそう言った瞬間、アリスはまるで心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。全身が青白く血の気を失っていき、歯がガチガチと震え始め、思わず一歩足を引いた。しかし、黒い眼帯の巻かれた右目に手をすっと添えて我を取り戻すと、左目でこれまで仕えてきた最高司祭の銀の瞳を見据えながら言った

 

 

「・・・最高司祭様。栄えある我らが整合騎士団は本日をもって壊滅いたしました。私の隣に立つ、わずか2名の反逆者の手によって。そしてあなたがこの塔と共に築き上げた、果てしなき執着と欺瞞故に!」

 

「ふぅん。それで?」

 

「我が究極の使命は、公理教会の守護ではありません!剣なき民の穏やかな営みと、安らかな眠りを守ることです!然るに最高司祭様…あなたの行いは、人界に暮らす人々の安寧を損なうものに他なりません!」

 

「だ、黙らっしゃ〜い!こ、この…半壊れの騎士人形風情がぁー!!」

 

 

アリスが一歩踏み出して金の鎧を鳴らし、青のマントをはためかせながら高らかに宣言した。その宣言が終わるや否や、チュデルキンが左手でアリスを指差しながら耳障りな金切り声で喚き散らし始めた

 

 

「お前ら騎士どもは所詮、アタシの命令通りに動くしかない木偶人形なんですよっ!大体騎士団が壊滅したとか、ちゃんちゃらおかシィィィーンですよゥ!使えなくなったのはポンコツ一号二号を含めて10人足らずじゃないですかっ!つまり、アタシにはまだ20も駒が残ってるんですよゥ!お前一人がガタガタ抜かしたところで、教会の支配はピクリとも揺るぎゃアしねェんですよこのバカ娘ェ!」

 

「馬鹿はお前です、カカシ男。その丸い頭には、脳味噌ではなく麦ワラやボロ布が詰められているのですか?」

 

「なっ…なぁぁぁにぃぃぃ!?」

 

 

なおもギャアギャアと喚き散らすチュデルキンと冷静に切り返すアリスを他所に、アドミニストレータが独り言のようになにかをブツブツと呟いていることに上条が気づき、僅かに漏れ出す吐息に耳をすませ、口遣いに目を凝らしていた

 

 

「ふぅん…やっぱり論理回路のエラーってわけではなさそうね。それに私が埋め込んだ敬神モジュールもまだ機能している…となると、あの『コード871』を自発的意思で解除したのかしら…?突発的な意思ではなく、論理的な意思で…」

 

(・・・コード871…?あの右目の封印のことを言ってるのか…?)

 

「ふん、まぁこれ以上は解析してみないと分からないわね」

 

 

アドミニストレータの口にしている独り言の意味が分からず上条が顔を顰めると、彼女がそれに気づいたのか鼻を鳴らしながら不敵に笑い、艶めかしい長髪を後ろに払いながらチュデルキンに言った

 

 

「さて、チュデルキン。私は寛大だから、下がり切ったお前の評価を回復する機会をあげるわ。あの三人をお前の術で無力化してみせなさい。天命は…そうね、残り二割までは減らしていいわよ」

 

「ッ!?ささ、最高司祭猊下ぁ〜〜〜!!」

 

 

そう言って身を翻し、その場から離れようとしたアドミニストレータを、チュデルキンが必死に呼び止めた。するとチュデルキンは、突然両足を揃えて座ると、これでもかというほど額を地面に擦りつけながら叫んだ

 

 

「元老長チュデルキン!猊下にお仕えした長の年月におきまして、初めての不遜なお願いを申し奉り上げまする~!小生これより身命を賭して反逆者共を殲滅しますゆえに!それを成し遂げた暁にはげ、猊下の…猊下の尊き御身をこの手で触れ!口づけし!い…いっ…一夜の夢を共にするお許しを!何卒!何卒!何卒頂戴したく~っ!」

 

「・・・え〜…カミやんさんの耳がおかしかったんでせうかね?この世の命運を懸けた大一番を前に、こともあろうに目の前のコレが戦う理由は、要するにアドミニストレータさんと一発ヤリた…」

 

「言わせませんっ!」

 

 

チュデルキンの必死の嘆願に、上条が汚物を見るような目をしながら引き気味に訊ねると、顔を真っ赤にしてアリスがツッコミを入れた。流石のアドミニストレータも一瞬は面食らったようだったが、次第に大声でひとしきり笑うと、チュデルキンを誘うような甘い口調で言った

 

 

「ふふっ、はは…あっははははは!!!いいわよ、チュデルキン。創世神ステイシアに誓うわ。役目を果たしたその時には、私の体の隅から隅まで一夜お前に与えましょう」

 

 

真実には実在しない神の名を語りながら、アドミニストレータが豊満な胸に手を添えながら言うと、チュデルキンは目、話、口から体液をぼたぼたと漏らし、嗚咽を混じえながら歓喜に打ち震えていた

 

 

「おっ、うほおおおおっ!小生ただいま無上の歓喜に包まれておりますぅ〜…!もはや…最早小生!闘志万倍!生気横溢!はっきり言いますれば…無敵ですよぉ~!!」

 

 

金切り声を張り上げてチュデルキンが叫ぶと、赤と青の帽子を投げ捨て、綺麗に髪が禿げたスキンヘッドを軸にして逆立ちすると、チュデルキンの顔を濡らしていた体液がジュッ!と音を立てて一瞬で蒸発した

 

 

「システムコォォォル!ジェネレィトォ!サァァマルゥゥゥ!エレメントォォォゥッ!」

 

 

チュデルキンが不自然なほどに式句の語尾を引き延ばしながら発音すると、靴と靴下を脱ぎ捨て、足の指、手の指全てを限界までかっ開いた。するとその直後、合計20本に及ぶ指先にルビーのような赤い輝きを放つ熱素が宿った

 

 

「お見せしましょォォォウ…!我が最大最強の神聖術!出でよ魔人ッ!反逆者共を焼き尽くせェェェ!!」

 

 

そのあまりの熱量に、チュデルキンの眼窩が炭のように黒ずんだ。短い足、ありあまる腹、やたらと長い腕、そして頭には王冠。チュデルキンの熱素から作り出されたそれらが燃え盛りながら形を成した巨人は、まさに『炎の魔人』と呼ぶに相応しかった

 

 

「・・・前言撤回だな。戦う理由はどうあれ、コイツは油断して相手するべきヤツじゃない」

 

「どうやらそのようです。あやつにこれほどの術が扱えるとは、私も知りませんでした」

 

「こ、これ…本当に神聖術なの…?」

 

 

炎の魔人を眼前にして、上条ら三人は例外なく息を呑んだ。こうして目の前に立っているだけで、その暑さに全身が汗ばんでくる。まるで太陽そのものを相手にしているような張り詰めた空間の中で、やがてアリスが金木犀の剣を鞘走らせて言った

 

 

「残念ですが…あの実体なき炎の巨人は、私の花たちでは破壊できそうにありません。防御に徹しても、そう長くは持たないでしょう」

 

「つまり、その間に僕たちの内誰かがチュデルキン本人を攻撃するしかない…ってことかいアリス?」

 

「そうなります。ただし、剣の間合いにまで接近してはいけません。最高司祭様はその機会を伺っているのですから」

 

 

ユージオが長年の時を超えて再会を果たした幼馴染に訊ねると、アリスは彼を一瞥しながら頷いた。そして上条は二人の間で身を屈めると、二人の耳元で囁いた

 

 

「なら、俺に作戦がある。ユージオ、お前まださっきの武装完全支配術を使えるか?」

 

「う、うん。心意技は無理かもしれないけど、青薔薇の剣があれば完全支配術は使えると思う」

 

「よし、なら大丈夫だ。いいか?まず……」

 

 

上条の耳打ちに不安そうになりながらもユージオが頷くと、上条はアリスも交えて二人に自分の考えた作戦を両者に小声で伝えた。そしてそれを伝え終わった瞬間、なおも逆立ちの状態を維持したチュデルキンが吠えた

 

 

「ヒョ〜ホホホッ!作戦会議は終わりましたかぁ!?まぁそんなものしたところで、オメェ達が丸焦げになるのは変わらねぇってンですヨゥ!!」

 

「おおおおおおっ!!」

 

 

炎の魔人が巨体をゆらゆらと揺らしながら迫り、躊躇なく豪腕を振り下ろした。上条はそれに臆することなく巨人の前へと躍り出ると、爆炎を纏う拳を右の掌で真っ向から受け止めた

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

あらゆる幻想を打ち消す上条の右手でも、その一撃を受け止めるのが精一杯だった。全身に重みがズシリとのし掛かり、折れ曲りそうになる右手首を懸命に左手で支えた。しかし、それは上条とて最初から分かりきっていたことだった。ここまで強大な一撃を御し切れる訳がない。だから上条の視線はその時には既に、自分の後ろで青薔薇の剣を抜いたユージオに向けられていた

 

 

「ゆ、ユージオッ…!」

 

「エンハンス・アーマメントッ!!」

 

 

ユージオは逆手に持ち替えた青薔薇の剣を、最上階の床へと突き立てた。そして武装完全支配術の最後の式句を口にすると、バシィッ!という音を反響させながら永久氷塊がチュデルキンに伸びていく…ハズだった

 

 

「オ〜ホホホ!ちょっとは頭を使えってんですヨォ!そんなナヨっちい氷が、この私の神聖術の前に通用する訳ないでしょうが!バーカバーカ!」

 

「「ッ!?」」

 

「ヒィ〜ッヒヒヒヒ!これで最高司祭猊下の御身は私の…ヒョ〜ホホホホホホ〜!」

 

 

青薔薇の剣を中心に広がっていく氷の海は、支配術の起動とほとんど同時に溶解してただの水に変わり、瞬く間に蒸発してしまっていた。予想だにしていなかった事態に、上条とアリスは最悪の展開を脳裏によぎらせた。そんな二人の青ざめた顔を見て、チュデルキンが揺るがぬ勝利を確信し高笑いする中、ユージオだけが青薔薇の剣の柄を握りしめて声高に叫んだ

 

 

「まだだっ!」

 

「ウヒョッ!?」

 

「僕の青薔薇の剣は!世界創生の頃から、果ての山脈で極寒の吹雪に鍛えられてきたんだ!こんな炎なんかに!負けてたまるかあああぁぁぁっ!!」

 

 

ユージオの瞳に、光が宿る。敵の手で植え付けられた剣の記憶を、懸命に自分の意思で塗り替えていく。太古より極寒の吹雪の中で孤独に佇む白銀の剣は、万物を凍てつかせる奇跡を持つ。その奇跡は、紛れもなく自分の手の中にある。そして、今隣に立っている最愛の幼馴染の懐かしい笑顔を守りたい。ただそれだけを願って、ユージオは武装完全支配術の、さらなる神髄である『記憶解放術』へと手をかけた

 

 

「リリース・リコレクション!!」

 

「ぎひっ…!?」

 

 

バガァンッ!!という轟音が最上階全体を揺るがした。ユージオの手の中で青薔薇の剣が一際強く震え、灼熱で包まれていた熱気が、肌をピリつかせるほどの極寒に豹変した。先ほどの上条との戦いとは比較にならないほど巨大な氷の柱がチュデルキンに襲いかかり、道化師じみた金切り声が悲鳴をあげる間も与えずに彼の矮小な全身を氷の檻へと封じ込めた

 

 

「捉えましたっ!エンハンス・アーマメント!」

 

 

刹那、アリスが金木犀の剣の武装完全支配術を発動した。黄金の刀身が瞬く間に光り輝く数百の花弁に分離し、花吹雪のごとく舞い上がった

 

 

「ーーー吹き荒れろっ!!」

 

 

金木犀の花弁は万物を砕く黄金の風となり、チュデルキンを封じた氷を飲み込んだ。そして金木犀の風が氷の海を通り過ぎる頃には、上条が食い止めていた炎の魔人は跡形もなく消え、後にはバラバラに砕けたチュデルキンの氷塊が転がっていた

 

 



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第53話 剣の巨人

 

「か、勝った…!」

 

 

顔から大量の汗を噴き出した上条が、拳を引き寄せながら言った。それからアリスとユージオも互いに顔を見合わせて頷き合い、勝利を分かち合うように笑った。しかし、宙に浮くアドミニストレータがチュデルキンの氷片に手を差し向けた瞬間に、三人は一斉に身構え直した

 

 

「うふっ、そう怖がることでもないわ。ただそこのが邪魔だから片付けるだけよ」

 

 

そう言ってアドミニストレータが無造作に左手を振ると、部屋にばら撒かれた氷が軽々と吹き飛んだ。そして氷の欠片が壁に叩きつけられると同時に、中のチュデルキンごとさらに細かく砕け散った

 

 

「な、なんということを…!?」

 

「あら。元々アイツを粉々にしたのはアリスちゃんの方じゃない。まぁ退屈なショーではあったけれど、意味のあるデータはいくつか取れたわね」

 

「テメエッ…!そういうことを言ってんじゃねぇよ!アイツは仮にもテメエの仲間だったんだろうが!テメエを慕って命を張ってまで戦ったヤツに、どうしてここまで酷い仕打ちができんだよ!?」

 

 

その光景に絶句したアリスをアドミニストレータが笑うと、上条が彼女の態度に怒りを露わにしながら怒鳴った。しかし彼女はそれでも態度を変えることなく、涼しげに両足を組みながら唇に指を添えて言った

 

 

「あっははは!仲間?最初から私にそんなものないわよ。それとも他人を大切に思うことがそんなに大事?ねぇ…『イレギュラーの坊や』?」

 

「・・・・・」

 

「分かってないとでも思った?詳細を参照できないのは、非正規な婚姻から発生した未登録ユニットだからなのか…って思っていたんだけれど、違うわよね?あなた、あっちから来たのよね?つまりは『向こう側』の人間。そうなんでしょ?」

 

 

可愛げな子どものようなあどけなさを演じながら、アドミニストレータは首を傾げながら上条に訊ねた。この女は、もう自分の素性を全てを理解している。そう実感した上条は、否定することもせずに真っ直ぐ答えた

 

 

「・・・そうだ」

 

 

ユージオとアリスは、二人の会話がまるで理解出来ていなかった。あっちから来た、向こう側の人間。その言葉の意味に思考を巡らせる中、上条はユージオとアリスの湧き出てくる疑問に答えることなく続けた

 

 

「とは言っても、俺は人工フラクトライトじゃないってだけで、特別なスキルや神聖術なんて何も持ってないんだぜ。むしろ、テメエのやりたい放題には遠く及ばねぇよ。アドミニストレータ…いや、クィネラさんよ」

 

 

上条がその名を口にした途端、アドミニストレータの表情が目に見えて曇った。話の内容が分からないユージオとアリスでも、それだけは分かった。しかしそれは一瞬のことで、彼女は先ほどよりも大きく口角を吊り上げて笑った

 

 

「図書室のちびっ子が、性懲りも無くつまらない話をあれこれ吹き込んだようね。それで?坊やは一体何をしに私の世界へ転げ落ちて来たのかしら?管理者権限の一つも持たずに」

 

「確かに俺には大した権限はねぇな。だけど、知っていることなら少しはある」

 

「へぇ…例えば?下らない世間話じゃないわよね?」

 

 

当たり前だと言わんばかりに上条は舌打ちすると、表情を険しく張り詰めさせながら瞳に鋭い光を宿し、アドミニストレータに右手の人差し指を向けて言った

 

 

「テメエは知る由もねぇだろうが、テメエの大切な世界はそう遠くない内に滅びる。他の誰でもないテメエ自身の手でな」

 

 

上条が出来る限り語気を強めながら語ったにも関わらず、アドミニストレータはそれをおかしそうに鼻で笑うと、宙で頬杖をついて呆れたように言った

 

 

「私が?私の可愛い人形ちゃんたちを散々痛めつけてくれた坊や達じゃなくて、この私が滅ぼすって言うの?」

 

「まぁな。簡単なテメエの間違いだ。ダークテリトリーの総侵攻に対抗するために整合騎士団を作り上げた…いいや、作っちまったこと、それ自体が、テメエのしでかした何よりのミスだ」

 

「ふふ、うふふ。いかにもあのちびっ子が言いそうな事ね。あなたみたいな坊やを籠絡するなんて、おちびさんも随分と手管を覚えたみたいねぇ。いっそ不憫だわ…そこまでして私を追い落としたいあの子も、それを信じてこんな所まで苦労して登ってきた坊やも」

 

 

唇を指で押さえながら漏れそうになる笑いを堪えるアドミニストレータは、上条を見下しながら言った。すると上条の横で、黄金の鎧を凛と鳴らしながらアリスが一歩前に出た

 

 

「お言葉ですが、最高司祭様。来るべき闇の軍勢の侵攻に現在の騎士団では抗しきれないとお考えだったのは、騎士長ベルクーリ閣下もご同様でした。そして、私もです。無論、我ら騎士団は最後の一騎までも戦い抜き、最後には散り果てる覚悟も有りました」

 

「ですが、一つお聞かせ下さい。最高司祭様には騎士団なき後、無辜の民を守る手立てはおありだったのですか!?よもやお一人で、かの大国勢を滅ぼし尽くせるなどとお考えだったわけではありますまい!」

 

 

アリスはこれ以上なく激昂していた。上条とユージオはシンセサイズされたアリスと出会って間もないが、彼女がこれまで盲目的に支えてきた最高司祭に対し、ここまでハッキリと反抗を口に出来ることに驚いていた。そしてアリスは、なおも表情一つ変えないアドミニストレータに対し、柄を逆手に握った金木犀の剣を突き立てて言った

 

 

「最高司祭様。私は先刻、あなたの執着と欺瞞が騎士団を崩壊させたと言いました。執着とはあらゆる武器と力を奪ったことであり、そして欺瞞とはあなたが我ら整合騎士をすら深く謀っていたことです!あなたは我らを家族や愛すべき者から無理やりに引き離し、記憶を封じ、ありもしない神界より召喚されたなどとという偽りの記憶を植え付けた!」

 

「私はそれを、民たちを守るために必要な行為であったと言うのであれば咎めますまい。ただ!どうして我ら整合騎士の公理教会と最高司祭様に対する忠誠と敬愛すらも信じてくださらなかったのです!?なぜ我らの魂に、服従を強制するような術式を施されたのですか!?」

 

 

思いの丈を吐き出し切ったアリスの隻眼からは、涙が溢れ出していた。右に立つ上条にそれは見えなかったが、ユージオはその涙を拭いもしないアリスのすがたに心を痛めた。しかしアドミニストレータは、それすらも興味がないように薄ら笑いを浮かべた

 

 

「あらあら、アリスちゃん。随分と難しいことを考えるようになったのね。まだたった5年…いや6年だったかしら?それくらいしか経ってないのにね。今のあなたが『造られてから』」

 

 

最後の一言をやたらと強調しながら、アドミニストレータは情というものを一切感じさせない口調で言った。そしてその響きが消えぬ間に、彼女は続けざまに言った

 

 

「私があなた達を信じていなかった…ですって?ちょっとだけ心外だわ。とっても信頼していたのよ?私の可愛いお人形さんですもの。あなた達にプレゼントした敬神モジュールこそ、私の愛の証だわ。あなた達がいつまでも綺麗なお人形さんでいられるように、下らない悩みや苦しみに煩わされずに済むように、そう願ってね」

 

「小父さまが…騎士長ベルクーリ閣下が整合騎士として生きた300年という長き日々の間に、僅かでも悩み、苦みもしなかったと…最高司祭様はそうお考えなのですか…?」

 

 

絞り出すような声でそう言ったアリスは、顔を俯かせながら奥歯を噛み締めていた。黄金の柄を握るその手は、力むあまり血管が浮き彫りになっていた

 

 

「誰よりも深い忠誠をあなたに捧げた人が!その心中に抱き続けてきた痛みを知らないと!あなたはそう仰るのですか!?」

 

「ええ、知ってたわよ。もちろん」

 

 

勢いよく顔を上げ叫んだアリスとは対照的に、アドミニストレータはさも当然であるかのように言った。そしてやれやれと言った具合に手を広げると、鋭い瞳のアリスに冷酷な視線を向けた

 

 

「かわいそうなアリスちゃんに教えてあげるわ。一号…ベルクーリがその手の話にうじうじ悩むのは、初めてじゃないのよ」

 

「な、なんですって……?」

 

「実はね。100年ぐらい前にもあの子は同じようなことを言いだした。だからね。私が直してあげたのよ」

 

「ッ!?」

 

「あの子だけじゃないわよ。100年以上経ってる騎士はみーんなそう。辛い事は何もかも忘れさせてあげたのよ。安心してアリスちゃん、今あなたにそんな悲しい顔させている記憶も消してあげる。何も考える必要のないお人形にちゃーんと戻してあげるわ」

 

 

歪んでいる。と、アリスを蔑んだ目で見下しながら語るアドミニストレータを見てユージオは思った。もはやこの女は、何を言っても感情が動くことはない。そう思ったのはアリスも同じだったようで、これ以上は語るまいと最後に深く息を吸って言った

 

 

「確かに、私は今胸を引き裂かれるほどの苦しみと悲しみを感じています。けれど私はこの痛みを…初めて感じるこの気持ちを、消し去りたいとは少しも思いません。なぜならこの痛みこそが、私が人形の騎士ではなく一人の人間であることを教えてくれるからです!最高司祭アドミニストレータ!私はあなたの愛を望まない!あなたに私という人間を直してもらう必要はありません!」

 

「残念だけど、あなたがどう思うかなんて関係ないの。私が再シンセサイズすれば、今のあなたの感情なんて最初からなかったように、何もかも消えちゃうんだから」

 

「あぁ、そうだったな。テメエもクィネラだった頃にドジって、感情が支配されちまったんだもんな?」

 

 

優しい笑顔で残酷な言葉を発したアドミニストレータに対し、上条は敢えて挑発するような口調で鼻で笑いながら彼女に言った。その上条にクィネラだった女神は、邂逅してから初めて怪訝そうな表情を見せた

 

 

「・・・ねぇ坊や、昔の話はやめてって言わなかったかしら?」

 

「多分言われてねぇな。つーか、やめれば事実が消えるってのか?いくらテメエでも過去を好き放題編集できるわけじゃねぇだろ。テメエもまた人の子として生まれ育った、一人の人間って事実は天地がひっくり返っても消せねぇんだからな」

 

「人間、ね。じゃあ何?同じ人間なら向こう側から来てる俺の方が偉いぞ…ってことが言いたいのかしら坊やは?」

 

「偉いとかじゃねぇよ。テメエも人間である以上、完璧な存在であることなんて有り得ないって事だ。人間っつーのは、何度も間違いをするように出来てる生き物だ。だけどテメエの過ちはもう修正不可能な所まで来ちまってんだよ。整合騎士団が半壊した以上、もし今ダークテリトリーの総侵攻が始まったら人界は滅ぶぞ!」

 

「・・・騎士達を壊して回ったのは坊やなのに、なんだか随分な言いようね」

 

 

これまでただ冷ややかに語っていただけのアドミニストレータだったが、上条に向けて話す言葉には少しトゲのようなものがあった。しかし、上条は彼女の高圧的な物言いや風格に気圧されることなく、なおも言った

 

 

「自分だけ生き延びられれば、その後で最初からやり直せばいい…どうせテメエはそう思ってんだろ?ところがどっこい、残念ながらそうはならなぇんだよコレが。向こう側にはこの世界に対して、真に絶対の顕現を持つ人間がいるんだ。まぁ残念ながら今の俺は持たない側だけどな」

 

「んで、多分ソイツらはこう思うんだ。『今回は失敗だったな。最初からまたやり直そう』ってな感じにな。そしてリセットボタンをポチッとして、この世界の何もかもを消しちまうのさ。街も、山も、川も、空も…テメエを含めた全ての人間もまた、一瞬でな」

 

 

ユージオとアリスは、またも自分達には理解の追いつかない会話を始めた上条とアドミニストレータをただ見ていることしか出来なかった。彼女は退屈そうに息を吐くと、押し黙る二人の視線を無視して言った

 

 

「それなら、あなた達向こう側の人間はどうなのかしら?自分達の世界がより上位の存在に創造された可能性を常に意識し、世界をリセットされないように上位者の気に入る方向にのみ進むように努力でもしているの?」

 

「・・・それは…」

 

「誤魔化すことないわよ。そんなはずないわよね?戯れに命と世界を創造して、いらなくなれば消し去ろうなんて連中だものね。そんな世界からやってきた坊やに、私の選択をどうこう言う権利があって?」

 

 

アドミニストレータの言い分は、実に正論を射ていると上条は僅かながらにも思ってしまった。ただ一人だけ外部の存在を知覚し、その世界を意識して来た。そんな立場に立ったことのない上条には、今の彼女の気持ちを推し量る術はなかった

 

 

「そんなの、私は御免だわ。創造神を気取る連中に、存在し続ける許しを請うなんて惨めな真似はしない。私の存在証明はただ支配することにのみある。その欲求だけが私を動かし、また私を生かすのよ」

 

「この足は、踏みしだくために在るのであって!!決して膝を屈するために在るのではない!!!」

 

 

アドミニストレータが、初めて怒声を上げた。彼女の周囲の空気がその叫びに同調するように巻き上がり、極薄の絹で出来たドレスを揺らした。それこそが、最も長くこの世界を見てきた彼女なりの覚悟なのだろう。しかし、上条もまた自分の中の覚悟を曲げるつもりは毛頭なかった

 

 

「なら!ならテメェはこのまま人界が滅ぼされるのを黙って見て、人っ子一人いねぇ世界の支配者として、形だけの玉座でいびきでもかきながら死ぬのを待ちましょうってか!?そんな世界に、一体なんの意味があるってんだ!」

 

「そんなわけないわよ。私はこのアンダーワールドをリセットさせる気はないし、最終負荷実験さえも受け入れるつもりはないわ。そのための術式はもう完成しているの。そしてその先にある…この世界の更なる上のステージだって私はすでに見据えているんだから」

 

「・・・何?」

 

「言い換えるなら、整合騎士なんてただの中継だったのよ。真に私が求める武力は、記憶や感情はおろか考える力すらいらないの。単純に最終負荷実験を乗り越える為なら、ただひたすらに目の前の敵を屠り続けるだけの存在であればいい…つまりハナっから人間である必要はないの」

 

 

そこまで言われて、上条はぞわりと背筋を這う恐怖に寒気を覚えた。ニヤリと不気味な微笑を浮かべながら、アドミニストレータは天高く右手を掲げた。その仕草だけで三人の全身から血の気が引いていき、それを助長させるように永遠の若さを保つ手が怪しく光った

 

 

「さあ目覚めなさい!私の忠実なる僕!魂なき殺戮者よ!リリース・リコレクション!」

 

 

どこから取り出したのか、アドミニストレータの手の中には敬神モジュールが握られていた。そして彼女の口から紡がれたのは、記憶解放の意味を成す二つの単語。その三角柱に解放するような記憶があるのか?上条がそう考えていると、部屋から響く微かな音を耳にした

 

 

「なんだ、これ…?」

 

 

それが金属音だと気づくのに少し時間がかかった。なぜなら、部屋を見渡す間にその音が連続してずっと聞こえていたからだ。広大な広間を取り囲む何本もの柱に、それはあった。実に30本にも及ぶ模造の剣が次々に浮かび上がり、星のように煌めく天蓋の真ん中に集約していく。それを最初に見上げたユージオは、言葉を失いながら後ずさりした

 

 

「あ、あぁぁぁぁぁ……!」

 

 

やがてそれは、土煙を巻き上げながら地に落ちた。大小30本の剣は時に形を変え、実に巧妙に組み上がった。2本の腕、4本の足どころか顔や肋骨に至るまで、体の全てが金の実剣で出来ていた。黄金に輝くその巨体は、先にチュデルキンが召喚した炎の魔人には及ばずとも、それ以上の威圧感を放っていた

 

 

「あ、ありえない…同時に複数…しかも30もの武器に対して、これほど巨大な完全支配術を使うなど…術の理に反しています…!」

 

 

アリスも自分の隻眼に映る光景を疑いながらも、半ば呻くように呟いた。一際剣が密集する体の上部に紫の光が灯り、そこがこの剣の巨人の瞳なのだと分かった。そしてアドミニストレータは剣の巨人の頭部の上に浮かび、満足げに微笑みながら言った

 

 

「ふふ、うふふ。どう?これこそ私の求めた力。永遠に戦い続ける純粋なる攻撃力。名前は、そうね…『ソードゴーレム』とでもしておきましょうか」

 

 



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第54話 再来の司書

 

「ソード…ゴーレム…」

 

 

上条は特に意味もなく繰り返したその名に、言い知れぬ恐怖を感じた。かつて渡り歩いた仮想世界にも、こんな姿をした怪物は存在しなかった。このアンダーワールドで自分は、心意の力で剣を拳で壊すという離れ業を偶発的にやってのけたことはあるが、目の前の巨人を拳で砕くビジョンは塵ほども浮かんで来なかった

 

 

「さて、体を構成する剣の1本1本が神器級の優先度を持っているこのソードゴーレムに、あなた達は勝てるのかしら?私の貴重な記憶領域を限界まで費やして完成させた、目の前の敵をひたすら切り続ける史上最強の兵器に」

 

 

もう戦いの火蓋はいつ切られてもおかしくない。咄嗟にそう理解した上条は背中の盾を左手に装備し、ユージオとアリスもそれぞれの愛剣を鞘走らせた。そしてアドミニストレータは、天に掲げていた右手を振り下ろして高らかに謳うように言った

 

 

「さぁ!戦いなさいゴーレム!お前の敵を滅ぼすために!」

 

「来るぞッ!!!」

 

「やああああああ!!」

 

 

裂帛の気合いと共に先陣を切ったのはアリスだった。剣の巨人はその瞬間を待ちわびていたが如く大きく腕の剣を掲げると、彼女の懐に向かってそれを勢いよく振り下ろした

 

 

「アリス!危ねぇっ!!」

 

 

その巨剣がアリスに突き刺さるほんの少し手前で、上条が投擲した盾が間に割って入った。しかし、その腕の一本すら複数の神器でできている巨人の前に上条の盾は紙のように容易く引き裂かれ、上条の援護も虚しくアリスは鎧ごと身体を貫かれた

 

 

「がはっ!?」

 

 

激痛に悲鳴を上げる暇もなかった。そんなことをする間もなく、アリスの喉から血反吐が噴き出した。そして剣の巨人は、アリスの丹田から胸にかけて縦に突き刺さった鉄の腕を血飛沫を散らしながら引き抜いた。その残酷な仕打ちとアリスを傷つけられた怒りのままに、上条は剣の巨人へと向かっていった

 

 

「テ、テメェッ…!アリスに何してやがんだあああぁぁぁーーーっっっ!!!」

 

 

次の瞬間、上条の身体はボロ布のように吹っ飛んだ。巨人の剣が横薙ぎに振るわれ、上条の身体をくの字に曲げながら真一文字に横断した

 

 

「ごふっ…!?」

 

 

それは、まだ体が上下繋がっているのが不思議に思えるほどの強力な一撃だった。上条は切断された腹わたからビチャビチャと血と臓物を撒き散らしながら転がると、やがて床に伏して血の池に沈んだ

 

 

「あっ、そ、そんな…カミやん…アリス…」

 

「うふふふ…あーはっはっは!口ほどにもないわね!もうあなた一人しか立っていないじゃない!」

 

 

その光景を、ユージオは黙って見ていることしか出来なかった。おびただしい量の鮮血の上に倒れる二人と、その元凶である剣の巨人を前にしてユージオは完全に足が竦んでしまっていた。しかし、感情を持たぬソードゴーレムが呆然と立ち尽くす彼に容赦などするはずがない。余りにも無慈悲な巨人の剣が、一人残されたユージオにも振るわれようとした時、どこからともなく声が聞こえてきた

 

 

『ユージオ!短剣を使うのよ!カミやんの胸ポケットにまだ一本入っているわ!それを床の昇降盤に刺すのよ!』

 

「・・・え?」

 

 

その時だけは、ユージオの頭はなぜか冴え渡っていた。その言葉に、どこか今までずっと一緒にいたような親近感を覚えた。突如聞こえた声のままに上条の方へ視線を向けると、彼のツンツン頭から何か小さな生き物が飛び出すのが見えた

 

 

『時間は私が稼ぐわ!急いで!』

 

 

それは蜘蛛だった。ユージオと上条がルーリッド村を出てからずっと影ながら見守っていたその蜘蛛の名は、シャーロット。彼女は上条の頭から音もなく着地するやいなや、全長二メートルは超える巨大な黒蜘蛛に変化した

 

 

『シャアアアアッッ!!』

 

 

精一杯の威嚇の叫びを上げながら、シャーロットは勇猛果敢に剣の巨人に立ち向かっていった。その鉄の巨体に体当たりした瞬間に、いくつもの切り傷を負ったのは間違いない。しかしユージオは必死の彼女の言葉を信じて、上条の元に駆け寄り懐を弄った

 

 

「駄目だ、シャー…ロット……」

 

 

上条は薄れゆく視界の端で、決死の戦いを挑むシャーロットを見ていた。碌に言葉も交わしたことはないどころか、自分は一匹目の彼女を殺したというのにも関わらず、ここまで身を粉にして庇ってくれる彼女の姿に、上条は涙を滲ませた

 

「・・・邪魔な虫ね」

 

 

短い宣告と共にアドミニストレータが指を鳴らし、その拮抗は3秒で終わった。ソードゴーレムは左手を振るい、一瞬にしてシャーロットの左前脚を切り落とした。続いて右手を振りかぶると、彼女の胴体を串刺しにした

 

 

「・・・ぁ…」

 

 

まるで害虫のように、シャーロットの体はあっさりと潰された。悔しさのあまり上条は涙を溢れさせ、力の入っていない拳を地面に叩きつけた。巨大化していた彼女の体が萎んでいくその間に、部屋の一ヶ所から紫色の閃光が迸った

 

 

『よかった…間に合った…最後に、一緒に…戦えて…嬉…し、い…』

 

「ありがとう、僕たちを守ってくれた人…あなたの努力は、決して無駄にはしない!」

 

 

シャーロットはそう呟いて、絶命した。彼女の指示通り、ユージオは震える体を鎮めて昇降盤にたどり着き、上条の懐から取り出した短剣を床に突き刺していた。そして頬から一筋の涙が溢れ落ちると、最上階の空中に木枠の扉が現れ、雷にも似た眩い光線が、大質量を誇るソードゴーレムをズガァンッ!という轟音と共に一撃で横たわらせた

 

 

「・・・来たわね。大図書館の秘蔵っ子」

 

 

カチリ、とドアノブが回されたその扉の奥からゆっくりと、宙を滑りながらカーディナルが姿を現した。彼女の姿を見たアドミニストレータはくつくつと笑い、背丈よりも高い杖を持つカーディナルは彼女を一瞥しただけで視線を切りアリス達の元へ降りていった

 

 

「あ、あの…あなたは……?」

 

「まぁ待て。聞きたいことは山ほどあるじゃろうが、まずは二人の治療が優先じゃ」

 

 

ユージオにそう言ったカーディナルは地に足をつけることなく宙を滑っていくと、アリスの元で杖を一振りし、次に上条の上で杖を振った。すると二人から出ていた血が本人の体に戻っていき、みるみる内に傷口が塞がっていった

 

 

「この頑固者。任を解き、労をねぎらい、お前の好きな本棚の片隅で望むように生きろと言うたじゃろうに…」

 

 

最後にカーディナルは、小蜘蛛に戻ったシャーロットを両手で大切に拾い上げ、悲しげな瞳で数秒見つめた後に、自分のローブの裾に匿った。そして負傷から復活した上条とアリスが呻き声を上げながら立ち上がり、ユージオとカーディナルの元に歩み寄った

 

 

「カミやん、この人は一体…」

 

「俺の協力者だ。名前はカーディナル。え〜っと…簡単に言うとな、200年前のアドミニストレータとの戦いで追放されたもう一人の最高司祭だ。大丈夫、頼りになる味方だ。カセドラルに侵入した俺を助けてくれて、ここまで導いてくれたんだ。ちなみに、さっき俺たちを庇ってくれた蜘蛛…シャーロットは、このカーディナルの使いで、村を出た頃から俺たちのことを見ててくれてたんだ」

 

「そ、そうだったんだ…初めまして、カーディナルさん。危ないところを助けてくれて、ありがとうございました」

 

「こうして顔を合わせるのは初めてじゃな、ユージオよ。しがない図書館の司書をしとるカーディナルじゃ」

 

 

ユージオに訊ねられた上条がカーディナルを紹介すると、ユージオは宙に浮かぶ少女に深々と頭を下げた。そしてそれに続いて、アリスも柔らかな表情でカーディナルに言った

 

 

「もう一人の最高司祭…カーディナル様、ですね。私の傷を癒してくださってありがとうございました。治癒の光の中で、あなたの力の温かさを感じました」

 

「アリスも、よくぞ剣を取ってくれたな。結果的にこうなったのであれば、返ってワシのもう一本の短剣を壊してくれて良かったのかもしれん」

 

「それで、その…カーディナル。シャーロットには、フラクトライトがあったのか?あんな風に…俺たちを庇うようにして…」

 

「いや。お主の世界の言葉を借りれば、シャーロットはNPCと同じ存在じゃ」

 

 

悲痛な表情で俯きながら訊ねる上条に対して、カーディナルはかぶりを振って答えた。上条はシャーロットの最期を思い出しながら、悔しさを滲ませるように拳を握って、なおも問いただした

 

 

「だけど…シャーロットは俺を救ってくれたんだ。俺のために自分を犠牲にしたんだ。フラクトライトがある訳でもないのに、どうしてここまで……」

 

「こやつはもう200年も生きておった。その間ずっとわしと語らい、多くの人間達を見守ってきたのじゃ。最初のシャーロットと合わせて数えれば、お主に張り付いてからでも早2年。それほどの時を過ごせば、たとえフラクトライトを持たずとも…たとえその知性の本質が入力と出力データの蓄積に過ぎなくとも、そこに真実の心が宿ることだってあるのじゃ…」

 

 

シャーロット亡骸が眠るローブの裾に手を添えながらカーディナルが言うと、上条は静かに目を閉じて彼女の冥福を祈った。そしてカーディナルは視線を鋭くすると、宙に浮かぶ自分の分身を睨みつけながら叫んだ

 

 

「そう!時として愛すら宿るのじゃ!貴様には永遠に理解できぬことであろうがな!アドミニストレータ!虚ろなる者よ!」

 

「ふん、来ると思っていたわ。その坊や達をいじめていれば、いつかはカビ臭い穴倉からゴキブリのように這い出てくるものだとね」

 

 

アドミニストレータは鋭く睨むカーディナルの視線を見下しながら、未だかつてないほどの魔性に染まった笑いを見せた。そして数百年ぶりに及ぶ再会に、アドミニストレータは心を躍らせるように全身を打ち震わせていた

 

 

「フンッ、しばらく見ぬうちに随分と人間の真似が上手くなったものじゃな」

 

「あら?そういうおチビさんこそ、その可笑しな喋り方は何のつもりなのかしら?」

 

「歳を取った故な。相応の喋り方に変えただけじゃ」

 

 

因縁の宿敵を前にして口調に力がこもるカーディナルに対し、アドミニストレータの声はどこまでも冷ややかだった。しかし上条ら三人との会話の時のような無感情な口調ではなくなり、どこか歓喜しているように口元から微笑が漏れていた

 

 

「うふふふ。喋り方は変わっても、200年前私の前に連れて来られた時の心細そうに震える面影は残っているみたいね。ねぇ…『リセリス』ちゃん?」

 

「わしをその名で呼ぶなクィネラ!わしの名はカーディナル!貴様を消し去るためにのみ存在するプログラムじゃ!」

 

 

彼女の元の名を口にしたのであろうアドミニストレータに対し、カーディナルは声高に新たな自分の存在を謳った。そして彼女を生み出した支配者は、可笑しそうに笑いながら自分も同じように名乗った

 

 

「あはは、そうだったわね。そして私はアドミニストレータ。全てのプログラムを管理する者。迎えに行くのが遅れて悪かったわねおチビさん。あなたを歓迎するための術式を用意するのに、ちょっと手間取っちゃったものだから」

 

 

そう言うとアドミニストレータは高速で神聖術の式句を詠唱し、仕上げに指を軽く鳴らした。するとその瞬間に、大広間の窓から覗いていた夜空が更にどす黒い闇に支配され、床に足を付いている上条達は体が少し浮いたように感じた

 

 

「こ、これって……」

 

「貴様…アドレスを切り離したな!?」

 

「前回からの反省点よ。200年前あと一息で殺せるという所でお前を取り逃がしたのは、確かに私の失点だったわ。あの黴臭い穴倉を非連続アドレスに設置したのは、私自身だものね?だから今回は、その失敗から学ぶことにしたの。いつかお前を誘い出せたら、今度はこっち側に閉じ込めてあげようって。鼠を狩る猫のいる檻にね」

 

 

それは窓の外の世界ではなく、世界とこのカセドラル最上階との接続の切断を意味していた。世界からただ一点だけ切り離されたこの空間でアドミニストレータは、狡猾な自分に酔いしれるようにくつくつと笑った。カーディナルは彼女の笑い方に軽く舌打ちすると、負けじと勝ち誇ったように鼻で笑って言った

 

 

「ふん、それは結構なことじゃな。けれどこの状況ではどちらの陣営が猫で、どちらが鼠かわからぬと思うが?なにせ我々は4人。そして貴様は一人なのじゃからな」

 

「その計算はちょっとだけ間違っているわね。正しくは4人対『300人』なのよ。私を加えなくてもね」

 

「・・・さ、300人?」

 

 

アドミニストレータの口にした言葉の意味が分からず、上条が怪訝そうにその人数を繰り返した。だが彼と違ってカーディナルはその意味を一瞬で理解すると、血相を変えて声を震わせた

 

 

「まさか、貴様…!なんと…なんと非道な真似を!その者達は本来貴様が守るべき民ではないのか!?」

 

「民…民って…人間!?」

 

 

カーディナルの言葉をうわ言のように呟いていたユージオが、その意味に気づいて声を荒げた。そこでようやっと、上条とアリスも理解が追いついた。それから全員がアドミニストレータに視線を向けると、彼女は下らない質問だと言わんばかりに笑った

 

 

「はっ。守るべき民ね…私がそんな低次元なこと気にするわけないじゃない。私は支配者なのよ?私の意志のままに支配されるべきものが下界に存在していれば、ただそれでいいの。人だろうと剣だろうと、それは大した問題じゃないわ」

 

「貴様ッ…!」

 

「あら?まさかヒューマンユニットをたかが300個物質変換した程度で驚いてるわけじゃないわよね?これはあくまでプロトタイプなのよ。嫌ったらしい負荷実験に対抗するための完成形を量産するためには、ざっと半分くらいは必要かなって感じだわ」

 

「・・・半分…?」

 

 

カーディナルの神聖術で吹っ飛ばされたソードゴーレムが甲高い金属音を奏でながら再び立ち上がった。そして半分、という言葉の意味を想像しながら呟いたアリスに、アドミニストレータが答えた

 

 

「半分は半分よ、アリスちゃん。人界に存在する約8万のヒューマンユニットの半分。それだけあれば足りるんじゃないかしら?ダークテリトリーの侵攻を退けて向こう側に攻め込むのにね」

 

「「「!!!!!」」」

 

 

四人は今度こそアドミニストレータの邪悪な思想に絶句した。もはや桁が違った。目の前の敵は、四万人という膨大な人の命をまるで自分の物としか思っていなかった。彼女は自分への恐怖に慄く四人を見下ろしながら微笑んだ

 

 

「どう?これで満足したかしらアリスちゃん。そんなに心配しなくても、あなたの大事な人界はちゃんと守られるわよ。半分という僅かながらも尊い犠牲の上に、ね」

 

「・・・最高司祭様…最早あなたに人の言葉は届かない。故に神聖術師として訊ねます。その人形を象る30本の剣、その所有者はどこにいるのです!?」

 

 

一度は恐怖に言葉を失っていたアリスだったが、再び口を開いてからは決して剣の巨人とアドミニストレータに萎縮することはなく、堂々たる立ち振る舞いで彼女に真っ向から物申した

 

 

「たとえ最高司祭様が、完全支配の及ぶ剣は一本のみという原則を破れたとしても、その次の原則は破れないのです。記憶解放を行うには剣と主の間に強固な絆が必要となります。ですがその人形を形作る剣の源が罪なき民達だと言うのなら、司祭様が剣に愛されているはずがない!」

 

「ふふっ、本当に決まりごとに従順な子ねアリスちゃんは。いいわ、教えてあげる。答えはアリスちゃん達の目の前にあるわ」

 

「め、目の前じゃと?それは一体、どういう…」

 

 

そう言うとアドミニストレータは右手を上に掲げ、数多の星と神が描かれた天蓋を指差した。しかしそこには何が現れるでもなく、変わらず星が輝いているだけで上条、アリス、カーディナルは首を傾げたが、その中でユージオだけがそれを見て声を震わせながら呟いた

 

 

「そ、そうか…そうだったのか…!あの天井の水晶、あれはただの飾りじゃない。あれはきっと、整合騎士達から奪われた記憶の欠片なんだ!」

 

「・・・は?」

 

 

上条はユージオの言っている意味がよく分からなかった。この天蓋の星たちは、そういう作りなんだと思っていた。しかし星々の輝きによく目を凝らして見ると、それは先ほど自分の右手で破壊した敬神モジュールの輝きに酷似していた

 

 

「まさか、これが…全部…!?」

 

「おのれクィネラ!貴様はどこまで人を弄ぶつもりなのじゃ!」

 

 

そしてそれが、モジュールの差し込まれていた場所に元々あった場所だと理解するのに、そう時間はかからなかった。カーディナルはその事実に歯噛みすると、怒りのままに声を荒げた

 

 

「シンセサイズの秘儀で抜き取った記憶ピースを精神原型に挿入すれば、それを疑似的な人間ユニットとして扱うことは可能じゃ。しかしその知性は極めて限定され、とても武装完全支配術などという高度なコマンドを行使することはできん」

 

「じゃが、記憶ピースとリンクする時の情報が重複する場合は別じゃ。すなわち…整合騎士達から奪った記憶に刻まれた愛する人間達をリソースとして剣を作った…そういうことじゃな!?アドミニストレータ!」

 

 

カーディナルは床に杖を突き立てながらアドミニストレータに迫ると、銀の瞳でその怒りを見下ろす彼女は、それすらも余興であるかのように醜く笑った

 

 

「えぇ、その通りよ。騎士達の模擬人格が望む願いはたった一つ。記憶してる誰かに触れたい。抱きしめたい。自分のものにしたい。そういう醜い欲望がこの剣の人形を動かしてるの」

 

「彼らは今すぐ傍にその誰かがいることを感じてるわ。でも触れない。一つになれない。狂おしいほどの飢えと渇きの中で見えるのは、己の欲求を邪魔する敵の姿だけ」

 

「この敵を切り殺せば、欲しい誰かが自分のものになる。だから戦う。どんなに傷を負っても、何度倒れても、永遠に戦い続けるの。どう?素敵な仕組みでしょ?本当に素晴らしいわ。欲望の力というものは」

 

「違ぇだろっ!!」

 

 

それは、彼女の手で剣に変えられた人達の無念の願いとも言うべきものだった。誰かと一緒にいたい、それは人として生きる者の当然の願いだ。そんな当たり前の感情すらも自分の駒にするアドミニストレータの意思を、上条はありったけの力を声に込めて否定した

 

 

「その感情を欲望なんて言葉で汚すんじゃねぇ!人の気持ちなんて考えたこともねぇテメエが!その感情を我が物顔で語るんじゃねぇ!それは…それは人間の純粋な感情だ!誰かを好きになって、誰かと触れ合いたい、誰かと愛しあって繋がりたい、それは俺たち人間にとって、一番大切な感情なんだよ!」

 

「同じ事よ?愚かな坊や。愛は支配であり欲望でもある。その実態はフラクトライトから出力される信号に過ぎない。私はただ、最大級の強度を持つその信号を効率よく利用しただけよ」

 

 

上条の怒りを全く意に介さないアドミニストレータは、両の掌をソードゴーレムに向けて差し伸べると、揺るがない己の勝利を確信したかのように高らかに謳った

 

 

「そこのおちびちゃんに出来たのは精々、無力な子どもを2、3人籠絡する程度。でも私は違うわ。私が作った人形には、記憶フラグメントも含めれば300ユニット以上もの欲望のエネルギーが満ち溢れている!」

 

「そして何より重要なのは!その事実を知った今、この世界の人の営みを是とするお前には決して人形を破壊できないということよ!なぜなら人形の剣たちは、形を変えただけの生きた人間なのだから!」

 

 

アドミニストレータはカーディナルを指で差しながら、毒にも等しい言葉を吐いた。大広間にその宣告が尾を引くように残響する中で次にカーディナルが発した声は、奇妙なほどに穏やかだった

 

 

「あぁ、そうじゃな。わしに人は殺せぬ。その制約だけは絶対に破れぬ。人ならぬ身の貴様を殺すためだけに、200年の時を経て術を練り上げてきたが、どうやら無駄だったようじゃ」

 

「くくっ、くくくっ…なんて愚かで、なんて滑稽なのかしら。お前ももうこの世界の真実の姿を知っているはずなのに。そこに存在する命とやらが、書き換え可能なデータの集合に過ぎないということを。それでもなおそのデータを人間と認識し、殺人禁止の制約に縛られるなんて……」

 

「違うな。彼らは間違いなく人だとも、クィネラよ」

 

 

愉悦に浸りながら語るアドミニストレータを、カーディナルはピシャリと塞き止めた。そして深く息を吸うと、今度は自分の番だとばかりに一息で言った

 

 

「アンダーワールドに生きる人々は、我々が失ってしまった真の感情を持っている。笑い、悲しみ、喜び、愛する心をな。人が人であるために、それ以上の何が必要であろうか。故にワシは、彼らが人であると心の底から信じ、来たる敗北を誇りと共に受け入れよう」

 

「か、カーディナル…何言って…」

 

 

敗北、という彼女の言葉が上条の耳にベッタリとへばりつき、嫌な悪寒が背中をなぞった。ユージオとアリスも同様にその予感を感じ取ったらしく生唾を飲み込んだが、その予感は次のカーディナルの言葉で明確な形となった

 

 

「じゃから、ワシの命はくれてやる。代わりに、この若者たちの命は奪わんでやってくれ」

 



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第55話 記憶解放

 

「なっ!?」

 

 

上条はその言葉に我慢ならず一歩踏み出そうとして、ユージオとアリスも全身を強張らせたが、カーディナルの背中から感じる強固な『意志の力』が三人の動きを押し留めた

 

 

「あら、随分とおかしなことを言うのね。今さらそんな交換条件を受け入れて、私にどんなメリットがあるのかしら?」

 

「さっき言うたじゃろう。ひたすらに術を練り上げてきたと。200年前と比べぬ方がよいぞ。その哀れな人形の動きを封じながらでも、貴様の天命の半分くらいは削ってみせるぞ。それほどの負荷がかかれば、貴様の心もとない記憶容量がさらに危うくなるのではないか?」

 

 

カーディナルの言葉に、アドミニストレータはあくまでも微笑みを崩さず唇に人差し指を当てて考えを巡らせる素振りを見せると、やがてため息まじりに答えた

 

 

「その程度で私のフラクトライトが脅かされるとは思えないけど、たしかに面倒ではあるわね。その交換条件、っていうのはこの閉鎖空間から坊や達を逃せば事足りるのよね?今後永遠に手を出すな、って意味なら拒否するわよ」

 

「いや、一度退避させるだけでよい。彼らなら、きっと……」

 

「ふ、ふざけんなっ!!」

 

 

先程は破るに至らなかった沈黙を、上条が破った。その叫びに、カーディナルが微かに振り向くと、上条は思いの丈を沸き立つ怒りに乗せながら彼女へ向かって叫んだ

 

 

「そんなんで見逃されて、俺たちが喜ぶとでも思ってんのか!?俺は戦えるぞ!例えテメエらには神聖術の権限レベルが遠く及ばなくたって、俺は最後まで…!」

 

「勝たなければ意味がないのじゃ!!」

 

「ッ!?」

 

 

丸眼鏡をかける眉間に皺を寄せながら、カーディナルが険しい表情で上条を一喝した。上条は彼女の迫力に思わず口を噤むと、その隙になだれ込むようにカーディナルが続けた

 

 

「今のお主に、あの剣の巨人とアドミニストレータを一度に相手取って戦う術があるのか!?あの剣に一度腹を裂かれ、自分で分かっておるじゃろう!それでは無駄死になのじゃ!例えここで負けても、お主らは生きねばならんのじゃ!死んだらそこで終わりなのじゃ!最後にワシらが勝つためには、誰かがここから生きて帰らねばならんのじゃっ!!」

 

「か、カーディナル……」

 

「・・・すまぬな、後を頼む」

 

 

上条が震える声で彼女の名前を呼ぶと、誰よりも人間を愛した管理者は、彼に優しく微笑んだ。そして再びアドミニストレータに向き直ると杖を捨て、両手を広げながら前に出た

 

 

「さぁ、これでよかろう。こんなちんけな身体じゃが、煮るなり焼くなり好きにすれば良い」

 

「ふふっ、あははは!いいわよ。その方が私も楽しい遊びを後に取っておけるし、ね。じゃあステイシア神に誓いましょう。私は…」

 

「いや、神ではなく貴様が唯一の信頼を置くものに誓え。自らのフラクトライトに誓うのじゃ」

 

「・・・はいはい、そうですか。それじゃ私のフラクトライトに誓うわ。私はおちびさんを殺した後、後ろの三人は無傷で還してあげるわ。この誓約だけは私にも破れない。今のところは…ね」

 

「それで良い」

 

 

カーディナルがそう言って頷いた瞬間、彼女に向かって伸ばされたアドミニストレータの右手から一筋の紫電が迸り、躊躇なくカーディナルの体を貫いた。その体から漏れ出した雷の余波が床を抉るという、想像を絶する一撃を小さな身体で受けたにもかかわらず、カーディナルは決して膝を着くことはなかった

 

 

「フンッ、こんなものか。これでは何度撃とうが……!」

 

「ええ。だから文字通り『何度でも』撃つわよ?」

 

 

口元どころか目元も醜く歪ませながらアドミニストレータは笑うと、丁寧に照準を絞らずに何度も紫の雷撃をカーディナルに振り下ろした。彼女は苦痛に顔を歪めながら、身体中を駆け巡る痺れを必死に耐えていた

 

 

「がはっ!ぐっ!?ぎぃっ!ヅッ!?ああっ!?」

 

「こ、こんな…なんて酷い…酷すぎます……」

 

「あははははは!もちろん手加減はしてるわよおチビさん!一瞬で片付けるなんてつまらないことはしないわよ!200年もこの瞬間を待ってたんだものねぇ!!」

 

 

高々とした笑い声を響かせながら、アドミニストレータは優に10を超える紫電でカーディナルの身体を貫いた。そしてその中の一発が床を爆ぜると、力の抜けきっていたカーディナルの足元を掬い上げ軽々と吹き飛ばした

 

 

「カーディナルッ!!」

 

「来るなっ!!」

 

「ッ!?く、くそっ…!」

 

(僕は、僕はなんて無力なんだ…!僕達を助けてくれた人達が無残に散っていく様子を、遠目に見ていることしかできないなんて…!)

 

 

倒れたカーディナルに上条が駆け寄ろうと一歩を踏み出そうとすると、彼女はそれを腕一本で制した。その上条の横で、ユージオは己の無力さに歯噛みしていた

 

 

「さぁそろそろ終わりにしましょうか?さようならリセリス、さようなら私の娘。そしてもう一人の私!あはははははは!!」

 

 

弓のように体を反らせて笑うと、アドミニストレータは倒れこんだカーディナルに特大の雷撃を見舞った。それを逃げようともせず真っ向から受け止めたカーディナルの体は、既に灰のように焼け焦げていた。その痛ましい姿に、アリスとユージオはもう我慢ならず走って駆け寄り、ユージオが彼女の華奢な体を抱き上げた

 

 

「カーディナルさんっ!ごめんなさい…ごめんなさい…僕は……!」

 

「私は、私は自分が騎士であることが恥ずかしい…!あなたのような、自らの身を盾にして民を守るあなたに、少しの助力も出来ない自分を殺してしまいたいっ…!」

 

「おかしな子ども達じゃ…何を泣き、何を嘆くことが、ある…。お主らには、まだ果たすべき使命が、あるじゃろう…?三人で、この儚くも美しい世界を、きっと……」

 

「必ず、必ず…!あなた様にいただいたこの命…必ずやあなた様のお言葉を果たすために使います…!」

 

 

カーディナルを抱くユージオの腕は震え、声は嗚咽に掻き消された。そしてアリスは今にも消えそうなカーディナルの小さな手を取って自らの命に誓いを立てた。しかし、上条だけは、彼女に声をかけずに彼女らの横を通り過ぎ、背中からシャリィン!という音を響かせて翡翠色の剣を鞘から抜いた

 

 

「・・・やっぱり、俺には出来ねぇ。例えそれが自ら選んだ道だとしても、誰かのために自分を犠牲にするヤツを黙って見過ごすなんて、俺は死んでも御免だ!!」

 

「よ、止すのじゃカミやん!言ったじゃろう!今のお主が敵う相手ではない!その剣を納めるのじゃ!そんなバカな真似をして命を捨て石にするでない!!」

 

 

翡翠色の剣の柄を両手で握り、アドミニストレータの前に出た上条の背中に向かって、カーディナルは必死に小さな手を伸ばした。しかしそれに振り向くことなく上条は、どこか笑い声を抑えるように喋り始めた

 

 

「なぁカーディナル…お前言ったよな。俺の武装完全支配術は、危険すぎるから一度しか使うんじゃねぇって。今までカセドラルを登ってきた俺が、その一度を使ったことがあったか?」

 

「ッ!?お、お主まさか…!ここで…!?」

 

「ここはもう、その頂上なんだ!この戦いの終着点なんだ!だったらソイツを今ここで使わなきゃ、テメエと一緒にお蔵入りになっちまうだろうが!!」

 

 

そう叫んだ上条は、翡翠色の剣を高々と頭上に掲げた。透き通ったその刀身が大広間中の光を反射して燦然と輝くと、銘もなき剣に向かって神聖術の式句を説いた

 

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

「な、なにっ!?」

 

 

刹那、翡翠色の剣は金木犀の剣とは比較にならない黄金の輝きを放ち、アドミニストレータは恐れ慄いた。そして完全支配術が起動したその瞬間、上条は全てを理解した。この剣に込めた自分のイメージはなんなのか、その記憶の果てにこの剣は、どんな奇跡を描くのかを

 

 

「ユージオッ!アリスッ!あやつの支配術が完全な力を発揮するには時間が要る!あの人形はワシが死んでも食い止める!じゃからお主らは何としてでも、アドミニストレータからカミやんを守り抜くのじゃ!」

 

「「ッ!?」」

 

 

とうに死に体だったカーディナルが、最後の力を振り絞って己の体を浮かび上がらせながら叫んだ。ユージオとアリスは雷に撃たれたような衝動と共に、一瞬でそれぞれの剣を抜いた。そして三人は一斉に上条の前に駆け出すと、それぞれの敵に向かって散開した

 

 

「でぇやあああああっ!!!」

 

 

ソードゴーレムの前に躍り出たカーディナルは、身体中の痛みを誤魔化すように腹の底から叫んだ。そして念力のような見えない力を発現させると、両手で握りつぶすように念力の力を集中させ、ソードゴーレムの動きを封じ込めた

 

 

「このっ!やらせると思うなぁぁぁっ!!」

 

「させません!護れ!花たちっ!」

 

 

上条とカーディナルに向けてアドミニストレータが紫電を放つと、それにいち早く反応したアリスの放った金木犀の花弁がアースとなって雷撃を地面に逃がした。そしてその間にも上条の翡翠色の剣はその刀身に光を集約させ、強大な神々しい輝きを増していた

 

 

「私に雷撃は効きませんっ!!」

 

「言われるまでもないわっ!!」

 

「咲けっ!青薔薇ッ!!」

 

 

アドミニストレータは続けて両手に15ずつ、合計30の熱素を使用した巨大な火球を放った。しかしそれは、ユージオの青薔薇の剣の完全支配術によって聳え立った巨大な氷の壁に阻まれた

 

 

「ーーーッ!ちょこざいなぁぁぁっっ!!」

 

 

アドミニストレータは分かっていた。今は上条当麻が持つ剣の光の収束を止めることが、他の何よりも優先すべきことだと。そしてそれは、上条を背にして立つユージオとアリスも同様だった。自分たちには想像もつかないような、途轍もない一撃が来る。この場にいる誰もがそれが肌で分かるほどに、上条の剣が放つ光はこの空間どころか、世界の全てを支配しているかのようだった

 

 

「ただの騎士人形が!消えろっ!」

 

「うわああああっ!?」

 

 

アドミニストレータは神聖術で発現させた鮮やかな銀で精製されたレイピアを手に取り、アリスとユージオに振るいかかった。そしてたったの一合で、鍔迫り合ったアリスの体を金木犀の剣ごと壁まで吹き飛ばした。しかし今度はユージオがアドミニストレータを食い止めるべく、無我夢中で青薔薇の剣を振りかぶりながら彼女の懐へ飛び込んでいった

 

 

「でやあああああっ!!」

 

「退けっ!!!」

 

「退くもんかっ!カミやんは僕が守る!!」

 

 

上条は光の集まっていく剣を携えながら、ユージオの背中を見ていた。迫り来る支配者の凶刃を、何度も何度も青薔薇の剣ではたき落し続けている。だが、それでも足りない。この剣が全ての力を発揮するには、まだ時間が要る

 

 

「一度は私に屈した犬が!主人に噛みつこうなど夢にも思うなあああっ!!」

 

 

その瞬間、ユージオの防御を掻い潜ったレイピアが彼の胸を貫いた。ユージオの顔が苦痛に歪んだその時には、アドミニストレータはほくそ笑みながら彼の胸から銀の剣を乱雑に引き抜いていた

 

 

「ぶはっ!?」

 

「ユージオーーーッッッ!!!」

 

「邪魔よ。今度こそ退きなさい」

 

 

粘ついた鮮血が、ユージオの喉口から吐き出された。そしてアドミニストレータは短い宣告と共にユージオの体を腹から切り裂き、腰の上に上半身が乗っているだけの彼を床に蹴倒した

 

 

「くそっ…!この野郎…!」

 

 

上条は必死に叫びながら舌を噛み、腰から溢れる止めどない血の海に沈んだユージオの元に駆け寄りそうになる衝動をなんとか抑えこんだ。ここで自分が剣を手放せば全てが終わる。だが、それを望む世界の支配者がもう眼前まで迫っていた

 

 

「あーっはっはっは!どう坊や!?これでもうお前を守る者は……ッ!?!?!?」

 

 

笑いながら上条へと近づいていたアドミニストレータの体は、気づけば壁に叩きつけられていた。その体の上には、ソードゴーレムが横たわっていた。彼女の体にはあらゆる金属オブジェクトが無効になるため、傷こそ付いていないが、投げつけられた剣の巨人の質量には耐えることが出来なかった

 

 

「リセリスッ……!」

 

「ザマァ、みろ…クソ女……」

 

 

剣の巨人が飛んできた方向の先には、この巨人を飛ばすのに全ての力を使い果たしたのか、地に伏して倒れるカーディナルがいた。彼女は生みの親に向かって傷だらけの顔でニヤッと笑うと、満足気な顔をして瞼を閉じた

 

 

「こ、このっ…!この死に損ないがあああああぁぁぁぁぁーーーっっっ!!!」

 

 

時が、満ちた。完全支配状態の強化が限界に達した上条の翡翠色の剣が、一際眩しく輝いた。上条とアドミニストレータの射線上には、誰もいない。300年生き永らえた彼女の目には、ソルスよりも眩しく輝く剣を掲げた少年だけが映り、その永遠とも呼べる生の中で最大の恐怖を感じていた

 

 

「リリースッ!!」

 

 

ついに、その神聖語が上条の口から紡がれた。それは、2000年の時が流れた今もなお日本に現存する文字通りの『神器』。日本神話における最も名高い神剣。仮想世界においては、かの鋼鉄の城の終幕を齎した10000人の願いの結晶。その記憶が、奇跡が、上条当麻の手によって再び形を成した

 

 

「リコレクションッッッ!!!」

 

 

『天叢雲剣』が振り下ろされた瞬間、音は弾け飛んだ。臨界する星の光の奔流が、収束し、解き放たれた。極太の光は絶対の威力を以って、邪悪なる全てを破壊し尽くした



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最終話 ヒーロー

 

「はぁ…はぁっ…!」

 

 

セントラル・カセドラルの最上階は、文字通り半壊していた。床は抉れ、壁は天蓋にかけて巨大な穴が空いていた。ところどころの石材が小刻みに震え、破損した壁や床の自動修繕に当たろうとしていたが、いかんせん破損箇所が大きすぎたのか、ほとんど意味を成していなかった

 

 

「か、カーディナル…カーディナルッ!?」

 

 

上条は切れた息を整えながら翡翠色に戻った剣を鞘に納めると、真っ先にカーディナルの元へ駆け寄った。もしも彼女にまだ息があれば、強力な治癒の神聖術でユージオもアリスも救える。そう考えた上条は、半ば祈るような気持ちでカーディナルを抱き起こすと、彼女の小さな体の上にステイシアの窓を開いた

 

 

「・・・・・ぁ……」

 

 

しかし、もう手遅れだった。彼女は傷だらけの体のままソードゴーレムを抑え込むのに全ての力を出し切り、天命がマイナスを振り切っていた。その凄絶な最期には似合わず表情はとても安らかで、微塵の後悔も感じさせない笑顔のまま、カーディナルは200年にも及ぶ生涯に幕を閉じた。そしてその身体は、やがて上条の腕の中で淡い光の粒子となり、ゆっくりと虚空に交わるように消えていった

 

 

「・・・すまねぇ、カーディナルッ…!ユージオ…ユージオはっ…!?」

 

 

今はまだ泣くべき時じゃない。そう自分に言い聞かせた上条は、瞳から溢れそうになった涙を必死に押し留めると、周囲を見渡してユージオを探し、血を出して横たわる彼の姿を見つけると、大慌てで駆け寄って声をかけた

 

 

「ユージオ!しっかりしろ!ユージオッ!」

 

「カミ、やん………?」

 

「ユージ……ッ!?!?!」

 

 

上条の呼びかけに、ユージオは辛うじて口を開いて答えた。それに上条が安堵するのも束の間、彼が傷を負った腹部に目をやると、上半身と下半身が完全に別れていた。もうどれだけ神聖術を使っても、手の施しようがないのは明らかだった

 

 

「あぁ…ダメだ、ユージオ…死ぬな…死ぬな…頼む、死ぬな…!」

 

「・・・今日は、星が綺麗な夜だね。カミやん」

 

「・・・え?」

 

 

弱り切った親友の表情を見てついに涙が頬からしたたり落ちた上条に、ユージオは力なく笑って言った。ユージオに言われるがまま上条は彼の視線の先を見上げると、先の一撃の影響なのか、この空間を隔離していた闇が消え、吹き飛んだ天蓋から無数の星が煌めく夜空が広がっているのが見えた

 

 

「カミやんは、不思議だよね…人と人とを…繋げる力がある。君と関わった人、皆が笑顔になって…星と星が繋がるように…カミやんを中心にして…皆が強く、輝けるようになるんだ…」

 

 

ユージオの声は、彼らしい優しさに満ちていた。届かぬ夜空に手を伸ばし、その瞳には星が輝いていた。そして彼は最期に、上条に向けて笑顔を見せ、消え入りそうな声で言った

 

 

「・・・ねぇ、カミやん。君の剣…『星空の剣』って銘は…どうだい…?」

 

「・・・あぁ、いい名前だ…ありがとう、ユージオ…ありがとう……」

 

「うん、大丈夫…僕はこれから、一緒に帰るよ…あの日のアリスと…いっしょ、に………」

 

 

星の輝く空に向けられていた手が、力なく地面に落ちた。彼の瞳から光が消え、残っていた僅かな天命は間もなく底を突いた。上条は自分の腕の中で眠る親友を前にして、止めどなく流れる涙をそのままに叫んだ

 

 

「ユージオ…ユージオ…ユージオーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」

 

「やっぱり、薄いとはいえ服は着ておくものね。あと一歩でも物質変換が遅れていたら危なかったわ」

 

「ッ!?!?」

 

 

ありえない声がした。その女は、半壊した最上階の上空に、亡霊のように浮かんでいた。艶のある髪が夜空に靡き、透き通るような肌は一糸纏わぬまま曝け出されていた。アンダーワールドの絶対なる管理者は、莫大な威力を誇る上条の武装完全支配術の直撃を受けてなお健在だった

 

 

「なんで、生きて……!?」

 

「一応ね。あの光線が直撃するほんの手前で、服を何重もの障壁に変換したのよ。まぁそれでも無傷とはいかなかったけど」

 

「こ、この…畜生がっ……!」

 

 

そう言うとアドミニストレータは大理石の床に降り立ちながら、肩口からごっそりとなくなった、元は右腕のあった場所に視線をやった。それから唯一大広間で立って絶望している上条を見ると、死の淵から還ってきた彼女は狂ったように笑い始めた

 

 

「あは、あははははは!やっぱり最後に笑うのはこの私!公理教会最高司祭アドミニストレータなのよ!どうかしら坊や?まだ何か策があるのかしら?あなた一人だけが取り残されたこの状況でぇ?」

 

 

左腕のレイピアにこびり付いた血を舐め取りながら、アドミニストレータはなおも体を反らせて笑い続けた。上条はその姿を見て歯噛みした。もう、自分にはこの状況をひっくり返す手が残されていない。完全な詰み。その悔しさを滲ませて諦めかけていた時、彼の横にふらつく足取りで黄金の少女が並び立った

 

 

「ぜぇ…はあっ…!いいえ…まだ、これが最後などでは…ありません…!」

 

「アリス…!」

 

「・・・ふぅん」

 

 

息も絶え絶えに言ったアリスは、膝をガクガクと震わせ、金木犀の剣を杖にしてどうにか立っているような状態だった。誰がどう見ても限界、もはや戦力にならないのは明白だった。しかし彼女は、一度深く呼吸すると、アドミニストレータに向けて叫んだ

 

 

「最後に笑うのは、自分だと…はぁ、あなたは言いましたね…?それは違います…。最後に笑うのは、幸せを噛みしめる民達です…!あなたの支配と呪縛から解き放たれ、真の自由を手にした民が笑う、その瞬間に…天に約束された我らの勝利は叶うのです!!」

 

 

そこまで言い切ってアリスの体は完全に脱力し、ぐらりと揺れながら倒れていった。しかしその体が地面に着くすんでの所で、上条が彼女の体を両手で受け止めると、ゆっくりとユージオの隣に寝かせた

 

 

「ふふっ、なんだ…まだ、動けるでは…ないですか…」

 

「・・・あぁ。ありがとな、アリス。おかげで喝が入った。後は俺に任せて、ゆっくり休んでくれ」

 

「申し訳、ありませんが……そうさせて…もらいま…す…………」

 

 

上条の言葉を聞いて、アリスはゆっくりと目を閉じた。アリスとユージオ、シャーロットとカーディナル、この場で倒れた全ての命と意思を胸に刻みながら上条は立ち上がり、アドミニストレータを強い眼差しで見据えた

 

 

「・・・流石にそろそろ不愉快になってきたわ。お前達は何故そうまでして無為に、醜く足掻くの?戦いの結末はもう明らかだというのに。決定された終わりに辿り着くまでの過程に、一体どんな意味があるというの?」

 

「テメエには分からねぇだろうな。俺たち人間にとってはその過程が重要なんだよ。這いつくばって死ぬか、拳を握って死ぬかがな。例え絶対的に不利な状況でも、俺は最後まで拳を握って戦う。そしてその末に、テメエの懐にある僅かな勝利をもぎ取る。それだけだ」

 

 

上条は右手で拳を握り、静かに闘志を燃やしていた。どれだけその闘志を折ろうとしても、決して最後まで折れることはない。誰がどう見ても右手一本では勝ち目がない敵だとしても、敢然と立ち向かっていく。そんな彼の勇姿を目の当たりにしたアドミニストレータは、剥き出しの怒りを露わにして叫んだ

 

 

「なぜだ!なぜそうやって愚かにも運命に抗うのだ!?」

 

「当たり前だ!俺たちには、テメエの決めた運命とかいうレールに従う理由がねぇ!例えこの道の先にあるものが既に決まってるとしても、そのレールをどう歩くのかは俺たちの自由だ!それをただレールを敷きたいだけのテメエが、何もかも勝手に決めてくれてんじゃねぇ!」

 

「ここは私の世界だ!招かれざる侵入者にそのような振る舞いは断じて許さぬ!膝を付け!首を差し出せ!恭順せよ!」

 

 

レイピアを掲げるアドミニストレータを中心にして、負の心意とも呼ぶべき闇の波動が渦を巻いた。上条はその爆風に歯を食いしばって耐えると、あらゆる幻想を殺す右手の拳を偽りの神に向けて突き出した

 

 

「テメエの世界?違ぇな。テメエはただの薄汚ねぇコソドロだ。この世界の人間を、誰かが支配するなんてことは絶対に出来はしねぇ!」

 

「それでもまだテメエがこの世界の支配者を気取るってんなら…いいぜ!テメエのそのふざけた幻想を!!テメエが支配する世界ごとまとめてぶち殺すっ!!!」

 

「小僧があああぁぁぁっっっ!!!」

 

 

世界を支配する者と、世界に刃向かう者の叫びが世界の頂点で木霊した。アドミニストレータは残された左腕でレイピアを引き絞り、上条は右手の拳を振りかぶって彼女の懐に突っ込んでいった

 

 

「うおおおあああああっっっ!!!」

 

 

上条が右拳を振り抜いたその瞬間、アドミニストレータはテレポートじみた速さで上条の拳をかわして彼の右側に立った。その直後、紫色のライトエフェクトが瞬き、目にも留まらぬ六連撃の刺突が上条の体に突き刺さった

 

 

「い゛っ!?」

 

「細剣六連撃ソードスキル『クルーシフィクション』よ」

 

 

一瞬の内に走った六度の衝撃に、上条はたまらずバランスを崩して転けた。それは仮想世界で同じくレイピアを使う美琴とアスナが使用しており、上条も見知っていた剣技だった

 

 

「なん、でっ……!?」

 

 

しかしそれ以上に上条は自分を襲う激痛に悶えながら、なぜアドミニストレータがこの世界で一般に秘奥義と呼ばれる技を『ソードスキル』と呼んでいるのかという疑問が湧いた

 

 

「うふっ、ふふふ…なんで私がそんなことを知っているのか、って顔してるわね。言っておくけどね、この世界を動かしてるシステムに関して私の知らないことなんてないのよ」

 

「ッ!?だったら…どうしたぁっ!!」

 

 

そう。今さら彼女が何を知り、どんな技を使おうが上条には関係ない。例えどれだけ傷を負っても、この女はここで絶対に倒さなければならない。倒れていった仲間のために、この拳を叩き込まなければならない。そう自分の心に命じた上条は、再び立ち上がって走り出した

 

 

「じゃあ、これでどう?」

 

 

すると、アドミニストレータに握られているレイピアの刀身が細身の刃ではなく、一般的に片手直剣と呼ばれる両刃の刀身に変化し、橙色のライトエフェクトを放った

 

 

「片手直剣八連撃ソードスキル『ハウリング・オクターブ』」

 

「ぐあああああっ!?」

 

 

細剣と見紛うほどの高速の五連突きの後に、上下に行き交う切り下げ、切り上げ、切り下げの三連撃。しかし今度の上条はそれで倒れることなく、なおも前進を続けた

 

 

「く!」

 

「刀単発ソードスキル」

 

「そっ!!」

 

「『絶空』」

 

 

片手剣だったアドミニストレータの剣は刀に変化し、腰に据えた状態からそれを真一文字に振り抜いた。まさに神風のごとき迅さを誇る一閃は瞬く間に上条の脇腹を切り裂き、彼の正面にいたはずの彼女は、いつの間にか彼の背後で刀を振り切っていた

 

 

「ヅッ!?がぁっ…!?」

 

 

勢い余った上条は、切られた脇腹を抱えながら前方に転がり込んだ。瓦礫で額を切り、頭から汗と鮮血が滴り落ちてくる。しかし、もはやそんなものを気にする余裕はなかった。彼の全身は既に血で塗れ、体に刻まれた刺し傷と切り傷は15ヶ所にも及んでいた

 

 

「ちく、しょっ…負けられ……!」

 

「あら、別に立たなくていいのよ?」

 

「うぐあああああああっ?!?!?!」

 

 

そしてアドミニストレータはダメ押しと言わんばかりに、倒れた上条の背中に容赦なくレイピアを突き刺し、彼の肢体を床に縫い止めた。銀の刃が立てられた上条の体は絶叫と共に血の海に沈んでいき、全身の筋肉は萎むように力を失っていった

 

 

「あーっはっはっは!いい眺めだわ!やっぱり向こう側の人間は感情表現も一味違うのかしら?あなたの苦痛に歪むその顔を、永遠に飾っておくのもいいかもしれないわ。あなたがもう二度と、向こう側の世界に帰れないようにねぇ!あはははははは!!」

 

(・・・ダメだ。もう…痛みで、立てない…例えどれだけ立ち上がっても、俺は…コイツに…勝て…な……)

 

 

背中から腹にかけて貫いた細剣を乱雑に引き抜くと、アドミニストレータはその美貌を微塵にも感じさせないほど汚く笑った。常人であれば既に天命が尽きていてもおかしくはない傷と痛みに、流石の上条も立ち上がる気力を失いかけていた………その時だった

 

 

『・・・らしく、ないぞ。いつまで、そうして寝てるんだい…?』

 

(ゆ、ユージオ…!?お前…!)

 

 

失くしかけた意識の片隅で、心の奥底で、魂の境界で、その声は聞こえた。もうとっくに天命が尽きたはずのユージオの声があった。聞こえるはずのない親友の声は、上条に寄り添うように語りかけ、強大な敵に立ち向かう彼と共にあろうとするかのようだった

 

 

『ルーリッド村で夢を諦めていた僕の背中を押してくれたのは…カミやんだった。だから今度は、僕が君の背中を押すよ。さぁ、立って。君なら、もう一度立てる。そう、何度だって…立ち上がれる』

 

「・・・・・おぉ、」

 

 

アリスの横で眠っていたユージオの体が、やがて薄れていく声と共に光となって消え始めていた。しかしてその瞬間、死に体だったはずの上条の喉が唸った。両手を地面に突き、全身に余っている力すらも超えて、体を持ち上げる。血反吐を吐きながらも歯を食いしばり、顔を上げる。震える足の膝に手をついて、立ち上がる。その傍で、背中を押してくれる友の声が、聞こえる

 

 

『さぁ、行こう。僕の親友。僕の英雄。僕の『ヒーロー』…上条当麻…!』

 

「ぉぉぉぉぉーーーっ!!!オオオオオオオオオオオオオオオオオーーーッッッ!!!」

 

「な、なにっ!?貴様、まだーーー」

 

「あぁっ!アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーッッッ!!!」

 

 

遠い世界へと旅立っていく相棒の声に、親友の声に、上条当麻が答える。言葉はいらない。ただ己の内から湧く衝動で答える。二本の足でもう一度立ち上がった上条は悪鬼の形相で吼え猛ると、一心不乱に右拳を振り上げた。その一撃はアドミニストレータの下顎を捉え、骨を砕かんとする威力のままに彼女を退けさせた

 

 

「がっ!?はあああああっっっ!?」

 

 

既に傷の痛みは体から失せていた。ただ右手首から先が燃えるように熱かった。それは心意の力を得た、現実の彼の右手とは比較にならない一撃だった。上条当麻の心に眠る親友の最期の意志、そして願いが、消えかけだった上条の魂の炎を、もう一度強く燃え上がらせていた

 

 

「小癪な…小癪なあああああっっっ!!!」

 

 

殴られた顎を庇いながら叫んだアドミニストレータの銀に輝く長髪が、カセドラルの最上階全体を覆うようにして蠢いた。そして測りきれないほど長く伸びた髪の先に炎、風、氷、雷、闇…ありとあらゆる神聖術の素因が発現し、一斉に上条当麻に向かって降り注いだ

 

 

「うおおおおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

その神聖術の規模は、もはや天災と呼ぶに相応しかった。天より降り注ぐ神の威光に、上条は真っ向から右手を叩きつけた。100を超える素因がせめぎ合い、彼の右手を吹き飛ばさんと嵐のように荒れ狂った

 

 

「ぐぅっ…!?…おおっ、うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 

 

幻想殺しが異能を打ち消す甲高い音を発するが、今ので打ち消せた素因は精々15かそこらだ。残りは耐えず津波のように上条の体を押し退けようと躍起になっている。その勢いに上条も思わず後方へ足を滑らせたが、決して足を引いてはいない。その程度では、今の上条当麻は決して止まらない。例えどんな苦痛に苛まれようと、打ち倒す敵を目指して、ただひたすらに、前へと進み続ける

 

 

「支配…?恭順…?ふざけんじゃねぇよ…俺は他人を虐げることしか目的がねぇテメエとは違う…!俺は負けねぇ!俺にはある!支配以外の目的がある!テメエとは背負う理由の数が違う!テメエを叩き潰す理由ッ!それを死んでも突き通す理由ッ!ここでテメエに勝たなくちゃならねぇ理由がちゃんとあるッッッ!!!」

 

 

災厄は、音を立てて粉々に崩れ去った。炎の海を、荒ぶ風を、氷の骸を、疾る雷を、遮る闇を払いのけ、上条は走った。全身はとっくに限界を迎え、悲鳴を上げている。それでもまだ、右手は残っている。折れても良い。砕けたって構わない。たとえすり潰れても。引き千切れなければ。残った右手で拳を握れるのならーーー!

 

 

「アドミニストレータァァァーーーッッッ!!!」

 

「チィッ!?この、くたばり損ないがああああああああああああああっ!!!」

 

「ーーーヅッ!?」

 

 

しかし、それでも圧倒的な実力差は埋まらない。アドミニストレータの細剣が突き出され、その切っ先が上条の脇腹を貫いた。異能を殺す右手があったとしても、自力の差は覆しようがない。何しろ相手は神にも等しい権限を持つのに対して、上条当麻はどこにでもいる平凡な少年でしかない

 

 

「あ…ははっ!そうよ!いくら神聖術を打ち消すことが出来ても、こればっかりはどうしようもないでしょう!?」

 

「がっ!ぐうっ!?いぎっ…!?」

 

 

アドミニストレータは声高に笑いながら、神器『シルヴァリー・エタニティ』を何度も上条の体へと振りかざした。神の剣の冷徹さに、何度も身を切られる苦痛に、上条の顔が歪んでいく。何十回にも渡って切り刻まれた彼の体は、未だに動いていることが不思議なほど鮮血に塗れていた

 

 

「死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!あははははははははははははは!!!」

 

「ごふっ…!がっ、ゔっ!?…あぎっ…!」

 

 

体を切られる度に、上条は成す術なく床を転がった。たとえ立ち上がっても、アドミニストレータが何度も呪詛を吐きながら剣を振り下ろし、また彼の体が地面に転がる。その無様な姿を楽しむように、アドミニストレータは何度も弱々しく立ち上がろうとする彼の体を切り刻み続けた

 

 

「はははははははははは!!!………は…?」

 

 

アドミニストレータは、そこで微かな違和感を覚えた。いくらこの少年がこの世界にとってのイレギュラー、外界的な存在であるとしても、数値的な天命を持つことには変わりはない。この世界に在るものは、動物でも、植物でも、意思を持たぬ物質でも、必ず天命が存在している。それは、この少年とて例外ではない

 

 

「ぐゔっ…あぁっ……!?」

 

 

そしてこの少年の天命の数値は、一般の人型ユニットと大して差がないハズだ。禁断の扉から引き出した神聖術で天命を増幅させた自分と比べれば、その数値は微々たるものでしかないのに、この少年の息は絶えていない。目の前の少年に、天命を操作するほどの術式権限があるワケがないのに。治癒術でこれほどの傷が治るワケがないのに

 

 

(・・・・・何故…?)

 

 

おかしい。そもそもこの少年は、神聖術の類を何一つ行使していない。無数の傷口から今も鮮血が滴り落ちていることからも、その事実は疑いようがない。少年の身体を切った回数など、30を超えた辺りからもう数えていない。それだけこの神器で刺されて、切り刻まれて、普通の人間が生きているハズがない。間違いなく少年の天命は尽きている。しかし、眼前の少年は死なない。傷だらけの体のまま、もう一度、またもう一度と立ち上がって来る

 

 

「・・・うっ…おおお……!」

 

「〜〜〜〜〜ッ!ゾンビかお前はっ!!」

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?!?!」

 

 

何度も立ち上がって来る上条の執拗さに痺れを切らしたアドミニストレータが、怒号と共に彼の体を切り飛ばした。血塗れの体が更にビチャビチャと鮮血を撒き散らしながら無様に転がっていき、やがて地べたへ伏した彼の体は、ピクリとも動かなくなった。それを見届けたアドミニストレータは、上条の死体を訝しげな視線で睨みながら吐き捨てた

 

 

「・・・ふんっ、随分と手こずらせてくれたわね坊や。でも、もうこれで………ッ!?」

 

「・・・・・・・・あああぁぁぁっ……!」

 

 

静かに、ゆっくりと、上条当麻は立ち上がった。その光景に、絶対なる女神は自らの眼を疑い、戦慄した。もはやその姿は、常人ならば見るに堪えないものだった

 

 

「な、何故…!?貴様の体はもう死に体だ!どう考えても、天命は既に0すら振り切っているハズなのに!二度と立ち上がれるハズがないのに!どうして貴様は死なないっ!?」

 

 

狼狽えながら問いかける女神の目に映る少年は、生霊や死霊に近い、生ける屍とでも呼ぶべき姿に成り果てていた。再び立ち上がった少年は、口から血反吐を吐きながら懸命に喉を鳴らすと、震える唇のまま言った

 

 

「・・・どうしてか…って?簡単な事だ…死ねねぇんだよ、このままじゃ…俺は…。言ったろ、勝たなくちゃならねぇ理由が、ちゃんとあるんだ…。だから俺は、テメエに勝つまで…死んでも、死に切れねぇんだよっ…!」

 

「見てろよ…セルカ、サードレのおやっさん、リーナ先輩、アズリカ先生、ティーゼ、ロニエ、シャーロット、カーディナル、アリス、ユージオ…!」

 

「俺は絶対に…コイツを倒して…みんなが生きた世界を守ってみせる…!!」

 

「…ッ!…ッ!…ッ!」

 

 

アドミニストレータは何度も唇を食んだ。彼女には知る由もないが、確かに上条当麻の天命は尽きていた。そう、『尽きていた』。既に六度に渡って、彼の天命は数値的な『0』に達していた。しかしその度に、彼の天命には存在しないハズの『1』という僅かな天命が刻み続けられていた

 

 

「ふざけるな…私がどれだけ、その死という概念に恐怖したと思っている…!私がどれだけ、永遠の支配と命に縋ったと思っている…!」

 

 

それはアドミニストレータにとって、初めての感情だった。これまでの彼女には、自分の手で思い通りにできなかった物などなかった。その事実が今、目の前で崩れ始めている。この少年だけは、これから先どうあっても自分の思い通りにはならない。それどころかこの少年は、自分にはたどり着けなかった領域にいる。300年に渡ってありとあらゆるものを支配し続けてきた神は、それを認識すればするほどに、腹わたが煮えくり返るような激しい怒りに身を焦がした

 

 

「私とお前では、掌握している物の数がまるで違う…!生きてきた年月も、手にした力も、何もかも私の方が上回っている…!それなのにお前はどうしてそんなにもあっさりと…私がここまで積み上げてきた物を…!ふざけるなあああああっっっ!!!」

 

「ヴォッ…ア゛ッ!?ガァァァァ!?」

 

 

片手直剣単発技『ヴォーパル・ストライク』。赤いライトエフェクトと共にアドミニストレータが放ったその剣技は、技という体こそ為していたものの、身を焦がすほどの怒りに狂った所為なのか、余りにも粗雑な一撃だった。しかし、それで十分だった。長剣の刀身に灯った赤い閃光は同じ色の鮮血に染まり、満身創痍で立ち尽くしたまま心臓を抉られた少年の体は、ついに七度目の死を迎えた

 

 

「ハアッ…!ハアッ…!・・・ハッ!」

 

 

アドミニストレータは胸に突き刺さったレイピアを乱雑に引き抜くと、上条の体を右足で蹴り倒し、懸命に肩で息をしながら、横たわった上条当麻の死体を見下ろした。今度こそ、死んだ。心臓を貫かれた人間が、生きているワケがない。死んだ人間が生き返るワケが、立ち上がるワケがない。失われた天命の蘇生。それだけは、あらゆる術式を網羅した彼女でも実現し得なかった、覆しようのない、この世界の絶対の理ーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・ぉぉ…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その絶対すらも覆して、上条当麻は立ち上がった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

タン!と、手を突く音があった。それが七度死に達した人間の、八度目の回帰だった。身を裂かれる鮮烈な痛みと、死という冷徹な感覚に消し飛びそうになる意識を手繰り寄せた瞬間、またしても『0』だった上条の天命は、アドミニストレータでさえもあずかり知らぬところで『1』へと上書きされていた

 

 

「ぐうううううううっっっ……!!!」

 

「い、いい加減にしろっ!とっとと死ね!立ち上がるな!もう二度とそのツラを私に見せるなああああああああーーーっっっ!!!」

 

 

息を吹き返した上条当麻がギリギリと歯を食いしばり、呻くような声を漏らしながら徐々に体を起こそうとすると、アドミニストレータは半狂乱になって叫んだ。その直後、ビシャアッ!という血が飛び散る音と同時に、振り下ろされた彼女のレイピアが上条の首を切り落とした。そしてゴロゴロと転がった生首の横に、残された彼の体が仰向けになって倒れ、最上階に長い静寂が訪れた

 

 

「・・・は、ははは…簡単じゃない…最初から、こうすれば良かったんだわ…。首さえ切り落とせば、もう流石に、生き…て………?」

 

 

それは、なんとも奇妙な現象だった。確かにアドミニストレータは、立ち上がりかけていた上条の首を切り落とした。明確な手応え。噴き出した鮮血。なにより、首が落ちた瞬間を、その目で見た。首を落とした説明はいくらでも出てくる。それなのに、目の前で倒れた少年は、何故か首と体が繋がっていた

 

 

「・・・・・・・・ぅぅ……!」

 

「ヒィッ!?う、嘘よ…首が落ちても死なないなんて、絶対にあり得ない…!一体どうすれば…これ以上何をすれば、コイツは死んでくれるって言うのよ!?」

 

「 う゛お゛お゛お゛お゛お゛っ゛! ! ! 」

 

 

アドミニストレータがあまりにも奇怪な現象に驚愕していると、上条当麻が血だまりの中で雄叫びを上げながら、もう一度立ち上がった。そして足を引きずりながらにじり寄って来る少年を前に、偽りの神は声をか細く震わせながら後退りし始めた

 

 

「や、やめろ…来るな…!もうそれ以上、私に近寄るな…!つ、次は肉も骨も残らないくらい跡形もなくバラバラにして殺せば…そうすればいくらお前だって、死んで……!!」

 

「・・・・・力を、貸してくれ…みんな……」

 

 

心意。仮想世界の事象を、感情の力、意志の力、明確なイマジネーションによって制御し『事象の上書き』を引き起こすことで、事象そのものを覆すシステム。その力が、死んだはずの上条を、尽きたはずの天命を何度も蘇らせていた。例えどれだけ体が死んだとしても、例えどれだけ冷たい死が積み重なったとしても、上条当麻の意志は、死なない。上条当麻の心は、死を乗り越え続ける。上条当麻の魂は、何度だって立ち上がるーーー!

 

 

「これで、本当に…最後だ………!」

 

「き、消えろ…消えろおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!」

 

 

上条が放ったのは、見る物全てを灼きつくすような、血眼の眼光。その視線に魅入られたアドミニストレータは、底の見えない少年に恐怖するかのように叫びながら、ただ闇雲に剣を振り下ろした。しかし、その剣の一振りは、微かに残った本能のままに上体を逸らした上条当麻には、掠りもしなかった

 

 

「ーーーーーッ!?」

 

 

それこそが最初にして最後。人間が神に抗う絶望的な戦いの中に閃いた、唯一の勝機。上条当麻は何度も死に体になった全身を強張らせ、アドミニストレータの懐へと潜り込む。ダンッ!という力強い足音で踏み込んで、歯を食いしばり、その右手を何よりも硬い拳にして、ただ真っ直ぐに、振り抜く!!!

 

 

「俺、達の……勝ちだああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 

 

上条当麻の右拳が、鈍い破砕音を伴いながら、アドミニストレータの頬に埋まった。絶対なる神の顔が、醜く歪んでいく。少年はそこから更に深く一歩を踏み出し、全身の持て余す力全てを右手に回し、真下に向けて拳を振り下ろしていく。300年に渡り世界を支配し続けた神を、今この瞬間を以って、地へと叩き伏せるーーー!

 

 

「ううううううううううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!」

 

 

全100階層を誇るセントラル・カセドラル全域が、激震した。どこにでもいる平凡な少年の雄叫びと、およそ右手一本から成り得るとは思えない破壊と轟音が、白い巨塔をまるごと揺るがした。上条当麻の全身全霊が込められた右拳を喰らったアドミニストレータは、背を地に付けて動かなくなり、全てを出し切った上条もまた、魂が抜けたように地面に倒れこんだ

 

 

「・・・んふっ、うふふっ。意外…全く、意外な結果だわ…」

 

 

一瞬だったのか、はたまた永遠だったのか、誰も知り得ない時間の流れの中で、その空間で最初に声らしきものを発したのは、世界の支配者たる女だった。漏れ出すような息の中で笑った彼女の全身は、少年に殴られた頬を中心にして、罅の入ったガラスのようにボロボロに崩れかけていた

 

 

「ここに残るリソースを…全て掻き集めてもっ、追いつかないほどに…天命を損なうなんて、ね……」

 

 

自分の隣で突っ伏して眠る上条を、憤怒と憎悪に満ちた瞳で睨みながら残った左手を突いて立ち上がると、アドミニストレータは可動関節を失った人形のように、大広間をぎこちなく歩き始めた

 

 

「ぐ、ふふっ…こうなってしまった以上、もう仕方がないわ…」

 

 

誰に向けて言うでもなく一人呟くと、アドミニストレータは欠け落ちた大広間の北側の床を震える右脚で、とん、と踏んだ

 

 

「悪いけれど…どう勝負が転んだところで、最後の最後に笑うのは、この私であることに変わりはないのよ……」

 

 

するとその足の周りが円状に光り、直径50センチほどの柱が伸びた。そしてその上には、本来アンダーワールドには存在するはずのない、一台のノートパソコンがあった

 

 

「当初の予定より、随分…早いけれど、一足先に…行かせて、もらうわね……」

 

 

水晶を想像させる半透明の筐体はまず間違いなく、原初の四人が残した外部世界への連絡装置なのだろう。アドミニストレータはそのキーボードに何らかのコードを左手の指でカタカタと入力していき、やがて彼女の足許から紫色の光のヴェールが発生した

 

 

「じゃあね、坊や。もう二度と、あなたの顔を見ることはな………ッ!?!?」

 

「・・・へっ、悪りぃな…。一回しか…使うなとは言われたけど、別に一回しか使えねぇ…ってワケじゃ、ねぇっ……!」

 

 

そこでアドミニストレータは、改めて地に伏している上条の方に振り返った。しかしそこにいた彼は、地に伏してなどいなかった。足腰をガクガクと震わせながらも、右手で星空の剣を高く掲げ、その刀身に黄金に輝く光を収束させていた。そして掠れた声で言って笑みを浮かべた上条に、勝利を確信していた支配者は、縋りつくような必死の形相で叫んだ

 

 

「ま、待って!やめて!おねが!ーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ザマァみろ、クソ女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リリース・リコレクション。上条当麻は微かにそう呟いて、星空の剣を振り下ろした。遍く奇跡の輝きたる極太の光が、アドミニストレータの全身をあっという間に飲み込み、今度こそ、彼女の全てを跡形もなく消し飛ばした。そしてそれと同時に、星空の剣のガラスのように透き通った翡翠色の刀身は粉々に砕け散り、彼の手にはヒビ割れた柄だけが取り残されていた

 

 



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アリシゼーション編 幕間
幕間 あなたが守った世界


「悪りぃなユージオ…折角いい銘、考えてくれたってのに…もう剣は折れちまっ…ごはっ!?」

 

 

上条は右手から刃が失くなった星空の剣の柄を滑り落としながら、喀血した口を左手で抑えながら、冷たい大理石の床に倒れ込んだ。彼の右手はアドミニストレータを叩き伏せた一撃と、片手だけで天叢雲剣を振るった反動のせいか、関節があらぬ方向に曲がり、もはや使い物にならなかった。アドレナリンが切れたのか、全身に痛みが蘇ってくる。視界が霞み、呼吸が苦しくなる

 

 

「・・・ま、まだだ…まだ…終われねぇ……」

 

 

それでも、まだここでくたばるわけにはいかないと、彼は歯を食いしばった。偽りの支配者が呼び出したPC端末は破壊不能オブジェクトに設定されていたのか、光の一振りを受けてもただ床に転がっただけだった。今の自分と違ってまるで無傷のPC端末に上条は床を這いずりながらたどり着くと、辛うじて自由の利く左手を懸命に伸ばし手元へと手繰り寄せた

 

 

「外部観察者…呼出…?」

 

 

上条は霞む視界の中で目を凝らし、PCに映し出された画面の中の文字を読み上げると、カーソルを合わせてタップした。すると画面の真ん中に、黒いウィンドウが開いた。その上に『SOUND ONLY』の文字を見ると、上条は嗄れた声で言った

 

 

「もっ、もし…もし…」

 

 

黒いウィンドウの中にあるメーターのようなものが、ピクリと跳ねた。それを上条は、自分の声を拾ってくれたのだと思った。そして血反吐が飛び散るのを承知で、PCの画面に向かって懸命に叫んだ

 

 

「だ、誰かっ!そこにいるのかっ!!誰かぁぁぁぁぁーーーっ!!!」

 

 

すると直後に、ビーッ!ビーッ!という警告音にも似た耳障りな音が鳴り響いた。それがPCの誤作動によるものか、PCの向こう側にあるであろう現実世界から鳴っている音なのか上条に判別がつかなかった

 

 

「な…なん、だ……?」

 

 

警報は鳴り止むどころか、より強く鳴り響いている。それも一つではなく複数だった。そしてその中から微かに、カタカタカタカタ!と必死にキーボードを叩くような音が聞こえてきた。それは間違いなく人の手によって発生してる音だ、そう確信した上条は鳴り響くアラートに負けまいと大声で叫んだ

 

 

「おーーーいっ!そこに誰かいるんだろっ!?なぁっ!返事をしてくれーーっ!!」

 

『あーもうっ!うっさいわね今度は一体何だって……ッ!?ね、ねぇコレ!『From Under World』って…ひょっとしてアイツからの呼び出しなんじゃないの!?』

 

「み、美琴……?」

 

 

2年越しに聞いたその声を、上条が聞き間違えるはずがなかった。PCの向こう側からアラート音混じりに聞こえた御坂美琴の声に、上条は絶句した。まさか最初に彼女が出るなどとは思ってもみなかった。しかしその直後に『何だって!?』という男の声が聞こえ、マイクをひっ摑んだようなノイズが走った

 

 

『いるのか、上条当麻君ッ!?そこにいるのかい!?上条君!』

 

「せ、先生っ!?」

 

 

これまた2年越しに聞く声だった。自分を何度も死の淵から救ってくれたカエル顔の名医、冥土帰しの声が割って入った。しかしマイクから漏れる彼の声は、普段の彼に似合わず焦りの色に満ちていた

 

 

「あぁ、いる!俺はここにいる!セントラル・カセドラルの頂上だ!そっちには先生と御坂がいるんだよな!?俺はなんでアンダーワールドに……!」

 

『その説明はいつか必ずする!いいかい、上条君、よく聞いてくれ!現状君は何が起こっているかサッパリ分からないだろうが、僕らにも今そこで何が起こってるのか本当に分からないんだ!今はとにかく、何が起こっても意識をしっかり保つんだ!いいね!?』

 

「何が起こっても…って、そりゃ一体どういう…!?」

 

『吹寄君!そっちは今どうなってる!?』

 

 

吹寄、たしかに冥土帰しはその名を呼んだ。そこは一体どういう繋がりで、どういう集まりになっているのか上条は想像が追いつかなかった。そして現実世界側は上条の質問など全く聞き入れず、そこで起こっている何らかの問題に必死に手をかけているようだった

 

 

『だぁから!どうなってるか最初から分かってれば苦労しないんですってば!1倍に固定されてたはずのFLAの倍率は何でか知らないけどグングン上がってるし!次に何が起こるかなんて予想つきませんよ!』

 

『ね、ねぇっ!何が起きてもアイツが意識さえ保てれば、とりあえず大丈夫なのよね!?それだけでも教えておいた方が…!』

 

『そうは言ってもこれじゃあこっち側からは手の施しようが……ッ!?な、何よコレ…!?『特異点』ですって!?まさか、今まで発生してた黒い穴は全部……ふ、ふざけないでよ!タチの悪いSF小説じゃないのよっ!?』

 

 

マイクの向こう側で、吹寄が声を荒げながらダァンッ!と机を叩いたような音が聞こえた。彼女がここまで取り乱す原因は一体何なのか、向こうで今一体何が起きているのか、そう考えている内に、またしても吹寄の声が響いた

 

 

『もうダメッ!サーバーの容量に限界が来てる!このままじゃアンダーワールドは10秒ない内に崩壊するわ!』

 

「な、何ぃ!?」

 

 

アンダーワールドが崩壊する、吹寄がそう言っているのが間違いなく聞こえた。冗談なのか本気なのかは分からないが、もしそうなったら自分はどうなるのか、どうすればいいのか、そう聞こうと思った瞬間のことだった

 

 

『いいアンタッ!?とにかくこれから何が起こっても意識だけは手放すんじゃないわよ!自我を強く保って、消失の波に耐えて!そうしたら、私は必ずアンタを…た、たすけ…タスっ、tas!tsk…tasukeッ…n……ーーー!』

 

「お、おい美琴ッ!おいっ!?」

 

 

PCの通信にノイズが走った瞬間、上条の体はフッ…と落下した。浮き続ける足元に目をやると、足場がなくなっているどころか、底の見えない闇が広がっていた。頭上では星の輝く夜空に亀裂が入り、世界そのものが崩壊を始めていた

 

 

「うわっ、うわあああああああ!?!?!」

 

 

大口を開けた闇の中を、上条はただひたすらに下降していった。悲鳴を上げながら、どこまでも落ちていく。その闇に、果たして底があるのか。その先に、何があるのか。それすらも分からないまま、上条当麻は意識を失うまで、底の見えない闇の淵へと堕ちていった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・ふぅ。よし」

 

 

洗い終えた皿を水切り籠に立て、エプロンの裾で水に濡れた手を拭きながら、アリス・シンセシス・サーティは短く息を吐いた。それから二間しかない丸太小屋の居間に移動すると、簡素な椅子に腰掛ける少年の前にしゃがみ込み、目線の高さを合わせて言った

 

 

「ねぇ、今日はいい天気だから、お弁当を持って東の丘まで行ってみましょうか」

 

「・・・・・」

 

 

アリスに話しかけられた少年は返事をしなかった。その少年は、どこか荒さの目立つ短めの黒髪で、骨張った細い体つきに青い綿生地の上着とクリーム色のズボンを履いていた。しかし、一見平凡な格好に見える少年は右腕が肩口から消失しており、部屋着の右袖がだらりと垂れ下がっていた

 

 

「・・・ううん。やっぱりお弁当はなしにして、お散歩するだけにしましょうか。ちょっと待っててね」

 

 

少年の返事がなかったにも関わらず、アリスは少年の背中から外套を着せ掛け、首下で紐を結んだ。そして部屋の片隅にある茶色の木材で拵えた、背もたれに握りと、脚に大小2組の鉄製の車輪が付いた車椅子をゴロゴロと押しながら少年の横に付けた

 

 

「よっ!いしょっと……」

 

 

それからアリスは少年の膝の裏と肩に腕を回すと、景気のいい掛け声と共に肉付きの薄い体を少し持ち上げ、車椅子へとそっと座らせた。そして隣の寝室でアリスはエプロンを外し右目に黒い当て布を巻いて、長い金髪を綿のスカーフで覆うと、最後に毛織りの外套を羽織って少年の元へ戻った

 

 

「よし!じゃあ行きましょうか」

 

「あー、あー……」

 

 

アリスが車椅子の取っ手を掴んで押し始めようとした時に、少年が低く掠れた声で呻きながら、震える左手で東側の壁を指差した。なんの意思表示なのかという意図も分からない呻き声だったが、アリスは少年が何を求めているのかをすぐに理解した

 

 

「あ、ごめんなさい。すぐ取ってくるわね」

 

 

少年が手を伸ばした先には、頑丈な金具で鞘に納められた三本の剣が掛けられていた。右にはアリスの所持する黄金の長剣。中央には、今や主人を失った青薔薇の剣。そして左側にはもう一本の鞘に納まった長剣。アリスはその三本の内、自分の金木犀の剣以外の二本の剣を両腕に抱えると、車椅子に座る少年の膝に置いた

 

 

「落とさないように、しっかり持っててね」

 

 

二本の剣を渡された少年は、自分の求めていた剣を大事そうに抱えるだけで、他には何の反応も示さなかった。その少年の瞳には、光が宿っていなかった。その視線はただ俯くばかりで、その瞳がどこを見つめているのかは不明瞭だった

 

 

「・・・それじゃあ、行きましょう」

 

 

まるでどこかに心をまるごと置いてきてしまったかのような彼の様子に、アリスは何ヶ月経とうとも薄れることのない渇いた悲しみを感じたが、それを無理やり胸の奥に押し込むと、車椅子を押しながら小屋を出た

 

 

「いい風ね。草木が気持ち良さそうに揺れてるわ」

 

 

少年の座る車椅子を押しながら、アリスは15分ほど木漏れ日の差す森の中を進み、やがて小高い丘を登った。その頂上につけば途端に視界が開け、東には湖の青い水面、奥には広大な湿地帯、そして北には雪を被った『果ての山脈』が天に向かって聳えたつ雄大な景色が広がっていた

 

 

「寒くないかしら?もうすっかり秋も終わって冬ね。ここに住み始めた時は、まだまだ暖かかったのに」

 

 

そう言ってアリスは車椅子から手を離すと、緑の芝生に腰を下ろした。そして少年の右隣に行くと、大きな車輪に体を寄りかからせた

 

 

「綺麗だわ。カセドラルの壁に掛けられていた、どんな絵よりもずっと……」

 

 

これほどに美しいと感じる景色を前にしても、少年は特に感性を刺激された様子もなく、ただ虚ろな瞳で中空を見続けていた。アリスはどこまでも澄み渡っている蒼穹を映した湖と、少年の横顔を見比べながら、物憂げな表情で静かに呟いた

 

 

「・・・あなたが守った世界よ。『キリト』」

 

 



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アリシゼーション編 War of Underworld
第1話 二人の罪人


 

「・・・ふぅ。よし」

 

 

洗い終えた皿を水切り籠に立て、エプロンの裾で水に濡れた手を拭きながら、アリス・シンセシス・サーティは短く息を吐いた。それから二間しかない丸太小屋の居間に移動すると、簡素な椅子に腰掛ける少年の前にしゃがみ込み、目線の高さを合わせて言った

 

 

「ねぇ、今日はいい天気だから、お弁当を持って東の丘まで行ってみましょうか」

 

「・・・・・」

 

アリスに話しかけられた少年は返事をしなかった。その少年はどこか荒さの目立つ短め黒髪で、骨張った細い体つきに青い綿生地の上着とクリーム色のズボンを履いていた。しかし、一見平凡な格好に見える少年は右腕が肩口から消失しており、部屋着の右袖がだらりと垂れ下がっていた

 

 

「・・・ううん、やっぱりお弁当はなしにしてお散歩するだけにしましょうか。ちょっと待っててね」

 

 

少年の返事がなかったにも関わらず、アリスは少年の背中から外套を着せ掛け、首下で紐を結んだ。そして部屋の片隅にある茶色の木材で拵えた、背もたれに握りと、脚に大小2組の鉄製の車輪が付いた車椅子をゴロゴロと押しながら少年の横に付けた

 

 

「よっ!いしょっと……」

 

 

それからアリスは少年の膝の裏と肩に腕を回すと、景気のいい掛け声と共に肉付きの薄い体を少し持ち上げ、車椅子へとそっと座らせた。そして隣の寝室でアリスはエプロンを外し右目に黒い当て布を巻いて、長い金髪を綿のスカーフで覆うと、最後に毛織りの外套を羽織って少年の元へ戻った

 

 

「よし!じゃあ行きましょうか」

 

「あー、あー……」

 

 

アリスが車椅子の取っ手を掴んで押し始めようとした時に、少年が低く掠れた声で呻きながら、震える左手で東側の壁を指差した。なんの意思表示なのかという意図も分からない呻き声だったが、アリスは少年が何を求めているのかをすぐに理解した

 

 

「あ、ごめんなさい。すぐ取ってくるわね」

 

 

少年が手を伸ばした先には、頑丈な金具で鞘に納められた三本の剣が掛けられていた。右にはアリスの所持する黄金の長剣『金木犀の剣』。左には漆黒の長剣『夜空の剣』。そして中央には主人を失い、鞘に納めている刀身の半分を失った『青薔薇の剣』。アリスはその三本の剣の内、自分の物以外の二本の剣を両腕に抱え、車椅子に座る少年の膝に置いた

 

 

「落とさないように、しっかり持っててね。『キリト』」

 

 

キリトと呼ばれた少年は、自分の求めていた剣を大事そうに抱えるだけで、他には何の反応も示さなかった。キリトの瞳には、光がなかった。その視線はただ俯き、どこを見つめているのかは不明瞭だった

 

 

「・・・それじゃあ、行きましょうか」

 

 

まるでどこかに心をまるごと置いてきてしまったかのような彼の様子に、アリスは何ヶ月経とうとも薄れることのない渇いた悲しみを感じだが、それを無理やり胸の奥に押し込むと、車椅子を押しながら小屋を出た

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『待て!よそ者が勝手に村に入ったら行かんぞ!』

 

 

半年前、アリスは心を失ったキリトを背負ったまま、記憶の片隅からも追い出された故郷のルーリッド村の門を潜ろうとした。しかしそんな彼女の前に、これ見よがしに腰の剣に手を置いた衛士が立ちふさがり、アリス達を訝しげな表情で睨んだ。しかし、つま先から黄金の鎧まで順に見上げていき、彼女の顔を凝視すると、やがて目と口を丸くして言った

 

 

『・・・あんた…アンタ、まさか…!?』

 

 

8年経った今も自分の顔に見覚えがあるらしかった衛兵の様子を見て、アリスは心の中でそっと安堵の息を吐くと、言葉を選びながら告げた

 

 

『私はアリス。村長の、ガスフト・ツーベルクを呼んでほしい』

 

 

その瞬間に顔を赤から真っ青に変色させた衛士は、村の中へ駆け込んで行った。アリスは衛士の男が辿った道をゆっくりと辿りながら村へ入ると、やがて一際村人の騒ぎ声が激しい広場に着いた。そして誰が気づいたか、アリスがその人垣に入ろうとした瞬間に村人が一直線に道を開け、その奥にいた一人の男性が彼女に近づいた

 

 

『・・・アリス、なのか?』

 

 

顔を見合わせてから10秒ほどして、灰色の口髭を生やした壮年の男が低い声で言った。その一声で、アリスは目の前の男が自分の父親であり、ルーリッド村の村長であるガスフトだと分かった。感慨に耽ろうにも、そうするだけの記憶を持ち合わせていないアリスはただコクリと頷いて短く答えた

 

 

『はい』

 

 

実の娘を前にしても、村長は歩み寄るわけでも手を伸ばすわけでもなく、より荘厳な空気を醸し出しながら、アリスとキリトを凝視して言った

 

 

『なぜ、お前がここにいる。お前の罪は赦されたのか?』

 

 

アリスはその問いの答えに迷った。たしかに自分はダークテリトリーへの侵入という罪を犯した。しかし、それを赦されるという基準が存在しなかったからだ。アリスはやがて深く息を吐くと、村長の目を真っ直ぐに見据えて偽らざる心中を吐露した

 

 

「私は、罪に対する罰として、この村で暮らしていた時の記憶を全て失いました。それによって罪が赦されたのか、私には分かりません。ですが今の私と、後ろの少年には、この村以外に行く場所がないのです」

 

 

ガスフトはアリスの言葉を聞くなり瞼を閉じて、口許と眉間に皺を寄せた。それから少しして顔を上げた村長は鋭い眼光で、実の娘と二年前に村を出た少年を見つめ、冷たい声で言い放った

 

 

『去れ。この村に、罪人を置くことはできぬ』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「いい風ね。草木が気持ち良さそうに揺れてるわ」

 

 

キリトの座る車椅子を押しながら、アリスは15分ほど木漏れ日の差す森の中を進み、やがて小高い丘を登った。その頂上につけば途端に視界が開け、東には湖の青い水面、奥には広大な湿地帯、そして北には雪を被った『果ての山脈』が天に向かって聳えたつ雄大な景色が広がっていた

 

 

「寒くないかしら?もうすっかり秋も終わって冬ね。ここに住み始めた時は、まだまだ暖かかったのに」

 

 

そう言ってアリスは車椅子から手を離すと、緑の芝生に腰を下ろした。そしてキリトの右隣に行くと、大きな車輪に体を寄りかからせた

 

 

「綺麗だわ。カセドラルの壁に掛けられていた、どんな絵よりもずっと……」

 

 

これほどに美しいと感じる景色を前にしても、キリトは特に感性を刺激された様子もなく、ただ虚ろな瞳で中空を見続けていた。アリスはどこまでも澄み渡っている蒼穹を映した湖と、キリトの横顔を見比べながら、物憂げな表情で静かに呟いた

 

 

「・・・あなたが守った世界よ。キリト」

 

 

それからどれくらいの時間を座って過ごしていたのか、ソルスは二人の頭の上に居座るほど高く昇っていた。アリスは知らず知らずのうちに、村を追いやられた半年前を思い出していた自分に深くため息を吐くと、ゆっくりと立ち上がってキリトの耳元で声を掛けた

 

 

「そろそろ戻りましょうか。もうお昼だわ」

 

 

そう言って車椅子に手を押しかけた時、自分の後ろからサクサクと芝を踏む音が聞こえてきた。アリスはその音のする方に振り返ると、そこには黒い修道服を着た、どこか自分に似ている顔に笑顔を浮かべながら、右手を振って近づいてくる少女を見つけた

 

 

「姉さまー!」

 

 

丘を駆け上がってくる少女、セルカ・ツーベルクは弾けるような声を微風に乗せて自分の姉に届けると、アリスも頬を綻ばせつつ妹に手を振り返した

 

 

「おはよう、アリス姉様!キリトもおはよう!」

 

 

セルカはアリスに元気よく朝の挨拶を飛ばした。それから車椅子に座るキリトにも声をかけたが、やはり反応はなかった。しかしセルカはそれを気にすることなくにっこり笑うと、キリトの膝に乗る二本の剣の上に右手を乗せた。そして、笑顔の中に僅かな切なさを滲ませながら、『彼』の剣に向かって囁いた

 

 

「・・・おはよう、ユージオ」

 

 

指先で青薔薇の剣を納めた鞘の白河をそっと優しく撫でると、自分の手を引き戻した。それからキリトの視線に合わせていた体を起こすと、再びアリスの方へ向き直った

 

 

「おはよう、セルカ。よく私がここにいるって判ったわね?」

 

「神聖術で探したわけじゃないわよ。家に行ったら留守だったから、今日はとってもいい天気だし、ここに来てると思ったの。ミルクとパイをテーブルに置いて来たから、お昼に食べてね」

 

「ありがとう、とっても助かるわ。何を作るか迷っていたのよ」

 

「まぁ姉さまの料理じゃ、いつかキリトが夜な夜な逃げ出しちゃうかもしれないもんね!」

 

「い、言ったわね!?これでも最近はパンケーキを焦がさずに焼けるようになったんだから!」

 

「本当に〜?最初は熱素で焼こうとして黒炭にしてたのに」

 

「キリトだって同じようなことしたことあったんだから平気よ」

 

「そ、そういう問題かなぁ…」

 

 

アリスはなおも姉である自分をおちょくろうとするセルカの額を小突こうとすると、彼女はそれをヒラリと躱してアリスの胸元に顔を埋め、アリスもセルカの背を優しく抱き寄せた。それから数秒の間互いの熱を感じ合うと、パッと体を引き離して言った

 

 

「さぁ、そろそろ戻りましょうか」

 

「うん!分かれ道まで、私が押すね!」

 

 

そう宣言したセルカはキリトの車椅子に手をかけると、懸命に足を踏ん張りながら何とか押し始めた。キリトと椅子を押すだけなら彼女の力でもまだ何とかなるだろうが、彼の膝に乗る二本の神器級の剣が重さに拍車を掛けており、整合騎士だったアリスが押すよりも遥かに遅い速度でしかセルカには押すことが出来なかった

 

 

「下り坂だから気をつけてね」

 

 

言いながらアリスは、本当にこの妹には世話になってばかりだと思った。半年前、セルカは村に拒絶された自分を必死に追いかけてきてくれた。それからガリッタという老人に声をかけ、彼の善意と協力で村の外れに小さくもしっかりとした小屋を建てたアリスは、キリトとそこに住まう事になった。ガリッタとセルカがいなければ今頃どうなっていたことかと、アリスはそれ以後セルカをキリトと同じほど大切に思うようになった

 

 

「大丈夫よ、相変わらず姉さまは心配したがりなんだから」

 

 

必死に力みながらも、セルカは後を追ってくるアリスに笑顔を返してみせた。事にセルカは、半年前に村に戻ってきたアリスからユージオの死を知った時に涙を見せただけで、アリスが記憶を失い自分のことを一切覚えていないことも、キリトが心を失ったことも何とか飲み込み、それ以降は悲しそうな顔をすることは一切なかった

 

 

「ちょ、ちょっと休憩ぇ…」

 

 

そんな前向きな彼女でも、やがて車椅子の重さに立ち止まり、膝に手をついて息を整えているのを見て、アリスはセルカの肩に手を置きながら言った

 

 

「ありがとう、セルカ。ここから先は私が押すわ」

 

「ぜぇ…分かれ道まで、頑張るつもり…だったのになぁ…」

 

「前の時よりも100メルは長く押してくれたじゃない。とっても助かったわ」

 

「・・・あの、姉さま…実は…」

 

「どうしたのセルカ?何か困りごと?」

 

 

アリスは車椅子を押した苦労を労って、セルカの頭を撫でた。しかし、アリスの優しさに明るい表情を見せていたセルカだったが、次第にその笑顔を曇らせながら視線を上げて言った

 

 

「あのね、バルボッサのおじさんが、姉様にまた開墾地の樹の始末を頼みたいって…」

 

「なんだ、そんなことだったの。そんなのセルカが気に病むことないのよ?」

 

「だって、勝手すぎるわ…あの人たち。キリトだってそう思うでしょ?」

 

 

車椅子に座る少年の顔を覗き込みながらセルカは訊ねたが、当然のようにキリトは何も答えなかった。けれどセルカはあたかも彼の同意を得たように語気を強めてアリスに訴えた

 

 

「バルボッサさんも、リダックさんも、姉さまを村には住まわせようとしない癖に、困った時だけ助けてもらおうなんて虫が良すぎるわ。伝言しておいてなんだけど、断ってもいいんだよ?食べ物は私が家から持ってきてあげるから」

 

「ふふっ、その気持ちは嬉しいけど、本当に気にしなくていいのよ。今の家は気に入っているし、村の近くに住めているだけでもありがたいことだもの。お昼を食べたら手伝いに行くわ、場所は?」

 

「・・・南の開墾地だって」

 

 

セルカが小声でそっと答えると、アリスは一言「分かった」と言って頷いた。それから車椅子を押して丸太小屋のほんの手前まで進んだところで、セルカが不意にアリス達の前に出てキッパリした声で言った

 

 

「姉さま。あたし、来年には見習い期間が終わって、少しだけどお給金が貰えるようになるの。そしたらもう、あんな人たちの手伝いなんかせずに、姉さまとキリトは私がずっと……」

 

 

そこで言葉が詰まってしまったセルカを、アリスは優しく抱き締めた。セルカもアリスの背中に手を回すと、アリスはセルカの耳元で静かに囁いた

 

 

「ありがとう、セルカ。でも、あなたが近くにいてくれてるだけで、私は充分に幸せなの。だから、心配しないで」

 

「アリス姉さま……」

 

「それじゃあね。お昼ご飯、大切に食べるから」

 

「・・・うん、分かった。それじゃあ」

 

 

セルカの小さな体をアリスは最後に強く抱くと、彼女の修道服の上を滑らせるように両腕の抱擁を解いた。それから短い別れの挨拶を済ませると、名残惜しそうに手を振って去って行くセルカを見送り、キリトと共に暮らす小さな小屋への道を歩き始めた

 

 



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第2話 開墾地

 

「こんにちは、バルボッサさん」

 

 

セルカと別れた後、キリトと昼食を済ませたアリスはもう一度小屋を出た。そしてキリトと二本の剣を載せた車椅子を押して、村の南にある開墾地にたどり着いた。そしてそこにいる太鼓腹の男『ナイグル・バルボッサ』にアリスは声をかけた

 

 

「おお!おお!アリスさんや!よく来てくれたのう!」

 

 

太鼓腹を揺らしながら、ナイグルは陽気にアリスに走り寄った。彼がいたそこは、ユージオとキリトが切り倒したギガスシダーの切り株から南に少し離れており、周りの森林を切り開きながら黒土が掘り起こされていた

 

 

「ええ。何か御用と聞きましたので」

 

 

そこでアリスは、自分の視界の隅に15、6歳ほどのバルボッサ一族の三人の若者を見た。三人は金髪にスカーフを巻いたアリスを無遠慮に眺め回してから車椅子のキリトに目を向けると、小声で何かを言い合って低い笑い声を漏らしていた

 

 

「ほれ、見えるじゃろう。昨日の朝からあの忌々しい白金樫にかかりっきりなんじゃ。大の男が十人がかりで斧を振ってもちっとも刻めやしないんじゃ」

 

 

しかしナイグルはそんなことを気にも留めず、開墾地の奥に居座る一本の樫の木を指差した。地にどっしりと根を構えた木は、幹が差し渡し1メル半はありそうだった。その周りでは十人ほどの男が斧を杖にして、一人残らず滝のような汗を流していた

 

 

「ご覧の有り様じゃ。このままじゃあの木一本にあと何日かかるか分かったもんじゃない。ウチがここで手間取っている内に、向こうのリダックの連中は20メル四方も土地を広げよった!」

 

 

ナイグルは農地拓きを争い合っているリダックという農家の名前を、恨めしそうに口にした。キリトとユージオが周辺の地のテラリアの恩恵を吸っていたギガスシダーを切り倒してからは、毎日のようにナイグルとリダックは少しでも自分が多くの農地を得ようと必死に森を切り拓いていた

 

 

「そんな訳でな、月に一度という取り決めではあるが、今回だけ特別に力を貸してもらえんかな、アリスや。アンタは覚えとらんじゃろうがワシはアンタが小さい頃、何度かお菓子をくれてやっ…いや、あげてたんじゃよ。昔のアンタはそりゃ可愛い娘っ子でなぁ…あぁいや、もちろん今も……」

 

 

必死に機嫌を取ろうとするナイグルに、アリスは心の中でため息を吐いた。今回の白金樫のような、開墾に邪魔な木や岩を取り除くのが今のアリスの稼ぎ口だ。村の外れに住んで1ヶ月ほど経ったある日、放牧地に繋がる道を塞いでいた大岩をアリスが一人で退かしたという噂が広がってから、いつしかこんな手伝いを頼まれるようになった

 

 

「えぇ、分かりましたバルボッサさん。今回だけということでしたら」

 

 

村の外れでキリトと暮らしていくためにも多少の現金は必要だったので、こうした仕事があるのはアリスにとってもありがたかった。しかし、言われるままに全てアリスが引き受けてしまっては男たちが際限なく頼んでくるだろうと危惧したセルカが、手伝うのは一軒の農家につき一度という取り決めを立てたのだった

 

 

「それじゃあ、ちょっと待っててね」

 

 

返事のないキリトに声をかけてからアリスは白金樫に近寄ると、周りにいた男たちはあからさまにニヤニヤと笑みを浮かべたり、舌打ちをしたりしながら樹を離れた。彼らと入れ替わりに大木の前に立ったアリスは、白金樫のステイシアの窓を開いて天命値を確認した

 

 

「・・・なるほど。これは確かに仕方がなさそうね」

 

 

ステイシアの窓に示された数値はかなりの量で、十人がかりでも倒れないのにアリスも納得した。それからアリスは小走りで車椅子の元へ戻ると、腰を屈めてキリトの膝に置かれた剣に手を添えて囁いた

 

 

「ごめんなさい、キリト。少しだけあなたの剣を貸してほしいの」

 

「・・・あー…」

 

 

アリスがキリトの虚ろな瞳を辛抱強く覗いていると、やがて彼の腕から力が抜けて掠れた声が漏れた。明確なイエスとも分からない応答にアリスは頷くと、キリトの腕の中からそっと黒い剣を持ち上げた

 

 

「ありがとう。すぐに済むわ」

 

 

それからアリスは足早に白金樫の前に戻ると、左目で木と自分の適切な間合いを測りながら夜空の剣を腰高に据えると、やがて右脚を前に出し、左脚を引いて剣の柄を握った

 

 

「おいおい!そんな細っこい剣で白金樫を切り倒すつもりかい?」

 

「あ〜、アリスや。出来れば一時間くらいで何とかしてほしいんだがのう」

 

 

周りの若い農夫達が飛ばす野次を心配して、ナイグルがアリスに声をかけた。やれ剣が折れるだの、その前に日が暮れちまうだのという野次が飛び交うが、アリスはそんなものは気にせず少しだけ振り返って太鼓腹の男に言った

 

 

「いえ、そんなにはかかりません。一瞬で終わらせます」

 

 

いつもであればアリスは彼らから斧を借りて大木の相手をしている。それでは自分の力が相まって斧を壊すおそれもあるので、力をセーブしてある程度時間をかけて大木を刻んでいる。しかし、キリトの夜空の剣は彼らの斧とは比べ物にならない優先度を誇るため、一切の手加減はいらなかった

 

 

「・・・ハアッ!!」

 

 

短い気合が走った。直後にアリスは夜空の剣を左水平に振り終わり、振り切った姿勢から立ち上がった。しかし男たちには斬撃そのものが見えていなかったらしく、怪訝そうに眉を潜めて様子を伺っていた

 

 

「ははっ、なんだよハズレかぁ?」

 

 

男の一人が漏らすと、それに釣られて周囲も笑い始めた。確かに白金樫の樹皮には、農夫達がつけた薄い刻み後しか残っていないように見えていた。アリスはそんな彼らの笑いの中で剣を鞘に納めると、左目を閉じながら彼らに言った

 

 

「そちらに倒れますよ」

 

「・・・はぁ?何言って…どわあああああ!?」

 

 

言いかけた男の目が、一気に見開かれた。白金樫が根元からゆっくりと倒れていくと、彼の叫びと共に周囲の男達も散開した。彼らが5メルほど離れたところで白金樫は地響きを伴って横たわり、アリスは土埃を左手で払った。するとそこに、ナイグルがどすどすと駆け寄ってきて身を引いた

 

 

「あ、アリスッ!アリスや!」

 

 

アリスの眼前まできてバルボッサは両手を大きく広げたので、抱きつかれるのを恐れたアリスは威嚇の意味を込めてシャン!という鋭い鍔鳴りと共に剣を持ち上げた。それを見てナイグルは広げていた両手を胸の前ですり合わせたが、浮かべていた満面の笑みまでは消えなかった

 

 

「すっ!素晴らしい!なんという腕なんじゃ!衛士長のジンクなんぞ全く問題にならん!まさに神業じゃ!ど、どうじゃアリス!礼金を倍にするから月に一度と言わず、週に一度…いや、一日に一度手伝ってもらえんか!?」

 

 

セルカの設けたの取り決めの意味を、アリスはまざまざと見せつけられている気がした。たった一度例外に従っただけでこれだ。これから毎日付き合えば終いには何を言われるか分かったものではなかった

 

 

「いえ、今いただいている金額で充分ですから」

 

「うむむむむ…!」

 

 

小さく被りを振るアリスに、ナイグルは惜しいとばかりに大きく唸った。アリスはそんな彼の様子に苦笑いを浮かべながら左手の平を差し向けると、ナイグルが我に帰ったように懐を弄って100シア銀貨を一枚取り出した

 

 

「お、おっとそうじゃったな。これが今回の礼じゃ。ところでどうかの、今銀貨をもう一枚支払うから今月のリダックの連中の手伝いは断るというのは……」

 

 

なおも未練がましく頼むナイグルにアリスが再び断りの言葉を入れようとしたその時、ガタン!という音が響いた。アリスがハッとして視線を向けると、そこには横倒しになった車椅子と地面に倒れるキリトの姿があった

 

 

「き、キリトッ!?」

 

 

アリスはナイグルの横をすり抜けて走ると、俯せに倒れたキリトが必死に左手を伸ばしているのが目に入った。その先には、白革の鞘に納められて長剣を、二人がかりで何とか地面に立てている若者がいた

 

 

「うおっ!?なんじゃこりゃ、めちゃめちゃに重いぞ!?」

 

「だからあんな女でも白金樫を一発で切り倒せんだろうが!」

 

「いいからちゃんと抑えてろよ!」

 

 

口々に喚く男達の中で、三人目の男が青薔薇の剣を抜こうと両手で柄を取った。アリスがキリトを背にしてその男達の前に立つと、奥歯を嚙み鳴らして鋭い声とともに睨みつけた

 

 

「貴方たち…!その剣はキリトとその親友のものです。早く返しなさい」

 

 

爆発しそうになる感情をなんとか抑えこんで、アリスは倒れたキリトを助け起こして再び車椅子に座らせながら命じた。すると三人の男は反抗的な表情を見せ、青薔薇の剣を抜こうとしていた大柄な若者がキリトを指差して言った

 

 

「ん?だから俺たちはちゃんとそいつに言ったぜ?剣を貸してくれってな」

 

「そうそう。そしたらソイツ、気前よく貸してくれたんだよ。アー、アーって言ってな」

 

「何をっ…!」

 

 

鞘を握る男もそれに続いた。キリトはなおも車椅子の上で、左手を懸命に伸ばして男の言うようにか細い声を漏らして何かを訴えている。アリスは右手でキリトの車椅子の取っ手を握っていなければ、すぐにでも男に切りかかりそうなほど怒り狂っていた

 

 

「わ、わかったよ…そんな怖え顔しやがって」

 

 

気づけばアリスは、全身から溢れ出さんばかりの殺気を放っていた。それに怖じ気付いたのか若者達は一斉に手を離すと、青薔薇の剣はズシリと地面に横たわった。アリスは無言のまま歩み寄り、敢えて指3本だけで剣を持ち上げると、キリトの元へと戻り彼の膝の上に青薔薇の剣を戻した

 

 

「それでは、失礼しました」

 

 

騒ぎを気にもしていないナイグルの背に一礼すると、アリスはそのまま剣を大事そうに抱えるキリトの座る車椅子を押して開墾地を後にした。久方ぶりに感じた熱い憤怒の感情は、時間が経つにつれて、冷たい無力感に変わっていた

 



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第3話 来訪者

 

「ただいま、『雨縁』」

 

 

その後、手に入れた100シア銀貨で市場の食材を買い込んで小屋に帰る頃には、すっかりと日が暮れていた。家に帰り着いたアリスは、小屋の隣にある枯れ草を敷き詰めた寝床に帰ってきていた飛竜の頭を撫でていた。嬉しそうに鳴る飛竜の喉を逆の手で摩ると、アリスはその肉付きに気づいた

 

 

「雨縁、お前ちょっと太りましたね?湖の魚を食べすぎなのよ」

 

 

彼女の飛竜、その名を『雨縁』。彼女はアリスがこの草地に小屋を建てると決めたその日に頭の頭絡を外され、整合騎士に仕える拘束術式を解かれた。その上で、雨縁はアリスの元を去ろうとはしなかった。自分で干し草を集めて寝床を作り、日中は森で遊んだり湖で魚を食べているようだが、夕暮れになれば必ず寝床に戻ってくる。そんな彼女自身の意思で残ってくれたことが、アリスはこの上なく嬉しかった

 

 

「おやすみ、雨縁。また明日」

 

 

アリスがそう言って微笑みながら雨縁の純白の額に優しく口付けをすると、飛竜は気恥ずかしそうに鼻を鳴らして首に尾を絡めるようにして丸くなった。アリスは最後に頭を優しく叩くと、小屋の中に戻って夕食の準備を始めた

 

 

「お待たせ、キリト。今日の夕食はシチューにしたわ。私としては美味しく出来たと思うから、冷めないうちにどうぞ」

 

 

そう言ってアリスは丸みを帯びた木皿にシチューをよそって、居間の椅子に座るキリトの前のテーブルに木皿を置き、スプーンに掬って彼の口元に運んだ。今の彼は、ここからが長い。アリスが自分の前に食事を持ってきたのを鼻か目で気づくと、やがてゆっくりと小さな口を開く

 

 

「どう、美味しい?」

 

 

アリスがそう聞いても返事はない。シチューの中の豆は少し硬く、だんごは不揃いだがそれに対する文句もない。ただ時間を置いて口を開け、飲み込むだけ。今のキリトにとっての食事はこれが限界だった。一食に一時間ほどの時間がかかるのは当たり前だったが、それでも天命の減少を防ぐために食事そのものは与え続けなければならなかった

 

 

「はい、お粗末様でした」

 

 

時間をかけつつもキリトにシチューを食べさせ終わると、アリスも自分の分のシチューを皿に装って食べた。それからキリトを椅子ごと小型ストーブの前まで移動させると、流しで食器を洗って籠に並べ始めた時だった

 

 

「・・・雨縁?」

 

 

不意に、いつもなら夜明け頃まで眠っているはずの雨縁が「ルルルッ!」と低く鳴いた。アリスがそれを不思議に思って耳をすませると、丸太小屋の木々の隙間から薄く大きな翼が風を切る音が聞こえてきた

 

 

「ッ!?まさか…!」

 

 

ハッとしたアリスは、慌てて玄関から飛び出した。隣の雨縁はなおも喉を鳴らしながら寝床にうずくまって空を見上げている。アリスもそれに倣うように夜空を仰ぐと、満点の星空を背景に螺旋を描いて舞い降りてくる飛竜を見た

 

 

「ダークテリトリーの飛竜…?いえ、あれは…整合騎士の……」

 

 

やがて草地の南に下降してきた竜の鱗は、白銀に輝いていた。それは紛れもなく整合騎士の飛竜であることを証明する銀鱗だった。そして雨縁は喉を鳴らすのをやめ、きゅうんと甘えるように鳴き始めた。そこでアリスはようやく気づいた。今降りてきている竜は雨縁の兄竜である『滝刳』。そしてそれを従える整合騎士は………

 

 

「・・・よくここが解りましたね、何用ですか。整合騎士、エルドリエ・シンセシス・サーティワン」

 

 

ズズウンッ!という音を轟かせて着地した滝刳の背中から、白銀の鎧兜を身につけた騎士が飛び降りた。アリスよりもただ一人後ろの番号を持つ整合騎士エルドリエは、まず右手を胸に当てがって深々と一礼した。やがて体を起こして兜を外すと、紫色の髪をかきあげてから滑らかな声で言った

 

 

「お久しゅうございます、我が師アリス様。装いは違えど、相変わらずお美しくいらっしゃる。今宵の見事な月の下で、我が師の黄金の御髪がさぞ美しく輝いておられようと思い立ち、居ても立っても居られずに秘蔵の銘酒片手に馳せ参じた次第にございます」

 

 

キザな台詞回しで背中から左手をさっと前に差し出すと、握られていたワインの瓶を掲げた。アリスはため息を極力抑えて、いつの間にか自分を師と仰ぐようになった騎士に向けて言った

 

 

「傷は癒えても、その性格は変わりませんか。今気づきましたが、そなたの物言いやら言い回し、少し元老長チュデルキンに似ていますよ」

 

「え゛っ!?あ、あの…アリス様……」

 

「話があるなら中で聞きます。ないのであれば一人でワインを飲んで央都に帰りなさい」

 

 

アリスはエルドリエに背中を向けながら冷たく言うと、小屋の中へと戻っていった。エルドリエは彼女に大人しく付いていき同じように部屋に入ると、狭い小屋の中を少し見回し、ストーブの前で俯くキリトを一瞥した。しかし、それ以上は何を言うでもするでもなく、素早くテーブルの奥に進んでアリスのために椅子を引いた

 

 

「・・・この場合はそなたの方が客人でしょうに」

 

「そんな、滅相もございません。こちらこそこんな夜分に前触れもなく訪れた無礼の身。我が師にお招きいただけるのであれば、これくらいはせねばなりません」

 

 

彼の態度に馬鹿馬鹿しいとため息をつきながらも、どうにもその椅子に座らないと話も進みそうにないのでアリスはすとんと腰をおろした。それからエルドリエは勝手にアリスの向かいの椅子に座ると、アリスの右目を覆う黒い当て布を見て僅かに表情を曇らせながらも、何かに気づいたように少し鼻を動かした

 

 

「ふむ…何やらとても良い匂いがしますな。ところでアリス様、私めは急ぎの旅でしたゆえ、夕食をまだ食べていないのです」

 

「な、何がよくも、まぁところでなどと…央都からこんな辺境まで飛ぶのに、酒を持って携行食を持たぬとはどういう了見ですか」

 

「私、あのパサパサしてモソモソした奴は一生食わぬと三神に誓いましたので。あんなもので腹を満たすくらいなら、飢えて天命が尽きるに任せた方がマシというものです」

 

 

アリスは尽きないため息を苦い表情で押し隠しながら、椅子を立って台所に移動した。そして竃に乗った鍋からシチューを木皿に装うと、テーブルに置いてエルドリエの前に進めた。エルドリエはそれを注意深く見つめると、恐るおそるアリスに訊ねた

 

 

「・・・つかぬ事を伺いますが、こちらはもしやアリス様がお手ずから…?」

 

「そうですが。それがどうかしましたか?」

 

「おぉ…いえ。我が師の手料理を頂ける日が来ようとは、秘剣の型を授かった時に勝る喜びというもの……えぇ。中々どうして、意外とこれは絶品です…」

 

「意外とは余計です」

 

「これは失敬。私としたことが、あまりの感動に…つい」

 

 

エルドリエは豆の入ったシチューを匙で掬って口に運ぶと、もぐもぐとそれを噛んで喉に流し込んでから感想を述べた。アリスはそれを軽く受け流すと、改めて彼に問い質した

 

 

「それでそなた、どうやってこの場所を探り当てたのです?央都からは神聖術も届かぬ距離でしょう。加えて私一人見つけるために飛竜を飛ばす余裕など、今の騎士団にはないでしょう」

 

 

公理教会の最高司祭が二人の咎人と一人の整合騎士によって討たれた日から、騎士長ベルクーリが指揮を執って来たる闇の軍勢の総攻撃に整合騎士団は備えてきた。東の大門に軍備を配置し、他の方角の端にも闇の軍勢の動向を探る飛竜がほぼ毎日飛んでいる。そんな中で、こんな片田舎を探し回る余裕があるとはアリスは到底思えなかった

 

 

「私とアリス様の魂の絆を辿って…と言いたいところではありますが、残念ながら全くの偶然なのです。実は最近、妙な情報が届きまして」

 

「妙な情報…というのは?」

 

「果ての山脈を周回している騎士から、北方でゴブリンだのオークだのがコソコソ動いているということでしてね。北、南、西の洞窟は全て騎士長の指示で崩落させましたが、そこを性懲りも無く掘り起こす気かもしれぬということで、私が確認に来たのです」

 

「な、なんですって!?」

 

 

もしもそうなれば、最北端に位置するルーリッド村が被害を受けるのはほぼ確実だ。あの村には妹のセルカがいる。それにこの家も危うくなる。血相を変えて驚いたアリスに、エルドリエは芝居がかった仕草で右手を上げながら言った

 

 

「いえ、ほぼ丸一日かけて洞窟の周囲を飛び回って確認しましたが、オークはおろかゴブリンの一匹すらも見ませんでしたよ。おおかた、獣の群れを軍勢と見間違えたのでしょう」

 

「・・・洞窟の内部は確認したのですか?」

 

「無論です。ダークテリトリー側からも確認しましたが、天井までビッシリと瓦礫に埋まっておりました。アレを掘り返すには大部隊が必要でしょう。それを確かめて央都に戻ろうとしたところ、滝刳が妙に騒ぎましてね。導かれるままに飛ばしてみたら、この場所に降りたという次第で私も驚きました。なんたる偶然…いえ、運命の導きでしょうか」

 

 

それまでのキザな口調と、彼の醸し出す雰囲気が微かに変化したのをアリスは肌で感じ取った。やがてエルドリエは雄々しい騎士の表情になり、強い視線をアリスに注ぎながら言った

 

 

「・・・お察しであるとは思いますが、ここまではただの建前です。無礼であることは承知の上ですが、今この時に再び相見える機会を得たからには、これを申し述べるのは私の責務です。アリス様…騎士団にお戻り下さい!我々は千の援軍よりも、あなた様お一人の剣を必要としているのです!!」

 

「・・・・・」

 

 

アリスはエルドリエの強い視線から逃れるように俯いた。アリスとて分かってはいる。人界を包む脆い壁が、音を立てて崩れようとしていることも、今のベルクーリ含めた『人界守備軍』が抱える苦闘も。しかし、それを考えた上で、やがてアリスはゆっくりと顔を上げて呟いた

 

 

「・・・出来ません。今の私では」

 

「何故です!?」

 

 

エルドリエは鋭い声を小屋に響かせると、続いてガタン!と音を立てて椅子をずらしながら、熱のこもった視線と指先をストーブの傍の椅子に腰掛けるキリトに向けた

 

 

「あの男のせいですか。カセドラルの牢を破り、多くの騎士と元老長、そして最高司祭様までをも反逆の刃にかけたあの男が、今もアリス様のお心を惑わせているのですか!?」

 

「・・・・・」

 

「・・・左様ですか。であれば、その迷いの源を、すぐにでも私が断って差し上げる!」

 

「止まりなさいっ!」

 

 

腰に据えた長剣に手をかけて椅子を立とうとしたエルドリエを、アリスが強い叱責で止まらせた。なるべく抑えたつもりの声量ではあったが、その一声でエルドリエはピクリと上体を引いた

 

 

「良いですか、騎士エルドリエ。彼もまた己の信ずる正義のために戦ったのです。そうでなければ、最強たる我ら整合騎士が騎士長閣下に至るまでことごとく敗れ去ったことに説明がつきません。彼の剣の重さは、直接刃を交えたそなたも身を以って知ったでしょう」

 

「・・・確かに、民の半数を魂なき剣骨の兵士に変えるというアドミニストレータ様の計画は、私にも受け入れがたいものです。そして、あの若者…キリトとその友ユージオの存在がなければ、計画が現実のものになっていたのもまた事実」

 

「ましてや、彼らを導いたのがかつてのアドミニストレータ様と並び立った、もう一人の最高司祭カーディナル様であった、というベルクーリ閣下の話が事実であるならば、私も今さらキリト達の罪を問おうとは思いませぬ。しかし!そうであるならばなおのこと納得がいかない!」

 

「反逆者キリトが、アリス様の仰るように我ら整合騎士をも上回る剣の使い手ならば、なぜ今に剣を取って戦わぬのです!?なぜあのような情けない姿に成り果て、アリス様をこの辺境に縛り付けるのですか!民を守るためにアドミニストレータ様を弑したとあれば、今すぐにでも東の大門に馳せ参じるべきでありましょう!?」

 

 

熱く語るエルドリエの言葉にも、キリトは一切の反応を示さなかった。ただストーブの中で焚かれた火を、光のない双眸で見つめ続けている。訪れた長く重い沈黙の中で、アリスは穏やかな声で言った

 

 

「・・・ごめんなさい、エルドリエ。私はやはり、そなたと共には行けません。キリトの状況とは関係なく、カセドラルが陥落したあの日から、己の在るべき姿を忘れてしまった私の剣力は、まるで失せてしまったのです。今のそなたと剣を交えても、恐らく三合と続かないでしょう」

 

 

剣力。それ即ち、意志の力に他ならない。アリスの心の中には、最高司祭を討ったあの日からずっと濃い迷いの霧が立ち込めていた。人界の民を守りたいのもあるが、それ以上にキリトを守らなければ、という責任感もあった

 

 

「・・・そうですか。ではもう、何も言うますまい。短い間ではありましたが、お世話になりました」

 

 

そんなアリスの曇った表情を見て、エルドリエは端麗な顔を歪ませて呟いた。そしてワインの瓶をそのままに席を立つと、純白のマントを大きく翻した。それから小屋の扉に右手をかけたその時、なぜか彼は不意に額に左手を当て、しばらくの間呆然と立ち尽くした

 

 

「・・・?一体どうしたのです、エルドリエ?」

 

「・・・いえ。何やら頭に妙な違和感が…それと、顔に…『誰か』に殴られたような身に覚えのない鈍痛が…?」

 

 

エルドリエはそう言って、特に何かの意味があるわけでもなく額から上げた前髪をくしゃりと掴んだ。アリスはそんな彼の様子を不思議そうに見つめながら、来たる別れを促すように言った

 

 

「気のせいでしょう。最強たる整合騎士が、半年前を除いて人界の中で、騎士以外の何かから痛みを受けるなど。もっとも、私はもうその限りではありませんが…」

 

「・・・そうですな。では、これにてお別れです。我が師よ。ご教授頂きました、剣と術の要訣、このエルドリエ、生涯忘れませぬ」

 

「元気で。無事を祈っています」

 

 

それだけを口にしたアリスにエルドリエは頷いて返すと、それを最後に今度こそドアを開けて外に出た。少し遅れて外の滝刳の鳴き声と彼の羽が空を打つ音が聞こえ、兄との別れを惜しむ雨縁の鼻声に、アリスはわずかに胸を痛めた

 



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第4話 不明瞭な記憶

 

「ごめんなさいね、キリト。もう疲れたでしょう?いつもならもうとっくに寝ている時間だものね。さ、ベッドに入りましょう」

 

 

エルドリエが去った後、アリスは椅子に座るキリトを着替えさせ、ベッドに横たわらせた。それから足下に畳んである毛布を彼の首元まで持っていくと、しばらくしてキリトは電池でも切れたかのようにふっと目を閉じ、寝息を立て始めた。アリスはそれを確認すると自分も寝巻きに着替え、部屋のランプを消してキリトの隣に潜り込んだ

 

 

「・・・教えて、キリト…どうすればいいの…私は一体…どうすればいいの……」

 

 

悲しげに呟いてアリスは微かな温もりのあるキリトの小さな体の隣に身を寄せると、悪夢に怯える幼子のように丸くなった。やがて訪れた眠気に意識を沈ませ、ベッドの反対側に横たわるキリトを瞳に滲ませながら、彼女はゆっくりと瞼を閉じた

 

 

「・・・・・・・・・・・…ぅ…!」

 

 

すぐにでも消え入るような呻き声が、少女の口から漏れた。その夜、アリスは実際に悪夢に魘されていた。全身は汗ばんで、寝顔は険しく、激しい歯軋りを繰り返していた。彼女の手元に広がるベッドのシーツは、無意識の内に力一杯握りすぎたせいで、幾重にも皺が寄っていた

 

 

『歯ァ食いしばれ!整合騎士ッ!』

 

「・・・ぐぅっ!?」

 

 

そこはセントラル・カセドラル80階、雲上庭園の丘の上だった。金木犀の剣と共に過ごしたあの場所で、誰かの声が聞こえる。誰かの顔は、靄がかかったようにボヤけていて不鮮明だ。夢だからなのだろうか?しかし、夢にしてはなぜか明確な痛みが左頬にあった。やがてアリスは、その夢の中で庭園の丘を自分が転げ落ちて言ったかと思えば、その瞬間に見える景色が暗転した

 

 

『お前が…アドミニストレータか』

 

「ううっ!?ああっ!」

 

 

それは、あの日の出来事だった。最高司祭アドミニストレータに反旗を翻し、セントラル・カセドラルに辿り着いた『彼ら』と自分。しかし、夢に見るあの日の彼らの一人が違う。青薔薇の剣を腰に据えた少年ユージオ。その隣に立つ少年が、キリトではない。見間違いだとは思えなかった。実際には見ていないはずなのに、彼の背負う翡翠色の剣と盾に、どうしてか酷く見覚えがあった

 

 

『ありがとな、アリス。おかげで喝が入った。後は俺に任せて、ゆっくり休んでくれ』

 

「・・・・・ぁ…」

 

 

夢の中で、少年が自分の体を支えて床に寝かせている。その声に、彼の優しさに、心が安まる。けれど、あの戦いの中でそれをしたのはキリトだったはずだ。夢の中にいる少年は顔に靄がかかっており、少なくともキリトではないということしか分からなかった

 

 

『それでもまだテメエがこの世界の支配者を気取るってんなら…いいぜ!テメエのそのふざけた幻想を!テメエが支配する世界ごとまとめてぶち殺すっ!!』

 

「・・・・・お前、は……?」

 

 

アリスが寝言を発しながら、大きく頭を振った。夢の中にいる少年は、あの最高司祭に向かって、あろうことかただの右手一本で立ち向かっている。背中には剣があるのに、それを抜こうとしない。どこまでもただ真っ直ぐに突き進み、やがて轟音と共にアドミニストレータを拳一つで叩き伏せた

 

 

『・・・分かった。お前のその痛みを、俺が一緒に背負ってやる』

 

「・・・あぁっ、うぅっ…!?」

 

 

そこからは夢の中に様々な光景が次々に流れ込んできた。セントリアの修剣学院で、黒い制服の少年が名乗っている。雲上庭園で一緒に蒸し饅頭を食べ、キリトと同じように黒い眼帯を巻いてくれた。最高司祭の魔の手に落ちた親友を殴り飛ばし、畳み掛けるようにお互いの思い出を語っている。そして……

 

 

『うわっ、うわあああああああ!?!?!』

 

 

少年が、闇の中に堕ちていく。セントラル・カセドラルが…いや、人界が…闇の世界も含めた全てが音を立てて崩れていく。自分の体も、それに従うように闇に堕ちていく。何もかもが消え失せた真っ暗な世界は深い。あり得ない、こんなのはあり得ない。これではまるで自分は、今ここにいる自分は、死んで………

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーっっっ!?!?!?!?!」

 

 

その光景を最後に、アリスは絶叫しながらベッドから飛び起きた。嫌な寝汗をたっぷりと吸った寝巻きは、首下を始めにして全身にべったりと貼りついていた。夢の中では一切姿を見せなかった隣に眠るキリトを見やるが、心を失っている少年は何事もなかったようにただ規則的に寝息を立てていた

 

 

「はあっ…!はあっ…!はっ…!はっ……」

 

 

アリスはゆっくりと肩を上下させながら息をして、呼吸を整える。夢に浮かんでいたあの日に消失したはずの右目の奥と頭が、なにかを訴えるようにズキズキと痛む。夢の残滓のようなものが、まだ脳裏に浮かんでくる。この世界にはいない、しかしいたはずの少年の声が響いている

 

 

「・・・『カミやん』…?」

 

 

いるはずのない少年の名を、口にする。覚えているようで覚えていない、奇妙な感覚がある。彼が立っていた場所にいるはずなのは、本来であれば隣で眠るキリトだったはずだ。絶対の女神、アドミニストレータへの反逆という、御伽噺のような戦い。しかしそれがただの夢だと思うにはあまりにも、頭の中に少年と一緒にいた時の記憶が焼き付いていた

 

 

「今の夢の彼は、一体……?」

 

「あ、あーーー…」

 

 

突然、二人のベッドに小さな震えが伝わった。アリスは驚いて隣のキリトに視線を移すと、眠っていたはずの彼が目を見開かせて掠れた声を上げていた。自発的な意思が全く存在しないはずの彼が強く体を震わせて、ベッドから出たがっているかのように足を動かしていた

 

 

「き、キリト…?どうしたの?」

 

「クルル!クルルルッ!」

 

 

次はアリスが目を見開く番だった。空き地の片隅で寝ているはずの雨縁が、喉を唸らせ鳴き声を響かせている。それを聞いたアリスはついにベッドから飛び降りて小屋の中を駆け抜け、突き飛ばすようにドアを開いて外に出た

 

 

「こ、これはっ…!?」

 

 

外に飛び出した途端、冷たい夜風がアリスの顔を殴った。続いて、異様な臭いが鼻に舞い込んでくる。料理を始めたての頃にパイを焦がした時よりも、ずっと強い焦げ臭さ。本能に突き動かされるように周囲を見回すと、西の空が赤く光り、煙が天高く舞い上がっているのが嫌でも目に入った

 

 

「・・・山火事…?」

 

 

一瞬そんな考えがアリスの脳裏をよぎったが、それは本当に一瞬でしかなかった。焦げの臭いが染み付いた風が共に運んできたのは、大勢の悲鳴。赤く光るアレは炎だ、そして煙が立っている場所は、ルーリッド村だ。そこまで分かれば、あとは簡単だった。紛れもなく敵襲だ。ルーリッドの村に、闇の群勢が攻め込んでいるのだ

 

 

「せ、セルカ…セルカは…!?」

 

 

妹の安否を思って悲鳴をあげたアリスは、急いで小屋に戻ろうとしたところで、しかして立ち尽くしてしまった。妹や両親は何としても助けなければならない。しかし、他の村人はどうすればいいのか。可能な限りの全員を救うには、どうしても戦わなければならない。今の自分に闇の軍勢に正面から立ち向かえるだけの意志の強さが残されているのだろうか、とアリスが逡巡していた時だった

 

 

「・・・キリト…?」

 

 

小屋の中で何かが倒れる音がした。ハッと左目を見開いて開け放したドアから居間を覗くと、今の中央で椅子を倒しながら、キリトが床を這いずっているのが見えた

 

 

「だ、ダメよキリト!そんなに無理して動いた、ら……?」

 

 

そんな彼を見て急いで小屋に戻ったアリスは、その光景に言葉を失った。キリトの虚ろな瞳はそのままだったが、残された左腕を壁に掛けられた三本の剣に向かって必死に伸ばしていたのだ

 

 

「キリト…あなた……」

 

「あ、あーーー」

 

 

アリスの瞳から、涙が溢れ出した。彼の意思は失くなってなどいない。今もこうして、自分で剣を取ろうとしている。掠れた声を漏らして床を這いずり、ただ剣を目指している。彼は今も戦っているんだという現実を目の当たりにしたアリスは、目許の涙を拭ってキリトに駆け寄って彼の体を抱き起こした

 

 

「・・・大丈夫よ、キリト。私が行ってくるわ。私が村の人を助けに行くから…だから、あなたは安心してここで待ってて」

 

 

キリトの体を抱きしめながら、アリスは彼の耳元で口早に囁いた。そして彼を椅子に座らせると、戸棚に長い間仕舞われていた鎧と剣帯を引っ張り出して寝巻きの上から装着した。続いて自分の愛剣である金木犀の剣を引っ掴むと、キリトの肩に手を置いて言った

 

 

「みんなを助けたら、すぐに戻ってくるからね」

 

 

それだけ言い残すと、アリスは椅子の背もたれに掛けてあった外套を鎧の上から羽織り、玄関のブーツに足を突っ込んでもう一度ドアを押し開いた。黄金の鞘の金具を剣帯に止めつつ庭に出ると、庭の飛竜の名前を叫んだ

 

 

「雨縁ッ!!」

 

 

その一声で白銀の鱗の飛竜、雨縁は寝床から飛び出した。そして自分を呼び出した主人のの前に出て低く頭を下ろすと、間髪入れずにアリスが彼女の首元に飛び乗った

 

 

「行けっ!!」

 

 

アリスの指示に答えるように、雨縁が一際強く咆哮した。銀色の翼が打ち鳴らされ、短い助走をつけた後に雨縁とアリスの体はあっという間に夜空へと舞い上がった

 



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第5話 襲撃

 

「酷い…!」

 

 

アリスが雨縁に乗って小屋を後にしてすぐに、ルーリッド村の惨状は確認できた。特に村の北側を中心にして、盛んに炎を吹き上げているのが目についた。エルドリエは異常はなかったと言っていたが、それは大きな誤算だったと思わざるを得なかった。きっと闇の軍勢は村の人間が寝静まった深夜を狙って大部隊を送り込み、瓦礫を撤去したのだと考えアリスは唇を噛んだ

 

 

「急がないと…!」

 

 

それから雨縁を急かすように背中を叩くと、彼女は一気に加速して村の上空まで辿り着いた。そこでアリスは身を乗り出して村の様子に目を凝らすと、村のあちこちで炎が上がり、逃げ惑う人々をゴブリンや大柄なオークが追従しているのが見て取れた。村の衛士隊が応戦してこそいるものの、人数も装備も心許なく、このままでは制圧されてしまうのも時間の問題だった。しかし……

 

 

「な、なぜ…!?」

 

 

問題はそれだけに留まらなかった。教会前の円形広場にある噴水の周りに、村人がギッシリと密集していた。おそらく、ルーリッド村の住人が全員集まっているだろう。その気になれば村の南の門から避難出来るはずだというのに、村人はその場を守ろうとするばかりで逃げようとする仕草を一切見せなかった

 

 

「雨縁、呼ぶまでここで待機!」

 

 

見かねたアリスは、上空を飛ぶ雨縁の背中から躊躇いなく飛び降りた。地上までの自由落下による速度は相当なもので、着地と同時に天命が少し減少して土煙が舞い上がった。しかし、そうするだけの効果はあったのか、突然空から降ってきたアリスに広場の人間の視線は釘付けになった

 

 

「ここでは奴らを防ぎ切れません!今すぐに南に向かって全住民は避難して下さい!」

 

 

アリスの大声が広場一帯に響き渡った。広場にいる住民は、村長のガスフトを中心に、急に空から現れた彼女の姿に驚愕していたが、その中からナイグル・バルボッサの野太い怒声が飛び出した

 

 

「馬鹿を言うな!屋敷を…村を捨てて逃げ出せるか!」

 

「そちらこそ馬鹿を言わないで下さい!今ならまだ、ゴブリンどもに追いつかれることなく逃げられます!家財と己の命、どちらが大事か考えるまでもないでしょう!」

 

 

凄まじい剣幕で迫るアリスに、ナイグルはぐっと言葉を詰まらせた。しかしそんな二人の間に割って入るように、驚きから我に返ったガスフトが低く張り詰めた声で言った

 

 

「広場で円陣を組んで守りを固めろ、というのが衛士長ジンクの指示なのだ。この状況では、村長の私とて彼の命令には従わなければならん。それが帝国の法なのだ」

 

「なっ!?」

 

 

アリスは思わず言葉を失った。たしかに帝国基本法に有事の際には、衛士の天職に就く人間が村や街の長に代わって指揮を執る一項があるが、彼らはこんな状況でも頑なにそれを破ろうとはしないのか

 

 

(広場北側の防御線で衛士達の戦闘を指揮しているジンクに命令の変更を…!けれどそこまでの移動するにも時間が…それに、このまま私がこの場を後にすれば住民が野晒しになってしまう!どうする…どうすれば…!)

 

 

自発的意思で右目の封印を破った自分が特別なのだとはアリス自身も分かってはいたが、すぐにこの場から住民を逃すにはどうすればいいかと考えを巡らせて歯噛みしたその時、毅然とした少女の叫び声が上がった

 

 

「姉さまの言う通りにしましょう!お父さま!」

 

「せ、セルカ…!」

 

 

それは、人垣の中で火傷を負った住民を神聖術で治療するセルカの声だった。アリスが彼女の無事を喜ぶのも束の間、セルカは素早く立ち上がってアリス達の前に走り寄ってきた

 

 

「お父さま!姉さまが昔から一度でも間違ったことがあった!?ううん。あたしどころか、ここにいる皆分かってるわ!このままじゃ皆殺されちゃう!」

 

「し、しかし…」

 

「ええい!子どもが出しゃばるでない!村を守るんじゃ!」

 

「ですから!村の財と住民の命どちらが大切なのかとさっきも…!」

 

「そ、そうか分かったぞ!村に闇の国の怪物どもを招き入れたのはお前じゃなアリス!昔ダークテリトリーに侵入したその時に闇の力に染まったんじゃ!この恐ろしい魔女め!」

 

「なっ!?」

 

 

ナイグルが太い指を突きつけながらアリスに言うと、アリスは驚愕と共に絶句した。どうやらこの男は、自分を悪役にしてでも村にある自分の財を手放すつもりはないらしい。そんな彼を見ていて、アリスは自分の中に黒い感情が渦巻いているのが分かった

 

 

(・・・もう、勝手にすればいい。そっちがその気なら、私も…私の好きにする。セルカとガリッタ老人、両親とキリトだけを連れて、どこか遠い場所で新しい住処を見つける)

 

 

そう考える方がずっと楽だ。今はセルカも自分に味方してくれている。このままならガスフト一人ならいずれは折れてくれるかもしれない。しかし、アリスはその思考をそこで捨てた

 

 

(けれど、この男や他の村人が私にとって愚かに見えているのなら…それは、長年に渡る公理教会の統治が招いた結果…であれば、これは私自身の責任でもある!)

 

 

その支配そのものが、人々から考える力、戦う力を奪い続けてしまった。それらは一体どこに集約されていたのか。その責任はどこにあるのか。無論公理教会並びに、アリスを含めた整合騎士だ。そう思った瞬間、アリスの隻眼が強い光を帯びた。自分には、半年前に最高司祭を討った力はもうないと思っていた。しかし紛れもなく、今この瞬間にもう一度彼女は強大な意志の力を宿していた

 

 

「・・・今、この瞬間をもって衛士長ジンクの命令は破棄。この広場に集う全員、武器を持つ者を先頭にして南の森へ退避するように命じます!」

 

 

己の内側から次々に湧いてくる熱に意志を任せ、アリスは広場にいる全員に向けて高らかに宣言した。それを隣で聞いていたナイグルはその声量に思わず仰け反ったが、すぐさま太鼓のような腹を震わせながら喚き散らした

 

 

「ふ、ふざけるな!なんの権限があって追われ者の娘がそんな命令を…!」

 

「無論、騎士の権限です」

 

「き、騎士ぃ!?騎士とはなんじゃ!?そんな天職、この村にはないぞ!ちょっと剣が使えるからって勝手に騎士を名乗るなんぞ、央都に仕える本物の騎士様に知られればどうなると思って…!」

 

 

ナイグルの言葉を最後まで待つことなく、アリスは羽織っていた外套を脱ぎ捨てた。その下に隠れていた黄金の鎧と青く澄んだマントが露わになり、広場の村人全員は眩く煌めく彼女の姿に心を奪われた

 

 

「私は…私はアリス!セントリア市域統括、公理教会整合騎士第3位!アリス・シンセシス・サーティ!」

 

「せ、整合騎士!?」

 

「姉、さま…?」

 

 

アリスの声高な名乗りに、ナイグルは驚愕と共に尻餅を突き、ガスフトは言葉を失った。そして瞳と同じ青のマントをはためかせる彼女を見たセルカが静かに囁き、アリスは妹の頭に手を置いて優しく微笑みながら言った

 

 

「今まで黙っていてごめんなさい、セルカ。これが私に与えられた本当の罰…そして、本当の責務なの」

 

「姉さま…!あたし、信じてたわ。姉さまは罪人なんかじゃないって…本当に、綺麗だわ…とても!」

 

 

二つの瞳に涙を溜めながら羨望の眼差しを向けるセルカに、アリスは瞳を閉じてコクリと頷いた。そんな娘達のやり取りをすぐそばで見ていたガスフトが、石畳の上に跪いて顔を伏せながら叫んだ

 

 

「御命令、たしかに承知致しました!整合騎士アリス殿!全員、起立!武器を持つ者を先頭に、南門へと走るのだ!村を出たら開拓地の南の森に逃げ込め!」

 

「お父さま…!」

 

 

素早く立ち上がって指示を出すガスフトに、セルカは心を打たれた。固まっている村人達も、最初こそ困惑していたが、次第に互の目を合わせて頷くと、屈強な農夫達が先頭に立ち、女性や子ども、老人なども続々と立ち上がった

 

 

「お父さま、皆を…セルカとお母さまを頼みます」

 

「・・・騎士殿も、御身を大事に」

 

「姉さま…無理をしないで」

 

「えぇ、分かっています。さぁ、行って!」

 

 

その言葉を別れに、村長とセルカを含めた村人全員が南に向かって一斉に動き出し、アリスは衛士とゴブリンが剣を交えている北に向かって駆け出した。進むに連れてどんどんと火の手を増している村を見つめていた時、若い男の絶叫が聞こえてきた

 

 

「もうここはダメだ!退けっ!退けーっ!」

 

 

その言葉を最後に、今度は村の衛士達が南に向かってなだれ込んでくる。アリスは彼らの流れに逆らって北に進むと、衛士達の一番後ろから走ってきたジンクの肩を引っ掴んだ

 

 

「おぅわ!?あ、アリス!?どうしてここに…ってその格好はなんだ!?」

 

「説明は後です!今しがた教会前の広場にいた村人全員に村から出て南に出るよう指示しました!あなた達はそちらに追いついて村人を守りなさい!ここは私が食い止めます!」

 

「なっ!?衛士長の俺に黙って勝手に何を…というか、あのゴブリン達を一人で食い止めるつもりなのか!?そんなの無理に決ま…」

 

「雨縁ッ!」

 

「ギオオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 

戸惑うジンクを他所に、アリスは右手を天に掲げ、上空に佇んでいた愛竜の名を呼んだ。瞬間、アリスの声に応えるように雨縁の猛々しい咆哮が響き渡り、黄金の籠手を纏った右手が天から地上の魔物たちに向けて振り下ろされた

 

 

「ーーー焼き払えッ!!」

 

 

ゴバアッ!!という轟音と共に、雨縁の喉奥から青白い輝きを放つ熱戦が飛び出した。迸る閃光は村の西から東を文字通り焼き払い、飛竜の豪炎に包まれたゴブリン達が甲高い悲鳴を発しながら次々に吹き飛ばされていった

 

 

「なっ!?り、りりり…竜っ!?」

 

「これでもまだ無理だと思いますか?」

 

 

突然の出来事に腰を抜かしたジンクを見下ろしながら、アリスが冷たい声で訊ねた。それに対しジンクは青ざめた表情でぶるぶると首を振ると、すぐさま立ち上がって村の南に走り出した

 

 

「く、くれぐれも気をつけろよ!ヤツらもうすぐそこまで来てるぞ!」

 

「元より承知の上でここに来ています。心配は無用です」

 

 

走り去る彼の背中に向けて静かに口にすると、アリスは正面に向き直った。やがて雨縁が広げた炎の海の隙間を駆け抜けながら、蛮刀を握ったゴブリンが悪鬼の形相で飛びかかって来た

 

 

「ギヒィーーーッ!」

 

「はあっ!」

 

 

アリスは短い気合と共に金木犀の剣を鞘走らせ、素材が荒い蛮刀を叩き割りつつ、飛びかかって来たゴブリンの体を上下真っ二つに斬り裂いた

 

 

「ギャハァ!イウムの女だ!殺すっ!俺が殺して喰らうっ!」

 

 

なんと醜い生き物なのだろうか、とアリスは存在そのものが罪であるかのように一人胸中で呟いた。自分に飛びかかってくるゴブリンを一匹、もう一匹と血飛沫を避けながら次々に斬り伏せていく。そんな血の溢れる死と隣り合わせ戦いの中でも、アリスの心中は穏やかであった

 

 

(・・・最高司祭アドミニストレータ。やはりあなたは間違っていました。これほどの敵をたかだか30人の整合騎士に力を集約し、意思を封じて人形に仕立てた。そうすることで、人界中の人々に分け与えられるべき力を完全に掌握しようとした)

 

(けれど、あまりに偏りすぎた力はそれを持つ者、そして周囲の者を惑わせてしまう。あなた自身が強大な力に溺れ、人ではなくなってしまったように)

 

 

最高司祭を討った今となっては、それを改めて伝えることも、その過ちを正すことは出来ない。今の自分にできるのは、迫る敵をただひたすらに斬ることのみ。50を超えるであろうゴブリン達と、数は少なくとも桁外れの巨躯と分厚い鉄鎧に身を包むオーク達。殺意のみを己の糧として襲い来る闇の軍勢を前にして、アリスは新たな認識を胸に刻み込んだ

 

 

「これから私は、私自身が守るもののために戦います!妹を守り、父母を守り、そしてキリトとユージオが守ろうとした人界の人々を守るために戦います!」

 

 

それを口にした瞬間、アリスは自分の中に残っていた疑念や無力感が消え、力が湧いて来るのを一身に感じた。そして黒い布に包まれた眼窩に、強烈な熱と激痛が走るが、それを歯を食いしばって耐え、左手で一気にキリトが巻いてくれた黒い当て布を取り払った

 

 

「・・・ありがとう、キリト。この半年間、私はあなたの世話をして、守っているつもりだった。でも本当は、あなたが私を守っていてくれたのね」

 

 

一度は失われた右目をそっと開き、左手に握った黒い布を見る。少し色褪せたソレは今まさに天命を全うし、跡形もなく溶けるように消えた。手の上で暖かさが失くなった感覚を握りしめると、その掌にそっと口付けをした

 

 

「私は、もう大丈夫。きっとこれからも色々迷ったり、悩み、苦しみ、挫けることもあるでしょうけれど、それでも前に進んでいくわ。あなたと、そして私が求めるもののために!」

 

 

俯いていた顔を上げ、金木犀の剣を横薙ぎに振って空を切りつつ、青いマントをはためかせる。そして、なおも自分に襲い来る闇の軍勢を両眼で見据え、高らかに自らの名を謳った

 

 

「我、人界の騎士アリス!私がここに立つ限り、お前達が求める血と殺戮は決して得られるものではない!今すぐに、洞窟を通ってお前達の国に帰るが良い!」

 

「グアアアアアッ!偉そうに!たかが白イウムの小娘一匹、この『足刈のモッカ』様が踏み潰してくれるわぁ!」

 

 

アリスの凛とした声に気圧されるゴブリン達を掻き分けながら、集団の大将格と思しき大柄なオークが、両手持ちの斧を振りかざしながら前に出た。その声に一度は気圧されていたゴブリン達が忌々しい声を上げて勢いづいた。そしてアリスは、静かに金木犀の剣を天に振りかざし、神聖術の式句を叫んだ

 

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 

半年ぶりに使用する武装完全支配術だったが、金木犀の剣は少しも衰えを見せることなく、瞬時に刀身を無数の小刃となって炎の輝きを爛々と反射しながら中空を舞った

 

 

「吹き荒れろ!花たちっ!」

 

 

黄金の旋風が渦を巻きながら闇の軍勢を薙ぎ払っていく。モリッカと名乗ったオークの大将も、全身をいくつもの花弁に切り裂かれ血飛沫を上げながら横たわった。その周囲にいたオークやゴブリン達も、次々と黄金の風に倒れていく。敵の半数以上を亡き者にしたところでアリスはもう一度剣の柄を振ると、自分と敵の間に金木犀の花弁達を整列させて、山脈を越えて闇の国に届かんばかりの声で宣言した

 

 

「これは、人界と闇の国を隔てる壁!たとえ洞窟を掘り返そうとも、我ら騎士が存在する限り、お前達にこの地を汚させはしない!さぁ、選びなさい!前に進んで血の海に沈むか、後ろに退がって闇の国へ逃げ帰れ!!」

 

「ぎ、ギャーーーーー!!!」

 

 

奇声を発しながら先頭のゴブリンが勢いよく後ろを振り向いて逃げ出すまで、5秒もなかった。それに続いて喚き声と統率感のない足音が続き、やがてその姿が見えなくなると、アリスは金木犀の花弁を剣に戻し、黄金の鞘に納めて踵を返した

 

 

「グガルアアアアアッ!イウムの小娘が!調子に乗ってんじゃねぇ!!」

 

「なっ!?」

 

 

荒い叫び声がしてアリスが振り向いた先には、死んだと思っていたはずの敵オークの大将、足刈のモッカが血塗れのまま立ち上がって斧を振りかぶっていた。アリスは咄嗟に金木犀の剣の柄に手を掛けたが、その時には既に眼前まで凶刃が迫っていた

 

 

「ッ!?」

 

 

アリスは咄嗟に鞘から左手を離し顔を覆って目を瞑った。しかし、あの巨大な斧の前ではこんな防御ないに等しいだろう。自分の左腕が無残に切り落とされ、頭をかち割られる光景が頭をよぎったその瞬間………

 

 

「うおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

次に聞こえたのは男の雄叫びと、グゴギィッ!という鈍い音だった。ついに自分の左手が落ちたのかと恐るおそる目を開けると、そこにはオークの右側から跳躍して勇猛果敢に右拳を振り抜いたツンツン頭の少年と、顔をくの字に歪めながら重量感のある音と共に地に伏したオークの姿があった

 

 

「カミ、やん……?」

 

 

名前を聞かずとも、彼の声を、右手を振りかざす彼の姿を、記憶ではなく、心が覚えていた。今目の前に立っている、つい数分前に見た夢の中で見た少年は、確かに自分の中にいたのだと、アリスは高鳴る胸の鼓動を理由に確信した

 

 



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第6話 同調

 

「くそっ!クソッ!これもまたさっきのウィルス寄越したヤツらの仕業ってわけ!?アンタらはこうしてこっちの計画を頓挫できて、大層ご満悦かもしれないけど…こっちには上条だっているのよ!?それなのに、それなのに…あぁもう!クソッタレ!畜生ッ!」

 

 

呪詛にも似た言葉を吐き出しながら、吹寄制理はこの状況を生み出した何者かと、上条当麻を巻き込んでしまった自分に怒りながら、何度も拳を自分のデスクに打ち付けていた。普段の彼女からは想像も出来ない荒れっぷりだったが、その部屋にいる誰もが彼女の激情を止めることはなかった

 

 

「アイツは…アイツは生きてるのよね?例えアンダーワールドが欠片も残さず消えたとしても、アイツはまだ生きてる…のよね…?」

 

 

先ほどまでの騒騒しかった警告音はすっかりとなりを潜め、アンダーワールドを映し出していたモニターの数々は、電源が入っているにも関わらず真っ黒に塗りつぶされていた。それは間違いなくその先の世界の崩壊を意味しており、その世界に取り残されていた少年の安否を心の底から心配しながら、御坂美琴は震える声でその場にいる人間に問い詰めた

 

 

「はい。彼の生体反応やフラクトライトには、アンダーワールド崩壊後も特に異常も見られません。ただ、正確に言えば生きている、ということしか言えません。と、ミサカは彼の現状を報告します」

 

 

この誰もが予想だにしていなかった事態でも、ミサカ10032号は顔色も口癖も変えることはなかった。しかしその奥で、カエルによく似た顔の医者は誰よりも訝しげな顔で自分のPCの画面を見つめていた

 

 

「これは…いや、そんなバカなことが…」

 

「・・・先生。こうなったらもうバカなことでも手当たり次第に考えていくべきです。何か思い当たることがあるなら、私にも教えて下さい」

 

 

うわ言のように呟く冥土帰しを見た吹寄は、体ごと椅子を回して彼の方に向いて言った。美琴も冥土帰しを見ながら吹寄の言葉に大きく頷くと、余命いくばくかの名医はPCに表示されている小さなカーソルを移動させ始めた

 

 

「・・・思えば最初から、人の褌で相撲を取っているような違和感が僕にはあったんだね。この世界にはいくつかおかしな所が…具体的には二つあった。まず一つは、この世界における剣士の界隈には、秘奥義と称されるソードスキルがあったことだね」

 

「・・・え?ソードスキルって…SAOやALOで使われてたヤツってこと!?」

 

「僕もSAOの内情は人伝てに聞くばかりで、具体的にはどういったものがあるのか知りもしないけどね。だけれど、ザ・シードを使った仮想世界は全てそうなる仕様なのか、はたまた人工フラクトライト達が手ずから生み出した技術なのだと思って、特に気にはしなかったんだね」

 

「後者はどうか分からないけど…少なくとも前者はあり得ないわ。ザ・シードを使ってるゲームは数あっても、今ソードスキルと呼べるシステムを持つゲームはALOしかないわ」

 

「そうか…ありがとう御坂君。あまりそういったゲームの知識がない僕には分からないから頼りになるんだね」

 

「それで先生、二つ目は?」

 

 

冥土帰しの推測に対して、美琴は自分が知っている限りの情報を引き出しながら答えた。礼を言う冥土帰しに続けて吹寄が訊ねると、彼は特大のため息をついてPCの画面を指差しながら言った

 

 

「そしてもう一つ…これは今気づいたことなんだけどね、ハッキングの実損被害を調べるために改めて内部のデータを洗ってみたところ、不可解な外部命令が挿入されていることに気づいたんだね」

 

「え?な、何ですかこれ…?『コード871』?右視覚領域に…疑似痛覚を注入?これじゃあ人工フラクトライトが禁忌の制限を突破しかけても、そのプロセスが痛みに掻き消されちゃうじゃない!?これもやっぱり、さっきの外部からのウィルスが…げん、いん……?」

 

 

PCが表示している小さなフォントのコードを目で追うなり、吹寄が声を荒げた。しかし彼女が憶測を立てていくに連れて彼女の声は次第に尻すぼみになり、それから何かに気づいたように口を手で覆って呟いた

 

 

「いや…普通そんな面倒なことする…?私たちを少しでもA.L.I.C.Eの完成から遠ざけたいから…?でも現に、さっきウィルスが侵入して内部時間が等倍になってから、ほとんど時間をおかずにアンダーワールドを崩壊させたのに、わざわざそんなコードを仕込む意味が…」

 

「あぁ、その通りだよ。これはウィルスによるものじゃない。このコード871は、アンダーワールドが構築されてから、かなり初期の段階からずっと機能していた。そしておそらくその原因は……」

 

「・・・特異点」

 

 

恐るおそる漏れ出した吹寄の呟きに、冥土帰しは静かに頷くことで答えた。彼の反応に吹寄は頭を抱えるのを見た美琴は、自分の耳を疑って小さくかぶりを振りつつ二人に訊ねた

 

 

「じょ、冗談でしょ?さっきの崩壊の時にも似たようなこと言ってたけど、特異点ってタイムトラベル系のSF小説に出てくる、その世界の時空に影響を与えるとかいうモノでしょう?そんなのが本当に実在するって言うの?」

 

「・・・これは僕も吹寄君も最初から疑問に思っていたことなんだけどね…御坂君、君は本当にSTLやフラクトライトの論文を、上条君が自力で書けたと思うかい?」

 

「・・・いや、私は多分書けないと思う。可能性があるとすれば…すれ、ば……」

 

 

それは美琴自身もずっと疑問に思っていたことだった。冥土帰しの静かな問いかけに美琴が首を振って思考を巡らせた瞬間、脳内に鋭い電撃が走った。それは彼女の能力によるものではなく、その一言で冴えるに冴え渡った彼女の思考そのものだった

 

 

「まさか…その特異点っていうのは…!?キリトさん達がいる異世界から…!?」

 

「先のプロジェクト・アリシゼーションのように、学園都市には噂や都市伝説が蔓延っているだろう?僕もそのうちの一つで、ALOというVRMMOゲームはこの世界とは別の並行世界に繋がっている…というのを耳にしたことがあるんだね。このSTLの技術というのは元々…そちらの世界の技術なのだとしたら……」

 

「だ、だけど!だったら何だって言うの!?例え同じ技術を使っていたとしても、それぞれの世界で開発したのならそれはもう別物よ!?いくら過去に同じSAOって名前のゲームが存在してた世界だから…って………」

 

 

そこで美琴の頭脳にまたしても電撃が走った。今度はもはや血の気が引いた。それまではただの偶然だと捨て置いていたことだった。同じゲームハード、同じ技術、同じスキル、同じアイテム、同じ名前のギルドが存在する、全く同じ名前の世界。ありとあらゆる可能性のピースが埋まっていく感覚は、快感というよりも恐怖に似ていた

 

 

「まさか、あのSAOですらも…影響を受けていたって言うの…?同じ仕組みの仮想世界だからって…ただそれだけの理由で…!?」

 

「影響を与えていた、というよりも…互いに干渉しあっていた、という方が正しいのだろうね。こんなことは普通あり得ないだろうけど…今この瞬間、その異世界にあるアンダーワールドと僕らの世界のアンダーワールドは完全に『同調した』のではないか、と…僕はそう考えているね」

 

「じゃあひょっとしてアイツの意識は、キリトさん達の世界が作ったアンダーワールドに行ったって言うの!?」

 

「断定は出来ないが…同調したという解釈があってるのなら、彼の意識もそちらの世界に移動したはずだね。同じ機関設計がなされていたが故に、アンダーワールドという同じ仮想世界同士が互いに干渉し、不安定な状況となって結果的に同調するにまで至った…ということなら、元々アンダーワールドにいた彼が引き込まれてしまったのも頷けるね」

 

「じゃああの黒い穴…特異点はむしろデータの欠落を示したものじゃなくて『修正』していたってことですか…?私たちが丹精込めて作り上げたと思っていたアンダーワールドは、人工フラクトライト達は…ただひたすらに、その異世界のアンダーワールドの歩んだ経緯を…なぞっていただけ…?」

 

 

震える声で訊ねた吹寄に、冥土帰しは否定の言葉もなく、ただ深いため息とともに瞼を閉じて答えた。否定したくとも否定しきれないこの状況に、もはや吹寄は軽い目眩を覚えていた。頭を抱えて項垂れる彼女の心の痛さを思いながらも、美琴はなおも消えぬ疑問を冥土帰しにぶつけた

 

 

「とりあえず百歩譲って、そういうことだったと仮定します。じゃあなんでSAOは途中で崩壊しなかったんですか?」

 

「恐らくはその『崩壊』という言い回しが良くないんだ。本当の意味でアンダーワールドが崩壊したのだとしたら、そこに生活していた人工フラクトライト達も一つ残らず消えていたハズ…だというのに、人工フラクトライト達が内包されたライトキューブ・クラスタは正常に機能している。恐らくは、そこも含めて同調したんだと思う」

 

「・・・ごめんなさい、話が見えないわ。どういうこと?」

 

「恐らくはログインしていた『人』の違いだよ。SAOにログインしていた総勢10000人…全員が同じだったなんてことはあり得ないだろう。だからSAOは同調しなかったんだ。そこにいる人が違うから、辻褄を合わせようにも合わせられなかった。だけど今アンダーワールドに実際にログインしていた人間は…」

 

「・・・創生の頃にアンダーワールドにログインした協力者や、試験的にログインした先生や吹寄さん…そしてアイツたった一人だけなら、丸め込んで同調できるかもしれない…そういうことですか?」

 

「あぁ。恐らく、辿ってきた大まかな道筋が合っていればそれでいいんだと思うね。まぁ細部は異なっているだろうが…そもそもが憶測に過ぎないからね。だけれど、今も人工フラクトライトが反応を示しているというのは、そういうことだと思う。同調した先のアンダーワールドでは、今も彼らは活動しているんだね。たった一人その事実を知りもしない…上条君と一緒に……」

 

「じゃ、じゃあそうなった原因は一体何なんですか?今までは同調してたにせよ、いくつかの小さな特異点が発生してたってだけなんですよね?それがなんでいきなり、あんな巨大なブラックホールみたいな特異点が…」

 

「その原因は僕にも分からない。ただ、少なくとも先のウィルスではないだろうね。恐らく彼らは、異世界のアンダーワールドまでは認知していないハズだ。ましてそれを同調させるなんて技術はないだろう。恐らくは…アンダーワールド内部で何かが起こったんだ。互いの世界の時空をも揺るがしかねない、決定的な何かが……」

 

 

やはりどこまでいっても突拍子で現実味のない話だと、憶測を立てた冥土帰しを含めその場にいる全員が思っていた。しかし、それでもあまりに筋が通っていて、反論のしようがなかった。しばしの沈黙が流れた後で、吹寄が封を切るように怒鳴った

 

 

「だったら…だったら!もうどうしようもないじゃないですか!今の私たちにはどうしたって異世界にあるっていう、向こう側のアンダーワールドに干渉する手段なんかないじゃないですか!このまま上条が戻ってくるのをただ待つしかないって言うんですか!?」

 

「・・・そ、それは…」

 

「あるじゃない。干渉する方法」

 

「「え?」」

 

 

返答に困る冥土帰しのすぐあとに、美琴がさも簡単なことであるかのように言った。彼女は呆けた顔で自分を見つめる二人に対し、自分のすぐ横にある壁を指差しながら言った

 

 

「アイツが使ってるようなフルスペック版でなくても、試験用のSTLはまだ残ってるのよね?なら、その内の一台を使って私が異世界のアンダーワールドに行けるかどうか、試してみる価値はあるんじゃないの?」

 

「ッ!?そ、そんなのは無茶だ御坂君!危険すぎる!本当に異世界に繋がってるかどうかなんて確証もないんだよ!?STL内の時間加速も僕たちの制御を外れた!もう僕たちの手の及ぶところでは…!」

 

「でもアイツは、今もSTLでダイブし続けてる。だったら少なくとも同じ場所に行ける確率は、多分数字的なゼロじゃない」

 

「だ、だったら僕が行く!君にそんな重荷を背負わせるわけには…!」

 

「それこそ、VR慣れしてない先生が行ったらどうなるか分からないでしょ。それに、いざという時にこっち側でシステムを制御できるのは吹寄さんと先生しかいないんですから、どう考えたって私しか適任はいません」

 

「そ、そうは言ってもだね…」

 

 

自信に満ちた目で言う美琴に、冥土帰しがぐむむ、と唸りながら腕組みをして体を捩った。すると彼の横から吹寄が美琴の前に出て彼女の右手を両手でを掴むと、縋るような瞳で訴えた

 

 

「お願い、美琴さん…上条を勝手に巻き込んだのは私たちだっていうのに、こんなことをお願いするのは本当に身勝手だって、都合のいい話だってのは百も承知なの…だけど、私たちにはもう上条を助ける手段がない。だから、どうかお願い…上条を…あなたの手で、助けてあげて……」

 

 

気づけば吹寄の瞳から頬にかけて一筋の涙が伝っていた。そしてその雫の軌跡と表情からは、彼女必死さが嫌でも伝わってきた。美琴はそれに答えるように、自分の右手を握る彼女の両手に、優しく左手を添えた

 

 

「そんなことないわ、吹寄さん。元はと言えば日頃から不幸だって言ってるアイツにも原因があるんだから、そんなのお互い様でしょ。だから安心して。アイツは私が必ず連れて帰ってくる」

 

「ッ!ありがとう…ありがとうっ!美琴さんっ…ありがとう…!」

 

「・・・本当にいいんだね?君も帰れる保証はないんだよ?」

 

「大丈夫ですって。こちとら2年も同じ世界にいたんですから、多少長居する覚悟は出来てますよ」

 

 

深刻な表情で迫る冥土帰しに、美琴はあくまでも笑いながら答えた。そんな彼女のあっけらかんとした態度に、冥土帰しは渋々折れて深く頷いて言った

 

 

「分かった。御坂君をアンダーワールドに送り込もう。こういう時のために、僕らはアンダーワールド内のありとあらゆる権限を持ったアカウントを用意してある。まぁ半分は同調によって勝手に増えたものだろうけどね。その中には創世の四神を象った、桁外れの能力とステータスを持つスーパーアカウントもある。今回はその中から…」

 

「あぁ、折角だけど遠慮しておくわ。ザ・シード規格のVRワールドなら、私のアカウントがコンバート出来るはずよ。だったら、今回はそっちを使うわ」

 

「え?い、いいのかい?こう言ってはなんだが、そのアカウントは美琴君の生き写しのような物だろう?もし向こうで何かあったとしても、元に戻せる保証はないんだよ?」

 

「それさっきも聞きましたって。戻れる保証がないなら、何があったって同じです。それに、他でもない私自身のアカウントが一番信頼できますから。それに多分、そのスーパーアカウントは他の皆が使った方がいいわ」

 

「ほ、他の皆…というのは?」

 

「STLは後3台あるんだから、使わないと損ですよ。私の他にも、アイツを助けたやりたいって人間に心当たりがない訳じゃありませんから。後でその子たちに、大雑把な状況説明を書いたメッセを手当たり次第に飛ばします。早い者勝ちになっちゃいますけど、そのアカウントはその子たちに使ってあげて下さい」

 

「・・・分かった。ではその該当者がここに到着し次第、順次手配するよ。一先ずは君のログインを開始しよう。使いたいアカウントのIDとパスワードを妹さんに渡して、隣の部屋に入ったら、テスト1と書かれたSTLの機体に横になってくれ。後は僕たちがやる」

 

「分かりました。それじゃあコレ、よろしくね」

 

 

美琴は冥土帰しの指示に頷くと、自分のブレザーのポケットからボールペンとメモを取り出して数字の羅列を書くと、それを自分と全く同じ顔の少女に手渡した

 

 

「はい、確かに受け取りました。と、ミサカはお姉様のご無事と、あの人のご無事を祈ります」

 

「ええ、アンタのお姉様に任せなさい。それじゃあ、行ってくるわね」

 

 

笑顔でそう言い残すと、美琴は驚異的なスピードでメールを打ちながら、隣の部屋に入ると同時に複数の宛先にそれを送信した。そして冥土帰しの指示通りのSTLに頭を突っ込み、その瞬間を待った

 

 

『御坂君、聞こえるかな?』

 

「はい、聞こえてます」

 

『感度良好で何よりだよ。いいかい?もしログインに成功し、向こうのアンダーワールドにたどり着いても、どこの座標に転移できるかは予想がつかない』

 

「ええ、分かってます。それくらいは自分でなんとかしますから」

 

『頼もしいね。だが同調したという予測が正しければ、地形はほとんど変わらないはずだ。その中で上条君を探し当てたら、東の大門を出てずっと南にある、『ワールド・エンド・オルター』という地点の『果ての祭壇』にあるシステム・コンソールを使うんだ。それで君たちは恐らくこちら側に戻って来られるはずだね。あるいは、向こうで天命がゼロになれば…』

 

「分かりました。後者は不確定要素が多いでしょうし、出来れば考えたくないのでアイツを見つけ次第、その果ての祭壇を目指します」

 

『分かった。それと、一つアドバイスだ。これから君が行くアンダーワールドでは、何よりもまず『イメージする力』が大きな力となる。君ほどの強固な『自分だけの現実』をもつ人間なら、きっとそれは君の強力な武器になるよ』

 

「つまり…イメージさえ出来れば私の能力がそのまま使えるかもしれない…ってことね。それは有難いわ。いざという時は、一切の手加減なしに暴れてやろうじゃない」

 

『とは言っても、くれぐれも気をつけてほしい。これも確証のある話じゃないからね。っと…こちらの準備も今しがた完了したよ。君の合図でいつでも旅立てる。それでは…健闘を祈っているね』

 

「・・・ふぅ〜〜〜………」

 

 

美琴は目を閉じて深く息を吐いて目を閉じると、数秒の間意識を集中し、瞑想を行った。そして心の中で決意を引き締めると、別世界へと扉を開く鍵を声高に詠唱した

 

 

「リンク・スタート!!」

 

 




すいません、年内の更新はないと前回の後書きで言いましたが、実家に帰省するまでの移動時間がどうしても暇だったので1話仕上げました。
今度こそ!年内の投稿は最後です!日頃より私のをお読みになって下さった読者の皆様、本年は誠に有難うございました!来年もまたよろしくお願い致します!それでは皆様、良いお年を!


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第7話 目覚め

 

 

「ぶえっくしょいーーーっ!!」

 

 

風に流された短い雑草の切れ端が鼻に貼り付いて鼻腔をくすぐり、盛大かつ下品なくしゃみと共に上条当麻は目を覚ました。くしゃみに釣られて開いた目に入ってくる景色は、靄がかかったようにぼやけていて、一度両目を閉じてから右腕で思いっきり瞼を擦ると、再びゆっくりと瞼を持ち上げた

 

 

「・・・ここは…?」

 

 

それから上条は自分の身体が大の字になって芝生の草原の上に投げ出されていることに気づき、上体を起こしながら周囲を見渡した。時刻は深夜なのか、辺りは暗く空には無数の星が輝いていた。静かな夜空を見上げながらボリボリと後ろ頭を掻き毟ると、自分が何故ここにこうしてちるのかという記憶を呼び起こし始めた

 

 

「確か俺は、カセドラルの頂点でアドミニストレータを倒して…アイツが弄ってたシステム・コンソールを使って外部の人間を呼び出した…ハズなんだけど……」

 

 

寝起きにしては思いの外、頭が冴えていると上条は思いながら、記憶の糸を辿っていった。その結果、彼の脳裏には自分がここに至るまでの一連の出来事と、光景までもが鮮明に蘇り始めた

 

 

「そんで確かそこには、一緒にいた理由は分かんねぇけどあの病院のカエル顔の先生と…美琴と吹寄がいて…意識を強く保てとか…アンダーワールドが崩壊す、る……とか………」

 

 

そこまで記憶が蘇った瞬間、上条はハッとして飛ぶように立ち上がった。そしてもう一度、立ち上がった状態でぐりんぐりんと首を独楽のように回して周囲を見渡して現状を整理し始める。ここは最後に自分がいたカセドラルではない。どこかの森の中にある丘の中腹だ。これは夢なのか、そう思って頬を平手で打つとじんわりとした痛みと熱さを感じ、本能がこれは夢ではないと認識した

 

 

「な、なら…ならここは…!?」

 

 

ここはどこか。その疑問を一番手っ取り早く知れる方法はなにか、考える必要はなかった。上条は左手をバッと持ち上げ、その上に右手の人差し指と中指の二本でS字の軌跡を描く。紫色の薄い光を発して空に残るそれを叩くと、見間違いようのない、あの世界の窓が開いた

 

 

「ステイシアの…窓……」

 

 

ここがどこか、もう疑うまでもなかった。とりあえず自分のいる世界がどこか分かった嬉しさと、まだそこにいるのかという落胆が入り混じって軽い目眩を覚えた。窓に表示された天命は、上限と現在値が全く同じだ。オブジェクト、システムコンロール権限は最後にアドミニストレータと戦った時と同様の数値であることを確認すると、誰が答えてくれるわけでもないのに上条は呟いた

 

 

「・・・俺はまだ、アンダーワールドにいるってのか…?」

 

 

それからまず自分の服装を見る。それは修剣学院のアズリカが預かっていたという、リーナからの贈り物の黒い布地の服だった。しかしそれは、アドミニストレータの剣に貫かれ穴だらけになっているはずなのに、何故か新品のように綺麗で、糸のほつれどころか汚れすらもない。おまけに、アリスの眼帯代わりにと切り裂いた裾も綺麗に戻っていた

 

 

「おやっさんの盾と星空の剣…はないな……」

 

 

自分の首をできる限り捻って背中を見つつ、右手と左手で背中を弄るが、自分が装備していたはずの翡翠色の剣と盾はないことに気づいた。そこでハッとして盾は剣の巨人との戦いで壊れ、剣はアドミニストレータを屠った記憶解放の一撃を最後に崩れ落ちたのを思い出した。そしてその剣の銘の由来となった満点の星が浮かぶ空を見上げ、その名前をくれた、今はもういない友人の存在を記憶から呼び起こした

 

 

「・・・・・ユージオ…」

 

 

彼が最期に自分にくれた勇気が胸に沁み、目頭が熱くなってきたところで、上条は小さくかぶりを振った。今は感傷に浸るべき時ではない。そう考えつつ、とりあえず一番初めに湧いた疑問を呟いた

 

 

「でも、どうして俺はまだアンダーワールドに…?先生や美琴達と通信したすぐ後に、あの仮想世界は吹寄の言った通り跡形もなく崩壊して、俺は下に広がった暗闇に落ちていったはず……それがなんだって、ログアウトも出来ずにこうして仮想世界に?また先生達がアンダーワールドを作り直して、俺をログインさせたのか?だけど、そこまでする目的は…?」

 

 

それは恐らく向こう側の世界の人間にしか分からないことだろうと、上条自身も理解はしていたが、いくら自問しても答えが出ない煩悶としたこの状況に舌打ちした。しかし、ふと気の赴くままにもう一度周囲を見渡すと、自分が寝そべっていた丘とこの森の雰囲気に、ひどく既視感があることに気づいた

 

 

「こ、ここって…まさか…!」

 

 

その既視感に気づくなり、上条は一気に丘を駆け上がった。そして息を切らしながらたどり着いた丘の頂上には、地面にどっしりと根を構えた黒い巨樹の切り株が、ただ一人静かに佇んでいた

 

 

「間違いねぇ。ギガスシダーの切り株だ…だけど、何だ……?」

 

 

傍らに巨大な幹を横たえた、ギガスシダーの幹をそっと右手でなぞる。それは、特に明確な意味を持たない行動だったハズだというのに、上条はそこで僅かな違和感を覚えた

 

 

「この切り株は、俺とユージオが切り倒したギガスシダーとは…何かが違う…」

 

 

あくまでも直感的に、上条は感じた。理由も根拠もない、ただ『これは違う』という異物感にも似た感覚だった。そんな不明瞭な感覚に理由を探そうとギガスシダーの幹を見渡していると、その先端が人為的に切断されている事に気がついた

 

 

「・・・?なんでこんな先っぽだけ切られてんだ?俺とユージオは別にこんな所切った覚えも…いや、俺たちが村を出て行った二年間の間に誰かが…それとも、このギガスシダーは俺の予感通り、俺とユージオが切り倒したのとはまた別の………ッ!?」

 

 

そこで上条は初めて、ギガスシダーの切り株の先端のさらに先にある、丘の北側に広がる光景を見やった。その直後に、鼻を盛んについてくる焦げ臭さに顔を顰めた。思えば夜にこの丘に来たのも、夜のルーリッド村を村の外から見るのも初めてだったが、その光景から見えるルーリッド村の方角には、天に向かって伸びる煙があった

 

 

「な、何だ…アレ……?」

 

 

この丘からルーリッド村にはそれなりに距離があり、村の外観はぼんやりとしか見えていない。しかし、それで十分だった。夜の闇の中で、村の北側を中心に村のあちこちから煌々と光る赤と、立ち昇る煙を見れば、それが火事だと気づくのに時間はかからなかった

 

 

「まさか、もう始まったってのか…?カーディナルが言ってた、闇の軍勢が人界に攻め込んでくるっていう、最終負荷実験が…!?」

 

 

そうなるとルーリッド村は、今まさに闇の軍勢に襲われていることになる。かつて果ての山脈の洞窟で見たゴブリン達が、村人を襲い、村の家屋に火を放っているのだ。その光景を想像した瞬間、上条は一週間という短い間ながら世話になった教会で、自分の面倒を見てくれた、一人の修道女を思い出した

 

 

「セルカだ…セルカが危ねぇ!?」

 

 

星空の剣が砕け、ギガスシダーが切り株になっている現状から鑑みるに、村どころか、この世界には恐らくもうユージオはいないのだろう。しかし、今もルーリッド村には彼と姉の帰りを心待ちにしているセルカがいるはずだ。そう考えた瞬間に、上条は既に丘を駆け降り始めていた

 

 

「着いたらもう既に全滅でしたなんてオチはやめてくれよ!?頼む…みんな無事でいてくれ!!」

 

 

半ば祈るように丘を下り終わって平坦な道に出た瞬間、一際強い風が右横から上条の頬を殴った。上条は思わず立ち止まって目を瞑ると、一体何事かと夜空を見上げた。するとその視線の先には、驚くほどの速度で北に向かって夜空を飛ぶ一匹の白銀の飛竜が映った

 

 

「ひ、飛竜!?ダークテリトリーの連中には飛竜も…!いや、違うな。今の竜は南から飛んで来た…ダークテリトリーに通じてる果ての山脈は村よりもっと北だ。仮にダークテリトリーの飛竜なら、南から飛んでくるのはおかしい…」

 

(それに俺は、あの飛竜をどこかで……)

 

 

上条がそんな風に思考を巡らせている内に、飛竜はもう既に尻尾の先が見えなくなるほどにまで先に行ってしまった。上条は自分がその飛竜を見て立ち尽くしていたことに気づくと、自分を叱責しながらかぶりを振って森の中の拓けた道を走り始めた

 

 

「クソッ!二年も俺をこの世界で放置した挙句に、いきなりこんな訳の分からねぇ状況でもう一度放り出しやがって!美琴、吹寄、先生も、現実に戻ったら一発は殴らせてもらうからな!」

 

 

二年前にユージオと共に行き来した森の中の道を一心不乱に駆け抜けると、やがて森を抜けた先でユージオが使っていた竜骨の斧などを仕舞っていた物置小屋が目につき、武器も防具も持たない上条は、それを持ち出そうかという考えが一瞬頭をよぎった

 

 

「・・・いや…確かに竜骨の斧は強力な武器になるだろうけど、今の俺には神聖術も右手もある。だったら今の俺に、あの斧はいらねぇな」

 

 

そう結論づけると、上条は物置小屋を横目にあっさりと通り過ぎて、村の南を囲む一面の麦畑に出た。しかし、麦畑にはざっと見て15センほどの緑の芽が出ているだけで、その光景にまたも上条は疑問を覚えた

 

 

「おかしい…どう見てもこれは種を蒔いてそんなに時期が経ってねぇ。ユージオから聞いた話じゃ、村で麦の種を蒔くのは9月頃で、芽が出るのは10月だって…その芽の成長具合からして今は11月ぐらいか…?」

 

(それに、森の草木の色が赤と黄色に変わってる…それどころか枯葉だって落ちてる。俺がカセドラルに行ったのは五月…これじゃあ、俺はあの日から半年近くも……)

 

 

麦畑を横目に見ながら今の月日をなんとなく察すると、上条はまた増えた謎に舌打ちしながら畑道を走り続けた。やがて村の南門まであと少しというところで、大勢の村人がこちらに向かって走って来ているのが見えてきた

 

 

「あ、あれは…!」

 

「おいお前!こんなところで何してる!?」

 

 

そこで上条は、村から南に向かっていく住民達の先頭を走っていた、鍬を持つ一人の農夫に声を掛けられた。そして上条と向き合った農夫の脇を、次々と他の農夫達を先頭に女性や子どもが通り過ぎていった

 

 

「な、なぁ!今ルーリッド村で何が起きてるんだ!?なんか村の奥から炎が上がってるように見えたけど…!」

 

「ゴブリンとオークだ!ヤツら果ての山脈にある洞窟の崩れた瓦礫を退けて、ダークテリトリーから攻めこんで来やがった!お前がどこの誰だかは知らんが、今はとにかく村の皆を追って南に逃げろ!」

 

「ま、マジかよ…本当に負荷実験が始まったってのか…!?誰か死人や怪我人は!?」

 

「少なくとも20人はやられたが、詳しいことは俺にも分からん!とにかく今は…!」

 

「リダックさん!こんなところで立ち止まって一体どうしたん、です…か……」

 

 

次々と住民がすり抜けて行く中で、上条と農夫に話しかけた少女が一人。その少女は長めの茶色い髪を、後ろ首の辺りで留めている修道女だった。その少女、セルカ・ツーベルクは農夫と話していた上条を見るなり、まるで亡霊でも見ているかのように目を丸くして言葉を失った

 

 

「せ、セルカ!良かった!無事だったんだな!?」

 

「・・・えっ…?う、嘘…そんな、あなた…か、かみ…カミや……うぐっ!?」

 

「お、おいどうしたセルカ!?頭を打ったのか!?」

 

 

上条はセルカの両肩を掴んで彼女の目線に合わせて身を屈めると、突然セルカは目を泳がせながらしどろもどろに喋ると、急に俯いて頭を抑えた。上条がそんな彼女を心配して顔を覗き込むと、やがてセルカは上条の顔を見て信じられないといった顔で呟き始めた

 

 

「そんな…そんなの、あり得ないわ…!だって私はこんな記憶一度だって…でも、でもあなたはあの時、ユージオと一緒に私を…!?」

 

「セルカ!?大丈夫なのか!?セルカ!」

 

「おい!こんなところで立ち止まるな!お前たちも早く逃げろ!」

 

 

何度も静かに首を横に振ってうわ言のように呟くセルカの肩を揺すりながら、上条は重ねて問いただした。すると突然、家屋の灰や血がこびりついた鉄の鎧を纏い、腰に剣を据えた衛士が彼らの後ろから叫んだ

 

 

「じ、ジンクさん!大丈夫ですか!?お怪我はありませんか!?」

 

「あぁ!大した怪我はない!それより早く逃げろ!もう衛士隊も全員退避して逃げた村人を追ったぞ!」

 

 

その声に上条がセルカの肩を掴んでいた手を下ろすと、セルカは後ろへ振り返って声を掛けてきたジンクという衛士の安否を訊ね、ジンクは修道女に強く頷き返した。しかし、セルカはその後に彼が付け足した言葉に血相を変えてジンクの肩に飛びついた

 

 

「え、衛士も全員退避したって…だったら姉さまは!?アリス姉さまはどうしたんですか!?」

 

「アリス!?アリスがこの村にいるのか!?」

 

「え?あ、あぁ…アイツは今も一人で闇の国の化け物達と戦ってる。だけど大丈夫だ!さっきも飛竜が…!」

 

「ッ!?そうか…あの飛竜はアリスが修剣学院に来た時の…クソッ!」

 

「か、カミやん!?行っちゃダメよ!カミやん!」

 

 

背後からセルカが自分を呼び止めようとする叫びが聞こえているが、上条は止まることなく村の南門を潜って、炎に包まれたルーリッド村を駆け回った

 

 

「アリスー!どこだ!?アリスーーーッ!?」

 

「ギャハ!イウムだ!殺す!喰うぅ!」

 

「るっせぇ!今はテメエの相手なんかしてる暇ねぇんだよ!」

 

「ギャア!?」

 

 

村の中を闇雲に走って声を上げながらアリスを探す上条の前に、その声に気づいた一匹のゴブリンが蛮刀を振り回しながら彼に襲いかった。しかし、上条は飛びかかって来たゴブリンに真っ向から右拳を見舞うと、緑の異形は短い悲鳴をあげて首をぐりんと回して絶命した

 

 

「アリスッ!いたら返事しろー!アリ…!」

 

「グガルアアアアアッ!イウムの小娘が!調子に乗ってんじゃねぇ!!」

 

 

再び村を走り出した上条の左耳に、聞くに耐えない絶叫が飛び込んできた。その醜悪な声の元凶へと視線を向けると、驚異的な体躯を誇るオークが今まさに、目の前の黄金の騎士目掛けて巨斧を振り下ろそうとしていた

 

 

「ッ!?」

 

 

見紛うハズもない。黄金の鎧と青いマント。そして炎の中でも一際の輝きを放つ黄金の長髪。セントラル・カセドラルで戦い、右目の封印を破り、最高司祭へ共に立ち向かった整合騎士。アリス・シンセシス・サーティ

 

 

「うおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

その彼女を瞳に捉えた瞬間、上条の体はもうとっくに飛び上がっていた。名前を叫ぶ時間すら惜しかった。ただ右手で拳をありったけの力で握って、オークの左頬に突き刺す。上条がその拳を振り終わって地面に着地した時には、地に伏したオークはピクリともしなかった

 

 

「カミ、やん……?」

 

「アリス!無事か!?怪我はねぇな!?」

 

 

自分を守りながら目の前に降り立った上条の名前を、アリスは信じられないものを見るような目で見たまま静かに呟いた。オークを拳一つで叩き伏せた上条は急いでアリスに駆け寄ると、彼女の両肩に手を置いて切羽詰まった表情で言った

 

 

「そ、そんな…あり得ません!どうして…どうしてあなたがこんなところに!?」

 

「そりゃこっちのセリフだ!でも今はそんなこたぁどうでもいい!もうゴブリンやオークはいないのか!?」

 

「え、えぇ…今ので最後のはずです。残りは先ほど果ての山脈の向こうまで逃げ去りましたから…」

 

「そ、そうか。なら良かっ…うおおっ!?」

 

 

彼女の言葉に上条はほっと安堵の息を吐いたのも束の間、アリスがとてつもない勢いで上条の胸に飛び込んでいった。上条はそのあまりの勢いに仰け反りそうになったが、なんとか足腰を踏ん張って耐えると、アリスが自分の胸に顔を埋めながら嗚咽を漏らしていた

 

 

「あぁ…声が、聞こえます…心の音が…聞こえて、触れられる。ここに、ここにいるのですね…あなたは…カミやんはここにいる…!」

 

「・・・あ、あの…アリス、さん…?」

 

 

アリスは上条の胸の中で、静かに涙を流した。かつて彼女のために裾を切ってくれた服に、今度は彼女の雫が染みていく。そしてアリスは、内から湧き上がる感情に任せて彼の体をキツく抱きしめた。しかし、有り余る感動のせいか、その力はあまりに強すぎた

 

 

「ぐ、ぐるしっ…アリス…し、死゛ぬ…」

 

「なんで…なんでずっと忘れてしまっていたんでしょう…!私は…わたしは……!」

 

「も、うぷ…無理…不幸、だ………」

 

 

勝手に一人で感動に酔いしれるアリスはどんどん舞い上がっていき、それに比例して上条を締める腕の強さも高まっていった。そして上条は全身の血流が止まっていくのを感じると、彼女との再会を喜ぶ暇もなく意識を手放した

 

 



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第8話 再会

 

「・・・申し訳ありませんでした」

 

「や、別に気にしちゃいねぇよ。お互い無事ならそれでいいだろ…つってもまぁ、少なくともカミやんさんの呼吸器官は無事で済まなかった訳ですが…」

 

 

アリスのあまりにも強すぎる抱擁で上条が意識を失っている間、既に昨夜の悪夢は過ぎ去って朝を迎えていた。闇の軍勢の襲撃を退けた後、村から避難した全員は教会に戻り、怪我人の治療や食事を用意していた。そしてその中で上条は教会の長椅子に横たわり、彼の前でアリスは正座して謝罪を口にしていた

 

 

「おはよう。お姉さま、カミやん。これお水とパンよ。長持ちするしか取り柄のない味気ないヤツだけど」

 

「ありがとう、セルカ。そんなの気にしないわ。食べる物があるだけでもありがたいことだもの」

 

「ははっ、懐かしいなこのパン。ユージオとギガスシダー切ってる時の昼飯はいつもこれだったな。あーん…がっ!」

 

 

横たわっていた体を起こした上条は、アリスと一緒にセルカからパンとコップの水を受け取った。それから麦で出来た黒いパンを見て懐かしむように呟くと、上条は大口を開けて恐ろしく硬いパンを嚙り取った。しかし、そんな気楽な彼とは対照的に、セルカはその言葉を聞いてあからさまに視線を落とし、アリスもまた眉間に皺を寄せていた

 

 

「・・・なぁ。なんだってアリスもセルカも、俺をそんな腫れ物でもあるような目で見るんだよ?昨日村の南門で出会った時も、セルカは俺のこと幽霊でも見たように動揺して…アリスもセルカと同じように、俺のこと見て有り得ないとか何とか。俺からしたら、この村にアリスがいることの方が不思議でしょうがねぇっていうか……」

 

「わ、私は別にそんな…カミやんのこと、腫れ物だなんて…というか、そんなの私たちだって同じよ。あなたがここに居ることそのものが不思議というか…違和感が拭いきれないのよ。半年前にアリス姉様が村に帰ってきた時も、まぁ驚いたけど……」

 

「半年前…そ、そうだった!今何月だ!?ギガスシダーの所からここまで走ってくる時にも疑問に思ったんだ!まだ蒔かれて時間の経ってない麦の芽!紅葉してる草木!俺の中にある最後の記憶は、カセドラルに登った五月のことなんだ!だけど、五月にしては妙に肌寒いって言うか…そもそも紅葉なんて…!」

 

「・・・今は11月です。カミやん」

 

 

短く答えたアリスの言葉に、上条は絶句して椅子にへたり込んだ。そしてゆっくりと右手を持ち上げて頭を抱えると、くしゃりとツンツンに尖った髪を握りつぶした

 

 

(は、はは…いや何もそんな驚くことかよ。どうせ先生がアンダーワールドを作り直したら、半年が経過してたってだけだ。そんな、些細な問題のハズなのに。どうして、どうしてこんなにも心が騒つくんだ…!?)

 

「・・・カミやん。私から一つ、相談…もとい、お願いがあるのですが…」

 

「相談?」

 

 

どこから来ているものなのかも分からない胸の焦りに、上条が怒りにも似た表情を浮かべたまま俯いていると、アリスが一つ咳払いをしてから声をかけた

 

 

「私も昨夜、あなたが眠っている間、自宅に戻って色々と現状を推察してみました。そこで、今から私が推察したことのいくつかをカミやんに質問します。カミやんはそれに正直に答えてもらえませんか?」

 

「・・・分かった。なんでも聞いてくれ」

 

 

アリスの申し出を上条は快く承諾すると、アリスはセルカから手渡されたコップの水を一息に飲み干した。それから両目を瞑って深く息を吐くと、ゆっくりと口を開いた

 

 

「では、聞かせてもらいます。カミやん…あなたは本当に『この世界の住人』ですか?」

 

「ーーーッ!?」

 

 

ついに、気づかれたのか。自分がこのアンダーワールドという仮想世界ではなく、現実世界という本物の生命が芽吹く世界の住人であることに。自分はこの状況に、ただ違和感を抱くだけだったというのに、アリスはある種で人工フラクトライトの人智すら超えているとも思える視点に独力で辿り着いたのであれば、掛け値なしに驚異的な推察力だと上条は息を呑んだ

 

 

「・・・ねぇ、アリス姉さま…それってつまり…その……」

 

「何も言わないで、セルカ。今は私がカミやんに質問しているの」

 

 

アリスは口を挟もうとしたセルカを一瞥もせずに口を閉じさせた後も、毅然として上条の両目を真っ直ぐに見つめ続けていた。まるで自分を試しているような視線に、上条は根を上げるように深いため息を吐きながら言った

 

 

「分かった、場所を移そうぜアリス。あんまり大勢が聞くべき話じゃない」

 

「・・・それもそうですね、表に出ましょう。それとセルカ」

 

「え?な、なに姉さま?」

 

「ここから先の話を、あなたは聞かない方がいいわ。ここより先は最高司祭や公理教会の実態を知り、この世界の本当の姿に迫った者にしか到底理解しえない話だから」

 

「ッ!?そ、そんなの嫌よ!私だって気になること…知りたいことがたくさんあるわ!」

 

「それは然るべき時に、必ず私の口から説明するわ。だけど、これだけは言える。今はまだその時じゃない。今セルカが聞いても、きっと心の重荷が増えるだけだわ」

 

「・・・約束よ?姉さま。その時が来たら、必ず私にも話して」

 

「ええ。整合騎士として、そしてそれ以上に…あなたの姉である私、アリス・ツーベルクの名に誓うわ」

 

 

そう言うとアリスはセルカの背中に腕を回し、彼女をそっと自分の胸に招き入れた。セルカも同じように姉の体を抱きしめると、5秒ほどお互いの熱を感じ合ってから共に体を引き離した

 

 

「それでは行きましょうカミやん。セルカ、負傷した村のみんなのことを頼みます」

 

「うん、分かったわ姉さま」

 

「悪りぃな、セルカ。俺もアリスの意見に賛成だ。だから俺も誓う。きっと必ず、アリスに話をさせる」

 

 

そう言って上条は硬いパンを無理やり口の中に突っ込んで顎に力を入れながら咀嚼すると、そのまま水で腹の中に流し込んだ。そして空になったコップを長椅子に置いて立ち上がり、そのまま一切の寄り道をせずに教会のドアから外に出た

 

 

「つってもどこで話す?村の外にもまだ人は結構いるし…」

 

「それなら問題ありません。私の住んでいる小屋に行きましょう。そちらの方がいくらか話もしやすいですから・・・雨縁っ!」

 

 

アリスは空を見上げると、唇の端に右手を当てて愛竜の名を叫んだ。すると、竜らしい太い鳴き声が聞こえてから少しして、教会前の広場に砂埃を上げながら一頭の白竜が着地し頭を下げた

 

 

「う、おぉ…やっぱり近くで見ると迫力あるな…」

 

「さぁ、私の後ろに」

 

「お、俺が乗っても大丈夫なのか?乗った瞬間に振り落とされたりしません?」

 

「何を今さら…大丈夫ですよ。雨縁はこう見えても、優しくて社交的ですから。初めて乗る人だからと言っていきなり落としたりはしませんよ」

 

「で、では…失礼して」

 

 

アリスは雨縁の首元に飛び乗ると手を差し伸べ、上条が恐るおそるその手を掴んだ。それからアリスは一気に彼の体を引っ張り上げながら自分の後ろに座らせると、雨縁の首筋を優しく叩いた。すると雨縁がそれを合図に低く鳴くと、少し助走を付けた後に翼を広げて地面を蹴り、大空へと舞い上がった

 

 

「おお、おおおおお…!すげぇ!すげぇよ!ドラゴンに乗るなんて初めてだ!」

 

「この雨縁は、元は私が整合騎士になった時に授かった飛竜なのですが、最高司祭様を倒した後に拘束術式を解除して自由の身にしました。けれどこの子は、それでも私の元に残ることを選んでくれたのです」

 

「へぇ…好きなんだな、アリスのこと」

 

「・・・これだけ高く飛べば他人に会話が聞かれることはないでしょう。カミやん、私の小屋に着く前に、私の質問に答えてくれますか?」

 

 

ルーリッド村から離れて遥か上空に高度を保ち始めたところで、アリスが顔を半分だけ後ろに向けながら上条に言った。対する上条はアリスの言葉にゆっくりと頷くと、風を切る音に自分の声が掻き消されないよう大きめの声で答えた

 

 

「あぁ。多分アリスの思ってる通りだよ。正直に答えるなら、俺はアリスやセルカ達みたいな、この世界で生まれた人間じゃない」

 

「やはり、そうなのですね…」

 

「でも、今度は俺からも聞かせてくれ。アリスは、なんで俺にそれを聞いたんだ?俺がこの世界の人間かどうかを疑う、相応の理由があるはずだ」

 

「・・・私は昨夜、あなたと村で出会った時に…『あり得ない』。そう口にしたのを覚えていますね?」

 

「あ、あぁ。さっきも言ったよ。俺を見たセルカもアリスも、同じ言葉を口にした」

 

「ええ、何故ならこんなことはあり得なないんです。私は自分の中で立てた推論が、全て正しいなどという烏滸がましいことは考えませんが、これだけは確固たる自信を持って言えます」

 

 

アリスが何を言っているのか分からず、呆けてしまっている上条のために彼女はそこで一呼吸置くと、上条が真剣な表情で生唾を飲んだのを合図に、あり得ない言葉を口にした

 

 

「ここにいる私は、本当の意味であなたと共に戦ったアリスではありません」

 

「・・・は?」

 

 

アリスの発した言葉の意味が上条はまるで分からなかった。間違いなく目の前にいるのはセントラル・カセドラルで自分やユージオと共に、最高司祭アドミニストレータを討つべく戦ったアリスのハズだ。だというのに、アリスはそれが自分ではないことを確信しているようだった

 

 

「ど、どういうことだよそれ!?お前はアリスなんだろ!?俺とユージオと一緒に、元老長チュデルキンや最高司祭を倒した、あのアリス・シンセシス・サーティなんだろ!?」

 

「・・・詳しくは、そうではありません」

 

「なっ!?なにが…!何が違うってんだよ!?まさかお前…もう一度誰かにシンセサイズされて記憶をいじられたのか!?」

 

「記憶をいじられた…という部分では否定できないかもしれませんね。ですが決してシンセサイズされた訳ではありません。シンセサイズの秘儀と呼ばれる神聖術を行使できるのは、最高司祭様だけです」

 

「あぁ!そうだよ!だからソイツを倒したんだろ!?お前は右目の封印を自分で破って、俺やユージオとカーディナルと、一緒にアドミニストレータと戦った!そして勝った!」

 

「確かにカミやんの言う通り、私は自らの意思で右目の封印を破り、アドミニストレータ様を倒しました。ですが実際の戦場に、あなたはいなかったのです。私がこの世界で共に戦ったのは、もう一人の最高司祭であるカーディナル様、罪人としてカセドラルの牢獄に入れられたユージオ」

 

「そして、そのユージオを相棒と呼ぶ、彼と共に罪を犯してカセドラルの牢に入れられるもそれを破り、人界の民を守るべく公理教会に反旗を翻した、もう一人の反逆者の少年でした」

 

「もう一人の…少年?」

 

「『キリト』。それがその少年の名です。聞き覚えはありますか?」

 

「ーーーーーッ!?」

 

 

上条当麻は戦慄した。背筋だけでなく全身に寒気が走りながら総毛立ち、鳥肌が立った。なぜアリスはその名前を知っているのか。彼女が言った通り、アリスがその名前を知っていることは絶対にあり得ないのだ

 

 

「あ、あり得ねぇ…あり得るハズねぇだろそんなの…!?」

 

 

上条当麻とキリトは、並々ならぬ事情があり面識があるとはいえ、どこまで言っても別世界の人間だ。その事情を知り得るはずもないアリスの口からその名前が出ることなど、本来あってはならないことだ

 

 

「・・・その反応…知っているのですね。であるならば、どうやら私は推論を元に今起こっている全てに説明がつきそうです」

 

「ど、どういうことだよ!?なんでアリスがキリトのことを知ってるんだ!?まさかアイツが…キリトがこの世界にいたのか!?」

 

「その答えを今、お見せします」

 

 

アリスがそう言ったのとほとんど同時に、雨縁が降下を始め、下方向に強く翼を打ちながら徐々に高度を下げていき、ルーリッド村から少し離れた平坦な野原に着地した。それからアリスと上条は銀鱗の竜から飛び降りて、ほど近くに建てられいる丸太小屋に歩み寄ると、アリスが扉を開いて中に入るよう促した

 

 

「どうぞ、入って下さい」

 

「・・・お邪魔しま……ッ!?」

 

 

上条が丸太小屋に足を踏み入れて中を見渡した瞬間、彼はあまりの衝撃に体を仰け反った。彼の視線の先には、テーブルの手前に置かれた椅子に座る、仮想世界で数多の冒険を共にした戦友とも呼ぶべき少年の姿があった

 

 

「・・・キリ、ト…?」



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第9話 彼らの軌跡

 

「き、キリト…?」

 

 

小屋の居間にある椅子に腰掛ける少年は、紛れもなく異世界の垣根を超えて友になった少年であった。妖精の世界で彼が使うアバターとはいくらか顔が違うが、それでも上条の中の記憶と本能が、彼は間違いなくキリトだと理解していた

 

 

「き、キリト!俺だ!カミやんだ!ひ、久しぶりだなぁおい!なんだかんだALO以外で顔合わせんのは初めてだよなぁ!?」

 

「・・・・・」

 

 

上条は久しく友の顔を見た興奮からか、かなりの勢いでキリトの両肩に掴みかかりながら話しかけた。しかし、キリトはその勢いに受け身を取ろうともせずに、ガタンと椅子ごと体を揺らした

 

 

「なんでお前がここにいるんだ!?やっぱりこの仮想世界はお前らの世界のSTLで作られた世界なのか!?なぁ、教えてくれ!俺は一体どうすれば…!」

 

「・・・あーーー」

 

 

なおも感情を昂らせながら立て続けに問いただす上条に、キリトは低く小さな掠れた声で答えただけだった。その反応に、上条は自分の耳を疑いながらもう一度唇を震わせながら言った

 

 

「は、…は?な、何て言った?悪いキリト、よく聞こえなかった。もう一回言ってくれねぇか?」

 

「あーー、あーーー……」

 

「・・・・・ぇ?」

 

 

そこでようやく上条は、目の前に座っているキリトの様子がどこかおかしいことに気づいた。服の右袖は肩口からだらりと下がっていて、いつも尽きぬ好奇心に輝いていた彼の瞳は光を失い、半ば焦点が合っておらず、自分が掴んでいる肩を始め体格が不健康なまでに細かった。そして何より、まるで魂を失った抜け殻のように口を開く彼の姿は、上条が知っているキリトとは似ても似つかなかった

 

 

「あ、あーーー…って…変な冗談よせよキリト!?俺は本気で困ってるんだ!この世界に来て二年でやっとこさっとこ最高司祭の野郎を倒したと思ったら、また訳の分からねぇままこの世界に放り出されて困ってんだよ!」

 

「あーーー、あーーー……」

 

「だ、だからっ!そんなタチの悪い冗談に付き合ってる暇なんて………がっ!?」

 

 

何を言っても聞いているのか聞いていないのかも分からないキリトの態度に、上条がやがて気を荒立てて彼の肩を掴む手に力を入れながら体をガクガクと揺すり始めた瞬間、彼の頬を強い衝撃が襲った。

 

 

「いい加減になさいっ…!それ以上は、いくらあなたと言えども目に余ります!」

 

「あ、アリス…?」

 

 

上条は思わず尻餅をついてジンジンと痛む頬を抑えながら、先ほどまで自分がいた場所に視線を向けた。するとそこには、肩で息をしながら拳を振り抜いた姿勢のまま怒りに顔を歪めたアリスがいた

 

 

「・・・すいません、突然殴ったりして。カミやんにも些かの事情があって、必死になってしまうのも分かっています。ですが、それはキリトとて同じことなのです。だからどうか、今の彼を責めないであげてください」

 

「あ、あぁ…いや、気にしてねぇよ。むしろ悪かった。俺もつい力が入ってた。でも、一体キリトに何があったんだ?」

 

「ええ、今からそれを説明します。そちらの椅子に掛けて下さい。私はキリトを寝かせてきます」

 

 

倒れた体を起こして立ち上がりながら上条がアリスに訊ねると、アリスは軽く頷いてテーブルの奥側にある椅子を指差した。それから上条はその指示通りに椅子に腰掛ける間に、アリスはキリトの体を持ち上げて隣の部屋のベッドに寝かせた

 

 

「今、お茶を……」

 

「いや、いい。さっき教会で水を飲んだからな」

 

「・・・そうでしたね。では、話を」

 

 

そう言うとアリスは、台所に行きかけた足を居間に戻して先ほどまでキリトが腰掛けていた椅子に座った。そして一度深く息を吸ってゆっくり吐くと、目の前に座る上条の目を真っ直ぐに見据えて話し始めた

 

 

「私がセルカから聞いた話では、キリトはベクタの迷子として、それまで過ごしていた日々の記憶を失い、気づけばこのルーリッド村の近くにいた…ということでした」

 

「それからキリトは、ルーリッド村創設の頃から七代続いていた、ギガスシダーと呼ばれる巨木をひたすら刻む樵の天職を担う少年、ユージオと出会いました。彼と出会ったキリトはその後、村の教会で世話になることになったそうです」

 

「ですがそれからそう日を置かずに、セルカが果ての山脈の洞窟に入り、数匹のゴブリンに捕まる事件が起こったそうです。その時キリトとユージオは、大きく天命を損ないつつもゴブリンを退け、命からがらセルカを救い出したそうです」

 

「その後彼らは、ユージオが大昔に果ての山脈で見つけたという、青薔薇の剣を使って、驚異的な速度でギガスシダーの天命を減らし、ついには七代に渡って続いた天職に終止符を打ちました。そして責務を全うしたユージオが樵の天職を解放されたのを機に、キリトとユージオは村を出て央都へと上ったのです」

 

「・・・・・」

 

 

上条は半ば意識を混濁させていた。アリスの口から紡がれる話を聞く彼は、口を開けたまま、ただの一度も瞬きをしていなかった。そして何度も何度も、胸中で「あり得ない」とだけ呟いていた

 

 

「ここから先は、最高司祭を討った後に私が公理教会の資料に目を通して知った事です。彼らは剣術大会での優勝や衛士としての経験を経て、北セントリア帝立修剣学院に入学しました。そこで彼らは『アインクラッド流』なる独自流派を発展させながら剣術を磨き、互いに切磋琢磨する日常を送り、一年間の初等練士期間を終えた後に、上級修剣士の座に就きました」

 

「しかしその矢先、彼らの傍付き練士となったロニエとティーゼという下級貴族出身の少女二人が、上級貴族出身のライオス、ウンベールという修剣士に貴族裁決権を理由に、その純心を弄ばれるという事件が起こりました」

 

「その場に駆けつけたユージオとキリトは、互いに剣を抜いて自分達の傍付きを汚そうとしたライオスとウンベールに立ち向かいました。そしてユージオはウンベールの腕を切り落とし、キリトはライオスを殺し、禁忌目録に背いた罪人となりました」

 

「そしてセントリア市域を統括する整合騎士だった私は修剣学院に赴き、罪人となった彼らをセントラル・カセドラルへと連行することになりました。こうして私は、キリト達と出会ったのです」

 

「・・・ぇ…ぁ……」

 

 

淡々と話すアリスとは対照的に、上条の顔はみるみる内に青ざめ、口からは吐息とともに叫びにも似た小さな声が漏れていた。それはまるで、タチの悪い怪談でも聞かされているかのような気分だった。上条にとっては耳を塞ぎたくなるほどの奇妙な話なのに、あまりの衝撃に身体は寒気を覚えるばかりで、全身は釘でも打たれたかのように動かなかった

 

 

「罪人となったキリトとユージオはカセドラルの牢獄に囚われましたが、知恵を絞って牢屋を脱出し、31番目の整合騎士エルドリエと対峙するも、何とか彼を退けました」

 

「それから彼らは全100階層あるセントラル・カセドラルの塔を登り始めました。彼らの行く手にはデュソルバード殿を始め、四旋剣やファナティオ殿といった名だたる整合騎士が立ちはだかりました。しかし彼らはことごとく我ら整合騎士を倒し、やがて私のいた80階、雲上庭園までたどり着きました」

 

「まだ整合騎士としての使命に囚われていた私は容赦なく剣を抜き、彼らとぶつかり合いました。しかしそこで思わぬ事態が起き、私とキリトだけがカセドラルの上空へ投げ出されたのです」

 

「止むを得ず私は一時キリトと休戦の約束を交わし、互いに協力してカセドラルの外壁から塔を登りました。しかしその途中で私はキリトから、整合騎士が本当は天界から召喚された騎士ではなく、最高司祭様に神聖術で記憶を抜かれた人間であることを聞かされました」

 

「キリトは公理教会の実態や、妹のセルカの話をしてくれました。それを聞いた私は、今まで仕えてきた教会や司祭様に疑念を抱くと同時に、身を焦がしそうなほどの激しい怒りに震えました」

 

「私はその感情を胸に刻み、これからは自らの意思で人界の民を守るため、公理教会と戦う事を決意し、右目の痛みに苛まれながらも、その痛みと封印に必死に抗い、右目を失いました。今は既に神聖術で回復していますが、その時キリトは私の為に自ら服を切って当て布を拵えてくれました」

 

 

そう言うとアリスは当時失った右目の青い瞳をそっと閉じて、柔らかな瞼の上に右手を添えた。そのまま暫しの間沈黙すると、やがて右手を下ろし目を開けると、もう一度口を開いた

 

 

「そしてキリトと共にカセドラル内部に戻った私は、大浴場でユージオに倒され、元老長チュデルキンの神聖術『ディープ・フリーズ』によって凍結されてしまった騎士長ベルクーリ閣下を発見しました。小父様は最高司祭様に抗おうとする私の背中を押し、キリトはそこでユージオの青薔薇の剣を拾い、再び塔を登りつつ元老院を抜け、99階にたどり着きました」

 

「そこで私とキリトを待っていたのは、シンセサイズされ整合騎士となったユージオでした。彼は既存のシンセサイズの秘儀とは違う何かで最高司祭様に特殊なモジュールを埋め込まれ、以前の彼とは別次元の強さでキリトを圧倒し、青薔薇の剣の武装完全支配術で私たちを拘束しました」

 

「しかし、それはキリトとの戦いで正気を取り戻した彼による策略だったのです。私とキリトは隙を見て100階に登り、私たち三人はついに最高司祭様と相対しました」

 

「私たちの戦いは熾烈なものでした。元老長チュデルキンを倒すも、最高司祭様が30の神器と整合騎士の記憶、そして300人にも及ぶ人間を犠牲に作り上げたソード・ゴーレムに圧倒されました」

 

「そこで彼らの協力者であるカーディナル様が現れ、身を挺して私達を庇ってくれました。そんな中ユージオは、絶望に打ちひしがれていただけの私たちとは違い、勇気を振り絞って立ち上がり、カーディナル様の力を借りて自らの身体を巨大な剣に変え、ソード・ゴーレムを討ち倒したのです」

 

「しかしその戦いでカーディナル様とユージオは命を落とし、彼の分身とも言うべき神器、青薔薇の剣の刀身は真っ二つに折れてしまいました。私も大きな負傷を負って気を失い倒れましたが、それでもキリトだけは最後まで諦めず最高司祭様に立ち向かい、右腕を失いつつも、ついにアドミニストレータを斬り伏せました。そして、永きに渡って続いた公理教会の支配体制に幕を引くのだと……そう、思っていました」

 

 

そこでアリスは一度話を区切ると、ベッドに横たわるキリトの姿を見やった。上条もそれに釣られるように彼の姿を見つめると、そのままアリスは話を続けた

 

 

「私は倒れて曖昧だった視界と意識の中で、キリトが最高司祭様が死の淵に出現させた不思議な結晶板に何やら話しかけているのを聞きました。そしてその直後に、突然彼が全身を強張らせ、床に倒れたのです」

 

「それから私はキリトの傷を癒し、何とか彼を起こそうと試みましたが、キリトは頑なに目を覚ましませんでした。私もその水晶版を調べて触れたり呼びかけたりしたのですが、何も起こることはなく、諦めてキリトを背負ってベルクーリ閣下の元へ戻りました」

 

「それからの小父様の対応は迅速でした。集められる整合騎士全員を集め、最高司祭様が討たれたことや、民の半数の命を剣の怪物兵器に変える計画など、整合騎士の来歴のみを伏せて、伝えられる限りの真実を伝えました。その事実に激しく抗議した騎士や教会の人間をどうにかして説得すると、来たる闇の軍勢からの侵攻に備え始めました」

 

「半壊した整合騎士団の立て直し、形ばかりの軍隊だった人界四帝国近衛軍の再編や再訓練という大仕事に取り掛かる小父様に、もちろん私も協力しました。しかしそんな中で少なからぬ整合騎士や、最高司祭様の死を知らない修道士達の間で、公理教会に反旗を翻したキリトを処刑すべしという声が上がり始めたのです」

 

「私はやむを得ずキリトを連れて央都を去ると、住居を求めてルーリッド村を訪れました。ですが私の父である村長を含め村の大半の人間は、幼児期に禁忌を犯した私とキリトを村から追い出しました。その時、村を去ろうとする私をセルカが呼び止め、ガリッタという老人に助けを求め、私は彼と共に建てたこの丸太小屋に住み始めました」

 

「そして私は最初に、キリトの治癒を試みました。私が持ち得る全ての神聖力を注ぎ込んで組んだ回復術式は、人間どころか飛竜の膨大な天命すらも一息に回復できるほどのものでした。しかし、その神聖術の恩恵を受けても、キリトはあのような虚ろな目を開けただけで、失われた右腕も戻りませんでした」

 

「以来、キリトはずっとあのままなのです。食事はほとんど喉を通らず、光のない瞳で虚空を見続け、支えがなければ立つことも歩くことも出来ず、彼と付きっ切りで過ごす私でさえも…この半年、マトモな会話を出来たことは一度も……」

 

 

そこでアリスは深い悲しみに耐えきれなくなり、瞳から涙を流してすすり泣き始めた。彼女の語る経緯に上条は雷に打たれたような衝撃に襲われながらも、なんとか言葉を絞り出そうとした

 

 

「そう、だったんだな…そんな事が……」

 

 

しかし、今の上条にはそれが限界だった。それ以上は言葉が見つからなかった。たしかにアリスやキリトの今の境遇には、自分も悲痛さを感じずにはいられなかったが、それを言葉にするだけの余裕がなかった

 

 

「だ、だけど…それが本当なら…俺は…?ここにいる俺は…一体…!?」

 

 

なぜなら上条の心の内では、キリトとアリスの悲しみを共有する以上に、許容し得ない現実と、アリスの語る話が嘘ではないのか、それ以上にこの世界が、ひいては自分の歩んだ世界が全て嘘だったのではないかという、底の見えない混沌が渦を巻いていた

 

 

「・・・カミやんも薄々感づいているとは思いますが、それは私も同じです。ここまでの私とキリトが辿った出来事を、全て話した上で、聞かせて下さい」

 

 

真相に手が届くのに、その手を伸ばせば全てが崩れ落ちそうな矛盾した感覚に頭を抱えていた上条は、彼女の語る真相に怯えながら、恐るおそる俯いていた顔を上げ、震える瞳でアリスを見つめた。彼女は頬を伝った涙を拭って改めて上条を見つめ直すと、届きかけていた真相に自ら手をかけた

 

 

「カミやん…あなたは細部が異なるとはいえ、キリトとほとんど相違ない道筋を、この世界と同じ、けれどこの世界とは違う別の世界で辿ってきた。違いますか?」

 



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第10話 示された道

 

「なんで…どうしてアリスにそんなことが分かるんだよっ!?」

 

 

気づけば上条はテーブルに手をついて立ち上がり、額から首筋には自らの不安を色濃く表した脂汗を滲ませ、荒々しく息を吐きながら目の前のアリスに迫っていた。しかしアリスはそんな彼とは対照的に、極めて自然な声で上条に言った

 

 

「今言ったように、私はこの世界でキリトとユージオと共に最高司祭様と戦いました。しかしそれと同じくして、あなたとユージオと共に最高司祭様と戦った記憶を、今も鮮明に覚えているのです」

 

「・・・は?」

 

「であるならばあなたも、キリトとユージオと似たような経緯で出会って央都に来たのではないですか?そうでなければ、私達の出会いが同じ修剣学院であったことや、共に剣を交えたことに説明がつかないのです」

 

 

上条はアリスの言っている事の意味が分からなかった。それではまるで、アリスとユージオが実は二人存在していて、その記憶がなんらかの要因で合体したとでも言っているようなものではないか

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

そこまで考えて、上条はようやく重大な見落としに気づいた。アリスとユージオだけではない。昨夜出会ったセルカも、自分のことを見て『あり得ない』と言った。もしそれを信じるなら、アリスの口にしている人物が敵味方問わず全員二人存在していたことになる。そこから導き出される答えは、つまり………

 

 

「人間を丸ごと含めた、全く同じアンダーワールドが…俺たちの世界とキリトの世界、両方に存在していた…?」

 

 

上条はアンダーワールドに来て早々に、何故自分が本来交わることがないはずのキリト達の世界が作った仮想世界にいるのか疑問を持ったことがあった。しかし、それは違った。自分はカセドラルの頂点で、たしかに冥土帰しや御坂美琴の声を聞いた。故に、あのアンダーワールドは確実に自分達の世界が生んだ仮想世界なのだ

 

 

「つまり、俺は…俺の世界のアンダーワールドに再ログインしたんじゃなくて…キリト達の世界の方のアンダーワールドにログインしたってのか…?」

 

 

むしろキリトの方が自分達の世界のアンダーワールドにログインしたのではないか、という考えも当然頭をよぎった。しかしそうなると、何故目の前のアリスがキリトがいることが当然であるかのように語り、彼女やセルカと最初に会った時に、自分を腫れ物でも見るかのような目を向けたのか説明がつかなかった

 

 

「嘘だろ…そんなの…そんなことって有り得るのかよ…!?」

 

 

そうなると、これは自分自身の過ちが招いた結果なのではないか?という考えが上条の脳裏をよぎった。体感にして二年前、妖精の世界でキリトから聞いたSTLに関する技術や知恵を、安易に自分の世界に持ち出すべきではなかった。そんな自責の念に駆られ、全身が血の気を失っていく上条に、アリスはなおも事実だけを確認するように訊ねた

 

 

「あなたと共に戦った時も、キリトと共に戦った時も、最高司祭様はあなた達を前に同じ台詞を口にしていました。『イレギュラーの坊や』、『向こう側から来た』と。ここまでピースを提示されて、パズルを組み立てられないほど私も頭が悪いわけではありません」

 

「あなたやキリトは、名もなき偽りの神のいる世界…ないし、この世界ではない別の世界からやって来た。そしてあなた達はいわゆる向こう側の世界で、決して浅からぬ縁があった。違いますか?」

 

「・・・・・」

 

 

アリスの問い掛けに、上条はただゆっくりと首を縦に振った。それから両手で頭を抱えると、ツンツンと尖った髪の毛をくしゃりと握り潰した。そんな途方に暮れる上条を前に、アリスは一つ息を吐いて言った

 

 

「このような俯瞰的な視点に至るのは、苦悩とも言うべきものでしたが…私の推察はこうです。私達が生きるこの世界は、あなたやキリトが住む世界の人間によって作られたものであり、この世界は……ええっと……」

 

「・・・アンダーワールド。それがこの世界の名前だ。そしてこの世界に住んでる人は人工フラクトライトって呼ばれてる。そんで俺たちが元々住んでた世界は『リアルワールド』とでも呼んでくれ」

 

「アンダー、ワールド…人工フラクトライト…ですか…」

 

 

指示語ばかりで自分達の住む世界や、上条達の住む世界を説明しようとしていたアリスが言葉に詰まると、上条が助け舟を出すようにそれぞれの世界の仕組みを提示した。アリスは自分が住む世界の本当の名前や自分の意義を聞くと、視線を落として少し長い感慨に耽ってから、再び顔を上げて話し始めた

 

 

「・・・では、そのように。あなた方リアルワールドの人間によって作られたアンダーワールドは、実際は二つ存在していた。そして二つのアンダーワールドでは私やユージオ、セルカを始め全く同じ人工フラクトライトが生活し、全く同じ歴史を辿っていました。その二つのアンダーワールド内一つにはキリトが、一つにはカミやん、あなたが降りてきました」

 

「そして、あなたが降り立ったアンダーワールドは、最高司祭様が倒れたその瞬間に巨大な黒い穴に吸い込まれ…崩壊しました。けれどおそらくあの現象は、崩壊というよりも二つのアンダーワールドが融合した…と言う方が正しいのでしょう」

 

「その結果、あなたはキリトのいるアンダーワールドに巻き込まれた。加えてカミやんのいた…今となっては消えてしまったアンダーワールドで得た私達の記憶は、融合先であるキリトのアンダーワールドに存在する、私達本人にも共有されるようになった…ということではないかと私は思います」

 

 

なんとも突拍子もない話だと上条は思いたかった。しかし、そう思うには余りにも話に筋道が通っていた。それどころかアリスは、アンダーワールドという単一の世界すら完全には理解していない小さな存在のはずなのに、もっと広い世界があることや、その事情を知っている自分よりも先に、ここまで正解に近いのではないかと思える推察を立てたことに上条は脱帽して言葉を失いながらも、何とか話を繋げた

 

 

「・・・えっと…だな、たしかに俺とキリトには浅からぬ縁がある。だけど、俺とキリトの住んでいるリアルワールドは、本来なら別々に存在する切り離された世界なんだ。今のアンダーワールドみたいに、何らかの原因で交わったりしない、完全に切り離された世界に俺たちは住んでるんだ」

 

「そして、二つのアンダーワールドもまた、俺たちが住む切り離されたリアルワールドで別々に作られたものだ。決して片方のリアルワールドで二つのアンダーワールドが作られたわけじゃない」

 

「え、ええっと…それはつまり、カミやんもキリトも同じリアルワールドの住人であっても、そのリアルワールドも二つ存在する…ひいては別々の世界の人間…ということですか?」

 

「あぁ、その通りだ。そして俺達の住む二つのリアルワールドは、今のアンダーワールドみたいに同じ人がいて、同じ歴史を辿ったわけじゃないんだ。生きているほとんどの人が違って、それぞれ別の歴史を辿っていたんだ。だから、技術の進歩の仕方とかにも、かなりの違いがある」

 

「・・・そう、ですか…」

 

「驚かないのか?この話が本当ならアリス達は整合騎士云々関係なく本質的には誰かに作られた存在で、そんなことを出来る世界が二つもあるってんだぞ?」

 

 

上条でさえ今の混沌極める状況に驚愕してもしきれないというのに、アリスはむしろ開き直ったように苦笑すると、小さくかぶりを振って言った

 

 

「驚いていない…と言えば嘘になりますね。ですが、私達も最初は際限なく天界の存在を信じていたわけですし、あなた達が別世界の人間であると知った時点で十分に驚き切っています。今さら別世界が一つ増えたところで、そこまで驚くことはありません」

 

「き、肝が据わってんなアリスは…まぁそうでもなけりゃこんな馬鹿げた推論を立てたりしないもんな」

 

「ええ。それにカミやんやキリトの視点から見れば、確かに私達は人工フラクトライトという、作られた存在であるかもしれません。ですが私の視点から見る私達アンダーワールドに住む民は、決して誰かに意図して作られた訳ではなく、両親のお腹から生まれ落ちた確かな命であってほしいと、私は思います」

 

「・・・そうか。アリスはやっぱり強いな」

 

「そうなれたのは、きっとあなたやキリトと出会ったからですよ」

 

 

そう言ってアリスは穏やかに微笑むと、上条も照れ臭そうに笑って後ろ頭を掻いた。だが、それで話が丸く収まるほど簡単な状況ではないと二人とも理解している故に、少し間を置くと自然と表情が引き締まり、再び上条が視線を奥で眠るキリトに向けながら話し始めた

 

 

「話を戻すと、そういう訳で俺とキリトは本来は別世界の人間であって、リアルワールドは当然、アンダーワールドでお互いに出会える存在じゃないんだ。俺たちが異なるリアルワールドに住んでいる以上、それは絶対にあり得ない…ハズだったんだけど…」

 

「・・・あり得ないものは、本当に起こらないからあり得ないのであって、こうして現にあなた達が出会ってしまったのには、何か理由があるハズでしょう」

 

「あぁ。だけど、二つのアンダーワールドが融合したその理由も含めて、俺にもその原因は全く分からない…キリトなら何か分かるかもしれないけど、あの様子じゃ期待できそうにもない。それに俺は、これから一体何をすればいいかさえも……」

 

「それでしたら、私に一つ思い当たることがあります」

 

 

今度は打って変わって険しい表情で悩ましそうに上条が後ろ頭を掻いて言うと、そこにあえて割り込むようにしてアリスが口を開いた

 

 

「思い当たること…?」

 

 

ベッドに寝そべるキリトに視線を向けていた上条は、真剣な顔で自分に言ったアリスの言葉を繰り返しながら彼女に視線を戻すと、黄金の騎士はゆっくりと頷いて言った

 

 

「キリトが最高司祭を倒した後、カセドラルの最上階に出現した不思議な水晶板に話しかけていた、と私は言いましたね。私の予想が正しければ、あの不思議な水晶板はキリトのいるリアルワールドの民と会話するための、ある種の道具なのではないでしょうか?」

 

「ッ!?あ、ああ!そうだ!俺の方のアンダーワールドでも、アドミニストレータの野郎が同じようなのを出現させて、俺も外部の人間と連絡を取った!でも、アリスの話じゃソイツはもう何も動かなかったって…」

 

「ええ。ですがあの時、私は水晶板から発せられる言葉を僅かながら覚えています。その水晶板はキリトに向かってこう言っていました………」

 

 

そんなところまで同じ仕組みなのか、と上条は舌を巻きながらも、新たな糸口が見えたことに歓喜した。しかし、それがもう動かないことを同時に思い出して声色を暗くしつつアリスに訊ねると、彼女はそれに答えつつ一拍置くと、やがて静かな声で言った

 

 

「『ワールド・エンド・オールターを目指せ』と。キリトの世界の民は、水晶板の向こうから確かにそう言っていました」

 

「『ワールド・エンド・オールター』…?」

 

 

目指せ、と言うからにはどこかを指す場所の名前なのかと上条は思ったが、同時に場所の名前にしては大仰すぎるとも思った。そんな場所の名前を一度聞いていればそう忘れないだろうが、上条は19年と少しの人生でも、二年いたアンダーワールドでも聞いた覚えがなかった

 

 

「えっと…それは場所の名前なのか?もし場所の名前なんだとしたら、俺はそんな場所、見たことどころか聞いたことも……」

 

「それはそうでしょう。人界広しといえど、そんな場所はどこにもありません」

 

「え?じゃ、じゃあ一体どこに…?」

 

「ですから、人界ではないのです」

 

「・・・まさか…ダークテリトリーか!?」

 

 

アリスが言わんとしていることを悟った瞬間、上条は思わず目を見開いて声を荒げて彼女に迫っていた。アリスは驚愕に満ちた表情を見せる上条から視線を外すと、部屋の東を見つめながら言った

 

 

「ええ。あの水晶板はそこを目指せ、と言った後にこう続けていました。『東の大門から出て、ずっと南へ』とね。東の大門を出る、それ即ちダークテリトリーへの侵入を意味しています」

 

「だけど確か、ダークテリトリーへの侵入は禁忌目録違反になるんじゃ…」

 

「それが、今このタイミングではそれは禁忌目録の違反にはならないのです」

 

「・・・は?」

 

「えぇ…いっそ禁忌に違反するだけなら、まだ良かったんですがね…」

 

 

アリスはなんとも形容しがたい意味深なトーンで、かつて自分が犯した禁忌を自嘲気味に言った。流石にそのセリフの裏側まで察することが出来なかった上条は、首を傾げながら彼女に訊ねた

 

 

「ど、どういう意味だよそれ?なんで今なら禁忌違反にならないんだ?」

 

「もう忘れてしまったのですか?昨晩の悲劇、そしてあの最高司祭様でさえも危惧していた、いずれこの人界を襲うであろう最大の厄災を」

 

「・・・闇の軍勢の侵攻…!?」

 

「そうです。最高司祭様がお亡くなりになられた今、闇の軍勢は過去に例を見ないほど勢力を増し、機運を高めつつあります。そんな中に私たち二人で飛び込んでずっと南に進むなど、自殺行為にも等しいでしょう。ですが時を同じくして、今や東の大門には来たる闇の軍勢を迎え撃つため、騎士長ベルクーリ閣下を中心に、多くの整合騎士と人界全ての戦力が集まりつつあります」

 

「東の大門、そしてダークテリトリーの魔物。私たちにはどうあっても避けては通れぬ道です。戦争を終わるのを待つ…という手ももちろんあるでしょうが、もし闇の軍勢が東の大門の本拠地を破った時には、人界は蹂躙し尽くされてしまいます。そんな博打に出るわけにはいきません」

 

 

そこでアリスは言葉を区切ると不意に視線を落とし、テーブルの上で組んでいた両手に強い力を込めた。そして瞳に強い力を宿しながら再び顔を上げると、上条に向けて続けた

 

 

「付け加えるなら、もはや戦争それ自体が博打にも等しいのが現状です。人界の兵の総数は五千に届くかどうかというところですが、対するダークテリトリーの侵略軍は調べによると、五万は下ることのない大軍だと聞いています」

 

「ごっ!?五千対五万!?それじゃこっちは向こうの十分の一しかいねぇじゃねぇか!?」

 

「えぇ。こうなってしまった以上、今の私にとっての選択肢は一つです。私は東の大門に馳せ参じ、小父様や整合騎士達と共に剣を取って、闇の軍勢に立ち向かいます」

 

「ですが、今の私にはそれと同じ…あるいはそれ以上にキリトを守らなければならないという責任があります。このまま私が参戦すれば、これまで通りキリトに付きっ切りになることは出来ません。無論、今の彼を戦場に連れ出すなど以ての外です」

 

「ですから、カミやん。私に、キリトに、そして人界全ての民のために、あなたの力を貸して下さい。私だけでは、私が守りたい全てを、守れないかもしれないのです…!」

 

「お願いします、カミやん。私とキリトと共に東の大門に馳せ参じ、闇の軍勢と共に戦ってはいただけませんか。今の私とキリトには、あなたの力が必要なのです!」

 

 

力強い口調でそう言うと、アリスは両手を膝の上に置き、深々と頭を下げた。アリスの視線が下がっている長い沈黙の間で、上条は鉛のように重いため息を吐くと、呆れたような口調で言った

 

 

「はぁ…あのなぁアリス。それわざわざ俺に頼むようなことか?」

 

「そ、そんなっ!?か、カミやんでなければダメなのです!我ら整合騎士はおろか、最高司祭様までをも右手一つで押し退けてみせたあなたの力が…!」

 

「い、いやっ…ちょ、ちょっと待てアリス!そういう意味で言ってんじゃねぇ!」

 

「えっ…?」

 

 

言い方が悪かったか。と上条は口中で小さく呟くと、ゆっくりと席を立ち上がりアリスの元へと歩み寄った。そして呆ける彼女の前に、これまで数多の人間を繋げてきた右手を差し出して言った

 

 

「こんな俺でよければ、よろしく頼む。わざわざキリトの方のリアルワールド人が行けって言うくらいだ。そのワールド・エンド・オールターってのには、きっと何かがある。俺にも無視できるもんじゃない」

 

「だけどそんなの関係なしに、俺は戦うぞアリス。お前達が必死に戦ってるのを指咥えて見てるのなんて死んでもゴメンだし、困っているお前を放り出して、自分だけワールド・エンド・オールターに行くなんてことも出来ない。それに、キリトや人界の人々を守りたいのは、お前だけじゃない。俺も同じだ」

 

「それと、俺が右手一本で整合騎士やアドミニストレータを倒したって言ったな?悪いけどそれは違う。俺が武器にしてたのはサードレのおやっさんにもらった盾はもちろん、リーナ先輩に貰ったこの服、ユージオに名付けてもらった星空の剣、その他にも色んな人の思いがあって、それ全部が俺を支えてくれる何よりも強い武器だったんだ」

 

「あの時俺が最後まで立ち向かえたのは、守りたいと思えるこの世界の人達がいたからだ。だから俺も恩返しがしたい。俺には戦う義務がある。人界のみんなにもらった力で、みんなを守る義務がある。行こうぜアリス。俺たちの力を、闇の軍勢の奴らに見せつけてやるんだ!そんで、いい加減キリトの目を覚まさせてやろうぜ!」

 

 

そう言って彼が笑うだけで、どうしてこんなにも胸が暖かくなるんだろう。どうしてこんなにも、勇気が湧いてくるのだろうとアリスは疑問に思った。そして気づけば、頬を一筋の涙が伝っていた

 

 

「はい!行きましょう!整合騎士の名にかけて、人界の民を必ず守り抜いてみせます!」

 

 

嬉しさから自然と滴っていた涙を、微笑みながらそっと指で掬うと、アリスも椅子を立って差し出された上条の右手を取った。あらゆる幻想を殺した彼の右手は、記憶の中で垣間見ることしか出来なかった彼の右手は、とても優しく、暖かい不思議な力に満ちていた

 

 



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第11話 人界守備軍

 

時刻は午後3時を回った頃。人界の北端に位置するルーリッド村から飛んだアリスは、人界を囲む巨大な壁に設けられた東西南北の四つの門の内、東の大門を見下ろしていた。その手前、北と南を果ての山脈の峡谷に挟まれた野原にテントなどを立てた野営地が設置されていた

 

 

「雨縁、ここで降りてください」

 

 

野営地は中央の野原を広く開けてあり、そこから隣接していた天幕の並ぶ飛竜の発着場に、アリスはゆっくりと雨縁を降下させた。飛龍の四肢がやがて重低音を伴って地に着き、主人のために首を下ろすと、アリスがキリトを抱えて雨縁から飛び降りたのとほとんど同時に、まるで突進してくるように一人の青年が走り寄ってきた

 

 

「師よ!我が師アリス様!信じておりましたぞ!」

 

 

そう叫びながら、いの一番に駆けつけた藤色の髪をした整合騎士、エルドリエの変わりようのない様子に、アリスはため息を吐いて肩を落としそうになった。しかしすんでのところで思い直して肩にかかった長髪を背中に流すと、青のマントをはためかせながら身を翻し、自分を師と慕う騎士と顔を合わせた

 

 

「元気そうですね、エルドリエ。野営にしては甲冑にも髪にも汚れが目立たないところがむしろ其方らしい」

 

「・・・えぇ、そのお褒めの言葉をお預かりする前に、どうかお一つ訊ねさせていただきたいことがございます。我が師アリス様」

 

 

アリスの皮肉に、彼らしからぬ険しい表情でエルドリエは言った。そして彼はアリスが左腕で支えている痩せ細った黒髪の少年を鋭い視線で一瞥すると、低く強張った声で訊ねた

 

 

「その若者を、この戦場に連れてきたのですか…?一体なぜです?」

 

「当然です。守ると誓ったのですから」

 

 

強張った声のエルドリエとは裏腹に、アリスはよく澄んだ穏やかな声で言った。そしてエルドリエの目からキリトを遠ざけるように身を引くと、アリスに次ぐナンバリングの騎士はアリスの言動を疑うような震えた声で言った

 

 

「で、ですが、いざ開戦となれば我ら整合騎士は、常に最前線に立たねばならぬ身です。敵兵共と剣を交える間、その少年はどうするのです?まさかアリス様に限って、その少年を背負って戦うなどという世迷言を仰られるとは夢にも思いませんが……」

 

「必要であればそうします」

 

 

なおもキリトを支える姿勢を崩さぬまま、アリスは答えた。するとこの騒ぎに気づいたのか、彼らの周囲には休憩中の兵士達や下位の整合騎士達までもが集まっており、寄り添って立つ二人に少なくとも好意的ではない視線を向けていた。するとそれに乗じるように、エルドリエは声に勢いを乗せて叫んだ

 

 

「なりませぬ!我が師よ!僭越ながらも言わせていただきますが、そのような無用の重荷を抱えて戦えば、剣力が半減するどころかアリス様自らの御身を危険に晒すことになりましょう!」

 

「・・・承知しています。全て覚悟の上です」

 

「いいえ!分かっておりませぬ!アリス様は来たるべき戦いに於いて、彼らを率いて戦うという責務があるのです!その貴方が、持てるお力の全てを発揮せずしてどうするのですか!?」

 

 

エルドリエは周囲に集まっている兵士達に掌を差し向けながら、切羽詰まった表情でアリスに迫った。アリスはそんな彼の必死な顔と周囲の兵士達の視線を見渡すと、変わらぬ静かな声でエルドリエに言った

 

 

「えぇ。ですから、私の持てる力の全てをここに率いてきました」

 

「・・・は?」

 

「よっ!いしょっと……」

 

 

エルドリエが呆けた声を出していると、兵士たちの視線がアリスの連れてきた雨縁の方へ一斉に向けられた。それに釣られるようにエルドリエも視線を移すと、そこには老人のような掛け声とともに飛竜の背中から地に降りた、ツンツン頭の少年が立っていた

 

 

「なっ!?な、なぜ貴様がここに…!?」

 

「ははっ。俺を見てそういう反応をしてくれてるってことは、自己紹介は必要なさそうだな。えっと確かお前は…『エスカルゴ・シンセサイザー・サーティワン・アイスクリーム』…だっけ?」

 

「「「・・・・・・・・・・・・・・」」」

 

「「「・・・はぁ?」」」

 

 

上条の姿を視認するなり、目に見えて狼狽するエルドリエに、上条が少しの笑いを含めながら言った。しかし、彼の言葉にエルドリエを始めその場にいる兵士全員の顔が凍りつき、素っ頓狂な声を上げた。アリスは上条が生み出したその空気に眉間に手を当てながら頭を抱えると、これでもかと言うほど巨大なため息を吐いた

 

 

「はぁ…カミやん、あなたひょっとしなくても、わざとエルドリエの名前間違えてませんか?冗談でこの場を和ませようとか思ってます?」

 

「・・・えーっと…ダメだった?見た感じなんか一触即発って感じだったし…」

 

「そんなので収まる空気に見えたんですか?そもそもボケが伝わってません。お前の世界の方の言葉なのかは知りませんが、そんなので冗談言われても困るだけでしょう。なんだったら、最後のアイなんたらとかいう一節なんて完全に蛇足です」

 

「て、手厳しいな…こんなシャレでも無理にでも笑ってくれてたロニエがまだ良心的だったと思えてくるぜ…」

 

 

重ねてため息を吐いたアリスは、針山に裁縫針を何本も突き刺すような勢いで、上条のボケに容赦なくツッコミを入れた。そんな夫婦漫才じみた光景にエルドリエは混乱しながらも、震える声でなんとかアリスに再び話しかけた

 

 

「あ、あの…アリス様?どうしてこの者がこの場にいるのですか?私としては目の前の光景にかなり戸惑っていまして、私の記憶が確かならばこの男は……」

 

「ええ、もちろん分かっていますよ。あなたの記憶は正しいですし、自分の記憶を信用しても何の問題もありません。その説明は然るべき時、然るべき場所でします。とにかく今は、キリトとカミやんのことを共に戦う仲間だと認識してくれればよいのです」

 

「なっ!?正気ですかアリス様!?」

 

「えぇ、私はいつだって正気ですし、本気ですよ。私は冗談が嫌いですから」

 

「・・・それ暗に先ほどのカミやんさんにも言ってませんかねアリスさんや?」

 

「殴りますよ?」

 

「ふ、不幸だ…もとい横暴だ……」

 

 

何とか真面目な話に戻そうと、アリスとエルドリエが張り詰めた空気を醸し出し始めたところに上条がまたしても水を差した。アリスもいい加減それが頭にきたのか、蘇った右目の眼光と抑揚のない脅しで今度こそ上条を黙らせたのを見ると、エルドリエが怒気を垣間見させる口調で言った

 

 

「アリス様!昨夜私がお住まいの小屋をお尋ねしてから、どのような事情があったのかは存じませぬが、そんな素性もよく知れぬ輩など到底信用できますまい!そちらの無用の重荷をお抱えになるだけでも信じられぬと申しておりますのに…!」

 

「まぁまぁ、そうカッカすんなよエルドリエ。いくら嬢ちゃんに惚れ込んでるからって、他を突っぱねてたら逆に見っともねぇってモンだぞ?」

 

「べ、ベルクーリ騎士長…!?」

 

「小父様…!」

 

「よう、嬢ちゃん。半年振りだな。思ったより元気そうで安心したぜ」

 

 

突然周囲の人垣の一箇所が割れ、一本の道が出来たかと思うと、その奥から薄青色の着物を着た偉丈夫が現れた。腰あたりの低い位置で帯を結び、その左腰に無造作に巨大な神器の剣を突っ込んだ整合騎士、ベルクーリ・シンセシス・ワンはニヤリと笑いかけながらアリスに言うと、次いで上条に視線を向けた

 

 

「そっちのトンガリ頭の坊やも久しぶりだな。久しぶり…っていうと少しニュアンスが違うかもしれんが」

 

「いや、まぁ久しぶりでいいんだろ。だけどおっさんは驚かねぇのか?俺がここにいることに」

 

「まぁ目の前の人間に一度殺された記憶があるってのは何とも不思議な感覚だが、自分で腹を括って死んだ以上、存外悪いもんじゃねぇさ。それにこの記憶が今の俺の頭にあるってこたぁ、お前さんがどっかにいるんだろうって予感はしてたからな。別に大して驚くことでもねぇよ」

 

 

流石は世界最古にして最強の騎士だと、上条は彼から漂ってくるオーラに舌を巻いた。常人であれば記憶の混濁に取り乱すことが当然だろうが、そうならないこのベルクーリという男の肝の据わり具合は相当なものだと、上条はかつて殴り合った男を前にして改めて実感していた

 

 

「それにエルドリエ。聞いた話じゃお前さん、こっちのトンガリ頭の坊やと闘った時は見事なまでに完敗だったらしいじゃねぇか。整合騎士たる者、一度手合わせした相手の実力は正当に評価すべきものだと思うぜ?」

 

「ぐっ!?し、しかしあの時は私にも至らなかったところが…!」

 

「まぁそれも勿論あるかもな。だがこのカミやんの凄さは、何も強さだけじゃねぇ。この坊やは俺を含めたここにいる誰よりも、己の心が強え。あろうことかコイツは、捕まった親友を助ける為だけに、たった一人でカセドラルに反逆したんだ。もし仮に同じ状況になったとして、カミやんと同じ真似がお前にできるか?エルドリエ」

 

「そ、それは…」

 

「まぁ、出来っこねぇよな。というか下手な話、俺も多分出来ねぇよ。そう思い立つだけでもスゲエってのに、それに留まらず最後にはそれ以上の結果をカミやんは掴み取りやがった。それを鑑みても、俺たち整合騎士のような一騎当千どころか万夫不当…下手すりゃそれ以上の強さを誇るかもしれんヤツを、人手があってもあっても足りねぇこの状況で摘まみ出すってのは、全ての民にとっての損失なんじゃねぇか?」

 

 

そう言ってニヤリと口角を上げてベルクーリがエルドリエに言うと、エルドリエは上条の顔をしばらく見て何かを考え込むと、それをそっと飲み込むように一息ついてから口を開いた

 

 

「・・・分かりました。ベルクーリ閣下がそう言うのでしたら、私ももう止めますまい。ですが!百歩譲ってこのカミやんという少年は良しとしても!そちらの少年は訳が違います!」

 

 

エルドリエがベルクーリに向き直ると、上条の参加には渋々折れて頷いた。しかしその直後に、鋭い視線と右手人差し指の先をキリトに向けると、アリスと上条の顔が険しくなったのにも構わず強い口調で続けた

 

 

「あのキリトという罪人は!今や万夫不当、一騎当千はおろか、わずかな戦力どころか補給隊員にもなり得ません!村や街の凡夫一人でも呼んだ方がまだ力になるというもの!例え過去には我ら整合騎士団をもう一人の罪人と共に退け、最高司祭様の首にまで手を掛けたとは言えど、このような状態では木偶の坊とも呼べますまい!」

 

「・・・そうかい。そこまで言うんなら、一つ試してみようか」

 

 

エルドリエのキリトに対する誹りを静かに聞いていたベルクーリは、低い渋みのある声でそう言うと、アリスの傍にいるキリトに視線を向け、目に見えぬ力である剣気を練り始めた。ベルクーリは整合騎士に伝わる心意技、心の力で物体を動かす『心意の腕』を超える秘術『心意の太刀』を放とうとしている。そう察知したアリスは腰に据えた金木犀の剣に触れようとした。しかし………

 

 

(大丈夫さ、嬢ちゃん)

 

「ーーーッ!?」

 

 

剣の柄に触れるほんの直前で、ベルクーリの思念にも似た声がアリスの耳に届いた。その声にアリスが動きを止めた瞬間、実体のない不可視の刃が振り下ろされた。ベルクーリは微動だにせず両目で凄まじい光を放った瞬間、ベルクーリとキリトの間でギィンッ!という金属音が響いて火花が散った

 

 

「・・・え?い、今の火花は……」

 

「おう嬢ちゃん、今のが見えたかい?」

 

「は、はい。本当に一瞬でしたが、たしかに剣戟の音と光が……」

 

「おうとも。俺はそこの若者に向けて、『心意の太刀』ならぬ『小太刀』を放った。当たっていれば頬の皮くらいは切れていたさ」

 

「当たって…いれば?ということは、わざと外したのですか?」

 

「そんなことしねぇさ。受けたんだよ。この若者が、己の心意でな」

 

「・・・え?」

 

 

ベルクーリが言うと、アリスは驚愕に目を見開くと同時に、左腕で支えるキリトの顔を覗き込んだ。しかし、依然として彼の目は虚空を見つめているばかりで、体には少しの力みも感じなかった

 

 

「見た目じゃ分かんねぇよ、アリス」

 

「カミやん…?」

 

 

淡い期待を寄せてキリトの顔を覗き込むも、変わらぬ現実に落胆して表情を曇らせていたアリスの右肩に、上条がそっと手を置いた。そして彼女の奥に見える少年へ視線をやりながら、少しの微笑みを見せながら言った

 

 

「だけど、さっき小さくだけどキリトの体は僅かに震えてた。確かにキリトの心はここにはないかもしれない。だけど決して死んじまってるわけじゃねぇよ。今の心意の小太刀だって、ベルクーリのおっさんはキリトじゃなくてお前を狙ってたんだぜ?」

 

「・・・えっ!?」

 

「なんだ小僧、最初から分かってやがったのか」

 

「分かってなかったら殴ってでも止めてる」

 

 

上条が不敵な笑みを浮かべてベルクーリに言うと、最強の剣士はそんな彼の器量に太く笑った。それからベルクーリは、アリスとキリトを見て小さく頷いてから言った

 

 

「そういうことだ、嬢ちゃん。さっきその坊やは、自分じゃなくお前さんを守ろうとしたんだ。そんだけの気前がありゃ十分さ。いつかきっと、若者の心は戻ってくる。俺はそう思うぜ。多分、嬢ちゃんが本当にソイツを必要とした…その時にな」

 

「・・・キリト…」

 

 

感情が抑え切れなくなったアリスは、必死に自分を守ろうとしてくれたキリトの体を両腕で強く抱きしめた。それを見てフッと口元を綻ばせたベルクーリは、エルドリエの方に振り返りながら言った

 

 

「まぁそんなわけだからよ、エルドリエ。そう細かいこと言わずに面倒見てやろうや。若者の一人や二人くらい、そう大差ねぇだろ」

 

「わ、若者の一人や二人とは申されましても…両足で地に立つ者と、支えがなくては立てもしない者では雲泥の差が…」

 

「おいおい、忘れたのかエルドリエ。その坊やの相棒は、この俺に勝ったんだぜ。整合騎士長ベルクーリ・シンセシス・ワンによ」

 

 

その言葉に、エルドリエはおろか上条やアリス、その場に集まっていた兵士全員が静まり返った。そしてベルクーリはその時を思い出したようにため息を吐くと、呟くように言った

 

 

「ユージオって名のあの坊や…強かったぜ、途轍もなくな。俺は時穿剣の武装完全支配術まで使って、その上で負けたんだ。お前さんや、デュソルバード、ファナティオがそうだったようにな」

 

「・・・承知しました。騎士長閣下やアリス様がそこまで申されるのでしたら、私も折れましょう。この若者2人を共に戦う仲間と認め、両者のために剣を取り、戦う誓いをここに」

 

 

エルドリエは目を閉じてすーっと長く、かつ細く息を吐いた。そして何かを決心したようにカッと瞼を上げると、左手でマントの端を掴んで広げながら右手を胸に当てると、静かにベルクーリとアリス達に向けて頭を下げた

 

 

「エルドリエ…!すみません、恩に着ます」

 

「こちらこそ、今までの非礼を詫びさせて下さい我が師よ。私はアリス様がこの戦場に馳せ参じて下さったことが、この上なく嬉しかったのと同時に、師の御命を何としてでも守らねばならぬという使命感に駆られ、周りが見えなくなっていたのかもしれませぬ」

 

「いいえ、良いのです。私もそなたと同じく、その気持ちが何よりもありがたく感じています。これで私はそなたに背中を預け、何一つ危惧することなく戦うことができます。ありがとう、エルドリエ」

 

「お、おお…!アリス様が私めに背中を預けて下さると、そのようなお言葉を頂けるとは…!このエルドリエ、未だかつてない歓喜に満ちております!我が師より頂いた此度のご期待、この命に代えても答えてご覧にいれます!」

 

「ふふっ…まったく、そなたはいつも大袈裟すぎですよ」

 

 

エルドリエはアリスの前に跪いて彼女の右手を取ると、先ほどの怒りを露わにした強い口調ではなく、騎士として仕える信念を感じさせる芯のある声で言った。その光景に上条は表情を綻ばせていると、正面にベルクーリがやって来て右手を差し出した

 

 

「悪いな。色々とモメたが、改めて歓迎するぜ。俺たち『人界守備軍』にな」

 

「あぁ。こっちこそ、よろしく頼む」

 

 



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第12話 東の大門

 

「あと五日ぁ!?」

 

「えぇ。あくまでも、このまま天命が減少し続ければ…だそうですが」

 

 

もう日も沈みきった頃に、ようやっと上条とアリスは、自分達用に与えられた野営用の天幕へ荷物を運び終えた。そして運搬のために一度解体した車椅子を組み立ててそこにキリトを座らせた後で、上条がアリスが切り出した話に驚愕の声を上げていた

 

 

「ベルクーリ小父様曰く、300万以上あった東の大門の天命は、今や2985にまで減少しているとのことです。そして今もまた刻一刻とその数値は減っており、このままでは後四日で東の大門は天命が底を突き、崩れ去るだろうとのことです」

 

「あ、あのバカみたいにデカイ壁が本当に崩れるってのか!?原因は!?」

 

「原因は分かりません。ですが天命の減少と共に大門に音を立てて亀裂が走っているということですから、天命が底を突いた瞬間に崩れるというのは間違いないでしょう。そして……」

 

「そして……?」

 

「大門の左右の扉には『Destruct at the last stage』と、そう神聖文字で記されていたそうです。この言葉の意味は私たちには分かりませんが、カミやんには分かるのではありませんか?」

 

「・・・分かりたくはねぇけど…多分その解釈で合ってんだろうな。それが事実なら、間違いなく東の大門は崩れる。天命が減る数字の早さが加速するかどうかまでは、俺にも分かんねぇけどな…」

 

 

上条はアリスが語る話に、軽く舌打ちをした。かつて侵入したセントラル・カセドラルを囲む壁よりも、遥かに高く強固な人界を囲む大門の一部が崩れ去るなど、来たる最終負荷実験の存在を認知していなければどれだけ慌てふためくかなど、想像するよりも今の自分が良い例だった

 

 

「・・・まぁどっちにしたって仕方ねぇか。俺たちがここで闇の軍勢に負けちまえば、大門が崩れようがそうじゃなかろうが、いつの日か人界はアイツらに壊されちまうんだ。もう腹括って戦うしかねぇよな」

 

「えぇ、その通りです。この場に馳せ参じたからには、全力を尽くしましょう」

 

「あー、あーーー……」

 

「あぁ、ごめんなさいキリト。ちょっと待ってね」

 

 

車椅子に腰掛けているキリトが細い声を上げながら何かを求めるように左腕を伸ばすと、アリスが彼を何を言わんとしているか察したように荷袋に駆け寄った。そしてその中から夜空の剣と青薔薇の剣を引っ張り出すと、キリトの膝の上に乗せた。彼はそれを大事そうに抱え込むと、また顔を下げて静かになった

 

 

「・・・なぁ、アリス。さっきエルドリエの奴に、必要ならキリトを背負って戦うって言ってたけど…本気か?」

 

「・・・本音を言えば、難しいでしょう。キリトだけならともかく、彼とユージオの分身であるこの二本の剣も抱えて…となると、まず満足には動けませんから」

 

「じゃあやっぱり、キリトはここに置いて行って戦うしかねぇか?だけどそれだと、もし俺もアリスもいない時に敵がここに来ちまったら、誰もキリトを守れなくなっちまうぜ」

 

「こういう場合であれば、輜重部隊の誰かに面倒を見てもらうのが無難でしょう。ですがそうなると問題は、誰にキリトを預けるかです。先ほどの手荒い歓迎でも分かった通り、この戦場でキリトに対する風当たりはあまりよくありませんから……」

 

「クソッ、問題は山積みだな……」

 

 

一向に人間味のある反応がないキリトに視線を向けて顔を俯かせるアリスを見た上条は、渋い顔をしながら後ろ頭を乱雑に掻きむしった。すると不意にチリン、と天幕の入り口に付けられた鈴の軽やかな音が聞こえた

 

 

「よう、部屋はどうだい?」

 

 

出入り口の垂れ幕の端を腕で上げながら声をかけてきたのは、整合騎士団の騎士長にして人界守備軍の大将であるベルクーリだった。彼に声をかけられたアリスは一つため息を吐いて、入り口の彼にズカズカと歩み寄った

 

 

「どうだ、ではありません小父様。これだけ整った部屋に不満があるわけないでしょう。私の参陣に備えて一つ余計にこのテントを張っていたことくらい、一々考えなくても分かります」

 

「ははっ、そいつは信頼の証としてでも受け取ってくれ。まぁいかんせん、そっちの二人まで来るとは予想してなかったからベッドは一つしかねぇけどな」

 

「あぁ、別に気にしないでくれ。俺は床で寝るさ。硬いところで寝るのは慣れてる」

 

「おいおい、別にそんな遠慮するこたぁ…ってそんなのは後だな。嬢ちゃん、ちょいとそこのトンガリ坊やを借りてもいいか?」

 

「え、ええ。私は構いませんが」

 

「俺?一体なんか用があるのか?」

 

「まぁ着いてくりゃ分かる。こっちだ」

 

 

そう言ってベルクーリは自分の背後を親指で差して、垂れ幕から身を引いた。上条は首を傾げながらも続いて天幕を出ると、野営地を進む彼の背中を追った。そのまま上条がベルクーリに着いていくと、やたらと細長い天幕の前で足を止めた

 

 

「さ、入ってくれ」

 

「・・・まさか、これおっさんの個室じゃないよな?」

 

「なわけあるか。つべこべ言わずに入った入った」

 

「お、お邪魔します…」

 

 

ベルクーリに唆されるまま、上条は細長い天幕の入り口をくぐった。するとその中には、僅かな通路だけを残してびっしりと武具が並び立っており、吊るされたランプの光を反射して光り輝いていた

 

 

「うおっ、これひょっとして…カセドラルの武具庫にあったヤツが全部ここに…?」

 

「まぁ使わねぇ手はなかったからな。だが最終的には、人よりも武器の方が数を上回っちまった。ここにあるのは全部、代替品というか余り物だ。見たところお前さん、丸腰だったみてぇだからな。ここにあるのなら好きに使ってくれて構わねぇぜ。武装完全支配術まで使える贅沢な逸品はねぇが、どれもこれも優先度は折り紙付きだ」

 

 

背中でベルクーリの言葉を受けながら、上条は狭い通路を歩きながら並び立つ武具を見渡した。彼の言う通り、そこには上条の行きつけだったサードレ金細工店では、まずお目にかかれないような高質な剣や槍、斧に弓矢といった、ありとあらゆる武器が揃っていた。それらに目を奪われながらも、上条はやがて盾置き場の前で足を止めた

 

 

「・・・なんでぇ、やっぱりお前さんはそっちの方がメインなのか」

 

「まぁな。武装完全支配術もなけりゃ、才能がない俺にとっちゃ、剣は本当に背負ってるだけのお飾りだからな。さて、丸い盾…丸いやつ…おっ、結構いいのあるじゃん」

 

 

そう言うと、上条は木枠に立てかけられているいくつかの盾の前にしゃがみ込み、首を左右に振りながら視線を泳がせた。そしてその中から、いつもと同じ円型の盾を持ち上げた。それは表面が白く塗られ、中心に装飾として琥珀がはめ込まれた一般的なデザインの物だったが、ズッシリと重みがあり、裏側の取っ手も上質な手触りの革が使われていることから、一級品であることに疑いはなかった

 

 

「・・・ん、こいつを使わせてもらうよ。後はコイツを結んで背負うための剣帯かベルトをくれれば、俺はそれでいい」

 

「あん?おいおい、いくらなんでもそりゃ軽装すぎるってもんだろ。鎧とは言わないまでも、せめて胴当てくらいはするべきだ。その服だって、なんか特殊な仕掛けがあるわけじゃねぇんだろ?」

 

 

天幕を支える柱に寄りかかったベルクーリが、上条の黒い服を指差しながら言った。それに対して上条は、少し微笑みながら自分の服の裾を撫でて手触りを実感しながら彼に言った

 

 

「いや、俺はこれがいいんだ。この服は俺が唯一、俺が元いた世界の方から持ってこられた物で、お世話になった人からの贈り物なんだ。だから俺は防具はいいよ」

 

「・・・そうかい。まぁお前さんがそう言うんなら、止めはしねぇよ。さて、剣帯かベルトだったな。確かこっちの箱に……」

 

[ーーーッ!ーーーッ!]

 

 

ベルクーリが丁度足元に積み上げられていた木箱の内の一つを抜き出して開けた時に、外から誰かの叫ぶような声が聞こえた。天幕の分厚い布に遮られているせいでその声がいくらかくぐもってはいるが、声のトーンの高さから女性のものであることが上条たちにも分かった

 

 

「なんだぁ?何かあったのか?」

 

「・・・嘘だろ?今の声、まさか…!?」

 

「ん?お、おいカミや……!」

 

 

ベルクーリの言葉を待たずに、上条は手にしていた白い盾をその場に放り捨てて駆け出した。そして突き破るようにして天幕の垂れ布をくぐった瞬間に、右側のほとんど真横からつんざくような叫びが聞こえた

 

 

「カミやん先輩っっ!!!」

 

「ーーーッ!?」

 

 

その声に、バッと上条は首を右に振った。その視線の先にいたのは、修剣学院の初等練士の証である灰色の制服に身を包みながら、その上に軽装鎧を纏って腰に長剣を帯びた、一人の少女だった。黒に近いこげ茶色の髪、何度も見つめた濃紺の瞳。肩で息をしている彼女は、上条が指導性として面倒を見たロニエ・アラベルという名の少女だった

 

 

「せん、ぱい…カミやん先輩!!」

 

「ロニエ…ロニエッ!!」

 

 

気づけば二人は、お互いを目指して野原を蹴っていた。離れていた二人の距離はあっという間に縮まり、上条がぶつからないようにと速度を緩めた瞬間に、ロニエが彼の胸の中へと飛び込んでいった

 

 

「カミやん先輩……っ!!!」

 

「ロニエ……」

 

 

ロニエが上条の体に触れた瞬間、瞳から涙が溢れ出した。そして上条の体がちゃんとそこにあることを確かめるように、何度も彼の背中を上下に摩った。上条もまたそれに答えるように、ロニエの華奢な体を優しく抱きしめた

 

 

「あの、私…何て言ったら………っ」

 

「ロニエ、お前震えて……」

 

「カミやん先輩だって…震えてます……」

 

「え?あっ、あはは…先輩としてカッコつかねぇなぁ俺。ちくしょう……」

 

「会いたかった、です…カミやん先輩……」

 

「・・・あぁ、俺もだ。元気そうで、よかっ…」

 

 

縋り付くように上条の胸へと顔を埋めるロニエに、上条は口元を綻ばせて彼女の頭を優しく撫でた。しかし、そうして彼女が今ここにいる現状を認識した瞬間、ロニエの両肩を引っ掴んで強引に胸の中から引き剥がした

 

 

「いや、待ってくれ!そうじゃねぇ!なんでロニエがこんなところにいるんだ!?」

 

「は、はい?な、なんでと言われましても…それはもちろん、自ら志願してこの人界守備軍に…」

 

「ダメだ!危険すぎる!修剣学院に戻れ!」

 

「なっ!?そ、そんな訳にはいきません!いくらカミやん先輩の言葉でも、私は民を守る貴族の一人としてこの場で戦う義務があります!一度志願してここに来た以上は、例えどうあっても身を引くつもりはありません!」

 

「ッ!?」

 

 

尋常でない気迫で言い返してくるロニエに、上条は思わずたじろいだ。そして自分を見つめている濃紺の瞳に宿る光を見て、今の自分が置かれている状況を思い出したように顔を顰めて歯を軋ませた

 

 

(・・・そうだ。このロニエは、例え俺が面倒を見た記憶を持ってても、実際に俺の傍付きだったロニエとは違う…だけどっ…!)

 

「・・・ロニエ。お前は今、俺がなんでここにいるか、分かってるのか?」

 

「はい。今しがた、アリス様の天幕を訪ねて全てをお聞きしました。キリト先輩の事情も、なんでこの世界にいるはずもなかったカミやん先輩の記憶が、今の私の中にハッキリとあるのかも、全て理解してます」

 

「だったら!ここがどれだけ危険な場所かなおのこと分かってくれるだろ!今すぐにこの野営地から離れて学院に戻れ!これは上級修剣士としての…お前の指導生としての命令だ!」

 

「嫌です。たしかに私はカミやん先輩の傍付きでありましたが、この世界ではキリト先輩の傍付きです。もちろん、そこに優劣を付けるつもりはありません。ですが、あの日学院を自らの意思で去ったカミやん先輩は、もう自分は私の指導生ではないと言いました。今になってそれを引き合いに出すのは、少し卑怯じゃありませんか?」

 

「ぐっ!?いやそれは別に言葉の綾であって…俺はお前を…!」

 

「もうその辺にしておけ、カミやん。お前がどれだけ説得したところで、その子はもう止まらないよ」

 

 

そう背後から声をかけられた上条は、それがまたしても聞き覚えのある声であったことに驚きを隠せなかった。鋭く息を呑んで、ロニエの両肩から手を外し、恐るおそる振り返った先には、一年間自分に剣のいろはを指導した先輩が佇んでいた

 

 

「り、リーナ先輩…!」

 

「久しぶりだな、カミやん。日頃から不幸を嘆くお前にしては、私が指導していた頃のお前に似た、良い傍付きに恵まれたじゃないか。そして私が贈ったその服が似合うほどの良い剣士…いや、良い男になったようだな」

 

 

上条に向けて微笑んだ少し大人びた雰囲気を漂わせるその女性、ソルティリーナ・セルルトは、この世界でも変わらなかった。長い茶髪をポニーテールで結い上げ、濃い紫の服に身を包んでいた

 

 

「私も彼女たちと一緒に事情は聞いたよ。正直まだ飲み込みきれていない部分はあるが、お前がどれだけ混沌とした状況の中にいて、どれだけ不安なのかくらいは分かった。だからお前は、この戦争で自分の傍付きを守ってやれる自信も持てない。違うか?」

 

「ッ…!分かってんだったら口突っ込まないでくださいよリーナ先輩!俺はロニエの先輩としての責任が…!」

 

「ならば、私が今お前に『帰れ』と言ったら、お前は『はいそうですか』と素直にこの戦場を後に出来るか?」

 

「そ、それは……」

 

「とても出来ないだろう?分かったらワガママ言わずにその子を認めてあげろ。傍付きを信頼するのも、立派な指導生の義務だ。もちろん私も、カミやんのことを信頼している。剣の才能がないところも、少し真っ直ぐすぎるところも含めて、な」

 

 

リーナに微笑まれながら言われた上条は、何とも言い返せずに言葉に詰まってしまった。そして今一度ロニエへと視線を戻すも、余りにも迷いのないその瞳に嘆息するしかなかった。それからやがて諦めたように頭を抱えると、静かに口を開いた

 

 

「・・・分かった。じゃあロニエに一つ、頼みたいことがある」

 



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第13話 暗黒神ベクタ

「・・・ふむ」

 

 

『グロージェン・ディフェンス・システムズ』の最高作戦責任者『ガブリエル・ミラー』は薄い笑みを浮かべていた。主に軍や大企業から依頼される警護や訓練、更には戦地での直接戦闘をこなす彼は今回、真正ボトムアップ型AIことA.L.I.C.Eを奪取するための行動していた

 

 

「・・・中々に悪くはない、な…」

 

 

ガブリエルは自分の体の感触、および記憶的視覚情報を体感すると、薄い笑いをほんの一瞬だけ不気味な微笑みに変えてから表情を無にした。極めて現実に近い感覚を再現した仮想世界、アンダーワールドにおける闇の中心『帝宮オブシディア城』の玉座の間に降り立った彼は、まず部屋に飾られた鏡を見やった

 

 

「・・・なんとも悪趣味なことだ」

 

 

鏡に映ったのは、口中でそう呟く自分と同じ行動を取った男だった。顔の造作や白に近いブロンドの髪は現実の自分と同じものだが、額には黒い金属に赤い宝玉を埋め込んだ宝冠が飾られ、服は黒い革製のシャツとズボンに、漆黒の毛皮のガウンを纏っている。そして腰には黒い鞘に納められた細身の長剣がぶら下がり、背中には血の色に染まったマントがあった

 

 

「・・・まぁいい。相応の見てくれがなければ『暗黒神ベクタ』などとは呼ぶまい」

 

 

その風貌はガブリエルが望んでしているものではなかった。STLにはあらゆる状況に対処するため、あらゆる身分のアカウントが用意されている。その頂点に立つ『スーパーアカウント』の1つ『暗黒神ベクタ』を使ってログインした瞬間から、ガブリエルはもはやただの軍人ではなく、闇の世界の住人を統べる神として生まれ変わったのだ

 

 

「ーーー顔を上げ、名乗るが良い。そちらの端のお前からだ」

 

 

玉座にドカリと座り込んだ闇の神は、人間味を失った冷徹で不気味な声を、芝居掛かった口調で発した。玉座の間に集った十人の将軍を睥睨しながら放ったその声が響き渡った時、彼が指差していた右端の中年男が、床にくっつかんばかりに平伏していた顔を上げて上体を起こし、流暢な日本語で名乗った

 

 

「ははあっ!私は商工ギルドの頭領を務めております『レンギル・ギラ・スコボ』と申します!」

 

 

この実際には存在しない男にも、自分と同じ人間としての知性と魂があるのか…とガブリエルが思慮深く視線を注いでいる間に、スコボと名乗った商工人が再び頭を下げると、その隣で重低音の利いた声が上がった

 

 

「ジャイアント族の長『シグロシグ』」

 

 

そう言って立ち上がったのは、12メートルは超えるであろう巨人だった。この巨躯の怪物にもフラクトライトがあることにガブリエルは少し驚愕していると、次はその亜人とは比べ物にならないほど華奢やローブの人影が、フードを被ったまま頭だけを上げた

 

 

「・・・暗殺者ギルド当主…『フ・ザ』」

 

 

静かに一言だけを残してフードが下がった。顔も覗けないほど深く被ったフードと体を覆うローブのせいで年齢も性別も分からなかったが、暗殺者ギルドの当主と言うからには、顔を見せない相応の規則でもあるのだろうとガブリエルは捨て置いた

 

 

「オーク族長の長ぁ、『リルピリン』だぁ」

 

 

一言で言えばそれは、醜かった。丸く太った腹と、豚と人を合わせたような頭には、平らな鼻と剥き出しの牙を生やした口があった。ファンタジーの世界を題材にした物語やゲームでも、その見た目から特に嫌われるオークと呼ばれる異形は甲高い声で名乗ると、短すぎる足をそのまま倒してドカリと座り直した

 

 

「拳闘士ギルド第10代チャンピオン…『イスカーン』!!」

 

 

この重苦しい底の見えない暗闇のような空間に、どう考えても不釣り合いな元気一杯の声が響いた。まだ少年と言っても差し支えない男は、鍛え上げられた上裸に革帯とズボンとサンダルを履き、両手に鋲のついたグローブをしていた。拳闘士とはボクサーなのか、拳で剣の相手が務まるのかと、ガブリエルは疑問に思いながら首を傾げた

 

 

「ぐるるっ!オーガの長『フルグル』…るるる…」

 

 

次に人間以上ジャイアント以下の体躯を誇る亜人が名乗った。頭部は狼のそれに酷似し、全身は長い体毛に覆われていた。それが名前なのか唸り声なのかよく分からないままとりあえずガブリエルが頷くと、直後にキイキイと耳障りな声が鳴り響いた

 

 

「山ゴブリンの長『ハガシ』に御座りまする!陛下、栄えある一番槍の名誉は是非とも我が種族の勇士にお与え下さりますよう!」

 

「とんでもない!我らはこんな連中よりも10倍は陛下のお役にまするぞ!平地ゴブリンの長『クビリ』めに御座ります!」

 

 

山ゴブリンの長ハガシが名乗るやいなや、平地ゴブリンの長クビリがそれに割って入った。人間以下の背丈しかない二匹の緑の亜人は、互いの名乗りが終わった後も座ることなくその場で言い争いを始めた

 

 

「なんだと!?このナメクジ喰らいめ!湿気た土地のせいで頭がブヨブヨにふやけたのか!?」

 

「そっちこそ!頭の味噌が日差しでカラカラに干上がったか!?」

 

 

ギャアギャアと喚き散らすゴブリン達にガブリエルが呆れたように舌打ちすると、二匹の鼻の前に青白い火花が散った。ゴブリンの長はそれに驚いて飛び退くと、その先には右手を差し向ける女がいた

 

 

「皇帝陛下の御前ですわよ、お二方」

 

 

どこか艶やかな声で言って右手を戻しつつ頭を上げたのは、褐色の肌をほとんど隠していない衣装を纏った若い女だった。ゆるりと立ち上がった豊満で妖艶な肢体の女は、ピンヒールをコツンと鳴らしながら立ち上がり、気取った仕草で一礼した

 

 

「暗黒術師ギルド総長『ディー・アイ・エル』と申します。我が配下の術師三千、そして私の体と心は全て陛下のものに」

 

 

色気を誇示するように名乗った女は、青い瞳でベクタとなったガブリエルを見つめた。常人であれば一瞬で虜になりそうな誘惑だったが、ガブリエルは自らの性的衝動に駆られることなく、ただ鷹揚に頷いた。そして最後に残った一人に視線を仰ぎ、名乗りを待った

 

 

(・・・この男…)

 

「暗黒騎士団長『ビクスル・ウル・シャスター』。我が剣を捧げる前に…皇帝に問いたい」

 

 

傷だらけの漆黒の鎧に全身を包んだ壮年の男は、顔を上げて低い声で名乗ると同時にガブリエルに訊ねた。男の様相にガブリエルは、かつて自分が戦場で相見えた数少ない『本物の兵士』と同じ風格を感じ取りつつ、静かに頷いて呟くような声で言った

 

 

「許す。言ってみろ」

 

「・・・今この時に玉座へ戻った皇帝の望みは、奈辺にありや」

 

(・・・なるほど。この目、表情…声の圧…確かにコイツらは、単なるプログラムではないようだな)

 

 

名乗りよりもいっそう低い声で告げたシャスターの視線は、これまで名乗った他の9人からは見られなかった、ある種の覚悟のようなものが見え隠れしていることにガブリエルは気づいた。彼と視線を重ねるだけでその覚悟の如何を読み取ることは出来なかったが、それを常に意識しておくことを念頭に置くと、彼の問いかけに皇帝らしい冷たい声で答えた

 

 

「血と恐怖。炎と破壊。死と悲鳴」

 

 

闇の神その人の声に、オブシディア城はおろか、広大な赤黒に染まった空の下、ダークテリトリー全体が静まり返った。ガブリエルは眼前に跪く十人の顔を、名乗った順からもう一度見返すと右腕を高々と掲げ、往年の俳優が演じる悪役にも勝る演技で言い放った

 

 

「余を天界より追い払った神どもの力溢れる西の地、その護りたる東の大門は今まさに崩れ落ちんとしている!余は戻ってきた…我が威光をあまねく地上に知らしめるために!」

 

「大門が崩れたその時こそ!人界は我ら闇の民の物となるのだ!余が欲するはただ一つ…時を同じくして彼の地に現れる『光の巫女』ただ一人!それ以外の人間どもは望むままに殺し、奪うことを許そう!今この瞬間こそが…全ての闇の民が待ち望んだ約束の時だ!!」

 

「「「・・・う、うお…うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」

 

 

しんと静まり返った空間で、ガブリエルの言葉に最初に反応したのは十人の将軍らが後ろに連れていた士官達だった。彼らの雄叫びは言いようのない歓喜に満ちており、それに続くように伏していた将軍達も次々に立って声を上げた

 

 

「ギイイイッ!殺す!殺すぅ!白いイウムども、みんな殺すゥゥゥッ!」

 

「ホオオオオオウッ!戦だ!戦だ!!」

 

「ウラーーーッ!戦だ!戦だーーーっ!!」

 

 

ゴブリン、オーク、拳闘士ギルドの長、果ては暗殺者ギルドの面々もゆらゆらと細い体を揺らし、暗黒術師ギルドの魔女達も奇妙な術で思い思いの火花を散らした。しかしその中で、シャスターだけは跪いた姿勢のまま、身動きしていないことにガブリエルは気づいた。それが軍人としての知性によるものなのか、先刻の視線に宿らせた覚悟によるものなのか、知ることのないままガブリエルは表情を曇らせた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「兄弟にあんな才能があったとはね!いっそ軍人なんかより役者になった方が良かったんじゃねぇか?」

 

 

会合が終わったその夜、彼と共にアンダーワールドに『暗黒騎士』としてログインした男『ヴァサゴ・カザルス』は、ガブリエルを見てニヤニヤしながらワインの瓶を彼に向けて放り投げた

 

 

「その呼び方は止めろと随分前に言ったはずだが?まぁあくまで必要に応じたまでだ。お前の方こそそれらしい演説の仕方くらい考えておいた方がいいんじゃないのか。一応はあの連中より一段上の立場なんだからな」

 

 

オブシディア城最上階にある皇帝の居室に設置された、見るからに質のいい高級感溢れる赤い布地で拵えられた椅子に腰掛けながら、ガブリエルはヴァサゴの投げ寄越したワインの栓を抜いた。一方のヴァサゴもテーブルを挟んでガブリエルの向かい側の椅子に座り、上等な年代物のビールを一息で呷った

 

 

「かーーーっ!そんな事よりオレぁ、何よりもまず先頭で切り込みてぇな。せっかくこんな物凄ぇVRワールドにダイブしてるんだからさ、この酒もボトルも本物と相違ねぇぜ」

 

「だがその分、斬られれば激痛が走り、血も出る。ここはペイン・アブソーバが効かないのだからな」

 

「ノンノン、それがいいんじゃねぇかよ兄弟」

 

 

ニヤリと笑いつつも、相変わらず呼び名を改めないヴァサゴにガブリエルは肩を竦めてみせると、ルビーにも似た色合いのワインを一口含んだ。それから部屋の片隅にある紫色の結晶板、システム・コンソールに触れると、メニューを手早く操作して外部オブザーバー呼び出しボタンを押した。それによって時間倍速が等倍に低下する奇妙な感覚を頭に覚えていると、コンソールから早口で喋る声が聞こえた

 

 

『隊長ですか!?まだ隊長とヴァサゴのダイブを見届けて、メイン・コントロール・ルームに戻ってきたばっかりですよ!?』

 

 

現実世界側からガブリエルに話すその男、名を『クリッター』というグロージェン・ディフェンス・システムズの『サイバー・オペレーション部門』で非正規に雇われているハッカーに、ガブリエルは早口の彼とは対照的な平静な声で答えた

 

 

「こちらではもう一日目の夜だ。解ってはいたが時間加速とは奇妙なものだ。とりあえず今のところは予定通り順調に進んでいる。二日後にはヒューマン・エンパイアへ進軍できる手筈だ」

 

『素晴らしい。いいですか隊長、アリスの身柄を確保したら今通信してるコンソールまで運んで、メニューからメインコントロール・ルームへのイジェクション操作を行って下さい。それでアリスのライトキューブ…もとい『限界突破』フラクトライトなる、真正ボトムアップ型AIはこっちのモンです」

 

「あぁ、分かった」

 

「それと、これはヴァサゴのバカによく言って聞かせてほしいんですが……』

 

「あぁ?おい今なんつった四ツ目野郎」

 

「一々騒ぐな。こんな状況でも仕事中だ」

 

「・・・チッ、わーったよ兄弟」

 

 

コンソールから聞こえるクリッターの声に、ガブリエルの後ろにいたヴァサゴが眼鏡ハッカーの物言いに反応を示すも、ガブリエルが眼力を利かせて口を噤ませた

 

 

『まぁ端的に言わしてもらうと、管理者権限のない操作しか出来ない現状じゃアカウントのリセットも不可能です。つまり隊長もヴァサゴも、そっち側で死んだら二度とそのスーパーアカウントは使えません。そしたら今度こそ野良の一兵卒で出直しですからね!』

 

「あぁ。当面は前線に出るつもりはない。そちらの『自衛隊』の動きは?」

 

『いや、今のところは特にないですね。まだ隊長達のダイブにも気づいてないかと』

 

「よし、それでは通信を切る。次の連絡はアリス捕獲後といきたいものだ」

 

『了解。期待して待ってます』

 

 

クリッターの言葉を最後にガブリエルは通信ウィンドウに軽く触れ、紫色のソレを閉じた。途端に、時間加速の倍率が通信前の速さに戻る違和感を覚えたが、頭を振るってその違和感を追い出しながら後ろを振り返ると、黒染めの鎧を床に放り出して革のシャツとズボン姿になったヴァサゴがいた

 

 

「んーと、兄弟。ちょいとダウンタウンに遊びに行く…ってのはダメだよな?」

 

「当たり前だ、しばらくは我慢しろ。作戦完了後には時間をくれてやる」

 

「だーよなぁ…了解。殺しも女もお預けね…そんじゃ、大人しく寝て神経尖らせるかな。そっちの部屋使わしてもらうぜ〜」

 

「好きにしろ」

 

 

そう言うとヴァサゴは手を軽く振って隣接した寝室の一つへと消えていった。それを見届けるとガブリエルも一先ず自分も就寝しようとマントとガウンをソファに放り、腰の長剣を留め具から外してその上に投げた。そして上着のボタンを外しながら、ヴァサゴが入った方とは別のドアのノブを回して中に入ると、僅かに感じる人の気配に目を細めた

 

 

「・・・誰だ。召使いを含む何人も、玉座の間よりも上には立ち入るなと命じていたはずだが?」

 

 

広大な寝室に置かれた豪華なベッドに目をやると、その気配の元凶たる人影がベッドの傍らに平伏していた。ガブリエルはその何者かに睨みを利かせ、細心の注意を払いながらベッドに歩み寄ると、少しハスキーでありながらも女性の影を感じさせる艶のある声が返ってきた

 

 

「・・・わたくしが、今宵の伽を務めさせていただきます」

 

「誰の命令だ?」

 

 

床に平伏しているのは、薄い衣を纏った若さが見える女だった。女は少し青みのある髪を結って飾り紐で留めているだけで、それ以外には何も身につけている様子はなかった

 

 

「いえ…これが私の役目でございますゆえ」

 

「そうか。では果たすがいい」

 

「・・・失礼いたします…」

 

 

女は薄着を解いて床に落とすと、ベッドに腰掛けたガブリエルの右隣に音もなくすり寄った。そして、髪を留めていた飾り紐をおもむろに解くと、広がった髪の中から滑り落ちるようにして姿を現したナイフを左手で掴むと、それをガブリエルに向けて閃かせた

 

 

「ぐぅっ!?」

 

 

闇に染まる寝室に、短い悲鳴があった。しかしそれは、ナイフに身を貫かれそうになったガブリエルではなく、ナイフを振り上げた女の方だった。ガブリエルは女の放つ殺気を既に感じ取っており、彼女の左腕を己が右手で捉えると、女の体をベッドに叩きつけ、残った左手で細い首を締め上げた

 

 

「がっ!ぁはっ…!?」

 

「誰の命令だ」

 

 

女は激痛に顔を歪め歯噛みしながらも、なおもナイフを突き出そうと抗っていた。ガブリエルはそれを強引に力で抑え込むと、左手の指を女の喉笛に沈めつつ、感情を感じさせない冷ややかな声で訊ねた

 

 

「これ、はっ…誰の命令でもない…!私自身の、意思だっ…!」

 

「・・・ほぉ?」

 

 

首を締めるガブリエルの左手に、女は右手の爪を立て、覆いかぶさるガブリエルの目を睨みつけながら、漏れ出すような低い掠れた声の端に力を込めて言った。ガブリエルは実に瀕死の人間らしい必死の形相を見せる人工フラクトライトの女に感心を抱きつつ、もう一度付け加えながら訊ねた

 

 

「もう一度問う。その猛々しい表情、化粧のぎこちなさや筋肉の付き具合から見るに、こういった事を生業にする暗殺者ギルドの遣いではあるまい。加えてその顔を見るに異形の類でもない」

 

「ふっ!んぐっ…!?」

 

「となると、貴様は拳闘士とやらか、暗黒術師あるいは暗黒騎士のいずれかの配下ということになる。お前の上官はこの内の誰だ?」

 

「・・・いな、い…」

 

「それはまた、殊勝なことだな」

 

 

気道を抑えられつつ必死な息遣いで答える女に対し、ガブリエルはそれを鼻で笑いながら言った。そしてこの世界にログインするにあたって教授された、ダークテリトリーに唯一存在する法を口にした

 

 

「『力で奪え』。それこそが、この闇の世界における絶対の法だ。禁忌目録などという複雑に絡まる法がある人界とは違い、我らには力こそが全てだ。そしてそれに支配されたるお前たちは、上位存在から与えられた法や規則、命令には絶対に逆らわない」

 

「つまり、貴様にとっての上位存在は少なくとも皇帝にして神たる余ではないということになる。言い換えれば、ぽっと出の余よりも長年仕えて来た己の主の方が強いと思っているのだろう?」

 

「言ったはずだ…!私に上官など、いないっ…!」

 

「・・・まぁ良い。では何故だ?よもや商工ギルドに金を積まれたわけではあるまい。なぜ余の命を狙う。何が貴様をここまで突き動かす?」

 

 

ガブリエルはどちらにせよ、この女を差し向けた将軍を殺すつもりでいた。この女の口からその名を聞かずとも、その人物を炙り出す方法も思いついていた。故にそれは、さしたる思慮なく発した質問だった。しかし、女の口から即座に帰って来たのは、ガブリエルの予想だにしないものだった

 

 

「大義の、ためだ…!」

 

「・・・大義とは?」

 

「今戦が始まってしまえば歴史は100年、いや200年も後退してしまう!もう力なき者が虐げられる時代に戻してはいけないのだ!食事もままならぬような孤児をこれ以上…未来永劫生み出すわけにはいかんのだ…!」

 

 

ガブリエルは驚嘆した。この女が、これでまだブレイクスルー以前の段階であるという事実に舌を巻いた。そしてガブリエルはその女の灰色の瞳を凝視し、その奥にある感情を読み取っていった

 

 

「・・・なるほど、実に下らん。そういうことであれば、お前はもう必要ない」

 

 

決意、忠誠、そしてその奥にある何よりも強い熱を帯びた感情…それを除いたガブリエルは、呆れたように短く息を吐くと、無造作に首を絞める左手に力を込めた。骨が軋む音と共に、女の両目がかっ開き、悲鳴もあげられずにただ身をよじる。なおも暴れる四肢をガブリエルが押さえつけると、やがて女は全てを悟ったような安らかな顔で、部屋の天井を見上げながらも、どこか遠くを見るような瞳に涙を浮かべながら、一つ静かに呟いた

 

 

「愛して…います…閣下……」

 

 

ゴギン!という鈍い音を最後にその女『リピア・ザンケール』はアンダーワールドを去った。彼女の筋肉や軟骨が破壊されていく感触を左手に味わいながら、ガブリエルはあり得ないものを見た。両目をつぶり眠る女の額から、虹色に輝く光の雲のようなものか湧き出している

 

 

「おお、おおおおおおお……!!」

 

 

それを見た瞬間、ガブリエルは口を大きく開き、虹の光を吸い込んだ。彼にはその光に見覚えがあった。幼きありし日に手ずから命を奪った『少女』も、死の際に同じものを見せた。そう、それは紛れもなくあの日誰よりも愛していた少女の『魂』だったのだ。その虹の光、魂の雲が、それを吸い込んだガブリエルの五感をどうしようもないほど満たした

 

 

「あぁ、あはははははは!わははははははははははははははははははははは!!!!!」

 

 

恐れや痛みが生み出す苦味、悔しさや悲しさの酸味、そして死にゆく女が最後に抱いた感情…愛という甘味を残さず味わい尽くした。天上の蜜に浸されたガブリエルは、女の骸を抱きしめながら何度も笑った。あの日から人生を賭して追い求めてきた現象を、ついに再体験できた喜びを噛みしめるように、静かに愛した少女の名を口にした

 

 

「あぁ『アリシア』…あの日君が見せてくれた魂に…もう一度私はたどり着いたよ…!もっとだ…もっと…もっと殺さなくては…!この魂という極上の食物を!余すことなく味わい尽くして!アリシア以上の魂を見つけなくてはならない!あははははははははは!!!」

 

 

その男は、ただ恍惚としていた。彼の感情は紛れもなく、常人のそれではなかった。それが10の歳にして『アリシア・クリンガーマン』を殺めたことに起因するものなのかは、ガブリエル自身にも分かっていない。ただ、あの味を知ってしまっては、もう戻れないということだけが自らの魂に刻まれていた

 

 

「アリシア…いや、アリス……」

 

 

未だ見ぬ光の巫女、全人類の叡智が初めて生み出した、新たなる魂の象り…A.L.I.C.E。その姿、仕草、声、唇、瞳、その全てを想像し、アリシアに重ねながら、この世に遍く全ての魂に敬服するように、あるいは冒涜するように、ガブリエルは口中で小さく呟いた

 

Your soul will be so sweet(君の魂はきっと甘いだろう)

 



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第14話 残された意志

 

「悪いアリス、今戻った」

 

「あ、カミやん……」

 

 

ロニエと再会した上条はその後、ロニエを連れて自分の天幕へと戻り、入り口の垂れ幕をくぐった。するとそこには、変わらず項垂れているキリトの前でへたり込んで座るティーゼが、青薔薇の剣を抱きしめながら嗚咽を漏らして泣きじゃくっており、アリスがそれを懸命にあやそうと背中をさすっていた

 

 

「・・・ティーゼも来てたのか…」

 

「やはりこの子もあなたの知り合いでしたか。そちらの茶髪の子がカミやんは外にいると言って血相を変えて飛び出した…というのはそちらの学院生を連れて戻って来たあたり言うまでもないとは思いますが、その後でこのティーゼという少女にユージオの話をしたところ……」

 

「ユージオ、先輩っ…せんぱいぃ…」

 

 

林檎のような赤髪をした少女剣士、ディーゼ・シュトリーネンは何度も何度も、腕の中に抱く青薔薇の剣の持ち主の名前を呼んでいた。それに釣られるようにして上条の背後からもロニエのすすり泣く声が聞こえ、いたたまれなくなった上条は、ティーゼの傍に寄って彼女の肩に手を置いて話しかけた

 

 

「ごめんな、ティーゼ…俺はユージオを…守ってやれなかっ……クソッ!」

 

 

そこまで言って、上条も涙が溢れそうになるのを堪えざるを得なかった。カセドラルの最上階で看取った彼の姿が、どうしても青薔薇の剣を見ていると蘇ってくる。その彼は、この世界にもいない。もう、どこにもいない。ここに来て改めてそれを実感していると、ティーゼは小さくかぶりを振った

 

 

「いえ、ユージオ先輩がいなくなってしまったのは…カミやん先輩のせいじゃ、ありませんっ…私が、私があの日…ユージオ先輩に剣を抜かせてしまったからっ…!」

 

[・・・泣かないで、ティーゼ。僕はずっと、ここにいるから]

 

「・・・ぇ?」

 

 

それは、青薔薇の剣に触れていたティーゼにだけ聞こえていた。声とも呼べぬ声が彼女の内に響いたその一瞬だけ、ほんの微かに剣が光を帯びたのを、傍にいた上条も見ていた

 

 

「い、今…青薔薇の剣が、光って……」

 

「・・・聞こえた…ユージオ先輩の、声。泣かないで、って…僕はずっと、ここにいるから…って……」

 

「な、なにっ!?」

 

 

それを聞いた上条は、何かに取り憑かれたように青薔薇の剣に手を伸ばし、鞘の上に右手を置いた。すると、まるでそれに答えるように、氷の剣はもう一度だけ微かな光を放ち、上条の脳裏にユージオの声が蘇った

 

 

[・・・カミやん。ティーゼを、アリスを…僕のもう一人の親友、キリトを…よろしくね。カミやんならきっと、きっと………]

 

「ユージオ…ユージオッ!!」

 

 

上条はその声が消えた後も、必死に青薔薇の剣に向かって叫んだ。しかしそれからもう二度と、青薔薇の剣からユージオの声が聞こえることはなく、ただの刀身が折れた剣として沈黙した

 

 

「・・・あぁ、分かったよユージオ…それがお前の望みなら…必ず叶える。お前の心意は、確かに俺が受け取った」

 

「お前さん達、話は纏まったか?」

 

 

その場にはいない親友に向けて、上条は静かな声で答えると、青薔薇の剣からそっと手を離して立ち上がった。そしてその直後に、入り口の垂れ幕をめくり上げながらベルクーリが声をかけてきた

 

 

「小父様、いつの間に…」

 

「あぁ悪い、別に盗み聞きしようなんざ思ってなかったんだ。だけどさっきのカミやんとそこの茶髪の子の熱烈なまでの抱擁とか見てたら…どうにも気になってな」

 

「・・・ほぉ?熱い抱擁…ですか。へぇ?」

 

「な、なんでアリスさんはそこでカミやんさんを、見られているコッチが凍りそうな怖い目で睨みつけてるんでございましょうか…?」

 

「いえ、別に。ただ記憶を持ちすぎても、いい思いはしないと実感しただけです。しかし、私にはもうキリトがいますから」

 

「・・・訳が分からん」

 

 

アリスは呆れたように吐き捨てると、上条を凍りつかせんばかりの視線を投げつけていた瞳を閉じてそっぽを向いた。当の上条はそこまでアリスが不機嫌になる理由がイマイチ分からず、参ったと言った様子で後ろ頭を掻くと、一先ずはベルクーリの質問に答えた

 

 

「えっと…まぁ今ので俺は大体決めたつもりだ。戦争中キリトのことは、ロニエとティーゼに面倒を見てもらおうと思うんだけど、アリスと二人はそれでもいいか?」

 

「えぇ、構いません」

 

「わ、私も問題ありません!キリト先輩の傍付き練士として、責任を持ってお守りします!」

 

「私も、ロニエと同じです」

 

「そうか。お前さん達がそう決めたんなら、俺も口を挟まねぇし、他の連中にも口を出させはしねぇよ」

 

「ありがとう、助かるぜおっさん」

 

「なに、良いってことよ。じゃあとりあえず、こっちについて来てくれるか?そろそろ軍議が始まる時間だ。何にせよ、嬢ちゃんとカミやんの配置と役割を決めとかねぇとな」

 

「えぇ、分かりました。それじゃあティーゼさん、ロニエさん、しばらくキリトのことを頼んでもいいかしら?」

 

「はい!お任せ下さい!」

 

 

そうアリスが聞くと、ロニエが背筋を伸ばして敬礼しながらハリのある声で言った。ティーゼもそれに続いて敬礼すると、アリスと上条は二人に軽く手を振って、ベルクーリに続いて天幕を出た。それか彼の和服を追うように付いていくと、野営地の中央にある丸型の天幕へと入っていった

 

 

「・・・これは…」

 

「どうだい嬢ちゃん。急拵えの寄り合い所帯にしちゃ、中々のモンだろう」

 

 

丸く貼られた天幕の中には、30人ほどの人間が集まっていた。それを見たアリスが目を見張ったのは、集まっている30人ほどの人間が、身分の全く違うものでも分け隔てなく話していることだった。整合騎士や近衛兵長、衛士分隊長などの装備や見た目に差はあれど、そこに身分の差があるとは全く感じられないほどに彼らは打ち解け合っていた

 

 

「この守備軍じゃあ、そういう面倒な儀礼だの何だのは全部なしにしたのさ。幸い禁忌目録にも『一般民は騎士と話す前にはたっぷりご機嫌伺いをしなくてはならない』なんて項目は無かったからな。まぁそれでも最初は苦労したモンだが」

 

「えぇ、結構なことだと思います」

 

「・・・なぁおっさん、それとアリス」

 

 

彼らのやり取りから回りくどい敬語すらも省かれていることに驚いたアリスに、ベルクーリが満足気に笑っていると、ふと上条が呟くような声で話しかけた

 

 

「整合騎士ってのは、31番目のエルドリエが最後…つまりは31人いるんだよな?もちろんアリスとおっさんも含めて」

 

「え、えぇ…そうです、が……」

 

「ここにいるので、本当に全員なのか?なんか…どう見ても少なくねぇか?」

 

「は、はい…確かに。これは一体どういうことですか小父様?」

 

「・・・ま、気づくよなぁ…」

 

 

この世界の身分制度を半端にしか理解していない上条でも、身に纏う鎧の装飾から整合騎士とそうでない者の違いはハッキリと分かった。しかし彼の目に移る整合騎士は、どう見ても10人かそこらしかおらず、確認を取るために質問したアリスでさえ、改めて天蓋を見渡して同じ疑問を抱いた。それに対しベルクーリは、バツの悪そうな顔でため息を吐いた

 

 

「残念なことだが、俺たち整合騎士はここにいるので全部さ」

 

「え、ええ!?そ、そんな…カミやんの言っていた通り、整合騎士団には私を含めて31名の騎士がいるはずでは…」

 

「いやな、嬢ちゃんも知ってるだろう。元老長チュデルキンは、記憶に障害が出そうになった整合騎士に…謂わゆる『再調整』って処置を施していた。例の凍結睡眠…『ディープ・フリーズ』って神聖術をかけた後でな。おかげでヤツが死んだ時に元老院で再調整中だった七人の騎士は、まだ覚醒してねぇんだよ」

 

「なっ!?そ、それは本当ですか!?」

 

「本当も何も、嘘つく必要ねぇだろ。再調整の術式を行使できたのは、元老長と最高司祭だけだ。その二人が死んじまったんじゃ、時間をかけなきゃ七人を覚醒させるこたぁ出来ねぇ。だが今は何よりもその時間がない」

 

「なるほど…再調整か。それがあったから、俺がカセドラルを昇った時も、31人全員とは出くわさずに済んだのか。だけどそれなら、俺の右手はどうだ?俺の右手は心意の応用で、あらゆる神聖術を無効に出来る。コイツでその整合騎士に触れてやれば…」

 

「言ったろカミやん。再調整の術式を行使できたのは、あの2人だけだって。俺らはそれがどういう術なのかも分からねぇんだ。お前さんの右手も詳しいことは分からんってのに、そんな何も分からんままとりあえずで術を打ち消して、記憶がまるごと無くなっちまったらどうすんだ」

 

「そ、そうか。確かにそれは、ちょっと危ない橋だな…」

 

 

ベルクーリにそう言われると、上条は少し名残惜しそうにしながら、差し出した右手を引っ込めた。それからベルクーリはなおも苦々しい声で続けた

 

 

「まぁその中でも一人だけ再調整じゃなく、単に凍結睡眠中だった騎士がいて、ソイツだけはどうにか目覚めさせたんだがな」

 

「どなたです、そのお一人は?」

 

「・・・『無音』のシェータだ」

 

「ッ!?よ、よりにもよって…あの!?」

 

「あ、あのって…そんなにすごいヤツなのか?そのシェータって整合騎士は」

 

 

その名前を聞いて並々ならぬ驚愕を見せたアリスに、上条も少し面食らいながら訊ねると、彼女は目を細めながら上条の問いかけに答えた

 

 

「えぇ、まぁ…12番目の整合騎士『シェータ・シンセシス・トゥエルブ』。私もまだ直接お会いしたことはありませんが、幾つかの逸話とその名を耳にしました。しかし…その逸話というのが、実に信じ難い代物ばかりなのです」

 

「せ、整合騎士にはそんなやつもいるのかよ…カセドラルに侵入した時に会ってなくて良かったぜ…」

 

「まぁつまるところ、今覚醒してる整合騎士は全部で24人ってことになる。うち4人はカセドラルと央都の管理に残して、もう4人を果ての山脈の警護に当たらせてる。差し引き16人、それがこの人界守備軍に注ぎ込める上限ってわけだ。もちろん俺と嬢ちゃんも含めてな」

 

「16人…全体の半分ですか…惜しいことですね」

 

 

最初にたったの、と付けそうになったのをアリスはどうにか堪えると、ベルクーリに負けず劣らずの苦い表情になった。それから上条は、新たに気づいたことをその場で訊ねた

 

 

「それとなんつーか…雰囲気で分かるんだけど、この場にいるアリスとおっさん以外の14人の整合騎士の武器ってさ、半分くらい神器じゃないだろ、アレ」

 

「えぇ。整合騎士はその強さで順位が格付けされていて、大雑把に上位騎士と下位騎士と分けられています。そしてその下位騎士は、原則として武装完全支配術が扱える神器を与えられていません」

 

「今じゃ普通の盾しか持ってねぇ俺が言えることでもねぇけど…その下位に位置づけられてる整合騎士ってのは、本当に一騎当千って呼べるほどの強さなのか?」

 

「まぁ単純な剣の斬り合いであれば、ゴブリンの100や200は軽く屠ってみせる猛者ではありますが、戦況全体を動かすほどの爆発力は期待できないでしょう」

 

「31人いる整合騎士で集まれたのは半分…さらにその半分が下位騎士ってか。こっちはただでさえ絶対数が足りてないってのに…厳しいな」

 

「ははっ。何もそれしきのことで弱気になるなよ」

 

 

改めて天蓋の中に集まった30人ほどの、この守備軍においては上役とされる騎士や兵士を見渡しながら、上条は唇を噛んだ。しかしそんな彼の背中を、バシン!と叩きながら太く笑ったのは、先ほどまでまだ一番気難しそうな顔をしていたベルクーリだった

 

 

「痛って!?な、何すんだ!?」

 

「そうは言うがなカミやん。俺はこの勝負…案外なんとかなるんじゃねぇかと思い始めてるぜ」

 

「ど、どうしてだよ?なんか根拠があるのか?」

 

「これはここだけの話だが、俺には来たる戦の趨勢を決めるのは…あのキリトって若者とカミやん、お前さん達なんじゃねぇかと思えて仕方ねぇんだよ」

 

「・・・はぁ!?」

 

 

ベルクーリの物言いに、上条は思わず身を退きながら驚いた。そんな彼の態度にすら笑顔を見せる人界最強の剣士に、戦争の命運を分けると言わしめられた少年は、首をぶんぶんと横に振ってそれを否定した

 

 

「い、いやいや…確かにキリトなら、あの状態から復帰すれば、あるいはその可能性があるかもしれねぇよ。だけど俺には、アイツみたいなズバ抜けた剣の才能はない。あるのは盾を投げ飛ばす技術と、神聖術を打ち消す以外にはなんの取り柄もない右手くらいだ」

 

「だけどお前さんは、たったそれだけで俺たち整合騎士を退けたんだぞ?」

 

「そりゃあの時はほとんどの戦いが一対一だったからで、これは謙遜でもなんでもねぇ。それに戦争みたいな大人数入り乱れての戦いってのは、ステゴロの喧嘩しか出来ない俺にとっては一番戦い辛い戦況だ。とても戦争を左右するほどの戦力になるとは思えねぇよ」

 

「いいえ、それは違いますよカミやん」

 

「あ、アリス…お前まで俺をそこまで担ぎ上げるつもりなのか?」

 

「何もそんなつもりはありません。ですが、お前とて目の当たりにしたでしょう。キリトが小父様の心意の刃を、同じ心意…意志の力で跳ね除けた瞬間を」

 

 

アリスが真剣な顔で言ったことに対し、上条は何も言わずただコクリと頷いた。するとアリスは、彼の胸の上に自分の右手を置いてからもう一度口を開いた

 

 

「剣の才能、技の冴え、神器の力、それも紛う事なき強さと言えるでしょう。しかし、この世界で物を言う真の力とは、その者の心に宿る意志の力に他なりません。どれだけ修行を積み、強力な剣を持っても、その者の意志が伴わなければ、剣力は嘘のように失せてしまいます。最高司祭様を討った後に剣を取る理由を見失った、この半年間の私が良い例でした」

 

「その心意の強度を見るなら、キリトやカミやんはもはや別格です。ですが私の記憶の中でそのキリトとあなたを比べた時に、剣の才や誇る技がキリトに見劣りしているというのも、分からなくはありません」

 

「ですが、こと心意の強さのみに関してならば…カミやん、あなたはキリトと比べても別次元です。最高司祭様を討ったあなた達二人でも、その過程には決して比べ得ぬ違いがあります。だからあなたにもこの戦争を左右できるほどの力があるという小父様の意見は、私とて無視できるものではないと思っています」

 

「・・・俺の、心意の力…か…」

 

「騎士長閣下、時間です」

 

 

自分の右手に視線を落とす上条と、それを見ていたアリスとベルクーリの三人に声をかけたのは、猛禽の翼を象った兜を被った整合騎士だった。その騎士の声に上条は慌てて視線を戻した上条は、視界の端で奇妙なものを捉えた

 

 

「・・・どうしたアリス?そんな微妙な顔して」

 

「いえ…お前には関係のないことです」

 

「そ、そうでせうか…」

 

 

上条が見たのは、なんとも形容しがたい、アリスの微妙な表情だった。側から見ればただ少し口がへの字に曲がっているだけだが、それでもアリスがこの整合騎士に何か思うところがあるのだと察するには十分だった

 

 

(・・・この人…女の人か?)

 

 

そしてその騎士は、そんなアリスの視線の意味を知ってから知らずか、右拳を左胸に、左手を剣の柄に当てて敬礼した。上条とアリスもその騎士と同じ敬礼の姿勢を取るが、両足を肩幅より少し小さめに開いて直立する二人に比べ、その騎士は右足に体重を預け、左肩を少し落とすなよやかな姿勢だった。そんなどことない女らしさを漂わせる騎士は、薄紫の兜を無造作に引き上げ、美しく整った顔を露わにさせて言った

 

 

「久しぶりね、アリス。元気そうで嬉しいわ。それと初めまして、カミやんさん…だったわよね?私は整合騎士『ファナティオ・シンセシス・ツー』。これでも一応、整合騎士団の副騎士長を任されているわ」

 



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第15話 騎士の心情

 

「ど、どうも…カミやんです。よろしく」

 

「えぇ、よろしくね。お噂はかねがね、とても頼りになる存在だとベルクーリ騎士長から聞いているわ」

 

(これはまた、なんとも…どこか神裂に似た美人の整合騎士がいたもんだ)

 

 

ふっくらとした唇に口紅を差し、肩にかかった艶やかな黒い長髪を左右に掻き分けた整合騎士、ファナティオを前にした上条はその美貌に思わず目を瞬かせながら心中で本音を漏らした

 

 

「・・・『ね』?『わ』?」

 

 

そんな風に思ってしまったが故に、少し彼女の顔を見ているのがいたたまれなくなった上条は視線を横へ泳がせた。するとその先にいたアリスは、単語にすらなってない何かを呟いており、まるで信じられないものを見ているかのように三秒ほど絶句した後で、軽く咳払いしてようやく挨拶を返した

 

 

「お、お久しぶりです。副騎士長」

 

「そんな硬くならなくても、ファナティオでいいわよ。それよりもアリス、さっき小耳に挟んだのだけれど…そこにいるカミやんの他にも、私を倒した黒髪の坊やを連れて来たそうね?」

 

「えぇ、まぁ…色々と苦労はありましたが」

 

「そう。なら軍議の後で、彼に少しだけ会わせては貰えないかしら?」

 

「・・・わざわざキリトに面会を求める理由をお聞かせ願えますか、ファナティオ殿。よもや自分を倒してくれた腹いせに、彼を斬ろうなどと思っているのであれば…」

 

「お、おいアリス。何もそんな喧嘩腰で…」

 

「カミやんは黙っていて下さい。それで、理由の如何はどうなのです、ファナティオ殿」

 

「えぇ、もちろん違うわよ。だからそんな怖い顔しないで。別に今更になってあの子を斬ろうだなんて思っていないわ。ただ一言お礼が言いたいの。致命傷を受けた私を、あの坊やが手当てしてくれたそうだから」

 

 

険しい表情で問いかけるアリスに対して、ファナティオは少したじろいだように、微笑みに僅かな苦笑を忍ばせ肩を竦ませながらも、出来る限り優しい口調で答えた。するとアリスはしばらく彼女の目を見てから、安堵したように一つ息を吐くと、謝罪の言葉を述べながら続けた

 

 

「・・・左様でしたか。無粋な詮索を入れてしまったこと、心より謝罪します。しかし、それを知っておられたのですね」

 

「えぇ、目が覚めた後に騎士長閣下からお伝えいただいたの」

 

「であるならば、キリトに礼を言うというのは…その、どちらかと言うと対象が違うのではないかと…実際に副長を治療したのは、先代の最高司祭であられたカーディナル様のお力によるものだと聞いております。そしてそのお方は…半年前のあの戦いで、命を……」

 

「えぇ…朧げに覚えているわ。あのように温かく、力強い治癒術は初めてだった。でも、あの方のところに私を送ってくれたのはキリトなのだし、それに…もう一つのことで別にありがとうと言いたいのよ」

 

「別の、こと…ですか?」

 

「そう…この私と正々堂々と戦い、倒してくれたことをね」

 

 

若干頬を緩めながら言ったファナティオに、アリスは『やはりキリトを切るつもりなのでは』という疑いの視線を向けるも、ファナティオはそれに動じず真剣な表情で首を振った

 

 

「これは私の本心よ。だってあの坊やは、整合騎士として長い年月でたった一人、私を女と知っても本気で戦ってくれた男なんだもの」

 

「・・・は?それは、どういう…」

 

「私もね、昔は兜なんか被らずに素顔を晒して戦っていたのよ。でもある時、気づいてしまったの。模擬戦の相手をする男の騎士はおろか、命の取り合いをする暗黒騎士でさえも、剣筋に僅かな気後れがあることにね。私が女だから…そんな理由で手加減をされるなんて、負けて地に這う以上の屈辱だわ」

 

「私はこの兜で顔と声を隠し、敵を近間に入れないための連続剣技を身につけた。でもそれは裏を返せば、私こそが性別に囚われていたから、なのよね。あの坊やはそれを即座に見抜いても、私に全力で切りかかって来たわ。そして私は、彼に己の全ての剣と術を出し尽くして、負けた」

 

「カーディナル様のおかげで命を拾い、意識が戻った後には、つまらない偏見は私の中から消えていたわ。要は、私が相手に手加減なんてさせられないくらいに強くなればいい話だったのよ。その単純な事実に気づかせてくれて、私の身も心も助けてくれた坊やにお礼を言いたいと思うのは、何も不思議なことではないでしょう?」

 

 

真剣な顔で言ってのけたファナティオに、アリスは今まで疑いの念を向けていたことを強く恥じた。それを重ねて謝罪しようと口を開きかけたところに、ファナティオが悪戯っぽく笑って続けた

 

 

「けれど、少し癪でもあるのよ。坊やが素顔の私に全く女らしさを感じなかったって事実がね。だから、私があれこれしてあげたら坊やが目を覚まさないか、少し試してみようと思って」

 

「・・・ほぅ?」

 

(・・・おや?今なんかアリスとファナティオさんの間に小さな火花が…!?)

 

 

そう言って互いの視線をぶつけた二人の女の間に、小さな火花が散っていたのを上条は見逃さなかった。それが心意によるものか、はたまた自分の幻覚によるものなのかは分からないが、上条はその火花に一抹の不安を覚えると、その不安が一気に悪寒となって背筋を這うのを感じた

 

 

「えぇ。そのお心遣いはとても有難いのですが、彼は今しがた天幕で休んでおります。ファナティオ殿のお気持ちは、私が後ほどキリトに伝えておきます」

 

「あら?坊やに会うのに、あなたの許可が必要なの?私はカセドラルで執務中の閣下に面会を求めて来ても、私情で拒んだことはないつもりだけれど」

 

「え、なんでそこで俺…?」

 

「それこそ、私が小父様と会うのにファナティオ殿の許可は不要でしょう。大体、考えてみれば、男の騎士にコテンパンにしてほしかったのであれば、小父様にでも頼めば良かったではないですか。なんでしたら同じく私が連れ立ったカミやんも、男女の差などという些事は気にも留めず、過去には躊躇いなく私の顔面を殴り飛ばしたほどの豪胆さをお持ちですが?」

 

 

アリスとファナティオの間に散っていた不可視の火花は、二人が会話を追うごとに烈火のごとく燃え上がり、天幕を燃やし尽くさんばかりの猛々しい炎に様変わりしていた。ベルクーリはその様相に冷や汗をかくと、両手を軽く上下させながら二人の間に入ろうとした

 

 

「お、おい嬢ちゃんにファナティオ…とりあえず一旦その辺で…」

 

「騎士長閣下はいいのよ。世界最強の騎士なんだから、万人に手加減して当然だわ。アリスは知る由もないでしょうけれど、かの暗黒騎士長と対峙した時でさえ、閣下は情けをおかけになったのよ?」

 

「はぁ、そうでしたか。それは知りませんでしたね。私との稽古では、小父様は毎度汗だくになるほど本気で向かって来るものでしたので…えぇ、それは知りませんでした」

 

「ッ!?お、おいカミやん!お前さんからも何か二人に…!」

 

 

そこでようやっとこの場にいる自分の身の危険を察知したベルクーリは、後ろにいるはずのカミやんに救援を求めた。しかし振り返った先には、11月故の枯れ草が寂しく舞うばかりで、ツンツン頭の少年の姿はどこにも見当たらなかった

 

 

「なっ!?あ、あの野郎…さては俺を放って自分だけ逃げやがっ…!」

 

「閣下!今のアリスの話は本当ですか!?もしそうであるのならば…!」

 

「そもそも、騎士長がこの人を甘やかすからです!大体小父様はいつもいつも…!」

 

「なんでだあああっ!?」

 

 

いつの間にやらその場から消えていた不幸な少年の口癖に、どこか似た叫びを上げたベルクーリは、その後もアリスとファナティオから謂れもない追求を受け続けた。彼女たち二人の言い争いが、後に開かれる軍議よりも熱く白熱したものになるであろうことは、その天幕にいる誰しもが確信していた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「あ、危ねぇ…後一歩遅かったら死ぬとこだった…いや比喩でもなんでもなく…」

 

 

アリスとファナティオによる超激戦が幕を開けた頃、なんとかその場を一足早く逃げおおした上条は、天幕から少し離れた場所で膝に手を突いて一人呟いていた。そして走って上がった息を整えて天幕の方がどうなっているか振り返ってみると、天幕よりも先に、自分の前に立っている一人の騎士が目に入った

 

 

「・・・お前は…」

 

「エルドリエだ。今度こそ間違えるな」

 

 

白銀の鎧を見に纏った整合騎士、エルドリエは彼らしからぬ鋭い目つきと、貴族めいた言い回しをせずに上条の前に歩み寄った。上条はそんな彼の雰囲気に少し気圧されそうになったが、穏やかな口調で彼に訊ねた

 

 

「えっと…俺になんか用か?」

 

「用がなければ話しかけはしないよ。こと君とあの少年に対してはね」

 

「・・・左様でございますか。んで?じゃあエルドリエさんは、このカミやんさんめに何の用があるんでせう?」

 

「一つ、聞きたいことがある」

 

「聞きたいこと?」

 

「・・・君にとって、アリス様は何だ?」

 

 

月が浮かぶ夜空の下、白銀の鎧が月光を反射させる中で、エルドリエは上条の瞳を見つめながら真剣な表情で訊ねた。上条はそんな彼の視線に、並々ならぬアリスへの思いを少なからず感じ取ると、一拍おいてから少しため息混じりに答えた

 

 

「俺にとってのアリス?そうだな…まぁ敢えて言うなら、守ってやらなきゃならない存在だな。俺の親友が…ユージオが守りたいと、アリスと一緒にいたいと願ったなら、俺はその願いを踏みにじることはしたくない」

 

「ではお前は、アリス様を愛しているわけではないのだな」

 

「あ、愛してって…いきなり飛躍しすぎだろ……違げぇよ。俺は別にアリスのことが好きとかそんなんじゃない。そりゃもちろん仲間としては好きだけどな」

 

「そうか。ならば良い」

 

「そこまで言うってことは、お前はアリスのことを、その…好きなのか?」

 

「無論だ。この世の誰よりも深くアリス様を愛していると自負できる。今の私にとって、最も愛すべき淑女はアリス様を置いて他にはいない」

 

「じゃあ、そんなにまでアリスを慕う理由は何だよ?今更かもしれないけど、俺はアリスと二人でいた時間なんて24時間あるかどうかくらいで、アイツの人とナリをそんなに理解してるわけじゃない。アリスに誰かを惹きつける魅力があるってんなら、一つ教えてくれよ。俺だけ聞きっぱなしなんてフェアじゃない」

 

 

上条がそう提案すると、エルドリエは数秒の間逡巡してから、その視線を野営地の端へと向けた。上条もまたそれを追うように視線を彼と同じ方へ向けると、そこには飛竜の待機所があった。薄めの天幕で囲まれた待機所には、エルドリエが乗りこなす飛竜の滝刳と、アリスの飛竜である雨縁が身を寄せ合って寝息を立てていた

 

 

「・・・私の飛竜である滝刳と、アリス様の飛竜である雨縁は兄妹竜だ。滝刳が兄竜で、雨縁が妹竜として一匹の母竜から生まれてきた。しかしその母竜は、私が整合騎士になって間もない頃に、天命が底をつき永久に眠った」

 

「私はそれを、特に何とも思わなかった。確かに飛竜は貴重な戦力だが、たかが竜。所詮は我らに使役される生き物の一種だ。他の生き物と同じ、老いれば天命の総量も減り、やがては尽きる。そして放っておけば勝手に骨となり土に還り、あるべき自然に戻る。それがこの世の摂理だと、地神テラリアのもたらす恩恵にかくあるべきだと思っていた」

 

「しかし、私はある日の夜に偶然にも目にしてしまった。アリス様がその母竜一匹のために、夜な夜な神聖術を用いてカセドラルの庭にある薔薇園の土を掘り返し、その穴の中に母竜の亡骸を埋め、白木で十字の墓標まで立てて埋葬した。そしてあろうことか、その墓標の前に身を投げ出し、すすり泣いていたのだ」

 

「私は理解に苦しんだ。なぜ自分の騎竜でもない、たかが母竜一匹のためにそこまでするのか。なぜ墓など作り、嘆き悲しむことがあるのかと。泣いて悶えるアリス様の後ろ姿を私は鼻で笑って、身を翻した。だがそこで私は、どうしようもなく自分の目頭が熱くなっていることに気づいた」

 

「亡くなった母竜を悼んで泣くアリス様の御姿。それがどうして、あんなにも心を震わせたのかは、今でもハッキリとは分からない。しかし私は、溢れ出る涙を流したまま悟った。あの嫋やかで儚い姿こそが…気高き整合騎士ではない、本来のアリス様の姿なのだと」

 

「・・・あぁ、多分間違ってねぇよ」

 

 

上条は実際にその光景を目の当たりにしたわけではないが、エルドリエが語るその夜の光景がありありと想像できた。そしてその光景を脳裏に浮かべながら口元を綻ばせて言うと、エルドリエもどこかその日を思い出したように夜空を見上げて続けた

 

 

「それからの私は、アリス様の後ろ姿を追うことで必死だった。どうにかして、あの水晶の花のような女性を守る騎士になりたい…それだけが私の望みだった。だがアリス様は私などとは比べ物にならないほどの剣と術の才をお持ちだった。私に出来ることといえば、アリス様を師と仰ぎ、弟子として指導を欲することだけだった」

 

「同時に可能な限り食事を共にし、アリス様にあれこれ話しかけ、身につけた話術でどうにかしてアリス様の笑顔を引き出そうと努力した。そんな日々が身を結んだのか、ごく稀ではありつつも、アリス様の唇に微かな笑みを浮かべることに成功し始めていた…そんな日々の中で突然に、あのキリトとユージオという少年が牢を破り、公理教会史上最大の事件を巻き起こした」

 

「・・・そう、だったのか…」

 

「まぁ、奇妙な記憶の中に眠る君が来た時も、似たような時期だったと思うが」

 

「いや、そりゃなんつーか…悪かった…としか言いようがねぇけど、俺だってあの時は必死だったんだよ」

 

 

そう言うとエルドリエは、頭の横を右手の人差し指で小突きながら上条の顔を見て鼻で笑った。上条はそれに対して実に返答の仕方に迷いを覚え、しどろもどろに言い訳を交えながら謝罪した。そんな彼にエルドリエはため息を吐くと、少しだけ首を振りながら言った

 

 

「いや、別に謝ることではないよ。どちらにせよ私は負けたのだ。そして君達は、道筋は違えど騎士長閣下を始め、あの元老長や最高司祭様までも押し退けた。そして我が師であられるアリス様も、君達の力を認めている。昼に君達を最初に見た時あそこまで突っぱねようとしたのは、それが悔しかったからなんだろう。なんとも、未練がましいことこの上ない」

 

「でも、これが僕の愛なんだ。師アリス様に、一人の剣士として…また一人の男として認めてもらいたい。それだけが、今の僕の望みだ」

 

「・・・・・」

 

「ふっ、長話が過ぎたね。もう戻らねばならない。先に天幕で始まったアリス様とファナティオ副長様の小競り合いも、収まった頃合いだと信じよう」

 

 

彼の一人称が、騎士らしい『私』という呼称から『僕』に変わっていたことに、エルドリエ自身は気づいていたのだろうか。上条はなんとも赤裸々にアリスへの想いを語って身を翻したエルドリエの後ろ姿に、ある種の親近感を感じた。この騎士も、結局は自分と同じなのだと思った。愛する誰かへの、不器用な片想いに頭を悩ませる、等身大の一人の人間。例えそれが人工フラクトライトという作り物の存在のように呼ばれていても、自分と同じ人間であることに違いはないと、改めて上条は彼らという存在のあり方を実感して口許を綻ばせた

 



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第16話 士気高揚

 

「・・・・え〜…一部臆測にすぎない点はありますが、とりあえず現時点では、これが私の隣にいるカミやんという少年がここにいる経緯と、あるはずのない記憶が混濁している理由です」

 

 

夜も更け始めた頃に始められた軍議は、用意された長机の最前列にある席に着いた上条とアリスの簡単な自己紹介から始まった。しかし簡単だったのは自己紹介までで、その直後に始まった上条がここにいる経緯の話には、その場にいる全員が頭を抱え、者によっては首を傾げていた

 

 

「ここと似た世界がもう一つあって、その世界から迷い込んで来た…ねぇ…」

 

「つまるところそれは、聞きしに及ぶベクタの迷子とは違うのですか?」

 

 

混乱を避けるためにも、この世界が作られた物であることや、それを管理する者がいることを伏せながら、アリスが配慮に配慮を重ねて話したというのにも関わらず、話を聞き終えてから深いため息を吐いたベルクーリは、顎に生えた無精髭をなぞりながら訝しげに呟いた。それに続いて口を開いたエルドリエが訊ねると、上条がそれに答えた

 

 

「いや、ベクタの迷子とは違う。俺はそもそも住んでた世界が違うんだ。信じられないとは思うけど、簡単に言えばこの世界と同じ歴史を辿っていて、なおかつ同じ人間がいる世界がもう一つあって、俺はそっちの世界を生きてたんだ。けど、原因の分からない何かが起こって、二つの世界が融合した…ってことだと考えてる」

 

「んで…その帳尻合わせとして、今の俺たちの頭ん中には、そっちの世界にいた俺たちの記憶が混在してる…ってことか?」

 

「まぁ、噛み砕いて言えばそういうことだ。俯瞰的な視点で見るなら、同じ世界が二つあるってことは、同じ人間も二人いることになる。だけど、本当はこっちの世界や人が正しい…言ってみれば元になった世界なんだ。俺がいた世界は後付けで、その世界が生まれたせいで辻褄が合わなくなったから、人間の記憶ごと世界が融合した…ってことだと思う」

 

「・・・訳が分からない…」

 

 

疑問を投げたベルクーリに対して上条が付け足した説明に、それを同じく耳にしたエルドリエは再度頭を抱えて吐き捨てた。するとその次には、真紅の鎧を纏った整合騎士、デュソルバード・シンセシス・セブンが一つ咳払いして口を開いた

 

 

「私はなんとなく腑に落ちてきた。私の頭の中には、あのキリトとユージオなる二人の少年に倒された記憶と、お前一人の拳に打ち倒された記憶がある。要するにお前は、そのもう一つの世界においては、あのキリトという少年に代わるイレギュラー…ないしは代役のような位置にいたんだろう?」

 

「代役か…まぁ、そういうことだと思う。俺はこっちの世界でキリトが具体的にどう過ごしてきたのかは、アリスから大雑把に聞いた程度しか分からないけど、俺はアイツと同じような経緯を辿ってきたのは間違いない」

 

「・・・では聞くが、お前はそこにいる『レンリ・シンセシス・トゥエニセブン』という整合騎士と会ったことは?」

 

 

そう言ったデュソルバードは、不意に後ろの方の席に座る一人の少年騎士を指差した。突然の名指しにビクリと肩を浮かせた少年は、明らかに上条よりも若年に見えた。実際に自分よりも年下なのかは分からないが、あのフィゼルとリネルという二人の少女とも対峙していたので、彼のような少年が整合騎士であることに特に驚きを感じることもなく、ただレンリの顔を一瞥して首を振った

 

 

「・・・いや、会ってないな。俺がカセドラルで戦った整合騎士の中にはいなかった」

 

「そうか。言及するとこのレンリは、キリトとユージオにも会っていない。そこで代表してレンリ、お前に問う。お前はこの世界ともう一つの世界の記憶が、二つ存在しているという実感があるか?」

 

 

デュソルバードの問いかけに、軍議の開かれた天幕の中に集まる全員の視線がレンリという少年騎士に注がれた。するとレンリは、緊張に喉を詰まらせながらも、ゆっくりと口を開いた

 

 

「えっと……僕にはそもそも、そんな記憶が融合した実感も、記憶に辻褄が合わない点も見当たらない…です」

 

「・・・うむ。代表を立てておいて今更だが、他の者にも重ねて問いたい。整合騎士を除いて、自分の記憶に混在している点がある者、アリスとカミやんが語る事態に心当たりがある者は、正直に挙手してほしい」

 

 

レンリの答えにデュソルバードは何か確信を得たのか、少し感慨に耽るようにため息を吐いた。そしてその後、今度は軍議に集った16人の整合騎士以外の、30人ばかりの人界守備軍の部隊長に問い質した。彼らはしばらく周りと視線を配り、顔色を伺っていたが、やがて誰しもが首を振り始めた。しかしそんな中で、長机のかなり奥の方から一本の手が真っ直ぐに上がると、その細い手に首を振っていた兵士の視線が集まった

 

 

「そなた、名はなんと?起立してこちらに来ていただけると助かります」

 

 

アリスが訊ねると、手を挙げた兵士は椅子を引いて立ち上がり、素早くアリス達上位の整合騎士と、上条達が座る最前列付近に走りよった。その人物は、敬礼の姿勢を取りながら凛とした声で、上条にとってはよく知るその名前を名乗った

 

 

「お心遣いに感謝いたしますのと同時に、まだ若輩の者ながらも名乗らせていただきます。ソルティリーナ・セルルトと申します。人界守備軍においては部隊長の任を預かっております」

 

「ありがとうございます。ではお聞きしたいのですが、ソルティリーナさんの記憶が融合したと実感できる点とは、一体なんでしょうか?」

 

「・・・私の記憶の中には、北セントリア帝立修剣学院において、キリトの指導生として一年間剣を教えていた記憶と、そこにいるカミやんの指導生として、同じく剣を一年間教えていた記憶が混在しています」

 

「やはり、そういうことか……」

 

 

アリスの質問越しにリーナの返答を聞いたデュソルバードは、何かに合点がいったように肩を上下させた。そして腕組みをして背もたれに体重を預けると、上条へと視線を向けながら言った

 

 

「このソルティリーナという騎士以外の様子や、レンリの様子から鑑みるに、世界が二つあって、その世界と記憶が融合した実感が持ててるのは、このカミやんと、キリトに関わった人間だけ。だが、どちらの世界の記憶にも、この二人が同じ時間、同じ場所にいた記憶がない。つまり、カミやんとキリトだけは二人存在していないことになる」

 

「・・・・・」

 

「カミやんのいたもう一つの世界にはキリトが存在せず、キリトのいたこちらの世界にはカミやんが存在しない、それは何故か。もっと言えば、なぜお前たちと関わった者には、似通った記憶が二つ混在するのか。私の推測が正しければ、お前たち二人は我々とは何かが違う人間なんじゃないのか?まだ何か隠していることが……」

 

「ーーーッ!?」

 

「で、デュソルバード殿ッ!それは…!」

 

「話の途中で悪いけれど、一ついいかしら?」

 

 

自分たちが隠して話した事実に、デュソルバードがここまであっさりと辿り着くとは夢にも思わなかった上条とアリスは、胸の内側で密かに驚愕した。そして同時に、それを口にさせてはいけないと決めていたアリスが、慌てて手を差し出しかけたところで、急にファナティオが口を挟んだ

 

 

「えっと、二つの世界と記憶が融合した実感が持ててるのは、この少年とキリトに関わった人間だけ…って言ったわよね?お言葉なんだけど、私はそこのカミやんと関わった記憶ないけど、その実感はあるわよ?」

 

「な、それは真ですかファナティオ殿っ!?」

 

「それと多分、私の部下である四旋剣も」

 

 

ファナティオが述べた話に、デュソルバードは驚きの声を上げると、ファナティオは次に自分の配下である整合騎士、四旋剣に属する四人を見やった。同じ白の鎧を着た四人の騎士は、ファナティオの話に深く頷くことで答えた

 

 

「そ、それはその…一体どういう理由で?」

 

「私と四旋剣は他の整合騎士と同じように、キリトとユージオに倒されました。けれど、もう一つの世界で経験した記憶では違うのよ。もう一つの記憶だと私や四旋剣は、訳の分からない緑色の修道服を着た男に倒され…いえ、殺されたのよ」

 

「あーっ!そうだった!すっかり忘れてた!神の右席!左方のテッラ!」

 

「はいはーい!実際に顔を見たわけじゃないから分からないんですけどー!」

 

「多分私たちもその人に首を刎ねられましたー!」

 

「・・・んな笑顔で言うことか…?」

 

 

ファナティオの意見に便乗するように、フィゼルとリネルは手を挙げて長机に身を乗り出しながら弾けるような笑顔で言った。そんな彼女たちに対し、上条は呆れながらも話を続けた

 

 

「すまん、えっと…ファナティオさん達が殺されたのは、左方のテッラって人間で…簡単に言えば俺やキリトと似たような、両方の世界にはいない人間なんだ。だけどソイツは悪いヤツ…言ってみれば今から戦うダークテリトリー側の人間みたいなヤツだ」

 

「と、言うと?私たちはあなたやキリト、そのテッラという人間とのいざこざに巻き込まれた、そういうことですか?」

 

「うっ、それは……」

 

「・・・なぁ…お前さん達よ。一つ聞きてぇんだが、それってそんなに重要なことか?」

 

 

ファナティオの追及に上条が言葉を詰まらせていると、不意にベルクーリが少し笑いながら口を開いた。そんな彼の突然の問いかけに上条はおろか、他の面々も言葉を失っていると、ベルクーリは鼻から太く息を吐いて淡々と語り始めた

 

 

「そりゃあ俺だって、最初は面食らったぜ?ある日なんの間違いなのか、見覚えもないツンツン頭のガキと殴り合って、その果てに自分が死んだ記憶がいつの間にか頭に居座ってんだ。そんな夢を見た覚えもねぇし、ついに生き永らえすぎて死の前兆でも自意識が予言したのかと思ったさ」

 

「ところがどっこい、ソイツが実際に目の前に来て、この世界が本当は二つあると来やがった。まぁ記憶が二つあるってのは俺として気になるところだったんで、軍議が始まる前にアリスの嬢ちゃんに説明してくれって頼んだのは俺だったんだが、予想だにしなかったとんでもねぇスケールの話が飛び込んで来て…まぁ驚いた。だが、それだけだ」

 

「この坊主やあの少年が只者じゃねぇってのは、アリスの嬢ちゃんが語るサマや、実際に殴り合い、心意の刃をぶつけた俺には分かる。だけど、その只者じゃねぇ理由を解明すりゃあ、もう目の前まで来てる闇の軍勢の進行は止まるのか?」

 

 

ベルクーリの声は、低く厳かで静かなものだった。しかし、彼が話すというそれだけで周りは嘘のように静まり、彼の声は天幕の端から端まで鮮明に聞こえていた。その上で、彼の問いかけに何か反応を起こす者は一人もいなかった

 

 

「俺たちがここに集まった理由はなんだ?言ってみろ、カミやん」

 

「・・・人界の皆を守るためだ」

 

「そうだ。人界を、そこに住まう無辜の民を守る。それこそが俺たちがこんな東の果てまで遥々集まった理由だ。断じてこんな机上で、お互いの疑問と空論を投げ合うために集まったわけじゃあねぇ」

 

「お前らの不安はもっともだ。けどな、そんなことお構いなしに、闇の軍勢は攻め込んで来るぞ。そんな時でもお前達は、この少年たちの事情に耳を傾け、頭を悩ませながら剣を握るのか?そんな自分の興味だけに心を動かされるようじゃ、俺たちはこの戦争には勝てない。絶対にな」

 

「だから俺たちが気にするべきなのは、この少年たちが力を貸してくれるってことだけでいいんだよ。素性が分からなきゃ不安か?じゃあ教えといてやる。このカミやんはな、一人の親友と、その幼馴染のアリス嬢ちゃんのため、たったそれだけの理由で世界を敵に回して戦った男だ」

 

「そしてその末に、この世界の頂点に立っていた最高司祭をも拳一つで黙らせた。そんな男が、人界守備軍の味方に来てくれたんだ。こんなにも心強え味方は、願っても来てくれるモンじゃねぇだろ」

 

「おっさん……」

 

「小父様……」

 

 

いつしか、彼らが集まる天幕だけでなく、人界守備軍全体が静まり返っていた。けれど、それを知る者は一人もいなかった。皆が無意識のうちに、破格のカリスマ性を誇る、世界最強の剣士の言葉に耳を傾けていた

 

 

「なぁに心配すんな、責任なら俺が取る。この少年たちが人界の民に害を及ぼすようなことがあれば、即座に切り捨てる。だが、そんなことは夢にもないとまず信じてやれ。忘れたか?この守備軍じゃあ、そういう面倒な儀礼だの何だのは全部なしにしたハズだろ。禁忌目録にも『一般民は騎士と話す前にはたっぷりご機嫌伺いをしなくてはならない』なんて決まりはない」

 

「同時に『全ての事情を包み隠さず話した者のみにしか、背中を預けてはならない』なんて決まりもない。俺たちが信ずるべきなのは、ここにいる全員が、人界の民を守る為に戦いに来ているということだ。そして紛れもない、人界守備軍の勝利を願っている」

 

「今はそれでいいじゃねぇか。互いの腹を割って話すなんてのは、祝勝の宴で酒を飲み交わしながら、飽きるまでやったらいい。この少年たちの首根っこを引っ掴んで、ぶっ飛んだ世界の理についての話を酒の肴にすりゃあいい。そんで、そんなぶっ飛んだ話すら霞むほどの、自分が戦で挙げた武勇伝に花を咲かせてこそ、真の英雄ってモンだろ」

 

「おぉ、おおおおおお………」

 

 

それは、アリスの喉元から自然と漏れた唸り声だった。彼女だけでなく、全ての人間が震撼していた。沸々と湧き上がる闘志に胸を踊らせ、体を震わせていた。鼻や口からは荒々しい息が漏れ始め、握りしめた拳を突き上げるべきその時を、今か今かと待ち望んでいた

 

 

「二つの世界と記憶?俺たちが今から戦うのはそんなものじゃねぇ!俺たちから大切な民を奪わんと襲いかかる、ダークテリトリーの軍勢だ!そして俺たちは人界守備軍だ!守る為に戦う騎士だ!背負う物が違う!剣にかける重みが違う!拳を撃つ覚悟が違う!」

 

「今こそ集え!求める平穏のために!手を取り合え!志を同じくする者のために!そして恐れるな!戦いの果てに夜明けを迎え、人界の蒼穹を仰ぎ見るのは!俺たち人界守備軍の人間だ!!!」

 

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっ!!!!!」」」

 

 



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第17話 軍議

「・・・この四ヶ月というもの、あらゆる作戦を検討して来ましたが、結局のところ現状の戦力で敵軍の総攻撃を押し戻すことは、非常に困難であることは変わりません。包囲された時点で、我々の勝ち目はなくなります」

 

 

ようやっとベルクーリが焚きつけた士気が落ち着きを取り戻し始めた頃に、軍議らしい軍議が始まった。軍の作戦を指揮するファナティオは、長机の先頭側に設置された地図の要所を指揮棒で指し示しながら話すと、自然と天幕に集まった面々が真剣に耳を傾けていた

 

 

「ご覧の通り、我々が戦う果ての山脈側は14キロル四方に渡って草原と岩場しかありません。ここまで敵軍に押し込まれてしまえば、後は五万の敵兵力に包囲、殲滅されるのが関の山です。故に我々はこの東の大門へ続く副100メル、長さ1キロルの峡谷で戦い抜かねばなりません。ここに縦深陣を敷き、敵軍の突撃をひたすら受け止め、兵力を削り切る。これを我が軍の作戦の基本方針とします。ここまでで、何か意見はありますか?」

 

(へぇ、果ての山脈の向こう側ってこんな風になってんのか…戦争だからしょうがねぇとはいえ、今まで禁忌で侵入を制限してたってのに、よく公開したな…)

 

 

ファナティオが指揮棒でなぞる地図を見ながら、上条はぼんやりとそんなことを考えていた。こんな兵法じみた作戦会議など、上条にとってはSAO時代に各フロアボスの攻略会議に参加したのが精々で、それだって上位ギルドのお偉い方や、かの血盟騎士団で副団長を務めていた御坂美琴の立てた作戦を聞きに徹するのがほとんどだった

 

 

(・・・こんな時、美琴がいてくれれば…)

 

「確かに副長殿の作戦は、数練った作戦の中で一番合理的かつ現実的であります。しかしそれは、敵軍がゴブリンやオークの歩兵のみで構成されていればの話。彼奴等であれば5万でも10万でも斬り伏せてみせましょうが、敵軍には強力な大弓を射るオーガの軍団、さらには一層危険な暗黒術師軍団も存在します。歩兵の後背から浴びせられるであろうそれらの遠距離攻撃には、いかなる対処を?」

 

 

あの悪夢のデスゲームで、決して少なくはない軍勢を率いていた一人の少女の姿を俯きながら思い起こしていた上条のすぐ横で、藤色の髪を靡かせながらエルドリエが意見していた。彼の声に上条はハッとしてすぐさま頭を切り替えると、バツが悪そうに唇を尖らせて次の作戦を口にしようとするファナティオの方へ視線を戻した

 

 

「・・・これは実に危険な賭けですが…峡谷の底は昼でも陽光が届かず、地面には草一本生えていません。つまり、空間神聖力が薄いのです。開戦前にそれらを我らが根こそぎ使い切ってしまえば、敵軍は強力な術式を撃てなくなると考えるのが道理です。それは無論、我が軍も同じことですが、こちらにはそもそも神聖術師が多くとも100名ほどしかおりません。術の撃ち合いとなれば、神聖力の消費量は敵方の方が遥かに多いはずです」

 

「なるほど…副長の言は確かに正しかろう。しかし、神聖術は攻撃のみに用いられるものでもない。神聖力が枯渇すれば、傷ついた者の天命を回復させることができなくなるのではないか?」

 

 

ファナティオが提唱する苦肉の策に意見を呈したのは、真紅の騎士デュソルバードだった。彼の意見を真摯に聞きとめたファナティオはコクリと頷くと、落ち着いた声で返答した

 

 

「えぇ。その上で賭けだ、と申しました。この野営地にはカセドラルの宝物庫に備蓄されていた高級触媒と治療薬をありったけ運び込んであります。使用する術式は治癒術に限定し、薬を補助的に用いれば触媒だけで2日…いえ3日は持つはずです」

 

「・・・それは結構なことですが、問題はもう一つあります、ファナティオ殿。いかにソルスとテラリアの恵みが薄いとは言っても、峡谷は完全な闇ではなく、また大地から切り離されている訳ではありません。あの谷には長い年月の間に膨大な神聖力が蓄積されていると思われます。一体何者が、開戦前の短時間でその力を根こそぎ使い尽くせましょう」

 

 

今回のアリスの質問には、さしものファナティオもすぐには答えられなかった。峡谷という広大な空間の神聖力を瞬時に枯渇させるには、どう考えても100人の術師では割に合わない。そんなのはこの場にいる誰しもが分かっていた。しかし副騎士長だけは、金褐色の瞳でアリスを見ながら小さく首を振った

 

 

「いいえ、たった一人だけいます。この人界守備軍に、それが可能な者が」

 

「・・・一人?」

 

「あなたよ。アリス・シンセシス・サーティ」

 

「わ、私ですかっ!?」

 

「自分では気づいていないかもしれませんが、現在のあなたの力は整合騎士の範疇をも超えています。今のあなたであれば、天を割り、地を裂く神の御技を行使できるはずです」

 

 

ファナティオの言葉に、軍議に集まった面々は騒ついていた。そしてある者は好奇の眼差しを、またある者は羨望の眼差しをアリスに向け、その視線に晒されたアリスは青色の瞳を揺らしながら小さく首を振った

 

 

「そ、そんな…そのような大それた神聖術など、私には到底…それこそ最高司祭様のような方でなければ…」

 

「おいおい。その最高司祭を倒したのは、お前の力もあってこそなんだぞアリス」

 

「か、カミやん…ですがそれは、他でもないあなたやキリトのような人がいたから…」

 

 

不安を表情に滲ませていたアリスの横にいた上条は、彼女の肩を叩いて笑いながら言った。しかしなおも自信を持てない彼女に、今度は上条が首を振った

 

 

「そういうこと言ってんじゃねぇよ。最初から諦めるなんて、お前らしくないってことが言いたいんだ。だってお前は、俺がアドミニストレータを倒しきれずに諦めかけてた時でさえも、剣を杖にしてまでアイツの前に立ち塞がったんだ。その諦めない意志の強さがあれば、お前は何だって出来る」

 

「・・・・・」

 

 

上条の言葉に、アリスは静かに瞳を伏せた。今のアリスには、その時の記憶しかない。けれど、その記憶と上条の言葉だけで十分だった。何よりも変わらない実感を持てた。やがてアリスはゆっくりと目を開けると、先ほどの不安を一切残していない曇りのない表情で言った

 

 

「分かりました。やってみましょう」

 

「・・・えぇ、それでこそだわ。では次に…ベルクーリ騎士長」

 

「ん?あぁ、そうだったな。カミやんをどこに置くか決めねぇとな。どうだカミやん、誰か下について戦いたいやつはいるか?俺たち整合騎士でも、先輩だったってあのセルルトって騎士でも構わん。なんだったら人数割りを考え直して一部隊を率いてくれてもいいぞ?」

 

 

ファナティオに進行役を移されたベルクーリは、上条の方へと視線を投げて訊ねた。気っ風のいい彼の提案に上条は内心驚いていたが、即座に首を振って言った

 

 

「いや、なんつーか悪いんだけど…俺は一人で行動したいんだ」

 

「・・・と言うと何か?どこの部隊に入る訳でも、部隊を率いる訳でもなければ、単独行動でこの戦争を戦おうってことか?」

 

「まぁ…端的に言えばそうだな」

 

「なっ!?じょ、冗談ではありません!」

 

 

上条の申し出に返す刀で反論したのはアリスだった。彼女は長机を叩きながら勢いよく立ち上がると、浴びせるようにして次々に上条を責め立てた

 

 

「お前はその考えが、如何に危険かまるで理解していません!一対一でない戦場において単独行動など、言語道断です!信頼の置ける部隊長がいないという意味で言っているのであれば、せめて私の飛竜で一緒に…!」

 

「おいおい、落ち着けよアリス。そりゃもちろん一人で戦うより、みんなで固まって戦った方が有利だってのは分かってる。だけど俺は、みんなと同じように剣で戦うわけじゃないだろ。俺の戦い方じゃみんなと連携取れる訳でもないし、盾投げる時なんかいい迷惑にしかならねぇよ」

 

「とは言ってもな…お前さんの生存率にも直結することなんだぞ?それにお前さんには従えてる飛竜もないだろう?いざという時に戦線から緊急離脱もしにくい。もしも一人で戦って敵に囲まれたらどうする?」

 

「い、いや何もそんなに部隊から離れるつもりはねぇし、敵の軍隊の中に一人突っ込もうなんて考えてるわけでもねぇよ。自由に動ければ、ピンチの仲間を助けたり、相手の防御が薄くなった所にも切り込みやすくなる」

 

「・・・まぁ、利点と捉えられんこともないか」

 

「それに、さっきおっさんには言ったように、俺は一対一ではそれなりに腕が立ったとしても、大人数入り乱れての戦いってのは最も苦手とするところなんだ。ちょっとワガママかもしれねぇけど、俺が一番力を発揮できるのは、流儀に近い単独行動なんだ。だから認めてくれねぇか?」

 

「・・・さてなぁ…」

 

「だ、ダメです小父様!例えカミやんだとしても無茶です!彼は貴重な戦力だと、小父様もそう申していたでしょう!その彼を、みすみす死なせる気ですか!?」

 

 

返答を待つ上条と、鬼気迫る表情で異議を申し立てるアリスを交互に見比べながら、ベルクーリは顎髭を撫でつつ低く唸った。そしてしばらくの間考えを巡らせていると、急に鼻から細く息を漏らして微笑んだ

 

 

「・・・ま、かつて俺を倒したお前さんを心配するってのも変な話だよなぁ。お前さんがそれでいいなら、俺はそれでいい」

 

「ほ、本当か!?」

 

「お、小父様…!」

 

「まぁそう固いこと言うな嬢ちゃんよ。俺が思うに、このカミやんを御し切れる部隊長なんてここにはいねぇし、コイツ自身が部隊長やれるほど頭がキレるようには見えん。だったら無理にこっちの環境に合わせず、やりたいようにやらせるのがいいだろう」

 

「で、ですが…!」

 

「他の皆には、反対の意はないか?」

 

「「「・・・・・」」」

 

 

ベルクーリが長机に座る全員に向けて視線を配りながら問いかけたが、それに楯突くものは現れなかった。唯一反対だったアリスもそれを見ると、苦い顔を顔をして押し黙り、静かに着席した。すると今度はベルクーリがさっと立ち上がり、端から端まで聞こえるようにハッキリとした声で言った

 

 

「よし、そんじゃあ本日の軍議はこれにて解散とする。色々と複雑で、一部にとっちゃ訳の分からん話をして悪かったな。今日ここでした話は、なるべく悪戯に広めるのは避けてくれ。それと明日もビシバシ訓練すっから、皆しっかり寝て英気を養ってくれ」

 

「「「はっ!!!」」」

 

 

その場を統べるベルクーリの号令に、全ての騎士が敬礼しながらハリのある声で返答した。そして天幕の中は雑談などで騒めき始め、大半の人間が出入り口へと向かう中で、上条はベルクーリの方へと歩み寄った

 

 

「すまねぇな、ベルクーリのおっさん。ただでさえ急な参戦だってのに、色々とまとめてくれて助かった」

 

「なに、いいってことよ。こと嬢ちゃんに関しちゃ、お前さんの処遇に納得してるか分からんからな。きっと機嫌を損ねてるだろうから、後でちゃんと詫びを入れるといい」

 

「・・・そう言われると戦争の前にアリスに殺されないか心配なんだが…」

 

「あっはっは!そりゃ堪らんな。だが気をつけろよ。嬢ちゃんと単独行動の件はもちろんそうだが、そりゃお前さんの力でどうとでもなる。しかしあの世界がどーの、お前さんやキリトみたいな片方の世界にしかいない人間がどーのって話については、俺が場の士気を上げて誤魔化したに過ぎねぇんだからな」

 

「わ、分かってるって…話せる時が来たら話す。それにアリスと一緒に訓練にも参加して、なるべく周りと打ち解けられるように努力もするさ」

 

「分かっているとは思うが、お前さんやキリトに対する風当たりはそう褒められたモンじゃあねぇ。全ての事情を包み隠さず話した者のみにしか、背中を預けてはならない…なんて口にしてはみたが、ことお前さんに対する不信感というか…異物感が全員の頭から抜け切ったわけじゃねぇ。だからとりあえず色んなヤツと話してみろ。なんだったら俺を殴り殺した武勇を語ってみてもいい」

 

「それはむしろ今よりも反感買うと思うんだが!?だけど、そうだよな…他人の信頼は、自分で掴むしかねぇもんな。ありがとよ、本当に色々と助かったぜ。いざという時は、おっさんの背中は俺が預かる」

 

「おうよ。お前さんの命運は、この人界守備軍が預かる。だから思いっきり走って、思いっきり殴れ。そして勝とう。必ずな」

 

 

そう言ってベルクーリと上条は、お互いに口角を吊り上げると、以前はぶつけ合うことしかできなかった拳を、静かに重ね合った

 

 



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第18話 光なき者

 

帝宮オブシディア城の寝室に、名も知れぬ女アサシンが忍び込んだ夜の二日後。再び十人の将軍たちと各陣営の幹部が集まって低頭しているサマを見下ろすと、ガブリエルは満足げに笑った。彼らは宣言通り、二日間で人界への進撃の準備を完了させたのだった

 

だがそれは、まだここにいる者が皇帝の力を信じているが故の行動に過ぎない。その力に疑いがかかれば、いとも簡単に裏切りも起こりうる。それを起こしうる懸念を抱かせる人物がいるとすれば、あの夜部屋に忍び込んだ女アサシンを従えていた、この十人いる将軍の内の一人であることはガブリエルにとっては明白だった

 

故に、女アサシンにとってがそうだったように、その将軍は事と次第によってはガブリエルよりも強者にもなり得る。その将軍は本心では忠誠を誓っていない可能性は拭いきれない。そのような麾下を抱えて進軍すれば、寝首を掻かれることもあり得るだろう

 

それを未然に防ぐためにも、ガブリエルにとってはその将軍をこの十人の中から炙り出し、圧倒的な力を誇示して処分することで、残る九人に皇帝の力を示し、この世界の最強が誰なのかを知らしめておくことが進軍前の最後のミッションだった

 

 

「時に一昨夜、余の寝所に忍んできた者がいた。短剣を髪に隠して、な」

 

 

ガブリエルの一言に、玉座の間が騒ついた。横並びに跪いている十侯の面々も微かに息を呑み、ある者は喉の奥で低く唸り、またある者は分厚いローブに体を沈めた。後方に控える配下達は同じ種族同士で顔を合わせ、それぞれ静かな声で耳打ちし合っていた

 

 

「刺客を差し向けた者を、余は詮議しようなどとは思わぬ。力こそが法であるこの闇の国において、持てる力を駆使し更なる力を求めるその意気や良し。余の首が欲しくば、いつでも後ろから斬りかかるが良い」

 

 

闇の玉座に腰掛ける帝王の言葉に、あからさまに顔をしかめた者がいたのをガブリエルは見抜いていた。滑らかな褐色肌を晒す暗黒術師の女と、腹を据えたように黙っている暗黒騎士長の二人だ。その二人を眺めてガブリエルは内心でほくそ笑むと、肘掛けに置いていた片手をおもむろに上げながら続けた

 

 

「もちろん、そのような賭けには相応の代償が求められることを理解していれば、だがな」

 

 

玉座の右側のドアが開き、召使いの一人が黒い布が掛けられた銀盆を持って玉座に歩み寄ると、その銀盆を玉座の手前に置いて、一礼した後にその場を去った。そしてガブリエルは玉座に座したまま足を伸ばし、銀盆に掛けられた黒布の端に置くと、下卑た笑みを浮かべながら言った

 

 

「その者が受ける報いとしては、これがその良い例えだ」

 

 

バサッ!という空を薙ぐ音がして、黒布が乱雑に蹴飛ばされた。黒布が剥ぎ取られ、露わになった銀盆の上にあったのは、青く透き通った立方体だった。しかしその整った面の奥は、永遠に醒めることのない眠りについた女の首が内包されていた

 

 

「・・・リピ、ア………」

 

 

その男、暗黒騎士シャスターは唇の動きだけで、氷に閉じ込められた生涯で最も愛した女の名前を呟いていた。本当に死んだのか、皇帝に刃を向けたのが本当に愛するリピアだったのか、もう考える暇はなかった。気づけば視界はおろか、思考さえもが真っ赤な殺意に染まり、シャスターの腕が許す最速の動きで右手が腰の剣を抜いていた

 

 

「シャアッ!!」

 

 

シャスターは殺の一文字だけを脳裏に浮かべ、愛刀『朧霞』を上段に振りかぶった。その属性は銘の霞にちなむ『水』。彼の愛する者を奪われた怒りと嘆きという莫大な心意が込められた太刀は、霧状の影へと変化していた。霧へと化した刀が持つ特性は、『長く伸びる霧に何かが触れた時点で天命に斬撃のダメージを与える』というものだった。死の刃となった霧がガブリエルに迫る、その刹那のことだった

 

 

「ーーーーーッ!?」

 

 

剣を抜いたシャスターの動きが、斬りかかろうと膝立ちになった姿勢のまま、石像のように固まっていた。配下を殺され、怒りのままに殺意をこちらに向ける。それが誰であろうと、ガブリエルにとっては予想の範囲内だったが、その動きが直前で止まることまでは予想していなかった。ガブリエルは完全に動きを止めたシャスターの体を注視してみると、その左脇、鎧の継ぎ目に一本の投げ針が刺さっているのを見つけた

 

 

「フヒッ、フヒヒヒ……」

 

 

不気味な笑い声を漏らしながらユラリと立ち上がったのは、灰色のローブを纏う暗殺ギルドの頭首、フ・ザだった。彼の率いる暗殺ギルドには、生業とする暗殺において極めて厳格な決まりがあった。それは『猛毒』を用いた武器による暗殺。あらゆる場面で忌み嫌われる毒という技術は、たった今放られたフ・ザの投げ矢にも、ふんだんに塗り込まれているのはシャスターの様子から見ても明らかだった

 

 

「こんな、取るに足らない小物に……そう思っていますね、ビクスル」

 

 

自分に向かってくる足音と擦れるような声が耳に入ったシャスターは、体を床に沈めながらも、まだ自由がきく目許を顰めてフ・ザを睨みつけた

 

 

「お前なぞに名前を言われる筋合いはない…そう言いたげな顔をしていますね?ですが、私があなたをビクスルと呼ぶのはこれが初めてじゃないんですよ?まぁあなたは覚えていないでしょうがね、幼年学校で自分が叩きのめした子供たちの顔など。そしてその内の一人が、屈辱のあまり水路に身を投げ、学校から永久に姿を消したことも」

 

 

突如として始まった演目に、ガブリエルは嘆息吐きながらもその成り行きを見守ることにした。しかしそれは、皇帝ベクタたる自分を恐れず刃を抜いたシャスターに、このローブの男が何を思うのか、一介の人工フラクトライトたる彼らがどのような因果で繋がり、また感情を抱いているのか純粋な興味があることの裏返しだった

 

 

「えぇ、なにせ30年も経ちましたからねぇ。ですが私は一度として忘れたことはありませんでしたよ?流れ着いた地の底で暗殺者ギルドに拾われ、奴隷としてこき使われた長い年月の間、ずっとね。私は多くの知識と技を蓄え、新しい毒を開発し、ついには暗殺者ギルドの頭首にまで上り詰めた。全てはあなたに復讐するためです、ビクスル」

 

「何を、言って…?」

 

「あなたの体に打った毒はね、あなたを殺すために私が手ずから開発した毒です。気が遠くなるほどの時間をかけて、ね。実験では天命量が三万を超える大型地竜ですら1時間で死に絶えましたよ。まぁあなたであれば、もって後2、3分と言ったところでしょうか。さぁ…返してもらいますよ。あなたに預けてあった、私の恨みと屈辱を」

 

 

フ・ザ。かつての名を『フェリウス・ザルガティス』と言ったその男の深く被っていたフードが、ほんの少し傾いた。その素顔が、目の前にいるシャスターにだけ晒される。その顔は毒の影響か、酷く溶け崩れていた。そんな元の顔が見る影もない顔の見覚えを、シャスターが感じるはずがなかった。だからこそ、もう彼は恨みに燃える醜い暗殺者の顔など見ていなかった

 

 

「ーーーーーーせん…」

 

 

その僅かな唇の動き、そして朧霞の刀身が再び霧に変じていることに、フ・ザは気づいていなかった。ただ長年の恨みを果たした悦楽に酔うばかりで、五感の感覚を全て放棄していた。それに気づいていたのは、ガブリエルだけだった。リピアが呈した大義は、間違いなくこの男の中にもある。そう確信した頃には、フ・ザの『殺の心意』を上回る、シャスターの『義の心意』が奮い立った

 

 

「邪魔はさせんっ!!!」

 

 

毒によって麻痺していたはずのシャスターの口から猛々しい怒号が飛び出すのとほぼ同時に、灰色の竜巻のようなものが右手を中心にして高く巻き上がった。その竜巻はシャスターの心意が呼び起こした、神器による『記憶解放』の術式だった。触れた物体全てを余すことなく分解する、破壊の権化たる竜巻は、避ける間も無くフ・ザの体を飲み込んだ

 

 

「ぶぎゃっ……!?」

 

 

ジリジリジリッ!!という微細な音の中に、顔の爛れた暗殺者の短くも醜い悲鳴が混ざりこんだ。それに続くように全身が濃密な血煙となって竜巻に引き込まれると、面影も残すことなくフ・ザは世界を去った。しかし血の惨劇を巻き起こした竜巻は、彼一人を飲み込んだだけでは収まることはなかった

 

 

「ひっ!?あああああっっっ!?!?!」

 

 

続いて甲高い悲鳴を迸らせたのは、暗黒術師ギルド長ディー・アイ・エルだった。フ・ザに次いでシャスターの近くに座していたディーは、シャスターが発した怒号に悪寒を覚えた瞬間に飛び退いたが、その時には既に右足の膝から下が崩れ落ちていた。その事実に驚愕しつつも必死に神聖術で風素を生成し、後方に全速力で飛行するも、死の竜巻はそれを上回る風速で周囲をを巻き込んでいた

 

 

「クギャーーーッ!?」

 

 

生死を賭けた飛行を続けるディーの真横を、山ゴブリンの長であるハガシが通り過ぎた。直後にビシャッ!という水の跳ねる音がした事から察するに、彼の体は視認できないほどに細切れになったのだろうとディーは分かっていた。今でこそ右足一つ、この程度であれば自分の神聖力を活かした治癒術でどうとでもなるが、粉々に刻まれればそれも叶わない故に、すぐ背後まで迫っている死の予感に純然たる恐怖の念を抱いた

 

 

「ヒギャアアア!?離せっ!はなっ……!」

 

 

平地ゴブリンの長クビリは、ディーも気づかぬ間に鮮血を伴う竜巻に呑まれていた。ディーがほとんど衝動的に振り向くと、その先では竜巻の中心に立つシャスターがクビリの足を掴み、そのまま竜巻の中心に引き込むと、彼の断末魔が途切れた。そしてなお悪いことに、振り向いた所為で減速したディーの右足が、根元から千切れた

 

 

「ひいいいぃぃぃっっっ!?!?」

 

 

苦痛に顔を歪めながら、ディーはすぐさま前を向き直して、空中を泳ぐように上半身をバタつかせながら飛んだ。元から距離のあった六人の諸侯達は、西側の壁まで避難していたが、驚愕に目を見開いて言葉を失うばかりで、逃げ惑うディーに手を差し出すことはなかった。もう直ぐあのゴブリン達の後を追うことになる…そうディーの脳裏に思考がよぎった瞬間、死の竜巻が奇跡的に停止した

 

 

「はあっ…!はあっ…!」

 

 

引き合う力がなくなると、ディーは床を這うようにして六人の諸侯が群がる西側の壁まで避難した。そこでようやく部屋を見渡すと、部屋の後方で待機していた各陣営の幹部も無事だった事と、玉座に座るベクタは顔色一つ変えていないことを知った。そして部屋の中央には、半透明の霧で覆われた男の上半身。それがシャスターの写し身であることは、混沌とする思考でも間違いないと確信した

 

 

「・・・・・」

 

 

シャスターも含め、ほぼ同ステータスであるはずの将軍ユニット三人を一瞬で亡き者にした現象に、顔色こそ変えなかったが流石のベクタも驚愕を覚えていた。このアンダーワールドには、今の事象を引き起こした、自分もクリッターも知らないロジックが存在するのではないか。そうガブリエルが考えた瞬間に、竜巻の巨人が天地を揺るがすような雄叫びを上げた

 

 

「ヴォォォォォォォォォォォ!!!!!」

 

 

咆哮が玉座の間を飾る窓ガラスの大部分を砕いた。ある者は耳を塞ぎ、ある者は吹き荒ぶ暴風に耐えきれず頭部の前で両手を交差させた。しかし、そんなことなど露知らず、巨大な霧の巨人は眼前のガブリエルに向けて拳を振り下ろした。剣で受け止めても意味はないし、回避できる距離でもない。そう判断したガブリエルは、副官のヴァサゴが飛び退くのを横目に見ながら、巨人の振り下ろす灰色の拳を待ち受けた

 

 

「・・・面白い」

 

 

シャスターが今際の際に発生させた心意は、もはやアンダーワールドのシステムの枠組みを超えていた。かの竜巻は数値的な天命を減らしたのではなく、彼らのライトキューブに直接『死のイメージ』を叩き込み、フラクトライトを破壊することでそこから逆算するように肉体を消失させたのだ。さればこそ今度の拳も、ガブリエルの莫大な天命を減らすことなく彼の意識の中核、自我へと迫った

 

 

「ブルゥワアアアァァァッッッ!!!」

 

 

この時シャスターの主観では、己の放った一撃が自意識と同化し、皇帝ベクタの内部へと侵入したのが感覚で分かっていた。本来の肉体の天命が既に尽きたことは今の状況からでも明白であり、これが生涯最後の一撃であることを悟った。それでも彼は、愛するリピアの首を晒した皇帝に一矢報いるべく、ベクタの額を貫いた

 

 

[・・・これ、は…]

 

 

心意と同化したシャスターは、皇帝ベクタの自我に存在する魂の中核に突入した。そこを破壊すれば、さしもの暗黒神と言えど、フ・ザやゴブリン達と同じように消滅すると考えていた。しかし、その魂の中に入り込んだシャスターは、生涯最大の驚愕を目の当たりにした

 

 

[ーーーーーない…]

 

 

光の雲にも似た魂の中核、そこには意識の精髄が集中し、世捨て人のフ・ザでさえも貪欲な生への執着がギラギラと光っているのが見られた。だというのに、今いる魂の中核には、一筋の光さえも差すことのない、濃密な闇が広がっていた

 

 

[コイツは…この男は………]

 

 

STLが量子回線を用いて再現したガブリエルのフラクトライトには、感情すらも窺い知れない、無限の闇が広がっていた。その闇に呑まれるようにして、シャスターの意識が溶けていく。消えていく。蒸発していくーーー

 

 

[・・・命を……知らない、のか………]

 

 

生命の、魂の、そして愛の輝きを知らぬからこそ、この男は他者の魂を求める。この男の前では、どれほど強力な心意であろうと、殺意に由来する心意では斃せない。なぜなら、この男には生という概念がない。生まれながらにして死する、人の形をした屍ーーー

 

 

[・・・無念……。・・・リピア……]

 

 

そこでシャスターの意識は、プツリと途切れた。無限の深淵に覆い尽くされるようにして、光の差さない闇の底へと落ちた。愛する者の姿を浮かべる思考さえも弾けてしまったのを最後に、暗黒騎士の将軍ビクスル・ウル・シャスターの魂は完全に消滅した

 

 

「・・・・・・・・・・」

 

 

消滅してしまったシャスターの魂の輝きに意識を貫かれたガブリエル・ミラーは、恐怖よりも歓喜を感じていた。それは2日前に喰らったリピアの魂よりも、より濃密な感情を含有していた。あの女への愛、ダークテリトリーに住む人々への慈しみ、それを動力源とした殺意。つまり、その魂に連なるは愛と憎しみ。これ以上に甘美なるモノが、この世に存在するのか、そんな疑問を抱えながらも、ガブリエルはシャスターの魂を喰い尽くした

 

 

「・・・・・は。くっくっ……」

 

 

甘美なる味わいに浸り、騎士の魂を咀嚼するガブリエルの口から、くつくつとした笑みが漏れ出した。己が生命の危機に晒されてなお、それを意識することなく騎士の魂を喰らい尽くすことを選んだ。もしも彼がシャスターの真意による攻撃に少しでも恐怖すれば、STLを経由した死のイメージが、連鎖的に彼のフラクトライトを吹き飛ばしていたはずだった

 

 

「・・・・・礼を言おう。身を持たぬ魂よ」

 

 

しかし彼が命を知らないばかりに、シャスターのフラクトライトによる破壊信号は、ガブリエルのフラクトライトに広がる虚無を前に、何にも衝突することなく消滅してしまったのだった。そんな理屈をガブリエルは知る由もなかったが、この世界には通常攻撃や呪文以外にも攻撃方法が存在することと、その攻撃が自分には通用しないことを知った。その解析を後にクリッターに解析させねばと考えるのと同時に、彼は玉座から立ち上がった

 

 

「・・・将軍の失われた軍は、直ちに次点の位にある者が指揮権を引き継げ」

 

 

生き残った諸侯六人は、未だかつて味わったことのない恐怖に震え上がりながら、皇帝ベクタを呆然と見上げていた。一瞬にして三人の将を血煙に変えたシャスターの一撃を正面から受けても、この男は傷一つ負わなかった。『力ある者が支配する』という、闇の世界にたった一つ存在する法を、この皇帝がその言葉通りに体現していることは、六人の諸侯や背後に控える百人以上の士官にも一目瞭然だった。その事実を噛みしめるように、その場にいる全員が深々と頭を垂れ皇帝への恭順を示すと、闇を統べる神はそれを見下ろしながら言った

 

 

「我が力の下に集え。一時間後、人界への進軍を開始する」

 



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第19話 それぞれの夜更け

 

「それじゃあロニエさん、ティーゼさん。明日からキリトのことをお願いね」

 

 

アリスとキリト、そして上条が人界守備軍に馳せ参じてから四日目の夜。三人に与えられた天幕の中には、年若い二人の少女もいた。その少女たち、ティーゼ・シュトリーネンとロニエ・アラベルの顔を順に見つめながらアリスが言うと、二人はぴんと背筋を伸ばして頷いた

 

 

「はい!お任せ下さい、アリス様!」

 

「必ず、私たちがキリト先輩を守り抜きます!」

 

 

彼女達の瞳の中には、木製から鉄製に変わった車椅子に腰掛けるキリトの姿が映っていた。先ほど、その車椅子にキリトと夜空の剣、そして青薔薇の剣を乗せて進めるかどうかを試してみた所だった。その結果、二人で力を合わせれば即時撤退にも素早く応じれるほどの速度が出せることが分かり、アリスはホッと胸を撫で下ろしていた

 

 

「ありがとな、二人とも。だけどもしもここが危うくなったら、まずは自分の身を第一に考えてくれ」

 

 

そして少女騎士二人に対し、上条が諭すように言った。しかし、その言葉通りの事態に陥いれば、戦場に赴く自分たちや、守られるキリトはおろか、人界に住む人間には未来がないことは分かっていた。所詮この言葉も、気休めくらいにしかなっていない。そんな風に感じていた上条の心の内を知ってか知らずか、アリスが続いて付け足した

 

 

「そうよ。ここにいるツンツン頭の誰かさんみたいに、後先考えず自分を犠牲にするのだけはやめて頂戴ね」

 

「・・・ほぼ名指しに聞こえるのはカミやんさんの気の所為でしょうか?」

 

「そう思うのなら、少しは改善しようと努力したらどうです?単独行動の件、私は許した覚えはありませんからね!」

 

「お、お前な…それに関しちゃ、あの軍議から今日まで散々謝ってたじゃねぇか!それなのにずっと俺の顔見たら不貞腐れやがって!お前は反抗期の娘か何かなんですかぁ!?」

 

「む、娘ですって!?お互いそんな歳の子を持つほど生きてないというのに、なんですかその言い草は!?お前だって私が今日まで口を酸っぱくして、どれほど苦手でも剣の一本は帯びろと言っていたのに、訓練の時に誤魔化しで振っているだけで結局剣を帯びていないではありませんか!選り好みしてるお前の方がよっぽど子どもです!」

 

「へ〜?そう言いますか。じゃあカミやんさんも言わせてもらいますがね、お前夜な夜な寝言で『キリト…キリト…』って何回言ったか俺もう数え切れてないんですが!?床で寝てる俺にも聞こえてくるって、どんだけ寝言デカイんですか!?母親に甘える幼児なのか、ひたすら彼氏に甘えるクソリア充みたいな真似しやがって!こちとら気まずさ限界突破でロクに寝れてないわ!」

 

「なっ!?こ、このぉ〜っ…!」

 

「・・・仲よろしいんですね。お二人とも」

 

「ちょっ!?だ、誰がこんな男…!」

 

 

ティーゼの小さな呟きを聞き漏らすことなく、アリスは声を上げて否定しようとした。しかし、いざティーゼの方を向いてみると、彼女の奥で焦げ茶髪の少女騎士が、実に微妙な表情を浮かべながら俯いているのに気がついた

 

 

「・・・なるほど…そういうことでしたか。これは悪いことをしました…」

 

「あ?なんだよ、急にしおらしくなって。まぁその、なんだ。俺も少し言い過ぎ…」

 

「お前に言ったのではありません。というか悪いのはお前の方なんですから、今さら私が謝る理由がありません」

 

「な、なんですとぉ!?」

 

「それよりも、少しの間でいいので、この天幕から出てもらえませんか?」

 

「あ?なんだって急に…」

 

「四の五の言わず。彼女達と少しだけ、女性にしか出来ない話をしたいのです」

 

「・・・まぁ、そういうことなら」

 

「ついでに言っておくと、先ほど小父様が火酒を備蓄から持ち出しているのが見えました。今頃は夜風にでも当たりながら、それを飲んでいる頃合いでしょう。あまり飲みすぎないように、注意しておいて下さい」

 

「はいよ。じゃあ適当に時間が経ったら戻ってくる」

 

 

そう言うと上条はヒラヒラと手を振りながら、出入り口の垂れ幕を潜って外に出た。11月の夜だけあって少し肌寒さを覚えたが、両腕で体を覆いながら寒さを誤魔化しつつ野営地を適当に練り歩くと、野営地から少し離れた芝生に胡座をかいて座るベルクーリの背中を見つけた

 

 

「よう、ベルクーリのおっさん。あんま飲み過ぎるなってアリスが心配してたぞ」

 

「ん?あぁ、カミやんか。忠告はありがたく頂戴しておくが、俺は酒は飲んでも呑まれたことはねぇよ。試しにお前さんも一杯どうだ?中々お目にかかれん逸品だぞコイツは」

 

「・・・そうだな。俺もたまには酒でも飲むか」

 

「そうこなくっちゃあな。システム・コール。ジェネレート・クオーツ・エレメント。フォーム・エレメント。グラス・シェイプ」

 

 

幾多の星が輝く夜空の下で、ベルクーリは一升瓶とお猪口を手に、星々の中で一際強い光を放つ満月を見上げていた。そんな彼の左横に上条が座り込むと、ベルクーリは気の向くままに晶素を神聖術で生み出し、適当なグラスを作ると、そこに火酒を注いで上条に手渡した。そして上条はそれを右手で受け取ると、一口だけ火酒を含んだ

 

 

「おぉ、悪いな。それじゃ失礼…って不味っ!?なんだこれ!?」

 

「ははっ、お前さんの歳にはちと早すぎたか。もう少し歳を食えばこの辛味が病みつきになる。もっとも、俺は今自分が実際には何歳なのか分からん上に…次にいつコイツを口に出来る保証がないときた。しかしそんな気分で飲むってのが…中々どうして良い酒の肴になるとはな」

 

「・・・もう、明日なんだな」

 

「あぁ。願わくば、ちゃんと勝って生き残ったら、もう一度コイツを口にしてぇモンだ」

 

「じゃあ、勝利の祝杯の為にこの火酒は取っておかないとな」

 

「そりゃ違いない」

 

 

ベルクーリは上条の言葉にフッと笑うと、猪口に残っていた火酒を一息に仰いだ。そして懐から蓋を取り出すと、瓶に栓をして芝生の上に置いた。そして上条もとりあえず捨てるのも勿体ないと思い、襲って来るであろう辛味に身構えつつグラスに残った火酒を口にした…その時だった

 

 

「時にお前さんの恋人は、あのロニエって娘なのか?」

 

「ぶーーーーーっ!!!」

 

「うわっ!?汚ねぇ!」

 

「ゲホッ!オエッ!は、はぁ!?急に何言ってんだおっさん!?」

 

 

唐突な問いかけに、上条は思わず口に含んでいた火酒を吹き出した。そのせいで口どころか鼻の奥にまで広まった辛さにむせ返ると、涙目になりながらベルクーリに問い返した

 

 

「いやなに、お前さんあの娘と会った瞬間、もの凄い勢いで抱き合ってたじゃねぇか。側から見てた分には、まるで運命の再会でも果たしたようだったんでな。そうなると恋人って当たりをつけるのが相当だろう?」

 

「ち、違げぇよ。ロニエは俺が学院にいた頃の傍付きで、ただの後輩だよ」

 

「本当にそうかぁ?ただの後追いに、あんな熱い抱擁したことねぇぞ俺は」

 

「だから違うっつの。ロニエは…俺が覚えてる範疇で、初めてマトモに面倒見た後輩だから、少し思い入れがあるだけだ。まぁ後はそれと…」

 

「それと?」

 

「・・・俺は、一度アイツに助けられたんだ。だから、俺もアイツを守ってやらなきゃいけないって…そう思ってる」

 

 

そう言って、上条は星に覆われた夜空を見上げた。今一緒にいるロニエは、正確には自分が面倒を見たロニエではないことは分かっている。それでもその記憶を共有してくれているのなら、彼女は自分を助けてくれた、自分にとって守らなければならない大切な後輩であるということに変わりはなかった

 

 

「本当なら俺は、ティーゼにもロニエにも…なんだったらアリスにもキリトにも、ここにいて欲しくない。今の俺には…アイツらを絶対に守り切れるって自信がない」

 

「・・・言っとくが、そんな自信は俺にもねぇぞ。元より、ここにいる奴らだって、本音を言えばすぐさま元の居場所に帰るなりして、恋人や家族、自分にとって大切な人といたいって奴がほとんどだろう。だがみんなそれぞれ、それを割り切ってここにいる。他でもないその人間を、自分の力で守るためにここにいる騎士は…」

 

「分かってる。だけど、違うんだ。俺が言いたいのは…そういうことじゃない……」

 

「あん?」

 

 

自分のツンツン頭の髪を左手でくしゃりと握り潰しながら、上条は夜空を見上げるのを辞めて俯いた。そんな彼をベルクーリが訝しげに見つめていると、上条はやがてため息を吐いて呟き始めた

 

 

「・・・なに言ってるか分かんねぇだろうけど…この世界に来るまでの俺は、紆余曲折はあっても、何とか守りたいものを守れてきたんだ。その時までは敵だったヤツも、場合によっては味方になってくれたり、何とか元いるべき場所に返してやれてたんだ。まぁ例外もそりゃいたけどさ、それでも何とか必要以上に誰かを傷つけることなく、守って来れてたんだ」

 

「でもこの世界に来てからは、元いたの世界のアンタや、アドミニストレータみたいな敵どころか…味方だったやつも守れずに、死なせちまった。シャーロット…カーディナル…そして…」

 

「ユージオを、守れなかった…!」

 

 

悔しさを滲ませるように、上条は歯を軋ませながら今は亡き者たちの顔を、親友の最期を彷彿とさせた。彼を救うために世界の理へと立ち向かったにも関わらず、結局最後に救われたのは自分だった。自分だけが生き残ってしまった。そんなやり切れない後悔だけが、どうしても拭いきれなかった

 

 

「・・・泣き言が言いたいわけじゃない。ここに来た以上、戦う覚悟は出来てる。ただ、いざここに来て知ってる顔をいくつか見たら、どうしても不安になってきちまったんだ。思えばここに来るまでは戦いの連続で、いちいちそんな事を考えてる暇がなかったんだ」

 

「だけど残された青薔薇の剣からユージオの声が聞こえて、ふとここまで辿ってきた道を振り返ってみたら、とても手放しには喜べないことばかりだったんだって思い知った。だから俺はこのままじゃ、またこの戦いで大切な誰かを失うんじゃないかって…そんな考えばかりが浮かぶんだ」

 

「アドミニストレータを倒した時は、必死すぎてどうしようもなかったけど…本当はもっと別の道だってあったはずだ。あの場にいた誰もが笑っていられる、最高なハッピーエンドってやつを…あの時の俺は掴めなかった」

 

 

上条が言った刹那、神聖術で作られた透明なグラスは、彼の右手で緩く握られ跡形もなく崩れ落ちた。幻想殺しと呼ばれる、自分に宿るその右手は、厳密にはこの世界では自分の手にはない。グラスを打ち消したという事象は『自分の右手には幻想殺しがある』という、他でもない上条自身が生み出した幻想によるものでしかなかった

 

 

「これが多分…今までの俺と、今の俺の決定的な違いだ。大切な人を救える、誰もが望む幸せな結末を掴み取れるだけの『右手』が…今の俺にはない」

 

「きっと戦場に立つべきなのは…あの右手を持った、正真正銘の『上条当麻』なんだ。ここにいる俺じゃ…何も持たない『カミやん』は、たとえ戦場にいても意味がないんじゃないかって…そう思っちまうんだ」

 

 

右手を持っていた自分は、誰かを守れていた。誰かを守る時の自分は、右手を使っていた。右手があるから上条当麻なのか、自分が上条当麻だから右手があったのか。もうそれは、右手に視線を落とした上条当麻自身にも分かっていなかった

 

 

「・・・お前さんにどういう過去があったのかは分からんし、敢えて聞くつもりも俺にはない…が、この戦争で誰一人も死なないなんてのは不可能だ。こっちは五千、向こうは五万。その五万の敵は明確な敵意と殺意を持って襲い来る、文字通りの闇の軍勢だ。敵も味方も望む結末…なんてのは、それこそ幻想だ。思い描くだけ無駄な理想論に過ぎん。駄々をこねる子どもの無い物ねだりだ」

 

「・・・・・だよな」

 

 

そう言われた上条がふとベルクーリの方へ視線をやると、彼はいつの間にか一度蓋をしたはずの火酒の瓶をもう一度開け、猪口に注ぐことなくラッパ飲みにしていた。そんな行儀の悪い飲み方をしていたせいなのか、すっかり顔が火照っていたが、彼はそのまま続けた

 

 

「俺はお前さんという人間の在り方に、何か良い助言は出来ん。お前さんの思うところについちゃあ、そうさな…お互いに割り切れねぇから戦うんだ、複雑な事情は無理矢理にでも飲み込めとしか言いようがねえ。ただ、お前さんは自ら単独行動を買って出たんだ。だったらせめて、自分の手に届く範囲に守りたいと思ったやつがいるなら、例えそれが敵であろうと守ってやりゃあ…少しはお前さんの望みも叶うんじゃねぇのか?」

 

「・・・それがどんどん繋がっていけば、結果的にはたくさんの人を守れるって…そういうことか?」

 

「そうだ。お前さんの立場は単独行動だが、これはお前さん一人の戦いじゃない。自分だけで悩んで、自分だけでどうにかしようとするな。もっと周りのみ、んな…を………」

 

「・・・ベルクーリ?」

 

「んごぉ…ごっ…かぁ…」

 

 

話し相手の声が急に途切れると、上条は改めてベルクーリの方を見た。すると先ほどまで口にしていた火酒の瓶を地面に投げ出し、項垂れながらイビキをかいている、文字通りのおっさんがいた

 

 

「ね、寝てやがる…はぁ。しょうがねぇおっさんだな…酒は飲んでも呑まれたことねぇんじゃなかったのかよ…」

 

 

突如として眠りに入ったベルクーリに上条は呆れながらため息を吐くと、これ以上は何も話せまいと悟って、ゴロンと芝生に寝っ転がって一人夜空を見上げた

 

 

「・・・もっと周りの皆を…か…」

 

(『カミやんは、不思議だよね…人と人とを…繋げる力がある。君と関わった人、皆が笑顔になって…星と星が繋がるように…カミやんを中心にして…皆が強く、輝けるようになるんだ…』)

 

「・・・それを言ったお前がいてくれねぇと、実感が湧かねぇんだよ…」

 

 

上条の脳裏では、先のベルクーリが言いかけた言葉とどこか似ている、自分の腕の中で生き絶えゆく親友が残した言葉が蘇っていた。そんな記憶を呼び起こされ、上条は改めてユージオが隣にいないことに虚無感を覚えると、彼が名付けた剣の由来となった空を見上げて、ポツリと小さく呟いた

 

 

「・・・この星空の光の中には、お前もいてくれるのかよ…なぁ、ユージオ…」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ロニエさん。あなた…カミやんの事が好きなのね?」

 

 

一方、上条が出て行った天幕の中では、アリス、ロニエ、ティーゼがそれぞれ椅子に腰掛けていた。そして開口一番にアリスがロニエにそう訊ねると、黄金の騎士に問われた少女騎士はぎょっと目を丸くしたが、やがて神妙な面持ちで口を開いた

 

 

「・・・それが…自分にも、分からないんです」

 

「分からない…と言うのは?」

 

「私…好きだったんです。キリト先輩のこと…」

 

 

重ねてアリスに問われると、ロニエは天幕の奥に座るキリトを見つめながら、絞り出すような声で呟いた。目尻にほんの微かな涙を滲ませる彼女の姿に、アリスは僅かな驚愕を抱いた

 

 

「だけど…気づいたらキリト先輩じゃない、私が傍付きをしていたもう一人の…カミやん先輩の記憶と、その人が好きだっていう気持ちが一緒に流れ込んできて…心の中がっ…ぐちゃぐちゃに、なって……」

 

「・・・ごめんなさい。辛いことを話させてしまったわよね」

 

「いえ、いいんです。カミやん先輩は、もう好きな人がいるって言ってましたし…キリト先輩も、私のことはただの傍付きとしてしか…」

 

「そ、そんなことないわよ。きっと今の話をキリトが聞いていたら…」

 

「例え、そうだとしても…それでも私は、この気持ちを伝えるなんて、絶対に出来ません…」

 

「え?それは、あなたの記憶にカミやんとの思い出と感情が入り混ざって、一度に二人を好きになってしまった罪悪感があるから?それなら……」

 

「違うんです…ちが、うん…です……」

 

 

そこでロニエの嗚咽は途切れなくなり、横に座るティーゼが優しく支えた。そして彼女もまた、ロニエに感化されたように瞳の中に涙を滲ませると、震えた声で話し始めた

 

 

「アリス様は…キリト先輩とユージオ先輩が犯してしまった禁忌を、ご存知ですよね?」

 

「え、ええ…学院内での諍いにより、他の学生を殺めたと聞いたわ」

 

「では、先輩達が、なぜその禁忌を犯すに至ったかについては…?」

 

「いえ、そこに関しては概要くらいしか……」

 

「・・・ライオス・アンティノス修剣士と、ウンベール・ジーゼック修剣士は、私たちの友人であるフレニーカ・シェスキ初等練士に、屈辱的な命令を繰り返していました。そのことについて、私たちは両修剣士に抗議したのですが、憤りのあまり逸礼行為にあたる言葉を使ってしまったのです。そして、帝国基本法に基づく貴族賞罰権を適用され……」

 

 

そう話すティーゼは、俯きながら肩を震わせて頬に涙を伝わせた。それほどまで話すのが苦痛であるのなら、もうそれ以上は言わなくていい。そう思ったアリスは話を止めようとしたが、その時にはもうティーゼが口を開いていた

 

 

「堪え難い罰を与えられようとしていた私たちを救うため、キリト先輩とユージオ先輩は剣を振るいました。私たちがもう少しだけ賢かったら、あの事件は起きなかった。先輩達が、法を正すために教会と戦い、命を落とすこともなかったんです。私たちは…取り返しのつかない罪を犯してしまった。だから口が裂けても…先輩達に、好きだ…なんて……」

 

 

ついにティーゼも耐えきれなくなって、嗚咽を繰り返して泣き始めた。その重すぎる悔恨を含めた涙を流す少女たちに、アリスは奥歯を噛み締めた。教会こそが正しいと信じ、貴族による裁決を黙殺し続けていた自分を強く恥じた。だからこそアリスは、自分よりもよっぽど勇敢にこの世の理へ立ち向かった少女達に敬意を表すため、力を込めて言った

 

 

「いいえ、違うわ。あなた達に、罪なんかない」

 

「ッ…同情なんて…必要ありません。アリス様にはッ…!誉れ高き整合騎士のアリス様には解るはずありません!私たちの体はあの男達に弄ばれ、誇りは罪に汚されてしまったのです!」

 

 

アリスの言葉に顔を上げ、声を荒げたのはロニエだった。瞳に強い光を宿しながら叫ぶ彼女に、アリスは小さくかぶりを振った

 

 

「いいえ。心は体の入れ物に過ぎないわ。私たちにとっては、心…すなわち魂こそが、唯一確かに存在するものなのよ。そしてその魂の在り方を決めるのは、他でもない自分自身なの」

 

 

そう言うとアリスは、静かに目を閉じて意識を集中させた。するとその刹那、彼女の体の周りを暖かな光の粒子が包み込んだ。そのあまりの輝きにティーゼとロニエが目を閉じると、次に瞼を開いた先には、黄金の鎧や籠手が消滅し、澄んだ青色のスカートと生成りのエプロンを見に纏うアリスが立っていた

 

 

「・・・ほら、ね?体や外見は、心の従属物に過ぎないのよ」

 

 

呆然とした様子で目を合わせたティーゼとロニエに、アリスは微笑みながら言った。それは、在りし日の彼女の姿だった。ルーリッド村で幼馴染と元気に走り回っていた、11歳の少女の姿。その、アリス・ツーベルクという少女の人生に待っているはずだった、本来の姿の現し身であった

 

 

「心は、誰にも汚されない。辺境の村で生まれた私は、本当はこんな風に育つはずだったのよ。でも11歳の時に、罪人として央都に連れて行かれて、術式で記憶を消されて整合騎士になったの。そんな自分を取り巻く運命を、呪った時もあった」

 

「「・・・・・」」

 

「だけど、そんな私にもするべきことがある…そうキリトが教えてくれた。だから、私はもう迷わない。今の私が私であることを受け入れて、前に進むって決めたの。そしてそれは、あなた達にもきっとあるわ。あなた達にしか歩けない、広くて、長くて、真っ直ぐな道が」

 

 

二人の少女騎士が取り合う手に、小さな雫が何度も落ちた。虹色に輝くそれを懸命に掬いながら彼女達は、ただ力強く頷いた。それを何よりの返事として受け取ったアリスは、彼女達の為に一度天幕を出た。しかしその先には、まるで待ち構えていたようにエルドリエが駆け寄ってきて賛辞を述べ始めた

 

 

「おお、何と素晴らしい…!深い夜にも勝る光を凝縮したかのようなお姿…まさにこれこそが、我が師アリス様…!」

 

「・・・どうせ明日には土埃に塗れます」

 

 

先ほどのアリス・ツーベルクだった自分を思い描いた心意による変身現象はとうに去り、今のアリスは黄金の鎧と純白のスカートが露わにしていた。そんな教会で何度も見たであろう姿を今一度賛辞するエルドリエにアリスは軽くため息を吐きつつも、どこか嬉しそうに表情を緩めていた

 

 

「・・・ええと、アリス様?何か気に触れる事がございましたか?いつもであれば…」

 

「これまで、よく尽くしてくれましたね。エルドリエ」

 

「・・・は!?い、今なんと…!?」

 

 

アリスにかけられた言葉に、エルドリエは自分耳を疑った。アリスはそんな唖然として立ち尽くすエルドリエの左手に、そっと自分の右手を添えて微笑んだ

 

 

「そなたが私の傍らにいてくれたことは、私にとって救いでした。デュソルバード殿のような古参の男騎士ではなく、大した実績もない私の指導を欲したのは、そなたが私の身を案じてくれたからなのでしょう?」

 

「とっ、とんでもありません!そのような不遜なことは、断じて!私はただ、アリス様の剣技の見事さに心底敬服したが故に…!」

 

「良いのです、エルドリエ。例え理由が何であろうと、そなたが支えてくれたから、私は険しい道を今日まで歩き続けることが出来ました。ありがとう、エルドリエ」

 

「アリス、様…?なぜ、出来ました…などと…」

 

 

激しく首を横に振って否定しようとするエルドリエの手をもう一度強く握ったアリスは、飾らない感謝の言葉を最後に、するりと手を離した。その瞬間、藤色の騎士の瞳に、大きな雫が浮かんだ

 

 

「なぜ…なぜこの地で終わってしまうかのような言い方をなさるのです!?私は…私はまだまるで教わり足りませぬ!剣も、術も、まだまだあなたの足元にも達しておりませぬ!これからも、ずっと…ずっと私を鍛えて…導いていただかなければ…私は……!」

 

「整合騎士!エルドリエ・シンセシス・サーティワン!」

 

「は…はっ!」

 

 

エルドリエは震えた声で訴えながら、アリスに向けて右手を伸ばした。するとアリスは、その手が自分に触れる直前で、厳しい声色でエルドリエの名を叫んだ。その急な叫びにエルドリエは少し怯みつつも、伸ばしていた手を引っ込め敬礼の姿勢を取ると、アリスは彼の肩に手を置いて静かに言った

 

 

「・・・師として、最後の命令を伝えます。生き抜きなさい。生きて平和の訪れをその目で見届け、そして取り戻しなさい。そなたの真なる人生と、そなたが心の底から愛する者を」

 

「アリス、様…!」

 

 

それ以上アリスは、エルドリエに何も語ることなく、青のマントをはためかせながら身を翻した。そして、東の果てに集まった人界守備軍の誰もが、明日に幕開けを迎える戦にそれぞれの思いを馳せながら、夜明けを待った

 



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第20話 アンダーワールド大戦 開戦

 

 

「あーあ。結局、俺は出番なしかねぇ…」

 

 

ダークテリトリーの血にも似た色合いの空に宵闇が差し込む頃、オブシディア城から丸三日かけて移動した侵略軍は東の大門が何とか視認出来るほどの距離を保って進行を停止し、来る戦に向けて居を構え始めていた

 

 

「見ていたぞ。お前、あのシャスターとかいう暗黒騎士の将軍が竜巻に変身した時、私を放置して真っ先に逃げたろう」

 

 

そんな軍の中で、移動式の指揮車の上で何本目かのウィスキーボトルを開けてボヤいたヴァサゴに、冷徹な視線を向けながらガブリエルが叛乱の起きた夜の行動を指摘した

 

 

「あっは。流石は隊長だ、よく見てるねぇ。いや何せほら、俺は昔っからPvP専門だからさ。あんな実態のないバケモンの相手は向かないわけよ」

 

 

対して悪びれる素振りもなく、どこまでが本気なのか分からない言い訳を口にしたヴァサゴに、ガブリエルは軽く溜め息を吐いた。しかしそれ以上はその件について特に気にすることはないと結論付けると、なおも酒を喉に流す彼にガブリエルが訊ねた

 

 

「・・・時にヴァサゴ、お前はなぜこの作戦に志願した?」

 

「作戦って、アンダーワールドへのダイブがか?そりゃもちろん、面白そうだから…」

 

「いや、その前だ。『オーシャン・タートル』への襲撃作戦そのものだよ。お前はグロージェンDSのスタッフだが、あくまでもサイバー・オペレーションが専門だろう。実弾を喰らうかもしれない作戦に関わった動機は何だったんだ?」

 

 

決してガブリエルは、このヴァサゴ・カザルスという男に深い興味を抱いた訳ではない。ただ、この自分より若い男の軽薄な態度の下に何があるのか、部隊を率いる人間としてふと思ってしまった

 

 

「・・・んまぁ…そっちも理由としては、面白そう。だからだな」

 

「ほう?」

 

「大体それ言うんなら、アンタみたいな大学出のエリート様が現場に出る方がよっぽど無茶ってもんだぜ。いくら軍隊経験があるって言ってもな」

 

「私は現場主義だからな」

 

「そりゃ結構なことで」

 

「ではヴァサゴよ、お前にとって面白い事とはなんだ?銃を撃てることか?それとも、人を殺せ……」

 

「陛下、お時間のほどが」

 

 

ヴァサゴへの疑問を口にしているガブリエルの横から、暗黒術師ディー・アイ・エルが一礼しながら声をかけた。ガブリエルはその声にスイッチをベクタの演技へと切り換えると、ヴァサゴに問いかけていた口を噤み、ディーの方へと視線を向けた

 

 

「そうか。東の大門が崩壊するまでは具体的に後どれくらいだ?」

 

「一時間ほどかと」

 

「よろしい。では現時刻をもって、第一師団を峡谷へと侵入させろ。大門の手前ギリギリに展開させて、崩壊と同時に一斉攻撃。前線を押し上げられるようなら、第ニ、第三師団も惜しまず投入し、一気に殲滅する」

 

「はっ。承知致しましたわ。明日を待たずに、敵将の首を捧げてご覧に入れますわ。もっとも、黒焦げになっているかもしれませんが」

 

 

そう言い残すと、ディーは僅かな笑みを浮かべた唇を細い指でなぞり、黒い霧となって薄っすらと消えていった。そしてその気配が完全に亡くなるのを確認すると、ヴァサゴはガブリエルに向けて不敵に笑いながら言った

 

 

「ま、理由はどうあれ、今の俺は出番がなきゃ意味がねぇ。だからせめて、このウォーゲームを思いっきりぶっ飛んだ面白ぇ舞台に仕上げてくれよ、兄弟」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

時刻は午後の六時を回った頃。既に宵闇も過ぎて文字通り暗黒に染まったダークテリトリーの空の中に、彼女は静かに佇んでいた

 

 

「どうか見ていて、キリト。私は必ず、最後まであなたを守ってみせる」

 

 

果ての山脈に連なる峡谷の遥か上空。自身の騎竜である雨縁に跨ったアリスは、黒髪の若者への思いを胸に、その時を待っていた。先刻から彼女の顔を正面からなじっていたのは、どこか渇いた冷たい風だった。しかしその風を押し返すように、質量を持っているかのような分厚い風が、アリスの背中側から吹くと、彼女は来るべき時が満ちたのを悟った

 

 

「ーーーーー…来た」

 

 

東の大門。かつて神の手によって築かれ、人界暦300年以上にわたって人界と暗黒界を隔ててきた巨大な石壁は、今まさに崩れ落ちようかというほどにいくつもの亀裂が走っていた。そして数え切れない罅が悲鳴をあげるようにして、いくつもの岩石となって砕けていった

 

 

「・・・・・本当に、落ちた…あの東の大門が…!?」

 

 

その光景を背中で見守る人界守備軍5千の兵の中、一介の兵士の誰かがポツリと呟いた。その瞬間、ついに無限にも等しかった東の大門の天命が底を突き、如何なる爆発にも勝る轟音と、地を裂くような地響きを世界中に轟かせた。それは不吉な遠雷となって、アンダーワールドの元にいる誰もが空を仰いだ。そして、数秒後……

 

 

「・・・最終…負荷実験…」

 

 

五千人の守備軍の中で、上条当麻は東の大門が崩れた後に空に浮かんだ『Final Tolerance Experiment』という炎に包まれた文字の羅列を仰ぎ、一人静かに囁いた。その言葉の意味を知る自分以外の者が、この地に後二人もいることすら知らずに………

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「Wow……」

 

 

赤黒に染まったダークテリトリーの空にも、炎に染まった文字はこれ以上ない存在感を示していた。五万の兵がひしめく闇の軍勢の中で、その総本山たる指揮者に乗ったヴァサゴは興奮去り止まぬといった様子で低く笑いを漏らしていた

 

 

「最終負荷実験かぁ…コイツは世界歴代映画興行収入第一位のエンドゲームにも勝る大作になりそうだぜ。いっそのことチャチなAIなんかより、この映像技術を頂いた方がいいんじゃねぇか兄弟?VFXスタジオでも拵えれば、俺たちゃあっという間に億万長者だぜ」

 

 

くつくつと笑いながら喋るヴァサゴと共に指揮車に乗るガブリエルは、彼方の一大スペクタクルの幕開けを告げる炎の文字に視線を奪われながらも、極めて冷静に指摘した

 

 

「残念ながら、この映像を録画することは出来ん。この世界を象る万物はポリゴンではないからな。今ここでSTLに接続している者にしか見ることの叶わぬ、極上のエンターテイメントだ」

 

 

そう言ってガブリエルは漆黒のマントを翻すと、指揮車の屋根に据えられた玉座から立ち上がり、ディー・アイ・エルという暗黒術師が設置していった大型の髑髏に歩み寄った。小さなテーブルに乗るそれは、音声伝達の能力を付与された、現代でいう通信機のようなもので、同じ物を持つ十侯の将軍に声が届く仕組みになっている。ガブリエルはその髑髏を手に取ると、闇の神ベクタの名に相応しい冷厳な声を響かせた

 

 

「闇の国の将兵共よ!待ち望んだ瞬間がやって来た!命ある者は全て殺せ!奪える者は残さず奪え!己の力の元に、人界の民を蹂躙せよ!!」

 

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」

 

 

その言葉に、大列そのものから鬨の声が轟いた。五万全ての兵から上がるその叫びは、先の東の大門が崩壊した轟音にも勝るとも劣らず、突き上げられた無数の蛮刀や長槍が血の色に染まる陽光を反射して鈍く閃いた。高揚する兵の雄叫びの中でガブリエルは天高く右手を掲げると、それを鋭く振り下ろしながらウォーゲームのプレイヤーたる第一声を発した

 

 

「第一陣!突撃開始ッ!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「テメェら、しっかり固まって俺に付いて来い!突撃ぃぃぃ!!!」

 

 

皇帝ベクタの号令を合図に叫んだのは、シャスターの叛乱によって亡き者となった、山ゴブリンの長ハガシの跡を継いだ『コソギ』という名の新たな長だった。今年で二十歳になる彼は侵略軍第一陣を構成するゴブリン部隊の右翼、五千の兵士を率いて、分厚い山刀を突き上げながら走り出した

 

 

「第一部隊、抜剣!戦闘用意!修道士隊、治癒術!詠唱用意!」

 

 

整合騎士団、および人界守備軍の副長を務めるファナティオ・シンセシス・ツーは、部隊の指揮官として人界守備軍の最前列、その中央に立っていた。ついに崩壊した東の大門の向こう側から迫り来る地鳴りのような轟音、ゴブリンの小刻みな足音、オークの間延びした足音、地面に槌を打つようなジャイアントの足音に負けまいと、彼女は紫のマントを靡かせながら声高に叫んだ

 

 

「・・・始まるのか」

 

 

迫る侵略軍第一陣と守備軍第一部隊の号令を、上条当麻は第一部隊と第二部隊の丁度境い目あたりで耳にし、静かに呟いていた。上条当麻は幼少期から学園都市の教育を受けて育った身であるが、その教育カリキュラムは能力開発だけでなく、歴史についても触れることもあった。そこで知った大正から昭和にかけて日本で続いた『戦争』という単語は、終戦を迎えてから時が経った現代では決して好まれる物ではなかった

 

 

「形はどうあれ…これも等身大の戦争なんだな…」

 

 

上条は、後に『アンダーワールド大戦』と呼ばれるこの戦争に、どちらかと言えば銃器を扱わない、単純なぶつかり合いがモノを言う、戦国時代は黎明期に繰り広げられていた合戦のようなイメージを持っていた。しかしそれにしても、歴史ドラマや映画による再現を見たことがある程度で、実際の戦場で飛び交う兵士達の叫び声や、漂う殺気に身震いしていた

 

 

「ビビるなよ俺…守れないかもなんて不安があるのは、みんな同じだ。命の取り合いなんて、あの世界でいくらでもしてきただろうが」

 

 

ソードアート・オンライン。ゲームの世界での死は現実での死を意味する悪魔のデスゲーム。ここアンダーワールドでは、自分の死が現実の死に直結するかは定かではない。別段の影響はないかもしれない、だが確証はない。だからこそ、上条はこれまでもこの世界に自分の命を賭けてきた。そして今ここが、その終局であることは、もはや多く考えずとも分かることだった

 

 

「・・・行くぞ。この世界を守るために、俺は戦う」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 

巨大な火炎が、人界守備軍第一部隊の右翼側から上がった。デュソルバード・シンセシス・セブンの大弓から迸ったそれは、200メル先に迫った侵略者達を赤く照らした。そして彼の弦に番えられた4本の矢が、豪炎を纏って輝いた

 

 

「我が名はデュソルバード・シンセシス・セブン!誉れ高き整合騎士の一柱である!我が前に立つ者は骨すら残らず燃え尽きると知れ!!」

 

 

名乗りの直後に、ズドオッ!という爆裂音と共に4本の火炎が熾焔弓からが発射された。放射線状に放たれたそれの餌食…ひいては戦争最初の犠牲者になったのは、谷の左側を突進する平地ゴブリン族の兵士達だった

 

 

「怯むなテメェら!まずはあの弓使いを殺せぇ!囲んで刻んで叩き潰せ!俺たちゴブリンは使い捨ての兵力じゃねぇ事を見せてやれ!最下層種族として虐げられてきた積年の怒りと恨みを、白イウムの血にしてぶち撒けろぉぉぉぉぉ!!!」

 

 

平地ゴブリンの新たな長『シボリ』は、同族を屠られた瞬間、無骨な戦斧を振り上げて叫んだ。だがその怒りは、自分の配下を殺されたことによるモノのみではなかった。並進するゴブリンの後続には、オーク族やジャイアント族が地を揺らしながら迫ってきており、立ち止まろうものなら何倍もの体躯を誇る彼らにゴブリンはあっさりと踏み潰されてしまうことを分かっていながら、この最前線に配置されたことにもあった

 

 

「「「殺せぇ!殺せぇ!殺せぇ!」」」

 

 

ゴブリンは数ばかりの下等種族。それがダークテリトリーにおいて緑の異形に対する見方だった。シボリを始め、ゴブリンは決してそのような蔑みや虐げられてきた過去を忘れることはなかった。種族そのものが抱える怒りは、守備軍の兵士に対する憎悪と殺意に変換され、五千の平地ゴブリンから獰猛な絶叫が上がった

 

 

「・・・ここいらが潮目か」

 

 

ゴブリンが迫る間にも、デュソルバードの熾焔弓は三度にわたり火矢を放ち、数にすれば150にも登るであろうゴブリンを焼いた。しかし、彼の炎が至近距離で当たれば、その熱は味方にも被害を及ぼす。故に彼我の距離が50メルを切った所で紅蓮の騎士は武装完全支配状態を解除し、通常の射撃へと切り替えた。矢筒から次々に鋼矢を引っ掴んでは乱射し、一本の矢が軽々とニ、三匹と絶え間なくゴブリンを貫いた

 

 

「騎士殿を守れっ!奴らの刃を触れさせるなっ!」

 

 

そう叫んだのはまだ二十歳そこらの若い衛士長だった。勇み叫んだ喉とは裏腹に、身体は恐怖に細かく震えている。しかしてそれは、彼の周りにいる衛士も同様だった。当然と言えば当然だろう。歳や衛士の歴など関係なく、この軍にいる者のほとんどは実際に命のやり取りをするのが初めての人間が大半なのだ。そんな懸念をデュソルバードはぐっと息を溜めて堪えると、衛士長に低く声をかけた

 

 

「済まん。左右を頼む」

 

「お任せあれ!」

 

 

デュソルバードの声に、衛士長はニッと太く笑った。その数秒後、なだれ込んできたゴブリンの蛮刀と衛士隊の長剣が剣戟の火花を散らした。押し寄せる侵略の波と、守護の壁がぶつかり合った。それこそが、総数五万の闇の軍勢と総数五千の人界守備軍、相入れることのない二つの軍勢の明確なる衝突だった

 

 

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」

 

 

アンダーワールド全体を震撼させる、両軍の兵士による雄叫びが爆ぜる。ぶつかり合う金属音と、足音と、悲鳴と、咆哮。全てが混沌と絡み合っていく。様々な願いと思惑が交錯する中、アンダーワールドの命運をかけた大戦の火蓋が、今ここに切って落とされた

 



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第21話 ファナティオ・シンセシス・ツー 

 

 

「しかし、それほど強力なのか?上位整合騎士というのは」

 

 

時は遡ること大戦開幕の数時間前。決戦の地へと向かう、恐竜にも似た二頭の怪物が引く巨大な四輪戦車の上では、皇帝ベクタことガブリエル・ミラーと、暗黒騎士に扮したヴァサゴ・カザルス、そして暗黒術師ギルド長のディー・アイ・エルが席を共にしていた

 

 

「えぇ、それはもう。あの憎き最高司祭に仕えていた彼らは人界屈指の術理と剣の技量を兼ね備えており、三百年続く戦いの歴史に於いて、我ら闇の術師や騎士が整合騎士を討ち取ったことはただの一度も…と申し上げればご理解いただけますかしら?もちろん、その逆は星の数ほどありますが」

 

「・・・ふむ」

 

 

自身の問いかけに対するディーの返答を聞いたガブリエルは、備え付けの玉座の肘掛けに肘を置きながら頬杖を突くと口を閉じた。すると彼に代わって、広いキャビンの壁際で胡座をかいて蒸留酒を口にするヴァサゴが訝しげな声色で、分厚いカーペットの上に寝そべるディーに訊ねた

 

 

「けどよぉ、ディーの姐さん。その整合騎士とかいう奴ら、そんなに強えなら、なんでこっちに攻めて来なかったんだよ?」

 

「あら、いいご質問ですわヴァサゴ様。彼奴らは確かに一騎当千の猛者ではありますが、それでもあくまで一騎に過ぎないのです。広大な空間で万の軍勢に囲まれれば、かすり傷が積もり積もって天命が尽きることも有りますでしょう?故に連中は卑怯にも、包囲される危険がない果ての山脈からは決して出て来ないのですわ」

 

「へーぇ、なるほどなぁ。ってことはアレか…どんなクソ硬いMobでも、安全圏からDoTダメージでチマチマ削っていきゃあ、いつかは倒せるっていう…」

 

「・・・は?も、もぶ…?」

 

 

いかに将軍ユニットと言えど、一介の人工フラクトライトであるディーに分かるはずもない喩えを出すヴァサゴに対し、ガブリエルはジロリと鋭い視線を投げると、彼の両手を合わせる仕草に嘆息を吐きながら言った

 

 

「ともかく、だ。要はその整合騎士どもを十分に広い戦場に引っ張り出せば、包囲して殲滅できる…ということだな?」

 

「理屈では、そういうことですわね。その際のゴブリンやオーク共の犠牲は軽く万を超えるでしょうが、奴らの武装完全支配術を前にしては、犠牲はやむを得ません」

 

 

ディーに言われるまでもなく、ガブリエルにとっては歩兵ユニットの損耗など気にかけるつもりはなかった。彼の唯一の目的は、アリスのフラクトライトを城へ持ち帰り、イジェクション操作によって現実へ抽出することだけなのだから。そんな風に考える彼を余所に、この作戦をどこかゲーム感覚に捉えていたヴァサゴがもう一度ディーに聞いた

 

 

「なぁ。上位整合騎士ってのはその、ぶそーかんぜん…なんとかってのがあるから強いんだろ?じゃあソイツを使える奴はコッチの軍勢にはいねぇのか?」

 

「残念ながら。武装完全支配術とは、人智を超えた武具である神器と、その素材に眠る記憶を引き出す技量があって初めて成立する術式ですわ。故に武装完全支配術とは術の真髄にして唯一無二。その効果は騎士と神器によって異なっています」

 

「なるほど。エクストラ…ひいてはユニークスキルみたいなもんか。じゃあ例えばどんなのが?」

 

「そうですわね、やはり代表例としては整合騎士長ベルクーリが持つ時穿剣でしょうか。奴が持つ剣は未来を切ることができ、彼が描いた斬撃の軌跡はその場に残ると言われています」

 

「Oh!ソイツはクールだな!カッケェな!」

 

 

ディーの話に興奮しているヴァサゴにガブリエルは深くため息を吐くと、それを押し戻すようにワインを喉に流し込んでから話に割り込んだ

 

 

「感心してる場合か。それが本当であれば、我々とて苦戦を強いられるであろう。しかし解せぬな。剣を振った軌跡が残るなどという限られた範囲にしか及ばぬ技ならば、何も万という犠牲を払わずとも押し切れるのではないか?」

 

「ベルクーリの支配術だけを見ればそうかも知れませんが、それが複数あるが故に厄介なのです。先ほど、その効果は騎士と神器によって異なると申し上げましたように、その神器によっては効果が広範囲、長距離に及ぶ術式もございます」

 

「・・・なるほど、道理だ」

 

「こちらに関しましては、実に如実な例がございます。整合騎士団副長ファナティオが持つ『天穿剣』という名の神器からなる武装完全支配術は………」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・捉えた」

 

 

守備軍と侵略軍の剣が衝突する数刻前。人界守備軍第一部隊中央陣を受け持つファナティオ・シンセシス・ツーは両足を大きく開き、左前の半身で立っていた。肩の高さにある右手には彼女の神器、天穿剣がしっかりと握られていた。しかし、それを握る拳の向きは逆手で、残された左手は水平に伸ばされ、掌で銀白の刀身を支えていた

 

 

「エンハンス・アーマメント」

 

 

ファナティオは深く息を吸い、囁くようにして唱えた。瞬間、彼女の手の中で天穿剣の刀身が眩く輝いた。見る者全ての視線を奪うその術の中でも、ことさらに目を引かれるのはやはり彼女の姿勢。その極細の切っ先を穿たんとする敵一点に向けるその姿は、スナイパーライフルを構える狙撃兵と酷似していた

 

 

「貫け!光よッ!!」

 

 

暗黒の闇が支配する領域に、一条の光が射した。眩く輝く天穿剣の切っ先から、その刀身の輝きすら霞むほどの閃光が迸った。さながらスナイパーのように膝をついて剣を構えたファナティオの視線の先では、桁外れの巨躯を誇るジャイアント族の中でも、一際巨大な族長『シグロシグ』の姿を完璧に捉えていた

 

 

「グオオオオッ!?」

 

 

目を焼くような眩しすぎる視線に、シグロシグは思わず目を庇いながら尻餅を突いた。その瞬間、灼熱の閃光が彼の右頬を掠めた後に、彼の後ろに続いていた配下のジャイアント三匹が鮮血を噴き出しながら、腰から上下に巨大な体を割られたのを目の当たりにした

 

 

「ッ!外した…!?」

 

「ヒイイイイイッッッ!?」

 

 

遠方でファナティオが舌打ちしながら顔を顰めている時、シグロシグは思わず座りながら後ずさりしていた。今自分はもし転けていなかったらコイツらのようになっていたのか。そんな容易にあり得た未来に怯え、巨大な体を動かす心臓はドクドクと脈を打ち、死の恐怖が駆け巡る脳内は信じられないほどに熱くなっていた

 

 

「嘘だ、うそだ、うぞだ!!俺殺す、人間コロス!ころすごろすごろずごろディルッ!でぃるでぃるでぃるDIRdirdirdir!!!!!」

 

 

シグロシグのフラクトライトには、ジャイアント族の長に相応しく強固に築かれた最強者であるといつイメージが、確かな『主体』として刻まれていた。しかしてそれが、腰を抜かして立てないという『恐怖』が正面からぶつかり合い、それぞれの感情を主張し合うことで加速度的に量子回路の崩壊を助長させていた

 

 

「ディルッ!ディルッ!ディルディルディルディルディーーーッッッ!?!?!?!」

 

 

ジャイアント族の戦士達が呆然と立ち尽くしながら、しゃがみ込んで錯乱するシグロシグを見守っていた最中、族長だった怪物は突然に立ち上がった。そして手にしていた巨大な戦鎚を乱雑に振り回しながら、前方にいた同族達を左右に跳ね飛ばし、凄まじい勢いで突進を開始した

 

 

「ーーーーーッ!?」

 

 

先頭のゴブリン部隊を文字通り踏み潰しながら迫る来るジャイアント族の長に、整合騎士ファナティオは戦慄を覚えていた。四メルを超える巨躯がもう目の前まで迫っている。このままでは自分も、あの錯乱した巨人に踏み潰されるしかない。そんなのは考えるまでもないにも関わらず、ファナティオは膝をついた姿勢のまま動くことが出来なかった

 

 

(ど、どうして…何故動けないっ!?)

 

 

心意。己の魂に思い描く思いの強さやイメージの力によって事象を上書きする秘中の秘。それは時によって、殺意と憎悪によっても形となって現れる。そして今まさにこの瞬間、シグロシグのフラクトライトの崩壊によって溢れ出した殺意と憎悪が、ファナティオの体を狙撃姿勢のまま凍りつかせていた

 

 

「ニンゲンゴロ!ニンゲンゴロズ!ニン!ゴロ!ディルディルディルーーーッッッ!!」

 

 

両目に赤黒い光を滾らせ、もはや言葉とも取れない絶叫を上げながら迫るシグロシグの鉄槌が自分に向けて振り下ろされるまで、もう後10秒もあるまい。そう考えるのとは裏腹に、ファナティオの体は動かなかった。動ければ、切り結ぶことさえ出来れば、あんな粗雑な鉄槌に神器たる天穿剣の刃が負ける道理はない。なのに、立てない。そもそもの前提が現実にならない

 

 

(・・・・・閣下……)

 

 

ファナティオが整合騎士として過ごした日々の中で愛した男の姿が、微かに脳裏をよぎった。その名を、動かない唇で小さく呟く。何と無様な最後なのか。整合騎士副長たる自分が、敵の殺意に飲まれ動けずに、ただ潰される。そんな最期を、彼女は恥じた。こんな生き恥を晒すくらいなら、早く消えてしまいたい…そんなことさえ考えながらその時を待つ彼女の前に、小さな人影が割り込んだ

 

 

「立てっ!そう長くは押し留められねぇぞ!」

 

「ッ!?」

 

 

ガアンッ!!という爆音と共に、無数の火花がファナティオの目の前で散った。振り下ろされる鉄槌と、それを突き上げるようにして防ぐ純白の盾。その下には、ジャイアントの巨躯の半分にも満たない体格の少年、上条当麻がいた。自分の体を凍らせた鮮烈な殺意を放ち続けるシグロシグへ敢然と立ち向かうその少年の後ろ姿に、ファナティオは思わず目を疑った

 

 

「だあっ!!」

 

「どうし…て………」

 

 

上条が吠えて、彼の身の丈程もある巨大な鉄槌を押し返す。その光景に、ファナティオは疑問が尽きなかった。なぜあの殺意を前にしても、彼は臆することなく立ち向かえるのか。あの盾は素材こそ良いが、天穿剣のような神器ではないのに、巨大な鉄槌をどうして防げるのか。そして、なぜ彼は明確な体格差を前にしても、小さな右手の拳を撃てるのだろうか

 

 

「ラァッ!!」

 

「ディルッ!?ディ、ディッ!?」

 

 

懸命に振り上げた上条の拳が、シグロシグの鳩尾に埋まる。しかし、どれだけ背伸びしても彼の拳が届くのはそこが限度いっぱいだ。正気を失った巨人は呻いてよろつく程度で、決して倒れはしない。それでも上条は必死に右拳を振り上げ、左手に握る盾の銀縁を懸命に巨人にぶつけ続けた

 

 

「うおおおおおおおっ!!!」

 

「よ、よせっ!無茶だ!」

 

「ゴロズ!ニンゲンゴロオオオ!!!」

 

 

シグロシグの殺気によって凍りついていたファナティオの口が、気づけば上条の無謀な抵抗を止めようと叫んでいた。だがその時には既に、体勢を立て直した巨人が鉄槌を今まさに振り下ろさんとしていた。上条の体が圧倒的な質量に押し潰される光景を脳裏に浮かばせたファナティオが、思わず目を背けたその瞬間……

 

 

「シッ!!」

 

「グオオオオオーーーッ!?!?」

 

 

『ダキラ・シンセシス・トゥエニツー』。ファナティオ直属の部下である四旋剣の一人にして、純白の兜の下に素顔を隠した整合騎士。その彼女が持つ細身の鉄剣が閃いた。神器には劣るが、他とは一線を画す優先度を誇るその剣は、上条へと振り下ろされた鉄槌ごとシグロシグの右腕を跳ね飛ばした

 

 

「悪い!助かった!」

 

「勘違いするな!私はお前ではなくファナティオ様に助太刀しただけだ!」

 

「そ、そりゃどうも…」

 

「ダキラ…!」

 

「お前達!今こそ私たちの命をファナティオ様に捧げる時だ!」

 

 

ダキラが上条に向けて吐き捨てた言葉の後に、ファナティオが腰を下ろしたまま彼女の名を呟いた。そして彼女の叫びにジェイス、ジーロ、ホーブレン、三人の四旋剣が隊列から飛び出して来ると、ファナティオを庇うようにして最前線に立つ上条と共に並び立った

 

 

「行くぞ!四旋剣、秘奥義!」

 

 

四旋剣は固有の部隊名こそあれど、決して精鋭によって構成されているわけではなかった。単騎で前衛任務に出すのは不安が残るとファナティオが判断した実力不足の騎士を集め、連携技によって生存率を高めようと結成された謂わば『落ちこぼれ部隊』だった。しかしてその評価は、この戦争、この瞬間を以て覆ることになる

 

 

「「「「『環刃旋舞』!!!!」」」」

 

 

それはまるで、竜巻のようだった。緑色のライトエフェクトを放った四本の剣が、荒れ狂う嵐のように旋回し、シグロシグを含め周りのジャイアントやゴブリンを一斉に薙ぎ払っていくその連携技に、落ちこぼれ部隊だと感じさせる姿は微塵にも残っていなかった

 

 

「「「ギャアアアアアアア!?!?!」」」

 

「す、すげぇ…!」

 

 

四人の白騎士が、その倍以上の敵を薙ぎ払うその光景に、上条は思わず目を見張って感動にも似た呟きを漏らした。SAOにも連携という概念こそあったが、連携技と呼べる代物はなかった。それ故に、もし仮に誰かが作り出そうと息巻いても、これほどの妙技が完成するとは思えなかった

 

 

「d#a×g÷chrs=afuv←itzーーーーーッッッ!!」

 

「なっ!?」

 

 

だからこそ上条は、四本の剣が織りなす連携技を受けても、なお立ち上がったシグロシグにそれ以上の驚愕を覚えた。イかれたラジオのようなノイズを吐き出しながら、自分の巨体を切り刻んだ四旋剣を薙ぎ払おうと鉄槌が横に振られる。その先にいる四旋剣は、技を放った直後で体勢を立て直す時間も足らず、ただ呆然とその鉄槌を見上げることしか出来なかった

 

 

「クソッ…!」

 

「伏せろっ!!!」

 

 

ズバアアアッ!というガスバーナーにも似た音が、ファナティオの叫びに続いた。凍りついていたはずの彼女の体は、部下を護ろうとする意志によってついに解き放たれた。自由を取り戻した彼女が握る天穿剣から再び閃光が迸ると、その光線の刃はシグロシグの胸板のど真ん中に風穴をぶち開けた

 

 

「ゴッ……ディ…ガ…………」

 

「ファ、ファナティオ様!」

 

 

ズウンッ!という短い地鳴りがして、シグロシグの巨体が黒い焦土に沈み、起き上がることはなかった。それを見たファナティオは短く息を吐いて、前に出ていた四旋剣と上条の元へと走り寄った

 

 

「済まない、お前達…私はあの巨人を前に、一度は戦いの心を引いてしまった。お前達がいなければ私は今頃…」

 

「何を仰いますかファナティオ様!私たちの方こそ、環刃旋舞を放った後は完全に油断していました!申し訳ありません、陣形から外れて自ら前に出ておいて、このような無様な失態を…!」

 

「懺悔は後にしろ!畳み掛けるなら今だぞ!」

 

 

互いに謝罪の言葉を述べるファナティオとダキラを上条が叱責した。彼の声に彼女達は敵方へと視線を戻すと、ファナティオの武装完全支配術と四旋剣の連携技によって、すっかり萎縮してしまったゴブリンやジャイアント達が目に入った

 

 

「第一部隊中央!前進せよ!」

 

「「「おおおおおっっっ!!!」」」

 

 

右手を振り下ろしたファナティオの合図に続いて、幾人もの兵士が押し寄せる波のように闇の軍勢へと襲いかかった。その最前線には、殺気に凍りついていた瞬間が嘘であったかのように、天穿剣を敵に向けて振るファナティオと、手当たり次第に目についた敵を右拳と純白の盾で押し飛ばす上条の姿があった

 

 

「助かりました!礼を言います!」

 

「だからそういうのは後にしろって!」

 

「はっ!大人数入り乱れての戦いが不得手だと言っていた割には、中々どうして手腕を振るうではありませんか!」

 

「アンタの方こそ!最初はすっかりビビっちまったのかと不安になったぜ!」

 

「ふっ、言ってくれますね…整合騎士副長の私をして。ですが、あなたのそういう所はキリトに似ています。彼との戦いの記憶は、今の私にとってはなくてはならないものです。ですが実際にあなたの戦う姿を見て、私はあなたとも戦ってみたくなりましたよ!」

 

「この戦争が終わったらいくらでも!」

 

 

迫り来る敵を斬り伏せながら、また叩き伏せながら、上条とファナティオは半ば叫ぶように会話を交わしていた。片方の世界では交わることのなかった二人は、天下分けめの大戦でついに肩を並べた。そんな奇妙な縁が可笑しかったのか、二人の男女は少しだけ微笑みを交わした後で、裂帛の気合いと共に叫んだ

 

 

「「押し返せえええぇぇぇっっっ!!!」」

 



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第22話 奇策

 

総勢五万を誇るダークテリトリー侵略軍に、コソギという一匹のゴブリンがいた。新たな山ゴブリンの長となった彼は、皇帝ベクタの進軍の合図で山ゴブリンの一団を率いて突撃した後に、部隊の後方に下がってひっそりと戦況を伺っていた

 

 

「・・・バカなヤツらだ」

 

 

開戦から既にかなりの時が経った今だからこそ、コソギは再認識の機会を得た。つまるところ、平地ゴブリンの長シボリも、ジャイアント族の長シグロシグも整合騎士の実力を過小評価していたのだ。コソギは彼らが文字通り身を削って戦うサマを見て、それを実感しながら一人呟いていた

 

 

「テメエらとは違って、こっちはそれなりに下準備もしてんだよ。バカめ」

 

 

曰く、数日前に果ての山脈を掘り返してルーリッド村を襲撃したゴブリンはその殆どが山ゴブリンの一派だった。そこに駆けつけた整合騎士アリスの実力を目の当たりにして逃げ帰ってきた者の話を聞いたコソギは、前線に部下を最低限だけ配置し、戦っているという体裁だけを整え、虎視眈々と機を伺っていた

 

 

「よし、投げろ」

 

 

奇妙な合図が、コソギの口から配下の山ゴブリンに伝えられた。整合騎士の脅威を誰よりも早く実感したコソギは、元より整合騎士と剣を交えるつもりは毛頭なかった。ゴブリンにしては頭の冴える彼は、整合騎士によって落とされた中央に配置されたジャイアント族の長シグロシグと、そう間も無くして落とされるであろう右翼側の平地ゴブリンの長シボリを内心で卑下していた

 

 

「「「キイイイッッッ!!!」」」

 

 

コソギの指示が伝播した後、人界守備軍第一部隊左翼側と衝突した山ゴブリン達は、小さな掌で灰色の球を潰しながら放り投げた。小さな火の粉が尾を引きつつ投げられた小球は、まるで強力なスモーク・グレネードのように着地した途端白い濃霧を吐き散らした

 

 

「テメェら!走れぇぇぇ!!!」

 

 

白い濃霧の中で、コソギは蛮刀を背中の鞘に戻しながら叫んだ。元々矮躯なゴブリンは、屈めば人間の膝下ほどの身長しかない。そのため、立ち込める濃霧の中では、どれだけ視力の良い人間でも正確に彼らの姿を捉えることは出来ない。だからこそコソギは前もってこの煙玉を部下に拵えさせ、いずれ後方から降り注ぐであろう暗黒術師とオーガ弓兵部隊による一斉攻撃は回避しようと目論んでいた

 

 

「目標は人界守備軍後方!補給部隊の連中だ!前線の野郎どもには一切構うな!」

 

 

そして、其れこそが彼の真の狙い。皇帝ベクタは突撃せよという命令を下したが、どこの誰をとは命じなかった。だからこそ、コソギと山ゴブリン達は、強力な整合騎士を煙でやり過ごし、戦力も薄いであろう後方の補給部隊を襲う作戦を立て、この瞬間に実行した。こうして人界守備軍左翼側では、しばし血が流れることなく時が流れ、水面下で戦況が蠢いていた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・始まった…」

 

 

整合騎士レンリ・シンセシス・トゥエニセブンは、微かに耳に聞こえてくる爆発音を聞きながらポツリと呟いた。彼は、人界守備軍の任を自ら志願した七人の上位騎士の一人であり、第二部隊左翼側の最前列を任されていた。しかし彼は、配置された戦場の列ではなく、薄暗い物資備蓄用天幕の片隅で膝を抱えて蹲っていた

 

 

「ごめん、みんな。だけど僕には…僕には無理だよ…だって僕はただの『失敗作』なんだ…!」

 

 

頭を抱えながら、怯える子どものようにレンリは懺悔を漏らした。失敗作。それがアドミニストレータが彼に下した判断だった。レンリは神器を持つ上位騎士でも、その神器に纏わる武装完全支配術を発動できないが故に、粗悪品という烙印を押された。それから五年間、整合騎士としてさしたる働きをするわけでもなく凍結されたまま時を過ごし、その汚名を返上するためにこの戦場に身を投じたにも関わらず、最後の最後で恐怖に負け、開戦直前の慌しさに乗じてこの天幕に逃げ隠れ、一切の音を立てず、外から聞こえる音に耳を澄ませていた

 

 

「ティーゼ、ここはどう?」

 

「ッ!?」

 

 

突如として聞こえてきた声に、レンリは素早く物資の詰められた箱の影へと身を隠した。まさか自分を探しに来たのか、と彼は騎士らしくもなく竦み上がったが、すぐにもう一つ別の声が聞こえてきた。どちらも若い女性の声だった

 

 

「うん。この天幕なら大丈夫そうだね。ロニエ、キリト先輩を奥に隠して。その後で私たちは入り口を守りましょう」

 

 

うら若き少女の声に連れられるようにして天幕を潜ってきたのは、金属製の車椅子に腰かけた、右腕を失った上に恐ろしく痩せこけている少年だった。常人であればその痛ましい姿と、絶えず中空を見続けるその虚ろな瞳から彼の容態を気にかけるだろうが、整合騎士であるレンリはそうではなかった

 

 

(・・・あの男が左腕で抱えている二本の長剣…アレは一体なんだ?鞘に納まっていても伝わってくるあの圧倒的な存在感と神聖力…ことによると、最高司祭様から授けられた僕の神器よりも……)

 

 

ふと気づけばレンリの視線は、キリトが抱えている黒と白の長剣に釘付けになっていた。そして場合によっては自分の帯びる神器よりも上位の優先度を誇るのではないかという勘繰りから、ついつい身を乗り出したその時、身を隠していた箱とレンリの鎧がぶつかり、大きくも小さくもないが、決して誤魔化しが効かない程度の物音がした

 

 

「誰っ!?」

 

 

叫んだのは赤毛の少女だった。その少女は物音のした方へ即座に振り向くと、もう一人の焦げ茶の髪の少女も同じ方向へ体を向け、二人の少女は腰に据えた剣の柄に手をかけた。その気配にレンリは観念したように息を吐くと、両手を上げながら身を隠していた物陰から立ち上がりながら掠れた声で言った

 

 

「敵じゃないよ。驚かせてしまってすまない。両手は上げたままにしておくよ」

 

 

そう言ってレンリは天幕に灯されたランプの光に目を細めながら、二人の少女の前へと歩み寄った。そして二人の少女は、決して剣の柄から手を離すことなく身構えていると、ランプの光に照らされたレンリが纏っている最高級の鎧と両腰に下げた神器を見るなり、慌てて敬礼の姿勢をとった

 

 

「き、騎士様でいらっしゃいましたか!失礼致しました!」

 

「いや、脅かした僕が悪い。それに僕は、もう整合騎士なんかじゃないよ」

 

 

見事な赤毛とは対照的に真っ青な表情で謝罪を口にしようとする少女に、レンリは小さく首を振りながら力無い声で言った。すると少女たちは、レンリのその様子にキョトンとした顔で首を傾げていたので、彼は右手で鎧に刻まれた整合騎士の十字に円を組み合わせた紋章を隠しながら続けた

 

 

「さっき僕は、自分の持ち場を放り出して逃げてきたんだ。もう最前線ではとっくに戦闘が開始されている。今頃、僕が指揮するはずだった部隊は大騒ぎだろう。死者だって出てるはずだ。なのにここから動けない僕が、栄えある整合騎士の一員であるものか」

 

 

自分を虐げるように言って、レンリは唇の端を噛んだ。そして、こんな自分を年若い二人の少女がどのように見ているのかと、恐れながらもゆっくりと視線を上げた。すると赤毛の少女の瞳には、なんとも酷い顔をした自分の顔が映っているのと同時に、そんな自分を不思議そうに見つめている少女と視線が重なった

 

 

「・・・えっと、何か?」

 

「あっ!す、すみません。なんでも、ありません…」

 

 

レンリが訝しげに眉を寄せて訊ねると、赤毛の少女は小さく被りを振って眼を伏せた。本当はこんな風に畏まられる義理も今の自分にはないのに、いざ目の前の少女にそうさせてしまったことに居た堪れなさを感じていると、今まで黙っていた焦げ茶の髪をした少女が灰色の制服の胸に手を置きながら言った

 

 

「申し遅れました。私たちは補給部隊所属のロニエ・アラベル初等練士と、同じくティーゼ・シュトリーネン初等練士であります。そしてこちらが、キリト上級修剣士殿です」

 

「・・・キリト」

 

 

レンリはその名前に聞き覚えがあった。半年前に、カセドラルに侵入し最高司祭を討ち取ったその当人。その名を聞いた途端、レンリは虚ろな表情で黙りこくった少年にどうしようもなく気圧されるものを感じで、半歩後ずさっていた。しかしロニエという少女は特にその様子に気づく事なく、懸命な口調でレンリに言った

 

 

「あの…私は騎士様の御事情については何を申し上げる事も出来ません。私たちだって、人界守備軍の一員であると名乗っておきながら前線で戦うことなく、こうして後方に下がっているのですから。でも今はそれが、私たちの任務なのです。騎士アリス様から託された、この方を守り抜くことが、私たちに課せられた絶対の試練なのです」

 

「あ、アリス様に…?」

 

 

その名前をして、レンリは知らないはずがなかった。自分よりも若い番号でありながら、あらゆる面で自分とは正反対な若き天才騎士。今この瞬間も、軍議で決められた秘策の大規模術式のために上空にて単騎で備えているはずだ。そんな彼女と今の自分を無意識に比べて、一層の矮小感に苛まれるレンリの心情を知らずしてロニエは続けた

 

 

「騎士様。勝手なことを申すようですが、どうか私たちに手を貸して下さいませんか?正直、私たち二人ではたった一匹のゴブリンの相手すらも覚束ないのです。ですが、私たちはなんとしても、なんとしてもキリト先輩をお守りしなくてはならないのです!」

 

 

ロニエの言葉と瞳に宿った強い決意に、レンリはたまらず一度視線を逸らした。初等練士と名乗っていたのを考えるに、この二人の少女はまだ学生の身分だというのに、この戦いに掛ける思いが既に自分とは比べ物になっていなかった。そんな現実にレンリは、二人の少女にカラカラに乾いた喉で声をかけることしか出来なかった

 

 

「・・・うん。ここにいれば大丈夫…だと思うよ。守備軍第二部隊を指揮するのは騎士長ベルクーリ閣下だし、あの人の守りが抜かれるようなことがあれば、それはもう人界の終わりに等しい。どこへ逃げようと、結末は一緒だ。僕は戦いが終わるまでここに座っているつもりだし、君たちが近くにいるなら、その邪魔はしないよ」

 

 

そう言い残すと、レンリはその後のティーゼとロニエの顔を見ることなく天幕の奥へと戻り、ドサリと腰を下ろした。しかしその時、守備軍の最前線左翼側でゴブリンが炸裂させた煙に乗じて、深い濃霧と人垣の中を大量の緑の異形たちが潜り抜け始め、人界守備軍最後方の補給部隊の殲滅に向けて動き出していることなど、彼らは知る由もなかった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・焦げ臭い?」

 

 

その異変に、上条当麻だけが気づいた。ジャイアント族の長シグロシグを、整合騎士のファナティオや四旋剣達と討ち取った後も、第一部隊中央の最前線で敵を押し返し続けていた彼は、突如として鼻を突いてきた墓場に漂うような線香の匂いを感じ取った

 

 

「デュソルバードのおっさん…じゃない…?」

 

 

戦場では、今も絶えず鬨の声が上がっている。それは紅の整合騎士デュソルバードが受け持つ右翼側も同様だった。上条の目に映る右翼側では、絶えず猛炎が上がっており、それが彼の熾焔弓によるものであることは想像に難くなかったが、そちらから漂ってくるどこか死臭の混ざった焦げ臭さとは、今自分の鼻を刺している焦げ臭さは違うと感じていた

 

 

「てか…今の風向き……ッ!?」

 

 

そこでようやく、上条は初めてこの戦場に出てから左翼側に目をやった。するとそこには、まるで燻製でも焼いているかのような濃霧が立ち込めている光景が視界に入り、驚愕に打ちのめされた

 

 

「なんでこんな急に…!しかも左翼側だけ!?」

 

 

左翼側を受け持つのはエルドリエだ。あまりにも濃い霧で見えないが、彼は今あの霧の中でどうしているのだろう。そう考えるのと同時に、彼は言い表しようよない嫌悪感を覚えた

 

 

「おいおい、待てよ…!まさかあの煙って…!?」

 

 

濃霧が立ち込める左翼側のその光景は、依然として変化する様子はない。上条にとって、その予感はただの気の迷いかもしれないとは思えた。しかし、それを気の迷いと捨て置けるほどには、このアンダーワールドに於けるフラクトライト達の頭脳を侮れないこともまた、上条は理解していた

 

 

「ファナティオ!」

 

「ッ!何ですっ!?」

 

 

迫り来るジャイアントの脳髄を完全支配術で貫きながら、ファナティオは上条の呼びかけに応えた。その声は女性らしさを取り戻した彼女からは想像もつかないような荒々しいもので、既に返り血で汚れた顔と紫紺の髪から今は自分の戦いで精一杯であることが聞かずとも伝わってきたが、上条はそれに構わず叫んでいた

 

 

「悪い!俺は少しこの場から離れる!辛いところ申し訳ねぇけど…!」

 

「私が辛いと一言でも漏らしましたか!?そのような心配は無用の長物です!左翼側の異変は既に私も感知しているところです!行くのなら早く行きなさい!元より貴方は単独行動が可能な唯一の人材でしょう!」

 

「わ、分かった!無事でいろよ!」

 

「振り返る暇があったら走れバカ者っ!!」

 

「ッ!!」

 

 

ファナティオの言葉を頷きながら受け取ると、上条は左腕に構えていた純白の盾を背中に戻し、左翼側を目指して戦場を駆け抜け始めた。そんな彼の行く先で無残に転がる人の死体が、あからさまに彼の不安を煽っているようで、上条は思わず舌を打った

 

 



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第23話 混乱

 

「あのぉ、なんだかさっきから左側が危なそうなんですけどぉ…」

 

 

見習い整合騎士であるフィゼルが言うと、相棒のリネルがお下げ髪を揺らしながらコクコクとそれとなく頷いた。しかし、彼女らの声掛けに対し、指揮官であるシェータ・シンセシス・トゥエルブは特に何も答えなかった

 

 

「・・・・・」

 

(・・・本当に無口な人だなぁ)

 

 

心の中で、リネルはため息を吐いた。彼女らが配置されたのは、守備軍第二部隊の右翼側だった。100メル前方に陣取る第一部隊右翼は混戦模様だが、古参のデュソルバードが意地で平地ゴブリンの長シボリを討ち取ったこともあり、防衛線を抜けて来る敵はなかった

 

 

「・・・となると、やっぱり不安なのは左翼なんですよねぇ…」

 

 

今度はリゼルの呟きにフィゼルがコクコクと頷いた。事実、数刻前から左翼側は異様な気配を漂わせていた。損害は出ている様子こそ感じないが、無数の混乱した叫び声が中央の頭越しに聴こえており、よくよく目を凝らすと深い煙のような靄が峡谷に添いながら戦場を覆っているのを見て、なおも煽るようにフィゼルが呟いた

 

 

「『あの子』大丈夫かなぁ…」

 

「ねぇ〜。ベルクーリのオジサマには何か考えがあるのだと思って何も言わなかったんですけど、やっぱり第二部隊の左右は入れ替えるべきでしたよ。エルドリっちとレンリっちの並びが、いかにも不安すぎます」

 

 

この戦場に集った上位整合騎士は、たったの七人。第一部隊左翼にエルドリエ、中央にファナティオ、右翼にデュソルバード。続く第二部隊左翼にレンリ、中央にベルクーリ、右翼に無音改め、無口のシェータ。そんな配置によくよく疑問を覚えた下位騎士のリネルとフィゼルは、自分たちを指揮する無口な女性騎士のもとで密かに囁いた

 

 

「あたし思ったんだけどさ。騎士長のおっさんは多分、あたしらの隊長をなるべく戦わせたくなかったんじゃあ…」

 

「・・・あ〜〜〜」

 

 

フィゼルの推測に、リネルは納得したように息を漏らした。そして少し離れた場所に立つ華奢な姿の騎士を見やった。薄手の鎧は、珍しい艶消しの灰色をしており、それに倣ったのか濃い灰色の髪は白い額の真ん中でキッチリと分けられ、首の後ろで一つに束ねていた

 

 

「あの〜、シェータ様…?」

 

 

そんなどこか近寄りがたささえ覚える彼女に、リネルはもう一度声をかけた。『無音』。その二つ名の由来が何かは知る由もないが、少なくとも見た目ほど無害でないことは、リネル達は感じ取っていた。だからこそベルクーリも彼女をここに配置したのだろうし、出番がないことに越したことはないと考えたのだろう。しかし、それは彼女達の出番がないのも同義であるため、その退屈な時間が二人の見習い騎士にはもう耐え切れなかった

 

 

「あたしたち、後ろの方見てきてもいいですか?」

 

 

続けられたリネルの声に、シェータの眉がほんの僅かながらピクリと動いた。そして瞳の端から感じられる「なぜ?」という問いかけを感じる視線に、急いで答えた

 

 

「その、どうにもちょっと不安で…」

 

 

再び無口の騎士の眉が動く。それはおおよそ「何が?」と問うていた。なんとも面倒なコミュニケーションと、答えづらい空気に四苦八苦しながらも、リネルはなんとか声を絞り出した

 

 

「ええーっと、ほら。補給部隊と一緒にいるはずのアイツです。反逆者の、キリト…」

 

 

その名前を持つ少年が、心と片腕と、大切な相棒を失ってまで、何を求めて戦ったのか。整合騎士や彼らの強さたる、心の強さとは一体何なのか。それを知りたいが為に二人ははるばる東の大門へと赴いた。故に、この場で足踏みしているだけでは何も見えてこない。しかし、そんな事情をシェータに全て説明するわけにもいかないので、フィゼルが最後に頷いてから、二人はそっと彼女の答えを待った

 

 

「・・・・・」

 

 

すると彼女は、二秒ほど黙って…元々黙っているのだが、それよりも重苦しい沈黙の間に何かを考えたのか、灰色の瞳でちらりと左翼側を見ながら、左手で自身の後方を指差した

 

 

「・・・え?あの…い、移動してもいいんですか?」

 

「・・・・・」

 

 

不安の混じった声色でフィゼルが聞くと、シェータは無言で頷いた。かなり小さな動作だったが、それを見逃さなかった二人の少女は慌てて略式の騎士礼をしてから言った

 

 

「「ありがとうございます!安全を確認したらすぐに戻ります!」」

 

 

声を揃え、オマケに足並みも揃えながらフィゼルとリネルは振り向いて隊列の脇を走り始めた。二人は「ありがとう」などと言う最高司祭にさえ口にしたことのない言葉にどこかむず痒さを覚え、互いに顔を見合わせて苦笑した

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

第一部隊中央のファナティオと、右翼側のデュソルバードの苦闘、そしてエルドリエの指揮する左翼側を見舞った煙幕による混乱を、第二部隊を指揮するベルクーリ・シンセシス・ワンは明瞭に察知していた

 

 

「・・・ファナティオ達はジャイアントの長を…デュソルバードは平地ゴブリンの長を討ち取ったか…」

 

 

しかし、彼はその場を動くことはなかった。整合騎士の中で最も長い年月で闇の軍勢と立ち合った彼は、侵略軍の諸侯に大体の目星がついており、それを少なからず整合騎士達が討ち取っていること、そして半年をかけて培ってきた守備軍に対する信頼が彼を動かさなかった

 

 

「・・・まだなのか」

 

 

けれど、理由はそれだけではなかった。それは空からの奇襲の可能性。即ち、敵の飛行戦力による侵攻だった。ダークテリトリーについて誰よりも知る彼は、自分たち整合騎士騎士団と、その敵勢力である暗黒騎士団のみが持つ『竜騎士』、更には『ミニオン』と称されておる有翼生物の襲撃を危惧していた

 

 

「・・・頼むぜ、相棒よ」

 

 

そしてそれを対処できるのもまた、闇の軍勢を最も知る騎士長ベルクーリだけだった。正確には、彼の帯びる神器、時穿剣だけが。彼は第二部隊の中央で仁王立ちになり、鞘に収めた愛剣の柄頭に両手を預けながら、神経を研ぎ澄ませていた。それ故に、第一部隊の三人の整合騎士と衛士達の戦い、左翼側の大混乱とゴブリン部隊の侵入も察知することが出来ていたのだ

 

 

「・・・来るなら、来い」

 

 

それでも彼が動いていない理由の最も大きなものに、彼の武装完全支配術が関係していた。ベルクーリの時穿剣は既に、その素材となった時計の針の記憶を解放していたのだ。それは東の大門が崩壊する直前の事で、彼は騎竜『星咬』にまたがり大門すぐ手前の空間で微細な上下動と後退を繰り返しながら剣を振り続け、虚空にビッシリと膨大な網目状の『斬撃空間』を張り巡らせていたのだ

 

 

「・・・早く」

 

 

しかし、それだけの規模を持つ『心意の刃』を数十分も保ち続けるのは、300年以上を生きたベルクーリにも初めての経験であった。だからこそ、そう念じざるを得なかった。それ以後もベルクーリは、自分よりも更に上空で控えているアリスを守るためにも、ひたすら時穿剣に精神力を注ぎ続けた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「う、うわああああああーーーっ!?」

 

 

物資天幕の奥で再び身を屈めていたレンリ・シンセシス・トゥエニセブンは、突如として天幕越しに耳を突いてきた複数の叫び声の近さに鋭く息を呑んだ

 

 

(ま、まさかっ!?有り得ない!こんな…こんなに早く敵軍が防衛線を突破してくるなんて…!?)

 

 

まだ実際の開戦からは過ぎても一時間が関の山だろう。だというのに、こんな最後方でこんな声がするのは有り得ない。自分の気が高まっているせいだ、レンリがそう思い込もうとした時、それが空耳ではないと知らせるようにティーゼの叫び声がした

 

 

「う、嘘…何でもうこんなに後方まで!?」

 

 

ティーゼは叫ぶのと同時に、ざっと顔を上げながら天幕の入り口に走った。垂れ幕を持ち上げて外を確認したその瞬間、彼女は目の前に広がった光景に顔を顰めながら、いっそう緊張感を高めさせる声で言った

 

 

「煙が…!」

 

「えっ!?ティーゼ、火も見えるの!?」

 

「ううん、変な色の煙が流れてきてるだけ…いや、待って。煙の中からたくさん人が…」

 

 

その声に、共にいたロニエも顔を強張らせながら天幕の入り口へ駆け寄った。外を覗き込むティーゼは彼女を脇に控えて囁くようにして話していたが、やがてその声は天幕の分厚い布すらも引き裂くような叫びに変わった

 

 

「ま、まさかアレって…ゴブリン!?」

 

 

ティーゼが叫んだその生物の名前に、レンリは肩をビクリと震わせた。その直後に鼻を刺してきた空気に混ざった異臭が、話に聞く緑色の異形が迫っていることを証明していた。そして今一度レンリが身の安全を固めようと辺りを見渡したその時、先のティーゼの叫びに気づいたのか、バリッ!という音がして天幕が粗い蛮刀によって破かれ、その隙間から緑の顔と、怪しく光る黄色い二つの眼が割り込んできた

 

 

「おほっ!白イウムの女だ!娘っ子だぁ…俺の獲物だぁ!」

 

「ひっ!?」

 

 

あまりにも生々しくも悍ましい欲望の声に、ティーゼとロニエは思わず身を引いた。それは実際に彼らと相対していないレンリも同じだった。指先まで震えが走り、体は思ったように動かない。ただ彼らの様子を覗き込む事しか出来ない彼の視線の先で、ゴブリンはのそりと二人の少女へと一歩を踏み出した

 

 

「てぃ、ティーゼ…!」

 

 

ロニエが恐怖にカチカチと歯を鳴らしながら、今にも消えそうな細い声を漏らした。咄嗟にキリトが座る車椅子を背後に庇ったが、それでも震えは止まっていなかった。そんな彼女が呼びかけたティーゼもまた、腰に据えた剣に手を掛けたが、壊れたように瞳が揺れ、過呼吸気味に肩を何度も上下させていた

 

 

(た、立たなきゃ…立ってあの子達を…整合騎士の僕が守らないといけないのに…!)

 

 

レンリが心の中でそう叫んでも、彼の体は強力な粘着剤で固められたように動かなかった。敵はたかがゴブリン一匹。一騎当千の整合騎士には、取るにたらない雑魚。それなのに、レンリの体は恐怖以外の感情を受け付けようとしなかった

 

 

「ぐふぅ、うんまそうだなぁ…!」

 

 

舌舐めずりの後に垂れる唾液と、聞こえてくる醜悪な声に、とうとう彼は腰を抜かしてへたり込んだ。もう見る事しか出来なかった。悪の具現が、可憐な二本の華を欲望のままに摘み取ろうとするのを、レンリは恐怖に怯えながら待つ事しか出来なかった

 

 

「さ、下がりなさい!さもないと…!」

 

 

ティーゼが懸命に絞り出した警告も、ゴブリンには何の意味も為さなかった。むしろ、その震えた声が彼の欲望と嗜虐心をさらにそそった。ニタリと笑った亜人は、蛮刀をギラリと鈍く光らせながら更に一歩彼女達に詰め寄った

 

 

(・・・もう、ダメだ…ごめん、ごめんよ…)

 

 

レンリが心の中で二人の少女に謝罪しながら俯いた、その時……

 

 

ーーーーーーーストン。

 

 

という乾いた音が天幕の中に木霊した

 

 

「・・・なんだ、こりゃあ?」

 

 

ゴブリンが呟いた。自分が身に纏っている粗雑な板金の鎧から、鋭くも滑らかな緑色の金属で出来た短剣が突き出ている。こんなもの、この鎧に元々着いてたか?そう考えた時には既に、彼の体は地に伏していた。なんとも間抜けな声が、そのゴブリンの最後の言葉だった

 



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第24話 レンリ・シンセシス・トゥエニセブン

 

「はい、一丁上がり」

 

 

カツンッ!と乾いた靴音と共に華麗に着地し、ゴブリンの背後から姿を見せたのは、見習い整合騎士にして『恐るべき双子たち』の異名を持つ片割れの修道女、リネル・シンセシス・トゥエニエイトだった。寸分違わずゴブリンの心臓を貫いた彼女は、緑のナイフに付着した血を払い落としながら、その場で立ち尽くす三人に向けてコロッと笑ってみせた

 

 

「あ、貴方達は……」

 

「ネル、この近くのゴブリンはぜんぶ片付けたけど、まだ来るよ。移動したほうがいいかも」

 

「ん、解ったよゼル」

 

 

戸惑いながら口を開いたティーゼの声を消しながら、天幕の出入り口に掛けられた垂れ幕を捲し上げながらフィゼルが言うと、リネルはそれに短い返事で答えながらナイフを腰に据えた木製の鞘へ納めた

 

 

「あたしはリネル。そんでこっちはフィゼル、二人とも見習いの騎士です」

 

「は、はい…何度か訓練中にお見かけしました。ティーゼ・シュトリーネン初等練士と、ロニエ・アラベル初等練士です。えっと…た、助けていただいて…ありがとうございました」

 

 

リネルは振り向いて修道服の胸元に手を当てながら言うと、続いて震えた声のままティーゼが名乗った。ロニエも慌てて頭を下げて感謝の意を示していると、リネルはその幼稚な見た目には不釣り合いな大人びた仕草で肩を竦めた

 

 

「いーえ。お礼を言うのはまだ早いですし、それに助かったかどうかもまだ解らないですよ。第一部隊と第二部隊の左翼が煙幕に巻かれてるあいだに、ゴブリンが百匹以上も防衛線を抜けてきたみたいですから。えぇ、事によると……」

 

 

そこでリネルは言葉を切って、部屋の片隅で棒立ちになっているレンリの方へと視線を投げた。そのどこか睨んでいるような不気味な笑みに、レンリは思わず肩を浮かせた

 

 

「その第二部隊左翼で指揮を執ってるはずの上位騎士様が、こんなとこで何を油売ってるんですか?今頃はあなたの部下、煙幕の中で右往左往してますよ」

 

「・・・君たちには関係のないことだ。そこの二人と病人を、安全なところまで連れていってくれ」

 

「・・・ふぅん」

 

 

心底興味なさそうに呟いたリネルの放つ気配が変わったのを、レンリは悟った。とても子供とは思えない冷徹な殺意が、向けられているのが分かる。まだゴブリンの血が残る短剣が突然にフォン!という軽々しい音と共に振り上げられ、篝火の赤をキラリと反射させながら光った

 

 

(・・・僕はここで…自分よりもずっと小さい女の子に殺されるのか…?いや、もうそれでもいい。失敗作の騎士として、永久に凍結されているべき僕が、本物の戦場に身を投じたのがそもそも間違っていたんだ。今さら第二部隊には戻れないし、カセドラルまで逃げ帰っても居場所はない。見習いではあっても騎士の位を持つこの子達に処刑されるなら…臆病者の僕には相応しい末路だ……)

 

 

心の中でそう結論づけると、レンリはリネルから顔を逸らしたまま、断罪の刃を待った。しかしその後に聞こえたのは、刃が振り下ろされる音ではなく、少女の呟く声だった

 

 

「・・・こんな虚仮威しにビビっている時点で、どうしようもない腰抜けなのは火を見るよりも明らかですが…上位騎士であるからには、何らかの『強さ』を持っているんでしょう。あなたが病人と言った『そこの剣士』に感謝するんですね」

 

「・・・は?」

 

 

それはどういう意味だろう?そうレンリが考える時には、リネルはとっくに修道服の裾を翻していた。そして背中を向けたまま、キリトの側に付いている二人の初等練士に指を向けながら指示を出した

 

 

「そこの練士二人、キリトと一緒に付いて来なさい」

 

「・・・え?は、はいっ!」

 

「ネル、来てるよ!8…いや、10はいる!」

 

 

ロニエの返事に、天幕の出入口で外の様子を伺っていたフィゼルの叫びが重なった。その言葉通りに複数の足音が東側から近づいてくるのが分かるも、リネルは密かに舌打ちしながら吐き捨てるように指示を訂正した

 

 

「今の命令は撤回です。しばらくそこで待機、緑の畜生共を片付けて来ます」

 

「は、はい。騎士様…」

 

「ゲヒャヒャ!いたぞぉ!イウムの餓鬼だぁ!」

 

 

ティーゼが頷くと、直後にゴブリンの甲高い叫び声が全員の耳に飛び込んできた。それを合図としたかのように、二人の修道女は滑るように天幕を出ていった。するとやがて、彼女らの足音とゴブリンの荒々しい足音が天幕から遠ざかっていった

 

 

(どうして…あの子達は見習いなのに、身を守る鎧だって付けてないのに、臆さずに敵に向かっていけるんだ……)

 

 

やがて戦いの喧騒が耳から遠ざかっていってることから察するに、彼女達はきっと自分達に被害が及ばない遠くまで敵を引き離して、それからゴブリンを始末するつもりなのだろう。おめおめ逃げ帰って来た自分とは天と地ほどの差を見せつけられたレンリは、ロニエとティーゼがどんな表情を浮かべているのか確かめる勇気もなく、深く俯くことしか出来なかった。だが、そうしていられるのは一瞬だった

 

 

「ゲヒャハア!見ぃ付けたぁ!」

 

 

ビリィッ!という音で天幕が裂けたのは、レンリ達のすぐ左側だった。さしものレンリも流石に蹲っていられず、腰を浮かせて大きく飛び退いた。引き裂かれた天幕から飛び込んで来たのは、先ほどの一匹よりも上等な鎧を纏った、体格も一回り大きいゴブリンだった。その亜人を目にしたレンリの体が、再び恐怖で固まった。殺されるのは、怖い。だが殺すのはもっと怖い。そんな恐怖が、彼を腰に据える神器を無意識に遠ざけていた

 

 

「と、止まりなさい!それ以上近づけば、あなたを躊躇いなく切り捨てます!」

 

 

赤毛の少女騎士ティーゼ・シュトリーネンは叫んだ。しかし、その声は細く掠れていて、体の細かい震えも収まっていなかった。ただレンリと一つ違ったのは、剣の柄に手がかかっていること。その現実が、レンリの劣等感をことさらに駆り立てた

 

 

「あぁ、いいぜぇ?止まらねぇから好きに切ってくれよぉ!」

 

 

ティーゼの必死の警告も虚しく、ゴブリンは蛮刀を振りかざしながら二人の少女目掛けて飛びかかった。無駄口を叩かず襲いかかる事から鑑みても、先のゴブリンよりもよく訓練された上級兵なのが分かった。もう、そんな敵が目の前にいてはどうしようもない…半ば既に諦めたようにレンリが目を背けた瞬間、引き裂かれた天幕の間を縫うようにして白い何かが飛び込んできた

 

 

「グギャアッ!?」

 

 

ガアンッ!という強烈な音を立てて、それは宙を舞った。中央に琥珀が埋め込まれた、純白の盾。突然に姿を現したそれはゴブリンの横顔に直撃し、緑の異形がたまらず鈍痛に声を上げて怯んだ直後に、新たな何者かが天幕の中に舞い込んできた

 

 

「もうテメエらの顔は…見飽きてんだよッ!」

 

「ゲェッ!?」

 

 

突風のように飛び込んできたのは、ただの真っ直ぐな拳だった。ゴシャアッ!という強烈な鈍い音からも分かるほど固く握られた右手の拳の先では、既にゴブリンが気を失って伏していた。そしてそれを見下ろすように立っていた男に、ロニエが叫ぶように声をかけた

 

 

「か、カミやん先輩っ!!」

 

「ロニエ、ティーゼ!大丈夫だったか!?キリトは!?」

 

「は、はい!大丈夫です!助けて下さってありがとうございました!」

 

「よし、一先ず無事で良かっ……」

 

 

盾を左手で拾い上げながら、上条は安否を心配する声を掛けた。それにティーゼが必死に答えると、上条はホッと肩を沈ませながら息をした。そして軽く周りの状況を見渡していると、次第に上条とレンリの視線が重なった

 

 

「お前は確か、整合騎士の…レンリ?」

 

「い、いや…僕は、その……」

 

 

今のレンリにとって、誰かの視線ほど怖いものはなかった。上条に自分の名前を呼ばれても、ここにいる理由、脅えている理由、ともかく何かを否定したいような衝動に駆られている内に彼は口どもってしまった。しかしそうなっていた時には、目の前の少年は既に黒い外套を翻していた

 

 

「助かった、整合騎士がいるってんなら安心だ。悪いけどキリト達のことを頼む」

 

「・・・え?」

 

 

それだけ言い残すと、上条は自分が飛び込んできた天幕の裂け目から外へと飛び出した。数日前の夜に開かれた軍議でレンリは彼に関して、異なる世界のカセドラルの体制にたった一人で反抗し、その拳一つで何人もの整合騎士と、あの最高司祭をも退けたという話を耳にしていた。だから彼は知っているのだ、整合騎士の強さを。だから同じ整合騎士という名を背負う自分が彼女達を守れると疑いなく信じて、また戦いに出たのだ。そんな言葉にはない期待が、レンリをまた落胆させた

 

 

(・・・そんな期待、僕には重すぎる。どうして…どうしてなんだ。彼は僕のように神器どころか、剣すら帯びていなかった。たった一枚のありふれた盾…ただの拳一つ…それしかないのに…どうして、どうしてあれだけ果敢に敵に立ち向かっていけるんだ……)

 

 

レンリは歯噛みした。彼と比べ、武器や防具といった外面は全て自分が優っていた。けれど精神や覚悟といった内面は、全てが劣っていた。どう考えても、彼は自分よりも強い

 

 

(だったら、だったら貴方が彼女達とこの病人を守れば良いじゃないか…!僕なんかに任せる必要ないじゃないか!リネルやフィゼルだってそうだ!僕は戦場から逃げてきた腰抜けで、あの時君たちが手を掛けても、後でそれを責める人間なんていやしないんだから、好きに殺せば良かったんだ!だって僕は神器を持ってても武装完全支配術の使えない、整合騎士の失敗作なんだ!そんな僕が…戦う資格はおろか、誰かを守ることなんて…!)

 

 

何故だか、無性に腹が立った。戦場からおめおめ逃げ帰ってきた自分に甘い周囲に、腹が立った。それはお門違いな怒りだと、レンリ自身も分かっていた。けれどその怒りは収まる所を知らず、結局は自分の不甲斐なさに一番腹が立った。そしてその怒りが沸点に達しかけ、乱雑に自分の頭を掻きむしろうとした時、それが目に付いた

 

 

「あーーー、あーーー……!」

 

「・・・・・え?」

 

 

レンリの耳に、ぎしぎしと何かが軋むような微かな音が届いた。天幕奥の暗がりで、車椅子に力なく腰掛けたまま、虚ろな表情で俯く若者。その彼の左手が、二本の剣を持ち上げようと、腕の血管が浮き上がるほどに力を振り絞っている。そして言葉になっていない唸り声が、その憤りを表していた

 

 

「き、君は…それでも助けたいのか…?彼を…あの子達を……」

 

 

レンリはポツリと呟いた。抜剣することはおろか、立つことも出来ない彼の視線の先には、二人の少女がいる。喋ることもままならないのに、彼の心もそこにはないのに、目の前の少女達を守るべく、戦おうとしている。そんな彼の姿が、レンリの心に鋭く突き刺さった

 

 

「・・・『勇気』だ」

 

 

不意に、レンリは気付く。自分に足りなかった何か。リネルとフィゼルが自分に説いた、『強さ』。それは武器が強い、防具が弱い、相手が強い、自分が弱いといった、単純な物差しによる言葉ではないことを知った。心の強さ。即ち、どんな困難な状況でも、敵に立ち向かう勇気。それこそが、自分に足りないものだったのだという解答を、レンリ・シンセシス・トゥエニセブンは得た

 

 

「ーーーーーーーーーー行こう」

 

「・・・え?き、騎士様っ!」

 

 

レンリが天幕の出入り口に掛かる垂れ幕の前に辿り着く。そして、戦場を隔てていたその一枚の布に彼が手を掛けたのを見て、赤髪の少女騎士は不安そうに声をかけた。それに気づいたレンリは、少しだけ振り返って言った

 

 

「安心して。君たちの命を狙う敵は、全部僕が倒してくるから」

 

 

ほんの僅かな笑みを浮かべながら言ったレンリに、ティーゼはもう声をかけることはなかった。整合騎士のマントをはためかせながら天幕を去っていく彼の後ろ姿を、ティーゼは騎士礼を向けながら見送った

 

 

「おい見ろっ!整合騎士だぞ!」

 

「アイツが大将首だ!」

 

「殺せっ!殺せーーーっ!!」

 

 

天幕を出たレンリを見つけたゴブリン達が、口々に獰猛な叫びを浴びせた。ガチャガチャと身に纏う鎧を鳴らし、蛮刀を振り回しながら走り寄って来る彼らに、レンリは大きく息を吸って、ありったけの勇気を込めて叫んだ

 

 

「・・・僕の名は整合騎士、レンリ・シンセシス・トゥエニセブン!この首が欲しければ、己の命を投げ出す覚悟でかかって来い!」

 



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第25話 雙翼刃

 

神器『雙翼刃』は、中央で屈曲した極薄の鋼鉄で出来た、二振りで一組の投刃だ。長さ40セン程の刃には握るための柄は存在せず、両端とも鋭利な切っ先となっており、それを指先で挟んで投擲する、計り知れない技術と集中力を要する神器である

 

 

「死にやがれえええええっっっ!!!」

 

 

先陣を切って来る一体のゴブリンが蛮刀を振り上げた時、レンリは両腰に帯びた雙翼刃を投げ抜いた。雙翼刃の刃は紙よりも薄く、それが超高速で回転しているため、半端な防具ならば、初めから存在しないも同然の切れ味を発揮する。さればこそ、もしもそのゴブリンに喋る口があれば…『気づけば首は落ちていた』と、後に語ったことだろう

 

 

「ーーーーーーひゅっ?」

 

 

ゴブリンの首元で、二枚の極薄の刃が交差した。その直後に小さな断末魔とドシャッ!という水気を含んだ重みのある音が続いた。それから数秒しない内にピンッ!という小気味良い音がして、レンリの二本の指に雙翼刃が舞い戻った。ゴブリンの首がこれだけ容易く落ちたように、下手に受け止めて損なえばレンリの指も瞬く間に落ちただろう。そのような武器を軽々と扱えるだけで、レンリの技量は並々ならぬものだと証明されている

 

 

「ハッ!!!」

 

 

しかし、本人にその自覚は全くもってない。『武装完全支配術を発動できない』という巨大な負い目が彼の精神を萎縮させているからだ。しかし、もう一度鋭く叫んで両手を水平に広げながら雙翼刃を放った彼の心には、そんな負い目は一片たりとも残ってはいなかった

 

 

「へっ!?」「ごっ!?」「かっ!?」「ひっ!?」「ふっ!?」「びゅっ!?」

 

 

雙翼刃、二度目の投擲。幾つもの短い悲鳴が連続した後に、バラバラとゴブリン達の首が胴体から離れて地面へと転がった。それから少し遅れて、どす黒い鮮血を噴き出しながら緑の異形が前のめりに倒れこんでいく。そのたった一度の投擲でレンリは五匹のゴブリンを屠りつつ、戻ってきた刃を人差し指で引っ掛けるようにして受け止めた

 

 

「レンリッ!!」

 

「ーーー!!」

 

 

上条当麻が、鋭い視線を向けながら騎士の名前を呼んだ。それだけでレンリは全てを理解した。上条は全身で大きな弧を描くようにして左手に装備していた盾を投擲し、レンリは人差し指に引っ掛けていた雙翼刃を威力を殺さないよう、なおも高速で回転させながら間を置かずに三度目の投擲を行った

 

 

「「シッ!!!」」

 

 

二人の声が重なる。放たれた一枚の盾と、二枚の刃は何度もぶつかり合いながら金属音を奏でた。それはもはや、芸術と呼ぶに相応しかった。上条の投擲した盾がゴブリンを打撃で怯ませれば、その一瞬の隙を突いて雙翼刃が首を落としていく。そして互いにぶつかり合って反射角を調整しながら次の標的へと向かい、やがて10を超える首を落とした盾と刃は、それぞれの主人の手元へと戻った

 

 

「「・・・うっそぉ…」」

 

 

リネルとフィゼルは、その光景に舌を巻いていた。もはや自分たちは突っ立っているだけで、手の届かない範囲のゴブリン達まで血を噴いて倒れていることに驚くのもさることながら、針に糸を通すような正確な投擲を続ける上条とレンリには、もはや寒気に近いものを感じていた

 

 

「ーーーッ!やあっ!」

 

 

ゴブリンの死体は既に20を超え、四度目の投擲は上条とレンリのアイコンタクトのみによって行われていた。レンリはそれに伴う大量殺戮への恐怖心を抑え込みながら、五度目の投擲を行ったその直後、カキィンッ!という甲高い衝撃音が走った

 

 

「ッ!?」

 

 

それは今までのような小枝を鉈で落とすような音でも、上条の盾とぶつかり合う金属音でもなかった。間違いなく雙翼刃の軌道が何かに阻害されたことをレンリは悟り、激しくブレながらもどうにか戻ってきた二本の刃を両手の二指で静止させつつ受け止めた

 

 

「・・・お前が、ゴブリンの大将だな?」

 

「カッ!」

 

 

レンリは低い声で訊ねると、煙幕の奥からうっそうと姿を現したゴブリンは唾を吐き捨てながら喉を鳴らした。他とは一線を画する肉体そのものは、肉体年齢15歳のレンリと同等で、元々の体格が矮躯なゴブリンの中では十分に巨大と呼べる個体だ。全身の筋肉は鋲を打ったような厳しい鎧に包まれ、右手には肉厚の山刀を提げていた

 

 

「山ゴブリンの族長、コソギだ。おうおう、随分と派手に殺してくれたよなぁお前?まさかこんな後ろに整合騎士が居残ってるたぁ、アテが外れちまったよ」

 

 

コソギというゴブリンの黄色い両目から放たれる殺気は、他のゴブリンとはひと味もふた味も違っていた。強烈な殺気を抱きながらも、それを知性で抑えているのが分かる。その様相からも、このゴブリンが長を名乗るに相応しいことをレンリは認めた

 

 

「レンリ!俺も……!」

 

 

自分の元へ駆け寄ろうとした上条を、レンリは片手で制した。左側にいる彼に、左目の視線だけで『これは、僕の戦いです』と語っていた。それを受け取った上条は、僅かに逡巡したが、やがてコクリと頷いて彼らから一歩後ずさった

 

 

「・・・これで、お前達の戦争は終わりだ!」

 

 

正面にコソギを見据えたレンリは、雙翼刃を握った両腕を体の前で交差させながら、力一杯に叫んだ。放たれるのは、全力にして最速の投射。右の刃は斜め上から舞い降り、左の刃は地面を掠めて跳ね上がって、正確にコソギの首へと飛んだ。だが………

 

 

「ずあっ!!」

 

「な、なんだって…!?」

 

 

今度もまた、高く澄んだ金属音がカァンッ!と響き渡った。コソギは左右から迫る刃を、刀身が霞むほどの早さで山刀を振り抜いて弾き返していた

 

 

(どうして!?神器でもないあんな粗雑な刃…雙翼刃なら訳もなく切断できるはずなのに…!)

 

 

跳ね返された投刃を受け止めながら、レンリはコソギが握る山刀に、驚愕にも似た視線を向けた。よくよく注視したその山刀は、他のゴブリンが装備している蛮刀とは刀身の色合いが異なっていた。精錬された鋼を、長い時間をかけて鍛えた高優先度の業物だ。そう見立てたレンリの視線を感じたコソギは、ニタリと笑いながら山刀を持ち上げて言った

 

 

「コイツか?試作品だが、なかなかの出来だろう?いけ好かねぇ暗黒騎士団から素材と製法を盗むために、そりゃあとんでもねぇ量の同胞の血が流れたもんさ。だがな、それだけがお前の攻撃が防がれた理由じゃないぞ。騎士の坊や」

 

「ッ!?だったら、これでどうだっ!」

 

 

レンリは両手を真上に振り抜いた。暗い夜空へと舞った投刃は敵の視界から消え、大きな弧を描いてコソギの背後へと襲いかかった

 

 

(これは弾けないはず……!)

 

「・・・ケッ!」

 

 

レンリの密かな確信は、即座に裏切られた。コソギという名のゴブリンの長は、あろうことか山刀を背後に回し、大して見向きもせずに超高速の刃を弾き返したのだった

 

 

「なっ!?あ、アイツ背中に目でも付いてんのかよ!?」

 

 

一連の事象に驚愕の声を上げたのは、それを側で見ていた上条だった。一方で戦いの最中にあるレンリは、不規則に揺れながら戻ってきた雙翼刃を僅かに受け止め損ね、左手の中指に軽く切り傷を負ったが、その痛みを感じる余裕も与えずコソギは言った

 

 

「教えてやろうか?軽いんだよ、坊やのソレは。それに何より…『音』がな」

 

「ーーーッ!?」

 

 

コソギは寸分の狂いもなく、雙翼刃の弱点を言い当てていた。投刃一枚の重量は、神器と呼ばれる武器としては有り得ないほどに軽い。鋭さと回転力だけを追求しているが故に、それは仕方のないことだが、そうすると投刃の速度に反応できる上で、充分な優先度の装備を持つ敵の防御を強引に押し切ることは不可能に近いのだ

 

 

「そんだけ刃がブンブン回って飛ぶんなら、周りの風を切る音がしないハズがねぇ。俺みてぇな頭と耳が良いヤツなら、その音で次の軌道を読むのはそんなに難しくねぇよ」

 

 

僅か数回の攻撃を見せただけで、雙翼刃の抱える弱点をここまで明確に見抜いたコソギの知性に、レンリは息を呑むほどの戦慄を覚えた。粗野で下等な亜人だと聞いていたハズのゴブリンとは、似ても似つかないではないかと唇の端を噛んだ

 

 

「ゴブリンの癖に…ってツラぁしてやがんな坊や。ムカつくんだよ。そうやって俺たちを単なる一種族としてしか見ずに、安易に値踏みして見下す野郎共が、俺たちゴブリンにとっては一番気に喰わねえ」

 

「・・・・・」

 

「だが俺としちゃあ、こう言わせてもらいたいね。お偉い騎士サマのくせに…ってな。かの人界にて栄えある整合騎士サマは、闇の軍勢を恐れぬ一騎当千の騎士…と、そう聞いていたんだが、どうやらお前さんはそうでもねぇようだな?だからこんな後ろに隠れてた、違うか?」

 

 

ニヤリと口の端に醜悪な笑みを浮かべながら、コソギは言った。目の前の敵を、たかがゴブリンだと侮ったのがそもそもの間違いだった。そう悟ったレンリは苦し紛れだった虚勢を捨て、完全に言い当てられた自分という人間の有様を、腹の底に落とし込みながら頷いた

 

 

「・・・あぁ、そうさ。僕は整合騎士の失敗作だ。恐怖に負けて戦場から逃げ帰ってきた臆病者だ」

 

両手の指先で挟んだ銀色の翼を、顔の前で交差させる。この神器、雙翼刃はかつて左と右の翼を失った、つがいの神鳥だったという。一羽だけでは飛べない彼らは互いの体を繋ぎ合わせ、他の鳥たちには飛べない高みまでも舞い上がり、無限に等しい距離を飛んだ。しかしその伝説は、レンリ自身も気付けないほどの心の深みに、鋭く小さな傷を生じさせた

 

 

「だけど、勘違いするなよ」

 

 

シンセサイズの秘儀によって、レンリの記憶から奪われた、愛する者の記憶。それは四帝国統一大会の決勝戦で刃を交え、極限の戦いの果てに事故で命を奪ってしまった、幼馴染みの親友だった。レンリと『彼』は、まさしく一対の鳥だった。物心つくやつかずの頃から二人で剣の腕から何まで切磋琢磨しあい、故郷を出て央都に上ってからも互いの存在を心の支えにしていた

 

だが、共に辿り着いた最高峰の舞台で彼らの翼は折れてしまった。彼との記憶を封印され、整合騎士となってからも、レンリの心にぽっかりと開いた巨大な喪失感は、埋まることはなかった。剣を取って戦う勇気、誰かと心を繫ぐ喜び、その二つを見失ったレンリに一枚ずつの翼を繫いで飛翔する神鳥の姿を呼びさませることなど、出来ようはずもなかった。それこそが、レンリが雙翼刃の武装完全支配術を行使できない由縁だった

 

 

「出来損ないなのは僕だけであって!『コイツ』は決して出来損ないなんかじゃない!」

 

 

しかし、この土地で出会った二人の若者が彼の心を強く打った。この世界には、心が尽きようとも失われないものがある。例えどんなに苦しい状況にあっても、立ち向かう勇気が必要なのだと教わった。誰かの命は、心を繋ぐ誰かに受け継がれ、きっとまた誰かの命に繋がる。この雙翼刃に宿るつがいの神鳥が、長い時を超えてレンリと『彼』に繋がったように。永遠に、この世界が続く限り、繋がっていく

 

 

「ーーー翔べっ!雙翼!!」

 

 

一度は何もかもを諦めかけた少年騎士の体が打ち震えるようにして、突然に熱風の如き剣気を放った。レンリの両目がカッ!と見開かれ、二枚の鋼刃を挟み持った両腕が、彼の叫びと同時に交差しながら真横に振り抜かれた。そして舞い上がった二条の光は高い弧を描き、左右からコソギへと襲いかかった

 

 

「雑魚騎士が!何度やろうが無駄だって分からんのか!?」

 

 

ゴブリンの長は山刀を構えて吼えると、突風の如き一振りで雙翼刃を弾き返した。甲高い金属音と真っ赤な火花が散る。二枚の刃は呆気なく跳ね返されたが、地面に落ちることなく再び空へと飛翔した。まるで二羽の鳥が寄り添うように、螺旋の軌道を描いて絡み合いながら近づいていく。そしてついに、二枚の刃が触れ合ったその瞬間ーーー!

 

 

「リリース・リコレクション!!」

 

 

レンリは武装完全支配術ではなく、その上位に当たる神聖術の最奥『記憶解放術』の式句を声高に唱えた。向かい合う二枚の鋼刃が光の中で頂点を接合させ、まさに神の如き翼をその刃に宿した

 

 

(・・・・・綺麗だ…)

 

 

ゆるゆると回転するそれは、十字となった刃をまるで夜空に輝く星のように、青く煌めかせていた。神器、雙翼刃。その全てが解放された姿に、レンリはそっと右手を差し伸べた

 

 

(まるで僕と……『 』のようだ…)

 

 

既にレンリの記憶にはない、心の中で思い浮かべた誰かが、笑ったような気がした。それに応えるようにして高々と掲げた右手を力強く握り締め、振り下ろす。十字の刃が、凄まじい勢いで回転し始める。風切り音が急激に高まり、やがて聴覚の限界を超えて消失した雙翼刃は光の円盤となり、音もなく宙を滑るように舞って、討つべき敵へと真っ直ぐに軌道を伸ばした

 

 

「ッ!?何の小細工をしたか知らねぇが…無駄なんだよっ!!」

 

 

吼えたコソギが、上空より襲いかかる雙翼刃を山刀ではたき落とそうとした。しかし、分厚い鋼が極薄の刃を捉えるかに見えた、その寸前のこと。雙翼刃はそれまでの軌道を急激に変化させ、いったん垂直に跳ねて山刀を空振りさせると、再度真下へと加速した

 

 

「・・・あれ?」

 

 

コソギの間の抜けた声の後に、カッ!という乾きつつも細かく振動した音があった。その刹那、コソギの鍛え抜かれた体の正中線に、青白い輝きが迸った

 

 

「がっ、ガアアアアアァァァ!?!?!」

 

 

自分の体に走った痛みに怒り狂い、獰猛な雄叫びを迸らせながらコソギはレンリに飛びかかろうとした。だが、そこからは何とも奇妙な光景だった。右半身の動きに左半身が遅れていた。一歩、二歩走ったところで体が完全に分離し、右と左にドッ!ドッ!と連続して倒れた

 



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第26話 蠢き出す戦況

 

「ありがとう、僕の心に応えてくれて」

 

 

見事にコソギを討ち取り、戻ってきた雙翼刃をレンリは暖かな礼の言葉と一緒に両手で受け止めた。すると十時に重なっていた二枚の刃は音もなく分解し、元の姿に戻った

 

 

「・・・ふぅん?あなたも少しは騎士っぽくなったんじゃない?」

 

「まぁ、どうせならもっと早くそうなってほしかったんですけどね」

 

 

そんな声が聞こえて、レンリは振り返った。そこには自分よりも遥かに多くの返り血を浴びた、恐るべき双子たちの姿があった。コソギの戦いに一切の邪魔が入らず、今やこの戦場が閑散としているのは、彼女らが残りの敵ゴブリンを片付けたからだろうとレンリは当たりをつけた

 

 

「凄かったぜ、レンリ。流石は整合騎士だな」

 

「い、いやそんな…僕はただ……」

 

 

上条に言われ、レンリは少し気恥ずかしそうに頬を掻いた。それにどう答えていいか分からず立ち尽くしていると、それを察知したリネルがふっと鼻を鳴らして笑い、実にわざとらしく騎士礼をして言った

 

 

「上位騎士様、ご命令を」

 

 

視線と言葉の端から感じる嘲笑のようなものの半分は皮肉だろうが、侮辱されるよりは幾らかマシだと思えた。レンリは軽く咳払いしてから、リネルとフィゼルに訊ねた

 

 

「ティーゼ達と、彼は無事?」

 

「えぇ。さっき残りの補給部隊と合流させてきた」

 

「侵入してきた敵兵は?」

 

「見て分かんないんですか?全部血祭りです」

 

 

フィゼルが答えた後に、リネルは悪戯っぽく笑っていった。こういう所が『恐るべき双子』の異名を持つ由縁なんだとレンリは少したじろいでいると、上条が礼の言葉を挟んだ

 

 

「悪い、ありがとな二人とも。俺が来た時にはもう戦ってくれてたんだろ?二人が少しでもゴブリン達を食い止めてくれてなかったら、キリト達は危なかったかもしれねぇ」

 

「・・・それは否定しませんけど。それより私が聞きたいのは、なんで貴方がこんな所にいるかってことなんですけど?そりゃ単独行動の権利が許されている貴方の勝手でしょうけど、報告によればファナティオ様達と第一部隊の中央で、戦場の最前線を張っていたらしいじゃないですか」

 

「いや、それ言うなら右翼側第二部隊のお前らだって同じだろ。俺はただ左翼側で凄い煙が立ってるのを見て、ちょっと不安になったんだ。それで急いでここに来たってだけさ」

 

「・・・それだけで戻って来たんですか?戦場の最前線から、こんな後方の末端の末端まで?無茶苦茶過ぎますよ…」

 

 

フィゼルのどこか棘を感じる口調にも上条は特に悪びれる様子もなく、自分がここに来た顛末を口にした。するとそれを聞いたフィゼルは、呆れたように頭を抱えた

 

 

「『兵は神速を尊ぶ』というやつですねぇ。まぁ敵方の策略的には『将を射んと欲すればまず馬を射よ』ってところでしたが」

 

「・・・なんでお前がそんな知る人ぞ知る諺を知っとんのじゃ…」

 

 

神聖術の式句を神聖語として学ぶアンダーワールドでは、到底耳にしないであろう諺をクスクスと笑いながら口にしたリネルに、今度は上条がため息を吐いた。レンリはそんな光景に首を傾げながらも、無事に戦いが終わったのだという実感に安堵しながら言った

 

 

「うん。じゃあ僕は元いた部隊の持ち場に戻るよ。君たちもそうした方がいい」

 

「はぁい」

 

「了解です」

 

 

レンリの指示に、リネルとフィゼルは軽々しく答えた。そして戦闘の疲れを全く感じさせない動作で振り向き、たたっと走っていく見習い騎士達を見送った

 

 

「それじゃあ、俺も戻るよ」

 

「え?さ、最前線にかい?」

 

「まぁな。別に俺がいた所で大した戦力にはならないだろうけど、それでも俺はこの戦争で戦う義務がある」

 

 

自らもう一度危険な戦地へと向かおうとするその姿勢に、レンリは驚愕した。そしてその後に短く「それじゃ」と言い残して再び戦場へ向けて走り出した彼の後ろ姿を見つめながら、レンリは改めて尊敬の念を込めた騎士礼を取った

 

 

「ありがとう、カミやんさん。君と…あの若者のおかげで僕は、戦う勇気を持つことが出来ました」

 

 

今はもう届かない声だと分かっていつつも、レンリは上条に礼を言った。それをもって取り戻した勇気を胸に刻みつけると、第二部隊左翼に合流するために走り出した

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

激戦の続く東の峡谷から、約五百メル離れて布陣するダークテリトリー第二軍の最後方。皇帝ベクタの地竜戦車には多少見劣りするが、それでも充分に豪奢な四輪馬車の二階席に、肌も露わな長身の女が腕組みをして立っていた。暗黒界十侯の一人、暗黒術師ギルド総長ディー・アイ・エル。その彼女の脇に控える黒衣の暗黒術師が、主を見上げつつ低い声で伝令を口にした

 

 

「ジャイアント族長シグロシグ殿、平地ゴブリン族長シボリ殿、山ゴブリン族長コソギ殿、討ち死にとのことです」

 

「チッ、使えんな。所詮は頭脳の利かん下等な亜人だったか…」

 

 

ディーは自身の艶やかな胸元の肌に垂らした首飾りをちらりと一瞥した。銀の円環に十二の貴石を置いたそれは、色合いの変化で時刻を教えるという秘蔵の神器…つまりは現代でいう日時計のようなものだった。その神器の六時の石は橙色に光り、七時の石はいまだ闇色。つまり、午後六時の開戦から、わずか二十分ほどしか経過していないことを意味していた

 

 

「整合騎士共の位置は摑めているか?」

 

「最前線に視認できた三人は照準済みです。後方にもう二名を発見していますが、位置固定にはもう暫く」

 

 

苛立ちを隠さぬまま訊ねたディーに、配下の暗黒術師は戦場に潜む仲間の術師の応答にあった通りの現状を伝えた

 

 

「まだたったの五人か。あるいは、そもそも数が少ないのか…?しかし、どうあれまずはその五人を確実に屠らねば…」

 

「・・・それともう一つ。これは、小耳に挟んだことなのですが、申し上げた方がよろしいでしょうか?」

 

「良い。戦場ではいち早い情報こそが勝敗を決める戦力となり得る。話せ」

 

 

少し言い淀んだような口調で話す術師とは対照的に、ディーは極めて明瞭に言った。彼女のその言葉に跪く術師は、コクリと頷いてから静かに口を開いた

 

 

「第一部隊中央。シグロシグ殿を討ち取ったのは整合騎士副長ファナティオであったとの事ですが…何やらその傍で、鎧を身につけないどころか剣すら帯びずに、何故か盾と拳のみで戦う風変わりな男がいた…との報告がありました」

 

「・・・なんだそれは。人界の民にも拳闘士のような輩がいたとでも言うのか?」

 

「真相は分かりかねます。ですが盾を装備している事を鑑みるに、殊更に防具を嫌う我が軍の拳闘士達とは、似て非なるものかと。特筆すべきなのはその者の勢いたるや、副長ファナティオと並び立っても決して見劣りしない強さだった…との事です」

 

「整合騎士にも劣らぬ強さを持った、拳と盾で戦う男だと…?聞いたことがない。よもや新たな整合騎士の一員か…しかしそれなら鎧も剣も装備していないというのは妙だな。神器を持たぬ間に合わせの下位騎士…?よもやその盾か、拳そのものが神器だとでも……」

 

 

ディーはその報告にしばらくの間考えを脳内に巡らせたが、謎が謎を呼ぶばかりで得心のいく答えは得られそうになかった。気づけば口に手を当てるほどに悩んでいた彼女は、そこまで考えてハッとすると、らしくないと言ったように少し長めのため息を吐いた

 

 

「まぁ良い。所詮は盾とただの拳だ。一度に多くの首は獲れん。大方腕っ節に自信のあるバカな兵士が最低限の武装だけして、武勇と名誉欲しさに前線に身を投じただけだろう」

 

「そう、ですね…上位騎士のような、一度に百を屠る爆発力を持つ脅威にはなり得ないかと」

 

「そうだ。やはりまず問題なのは、その整合騎士であることに変わりはない」

 

「では、如何致します?」

 

 

ディーは、皇帝を前にした時の媚態とはかけ離れた冷酷な表情でひとりごちると、少し考えつつ眼を細めて、崩壊した大門とその彼方の戦線までの距離を測りながら言った

 

 

「よし、ミニオンを出せ。コマンドは『700メル飛行』、『地上に降下』、『無制限殲滅』だ」

 

「その距離ですと、最前線の亜人部隊を巻き込みますが?」

 

「構わん。鈍い方が悪い」

 

 

作成に多くの資源と長い時間が必要となるミニオンは、彼女にとってはゴブリンなどよりもよほど貴重な戦力だった。出し惜しみしたいのは山々だが『後方からの術式集中斉射による敵主力殲滅』というディーの献策がもし失敗すれば、皇帝ベクタの不興を買うことは間違いないだろう

 

 

「はっ。では数は如何なさいますか?現状で孵化済みの800体、全てを運んできておりますが…」

 

「ふむ、そうだな…」

 

 

このディー・アイ・エルという女には、秘めたる野望があった。それは、この戦に勝利して『光の巫女』とやらを手に入れれば再び地の底に戻るという闇の神ベクタから、皇帝の位を受け継ぎアンダーワールド全土を支配することだった。その底の見えぬ野望を満たすためには、この戦で皇帝に見放されることだけはあってはならない。そう結論付けた末に、褐色の術師は部下に告げた

 

 

「ーーーーー全部だ」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「来たかっ!?」

 

 

騎士長ベルクーリは言って、太く笑った。大門手前の上空に張り巡らせたち時間の刃の圏内に、多くの飛行兵が侵入してくるのを察知した。泥のように冷たい、魂を持たないミニオンという名の怪物。しかし、まだ発動の動きは取らなかった。侵略軍が放ったミニオンの全てが、時間の刃の圏内に呑み込まれるまで待った

 

 

「俺もそろそろ、一介の将らしいとこを見せておかねぇとな…!」

 

 

ベルクーリの研ぎ澄まされた知覚は、すでにファナティオやデュソルバート、戦場を駆け回る上条の奮戦と、一時は逃亡してしまったレンリの覚醒までをも捉えていた。故に、侵略軍先陣の将を三人とも討ったとなれば、もうこの局面で戦線を押し込まれることはないと踏んだ。あとは、目論見どおり上空で待機する七人目の上位騎士が空間神聖力を根こそぎ使い果たして敵の遠距離術式を無力化してくれるのを祈るばかりだ

 

 

「時穿剣!!」

 

 

しかし、それだけではベルクーリ自身の戦果がないに等しかった。あるいは、この局面こそが唯一彼が戦果を上げる瞬間であり、最も守備軍への被害を抑える事の出来る瞬間だった。上空の暗闇を切り裂きながら迫り来るのは、有翼生物ミニオン。その群れがようやく斬撃圏内に呑まれた瞬間、ベルクーリは爛と目を見開き、時穿剣を大上段に振りかぶった

 

 

「ーーーーー斬ッ!!!」

 

 

桁外れの覇気が込められた叫びと共に、白刃は振り下ろされた。刹那、前方上空で無数の白い輝きが格子模様を描き出した。時間の刃に切り落とされたミニオンの奇怪な断末魔が峡谷を覆い尽くし、どす黒い血の雨が侵略軍亜人部隊の頭上へと降り注いだ

 



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第27話 戦争、その意味は

 

 

「・・・恐れながら閣下…ミニオン800体、降下直前に全滅した模様にございます」

 

「なっ、なんだと!?」

 

 

配下の伝令術師からの報告に、ディーは絶句した。術式だけで八百ものミニオンを屠ることは、実質不可能だと決めつけていた。術で生み出すミニオンの主な素材は粘土であるがゆえに、火炎術や凍結術に高い耐性を持っている

 

 

「何故だ!?敵に大規模な術師部隊がいるとは聞いていないぞ!」

 

 

然るに最も有効なのは鋭利な刃による斬撃だが、空中にいるミニオンに地上の兵どもの剣が届く筈もない。故にゴブリンのような亜人部隊よりも数こそ800と劣るが、有益な戦果を上げるだろうと予想していたが、結果はそうはならなかった。その歯痒さをディーは何とか抑えつつ、黒衣の術師に訊ねた

 

 

「・・・敵の飛竜はまだ出ていないと言ったな?」

 

「はい。戦場上空におきましては、現時点では一匹も確認しておりませぬ」

 

「となると、アレか。憎き整合騎士どもの切り札…武装完全支配術。しかし、よもやこれほどまでの威力とは……」

 

 

語尾を奥歯でギリギリと嚙み殺しながら、ディーは呟いた。武装完全支配術について彼女は、誰がどんな技を使えるといった、大雑把な情報しか持っておらず、実例を目にしたことがなかった。だからこそ少しは侮ってかかっていたその威力を、こうもまざまざと見せつけられては、暗黒術師のギルド長たる彼女も舌を打たずにはいられなかった

 

 

「・・・だが、武器をそのように扱えば、天命を大量に消費するのもまた間違いない。そうそう連発は出来なかろう……ならば、ヤツらの位置はどうだ?」

 

「はっ。上位騎士におきましては、前方に三名、後方に二名の騎士を確認しております。合わせて五、目標を照準中であります」

 

「・・・よし」

 

 

ディーは頷いて、思考に思考を重ねた。彼女は本来、念入りに策を巡らせ、万難を排してから動く用心深い人物だ。しかし、虎の子のミニオン八百体を瞬時に喪失するという予想外の展開が、彼女を自覚なき混迷に追い込んでいた

 

 

(・・・私は冷静だ。戦場においては先手を取ってこそ、盤石の体制を敷ける。断じて後手に回るべきではない)

 

 

最大の不確定要素たる敵、上位整合騎士の武装完全支配術を更に消費させるため、第二軍主力の暗黒騎士団と拳闘士団を動かすか。それとも、こちらの切り札たる暗黒術師団をここで動かし、一気に勝負を決めるか。その答えは既に、彼女の中で明確に定まっていた

 

 

「オーガ弩弓兵団、及び暗黒術師団、総員前進!峡谷に進入後『広域焼夷弾術』の詠唱をただちに開始するのだ!!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「くるるる」と、甲高くもどこか心細そうな喉声があった。飛竜の雨縁が、主を気遣って発した声だ。自分が乗っている飛竜の鳴き声を聞いた整合騎士アリスは、どうにか微笑らしきものを唇に浮かべ、彼女の耳元で囁いた

 

 

「大丈夫よ、心配しないで」

 

 

だが実際のところ、アリスはとても大丈夫だと言い切れる状況にはなかった。視界は時折歪み、呼吸は荒く、手足は氷のように冷え切っている。いつ気を失ってもおかしくない。アリスを消耗させているのは、開戦直後から詠唱を続けている巨大術式ではなく、その術式が消費している神聖力の発生源となっている、無数の死そのものだった

 

 

(・・・もう既に、何人もの死を見ました。騎士、衛士、修道士。そして敵のゴブリン、オーク、ジャイアント…)

 

 

凄まじい勢いで喪われていくそれらの命の、消え去る瞬間の恐怖や悲哀、絶望がアリスの意識を蝕んでいた。だが、それがなければ彼女の巨大術式は発動しない。神聖術に用いられる神聖力とは、自然に生み出されるものだけでなく、人間の命、魂が大きなリソースとなるからだ

 

 

(・・・しかし、それが…まさかこのような…)

 

 

峡谷に蔓延する神聖力を懸命にかき集めていたアリスは、雷に打たれたような衝撃を受けていた。あろうことか、眼下の戦場で次々と倒れる両軍の兵士たちの天命から生じた神聖力は、人界人のものも、闇の軍勢における亜人たちのものも、まったく同質だったのだ。全てが同じように温かく、清らかで、それを生み出したのがどちらの軍の兵士なのかを感じ分けることは、アリスには不可能だった

 

 

(・・・当然と言えば当然なのでしょうか…そもそも私たちは、カミやんが言ったように誰かに造られた存在なのですから。ですが、それではまるで…今から私がやろうとしている事は、住んでいる場所が違うだけの、本質的には同胞である彼らを手にかけていることに……)

 

 

そこまで思考してハッとすると、アリスは激しく首を横に振った。例えそうだとしても、やらなくてはならない。もしここで躊躇すれば、自分が何としてでも守ると誓った両親やセルカ、ひいては人界の民に危害が及ぶ。それだけは許す訳にはいかない。しかしそう思えば思うほどに、アリスの心は敵の命を天秤にかけるという現実に苛まれていった

 

 

「キリト…貴方がいてくれたら……」

 

 

もっと違う道を見つけられたのかもしれない、という言葉は口にせずに押し殺した。いや、本当はもう一人。本来なかったはずの記憶の中に、そんな期待を持たざるを得ない少年がいた

 

 

「・・・カミやん。どうか無事で」

 

 

戦場に立つ少年の無事を祈って、アリスは静かに目蓋を閉じた。今は、術式に集中しなくてはならない。峡谷に放出される神聖力を集め、術式に換えることだけに集中しようとした。しかし、悲鳴は絶え間なく峡谷に響き渡り、アリスの心を締め付けた。死んでいく。誰かの父が、兄弟が、姉妹が、そして子が

 

 

(・・・早く、どうか…)

 

 

アリスは心の内で呟いた。いっそ、一秒でも早く『その時』が来てほしいと。これまでの数倍、膨大な死を生み出すとしても、この惨劇が終わるその時をーーー

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「づぁっ!!」

 

「ブギィッ!?」

 

 

左翼側を抜け出た山ゴブリンから補給部隊を守り、前線に戻った上条当麻は再び第一部隊中央に戻っていた。移動から続く連戦にも関わらず力戦奮闘する彼の前には今、豚の亜人オークが立ち塞がっており、次から次へと湧くように迫ってくる敵を盾で防ぎつつ、右拳で叩き伏せていた

 

 

「うおおおおおっ!!」

 

「ブゴッ!?」

 

「でやああああっ!!!」

 

 

ゴッ!グシャッ!バキッ!という鈍い音が彼の周りでは連続して聞こえていた。彼の拳が、敵の顔面、鳩尾、土手っ腹に埋まっていく。だがそれは側から見れば、ただ敵が目に付く度に暴れているだけで、繊細さを欠く隙だらけの戦いだった

 

 

「らあああああーーーーーっ!!!」

 

「五月蝿えガキだっ!」

 

「ごはっ!?」

 

「殺せえええええっ!!!」

 

 

故に、数で勝る敵の四方八方から迫る攻撃を盾で捌き切れない時もある。どれだけ勇ましく吼えても、自分の倍以上の体躯を誇るジャイアントには軽々と蹴飛ばされる。そして上条が体勢を崩したその瞬間に、たかるようにしてゴブリンが襲いかかってきた

 

 

「ッ!?ぅぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁああああああああああああーーーーーっ!!!!!」

 

 

もはや息を吐く暇などなかった。咄嗟に体を起こし、右手を左手に添えながら、体を独楽のように回す。四方八方から飛びかかるゴブリン達が、盾の鉄縁にガガガッ!と次々にぶち当たり、一斉に薙ぎ払われた

 

 

「「「ギエエエエエッッッ!?!?!」」」

 

 

上条は倒れ込んだゴブリン達に、情け容赦なく右手を振り下ろした。ゴギッ!という首の骨が折れる音があれば、頭蓋骨にそのままヒビが入る音もあった。そして襲いかかってきたゴブリン全てを屠ると、返り血を浴びた頬を服の袖で拭い落とした

 

 

「ぜえっ…!はあっ…!ふっ!」

 

 

息を整えて、酸素を腹の底に落とし込みながら上条はもう一度走り出した。彼の右拳の強さが、従来の仮想世界にあった右手の強さに劣る理由。それは彼自身を定義付けてきた『右手』の在り方にあった。幻想殺しは本来、現実でも仮想世界でも、上条当麻が特に意識もせずにそこに在った物だ。しかしその右手を今作り出しているのは、他でもない彼の『意識』である。では、彼の右手にこれまで宿っていた幻想殺しの強さを定義するのは、一体何なのか……

 

 

(・・・負けられ、ねぇっ…!)

 

 

それが明確に分からない。そんな少しの心の淀みでさえも、心意は形にしてしまう。だからこさ今の彼の右手は、繊細さを欠いている、ただの暴力的な拳とも言える物でもあった。それを他でもない、上条当麻自身が分かっていたからこそ、行き場のない焦燥感を胸に抱えたまま拳を振るしかなかった

 

 

「おいっ!おい、しっかりしろ!」

 

「ッ!?」

 

 

そんな声が聞こえて、前線にいるにも関わらず上条は振り返る。その視線の先には、頭から血を流してグッタリとしている衛士を必死に抱き起こし、懸命に呼びかける仲間の衛士の姿があった。おそらく神聖術では間に合わないほどの重傷、手遅れであると上条は悟った

 

 

「くそっ、クソッ…この野郎おおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

叫びながら、無我夢中に敵軍の中へ突っ込んでいく。そしてそれが、もう一つの上条当麻の心の淀み。こんな光景を、この戦争で何度も見た。味方が死に、敵を殺す。紛れも無い自分の目の前で。この右手では、守りたい誰かを守り切れないのではないか。そんな悩みが、彼の右手に宿る心意を鈍らせていた

 

 

「オラァッ!!」

 

「ギゴッ!?」

 

 

また一匹、オークを屠る。もしも彼らに、目に見える明確なHPと、決められた行動パターンがあれば、いくらか気は楽だったろう。それならばSAOでも繰り返してきた。攻略のために、電子によって生み出された、感情のない敵を何匹も殺すのと同じだったろう。しかし、目の前にいるのは自分と同じ魂、フラクトライトという等身大の感情を持っている。自分に向けられる敵意は生きていて、殴る度に浴びせられる悲鳴はどこか虚しかった

 

 

(これしか道がないハズじゃ…他に何か、俺には選べる道があったのかもしれねぇのに…!)

 

 

戦争が始まる前までは、絶対に負けない、必ず闇の軍勢を倒し、人界の民を守ってみせると意気込んでいた。しかし、本質的に同じフラクトライトを持つ敵を、生きた感情を持つ誰かを倒す度に、見た目はまるで違うのに、同じ人間を殺しているかのような罪悪感に上条は囚われてしまった

 

 

(・・・多分これが…これが戦争なんだ。教科書やテレビでどれだけ史実を教えられても伝わらない…命のやり取り、生きるか死ぬかの賭け…そんなの、そんなのは分かってる!だけどっ…!いくら人工だって言っても、コイツらのフラクトライトは!感情は!こんな戦いをするための物じゃないハズなのに…!)

 

 

だからこそ上条当麻の心の内には、自分が手を掛けた相手を、救ってやれなかったという後悔の念が渦巻いていた。誰かを救えていたこの右手が、今は誰かの命を奪っている。例えそれが人工的に生み出された魂だけのモノだとしても、彼はそれを心のどこかで後悔していたのだ

 

 

「・・・アリス…」

 

 

だからどうか、こんな戦争は早く終わってほしいと願った。どうか自分と関わってくれた人達は、少しでも多く生きていてほしいと。それが出来るただ一人の騎士…アリスが佇んでいる上空を、上条はほんの一瞬だけ見上げると、また拳を握りしめて数多の敵が押し寄せる戦場へと向き直った



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第28話 神の御業

 

侵略軍の第一陣を構成する、山ゴブリン、平地ゴブリン、ジャイアント族の亜人混成部隊は壊走の一歩手前で踏みとどまっていた。  三人の長はみな戦死した。それはつまり、守備軍を率いる整合騎士が、亜人部隊の誰よりも強ということに他ならない

 

『力ある者が支配する』。それがダークテリトリーの住人たちの魂に刻まれた、従うべき唯一の掟である。もしこの戦いが亜人たちだけのものだったなら、一介の兵士は指揮官が討たれた直後に全面降伏していたに違いない

 

その事態を辛くも食い止めていたのが、ダークテリトリーに降臨した闇の神、皇帝ベクタの存在だった。皇帝は各種族の長の力を遥かに上回っており、その真の力が人界の整合騎士にも迫るのかは、まだ誰も知るところではない。故に侵略軍の亜人たちは最初の命令を固守せざるを得ず、勢いに乗る人界守備軍と懸命に刃を打ち合わせ続けるしかなかった

 

そして、その必死の奮戦がついに身を結んだ。彼らが稼ぎ出した数分間を利用し、ダークテリトリー軍の切り札である遠距離戦力、すなわちオーガ族の弓兵部隊とディー配下の暗黒術師部隊が、崩壊した大門ぎりぎりの位置まで前進したのだ

 

アンダーワールド大戦。その戦争の初戦の雌雄さえ分けるであろう作戦は、三千のオーガ部隊が前方で巨大な弩弓を構え、後方で同じく三千の暗黒術師が攻撃術を詠唱するというものだった。全体の指揮を執るのはオーガ族の長フルグルではなく、ディーの側近である練達の高位暗黒術師だった。漆黒のローブを纏った彼女は、後方で響いたディーの命令を耳にするや、細い腕を横に振りながら叫んだ

 

 

「オーガ隊、弩弓発射用意!術師隊『広域焼却弾』術式、詠唱開始!照準係、敵整合騎士座標への誘導術式、詠唱開始!」

 

 

広域焼却弾。この作戦のためにディー・アイ・エルが設計した、大規模殲滅術式。戦場に満ちる空間暗黒力を全て熱素に転換し、それをオーガの矢に乗せることで、その射程を文字通りの広域へと昇華させる。それはまさしく、かつて賢者カーディナルが危惧した『個の力では対抗できない数の力』に他ならない

 

更にディーは、風素術が得意な術師を照準係に採用し、敵軍の主力である整合騎士を精密に狙うための《風の道》を作らせるという周到な策を用意していた。仮に全ての焼却弾を一点に着弾させれば、かの最高司祭アドミニストレータですら無傷では防げなかったであろう、超高優先度を誇る絶大な威力の攻撃となるはずだった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ぐるるるっっ!」

 

 

戦場の遥か上空で、再び雨縁が低く唸った。しかし今度は、鋭い牙鳴りを混ぜた、何かを警告するような声だった。彼女の声が聞こえたアリスは、ハッとしつつも朦朧とし始めていた意識を立て直し、じっと遥か前方の宵闇を見据えた

 

 

「き、来たっ!?」

 

 

守備軍と混戦を続ける亜人部隊の向こう。新たな軍勢が統制の取れた動きで迫ってくる。金属鎧の輝きは見えないところを鑑みるに、彼らこそが騎士長ベルクーリが最も警戒していた、ダークテリトリーの術師軍団であるとアリスは悟った

 

 

「システム・コール」

 

 

アリスは口中で小さく呟いた。予め神聖術の晶素によって作り上げておいた、差し渡し三メルほどの巨大な硝子球が、その呟きの後に芽を出すように開いた。しかし、実際に出てくるのは芽ではなく、これまでの戦闘で失われた無数の命を源にした、膨大な空間神聖力の光だった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

屈強なオーガ兵たちの引き絞る弩弓の先端が、ギリギリ!と音を立てて軋みながら暗い空へと向けられた。すると次の瞬間、鈍く光る無数の鏃に向かって、三千の暗黒術師たちが両手を高々と差し伸べながら一斉に神聖術の起句を詠唱した

 

 

「「「システム・コール!!!」」」

 

 

漆黒のローブに身を包んだ暗黒術師の女達の声によって唱えられたそれは、まさしく死の合唱と呼ぶに相応しいものだった。術師たちは、その詠唱の後に生み出されるであろう力の巨大さに陶酔するようにして、次の式句を詠い上げた

 

 

「「「ジェネート・サーマル・エレメント!」」」

 

 

熱素の生成。術においてそれは基本のキであり、多くの術は熱素や光素といった素因の生成が土台となる。故に、亜人や拳闘士、騎士とは違い術の練達のみをひたすらに繰り返してきた術のエキスパートである暗黒術師には、素因の生成など造作にもないことだった

 

 

「ね、熱素…生成できません!」

 

 

しかし、暗黒術師の一人が上げた狼狽する声の中にあったのは、それすらも出来ないと言うもの。 それは高位の術式権限を持つ術師も含めて全員が同じだったようで、その不可解な現象の理由を求めるべく、三千人の暗黒術師達は周囲を見回し始めた

 

 

「ぶ、部隊長…このままでは『広域焼却弾』の術式発動は、事実上不可能です。まさかとは思いますが…これはこの地に宿る空間暗黒力が、全て枯れ切っているのでは……」

 

「そ、そんなハズがあるわけないでしょう!?あなただって絶えず聞こえてくる戦場の悲鳴が聞こえているでしょう!?人界人も、我が軍の亜人も、あんなに死んでるじゃないの!あれだけの命が生み出す空間暗黒力は、いったいどこに消えてしまったって言うのよ!?」

 

 

愕然としながら戦場を指差して叫ぶ指揮官の問いかけに答える者は、誰一人としていなかった。オーガ兵たちも、発射命令が出ないことに苛立ちながら、ただ弩弓を引き続けるしかなかった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

アリスは一瞬だけ瞳を閉じた。自分が放つこの一撃、数多の命を奪うことは分かりきっている。だからその罪は、己の両肩で背負うしかない…そうアリスは覚悟し、カッと閉じた目を開いた。その術の源となる、無限にも等しいと思われる生成された光素は、雨縁の逞しい背中の傍を舞うように漂っていた。そして、整合騎士アリスは遍くその光の中で左腰の剣を抜いた

 

 

「咲け!花たち!エンハンス・アーマメント!」

 

 

アリスが高らかに叫ぶと、金木犀の剣の刀身が無数の花弁へと分離した。ザアッ!という音と共に風を切る花弁達は、まるで見えざる手がそこにあるかのように、無限に等しい光素を掬い上げ、戦場に広がる虚空へと導いた

 

 

「・・・バースト・エレメント!!!」

 

 

神の御業に、それ以上の詠唱はいらなかった。金木犀の花弁によって導き出された無限個の光素は、膨大な光と熱をもって炸裂した。地上からそれを見上げていたアリス以外の衛士や騎士は、太陽神ソルスの神威だと畏怖した直径五メルは超えるであろう純白の光の柱が、天から地へと超高速で降り注ぎ、亜人部隊の中央に突き立っていく

 

するとその光の柱はそのまま峡谷の奥へと撫でるように向きを変え、幾千の鐘が共鳴するような轟音とともに、熱と光の波が峡谷の幅いっぱいに膨れ上がった。直後、それは果ての山脈の稜線までも届くような火柱となって屹立し、夜空を赤く染め上げた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ふっふっふ……」

 

 

もはや手の届きそうな距離で巻き起こったとてつもない規模の爆発を、暗黒術師ギルド長ディー・アイ・エルは自分の作戦が生み出したものと考えてほくそ笑んでいた

 

 

「はっはっは!あーっはっはっ!………は?」

 

 

しかし直後、峡谷から噴き出し、自身が乗る四輪馬車目掛けて押し寄せてきた熱波が、その笑みと笑い声をまるごと搔き消した。信じられないことに、炎のように熱く灼けた風が運んできたのは、亜人部隊と、ディーが手塩にかけて育てた暗黒術師たちの断末魔の叫び声だった

 

 

「も、申し上げます。原因不明の空間暗黒力枯渇現象により、我が方の『広域焼却弾』の術式は不発……そして直後、敵陣より放たれた未詳の大規模攻撃により、亜人部隊の九割、オーガ弩弓兵の七割、更に暗黒術師隊の三割以上が…壊滅した、模様です……」

 

「原因不明の枯渇、だと…!?」

 

 

ディーの傍らで待機していた伝令術師は、爆発の惨状を見て立ち尽くすディーに辛うじて仲間の術師から伝わってきた報告を、驚愕の色に染まった掠れ声で伝えた。するとその言葉に、ディーはようやく湧き立った怒りを交えながら言い返した

 

 

「原因は明らかだ!お前にはアレが目に入らんのか!?あの馬鹿でかい術式が、峡谷の空間暗黒力を根こそぎ吸い取ったのだ!そうとしか考えられまい!?しかし、有り得ない!あれほどの術はこの私にも……それこそ、今は亡き最高司祭にしか行使できないはず!ならば、何者の仕業だというのだ!?」

 

 

彼女の怒鳴り声に、もちろん答えは返ってこなかった。この局面をどう打開したものか、それ以前に皇帝ベクタになんと報告すればいいのか。暗黒界きっての知恵者と言われたディー・アイ・エルは、ただ荒く肩で呼吸を続けていた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「はあっ…はあっ…!」

 

桁外れに巨大な術式を発動させた反動と、その術式が生み出した惨劇に眩暈を起こしたアリスは、金木犀の剣を鞘に戻すやいなや、雨縁の背中にくたりと崩れ落ちた。飛竜は主の体を背中で優しく受け止めると、緩やかな螺旋を描いて人界守備軍の最前線に降下した

 

 

「見事な術式…そして見事な心意だったわ、アリス」

 

 

そこに真っ先に駆け寄ってきたのは、副騎士長のファナティオだった。彼女は飛竜から滑り落ちてきたアリスを両腕で受け止めると、感極まったような声で言った

 

 

「い、いえ…決してそのようなことは…それよりもファナティオ殿、敵軍は……」

 

 

そこまで言って、アリスは霞む視界で戦場を目の当たりにした。いまだ赤熱する峡谷の底には、狂乱の体で逃走していく辛くも生存した敵兵の姿が見え、死体はほとんど確認できなかった。術式による最初の光線によって瞬時に蒸発してしまったか、その後の爆発で跡形もなく四散したのか。どちらにしても、アリスはあまりにも無慈悲なその破壊の跡に焦燥感を覚えるばかりで、誇る気持ちには到底なれなかった

 

 

「見ての通り、敵は撤退したわ。他でもないあなたが導いた勝利よ」

 

 

ファナティオの声に、周囲の衛士たちから津波のような歓声が湧き起こり、それはやがて一つにまとまりながら、何度も繰り返される勝ち鬨へと変わった。アリスはその歓声の中で一先ず焦燥感を忘れながら、詰めていた息を深く吐き、ファナティオに支えられていた体を起こした。副騎士長がアリスの疲れを労うような微笑みを浮かべて深く頷くと、アリスもまた同じく微笑みを返しながら言った

 

 

「いいえ、ファナティオ殿、戦いはまだ終わったわけではありません。いまの術式が新たに発生させた神聖力を敵に再利用されないよう、治癒術で消費しておかねばなりません」

 

「そうね…向こうはまだ、主力の暗黒騎士団と拳闘士団が健在ですものね。よし…動ける者は、負傷者を連れて第二部隊の前まで後退しろ!修道士隊、衛士でも治癒術の心得のある者は、空間神聖力が尽きるまで全力を持って負傷者の治療にあたれ!敵陣の動きからも目を離すな!」

 

「「「はっ!!!」」」

 

 

言葉の端々に疲労感を滲ませつつも、ファナティオは声を張り上げて衛士達へと命じた。衛士達はザッ!という音で土を足で掻きながら規律された騎士礼を取りつつ答えると、素早く散開してそれぞれ慌ただしく動き始めた

 



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第29話 自己矛盾

 

「私は現状を騎士長閣下に報告して来るわ。この場を任せてもいいかしら?」

 

「分かりました。お気をつけて」

 

 

アリスが頷いて言うと、ファナティオは最後にもう一度微笑んでから小走りに後方へと駆けて行った。それから周囲には人がいなくなり、アリスと雨縁だけが残されると、彼女は愛竜の顎裏を撫でながら優しく囁いた

 

 

「お前もよく頑張ってくれましたね、雨縁。ひとところに静止し続けるのは疲れたでしょう。寝床に戻って、食べ物をたっぷり貰いなさい」

 

 

主人に撫でられた飛竜は一声嬉しそうに啼くと、翼を羽ばたかせて浮き上がり、最後方の仲間たちのもとへと滑空していった。自分も負傷者の救護に当たろう…そう思ったアリスが一歩足を踏み出した、その時

 

 

「・・・師よ」

 

「え…エルドリ、エ……?」

 

 

アリスの耳に低く響いてきた声は、エルドリエのものだった。その声に振り向いたアリスの視線の先にいたのは、常に洒脱な彼からは想像もつかないほど凄惨な騎士の姿だった。右手の剣と左手の鞭は、分厚くこびり付いた血で赤黒く染まり、白銀の鎧も、艶やかだった藤色の巻き毛も、返り血で酷く汚れていた

 

 

「こ、これは…!?怪我は、どこにも怪我はないのですかエルドリエ!?一体どのような戦い方をればこんな姿に…!」

 

 

アリスが彼の両肩に手を添え、息を詰まらせながらも何とか訊ねると、エルドリエはどこか虚ろな表情で首を横に振ってから答えた

 

 

「さして、大きな傷は受けておりませぬ。修道士に頼らずとも、私自身の神聖術で癒せるでしょう。ですが…このような醜態を晒すくらいならば、いっそのこと戦いの中で命を落とすべきでした」

 

「な、何をバカなことを言うのです!?整合騎士であり、私の弟子でもあるそなたには、此度の戦いが終わるまで人界の衛士達を率いて戦い抜くという使命が…!」

 

「私は、その使命を果たせませんでした」

 

 

エルドリエの悲痛な声に、アリスは喉を詰まらせた。そんな彼女には知り得ぬことだったが、エルドリエは山ゴブリン族の煙幕作戦で防御線突破を許してしまった後、数分間も術式なしで煙幕を晴らそうと無駄な努力を続けてから、ようやく衛士を率いて後方を襲ったゴブリンを追った

 

しかし、その時にはすでにゴブリンの軍勢は双子の見習い騎士と上条当麻に掃討され、山ゴブリンの族長コソギに至っては、失敗騎士の烙印を押されていたはずの整合騎士レンリに討たれてしまった。おかげで名誉挽回の機会をも奪われたエルドリエは冷静さを失い、逃げ惑うゴブリン兵を片端から殺戮し尽くすと、鮮血に浸った姿で師アリスが上空から放った神威の術式を見上げたのだった

 

 

「アリス様の期待を、私は裏切ったのです。酷く愚かで…どうしようもない無様な生き恥を晒して、何が整合騎士か…!」

 

 

エルドリエは、あの天変地異にも等しい術式の威力を目の当たりにして痛感した。何もかもが遠すぎる。故に最初から必要なかったのだと。天才騎士である師には、自分のような半端者など。剣技も、術力も、完全支配術にも抜きん出たものを持たず、そのうえゴブリンごときの策にしてやられる愚かさをも露呈したのだ。そんな醜態を晒した上で師の心を、愛を得ようなどと、滑稽にも程があると己を恥じた

 

 

「今の私には…アリス様の弟子を名乗る資格など欠片もありません」

 

「そ、そなたは…そなたは良くやりました!そなたは…エルドリエ・シンセシス・サーティワンは、私にも、守備軍にも、そして人界の民たちにも必要な者です。それなのにどうして、そのように自分を責めるのですか…」

 

 

血を吐くような激しさで叫ぶエルドリエに、アリスはしばらく呆然としながらもどうにか語りかけた。できる限り穏やかな声でそう言っても、エルドリエの眼に宿る昏さは消えることはなかった。返り血が点々と跳ねる頰を震わせ、藤色の髪を血に濡らした騎士は静かに呟いた

 

 

「必要、ですか…それは、戦力として、ですか?それとも……」

 

「ふるるるっ!!!」

 

 

エルドリエの小さな声は、空気を震わせる異様な唸り声に遮られた。威嚇する狼を思わせるその息遣いに、アリスとエルドリエは同時に首を動かした。その視線の先、峡谷の暗がりの先には、アリスの術式によって焼かれた谷の未だに燻る炎に照らされながら、巨大な影がうっそりと立っていた

 

 

「・・・何者ですか」

 

 

鋭い視線で睨みながら、アリスは言った。しかし、影からの返答はなかった。それは人ではなかった。奇妙な角度に折れ曲がった下肢、異様に細い腰周り、前傾する逞しい上体に乗る頭は狼そのもの。その特徴から察するに、影の正体はダークテリトリーの亜人、オーガ族の一人だろうとアリスは悟った

 

 

「ふる、ふるる…るるるる……」

 

 

そのオーガは、ゆっくりとアリス達に歩み寄り始めた。近づいてくる相手に向けて素早く右手を愛剣の柄に掛けたアリスは、そのオーガが丸腰であることに気付いた。それどころか、口から漏れる息は今にも絶えそうなほど弱々しく、白熱光線に灼かれて重傷を負ったせいなのか体の左半分は酷く焼け焦げ、薄く煙を上げていた。ではなぜ、生き残った他の仲間と一緒に撤退しなかったのかと、アリスは疑問に駆られるままオーガに問いかけた

 

 

「・・・そなた、もう天命はほとんど残っていないはず。なぜ丸腰でそこに立っているのですか?」

 

「グルル!オレは…オーガ族の長、フルグル…」

 

 

それが名前なのか唸り声なのかは分からないが、少なくとも長だという名乗りはアリスにも分かった。であるはら、このオーガは暗黒界十侯の一人であり、敵軍最高位の将として最後の力を振り絞り斬り込みにきたのか。そう考えたアリスは柄を握る手に力を込めたが、次にオーガは予想外の言葉を口にした

 

 

「オレ、見た。あの光の術、放った、オマエ。あの力、その姿、オマエ…『光の巫女』に、違いない。ぐるる…オマエ連れて帰れば、オレたちの戦争、終わる。オーガ、草原帰れる」

 

「・・・光の巫女…?戦争が、終わる…?」

 

 

何を言っているのか、錯乱でもしているのかとアリスは眉を顰めながら思った。しかしてそう思う中で、自分は今、重要な情報に手をかけているのだと彼女は直感した。もっと訊き出さねばならない。光の巫女とは一体何なのか。それをどこに連れていくというのか。なぜその光の巫女を手に入れれば戦争が終わるのか。それをオーガに訊ねようと口を開きかけた瞬間のことだった

 

 

「おのれ!獣風情が何を言うか!?そのような妄言をのたまう首など、今ここで断ち切ってくれる!」

 

 

猛る声で絶叫したのはエルドリエだった。彼は右手の血刀を高々と振りかぶると、一直線にオーガの長へと斬りかかった。だが、その刃が振り下ろされる瞬間、ほとんど瞬間移動のように彼の前へ飛び出したアリスが、右手の指先でエルドリエの剣を挟み込み、全力の斬撃がオーガに当たる直前で止めた

 

 

「なっ!?我が師よ、何故…!」

 

 

勢い余って膝をついたエルドリエを、アリスは小さく首を振って制した。それから彼女は剣を離すと、立ち尽くしたままのオーガに向けてゆっくりと近づいた。間近で見ると、亜人の傷は深手というよりもはや致命傷の域だった。左腕から胸にかけては真っ黒に炭化し、左の眼球も白く濁っている。意識すらも半ば混濁状態であるようだが、アリスは慎重にフルグルへと問いかけた

 

 

「・・・いかにも、私がその光の巫女です。さあ、私をどこに連れていくのです。私を求めるのは、誰なのですか」

 

「ぐるるっ…皇帝ベクタ、言った。欲しいの、光の巫女だけ。巫女を捕え、届けた者の願い、何でも聞く。オーガ、草原帰る。馬飼って、鳥獲って…静かに暮らす………!」

 

 

『皇帝ベクタ』。アリスでなくとも、人界の民であるならばほとんどの人間がその名を知っているであろう、人界の神話より伝わる暗黒の神。そんなものがダークテリトリーに降臨しているのか。その神が、《光の巫女》なるものを手に入れるため、戦を起こしたというのか。もしそうだとするなら、皇帝の私欲に興味を持たないオーガにとってこの戦争は無意味でしかない

 

 

「ならば、そなたは私を恨まないのですか?そなたの同胞を皆殺しにしたのは、いかにもこの私です」

 

 

事実、狼の頭を持つ戦士からは、ゴブリンが放つような生臭い欲望を、アリスはまるで感じていなかった。ただ命ぜられるまま戦争に加わり、命ぜられるまま弓を引き絞った。しかし、それを放つことさえなく、部族の者はほとんどが死に絶えた。それなのに、何故こうまでしてこの者は戦おうとするのか。アリスはその答えをおおよそ察しつつも訊ねた

 

 

「強い者、強さと同じだけ…背負う。オレも長の役目…背負っている。だからオマエ、光の巫女捕まえて、連れて…いく……!」

 

「・・・そうですか」

 

「グルルルル!グオオオオオーーーッ!!」

 

 

激しく凶暴な唸り声を上げながらフルグルがアリスへと右腕を伸ばした刹那、キンッ!という金木犀の剣の鍔鳴りが響いた。逞しい胸に一筋の傷痕が浮かび、亜人の巨躯がピタリと静止すると、アリスが一歩下がった後にその体をゆっくりと地面に横たわらせた。そして、胸の傷から最後の天命が淡い光となって溢れ出た

 

 

「せめてその魂を、草原に飛ばしなさい」

 

 

アリスは右手の上に神聖術で小さな風素を生成すると、オークの傷跡から溢れた最後の命の灯火を風で飛ばした。東の空へと飛んでいくそれを見送っていると、その空の下にポツリと佇んでいる人影を一つ見つけた

 

 

「・・・?アレは…」

 

「ッ!?おのれ…!まだ残っていたのか!」

 

 

アリスの視線と呟きを追ったエルドリエもその人影に気づくと、今一度長剣を握り直し勇み足でその人影に近寄ろうとした。そんな彼の肩を掴むと、アリスは首を振って諭した

 

 

「よく見なさい、エルドリエ。あの人影は敵ではありませんよ」

 

「え?な、なぜ分かるのですか?」

 

「知り合いだから…というか、私の記憶があの佇まいを覚えているのです。…もっとも、今は少し違うようですが」

 

「・・・はい?」

 

「そう心配しないで下さい。少なくとも敵ではないことは確かです。もしかしたら撤退の合図が聞こえていなかったのかも知れません。少し声をかけて来ますから、そなたはここにいて下さい」

 

 

背後の「あっ…」というエルドリエの声と彼が伸ばしかけた手に振り返ることなく、アリスは東の空の下に広がる、自分の力で焼き焦がした大地の一歩手前で佇んでいる人影の方へと歩み寄って行った

 

 

「・・・・・」

 

 

上条当麻は、ただ呆然と立ち尽くしていた。もう既に純白とは呼べないほどに、土汚れと血の色が目立つ盾。そしてその盾を装備した左手をダラリと下げ、生命の気配が消え失せた焼け野原を、感情の見えない瞳で見つめ続けていた

 

 

「どうしたのです、カミやん」

 

「・・・ん…?あぁ、アリスか。これ、お前がやったんだよな。スゲェよ…本当に……」

 

 

上条は背後からアリスに声をかけられても、その声に反応して振り向くまでに少し時間がかかった。そしてため息を吐きながら彼女に言った上条は再び焼け野原へと視線を戻すと、アリスもまた彼の横に並んで同じ景色に目を向けた

 

 

「・・・何か、悩みごとですか?」

 

「逆にアリスは何も悩まなかったのか?」

 

「・・・・・」

 

 

戦場の遥か上空で、多くの死をアリスは感じた。多くの天命に触れた。今は既に亡き天命から感じた神聖力は、人界の民もダークテリトリーの亜人も同質の物だった。彼らは上条の言う通り、本質的には自分達と同じなのだと思い知った。言い換えるなら同胞とも呼べる彼らを数え切れないほど殺した事に、アリスは決して拭い切れない罪悪感を抱いていた

 

 

「思うところはなかったのか…と、そう聞かれるなら…なかったとは言えません」

 

「・・・そうか」

 

 

目の前に広がる戦場で、多くの死を上条は見た。苦痛に伴う悲鳴、仲間を討たれた怒号、生き残るための本能。それら全てを、目で、耳で、肌で、心で感じた。戦っている全員が、必死だった。四年越しにもう一度体感する命のやり取りは、前回とは比べものにならなかった。そこにいる相手にも感情が、魂がある。本質的には自分達と変わらない彼らを手にかけた、救えなかった事に、上条は決して拭い切れない罪悪感を抱いていた

 

 

「アリスはさ、喧嘩ってしたことあるか?」

 

「喧嘩…ですか?」

 

「あぁ。口喧嘩とかじゃなくて、殴り合いの喧嘩。ほら、ガキの頃とかさ」

 

「・・・いえ、それは…」

 

「あ…悪い。そうだった、そもそも整合騎士には昔の記憶が…」

 

「気にしていません。むしろこんな事があった後では、そんな所まで気は回らないでしょう。それで、もし仮に喧嘩をしたことがあったら何だと言うのです?」

 

「・・・俺な、ガキの頃…はどうなのか今じゃよく覚えてねぇが、いい歳した今でもよく喧嘩してたんだ。骨が折れることもしばしば、死にかけた時もあった。それなのにまぁ、持ち前の不幸っぷりが災いして謂れのない喧嘩をふっかけられたこともありゃ、誰かの抱えた見過ごせない事情に関わったりして、喧嘩に明け暮れたもんだ」

 

「それで、そういう喧嘩を経てから、実際に感じた戦争は…なんつーか、そういう喧嘩の延長線上なんじゃねぇかって、思った。相手が殴ったから殴り返す。自分の場所を、何かを奪おうとしたから、必死にそれを跳ね除けようとする。そこに千を超える人と、物騒な道具が加わっただけなんじゃねぇかって…」

 

「そんなことしなくたって、喧嘩したヤツらは手を取り合って仲直り出来るんだ。それが分かっていてもみんな、戦うことを辞められない。どうにも引っ込みが付かなくなって、ただアテを欲しがるんだ。どうしようもない怒りを、ぶつけてもいい相手がそこにいるから、振り上げた腕を元に戻せなくなる。それがどんどん伝播していって、喧嘩がいつか戦争になるんじゃねぇかって…そう思った」

 

「だけどこの戦争は、きっと違う。俺に関わる『誰か』の手で、意図的に仕組まれたモンだ。俺たちはその『誰か』の何かの目的のために、無理やり戦わされてる。この戦場にいた敵に、本当は戦いたくないヤツだっていたのかもしれないのに、他の道があったはずなのに…俺は……」

 

 

上条当麻は、右手を見ていた。その掌は血に塗れていた。もはや数え切れなくなるほど敵を殴り続けた手の甲は皮膚が捲れ上がり、骨や指先がジンジンと痛みを訴えている。自分の右手がこんなにも痛々しい姿に変わったのは、いつ以来だろうか。そもそも自分のこの右手がここまで変わり果てたことが、これまでにあったのだろうかと、そんな感慨に耽っていた

 

 

「むしろ、そうでなくっちゃ困る。そうでなきゃ、俺がこの手で殺した相手が浮かばれなさすぎる。この右手は、絶対に誰かを傷つける為にあるものじゃないハズなんだ。誰かを救う為にこの右手はあるハズなのに、このままじゃ、ただ闇雲に目の前にいる敵を特になんの意味もなく、ただ殺そうとしてきたからって理由だけで殺したことになっちまう…そんなのはダメだ、絶対に…」

 

「・・・カミやん…」

 

「・・・いや、なんでもねぇ。昨日ベルクーリのおっさんにも言われたんだ。割り切るしかねぇって。だからもう、死んでもやるしかねぇんだ。例えこれから先、この右手で敵を何人手に掛けることになったとしても、この戦争をを仕掛けてきた俺たちの本当の敵ってヤツを、首根っこ掴んででも引きずり出して、ぶん殴る。それだけだ」

 

 

小さくかぶりを振って、上条は焼け野原と向き合い続けていた身を翻した。そんな彼の背中を見ていたアリスは、何故か堪らなく胸を締め付けられた。このままでは、彼という人間はきっと破綻してしまう。救う力を、救いたい意志を持っているのに、その真逆のことしかできない自己矛盾の果てに、上条当麻という人間の魂が死んでしまう。そう思った時、アリスは無我夢中で彼に走り寄って、その背中に顔を埋めながらしがみ付いていた

 

 

「なにをっ…何を強がることがあるのですカミやん!?辛いなら辛いと、そう言えばいいではありませんか!どうしてそんなに一人で何もかも背負おうとするのですか!私だって辛いんです!それなのに…お前だけが辛くないハズないでしょう!」

 

「・・・離してくれアリス。俺は平気だ」

 

「なにより、辛そうにしてるお前を見ているのが辛いんです!キリトだって、今は心を失ってしまっているとしても、今のカミやんを見れば同じように思うはずです!誰かを傷つけるのではなく、救いたいと思うのは誰だって同じです!お前のその辛さを、苦しさを、痛みを分かち合えば、きっと少しはその心の重荷を軽くすることが…!」

 

「離せって言ってんだろ!!!」

 

「ーーーッ!?」

 

 

背中にしがみつく両手を振り解きながら、凄まじい勢いで振り向いて叫んだ上条に、アリスは思わず身を引いてしまった。そして上条は無意識のうちに感情的になってしまったことにハッとすると、小さくかぶりを振って微かな声で言った

 

 

「・・・悪い。しばらく、一人にさせてくれ。明日にはきっと、こんな悩み…もう消えてるから…」

 

「あっ…カミ、やん……」

 

 

アリスは、自分の記憶の中にいる誰よりも辛そうな表情をしていた少年を呼び止めようとしたが、今度は伸ばしかけた手がそれ以上伸びることはなかった。数多の命が散った戦場を後にする上条の背中は、やがて峡谷の暗がりの中へと消えた

 

 



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第30話 遥かなる視点

 

「あーあー。よくもまぁここまで複雑に拗らせたモンだぜ。おいおい、これどうすんだオティヌス?流石にちょいと看過しすぎじゃねぇの?たしかに上条ちゃんが後先考えずに並行世界の技術をパクったのも問題だけど、この責任の一端は二つの世界に同じザ・シードを撒いちまった俺たちにもあると思うぜ?」

 

 

中性的な出で立ちをしたその男『雷神トール』は飄々とした態度で言った。やたらと固い丸太の椅子と、必要以上に大きい木製の円卓に肘をついて頬を支える彼に、円卓の対岸にいる金髪の少女が答えた

 

 

「北欧神話には正義と悪が存在しないということを、よもや知らずに話している訳ではないだろうな。雷神」

 

 

二つの世界の垣根を取り払った『Alfheim Online』という仮想世界の中心、世界樹の頂点で『隻眼のオティヌス』という『魔神』の称号を背負う隻眼の少女は、黄金で造られた玉座に座したまま、怪訝そうな表情で対岸に座る雷神に言った

 

 

「いや、そういうことを言ってんじゃねぇって。この状況を作り出した原因と、ある程度の責任を取る必要が俺らにもあるんじゃねぇの?ってことが言いたいわけよ。仮にも『二刀流の坊主』がいる方の世界は、オティヌスのミスで出来た世界だろ?」

 

「挑発はその辺にしておけよ。誰が貴様を元に戻したと思っているんだ?貴様の目的はどうせ、その責任を取るだのとアレコレ理由をつけて、あの世界で腕試しついでに暴れたいだけだろう?」

 

「う〜ん、バレてたか〜」

 

「それでも、私はトールの意見に一理あるよ。このALOを利用してる連中の一部は薄々勘づいて、現実でも噂し始めてる。仮想世界に現実の話を持ち出すのはタブー視されてるけど、それだって友好関係を築いたヤツらにとっちゃタブーでもなんでもないからね」

 

 

トールから少し離れた場所に座る、銀髪を三つ編みにした褐色肌の彼女『マリアン=スリンゲナイヤー』は、トールと同じように左手で頬杖を突きながら右の掌を魔神に見せながら言った

 

 

「それはこの妖精の世界に限った話だ。異世界の民同士が騒いだところで、実際にどうこうなる話ではない。それ以外の仮想世界は依然として完全に隔たれている。むしろあの人間が勝手に持ち出した『地下の世界』が例外なのだ。ならばその責任は自分で取って然るべきだろう。我々が出る幕ではない」

 

「ダメだこりゃ、聞く耳持たねぇなこの神様は。っていうか、元からこうなることはそれなりに予想ついてたんじゃねぇの?たまたま一番最初が上条ちゃん連中だったってだけだ。なんでわざわざ『あの男』が横流ししてきた『ザ・シード』を二つの世界に配る必要があった?せめてどっちかは仕様を変えるべきだっただろ」

 

 

トールは依然として態度を変えないオティヌスに、頭を抱えてため息を吐きながら言った。一方のオティヌスも、足を組んで玉座の肘かけに肘を立てて頬杖を突くと、左目でトールを睨みながら言った

 

 

「それがあの男の望みであり、私としても目指すものが同一だったからそうしたまでだ。既にデジタルデータである貴様には知る必要もない」

 

「分かった。じゃあこの際だ、細かいことは言わねぇさ。とりあえず俺だけでも…」

 

「諦めなトール。オティヌスが言ってる通り、今の私らはただのデータで、数あるAIの一つに過ぎない。現実に干渉したって何の得もありゃしないよ」

 

「別に現実側に過度に干渉しようなんざ俺だって思ってねぇよ。だけど、ここはゲームの世界だろ?ただ面白そうな場所に殴り込んで遊びに行くのの何が悪い?」

 

「『これは、ゲームであっても遊びではない』」

 

 

オティヌスが静かにも重みのある声でそう言うと、世界樹の頂点は静寂に包まれた。トールとマリアンはオティヌスに視線を注ぎながら口を噤み、北欧の魔神はため息交じりに続けた

 

 

「・・・恐らくこれは、『ザ・シードを作り出した人間』が望んで作り出した状況だ。ゲームとは今でこそ娯楽や児戯という意味合いが強いが、元は勝負や勝敗を決める言葉であり、これは彼らにとっての先行きを決める正念場だ。私たちが遊び半分に関与すべきでは……」

 

「なら、その世界に賭けた上条ちゃんはどうだ」

 

 

鋭さを持ったトールの一言に、オティヌスの眉が微かに動いた。雷神は頬杖を解くとその指先をオティヌスに向け、真剣な眼差しを彼女の隻眼に注いで言った

 

 

「確かに本物の神様のお前からすれば、人間が何しようと知ったこっちゃねぇだろうな。だけどお前だって分かってんだろ。『これは、ゲームであっても遊びではない』って言葉の『ゲーム』って部分が勝ち負けを意味するところだってんなら、このままじゃ確実に上条ちゃん連中は『負ける』ぜ?」

 

「・・・では具体的にどうしろと?私が手を一つ振れば確かにあの人間は勝つだろうな。そうすれば人間共は喜ぶと?」

 

「あ〜…まぁ俺の言い方も悪かったな。コイツは見方を変えれば、仮にも仮想世界に関わってきた俺らに向けられた宣戦布告とも取れる。少なくとも上条ちゃんは、それを分かった上で俺らの分も背負ってる。だったら俺は、売られた喧嘩くらい自分で買う。勝手に背負われるなんざまっぴら御免だ」

 

「・・・確かにね。AIになった身としては、今のアイツらの力になってやりたい気持ちも少しくらいは私にもある。まぁいずれ取って食われる時が来るのかもしんないけど、それでも今の連中に仮想世界を定義づけられるのは癪に障るね」

 

「・・・ふむ…」

 

 

一見して中立に見えていたマリアンがトールに寄り始めるような意見を述べると、ついにオティヌスも痒くもない後ろ頭を掻き始めた。そして雷神は悩ましそうにする主神になおも続けた

 

 

「今のお前にとってアリスやら、新しい人工知能やらは関係ないかもしれねぇ。だけど、お前を救った時の上条ちゃんならきっとこういうさ。いてもいなくても同じなら、輪の中に入れた方が絶対に面白くなる。合理的とか効率的とか考えて輪の中から弾き出すより、そっちの方が楽しくなるに決まってる…って具合にな」

 

「・・・あの人間の本質は繋がる強さ…あの人間を助けたいと思う輩が多く存在し、その人間達が助けに行きたくとも行けないのもまた事実…か」

 

「そういうこった。少しくらいはそういう人間に肩入れしても、バチは当たらねぇと思うぜ?もっとも、バチを与える方の神様には関係のないことかも知れねぇけどな?」

 

 

オティヌスが小さな手で口元を覆いながら呟くと、トールはフッと笑みを浮かべながら言った。オティヌスはやがて深く息を吐いて頷くと、彼に釘を刺すように一言付け加えた

 

 

「・・・いいだろう、雷神トール。ただし、我々がやるのはあくまでも道の『舗装』だ。道を切り開くのはあの人間がやるべきことだ。それ以上のことはしない。そして勘違いしてくれるなよ。元より私も、勝手に神を気取って世界を救うなどと宣うあの連中が気に食わんだけだ」

 

「へへっ、それで十分。上条ちゃんならその辺は勝手にやっていくだろ。にしても俺たちの神様は本当に素直じゃねーな。最初から心配そうに見てた癖によ」

 

「貴様はもう一度消し飛ばした方がよさそうだな。雷神」

 

「おっと、そりゃ流石に勘弁だぜ。こんなナリでも、一応切られりゃそれなりに痛いんでな」

 

「だけど上条当麻のいる世界は大丈夫として、もう片っぽはどうすんのさ?元はと言えば今回の件はあっちの世界が発端なんでしょ?そっちも少しくらいは担保してやってもいんじゃないの?」

 

「いいや、それについては及ばんさ黒小人」

 

 

そう言ってオティヌスは玉座を立つと、世界樹の下に広がる雲海の更に下に広がる妖精の町を見下ろしながら、ほんの少しの笑みを浮かべて言った

 

 

「彼らも彼らで、この世界の歩き方は心得ているさ。こと仮想世界においては、上条当麻にも決して引けを取らない『真の英雄』がいるのだからな」

 



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第31話 神の後方

 

竜戦車の床に額を擦りつけて平伏しながら、ディーは自分を見下ろす皇帝ベクタの視線に心底恐怖していた。皇帝の氷色の瞳に怒りはなく、ひたすら無感情に、ディーの価値を計ろうとしているようだった

 

 

「・・・ふむ。つまりはお前の策が失敗し、千人の暗黒術師が死んだのは、敵が先んじて空間暗黒力を吸収、消費し尽くしたから…というわけだな?」

 

「は……はっ!」

 

 

やがて、低く滑らかなベクタの声が発せられた。その声を向けられた者、ディー・アイ・エルは短く答えながらも、己が無能、無用の者であると判断された時、果たしてどのような処分が待っているのかと考えただけで、骨の髄まで震えが止まらなくなった

 

 

「ま、まさにその通りでございます皇帝陛下!最高司祭なき敵軍に、それほどの術者が残っているという情報は入っておりませんでしたので…!」

 

「なぁ、ディーの姐さんよ」

 

 

必死に弁明するディーの正面から少し横、ベクタの座る玉座の傍らで、暗黒騎士に扮したヴァサゴ・カザルスは果物ナイフを掌で弄びながら話しかけると、褐色の術師はその声にビクリと肩を浮かせてから、おそるおそるヴァサゴの方へと視線を移した

 

 

「とりあえず結果的には失敗したんだろ?姐さんの考えてた策ってヤツぁよ。分かってるたぁ思うが、コッチもさして時間に余裕があるわけじゃあねェのよ。他になんか良いのないわけ?向こうの戦力をゴッソリ削げるようなの」

 

「も、申し訳ありませんヴァサゴ様…!お、恐れながら敵整合騎士を殲滅し得るほどの空間暗黒力が補充されるには、豊かな地力と陽光が必要となりますが、戦場にはどちらも欠けているのが現状でして…オブシディア城の宝物庫になら、暗黒力に転換できる輝石が秘蔵されておりましょうが、回収に向かうにも数日の時間が……」

 

「・・・つまり、あるにはあるが、その際に使用する空間暗黒力を溜めるのに時間が要る…と?しかし我にはどこをどう見ても、この地に草木が生えてるワケでもなければ、陽光が差してくるようには見えないが?」

 

 

ヴァサゴの質問に答えたディーに、今度はベクタが問うた。ディーは恐怖のあまり、暗黒術の開祖であるはずの皇帝ベクタが、ごく基本的な理屈について聞く違和感を意識できなかった故に、己の保身のみを懸命に求めて口を動かした

 

 

「はっ、それは、何と言っても戦場でありますから……亜人ども、また敵兵どもの流した血と尽きた命が、暗黒力となって大気を満たしていたのですわ」

 

「ふむ…血と、命か……」

 

 

皇帝が仮の玉座から立ち上がったので、ディーはピクリと平伏したまま肩を震わせた。コツ、コツ、と黒革の長靴が近づいてくる。内臓を絞られるような恐怖に凍りつくディーのすぐ左で立ち止まった皇帝が、毛皮のマントの裾を夜風になびかせながら小さく呟くと、不意にヴァサゴが掌で弄んでいたナイフをストン!と小気味よい音で床に投げ落とし、続いて軽快に指を鳴らして笑った

 

 

「All right!そいつぁいいね!そいじゃあディーの姐さんよ。向こうさんがウチの軍を焼き払った時のアレは、大体何人分くらいの死体と血で溜まった空間ナントカってのを使われたんだ?」

 

「・・・へ?そ、そうですわね…長年峡谷に溜まっていた分も換算するのであれば…大体1000人分ほどかと……」

 

「んじゃ、その整合騎士っての殺すのに、ソコにいるの3000人くらい使えば足りる?」

 

 

ヴァサゴの唐突な質問にディーは思わず平伏していた顔を上げ、どこか呆けた声色で言った。するとそれを聞いたヴァサゴは『ソコにいるの』と表現した、竜戦車の後ろに控えているオーク予備兵達を親指で差した

 

 

「・・・どういうことだ、ヴァサゴ」

 

「なぁに単純な算数だよ兄弟。コイツらの手品には、いわゆるMP的なのが必要で、ソイツは誰かが死んだ分だけ上限なしに空間に溜まるってこった。要はカジノと同じだよ。BETすればBETした分だけ、結果にコミットするってこった。チップは命、あるいは魂。払い戻しも同様に命、あるいは魂ってこった。Do you understand?」

 

「なるほど」

 

 

腕組みをしながら振り向いたガブリエルに、ヴァサゴは口の端から漏れるような笑い声とともに言った。言葉の意味がまるで分からず首を傾げているディーに、皇帝は再び冷たい視線を向けながら言った

 

 

「それで足りるか?ディー」

 

「は、はい…ですが、それはつまり…我々暗黒術師の大規模殲滅術式のために、三千ものオーク予備兵達の命を捨て石にする、と…」

 

「我は足りるのかと訊いている」

 

 

皇帝ベクタの言葉に、多くの死を踏み台にしてギルド長の座にのし上がったと自負しているディー・アイ・エルですら、愕然とした。配下の者の命を、モノと言えるレベルですら扱っていない皇帝に、ディーはもう一度平伏しながら、褐色の唇に微笑を浮かべて言った

 

 

「・・・充分でございますわ。ええ、充分でございますとも、陛下。残る術師二千名の総力をあげてご覧に入れて差し上げますわ。我が暗黒術師ギルド史上最大にして最強…この世の誰もが目にしたことのない、我らにとってこの上ない甘美を齎す恐怖の術式を…!」

 

「期待しているぞ」

 

「はっ!」

 

 

恐怖を払拭したディーが皇帝に答えると、彼女の姿は数匹のコウモリのような紫色の閃光を残して消え去った。その後、ガブリエルは玉座に戻り深くため息を吐くと、その様子を見たヴァサゴが笑って訊ねた

 

 

「おうおう、皇帝役も大変だぁね」

 

「誰のせいだと思っている。MPだのカジノだのBETだなどと…人工フラクトライトに通じるワケがない喩えを使うな」

 

「悪かった、悪かったって。んで、その上で一個確認させてもらいてぇんだけどよ…」

 

「なんだ」

 

「『アレ』は俺らの援軍ではねぇよな?」

 

「・・・何?」

 

 

ヴァサゴが『アレ』と言って指差した先を追うように、ガブリエルは竜戦車の東側を睥睨した。するとその100メートル先ほどに、空と地上を繋ぐようにして、一本の赤い光が一直線に屹立しているのが見えた

 

 

「どう見る?兄弟」

 

「・・・まず間違いなく、味方であるということはあるまい。私たちの占拠したコントロールルームに繋がるSTLは二台しかなかった。現場の仲間が隔壁の耐圧扉をこの短時間で突破したとは考えにくい」

 

「じゃあ『JSDF(自衛隊)』か?けどヤツらがわざわざこんな敵地のど真ん中に降りて来るか?」

 

「行けば分かる。『走れ』」

 

 

ガブリエルが宣言した瞬間、彼らの乗る戦車を引く二頭の地竜が大きく唸り声を上げながら起き上がった。そしてその巨体の周りにいる兵士達が突然の出来事に驚くのも無視し、地竜は行く手にある物全てを蹴散らしながら光の柱が立った東へと走り出した

 

 

「おいおい、良いのか兄弟。俺らはコッチ側で死んだら、今ダイブしてるこのアカウントも失って一兵卒で出直しなんだぜ?その為に今日は前線に出るのも控えてたってのに」

 

「だからといって無視できるものでもあるまい。むしろあの光の下にいるのがJSDF側の人間だったとして、放っておいたが故にアリスを先取されてしまっては、我々がスーパーアカウントでログインしていようが何の意味もあるまい」

 

「ま、それもそうだ」

 

「ここで良い。『止まれ』」

 

 

とても誰かに聞こえるとは思えない小さな呟きだったが、ガブリエルがそれを口にした瞬間に二頭の地竜はピタリと動きを止めた。それから間もなくして地龍が木の根のような太い足を畳み、ガブリエル達の立つ平台を地面へ近づけると、彼らは地面へと飛び降りた

 

 

「・・・貴様、何者だ。日本の組織に従事する人間なのか、それ以外かをまず答えてもらおう」

 

「・・・・・む?」

 

 

先の赤い光が屹立していた場所に佇んでいる一人の男に、ガブリエルが問いかけた。その男と相対したガブリエルとヴァサゴは、やはりダークテリトリーに住む亜人や人間とは違うと感じた。男の佇まいにある殺意は限りなく薄く、何より服装がポロシャツにズボンという、アンダーワールドの世界観には不釣り合いな生活感を感じさせるものだった

 

 

「・・・JAP…にゃ見えねぇな…いや、そういう見た目のアカを使ってるだけか…?」

 

 

ヴァサゴは今一度、自分の体格の倍以上はある鉄柱のようなものを担いでいる男の顔を凝視した。逆立った茶髪と、整った目鼻立ちは、彼らが危惧していた自衛隊の人間…ひいては日本人であるとは言い難いものだった。すると男は、二人を一瞥した後に僅かに鼻を鳴らして踵を返し、その場から去ろうとした

 

 

「待て、質問に答えろ。お前は何者かと聞いている」

 

「・・・人に名前を聞くときは、まず己を語れと誰かに教わらなかったのであるか?」

 

 

重ねて問い質したガブリエルの声に、男が返したのは日本語だった。日本人の風貌ではないのにも関わらず、喋る言語は日本語であることに少しの危機感を覚えたが、やがてガブリエルは小さな声で名乗った

 

 

「闇の神、皇帝ベクタ。ダークテリトリーに君臨せし神の一柱だ」

 

「・・・そちらがそのように名乗るのであれば、こちらは『Flere 210』と名乗らせてもらうのである」

 

「・・・なに…?」

 

 

次に男が発したのは、奇妙な英語と数字だった。その名乗りによって、ガブリエル達の疑心暗鬼は更に深いものになった。試しに隣のヴァサゴに視線を送るも、彼も首を傾げるばかりで、男が発した単語のようなものの意味を理解してはいなかった

 

 

「それか、こう名乗るのも良いであろう。『後方のアックア』。ローマ正教暗部『神の右席』の一人にして、神の後方を司る者である」

 

「・・・後方のアックア…?ローマ正教…?神の右席…?」

 

 

ガブリエルとヴァサゴの疑問は尽きない。目の前のアックアという男が発する言葉に、意味が分かるものが見当たらない。どこか頭のネジが飛んでいるのではないかとも思ったが、そんな人間がこんな場所に来るはずがない。ローマという現実の地名を挙げた時点で、この男がアンダーワールドの住人ではなく、自分達と同じ現実世界に住む人間であることに間違いはない

 

 

「もう良いか?我は貴様らのような輩には用がない故、立ち去らせてもらうのである」

 

「待て、貴様は『A.L.I.C.E』について何か知っているのか?」

 

 

ガブリエルの質問に、アックアは少しだけ眉を潜めた。恐らくは、この言葉で自分達も同じ外界人であることを察したのであろう。この質問はガブリエルにとってはある種の賭けだったが、この顔を伺えただけでも、賭けの意味はあったと彼が思っていたその時、アックアは短く息を吐いてから答えた

 

 

「・・・我はそのような学園都市の画策しているものには、毛ほどの興味もないのである」

 

「・・・ガクエントシィ…?」

 

 

ガブリエル以上に流暢な日本語を話すヴァサゴでさえ、その地名を知らずにどこか間の抜けた声で聞き返した。しかしアックアは、ヴァサゴの声を意に介することなく続けた

 

 

「我が欲するのは、あらゆる争いの火種となり、しかし同時にあらゆる争いを消し去ることの出来る、『上条当麻の右手』ただ一つである」

 

「・・・カミジョウ、トウマ…?」

 

 

アックアの口から出てきたのは、またしてもガブリエル達の知らぬ地名のようなものと、人物名のような響きをした言葉だった。だが、それで十分だった。この男は、アリスについて聞いても興味こそないような素振りだったが、否定もしなかった

 

 

「俺たちとも、自衛隊とも違う、第三の勢力…ってとこか兄弟?」

 

「・・・一先ずはそういうことだろうな。だが、それさえ分かれば今は十分だ」

 

 

スーッ…という静かに鞘と鉄が擦れる音がして、ガブリエルの腰に据えられた黒い長剣がその姿を晒した。そして彼は、柱のように巨大な棍棒を担ぐアックアに向けて、その剣の切っ先を向けながら言った

 

 

「喋りたくないと言うのならば、手足を全て切り落とした後で、骨の髄まで聞けばいい。その方が面倒も省ける。それに、興味がないと言えば嘘になる。我々やアメリカ国家が躍起になってでも横取りしようとするアリスを捨て置いてまで狙う、『カミジョウ』という男の右手についても…な」

 

「・・・貴様らのような輩に用はない、と我は言ったはずだが?闇の神ベクタだなどと、在りもしない神を語るような輩とは言え、我も正式な神の子である以上、無益な殺生は好まないのである」

 

「これはこれは。服に十字を刻んでいるだけあると言うべきか、想像以上に敬虔な教徒だったようだな。では、僭越ながら私も本来の名を名乗ろうか。『ガブリエル・ミラー』、それが私の名だ。もっとも、貴様がこの名を覚える必要はないだろうがな」

 

「・・・ふん」

 

 

ガブリエルが懇切丁寧な口調で名乗ると、アックアは呆れたように深く息を吐き出した。そしてその直後、片手に握る巨大な棍棒を振り下ろすと、ビシィッ!という爆音と共に地面に巨大な亀裂が入ったのを威嚇代わりに、漆黒の装備に身を包む二人を睨みながら言った

 

 

「まさか、貴様のような雑兵に同じ『神の力(ガブリエル)』を語られるとはな…傭兵くずれのゴロツキである我も大概だが、もはや哀れを通り越して片腹が痛いのである」

 



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第32話 神の力(ガブリエル) VS 闇の皇帝(ガブリエル)

 

「憤ッ!!!!!」

 

 

明確な開戦の合図はなかった。むしろ、その場にいる者にとって合図など不要だった。剣を抜いたガブリエルが放った殺気を丸ごと押し潰すようにしてアックアから放たれた唸り声は、大気を低く太く振動させ、それと同時に振り下ろされた巨大なメイスが莫大な大気の弾丸を生み出し、大地に亀裂を走らせながらガブリエル達に襲いかかった

 

 

「ーーーッ!!!」

 

Holy shit(マジかよ)!?」

 

 

アックアの常軌を逸した膂力から生み出された大気の圧力に、ガブリエルは全身を強張らせることで耐え抜いたが、ヴァサゴは現実はおろか仮想世界ですら見たことのない予想外の攻撃に声を荒げ、みっともなく頭を抱えながら側方へと飛び退いた

 

 

「はあっっっ!!!」

 

 

そして間髪入れずにアックアはガブリエルとの間合いを一足で詰め切り、彼の身長の倍以上あるメイスを力任せに振り下ろした

 

 

「兄弟!!!」

 

「案ずるな、小蝿が飛んだだけだ」

 

 

傍らに倒れこんだヴァサゴの必死の叫びに、ガブリエルは小さな声を返した。そして彼はあろうことか、アックアのメイスと比べ遥かに小さく細い剣を振り上げた。ガァン!という鉄同士が強く爆ぜる音が響き渡り、両者は無傷のまま後ろに飛び退いた

 

 

「・・・ほう。大口を叩くだけのことはあるようである」

 

「・・・Jesus(マジかよ)…」

 

 

小さく息をついたアックアは、振り下ろしたメイスを担ぎ直した。そしてその光景を見たヴァサゴは、先ほどと同じく悪態を小さく呟いていた。しかしそれは、先ほどのアックアの攻撃にではなく、彼の人智を超えた一振りを容易く防いだガブリエルに向けられたものだった

 

 

「お、おいおい兄弟…今のどうやったってんだ…?」

 

「そこにいろヴァサゴ。コイツは私が直接手を下す」

 

「・・・ふん。たしかにそれなりの実力を持ち合わせていることは認めるが、それに見合う観察眼はないようであるな?貴様ほどの者であれば、今の私の一撃を見て勝てるとは到底思わぬであろう。それを正しく理解した上で、なお戦うと言うのであれば、私は証明するのである。勝負とは己の善悪ではなく、強弱によって決定するものだということを」

 

 

腰を抜かしているヴァサゴに向けて、ガブリエルは剣を軽く素振りしながら言った。アックアはその言葉を聞くと、敵意を剥き出しにした声色で言ったが、それに対してガブリエルは無表情のまま答えた

 

 

「いいや、理解しているとも。今の一撃が貴様の全力でないことも、全力の貴様が私より劣っていることも。そして何より、『絶大な力』が『絶大な強さ』には直結しないこともな」

 

 

自信。慢心。楽観。自惚れ。ヤケクソ。そのどれにも当てはまらない。それは、確信。ガブリエルは自ら発した言葉に、見栄など張っていなかった。自分はこの男に勝てるという根拠を己の内に見出している。その絶対の自信は彼の全身から目に見えない心意となって溢れ出しており、それを感じ取ったアックアもまた、彼の強さに確信を得ていた

 

 

(・・・この男…)

 

 

ガブリエルの黒剣がスーパーアカウント故の高優先度を誇っているのは言わずもがなだが、それが己の棍棒を弾き返した理由を、朧げでありつつもアックアには予想がついていた。フラクトライトの出力、イマジネーションによる力、心意。左方のテッラや彼が主に魔術の術式を発現させる為に使う力を、ガブリエルも同じく用いているのは明白だった

 

 

「だがそれだけで私に勝てるなどと思い上がるとは…片腹痛いにも程があるのである!」

 

 

アックアは冷徹な表情を崩さぬまま、腹の底から怒号を飛ばした。彼は世界に20人いないと言われる、生まれた時から神の子に似た身体的特徴・魔術的記号を持つ『聖人』である。神裂火織を含め、彼らには聖人の証である『聖痕』を解放することにより、人間を超えた力を行使することが可能となる

 

 

THMIMSSP(聖母の慈悲は厳罰を和らげる)

 

 

しかし、アックアはその中でも例外も例外である。彼は『神の子』の他に『聖母』の身体的特徴も併せもつ『二重聖人』とでも呼ぶべき存在である。つまり単純計算で神裂ら通常の聖人の二倍もの力が内包されているだけでなく、神の右席の能力として併せ持つ『神の力』の性質、そして受胎告知との関係から『聖母の慈悲』を行使できる

 

 

TCTCDBPTT(慈悲に包まれ)ROGBWIMMAATH(天へと昇れ)!」

 

 

この生母の慈悲は『あらゆる約束や束縛、条件を無効化する』という能力を有し、『聖人は与えられた力の一端しか扱えない』という束縛を無くし、聖人の力を常時100%発揮することが可能となる。アックアは今、その文字通りの『神の力』を余すことなく解放し、五メートル超えのメイスを振り下ろした

 

 

「どおわあああああっ!?!?」

 

 

常人には理解することすら叶わないその一撃は、振り下ろし始めた段階で大地を蜘蛛の巣状に叩き割るという莫大な余波を巻き起こした。その余波にヴァサゴはまたも頭を抱えて蹲り、あられもない悲鳴を上げた。そしてその真下にいるガブリエルに、ついにそのメイスが激突しようかというその瞬間………

 

 

「・・・ちょうど『あの暗黒騎士』が仕掛けてきた攻撃は、こんな風だったか」

 

(・・・・・?)

 

 

ズドォアッ!!!という轟音と共に破壊されたのは、ガブリエルの体ではなく、彼の足元から数センチ横の大地だった。どういうワケかアックアは、メイスをガブリエルに叩きつける一瞬だけ目測を見誤ったのだ。彼がそれを疑問に思った時には、筋肉で隆起した彼の左肩に冷たい黒剣が突き立てられていた

 

 

「ヅッ!?」

 

(バカな…!この私が戦闘の最中に気を乱した…だと!?)

 

 

咄嗟の判断で、アックアはメイスを手放して両手でガブリエルに掴みかかろうとしたが、ガブリエルはそれを緩りとした動きでかわしながら彼から距離を取った

 

 

「どうした。どんなに強力な攻撃も、相手に当たらなければ意味がないぞ」

 

「・・・なるほど。よもや、魂を吸うなどという不遜な輩であったとは…闇の神という自称も、決して安く見れないものであるな」

 

 

アックアが自分の身を襲った奇妙な違和感に推察を立てて問いかけると、ガブリエルは余裕とも取れる薄い微笑を返した。その侮蔑にアックアは煩わしさを感じながら、擦り傷と呼ぶには少し深い刺し傷を負った左肩を一瞥した。それと同じくして、ガブリエルは彼の血が付着した黒剣を一瞥すると、小さな声で呟いた

 

 

「・・・そういえば『こちら』はまだ試していなかったな」

 

 

直後、ガブリエルは右手の黒剣を無造作に突き出した。両者の間合いから完全に外れているそれは、なんの意味を持つのか。アックアがそれを見定めようとしていた時、空中で静止した剣の切っ先から、青黒い粘液のような光が瞬いた

 

 

(ま、まさかこの距離で…!?)

 

 

という思考が閃いたのと、不気味な光がアックアの胸に触れたのはほぼ同時だった。彼の視界がぐらりと歪み、意識がふうっと遠ざかった。神の力を持つ者は、闇夜の色をした剣の切っ先が左腕の下に忍び込むのを、棒立ちのまま眺めるしかなかった。そのまま剣は無造作に切り上げられ、彼の体を左脇から肩にかけて深く切り裂いた

 

 

「ぐうぅっ!?」

 

 

アックアの表情が苦痛に歪んだ。「剣を向けるだけで意識が停止されるのであるか。」そう心の中で歯噛みしながら、この戦いでアックアは初めて自ら大きく飛んで距離を取った。しかし、あの意識を奪う光は目に見える距離など意に介さない。故にアックアは、通常の魔術は行使できない神の右席の中でも、厳罰を和らげるという能力を持つ例外として、巨大な火球を生み出す魔術を発動させた

 

 

THMIMSSP(聖母の慈悲は厳罰を和らげる)TCTCDBPTT(慈悲に包まれ)…」

 

ROGBWIMMAATH(天へと昇れ)!」

 

「ぬるいな」

 

 

ガブリエルが呆れたように呟いた直後、アックアの放った火球はスルリと振られた黒剣に呆気なく吸い込まれていった。しかしそれだけではなく、ガブリエルは火球を飲み込んだ黒剣を嗜めるように見つめると、口の端に微笑を浮かべて言った

 

 

「・・・ふむ。これが『魔術』か。面白い手品を使うな」

 

「ッ!?貴様…まさか吸収したフラクトライトから、私の記憶すらも…!?」

 

 

その単語がガブリエルの口から出てきたことに、さしものアックアも驚きを隠せなかった。だが、同時にある疑問も湧いてきた。本来『魔術』とは、この世のものではない『異世界』の知識であるため、 通常の人間にとっては『毒』であり、その毒により精神を蝕まれるリスクを、宗教防壁によってある程度緩和することが定石である

 

 

(だと言うのに…何故この男は……!?)

 

 

しかし、目の前のガブリエルは魔術師と同等の宗教観を持ち合わせているようには見受けられないにも関わず、その体が毒に侵されていない。それを疑問に思っていた時、不意にガブリエルの口が開かれた

 

 

「その疑問に答えようか」

 

「ーーーッ!?」

 

「私はとうの昔に、魂を毒に侵され切っているか…あるいは、元より持ち合わせていないだけだ」

 

 

特筆すべき音はなかった。再び不気味な青黒い閃光がガブリエルの剣から瞬いてアックアの意識を奪うと、一瞬でアックアの正面に立ち、彼の体をなぞるようにして、その右腕を一瞬で切り落とした

 

 

「ぐっ!ぬぅっ!?」

 

「勝負とは己の善悪ではなく、強弱によって決定するもの…だったか。どうだ、私は正しく理解していたであろう?」

 

「・・・なるほど。仮想世界という戦場は、傭兵くずれのゴロツキである私には…少々荷が重すぎたようであるな…」

 

 

片腕を失い体の平衡性を失ったアックアは、ガクリと膝を地につけた。そしてその瞬間、彼はもうこの戦いの行く末を悟っていた

 

 

「そうだな。現実で同じ『傭兵』として比べるなら、私はお前の足元にも及ばず、一方的に惨殺されていたのだろう。だがこの戦場では、他でもない『魂の質』が紛れもない強さとなる。違うか?」

 

「・・・であるか…」

 

 

ガブリエルが膝をついたアックアの首元に黒剣を突きつけながら言うと、アックアは小さく呟いた。先にガブリエルが口にした、どんなに強力な攻撃も、相手に当たらなければ意味がないという言葉は、もはや覆しようのない事実だった。今やアックアは攻撃をしようにも、身を守ろうにも、一方的に意識を奪われて棒立ちになるただの『的』でしかなかった

 

 

「最後に、質問だ。お前たちは一体何者だ?魔術などという代物が、本当に仮想世界でなく、現実に実在するのか?」

 

「・・・それはおそらく、遅かれ早かれ分かる事である」

 

「なんだと?」

 

「私は後方のアックア。ローマ正教暗部神の右席の一人にして、神の後方を司る者である…と言ったな」

 

「・・・つまり、他に刺客がいる…と?」

 

「私は『ヤツ』を個人的に好いているわけではないが、同じ組織に所属している以上、多少はヤツの人とナリを理解しているのである。しかしその多少という尺度でも分かるものであるが、ヤツこそ正に『神の如き者』と…呼ぶのであろうな…」

 

 

小さく囁くような声で言って、アックアは最後に少しだけ口元を緩めた。その微かな笑みが意味するものをガブリエルは測りかねたが、それ以上にアックアのような規格外の力を持つ者ですら『神の如き者』と称する人間に、底なしの興味を覚えた

 

 

「その『神の如き者』というのが、先ほど口にした『カミジョウトウマ』なのか?」

 

「ふっ。上条当麻…か。同じ『右』として捉えるならば…似たようなものである」

 

「・・・そうか」

 

「それと、一つ忠告をしておくのである」

 

「何だ?内容にもよるが、私の毒に侵され切った頭の片隅くらいには留めておいてやる」

 

「最後に質問だ、と言ったな」

 

「あぁ、言ったな。それがどうした」

 

 

ガブリエルが返答した刹那、バゴオッ!という大地が悲鳴を上げて噴き上がる轟音が続いた。全力という言葉が生易しく感じるほどの勢いで地面を蹴ったアックアは、常に冷静沈着だった表情を欠片も残さぬ憤怒の形相で、強固な拳となった左腕を振り抜いた

 

 

「例え私が強大な敵を前に膝を突いたとしても!『Flere 210』を掲げる私の思想信条は!決して最後まで膝を突くことはないのである!!!」

 

 

『その涙を理由に変える者』。かつてイギリスを含め多くの戦地で伝説的傭兵と讃えられたアックアは、戦争によって流れる誰かの涙を見過ごせなかった。故に、全人類を平等に救うという目的を掲げたローマ正教の神の右席に身を置き、やがてアンダーワールドという戦場へと降り立った。その彼の全てが込められた一撃は、決して止まることなくガブリエルの眼前へと迫った

 

 

「・・・ならば、これはせめてもの『慈悲』だ」

 

 

消え入るような囁きの後、ヒュウッ!という無慈悲な薄い音があった。その時には、アックアの挙動は完全に静止していた。キンッ、という鍔鳴りを響かせて剣を鞘に収めたガブリエルは、漆黒のマントを翻しながらアックアに背を向けた。そしてその背後で沈黙したアックアの首が、ズルリと傾いていき、やがて心臓の辺りから一本の赤い閃光が天へと伸びていき、アックアがそこに存在した痕跡を何一つ残さず消え去った

 

 

「・・・逝ったか。なぁ兄弟、アイツは一体何だったんだ?」

 

「さてな。少なくとも我々の味方でも、自衛隊の人間でもないことは分かった。それ以外の事については、私には良く分からないが、アリスの回収にさほど支障はない」

 

「そりゃアイツが言ってた、ローマ正教だとか、神の右席だとか、学園都市だなんだってのは俺も知らねぇよ。だが少なくとも、あの野郎が自分のことを『傭兵』って呼んでたのは、馬鹿の俺にでも分かったぜ?本当にそんな軽く見ていいのか?」

 

「・・・傭兵か…そうだな…」

 

 

アックアにトドメを刺し、乗っていた地竜の元へと戻ろうとしたガブリエルに、ただ呆然と二人の戦いを見ていたヴァサゴが声を掛けると、ガブリエルはどこか感慨に耽ったような声で返してから、少しだけ口角を吊り上げながら続けて言った

 

 

「私に言わせればヤツの魂は、我々と同じ『傭兵』と呼ぶのを差し控えたくなるほどの、決して叶わぬ私情に侵された『至高の味』だったよ」

 

 

神の後方、闇の神。奇妙な縁で繋がった『同じ天使の名』を持つ二人の戦いは、次第に濃くなっていくダークテリトリーの闇夜に消え入るようにして、静かにその幕を下ろした

 



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第33話 人界守備軍囮部隊

 

 

「光の巫女ぉ…?」

 

 

人界守備軍の野営地に置かれた天幕の一つ。大きな指揮官用の机と暖炉の置かれたその傍で、干した果物と木の実を刻んで混ぜた平焼きパンを囓り取った騎士長ベルクーリは、大きく顎を動かしながらそれを飲み込んだ後で言った

 

 

「はい。オーガの敵将『フルグル』と名乗る者は、たしかにそう言っていました」

 

 

負傷者の治療はあらかた終了し、高位術者でもある整合騎士の活躍もあって、瀕死だった者ですらも既に起き上がって暖かいスープを啜っている中で、アリスは特に何も口に入れることなくベルクーリと向かい合って言った

 

 

「最高司祭様による記憶の改竄が過去にあったと言えど、私の記憶が確かな物なのであれば、そのような名称の人物はカセドラルにあった、どんな歴史書でも見かけたことがありません。しかし『敵の司令官』がそれを強く求めているのは、実際に相対したフルグルの様子から見ても確かなのではないかと思われます」

 

「・・・司令官。闇の神ベクタ、か…」

 

「俄かには信じられるものではありません。創世から語り継がれていた神の復活など…」

 

 

同じくしてフルグルの口から語られた皇帝ベクタの存在は、光の巫女と同等かそれ以上に人界守備軍に波紋を呼んだ。唸るようにしてその名を口にしたベルクーリの横に座るファナティオは、コップに注がれた水を一息で飲み干してから深くため息を吐いて言った

 

 

「まぁ、な。しかし、得心のいく部分もある。敵本陣を覆う異質な心意を、お前も全く感じてない訳でもねぇだろう」

 

「・・・えぇ。たしかに、吸い込まれるような冷気を感じる気もしますが…」

 

「世界が創られて以来、初めて東の大門が崩れたんだ。もう何が起きても不思議じゃねえ、と考えるべきかもしれん」

 

 

ベルクーリの言葉に、ファナティオは眉をひそめることしか出来なかった。しかしそれは、そう言ったベルクーリ当人も同様だった。そもそも、これほどの人数を集めた戦争自体、人界暦にはないことだ。歴史に文献すらないのに、これから何が起こるのかなどと聞かれても、人工フラクトライトたる彼らでも検討がつくはずもなかった

 

 

「だが嬢ちゃんよ。ダークテリトリーに暗黒神ベクタが降臨したとして、そいつが光の巫女を求めていてかつ、その巫女が嬢ちゃんのことだと仮定してだ。問題はそれが今の戦況にどう影響するかだぜ」

 

「・・・えぇ。えっと、それは……」

 

「おっさーん、入るぞ〜…あっ……」

 

「あっ…カミやん……」

 

どこか間の抜けた挨拶とともに天幕の垂布をめくって入ってきたのは、上条当麻だった。しかし天幕の中でいの一番にアリスと視線が重なると、二人の間に暫しの沈黙が流れた

 

 

「・・・その、カミやん。先ほどは…」

 

「いいんだ、アリス。俺が悪かったよ。あの時は少し戦いの余熱で気が立ってただけだし、少し一人になったら落ち着いた。だから大丈夫だ」

 

「し、しかし……」

 

「本当に大丈夫だって。心配かけて悪かった。俺はちゃんと戦えるよ」

 

「・・・そう、ですか…」

 

 

アリスはそれ以上、何も言うことができなかった。何か気の利いた言葉が出るわけでもなければ、また何か余計に声をかけて上条を傷つけてしまうことを恐れ、ただ頷くことしかできなかった。まだ彼の表情は、どこか暗い影を落としたままなのは、一目見ただけで分かったのに

 

 

「・・・そうだな。カミやん、お前さんの意見を聞きたい」

 

「んぁ?俺の意見?俺はただ、今後どうするのか気になったんで聞きに来ただけなんだけど…」

 

 

そんな上条を見るアリスの態度から何かを察知したのか、あるいはただ単に気を遣っただけなのかは不明確だが、ベルクーリが上条に声をかけた。すると上条は後ろ頭を掻きながら彼らが集まる机の方へと歩み寄った

 

 

「なんだ、そりゃ丁度良かった。今からそれを話し合おうと思ってたんだ。お前さんも光の巫女についてと、暗黒神ベクタの事くらい耳に入ってんだろう?」

 

「あぁ……まぁ、な。って言うより、今外じゃその二つの話題で持ちきりだよ」

 

「なら話は早い。お前さんはどう考えてる?俺が思うに、本当にベクタが復活していて、光の巫女とやらを探してるってんなら、コイツぁ無視できねぇ話だと思ってる」

 

「えっと…まず、俺は光の巫女についても、ベクタとかいう敵の総大将についても別段の知識は持ってない。でも、その光の巫女がアリスだと仮定するってのは…俺が思うに、仮定でなくてもいいと思う」

 

「・・・仮定でなくてもいい、ってのは?」

 

「多分、光の巫女ってのは…アリスのことで間違いないんじゃないかと、俺は思う」

 

「え、え…?」

 

「そのワケは?」

 

 

上条が告げた内容に、アリスは目を丸くして言葉を詰まらせた。一方でベルクーリは唇をへの字に曲げながら上条に重ねて問いかけた

 

 

「確証を持って言ってるんじゃねぇぞ?」

 

「だが、仮定で済むモンでないのも確かなんだろう?」

 

「あぁ。まず問題になるのが、光の巫女なんて大仰な呼び名はある癖に、その名前が明かされてないことだ。光の巫女を探してるっていう敵の総大将が単純に知らないのか、何かの理由で伏せてるのかは俺にも分からないけど、少なくとも、そんな呼び名を付けるくらいには他の誰かと区別してるんだろ」

 

「次に、区別されるべき人間の問題だ。例えば敵の総大将、皇帝ベクタは…まぁなんとなくだけど、アドミニストレータみたいな特殊な存在だと思う。なんでかって、時間の話で言えばソイツは創世の頃に近い時代から半年前まで、つまりは永遠に近い時間を生きてたアドミニストレータが生まれる前のこの世界を見てた…ってことになる。それを他と区別しなくていいってことは、俺には考えられない」

 

(場合によっちゃ、キリト側の世界の誰か…実際のプレイヤーって線もなくはないけど…それを今みんなに説明するのは難しいな)

 

 

口でこそそう言ったが、上条はかつてカーディナルから、創世記が公理教会のでっち上げの神話であることを告げられていた。故に、自分のいたアンダーワールドと全く同じ経緯を辿ってきたキリトの世界のアンダーワールドも同様のはずだと考え、そこに存在する偽りの神が、今本当に自分と同じ大地を踏んでいるのであれば、この世の大半を占める人工フラクトライトと同じなワケがないと踏んでいた

 

 

「次に、俺だ。俺は元々はこの世界にいなかった…ある意味じゃこの世界の人達とは違う法則を持ってる人間だ。けど、一つ問題がある。敵が探してるのは『巫女』。つまり女なんだ。なら俺は当てはまらない」

 

「お、おいおい。そりゃ確かにそうかもしれんが、そんな巫女なんて呼び方の性別だけで区別していいモンなのか?敵は光の巫女って別称を付けてるだけなんだろう?実は男でした、なんてこたぁねぇのか?事実この戦場にいる人界守備軍の連中は、治癒術を使う修道士を除けば、大半がむさ苦しい男の集まりなんだぞ?」

 

「確かに、そうかもしれねぇな。光の巫女ってのが具体的に誰を、何を表してる言葉なのか分からない以上はその可能性も捨てきれない。だけど、この人界守備軍にはもう一人だけ、他の皆と区別できる人間がいる」

 

 

そこで上条は、自分の視線をベルクーリから隣に立つ、金色の髪を持った少女へと向けた。その視線を向けられたアリスは、自分で自分を指差しながら戸惑ったような声で言った

 

 

「わ、私…?」

 

「・・・アリスは多分、ダークテリトリーの連中も含めたこの世界の人たちの中で、唯一…『右目の封印』を破ってる人間だ」

 

「「!!!!!」」

 

 

アリスの右目を見つめながら言った上条の言葉に、その場にいた全員が豆鉄砲を食らったような衝撃を受けた。そしてアリスがその事実を思い出したように自分の右手で右目を覆っていると、ベルクーリがため息を吐き出してから言った

 

 

「なるほどなぁ…それが仮に当たりだとすりゃあ、ベクタが人界に攻め込んでまで探してんだから、少なくともダークテリトリーには右目の封印を破ったヤツがいねぇってことか。だがカミやん、あの右目の封印ってのは、最高司祭が公理教会の統治に逆らわないように教会の人間に仕込んだ代物なんじゃねぇのか?」

 

「いや、違う。あの右目の封印は、教会に入ったこともないユージオにもあった。それに修剣学院のアズリカ先生も、ユージオが右目の封印を破った時に、自分もその右目の封印を垣間見たことがあるような感じの事を言ってた。だから多分あの封印は、この世界にいる全員の右目にあるんじゃないかって思う」

 

「ふむ…じゃあ、なんで皇帝ベクタはその右目の封印を破った光の巫女…つまりはアリスの嬢ちゃんを狙うんだ?嬢ちゃんを何らかの神聖術で解析でもなんだりでもして、自分もその封印を破ろう…ってか?」

 

「どうだろうな…アドミニストレータは、あの右目の封印のことを『コード871』って呼んでた。アレをそう呼ぶってことは、アドミニストレータ自身が、あの封印が全員に施されるに至るまでの根源に近しかったことの裏付けになる。だけどそれなら、アドミニストレータより前に生まれてて、あまつさえ神話の存在だっていうベクタが、未だに右目の封印に苛まれてるとは正直考えにくいだろ」

 

「じゃあ…ベクタが右目の封印を破った人間を狙う目的は何だってんだ?」

 

「・・・それは…スマン、俺にも分からん。元からこっちの世界にいたキリトなら、何か知ってるのかもしれねぇけど…」

 

 

それが、上条が逆立ちしてでも考えられる範囲の限界だった。自分は外界の人間なのに、外界の人間の目的を、このアンダーワールドが、人の魂とリンクする仮想世界が実際に施行されるに至った目的を知らない。初めてそれを自分に説明してくれたキリトならばあるいは…とも考えたが、その当人がマトモに喋れないのだから、どうしてもこれ以上は考えが出てこなかった

 

 

「・・・確証があるにせよないにせよ、可能性が少しでもあるというのなら、賭けてみる価値はあります。小父様、私が単身敵陣を破ってダークテリトリーの辺境へと向かいます。敵の司令官が光の巫女を欲しているのなら、少なからぬ手勢と共に私を追ってくるはずです。十分な距離を取って分断したところで、残る敵軍を逆撃、殲滅してください」

 

「なっ!?そ、そんなのダメに決まってんだろ!アリスが危険すぎる!」

 

 

上条が押し黙ると、アリスが彼から視線を外してベルクーリに言うと、予想だにしなかった彼女の提案に上条が食ってかかった

 

 

「まぁ待て坊や。どんな意見も真っ向からねじ伏せてたんじゃロクに作戦も練れねぇし、戦況は劇的には変わらん。今日の戦いはこちらの優勢で終わったと十二分に言えるだろうが、それでも死傷者を抱えてるのはウチも同じだ。それに依然として、ウチが圧倒的に数と地の利で劣っているのは事実だ」

 

「そ、そりゃそうだけどよ…」

 

「話を戻そうか。嬢ちゃんが言ってるのは、つまり自分が囮になろうって提案でいいのか?」

 

「はい。そうですね…辺境とは言いましたが、ただ闇雲に走ったのでは意味がありません。ですからもし仮にこの作戦が実現するのであれば、私は峡谷を抜けた先を『ずっと南へ』進もうと思っています」

 

「!!!!!」

 

 

『ずっと南へ』。そう言ったアリスの口の運び方を上条が見たのは、二度目だった。一度目は彼女の住んでいた小屋の中で同じ方角が語られ、その後に聞き知らぬ土地の名前が続いた。『ワールド・エンド・オールター』。この世界のカセドラルの頂上でキリトとアリスが耳にしたという、恐らくはこの世界の管理者が、自ら示した場所の名前。それを聞いた上条は、アリスが囮になりつつそこを目指そうとしているのだと直感した

 

 

「なるほど…だが、それじゃ足りんな」

 

「と、言いますのは?」

 

「嬢ちゃんには、遊撃部隊と称して一緒に兵の三割を連れて行ってもらう」

 

「な、なんですって!?そんな、三割もの兵を割いていただくわけにはいきません!私にはこの身一つと金木犀の剣さえあれば…!」

 

「まぁ聞け。敵軍はまだ3万以上も残ってる。囮が嬢ちゃん一人なら、追ってくる敵もそう多くはねぇだろう。十分な数が共に逃げてこそ、分断策も成功するってもんだ。それに、もし分断策が成功すれば敵軍を挟み撃ちにすることも可能になるやもしれん。そうなった時、嬢ちゃん側から攻める人間がいなけりゃ、逃す魚は大きくなるばかりだ」

 

 

ベルクーリの実に的を射ている提言に、アリスは反論する言葉を見つけられなかった。彼の目的は戦争の勝利ただ一つだろうが、自分にはオールターを目指すというもう一つの目的がある。そこに多くの兵を従えてしまえば、かえって行動しづらくなってしまうという事実にアリスがなんとも言えない表情を浮かべていると、不意に上条が口を開いた

 

 

「なら、俺もアリスの方に付いていく。元から単独行動なんだから文句ねぇだろ」

 

「か、カミやん…」

 

「あぁ、良いだろう。だがもう一つ条件がある」

 

「条件?」

 

 

上条がベルクーリの言葉の端を繰り返すと、守備軍最強の男は自身の分厚い胸板の前で組んでいた腕を解いて、アリスの顔を指差しながら不敵な笑みと共にその条件を口にした

 

 

「俺もそっちの遊撃部隊に加わる」

 

 



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第34話 霜鱗鞭

 

「ま、待っでぐれ!そ、そんなのはあんまりだ!」

 

 

ダークテリトリーの亜人五族を率いる五人の将の、最後の生き残りであるオーク族の長。  彼はその名を『リルピリン』と言った。でっぷりとした腹と豚の頭を首に繋げる亜人の彼は、大きな鼻から漏れる息を混ぜた声を震わせながら取り乱したように喚いた

 

 

「貴様の意見などハナから聞いておらぬ。二度は言わぬ。オークの長・リルピリンよ、暗黒術師の攻撃の礎となるために、3千の人柱を拠出せよ」

 

 

オーク族はすでに第一陣の補助兵力として一千名を出し、その悉くを失っている。自分の指揮の届かないところで、ゴブリンやジャイアントどもに命ぜられるまま戦い、死んでいった彼らのことを考えるだけでも胸が潰れそうだというのに、ディー・アイ・エルの口から新たに下された皇帝の指示は、彼にとってあまりにも無慈悲なものだった

 

 

「ふ、ふだけるな!おでだちは、戦うだめにここに来たんだ!お前だちの失敗を、命で償ってやるだめではない!」

 

 

戦士としての名誉も、それどころか知性ある者の尊厳すらも認められない死に様だ。三千の部下にとっても、また自分にとっても堪え難い命の結末に、リルピリンは甲高い声を振り絞って抗弁した。しかし、腕組みをして立つ暗黒術師総長ディーは、冷たい眼でオークの長を見下ろしながら傲然と言い放った

 

 

「これは皇帝の勅令である!この勅令に背くということがどういうことか、貴様とて分からぬ訳ではあるまい!」

 

「ぐ…し、しかし!」

 

 

ディーの威圧的な言葉に、オークの長は喉を詰まらせた。皇帝ベクタの力は、暗黒将軍の叛乱劇の折に嫌と言うほど見せつけられている。十侯を遥かに超える、圧倒的な強者だ。強者には従わねばならない、それが暗黒界に於ける絶対の掟。闇の世界の唯一にして絶対なる法を前に、リルピリンが立ち尽くしたまま硬く握った両拳をぶるぶる震わせていると、彼の背後から滑らかな声が掛けられた

 

 

「長よ。皇帝の命には、従わねばなりませぬでしょう」

 

 

リルピリンが振り向いた先に立っていたのは、同族にしてはほっそりした体と優美な長い耳を持つ女オークだった。『レンジュ』という名を持つ彼女は、リルピリンにとっては遠縁にあたる豪族の出で、子供の頃にはよく一緒に遊んだこともある。その彼女は穏やかな笑みを目元と口元に滲ませ、自身が従う長に向けて言った

 

 

「私と、我が兵三千名、喜んで命を捧げまする。皇帝の…そして、我らが一族のために」

 

「そ、そんな…」

 

「リル。私は信じています。人族だけでなく、死んだオークの魂も、きっと神界に召されるのだと。いつかまた、遠き日の名残りに、そこで再会しましょう」

 

 

『お前までもが命を捧げる必要はない』と、リルピリンはそう口にしたかった。しかし、三千の兵に理不尽な命令を即座に受け入れさせるには、彼らがある意味で族長よりも崇拝している姫騎士である彼女が、運命を共にするしかないことも確かだった。故に、もうリルピリンに彼女を生かすという選択肢は残されていなかった

 

 

「すまない、レン…許しでくれ…こんなにも愚かな族長を、おでを許しでくれ…すまない…」

 

 

リルピリンは拳を開くと、姫騎士の手を握り、瞳に涙を溜めながら呻くように言った。そんな二人を厭わしそうに見下ろしながら、ディー・アイ・エルが無慈悲に言い放った

 

 

「5分以内に3千の兵を峡谷の手前100メル地点に密集陣形で集合させよ。以上だ!」

 

 

身を翻して去っていく暗黒術師を、長は燃え上がらんばかりの両眼で睨み付けた。なぜオークだというだけで、こんな仕打ちを受けなければならないのか。これまで何度も繰り返してきた問いが再び胸中に渦巻いたが、今度もまた答えは出せなかった。やがて整然とした縦列を組んで死地へと行進していく三千の兵たちは、いっそ誇らしげですらあった。だが彼らを見送る七千のオークの同族からは、すすり泣きと怨嗟の声が低く、深く響いた

 

 

「システム・コール!トランスファー・ヒューマン・ユニット・デュラビリティ!エリア・トゥ・セルフ!」

 

 

装甲猪にまたがる姫騎士に率いられた三千のオークは、暗黒騎士団と拳闘士団の陣のあいだを堂々と抜けていき、峡谷の入り口から少し下がった地点で方陣を組むと、それを待ちかねていたかのように、先の巨大爆発に吞まれなかった二千の暗黒術師たちが不吉な姿を現し、方陣を取り囲んだ。その術師たちの口から紡がれた詠唱は、ひどく耳障りな不協和音を伴って大気を震わせた

 

 

「ぐあああ!」「ゔおおお!」「ぎゃいあああ!」「うわあああ!」「ぐううう!」

 

「あ、あああ……」

 

 

突然、人柱となったオーク兵たちが苦悶するように身を捩り、地に崩れた始めた。その光景を目の当たりにするしかないリルピリンは、掠れた声で呻いた。のたうつオーク達の体から、白く瞬く光の粒が間断なく吸い出されていく。それらは術師どもの手許へ集まると同時に黒く変色し、次第に奇怪な長虫のような姿へと変貌していった

 

 

「「「オーク万歳!オークに栄光あれ!」」」

 

 

しかしてその中で、三千の兵たちの悲鳴が口々に喝采へと変わり始めた。直後、兵たちの体が立て続けに爆ぜ始めた。血と肉片をばら撒きながらいっそう大量の光を放出し、たちまち術師たちに奪われた。いつしかリルピリンは両膝を突き、右拳を地に打ち付けていた。溢れ出した涙が、大きなの両側を伝い、音を立てて黒い砂利に落ちた

 

 

「れ、レンジュ……!」

 

 

歪んだ視界の中央で、ひときわ目立つ鎧を着た姫騎士の全身から、真紅の花のように鮮血が迸った。そして喉からその名前を絞り出すと同時に、レンジュは静かに地面に倒れ、その姿を消した

 

 

「ゆるざない…絶対に許ざぬぞ…!ヒトめ…人どもらめが……!!」

 

 

リルピリンの口から漏れ出す呪詛と共に、食い縛った牙が唇を引き裂き血が滴った。しかし不思議とその口元に痛みはなく、怒りと怨みの絶叫が頭の芯で弾けるたびに、なぜだか右の眼窩が強く痛んだ

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

時を遡ること十数分前。人界守備軍本陣では、二分された衛士たちが、互いの再会を誓い合って、固い握手や抱擁を繰り返していた。進む部隊と留まる部隊、どちらの兵士たちの顔にも等しく緊張と気遣いが満ちていた。実際、どちらがより危険なのかは定かでない。敵軍の何割が囮部隊を追跡し、何割が峡谷攻撃を続行するかは、神のみぞ…否、敵軍の総指揮官たる暗黒神ベクタのみが知っていることだ

 

やがて、囮部隊に加わるベルクーリ、アリス、レンリ、シェータの上位騎士四人とその飛竜、千人の衛士隊、二百人の修道士隊、五十人の補給隊の準備が整った。エルドリエは自分も囮部隊に加わりたいと食い下がったが、アリスに強く諭されてしぶしぶ引き下がった。見習い騎士のリネルとフィゼルも散々駄々をこねたが、騎士長に「後を頼む」と言われては、さしもの彼女らも納得するしかなかった

 

そして物資の輸送用には、四頭立ての高速馬車が八台用意された。その一つに、車椅子のキリトと、二人の少女練士も乗っているはずだ。 アリスは、ティーゼとロニエの同行を許すべきか否か大いに迷った。しかしキリトの世をする者は必要だし、加えて何があったのか、上位騎士のレンリが命に代えても彼女たちを守ると誓ったのだ。これに関しては上条も賛同し、ようやっとアリスの懸念は落ち着くべきところに落ち着いたのだった

 

 

「よし、峡谷を出ると同時に竜の熱線を敵本隊に一斉射!向こうにはもう遠距離攻撃手段はほとんどないはずだが、竜騎士にだけは気をつけろよ!」

 

 

緩やかな速度で飛ぶ飛竜に跨り先を行くベルクーリが振り向いて叫ぶと、すぐ後ろから「はいっ!」という幾つもの鋭い声が返ってきて、騎馬と徒歩で突進する衛士たちの足音が追いかけてくる。この奇襲じみた分断作戦は、敵に気づかれないようにしてこそ意味を成す。故に彼らが夜の闇に紛れながら、最小限の音で駆け足で移動していると、狭く暗い峡谷の前方に無数の篝火が見えてきた

 

 

(ーーーやっぱり結構多いな。アリスの神聖術であんなに倒したのに、まだ三万は下ってなさそうだ)

 

 

衛士隊に混じって駆け足になる上条がそう考えていた時のことだった。騎士長ベルクーリの飛竜に続いて、愛竜の雨縁に跨るアリスは、風切り音の下から届いてくる、低くうねった呪詛のような唱和を耳にした

 

 

「これは…術式の、多重詠唱…!?」

 

 

あり得ない。この一帯にはもう、大規模術式を行使できるほどの神聖力は残っていないはずだ。何よりそれをやってのけたのは、他でもない自分自身のはずではないか。そう己の心でアリスは自分の呟きを否定しようとした時、すぐ前を飛ぶベルクーリが吐き捨てるように叫んだ

 

 

「奴等め…!なんて外道な真似を!!」

 

 

暗黒術師総長ディー・アイ・エルは、両手を天にかざして全身を震わせていた。ディー以下二千名の暗黒術師たちが差し出す両手には、黒い靄が凝集して出来上がったような、無数の足を持つ醜悪な長虫が何匹もまとわりついている。それは闇素から生成された『天命喰らい』の疑似生物だった

 

 

「ああ!なんという力か!なんと素晴らしい!これほどまでに凄まじい空間暗黒力が未だかつて存在しただろうか…!」

 

 

その術式は、どんなに高優先度の剣や鎧だろうと、実体あるものでは防げない。暗黒力の変換効率では火炎攻撃に劣るが、三千もの命と魂という豊富な供給源があれば話が違ってくる。貴重な部下を千人も焼き殺してくれた、敵の『光の術式』れの意趣返しとしてディーはこの悪趣味極まりない暗黒術を選んだのだった

 

 

「よし…『死詛蟲術』発射用意!!」

 

 

高らかに叫んだディーの両眼が、何を血迷ったのか、峡谷の奥から進軍してくる四騎の竜騎士を捉えた。しかし一瞬の驚きは、すぐさま歓喜へと変わった。このまま、敵の最大戦力である整合騎士とその飛竜を一掃できる。の前に差し出された最上の蜜へと、彼女が手を付けない理由はなかった

 

 

「焦るな!充分に奴らを引き付けるのだ!まだ…まだだ……今だ!放てぇぇぇッ!!!」

 

 

ゾワアアアァァァァッ!!!と。全身の毛がよだつほどの怖気と、耳にべっとりと残る振動音を撒き散らして、無数の黒い長虫たちは、人界守備軍目指して一直線に飛びかかっていった

 

 

「チィッ…!反転!急上昇っ!」

 

 

漆黒の大波となって押し寄せてくる敵の術式を視認した瞬間、一般の衛士のみならず、上位整合騎士までもが数秒にせよ思考を停止させた中で、最も早く思考を蘇らせて叫んだのは騎士長ベルクーリだった。しかしその彼でも、対応策を即座に指示することまではできず、ただ叫ぶしかなかった。何より敵の術式が、あまりにも規格外すぎた

 

 

「ーーーッ!?いかん!!」

 

 

整合騎士の駆る四匹の飛竜が、ベルクーリの叫びを受けて螺旋を描くように身を翻し、まっすぐ峡谷の上空を目指して急上昇した。長虫の群れも、おぞましい羽音とともに向きを転じる。しかし、追ってくる蟲たちは、全体の半分にも満たない量だった。残りは全て、地上を走る衛士たちと、補給部隊に向かって直進した。それを目の当たりにしたベルクーリは、再び大きく叫ぶしかなかった

 

 

「と、通せっ!通してくれえええっ!!」

 

 

衛士隊の中からそれを視認した上条は、あの大量の蟲の術式が自分に打ち消せるかどうかなど特に考えもせず、闇雲に衛士隊の中を駆け出した。しかし、他でもない衛士隊の人垣が邪魔になり、思うように最前列に行けなかった。通してくれとどれだけ大きな声で叫んでも、自分の前にいる衛士達は眼前の光景に狼狽するばかりで、上条の行く道を塞いでしまっていた

 

 

「俺の右手があの蛆虫に触れれば!全員は無理でも少しなら救えるんだ!あの神聖術を防げるんだ!だから俺を一番前に…通してくれえええっっっ!!!」

 

 

どれだけ叫んでも、人垣が超えられない。少なくとも10メートルは人の壁が続いてる。無理やり押し通るには、この壁は厚すぎる。間に合わない、大勢が死ぬ。その最悪な末路が上条の脳裏にチラつき始めた

 

 

(いっそ右腕を切り落として……いや!不確定要素が多すぎる!次はちゃんと『竜』が出てくる保証はどこにも…!?)

 

 

行く手を阻む衛士達が腰に帯びている剣を見て、そんな考えが頭をよぎる。しかしそれは、今の上条にとっては禁じ手にも等しいものだ。もしもライオスを殺した『アレ』がもう一度顔を出せば、あの蛆虫達を食う前に、周りにいる衛士達を食ってしまう。その逡巡が彼を苛んでいた時、上空で叫び声が響いた

 

 

「雨縁ッ!!」

 

 

上昇していたハズのアリスが騎竜を反転急降下させ、下方を這い進む暗黒術の先頭めがけて、真っ逆さまに突進していく。それを視界の端で捉えたベルクーリは、懸命に愛弟子を引き止めようとした

 

 

「嬢ちゃん無理だ!嬢ちゃんの完全支配術じゃあソイツは…!」

 

 

一対多数の戦闘ならば圧倒的なまでの威力を示す金木犀の剣の武装完全支配術だが、属性はあくまでも剣と同じ金属。実体の薄い呪詛を斬ることはできない。アリスにも、それはいやというほど理解できている。しかし、それを理由にして衛士たちが襲われるのをただ見ていることなど、彼女にできようはずもなかった

 

 

「ぐっ!うううっ…!!」

 

 

急転直下で天を降りるアリスに、莫大な風圧が襲いかかる。しかし、そんなものにかまけて速度を緩める気は毛頭なかった。口の端から呻き声を漏らしつつも、人界守備軍に襲いかかろうとしている蛆虫の群れの後ろに追い付いた…その瞬間のことだった

 

 

「エルドリエッ……!?」

 

「行け!滝刳ッ!!」

 

 

整合騎士、エルドリエ・シンセシス・サーティワン。彼は飛竜の手綱を握りながら、ただひとつの言葉だけを脳裏で繰り返していた

 

 

(守る。師を。アリスを。剣を奉げ、献身を誓った人を、何としても…守る!!)

 

「ま、待ちなさいエルドリエ!止まりなさいっ!ダメッ!!」

 

 

主の意志を感じ取ったかのように、滝刳が力強く翼を羽ばたかせ、一気に加速した。降下してくる雨縁とすれ違う瞬間、エルドリエを引き留めようとするアリスの声が聞こえた。しかし速度を緩めることなく、殺到する長虫の群れを目掛けて急上昇すると、エルドリエは左手に白銀の鞭を握った

 

 

「蛇よ!我が神器に宿りし古の神蛇よ!お前もその名に恥じぬ蛇の王ならば、あれら如き長虫の群れなど喰らい尽くしてみせろッ!!」

 

 

エルドリエの神器『霜鱗鞭』は、遥かな昔に東帝国の山間部で神蛇と呼ばれた巨大な蛇を源とする武器である。その記憶を解放することで射程を数倍に伸ばし、軌道を自在に変化させられることが出来る。とは言えど、その力は呪詛系の術式の前にはほとんど役に立たない。それでも彼は、確固たる決意のままに声高に叫んだ

 

 

「リリース・リコレクションッ!!」

 

 

瞬間、霜鱗鞭が眩い銀光を放った。輝きの中で鞭が無数に分裂し、何百本もの光条となって、闇色の長虫どもに襲いかかっていく。やがてその白光は、輝く蛇たちへと姿を変えた。エルドリエの左手から放射状に放たれた蛇の群れは鋭い牙を剥き、死の長虫に喰らいついた

 

 

「付いて来い!汚らわしい虫どもめ!」

 

 

際限なく伸びた七つに別れた鞭の先端からそれぞれ、ゾブッ!という音と共に体を千切られた長虫が闇素に戻って舞い散った。途端、衛士たちを襲おうとしていた一群と、上空の飛竜を追っていた一群が、どちらも光の蛇を最優先の敵と認識したかのように向きを変えると、白蛇たちはたちまち無数の長虫に纏わりつかれ、呪詛は蛇の体をさかのぼり、その源であるエルドリエの手元へ殺到していった

 

 

「あ、アイツまさか…!自分を犠牲に…!?」

 

 

その光景は、依然として衛士隊に埋もれていた上条にも見て取れた。エルドリエは、この状況で唯一干渉可能な敵術式の属性である『自動追尾属性』を利用し、自分ひとりの身に全ての威力を集中させたのだ。それを理解した瞬間、上条は闇雲に天へと右手を伸ばした

 

 

「ま、待ってくれ!ダメだ、そんなの…ダメだあああああぁぁぁぁぁーーーっ!!!」

 

 

また、誰かが死ぬ。自分の目の前で誰かが、その命を落とそうとしている。守り切れない。この右手が、届かない。その現実を否定しようと、必死に指先を尖らせるようにして右手を伸ばす。けれど、どうしようもなく遠い。そんな上条の努力にも、悲痛な叫びにも、呪詛の虫は目も耳もくれず、騎士の全身を漆黒の闇に飲み込んだ

 

 

「「エルドリエーーーッッッ!!!!!」」

 

 

上条とアリスの絶叫が、峡谷に反響した。それに続くのは、エルドリエの五千を少し超える天命が底をつく、抗いようのない死の宣告…そのハズだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ちょっと。人が来て早々に気色の悪いモノ見せないでくれる?私、ヘビも虫も嫌いなんだけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドガァンッッッ!!!という爆発音が…否、『雷鳴』がアンダーワールドの大気を揺るがした

 



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第35話 電子に愛されし申し子

 

稲妻が走った。その神の威光とも呼ぶべき光を前に、目を開けていられた者は誰一人としていなかった。目を閉じてなお視界が滲む中で、一番最初にその光景を目の当たりにして驚愕したのは、ベルクーリ・シンセシス・ワンだった

 

 

「な、なん…だと…!?」

 

 

視界一面に飛び込んできたのは、雨のように降りしきる灰だった。火の尾を引きながら落ちてくるそれは、エルドリエに襲いかかったハズの呪詛蟲であることにはある察しが付いたが、その原型を留めている蟲は一匹と残っていなかった

 

 

「雷…?こ、こんな偶然が起こるはずが…しかし現に私は…生きて…?」

 

 

一方で天命喰いの呪詛蟲をその一身に引き受けたハズのエルドリエは、パリパリと未だに電流を残す乾いた空気が肌をなじる感触から、己の五体が健在であることを知覚すると同時に、ここまで都合よく天が自分の味方をするのかという拭いきれない疑問に囚われた。その疑惑を確かめるように彼が天を見上げると、雷が降り注いだのであろう雲の下で悠々と佇んでいる何かをその視線に捉えた

 

 

「・・・人…?」

 

 

それが人影であると認識するのに、エルドリエは時間を要さなかった。純白の鎧と外套の端々に燃えるような赤を拵え、胸当の首元には、公理教会の十字とはまた違った十字の印を刻んでいる。そして右腰には、その柄が宝石のように輝く、鞘に納められた一本の細剣がある。飛竜にも乗らずに空をゆっくりと降下してくるその人影は、さらりと流れる短い茶髪をその手で払うと、小さく息を吐いた

 

 

「・・・これが、アンダーワールド…」

 

 

エルドリエがその視線の先に移した少女、御坂美琴は呟いた。彼女は強固なイマジネーション、心意の力をログイン前の冥土帰しの指南一つで完全に掌握していた。ログインするなり視界に飛び込んできた蟲達を焼き焦がすことなど、長年にわたる仮想世界の経験と自身の能力を持ってすれば、単なる試し打ち程度にしか思っていなかった

 

 

「・・・ふぅん。なるほどね」

 

 

自由落下に身を任せて空を降りていく美琴は、高い視点から戦場を一望した。全体的に清廉な白い鎧が目立つ人界守備軍と、黒い鎧を纏った暗黒騎士、不気味な黒いローブの暗黒術師や、ファンタジーのモンスターに似た亜人のいる侵略軍を見ると、自分がこの状況で取るべき行動に大よその当たりを付け、ゆっくりと肩で息をした

 

 

「ねぇ、ちょっとそこの竜に乗ってる人。悪いんだけど私も乗せてくれる?こんな格好つけた登場しておいてなんだけど、大それた飛行能力持ってる訳じゃないから後は落ちてくしかないのよ」

 

「え?あ、あぁ…」

 

 

それから美琴は、空中に佇むエルドリエの方にクイっと軽く首を向けて言った。相変わらず現状が理解できずに呆けていたエルドリエは、自分に向けられているのであろう彼女の言葉に半ば無意識で気の抜けた返事をすると、滝刳の手綱を引いて美琴の足下へと愛竜を潜り込ませた

 

 

「よっ…と。竜に乗るのはなんだかんだ初めてだけど、案外悪くないわね。シリカさんのピナも成長したらこれくらいになるのかしら?とりあえず、乗せてくれてありがとね」

 

「い、いえ…それは窮地を救っていただいた私としてもお互い様ですが…」

 

 

宙を泳ぐようにして降りてきた美琴は、やがてエルドリエの跨る鞍の少し後ろに足を下ろした。それからエルドリエは上半身だけを後ろに向けると、いつものキザな口調がすっかり抜けたくぐもった声で返した

 

 

「そうね、先ずは自己紹介よね。私の名前は御坂美琴…まぁ今はミコトってことで。あなたの名前は?」

 

「わ、私は整合騎士。エルドリエ・シンセシス・サーティワン…だ」

 

「・・・へぇ、なるほどね。そう名乗るってことは、少なくともあなたはNPC、ないしは人工フラクトライトってワケね。本物の人間の魂を持ってるっていうのも、なんとなく頷けるわ。声の抑揚とか、表情とか、本物の人間よりよっぽど人間らしいもの」

 

「???」

 

 

エルドリエの名乗りを聞いた美琴は、何度か頷きながら言った。しかし当のエルドリエは彼女が口にした言葉のほとんどが分からずに、首を傾げるばかりだった

 

 

「あぁ、気にしないで。ただの独り言だから。それと、そう疑わずに安心して。私はエルドリエさん達の味方よ。一先ずは、ね」

 

「わ、私達の味方…?し、失礼ですが貴方は一体何者なのですか?」

 

「ん〜。強いて言うなら、エルドリエさん達と同じで『騎士』ってところかしら。それと一応の肩書きとして、学園都市序列第三位『常盤台の超電磁砲』。これが私の名刺代わりよ」

 

「れ、超電磁砲…?」

 

 

美琴は最後に口角を少し上げると、彼女らしい笑顔で名乗った。そして遠方にいる暗黒術師達をその視線で一瞥すると、細く息を吐いてからパン!と一つ、手の平と拳を叩き合わせた

 

 

「さてと。あのねエルドリエさん、大雑把に言うと私…人を探してるの。ツンツン頭のヤツ。それでちょろっと詳しくお話を聞きたいところなんだけど…どう見ても、今はそんな余裕がある状況じゃなさそうよね。さっき私が撃ち堕とした蛆虫とかも含めて」

 

「は、はい。それは、まぁ…それこそ大雑把に言えば、現在我々の属する人界守備軍は、ダークテリトリーからの侵略軍との戦争の只中ですので…」

 

「なるほど、じゃあやっぱり向こうのが悪者ってことでいいのね。我ながらいい勘してるじゃない。分かった、それじゃあちょっくらアイツら片付けて来るわね。さっきの肩慣らしで、大体の感覚は掴めたから」

 

 

そう言うと美琴は、片手の平でバチィッ!という破裂音と小さな電撃を迸らせながら飛竜の背中を歩き、エルドリエの半歩前に出た。そして滝刳の翼の付け根に、右足に履いた厚底のブーツを当てがうと、逆の左足を大きく引いた

 

 

「え…?か、片付けて来るって…それはいくらなんでも…!」

 

「あ〜、ごめんごめん。止める間もなく始めちゃうわよっ!!」

 

 

バヂンッ!と空気が破裂した音の後には、エルドリエの視界に美琴の姿は影も形も残っていなかった。その事実に彼がまたしても呆けてしまうのも束の間、次の瞬間には大地から極太の雷の柱が突き立った

 

 

「イヤァァァ!?」「ヤダァァァァ!!!」「ヒィィィ!?」「だ、誰かぁぁぁ!?」

 

 

まるで悪夢のようだったと、その光景を目の当たりにした暗黒術師は後世に語っただろう。今世までの暗黒術師が誰一人としてなし得なかったであろう大規模術式が謎の雷光によって一瞬で焼け落ち、あまつさえ天から降り注ぐ威光を、その身に宿す少女がいようなど。そう語り継ぐ誰かを、御坂美琴が残そうとすれば、だが

 

 

「シッ、システム・コール!ジェネレート・アンブラ・エレメント……!」

 

 

もちろん暗黒術師の中にも、必死の抵抗を試みて、術式を行使しようとする者もいた。しかし、式句の後に出て来るのは、搾りかすのような心許ない闇素だけだった。それもそのはず、彼女達が術式に必要とする空間暗黒力は、三千のオークの死骸から生み出された分も、先の呪詛蟲の術式で使い果たしてしまっていたからだ

 

 

「あ、あぁ…あぁ…!」

 

「でぇりゃあああああああっっっ!!!」

 

「ヒィヤアアアアアアアアッッッ!?!?」

 

 

そうなってしまえば、もう後は音よりも早く突き抜ける雷撃の槍に身を委ねるしかなかった。やがて遠退く意識の果てで、自分の天命が欠片でも残るのかどうかは、もはや彼女の知るところではなかった

 

 

「言っておくけど、今の私はアンタ達に手心加えられるほど優しくはないわよっ!!!」

 

 

彼女の周りでは、絶えることのない稲光と、次々に電撃に打ちのめされる暗黒術師の悲鳴が畝るように乱れ飛んでいた。誰の天命が尽きていて、誰の天命が残っているのか、そんなことを考えることもなく、ただひたすらに美琴は感情の赴くままに、最大電圧10億ボルトを誇る電撃を全身から放出し続けた

 

 

「な、何が、どうなって…」

 

「エルドリエ!無事ですか!?」

 

「アリス様!」

 

 

立て続けに地面から雷が迸る不可思議な現象を、ただ見下ろすことしか出来ないエルドリエの元に、雨縁を飛ばしてきたアリスがようやく駆けつけると、彼は大きく頷いてから答えた

 

 

「ご心配をおかけいたしました。付け加えて、陣形を無視して飛び出してきてしまったこと…伏して謝罪いたします」

 

「謝罪など今はいいのです!其方は何ともないのですね!?」

 

「はい。我が霜鱗鞭は著しく天命を損耗致しましたが、私はこの通り五体満足です。ですが、兎にも角にも私が生き永らえる事が出来たのは……」

 

「・・・あの、雷を纏う少女…」

 

 

今も地上で次々に暗黒術師を薙ぎ払っていく美琴を、アリスは神妙な面持ちで見つめた。彼女がエルドリエの窮地を救ったのは、今も彼が隣で返答している事からは疑いようもないが、その少女がその身に宿す力には、疑いしか向ける事が出来なかった

 

 

「彼女は、自身でその名を『ミコト』と口にしていました。そのような名は、現時点での死傷者を含めた人界守備軍の衛士の中では、聞いた事がありません。ですが一先ずは私たちの味方だと言った直後に、あぁして敵の暗黒術師の中へと…」

 

「ミコト…ですか。彼女が何者なのかは分かりませんが、彼女が操るあの雷は、おそらく神聖術ではないでしょう。規模、威力、何もかもが術の理に反しています。そして何より、あの荒れ狂う雷からは…とても強い『心意』の波動を感じます」

 

「心意…今は亡き最高司祭様や、騎士長ベルクーリ様といった極一部の者のみが行使できるという…その心意技の一種である…と?」

 

「ですがもし仮にそうだとしても、その身に雷を宿すなどという芸当が出来るという話は聞いたこともありません。それにあのような強力な心意は…ベルクーリ小父様はおろか、最高司祭様ですらも……」

 

「おい嬢ちゃん達!駄弁ってる場合か!雷が降ろうが槍が降ろうが、戦争は待っちゃくれねぇぞ!!」

 

「「!!!!!」」

 

 

互いに飛竜に跨って戦場を見下ろしていたエルドリエとアリスに、遠方からベルクーリが叫ぶようにして声を掛けた。既に眼下では衛士隊が早足での進行を再開しており、その事実にハッとした二人は、本能の赴くままに騎竜の手綱を強く打った

 

 

「騎士長閣下!私めは…!」

 

「出てきちまったモンはしょうがねぇ!エルドリエもこっちに来い!嬢ちゃんの後に続け!」

 

「は、ハッ!」

 

(畜生め…悍ましい呪詛蟲の次は、全身から放電する雷様の少女ですってかぁ?まるで賽の目みてぇにコロコロと表情を変えやがって、この戦場って生き物は…!)

 

 

エルドリエに指示を飛ばしたベルクーリは、内心で毒づいた。しかしその唇の端からは白い歯が垣間見えており、どこか四面楚歌とも言えるこの状況を楽しんでいるようにも見えた

 

 

「・・・ん?カミやんのヤツ…なんで一人だけ隊列から飛び出してんだ…!?」

 

 

そう思っていたのも束の間、遊撃部隊中央の空で常に飛竜『星咬』を飛ばし続けるベルクーリは、先頭を行く衛士隊の更にその先で、ただ一人峡谷の大地を駆け抜ける人間を捉えた。純白の盾を背にしたその姿は、それが上条当麻であることを確信するには十分だった

 

 

「はっ!はっ!ハッ!ハッ!ハァッ!」

 

 

上条当麻は、切れる息をそのままに、ただ闇雲に走った。ただその場所を目指して。次々に稲光が突き立っていくその場所に、自分が脳裏に思い描いている少女が、必ずいるから

 

 

「美琴だ…!あのビリビリは絶対に美琴だ…!アソコにいる…美琴が今、この世界にいるんだ!!」

 

 

ただそれだけを確信して、上条当麻は走った

 



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第36話 分断作戦

 

「馬鹿な…あり得ぬ…!あり得ぬわ!」

 

 

暗黒術師総長ディー・アイ・エルは、峡谷から次々に伸びてくる稲光を目の当たりにしにら、頭の中で絶叫した。三千のオークの命を贄とし、二千の術師が詠唱した死詛蟲術は、期待以上の威力を予感させつつ敵軍へと襲いかかった。整合騎士どもはもちろん、地上の兵も悉く食い荒らしても余るほどの優先度だった

 

 

「それなのに…何故ッ!?」

 

 

なのにどうしたことか、全ての敵の天命を貪ろうとするはずの術式が、たった一人の騎士へと集中したかと思えば、天から降り注いだ凄まじい雷によってその全てが燃えおちてしまった。この結末は論理的ではない。まったく理屈に合わない

 

 

 

「この私が…!全世界の叡智の中心たる暗黒術師ギルド総長ディー・アイ・エルがっ!知り得ぬなど存在するものか!存在してたまるものかあああっっっ!!!」

 

 

これ以上ない程にみっともなく、ディーは自分の白髪を掻きむしった。しかしその間にも、謎に満ちた敵はたった一人でもう二千人しか残っていない暗黒術師たち目掛け、情け容赦なく雷を見舞ってくる。そんな現実を前にした彼女には、もう選択の余地は残されていないに等しかった

 

 

「くっ…!後退だっ!総員後退しろおっ!」

 

「逃すかコラァァァーーーッッッ!!!」

 

 

ディーが甲高い声を張り上げた。しかし直後、美琴の怒声と共に雷撃の槍が天を貫き、轟音とともに膨れ上がると、空気を伝播して数十人の部下が薙ぎ払われ、漏れなく悲鳴を上げて倒れた。そしてディーが立つ馬車の二階にまでその余波が到達し、自慢の白髪をちりちりと焦がした

 

 

「ヒィィィッ!?」

 

 

か細い悲鳴を上げ、ディーは馬車から転がるように降りた。馬車などという高台にいてはただの的にしかならない。そう判断した彼女は部下に紛れて逃げ走ろうとしたが、その行く手を阻むようにして、法則性もなくただ暴れ狂う雷光がまたしても眼前を横断した

 

 

「糞ッ!畜生がっ!死んでなるものか!こんな場所で、世界の王となるべきこの私が…!」

 

 

ついに鬼気迫ったディーは、鉤爪のように指を曲げた両手を振りかざし、前を走る二人の配下の術師の背に突き立てた。ゾブッ!と鋭い爪が柔肌を裂き、肉を抉る。握り締めた丸い柱は、配下の術師たちの背骨の感触を彼女の手の平に伝えた

 

 

「ぎゃあっ!でぃ、ディー様っ……!?」

 

「い、一体なにを……っ!?お、おやめくださっ…ぎあっ!?」

 

「システム・コール…!!」

 

 

悲鳴を上げつつ懇願する部下たちの言葉に耳も貸さず、ディー・アイ・エルは禍々しい笑みを浮かべながら起句を唱えた。行使される術式は『物体形状変化』。それも、生きた人間の天命を源とし、その肉体を変容させる恐ろしい秘術。血と肉片が飛び散り、二つの肉体が、不定形の塊になって溶けた。それらは地面にうずくまったディーを隙間なく覆いながら硬化して、弾力のある生きた防御膜を作り出していった

 

 

「これで…ラストォォォーーーッ!!!」

 

 

御坂美琴の渾身にして最大火力の電撃が辺り一面の大地を覆い尽くしたのは、その直後のことだった。もはや見える範囲にマトモに立っている人間がいないのを確認すると、美琴は額の汗を拭いながら深く息を吐いた

 

 

「ふぅ〜〜〜っ…。ちょっとこれは…少しくらいは加減した方が良かったかしら?」

 

 

元から焼け焦げたような色をしているダークテリトリーの大地だが、美琴が暴れ回った痕跡は、それ以上に黒い影を残していた。攻撃方法が電撃のみのため、生々しい血こそほとんどないが、それを凄惨な光景だと呼ぶには十分なほどに美琴が残した爪痕は酷いものだった

 

 

「まぁ、過ぎたこと気にしてもしょうがないわね。とりあえず、これで『アイツ』を探し始められ……」

 

「美琴ーーーッ!!!」

 

「ふええええええええっ!?!?」

 

 

ふと振り向いた先で飛び込んで来たのは、美琴がアンダーワールドにログインする原因となった訪ね人、上条当麻その人だった。しかしその彼が目の前に現れたことに驚くのも束の間、まるで鳥のように大きく広げた両手で自分を抱きしめて来た

 

 

「あぁもうクソッ!なんでこんな所にいるんだとか!カセドラルのてっぺんで起きたこととか!戦争とか!どうでも良くねえけど!今はもうそんなのどうだっていい!やっと会えた…二年ぶりだな美琴!!」

 

 

彼女の姿を見ただけで、上条は感情が爆発してしまった。何しろ二年間もずっと、現実で会える知人の顔を見ていなかったのだ。その中で一番最初に出会えたのが、美琴で良かったと心の底から思い、先行きが不透明でどうしようもなく不安だった心が安堵した。感極まって抱きついてしまったことなど、もはや上条にとっては些細なことでしかなかった

 

 

「どっ!どどどどどどどうっ!?」

 

 

しかしその一方で美琴は、完全にキャパオーバーの状態を迎えていた。何しろ、上条か苦労していることは分かっているが、その具体的な苦労の尺度までは知らないのだから、ここまで熱い抱擁を交わされる覚えもない。ただただ顔を茹でダコのように真っ赤にして、慌てふためくことしか美琴には出来なかった

 

 

「・・・ふぅ。悪かったな、もう落ち着いた。助かったよ美琴、お前が来てくれなきゃ今ごろ俺たちは大変なことになってた」

 

「あば、あばばばばばばば!!!」

 

「・・・?おい美琴、大丈夫か?ま、まさか電撃出し過ぎて頭がショートしちまったのか!?」

 

「べ、別に何ともないわよぉ!てか!人が散々心配した挙句に出てくる最初の言葉がそれかコラァァァ!!!」

 

「ど、どうもすみませびぶるちっ!?」

 

 

紫電迸る美琴の鉄拳が、上条の右頬に突き刺さった。膂力十分だった美琴の一撃に堪らず吹っ飛んだ上条だったが、殴られた頬をさすりながら立ち上がると、二人の頭上に巨大な飛竜が舞い飛んできた

 

 

「おいカミやんっ!その娘っ子はお前さんの知り合いなのか!?」

 

「おっさん!」

 

 

その飛竜は星咬。つまるところベルクーリの飛竜だった。上条が一人隊列を飛び出して行ったのを見たベルクーリは、衛士隊の上空を離れて竜を飛ばし、彼に追いついたのだった

 

 

「あぁ!コイツは俺の知り合いだ!絶対頼りになる味方だよ!」

 

「そうか!だったら急げよ!そこの嬢ちゃんが暴れまくってくれたおかげで、俺たちが進む道にドでけぇ風穴が開いた!じきに残りの遊撃部隊も追いついてくる!今のうちに峡谷を突っ切って一気に南下するぞ!」

 

「分かった!」

 

 

そう上条が返事をすると、ベルクーリと星咬がグルリと向きを変え、後方から走ってくる遊撃部隊の元へと飛んで行った。その後ろ姿を数秒だけ見送ると、上条は再び美琴の方を向いて言った

 

 

「美琴、詳しいことは後で話そう。俺も色々と聞きたいこともあるけど、この現状について話さなきゃいけないこともある。まぁお前なら大体分かってるんだと思うけどな」

 

「どうかしらね。今のだってとりあえず見た目悪そうだった奴らを、能力の試し打ちと憂さ晴らしに痺れさせただけだし。とりあえずその辺も含めて、腰を落ち着けて話をしたいところだけど…まだそれはお預けみたいね」

 

「悪いけどこの戦場には、ドリンクバー付きのファミレスもなけりゃ、コンビニの小洒落たイートインもねぇよ」

 

「・・・それは中々どうして、落ち着く暇はなさそうね」

 

 

そう言って吐いたため息を最後に、美琴と上条は少しだけ頬を緩めて駆け出した。かくして人界守備軍遊撃部隊は、前人未到のダークテリトリーの荒野へと突入していくのだった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・なるほど。分断作戦か」

 

「こいつぁまた面倒なことになったな、兄弟」

 

 

侵略軍本陣から望遠鏡で戦況を眺めていたのは、闇の国の皇帝にして暗黒神ベクタ、または魂の狩人ガブリエル・ミラーだった。彼は玉座にドカッと座り込むと低い声を漏らし、その隣に立つヴァサゴと共に、人界守備軍遊撃部隊が峡谷を抜けた辺りで敵の作戦の趣旨に気づき始めていた

 

 

「しっかしあの様子じゃ、ディーの姐さんはまたしくじったのか。もう本格的にリストラでいんじゃねぇの?」

 

「元よりそこまで大それた期待などしていない。あの女はあの女なりに好きにやったろう。ならば後は好きに死ねばいい」

 

「寂しいこと言うねぇ」

 

 

三千ものオークユニットを消費した攻撃までもがどうやら失敗したこと、術師ユニットの大半が破壊されたらしいことさえも、ガブリエルに一切の動揺を与えてはいなかった

 

 

「にしてもすげぇな。あの地面から生えてくる雷か何かも、話に聞く整合騎士の武装完全支配術ってヤツの一種なのか?」

 

「いいや、違うな。アレはどちらかと言うと私に歯向かった暗黒騎士や、あのアックアという男…ひいては私が使った力に近い」

 

「・・・そいつぁつまりなんだ、暗黒術とかとはまた違う…アックアのバカでけえ棍棒を振った怪力を、兄弟の細い剣でも受け止められたみたいな、イマジネーションの力が仮想世界の事象をひっくり返すっつー、STLの恩恵で出る力ってことか?」

 

「恐らくだがな。私としてもあの力を完全に把握しているわけではないのだから確証こそ持てんが、それでもこの距離で伝わってくる目に見えぬ力の脈動が分からんほど、私の勘は腐っていない」

 

「かぁ〜…そういうモンかねぇ。俺にはわっかんねぇなぁ」

 

 

今も黒い煙が高く伸びる戦場を、ガブリエルが訝しげな視線で睨みながら言うと、ヴァサゴは両手の平を返しながら左右に首を振った

 

 

「しかし、本格的にどうするんだ?アリスがあの門の先にいるとして、そのまま攻め込んだら、あっちの分隊に後ろから挟撃されてフルボッコだぜ?かと言って戦場にアリスがいたとしたら、本陣側と分隊側のどっちにいるか分かったモンじゃねぇ」

 

「・・・ふむ」

 

 

そこでガブリエルは、右手を顎に添えてしばらく黙って考えこんだ。彼らにとっては戦争の勝利などなんの意味もない。ただアリスを見つけ回収すればそれで良いのだから、むしろ考えるべきことは別にあった

 

 

「いいだろう。先に分隊側を潰す」

 

「Why?」

 

「考えてもみろ、奴らは峡谷を抜けた先で南下を始めている。その南の一番先には何がある?」

 

「・・・ワールド・エンド・オールター…俺らのいた城とはまた別のコンソールがある場所か?」

 

「そうだ。もしもあちらの戦力の中に、JSDF側の人間がこの世界にログインして兵士となって紛れ込み、アリスをそのオールターにあるコンソールから逃すように手引きしているとしたら…どうだ?」

 

「そいつぁまさに、The ENDだな。笑えねえ」

 

「だからまず先にそちらを潰す。仮にアリスがいようがいまいが、それで最悪の事態は避けることが出来る。その後で手薄になった本陣を叩くのは、それこそ造作もないことだ」

 

「なるほどねぇ…OK。とりあえずはそれで行こうか兄弟。でも、そっち潰しに行く兵力はどれくらい割くつもりなんだ?」

 

「無論、全軍だ」

 

「What’s!?」

 

「当たり前だろう。こちら側には別に攻め落とされて困る拠点があるわけでもないんだ。守りなど考える必要などハナからない。それに、これ以上時間をかけるよりかは、可及的速やかに障害を排除した方が身のためだ」

 

「Huh…相変わらず頭がキレる兄弟だぜ。やっぱ俺にゃ皇帝アカウントは似合わなかったね」

 

 

ヴァサゴが言うと同時に、ガブリエルは玉座に据え付けられた伝令髑髏を掴み取った。ほして白骨の頭部に向かって、不気味な声で低く囁きかけた

 

 

「全軍、移動準備。拳闘士団を先頭に、暗黒騎士団、亜人隊、補給隊の順に隊列を組み、南へ向かいつつ、光の巫女を無傷で捕らえるのだ。捕らえた部隊の指揮官には、人界全土の支配権を与える」

 

 



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第37話 A.L.I.C.E

 

「こりゃあ何ともまぁ…暗黒神ベクタとやらは、ずいぶんと嬢ちゃんにご執心のようだな。全軍で追っかけてくる気らしいぞ」

 

 

動き出した闇の大軍勢が巻き起こす土埃が、赤い星ばかりが瞬くダークテリトリーの夜空を灰色に染め始めた。晶素から生成した簡易望遠鏡を覗く騎士長ベルクーリは、その望遠鏡の先に移る景色を見ると、顔を上げて低く唸った

 

 

「喜ぶべき、なのでしょうね。少なくとも無視されるよりは遥かにマシです」

 

「ま、遊撃部隊と言いつつもやってる事は囮だからな」

 

 

緊張を生ぬるい水で飲み下しながら、アリスは呟いた。果てしなく広がるダークテリトリーの荒野を、峡谷の出口から真南に五キロルほども直進したあたりの小さな丘陵で、人界守備軍囮部隊は最初の小休止を取っていた

 

 

「それで今後の方針だが…基本的には、囮部隊の整合騎士四人の最後の一人が倒れるまで、ひたすら敵軍を引っ張り、数を削いでいく…ということでいいんだな?」

 

「私はそう考えています。すでに、侵略軍五万のうち約半数を殲滅し、また予定調和ではなかったと言えど、最も厄介と思われた暗黒術師隊もあらかた掃討しました。あとは敵主力たる暗黒騎士と拳闘士をある程度損耗させ、その上で暗黒神ベクタさえ倒せば、残る敵が休戦交渉に乗ってくる可能性は高いと思いますが、いかがでしょうか」

 

「そうさな。問題は、その時敵軍のアタマが誰になってるのか、ということだな。シャスターの小僧さえ健在ならある程度話は通ると思うんだが…どうだろうな」

 

 

晶素で生成した簡易望遠鏡を視線から下ろすと、ベルクーリは侵略軍が迫ってくる遠方を肉眼で見つめながら、顎に蓄えた無精髭をガリガリと掻いてから太くため息を吐いた

 

 

「やはり暗黒将軍がすでに…というのは確実ですか、小父様」

 

「多分な。先刻、一瞥した限りではあの戦場にはいなかった。もっともシャスターだけでなく、嬢ちゃんと戦ったこともある、奴の弟子の女騎士もいないようだったな」

 

 

再びその口から漏れ出すため息。ベルクーリが、暗黒将軍とその弟子に、秘かに大きな和睦の期待を掛けていたことをアリスは知っていた。しかし両者ともダークテリトリーの状況を逐一把握している訳でもないため、今はもう叶わないであろうその期待を払うようにそっと首を振り、最古の騎士は低く呟いた

 

 

「今はシャスターの地位を引き継いだ暗黒騎士が、その志も受け継いでいることを祈るのみだ。まぁ望みは薄いだろうが……」

 

「薄い、ですか」

 

「まぁな。このダークテリトリーに生きる者たちは、禁忌目録のような成文法は一切持たない。あるのはただ、強者に従うという不文律だ。そして残念ながら、敵陣の最奥にいるんであろう暗黒神ベクタの心意は、戦場のどこにいようと伝わってくるほどに圧倒的だ。青二才の騎士なぞではとても抗えまい」

 

「その強さは、敵味方であろうと疑いようはない…と?」

 

「少しでも疑える余地があるんなら、シャスターの小僧は未だに健在だろうよ」

 

 

その時、力強い羽ばたき音が聞こえて、二人は顔を上げた。降下してくるのは、整合騎士レンリ・シンセシス・トゥエニセブンの飛竜『風縫』だ。竜の爪が地面を捉えるより早く、軽快な身のこなしで飛び降りた少年騎士は、ベルクーリに駆け寄るとハリのある声で言った

 

 

「報告いたします騎士長閣下!この先一キロルほど南下したところに、敵軍への待ち伏せに利用可能と思われる灌木地帯が広がっております!」

 

「うむ、偵察ご苦労。全部隊に移動再開の準備をさせてくれ。お前さんの飛竜はそろそろ疲れているはずだ、たっぷり餌と水をやっておけよ」

 

「ハッ!」

 

 

素早く騎士礼を行い、走り去っていくレンリの小柄な影を見送ってから、アリスはふと騎士長の唇に穏やかな笑みが浮かんでいることに気付いた

 

 

「・・・小父様?どうなさったのです?」

 

「ん?あぁいやなに…記憶を奪い、天命を停止させて整合騎士を造る『シンセサイズの秘儀』なんてのはとても許されるこっちゃあないが、しかしてもう、ああいう有望な若者が騎士団に入ってこないのは…なんとも残念なことだと思ってな」

 

 

問いかけると、ベルクーリは一瞬照れたように頬骨の辺りをかき、肩をすくめた。その言葉にアリスは少し面食らいながらも、同じく微笑みながら言った

 

 

「いいえ小父様。記憶改変、天命凍結を施さなくては整合騎士にはなれない、などということはないと思います。たとえ私たちがこの地で果てようとも、今後とも整合騎士団の魂、そして意思は、かならず次の誰かに受け継がれると、私はそう信じます」

 

「・・・ふっ、そうだな。我らが人界には嬢ちゃんを始め、キリト、ユージオ、カミやんと、四人も絶対の支配にも抗おうとする者が現れたわけだしな。この地にもまだまだ気骨のある若人がいることを願おうか」

 

「・・・気骨のある若者、と言うのであれば…彼女は…」

 

「あぁ、『もう一人の嬢ちゃん』か」

 

 

アリスが含みを持たせて小さく呟くと、ベルクーリは兵陵の片隅に顔を向けた。アリスもそれに釣られるようにして視線をそこへ向けると、適当な大きさの岩に腰掛けて会話を交える上条と美琴を見やった

 

 

「小休止を始めた先刻から、ずっとああして二人で話し合ったままです。一体何を話しているのやら…」

 

「なんだ?ひょっとして妬いてんのか?」

 

「なっ!?そ、そんなワケないでしょう!」

 

 

ベルクーリの問いかけに、アリスは頬を少し赤らめながら全力で否定した。その余裕のないリアクションが可笑しかったのか、ベルクーリは口許を緩めると、もう一度上条と美琴に視線を戻してから言った

 

 

「まぁいいさ。何を話していようが、気にするこたぁねぇ。俺たちが知るべき事実は、この戦争が終わる頃には全て明らかになってると思うぜ、俺は。それが遅いか早いかってだけの違いなんだ。俺たちの味方だってんなら、素直に歓迎してやろうぜ」

 

「・・・はい」

 

 

ベルクーリにそう言われてしまっては、アリスには返す言葉がなかった。彼には到底言えないことを隠しているのは、自分とて同じだ。カミやんと親しくする少女。そして、リアルワールドという外界の存在。ミコトと名乗る件の少女が、整合騎士の中では自分だけが知り得るその世界から来ているのであろうことは、真剣な眼差しで話し込む二人の様子を見ていれば想像に難くなかった

 

 

「・・・プロジェクト・アリシゼーション…そして二つのアンダーワールドの同化、か…」

 

「かなり端折ったけど、これが今私達が置かれている現状…ってとこかしらね」

 

 

その視線の先で話し込む上条と美琴は、互いに説明したい内容、そして現状を粗方説明し終わっていた。美琴は説明を終えると守備軍の補給部隊の衛士から受け取った革製の水筒を飲み干し、上条は深くため息を吐いて言った

 

 

「クソッ…何もかも俺のせいじゃねぇか…!あの時俺が、後先考えずにキリトから聞いた話を自分の世界に持ち込んだりさえしなければ、吹寄だって俺を撃つ必要もなかった…!先生にしたって、そんな計画に加担する事はなかったんだ…!」

 

「やめなさいよ。今さらそんなこと言ったって何も変わらない。後の祭りよ」

 

「だけどっ!」

 

「それに、結果だけ見るならそこまで不特定多数の人間に迷惑かけてるワケじゃないわ。キリトさん達の側のこのアンダーワールドがどうなのかは分からないけど、私たちにとっての今一番の問題は、私達が本当にワールド・エンド・オールターにある果ての祭壇のコンソールから、私たちが住む元の世界に戻れるのかってことぐらいよ」

 

「・・・それだけじゃねぇ。確かに現実世界の方はそうかもしれないけど…俺のいたアンダーワールドにいた奴らには、謝っても謝りきれねぇよ……」

 

「・・・人工フラクトライト、ね…そうよね。色んな事情があったとは言えど、私たちの勝手で生み出してしまった彼らに対して、私自身も何も思うところがないわけじゃないわ」

 

 

そう言うと美琴は、丘陵で小休止を取る衛士や修道士達の方へと視線を向けた。同じ人工フラクトライト同士で談笑する彼らを見て、美琴は鼻から細く息を吐いた

 

 

「俺は二年もアイツらと一緒にいたんだ。本当に、本物の人間みたいなヤツらだったんだ…親友だって出来たのに、それを俺は…」

 

「・・・それはもう、せめて同じ記憶を引き継いでるこの世界のフラクトライト達を守ってあげることでしか返せないわ。その上で警戒すべきなのは、私達のSTLにウイルスをぶち込んだ連中よ。神の右席…あのSAO75層で相対した、エイワスやアレイスターみたいな『魔術師』ってやつだったんでしょ?」

 

「あ、あぁ…でもソイツらの狙いは俺のフラクトライト…つまりは俺の右手なんだ。最悪の場合は俺たちで対処すればいい。人工フラクトライト達には多分、なんの迷惑にもならねぇよ」

 

 

左方のテッラが自分を襲撃してきた理由を、上条当麻が忘れているはずがなかった。自分の右手を見つめて、今一度彼らの目的である『全人類を平等に救う』という目的が頭をよぎる。その為に自分の右手、幻想殺しがなぜ必要なのかは分からないままだが、それについても多くの謎が残っている現状では、それ以上言葉にできるものはなかった

 

 

「でもそうなると、この戦争の侵略軍を指揮してるベクタってヤツはどうなるのかしら?光の巫女ってのを手に入れたいんでしょ?一体何で……」

 

「・・・それについては、俺に思い当たるところがある。美琴が話してくれたプロジェクト・アリシゼーションってのは、真のボトムアップ型AI…つまり人間の根底にある倫理観なんかも同一な、完璧な人工フラクトライトってことなんだろ?それを作り出す為に、アンダーワールドとソウル・トランスレーターは開発された、って…」

 

「そうよ。まぁ、その運用について私は見事にカエル顔の先生と吹寄さんに論破されちゃった訳だけどね」

 

「仕方ねぇよ。軽はずみでキリトの話をそのまま引用したせいで、この事態を招いた以上、俺も人のこと言えねぇ。現実に戻ったら、ちゃんと先生達と面と向かって話し合っておきたい。だけどその為にはなおさら、何としてもアイツらからA.L.I.C.Eを…ひいてはアリスを守らなくちゃならねぇ」

 

「・・・どういうこと?A.L.I.C.Eを守るって…それに該当する人工フラクトライトにアテでもあるの?」

 

「アテがあるどころか、そこにいるアリスがそのA.L.I.C.Eだよ」

 

 

そう言って上条は、右手の親指で自分の背後を指差した。美琴がその指先を追った場所にいたのは、金色の鎧を身に纏った整合騎士アリス・シンセシス・サーティだった

 

 

「・・・?あの子がそうなの?そう思う根拠は?まさか名前が同じだからとかいうトンチ利かせてるんじゃないでしょうね」

 

「違げぇよ。ちゃんとした根拠はある。あのアリスは、今俺たちがいるこのアンダーワールドで唯一、公理教会の…禁忌目録で定めた法律を、自分の意思で破ったんだ」

 

「へぇ…それなら確かに、先生や吹寄さんが言ってた真のボトムアップ型AIの条件に合致するわ。だけど、その存在がこっちにいるにしたってそれとこれとは別問題よ。何だってそのアリスって子を、光の巫女なんて名前で呼んでまで、暗黒神ベクタってやつが狙わなくちゃ……」

 

 

そこまで言って、美琴は何かにハッとして口元を手で覆った。美琴のその様子を見た上条は、彼女が察したことをおおよそ理解すると、一つ大きく頷いてから言った

 

 

「そう。多分それが、キリト側の世界でSTLが作られた理由なんだ。アイツらの世界でも同じように、A.L.I.C.Eって概念が存在してたんだよ。その証拠として、アリスが現にここに存在していて、敵に狙われてる。逆説的な考えでしかないけど、これを憶測と呼ぶには筋道が整いすぎてる」

 

「なるほど…だからアンタと同じ立ち位置に、キリトさんがいたのね。カエル顔の先生や吹寄さんがそうしたように、キリトさん達の世界でプロジェクト・アリシゼーションを管理している誰かが、人工フラクトライト達と現実の人間を接触させて、A.L.I.C.Eを完成に導く為に、キリトさんをダイブさせた」

 

「そして多分、暗黒神ベクタってヤツは、俺らの世界で言う神の右席…噛み砕いて言えば、悪者なんだと思う。この世界にはキリトがいるのに、キリトの救出には何も関与しようとしてない時点で、少なくともキリトの味方じゃない。光の巫女だっていうアリスだけを狙って、意図的に戦争を仕掛けてきたんだ。それぐらいしてまで是が非でも、真のボトムアップ型AIを欲してるんだと思う」

 

「キリトさん達の現実世界の事情が分からない以上何とも言えないけど…恐らくはそういうことで間違い無いと思うわ。侵略軍やら暗黒神やら、行使してる権限がいかにも悪役って感じだもの。A.L.I.C.Eを狙う思想だって、どうせロクなモンじゃないと思うわ」

 

「だけどそう考えるなら、この戦況は返って好都合だ。今俺たちが目指してるワールド・エンド・オルターに、システム・コンソールがあるってんなら、きっとこの世界からアリスを逃がす操作も出来るはずだ」

 

「そうね…もしも最悪アリスさんが敵の手に堕ちてしまったら、キリトさんを取り巻いているであろう環境は確実に痛手を受けるだろうし、私達にしたって、現実に帰ってからカエル顔の先生や吹寄さん達と話し合う意味がなくなっちゃうわ」

 

「あぁ。だから、何としてでも俺たちはアリスとキリトを守りながら、ワールド・エンド・オールターに………」

 

 

不意に上条が口を閉ざして立ち上がった。それは、ふとダークテリトリーの荒野へと視線を向けた時の事だった。荒野の遠方を見つめた彼の瞳は、土埃を巻き上げながら今いる兵陵を目掛けて一直線に駆けてくる大群を捉えていた

 

 

「・・・?どうしたのよ、急に立ち上がって」

 

「・・・何か、来てる。それもとんでもねぇ速さだ…!おっさん!!」

 

 

何か、とは言ったが、それが敵軍以外の何者でもないことを上条は理解していた。そして彼はその判断を疑うことなく、ベルクーリに向かって叫ぶと、上条の表情からその呼びかけの切迫さを察知したベルクーリは、一目散に上条の元へ駆け寄り、彼が指差した先を簡易望遠鏡のレンズに収めた

 

 

「チッ、面倒なのが来やがったな。相変わらず裸一貫で突き進んでんのを鑑みるに、『拳闘士』だなありゃあ」

 

「なるほど、アレが……」

 

「・・・けんとーし?」

 

 

望遠鏡を覗きながら舌を打ったベルクーリが発した言葉に、彼の隣に立ったアリスがなにかを実感したように呟いた。しかしその言葉に何の理解もない上条が反射的にそれを聞き返すと、ベルクーリは何かに呆れたように小さく首を振ってから答えた

 

 

「厄介な奴らだ。裸の拳でなら傷を受けるくせに、剣で斬られることは断固拒否しやがる」

 

「・・・はぁ?拒否ってどういうことよ。剣で斬られることにYESもNOもないでしょ?」

 

 

次にベルクーリに対して疑問をぶつけたのは美琴の方だった。当然と言えば当然の質問をしてあっけらかんとしている彼女に、望遠鏡から視線を外したベルクーリは、ふっと鼻息で笑ってから言った

 

 

「いい質問だな、ミコトの嬢ちゃん。今こっちに来てる拳闘士って連中は、鍛錬を重ねることで刃物なんぞ恐れるに足りんと思い込み、それが心意となって言葉通り刃を弾くほど肉体を強固にしてるんだ」

 

「なるほどね。思い込みの力…つまりはイマジネーション。私が自分の能力を再現できてるのと根っこのシステムは同じってわけね。学園都市の物差しで測るなら、さしずめ『大能力者』の『肉体強化』ってところかしら」

 

「・・・?その言葉の意味は俺には分からんが、とりあえず何にしても迎え撃つ準備をする必要があるな。どうだい、一丁出陣してみるか?ミコトの嬢ちゃんよ」

 

「・・・そうね。別に私はそれでもいいわよ。相手が近接戦なら、むしろ私に分があるわ。能力無効化するどっかの馬鹿と違ってね」

 

 

今もドカドカと迫ってくる拳闘士の大群を、腕組みしながら見下ろす美琴は、やがてコクリと頷いて言った後で、同じような戦闘スタイルを取っているツンツン頭の少年を横目で睨みつけた

 

 

「それどう聞いても俺のことなんでせうが…ってちょっと待て。そんな適当に決めちまっていいのか?俺の単独行動決めた時も大概だったけど、流石に適当に決めすぎじゃあ…」

 

「カミやんの言う通りです、小父様。今の我々はただでさえ少ない兵力をさらに削った少数で行動している上に、いざという時に後ろ盾があるわけでもありません。流石に彼女一人だけに任せるわけには……」

 

「待て待て嬢ちゃん。何も一人で行かせるとは言ってねぇよ。それになんだかんだでエルドリエもこっちに来たんだ、選択肢がそこまで狭いわけでもない。まぁかと言って、ただでさえ厄介な拳闘士とやり合える適任の整合騎士がいるわけでもなし…うぅむ……」

 

 

アリスの苦言にそれとなく反論したベルクーリだったが、いざ思考を巡らせると、早々に首を捻って考え込んでしまった。しかしその直後、背後から静かな女性の声がかけられた

 

 

「私が行きましょう」

 

 

四人が突然の声にギョッとして振り向いた先に立っていたのは、『無音』。すなわち12番目の整合騎士、シェータ・シンセシス・トゥエルブだった

 



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第38話 拳闘士

 

「よおぉし!やっと出番か!!」

 

 

バンッ!と右拳を左掌に打ちつけ、拳闘士ギルドの若き長イスカーンは、実に威勢よく叫んだ。赤銅色に灼けた逞しい裸体に革帯を巻き付け、下穿きとサンダルのみを身につけた拳闘士は、自身が率いる屈強な男女五千人と、その後ろに続く暗黒騎士団を見やった。と言うのも、彼を先頭とした拳闘士達がほんの五分足らず駆け足で移動しただで、暗黒騎士団との間には千メル近い距離が開いてしまってからだ

 

 

「馬に乗ってるくせに相変わらず動きが遅いな、騎士ってのは!」

 

「やむを得ぬでしょう、チャンピオン」

 

 

振り返りながらイスカーンが毒づくと、すぐ隣に控える、イスカーンより頭一つ以上も背の高い『ダンパ』という名を持つ巨漢が巌のような口許に苦笑を浮かべた。当代最強の拳闘士を示す暗黒語でイスカーンを呼んだダンパは、なおも冷静に続けて言った

 

 

「彼らも馬も、自分と同じほどに重い防具を身につけているのですから」

 

「んなモン何の役にも立ちゃしねぇのになぁ!」

 

 

言い切ったイスカーンは再び前を向くと、右手の五指を筒状に丸め、それをひょいと右眼に当てた。炎の色をした虹彩の中央で、瞳孔が拡大し、それだけで五千メルも離れた場所にいる敵の動向を正確に見て取った

 

 

「オッ、人界の奴らも動き始めたぞ。こっちに…いや、違うか。まだ逃げる気かよ…」

 

 

短く舌を打って、拳闘士ギルドの長は口をへの字に曲げた。ただでさえ開戦時からずっと戦いにお預けを食らっているというのに、これ以上その機会を先延ばしにしようとしている人界守備軍遊撃部隊の行動が、彼の胸の内をざわつかせた

 

 

「・・・なぁダンパ。皇帝の命令は、追っかけて捕まえろ、だけだったよな」

 

「そのようですな」

 

「うっし…少しつついてみるか!」

 

「と、申しますのは?」

 

 

ダンパがなおも冷静な口調で訊ねると、イスカーンは右手の親指で鼻筋を擦り、にやりと笑った。そして、すうっーと深く肺と腹に空気を蓄えると、天にも届こうかという高く盛大な声を張り上げた

 

 

「兎部隊、前に出ろ!整合騎士とやらに軽く挨拶に行くぞ!!気合入れろよ!!!」

 

「「「おうっっっ!!!」」」

 

 

イスカーンの雄叫びに、額に揃いの白い飾り紐を巻いた、鞭のようにしなやかな筋肉を身体に備える百人の闘士たちの叫びが続いた。そして荒野を駆け抜ける彼らの強靭な脚が、その言葉一つだけで更なる加速を見せた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・・・」

 

「・・・・・」

 

 

待ち伏せに適した灌木地帯を目指し、再度移動を始めた衛士隊を追うことなく、小休止を取っていた兵陵に残った美琴とシェータは、後に来る拳闘士の軍勢を待つ間、互いに沈黙したまま、ただただ突っ立っていた

 

 

「あなた、無音って呼ばれてるんだってね。整合騎士のシェータさん…だったかしら?」

 

「・・・・・」

 

「・・・そりゃご丁寧な自己紹介をどうも…」

 

 

美琴がふいっと左隣を向いて話しかけても、シェータは正面を見据えたまま、口を開くこともなければ首を振ることもなかった。無音の名に恥じぬその態度を、何よりの自己紹介として受け取った美琴は、これから彼女と共に戦わなければならない先行きの不安さに頭を抱えてため息を吐いた

 

 

<ううう!らあっ!ううう!らあっ!

 

「っと…来たみたいね。どうやら向こうは無音どころか、ハイディングもマトモに心得てないみたいだけど」

 

 

またしても暫しの沈黙があった後、騒々しいまでの足音と、一定のリズムで繰り返される唱和が美琴の耳へと届いた。そしてそれから30秒としない内に100人ほどの拳闘士が彼女らの前に立ち並び、その隊列の中から一人の若者が飛び出して来た

 

 

「おうおう、何だよテメェら。一体何してんだそこで」

 

 

拳闘士ギルドの若き長イスカーンは、右手で部下たちを停止させると、自らも土煙を上げて立ち止まった。そして炎のように端が巻き上がった眉を吊り上げつつ口を開くと、美琴もまた隣のシェータよりも一歩前に出て言った

 

 

「見りゃあ分かるでしょ。私たちは、アンタ達を通さないためにここにいんのよ」

 

「お前らみてぇな華奢な女二人じゃ、ガキ一人通せんぼできねえだろ。それともあれか?騎士のくせに術師なのか?」

 

「ご生憎だけど、人のこと見た目で判断しない方がいいわよ。まぁ見た目一つで脳筋だって分かるアンタに言って意味あるのか分からないけど、私は術師じゃなくて『能力者』。せめて後学の参考にしなさい」

 

「・・・ノーリョクシャ?」

 

 

気丈な態度でイスカーンと相対した美琴は、そう言い閉めて周囲にバリィッ!と紫電を走らせた。乾いた空気から伝わってくる痺れるような衝撃にイスカーンは一瞬面食らったが、これまた一瞬でその表情を弾けるような笑顔に変化させた

 

 

「うぉっほおお!今のピリッとするやつ!女!お前さてはアレだな!あの嫌味ったらしい暗黒術師どもを焼き払ったっていう雷女か!?」

 

「うるさいわねぇ…私には御坂美琴って名前があんの。女でもお前でも雷女でもないわ」

 

「はっは!いいねいいねぇ!気の強え女は嫌いじゃねぇ!よぉっしゃあ俺が相手になるぜ!お前らは下がってろ!手ェ出したらぶっ殺すかんな!」

 

「「「おうっっっ!!!」」」

 

「聞いちゃいないし…味方は無音、敵は騒音って…ちょっと極端じゃない?」

 

 

なおも吠え猛るイスカーンから、彼の率いる拳闘士達は距離を置いた。そして美琴の前に一人立ったイスカーンは、ズダァンッ!という足音を一つ踏み鳴らすと、腰を低く落として両手を拳に変えた

 

 

「そいじゃあ…拳闘士ギルド第十代チャンピオン、イスカーン!推して参るっ!!!」

 

「ーーーッ!?はぃやっ…!?」

 

 

ブゥアアアッ!!という凄まじい風圧があった。声高く名乗りを上げたイスカーンは、大地を踏み砕く一足で一瞬の内に美琴との間合いを埋め切ると、まさに電光石火と呼ぶに相応しい速さで左拳を横薙ぎに振り抜いた。しかしその一撃は、咄嗟の判断で上体を反らせた美琴の前にある空を切っただけだった

 

 

「おぉ、よく避けたな」

 

「悪いけど、アンタみたいなのとは…戦い慣れてんのよっ!!」

 

 

イスカーンの一撃をスレスレで回避した美琴は、すかさず拳を振り抜いてガラ空きになったイスカーンの脇腹に右手を押し当て、一切の遠慮なく電撃を打ち込んだ

 

 

「んっ!?ぎいいいいいいいっっっ!!!」

 

「吹っ……飛べっ!!」

 

 

全身を流れる電流に、イスカーンが歯を食いしばりながら耐えているのを見た美琴は、今度は電撃を纏った左手の拳を彼の鳩尾に叩き込み、力任せに彼の体を殴り飛ばした

 

 

「ぐおおっ!?ととっ…!」

 

「・・・流石にそう簡単には倒れてくれないわね」

 

 

美琴の渾身の拳に一度は宙を泳いで飛ばされたイスカーンだったが、身体のバランスを崩すことなく両足を地に着けると、両拳のグローブに付けた鋲を打ち鳴らして大声で笑い出した

 

 

「あっはっはっ!危うくおっ死ぬとこだった!本気でビリビリ来たぜ!やっぱいいな!強い奴と戦えるってのは!さぁ!ドンドン打ってこいよ!女!!」

 

「言われなくても…お言葉に甘えさせてもらうわよっ!!」

 

 

再び距離が空いたのを好機と見た美琴は、間髪入れずにイスカーンの体の中心目掛け、鋭い電撃の槍を放った

 

 

「ゥゥゥ…!シィッ!」

 

 

しかしその瞬間、薄く空気を切るような息を吐いたイスカーンが自らの足場を踏み抜き、ボゴオッ!と隆起した巨大な岩盤がアースとなり、美琴の電撃を無力化してみせた

 

 

「なっ…!?」

 

「流石に俺だって知ってるぜ。雷ってなぁ、地面にゃ通らねぇってことぐらいはな!」

 

「あっそぉ…なら、コレはどうかしら!?」

 

 

そう言うと美琴は、拳にした右手を前に突き出した。そして小さくスナップを利かせて親指を拳の中から弾き出すと、ピィンッ!という金属音が虚空に響いた。彼女の手の中には、そんな音を立てるような物はなかったはずだというのに

 

 

「・・・銀貨?」

 

 

しかし、その音を引くようにして上空に何かが舞っているのを、イスカーンは見た。その視線の先には、王冠が刻まれた一枚のメダルがあった。それは、心意の結晶。学園都市に七人しかいない超能力者の第三位に席を置く御坂美琴の強力な『自分だけの現実』に由来するイマジネーションの力が心意となり、彼女がそこに『存在する』と信じたメダルが、アンダーワールドに具現化したのだった

 

 

「私の場合は銀貨じゃなくて…『弾丸』よっ!!」

 

 

宙を舞う銀貨が美琴の手元に戻った瞬間、ズドォアッ!!という爆音と共に、彼女の能力名たる『超電磁砲』が放たれた。音速の三倍を誇る速度で撃ち出された超高熱の莫大な電力を持った弾丸は、一直線にイスカーンの元へと伸びていった

 

 

「なんだそりゃ!?面白えっ!!!」

 

 

しかし拳闘士ギルドのチャンピオンは、人智を超えるその一撃を前にしても怯まなかった。それどころか、己の右拳を懸命に引くと、裂帛の気合いと共に全ての膂力を乗せた拳を真っ向から超電磁砲に向けて突き出した

 

 

「ウッラアアアアアァァァァァ!!!!!」

 

 

爆音が重なった。超電磁砲の有り余る威力にイスカーンはたまらず後方へ足を滑らせたが、突き出した拳を引くことも降ろすこともしなかった。そして一秒にも満たない激突の後、ジュウウウ…という拳の皮が焼ける音と熱さを払うように右手を振って、イスカーンは笑ってみせた

 

 

「イシシシッ。どうだ女、また防いだぞ」

 

「う、嘘………」

 

 

目の前で起こった現象に、美琴は顎が外れそうになるほど驚愕し、言葉を失った。いくら仮想世界と言えど、今の超電磁砲には何の落ち度もなかったと自負していただけに、それを正面から防がれたショックもまた、電撃のような鮮烈さを持っていた

 

 

(違う…アイツの右手みたいに能力を無効にしたわけでもなければ、一方通行の反射とも違う!コイツは純粋な腕力で…ただの拳を撃ち出す威力だけで、私の超電磁砲を相殺したっていうの…!?)

 

「さぁ、次は何だ?言っとくけど、今のヤツはもう俺には効かねぇぜ。確かに当たれば少しは痛えけど、次からは絶対にかわせる」

 

「少しは痛いって…どういう鍛え方したらそうなんのよ…!?」

 

「愚問だな!!」

 

 

美琴の密かな呟きに、イスカーンが吠えながら答えた。そして彼は、まだ火傷の跡がくっきりと残る右拳と左拳を撃ち合わせてから、逞しく隆起した胸筋を叩いてもう一度吠えた

 

 

「飯食って滝潰して山消して寝るッ!!」

 

「戦士の鍛錬なんざ、それだけありゃ十分だぜ!」

 

「・・・上等くれんじゃない…!」

 

 

しかしそれでも、美琴の心意は少しの衰えも見せなかった。再び構えを取るイスカーンを鋭い目つきで睨むと、右手の平に磁力を発生させ、地面から引き寄せられてくる砂鉄で黒剣を作り、そのまま手に取った

 

 

「砂鉄の剣。これ、砂鉄の一粒一粒が細かく振動してチェーンソーみたいになってるから、触れるとちょっと血が出るわよ」

 

「へぇ、そりゃ見た事ねぇ剣だな。試してみたくなった!俺の肉体か!お前のエモノか!どっちが強えのかをなあ!!」

 

「どうかしらね。さぁ…勝負はまだまだこれから……!」

 

「待った」

 

 

美琴が砂鉄の剣を振りかぶった直後、彼女とイスカーンの間に割って入ってきたのは、これまでずっと二人の戦いを傍から眺めていた、整合騎士のシェータだった

 

 

「・・・もう、大丈夫。その剣じゃ多分、彼には勝てない。だから私が、やる」

 

「は、はぁ!?ちょ、ちょっと!いきなり出てきて何言ってんのよ!?」

 

「・・・おい、お前。なに俺のタイマン邪魔してくれてんだ。手ェ出したらぶっ殺すって言ったよな?」

 

「・・・私は別に、言われてない」

 

 

イスカーンの突き刺すような視線と脅しのような言葉に、シェータは表情を一切崩さずに間を置いてから静かな声で言った。彼女の掴み所のない態度にイスカーンは大きな音で舌を打つと、もう一度怒りを滲ませた声で言った

 

 

「そういうこと言ってんじゃねぇよ。いいからさっさとそこ退け。俺はそこの雷女と…強えヤツと戦いてぇんだ」

 

「・・・それなら、問題ない。私はきっと、彼女よりも、強い」

 

「・・・なに?」

 

 

今度もじれったい程の間を置いて、シェータは言った。そして腰に据えた黒い剣の柄に手を置くと、もう一度たっぷりと間を置いてから静かに言った

 

 

「・・・さっき彼女も、言った。人のことは、見た目で判断しない方がいい、と」

 

 



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第39話 無音のシェータ

 

「・・・おい雷女。こっちのモヤシ女が言ってることはマジなのか?」

 

「本当だって言うなら、私はむしろその強さのほどを見てみたいわね」

 

 

なおも閑散として立ち尽くすシェータから視線を切ったイスカーンは、まだ会話の可能性がある美琴に訊ねた。しかし彼女からも不明瞭な返答が返ってくるやいなや、吐き捨てるように部下の名前を呼んだ

 

 

「あぁ…いいよもう。ヨッテ、相手してやれ」

 

「あいきた!!」

 

 

イスカーンの指名を受け、威勢のいい返事とともに部隊から飛び出してきたのは、やや小柄な女拳闘士だった。男と見紛うほどの逞しい筋肉を躍動させ、軽やかに足踏みをするその顔には、シェータとは全くもって対照的な荒々しい笑みが浮かんでいる

 

 

「どうするの?必要なら助太刀するけど」

 

「・・・・・」

 

「うん、もういい。大体わかったから。どうぞお好きなように…」

 

 

美琴はヨッテを一瞥した後で、シェータの背中に向かって話しかけたが、自分には相変わらずの無音を貫く彼女の姿勢に呆れると、ひらひらと手の平を振って彼女達が立つ場所から身を引いた

 

 

「・・・1人?」

 

「そりゃコッチの台詞だっての!このヒョロガリ!ボコボコにぶちのめして殺す前に、その小ちゃい口に嫌と言うほど干し肉を詰め込んでやるよ!いいからサッサとその剣を抜きな!」

 

 

いよいよ戦いが始まろうかというこの期に及んでも、シェータよ細い顔には闘志らしきものはひとかけらも見当たらなかった。代わりに、どこか困惑するような表情で小さく呟くと、堪忍袋の緒を切らしたヨッテが分厚い唇を震わせながら叫んだ。するとシェータは、心底億劫な様子で左腰の鞘から剣を抜いた

 

 

「は、はぁ!?なんだそりゃ!?」

 

「あっははは…本人も細けりゃ剣も細いってわけ…もう何でもいいわ…」

 

 

下がって腕組みしていたイスカーンは、彼女の剣を見て思わず叫び、同じものを見た美琴は乾いた笑いを漏らすしかなかった。細い、などというものではない。鞘がすでに肉焼き串のようだったが、抜き放たれた刀身の幅は一センあるかどうかも怪しかった。紙一枚ほどの薄い刀身を持つ剣は、星明かりの下では本当にそこにあるのかどうかも分からない、何とも頼りない外見だった

 

 

「〜〜〜ッ!ざっけんな!!!」

 

 

ヨッテは両脚で短い地団太を踏んでから、一直線に距離を詰めると、イスカーンに勝るとも劣らない速さで拳を撃ちだした。シェータは遠慮なしに己の顔面に迫ってくるその打突を避けずに、極細の剣を手前に掲げて防いだ。響いた音はまるで二つの金属を打ち合わせるような甲高いもので、実際に眩い橙色の火花までが散った…その直後だった

 

 

「ちょっ…!?」

 

 

くにゃり、と。細い剣が呆気なく曲がった途端に美琴は思わず声を上げた。また、後ろでイスカーンは唇に薄い笑みを浮かべた。拳闘士の肌は、生半な剣では裂くことさえできないのは当たり前だと思うのと同時に、大きく撓んだ黒い針のような剣が折れ飛び、女騎士の頰に鉄拳が食い込むサマをその場にいる全ての拳闘士が思い描いた

 

 

・・・ぴうっ!

 

 

続いた音は、イスカーンの予想に反して革鞭が空気を打つような奇妙な音だった。突きを真っ直ぐ撃ち抜いた姿勢でヨッテが静止しているが、その拳は女騎士の右頰ぎりぎりを掠め、騎士もまた右手を前方に伸ばしていた

 

 

(・・・はぁ?なんでぇ、剣も折れてなけりゃ、あんなデカイ的を外してんじゃねぇよ。ヨッテのやつ…また一から鍛え直してやんねぇと…)

 

 

ヨッテに対し、イスカーンは内心で毒づいていた。しかしそんな事を知る由もないヨッテの握り拳は、やがて中指と薬指の間から、音もなく二つに裂けた。甲高い悲鳴と、霧のように細かい血飛沫が飛び散るのに、そう時間はかからなかった

 

 

「いぎっ!?あああああああ!?!?!?」

 

「なっ…にィィィィィィィィィ!?!?」

 

「うわ、エグッ……」

 

「・・・はぁ…」

 

 

仰天したイスカーンと、その光景にたじろいだ美琴の声などはおろか、敵の右腕を落とした事すらも気にすることなく、シェータは口許から小さな吐息を漏らした

 

 

「・・・・・次、誰?」

 

 

いつもより長い沈黙の後、シェータはゆるりと顔を上げ、凍りついたように恐れ慄く拳闘士たちを見やった。そして、漆黒の極細剣を握った灰色の騎士は、一切の躊躇いもなく、百人の拳闘士達の中へと真正面から斬り込んでいった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「うわっ、痛ってぇ…」

 

「自分が斬られているわけでもないのに、何を言ってるんだ君は」

 

 

峡谷の高台から眼下に広がる低地で約百人の敵拳闘士と、整合騎士シェータの闘いが…正確には、一方的な切断と呼ぶべきものを見下ろしていた上条が、まるで自分の事のように首を窄めると、彼の隣に立つエルドリエが冷ややかな声色で言った

 

 

「いやそりゃそうだけどよ…アレは見てるコッチも痛えよ…」

 

「私にはその気持ちが分からないでもありませんがね。ミコトの戦いぶりにもかなり驚かされましたが…見た目に彼女ほどの豪快さはなくとも、アレはアレで凄まじい戦いぶりです。しかし……」

 

 

刀身の形すらも定かでない微細な剣がぴゅんっ!と鳴るたびに、周囲の敵の腕や脚が呆気なく切り離され、地面に落ちる。落ちる。また落ちる。その光景に感嘆しながらもアリスは、シェータの細い背中から、シェータの殺気がまるで届いてこないことはおろか、米粒ほどの敵意のすら感じられないことに違和感を覚えた

 

 

「いやぁ、ここだけの話だがな。半年前にあの寡黙な娘をディープ・フリーズから覚醒させた時、オレぁ多少ビビってたよ」

 

「私はまったく知りませんでした。噂話ばかりが一人歩きしているものだと思っていましたので…よもやシェータ様が、あれほどまでの技を持ち合わせておられるとは……」

 

 

低い唸り声でベルクーリが言うと、エルドリエもまたそれに同意するように頷いて言った。半ば無双状態で剣を振り続ける灰色の騎士を改めて目の当たりにしたベルクーリは、太いため息を置いてもう一度口を開いた

 

 

「シェータの剣、ありゃ『黒百合の剣』っつー神器でな。最高司祭から聞いたところによると、かつてその最高司祭から命じられたシェータが、ダークテリトリーを三日三晩彷徨い歩いた末に、たった一輪の黒百合を持ち帰ったソレを素材にしたらしい。たった一輪だが、それ故にダークテリトリーの空間暗黒力を大量に吸ったソイツが神器として姿を変えるのは、そう難しいことじゃなかったろうな」

 

「その黒百合が、物質変換かなにかの術式で剣に生まれ変わった…ってことか?ったく、あの女は木やら蛇やら時計の針やら何でもかんでも神器にしてよぉ…これじゃ神器のバーゲンセールだ」

 

「それだけなら…まだ良かったんだがな。あろうことかあの娘は、最高司祭からその剣を下賜されたわずか一年後に、挑まれた立ち合いで整合騎士の1人を斬り殺したんだ」

 

「な、なんですって!?」

 

 

アリスにとっては、到底信じようのない話だった。いくらその黒百合の剣がその逸話に由来するほどの高優先度を誇っていたとしても、それと同等の武器や防具を身につけている整合騎士の命を奪うなど、アリスには出来ようはずもなかった

 

 

「それからヤツは、自ら進んでディープ・フリーズの術式を望み、長い眠りについていた。そしてたった三人の反逆者によって教会が崩壊した半年前に目覚め、現在に至るってこった」

 

「で、では騎士長閣下は…あの黒百合の剣という神器の武装完全支配術…あるいは記憶解放の瞬間を見たことは…」

 

「あるわけねぇだろ。400年生きた俺にとっちゃ、あの娘が剣帯びて歩いてた1年なんぞ、一瞬と呼べるかすら危うい。そもそも定期的に記憶やらなんやら弄られてたんだろうからな。しかしまぁそれでも…最高司祭や元老長とはまた違う、得体の知れん嫌な空気が教会に満ちていた時期があったことは、今でも忘れちゃいねぇよ」

 

 

エルドリエがおそるおそるベルクーリに訊ねると、最強の騎士はどこかヤケクソ気味に返答した後で、無骨な手でガリガリと後ろ頭を掻きむしった

 

 

「なんつーか…俺がカセドラルを登ってる時に、アイツと出会わなくて良かったよ。もしアイツと俺が戦ってたら、絶対に俺が負けてた…というか多分、秒殺だった」

 

「まぁそう深刻に考えるな。永遠にも近い年月を生きて、色んな人間を見続けてきたオレにも、未だにあの娘のことは解らんのだ。何一つな」

 

 

自分の体感ではまだ一週間ほどしか経っていないにも関わらず、上条はどこか遠い昔のことのように感じるカセドラルへの反抗を思い出したように言った。それからベルクーリはそっと瞳を閉じると、呟くように言ってから身を翻した

 

 

「ともかく、この調子ならここはあの二人に任せても大丈夫だろう。いざという時はシェータの飛竜もいる。流石の拳闘士も翼を生やして飛べるわけじゃなし、離脱には困らんだろう。それよりも俺たちは、そう時間を置かずに追いついてくる敵の本隊への迎撃準備を整えておかなきゃならん」

 

「そうですね、行きましょう」

 

 

短く返答して、エルドリエがベルクーリに続いて眼下の戦いから視線を外した。アリスもそっとその場を後にしようとした時、一向に踵を返そうとしない上条が視界に入った

 

 

「カミやん?」

 

「ん?あぁいや…美琴がこの世界の人達と一緒に戦ってるの見てたら、なんか不思議だなぁと思ってさ」

 

「・・・彼女は…ミコトは自分の知り合いだとお前は言いましたね。それはつまり彼女も、お前があの小屋で言っていた、リアルワールドという世界の住人…ということですか?」

 

「まぁな。出来るなら来てほしくなかったとも思うけど、やっぱり実際にいてくれると心強えよ、アイツは」

 

「ということは、キリトの世界に住んでいる人間ではない…ということですね」

 

「・・・そうなっちまうな」

 

 

上条が言うと、アリスは今ごろ補給部隊が移動している最中であろう、灌木地の最南端を見つめた。その表情は、複雑な感情が入り混じったような、どこか曇った面持ちだった

 

 

「・・・カミやんの窮地を察知して、ミコトがやって来た…それは、本来喜ぶべきことなのでしょう。戦場に立つ騎士として、戦力が増えたことではなく、単純に人として、誰かが再会したことは喜ぶべきことです。事実、今のカミやんは、昨日の撤退の時よりは…いくらか顔色がマシになったように思えます」

 

「・・・・・」

 

「ですが、であるなら尚のこと解せません。キリトの世界に住む人々は、一体どこで何をしているのでしょうか…なぜキリトの元には、誰かが駆けつけないのでしょうか。カミやんの抱える事情とキリトの事情に多少の差はあるかもしれませんが、キリトだって…誰かに守られる価値のある、素敵な人のはずなのに…」

 

「心配ねぇよ。きっと来るさ。アリスの言う通り、キリトは誰かに守られる価値のある人間だ。ちゃんとキリトの事を大切に思ってる人が、アイツの住む世界にもいっぱいいる。今はただ、少し時間がかかってるだけさ」

 

 

アリスが言い切る前に、上条は彼女と同じ方角を向いて、口元に笑みを浮かべながら言った。それを耳にしたアリスは、重ねて上条に訊ねた

 

 

「そう思う理由は、何かあるのですか?」

 

「もちろんあるさ。キリトは、俺なんかよりよっぽど強え奴だから、人との繋がりだって強いハズだ。なんせアイツは、俺みたいな右手を持ってなくても、大切な誰かの為に戦って、守り抜いた…俺とは違う、本当の意味での『英雄』なんだからな」

 

 

そう言って上条は、まだ完全には払拭できていない悩みと呼ぶべき感情を含んだ目で、右の手の平を見つめた。同じ名前の、剣の世界を救った、二人の英雄。自分と彼との、決定的な違い。今の今までは気にしたこともなかった事実に、上条は自嘲したようにダラリと右手を下げた

 

 

「い、いえ…英雄という意味であれば…それはカミやんだって…」

 

「少し話しすぎちまったな。おっさんとエルドリエに置いていかれちまう。早く俺たちも……」

 

 

アリスが震えた口調で声をかけようとすると、上条は一人でに話を切り上げてベルクーリとエルドリエが歩いた方向へとつま先を向けた。ところが、そのすぐ先で。自分達より大分前に踵を返したはずの二人の背中があった

 

 

「・・・?おっさん?エルドリエ?どうしたんだ二人して突っ立って……」

 

「何者だ。貴様」

 

 

上条が声をかけようとした直前に、エルドリエの鋭い刺すような声が彼の口から出た。それが誰に向けられたものなのか、上条はそれを確かめるべく並んで立つ二人の肩の間から、二人の視線の先にいる誰かを覗きこんだ

 

 

「俺様が何者か、か…。特に何の用もないお前達に名乗るのは少し癪だが、まぁ減るものでもないし、教えてやっても良いだろう」

 

 

そこに一人立っていたのは、赤を基調とした服装の男だった。大して鍛えているとも思えない体つきだが、その印象以上に不自然なまでの異様な重圧を与えてくる佇まいがあった。やがて男は、口元に緩いカーブを描いてから、滑らかな声で言った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『右方のフィアンマ』。こう言えば、俺様が用のある人間には十分に伝わるハズだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゾワリ、と。上条当麻の背筋を悪寒が這いずった

 



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第40話 黒百合の剣

 

「調子に乗ってんじゃ……!!!」

 

 

手塩に掛けた闘士たちがばたばたと倒れていく光景を間近で見せつけられたイスカーンは、我に返ると同時に怒号を発した

 

 

「ねぇぞコラァァァァ!!!」

 

 

地面にひび割れができるほどの勢いで踏み込んで、拳闘士の長が猛然と突進する。その瞬間、固く握り締めた右拳に、燃え盛る憤激が実体化したかのような炎が宿った。その拳を、灰色の整合騎士の首許めがけて真っ直ぐに撃ち出した

 

 

「俺の拳の前じゃ!鎧なんざ紙細工だァ!」

 

 

ちょうど右手の剣を振り抜いた直後だった騎士は、金属の籠手に包まれた左手でイスカーンの拳を受けた。直後、零れた火花が空中に眩い軌跡を描くと共に、爆発めいた炸裂音とともに灰色の籠手が砕け散ると、シェータの腕から肩までを覆う装甲が粉々に割れて弾け飛び、剝き出しになった騎士の左腕の、滑らかに白い肌に無数の切り傷が走り、鮮血が霧となって舞った

 

 

「ーーーッ!?ヤバっ!!」

 

 

それを見た美琴は、咄嗟に身構えて能力を発動させるための意識を集中させた。おそらくシェータの骨折は免れないだろうが、それ以上の手傷は防がなければならない。しかし、美琴の手の先に眩い光が宿った瞬間、キィンッ!という甲高い金属音が響いて、イスカーンの肘あたりから再び火花が散った

 

 

「チィッ!?」

 

 

イスカーンにとって、それは心底不可解な出来事だった。肌に食い込んでくるひんやりとした冷たさは、これまで彼が生身で受けたどんな刃とも異なるものだった

 

 

「・・・・・」

 

「・・・余計なことはするな…って?」

 

 

予想だにしない一閃を受けたイスカーンが身を引いている間に、美琴が能力を行使しようとしていたことを肌で感じ取っていたシェータは、チラリと後方の彼女を一瞥した。その一方で。一滴、されど一滴。刃がほんの一秒足らず接触した右肘の内側に、ごく薄い切り傷が刻まれた中央に滲み出た小さな血の珠を舌で舐め取り、若き拳闘士は獰猛な笑みを浮かべた

 

 

「・・・女。テメエ見かけと中身はずいぶん違うな」

 

「そう、さっきも言った。だって、あなたよりも、彼女よりも、私の方が年上だから」

 

「はぁ?なんの理由づけだそりゃ?つーかそもそも整合騎士ってのは、何十年も歳を取らねぇバケモンなんだろ?なら、婆さんって呼んだほうがいいのか?」

 

「・・・許します」

 

「う、うん?」

 

「もうツッコまないわよ、私は」

 

 

どこまでも自分の中の調和を崩そうとしない…というより、前提からして調子外れなシェータに、イスカーンと美琴はもう言及できる言葉が見当たらなかった

 

 

「あなた、すっごく硬いから。斬れそうなところ、ほとんど見つからない。だけど、それでも『ほとんど』。だから次は、ちゃんと斬る」

 

「チッ…何を言ってやがる。テメエの方こそ俺たちを訓練用の木偶人形みたいな扱いしやがって!許さねぇっ!何がなんでもブチのめしてやる!!」

 

 

イスカーンはそう叫んで、ざん!ざっ!ざんっ!と、素早い武舞踏を開始した。その舞踏に、まだ戦える闘士たちが追随する。やがて彼の足踏みに、高らかな鬨の声が重なっていった

 

 

「「「うっ!らっ!うらっ!うららっ!うっ!らっ!うらっ!うららっ!」」」

 

「なに?ラグビーのハカ…?」

 

 

美琴の疑問に答えることなく、イスカーンの脚が大地を踏み、振り出す拳が大気を震わせるたび、拳闘士たちの心意が高まっていく。赤銅色の肌から汗が飛び散り、それは火の粉へと変化して輝いた。舞踏を止めた拳闘王の赤金色の巻き毛は炎を宿して逆立ち、左右の腕からは渦巻くような炎が噴き上がっていた

 

 

「いっくぞ女ァァァーーーッ!!!」

 

 

対峙するシェータは、あくまで静かだった。業っ!と高速で拳を撃ち出す摩擦で空気を灼きながら迫ってくるイスカーンに、右手の剣を無造作に振り抜いた。線のように細い剣がイスカーンの左肩に触れる直前、しかして、間合いで勝るはずの剣よりも早く、拳闘士の一撃が騎士の左脚に届いた。つまり、拳ではなく蹴り。地面から低く跳ね上がった右足のつま先が、灰色の脛当てを直撃した

 

 

「拳闘士の技が、拳撃だけだと思うなよ!」

 

 

けれどその一撃を、シェータは驚異的な反応によって極細の剣で止めた。腰を沈ませたので転倒するには至らなかったが、極細の剣から漏れ出た衝撃によって左脚を守る装甲は一瞬で砕け、腰周りを覆っていたスカートも弾け飛び、ほっそりとした脚が露わになった

 

 

「ウラアッ!!」

 

 

確実な有効打にイスカーンはニヤリと笑い、続けて左脚で上段蹴りを繰り出した。シェータの手首が裏返り、剣でそれを受け止めた瞬間、生身の脚と刃が激突したとは思えぬほどの強烈な火花が散った。刹那、拳闘士の長は鍛え上げた脛に鋭利な痛みを感じながら脚を引き戻し、すかさず右拳を撃ち出した

 

 

「・・・ヘッ。擦り傷だ」

 

 

紅蓮の炎をまとった一撃は、騎士の胸当てを見事に捉え、ガァンッ!と派手な爆裂が起こり、両者は大きく後方に弾き飛ばされた。しかしイスカーンの鋼鉄の杭すらへし折る脛には、鮮やかな刀傷が一直線に刻まれていた。たちまち真っ赤な血が溢れ出し、黒い地面に滴るも、彼はその笑みを崩すことはなかった

 

 

「・・・普通にスタイルいいの、ムカつくわね」

 

「けほ」

 

 

美琴がその姿を見て、一人ごちった。視線の先にいる女騎士は今度も踏み留まったようだが、左手を胸に当てて小さく咳き込んでいた。損傷していた胸当ては拳の直撃で完全に砕け散り、上半身には右腕の籠手と、胸周りに灰色の布が残るのみ。下半身もまた、引き裂かれたスカートと、右脚の装甲を残しただけだ

 

 

「ヘンッ。なかなか闘士らしいナリになってきたじゃねぇか。だが筋肉がまるで足りねぇな。もっと食って鍛えろ、女」

 

 

人界人特有の白い肌が、闇の領域でも艶やかに光っているのを見て、もう一度鼻を鳴らし、イスカーンは嘯いた。その後を追うように周囲の拳闘士たちがいっせいに囃し立てるが、騎士は表情を変えずに左肩に垂れ下がる布切れを千切って捨てると、ぴゅんっと右手の剣を振った

 

 

「あなたこそ、今ちょっと柔らかくなった」

 

「なっ!?ンだとテメエ…!もうただじゃおかねぇ!見せてやるぜ、俺様の全力ってやつをよ!だからテメエも全力で来い!いつまでも眠たそうなツラしてんじゃねぇ!」

 

 

狼のような唸り声を上げてから、イスカーンは女騎士に人差し指を突きつけて叫んだ。するとシェータは、再び困ったような顔になり、左手でしばらく頰や眉間を触ってから、ほんの少しだけ眉の角度をキツくして言った

 

 

「・・・上等じゃねぇか、です」

 

「お、おお…おう。上等だぜ……」

 

「うん、ごめんね。やっぱツッコませて。そのテンションでそれはおかしくない?」

 

 

イスカーンはいっぱいに息を吸い、腹に力を溜めて、ぐっと腰を落とした。左拳は腰に、右拳は相手に向けて構え、音を立てて空気を吐き出す。荒々しい呼吸を繰り返すたび、大きく開いた両足が大地の力を吸い取る。その熱は体を巡って拳へと集まっていく。赤く燃え盛る炎が、やがて黄色く輝き、更に青みを帯びた色へと変わった。今や彼の拳は大気さえも焦がすほどの超高熱を蓄えて、きん、きんと鋭い音を放っていた

 

 

「・・・・・」

 

 

対するシェータは半身に構えると、五指を揃えた左手をまっすぐ前に突き出し、右手の極細剣をまっすぐ後ろに伸ばした。一直線になった両腕は、まるで限界まで撓められた投石器のような力感を放った。彼女から伝わってくる言い知れぬ威圧感に、すでに自分の体が頭から下腹まで真っ二つになってしまったかのような感覚に囚われたイスカーンは、それでもニヤリと唇の端を綻ばせた

 

 

(・・・あぁ、こんなヤツは初めてだ。全く燃えさせてくれるじゃねぇか……!!)

 

 

動いたのは、双方同時だった。騎士の剣が、漆黒の一閃を。闘士の拳が、青白い流星を描いた。双方が激突した瞬間、超高密度の衝撃波が発生し、地面を砕きながら周囲に広がった

 

 

「!!!!!」

 

 

その衝撃に、美琴は鋭く息を呑んだ。長を取り囲んだ拳闘士たちも、ひとたまりもなく真後ろに押し倒された。両者の剣と拳は、針先ほどの一点で接触しつつ激しくぶつかり合った。限界を超えて圧縮された力が光の柱となって荒れ狂い、夜空に噴き上がった

 

 

(・・・なんで私は、こんなことをしているのだろう…?)

 

 

それは、疑問。シェータの技量をもってすれば、こんな馬鹿正直に力比べをせずとも、敵を倒すことは容易に可能な局面だった。己が手に取る神器となった、一輪の黒百合。その花言葉は、『呪い』。これまで、それを振りかざして斬れなかった物は、なかったというのに

 

 

(この拳闘士の攻撃、上位騎士並みの心意を見せたのは驚いたけど、腕以外はどこも柔らかそうだったのに……)

 

 

イスカーンは、ありったけの心意を右拳だけに集中させて飛び込んできた。さればこそ、他の部位は実に柔らかそうにシェータの目には映ったのだ。一直線の拳撃を回避し、ひと息に首を落とすことさえできそうだった。だがシェータはそうせず、敢えて敵の青白く輝く拳を迎え撃った。意識してのことではない。体が、剣が、心がそれを求めたのだった

 

 

(・・・首を斬って、終わり。そうすれば今、終わる。でも、なんて固いんだろう…斬れるかな?)

 

 

なぜこの戦いに限っては殺すことを選択しなかったのか、シェータにはまったく不思議だった。でも、もう、それを考える事すらも煩わしい。いまこの瞬間に存在するのは、自分と、黒百合の剣と、目の前の拳だけ。他の何かは、もう要らない

 

 

「・・・楽しい」

 

 

シェータの小ぶりで色の薄い唇に、微かな笑みが浮かび、微かに心中を吐露したのを、イスカーンは見た。それが自分を、あるいはこの闘いを嘲弄するものでないことはもう、容易に理解できた。なぜなら、自分の唇にも、まったく同質の笑いが浮かんでいたからだ

 

 

(・・・なんだよ。なよっちいナリしてるくせに、お上品な人界人のくせに、テメエも俺と同種じゃねえか…!!)

 

 

イスカーンが内心でほくそ笑むと同時に、ぴしっ!というささやかな衝撃が、拳の内側で響いた。それは敵の余りにも細く黒い刃が欠ける音ではなく、自分の拳の骨にひびが入った音だと、彼は瞬間的に理解した

 

 

(・・・ヘっ。駄目か。これでも押し負けるのか…しゃーねぇな。まぁ悪い死に様ではねぇよな……)

 

 

拳が斬られれば、黒く細い刃はそのまま自分の体をも真っ二つにするだろう。そう直感しながらも、イスカーンに恐怖はなかった。これほどの敵と相見える機会は、恐らくもう二度とあるまい。それなら、本望だ。現世に思い残す事はない。そう考え瞼を閉じようとした、その瞬間。拳にかかる圧力が揺らいだ

 

 

「フンッ!!」

 

 

極限まで集中していた圧力が一気に解放され、イスカーンとシェータを吹き飛ばした。お互いの心意が乱れた理由はすぐに解った。二人の間に、巨大な人影が割って入ろうとしたからだ。同じように地面に倒れた人影…ダンパという大男に、イスカーンは尻餅をついたまま躊躇なく吼えた

 

 

「ダンパ!テメエ何してくれやがる!?俺に次ぐ闘士ともあろう野郎が気でも狂ったか!?」

 

「時間切れです、チャンピオン。こちらの本隊が追いついてきます」

 

 

言って体を起こした副官は、普段は糸のように細い両眼を少しばかり見開きながら、北を指し示した。イスカーンがそちらに眼を向けると、いつの間にか拳闘士団の本隊と、その後ろの暗黒騎士団が目視できる距離にまで接近していた。確かに、集団戦が始まるというのに長が私闘に明け暮れている場合ではない

 

 

「チッ!普段はウスノロの癖して、こんな時ばっかよぉ…」

 

 

激しく舌打ちしながら視線を戻すと、激突の衝撃で巻き上がった土埃の向こうで、ほぼ全ての防具と衣服を失ったシェータは、それを気にする様子もなく細い剣を鞘に収めようとしていた

 

 

「おい女!これで勝ったつもりになるんじゃねぇぞ!」

 

 

先刻に斬死を覚悟したことも忘れ、若い拳闘士は衝動のままに叫んだ。灰色の髪を揺らしてシェータはちらりとイスカーンを見ると、言葉を探すように短く首を傾げてから言った

 

 

「・・・その、女って呼ぶの、やめてほしい」

 

「は、はぁ?あのな…言っとくがコッチはテメエの名前も知らねぇんだよ。だいたい、てめぇこの状況でどうやって逃げるつもり…」

 

 

その時、強烈な突風が南から吹き寄せ、美琴とシェータを取り囲もうとしていた数十人の闘士たちがいっせいに顔を背けた。思わず瞬きしたイスカーンの視界に、高々と左手を差し伸べる騎士と、急降下してくる巨大な飛竜の姿が映った

 

 

「ちょ、ちょっと!?私も乗るわよ!」

 

 

騎士が脚に手を掛けると、飛竜はふわりと空へ舞い上がった。それを見た美琴は、瞬時に脚へ力を込め大慌てで飛び上がり、なんとか飛竜の爪先を掴み取った。彼女達が飛び去ろうとする様子を見たイスカーンは、この野郎と内心で歯嚙みした後に叫んだ

 

 

「おいテメエら!逃げる前に名乗っていきやがれコラァ!」

 

「・・・逃げるわけじゃない。私は、シェータ・シンセシス・トゥエルブ」

 

「ちなみに私は最初に名乗ったわよ!覚えてないそっちが悪い…てか!次会う時までに覚えてなかったら承知しないわよ!」

 

 

翼が激しく打ち鳴らされる音に混じって、微かな声と忙しい声がイスカーンの耳に降ってきた。たちまち夜闇に紛れて遠ざかる飛竜の影を、イスカーンはダンパに手を引かれて立ち上がりながら見送り、もう一度舌を打った。それから彼は黙って踵を返し、傷を手当てするために、薬壺を持つ拳闘士に声を掛けた

 



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第41話 右方のフィアンマ

 

「右方の、フィアンマ…?」

 

「ーーーッ!?」

 

 

赤い男が名乗った名前をアリスが復唱するその横で、その場にいる五人の中で、上条当麻だけが青ざめた顔で、戦慄した。よもや、よもや、とは思っていた。御坂美琴がキリト達の世界のアンダーワールドに来れた時点で、可能性が皆無ではないと思っていた。前方、左方、後方。そして、右方。自分の右手を手に入れんとする神の右席、その最後の一人が、ついに目の前に立ちはだかったのだと、彼は生唾を飲み込んだ

 

 

「いやぁ、なんだかんだで今日はラッキーデイだな。アックアがログインして早々に離脱した時には、やはり異なる『位相』となると厳しいかと思い半信半疑だったが…まさか、目の前に標的がいてくれるとはな。まぁもう少し骨が折れると思っていた分、拍子抜けなのは否めないがな」

 

「・・・え?」

 

 

アックアが、来ていた?しかしそれだけに留まらず、すでに離脱した?いつの間に?そんな疑問が、上条の脳内を駆け巡っていた時の事だった

 

 

「この戦場でそのような不遜な言動を、我々整合騎士に浴びせてかかる…それ即ち、敵と見なされても文句は言えないぞ。剣を帯びてもおらず、亜人でもないのを見たところ、暗黒術師だという推測が一番妥当だが……」

 

 

並び立つ四人の中から、エルドリエが一歩前に出ると、フィアンマを険しい表情で睨みながら言った。するとフィアンマは額に手をついて、やれやれといった様子で左右に首を揺らした

 

 

「おいおい。まさか貴様如きが、俺様に嚙みつこうと?やめておけよ、俺様の目的はもう目の前にあるんだ。気取った騎士を相手にするならともかく、お前みたいな雑魚なら見逃してもいいんだぞ?」

 

「何だと…!?」

 

 

フィアンマの高圧的な態度に、エルドリエは眉を顰めて額に青筋を立てた。そして彼はその感情の起伏が赴くままに、腰に巻きつけていた霜鱗鞭を手に取った。待て。ダメだ。やめろ。上条がそう言おうとした瞬間、隣のベルクーリが耳元で囁いた

 

 

「おい、カミやん。俺には分かるぜ。あの野郎…とんでもねぇ心意だ。それも侵略軍の諸侯どころか、暗黒神ベクタにも引けを取らねぇ、底なしに邪悪なやつだ。だから分かる。アイツはきっと、お前さんやミコトの嬢ちゃんと同じでも、違うんだろ?」

 

「あ、あぁ。そうだおっさん…アイツは俺たちにとっては明確な敵だ…!でも、ダメだ……」

 

「・・・ダメ?」

 

「アイツの相手は俺じゃなきゃダメなんだ…向こうの時も…テッラの時もそうだった…!リゼルもフィネルも、四旋剣もファナティオも、アイツらには敵わなかったんだ!だから、俺がっ……!!」

 

 

顔面蒼白で冷や汗を流したまま、上条はテッラと相対した時の記憶を蘇らせながら、絞り出すような声で言った。しかし、彼が右手を拳に変えた時には既に、エルドリエが霜鱗鞭を大きく振りかぶってしまっていた

 

 

「天界で懺悔、そして後悔するがいい!たった一人で人界守備軍最強たる整合騎士の前に現れたことが、貴様の敗因だ!!」

 

「だ、ダメだ!待てエルドッ……!」

 

「忠告はした。お前こそ、後悔してくれるなよ」

 

 

上条がエルドリエの前に出ようと駆け出したのと、ガボンッ!という轟音が響いたのは、ほぼ同時だった。小さく呟いたフィアンマの右肩辺りから、いつの間にやら何か巨大な何かが生えていた。大きな翼のようで、腕のような…この世のものとは思えない不可思議な物質が蠢いていた。そして、本来そこにあるはずだったエルドリエの下半身が、丸ごと消失していた

 

 

「うおあああああっ!?!?」

 

「・・・ごぼっ…!?」

 

 

その時フィアンマは、指すら動かしていなかった。どこからか振り下ろされたのは、強烈な閃光と衝撃波だった。慌てて駆け出したばかりに、その莫大な余波に真っ向からぶつかった上条の体は、軽々と100メル以上吹っ飛ばされた。その直後、上半身だけを残したエルドリエは口から大量の血を噴き出して、ゆっくりと地に堕ちた。そして同時に、五千近い彼の天命が、完全に底をついた

 

 

「やれやれ、また空中分解しかけたか。俺様の術式もここでなら少しはマシになるかと思ったんだが…まぁその状態を固定することに成功できたのなら及第点だな」

 

 

そう呟いて、フィアンマは右肩の後ろを見やった。先ほどまで何もなかったハズのそこには、巨大な何かが生えていた。翼のようでありながらも、腕のような、この世の物とは思えない、不可解な物質。鎌のように伸びた爪を生やした4本指の巨大な手は、まるで彼の二本の両腕に続く『第三の腕』とでも呼ぶべきかの如く、彼の背後で佇んでいた

 

 

「・・・エル、ドリ…エ………?」

 

 

アリスは、目の前で起きた現象が信じられなかった。先ほどまで二本の足で立っていたエルドリエが、まばたきも許されぬほどの一瞬で、下半身を吹き飛ばされた。アリスはそれが幻覚であることを確かめるべく、彼の元に座って、残された上半身を膝の上に乗せた。しかしその膝から伝わってくる感触は、あまりにも鮮明だった。自分を師と慕ってくれる青年が、自分の膝の上で、死にかけている。その現実を否定するように、アリスはエルドリエの上半身を抱き寄せて叫んだ

 

 

「め、眼を…眼を開けなさいエルドリエ!許しません…許しませんよ!このようなところで私を置いていくなど…!」

 

「あぁ、そこにおられるのは…アリス様…なのでしょうか…」

 

 

エルドリエの藤色の瞳は、もう半ば焦点が合っておらず、その意識を朦朧とさせていた。むしろ、その状態で喋れていることが奇跡だった。それでも彼を抱き起こすアリスは、その奇跡に縋るように、必死でエルドリエに叫び続けた

 

 

 

「えぇそうです!私です!しっかりなさい!今すぐに治癒術を…!」

 

「アリスっ…様…どうか、こんな不甲斐ない姿をお見せする私を…お許し、下さい……」

 

 

そこでエルドリエは、ほんの少し。ほんの少しだけ、口許に笑みを作ってみせた。いつものキザな彼らしく。しかしアリスにとってそれは、自分の死期を悟った人間が最後に見せる、穏やかな笑みのように見えた

 

 

「ゆ…許しませんっ!許してなるものですか!言ったでしょう!?私にはそなたが必要なのです!」

 

「あは、は…なんとも手厳しい、ですな…こうなることが分かっていたのならば、アリス様より、もっと多くの教示を…いただいておくべき、でした……」

 

「そなたが望むならなんでもあげます!嫌と言うほど稽古だって付き合いますから!だから…だから戻ってきなさい!エルドリエ!」

 

「いえ、アリス様…もう、十分です。十分すぎるほどに…多くをいただきました……」

 

「あぁ、ぁぁぁぁぁ……!」

 

 

エルドリエの言葉に、ついにアリスの瞳から一粒の涙が零れ落ちた。その雫が、ポトリと、エルドリエの頬に滲んでいく。すると彼は、もうとっくに力絶えたはずの右腕を震わせながら持ち上げ、涙に濡れる師の目尻を、優しく拭き取った

 

 

「い、いや…嫌…嫌です……エルドリエッ!生きなさい!これは命令です!今すぐに目を開けなさい!だから、お願い…目を……」

 

「泣かない、で……かぁ、さん…………」

 

 

そして、整合騎士エルドリエ・シンセシス・サーティワン、またの名をエルドリエ・ウールスブルーグの魂は、永遠にアンダーワールドから去った。彼の体が数秒間にせよ言葉を交わせたのが奇跡であったかのように、光と化して夜気に溶けていくのを、アリスは濡れた瞳で見届けることしか出来なかった

 

 

「くそっ…クソッ…クソッ!!」

 

 

謎の衝撃に吹き飛ばされた上条は、その悔しさを呪詛のように吐いた。これ以上は、死なせない。自分のせいで誰かを、死なせるわけにはいかない。そう強く自分に言い聞かせて、ガリガリと、黒い土を指先で削って、掻き毟って、上条当麻は体を起こした。今の一撃で少なくとも体の骨が何本かイカれているだろうが、もうそれを気に留めるほどの冷静さは残っていなかった

 

 

「はっはっは!なんだ、人工物の割には随分と感情豊かに涙を流すじゃないか。これがラブロマンス映画だったなら、アカデミー賞は硬いな。なんなら俺様が推薦状を書いておいてやろうか?」

 

「お前っ…!お前えええええぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーっっっ!!!」

 

「ま、待て嬢ちゃん!早まるなっ!!」

 

 

空中に佇む第三の腕をそのままに、フィアンマは己の両手で白々しく拍手しながら声高に笑った。まるで命を弄んでいるような彼の態度に、アリスは激昂した。彼女はベルクーリの必死の呼び掛けにも耳を貸さず、怒りのままに金木犀の剣を抜き放ち、絶叫と共に突進した

 

 

「ぅああっ!うわあああああーーーーーッ!!」

 

 

その姿は整合騎士というよりも、悪魔に理性を差し出した狂戦士だった。アリスはフィアンマの間合いにたどり着いた途端、無我夢中で金木犀の剣を振り回し続けた

 

 

「破壊力はいらない。振れれば終わるのだから、相手を壊すための努力は必要ない」

 

 

アリスが振り回す黄金の刀身が、滅茶苦茶な軌道を描いてフィアンマに襲いかかる。しかし彼は、それを涼げな顔で避け続ける中で、小さな声で呟いていた

 

 

「返しなさいっ…!エルドリエを…私の愛弟子を…!返せ……返せえええええぇぇぇぇぇーーーーーーーーっっっ!!!!!」

 

「速度はいらない。振れば当たるのだから、当てるための努力は必要ない」

 

 

そして七度の剣の閃きから身を逃した彼は、唇の端に邪悪な笑みを浮かべ、第三の腕を振った。その指先がほんの僅かに脇腹を掠っただけで、アリスの甲冑に亀裂が走った

 

 

「ッ!?いかん!!」

 

「うおおおおおおおおっ!!」

 

 

万物を等しく滅ぼす力が、今にもアリスの身に降りかかろうとしているのを察知したベルクーリは、時穿剣の柄に手を掛ける。だがその時には既に、上条が彼の横を駆け抜けていた。そしてアリスの前へと強引に割り込むと、フィアンマ第三の腕の先に、あらゆる幻想を殺す右腕を叩きつけた

 

 

「ヅゥッ!?」

 

「あああああああぁぁぁぁぁ!?!?」

 

 

しかし彼の右腕は、肩から先に掛けてあっさりとバネのように弾き上げられた。上条の心意によって右手に宿った幻想殺しでは打ち消し切れなかった見えざる力が、爆風となって荒れ狂った。上条は両脚を踏ん張って何とか耐え切ったが、彼の後ろにいたアリスはボロ布のように吹き飛ばされ、二度、三度と地面に体を叩きつけられた

 

 

「嬢ちゃん!?」

 

 

ロクに受け身も取れなかったアリスの元に、ベルクーリが血相を変えて駆け寄った。ぐったりとしている彼女をすぐさま逞しい両腕で抱き上げると、首元に指を当てて脈拍を測った

 

 

「・・・生きてる。気をやっただけか…」

 

「おっさん、コイツの相手は俺がする。アリスを連れてここから離れろ」

 

 

安堵の息を吐いたベルクーリに、上条は低い声で言うと、フィアンマの放つ力に押し負けた右腕の調子を確かめるように、一度だけ右腕を大きくグルリと回した。骨か関節に影響があったのか、それだけでゴキゴキという痛々しい音がベルクーリの耳に届いた。しかし彼はそれを無視して、目の前の敵だけを睨み続けていた

 

 

「・・・勝てる見込みは、あるのか?」

 

「俺の右手が押し込まれたのを顧みるなら、正直勝てるかどうかは分からねぇ。だけど、コイツは何が何でも俺が一発ぶん殴る。だからおっさん達は先に行け」

 

「わ、分からねえって…それじゃお前さんが…!」

 

「いいから行けって言ってんだ!耳付いてねぇのかテメエッ!!」

 

「ッ………星咬っ!」

 

 

背中越しの上条の口から飛び出した叱責を、ベルクーリは苦しげな表情で飲み込んだ。彼が空に向かって愛竜の名を叫ぶと、力強い羽音を連れた飛竜が舞い降り、主人の足下に屈んだ。そしてベルクーリはアリスの腰に手を回して片腕で抱え込むと、背中に飛び乗ると同時に手綱を打って星咬を飛翔させた

 

 

「なんだ、自ら残ってくれるとは気が利くじゃないか。それとも潔くその魂を俺様に明け渡す気になったのか?」

 

「黙れ」

 

 

薄ら笑いを口に貼り付けたまま喋るフィアンマに、上条はドスの効いた声で言った。そして悪鬼の如き表情で己の怒りを露わにすると、手の平に爪が食い込むほど強く右拳を握りしめた

 

 

「なんだ、やっぱりやるのか?良いぞ。こちらは不恰好で申し訳ないが、二人吹き飛ばして『右手』が温まってきたところだしな」

 

「黙れつってんだろ!!」

 

 

上条が激怒して走り出そうとした瞬間、フィアンマの第三の腕が爆発的な光を発した。音は消えた。ただ、突き出した右手に強烈な刺激だけが残っている。光が消え失せた時、上条とフィアンマは互いに右手を正面に突き出したまま睨み合っていた

 

 

「・・・ふん、今度は処理したか。多少現実とは法則性が異なっていると言えど、流石は俺様が求める稀少な右手。間近で見るとその特異性がよく分かる。先の一撃を無効にする事が出来た事から考えると俺様のコイツも、異能を消すその右腕に対しては、どう出力するか判断しかねた…ということか」

 

「・・・なんだよ、ソレ」

 

 

フィアンマの肩から伸びている第三の腕を見ながら、上条は訊ねた。するとフィアンマは突き出していた右手を下ろし、代わりに第三の腕をグラグラと蠢かせながら答えた

 

 

「『聖なる右』。他の例に漏れず神の右席が通常の魔術の行使権限を捨てて手にする特殊な術式さ。右方の天使であり、『神の如き者』の力の象徴。どんな邪法だろうが悪法だろうが問答無用で叩き潰し、悪魔の王を地獄の底へ縛り付け、 1000年の安息を保障した右方の天使の力。 それら奇跡の象徴たるミカエルの『右手』。それが俺様の行使する術式、聖なる右ってわけだ」

 

「・・・右手、か…」

 

 

奇しくも同じ手に特異な力を宿す上条は、訝しげな表情で呟いた。フィアンマは右手の人差し指を立てると、続けて言った

 

 

「つまり俺様が保有しているのは、右腕そのものではなく、右腕に備わっているべき力だ。十字教じゃ大抵の儀式は右で行われる。大天使ミカエルが堕天使の長を斬り伏せたのも右手。神の子が病人を癒したのも右手。聖書が記されたのも右手と、まぁ一々挙げたらキリがない。要するに俺様は、それだけ多くの十字教的超自然現象を自在に行使できるというわけだ」

 

「・・・さっき俺にぶつけてきた光も、その一つってことか」

 

「ちなみにそれだけじゃないぞ。この右腕は『倒すべき敵や試練や困難』のレベルに合わせて、 自動的に最適な出力を行う性質がある。つまり俺様が望めば、その力に制限なんてなくなるってことだ」

 

「・・・は?」

 

 

上条当麻は言葉を失った。なんだそれは?それはRPGに例えるなら、攻撃、防御、呪文といったコマンドの中に、『倒す』という項目があるのと同義だ。デタラメどころか、反則に等しい。天命が数字として存在するこの仮想世界では、これ以上ないほどに規格外の力だと上条は絶句するしかなかった

 



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第42話 創世神ステイシア

 

黒ずんだ砂利ばかりの荒地がようやく途切れ、奇妙な形の灌木が生い茂る一帯に、囮部隊の本隊はその姿を紛れ込ませていた。その構成は、衛士が千、修道士が二百、補給隊が五十。この数で、五千の敵拳闘士団を迎え撃たねばならない

 

現在その部隊を指揮している整合騎士のレンリは、二十の部隊に分けた衛士と修道士を樹木の陰に隠すように待機させていた。林を貫いて延びる一本だけの細い道には、補給隊の馬車の轍が真新しく刻まれている。これを追う敵を、なるべく深く長く引き込んだところで、左右から挟撃するという作戦を立案した

 

 

(・・・騎士長閣下の話では拳闘士は神聖術に対する防御が弱い…)

 

 

拳闘士に剣での攻撃が効きづらいことは、レンリもすでに騎士長から聞いていた。もちろん、彼らの弱点も。北側のコケすら生えていない荒地には高位術式を使えるだけの空間神聖力は存在しないが、この灌木地帯は根ざす植物の恩恵なのか、いくらか空気が濃い。故に、多少なりとも神聖術が使えだろうとレンリは考えていた

 

 

(ここなら、修道士達が一斉攻撃できるくらいの神聖力があるはず。後は混乱した敵部隊を五体の飛竜で焼き払えば……)

 

「ところで、補給部隊は?」

 

 

傍で共に待機している衛士に、レンリは訊ねた。迅速な後退を念頭に置いて、補給隊の馬車八台は灌木地帯の最南部に配置している。前線から離せば離すほど安全だとレンリは判断した。闇に紛れた敵が、直接補給隊を襲う可能性はほぼないだろう、と彼は考えていた

 

 

「はい。戦闘に巻き込まれないよう前線から離れた位置で待機しています」

 

「うん、ありがとう」

 

 

しかし、そんな彼の考えとは裏腹に、念のため馬車の護衛につけた五名の衛士たちが、声も出せずにひっそりと絶命しつつあった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『影』は、一人闇夜の中を巡回する衛士の死角を衝いて、滑るように接近していく。腰には立派な長剣が下がっているが、それを抜くこともなく、右手に握った小型の短剣だけをゆらりと持ち上げた

 

 

「くっくっくっ…」

 

 

『影』の黒い蛇のような左腕が伸び、衛士の口と鼻を塞いだ。同時に右手が閃き、剝き出しの喉を一直線に搔き切った。完全な静寂のうちに天命を全損し、ぐったりと生気を失った衛士の体を、黒い影はすぐ近くの茂みの下に押し隠して、顔を覆う黒い布の下から、ごく密やかな声を漏らした

 

 

「・・・Five down」

 

 

くつくつと喉を鳴らした『影』の正体は、現実世界人であり、皇帝ベクタことガブリエル・ミラーの副官でもある、ヴァサゴ・カザルスだった。彼はこの世界にダイブして初めてのキリング・タイムを継続するべく、再び暗い林の奥に視線を凝らした

 

 

(・・・中々どうして、人工フラクトライトの割には良い見た目してんじゃねぇの)

 

 

すぐに、枝葉でカムフラージュされた複数の馬車を発見する。覆面の下でちろりと唇を舐め、暗殺者は移動を再開した途端、馬車の一台に動きがあった。ヴァサゴはぴたりと脚を止め、樹の幹に貼り付いた。幌から顔を出し白い肌に焦茶色の髪の、まだ若い女だった。何かを感じたのか、緊張した表情で周囲を見回している。しかしやがて少女は慎重な動作で地面に降り、馬車の内側に何かを囁きかけてから、ゆっくり移動を始めた

 

 

(・・・そうだ。そのまま、まっすぐ…こっちに来い)

 

 

アンブッシュの醍醐味を嗜むように、ヴァサゴは近寄ってくる少女に念じた。彼のハイディングは完璧なものだった。金属鎧のマイナス補正など物ともせず、灌木の作り出す暗がりに溶け込んでいる。黒髪の少女は用心深く周囲を警戒しているが、その視線はヴァサゴの潜む茂みをただ通り過ぎるだけだった

 

 

(後7…5メートル…いいね。この感覚、まったく久しぶりだぜ…)

 

 

三メートルの距離まで近づいてきた少女が、不意に右へ向きを変え、ヴァサゴが隠してきた死体のほうへ進み始めた。ヴァサゴはまったくの無音で暗がりから滑り出て、左手を伸ばしながら少女の背中に迫った

 

 

(もう少し引き寄せたかったが…まぁ十分だ。俺にとっちゃ大した差じゃない)

 

 

口を塞ぎ、驚愕に縮こまる喉を、鋭利な短剣で一気に切り裂く……脳裏に浮かべたその予感があまりにもリアルだったために、ヴァサゴは、目の前にきらりと光った刃に即座に対応できなかった

 

 

「うおっ!?」

 

 

ヴァサゴが慌てて飛び退くと同時に、剣先が顎下の露出した肌を掠めた。まったくこちらに気付いていないはずだった少女が、背中を向けたまま左腰の剣をいきなり抜き打ったのだ。実に見事な一撃。あと少し踏み込んでいたら、喉を裂かれていた。振り向き、両手で剣を構え直す少女の藍色の瞳に、恐怖と敵意はあれど驚きの色がないことを見てとり、ヴァサゴは完璧だったハイディングがとっくに見破られていたことをしぶしぶ認めた

 

 

「・・・Hum…Hey baby」

 

 

ヴァサゴは短剣を右手でくるくる回しながら口を開いたが、そこでこの世界では英語が通じないことを思い出し、ネイティブと遜色ない発音の日本語に切り替えた

 

 

「失敬。お嬢さん、なんで俺の気配が解った?」

 

「・・・眼だけに頼るな、全体を感じろってキリト先輩が教えてくれたから」

 

「せ、先輩だぁ…?」

 

 

剣を構えた少女、ロニエ・アラベルは硬い声で言った。その言葉に瞬きしながらもヴァサゴは、似たような台詞を聞いた覚えがあるような、脳のどこかに眠っている記憶が刺激されるのを感じていた

 

 

「敵襲!敵襲ーーー!!!」

 

「チィッ!」

 

 

しかし、思考がどこかに辿り着く前に、少女がすうっと息を吸い、物凄い大声で叫んだ。見つかった以上は当然のことと言えど、ヴァサゴはロニエの行動に舌を打って、短剣を右腰に収めた。遊びもここまでかと思うのと同時に、彼は大きく左手を上げて同じく叫んだ

 

 

「仕事だお前ら!殺せえええ!!」

 

 

今度こそ、ロニエが驚愕に眼を剥いた。ヴァサゴの背後、数十メートル離れた茂みから、ザザザッ!と次々に身体を起こしたのは、暗黒騎士団から引き抜いてきた、およそ30人の軽装の偵察兵達だった

 

 

「ロニエ!敵襲……って………」

 

 

少女の警告に反応して馬車から飛び降りた二人目の少女、ティーゼ・シュトリーネンも、北側から駆けつけてきた十名ほどの衛士たちも、一様に凍りついた。そして立て続けに三度、暗闇の中で火花が散った

 

 

「くっ…!?」

 

 

ロニエは目の慣れない闇の中であるにも拘らず、ヴァサゴの斬撃を初見で全て弾いてみせた。しかもヴァサゴは連続剣技を使ったのだ。だから、三撃目で少女の手から弾かれた剣が近くの幹に突き立った時、暗殺者は思わず称賛の口笛を鳴らした

 

 

「whew!」

 

 

なおも健気に拳を構えようとする黒髪の少女を、ヴァサゴは足払いで地面に転がした。背中を思い切り打ち付けた少女が、苦しそうな息を漏らすのを見た彼は、ゆっくりと右手の剣を持ち上げた

 

 

「ロニエーーーッ!!」

 

 

新たに馬車から飛び出したティーゼが、悲鳴にも似た声を上げながらロニエの元に駆け寄ってくる。ヴァサゴは右手の剣の切っ先を、まだうら若き少女の喉元にあてがい、赤毛の少女の動きを牽制すると、やがて恐怖すくんだように、彼女の細い足の動きが止まった

 

 

「ひひっ。いいね、これだよ。この感じだ」

 

 

覆面の下で、不気味な含み笑いが零れた。人の命を、絆を剣先で弄ぶこの愉悦。これだから、プレイヤー・キルはやめられない

 

 

「なぁに、殺しゃしねぇよ。そこで大人しく見てればな」

 

 

ティーゼにそう囁いておいて、ロニエの上に屈み込んだ。背後からは、血に飢えた三十人の兵士たちがひたひたと近づいてくる。ロニエの大きな瞳に、恐怖と屈辱の涙が滲む。漲っていた決意は、もうすっかり絶望へと変わってしまった

 

 

「くっくっくっ…………………あ?」

 

 

不意にロニエの瞳の焦点が、ヴァサゴの顔から逸れて空へと向かった。瞳に溜まった涙に、何かが反射している。それは、鮮やかな光だった。降り注ぐ、乳白色の光の粒子。ふわり、ふわりと雪のように舞い降りてくるそれに、ヴァサゴは奇妙な戦慄を感じながらゆっくりと顔を持ち上げた

 

 

「・・・人…?女か?ありゃあ…」

 

 

闇の深い夜空。血の色の星々。それらを背景に浮かぶ、小さな、それでいて凄まじく巨大な存在感を放つ人影を彼は見た。真珠でできているかのように輝くブレストプレート。籠手とブーツも同色。長めのスカートは、無数の細布が縫い合わされ、まるで翼のようにはためいている。夜風になびく長い髪は、艶やかな栗色だった

 

 

「・・・ステイシア、さま…?」

 

 

地面に倒れるロニエが、その姿を見て呟いた。その声は、ヴァサゴの耳には届かなかった。星空からゆっくり舞い降りてくる女の、小さな顔がちらりと垣間見えた瞬間、彼は吸い寄せられるように立ち上がっていた

 

 

「・・・おぉ…おおおぉぉぉ…!」

 

 

拘束から解放されたロニエが赤毛の少女のところまで後退っていったが、ヴァサゴはそれを眼で追いすらせず、低く太い感嘆の吐息を漏らした。そして、不意に。空に浮く人影が右手を前に伸ばした。しなやかな五本の指をふわりと横に振り払った刹那………

 

 

『ラーーーーーーーー』

 

 

まるで幾千もの天使が同時に唱和したかのような、重厚な和音が世界を揺るがした。人影の指先から、オーロラのような光のカーテンが放たれて、ヴァサゴの背後へと降り注いだ後に続いたのは、地響きと、悲鳴。振り向いたヴァサゴが見たのは、大地に口を開けた底なしの峡谷と、そこに吞み込まれていく三十人の手下達だった

 

 

『ラーーーーーーーー』

 

 

そして再び響いた天使の歌声と、大地の割れる轟音。先刻の数十倍もの規模で降り注いだオーロラが、その下の地面にいかなる現象をもたらしたのかはもう想像の埒外だった。空に浮く女は、真下のヴァサゴを見下ろした。右手の人差し指が、ぽんと一度宙を弾けば、虹色の光がヴァサゴを包んだ

 

 

「マジかよ…おい、マジかよ……」

 

 

ボゴンッ!と、ヴァサゴの足下の地面が消えた。ひとたまりもなく無限の暗闇へと落下しながら、彼は両手を真上へ突き出し、小さな人影を摑もうとした

 

 

「あの顔…あの髪…あの気配……!!」

 

 

暗殺者は、その死に際で。何かに歓喜したように、何かを渇望していたように、細かく震えた声を口から漏らした

 

 

「ありゃあ、KoBの『閃光』じゃねえか…!」

 

 



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第43話 明かされる真実

<注意!>
当該SS、とある魔術の仮想世界[4]をお読み下さっている読者の皆様、いつもありがとうございます。作者の小仏トンネルです。
今回投稿させていただいている話には、原作である『とある魔術の禁書目録』の上条当麻、及び『神浄の討魔』に関わる重大なネタバレが含まれています。
当該SSの『このSSを読むにあたって』でも最初に説明させていただいている通り、作者なりの解釈で少し変えている部分もあり、原作でもまだ全てが明らかになっているわけではありませんが、とある魔術の禁書目録の物語の核心に迫るネタバレです。既に作品タグの中に「ネタバレ注意」のタグはありますが、今一度ご注意、ご了承の上でお読み下さい。
長々と失礼致しました。今後も何とぞ当該SSをよろしくお願い致します。


 

「まぁ、コレでも不完全なんだがな。現実で使う分には人様に見せられたモンじゃない。だがこの仮想世界における、イメージの力がそのまま現れるというシステムを利用して、なんとか実用レベルまで調整した。まぁその気になれば更に高い段階に調整することも可能だったんだろうが、生憎と時間もなかった上に、俺様自身この右手の『完成』を見たことがない以上、イメージで何とかなるのはそこまでってことだ」

 

「・・・その右手の完成のために、俺の魂が必要ってことか」

 

「つまりはそういうことだな。自分の魂の価値すら推し量れないお前に、その『力』はもはや不要だ」

 

 

フィアンマが言うと、上条は彼の背後で空中に浮かぶ第三の腕をもう一度忌々しげな視線で睨んだ。それから自分の右手の平に視線を落とすと、一つ息を吐きながらフィアンマに言った

 

 

「なんで俺の右手が必要なんだ。そんな便利な魔術があるんなら、わざわざ完璧にしなくたって十分だろ」

 

「いいや、それがそうもいかない。現時点でこの術式で出来ることなんざ、せいぜい世界とそこに根ざす人間を含めたあらゆる生物を白紙にすることくらいだ。それは俺様が求める『平等な救済』とは呼べない。いくら悪意の捉え方が捻じ曲がっていると言われている俺様でも、万物の死が救いになるとは流石に思ってもないさ。だから俺様の目的の為にはお前の右手である幻想殺し、ひいては『お前の魂』の本質が大きく関わってくる」

 

「・・・俺の魂の、性質…?」

 

「以前テッラに言われてから、一体『自分が何なのか』気になって仕方がないんだろう?いいだろう。アフターケアとは言わんが、とりあえず教えておいてやろう。『神浄の討魔』」

 

 

その言葉に、上条は思わず生唾を飲み込んだ。自分にとっては、知らなくてもいいと割り切った話だった。しかし、それでも。修剣学院で起きたあの事件から、見えない不安が靄となって残っていた。その靄がついに晴れるのかと思えば、それを拒む理由を見つける方が難しかった

 

 

「『ガイア仮説』という理論がある」

 

「ガイア仮説?」

 

「端的に言えば、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げていることを鑑みて、俺様たちが住む地球そのものを、ある種で『巨大な生命体』であると見なす理論だ。まぁ俺様はこれが仮説でなく、確定だと睨んでいるがな」

 

「・・・その理論が、一体俺とどう関係あるってんだ?」

 

「分からないか?俺様たち人間はもちろん生命体だ。それと地球が同質の物として考えるだけさ。生物なんだから体調が良い時もあれば、悪い時もある。寝起きならさぞ気だるいだろう。風邪ならばなおさら体は不整を訴える。病気にもなれば、手の施しようがないケースだってある」

 

「そうなった時のために、俺たち生命体には免疫力や、命の危険に抵抗する力…いわゆる『防衛機能』が備わっている。風邪をひいて発熱するのは、体内に侵入した菌やウイルスを駆除するのが目的だ。傷や怪我を負ったならば、痛覚を麻痺させるために、脳内麻薬やアドレナリンが超特価タイムセールだ。そういう風に、俺たちの生命は出来ている」

 

「コイツを地球という生命体に置き換えて考えてみようじゃないか。今日まで地球を脅かしてきた人間達による環境汚染や、莫大な放射能を撒き散らす核実験。神様とやらが全て正しく回るように歯車を配したはずなのに、それが今となっちゃ見る影もない。この世界は間違いなく歪んでいる。結果として、世界そのものが老朽化してガタがきてしまっているのさ。他でもない、俺たち人間の『悪意』が原因でな」

 

「さて、これは困った。この人間の悪意というものは、地球という生命体にとってはタチの悪い病原体、歪みを生み出すウイルスだ。どうにかして体調を整える、あるいは病気を治すしかない。ではここで一つ、問題だ。地球にとっての免疫力、つまるところ防衛機能は、一体どこに存在するのか」

 

「・・・まさか…」

 

 

突拍子のない話だった。そんな生物学界の中でもキワモノ扱いされるだろう理論は、大学で文系科目を学ぶ自分にとっては、縁もゆかりもない話のはずだった。それでも、直感できた。『幻想殺し』。『神浄の討魔』。幾重にも絡まっていた糸が、段々と解けていく爽快感。本来であれば心地よいハズのその感覚は、今の上条当麻にとって不快でしかなかった

 

 

「噴火?落雷?地震?津波?台風?自然の猛威?まぁそれも結構だろう。実際それで解決できていた時代もあった。だが、もう手遅れだ。そんな地球にとっては咳やくしゃみでしかない、病原体を体外に出す程度の防衛機能じゃあ、巨大な生命体を蝕む悪意は消せはしない。この世界はいささか歪みすぎた。病原体を根絶させる為の抗生物質が必要だ。そう、薬だよ。歪んだ世界を元に戻すための、地球に救いをもたらす文字通りの『神の薬』だ」

 

「だから俺様がその薬を処方して、世界を本来あるべき姿に…限界を迎えた神の歯車を交換し、元に戻してやるのさ。必要に応じて気候を変え、汚れを洗い、悪意を取り除き、その後改めて十字教という潤滑油を差して元の軽快な動きを取り戻す。そして世界中の人間が知るのさ。俺様に従いさえすれば、他でもない俺様の手によって世界中の人間が救われる瞬間を、その目で見られるのだということに」

 

「まぁ大方察しているとは思うが、コイツはほとんど、実際に『神の薬』の力を有していた、左方のテッラの受け売りだ。なんせお前がここに来るまで四年だ。語らう時間なんざいくらでもあった。それこそ、ワイングラス片手に丸5日話し込むぐらいにな。おかげで全てを十字教の尺度でしか考えていなかった俺様も、随分と博識になったもんだ」

 

「・・・だからお前は、この右手を…『世界の基準点』って性質を持っている幻想殺しを必要としている…ってことか?」

 

「違うな」

 

「え?」

 

 

上条にとってフィアンマの短い返答は、予想の斜め上をいくものだった。ここでてっきり、彼は首を縦に振るものだと思っていた。しかしそんな彼の密かな期待にも似た感情は、より深い、底の見えない謎の前に散った

 

 

「言ったはずだ。俺様の目的はお前のフラクトライト、つまりは『お前の魂』だと。その輝きに惹かれた幻想殺しが目標だと言ったが、その魂自体に用がないとは一言も言っていない」

 

「『神の薬』を司る、左方のテッラという男は、今思えばお前という存在の正解に限りなく近かった。だが、それだけでは俺様たち神の右席が目指す場所には到達できない。ヤツはそれが分かっていたから、右手しか求めなかった。だが、俺様は違う。貴様の魂の正体を知覚し『神の如き者』を司る俺様なら、至ることが出来る」

 

「『La Persona superiore a Dio』…すなわち『神上』にな」

 

「・・・神上?」

 

 

流暢なイタリア語の後に続いたのが、自分の名前であったことに、上条は疑問を抱いた。そもそもそれは、自分の真名と同じ呼び方なのか、それすら定かではないが、フィアンマがそれに答えることはなかった

 

 

「『神の子』を人の手で処刑するという力関係の矛盾を基にした魔術理論…『光の処刑』。その効果は『優先順位の変更』。つまり、人が神の上に立つ。人こそが全能の神にも似た真なる意思に目覚め、世界の歪みを裁定する。それこそが、お前の内側で脈動し続けていた力。その魂の正体……」

 

「『神浄の討魔』。その言葉の意味は、もういちいち俺様が説明しなくたって分かるだろう?」

 

「・・・世界の良くない部分を、『優しく癒す(じょうかする)』か…あるいは、『冷たく切り取る(うちほろぼす)』ための…力……?」

 

 

右手の奥底に眠る…『竜』。それは財宝の番人にして、善悪の二元論を丸ごと横断する存在。すなわち、それこそが、世界を癒す薬。『召喚失敗の際に退却せぬ者を魔法陣の向こうへ追い返す右手』ではなく、少年自身に付けられた名前

 

 

「つまり、アレイスターが学園都市で…SAOで育てたかった力は……」

 

 

同時に、そういう話だったのだ。少年が能力を操っているのか、能力が少年を定義づけているのか。あの変わり者の魔術師は、彼なりの方法で、全ての位相を切り取ろうとした。かつて自分の娘を、誰かを不幸にする魔術をなくしたいと思って、全てを背負った。その為の『計画』を練った。それなのに、目の前で崩れていった。それをどう受け止めて良いのか分からなかったから、悪ぶって冷淡に振る舞うしかなかったのか

 

 

「『幻想殺し』でも、『竜王の顎』でも…なかった……?」

 

 

本当はあの『剣の世界』で、完成するはずだったのだ。スキルという見えやすい形にしてまで、夏に記憶を失った自分に気付かせようとした。それなのに、あの力は別の形になってしまった。『天叢雲剣』という、鋼鉄の城に囚われた10000人の願いの集積体。それこそがおそらく、最大の弊害。たった10000人の願いが、世界が望んでいたシステムを何かの因果で上回ってしまった

 

 

「テッラが言っていた…記憶を失う前の俺は、ちゃんと右手の運用方法を分かってたって…」

 

 

人間は環境を観察することで意図して確率を変動させて様々な能力を生み出し、操る。そのために見える世界を歪めて『自分だけの現実』と呼ばれるまでに成長させていく。これが学園都市製の、科学的な超能力の基本ロジックだ。そう。自分のイメージで、見える世界を、『歪める』

 

 

「つまり…高一までの俺は、分かっていて学園都市にいたってのか…!?俺の魂に眠る力をいつか形にする必要があるって…大なり小なり理解していて……!?」

 

 

では、能力の方が人間をじっと見ていたとしたら?世界の観測者として、そこで確率を操る力があったのだとしたら?仮にそうだとして、その未知なる力に上条当麻本人のみならず、人類全体の誰であっても思考する存在の内外を操ることも出来たのではないか。他ならぬ、世界の基準点である右手と、その世界を裁定する自分の魂があれば

 

 

「だから、何度もそう言っている」

 

「ッ!?」

 

 

呆れたような口調で、唇に不敵な笑みを浮かべながら、フィアンマは言った。そして自分のこめかみを、指先で軽く二度叩いてから続けた

 

 

「『魔術的記憶』という概念がある。魔術的とは言っても、魔術を使うわけじゃない。人間の記憶ってものは、脳に記憶されている分だけでなく、魂そのものにも記憶されいる…つまり、例え脳細胞が破壊されて記憶を失い、本人がある知識や出来事を思い出せなくなったとしても、その人間の持つ魂は全てを記憶しているとする考えだ」

 

「だから俺様たちがいるべきだったアンダーワールドで、あの事件が起きた日の夜。『アレ』はお前の右手の肩口から出てきた。フラクトライトに直接情報を書き込むSTLで、お前の魂に直に干渉していたから。右手と、その奥の力の運用方法を知っている魂が、その顔を覗かせた」

 

「そして、全てを貪り尽くそうとした。こんな作り物の世界は、自分のいるべき場所ではない。歪んだ世界だと。所詮は仮想でしかない世界をぶち壊して、現実に戻ろうとした。その結果、こちらのアンダーワールドと同化しかけていた、お前のいたアンダーワールドに変調が起こった」

 

 

そこから先は、言われなくても分かった。本来は決して交わるはずのない二つの世界が、一つになった理由。それは元々、安易に異世界の技術を持ち出した自分のせいだという自負はあった。しかし、そうではなかった。否、それだけではなかったのだ。

 

 

「・・・そうか…そうだったのか…俺がカセドラルの頂点で行使した記憶解放の力が、それを最悪な形で後押ししたんだ。10000人の願いの結晶だったはずの天叢雲剣に『神浄の討魔』の…世界を元に戻そうとする力、悪いモノを切り取ろうとする力の記憶が、カーディナルが星空の剣に俺の記憶を書き込んだ時に紛れ込んだんだ…だから、俺がいたアンダーワールドは……!?」

 

「さて、もういいか」

 

 

言って、フィアンマはゴキンッ!と右手を当てながら首の関節を鳴らした。同時に吹き荒れるようにして伝わってくる、第三の腕を現出させる彼の心意の凄まじさに、上条当麻は息を呑んだ

 

 

「もはや成長の見込みがない貴様では、その右手と魂は宝の持ち腐れだ。だから俺様がその役を変わってやるよ。さぁ、この『神の右手』を取れ。そうすれば、後に待っているのは理想郷だ。お前一人の犠牲で、全ての悪意は打倒される。悪い話じゃないだろう?自己犠牲は、元よりお前の専売特許じゃないか、『ヒーロー』」

 



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第44話 正義と悪

 

「・・・俺の身の上については分かった。だけど、それとこれとは話が別だ。今の話を聞いたところで、はいそうですか。じゃあ俺の魂も右手も自由に使って下さい…なんて台詞は口が裂けても言えねえ」

 

「ツレないな。まぁ、それならそれで話が早い。今まで通り力づくで……」

 

「だけど、その前に一つ聞かせろ」

 

「・・・ほぉ?ここまで語っておいてそれか。つくづく会話が好きなんだな」

 

「そういうわけじゃねぇよ。だけど、どうにも腑に落ちねぇことがある」

 

「何だ?」

 

 

フィアンマが訊ねると、上条は大きく息を吐いた。そして刺すような視線を彼に向けると、低くも芯のある声で言った

 

 

「お前らの目的が、人類を平等に救うってのは…まぁいいとしても、だ。だけど、その目的に一体なんの意味があるってんだ?それを達成しようとする動機、それを達成してお前らに一体なんのメリットがある?」

 

「それをお前が聞くのか?大して動機もリターンもないのに、目に付いた事件に首を突っ込んで、特に関係もない人間に手を差し伸べる理由を問いているのなら、お前も大差はないだろう?」

 

「かも、な。だけど俺に出来たのなんざ、その事件の渦中にいた個々人くらいで、とても世界中の人間を救うなんてスケールで何かを考えたことなんてない」

 

「ならSAOはどうなんだ?あのデスゲームに囚われ、75層まで生き残った全員を、お前はアレイスターを倒すことで救ってみせたじゃないか」

 

「そんなのは、俺が救ったなんて言えない。あの世界で生き残ってた人達は、全員が何かと戦って生き残ったんだ。モンスターと戦うことはもちろん、ゲームに囚われた孤独や、本当に現実に帰れるかどうか分からない不安とな。あの日、75層でゲームがクリアされるまで生きていたみんなは、そういった目に見えないものと懸命に戦って生き残ったんだ。たとえ最後の仕上げをやったのが俺だとしても、それは俺の成果じゃない」

 

「・・・ふむ…」

 

「だけど俺自身が、あそこにいた全員を救いたいと、別に思わないことはなかった。だけどSAOで戦っていた時には、なんとかして現実に戻りたいっていう、俺自身の願望があった。言ってみればそれが動機だ。あの世界にいた人は、誰だって元いた場所に戻りたいと思っていたことに違いはない。俺もその一人だった…それだけだよ」

 

「そう、それだよ。俺様の動機もつまるところ、それと似たようなものだ」

 

「は?」

 

 

フィアンマから返ってきた突然の返答に、上条は思わず食い気味に声を出した。その言葉の意味が分からずに、すっかり放心してしまっている上条を見たフィアンマは、額に手を当てながら、やれやれと言った様子で首を振った

 

 

「自分の身の回りで起こる変調を正すことに、大それた理由がいるのか?気が向けば、道端にあるゴミを拾うことだってあるだろ。自分と親しい人間が何か悪さをすれば、どうにかして更生させたいとは少なからず思うだろう」

 

「それが世界規模になっただけだよ。なぜなら、俺様にはその力も思想もあったからだ。人間の悪意で侵された世界を掃除して、全ての人間が平等に救われ、本来あるべき姿に戻る…なんとも十字教的じゃないか。神が敬虔な十字教徒のみを招き入れるとされる『神聖の国』としては、まさに理想的だ」

 

「まぁ人間的な理由で言えば…単純に待ちくたびれたんだよ。そして何より、飽きた。創世の頃より伝わる神話の救いは、あまりにも遅すぎる。こんなにも世界は醜く歪み、人間の悪意が蔓延っているというのに、その片鱗すら見せたことがない」

 

「そのトリガーとなるはずだったお前も、今やただの腑抜けだ。だったら俺様が、自分自身でその救いをもたらす神になってやろうと思うのに、これ以上の理由がいるのか?」

 

「・・・分かった」

 

 

深く息を吐いて、上条は短く言った。そして右手を握りしめて拳に変えると、目の前の赤い男を刺すような視線で睨みつけた

 

 

「もう、いい。多分俺とお前は、水と油だ。どれだけ会話を重ねても、分り合えることがないってことが分かった。これ以上は、偏屈な老害と話すのと同じだ。お前のイカれた宗教観に、俺が自分の右手と魂を差し出す理由はねぇし、お前の言う救いが本当に世界の人の為になる保証がねぇ。もしも俺の魂にまつわる話が本当なら、俺はいい加減な物分かりでソレを渡しちゃいけない義務がある」

 

「少なくとも、俺が守りたいと思う人工フラクトライトを殺して笑っていれるようなヤツに、渡す理由はない。挙げ句の果てには、世界中の人を皆殺しにして、『はい。これが俺様の救いです』なんて、笑顔で言いそうなヤツにも見えるよ。俺にとってのお前は」

 

「なんだ?まるで俺様がカルトの教祖だとでも言いたげじゃないか。言っておくが、十字教は別に狂信者だらけの集団じゃない。真剣に神を尊ぶ、敬虔な教徒ばかりの信仰宗教だ。俺様が属するローマ正教なんてのは、その一部でしかない」

 

「世界を救うことが、本当にローマ正教にとって正しい教えだってんなら、俺も別に文句は言わねぇよ。だけどな、お前はもう既にこの世界で多くの犠牲を出してる!さっきだってエルドリエを見せしめのように殺した!そんな命を弄ぶような行為のどこに救いがあるってんだ!答えろよ!?」

 

 

上条が語気を荒げて、フィアンマに迫った。しかし彼の態度は、こめかみに青筋まで立てている上条とはまるで対照的に、両手を叩き合わせて大声で笑っていた

 

 

「はっはっは!おいおい、俺様を笑い殺すつもりか?犠牲?命?この世界の住民にそんなものがあるのか?いかに人工フラクトライトが人間と同等の知性と魂を持っているとしても、俺様から見ればあんなもの、所詮は電気がなけりゃ動かないただの機械と同じだ。俺様の救いの対象は、あくまでも現実に命を持って暮らす無辜の民だ。あんなのは過程にすら至っていない」

 

「ふざけんじゃねぇっ!何が世界の人々を救うだ!誰かがお前に世界を救ってくれなんて頼みでもしたのかよ!?テメエが勝手に決めた救いと幸せを、テメエが勝手に押し付けて満足したいだけだろうが!テメエの自己満足に、勝手に俺たちを巻き込むんじゃねぇ!」

 

「くっくっく、つくづくヒーロー体質なんだな、お前は。どうあっても仮想世界の物語の主人公になりたいと見える。まぁ当然と言えば当然か。お前はあのSAOを終わらせた、側から見れば文字通りの『主人公』なんだからな」

 

「・・・なに?」

 

「じゃあ聞くが、お前は今の自分の言動が絶対に正しいと胸を張って言えるか?ことプレイヤーが自らの命を賭けていたSAOでは、大半の人間が死にたくない、元の世界に戻りたい、そんな願いを持っていたのは俺様とて否定はしない。だが全員がそうではないかもしれないと、ほんの少しでも考えたことはなかったのか?」

 

「・・・?」

 

 

それは本来であれば、論点をすげ替えているだけの、いくらでも無視できるはずの言葉だった。だがフィアンマの言い草は、無性に上条の思考を掻き乱した

 

 

「こんなことで死にたくはない。だけど現実になんて戻りたくない。現実に戻っても辛い思いをするだけだ。ならばいっそ、このままこの仮想世界で余生を終えるのも悪くない…そう考える者が一人でもいないと、お前は一度でも考えたことがあったか?」

 

「ッ!?」

 

 

上条に、否定の言葉はなかった。生き残った6000人の心情、その一つ一つ全てを理解することなど、誰にも出来るわけがない。そんなのはフィアンマだって同じのハズだった。しかし、彼の言葉が正しくないとする言葉は、頭のどこを探しても出てこなかった

 

 

「ははっ、ないだろ。正確に言うならお前が真に救いたかったのは、あの世界にいた一部の人間だけだ。生き残った全員を救えたのは副次的なものだと言ってもいい。それなのにお前は全員が生きていて良かったと、生き残った全員がどんな心持ちでいるのかも知らずに、自分のしたことは正しいことだと嘯いている。どうなんだこれは?お前の言う自己満足とは違うのか?」

 

「そ、それは……」

 

「そら、所詮お前の救いの尺度なんてその程度さ。誰かを傷つけなければ、誰も救うことができない。まるで平等じゃない。結果だけを見れば全てが許されるのなら、この世界は今ごろ空想のお伽話の仲間入りを果たしてる頃合いだろうな」

 

「ち、違う!俺は…俺はっ…!」

 

「ほら、それだよ。俺様が言いたいのは」

 

「・・・・・は?」

 

 

取り乱しながら反論しようとした上条に、フィアンマが人差し指を向けながら言った。その小さな動きに上条が再度言葉を詰まらせると、フィアンマは彼の呆けた顔を鼻で笑いながら続けた

 

 

「特になんの根拠も持たず、頭ごなしに相手の考えを否定する。それは紛れもなく、自分の考えこそが正しいと疑っていない証拠だ。お前には俺が悪に見えるのなら、自分が正義だとする理由は何だ?主人公が絶対に正しい、ヒーローが絶対に正しいなんて誰が決めた?その先に待っている結末が、何よりも尊いものだなんて誰にも分からないだろうに」

 

「なんならもっと正確に言ってやろうか。お前は簡単な解決策に自分から甘んじて、ただ正義を振りかざす自分に溺れてるだけだ。何かの事件に巻き込まれれば、誰かを悪役だと自分の正義に照らし合わせて決めつけ、その悪を殴り飛ばすことで解決したことにする。そんな凝り固まったエゴと暴力の化身…それが『上条当麻』という人間の本性だ。そこには『幻想殺し』も、『神浄の討魔』というお前の本質も関係ない」

 

「確か、テッラと戦う時も言っていたな。この世界のために戦う?笑わせるな。お前は所詮、この世界の一部にしか目を向けていなかっただけだ。お前が救いたいと思っているのなんて、お前がよく知り得ていて、善だと思っている人界の民だけだ。その証拠に、お前は特に理由もなく、かと言って知ろうともせず、自分の領域を侵略してくるから。たったそれだけの理由で闇の軍勢に拳を向けた」

 

「こんなたかが10万かそこらの住人しかいない世界の善悪も正しく測れないのに、現実にいる70億の人間の幸福を明確な形で定義し、それを実現できるのか?俺様が手ずから享受する救いが、彼らにとっては救いには絶対になり得ないと確証を持って言えるのか?俺様のやる事を否定する自分が正しいと、世界に向けて誓えるのか?」

 

「ち、違う…俺は…俺はただ………」

 

 

掠れた声が、喉から漏れ出す。まるで岸に打ち上げられて水を求めようとする魚のように、何度も乾いた唇を動かす。もう耳を塞いでしまいたい気分だった。自分はそんな独善的な人間ではないと言いたくても、それに続く言葉は、上条当麻の中には存在しなかった

 

 

「目を背けることはいい加減辞めにしないか?もうあれから四年も経つんだ。いい加減ヒーローごっこにも満足しただろう。あのデスゲームに幕を引き、数多の人間の命を救った…あぁ、体裁だけに目を向ければ十分すぎるほどの偉業じゃないか」

 

「それを体裁で終わらせない為に、お前の右手と魂を、俺様の『聖なる右』に捧げるだけだよ。どうだ、簡単だろう?今までお前がしてきた、悪役を見つけて暴力を振るうことよりも、何よりも簡単だ。それだけで救える。借金も失恋も、殺人も傷害もない、万人にとっての平等な幸福が、お前が右手を差し出すことで享受される」

 

「もう一度自分の胸に聞いてみろ。自分の方法が正しいか、俺様の方法が正しいか。それでも自分の正義こそが正しいと息巻くなら、お前はどうしようもないバットエンドを招く主人公になるだけだ」

 

「それこそいずれ、そのエゴと暴力を生かしてどこぞのカルト宗教の教祖にでものし上がれるんじゃないか?根拠もなく他者を絶対に間違っていると思い込み、自分だけが絶対に正しいと信じ続けるーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その思想こそが、お前の思う『正義』とは相反する、『悪』という思想に他ならないのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・う、うわ……うわぁ…うわぁぁぁ…!うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!」

 

 

どうにかなりそうだった。思考も、視界に広がる景色も、全てが真っ暗になりそうだった。気づけば上条はみっともなく叫んで、右拳を振りかざしながらフィアンマの元へ走り出していた。今すぐにコイツの口を閉ざさなければならない。全てが正論に聞こえるからこそ、もう彼の話を聴き続けられる心の余裕はなかった。そうでなければ、自分は確実に自分の在り方を見失う。手段を選んでいる暇はない

 

 

「おいおい、いくら図星だからってそんなに怒ることか?いや、その激情に任せて殴り掛かってくるのを鑑みるに、俺様の話なんてロクに聞いてなかったか。ちゃんと会話出来ていたのなら、今さら暴力で訴えはしないだろうからな」

 

「黙れ!黙れええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーっっっ!!!」

 

 

たとえそれが、今まさに否定されていた方法だとしても、もうそれしかなかった。今までだって自分は、それでなんとか出来ていた。だが裏を返せば、またその選択肢しか選ぶことができなかった現実が、またも上条の理性を蝕んだ。そんな彼を嘲るようにフィアンマが右手を差し向けた瞬間、それは舞い降りた

 

 

『ラーーーーーーーー』

 

「ーーーッ!?」

 

 

オーロラのような、七色の光のカーテン。それが目に付いた瞬間、上条は咄嗟に駆ける脚を止めた。ゴッバァ!!という轟音と共に上条とフィアンマの間合い横断したそれは、いとも簡単に彼らの間に広がる大地を引き裂いた

 

 

「・・・なるほど、これは流石に面倒だな。まぁいい、むしろ幸運と取るべきなんだろう。おかげで新しい娯楽が増える」

 

「ま、待てっ!!」

 

 

七色の光の向こう側でフィアンマは呟くと、その光の奥へと踵を返して歩き始めた。それを見た上条は藁をも掴む思いで右手を伸ばしながら叫んだが、そんなものを気に留める様子もなく、フィアンマの人影は光の向こう側へと消えていった

 

 

「精々足掻けよ、上条当麻。遅かれ早かれ、お前が自分の存在価値を見失う時を、楽しみにしておいてやるよ」

 

「ま、待て…待ちやがれーーーっ!!!」

 

 

それだけ言い残して、彼は影も残さず消えた。後に残されたのは、底なしの闇を覗かせる膨大な峡谷と、心に穴が空いたような虚無感だけだった

 



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第45話 アスナ

 

「・・・ぁ…」

 

「気が付いたか、嬢ちゃん」

 

「小父様…?」

 

 

手綱を引く騎士長ベルクーリの腕の中、飛竜の翼が流す風に肌をなじられながら目を覚ました。うっすらと開いていく瞳で周りを見渡すと、そこが最後に記憶を残していた場所から大分離れていることを悟った

 

 

「・・・はっ!か、カミやんは!?カミやんはどうしたのですか小父様!?」

 

「エルドリエを殺した野郎の相手をすると、あの場所に一人残った。勝てるかどうか分からんとは言っていたが…まぁ信じるしかあるまい。気を失っていた嬢ちゃんはもちろんとして、俺がいたところで大した手助けは出来そうになかったしな」

 

「そう、ですか……」

 

 

小さく呟いて、アリスは唇を食んだ。エルドリエを守れなかった悔しさと、その仇に歯が立たなかった自分にどうしようもなく腹が立ち、噛み締めた唇から一滴の血が滴った

 

 

「・・・で、だ。起き抜けのとこ悪いが、気を締めてくれ。ヤツらが来る」

 

「ヤツら?」

 

「見てみろ」

 

 

言ってベルクーリは北を顎で指した。それを追うようにアリスが視線を下に逸らすと、一キロルと離れていない先から早足で迫ってくる拳闘士達が目に入った

 

 

「拳闘士…!?彼らはシェータ殿とミコトが足止めしていたハズでは!?」

 

「よく見てみろ。先頭はあの脳筋どもだが、後ろに控えてるのは暗黒騎士団だ。おそらく拳闘士達が本隊に追いつかれたってんで、戦線離脱して合流させられたんだろう。シェータとミコト嬢ちゃんについても、流石にあの人数を相手にするのは無理だと踏んで、同じく離脱したんだと見るのが妥当だ」

 

「ですが、もし彼らにこのまま侵攻されてしまえば…」

 

「間違いなく俺たち遊撃部隊は壊滅だな。ってワケで、誰かが殿を務めなくちゃならん。出来れば俺一人でやろうと思うんだが…」

 

「冗談を言わないで下さい。そんな理由で私が小父様を一人置いていけるとでも?」

 

「だよなぁ…まぁ、しょうがねえ。そういうことなら準備しな。遺書を記す時間もなけりゃ、遺言を聞かせる相手もいねぇが…まぁなんとか……ッ!?」

 

「なっ!?」

 

 

突然、飛竜に跨る二人の遥か上空から七色の光が降り注いだ。あまりの眩さに目を瞑り、それを開いた次の瞬間には、世界そのものを二つに隔てているのではないかと思えるほどの巨大な峡谷が広がっていた

 

 

「お、おいおい…今度は何だ?一万人の神聖術師が束になろうが、果てはあの最高司祭にだってこんな芸当できねぇだろ。この峡谷、幅100メルは余裕であるぜ……」

 

「で、ですが見てください小父様。侵略軍が足を止めました。流石の拳闘士も、あの峡谷を前にしては進軍は不可能なようです」

 

 

そう言ってアリスが指差した先の地上では、巨大な地割れの向こう岸で行く手を遮られた五千人の拳闘士たちが、呆然と立ち竦んでいるのが見て取れた

 

 

「神聖術でないとすれば、心意…いえ、これはもはや『神威』と呼ぶべき事象でしょう。ミコトの雷すらも霞んで見える、文字通り神の御業です」

 

「・・・暗黒神ベクタに続いて、新たなる神が地上に降臨した…ってか?」

 

 

ベルクーリは畏怖とともにそう考えたが、しかしすぐにその考えを否定した。万物に天命を与え、それを滅する権限を持つ神が人界守備軍に味方すると決めたのならば、拳闘士団の真下の地面を引き裂いて容赦なく地の底に墜としていただろう。しかし地割れは、全速で疾駆していた彼ら全員が安全に停止できるだけの余裕を生じさせていた。騎士長はそこに、多くの命を消し去ることへの躊躇いを感じ取った

 

 

「・・・いや。つまるにこれは他でもねぇ、『人の意思』が作り出したモンだ」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ぅぐっ!?」

 

 

狂おしいほどの思慕を感じると同時に、針で突き刺されるような痛みがアスナの頭を貫いた。思わず顔を歪め、苦痛に呻く。ステイシア・アカウントに付与された管理者権限、『無制限地形操作』の使用に伴う副作用については、事前に警告を受けていた。フィールドという膨大な量のニーモニック・データが、アスナの使っているSTLと、アンダーワールドの全データが格納されたメイン・ビジュアライザーの間を瞬時に往復する過程で、フラクトライトに過大な負荷が発生するのだ

 

もし頭痛を感じた時はすぐ操作を中止するように、と強く言われている。しかしアスナは、出現座標のほぼ真下に、千人ほどの『人界人』と、南北から接近する膨大な『暗黒界人』の存在を認識するや、躊躇いなく地形操作のコマンドを唱えていた。北から接近する大集団は、その手前に長大な谷を刻むことで進行を止めた。しかしキリトがいるであろう場所に肉薄していた約三十人は、地面ごと消し去るしかなかった

 

彼らは全員、本物の魂を持つ人間だったのだ。キリトがどうにかして守ろうと、この世界で二年半ものあいだ苦闘し続けた、真のボトムアップAIたち。あるいは、死にゆく彼らの恐怖と怨念がSTLを逆流し、鋭い痛みを伴っているかもしれない。しかしアスナは、強く一度眼を瞑ってから、勢いよく見開いて刹那の迷いを打ち消した。自分の中の優先順位の最たるところは、キリト…ひいては桐ヶ谷和人の命に他ならなかった

 

 

「・・・どこ?キリト君は…」

 

「ステイシア、様…?」

 

 

アスナは頭痛からくる焦燥のあまり、背後から震える声が掛けられるまでその存在に気付かなかった。振り向くと、そこには学校の制服のような灰色のジャンパースカートを着た二人の少女たちが寄り添って立っていた。焦げ茶の髪と、赤色の髪をした少女たち。その片方の赤色の髪を持つ少女ティーゼ・シュトリーネンは、震える声でアスナに訊ねた

 

 

「あなたは…神様、なのですか……?」

 

 

非の打ち所がない完璧な日本語。しかし、ほんの少しだけ異国風のイントネーションが含まれている。そこにアスナは、アンダーワールドが独自に歩んできた三百年という歴史を、まざまざと感じ取った

 

 

「・・・いいえ、ごめんなさい。私は神様じゃないわ」

 

 

アスナは、ゆっくりかぶりを振りながらそう答えた。焦げ茶の髪の少女、ロニエ・アラベルが胸元できゅっと両手を握り、でも、でも、と繰り返し呟きながら言った

 

 

「あなたは、奇跡を起こして、私を助けてくれました。みんなを、恐ろしい闇の国の兵士から助けてくれたんです。衛士さんたちや、修道士さんたち…それに、キリト先輩も」

 

 

その名前を聞いた途端、胸を貫いた疼きのあまりの鋭さに、アスナは大きく目を剥いた。驚きにふらつきかけた体を立て直し、何度か唇を動かしてから、彼女はようやく囁き声を絞り出した

 

 

「わ、私はただその人に会いにきただけなの。キリトくんに、会いに来たの。お願い、どこにいるの?会わせて。キリトくんの所に私を連れていって」

 

「・・・はい、こちらです」

 

 

距離を取って見守る揃いの鎧を着た剣士たちの輪のなかを、少女二人に導かれてアスナは歩いた。連れて行かれたのは、一台の馬車の後部だった。分厚いカンバス地の幌が垂れ下がり、中の様子は伺えなかった

 

 

「キリト先輩は、こちらに……」

 

 

赤毛の少女の言葉が終わるのを待たず、アスナは両手で幌を開いて馬車の荷台に飛び乗った。よろめくように、奥へと進む。天井からぶら下がる小さなランタンが、積み上げられた木箱や樽を控えめに照らす中に、探し続けた少年はいた

 

 

「・・・・・!」

 

 

津波のように押し寄せて来る、圧倒的な感情の昂りに翻弄され、アスナは立ち尽くした。あれこれ思い描いていた、再会の言葉は喉に詰まって出てこなかった。やがて詰めていた息をそっと吐き出しながら、アスナは囁いた

 

 

「キリト…くん……?」

 

 

痛々しいほどに瘦せ細った体からは、右腕が失われていた。白黒二本の剣を抱える左腕にアスナの声が響いた途端、ぴくりと動いた。 俯けられたままの顔と、虚ろな瞳に細波のような震えが走ると、ひび割れ掠れた声が零れた

 

 

「・・・ぁ……」

 

 

かたかた…と、車椅子が小さく振動した。キリトの左腕が激しく強張り、首筋に腱が浮き上がった。俯いままの頰に、すうっと二筋の涙が流れ、胸に抱いた鞘に滴った

 

 

「ぁーー、あーーー………」

 

 

アスナは叫んで跪くと、愛する人の体を優しく、強く抱き締めた。自分の両眼からも、熱い雫がとめどなく溢れるのを感じた

 

 

「キリトくん…!いいよ…もういいよ!」

 

 

再会したその瞬間、キリトの魂が癒され、意識が戻るそんな奇跡を、期待していなかったかと問われれば、首を横には振れない。しかし、元より分かっていた。その為に、今自分がここにいることを。故に最後にもう一度だけアスナはキリトを強く抱き締めてゆっくり立ち上がると、振り向いた先で涙ぐんでいる二人の少女騎士に言った

 

 

「ありがとう。あなたたちが、キリトくんを守ってくれたのね」

 

 

両目から流れ出た右手で涙を拭き取りながら優しく微笑んだアスナが言うと、先ほどまで俯いていたロニエが震えた声で返答した

 

 

「あの、あなたは?ステイシア様でないなら、一体どなたなんですか…?」

 

「私の名前は『アスナ』。神様でもなければ、あなた達と同じ人間よ。キリトくんと同じように、外の世界から来たの。彼と同じ目的を果たすために」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「こりゃあまた何とも…たまげた、としか言えませんなぁ」

 

 

大型竜車二階デッキの先端に立ち、前方に突如出現した巨大な地割れを見下ろしていたガブリエルの耳に、どこかのんびりとした声が届いた。視線を向けると、デッキの隅に設けられた昇降ハッチから、恰幅のいい中年男が顔を出したところだった。それはレンギルという名の、商工ギルドの頭領。彼は幅広の袖を体の前で合わせると、深々と一礼した

 

 

「何の用だ」

 

 

抑揚のない声で、ガブリエルが片眉を動かしながら問うと、戦闘力はほとんどない将軍ユニットであるレンギルは、両手を顔の前に掲げたままちらりと左右に視線を走らせた。デッキにヴァサゴの姿がないことに気付いたはずだが、それに関しては何も言わず、改めて一礼して言った

 

 

「陛下。間もなく月が昇ります。さすれば…即時の御命令がございませぬようでしたら、兵たちに食事と休息のお許しを頂きたくまかり越しました」

 

「ふむ…」

 

 

呟いたガブリエルは、大口を開く大地のクレヴァスへと視線を向けた。あの地割れが、東西どこまで続いているのかを確認させるために放った偵察兵からはいまだ報告がない。つまり、一マイルや二マイルではきかないということだ。さりとて、土木作業で埋め立てられる深さではないことは考えるまでもない

 

 

「・・・ヴァサゴは逝ったか…」

 

 

口中で小さく漏らす。敵軍の行動を予測して戦場の南に潜ませたヴァサゴとその手勢も、この調子では何もできずに全滅した可能性が高い。もっともヴァサゴに関しては、こちら側で死んでも現実世界で目覚めることは分かっている

 

その彼が飲み込まれたであろうこの峡谷は、魔法ならば何とかなるのかと、ガブリエルはわずかに生き残った暗黒術師に検討させたが、あの規模の谷に大軍が渡れるほどの強度がある橋を架けるのはほぼ不可能という返事だった。総長ディー・アイ・エル級の術者が、再び多数のオークを用いれば…というものだった

 

 

(あの女も、現実の人間に勝るとも劣らぬ野心に満ちていた割には、随分と呆気なく退場したものだな)

 

 

しかし、そうともなればつまり、あの巨大な地割れは、謂わゆるこの世界の『ゲームバランス』から逸脱した代物だ。ダークテリトリー側のユニットに修復不可能な破壊を、人界守備軍側のユニットが実現できる道理はない。ならば、あれは現実世界からの干渉だ。アッパー・シャフトに立てこもっているラースのスタッフが、ガブリエルと同じようにスーパーアカウントでログインしてきたに違いない。そうガブリエルは直感した

 

 

「・・・面白くなってきたじゃないか」

 

 

新たにログインした人間の目的など、百も承知だった。厄介な局面になったことには違いないが、そうと解ればまだ対処の仕方はいくらでもある。そう考えつつガブリエルは、ごく微かな笑みを薄い唇の端に浮かたが、それをすぐに消し去って、レンギルに横顔を向けながら言った

 

 

「よかろう、今日はこの場所で野営を設置する。兵どもにはたっぷり食わせておけ。明日は忙しくなるぞ」

 

「はっ。陛下の御厚情、まことに痛み入ります」

 

 

レンギルは再び深々と平伏し、大型竜車のデッキからいそいそと姿を消した。沈黙が訪れた居城の中で、ガブリエルがため息を吐きながら玉座に腰を下ろした…その時だった

 

 

「よぉ、アックアが世話になったみたいだな」

 

「?」

 

 

背後から聞こえた声に、ガブリエルは咄嗟に玉座から飛び退きながら、振り向きざまに剣を抜いた。コツコツ、と靴底を鳴らしながら玉座の影から姿を現した男に、ガブリエルは低い声で言った

 

 

「・・・名乗れ」

 

「右方のフィアンマ。まぁ簡潔に言えばアックアの同僚だ。だが、安心してくれていいぞ。アイツはどうだったか大方の想像はつくが、俺様は違う。むしろお前たちの味方だよ」

 

 

白々しく挙げた両手の指先をひらひらと泳がせながら、フィアンマは言った。その佇まいに悪意も殺気も感じられないのが分かると、ガブリエルは一先ず黒剣を鞘に納めた

 

 

「私たちの味方とはどういうことだ。私たちに襲いかかったあの男は、カミジョウトウマという人間が目的だと言っていた。目的が違うハズのお前たちが、どうして私たちの味方になり得る」

 

「なるんだな、コレが。いやまぁ一概にそうとは言えないが、少なくとも俺様がお前たちの邪魔をすることはないさ。ただその代わりに、一つ呑んでほしい要求があるだけだ」

 

「なんだ、その要求というのは」

 

「この戦争では好き放題するがいい。別にアリスに興味がないのは俺様も同じだ。だが、上条当麻だけは殺すな。と言うよりむしろ、ヤツ以外全ての人工フラクトライトを殺し尽くせ。泣き叫びたくなるほどの地獄を具現化させ、自害したくなるほどの絶望を見せてくれ」

 

「断れば?」

 

「同じことだ」

 

 

短い返答の後、ドアッ!という爆音と爆風が渦を巻いた。そして何もなかったはずのフィアンマの右側にある空間に、巨大な第三の腕が浮かび上がり、ガブリエルを睥睨するように佇んでいた

 

 

「お前らの軍隊も全員消した後で、向こうも全員消す。ただそれだけだよ」

 

 

フィアンマが不気味な笑みを浮かべながら言うと、釣られるようにベクタもフッ、と鼻を鳴らしてから、第三の腕を一瞥もせずに彼の目を見据えて言った

 

 

「貴様に言われずとも目に付く人界のユニットは消すつもりだが、解せんな。『カミジョウトウマ』という人間には、そこまでする価値があるのか?それにその条件は、お前が一人でやった方がよほど簡単に済ませられると思うが?」

 

「上条当麻に価値がある…というよりも、ヤツがただ一人残されることに価値があるのさ。俺が一人でやっても圧倒的すぎて意味がない。ただヤツの憎悪だけが増すばかりで、無力な自分に絶望しない。アレコレ理由を付けて、また暴力で訴えるだけだ。それでは何より、俺様が面白くない」

 

「・・・よほど執心しているようだな」

 

「まぁな。お気に入りの玩具だよ」

 

「なら、そこまでしてカミジョウトウマを絶望させようとする理由はなんだ?何か恨みたくなるようなことでもされたのか?」

 

「まさか。ヤツの存在にはむしろ感謝しているさ。まぁ、いずれはヤツの方も俺様に感謝することになるだろうがな」

 

「・・・・・」

 

「それと、これは一つ手土産だ。お前らの狙っているアリスは、金色の髪に黄金の鎧、そして黄金の剣と…ともかく金ピカまみれな整合騎士だ。参考にするといい」

 

「・・・なるほど。開戦から間もなく黄金の嵐が吹き荒れ、信じられない規模の術式による爆撃があったと聞いたが…アレが……」

 

「まぁ、俺様にとってはそんな人工知能よりも、本人が身につけている黄金の方がよっぽど魅力的だがな。まぁ、だからと言って横取りする気もない。信じる信じないは好きにするといいさ」

 

 

なんとも会話しづらい相手だと、ガブリエルはため息を吐きそうになった。まるで空気と会話しているような気分だった。こちらが何を聞いても、疑問に対しての核心を突いていない、ボンヤリとした答えを返すだけのフィアンマに、少なからぬ苛立ちを感じていた

 

 

「・・・これ以上は時間の無駄だな。だから最後に一つ聞かせろ。お前の目的は一体なんだ?カミジョウという人間を欲するその先で、一体何を求めている?」

 

「救世主だよ」

 

 

二つ返事だった。しかしまたしても何の意味も分からない答えに、ガブリエルは呆れたように眉を下げようとした時、続いてフィアンマの口から言葉が紡がれた

 

 

「いずれ分かることだ。その瞬間が来るのは、お前たちの世界とて例外ではない」

 

「・・・私たちの世界?」

 

「救世主。読んで字の如くだよ。人間の犯した罪の全てを洗い落とす、そんな神にも等しい存在が現れるのを、生きとし生ける者全てが望んでいる。そんなナリをしているんだ。聖書くらい読んだことがあるだろう」

 

 

まるで世界全てを覆うように、フィアンマは両手を広げた。そして第三の腕が夜天へと伸びると、滑らかな口調で彼は切り出した

 

 

「全人類が待ち望んでいた時が来たのさ。黙示録20章15節『このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。』そう記されている通り、終末が訪れ、生まれ変わる時が来たのさ。俺様たち人間の全てが過去になり、全てが救われる。だからお前たちの世界の人間も、その時が来れば全てが分かる。終わりの始まり、そして救いの瞬間に、神が舞い降りることの喜びがな」

 

 

はははははははは!!という甲高い笑い声が響くと、フィアンマは右肩に鎮座していた第三の腕を一薙させた瞬間に、ガブリエルの前からその姿を消した

 

 

「・・・ふん…」

 

 

ガブリエルは大きくため息を吐いた。アックアが今際の際に語った、『神の如き者』。それがフィアンマであることは、考えるまでもなく直感していた。そしてどこかで、興味を持っていた。魔術という自らが知り得ぬ領域の頂点に立つ者。その魂は、一体どのような輝きを、味を秘めているのか。それをようやっと垣間見た彼は、小さな声で呟いた

 

 

「期待外れだな」

 



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第46話 合流

 

「キリト先輩と、同じ世界…?」

 

「そ、それは……神界のことなのですか?創世三神や、素因を司る神様、天使たちが暮らしている天上の国のことを……」

 

 

赤色の瞳と藍色の瞳を不思議そうに見開きながら、ティーゼとロニエは訊ねた。それに対し、純白と眩い黄金が光る鎧に身を包んだアスナは、慌てて首を振って答えた

 

 

「いいえ、違うわ。確かにこの国の外側にある世界だけど、決して私たちのいる場所は神様の国じゃないの。だって…このキリト君が神様だの天使だのだなんて、とても想像つかないでしょう?」

 

 

すると少女たちは車椅子に眼を向け、ぱちくりと瞬きしてから、揃って小さく笑みを漏らした。すぐに慌てた様子で表情を正し、こくこくと頷いてティーゼが言った

 

 

「そう、ですね…毎日学院を抜け出しては、買い食いしに行く神様なんて、いないと思います」

 

 

今度はアスナが唇を綻ばせた。まったく、この世界でまでそんなことしてたの…と、呆れるようで嬉しいようで、またしても目頭が熱くなりかけているのが分かった

 

 

「ではその、外側の世界というのは…いったいどういう場所なのですか?」

 

「それは…えっと、ごめんなさい、ひと言では言い表せないわ。この場の指揮を執っている人たちにも同時に説明したいから、案内してもらえる?」

 

「は、はい。解りました。こちらです」

 

 

訊ねたロニエは神妙な面持ちで頷き、ティーゼと共に馬車の出入り口へと向かった。二人を追いかけようとしたアスナは一瞬足を止めると、もう一度だけキリトの方へ振り返った

 

 

(・・・だいじょうぶ。もう大丈夫だからね、キリトくん。後は全部、私に任せてね)

 

 

心の中でそう囁きかけ、ようやく力の抜けた左手をそっと握ってから、アスナは身を翻した。木箱の間を通り抜け、幌を持ち上げて荷台から飛び降りる。アスナの白いブーツが地面に触れた、その瞬間。金色の輝きが視界に飛び込んだ

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

剣の閃き。そう認識する前に、アスナは反射的に動いていた。右手が瞬発的に動き、左腰に装備されたレイピアを全速で抜き放つと同時に、二本の剣がぶつかり合う高く澄んだ金属音が、夜の森を貫いた。どうにか何者かの斬撃を弾いたアスナだったが、あまりの衝撃に右手が肘まで痺れる感覚に顔を顰めた

 

 

「はあああああっ!!!」

 

 

続けざまに、何者かの凛とした声が迫ってくる。飛び散った大量の火花が白く焼きついたままの視界に、息もつかせぬ次撃の剣光がアスナの瞳の中で瞬いた

 

 

(ただ防いでるだけじゃ押し込まれる…!)

 

 

一瞬で判断したアスナは、迫り来る金色の刃に細剣を向け、連続で突きを放った。三撃目で、どうにかその刃は止まった。鍔迫り合いに移行しながら、アスナはようやく、金色の剣を握る襲撃者の姿を確認した。そこにいたのは、息を呑むほどに美しい、金色の女性剣士だった。しかしてその瞳に燃やしているのは、こちらが気圧されそうになるほどの強烈な怒りだった

 

 

「なん、で……!?」

 

 

見るからに、この人は人界守備軍の人間のハズだ。こんな感情と剣を向けられる覚えはまるでない。そんな突然の出来事にアスナが戸惑っていると、キィン!という甲高い音がもう一度響いた。音の先を見れば、何の前触れもなく現れた三本目の剣が、ぶつかり合った二本の剣を真下から弾き上げていた。そしてその三本目の剣を握る人影は、剣を弾かれ後退した女性剣士とアスナの間に割って入った

 

 

「ちょ、ちょっとタンマタンマ!」

 

「み、ミコトさん!?」

 

 

真珠のように輝く細剣を右手に持ち、左手の平を何度も女性剣士に見せつけて静止を呼びかけていたのは、アスナにとっては旧知の仲である御坂美琴だった。なぜあなたがここに、そう驚いて問いかけるよりも前に、美琴が続けて金色の女性剣士に言った

 

 

「ちょっと落ち着いてよアリスさん!この人は…アスナさんは絶対に私たちの味方だから!」

 

 

『アリス』!その名前を聞いて、アスナは新たな驚愕に見舞われた。それでは、この凄絶なまでの美貌を持ち、巨岩のように重い剣を振るう金色の女性剣士こそが、世界初の真正ボトムアップ型AIであり、プロジェクト・アリシゼーションの粋を集めた結晶であるA.L.I.C.Eなのか。しかし、なぜそのアリスがこうも敵意を燃やして攻撃してくるのかについては、アスナには皆目見当がつかなかった

 

 

「退いて下さいミコト!キリトに近づこうとする者は、例え誰であろうと私の敵です!」

 

「な、なんつーメンヘラ…!?」

 

「そこの貴様!一体何者だ!?なぜ私のキリトに近づいた!?」

 

「・・・はぁ?」

 

 

美琴の静止を気にかけることなく、アリスはアスナに向かって叫んだ。その台詞を聞いた途端、アスナの中で、この場で立て続けに起こったありとあらゆる疑問や事情を脇に押しやる、一つの感情が音を立てて弾けた。具体的には、ものすごくカチーン☆と来た。その気配を肌で感じ取った美琴は、全身から冷や汗を噴き出させながら慌てて180度向きを変え、今度はアスナに向かって左手の平を何度も突きつけた

 

 

「ちょ、ちょっと待ってアスナさん!これは誤解なのよ!ほんの些細な認識の相違から生まれる誤解があって!その…!」

 

「なぜって…キリトくんは、私のだからよ!!」

 

「なっ!?なにを言うか狼藉者がっ!!」

 

 

美琴の仲裁も虚しく、アスナは歯を軋ませながら叫んだ。直後、美琴のすぐ傍で間合いを詰めきった二人の剣が再び火花を散らした。二人は再び鍔迫り合いに移行し、またも流れるような剣戟を繰り広げ始め、ギィン!ギィン!と甲高い金属音が連続した

 

 

「あ〜〜〜…ごめん、キリトさん。私は頑張ったのよ?だからこれは、うん。全部キリトさんのせいってことで…」

 

 

美琴はついに仲裁を諦め、遠い目で二人の激突の行く末を見守り始めた。その視線の先にいるアスナは、肘から肩まで届く衝撃に改めて舌を巻いていた。正直、剣の腕ではいささか劣ることを認めなければならない。互角に撃ち合えているのは、ステイシア・アカウントに付与されたいわゆる『GM装備』であるレイピア『ラディアント・ライト』が誇る高優先度の恩恵だった

 

 

「うーむ、こりゃあ実に何とも見事な眺めだな。咲き誇る麗しき花二輪、いや絶景絶景」

 

 

のんびりとした男の声が、二人の耳に届いた。同時に、それまで誰もいなかったはずの空間から、ぬうっと二本の逞しい腕が伸び、ごつごつした指が、アリスとアスナの剣の腹をひょいと摘み上げた

 

 

「「ッ!?」」

 

 

まるで万力に挟まれたかの如く、二人の剣戟が止まった。男の腕は啞然とするアスナとアリスを剣ごと軽々と吊り上げ、大きく引き離して着地させた。その男が現れた途端に、何歳か幼くなってしまったかのような雰囲気のアリスが怒鳴り声で抗議した

 

 

「なぜ邪魔をなさるのですかベルクーリ小父様!?この者は、恐らく敵の間者…!」

 

「ではない、と思うぞ。早々に戦死するところだった俺達を命拾いさせてくれたのは、こちらのお嬢さんなんだからな。察するに、君らもそうなんだろう?」

 

 

最後のひと言は、相変わらず眼を見開いているロニエとティーゼに向けられたものだった。二人はベルクーリの言葉に恐る恐る頷くと、交互にか細い声を発した

 

 

「は、はい。騎士長閣下。その方は、窮地に陥った私とティーゼを助けてくれたのです」

 

「腕の一振りで、敵の大部隊を奈落に落として…それはまさしく、神の御業でした」

 

「なっ!?」

 

「だから私もそう言ってんでしょうが…」

 

 

二人に続いて、美琴は呆れたように額に指先を当てて首を振った。そしてベルクーリは、アスナが地形操作して作り出した大峡谷の方向にちらりと目をやると、アリスの肩にぽんと右手を乗せて言った

 

 

「嬢ちゃんも俺と一緒に見たろう?天から七色の光が降り注いで、大地が幅百メルも裂けたのを。ひと息に蹂躙されるところだった俺たちを、このお嬢さんが救ってくれたのは間違いない事実だ」

 

「・・・ならば小父様とミコトは、この者が敵の間者でも、神画に描かれた装束を真似た不心得者でもなく、本物のステイシア神だ…などと仰るおつもりですか」

 

 

アスナは、黙したまま軽く唇を嚙んだ。ここで、人界軍の総責任者らしい騎士長に、神様だと認定されでもしたらまた厄介なことになりそうだ。しかし幸いなことに、ベルクーリは即座に口許をにやりと緩めるてからかぶりを振った

 

 

「いいや、そうは思わん。もしこのお嬢さんが本物の神様なら、最高司祭よりおっかないはずだろ?たとえば、いきなり斬りかかってきた乱暴者なぞ、容赦なく地の底に突き落とすくらいにはな」

 

 

これにはアリスも反論できないようだった。尚も敵意の消えない瞳でアスナに火花の出そうな一睨みを浴びせてから、長剣を鞘の鯉口にあてがい、シャキン!と黄金の剣を納めてから言った

 

 

「・・・いいでしょう。あなたを私たち人界守備軍の一人と認め、先ほどの無礼は謝罪いたします。ですが今後とも私の許可なく、その馬車には立ち入らないように。キリトの安全を確保するのは私の責務ですから」

 

 

実のところ、アスナにも大いに言いたいことはあった。要約すれば、「はぁー!?なによ、えっらそーに!あなたはキリト君のなんなのよ!?」と言いたかったが、深呼吸でその怒りと言葉をどうにか飲み下して、代わりにポツリと呟いた

 

 

「・・・あなたの方こそ、私のキリト君を呼び捨てにするのやめなさいよね……」

 

「何か言いましたか!?」

 

「いいえ!なーんにも!」

 

 

呟きから一転して大声で言うと、フンッ!と不機嫌そうに鼻を鳴らし、アスナはアリスから視線を切った。そして彼女はその先にいる美琴に目を向けて訴えると、それを受け取った美琴は、やれやれと言った様子でため息を吐きながら、手にしていた細剣を鞘に納めて口を開いた

 

 

「あ〜〜〜…今の言われた後に言う意味があるかどうかは分からないけど、とりあえずは私もベルクーリさんに同意見。アスナさんは神様なんかじゃないわよ。だって私の友達だもの」

 

「・・・へ?」

 

 

美琴の言葉に、アリスが素っ頓狂な声をあげた。一先ず落ち着きを見せた現状に息をついたアスナは、美琴と同じようにレイピアを鞘に納めつつつ、ベルクーリの方に向き直って口を開いた

 

 

「ミコトさんが言った通りです。こんな外見をしていますが、断じて私は神様なんて大それた存在ではありません。皆さんとまったく同じ人間です。ただ、あなた達の置かれた状況については、幾らかの知識を持っています。なぜなら私は、この世界の外側から来たからです」

 

「外の世界…!?まさかお前も、キリトやカミやんがやって来た場所から来たというの!?」

 

「えっ!?か、カミやん君までこっちの世界にいるの!?」

 

 

アリスが鋭く空気を吸い込んでから叫んだが、アスナも同じく驚いて叫んだ。そしてその言葉に美琴がハッとして、アリスに向かって問い質した

 

 

「ね、ねぇ!そういえばアイツはどうしたのよ!?アリスさん達と一緒にいたハズでしょ!?」

 

「・・・その、カミやんは…」

 

「あっ!カミやん先輩!!」

 

 

遠方にその姿を見つけたのであろうロニエが叫んだ瞬間、美琴とアリスは即座にそちらを振り向いた。その視線の先には、こちらを目指してゆっくりと歩いてくる上条がいた

 

 

「か、カミやんっ!」

 

 

その姿を見るなり最初に走り出したのは、アリスだった。彼女は上条の元にたどり着いて心配そうに彼の肩に手を置くと、その顔を覗き込みながら急きこんだ口調で問いかけた

 

 

「良かった!小父様からあの場に一人残ったと聞いた時は不安でたまりませんでしたが、無事だったのですね!?」

 

「・・・あぁ…」

 

 

そこでアリスは、違和感を覚えた。何というか、今の上条は、心を失ったキリトに酷く似ていた。顔を俯かせ、その瞳は中空を見続けていて、気の無い言葉が口から漏れるだけ。そんな上条の様子に一抹の不安を強めたアリスは、重ねて問いかけた

 

 

「そ、それでは…エルドリエの仇だったあの男を…右方のフィアンマと名乗った男を倒すことは出来たのですか?」

 

「・・・いや、悪い。逃げられちまった。急に大地が割れて…それで………」

 

 

言葉らしい言葉が返ってきて、アリスはホッとした。しかしそれでも、上条の様子がどこか虚ろであることに変わりはなかった。一体どうしたものかと思っていた時、背後から美琴の声が聞こえた

 

 

「ちょっとアンタ、今の聞こえたわよ。アンタが一人で相手をしようとしたってことは、相手はさっき言ってた『神の右席』ってことでいいのかしら?」

 

「・・・あぁ…」

 

 

またしても、気の無い返事。これを聞いた美琴もまた、何かが可笑しいと感じた。おそらく、彼に何かあったに違いない。自分達が感知していない戦いの中で、勝ち負けよりも決定的に彼の意思をここまで削ぎ落とす何かが起こった。そう美琴が思うのと同時に声をかけたのはアスナだった

 

 

「久しぶり、カミやん君。ミコトさんが颯爽と現れた時はちょっとビックリしちゃったけど、会えて嬉しいよ。理由はまだ分からないけど、カミやん君とミコトさんがいるなら百人力だわ」

 

「・・・あぁ…アスナか、久しぶりだな。やっと来てくれたのか、キリトも喜ぶ…あぁいや、そういやアイツまだ喋れねぇんだった。はっ、コッチはこんなに苦労してるってのに…相変わらずフザけたヤツだな、アイツは……」

 

「「「!?!?!?」」」

 

 

上条が薄ら笑いを漏らしながら言った言葉に、美琴、アリス、アスナの三人は全員が耳を疑った。上条当麻という人間は、口が裂けてもこんなことを言う人間ではなかったハズだ。そんな彼の態度に、彼と最も長い期間を共に過ごした美琴が食ってかかった

 

 

「ちょっと…!今のは冗談だとしても聞き捨てならないわよ!?この中で一番最初にキリトさんの様子を見て心を痛めたのは、アンタのハズでしょうが!その上、あまつさえ目の前にアスナさんまでいるこの状況で、アスナさんが今どんな気持ちなのか分からないほど鈍くないでしょ!!」

 

「み、ミコトさん!私なら大丈夫だから少し落ち着いて!?」

 

 

上条の着る黒い服の襟首に掴みかかって、美琴は声を荒げた。その様子を見かねたアスナが彼女を止めに間に入ったが、その傍にいる上条は、苦しそうにするどころかただ顔を俯かせているだけだった

 

 

「い、一体どうしたのですカミやん?あなたがそんな、心にもないことを言う人ではないことは私も分かっています。昨夜私と口論になったことをまだ引きずっているのでしたら、何か話してくれませんか…?」

 

「・・・悪い。今はまだ、無理だ。この後、またどうせ色々話すだろ。アスナがここにいる理由とか、俺たちがここにいる理由とか。適当にその辺ブラついてるから、そん時になったら呼んでくれ。少しは気分マシにしとくから…今は一人にさせてくれ」

 

 

アリスが不安そうな声で訊ねると、抑揚のない、機械音声のような棒読みの声で上条は言った。それだけ言い残すと、肩に置かれたアリスの手と、襟首を掴む美琴の手を払いのけ、フラフラと亡霊のように歩き始めた

 

 

「こ、こんのっ…!一人で勝手にショボくれてんじゃないわよバカ野郎ーーーッ!!」

 

 

ついに痺れを切らした美琴が、激情のままに上条の土手っ腹目掛けて電撃を放った。きっと彼はこれを右手で防いで、当然のように怒鳴り返してくる。話はそれからだ、そう美琴が思っていた時に、ズドオッ!という音と共に、電撃が彼の体を貫いた手応えが伝わって来た

 

 

「・・・・・え?」

 

 

ゴロゴロ…ズシャッ。と、地面を何度か転がって、美琴の電撃に吹っ飛ばされた上条の体が止まった。美琴はその光景を見て目を疑った。いつだったか、その特異な右手を使わずに、ただ一方的に自分の電撃を彼が喰らい続けた時があった。しかし、その時とは明確な違いがあった。あろうことか上条当麻は、美琴の電撃に右手を差し向けていたにも関わらず、その電撃は無力化されずに彼の体を貫いたのだ

 

 

「ね、ねぇ…アリスさん。アイツの右手って…」

 

「え、えぇ…神聖術や、武装完全支配術を消し飛ばしたり、不思議な力を持つ右手があるから自分には剣が必要ないと、事あるごとに……」

 

「ッ!?」

 

 

この世界ではあの右手はただの右手なのかもしれない、そんな美琴の淡い期待は、同じように自分の目を疑っているアリスの言葉によって水泡のように弾けた。ともあれ自分の電撃をマトモに受けた上条の元へ駆け寄ろうとすると、ムクリと何事もなかったかのように起き上がった上条がひとりでに呟いた

 

 

「・・・はっ。自分を見失った俺には…もう心意も、幻想殺しなんて力も似合いません…ってか。ほんと、フザけた奴だな…俺……」

 

 

自嘲して笑った上条の呟きは、美琴の耳に届いていた。そして、自分の心臓が止まりそうなほどに心を痛めた。目の前の彼は悪魔のデスゲームが終わっても、自分がまだ眠り続けていた時にも、ここまで気を落としていたのだろうか。いや、だからこそ、むしろ違うと思った。今の上条は、自分以外の誰かのことではなく、自分の何かを失ったのだと、そう美琴は直感できた

 

 

「ちょ、ちょっと……」

 

「・・・あぁ、大丈夫だよ美琴。俺は大丈夫だ。ちょっとしたら戻るから、先に始めててくれ……」

 

「待っ…!」

 

 

そう言って、上条は一人で薄暗い森の中へと背中を揺らしながら消えていった。呼び止めなければ…そう思うのとは裏腹に、美琴の喉から言葉が出てくることはなかった

 



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第47話 現実世界

 

「・・・よくもまぁ、ここまで拗れたわね。下手な昼ドラより複雑な相関図になってるんじゃないかしら」

 

 

その後、簡易的でありながらも野営を設置した人界守備軍遊撃部隊は、部隊長以上の地位にある面々を火を焚いた広場に招集し、作戦会議という名の状況説明を始めた。そして粗方の事情を整理し終えたところで、美琴は特大の溜め息を吐きながら言った

 

 

「自衛隊に米軍…か。現実世界側はアスナ達の方がよっぽど切羽詰まってるみたいだな。そのラースが管理してる、オーシャン・タートルって所からアスナとキリトはログインしてるんだよな?今こうして一緒にいるのはいいにしても、このままずっと米軍からの攻撃を気にせずにいれるのか?」

 

 

先ほどよりはいくらか顔色をマシにしてから会議に参加した上条だったが、それが貼り付けられたような表情であることは誰の目にも明らかだった。しかし、本人が何があったのかを話そうとする素振りを見せていないため、一先ず話し合いが出来るのならば今はそれ以上は望まないという、ある種の暗黙の了解のような形で美琴達は会議を進めていた

 

 

「うん。オーシャン・タートルにいた職員さん達の迅速な対応があったおかげで、即座に施設内の隔壁が降りたの。米軍が占拠したメイン・コントロールルームと、私たちのいるサブ・コントロールルームは完全に隔離されたから、とりあえずは大丈夫。でも、依然として予断を許せない状況であることに変わりはないわ」

 

 

『スーパーアカウント・創世神ステイシア』の姿に扮したアスナは、軽く頷きながら上条の問い掛けに答えた。すると次に口を開いたのは、SAO時代の所属ギルドだった『血盟騎士団』の装備を身に纏った美琴だった

 

 

「でも、それに関しちゃ私たちはお手上げね。こうしてアスナさん達の世界のアンダーワールドに干渉出来たのはいいけど、現実世界の事象にはどうやっても関与できない。むしろ、二つ存在していたアンダーワールドが一つになっただけでも、タチの悪い奇跡みたいなものだもの」

 

「それは私とキリト君の協力者…総務省仮想科の『菊岡』さんやラースの人たちが取る今後の対応を信じるしかないわ。兎にも角にも、私たちが今するべき最優先のことは……」

 

「ワールド・エンド・オールターに辿り着いて、果ての祭壇に設置されたシステム・コンソールを使って、キリトをログアウトさせる。それと、アリスのユニットデータをイジェクトして、米軍の魔の手から守る…ってことだな」

 

「うん、それが一番だね。この中で一番動きに制約がないのは私だから、最後にこの世界を去るのは私であるべきだと思う。キリト君とアリスさんを現実世界に行かせた後で、ミコトさんとカミやん君を元の世界に戻れるように送り届ける。下手な話、私はそれが出来ればゲームオーバーになっても勝ったようなものだから」

 

「でも、キリトさんを今の状態のままで現実世界に戻すのは果たして正解なのかしら?聞くところによると、米軍がオーシャン・タートルの電気系統をいじくり回したせいで、STLがサージを起こしてキリトさんのフラクトライトが焼き切れちゃったんでしょ?それだとなんて言うか…現実世界に戻ってもあの状態のままなんじゃないの?」

 

 

アスナの話に割り込むような形で言った上条に対し、アスナは大きく頷いてみせた。しかし美琴が、息つく間もなくまだ消化できていない疑問を挙げた

 

 

「それは…正直なところ私にも分からないわ。でも、キリト君をこのままアンダーワールドにログインさせておくのが、一番良くないのは確かだと思う。いざ米軍が私たちのいるサブ・コントロールルームに侵入してきた時に、STLでダイブしてるから身動き出来ません…なんて、夢でも見たくないわ」

 

「そうだな…っし、とりあえず最優先はキリトとアリスってことに変わりはないな。これからも俺たちは、ワールド・エンド・オールターに全速力で向かおう。アリスもそれで構わないよな?」

 

「・・・・・」

 

 

短く息を吐いて頷いて、上条は自らの気を引き締めるように言った。そして彼はすぐ横を向いて左隣に座るアリスに訊ねたが、視線の重なった彼女は仏頂面のまま、うんともすんとも言うこともなければ、首を縦にも横にも振る様子を見せなかった

 

 

「ん?おいアリス、お前ちゃんと話聞いてたか?」

 

「・・・私に話を聞いてたのか確認する気前があるくらいなら、周りを気遣う余裕くらい見せたらどうなのです」

 

「周り?・・・あ……」

 

 

アリスに言われて初めて、上条は30分以上に渡って話し込んでいた会議場の周りを見渡した。少なく見積もって15人はいるその場の人工フラクトライト達は、その大半が眠そうにしているか、口を半開きにして呆けている者ばかりだった

 

 

「私はここに来るまでに、家でお前からリアルワールドの話を大雑把に聞いていたからまだ理解できましたが、他の者達はそうはいかないことくらい、考えなくなって分かるでしょう。いいですかカミやん、ミコト、アスナさん。認識のしようがないものをただ並べるものを、人は会議とは呼びません。これではあなた方三人の座談会です」

 

「はぁ〜…まぁそうだよなぁ…」

 

「そもそも、この世界の外側に、もう一つ世界が広がっている…と言われた時点で、もう私は理解が追いつきませんでした。その上、キリト先輩とカミやん先輩が住んでいる世界もまた別にある…と言われても、私には想像もつきません」

 

 

ため息混じりに呟いた上条の後で口を開いたのは、彼の傍付きでありキリトの傍付きでもあったロニエだった。彼女の言葉に周りの衛士達も同調するように騒つき始め、リアルワールドの住人である三人が表情を曇らせていると、火酒の樽を片手に持ったままベルクーリが言った

 

 

「いいや、俺はそうは思わん。というか、同じことだろ。人界の外にはダークテリトリーがあって、そこじゃ何万もの大軍勢が侵攻の時を手ぐすね引いて待ってたって事実を、これまで真剣に考えてきた奴なんざ俺も含めてろくにいなかったんだ。今更になってその外側にもう一つ二つ世界が増えたくれぇ、どうってことねぇだろ」

 

 

どうにも乱暴な理論だが、騎士長の頼もしい声で言い切られると、そんなものかと思えてきた一同が落ち着くと、その中でティーゼが真っ直ぐに手を伸ばしながら発言した

 

 

「そういった外側の世界の理については据え置くにしても、その…カミやん先輩達がこの世界を守ろうとしているというのは、人界守備軍で共に戦っている以上疑いようのないことです。ですが、アスナ様とその世界の外側にいるという協力者の目的は何なのでしょうか?よもや、ステイシア様の権能を行使し、この世界を支配するということは……」

 

「とんでもありません。私の目的はカミやん君達と同じで、アンダーワールドを守ることです。そしてその疑問に関わるものとして、私達と敵対してる勢力の目的こそが、アンダーワールドからたった一人の人間を回収し、然る後に世界を全て破壊することです」

 

「そんで、この世界を破壊しようって勢力が欲しがってるたった一人の人間…ひいては光の巫女っつーのは、囮部隊を編成するにあたってカミやんが口にした推測通り…」

 

「えぇ。アリスさんこそが、敵の唯一の目的です。そして私には、アリスさんをリアルワールドに招かなければならない義務があります。そして、もうアリスさんがこの世界に存在しないと知れば、私たちの敵はこの世界への干渉をやめるはずです」

 

「冗談ではありません」

 

 

ベルクーリの言葉が終わる前に、アスナが取って代わってその先の話を言い終えた。しかしアリスは、それを鋭い口調でピシャリと寸断してしまった

 

 

「何度も言うようですが、私にはキリトといた時の記憶と、カミやんといた時の記憶が混在しているため、大凡の現状は理解できています。その上で言わせていただきますが、逃げる?私が?この世界とそこに暮らす人々、それにこの守備軍の仲間たちを見捨てて、リアルワールドとやらに?有り得ません!私は整合騎士です!人界を守ることが、最大にして唯一の使命なのです!!」

 

「ッ…なら尚のことだわ!もしも敵…暗黒界ではなく、リアルワールドから来る強奪者達にあなたを捕らえられてしまえば、この世界に暮らす人々も、大地も、空も、何もかもが消滅させられてしまうのよ!?敵はもう、いつここを襲ってきてもおかしくないの!」

 

 

アリスは最初こそ穏やかな口調だったが、途中で感情に火がついたように夢中で叫んだ。椅子を蹴って立ち上がり、右手を胸当てにバシッと当てて、声高にまくし立てる。すると、今度はアスナが勢いよく立ち上がり、茶色の髪を大きく揺らしながら、鋭い声で反駁した

 

 

「おっと、その点については少し情報が古いようだなアスナ嬢ちゃん。どうやらもう来てるようだぜ。お前さんの敵とやらは」

 

「・・・え?」

 

 

豪胆な風格が少しも揺らぐ様子を見せないベルクーリが言うと、アスナは絶句した。そんな彼女を焦らすように、火酒をぐいっと呷ってから、騎士長はため息を一つ置いて続けた

 

 

「ようやく合点がいったってモンだ。光の巫女。それを求める暗黒神ベクタ。どうやら全部お前さんの推測通りだったようだぜ、カミやん」

 

「・・・そうだな。アリスを狙う人間…つまりはメイン・コントロールルームを占拠して、アンダーワールドにログイン可能してきた米軍の兵士。やっぱり暗黒神ベクタは、アスナ達の世界の…リアルワールドの人間だったってことか」

 

「あ、暗黒神ベクタ!?なんてことなの…ダークテリトリー側のスーパーアカウントは、ロックされていなかったんだわ……」

 

 

上条の言葉を聞くなり、焚き火に照らされていても解るほどに顔を青ざめさせたアスナは、神聖語混じりの呟き声を漏らした。するとそこから生まれた静寂を縫い止めるように、整合騎士のレンリがおずおずと手を挙げて言った

 

 

「あの…ちょ、ちょっといいですか?そもそも光の巫女って具体的には何なんですか?それがアリス様を指していることは、ひとまず分かりました。ですが、その…リアルワールドの強奪者達は、いったいどうしてアリス殿をそんなに欲しがるのですか?」

 

「右眼の封印を破ったから」

 

 

全員の視線がレンリに集まった後に、その質問に答えたのは、上条達でも、ベルクーリでもなく、この場でも『無音』を貫くと思われていた灰色の騎士シェータだった。一瞬アスナ達の世界に対する憤りを忘れるほど驚いたアリスは、思わず右眼の下に手をやりながら訊ねた

 

 

「あ、あの右目の封印の存在を知っているのですかシェータ殿!?一体なぜ!?」

 

「考えると右目が痛くなる。世界で一番固いもの…破壊不能のセントラル・カセドラル。丸ごと斬り倒したら楽しいだろうなって」

 

「「「・・・・・」」」

 

 

誰もが予想だにしなかったシェータの言葉に、会議場は今までにないほど重い沈黙に包まれた。その中で美琴だけは呆れとも諦めとも取れるため息を漏らしていたが、それも含めて、ベルクーリの咳払いがしばし訪れた沈黙を破った

 

 

「あ〜…まぁこの場にも密かに覚えがある者は他にもいるんじゃねぇか?最高司祭の権威や公理教会の支配体制に、僅かなりとも疑いを抱くと、右の目ん玉に赤い光がチラついて痛みに襲われる現象だ。普通はあまりの激痛に考えを保っていられなくなるが、それでも不敬な思考を続けると痛みは際限なく強まっていき、やがて右の視界が赤く染まって終いにゃあ…」

 

「右眼が跡形もなく吹き飛びます」

 

「で、ではアリス殿は…」

 

「私は元老長チュデルキン…そして最高司祭アドミニストレータ様と戦いました。その決意を得るために、一時右目を失いました」

 

 

ベルクーリに続いてアリスが口にした右眼の秘密に、衛士一同の顔が濃淡はあれど等しく畏怖の色に染まった。そして畏れを含んだ口調で問いかけるレンリに、アリスは一度は失われた右目を覆いながら答えた

 

 

「ふぅん…それがカエル顔の先生が言っていた『コード871』って代物なわけね。で、こっからはまたリアルワールドの話になるんだけど、アスナさん達の世界にいるSTLの管理者さんは、そのコード871の存在って知覚してる?」

 

 

次に言葉を発したのは、リアルワールドの話を終えてからはずっと黙していた美琴だった。足を組んだ上に肘をついて聞いてきた美琴に対し、指名される形で聞かれたアスナは動揺しながら答えた

 

 

「・・・え?えっ?こ、コード871?ラースの人間がそんなものを設定したの…?そんなの、本物の思考力を備えたAIを作るってそもそもの目的に反しているじゃない…菊岡さんは、人工フラクトライトが禁忌目録に背くよう、わざと環境を整えていたのに…無理矢理従わせる他者コードなんてあったら実験の意味が………」

 

 

そこまで言って、アスナの顔が全ての血が抜けてしまったように青ざめた。それを見た美琴は、大きく肩を上下させて細い息を吐いてから、兼ねてより抱いていた懸念をアスナに向けて言った

 

 

「これを言って、アスナさんが不快になるのは分かり切ってることだけど、言わせてもらうわね。つまりそのコード871って右眼のカラクリは、アスナさん達の敵対勢力の妨害工作なのよ。そしてそれが出来るのは、間違いなくアンダーワールドを管理しているラースの人間。アスナさん達の味方…言うなれば味方のフリをした内通者、スパイじみたことをしてる輩がいる…ってことよ」

 



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第48話 方針

 

「そ、そんな!?それが本当なら、早く外にいる菊岡さん達に伝えないと!だけど、システムコンソールのないこの場所でどうやって……!?」

 

「その方法に助言できることは私にはないけど…そのコード871で私たちの側のアンダーワールドも、色々と被害を受けたって言ってたし、間違いないと思うわ」

 

 

慌てふためくアスナに対し、美琴はどこまでも冷静に事実を突きつけてみせた。こんなことなら、もっと慎重に現状を吟味してからアンダーワールドに来るべきだった、そうアスナが口元を抑えながら考えていると、そのコード871を実際に目の当たりにした過去を持つのであろうベルクーリが口を開いた

 

 

「まぁアスナ嬢ちゃんやミコト嬢ちゃんの話から察するに、そのコード871ってのはリアルワールドの人間…俺たちにとっちゃ、敵に与する者が仕掛けたモンなんだろう?」

 

「え、えぇ。恐らくは…」

 

「ならちょいと訊くが、アンタ達リアルワールド人の右眼にも、同じ封印があるのかい?」

 

「いや、ねぇよ。この中で一番アンダーワールドにいた期間が長い俺でも、そんなモンに思考を阻害された経験はねぇからな。言ってみれば、法や命令に従うことを絶対的に強制されているか、その一点だけがリアルワールド人とアンダーワールド人の違いだ」

 

 

ベルクーリの問いかけに答えたのは上条だった。右眼の端を指差しながら言った彼の言葉を騎士長は火酒と共に吞み下すと、もう一つ自身の疑問をぶつけた

 

 

「まぁ、親友のためにたった一人で世界を敵に回してカセドラルに反逆したお前さんが、そんなモンに縛られてたハズねぇわな。なら、その右眼のコードとやらを解除する方法は、右眼を失う以外にはねぇのか?」

 

「いや、どうかな…少なくとも俺には分からない。だけど多分、アンダーワールド内部から意図的にそれを解除するには、それしか方法はないんだと思う」

 

「・・・ふむ。つまるに、カミやん達にとっちゃ法を破ることってのは、そこまで大それたことじゃねぇってことだよな?」

 

「ん…まぁ、そういうことだな。だから敵はアンダーワールドにおいて封印を破る者、敵の言葉を借りれば、光の巫女が現れて自分達以外の勢力に落ちることを恐れてるんだ。なんでかって、光の巫女はリアルワールドにおいてとてつもなく貴重な存在に成り得るからだ」

 

「待て待て、『だから』ってのは話の筋に合わんだろう。光の巫女、つまり右眼の封印を破ったアリス嬢ちゃんは、今やお前達リアルワールド人と同等の存在ってわけなんだろ?だけどソイツぁ裏を返せば、同等の領域を出るモンじゃねぇってこった。だってのに、なぜそれほどまでに嬢ちゃんに固執すんだ?敵にせよアスナ嬢ちゃんの陣営にせよ、いったいアリス嬢ちゃんを外の世界に連れ出して、何をさせるつもりなんだ?」

 

「そ、それは…その……」

 

 

ベルクーリの至極当然とも思える質問に、上条は言葉を詰まらせた。しかしそれは、アスナも美琴も同様だった。今この場でプロジェクト・アリシゼーションの真の目的を話すのはいかがなものなのか、話せばそれこそ自分達も人界守備軍の敵にもなり得る。互いに目配せしながら心情を探るような逡巡を、一番最初に破って口を開いたのはアスナだった

 

 

「それは…ごめんなさい。今は言えません。なぜなら私は、アリスさんに自分の目でリアルワールドを見て、自身の為すところを判断してほしいと思っているからです。アリスさんを守り抜くことが出来れば、最終的にはカミやん君たちのリアルワールドではなく、私とキリト君が暮らすリアルワールドに招き入れることになります」

 

「だけど向こう側は…私達の住む世界は、決して神様の国でも理想郷でもありません。それどころか、この世界と比べればずっと醜く汚れています…でもそんな部分ばっかりじゃないんです!この世界を守りたい、皆さんと仲良くしたいって思う人もたくさんいます!そう…一番最初にこの世界の人達と手を取り合おうとした、キリト君のように!」

 

 

どこか必死な響きのあるアスナの言葉を、アリスは黙って聞いた。そして今や、本物の人間となんら遜色なくなった少女、アリス・シンセシス・サーティは小さな動作ではありながらも、確かにゆっくりと頷いてみせた

 

 

「・・・わかりました。今はこれ以上は聞きません。今は目の前の敵を打ち破り、侵略軍との間に和平を結ぶのが先決でしょう。外の世界云々はそれからです。ですが、それを成し遂げる為には、もう一つ避けては通れない勢力があります。カミやんのことを付け狙う、エルドリエを葬った『赤い男』についてです」

 

「あっ………」

 

 

アリスに視線を向けられながら言われた上条は、瞼を大きく持ち上げながら声を漏らした。その後に続けて何かを言おうとしたのかどうかは定かではないが、次に発言したのはベルクーリだった

 

 

「そうだな。事と次第によっちゃ、ヤツは暗黒神ベクタと同等か、それ以上の障害になる。しかし、カミやんを狙うって目的は何だってんだ?お前さんは確かに俺たちには理解の及ばん、不可思議な何かを持ち合わせているようだが、それを狙ってのことなのか?」

 

「うっ…あ…えと、そう、だな…アイツらは俺の右手に宿ってる力を使って…悪いことをしようとしてる…と、思う……」

 

 

実に歯切れ悪く、上条は答えた。どうにも彼らしくない不明瞭な返答だと、自分達の関知していないところで、彼は何かを抱えてしまったのだと察する事ができるアスナと美琴は不安そうに顔を俯かせたが、それに構うことなくベルクーリは続けた

 

 

「そうなるとアリス嬢ちゃんにキリト、加えてカミやんを守りつつ戦わにゃならんってことか…だが、カミやんにそんな心配は無用か。ヤツの相手は、お前さんにしか務まらんのだろう?勝てるかどうか分からんと言っていたが、かつて俺を撃ち倒し、あの最高司祭さえもその右手で叩き伏せてみせたんだ。お前さんならやれると、俺は信じてるぜ」

 

「あ、いや…それなんだけど…アイツは…倒さなくても…っつーか、最悪無視しても問題ねぇと、思う」

 

 

上条の言葉に、美琴やアリスを始め、彼という人間の在り方をよく知る全員が瞳孔を見開いた。それを見た上条は慌てて両手を自分の胸の前で振り回すと、付け加えて言った

 

 

「い、いやその…俺と美琴の目的は、何より元の世界に帰ることなんだ。言ってみれば逃げるが勝ちなんだよ。リアルワールドの俺たちは安全な場所にいるし、敵もそこまでは干渉できないんだ。だから、逃げるは恥だが役に立つって言うし…フィアンマは無理して倒さなくてもいいんだ」

 

 

アリスとしては、是が非でもエルドリエの仇を討ってほしいと思っていた。しかし、何より自分があそこまで大敗した相手への畏怖は、上条よりも深いものであり、逃げの選択肢を選んだ彼に言及はできなかった。そんなアリスを始め、未だ言葉を失っているアスナと美琴を見やると、ベルクーリはやがて大きく溜息を吐いてから切り出した

 

 

「・・・そうかい。唯一ヤツの相手を出来るって自負してるお前さんがそう言うなら、俺はもう何も言わん。それならそれで、むしろ分かりやすいしな。変な気遣いをしない分だけ、俺たちも動きやすいってモンだ。とりあえず、世界の果てにあるって言う祭壇とやらにお前ら全員を送り届ければ、俺たちの勝ちってことだ。侵略軍との和平交渉やらなんやらは、残った俺たちでやるべきことだしな」

 

「あ、あぁ。そう言ってくれると助かる。今一番に危険視すべきなのはフィアンマじゃなくて、暗黒神ベクタの方だ。ソイツを撃退することには、俺も喜んで尽力する」

 

「・・・まぁ、そうね。私は元々コイツの身を案じてこの世界に来たわけだし、最終的に元の世界に帰れれば文句はないわ。だけど、アスナさん達のことも心配なことに変わりはないから、私個人として協力することを惜しむつもりは毛頭ないわよ」

 

「ええ。ありがとうカミやん君、ミコトさん。暗黒神ベクタが私たち側のリアルワールド人だとわかった以上、私とアリスさんが単独でこの舞台を離れるのは危険かもしれません。私も皆さんと一緒に戦います!ベクタの相手は、私に任せてください!」

 

 

上条と美琴が言うと、アスナもまた凛とした声で言ってのけた。アスナの最後の宣言に周囲の衛士達が、おお…とある種の期待にも似た声を漏らす中で、ベルクーリが顎鬚を掻きながら言った

 

 

「うむ、そりゃ俺たちとしても心強いんだが…アスナ嬢ちゃんは、あの地面がバクッといくやつを無制限に使えるのかい?」

 

「いえ、残念ながら、ご期待には沿えないかもしれません。あの力は、意識に巨大な負荷をかけるようなんです。私としては、苦しさだけならいくらでも耐えてみせますが、あまり乱発すると、意識を保護するためにこの世界から強制的に離脱させられてしまう可能性があります」

 

「強制離脱、か…そいつぁ軽く見れない制約だな」

 

「ええ。そうなっては、おそらく私はもうこの世界には戻ってこられなくなってしまいます。大規模な地形操作を行えるのは、少なく見積もってあと一度か二度だと…使いどころは考えなければなりません。でも、ミコトさんの能力ならどうかしら?まだ私は実際に目の当たりにしたわけじゃないけど、使えるんでしょう?美琴さんの能力なら、私の地形操作にも勝るとも劣らないほどには、敵を制圧できるほどの爆発力があると思うけど……」

 

「なるほどなぁ…で、そのミコト嬢ちゃんの電撃には、何か制約はあるのかい?」

 

「私のは特に明確な回数制限とか、強制退場なんてリスクはないわよ。私の使ってる能力はアスナさんの地形操作みたく、アカウン…じゃないわね。えっと、人格に直接付与された能力じゃなくて、現実にいる私の『自分だけの現実』に由来する、強いイメージ力の産物だから、私がその気になればいくらでも」

 

「ほぉ。カミやんも大概だが、あんな芸当が出来るほどに強力な心意をミコト嬢ちゃんも持ってるのか。そいつぁ心強い」

 

「そう言ってもらえるのは光栄だけど、そこに限界があるのかどうかは、実際に限界まで能力を使ってみないことには正直分からないわ。実際向こう側じゃ、たまに電池切れになることもあるワケだし。けど、問題になるのはいざ限界を迎えた時でしょうね。こっち側に能力使用の為の回復手段があるのかはイマイチ分からないし、私も細剣の扱いには自信ある方だけど、隙を突いて一気呵成に攻め込まれたら、苦戦を強いられるのは避けられないと思う」

 

 

アスナに訊ねられた美琴は、手の平を返しながら首を振った。言われたアスナは少し苦い表情をしたが、それは焚き火を囲む他の衛士長たちも同じだった。期待が大きかっただけに、分かりやすいまでに彼らの顔に失望の色が広がっていくと、それを感じたアリスが大きな声を出して立ち上がった

 

 

「私たちの人界を守るのに、異世界人の力ばかりアテにしてどうするのです!もう私たちは、充分なほど彼らに助けてもらったではありませんか!今度は、私たち騎士と衛士が、異界人にその力を見せる番でしょう!」

 

「そう……そうですよ!アスナさんは神様じゃない、僕らと同じ人間だって聞いたばっかりでしょう!なら僕らだって、同じくらい戦えるはずじゃないですか!」

 

 

口を閉じたアリスに代わって真っ先に発言したのは、この場では最年少の整合騎士であろうレンリだった。次いで、シェータまでもが、ぼそりと言葉を発した

 

 

「私も、また…あの拳闘士と戦いたい」

 

「ちょっと、拳闘士と戦うのはいいけど、あのリーダーの相手をするのは私だから。あんな中途半端な幕切れじゃ煮え切らないわ。悪いけど、アンタの出る幕はないわよ」

 

「・・・戦闘狂」

 

「そんな見た目してバトルジャンキーだったアンタには、一番言われたくない言葉ね」

 

「・・・あなた、自分で、言った。人のことは、見た目で判断しない方がいい、と」

 

「そりゃごもっともで……」

 

 

異世界人であるミコトと、この世界の住人であるシェータが心を許しあったように話しているのを見て、気を沈ませていた衛士長たちが威勢を取り戻すのに、そう時間はかからなかった。その頃合いを見計らったベルクーリは、軽く咳払いしてから言った

 

 

「よし、方針は固まったな。これより俺たち人界守備軍遊撃部隊は、後方より迫る侵略軍を討ち倒しつつ、世界の果てを目指す。ってことで、今日の会議はお開きだ。みな好きな物を飲み食いして、十分に英気を養ってくれ。明日はここにいる全員が、その生涯で最も忙しい一日になるぞ」

 



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第49話 夜会

 

「・・・来ると思っていたわ」

 

「・・・でしょうね」

 

 

会議を終えた夜、とある天幕の前で二人の女狼が相対していた。装備を外し就寝に適したチュニックを着込んだアスナと、彼女のソレと同じ生成りのワンピースに袖を通すアリス。向かい合った二人の少女は、少しも相手から視線を逸らす素振りを見せなかった

 

 

「取引よ」

 

「・・・取引?」

 

「キリトには会わせてあげる。私が知る限りのことも教える。だからあなたも、あなたが知っている、キリトに関する全てを私に教えなさい」

 

 

アリスが発した短い言葉に、アスナはぱちくりと瞬きしたが、その後に続いた条件を聞くなり、唇にどこか自信たっぷりな微笑を浮かべて言った

 

 

「えぇ、いいわよ。でも、すご〜く長くなるわよ?一晩じゃ終わらないかも」

 

「構いません、元より承知の上です。では手始めに聞きますが、あなたがキリトと共にいた期間は?」

 

「えーと…相棒として戦ったのが二年間。その後でお付き合いが一年半。その間に二週間、一緒に暮らしてたわ」

 

「お、お付き合いですって!?」

 

 

アスナは薄い茶色の瞳を夜空に向け、キリトと過ごした時間を、指を折る仕草と共に答えた。途中で彼女の口から紡がれた、お付き合いという関係にアリスは少し動揺したが、ここで負けてなるものか、と彼女もまた胸を張りながら言い返した

 

 

「そうでしたか。かくいう私は肩を並べて戦ったのが丸一晩。その後に一つ屋根の下に二人で半年間、付きっきりでキリトの世話をしたわ」

 

「ひ、一つ屋根の下に二人!?半年間付きっきり!?ふ、ふぅん…まぁまぁね…」

 

 

今度はアスナがやや仰け反った。だがすぐに姿勢を引き戻すと、両者はまるで真剣での立ち合いでもしているかの如く、闘気を漲らせしばし睨み合った。しかしその整合騎士と創世神の鬩ぎ合いを、果敢にも中止させたのは、か細い少女の声だった

 

 

「あ、あのぉ……」

 

 

アリスとアスナは、驚いて声のした方へ視線を向けた。焦げ茶の髪にゆったりした帽子をかぶり、灰色の寝巻きを着た補給部隊の少女ロニエは、天幕と天幕の隙間に立っていた。彼女は両手を胸の前で握り締めながら、再び口を開いた

 

 

「わ、私は二ヶ月ほどキリト先輩のお部屋を掃除して…先輩の剣技なども授けてもらいましたし、跳ね鹿亭の蜂蜜パイも何度かご馳走していただきました!お二人と比べると期間はだいぶ短いですけど……その、私も情報交換を……」

 

「・・・ふふっ、なるほどね。いいわよ。あなたもお仲間ってわけね、ロニエさん」

 

 

微笑を浮かべたアリスが頷くと、小柄な練士はほっとしたように笑顔を浮かべ、天幕の隙間にある陰から出てきた。中々の度胸だと、アリスとアスナがつい感心していると……しかし、何ということか。乱入者はそれで終わりではなかった。ロニエが現れた場所とは別の物陰から、新たな声が発せられた

 

 

「その情報交換、私も加えて貰えないだろうか」

 

「あなたは、さっきの会議にもいた……」

 

「ノーランガルス帝国騎士団所属、ソルティリーナ・セルルトと申します。戦いが終わるまでは…と思っていましたが、私もキリトとは浅からぬ縁があるゆえ、我慢しきれず参上した次第です」

 

 

月明かりの下に音もなく姿を現したのは、かなり背の高い女性だった。その整った容貌を見た途端、アスナは小さく声を漏らしていた。茶色の髪を長いポニーテールに結った女性は、軽く頷いてから名乗った。ふうっ、と溜め息をついたアリスは、肩をすくめつつ長身の衛士長に問いかけた

 

 

「・・・あなたの縁はどんな具合なの、セルルト衛士長?」

 

「よろしければ、リーナとお呼び下さい、騎士アリス殿。ノーランガルス帝立修剣学院にて、キリトは傍付き修剣士として一年間にわたり私の身の回りの世話をしてくれました。また私も、彼にはいささかの剣技を伝えることができたと思っております」

 

「「「・・・・・」」」

 

 

一年間。身の回りの世話。という予想を上回る事実を口にされた三人はしばしの間黙り込んだ。やがてアスナはアリスと視線を交わしてから、同時にやれやれとかぶりを振り、アスナが頷いた

 

 

「それなら、あなたもたっぷり情報を持っていそうね、リーナさん。どうぞ、ご一緒しましょ」

 

「光栄です。有意義な情報交換になりますよう、若輩の騎士なりに善処いたしましょう」

 

 

不敵な笑みを浮かべながら腕組みをして言ったリーナに、アリスとアスナは同じく苦笑いとも取れる微笑を返した。それから四人はキリトの待つ天幕に入ろうとしたが、最後に入口の垂布を持ち上げて中の様子を伺ったところで、突然アスナが口を開いた

 

 

「あれ?そういえば、カミやん君とミコトさんは?この中にいたんじゃないの?」

 

「いえ、ミコトも先ほどカミやんを探してここに来たのですが…ここにはいないと伝えたところ、別の場所を探しに行ったようで…それからは二人とも見かけていません」

 

「そっ、か……」

 

 

アリスが暗い表情で言うと、アスナも眉を顰めながらため息を吐いた。するとアスナは、潜りかけていた天幕から180度踵を返すと、背中越しにアリスに言った

 

 

「ちょっと私も行ってくるね。三人で先に始めてて、私もすぐに戻ってくるから」

 

 

そう言い残したアスナは、背後から掛けられた三人の声を気に留めることなく、天幕の外へと出た。そして野営地をくまなく散策していると、先ほど会議に使っていた広間の近くに設置された天幕の陰に身を隠し、何かを覗き込んでいる美琴を発見した

 

 

「ミコトさん、カミやん君は見つかった?」

 

「え?あぁ、アスナさん。そうね、見つかったには見つかったんだけど……」

 

 

そう言われたアスナは、美琴に習って天幕の端からその先へと視線を向けると、そこには先ほどの会議場で焚かれた火を、ただ一人で木枠の椅子に腰かけたまま、ジッと見つめ続けている上条当麻がいた

 

 

「アイツ、会議が終わった後もずっとあの調子なのよ。何も飲み食いしないで、ただああしてボーッと焚き火を見てるだけ。会議の時は受け答えくらいはしてたけど、やっぱりアイツの心の根っこの部分じゃ、まだ何か引っかかってるのよ。原因は、私たちの世界にとっての敵…神の右席と戦ったせいだって言うのは、疑うまでも無いと思うけど……」

 

「・・・そうだね。らしくないなぁ…っていうのは、ミコトさんと比べたら遥かにカミやん君と付き合いの短い私でも、分かるよ」

 

「・・・なんかもう、見てらんないのよ。いつも前しか見てないアイツの心が、あんなにまで折れてるのを実際に目の当たりにするの、正直初めてだから。ALOの時もまぁ酷いモンだったらしいけど、私はその時寝たきりだったし…かと言って、今の落ち込み具合はそういうのとはまた別種のモノだと思うわ」

 

「うん。私はそのALOでカミやん君と一緒に冒険してたから分かるけど、あの時のカミやん君はまだ、目の前の不条理に悩むことなく立ち向かって行けてたから…少なくとも今よりはマシだったと思うな」

 

「だから、何か言ってあげられればって思うんだけど…ただ戦って歯が立たなかっただけじゃ、アイツはあそこまで落ち込まないだろうっていうのは分かってるのよ。だからまず、具体的に何があったのか聞きたいんだけど…とても喋りそうには見えないから、どう声掛ければいいのか分からなくて、結局は私もここでずっとアイツを眺めてるだけなのよ。なんか本当…揃いも揃って滑稽よね、私たち」

 

 

自嘲するように、美琴は鼻で息をした。横顔だけでも分かるほどに、彼女が悲痛な表情を浮かべているのが見て取れたアスナは、何かを決意したように両手で一つ自分の頬を叩いて、「よし」と意気込むと、美琴の一歩前に立って言った

 

 

「分かった。じゃあ、私が少し話してみるね。美琴さんはキリト君のいる天幕で待ってて。アリスさんも心配してたから」

 

「えっ…ちょ、アスナさん。それは……」

 

「こういう時って、関係とか理解が深い人に励まされると、返って余計に落ち込んだりするじゃない?だから、この場は私の方が適任だと思う。カミやん君の辛さを肩代わりできる…とまで自惚れるつもりはないけど、少しくらいなら力になれるよ」

 

「まぁ、それは…そうなのかもね。私も妹達の事件の時は、誰にも相談なんて出来なかったし……」

 

「ええっと…その事件の内容は私には分からないけど…取り敢えずはそういうこと。誰にでも深く踏み込んで欲しくないことの一つや二つはあるじゃない?」

 

「・・・そうね。それじゃあ、アイツのこと…お願いしてもいい?」

 

「うん、分かった。それと、良い機会だからミコトさんにも言わせてもらうね。あくまでも私見だから、聞き逃してくれてもいいんだけど…」

 

「わ、私に?一体何を?」

 

「カミやん君は鈍感だっていうのは今に始まった話じゃないけど、私からしたら、ミコトさんも人のこと言えないと思うよ」

 

「・・・へ?」

 

「それじゃ!」

 

 

アスナは少しだけ声の調子を上げて言うと、最後の一言で呆けてしまった美琴に手を振って上条の方へと歩み寄った。そして上条の真隣まで行くと、柔らかな声色で話し掛けた

 

 

「ずっとそうしてると風邪引くよ、カミやん君」

 

「・・・ん?あぁ、アスナか…」

 

「隣、いい?」

 

 

アスナの問いかけに上条は無言で頷くと、彼女は先ほどの会議では美琴が座っていた椅子に腰を下ろした。それからしばらくゆらゆらと揺れる炎を二人黙って見つめていると、アスナが最初に口を開いた

 

 

「・・・今度のカミやん君の敵っていうのは…そんなにも強い人なの?普段のカミやん君なら、口が裂けても逃げるなんて言わないと思うけど……」

 

「・・・俺だって最初は逃げるが勝ちだなんて思ってなかったさ。俺のいたアンダーワールドで人工フラクトライト達を傷つけたアイツらを、何としてでもぶん殴ってやろうと思ってたんだ」

 

「でも、分かんなくなっちまったんだ。フィアンマと戦おうとした時に、自分の辿ってきた道が正しいのかどうかが。俺はこのままアイツと戦うのが正解なのか、お互いに手を取り合うのが正解なのか、正直なんとも言えない。ただ、答えを見つけられてない今の俺が、アイツと戦っても、絶対に勝てない。これだけは分かる」

 

「・・・そっか…」

 

 

低くどこか沈んだ声で話す上条に、アスナは返答こそ淡白だったが、少しでも彼を元気付けてあげようと笑顔で言った。しかし、そんな彼女の顔を見ることなく、ただ燃える焚火を見続けている上条の口から静かに声が発せられた

 

 

「なんか…珍しいな。アスナとこうして二人になるのなんて」

 

「まぁそりゃ住んでる世界がまるごと違う訳だし、私たちが知り合った時には、最初から周りに友達がたくさんいたからね。それに何より私は、キリト君一筋だから」

 

「はは、そりゃ違いないな…」

 

「・・・やっぱり、答えが見つからないってことは、その敵と戦うことに何か悩みを感じるってことなんだよね?私で良ければ相談に乗るから、何かあったのか話してくれない?」

 

 

アスナの冗談半分のようで現実味のある言葉に上条が苦笑していると、彼女は打って変わって真剣な眼差しで、上条に訊ねた。突然の変化に上条は多少面食らったようだったが、すぐさま首を振って言った

 

 

「いや、大丈夫だよ。これはどっちかっていうと…いつまでも喧嘩しかできない、俺自身の問題だからな」

 

「・・・分かった。じゃあ何も聞かないでおいてあげる」

 

「いいのか?俺が思うに、美琴だったら電撃ぶつけてでも聞きだすところだけど…」

 

「無理に聞き出すことを、人は相談って呼ばないでしょ?」

 

「・・・だな」

 

「でもここで『なぁんだ、私には何もできないんだ〜…』ってしょんぼりしながら引き下がるのは、多分違うと思うから、一つだけアドバイスしようかな」

 

「アドバイス?」

 

 

話の途中で大袈裟に演技して笑みを浮かべたアスナに上条が首を傾げて言うと、彼女は喉の調子を整えるように一つ咳払いして、たっぷりと間を置いてから口を開いた

 

 

「・・・さっきも言ったけど、私はカミやん君とはそもそも住んでる世界も違うし、ミコトさんやリズ達ほどカミやん君を見てきた訳でもないから、私の言うことがカミやん君にとって、良いアドバイスになるかどうかは、正直分からないけどね」

 

「・・・いいよ。聞かせてくれ」

 

「うん。それじゃあ少しだけ。えっと、なんて言うか…カミやん君は、見た目ほど前向きじゃないよね。私はどっちかって言うと、カミやん君って生き辛い性格してるなぁ…って思うの」

 

「生き辛い?俺がか?自分で言うのもなんだけど、割と適当に生きてるとこあるぜ?」

 

 

彼女の一言が自分でも意外に感じた上条はアスナに同意を求めるように言ったが、実際には自分とそこまで歳の変わらない少女は、小さく首を横に振った

 

 

「そりゃ自分でそう思うのは簡単だよ。私だって、流石に他の人がどう思ってるかまでは分からないもの。だけど私から見えるカミやん君って…こう、ポジティブ果汁100%濃縮還元!元気印の栄養ドリンク!とか、そんな感じの人だと思ってたの。最初はね」

 

「な、なんだそりゃ…?例えてくれたってのは分かるが、その例えがよく分からん。てか、最初はって何だよ?」

 

「簡単に言うと、無敵っていうか…例えどんな困難にぶつかっても、どんなに手強い敵や壁が立ちふさがっても、何くそ!って自分を奮起させて、ひたすら前を向いて進む人だと思ってたの。前にALOで世界樹を攻略しようとした時だって、最初に私やキリト君が挫けちゃっても、カミやん君だけは最後まで諦めなかった。ただ前だけを向いて、クリア不可能とまで謳われたグランドクエストに、たった一人で立ち向かって行った」

 

「・・・あったな、そんなことも」

 

 

どこか感慨深いものがあるようにアスナが言うと、上条もまたどこか遠くを見るような目で、揺れ続けている炎を見ながら呟いた。そしてアスナは、口許を少し緩めると、夜空に浮かぶ星々を見上げながら続けて言った

 

 

「もちろんあの時は、カミやん君の肩に沢山の人の命運が懸かっていたから、絶対に諦められなかったっていうのはあるのかもしれない。だけどいつの間にか、その前向きな姿勢に私達も惹かれて、最後には一緒に戦えた。そんな風に、周りの人の心も変えることのできる、生きる栄養ドリンクみたいな人だ…って事が言いたかったの」

 

「なるほどな…だけど、そんなのは買い被りすぎだよ。俺は所詮、どこにでもいる平凡な大学生が性に合ってる」

 

「かも、ね。だから『最初は』って言ったの。私は多分、心のどこかで、世の中にはそういう漫画や小説の主人公みたいな人が、実際にいるんだって信じてたんだと思う。実際に私の身近には、SAOで多くの人を救って『黒の英雄』なんて呼ばれたこともあったキリト君みたいな人もいたから、その思い込みに拍車がかかってたんじゃないかな」

 

「だから無意識にだけど、私はキリト君やカミやん君を、自分と同じに見てなかったんだよ。それもカミやん君に関しては、現実では会ったこともないから、どこか雲の上の人のような感じがして、言ってみればキリト君より凄い人なんだろうなって思うこともあったよ」

 

「でも、キリト君と現実での付き合いも長くなって、カミやん君ともただのゲームとしてVRMMOで一緒に冒険するようになってからは、そんなことあるハズないな…って思うようになったの。私には出来ないことを、平然とやってのける…そんなこと、あるワケないんだよ。だって住む世界は違っても、私たちは同じ人間なんですもの」

 

「・・・・・」

 

 

最初は自嘲気味でありつつもアスナの言葉に反論していた上条だったが、次第にその口は閉じていった。そんな彼を和ませるようにアスナはふふっ、と笑ってみせてから言った

 

 

「でもそれは、カミやん君自身が望んでそういう人になってた部分もあると思うの。生まれつきの性格云々はもちろんあるでしょうけど、カミやん君はずっと前を見ているために、何かを抱えない。振り向きたくないから、何かを背負うことで、前だけを見れるようにするの」

 

「そうして前を向いて走ってる姿は、他人からすればポジティブにも見えるけど、実際は誰かの為だって思って、自分を誤魔化して無理してたところもあったんじゃないかな?自分はこうあるべきだから、自分に嘘なんて吐いてないよ。自分はこうあるべきだから、重たいモノも持てるよ…ってね」

 

「大事な何かを胸に抱えるのも、大事な何かを背負うのも、重みを感じるのは結局どっちも一緒なんだよ。だけど、ずっと前を向いているだけじゃ、背負ったモノとはどう頑張っても向き合えない。これって当たり前のことでしょう?」

 

「・・・・・」

 

 

『人に言われればそう感じる』というのは、『バーナム効果』というメンタリズムの初歩中の初歩だ。だが上条にとっては、今も心の中に湧いている感情が、学問上のソレだとは毛ほども思わなかった。ただ率直に、今までの自分の言動を他人が批評すればそう見えるのか、と。まるで心の内側を見透かされたようで、実に自分という人間の的を射ているアスナの言葉に、上条は口籠るしかなかった

 

 

「だからカミやん君も無意識の内に、みんなの期待に応えなきゃって、躍起になった時が少なからずあったと思うの。その途中経過や結果として、カミやん君には何が見えていたかな?周囲の賛辞?名誉や勲章と称された、目の前に吊るされているニンジン?尊い自己犠牲の上に成り立つ達成感?」

 

「ううん、どれも違う。その内実は、ただ前を見てただけなんだよ。なぜならカミやん君は、振り返ることも、向き合うことも知らなければ、常に何かを背負っているせいで、前を見ることしか出来ないから。その皮を剥いで本性を覗きこんでみれば、卑屈なんだよ。根本的にね。迷惑をかけると思って、血も涙も飲み込んじゃうの。だからカミやん君も、結局は自分と私達とを対等に見ていない」

 

「今のカミやん君なんて、まさにそう。安易に私たちの世界のSTLの技術を持ち出してしまったから、今回の事件は自分のせいです。自分を狙う敵はとってもとっても強いから、自分にしか相手は務まりません。だから解決策は自分で見出します…って、見事なまでに自分一人で全部背負い込んで、前しか見てない。今だって周りには私達がいるって言うのに、事情を話そうともしない」

 

「カミやん君が今悩んでいる事情は多分、私にとっては理解の及ばない、途方も無い出来事かもしれない。だけどそれだけで、私たちには関係ないなんて言われる筋合いもないよ。暮らしてる現実が違うとか、背負ってる事情や人の数が違うからなんて、そんな理由じゃ、少なくとも私は納得できないよ」

 

「・・・・・」

 

 

上条に反論の余地はなかった。ただ口元を歪め、苦い顔をする他ない。そんな彼に向かって畳み掛けるように、アスナはなおも続けた

 

 

「もうここまで言えばカミやん君もわかってると思うけど…私、怒ってるからね。カミやん君が、私に相談しようとしなかったことじゃなくて。無意識だったとしても、カミやん君が私たちのことを同じに見ていなかったことに対して。私も以前はそうだったけど、今は違う。でもカミやん君は、今もそう」

 

「私は自分の意見が絶対に正しいとは思わないよ。だけど、今のカミやん君が正しくないことは分かる。だって現に、私やミコトさん、アリスさん達はカミやん君のことをこんなに心配しているんですもの。カミやん君の友達として、純粋に今の悩んでいる姿を見ていられないと思うの」

 

 

自ら怒っていると口にしたアスナは、その言葉通り険しい表情で上条に言った。その刺さるような視線と言葉に、上条はついに見つめ続けていた焚き火から視線を逸らして俯いた。すると途端、アスナが上条の肩に手を置いて優しく諭すような声で言った

 

 

「だから、そんな生き辛そうにしてないで、もっと自由に生きた方がいいよ。私たちだって協力する。誰かの為に在ろうとするカミやん君の姿勢は、素敵だと思うよ?だけど、そんなに何でもかんでも背負わないで、私やキリト君、ミコトさんやアリスさん達にも、少しは分けてあげて?私たちはみんな、カミやん君の味方だから」

 

「守ったり、助けたりすることに理由を求めるなら、もっと簡単なものでいいんだよ。目の前の敵を倒す為に、自分を見失うことなんてない。自分を誤魔化してでも誰かを救うことに、責任を持とうとしないでいいの。元から人にとって何よりの原動力になる感情なんて、たった一つしかないんだから」

 

「・・・その一つの感情…ってのは?」

 

「『好きだから』。何かを決意するのに、それ以上の理由なんて要らないよ」

 

 

訊ねてきた上条に対し、アスナは迷うことなく答えた。それは、自分が直面している悩みと比べれば、何とも軽く、曖昧模糊なモノだと上条は思った。けれど、もし仮にそれでもいいのだとしたら、右方のフィアンマは間違いなく世界の人を好きでいるわけではないだろう。少なくとも、彼よりは自分は様々な人のことを好きでいると思う。そう考えれば、少しは胸が軽くなったような気がした

 

 

「・・・なら、例えばだけど…一先ず俺が今救いたいと思ってるのは、アンダーワールドの人達だ。だけどそれは、俺がよく知り得ていて、善だと思っているのが、人界の民だから…ってだけだとしよう。その証拠に、俺は特に理由もなく…かと言って知ろうともせず、自分の領域を侵略してくるから。たったそれだけの理由でダークテリトリーの人工フラクトライト達に拳を向けた。アスナはこんな俺が…正しいと思うか?」

 

「それ、私に聞く?私がこれから彼らに剣を向けるのは、キリト君が好きだからだよ。倫理観としては、この判断基準が正しいのかは分からないけど、私には関係ない。好きな人を…愛する人を傷つけようとする人に、容赦なんてしないわ。目には目を、歯には歯を、剣には剣を。簡単でしょう?」

 

「・・・メンヘラだな」

 

「それ、アリスさんもミコトさんに同じこと言われてた」

 

「はっ…」

 

 

鼻先で笑うように突っ込んだ上条に、アスナも笑いながら言い返した。好きという感情だけで、暴力の化身とも取れる剣を振るうことに、彼女には一切の躊躇がない。そんなアスナに愛されているキリトのことを、少しだけ羨ましく、また気を付けろという意味を含んで上条が口許を緩めると、それを見たアスナは安心したように微笑んで立ち上がった

 

 

「うん、少しは笑顔が戻ったみたいだね。それじゃあ私は、キリト君達の所に戻るね。多分かなり夜更かしすることになるだろうけど、ベルクーリさんには内緒だよ?カミやん君も、風邪引かないようにして寝てね。それと、起きたらちゃんとアリスさんとミコトさんに謝るのよ?」

 

「あぁ、分かってるよ。約束する。ありがとな、アスナ」

 

「どういたしまして。それじゃあ、おやすみなさい」

 

「おう、おやすみ」

 

 

そう言って、アスナは手を振りながら焚き火のそばを離れていった。すると薪が燃え尽きたのか、上条の体を暖めていた炎は消え、辺りは暗い闇に包まれた。やがてその中で上条は静かに立ち上がると、燃えおちた焚き火の灰を見つめながらポツリと呟いた

 

 

「だけど…俺の魂と右手じゃ、この戦争で死んだ人を救えなかった…何より、好きだったユージオを救えなかったことに変わりはない、よな…」

 

 

『幻想殺し』。誰かの幻想を否定することで誰かを救うその力は、世界の全てを平等に救える幻想を殺してもなお、誰かを救えるのか

 

『神浄の討魔』。世界の良くない部分を、優しく癒す力と、冷たく切り取る力。拳という冷たい暴力しか使えない自分に、誰かを優しく癒せるだけの力は、本当にあるのだろうか

 

そんな答えの見えない自分への問いかけは、未だに上条の心の隅に、暗い影を落としていた

 



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第50話 非情なる作戦

 

不吉な色の朝焼けと、氷のように冷えた空気が、薄暗い天幕の中にも忍び込もうとする中、ベルクーリは一晩の眠りから覚めた。午前四時二十分と、ベルクーリは感じ取った。かつては大時計の針であった神器の時穿剣と精神を同調させているベルクーリには、現在時刻を正確に察知するという特技がある。そんな彼は太い両腕を頭の後ろに回すと、眠りの際で脳裏によぎった夢を遡り始めた

 

 

『死を予感したことはある?』

 

 

いつの日だったかそう訊ねた声は、彼の唯一の上位者、最高司祭アドミニストレータのものだったろう。それが正確な記憶なのかは、ベルクーリにとって定かではない。百年前か、百五十年前か。魂の崩壊を防ぐために、不要な情報を消去する処置を施されてきた彼からすれば、遠い記憶は時系列どおりに整理できるものではなくなっている

 

 

『死の予感、ですか?』

 

 

無限に繰り返される日々…それは自ら望んだものであるはずなのだが、その日々の流れに少々倦むこともあったのか、アドミニストレータは、たまに自身に次ぐ長命者であるベルクーリを最上階に呼び出し、酒の相手をさせることがままあった

 

 

『さて…まだヒヨッコだった頃、先代だか先々代の暗黒将軍に軽く捻られた時は、流石に危ないかと思いましたが』

 

 

故にベルクーリは支配者の気まぐれにも慣れていたので、ご機嫌を伺うこともなく、その時は思いついたことをそのまま口にした。すると最高司祭はくすっと笑い、長椅子に体を横たえたまま、上等な赤ワインが注がれた水晶の杯を軽く持ち上げてみせた

 

 

『でもそいつの首は随分前に取ってきたじゃない。それ以降はもうないの?』

 

『ふむ…ちょいと思い出せませんな。なにせ猊下ほどではないとは言え、俺も顔に皺が入るほどには長生きしたワケですから。しかしなぜ急にそんなことを?猊下にとっては無縁の感覚でしょうに』

 

 

ベルクーリがアドミニストレータに問い返すと、いつからか永き停滞を迎えた世界で、悠久の時を生き続けている女神は、長い脚を組み替えながら再び微笑んだ

 

 

『ふふふ、解ってないわねベルクーリ…毎日よ。私は毎日、死を感じてる。朝、目を醒ますたびに…ううん、夢の中ですらも。なぜなら私は、まだ全てを支配していないから。まだこの世界に生きている敵がいるから。そして、未来のいずれかの時点に於いて、新たな敵が発生する可能性が常にあるから』

 

 

それは上条当麻のいた世界なのか、キリトのいた世界での話なのかは不明だが、どちらにしても自分が支配した世界が、どちらにしても等しく終わりを告げるのであろうことを、彼女は頭の隅では予感していたのかもしれない。しかしそんなことは夢にも思わぬベルクーリは、フッと静かに笑いながら言った

 

 

『それはそれは…最高司祭というのも、なかなか大変な仕事なようですな』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

(・・・あぁ…最高司祭アドミニストレータ。今ようやく俺にも、アンタの言葉の意味が少し分かった気がするよ)

 

 

その会話から百数十年後、人界を遥かに離れたダークテリトリーの森の片隅で、ベルクーリはにやりと不敵に笑った。つまり死を予感することとは、自ら死の可能性を追い求めることの裏返しだ…と、ベルクーリは長年越しの理解を、目覚めに飲んだ一杯の水と共に腹の底へと飲み下した

 

 

(・・・納得のいく終着点、自分に相応しい死に様、全力で足搔いても抗えない強力な敵を…結局は、アンタも探し求めていたのかもな。さながら…今の俺のように。こうしている間にも、間近に迫ってきているであろう死を、まざまざと予感している、この俺のようにな…)

 

 

アドミニストレータ亡きいま、世界で最長命の人間となった騎士長ベルクーリは、あくびを一つ起き上がると、腰回りの帯を締め、履き物を突っかけ、左腰に愛剣を差した。そして出入り口の垂れ布を持ち上げて早朝の冷気の中に踏み出すと、全軍起床の指示を伝えるべく、伝令兵の天幕を目指して歩き始めた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「おっさん!!」

 

 

敵襲を告げる角笛の切迫した旋律が野営地に響き渡ったのは、起床を告げる角笛が響いてからほとんど間もない時のことだった。結局天幕に入ることもなく、燃え尽きた焚き火のそばで寝落ちした上条は、その音色を聞くなり真っ先に野営地の北を目指し、黒い森が拓けた時には、すでに帯剣したベルクーリの姿を見つけていた

 

 

「おお、カミやんか。いやはや恐れ入った…敵側のリアルワールド人のやり口は、相当なモンだな。皇帝ベクタが、思い切った手に出たようだ」

 

 

偵察兵から報告を受けていたベルクーリは、駆けつけた上条の姿を見るなり、厳しい表情で唸った。その言葉を聞いた上条は、彼に倣って見よう見まねで簡易望遠鏡を神聖術で作り出すと、騎士長が眉をひそめながら見やる方向を見渡した

 

 

「なっ…!?」

 

 

そして、絶句した。敵軍は、幅百メルに渡ってアスナが拓いた峡谷の岸から岸へと渡した十本の荒縄を橋代わりに、峡谷の横断を強行している。心もとない縄から落下すれば、もちろん命はない。強靱な体力と精神力がなければ、とてもできない芸当だ。そのような作戦を兵に強いていることに、上条は怒りを露わにした

 

 

「ふ、ふざけんなよ…!いくら部下だとは言え、仲間の命をなんだと思ってんだ!?」

 

 

とは言え、仮に三分の一が谷底に落ちたとしても、敵の主力はまだ七千近くも残る計算だ。一千の人界軍で正面から当たっても勝ち目はないことは、上条にも理解が及ぶことだった。だからこそ、この事態を喜ぶべきか悔やむべきか、なんとも奇妙で複雑に混じり合った感情の起伏に、彼は下唇を噛んだ

 

 

「カミやん、コイツは戦争だ」

 

「・・・分かってる」

 

 

沸点に達しかけていた上条の感情の昂りに冷や水を差したのは、彼の心の内を察したベルクーリの短い言葉だった。ぼそりとそう言い放った彼は、薄青い両眼を閉じながらため息を吐くと、続けて言った

 

 

「異世界人のお前さんらはともかく、俺たちは暗黒界軍に情けをかけてる場合じゃねえ。この機は、活かさねばならん」

 

「機を活かす…ってのは?」

 

「今に分かる。レンリはいるか?」

 

 

鸚鵡返しに訊ねた上条に、ベルクーリは鋭い眼光で応じた。そして後ろを振り向くと、上条も気づかぬ間に集合していた、美琴にアスナ、アリスを始めとした整合騎士の中から、名前を呼ばれた若き騎士が背筋を伸ばした

 

 

「は、はいっ!ここに!」

 

「お前さんの神器、『雙翼刃』の最大射程はどれくらいだ?」

 

「はい、通常時30メル、武装完全支配術を使えば70…いえ、100メルは超えてくれるかと」

 

「よし。なら、これから俺たち整合騎士四人で、渡溝中の敵を攻撃する。俺とアリス嬢ちゃん、シェータはレンリの護衛に専念。その間にレンリは神器で敵軍の張った綱を片っ端から切れ」

 

「ッ!?」

 

 

上条は鋭く息を飲んだ。敵も横断用の綱は必死で守るだろうが、仮にその根元に人垣を築かれたとしても、レンリの飛翔する投刃ならば、敵頭上を超えて綱への直接攻撃が可能である。言葉どおりに、容赦の欠片もない対応策。しかし、弱冠十五歳の少年騎士は、その幼い顔に固い決意を漲らせ、右拳を左胸に当てて応えた

 

 

「りょ、了解しました!」

 

「大丈夫。私が、守る」

 

 

レンリの隣で、無音の騎士シェータも低く呟いた。そして、ベルクーリの指示には含まれていなかった上条と美琴、加えてアスナまでもが一歩前に出た

 

 

「俺も行く。縄を切る剣はねえけど、足止めくらいなら出来るはずだ」

 

「もちろん、私も行くわよ」

 

「護衛は多い方がいいでしょう?」

 

 

自ら名乗りを上げた二人の後ろから、最後に身を乗り出したのはアリスだった。既に大規模術式で1万人以上の敵兵を屠ってみせた彼女は、その場にいる六人全員の顔を見やると、ゆっくりと頷きながら言った

 

 

「急ぎましょう。この機を逃す手はありません」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「うっ!?うわああああーーーーー!!」

 

 

谷間に反響する、吼えるような叫び声を、イスカーンはただ聞いている事しか出来なかった。広大な峡谷に張り渡された十本の荒縄を、拳闘士と暗黒騎士たちが五本ずつ分け合って渡り始めている。両手両脚を綱に絡め、ぶら下がって進もうとするのだが、綱渡りの訓練などしたことのない兵たちの動きは散漫だ。そこに遮蔽物もなち谷間特有の一際強い風が吹けば、あっさりと谷底に振るい落とされるのは当然のことだった

 

 

「急げ…!急いでくれ…!」

 

 

両の拳を握り締め、拳闘士団長イスカーンは胸の裡で繰り返しそう叫んだ。彼が歯嚙みをしつつ見守る視線の先で、最も進みの早い部下がようやく綱の中ほどにまで達した。赤銅色の肌は早朝の冷気に晒されて湯気を上げ、滴る汗の輝きがこの距離からでも見て取れる。やはり相当の荒行であることを悟った、その時のことだった

 

 

「あっ!?」

 

「うおおおおおあああああ!?!?」

 

 

落ちた。彼の部下であり、拳を鍛え合った仲間でもある拳闘士が、汗で濡れた掌を綱から滑らせた。突風の一吹きで、十名を超える拳闘士と暗黒騎士が、底無しの暗闇へと落下していった。無情なる突風は、断続的に吹き荒れ続け、その度に命が失われていく。その光景を指を咥えて見ている事しか出来ないイスカーンの握り拳からは、いつしか炎にも似た赤い光が零れつつあった

 

 

「犬死にだ…!いや、もうそれ以下だ…!」

 

 

この無益な殺生の理由が、し暗黒界五族の悲願である人界侵攻ではなく、光の巫女などという代物を皇帝が欲しがっているからとなれば、故郷に残る部族の者たちにどう詫びていいのかも解らない。そんなぶつけようのない怒りに、イスカーンはただ多くの命が無事で峡谷を渡りきることを祈るしかなかった

 

 

(・・・頼む…!これ以上の邪魔が入る前に全員渡り終えてくれ!)

 

 

若き族長の願いが伝わったのか、あるいは綱渡りに慣れたせいか。速度を上げた先頭の兵らがようやく向こう岸に到着した。五秒ほど遅れて、次の者も大地に足を下ろしていく。これでたどり着いたのは五人ほどか、しかしこの調子では、十本の綱を一万の兵が渡り終えるのに、一時間以上は楽に掛かる計算になる。そんな長時間、敵がこの作戦に気付かないなどということが有り得るとは思えない

 

しかし、今だけはその万に一つの幸運を祈るしかなかった。未明から行われた綱渡りも、気づけば東から太陽が昇り始めるまで続いたというのに、綱を渡り終える兵たちの数は、背中が痒くなるほどゆっくりとしか増えていかない。多くの落下者を出しながら、五十が百となり、二百となり、ようやく三百を超えた時。谷の向こう岸、黒々と連なる丘の稜線に、七頭の騎馬が姿を現した

 

 

(敵か!?・・・いや、たったの7…偵察兵ってとこか。なら敵が態勢を整えるまでに、まだ少しの猶予はあるハズ……)

 

 

イスカーンの超視力を以てしても、その背に乗る敵兵の姿までは識別できなかった。しかしてその判断、希望は一瞬で打ち砕かれた。わずか七人の敵騎は、峡谷目掛けて一直線に丘を駆け下り始めた。風に揺られ翻るマント、煌めく甲冑、そして何よりも、全員から陽炎のように立ち上る強烈な剣気。それを否応なく感じてしまったイスカーンは、たまらず叫んでしまった

 

 

「せ、整合騎士だと!?敵襲だ!守れ!何としてでも綱を死守しろぉーーーっ!!」

 

 

向こう岸に届くかどうかは、イスカーンの理解が及ぶところではない。しかし彼の叫びが聞こえていようがそうでなかろうが、すでに渡溝を終えた三百強の兵たちの半数は、迎え撃つしかない。綱を留める丸太杭の根元で円陣を組み、残りはその前に並んで臨戦態勢を取る。やがて、丘から峡谷までの千メルを駆け抜けた騎士たちは、同時に馬から飛び降りると一丸となって右端の綱へと突進した

 

 

「散開っ!!」

 

 

先陣を切ったのは、異国の衣装をまとう偉丈夫だった。その右には黄金の鎧を輝かせる女騎士。左には、昨夜イスカーンと戦ったシェータという名の女騎士の姿。そして三人に囲まれて小柄な騎士が一人と、さらにその後ろにもう三人いるようだが、余りにも距離があるためにその姿の詳細は確認できなかった

 

 

「ウラアアアアアーーーッ!!」

 

 

上半身から汗の珠を飛び散らせながら、数十人の拳闘士たちが五人の騎士を包み込むように突進した。猛々しい喊声とともに、鍛え抜かれた拳が、足が、騎士らに向けられる。その内一人の拳闘士は、左手に盾一枚という騎士らしからぬ装いの少年へと立ち向かった

 

 

「うおおおおおおっっっ!!」

 

 

壮絶なクロスカウンター、かに思えた。しかし拳闘士の拳は、少年が体の正面に掲げた純白の盾に阻まれ、ゴオンッ!という頑強な金属同士がぶつかり合うような音が響いた

 

 

「オラァッ!!」

 

 

その少年、上条当麻は拳闘士が盾に拳を押し込んでくるのを見逃さなかった。徐々に膝を折り畳みながら拳の勢いを殺していき、相手の腕力が、フッと抜けた瞬間に相手の右拳ごと盾を相手の体に押し込み、堪らず体勢を崩してよろめいた敵の腹目掛けて、右脚の裏を押し付けるようにして蹴りを見舞った

 

 

「うわあああああああーーーっ!?」

 

「・・・ッ…」

 

 

それだけ。たったそれだけで、一つの命が暗い谷底へ吸い込まれていった。その後は想像に難くない。実に簡単で、スマートな方法だった。それが最善手だと分かった上で、それを躊躇うことなく出来てしまった自分に、上条当麻は軽く舌を打った。そんな戦場に持ち込むには不釣り合いな感情と、敵を落とした右手と足に残された生ぬるい感触を払拭するように、彼は次の敵の元へと走った

 

 

「や、やめろ……」

 

 

騎士達の剣が閃く度に、大量の鮮血が、逆向きの滝となって空へと次々に噴き上がる。向こう岸に辿り着いたハズの者でさえ、容赦なく谷底へ突き飛ばされていく。闘士たちの命が無残にも散っていく光景を目の当たりにしたイスカーンは、悲痛な声を漏らしていた。そして、新たなる悪夢が産声を上げた

 

 

「ーーー翔けよっ!雙翼!!」

 

 

騎士達の背後から、銀色の輝きが、光の帯を引きながら高々と舞い上がる鳥のような何かがあった。ソレは朝焼けの中、弧を描きながら拳闘士たちの頭を飛び越え、今も大量の兵たちがしがみ付いている右端の縄へと、吸い寄せられていくように………

 

 

「やめろぉぉぉーーーーーっ!!?!?!」

 

 

イスカーンの鋭く尖った耳は、自身の絶叫に掻き消されることなく、ブツンッ!という荒縄の断末魔を聞き分けた。中央で切断されたその縄は、張力の反動で大蛇のように宙をうねった。やがて始まる重力と引力による落下に、呆気なく振り落とされ、谷底へと落ちていく数十人の闘士たち。その光景を、見開いた両眼に焼き付けながら、イスカーンは爪の食い込んだ拳に血を滲ませながら口走った

 

 

「これが、これが戦かよっ…!こんなものが戦いと呼べるのかよっ!?」

 

「・・・チャンピオン…」

 

「あいつらは断じて…こんな死に方をするために、辛い修練に耐えてきたんじゃねぇんだぞ!!」

 

 

イスカーンの背後に付き従う副官ダンパも、今ばかりは掛ける言葉がなかった。未だ大口を覗かせる谷底の闇と、向こう岸で待っている悪夢を前にして立ち尽くすイスカーンの耳には、闘士たちの無念の絶叫が呪詛のように張り付いていた

 

 

「・・・すまねぇっ…!必ず仇は取る…だから、許せ…許してくれ…!」

 

 

ひたすらに、己の心意を絞るようにイスカーンは念じたものの、しかし何者を仇と定めればいいのか、イスカーンには即座に判断できなかった。十倍もの軍勢を前に、敵の整合騎士たちも必死なのは考えるまでもない。こちらの兵が全員無事に谷を渡り、整列し終えるまで待っていてくれ、などと頼む方が間違いだ。むしろ、時宜を逃さず対応するために、少数精鋭で斬り込んできたその胆力は見事と言う他ない

 

 

「ちくしょうっ…ちくしょぉぉぉっ…!」

 

 

では、一体誰が?何者が、闘士たちの犬死にの責を負うべきなのか?こうしてただ、阿呆のように両手を握って立っていることしかできない彼らの長か。それとも………

 

 

(暗黒神…ベクタ……!!!)

 

 

不意に、右眼の奥に鋭い痛みを感じ、イスカーンは息を詰めた。視界に血の色の光が繰り返し脈打つ、その向こうで。峡谷に細い橋を架けていた二本目の綱が、空を舞う二枚の小太刀に切断され、怪物のような大口の中へと堕ちた

 



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第51話 誕生の軌跡

 

「みんなっ!!」

 

 

アルヴヘイム・オンライン。通称『ALO』の新生アインクラッド第22層に存在するパーティーホームのリビングルームに着くなり、鍛冶妖精族のリズベットは叫んだ

 

 

「皆まで言うなリズ。全員ミコトからのメッセ読んだ上で集まってんだ」

 

 

そう答えたのは、赤く逆立つ髪に派手なバンダナを巻いた火妖精族、クラインだった。彼の向かいのソファにちょこんと腰掛けるのは、猫妖精族のシリカ。更にその隣で腕組みをして立つ巨漢が、土妖精族のエギルだ。彼らは深夜に唐突に飛んできた御坂美琴のメッセージを読み、居ても立っても居られなくなり、一先ずこの場所に集合したのだった

 

 

「ったくよぉ。ミコトのヤツがプロジェクト・アリ…なんたらの話を持ってきた時から、薄々嫌な予感はしてたが…まぁそれでミコトが解決の為に一人突っ走ったのは、まぁ年端もいかねぇ恋する少女の青春の1ページって理由で、百歩譲って大目に見るとしても、だぜ。カミの字の野郎…まぁた性懲りもなくとんでもねえことに巻き込まれやがって…」

 

 

額に巻いたバンダナ越しに頭を搔きながら、クラインが持ち前の飄々とした声に、最大限の深刻さを滲ませながら言った。すると続いて、シリカがくぐもった口調で全員に確認を取るように訊ねた

 

 

「でも、それだけじゃないんですよね…?その、キリトさん達の住む世界の方にも存在していたアンダーワールドに、私たちのアンダーワールドが同化してしまって…今のカミやんさんとミコトさんは、結果的に世界を股にかけてしまっている…ってことなんですよね?」

 

「うん…そういうことだから、もしもこのメッセージを見たら、私の協力者がいる第七学区の病院にまで来て欲しいって…ミコトのメッセージには、そう書いてあった」

 

「っかぁ…本来交わるハズのねぇキリの字たちの仮想世界ぃ?マジモンの人工知能だぁ?そんなのもう、ゲームの領域超えまくってるだろうが……」

 

 

沈んだ声でリズベットが言うと、滝のような勢いでクラインがため息を吐き出した。しかしそう気分を落としてばかりでは話は進まないと、エギルが真剣な口調と眼差しで本題を切り出した

 

 

「で、俺たちゃこれから具体的にどうすりゃいいんだ?本気でカミやんとミコトを助けに行こうってんなら、こんなとこで話し合ってる場合じゃねぇってことだろ?」

 

「そう簡単に腹括れなかったから、エギルだってここに一旦顔出しに来たんだろうが」

 

「う、うるせぇな…ところでシノンはどうしたんだ?ここにはいねぇみたいだが…」

 

「あたしの方でもシノンにはスマホにメール打ってみたんだけど、まだ返信はないわ。言ってもまだ午前四時半だし…最悪寝てるかも。だけどもしかしたら、もう既に一人で病院に向かってるかもしれない。シノンは元から第七学区に住んでるわけだし、家もあの病院からはそこまで離れてないから」

 

「後者であることを願いたいですけど、前者もあり得なくはないですからね。かく言う私も、リズさんから電話かかって来なかったら起きてなかったと思いますし……」

 

 

エギルの質問に答えたのはリズベットだった。彼女の意見を捕捉しながらシリカが言うと、シッ!と短く息を走らせたクラインが膝の上に手の平を叩きつけると、腰掛けていたソファーから立ち上がりながら言った

 

 

「そう言うことなら、なおさらグズグズしちゃいられねぇだろ。いっちょやったろうぜ、みんな。俺が車出してやっから、みんな家の前で……」

 

「皆さん!大変なんです!助けて下さい!」

 

 

そこで突然、ポンッ!という音がして、なんの前触れもなく宙に現れた光の殻を破るようにして姿を現したのは、ナビゲーション・ピクシーのユイだった。掌にも満たない背丈の幼女が、その小さな口から飛び出すとは思えないほどの叫び声で言うと、最初は突然の出来事に驚いていたリズベットが、余裕たっぷりの笑みを浮かべながら言った

 

 

「ん、大丈夫よユイちゃん。どうせそっちもアンダーワールド絡みで、キリトとアスナが無茶してるんでしょ?こっちも似たような状況だし、大体察したわ。だから待ってて、今すぐ私たちもそっち側に……」

 

「それじゃダメなんです!みなさんだけでは、絶対にダメなんです!」

 

「・・・え?」

 

 

必死なユイの叫びに、リズベットの表情から余裕の笑みは完全に消え失せた。本質はAIであるというのに、息も絶え絶えになっているユイは、やがて息を整えてからもう一度口を開いた

 

 

「現在パパとママがログインの為に使用したSTLの置かれている、オーシャン・タートルという施設が、襲撃者によって占拠されてしまったんです!」

 

「し、襲撃者?一体何モンなんだよ、そのキリの字達のいるオーシャン…って場所を占拠したって連中は」

 

「・・・私の見地が正しければ、高い確率で、米軍か米情報機関が関与していると思われます」

 

「べ……べーぐん!?ってまさか、アメリカ軍!?」

 

 

両目をひん剥いて聞き返してくるリズベットに、ユイは小さく頷いた。その仕草に顔面蒼白になる四人だったが、ユイは更に驚愕の事実を告げた

 

 

「それでも十分深刻な事態であることに変わりはないんですが、それだけなら…まだ良かったんです。それだけなら、まだ皆さんの力だけで何とかなったのかもしれないんです…でも、もうそれだけじゃダメなんです!」

 

「ダメって…一体何がダメなんですか?」

 

「あの人達は、米国のインターネットサーバーに、アンダーワールドにアクセス出来るティザーサイトをでっち上げて、最低でも三万人、多くても十万人のプレイヤーを、新作VRMMOのβテストと称して集めようとしているんです。そして彼らを使って、アンダーワールドにいるアリスを、力づくで奪おうとしているんです!!」

 

「「「!!!!!」」」

 

 

シリカの質問に答えたユイの言葉に、四人は絶句した。それはつまり、米軍に関与する者が、米国全土にいる一般のVRMMOプレイヤー達を大挙して、アンダーワールドに攻め込もうと画策しているということになる

 

 

「ま、マジでぇ…?そりゃアレだよな、キリト達の世界の方の米軍なわけだろ?学園都市もないそっちの世界じゃ、間違いなく最大の軍事国家の…?そんなヤツらがアリスを手にしたとすりゃあ…まぁ、何に使おうとしてるかは考えるまでもねぇよな。学園都市の都市伝説だった人工知能の計画だって、元は軍事転用が目的だったわけで…」

 

「・・・はい。クラインさんのおっしゃる通り、もしアリスが米軍の手に落ちれば、遠くない未来に無人機搭載用AIとして実戦配備される日が確実に来るでしょう。パパもママも、それだけはなんとしても阻止したいと思うはずです。なぜなら…なぜなら……」

 

 

不意に、自分の感情模倣プログラムが予期せざる反応を見せたことに、ユイは途惑った。  頰を、ぽろり、ぽろりと大粒の水滴が転がり落ちていく、いくつもの涙。なぜそれがこんなにも止まらないのか、その疑問すらも止めどなく溢れてくる未知の感覚に押し流され、ユイは胸の前で両手を握り締めながら言った

 

 

「なぜならアリスは、SAOから始まった全てのVRMMOワールドと、そこに生きた多くの人々の存在の証であり、費やされた膨大な時間的、物質的、精神的リソースの結実だからです。ザ・シード・パッケージが生み出されたそもそもの目的が、アリスの誕生に他ならないと、私は確信しています!だからこそ、何としてでもアリスを私たちの手で守らなければならないのです!」

 

「・・・ザ・シード、ね…」

 

 

リズベットが呟いた。二つのALOが一つになった時頃から、二つの世界にばら撒かれた、出自不明のVRワールド製作用基幹システム。最初こそ不審がられていたが、今や数多のVRワールドの基礎となった、別名『世界の種子』とも呼ばれるその種が芽吹いた先にある物こそが、アリスという真の人工知能の誕生であるというユイの答えは、何故だかスッと四人の胸に溶け込んでいった

 

 

「連結された無数の世界で、たくさんの人たちが笑い、泣き、哀しみ、愛した。それら魂の輝きがフィードバックされたからこそ、アンダーワールドに新たな人類が生まれたのです。パパや、ママや、リーファさん…もちろん、それだけじゃありません」

 

 

ユイが話している間、その場にいる四人は、誰ひとりとして言葉を発しようとはしなかった。 眼前の人間たちの意識で発生しているであろう思考や感情を知る術は、ユイにはなかった。情報集積体でしかないトップダウン型AIの持つ感情は、本物の感情ではなく、本当の意味では理解できない存在であることを、誰よりも知っているのはユイ自身だった

 

 

「世界の垣根を超えて繋がった、カミやんさん、ミコトさん、クラインさん、リズベットさん、シリカさん、エギルさん、シノンさん…そのほか多くの、数え切れない人々の心が編み上げた大きな揺りかごから、アリスは生まれてきたのです!」

 

 

しかしそれは裏を返せば、キリトやアスナ、そして彼らが愛する人たちを助けたいというこの強い衝動ですらも、メンタルヘルス・カウンセリング・プログラムとして誰かに書き込まれた、ソースコードに由来するものでしかない。そんな自分が口にする言葉が、人間たちの心にどれほど届き得るものだろうか、と…ユイはこの感情を吐露する前から危惧していた

 

 

「うん…そうだよね。繫がってるんだ、何もかも。時間も、人も、心も…大きな川みたいに」

 

 

さればこそ、突然リズベットの瞳に透明な涙が盛り上がり、音もなく頰を流れるのを見て、ユイは驚きを隠せなかった。そしてシリカも、両眼を潤ませながら立ち上がり、両手でユイの体を優しく抱いた

 

 

「大丈夫だよユイちゃん。キリトさんもアスナさんも、私達が助けに行くから。絶対に助けてみせるから。だから、泣かないで」

 

「おうとも、水臭ぇぞユイッペ。住んでる世界が違うから、なんて寂しいこと言うもんじゃねぇぞ?キリの字とアスナの大親友である俺たちが、アイツらを見捨てるわきゃねぇだろうが」

 

「そうだな。アイツらには、なんだかんだでALOを通じて、寝たきりだった俺たちを解放するためにカミやんと一緒に戦ってくれたっていう、でっかい借りがある手前、ここらで少しは返しておかなくっちゃあな。それに、向こうにいるはずのカミやんとミコトも、今はきっとユイちゃんのパパとママに協力してるハズさ」

 

「ありがとうございます…ありがとう、ございます……!」

 

 

額のバンダナを目深に引き下げ、クラインが湿った声で追随した。エギルも深く頷いて、重々しい声で宣言した。ユイは四人に言われるがまま、圧倒的な優先度を持つ単一の感情コードに思考を支配され、しゃくりあげながら同じ言葉を繰り返すことしかできなかった

 

 

「それにしても、アメリカからダイブしてくるVRMMOプレイヤーが三万、多けりゃ十万…対してキリの字やアスナ、カミやんにミコトのいる人界軍は一千そこら…か」

 

 

数分後、今アンダーワールドでは何が問題になっているのか、ダークテリトリーで繰り広げられている戦争にはどのような勢力が存在し、現在どのような戦況に陥っているのかをユイは掻い摘んで四人に説明した。そして改めて彼らが直面している事態を認識すると、クラインは悩ましそうに言った

 

 

「そいつらにとってみれば、人界軍はPvPのマトでしかない…って事よね?だったらいっそのこと、ユイちゃんもアメリカのVRMMO系のサイトに、書き込んでみたらどう?実験のこととか、襲撃のこととか暴露して、偽装ベータテストに参加しないでください、って頼めば……」

 

「それはタブーです、リズベットさん。今回の計画の核心は、日米の軍事機密争奪戦なのです。下手にそれを匂わせると、むしろ逆効果になりかねません」

 

「相手は本物の人間だから、殺さないで…って書くのも、同じく藪蛇ですよね……」

 

 

リズベットの率直なアイデアに、ユイは小さくかぶりを振ると、シリカもしゅんとした顔で呟いた。しかし訪れた重い沈黙は、すぐにクラインの威勢のいい声が破った

 

 

「ヘン!なら、コッチも同じ手を使えばいいってこった!ミコトやカミやんがそっちのアンダーワールドに行けてるってこたぁ、少なくともこっちのチャンネルみてぇなモンが上手いこと同調してくれてるってワケだ。だったらその病院にいる協力者さんと、キリの字達のいるラースってヤツらに、俺たちのアミュスフィアでもログイン出来るようにオンラインサーバーにSTLを繋げてもらえばいいだけじゃねぇか!」

 

「したらこっちも、ベータテストの告知サイトを作って、連中にアバターを用意してもらえば、3万人や4万人…いや、両方の世界が繋がってるこのALOで呼びかけりゃ、10万人だってすぐに集めてみせるぜ!」

 

「お、おおっ!バカのクラインにしては頭いい!」

 

「バカは余計だっつの!」

 

 

クラインの意見に心の底から関心したリズベットが言うと、クラインが食い気味にツッコミを入れた。しかしそんな彼らとは対照的に、エギルは太い腕を組みながら冷静な声を出した

 

 

「だが、クライン。それをするにしても厄介な問題が一つあるぞ」

 

「あ?んだよ、問題って」

 

「時差だよ。日本はいま午前四時半、つまり最も接続数が減る時間帯だ。対してアメリカは、ロスが昼の十二時半、ニューヨークが午後三時半。アクティブプレイヤーの数じゃ、そもそも比較にならねぇくらい向こうの方が多いぞ」

 

「う、うぐっ……」

 

「こ、こんのアホクライン!変な期待させるんじゃないわよ!」

 

「ど、どうもすみませんでした……」

 

 

クラインがリズベットに平謝りしていると、すでにまったく同じことを懸念していたユイは、大きく頷いてから言った

 

 

「エギルさんの仰るとおりです。そもそもの日本という国の人口からなる、VRMMOプレイヤーの人口の差に、時間帯の問題、更に告知も大きく出遅れていることを加味すると、私たちが日本で集められる人数は、一万にも遠く及ばないでしょう。例え二つの世界で協力者を集めたとしても、敵側と同レベルのアカウントを使用するのでは、対抗できる可能性は非常に低いと言わざるを得ません」

 

「でも、アスナが使った神様アカウントってそんなに数ないんでしょ?だからってキリトみたいに、イチからレベル上げしてる時間なんかあるわけないし…やっぱり、使えるアカウントの中で、一番強いので頑張るしかないんじゃ…」

 

「いいえ。アカウントは存在します。敵側の使用するデフォルトアカウントより、レベルも装備も遥かに強力なものを…皆さんは既に持っています」

 

「・・・えっ?それってつまり……」

 

「そうです。いまこの瞬間、ログインに使用している、まさにそのアカウントです」

 

 

呆然としている四人に向けて、ユイは己の使命の核心を告げるために口を開いた。彼らに、とてつもなく巨大な代償を…文字通り、その半身を捧げることを求めようとしているという認識はあった。しかし同時に、この人たちならば必ず受け入れてくれると、ユイは強く信じて言い放った

 

 

「コンバートです!皆さんが、そして他の多くのVRMMOプレイヤーさん達が、数多の仮想世界で鍛え上げたキャラクターを、アンダーワールドにコンバートするんです!」

 



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第52話 闇の軍勢

 

「よし、六本目にいくぞ!!」

 

 

騎士長ベルクーリの力強い声が、今も傍で広がっている谷底に反響した。ダークテリトリー軍が峡谷を渡るために張った十本のロープのうち、速くも五本を切断してのけたが、今も敵を屠っていく七人の顔に、誇らしさや達成感は見受けられなかった。むしろ、暗黒神ベクタによふ無慈悲な命令を受け、捨て身で谷を横断してくる敵兵たちの、文字通りの命綱を断つことに痛苦を感じているようだった

 

 

「うおおおおおおっっっ!!!」

 

 

巨大な峡谷の岸辺で戦っている彼らの中で、唯一剣を帯びておらず、拳と盾のみで戦っているため、縄を断つ手段を持たない上条もまた、力戦奮闘していた。しかしながら彼はその戦法故に、大人数が入り乱れるこの戦争ではどうしても隙が多くなる。そんな唯一にして最大の弱点を先ほどから補っているのは、かのSAOで愛剣として用いていた『ランベント・ライト』を振るい続け、上条と背中合わせで戦っている御坂美琴だった

 

 

「ちょっとアンタ!少しは周り気にして戦いなさいよ!この世界じゃアンタのグーパンだとちゃんと敵倒せてるかどうなのか分かったモンじゃないし、さっきから私がいなかったらヤバかったとこ数え切れないわよ!?」

 

「俺なら大丈夫だって!それより美琴の方こそ、道が拓けたら積極的に縄を切りに行ってくれ!少しくらいなら俺だってカバーできる!」

 

 

そんな言い争いはありつつも、二人は年単位で共闘を重ねてきた経験を生かし、自分達の倍以上の数を誇る暗黒兵や拳闘士を相手どりながらも、手傷を負わせられるほどの攻撃を許さなかった。すると突然、彼らの後方から角笛の音が高らかに響き渡り、整然と隊列を組んだ人界守備軍囮部隊の衛士たちが、今まさに駆けつけようとしている光景が視界に映った

 

 

「ったく……大人しくしてない奴らだ」

 

 

ベルクーリは渋い顔で後方の衛士たちを見やったが、すでに峡谷を渡り終えた敵兵の数は五百ほどにも達しているので、このタイミングでの援軍は非常にありがたかった。衛士たちが敵兵を牽制してくれれば、残り五本のロープを切るのにそう苦労はするまいと微笑を口許に浮かばせた

 

 

(・・・うん。この戦いはどうやらこっちの勝ちみたいね、暗黒神ベクタさん)

 

 

アスナが胸中で呟く、その余韻が消える間も無いこと。奇妙な現象を、彼女の瞳が捉えた。血の色の朝焼けに染まる空から、不思議な光が降りてきていた

 

 

「なに、あれ……?」

 

 

心の呟きが気づけば口に出ていたことは、アスナ自身にも分からなかった。空よりもひときわ紅く輝く線。それも一本ではない。数十、数百…いや、数千か数万かもしれない。無数の線はそれぞれ、微細なドットの連なりからなっている。懸命に眼を凝らすと、ドットの一つ一つに、数字やアルファベットが刻まれているのが分かった

 

 

「・・・嘘、でしょ…」

 

 

正体不明の文字列の集団は、アスナ達のいる峡谷の側から東に、一、二キロルほど離れた場所に音もなく降り注いだ。いつしか、アスナのみならず他の整合騎士たちや、ダークテリトリーの暗黒騎士や拳闘士たちさえも、足を止めてその奇妙な現象に見入っていた。乾いた地面に突き刺さった最初の赤線が、不定形の塊となって蠢き、それが人の姿に変化するまで、ほんの数秒しかかからなかった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

拳闘士チャンピオンのイスカーンは、心の底から滾る憤怒を、一瞬にせよ忘れた。峡谷の対岸では、どうにか綱を渡り終えた五百人の暗黒界兵が、五人の整合騎士に果敢に攻め掛かろうとしている。しかし、突然彼らの動きが止まり、呆気に取られた様子で戦場の外に眼を向けた

 

 

(・・・一体何なんだ、ありゃあ…?)

 

 

イスカーンが見たのは、峡谷の岸辺の遠方に降り注いだ深紅の雨。それらは、地面に接すると同時に膨れ上がり、たちまち人間の姿へと変化した。出現したのは、暗赤色の鎧に身を固め、長剣や戦斧、長槍で武装した兵士たちだった。色はともかく、鎧の形状は暗黒騎士団のそれと似通っている。皇帝ベクタが、神の力で援軍を送り込んだのか、と最初は思っが、その直後、言いしれない違和感がイスカーンを襲った

 

 

(・・・いや、違う…!)

 

 

赤い兵士たちの、規律や統制とは無縁な立ち姿は、いまは亡き暗黒将軍シャスターに鍛えられた騎士団の一員だとはとても思えない。大きな身振りで近くの兵士と話をしたり、地面に座り込んだり、命令もないのに武器を抜いて振り回している姿は、力ある者に絶対の忠誠を誓う暗黒騎士の立ち振る舞いとは似ても似つかなかった

 

 

(多すぎる…!元々は亜人も含めて五万だった侵略軍の勢力の、半分以上はいるぞ…!?)

 

 

そして何より疑うべきは、その数。大地に出現した兵士たちの集団は、ざっと目算しただけでも一万は軽く超え、二万…ことによると三万人にも達している。暗黒騎士団にそれほどの予備兵力があったのなら、十侯会議などとっくに形骸化し、暗黒騎士の時代が到来していたハズ。ならば然るに、あの兵士達は…

 

 

(皇帝ベクタが召喚した…本物の『闇の軍勢』ってことかよ…!?)

 

 

そう認識して、イスカーンの驚きは、凄まじい憤りへと変わった。これではまるで、無謀な横断作戦に命を散らした拳闘士と暗黒騎士たちは、敵を陣地から引っ張り出すための囮だったかのようではないか

 

 

(・・・いや、もしかしたらそれこそが……)

 

 

考えてみればそもそも、開戦当初から暗黒界軍の被害は大きすぎた。だというのに、あの皇帝は部下の死を悼むどころか、顔色一つ変えていなかった。つまり、皇帝ベクタにとっては、五万もの暗黒界軍は、捨石でしかなかったということになる。今この瞬間イスカーンは、侵略軍の中でも初めて、自らが属する暗黒界と人界を含め、アンダーワールド全体を俯瞰する視点に立った。そしてその知覚は彼の中に、解決不可能な矛盾を生み出した

 

 

「ぐおっ!?」

 

 

刹那、右眼にかつてないほどの激痛が生じ、イスカーンは顔の右側を掌で覆いながら唸った。よろめいた彼の視線の先では、三万にも及ぶ深紅の軍勢が、聞き覚えのない言葉を口々に発しながら走り始めた。彼らの行く先では、峡谷南側の丘を降りてきた約一千の人界守備軍の兵士たちが、整合騎士と合流して迎撃態勢を整えている。加えて両者の中間では、五百の拳闘士と暗黒騎士たちが、どう動くべきか解らない様子で立ち尽くしていた

 

 

(だけど、コレでアイツらの命が助かるってんなら……)

 

 

イスカーンは、右眼を強く押さえながら、意識の片隅でそう思った。しかし彼は、この期に及んでもなお、ベクタの冷酷さを見誤ってしまった

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

なんたることか、皇帝が召喚したであろう三万の軍勢は、人界軍ではなく、その進行の途中で狼狽していた五百の暗黒界軍に真っ先に襲いかかったのだ。彼らが手にする無数の剣が、斧が、槍が、血に飢えた叫び声とともに、味方であるはずの拳闘士や暗黒騎士たち目掛けて次々に振り下ろされた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「なっ…何なんだあの連中は!?」

 

 

騎士長ベルクーリの驚声に、アスナは何と答えていいのか解らなかった。突如戦場の東側に降下…否、ダイブしてきた三万もの兵士たちは、皇帝ベクタの呼び出した軍勢であることは明らかだ。しかし、いったいどこから、これほどの数の戦力を引っ張りだしてきたのか。そんな彼女を襲った一瞬の混乱は…数百メートル先まで迫った、赤い兵士たちの叫び声がかき消した

 

 

Charge ahead(突っ込め)ーーー!!」

 

Give'em hell(ぶっ殺せ)ーーー!!」

 

「え、英語!?」

 

 

彼らの罵声が入り混じる言語を聞き取るなり、アスナが驚愕に打ちのめされながら叫んだ。間違いない、彼らは現実世界の人間、しかも発音からしてアメリカ人を主とする集団だ。しかし、どうしてそんなことが。ここは、ラースによって秘匿されたVRワールドであるはず。そんなアスナの考えを、続いて叫んだ上条の声が上書きした

 

 

「な、なぁ!ひょっとしてアレって米軍のヤツらなんじゃないのか!?アスナ達のいる施設を占拠してるってヤツらの仲間が、STLとアミュスフィアなりなんなりをオンラインのネットワークで繋げて、基地にいる兵士をいっぺんに放り込んできたんじゃ…!?」

 

「う、ううん…多分違う!オーシャン・タートルを襲撃してきた人達は、本物の軍人らしく完璧に統率された行動を取ってた!アレが本物の米兵だって言うなら、あの滅茶苦茶な言動は理由にならないわ!だから…!」

 

「じゃあ、つまりアレは…アスナさん達の世界のアメリカにいる、一般のVRMMOプレイヤーだって言うの……!?」

 

 

愕然とする美琴の憶測を裏付けたのは、赤い兵士たちの行動だった。彼らは本来は友軍であるはずの暗黒界の騎士、拳闘士たちに真っ先に襲いかかり、躊躇いなく剣や斧を振り下ろしていったのだ

 

 

「な、何を…!?」

 

「お、お前たちは味方じゃないのか!?」

 

 

侵略軍の騎士や拳闘士たちは、驚愕の声を漏らしながら攻撃を防ごうとするが、余りにも絶対数が違いすぎた。更に、赤い兵士たちの武器や鎧は、暗黒界軍のそれよりもスペックが上らしく、掲げられた剣や盾を次々とへし折り、また打ち砕いていき、両軍の衝突部では、たちまち悲鳴と鮮血が湧き始めた

 

 

Dude, that's awesome(うおおすげえ)!!」

 

Pretty gore(グロすぎだろ)!?」

 

「おい…おいおい、それは嘘だろ。これは、なしだろ…こんなのあんまりだ…あんまりすぎる!!」

 

 

その光景を見た上条は、悪夢でも見ているように顔を青ざめさせながら呟いた。興奮したように叫ぶ異世界人にして現実世界人たちは、この戦いの真実など何も知らされずに、恐らくは新しいVRMMOゲームのβテストだとでも信じ込まされてダイブしてきたのだろう。あのアメリカ人プレイヤーたちに、アンダーワールド人への敵意があるわけではない。彼らは、目の前の暗黒界人たちを、単なるターゲットNPCだと信じているのだから

 

 

「テメらの遊び半分感覚で、テメエらの好き勝手でこの世界の人間を殺してんじゃねぇ…ソイツらはただのNPCじゃねぇんだ…ソイツらはっ!本物の感情を持った俺たちと同じ人間なんだぞーーーっ!!」

 

「だ、ダメよ!止まってカミやん君!!」

 

 

激昂のままに叫びながら、上条は暗黒界軍に襲いかかる深紅の集団の元へと飛び込んで行った。走り出す彼の背中を縫い止めるようにアスナが必死で叫んだが、それでも彼は止まらなかった。もはや、この混戦状態であの敵兵達を言葉で説得するのは不可能だ。暗黒界軍を皆殺しにしたら、次は人界軍囮部隊に襲いかかってくるだろう

 

 

「システム・コール!クリエイト・フィールド・オブジェ……!」

 

 

ならば、彼らを巻き込んでしまった自分が戦わなければ。そう決意したアスナは、右手の細剣を振り上げると、素早くコマンドを唱えようとしたが、その詠唱が終わるすんでのところで、美琴がアスナの肩を強く叩いた

 

 

「ダメよアスナさん!アスナさんの能力には回数制限と、強制退去のリスクがある!ここは私の能力で何とかする!だからアスナさんはベルクーリさん達にこの状況を伝えて来て!」

 

 

そう言った美琴は、アスナの返事を待たずに上条の背中を追った。そして彼の拳が米国のプレイヤーにぶち当たるほんの手前で、ありったけの電力を帯びさせた両手の平を大地に叩きつけ、雷の亀裂を地表へ迸らせた

 

 

「でぇりゃあああああ!!」

 

 

すると深紅の集団の手前に広がっていた大地が膨れ上がり、その下からドバアッ!と噴き上がった大量の砂鉄が、津波のような激流でいとも簡単に敵兵を押し流した

 

 

「み、美琴っ!?」

 

「あのね、舐めんじゃないわよ。敵の大将が本物の軍人で、その勢力が何千、何万いようが知ったこっちゃないけど、こちとら学園都市が提示してる『たった一人で軍隊を相手取れる』って超能力者の基準をクリアした、秘蔵っ子中の秘蔵っ子なんだから」

 

 

言いながら美琴は、今度は片腕を横薙ぎに振るった。するとその僅かな挙動だけで、彼女の発する電力によって生み出された磁力に導かれ、敵軍に覆い被さった漆黒の砂塵が竜巻のように荒れ狂い、あっという間に百人単位の敵を血飛沫と共に飲み込んだ

 

 

「アンタにとって人工フラクトライトは、本物の感情を持った俺たちと同じ人間…だっけ?事と次第によっては、今薙ぎ払った連中も本物の魂を持ってる人間な訳だけど…優先順位は?」

 

「・・・アイツらの方が下に決まってる。所詮アイツらは、ここで死んだところで現実で死ぬ訳じゃない。ただちょっと痛いくらいだ。だから…思いっきりやってくれ、美琴」

 

「おいおい、俺たちにも少しは出番を分けてくれよ」

 

 

言いながら騎馬を上条達の右横に付けたのは、ベルクーリだった。すると今度は左横にも、アリスが金木犀の剣を煌めかせながら並び立った

 

 

「そうです。例えあの者達がお前達の世界に住む異界の敵と言えど、この世界は私たちの土地です。されば私たち整合騎士にこそ、この領域を守る義務があります。あのようなただ闇雲に血を求め、剣を振り回すような連中ならば、何万いようと恐れるに足りません」

 

「アリス……」

 

 

この状況でも余裕を失わない整合騎士たちの精神は流石の物だと思えたが、彼らの表情には、これまで以上に覚悟が漲っていることを上条は察した。赤い塊となって押し寄せる敵の数は、三万。人界軍の三十倍。もう、気迫でどうにかなるものではないと彼らも分かっているのだ。しかし、ベルクーリは磨き込まれた長剣を高々と掲げると、強靱な声を高らかに張り上げた

 

 

「よおォし!全軍、密集陣形を取れ!一点突破でこっからずらかるぞ!!」

 



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第53話 取引

 

殺される。死んでいく。命令を与えられず、戦うことすらもままならない同胞の闘士たちが、滅茶苦茶に振り下ろされる刃の下に次々と斃れていく。なのに、残る五本の大縄を渡る兵士たちは、動きを止めることはない。対岸に渡れという皇帝の命令は、今もなお生きているからだ。絶対者に命ぜられるまま懸命に綱を渡りきっても、その直後に赤い軍勢に取り囲まれ、無残に切り殺される

 

 

「オ…ウオオオオオォォォォォーーー!!」

 

 

無念の叫びが、イスカーンの喉笛から飛び出した。なぜ皇帝ベクタは、拳闘士と暗黒騎士に横断作戦の中止を、そして赤い兵士たちに暗黒界軍への攻撃禁止を命じてくれないのか。これでは、部族の闘士たちは囮ですらない召喚された軍勢に捧げられる生贄ではないか。敵軍はとっくの昔に暗黒騎士と拳闘士への攻撃を辞め、紅の敵に立ち向かっている。これではもう、自分達が何と戦っているのか分からないではないか

 

 

「こ、皇帝に…」

 

 

上申せねば。作戦を停止してくれるよう要請しなくてはならない。怒りと絶望、そして右眼に宿る激痛に苛まれながらも、イスカーンは最後方の地竜戦車に向かおうと足を一歩動かした。長の意図を察したらしいダンパが歪めた顔を上げ、何かを言おうとした時、上空を巨大な影が横切った。遅れて背中を叩いてくる風圧を受けた時には、イスカーンとダンパは反射的に空を見上げた

 

 

「あ、あぁ…!」

 

 

竜の背中に乗るのは、豪奢な毛皮のマントをまとい、風にソレを靡かせる皇帝ベクタその人だった。イスカーンが無意識のうちに発した叫び声が聞こえたのか、飛竜の鞍上から皇帝がちらりと地面を見下ろした。しかしその瞳に、一切の感情はなかった。無為に死んでいく暗黒界軍の兵たちに、一片の憐憫も、それどころか一抹の興味すらないように彼はただ自分達を見下ろしているだけだった

 

 

「アレが、暗黒神…ダークテリトリーの…絶対の支配者だぁ…?」

 

 

自らが統べる軍を、治める民を導き、いっそうの繁栄をもたらす。それが支配者の務めであるはずだ。何千何万の命をただ使い捨てにして、そのことに一切の感情を動かさない者に、皇帝を…支配者を名乗る資格がある訳がない。そう考えた瞬間、イスカーンの右眼の眼窩に筆舌に尽くしがたい痛みが走った

 

 

「ガアアアアアアアーーーッッ!!!!!」

 

 

イスカーンは、高々と右拳を突き上げた。そして、その指先を鉤づめのように曲げ。思考を妨げる激痛の源である、己が右眼に思い切り突き立て…その眼球を丸ごと抉り出した

 

 

「ち、チャンピオン!一体何を…!?」

 

「いいんだよ!これで……!!」

 

 

自分の元へ駆け寄ろうとするダンパを左手で押しのけ、短い絶叫とともに、イスカーンは右の眼球を一気に引き抜いた。掌で転がる眼球は拳の中でなおも赤い光を放ち続けたが、彼の右手にぐしゃりと粉砕されると同時に光を失った。イスカーンはゆっくり振り向き、啞然とした顔で見下ろすダンパに低い声で語りかけた

 

 

「皇帝は、あの赤い兵士どもに関しちゃ、俺たちに何も命令してねえ。そうだよな?」

 

「は…?そ、それはその通りですが…」

 

「なら、俺たちがアイツらをブチ殺す分には、皇帝にゃあ関係ねぇってことだ!!」

 

「・・・チャンピオン…」

 

「いいか、ダンパ。谷に橋がかかったら、全軍で突撃してこい。何がなんでも、向こう岸の仲間達を助けるんだ」

 

「は、橋ですか?一体どのように…」

 

「知れたことか。できる奴に頼む」

 

「それは暗黒術師に…ということですか?しかし既に人員の大半はおろか、長すらも失ったあの者共がすんなりと応じるとは…それにそれではあまりにも時間が……!」

 

「それこそ、知れたことだ」

 

 

静かに言い放ち、イスカーンは峡谷に向き直った。突如、逞しい両脚を、赤々とした炎が包み込んだ。黒く燻る足跡を残しながら、拳闘士は谷に向かって猛然と走り出した。そして拳闘士最強の猛者は、幅百メルに渡って広がる峡谷の直前で、思い切り地面を蹴った

 

 

「向こう岸に行きたきゃ…テメェで飛びゃあいいだろうが!!!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「はああああぁーーーっ!!」

 

「Noooooーーー!?!?」

 

 

罵り声を上げてばったりと倒れるアメリカ人プレイヤーから細剣を引き抜き、アスナは荒く息を吐いた。この世界での天命が尽きても、実際にその存在が消える訳ではない彼らに対する心理的重圧は既にアスナの中にはなかった。かつての『閃光』という二つ名の由来となった高速の連続剣技によって倒した赤い兵士の数は20を超え始めている。しかし、それでも敵の攻撃の手が緩まることは一切なかった

 

 

(クソッ!これじゃ敵が多すぎる!!)

 

 

上条は心の中で毒づいた。彼だけでなく、美琴やアスナ、人界軍の衛士たち、ことに四人の整合騎士の戦い振りはまさしく鬼神の如しだ。密集陣を組む衛士たちの先頭に立ち、なんとか南に退路を切り開くべく、屍の山を築いている。しかし、やがて皆が気付くだろう。斬り倒した敵の骸が、数十秒後には跡形もなく消滅し、その場に血の一滴すらも残らないことに。自分たちが、命を持たない幻の軍隊を相手にしていることに

 

 

「ダメだ!マズッ…うわあああーーー!!」

 

「ッ!?ヤバイ…!」

 

 

突然背後から響いた絶叫に、美琴はハッと振り向くと、人界軍の衛士たちの戦列の一部が破られ、赤い兵士たちが一斉になだれ込んでくるのを見た。米国のVRMMOプレイヤー達がスラングを口々に喚きながら、手当たり次第に衛士たちに襲いかかり、取り囲んでは切り刻む。血が、肉片が飛び散り、悲鳴が断末魔の絶叫に変わる。あまりにもリアルな死に様がいっそう彼らの欲望を搔き立てたのか、赤い兵士たちは次の獲物へと群がっていく光景に美琴は紛れもない恐怖を覚えた

 

 

(能力で少しでも退路を開ければ…!でも、ここまで周りが敵だらけじゃ演算に思考を割く余裕が…!)

 

 

既にランベント・ライトで幾人もの敵を切り伏せ、電撃で数十人もの敵を撃ち抜いた美琴だったが、その苦しい表情は晴れず、いつまでも周りが敵だらけの戦場で、超電磁砲の能力を最大限に行使出来ない現状に舌を打っていた。そして、なおも英語で罵声を迸らせながら襲いかかってきた一人の赤い鎧の胸部に細剣を突き立て、脇にかけて一思いに敵の体を引き裂いた

 

 

「ええいっ!ままよ!!」

 

 

そこで美琴はついに痺れを切らした。たった今倒した敵が使っていた長剣を奪い取り、それを弾丸にした超電磁砲を放つため、脳内の意識を能力行使の為の演算へと切り替えようとした…その瞬間のことだった

 

 

Take this(これでも喰らえ)!!」

 

「ーーーッ!?」

 

 

無理を押した故に出来た隙をつくように、一人の敵兵から猛然と振り下ろされたバトルアックスの刃から逃れようと、美琴は右へ飛び退いた。しかし完全な回避は叶わず、彼女左腕を分厚い刃が捉えた。ぞぶっ。という鈍い音と共に、美琴の左肘から先が切断され、軽々と宙を舞った

 

 

「ぁ…あああああああーーーっ!?!?!」

 

「み、美琴さんっ!?」

 

「ぐううううううっっっ!!ああっ!?うわああああああああああああ?!?!?!」

 

 

凄まじい激痛に、美琴の喉が猛り、視界はホワイトアウトした。呼吸が止まり、全身が強張る。滝のように鮮血を振り撒く左腕を抱え込み、痛みに耐えようと歯を食いしばったが、その我慢は一秒にも満たず、美琴は口を裂くように再度絶叫した。抑えようもなく溢れた涙の向こうに、自分へと群がってくる敵兵を見たが、直後に彼らの背後からガァンッ!という強烈な音がして、4、5人の敵を細剣で薙ぎ払いながらアスナが駆け寄って来た

 

 

「大丈夫!?気をしっかり持って!今すぐに治癒するからね!」

 

 

言って即座に、アスナは切断された美琴の左腕に右手を当てがった。そして数秒の間ながらも意識を集中させると、昨夜コマンドを暗記したばかりの治癒の神聖術を発動した。すると彼女の掌を中心にして暖かな光が宿り、ステイシアアカウントの誇る最高位の術式権限の恩恵もあってか、失われたはずの美琴の左腕がみるみる内に再生した

 

 

「はぁ…はぁ…ありがとう、アスナさん…助かったわ。しっかしこれは…キツイわね……」

 

「気をつけて。STLでダイブしている以上、痛覚もダイレクトに伝わってくる。この魔法みたいな力で傷を治すことは出来ても、痛みまではカバーできないから」

 

cruuuuush(潰せーーーっっっ)!!!」

 

「「ッ!?」」

 

 

もはや息つく間もなかった。群がりながら武器を振り上げる真紅の兵士達に、美琴とアスナは息を呑んだ。だがその次に続いたのは、剣が肉を割く音ではなく、鈍い打撃音だった。彼女らに止めを刺そうとしていた歩兵たちの体が次々に粉砕され、視界の外に消えた

 

 

「へっ、ヤワな奴らだ」

 

「あ、アンタは…拳闘士の!?」

 

 

吐き捨てるように言った人影を見た美琴が叫んだ。そこにいたのは、彼女と峡谷で激闘を繰り広げた、拳闘士ギルド長のイスカーンだった。しかし、二人を見下ろすの彼の眼は、片方しかなかった。右眼はまるで抉り取られたかのように惨い傷痕を晒し、赤黒い血が一筋、頰で乾いている。それでもイスカーンは、隻眼ながらも強い視線で美琴とアスナを睨みつけた

 

 

(マズイ…今こんな所でこんな奴とマトモにやり合ったら…!)

 

「勘違いすんな、雷女。今俺が用があるのはそっちの女だ」

 

「・・・わ、私?」

 

 

最悪の展開を想像して顔を真っ青にしていた美琴に、イスカーンが鼻で一つ息をしながら言った。そして彼は、隻眼の視線でアスナを見ると、右手の人差し指を峡谷の方へと差し向けた

 

 

「取引だ」

 

「とり、ひき…?」

 

「そうだ。昨日、あの地割れを作ったのはお前だな?いいか、後ろの地割れに、狭くていいからしっかりした橋を架けろ。そうすりゃ、四千の拳闘士が、この赤い兵士どもを一人残らずブッ潰すまでお前らと共闘してやる」

 

「きょ、共闘!?ダークテリトリー軍が!?」

 

 

イスカーンの口から飛び出した思わぬ提案に、アスナは声を上げて驚いた。確かに今この場では、彼の率いる拳闘士団も、アメリカのVRMMOプレイヤーによって窮地に立たされていることに違いはない。しかし、その共闘はどれだけ信用できる物なのか。この青年の言葉をどう考えれば、どう判断すればいいのか。そんな逡巡を抱えるアスナの耳に、この極限状況でも静かに落ち着き払った声が届いた

 

 

「その人、多分嘘はつかない」

 

「・・・あぁ。俺は嘘はつかねえぜ」

 

 

驚くほど細く、よくしなる漆黒の剣で、赤い兵士の首を無造作に落としながらそう発言したのは、灰色の整合騎士シェータ・シンセシス・トゥエルブだった。シェータに眼を向けられたイスカーンがにやりと、不敵でありつつもどこかで照れ隠しのような笑みを浮かべながら言った

 

 

「アスナさん。私もシェータさんの意見に賛成。この取引、乗るべきよ。今の私たちに足りないのは、何よりも人手であることは否定できない。その数が増えるなら、例え敵同士だったとしても、歓迎して然るべきだわ」

 

 

次にアスナに声を掛けたのは、一度は切り落とされた痛みが尾を引いているのか、左腕を抱えながら僅かに顔を引きつらせている美琴だった。別世界の住人ではありつつも、多くの戦場を共にしてきた彼女の後押しがあるのなら、と。アスナはもう答えを迷わなかった

 

 

「分かりました。峡谷に橋を架けます」

 

 

明確に頷いて、アスナは右手のレイピアを高く掲げた。地形操作の使用によって、直接脳内を刺激してくる激痛に、アスナはグッと瞳を閉じながら歯を食いしばって耐え続けた

 

 

[ラーーーーーーーーーーーー]

 

 

暖かな天使の和声が響くと、七色のオーロラが荒野に降り注いだ。次第にそれは一直線に北へと突き進み、峡谷の対岸にまで達した。地響きが轟き、大地が震えた。突如、崖の両側から岩の柱が突き出した。それらは水平に伸び、峡谷の中央で結合すると、太く、しっかりとした橋へと変化した

 

 

「うううううううっ!らあああああああっ!!」

 

 

地形変化に伴う地響きを、数倍の音量で搔き消したのは、四千人の拳闘士たちが放つ雄叫びだった。副官であるダンパを先頭に、屈強な闘士たちが我先に橋へと疾駆し始めたのを見たイスカーンは、真紅の騎士達に向かって吠え猛った

 

 

「行くぞテメエら…倍返しだあああっ!!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

皇帝ベクタことガブリエル・ミラーにとっても、この局面はギャンブルだった。しかし、彼は確信していた。戦場にダイブさせた数万のアメリカ人プレイヤーに人界守備軍を包囲攻撃させれば、敵戦力を一気に殲滅出来るだけの技芸を持つアリスは、必ずもう一度、単身あるいは少人数で守備軍から離れると

 

 

「よくやった、クリッター。後はこちらの仕事だ」

 

 

暗黒騎士団に用意させた黒い飛竜の背にまたがり、戦場の遥か高空でホバリングしながら、ガブリエルは現実にいる部下への賛辞を呟きつつ待ち続けていた。それは彼にとって、アンダーワールドにダイブしてから、最も長く感じた時間だった。しかしついに、有象無象の群れの中から、小さな黄金の光が抜け出した

 

 

「あぁ…アリス、いや…アリシア!」

 

 

ガブリエルは彼にしては珍しく、心の底からの笑みを浮かべて囁き、手綱を打って飛竜に降下を命じた。ガブリエルは、自分が生み出した凄惨極まる戦場に、一瞬たりとも意識を向けることはなかった。彼にはもう、ダークテリトリー軍が、人界守備軍が、そして召喚した現実世界人たちが、後はどうなろうとどうでもよかった。ガブリエルは、背筋を甘美な衝動が這い登るのを感じ、もう一度唇に微笑を作った

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

整合騎士アリスは、無限に等しく湧いてくる赤い兵士たちを、もう何人斬り倒したのか解らなくなっていた。彼らには軍隊としての統制など全くなく、耳慣れない言葉を喚き散らしながら、味方の骸を足蹴にして次々に飛びかかってくる。まるで、仲間のみならず、自分の生死さえもどうでもいいと思っているかのようだと感じざるを得なかった

 

 

(こんなのは異常だ…普通じゃない…!)

 

 

これがリアルワールドの人間たちなのだとしたら、確かに上条達の口にした通り、向こう側も決して神の国などではないのだろうとアリスは舌を打った。果てしなく続く殺戮と、尽きることなく出現する敵の数に、さしものアリスも意識が鈍り始めていた

 

 

「・・・もう、嫌だ…これは、もうこんなのは戦いですらないっ!!」

 

 

早くこの戦列を切り崩して、この包囲から抜け出したい。この場にいる人界守備軍の誰もが思っているであろう感情のままに、アリスは叫んだ。すると、彼女の右側から、その叫びに負けず劣らずの絶叫が迫ってきた

 

 

「どけ…退けえええええっっっ!!!!!」

 

 

右手の拳と、左手の盾の銀縁で、鬼神の如き勢いで真紅の騎士達を打倒していく少年の姿があった。耳をつんざくほどの大声に、アリスが振り向いたその先にいたのは、上条当麻だった

 

 

「うおおおおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

立て続けに響く彼の絶叫。アリスの記憶が正しければ、彼は本来の敵である侵略軍と戦っている時は、どこか迷いがあるような様子を見せていたハズだ。しかし今の彼には、そんな迷いなど欠片も感じられなかった。むしろその表情から感じられるのは、底の見えない憤怒。その感情の捌け口にでもするように拳を振りかざす今の上条の姿は、アリスの記憶にいる彼とは似ても似つかなかった

 

 

「…ッ!はああああああっ!!!」

 

 

喉から気合を走らせながら、アリスは地を蹴って、再び金木犀の剣を、無尽蔵に待ち受ける兵士達へと向けた。おそらくはリアルワールド人であると予想できる彼らに対し、同じリアルワールド人である上条にとっては何か思うところがあるのだろう。むしろ、自分達と同じ人間だからこそ下手に手加減を必要としていないのかもしれない。そう考えたアリスは、より一層剣を握る右手に力を込めた

 

 

「お、おい!嬢ちゃん!カミやん!あんまり先走るな!!」

 

 

背後でベルクーリの鋭い声が上がったが、上条とアリスの耳には届かなかった。そしてアリスは、前方に現れた最後の一人を足を止めないまま一撃で斬り伏せ、ついに無限とも思えた敵の包囲を破って無人の荒野へと抜け出した

 

 

(これで次は、カミやんの前に残っている兵士達を挟撃すれば……!)

 

 

そう考えた瞬間、不意に周りが暗くなった。朝日が翳ったのか、と。アリスがそう思った直後に、背後から凄まじい衝撃が彼女の背中を叩いた。急降下してきた飛竜の足に後ろから摑まれたのだ、と気付いた時にはもう両の爪先が地面から離れていた

 

 

「・・・え?ぁ…ダ、め………」

 

 

視界がすうっと暗くなり、凍えるような冷気が全身を包んだ。飛竜の騎手が暗黒術を…否。自分の意識そのものが、底無しの穴のような暗闇の中に吸い込まれていくのをアリスは感じた

 

 

「あ…アリスーーーーーッッッ!!!!!」

 

 

何故だか、酷い既視感を覚えた。それはおそらく、彼女にとっては失われたはずの記憶だ。飛竜に連れられていく自分を、必死に手繰り寄せるように叫んでいる少年の姿。故郷だった村を離れたあの日と、どこか似通った景色。そんな微かな記憶が脳裏によぎったのを最後に、アリスは意識を手放した



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第54話 奪われた光の巫女

 

「よもや、ここまでするとは…!」

 

 

ベルクーリは唇を噛んだ。たった一人の少女を奪うという目的のために、五万のダークテリトリー軍と、新たに召喚した三万の歩兵たちを、丸ごと使い捨てにするとは。ベルクーリは暗黒神ベクタの虚ろな心意を知覚したその瞬間から、彼の動向に最大限の警戒を払ってきたつもりだった。しかしその実、四面楚歌とも言えるこの状況に乗じてアリスを拉致され、ベクタの虚ろな心意の全容をようやく思い知らされた

 

 

「ま、待て…待てよっ…!待てって言ってんのが聞こえねぇのかテメエーーーッ!!!」

 

 

ベルクーリから数十メル離れた先では、上条が連れ去られたアリスに向かって懸命に右手を伸ばしながら叫んでいた。そんな彼の叫びによって、ベルクーリの意識は現実へ引き戻された。瞬間、ベルクーリはいったい何十年ぶりなのか自分でも分からない行動に出ていた。飛び去る飛竜の背に乗る暗黒神に向けて、腹の底から、本気の怒声を放ったのだ

 

 

「貴様っ…俺の弟子に何しやがるっ!?」

 

 

余りにも鋭い叫びに、周囲の空気が小刻みに震えた。しかしアリスを捕獲した皇帝ベクタは、振り向こうともせずに、一直線に南の空へと上昇していく。愛剣を強く握り、ベルクーリは飛竜を追って走ろうとしたが、アリスが敵の戦列に開けた穴はすでに大量の闇の軍勢によって塞がれ、奇怪な罵声を吐きながら次々になだれ込んできていた

 

 

「ッ!いい加減にそこを…!」

 

 

退けっ!とベルクーリが叫ぶより早く、頭上を眩い白銀の光が駆け抜けた。それは、高く澄んだ音を響かせながら飛翔する二枚の投刃、レンリの神器『雙翼刃』だった

 

 

「リリース・リコレクション!!」

 

 

続いて少年騎士の口から紡がれたのは、記憶解放の術式だった。一瞬の閃光を放ち、投刃たちが空中で融合する。十字の翼へと変化した刃は、超高速で回転しながら自由自在な軌道を描いて飛翔し、ベルクーリの行く手を遮る敵兵たちをなぎ倒した

 

 

「騎士長!行ってください!」

 

「すまん!後は頼む!」

 

 

レンリの叫びに、ベルクーリは背中を向けたまま応じた。すると、そのまま敵軍の間隙に向けて疾駆し始めた彼の背中に、もう一つの声が届いた

 

 

「頼むおっさん!何としてでもアリスを…!」

 

「お前さんに言われるまでもねぇ!」

 

 

必死の形相で叫んだ上条の声に、ベルクーリは首を少しだけ後ろに振り向かせつつ答えた。そしてベルクーリは赤色の焦土を疾走しながら、左手を口許にあてがい、高い音を鳴らした。その数秒後、前方の丘から、銀色の飛竜が飛び立った。ベルクーリの騎竜、星咬。口笛に応えた竜は、しかし一頭だけではなかった。アリスの騎竜である雨縁、そして東の大門で命を落とした騎士エルドリエの騎竜、滝刳も後ろに追随していた

 

 

「お前ら……!」

 

 

二匹の行動に、ベルクーリは思わず口角を緩めた。そして低空を滑るように接近してきた星咬が、くるりと向きを変え、主人に向けて脚を突き出す。その鉤爪に左手をかけ、騎士長は一気に竜の背中へと自分を放り上げた。そして鞍にまたがるや、右手の剣を鋭く振り下ろして言った

 

 

「よし、行けっ!!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「舞踏ッ!!」

 

「「「応ッ!!」」」

 

アスナが生み出した石橋を一気呵成に突進してきた四千の拳闘士たちは、辛くも生き残っていた二百人ほどの仲間と合流すると、人界軍のすぐ横を駆け抜け、まるで巨大な破城槌の如く敵軍のど真ん中に激突した。そして十人一組が横一列に密接し、完璧に同期した動きで右拳を引き、構えたのと同時にイスカーンの号令に全員が答え、ドン!と強く踏み込んだ

 

 

「「「ウッ!ラァ!!!」」」

 

 

寸分の狂いなく重なった掛け声とともに放たれた十本の正拳突きが、赤い兵士たちの剣をへし折り、鎧を叩き割った。悲鳴と血煙を撒き散らし、二十人以上の敵が後方へと吹っ飛んだ直後、闘気の全てを込めた突きを放ち終わった十人が、すっと横に広がって隙間を空けると、数秒と間を置かずに真後ろの十人が飛び出てきてガチッと横列を組んだ

 

 

「「「ウラララァ!!!」」」

 

 

次は拳闘士達による前蹴りが、これまた見事に十人全員がシンクロした動作で撃ち出された。再び大量の敵が、砲撃でも打ち込まれたたかのように四散した

 

 

「す、すごい……」

 

 

その光景を目の当たりにしたアスナは、知らず知らずの内に呟いていた。アスナの隣で水を飲むシェータの横顔にも、うっすらとだが感心しているような気配が滲んでいる

 

 

「まるでSAOのスイッチね…まぁコイツらのは、ソレとは比べ物にならない精度だけど…」

 

「おいおい、感心してるだけじゃ困るぜ雷女。このまま南に抜けたとして、その後はどうするんだ?あんだけの数の敵、いくら俺たちでもこの場で殲滅すんのはちっとばかし難しいぜ?」

 

 

感服して呟いている美琴の隣で腕組みをして立つ赤毛の長が、厳しい表情で言った。確かに、前への突進力だけなら無敵と思える拳闘士隊だが、数倍の歩兵に側面から突っ込まれて崩される集団も出始めている。何せ召喚されたアメリカ人プレイヤーたちの数は、いまだ二万を軽く超えるのだから

 

 

「・・・分かりました。敵陣を破って南へ抜けたら、そのまま一気に前進して敵から距離を取ってください。私がもう一度、地割れを作って敵を隔離します」

 

「そ、それは作戦としては理想的だけど…アスナさんは大丈夫なの?あんまりスーパーアカウントの力を使い過ぎると……」

 

「心配しないでミコトさん。さっきミコトさんが砂嵐で敵の戦力を大きく削いでくれたおかげで、少なくとも一回分は温存できてるわ。だから、この機を逃さず一気に……」

 

「で、伝令!伝令ーーー!!」

 

 

戦場の北端に留まっているアスナ達の下に、一人の衛士が南から駆けつけてきたのはその時だった。移動中に傷を負ったのか、顔の半分を血に染めた衛士は、アスナの前に膝を突くと掠れ声で叫んだ

 

 

「整合騎士レンリ様より伝令であります!整合騎士アリス様が、敵総大将の駆る飛竜に拉致されました!飛竜はそのまま南に飛び去った模様で……!」

 

「な、何ですって!?」

 

「皇帝が、飛び去っただと……?」

 

 

伝令を伝えた衛士の言葉に、美琴は驚愕した後に絶句した。しかしそれに続いて、奇妙にひび割れた声で応じたのは、アスナでもシェータでもなく、イスカーンだった。左だけ残った赤い眼に、異様な光を浮かべて歯を軋ませながら言った

 

 

「やっぱり、さっき飛竜に乗ってたのは…ただの見物じゃなかったってことか…!おい、そっちの地割れ女!アリスってのは『光の巫女』だよな!?皇帝はなんでそいつをこうも欲しがるんだ!?光の巫女が皇帝の手に落ちたら、いったい何が起きるってんだよ!?」

 

「・・・この世界が、跡形もなく滅びます」

 

 

イスカーンに詰め寄られたアスナが短く答えると、彼女の力があって共闘関係に至った拳闘士の長は愕然と瞼を見開いて、呆然と立ち尽くした

 

 

「暗黒神ベクタが光の巫女アリスを手に入れて、ダークテリトリーの南端にある『果ての祭壇』へと到った時、この世界は人界も、ダークテリトリーも、そこに住む人々を含めて全て無に還るのです」

 

「嘘、だろ…?俺たちは皇帝に命令されて、ここまで血反吐流して戦ったんだ!それなのにっ!最後には全員仲良く御陀仏ってのが、皇帝の望みだって言うのかよ!?」

 

「残念ながら、それが真実よ。だけど、これでなおさらやるべき事がハッキリしたわ。私たちは何としてでもこの軍隊を押し退けて、ベクタより先に果ての祭壇に辿り着く!」

 

「飛竜も、永遠には飛べない。連続飛行は、半日が限界」

 

 

美琴が拳を握りつつ声高に言ったが、それとは対照的にシェータが涼しげな声で言った。どこまでも冷静な彼女に現実を突きつけられた美琴が、悔しげに唇を噛んでいると、未だ前方に立ち塞がっている真紅の騎士達へと顔の向きを戻した拳闘士の長が、バシッ!と掌に拳を打ち付けて叫んだ

 

 

「なら、アンタらが気合い入れて追っかけるっきゃねぇな!」

 

「追っかけるって、あなた…ダークテリトリーの軍人なんでしょう?いくら取引して共闘関係になったとは言え、どうしてそこまで私たちの事を……」

 

「なに、気にすることねぇよ。皇帝ベクタは、俺たち暗黒界十候の前で、確かに言ったんだ。自分の望みは光の巫女だけだ、そいつさえ手に入ればあとはどうでも知ったこっちゃねえ、ってな。なら巫女をかっ攫った時点で、皇帝の目的は達せられたって事だ」

 

 

アスナが心底不思議そうにイスカーンに訊ねると、彼は唇の端に笑みを浮かべ、フンと鼻を鳴らしながら吐き捨てるように言った

 

 

「つまり、俺らの任務も一切合財終わったわけだ。後は、俺らが何をどうしようと…たとえ皇帝から巫女を奪い返そうとする人界軍に協力しようがこっちの自由、そうだろうがクソッタレ!!」

 

「・・・昨日の敵は今日の友。ってことね」

 

 

アスナは啞然と拳闘士の顔を見た。しかしそこにあったのは、威勢のいい言葉とはほど遠い、悲壮な決意の色だった。しかしそんな彼の左に美琴が並び立って、少し笑っているような横顔を向けながら言うと、それに釣られたようにイスカーンの悲壮な顔色は弾けるような笑みに変わった

 

 

「・・・あぁ。俺たちは、皇帝に直接は逆らえねえ。あの力は圧倒的だ。もしかすると俺よりも強かった暗黒騎士将軍シャスターを、指一本動かさずに殺したからな。もし皇帝に、改めてあんたらと戦うよう命じられたら、従うしかねぇ。だから、俺たち拳闘士団は、ここで赤い兵隊どもを足止めする。アンタらと人界軍は、皇帝を追っかけてくれ。そんで、皇帝に…野郎に教えてやってくれ。俺たちは、テメエの人形じゃねえってな」

 

「・・・分かりました。必ず」

 

 

アスナが言った丁度その時、一際高らかな拳闘士たちの喊声が、戦場の南から響いた。部隊の先頭が、ついに赤の歩兵軍の囲みを破り、荒野へと抜け出したのだと分かった

 

 

「野郎ども!その突破口を死んでも維持しろ!その隙にオマエたちは早くこの戦場を脱け出せ!そう長くは持たねぇぞ!」

 

「えぇ!そっちこそ、この前の勝負預けたままなんだから今度改めて付き合いなさいよ!」

 

「私も、ここに残る」

 

「・・・分かりました。殿をお願いします、シェータさん」

 

 

大きく息を吸い、アスナと美琴はほとんど同時に頷いた。そして美琴がイスカーンに言って二人が走り出そうとすると、彼女達の背中にシェータの声が届いた。何となくそれを予測していたアスナは、僅かに振り向いて灰色の女騎士に向かって小さく微笑みかけた

 

 

「・・・良かったのかよ、女」

 

 

一族の闘士たちが東西に構えて保持する突破口を、七百ほどに減った人界軍が走り抜けていくのをイスカーンは無言で見送った。そして彼らの足が巻き上げる土煙から視線を外し、隣に立つ灰色の整合騎士を見やると、静かな声で訊ねた

 

 

「・・・名前、もう言った」

 

 

相変わらず無愛想な澄ましたような顔で、シェータがイスカーンをジロリと睨みながら言うと、彼は肩を竦めつつ続けようとした言葉を言い直した

 

 

「良かったのかよ、シェータ。こんなとこいたら生きて戻れるかどうか分かんねぇぞ」

 

「あなたを斬るのは、私。あなたの言う雷女にも、あんな奴らにも、あげない」

 

「はっ、言ってろ」

 

 

今度こそ、イスカーンは朗らかに笑った。犬死にしていく仲間を助けたい。それだけを願っていたはずの自分が、赤い軍隊から人界軍を守るために部族全体の命運を賭けようとしているのはどうにも不思議だった。しかし、その胸中には感じたことのない爽やかな風が吹いていた

 

 

「よぉおし!拳闘士!気合入れろ!!」

 

「「「ウラアアアアァァァァ!!!」」」

 

「円陣を組め!全周防御!寄ってくるアホ共を、片っ端からぶちのめしてやれ!!」

 

「滾りますな、チャンピオン」

 

「まぁな。悪くねぇさ、こんな死にザマも」

 

 

音もなく背後の定位置に戻っていたダンパが、血まみれの左拳をごきごきと鳴らして言うと、拳闘士ギルド第10代チャンピオン、イスカーンもまた、両手で拳を強く握りしめた

 



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第55話 太陽神ソルス

 

「美琴!アスナ!悪い、俺のせいでアリスが…!」

 

 

その後、同じく拳闘士達と闇の軍勢の戦線から抜け出した上条は、出発の準備をする衛士たちのあいだを駆け抜けて、補給隊の馬車に駆け込もうとしている美琴とアスナと合流した。そして彼が開口一番に謝罪を口にしようとすると、美琴が静かに首を振ってから、どこか冷ややかでありつつも熱量を秘めた声で答えた

 

 

「謝罪ならナシにしなさい、もう飽きるほど聞いたから。過ぎたこといくら言ってもしょうがないわ。今は一刻も早くアリスさんを連れ去った飛竜に追いつく、それが最優先よ」

 

「あ、あぁ!ベルクーリのおっさんも先に行ってる!とにかく急ぐぞ!」

 

 

上条が言うと、美琴とアスナは頷きながら乗り込みかけた馬車に、今度こそ乗り込んだ。すると、彼らの視界に一番に飛び込んで来たのは、横倒しになった銀色の車椅子と、左手を弱々しく動かす少年。そして少年に覆いかぶさる二人の少女たちだった

 

 

「み、みなさん!ご無事だったんですね!その、先程からキリト先輩が何度も、何度も外に出ようとして…」

 

 

足音にさっと顔を上げたロニエが、上条達を視認するや、涙に濡れる頰を歪めて叫んだ。アスナは彼女の言葉通りに、必死にその場から立ち上がろうとするキリトの姿を見ると、唇を嚙みながら頷き、床に跪いてキリトの左手を右手でぎゅっと握って言った

 

 

「・・・ええ。アリスさんが…敵の皇帝に拉致されてしまったの。キリトくんは、それを感じ取ったんだと思う」

 

「えっ!?アリス様がですか!?」

 

 

アスナの言葉に叫んだのはティーゼだった。赤い髪がよく似合う彼女の白い頰が、いっそう青ざめていくのと同時に、一瞬の静寂を破ったのは、キリトの弱々しい掠れ声だった

 

 

「ぁ…あー……あぁ………」

 

「・・・?ひょっとしてキリト君…私を心配してくれたの……?」

 

 

キリトの左手が動き、自分の傷ついた体に触れようとしたのを見たアスナは、キリトに問いかけた。しかしキリトからは、その問いかけ対する、返答らしい返答はなかった。それでもアスナは、キリトに優しく微笑みかけた

 

 

「ううん、私は大丈夫。アリスさんだって、きっと救い出してみせる。だから…その時はキリト君も、もう自分を責めるのはやめて?」

 

 

その言葉が届いたかどうかは判らなかったが、キリトの瘦せた体の強張りが少しずつ抜けていくのをアスナは感じた。アスナが一度強くキリトを抱き締めてるのを見た上条は、自分の視線をロニエとティーゼ達に移してから口を開いた

 

 

「悪いロニエ、ティーゼ。俺たちは、これから皇帝を追う。今もベルクーリのおっさんが飛竜で追跡してるから、きっとどこかで追いつけるはずだ。それまで、キリトのことを頼む」

 

「は、はい!承知しましたカミやん先輩!」

 

「私たちにお任せ下さい!」

 

 

頷く少女たちを最後に、アスナは涙をこらえながらキリトをロニエ達に任せ、三人は馬車から飛び降りた。するとちょうどそこに、長身の女性剣士が走り寄ってくるのを見た上条が、安堵の表情を見せながら声をかけた

 

 

「リーナ先輩!無事だったんですね!」

 

「あぁ、なんとかな。お前も相変わらずしぶといな、カミやん」

 

 

苦笑しつつそう答えたリーナの銀色の鎧は、血と土埃にまみれていた。額に包帯を巻いているが、軽口を挟むあたり、見える限りで重い怪我はなさそうだった

 

 

「ミコト様とアスナ様も、ご無事で何よりです。ただ先ほど小耳に挟んだのですが、アリス様が敵の総大将に攫われたと……」

 

「ええ。今さっきティーゼさんたちにも伝えたんだけど、皇帝ベクタは自分の軍隊を丸ごと放り出して、たった一人でアリスさんを襲ったの。さすがにその行動までは読めなかったわ……」

 

「そ、そんな…!?」

 

 

美琴がリーナに言うと、上条の指導生であった女性剣士は、目を見開いて驚愕した。しかしそんな彼女の左肩を、上条は右手で力強く掴みながら言った

 

 

「いや、まだ終わったわけじゃないですよリーナ先輩。俺たちは何が何でも、諦めるわけにはいかない。絶対に皇帝の野郎に追いつきましょう」

 

「・・・分かった。お前達を信じよう」

 

 

頷き合い、四人は守備軍囮部隊の本陣へと急いだ。皇帝を追随すべき衛士隊は、整合騎士レンリの指示によって、七百人の衛士たちが集められ、すでに移動準備をほとんど終えていた。負傷者の治療を済ませた術師隊と補給隊を中心にして、滑らかに隊列が組まれた。やがて出発の準備を完了させたレンリに、上条が声をかけた

 

 

「レンリ、今この部隊に残ってる整合騎士はお前だけだ。消去法みたいになっちまうが、指揮官はお前にしか務まらない。だから、出発の指示はお前に頼みたい」

 

「は、はい、分かりました…!皆の者!アリス様は、開戦時に大門の戦いで、我々を守って下さった!今度は我々がアリス様のために戦う番だ!必ずや敵の手からアリス様を取り戻し、ともに人界へ帰ろう!!」

 

 

緊張した面持ちながらも頷いた少年騎士は、右手を高く掲げ、よく通る声で叫んだ。小さくも雄々しい彼の勇姿に、おう!!と力強い衛士達の叫び声が湧き上がる。レンリはそれに頷くと、鋭く右手を振り下ろして叫んだ

 

 

「全軍!出発!!!」

 

 

隊列の先頭を、レンリの飛竜である風縫が走り始めた。四百人の前衛部隊が騎馬と徒歩で続き、補給物資を載せた八台の馬車と、三百人の後衛部隊が後を追う。数分後、枯れ木の連なる森が途切れ、前方にすり鉢状の巨大な窪地が姿を現した。まるでクレーターのような地形を貫いて、細い道が南へまっすぐ延びていた

 

 

「・・・・・?」

 

 

クレーターの縁を越え、下り坂を駆け降り、窪地の底に部隊が差しかかった、その時。何かが低く震えた。ぶうぅぅん、という虫の羽音のような震動音。それを耳にしたアスナは、無意識のうちにチラリと視線を上げた

 

 

「・・・じょ、冗談でしょ……」

 

 

美琴が呟いた。正面に眼を凝らすと、ようやく音の発生源が視認できた。赤く、細いライン。ランダムに明滅する小さなフォントの羅列が、空から何百本も地面へと伸びているのを見たのだ

 

 

「・・・もう、もういいだろ…!コッチは今テメエらの相手してる暇はねぇんだよ!!」

 

 

こと戦いにおいて、人一倍鋭い感覚を有する上条は、今この時ばかりは自分の予感が外れていて欲しいと願った。しかし彼の願いに反して、ザアアアアアアアッ!!という驟雨にも似た轟音が、一気に炸裂した。赤いラインは左右へと広がりながら、無数に降り注ぐ。クレーターの縁に沿って高密度のスクリーンを作り、部隊を完全に閉じ込めたのは、あの凶暴な深紅の軍団……現実世界から呼び込まれたVRMMOプレイヤーたちであることは明白だった

 

 

「ぜ……全軍止まるな!突撃!突撃ー!!」

 

 

舌を噛みかけながらも、先頭で整合騎士レンリが指示を発した。動揺しかけた人界守備軍のそこかしこから「うおおっ!」と咆哮が上がり、移動速度が増す。部隊は、クレーターの斜面をまっすぐに駆け上がっていく。しかし、まるでその行動を先読みしていたかのように、新手の赤い軍隊はクレーターの南側に最も多く配置されていた。道を塞ぐ兵士たちだけでも、二千は下らないだろう。上条達のいる囮部隊の、約三倍だ

 

 

(迷ってる暇なんてない!今ここで、もう一度地形操作を…!だけど、窪地にいるこの状況で闇雲に地形を変えれば、最悪は私たちの進路も…!?)

 

 

ログアウトの危険を冒してでも、もう一度ステイシアの地形操作を使うべきだ。しかし、うかつに手を出せば、人界軍の進行をも妨げてしまう。そんなアスナの一瞬の躊躇いを、飛竜の雄叫びが貫いた。隊列の先頭で、騎士レンリが駆る風縫が、口の両側から炎をちらつかせながら一気に突進していった

 

 

「い、いけない!まさかレンリ様は、捨て身で突破口を…!?」

 

 

アスナの隣で上空を駆ける飛竜の軌跡を見上げながら、悲痛な声を漏らしたソルティリーナの言葉が聞こえたかのように、竜の背中でレンリがちらりとこちらを振り向いた

 

 

[ーーー後は頼みます]

 

 

少年の唇が、そう動いた。前を向いた騎士は、腰から一対の美しい投刃を外すと、両手で構えた。しかして、彼の両手から雙翼刃が投擲される、寸前のことだった。クレーターの真上で、突然に空の色が変わった

 

 

「こ、今度は一体なに!?」

 

 

赤に染まるダークテリトリーの空が十字に引き裂かれ、その奥に紺碧の青空が広がるのを美琴は見た。窪地の縁に密集し、今にも突撃しようとしていた無数の赤い兵士も、突進を続ける人界兵たちはおろか、先頭を走るレンリでさえ、同時に天を振り仰いだ

 

 

「・・・人?」

 

 

それはまるで宇宙まで続くかのような、無限の蒼穹だった。その彼方から、白く輝く星が…いや、その彼方の中には、誰かがいる。そうアスナは直感した。空と同じ濃紺の鎧と、雲のように白いスカート。激しく揺れる短い髪は水色。白く光っているのは、左手に握られた巨大な長弓だ。顔は、あまりの眩さに見えなかった

 

 

「誰、だ…?」

 

 

上条が呟いた声に応えるように、空から降下してくる誰かは、身の丈に迫るほどの長弓を天に向けて構えた。その右手が、光る弦を引き絞ると、ひときわ強烈な閃光が続いた。弓と弦の狭間に、純白に煌めく光の矢が出現した。人界軍も、赤い歩兵たちも、いつしか足を止めていた。誰もが言葉を失った静寂の中、ソルティリーナが囁いた

 

 

「・・・太陽神、ソルス様…?」

 

 

やがて、眩い光の矢が空に向けて垂直に発射された。それは瞬時に分裂し、あらゆる方向へと広がり。鋭角な弧を描いて反転するなり白熱のレーザー光線と化して、ザアアアアアッッ!!!という、新たな闇の軍勢がこの世界に降り立った瞬間と似通った、驟雨の如き音と共に地上へと降り注いだ。曰く、スーパーアカウント02『太陽神ソルス』。付与された固有能力は『広範囲殲滅攻撃』

 

差し渡し一キロはあるクレーターの縁では、黒焦げになった死体が次々と光になって消滅していく。ダークテリトリーの血のような赤い空すらも引き裂いた光の弓は、一回の全力攻撃で、五千以上の敵兵を排除した。クレーターの中央では、赤い軍勢に比べるとあまりにも小規模な部隊が、再び前進を始めている

 

クレーターの縁の向こう側に、敵はまだたっぷり一万以上も残っているが、そのうち半数近くは次の射撃、というより爆撃を恐れて上空を見たまま静止していた。自分の成した業に『彼女』は思わず笑みを零しながら、ゆっくりと上条の前に降り立った

 

 

「お待たせ、カミやん。思ったより元気そうね」

 

「・・・し、シノン!?」

 

 

上条にその名を『シノン』と呼ばれた『彼女』は、かつての銃の世界で相棒だった彼に笑いかけた。ソルス・アカウントに予め付与された装備、長弓『アニヒレート・レイ』は、弦を引く強さで攻撃の威力を、弓の角度で攻撃範囲を設定する仕組みになっている。シノンは上条の横で、その弓を十センチほど引いて手を止めると、先刻よりはずっと細い光の矢が出現した。そしてその先端を、部隊の先頭を走る大きな竜の行く手を遮る敵集団に向け、照準を合わせながら弦を引いた

 

 

「文句は山ほどあるけど、とりあえずそれは後回し。後は私に任せて」

 

 

ビシュッ!!と、空を裂く発射音があった。右に二十度ほど傾けた弓から放たれた光線は、分裂しながら直径十メートルの範囲に着弾し、大爆発を引き起こすと、赤い鎧が高々と吹き飛ばされ空中で消滅した

 

 

「す、すげぇ…!!」

 

「そうね。だけど、敵はこんなんじゃ待ってくれないみたいよ」

 

 

上条が驚嘆の声を上げたが、そこでようやく残る敵兵たちがレーザー攻撃のショックから立ち直り、人界守備軍がこの隙に逃げ去ろうとしていることに気付いたようだった。口々に罵り声を喚き立てながら、クレーターの斜面を赤い津波と化して兵士たちが駆け下り始めるのを見ると、シノンは弓を腕に引っ掛けながら口を開いた

 

 

「カミやん、ここから五キロくらい南に行ったところに、遺跡みたいな廃墟が見えたわ。道はその真ん中を貫いてて、左右には石像が幾つも並んでた。あそこでなら、包囲されずに敵を迎え撃てると思う。なんとかそこで、コイツらを殲滅しましょう」

 

「あ、あぁ分かった!だけど美琴、アスナに続いてシノンまで来てくれるとは…こっちの世界に来ちまったこと自体は喜べねぇけど、頼りになるぜ!」

 

「・・・え?ミコトはリアルで私にメッセ飛ばしてくれたから、来てて当然だとは思ってたけど…アスナもいるの?」

 

「シノンさん!」

 

「シノのん!」

 

 

シノンが上条に訊ねていると、まさにそのタイミングで美琴とアスナが彼女の元へと駆け寄った。息を切らしながらも笑顔を向けてくる彼女達の笑顔を見たシノンは、ここが戦場であることを気にも留めていないように笑ってみせた

 

 

「お待たせ、二人とも。とりあえず見るからに敵だろう…ってヤツらを薙ぎ払ってみたんだけど、間違ってないわよね?」

 

「うん、大丈夫。彼らは、私とキリト君の世界に住んでる、アメリカのVRMMOプレイヤーよ。色々と混みいった事情があるんだけど、ゆっくり話してる暇はないの。だけど、いくらアメリカのVRMMO人口が多くても、これ以上の数は、すぐには用意できないはずだわ。だから、この窪地の上にいる残りの彼らを倒せば、敵に打てる手はもうない…と思うわ」

 

「あ、アメリカのVRMMOプレイヤーって…随分と私の想像から斜め上にいる敵が出てきたわね…でも、ソイツらが敵だってことさえ分かれば十分だわ。アスナ達は、今私が開いた道を進んで行って。カミやんにも言ったんだけど、その先に迎撃に最適な場所があるの。私はそれをサポートするわ。この軍隊の上空を飛びながら、囲んでくる敵達を……」

 

 

これからの方針を言いかけたシノンの肩が、美琴の右腕によって強く掴まれた。突然の出来事にシノンは驚きを顔に浮かべたが、彼女の肩を掴んだ美琴はそれ以上の驚愕をその顔に貼り付けていた

 

 

「み、ミコト…?一体どうし……」

 

「し、シノンさん!今、飛ぶって言った!?ALOでもないこの世界で、自由に飛べるって言うの!?」

 

「え…?う、うん。ソルス・アカウントの固有能力らしいわ。制限時間とかもないって、カエル顔の先生から聞いたけど…」

 

 

シノンの言葉を聞くなり、美琴は上条の方へと視線を移した。上条にとって、彼女の視線が言わんとしていることは百も承知だった。美琴は上条が即座に頷いたのを見ると、シノンに食ってかかるように叫んだ

 

 

「なら、助けてほしいのは私たちじゃないわシノンさん!アリスを…敵の暗黒神ベクタに攫われたアリスさんを追いかけて!!」

 

 

続けて美琴が説明した状況は、シノンの想像以上に切迫したものだった。世界初の真正ボトムアップ型AIであり、全ての鍵となる整合騎士アリスが、キリト達の住む現実世界から、同じくスーパーアカウントを使ってダイブしてきた皇帝ベクタに拉致された。そして今、そのベクタを追っているのは、騎士長ベルクーリという剣士だけであることを、美琴は口早に説明した

 

 

「アスナさんやシノンさんを見て、スーパーアカウントってのが、どれだけ凄い代物なのかはよく分かった。だからこそ、そのスーパーアカウントの皇帝ベクタ相手じゃ、いかに騎士長さんでも一人じゃ荷が重いわ。もし皇帝が果ての祭壇に到着する前にアリスさんを救出できなければ、もう後がないの!だからシノンさん、アリスさんをお願い!」

 

 

どうにか事情を吞み込み、騎士長ベルクーリの外見を頭に叩き込んだシノンは、馬車から直接離陸すると一気に高度を取った。クレーターから這い上がって、土煙を立てて南下する人界軍七百。北から怒濤の勢いで追いかけてくる赤い軍勢は、その二十倍は残っている。その光景を見たシノンは、やはりここに残ろうかと迷ったが、懸命に頭を振ってその思考を追い出すと、自分を見上げている上条達に向かって叫んだ

 

 

「分かった!三人とも、何とか持ちこたえて!アリスを取り戻したら私もすぐこっちに駆けつけるから、それまで頑張って!」

 

 

その言葉を最後に、シノンはくるりと南を向き、イマジネーションを振り絞って加速した。白い尾を引く流星となり、赤い空を引き裂いて、光の如き速さでシノンは飛んだ

 



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第56話 リルピリン

 

整合騎士レンリが率いる人界軍、追うアメリカ人VRMMOプレイヤー。彼らの遥か北では、アスナが生成した峡谷の南岸で、イスカーンと拳闘士団、そして整合騎士シェータが、いまだ一万以上も残る赤い軍勢を相手に苦戦を強いられている

 

その戦場から、また更に遥か北の地のことだ。激戦の痕跡が生々しく残る東の大門を望む荒野に、一人の亜人がたたずんでいた。ずんぐりした体を包む鋼鉄の鎧。風になびく革マント。丸い頭の両脇に薄く広い耳が垂れ、扁平な鼻がまっすぐ前に突き出ているオークの彼は、その名を『リルピリン』というオークの族長だ

 

生き残ったわずか三千のオークの兵たちを後方に待機させ、彼はその身一つで、東の大門がよく見える場所まで歩いた。一人の護衛もつけなかったのは、地面を這い回る自分の姿を見せたくなかったからに他ならない。何時間も砂利をかき分け続け、リルピリンはようやく自身が求めていた物を見つけ出した。それは素朴な彫刻を施した、銀のイヤリングだった

 

 

「・・・レンジュ……」

 

 

そっと拾い上げ彼が掌に載せたそれは、皇帝の命令によって、暗黒術の人柱となったオーク族の姫騎士レンジュの耳にいつも輝いていた装飾品。彼女の遺品は、それ一つだけだった。荒野には、彼女と共に死んだ三千のオーク兵の骸どころか、鎧の欠片さえも残っていなかった。暗黒術師のおぞましい邪術が、オークたちの肉体どころか装備までをも暗黒力に変換し、余さず喰らい尽くしてのだ

 

その残酷極まる術式を行使した女術師ディー・アイ・エルも、それを命じた皇帝ベクタも、もうこの地には残っていない。暗黒術師ギルドの総長ディーは、突然に振り注いだ凄まじいまでの雷撃に巻き込まれて死に、皇帝は巫女を追って南に飛び去ってしまった。オークに下された待機命令を解除することもないままだ

 

そうなればもう、リルピリンに出来ることなど、何一つも残らなかった。後方に待機させられた三千のオーク兵だけでは、とても東の大門を守る人界軍と整合騎士に勝つことはできない。暗黒界五族の悲願である人界征服の夢が潰えたであろうことは、考えるまでもないことだった

 

 

「だとすれば…おでは一体、何のために……」

 

 

疑問だけが、オーク族長の感情を蝕んでいた。リルピリンの幼馴染であるレンジュと、生贄にされた三千人、そして大門での初戦に出陣した二千人のオーク兵は死ななければならなかったのか。彼らの死が、暗黒界に何をもたらしたというのか。答えは至極単純…『無』だ。ただ人族より醜いという理由だけで、五千もの同族が空しく死んだのだ

 

リルピリンは、小さなイヤリングを両手で胸に抱き、がくりと地面に膝を落とした。怒り、やるせなさ、そして圧倒的な哀しみが胸に突き上げ、それらが涙と嗚咽に変わろうとした…その寸前。彼の背後で、どすん!と軽い音がした

 

 

「あたっ!?」

 

 

続いたのは間の抜けた声。振り向いたリルピリンが見たのは、地面に尻餅をついて顔をしかめた若い人族の女だった。鮮やかな金色の髪、抜けるように白い肌、若草色の装束と煌びやかな鎧。見るからに、人界の民だ

 

 

「あ、あぁ…おあああ!?」

 

 

リルピリンが真っ先に感じたのは、唐突な出現に対する驚きでも、人族への怒りでもなく、自分を見ないでくれという、羞恥にも似た感情だった。なぜなら、突如として現れた娘が、あまりにも美しすぎたからだ。リルピリンは、この小さくてひ弱な生き物を、震えるほどに美しいと思ってしまう自分の感覚を呪った。そして同時に、自分を娘の瞳に嫌悪の色が満ちるのを深く恐れた

 

 

「み、見るなッ!おでを見るなああッ!?」

 

 

リルピリンは喚き散らしながら必死に左手で顔を覆い、右手で腰に帯びた剣の柄を握った。そして、己の衝動が赴くままに剣を抜こうとした瞬間、左手に握り込んだままのイヤリングがちくりと掌を刺した気がした。あたかもレンジュに引き留められたかのような感覚に打たれ、動きを止めたリルピリンの耳に、思いがけない言葉が届いた

 

 

「・・・えと、あの…こんにちは。それともおはよう…かな?」

 

 

身軽な動作で立ち上がり、裾の広がった短かめの緑のズボンをぱたぱた叩きながら、娘はにこりと笑って言った。顔を隠す拳の陰から、啞然と小さな娘を見下ろし、リルピリンは何度も瞬きを繰り返した

 

 

「な、なぜ…?」

 

 

少女の瞳には、自分に対する嫌悪も、侮蔑も、それどころか恐怖すらも浮かんでいないように見えた。白イウムの子供にとってダークテリトリーのオークは、人食いの悪鬼でしかないはずなのに、目の前の少女はただ優しい表情でリルピリンの言葉を待っていた

 

 

「どうして、逃げない?どうして…悲鳴を上げない?人族のハズなのに…なぜ?」

 

 

口から漏れ出たその言葉は、仮にも暗黒界十候の一人に数えられる長たる者には、まるで似つかわしくない、途方にくれたような声だった。すると今度は緑の少女が、驚いたような、困ったような表情で言った

 

 

「なぜ…って言われても。そう言うあなただって人間でしょう?」

 

 

何気ない口調で、彼女は言った。その瞬間、なぜか背筋に深い震えが走った。大剣の柄を強く握り締めたまま、喘ぐように亜人の長は悲鳴にも似た声を上げた

 

 

「に、人間だと?おでが?な、何を馬鹿なことを…!見ればわがるだろうが!おではオークだ!おまえらイウムが人豚と罵るオークなんだぞッ!?」

 

「でも、人間でしょ?だって、こうして話ができてるじゃない。人だって判断するのに、それ以外に何が必要なの?あたしだって動物は好きだけど、流石に会話とか意思疎通までは出来ないもの」

 

「何が必要、って……」

 

 

華奢な両腰に手をあて、娘はまるで親が子供に言い含めるような調子で繰り返した。どう反論していいのか、リルピリンには解らなかった。緑色の瞳の少女が自信たっぷりに口にした言葉は、これまで人族に対する劣等感と怨嗟に塗れて生きてきたオークの長にはあまりにも異質すぎた

 

 

「そんなことより…ここ、どこなの?あなたのお名前は?」

 

「お、おでは…リルピリンだ」

 

 

反射的に名乗ってから、彼は敵である人界人に、あっさりと名を明かしてしまったことを後悔した。しかし娘は、またしてもにこりと無邪気な微笑みを浮かべ、澄んだ声でオーク長の名を繰り返した

 

 

「リルピリン…素敵な名前ね。あたしは『リーファ』。よろしく」

 

 

その名を『リーファ』と名乗った少女は、本来のログイン座標から大きくずれた場所に出現してしまったらしいと推測し、恨みがましく赤い空を見上げた。元々指定した座標は、先行しているアスナの現在位置に設定されていたはずなので、周囲に彼女たちの姿がないからにはやはり何らかのトラブルが起きたのだろう

 

しかし荒涼とした原野はまったくの無人というわけではなく、目の前には丸っこい体と、豚によく似た顔を持つ、ファンタジー系のRPGではよく知られる種族…つまり『オーク』のリルピリンが一人立っていた。取り敢えずは彼に頼らないことには行動しようがないと、互いに名乗った彼に握手を求めて右手を差し出した

 

 

「・・・は?」

 

 

リルピリンは驚愕して、素っ頓狂な声を漏らした。もちろん握手という挨拶は知っているし、オーク同士でも日常的に行われる。しかしこれまで、人族とオークが握手した話など、ただの一度も聞いたことがない。それを目の前の少女は、なんの気なしに求めてきたのだ

 

 

(い、いったい何なんだ、この人族の娘は?何かの罠か、それども術師の仕業なのか?いつの間にか、おでは幻惑術にでも掛けられてしまったとでも…?)

 

 

差し出された小さな手を凝視し、唸ることしかできないリルピリンを娘はたっぷり十秒近くも見詰めていたが、やがて少しだけがっかりしたように手を下ろした

 

 

「そ、そんなに疑わなくても…まぁ、しょうがないかぁ…」

 

 

その様子に、なぜかリルピリンの胸の奥がちくりと痛んだ。これ以上、この娘と話をしていたら…いや見ているだけでも頭がどうにかなってしまいそうだった。彼は、もうリーファを叩き斬る気にはなれなかったが、それ以外で最も頭を使わずに済む解決法にすがるべく、剥き出しの牙を、更に口から剥き出しながら喚いた

 

 

「お前…人界軍の衛士、いや騎士だな!?なら、お前を捕虜にする!皇帝のどころに連れでいぐぞ!」

 

 

リーファの装備する緑の鎧や、左腰に装備された長刀は、どう見ても一介の兵士に与えられるものではないのは明らかだ。精緻な細工が放つ煌びやかな輝きは、リルピリンの装備よりもずっと上等なように思える。そう勘付いた彼の声にも、リーファはまるで怯える様子も見せずに何かを考えているようだったが、やがて小さく肩をすくめて言った

 

 

「・・・あなたの言う皇帝、っていうのは…暗黒神ベクタのことよね?」

 

「そ、そうだ!」

 

「わかった。なら、あたしを皇帝の所まで連れていって」

 

「・・・はぁ?」

 

 

リーファは頷き、握った両手を揃えてずいっと前に突き出した。リルピリンは再び途惑ってから、それが握手ではなく捕縛を促す動作であることを悟ると、またしても素っ頓狂な声を上げた

 

 

(・・・本当に、まっだく何を考えでいるのか…)

 

 

そう首を傾げつつリルピリンは、腰帯から飾り紐を外してリーファの両腕を手荒に、けれど少しだけ緩めに縛った。その時になってから彼は自分の発言を思い返すと、皇帝がもう暗黒界軍の本陣にはいないことを思い出した。しかし皇帝がいなくとも、副官である軽薄な物腰の黒騎士か、商人ギルドの長レンギルあたりが処置を決めてくれるだろう。ぐるりと身を翻し、やや控えめに紐を引っ張りながら歩き始めた、ほんの数秒後のことだった

 

 

「・・・なんだ?」

 

 

リルピリンとリーファの周囲に、いきなり黒い靄のようなものが色濃く立ちこめた。嫌な匂いがつんと鼻を刺す。たちまち視界が失われ、リルピリンは周囲のあちこちを見回した

 

 

「あっ!?」

 

 

短い驚きの声は、まちがいなくリーファと名乗った娘のものだった。さっと後ろに振り返ったリルピリンが見たのは、濃密な靄の奥からぬっと突き出した一本の腕がリーファの束ねられた髪を摑んで、乱暴に引っ張り上げている光景だった

 

 

「お、おまえは…!?」

 

「あらぁ、綺麗で真っ白な肌ねぇ。いくら人界人だとはいえ、少し妬けちゃうわ」

 

 

直後、腕の先にいる誰かが靄の中からその姿を現した。そこには、死んだはずの女。暗黒術師ギルド総長ディー・アイ・エルが、冷酷な笑みを青い唇に浮かべて立っていた

 



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第57話 地神テラリア

 

「匂う、匂うわぁ…!なんて甘い天命の香りなのかしら……!?」

 

「は、離してっ!このっ…!」

 

「あ、あぁ…!リーファ!?」

 

 

リーファの髪を摑み、その体ごと吊り上げたディー・アイ・エルの唇から、薄気味悪い声が這い出た。どれほど憎んでも憎み足りないはずの暗黒術師の姿を、リルピリンはただ呆然と眺めることしかできなかった

 

先刻から彼らの周りを覆っている靄の源は、ディーの腰にぶら下がる小さな革袋だった。彼女の傷だらけの身にまとわりつく黒い靄が、たちまち傷口に集まり、嫌な臭いを放って止血していく

 

そして時折、奇怪な虫めいた生物が顔を出して、盛んに黒い靄を吐き出している。それは、天命の減少を抑えるための暗黒術だった。いたずらに鼻を突く異臭と、その見た目の嫌悪感のあまり、眉間に皺を寄せているリルピリンをちらりと見て、ディーは再び唇の両端を吊り上げた

 

 

「素晴らしい獲物を捕まえたわね。いい働きよ、豚。ご褒美に、楽しいものを見せてあげるわ」

 

 

ディーは、宙吊りにされて苦しげに顔をしかめるリーファの襟首に、鉤爪のような右手の指を食い込ませた。銀色の鎧と、その下の若草色の上着までもが一瞬で引き剝がされ、地面に落ちると、眩しいほどに白い肌が露わになり、リーファはいっそう顔を歪めた。その様子に、ディーは嗜虐的な笑みを浮かべた

 

 

「どう、人族の女の体を見るのは初めてでしょう?豚には目の毒かしらね?でも、本当に面白いのはこれからよっ!!」

 

 

ディーの右手の五指が、突然、骨をなくしたかのようにうねうねと蠢いた。いつのまにか、それは指ではなく、細長い虫のような姿へと変わっていた。先端では細かい歯が丸く並ぶ口が開き、厭らしい蠕動を繰り返す

 

 

「 い た だ き ま す 」

 

 

ディーは囁くと、指から化けた五匹の長虫は何十倍にも伸び、娘の上半身を巻き取った。動きを封じるや、先端が鎌首をもたげ、肌のあちこちに、頭を突き刺さんとするが如く噛み付いた

 

 

「ひぎっ…!?」

 

 

大量の鮮血が飛び散り、リーファは緑色の瞳を見開いてか細い悲鳴を上げた。長虫を剝ぎ取ろうと手を動かすが、上半身をぐるぐる巻きにされているうえに、手首をリルピリンの飾り紐に拘束されているので抵抗もままならなかった

 

 

「あ゛っ!ああああああっっっ!?」

 

 

五つの傷口からの出血は、一瞬で収まったかのように見えた。しかし実際はそうではなく、ディーの右手に繫がる長虫が血を飲んでいる。そして暗黒術師は喉を反り上げ、甲高い声で術式を口にした

 

 

「システム・コール!トランスファー・ヒューマンユニット・デュラビリティ!ライト・トゥ・セルフ!!」

 

 

ぽっ、と青い輝きがリーファの傷口に生まれた。それは血液の流れと同調するように長虫を伝い、ディーの腕に吸い込まれていく。娘の苦悶はいっそう激しくなり、華奢な身体が折れんばかりに仰け反らせた

 

 

「あはっ!凄い…凄いなんてモンじゃないわ!なんて濃くて甘い天命なのかしら!」

 

 

きんきん響く金切り声が、リルピリンの耳を貫いた。その耳を貫くような痛みで我に返ったオークの長は、必死の形相で暗黒術師に向かって叫んだ

 

 

「なっ、何をする!?その娘は、おでの捕虜だ!おでが皇帝のもどへ連れでいく!!」

 

「黙れッ!汚らわしい豚めがッ!私が皇帝に作戦指揮の全権を委任されていることを忘れたかッ!?私の意志は皇帝の意志!私の命令は皇帝の命令なのよッッ!!!」

 

「う、ぐっ……」

 

 

リルピリンは声を詰まらせた。その作戦はとうの昔に失敗に終わっているではないか、という反論が喉元まで込み上げる。しかし、皇帝は新たな命令を一切残さずに戦場から消えてしまったのだ。ならば、全ての命令はそのまま維持されているというディーの主張を覆すに足る根拠はなにもない

 

 

「やめ、て……」

 

 

動きたくとも動けないリルピリンの目の前で、か細い悲鳴を上げ続けるリーファの動きが段々と弱々しいものなっていく。一方で暗黒術師長の肌に刻まれた無数の傷は、片端から癒着し、瞬く間に塞がっていった

 

 

「ぐ……グゥ……!」

 

 

食い縛ったオーク特有の牙の隙間から、潰れた呻き声が漏れた。いつしかリルピリンの視界では、天命を吸われるリーファの姿が、生贄となり息絶えたレンジュの姿と重なっていた。そしてついに、リーファの瞳から、光が薄れ始めた。肌の色はすでに白を通り越して青ざめ、両腕はだらりと力なくぶら下がるのみ。しかし、ディーの右手の長虫は尚も飽き足らぬように蠢き、一滴も残さずに血を吸い取り続けていた

 

 

(死ぬ…また、死んでしまう……)

 

 

せっかくの捕虜が。いや、自分を見ても恐れも蔑みもしなかった、初めての人間が。その慈しみにも似た感情が彼の胸を満たした瞬間、驚愕すべき現象が発生し、リルピリンは両眼を見開いた

 

 

「な、なんだこれは!?」

 

 

地面が、炭殻のように黒く不毛なダークテリトリーの大地が、吊り上げられた娘の足許で、緑色に輝いた。ダークテリトリーでは限られた地域でしか見られないはずの、柔らかそうな若草がいっせいに芽吹き、色とりどりの小さな小さな花が無数に咲いた。清涼な芳しさが漂い、血の色の陽光すら穏やかな乳白色に変化した。小さな草地から立ち上る濃密な天命が、渦巻きながらリーファの体へと溶け込んだ

 

 

「天命が、蘇っでいる……?」

 

 

青白かった肌にたちまち血の色が戻り、瞳にも輝きが甦る。地面の緑色が消え去り、太陽の色が元に戻ると同時に、娘の天命が全回復したことをリルピリンは直感的に悟った。感じるはずのない安堵のような感覚が、胸の奥に満ちた。しかし、それは即座に甲高い叫びによって葬られた

 

 

「嘘でしょう!?なんてことなの!?湧いてきた…また溢れてきたわぁぁぁ!!!」

 

 

既に負っていた傷はほとんど全快しているはずのディーが、耳障りな金切り声で喚いた。リーファの髪を摑んでいた左手を離し、そちらの指をも醜悪な長虫へと変化させる。鈍く湿った音を立て、新たな五本の触手がリーファの肌に突き立てられた

 

 

「っ…!あああああっ!?!?!」

 

「アハハハハ!アーッハハハハハハ!!私のよ…これは全部!この娘の全部が私の物よおおおお!!!」

 

(が…我慢、しなくちゃ…!)

 

 

目のくらみそうな激痛に苛まれながら、リーファはただそれだけを念じた。スーパーアカウント03『地神テラリア』に付与された能力はダイブ前に説明されている。『無制限自動回復』。周囲の広範な空間から自動的にエネルギーを吸収し、自分や他の動的・静的オブジェクトの耐久度を回復させる固有能力

 

その能力があるこそリーファは、捕虜となる危険を冒してでも敵軍の大将である暗黒神ベクタとの遭遇を優先し、戦いを挑もうと思い、またアンダーワールド人に対しては絶対に剣を抜くまいと決めていた

 

しかし、もはや上半身の衣服をほとんど剝ぎ取られた羞恥さえも感じる余裕がないくらい、天命を吸い取られる痛みは圧倒的だった。これは本当に、現実の肉体とは切り離された仮想の感覚なのだろうかと、リーファの意識が朦朧とし始めていた、その時

 

 

「・・・やめろ」

 

 

小さな声は、確かにそこにあった。それが自分の口から発せられた言葉なのだと、リルピリンはすぐには気付かなかった。しかしすぐに、今度は明らかに口が動き、喉が震動した

 

 

「やめろと言っでいるんだ!!」

 

 

その叫び声に、針穴のように瞳孔が縮んだディーの眼が、ギロリとリルピリンを睨みつけた。その視線に見え隠れする底知れぬ殺意に、湧き上がるような寒気を覚えてなお、オークの長は更に言った

 

 

「もうあんだの天命は、完全に回復しだではないか!?これ以上そのイウムから天命を吸い取る必要はないはずだ!」

 

「・・・へぇ?なぁに、それ。豚が私に命令してるって言うのぉ〜?」

 

 

奇妙な抑揚をつけて、ディーは囁いた。その間にも十本の触手は激しく蠢き、娘の肌を締め上げて血を貪り続ける。それどころか、その体に収まり切らない天命が青い光の粒となって空中に放散されている

 

 

「最初に言ったでしょ、豚。この捕虜はもう私のよ。私がどれだけ天命を吸おうと、豚の目の前で辱めようと、あるいはこの場で殺そうと、お前には関係のないことでしょ?」

 

 

だというのに、ディーは自身よりずっと小柄なリーファを邪術で拘束し、虐げるのをやめようとしなかった。次いでくつくつと、喉の奥から女性とは思えない、下卑た笑い声が漏れ出した

 

 

「ん〜。でも、そうね。見つけたのはお前なんだし、少しくらいは譲歩すべきかしらね? なら、今そこで、裸になってみせなさい」

 

「な、何を…言っでいる……?」

 

「私ねえ…初めて見た時から、お前みたいな豚のなり損ないがその大仰な鎧とマントを着てると吐き気がするのよ。まるで人の真似事みたいじゃなぁい?だからそこで素っ裸になって、四つん這いで本物の豚みたいにフガフガ鳴いてみせたら、もしかしたらこの娘を返してあげるかもよ?」

 

「ッーーー!!!」

 

 

ズキン!と。なんの前触れもなく突然に、リルピリンの視界の右半分に赤い光がちらついた。同時に、右眼から鉄針を深々と差し込まれるような痛みが頭を貫いた

 

 

[ーーー豚の癖に。人みたい]

 

[ーーー人間でしょ?それ以外に、何が必要なの?]

 

 

リルピリンの脳裏で、ディーの言葉と、リーファの言葉が重なった。そしてリルピリンの右手が、革マントの留め金を摑んだ。ぶちっ、と一気に引き千切る。マントが地面に落ちると、リルピリンは続けて鎧の革帯に手をかけた

 

 

(この娘を、ディーに殺させてはいけない。いや、殺させたくない。そのためなら…そのためならば……)

 

「・・・ダメ、よ。リル…ピリン………」

 

 

今まさに裸になり、本物の豚を演じようとしていたリルピリンの耳に、不意に微かな声が届いた。その声に彼がはっと顔を上げると、自分をまっすぐ見ているリーファと眼が合った。痛みに涙ぐむ彼女の瞳が、ゆっくり左右に振られた

 

 

「あたしは…大丈夫。だから、やめて…そんなこと、しなくて…いいんだよ……」

 

「!!!!!」

 

「・・・あのねぇ、それ以上つまんないこと言ったら、その可愛い顔を食い破るわよ。せっかく面白い見世物なのに。ほら、さっさと脱ぎなさいよ豚。それとも人族の裸に興奮しちゃったのかしら?」

 

 

ぎゃはははははは!と、汚らわしい笑い声が続いた。その声に、リルピリンの鎧の革帯を握る手が、ぶるぶると震え始めていた。眼の痛みはいっこうに収まる気配もない。しかし、もはやその痛みは彼にとって、胸中に渦巻く怒りと屈辱に比べれば、どうということはなかった

 

 

「おでは……!」

 

 

刹那。両眼から溢れ、頰を伝って滴るものがあった。顔の左に垂れる雫は透明なのに、右のそれは深紅に染まっていた。右手が、革帯から離れ、左腰の剣へと伸びた

 

 

「おでは、人間ダァっ!!」

 

 

リルピリンが叫ぶと同時に、最大の激痛を伴い、グシャア!という水気を含んだ音を奏でて、彼の右目の眼球が内側から破裂した。半減した視界の端に、リルピリンはしっかりとディーの姿を捉え続けていた。女術師の嗜虐的な笑い声が途切れ、口がぽかんと開いた。ディーの無防備な両足めがけて、リルピリンは全力を込めた抜き打ちを放ったのだ

 

 

「なにっ!?」

 

 

しかしその剣先は、ディーの右足の脛を掠めただけで届くには至らず、リルピリンはそのまま姿勢を崩して、左肩から地面に倒れ込んだ。そして彼が片目で見上げた先で、凶悪な形相へと変じたディー・アイ・エルが、唇を歪めて吐き捨てた

 

 

「薄汚い、臭い豚がぁ…!よくもこの私に傷を付けてくれたなぁっ!粉々になるまで切り刻んで、藁と混ぜた後でイノシシの餌にしてくれるッ!!」

 

 

禍々しい指で拘束していたリーファを後方に投げ捨て、ディーは両手を高く掲げた。十本の触手がギィン!と硬い音を放ち、一瞬で黒く輝く十本の刃となった。左右に大きく広げられた刃が、振り下ろされるのをオークの長はただ待った。しかし

 

 

ーーーとっ。

 

ーーーとんっ。

 

 

二つの小さな音が、ほぼ同時に鳴り終わった。その瞬間には、ディーの動きが止まり、術師の両腕が肩のすぐ下で体から分離し、鈍い音を立てて地面に転がっていた。その様子を、理解の追いつかないままリルピリンは呆然と眺めた

 

 

「ぎぃやあああああああああああ!?!?」

 

 

驚愕の表情を浮かべたのは、ディー当人も同様だった。左右の肩から滝の如く鮮血を振り撒きながら、長身の術師はゆっくりと体の向きを変えた

 

 

「人族が、豚を助けて…人を斬るだとぉぉぉ!?そんなの、あり得ぬ…あり得ないだろうがあああああああああああ!?!?!」

 

 

断末魔の先で。白く輝くリーファの姿が、リルピリンの視界に入った。そして、リーファは滑らかな動作で長刀を上段に構えると、両の肩口から血を巻きしらして首を左右に振り続ける暗黒術師をしかと見据えて、言った

 

 

「違うわ。人を助けるために、悪を切るのよ」

 

 

ズバンッ!両手の指から両足の爪先に至るまで、無駄な力がまったく入っていないのに、空恐ろしいほどの速さ。研ぎ澄まされた極限の技。感動の涙にぼやけたリルピリンの視界で、最強の暗黒術師であり十侯最大の実力者、ディー・アイ・エルの肢体が脳天から垂直に裂けた

 



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第58話 瓦解

 

「見えてきたぞ!後少しだ!」

 

 

地平線に巨大な神殿めいた遺跡の影が浮かび上がり始めたのを見て、上条が叫んだ。人界軍七百人は、彼ら流星の如き白光の軌跡を残して飛び去ったシノンの後を追うように、必死の南進を続けていた。後方から地響きを立てて追ってくる赤い軍団からは、多少だが距離を開きつつあった

 

 

「よし!あの参道の中腹で敵を迎え撃つわよ!」

 

 

キリトを乗せている馬車の幌の背でアスナと共に立っている美琴が叫ぶと、すぐにレンリの「了解です!」という返事がして、数分後には部隊はその勢いを減じることなく、神殿に挟まれた道に突入した。左右から神々しい何かをモチーフにしたような、巨大な石像たちが無言で見下ろす中で、馬の蹄と衛士隊のブーツが、土から石畳へと変わった路面に硬い音を響かせた

 

 

「前衛部隊は左右に分かれて停止!馬車隊と術士部隊、及び後衛部隊を通せ!」

 

 

レンリの凛々しい声で指令が下されると、さっと割れた前衛の隙間を八台の馬車が進み、修道士を主とした後衛もそれに続くと、参道のいちばん奥で停止した。そこに設けられた巨大な門から、乾いた風がひゅうっと吹き抜けてきてアスナの髪を揺らす中で、アメリカ人プレイヤーの大部隊が放つどろどろという地響きが参道にまで届き、左右の神像がぱらぱらと細かい砂を落とす音まで聞こえてきた

 

 

「ロニエさん、ティーゼさん。私が思うに、多分これが最後の戦いになるわ。キリト君のこと、お願いね」

 

 

アスナは聞こえてくる敵の足音に少し顔色を曇らせつつも馬車から飛び降りると、幌の内側から顔を覗かせる少女たちへと声をかけた

 

 

「はい!お任せください、アスナ様!」

 

「必ずお守りいたします!」

 

「・・・この命に代えても」

 

 

硬く握った拳を胸に当てつつ答えたロニエとティーゼの後に、その傍らにいたソルティリーナもアスナの言葉に頷いてみせた。するとそれを聞いた美琴が、スタンッ!と小気味の良い音で馬車から降りて、彼女たちに微笑みかけながら言った

 

 

「大丈夫よ、安心して。私とアスナさんと、アイツのメンツにかけて、絶対にここまで敵は通さないから」

 

 

そう言い残して、美琴とアスナは馬車から身を翻して、最前線で敵を待つ前衛部隊へと歩みを進めた。そしてその前衛で一足先に敵の姿を見据えていた上条を見つけると、その傍へと寄った途端に彼が口を開いた

 

 

「・・・どうだ美琴、勝てると思うか?」

 

「何よ。アンタにしては珍しく弱気ね」

 

「どうかな…この世界に来てからは、俺は弱気になりがちだと思うぜ」

 

「まぁ、気持ちは分からなくはないわよ。私たちが映画ばりの100人切りを達成したところで、単純な算数じゃ敵いっこないわけだし。でも、私達にとってこの戦いは勝てるかどうか、じゃないのよ」

 

「・・・だな。勝つしかねぇか」

 

 

こちらの隊列は大凡把握できるが、向かってくる敵の最前列の背後には何列、何人いるのかすらも分からない。それでも、腹を括って戦うしかないのだと、上条は美琴の言葉で再認識した

 

 

「カミやん君、ミコトさん。もしもの時は、私に殿を任せて。私は例えゲームオーバーになっても、無事に現実に帰れる保障がある。でも二人は……」

 

「何言ってんだよアスナ。今さっき俺と美琴は腹を括ったんだ。勝てるぜ、この戦い」

 

「そうよ。私だって、まだまだ余力も電力も残してるんだから。アスナさんが殿を買って出るんだったら、私も死ぬまで暴れまくるわ」

 

「・・・ありがとう、二人とも。勝ちましょう!」

 

「おうっ!!」

 

「ええっ!!」

 

 

三人の声が重なると、少女達の腰に据えられた二本の細剣が鞘走り、少年の盾と拳が力強く握り締められた。そして、その数秒後。この戦争において、最後の大規模戦闘となる激突があった

 

 

「「「Die(死ね)ーーーーー!!!!!」」」

 

「「「うおおおおおお!!!!!」」」

 

 

リアルな血と悲鳴を求めて、二十人ほどの重武装したアメリカ人プレイヤーたちが、真っ先に遺跡の参道へと突入していった瞬間、人界守備軍の腹の底から湧き立った雄叫びが交錯した。しかし、その一方で。殲滅されていく赤い鎧のプレイヤーたちを、高みから見下ろすひとつの影があった

 

 

「くくくっ……」

 

 

極限まで金属装甲を廃した、ライダースーツのようにぴったりとした黒革の上下。艶やかなレザーの到るところに、艶消し銀の鋲が打たれている。武器は、左腰にぶら下がる、まるで中華包丁の如き大型ダガーのみ。レインコートを思わせる黒革のポンチョを羽織り、そのフードを目下まで深く被ったその男、ヴァサゴ・カザルスは歪んだ笑みを浮かべていた

 

 

「相変わらずキレると容赦ないな。あの女。それでこそ、殺す瞬間が楽しみってモンだ」

 

 

その男の目下で、古代遺跡を舞台にした人界守備軍と闇の軍勢の攻勢はただ延々と繰り返されていった。ヴァサゴにとって、自分の属する組織が呼び出した真紅の鎧の兵隊が倒れていくのは、むしろ面白おかしかった。彼らを問答無用で切り捨てていく『彼女』の姿のみが、彼の視線を射止める唯一の存在だった

 

 

「ぐうっ…!?」

 

 

一人の敵兵が振り下ろした肉厚の大剣が、不意にアスナの頬を掠めた。血の滴る切り傷は、痛みと熱さを等しく訴える。しかしアスナは、その一瞬の気の淀みすらも自分に許しはしなかった

 

 

(痛い、もんかっ…!!)

 

 

アスナが己の心で強く念じた。途端、肌に刻まれた傷が、すうっと消えていく。その時にはもう、彼女の右腕が閃いて、眼前の兵士の右肩から左脇腹へと四連の突き技を叩き込んでいた。男の顔が歪み、派手な罵り声を上げて地面に沈むと、荒々しく息を吐いた

 

 

「はっ…はあっ…はあっ…!」

 

 

今のが何人目の敵なのか、もはやアスナに数える余裕はなかった。それどころか、時間の感覚すら曖昧になりつつあった。古代遺跡での戦端が開かれてもう何分、何十分経ったのかすら定かでない。けれど一つだけ確かだったのは、参道の入り口から雪崩れ込んでくる赤い歩兵たちは、まだまだ無限に等しいほどの数が残っている、という事実だけだ

 

 

「うおおおおおーーーーーっっっ!!!」

 

「でやああああーーーーーっっっ!!!」

 

 

アスナは肩で息をしながら左右へ視線を泳がせると、左腕の盾で複数人の敵が振り下ろした戦斧を受け止めながら、力任せに押し返す上条の姿があった。そしてその隣では、美琴の発する電撃が絶えず迸っている。この二人がいなければ、この軍勢を前にした守備軍はもっと早くに根を上げていたはずだ。しかし、だからこそ浮き彫りになる戦況が左側に表れつつあった

 

 

「左翼側!交代の間隔を速めて!治癒術も左を厚くしてください!中央と右側は私たちで何とか押し留めます!」

 

 

その問題は、左翼側だ。いかに通常の衛士達よりも戦力のあるアスナ達でも、個々に別れてしまえばその分だけ隙が生じる。だからこそ、三人はこの戦場において、いつ如何なる時も最前線の中央で最大限の力を常にキープしつつ、敵の戦力を削ぎ落とし続けていた。同時に右翼側も、持ち前の神器の高い殺傷力を用いてレンリが奮戦し続けることで何とか持ち堪えられていたが、圧倒的に爆発力の足りない左翼側から、文字通り悲鳴が上がり始めていた

 

 

「アスナ様!私はまだまだいけます!」

 

 

左翼側の最前線を受け持つソルティリーナが、アスナに向かって叫び返した。その姿は勇壮そのものだが、すでに鎧は傷だらけになり、紫色の衛士服も各所に血が滲んでいる。そのまま戦い続けていれば、そう遠からぬ時間に彼女にも限界が訪れるであろうことは、アスナにも一目で分かった

 

 

「ダメよ!下がって治療してリーナさん!ここであなたを失ったら、それこそ勝ちの目は薄くなるわ!今は仲間のみんなを信じて!」

 

「〜〜〜ッ!すぐに戻ります!」

 

 

リーナの苦しそうな返答を受け取ると、アスナは今一度深い呼吸を腹の底に落としつつ、真紅の鎧たちに向けてラディアント・ライトを振りかざそうとした。しかし、その手が振り上げられるよりも先に、目の前にいたはずの上条の姿が踊るように動いた

 

 

「アスナ!リーナ先輩がいない間は俺が左翼側を受け持つ!美琴のフォロー頼んだぞ!」

 

「う、うんっ!分かっ……」

 

 

アスナが左翼側の最前列に躍り出た上条を見送ったのと、ほとんど同時に。参道の入り口が、さっと黒く翳った。差し込む朝日が遮られたのだと察するのと同時に、アスナの視界に入ってきたのは、敵側の最前列の奥に潜む隊列の中に、横一列に並ぶ巨大な盾と、旗竿のように林立する長大な槍が並んで立っている光景だった

 

 

(重槍、兵……!?)

 

 

あの集団攻撃を防げるのは、ステイシア神の地形操作か、御坂美琴の能力しかないとアスナは直感した。しかし美琴は美琴で、波のように押し寄せる敵を払い除けるのに必死で、あの集団に気付いていないどころか、自分の方へと振り返る余裕も見せてくれない。そして、その横で。上条の顔が段々と青ざめていくのが分かった。当然と言えば当然だ。戦闘配置を変えた瞬間にアレが向かってきては、彼とて平静を保てるはずがないだろう

 

 

「や、槍の突撃が来ます!穂先をしっかり見て、初撃を回避してください!懐に入れば倒せる敵です!!」

 

 

アスナが左右の味方に向けて叫ぶと同時に、ガシャッ!と金属音が轟き、巨大なランスがいっせいに構えられた。横一列に二十人も並んだ重槍兵たちが、野太い雄叫びと共に突進を開始した

 

 

「「「Assaaaaaaaalt(突っ込めぇぇぇぇぇ)!!!」」」

 

 

赤い津波にも似た圧力に、衛士たちが浮き足立つ気配がした。「お願いみんな、落ち着いて!」と念じながら、アスナは自分めがけて突進してくる敵兵を凝視した。凶悪に黒光りするランスが、一撃必殺の威力を秘めて迫る

 

 

「ーーーーーッ!?」

 

 

眼前まで槍の集団が迫ってきた瞬間、ようやっと美琴も現状を正しく理解した。そして本能が赴くままに能力を行使し、足下の砂鉄を大量に巻き上げて重槍兵達を押し戻そうと試みた。しかし、無情にも。彼女は気付くタイミングが遅すぎた。美琴の砂鉄で勢いを止めたのは、彼女の受け持つ中央側のみだった

 

 

「あんまり好き勝手すんじゃ…ねえっ!!」

 

 

上条は盾の後ろを両手で支えると、そのまま盾を大きく振りかぶり、敵の足下目掛けて大きく横薙ぎに打ち払った。その一撃でバランスを崩した左翼側の重槍兵は、呆気なく失速して膝をついた。流石にVRMMOで集団戦を経験していることもあってか、対処は心得ているようだとアスナはホッと胸を撫で下ろした。しかし、その直後に右側から聞こえてきた悲鳴によって、再び彼女は絶望の底へと叩き落とされた

 

 

「右翼側っ……!?」

 

 

気付いた時には、もう遅かった。右翼の衛士の数名が、ランスを回避しきれずにその体を貫かれていた。さらに、隊列が乱れたその瞬間を見逃すことなく、重槍兵の後ろに控えていた真紅の軍勢が雪崩のように守備軍の隊列を侵食し始めていた

 

 

「ふ、負傷者を後方へ!最優先で治療を!」

 

 

アスナは指示を出しつつ、大急ぎで右翼側の事態の収拾へと身を乗り出し、剣を振るいかざした。一瞬でも、自分たち三人の隊列を崩したのが間違いだったと舌を打つ。今や彼女らは、左翼、中央、右翼と完全にそれぞれの隊列に分断されてしまった。この混沌とした戦況の中で、再び三人が揃うのはほぼ不可能だ。もう今までのように大きく戦力を削ぎ続ける事はできない。そんな焦りが、アスナの思考を覆い尽くし始めた時のことだった

 

 

「・・・・・もう、一回…?」

 

 

もう一度、その地鳴りは聞こえた。次の重槍兵二十人が、参道の入り口から再び突進してくるその光景は、戦慄の一言で片付けられるほど生易しいものではなかった

 



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第59話 時穿剣

 

「なぜ追いつけん…!?」

 

 

騎士長ベルクーリは、焦燥と驚きを同時に感じていた。飛竜三頭による皇帝ベクタへの追跡を始めてから、既に二時間が経過していた。人界守備軍が野営していた森、その南に広がっていた円形の窪地を飛び越え、奇怪な巨像が林立する遺跡を通過して、深くダークテリトリーの南部に分け入りながらも、敵との距離はまるで縮まる様子がない

 

 

(向こうの飛竜は、ベクタとアリス嬢ちゃん、二人乗せて飛んでるってんだぞ…!?)

 

 

愛弟子であるアリスを拉致した皇帝ベクタの飛竜は、相変わらず視線のはるか先にある極小の点のままだ。皇帝は、一頭きりの飛竜に、自身とアリスの二人を乗せて飛んでいるにも関わらず、その差は一向に縮まる気配を見せないことに、ベルクーリは少なからぬ苛立ちを覚えた

 

 

(・・・やむを得んな)

 

 

ベルクーリは、右手でそっと左腰に差した時穿剣を撫でた。硬く、頼もしい手触り越しに、己の神器の天命がまだ完全回復にはほど遠いことが感覚的に判る。東の大門で使用した大規模な武装完全支配術による消耗は、予想以上に大きかった。ベルクーリがこれから使おうとしている術式は、時穿剣の最終奥義であるがゆえに、莫大な天命を消費する。故に、使えるのはたった一度。その一撃を、針の穴を通す以上の精密さで命中させねばならなかった

 

 

「システム・コール…」

 

 

ベルクーリは長年共に戦った星咬に、手綱を持つこともなく意思を伝え、高度を慎重に調整した。剣の切っ先に照準するのは、遥か先の空に滲む、砂粒のような黒点。皇帝本人を狙いたいのはやまやまだが、姿も視認できないこの距離では外す危険が大きすぎる。どうにかその動きが見て取れる、黒い飛竜の片翼に全精神力を集中する。鞍の上に仁王立ちになったベルクーリは、ゆっくりと右手を振りかぶった

 

 

(ーーーーーー捉えたっ!!!)

 

 

体の右側に立てて構えられた鋼の刀身が、明滅した。それは時穿剣に秘められた『記憶解放』の術式の予兆。陽炎のように揺らぐ長剣は、飛竜が前進するにつれて、無数の残像を後方に引いていった。剛毅な口許が短く動き、罪なき飛竜への詫び言を囁く。そして薄青い色の瞳がすうっと細まり、整合騎士ベルクーリは裂帛の気合と共に叫んだ

 

 

「時穿剣!『裏斬』!!!」

 

 

ズアッ!と重々しく、それでいて凄まじい速度で剣が振り下ろされた。青い残像が斬撃の軌道に沿って無数に輝き、順に消えた。彼方の空で皇帝ベクタの駆る黒い飛竜が悲鳴を上げるのが聞こえると同時に、左の翼が付け根から音もなく切断されたのを見て、ベルクーリは確かな手応えを感じた

 

 

「・・・ふん…」

 

 

やがて最後の力を振り絞りながら片翼のみで軟着陸し、細く一声啼いて息絶えた黒い飛竜を、ガブリエル・ミラーは無感動に見下ろした。視線を外したときにはもう、彼の記憶と思考から竜の存在は完璧に排除され、そのままぐるりと周囲を見渡した。彼が飛竜と共に墜落したのは、円柱状の奇岩が無数に立ち並ぶエリアの、ほぼ中央にそびえる一つの岩の頂上だった

 

 

「よぉし…!もうひとっ飛び頼むぞ!星咬、雨縁、滝刳!」

 

 

ベルクーリが、敵皇帝の飛竜がすぐには脱出できそうもない高い岩山の上に墜落したのを視認して叫ぶや、三頭は力強く翼を打ち鳴らして加速した。やっとのことで辿り着いた岩山のてっぺんには、横たわるアリスの黄金の鎧と、その手前に影のようにひっそりと立つ皇帝ベクタの姿がはっきりと見て取れた

 

 

「お前らは上空で待機!もし俺がやられたら、北に戻って部隊と合流しろ!」

 

 

後を追ってくる竜たちに指示し、ベルクーリは星咬の背中から、ふわりと体を躍らせた。遥か眼下の、人造の塔にも似た岩山の上に立つ皇帝ベクタの視界の外へ、外へと跳躍しながら、最古の騎士は愛剣の柄に手を添えた

 

 

(初撃で決める…!!)

 

 

ベルクーリが必殺の心意を練るのは、今では遥か昔の150年前に、シャスターの先々代に当たる暗黒将軍を斬って以来のことだった。それほどの長きにわたって、彼に純粋な殺意を呼び起こさせる敵は出現しなかったのだ。と言うよりも彼は、長年の好敵手である暗黒将軍たちに対してさえ、怒りや憎しみのような負の心意を抱いたことはなかった

 

 

(・・・皇帝ベクタ、テメエにどんな事情があるかは知らねぇ)

 

 

詰まるにベルクーリは、その長い生涯で初めて、愛剣の刃に真なる怒りを込めたことになる。彼は憤激していたのだ。アリスを拉致されたこと、それのみに対してではない

 

 

(だが、リアルワールド人がみんなテメエのような悪鬼じゃねえことは、カミやん達を見てきた俺には分かる。要するにテメエという人間の本質は、どうしようもねぇ悪だということだ!)

 

 

皇帝ベクタという仮面を被って外界からやってきたよそ者が、和睦成立の可能性があった暗黒界人たちを戦場に駆り立て、無為に何万もの命を落とさしめた。それは二百年以上もこの世界を見守り続けてきたベルクーリには、どうしても赦せないことだった

 

 

「ならばその報いを!暗黒将軍シャスターの、戦場に散った多くの人間たちの、命の重さを!この一撃で…とくと知れ!!!」

 

 

高度十メルで最後の一歩を踏み切り、騎士長ベルクーリは、あらんかぎりの意思を込めた斬撃を皇帝ベクタの無防備な脳天めがけて振り下ろした刹那、大気が灼け、白く輝き、彼の刃が生み出した光のあまりの激しさに、世界が色を失いかけた

 

 

「ぜあああああああっっっ!!!」

 

 

それは間違いなく、かつてアンダーワールドで発生した全ての剣技の中で、最大級の威力を内包した一撃だった。つまり、あらゆる数値的ステータスを無効化するに足る、まさしく必殺の一撃だったのだ。スーパーアカウント暗黒神ベクタに設定された、無限に等しい天命数値すらも削り切るほどに。しかしそれは、あくまでも………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

命中しさえすれば。の話だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーーーふん」

 

 

天から降り注ぐ致死の流星に気付いた瞬間も、ベクタの表情はまるで動かなかった。見上げることしか叶わないほどの、超速の剣技。いかなる反応も対処も、不可能だとベルクーリが確信した、その刹那。黒水晶の鎧に包まれたベクタの体が、音もなく横滑りした。 唯一回避可能な方向へ、回避に必要なだけの距離を、だ

 

 

(な、に……!?)

 

 

ゴアァンッ!という雷鳴じみた轟音とともに、硬い岩山の頂上に深い傷痕が刻まれた。巨大な岩山全体が震動し、側面から幾つもの塊が剝がれ落ちていくが、それに追随して倒れるベクタの姿はそこにはなかった

 

 

「・・・あれを、躱すかよ」

 

 

微かな舌打ちの後、口中でベルクーリは呟いた。しかし彼の体はほんの一瞬たりとも止まらなかった。戦闘のさなかに、予想外の展開で思考が滞るような段階はとうに脱している。即座に横薙ぎの一撃。全身全霊を込めた大技を空振っておきながら、次の攻撃にかかる間隔はほとんど皆無だったことからも、ベルクーリがアンダーワールド内で最強の剣士である事実は疑いようがない

 

 

「おっ…ああああああッ!!」

 

 

そして最強の剣士から繰り出される、目を疑うような早さの追い打ちすらも、ベクタは避けた。まるで風に吹かれた煙のように、予備動作もなくふわりと地面を滑る。時穿剣の切っ先は、鎧の表面を掠めて空しく火花を散らしただけだった。しかし、今度こそベルクーリは勝利を確信した

 

 

(殺った……!!)

 

 

上空から放った渾身の初撃は、外れはしたが消えたわけではなかった。愛剣の武装完全支配術『時穿剣・空斬』。すなわち『未来を斬る』という力を彼は発動させていたのだ

 

 

(目に見える攻撃は避けられても、目に見えぬ斬撃は避けようもあるまい!皇帝ベクタ!)

 

 

愛剣の武装完全支配術『時穿剣・空斬』。すなわち『未来を斬る』という力をベルクーリは発動させていたのだ。皇帝ベクタが、知覚不能の斬撃が滞留する空間に、背中から吸い込まれていく。最初に豪奢な白金色の髪が、ぱっと散り広がった。額に嵌まる冠が、かすかな金属音とともに砕け散った。ベクタの両腕が許しを請うかのように高く高く掲げられ、黒を纏う長身が縦に裂ける有様を、ベルクーリは強く予感した

 

 

「・・・・・・・・は?」

 

 

しかし、勝利の確信の直後に続いたのは、拭いきれない疑問だった。ぱん!と響き渡る、乾いた破裂音。その音の根は後ろを見もせずに打ち合わされた、皇帝の両の掌だったことに、ベルクーリは青ざめた顔で驚愕した

 

 

(す、素手で『空斬』を挟み止めただと!?しかも背を向けたまま…!?)

 

 

その思考は1秒にも満たなかったが、しかしベルクーリの動きはここでついに止まった。故に、続いて発生した現象を、彼はただ黙視することしかできなかった。蜃気楼のように空中で揺らめく不可視の時間の斬撃が、皇帝の両手に吸い込まれていくのと同時に、皇帝の青い双眸が、どす黒い闇に染まった

 

 

「・・・・・貴様は、」

 

 

闇にも似た瞳の底にある、ちかちかと瞬く無数の光。それは、魂。ガブリエルが吸い取ってきた、人々の魂が囚われているのだ。恐らくは暗黒将軍シャスターや、彼の副官の女騎士の魂もそこに眠っているはずだと、ベルクーリは確信した

 

 

「人の『心意』を、喰うのか…?」

 

「シンイ…?いや、なるほど。(マインド)意思(ウィル)か」

 

 

ベクタの口から出たのは、ひどく寒々しい、生きた人間の気配が完全に抜け落ちた声だった。それを発した薄い唇が、見かけは微笑みに似た形へと動いた

 

 

「お前の魂は、オールドヴィンテージのワインのようだ。どこか濃密で重く、長く残る後味。私の趣味ではないが…しかし、メインの露払いに味わうのもよかろう」

 

 

青白い右手が動き、腰の長剣の柄を握る。ゆらりと鞘から抜き出された細身の刀身は、青紫色の燐光に包まれていた。それを気負いなくぶら下げながら、皇帝ベクタはもう一度微笑んだ

 

 

「さぁ、もっと味わわせてくれ」

 



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第60話 青の援軍

 

(マズい…!もしもこの戦法を繰り返されたら、数で圧倒的に劣る人界軍はいずれ戦列を保てなくなる……!!)

 

「ミコトさっ……!?」

 

 

アスナは押し寄せるランスの群れから視線を引き剝がし、本来の持ち場だった戦列の中央を見やった。このタイミングならば、美琴も気付いてくれるハズだ。そしてその能力で、ランスの突撃を防げれば…という思考は、彼女が片膝を突いて地面にへたり込む姿を見た瞬間に消え失せた

 

 

「電池、切れ…こんな時にっ…!」

 

 

連戦に次ぐ、連戦。美琴の疲弊はもはや莫大な負債となって彼女の思考回路を圧迫していた。能力発動に必要な演算に割ける思考の余裕は、もはや彼女の頭の中には欠片も残ってはいなかった。休憩の一つでも取れば多少はマシになるであろうというのに、敵がその猶予を与えてくれる筈もなかった

 

 

「ダメェェェーーーッッ!!」

 

 

何としてでも、彼女だけは守り抜かなくては。その使命だけがアスナの脳内を埋め尽くした。無数のランスが再び守備軍の隊列に到達するほんの数秒前、アスナは膝をつく美琴の前に飛び込んだ。もうレイピアでの防御は間に合わない。そんな咄嗟の判断のまま、アスナは深紅のランスの穂先を左手で摑み止めようとした

 

 

「・・・・・いぎっ!?!?」

 

 

しかし無情にも、鈍く光る鋼のランスは返り血で濡れた左手の中で、ずるりと滑った。重みのある衝撃が、アスナの全身を揺らす。その痛みに声も出せないまま、彼女は自分の脇腹を深々と刺し貫いた巨大な金属を見下ろすしかなかった

 

 

「あ、アスナさんっ!?」

 

 

美琴の痛々しい悲鳴が耳に突き刺さる。それだけで、刺された脇腹がジンジンと痛みを訴えてくるかのような感覚に、アスナは唇を噛みしめた

 

 

「く……う……ぐうううっ!!」

 

 

アスナは喉から溢れ出しかけた悲鳴を、どうにか低い呻き声に押し留めた。痛い、などというものではない。高温のバーナーで腹を焼かれ続けているようだった

 

 

(痛いっ、もんかっ……!!)

 

「ううっ……あっ!!」

 

 

アスナは体を貫くランスを握ったままの左手に、ありったけの力を込めた。バギンッ!と耳障りな音を立てて、鈍い光を放っていた金属が掌の中で砕け散ると、即座に手を背中に回し、突き出た槍を摑んで引っ張る。目の前に火花が散り、頭から足まで痛みが駆け抜けた。しかしそれでも彼女は手を止めず、一思いに槍を引き抜き、鉄の塊りを地面へと投げ捨てた

 

 

「誰かっ!治療できる修道士さん!アスナさんを最優先に…!」

 

「大丈夫、よ…ミコトさん。私は、まだ…」

 

 

美琴は自分を庇って負傷したアスナの元に一目散に駆け寄った。自力で槍を引き抜いたものの、その鮮烈な痛みに膝を突いたアスナは、傷口を必死に抑えながら立ち上がろうとしていた

 

 

「大丈夫なわけないでしょ!私だって一度は腕切られてんだから、それがどんだけ痛いかなんて考えなくたって分かるわよ!!」

 

「それでも、今は…キリト君を……」

 

「お願い!全員何としても今の持ち場を死守して!レンリさん!中央に移動して!右翼側はアスナさんを治療に回してから私が受け持つ!」

 

「は、はいっ!」

 

 

なおも立ち上がろうとするアスナの消え入りそうな声を完全に無視して、美琴は衛士達へと大声で叫んだ。そして右翼側のレンリが中央に移動したのを機に、彼女がアスナの肩を担いで後列に控えている治療術師の元へと移動を始めた時だった

 

 

「う、うおおおおああああっっっ!?!?」

 

 

気付けば、重槍兵による突撃の第三波が到来していた。その突撃の直後に聞こえた叫び声に思わず美琴が振り返ると、身を挺して彼らから守備軍の仲間を守ったのであろう上条の姿を捉えた。しかしその視線の先にいる少年は、左手に装備していた純白の盾を粉々に砕かれ、地面を転がり飛んでいた

 

 

「ーーーッ!?アスナさんをお願いっ!!」

 

 

怪我人を預けようとしている自覚はあったが、今の美琴には丁寧にアスナの身柄を修道士に受け渡せた自信はなかった。気付けば体は動き出していた。衛士達が組んでいる隊列の隙間を縫うようにして、いち早く最前列に行こうと、御坂美琴は戦場をひた走った

 

 

「GO!!!」

 

 

直後のことだ。第四波の号令が敵軍から上がり、ドスドスドスと、不躾な足音と共に地面が震え、20人の兵士の構えた盾と槍が並行しながら突撃を開始した

 

 

(間に合えっ…!!!)

 

 

御坂美琴は、ただそれだけを願った。上条も次の突撃に備え、すぐにでも立ち上がろうと足腰に力を入れ直して膝立ちになり、地面に手を突いて立ち上がろうとした。しかしその瞬間、赤い空から一本のラインが伸びた。微細なデジタル・コードの羅列が刻まれたそれが、何を意味するのかはもはや考えるまでもなかった

 

 

「う、嘘だろ…まだ、来んのかよ……!?」

 

 

上条の口から漏れるようにして出た声には、僅かながらも諦めの色が見え隠れしていた。けれど、その一本のラインの色は、これまで見てきた赤色ではなかった

 

 

「・・・違う…?」

 

 

そのラインの色合いを見て呟いたのは、美琴だった。空のような澄んだ青。その色が何の意味を持つのか、もう彼女と上条には推測できなかった。両眼を見開き、ただ結果のみを待った。ラインは、高さ十メートルほどの空中で凝集し、一瞬の閃光に続いて、人の姿へと変じた

 

 

「よう」

 

 

その真下に立つ二十人の重槍兵たちも、いつしか脚を止めて空を見上げていた。彼らの真ん中に、群青の竜巻と小さな声が舞い降りた。その瞬間、竜巻に巻き込まれた歩兵たちが瞬時にバラバラに分断され、広範囲に鮮血を撒き散らした。放射状にばたばたと倒れた槍兵の中央で、竜巻はゆっくりとその回転を停止し、人の姿に戻った

 

 

「・・・ソードスキル……?」

 

 

背中を向けて立つ、やや細身の長身の声は、どこか呆けたような声だった。和風の鎧が、逆光を受けて煌き、左手を腰の鞘に添えながら、右手は恐ろしく長い剣…否、刀をまっすぐ横に振り抜いている。上条は今の攻撃を、ここではない世界で見たことがあった。ソードスキル。カタナ広範囲重攻撃『旋車』

 

 

「珍しく辛気くせえ顔してんな、カミの字」

 

 

その人影は長刀を右肩に担ぎ、ひょいと顔を振り向かせた。派手な柄のバンダナの下で、無精ヒゲの浮いた顔が、にやりと笑みを浮かべた。曰く、上条にとっての腐れ縁。4年前に鋼鉄の城で出会い、それからも自分が未成年であることもなんのその、浴びるように酒を飲ませてきた野武士ヅラの男を見た瞬間、上条は弾けるように叫んだ

 

 

「クライン!!!」

 

 

上条の前に突如として現れたクラインは、膝立ちの上条へと手を差し伸べた。上条は驚きと歓喜が入り混じった感情に肩を震わせつつも、その手を取って立ち上がると、クラインはその手を下げることなく上条の後ろを指差しながら言った

 

 

「もちろん、俺だけじゃねぇぜ」

 

 

クラインが言った直後、無数の振動音による高らかな共鳴が世界に満ちた。アメリカ人プレイヤーたちが出現した時とまったく同じ音だというのに、上条はそれを聞いた瞬間、腹の底からくる笑いを堪えられなくなった

 

 

「は、はは…あはははははっ!!!」

 

「や、やった…やった!!やった!!!」

 

 

上条と同時にそれを見上げた美琴は、感動を超えた嬉しさに何度も拳を手繰り寄せた。シノンの時とはまた違う、自分が仲間宛てに送ったメッセージが形となって現れた瞬間が、ようやく訪れたのだと確信した

 

 

「テメェらに個人的な恨みはねぇが、ダチを散々痛めつけてくれた借りはきっちり返させてもらうぜ。倍返し…いや、千倍返しだこの野郎ども!!」

 

「お、おいクライン!?」

 

 

長刀を赤い軍勢に真っ直ぐに向けてクラインが言い放つや、敵軍にまっすぐ突っ込んでいく。その無謀さに、深傷の痛みも一瞬忘れて上条は呆れたが、直後クラインのすぐ隣に新たなコードラインが降り注ぎ、その中心からバトルアックスを引っ提げた、褐色肌の巨漢が姿を現した

 

 

「エギル!!」

 

 

かつてSAOの攻略組を戦力面でも、補給面でも強力にサポートしていた、通称『戦う商人』は、上条の呼びかけに対してニヤリと笑みを浮かべ、サムアップを見せた。すぐに振り向き、クラインを追って猛然と走り始める。そして三人目と四人目は、美琴のすぐ目の前に現れた

 

 

「リズ!シリカさん!来てくれたのね!?」

 

 

一人は赤みがかった紫を基調とした服にブレストプレートを重ね、腰に銀色のメイスを下げたショートカットの女の子。もう一人は群青色のチュニックとスカートを身につけ、頭の両側で髪を結わえた小柄な女の子だった。自分の名を呼ぶ美琴の声に、二人の少女は揃ってニッコリと顔を綻ばせた

 

 

「当ったり前じゃないですか!」

 

「来るに決まってんでしょ!何のための親友だと思ってんのよ!」

 

「・・・ありがとう!本当に!」

 

 

二人の暖かな声に、美琴は自分の頬を一粒の涙が伝い出したのを感じ取った。どうしようもなく安堵した心の余裕に全身から力が抜けそうになるのを、どうにかその場で踏み留まると、美琴は強い絆で結ばれた仲間たちに強く頷いてみせた

 

 

「えっ!?リズとシリカちゃん!?」

 

 

傷の治療を終えたアスナが、見覚えのある二人の少女の姿を見るなり、戦場へ向かおうとしていた歩みを止めた。二人がこの場にいる事に彼女が驚いているのとは対照的に、リズベットとシリカはさも当然であるかのように笑みを浮かべながら言った

 

 

「ごめんねアスナ、遅くなって。そっちの事情も全部ALOでユイちゃんから聞いたわ」

 

「ゆ、ユイちゃん…が……?」

 

「それにしても、ミコトもアスナもこんなに傷だらけになるまで無茶して…ちょっと頑張りすぎ。帰ったらお説教だからね」

 

「後は任せて下さい。カミやんさんとミコトさんは当然として、私たちはみんな、アスナさんとキリトさんの味方です!」

 

「あ、ありがと…ありがとう…!」

 

 

アスナもまた、とめどなく溢れてくる感情と涙に視界を滲ませた。そしてその視界の向こう側で、コードラインの驟雨が、遺跡の入り口付近に降り注ぐのが見えた。現れたのは、鮮やかな色彩を身にまとう何百人もの剣士達だった

 

 

「あの赤いのが敵だ!」

 

「前衛タイプのヤツはひたすら突撃だ!何がなんでも押し返せ!!」

 

「後衛は一旦下がって呪文を確認!順次、怪我人の治療と前衛の支援を!」

 

 

アンダーワールドの地を踏むやいなや、日本語で叫び交わし、剣を、斧を、槍を構えて前方の赤い兵士たちに斬りかかっていく。その見事な個人技と、統制の取れた集団行動は、彼らがみな熟練のVRMMOプレイヤーであることを示していた

 

 

「え、ちょ…シリカさん、みんなって言ってたけど…これって……」

 

「そうです。ALOで必死に呼びかけて、答えてくれた人達がみんな、アカウントをコンバートしてくれたんです」

 

「え、ええっ!?みんなって…ここでオチたらそのデータどうなるか分かんないのよ!?それなのに、ここにいる全員が!?」

 

「そーよ。感謝しなさいよ?私が世界樹の広場で繰り広げた演説といったら、それはそれは後世に語り継がれるべき名演説だったんだから」

 

「リズ…最っ高!アンタやっぱり最高よ!」

 

 

ありったけの気持ちを込めた言葉を叫んだ時には、美琴の全身に溜まっていた疲れは嘘のようになくなっていた。その時、彼女達の背後からおずおずとした声が掛けられた

 

 

「あの…ミコト様、アスナ様?その方たちは一体…それに、あの騎士たちは……」

 

 

啞然とした表情でそこに立っていたのは、整合騎士のレンリだった。後ろで、危地を救われた衛士たちも、同じように眼を丸くしている。美琴は、レンリとリズベットたちに視線を往復させてから、微笑みとともに答えた

 

 

「私の、大切な仲間たちよ。みんなリアルワールドから…世界の垣根すらも超えて、助けに来てくれたの」

 

 

レンリは数回瞬きすると、リズベットとシリカをじっと見詰め…幼さの残る顔に、大きく安堵の色を織り交ぜた笑みを浮かべて、深く息を吐き出した

 

 

「そう、だったのですか…本当によかったです。僕はてっきり、外の世界の人間たちは、カミやんさんやミコト様、アスナ様達以外は皆、あの恐ろしい深紅の兵士のような方達ばかりなのだと…」

 

「ちょっとちょっと!そんなわけないじゃない!あのねぇミコトにアスナ、アンタ達一体どうゆう自己紹介してくれたのよ!?」

 

「い、いやぁえっと…包み隠さず正直に、私たちの住んでる世界の人達も善人ばかりじゃないって言った手前、そのすぐ後に来たのが向こうの敵ばっかりだったから……」

 

 

少し心外そうな、しかし親しみを込めた笑顔とともに、リズベットがレンリの肩を叩いてから美琴達に詰め寄ると、アスナが少し気恥ずかしそうに頬を掻きながら言った。しかしそのすぐ後に、美琴が緩みかけていた表情と口調を真剣なものに戻し、リズベットへと訊ねた

 

 

「それでリズ、コンバートしてくれた人たちの数は?」

 

「あ…うん。二千を少し超えるくらい……かな。がんばったんだけど、話を聞いてくれた人たち全員ってわけにはいかなかった…その、ごめん」

 

「なにを悪くもないことで謝ってんのよ。責めるつもりなんて毛ほどもないし、それだけいてくれるならお釣りが出るわ。だけど、みんなが再コンバートする可能性を残すためにも、消耗戦は避けないとね。あまり前線を広げないで、とにかく支援とヒールを厚くするわよ。リズとシリカさんは、二百人くらい後方に下げて支援部隊を作って。みんなを指揮してくれると助かるわ」

 

「分かりました!任せて下さい!」

 

 

申し訳なさそうに顔を俯かせたリズベットの肩を強く叩きながら、美琴は回転の速さが戻った頭をフルに動かしながら作戦を組み立て、そのまま新参の二人に伝えた。同じく意識を戦闘に切り替えたアスナも、レンリと衛士たちにも口早に指示した

 

 

「衛士隊の皆さんも不本意でしょうが、修道士隊に合流して治癒術を使ってください。リアルワールドの剣士たちは神聖術に不慣れなので、彼らに術式を教えてやってくださると助かります」

 

「は…はい!アスナ様!衛士隊総員、聞いての通りだ!援軍の到来にこの上ない敬意を評すると共に、全力で彼らを支援するぞ!」

 

 

アスナに言われた通りにレンリが叫ぶと、連戦に疲弊の色濃い衛士たちも、力強い声を返した。そして足早に戦場で剣を敵へと向けているVRMMOプレイヤー達の元へと散開していくのを見送ると、レンリはアスナと美琴に問いかけた

 

 

「それで、お二人は今後如何ように?」

 

「そりゃもちろん」

 

「一番前に切り込んでやるわよ」

 

 

レンリの問いかけにアスナと美琴は、ほとんど同時に、迷いのない笑みと声で答えた。そしてあっという間に駆けつけた最前線には、ALOで見慣れた面々が勢揃いしていた。シルフ領主のサクヤ、ケットシー領主のアリシャ、サラマンダー将軍のユージーンたちの姿を見れば、意を強くしながら彼らと深く頷き交わした。しかし、援軍はそれだけではなかった

 

 

「もらったぜ!ヘッドショットだアメ公ども!」

 

 

正確極まるクロスボウの連射で剣士たちを強力に援護しているのは、シノンと同じGGOのプレイヤー達だ。更に美琴は、密に固まって嵐のように敵を薙ぎ払っていく、あまたのVRMMOを渡り歩いてきた最強ギルドの姿を捉えた

 

 

「『スリーピング・ナイツ』の、みんなまで…!」

 

 

かつてギルドのリーダーだったユウキと共に、不可能とも思えた挑戦を成し遂げた美琴を見つけ、にこっと笑みを送ってくるシウネーに、美琴は右手で応えながら、もう一度涙が滲みそうになるのを堪えた

 

 

「なぁ美琴、やっぱりこれも全部お前のおかげだったりすんのか?」

 

 

いつの間にか美琴の隣に割り込んできた少年、上条当麻は左手の盾も先ほどの槍兵達の攻防で失い、完全に徒手空拳になった両手で拳を握っていた。されどその顔に窮地を思わせる表情はカケラもなく、むしろ前よりも力強く笑いながら、どこかこの状況を楽しんでいるようにも見えた

 

 

「んなワケ。きっとここにいる皆が、私たちが仮想世界で過ごしてきた日々が正しかった証明なのよ。これまでSAOやALOで頑張ってきたのは、今日この場所で、大切なものを守るため…その結果がこれよ!」

 

「・・・いいな、それ。もうしねぇよ…あぁ!負ける気がしねぇ!!」

 

 

異世界のVRMMOプレイヤー達が、幾人も交錯する戦場の最前線で、上条は両手の拳を振り抜きながら、心の底からの笑顔を見せた

 



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第61話 父親

 

ダークテリトリー、その最南端。ワールド・エンド・オールターの数キロル手前では、整合騎士長のベルクーリと、侵略軍の総大将にして、暗黒神ベクタとなったガブリエル・ミラーの激戦が続いていた

 

 

「ぐ、おおっ…!?」

 

 

しかして、その戦いは一貫してベルクーリの劣勢だった。何しろ暗黒神ベクタのスーパーアカウントに備わった能力、フラクトライトの人為的な操作によって、戦いの最中でも否応なく意識を奪われるのだ。延々と闇に蝕まれ続けているような感覚と、何度も体を切り刻まれる痛みに耐えることしか、ベルクーリには許されていなかった

 

 

「フン…随分と俺を楽しませてくれるじゃねぇか、皇帝陛下サマ。剣を撃ち合わせてもらうことすら叶わねぇとは、面倒な戦いだぜまったく」

 

 

それでも、彼は攻撃の姿勢を緩めることはなかった。にやりと笑いながらベルクーリが嘯くと、ベクタは逆に笑みを消し、呟いた

 

 

「この状況を楽しんでいるというのなら、もう少し面白い余興をくれてやろうか」

 

 

暗黒神の短い宣告の後、意識という糸がぷつりと切れたように、ベルクーリはただ呆然と立ち尽くした。彼はそのまま、這うように近づいてくるベクタの長剣が、自分の体に到達するのをただ待った。やがて黒の長剣はベルクーリの懐を鋭く走り抜け、重く湿った音を響かせながら、彼の太い腕を付け根から切り落とした

 

 

「ぐぅおぁぁっ!?」

 

 

突然に隻腕となって重心が狂い、よろめいたベルクーリは、地面に転がった己の左腕を踏んだ。痛みよりも先に、足から伝わってくる生々しい感覚によって意識が呼び戻された

 

 

(さて、これは…な……)

 

 

愛剣を握ったままの右手で指を二本立て、左肩の傷口に当てながら、ベルクーリは思考を巡らせた。その間にも、無詠唱で発動した治癒術が青い輝きで出血を止める。しかし、斬り落とされた左腕を再生させられるほどの空間神聖力は、戦いの地となっている荒涼とした岩山にはなかった

 

 

(ーーーどう対抗する?)

 

 

時穿剣の『空斬』を敵の心意で防がれたことから鑑みるに、ベルクーリに残された奥の手は、記憶解放技『裏斬』しかない。しかしあの技を発動するには、困難な問題が二つあった。一つは、悠長な攻撃動作を敵が黙って見ていてはくれないということ。もうひとつは、狙うべき場所の特定が、この上なく困難だということだ

 

 

(一体いつぶりなんだろうな。この俺をして、ここまで必死になるなんてこたぁ……)

 

 

ベルクーリは、額から流れてきた汗を、瞬きで振り払った。そして、不意に気付いた。いつの間にか、一欠片の余裕もなくなっている。それが意味するところは、つまり。この場所こそが彼にとっての死地、生死の際だということだった

 

 

「けっ!」

 

 

整合騎士長ベルクーリ・シンセシス・ワンは、絶体絶命の状況を正確に認識してなお、太い笑みを浮かべた。その視線をゆっくりと、近づいてくる皇帝ベクタから、戦場の片隅に横たわる黄金の騎士アリス・シンセシス・サーティへと動かした。そして、己の内側で心意を練りながら、今も眠るアリスにその心意でもって、彼女の心に直接語りかけた

 

 

(なぁ、嬢ちゃんよ。俺は嬢ちゃんが心の奥底で求めていたものを、満足に与えてやれなかったな。親の情…ってヤツを。なんせ俺は、自分の親をまるで覚えちゃいないもんでな。でも、これだけは解るぜ。親は、自分の子を守って死ぬモンだ……)

 

「もっとも、貴様には永遠に解らねぇことだろうがな!化物め!!」

 

 

力強く叫んで、ベルクーリは地を蹴り飛ばした。ただ己の全てを右手に握る愛剣に込め、最古の騎士は長きに渡るその生涯で出会った最強の敵目掛けて、真っ直ぐに走った

 

 

「・・・まぁ、私には特に知る必要もないことだろうからな」

 

 

皇帝ベクタは現在に至るまで、まるで戦いを長引かせようとするかのように致命傷を与えていなかった。それでも無数の傷から流れ出た血液、ひいては天命の量が、そろそろ限界に達しつつあることをベルクーリは知覚していた。だが彼は、底無しの精神力を振り絞り、何も考えず、何も恐れず、脳裏でただ一つのことだけを遂行し続けていた。それは数を数えること。正確には、時間を測ることだ

 

 

[ーーー487、488]

 

 

時刻を察知するという特技を持つベルクーリだが、その超感覚を使って、頭の中でひたすら時を数え続けたのだ。戦いが始まったその時から、皇帝の剣に思考を鈍らせられている最中ですらも、ベルクーリはそれを繰り返し続けていた

 

 

「どうやら、剣技の方は大したこたぁねぇようだな。皇帝陛下」

 

 

放っておいても勝手に積み上がっていく時間という概念、一秒一秒を正確に数えながら、ベルクーリは愚直な攻撃を繰り返した。時には、挑発的な台詞まで嘯いてみせた

 

 

「こんだけ当てて、こんな老体も倒せねぇようじゃ、二流…いや、三流もいいとこだ」

 

[ーーー499、500]

 

「そらっ!俺はまだまだ行けるぜ!?」

 

 

気合と共に真正面から切り込むも、なおも皇帝の周囲に広がる青紫色の光に、剣が阻まれる。その光に心意を吸い込まれ、呆気なく思考が途切れる。気付くと地面に片膝を突き、左頰に増えた傷から音を立てながら血が滴っていた

 

 

[ーーー508]

 

(後少し…頼む、もう少しだけ保ってくれ…!)

 

 

するとその時、これまでほとんど感情を露わにしなかったベクタの顔に、かすかな嫌悪の色が浮かんだ。先刻の攻撃でベルクーリが飛散させた血の一滴が、白い頰に当たったようだった

 

 

「・・・飽きたな」

 

 

指先で頬の赤い染みを擦り落としながら、ゆらりと身を翻して、ガブリエルは深いため息と共にベルクーリの正面に向き直った

 

 

「お前の魂は重い上に、濃すぎる。まるで舌にこびりつくようで、あまりにも単調だ。私を殺すことしか考えていない」

 

 

ベルクーリの無数の傷口から血が滴り落ちて形成された血溜まりを踏みつつ、平坂な口調で言葉を連ねながら、ガブリエルは更に一歩前へと詰め寄った

 

 

「充分だ、もう消えろ」

 

「へっ…そう言うなよ。俺は、まだまだ…楽しめる、ぜ……?」

 

 

音もなく持ち上げられたガブリエルの黒い剣が、粘液質の光をまとった。ベルクーリは、わずかに奥歯を嚙み締めながら言って、よろよろと誰もいない空間に向かって数歩踏み出すと、右手の剣を頼りなく持ち上げた

 

 

「どこだ、よ…どこ行きやがったぁ?お、そこか…?」

 

 

眼に虚ろな光を浮かべ、騎士長は剣を振り下ろした。コツン、と。その剣先でベクタの立っている場所とはまるで見当外れな場所にある岩肌を叩き、大きくよろめいた

 

 

「お、っと…仕損じたか…」

 

 

再び、風切り音すらしないまま剣を振る。ずるずると片足を引き摺り、ベルクーリなおも動き続ける。大量出血により視力を喪失し、思考すらも混濁したとしか思えない姿。しかしこれは彼にとっての、一世一代を賭けた演技だった。半ば閉じられた瞳は、『あるもの』だけをしっかりと捉えていた

 

 

「あれ?こっち、だったか…」

 

 

『足跡』。およそ10分に渡る攻防によって、荒涼とした岩山の地面には、皇帝のブーツと、騎士長の革サンダルに踏まれた、明らかに異なる二種類の靴跡が刻まれているのだ。言い換えるならば、それは両者の詳細な移動記録でもある。譫妄状態の演技をしながらベルクーリが探したのは、十分前に左腕を斬られた時の、最も乾いて黒ずんだ皇帝の足跡だった。ベルクーリの超感覚による無意識下の時間計測は、その直後から始まっていた

 

 

[ーーー589、590]

 

 

つまり皇帝ベクタは十分前、そこに立っていたことになる。そこからどの方向に移動したのか、時には血溜まりを踏んだ足跡が、如実にそれを指し示しているのだ

 

 

「おっと、やっとこさ見つけた…ぜ……?」

 

 

ベルクーリは弱々しく言いつつ左右に体を振りながら、虚無しかない空間に向けて時穿剣を振りかぶった。掛け値なしに最後の一撃となるはずだった。彼と剣に残された天命は双方ともに、今まさに、尽きようとしていた。さればこそ、残された天命、煌々と燃え滾る心意、長きに渡って研鑽された世界最強の騎士たる剣技、その全てを費やし、ベルクーリは時穿剣の記憶解放技を発動させようとした

 

 

「これで、幕引きだ……!」

 

 

『時穿剣・裏斬』。斬撃の威力を空間に保持し、未来を斬る『空斬』とは逆に、『裏斬』は過去を斬る。その仕組みは、極めてシンプル。アンダーワールドのメイン・ビジュアライザーでは、あらゆる人間ユニットの移動ログが六百秒、つまり十分間記録されている。裏斬はそのログに干渉し、正確に十分前の位置情報を、現在のそれだとシステムに誤認させるのだ

 

 

[ーーー596、597]

 

 

その結果として、見た目では単に虚空を斬った刃は、かつてその位置に存在した者の現在の体に届くのだ。回避不可能、防御不可能のあらゆる技や努力を、文字通り『裏切る』。故にベルクーリは、裏斬を使うことを長年忌避し続けてきた

 

 

「・・・・・・お前、」

 

 

しかし、同等以上に人ならぬ力を操る皇帝ベクタが相手ならば、彼に一切の遠慮はなかった。皇帝ベクタの飛竜を落とした時、ベルクーリは一直線に同じ速度で飛ぶ敵の動きを利用し、十分前に敵が存在した座標を正確に割り出した。だが、互いに接近しての混戦では座標特定は飛躍的に困難となる

 

 

[ーーー598、599]

 

 

前提として、彼は十分前の一瞬に敵がどこに存在したかを正確に覚えておくことはできる。しかしその方法だと、仮に技の発動を邪魔された場合、また六百秒の数え直しになってしまうのだ。たとえば、この瞬間のように

 

 

「何か狙っているな?」

 

「ーーーーーッ!?」

 

 

滑るように接近してきた皇帝ベクタの長剣から、青黒い心意の波動がベルクーリに向けて伸びた。その一撃に触れるわけにはいかず、ベルクーリはやむを得ずそれまでの演技とは打って変わって俊敏な動作で回避した。そして、彼の数え続けた『十分前の一秒』は過ぎ去り、永遠に遠のいた

 

 

(・・・もはやこれまで、か……)

 

 

ベルクーリの万策は、少しの残滓もなく尽きた。秘策の存在を悟られた以上、皇帝はもう二度と大技を発動させるだけの猶予を与えてはくれないだろう。事実、ガブリエルは次々に長剣の切っ先から立て続けに心意の光を、ベルクーリへと伸ばしていた

 

 

(だが…ただ手が尽きたってだけで倒れてやれるほど、俺は往生際をわきまえちゃいねぇ…!)

 

 

けれど騎士長は、その攻撃を全力で回避し続けた。必死にベクタの剣へと目を凝らして、なおも足掻き続ける。無論、死中に活を求めようなどとは到底考えていない。足搔いて足搔いて、無様に倒れる。死ぬ時はそんな死にザマであろうと、開戦を予感した時から彼は決めていたのだ。三回、四回、五回までも、ベルクーリは皇帝の攻撃を避けた。しかしそこでついに、青黒い光が体を掠めた。ふっ、と意識が途切れ……

 

 

「・・・・・・・・ぁ………」

 

 

再び眼を見開いたベルクーリの瞳に映ったのは、己の腹に深々と突き立ったベクタの長剣だった。刃が引き抜かれると同時に、最後の天命が深紅の液体となって噴き出した。そして、そして。ゆっくりと後ろ向きに倒れる騎士長の双眸に、遥かな高空から大気を震わせて急降下してくる一頭の飛竜が映った

 

 

(・・・おいおい、待機してろって言っただろう。お前がオレの命令に背いたことなんて、今日まで一度もなかったじゃねぇかよ…)

 

 

『飛竜・星咬』。その大きく開かれた顎から、青白い炎が一直線に迸った。一撃で百の兵士を焼き尽くす威力を秘めた熱線を、皇帝ベクタは、無造作に持ち上げた左手で受けた。半ば透き通る黒の手甲が、熱線を難なく弾き飛ばした。すかさず右手の剣から青黒い光を放ち、星咬の額を捉えた。しかし、暗黒騎士団の飛竜を難なく支配したその技を受けても、ベルクーリの騎竜は止まらなかった

 

 

(だが…それでこそ、俺の愛竜だ……!)

 

 

その命を白い輝きに変えて両翼から放ちながら、皇帝目掛けて猛然と突っ込んでいく。ベクタの顔に、厭わしそうな色が浮かんだ。剣を大きく引き、己を咬み千切らんと迫る星咬の口へと突き込む。闇色の光が天命を吸いながら、難なく竜の巨体を切り裂いた

 

 

「随分と煩わしい蜥蜴がいたもの………」

 

 

星咬が命を投げ出して作った、たった七秒の猶予。それをベルクーリは、決して無駄にはしなかった。背後で、長い年月を共に過ごしてきた愛竜が絶命する気配をまざまざと感じながら、騎士長は記憶解放状態で青い残像を引く時穿剣を高々と振りかぶった。そしてその剣圧を感じ取ったベクタが振り返った瞬間が、まさにその瞬間だった

 

 

[ーーー607、秒……!]

 

 

『10分前の敵の位置』だけを記憶する方法では、攻撃の機会は十分に一度しか訪れない。しかし、血染めの移動記録を地面に刻めば、十分前の敵を連続的に追うことが可能だ。ベルクーリは、先刻狙い損ねた時点から7秒後にベクタが存在したことを示す血の足跡目掛けて、渾身の斬撃を放った

 

 

「時穿剣…裏斬ィィィッッッ!!!」

 

 

裏斬の、もう一つの特性。それは、システムそのものに干渉するからこそ、威力が対象の天命数値へと直接届く。心意による防御は不可能なのだ。あらゆる心意攻撃を無効化、吸収してしまう皇帝ベクタの能力もこの瞬間だけは、何の意味も為さなかった。第一に、システムに設定されたベクタの膨大な天命がゼロに変化した。そして第二に、皇帝の体が左肩口から右腰にかけて、完全に分断された

 

 

「・・・・・・・・・・」

 

 

切断面から己の体が離れていく間も、ガブリエルはまるで表情を動かそうとしなかった。薄青い瞳はただ、硝子玉のように虚ろに宙空を眺めていた。落下した上半身が地面に接する、その寸前。漆黒の光が心臓のあたりから炸裂し、墓標の如く空へ伸び上がった。それが収まった時、地面には、皇帝の存在を示すものは何一つ残されていなかった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

(・・・・・あったかいな)

 

 

どうかもう少しだけ、このままでいたい。アリスは、夢のようなまどろみから目覚める寸前の浮遊感に意識をたゆたわせ、そう思いながら淡く微笑んだ。揺れる日差し。体を受け止める、大きな膝。優しく髪を撫でる、無骨な手が暖かい

 

 

(・・・・・お父さん…)

 

 

こんな風に、膝に乗せてもらうのは何年ぶりだろう。この安心感を…完全に守られて、心配事なんか一つもない、何もかも大丈夫だと思える時を、長い年月の間、忘れていた

 

 

(あぁ…でも、そろそろ起きなきゃ……)

 

 

そして、整合騎士アリスは、そっと睫毛を持ち上げた。見えたのは、瞼を閉じ、微笑みながら俯いている見知った剣士の顔だった。逞しい首筋や胸元に走る、幾つもの古傷。その上に、無数の真新しい刀傷が刻まれていた

 

 

「・・・小父、様?」

 

(そうだ、私は皇帝ベクタの飛竜に捕まって…。まったく、何て迂闊なことでしょう。背後も警戒しないで、闇雲に走るなんて…でも、流石は小父様だわ。敵の総大将から助け出してくれるなんて。この人さえいれば、何も心配することなんて……)

 

 

再び微笑み、上体を起こしたアリスは、騎士長の受けている傷が顔や胸元だけに留まらないことに気付き、息を吞んだ。左腕は、肩口から消失しており、東域風の戦装束は血で染まっている。そして、胸の下には恐ろしく深い、惨たらしい傷があった

 

 

「お、小父様っ!?ベルクーリ閣下!!」

 

 

アリスは叫び、無我夢中で手を伸ばした。その指先が、騎士長ベルクーリの頰に触れた。そしてアリスは、指先に伝わってくるヒヤリとした感覚に、偉大なる最古騎士の天命が、既に尽きていることを悟った

 

 

「ううっ、あぁ…うわああああああああああ!!!おじさまああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 

(・・・おいおい、そんなに泣くなよ嬢ちゃん。人間である以上、いつか来る時が来た…それだけのことじゃねぇか)

 

 

自分の骸にすがりつき、子どものように泣きじゃくるアリスの姿を見下ろしながら、整合騎士長ベルクーリ・シンセシス・ワンはそう声をかけようとしたが、その声は地上までは届かなかった

 

 

(・・・嬢ちゃんなら大丈夫。もう、一人でもやっていけるさ。なんたって、オレのたった一人の弟子で……オレの娘みてぇなモンなんだからよ)

 

 

彼の眼下に広がる光景は、どんどん遠ざかっていった。最愛の娘に最後の微笑みを投げかけ、ベルクーリは視線を遥か北の空に向けた。その下にいるはずの、もう一人の女性騎士…ファナティオ・シンセシス・ツーへも思念を飛ばす。それが届いたかどうかは定かではないが、心の中にはただ、無限に続くと思われた日々の果てに、ついに死すべき時が来たのだという深い感慨だけがあった

 

 

(・・・まぁ、悪いくたばり方じゃあ…ねぇよな)

 

『そうよ。泣いてくれる人がいっぱいいるんだから、少しは幸せだと思いなさい』

 

 

やがて薄れようとしていた意識の中で、不意に響いた言葉にベルクーリはゆっくりと振り向いた。そこに浮かんでいたのは、しなやかな裸体に長い銀色の髪だけを流したひとりの少女だった

 

 

「・・・なんでぇ、アンタやっぱり生きてたのかよ」

 

『そんなわけないじゃない。これは、あなたの記憶に眠る私。あなたが魂に保持していた、アドミニストレータの思い出よ』

 

「ほぉん?何だかよく解んねぇな。でも…俺の記憶の片隅にいるアンタが、そうやって笑ってられてよかったよ」

 

『そりゃあもう、清々しいまでに殺されたワケだしね。キリトにせよ、カミやんにせよ』

 

「そりゃ違いない」

 

 

銀瞳を瞬かせた最高司祭アドミニストレータは、軽く笑った。釣られるようにしてベルクーリも笑い、ふと横を見た。いつの間にやらそこにいた星咬が、長い首を摺り寄せてくる。銀色に透き通る飛竜の首筋を搔いてやってから、騎士長はひょいっとその背中に飛び乗った。それから、不器用な手つきで右手を差し出して、最高司祭も自分の前に座らせた

 

 

『・・・お前は、私を恨んでいないの?お前を無限に続く時間の牢獄に閉じ込め、何度も記憶を奪った私を』

 

「・・・いやぁ、さて…」

 

 

彼の行動が自分の埒外だったのか、人界の中で最も長い生涯を生きた女神は、振り向きながら首を傾げて訊ねると、ベルクーリは少し考えてから答えた

 

 

「うんざりするほど長かったのは確かだが、でもまあ、どっちの世界にしたって、キリトにユージオ、カミやん…そして嬢ちゃんと、未来ある若者を俺なりに導いてやれたんだ。それを考えりゃ、どんだけ長かろうと、充分に面白え一生だったさ。あぁ、そう思うよ」

 

『・・・そ』

 

 

短く答えるアドミニストレータから眼を離し、ベルクーリは星咬の手綱を握った。飛竜は透き通る両翼を広げ、無限に広がる空を目指して、ゆっくりと羽ばたいた

 



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第62話 世界の果てへ

 

(・・・間に合わなかった)

 

 

この世界の行く末を…果てはキリト達のすむ現実世界の行く末すらも左右する『光の巫女』アリスと、彼女を攫った暗黒神ベクタ、そして二人を追跡する騎士長ベルクーリに追いつくために、シノンは必死に飛行した。ソルスアカウントに付与された無限飛行能力が、システムが許す限りの速度で南を目指したのだが、ようやく追いついた時にはもう戦闘は終わってしまっていたのだ

 

 

「うっ、ううっ……」

 

 

シノンは壮年の剣士の傷だらけの骸と、それに取りすがって泣く黄金の女性騎士を言葉もなく見詰めた。騎士の傍らでは、二頭の巨大な飛竜が彼女の嘆きを共有するかのように、虚しく頭を垂れている。だからこそ讃えるべきは、ベルクーリの力だろう。追いつくはずのないベクタの飛竜に追いつき、人工フラクトライトである彼には到底及ぶはずのないスーパーアカウントを、刺し違えてでも斃したのだ。アリス達の嘆きは当然だと、理解することはできた

 

 

(・・・私には、慰めの言葉を口にする権利なんて…)

 

 

けれど、シノンの理解はそれだけではなかった。騎士長ベルクーリの魂は永遠に失われた。なのに同じく死んだはずの暗黒神ベクタの魂の所在は、このアンダーワールドではなく、リアルワールドのもの。つまり、例えベルクーリと同じ死でも、永遠に失われる道理はないのだ。シノンはようやく泣き止んだものの、虚脱したように俯くばかりのアリスに、危機が去った訳ではないことを告げなければならなかったのだが、最初に掛けるべき言葉が見つからなかった

 

 

「あなたも、キリトやカミやん達と同じ、リアルワールドから来たのですか…?」

 

 

貴重な数分間が沈黙のうちに流れ、先に声を発したのは、騎士アリスの方だった。頰を涙に濡らしながらも、凄絶なまでのアリスの美しさに息を吞んだシノンは、彼女の言葉に頷いてどうにか口を開いた

 

 

「ええ。私はシノン。アスナやキリト、カミやんとミコトの友達よ。暗黒神ベクタから、あなたとベルクーリさんを助けるために来たんだけど…ごめんなさい、間に合わなかった」

 

「いえ…私が愚かだったのです。背後を警戒もせず、赤子のように攫われてしまった…全て私の責任です。小父様の…偉大なる整合騎士長のお命に、私ごときの命が、到底見合うものではないのに……」

 

 

頭を下げるシノンに向かって、アリスはそっとかぶりを振った。その声に滲む深い悔恨と自責の響きに、シノンは再び言葉を失った。それからアリスは、懸命に涙を堪えるような表情で、新たな問いを口にした

 

 

「現在の戦況は、どうなっていますか?」

 

「・・・アスナ達と人界軍が、リアルワールドから来た赤い軍勢を何とか防いでるわ」

 

「左様ですか。ならば、私も北へ戻ります」

 

 

訊ねながら、よろめきつつも立ち上がり、自身の愛竜である雨縁の背に向かおうとしたアリスを、シノンはその肩に手を置いて呼び止めた

 

 

「それはダメよ、アリスさん。あなたはこのまま南にあるワールド・エンド・オールターに向かって。祭壇にあるコンソール…いえ、水晶板に触れれば、キリト達側のリアルワールドから呼びかけがあるはずだわ」

 

「何故ですか?皇帝ベクタはもう死んだのでしょう。ならば、私一人がオールターに向かうよりも、皇帝なくして残る敵軍を殲滅し、カミやん達と共に向かうべきでしょう」

 

「・・・それが、そうじゃないのよ」

 

「・・・?そうではない、と言うのは?」

 

「暗黒神ベクタは、正確にはアンダーワールド人じゃない。私たちと同じ、リアルワールド人なの。そして私達は、この世界で死んでも、本当の命を失うわけじゃない。だから、暗黒神ベクタを利用していたリアルワールド人は、きっとまた新しい姿を得て、何がなんでもあなたを奪いに来るはずだわ」

 

「なっ…!?」

 

 

シノンの説明を聞いたアリスは、驚愕に見舞われ、絶句した。そして金色の少女は、これまでどうにか抑え込んできたあらゆる感情が炸裂したかのように、凄まじい怒りを露わにして叫び散らした

 

 

「小父様が…あの小父様がっ!命を捨ててまで刺し違えた敵が、まだ死んでいないと!?ただ一時的に姿を消し、また何事もなかったかのように甦ると…そう言うのですか!?」

 

 

その怒りが、真に自分に向けられているものではないと知りながらも、シノンはこの上なく苦しげな表情で、やがてゆっくりと頷いた。彼女のその小さな仕草に、アリスは思わず半歩後ずさるのと同時に、がしゃりと黄金の鎧を鳴らし、もう一度シノンに詰め寄った

 

 

「そんな…そんなふざけた話が許されるものか…!では、小父様は何のために…何ゆえに死なねばならなかったのですか!?一方の命しか懸かっていない立ち合いなど、まるで…まるでただの、茶番ではないですか!!」

 

 

アリスの蒼い瞳から再び涙が溢れるのを、シノンはただ見つめることしかできなかった。GGOやALOでの戦いで、数え切れないほど死んできた…そして、この世界では暗黒神ベクタと同じく、死んでも死なない自分には、彼女に言える言葉がない。しかしシノンはそんな葛藤を飲み下しながら大きく息を吸い、アリスの双眸を見据えて言った

 

 

「なら、アリスさん。あなたは、キリトやカミやんの苦しみも偽物だと言うの?」

 

「・・・え?」

 

「詳しい経緯は、私には分からないわ。だけど、キリトもカミやんもリアルワールド人よ。この世界で死んでも、本物の命までは失わない。でも、彼らが受けた傷は本物。彼らが感じた痛みは、紛れもなく本物なのよ」

 

 

シノンに言われ、アリスは鋭く息を飲んだ。再び少し間を置いてから、シノンは彼女の両肩に手を置き、唇に淡い笑みを浮かべてから続けた

 

 

「きっとカミやんは馬鹿だから、自分のことなんて顧みずに、どれだけ傷ついてもあなたを助けようと頑張り続けたでしょう?それは多分、きっとキリトも同じだったハズよ。彼らのその頑張りまで、あなたは偽物だって言うの?」

 

「・・・それは…」

 

「いえ、キリトだけじゃないわ。騎士長さんだってそう。あなたを助けるために、こんなに傷だらけになって、命を懸けて機会を作ってくれたのよ。あなたが、敵の魔の手から脱するための貴重な時間を。なら、あなたの取るべき行動は、もう私が言うまでもないでしょう?」

 

 

答えは、すぐには返ってこなかった。アリスは、横たわるベルクーリの骸を、しばし無言で見据えていた。再び、瞳から大粒の涙がぽろりと零れ、そして黄金の騎士は強く瞼を瞑り、何かに耐えるように顔を上に向け、そのまま掠れた声で問いかけた

 

 

「シノンさん。私はワールド・エンド・オールターにあるという『果ての祭壇』からリアルワールドに出ても、もう一度この世界に戻ってこられますか?愛する人たちに、もう一度会えますか…?」

 

 

アリスの切実な言葉に、確実な答えを返すための知識はシノンの中にはなかった。確かなのは、アリスが敵の手に落ちれば、アンダーワールドの全てが破壊され、消滅してしまうだろうということだけだ。世界とアリスが守られれば、きっと望みは叶えられる。今はそう信じるしかない。だから、シノンはゆっくりと頷いた

 

 

「ええ。あなたが、そしてこのアンダーワールドが無事でいれば、いつになるのかは分からないけど…私たちもキリト達と協力して、きっと形にしてみせるわ。あなたは知る由もないでしょうけど、私たちの住んでる街って、言葉では言い表せないほどにぶっ飛んでるんだから」

 

「・・・解りました。ならば、私は南へ向かいましょう。果ての祭壇に何が待つのかは分かりませんが…それが小父様の、そしてキリト達の意志ならば」

 

 

アリスはふわりと白いスカートを広げて跪き、横たわるベルクーリの髪を優しく撫でると、額に唇を触れさせた。そして再び立ち上がった時、彼女はまるで別人のような熱さを宿した瞳を輝かせていた

 

 

「雨縁、滝刳。もう少しだけ頑張ってね」

 

「安心して行って、アリス。もうここから先、誰にもあなたの行く手を邪魔させはしないわ」

 

「・・・と言うと、あなたはどうするのですか?シノンさん」

 

「今度は、私がこの命を使う番だから。私のゲーマーとしての勘が正しければ、暗黒神ベクタはこの場所に復活すると思う。私は、何とか倒せるように…少なくとも充分な時間が稼げるように、頑張ってみる」

 

「・・・どうか、ご武運を。あなたのお心を、私の心意に再び熱き火を灯してくれたあなたのお言葉を、決して無駄にはしません」

 

 

シノンに敬意を評して騎士礼を取ったアリスはそう言い残して、南の空へと飛び去っていった。シノンはやがて見えなくなっていく二頭の飛竜を見送り、右肩にかけていた白い長弓を手に戻し、深い呼吸を一つ置いた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ベルクーリがガブリエルを討ち取った同時刻、ヴァサゴ・カザルスは、黒いフードの下でにやにやと笑いながら眼下の戦場を眺めていた。遺跡参道の入り口に立つ神像の頭上から、アメリカ人プレイヤーと日本人プレイヤーが続ける血みどろの殺し合いを見下ろす。否、正確に表現するならば、それは一方的な殺戮と呼ぶべきものだった

 

 

「Wow…こいつぁ、中々どうして……」

 

 

参道の入り口を中心に、広い半円を描いて布陣する二千人の日本人たちは、殺到する赤い歩兵集団をほとんど損耗することなく斬り倒していく。装備の性能や連携力の差も大きいが、後方の支援体制の厚さが決定的だ。傷を負ったプレイヤーは即座に参道の奥に築かれた陣地に運び込まれ、回復呪文で傷を癒して、また活発的に前線へと駆け戻っていく

 

 

「『SAO』でも見てるみてぇだな…あぁ、面白え。最高だよ」

 

 

現実世界と同じ痛みの存在するアンダーワールドに於いて、彼らの士気の高さは見上げたものだった。それを目の当たりにしたヴァサゴは、どこか感慨深そうに、それでいてどこか嘲笑しているように呟いた。そして彼は、獅子奮迅の活躍を見せる日本人プレイヤーたちの中に、かのSAOで名を馳せた『閃光』ことアスナの姿を見出し、心の底から喜びに打ち震えた

 

 

「あの閃光がいるってこたぁ、『お前』もいるんだろ?俺には分かるぜ…きひひ…」

 

 

もう二度と味わえないだろうと諦めていたあのデスゲームが、形を変えて再び出現したのだから。もちろん、この世界で死んでも現実世界のプレイヤーたちが本物の命まで奪われるわけではない。しかしアンダーワールドには、あの浮遊城にはなかったものがあり、あったものがない。つまり………

 

 

「『苦痛』があり、『倫理』がない。そういうことだろう?」

 

「あん?」

 

 

不意に声がして、ヴァサゴはその声の元へと視線を動かした。自分の腰掛けている神像の対となって立っている、もう一つの神像の頭上には、赤い長髪に赤い服をきた細身の男が立っていた

 

 

「貴様には、この世界がどう見える?ヴァサゴ・カザルス。魔術書『ゴエティア』に記された『三番目の悪魔の名』を持つお前にとって」

 

「・・・テメエ、アレか。アックアとかいう野郎の言ってた、神の右席ってサークルの…」

 

「はっはっは!サークルほど自由が利けば、もう少しローマ正教の信者も増えると思うが…まぁ放っておいてもこれからそうなる。で、だ。貴様のいたSAO…悪夢のデスゲーム。そこにいる人間が現実で死ぬのを知った上で、誰よりも多くあの世界にいた人間を殺したお前にとって、この世界はどう見える?」

 

 

その男、右方のフィアンマはヴァサゴの皮肉に一頻り笑ってから、再度問い質した。そんな彼の態度に、最初こそヴァサゴは深く被ったフードの下から訝しげな視線を向けていたが、やがて口許に不気味なまでの笑みを浮かべながら言った

 

 

「お前、そんなに俺のこと知らねぇだろ。色々と勘違いしてるぜ」

 

「・・・勘違い、というのは?」

 

 

フィアンマが自分とは異なる世界の住人だと知ってか知らずか、ヴァサゴは少し皮肉って言ってみせた。彼のことをよく知らないというのは、自分が彼とは異なる世界に住んでいることを知っているフィアンマからすれば、当然と言えば当然、知らずとも損得も何もないことだが、敢えて少し言葉に含みを持たせながら聞き返した

 

 

「俺はあの染みったれたゲームで、さして俺自身が目立ってPKしてた覚えはねぇよ。俺はただ、自分の本名の出処と『忌み名』に付けた『地獄』ってのがどんなモンなのか、この目で見てみたかっただけなのさ。それを手っ取り早く見れる環境にたまたま自分がいたから、その辺にいた無能なサル共を利用して、ゲーム内の人殺しをある種のエンタメに仕上げた…それだけのことさ」

 

「なるほどな…それで、結果的にはどうだったんだ?自らの手で具現化させた地獄は?その気になれば簡単に人殺しに手を染める、人間の『悪意』の本質は?」

 

「その答えが、もうすぐそこまで来てるから、俺は笑ってんのさ」

 

 

言って、ヴァサゴは喉笛を鳴らすようにくつくつと笑った。その眼光の先にあるのは、かのゲームと似通ったの戦場。文字通り自分の魂すらも賭けるこの世界で、自分を待っているはずの『黒い少年』の姿を想像して、彼は心を踊らせた

 

 

「そういう意味で言えば、俺とアンタは同類だ。誰もが平等な世界なんざ、俺はちっとも面白くねぇと思うが、『アイツ』が自分の命と引き換えにソレを提示された時、どんな反応するのか興味はある。お前もそうなんだろ?『カミジョウトウマ』って野郎がどんなヤツなのかは知らねぇが、きっと『アイツ』と似たような人間なのは想像に難くねぇ」

 

「いいや。俺様から言わせてみれば、どれだけ上辺を取り繕っても、上条当麻は既に破綻している。少し舞台を整えてもう一度誘いを掛ければ、アイツは喜んで自分の魂とその右手を差し出すさ」

 

「ほらな。お互い、因縁のある相手には愛情と理解が深いってところは、まるで同類だ」

 

「否定は出来ないな」

 

 

そこで、ヴァサゴと会話をしてから初めてフィアンマは呆れたように同意した。例え異世界でも、同じ生物が住んでる以上は、人間の本質は変わらないのだと呆れ果てた。さればこそ、彼は自分の目指す世界はやはり間違いではないのだと、以前から得ていた確信をより強固なものに認識した

 

 

「礼を言おう、ヴァサゴ・カザルス。俺様にとっては、かなり実りのある会話になった。そう遠からぬ日に、俺様の理想郷は…神の国は成就される。その時は、その世界にもお前の言う地獄があるかどうか、是非とも値踏みしてくれ」

 

「・・・そう言われちゃあ、断れねぇなぁ。何しろ俺の『忌み名』は……」

 

 

『ヴァサゴ』。旧約聖書に登場するソロモンが封印したとされる、72の悪魔の一柱にして、地獄の王子。もはや顔もあやふやになってきた母親に付けられたその名前を、現実の死をもたらす世界でも名乗り続け、この時、この場所でもう一度口にした

 

 

「『Prince of Hell』…『PoH』だからな」

 



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第63話 本当の悪夢

 

振り抜いた右拳から、最後の骨が折れる乾いた音が伝わってくる。拳闘士団長イスカーンは、胸当ての真ん中を打ち抜かれて大の字に倒れる敵から視線を外し、己の右手を無言で眺めた。そこにあるのはもう、あらあらゆる物を打ち砕いてきた鋼鉄の拳骨ではなかった

 

 

「・・・いやぁ…よくもまぁ、ここまでズタボロになったモンだぜ」

 

 

彼の手は既に、粉砕された骨と引き裂かれた肉、そして血が詰まる、ぐずぐずに腫れた皮の袋だった。両脚も血まみれのアザだらけで、蹴ることはおろか走ることすら不可能だと分かった

 

 

「実に見事な闘いぶりでしたよ、チャンピオン」

 

 

副官ダンパの掠れた声に、イスカーンはちらりと後ろを見た。地面に座り込んだ巨漢は、両腕を完全に喪失してからも頭突きと体当たりのみで戦い続けた証として、顔と体に幾筋もの刀傷を刻まれていた。常に闘志と知恵を秘めていた瞳は霞がかっていて、彼の天命が今まさに尽きようとしていることを示していた。イスカーンは、そんな彼の姿を見て、こみ上げてきた感情を押し殺すように、拳闘士たちの魂に敬意を表すべく、砕けた右拳を掲げてから答えた

 

 

「悪かったな、ダンパ。全員を俺のワガママに付き合わせちまったばっかりに、こんな最期になっちまって」

 

「何をおっしゃいますか。少なくとも、綱渡りに失敗して絶命するなどという、間の抜けた死に方よりは百倍マシでしょう」

 

「はっ、違ぇねぇな。まァこれなら、あの世で先代に会っても恥ずかしくねえ死に様だろうよ」

 

 

最初二万を超えていた赤い軍勢は、長時間の激戦を経て三千ほどにまで削られた。しかしその代償として、拳闘士団もわずか三百人程度が残るのみだ。しかも全員が満身創痍、もう満足に陣形も組めず、ひとところに固まってただ押し潰されるのを待っているに過ぎない。 周囲をぐるりと取り巻く三千の敵兵が、一気呵成に最後の突撃を仕掛けてこないのは……

 

 

「うううぅぅぅあああぁぁぁっっっ!!!」

 

 

イスカーンとダンパの視線の先で、鬼神の如き戦闘を続ける、一人の騎士と一頭の飛竜の存在ゆえだった。整合騎士シェータ・シンセシス・トゥエルブは、既に朧な視界に敵の影を知覚すると、鉛のように重い右腕を動かし、黒百合の剣を振りかぶり、ぴうっ!と、鈍い風切り音のままに振り下ろした

 

 

「は…あああァァァッ!!」

 

 

彼女の二つ名、『無音』にはまったく似つかわしくない、ひび割れた気合が喉から絞り出される。剣がどうにか敵兵の分厚い深紅の装甲を割り、その下の体を一直線に切り裂く。意味の取れない罵声とともに倒れる敵兵から刀身を引き抜き、シェータは荒く息を吐いた

 

 

(・・・・・なんでだろう)

 

 

彼女の肉体と精神の消耗は、共に戦った拳闘士たちと同じく、完全に限界を超えていた。これほどまでに疲労困憊した理由は、無限とも思われる敵の数もさることながら、赤い兵士たちの奇妙な手応えゆえだった

 

まるで、影と戦っているようだと彼女は感じた。本当はこの場にいない者たちを、どこか遠くから映し出した影絵の軍隊。彼らとの戦いは、まるで楽しくなかった。斬るためだけに生きているはずの自分が、この影たちを斬ることに、強い嫌悪感しか感じていなかった

 

 

(相手が影だろうと生身だろうと、それどころかただの石像だとしても、硬ければ私は満足できた。斬ることしか知らない人形、それが私のハズだったのに……)

 

 

極細の刀身に最大級の優先度を秘めた神器、黒百合の剣。それは切断のためにのみ造られた道具であり、またシェータ自身の写し身でもあった。斬ることを止めれば、自分もまた存在する意味が完全に失われてしまうことに等しいと、彼女は考えていた

 

 

『この剣は、あなたの魂に刻まれた『呪い』を形にしたものよ。形質遺伝パラメータの揺らぎが生み出した、殺人衝動という名の呪いをね。だから、ただ斬り続けなさい。その血塗られた道の果てにのみ、あなたの呪いを解く鍵がある……かもしれないわ』

 

 

それは、黒百合の剣を下賜した、アドミニストレータの言葉。その時のシェータには、全てを悟っているかのような彼女の言葉の意味は解らなかった。シェータは言われた通り、無限に等しい年月にわたってひたすら黒百合の剣で、万物を斬り続けてきた。そしてついに、最高の好敵手に巡り合った。これまで刃を通して触れ合った、全ての人、全ての物質よりも硬い、一人の拳闘士に

 

 

(どうかもう一度、あの人と戦いたい。あの人と戦えば、ようやく私がずっと求めていた何かが、きっと解るハズだから…)

 

 

その思いだけに衝き動かされ、シェータは人界軍と別れてこの戦場に残ったのだ。なのに、どうやら彼との再戦は叶いそうになかった。一口だけ残っていた水を喉に流し込み、空になった革袋を捨てながらちらりと後方に眼を向ける。離れた岩の上に座る、傷だらけの拳闘士の長が見えた。左の瞳になぜか悲しそうな色を浮かべ、じっとシェータを見詰めている。その瞳に自分の瞳が重なった時、不意にズキン、と彼女の胸が疼いた

 

 

(・・・この痛みは、なんだろう?、私はあの人を斬りたいはずなのに。余計な感情も、何もかも焼き尽くすような戦いを、もう一度味わいたい。そしてあの金剛石よりも硬い拳を断ち切りたい、それだけが私の望みだった。なのになんで、こんなに胸が締め付けられるんだろう?)

 

 

刹那、微かな音がシェータの手中で響いた。黒百合の剣を持ち上げ、無言で眺めた。その時には、もう。あらゆる光を吸い込むような漆黒の刀身の中央に、蜘蛛の糸よりも細い亀裂がひとすじ走っていた

 

 

(あぁ、そうか……)

 

 

シェータは大きく息を吸い込み、そして微笑んだ。あらゆる疑問が、たったいま氷解した。アドミニストレータの言葉の意味、呪いとは何か、シェータはついに解答を得た。彼女は滑らかな足捌きで、次に襲いかかってきた来た敵の初撃を回避し、右手の剣を赤い鎧の中央に突き入れた。その花にとって最後となったその攻撃は、まったくの無音だった。心臓に滑り込むように、しなやかに敵の命を絶った黒百合の剣。その極細の刀身が、無数の黒い花弁を散らして砕けた

 

 

「・・・長い間、ありがとう」

 

 

一瞬、さわやかな花の香りが漂った気がした。右側では、長年連れ添った騎竜の宵呼が、尾の一撃で敵兵を叩き潰したところだった。灰色の鱗は、無数の傷から溢れ出た血で赤く染まり、爪や牙もほとんど欠け落ちている。自慢の熱線はもう吐き尽くし、動きは見る影もなく、緩慢だ。敵軍の突撃が僅かながらも途絶えたのを確認すると、シェータは愛竜に歩み寄り、その首筋を優しく撫でた

 

 

「あなたもありがとう、宵呼。疲れたね…もう、休もう」

 

 

そしてシェータと飛竜は、互いに助け合いながら、拳闘士団の生き残りが固まる低い丘に向かった。拳闘士の長は座ったまま、今にも弾けてしまいそうなほど腫れ上がった右手を持ち上げてシェータを迎えた

 

 

「悪りぃなシェータ。大事な剣、折らせちまった」

 

「ううん、いいの。やっと、解ったから。私がなぜ、あらゆる物を斬り続けてきたのか…」

 

「・・・へぇ。その話、興味あるな。冥土の土産に、ちょいと俺に聞かせてくれよ」

 

 

イスカーンが口にした詫びの言葉に、シェータがかぶりを振って言うと、拳闘士の長は口許を少し綻ばせて、彼女の言葉の真意を訊ねた。するとシェータは両手を持ち上げ、若い闘士の顔を十本の指でそっと挟んだ

 

 

「斬りたくない何かを、見つけるため。守りたい何かを見つけるために、私は戦い続けてきた。そして、見つけた。それは、あなた。だからもう、私に剣は必要ない」

 

 

意表を突かれた、程度では形容できなかった。大して予想をしていたわけではなかったが、それでも考えていた言葉のどれよりも斜め上から切り込んできた彼女の言葉に、イスカーンは大きく目を見開いた。そして、その瞼に透明な雫が溜まっているのを、シェータもまた少し驚きながら見つめた。若者は湧き上がる感情に笑みが溢れそうになるのをきつく歯を食い縛って耐え、喉を鳴らしながら囁いた

 

 

「ああ…なんて小っ恥ずかしいこと言いやがんだ、ちきしょうめ。叶うならアンタと、所帯を持ってみたかったな。きっと、強ぇガキが生まれたろうに。先代より、俺よりずっと強い、最強の拳闘士になれる子がよ…」

 

「ダメよ。その子は、騎士にするわ」

 

「あぁ?ンなワケにいくかよ。どう考えたって騎士より拳闘士の方がカッケェだろうが」

 

「おやおや。所帯も持たぬウチから痴話喧嘩…もとい、夫婦喧嘩ですかな?まったく仲睦まじくて羨ましいことですな、チャンピオンに騎士殿」

 

 

ダンパのお小言に顔を赤らめながらも、二人は短く見つめ合い、同時に微笑んだ。優しい表情の巨漢に見守られながら、シェータとイスカーンは一瞬だけ抱き合い、並んで座った。三百人の拳闘士と一人の整合騎士、そして一頭の飛竜は、赤い歩兵たちがじりじりと迫って来るのを、ただ無言で待った

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「どうやら大勢は決したって感じだな、こりゃ」

 

「はっ。野武士ヅラでそれ言われると、マジで戦国時代にでも来たみたいに思えるぜ。まぁクラインが将軍だったら、その国はあっという間に滅んでるだろうけど」

 

「ひ、ひでぇな…俺だって好きでこんな顔に生まれたんじゃねぇってのに…」

 

 

上条は同時に後方の陣地へ戻ってきたクラインの言葉に、冷やかしと笑いを混ぜながら言った。幾らか手傷を負った二人を、ALOで魔法職を担っていた日本人プレイヤーが、覚えたばかりの神聖術で癒している。日頃の冒険の成果によるハイレベルなキャラクターのコンバートによる高い術式行使権限ゆえに、治癒力は必要にして充分な量だった

 

 

「ちょっと言うのが遅くなったけど、本当に助けに来てくれてありがとな。クライン」

 

「へっ。何を今更…そんな礼言う暇があんだったら、上等なウィスキーでも奢れってんだ」

 

「・・・俺の感動を返せ」

 

「あっはっは!嘘だよ、軽い冗談だっつの」

 

「どうだか…まぁ、飲みに付き合うだけだったら、何杯でも付き合ってやるよ。俺も久しぶりに飲みたい気分だし、帰ったらエギルの店で飲み明かそうぜ」

 

「おお、言うじゃねぇか。だけどまぁ、礼なんて水臭ぇよ。お前には、これくらいじゃ返しきれねえほど借りがあるからな。それに、キリの字もいるんだろ、ここに。そりゃ来ねえ訳にゃあいかねぇよ」

 

「あぁ、この戦いが終わったら顔見せに行こうぜ。俺たちが下らないギャグの一つや二つカマしてやれば、突っ込みたくて目を覚ますかもしれねぇしな」

 

「そりゃいいや」

 

 

いつもの陽気そうな表情で破顔しながらも、クラインの眼には深い気遣いが浮かんでいるのを上条は感じ取った。彼もすでに、キリトが魂に受けてしまった傷の深さを知っているのだと見えた。だからこそ、キリトが目覚めるその瞬間を、この戦争を勝ち抜いて、笑顔で迎えるためにも、今一度頑張らなくてはならないと上条は自分の両頬を叩いた

 

 

「ありがとう、回復助かったぜ」

 

 

傷が癒えるや否や、上条は回復術師のプレイヤーに礼を言って立ち上がった。クラインの言う通り、すでに戦闘の趨勢は決していると言える。アメリカ人プレイヤーたちの数は日本人と同程度にまで減少し、戦意を喪失したかのようにやけっぱちな突撃を繰り返すのみだった

 

 

「ところでカミの字よ、お前いつもの盾も持ってなくて大丈夫なのか?防具もその服だけで、鎧っつー鎧もしてねぇのに」

 

「なに、心配すんなよ。むしろ、たまには本当のステゴロも悪くねぇさ。元々リアルじゃ、Tシャツとか制服とか、盾どころかロクな武器使って喧嘩したこともねぇんだ」

 

「昭和のヤンキーかよお前…そんなんじゃ俺のことおっさんとか言えねぇぞ?」

 

「ほっとけ。それより、もうひと暴れどうだ?」

 

「っしゃあ!その言葉を待ってたぜ!」

 

 

ニッと笑いながら言った上条の言葉に、クラインは勇んで立ち上がった。そして意気揚々と戻っていく戦場の最前線では、御坂美琴とアスナの閃光コンビが猛威を振るっていた

 

 

「アスナさん!スイッチ!」

 

「OK!」

 

 

アメリカ人プレイヤー顔負けの見事な発音で、二人の美少女は悉く闇の軍勢を討ち払っていた。そして自分達の受け持っていた中央の区画からほとんどの敵が掃けていったのを確認すると、美琴がレイピアを肩に担ぎながら額の汗を拭って言った

 

 

「ふぅ…大体片付いたわね。ありがとアスナさん、ナイスフォローだったわ。流石は血盟騎士団の副団長にして、閃光のアスナの二つ名を轟かせていただけあるわ」

 

「もう…からかわないでよミコトさん。それにミコトさんだって、自分の世界のSAOじゃ、私とまったく同じ肩書きだったらしいじゃない」

 

「あはは、からかってなんかないわ。純粋に褒めてるだけよ。それに私にとっては、常盤台の超電磁砲の方が異名としては板に付いてるから。自分で付けた能力名だしね」

 

 

そう言って、すっかり余裕が出来て復活した電撃の糸を手の平で転がしながら、美琴は口許を綻ばせた。そんな彼女に、アスナも口角を緩ませて言った

 

 

「改めて、本当にありがとうミコトさん。カミやん君がいて、ミコトさんがいてくれたから、みんな助けに来てくれた…どれだけ感謝しても、感謝しきれないわ」

 

「なに言ってんのよ。アスナさんだって、相当頑張ったんでしょう?自衛隊とか米軍とか、私たちの学園都市も大概だけど、そっちも別の方向性でゲームの枠組み超えてるわよ」

 

「ふふっ、改めて考えてみると、確かに凄いことしてるかも。だけど、キリト君のこと考えてたら、頭よりも先に体が動いちゃってたから」

 

「そうそう、それでいいのよ。ALOでユイちゃんがリズ達に助けを求めたのだって、きっとそんな感じだったハズだから。こんな戦争とっとと終わらせて、ユイちゃんを労う意味も兼ねて祝勝会やらなくちゃ。もちろん、こんだけ私たちに心配かけた、アイツとキリトさんの奢りで」

 

「それ聞いたら、きっとキリト君涙目になって飛び起きるだろうなぁ」

 

 

すっかりといつものALOでのクエスト時のような空気感になり、自分達の勝利を確信したアスナは体の疲れを取るように伸びをした。そして、最後のもうひと頑張りだと言わんばかりに、再び最前線へと向き直りかけたアスナは……視界の端を掠めた何かに注意を引かれ、ぴたりと動きを止めた

 

 

「・・・何これ?黒い、霧…?」

 

 

少し遅れて、美琴もそれに気付いて顔を顰めた。しばし視線を彷徨わせたアスナは、ようやく、それを見つけた。遺跡参道の両側に立ち並ぶ、巨大な神像。その右側、一番手前の像の頭上に、誰かが立っている。赤いダークテリトリーの空に滲むように揺れながら、逆光の中に佇む、黒い影

 

 

「・・・何、アイツ…?アメリカ人プレイヤー達が着けてる赤い鎧じゃ、ない……?」

 

 

美琴は呟きながら訝しげな視線凝らすと、そのシルエットが不気味に揺れているのは、黒いハーフマントを羽織っているからだと解った。しかき、いかんせんフードを目深に引き下げているので、顔はまったく見えなかった

 

 

「・・・う、嘘…嘘よ……」

 

 

あまりにも薄い声でアスナが囁いたのが聞こえると、美琴は黒ポンチョの人物に向けていた視線を自分の真横に移動させた。するとその先では、誰もが美人だと疑わないアスナの顔が、いっそ不健康なまでに色を失っていた

 

 

「ちょ、ちょっとどうしたのよアスナさん?あそこにいるヤツになんか見覚えでもあんの?」

 

「まさか…ありえないわよ、こんな場所で…亡霊を、見てるの……?」

 

「ぼ、亡霊…?どういうこと?アストラル系のモンスターってこと?」

 

「だ、だって…あの黒いカッパ、革ポンチョは…『ラフコフ』の、『PoH』……」

 

 

その単語を聞いた瞬間、美琴は常に全身に纏っている微弱な電磁波が、スパークしたような感覚と共に驚愕した。ラフコフ、正式名称『ラフィン・コフィン』。かのデスゲームSAO中期から後期にかけて、浮遊城アインクラッドに恐怖を撒き散らした最凶の殺人者ギルド

 

 

「そ、そんな…!あの殺人ギルドは、私たちのSAOにあったギルドで……!」

 

 

そこまで口して、美琴は思い出した。自分がこの世界にログインしている病院で、冥土帰しが口にした推測。同調した、互いに干渉し合っていた、二つの世界に存在した、アンダーワールドと、SAO。同質の仮想世界。同名のVRMMO。同名のスキル。同じ二つ名。同名の『ギルド』。そこから導き出される解答は、つまり………

 

 

「嘘でしょ…アスナさんとキリトさんのSAOにもあったって言うの…?あの殺人ギルド、ラフィンコフィンが…!?」

 

 

御坂美琴のいたSAOでは、ラフィンコフィンは一方通行や麦野沈理が所属していた、表面だけは殺人ギルドの、結果として全100層あったSAOに、75層で終止符を打つ要因を作った、ある種のダークヒーローのような集団だった。しかしそこには、GGOで死銃を名乗って殺人事件を起こした『赤目のザザ』や、上条当麻と吹寄制理の在学する大学に忍び込み、殺人未遂に至った『金本淳』こと『ジョニー・ブラック』のような、本物の殺人鬼がいたことも、また事実だった

 

 

「・・・じゃあ…もしも、もしもよ。アレイスターも、学園都市の思惑も何もないSAOで、あんな殺人ギルドがあったら…!?」

 

 

そこに残るのは、純粋な悪。淀みのない殺意。正真正銘の殺人集団。そんな組織にいた人間…事によれば、リーダーであった麦野沈利と同じ『PoH』の名を持つ人殺し。つまりは、生粋の殺人集団の、原点にして頂点。今の自分はそんな人間と同じ場所に立っているのかと、美琴はSAO以来に感じる、人間が心の底に秘めている殺人衝動に背筋を凍らせた

 

 

「だ、だから何だってのよ!そんなヤツがいようといまいと知ったこっちゃないわ!どんな殺人鬼がいようと、所詮は一人っきりでしょアスナさん!全員で袋叩きにしてやればいいのよ!それに向こうのアメリカ人プレイヤーは、もうほとんど残ってな………」

 

 

美琴は開き直って、思いつく限りのプラス要素を、大声でアスナの耳に突きさした。しかし、必死に動いていた彼女の口は、途中で閉ざされた。陽炎に揺れる黒いシルエットは、美琴とアスナを嘲笑うかのように、ゆるりと右手を持ち上げた。そして、からかうような動きでひょいひょいと左右に振った。それに続く、光景は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでで最悪の悪夢に他ならなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「も、もういい…もういいわよ……」

 

 

黒いポンチョ姿の隣に、滲み出すように新たな人影が現れた。二人、三人。その光景を認識から追い出すように美琴がどれだけ首を振って呟いても、それは止まるところを知らなかった。そして、神像の背中が接する巨大な遺跡宮殿の屋上に、ごそりと赤い集団が出現したかと思えば、左側の宮殿屋上にも、ぬっと数十人規模の影が湧き出した

 

 

「お、おいカミの字…あれ……」

 

 

震えきった声で、クラインは上条に言った。真冬の寒さに凍えているような小刻みに震えている彼の指先を、上条はゆったりと視線で追う。新たな赤い軍勢の湧出は、尽きることなくいつまでも続いた。千、五千、一万……

 

 

「・・・はは。こりゃいいや…ははは………」

 

 

絶望とは、人間の失意等の感情に起因する、目には見えない概念か?否。絶望は、時に具現化する物なのだと、そこにいる全員が理解した。赤いラインの数がついに三万を超え、アンダーワールド大戦、開戦当時の暗黒界軍の総数、五万にも上ろうかというところで、上条は数を把握しようとするのをやめた。もはやそれをただ眺める事しかできない彼の口からは、乾いた笑いしか出てこなかった

 

 

「・・・ピゴパン・イルボニン」

 

 

やがて、新たな真紅の集団の一人の口から、何らかの声が発せられた。未だに続く赤い驟雨と混ざり合い、溶け合ったそれが何語なのか、上条には咄嗟には判らなかった

 

 

「・・・ウリ・ナラルル・チキラ」

 

「・・・ガンチュー・レンメン」

 

 

英語ではない。もちろん日本語ではない。だが、その癖のある発音と、特徴的な口の動きで、何となく上条にもその言語を扱う国の察しはついた

 

 

「・・・何だよ。なんなんだよ…アメリカ人に続いてキリト達の世界の敵は、世界大戦でもけ仕掛けようってのかよ……」

 

「あぁ、やべえ…やべえぞこりゃ。あの大軍の出処は、日本でもアメリカでもねぇ……」

 

 

その時、隣のクラインが声にならない声で呻いた。上条は、もはやその正体が分かりきっていても、冷たい汗が背中を伝うのを止められないまま、彼の続けた言葉を聞いた

 

 

「・・・・・中国と、韓国だ」

 

 



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第64話 再来する闇の軍勢

 

かつて殺人ギルド『ラフィン・コフィン』を率いていた当時のアバター、『PoH』としてアンダーワールドに再ダイブしたヴァサゴ・カザルスは、黒いフードの下でにやりと笑みを浮かべた。高々と右手を挙げ、それが母国語だとでも言わんばかりに韓国語で叫んだ

 

 

「同胞たちよ!呼びかけに応えてくれて、深く感謝している!残念ながら、この場所でテストプレイをしていたアルファテスターたちは、すでに日本人の侵入者、いや侵略者によって殺されてしまった!しかし、奴らは別のテスト場所に移動し、また同じことをしようとしている!」

 

 

途端。数千人の集団に、明確な怒りが生まれるていった。韓国人プレイヤーたちに火を点けたのは、侵略というキーワードだろう。何の説明もなくアンダーワールドにログインした少なからぬプレイヤーたちが感じていたはずの迷いや途惑いは、代わりに熱を帯びた敵意へと変化していった

 

 

卑劣な日本人め(ピコバン・イルボニン)!」

 

俺たちの国を守れ(ウリ・ナラルル・チキダ)!」

 

 

集団の中にいる誰かが、同じく韓国語で叫び、散発的に怒声が続いた。そして、集団の右端からひときわ大きな韓国語ではない怒声が轟いた

 

 

「ガンチュー・レンメン!」

 

 

その言葉の意味は、ヴァサゴにも中国語であること程度にしか分からなかったが、怒り猛ったような口調や表情から、少なくとも目の前にいる日本人に対して殺意を表していることは読み取れた

 

 

「日本人たちはサーバーをハックし、ハイスペックな装備を好きなだけ作り出せる!いっぽう管理者権限を奪われた我々は、君たち同胞に、そんなデフォルト装備しか用意できない!だが、君たちの正義と愛国心は、どんな剣や鎧にも負けないはずだ!」

 

 

おそらくは、韓国人とほぼ同数の中国人プレイヤーも集まっているのだと、ヴァサゴは目深に被ったフードの下でほくそ笑むと、自分が焚きつけたこの場の勢いは、誰にも止められないとも直感した

 

 

「行くぞ皆!俺たちの力を、侵入者どもに思い知らせてやるんだ!二度と同胞に手出しする気にならないように、念入りに痛めつけて、切り刻んで殺せ!!」

 

「「「おおおおおおおおっっっ!!!」」」

 

 

急激に高まっていくボルテージに、ヴァサゴが仕上げを施していくように両手を広げながらもう一度叫ぶと、総勢五万を誇る大集団は、二つの言語で怒りの咆哮を炸裂させた

 

 

「────Go!!」

 

 

ヴァサゴは、哄笑を堪えながら、韓国人にも中国人にも分かる言語で、鋭く右手を振り下ろした。直後、ざあああああっ!と雪崩のような音を立てて、深紅の大軍勢は眼下の日本人めがけて飛び降りていった

 

 

「・・・は………走れっ!!」

 

 

その悪夢を目の当たりにして、一番最初に振り返って叫んだのは上条だった。痛烈な彼の叫び声に、すっかり途方に暮れてしまっていた美琴はようやく意識を引き戻すと、後方に控えている全員に向かって叫んだ

 

 

「人界軍!補給隊!全速前進ーーーッ!!」

 

 

人界守備軍の補給部隊は、遺跡参道の入り口に展開されている。中国、韓国プレイヤー達が足場にしている宮殿は、その参道の両側に広がっているのだ。つまり、補給部隊のすぐ頭上に、数万の敵がひしめいていることになる。それを理解した美琴の指示は、まさしく瞬間的な早さだった

 

 

「物資よりも自分の命が最優先!馬車と術士は今すぐ走ってこっちに合流してっ!!」

 

 

間髪入れずに美琴が大声を張り上げたが、とても間に合いそうになかった。中国と韓国からの軍勢は、今にも巨大神像の頭を踏み越えて、補給部隊の真ん中へと飛び降りようとしていた

 

 

「アスナ!地形操作だ!どんな形でもいい、皆が合流するまで時間を稼いでくれ!あんな数が間に割り込まれたら、俺たち前線と後方はもう絶対に合流できなくなる!!」

 

「言われなくても分かってるわよっ!!」

 

 

上条がアスナに向かって必死の形相で呼びかけると、彼女は彼女らしからぬ乱暴な口調で返答し、右手の細剣を高く掲げた。イメージを剣先に集中させ、鋭く振り下ろした瞬間、七色のオーロラが一直線に迸り、参道の両側に立ち並ぶ巨大神像を直撃した

 

 

[ラーーーーーーーーーーーーー]

 

 

天使たちの高らかな唱和と同時に、石の神像たちが地響きを立てて動き始めた。四角い口を開け、短い腕を振り回して、宮殿の屋上にひしめくプレイヤーたちを薙ぎ払っていく。前面にいた赤い兵士たちは、暴れ回る石像から慌てて飛び退き、後ろから押し寄せる味方と衝突して、ドミノ倒しのように転倒していくその隙に、八台の馬車と二百人ほどの修道士隊、補給隊が移動を開始した

 

 

(もう少し…!もう少しだけ……!)

 

 

地形操作能力に伴う、誤魔化し切れない強烈な頭痛に、アスナは顔を顰め額に汗を滲ませた。しかし、三度目になっても慣れない激痛に、彼女は必死に歯を食い縛りながら耐え続けた

 

 

「アスナ!もういい!もう十分だっ!」

 

「ーーーーーッ!」

 

 

時間にして地形操作の開始から30秒後、上条の叫びが強烈な頭痛に割り込んでくると、アスナは練り上げたイメージを意識から放り出し、事切れたように脱力して地面に膝を突こうとした。しかしその体が地面に触れる寸前で、上条がアスナの腕を引っ張り上げて自分の肩に担いだ

 

 

「カミや、く……」

 

「辛いだろうけど踏ん張ってくれ!むしろ俺たちの勝負はこっからだぞ…!!」

 

 

アスナの決死の尽力もあり、人界軍の後方部隊は辛くも死地を脱出して、遺跡北側の広大な荒野へと退避した。五百人弱の衛士隊と二千人の日本人プレイヤーが前進、後方部隊を両側から包み込むように布陣して応戦態勢を取った

 

 

「・・・ね、ねぇミコト。超能力者ってのは一人で軍隊を相手取れるってのが売り文句らしいけど…その軍隊ってそもそも何人基準?っていうか正直なところ、今襲いかかって来てるアイツら全員倒せる余裕は今のミコトに……」

 

 

しかし、いかんせんフィールド全体が荒れているダークテリトリーの例に漏れず、上条達が移動した場所もまた、平坦な荒野だった。上下しているような窪みや坂はおろか、地形らしい地形は存在せず、こんな場所で数万の敵を相手にすれば絶望的な全周防御を強いられてしまうのは明白だった。それを承知の上で、リズベットは半ば祈るような気持ちで美琴に訊ねた

 

 

「何言ってるんですかリズさん!あのミコトさんですよ!学園都市序列第三位なんですよ!あんな人達くらい、余裕で倒せるに決まってるじゃないですか!倒せるに、決まって……」

 

 

始めはリズベットに反論していたシリカの言葉も、やがて勢いを失って不安の色を強めていった。先に数で圧倒的に優っていたアメリカ人プレイヤーたちを辛くも撃退できたのは、高レベルアバターのコンバートによって助力に来てくれた日本人プレイヤーの協力はもちろんとして、遺跡宮殿の壁を利用して前線を一箇所に限定し、手厚い回復ローテーションを組めたからだと、シリカ自身も理解していたからだ

 

 

「・・・正直に言うなら、無理よ…あんな人数。今の私には…絶対に無理……」

 

 

地形による後ろ盾と、日本人プレイヤーの個々のレベルの高さすらも押し潰す、総勢五万にも迫ろうという中国、韓国人プレイヤーによる数の暴力。取り囲まれでもすれば、前線崩壊は時間の問題だろう。SAOから数々の戦場を指揮し、優秀な知能を有しているからこそ、それが分かってしまった美琴は、またしても心の余裕を失い、顔を伝い始めた汗を拭いながら、明確に首を左右に振った

 

 

「クライン、エギル!行くぞ!俺たちで食い止めるんだ!絶対に誰一人後ろに通すな!」

 

「ったりめぇだ!あんま一人で見せ場取るんじゃねぇぞカミの字!」

 

「おう!俺たちに任せろ!」

 

 

アスナを後方部隊に預け、最前線へと戻った上条は、SAOから肩を並べてきた男達に言うと、クラインが威勢よく叫び、エギルも太い声で応じた。彼らが拳と、刀と、斧を構えた、その直後。神像に足止めを喰らっていた赤い軍勢が、今度こそ宮殿の屋上から飛び降り始めた

 

 

「トルギョーーーーーーック!!」

 

「トゥーーーージィーーーー!!」

 

 

韓国語も中国語も学んだことのない上条達だが、二種類の怒号が、どちらも「突撃」を意味することは直感的に解った。左右に広がりながら押し寄せてくる深紅の軍勢を、真っ先に迎え撃ったのはクラインとエギルだった

 

 

「ぜいりゃあああああああッ!!」

 

「おっ…!らああああああッ!!」

 

 

空気が震えるほどの気合に乗せて、刀と斧の広範囲ソードスキルが放たれた。白と青のライトエフェクトが二重に閃き、何十人もの敵兵が鮮血とともに宙を舞っていく。それと同時に、後方部隊を挟んで反対側にいるALOの領主たちとその腹心や、スリーピングナイツの猛者たちも、全力の戦闘を開始した

 

 

「「「いけええええええっっっ!!!」」」

 

 

剣が、斧が、槍が唸り、次々にソードスキルが炸裂し、赤い兵士達がバタバタと斬り倒されていく。圧縮された空気が軋み、やがて大軍勢の突進が一瞬止まった。しかしそれは、決壊した堤防から押し寄くる濁流を、素手で防ごうとするような努力でしかなかった

 

 

「アスナ様!あまり無理をなさらないで下さい!」

 

「いい、の…私はこれくらいなんともないわ…どれだけ痛くても、ここで死んだとしても、どうせ私は死にはしないんだから…!」

 

 

未だ激痛の余韻が残る頭の側部を抑えながら、震える足で立ち上がろうとするアスナを必死に止めていたのは、整合騎士のレンリだった。彼が上条からアスナの身を預かってから、早急に治癒術を施した直後、彼女はレンリを押し除ける勢いで立ち上がり前線へと戻ろうとしていた

 

 

「絶対に、キリト君は守り抜くんだから…!たとえ何万、何十万、何百万の敵が来たって、私は最後ま…で……?」

 

 

悲鳴と怒号の渦巻く戦場の空に、かすかに響く甲高い哄笑を聞いたアスナは、霞む目を動かした。その視線の先には、黒い影があった。遺跡宮殿の屋上で、黒いポンチョの男が踊るように身を捩っているのが見えた

 

 

(さあ、殺し合え。醜悪に、無様に、そして滑稽に踊ってくれ)

 



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第65話 相見える狙撃手

 

シノンは果ての祭壇を目指して飛び立ったアリスの後ろ姿を見届け、一人残った岩山の中で思考を巡らせていた。敵と思しき人間がログインしてきたら、その時点で『アニヒレート・レイ』を最大威力までチャージし、敵の実体化直後に吹き飛ばしてしまえば、防御も回避もできないはずだ。しかし、いますべきことは時間稼ぎである。もし敵が無限に高位アカウントを生成できるなら、即死させても意味がない

 

 

(まずは、持久戦よね……)

 

 

最初は小手調べで、敵の対応を見定める。もし命を惜しむ様子を見せたら、一度しか使えない貴重なアカウントなのだと判断できる。その場合は全力で攻撃し、二度と同じアカウントでログインできないようにすればいい。しかし、万が一アカウントが量産型だったら、殺してしまうわけにはいかない。限界まで戦闘を長引かせ、アリスが『果ての祭壇』まで移動する時間を稼がなくてはならない

 

 

「・・・来た」

 

 

瞬間、僅かな空気の変化をシノンは感じ取り、一人呟いた。赤い空から糸のように伸びてくる、漆黒の破線をついに視認する。シノンは待機中に巡らせた作戦の通りに、一瞬で敵を葬るための弓を引くことなく、空中にホバリングしたまま敵の実体化を待った

 

 

「・・・・・ッ…」

 

 

それは、地獄へ続く底なしの穴のように濃く、深い色をしていた。そして、とぷん…とラインの表面に小さな波紋が立ち、直後、無造作に右手が突き出た。細長い五本の指がうねうねと宙を搔くさまを見て、シノンの背中に悪寒めいた戦慄が走る。すぐにでも焼き払ってしまいたい衝動を堪え、シノンは敵の実体化を待った。やがて右手に続いて左手も出現し、水たまりの縁を摑むと、湿った水音を立てながら男の頭部が出現した

 

 

(・・・随分と華奢ね?)

 

 

そこにいたのは、これといった特徴のない、薄い顔つきのアバターだった。頭に張り付くような短い金髪、細い鼻梁と薄い唇、白人系のデザインだが、妙に白人離れした平たい顔が印象的だった

 

 

(本当にコイツが、暗黒神ベクタのスーパーアカウントを操作していた人間と、同じ人間なの…?)

 

 

そうシノンが訝しく思っていると、まだ上半身しか実体化していない男の、青いガラス玉のような眼がきょろきょろと動き、上空のシノンを捉えた

 

 

「・・・・・」

 

 

その視線がシノンを見つめたまま、どぷんっ、と粘つく音を響かせ、男の全身がついにその姿を晒した。華美な金属鎧などまったく身につけていない。上下が揃った濃い灰色の服の上に革のベストに、足許は編み上げのブーツ。まるで、現実世界の兵士が身にまとう戦闘服のようだった。また、左腰の長剣と、右腰のクロスボウといった武器類が、兵士のような趣きを装飾していた

 

 

「・・・コンバート・アカウント、ね」

 

 

その出で立ちだけで、シノンはそう確信した。なぜなら、自分が最初にログインした時に焼き払ったアメリカ人プレイヤーの大軍や、上条達と行動を共にしていたアンダーワールド人の格好とは、似ても似つかない。そして何より、男の風貌と佇まいは仮想世界のソレというより、アスナ達の話に聞く現実世界の軍人そのものに近い雰囲気を纏っていた

 

 

(・・・・・なに、あれ…?)

 

 

次にシノンが抱いたのは、疑問だった。男が抜け出した後も、黒いラインはしばらく中空を漂い続け、生き物のように蠢いていた。しかしそれは、数秒した後に実際に生き物になった。剝がれた部分が細長く伸び、翼と化してせわしなく羽ばたいた鳥とも飛竜ともまったく違う、奇怪な姿。お盆のように丸く平べったい体の前部に、丸い眼球が四つも張り付いている

 

 

(コンバートされたアバターが別のVRMMOで使ってた装備ないし、アイテム…それがこのアンダーワールドのシステムに合わせて、フィードバックされたってこと……?)

 

 

左右にはコウモリのような翼、そして後ろには蛇のような長い尻尾。謎の有翼生物は、戦闘服姿の男を乗せたまま翼を羽ばたかせて離陸すると、シノンと同じ高度まで上昇した。そして正面に三十メートルほど離れた位置にホバリングした生物の背中で、男が再び薄笑いを浮かべながら口を開いた

 

 

「名前は?」

 

「・・・人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るのが作法ってものよ」

 

 

男が訊ねてくると、シノンは気味の悪さに生唾を呑み込みたくなるのをグッと堪え、極めて冷ややかな声で男の言葉を突き返した。そんなシノンの返答に、男は鼻で笑ってからどこぞの紳士染みた仕草で礼をしながら言った

 

 

「これは失礼。私の名前は『サトライザー』。以後お見知り置きを」

 

 

有り余る違和感。おそらくはアスナやキリトの世界で対立している米国の軍人であるはずなのに、驚くほど流暢な日本語と、ファーストネームなのかファミリーネームなのかも分からない、まるでプレイヤーネームでも名乗っているかのような、何の包み隠しもなく口にされた名前。それだけでシノンは、このサトライザーという男が、一つのVRMMOアバターという駒に過ぎないことを悟った

 

 

「・・・わざわざこんな所に一人で出てきたってことは、あなたはさっきまでここにいた暗黒神ベクタと同一人物…ってことでいいのかしら?」

 

「そう言う君は、その暗黒神ベクタと同じ、スーパーアカウントを保有しているラース側の人間だと…そういうことかな?」

 

「私の名前はシノン。それ以外をあなたに教える義理はないわ」

 

 

サトライザーが訊ねたが、シノンは返答をそれで締め括り、スッパリと口を閉じた。サトライザーはどこか残念そうに肩を竦めて鼻から息を吐くと、南に視線を向け、無機質な口調で呟いた

 

 

「・・・アリスは逃げたか。まあいい、すぐに追いつく」

 

「そうはいかないわ。あなたはここで、私が必ず討ち取る」

 

 

その僅かな呟きすらも聞き逃さず、シノンは返す刀でサトライザーに反論した。その言葉に、青いガラス玉のような瞳が再びシノンの方へと戻された。しかしそれ以後、その感情の見えない瞳はしばしの間シノンから逸れることはなかった。その不気味な眼光を、シノンが負けじと鋭い目つきで睨み返していると、やがてサトライザーは口許を不気味に吊り上げながら言った

 

 

「・・・君は…『狙撃手』。それもかなりの腕だ。そうだろう?」

 

「ーーーッ!?」

 

「分かるんだよ。言うなれば、私も君と同類だからね。しかし腕はあっても、狙撃手としてはまだ心が未熟だ。その顔に貼りつく表情は分かりやすすぎる上に、あまりにも感情的すぎる」

 

 

戦慄した。今の自分には、GGOのシノンとして身につけている装備とは何一つ似通っている物はないというのに、目の前の男は自分のVRMMOプレイヤーないし、仮想世界と現実世界の経験で培った自分の精神の本質を見抜いてみせた。その驚きを隠せなかったシノンの表情に、まるで彼女の全てを見透かしているかのような嘲った口調で、サトライザーはなおも続けた

 

 

「だが、未熟だからこそ光る物がある。君はきっとこの仮り染めの世界でも、最期の瞬間まで狙撃手としての気高さを捨てないのだろう。儚さを感じるほどにまで足掻き、美しいその命を散らすまで抵抗を続ける。例えるなら、陽光の届かない暗闇の中でも、凛とした花を咲かせようとする…極上の蜜を秘めた蕾のようだ」

 

 

言葉の端々に感じる、形容し難い気味の悪さに、シノンは顔を痙攣らせることしか出来なかった。そしてそれすらも楽しむように、サトライザーの口調が少しずつ変容していった

 

 

「そう。私はアリスを…ひいては君のような、私自身の深い闇にも影を落としてくれるであろう、最上の輝きを放つ魂を探し求めていた。だから、こうして巡り合った。君と私の出会いは、必然だったんだよ。例えどんな因果が、そこに世界すらも阻む垣根があったとしても、私たちの魂の力は、引かれ合う運命にあったんだよ」

 

 

嬉しくてたまらないとでも言うように、サトライザーの発せられる声の温度までもが低下してるようだった。周囲の空気すらも呑みこみ、侵食していくような、彼が全身から迸らせている底無しの闇に、シノンの体がいっそう冷えていく。全身が強張り、呼吸さえも不規則になろうとしていた時、サトライザーは自分の中に確信を得て、小さく呟いた

 

 

Your soul will be so sweet.

 

 

曰く、『君の魂は、きっと甘いだろう』。その台詞に、ぞくん、と。シノンは背筋を這っていた悪寒が、一瞬の内に全身の感覚を支配するように駆け抜けていったのを感じた

 

 

「さあ。こちらに来たまえ、シノン。私に全てを委ねてくれ」

 

 

サトライザーの青い瞳が、冷たく光った。ずっ、と重い音を立てて、世界が歪んだ。空気が、音が、そして光さえも捻じ曲げられながら、サトライザーの眼に吸引されていく

 

 

「な………」

 

 

何よ、これ…!?という思考さえもが、強烈な引力に吸い込まれていく。唇は乾き、喉は声を出そうとすることを頑なに拒んだ。全身から吹き出してくる冷や汗を感じとる肌の感覚しか、今のシノンには残されていなかった

 

 

(い、いけない…!抵抗しないと…戦わないと…!)

 

 

心の片隅でそう叫ぶシノンの声は、どうしようもなく小さかった。やがて、青い鎧に包まれたシノンの体そのものが、広げられたサトライザーの腕の中へと引き寄せられ始めた。すっかり力を失った左手の指先に、辛くも弓の弦を引っ掛けたまま、シノンは音もなく空中を泳がされた

 

 

「ひっ…!?」

 

 

朧に霞む意識の中で、シノンは自分の体がサトライザーという名の暗闇にぬるりと包まれるのを感じた。男の左手が背中に回される。右手の指先が頰を掠め、耳に被さる髪を払われる。露わになったシノンの左耳に、サトライザーの薄い唇が近づき、黒く冷たい、穢れた水を思わせる声が直接頭に忍び込んだ

 

 

「ところで、シノン。君は私の『サトライザー』という名前の意味が分かるかい?」

 

「・・・・・?」

 

 

ぐったりと脱力しているはずのシノン首が、何かの本能に突き動かされたように、ゆっくりと左右に振られた。そんな恐怖と嫋やかさが入り混じった彼女の仕草に、サトライザーは気分を良くしたのか、口元に柔和な笑みを浮かべながら言った

 

 

「いかにもアメリカ人好みの、日本の『サトリ』をもじった名前のようだろう?しかしこれは、純然たる英語だよ。『Subtilizer』。その意味は『研ぐもの』、『薄くするもの』、『選ぶもの』、そして……」

 

「『盗むもの』」

 

 

シノンのすぐ目の前にあるサトライザーの両眼が、ひときわ強く光った。その怪しげな瞳のままに、サトライザーは短く宣告した

 

 

「私は、君を盗む。君の魂を盗む」

 



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第66話 希望の先に待つ絶望

 

交戦と呼ぶに値するものは、時間にしてわずか7分間しか続かなかった。その後、戦況は3分間の防戦を経て、中国・韓国プレイヤー達による一方的な殺戮へと移行した。その中でアスナは、頭の芯で疼き続ける痛みを無視し、最前線でレイピアを振るいながら声の限りに叫んだ

 

 

「死守してっ!アンダーワールドの人達だけは、何としてでも…!!」

 

 

しかし、声の揃った頼もしい応答はもう聞こえなかった。アスナの周囲では、コンバート装備を身に纏う日本人プレイヤーたちが、一人、また一人と血のような赤い鎧に身を固めた倍以上いる隣国人に包囲され、剣や槍で滅多刺しにされていた

 

 

「うわあああああーーーっ!」「や、やめろおおおおーーーっ!」「いやあああああーーーっ!」「誰かぁぁぁぁぁ!?!?」

 

 

敵の怒号、仲間の悲鳴、断末魔の絶叫が次々に響く。これに比べれば、アメリカ人の重槍突撃作戦のほうがまだ対処のしようがあっただろうとアスナは思った。圧倒的な数で畳み掛け、隙あらば複数人で目標の脚に摑みかかり、引き倒し、圧し掛かって自由を奪い、殺すそんな戦い方をされては、数の差を戦術で覆すことなど到底できない。二千人が円形に並んだ防御陣は、あっという間に薄くなっていった

 

 

「誰か、助けて…お願い……誰か…………」

 

 

アスナは、尽きることなく押し寄せてくる敵をレイピアで懸命に斬り払い、貫きながら、アンダーワールドにダイブして以来初めて、瞳に涙を溜めながら絶望の言葉を呟いてしまった

 

 

「怯むな!我々が突破口を開くぞ!」

 

 

そんな絶望的な戦況の中で、比較的健闘を続けている部隊の一つが、ALOでシルフ族の領主を務める、サクヤが率いる緑の剣士隊だった。シルフ族は元来、機動力を活かした高速連携攻撃を得意としている。かつて、まだ九つの種族が対立していた時代、重装プレイヤーの突進攻撃にウェイトを置くサラマンダー族に対抗するために練り上げた戦法が、この混戦でも有効に機能していた

 

 

「まずは体勢を立て直す!竜胆隊、鈴蘭隊、戦線を右に押し上げろ!!」

 

 

自身も最前線で剣を振るいながら、サクヤは叫んだ。右翼方向で戦闘中のはずのサラマンダー隊と合流し、ユージーン将軍を筆頭に置いた突進力を利用して一気に敵陣を破る。支援部隊を再び遺跡の参道に逃がし、狭い入り口だけに戦線を限定できれば、この膨大な敵を削り切れるだけの活路を見出せると考えた

 

 

「行くぞ!『シンクロ・ソードスキル』用意!カウント5・4・3・2……!」

 

 

サクヤがそこまで指示しかけた時だった。左側で響いた悲痛な声が、耳に突き刺さったその瞬間、はっと呼吸を止め、サクヤは左方向に視線を走らせた

 

 

「みんな、諦めないデ!お願い、少しでも時間を稼いデ!」

 

「ア、アリシャ!?」

 

 

サクヤの緑に光る瞳が捉えたのは、黄色を基調とした装備の日本人部隊が崩壊し、赤い波に吞み込まれていくところだった。その最前面で、両手に装備したメタルクローを押さえられ、地面に引き倒されるアリシャの姿が確かに見えた

 

 

「やめろーーーーーっ!!!」

 

 

叫んだその瞬間、サクヤは冷静沈着な指揮官から、一人の女子大生へと戻っていた。自身が指揮するシルフ部隊から単身飛び出し、立ち塞がる敵を問答無用で斬り伏せながら、ひたすらに親友の元へと突き進む。ケットシー族領主アリシャ・ルーは、長剣に胸と腹を貫かれながらも、接近するサクヤに気付くや血を吐くような声を喉笛から上げた

 

 

「ダメっ!サクヤちゃん戻って!!部隊を指揮してーーー………!」

 

 

その一声を最後に、黄色い髪から伸びる三角の耳が、サクヤの視界から消えた。押し寄せた赤い兵士たちが、倒れたアリシャに群がっていくのを見て、サクヤは親友の名を狂ったように叫んだ

 

 

「あ、アリシャ!?アリシャーーーッ!!」

 

 

悲鳴にも似た絶叫を迸らせながら、サクヤはケットシー隊を押し潰そうとしている敵の大集団に突撃した。身を焦がす怒りを吐き出すかのようにソードスキルを次々に繰り出し、鮮血と肉片の雨を振り撒いてひたすら突き進む。親友が倒れているはずの場所まで、そしてその足が、後少しの所まで迫った、その時だった

 

 

「がはっ……!?」

 

 

ドスッ!という衝撃に視線を落とすと、自分の背中から右腹を貫いて伸びる槍の穂先が目に入った。仮想世界で初めて味わう激痛が神経を駆け巡り、女子大生らしからぬ呻き声が途切れた時には、彼女の全身から力が失せていた

 

 

「・・・すま、ない…アリシャ…………」

 

 

驚異的な事に、サクヤは体を貫いた槍をそのままに、気力だけでそこから四歩前進した。しかし、そこでアバターが意識の制御から完全に外れ、前のめりに倒れた。直後、赤い憎しみの嵐がサクヤをも吞み込んだ。右手から愛刀が奪われ、左腕が半ばから斬り飛ばされ、彼女の体を次々と鋭い金属が貫き続けた

 

 

「皆さん!まだ大丈夫ですか!?」

 

 

この場にダイブしている二千人の……急激に減少中ではあるが、日本人プレイヤーの中で最も正確に状況を把握しているのは、スリーピングナイツのギルドに所属する3代目リーダー、シウネーこと『安施恩』だった

 

 

「これが大丈夫に見えるなら、一度眼科の診察を受けることをお勧めします!」

 

 

シウネーの呼び掛けに応えたのは、同じスリーピング・ナイツのタルケンだった。シウネーは父親が在日韓国人、母親が日本人の為、二カ国語を話すことが出来る。それ故に、赤い兵士たちの半数が口々に放つ怒りの言葉を断片的に聞き取り、彼らがどのような情報に煽動されたのかを推測することができた

 

 

「ッ…状況は私たちが思っている以上に芳しくありません!お願い、一度だけでいいからブレイクポイントを作って!」

 

 

シウネーは周囲に立つ四人の仲間達に大声で指示した。その声に、先頭で鬼神の如き奮戦を続ける両手剣士のジュンが即座に叫んだ

 

 

「よし解った!テッチ、タルケン、ノリ!シンクロ・ソードスキルで大技ぶちかますぞ!カウント、2、1!」

 

 

四人の息が、寸分違わず同調した。同時に繰り出された単発の高威力ソードスキルが、数十人の敵をノックバックさせた。小さな、けれど確かに空いた風穴を目指して、シウネーは駆け出した。そしてその先にいる、この場のリーダーらしき韓国人プレイヤーに韓国語で叫んだ

 

 

「聞いて下さい!あなたたちは騙されています!このサーバーは日本のもので、私たちは正規の接続者なんです!」

 

 

一息で言い切ったその声は広範囲に響き渡り、戦場に僅かながらも沈黙を生み出した。シウネーに耳元で叫ばれた韓国人は、やや気圧されたように仰け反ったものの、すぐに鋭い声で反駁してきた

 

 

「噓をつけ!俺は見たぞ!お前たちはさっき、俺たちと同じ色のプレイヤーを皆殺しにしていただろう!」

 

「あれは、あなたたちと同じように偽の情報でダイブさせられたアメリカ人です!日本企業の開発の妨害をさせられているのは、あなた達なのよ!もういちどよく考えて下さい!その怒りは、その憎しみは、本当にあなたの感情なの!?」

 

 

凄まじい熱量で訴えてくるシウネーの言葉に、韓国人たちは当惑したように黙りこくった。再び訪れた静寂を貫いて、鋭い、しかしどこか迷いを帯びたような問いかけが、人垣の後方から届いた

 

 

「その話は本当か!?」

 

 

韓国語でそう叫びながら走り出てきたのは、他の兵士たちと外見はまったく変わらない一人のプレイヤーだった。反射的に身構えるシウネーのすぐ近くまでやってくると、敵意はないと言うかのように右手の剣を下げ、ヘルメットのバイザーを押し上げて素顔を見せた

 

 

「俺の名前は『ムーンフェイズ』。アンタは?」

 

 

いきなり名前を訊かれてシウネーは驚いたが、ムーンフェイズと名乗る男の両眼は真剣な光を帯びていた。激闘の最中で負った仮想の傷から滴る血を掌で拾い、胸元で握り締めながら、シウネーは口を開いた

 

 

「私はシウネーと言います。ムーンフェイズさん」

 

「そうか、それでシウネーさん。俺もこの話はなんだか妙だと思っていたんだ」

 

「!!!」

 

 

その言葉に、シウネーは最初に驚きよりも、安堵と嬉しさを抱いた。やっと、やっと話の出来そうな人と巡り合うことが出来たのだと実感した。ところが、ムーンフェイズが言った瞬間、周囲の韓国人プレイヤーたちから怒りの声が上げられた。しかし驚くべきことに、彼はその声に負けることなく、右手の剣を思い切り強く鞘に落とし込んで、カァンッ!という強烈な音でその声を封じ込めた

 

 

「あんたの話を証明する手段はあるか!?」

 

「・・・ッ……」

 

 

この『アンダーワールド』は政府の支援を受けた日本企業の研究開発用の仮想世界であり、襲撃者はその研究成果たる新世代AIを奪おうとするアメリカ人なのだと、ALOの世界樹ドームで、リズベットが涙ながらに訴えたその言葉を、シウネーは疑うつもりなどなかった。しかし、証明しろと言われても、彼女が提示できる物は何一つとしてなかった

 

 

(そもそも、私たち日本人がこれ以上何を言っても彼らには…!)

 

 

全ての物体がグラフィックで再現されている仮想世界に、物的証拠などあるはずもない。有り得るとすれば、この事件の核心に近い誰かの証言しかないが、日本人側が何を言っても無駄だろう。シウネーが言葉を失っている間にも、周囲の韓国人たちの敵意が再燃していくのを感じていたその時、左後方から声が上がった

 

 

「シウネーさん!アンダーワールド人よ!」

 

 

その声に、シウネーは振り返った。突如として上がった声の主は、御坂美琴だった。スリーピング・ナイツ二代目リーダー『ユウキ』の最後を看取り、共に涙を流した少女は、中国語の断末魔を最後に倒れたプレイヤーから細剣を引き抜きながら続けた

 

 

「この世界の住人であるアンダーワールド人に会わせて、彼らが日本語で喋るところを見せるのよ!そうすれば、ここが日本のサーバーだって解ってもらえるはずよ!」

 

「あっ…!」

 

「アンダーワールド人なら何としてでも私が連れてくる!だからそれを彼らに伝えて!お願いっ!」

 

「わ、分かりました!」

 

 

美琴が自らの命を燃やして見出した光明に、シウネーは確固たる決意を持って頷いた。そして日本語で発せられた彼女の言葉を、シウネーが韓国語に翻訳してムーンフェイズたちに伝えようとした…その寸前。彼の後方で、毒々しいほど赤い光がギラリと輝いた

 

 

「あ、危ないっ!ムーンフェイズさ…!?」

 

 

シウネーは必死に警告しようとしたが、間に合わなかった。短くも肉厚の刃がムーンフェイズの背中を深々と抉り、そのまま十メートル近くも吹き飛ばした

 

 

「ごがっ…!?」

 

 

光明、そして希望は、言葉にならないほど呆気なく消えた。現実と同様の、焼けるような傷口の痛みに身もだえるムーンフェイズに代わってシウネーの前に立ったのは、宮殿の屋上にいたはずの黒ポンチョの男だった。右手に握った、まるで中華包丁のような形のダガーを倒れているムーンフェイズに突きつけ、黒ポンチョの男は韓国語で叫んだ

 

 

「裏切り者はこの戦場には要らない!」

 

「ッ!?アイツ…あの、武器は…!?」

 

 

黒衣の男はそのまま、包丁で周囲の韓国人たちをぐるりとポイントしていく。その声は、重く、強く、冷たく、それでいてどこか嘲りを含んでいるように感じられた。その男、アスナがPoHだと呟いていた男の持っている包丁のような武器に、御坂美琴は酷い既視感を覚えた

 

 

「お前たち、汚い日本人に騙されるなよ!」

 

 

その武器の名は、『友切包丁』。美琴のいたSAOで同じくラフィンコフィンのリーダーを担っていた麦野沈理も装備していた、魔剣クラスの凶悪な包丁型のダガー。その包丁が最後に向けられたのは、愕然と立ち尽くすシウネーだった

 

 

「ここが日本のサーバーで、お前らが正規の接続者だっていうなら、なぜお前らだけがそんな高級装備を持ってるんだ?GM装備なみにピカピカ光ってるじゃねぇか!チートで好き勝手に作り出したに決まってるぜ!!」

 

「ちっ…違います!装備が異なるのは、私たちのメインアバターをこの世界にコンバートしたからで…!!」

 

 

黒ポンチョの男の演説じみた主張に、韓国人プレイヤーのそうだ、そうだ!という叫びが追随する中で、シウネーは必死に男の言葉に反論した。その途端、黒ポンチョの男が声高にせせら笑った

 

 

「ハハッ!テストサーバーにメインアバターを移すなんて、そんな間抜けがいるかよ!噓だ、コイツらの言ってる事は全部噓だからな!」

 

「ほ、本当よ!信じて!私たちは、アバターを喪失する覚悟でここに……」

 

 

ひゅんっ!と空気を切り裂く音がした。シウネーは、飛来したダガーが自分の右肩に深く突き刺さった時、痛みよりも遥かに大きな絶望を感じた。黒ポンチョの男に煽動させられたように武器を投じた中国人プレイヤーが猛々しく喚いた言葉を、シウネーは理解できないまま涙を流し、その場に倒れ込んだ

 

 

「シウネーさんっ!?」

 

 

中国人プレイヤーの小集団が、一時的な停戦状態を破って右側から突撃してくるのを見て、すぐ近くにいた韓国人リーダーも罵り声とともにシウネーを蹴り飛ばした。それを見た瞬間、美琴は今までの生涯で感じた事もないような、巨大な憤怒と憎悪が自分の心に芽生えていくのを感じた

 

 

「私のっ、恩人に…!何してくれてんのよアンタらはぁぁぁーーーっっっ!!!」

 

 

次々に沸き立ってくる黒い感情に、美琴は逆らうことなく身を委ねた。目につく敵全てに、暴れ狂うように剣を振り下ろし、シウネーの元へと駆け出した。しかし地面に倒れ込んだシウネーは、背後から美琴を始めとした仲間たちが駆け寄ってくる足音を聞きながらも、再び立ち上がることができなかった

 

 

「そうだ!殺せお前ら!いぃや!女はそのまま犯したっていいんだぜ!?何せこの世界には倫理コードがないんだからな!日本人だって好き勝手にやったんだ!俺らもアイツらと同じように好き勝手しようじゃねぇか!あはっ、ぁぁぁはははははははははははははは!!!!!」

 

 

これこそ、自分が望んだ、滑稽な猿同士が殺し合う、最上のエンターテインメントだと。美琴とスリーピング・ナイツの元に、なだれ込むように兵士が群がっていくのを見下ろしながら、地獄の王子は高らかに笑い続けた

 



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第67話 必死の抵抗

 

(・・・どうして…)

 

 

整合騎士レンリ・シンセシス・トゥエニセブンは、戦場を覆う憎しみの深さをまざまざと感じながら、拭いきれない疑問の言葉だけを胸中で繰り返していた

 

 

(なぜ彼らは、同じリアルワールド人なのに、これほどまでに憎み合い、殺し合わなくてはならないんだ…)

 

 

否、あるいはレンリにも、そんなことを言う資格はないのかもしれない。アンダーワールドに住まう者たちだって、人界人と暗黒界人に分かれ、何百年も血みどろの戦いを繰り広げてきたのだ。事実、レンリ自身も両腰に下がる神器《雙翼刃》で、数え切れないほどのゴブリン族の命を絶った

 

 

(でも、だからこそ信じたかったんだ……)

 

 

だから、血みどろのアンダーワールドの外側に広がるというリアルワールドには、争いも憎しみもなく、戦争など決して起きないのだと信じたかった。しかし、それが幻想であることは最早明らかだった。つまるところ、争いこそが人間の本質だということなのだということを、まざまざと見せつけられているような気がした

 

 

「そんな、そんなハズがあってたまるか…!」

 

 

レンリは滲み出ようとしていた涙を、唇を噛みながら堪え、絞り出すような声で一人言った。整合騎士の間でも忌み嫌われていたはずのシェータは、敵であるはずの暗黒界の拳闘士団を守るために単身で死地に残った。あの人はきっと、剣と拳を通じて暗黒界人と解り合ったのだ。血に塗れた道の向こうにだって、きっと希望はあるんだ

 

 

「だったら、僕にだって出来るはずだ…!」

 

 

ならば、いまは戦わねばならない。ただ守られ、立ち尽くしている時ではない。レンリは、必死の防戦を続ける味方のリアルワールド人部隊の救援に向かうべく、前線に歩き出そうとした時、小さな声が背後で響いた

 

 

「騎士様。私も行きます」

 

 

振り向くと、そこに立っていたのは補給部隊に所属する赤毛の少女練士、ティーゼだった。小ぶりの剣をしっかりと握り、悲壮な表情で口許を引き締めている彼女に、レンリは諭すように言った

 

 

「ダメだよ。君はあの人を守らないと…」

 

「その役目は、ロニエに譲ります。私が大好きだったユージオ先輩は、大切なものを守るために命を散らしました。だから私も、その志を継ぎたいんです」

 

「・・・そう、だね…」

 

 

ティーゼは、紅葉色の瞳に光るものを滲ませ、続けた。けれど、本来は美しい物だと感じるべき彼女の意志に、レンリは強く唇を嚙んだ。整合騎士である自分でさえ、あの凄まじい戦場で生き残れる確証はないのだ。正式な衛士ですらないティーゼが、無事でいられるとは思えない。そう考えていた時、新たな声がティーゼの声に続いた

 

 

「私も行きます、騎士殿」

 

 

ティーゼの傍らに進み出たのは、茶色の髪を後ろで束ねた長身の女性衛士長だった。これまで奮戦を続けてきたのだろう、服は汚れ、鎧は傷だらけだが、凜とした顔に宿る闘志は消えてはいなかった

 

 

「私も、カミやんと…キリトとの約束を、まだ果たせていません。私にとって何よりも誇れる後輩達があんなになってまで守ろうとした人々を、世界を、ここで諦めるわけにはいかないのです」

 

「ソルティリーナ先輩……」

 

 

ティーゼが震える声で名を呼び、ソルティリーナもかすかな微笑みとともに頷き返した。誇りでも、名誉でもなく、守るべきもののために戦う。二人のその決意が、自分の中にも染み込み、共鳴するのをレンリは感じた。その右手でそっと神器に触れて、彼は深く頷いて言った

 

 

「・・・解った。なら、君たちは僕が守るから…絶対に、僕から離れないで」

 

「はい!」

 

「頼みます、整合騎士レンリ殿!」

 

 

ティーゼとソルティリーナがレンリの言葉に力強く応え、左腰から剣を抜いた。 同じように一対の神器を両手に握りながら、レンリは胸の奥で呟いた

 

 

(・・・エルドリエさん。シェータさん。そしてベルクーリ騎士長。 あなたたちのように、僕もようやく命の使い場所を見つけられたようです)

 

 

そして整合騎士レンリは、新たな決意をその魂で燃やしながら、二人の女性剣士と一緒に、悲鳴と絶望渦巻く戦場へと駆け出した

 

 

「うるああああああっ!!!」

 

 

一方で。上条当麻はひたすらに両手の拳を赤い兵士たちに打ち続けていた。その間にも、周囲の日本人プレイヤーが次々に押し潰され、殺されていくのを目の当たりにしていた彼は、その仇討ちだと言わんばかりに、怒りを拳に乗せて際限なく湧き続ける敵にぶつかり続けた

 

 

「くっ…そ……」

 

 

しかし、アンダーワールド大戦の開戦当初から戦い続けていた上条の体は、限界の限界すらも超えていた。拳を打てばドガアッ!という音こそしても、攻撃としてはまるで威力がなく、鎧の下にある生身にはまるでダメージが届いていないのは明白だった。いつもなら訳なく押し戻せる兵士達の鎧も、今の彼にはどんな鉄よりも重く感じられた

 

 

チュゴラ(死ね)ーーー!!!」

 

「ッ…!うああああああああっ!!」

 

 

難なく上条の拳を鎧で受け止めた韓国人プレイヤーが、殺意のある言葉を叫びながら、両腕に最大限の力を込めて戦斧を上条の脳天目掛けて振り下ろそうとした。しかし上条は、なけなしの気力を振り絞って両腕を上げ、振り下ろされかけていた戦斧の柄を掴み取った

 

 

「おぉ…らあああああぁぁぁっっ!!」

 

 

そのままガラ空きになった敵の土手っ腹を蹴り飛ばし、掴み取っていた戦斧を奪った上条は、倒れ込んだ赤い兵士の頭部目掛けてそのまま鉄の刃を振り下ろした。勢いを失った拳とは違い、戦斧は一撃で兜をカチ割った。それと同時に、頭頂部から顎にかけて肉を潰す生々しい感触が彼の手に伝わり、韓国人プレイヤーの頭部から大量の鮮血が飛び散った

 

 

「ぜぇ…はぁ、ぜぇ……」

 

「なぁ、カミの字よぅ…俺は後、何人斬れば…お前との酒にありつけんだ……?」

 

「うる、せぇよ…そんなこと、まだ未成年の俺に…聞くんじゃねぇ……」

 

 

敵を葬った戦斧から手を離し、息を切らす上条の隣には、最初こそ活気に満ちていたクラインがいた。すでに満身創痍となって刀を杖にして膝を突いている彼に問われた上条は、口の中に溜まった血と唾液を、同じ色をした荒野の土に吐き捨てながら、もう口を開くのも億劫だと言わんばかりの口調で返答した

 

 

「は、は…じゃあよ…こっちの世界にゃあ、少しは可愛い子いたのか…?出来ればこんな俺とでも結婚してくれそうな、優しさと情に満ち溢れた子が希望なんだが……」

 

「それこそ、知るかよ…この戦いが終わったら、自分で探すなり、口説くなり、すりゃあいいだろうが……」

 

「それも、そか。じゃあやっぱ、意地でも死ぬわけにゃ…いかねぇよなああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

「はぁ…はぁ…おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

そう言って、クラインは立ち上がり、上条は切れ切れになった息を無理やり喉に押し込み、無限に等しい敵へと向かって行った。その心の内に、彼らがどれだけ勝機を見い出せているのかは、彼ら自身も知るところではなかった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

シノンは、すぐ目の前にある二つの青い瞳の中で、漆黒の渦がブラックホールのように回転するのを、ぼんやりと眺めた。何かをしなくてはならない。何かをしたはずなのに、何も起こらない。ひたすら繰り返される幻のサイクル。サトライザーのひんやりと冷たい指が首筋を撫でる。強い嫌悪感、恐怖、しかしそれらすらもたちまち意識から吸い出され、瞬時に灰色の空疎さに置き換えられた

 

 

「だ、め」

 

 

これはもう、仮想空間で起きている、非現実の出来事ではない。このままでは自分の意識が落ちるところまで落ちてしまう。その認識が、赤い警告灯のように頭の片隅で瞬く。そちらへ意識を集中させようとするが、粘つく黒い液体が、いつしか彼女の腰辺りまでを吞み込んでいた。逃げることも、抗うこともシノンには許されなかった

 

 

「やめ、て……」

 

 

シノンのか細い悲鳴を無視して、サトライザーの顔がいっそう近づいていく。薄い唇がすぼめられ、すうっと空気を吸い込んだ。感情が、思考が、魂までもが、空気と一緒に吸引されていってしまうようだった

 

 

「盗ま、ないで……」

 

 

そんな心からの懇願すらも、即座に奪われ鈍い麻痺感だけが頭の中に取り残された。しかしその時、バチッ!という衝撃が、突如シノンの意識を強く叩いた。見開いた両眼が、青い上着の襟から飛び散る、眩い銀色の火花を捉えた

 

 

(ーーーッ!?熱い!!)

 

 

電撃に酷似した熱感が、男の吸引力を一瞬ながらも確かに上回った。わずかに回復した思考力を、銃弾の雷管のように炸裂させ、全身の力を振り絞って、シノンは男の両腕の中から脱出した。ソルスの飛行能力を発揮し、大きく距離を取った

 

 

「はっ…!はっ…!」

 

 

久しく感じる呼吸の感覚に肩を上下させながら、シノンは上着の内側でスパークし続ける何かを右手で引っ張り出した。それは、細いチェーンにぶら下がる、小さな金属のプレートだった

 

 

「なんで『コレ』が、ここに……」

 

 

『ソレ』は、ネックレスだった。現実世界の朝田詩乃の所有物。決して高価な物ではないが、シノンにとってソレは大きな意味を持っている。自分の命を狙われた『死銃事件』。その事件で彼女と共に戦った上条当麻がGGOにダイブしている時に使用していた、心電図モニター用の電極を、朝田詩乃は事件に関与していた黄泉川愛穂にお願いして一枚だけ譲ってもらったのだった

 

その後シノンは、その電極からテープ部分のみを剥離し、銀で出来た金属部分をペンダントヘッドに加工した。その自作ネックレスの存在は上条をはじめ、誰かに話したことはない。この世界にSTLでダイブさせた冥土帰しや吹寄制理、上条がオーディナル・スケールの時に語っていた御坂美琴と瓜二つの妹にも見せてはいない。故に、そのネックレスがアンダーワールドでオブジェクト化されているなどということは有り得ないのだ

 

 

(じゃあ、これは……)

 

 

ダイブする前に、カエル顔の医者は言った。STLが作り出す仮想世界は、単なるポリゴンのオブジェクトではない。記憶とイマジネーションによって生み出される、もうひとつの現実なのだと。ならばこのネックレスは、シノン自身のイメージが生み出した物に他ならない。そう確信したシノンは、銀色のペンダントヘッドにそっと唇を触れさせてから、服の下に戻した

 

 

「また、私はあなたに助けられたのね…カミやん」

 

 

完全に回復した意識を、離れた空中にホバリングする黒い有翼生物に向ける。生物の背中では、サトライザーが無言で眺めている自分の右手の指先から、かすかな白煙が上がっているのをシノンは見た。その視線を感じたのか、顔を上げたサトライザーの口許には、ほんのかすかだが不快そうな色が見える。男の顔をしっかりと見据えながら、シノンは言った

 

 

「随分と自分の力に陶酔してるようだけど、お前は神でも、悪魔でもないわ。私と同じ、ただの一人の……人間よ!」

 

 

サトライザーの力は圧倒的だ。シノンは思考を奪われた数秒でそれを嫌というほど実感した。恐らく、凄まじい強度のイマジネーションで自分の精神、フラクトライトにまで干渉しているのだと悟った

 

 

(だけど、イメージ力と集中力なら私だって…!)

 

 

それは、狙撃手にとっていちばん大切な力。シノンは、ソルス・アカウントの長弓『アニヒレート・レイ』を両手で握ると、静かに意識を集中させた。するとやがて、白く輝く弓の中央部が、青みがかった黒へと変化した

 

 

(私の心に応えて!私の相棒でしょ!!)

 

 

滑らかに湾曲する弓は、次第に完全な直線へと変形した。黒い光を放つ長い筒は、鋼鉄の銃身へと化した。マズルが、グリップが、ストックが次々に出現し、最後に巨大なスコープが湧き出すように実体化した

 

 

「・・・ウルティマラティオ・へカートII、か…」

 

 

シノンの手の中にあるものは、もう流麗な長弓ではなかった。無骨で、獰猛で、途轍もなく美しい50口径対物狙撃ライフル。それを見たサトライザーは、口中で小さく呟いた。ギリシャ神話に登場する、冥界の女神に由来する名を持つ相棒のボルトハンドルを、鋭い音を立てて引くと、シノンはにやりと笑った。サトライザーの鼻筋に浅い皺が寄り、唇が怒りを宿して歪んだ

 

 

「言っておくけど、無作法に私の肌に触れた代償は高くつくわよ!」

 

 

ソルスの弓から変化した愛銃ヘカートIIを、シノンは迷いのない動作で構えた。彼女とサトライザーの距離は二十メートルもない。対物ライフルで狙撃するには近すぎる。この距離で、動く敵を高倍率のスコープの中に捉え続けるのは困難を極める

 

 

(ーーー初弾で決める!!)

 

 

故にシノンは、サトライザーが動き始める前に勝負をつけるべく、スコープのレンズ越しに黒い影を見た瞬間トリガーを引いた。続いたのは凄まじい閃光と、轟音。そして強烈な反動が、空中にホバリングするシノンを襲った。しかし、ALOの随意飛行のノウハウを活かし、どうにか体を安定させると、シノンは未だに硝煙を引いている弾丸の軌跡を追い、視界にサトライザーの姿を収め、そして、驚愕に両眼を見開いた

 

 

「なん、ですって…!?」

 

 

翼生物の背中に立つ男は、左腕を持ち上げ、五指をかぎ爪のように曲げている。掌の中では闇と光が入り混じって激しく渦巻き、その中央で小さく、強く輝いているのは、間違いなくシノンが放った弾丸だった。先ほどと同じように、その銃弾を意志の力で吸い込もうとしている

 

 

「・・・負けるな…」

 

 

それを目の当たりにしたシノンの心に、かすかな怯えが生まれた。それと同期するように、サトライザーの左手から放たれる闇がその勢いを増した。しかしシノンは、無意識のうちに呟いて、次の瞬間には我も忘れて叫んでいた

 

 

「負けるな!ヘカート!!」

 

 

ズバンッ!と音を立てて、銃弾の放つ光が闇を貫いた。サトライザーの左手に巨大な穴が開き、鮮血と肉片が渦を巻いて飛び散った

 

 

(ーーー行ける!)

 

 

シノンは大きく息を吸い込むと、ヘカートⅡのボルトハンドルを引いた。排出された空薬莢が、きらきら輝きながら落下していく。サトライザーは、傷ついた左手を無言で見下ろしていた。打ち損じたか、とシノンは内心で歯噛みするも、現在進行形で黒い粘液のような闇が埋めている、掌に開いた巨大な穴は、そう簡単に癒える傷ではなさそうだった。サトライザーがその掌から笑みの消えた顔を持ち上げると、シノンは満足げな表情で鼻を鳴らしながら訊ねた

 

 

「ふん。どう?ヘカートの50口径弾の味は」

 

「・・・やはり君は、生粋の狙撃手のようだな。しかし君のような少女が、一体どこでそれほどの技量を培ったのか、疑問ではある」

 

「本物の軍人さんには縁遠い話かもしれないけど、GGOってゲームがあるのよ。私はそのゲームで、トッププレイヤーが集まる大会に出て、文字通り命を賭して戦った。それだけのことよ」

 

「なるほど…私も国内産のVRシューティングゲームに、訓練の一環でダイブすることもあるのだが、ソフトウェアのリサーチには疎くてね。今度君の言うGGOというゲームをプレイしてみようと思うよ…『コレ』を使って」

 

 

サトライザーは訝しげな視線を閉じ、腰からクロスボウを外した。そして、ぐにゃり。突然、クロスボウが歪んだ。左右に突き出した弓が折り畳まれ、全体の長さが倍以上に伸びていき、木製だったはずのフレームが、黒い金属の輝きを帯びた

 

 

「ば、バレットXM500…!?」

 

 

その一秒後、サトライザーの右手には、ヘカートに並ぶほど巨大なライフルが握られていた。ヘカートⅡと同じ50口径ながら、より新しい世代の対物狙撃ライフルだ。そして黒い凶器のスコープでシノンの姿を捉えたサトライザーの口許に、もう一度歪んだ笑みが戻った

 

 

「・・・上等じゃない。これでもう、あなたを撃ち抜くことに、なんの遠慮も必要なくなったわ」

 

 

言って、シノンは相棒の銃床を右肩に押し当てた

 



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第68話 It's show time.

 

絶望的な状況に抗い、最後まで戦場に立ち続けたのは、スーパーアカウントに保護されたアスナと、そしてアンダーワールド人である整合騎士レンリ、及び彼の騎竜、さらに騎士と竜に守られながらも果敢に剣を振り続けた少女練士ティーゼと、衛士長ソルティリーナと、そして。上条当麻だった

 

 

「・・・・・はっ…」

 

 

上条は痛みによってもうほとんど感覚の残っていない自分の体を、自嘲するように鼻息で笑った。そして自らの微弱な息が、命の灯火を消したかのように、未だ四万以上の兵力を誇る中韓プレイヤーひしめく後方から無数の長槍が投擲された

 

 

「くっ……!」

 

 

最初の投擲を、上条もうほとんど物体を捉え切れていない目を凝らして、衣服に掠らせながらも、何とか避けた。レンリの飛竜、風縫は広げた翼と胴体で槍を受け、主を守った。しかしゆっくりと、剝がれた鱗と赤い血を飛び散らせながら、そのまま横倒しになった途端、すかさず新たな槍の雨が投げ放たれた

 

 

「ティーゼさんっ!!」

 

 

ザアアッ!と音を立て襲いかかる無数の穂先を一瞬見上げてから、騎士レンリは振り向くと、すぐ後ろにいたティーゼを抱きかかえ、自分の下に隠した。次の瞬間、背中に二本の槍を受け、レンリはティーゼを覆うように前のめりになって倒れた

 

 

「・・・ぁ……」

 

 

そして、ついに。立ち続けていた上条当麻にもその時が訪れた。もはや避けることを諦めかけた時、ズンッ!という鈍い衝撃とともに脇腹に槍が背中から刺さったのと同時に、膝を折りたたむように地面へと崩れ落ちた

 

 

「カミやん、くん……」

 

 

掠れた声をアスナが上条にかけた時には、戦域の他の場所でも、戦闘はほぼ終了していた。力尽き、倒れた日本人プレイヤーに赤い兵士がいっせいに群がり、我先にと刃を叩きつけていく。血と肉、かすかな悲鳴が振り撒かれ、やがて途絶えていった

 

 

「あ、諦めるな…!最後まで…我々は最後まで戦うぞ!」

 

 

コンバート組二千人の防御陣がほぼ無力化され、いままでその中央に守られていた人界軍がいよいよ露出し始めていた。非武装の補給部隊と修道士隊を守ろうと、約四百人の人界軍衛士たちが、ぐるりと輪になって剣を構えていた

 

 

「・・・やめて…」

 

 

しかし、衛士全員の顔には悲壮なまでの覚悟が満ちていた。じりじりと迫る赤い軍勢に向けて、自らの死を覚悟してでも突撃をかけるその時を静かに待っているのが、アスナには分かった。その時、彼女は自分の唇から零れた声を聞いた。それは、全身に受けた傷の痛みではなく、絶望と哀しみによって心が折れた音だった

 

 

「お願い、もうやだ…もう、やめてよ……」

 

 

呟きとともに、アスナの右手からレイピアが落ちて地面に転がった。その傷だらけの刀身に、頰から滴った涙の粒が小さく弾けた。目の前に立ちはだかった赤い人影が、敵意に満ちた罵り声とともに、両手剣を高々と振り上げた……その刹那のことだ

 

 

「ストーーーーーーーーーーップ!!!」

 

 

途轍もないボリュームで叫んだのは、今までずっと離れた場所で戦闘を見守っていた黒ポンチョの男だった。殺人ギルド、ラフィンコフィン頭首PoHの亡霊。その声は、アスナに向けて振り下ろされようとしていた刃と、戦場のあちこちで進行中のあらゆる戦闘を停止させた

 

 

「OKOK。この辺りが潮目だろう」

 

 

隣国人プレイヤーたちは、マーカーか何かで黒ポンチョ男を指揮官と認識させられているらしく、不承不承ながらも武器を降ろした。アスナを斬り伏せようとしていた男も、激しく舌打ちして剣を鞘に納め、傍に立っていた男がアスナの髪を摑み、引っ張り上げた

 

 

「痛っ…!?」

 

 

強く髪を引かれたアスナは、萎えた腕で懸命に体を起こした。視線を巡らせると、黒革の裾を揺らしながらこちらに歩いてくる背の高い男の姿が見えた。低いがよく通る声で周囲の赤いプレイヤーたちに言葉を掛けているが、韓国語なので理解できなかった

 

 

「よぉし。んじゃ、始めようか」

 

 

すると、その周囲でも似たようなことが行われ始めた。どうやら、まだ生きている日本人プレイヤーを一箇所に集めるつもりらしい。フードの男は、今もなお剣を構え続ける人界軍衛士たちのすぐ近くまで平然と歩み寄ると、振り振り向いて片手を振り、アスナの髪を摑む男に再び何かを指示した

 

 

「あぐっ!?」

 

 

直後に背中を乱暴に蹴り飛ばされて、アスナは数メートル先の地面に転がった。それからというもの、彼女に続いて立て続けに日本人プレイヤーが突き転ばされた。その数は、既に二百を下回っている。ヒットポイントの量が生存率に直結したのか、やはりハイレベルのプレイヤーが多く残っているのが見て取れた

 

 

「みん、な………」

 

 

アスナが少し周りを見回すと、すぐにALOの領主たちや、スリーピングナイツのメンバーを発見できた。皆、全武装を破壊され、または奪われて、ボロボロになった服しか身につけていない。露出した肌には傷が縦横に走り、折れた刃が突き刺さったままの者も多い。しかしその中で、ある一箇所の光景がアスナを更なる絶望の淵へと叩き落とした

 

 

「ミコト、さん……!」

 

 

アスナの視線の先には、さめざめと泣くシウネーの膝の上で深く瞼を閉じた、御坂美琴の姿があった。数も分からないほどに、夥しく彼女の全身に刻まれた切り傷は、その大半が背中に集中していた。きっと彼女は、最後まで非戦闘型プレイヤーであるシウネーの上に覆い被さり、その身を盾にして彼女を庇っていたのだとアスナは悟った

 

 

(もう、これ以上…何も見たくないよ……)

 

 

そう思ったアスナはしかし、滲む涙を通して、この戦場にコンバートしてきてくれたプレイヤーたちの姿を目に焼き付けようとした。視線を一回りさせたところで、土埃に塗れたピンク色のショートヘアをそのままに、あずき色のコスチュームも各所で引き裂かれた少女を見た。その少女、リズベットはシウネーの膝の上で眠る美琴の前まで這いずっていき、血と涙に汚れた頰がわななかせ、掠れた声を漏らした

 

 

「みんな、あたし…あたしが…みんなを……巻き込んだばっかりに…ごめん…ごめんなさいっ…!」

 

「違う、わよ…リズ……」

 

 

閉じられていたはずの美琴の瞼が、リズベットの声に応えるようにゆっくりと持ち上がった。そして、その瞳に涙を溜めながら、美琴は完全に力を失った声で語り掛けた

 

 

「リズは、充分にやってくれたわよ…私とアイツだけじゃ、こんなに強く戦えなかった。本当に…ありが、とう…。だから、リズがなく必要なんて…これっぽっちも、ないわ……」

 

「みこ、と…!あたし、知らなかった。戦うことが、こんなにも怖くて…!負けることが、こんなに辛いなんて……知らなかったよぉ……!」

 

 

やがてシウネーと同じくさめざめと泣き始めたリズの頬に伝う涙を、美琴は震える右手を上げて優しく拭き取った。その光景に、アスナがまたも涙を堪えきれなくなりそうになっていると、小さなすすり泣きが聞こえた

 

 

「ひうっ、ひっく…ごめん、なさ…ひっ。エギルさん…私のせいで、私が弱いせいで…こんなになるまで…えぐっ……」

 

 

そちらを見ると、地面に倒れたまま動かないエギルと、その隣にうずくまるシリカが見えた。エギルは、よくもこれで天命が残っているものだと思えるほど酷く負傷していた。その近くには、胡坐をかいて項垂れるクラインの姿もあった。その彼は、未だ繋がっているのが不思議なほどに深い傷をおった左腕に、トレードマークのバンダナを巻いていた

 

 

「・・・・・・・ぉ……」

 

 

そして最後に、ドサリ。という力のない音と共に、赤い兵士達に運ばれてきた上条の体が集団の中に投げ捨てられた。その衝撃で腹に刺さっていた槍が抜け、ゴロゴロと転がってやがてうつ伏せになった彼の体から、どくどくと血が流れ始めるが、その痛みに漏らす声もなく、ただ大の字で仰向けになっている。言うなれば、もはや骸に近い状態だった

 

 

(俺は…結局、誰も守れなかったのか………)

 

 

上条の脳裏では、カセドラルの最上階で守れなかった少年の姿と、身も心もボロボロにされた仲間たちの姿が重なっていた。まるで同じことの繰り返し。それを理解すればするほど、彼の心が悔しさに滲んでいった

 

 

「だけど、こんなの…もう…無理だろ……」

 

 

武器も、鎧も、そして闘志さえも奪われて地に伏す二百人の中で、上条は静かに呟いた。そして黒ポンチョの男は満足げに戦意を失った日本人プレイヤー達を睥睨し、フードの奥に覗く口ににやりと大きな笑みを浮かべると、さっと体を翻し、人界軍の衛士たちに向かい合った

 

 

「さぁて、残るはお前らだけだ」

 

 

黒衣の悪魔の右手が持ち上がり、皆殺しにしろ、という指示が発せられる瞬間を、アスナは恐怖とともに待った。しかし、人界人たちに向けて発せられたのは、意外な内容の日本語だった

 

 

「武器を捨てて投降しろ。そうすれば、お前らも、後ろの捕虜も殺しはしない」

 

 

激戦を経て、もう100人ほどしか残っていない人工フラクトライトたちの顔に、一瞬の驚きに続いて、深い憤激が走った。数歩前に出て、黒ポンチョと向かい合ったのは、女性衛士長のソルティリーナだった。レンリたちと一緒にずっと最前線で戦っていたのだろう、剣は刃毀れし、額から血が垂れている。それでも最期まで騎士であろうとしたソルティリーナは、毅然とした声で叫んだ

 

 

「ふざけるな!この期に及んで、我らが命を惜しむと思っているのか!?」

 

「その人の言うことを聞いてーーーッ!!」

 

 

ソルティリーナの言葉を遮り、アスナは懸命に叫んだ。涙に濡れた顔を上げて、アスナはふるふると首を振りながら必死に懇願した

 

 

「お願い…お願い!あなたたちは生きて!どんな屈辱を味わおうとも、生きのびてください!それが…それが、私たちの……たった一つの…………」

 

 

希望なのだから。胸が詰まり、そこまではアスナも言葉にできなかった。ソルティリーナと衛士たちはぐっと口を引き結び、顔を歪め、しばらく身を震わせていたが、やがてゆっくりと肩を落とした。がしゃ、がしゃんと音を立てて落ちていく剣を見て、周囲を幾重にも取り囲闇の軍勢たちの口から、高らかな勝利の叫びが湧き上がった

 

 

「はいは〜い、一旦やめやめ。宴は後でたっぷりやるからよぉ〜」

 

 

男は、さっと片手を上げて数人のプレイヤーを呼び、何かを指示した。男たちは即座に頷き、降伏した人界軍をかき分けるように円陣の奥へと走っていく。いったい何を…と思ったのも束の間、黒ポンチョがざくざくと音を立てて歩み寄ってきて、アスナの前に腰を下ろした

 

 

「・・・よう、久しぶりだな『閃光』」

 

「ーーーッ!!やっぱり、お前…PoH…!」

 

「おっと、憶えててくれたのか。嬉しいぜぇ」

 

 

息を吞み、アスナは胸の奥から言葉を絞り出した。そのとき、右手を地面に突いてにじり寄ってきたクラインが、燃えるような目で黒いPoHを見上げた

 

 

「テメェがどこの誰か、俺は知らねぇけどなぁ…俺の仲間に…アスナに、手ぇ出すんじゃねえっ!!」

 

「いいってそんな気にしなくて。俺もお前なんか知らねぇから…よっ!!」

 

「ぐはっ!?」

 

 

片手だけで摑みかかろうとしたクラインを、PoHのブーツが無造作に蹴り飛ばした。痛みに悲鳴を上げて倒れるクラインを見て、アスナはぎりりと奥歯を食い縛り、低い声で訊ねた

 

 

「これは、復讐なの…?ラフィン・コフィンを壊滅させた、私たちへの…?」

 

「・・・・・」

 

「だったら、その怒りは私だけにぶつけなさいよ…!少なくとも、ここにいるみんなには関係ないことだわ……!」

 

 

PoHは、しばし無言で毅然とした表情で言い切ったアスナを見下ろしていた。すると、その肩が細かく震え始めたのに、アスナは気付いた。数秒後、これ以上は我慢できないと言うようにポンチョの下で体を捩り、くくく、はははと笑い始めた。発作のような嘲笑をようやく収め、右手の人差し指を突き出すと、彼は愉快そうに続けた

 

 

「あー、ええっと…こういう時、日本じゃなんて言うんだ?ずっとアメリカにいたもんだから、スラングとか忘れちまったぜ……っと、そうそう。『ばーっかじゃねえの?』」

 

「・・・え…?」

 

「まったくウケるぜ、あのな……教えてやるよ。ラフィン・コフィンの隠れアジトを、てめぇら攻略組様に密告したのは、この俺なんだぜ?」

 

「なっ…!なんで、そんな……」

 

「そりゃ、サル同士殺し合うのが見たかったってのもあるけど…一番の理由はやっぱりこれだな。俺はな、お前らを『人殺し』にしたかったんだよ。お偉い勇者様ヅラして、最前線でふんぞり返ってる攻略組様をよ。お膳立てには苦労したぜ。ラフコフの連中にも直前に警告して、逃走は無理だけど迎撃は間に合うっつうタイミングをぴったし作ってさ」

 

「・・・それが、狙いだったの…?」

 

 

アスナは、気づけばギリギリと歯が欠けそうになるほどに、歯を食いしばっていた。目の前の男を食い殺してやりたいほどの強い怒りを表した、その小さな抵抗のまま、ひび割れた声がその口から漏れた

 

 

「キリトくんに…PK行為を背負わせるために…!」

 

「Yes。Oh Yeah。俺はあの戦いを、ハイドしながら見物してたんだよ。ブラッキー先生がブチ切れて二人もぶっ殺した時は、危うく爆笑してハイドが破れるとこだったぜ。計画じゃあ、次はアイツとアンタを麻痺毒で無力化して、あん時のことをたっぷりインタビューしてやろうと思ってたんだけどよ…まさか七十五層でエンディングとはなぁ。マジで萎えたよ。いや、マジで」

 

「き…キリトくんが、どれだけあの時のことを、悩んで、苦しんできたと思ってるの!?」

 

「へぇ、そりゃよかった。でも、そいつは怪しいもんだな。ほんとに後悔してるならよぉ、普通VRゲームなんざ見るのも嫌になるんじゃねえの?殺したヤツに申し訳なくてさぁ。解ってんだぜ、あいつもいるんだろ、ここに。俺には全部分かってる。なんで馬車に閉じこもってんのかは知らねえが…まあ、これから直接訊くさ」

 

 

言葉を失うアスナにニヤリと笑いかけ、PoHは勢い良く立ち上がった。いまだ周囲で湧き上がり続ける大歓声の底で、氷のように冷たい声が上がった

 

 

「イッツ・ショーウ・タァーーーイム!!」

 



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第69話 友切包丁

 

「イッツ・ショーウ・タァーーーイム!!」

 

 

SAOで暗躍していた当時の決まり文句を口にして、さっと右手を持ち上げるPoHの向こうに……赤い兵士の手で乱暴に押される車椅子と、それに懸命に付き従う、灰色の制服姿の少女が見えた

 

 

「あぁ…やめて、お願い…それだけは……!」

 

「ッ!!テメッ…!!」

 

 

アスナの胸中と、震える唇から、悲痛な懇願が溢れた。クラインが跳ねるように立ち上がろうとしたが、周囲を取り囲む韓国人プレイヤーの手によって即座に押さえつけられた

 

 

「・・・ンン?」

 

 

PoHはすぐ目の前まで運ばれてきた車椅子に座るキリトの素顔を、上体をひょいと傾けて覗き込んだ。それから、訝しそうな唸り声を漏らし、つま先でコツンと、椅子から下がる細い脚を小突いた

 

 

「何だぁこりゃ…?おいブラッキー、起きろよ。聞こえてんのか、黒の剣士サマ〜?」

 

 

かつての二つ名で呼ばれたキリトは、反応らしい反応をしなかった。黒いシャツ越しにも痛々しいほど瘦せ細った体を背もたれに預け、顔を深く俯かせている。中身のない右の袖が風に揺れ、二本の剣を抱く左手も、骨ばかりが目立つ。アスナの隣に突き飛ばされたロニエが、真っ赤に泣き腫らした眼を瞬かせながら小声で言った

 

 

「キリト先輩…戦いの間、何度も、何度も立ち上がろうとして…それで、力尽きたみたいに静かになって…でも、涙が…涙だけが、いつまでも……」

 

「ロニエ、さん…!これで…これで分かったでしょうPoH!キリト君は戦って、戦って、戦い抜いて、傷ついてしまったの!だからもう構わないで!キリトくんを、そっとしておいてあげて!」

 

 

アスナは左手を伸ばし、しゃくり上げるロニエの華奢な体を引き寄せた。そしてその涙を優しく指で拭き取ってから、きっと顔を上げ、PoHに鋭い言葉を投げる。しかし彼はアスナの声など耳に入らない様子で、今も宙空を見続けているキリトの顔を至近距離から覗き込んだ

 

 

「おいおいおーい!噓だろ!?締まらねぇんだよこんなんじゃよ!おい、起きろって!Hey!Stand up!グッモー…ニンッ!」

 

 

突然、PoHは言葉の端々に力を込めながら右足を銀の車輪に掛け、容赦なく蹴り倒した。騒々しい金属音とともに横倒しになった車椅子から、キリトの痩せた体が地面に投げ出された

 

 

「や、やめてーーーっ!!!」

 

 

必死に叫んだアスナは立ち上がろうとするも、門番のように目の前に立ち塞がる兵士達の剣に阻まれた。そしてPoHは、それをさして気に留める様子もなく、蹴り倒したキリトに歩み寄ると、そのつま先に、ほとんど重みのない彼の体を乗せて乱暴に引っくり返した

 

 

「なんだよ…マジでぶっ壊れちまってるのかよ。あの勇者サマが、ただの木偶かぁ?おいおい、興醒めなんてモンじゃねぇぞ。俺の長年に渡る必死のラブコールは…どうだったのか聞かせてくれよぉ!?」

 

 

PoHは腹いせとばかりに、未だしっかりと二本の剣を抱えているキリトの左腕から、白い鞘を奪い取った。その鞘を投げ捨てつつ乱暴に引き抜かれた刀身は、その半ばで痛々しい折れ口を晒していた

 

 

「あぁん?剣が折れたから、自分の心も折れましたって寒いジョークかブラッキーさんよぉ?少なくともお前にゃ、こんな黒くもねぇモンなんざ似合ってねぇから、俺が捨てといてやるよ」

 

「ぁ……。ぁーーー……」

 

 

柄頭に青い薔薇の咲いたその優美な剣を一瞥して、PoHは盛大な舌打ちとともに青薔薇の剣を放り捨てようとした。しかし、その時。キリトが嗄れ声を発しながら、左腕を白い剣へと弱々しく伸ばした

 

 

「おっ!?動いたな!なんだぁ、コイツが欲しいのか?だったら、ホラ。何とか言えよ!!」

 

 

PoHは焦らすように空中で青薔薇の剣を泳がせていると、それを取り返そうと必死に伸ばされたキリトの左腕をぐいっと摑み、乱雑に引っ張り上げた。ぱし、ぱしん!と音を立て、PoHの左手がキリトの頬を張った

 

 

「ーーーーーッ!!!!!」

 

 

その瞬間、上条当麻の体が何かに突き動かされたように、ガバッ!と起き上がった。そして、体の奥底からふつふつと湧いてくる怒りに顔を歪め、地面を強く蹴り飛ばしてPoHへと殴りかかった

 

 

「テメェェェェェーーーーーッッッ!!!」

 

「お、おいおい。なんだ、一体どこの誰なんだお前はよぉ?」

 

 

上条はPoHとキリトの元に辿り着くなり喚き散らし、黒いフードに隠れている彼の顔面目掛けて、次々に両手で拳を繰り出していった。しかしPoHにとっては、もはや威力も早さも失せたその拳を見切ることは造作もなく、ひらりひらりと軽い身のこなしで上条の拳をかわし続けた

 

 

「そんな薄汚ねぇ手で、キリトに触るんじゃねぇ…!テメェなんかが、青薔薇の剣に…ユージオに触るんじゃねぇぇぇーーーっ!!」

 

「だったらお前も、そんな汚れた手を俺に向けてんじゃ…ねぇっ!!」

 

「はっ…!?ズッ…!?」

 

 

やがて上条の拳は、青薔薇の剣を奪い取るべく大きく開かれた。しかしその手が最も伸びた、最も無防備になった瞬間に、PoHが彼の鳩尾に足蹴を見舞うと、その体はもう一度呆気なく地面に転がった

 

 

「ったく…そんなにいい代物なのかコイツぁ?俺にゃ分っかんねぇなぁ〜…まぁいいや。いらね」

 

「テメッ…!キリの字とカミの字に何してやがんだぁぁぁーーーっ!!!」

 

 

PoHが青薔薇の剣を無造作に放り捨て、上条が地面に転がった直後、クラインは叫びながらもう一度立ち上がろうとした。しかし無情にも、片腕で摑みかかろうとする彼の背中を、背後から太い剣が貫き、容赦なく地面に縫いつけた

 

 

「が、はっ…!?効か、ねぇ…効かねぇぞ、こんなの……。テメェだけは…許さ…ねぇ…!絶対に、俺が…ぶった切……!!」

 

 

大量の血を吐き出しながらも、クラインは剣で縫い止められた自分の体を引き裂いて、なおも前に進もうとした。ドスッ!と鈍い音が響き、二本目の剣がクラインの背中を貫いた

 

 

「ぎゃあああああああーーーっ!?!?」

 

 

クラインの喉口から、聞くに耐えない絶叫が迸った。その悲痛な惨劇に、いまだ涸れないことが不思議なほどの涙が、アスナの両眼から溢れた。深々と縫い留められながらも、なおも右手で地面を搔こうとするクラインを、PoHは厭わしそうに見下ろした

 

 

「ったく、見てらんねぇよ。雑魚は雑魚らしく引っ込んでりゃいいのに、のこのこ出てくるからそんな目に遭うんだよ」

 

 

両手を広げてやれやれとばかりに首を振り、クラインの背後に立つ赤騎士プレイヤーたちに、アスナには聞き取れない言語で何かを指示した

 

 

「ソイツは邪魔だ。殺せ」

 

 

その言葉に、プレイヤーの一人が頷き、新たな剣を振りかぶった。三本目の刃が、残りわずかと思われるクラインの天命を奪い取ろうとした、その時ーーー

 

 

ハジマ(やめろ)ーーーッ!!」

 

 

韓国語で、ありったけの音量で怒鳴ってその剣を素手で受け止めたのは、つい先ほどまで続いていた乱戦の中でシウネーとコンタクトを取り、同国のプレイヤーの叱責も恐れず人界守備軍の助けとなろうとした唯一の韓国人プレイヤー、ムーンフェイズだった

 

 

「お前っ!一体なんのつもりだ!?」

 

 

クラインに刃を振り下ろそうとしていた赤の騎士が、驚きと、それに倍する怒りのこもった韓国語で怒鳴った。しかしムーンフェイズは、彼の怒声に怯むことなく、シウネーの時と同じく懸命に説得を試みた

 

 

「何かおかしいと思わないのか!もう戦いは終わったんだ!なのに、どうしてこんな…リンチみたいな真似をする必要があるって言うんだ!?」

 

 

ムーンフェイズの叫びに気圧された同国人は一瞬押し黙り、視線を足許のクラインと上条、そして後方に倒れているはずの車椅子の若者に向けた。兜に付いたバイザーの奥にある両眼が、動揺したように瞬きを繰り返す。やはりこのプレイヤーも、戦闘の熱狂が冷めるにつれて、途惑いを感じ始めていたのだろう。やがてその体から、徐々に力を抜いて静かに剣を下ろした

 

 

「裏切者だ!」「日本人は皆殺しだ!」「ソイツもまとめて殺せ!」

 

 

ムーンフェイズが言葉を重ねようとする前に、この場をぐるりと取り囲む人垣から鋭い声が飛んできた。同胞たちの怒りに背中を押されたかのように、眼前の赤騎士が再び剣を握り直した。されど次に聞こえたのは、ムーンフェイズには予想外の言葉だった

 

 

「待て!そいつの話を聞こう!」「その場の勢いに任せるな!」「確かにあの黒ポンチョの男はやり過ぎだぞ!」

 

 

気づけば人垣のあちこちで、韓国人プレイヤー同士が議論を始めていた。その火種はあっという間に燃え広がり、生き残った日本人も皆殺しにするべしという強硬派と、事情がちゃんと説明されるまで待とうという穏健派に分かれて激しい口論に発展した。この状況を、唯一の指揮官の黒ポンチョの男はどう収めるつもりなのか。そう思って、ムーンフェイズが振り向いた、その先には……

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

地面に倒れる隻腕の若者のそばに立つ黒ポンチョの男は、肉厚の包丁型ダガーを指先でくるくる回しながら、フードの奥の口許を大きく歪めていた。その表情が、怒りではなく、哄笑を堪えているのだと気付いた時、ムーンフェイズの背筋に冷たい戦慄が走った

 

 

「・・・悪魔だ…」

 

 

ムーンフェイズが恐怖を顔に浮かべて呟いた直後に、PoHは肉厚の包丁を手で弄びながら、乾いた靴音を鳴らして彼に近づき、ゾンッ!!という鈍い刃の音を走らせながら、自らの手で『裏切り者』を処刑した。そして、彼の首を高々と掲げることで、今もなお自分を信じる中韓プレイヤーたちを煽動して、仲間を攻撃させるために。自らが求める、人間同士の滑稽な殺し合いを続けさせるために。彼は腹の底から笑いながら叫んだ

 

 

「かかっ。くくくくくっっっ……ひゃーっはっはっはっ!!見ろ!これが裏切り者の辿る末路だ!だが間違えるなよ!コイツがこうなってしまったのは、卑劣な日本人が言葉巧みに誘惑したからだ!だからこそ、もう二度とコイツのような悲しき末路を辿る人間を出さないよう………」

 

「う…ああああああーーーっっっ!!!」

 

 

しかしその瞬間、血を吐くような雄叫びとともに、レイピアが閃いた。鋭い切っ先から、白い閃光が迸る。かつて何千、何万回と放った基本技、ソードスキル『リニアー』

 

 

「オッ!?」

 

 

ムーンフェイズの首を掲げる自分の左手と胸間を突き抜けるように飛び込んできた細剣の軌道に、PoHは上体を反らせた。それでも細剣を握るその手が、遠ざかるフードの奥の暗闇目掛けて、懸命に切っ先突き入れた瞬間、浅黒い肌から数滴の鮮血が飛び散り、ムーンフェイズの首を手放した

 

 

「これ以上、好き勝手にはさせないっ…!」

 

 

自分の頬を伝い始めた鮮血を指で掠め取るPoHの前に立っていたのは、アスナだった。既に倒れていたはずの彼女は、最後の力を振り絞って立ち上がり、唯一自分達の味方をしてくれた、今はもうこの世界から遺体も残さず消えてしまった勇敢な少年の尊厳を守るべく、震える手でレイピアを構えながらPoHと向かい合った

 

 

「あなただけは絶対に許さない…!人の命を見せしめのように奪う、お前だけは…!」

 

 

アスナは、それが例えPoHの目論見通りだったとしても、熱い怒りを抑えることは出来なかった。ムーンフェイズの死を皮切りに、後に振り撒かれる筈だったPoHの煽動に、またも巻き込まれかけている半数の中韓プレイヤーは、この世界の真実に気付きつつある。つまり、日本人プレイヤーの言葉を信じてくれた人々。そんな彼らを見捨てることを、アスナは決して良しとはしなかった

 

 

「あははははは!いいねいいねぇ!やっぱそうこなくっちゃあなぁ閃光さんよぉ!!」

 

 

アスナの胴体目掛けて、PoHの友切包丁が唸りを上げて襲いかかった。しかし同時に、アスナはPoHの足許めがけてイメージを集中させていた。地面からうっすらとした虹色の光が放たれ、消える。その結果として、アスナは創世神ステイシアの力によって、PoHの軸足の下に数センチの出っ張りを生み出した

 

 

「What's!?」

 

 

ごくささやかな地形操作だったが、頭を切るのような痛みがアスナの意識を貫いた。その代償と引き替えに、黒い死神は体勢を崩し、包丁はアスナのドレスを大きく切り裂くに留まった。そして、PoHが僅かに見せたその隙目掛け、今も尾を引く頭痛を無視してアスナはレイピアを引き絞った

 

 

「やあああああーーーっ!!!」

 

「おっと、危ね」

 

 

しかし。ポンチョを大きく翻したPoHが包丁を真上に構え直すと、神速の突き技と剛強な斬り技が激突し、純白と深紅の刃が混交した火花を周囲に振りまいた。アスナがありったけの力を振り絞り、細剣を押し込もうとするも、交差する刃は完全に静止し、それ以上動くことはなかった

 

 

「ッ…あなたの望みは、一体何なの!?」

 

 

すでに傷だらけのラディアント・ライトを振り絞り、交差する刃を押し続けるアスナは、掠れた声で問いかけた。その疑問に、フードの下に覗くPoHの口許がにやりと歪み、ざらついた声を放った

 

 

「決まってるだろ、『黒』のヤツだよ。アインクラッドの五層で初めて殺そうとして殺せなかった時から、俺が望むのはアイツだけだ」

 

「どうしてそんなに、キリトくんを憎むのよ…!彼がっ…あなたに何をしたって言うの!?」

 

「・・・憎むぅ?」

 

 

心外そうに繰り返すと、PoHは首を傾げながら顔を近づけ、囁いた。やがて死神の口から放たれたおぞましい言葉は、黒い瘴気となってアスナに絡みつくように漂い始めた

 

 

「俺どれほどアイツを愛しているか、アンタなら解ってくれると思ってたけどな。自分の事しか頭にねぇクソったればっかりのあの世界で、アイツだけが唯一、無条件に信じられる男だった。俺がどんなに苦しめても壊れず、どんなに誘いをかけても汚れず、いつだって俺に希望と喜びを与えてくれたんだ」

 

「だから俺のいない場所で、アイツがあんなになっちまったのが許せねぇんだよ。あんな搾りカスみてぇな状態のアイツに会ったって、なんの意味もねぇ。俺は絶対にアイツを目覚めさせてみせる。そのためなら、誰だろうと、何千人…何万人だろうと殺してやる」

 

「き、希望…?喜び、ですって…?あなたのしたことで、キリトくんがどんなに…どんなに……!!」

 

 

アスナが懸命に言葉を返すが、せめぎ合う包丁とレイピアの交錯点は、断続的に火花を散らしながら少しずつ彼女に近づく。その原因は、アスナの闘志が揺らいだせいだけではなかった。PoHの右手に握られた魔剣・友切包丁が、生物のように震えながら、少しずつ厚みと大きさを増しつつある。その現象にアスナが驚愕していることに気づいたのか、フードの奥にある男の顔がニヤリと嗤った

 

 

「俺にもようやくこの世界の仕組みが解ったよ。この場所じゃ、流れた血や失われた命がそのまんまエネルギーになるんだ。『光の巫女』がぶっといレーザーでダークテリトリー軍を焼き払った時みてぇにな」

 

 

それ即ち…『神聖力』。けれどそれは、基本的には複雑な術式を唱えるか、リソース吸収能力のある武具を装備しなければ使えない力だ。友切包丁の大型化が空間神聖力の作用によるものだとしても、PoHは術式をコマンドを口にしていない

 

 

(なのに、なんでっ……!?)

 

 

包丁は恐らくSAO時代のアバターのコンバートで、アンダーワールド仕様のリソース吸収能力など持っているはずがない。しかしPoHは、アスナのその思考をも読んだかのように言葉を紡いだ

 

 

「この『友切包丁』はな、アインクラッドじゃあモンスターを倒すたびにスペックダウンして、プレイヤーを…人間を斬れば斬るほどスペックアップするって仕様だった。まぁ、Mobをうんざりするほど倒せば呪いが解けて、似たような名前の武器に進化するらしいが、当然俺はそんなモンに興味はなかった」

 

「だが今重要になってくるポイントは、人間の命を吸って強くなるっつう本来の性能が、アンダーワールドでも機能してるってことだ。この戦場には、アンタらが殺したアメリカ人と、中韓連合軍が殺した日本人の命が渦巻いてる。これから中韓の奴らが殺し合えば、さらに大量の命が溢れる。これがどういう意味か、もう言わなくても分かるよなぁ?」

 

 

悪魔が囁くあいだにも、友切包丁はギギ!ギギッ!と唸りながら巨大化を続ける。GM装備であるアスナのラディアント・ライトが、圧力に耐えかねたかのように軋む。あらゆる背景音が遠ざかり、自分の息遣いと心臓の鼓動だけがアスナを苛んだ

 

 

「命を、死をひとつ残らず吸い尽くすために、俺はこの世界の人工フラクトライトを片っ端から殺す。もちろん、後ろで震えてる連中だけじゃないぜ?暗黒界の化け物どもと、人界の人間どもを、全部だ」

 

 

冷たい風が黒革のフードを揺らし、闇の奥の双眸を一瞬だけ露わにした。仄暗く光る、赤い眼を見たアスナは、確信した。目の前の男は、悪魔だ。人間ではない。本物の、悪魔だ

 

 

「それが全部で何万人いるのかは知ったこっちゃねぇが、そこまですりゃあアイツも目を醒ますだろうさ。オレが信じた『黒の剣士』なら、な」

 

 

これが、PoHという男の本性なのだ。かつてSAOでかぶっていた『陽気な煽動者』の仮面も、この戦場でかぶっていた『厳しい指揮官』の仮面も、全て偽り。ほんとうは、あらゆる人間を苦しめ、苛み、殺すことだけを求める、冷酷にして残虐非道な復讐者

 

 

「安心しな、アンタはまだ殺さねぇよ。余計な邪魔ができないように、手足とか何本か切り落とすだけだ。アンタには、見届けて貰わなきゃいけないからな。アイツが目覚めて、俺の腕の中で死ぬところを」

 

 

友切包丁は、すでに当初の二倍近いサイズにまで巨大化している。ラディアント・ライトが高く澄んだ悲鳴を発し、刀身にかすかなひび割れが走る。ガクリと地面に右膝をついたアスナの視界を、フードから零れてくる漆黒の霧が覆った瞬間、ついに彼女のレイピアが肉厚の包丁に弾き上げられた

 

 

「あうっ!?」

 

「かかかっ!同胞たちよ!多少の邪魔が入ったが、これが日本人の本性だ!俺たちが仲間割れするように、あの男を誑かしていんだ!さぁお前ら!まだまだこれからだ!汚くて卑怯な日本人どもを、一人残らず殺せ!」

 

 

韓国語のはずなのに、なぜかその言葉の意味は、地面へと倒れたアスナにも明確に認識できた。PoHが高々と掲げた友切包丁から、赤黒いオーラが迸った途端、オオオオ……オオオオオオオオ!!と、穏健的な意見を口にしていた中韓プレイヤーすらも、彼の言葉に煽動されてしまったのか、赤い兵士全員が剣を突き上げ、獰猛な雄叫びを轟かせた。しかし、その時。アスナとPoHの間に割って入る人影があった

 

 

「ふざけたこと、言ってんじゃないわよ…!薄汚い、卑怯なやり方で人を誑かしてんのは、アンタの方でしょうが!!」

 

 

その人影、御坂美琴は、傷だらけの体に無理を押して立ち上がっていた。しかし、その二本の足は小鹿のように震えていて、レイピアを構える腕には、全くと言っていいほど力が入っていなかった。それでも彼女には、そこで倒れるわけにはいかない理由があった

 

 

「ミコト!がんばって、ミコト!!」

 

「ミコトさん!ミコトさーーーんっ!!」

 

「行けえっ!ミコト!」

 

「ミコトーーーッ!!!」

 

 

今にも倒れそうな美琴の背中を支えていたのは、仲間たちの声だった。リズベット。シリカ。エギル。クライン。彼女たちだけではない。生き残ったサクヤやアリシャたちALOのプレイヤー、シウネーたちスリーピング・ナイツも、人界守備軍の騎士レンリやティーゼ、ロニエ、ソルティリーナ、多くの衛士や修道士たちまでもが美琴に声を届けていた

 

 

「頼むっ…美琴ーーーっ!!!」

 

 

そして、上条当麻も、必死になって叫んだ。敵味方を問わず、誰が見ても窮地なのは明らかだと言うのに、こんなにも傷を負わせてしまったのは、自分が助けを求めたからだと言うのに、なおも背中を押してくれる日本人プレイヤー達の声援に、美琴は微笑みが溢れるのを我慢できなかった。そして、感動のあまり熱を帯びていた美琴の胸に、最後の声援が加わった

 

 

『大丈夫。いつも、ボクがそばにいるよ。ミコト』

 

 

美琴の周囲に、小さな光が宿った。どこかから聞こえてくる声の主、ユウキが生きていたのは、このアンダーワールドのサーバーがある、アスナやキリト達、スリーピングナイツのメンバーがいる世界だ。だからこそ、美琴は彼女がそばにいるのだと、疑いなく信じることができた

 

 

「・・・行くわよ。私は、まだ戦える。みんなの声が、みんなの心が、私に力をくれる。だから私は、アンタなんかにっ…負けらんないのよ!!」

 



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第70話 敗北

 

叫んだ瞬間、美琴は右手に握ったレイピアを目一杯胸元で引き絞り、肉眼では追いきれない速度で突き出した。その一閃を友切包丁で受け止めようとしたPoHは、そのスピードに付いていけず、左腰に強い刺突を喰らわされた

 

 

「うおっ……!?」

 

「はああああああああーーーっ!!!」

 

 

後ろに下がっていく体を、懸命に踏み留まらせようとする悪魔のがら空きになった体目掛けて。美琴は『絶剣』ユウキから受け取ったオリジナル・ソードスキルを発動させた。右上から五回。超高速の突き技が、斜めに五つの輝点を刻む。左上から五回。先の軌跡とクロスして、さらに五つの光が輝いた

 

 

「ごぉあぁっ!?チイッ…!」

 

 

鮮血の混じった空気を吐き出しながらも、PoHは巨大な包丁にソードスキル特有の深紅の輝きを宿らせた。カウンターの大技に直撃されたら、美琴の残り僅かな天命は間違いなく消し飛ぶだろう。しかし、彼女の攻撃はまだ終わっていなかった

 

 

「うわあああああああーーーっ!!!」

 

 

残された全ての力をレイピアの切っ先に集中させて、クロスする軌跡の中心へと、最後の、そして最大の一撃を解き放つ。十一連撃OSS『マザーズ・ロザリオ』。流星にも似た紫の輝きが、PoHの胸を貫いた。彼の体は高々と宙を舞い、遠く離れた地面に重い音を立てて落下した。今度こそ全精神力を使い果たした美琴は、再び片膝を突きながら、心の中でもう一度呼びかけた

 

 

(・・・ありがとう、ユウキ…)

 

 

その剣技は最初から、死にもの狂いで細剣を振り回した末に美琴が生み出した、幻の11連撃だったのかもしれない。しかしユウキの剣技は、ライトエフェクトを伴って正しく発動した。それがイマジネーションの力だというなら、自身が永い眠りについた後も、美琴の記憶にずっと寄り添い、励ましてくれたのもまた、変えようのない真実だった

 

 

「や、やった…やったぜおい!はははっ!あの野郎ザマぁみやがれってんだ!!」

 

 

PoHのアバターが地面に横たわり続けているのを見て、クラインは腹を貫かれた剣で地面に縫い止められたまま拳を突き上げた。そんな彼を見て、美琴はレイピアを支えに立ち上がり、まずは彼の体から剣を抜いて傷を癒そうと、そちらに歩み寄りかけた…その時のことだった

 

 

「・・・・・な、によ…これ……!?」

 

 

かすかに地面が震えたのを、美琴は感じた。息を詰めながら、もう一度振り向く。倒れたままのPoHの体はぴくりとも動かない。しかし、右手に握られた友切包丁が、赤と黒の入り混じる異様な光を放っている。SAOに始まり、アンダーワールドでも数多の人間の血と命を吸ってきた包丁を中心に、戦場の空気がゆっくりと渦巻いていた

 

 

「い、いけない!神聖力を吸収している!」

 

「ッ!どんだけ往生際が悪いのよ……!」

 

 

叫んだのは、人界部隊の前面に立つソルティリーナだった。その叫びに、美琴はもう一度限界を超えている体に鞭を打ち、魔剣を破壊するべく走り出そうとした。しかし一瞬早く、あたかも宙に浮かび上がる友切包丁に引っ張られるような動きで黒衣の悪魔は体を起こすと、美琴のランベント・ライトごと彼女の体を切り飛ばした

 

 

「きゃああああああっっっ!?」

 

 

巨大な出刃包丁の一撃を喰らった美琴は、蘇ってくる全身の痛みに耐えながら、地面に転がされて仰向けになった上体を起こしてPoHを見た。彼のポンチョは前身頃が大きく破損し、タイトな革スーツに包まれていた体が露わになっていた。マザーズ・ロザリオの11連撃全てを被弾した胸板には巨大な穴が開き、その先には薄っすらと向こう側の風景すら見えていた

 

 

「ふ、不死身なの…アンタ……?」

 

 

恐らく、友切包丁が大量の空間神聖力を吸収し、それをPoHの天命に転換しているのだろう。そう推測しつつも、美琴は全身が震えるのを止められなかった。なぜなら、如何に天命が残っていようと、その痛みまでは誤魔化せないハズなのだ。真ん中に大穴を開けられる痛みとはいかなるものか、美琴には想像もできなかった。PoHはその痛みすらも楽しむように血の滴る唇でにやりと笑い、首をゴキゴキ鳴らしながら二本の足で立っていた

 

 

「あ〜あ〜。求めてねぇんだよなぁ、そういうの。仲間の後押しで、巨大な敵を前にしても奇跡的な勝利を掴むって美談?寒いねぇ〜。お前らがいくら猿だからって、本物の猿でももうちょいマシな演目考えるぜ。だからさぁ、いい加減に身の丈弁えてくれねぇかな?誰もテメェみたいな乳臭えガキなんざ、お呼びじゃねぇんだよぉ!」

 

 

PoHはその痛みすらも楽しむように血の滴る唇でにやりと笑い、首をゴキゴキ鳴らしながら二本の足で立っていた。そして彼は地面に倒れる美琴の元へ歩み寄ると、ゆっくりと右脚を持ち上げ、気味の悪い笑顔のまま、美琴の腹を一切の容赦なく踏み抜いた

 

 

「うぐっ!?おえぇっ……!?」

 

 

美琴は腹部に埋まっていく鈍い衝撃と苦痛に顔を歪め、直後に喉奥から迫り上がってきた胃酸を吐き出した。しかし、悪魔による惨虐はそれでは終わらなかった。鈍痛が残る腹部を抑えてのたうち回り、瞳には涙さえ浮かんでいる美琴の無防備な顔に、赤い装甲ブーツの底を向けた

 

 

「KoBみてぇな、装備からして、テメェもあのゲームの関係者なのかもしれねぇ、けどなっ。俺は、知らねぇんだよっ。黒でも、閃光でもねぇっ、テメェなんざ、俺からすりゃ、モブキャラですらねぇんだよぉオラァ!」

 

「〜ッ!あっ!い、痛ッ…やめ、て………」

 

 

罵詈雑言の区切りに合わせて、PoHは何度も何度も美琴の顔を踏み続けた。不躾に足裏を向けられる美琴は、やがて腹部に当てがっていた両腕を離して頭を覆いながら蹲り、か細い悲鳴を小さな口から漏らし始めた

 

 

「や、やめろ…やめてくれ…。そんな…そんなの酷すぎる…!美琴の顔が、潰れちまう…!お、俺はどうなってもいい!蹴りたいなら俺を好きなだけ蹴ればいい!だから…だから美琴だけは…やめろーーーーーっっっ!!!」

 

 

真っ先に自分を助けに来てくれた少女が、目の前で傷つけられていく光景にこれ以上なく胸を痛めた上条の呻き声が、叫びへと変わった瞬間、彼は死に体だった自分の体を無我夢中で持ち上げて、美琴の元へと駆け出した

 

 

「だぁから!俺が用があんのは黒だけだって言ってんだろうが!アイツと似たような格好して邪魔してんじゃねぇぞウニ頭ぁ!」

 

「うっ!?」

 

 

何かをする度する度に、自分の行動を阻もうとする上条達に痺れを切らしたPoHが叫ぶと、彼の手にしている友切包丁が纏った黒い瘴気がドバァッ!!と激しく荒れ狂い、巨大な闇が波となって上条へと襲いかかった。すると上条は、ほとんど無意識の内にあらゆる幻想を殺す右手を、周囲の光すらも蝕んで向かってくる闇の中心へと差し向けた

 

 

「ぐうっ…!?うわああああああ!?!?」

 

 

しかしその力は、もう既に上条の右手にはなかった。本来であれば、空間神聖力を使う、一種の神聖術とも言える友切包丁を覆う闇は、心意の力で宿した幻想殺しで打ち消せるハズだった。けれど心のどこかで、自分達はもう負けたんだと、上条は思ってしまっていた。そして、不幸な事に。あらゆる幻想を殺すだけの力を宿せる彼のイメージは、まだ自分は勝てるはずだと思う幻想すらも、跡形もなく殺してしまっていた

 

 

「く、そ………」

 

「だから言ったろう、上条当麻」

 

「ーーーッ!フィアン、マ……!?」

 

 

友切包丁が放った闇の波動にボロ雑巾が如く吹き飛ばされた上条の目の前には、一人の男が立っていた。その男、右方のフィアンマはうつ伏せになって倒れる上条の前にしゃがむと、膝の上に腕を置いて頬杖を突きながら言った

 

 

「お前の救いの尺度なんてその程度だと、俺様が言ったのを忘れたのか?まだ反論しようというのなら、証拠を見せてやるよ。ほら、周りを見てみろ」

 

 

薄ら笑いを浮かべながら語りかけてくるフィアンマを、上条はなんとか首から先だけを動かして睨みつけた。しかし神の如き者はその目線を意に介さず、ぐるりと指先を空中で一周させながら言った

 

 

「・・・・・」

 

「どうした、見てみろよ。ヒーロー」

 

 

しかし上条は、その指先を追うことは出来なかった。もう既に、分かっているからだ。フィアンマに言われずとも、自分はここにいる誰一人として救えなかったことを

 

 

「やれやれ…もう一度だけ説明してやる。俺様が散々言ってやったじゃないか。自分の方法、ひいては正義こそが正しいと息巻くなら、お前はどうしようもないバットエンドを招く主人公になるだけだ、とな。その結果はどうだ?ご覧の通りさ。これでもう分かっただろう?」

 

「この世界にいる『ただの右手』しか持たない上条当麻には…いや、違うな。そもそも現実も仮想も関係なく、『神浄の討魔』という自分の魂の本質すら扱えなかったお前には、世界の浄化どころか、誰一人として救えなかったんだよ。いい加減に認めろ」

 

 

フィアンマが喋り続けている言葉に混じって、ガスッ!ガスッ!という音が聞こえた。その音だけで、嫌でも分かってしまった。美琴の体が、もう一度PoHによって踏まれ始めたのだ。その悪夢が広がっている場所に、今にも泣きそうな表情で上条が視線を向けると、フィアンマはなおも続けた

 

 

「なんだ?あの女がそんなに気掛かりか?確かにアレは見ていてあまり気持ちいいものじゃないが…まぁ仕方ないだろう。この世界は力が法律の世界なんだ。それに、お前だって散々同じことをしてきたろう?弱者を殴り飛ばして、自分が正しいと思った行動を取る。言ってみればあの光景はお前にとっての鏡だ。あの女を踏み続けている男と同じだよ、上条当麻がしてきたことは」

 

「ちが、う…俺は………」

 

「はぁ…また否定か。それも前に言ったぞ俺様は。特になんの根拠も持たず、頭ごなしに相手の考えを否定するのが、お前の悪いところだとな。ん〜〜〜…ならば、こうしようか。俺様が救ってやるよ。あの女をな」

 

「ッ!?それは、信じて、いいの…か……?」

 

「まぁ、俺様とて気持ちは分からんでもないからな。言ってみれば、なんにせよお前には選択肢がなさすぎた。だから、俺がお前にもう一度だけ、選択肢を与えてやる」

 

 

言って、フィアンマは膝に手を置きながら立ち上がった。そして、焦ったいほどにゆっくりと右手を持ち上げて、その手の平を上条へと向けた瞬間、彼の右肩から4本の鎌のような爪を持つ第三の腕が出現した

 

 

「自分の意思で手離せ、上条当麻。その魂、その右手を。もうそれだけでいい。自分の持つ力の価値すらも分からず、それを失ったお前に、もはや存在意義などない。だからお前が自ら死を望みさえすれば、あの女は勿論として、ここにいる全ての人間が苦痛から解放されるだけでなく、お前の友人がいるもう一つの世界も、何もかも俺様が救ってやろうじゃないか」

 

 

それは、上条にとっては悪魔の誘いのハズだった。けれど今の彼には、フィアンマの佇まいに後光が差しているようにさえ見えた。万物に、平等に与えられる救い。今まで自分が繰り返してきた救いとは、まるで比較にならない神の福音に、上条は縋るしかなかった

 

 

「・・・分かった…もう、諦めるよ…フィアンマ。俺には出来なかった…守れなかった。この右手が持つ力、自分の魂が持つ力を、正しく使えなかった。アリスも、ユージオも、キリトも、美琴も、みんなも…そして、俺自身も…誰一人として救えなかった。だから、頼む…みんなを、助けてくれ……」

 

 

上条当麻は、瞳から溢れ出そうになる涙をぐっと堪え、自分の不甲斐なさを悔いるように、今まで自分が救えていたと思い込んでいた人たちを脳裏に浮かべながら、心から謝罪するように声を絞り出した。するとフィアンマは、唇の端から笑いを漏らしながら再び口を開いた

 

 

「やっと分かったか。懸命な判断だ。そこは賞賛しよう。だが、言葉が違うぞ上条当麻」

 

「・・・・・ぇ?」

 

 

張り詰めていた上条の顔が、途端に緩んで、自分の期待していた言葉とは違う、救いの神からの返答に、呆けた声が発せられた。それからフィアンマは、微かに首を振ってから言った

 

 

「全ての人間、何もかもを救ってやるとは言ったが、それは無理だ。お前だけは…上条当麻だけは、誰にも救えない。なぜなら俺がもたらす救いには、お前の魂が必要なんだからな。自分の魂すらも失った人間を元に戻すことは、流石の俺様にも出来ない」

 

「だが今のお前には、さして難しくもないだろう。自己犠牲の精神なんてものは、上条当麻という人間が最も得意とするところなんだからな。むしろ、自分の命と引き換えにお前以外の全てが救われると考えるなら、それはそれでお前も救われるだろうさ」

 

「話が長くなったな。つまり、上条当麻はこう言えばいいんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『俺を殺してくれ』…とな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 

フィアンマの言葉に対する、上条当麻の異論はなかった。言い換えるならば、もう迷いはなかった。自分が招いたこの惨劇を目の当たりにすればするほど、『もう消えてしまいたい』と何度も上条は思っていた。そして…そして、そして。数秒の沈黙を置いた後に、上条当麻は言った

 

 

「・・・頼む。俺を…殺してくれ………」

 

 

自身の破滅を招く言葉にして、背負ってきた全ての十字架を下ろす言葉が、上条の口から溢れた。掠れるような、とても小さな声だったが、フィアンマがそれを聞き逃すことはなく、唇の端を吊り上げながら返答した

 

 

「いいだろう、上条当麻。もう休め。もうお前が心配することは何もない。死後に召される国で、自分の魂でもって完成される平等な救いを、胸を張って眺めていてくれ」

 

「・・・・・・・」

 

 

フィアンマの右手が、ゆっくりと持ち上がる。そして上条は深く俯いて、瞳を閉じ、最期の瞬間を待った。フィアンマの術式、聖なる右によって生み出された第三の腕の中心に、強い光が灯った。しかし、その瞬間ーーーーー

 

 

「チィッ…!!」

 

Damn it(クソがっ)!!」

 

 

激しい舌打ち。おそらくはフィアンマとPoHの口から漏れたのだろうが、瞳を閉じていた上条にはそれが分からなかった。そして、意を決して待ち受けていたその瞬間が、いつまで経っても訪れず、ふと目を開いた先に映ったのは、人外守備軍を守るように輪となって燃え上がる炎だった

 

 

「いつまでそうして俯いているんだ、上条当麻」

 

「・・・・・・・・・・ぇ…?」

 

 

その声に、上条当麻はついに気が狂ったのかと思えた。ゆっくりとうつ伏せになっていた上体を起こして、いつの間にか右横に立っていた人物を見上げる。自分の周囲に散らばった、五芒星の刻まれたカード。頬に刻まれたバーコードのような刺青と、煙を吐き出す咥えタバコ。マントと神父服を身に纏う、赤い長髪の男。どこをどう見ても見間違えようのない、酷く見覚えのある彼を見た上条は、亡霊でも見ているかのような表情で呟いた

 

 

「・・・ステイル…?」

 

 



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第71話 集いし全ての勇姿

 

「・・・ステイル…?」

 

 

その男、イギリス清教『必要悪の教会』に所属する魔術師、『ステイル=マグヌス』の姿を見た上条当麻は、自分は幻でも見せられているのかと疑うように、両眼を何度も瞬かせた

 

 

「・・・なんだ、気色の悪い。そんな今にも泣きそうな目で僕を見るんじゃない。忘れたのか?僕は君が嫌いなんだ」

 

「だ、だってお前…なんで、こんなところに…」

 

「あなたを助太刀に来たのですよ。上条当麻」

 

「・・・・・か、神裂!?」

 

 

次に上条の横に立ったのは、腰よりも下に伸びた長い黒髪を頭の後ろで一本に結び、物干し竿ほどはあろうかという長大な霊装『七天七刀』を据えた美女、『神裂火織』だった。ステイルに続いて、再びの驚愕に見舞われた上条だったが、更に畳みかけるように新たな声が彼の耳に届いた

 

 

「す、助太刀って…それは……」

 

「やっほー!カーミやん!こんな見るからに面倒な状況に陥ってるのを鑑みるに、持ち前の不幸は相変わらずだにゃ〜」

 

「土、御門……」

 

 

彼は、神裂の背後からひょっこりと姿を見せた。逆立った金髪に、トレードマークとも言えるアロハシャツとサングラスの魔術師らしからぬ姿の彼、『土御門元春』は極めて明るい口調で上条に言った。しかしもう驚く声を出すのすら疲れたのか、上条は困惑したような声と視線を彼に向ける事でしか反応できなかったが、次の人物を見た瞬間はそうはならなかった

 

 

「もう、とうまってば…いつからそんな簡単に諦めちゃうようになったのかな?」

 

「インデックス!?!?」

 

 

今ではもう記憶にない、出会った時と同じ姿。白い修道服にして最高位の防御霊装『歩く教会』を纏った、その頭脳に10万3000冊の魔導書を記憶した『禁書目録』と呼ばれた少女を見た時、上条はいよいよ理解が追いつかなくなって彼女に訊ねた

 

 

「え、ええっ!?いや、だって…お前っ!お前らっ!?こ、ここっ、アンダーワー……ええっ!?」

 

 

しかし、インデックスに訊ねようとした上条の声は、動揺と驚愕に塗れた、聞き取りたくとも聞き取れないものだった。そんな彼の様子に、白い修道服の少女は呆れたように溜め息を吐いてから言った

 

 

「もう、少し落ち着いてよとうま。はい、深呼吸!すぅ〜っ、はぁ〜〜〜」

 

「す、すぅ〜っはぁ〜〜〜〜〜………」

 

「うん、よし。でも、相変わらずのおバカだねとうまは。またこんなボロボロになるまで無茶して。言ったでしょ?私たちは、とうまを助ける為に来たんだよ」

 

 

そう言ってインデックスは、上条の両肩に手を置いて深呼吸を促した。そして、上条が言われるがままに呼吸を整えると、腰に手を当てながら、自分は心底怒っていると言わんばかりに白い頬を膨らませた

 

 

「そ、その助けに来たってのは…神の右席がここにいるから、なのか…?イギリス清教とローマ正教が、何かの理由で対立してるとか…それで……」

 

「いいえ、違いますよ。まぁ魔術側の人間としてはこうなってしまった以上、ローマ正教と対立しているとは言えなくもないですが…少なくとも私たちがここに来たのは、そのような理由ではありません」

 

「・・・・・?」

 

 

上条の疑問に答えたのは、神裂だった。しかし彼は、小さく首を左右に振りながら言った彼女の言葉の意味が分からず、やはりこれは幻覚と幻聴なのではないかと思いながらもう一度訊ねた

 

 

「そ…そんなこと言われても、俺にはどういう意味か分かんねぇよ。俺を助けに来たって言われても、インデックスと一緒に暮らしてもない今となっちゃ、必要悪の教会が俺の所に来る理由なんて、なにも……」

 

「だから俺たちは、他でもない『カミやん』のために来たんだって言ってるにゃー」

 

「・・・俺の、ため…?」

 

「だあああぁっ!相変わらず物分かりの悪いヤツだな…こう言えば分かるだろう。ここに来たのは、僕たち必要悪の教会だけじゃないってことだ」

 

「必要悪の教会だけじゃ、ない…?」

 

「ほら、見て。とうま」

 

 

ガシガシと後ろ頭を掻きながらステイルが言った後に、インデックスは自分の真上を指差しながら言った。上条は彼女に言われるがまま、赤黒く染まっているダークテリトリーの空を見上げた…その瞬間。一ヶ所に固められた人界守備軍と日本人プレイヤー、その周囲を取り囲む中国、韓国人プレイヤーの狭間を縫うように、次々と青く澄んだ色のコードラインが降り注いでいった

 

 

「えっ、え…?えええぇぇぇっっっ!?」

 

 

その色合いの意味を、上条当麻は既に理解していた。しかし今度の青いラインの数は、日本人プレイヤーがログインしてきた、前回の比ではなかった。もはや目で追いきれない程の量とスピードで増えていくライン群から最初に飛び出してきたのは、修道服を身に纏ったシスター達だった

 

 

「ローマ正教改め、イギリス清教所属!『アニェーゼ・サンクティス』!ここに参戦だってんです!」

 

 

カァンッ!という音と共に『蓮の杖』を地面に突き立て、総勢252名のシスターを集めた『アニェーゼ部隊』の先頭に立っていたのは、部隊名にもあるその人、『シスター・アニェーゼ』だった

 

 

「まぁ、あたしらもたまには本職のシスターらしい働きもしてやるんで、感謝しやがれってんですよ」

 

 

そして彼女の周りから『シスター・ルチア』や『シスター・アンジェレネ』を始め、続々と青いラインを飛び出してきた修道女たちは、負傷した日本人プレイヤーの前に次々と跪いて、祈るように両手を組むと、治癒の神聖術とは似て非なる、回復魔術を唱え始めた。途端、暖かな光が彼らの体を包み、どんなに深い傷をも癒していき、その身に纏う傷ついた武具までもが、元通りに修復されていった

 

 

「おぉ…どうもありがと、ござます…い、いや…せんきゅう?」

 

「いいえ。これが私どものお勤めですから」

 

 

背中に刺さっていた剣を抜き、治療を施してくれた、見るからに異国の女性にクラインは少し戸惑いながら礼を言ったが、その女性、『オルソラ・アクィナス』は流暢な日本語と優しい笑顔で言った。するとクラインは、言語が通じるや良しと見たのか、乱れた髪型を整えて額にバンダナを巻き直し、少し声のトーンを変えてからオルソラに言った

 

 

「いえいえ。そういうわけにはいきません、見目麗しいシスターのお嬢さん。不肖、このクライン。此度の窮地を脱した際には、一晩の食事をご馳走させていただきたく…是非よろしければ、あなたのお名前を……」

 

「あらあらまぁまぁ」

 

「こぉらクライン!アンタ隙あらばナンパしてんじゃないわよ!」

 

「げぇっ!?す、少しくらいはいいだろうがリズ!このボンキュッボンのおねーちゃ…ゲフンゲフン。こちらのシスターのお嬢さんは!本当に俺の命の恩人なんだぞ!?」

 

「んなこと言って、そもそもが下心丸出し……うぇえ!?何これ、ゴーレム!?」

 

 

オルソラの右手をそっと自分の両手で包み、口説こうとしているクラインを見たリズが怒鳴っていると、そのすぐ傍に、彼女達の倍以上の体躯を誇る巨岩のゴーレムが現れた。ズシン、ズシンと、重低音を響かせながら歩く『ゴーレム=エリス』の掌の上に乗っているのは、荒れた金色の髪と褐色肌に、くたびれて生地が薄くなったゴシックロリータのドレスを着た魔術師『シェリー・クロムウェル』だった

 

 

「おいオルソラ、お前戦えねぇだろ。あんまりちょこちょこ動き回るんじゃねぇ」

 

「まぁ、シェリーさん。わたくし、仮想世界に来るのはこれが初めてなのですが、歩けば歩くほど楽しそうな場所に見えてしまって、つい」

 

「これが楽しそうに見えるってんなら、アンタもう帰った方がいいね。つーか、とっとと帰ってさっき図書館に溢したマフィン掃除しろオラァ!」

 

「・・・えっと…エギルさん。この人は、エギルさんのお友達…ですか?」

 

「・・・いや、違ぇけど。ところでそりゃ、黒人って意味でか?それともゴーレムみてぇな図体って意味でか?」

 

「の、ノーコメントで……」

 

 

自分達の傍に現れるなり、即座に治療を施してくれたかと思えば、急に口喧嘩を始めたオルソラとシェリーに、エギルとシリカは互いに顔を見合わせながら首を傾げていた

 

 

「こ、これ…!本当にイギリス清教揃い踏みじゃねぇか!?」

 

「おおっと、俺たちの事も忘れてもらっちゃ困るのよな」

 

「私たちもお供します!『女教皇』!」

 

 

次々と姿を見せ、どこか懐かしさすら感じさせるイギリス清教の面々に上条が驚いていると、次の瞬間には神裂の周りに、教皇代理の『建宮斎字』や『五和』といった、総勢52人全員が日本人の、多角宗教融合型十字教『天草式十字凄教』のメンバーが並び立っていた。そして、彼らの影に隠れて、土御門元春はとある二人の男女に声をかけていた

 

 

「いや〜、仕事でもないのにわざわざ呼び出して悪かったにゃ〜。結標、海原」

 

「本当よ。突然こんな縁も何もない仮想世界に飛ばして…報酬は後でキッチリ請求させてもらうからね」

 

「まぁまぁ結標さん。偶にはサービス営業もいいではありませんか」

 

「嫌よ。私はあなたと違って、この場に好きな子がいるわけでもないし、知人と呼べる知人だっていないんだから」

 

「まぁ、それはこの際ですから置いておいて。報酬と言うのであれば、ブラック企業ばりの休日出勤とサービス営業を求めてきた土御門さんに、一つ貸しを作れるということで納得しましょう」

 

 

今や霧ヶ丘女学院を卒業し、華の女子大生となった『結標淡希』は、自身が保有する『座標移動』の能力に付随する軍用ライトをその手に光らせていた。突然の出来事に苛立ちを露わにする彼女を、海原光貴の素顔を被ったアステカの魔術師『エツァリ』は、礼儀正しい口調で宥め続けていた

 

 

「どうやらここには、性根の腐ったヤツらが山ほどいるみてぇだな。たかだか雁首揃えただけじゃあ、絶対に消せねぇ根性があるってことを、この俺が熱い根性と一緒に叩き込んでやるぜ!!」

 

 

気合の迸る叫び声に揺れるハチマキと、ジャージの下に着た燃えるような旭日旗のTシャツの少年、『削板軍覇』。またの名を『第七位』と称される彼は、根性を愛し、根性に愛されたその心情を、異世界人である闇の軍勢にも堂々と見せつけていた

 

 

「さぁ〜て。私の教え子に手ぇ出したヤツ、潔く名乗り出てもらおうか。一人残らずボコボコにしてからしょっ引いてやるじゃん!」

 

「ちょ、ちょっと黄泉川先生!流石にここにいる全員は無理ですよ〜〜〜!」

 

 

そして。いわゆる学園都市の人間である彼らが参戦したのを合図に飛び込んできたのは、三又の矛を象ったシンボルマークを群青色の制服に刻み、学園都市製の強化プラスチックで製造された盾を装備した『警備員』の職員達だった。『黄泉川愛穂』を先頭に、御坂美琴にとっては顔見知りの『鉄装綴里』を含め、小隊規模で参戦した彼らは、ドンドンッ!ドンドンッ!と、赤い兵士達を威嚇するように盾で地面を叩きつけながら、守備軍の一角を陣取った

 

 

「よ、黄泉川先生!?警備員の人達までいるってのかよ!?」

 

「申し訳ありません。病院内の設備による助力は不可能になったので、直接こちらに助力に来ました。と、ミサカはあなたに報告します」

 

「え…?あーっ!御坂妹じゃねぇか!?」

 

 

不意に上条当麻に声を掛けたのは、電子ゴーグルをその額に乗せていることと、首に上条が送ったネックレスを付けていること以外には見分けが付かないほど、DNAマップの素体である御坂美琴と瓜二つな軍用クローンの一人にして、彼女達の中では一番製造番号の若い『ミサカ10032号』だった

 

 

「・・・おい、待て。いやまさかとは思うけど、この『足音』…お前ら……!?」

 

「はい。恐らくはあなたの想像通りです。と、ミサカはミサカ10032号からミサカ20000号まで計9968人、全員のミサカで助力に来たことを続けて報告します」

 

 

ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!と、本物の軍隊かと疑わしくなるほどに規律された歩行による足音で、隊列を組みながら青のコードラインを破ってくるのは、ミサカ10032号と同じく電子ゴーグルを被り、銃火器『オモチャの兵隊』を両手に引っ提げた『妹達』だった

 

 

「あ、あの子達…これじゃ私の立場がないじゃないのよ…!」

 

「ちょ、ちょっとミコトさん!これ一体どうなってるの!?み、ミコトさんにそっくりな人が、あんなに沢山…!!」

 

「あ〜えっと…まぁ、それについてはまた今度。とりあえずあの子達は全員、私の妹よ」

 

「・・・い、妹っ!?全員っ!?」

 

 

その光景に驚愕していたのは、上条当麻だけでなく、御坂美琴とアスナも同様だった。誰も予想だにしなかった大軍勢の参戦に乗じて、PoHの魔の手から逃れた美琴を、アスナが懸命に神聖術で治療していると、突如、バサッ!という扇子の広がる音が美琴の耳に入った

 

 

「真打登場…とでも、申し上げましょうか。この私、婚后光子が来たからには!一切の悪逆無道は許しませんわ!!」

 

「まぁ!流石は婚后さん!」

 

「この大勢を前にしての見事な見得切り、大覇星祭を彷彿とさせられましたわ!」

 

「婚后さん!?どうしてここに…って言うか、湾内さんに泡浮さんも!?」

 

 

御坂美琴の前に立ったのは、彼女の在学する常盤台高校の制服に身を包んだ、『婚后光子』、『湾内絹保』、『泡浮万彬』の三人だった。あまりにも突然な彼女達の登場に、美琴が動揺を隠せずに目を見開いていると、その開き切った瞳孔に、またしても同じ制服を着た集団が映った

 

 

「そぉねぇ〜。いわゆる私の助っ人力ってヤツ?それを御坂さんに見せるのはぁ、ちょっと勿体ない気もするんだけどぉ…上条さんもいるって聞いたしぃ、来ちゃった以上は遠慮なんてしないから、あなた達も覚悟してほしいんだゾ☆」

 

 

常盤台の女王。そして、ゆうに100人を超える女生徒の属する女王派閥。その女王として君臨するのは、艶めかしい金髪と輝かしい瞳を持つ少女、『食蜂操祈』だ。なんの前触れもなく現れ、自分達と同じ仮想世界にいるとは到底思えない身なりをした自分達に戸惑っている赤い兵士たちに向けて、彼女はいっそ清々しいまでのウインクをピースと一緒にして言った

 

 

「しょ、食蜂まで……!?」

 

 

常盤台高校においては自分と双璧を成す、ある意味では犬猿の仲とすら思っていた、もう一人の超能力者の少女の参戦に、御坂美琴は呼吸をすることすら忘れかけていた。しかしそんな彼女の意識をあっさりと引き戻し、更なる驚愕で塗り潰したのは、新たに中空から届いてきた少年の声だった

 

 

「御坂美琴さん、お久しぶりです。SAO75層での最終決戦以来になりますね。『未元物質』を操る学園都市第2位の超能力者『垣根帝督』です」

 

「か、垣根さん!?」

 

「初春さんが一年ぶりに私のプログラムを起動なさった時は、一体何事かと思い焦りましたが…よくぞここまで持ち堪えて下さいました。私を含め『彼女達』も皆、あなたを助けに来ましたよ」

 

「・・・彼女、達…?ってまさか!?」

 

 

身も心も純真無垢で、白銀に輝くその少年、『垣根帝督』は六枚の白翼を背負い、美琴の背丈一つ分の上空に佇んでいた。そんな彼が不意に口にした『彼女達』という言葉に美琴が何かを悟った、次の瞬間。美琴にとってはもはや聴き慣れた、ヒュンッ!という『空間移動』の音が空間を裂いて、目の前にツインテールの少女が現れた

 

 

「お姉様、遅れてしまい申し訳ありませんですの。お姉様の露払いとして、面目次第もございませんわ」

 

「黒子!アンタも来てくれたの!?」

 

「もちろん私達も一緒ですよ!御坂さん!」

 

「元はと言えば、アリスの都市伝説を見つけたのは私なんですからね!」

 

「う、初春さん…佐天さんも…みんな、ありがとう…ありがとう……!」

 

 

『白井黒子』と共に美琴の傍に駆けつけたのは、学園都市の『駆動鎧』の肩に乗り、タブレット端末でそれを操作する『初春飾利』と、金属バットを肩に担いでヘルメットを被った『佐天涙子』だった。その三人の顔を見た瞬間、御坂美琴は感動のあまり、涙腺が決壊したようにボロボロと涙を零し始めた

 

 

「さて、そちらの方々。わたくしのお姉様とそのご友人…ご・ゆ・う・じ・ん!ここ重要ですわよ!くれぐれもお忘れなきよう!」

 

「し、白井さん……」

 

「折角カッコ良かったのに……」

 

 

それから黒子は、ザッと赤い兵士達を鋭い視線で睨みながら言うと、その途中で視界の端に憎きツンツン頭の少年を見つけ、彼を何度も指差しながら語気を強めた。相変わらずどこか頭のネジが外れている彼女に、初春と佐天が頭を抱えて呆れていると、黒子は一つ咳払いを置いてからもう一度口を開いた

 

 

「こほん。もとい…わたくしのお姉様とそのご友人が、随分とお世話になったようですわね。これより先は、今季より『風紀委員長』の任を拝命したわたくし白井黒子と、以下1000名の風紀委員が、謹んでお相手して差し上げますわ!!!」

 

「「「風紀委員ですの!!!」」」

 

 

気づけば彼女達の周りには、青いコードラインから姿を現した、各々の制服の右袖に緑色の盾が刻まれた腕章を付けた『風紀委員』の生徒が立ち並んでいた。そして彼らは、その腕章を見せつけるように白井黒子の常套句を声高に叫んだ

 

 

「す、すげぇ…ってか、凄すぎる。一体誰が、どうやってこんな人数を……」

 

「どうだい上条ちゃん。驚いたろう、俺たちからのプレゼントは」

 

「トール!?」

 

 

次々と現れてくる仲間の顔ぶれとその人数に、上条はすっかり呆気にとられていた。そして、最初は数え切れなかったほど伸びていた青いコードラインも、ついに最後の一本を残すのみとなった。そのラインの内側から、焦れったいほどの間を置いてその姿を見せたのは、中性的な出で立ちをした『グレムリン』の魔術師、『雷神トール』だった

 

 

「珍しくな、オティヌスが都合つけてくれたんだよ。今回の件は上条ちゃんにも非はあるけど、二つの世界を安易に繋げちまった自分にも非があるってな。んで、後はご覧の通り。こっちの世界を色々と弄った時の魔神様の力の応用で、仮想世界の壁も、異世界の垣根もあっさり超えて、全員集合したって訳だ。簡単だろ?」

 

「オティヌスが、そんな…ことを……」

 

「だけど、別にここにいる全員を強引に連れ込んだ訳じゃねぇんだぜ?俺たちはただ声を掛けただけさ。『上条ちゃんとかミコっちゃんとか、そのお仲間がピンチだ。助けに行きたきゃ連れてくけど、嫌なら別に来なくていいぞ』ってな具合にな。言ってみりゃ有志だったんだよ。だけど声掛けた全員どころか、声掛けてねぇヤツまで付いてきた次第さ」

 

「・・・え?で、でも…そんなことしてくれても、俺には……」

 

 

トールの言っている意味が、上条にはよく分からなかった。言ってみればこれは、完全なる私事のハズだ。仮想世界が歩んできた軌跡の結晶であるアリスを、敵の魔の手から護る為の戦い。友人であるキリトを、何とかして助けるための戦い。そして、自分が元の現実に帰る為の戦い。そのどれに手助けをしてくれても、自分は彼らに何の見返りも用意できない。そう言おうとした時、ため息を吐きながらインデックスが言った

 

 

「もう、とうまは難しく考えすぎ。ここにいる皆は、見返りが欲しくて来てるんじゃないんだよ。強いて言うなら、とうまの背負ってるいるものを軽くしてあげて、とうまが涙を堪え切れなくなった時は、優しく抱きしめて、とうまが少しでも笑顔になってくれることが、私たちの見返りなんだよ」

 

「・・・俺の涙と、笑顔……」

 

「それに…やっぱり寂しいんだよ。例え住んでる場所が離れてても、世界のどこかに、自分が好きな人がいてくれないんだと思うと、寂しいし、悲しい。だから、みんなここに来たんだよ。さぁ…立って、とうま。みんなと一緒に帰ろう?」

 

 

とある学生寮の一室で、一緒に暮らしていたあの頃から、何一つ変わっていない優しい声で、インデックスは言って、へたり込んでいる上条当麻に手を差し伸べた。上条は、その手を取ろうと、傷だらけの右手を伸ばした。しかし、その右手がインデックスの手に触れそうになった直前、何かに迷ったように右手を止め、やがて首を振りながらもう一度頭を垂れた

 

 

「・・・あぁ。嬉しい、嬉しいよインデックス。だけど俺には、みんなの気持ちは受け取れねぇよ。だって…どう考えたって、今の俺にはソレを受け取る資格がない……」

 

「・・・どうして、そう思うの?」

 

 

呟くような声で言った上条に、インデックスは訊ねた。すると上条は、彼女の手に伸ばし掛け、空中で静止していた右手を拳に変えて、ゴシャッ!と強く地面に叩きつけたまま、喚き散らすように声を吐き出した

 

 

「俺には…俺には無理だったんだよ!俺の方法は、俺の右手の使い方は間違ってたんだよっ!この世界で俺はっ…誰も守れなかった!誰も救えなかったんだ!みんな死ぬほど痛い思いをして…傷ついて…悲しんで…泣いてたのに…どれだけ足掻いてもっ!俺の右手は届かなかった!もう…もう俺には耐えきれないんだよっ!!」

 

「折角助けに来てくれたのに、何の力もない今の俺じゃあ、またみんなを守れなくなるのが分かるんだよ!みんなが俺の為に戦って傷ついても、俺には誰も救えないんだよ!ただ闇雲に、誰かの為になるんだと思って、また暴力に訴えて、大切な誰かを傷つけるだけなんだよ!だったら…だったら俺は、このまま……!!」

 

「いい加減にしろこの素人が!!!」

 

 

いっそ死んだ方が良かった。上条当麻がそう言おうとした瞬間に、ステイルの鋭い叱責が彼の口を止めた。そして、咥えタバコを吐き捨てながら、自分の叱責に驚いて顔を上げた上条に向かって叫んだ

 

 

「ここにいる誰が!いつ!どこで!君に守ってくれ、救ってくれなんて頼んだんだ!?君はいつだってそうだっただろう!大した関わりも知識もないくせに、誰に頼まれた訳でもないのに、自分の利得も構わず人の事情に遠慮なく踏み込んでボロボロになった癖に、ヘラヘラと何もなかったように笑ってきただろうが!僕らは今、それと同じことをしようとしているだけだ!君が今まで繰り返してきたことを、僕らがやって何が悪い!?」

 

「!!!!!!!!!」

 

 

ステイルの言葉に、上条は雷に打たれような衝撃を全身に感じた。自分は何も分かっていなかったことが、今ようやく上条にも分かった。そして、もう一度。一番最初に、どこにでもいる平凡な少年に救われた少女は、笑顔を向けながら言った

 

 

「・・・そうだよ、とうま。ここにいるみんなは、とうまが守ってくれるから戦いに来たんじゃないんだよ。ここにいるみんなは、とうまが今日まで示してくれた道が、絶対に間違いじゃなかったから、今度は私たちが助けてあげたいって…そう思えたから集まったんだよ」

 

 

自分が守りたかったのは、決して雲ってほしくない、誰かの笑顔だ。自分が救いたかったのは、どうしようもない絶望に陥った誰かの、悲しい顔だ。その答えは、目の前にあった。手を差し伸べた、過去に自分が守り続けてきた少女は、曇りのない笑顔でいてくれた

 

 

「だから私も、必要悪の教会も、学園都市も、仮想世界も、みんな…みんながとうまの味方だよ」

 

 

だからこそ、上条当麻は今この時をもって、救われた。他でもない、始まりの少女の笑顔に。今ここに集まった、全ての人が笑っていた。自分が今日という日までに出会ってきたみんなの笑顔に、上条当麻は救われたのだ

 

 

「・・・は、はは…あはははっ……」

 

 

笑顔と涙は、自然に溢れた。その言葉一つで、充分だった。こんなにも素晴らしいものだったのだと、心が満たされていくのを上条は感じた。誰かを救い、救われることに、世界や個人なんて関係ない。なぜなら、救った人間も、救われた人間も、自分は正しかったのだと、そう思えるだけで、こんなにも迷うことなく笑えるのだから

 

 

「・・・・・・・・・いくぞ、みんな」

 

 

差し伸べられた少女の手を取り、どこにでもいる平凡な少年は立ち上がって、呟いた。科学と魔術。仮想と現実。二つの世界。全ての境界を超えて人々が集結した、その中心で。上条当麻は、流れ出た涙を右手で拭い、もう一度強く、硬く、その拳を握り締めた。胸いっぱいに大きく息を吸い込んで、力強く笑って、そして。今、高らかにーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいいぃぃぃくぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」

 

「「「うううううううううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーー勝利の鬨が、響き渡った

 

 



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第72話 勝利への追い風、強く

 

拳闘士の長イスカーンは、近づく赤い軍勢の姿を、霞む左眼で捉えた。奇妙な言葉を話す敵は、包囲の輪をほんの二十メルにまで縮めると、もう拳闘士たちに戦意がないのを確認したのか、互いに頷き合うと、威勢のいい雄叫びを放ち、いっせいに地面を蹴った

 

 

「世話んなったな、シェータ…天界で巡り会えたら、今度は思う存分やろうぜ」

 

「・・・うん。約束」

 

 

イスカーンは、骨が砕けた左手で、隣に座るシェータの右手を強く握った。すぐに握り返される感覚があり、麻痺した手に心地いい痛みが一瞬だけ甦った。最後の時を迎えるため、俯いて眼を瞑ろうとした、その瞬間

 

 

「あれ、は…?」

 

 

シェータの声に、イスカーンは再び顔を上げた。戦場の北に広がる峡谷の向こうから、土煙を上げて殺到してくる大軍勢。大柄な丸い体。突き出た平たい鼻と、垂れ下がった耳。それは即ち、オークの軍勢

 

 

「・・・な、なんで…」

 

 

イスカーンは呆然と呟いた。オーク軍は、ずっと北に離れた『東の大門』で皇帝ベクタから待機を命じられたままのはずだ。皇帝が姿を消してしまった以上、その命令が解除されるはずはない。事実、生き残りの暗黒騎士たちは、峡谷のすぐ向こう側で愚直な待機をひたすら続けている。わけが解らず、オークの大軍に眼を凝らしたイスカーンは、その先頭を駆ける小さな人影に気付いた

 

 

「アイツは一体、誰だ……?」

 

 

オークではない。緑がかった黄色の髪をなびかせ、若草色の装束から伸びる手足は正真正銘、人間の、しかも人界人の若い女のものだった。しかし、あれではまるで、たった一人のちっぽけな女剣士が、オーク族の全軍を率いているようではないかと、イスカーンが感じていた時、女剣士の口から咆哮が上がった

 

 

「行くわよっ…!」

 

 

殺到する大軍に気付いたのか、拳闘士団とシェータを取り囲む赤い兵士たちの動きが止まった。直後、オーク軍の先頭を走る娘が、峡谷に架かる石橋へ突入した瞬間、その女剣士、リーファが背中から銀色の長刀を抜き放つと、橋の中央に差し掛かったあたりで、長刀を高々と振りかぶった。赤い兵士たちまでは、まだ二百メル以上の距離があるが、しかし…

 

 

「でやあああああああっっっ!!!」

 

 

リーファの長刀と両腕が、煙るように霞んだ。イスカーンの眼を以てしても、その斬撃は視認できなかった。銀色の閃光が瞬いた直後、恐るべき現象が発生した。黒ずんだ地面に、眩い光の線が走ったかと思えば、その延長上に立っていた赤い兵士たち十数人の体が音もなく分断され、悲鳴を発する暇もなく倒れたのだ

 

 

「・・・すごい…」

 

 

シェータは、ほとんど無音で呟いた。しかし目の前では、今もまだ三千人近くは残っているであろう赤い鎧の兵士たちが行く手を阻んでいる。それを見たリーファは、橋を超えたあたりで振り返り、オークの長に笑いかけながら言った

 

 

「リルピリン、ここまで付いて来てくれてありがとう。助かったわ。だけど、敵陣には、あたしが一人で斬り込むからね。みんなは拳闘士に合流して、そっちに行こうとする敵だけを倒して」

 

「な、何を言うんだ!おで達もリーファと一緒に戦う!」

 

 

リーファの指示を聞いたリルピリンは、立派な牙を震わせながら激しく抗議した。しかし彼女は首を横に振り、無骨なオークの手をしっかりと握りながら言った

 

 

「ダメ。これだけは譲ってあげられない。私が行きたい場所には、多分間に合わないから。だからあなた達には、これ以上の犠牲者は出してほしくないの。私なら大丈夫…あんな奴ら、何万人いたって負けないわ」

 

 

スーパー・アカウント『地神テラリア』のヒットポイントが、ほぼ無限の回復力を持つことは既にリーファも確認している。それに、前方の現実世界人も、同じようにかりそめの命を持つ者たちなのだ。キリトたちの救援が間に合いそうもない以上、ここでオーク達を無駄に死なせることは、リーファには出来ようはずもなかった

 

 

「それじゃあ、行ってくるね」

 

 

そう笑いかけ、リーファは一人、敵の真っ直中へと突入した。ALOと比べて間合いが数倍にも拡張されたソードスキルを放った。凄まじいまでの剣技の強化が、いかなる理由によるものなのか彼女には知る由もなかったが、強烈な『意志の力』を内包した刃は、その一振りだけで十数人の敵を薙ぎ払った

 

 

「い゛っ……!!」

 

 

テラリアのGM装備『ヴァーデュラス・アニマ』から色鮮やかな閃光が放たれるたび、放射状に血飛沫が飛び散った。しかし、ソードスキル発動の間に生まれる硬直時間までは抗えず、その隙を狙った敵が無数の刃でもってリーファに襲いかかった。全てを回避はできず、リーファの体にも幾つもの傷が刻まれ、灼けるような激痛が彼女の眼を眩ませた

 

 

「えぇーーーいっ!!」

 

 

裂帛の気合とともに、リーファは右足で強く地面を踏んだ。刹那、彼女の足許からぶわっと緑の輝きが溢れ、全身の傷が一瞬で治癒した。しかし、それでも体を切られた事実は消えない。未だ尾を引く痛みの余韻に耐えながら、リーファはひたすら剣を振るった

 

 

(たとえ、どれだけの傷を受けようと…この場所の敵だけは!私が現実世界へ追い返してみせる!!)

 

 

ダイブ座標の誤差で意図せぬ場所に飛ばされてしまった自分に役目があるとすれば、それはきっと一人でも多くのアンダーワールド人たちを助けることだ。キリトが、兄が愛し、守ろうとした人々を

 

 

She's such a boss(コイツ、ボスだぜ)!」

 

「せぃやあああああっ!!」

 

 

そんな叫び声とともに鋭く突き出されてきた剣を、リーファは左腕で受け止めた。返す刃で、その持ち主をひと息に斬り伏せる。リーファは、腕に突き刺さったままの剣を口に咥えて抜き取ると、血反吐とともに吐き捨てた

 

 

Charge ahead(突っ込め)ーーー!!」

 

「負ける、もんかあああああっ!!!」

 

 

途方もない数の敵を切り倒していくのと同時に、体に突き刺さる何本もの刃を、抜き捨てる余裕すらもうリーファにはなかった。全身の痛みが融け合い、まるで剝き出しになった神経を針で直に刺激されているようだった。幾つかの傷は、明らかに致命傷だ。腹部を貫く二本の剣は動くたびに内臓を切り刻み、背中から胸に抜ける一本は確実に心臓を直撃している。しかし、リーファは止まらなかった

 

 

「う…おおおおおおあああああっ!!!」

 

 

大量の鮮血とともに気合を迸らせ、何度目なのかも分からなくなったソードスキルを発動させる。長刀が緑の輝きを帯び、縦横無尽に敵を斬り裂く。大技を放った後の硬直時間を狙い、数人の敵が殺到してきた。ぎりぎりで飛び退き、攻撃の大半は避けたものの、長いハルバードの一撃に左腕を叩き斬られた

 

 

「うぐっ…こん、なの…!うああああああああああああああああああっっっ!!!!!」

 

 

リーファは衝撃と激痛で倒れそうになるのをぐっと踏みとどまり、横薙ぎの一閃で三人を斬り捨てた。地面に落ちた左腕を拾い上げ、傷口に押し当てながら強く右足を踏む。緑の閃光の直後に地面から草花が芽吹き、消えると同時に、ヒットポイントが上限まで回復し、惨い傷は残ったものの、左腕も蘇った

 

 

(絶対に、こんな傷くらいで…倒れたり、しない…!)

 

 

この状況では、テラリアの無限回復能力は、もう神の恩寵と呼べるものではなかった。むしろ、呪いと呼ぶのが相応しい。どれほど傷つき、激痛を味わおうとも、倒れることは許されない。不死ではあるが不可侵ではないが故の、想像を絶する責め苦。それを耐え続けるリーファを支えているのは、たった一つの信念だけだった

 

 

「あたしは、最強の剣士の…お兄ちゃんの…妹なんだからあああああっっっ!!!」

 

 

左手に握った長刀の切っ先が、真紅の輝きを迸らせた。重い金属音と共にに突き出された刀から、巨大な光の槍が解き放たれ、まっすぐに100メートル以上も戦場を貫く。バシャッ!と、両断された敵兵たちの体が鮮血を伴ってねじ曲げられ、飛散した

 

 

「・・・はっ、はあっ……!」

 

 

リーファが荒く吐いた息は、すぐに大量の鮮血へと変わった。赤黒く染まった口許を拭い、ふらりと立ち上がった彼女の左眼を、唸りを上げて飛来した長槍が貫き、後頭部へと突き抜けた

 

 

「あ゛あ゛ぁ゛か゛あ゛あ゛あ゛ッ!?」

 

 

ここが仮想の世界でなければ、即死の一撃。脳髄を直接掻き乱される感触に、今までどんな激痛に耐えてきたリーファも、ほんの一瞬ではあるが、意識を手放さざるを得なかった。そして、彼女が半ば酩酊状態で槍を左眼から引き抜いた時、一振りの剣が彼女の眼前にまで到達していた

 

 

(あたし、頑張ったよね…お兄ちゃん………)

 

 

赤い血に濡れた剣の刀身が、リーファの顔目掛けて垂直に振り下ろされていく。しかし彼女は、最期の最期までまで戦うことは辞めまいと、自分を切り裂くであろう剣を片目で見つめ続けた。『自分を切り裂くであろう剣』を

 

 

「 新 た な 天 地 を 望 む か ? 」

 

 

不意に聞こえたのは、少し低い男性の声。一瞬の内に終わった宣告がの後には、リーファを切り裂くはずだった剣が…否。剣はおろか、それを握っていたはずの敵が、跡形もなく消え失せていた。

 

 

「・・・・・え?」

 

 

その光景を目にしたリーファの口から漏れたのは、理解が追いつかない故の、疑問。残されたのは、何かに抉られたような爪痕を残す大地。その直線上に、一人の少年が佇んでいるのを、リーファは見た

 

 

「やれやれ。助けるはずの本人から、これはまた随分と遠くに派遣されたらしい。まぁでも、僕とて生物学上は男だ。同じ野郎を助けるよりも、可愛い女の子を助けられたのは、むしろ『幸運』と捉えるべきなのかな」

 

 

リーファの目の前にいた少年は、白のワイシャツに紺のブレザーと灰色のズボン、そして首にはネクタイの、一見すれば高校生にしか見えない『どこにでもいそうな少年』だった

 

 

「・・・あなたは、一体誰……?」

 

「僕かい?」

 

 

戸惑うような視線のままにリーファから訊ねられた少年は、首に手を当て、関節を鳴らそうとした。しかし、その首筋から続く音はなく、ただ首を傾げる動作にならなかったそれに、少年はため息を吐きながら返答した

 

 

「僕の名前は『上里翔流』。まぁ、あるいは『理想送り』とでも呼んでくれ」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

第二射は、ほとんど同時だった。シノンとサトライザー、二丁の対物ライフルから放たれた鉛の弾丸たちは、ほとんど触れ合うような距離ですれ違い、大きく弾道を変化させて虚空へと飛び去った

 

 

「くっ…!?」

 

 

このような上下左右とも完全なオープンスペースで、しかも対物ライフル同士で撃ち合うのは、シノンにとって初めての経験だった。二脚を立てての伏射が基本であるヘカートの、空中での反動の大きさはシノンの想像を軽く上回っていた。しかし。だからこそ、シノンは確信を得た

 

 

(この勝負は、先に反動を抑えて、敵より一瞬でも速く次の弾を撃てた方が勝つ……!)

 

 

同じことを、サトライザーも狙っているのだろう。右方向へ回り込もうと飛ぶシノンの逆へ、逆へと位置取りを彼は繰り返した。何の合図があったわけではないが、まったく同時に、双方とも高速機動を開始した。それから僅か5秒後、サトライザーの構えるバレットがついにシノンの動きを捉えたのか、ヒュッ!と霞むほどの速度で動いた

 

 

(来るーーー!)

 

 

シノンは歯を食い縛り、両眼を見開いた。バレットの銃口から火炎が迸る。限界速度で飛行しつつ、体を左に捻る。胸元が焦げるほどの距離を、バレットXM500の銃弾が唸りを上げて、シノンの胸元を掠めながら通過した

 

 

「そこっ!!」

 

 

最初で最後の好機。サトライザーが反動を抑えるために静止した、その一瞬を撃つ。自分の狙撃手としての本能が命じるままに、ヘカートを構えようとしたシノンが見たのは。真正面から飛来する、新たな銃弾だった

 

 

(連射!?しまっ………!)

 

 

放たれた三発目の銃弾を捉えた瞬時に、シノンは思い出した。しかし、その一瞬が命取りだった。一発撃つごとにボルトハンドルを引く必要があるヘカートと違って、バレットはセミオートマチック・ライフルなのだ。その思考が弾けるのと同時に、シノンの左足が、膝の上で爆発するように千切れ飛んだ

 

 

「ぐうっ…!?」

 

 

片脚がまるごと吹き飛んだ痛みよりも、まともに飛べなくなることへの恐怖をシノンは味わっていた。ソルス・アカウントの無限飛行による急速回避は、無様な錐揉み回転へと変わってしまった

 

 

(負けて、たまるもんですかっ…!)

 

 

歯噛みをしながら、シノンは唯一可能な機動、真っ直ぐな後退で飛行を始めた。可能な限りの速度で距離を取りつつ、サトライザーを照準し、三発目の弾丸を発射した。しかし、余裕の表情で追ってくる敵のライフルも同時に火を吐き、四発目を発射した

 

 

「んなっ!?」

 

 

同一直線上を突進する二つの銃弾は、交錯した瞬間、甲高い不協和音と鮮やかな火花を撒き散らして軌道を逸らし、それぞれ遥かな虚空へと飛び去った。胸の奥に広がり続ける恐れを、ボルトハンドルを引いて空薬莢と一緒に排出し、シノンは四発目を発射した。するとまたしても、二つの雷鳴が重なって轟いた

 

 

(・・・・・まさか……)

 

 

弾丸たちは接触した瞬間、巨大なエネルギーを空中に放散し、螺旋を描いて飛び去っていく。第五射。第六射。結果はまったく同じだった。サトライザーが、わざとシノンの射撃に合わせてトリガーを引き、弾丸を衝突させ続けているのは明らかだった

 

 

(こ、これがコイツのイメージの力なの…!?バレットの弾丸だけじゃなく、私のヘカートが放つ弾丸の軌道さえも変えることが出来るほどの……!?)

 

 

それでシノンにはもう、ボルトを引き、照準を合わせ、トリガーを絞るという三動作以外のことは何ひとつできなかった。七発目の弾丸が、哀切な悲鳴を撒き散らしながら大きく右へと逸れ、消えた。排莢。照準…………

 

 

カチン。

 

 

続く爆発音はなかった。シノンの指の動きに合わせて撃針が空しく鳴った。ヘカートⅡの装弾数は、ワンマガジン七発。予備の弾倉はない。対して、バレットXM500の装弾数は十。まだ、あと二発も残っている。それを分かった上で、サトライザーは冷たい笑みを浮かべた。百メートル以上離れた場所で構えられた黒い銃が、炎を吐いた瞬間。左脚に続いて、シノンの右脚が付け根から吹き飛んだ

 

 

「ヅッ!?あああああああああっっっ!!」

 

 

途端、一直線の飛行すらままならなくなり、シノンの体は徐々に垂直落下を始めた。反動を抑え込んだサトライザーが、最後の一撃を放つべく右眼をスコープに当てた。レンズいっぱいに広がる青い硝子のような瞳が、シノンの心臓を捕捉した

 

 

「・・・ごめんね、アスナ。ごめんね、キリト。ごめんね、ミコト。ごめん…カミやん……」

 

 

シノンが呟いた直後、バレットXM500が十発目の弾丸を、その銃口から解き放った。サトライザーの視線を正確にトレースして飛来した弾が、シノンの青い鎧を粉砕し、上着を蒸発させ、その先端が肌に到達するかに思われた瞬間ーーー

 

「あっ…!!」

 

 

バチンッ!と強烈な火花が散った。閉じかけた両眼を見開いたシノンの目の前で、高速回転する細長い弾丸を、ちっぽけな銀色の円盤が食い止めていた

 

 

「・・・そうよね、カミやん。あの時あなたが、最後の最後まで決して諦めずに戦い続けたから…今の私がいる…!」

 

 

渦巻く白いスパークの中心で、厚さ二ミリもない金属が、断固たる意志を示して光り輝いているのを見た瞬間、シノンの目にもう一度確かな闘志が宿った

 

 

「私は、諦めないっ…!!」

 

 

激しい閃光の直後、銀の円盤とライフル弾が同時に蒸発した。シノンはヘカートIIを力強い動作で構え、トリガーに指を掛けた。心意の力によって銃に変形してなお、本来の武器に与えられたシステム上の特性は残されていた。周囲の空間からリソースを自動吸収し、攻撃力としてチャージするソルスの弓、『アニヒレート・レイ』の力。さればこそ、彼女は撃てる。マガジンの弾は尽きても、絶対にヘカートは応えてくれると信じてーーー!

 

 

「いっ…けええぇぇーーー!!!」

 

 

シノンがトリガーを引いた。発射されたのは、金属をまとった徹甲弾ではなかった。無限のエネルギーを凝縮した純白の光線が、マズルブレーキから七色のオーロラを放散させながら、一直線に宙を疾った

 

 

「ーーーーーー!?」

 

 

刹那。サトライザーの顔から笑みが消えた。右へとスライド回避しかけた瞬間、白い光がバレットの機関部を直撃した。オレンジ色の火球が膨れ上がり、サトライザーを完全に吞み込んだ直後に、凄まじい轟音と、爆発。押し寄せる熱い突風を肌に感じながら、シノンは石のように落下し、数秒後、岩だらけの地面に激突した

 

 

「あうっ!?」

 

 

地面に倒れたシノンはもう、飛ぶことはおろか、這いずることもできなかった。根元から吹き飛ばされた両脚の痛みは筆舌に尽くし難く、意識を保つことすら困難だ。それでもシノンは瞼を持ち上げ、渾身の一撃の結果を見極めようとした。空中にわだかまる黒煙が徐々に、徐々に晴れていき、その中から現れたのは………

 

 

「・・・日本ではこういう時、『キモガヒエタ』と言うのかな。いや本当に…兵士としての狙撃手にはない熱量だよ、シノン」

 

 

ホバリングを続ける、サトライザーの姿だった。しかし無傷ではない。滑らかだった顔の右側は焼け焦げ、焼け落ちた服に空いたいくつもの穴からは痛々しい火傷が見え隠れし、唇から一筋の血が垂れている。誤魔化し切れない手傷を負ったサトライザーの顔に、ついに凶悪な殺意が浮かんだのをシノンは感じた

 

 

「いいわよ…何度だって、相手をしてあげるわ…」

 

 

シノンは残された全ての力を振り絞り、ヘカートを持ち上げようとした。しかし、彼女の腕に力が込められていた時には、もう既にサトライザーが確かなイメージによって作り出した新たなマガジンをバレットに差し込み、そのスコープでシノンの心臓を射抜いていた

 

 

Your soul was so sweet.(君の魂はとても甘かったよ)

 

 

囁くような宣告と、鼓膜を貫く銃声。それだけでシノンは、己の最期を理解した。やがて来るその瞬間を覚悟して瞳を閉じ、半ば祈るように胸元に残されたチェーンの切れ端を掴んだ。しかし、それからいつまで経っても、シノンが待ち受けた瞬間は訪れなかった

 

 

「・・・・・?」

 

 

もうログアウトされてしまったのか…そんな失意を抱きながら、シノンはゆっくりと目蓋を持ち上げた。しかし、彼女の瞳に映ったのは、STLにダイブする際に装着したヘッドギアではなく、サトライザーよりも自分の手前に立っている一人の人間だった。白いコートに、白いズボン。そして白い髪。体の全てが白に包まれている人間は、コートのポケットに手を突っ込んだまま口を開いた

 

 

「おいおい、随分と面白そうなオモチャで遊んでンじゃねェか。俺も混ぜてくれよ」

 

「・・・うそ…なんで、あなたが……!?」

 

 

そう言った白い人間は、何らかの法則を使い、素手で掴み取った弾丸を放り捨てていた。その白い人間の後ろ姿に、シノンは見覚えがあった。しかし何故その後ろ姿が目の前にあるのかについては、なんの覚えもなかった。やがてスコープから視線をズラしたサトライザーは、凶悪な殺意を浮かべた表情を崩さず、白い人間に問いかけた

 

 

「・・・貴様、何者だ」

 

「あァ?ンだよ、俺のこと知らないンですかァ?じゃあ教えてやるよ。一回しか言わねェからな。聞こえなくても、それは耳掃除サボったテメエのツケってことにしろ」

 

 

その名を聞かずとも、シノンにはその白い男の全てが分かっていた。総人口230万人の学園都市の頂点に君臨する、七人の超能力者の、さらにその頂点。学園都市序列『第一位』にして、ありとあらゆる力のベクトルを掌握する白い怪物、『一方通行』は言った

 

 

「通りすがりの『最強』だ。クソッタレ」

 



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第73話 形勢逆転

「『魔女狩りの王(イノケンティウス)』!!!」

 

「『七閃』!!!」

 

 

ステイルの周囲では、耐えず爆炎が巻き上がっていた。炎の雄牛が吼え猛る度に、赤い兵士たちが次々に燃え尽きていく。そしてその横では、絶大な威力を誇る金属製のワイヤーが神裂の七天七刀を基点にして暴れ回り、これもまた片端から敵兵をコマ切れにした

 

 

五行の黒(よおヤンキー)水龍ノウネリヲ以テ障壁ヲ取リ除ク可(寝ボケてねぇで仕事をしやがれ)!!!」

 

「『蓮の杖(ロータスワンド)』!!!」

 

 

龍を象った折り紙を空中に放り投げ、土御門が詠唱らしからぬ口調で叫んだ瞬間に、彼の右手の指先から飛び出したのは、直線上にいる敵の土手っ腹を纏めてぶち抜くほどに凄絶な威力を誇る鉄砲水だった。そして、アニェーゼが低身長を誤魔化す為の厚底の靴と共に蓮の杖を地面を突くと、その術式によって杖に与えられた衝撃が、赤い兵士たちの体内へと移動し、軒並み彼らの体を吹き飛ばした

 

 

「薙ぎ払え!『ゴーレム:エリス』!」

 

「さぁさぁ、治療が必要な方はこちらに一列でお並び下さい。私たち修道女は、主の御名の下に、皆様をお導き致します」

 

 

今もまだ傷が癒えていない日本人プレイヤーや、人界守備軍の衛士達の治療に当たるシスター達を、率先して取りまとめているのはオルソラ・アクィナスだ。そして、その彼女達の邪魔はさせまいと、シェリー・クロムウェルの操るゴーレム=エリスの巨岩の腕が、周囲に群がる真紅の兵士たちを根こそぎ薙ぎ払っていた

 

 

「天草式十字凄教!気合入れていくぞ!コイツらをさっさと片付けて、上条当麻と五和のイチャラブお食事会をセッティングするのよな!」

 

「「「おおおおおーーーっっっ!!!」」」

 

「た、建宮さん!お願いですから、こんな不特定多数の人がいる前で恥をかかせないで下さい!」

 

 

ここが戦場であることを忘れさせるほどのノリと斜め上の発言で中国・韓国人プレイヤー達に突撃していくのは、天草式十字凄教のメンバー達だった。そんな建宮を始めとした彼らに混じって、三叉の槍を振るい続ける五和は、敵を倒すことよりも顔を紅潮させて叫ぶことに夢中になっていた

 

 

「最初は文句を言っていた割には、もうかなりの数を手に掛けたんじゃないですか?結標さん」

 

「まぁ、そりゃね。私はとっとと帰りたいのよ。どれだけ文句を連ねようが帰れないんなら、こんな仕事は変に目立とうとせずに、流れ作業で終わらせるくらいが丁度いいわ」

 

 

『原典』。海原が懐から取り出した巻物のような光帯は、蛇のように宙を渦巻き、シェルター状の光の壁となって、敵の攻撃を弾き続けていた。その絶対的な安全圏の中に、海原と共に内包されている結標が軍用ライトを振るう度に、赤い兵士たちの持つ剣や槍が瞬く間に消えたかと思えば、次の瞬間には彼らの喉や心臓を貫いていた

 

 

「ハイパーエキセントリックウルトラグレートギガエクストリームもっかいハイパー…すごいパーーーーーンチッ!!!」

 

 

理屈の分からない爆発と、もはや理屈すらない技名が、そこにはあった。世界最高の『原石』、削板軍覇が放った拳は、ただ真っ直ぐに振り抜いただけで尋常でない規模の大爆発を引き起こすと、一瞬で無尽蔵の中国・韓国プレイヤー達を蒸発させた

 

 

「総員、前進!地の果てまで敵を押し戻せ!この場にいる風紀委員の生徒たちに、治安維持の手本を見せてやるじゃんよ!」

 

 

黄泉川愛穂が叫ぶと、警備員達は透明な盾に全体重を乗せ、鉄よりも硬い動く壁となって、敵軍の隊列を力づくで押し退けた。その圧力にたまらず真紅の兵士たちが転倒すると、警備員の後方に控えていた黒子が牽引してきた風紀委員の生徒達が、各々の保有する能力を叩き込んでいった

 

 

「ミサカ達は、大元を辿れば軍事用に製造されたクローンです。故に、どれだけの頭数を揃えようとも、一切の統率力がないあなた達とミサカ達とでは、天と地ほどの差があるのですよ。と、ミサカは忠告します」

 

 

開戦当初の人界守備軍の総員数、5000人と比較しておよそ二倍の人数で救援に駆けつけた妹達は、オモチャの兵隊による銃撃と銃弾の装填時間を考慮した隊列を組んでいた。入れ替わり立ち替わりで、間髪入れずに射撃を繰り返す戦法に、彼女達のそのまた倍以上の数がいるはずの異国人プレイヤー達は、立ち向かうどころか口々に悲鳴をあげて逃げ出す始末だった

 

 

「さぁさぁ!今宵、この婚后光子がお見せいたしますのは、電波塔を成層圏まで打ち上げることも可能な『大能力者』の『空力使い』!刮目してご照覧あれ!」

 

 

どこか歌舞伎を彷彿とさせる口調で赤い兵士に言い放った婚后は、バッ!と扇子を広げる動作と同時に、地面に設置したいくつもの空気の噴射点を爆発させた。刹那、その噴射点の真上にいた赤い兵士達は、逆バンジーが如く上空へと打ち上げられた

 

 

「システム・コール!ジェネレート・アクウィアス・エレメント!」

 

「ありがとうございます、レンリ様。そちらのお水、借用させていただきますね」

 

 

若き整合騎士レンリと肩を並べるのは、ウェーブのかかった亜麻色の少女、湾内絹保だった。彼女はレンリが神聖術で生成した四つの水素に触れると、自らの能力『水流操作』を用いて水球へと変化させ、その視界に捉えた敵兵目掛けて次々にぶつけていった

 

 

「システム・コール!ジェネレート・メタリック・エレメント!キューブ・シェイプ!」

 

「お手数お掛けします、ソルティリーナ様」

 

 

ソルティリーナ・セルルト衛士長は、黒髪のロングヘアの少女、泡浮万彬に言われるがまま、神聖術で立方体の鉄塊を生成した。しかしソルティリーナは、かなりの重量を誇るものの、まったくもって武器としての側面を有していないソレを必要とした泡浮の意図を読めないでいた

 

 

「いえ、それは構わないのですが…このような鉄の塊をどう使うのです?ご所望であれば、多少粗雑にはなりますが、剣や槍を造ることも出来ましたの、に……にいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!?」

 

「え、ええっとそれは…私、見た目に反して力持ちさんなので…その、えいっ!!」

 

 

その疑問のままに訊ねたソルティリーナは、見せた方が早いと言わんばかりに『流体反発』の能力によって浮力を操作し、軽々と巨大な鉄塊を持ち上げた泡浮に驚愕した。それから泡浮は頬を染めて恥ずかしがりながら鉄の立方体を赤い兵士に投げつけ、有無を言わさず彼らを圧し潰した

 

 

「はぁい。皆の衆、横一列に整列しなさぁい。そしたらぁ、私の統率力に敬礼。それでぇ…私はもう飽きちゃったから、退場なんだゾ☆」

 

 

学園都市序列第五位に位置する、学園都市最高の精神系能力『心理掌握』と、それに付随するリモコンのピッ!という音を前に、食蜂操祈の前に立っていた真紅の兵士たちは、成す術なく従わされ、美しい姿勢で敬礼した。そして彼らは、まるで名誉の敗北だと言わんばかりに、女王派閥の女子生徒達が次々に放ってくる能力を、敬礼の姿勢を崩さぬまま一身に受け続けた

 

 

「私の能力である『未元物質』は、この世界には本来存在しない、常識の通用しない物質を操る能力です。無論、あなた方のいる世界にも私の未元物質が存在しないことは、分かり切っていることですがね」

 

 

戦場の遥か上空で、垣根帝督は呟いていた。彼がその体よりも白く輝く六枚の翼をはためかせた瞬間、百を超える白光の槍が闇の軍勢へと五月雨の如く降り注ぎ、常人には到底届かぬであろう広範囲の敵を纏めて殲滅した

 

 

「・・・おいおい、おいおい。なんだぁこりゃ?」

 

 

劇的な速度で減少していく中国・韓国プレイヤー達の中で。SAOでは殺人ギルド、ラフィン・コフィンを統率し、悪魔と揶揄された男、PoHはゆらゆらと影のように揺れながら囁いていた

 

 

「一体なんの茶番なんだこれはよおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?!?!?!?」

 

 

しかして亡霊の囁きは、やがて狂乱的な叫び声へと変わった。次々に積み重なっていく死によって溢れ出す空間神聖力は、今も彼の友切包丁の元へと這い寄り、濃い闇となって彼を覆っている。しかしそれを手にしているPoHは、それすらも気に食わないように、目下まで被っていたフードの中に手を突っ込んで頭を掻き回した

 

 

「確かに俺ぁ、テメエら猿どもの殺し合いが見てえとは言ったさ。けどこれはよぉ…これはなんか違ぇだろうがあああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 

日本人プレイヤーを殲滅したまでは、何もかもが死神の思惑通りに事が進んでいた。彼らを使って目一杯楽しんだ後、PoHは自らが煽動し焚きつけた中国・韓国人プレイヤーを仲違いさせ、更なる殺し合いを実現させるハズだった。しかし結果は、見事なまでに覆された。もはや殺し合いにすらなっていない戦いを見れば見るほど、PoHの内側に潜む憎悪は膨らみ続けていった

 

 

「よう上条ちゃん、楽しんでるな」

 

「まぁな。例えるなら、少し早い夏フェスに唆されたような感じだ」

 

 

一方で、完全回復して戦線へと復帰した上条当麻は、その右手でもって赤い兵士達を次々に殴り倒していた。その彼と共に、右手の五指に超高熱の溶断ブレードを噴出させ、文字通り暴れ回って敵兵を分断し続ける雷神トールは、上条と背中を合わせたまま話しかけた

 

 

「ところで、良いニュースと悪いニュースがあるんだが…どっちから聞く?」

 

「・・・日頃から不幸だ不幸だって自分で言ってるけど、別に不幸なのが好きなわけじゃない」

 

「んじゃ、良いニュースから。見りゃあ分かると思うが、俺達はこの仮想世界でも、魔術と能力を使える。これはオティヌスがわざわざ手間暇かけて、アンダーワールドを制御してるザ・シードのカーディナル・システムに、あたかも俺たちがSTLを使ってダイブしてると誤認するように仕込んだお陰さ。だから俺たちは、STLが織りなすイマジネーションの力…心意による恩恵を受けられてる訳だ」

 

「なるほど…で、悪いニュースは?」

 

「まぁ上条ちゃんなら言わんでも分かると思うが、俺たちは着の身着のままこの世界にダイブしてる。つまり、上条ちゃんのお仲間の日本人プレイヤー達みたく、VRMMOのアバターデータをコンバートしてるわけでもなけりゃ、スーパーアカウントみてぇなSTLの既存アカウントを使ってるわけでもねぇ。早い話が、俺たちはフルダイブ機能を持ったインターフェースも何も介さず、他人が見ればただ昼寝してるようにしか見えない状態でここにいるわけだ」

 

「・・・チートだな」

 

「その通り。こいつぁもう歴としたチート、あるいは反則だ。だからオティヌスが踏ん張っている間…つまり、アンダーワールドに組み込まれたカーディナルの自律制御システムを誤魔化せてる時間しか、俺たちはここにいられない」

 

「・・・・・」

 

「おまけにこんだけの人数が、上条ちゃん達から見れば異世界の仮想世界にダイブしてんだ。流石の魔神様も、長い時間この状態を維持してるのは難しいらしい。カーディナルがエラー検知した瞬間に、俺たちは現実に強制送還だ」

 

「分かった。それで、みんなは具体的にはどれくらいの時間こっちにいられるんだ?」

 

「そうさな…五分もいれりゃあ、良い方だ」

 

 

深いため息を置いた後に、トールは言った。その時間を、長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれだろう。しかし上条は、フッと軽く鼻で笑ってから、口許を緩ませた

 

 

「充分すぎるな。それだけあれば、俺たちは勝てる。絶対にな」

 

「そいつぁ結構。だが、だからこそ急げよ。俺たちにしか出来ないことがあるなら、早めに片付けとくのが吉だぜ」

 

「・・・そうか、だったら……悪いトール!後は任せた!」

 

 

それだけ言い残して、上条当麻は前線から抜け出した。それから彼が足を向けたのは、後方部隊にて怪我人の治療を行うイギリス清教のシスターに混ざり、彼女らとは違い一度聞いただけで暗記した神聖術で治療を行う、完全記憶能力を持つ白い修道女、インデックスのいる場所だった

 

 

「インデックス!聞きたい事がある!」

 

「と、とうま!どうしたの!?」

 

「お前が記憶してる10万3000冊の魔導書の中に、人の魂を扱うことの出来る魔術はないか!?」

 

「た、魂を扱う…?具体的には、どんな?」

 

「詳しい理屈とか過程は俺にも分からないんだが、過去に負った心の傷か何かが原因で、俺の友達がほとんど寝たきりになっちまってるんだ。ソイツの目をどうにかして覚まさせてやりたい!」

 

「・・・それなら、うん。あるべき場所を見失ってしまった魂を、元の場所に戻すことなら、私でも出来るよ。迷える仔羊を導くのは、いつの時代もシスターの大切な務めだから」

 

 

捲し立てるような口調で問い掛ける上条に対し、インデックスは冷静だった。上条が訊ねてきた内容に、僅かな時間ながらも考えを巡らせるように目を瞑ると、やがてゆっくりと頷きながら真っ直ぐな瞳で言った

 

 

「で、出来るんだな!?よしっ…!ロニエ!アスナ!どこだ!?いたら返事を…!」

 

「か、カミやん先輩!こっちです!!」

 

「ッ!インデックス!こっちだ!俺に付いて来てくれ!」

 

 

上条の呼びかけに片手を振り上げながら答えたのは、同化する前のアンダーワールドで彼の傍付きだった少女練士、ロニエ・アラベルだった。最前線よりも少しだけ手前にいる彼女の姿を視界に捉えた上条は、インデックスの手を引いて、ロニエの元へと駆けつけた

 

 

「ロニエ!キリトは今どこに!?」

 

「は、はい!こちらに!」

 

 

ロニエが掌を差し向けた先には、アスナの膝の上で眠るキリトの姿があった。ロニエから見て彼らの向こうには、ティーゼが長剣を抜いて立っている。PoHによって車椅子を壊され、容易に移動できなくなった彼を、ロニエとティーゼが二人で守っていたのだと上条は理解した

 

 

「二人とも、ずっとキリトを守ってくれてたんだな。ありがとう、助かった。それでアスナ、キリトの様子は?」

 

「そ、それが…ずっと声を出しながら、左手を泳がせてるの。まるで、何かが欲しくて泣いてる…赤ん坊みたいに……」

 

「あ、あーーー…あーーー………」

 

「・・・これが、ずっとか」

 

 

アスナが言った通り、キリトは掠れた声を発しながら、虚な瞳のまま伸ばした左手を宙で彷徨わせていた。そんな彼の悲痛な姿を、改めて目の当たりにした上条は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた

 

 

「ごめんなさい。そのせいで、キリト君を後方に運びたくても運べなくて…」

 

「あぁ…でも、もう大丈夫だ。今俺が頼りになるヤツを連れて来……」

 

「か、カミやん君!後ろーーーっ!!!」

 

「なっ…!?」

 

 

瞬間。アスナの声は、悲鳴染みた絶叫へと移り変わった。上条がその叫びに後ろを振り向いた時には、眼前まで赤い兵士が振り下ろした剣が迫っていた。しかし、その剣が上条に到達する寸前に、凄まじい稲光を纏った超高速の弾丸が彼の前を通過し、赤い兵士を撃ち抜いた。気づけば上条は、そんな芸当が出来る唯一の人物の名前を叫んでいた

 

 

「美琴!!!」

 

「こいつらの相手は私達に任せて!アスナさん達は、早くキリトさんを!」

 

「ここより先に立ち入ろうとする狼藉者は、一人残らず拘束…いえ!串刺しにして差し上げますわ!」

 

「私たちにもお手伝いさせて下さい!」

 

「さぁ!どこからでもかかって来い!」

 

 

御坂美琴に続き、白井黒子、初春飾利、佐天涙子までもがその場に駆けつけた。そして彼女たちは、四方に分かれて上条達を護るように取り囲むと、向かってくる赤い兵士達を次々に仮想世界から追い出していった

 

 

「・・・なんか…やっぱりいいわね、こういうの。昔を思い出すわ」

 

「あらあらお姉様。あまり昔と比べられても困りますの。演算速度、射程距離、最大質量、その全てにおいて、このわたくしは成長し続けておりましてよ?お姉様は随分と長い期間を仮想世界で過ごしておいでだったようですが…そのお姉様が今のわたくしに付いて来られるのか、甚だ疑問ですわね」

 

「上等ッ!!!」

 

 

身体中に電撃を迸らせながら、御坂美琴は強く笑った。常盤台の超電磁砲と、風紀委員の腹黒テレポーター。かつて学園都市で起きた多くの事件を収束に導いたコンビは、もう一度肩を並べて戦えることに、懐かしさと嬉しさを感じながら、己が有する能力を余すことなく解放した

 



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第74話 魂の回帰

 

「よし、これなら大丈夫だ!インデックス!コイツが俺の友達のキリトだ!コイツを助けてやってほしい!」

 

「この人だね。分かった。少し見させて」

 

 

上条は自分達の壁となってくれた美琴達に内心で感謝しながら、改めてインデックスに声を掛けた。すると彼女は、キリトを挟んでアスナの向かい側に座り、彼の額にそっと右手を乗せると、静かに瞳を閉じくて意識を集中させた

 

 

「か、カミやん君…この白いシスターさんは?」

 

「コイツはインデックス。俺が高校生やってた時の同居人さ。大丈夫、普段はだらしねぇけど、ここぞって時は他の誰よりも頑張ってくれるんだ」

 

「・・・・・この人は、この世界が大好きなんだね。この世界で経験した、たくさんの大切な思い出や、この世界で出会った人達への想いが、意識の中に深く残っているんだよ。だけどこの世界で大切な人を失って、この人の心は、それ以上に深く傷ついてしまっているんだよ」

 

「た、大切な人?って言うと、キリトの恋人…アスナなら、ずっとここに……」

 

 

アスナと上条が話す中、インデックスはキリトの額に右手を乗せ意識を集中させたまま、静かな声で語り始めた。その中にあった、大切な人というワードに、上条はキリトとアスナを交互に見つめて言ったが、インデックスはその言葉に対して首を振った

 

 

「ううん。重要なのは、この人が心を失ってしまったのが、この世界であることなんだよ。この仮想世界で、この人が誰よりも心の支えしていた人…親友。その親友を、この人はずっと探し求めているんだよ。だけど、その人と過ごした記憶すらも、この人は失ってしまったから……」

 

「そ、そんな…!な、なんとか…なんとかならないんですか!?」

 

 

瞳に涙を溜めたまま、アスナは向かい合っているインデックスに必死に訴えた。それから白い修道女は、しばらくの間押し黙ると、その瞳を閉じたまま、もう一度口を開いた

 

 

「・・・いつだって人は、心の内側に自分以外の誰かを作る時は、その人との思い出…記憶を自分の心に置いておくんだよ。だからこの人が目を覚ますには、この世界で親友だった人の思い出と記憶を強く想起させる何か…つまり、その人が今も一緒にいてくれる『証』になる物が必要なんだよ。この人と、その親友にとっての絆の証…それは………」

 

 

そこまで言って、インデックスは今一度深く意識をキリトの心へと沈ませた。その場にいる誰もが、その光景を固唾を飲んで見守る中、やがてインデックスは確信を得たようにカッと閉じていた両眼を見開かせて言った

 

 

「『青い薔薇が咲いた剣』!その剣を、今もこの人は探し続けている!だからそれが、きっとこの人の心の扉を開く鍵になるはずなんだよ!」

 

「「「!!!!!」」」

 

「ユージオ先輩の…『青薔薇の剣』!!」

 

 

インデックスの口から飛び出した言葉に、上条とロニエとティーゼの三人は、全く同じ剣の名前を脳裏に思い描いた。その三人の中で一番最初にそれを叫んだのは、その剣の持ち主に…『ユージオ』に恋をした少女練士、ティーゼ・シュトリーネンだった。その声に突き動かされた上条が咄嗟にキリトの左腕の中を見やるが、そこには彼がかねてより所有していた黒い剣と、白い鞘しか残されておらず、肝心の青薔薇の剣は見当たらなかった

 

 

「ど、どこだ…青薔薇の剣は今どこに!?」

 

「あ、あの剣は確か、PoHがキリト君から無理やり奪い取って…それで……!」

 

「探し物は『コレ』かぃ?閃光」

 

 

アスナ達が必死にあちこちに首を回しながら戦場を見渡していた時、再びPoHは彼女らの目の前に現れた。その声に、上条達がバッと振り向いて視線を注いだ先にいた彼は、右手と右肩で今も空間神聖力を吸い続ける友切包丁を担ぎ、反対の左手で、刀身の折れた青薔薇の剣を弄んでいた

 

 

「なんつーかさぁ…俺も久々に割とマジでキレてんだよ、いやほんと。俺の黒に対するラブコールを散々邪魔してくれてよぉ。それだけじゃねぇ。この訳の分からねぇ手品をあれやこれやと使う連中ときたら、どいつもこいつも楽しそうに戦いやがって…俺の知ってる殺し合いとは、どう考えたってスタンスが違えんだよ」

 

「お前ら本当に分かってんのか?切られりゃアホほど痛ぇんだぞ?俺たち人間からすりゃあ、こいつぁもう歴とした殺し合いも同然なんだ。お前らそれ分かっててこんな楽しそうに戦ってんだったら、そりゃ正真正銘の殺人鬼だぜ?」

 

「違ぇよ、バカ」

 

 

影のように蠢きながら喋るPoHに短く返答したのは、上条当麻だった。それから彼はゆっくりと立ち上がって彼と真正面から相対すると、どこか重みを感じさせる口調で続けた

 

 

「この世界はSAOじゃない。俺たちはみんながみんな、命を賭けて戦ってるわけじゃない。痛みがあることについては、否定は出来ない。だけど、どんな傷を負うよりも、痛くて誤魔化せないものがある」

 

「・・・はぁ?」

 

「それは、心の傷を負うことだ。自分にとって大切な誰かが傷ついたり、大切な誰かを失った時、その瞬間に心に刻まれる傷は、簡単には誤魔化せない。そんな心の傷を負う誰かを守る為に、俺たちは戦ってんだよ。苦痛に嘆くよりも、笑顔になってほしいから、俺たちも笑うんだ」

 

「おいおい、言ってることが矛盾してんぞ。テメェの言うメンタルダメージってのは、どっかの誰かがお亡くなりになったら感じるモンなんだろぉ?じゃあ、これが殺し合いじゃねぇって言い切るんなら、どの道そんなダメージ誰も受けねぇだろうが。どんな大義名分並べようが、テメエらのやってることの事実は変わらねぇ。俺には分かる。テメエら全員、痛みに叫ぶ誰かの顔を見て、それが楽しくて笑ってんだ。そうだろ?お?」

 

「いいや。お前はなにも分かってねぇよ」

 

 

もはやPoHの口調は、どこか必死さが滲み出ていた。どうにかしてこの戦場を、自分の思い描いた殺し合いの舞台に戻そうと躍起になっているようにすら見えた。そんな煽動を誘う彼の口車に対して、上条はどこまでも自分の主張を崩さずに答えた

 

 

「この世界にいる人工フラクトライト達は…アイツらはみんな、この世界で等身大の命を持って生きてる、正真正銘の人間なんだ。みんなが誰かを失う悲しさと辛さ、涙を流して心の傷を負う痛みを知ってる。だから俺たち現実の人間のいざこざに巻き込んで、その命を悪戯に奪うことなんて、誰にも許されない」

 

「かくいう俺も、苦しかったからな。いくら戦争の敵だったとは言えど、実際にこの世界で生きてる人工フラクトライト達と戦うのは、どうしようもなく辛かった。その上フィアンマの言葉に徹底的にうちのめされて、心の傷を負った。そういう意味でなら、俺はお前らの思惑にどっぷりハマってた。だけど、今はもう違う」

 

「お前はミスったんだよ。他でもない、現実のプレイヤーを煽動してたお前が失敗した。人間同士が殺し合いで見せる悪意を、過信しすぎた。俺はもう、そんなの怖くもなんともない。大切な誰かを守れないことの方が、よっぽど怖い。そう思う俺の背中をみんなが押してくれて、一緒に戦ってくれてるんだ。こんなに心強い味方はいない」

 

「だから俺も証明してやる。守る為に戦う意志の強さを、お前に見せてやる。キリトを失って、涙を見せる誰かの姿を楽しもうとするテメエが、もう二度と笑えなくなるようになるまでな」

 

「・・・あぁ〜、っそ」

 

 

上条当麻は、真剣な眼差しと言葉を最後まで絶やさなかった。それから数秒の間を置いて、PoHは右肩に向けて大きく頭を持ち上げる予備動作の後に、深く被ったフードが返りそうになる勢いで首を左肩に振りながら吐き捨てた

 

 

「だったら、おう。証明してくれよ?要するに黒は、この剣がねぇと目覚めねぇんだろ?だったら俺が、ぶっ壊してやるよ。その後でさぁ、テメエの守る意志とか言う屁理屈が本当に正しかったのかを証明してみろよおおおおおおおおっっっ!!!!!」

 

「ーーーッ!?」

 

 

タカを括っていた。あそこまでキリトに執着を見せたこの男が、そんな凶行を起こすワケがないと上条は踏んでいた。しかし、その期待はあっさりと裏切られた。PoHは地面に青薔薇の剣を放り捨てると、柄頭の青薔薇に向けて、巨大化した友切包丁を大きく振りかぶった。上条が懸命に地面を蹴って青薔薇の剣に手を伸ばすも、包丁の刃の方が限りなく剣に近い。万事休すか、と。上条の脳裏によぎった最悪の予感も、また裏切られた

 

 

「ぐおおおおおおええええええ!?!?」

 

 

ゴウッ!!と、ミサイルじみた早さで『誰か』が飛来した。PoHは訳の分からぬまま、その『誰か』に絶大な威力の拳を顔面に叩き込まれ、口や鼻から体液を撒き散らすと、青薔薇の剣を放り捨てたその場所から30メートル以上吹っ飛んだ

 

 

「・・・・・え?お、お前…!?」

 

「これが、必要だったんですよね?」

 

 

自分の姿を見て驚く上条に、突如として彼の前に現れた『少女』は優しく両手で拾い上げた青薔薇の剣を手渡して、そのまま上条の横を通り過ぎた。それからキリトの元に座るインデックスの元へ近寄ると、彼女の隣に座って言った

 

 

「久しぶり。助けに来たよ」

 

「ひょうか!?ひ…久しぶりなんだよっ!会えて嬉しいんだよぉぉぉぉっっっ!!!」

 

「わあっ!?」

 

 

その少女、名を『風斬氷華』。自分にとって大切な友人である彼女を見た瞬間、インデックスは思わず風斬に抱きついた。急にその体を受け止める事になった風斬は、驚きながらも嬉しそうに口許を緩めた後に、インデックスの肩に手を置いて、彼女の体を自分の体から剥がしつつ言った

 

 

「ありがとう。今はお互いに、出来ることを頑張ろうね。あなたのことは、絶対に私が守るから」

 

「・・・うん。私もありがとうなんだよ、ひょうか。今度、絶対に学園都市に遊びに行くからね。そしたらとうまにお願いして、ひょうかを探しに行くから…また、私と一緒に遊んでくれる?」

 

「・・・もちろん。約束する」

 

「絶対なんだよ!指切りげんまん!」

 

「ふふっ…いいよ!」

 

「「ゆーびきりげんまん!嘘ついたら針千本のーます!指切った!」」

 

 

二人の少女はお互いに笑い合いながら、それぞれ右手の小指を繋ぎ合わせて言った。それから風斬はゆっくりと立ち上がると、再び前線へと踵を返して、その先で転がっているであろうPoHの元へと歩き始めた

 

 

「・・・はは、ははは。またか。まぁたテメェらお得意の友情ごっこってヤツか?だが本物のモンスターまでお友達とは…もう笑うしかねぇよ。だからよぉ、いっそのことよぉ…俺を殺す勢いで笑わせてみろやぁ!この怪物があああああ!!!!!」

 

「・・・確かに、私は人間じゃありません。でも、その力で私の大切なお友達を守ることが出来るのなら…私は持てる力の全てを使って!あなたを止めます!!」

 

 

風斬の一撃を食らったPoHは、乾いた笑いを口にしながら再び立ち上がった。そして怒号を飛ばしながら、肉厚の包丁から毒々しい闇の嵐を巻き起こす彼の前に、『AIM拡散力場の集合体』にして『人工天使』の力を体の内に秘める少女、風斬氷華は、唯一無二の親友を守る為に立ち塞がる。人の皮を被った悪魔と、人の心を持つ天使が、凄絶な闇と光の中で衝突した

 

 

「インデックス、これがキリトの探してた青薔薇の剣だ。このユージオの剣があれば、キリトは目を覚ますんだよな?」

 

「うん。後は私の頑張り次第なんだよ」

 

「分かった。頼むぞユージオ…キリトに、お前の力を貸してやってくれ…!!」

 

 

ようやく取り戻した青薔薇の剣を胸元に手繰り寄せ、上条は瞳を閉じて親友の心意を秘めた剣を強く握り、念じた。やがて瞳を開けた上条は、キリトの腕の中にある純白の鞘に、半ばから刀身を失っている青薔薇の剣をそっと戻した

 

 

「・・・それじゃあ、始めるね」

 

 

青薔薇の剣が戻った直後、キリトがゆっくりと宙空を漂わせていた左腕を下ろしたのを見ると、インデックスは小さく呟いて祈るように両手を組んで意識を集中させた。すると、彼女の祈りに呼応するように、キリトの胸元に小さな光が満ちていくのを見ると、アスナもまた必死にキリトの左手を両手で握った

 

 

「お願い、戻ってきて…頑張って、キリト君…!」

 

(・・・これでもうキリトの事は、インデックス達に任せるしかない!後、俺に残されてるのは…!)

 

 

キリトの命運をインデックス達に預けた直後、上条は何かを決意したような、強い光を瞳に宿して立ち上がった。刹那、まるでその決意に呼応するかのように、その現象は起こった。曰く、『人払い』。その術中に入った瞬間、全ての音は消え失せた

 

 

「まったく、想定外にも程があるな」

 

「・・・だろうな。流石の俺もこれは想定外だったよ、右方のフィアンマ」

 

 

その中で唯一聞こえたのは、人の音。その声の主が誰なのか、上条は既に分かりきった上で、その声の聞こえる方へと振り向いて返答した。広く閑散とした、一切の遮蔽物すらない荒野に、上条当麻はたった一人でその男、右方のフィアンマと再び相対した

 

 



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第75話 もう一人の右手

 

「ね、ねぇ!あなた一体何者なの!?」

 

 

二千人のアメリカ人プレイヤー達を相手取っているのは、たった二人の少年少女だった。内一人の少女、リーファはソードスキルで敵を切り払いながら、背中合わせで共に戦う少年に問いかけた

 

 

「僕の自己紹介なら、ついさっき済ませたばかりのハズだけど?」

 

「いや、そうじゃなくって!その右手の事とかって意味よ!」

 

「コレかい?この場においては『理想送り』の名前の通り、ステータス的な防御力もHPも関係なしに、相手をただ現実に送り返しているだけさ。もっとも、その先に待つ現実が彼らにとっての新天地なのか、そもそも理想と呼ぶに値するのかは、僕の知るところではないけどね」

 

 

リーファの方を見る事なく、上里翔流は小さく唇を動かして答えた。彼がその異質も異質すぎる右手を振るう度に、真紅の兵士たちが100人単位で敵が消え失せていくのを見ると、リーファは重ねて上里に訊ねた

 

 

「やっぱり、そういう右手繋がりってことで、あなたもカミやん君と同類ってことなの?」

 

「いいや、彼とは違うよ。彼の右手は本物だが、僕のコレは偽物だ。所詮は仮染め、現実じゃ正真正銘ただの右手さ……まだ、ね」

 

「 新 た な 天 地 を 望 む か ? 」

 

 

会話の途中で、上里は囁くようにトリガーとなる言葉を口にした。その瞬間、彼の差し向けられた右手の先にいる数え切れない兵士たちの一角が、ゴバァッ!という音と同時に丸ごと消失した

 

 

「・・・何っか、話しづらいなぁ…」

 

「それは失礼。生憎と、これが性分なんだ」

 

「じ、自覚はあるんだ…でも、助かったわ。正直あたし一人じゃ、この局面は切り抜けられないと思ってたから」

 

「常人なら普通、この人数を見た時点で逃げ出すと思うけどね。君の方こそ、一体何者なんだい?」

 

 

切り払い、消し飛ばす。それをひたすら繰り返している内に、リーファと上里の周囲を取り囲む敵は、当初の2000人から1000人ほどにまで減少していた。劇的な速度でアメリカ人プレイヤーが減少していく中で、上里がリーファに訊ねると、彼女は口許に少し笑みを浮かべながら言った

 

 

「妹よ」

 

「・・・妹?」

 

「そう。あたしの名前は、リーファ。SAOをクリアした英雄の…たった一人の妹よ!!」

 

 

言って、リーファはもう一度、眩い緑の閃光を宿した長剣を、紅い鎧を身に纏った兵士達へと振り下ろした。少女とは思えないほどの勇猛さを見せつけるリーファの自己紹介を聞いた上里は、彼女と同じく、フッと鼻を鳴らしながら微笑んで右手を掲げた

 

 

「・・・なるほど。それは中々どうして…ここまで向こう見ずなワケだ。納得した」

 

 

バゴオオオッッッ!!!と、上里の右手が横薙ぎに振るわれたかと思えば、それに伴って大量殺戮が起こった。もはやアメリカ人プレイヤー達の士気は、諦めムードだった。たった2人のプレイヤーなど、ここにいる1000人で容易に押し潰せるハズなのに、彼らの中にはそんな希望を抱く者はもう一人としていなかった

 

 

「せぃやあああああああっっっ!!!」

 

「 新 た な 天 地 を 望 む か ? 」

 

 

リーファの咆哮と、上里の常套句が交差する。それだけで、赤い兵士達の仮染めの命は悉く消え去っていった。そして、時間にして5分後。当初30000人の大軍勢でアンダーワールドへログインしたアメリカ人プレイヤーは、最後の一人を残すのみとなった

 

 

「さて、君としては大変不本意だろうが…相手が悪かったと思ってくれ。最後に何か言い残すことがあれば、どうぞ?」

 

 

最後に残されたプレイヤーは、まだどこか垢抜けていない雰囲気を残す、高校生くらいの年の瀬の…それも、赤い兜のバイザー越しに見える限りでは、女の子のプレイヤーだった。たった一人残され、地面にへたり込んでいる彼女に対し、上里は右の掌を差し向けて言った。するとアメリカ人の女の子は、その日本語を理解しているのかいないのか、唇の端を吊り上げながら、上里に向かって右手の中指を突き立てながら高い声で叫んだ

 

 

Mother fuc(このクソった)……!」

 

「おっと、流石にそれは教育上良くないな。君みたいな女の子は、もう少し丁寧な言葉遣いを覚えるべきだ。こんな風にね」

 

Do you want to new world(新たな天地を望むか)?」

 

 

瞳に青さを残す女の子が、彼女の母国では忌むべきスラングを口にする前に、上里が流暢な口使いで言った。その言葉を最後に、最初にこの世界へ飛び込んだ3万人のアメリカ人プレイヤーは、全員が現実世界へと帰還した

 

 

「・・・お、終わったあああぁぁぁ……」

 

 

上里が最後の一仕事を終えて、右手をズボンのポケットに突っ込んだ直後、リーファは安堵の息を大きく吐き出しながら大の字になって地面に寝転んだ

 

 

「しかし驚いたな。あの幻想殺しにこんなにも強く、可愛い妹がいただなんて」

 

「・・・ふぇ?」

 

 

地面に寝転んだリーファの元へ歩み寄ると、上里は肩を竦めながら言った。しかし、すっかりと体に疲労を溜め込んだリーファは、その言葉をあっさりと聞き逃し、惚けた声を出した。そんな彼女の様子に上里は思わずフッと吹き出して笑うと、ポケットに突っ込んだばかりの右手を出して、彼女の前に伸ばしながら言った

 

 

「それより、まだ休んでいる暇なんてないんじゃないのかい?君にはまだ、やるべき事があるんだろう?」

 

「・・・うん。そうだね。早く、お兄ちゃん達の所へ行かないと…!」

 

 

リーファが上里の手を自分の右手で掴み、彼に引っ張り起こされた次の瞬間、ドドドドド!と、凄まじい足音でオークの長がリーファに向かって突進してきた

 

 

「リーファァァァーーーーッッッ!!!」

 

「え?う、うわぁ!?リルピリン!?」

 

 

涙やら鼻水やらをそこら中に振り撒きながら迫ってくるリルピリンに、リーファは思わずたじろいだ。しかしそんな彼女に構う事なく、リルピリンはリーファにぶつかる直前で猪突猛進していく足にブレーキを掛け、上里の右手からリーファの右手を両手で奪い取って強く握り締めた

 

 

「なんて無茶をずるんだ!レンジュだけでなぐ、リーファにまで死なれでじまっだら、おでは…おでばぁぁぁ〜〜〜!!!」

 

「ちょ、ちょっと落ち着いてよリルピリン!あたしは別に大丈夫だから!」

 

 

ドバドバと滝のように泣くリルピリンに、リーファは彼の勢いに多少体を引きながらも笑顔で言うと、彼を宥めるように自分の背丈よりも高いところにある頭を何度も撫でた。それから時間をおかずに、リルピリンの配下であるオーク軍が彼に追いついてくると、せめて彼らの前ではオークの長らしくあろうとしてなのか、ゴシゴシと荒っぽく涙と鼻水を腕で吹いたリルピリンは、リーファの隣にいる上里に向き直って言った

 

 

「お前がリーファを助けでくれたんだな。礼を言わせでくれ。お前がいなかったら、おではリーファに、助けでくれた礼を何も返せないところだっだ」

 

「・・・いや、何も礼を言われるようなことじゃないさ。僕なんかがいなくても、彼女はきっと最期まで戦い抜けていたハズだよ」

 

 

オーク特有の豚を象った頭を深々と下げるリルピリンに、上里は最初こそ面食らっていたが、やがて首を振って穏やかな口調で言った。すると、リーファと上里の功績によってアメリカ人プレイヤーの侵攻から脱することの出来た拳闘士団の長が、ズタズタの右腕を同じくボロボロになった左腕で抱えながらリーファに歩み寄って声をかけた

 

 

「よう。お前がコイツら…オーク部隊を率いてきたリーダーだな?」

 

「え?り、リーダー?ううん。あたしは何もそんなんじゃ……」

 

「なんで人族が…それも人界人の女が、オークを引き連れてきたのか…理由は分からねぇがとにかく助かった。拳闘士ギルド第10代チャンピオンとして、礼を言う」

 

「や、やめてってば。だからあたしは……」

 

「いいじゃないか。少なくともオークの彼らは、君だから味方に付いたんだ。そういう意味でなら、リーダーという表現もあながち間違いじゃないだろう。彼のお礼は、何より彼らを助けようと戦った君が受け取るに相応しいと、僕は思うよ」

 

「・・・えっと…じゃあ、どういたしまして。あなた達も、無事で良かったわ」

 

 

右目の封印、コード871を眼球ごと取り除くという離れ業で解除した故に、隻眼となったイスカーンは、残された片目も閉じてリーファに頭を下げながら言った。そんなイスカーンの言葉にリーファが戸惑っていると、次いで上里が声をかけると、彼女は恥ずかしそうにイスカーンに言った。しかし今度は、その様子を傍目から見ていた上里に灰色の騎士が声をかけた

 

 

「・・・そうは言うけど、あなたも凄かった。あなたがいなければ彼女も、ひいては私たちも、助からなかったかもしれない。だから私はあなたにも…お礼を言いたい」

 

「・・・まぁ、彼女に言った手前だ。僕もありがたくそのお礼を受け取るよ」

 

 

黒百合の剣を失ってなお、騎士であることを忘れない整合騎士、シェータ・シンセシス・トゥエルブは静かに言ってから、握手を求めるように上里に右手を差し出した。そんな彼女の様子に上里は戸惑ったように右手で後ろ頭を掻いていたが、差し出した手をこれっぽっちも下ろそうとしないシェータに、やがて諦めたように一つ息を置いてから、彼女の右手を自分の右手で握り返した

 

 

「・・・ケッ、いけすかねぇ野郎だな。おいシェータ、言いてえ事が言い終わったんならとっととそのモヤシ野郎から離れろ。元からガリガリのお前ももっとガリガリになるぞ」

 

「おやおや、嫉妬ですかなチャンピオン?男の嫉妬は見苦しいですぞ」

 

「なっ!?そ、そんなんじゃねぇよ!!」

 

 

シェータと上里の握手を見ていたイスカーンが、ボロボロになった腕を組みながら、を唇の端をへの字に曲げて言った。すると彼の隣にいるダンパがクスクスと笑いを堪えながら言うと、イスカーンが元々赤い頬を更に赤くさせながら反論した。しかし彼への追及はそれで終わることなく、今度は上里との握手を終えたシェータがイスカーンに冷ややかな視線を注ぎながら言った

 

 

「あなたの方こそ、女の人の方から先に話しかけた。私と所帯を持ちたい…とも言っていたのに、その行動は関心しない」

 

「なっ!?だ、だからそんなんじゃねぇって言ってん……だぁーーーっ!クソッ!この話はヤメだ!おいそこの女、お前らはこの後どうすんだ?」

 

 

これ以上続けるとまたダンパに揶揄われると思ったのか、イスカーンは一際大きく吼えて話を切り上げた。そして隻眼の瞳でリーファを見ながら訊ねると、リーファはゆっくりと頷きながら答えた

 

 

「うん。多分間に合わないだろうけど、あたしはこのまま南下を続けて、お兄ちゃんやアリスさん達を助けに行こうと思う」

 

「だったら、おで達はリーファに付いて行く。今度こそ、リーファが危なくなったら一緒に戦う」

 

「・・・分かった、ありがとうリルピリン。でも、その気持ちだけもらっておくわ」

 

「ど、どうしでだ!?もしまたあんな危ない戦いになったら、今度こそリーファは…!」

 

「ううん。多分、大丈夫だと思う。なんていうか…こう、ね。なんとなく雰囲気で分かるのよ。もうあたしが戦うことは、ないんじゃないかって。私はただ、見届けに行くの。この世界の行く末を。だからあなた達は、安心してここで待ってて」

 

 

恩人であるリーファにそう言われてしまっては、リルピリンはもう何も言えなかった。しかし、それでも一緒に戦えない心残りは拭えず、ガックリと肩を落としたオークの長に、リーファは微笑みと共にその頭を撫でながら、今度はイスカーンに向けて訊ねた

 

 

「それで、拳闘士の人達はどうするの?」

 

「いや、自分から聞いたとこ悪りぃが、俺たちもここに残る。もう全員走るどころか、こうして立ってるのもやっとだ。お前達に加勢したところで、ロクな戦いぶりは見せられそうにねぇ」

 

「私も残る。黒百合の剣は、折れてしまったから。それに飛竜の宵呼も、もう限界。後は静かに、休ませてあげたい」

 

 

首を振って言ったイスカーンに続いてシェータが口を開いた。リーファは彼らの言葉に対して、無理をしてでも付いて行くと言われなかったことに安堵すると同時に、大きく頷いてから言った

 

 

「分かった。今まであの紅い騎士達と戦ってくれてありがとう。あなた達の分まで、あたしが戦ってくるから」

 

「武運を祈ってるぜ」

 

「私も」

 

「えぇ。それじゃあみんな、行ってきます!」

 

「「「おおおおおおおーーーっ!!!」」」

 

 

リーファが右拳を掲げながら言うと、リルピリンを始めとしたオークの軍勢と、拳闘士達までもが高らかに吼えて彼女の背中を押した。そして、南に待ち受けるもう一つの戦場に向けてリーファが踵を返そうとしたが、上里がその場を一歩も動こうとしないのを見ると、彼女は疑問に思うよりも先に声を出してしまっていた

 

 

「あれ、どうしたの?上里君も一緒に……」

 

「ん?あぁ、悪いけど僕はどうせこの世界に長くはいられないし、ここで帰らせてもらうよ。実は後少しで朝食の時間だったんだ。折角の仮釈放中だというのに、寝坊したらしたで『ユナ』に叩き起こされて、しこたま怒られるんだ。それは僕としては避けたいところでね」

 

「か、仮釈放…って……」

 

 

今にも走り出そうとしていたリーファに、振り向きザマに訊ねられた上里は、やれやれとどこか自分自身に呆れたように首を振って、どこか嬉しそうに頬を緩めながら言った。しかしリーファは、それ以上に彼の口から出た言葉が引っかかり、その真意を訊ねるように繰り返したが、目の前のどこにでもいる平凡な少年はそれに触れることなく続けた

 

 

「それに、今日はお墓参りに行こうと思っていたんだ。長いこと拘置所にいたせいで、顔も出せていなければ、ロクに掃除も出来ていなかったからね。このままだとユナどころか『悠那』にも怒られてしまう。まったく、我ながら尻に敷かれてばかりだな……。ともかく、そういう事だから、後は頑張ってくれ。僕なんかいなくとも、君なら大丈夫だよ。妹さん」

 

「ち、ちょっと待って!上里君って一体…!?」

 

「 新 た な 天 地 を 望 む か ? 」

 

 

慌てふためきながら叫ぶリーファを他所に、不意に上里は頭に自分の右の掌を当てて、小さく呟いた。その瞬間を最後に、彼の姿はアンダーワールドから跡形もなく消え去ってしまった

 

 

(・・・拘置所に、仮釈放…かぁ。そんな悪い人には見えなかったけどなぁ……)

 

 

あまりにも突然すぎる別れに、リーファはしばらく呆気に取られてしまった。全て幻だったのではないか、そう考えもしたが、今もこうして自分がこの世界にいられることに変わりはなかった。リーファ、ひいては『桐ヶ谷直後葉』にとっては、一生に一度きりの、不思議な出会い。そんな奇妙な縁を感じ取ったのか、彼女はくすりと笑うと、今度こそ南に踵を返して走り始めた

 



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第76話 白と黒の翼携え世に抗う者

 

「ったくよォ、俺は基本的には昼まで惰眠を謳歌するタイプなンだっつの。どうにもイラ立ちが抑えられそうもねェから、ストレス発散にお前をサンドバッグにさせてもらうが、最終的には死刑か処刑、あるいは極刑しかあり得ねェからそのつもりでなァ」

 

「・・・・・・・・・・」

 

 

世界の果てへと続く山岳地帯の一角で、学園都市最強の能力を保有する一方通行は、元闇の皇帝ベクタにして、A.L.I.C.Eを狙う魂の簒奪者、サトライザーと相対していた

 

 

「一方通行さん!ソイツは…!」

 

「いちいちテメエに言われなくても分かってるっつゥの。大人しくそこで見てろ、ブス」

 

「・・・ぶ、ブス!?」

 

 

その一方通行に対し、先にサトライザーと対決して敗北を喫したシノンは、彼の恐ろしさを一方通行に伝えようとしたが、白い怪物は彼女の方を一瞥もすることなく、彼女にとっては心外にも程がある言葉を最後に言った。それから一方通行は、その赤い瞳でサトライザーを睨みながら口を開いた

 

 

「おい、そこのインテリ気取った軍人さン。JKを痛ぶるってのはそんなに楽しかったンですかァ?400字詰めの原稿用紙くれてやるから、後で感想文でも書いてくンねェか。俺が添削してやるからよォ」

 

 

彼なりの気遣いなのか、GGO事件で一先ずは顔見知りになったシノンのことを仄めかす文言を交えながら、サトライザーの神経を逆撫でするように煽った。今も有翼生物に乗って中空に佇む彼は、虹彩のほとんどが黒く濁った眼球で一方通行を見下ろし、一つ息を吐いてから言った

 

 

「君は、少なくとも人工フラクトライトではないな。JSDFの人間なのか?」

 

「自衛隊ねェ…もう昔のことすぎて忘れちまったが、それと似たような名前の軍隊を間違えてぶっ潰しちまったことはあるなァ」

 

「では君が、話に聞く『カミジョウトウマ』なのかな?」

 

「バカか。俺をあんなヒーローなンかと一緒にしてんじゃねェよ。俺は根っからの悪党だ。付け加えるなら、オマエじゃ比較にならねェ、とびっきりのだけどな」

 

「・・・・・よかろう。もういい、不毛だ。おそらくこれ以上の会話は、なんの意味も成さない」

 

 

雲を掴むような会話だった。一方通行は蔑むような態度と口調を決して崩そうとせず、サトライザーの質問に明確な解答を提示しようとしない。サトライザーはそんな一方通行との会話に呆れ果てた…かに見えたが、次の瞬間には不気味な笑みを唇に貼り付けていた

 

 

「だが、語らずとも分かる。君の魂は、きっと私が今まで口にしたどんな酒、どんな食事でも味わったことのない極上の味がするのだろう。さぁ、味わわせてくれ。君の感情を、精神を、業を、罪を、魂を、その全てを、私が根こそぎ奪ってみせよう」

 

「・・・結構いい値するぜ、俺の魂は。まァそれ相応の対価を払うってンなら、くれてやってもいいけどな」

 

「その対価とは、何か。参考までに教えてもらえるかな?」

 

「テメェの死体」

 

「では、君のソレを担保にしよう」

 

 

明確なゴングはなかった。サトライザーが吐き捨てるように言った直後、彼の腕に抱かれたバレットXM500が火と銃弾を放った。空薬莢を一人でに吐き出し終わる頃には、標的を撃ち抜いていることもままある、目で追うことはそもそも不可能な速度で迫る弾丸に対し、一方通行は避けることすら叶わなかっ…否。そもそも避けようとしなかった

 

 

「あァ、言い忘れてた。デフォじゃ『反射』だから気ィつけなァ!!」

 

 

弾丸が一方通行の肌に触れた瞬間、煙を引く鉛弾は時を巻き戻されたように、有翼生物の上で銃を構えるサトライザーの手元へと還っていった。しかし、ソレがサトライザーの体に突き刺さるかに思われた時には、闇を覗かせるその瞳に吸い込まれるように弾丸が消えていった

 

 

「あン?」

 

「これは驚いた。なんと強固な心意だろうか。これはますます味わうのが楽しみになったよ、最強」

 

「・・・チッ。試してみるか」

 

 

バレットの銃弾が跳ね返されるや、サトライザーはスコープから視線を外して言った。その仕草と口調に、一方通行は軽い舌打ちをしてから右足で地面を踏み抜いた。バキバキバキッ!と、ダークテリトリーの焦土に亀裂が走ると、力の向きを彼の能力によって変換された、幾片もの荒れた肌を持つ岩石がサトライザーへと襲いかかった。しかし……

 

 

「・・・なるほどなァ…」

 

 

嘆息を吐くように、最強の能力者は呟いた。その時には既に、サトライザーと、彼の足場になっている有翼生物へと降り注いだはずの岩片は、彼らに傷一つ負わせることなく、ブラックホールが如くあらゆる物質を吸い込む暗い瞳の中へと収納されていった

 

 

「魂を食うとかなンとか、最初は頭の沸いた痛ェ野郎かと思ったが、認識が甘かったな。正確には能力に目覚め立てで、天狗になってハシャいでるガキだったか」

 

「ようやく理解してくれたようだ。では、まず味見程度に頂こうか」

 

 

サトライザーが言った瞬間、彼の眼がギラリと青黒く怪しげに瞬いた。死神に魅入られたかのようなその視線に、一方通行の全身が強張り、石像のように固まった

 

 

「な、にッ……!?」

 

「ーーーッ!?一方通行さん!!」

 

 

そして、身動きの効かなくなった一方通行の白い額から、虹色に輝く鱗粉が吹き出すのを見て、他でもない彼自身が驚愕した。その輝く粉がゆるゆると中空にオーロラを描くように、サトライザーの胸元へと誘われていくのを見たシノンが反射的に叫ぶ。そして、サトライザーが一方通行の魂の煌めきを胸いっぱいに吸い込んだ……かに、思えた

 

 

「・・・・・む?」

 

「あァ、悪りィ悪りィ。また言い忘れてた」

 

 

瞳を閉じて、その味を堪能しようとした時、サトライザーは違和感を感じた。味が、まったくと言っていいほどしないのだ。その違和感に彼が目を開けると、虹の鱗粉は消え、意識と体が固まっていたはずの一方通行が、何かを喋りながら荒野を歩いているのが見えた。そして白い怪物は、地面に散乱しているバレットの薬莢を、ヒョイと一つ拾い上げると、余裕たっぷりの笑みを顔に貼り付けてから続けた

 

 

「今のは気ィ利かせた演出で、もうとっくに逆算と解析終わってっから」

 

 

ビンッ!!と、それこそ銃弾のような速さで、一方通行が親指で弾き飛ばした薬莢がサトライザーの左頬を打ち抜いた。じんわりと後から伝わってくる痛みと、その穴を通り抜けてくる風の冷たさを感じられるのが、傷を負った証拠だった。他者のフラクトライトに干渉し得るイマジネーションの力、サトライザーの心意が、嘘のように失せていた

 

 

「お前、見た目の割にバカだよなァ。バカ正直に片っ端から俺の攻撃を吸収したり、挙げ句の果ては俺にその力を『向け』ちまった時点で、テメェの手品はすっかりネタが割ちまってンだよ」

 

 

一方通行が話しているその間に、サトライザーの心意によって生み出されたバレットXM500は、空気に溶けるように消え去っていった。万物を吸い込む暗い瞳が、次第にただの白と青い瞳に戻っていく。やがてサトライザーの瞳は、本人も意図せぬまま、本来の人間らしい虹彩を取り戻してしまった

 

 

「貴様、何を……!?」

 

「で、少し遅めの添削だ。テメェの魂の食事つったか?アレには、まるで美学が足りてねェ。目の前の魂をただ喰ってるだけじゃ、テメェはその辺の野良犬と同じなンだよ。そんな美学どころか、テーブルマナーも弁えずに俺に噛み付いてる時点で、テメェは三下…いや、四下だ」

 

 

有翼生物の上で膝を突き、左手で頬の風穴を覆って狼狽しているサトライザーを、その赤い瞳で見上げながら、一方通行は言った。そして彼は、サトライザーの不気味な笑みとは比較にならないほどの、凶悪で、獰猛な微笑みを口にしながら、その背中に羽根を連想させる四つの竜巻を巻き起こしていた

 

 

「生憎とコッチは、演算補助のバッテリーよりも短ェ時間制限付きでよ。潔くテメェに飯奢ってやってる暇はねェンだよ四下ァ!!」

 

 

既に砕けた地面を更に踏み砕き、一方通行は背中に接続させた四つの竜巻を唸らせて跳躍した。そして、音速を軽々と超えたその動きをまるで捉えられていないサトライザーの顔面目掛けて、一方通行は容赦なく右ストレートを振り抜いた

 

 

「ーーーッ!??!?!?!?!」

 

 

脳漿が顔にある穴という穴から飛び出そうになるほどの衝撃に、サトライザーは為す術なく吹っ飛ばされ、同じく暴風に煽られた有翼生物と共に地面へと叩きつけられた。そして今度は、竜巻の羽根で空中に佇んでいる一方通行が、地へと堕ちたサトライザーを見下しながら言った

 

 

「さて、取り立ての時間が来たぜ。テメェがここで愉快な死体になることに変わりはねェが…出血大サービスで死に方くらいは選ばせてやろうか。ミンチか挽き肉、お前が好きな方選ンでいいぜ」

 

(つ、強い…これが、学園都市第一位の能力者…!)

 

 

初めて一方通行の戦いぶりを目の当たりにしたシノンは、その胸の内で驚愕の声を漏らしていた。あまりにも圧倒的な実力差に、彼女は既に一方通行の勝利を確信しきっていた

 

 

「なる、ほど…これは興味深い……」

 

 

呻き声のように言って、サトライザーは膝に手を突きながら体を起こした。それから、切れた唇の端に滴っている血を拭き取りながら、一方通行の竜巻の羽根を一瞥した。そして彼は、現実のガブリエル・ミラーが所有するアカウント『サトライザー』が装備していた飛行用ジェットパックが、コンバート時にこの世界に沿う形で変換された有翼生物に、右腰から引き抜いた長剣を突き刺した

 

 

「ようやく私にも『ソレ』の使い方が分かった」

 

 

背中を串刺しにされた怪物は、ギイッと短い悲鳴を上げただけで、たちまち虚無に吸い込まれた。ガブリエルは、剣を通して右腕に流入してきたデータを背中に移動させ、意思を集中させた

 

 

「あァ?」

 

 

そこで一方通行は、微かな疑問を抱いた。サトライザーが使っていたイマジネーションによる力は、既にその力の向きを演算し尽くした自分の、ひいては能力の制御下にあるハズだった。故に、サトライザーはもうそのイメージを具現化させることは出来ないはずだというのに、彼の瞳はまたしても邪悪な闇を内包し始めていた

 

 

「・・・・・変わったな」

 

 

直感する。サトライザーは驚異的な速度で、侵食するように一方通行に制御されたイマジネーションの力を、他でもない自分の新たなイマジネーションによって書き換え始めている。それほどまでに強く、底のない闇を覗かせる虚無。文字通り、イメージの法則を更に超越するイマジネーションによる『事象の上書き』。それが最初に形にしたのは、一対の黒い翼だった

 

 

「・・・何、なのよ…あの『黒い翼』は……!?」

 

 

形容し難いほど禍々しいその姿に戦慄したシノンが、密かに呟いた。バサッ!という音がして、一方通行のソレと同じく、サトライザーの肩甲骨のあたりから黒い翼が伸びていた。しかし、彼の翼は暴風の竜巻ではなく、鋭い羽毛を重ねた猛禽の両翼だ。『ガブリエル』という天使の名に相応しい黒翼を羽ばたかせて地上に浮かび上がると、サトライザーは右手の長剣を一方通行に向けながら言った

 

 

「どうかな最強。一つ、盗んだぞ」

 

「おいおい。そりゃ盗ンだじゃなくて、パクったって言うんだぜ軍人さン。使うなら使うで俺に特許料払えよ」

 

「分かっているとも。だからこれを機に、更に盗ませてもらうぞ」

 

 

そう、サトライザーは分かっていた。今でこそまた心意を行使できるようになったが、戦いが長引けばまた一方通行の能力によってそれを封じられるであろうことが。だからこそ、彼の変化はその黒翼だけでは留まるところを見せなかった

 

 

「ハハハ、ハハハハハ……」

 

 

サトライザーの口から漏れる笑い声は、しかし笑いではなかった。唇は吊り上がっていても、目許はまるで動かず、硝子玉のような虚無なる瞳には、さらなる飢えだけが渦巻いている。サトライザーは両腕をゆっくり体の前で交差させると、力を溜めるような仕草を見せた。途端、闇色のオーラが重々しく震え、炎のように揺れ動き、厚みを増していった

 

 

「ハーーーーーッッッ!!!」

 

「ーーーーーッ!?!?」

 

 

強烈な気合とともに、サトライザーの腕が大きく開かれ、シノンは鋭く息を呑んだ。ズッ、と新たな黒翼が二枚、すでにある翼の上から伸び、大きく広がった。さらに下側からももう一対。計六枚になった巨大な翼を上から順に羽ばたかせ、徐々に高度を増していく。その頭上には漆黒のリングまでも出現し、迷彩服が形を失い、蠢く闇色の薄布に変わる。いつしか両眼も、人のモノではなくなっていた

 

 

「私の名はガブリエル・ミラー…否。『ガブリエル』だ」

 

「・・・・・う、そ……」

 

 

即ち、死の天使。人の魂を狩り、奪い去る、人知を超えた頂上の存在。それを自ら名乗ることの出来る、セルフイメージのみでそれを生み出す事のできるガブリエルという存在に対して、いったいどんな攻撃が有効だというのか、それをただ見て言葉を失うことしか出来ないシノンには、まるで思い付かなかった

 

 

「君のお陰だよ、最強」

 

 

自分の全身を駆け巡るパワーの強烈さに、ガブリエルは三度目の哄笑を口にした。これがこの世界に於けるイマジネーション、壮年の剣士の言葉を借りれば『心意』の力というものだったのだ。時間を遡ってガブリエルを斬ったあの剣士や、竜巻の巨人に変身した暗黒将軍と同じ……否。それ以上の力をついに手に入れたのだと、ガブリエルは確信した

 

 

「要は、いかに強く己の力を確信できるかだったということだ。そうと気づけたのも、君が私の眼前であれこれ実演してくれたお陰だ」

 

 

今までは彼らの技を、未知のシステムコマンドによるものと思っていたが、そうではなかった。イマジネーションを裏付ける、確信。それを今、彼は得た。今や漆黒の天使と化したガブリエルは、どんな事象すらも覆し、いかな超常も引き起こし得る心意を、その身体と精神に宿していた

 

 

「感謝の意味も込めて、痛みを感じぬよう一瞬で葬った後に、君の魂を心ゆくまで堪能させていただくとしよう」

 

 

ガブリエルは六枚の黒翼を大きく広げ、その全てを脈動させた。青紫色のスパークを全身に纏いながら、ドアッ!という轟音を伴って空気を打ち震わせた直後に、六枚の翼が全てを容易に貫き得る鋭い暗黒の槍へと変化した。やがて六本の槍は空間を圧搾し、ブラックホールのように吸い込みながら、一方通行の全身を串刺しにし、その全てを呑み込んだ

 

 

「だからテメェは四下なンだっつの」

 

 

しかし、しかしだ。巨大な闇に呑まれてなお、最強の能力者は己が健在であることを示すように言った。気づけばガブリエルの暗黒の槍と化した翼は、高く弾き上げられていた。最初にバレットXM500の銃弾を跳ね除けた『反射』とは違う。正確にはガブリエルの翼は、一方通行の肌に届いてすらいなかった

 

 

「『黒い翼』なンざ、もう時代遅れなンだよ」

 

 

あらゆる闇を晴らす、純白の輝き。それは一方通行の背中にあった。先ほどまで彼の背中に接続されていた四つの竜巻は消え、代わりに純白の羽根が周囲に舞う一対の『白い翼』が顕現している。そしてその頭上には、ガブリエルの暗黒のリングとは違う、眩いばかりの光を放つ天使の光輪が浮かびーーー

 

 

「最後に、一つ説教だ。こと『翼』の扱い方に関しちゃ、俺の方が先輩なンだよ。口の利き方に気を付けろや後輩がァァァ!!!」

 

 

そして、音は置き去りにされた。一方通行が、ガブリエルの黒翼を遥かに上回る力を秘めた、白い翼を強く打ち鳴らした。刹那、光の速さで飛翔した一方通行の、真っ直ぐに伸ばされた足の靴底が、ガブリエルの顔面を捉えた。ゴリゴリゴリッッ!!というガブリエルの端麗な顔の骨がいくつも折れていく音がしたのと、彼の全身が地面に叩きつけられた瞬間は、ほとんど同時だった

 

 

「ぶうおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?」

 

 

バゴッ!ズドッ!ゴオッ!!と、ガブリエルは岩肌を削りながら、何度も地面を跳ねるように転がり飛んだ。もう既に何メートル吹っ飛んだのかも、自分の身にどんな一撃が襲い掛かったのかも満足に理解できないまま、やがて彼の身体が動きを止めて横たわった。そして、その身体を起こそうとした時、コツコツと足音を立てながら歩み寄って来た一方通行が、ガブリエルの前で止まって言った

 

 

「さて、どうするガブリエルくン?傷が治るまで待ってやろォか?もっとも、それが全力ならどンだけ回復しようが、俺がテメェをひねり潰すのに一秒もかからねェけどな」

 

 

地に伏したガブリエルをどこまでも嘲るように、一方通行は笑った。もう既に、この勝負の結果はどうあっても覆らないことをガブリエルは知覚していた。だからこそ彼は、既に人の理を外れたその顔に、悔しさと……ほんの微かな笑みを浮かべた

 

 

「・・・やむを得ない、か。あぁ…私の負けだよ、最強。だが、この戦争の勝ちまで譲る訳にはいかないな」

 

 

そう言ったガブリエルの全身から、地面を這うように粘着質の影が伸びた。直後、その影は大口を開けたように拡散し、ガブリエルの全身を呑み込んだ。それに伴って、ズズズッと、影と一体になったガブリエルの体が地面に沈んでいくと、その姿が影も形も残さずに消失した

 

 

「私の心意には、まだまだ力の余地がある。『あの者』の魂を喰らい、それを証明してみせよう」

 

「・・・き、消えた…?」

 

 

一方通行とシノンだけが残った岩山に、どこからともなく声が響いた。シノンがその現象に戸惑いながら呟いている間にも、どんなに離れていても分かるほど邪悪なガブリエルの心意が、驚異的なスピードで彼らから離れていった。ところがそれは、アリスを追って南に行くのではなく、まったく逆方向の北へと進んで行っていた

 

 

「・・・まァ、俺の仕事つったらこンなとこだろ。おい、終わったぞブス」

 

「ど、どういうことなの一方通行さん?アイツ、なんでアリスを追わずに北の方に…」

 

 

ガブリエルの気配がこの岩山から完全に消え去ったのを特に気にする様子もなく、一方通行は戦闘開始時点から両足を失っており、最初に会った位置から一歩も移動していないシノンの方に歩み寄った。するとシノンは、彼女からすれば当然の疑問を一方通行に訊ねたが、彼は軽い舌打ちを打って心底面倒そうに答えた

 

 

「ンなの俺が知るかよ。そンなにアイツが気になンならテメェで見に行け」

 

 

言って一方通行が片足で軽く地面をトン、と踏むと、千切れ飛んだハズのシノンの両足が、瞬く間に生え変わった。突然すぎる足の回復にシノンが驚いているのも束の間、一方通行がもう一度その場で足踏みすると、彼女の体がバネのように起き上がった

 

 

「わあああぁぁぁ!?あ、あのねぇ!起こしてくれるなら、普通に手を引っ張って起こすとかないワケ!?他にも私のこと『ブス』呼ばわりしたり、あなた少しは女の子に優しく出来ないの!?」

 

「男女差別撤廃条約って知ってるかァ?」

 

「こ、この…!もういい!さっさと行くわよ!」

 

 

激昂して次々に問答するシノンに、一方通行はケタケタと笑いながら答えた。そんな彼の飄々とした態度にシノンはわなわなと拳を握りながらも、納得いかないのを承知で空へと飛び上がったが、それに続いて飛んでくる一方通行の姿はなかった

 

 

「だから言ってンだろ。そンなにアイツが気になるなら自分で見に行けってな。それに、俺ァどの道もうタイムリミットだ。だからテメェは俺なンか気にせずに行けよ」

 

「えっ!?そ、そんな…一方通行さんがいないと…私、あんなヤツに敵いっこない……」

 

 

シノンがその声に不安の色を滲ませ、地に足を付けている一方通行を見下ろしながら言ったが、彼はポケットに手を突っ込んだままその場を動こうとしなかった。しかし、深いため息の後にガシガシと白い髪を掻き毟った後に、いくらか柔らかい物腰で上空に佇んでいるシノンに言った

 

 

「しなくてもいい心配してンじゃねェ。誰もテメェがアイツに勝てるなンざ思ってねェよ。別に俺がいなかろうが、あの三下が…『ヒーロー』が負けるワケねェだろうが」

 

「・・・ヒーロー…?」

 

「あのバカにとっちゃ、オマエがそこにいりゃ充分なンだよ。まぁ、俺が言いてェのはそンくらいだ。あばよ。俺は帰ってコーヒーでもかっ食らうわァ」

 

 

起き抜けの欠伸を一つして言い残した一方通行の体を、天から伸びてきた青いラインコードが囲った。そしてシノンの眼前を通過しながら、一方通行の体は高速で青いコードラインを遡っていき、段々と細くなっていった青いラインが、僅かな青い粒子を残してアンダーワールドの空の、更に奥へと消えていった

 

 

「・・・分かった。ありがとう、一方通行さん」

 

 

既にいなくなった一方通行に礼を言って、シノンは北の大地へと視線を戻し、ソルス・アカウントの保有する無限飛行能力を使って飛んだ。彼の言う『ヒーロー』が手にする勝利の瞬間を、その目と、魂と、記憶に、永遠に焼き付ける為に

 



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第77話 魂の輝き

 

「それで?俺様は望み通りお前を殺せばいいんだろう?上条当麻」

 

 

自分たち以外誰もいなくなった、それだけで途方もなく続いているようにすら見える荒野の中心で、右方のフィアンマは言った。彼以外にたった一人だけその世界に存在している人間。上条当麻は彼の問いかけに、ほんの少しだけ口許に微笑みを交えながら答えた

 

 

「悪いな、その要望は撤回させてくれ。俺はもう、自分の右手とか、魂の役割に、てんで興味がなくなった」

 

 

上条の瞳に、言葉に、もはや迷いはなかった。数分前に自分の死を望んだ弱さは、見る影もなくなっていた。目の前でそれを見て、聞いたフィアンマは、細くため息を吐いてから右手で頭を抱えながら首を振りつつ言った

 

 

「やれやれ、自棄か……」

 

「そう見えるか?俺としては、至って正気のつもりなんだけどな」

 

「自棄でないのなら、お前は人類史上でも稀に見る本当のクズだな。その答えが果てに何を導くか、まるで理解していない。いいか?お前がその生涯をかけてでも、そもそも出会うことさえもないような途方もない数の人間が、お前の右手と魂で、平等に救われるんだぞ?犯罪はおろか、争いも諍いもない平和な世界が、未来永劫続くんだぞ?」

 

「・・・そういえば、そうだったな」

 

「そうだ。ここが世界の分岐点なんだよ。次に『神浄の討魔』を持つ者がいつ現れるのかは誰にも分からない。仮に現れたとしても、その時には既に手遅れかもしれない。つまり、今ここにいる俺様とお前しかいないんだよ、この世界を救ってやれるのは。それを考えれば、もう答えを迷う必要なんかないだろう?いいか、これが最後通告だ。ボーナスタイムでもう一度だけ聞いてやる。くれぐれも選択肢を間違えてくれるなよ」

 

「・・・あぁ、分かってるよ。分かってる」

 

「ならば…俺様の右手を取れ、上条当麻。他でもないお前が、この世界の平和を現実の物にするんだ」

 

「クソ食らえだ」

 

 

即答だった。自らに右の掌を差し出してくるフィアンマに対し、上条が出した答えは単純かつ明快な否定だった。そして彼は、なおも笑顔を絶やさないまま続けた

 

 

「どう言われようと、これが俺の答えだよ、フィアンマ。月並みな台詞だけど、ここに来た皆が教えてくれたんだ。きっと俺は、今日ここで、この瞬間を、この答えを、みんなと迎えるために生きてきたんだ」

 

「たとえ過去にみんなを守ってきたこの右手が、この右手が導いてきた道が、暴力でしかないと揶揄されても、俺の歩いてきた道は正しかったんだって、みんながその証明になってくれたんだ。だから俺はもう、自信を持ってこれまでと同じ歩き方で生きていく」

 

「・・・詭弁、あるいは開き直りだな」

 

「かもな」

 

 

上条の言葉を鼻で笑ったフィアンマに、同じく上条も鼻で笑いつつ言った。そんな彼の態度に、フィアンマは若干ではありつつも、微かに癪に触ったように眉を潜めた

 

 

「だけど、それで良かったんだ。確かに俺たち人間は、誰しも隠しきれない悪意を持っているかもしれない。そのせいで地球が窮地に陥ってるっていうのも、納得はできる。だけど、だからこそ俺たちは、互いに助け合って生きていくんだ。わざわざ俺の右手と魂で、世界をあるべき形に浄化する必要なんてない。その悪意も含めて、今この時を生きているみんなで歩いていく世界が正解なんだ」

 

「いいや、お前はやはり何も分かっていない。人間なんてのは所詮、自分のことしか考えていない生き物だ。その気になれば平気で他者を殺し、世界を滅ぼす。それを防ぐために必要なのは、平等な救いだ。全ての人間が平等であれば、この世に蔓延する不平不満は消え、悪意なんてものはそもそも生まれない。だから、その全てを理解しているこの俺様が、世界を救ってやる必要がある」

 

「ほら、それだよ」

 

「・・・なに?」

 

 

いつかフィアンマに言われたことを、今度は上条が口にした。自分の口を指差されながら言われたフィアンマが、訝しげに表情を歪めている時には、既に上条が次の言葉を紡いでいた

 

 

「もういいだろ。もうこの辺が、お前の幻想の引き際だよ。『世界を救ってやる』って?何度目だよ、その台詞。振り返ってみればそもそもがおかしかったんだ。どんなデカい困難にも、最適な出力を発揮する『聖なる右』なんて馬鹿げた術式があるのに、お前はどこまでも俺の右手と魂にこだわった。それは何故か、答えは簡単だ」

 

「お前は自信がなかったんだ。怯えてたんだよ。本当に、自分の体の中に『世界を救えるほどの力』があるかどうか分からないから。だからお前は、世界を裁定できる魂と、その基準点になる右手を持ってる俺を貶め、自分が『神浄の討魔』よりも上回っていると証明することを執拗に求めたんだ」

 

「ーーーーーッ!?」

 

「まぁ当然っちゃ当然だよな。世界の終わりなんて大それたモン、この世界にいる誰かが見たことあるワケねぇんだ。大昔の神話の時代がどうだったのかは俺も知らねぇけど、少なくともこの現代で、神話に描かれるような世界崩壊が起こったなんて話は聞いたことがない」

 

「それはつまり、世界が終わるほどの危機が訪れなけりゃ『世界を救えるほどの力』を発揮する機会にも恵まれないことの裏付けになる。俺の幻想殺しが、超能力や魔術に囲まれなけりゃ『力があるように見えない』のと同じように」

 

「一度も世界を救ったことのないヤツに、『世界を救える力』があるかどうかなんて分かるハズねぇだろ」

 

「・・・・・・」

 

 

右方のフィアンマは、しばらく黙っていた。やがてその肩がわなわなと震え始め、『神の如き者』を司る魔術師から溢れたのは、得体の知れない怨念のような言葉だった

 

 

「だからどうした。俺様に限った話ではない。この惑星に生きている以上、死なずに存在している時点で、誰も彼もが神話的破滅を経験している訳がない。それを言うなら、お前には俺様を糾弾する資格などあるのか?お前は『世界を救えるほどの力』を!実感したことがあるとでも言うのか!?」

 

「あるさ。あるに決まってんだろ」

 

 

段々と語気が強まっていき、ついに絶叫へと声が変化したフィアンマの予想を、覆す返答があった。上条当麻は一秒と間を空けずに、遥か空をその右手で指差しながら断言した

 

 

「この仮想世界が、俺たちが守ってきた世界だ。SAOでも、ALOでも、GGOでも、もちろんこのアンダーワールドでも、いつだってそうだった。俺たちみんなの意志が、願いが、ずっと仮想世界に生きる誰かを救って、守ってきたんだ」

 

「だから、俺には分かる。誰かを守ることの正しさが。誰かに守られて、救われたと思うことの嬉しさが。それが分かる心があるだけで、いつだって、誰だって『ヒーロー』になれるんだ。そんなヒーローの輪が、段々とみんなに伝染していって、守る人が、救われる人が増えていく。それでいいんだよ。わざわざ誰かにまとめて救ってもらわなくたって、世界のみんなが、大切な何かを守れる意志と力を持ってるヒーローの卵なんだ」

 

「だから、右方のフィアンマ。お前にはこの世界を救うことなんて出来ない。世界を『救ってやる』なんて思ってるヤツに、この世界は守れない。そんな野郎に救われなければならないほど、俺達の世界は弱くなんてない」

 

 

フィアンマの顔が、今度こそ醜く歪んだ。しかし、それは一瞬のことだった。必死に自分に言い聞かせるように、まだ自分はこの男に負けたわけではないと、そう認識するために深く呼吸を置いてから、フィアンマはもう一度上条に言った

 

 

「・・・ふん、愚かだな。それでいつか世界は平和になると?馬鹿げている。あまりにも不確定すぎる。貴様の言うヒーローが一人でも現れなければ、そんな理想論は、いつまで経っても幻想にしかならない。そしてその幻想を見続けたままでは、この仮想世界も、現実世界も、何もかもが終わってしまうぞ」

 

「いいや、ヒーローは確かにいる。これは幻想なんかじゃない」

 

 

度重なる、否定。しかしそこにあるのは、確信。その証明である右手を、拳に変える。大切なものを惑わす幻想を、打ち砕く。また今日、ここで、誰かを助けるヒーローになる為に。上条当麻は、声高に謳った

 

 

「俺が!この瞬間に!ここにいるっ!!!」

 

 

それが合図だった。全身を強張らせ、上条当麻はダークテリトリーの赤黒い大地を蹴り飛ばした。瞬間、フィアンマは右の肩口から第三の腕を顕現させ、その掌を地面に叩きつけて大きく後方に跳躍すると、上条との間にある間合いをさらに広げた

 

 

「忘れたのか!俺様の右手が、どれほど万能の術式を誇っているのかをっ!!」

 

 

四本の鍵爪から、閃光が迸った。前提としてこの世界の上条当麻は、幻想殺しを所有していない。仮想世界の、一介のデータから見れば、彼はただ一定水準のオブジェクト・コントロール権限と、システム・コントロール権限と、数値的な天命を持つ人型ユニットでしかない

 

 

「一撃だ!俺様が一撃でもコイツを当てることが出来た瞬間に、お前の体は木っ端微塵になるぞ!!」

 

 

それはこのアンダーワールドという仮想世界において、反則にも程がある術式。かつて整合騎士エルドリエを一撃で葬ったように、彼の聖なる右は、『戦う』という概念よりも『倒す』ことを主軸に置いている。さればこそ、その右腕から放たれる閃光は、上条当麻に到達した瞬間に、彼の天命の数字を一瞬で消し飛ばす

 

 

「くっ…!?らあああっ!!!」

 

 

衝突。聖なる右と、幻想殺し。その拮抗は一瞬でしかなかった。その閃光が上条当麻が突き出した右手の平にぶつかった時には、彼を倒すべく出力された力の脈動は粉々に霧散していた

 

 

「防いだか…だが!次はそうはいかんぞ!」

 

 

人払いとは、その術式範囲への立ち入りを限定する術式である。故に、人がいる事実まで払うことは出来ない。今もアンダーワールドには、その数こそ急激に減少しているものの、三万を超える中国・韓国プレイヤーの悪意が渦巻いている。そしてフィアンマは、こともあろうにその悪意を媒介にして、最初の一撃とは比べ物にならない第二撃を放った

 

 

「どれだけ特異な右手と言えど、これを受け切れるハズがあるまい!!」

 

 

ゴバッ!!と、爆音が爆ぜた。第三の腕から放たれたのは、巨大な球状の光の塊だった。その軌道上にある空気、大地、その全てを押し除けながら、三万の悪意を容易に打ち倒すことのできる一撃が、今もフィアンマとの間合いを埋めるべく走り続ける、上条当麻たった一人に迫った

 

 

「うおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

その身を滅ぼしてもなお有り余る一撃を前に、上条は真っ向から右手を叩きつけた。現実の彼の右手であれば、とても受け切れはしなかっただろう。右手を捻ってその軌道を強引に逸らすなど、多少の工夫が必要だったハズだ。しかし、強烈なイマジネーション、心意の力を宿した彼の幻想殺しは、聖なる右手の出力したソレを、いとも簡単に殴り壊した

 

 

「な、なにいいいいいっっっ!?!?」

 

 

現在の上条当麻に、その右手に、その魂に、上限などなかった。目の前に起こる事象の全てを、塗り替え、乗り越え、打ち倒すことが自分には出来ると、際限なく信じていた。その彼を前にして、たかが三万の人間の悪意など、もはや無いにも等しかった

 

 

「・・・なら、俺様にも考えがあるぞ。上条当麻」

 

 

もう既に、両者の間に広がる間合いはほとんど無くなっていた。自分の聖なる右が織りなす規格外の、反則じみた一撃を、尽く上回ってくる上条当麻を前にしても、『神の如き者』の権能を司る右方のフィアンマは、不敵に笑って右手を掲げた

 

 

「『全て』だ!俺様たちの世界の、生きとし生ける人間全ての悪意!貴様の魂とその右手が、それすらも浄化できると言うのなら!今ここでそれを証明してみせろぉぉっ!!」

 

 

蠢く。フィアンマの第三の腕、時と場合によっては世界を救う『神の如き者』の力、その裏返し。神はわずか七日で世界を創造した。ならばそれを壊す権利は、他ならぬ世界を創った神にこそ帰属する。それを認識した瞬間、その試練を、世界を打ち砕く為に、世界を創造した神の右手は、フィアンマの心意を相乗させて、アンダーワールドを丸ごと飲み込めるほどにまで巨大化した

 

 

「・・・・・俺たちの世界の全て、か」

 

 

禍々しい力を渦巻かせている掌が、その先端に鉤爪を尖らせる四指を拡げ、全てを破壊し尽くすように、莫大な出力でもって振り下ろされる。その途方もない一撃を前にして、上条当麻は走っていた足の速度を緩めていき、やがて止まった。そして、段々と眼前まで迫ってくる神の右手に対し、どこにでもいる平凡な少年は、全ての異能を打ち消す右拳を振りかぶった

 

 

「今の俺を突き動かしているのは、そんな小さなものじゃない」

 

 

『神様の奇跡だって打ち消せる』。今となっては知る由もない、記憶にない日に口にした、そんな言葉の証明があった。ズドオオオッッッ!!!という、重厚な衝撃と、凄絶な爆風。現実の幻想殺しが誇る異能を打ち消すリソースを、遥かに超えた上条の右手の拳が、フィアンマの巨大な第三の腕にぶつかった瞬間に、神の右掌は元の姿に戻っていた

 

 

「な、なんだとっ!?あ、あり得ない…あり得るはずがない!!なんだその性能は!?たかが異能を消去するだけの力だろう!俺様の右腕は一振りで大陸を海に沈め、一突きで海を干上がらせるハズだ!それが何故、ここまでっ……!?」

 

「分からないか」

 

 

その右手の一振りは掛け値なしに、右方のフィアンマの生涯において、最大最強の一撃だった。現実であれば、一瞬で世界を崩壊させるだけの威力が、つい先ほどまで聖なる右の中に内包されていたハズだった

 

 

「幻想殺しを持たない…ただの右手しか持たない上条当麻には、誰も救えないって、お前は言ったな。ある意味、それは間違ってないのかもしれない。俺もそう考えたことがあるからな。だけど、本当に大切なのはそこじゃなかったんだよ」

 

「な、何を言ってやがる…?」

 

 

その力が根本から水泡のように呆気なく消失し、狼狽しているフィアンマに対し、上条当麻は静かに語りかけ、その右手で第三の腕から禍々しく伸びる指の一本を掴み取った

 

 

「右手なんてのは、ただの手段だ。そこには元から大した力や意味なんてない。本当の意味で誰かを助けるのは、誰かを守りたいと思う、俺たちの『魂の在り方』だ。それがあるかないか、そこが俺たちの決定的な違いだ。神様の力を持つ右手ぐらいじゃ、誰かを守りたいと願う心には、絶対に勝てない。だから俺は、お前に勝つことしか出来ない」

 

「い、今更になって馬鹿げたことを…!お前の幻想殺しは!正真正銘お前だけの持つ右手だ!この世界に二つと存在することの許されない、お前たった一人の力だろうが!その右手があるのとないのとでは天地の差だ!ソイツがなければ、お前はそもそも誰かを救おうと思うことすらなかっただろうが!!」

 

「ならお前は、自分自身の願いと、右手に対してもそう思うのか?」

 

「愚問だな!世界を救うこの右手と思想は、俺様だけに許されたモノだ!世界を救う権利と力を持つ、俺様だけの責務だ!基本的に俺様の行動は、俺様のためのモノなんだよ!」

 

「・・・そうか。だったら振り解いてみろよ、俺の右手。お前が思う右手の在り方が正しいんなら、お前の神様じみた右手が簡単に消し飛ばすなりしてくれるだろ」

 

 

そう言って、上条は今もギギ、ギギギ!と音を立てながら鬩ぎ合う、幻想殺しが受け止めている第三の腕を顎で差した。そして、上条に言われたフィアンマは、その言葉をフッと鼻で笑ってから口を開いた

 

 

「ふんっ…わざわざお前に言われるまでもないことだ。こんなもの簡単に………ッ!?」

 

 

フィアンマは言われた通りに第三の腕を動かし、その勢いで上条当麻を吹き飛ばそうとした。しかし、動かない。まるで万力にでも掴まれているかのように、フィアンマがどれだけの魔力を回しても神の右手は微動だにしなかった

 

 

「言っとくが、俺は大して力なんて入れてねぇぞ。この世界に筋力ステータスなんて物差しがねぇのは、テメエだって知ってるハズだ」

 

「ぐっ!?こ、このっ…!一体何をどうやって…こんな力が体のどこから…!?」

 

「簡単さ。この右手に込められているのは、俺一人だけの力じゃない。俺の後ろで背中を押してくれている…俺の世界の人、キリト達の世界の人、そしてこのアンダーワルドの人、締めて140億人分の意志。その全てが込められているんだ」

 

「・・・くっ、くははははは!そう言われるのなら…あぁ、俺様も背負ってるさ。貴様と同じ140億人の命の重さと、世界を救うという俺様の使命をな。俺様の右手を使って、人類を救ってやると何度も言っている!」

 

「・・・そう思ってんだったら、やっぱりお前はいつまで経っても一人だよ」

 

 

上条は昨夜、アスナに説かれた。背負うことの意味と、背負ったモノと向き合うことの意味を。その時は、心に負った傷が深すぎて、上手く飲み込めなかった。しかし、今はもう違った。自分の肩は、軽い。代わりに、多くの人の意志が、自分に力を貸してくれているのだということを上条は知った

 

 

「お前は俺に、正義と悪について話したよな。正義なんてのは所詮、どちらか一方から見たものでしかない。お前の言う救いも、場合によっちゃ正義になるんだろうな。だからお前の救いに本当の正しさがあるんなら、俺の右手を振り解くなんてのは、お前の言う通り造作もないことだ。だけど、現にそうなってないのはなんでか、お前に分かるか?」

 

「は、ははっ。俺様の享受する救いは、真に正しくはない…あるいは俺様はヒーローじゃないから、とでも言うつもりか?」

 

「あぁ、そうだ。俺はユージオに言われた。『僕の英雄』、『僕のヒーロー』だってな。そんなこと言われたら、誰だってなりたくなるだろ。誰かを守れる、とびっきりの『ヒーロー』ってやつに」

 

「だからっ!俺はヒーローになるんだ!ユージオはもういない……だけど!アイツの魂は俺の中で生きてる!こんな俺をヒーローだって言ってくれたアイツの意志だけは、俺がヒーローとして、死んでも守り通す!!!」

 

「今の俺には、仮想も現実も、科学も魔術も、世界だって何個あろうが関係ねぇ!!そこにいるみんなを守るために戦う、紛れもないヒーローの一人になる!いいか、教えてやる。一人で世界を救えるほどのバカげた力を持ってるお前が、どうして俺の右手たった一つに勝てないのか。それは……!」

 

「・・・おい、まさか…やめろ…それ以上やれば…!やめろおおおぉぉぉ!?!?!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テメェにはっ!誰にも負けねぇ『ヒーロー魂』がねぇからだよッッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今度こそ。上条当麻が叫び、その右手が横薙ぎに振るわれた。フィアンマの第三の腕は、肩甲から引き抜かれるように剥ぎ取られ、やがて残滓もなく粉微塵に破壊された。神の右席は、その特異な術式を持つ代償に、通常の魔術を行使できない。故に、フィアンマにはもう誰かを救う術はおろか、戦う術すら残されていなかった。しかし、それでも『神の如き者』は、上条当麻の前に立ち塞がった

 

 

「そ、そんなに正義の味方を気取りたいか上条当麻!何がヒーローだ!?俺様の思想と行動を、ガキの幼稚なゴッコ遊びなんかと同列に見るんじゃない!俺様はお前とは違うんだ!神の右席!神の如き者!右方のフィアンマなんだぞぉぉぉ!?!?」

 

「・・・いいぜ。叩き潰してやるよ、救世主。言い訳も出来ねえくらい全力で…かかって来やがれ!!テメェがこの世界を救う神なら、俺はこの世界を守るヒーローだ!!!」

 

 

世界を救うと宣言していたフィアンマは、そう言っていた姿からは想像もつかないほど、みっともなく喚いた。しかし上条当麻は、その声すらも掻き消すように、ダンッ!と右脚で地面を踏み砕いて吼えた。その直後、神の権能を失ったフィアンマは、無我夢中で上条当麻に右拳を向けた

 

 

「ぅ、ぅぅ…ぅぅぅおおおおおっ!!!」

 

「でぇああああああああああっっっ!!!」

 

 

ベギィッ!!と、両者の拳は爆ぜた。拳骨から伝わってくる圧力をそのままに、上条とフィアンマは、右拳を相手の拳へと押し込み続ける。グラグラと揺れる拳が鬩ぎ合う中で、己の矜持を賭けたぶつかり合いの軍配を勝ち取った右手は、上条当麻の右手だった

 

 

「ぜぇああああああああああっっっ!!!」

 

「ヅゥっ!??!?」

 

 

第三の腕ではない、フィアンマ本来の右手が、上条当麻の右拳に競り負け、真後ろへと弾き出された。五指の爪は捲れ上がり、肩はまず有り得ない方向に曲がった。その激痛にフィアンマが顔を歪めてもなお、上条は怒涛の勢いでもう一歩を踏み出し、右拳を振りかぶった

 

 

「軽いんだよ!まだまだ重みが足りてねぇぞ!テメェの右手はっ!!!」

 

「ごぼおっ!?!?」

 

 

上条は右腕を振り抜き、フィアンマの腹部を抉るように殴打した。彼の細身な体が軽々と吹き飛び、地面を転がっていく。もはや優劣の差は決定的だ。二人の勝負は既に決したと言っても過言ではない。それでもフィアンマは、まだ言うことを聞く左手を膝に突いて立ち上がると、もう一度足掻くように拳を握って上条へと戦いを挑んだ

 

 

「こ、この…クソがあああぁぁぁっ!!!」

 

「お前のヒーロー魂はその程度か!?お前の右手はこれっぽっちか!?俺のヒーロー魂には140億人の未来が懸かってる!俺の右手にはそれだけの重みがある!その俺を倒そうってんなら…テメェの方こそ!自分が信じる正しさを!ヒーロー魂で燃やして!俺を上回る心意をッ!その右手に乗せて来やがれってんだぁぁぁ!!!」

 

「があああああぁぁぁっっっ!?!?」

 

 

グゴギィッ!!と、上条の真っ直ぐな右拳がフィアンマの顔面を捉えた。頬骨は確実に罅割れ、その痛みは隠し切れるものではないだろう。しかしフィアンマは、倒れそうになる体をなんとか踏ん張らせ、なけなしの力を振りしぼって、もはやそれが最後の抵抗だと言わんばかりに、歯を剥き出しにしたまま、上条の首目掛けて噛み付つこうと襲いかかった

 

 

「かみ、じょう…とうまぁぁぁぁぁ!!!」

 

「・・・これが最後だ、右方のフィアンマ。テメェがそんな方法でなけりゃ、誰一人救えねぇって思ってんなら……!」

 

 

ついに。彼の口から、その言葉が紡がれた。アドミニストレータを叩き伏せた時以来の咆哮。腹の底から、吐き出すように。その激情に逆らわず、上条当麻は右の拳を振り抜いていくーーー!!!

 

 

「まずは!その幻想をぶち殺すっ!!!」

 

 

轟音が炸裂した。神の如き者の顔面に、あらゆる幻想を殺す右拳を叩き込んだ上条は、そのままの勢いで、かつて何者からも攻撃を受け付けなかった強敵を殴り飛ばした

 

 

(この野郎、お構いなしだ。俺様が『神の子』の奇跡や恩恵を最大限に利用して、様々な現象を起こそうとしているのに、幸運も不幸も関係ないと来やがった…コイツはそういった『曖昧なもの』を全部、自分の手足と、その意志で踏破する力を持ってやがる)

 

 

自分の体が宙を泳いでいるのを感じながら、フィアンマは「ここまでか」と呟いていた。そして、やがて薄れゆく意識の中、右手を振り抜いている少年の姿に対し、心の中で毒づいた

 

 

(・・・ところで、な。ひょっとしたら俺様も、数はどうあれ、誰かを救って、誰かにとっての『ヒーロー』だって呼ばれたなら…いいや、野暮だな……)

 

 

その思考を最後に、フィアンマは意識を手放した

 



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第78話 覚醒

 

10万3000冊の魔導書を記憶する少女、インデックスはその膨大な知識でもって、明確なるイメージを確立し、心の在り処を失ったキリトの深層意識への干渉に成功していた。しかし、魔術の真髄に関わってきた彼女にとっても、心意によって他人の魂に潜り込むことは初めての経験だった

 

 

「これは…想像以上に厳しそうかも……!」

 

 

インデックスから見えるキリトの深層意識、ひいてはフラクトライトの内部の景色は、ほとんどが暗闇だった。その暗闇の中に、様々な色の光が灯っている。知性、理性、夢、感情、記憶といった、キリトのフラクトライトに保持されている様々な意志が淡い光となって、夜空のような黒いキャンパスに浮かんでいた

 

 

「どうしてっ…この人の心の扉を開く鍵は、ちゃんと届けたハズなのに……!」

 

 

しかしその光は、あまりにも弱い。宇宙を思わせる夜空の黒が、限りなく濃い。これでは星の光る夜空どころか、光の一切届かない深海に突き落とされたようだと、インデックスは歯噛みした。明確な心の座標も分からず、道標もない。そんな暗い闇を覗かせるキリトのフラクトライトの中で、彼女はただ浮かぶように彷徨い続けるしかなかった

 

 

「あの青い薔薇の剣だけじゃ、足りなかったの…?目を…目を覚まして!とうまや、あなたの大切な人達は、ずっとあなたを待っているんだよ!!」

 

 

月明かりもない夜空、無限にも等しい暗闇に向かって、インデックスは叫んだ。しかし、その言葉に対する、キリトのフラクトライトの反応はなかった。その声が届いていないのか、はたまた届いているのに無反応なのか、それすらもインデックスには分からないままだった

 

 

「ッ…もうダメ…これ以上は、私の意識が……!」

 

 

どこか拒絶されているようにすら思えた。何より、こんな何もないような真っ暗な空間で、正気を保つには限界があった。インデックスには、もうキリトのフラクトライトの中に、自分という存在を定義できるだけの明確なイメージ力を練ることが出来なかった。そして、彼女を形作っている心意の力が揺らぎ始めた、その瞬間。暗闇に浮かぶ意志を象徴した星の一つが、一際強く、青く輝いた

 

 

『君はキリトの…いや、カミやんのお友達かな?』

 

「・・・え?」

 

 

その青い輝きは、インデックスの真隣に差し込み、やがて人の形へと変わった。アッシュブラウンの髪に、緑色の瞳。そして、一切の汚れがない蒼く澄んだ服の腰周りには、青い薔薇の剣。優しく、暖かな表情で、インデックスの隣に現れた『少年』は、彼女に訊ねた

 

 

「あなたは…ひょっとして……!」

 

 

キリトの心の扉の鍵となる、柄頭に青い薔薇の咲いた剣。その剣を手にした上条当麻が、剣を白革の鞘に納める前に、誰かの名前らしきものを祈るように口にしていたのを、完全記憶能力者であるインデックスが、忘れるハズがなかった。その名前を彼女が言う前に、少年は自ら口を開いた

 

 

『僕の名前はユージオ。キリトとカミやん…『二人の英雄』の、親友だよ』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「うおっ!?ととっ……」

 

 

フィアンマが気絶と同時に意識を手放した瞬間、上条は弾き出されるように人払いの術中から抜け出た。まだ僅かながらも天命が残っているのか、フィアンマの姿は健在だが、その体は地面に横たわってピクリとも動かなかった。その様子を見て上条は太く息を吐き出しつつ、周囲の状況を確認してみると、中国・韓国人プレイヤーである闇の軍勢は、当初の五万人から100人いるかどうかというレベルまで減少していた

 

 

「よう、上条ちゃん。用事は済んだか?」

 

 

周囲を見渡す上条の視界に突然割り込んできたのは、雷神トールだった。つい先ほどまで、五指に溶断ブレードが噴出していたのであろう右手を振りながら話しかけて来る彼に対して、上条は笑いかけながら答えた

 

 

「あぁ、まぁな。終わってみれば楽勝だった」

 

「よく言うぜ。俺たちが来るまでは完全敗北だったクセに」

 

「はは、それ言われると弱いな。しかしお前たちも凄いな。あんなにいた敵がもうほとんど残ってねぇ」

 

「だけど、俺たちはもう時間だ」

 

 

言って、トールは上空を指差した。その指先を追うように上条も空を見上げると、またも青く光るコードラインが何本も伸びてきているのに気づいた。しかし今度はその中から現れる人間はなく、戦場に散らばる仲間達を次々に照らしていた。すると、その直線を遡るようにして、彼らの姿が次々にアンダーワールドから消えて行くのを見て、上条は暫しの別れの時が来たのだと悟った

 

 

「・・・そうか。ありがとな、トール。本当に助かったよ。お前の方からオティヌスにも礼を言っておいてくれ」

 

「嫌だね」

 

「え゛」

 

「どうしても礼が言いたいんなら、もちょいマジメにALOやって、ラスボス張ってる魔神様のとこに行ってやれ。いい加減に退屈してきて俺らも困ってんだよ」

 

「あ…ははっ。なるほど、そりゃ確かに退屈だよな。分かった。じゃあ俺もこの世界から帰ったら、攻略サイトでも見ながらそっちに行くよ」

 

「なる早でな。そいじゃ、バイビー☆」

 

 

いつもの彼らしい軽薄な口調で言い残すと、トールもまた青いコードラインにその体を囲まれ、アンダーワールドから去って行った。そんな彼の姿を見送った直後、上条に声を掛けたのは、イギリス清教の『必要悪の教会』のメンバーだった

 

 

「これで、少しはあなたへの借りを返せたでしょうか。上条当麻」

 

「いいや、これじゃあ借りを返してくれるどころか、むしろ余分に貸しちまってるよ。だから、今度改めて返させてくれ。神裂」

 

「・・・そうですか。それでは、その今度を楽しみに待っています」

 

 

人の背丈ほどはある長刀、七天七刀を腰の鞘に納めながら言った神裂に、上条は明るい声色で返した。そんな自分の言葉に神裂がフッと笑い返して言うと、続いて彼女の隣に立った赤髪の魔術師が口を開いた

 

 

「まったく…間違っても僕をその場に呼ばないでくれよ。僕は金輪際、こんなヤツと馴れ合うのなんて御免だ」

 

「・・・ありがとな、ステイル。結構効いたぜ、お前の説教」

 

「ふん。少しでも礼を返すつもりがあるなら、もう二度と僕にそのツラを見せないでくれ。何度でも言うが、僕は君が嫌いなんだ」

 

 

そう吐き捨てて、ステイルは神父服の内ポケットからタバコを取り出して口に咥えると、その先端で指を鳴らし、飛び散った火花で火をつけた。相変わらずな彼の態度に、嫌いと言われたにも関わらず上条が口許を綻ばせていると、背中に重みと衝撃が乗っかった

 

 

「どーーーん!!!」

 

「うぉわぁ!?何すんだ土御門…って相変わらず血だらけだなお前!?」

 

「いやぁ、イメージで魔術を発動できるって点は良かったんですたい。だけど俺の場合、その後のオマケも既に当たり前になってイメージと直結して、結局は敵よりも血だらけになっちまったぜよー…にゃー……ごふぅ」

 

「出てるっ!いつもの軽快な口癖もどこか重い上に、それに続くように重くて粘っこくて赤い液体が俺の背中にぶち撒けられているっ!!」

 

 

額やら脇腹やら胸やら様々な所から出血しながら言った、血まみれ陰陽師こと土御門元春に、上条はまるで高校時代を思い出したようにツッコミを入れた。そんなどこか懐かしさを覚えるやり取りに、二人が同時にほんの少しの笑い声を漏らすと、上条の背中から降りた土御門がトレードマークのサングラスをかけ直しながら言った

 

 

「カミやん、もうすぐ俺たちも二十歳だ。言いたいことは分かるな?」

 

「あぁ。やろうぜ、同窓会。クラスの皆で、朝まで飲み明かそう」

 

「何をそんな呑気なこと言ってるぜよ!学園都市の義妹系○俗店に突入するに決まってんだにゃ!」

 

「誰がんなふざけたとこ行くか!?ってかそんな店が学生の街にあってたまるか!?」

 

 

ここまでくると、懐かしさを通り越してもはや上条は呆れ果てた。頭を抱えながら、特大のため息を吐いて、もう一度顔を上げると、やはりと言うべきか。上条の目の前には、白い修道服の少女が立っていた

 

 

「ありがとう。インデックス」

 

「どういたしまして。とうま」

 

 

彼女に伝えたい言葉は、これしかなかった。上条から唯一の言葉を受け取ったインデックスは、暖かく微笑んだ。そして、パタパタと白い修道服の裾を揺らしながら走り出すと、上条の胸の中へと飛び込んだ。そして上条もまた、抱きついてきた彼女の体を、優しく抱き寄せた

 

 

「頑張って。とうまなら、きっと大丈夫なんだよ。だから、最後まで自分が信じた道を真っ直ぐに歩いて、元気に帰ってくること」

 

「あぁ。ちゃんと帰るよ。そしたら、また会おうぜ。美味い飯、お前でも食い切れないほど用意して待ってるから」

 

「ふふっ。しょうがないから、食べに行ってあげるんだよ」

 

 

上条の首元にこそばゆい吐息と笑いを残して、インデックスは彼の腕の中を離れた。そして、それを合図としたかのように、青いコードラインが彼女を含めた四人の体を包み込むと、神裂、ステイル、土御門と、次々にアンダーワールドから立ち去っていき、最後に残ったインデックスにも、その瞬間が訪れた

 

 

「・・・またな!インデックス!」

 

「・・・またね!とうま!」

 

 

お互いに笑顔で言った。それは別れの言葉ではなく、再会を誓う言葉。インデックスと上条当麻が、互いにその言葉を心に刻み込んだその時には、白い修道女の姿が、まるで最初から幻だったかのように、少しの影も残さず青い光の中へと溶けていった

 

 

「やったわね」

 

 

インデックスを見送って上空を見上げた時には、もう空から伸びてくる青いコードラインはなかった。すっかり元に戻ったダークテリトリーの赤い空を見上げて、ため息一つ置いた上条に声を掛けたのは、御坂美琴だった。彼女の後ろには、もう顔に一切の悲壮の色が残っていない100人ほどの人界守備軍の人工フラクトライト達と、クラインやリズベット達を含めた、200人ばかりの日本人プレイヤーが続いていた

 

 

「あぁ。だけど、まだ全部が終わった訳じゃないぞ美琴」

 

 

隣に立った美琴に言って、上条はもう一度戦場へと視線を戻した。その視線の先には、大量の援軍がアンダーワールドを去ったのを機に、一ヶ所に固まった中国・韓国人プレイヤーがいた。そして、彼らの先頭には、影のように揺れながら佇む黒ポンチョの男、PoHの姿があった

 

 

「痛ってぇなぁ…おい。マジで死ぬほど痛ぇぞコラァ……」

 

 

嗄れた声で、悪魔は呟いた。相手にしていた風斬氷華にこっぴどくボコボコにされたのか、彼の姿はもはや見るに耐えないものだった。目深に被った黒ポンチョを含め、全身の服が破れているのはおろか、穴だらけになった体の至る所から、その傷口を塞ぐように黒い煙が立っていた

 

 

「もう許さねぇ…猿どもの殺し合いが見てぇなんてチンケな事は言わねぇ。殺してやる…ここにいる全員、俺が殺してやるよ」

 

 

天命が尽きたプレイヤー達の残した空間神聖力を吸収し続け、巨大化していた友切包丁は、PoHの負った傷を塞ぐために、一度は集めた神聖力を使い過ぎたのか、すっかり元のサイズに戻っていた。しかし、それでもPoH自身の邪悪な心意は衰えるどころか、更なる憎悪が相乗したように、体の周りにどす黒い霧を発生させていた

 

 

「黒はどこだぁ!?とっとと俺の前に連れて来やがれぇ!ここにいるクソ共の殺戮ショーを、一番の特等席で見せてやるよ!そうすりゃアイツもいい加減に目ぇ覚ますだろ!あぁ!?分かったらとっとと黒の剣士を…キリトを連れて来やがれぇぇぇ!!!」

 

 

ゴウッ!!と、PoHの周囲に立ち込めていた黒い霧が爆風となって弾けた。この期に及んでも、まだこんな力を発揮できるのかと、一度は彼を倒しかけた美琴は驚愕した。そして、一度は彼の闇の波動に右手ごと吹き飛ばされた上条も鋭く息を呑んだ。しかし彼らのPoHに対する緊張は、一瞬の内に解けた

 

 

「・・・言われなくたって、こっちから出ていってやるさ」

 

 

漂ってきたのは、薔薇の香り。さっきまでは黒っぽい砂利が剝き出しになっていた地面に、白い霧が薄くたなびいている。薄絹で作られたリボンのようにたゆたいながら、上条達の足許を泳いでいた

 

 

「・・・ったく、寝坊が過ぎるぜ」

 

 

上条はフッと、笑みとささやかな息を溢した。白い霧は、いつしか上条達と相対している中韓連合軍の足許に達し、尚も広がっていく。摩訶不思議な力を使う援軍によって、大半の戦力と戦意を削ぎ落とされた彼らは、もはやそんな霧など気付いても気にも留めていないようだが、既に膝の下あたりまでが純白のリボンに吞まれつつあった

 

 

「・・・あぁ?」

 

 

そこでようやく、邪悪な心意を身に纏ったPoHも異変に気付いたようだった。まず足許を凝視し、次いで弾かれたように敵陣の後方を見やる。長身を一瞬だけ強くわななかせ、右手の友切包丁をバシッと握り直して目を凝らす。すると次の瞬間。戦場全体に、囁くような、詠うような…しかし、確たる声が響き渡った

 

 

「エンハンス・アーマメント」

 

 

上条の頭の中に響いたそれは、彼の記憶する通りの『少年』の声だったが、もう一人、共にアンダーワールドを生きた親友の声が重なっているようにも思えた。そしてその声の先では、途方もない規模の…それこそステイシアの地形操作にも匹敵するほどの超現象が、戦場全体を包み込んでいた。白い霧の中から、青く透き通る氷の蔓が伸び上がり、残された全ての中国人と韓国人プレイヤー、そしてPoHの体に絡みついたのだ

 

 

「・・・ユージオ、流石だぜ」

 

 

見た目にはとても華奢で、指で触れただけで折れてしまいそうなのに、氷の蔓に巻きつかれたプレイヤー達はあっという間に白い霜に覆われながら凍結していった。PoHもその例に漏れず、真っ白に凍り付いていく。その現象を、武装完全支配術を見て、上条は呟いた。そして、ついに。人外守備軍の列を割りながら、瞳に涙を溜めたアスナとロニエ達を連れて、自分の隣に立った『少年』に言った

 

 

「・・・久しぶりだな、キリト」

 

 



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第79話 黒の剣士

 

 

「悪い、随分と迷惑掛けたみたいだな。カミやん」

 

 

そう言ったキリトの左手には、半ばから刀身を失っているものの、どこか優しい霜を振りまく青薔薇の剣。そして失われていたはずの右手は完全に実体を取り戻し、彼らしい黒一色の剣、夜空の剣が握られていた。曰く、『二刀流』。微風に揺れる、少し長めの前髪。穏やかな笑みを浮かべる唇。同じ高さから見詰め返してくる、二つの黒い瞳を見て、上条は胸の奥から込み上げてくる熱い感情をごまかすように、微笑を浮かべて返した

 

 

「本当に大変だったんだからな。こんなキリト達の世界の米軍やらが関与した事件に巻き込まれる日が来るとは、カミやんさんはどんだけ不幸なんだって感じだよ」

 

「そりゃ元々俺の話を勝手に自分の世界に持ち出したカミやんのせいだろうが」

 

「ご、ごもっともで……」

 

「ふふっ、あははははっ!」

 

 

上条のショボくれた反応がおかしかったのか、キリトは心を失っていた先刻からは想像できないほど元気そうに笑った。それから彼は一頻り笑い終えると、自分の咳払いでその笑い声を打ち消してから言った

 

 

「でも、結果的にはそれも良かったのかもしれないな。カミやん達が来てくれたからこそ、助かった部分もあった。改めて、カミやん、ミコト、それにみんな。世界を超えて俺たちを、アリスを、アンダーワールドの皆を助けに来てくれて、本当にありがとう」

 

「気にすんな。アイツらに助けられたのは、俺だって同じだよ」

 

「私の方こそ。ユウキの時はキリトさん達に色々とお世話してもらったから、困ってたらいつでも助けに行くわよ」

 

 

穏やかな口調で礼を言って、キリトは夜空の剣を持ったまま右手の拳を上条に向けると、上条もすぐさま右手の拳をキリトのソレにぶつけ合った。次にキリトは左隣の美琴にも青薔薇の剣を握った拳を向けると、彼女もその仕草に快く応えてくれた。そしてキリトは、ようやく後方に振り向いて、いつも傍にいてくれた少女の名前を呼んだ

 

 

「ただいま、アスナ」

 

 

両眼から涙が次々に零れ、喉から細く高い音が漏れるのを、アスナは止めることができなかった。胸の前で両手を握り締め、彼女は懸命に、溢れ出そうとする気持ちを声にした

 

 

「・・・おかえり、キリトくん」

 

「キリト……」

 

「キリト先輩……」

 

 

アスナに続いて、ソルティリーナとロニエも同時にキリトを呼んだ。微笑みながら二人にも深く頷きかけると、キリトは視線をもう一度真正面に戻した。その表情に、戦う覚悟が宿った瞬間、一番目の前にある氷の彫像がバガァンッ!という音ともに砕け散った

 

 

「ははははははははっ!待ちくたびれたぜ…さあ、俺と踊ろうじゃないか!キリト!!」

 

 

白い霜と氷の蔓を粉々に割り砕き、激しく一歩踏み出した悪魔は、裾を翼のようにはためかせながら、割れ鐘のような声で叫んだ。アスナの知る限り、SAO時代を通して初めてその名を呼んだPoHは、友切包丁を振りかざしながら続けてキリトに言った

 

 

「しかし、ようやくお目覚めだな。こんな風に顔を見て話すのはいつ以来かな……」

 

「さあ、忘れたな。でも確かなのは、これが最後だってことだ」

 

 

錆びた金属を擦るような悪魔の声に、キリトはアインクラッド時代を彷彿とさせる、飄然とした中に冷たい鋭さを秘めた声で応じた。しかしそのアインクラッド時代の彼を彷彿とさせる物言いは、返ってPoHの昂る感情の引き金にもなり、彼はピュウッと楽しげに口笛を吹いて笑った

 

 

「いいね…まったくオマエは最高だよ、キリト。さあ、続きをやろうじゃないか。アインクラッドで中断されちまったショウタイムの続きを」

 

「・・・悪い、カミやん。ここまで付き合わせた上で申し訳ないけど、ここは俺一人に任せてくれないか?」

 

 

友切包丁を構えたPoHを鋭い視線で一瞥したキリトは、そのままの視線で上条の方を見ることなく訊ねた。上条はその言葉に対し軽く鼻で笑って、彼の傍から後ろに下がりつつ答えた

 

 

「申し訳ないも何もねぇよ。コイツとの戦いはキリト達のSAOの遺恨なんだろ?だったらお前がケリをつけて然るべきだよ」

 

「ま、そういうことだ。理解が良くて助かるよ」

 

 

彼らのやり取りを聞いたのか、途端にPoHの真上に渦巻く黒雲がひときわ激しく蠢き、邪悪な心意が具現化した彼の周囲に佇む深い黒霧と、分厚い鉄塊に赤黒いスパークが這い回った。そして対峙するキリトも、右手の黒い長剣をまっすぐに振りかぶった

 

 

「死にやがれぇぇぇぇぇ!!!!!」

 

 

長身をゆらりと前傾させるや、瓦礫だらけの地面を滑走するかの如く、十メートルの距離を瞬時に詰め、分厚い大鉈を重さを感じさせない動きでぬるりと振り下ろす。キリトはその一撃をステップ回避ではなく、右手の剣で迎え撃とうとした

 

 

「キリトくんっ!!」

 

 

しかし、キリトの右腕から繰り出された斬撃は、アスナの眼から見てもかつての鋭さが失われていた。大鉈と衝突した長剣は、弾き飛ばされることだけは辛くも免れたが、五分の鍔迫り合いには持ち込めず、真上から押し込まれる形になった。キリトの膝が折れ、背中が弓なりに反り上がるや、地面を踏み締めるブーツが、ずずっと後ろに滑った

 

 

「・・・おいおい、がっかりさせないでくれよ黒の剣士。俺はこの日を、二年近くも待ち続けたんだぜ…?」

 

 

哄笑を堪えた声で囁くと、黒ポンチョの死神は友切包丁の柄に左手も乗せた。ギギッと接触点が軋み、キリトの膝がさらに沈む。PoHと同じように両手持ちに移行すれば…とアスナ思ったが、キリトの左手には白い剣が握られている。しかも真っ二つに折れているので、それで攻撃することもできない。少しずつ、しかし着実に下降していく大鉈の刃が、キリトの首筋に迫っていった

 

 

「キリト……!!」

 

 

掠れ声で囁いたソルティリーナが、長剣を手に立ち上がろうとした。しかし、人界の剣術学校でキリトの指導役だったという女性衛士長の左肩を抑え、同じく自身の恐れを抑え込みながら囁いていたのは、アスナだった

 

 

「大丈夫よ、リーナさん。キリト君はあんな奴には負けない。絶対に…!」

 

「はい。キリト先輩は、絶対に負けません」

 

 

逆にキリトが指導役をしていたというロニエも、両眼に涙を溜めながらアスナの言葉に頷いた。キリトの勝利を何一つ疑っていない彼女達の口許に浮かぶ微かな笑みを見たソルティリーナは、やがて肩に置かれたままのアスナの手を強く握って答えた

 

 

「・・・そうだな」

 

 

しかし、その直後。三人の祈りにも似た確信を嘲笑うかのように、PoHがまたも友切包丁を大きく押し込んだ。心意によって加速する彼の腕力に、たまらずキリトは地面に左膝を突き、黒い剣を支える右腕はぶるぶると震え、限界が近いことを予感させる。歯を食い縛って耐えるキリトの顔に、PoHは自分の顔を近づけて再び嗤った

 

 

「くくっ。いい加減にそのクズ剣を捨てて、左手を使えよ。オマエが凍らせてる中国と韓国の奴らは、オマエの仲間をいっぱいブッ殺したんだぜ?そんな連中が殺し合おうと、知ったことじゃないだろ?」

 

「・・・お前の遣り口はよく知ってるよ。人を争わせ、憎しみの種を蒔いて、次の争いを引き起こす。SAO時代はその手で散々引っかき回されたけど、このアンダーワールドじゃ、お前の好きにはさせない。絶対に」

 

「ほう…ならどうする?あの連中は、氷が溶けたら日本人の生き残りと、オマエの大事なアンダーワールド人どもを皆殺しにするぜ? それを防ぐには奴らを殺すしかない。凍ってるうちに片っ端からブチ割ってな。お前のお仲間ならできるはずだ。さあ、命令しろよ。中韓の奴らをブッ殺せ…ってな」

 

 

毒を垂らすような悪魔の指嗾に、キリトは答えなかった。彼の邪な企みは、アスナ達にもありありと察知できた。氷の蔓に巻かれて凍り付く中韓のプレイヤーたちは、現状では痛みを感じていないようだが、それを割り砕くとなれば、その苦痛もまた精神を割るようなものだろう。痛みは怒りを呼び、彼らの日本人プレイヤーに対する敵意を決定的なものになる

 

 

「まあ、意地を張って死にたいならそれもいいさ」

 

 

同時にPoHは、中韓プレイヤーの死によって空間に放出される大量の神聖力を友切包丁で吸うことができる。キリトとの戦いに勝利し、なおも残る日本人プレイヤーとアンダーワールド人を一人で全滅させるに足るほどの力を蓄えられる。それを理解しているはずのキリトが、PoHの煽動に乗るわけがない

 

 

「安心しな。オマエを殺した後に、閃光も含めた他の連中も一人残らず棺桶にブチ込んでやるよ」

 

 

しかし決定的破局を避けるためには青薔薇の剣による武装完全支配術を維持し続けるしかなく、それが宿敵との戦いをより困難なものにしている。大鉈を受け止めるキリトの右手が震えるたび、接触点から火花が散る。大鉈の刃は着実に下降し続け、キリトの左肩まではもう拳二つ分ほどしかない中で、PoHは暗いフードの奥でニタニタと笑いながら続けた

 

 

「さあ…お前の血と命、魂を、俺に味わわせてくれ。キリト」

 

 

爬虫類のように尖った舌でちろりと唇を舐め、PoHは友切包丁を握る両手にいっそうの力を込めた。キリト黒い剣がギギっと悲鳴を上げ、致死の刃は一秒に一センチずつ確実に近づいていく。すると、不意にアスナのすぐ後ろで、微かな祈りの声が響いた

 

 

「お願い、ユージオ先輩…!キリト先輩を、助けてあげて下さい!」

 

 

小さな声に振り返った三人の少女が見たのは、両手を胸の前で握り合わせた赤毛の少女、ティーゼだった。瞬間、アスナは確かに感じた。ティーゼの髪がふわりと広がり、そよ風にも似た波動が放たれるのを。再び前を向くと、悪魔の包丁がキリトの左肩に触れていた。それだけで、黒いシャツの布地が弾けるように引き裂かれた。続いてキリトの血が迸る光景を予感し、アスナは息を詰めた

 

 

「あ……!」

 

 

しかし、そこで、友切包丁の降下は停止した。それどころか、じりじりと少しずつだが確実に押し返されていく。瘦せ細り、疲れ果てたキリトの右腕のどこにそんな力が…あるのかと、密やかな驚きを漏らしたのはロニエか、ソルティリーナか。同時にアスナもそれを見た。黒い剣の柄を、金色に透き通るもう一本の腕がしっかりと握っている

 

 

「行け!キリト!!ユージオ!!!」

 

 

叫んだのは上条だった。例え世界を超えたとしても、色褪せることのない親友の勇姿と、キリトの剣を支える腕が、彼の中で重なって見えた。やや遅れて、キリトもその腕に気付いたようだった。両眼を見開き、次いでくしゃりと顔を歪める。目尻に涙が滲み、光の粒となって舞い散る。その直後のことだ

 

 

「おお…うおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

キリトの喉から裂帛の気合いが迸り、友切包丁を激しく弾き返した。両腕を跳ね上げられたPoHが、罵り声を漏らしながら後ろによろめいた。すかさずキリトは、片膝立ちの体勢からすっくと立ち上がると、左手に握る折れた青薔薇の剣を高々と掲げて叫んだ

 

 

「リリース・リコレクション!!」

 

 

途轍もなく眩い閃光が炸裂し、世界を純白に染め上げた。光を嫌がるかのように、PoHが片手を顔の前にかざしながらさらに後退る。眼を細めながらも、アスナは見た。半ばから無残に折れていた白い剣の刀身が、光そのものが凝集、結晶化するかの如く再生していく。わずか数秒で本来の姿を取り戻した剣そのものが強烈に輝き、シュバッ!!という鋭い音ともに、その閃光が拡散した

 

 

「す、すごい!!」

 

 

一瞬の静寂を経て、戦場全体に幾千、幾万もの鈴が震えるような、清らかかつ壮大な音が鳴り響いた。視線を動かしたアスナたちは、呆然と眼を見開いた。白く凍り付いていた中国、韓国のプレイヤーたちの体に無数の青い薔薇が咲いていく。咲き誇る大輪の薔薇たちは、その花心から銀色の粒子を放ち始めた。それが純粋な空間神聖力、即ちプレイヤーたちの天命であることをアスナは直感した

 

 

「な、なんだあっ…!?」

 

 

笑いばかりを発していたPoHの口から、驚嘆の声が上がった。ほんの十数分前までは憤怒を滾らせ、互いに殺し合おうとしていたプレイヤーたちが、眠るように瞼を閉じたまま一人、また一人と光の柱に包まれて消滅していく。それは痛みも苦しみもない、考え得るかぎり最も静穏な強制ログアウトだった

 

 

「テメェ、ふざけた真似をっ……!」

 

 

目論見を破られた死神が罵声を発しかけたが、すぐに不敵な笑みを取り戻し、右手の大鉈を掲げた。今この戦場には、無数の青薔薇が放出する中国・韓国プレイヤー達の神聖力が濃密に漂っている。それを、リソース吸収能力を持つ友切包丁で全て自分のものにしようとしている。しかし、空中で寄り集まり、幾筋ものリボンとなってたゆたう銀色の光たちは、PoHの友切包丁を完全に無視していた

 

 

「・・・・・あ?」

 

 

それを疑問に思った悪魔がどれほど魔剣を突き上げても、青薔薇から漂う空間神聖力は近づく気配すらなかった。そしてキリトが、完全に再生した白い剣はそのままに、右手の黒い剣も真っ直ぐに空へとかざした。PoH自身の心意が呼び寄せた渦巻く黒雲が、逆回転しながら拡散していく。中央に少しだけ覗いた青空から、金色の陽光が一筋降り注ぎ、夜空の剣の刀身を黒水晶のように照らした

 

 

「リリース・リコレクション」

 

 

キリトは先程と同じコマンドを、今度は嚙み締めるように唱えた。するとその瞬間、戦場の空をゆっくりと流れていた無数の銀色のリボンが、互いに縒り合わさりながら黒い剣へと吸い込まれ始めた

 

 

Suck(クソが)!!」

 

 

英語で罵り声を上げたPoHが、対抗するように友切包丁を振り回す。しかし銀色に光るリボン達は自らの意志があるかのように魔剣を避け、次々に黒い剣と融合していった

 

 

「・・・ユージオ先輩が言ってました。キリト先輩の黒い剣は、もともとは人界の北の果てに生えてた、大きな黒い杉の木だったんだ、って」

 

「そうか…だから、神聖力を吸い込む力を……!」

 

 

アスナの後ろで、ティーゼが震える声で言った。すぐに、ソルティリーナが得心したように呟く。キリトの黒い剣が空間神聖力を吸収する能力を持っているのだとしても、同じ力を持っているはずのPoHの友切包丁が、青薔薇によって放出された空間神聖力をまったく吸収できないのは何故か。それは包丁の力が、本当は『命を吸うもの』ではなく『死を吸うもの』に他ならないからだ

 

 

「ったく、ユージオのやつ…相変わらずの天然人たらしだな」

 

 

呆れたように、しかし嬉しそうに上条は呟いた。左手の白い剣は、広範囲の対象を凍結し、その命を空中に解き放つ。右手の黒い剣は、周囲の空間から生命力を吸収し、エネルギーに変える。とてつもなくシンプルで、それゆえに強力無比な相乗効果だ。完璧なる一対。さればこそ、ユージオは上条だけでなく、キリトにとっても、文字通り最高の『相棒』だった

 

 

「ありがとう、ユージオ」

 

 

キリトが相棒の剣を一瞥しながら言うと、膨大な量のリボンを吸い込むにつれ、黒い剣の中心部が金色に輝き、空間神聖力が剣の柄を通して彼の腕にも流れ込んだ。棒のように瘦せ衰えていた体が、急激に本来の逞しさを取り戻していく。復活現象は肉体だけにとどまらず、激戦の中であちこち破れていた黒シャツが瞬時に再生し、手には指貫きグローブ、足にもリベットつきのブーツが現れた

 

 

「キリト、くん……!」

 

 

さらに、肩口から両腕、そして背中へと光のラインが下りていき、少し遅れて黒光りする革が実体化する。出現したのは、キリトがSAOで『黒の剣士』と呼ばれるに由来したトレードマークだったロングコート。その大きく翻る裾が落ち着くと、離れた場所に落ちていた二本の鞘が飛来し、彼の背中に交差する形で装着された。懐かしく、誰よりも優しいその後ろ姿を、アスナは溢れる涙越しに見た

 

 

「これが、二刀流……」

 

 

自分達のSAOでは終ぞ見ることのなかった、二刀を掲げるユニークスキル。あまりにも神々しく、雄々しいキリトの姿を見た美琴は、図らずも感嘆の声を口にした。数秒後、命のリボンを全て吸収し、『黒の剣士』として完全復活を終えたキリトが、ゆっくりと左右の剣を下ろして言った

 

 

「待たせたな」

 

 

戦場を埋め尽くしていた中国、韓国のプレイヤーたちは、大半がログアウトしていた。不毛の荒野は、これまでの死闘に次ぐ死闘が噓だったかのような静けさに包まれた。聞こえるのは乾いた風籟と、きん、きん、という高温の金属が軋むような音だけ。その源は、膨大なエネルギーを蓄え、黄金のオーラを纏う夜空の剣にある。それを見てようやく空間神聖力の吸収を諦めたPoHが、ため息を一つ吐きつつ友切包丁を下ろして言った

 

 

「やっぱりオマエは最高だよ、キリト。自分の意思でこんなにも殺したいと思えるのは、後にも先にもお前だけだ。終わりにしちまうのは惜しいが、これ以上の舞台は二度とないだろうからな。さぁ…最後まで楽しもうぜ、黒の剣士」

 

 

暗い闇を秘めたフードの奥で、片端に歪んだ笑みを刻む唇が微かに動く。右手の大鉈をぬるりと構え、左手を前に突き出す。手の甲に彫られた『笑う棺桶』のタトゥーを見せつけるように、細長い指で手招きするPoHに、キリトはたった一言で応じた

 

 

「あぁ、終わりにしよう」

 

 

キリトは両足を開いて腰を落とすと、白い剣を前に、黒い剣を後ろに構えた。対峙する両者の闘気が急激に膨れ上がり、中間地点で激しく心意の刃がぶつかり合って火花を散らした。再び乾いた風が吹き、止まったその瞬間、二人はは同時に動いた。PoHが振りかぶった友切包丁を、赤黒い粘液質の光が包む。直後、恐ろしいほどのスピードで走る死神の体が、三つに分裂した

 

 

「「「オラァァァァァーーーッ!!!」」」

 

 

黒衣の悪魔が放ったのは、その場にいる誰も知り得ないソードスキルだった。対するキリトは、右手の剣は下げたまま、左手の白い剣に真紅の輝きを宿らせた。片手直剣用ソードスキル『デッドリー・シンズ』。前と左右から次々に放たれるPoHの斬撃をキリトの連続技が迎撃していき、三人のPoHが二回ずつ、計六回攻撃したところで、彼の分身は消えた。残った本体が、分厚い刃を上段から猛然と斬り下ろす

 

 

「くっ…!?」

 

 

それをキリトの左斜め斬りが受け止め、鮮烈な火花と衝撃波が爆ぜた。デッドリー・シンズは七連撃技。もしPoHのソードスキルにもう一閃があれば、直撃は免れない。上段斬りを跳ね返された反動で死神のフードがめくれ上がり、内部の素顔がSAO時代以来初めて露わになった。どこか日本人離れした、彫りの深い顔に凄絶な笑みを浮かべたPoHは、赤黒いオーラを纏ったままの包丁を、再びキリトの肩口に叩き付けようとした。それが八撃目

 

 

「うっ…おおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

しかし、刹那。キリトの右手に握られた夜空の剣が、真紅の閃光を迸らせた。深く、熱い、炎の赤。本来であれば一秒以上続くはずの硬直時間をキャンセルして、黒い剣が神速の突き技を発動させる。片手用ソードスキルを左右の手で連続使用するという、キリトにしか使えない絶技『スキルコネクト』。金属質の轟音とともに放たれた単発重攻撃『ヴォーパル・ストライク』が、PoHの分身八連撃技のラスト・アタックと空中で激突した

 

 

「・・・楽しいねぇ。お前もそう思わないか、キリトよ」

 

 

膨大な爆風の中で睨み合う両雄は、黒い剣と赤い大鉈の切っ先同士を接触させたまま静止していた。まだ戦いは終わっていない。二人とも、極小の接触点に極大のエネルギーを集中させ、相手の攻撃を押し返そうと全力で鬩ぎ合っている。互いに痛みを分け合うそれすらも娯楽としたかのように、PoHは呟いた。しかし直後、かすかな、そして決定的な音が響いた

 

 

ーーーーーーーーーピキンッ!!

 

 

PoHの魔剣、人が人を殺すために生まれた凶器『友切包丁』の切っ先から根元にまで、赤く輝くひび割れが稲妻のように走った。直後、大鉈は無数の破片となって四散し…キリトのヴォーパル・ストライクが包丁を握っていたPoHの右腕までをも粉々に吹き飛ばして、そのまま五メートル以上も伸長した

 

 

「いいや。俺は命を賭けた戦いが楽しいと思ったことなんて、ただの一度もない」

 

 

キリトがPoHの問いかけに答えた瞬間、再び爆風が押し寄せ、二人の戦いを見守っていた全員が視界を奪われた。上条や美琴、アスナを始め、傍らのロニエ達、後方のクラインやリズベット達日本人プレイヤーも最期の時を垣間見ようと、爆風が巻き上げた土煙が晴れるのを待った

 

 

「・・・あっそぉ。くくくっ……」

 

 

やがて土煙が薄れ、密着する元SAOプレイヤー達の姿を露わにした。武器を失い、だらりと両腕を垂らすPoHの胸に、キリトの黒い剣が深々と突き刺さっている。だがそこには先刻、美琴のマザーズロザリオの空けた大穴が広がっており、新たな肉体的ダメージはない様子だった。友切包丁による天命の供給が絶たれたせいか、大穴と口から鮮血を零しながらも、PoHはなおも不敵に笑ってみせた

 

 

「だが、これで終わりじゃないぜ。この世界からはログアウトしても、俺は何度だってお前の前に現れる。お前と閃光の喉を搔き切り、心臓を抉り出すまで、何度でもな…」

 

「・・・いや、これで終わりだ。お前は、このアンダーワールドから永遠にログアウトすることはない」

 

 

呪いめいた悪魔の宣告に、キリトは殆ど感情を窺わせない、静かな声で応じた。直後、夜空の剣が一瞬の閃光を放つ。次第に光が収まると、キリトは黒い剣をPoHの胸の穴からゆっくりと引き抜き、数歩後退した。その支えがなくなっても、PoHは倒れなかった。凄惨なニヤニヤ笑いを浮かべたまま、さらに何かを言おうとする。しかし、開いた彼の口は、ミシッ!という音と共に硬直した

 

 

「ごおっ…!?あ゛、がぼっ……!?!?」

 

 

それは手足も同じだ。不自然な体勢のまま停止する四肢が、ミシミシと軋みながら質感を変えていく。艶やかな黒革は、細かくひび割れた繊維質に。金属のリベットは、盛り上がった瘤に。異様な変身を遂げようとしている悪魔に、キリトが再び口を開いた

 

 

「この剣は元々、ルーリッドの村で『悪魔の大杉』と呼ばれていた大きな樹だった。村人が二百年も斧を振っても伐り倒せなかった…その『剣の記憶』を、お前の体に流し込んだんだ」

 

 

PoHの返答はなかった。というより、返答のしようがなかった。キリトの言葉通り、PoHの体の表面は半ば以上、炭のような黒い樹皮に変わりつつあった。両脚は一本に融合し、地面に根を張り始めている。両手は奇妙に拗くれた枝に。髪は鋭く尖る葉に。そして両眼と口は、三つ並んだ木の洞に変化した

 

 

「中韓プレイヤーのログアウトを確認したら、お前の仲間は時間加速を再開するだろうぜ。STLから出して貰えるまでに何年、何十年経つのかは解らないが、なるべく短くなるように祈るんだな。いつかこの辺に開拓者の村ができたら、斧を持った子供たちがお前を伐り倒してくれるかもしれないぜ」

 

 

その言葉がPoHの意識に届いているのかどうかは、もう解らなかった。キリトの前に存在するのはもう人間ではなく、高さ二メートルほどの不格好な杉の木だったからだ。こうして、二年越しになるデスゲームで宿敵同士だった二人の対決は幕を閉じた

 



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第80話 二人の英雄

「終わったよ、アスナ」

 

 

蓄積した空間神聖力を使い果たした夜空の剣と青薔薇の剣を、キリトはそっと背中の鞘に落とし込んだ。そして、真っ先に最愛の少女の方に振り向くと、口許に微笑みを浮かべながら歩み寄った

 

 

「キリト、くん…キリト君だ。私の大好きな…暖かくて、優しい声だ……!」

 

 

感涙を瞳から溢れさせたアスナは、一思いにキリトの胸元へと飛び込んだ。キリトは彼女の身体を正面から受け止めると、その背中に左手を回して、右手で優しくその髪を撫でた

 

 

「お、終わった途端にコレかよ…まったく、この場をアリスが見たら何を言いますことやら…」

 

「・・・あ、あああーーーーーっ!!!」

 

 

深く、そして熱く抱き合うキリトとアスナを見た上条が後ろ頭を掻きつつ、呆れたように呟いた。すると、それを耳にしたキリトが突然にアスナを抱いていた両手を離して、彼女の身体を自分から引き剥がし、その両肩に手を置いて、アスナの両目を左右に泳ぎまくる視線で見つめて、切羽詰まったように叫んだ

 

 

「ち、ちちち、違うんだアスナ!リーナ先輩やアリスやロニエとは、まったく何にもなかった!ステイシア神に誓って、な~んにもなかったんだ!!」

 

「今やそのステイシア神はアスナさんだけどね」

 

「てか、今挙げた三名のうち二名ここにいるぞ」

 

 

失われた魂も体も完全復活し、二年半に渡るアンダーワールドの記憶も同じく蘇ってきたのか、この仮想世界で密接に関わってきた女性達に関して、キリトは必死の弁明を試みた。そんな彼の物言いに、美琴と上条が言及すると、キリトはたまらず頬を痙攣らせたが、しかしアスナの顔は、ほにゃ、と綻んでいた。ほっそりとした両手で俺の頰を挟み、どこか呆れたような、懐かしむような声で彼女は言った

 

 

「変わってないね、キリトくん。こっちで二年も頑張ってたって言うから、少しは大人になったのかなって、思ったけど………」

 

「・・・俺は俺だよ、変わるわけない。ほんとに…ありがとう、アスナ。傷だらけになってまで、アンダーワールドの人達を守ってくれて…痛かったろうに……」

 

 

何度も深い傷を負ったアスナの身体を労わるように、キリトはもう一度彼女の身体を優しく包み込んだ。もはや完全に二人の世界に入ってしまった彼らに、周りの全員がため息を吐きそうになっていた時、美琴がハッとして叫んだ

 

 

「ってそーよ!キリトさん達の因縁は片付いたかもしれないけど、アンダーワールドのことはちっとも片付いてないわよ!シノンさんはアリスさんを連れ去ったベクタを追ったままだし、私たちも神の右席の事とか結局なんにも……!」

 

「あ、そうだ言ってなかったな。右方のフィアンマなら、みんなのおかげもあって、さっき倒せたんだよ。ほら、そこに倒れて……」

 

 

そこで上条は、キリトとPoHが戦っている間、すっかり放ったらかしになっていたフィアンマの倒れている場所を指差そうとした。しかしそこには、彼の体が影や形はおろか、何の痕跡も残さずに消えて無くなっていた

 

 

「・・・・・あ、れ……?」

 

 

言いようのない違和感と、悪寒が上条の全感覚を支配した。フィアンマの天命が自然に減少して、アンダーワールドを去ったのだとは、理由こそないが考え難かった。嫌な予感がする。上条がそう思った瞬間、意外な声が割り込んできた

 

 

「お兄ちゃん!アスナさん!」

 

「スグ!!」

 

「リーファちゃん!!」

 

 

息も切れ切れに人界守備軍の北側から駆けてきたリーファこと桐ヶ谷直葉は、再会を願い続けた兄の元気そうな姿と、その恋人であるアスナのを見るなり、柔和な微笑みを浮かべた。そして、走り続けて乱れた息を整えながらゆっくりと口を開いた

 

 

「もぉ…本当にここまで来るの大変だったんだからねお兄ちゃん」

 

「ありがとう、スグ。お前も頑張ってくれたんだな。おかげで俺も目が覚めたよ」

 

「うん。ここに来るまでに見つけたアメリカ人のプレイヤー達は、全員あたしが追い払っておいたから……ってそうだ、カミやん君っていたりする?」

 

「・・・え、俺?」

 

 

拭いきれない不信感の正体を必死に考え込んでいたため、上条は実際に声をかけられるまで、リーファがそこにいることに気が付かなかった。するとリーファは、上条のどこか他の抜けた声を聞くなり彼に歩み寄って、腰に手を当てて何かに納得したように息を吐いて言った

 

 

「やっぱり、カミやん君とミコトさん達もこっちに来てたんだ。あたし、アメリカ人のプレイヤー達と戦ってる時に上里君っていう人に会ったの。理屈はよく分からないけど、右手に不思議な力を持ってるみたいだったから、ひょっとしたらカミやん君達の知り合いなのかも…って思ったんだけど、カミやん君もここにいるのを考えると、あたしの勘は正しかったみたいだね」

 

「え?上里はリーファの方を助けに行ってたのか…あぁ。確かにアイツは俺の知り合いだ。帰ったら礼を言っておくよ」

 

 

苦しい戦いだったことに変わりはないだろうが、どこか笑顔で言うリーファを見て、上条もまたフッと笑いかけながら言った。そんな笑顔で会話を交わす中で、フィアンマにかかる不信感は、やはりいらない心配だったかと、上条はホッと息を吐いて気持ちを切り替えようとしたその時、上空から突然青い流星が降り注いだ

 

 

「みんな!無事だったのね!!」

 

「シノン!」

 

 

ソルス・アカウントに付与された無制限飛行の最大速度で南方から飛んできたシノンは、キリト達のすぐ傍に着地した。そして上条は彼女の姿を見て安堵したように胸を撫で下ろすと、そのまま彼女に訊ねた

 

 

「お前が無事でこっちに来てくれたって事は、アリスとベルクーリのおっさんに追いついて、暗黒神ベクタを退治できたってことなんだな?」

 

「それは、その…ごめんなさい。アリスさんは何とか守り抜いて、今も果ての祭壇を目指して進んでる…けど、私がアリスさんと合流した時には、ベルクーリって人は…もう……」

 

「・・・そうか…」

 

 

シノンはその最期を具体的には口にしなかったが、沈んだトーンで切れ切れに言うその声から、上条はベルクーリはもう既にこの世界にはいないのだと悟った。しかし、アリスが無事だというのは、人界最強の剣士が命を費やす最期まで戦った何よりの証だと、垣間見ることは叶わなかった彼の勇姿に思いを馳せようとした時、打って変わってシノンが急いたように叫んだ

 

 

「で、でもっ!今はもうそれどころじゃないわ!元々はベクタだった奴が再ログインした…サトライザーって奴と、私と一方通行さんで戦ったの!だけど、本当に倒し切る寸前でソイツが急に姿を消して、こっちに向かって行ったのよ!!」

 

「・・・・・え?」

 

 

悪寒がした。氷を襟首に突っ込まれたかのような寒気に背筋が凍る。本来であれば出会うことすら叶わなかったハズの、暗黒神ベクタを動かしていたプレイヤーは、シノンの尋常でない焦り具合から鑑みるに、相当の実力を持つ敵だったのだろう。その認識が、更に上条の不安を煽る。そして彼の予感は、より悪い形となって遂にその姿を見せた

 

 

「もう忘れてしまったのかなシノン?私はサトライザーではなく、ガブリエル。いや…その名前も、もう捨てる時かもしれないな」

 

「「「!?!?!?!?!?」」」

 

 

その声は突然だった。人界守備軍の全員が一斉に振り向いて、その声の主を見やる。その視線の先に立っていたのは、異様な存在感を放ってその姿を認識させる、背中に六枚の黒翼を生やした死の天使だった

 

 

「いささか不本意だが、私とて『コイツの力』は認めている。そして、その魂を喰らえば、私は全ての人間の魂を味わうことが出来るのだ……!!」

 

「ーーーーーッ!?」

 

 

死闘の末に勝利し、今も気を失っている右方のフィアンマが、全身を深い闇で覆っているガブリエルの傍にいるのを、上条はその目で捉えた。フィアンマはガブリエルの右手に両足を掴まれ、半ば宙吊りのような状態で囚われていた。やがて死の天使はゆっくりと異様に伸びた右手を持ち上げると、あろうことか。『神の如き者』に向けて、喉笛を唸らせながら大口を開き、その脳味噌に噛み付いた

 

 

「「「・・・・・・・・」」」

 

 

その光景を目の当たりにした全員が、呆然と口を開けて絶句していた。ガリ、ガリ、ゴリ、バリ、と。聞く者全てが不快感と吐き気を催す陰湿な咀嚼音と共に、人間が人間の胃袋へ丸ごと落ちていく。これまでの激闘が、全て霞んでいくように思えるほどの悪夢だった。そして、ついに足の爪先までフィアンマを食い尽くしたガブリエルは、もはや人のモノですらない顔を醜く歪ませ、苦しそうに呻いた

 

 

「うごっ!?がげっ、あぎょっ!?ぐぅおおおおおおおおおおお……………!?!?」

 

 

しかしその呻きは、時間が経つほどに不気味な微笑みへと変化した。ぐじゅり、と水気を含んだ音と共に、ガブリエルを覆う闇がぐるぐると全身を這い回った。それに伴って、頭上に光る暗黒の光輪もイカれたレコードのように高速で回転し始める。そして彼の体に、人類の誰もが見たことのない変化が…否。『進化』がその片鱗を見せ始めた

 

 

「ふははははははははっっっ!!!ハーーーーーーーーーッッッ!!!」

 

 

ガブリエルの背中に生えた六枚にして三対の翼が、全て抜け落ちた。即座に、彼の右肩甲から新たな翼のような何かが顔を覗かせた。曰く、フィアンマが誇る術式『聖なる右』の『第三の腕』。しかしてガブリエルの背中に生えた腕はその一本だけでなく、左肩甲から第四の腕、そしてそれに追随するように第四、第五、第六……と、先ほどまで生えていた黒翼と同じく計六本、三対を成す『第三の腕』から『第八の腕』までもが顕現した

 

 

「素晴らしい!なんと素晴らしい極上の魂なのか!これが『神の如き者』の力ということなのか!!」

 

 

鋭利な鉤爪を伸ばすその腕達は、かつてフィアンマに従っていた当時の赤色ではなく、ガブリエルを取り巻く闇に飲まれたかのような漆黒に変色していた。そして、ガブリエル本人を覆い尽くしていた粘着質な暗黒のオーラには、その力が順応するように赤黒いラインが溶け合い、より不気味な色合いの体へと変貌を遂げ、虚な闇を蓄えた瞳の中心にある瞳孔が、深紅の輝きを放って瞬いた

 

 

「これならば、もうA.L.I.C.Eなど必要ない!この私こそが…我こそが未来だ!アンダーワールドだけでなく、双方の世界に根差す全ての人間の感情、記憶、心と魂の全てを…今にでも喰らってやるぞ!」

 

 

もはやアレは、天使でも、人間でも、人工フラクトライトですらもない。かつて神が世界に創り出した、命という枠組みにすら当てはまらない、底抜けに邪悪な何かだ。と、かつて学園都市の超能力や、様々な魔術的事象をその目で見てきた上条ですらも、純然たる恐怖を感じていた

 

 

「・・・まだ拳を握れるヤツはいるか?」

 

 

不意に、人界守備軍の輪の中から、段々と宙に浮かび上りながら笑い続けるガブリエルに向かって、シャキィン!という鞘走る音と共に青と黒の長剣を引き抜きつつ、二刀の少年が一歩前へと出た。これが本当の最後にして最大の戦いであることを理解しているからこそ、彼は少しだけ振り向いて、最も信頼を置ける少年へと視線を送った

 

 

「それどう考えても俺のこと名指しにしてるだろ…元から俺もそのつもりだけどな」

 

 

どこか呆れたようで、しかし嬉しそうなため息を吐きつつ、準備運動だと言わんばかりに右肩をぐるりと回して上条は言うと、一歩前に出た二刀の少年の横に並び立った。そんな彼を横目で見つつ、キリトがフッと笑いを溢していると、二人の背後からほとんど同時に少女達の声が聞こえてきた

 

 

「キリト君!私も……!!」

 

「わ、私だって!まだまだ戦え……!!」

 

 

人界守備軍の集団から飛び出そうとしてきたアスナと美琴に、キリトと上条は顔だけを振り向かせて首を振った。その仕草に、少女達が走り出しかけた足を止めると、二人の少年はお互いのパートナーに向けて諭すように言った

 

 

「大丈夫だよ、アスナ。アイツの相手は、俺とカミやんだけで十分だ」

 

「美琴も、そんなに心配そうな顔すんな。この展開は多分、俺がキリトからアンダーワールドの話を聞いた時から決まってたんだ。だから、俺たち二人にケリを付けさせてくれ」

 

 

二人に言われたアスナと美琴は、最初こそ不安の拭えないような表情をしていたが、キリトと上条の強い目を見ると、やがて彼らと同じく真っ直ぐな光を瞳に灯して、力強く頷いてから後方へ下がった

 

 

「お兄ちゃん!カミやん君!頑張って!!」

 

「少しはいいとこ見せてよね」

 

 

テラリアとソルス。リーファとシノンもまた、キリトと上条に激励の言葉を掛けた。すると彼女達の傍から、シリカ、リズベット、クライン、エギルと、四人の仲間達が飛び出して次々に叫ぶように言った

 

 

「キリトさん、カミやんさん!私、二人のこと信じてますから!!」

 

「絶対に負けんじゃないわよ!!」

 

「おう!男なら男らしく、バシッと決めてきやがれってんだ!!」

 

「行ってこい!俺たちが付いてるぞ!!」

 

 

世界を超えて絆を繋げた仲間達が、口々に檄を飛ばした。周囲から集まってきた日本人プレイヤーたち、ALO領主のサクヤやアリシャ、ユージーン、スリーピングナイツのシウネーやジュン、その他多くのプレイヤー達が二人の少年を見守っていた。そして、二人の少年に等しく剣技を授けた先輩と、この戦争の最中で二人の少年に勇気を貰った整合騎士が口を開いた

 

 

「頑張れ。キリト、カミやん。お前達二人はいつまでも…私の自慢の傍付きだ」

 

「・・・初めてお会いした時から、僕には解っていましたよ。キリトさんの二本の剣と、カミやんさんの右手が、必ずや皆を救ってくれると」

 

 

揃って騎士礼をキリトと上条に向けたソルティリーナとレンリは、その出会いに感謝するように言った。遠巻きに並ぶ人界軍の衛士や修道士たちも、一斉に跪いて右拳を胸に当てながら、深く頭を垂れる。そして彼らの中から、頬に滴を伝わせる、赤色と茶色の髪の少女練士達が、涙ながらに叫んだ

 

 

「キリト先輩!カミやん先輩!私…わたしっ!先輩方お二人に、剣術を、生き方を、教わることが出来て、本当に良かったです!」

 

「私も!先輩達と、ユージオ先輩のことが…大好きです!!」

 

 

ロニエとティーゼの言葉に、キリトの左手に握られた青薔薇の剣が、微かに光って、笑ったような気がした。そして、彼ら、彼女らの全てを背負って、キリトと上条は再び最強の敵に向き直った

 

 

「ところでキリト。お前の服、それどう見てもアンダーワールドの装備じゃないよな?」

 

「ん?あぁ、コレか。カミやんなら分かるだろ?強いイマジネーション…心意の応用だよ。俺にとっては、仮想世界だとこの格好の方がしっくり来るんだ」

 

「・・・なるほどね。それじゃあ俺も、最後くらい俺らしい格好で戦おうかな」

 

 

言って、上条は瞳を閉じて意識を集中させた。途端、彼の身に纏う黒い外套の裾が、みるみる内に縮んでいった。丁度腰のあたりで寸尺の止まった裾の服は、同じく黒だが、前見頃が開き、五つの金色のボタンが光る、いわゆる学ランへと変わった

 

 

「っと、こんな感じかな…」

 

 

そして肌着の黒シャツはオレンジ色が基調のポロシャツになり、黒いズボンが中心に折り目のついた黒いスラックスへと変化すると、それに続いて黒いブーツから白いスニーカーへと靴が変わったのを最後に、上条は閉じていた瞼を持ち上げた

 

 

「な、なんだそれ?制服?それも、見た感じ中学か高校の…?カミやんって確か、今年で大学二年だったよな?」

 

「まぁな。でも、これでいいんだよ。お前が『黒の剣士』にこだわるんなら、俺は『どこにでもいる平凡な高校生』にこだわりたい」

 

「・・・そうか」

 

 

今や高校時代の姿に戻った上条が笑いながら言うと、キリトも続いて口許に微笑を浮かべた。右拳を左掌に打ち付けた『ヒーロー』。左手の青薔薇の剣を前に掲げ、右手の夜空の剣を肩に担いだ『英雄』。数多の人々を救ってきた二人の少年は、その長い冒険の旅路の果てに、お互いの横に並び立ち、最後の戦いの幕開けを声高に宣言した

 

 

「「ーーーーーーーーいくぞっ!!!」」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「ッ!?雨縁!滝刳!止まって!!」

 

 

暗黒神ベクタの魔の手から逃れ、今もダークテリトリーの最南端にあるという果ての祭壇を目指している途中で、アリスはただならぬ悪寒を肌で感じ取るなり、騎竜である雨縁の手綱を強く引き、また彼女のすぐ横を飛んでいる兄竜の滝刳にも静止を指示した

 

 

「・・・この邪悪な心意は、一体…」

 

 

アリスの全感覚を支配するただならぬ悪寒の正体。北側から迸るように伝わってくるそれは、自分を攫った暗黒神ベクタや、一度対峙した右方のフィアンマをも優に上回る底無しの闇を秘めた強力な心意だった。二頭の飛竜を空中でホバリングさせながら、そちらを見やると、10キロル以上も離れているというのに、今にも襲いかかって来そうな悪意をまざまざと感じ、アリスは生唾を呑んだ

 

 

「しかしこれは、まさか…キリトも……!」

 

 

しかし、世界を覆うような暗闇の心意の中で、煌々とした輝きを放つ二つの心意を、アリスは感じ取った。その内の一つは、記憶の中に眠るもう一つの世界で戦いを共にした少年、上条当麻の心意と似通っていることから、それは間違いなく彼の物だと判断できた。そしてもう一つ、久方振りに感じる心意。半年間に渡って心を閉ざし続けていた少年、キリトの心意だと確信した

 

 

「・・・二人とも、どうか強く戦って。私もまた、私の為すべきところを為します!!」

 

 

さればこそ、アリスは二人の少年に背中を強く押されているのを感じた。そして、広大なアンダーワールド全土を守る為に戦わんとしている彼らの勝利を願って、また確信し、自分の進むべき道へと振り向き直した

 

 

「ーーーーーーーーーーいくぞっ!!!」

 

 

もう一度、強い信念をその瞳に宿して、真なる人工知能であるアリスは、二人の少年と同じ言葉を叫んで、飛竜の手綱を打ち鳴らした。彼女の覚悟に応えるように、兄妹竜もまた強く吠え猛り、翼を広げて加速した。それからアリスは、もう二度と振り返ることなく、世界の果てを目指して飛んだ

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・姉さま、カミやん、キリト」

 

 

二人の少年が、その魂から心意を迸らせながら叫んだ瞬間、誰よりも愛する三人が、懸命の戦いを繰り広げていることを、セルカは感じ取った。つまり、キリトは再び目覚めたのだ。ユージオを失った悲しみの淵から、もう一度立ち上がったのだ。そしてその隣には、もう一つの世界でユージオと共に戦った少年が、その拳を握っているのだ。やがてセルカは、短い草の上に跪き、両手を胸の前で組み合わせて、そっと眼を閉じ、呟いた

 

 

「・・・ユージオ、お願い。カミやんとキリトを……アリス姉様を、守ってあげて」

 

 

祈りと共に再び見上げた夜空に、青い星がひとつ、ちかっと瞬いた。不意に周囲を見れば、先刻まで中庭で遊び回っていた子供たちが、無言で地面に膝をつき、小さな手を握り締めていた。教会前の広場では商人や主婦たちが。牧場や麦畑では農夫たちが。村役場の執務室ではアリスの父ガスフトが、森の外れではガリッタ老人が祈った。誰一人、恐れおののく者はいなかった。全ての始まりの村、ルーリッド村から、無数の祈りが捧げられたのだった

 



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第81話 最終決戦

 

 

「「ーーーーーーーーいくぞっ!!!」」

 

 

爆音があった。それは、二人の少年の絶叫。今やアンダーワールドに存在する者の中で、贔屓目なしに最強最悪の力を手に入れたガブリエルに向かって、キリトと上条は強く地面を蹴って走り出した

 

 

「・・・・・ふん」

 

 

六本の異形な腕を背中に生やし、それを翼のように仰いで宙に浮かぶガブリエルは、自分に向かってくる二人の少年を無感情に見下ろしていた。然るに彼は、キリトと上条が自分の脅威になり得るとは欠片も考えていなかったのだ。だからこそ彼にとって、ソレは新たな力の試運転。ただそれだけの認識で、神の如き者を名乗ったフィアンマにとっての切り札である、第三の腕から莫大な閃光を放った

 

 

「ーーーーーッ!?!?!?」

 

 

未だかつて垣間見たことすらない、それこそ空想の御伽話に描写されるようなデタラメな力の奔流を前に、キリトは本能的に駆けていた足を止めた。そして体の前で二本の長剣を交差させ、自分のイメージ力が成せる最大限の硬さで不可視のシールドを目の前に展開した。しかし、本当にこの程度の防御であの一撃を防ぐことが出来るのか。冷や汗を全身から噴き出させながら、キリトがそう考えたのと同時に、ツンツン頭と学生服の後ろ姿が彼の視界に割り込んできた

 

 

「うおおおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

どこにでもいる平凡な少年、上条当麻はガブリエルがフィアンマの魂から吸い出し、自身の力へと昇華させた第三の腕から放たれた光に向かって、真っ直ぐに右の掌を突き出した。刹那、彼の心意によって右手に宿った幻想殺しが、甲高い音を発してガブリエルの放った光の球を受け止めてみせた

 

 

「ぐっっっ………!?」

 

 

しかし、それはあくまでも『受け止めた』だけだった。あらゆる幻想を殺すその右手でも、その一撃を打ち消し切ることは叶わない。それこそまさに、想像の埒外。あらゆる標的に対し、常に最適な出力を行う『聖なる右』は、魂の簒奪者にその力を掌握された今、一体何を指標に出力されているのか。そんな上条の疑問すらも吹き飛ばすように、光の一撃は更にその輝きを増した

 

 

「オラァッッッ!!!」

 

 

今も右手を肩口にめり込ませる勢いで襲ってくる光の弾頭を前に、上条は咄嗟の判断で右手を光の球の下に潜り込ませ、肩が外れても構わないという勢いで右腕を振り上げた。その挙動によって、莫大な閃光の軌道が上空へと逸り上がり、数秒遅れて神話級の一撃が爆散して大気に溶けこんだ

 

 

「・・・なるほど。君が話に聞く『カミジョウトウマ』という人間か。こうして相間見えるだけで分かる、極上の魂の持ち主のようだな。その魂を味わうのが今から楽しみだよ」

 

 

拭いきれない痺れを残す右手を、ぐっぐっと何度も握りながら感覚を呼び戻そうとする上条を一瞥して、ガブリエルは闇に染まった顔の口許を歪ませながら呟いた。そして彼は、上条当麻だと確信した少年の後ろにいる二刀の少年を、赤い眼光で睨みつけてから訊ねた

 

 

「お前は何者だ。なぜそこにいる」

 

 

途端、ガブリエルの全身を包む赤黒い闇のオーラが、とぐろを巻くように唸った。背後から微風が吹き、空気が…それどころか世界を構成する情報が、瞳の中に潜む闇に吸い込まれているのだと、キリトはガブリエルに問われる中で悟った

 

 

「お前の方こそ、一体何者だ」

 

「我が名はガブリエル…だった者だ。今の我を定義できる言葉があるのなら、我の方こそソレを聞いてみたいな」

 

 

キリトの問いに、ガブリエルが即座に答える。そして何が原因なのか、ほんの数秒だけ容貌が変化した。目つきが鋭くなり、氷のような冷酷さを帯びる。唇が薄く引き締まり、頰が削げる。それがガブリエルの、本物の顔だと分かった。やがて元の闇に覆われた顔に戻ると同時に、男の全身から噴き出す粘着質のオーラが一気に厚みを増した

 

 

「さぁ、我は答えたぞ。お前は何者だ。何の権利があって、我の前に立つ」

 

 

問答を交わすにつれ、吸引力も増していく。世界の情報だけではない。自分の意識そのものもまた、虚無的な重力に引かれるのをキリトは感じた。不意に、今では不定型になったガブリエルの口許に表情めいたものが浮かんだ。感情とは無関係な、希薄極まる笑み。その表情に視線を向けている間にも、何かが自分の中から吸い出され、奪われていく

 

 

「俺が何者か、だって……?」

 

 

しかし。己よりも遥かに強大な敵を前にして、キリトもまた不敵な笑みをその口許に浮かべた。アンダーワールドに降臨した勇者? まさか。人界を守護する騎士?違う。デスゲームSAOをクリアした英雄?否。最強のVRMMOプレイヤー?否。では『黒の剣士』か?『二刀流』か?答えは否だ。脳裏に否定の言葉を浮かべる度に、自覚する。どれも、キリト自身が望んだ存在ではなかった

 

 

「俺はキリト。剣士キリトだ」

 

 

夜空と青薔薇、二本の剣を鋭く構えながらキリトはガブリエルに向かって言った。白いスパークが弾け、キリトに纏わりつこうとしていた闇の触手を断ち切った。他人のフラクトライトにさえ干渉しうるガブリエルの心意を、長い眠いから解放され、確かな自分を確立させたキリトの強い心意が跳ね返したのだ

 

 

「・・・・・剣士、か。ありふれた答えではあるが、お前の魂がどんな味を秘めているのか、興味はある」

 

 

不可解な物質で構成された六本の腕を背中に携え、もはや人間ですらなくなってしまった顔で見下ろしてくる敵の視線と、キリトの視線が重なった。その視線と、その言葉を向けられただけで、あの男が恐れ、脅威だと認識するようなものなど、もう彼には何も思いつかなかった

 

 

「はっ。お前、自分で言ってることの意味ちゃんと分かってんのか?」

 

「?」

 

 

不意に、剣士の前に立つ高校生が口を開いた。鼻で笑いながら言った彼の言葉に、ガブリエルの漆黒の仮面が、ごく僅かながらも曇ったように動いた

 

 

「どうやら分かってないみたいだな。なら教えてやるよ。お前が必要以上に人の魂を欲する理由、それはお前自身が、人の心を知らないからに他ならない。人の感情が理解できない。だから求める。奪おうとする。壊そうとする。それはつまり……」

 

 

その表情を浮かべる理由がガブリエルにとって、神経を逆撫でされたからなのか、単に上条の発言の意図が分からなかったからなのかは定かではないが、少なくとも彼よりはその言葉の意味を理解できたキリトが続いて言った。そしてその言葉の核心へとたどり着いた時、キリトはこの瞬間に至るまでに出会った、多くの仲間たちの姿を思い浮かべながら言った

 

 

「怖れているからだよ。生きて、戦い、命を、心を繫いでいくこと…そんな俺たちが持っている『人の強さ』を、お前は怖れているんだ」

 

「・・・・・・・・」

 

 

キリトが言い終わると、上条は唇の端を吊り上げた。彼らの言葉に対する、ガブリエルからの返答はなかった。ただ口を閉じて、なおも二人の少年を無感情に見下ろしているが、それが今までの彼の佇まいから少し変容し始めていることを、上条とキリトは察した

 

 

「で、どうだカミやん?アイツの攻撃を直接受けたカミやんならもう分かってると思うけど、俺たち二人はアレを一撃でも喰らったら速攻でゲームオーバーだ。その上で、どうやって戦う?」

 

「それこそ、自分で言ってることの意味、キリトなら分かってんだろ?この世界の強さは心意…つまりは『心の強さ』だ。だったら戦い方の答えなんて、一つしかねぇだろ」

 

「・・・そうだな。やっぱりここは……」

 

「「強行突破だ!!!」」

 

 

強く笑って、二人の少年はもう一度敵に向かって走り出した。並走しながらそれぞれの武器である、右拳を、二刀を、強く握り締める。その瞬間、ガブリエルの背中の右側から生えている『聖なる右』の権能を有した三本の腕が持ち上げられ、死神の鎌にも似た鉤爪を伸ばす指達が天を仰いだ

 

 

「確かに、そう解釈できないこともないかもしれないな。故に我も『神』などという、人智を超越した力に手をかけたまでのことだ」

 

 

ズドオオオオオッッッ!!!という轟音が空間をかき鳴らして、三本の腕から放たれた光の球は遥かな上空で激しくぶつかり合った。一見すると目測を誤ったかに思われたそれは、衝突と共に巨大な爆発を引き起こし、数え切れないほどの光の槍となって地上へと降り注いだ

 

 

「止まるなっ!!!」

 

「当たり前だっ!!!」

 

 

しかし二人の少年は、驚異的なスピードで疾駆しているにも関わらず、華麗な身のこなしで次々に襲いかかってくる神の威光の中をくぐり抜けていった。そして広範囲に渡るガブリエルの光線網を最初に飛び抜けたのは、キリトだった

 

 

「システム・コール!ジェネレート・オール・エレメント!ディスチャージ!!」

 

 

駆ける足にブレーキをかけ、二本の剣を体の前で交差させてキリトは声高に叫んだ。炎の矢が、氷の槍が、風の刃が、その他幾つもの色彩が宙を走り、猛然と漆黒の天使へと襲いかかった

 

 

「・・・なるほど、ようやく見つけたよ。今の我を、定義しうる言葉をな」

 

 

謳うように口が動いて、ガブリエルの赤黒い瞳が怪しく明滅した。すると、火炎、凍結、旋風、水弾、鋼矢、晶刃、光線、闇呪、その全てが、見えざる気流に呑まれていくように渦を巻きながら、その体の奥へと吸い込まれていった。当然、彼の体を包む闇のコートには一つの傷もない

 

 

「我は刈り取る者。あらゆる熱を、光を、存在を奪う者。即ち……『深淵』なり」

 

 

遂に、ガブリエルの背に翼のように生えた第三から第八、三対にして六本の右腕たちが唸った。一本一本が神話級の破壊力を内包する、全ての右腕の中心が輝いた直後、その一撃は放たれた。それは、まるで巨大な恒星のようだった。目を開いているのさえ億劫になるほどの、凄絶な光の塊。一つの惑星を消し飛ばしてなお有り余るであろうその一撃は、たった二人の少年に向けられた

 

 

「カミやん!!!」

 

「分かってる!!!」

 

 

常軌を逸した威力と規模を併せ持つ一撃を前に、回避、および防御が可能だと思わせる要因は一つもなかった。さればこそ、キリトは背後を追随してくる相棒の名を叫ぶと、上条が学ランを大きく翻しながら、莫大な閃光と向かい合った

 

 

「おおおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

不可避にして即死。事と次第によれば太陽系すら一瞬にして無に還すであろう絶対的な破壊。神の如き者が有していた六本の右腕からなる一撃を前に、上条が雄叫びを上げながらぶつけたのは、たった一つの拳。あまりにもちっぽけな、一本の右手だけだった

 

 

「・・・あぁ。別にもう大して言うことはねぇよ。『ソレ』の持ち主だったヤツに、粗方吐き出してきたからな。だから俺がテメェに言わなきゃいけねぇことは、たった一つだ」

 

 

それが現実の幻想殺しで御しきれる一撃ではないことは、長年その右手と共に戦ってきた上条をして明白だった。幻想殺しが打ち消し切れる異能のリソースを遥かに超える眩い光の球体とぶつかった瞬間、有無を言わさず後方に押し返される。しかし、それでも。『どこにでもいる平凡な高校生の右拳』は、絶対に止まろうとしなかった

 

 

「テメェが誰かとか!テメェの都合なんざ!俺たちが知ったことじゃねぇ!だからテメェで精算しろ!今日までテメェが見限ってきた人の感情に対するツケを!この戦いで失われた全ての人たちの命に!そのツラ下げて詫びてきやがれえええぇぇぇーーーっっっ!!!」

 

 

少年の吹き荒ぶような絶叫があった。それこそが長きに渡って続いた、神の右手と少年の右手の戦いに、幕を下ろす叫びだった。数多の幻想を晴らし、いつだって自分の都合だけではなく、誰かの為に拳を握ってきた、上条当麻の持つ純然たる心意を昇華させた右手は、神話すらも飲み込む深淵を覗かせた一撃に正面から打ち勝ってみせた

 

 

「な、なんだとっ…!?」

 

 

それはガブリエルの邪悪極まるイマジネーションがなし得る限りの、最大の一撃だった。同時にその一撃が右手一本に打ち消されるという光景は、彼にとって驚愕そのものだった。六つの聖なる右による、圧倒的な攻撃を無力化され、ガブリエルのイメージ力が決定的に揺らいだその時には、既にキリトが両手を目一杯に伸ばし、記憶解放の術式を叫んでいた

 

 

「リリース・リコレクション!!」

 

「ぐおっーーー…!?」

 

 

瞬間、青薔薇の剣から氷の蔓が幾筋も放たれ、ガブリエルの体を十重二十重に絡め取った。そして、真っ直ぐに天へと掲げた夜空の剣から、巨大な闇色の柱が天へと屹立した。宙に浮かぶガブリエルの頭上も超えて伸び上がった漆黒の光は、血の色の空を貫いて遥かな高みまで届き、まるで太陽そのものに激突したかの如く、四方八方へと広がって、ダークテリトリーの空が覆われていく。血の赤が凄まじい速度で塗り潰され、昼の光が消える

 

 

「・・・夜空?」

 

 

ガブリエル・ミラーは、同時に二つの疑問を抱いた。一つは、ほんの一瞬前には、あらゆる属性の魔法攻撃を完全に無効化してのけたにも関わらず、たかが氷如きになぜ己が拘束されているのかということ。もう一つは、血のような赤色をしていたはずのダークテリトリーの空が、滑らかな質感と、微かな温度を持つ『無限の夜空』へと変わっていく中で、無意識の内に自分の視線が泳がされていたことだ

 

 

「うおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

その咆哮が耳へ届くなり、ガブリエルは今も広がり続ける夜空を見上げていた顔を、正面へと戻した。その視線の先には、上条当麻。彼は宙に浮かぶガブリエルの体を縛りつつ咲いている青薔薇の一本の蔦から、階段のように突き出ている茨を次々にスニーカーの底で踏み締め、地上から伸ばされた親友の導きを一心不乱に駆け上がり、踏み出した最後の一歩で高く飛び上がっていた

 

 

「歯ァ!食いッ!縛れぇぇぇっっっ!!!」

 

 

炸裂する轟音と衝撃に、ガブリエルの表情が歪み、幻想殺しが発する甲高い音と共に、彼の顔面を覆っている闇の衣がいくつもの破片となって振り撒かれた。その後を追うように、ガブリエルの背中で蠢いている、元は魔術によって作り出された六本の右腕が、水泡の如く消え去った。そして上条は、右拳を叩き込んだ勢いのまま、翼を失った漆黒の天使の体を、無数の青薔薇が咲いた地面へと叩き伏せた

 

 

「ごあああああああああっっっ!?!?!」

 

 

バガァンッ!という硝子にヒビが入ったような音と共に、ガブリエルの体は硬い氷の上に叩きつけられた。けれど、それではまだ足りない。依然として彼の体を覆う暗闇は健在のままだ。露わになったガブリエル・ミラーの顔を一瞬で塗り潰し、その右手に長大な虚無の刃を握らせた

 

 

「NU……LLLLL!」

 

 

人のものならぬ異質な唸りが、ガブリエルの喉の奥から漏れ出した。もう一度その背中から、三対六枚の黒い翼が伸びる。そして一瞬の内に、それらは全て右手の剣と同じ虚無の刃へと変貌した。激しく羽ばたいて、周囲の空間を切り裂く。七本の虚な剣が振り上げられたその時、少年もまた、その瞬間こそが勝利だと確信し、二本の剣を大きく振りかぶっていた

 

 

(ーーーーーここだっ!!!)

 

 

その少年の頭上に広がる、無限の夜空。北の空から無数に流れてきた星たちが、虹色の滝となって剣に流れ込んだ瞬間、キリトは何が起きたのかを察した。夜空の剣の力は、広汎な空間からの神聖力を吸収することにある。そして、この世界に於ける最強のリソースは、決して太陽や大地からシステムに定められたとおりに供給される空間神聖力ではない。人の、心の力だ。祈りの、願いの、希望の力なのだ

 

 

「これで…最後だっ!!!」

 

 

無限に降り注ぎ続けると思われた星々の、最後のひとつが剣に吸い込まれる。そして、たった二つだけ地上から舞い上がってきた、金色と虹色の星が刀身に融けた、その刹那。キリトの夜空の剣が、数多の人々の想いを映して七色に輝いた。光は、柄から彼の腕へと流れ込み、体を満たしていく。星の光は左腕にも集まり、握られた青薔薇の剣もまた眩く煌めいてーーー

 

 

「う…おおおおおおおおおおっっっ!!!」

 

「LLLLLLLLL!!」

 

 

左の青薔薇を前に、右の夜空を後ろに構え、地面を蹴り飛ばしながらキリトは叫んだ。その眼前で、七本の刃を鋭利に尖らせたガブリエル・ミラーが、奇怪な咆哮を放つ。彼らの間合いに広がる距離はわずかなもので、フルスピードの突進は一秒にも満たなかった。そしてキリトは、かつてないほどの力に満たされた両腕で、最も修練し、最も頼った二刀剣技を放った

 

 

「ぜぇりゃあああああああっっっ!!!」

 

 

連続16回攻撃『スターバースト・ストリーム』。星の光に満たされた剣が、眩い軌跡を引きながら撃ち出されていく。 同時に、ガブリエルの六翼一刃が、全方向から襲い掛かってくる。光と虚無が立て続けに激突するたび、巨大な巨大な閃光と爆発が世界を震わせる

 

 

(速く…もっと、速くっ…!!)

 

「おおおおおーーーーーッ!!!」

 

「NULLLLLLLLL!!!」

 

 

キリトが咆哮しながら、意識と同化した体をどこまでも加速させ、二刀を振るう。ガブリエルも絶叫しながら七枚の刃を撃ち返してくる。十撃。十一撃。一撃を経る度に激突し、放出されるエネルギーが周囲の空間を飽和させ、稲妻となって轟く。十二撃。十三撃。キリトの胸の中にはもう、怒りも、憎しみも、殺意もない。全身に満ち溢れる膨大な祈りの力だけが、彼を動かしていた

 

 

「この世界の、」

 

ーーー十四撃

 

「人々の心の輝きを……!!」

 

ーーー十五撃

 

「受け取れ!ガブリエルッ!!!」

 

 

最終十六撃目は、ワンテンポ遅れるフルモーションの左上段斬りだった。ガブリエルの人ならざる双眸が、勝利を確信してかわずかに細められた。キリトが放った渾身の斬撃よりも一瞬速く、敵の右肩から伸びた黒翼が彼の左腕を付け根から切り飛ばした。光に満たされた腕が爆散し、空中に青薔薇の剣だけが宙を舞った

 

 

「ーーーーーッ!?!?!」

 

「フハハハハハハハハハッッッ!!無駄なことだ!私の飢えを!果てなき虚無を!光で満たそうなどと!その魂を一滴残さず吞み干し、喰らい尽くしてやろう!!!」

 

 

左腕を失った痛みにキリトが顔を歪ませた直後、高らかな哄笑とともに、ガブリエルの右手に握られた虚無の剣が、黒い稲妻を纏いながら振り下ろされた。しかして、その次の瞬間。パシッ!と頼もしい音が響き、二人の英雄の親友の両腕が、宙に漂う青薔薇の剣の柄を握った

 

 

『さぁ!今だよ、キリト!カミやん!』

 

「いくぜ!ユージオッ!キリトッ!」

 

「ありがとう!ユージオッ!カミやんッ!」

 

 

凄まじい炸裂音とともに、白と黒の閃光が炸裂した。青薔薇の剣が、虚無の刃をがっしりと受け止めている。剣を握るユージオが、亜麻色の髪を揺らして、二人の少年の名を呼んだ。ユージオの向こう側には、上条当麻が勝利を確信した微笑みと共に叫び、右拳を固く握って、左足を踏み出していた。異世界という隔たりを超えて、一人の親友で繋がった『ヒーロー』の顔を見て、『英雄』もまた弾けたように笑って叫び返した

 

 

「・・・いいぜ。この期に及んでテメェが、人の魂を喰い散らかして、アリスを、アンダーワールドの人を利用して、ふざけた目的を果たそうってんなら…まずはっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『「「その幻想をぶち殺す!!!」」』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上条の口からその言葉が紡がれ、最後には、三人の叫びが重なり合った。上条当麻の右拳がガブリエルの顔面に突き刺さった。そしてキリトは、十七撃目となる右上段斬りを、ガブリエルの左肩に渾身の力で叩き込んだ。漆黒の流体金属を飛散させながら深々とめり込んだ拳と、斬り込んだ夜空の剣と青薔薇の剣を満たす星の光の全てが、虹色の波動となってガブリエルの心臓に流れ込んだ

 

 

「NU…!?LLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLGGGGGGGGGGGGGGGGGG!?!?!?!!」

 

 

ガブリエル・ミラーは、自身の内側に広がる虚ろな深淵に、無限の色彩を持つエネルギーが大瀑布となって流れ落ちてくるのを感じた。ガブリエルの眼窩と口腔から長々と伸びる青紫色の光が、徐々にその色彩を崩し始め、汚れのない純白へと変遷した瞬間。ぴしっ、と微かな音が響き、虚無なる体にほんの小さな亀裂が走った。もう一本。さらにもう一本と増えていく亀裂からも、次々に白い光が溢れ出た

 

 

「GDXHJNWPIRLSECBVKMUOPFYQZAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!」

 

 

背中の六枚の翼が、根元から炎に包まれていく。闇を吐き出していた口許が大きく欠損し、肩や胸にも穴が開いた。ガブリエル・ミラーの全身のひび割れから四方八方に光の柱を伸びて、もはや言語にすらなっていない、金属音の周波数にも似た聞くに耐えない断末魔が漏れ出す。黒い大天使の全身が、くまなく白い亀裂に包まれて一瞬、内側へ向けて崩壊、収縮し。解放され。恐るべき規模の光の爆発が、螺旋を描いて遥か天まで駆け上った

 

 



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第82話 また会う日まで

 

「やったな、カミやん」

 

「あぁ」

 

 

立ちはだかった最後の敵を打ち倒した二人の少年は、互いに笑い合った。キリトは右手の一撫でで失われた左腕を再生させると、ユージオの残り香を漂わせながら宙に浮かぶ青薔薇を掴み取り、右手の夜空の剣と共に背中の鞘に納めた。それから彼は上条に向けて右拳を差し出すと、上条がそれに応えるように自分の右拳を打ち合わせた

 

 

「「どわあああああああ!?!?」」

 

「「「「「やったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」」」」」

 

 

そして次の瞬間には、二人の体は次々にのしかかってくる体重に押し潰された。アスナ、美琴、だけではない。シノン、リーファ、リズベット、シリカ、クライン、エギル、レンリ、ソルティリーナ、ロニエ、ティーゼと…とにかくキリトと上条に関わりを持った全員が、歓喜の叫びと共に雪崩のように覆いかぶさっていた

 

 

「重いわっ!嬉しいのは分かったからとりあえず全員退けゴラァァァ!!!」

 

 

上条が怒鳴り声で言うと、二人の少年にのしかかった全員が、はははと口々に笑い合いながら、笑い泣きと、感動によって瞳に浮かべた涙を拭き取って立ち上がっていった。しかし、その中でも二人の少女だけは、キリトと上条、それぞれの体を強く抱きしめて離さなかった

 

 

「キリト君、すごく、すごくカッコ良かったよ…みんなの想いを、願いを。綺麗な夜空に、自分の力に変えて…本当に…本当に……」

 

「アンタは、昔っから…本っ当に、バカなんだから…私の気持ちなんか知りもしないで、後先考えずに無茶して。でも、今回だけは…特別に、許してあげる……」

 

 

アスナは、堪えきれなくなった涙をキリトの胸で拭くように顔を埋め、美琴は優しい微笑みを浮かべながら、上条の肩に頭を預けていた。上条とキリトは横を向いて視線を合わせると、顔がニヤけそうになるのを我慢して、ほぼ同時に頬を掻いて恥ずかしげに笑い合った。そして彼らは、それぞれ自分を抱いている少女の体を優しく引き離すと、ゆっくりと立ち上がって周りの仲間へと言った

 

 

「みんな、本当にありがとう。俺とアスナやスグ達の世界の窮地に駆けつけてくれて。みんながいてくれなかったら、きっと俺は心を失ったまま、立ち上がれなかったと思う」

 

「俺もだ、みんな。元を正せば俺の不祥事だったってのに、多くのプレイヤーにまで呼びかけて来てくれた時は、嬉しくてたまらなかった。もちろん、今もそうだ」

 

「ほんじゃ、帰ったらALOで宴会やらなくっちゃあなぁ。もちろん、キリの字とカミの字の奢りで」

 

「おう、俺の店で盛大にやってやるぜ」

 

 

クラインとエギルに言われたキリトと上条は、揃って苦い顔をしたが、特に現実の財布事情が困るわけではない為、まぁそれくらいは…と渋々頷きかけたところに、リーファとシノンが言った

 

 

「はいはーい!それじゃあたし、お兄ちゃんにナノカーボン竹刀奢ってほしー!」

 

「お、おい冗談でもやめてくれスグ!あのよく分からん竹刀べらぼうに高いんだぞ!?」

 

「あっ、そうね。それなら私もカミやんに、いつか言ってた『学舎の園』のケーキでも奢ってもらおうかしら。男子禁制だから、お金だけくれれば私が勝手に買ってくるわよ」

 

「お金だけくれって!?それ奢りとか通り越してカツアゲなんですがシノンさん!?」

 

 

ついに現実の経済にまで影響を及ぼしてきた要求に、キリトと上条が泣き叫ぶと、またもみんなの明るい笑い声が続いた。そしてその場の全員が一頻り笑い終えると、御坂美琴がパン!と手を一つ叩いて言った

 

 

「さて、何はともあれ。まずはみんな元の世界に帰りましょう?今も果ての祭壇に向かってるアリスさんは、キリトさん達の世界に行くことになるんでしょうけど、私たちもお見送りくらいはしたいわ」

 

「あぁ、そうだな。みんな疲れてるだろうし、後は気ままにゆっくり行けばいいさ。言っても南の端までどんくらい距離あるか分かんねぇし、みんな疲れてるだろ。多分アリスも、俺たちの心意が収まったのが分かってるハズだ。アイツなら色々と察して、俺たちのことを待ってくれてるハズだ」

 

「あ、いいわねそれ。あたしも一目くらいはアリスって子を見てみたいし」

 

「えへへ、そうですね。私も帰ったらお友達に聞かせる飛びっきりのお土産話がほしいです」

 

 

上条が答えると、リズベットとシリカが続けて言った。それを機に、この場においては年長者であるエギルとクラインが、あぁ〜っ…という親父臭い声を漏らしつつ軽い伸びをして歩き出すと、女性陣も談笑しながら南へと歩き始めた。その背中を上条も追って歩き出そうとした時、キリトがこめかみに手を当てて立ち止まっているのが見えた

 

 

「え……あんたか、菊岡さん? システム・コンソールもないのにどうやって……」

 

「・・・あ?なんだキリト、ついに電波少年デビューか?」

 

 

キリトはどこか不思議そうな顔で、アンダーワールドの空を見上げながら喋っていた。その様子を見た上条が冗談交じりに訊ねたが、キリトはそれに答えることなく、ただずっと上空を見つめ、周囲のみんなには一切見えもせず、聞こえもしない対話の相手に頷き返していた

 

 

「うん。とりあえずはみんな無事だ。色々と込み入った事情は諸々増えたけど…なんとか片付いたよ。程なくしてそっちに……」

 

「む、無視ですかそうですか…なんだったら手遅れになる前に、カミやんさんの右手で打ち消して差し上げましょうか?」

 

「あぁ、あぁ…うん。大変なこと?急げって?一体なんのこ……え、ええっ!?」

 

 

変わらず上条の言葉を無視し続けていたキリトだったが、突如として上空を見上げる目をひん剥いて、何かに驚愕したように大声をあげた。その声に、南に向かって歩き始めていた一行が振り返ると、彼らもまた何事かと思い、不思議そうな表情でキリトを見つめていると、二刀の少年は一際強まった声と共に口を開いた

 

 

「解った、なんとかコンソールからの脱出を目指してみる!もちろん、アリスも連れていくからそのつもりで準備しといてくれ!心配するな、必ず戻るよ。それと、菊岡さん。半年前……いや、夕べは酷いことを言って悪かったな」

 

「・・・菊岡さん?」

 

 

一見して独り言のように見えるキリトの言葉の中に登場した、人の名前のような物に反応を示したのは、リーファだった。すると彼女は横にいたアスナと視線を合わせて頷き合うと、そろってキリトの元へと駆け付けた

 

 

「・・・あぁ。じゃあ、また10分後に向こうで会おう。菊岡さん」

 

「・・・キリトくん、菊岡さんから連絡があったの?何か、大変なこと…?」

 

「どうやらそうらしい。気ままにゆっくり行こうって言ってた手前だけど、もうグズグズしちゃいられなさそうだ。リアルワールドから来たみんな!聞いてくれ!」

 

 

その表情にどこか不安そうな色を滲ませながら訊ねてきたアスナに、キリトは深妙な面持ちで答えた。そして彼は、前方にいる日本人プレイヤー達に聞こえるように叫ぶと、彼ら全員の注目が集まったのを確認してから、再び口を開いた

 

 

「どうかまずは、落ち着いて聞いてほしい。今しがた俺の方に、このアンダーワールドを管理してる人から連絡があった。そう間もない内に、STLがFLA…時間加速機能を再開するらしい。でもそれは、俺たちの協力者に敵対する組織が仕掛けてきたものだ。断じて、意図的に時間を加速させようとしているんじゃない」

 

「そうなると、まずアミュスフィアでここに来ているみんなは、STLの時間加速機能に対応してないから、強制的にログアウトさせられることになる。だから悪いけど、みんなをアリスの見送りには連れて行けそうにない。時間加速までに残された時間は、もう10分しか残されていない。そんな短い時間で、ここにいる全員が果ての祭壇に辿り着くことは、多分できな……」

 

「ちょ、ちょっと待て!時間加速が再開すれば、現実の時間と辻褄が合わなくなるから、STLでログインしてる俺たちが、時間加速してる間はどうやってもログアウトできないってのは俺も分かってる!だけど、なんでキリトはそんなに重大そうに話すんだよ!?もうアンダーワールドに来た敵は全員倒したんだから、要するに後はその時間加速が終わるのを待つだけだろ!?ちょっとこっちに長居する時間が増えるだけだ!だったら……!」

 

「その長居する時間が問題なんだっ!!」

 

 

キリトの話を遮って詰め寄ってきた上条に対し、唯一これから起こる現象の重大さを知る少年は、彼よりも鬼気迫る表情で叫んだ。そんな自分の言葉に、上条が驚いて肩をびくりと浮かせるのを見たキリトは、申し訳なさそうに顔を曇らせたが、やがて深呼吸を一つしてから再び口を開いた

 

 

「ごめん、怒鳴るつもりはなかったんだ。そう言った手前、説得力はないだろうけど、どうか落ち着いて聞いてほしい。これから再開される時間加速は、ナマの人間の魂の寿命を考慮した上限の2000倍でも、内部が人工フラクトライトだけ、つまり外部からの観察が可能な上限の5000倍でもないんだ。それらを全て無視した、STLのハード的な限界…『限界加速フェーズ』が始まろうとしてる」

 

「き、キリト君…その限界加速フェーズの倍率って一体…?」

 

「・・・・・・500万倍」

 

 

終始重苦しい口調で説明に区切りをつけたキリトに訊ねたのは、同じくSTLでアンダーワールドにログインしているアスナだった。そして彼女の消え入るような声に答えたキリトの声もまた、か細く小さなものだった。しかし、その数字を聞き逃した者は、誰一人としておらず、STLでログインしている者も、そうでない者も、血の気が抜けたように顔が青ざめていった

 

 

「う、嘘でしょ!?500万倍の時間加速なんて、現実で1分経つ頃にはアンダーワールドで10年経つことになるわよ!?その限界加速フェーズが解除されて、私たちがログアウト出来るようになるまで、現実では後どれくらい時間が必要なの!?」

 

 

学園都市序列第三位に席を置く御坂美琴は、自身の能力に由来する驚異的な演算処理でその暗算を瞬時にこなした。そして、その認識のままに美琴が口早に聞くと、キリトはどこまでも落ち着き払った声で答えた

 

 

「・・・限界加速フェーズの開始まで、残り10分。STLの切断までにかかる時間が、最低でも30分…差し引き20分。つまり……」

 

「に、200年……!!」

 

 

またしても驚異的な速さでその暗算を終えた美琴は、その解答を呟くのと同時に、どうかその解答が何かの間違いであってほしいと願った。しかしそんな彼女にキリトが返したのは、ゆっくりと頷く動作だけだった。そんなやり取りを聞き、見た上条当麻は、瞳孔を激しく揺らして叫んだ

 

 

「おいおいおい!200年はヤベェって!?あと10分でこの世界から出れなかったら、俺たちは向こう200年、リアルから出禁くらうってことかよ!?そんなん聞いて落ち着いてられるか!早く、早く行こうぜ!?」

 

「この中でSTLを使ってログインしてるのは!?」

 

 

上条の慌てふためく声に続いて、周囲に集まっている全員に問いかけたのはアスナだった。彼女の問いかけに、美琴、リーファ、シノンと、三人の右手がほとんど同時に上がった。それを確認すると、アスナがキリトに指示を仰ぐように視線を向けると、キリトは黒い外套の裾を鋭く翻しながら言った

 

 

「よし、もう落ち着く必要も、別れを惜しむ必要もない。後10分、俺たち6人はとことん急いで、みんなとは後で必ず再会しよう!行くぞ!!」

 

 

瞬間、キリトの黒いコートは蝙蝠のソレに似た黒翼へと変化し、アスナとリーファの手を掴み取ると、翼で一度中空を叩いて上空に浮かび上がった。するとそれを見た上条は、慌てふためきながら叫んだ

 

 

「お、おいちょっと待てキリト!お前まで飛べるなんて聞いてねぇぞ!?」

 

「は?い、いや聞いてないって言われても…これはただの心意の応用だよ。ちょっとイメージすれば、カミやんにだって出来る」

 

「はぁ!?出来るわけねーだろうが!カミやんさんは現実じゃ無能力者なんだぞ!?」

 

「えぇっ!?だ、だってさっきまでカミやんも右手ぶんぶん振り回したり、高校の制服に着替えたりしてたじゃないか!それと同じことだって!」

 

「そりゃ出来るって思えるからイメージ出来るんだよ!そんなこと言われてすぐさま出来てたら俺だって好きで無能力者なんかやってねぇよ!!」

 

「あぁもう面倒臭いわねぇ!ほら!美琴もカミやんも私に捕まって!」

 

「おわぁっ!?」

 

 

彼らのやり取りが、そもそも時間の無駄だと感じたシノンが苛立ちを露わにした。そして乱暴に上条の左手と美琴の右手を取り、翼による飛行ではなく、ソルス・アカウントに付与された無制限飛行能力を行使し、二人の人間を抱えているとは思えないほど軽々と空に浮かび上がった

 

 

「よし!みんな準備はいいな!最大速度でぶっ飛ぶぞ!振り落とされるなよ!?」

 

 

そんなキリトの叫びの直後に、ドウッ!!という空気を叩く強烈な音が尾を引いて、STLでダイブした六人はあっという間に人界守備軍の衛士達や、日本人プレイヤーの視界から消えていった

 

 

「うおぉおぉおぉ!?ちょ、ちょっとシノンさんスピードダウン!!落ちる!マジで落ちるって!?」

 

「ひゃあ!?ちょっとカミやん!どさくさに紛れてどこ触ってんのよ変態!」

 

「てかスピード落とすわけないでしょアンタ馬鹿なの!?このまま内部で200年締め出し食らうかどうかの瀬戸際なんだから、シノンさんのスピードに振り落とされたらアンタだけ甘んじてここで200年過ごしなさい!!」

 

「ただでさえ約2年この世界で頑張ってきたカミやんさんにそれは酷すぎだと思うんですが!?」

 

 

ジェット機じみた速さでワールド・エンド・オールターへと飛行を続ける中、学園都市からログインしてきた三人は、実に騒がしく揉み合っていた。そんな彼らを横目で見ながら、キリト達はため息混じりに落ち着いた飛行を続けていた

 

 

「なんていうか、カミやん君って結局は最後までカミやん君だよね…。今回の事件だって、カミやん君がお兄ちゃんの世界から色々と知識を持ち出したからこうなったんでしょ?」

 

「ま、まぁそこは大目に見てあげようよ。結果的にカミやん君やミコトさん達が駆けつけてくれてなかったら、私達だってどうなってたか分からなかったんだから」

 

「ていうか、俺のことを目覚めさせる手助けをしてくれた白いシスターさんといい、カミやんの人脈って一体どうなってるんだ?中韓のVRMMOプレイヤーと戦ってた人達の戦い方なんて、もうアレALOの魔法ですら再現できないぞ」

 

「そんなに気になるんなら、今度はお兄ちゃんがカミやん君たちの世界の知識持ち出してみる?その後は知らないけど」

 

「え、遠慮しておきます……」

 

「あっ!なんか見えてきたぞ!アレがそうなんじゃないか!?」

 

 

自分の両手に捕まっている、リーファとアスナとキリトが苦笑混じりに談話を交わしていると、不意に上条が地平線の先に浮かび上がっている、宙空に佇む小さな浮島を指差しながら叫んだ

 

 

「・・・アリスの雨縁と、滝刳が麓にいる…よかった、アリスはもうたどり着いてるみたいだ!」

 

 

上条に言われるがまま、段々と近づいていく浮島に目を凝らすと、小さな点が二つ地上に鎮座しているのをキリトは見た。アンダーワールドの赤い日差しを、銀色に反射する鱗を持つその二つの点が、二匹の飛竜だと認識するや、彼は心の底から安堵の声を漏らした

 

 

「ねぇ!誰か体内時計に自信ある人いる!?今何分くらい経ったか分かる!?」

 

「んなの知るか!カップ麺作っててタイマーセットし忘れた時じゃあるまいし!とにかく走れえええぇぇぇ!!!」

 

 

美琴と上条が叫び合ったのを尻目に、ついに世界の最南端へと到着した六人は、感慨に耽る暇もなく地上から伸びる階段を無視して浮島へと飛び降りた。円形の浮島には、溢れんばかりに色とりどりの花が咲き乱れていた。花畑を貫いて白い石畳が延び、中央の神殿めいた建物へと続いている。その光景はまるで一幅の名画のようにも思えたが、上条の視界は、そんなものには目もくれず、神殿の奥にいる黄金の少女を見据えていた

 

 

「アリス!無事だったんだな!!」

 

「ッ!?カミやん!それに、キリト…よかった…ようやく目覚めたのですね…本当に、本当に……!」

 

 

背後から駆けてくる上条の声に振り向いたアリスは、彼に続く五人の少年少女達の中から、この半年ずっとそばにいた少年が、二本の足で走り、二本の剣を背負っている姿を見て、涙がこみ上げてくるのを我慢できなかった。しかし、当のキリトはそれを分かった上でアリスを完全に無視して、彼女の傍らに設置されている、この世界のシステム・コンソールである水晶板に手を掛けた

 

 

「悪いなアリス!感動の再会はまた今度だ!とりあえずは君を最優先でこの世界から叩き出す!」

 

「・・・え?ま、待ちなさいキリト!半年間付きっきりで看病した私に掛ける最初の一言がそれですか!?私が一体どれだけ心配したと思って……!」

 

「リアルでもう一回再会したら土下座でもなんでもいくらでも謝るって!それじゃ!」

 

「ちょっーーー!?」

 

 

そうして。キリトが無我夢中でキーボードを叩き終えた瞬間。実に呆気なく、世界初の真正ボトムアップ型人工知能、アリス・シンセシス・サーティはアンダーワールドを去った。そのあまりにも唐突すぎる別れに、彼女の代弁だと言わんばかりに上条は叫んだ

 

 

「お、おいキリト!?アリスをイジェクトするなら先に一言くれよ!?俺たちはもうこの先あのアリスと会えることなんかないんだから、色々と言っておきたかった事とかあったんだぞ!!」

 

「じゃあ後でアリスに伝えておくから、この場で俺に言ってくれ!準備できたらカミやん達もすぐにログアウトさせるぞ!」

 

「えっ!?そう、だな…え〜っと……」

 

 

言い残したいことがある、と言った手前だったが、上条は特にこれと言って何かメモ書きや、予め言いたいことを考えていた訳ではなかった。そして、キリトが水晶板を叩く電子音を耳にしながら、少し黙り込んで考えていると、不意に彼の肩を叩いて美琴が言った

 

 

「そんなの、改まって考えるまでもないでしょ?アンタ誰かと別れる時、いつもそんな気の利いたこと言おうとか思ってるわけ?」

 

「・・・ははっ、それもそうか」

 

 

気づけば、彼らを送り出す準備が整ったのか、キリトが水晶板を叩く手を止め、上条と美琴達の方へと振り返っていた。そして上条当麻は、ほんの少しの笑顔と共に、いつか来る『その時』を、少しも疑わずに言った

 

 

「『またな』って、そう言っておいてくれ」

 



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第83話 出題者:解答者

 

「・・・・・・・・・・ここは…?」

 

 

ふと、上条当麻は目蓋を持ち上げた。酷く殺風景な空間に、彼は立っていた。遮蔽物の一切ない、全てが真っ白に塗りつぶされた空間だった。青空や太陽はおろか、夜空や月もない。つまりそこは現実では存在し得ない、本当に目に映るものが白一色しかない場所だった

 

 

「中々に絶景だな」

 

 

そんな景色を前にして、上条の視線の先に一人佇む『男』は言った。身に纏った白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、上条にその背を向けている。ただ白いだけの景色を前にして、何が絶景なのか。そんな疑問を上条が抱く前に、彼の前を一つの泡玉が通り過ぎた。しかしそれはただ一言、泡玉と表現するよりも、子どもの吹くシャボン玉と呼ぶべき物だった

 

 

「・・・お前…」

 

 

シャボン玉の中にあった物を、上条当麻は見た。彩り鮮やかな魚たちが泳ぐ深海の世界を、そのシャボン玉は内包していた。まるで誰かの夢、遊び心をそのまま閉じ込めたようなシャボン玉は、気づけば周りに数え切れないほど浮かんでいた。その全てを感慨深く眺めて、絶景だと呟けるような『男』と言えば、もはや上条の記憶には一人しか残されていなかった

 

 

「茅場晶彦か?」

 

 

そう。殺風景な白い空間の中に浮かぶシャボン玉たちは、紛れもない彼の夢と遊び心…そして、人の織りなす可能性の数々だった。雄大な草原、燃え盛る火山地帯、澄み渡る青い海原、妖精の踊る神話の空、銃弾の飛び交う荒野、そして…数多の剣が生きた鋼鉄の城。即ち、これまでの仮想世界と、これから生まれゆく仮想世界の『種子』。その真ん中で、白衣の男は上条の声に振り向いた

 

 

「君にとっては久しぶりなのかな、上条当麻君。もっとも、僕にとっては初めましてだが」

 

 

その男、茅場晶彦と呼ばれた男は、含みのある微笑と台詞を口にした。上条はその一言で全てを理解した。剣の世界で出会い、戦い、自分よりも強大な敵を前にしても、自分の矜持を捨てずに立ち向かった男がいた。自分にとっても相手にとっても、忘れるはずがないのに、目の前の茅場晶彦は自分とは初対面だと言う。ならば、彼という存在に残された可能性は……

 

 

「・・・そうか。お前は茅場晶彦でも、俺たちの世界のSAOじゃなく、キリト達の世界のSAOを作った……」

 

「その通り。最もここにいる私は、既に実際の生命を持たず、一つのデジタルデータとして仮想世界やネットの波を彷徨う、いわば亡霊のようなものだ」

 

 

上条の推察を肯定した後、茅場は肩を竦めながら自嘲するような口振りで言った。いくらか物腰柔らかな雰囲気こそあるが、自分の知る茅場晶彦とは違う彼という人間が、本当はどういう人間なのか上条には分かっている。だからこそ上条は、声色を強張らせながら茅場に言った

 

 

「・・・で?そのネットゾンビが一体俺に何の用事があって呼び止めたんだ?俺は今帰る途中なんだ、邪魔するようならぶん殴ってでもテメェの先へ行くぞ」

 

 

上条当麻の世界のSAOにいた、アレイスターの思惑に踊らされつつも、最後には自分の背中を押してくれた茅場晶彦ではない。自分の意思でデスゲームを作り出した開発者。およそ4000人を死に追いやった殺人鬼。例えそこにいかな理由があれど、上条は自分の知る茅場晶彦と、目の前にいる茅場晶彦を同列に見ることは出来なかった

 

 

「いや、君が身構えるような物騒な用事があるわけではないよ。ただ一度、君と話がしてみたいと思っていたんだ。そう時間は取らせないよ」

 

「俺は別に、お前に話すべきことに別段の心当たりがあるわけでもねぇ。むしろ、アンタが呼び止めるべき、話をすべきなのはキリトの方だろ。贖罪か土下座でもしたいってんなら、喜んでその襟首引っ掴んでアイツの前に引きずって行ってやる」

 

「・・・あぁ、それについては重々承知しているよ。その為の誠意は、きちんとこの後で見せるつもりだ。しかしその前に、私はどうしても、異なる二つの世界から織りなされる仮想世界を歩いてきた君に、聞いてみたいことがある」

 

 

しかし、上条は決して今の自分をよく見ていないことを、僅かなやり取りの中で、茅場もまた理解していた。故に彼は、今度は自嘲も含みのある言葉も口にしなかった。デジタルデータとしてではく、仮想世界を真に理解しようとする一人の人間として、茅場晶彦は上条当麻と向かい合い、言った

 

 

「・・・分かったよ。最初から何でも決めつけてかかるのは良くねぇよな。まぁ、お前が納得のいく解答を俺が言えるかどうかは保証できねぇけど、それでもいいなら聞けよ」

 

「ありがとう。恩に着るよ」

 

 

そんな茅場の精一杯の誠意を見て、根負けと言うよりかは、自分にも非があったことを省みながら、彼の言葉を深い呼吸と共に飲み下し、後ろ頭を掻きつつ上条は言った。すると茅場は、短いお礼のすぐ後に、周囲に浮かぶ仮想世界達を眺めながら、上条に問い掛けた

 

 

「上条君は、仮想世界とはなんだと思う?この世界が存在する理由、この世界を人が求める理由。そしてこの世界はこれから先、何を求められ、どう変わっていき、いかに在るべきなのか。それを君がどう思っているのかについて、私は知りたい」

 

「・・・仮想世界とは何か…仮想世界はこれからどう在るべきか…か。似たようなことを、いつかキリトにも聞かれたな。そん時ははぐらかしちまったけど」

 

 

上条にとって、茅場の投げかけた質問が、酷く抽象的に感じたことは、言うまでもない。それは元より解答の用意されていない問題なのもまた、言うまでもない。現に、上条よりもよっぽど仮想世界に理解のあるキリトや茅場ですらも、同じ疑問を抱えているのだ。しかしそれは、自分が解答を持っていなくていい理由にはならない

 

 

「・・・最初に断っておく。俺は俺が関わった茅場も、目の前にいるお前も、やっていいこと、正しいことをしたとは思わない。自分以外の誰かの悪意が関わっていようが、何にも変えられない自分の意志や願い、胸を張れるだけの解答を求めていた、なんて理由があったとしても、誰かの命や魂を弄ぶような真似をしていいワケがない。そこに仮想世界や、現実世界なんて舞台は関係ねぇ」

 

 

だから上条当麻は、数多の仮想世界を渡り歩き、様々な人と関わりながら、言葉にできるだけの解答を、自分の心に見つけた。ならば後は、それを突き通すだけだ。きっとその第一歩が、この茅場晶彦との対話なのだと、上条当麻は理解していた

 

 

「だけど、それは俺も同じだった。何が正しくて、何が間違ってるかなんて、誰にも分からない。アンダーワールドで戦う中で、考えさせられた。俺のやってきたことは、とても手放しには褒められたモンじゃない。今日までの俺に足りなかったのは、自分の中にある選択肢と、後悔の残らない答えだったんだ」

 

「今までそんなことも分からないどころか、考えようともしなかった程には、俺はバカだからな。こんな大それた悩みなんか、解消できるわけがなかった」

 

 

今度は反対に、上条の方が自嘲するようにため息を吐き出す。そんな彼の様子を見ながら、茅場はただ黙って聞き入っていた。けれどその瞬間、上条の口調は柔らかく変わり、その口元には微笑みが浮かんだ

 

 

「だけどそんな俺を助けてくれたのは、今まで出会ってきた皆だった。親しい仲間とか、現実世界だけじゃない。仮想世界で出会ったプレイヤーの皆や、VRMMOのNPC、アンダーワールドの人工フラクトライト達。俺が関わってきた全ての人が、教えてくれた」

 

 

白い背景の中に浮かぶいくつもの種子を、上条当麻は仰いだ。限られた視界の中に広がった、無数の可能性の中に、自分の右手を掲げる。その右手が守ってきたものに変わりはないが、とても全てが収まりそうにはない。故に、収まり切らないからこそ、その右手が持つ力では打ち消しきれないからこそ、上条当麻の魂に伝わってくるものがあったのだ

 

 

「何も悩むことなんかなかったんだよ。一人で全部背負わなくても、一人で答えを探す必要もなかったんだ。それがたとえ世界にとっては間違いだとしても、自分のため、誰かの為になるなら、立ち上がっていいんだ。答えや結果なんてものは、その後で勝手に付いてくる。それが俺にとっては今日だったってだけでさ」

 

「答えや選択肢なんて、どれだけあってもいいんだ。現実世界に生きる人としての答え、仮想世界に生きるプレイヤーとしての選択肢、その全てが正解なんだよ。だってそこには、必ず誰かの意志が、誰かと繋がっていられる嬉しさが、きっとあるはずだからな」

 

「だったら、そんな選択肢や解答、可能性の一つとして、遠く離れた場所、違った世界に生きる人やプレイヤー、アリスみたいな新しい存在を繋ぐ架け橋として、仮想世界っていう場所が、これからも在るべきなんだと、俺は思う」

 

 

そして、上条当麻の解答は締め括られた。言ってて少し恥ずかしくなったのか、上条は掲げていた右手を下げて、痒くもない鼻頭を擦った。けれど、恥ずかしいというよりは、照れているようだった。その表情には、晴れやかで暖かな、多くの人の幸せが染み渡っているかのような笑顔があった。今まで不幸だったが故に、そんな顔をするのが慣れていないだけのことだった

 

 

「・・・選択肢や解答、可能性の一つ…か」

 

「ま、お前もそんな小難しいことばっか考えたり、肩肘張ったりせずに、もっと気楽にやった方がいいと思うぜ。VRMMOないし、ゲームは楽しくやらなくっちゃな。下手に命なんか賭けずに、昼飯のおかず、放課後のジュース一本、好きな人にどっちが先に告白するかとか…何かを賭けるってんなら、それくらいが丁度いい」

 

「ふっ…中々どうして私への皮肉は鋭いな。君という人は」

 

 

肩の力を抜き、一つ息を置いて上条が言うと、茅場はまるで彼とは旧知の仲であるかのように、鼻先で笑って呟いた。そんなやり取りがどこか不思議に思えたのか、上条は意識よりも先にもう一度進んで口を開いた

 

 

「だけど、奇妙なモンだな。選択肢や可能性なんていくらでもあるなんて言った手前、お前はどっちの世界でも変わらずにSAO作って、プレイヤーだった俺たちの前に出てくるなんて…やっぱキリトの世界にも、どっかに隠れてるだけで、魔術師の暗躍とか、学園都市の建設計画とか、極秘で能力開発とか進んでるんじゃねぇのか?」

 

「ははっ、いやないよ。君の言葉を借りるなら、そもそも世界なんて幾つでもあって、その中の二つを見てみたら、たまたま私という人間は似通っていただけかもしれない。ひょっとしたら私の生きていた現実にも、右手になんの力も持たない、正真正銘どこにでもいる平凡な少年の君が。そして君の住む現実にも、黒の英雄になることがなかった、普通の少年として過ごしている『鳴坂和人』君がいるかもしれない」

 

「・・・?鳴坂和人…?誰だそれ?」

 

「気にしないでくれ。こちらの話だ」

 

 

もはや上条には知る由もない誰かの名前を意味深に告げた茅場は、少しだけ面白そうに口許に笑みを浮かべた。そしてその表情が戻った頃に、茅場は白一面の背景に溶けていくように白衣を翻した

 

 

「さて、私はもう行くよ。やり残したことがあるのでね。願わくば、上条君の世界に生まれ落ちる仮想世界が、多くの人々で賑わい、アリスのようないずれ生まれゆく新たな存在とを繋ぎ、更なる夢と希望を与え、その未来が色付いていくことを、電子の波を彷徨う亡霊として…影ながら祈っているよ」

 

「・・・あぁ。俺もそんな世界が実現できるように、これから頑張っていくよ」

 

 

言って、上条もまた踵を返した。向かい合ったのは出題者の白衣と、解答者の学ランだけだった。もう二度と出会うことはないであろう二人の視線の先には、それぞれにしか見えない景色と世界が、待っている

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「気分はどうだい?」

 

「・・・まぁ、ボチボチですかね」

 

「そう言える程度には元気だと受け取っておくよ」

 

 

目覚めた時、上条の意識に最初に潜り込んできたのは、猛烈な倦怠感と、開け放たれた窓から差し込む朝焼け。そして、見慣れた病院の天井だった。もはや昔は常連になりつつあった病室のベッドの横に立っていたのは、2年越しに顔を見るが故に懐かしさすら覚えるカエル顔の医者だった

 

 

「えっと…美琴と詩乃はいないんですか?聞くところによると、アイツらもこの病院からアンダーワールドにログインしたって……」

 

「貴様が彼女たちと一緒に起きれるわけないでしょ。健康体そのもので入ったあの二人と違って、貴様は撃たれた状態でSTLに頭突っ込んでたんだから」

 

「・・・吹寄…」

 

 

その声を聞いてから、上条は冥土帰しの隣に、今自分が病院にいるそもそもの原因を作った少女が座っていたことに気づいた。吹寄は口調こそどこか皮肉めいたものがあったが、その顔は上条に取るべき態度を見失っているかのように暗く、唇の端を絞りながら俯いていた

 

 

「・・・ごめんなさい、上条。私は自分のしたことがいかに愚かで最低だったか、もう分かってるわ」

 

「僕もだ、上条当麻君。どれだけの理由と大義名分があったとしても、君個人の意志を尊重しないにもほどがあったね。最悪の場合、僕の患者の一人でもある君の命を、失ってしまうところだった。全ては僕の浅はかさと、認識の甘さの問題だね。心から謝罪させてほしい」

 

 

吹寄が俯いていた顔を、それこそ膝にくっつくほど下げて謝罪の言葉を述べると、続いて冥土帰しも自分の非を口にして深々と頭を下げた。二人からいっぺんに頭を下げられた上条はどうにもいたたまれなくなり、まだ起き抜けで重だるい上体をなんとか起こし、少し震える口をどうにか動かして言った

 

 

「や、やめてくれよ…そんな先生まで。事情は大方、美琴あたりから聞いてるんでしょう?結局アリスはこっちには連れて来れなかったし、なんだったら今回の件は、最初にキリトの世界からSTLの技術を学究会でひけらかした俺に責任があるんだ。だから二人が俺に謝ってもらう必要なんてどこにも……」

 

「だけどっ!!!」

 

 

病院内であるにも関わらず、吹寄は声を荒げた。彼女の急な叫び声に上条が思わず肩を浮かせていると、次の瞬間には泣き腫らして目元を真っ赤にした顔を上げた吹寄が、まるで自分の心を締め付けるように、胸元で拳を握りしめたまま上条に言った

 

 

 

「私は御坂さんに、貴様が…上条が、許すまで謝ってくれって言われた。彼女にも言ったけど、そこにどんな経緯があれ、私が上条を撃ったことに変わりはないし、これだけのことをしておいて、今さら許してくれなんて虫のいいことを言うつもりはない。だから、私に出来ることなんて…もう、謝ることくらい…しか……」

 

「・・・あ〜…まぁ確かに言われてみりゃ、まぁまぁ痛かったなぁ。そりゃあ吹寄さんだって撃ちたくはなかったんでしょうけども?なんせ上条さんは二発も撃たれてるわけで、一発は俺にも責任があるから見逃すとしても、二発目はちょっと考えるよなぁ〜」

 

「ご、ごめ……」

 

「だからさ。二発目も帳消しにできるだけの、俺のワガママを聞いてくれねぇかな?」

 

「・・・ぇ?」

 

 

実にしおらしく涙を溢れさせながら謝る吹寄に、上条は何を思ったのか少し間を置いて後頭を掻きながらら少し大きめのため息を吐き出すと、わざとらしい口調で言った。彼の言葉に吹寄が、もはや泣き過ぎてカラカラになった喉をどうにか鳴らしてもう一度謝ろうとすると、その言葉が口から出る前に彼女の頭を優しく撫でながら上条が笑って言った

 

 

「色々あってさ、高校の同窓会やりたくなったんだよ。だけど俺、高校生活ほとんど寝たきりだったから、みんなの連絡先とか全然知らなくてさ。だから吹寄が、同窓会の幹事やってくれよ」

 

「ーーー!!!」

 

「もちろん、俺の分のお代は吹寄持ちでな」

 

「・・・うん…うん。ありがと、本当に…ありがとう、上条…!」

 

 

へへっ、と。上条は悪戯っぽく笑うと、吹寄の目元の涙を掬って、もう一つだけワガママを付け加えた。そして、あくまでも自分を許そうとしてくれる彼の優しさに、吹寄は胸がいっぱいになってしまった

 

 

「それと先生。先生を悩ませてる脳腫瘍ってのが、どんな具合なのか俺には分からない。だけどいくら自分の腕に自信があるからって、自分で手術できないのを理由に諦めるのは良くねぇよ。たまには先生が患者になるのだって悪くない。その後の先生には、助けられる患者が山ほどいると思う」

 

「・・・・・なっはっは。まさか自分の患者に諭される日が来るとはねぇ。だけどもし、そうすることで君の許しが得られるというのなら、僕も僕なりに、最後まで足掻いてみることにするんだね」

 

 

吹寄から視線を移した上条が言うと、微笑みとも苦笑いとも取れる表情を浮かべながら、冥土帰しは件の脳腫瘍がある頭を、数多の患者を救ってきた右手でコツンと叩いた

 

 

「はぁ〜…しかし、時間加速したりしなかったりはあっても、アンダーワールドに約二年間いたのが、現実だと一週間とちょっとか。いやぁ、こんなことなら少しくらい向こうで勉強して帰ってくれば良かったなぁ。そしたら今ごろ、大学の課題なんて屁でもないくらい頭良くなって帰ってこれたのかもしれないってのに」

 

「・・・えっと…その大学の話なんだけどね上条。実はもう一つ、謝らないといけないことがあって……」

 

 

自分の思うところを全て吐き出し、現実にして一週間の寝たきり生活ですっかり鈍った体を伸ばすと、最後に現実の記憶がある月日からページの変わっていないカレンダーを見て、上条は少しばかりの愚痴を口にした。しかしそんな彼らしい軽い愚痴を聞いた吹寄は、『大学』という単語にピクリと反応した後に、実にバツが悪そうに口を開いた

 

 

「あ?なんだよ、別にもう何が起きてもそんな気にしねぇぜ俺は」

 

「え、えっとね。その…大学の講義の出席について…私もここ最近はずっとこの病院に缶詰めになってたから、友達とか色んなツテに頼んで、私の分と上条の分の出席を代返してもらってたんだけど…」

 

「えっ!マジかよ!?やった!そこに関しちゃあアンダーワールドにいる途中で気付いたけど、正直諦めてたんだ!助かったぜ!」

 

「う、ううん。むしろ代返してたことに問題があって……」

 

「・・・ん?」

 

 

両手の人差し指の先端を合わせ、視線を泳がせながらモジモジと話す吹寄の話す事情に、「大学生の大多数がやっているであろう代返に何の問題があるのか」とでも言うように上条が首を傾げていると、吹寄の表情が明確な苦笑いに変化した

 

 

「学究会の発表の後の質問事項って、発表者が多いから後日メールで本人に聞けって対応だったじゃない?それでまぁ、実際に発表した後の出席者の反応を見てる貴様なら言わずもがななんだろうけど、それはもう大量に学生はおろか先生からも質問のメールが届いたのよ。まぁでも、そんなの返信できるワケないわよね。上条はこの一週間、手術して病床につくのを片手間に、アンダーワールドに行ったんであって」

 

「・・・・・・・・・」

 

「だけどそれは、私たちが事の顛末を完壁に隠蔽した後のことなのよ。表向きだと上条は今も元気に大学に通ってることになってるわけ…だってのに何日か経っても質問の返事が来ないことについて、続々と関係各所から苦情が来たらしくて…私もこの病院でするべき後片付けが終わって、大学にちゃんと通い始めた昨日、大学が上条の大捜索をしてるって話を聞いたの…」

 

「・・・・・・うふ」

 

「それで、そんなの上条が履修してる科目調べて、出席見れば一発で見つかるでしょ?そしたら代返の効果もよろしく、ちゃんと出席した事になってるのに、本人の姿は大学内に影も形もない……」

 

「うふ、うふふ…うふふふ……!!」

 

 

もはや吹寄に言われるまでもなく、その話の展開どころかオチすらも容易に想像できた上条は、唇の端を痙攣させながら、不気味さの中に悲壮感が漂う笑いを漏らしいた。そしてそんな彼の予想したオチの通りに、吹寄の怪談は最高潮を迎えた

 

 

「さぁ、これは流石にヤバいと思った私は、内心悪いとは思いながらも、この病院にいる御坂さんの妹さんの協力を仰いで、大学のシステムをハッキングして上条が大学のパソコンで使ってるアドレスのメールBOXを開いたの。するとその先頭には、他校の生徒の質問で使われているであろう見慣れないアドレスではなく、大学のアドレスからのメールがあったの。何でかしらと思ってメールを開いてみると、そこには……」

 

「『上条君へ。このメッセージを読んだら、すぐに学長室へ来なさい。然るべき弁明をしてもらった後に、然るべき処分が君を待っています』…って…」

 

「不幸だーーーっ!!!」

 

 

こうして。現実世界に戻ってきた上条当麻は、元気いっぱいにお約束の悲鳴を上げた。その後彼は、理事長や学長を始めとした大学の重鎮たちにこってりと絞られるも、大学内で起こった金本敦との悶着を盛りに盛り、冥土帰しに偽造してもらった入院履歴を証拠に、どうにかして事態を誤魔化そうと奔走するのだった

 



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第84話 人間

 

『ですからね、どれほど本物に近づこうとも、偽物が本物になることは永遠にないんですよ。中世の錬金術と同じようなもんです。鉄や銅をどれだけ煮たり焼いたりしたところで、絶対に金にはならんのですよ!』

 

 

上条当麻がアンダーワールドから帰還して1ヶ月が過ぎた。その月の最初の日曜日、彼と同じく学園都市内に住まうパーティー仲間は、学園都市の第五学区ではなく、ALO内の央都アルンにてエギルが経営する『ダイシーカフェ』に集まっていた

 

 

『ですが先生。事前のプレスリリースによればですね、人間の脳の構造そのものの再現に成功したと……』

 

 

そんな彼らが視線を注ぎ込んでいるのは、リーファが用意したウィンドウに映し出された、彼女の住む世界で生放送されているお昼のワイドショーだった。上条達の住む世界ではまず見ることの出来ないテレビ番組に出演するレポーターないし、名前も聞いたことのないコメンテーターや識者達は、概ね否定的なトーンで議論を交わしていた

 

 

『それが無理だと言ってるんです!いいですか、私たちの脳には、百億以上、下手するとそれ以上の脳細胞があるんですよ?それを機械やコンピュータ・プログラムで再現するなんて、できると思います?思いますか?どう考えたって無理でしょう!』

 

「・・・けっ。見もしねぇうちから分かったようなこと言いやがら」

 

「えっ。分かんのかクライン?そもそも俺にはコイツらが何言ってんのかサッパリだ」

 

「アンタは当事者も当事者だったんだから少しは理解しようとしなさいよ……」

 

 

店主エギルの前にあるカウンターに座り、テレビに映る識者に向かって毒づいたのは、昼間からジントニックを片手にした火妖精のクラインだ。そんなクラインの隣に座る影妖精の上条が彼の言葉に感心していると、むしろ上条の関心のなさに、水妖精特有の水色の髪が伸びる頭を抱えて美琴が言った

 

 

「しょうがないわよ。実際この目で見たあたしだって、未だに信じられない気分なんだから。あの人たちが人工知能で、あの世界がサーバーの中の仮想世界だった…なんて」

 

「本当よね。空気の匂いとか地面の質感とか、ヘタすると現実以上に現実だったもの」

 

「それは、えっと…STLでしたっけ?でダイブしたシノンさんとリーファさん、カミやんさんとミコトさんだけの特権ですよー。アミュスフィアを使ってた私たちには、少なくともフィールドやオブジェクトはなんの変哲もないポリゴングラフィックでしたよ」

 

「だが、アンダーワールド人達がただのNPCじゃないことについては、誰も異論ねぇだろ?」

 

 

上条達のいるカウンターから少し離れた円卓のテーブルに座る鍛治妖精のリズベットが言うと、猫妖精に扮した二人の少女、シノンとシリカも続いて口を開いた。そして彼女らの談義を、土妖精にしてダイシー・カフェの店主であるエギルが取りまとめたところで、風妖精の姿となって彼女自身が住む現実のテレビを見つめるリーファに上条が声をかけた

 

 

「ところでリーファ、キリトとアスナは来てねえのか?もうあれから一ヶ月経ったんだし、色々と片付けなきゃいけないことも終わったろ?」

 

「うん。ALOにはログインしてないだけで、お兄ちゃんもアスナさんもとっくにオーシャン・タートルからは戻ってきてるよ。今日ここにいないのも、ちゃんと自分たちの目で見ておきたいから、って言ってた」

 

「そうだったのか…なんか悪いな。別にリーファだって、無理して俺たちに付き合わずに、現実で見てても良かったんだぜ?」

 

「いいのいいの。こんなの一人で見てたってつまんないし。それに実際、カミやん君達だって気になってたでしょ?」

 

「そりゃあな。だけど、このワイドショー見る価値がそこまであるかは分からねぇな。どうせアリスのフラクトライトが『駆動鎧』とまではいかなくとも、合金製の機械に入って出てくるのなんざ見たところで……」

 

『あっ、どうやら会見が始まるようです!それでは画面をメディアセンターからの中継に戻します!』

 

 

ワイドショーの司会者の言葉に、上条とリーファを始め、店内の仲間がしんと静まり返った。テレビの映像が、ワイドショーのスタジオからフラッシュの光が瞬く記者会見場の中継に切り替わると、彼らはかつて懸命に守ったものが、ついに一般公開されるその瞬間を固唾を飲んで待ち受けた

 

 

『・・・・・失礼致します』

 

 

記者会見場の扉を開ける音とほぼ同時に言った女性は、落ち着いた印象を受ける、パンツスーツ姿をした20代半ばの女性だった。カッ、カッというヒールの音を何度か響かせ、何十本ものマイクが並ぶ演壇の前で立ち止まった女性の前には『海洋資源探査研究機構 神代凛子博士』というネームプレートが置かれていた

 

 

「あの人が神代博士ね…確か、アスナさんがキリトさんを追ってオーシャン・タートルに侵入した時の協力者だったのよね?」

 

「はい。ついでに言うと、私たちの世界の茅場晶彦の元恋人らしいです」

 

 

美琴とリーファの話題に上がったのと同時に、テレビに映る神代博士は堂々たる態度で会釈すると、広大な会場を埋め尽くすテレビカメラやスチルカメラの放つ光の洪水に目を細めながらも、一つ咳払いを置いて落ち着き払った声で話し始めた

 

 

『本日はお忙しい中、お集まり頂きましてありがとうございます。本日、当機構は恐らく世界で初となる、真正人工汎用知能の誕生を発表させて頂きます』

 

 

いきなり主題に切り込む言葉に、会場が大きく騒めいた。しかし神代博士はそれに全く動じる事なく涼しい顔で左手を持ち上げ、ステージの上手を差し示した

 

 

『それでは紹介致します。・・・アリス』

 

 

期待と疑念に満ちた視線が集まる中、銀色のステージパネルの陰から姿を現したのは……金色に輝く長い髪。雪よりも白い肌。すらりとした手足と細い体を紺色のブレザーに包んだ、一人の少女だった

 

 

「え、ええっ!?」

 

 

アリスと紹介された少女の姿を見た上条は、驚愕すると同時に、自分の目を疑った。自分がアンダーワールドで共に戦ったアリスは、いくら秀でた人工知能だとはいえ、仮想世界でしか体を持たない存在のハズ。てっきり機械仕掛けの入れ物に知能を植えられた、仰々しいロボットが出てくるものだと彼は思っていた

 

 

「う、嘘でしょ…?本当にアリスさんの姿形そのものじゃない……」

 

 

しかしそう思っていたのは上条だけではなく、彼女を見た美琴も思わず声を漏らし、カフェの中にいる全員の視線が奪われた。そんな彼らの予想とは裏腹に、アリス・シンセシス・サーティの生き写しとでも言うべき姿で現れた人工知能は、中継映像が白飛びするほどのフラッシュが焚かれる中、お辞儀どころか記者席に顔を向けようともせず、昂然と背筋を伸ばしたまま歩いた

 

 

『・・・・・失礼致します』

 

 

一言置いて演壇に立つや、少女はくるりと体を回した。翻った金髪が、スポットライトを浴びて眩く煌めく。無言で記者席を見下ろす少女の瞳は、透き通るようなブルーだった。西洋人とも東洋人とも言い切れない、ある種凄みさえある美貌に、会場が徐々に静まり返っていく。それが生身の人間の容貌ではないことを、会場にいる全ての人間と、中継を見る無数の視聴者は直感的に悟った

 

微細なモーター音がすることから鑑みるに、金属の骨格をシリコンの皮膚で覆ったロボットであることに間違いはない。似たようなタイプの女性型ロボットなら、上条達が住む科学の最先端を行く学園都市はおろか、キリトたちのいる世界ですらいくらでも見ることができる。しかしながら先刻の滑らかすぎる歩行と、完璧な姿勢制御に加えて、金髪の少女から放たれる何かが人間たちに言い知れぬ衝撃を与え、長い沈黙をもたらした

 

 

『・・・リアルワールドの皆さん、初めまして』

 

 

ややもすれば、それは青い瞳の奥に秘められた、深い輝きのせいかもしれなかった。単なる光学レンズには絶対に宿らない、知性の光。それを目の当たりにした記者席の人間が完全に静まり返ると、金色の少女は仄かな微笑みを浮かべて口を開くと、続いて奇妙な仕草を見せた

 

 

(あ、騎士礼……)

 

 

央都セントリアの修剣学院でその仕草を習った上条だけが、アリスの取った行動を理解していた。軽く握った右拳を水平にして左胸に触れさせ、ゆるく開いた左手を、まるで不可視の剣の柄に添えるように左腰にあてがいながら一礼。さっと両手と上体を戻し、肩にかかる金髪を背中に払うと、清冽さの中にも甘さの漂うクリアな声が淡い桜色の唇から零れ落ち、会場のスピーカーと無数のテレビから流れた

 

 

『私の名前はアリス。アリス・シンセシス・サーティです』

 

 

そして、テレビ画面の向こうにいるアリスと神代博士は、演壇の後ろの椅子に着席した。するとアリスの前にも[A.L.I.C.E 2026ーアリス・シンセシス・サーティ]というネームプレートが自動で起き上がった

 

 

「なんだぁ?あの服…どっかの学校の制服か?」

 

「はい。お兄ちゃんが通ってるSAO帰還者学校に通ってる生徒の制服で、人界守備軍の救援に来てくれた皆さんと同じ騎士団の服がいいって、本人が希望したんです。まぁ第一希望は、向こうで着てたのと同じ純金のアーマーだったみたいですけど」

 

「んなもん着て出てこられた日にゃ、みんな怖がってロクすっぽ質問なんかできねぇよ」

 

 

アリスの服装を見たクラインが呟くと、兄と同じ制服に袖を通したアリスの姿に、少し感慨深くなったリーファが言った。そして未だに彼女の似姿を映すテレビに実感が湧かない上条が頬杖を突いて言うと、カフェ内に和やかな笑い声が生まれた

 

 

「それにしても、凄い再現度だわ。私、アンダーワールドで彼女と少しだけ話したけど、画面越しだとほとんど違いが……」

 

『それでは、少々例外的ではありますが、まず質疑応答から始めさせて頂きたいと思います』

 

 

シノンがそこまで呟いた時、テレビ画面内の神代博士が口を開いた。質疑応答から始まる、という段取りは事前に通知されていたようで、たちまち記者席から無数の手が上がる。最初に指名されたのは、大手新聞社の名札を首元から提げた男性の記者だった

 

 

『え〜…まず基本的なことから質問いたしますが、アリス……さんは、プログラムに制御された既存のロボットとは、具体的にどのような点が異なるのですか?』

 

『この会見では、アリスの物理的な外見は重要な問題ではありません。彼女の脳……あえて脳と呼ばせていただきますが、頭蓋内に格納される光子脳に宿る意識は、バイナリコードに置換可能なプログラムではなく、私たち人間のそれと本質的に同じ存在なのです。そこが、既存のロボットとは絶対的に異なる点です』

 

「これ日本語でおk?」

 

「アンタちょっと黙ってなさい」

 

 

男性記者からの質問に神代博士が答えると、脳内が一瞬の内に「???」で埋め尽くされた上条がテレビ画面を指差して言った。そんな彼に付き合い切れずに美琴が釘を刺すようにツッコんでいると、男性記者が小さく相槌のような息をした後でもう一度訊ねた

 

 

『は、はぁ…では、それを私たちや視聴者に、可能な限り分かりやすい形で示していただきたいのですが……』

 

『チューリング・テストの結果は、お手元の資料に記載されていますが』

 

『いえその、そうではなくですね。たとえば、アタマ……頭蓋を開いて、内部の光子脳というものを、直接見せて頂けたらと』

 

 

男性記者の質疑に、記者会見場で実際に答えていた神代博士はおろか、その中継を見ている上条達ですらも顔を顰めた。そして厳しい表情になった神代博士が記者に向けて言い返すより先に、アリスがにこりと自然な笑みを浮かべつつ答えた

 

 

『えぇ、構いませんよ。しかしその前に、あなた自身も、ロボットではないということを証明してくださいませんか?』

 

『・・・えっ?も、もちろん私は人間ですが…証明と言われても……』

 

『簡単です。頭蓋を開いて、あなたの脳を見せて下さい、と言っているのです』

 

「う、おぉ…アリスのやつ、ありゃ相当トサカにキてんな」

 

「あぁ、あの記者命拾いしたな。もしアリスの手元に金木犀の剣があったら、今ごろ頭かっ開くどころか全身バラバラだったろうぜ」

 

 

記者を威圧するようなアリスの言葉に、クラインが身震いしていると、上条は肩を竦めつつ笑った。テレビ画面に映る記者よりも、よっぽど彼女の凜々しくも苛烈な性格を知っている、ダイシー・カフェに集まったプレイヤーからすれば、彼女の返答には爽快感に近いものがあった

 

 

『・・・では、神代博士にお訊きします。既に一部労働組合などから、高度な人工知能の産業利用は、失業率の更なる上昇をもたらすという懸念の声が相次いでいますが……』

 

『その危惧は的外れなものです。当機構には、真正AIを単純労働力として提供する意図は一切ありません』

 

 

画面内では、憮然とした表情の男性記者が着席し、次の質問者が立ち上がっていた。ばっさり否定する博士のコメントに、質問した女性記者は一瞬口籠ってから、いっそう意気込むように続けた

 

 

『しかし、逆に経済界からは期待もかけられているようです。産業用ロボット関連企業の株価は軒並み上昇しておりますが、それについては……』

 

『残念ですが、真正AI…資料にあるように当機構は『人工フラクトライト』と呼称しておりますが、彼らは短期間で大量生産できるような存在ではないのです。私たちと同じように赤ん坊として生まれ、家族の元で子供から大人へ…唯一無二の個性を獲得しながら成長します。そのような知性を産業ロボットに組み込み、労働に強制従事させるようなことがあってはならないと考えます』

 

『つまり博士は…AIに人権を認めるべきだ、とおっしゃるのですか?』

 

『一朝一夕に結論の出るテーマではないことは解っています』

 

 

しばし、会場が沈黙した。硬い声色で訊ねた女性記者に対し、神代博士の声はあくまでも穏やかだったが、強い意志に裏打ちされた揺るがぬ響きを帯びていた

 

 

『しかし、我々人類は、もう二度とかつての過ちを繰り返すべきではない。それだけは確かなことです。ずっと昔、列強と呼ばれた先進国の多くは、競うように後進国を植民地化し、その国の人々を商品として売買したり、強制労働に従事させたりもしました。その遺恨は、長い年月を経た現在でも、国際社会に大きな影を落とし続けています』

 

『今この瞬間、人工フラクトライトたちを人間と認め、人権を与えて欲しいと言われても、違和感を覚える方々が大多数でしょう。しかし、百年、あるいは二百年後には、私たちは当然のように彼らと同一の社会に生き、分け隔てなく交流し、あるいは結婚したり家庭を築いてさえいるはずです』

 

『これは私の確信です。ならば、その状況へ至るプロセスにかつてのように多くの血と悲しみが必要でしょうか?誰もが思い出したくない、封印せねばならない歴史を再び人類史に書き加えることを望むのですか?』

 

『ですが博士!彼らはあまりにも私たち人間と、存在の定義が違いすぎます!体温のない機械の体を持つモノを、どうすれば同じ人類と認められるというのですか!?』

 

 

神代博士の言葉に、女性記者は我を忘れたように叫んだ。気づけば女性記者だけでなく、会場内にいる多くの人が声を上げている。彼らの発言に連れ、この放送を見る視聴者も段々と熱量が増しているであろうことを分かった上で、神代博士は冷静に答えた

 

 

『確かに彼女と私たちは、異なる材質、異なるメカニズムの体を持っています。しかしそれは、この世界に於いてのみの話です。我々と人工フラクトライトが、完全に同一の存在として認め合える場所を、我々は既に持っています』

 

『・・・その場所とは、どこでしょうか?』 

 

『仮想世界です。現在我々は、生活のかなりの割合を、汎用VRスペース規格である『ザ・シード・パッケージ』によって生成された仮想空間にシフトさせつつあります。今日のこの会見も、報道機関の皆さんはVRで行うことを希望しておいででしたが、当機構の要請によって現実世界で開催することとなりました。それは、人工フラクトライトと我々の違いを最初に認識して頂きたかったからです』

 

『しかし、仮想世界ではそうではありません。アリスたち人工フラクトライトの光子脳は、ザ・シード規格のVRスペースに、完全なる適合性を備えているのです』

 

 

再び、会場が大きく騒めく。AIが仮想空間にダイブできる…即ち、向こう側に於いては、相手が人間なのかAIなのかを区別するすべがないということでもあるのだと、多くの記者たちが理解した。言葉を失い、着席した女性記者に代わって、名の知れたフリー・ジャーナリストが、三人目の質問者となるべく起立した

 

 

『まず確認させていただきたいのですが、海洋資源探査研究機構…という名前を私は寡聞にして知らなかったが、これは文科省の独立行政法人ですね?つまり、あなたがたの研究開発に投じられた資金は、日本国民の払った税金なわけです』

 

『となれば、その開発の成果であるその…人工フラクトライトは、国民の所有物であるということになりませんか?たとえ真正のAIであろうと、産業ロボットとして利用するかどうかは、あなたがたの機構ではなく国民が決めることなのでは?』

 

 

これまで滞ることなく質問に回答し続けてきた神代博士の口許が、初めて軽く引き締められた。マイクに顔を寄せた彼女を、しかし隣から白い手が制した。長らく沈黙していたアリスだ。機械の体を持つ少女は、長い金髪を揺らして頷き、ゆっくりと口を開いた

 

 

『あなたがたリアルワールド人が、私たちの創造者であることを私は認め、受け入れています。生み出してくれたことにも、もちろん感謝しています。しかし、かつて、私と同じ世界に生まれた一人の人間はこう言いました……リアルワールドもまた、創られた世界だったら?その外側に、さらなる創造者が存在していたとしたら?』

 

『もしもある日、あなたがたの創造者が姿を現し、隷属せよと命じたらあなたがたはどうしますか?地に手を突き、忠誠を誓い、慈悲を乞いますか?』

 

 

アリスの青い瞳の奥に、鮮烈な光が灯った。彼女の言葉と、まるで心意を宿したような眼光が放つ迫力に、思わず気圧され身を引くジャーナリストと、多くの報道関係者を見据えながら、アリスはゆっくりと立ち上がった。胸を張り、体の前で両手を重ねた姿は、学校の制服を着ているにもかかわらず本来の騎士の姿を思い起こさせる。わずかに睫毛を伏せ、透明感のあるよく通る声で、世界初の真正AIは続けた

 

 

『私は既に、多くのリアルワールド人たちと交流を重ねています。見知らぬ世界で一人ぼっちの私を、彼らは励まし、元気付けてくれました。色々なことを教え、色々な場所を案内してくれました。私は、たまらなく彼らが好きです』

 

 

言葉を止め、アリスは一瞬眼を閉じて俯いた。彼女の知能が宿った鉄の体にそのような機能は存在しないはずだが、多くの人は、白い頰に伝う雫を見たような気がした。やがて穏やかな黄金の女性騎士は、しなやかな動作で右手を持ち上げ、真っ直ぐな言葉で言った

 

 

『・・・私は、あなたがたリアルワールドの人々に向けて差し出す右手は持っています。しかし、地に突く膝と、平伏する額は持っていない。なぜなら、私は人間だからです』

 



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最終話 終わることのない冒険を

 

「・・・クライン。昼から飲んで悪酔いでもしたか?それとも男泣きか?」

 

「だ、だって、だっでよぉ…俺たちが今日まで必死こいてやってきたことは、無駄じゃなかったんだって思えてよぉ…うぐぅ……」

 

「ははっ…ったくしょーがねぇな。エギル、俺にも一杯だけ酒くれ」

 

「いいのかカミやん?ウチに置いてあるのは、どれもそこいらのより強いぞ?」

 

「たまにはいいさ、どうせVRだしな。それに、このままじゃ俺まで貰い泣きしそうだ」

 

 

世界を跨いでアリスの声を聞いた仲間たちは、皆揃って目尻に涙を溜め込んでいた。ウィンドウに映ったテレビ画面の中にある、広大な記者会見会場には、再び神代博士の声が響いていた

 

 

『・・・長い、長い時間が必要でしょう。結論を急ぐ必要はありません。今後、新たなプロセスを経て誕生してくるはずの人工フラクトライトたちと、仮想世界を通じて交流し、感じ、考えてほしい。それが、当機構がこの放送をご覧になってる皆様に望む、ただ一つのことです』

 

 

演説を終え、神代博士が着席した。しかし、会場の記者達から彼女に送られる拍手はなかった。彼らの顔には、なおも途惑いだけが色濃く浮かんでおり、すぐに次の質問者が手を挙げて立ち上がった

 

 

『博士、危険性についてはどのようにお考えですか?つまり、AIたちが我々人間を絶滅させて地球を支配しようと考えることが、絶対にないと言い切れるのですか?』

 

『たった一つの場合を除けば、有り得ません。その可能性があるのは、我々の方から彼らを絶滅させようとした時だけです』

 

『しかし、昔から多くの映画や小説では…』

 

 

質疑が続こうとしていたその時、着席していたアリスがガタッ!と勢いよく立ち上がった。記者が気圧されたように体を引いたのを彼女の青い眼が捉え、まるで遠い音に耳を澄ませるかのように視線を虚空に彷徨わせたアリスは、数秒の間を置いてから短く発言した

 

 

『急用が出来ました。私はここで失礼します』

 

「ぶーーーっ!!!きゅ、急用だぁ!?」

 

 

アリスの発言に、上条はエギルに注いでもらったばかりのジンライムを盛大に吹き出した。しかし、画面の向こう側にいる上条達のことなど露知らず、アリス長い金髪を翻し、機械の体が出せる最大の速度で、ステージの袖へとたちまち姿を消してしまった。そんなあまりにも突然の出来事に、記者たちも啞然と言葉を失った

 

 

「きゅ、急用って…この会見以上に重要なことなんてあるの?」

 

 

ダイシー・カフェにいる全員に目を配りながら美琴が訊ねたが、誰一人として答える者はいなかった。テレビ画面も中継映像からワイドショーのスタジオへと切り替わり、コメンテーター達が何やら忙しなく話しているが、そんなものはるもはや彼らの耳には入らなかった

 

 

「ほ、本当に中継終わっちゃいましたね…」

 

「え、いやこれって…どうなの……?」

 

「さ、さぁ…少なくとも私があそこにいたらこんなことしないでしょうけど…」

 

 

感動のあまり溢れていた涙が、急展開によってすっかり引いてしまったシリカが呟くのに乗じてリズベットが言うと、シノンもまた何が起こったか分からないといった様子でテレビを見る目を瞬かせた

 

 

「えと…リーファ、このワイドショーってそっちの世界での生放送なんだよな?この中継も当然リアルタイムなわけで?」

 

「そ、そのはずだけど…」

 

「じゃあ、この会見を二の次に出来るような急用ってのに心当たりは……」

 

「さぁ…お腹でも空いたのかなぁ…?あはは…」

 

 

上条から次々と投げかけてくる質問に、リーファは最適解を見つけられず、冗談を交えながら引き笑いで言った。すると、今までその場にはなかった声が、彼女の冗談に言及した

 

 

「ははっ。ロボットが空腹だって訴えたら、そりゃ確かに一大事だな。しこたまガソリン飲ませるか、充電でもすれば満腹になるんじゃないか?」

 

「みんな、お待たせしちゃってごめんね」

 

「き、キリト!?それにアスナも!」

 

 

スプリガン由来の黒服に身を包んだキリトが笑いをこぼしながら言うと、その隣で水妖精に扮したアスナが挨拶代わりにと胸元まで手を上げて言った。いつの間にやらログインしていた二人に上条は驚くのも束の間、すぐさま彼らに訊ねた

 

 

「な、なぁ。お前らもリアルでこのニュース見てたんだろ?アリスが会見そっちのけにした急用ってのは一体…」

 

「大丈夫だよカミやん、その理由ならもうすぐ分かる。それと、念のため心の準備をしておいた方がいいぞ」

 

「・・・は?心の準備?何の?」

 

「パパ!ママ!お待たせしました!アクセス完了!異常なしです!」

 

「流石ユイちゃん。ありがとう」

 

 

自分の肩に手を置かれながらキリトが言った内容に、上条の脳内をひしめく疑問が更に加速していると、ダイシーカフェの小窓から飛びこんできたユイが元気よく言った。彼女の言葉に、アスナとキリトが目を見合わせながら笑みを浮かべているのを、彼ら以外の全員が不思議そうに首を傾げて見ていると、カランカラン!というドアベルの音と共に一人のプレイヤーが中へと入ってきた

 

 

「みなさん、お久しぶりです」

 

「「「・・・あ、アリス!?!?」」」

 

 

ダイシーカフェのドアから入ってきた女性プレイヤーは、頭に尖った三角の耳を生やした猫妖精族。背中に長く垂らした髪は、眩いほどの金色。肌は透けるような白。瞳はサファイアのような蒼。冴え冴えとした美貌は、先ほどまでワイドニュースで見ていた現実世界の…いや、アンダーワールドのアリス・シンセシス・サーティそのものだった

 

 

「ついさっきな、俺の家の周辺危機をいじり終わったんだよ。元々は仮想世界で生まれた人工知能なんだから、このALOにアリスが来れない道理なんてないだろ?ただアリスの場合、仮想世界で感じる五感をどうすればいいかって課題が残ってて、今日までずっと試行錯誤してそれがやっと今さっき終わったんだ…うぁ、眠い…」

 

「私も今日まで、様々なテストや実験に忙殺されていましたから。キリトからその報告を受けた時には、いても立ってもいられませんでした。皆さんとの再会、とても嬉しく思います」

 

 

その言葉通り、アリスのログインまで多くの問題をクリアして、疲弊しきったのであろうキリトが欠伸をしながら言った。そして整合騎士改めケットシーとなったアリスは、ダイシーカフェに集まっている全員の顔を見て表情を綻ばせた

 

 

「え?じゃあニュースで言ってた急用って…まさかこのALOにログインすることが……」

 

「あ、そうでした。私とした事が、皆さんと再会できた喜びですっかり忘れてしまいました。しかし、わざわざ自己申告するとは感心しますね」

 

 

アリスが自分達との再会を、心の底から喜んでくれている。それは勿論嬉しいのだが、同時に一世一代の記者会見を途中で投げ出す理由としては、流石に軽すぎるのではないかと上条が心配になりながら訊ねた。するとアリスはハッとしたように、自分の左掌に右手をポン、と置いて言うと、上条の方へとスタスタと歩み寄った

 

 

「は?自己申告って…それどういう…?」

 

「・・・カミやん。目を、閉じなさい」

 

「!!!?!?!?」

 

「め、目ぇ?これでいいのか?」

 

「はい。どうか、そのまま……」

 

 

なんの話か分からないまま、とりあえず言われた通り目を閉じた上条の左頬に、アリスは優しく右手を添えた。それは、まるでラブロマンス映画のワンシーンのようだった。故に、次に彼女が行おうとしている事がハッキリと分かってしまった御坂美琴は、顔を真っ赤にしてアリスを止めに入ろうとした

 

 

「ちょ、ちょっと待って!流石にここが仮想世界と言えどそれはーーー!!」

 

「歯ァ!食いッ!縛れぇぇぇっっっ!!!」

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?」

 

 

次の瞬間、アリスは、熱烈なキス……ではなく、上条の頬に添えた右手を大きくテイクバックし、怒号と共に右拳を振り抜いた。目を閉じていた上条は、アリスから繰り出された神風のような拳に反応できるはずもなく、野太い悲鳴と共に、ダイシーカフェのホールを転げ回った

 

 

「これが私の急用です。清々しました」

 

「な、なんだこの展開…不幸だ……」

 

「何が不幸なものですか。感謝や再会を約束する言葉一つ満足に言うことが出来なかった私の後悔が、あなたに分かりますか?」

 

(な、なぁんだ…キスしようとしてたんじゃなかったのね…)

 

 

上条が床に寝そべったまま口癖を呟いていると、殴り飛ばした右手をプラプラと振りながらアリスは吐き捨てた。その様子を見て、美琴は自分の思い違いで良かったと思いながら、ほっと胸を撫で下ろした

 

 

「あっはっは!流石だなアリス、カミやんの男女平等パンチに負けず劣らずのいい拳だったぞ」

 

「っておいキリトコラァ!お前一人だけ笑ってるけど、アリスがお別れ言えなかったのも、俺たちがお別れ言えなかったのも、元はと言えばお前が最後の時に有無を言わさずアリスをイジェクトしたせいだろうが!!」

 

「論点をすげ替えられた所で、アリスの鬱憤はもう発散されちゃったからな〜」

 

「・・・なるほど、カミやんの言うことにも一理ありますね。ではキリト、後ほどリアルの剣道場で10本ほど立ち合いましょうか。もちろん防具なしで」

 

「え゛」

 

「ザマァーーー!!!」

 

「「「あははははははは!!!!!」」」

 

 

三人の陽気な会話に、平和そのものとでも言うべき、皆の笑い声が混ざった。それこそが、きっと始まりだ。新たな人工知能と、世界の人々の架け橋。どんなに遠くても、どんなに違う存在でも、一緒に笑い合える。それがきっと、仮想世界における新たな可能性の小さな、けれど確かな一歩なのだ

 

 

「さて、皆これから何か予定はある?」

 

「あーいや、多分俺たちの方は特に何もなかったと思うけど……」

 

 

アリスと皆の自己紹介が終わり、歓談も一段落した頃に、アスナが言った。アリスと実際に会えるとは思ってもみなかったが、元より学園都市に住んでいるメンツは全員、今日は記念すべき日になるとは承知の上だったので、予定を丸っと空けていたのを知っていた上条が答えた

 

 

「それじゃ、ちょっと狩りにでも行かないか?アリスにもこっちの世界について色々と教えておかないといけないしな」

 

「さんせーい!あたしまだアリスが剣握ってること見たことなかったのよねー!」

 

「あ!私もそれは是非見てみたいです!」

 

 

キリトの提案にリズベットが机から身を乗り出しながら賛同すると、彼女に続いてシリカも手を挙げて言った。件のアリスは彼女たちの期待に少し気恥ずかしそうにしていたが、やがて開き直ったかのように嬉しそうに答えた

 

 

「えぇ、もちろん。ご要望とあらば24時間365日休みなしでお付き合いできますよ」

 

「そ、それはアリスだから出来ることであって、あたし達には無理だよ〜」

 

「流石アリスほどになると、ジョークもお手の物ってわけね」

 

「いや〜、あながちジョークになるかは怪しいとこなんじゃねぇか?ここにいる大半のヤツは、24時間365日どころか、約二年ずっとダイブしっぱなしだったことあるんだからなぁ」

 

「クライン。それが既にブラックジョークだ」

 

 

アリスの発言にたじろぐリーファを見て、シノンはふふっと笑いながら言った。それに続いてクラインもジョークなのか真面目に言ってるの分からない様子で言うと、彼の愚鈍さにエギルが頭を抱えてため息を吐いた

 

 

「ま、とりあえずは異論なしってことで。今日は効率とか何も考えないでパーっと暴れましょ」

 

 

パン!と一つ手を叩いて美琴が締め括ると、彼女が席を立ったのを皮切りに皆が続々とダイシーカフェのドアから外へと歩き出した。そして最後に上条も腰を持ち上げ、皆の後を追おうとした…その時だった

 

 

「さって、それじゃあボチボチ行くか……」

 

『・・・カミやん。キリトと一緒に、アリスをよろしくね、これからもどうか皆で、幸せに…僕もずっと、傍で見守っているよ』

 

「ッ!?ユージオ………」

 

 

鈴の音が鳴ったような、優しい声だった。上条が振り返った先に、その声の少年の姿はなかった。あるのはただ、薔薇の香り。しかし、それで上条には十分に伝わった。アリスがここにいるのだから、彼女の幼馴染である彼も…ユージオも、きっと一緒にいるのではないかと、そう思えたのだ

 

 

「・・・あぁ。いつかまた会おうぜ、相棒」

 

「・・・?どうかした?ボーッとしてると皆に置いてかれるわよ?」

 

「ん?あぁいや、分かってるよ。本当はゲームとか仮想世界って、こんな感じくらいが丁度良いよなぁ…って、噛みしめてただけだ」

 

「・・・そうねぇ…確かに言われてみれば、私たちにとって仮想世界は、楽しい思い出ばかりの場所じゃないわよね。まぁ、そんなの言ってみれば現実も同じなんだけど」

 

 

一人カウンターに残っていた上条に気づいた美琴が声を掛けると、上条は今度こそゆっくりと腰を上げて美琴の方へと歩み寄った。そしてカフェを出た皆の後を追いつつ、二人で並んで歩きながら話していると、不意に上条が美琴に訊ねた

 

 

「だったら美琴、お前は現実と仮想なら、どっちが好きだ?」

 

「えぇ?何よそれ…真剣に答えなきゃいけない感じのやつ?」

 

「任せるよ。パッと考えたらこっちが好きだな、くらいの感覚でも、色々と深く考えた末の結論でも、どっちでも。まぁ別に解答期限とかがあるわけでもねぇから、別に答えなくてもいい」

 

「お任せって…答える方からしたら一番迷うやつじゃない。いや、それでも悩む事には悩むわよねぇ…現実があるから仮想があるんであって、だけど仮想世界の繋がりも私にとっては全部本物で…う〜ん、どっちが好きかって言われると……」

 

「ちなみに俺は、お前が好きだ」

 

「へぇ、私が好きなんだ。まぁ、それはそれでちょっと意外…………………………」

 

「・・・・・・・・・・・ふえええええええええええええええええええええええええ!?!?!?!」

 

「じゃ、じゃあ…えっと…別に…解答期限があるわけじゃ、ねぇから…だ、ダメならダメで、別に答えなくても…いいって言うか…う、う…うおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

「あ!ちょ、ちょっと!?」

 

 

上条の言葉に、美琴が自分の耳を疑いながら呆然として、直後に全身を茹でダコのように真っ赤に沸騰させた。そして上条も言って恥ずかしくなったのか、顔からどっぷりと汗をかいて真っ赤になると、美琴の静止も聞かずにキリト達の方へと駆け出す。その恋焦がれた少年の背中を見つめながら、御坂美琴は小さく呟いた

 

 

「・・・その言葉の返事なんて、今さら私が迷うワケないでしょ…バカ」

 

 

少年少女が感じている熱は、そして思いは、もはやヴァーチャルではない。突き詰めれば電子の世界、仮想世界が伝えている作り物だとしても。彼らの言葉で、彼らの時間で、彼らの心で感じながら生きている世界はーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーきっと『幻想』ではないのだから

 

 

 

 

 

[とある魔術の仮想世界 fin.]



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後書き ※2021年1月10日 追記

みなさんどうもおはこんばんにちは、お久しぶりでございます。はじめまして……の方も、ひょっとしたらいらっしゃるかもしれませんね。作者の小仏トンネルです。

 

日頃より「とある魔術の仮想世界」シリーズをお読みくださっている読者の皆様、および今回の投稿をお読みくださっている読者の皆様、誠にありがとうございます。

 

今回の投稿「後書き」というタイトルからもお察しの事かと思いますが、当該SS「とある魔術の仮想世界[4]」はこれにて完結となります。

 

アリシゼーション編、幕間、War of Underworld編、合計にして143話にも及ぶ大長編になってしまいましたが、最後まで投稿を続けて来られたのは、ひとえに一度でもこのSSを読んで下さった読者の皆様のおかげです。本当に、本当にありがとうございました。

 

シリーズ一作目、無印の「とある魔術の仮想世界」から数えてみて、全何話あるのか…と考えるのは、正直なところ作者自身でも数えるのが億劫になるほどでした…汗

 

こんなにも長くなってしまった上に、シリーズ二作目ではSAO世界と禁書世界は並行世界だという面倒極まりない設定になりました。アホほど長いくせに設定だけは一丁前に複雑になってしまい、読者の皆様には多大なるご迷惑をおかけしたと思います…本当に申し訳ありませんでした…(土下座)orz

 

しかし、だからこそ一作目から今回の後書きまでお付き合い頂けた読者の方々には、これ以上ない感謝を申し上げたいと思います。遡ること2017年10月6日…約三年です。当時から今日までこのシリーズを追い続けて下さっていた読者の方が、果たして存在してくれているのでしょうか……

 

途中で読むのをやめてしまってもおかしくない月日、文量、稚拙な文章であったと思います。それすらも飲み下すほど、三年間も作者と作品にお付き合いいただけた、海よりも器量の広い読者の皆様、本当にありがとうございました。

 

無論、三年間の途中からこのSSを発見した読者の皆様にも、この上ない感謝を申し上げたいと思います。中には無印からではなく、2から、3から、4から、この後書きから読んで下さっている読者の皆様、果てはこれから何かの縁で完結したこの作品を掘り出す読者の皆様もいるかと思います。

 

限りなくPV数が0に近かった始まりの日からは想像も出来ないほど、多くの読者の皆様に巡り合いました。これだけの人の目にお読みいただけたのは、むしろ途中からこの作品をお読みいただけた読者の皆様がいたからこそです。本当にありがとうございました。

 

「この部分が面白かった!」「この部分は死ぬほどつまんなかった!」「設定めちゃくちゃすぎて読めねぇ!」「全編通して駄作でした!」「ファ○ク!」など、様々な感想があったかと思います。

 

完結した以上、もう作者としても思い残すことは………まぁ、「もうちょっとどうにかできたやろこの部分…」みたいな後悔はありますが、それでも心の重荷になることはございませんので、当該SSシリーズの無印〜[4]まで、全ての作品において感想欄を非ログイン状態でも書き込めるようにしたいと思います。

 

もちろん、作者のメッセージボックス宛てに送って下さっても構いません。感想からご指摘、苦情や殺害予告、爆破予告および怪文書まで幅広く受け付けておりますので、遠慮や心置き、容赦なく作者に何かしら言っていただけると幸いです。

 

そして、今まで読者の皆様から、この作品が完結したらどうするのでしょうか?という旨のメッセージや感想を何度かいただいておりましたので、この後書きの場を借りてお話しさせていただきたいと思います。

 

結論から申し上げますと、「とある魔術の仮想世界」は今作の[4]を持ちまして、シリーズとして正真正銘の「完結」とさせていただきたいと思っております。

 

理由といたしましては、ストーリーの主軸となっているSAOのライトノベルでアリシゼーション編の続編として描かれている「ユナイタル・リング」がまだ章として完結していないため、書こうとするとどうしても無理が生じるかなぁ…と作者は結論付けました。

 

そして次に可能性として考慮したのが、アニメ制作が決定したSAOの「プログレッシブ」です。こちらは原作をご存知ない読者の皆様のネタバレ防止のために具体的な言及は避けますが、大雑把に言うと原作SAOでは直接描かれなかったアインクラッド1層から2層、3層……と、ストーリーですっ飛ばした間の冒険が描かれております。

 

これに関しては、当該SSの一作目にてアインクラッドに当たるストーリーを書いていたのですが、上条さんが1層をクリアしてから25層までは戦場には出なかった、という話にしていたので、今さらそこ変えて書いてもいいの書ける気しないなぁ……と結論付けました。

 

「勿体ない…」「もっと見たい…」と思って下さる読者の方がどれだけいるかは分かりませんが、作者的にはここが引き際…もとい、SAOと禁書のクロスとして面白さが出せる限界かなぁ…と思っております。どうか、読者の皆様のご理解とご容赦をお願い致します…。

 

そして先ほどの感想にも関係するお話ですが、作者は次に執筆しようと思っているものについては完全なる白紙です。新しい題材をワンピースかよってくらい探し求めています。

 

こんな漫画やラノベ、アニメがある。等のオススメの作品があれば、是非とも感想欄を意見箱代わりにしてみて下さい。今回のとある魔術の仮想世界がクロスオーバーだったからと言って、題材はクロスオーバーには限りません。どうか作者に幅広い知識と視野を与えて下さると助かります。(ちなみに作者はアマゾンプライム会員ですので、アマゾンプライムで見放題の作品だととても喜びます)

 

しつこいようですが、作者以外の他人に迷惑を掛けない、気分を害するような事を書かない限りであれば、感想欄やメッセージボックスには本気の本気で何でも書いてくれて構いません。

 

先ほどご理解とご容赦をと申し上げた「もっととある魔術の仮想世界の続きが読みたい!」と感想欄で言って下さるのも、一向に構いません。「私の気分が変わるかも…」とまで無責任なことは言えませんが、心に留めてある程度の指標には出来ますので、どうか何のしがらみや気遣いもなく書いて下さい。質問とかでも全然OKです。時間を見つけてなるべく全てのご意見に返信したいと思います。

 

さて…名残惜しいですが、今回はここまでにしたいと思います。正直もうここまで来ると、読者の皆様への感謝は、言葉では言い表せません。ここまで文章書いててそれはどうなんだと自分でも思っていますが…汗

 

特に今年は色々ありました。この2020年に何かを残せたのは、作者としても良い経験だったと思います。そんな経験をさせて下さり、またお付き合いさせていただいた読者の皆様、本当にありがとうございました。今後も体と心の健康に気をつけて日々を過ごしていただくことを願うばかりです。

 

ツイッターやらの各種SNSないし、現実の数少ない友人に、こんなSSがある。等の話をしていた時期が、私にもありました。読者の皆様にも私のような方がいらっしゃいましたら、話のネタにして下さったことに今一度感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

 

そして、まさか書く側になるとは思ってもみませんでしたが、SSは読むのだけではなく、書くこともとても楽しいのだということを学ばせていただきました。もしもこのSSを読んで、自分も何か書いてみたいと思って下さった読者の皆様がいらっしゃいましたら、それは私としてはこの上なく喜ばしいことです。

 

「どうせ誰も読んでくれないし…」という思いで書くことに躊躇いがある人がいれば、私が読み手になります。自分の書いたSSを読んでくれ!とのメッセージをいただければ、必ず参上いたします。

 

「文章書けるほど日本語知らないし…」ということでお悩みの方についても、最初から文章を上手く書ける人なんて、まずいません。完璧な文法や膨大な語句、凄まじい語彙力がなければ書いてはいけない、なんて決まりはどこにもありません。何か面白そう、とかで全然書き始めていいんです。その証拠に「とある魔術の仮想世界」第一作目は正真正銘、私の処女作です。

 

今さらになって読み返してみると、思春期なのか中二病なのか精神的なものを拗らせて書き始めたのか、まぁ酷いモンです。自分で書いたモノなのに目も当てられたモンじゃありません…汗

 

いらんこと喋りましたね。読者の皆様とのお別れが寂しい証拠でしょうか。どうか大目に見て下さい。

 

ですが、「今回はここまで」と先ほど申し上げました通り、いつになるかは正直まだ分かりませんが、また何か別の場所でお会いしたいと思っております!何かの間違いで小仏トンネルのページを開いた時に、よく分からんSSがございましたら、一度立ち寄っていただけたならば、作者としてまた感謝の言葉を申し上げたいと思っております。

 

それでは、本当にこれで最後にしたいと思います。「とある魔術の仮想世界」は、これにて本当の本当に完結です!このSSをお読み下さった読者の皆様、本当にありがとうございました!またどこかでお会いできる日を楽しみにしております!小仏トンネルでした!

 




※2021年1月10日 追記

お久しぶりです。作者の小仏トンネルです。

完結及びこの後書きの投稿から約二ヶ月が経ちました。まずはこの度感想欄でオススメの作品などをご提供して下さった読者の皆様、またメッセージボックスにて感想やオススメの作品をお話しして下さった読者の皆様に、感謝の言葉をお伝えさせて下さい。本当にありがとうございました!

今回は後書きに追記という形で、このSSとは全く関係ない話になるので手短にご説明をさせていただきたいと思っております。

読者の皆様のおかげもあり、多くの面白いアニメやゲーム、漫画にたどりつくことができました。この二ヶ月はひたすら見る、読むを繰り返し、新たなSSの設定を考案していました。そして暫定的ではありますが、次回作の大まかな題材を作者の中で決めたので、お伝えしたいと思います。

あくまでも現時点でですが、次回作は『とある魔術の禁書目録』と『Fateシリーズ』のクロスオーバーSSを書こうと思っております。

理由といたしましては、読者の皆様からの次回作への提案の中に『禁書とのクロスを!』というものが多かったからですね。そしてFateシリーズをなぜ選んだのかということについては、読者の皆様からオススメされたのはもちろんとして、単純に同じ『魔術』を扱っている作品なので融通が効きやすいだろうということです。(ここに関しては完全に私の甘えとも取れますが…汗)

まだいつから書くのか、どんなストーリーなのか、誰が物語に登場するのか、Fateシリーズの何とコラボするかなど、全く何も決まってない白紙の状態な上に、暫定的なものなので急に変える可能性も否定できない決定ではありますが、どうか長く温かい目で見守って下さると嬉しいです…(土下座)

それでは、これからも皆様の健康を祈りつつ、お別れとさせていただきたいと思います。今後もなにかございましたら、私宛てにメッセージなどをお寄せ下さい。出来る限りはお答えしていく所存です。

この度は本当にありがとうございました!またいつか!


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