元雄英生がヴィランになった 凍結中 (どろどろ)
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第一章【春は毒の味】
遠き夢


この物語は、主人公が愉悦☆するお話です。割と胸糞成分多めを予定しております。
容赦の無い主人公に感情移入できない方、ブラウザバック推奨です。



 ――誰よりも努力した自負と誇りがあった。

 

 重苦を背負いながらもハンディキャップを撥ね除け、挫折という妥協の選択を決して見やること無く、純度の高い羨望と共に邁進し続けた。

 その男の生は苦行の連続だったのだ。

 逆境を越えたその胆力、決意の強さは誰もが感嘆するだろう。

 

 故に、報われるべきだったのに。

 

 

「……相澤先生。どうして――」

 

 

 告げられたのは形容しがたい理不尽だった。合理性を突き詰めた結果の真実がそれであるのだが、夢とか希望とか、そんな美しいモノで彩られていた少年の物差しでは、納得するのに時間がかかってしまった。

 

 そう、納得してしまえたのだ。

 

 道理に合わない不条理。努力した人間が報われない結果。こんな横暴があって許されるのか。諸人は首を縦に振る。

 ――これが許される社会だ。 

 暗にそう表現する現状は、やがて少年に強い猜疑心と復讐心を植え付けるのだが、まだ誰も知らない話だ。

 

 

「草壁勇斗。本日付けでお前は除籍処分だ」

 

 そう聞かされた瞬間、少年は目の前が暗転しかけた。

 今まで積み上げてきた功労が全て、塵屑みたいに一蹴されて、否定されたのだから。

 

「そ、そんな……! 出来ますよ!! 俺だって!! だって、俺は!!」

「ああ、そうだな。成績は主席。近接格闘術はぶっちゃけプロヒーローにも追随する練度。協調性にも富み、周囲との連携も得意と来た。正直言って、お前は俺が見てきた中でも特一級の“器”だ」

「だったら、どうして、こんな……!!」

 

 

「分かるだろ、聡いお前なら。無個性はヒーローになれないよ」

 

 

 民衆が求めるのは、平和と希望を体現したヒーロー。すなわち、何の忌憚も無く憧れられる存在だ。

 その点、少年は条件と合致しない人間だった。

 実力的に不足? 能力に欠陥がある? そんな話ではない。もっと根本的な部分に、“憧れてはいけない”――その理由となる問題が根付いている。

 

「……希望とは何だと思う? 羨望とは何だと思う?」

「想いの種です! 幸福の第一段階! 救うことに於いて、決して避けられない――避けるわけにはいかない通過点! だから俺たちは希望を産んで、羨望されるために努めるんです!!」

 

 突拍子もない問いに即答できたのは、少年が生来の英雄的資質を兼ね備えており、清廉な思想を持っていたからだった。

 そして、それは誤っていない。一つの正解だと、プロヒーロー・相澤消太は認める。

 

「ウン。模範解答だな。百点満点中百二十点。他の若輩者に見習って欲しいくらい崇高な心持ちだ」

「当たり前です! だってそれは、忘れちゃいけないヒーローの主軸なんですから!!」

「……何だろうな。聞くんじゃなかったな。だってお前、誰よりもヒーローしてる。雄英の試験に思想チェックの項目があれば、まだ救いようがあったかもしれない。

 

 ――だが、ダメだ。お前はここを去るべきだ」

 

 少年の想いを誰より熟知し、同情し、賛同する担任だからこそ、相澤消太は告げる。

 

「救いも憧れも、二律背反の嫉妬だ。あるいは絶望か。ともかく、軽率にそんな可能性を出すべきじゃない。

 

 確かにお前なら、第一線で通用するかもしれない。

 全く別の、新たな象徴になれたかもしれない。

 

 でも――無個性でもヒーローが務まるって結果は、甘い毒だよ。無用な希望を生み出すんだから、ここで認められていても、世論は認めない。それに見栄えもしないしな。忌々しいことに、今はそういう風に需要が動く時代だ」

 

 

「……。」

 

 反論など、出来る筈がなかった。

 少年は狂気じみた努力の末に、ようやく今の地点にかじりつくことが出来ている。担任教師は第一線で通用すると言ったが、実際には真正面での戦闘で個性持ちヴィランとぶつかるのは危険だろう。

 生かせる長所もなく、特攻も出来ない裏方での役回り。自然とそんな立場に落ち着く未来が連想される。

 それでも諦めなかったのは、純粋に焦がれていたから。

 

 ……だが、それすら許されないのだと言う。

 

 

「――そう、ですね」

 

 

 少年は分かってしまった。

 目を背けていた真実に、眩しいあの人たちが隠していた世の深層に、ヒーローの根幹に、ようやく気付けた。

 

 ――無個性でもヒーローになれるという前例の発生。それはきっと、成就しない憧れの種子を少年少女たちに植え付けるだろう。

 少数を切り捨てることで、多数は栄える。実に合理的だし、良心的だ。

 無個性は邪魔にならない様に影で震えつつ、ヒーローに救われていればいいのだ。それで弱者は安寧を獲得できるし、強者は満たされる。

 

 少年の懐くヒーローの理想像は、承認欲を満たすためのアイドルではない。

 救済のための“踏み台”だ。ヒーローとはそう有るべきだった。

 だから、ここで少年は正真正銘の踏み台に、淘汰される雑草に回帰するのだ。きっと、そうするべきだ。それが皆の為なのだから。

 

 改めて気付かせてくれたのは、他ならぬ敬愛する担任教師。

 この状況に憤りは感じていないと言えば嘘になるが、担任だけに限って言えば、少年が彼に向ける感情は謝意と恩意の二色だけだった。

 

 

「……ありがとう、ございます。相澤先生」

「やめろ。恩に思われるようなことは何もしてない。いっそ面罵される方が清々しいくらいだ。

 

 

 ……クソ。だから俺は反対したんだ。いずれはこの真実を突きつけなきゃならない。それを知ってて、草壁に合格判定を出すなんて……!」

 

 

「それ、入試の話ですか?」

「ああ、そうだよ。あの時、多くの教員陣は難色を示していたんだがな、規則を遵守してお前の入学を認めるって結論に落ち着いたんだ。今になって、後悔している。

 

 

 

 

 

 

 ………本当に、ごめんな。草壁」

 

 

 相澤消太にしては珍しい、暗然を隠そうともしない語調。眉根を歪めて、少年に懺悔するように呟く。

 なるほど、確かにこの人はプロだ。他人の為に悔やめる善なる人だ。

 だから、この人に切り捨てられても俺は平気なんだろう。

 

「謝らないでください。ヒーローになれなくても志は同じ。なんなら刑事でも目指そうと思いますから」

「……絶滅危惧種だぞ、それ」

「だったら探偵なんてどうですかね」

「そっちに至っては殆ど絶滅してるようなもんだ」

 

 現在、治安維持の仕事の大半をヒーローが担う時代。個性を公的に扱える職種は、ヒーローか警察の一部の特殊課だけだったりするのだ。

 だから、個性持ちが絶対に選ばない将来を選択するのも一興ではないだろうか。

 

 悔恨は当然、ある。

 しかし、少しでも前向きにここを去れるように、少年――草壁勇斗は笑顔を浮かべた。絵に描いたように端麗な美少年の、曇り一つない輝く頬笑み。

 それに答えるように、相澤消太は微笑めいたものを浮かべた。

 

 

 

 

「マジで……ウン。謝って済まねえよな、これ。いっそ殴ってくれ」

「えっ、マイク先生いつもとテンション違くない!? 俺なら別に平気ですよ! 今までだって除籍になった同級生は何人かいたし、俺がその一員に仲間入りってだけですよ!」

「だってよ、お前は事情が違う。それに、入学試験の時にお前を一番強く推してたのは俺だ。無個性で上位陣に食らい付くお前に可能性を感じ取った……ってのは言い訳だな。お前は軽率なんだよ、山田ひざし。バカヤロウ」

「(……本名初めて知ったな)い、いや、俺はむしろこれで良かった!! これでようやく、プレゼントマイクのリスナーとして、アンタを純粋に応援できる!! 滾ってきたぜYEAAHHH!! マイク! これからも熱いヴォイスをよろしく頼むな!!」

「……。」

「セ、セイヘイ……。ヘーイ……?」

「…………マジでマザーテレサな聖人だぜ……っ!」

「(何言ってんだこの人)」

 

 

 ――ある男は少年の慈悲にマジ泣きし、

 

 

「さよならミッドナイト……。貴方と過ごした時間は輝いてましたぜ」

「最後まで草壁くんは草壁くんね。でも、無理してそうしてくれてるのは分かってる。私たち、誰より君が苦しんで、困難を乗り越えてきたのか、知ってるから……。でも、そうした同情が草壁くんを更に追い詰めてたのよね」

「えっ、何、このしんみりムード。人が明るく最後の挨拶してるのに、どうしてこの人たち揃いも揃って暗いの!?」

「だって……こんなの、償いきれないじゃない。私たちの失敗を君に押しつけてしまう。きっと皆、どうすれば許して貰えるか、ずっと、懊悩してる」

「あ、じゃあ一回抱かせてください」

「…………よ」

「ん?」

「良いわよ、草壁くんが相手なら。私の一生はあげられないけど、一晩くらいなら……」

「……ブファッッッ!!」

「草壁くん!? こ、この鼻血はどう考えても致死量だわ!?」

 

 

 ――ある女性と少年の間には何故か距離が生まれ、

 

 

「せんぱぁあああああああい!!」

「ミリオオオオオオオオオオ!!」

「せんぱぁあああああああい!!」

「ミリオオオオオオオオオオ!!」

「せんぱぁあああああああい!!」

「ミリ、っていつまで続けるのコレ」

「先輩が辞めるなんて、哀しすぎます! 俺、先輩から沢山のこと学びました! 格闘術も先輩との特訓の賜物です!! なのに、どうしていきなり自主退学(・・・・)なんて!!」

「(除籍処分なんて言えないよなぁ)……本当にやりたいことが見つかったんだ」

「本当に!? やりたいことォ!? それは一体!?!?」

「フ。AV男優になってズッコンパッコン大騒ぎよ」

「…………せんぱぁああああああああい!!」

「聞かなかったことにしてるぅうう!! 何だコイツ、実は初心(ウブ)かお前!! あんなにデカいくせにお前!!」

 

 

 ――何か吹っ切れたのか、ある後輩とは卑猥すぎる会話(一方的)を繰り広げ、

 

 

「勇さんが退学……? そんなの、私一度も聞いてない!」

「まあ言ってなかったからな。俺も思うところあってだな、ヒーロー志望を卒業する所存という訳だ」

「だとしても、打ち明けるの遅すぎるよ!! 何で私に真っ先に相談してくれないの!?」

「え、逆に聞くけど、相談した方が良かった? 重くない?」

「良いに決まってる! だって、私と勇さん付き合ってるんだから! 学年は違ってても、もっと、一緒に居たかった……」

「へ?」

「ん?」

「付き合って……おや? むむ? すまんが心当たりがないな。どこから勘違いが生まれた?」

「勘、違い……?」

「だってほら。俺、告白したっけ」

「……両想いの男女は付き合うもの、だから。私、勇さんに何度も口説かれてたし、てっきり、そういうことかと――」

「あー、そっか(ミリオといい波動といい、今年の一年はチェリーばっかだな。奥手じゃヒーローは務まらんと思うんだが、もしかして俺が積極的すぎなのか?)……あれ、つーか“両想い”ってことはお前、まさか」

「――へ、へへッッ!!」

「へ??」

「へんたぁぁぁああああああいッッ!!」

 

 

 ――ある後輩からは熱烈なビンタを頂戴した。

 

 

 同級生や教師陣、自分を慕ってくれる後輩との別れを全て済ませた後には、存外、草壁の心境は晴れやかなものになっていた。

 険しい道のりだったが、よくここまで頑張ってこれた。俺、頑張った。凄いぞ俺。

 振り返ってきてみて、痛烈に思う。決して徒労ではなかった。雄英高校で学んだことは全て、草壁勇斗の心の補強に役立っていた。

 

(ま、偏見で辛かった時期もあったけど、結局は楽しい一年半だったかな)

 

 願わくば、次の雄英体育祭で、旧友たちと再会し、また笑えますように。

 そんな殊勝な想いを胸にして、草壁は母校を後にした。

 

 

 

 だが、願い虚しく、数日後には彼の雄英在籍記録は完全に抹消され、『草壁勇斗』という個人すらも社会から排斥された。

 ――草壁勇斗が起こしたとされる、ヒーロー殺害事件を皮切りにして。

 

 

 

 




天喰くんとは面識はあるけど友人ではない、くらいの設定です。
勇くんはビッグ3と一歳差なので、原作突入頃には19歳ですかね。
次回、時間跳びます。


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暗躍する者達

 少年は瞑目する。

 思考を巡らせ、記憶能力を活性化させる。彼が住まう街の状景を、どの箇所であれ直ぐさま想起できるように。

 額に流れる脂汗。――どれだけ経験を積もうとこの緊張だけは拭えない。ある種、(ヴィラン)を追うヒーローよりも緊迫した精神状況である。

 

 一呼吸置いた所で、少年の懐から無機質な機械音が鳴り響いた。 

 ――肝要なのは臨場感。かつ、第三者の視点を放棄しないこと。

 携帯を取り出し、応答する。

 

「――こちらは便利屋、朝木勇(あさぎゆう)。首尾はどうだ? 強盗さん」

 

 

 ◇◆◇

 

 今時、銀行強盗なんて古くさいだろうか。

 そんな事を考えながら、大金を詰め込んだバッグを背に男は駆ける。

 

 手数も戦力も明らかに不足していた。

 手元にある武器は一丁の拳銃だけ。海外から部品だけを輸入して、国内でそれを組み立てる。その過程を踏めば小型銃くらい簡単に手に入る、という話だったが、本当にソレが届いたときには驚いたものだ。

 

 ――便利屋。朝木勇と名乗った彼は、ヴィラン専門の“ヒーロー”らしい。何でも、犯罪者の蛮行に荷担するのを生業としているのだとか。

 

 

 母親の医療費を稼ぐため、男はどうしても金が必要だった。だが、生憎と男は社会の爪弾き者。すなわちヴィラン。手っ取り早く大金をせしめる方法なんて、短慮な男の発想では強盗くらいしか思い浮かばなかった。

 そんな中、男は『便利屋』に懇願したのだ。手を貸してくれと。

 

 ――その手腕は驚愕の数々だった。

 便利屋は、武器の調達は勿論のこと、逃亡ルートの確保までスムーズにやってのけた。近隣の住居で一時的に火災を発生させ、交通機関を麻痺。更には誤報を誘発させ、ヒーローを分散させた。それから自然と浮き出ててくる逃走経路の内、最も安全なものを識別し、正確に男に伝えたのだ。

 

 本人曰く、この手段は滅多に仕えない奥の手、とのことだった。同じ手口を何度も使う時は適切な頻度を保ち、規則性を持たせてはいけないのだとか。

 ――まさにヒーローらの動きを熟知したヴィラン……いや、便利屋か。

 

 男は確信していた。窃盗金の半分を分け前として要求されたが、それを呑んで間違いはなかったと。

 現に、まだヒーローの追っ手は現れてきていない。

 

「……っと、そろそろ連絡入れなきゃな」

 

 不足の事態の有無を問わず、現金を手にして逃走経路に入ったなら、直ぐさま便利屋に連絡する。そういった手筈だった。

 

『――こちらは便利屋、朝木勇(あさぎゆう)。首尾はどうだ? 強盗さん』

 

 ノイズを帯びたような機械音。声の主が男か女かも分からない。便利屋の自称は「超絶美形の男」だったが、その真偽はもはやどうでも良い。

 男は加工された便利屋の声を聞いた途端、安堵の息を吐いた。

 

「ばっちりだ! アンタのおかげだな!!」

『位置情報はこっちに送られてきているが……この分だと、追跡の目はないな。そうだろ?』

「応とも! アンタの用意した逃げ道、完璧だぜ!!」

 

 男が走っているのは、閑寂の路地裏でも、湿っぽい下水道の中でもなく、街の大通りの真ん中だった。

 もちろん服装は男の用意した隠れ家で着替え済みだ。銀行周辺の監視カメラの一部をすげ替え、作り出された死角で完結された犯行。念を入れて服装まで変えた。これで捕捉されることはまず有り得ない。

 

『ヴィランは勘違いしている。ヒーローは戦闘を得手としているけど、捜索はもっぱら苦手だ。基本的に脳筋だからな。そういうのは警察の仕事で、ヒーローの本業は力仕事。だから、視覚である警察を抑止すれば犯罪なんて簡単なんだよ。

 ……街中で大暴れするヴィランとか見てて、いつも疑問だったんだよなぁ。袋叩きにされるのは目に見えてるのに、馬鹿かよ、って』

 

 無駄口を叩けるくらいには、余裕のある状況らしい。

 携帯の向こうからそんな雰囲気を感じ取って、逃亡中の男は更に安心感を強めた。

 

『そろそろ回収班と合流する頃だろ?』

「ああ。っと、見えた見えた。おーい、蟻塚ちゃーん!」

『……馬鹿、名前出すな』

 

 便利屋の制止の声を聞いて、しまったと乾いた笑いを溢す。

 男が視界の中心で捉えているのは、窓から中の様子が見えないように細工された、一台のバンだった。有料駐車場の一角に停車してある。

 弾んだ声で“彼女”の名前を呼ぶと、不機嫌そうに仏頂面を作った彼女――蟻塚が運転席の窓から顔を覗かせた。

 

「……同胞第四十五号。私の名前呼ばないで」

「ご、ゴメンゴメン。便利屋さんにも似たようなこと言われたばかりだ」

 

 蟻塚(ありづか)と呼ばれた彼女は、朝木勇が遣わした回収班である。中学生くらいの見た目だというのに、車の運転にはそこそこ慣れていた。尤も、本物のカーレイサー並に卓越している訳ではないが。

 

「電話代わって」

「あいよ」

 

 バンに乗り込むと、男は通話中の携帯を蟻塚に投げ渡す。

 雑な仕草が癪に障ったのか、蟻塚は虫でも眺めるような侮蔑の眼差しを『同胞四十五号』に向けて、携帯の画面の向こう側にいつであろう朝木勇に声をかけた。

 

「勇くん、合流したよ」

『ん。お疲れ~、これで完了したも同然だ。んじゃ、そのまま仮アジトに向かってくれ。俺はすることがあるから』

「……えっ、切っちゃうの?」

 

 蟻塚の表情が哀愁で歪んだ。

 

「私、勇くんともっと話してたい……。このおっさん臭いし、緩和剤がないとぶっ殺しちゃいそう」

「臭ッッ!? おいコラガキ!! 黙ってたら調子に乗りやがって!」

『コラコラ蟻塚ちゃん。君、そんなことしたら嫌っちゃうぞ』

「うぅぅ、分かった、黙って帰る……」

 

 可愛らしく鳴いた後、蟻塚は通話を終了させ――そのまま携帯を握りつぶした。

 小さな手からは想像も出来ないくらいの握力が発揮され、豆腐のように男の携帯が木っ端微塵に。

 

「……ぁ、またやっちゃった。ゴメンね、おっさん。お前の携帯でしょ?」

「はは、は。いや、良いんだ。気にしないでくれ」

 

 この少女の“個性”は分からないが、下手に刺激して反感を買えば、己の頭蓋が携帯と同じ末路を辿るのは目に見えていた。

 男はヘラヘラとした笑みを張り付け、マジックミラーの窓から外に視線を流した。

 

 便利屋、朝木勇には確かに恩情を感じている。友情すら芽生えているかもしれない。

 だが、同乗している少女はどこか苦手な雰囲気だった。というか生の危機を感じるくらいにはおっかなかった。

 

(そういや便利屋の奴、『回収班の女の子、壊れてる(・・・・)から、怒らせたら死ぬかもよ』って忠告してたな……)

 

 そんな危ない人員を回してくるなよ。

 唯一の不満があるとすれば、その一点だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ンで――」

 

 乱雑に携帯を放り投げると、勇は厳しい面持ちで振り返る。

 視線の先に居るのは、バーテンダーの格好をした黒い“靄”だった。

 比喩ではない。中々の長身だが、正体を掴ませない謎の風貌をした何者か。上半身を包むシャツの隙間から黒い霧を漏らし、肌を一切露出させていない。恐らく頭があるであろう部位に滞る霧の奥には、眼光めいたものが見えたが、それだけだ。

 

「――誰だ、お前は。不法侵入か。殺すぞ」

「……これは驚きました。何とも剛胆な。つい一年と半年前までヒーロー志望だった男の言葉遣いとは思えませんね」

「あ?」

 

 声音から察する所、コイツの性別は男らしい。……まあ、現状じゃ人間かどうかも定かではないが。

 そんな冷静な推察を巡らせつつも、多重思考(ダブルシンク)とも言える回路で、勇は同時に侵入者を訝る。

 

「……お前、何を、何処まで知っている?」

「あまり詳しくは知らされていません。ただ、貴方の経歴は粗方調べ上げさせていただきました」

「ほう」

 

 勇は小さく舌打ちをし、袖の中に隠してあるサバイバルナイフをいつでも取り出せる様に意識する。

 

 ――この段階で、勇は男の正体について二つの考察を済ませていた。

 まず一つ。男が発生させている黒い霧は、“個性”によるものだろう。これは深く考えずとも、誰でも行き着く結論だ。

 

 そしてもう一つ。この男、単独犯ではない(・・・・・・・)

 勇に関する情報を、「あまり詳しく知らされていない」と発言したのだ。意味深なミスリードの線も捨てた訳ではないが、裏で誰かと繋がっている以上、真っ先に斬りかかるのは論外である。

 

 幸いな事に、会話の余地がある人物らしい。まず目的を聞き出すのが先決だった。

 

「……警察にも、ヒーローにも、同胞にも知らせていない俺の隠れ家にお前が現れたってことは、まず水に流すとしよう。情報漏洩もクソもない。この場所は俺しか知らない。単純に尾行に気付かなかった俺の落ち度だからな」

「状況判断の速さには感服します。流石は元主席殿。ですが、この状況は私の個性に起因するもの。貴方の力不足ではありませんよ、朝木勇」

 

 男は敵意を欠片も滲ませない所作で恭しく一礼すると、緩やかな語調でこう紡いだ。

 

「申し遅れました。私の名は黒霧。この度、『便利屋』朝木勇を、私の所属する“ヴィラン連合”なる組織に正式勧誘するため、この場に参らせていただきました」

「ふぅん、勧誘ね」

 

 一考の余地がある――などという感想は持っていない。

 黒霧は勇を吸収する腹のようだが、勇は何処にも属さないし、誰にも従わない。彼の信念は全て個人に由来するもので、あくまで中立の立場からヴィランを支援する、という今の立ち位置を譲るつもりは毛頭無かった。

 しかし、黒霧の誘いを真っ向から拒絶出来るほど、勇は好戦的になれずにいた。何しろ、相手の個性を暴けていない。

 

「……どうして俺に誘いがかかったんだ? 戦力としちゃカスだぞ、俺は」

「偏に貴方の情報管理能力と、便利屋としてのネームバリューを私たちは欲しているのですよ。そう自分を卑下しないで下さい。無個性という欠点を度外視できるほど、貴方は優秀な人材なのです」

 

 自分の多才さを他人に語られて悪い気はしない。口元を僅かに綻ばせつつ、勇は相手を刺激しないように優しい声音で言った。

 

「なら、そんな俺から幾つか質問だ。勧誘というからには、ある程度は情報を開示してくれるんだろう?」

「この場で答えられる範囲には限りが有りますが……可能な限りはお応えします」

「んじゃ問いだ。俺について調べたと言ったな――知ってることを全部話せ。一つ残らず、全部だ」

 

「……2年前の夏に雄英を中退し、その一年後、便利屋を開業。貴方は私たちが確認できただけでも三十名近くの犯罪に荷担し、ヴィランの犯行を助長する活動を続けてきました。そして、今では数多のヴィランから支持され、裏社会の象徴的人物へと成りつつある。――と、まあこんな所でしょうか」

「間違ってはいないが、象徴的、か。朝木勇もそこまで有名になったか」

「ご謙遜を。貴方は誰より自分を自覚出来ている」

「ハッ、違いねぇ」

 

 勇は挑発的に笑みを浮かべ、

 

「お前は雄英中退と言ったが……どうして、俺がそんな選択をしたと思う?」

「流石にそこまでは調べられていませんよ。ですが恐らくは……無個性の枷を背負いつつ授業に着いていくのが難しくなった――というのはどうでしょう」

「ンま、当たらずとも遠からずだな。そんな感じだ」

 

 ここで、暫定的にだが、こう判断する。

 

(――放校されたって確定された情報までは知り得ていない、か。当然だな。教師陣には間違いなく箝口令が敷かれてるだろうし、『草壁勇斗』は今じゃ禁句みたいな扱いだ。記録としても上書きされてる。

 ……つまり、コイツを手引きした人間が雄英関係者にいる、のか。それとも――ずっと俺をマークしてたとか、いや、流石に飛躍した憶測か?)

 

 更に思考を重ねる。

 

(少なくとも、黒霧の中で“あの一件”と俺は結びついていない。姉さんの事も、きっと知らない。

 元雄英生で、ヴィラン紛いの活動をしている。その情報だけで俺の所を嗅ぎつけてきたって訳だ)

 

 ――かつて雄英高校に在籍していた草壁勇斗という少年――または、現在、『便利屋』を名乗っている朝木勇は、ヒーロー殺害の事件を起こした過去を持つ。

 黒霧たちがそのことに感づいていない内は、まだマシだ。その決定的な記録が見つかれば、それを“彼ら”がどう使うのか、想像に難くない。

 

「黒霧。もしも俺がお前の勧誘を承諾しなかったら、どうなる?」

「さあ。私は貴方を無理にでも連れて行くだけです。極力無傷で、とは言われていますが、抵抗されれば難しいかも知れません。無個性とはいえ、貴方はそこそこ強いですから。最悪、死なない程度に痛めつけてでもご同行願います」

「連れて行く、ねえ。だったら、俺が素直に付いて行ってやる代わりに、一つだけ約束しろ。

 

 ――俺の経歴を、雄英を貶めるために使うのは絶対に止めろ」

 

 それは、彼の信念に反してしまうから。

 紛いなりにも、『草壁勇斗』はあの高校を好いていた。その想いを裏切ることを選びたくはないのだ。

 

 それに、朝木勇というヴィラン――厳密にはヴィラン予備軍のような立場だが――の誕生に、雄英は全く関わっていない。その起源(オリジン)となる部分にヒーローが関わっているのは語るまでも無いが、一つの要因としてあの学校が関わっている訳ではないのだ。

 

 過去を掘り起こして相手を損なうために掲げる。なるほどそれも一つの戦略である。

 だが、勇は許さない。

 朝木勇が犯罪者になるにしても、かつて雄英生だったというのは単なる『偶然』だし、雄英の“落ち度”でもなければ“おかげ”でもないのだから。

 

「……ふむ、そこには貴方の底知れぬ決意があるんですね。分かりました。私の一存では決定しかねますが、もしもそういった流れになった場合、頓挫させるよう進言します」

「まあ、それでも良いか。……つーか、もう俺が加入すること前提か」

「好待遇ですし、きっと貴方は断りませんよ。それに――」

「それに?」

「……いえ、何でも。ただ、私は貴方が仲間になるだろうと確信してします」

「ほう、そりゃまたどうして」

 

 

「――それを(・・・)、教えられたからです」

「お仲間には未来を予知する個性持ちでも居るのか? それとも、全部(・・)お前らヴィラン連合の仕込みってか? 後者なら絶対ェにぶっ殺すぞ。テメエら全員皆殺しだ」

「?? 仕込み、と言いますと?」

(…………真意は伝わってない。やっぱ思い過ごしか)

 

 勝手に納得すると、勇はやはり勝手に頷いた。

 

「てかさ、敵対的じゃないみたいだから聞くが、お前はどうやってここに侵入してきたんだ?」

「ああ、そういえばお話していませんでしたね。私の個性」

 

 ――そう、言葉にした途端に、彼を取り巻く霧が拡張する。

 濃度をそのままに保ったまま、全身を覆い隠さんばかりの量へと霧が変化したのだ。

 どことなく、きっと強力な個性なんだろう――と勇が予想を付けた途端、それは見事に的中する。

 

「――『ワープゲート』です。平たく言えば瞬間移動……とまではいきませんが、空間移動と言えるでしょう。私の“霧”に包まれた対象を、任意の場所まで運ぶことが出来ます」

 

 ……何だソレ、クソ。一番敵に回したくないタイプの個性じゃんか。

 内心で悪態をつきながら、ひゅーぅと口笛を吹く勇。

 

「それで黒霧って名前か。安直だな。ヴィランネームか?」

「呼称を弄らないで頂きたい。そういう貴方の『朝木勇』だって偽名ではありませんか」

「そうだな、その通りだ」

 

 勇が本名で活動しないのは別段、深い意味がある訳ではない。複数の名前があれば、個人が特定されにくいからだった。彼には承認欲や自己顕示欲といったものが無い――と、彼自身は自認していた。

 

「では、飛びます。最初は慣れない感覚だと思いますが、どうぞご心配なさらないで」

「舐めるんじゃねえぞ。俺は遊園地に行ったら真っ先にジェットコースターに向かう派だ」

 

 ――悪い、蟻塚ちゃん。帰るの遅くなるかも。

 そんな風に思いつつも、勇たちは霧の中へと消えていった。

 

 




勇くんの過去の詳細は、追って明らかにしていきます。
次回は連合との会合です。


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種、胎動す。芽吹きの風。

 

「ふぅん。陰キャの溜まり場って感じだな」

 

 ヴィラン連合のアジト――一般的な飲酒店の内観を眺めながら、勇は軽薄な笑みを溢した。

 そんな様子が気に喰わなかったのか、唯一の先客は如何にもな不機嫌オーラを出しつつ、不遜な来客を睨み付ける。

 

「……口悪いな、お前。喧嘩売ってるのか、無個性野郎?」

 

 人の腕を模したマスクを何ヶ所にも装着した男は、嗄れた声で勇を罵った。

 すると、無個性、とのフレーズを聴いた途端に勇は表情から笑顔の化粧を落とし、値踏みするような細目を男へと向けた。

 

「いいや、口が悪いのはデフォルトでな。そういうキャラなんで怒らないでくれ」

「……まあいい。黒霧、コイツが?」

「ええ――『便利屋』朝木勇で間違いありません」

「へぇ、先生に聞いてた通りだ。若いな」

(……先生(・・)?)

 

 表に出すこと無く、勇は胸の内に奇妙な言葉の余韻を噛みしめた。

 どうやら、ヴィラン連合にはまだ“先生”なる協力者がいるらしい。黒霧、朝木、そして目の前のこの男。この中に『先生』は含まれていない。

 

「キャストは全員集まってないのか? その先生とやらはここに居ないみたいだが」

「そう急くな。まず自己紹介からだ、そうだろう。俺は死柄木弔……ヴィラン連合の頭だ。それで、お前は?」

「……朝木勇。知ってるだろ。ヴィランの癖に形式に拘る奴なのか?」

「一々勘に障る注釈を入れてくる野郎だな……だがいい。仲間になるなら目を瞑る。所詮は可哀想な無個性野郎の言葉さ、許してやろうぜ、死柄木弔」

 

 何故か上から目線だが、コイツはコイツで言動が社会不適合者だな……と勇は腹の内でほくそ笑む。

 ヴィラン側のヒーローであるといっても、『便利屋』だって都合の良い機械ではない。見下されれば腹も立つし、何なら殴りたいとも思う。初対面で勇と死柄木の好感度は、互いにマイナス値に振り切っていた。

 

「それで、黒霧――コイツは何て?」

「返答は保留されました。彼はただ、着いてくることにだけ承諾した。明確に拒絶されてもいませんが、やはり二つ返事で正式な加入の言質を取ることは出来ませんでした」

「そうかよ、概ね予想通りだな」

 

 死柄木はひび割れたように爛れた自分の首を掻き毟る。その間、視線だけは勇に向けたまま外さなかったが。

 

「ヴィラン連合――お前達の目的は何だ? 活動の方向を聞かせてくれ」

「簡単さ。ムカつく奴をぶっ飛ばして、やりたいようにやるだけ。だってヴィランだもんな」

「……警鐘を鳴らす訳でも、啓蒙でもなく、やりたいように、か――まあその辺は嫌いじゃないかもな。訳の分からん思想を長々と話し出すような痛い輩は、俺も苦手だし。いいじゃん至極明快で。(ヴィラン)はそうでなくちゃ」

 

 意外にも、死柄木の適当な返答は勇に好感触だった。

 そもそも『便利屋』なんて異彩を放つ役柄を演じている朝木勇こそ、思想犯のようなものだ。自己嫌悪と似た理屈で、彼は大義めいたものを振り翳すヴィランが苦手だった。

 その点、簡潔な己に対する答えを持ち合わせている死柄木は――典型的で絵に描いたようなヴィラン。便利屋の客のメイン層は彼のような人間であり、勇の持つヴィラン像にくっきりと適合する人物であった。

 

「――でもな、だからって俺がお前たちの食い物になるってのには承諾しかねる。何たって俺だぞ、この俺だ。俺様という俺だ。こんなちっぽけな組織に収まる器じゃないのさ。……んま、今後の“お得意様”として友好宣言、ってなら喜んで受け入れるけどな。同業者のよしみで割引特権も認めてやるぞ」

「待ってください、朝木勇。貴方の認識は間違っています。私たちは何も貴方を使い捨ての駒にしようなどと考えていません。重要な連合の幹部ポストとして迎え入れる準備があります」

「え、そうなの? ……それってどのくらい偉い?? 連合で何番目?」

「何番目、と言われましても――明確な序列などありませんので。しかし、私や死柄木と同等の発言権を認め、連合の行動方針に深く関わる役職です。作戦立案兼死柄木の補佐、かつ連合の窓口としての機能を担って貰うことになるかと思われます」

 

 懇切丁寧な黒霧の説明。成る程……と一拍おき、勇は吐き捨てる。

 

「要は裏方仕事の大部分が俺じゃないか。

 “自分たちは頭が悪いから賢い便利屋様に補強して頂きたい”――って正直にぶっちゃけたらどうだ? 

 

 ――底が知れたぜ、ゴミ溜めのクズ共」

 

「     ――――――死ね」

 

 瞬間、死の気配。

 微弱な空気の揺れで、両の手を此方に向けて急接近してくる死柄木を察知し、第六感で殺意に属する感情を向けられていると悟る。

 反射的に朝木勇が袖からサバイバルナイフを取り出し死柄木の首筋に添えた時――視界いっぱいに、両手の平が広がっていた。

 顔面寸前で寸止めされている……が、それは勇も同じ。少し力を加えれば、彼は簡単に死柄木の頸動脈を切開することが出来た。

 

「…………オイオイ恐いな。無個性なんだから虐めないでくれよ。俺ってまだお前の個性すら知らないんだぞ?」

「テメエ、ナイフなんて隠し持って……クソ! 黒霧! 丸腰で連れて来いって言っただろうが! どうなってやがる!!」

「他人のせいか? つーか俺、コレが無かったら死んでたんじゃねぇの? 言っとくがな、例え即殺されようとお前を道連れにするくらいの実力はあるんだぜ。無個性の悪足掻き舐めんな」

 

「死柄木弔! 朝木勇は冠絶した人材です! 得がたい逸材だ! 彼と軽々しく殺し合うのは止めてください!!」

 

 黒霧の制止の声が響く。絶叫のようでもあり、根底では落ち着きを忘れていない、識者の声だと直感できた。

 そんな中、寸止めで硬直状態の勇は、冷や汗一つ見せずに死柄木と対峙し、内心で焦燥していた。

 

(ああクソ、畜生。これじゃヤクザじゃなくてチンピラだ……死柄木弔、度し難い凶暴なマセガキだな。

 しかし、さてどうしたもんか――この調子じゃ、この場の全員出し抜くのは無理だ。だけど、全面肯定で加入を了承するのも拙い。後々フェードアウトしづらくなる。なら、次善の策として返事を後日に持ち越すか。問題は俺の口八丁でコイツら二人ともに納得してもらえるかだが――死柄木はYesしか認めなさそうだなぁ。

 いやぁ参った参った。本気でコレは……どうしたものか。こんな秘密基地の悪ガキみたいな連中とつるむの嫌だなぁ、割とマジで)

 

 勇の思考がこの場を抜け出す策を導きださんと回転し始めた頃。

 子供の喧嘩を静観していた大人のように寡黙だった彼は、唐突に己を主張し始めた。

 

 ――じじ、じじじ、じ、じじじじじ。

 

 設置型の薄型テレビの向こう側。

 暗黒面の帝王が満を持して登場する。

 

『――彼の説得には、随分と難航している様子だね』

「ッッ、先生……ッ!?」

 

 その声が響いた途端、死柄木は勇に向けていた殺人の手を引っ込めた。そして、黒霧は勇の傍らでほっと一つ息をつく。

 まるで、便利屋の懐柔が既に成功したかのように、その場には妙に落ち着いた空気が流れていた。

 

(ン~……ラスボスの風格。騙すのは無理そうだな)

 

 死柄木と黒霧の僅かな反応からそう推察した勇は、早々に諦観する。姿も見せない『先生』なる慎重派の人物。恐らくは連合の真の親玉だろう。

 全く底の読めない先生相手に、言葉だけで応戦するのは勇にも荷が重かった。

 

「チッ、誰もアンタの助けは求めてないんだが」

『そう言うなよ、弔。親心のようなものさ。朝木勇の説得は僕に任せてくれ。……フ、何。一方的にとはいえ、彼とは知った間柄だからね』

 

 その言葉の裏の含蓄には、朝木勇の情報を仕入れたのが自分である、という宣言が含まれている気がした。

 

「……お前が死柄木の言う先生か。何者だ?」

『影の支援者――といった所かな。君と比べたら最近は大した活動もしていない。若い芽に期待する、隠居済みの老いぼれさ』

 

 一言二言、言葉を交わし。

 掴み所の無い人物だな、と印象を受けた。

 

『さて朝木勇。君は連合に加わることに不服のようだが、どうか考え直してはくれないだろうか。君は弔に必要だし、弔は君に必要だ』

「……あくまで俺は養分じゃないと保証する訳だな?」

『当然だ。僕は君の味方だ。それに、これは君にもメリットのある提案だよ。連合はこの先大きくなる筈だ。誰だって最初は小人だろう。だから、現状の不足は飲み下して欲しい。僕の顔(・・・)に免じて』

「はぁ? どうしてお前の顔に免じる必要がある。隠居済みのジジイが何を言うかと思えば……抽象的で具体性に欠ける主張ばかり。

 全く、思わず身構えた自分が恥ずかしいな。こんなの取引でも何でも無い。勘違いジジイの妄言だ。介護施設の従業員ってのはこんな気分なのかねぇ」

 

 

『――だから、僕の顔に免じて(・・・・・・・)と言った筈だ』

 

 

 それをきっかけに、はっきりと空気が一変したのを肌で感じ取る。

 勇は音声だけを発するモニターを見上げ、親の敵のように睨み付ける。

 これは予感だが、非常に嫌な感じだ。

 ……果たして、俺は誰と話している? “先生”は俺の何を何処まで知っている? 死柄木や黒霧とは明らかに認識の差がある……そんな、気がする。

 

 だから、朝木勇は確かめるように、

 

「――誰だテメェ」

 

 ここで初めて、勇の表情に動揺が浮かんだのを、その場の誰もが感じ取った。

 

 

『なぁ、草壁くん』

 

 

 ――溶ける、溶ける、崩れていく。

 耽美な音色は少年に脳内麻薬に溺れるような錯覚を覚えさせた。

 月から真っ赤な液が漏れ出し、地面が泥のように溶け出す。世界が死ぬ、死んでいく。そうだ、とっくに俺は全部諦めていた。

 

 夜空には女性の瞳が散乱し、泥の奥底から彼女の腕が伸びてくる。

 

 ――痛い、辛い、苦しくて、哀しいと。何度も何度も悲痛な嘆きを聞いた。けれど結局、貴方は俺に何も求めなかった。

 周りの誰より何も持っていなかったのに、俺に譲ってくれた。自分を諦めて、俺に夢を見させてくれた。

 

「――忘れないで、だって私は」

 

 忘れないさ、だって貴方は――――俺の。

 

 犯され、穢され、殺された貴方の輝きを忘れるものか。俺は生涯愛し、憎み続けるだろう。

 

 故に、闇の王の言葉が草壁勇斗を激しく揺さぶったのは、必定であった。

 

 

 

『心底腹が立ったんじゃないか? 聞かせてくれよ。

 

  ――無実の罪でヒーローに倒される悪役ってのは、どんな心境なんだい?』

  

 

 

 ……そうか。

 

「――全部テメェの仕業か、コラ」

 

 有無を言わさぬナイフの投擲。届かないと分かっていても、勇は自分を抑えつけることが出来なかった。

 だが、一直線にモニターへと向かうナイフの切っ先は、突然現れた黒い靄――黒霧の能力によって阻まれる。

 

「備品を壊さないでくれますか」

「あ? 何か言ったか豚野郎。テメエの声は屠殺場の牛さんのようで、中学生のチ◯カスのような口臭だなぁ。引き裂かれて三度死にやがれ」

「……あの、口悪くなりすぎじゃありません?」

 

 豹変した勇の様子には流石の黒霧もたじろいだ。しかし死柄木は平然とそれを見据えていて――中々どうして、肝の据わった所もあるらしい。

 

『ふふ、やはりそうか。予想通り(・・・・)だな。その反応は図星だと白状しているようなものだ』

「……」

『誤解だよ、別に僕の仕業じゃない。こっち側には顔が広いものだから、情報が回ってきやすいんだ。そこで、僕なりに君について考察してみた結果が、アレだよ。

 信用してくれるとは思っていないけど、君が顔を立てるに足る存在じゃないかな、僕は』

「……みたいだな。有象無象の小者じゃないってことはよく分かったよ」

 

「オイオイオイ! お前らは俺抜きで何の話をしてやがる!? 草壁? 無実? 誰だそりゃ、何の事だ!! 俺は何も聞かされてねぇぞ、先生ェ!!」

 

 癇癪をまき散らす死柄木。

 勇から向けられる冷めた眼差しに一瞥もせず、死柄木は画面の向こうの先生に訴えかける。

 ――だが、初めて、そこで拒絶される。

 

『ダメだね。弔、君にすらコレは話せない。僕と朝木勇との秘密の話だ。

 ……どういう意味か分かるだろうか? つまり、死柄木弔と朝木勇。一番でも無ければ二番でもない。両方とも素敵なオンリーワン。同じ要素を兼ねている――二人とも、いずれ僕を継ぐべくして生まれた新芽だということ』

 

「…………そうか、そういうことか。この新入りは先生のお気に入り。だから贔屓目なんだな、アンタ」

 

『僕は等しく全員に施すよ。差別は嫌いなんだ。だからほら、気落ちせずに頑張ろう、弔。

 

 ――大丈夫、例え何が起ころうと、君の側に僕がいる』

 

 二人の破綻したような会話を尻目にして、平時の冷静さを取り戻した勇は、ぽつりぽつりとぼやきながら黒霧へと向き返った。

 

「……(ヴィラン)連合。混沌(カオス)。イカレた奴らだ。あ、そうだ黒霧、さっきは無意味に罵倒してゴメンな。許してくれ、アレってアレルギーみたいなもんだからさ」

「え、ええ。気にしていませんよ」

 

 既に心は決まっていた。

 先刻の先生の言葉には、無条件に信じてもいい価値があった。何故なら、奴は知っている。包み隠してきた朝木勇の根幹――その起源(オリジン)を。

 

「おい先生とやら。お前の顔に免じて、俺も入ってやるよ、連合に」

『それは僥倖。ありがたい』

「だが、一つ忠告しておく。

 

 仮に、仮にだ。お前が裏で全部糸を引いていたとしても、用意されていたのは一から九十九までの路線だ。……最後の一は俺が選び、俺が踏み出した! 俺だけのものだ!! だから勘違いすんじゃねェぞ、耄碌野郎!?」

 

 勇の決意の表明を前に、先生は喜悦混じりの笑いをケタケタと溢す。

 

『……やはり優秀だな、君は。その可能性(・・・・・)に瞬時に思い至る時点で、明らかに常軌を逸している』

「お褒めにあずかり光栄だな、黒幕殿。反吐が出るぜ」

 

 ――後に分かることだが、ヴィラン連合の面子は未だ三人。別に精鋭でもない少数部隊だったのだが、朝木勇はこの選択を悔いることは無い。

 この日、この瞬間、この場を以て、ヴィラン連合は始動する。それを扇動するのは――やはり、勇に黒幕と呼ばれた、あの男の言葉だった。

 

 

『では皆、存分に学び、力一杯芽吹くと良い。ここが君たちの学び舎だ』

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……見つけた」

 

 蟻塚が勇と再会したのは、日付が変更する間際の深夜だった。

 

「今から帰る所だったんだが、よくここが分かったな」

 

 勇がいたのは都市郊外の共同墓地。連合のアジトを抜け出してまず真っ先に彼が向かったのは、この鬱屈とした墓地だった。

 蟻塚は知っている。彼の消息が分からないとき、大抵はここにいる。そして決まって、そういう時、彼は傷心していた。

 

「……今日は一緒だよ。一緒に寝るんだよ」

「ああ、そうだね――――ありがとう」

 

 腰にしがみついて甘えると、勇は朗らかな頬笑みを見せた。邪念のない子供が母親に縋るように、彼は笑ったのだ。

 

 ――――きっと悪魔も、かつては人間だった。

 

 

 




なんやかんや未だに不透明な勇くんの過去。
明らかになっているのは、親しい女性がいた・殺人犯として扱われてる・冤罪疑惑・何故かAFOが真相知ってるっぽい。と、この四点くらいでしょうか。徐々に繋がっていくのでお楽しみに。ではでは、また次回。


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悪の参謀

評価バー赤くなってて感激です。誤字報告ありがとうございます。それでは続き、どうぞ。


 ベッドの上で、勇斗は泣いていた。しわくちゃの顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら。 

 澄んだ緑宝(エメラルド)の瞳を大きく歪め、流れる川の水のように柔らかな髪を乱しながら。

 

「……勇斗。お前――」

 

 戸惑うような父の声。初めて目撃した我が子の涙は、彼の情緒を激しく揺さぶったであろうことは想像に難くない。

 父親の声を聞き、勇斗は涙を止めた。泣くのを止めた。

 だって、俺には“これ”しかないのだから、絶やすわけにはいかない。

 

「……っ」

 

 父が悲痛に眉根を吊り上げ、奥歯を噛みしめたあの表情は、未だに記憶から抜け落ちない。

 その時の彼の心情を推察するには忸怩たるものがあったが、愛する息子が無理に作った乱脈な笑顔――彼はそんなもの見たくなかったことだろう。

 

「僕なら、平気だよ。見てよ、僕の個性の――『笑顔』だよ」

 

 純粋すぎたのか、端から屈折していたのか、どちらにせよ悪意なき子供の強がりは痛々しかった。

 

「……それだけじゃ、ないぞ」

「?」

「父さんな、お医者さんから聞いたんだ。お前にはもう一つ個性があるって! それは――」

 

 目を醒ました朝木勇は、在りし日の父を代弁しこう繋いだ。

 

 

 

「――『勇気』か。ハ、随分と殊勝だこと」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 便利屋稼業に必ずしも戦闘スキルは必須では無かったが、朝木勇は日々の鍛練を怠ることがなかった。

 必要性の有無に関わらず、染みついてしまった向上心はどれだけ拭おうと落ちる様子を見せない。性根の部分から勇は勤勉だった。

 

「せァ――ッ!!」

 

 己を鼓舞する掛け声と共に繰り出される回し蹴りで、100キロ近くのサンドバッグがくの字に折れ曲がる。

 鍛練中に自分の持久力を考慮したことはない。常に全力で、出し尽くした後は気力で身体を動かす。勇の屈強な精神力に依存する形の肉体改造の効果は実を結び、着込んだ薄布のウエットシャツは黄金比の強靱な肉体で盛り上がっていた。端整な顔立ちとは似つかわしくない。彼は着痩せする部類だった。

 

「ハァ、ハァ、……っと、まだイケるな」

 

 息を切らしながらも限界を超えた自分を捉えたまま放さない。

 板張りの床の水溜まりは全て勇の汗だ。尋常ではない。全身から吹き出す湯気は彼が臨界にいると表わしていたが、勇は一リットルの生理食塩水を一気に飲み干して原動力を確保する。排出した体液は新たに獲得したからまだ動けるぞ、というトンデモな理屈だった。

 

「流石にもう休んだらどうですか? 二時間ぶっ続けじゃないですか」

 

 諌言したのは黒霧だった。勇は自分の所在を掴ませないために、自分の固定された日課は滅多に他言しないのだが、黒霧はその辺り口が堅いとして彼から信頼されていた。個人用のトレーニングルームへの入室を許可する程度には親密だと言って良い。

 

 ――ヴィラン連合加入より約一ヶ月。そろそろ打ち解けてきた頃合いだ。

 

「余計なお世話だ。死なない程度に自分を痛めつけるのには慣れてる。それに、これは肝要なストレス発散でもある」

「ストレス? 貴方はそういうものと無縁そうですが……」

「実はそうでもない。鬱憤を適度に発散するのが心の健康を保つ秘訣だ。綺麗な女を抱いたり、上手い飯を食ったり、ムカつく奴を思い浮かべて拳を振るったりな、例えばこんな風に――くたばれ死柄木ィ!!」

 

 どすん。重たい音が響き、砂が爆ぜた。

 サンドバックにめり込んだ拳を引き抜いた勇くんは、それはそれは晴れやかな笑顔でしたとさ。

 

「……死んだな。哀れ、死柄木弔」

「仲良くしてくれとは頼みませんが、彼との不仲は改善して頂けませんか? 組織内の不和は混乱を招きます」

「大丈夫だよ、表立って対立はしてない。誰にだって不満の一つや二つあるものだろ? こうやって、相手に知られないように隠れて憤りを晴らすんだ。

 それに俺は他人の長所を見つけるのが得意だしな。死柄木って子供っぽくて可愛いところあるじゃん? 見方を変えれば、仲良くするなんて簡単だ」

「全然本心で言ってなさそうな所が凄いですね」

「失敬な。結構本心だぞ。俺って社交性あるし、相手の顔色を窺える男だ。相手の望みを見抜いて、表現されるより先にそれを演じる。好感稼ぎも得意だぜ。だからモテるんだろうなぁ」

「だから煽るのが上手いんですねぇ……」

「ハッ、褒め言葉」

 

 どんな文言も自分にとって都合の良いように脳内変換する勇は根っからの善性に見えて、破滅的な闇を抱えていた。その“一端”を垣間見た黒霧は、勇の笑い顔を前にする度に想起することがあるのだが。

 楽しそうにケタケタと笑う勇。残念ながらどれだけ訝り観察しても、彼は正常だったし、清楚で潔白な美少年だった。

 

「……貴方の人生は本当に楽しそうだ。そう見えるのは、何事も笑い飛ばせる朝木勇の精神の演出ですかね」

「つーか、俺の“個性”だな、そりゃ。

 

 俺の個性――『勇気と笑顔』。言い換えてラブ&ピースでハートフルなエッセンス、あるいはリビドー。

 とっても素敵な個性だと思うだろう?」

「私はたまに貴方の言っていることが分からないんですが……」

「大丈夫か? 日本語、勉強し直す? 今の時間帯だと蟻塚ちゃんが漢字のお勉強中だろうから、混ぜてやろうか」

 

 日本語を改善すべきはお前だろう、と出かけた言葉を黒霧は飲み込んだ。

 

 

 

 

(――拙いですね。これは)

 

 黒霧の抱えている焦燥は、不安を内包した幸福という矛盾だった。

 

(私は心を開きすぎている。良い傾向なのかもしれませんが、まだ一定の距離を開けておくべきでしょうか)

 

 平たく言うと、楽しいのだ。朝木勇との会話が。

 死柄木という同居人が素っ気ないというのもあるが、勇の話術は隣人を満たすものがあった。カリスマというのはこういった男のことを指す言葉だろうか。

 幸を振りまく人間たらし。同じ場所を共有しているというだけで、こうも引き寄せられるのだから、彼が現役のヒーローであったとしても何の違和感もない。――そういった予感に、黒霧は激しく警戒していた。自分は籠絡されているのではないかと。

 

「で、そろそろ本題に入ったらどうだ? 俺と駄弁りにここまで来た訳じゃないだろうに」

 

(………………そうですか。全てお見通し、ということですか)

 

 突如として事務的な会話を展開した勇は、黒霧の警戒心を見抜いていたのだろう。

 自分は無理に親密になろうとしている訳ではないぞ、と。警戒したいならするといい、と。そう宣告されているのを、黒霧は向けられた視線の奥から感じ取った。

 

「雄英高校でオールマイトが教鞭を執っているのはご存じですか?」

「一応な。それがどうした」

「――現在、我々、ヴィラン連合の計画が思案されています。『オールマイト殺害を目的とする、雄英の襲撃』、是非とも貴方の知恵をお借りしたい」

「……おいおい聞いてないぞ、なんだよ計画って。作戦参謀は俺だろう? 俺抜きで話を進めるってのはどうなんだ?」

「そう言われましても、貴方、週一でしかアジトに顔出してくれないじゃないですか。それにまだ草案の段階です。私としては朝木勇を交えて具体性を帯びさせていきたいし、死柄木もそれに同感らしい」

「へぇ」

 

 一ヶ月だ。一ヶ月間もの間、連合は動いていなかった。勇の疑心も強くなってきていただろう頃合いに、ようやく本格的な活動の目処が立ったのだ。

 ただ結成する、という目的だけで人員を確保するのは朝木にも至難だったようだが、オールマイト殺害というゴールを定めることで、彼の『窓口』としての動きも活発化する。

 やっと活動らしい活動が出来る――朝木勇の面持ちは、水を得た魚のそれだった。

 

「ここで聞いた限りじゃあまり賛成できないが、原案段階としては興味深い。もちろん俺も会議には参加させて貰おう」

「感謝します。では、都合のつく時間帯があればご連絡下さい。私も死柄木も、貴方の予定に合わせましょう」

「んじゃ、今からだな」

 

「……はい?」

「だ、か、ら。今からアジトに向かって作戦会議するんだよ。一秒たりとも無駄にしたくない」

 

 時間の許す限り、可能な努力を突き詰める。休養ならまだしも、怠慢の余暇は許さない。

 勇がヒーロー下積み時代に培った基礎は健在だった。

 

 ◇◆◇

 

 雄英一年生の災害訓練中、その授業で彼らは一時的に校舎と離れた訓練施設に隔離される。丁度その授業はオールマイトが担当するものらしく、他に同行するヒーローもごく少数。雄英の盲点を突いた、大胆だが理想的なタイミングでの襲撃。その結論に行き着いた時、勇も同意の色を表わした。

 

 雄英校舎の見取り図と地図は実際に地の利もある勇が入手する手筈となり、問題は戦力の補充である、と全員の意見が一致したのだが――――、

 

「…………まず大前提だが、俺はオールマイトの相手を放任させて貰う」

「後ろで指揮でもとる腹か?」

「うーん、そうじゃない。指揮牽引は得意分野だが、今回みたいな出たとこ勝負だと生かせない。現場での柔軟性と一騎としての戦力が必要だ。つまり俺、カスな」

 

 自虐的に笑って見せた勇の言葉を、死柄木と黒霧は緘黙して聞いていた。 

 

「雄英生徒と言えば、ガキはガキでも金の卵だろう。試験を乗り越えたウジ虫の中の精鋭たち。もしかすると毒虫が混じってるかもしれない。だから、虚を突いて生徒を訓練場各地に分散させるのは必須。だが、分散させた先で生徒を皆殺し、ってのはちと骨が折れる」

 

 この作戦は急性だ。勇が集められる戦力にも限りがある。研鑽された個人は数名しか募らないだろう。つまり、彼の中では既に、自分がブローカーと連携して有象無象の数を集める未来が出来上がっている。

 しかし、それだけでは明らかに殲滅には力不足。おそらくは足止めのための肉壁にしかならない。

 

「でもさぁ、オールマイトは殺したいが、生徒も殺したい。そう思わないか?」

「サブミッションてやつか」

「お、適切だなリーダー」

 

 リーダー、と呼ばれて死柄木はマスクの下で口角を吊り上げた。機嫌が良くなった彼を見て、こいつ煽てたら木にも登りそうだなぁ、お猿さんかな? と勇は嘲っていたが、それは別のこと。

 

「雄英校内で生徒の死。もちろん“象徴の喪失”の方が社会に大きな痛手だろうが、前者も中々のインパクトだ。世論は俺たち好みの動きを見せる。子供を守れなかったヒーローへは疑心が向き、連合を最高の形で宣伝できるだろうな。ヒーローにもヴィランにもだ。……何せ、いつの時代もガキの命ってのは世の宝だからな。俺らはその宝物に唾吐きかける蛮族さ。レッツパーリーだぜ」

「……あの、朝木。貴方は以前、私たちに『朝木勇の経歴で雄英を貶めるのを許さない』と持ちかけてきましたよね。生徒の殺害に主軸を置くというのは分かりますが、それはつまり、雄英を失墜させる意図があってのこと。貴方の信念にそぐわないのではないですか?」

「んー? 何か違うな、それ」

 

 ここで勇は、自分が誤解を受けていると認識した。

 前々から気付いていたが、自分は連合の面子から警戒されている。その理由は――おそらく、朝木勇がヒーローに肩入れしているという先入観が根幹にあるのだろう。ならば否定しなければならない。

 俺たちは思想を同じくする同士であり、仲間だと、根を張っておかないといけない。

 

「――俺が気にしてるのは筋道だな。地力でヒーローの信用を削る分には大賛成だ。気に入らないのは、偶然を利用するってことだ。最初から俺がヴィランとして雄英に侵入していたなら構わない――だが、俺はあの時、間違いなくヒーローに焦がれていた。それが“たまたま”、今になってヴィランに転向しただけ。その偶然を、自分に都合良く改竄したくないって訳だ」

「面倒くさい野郎だな、お前」

「それが俺の美徳だぜ。美学と言っても良い。やっぱ俺カッコいいだろ」

「いや、全然全く」

 

 売り言葉に買い言葉だが、もう死柄木と勇の間に悪念は介在していなかった。少なくとも、死柄木から一方的に敵意を剥き出しにすることはなくなったらしい。

 

「話を戻そう。――掻い摘まんで言うと、俺は生徒を殺したい。オールマイトの前じゃ司令官なんて無意味だ。作戦や戦略を拳で薙ぎ払われる。適材適所って奴だな。俺には生かせる適材と適所があるが、それは舞台の影で用いるものだ。オールマイトを殺す――その裏側で、俺は生徒を殺そう。お前たちを信用していない訳じゃないが、まず間違いなく俺の目的は成功するから、サブミッションクリアは確定。及第点は確約される。どうよこの完璧な計画(プラン)。俺ってマジで参謀じゃね」

「聞く限り、最良のようには思えますが――」

 

 黒霧は死柄木に判断を委ね、死柄木は、

 

「ミッションには保険が鉄則。だけど――お前、無個性のくせに大丈夫か? ウジ虫の中に毒虫がいるかもしれないって言ったのは、他ならないお前だ。どうして“確約”できる?」

「ああ、それね。抜かりないから大丈夫」

 

 勇は余裕で裏打ちされた表情を浮かべていた。そこには絶対の自信が見え隠れしていて、彼の確約という言葉に現実味を加えている。

 

「黒霧の“ゲート”で生徒を分断する際、俺が指定した生徒をある箇所に飛ばして欲しい」

「残念ですが朝木、私の個性にそこまで正確な座標を選択する力は――」

「分かってる。だけど、個人ならどうだ? “こいつだけを確実に”って事前(・・)に顔写真付きで指名したなら、お前の個性で失敗することは無いだろう」

「――確かに、それなら可能でしょう」

 

 黒霧から言質を得た勇は、説明を次の段階へと進める。

 

「実はさっき、アジトへの道すがら、卵共の個性を調べてたんだが、」

「調べるって、お前、どうやって……」

「まぁ、色々手があってな。後々詳細を文書として提出するつもりだが――お、コイツだコイツ」

 

 端末式薄型携帯を机の上に広げ、その生徒のプロフィールを開示する。

 そして、彼は、悪魔のような面貌で平然と言ってのけた。

 

「前言の通り、俺は“カス”だ。

 

 だが、流し見しただけで確信できた。生徒の中に――“ゴミ”がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――峰田実(みねたみのる)

 汎用性のある強個性持ちみたいだが、活かすには学生じゃ未成熟すぎだ」

 

 

 

 

 

 

 

 ――物語は動き出す。

 

 

 

 

 




やめて! 天才設定の勇くんが本気で殺そうとしたら、『もぎもぎ』で頑張ってきたブドウの命までもぎれちゃう!
お願い、死なないでブドウ! アンタが死んだら、勇くんが言い逃れ出来ない殺人犯になっちゃって、彼を慕ってたミリオやねじれちゃんが号泣するどころか、ついでに相澤先生の心が玉砕しちゃうんじゃないのォ!?
まだライフは残ってる! ここを乗り切れば、アンタにも成長フラグが立つんだから!


次回「ブドウ、もぎす」
まさかの大ピンチ! 逃げろ峰田ァ!!

※予告はネタです。




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悪夢

朝木勇「You say runを流させないマン。調子に乗って作者のSAN値をゴリゴリ削る」
 
峰田実「ゾルディックに狙われた初期レオリオ。どうしろと」
 
緑谷出久「サスケが黒くなりすぎたナルト。ヒナタのNTR希望」


 個性把握テストの記録に於いて、相澤消太が生徒に求める基準はさほど高くはない。自分の個性の長所を的確に活かし、平時よりも運動記録を伸ばすことが出来れば最低ラインには到達する。つまりは、用途を誤っていないかの確認であった。

 

 雄英生徒一年の個性は、必然的にこれから伸びていく。入り口から多くは求めまい。

 だがしかし、根本的に戦闘センスに欠陥がある生徒に関しては、躊躇無く除籍にする覚悟が彼にはあった。

 

 ――アイツが篩い落とされたというのに、甘ったれた新生児を擁護してやる道理がどこに有ると言うのか。

 

 もはやソレは忌名であるが、彼が鮮烈に奮闘していた姿は、相澤の瞼の裏側に今なお焼き付いている。

 そんな意識を持っているが為に、必要以上に査定の目は厳しくなっているのかもしれない。アイツは特別で、その他は凡庸だ。同じものを求めるのが酷だというのは、本音の部分で理解していた。

 

 だが、それを考慮して余りあるほど、この生徒は欠けていた。

 

 

「――緑谷出久。お前のは一人を助けて木偶の坊になるだけ。その個性じゃ……ヒーローにはなれないよ」

 

 

 特殊合金を編み込んだ布で拘束した緑谷に、純然たる真実を告げる。

 緑谷出久の個性は、明らかに彼に馴染んでいなかった。入試の時点で判明した推論を、相澤は思い出す。彼の個性は膂力を増強するものだろう。しかし、まるで身に余る強力な個性を最近宿したかのように、個性発揮直後に緑谷はリバウンドで傷害を負う。

 そして、周囲は彼に手を貸すことを強いられるのだ。言うなれば、一発限定の強力な兵器だが、その後は戦闘不能になる自爆型個性。

 

 この年齢で自分の個性を使いこなせていないなら、それにどう助力するかは教師の腕の見せ所とも言えるが、根本的な欠陥を抱えた生徒と同じ目線に立つほど、相澤は悠長な男ではなかった。

 

「……せめて、周囲の手を借りずに動けるくらいには、個性の扱いに慣れろ。お前には時間も、才能もあるらしいからな。何ならここで辞めて、また雄英を受けると良い」

 

 ――除籍の一年が惜しいなら、少しは頭を使え。

 

 真意は伝わっただろうか。ならば、この生徒は欠片ほどの可能性くらいは見せてくれるだろうか。

 

 ――結果、人差し指だけでボール投げ、という奇策で、彼は退学を逃れた。

 自分だけで完結できる最善の手を見た。緑谷は個性に難ありだが、登竜門を潜るには十分であると自分を知らしめることに成功した。

 

 そんな中、相澤消太は思い出す――。

 

 

 

「――草壁、お前、やる気あるのか?」

 

 全ての生徒が全種目の記録を出し、順位をつけようとした矢先、一人の生徒の欄だけ余白であると気付いた。

 記録最下位は除籍処分――それに怖じ気づいて、テストを辞退したか。それとも、“無個性”だと周知になるのが嫌で忌避しているのか。どちらにせよ、この卵は腐っている。

 

「俺の個性は『勇気と笑顔』ですから、それで運動能力は上がりません。記録も伸びるのに時間が掛かります。

 入試の際に運動技能のテストは行われた筈ですから、それがそのまま俺の全部です。

 

 それで足りないなら、俺は実力不足なので退学するべきです。その時は――また来年、来ます!」

 

 ……流石に、想定外の予想外だった。こんなトチ狂った事を偉そうに吐き散らす生徒は今までに皆無だった。何故なら――無個性で入試を乗り越えた蛮勇など、過去に例が無かったからだ。

 

「はは。相澤先生に認められるまで、あるいは、貴方が担任じゃなくなるまで、入試と除籍の無限ループですね!」

 

 虚言だとは思わなかった。いいや、それが強がりだと信じたくなかった。彼は本気でそう言っていると、本気であってほしいと、そう願った。

 他より不足している自分の欠陥を、時間と努力だけで埋める。無個性らしい、けれど実現の難しい受難。

 草壁は、今までそれを成してきたのだ。だったら、これからもそうであってほしい。

 

 彼の言葉を聞いて、詮無き卵の可能性として切り捨てられる教師が、どれだけいるだろうか。彼から“時間”まで剥奪しようとする冷淡なヒーローは何人いるだろうか。

 

 少なくとも相澤は――彼の行く末を、あと数歩先まで見てみたいと思った。

 

「……お前、合格でいいよ」

「えっ!?」

 

 それは、やがて見せる鬼才の頭角の一つを引き上げる結果となった。

 

 

◇◆◇

 

 ウソの(U)災害や(S)事故ルーム(J)!!

 今日、一年A組メンバーが救助訓練の舞台として利用する演習場。実際の現場を想定して、水難、火事、震災に至るまで多岐に亘る障害施設が併設されていた。

 

「……13号、オールマイトは? ここで待ち合わせてるはずだが」

「仮眠室で休んでます。通勤中、制限ギリギリまで活動してしまったみたいで」

「不合理の極みだなオイ」

 

 雄英教師陣の中で、オールマイトの弱体化に伴う個性の使用時間制限は共通認識となっている。相澤は13号の報告は忌々しげに聞き終えると、重たい溜息を漏らした。

 

「まあ仕方ない。始めるか」

 

 災害訓練で実践形式の授業。生徒たちの必修科目だ。時間を惜しんで、とっとと取り組もう。

 ――この判断が誤りであったとは言わない。

 雄英の敷地内で、その上プロヒーローの二人が会している。一応の警戒命令が出されているとはいえ、突拍子も無く脅威が出現すると、誰が予想出来ようか。

 

 念の上に念を入れた警戒態勢。そもそも万全を期すことを求められない状況では、完璧に近い状況。

 

 ……しかし、それが一変するのは束の間の出来事であった。

 

 

 13号が生徒を扇動鼓舞している間、相澤は視界の端で見慣れない淀みを捉えた。

 視認すべく、焦点を合わせる。演習場の中央広場――その中心で蠢く影。それが一つの“穴”のような造形を描くと――指が顔を覗かせる。

 

 地獄の底から這い上がるように、しかし悠然と、顔を出した奴らと視線が合った。

 

 

「一かたまりになって動くな!!」

 

 

 反射的で鋭い伝令が走る。

 その間にもズズズ…とその表面積を広げる穴からは、無数の人影が湧き出続けている。

 

「何だアリャ!? また入試ん時みたいにもう始まってるぞパターン?」

「動くな! アレは――(ヴィラン)だ!!」

 

 

 

 犇めく悪意の権化たちは黄金の原石を厭忌の、あるいは侮蔑の視線で睨め回し、最後に臨戦態勢に入らんとするプロヒーロー二人を確認した。

 

「『13号』に……『イレイザーヘッド』ですか。おかしいですね、整合性が取れない。彼の調べではここにオールマイトがいなければならないのですが……」

「焦るなよ黒霧。……流石は元ホワイトハッカー、“サブ”は居る(・・)し、残りも報告通りの面子だ。ああでも萎えるな……平和の象徴。オールマイト、メインターゲットが居ないなんて……。

 

 

   子供 を 殺せ ば 来る の か なぁ?」

 

 

 

 飛び込む。

 即座に避難誘導の命を出した相澤は、13号に生徒を託して敵陣のど真ん中へと特攻した。

 インベーダーの数は未知数。広場に“出現”しただけの人数でも二、三十には達するだろう。その上、伏兵が潜んでいる可能性も考慮に値する。

 

 それでも、増援を待つまで誰かが(ヴィラン)を足止めせねばならず、オールマイトが居ない今、その役回りとして適任なのが自分であるという判断は至極正解だった。

 

「イレイザーヘッドだ! 異形型部隊詰めろォ!!」

(……ッ。クソ、俺の対策まで織り込み済みか)

 

 ヴィランの一人の掛け声で確信する。――彼らにはずば抜けた参謀の後ろ身があると。

 当初の予定通りだと、この授業は13号とオールマイトの二人体制で行われることになっていた。マスコミに扮して外壁を“崩された”先日の一件以降、雄英は万が一にも備えて変則的な警備を組むことにしていたのだ。

 

 つまり、昨夜までの予定通りならば、今日、この場にイレイザーヘッドはいなかったことになる。

 

 ――今の状況を作るためには、雄英の情報を抜き取るどころか、子細な動向まで先読み(・・・)できるヴィランが敵側に存在している必要がある。

 ――それとも、雄英側(こちら)に内通者が?

 ――……あるいは、その両方(・・)か。

 

 一先ずは疑念をかなぐり捨てて、ヴィランの掃討に従事しよう、と相澤は自分の役割を再確認する。

 

 ゴーグルの下で個性発動の所作をしている遠距離タイプを可能な限り無力化しつつ、近接主体の異形型と相対。マフラーよろしく首に巻き付けていた合金の布を解き、武器として自在に操りつつ、複数のヴィランを相手取る。その戦闘力は模範的なプロのそれだった。

 

 しかし、一歩、届かない。

 相手を拘束しようにも、ヴィラン達はそれを防ぐように隊列を常に変動させていた。

 嫌な立ち回りだ。まるで――

 

(決定打を避ける動き……まるで、俺との戦闘を事前に訓練してたみたいだな。普通、これだと袋叩きだが――粗が多いぞヴィラン共!) 

 

 相手の異形型は図体ばかりが肥大化した脳筋が大多数。いいや。その類いばかりだった。我先にと密集してきたそれは絶好の肉壁。死角を作るにはもってこいだ。

 ヴィランの隙間を縫うようにして進み、自分を視認できていない相手から潰していく。

 合金布で両手両足を拘束したヴィランを、その他の密集地へと投げ飛ばし、陣形を乱す。

 そして、倒れ伏したヴィランを背にして宣言する。

 

「ヒーローは一芸だけじゃ務まらん。付け焼き刃の連携が通用すると思うなよ」

 

「嫌だなプロヒーロー。有象無象じゃ歯が立たない……だけどその個性、長期戦には不向きだろう……?

 ――そんなに生徒に安心を与えたいか? 強がるなよイレイザーヘッド。生憎だが、中古の攻略本が落ちてたよ。だから、タイプ相性はもう知ってる」

 

「…………勝ち腰とは良い度胸してるな」

「噛ませ犬はそう言うんだ。チワワに噛み付かれるドーベルマン――アイツはそう言ってた。さぞ悔しいことだろう。お前は失敗するんだ……。ほらイレイザー、無駄口叩いてても良いのか――囲まれてるぞ。それに、今から俺が触れ(・・)に行くからな……!」

 

 

 

 

 

 

 イレイザーヘッドといえど、事前の対策を積まれた大衆相手に常に優勢でいるのは至難だったらしい。

 黒い霧を纏う、如何にも最も厄介そうな(ヴィラン)は、イレイザーの視線を抜けて、離脱を画策していた生徒たちの前に姿を現していた。

 

 

「――我々は(ヴィラン)連合。僭越ながら、この度雄英高校に入らせて頂きましたのは、平和の象徴……オールマイトに、息絶えて頂きたいと思ってのことでして」

 

 …………は?

 

 緑谷出久は反芻して考える。

 侵入者。ヴィラン。目的は――オールマイト殺害……?

 生徒たちが混乱している間に、黒い霧を纏う男は、

 

「標的は捕捉しました。……私の役割は――コレです」

 

 濃密な闇が生徒を覆い尽くさんばかりに広がった。

 だが――爆豪、切島の二人が霧の中心部、敵の胴体部へ向かって爆破の個性を、そして硬化の個性による斬撃を飛ばす。

 

「その前に俺らにやられるってことは考えなかったのか!?」

「百回死ねや! モブが!!」

 

「……危ない危ない。そう、生徒と言っても優秀な金の卵」

 

 霧はゆらりと笑う。

 そこで、前に出た二人の危機を察した13号は力の限り叫んだ。

 

「ダメだ二人とも! 下がりなさい!!」

 

「散らし、嬲り、殺す――――――といきたいところですが、一先ずは」

 

 誰も気付かなかった。見えなかった。

 全くの逆方向に生じた霧の中から、“生身の腕”が出て来たことを。

 その腕が、一人の生徒を引きずり込もうと画策していることを、誰も見抜けなかった。

 

 ――一人を除いて。

 

「峰田くん! 後ろ!!」

「……ふぇ? オイラなの!?」

 

 出久が庇うように前に出る。

 すると、黒い霧の発生源たる男は瞳の光を弱々しく揺らした。

 

「……生徒を固めたイレイザーヘッドが聡明だったという事でしょうか。これでは個人を捉えるのは難しい。

 ――仕方ありませんね」

 

 息をつく暇も無かった。

 瞬く間に視界を覆い尽くした濃霧を払う思考は出久たちにはない。そのまま、まるで呼吸でもするかのように、霧の中へと出久と峰田の二人は呑まれていく。

 

「しまった、生徒が!?」

「油断しましたね、13号。よそ見とは……余裕ですか――勿論、他の生徒も散らしますよ」

 

 

 

 

 

 ◇◆◇ 

 

 

「!?!? ここ、山岳ゾーン!? そうか、“ワープ”の個性!!」

「びぇえええええええ!! 何でオイラがこんな目にぃぃいい!!」

 

 泣き喚く峰田を尻目に、考察する。あのワープ男が生徒を分散させた理由を。

 考えろ、考えろ、考えろ。奴は失言していた。肝心な何かを言っていた筈。それは……。

 

「散らし、嬲り、殺すって事は――!?」

 

 すぐ側に危機が潜んでいることを感じ取った出久は、身体を強ばらせて視線を巡らせる。

 盛り上がった岩。崩れかけの橋。断崖絶壁の壁。そして、岩場の影に、一人の男がいた。

 

 切り揃えられた黒髪に、宝石のような淡い緑の瞳。

 全体を隠す小麦色のマントを揺らしながら、右肩に巨大な鉄の塊を掲げ、寸分違わず緑谷たちへと向けている。

 

 

「吹き飛べ」

 

 

「(拙い!?) 峰田くん!!」

「えっ、えっ? 今度は何だよ!!」

 

 一早く命の危険を悟った出久。判断能力に疎い学友の肩を掴むと、直感だけで敵の攻撃を避ける動きをする。

 そう、攻撃される。殺す覚悟で放ってくる。

 この男は――間違いなく、自分たちの命を狙っている。一目見たら、誰だって彼と同じ風に感じるだろう。なぜなら、

 

(このヴィラン……拳銃でも、猟銃でもなく――軍用のロケットランチャー構えてるんだけど!?)

 

 思考した直後、死の弾道が描かれた。

 発射されたロケット弾を見た瞬間、脊髄反射のように、出久の身体はその場からの離脱を選択した。

 学友を掴んだまま、個性を爆発させて、無策で爆撃から逃れることだけに全神経を捧げる。両足に個性を集中させ――一瞬で、近場の岩付近まで身体を飛ばした。

 それと、先刻までいた場所に爆風が吹き荒れるのはほぼ同時のことであり、その光景を見ながら出久は戦慄する。一秒でも反応が遅れていたら――粉微塵になっていたのではないか?

 

 死の距離を、肌で感じたのだ。

 

「オーイオイオイ。しくじったか、黒霧。非力な俺に尻拭いさせる気かよ、全く、仕方のない奴だ」

「何だよ、何なんだよ、おま――ッッ」

 

 鈍痛から激痛へ。よって言葉が途絶する。

 興奮麻薬(アドレナリン)で薄れてきていた感覚が、冷静に自分を俯瞰したその一瞬の間に蘇り、出久を襲った。

 先程の回避の動作。――イメージし、無意識に模倣したのは、爆風で加速するとある友人の動き。だから個性の暴発による高速移動が実現出来たとも言えるが、後々のことを何も考えていなかった。

 

 つまり、両足、折れた。

 

「痛ッッ!?!?」

「お、おい緑谷、大丈夫か……!?」

「大、丈夫……ッ! それより気を付けて、峰田くん。第二波、来るよ……!」

「へっ?」

 

 出久に駆け寄った峰田は完全にヴィランを視線から外していたが、苦痛に悶えていても尚、出久だけは倒すべき標的を見定めていた。

 一丁のロケットランチャーを使い捨てたヴィランは、いつの間にか二丁目(・・・)を担いでいた。

 

 発射口を二人で身を寄せ合う生徒に向けたまま射線から離さず、ヴィランの男は示威するように鋭い歯を見せつけ、獰猛に笑った。

 

「とりあえず軽く名乗るぜ。俺は(ヴィラン)――朝木勇だ。お前は緑谷出久だな、かなり弱そうなナリしてやがるが、文面上の評価は高かったって覚えてる」

「お前、僕のこと知って……」

「それだけじゃない。そこで震えてるゴミブドウのこともよく知ってるよ」

「ゴミッ! ブドゥッ! テメーコラぁ! よくも言ったな!!」

 

 憤慨する峰田を一瞥すると、勇は緑谷を厳しく見据えた。

 

「……誰であろうと、二人揃うと脅威だ。長居は無用。だから即行即殺――Plus Ultra(さらに向こうへ)してみろよ、ガキ共!!」

 

 かくして放たれる滅殺の弾道。威力は先程垣間見た。直撃だけは絶対にヤバい。が、避けきる機動力があるかどうかの確信が持てない。

 ……何より、緑谷には考える時間が無かった。反応が遅れたら、一秒後にでも自分たちは致命傷を負う。

 それは雛鳥の刷り込みのように、染み付いた勝利の想像を体現する。

 

「――――SMAAAAAAAAAAAAAAAAASHッッ!!!!」

 

 真正面から、ロケット弾とヴィランを直線上で挟むようにして、指打ちする。人差し指を親指で押さえ込み、解放の反動を前に押し出す――俗に言うデコピン。

 だが、それは全力の一撃。放ったのは、大地を粉砕するであろう威力の風圧だった。

 今の攻撃に使った右手の人差し指は死んだ――だが、轟く爆音と共にロケットは消滅し、その余波がヴィランがいた方向へと逆流したのを、確かに目撃した。

 

「や、やったのか……?」

「――ハ。なわけ」

 

 期待と不安の入り交じった峰田の呟き事に、何の憐憫もない返答をしたのは、爆風に巻き込まれた筈のヴィランの声。

 砲撃直後から既に移動していたのか、軌道から若干逸れた位置で身を屈め、唾を吐き捨てて緑谷たちを睨んでいる。

 

「今のはオールマイトの真似事か? ……つーかその腕、傍目から見ても一発で分かるレベルでぐちゃぐちゃになってやがる。つまりは、もろ刃の拳。ビビらなかったと言えばウソになるが、もしかすると――テメエもイケるかもな」

「ひぇぇぇ!! あのヴィラン如何にもヤバそうじゃん!! 逃げよう、緑谷!!」

「……うん。分かってる」

 

 相手の“個性”が未知数の上、自分の限界が徐々に読み解かれている。反応を見る限り、峰田の個性も戦闘向きじゃない。というか戦力として過度に期待できない。

 自分だけで間違いなく勝てる確信が持てない上、長引けば自壊することも考えられた。

 

 ――逃げるのが最適解。

 

 そう考え至るのは自明の理だった。

 

「ぐ、お前ら、本気でオールマイトを殺す気なのかよぉ!?」

「そうだが、何か不服か?」

「いや……ッ、だったら、オイラたちは、関係ない(・・・・)だろぉ……!! 何でオイラたちまで!?」

 

 その一瞬、その刹那、僕らは“ソレ”を見た。

 凍った彼の表情が廃人の哀愁を帯び、破綻者の享楽を、羅刹の憤怒を纏った光景を。

 

 

「、。(哀)(笑)(怒)! ……ブッ殺ちゃんだぜ(許さねぇぞ)

 

 

「峰田くん、こっちッッ!!」

 

 咄嗟に出久は峰田を掴んで岩場の影に身を潜める。

 そして、敵の動向を探るべく岩陰から半身を出そうとすると――甲高い発砲音と、鋼が擦れるような音が鳴り響いた。

 

「まあ、隠れるよな、そりゃ」

(ッ。見た感じもう丸腰なのかと思ったけど、違う! まだ武器がある! この音は絶対に銃! おそらくは懐に隠し持ってたんだ……となるとかなり小型のものだろうけど、それでも、命中したら一撃で屠られるぞ……!!)

 

「うっわぁ、ヤバいって緑谷! あいつ狂ってるよ……ッ!! 早く逃げよう……!」

「そうしたいのは山々なんだけど……。銃を持った敵に背を向けるのは、どう考えたって危険だ」

 

 ――倒す、などという高望みはしない。それはあわよくば。重きを置くべきは、いかにして敵の火力を削ぎ、逃げる隙を生み出すかだった。

 文明の利器を積極的に行使するヴィランは、動きを読みやすい。個性もそれに即したものだというのが通説である。つまり、朝木勇の『個性』は、それ単体で戦闘力を発揮出来ないものだと仮説が立てられた。

 

(ヴィランが出し惜しみするってのは考えにくいし、現状、まだ個性で攻撃してきてないってことは……アイツの力はさほど脅威じゃない。重要視するのは携帯してる銃器の方だ! となると――勝機あるかも……!)

 

 両足は歩く度に軋み、激しく痛む。右手は人差し指から燃えるような感覚が広がってきていた。

 だが、逃亡のための戦闘は絶対条件。だから……ヴィランに一泡吹かせてやろう。

 

「峰田くん、君の個性って何?」

「えっ、まま、まさか緑谷お前、戦う気か!? オイラは嫌だぞ!!」

「大丈夫。冷静に考えてみたんだけど、あのヴィランはさほど強くない……と思う。銃に頼ってるのがそれを裏付ける証拠だ。射撃を完封すれば、まだ勝てると思うんだ。幸いにも、敵はたったの一人(・・・・・・)だけだし」

 

 これが複数人の相手だったなら、まだ勝率も薄かっただろうが、朝木勇一人を下すだけなら――出久と峰田の二人で何とかなる、かもしれない。

 

「オ、オイラの、個性は――――」

「っ! それってもしかして――とか出来る!?」

「え、……うん。今日は調子もいいし、そのくらいの強度はあるかも」

「よし! だったらきっと戦える! 思いついたんだ、作戦!!」

 

 

 

 

 

 ――狙撃は得意だ。まず俺は外さない。

 

 引き金に指を当てがい、朝木勇は呼吸を整えた。いつ姿を現してもその場で射殺できるように。

 自分がここまで無茶をする必要は――実の所、あまりない。今すぐにでも安全策を実行する準備もある。だが、試してみたくなった。無個性の自分がどこまで届くのかを。

 

 残弾の数は7。十分に届く射程。発砲から生徒に弾が届くまでの予想所要時間は約0.4秒。殺傷力は十分すぎる程だ。……勝てる。

 

 数秒、数分、あるいは数時間? 足音一つ立てずに、不動で生徒の動向を観察する。ここに立っているのが素人なら、もしかして相手はもういないんじゃないか? と疑心に思う頃だが、勇の殺気は本物だった。

 

 そして――動きがあった。

 

 岩場から飛び出してきた人影にすかさず発砲。峰田実か、緑谷出久か、どちらかは分からないがどちらでも良い。“中心”を射貫いた――確実な命中。だったのだが。

 

「ッッ!?」

 

 そこで認識する。勇が撃ったのは、人じゃない。峰田の個性によって作られた人形(・・)

 

(そうか、峰田実(アイツ)の個性――生み出した粘着性の玉同士(・・・)もくっつくのか! しかも、弾丸を受け止める耐久力と吸着力がある!)

 

 ここまでのタイムロス、約1.6秒。

 

(囮作戦。なら、本命の目的は――!!)

 

 岩場の逆方向から飛び出したのは緑谷出久だった。

 勇が視認した時の彼は、小石を握りしめ、振りかぶり、投擲の準備動作に入っている所だった。

 

(ヤバ、凡ミス――ッッ)

「死ねぇぇえええええ!!」

 

 ――それ、マジで死ぬから!! 

 

 まるで大砲だった。

 右手中指だけを使って投げ放たれた石ころは、空気抵抗で身を削りながら、だが正確な斜角で勇へと伸びてくる。

 そして、肩を貫通する。血肉が飛び散り、意志とは関係無く腕の力が弱まってしまう。結果、右手に握りしめられていた小型銃は虚空に放り出された。

 

「終わりだ、ヴィラン!!」

 

 拳を振り上げながら、突風を纏った急接近。

 過剰威力の腕が、勇を殴らんと、今、近づいてきていた。

 しかし、それは明らかに――先程の石の投擲より遅い。

 

 

「ズレてるぞ、軌道! 歪んだ!」

 

 

 勇は出久の突撃を躱し、顔面にカウンターを叩き込む。

 そして、振り切った(・・・・・)

 

「がッッッッ!?!?!?」

「排卵だ! 堕ちとけェ!!」

「アッ、ァァァァァッッ!!」

 

 出久は顔面を押さえながら倒れ込む。

 慣性も相まったクロスカウンター。顔面が割れる――とまではいかずとも、確実に鼻が折れているだろう。個性で防御していたならまだ軽傷かもしれないが、悶える今の様を見ると、完璧に防御できたとは思えない。

 

「ハァ、ハァ……はは、こっちの拳も折れた。一撃でバキバキのボロボロだ。凄いな、お前」

 

 出久に皮肉めいた讃美を送ると、勇は、

 

「さて、次だ」

 

 ……危なかったが、一人鎮めた。

 続いてはもう片方の主目的、峰田実へと視線を定める。

 

「う、ぁああああああああ!! 俺だって、俺だってぇええええ!!」

「おッ!?」

「今、助けるぞ(・・・・)、緑谷ぁあああああああ!!」

 

 進み、挑み、崩れた学友に絶望し、それ以上に鼓舞されたのか。

 円状の髪をもぎりながら走り寄ってくる峰田に、勇は不気味な笑顔を見せて舌舐めずりする。

 

「…………カッコいいねぇ、腐乱卵」

「約束しろよ、緑谷! オイラがコイツを倒したら、お前が武勇の証人になるって!! そしてオイラは、クラスの女子にモテるんだぁああああ!!」

「はァ……? 何だそりゃ」

「オイラの性欲!! 今こそ力を解き放てぇえええ!!」

「あっはは! 面白いなお前!!」

 

 肩には風穴が、片腕は砕けている。しかし、勇は涙ぐみながら特攻する峰田を楽しそうに笑い飛ばした。

 

 峰田は戦闘が不得手だ。個性を使って相手の動きを封じるくらいしか戦い方がない。

 だから、彼の戦闘方法は至極明快。もぎって投げてくっつける。それだけだった。

 

 無数に投擲される峰田の髪の玉。触れれば一日はとれない粘着性を誇る。そうなれば勇の近接格闘術は八割方制限されることとなるだろう。

 だが、それを防ぐための外衣(マント)だった。

 

「お前はプロファイリング済みだ! そう来るのは分かってた!!」

 

 取り外したマントで玉を全て受け止め、距離を詰めた峰田の顎を蹴り上げる。

 

「あぐゥ!!」

「気概は良かったぜ、黄金卵! 

 

 ……そんで、こうなってくるとだ」

 

 

 朝木勇の背後で、立ち上がる。

 

 

「寝てれば楽になれるってのに、諦めないな、お前は」

 

 

 意識は混濁しているだろう。視界は定まっていないだろう。それでも立ち上がった出久の肩を、マントで包んだ。

 峰田の個性によって生み出された髪の玉は、無差別に他の物に接着する特性を持つ。それは味方が対象であっても例外ではない。

 

「これで両腕、動かせないなぁ、緑谷!」

「く……そ、ォ……、こん、な、の……!! 引きちぎる……!!」

合金入りの布(・・・・・・)で出来たマントだぞ、ソレ。イレイザーヘッドの拘束と強度は同じと知っとけ」

「な、に……?」

 

 出久の表情から色が抜け落ちる。

 力のない瞳で勇と視線を交錯させる。

 

「……」

「……」

 

 でも、諦めきれないと、まだ負けてないぞと。

 そう訴えかける心の温度と、義勇の精神が、眼下に光を灯した。

 折れない生徒に勇は溜息を一つ。

 

 

「はぁ……オーケー。なら、もうここまでにしてやるよ。俺が個性持ち(お前たち)とどれだけ戦えるか、大雑把な尺度は得た」

「……ここまで?」

 

「そう、ここまでだ。これで終わり。

 ついでに第二ラウンド――いいや、終局と言い換えるべきか。ともかく、次のステップの始まりさ。

 

 

 

  オーイ、もう出て来て良いぞー」

 

 

 ――そもそも、緑谷が測り違えていた誤算。

 朝木勇が、単身で戦闘に臨む訳がない。今までのは全て余興(・・)、または、彼の我が儘だ。今からようやく――仕事の時間が始まる。

 

 

「合図遅ぇぞ大将! つーかもう終わりかけじゃねぇか! 俺にも旨み残しとけよな!」

「そう言うなよ――マスキュラー(・・・・・・)。運が良ければ、もうすぐオールマイトと戦えるかもよ」

「何っ!? マジか!」

「……まあ、脳無と黒霧との共闘になると思うけど」

 

 オールマイトを思わせる筋肉を露出させて、しかし彼と全く異なる凶暴な双眸を爛々を輝かせながら、隠れ潜んでいたマスキュラーが登場した。

 それに続き、十から十五ほど数が増える。もちろんそれは、マスキュラーを筆頭に、朝木勇の支援部隊として結成されたヴィランたちの数だ。

 

 

 

 

 

 

 

(……ウソ、だろ。広場にいた数の半分くらいだけど、こんなの、僕一人で倒しきれる訳が……!!)

 

 決意の軋む音がした。

 出久は峰田へと視線を流すが、彼は小さな身体で縮こまりながら「うぅぅ」と唸っている。およそ戦意と呼べる物は全て出し尽くしたと容易に想像できた。

 

 しかし、それではダメだ。絶対に、彼が折れるのは一番の悪手なのだ。

 

(朝木とか言うヴィランは、明らかな峰田くん対策(・・・・・・)をしてた。“ワープ”の奴も峰田くんを狙っていた。てことは、コイツらの目的はハナから――)

 

 今にも倒れそうな自分に歯噛みする。軽い脳震盪でも起こしているのだろう。気力や根性など関係なく、身体が動くことを許してくれない。

 しかし、せめて伝えなければ。絶対に楽観視してはいけないと。

 

「峰田くん、聞こえるなら、聞いて……! 分、かったん、だ。コイツらの、目的、は……!!」

「へぇ、お前鋭いな。……まあ、学生の頃の俺ほどじゃないが」

 

 敢えて声を被せてきた。やっぱり、朝木にとってこの情報は知られたくないものだったらしい。

 これだけで事態が好転するとは考えない。しかし、伝えなければ、クラスメイトが確実に損なわれる。

 

「コイ、ツ、らの……目、的、は――」

「言わせるな。マスキュラー、やれ」

「ったりめぇだ!! 誰にもやらせねぇ――っぜ!!」

 

 ――肺が押しつぶされる勢いで、体内の空気が全て吐き出される。

 加えて、血の味。視界は点滅しながら、目まぐるしく回っていた。

 

 自分が殴り飛ばされたと気付いたのは、強い勢いの垂直落下を肌で体感したからだった。

 

 

「峰田、ぐ……」

 

 

 山岳エリアの訓練用の谷間に身を投げながら、声が虚空に呑まれていく。

 

 

「……逃げ、――で」

 

 

 とうとう、届くことは無かった。

 

  

◇◆◇

 

 

 マスキュラーは、朝木勇が最も骨を折って勧誘した最強の同胞だった。

 彼はひたすらに闘争を欲し、戦いと殺しで悦を得る怪物。そんな男を懐柔するには、金だけでなく、幾つかの狩場を提供する必要があった。

 

 目の前でヒーローの卵が死闘を繰り広げている。そんな状況を指を咥えてみている――普段の彼ならば考えられなかっただろう。

 つまり、それだけ凶暴なワイルドカードである。

 

「なぁ大将! 良いよな、もう良いよな! そのチビ殺してもいいよな!?」

 

 小さく丸まった峰田実の背中が、恐怖に揺れ、小刻みに震えだした。

 

「……ダメだ。お前には別の役割がある。後ろの部隊引き連れて、広場の死柄木たちに加勢に行ってくれ」

「そこにオールマイトがいるのか!?」

「ああ、多分な。そして子供(・・)が沢山いる。俺が何が言いたいか――分かるな?」

「“好きなように暴れろ”だな。ッシャ! いくぞテメェら!」

 

 ヴィランの大衆を先導しつつ、マスキュラーは飛んだ。それとも跳ねた、と言い換えるべきだろうか。彼の全力疾走と跳躍は、飛行とも似通っている。数分もあれば広場まで辿り着くだろう。

 置いていかれまいと、必死にマスキュラーについて行く烏合の衆を眺めながら、勇はこう呟いた。

 

「殺せるなら殺せよ、好きなだけ。――出来るもんならな」

 

 例え“弱っている”としても、あのオールマイトを前に、マスキュラーがそんな余力を残せるなど、勇は微塵も想定していなかった。

 

「ああ、クソ。にしても、俺がここまで負傷するとはな。久々の母校でテンション上がったか……なあ、勇斗くん?」

「ぼ、母校……?」

「んん。なんだお前。意識結構戻ってるのか? 折角この俺がわざわざ顎を(・・)蹴り上げてやったんだから、素直に気絶しとくのがお前のためだぞ、ったく」

 

 気絶させたまま殺そうと考えたのは、勇が持つせめてもの良心だった。長い目で見れば、彼の目的は峰田実の死の反響――すなわち、社会と雄英への影響にある。つまり、傷付けて心を折る必要がなかったのだ。

 殺せた結果が得られるなら、過程などどうでも良い。

 残念残念、と彼は意識のある峰田を笑い、無傷の左手で首を持ち上げる。

 

「ぐ……ぅ」

「左は利き手じゃないが、お前の首をへし折るくらいの握力はあるぜ」

 

 少し込める力を強くすると、左腕に血管が浮き上がり、罅が割れたような筋が広がる。

 

「離、せぇ……!」

「離さない」

「離し、て、ぇ……!!」

「離さない」

 

「離し、て、……くだ、さい……っ!」

「はーなーさーなーいー! このまま絞首の刑だ。刻一刻と近づく死の音色を、じっくり咀嚼しながら死んでいけ!!」

「うぅーっ、ぅうーっっ……!」

 

 血が首で塞き止められ、脳を循環していないのだろう。

 このチビが音を上げるのも時間の問題だった。

 

「懇願するなら、楽に殺してやるが、どうだ?」

「……て」

「んん? 何だって?」

 

 力を緩めて気道を確保させ、声帯が過不足なく動く程度に加減する。

 咳き込みながら呼吸する峰田は、皺だらけの顔で、

 

「苦しま、ない、ように、殺して……っ!」

「……うん。いいよ」

 

 手を離してやる。

 そして、尻餅をついた峰田の眉間へ、間を置くことなくリボルバーを突きつける。

 そのまま引き金を引こうとした瞬間、

 

「――朝木勇」

「黒霧か。もう予定の時間だったか?」

「いいえ、少々前倒し気味です。こちらにあまり余裕が無いものですから」

 

 時間の許す限りの準備は進めていた筈だ。それで余裕が無いというのは、きっと作戦の要の部分で誰かが不手際を起こしたのだろう。

 全て順調にいくとは考えていなかった。勇は頷き、了解の意を示す。

 

「そうかい。ま、そうだよな。サブミッションはさっさと終えよう」

 

 今度こそ、峰田実の息の根を完全に断つのだ。

 再度リボルバーを構える。指を動かせば、全てが変わる。

 

 

 

 ――それは燦々と大地を照らす太陽のように。あるいは、煌々と天に座す月のように。

 誰かに一度でも望まれたなら、約束された勇気の体現者は何度でも輝くことだろう。

 

 

 

 

 

  ――――DETROIT!!――――

 

 

「……なあ、黒霧」

「はい?」

「今、何かが」

 

 

「SMAAAAAAAAA―――SH!!」

 

 

「「ッッ!?」」

 

 

 ――大地が震えた。

 同時に勇と黒霧は息を呑む。

 まさか、だって、有り得ない。動けないはずだ。そのまま死んでいてもおかしくないはずだ。

 だから、大地を抉り引き裂き、彼が谷を昇る(・・・・)なんて、誰にも考えつかないはずだ。

 しかし、朝木勇には微笑があった。

 

 

「――ハッ、Go beyond(百点満点)したな。緑谷出久」 

 

 

 両腕両足は例外なく粉々だ。全身が余すところなく壊れている。それどころか、垂れ下ろされた糸で動かされる死体人形のような容貌だった、

 しかし、何の理屈にも合わないが、目の前の光景だけは絶対に否定することが出来ない。

 上半身を露出させながら、血塗れの緑谷出久は屹立していた。

 

「友達を、返せ……!!」

「緑谷……!!」

 

 涙を溜めながら峰田が喜悦を浮かべる。

 助かったとは言えない。危機は去っていない。だが、その場に現れるだけで、安堵が伝播する程には、彼は強い形相をしていた。

 

「友達? そんなにお前はコイツと親密だったのか? 単なる同級生だろうが」

「バカ! 違うぞ! バカヤロウ!! なるんだよ、これから!! 僕らは!!」

 

 何処から溢れてくるのか、その精神に黒霧は言葉を失う。息絶えていても不思議では無い身体の彼は、咆哮のような雄叫びを発していた。

 

 しかし、勇は驚かなかった。知っていたからだ。

 かつて自分が、そうだったからだ。

 

「黒霧、ワープだ。場所を変えよう」

「い、いいのですか? 彼は満身創痍。私と貴方なら刈り取れそうなものですが……」

「余裕が無いって言ったのはお前だろう? お前は死柄木との合流を最優先。俺は仕込みの完了を最優先だ」

「……分かりました。貴方の判断に従います」

 

 黒霧が個性を発動させ、黒の濃霧を広げる。そこに半身を漬けながら、勇は峰田を掴み上げた。

 

「ヒィ!? 嫌だ! 助けて緑谷ぁぁぁッッ!!」

「助ける、助けるよ、今すぐ!!」

 

 血反吐をぶちまけながら、ヒーローは声を荒げた。

 

「返、せ……! 峰田くん、を!! 返せぇえええええ――――!!」

「返さないよ、緑谷。お前は覚えた。だからまた会おう」

 

 

 ――限界を超えるヒーローは見飽きた。その限界の度合いも知り尽くした。

 

 

「お前は、まだ届かない」

 

 

 静かな宣戦布告。

 それは、緑谷出久の越えられなかった壁の一つであり。

 

 

 

 敵が去って、虚しく残響する絶叫が、あった。

 

 

 




次回、遂に。


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地獄の明朝 上

朝木勇「『僕のヒーローアカデミア』で何故か『はじめの一歩』をしてる人。ヒグマと素手で格闘して撃退出来る。宿敵と書いてブライアンホークと読みます」
 
相澤消太「弟子が志々雄真実だった比古清十郎。割となんとかなる気がする」
 
オールマイト「You say runを流したいマン。きっと流してくれる。信じろ」


 ――オールマイトを仕留めるっつう根拠……策って何だ?

 

 ワープされた先で対峙したヴィランの残党を圧倒し、焦凍は連合の思惑を知り得た。

 脳無という超人がオールマイトを抑え、その隙に黒霧――あのワープの個性持ちが中途半端にオールマイトを霧へと引きずり込んで、閉じる。

 

 つまり、黒霧の個性の応用で平和の象徴の肉体を真っ二つに断絶しようという魂胆。

 

(大胆だが……筋の通った計略だな。確かに、オールマイト並の屈強な筋肉でも、空間ごとの亀裂には耐えられねぇだろうし――)

 

 最強のヒーローへの信頼は厚かった。だが、なまじ現実味のある作戦だった為に、焦凍は一抹の不安を覚えてしまう。

 

 ――微力だが、俺も助力すべきか……。

 

 自分の力にある程度の自負がある焦凍の行動は早かった。相手の策略を教師たちに伝えるだけでも大きな貢献になるし、他のヴィランをもう少し削ることが出来るかもしれない。

 

 まんまと黒霧に散らされた自分の迂闊が悔やまれる――が、それを噛みつぶしながら、できる限りの全速力で、焦凍は分断されなかった生徒と教師が集結している中央の広場を目指していた。

 土砂ゾーンの入り口を抜けて、あとは直線。あと二分もあれば広場に辿り付く。

 ――そんな頃合いに。

 

 

「オイ、そこの半分野郎」

「ッッ!?」

 

 

 思わず肩がすくみ上がる程の威圧感。のし掛かってくる重圧の正体――それは、背後に佇む巨大な人影だった。

 

 巨大、と言っても実際は人間の域を出ない範疇の巨躯だ。筋骨隆々の大男。左目に義眼を装着していて、深淵の瞳が静かに、だが激しい温度を伴ってこちらをを見ている。

 

「大将のリストに載ってた――特に警戒しろっつぅ、強個性の子供だな!? 良いねぇ、運が! いきなり大当たりだ!!」

「……何だ、てめェ。(ヴィラン)か」

「そうだよなぁ! そうさ! 俺が教師な訳ないもんな! 生徒とも違うもんな! っつー訳で理由は出来た――命がけで遊ぼう!!」

 

 

「――ッ!」

 

 大男――マスキュラーの裏拳を、咄嗟に“氷結”で作り上げた氷の防壁で防ぐが、まるで砂の城が崩れるようにあっさりと砕かれた。

 直撃こそ避けたが、鼻筋のすぐ上を掠めていった拳の勢いに震撼し、焦凍の脈拍が急激に高まる。

 

「氷の個性!? ハッ、面白ェ!!」

「……俺の氷結をこうもあっさり砕くかよ。他の奴の手には余る――どうやら、てめェをこのまま放置する訳にはいかねぇらしい」

 

 轟焦凍とマスキュラー。

 ――瞬きも許さないその直後、激しい轟音と蛮声を合図として、二人の戦端は開かれた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 “個性”を詰め込んだ(・・・・・)人造人間、あるいは戦闘人形――脳無と呼ばれた超人が乱入してから、相澤は連合に防戦一方、どころか完封されていた。

 彼の個性は『抹消』なのだが、脳無の素の力は異形型のそれとしてカテゴライズされるもの。つまり、彼の抹消の適用範囲外にあった。

 

(素でオールマイト並の筋力か……! こいつは……ヤバいな……!)

 

 拘束を抜け出すことは叶わない。脳無に組み伏せられ、何度も顔面を地面が叩きつけられる。

 顔面に血の感触が広がってきた所で、右腕が軋む音が重たく響き、そして呆気なく折れた。

 

(ッ! 小枝でも折るかのように……!)

「“個性を消せる”。素敵だけど何てことはない。圧倒的な力の前ではつまり無個性だもの」

 

 嘲笑する死柄木を厳しく睨め付けた所で、今度は左腕が握りつぶされる。

 

「ぐぁ……ッ!!」

「こっちが勝ったよ、言った通りだ。イレイザーヘッド、お前はレベルがもう一桁足りなかったね」

 

 まるでゲームのような勝利宣言。

 歯軋りして無念を呑み込み、相澤は反撃の糸口を探す。

 諦めるという選択肢は最初から無かった。無個性同然、だからどうした。それを敗北の言い訳にして良いのは中坊までだ。

 相澤は最悪の事態を想定する冷静さを併せ持ちながらも、立場を一気に好転させる手立てを模索している。

 

 そんな時に――広場を横断していく何かがあった。

 脳無のすぐ後ろを経由して、火災ゾーンの外壁に衝突。飛んできたそれの軌道を後追いする形で“氷”が走り、地鳴りのような音響が広がった。

 外壁が砕けて段幕が立ちこめる。それが晴れてきたところで、飛んできた――飛ばされた生徒の姿が露になった。

 

「轟か……ッ!」

 

 轟焦凍。先日の戦闘訓練でビルの一フロアを数秒で氷漬けにする、という圧倒的な火力を見せつけた生徒だ。そんな彼が吹き飛んできたかと思うと、ぐったりと眠るように膝を落とした。

 

 ――まだ卵といえど、轟は優秀な奴だ……!

 ――アイツを倒しきる力のあるヴィランが、まだ潜んでいる……!?

 

 その想定はすぐに現実のものとなる。

 

 

「まずは一匹ィ!」

 

 

 焦凍が飛んできた方向から現れた義眼の男。左肩に氷柱が突き刺さっているが、凄んだ気迫を垂れ流しながら広場へと降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいつは……朝木の所の部隊の」

「『マスキュラー』ですよ、死柄木。首尾良くサブミッションが完了したため、彼がこちらの増援として送り込んだようです」

「ますます俺たちに優勢だな。所で黒霧、お前の方も上首尾か?」

「……すみません。13号は倒したのですが、生徒の一人を取り逃がしてしまいました」

「…………は?」

 

 凍った瞳が黒霧へと向かう。

 身震いした死柄木は、呻き声を鳴らしながら自分の爛れた首を掻き毟った。

 

「お前さ、他のヒーローを呼ばれたらゲームオーバーって、分かってるのか……? ワープゲートじゃなかったら塵にしてるよ、お前……!!」

 

 脳無とマスキュラー。二つの巨大な戦力が揃っていて尚、死柄木は勝機無しと賢明な判断を下す。

 オールマイトはいないし、生徒には逃げられる。後は朝木勇の仕事に期待するしか無いのだが……それでは、自分たちが完全にピエロではないか。

 

 逃亡は確定したが、オールマイトを殺せないなら、いっそ――

 

「……メインの穴は他の生徒で埋める。この戦力なら、もうちょっと頑張れるだろ」

 

 ヒーロー側の増援がやってくるまでの時間制限付きだが、総戦力で叩けばあと一人くらい、犠牲者を増やせないこともない。

 死柄木の苦渋の策に賛同し、黒霧は静かに頷いた。

 

「脳無。黒霧。全員でいくぞ――」

「了解です」

 

 

 

 

 

 

「ヤバいヤバいヤバい! 相澤先生やられた! あの轟まで!! 一番強そうなヴィランが四人! こっち来てるよ!!」

「落ち着けって芦戸……! 皆で戦えば、まだ何とか――」

「ならへんやろ、コレ!!」

 

 迫り来る四つの脅威に生徒たちが怯えきった声を上げる。

 恐怖心は伝染し、心を殺すものだ。最低限の攻撃手段すら持たない者は、思考を混濁させて憮然と立ちすくむだけ。

 

「――今殺してやっから、なッ! なァ!?」

 

「ざけんな! 簡単にやられっかよ!」

「ああ。助けが来るまでの時間稼ぎ――何とか持ちこたえるぞ!!」

 

 怯える生徒を尻目にして前進したのは、瀬呂と障子だった。恐慌と決意を共存させた面持ちで、近づくヴィランと相対する。

 そこから自分たちが勝てる想像など付かないのに、それでも立っていられたのは、他教師が救助に来ると信じていたからだった。

 

 

「――ソイツに加勢しろ、脳無」

 

 

 そして対峙するのは果てしない悪意。

 聳え立つ山の如き力強さで子供たちの前に立ちはだかった脳無とマスキュラーの二人は、ひ弱な獲物を見つけた肉食獣だった。

 

「…………こんなの」

 

 ――どうやっても、勝てないじゃんか……!

 

 そう察するのに十分な圧を纏っていた。

 

 

「血ィ! 見せろやァ!!」

 

 脳無とマスキュラーが同時に腕を伸ばす。絶殺の腕であることは想像に難くない。そのまま頭蓋骨を粉砕するであろう拳が生徒たちに触れかけた。

 そう、寸前で触れられなかった。

 割り込んだ二人の闖入者がヴィランの行く手を阻んでいたから。

 

 

「――――勝つぞッ! 爆豪ッッ!!」

「俺に命令――――すンなァ!!」

 

 

 そこには散らされた筈の生徒が二人。もう戻ってきたらしい。

 

 ヴィランの攻撃を真っ向から受け、耐えきった爆豪と切島は感じ取った。絶対的な戦力差。自分たちと根本的に次元の異なる相手の力量を。

 負けたら十中八九の死。そしてほとんど確定的な敗北。

 逃げ出しても誰も咎めない。だが、彼らは率先して敵と拳を交える覚悟を決めた。

 

 

「俺は右だ! 左を頼むッッ!!」

「任せろや――ッ!!」

 

 

 切島はマスキュラーに持ちうる限りの全てをつぎ込んだ刺突を。

 爆豪は自分への反動も顧みない全力の爆破を脳無へと。

 それぞれが振るった渾身。

 そしてヴィランは――不動で涼しい顔を保っていた。

 

 

「「――ッ!?」」

 

「威勢の良いのが来たなァ! 楽しもうぜ!」

 

 

 刺突は容易く受け止められ、爆破は何のダメージにもなっていない。

 それどころか、聳える二人の脇を通り、死柄木と黒霧が爆豪たちの横を素通りする。

 

 

「――――マスキュラー、脳無。二人の相手しとけ」

「らーじゃー」

 

 

 爆豪と切島。彼らの全力を以てしても、壁としての機能すら果たせなかった。

 奮闘虚しく、死柄木の五指が、黒霧のゲートが、怖じ気づいて固まる生徒たちへと急接近していく。

 

 生徒たちの間に死の連想が走った――現実のものとなっても不思議ではない。防ぐ手立てはない。誰かが仲間のために肉壁になるくらいしか、抗する手段が存在していない。

 

「これで、ようやく――」

「――ゲームセットといこうか」

 

 だが、死柄木たちの前に現れたのは肉の壁でなく――“氷の障壁”だった。

 死柄木は指を引っ込めて、倒れ伏していた筈の彼へと視線をやる。

 そこでは、確かに彼が立ち上がっていた。

 

 

 

「――心外だな。コイツら、俺がもう殺られたモンだと思っていやがる……ッ」

 

 

 

 血と混じった痰を吐き捨てると、轟焦凍は揺るぎない眼で標的を定めた。

 そして、死の予感を払拭した生徒――主に女性陣を中心とする――が色めき立つ。

 

「とっ、轟くん!? やっぱめちゃくちゃ強いね……!!」

「流石は轟! さすとど!!」

「……意味分かんねェぞ、ソレ」

 

 

「おいコラ、モブ共! 俺の時は黙りこくってた癖に、なんでそいつの時だけ沸くんだよ!!」

「人徳の差だな、元気出せよ爆豪!!」

「クソが!! めちゃくちゃ元気だわ!!」

「おお! 元気だな!!」

 

 

 ……卵どもが、醜く足掻いて死んでくれない。

 戦力差は圧倒的だと言うのに、すぐに諦めてくれない。自殺志願者の集まりのくせに、コイツらしぶとくもがいて抵抗しやがる。

 

 死柄木は目を細め、指を震わせる。

 

 

「……あんま喋るなよ、ガキ共。

 

  黙って受け入れろよ、負けを。

  

   勝たせろよ――俺を!! なぁ!?」

 

 

 黒霧を。

 脳無を。

 マスキュラーを従えて。

 十分な手駒を持つ死柄木は決めた。

 

 

「――――コロシテヤル」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 水難ゾーンの高台にて、広場の騒乱を双眼鏡で観察する少女がいた。

 彼女の名前は蟻塚。朝木勇の個性評価にて、マスキュラーと同等(・・・・・・・・・)と言われる14歳の女の子だ。

 

「しっかり学んでる? 蟻塚ちゃん」

「……勇くん」

 

 勇が蟻塚の同伴を許したのは、ヒーローとヴィランの戦いを生で目撃させ、疑似的な戦闘経験を積ませるためだった。このまま蟻塚を戦場に投入したとして、彼女は善戦できるというのが勇の予想ではあるが、そのリスクを経験させるのはもう少し彼女が大人になってから――と決めている。

 

「見て、盗んで、成長してね」

「うん」

 

 勇は蟻塚の隣に腰を下ろす。

 同時に、蟻塚は目を顰めた。

 

「勇くん。何だか血生臭い……?」

「ん、あー? ……そりゃまあ、血を流したからね――俺が(・・)

「そっか」

「そうだよ。つーか、俺のことはどうでも良いからさ。蟻塚ちゃんはどう見る、今の状況? 勝てると思う?」

 

 右肩に穴が空いているのに平然と問い掛ける勇。

 沈黙することなく、蟻塚は即答した。

 

「勝てると思うよ。オールマイトがいないし、確実に連合の総力の方が強いもん」

 

 勇が広場をざっと俯瞰すると、マスキュラーと脳無が一方的に生徒を蹂躙し、死柄木と黒霧が轟焦凍の『半冷半燃』を相手に迂遠な立ち回りをしている所だった。

 明らかに連合が圧倒している。今の段階では勇も蟻塚の意見に同意だった。

 

「……なら、オールマイトが加わったらどうなると思う?」

「それは分かんないよ。だって、まだオールマイトの強さを知らないから」

「まあ、そうだよねぇ。推し量れないかぁ」

 

 そもそも、オールマイトは何処にいるのだろうか?

 

 中学時代にホワイトハッカーをしていた経歴のある勇は、その時に磨いた技を使って、雄英一年A組のカリキュラムと、それに準じた雄英の対応を事細やかに知り得ていた。

 それによると、この授業にオールマイトが同伴するのはほぼ確定だったのだが――何故か姿が見えない。それならそれで、外との連絡網を完全に遮断した現状は好機だ。死力を尽くして生徒を皆殺しにできるだろう。

 

「どっちにしろ好都合だ。もう連合の勝ちは決まったも同然だし、死柄木に満足するまで暴れてもらってから、退散するとしますか」

「帰るの?」

「うんー、帰るよ。あっちはあっちで完結しそうだし、俺が手を貸す必要もなさそうだ。蟻塚ちゃんも早めに帰る準備しときなよ」

「ん。分かった」

 

 想定内の予定外だった。この分なら呆気なく帰還できそうだ。

 

 

(――相澤先生、死ぬのかなぁ)

 

 

 巨大な亀裂の中央で伏すかつての恩師。

 勇はそれを冷めた瞳で捉えていた。

 

 

「……ねぇ勇くん」

 

 

 そして、ようやく蟻塚は気付く。

 

「ん、どうした」

アレ(・・)――何?」

 

 蟻塚が指差しで指摘したのは、勇の背後の物陰に転がっている『峰田実』だった。

 死んでいるのか、眠っているのか、遠目からは判断できない。目立った外傷も無い。一つ確かなのは、彼が静止しているということだ。

 

「ソレ、ね――『仕込み』だよ」

「??」

 

 事前に聞かされていなかった単語に、蟻塚は首を傾げる。

 言葉足らずの説明に補足しようと勇が口を開いた――その時、USJのゲートが吹き飛び、“本命”が現れた。

 迫力満点、平和の象徴が壇上に上がった。そして勇の頬に一筋の冷や汗が伝う。

 

 

「これは……拙いな」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ――もう大丈夫。

 

 

 

「 私が来た 」

 

 

 

 太陽のような笑顔――ではなく、厳格な形相を携えて、オールマイトが登場する。

 ある者は目に涙を溜めて。

 ある者は野蛮な笑みを浮かべ。

 ある者は細目で舌打ちし。

 

 また、ある者は値踏みする。

 

「……コンティニューだ」

 

 死柄木が攻撃目標をオールマイトへと変更する。

 それに続いて、連合の面々は彼への警戒度を爆発的に上げた。

 相手は時代を代表する正義の味方。一切の油断を禁じ、確実な全力を引き出して、平和の象徴の命に手を伸ばす。

 

「待ったよヒーロー。社会のゴミめ」

「オールマイトォォ!! 殺すぜ、お前をォ!!」

「それではやりますか――メインミッション」

 

 ――目で追えなかった。

 文字通りの一瞬。

 オールマイトは生徒を安全域まで移動させ、瀕死の相澤を抱え込み、そのついで(・・・)にヴィランを一発ずつ殴った。

 

 

「……!!」

「は、速ェ……」

 

 

「相澤くん……意識がない。

 クソッ、君ら初犯でコレは――覚悟しろよ!!」 

 

 

 威嚇するような眼力。

 連合は彼の初手にこそ尻窄みしたが、元よりオールマイトありきでの想定をして戦力を投入しているのだ。

 作戦が正道に戻っただけ。何の誤算でもない。予定通りにオールマイト殺害を決行する。

 

「――脳無。あとマスキュラー。近接でずば抜けてるお前たち二人で、あのゴミと肉薄しろ。黒霧は隙を見てその援護だ。本当に“弱ってる”なら、三人で十分勝てる。

 

 俺は子供をあしらうとしよう」

 

 死柄木が指示を飛ばすと、号令の一つも必要とせずに、連合の主要戦力たちは臨戦態勢の構えを見せた。

 

 

「強がってんじゃねぇぞモブ共が!!」

「オールマイトが来てくれたならこっちのもんだ!」

「四対四……これなら負けねェ」

 

「いいやダメだ、少年たち。君らは逃げろ」

 

 爆豪、切島、轟に制止の声をかけると、オールマイトはネクタイを引きちぎり、シャツのボタンを緩める。

 

 

「――プロの本気を見ていなさい」

 

 

 ここで初めて出した笑顔。ただし、それは燃えさかる憤怒で裏打ちされたものであったが。

 

 

 

 

 

 

(……緑谷少年が、いない――)

 

 訓練場に辿り着き、生徒一人一人の安否を確認したオールマイトは、まず真っ先に自身の後継者である緑谷出久の姿が何処にも見えないと気が付いた。

 

(いいや、それだけじゃない……! 他にも生徒たちが……!)

 

 思い当たるだけでも四、五人。この場にいる筈の者が居なかった。

 

 侵入したヴィランの仕業であることは直ぐに予想がついたが、ここで憤慨して詰問しても、ロクな返答は期待できない。

 全員を倒して吐かせれば、全てが明らかになる。

 

 

「もう謝っても許す訳にはいかんぞ、ヴィラン共!!」

 

「謝るかよ、ばーか」

 

 四対一。多勢に無勢の戦いが第二幕に突入した。

 




引くほどの文字数なので分割投稿。


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地獄の明朝 中

 連合は最初こそ優勢に思えた。

 事前情報の通り、オールマイトが弱っているのは事実であり、総戦力で叩けば勝てるはずだった。

 しかし、結果は敗北に近い。

 脳無が吹き飛ばされ、マスキュラーは戦闘不能。近接主体のヴィラン二人を片付けた後、オールマイトは死柄木と黒霧の二人を見やった。

 

「どうした? 来ないのかな? 私を倒すとか何とか言っていたようだが……出来るものならしてみろよ!」

 

 気圧され、後退する連合の二人。

 

 

 

 

 ――それを目撃した朝木勇は重たい息を吐いた。

 

「はぁ……、アイツら本当に仕方ないな」

「勇くんはさ、連合がオールマイトに勝てないって分かってたの……?」

 

 水難ゾーンで高見の見物をしている二人。勇と蟻塚は今回の戦闘を振り返る。

 

「いいや、八割方勝てるものだと思ってた。でも、結局の所、それは理屈じゃないのさ。救う大義を得たヒーローは限界の一つや二つ(・・・・・)、簡単に乗り越えるんだよ」

 

 勇は山岳での戦いを想起する。緑谷出久が最後に魅せた執念。友を助けるためだと豪語し、谷を崩したあの根気を。

 そう、理屈では無いのだ。あの時――黒霧と連携して緑谷出久と交戦したなら、間違いなく負けていた(・・・・・)。良くて刺し違えていた、といった所か。

 

 その出久と似た状況が、今のオールマイトに降りかかっている。

 

「瀕死の同僚に、怯える生徒――ヒーローにとっては最高の環境さ。だから、ちょっと嫌な予感はしてたんだ。

 Plus Ultra(更に向こうへ)。やっぱ素晴らしい教訓だ――崩す方法を、俺は知らない。でもまさかここまでとは……オールマイトの底を見誤ってたのは俺もなのかもしれないな」

 

「そっか。じゃあどうすればいいの? あのままじゃ二人、負けそうだよ」

 

 蒸気のようなものをまき散らしながら、オールマイトが死柄木たちと睨み合いを続けている。

 その気になれば、すぐにでも蹴散らされることは明白だった。

 しかし、まだ死柄木には秘策があるかもしれない。そんな予感を胸に静観を続けていると――死柄木の視線が、勇たちのいる水難ゾーンへと向いた。

 

 

「……了解だ、リーダー。どうやら本気のSOSらしいな」

 

 

 これから行われるのは非戦闘。朝木勇が用意した最後の保険。

 

 

「蟻塚ちゃん、マスクとか持って……無いよね? 仕方ない、素顔晒すかぁ。カメラは全部殺してるし、問題はないよな」

「何するつもり?」

「何って、それは――」

 

 

 勇は横目で『峰田実』を見た。

 

 

「『仕込み』を発動するしかないでしょ」

 

 

 ――例え“救う大義”を失ったとしても、それは弱くなる理由にならない。

 

 

 ◇◆◇

 

 それは使命感だった。

 自分に出来ること、しなければいけないこと。知ってしまったからには、捨て去って倒れるなんて、自分自身に許してやることが出来なかった。

 

「……オール、マイト……」

「ッ! 緑谷少年!?」

 

 両足を引きずりながら這うように現れた教え子に対し、オールマイトは安堵と悲哀の混じった万感の表情を生んだ。

 説教するでもなく、労うでもなく、口を半開きにして言葉を失っている。

 その沈黙の間に、すかさず出久は伝える。

 

「聞いて、下さい、オール……マ、イト……。峰田、く、が――」

 

 

 それに合わせて、水のように流麗な声が、けたたましく響いた。

 

 

 

 

「エヴィバディセイへーイ!! アテンションプリーズ!! 茶番はそこまでだ!! ようやく主役にして大本命――俺の登場だぜ卵たちィ!!」

 

 

 

「……え、マイク先生?」

「ああ!? 全然声違ェだろうが!」

「プレゼントマイクのフォロワー……か?」

 

 

 声質こそ全く知らぬものだったが、聞き慣れてしまった導入は生徒たち――だけでなく、その場のヒーロー全員の注意を引きつけた。

 水難ゾーンの高台の頂上に立つ優男――朝木勇。

 彼は真っ白な歯を見せつけるような頬笑みを張り付けると、

 

「――つって、今年もスべったんだろォな、あのバカは」

 

「……朝木ぃ」

「もうボロボロじゃないか死柄木」

 

 死柄木の嗄れた声に反応する。勇がヴィランサイドの人間であることを失念していた生徒の面々も、ここでようやく彼が敵の陣営だと明確に悟ったらしい。勇は自分に向けられる視線の多くに害意めいたものが込められていると感じ始めた。

 

(遠距離タイプに不意を突かれたらやられるな。早い所、俺の脅威をコイツらに認定させないと)

 

 無駄話に興じるより先に、本題に入る必要があると判断する。

 

「――聞いての通りだ、黒霧! 仲間を連れて退散しろ!! 俺と蟻塚ちゃんは最後に迎えに来れば良い!!」

「し、しかし!」

「忘れたのか? 大丈夫だ、きっと俺の思惑通りに進んでくれる」

「……分かりました」

 

 ワープの個性を発動させる黒霧。流石にそれをオールマイトが黙って見ている訳もなく、

 

「コラコラコラー! 今更逃げるなんて、私が許すと思うのか!?」

「いいや、許せよオールマイト。こっちには生徒の人質がいるんだぜ」

「ッ!?」

 

 勇の発言にさしものオールマイトも表情を凍らせる。

 単純だが、最も効果的で、ヒーローが嫌う手。むしろ大胆にする方が、ヴィラン側に利がある。

 “ヒーロー(そちら)”の側に立ったことのある勇だからこそ、この場で何をするのが最善か、ヒーローにとっての最悪とは何か、知り尽くしていた。

 

「蟻塚ちゃん、渡して」

「ん」

 

 すぐ脇から顔を出した蟻塚が肩に担いでいたのは小柄の少年の身体。まるで物を扱うかのように、蟻塚はソレを勇に投げ渡した。

 

「『峰田実』――大事なやがての“お友達”さ。俺が攫ったことを立証してくれる人は、きっとそちら側にいるんじゃないか? なあ、緑谷出久」

 

 峰田の首の裏を左手で掴み、更には右手で構えたナイフを喉笛の上に当てる。いつでも殺せると言わんばかりの挑発をしながら、勇は広場で這いつくばる一人の少年を見ていた。

 

「……朝木、勇……!」

「そう、俺だ。話してやれよ、そこのヒーローに。お前が体験したこと全部」

 

 

「オー、ル、マィ……ト。アイツ、が、峰田く、んを……!」

「オーケー分かった! 緑谷少年、全て分かったよ、ありがとう。だからもう喋るな」

 

 吐血するように言葉を紡ぐ教え子を見かねて、オールマイトが言葉半ばにそれを中断させる。

 だが、全て聞かずとも、朝木勇が倒すべきヴィランであり、雄英の生徒を損なおうとする外敵であることは分かったらしい。

 

「朝木、勇か。……もしや、以前何処かで会ったかな?」

 

「……………………いいや? 初対面だ。

 ――お前が一方的に、俺を見ただけなんじゃねぇの?」

 

「ウン。そうかもしれんな!」

 

 そのやり取りだけで、オールマイトが相手を刺激しないように細心の注意を払っていることが感じ取れた。

 

「君の要求を呑もう。だから、その子の安全を約束して欲しい」

 

 お手本のような切り出し。遅かれ早かれ、その言葉が出てくるものだと知っていた勇は、既に用意してある要求を無慈悲に突きつける。

 

「なら死ね、オールマイト」

「…………え」

「死ねと言ったんだ。他人の手は借りるなよ、確実に自分で自分を殺せ。傍目から『死んだ』と確信できるレベルまで、自分を痛めつけろ。お前の個性(ちから)なら、さほど難しい課題じゃないだろう?」

 

 それはおよそ彼らが考えつく中で、最も悪辣な指示だったと言えよう。

 自死を命じる――これが可能な状況に追い込まれ、実際に要求された時、ヒーローの返答の模範解答は……どうにかしてその言葉を撤回させること。だが、朝木にそんな気概は微塵も無かった。

 

「ま、待て。待って欲しい。自分で自分を殺すというのは、存外、難しいものなんだよ。だって、死の一歩手前まで瀕死になったら、自分にトドメを刺すことなんて出来ないじゃないか」

「知るか。とっとと死ね」

「……だが、それは」

 

「だーまーれー!! 可能かどうかなんて聞いてないんだ。ただ、死ね。反論は一つも許さない。十秒以内にそれらしい動きを実行しろ――でないと、どうなるか分かるな?」

 

 わざとらしくカウントダウンを始める。

 勇の声は間違いなくオールマイトを追い詰め、急性の要求をすることで、他の選択肢を選べなくしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――懐かしい声を聞いた。

 

 目映くて、美しくて、小さな鈍色だったというのに、いつの間にか憧れた。

 妥協も屈折もなかった努力の天才は、いつだって頑張る人を魅せてくれた。

 それが、どうして――考えたくない。認めたくない。だが、事実が揺るがないのであれば、言わなければならなかった。

 

「……オ、イ」

 

 信頼して安心しきっていた。悪人に染まることが絶対に有り得ないと踏んでいた。

 まだ二年……いいや、そんなに経っていないか。それだけの期間で、彼が性根まで汚染される訳がないのだから。

 

 根本が腐ってたならまだ分かる。しかしそうではなかった。草壁勇斗は紛れもない正気だったし、そこに悪の根は潜んでいなかった。最初から決まった結末では無かったのだ。

 では、なぜ堕ちたのか。

 

「……なあ、……そこの(・・・)

 

 相澤消太は途切れた意識を繋ぎ合わせ、ずっと自分の心に蔓延っていたしこりの元凶と顔を合わせる。

 肉体的な痛みなど、とうに認識の埒外へと消えていた。

 

 

「――お前、あの、時、狂ったフリ(・・・・・)、してただろ……?」

「…………」

「だから、どっち(・・・)が本当の自分か、分からなくなっちまったんだなァ……」

 

 

 

 

 

 

 

 ……何を言うかと思えば。

 

「――ぷっ、はは、あっはははははははははは!! 愉快に爽快に自己解釈しやがって!! 良し、だったら良し!

 オールマイトォ!! 自死はとりあえず勘弁しといてやる。この場で、今、相澤消太をテメエが八つ裂きにしろ! 四肢をちぎって、臓物まき散らして、生きたまま解体するんだ!! それで生徒の半数は死ぬ(・・)だろうぜ!!」

 

 かつての師は、俺に期待している。

 相手の心情を感じ取った勇は、それを否定してやりたくなった。説法垂れたらヒーロー(そっち)に戻るほど、俺は希薄なヴィランじゃないぞと、突きつけてやりたくなった。

 

 誰の反応も許さないまま、言葉を重ねる。

 

「思考能力がまだ生きてるなら考えろよ、相澤先生。合理的にな。お前は今から、生徒一人を人質に取られたことが原因で、自分の命を落とす。それが合理的か? ――違うだろう!? お前はプロで、これからも多くの命を救う。そんなヒーローが、たった一つの小さな可能性の卵のために死ぬだって? バカ言うな!! これ以上の非合理があるかよ!!

 

 ――でも、できないよなァ!? それを選んだ時点で、お前は終わるんだから! 自分にそれを許せないよなァ!? 知ってるよ、それがお前たちヒーローの、最大の“武器”であって唯一の“弱点”! ただし、この場では確実に弱点としての割合が高いけどな!!」 

 

 相澤消太が毛嫌いする非合理の矛盾を抱え込ませて殺す。しかも、平和の象徴の手によって。

 ――それを映像に録画する準備も水面下で行っていた。耳元に忍ばせた小型カメラがその光景を記録し、ネット経由で連合のアジトへと送られる手筈だ。

 

(『平和の象徴の自害』より、『平和の象徴が善人を生きたまま八つ裂きにする』映像の方が過激だろう……? それを世間様に公表された時点で、お前は死ぬよオールマイト。

 俺がここで倒れることになったとしても、やり遂げればチェックメイト。俺たちの完全勝利だ――ま、俺が倒れるなんて、蟻塚ちゃんが許してくれないだろうけどさ)

 

 オールマイトは笑顔を崩し、渋顔で震えていた。

 

「何、という――下劣な手を……!」

「まさかヴィランに正々堂々、なんて求めるんじゃないよな?」

「……ぐ」

「ああちなみに、俺、目だけは良いんだ。だから俺はお前の動きを目で追える。間違いなく、お前が全速力で俺の所へ飛んで来るのよりも、俺がこのガキの首根っこ掻き切る方が早い。結構な距離もあるしな。それでも良いなら、別に止めないけど。

 

 ――ただ、選ぶのは、お前だ。相澤消太か峰田実。ヒーローかその卵。大人か子供(・・・・・)。好きな方を殺せ。全てはお前に委ねよう」

 

 分かりきった問いを投げる。

 だが、考える時間を与えてはいけない。万全を尽くしていても、何が起こるか分からないのだから。

 

「早く選べ! もたもたするな!!」

「く……ッ! 殺すなら、私を……!!」

「オーケー峰田実だな!? 相澤消太じゃないから峰田実だな!? ひっどいなァ!! それでヒーローのつもりか!! 後輩を救うために子供を差し出すなんて、鬼でももう少し慈愛の心を持ってると思うケド!?」

「や、やめてくれ……ッ! 子供だけは……ッ!!」

「だったら相澤消太だ!! それ以外にはあーりーまーせーんー! 最ッ低だな!! 子供のためとは言え、何の良心の呵責もなく後輩を捨てるなんて!! こんなに醜悪な人間を俺は見たことがない! 悪魔でももう少しはマシな選択をすると思うケド!?」

 

「ど、どうすれば……!」

 

 どっちを選んでも負け。選ばなくても負け。ならば、せめて被害の少ない方を選択するのが必須。

 しかし、どう転んでも、オールマイトの頭の中に“子供を犠牲に”という可能性は無かった。

 ――最終的に、相澤消太に行き着くことを、勇は知っている。

 

「私は――ッ!」

 

 その時、待ち人が現れる。ただし、その存在は決して今の状況を覆せるものではなかった。

 

 

「1-Aクラス委員長、飯田天哉!! ただいま戻りました!!」

 

 

 飯田の背後に追随してくるのは――本校舎のプロヒーロー。それが意味することは増援の到着だった。この場で求められるのが武力決着なら、まず雄英の完勝だっただろう。

 しかし、今は非戦闘の舞台。彼らは烏合の衆でしか無かった。

 

「は、はは。オールキャストだ……やったぜ……! 素晴らしいことだ」

 

 

「な――ッ」

「……アイツは」

「まさか、な……」

 

 

 唖然とするヒーローたちは何を思っただろうか。悔やんだだろうか、惜しんだだろうか、それとも嘆いただろうか。

 ただ一つ、確実に言えることがあるとすれば。

 

 

(ミッドナイト相変わらずエッロ! エッッッロォオオオオ!? 畜生……やっぱあの時、日和らず抱いとくべきだったァ……!! 犯罪だけどさ!! 今、俺ヴィランだし関係ないし手遅れだし!!)

 

 

 朝木勇が一瞬だけ卑猥な思考に囚われたということだった。

 

「……む?」

 

 それで何か感じ取るものがあったのか、蟻塚が勇の脛を蹴った。最低限の加減はされていたが、勇が思わず涙目になるくらいの痛みが迸る。

 

「痛ッ! ちょ、蟻塚ちゃん。今そういうのはヤバいよ……! 少しも隙を見せちゃいけない場面なんだからさ!」

「エッチなこと考えた勇くんが悪いよ」

「考えたけどさ! クソゥ! 俺が悪い気がする!! ……いや、俺が悪いの?」

 

 そんな会話をしつつも、視線だけは決して油断しない。

 コホン、と一つ咳払いして声調を整えた勇は、加勢に来たヒーローへ憐憫の欠片もない言葉を投げかけた。

 

「状況、分かるよなプロヒーロー! 余計な動きを見せたら生徒が死ぬぞ! 断言しておくが、俺は見逃さない(・・・・・)!! 知ってるよなぁ!?」

 

 奇しくも、この場のプロヒーローの内、オールマイト以外の全員は“草壁勇斗”と顔見知りだった。

 勇斗の能力を知っている全員は、それが虚言でないと信じることが出来る。出来てしまう。

 せめて許されるのは、尽きぬ疑問を吐露する代わりに、彼の名前を呼ぶことだけ。

 

 

 

「草壁くん、なの?」

 

 

 

「…………草壁、だと!?」

 

 その名に反応したのは、生徒でも増援の教師でもなく、オールマイトだった。

 

 



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地獄の明朝 下

主人公やっぱクロロと似てるかも。
独自解釈含みます。


 ――この話を語るには、約二年前まで時間を遡る必要がある。

 

 その日のオールマイトは、雄英高校校長である根津との会合を予定していた。根津校長は、彼の秘密を知る数少ない“協力者”である。そんな人物から『会って話がしたい』と申し出を受け、オールマイトはスケジュールに暇を作ったのだった。

 

 会合の日。とある都心のホテルの一室。相手の到着を待ちながら、トゥルーフォームのオールマイトは部屋に常備されているテレビでニュースを見ていた。

 

『速報です。先程、プロヒーロー殺害の容疑で未成年の少年が書類送検されました。少年は容疑を認め、警察の取り調べに対しては、“啓示”に従っただけだと主張しています。警察は少年を“精神疾患”の線で捜査を進め、殺害に至った詳しい経緯を調べるとのことです』

 

「やや! 酷い事件もあったものだなぁ……!」

 

 守るべき子供にヒーローが殺される。平和の象徴たる彼はまるで身内事であるかのように心を痛めた。

 

(この手の少年犯罪は原因がかなりディープな所にある……。根絶は難しいと分かっているが、やはりむず痒いな。皆に安心を与え、より良い世にするためにも、私が象徴としてしっかりせねば……!!)

 

 彼は高潔なヒーローとしての大望を掲げ、諸人のために身をすり減らす正義の味方、平和のための奴隷でもあった。

 しかし、それで悔恨は一つも無い。彼の活動する日本は諸外国と比べてヴィラン発生率が軒並み低かったし、それが“象徴”である自分の功業であると、自他共に認めることができていたからだ。

 

 完璧を目指すのが理想に過ぎないとは重々承知している。それでも、未来ある子供が腐り堕ちたという事実は、彼の胸を強く抉り、ヒーローとしての覚悟をより強固なものとした。

 

「――オールマイト、私だよ」

 

 扉を叩く音を後追いして、根津校長の声が届く。

 

「校長先生! どうぞ!」

「うん、では失礼するのさ!」

 

 入室してきた白い謎の愛らしい生命体。

 鼠なのか犬なのか熊なのか、かくしてその正体は――

 

「Yes! 校長さ!」

「本日も大変整った毛並みでいらっしゃる!」

 

 愛玩動物の如き容貌を象った校長は、オールマイトと対面する形で腰を下ろした。

 

「ヒーローとして多忙を極める君に、こうして貴重な時間を設けて貰ったこと、心から感謝するのさ! だから早速本題に入るのさ! ……君、近年は“後継者”探しに勤しんでいたよね?」

「ムムム! まさか、校長先生直々の推薦ですか?」

「そのまさかさ!」

 

 まるで我が子を誇示するかのように、根津校長は小さく胸を張る。その仕草の段階から、これから言及されるであろう“後継者”に対して、オールマイトが懐く期待値はかなりのものだった。

 

「彼ね、雄英二年B組だった草壁勇斗と言う生徒なんだけど、残念なことに、先週学校を辞めてしまったのさ」

「それはまた……どうして」

「実はだね、彼は無個性なのさ。史上唯一の、そのまま無個性で雄英に受かった鬼才。けれど、戦闘面以外の全てがヒーローの器だった!」

 

 ……校長の言葉を疑う訳ではないが、にわかには信じがたかった。

 ヒーローの仕事は救助活動、ヴィラン退治、すなわち戦闘の割合が高い。無個性が裏方の役回りとなることが当然の今の時代、草壁は警察を目指すのが分相応なのではないだろうか? オールマイトだけでなく、誰でもそう感想を持つ。

 

 ……それでも雄英に一年間在籍することが叶っていたのは、彼が戦場でも活かせる能力を持っているからに違いないが――それにも、限度がある。

 

「無個性で……しかも雄英に」

「それもね、驚いた事に、彼は“一般入試”で合格してるのさ! 筆記は勿論、実技試験でも中々の好成績を収めていたんだ!」

「いやそんな、まさか」

 

 半信半疑だったオールマイトが、ここで初めて否定から認識に入った。

 

「無個性ということは、草壁勇斗は『個性因子』を獲得しておらず、異形型の遺伝子も持っていない完全な旧型人類――旧来のホモサピエンスです。進化一段階分の差は大きいですよ、校長。とくに運動能力では、個性を持つ新人類と致命的な落差があります。……それが、武器の携帯を原則禁止としている実技試験で結果を残すなんて、一体どうやったら――」

「それがね、『救助(レスキュー)ポイント』稼ぎにだけ従事すればギリギリ不可能ではないのさ!」

 

 ヒーローの本質的な意義は「人助け」。その科目がヒーロー科高校の総本山である雄英で評価されない訳がない――冷静に考えたら分かりそうなものだが、考えが硬化しやすい入試において、その認識を持てる者はいないだろう。

 それを狙って稼ぐということは、つまり、

 

「そう! 彼は柔軟な思考で雄英の入試の仕組みを見抜いていた! 救助(レスキュー)ポイントの存在に勘づく生徒はとても希少! そして、彼は純粋な実力で入試を突破したのさ!」

「おお……! まさに質実剛健!」

「うん。けれどね、――やはり無理だったのさ……。人柄も容姿もヒーロー向きで、私たちとしても彼には期待せずにはいられなかったんだけど――前線に出れないヒーローはヒーローじゃないだろう……?」

 

 掘り下げて話を聞いてみると、草壁勇斗は総合成績で学年トップとのことだった。座学はほとんど満点という奇跡の偉業を保持し続け、実技では判断能力と指揮能力の高さを存分に発揮出来ているらしい。

 しかし問題は戦闘訓練。確かに成績は悪くないのだが――彼は個性の特性を知り抜いたクラスメイトとの対決で、適性な処方を熟知していた。特に集団戦でそれが活かされることが多いのだという。言い換えれば――戦闘力に即効性が無いのだ。正体の分からないヴィランが相手の時、個人では成す術がほとんど無い。

 

「決定的だったのは一年次のインターンさ。彼は仲間を庇った挙げ句にヴィランに捕らえられ、重傷を負って一度は命の危機に瀕した。……無個性の彼は、如何せん正義感と勇気が強すぎるんだ。それで、ヒーロー事務所から彼を辞めさせるように進言があってね。ずるずる引きずって、とうとう先週、半ば無理矢理に放校が行われた」

「ムゥ……無個性であることが惜しい! 誰かの為に傷付く勇気が、むしろ彼の首を絞めてしまうだなんて……!」

 

「彼の為人は、実際にコレを見たほうが早いのさ!」

 

 そう言って校長が自前のバッグから取り出したのは一つのDVD。それを部屋のテレビで再生する。

 

 ――内容は、草壁勇斗一年次の雄英体育祭のインタビュー映像だった。

 

『それではお次に――おっ! あそこにとても可愛らしい(・・・・・・)お嬢さんがいらっしゃいますね! チアガールの格好をしていますが、雄英生でしょうか? 突撃インタビューしてみましょう!

 すみませーん、雄英の生徒さんですか?』

 

『え、テレビ? 俺映ってる!? どーもどーもー!! 草壁勇斗と申しまーす!! 雄英一年生でーす!!』

『……えっと、女生徒ですよ、ね?』

『ん。あー、やっぱそう見えます? これ実は罰ゲームでチアコスさせられてるんですけど、わりかし評判良かったので、コレで競技に参加してしまおうかと……お色気? 的な?』

『は、はぁ……そうなんですか』

 

 

 

「ビジュアルとユーモアは中々のものだろう!」

「……ええ、まあ」

 

 女装ヒーローはマズいですよ校長……! 等と考えながら、オールマイトは続きを鑑賞した。

 

 

 

『ちなみに、草壁くんは何科ですか?』

『フ。ヒーロー科に颯爽と現れた驚異の新星! スマイルブレイバーとは俺のことさ! 一年の部の優勝は頂きだ!』

『おおっ! ヒーロー科ですか! ということは、さぞかし強い個性をお持ちなんでしょうねぇ!』

『……フフッ、知りたいか? 知りたいかね? ならば教えてあげないこともないが――代わりにお姉さんのお尻を触っても構いませんか……!』

『…………あ゛?』

『ひィ!? ご、ごめんなさい!! スカート越しにもあまりに見事なヒップだったものですから!!』

 

 

 

「草壁くんはエッチな所が玉に瑕なのさ! でも大丈夫! 性根は紳士だからね!」

「……そうですか」

 

 本当に楽しそうに注釈を入れてくる辺り、この校長は随分と草壁勇斗に入れ込んでいるらしい。

 

 

 

『それで、草壁くんの個性は何?』

『他を圧倒する俺だけのアイデンティティ! 俺だけに許された最強“個性”!

 

 

 その名は――「勇気と笑顔」だぜ!』

 

 

 

 

 その時、オールマイトに衝撃走る!!

 

 

「勇気と……笑顔か……!! 何と殊勝な……!!」

 

 無個性ということを鑑みるに、このインタビュー映像に残っているやりとりは全て強がりだろう。

 しかし、テレビの取材に物怖じせずに受け答えし、笑顔を絶やさず映り続けた草壁勇斗。彼は持っているのだ、『勇気と笑顔』を。それが全て嘘偽りであると断じることを、オールマイトは許さなかった。

 

「私たちは彼の中に夢を見出し、夢を託した。だからその責任を取る義務があるのさ。どうかオールマイト、無理にとは言わないが、後継者候補の一人として、彼をどうだろうか……?」

「無論です校長。何より貴方がこうも熱烈に推す人物――是非とも会わせて頂きたい!」

 

 

 もしも彼が、最初からヒーローになんて憧れていなければ。

 もしも彼の退学の時期が、もう少しズレていたなら。

 もしも最初から、『事件』なんて起きていなければ。

 あるいは、もっと早く、後継者として見初められていたなら。

 

 ――全ての結果は、全く違うものになっていただろう。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 一時は“候補”にまで挙がった純金の卵だった。

 オールマイトは忘れない。彼が輝いていた時を。

 

「草壁……思い出したぞ、彼だ――しかし、どうしてヴィラン(あちら)に……!?」

 

 オールマイトだけではない。勇斗を既知の全ての者が、それと同質の疑問を持っている。

 もちろん、律儀に帰ってくる回答は存在せず、そこに居るのは非道で兇悪な犯罪者だけだった。

 

 

 

 

(……前々から思っていたんだけど、やっぱ雄英って教員の転勤少ないんだろうな。ヒーロー免許と教員免許を両方持ってる人間自体、少数派だろうし――俺にとっては見知った顔ばかりだ)

 

 ヒーロー達はある程度の状況を察したのだろう。何故、どうしてと激しく問責することもなく押し黙る者が多かった。

 現れたヒーローの中で最も強い権限を持ち、担任である相澤を除いて勇斗と最も親密だった根津校長は、状況を俯瞰しながら緩やかな語調で話し出す。

 

「……久しぶりなのさ、草壁くん! 元気そうで何より。ところでどうだい、お茶でもしていかないかい? 最近、とても美味しい茶葉を手に入れたのさ!」

「意味分からんぞ、毛達磨」

「No! 鼠なのか犬なのか熊なのか、かくしてその正体は、そう、校長さ!」

「無駄話は嫌いでね。今の状況で勝手に動く口を持ち合わせているのなら、貴方はとっととプロ免許を破棄するべきだ。追い詰めているのは俺――だから、その優勢が覆されない内にミッションを終えたい。分かるだろう?」

「ミッション? それはどういう……」

「喋るなって言っただろ、校長! 人質が見えないのか!?」

 

 勇は峰田の首にナイフを押しつける力を更に強く、しかし絶対に傷付けない加減をする。

 長居することは危険を被ると、勇は正しく認識出来ていた。ヒーローと敵対する時のコツは、限界を超えられる前にさっさと主目的を達成させて逃げることだ。

 

「そらそら、観客が増えたぞオールマイト。でも迷うな。さっさと殺したい方を選べ!!」

「意地の悪い聞き方だな、ホント……!」

 

 遠目にも分かるほどオールマイトは強く歯軋りし、口端から一筋の赤い水滴を落とした。

 と、そこで、高台に立つ勇の背後の空間に、霧の波紋が浮かび上がった。

 

「朝木。脳無も含め、全ての人員(・・・・・)の搬送が完了しました。残る貴方と蟻塚が無事に帰還すれば、我々の損失は皆無です」

「ご苦労さん。やっぱ黒霧がいると便利だな。こっちもそろそろ終わりそうだ。ささ、今度こそ帰宅準備だよ、蟻塚ちゃん」

「……ん」

 

 前にもう一歩踏み込み、峰田実を晒し上げる。外傷が無いとは言えど、意識も死んでいる。本人の抵抗は考えられない。

 だから、彼を助けるにはヒーローが独力で現状打破するしかないのだが、

 

「助けたいか、助けたいだろ!? だったら殺せ、何度も言わせるな!!」

 

「……草壁、勇斗くんだったね。こんな事をして、取り返しつかないぞ、君」

 

 オールマイトから自分の名前の発言が出て来て、勇の心が少々ざわついた。

 

「そっちで呼ぶなよ。つーか、平和の象徴に個人として知られてるなんて光栄だな。俺の事はどこで知った?」

「二年前の、祭りだよ」

(祭り、って言うと雄英体育祭のことか。そんなに活躍したかな、俺? 予選敗退だったと思うんだが――――いや、俺の印象が強いのも当然か。チアコスのまま参加したの俺だけだったし。相手に自分の恥部知られてるって、ちょっとやりにくいなぁ……)

 

 心のざわめきが強くなった。が、その程度で動きを乱すほど耄碌してはいない。

 勇は更に追い打ちを加える。

 

 

「『取り返しが着かない』と言ったな、オールマイト。

 

 ――バカ言え。もう終わってるんだ、俺は! 全部捨てたんだ! 恒久の幸せなんていらない!! 取り返す自分なんて、もういらない!! 弱点になるだけさ!!

 

 どうだ、ヒーロー? 救う相手を見つけたお前たちは無類の強さを手にするが、捨てる覚悟を決めた悪役の悪あがきってのも、中々に性質(タチ)が悪いだろう!?」

 

「ッ、……全くその通りだよ、このヘイターめ」

 

 挑発的な揶揄は軽く受け流す。

 相手の土俵に立ってはやらない。理不尽だろうと不条理だろうと、ヴィランに徹して一つも譲らない。自分の主張と要求だけを強引に押し通らせる。

 

「もう時間は十分にやった。これ以上は待たんぞ――相澤消太を殺せ。三秒以内だ」

「ぐ、……も、もう少し考える時間を――」

 

「――――三」

 

 始まった死の秒読み。もう誰の仲介が入ろうと、勇は言葉を止めない。一定の周期で秒を読みし、時間が来たら峰田実の首を刎ね飛ばす。それだけだ。

 

「――――二」

 

 その場の全ての鼓動が一つになった。峰田が殺されたその瞬間、朝木勇を捕縛する準備をする――ヒーローらしからぬそのような発想を大人たちに植え付けて始めた。

 しかし、無意識の表層がその行為を縛っている。子供が死ぬ前提を、ヒーローが待ってても良いのか。

 その辛苦。葛藤。知っている上で、勇はヴィランの理想型を突き詰めていた。

 

「……一」

 

 次だ。次の瞬間、誰かの死が確定する。

 そして、オールマイトの肩が揺れた。相澤を殺す、その行為を容認してしまったのだろう。

 

 勝った――と、不吉に微笑んだのと同時に。

 コンマ数秒の世界で、勇の世界は回り出す。高速の思考が、一つの違和感に気付く。

 

(…………違う。何だ? 想定と――何かが違う! 俺の予定した未来図と、この現実、何かが異なる!! 何だ、何が――何の違和感だコレは!?)

 

 朝木勇でなければ、その微かな差異に気付くことすら無かっただろう。気付くことが出来たのは、彼が並のヴィランより臆病で、広大な視野を持っていたからだ。

 

(――生徒が……さっきまでの数と合わない!?)

 

 一瞥しただけで確信する。

 圧倒的な脅威である平和の象徴から目を離すことは出来なかった。一瞬の油断は敗北と直結する。最高のヒーローは瞬く間に場を蹂躙する力を秘めているのだから。

 よって、この失念は半ば必然だったと言える。しかし、瞬時に、ではなくもっと未然に察知出来ていたなら。それが状況を一気に覆すと、あらかじめ悟っていたとしたら、防げていた――かもしれない。

 

 

「  てめェが指揮官だな  」

 

 

「ッ! 真下!?」

 

 

 ここは水難ゾーン。足音が聞えてこなかったのは、水中を泳いでいたからだ。

 爆豪勝己では無理だ。緑谷出久では届かない。蛙吹梅雨ではたどり着けないし、青山優雅でも、常闇踏陰でも間に合わない。

 しかし、ここは水分を豊富に含む場所。

 

 

 

 

 すなわち、轟焦凍の独壇場である。

 

 

 

 

「凍っちまえ」

 

 

 

 

 氷柱が伸びた。それはもはや、虚空から瞬時に生えたと表現する方が正しいかもしれない。

 例え朝木勇の瞬発力であろうと、物理の臨界に達した速度の超速に、彼の筋肉は反応しなかった。

 

 真下から発生した氷が、『峰田実』の胴体部を包み、勇の左手を巻き込んだ。

 足まで巻き込まれなかったのが唯一の救いだ。晒し上げるように左手を突き出していたのが幸いした。

 が、動けない。

 

(クソッ! これだから強個性は!! 左手が凍って、とれねェッ!! この質量じゃ無理矢理引き抜くのは大幅なタイムロス! 蟻塚ちゃんの怪力でも間に合わない!! だったら、ああクソ! やむを得ん!!)

 

 勇は最適解に至る。

 

 

「蟻塚ちゃん! ちぎれ(・・・)! 黒霧は開け(・・)!!」

 

 

 

「了――っ」

「――解ですッ!」

 

 勇の意図を汲んで、まず蟻塚が、まるで豆腐を砕くかのようにあっけなく、彼の左手を肘から引きちぎった。

 発狂しそうになる自分の口を下唇を噛んで抑え、勇は蟻塚を右手で抱きかかえて振り返ることなく後ろに飛んだ。

 そこで待つのは開かれた黒霧のワープゲート。勇が霧に身をゆだねたその時、氷で覆われた視界が開けた。

 

 

 ――爆発のような轟音。オールマイトは激しい蒸気をまき散らしながら、氷柱を粉砕して峰田を抱え、勇のすぐ眼前に現れた。

 

 

「逃がさん……ッ!」

「いいや、逃げる」

 

 

 修羅の面持ちであるオールマイトと似て、勇も言葉で形容しがたい破綻の表情をしていた。

 憎らしいのか、哀しいのか、それとも嬉しいのか、楽しいのか。

 平和の象徴の絶対火力を間近で目撃した勇は、それを嘲笑する。

 

(オールマイト……単細胞って訳じゃなかったか……ッ。懊悩しているように見せていたのは、轟焦凍の存在を俺に匂わせないための演技だった……!)

 

 ――どうやら、No,1ヒーローは草壁勇斗より一枚上手だったようだ。

 しかし、

 

 

「……残念。朝木勇はその二歩先に居るぞ……!」

 

 

 

 不穏な言霊の音色が残る。

 その直後、連合の全員が撤退を完了させたのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……クソが、意識、飛びそ――ッ!」

 

 連合アジトに戻った勇は、出血の収まらない左手を抑え込みながらのたうち回っていた。強引に切断された断面は繊維と血肉が乱雑に混じり、骨が露出していた。

 

「超グロッキーじゃねぇか。……大丈夫か?」

「大丈――ブイ!」

「重傷だな、頭が」

 

 冗談交じりの会話だったが、勇の状態は冗談で済む範疇をとっくに逸していた。

 

『出血量が凄まじいな。治療と義手の用意は、僕とドクターが請け負おう』

 

 モニターから先生の微笑混じりの声が聞こえた。簡単に義手を用意できる辺り、やはり連合の後ろ盾であるこの男は裏社会でかなりの権威を持っているらしい。

 となると、既に表舞台から姿を消した、有名なヴィランである可能性が高い。もしかして――と勇の中で仮説が立てられていくが、この場でその考察に意味はない。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……! 右肩に穴が空き、左手は肘から先を失った……! だけど、ハハ、この程度は大した痛手じゃないな……ッ!」

「死にかけの身体でよくそこまで強がれるなァ、大将」

「強がりじゃない、事実だ」

 

 壁に背を預け、勇は辿々しく言った。

 

「そもそも、俺は弱い……。そんな雑魚の石ころ一つ、どれだけ傷付こうと……塵程の損害にもならない。馬糞にクソ引っかけられたのと一緒だ」

「そんなもんか?」

「そんなもんさ。俺の負傷は――連合にとって何でもない些末事。この位で勝ち気になるヒーローは、とんでもない小者くらいだろうぜ」

 

 勇にとっては、個人的な損害は敗北を意味しない――今のように片腕をなくす事態に追い込まれたとしても、それはピンチでも失敗でもなかった。

 自分が何とか死なないように配慮するのは、蟻塚への義理立てだ。彼女は勇がいないと生きていけない。もしも蟻塚という隣人がいなければ、朝木勇は自分が死ぬ羽目になっても下らないと笑い飛ばしていた。

 

 ――俺は人を殺そうとしたのだ。その結果、対価として自身の命を差し出すことになっても、目的さえ達成できたなら、それは連合の勝利を意味していた。

 

「貴方は自己評価が低いんですね」

「高いさ。俺は優秀な天才だ」

「……その結果が、コレですか」

「オイオイ黒霧、仕込みが不発だったとは言え、そもそもオールマイト殺害はお前と死柄木の役目だろう。全部の戦果を俺が掠め取っちゃ、お前らの立つ瀬が無かったんじゃないか?」

「ええ、確かに貴方には助けられた」

 

 黒霧の言葉尻を奪い、死柄木が続ける。

 

「……クソ、クソが、クソッ! ああ、思い出しただけで腹が立つ! 投入した戦力は全て回収――だが、オールマイトは殺せず終い、朝木は重傷だ。これも全部アンタのせいだぞ! 先生! オールマイトは全然弱ってなかった!!」

『違うよ弔。君の見通しが甘かったんだ。僕もね、朝木勇の策ならばと半信半疑でいたが、やはりオールマイトは一筋縄じゃいかないな。一気に殺すのではなく、時間を掛けて徐々に削る方が賢明かもしれない』

「……確かに、ありゃ勝てねぇな。また遊びたいが、ちょっと恐ぇ」

 

 戦闘狂のマスキュラーでさえ、冷静に勝てないと明言させる。オールマイトの力はそれ自体が暴力的だった。

 

「……俺はもう会いたくもない。平和の象徴は大気圏までPlus Ultra(限界突破)してきやがる。この戦力じゃ、まだ時期尚早すぎた」

『ほう? では感想戦といこうじゃないか。今回の連合は……どうだったかな?』

 

 全ての視線は朝木勇に集まる。雄英襲撃の暫定評価は、勇へと委ねられた。

 

 

「メインミッション、達成出来ず。俺は今、すごく痛くて泣きそうだ。でも、蟻塚ちゃんと繋げる右手はしっかり守った。

 

 

 ――だから、約束通りの及第点。俺たちの勝ちだ」

 

 

◇◇◇

 

 

「峰田くん! 峰田くん! どうして目を醒まさないんだ!?」

 

 クラス委員の飯田が、峰田実の頬を叩く。

 呼吸がない。

 鼓動がない。

 ――そんな、まさか……?

 

「俺の氷は芯まで届かないように調整した。言っておくが、それだけ(・・・・)は有り得ねぇぞ」

「ならば……どうして!?」

 

 助けた筈のクラスメイトが目を醒まさない。

 飯田が物言わぬ峰田を揺らす。目を開いて声を聞かせてくれ。

 その時、クラス全員、そして集まった教師全員の視線を集めて、

 

 

「「「……なッ!?」」」

 

 

 ――『峰田実』が、泥のように溶けた。

 

 

◇◇◇

 

 

「ともかくありがとう、トゥワイス(・・・・・)。実らない仕込みではあったが、お前のおかげでアイツらをかなり苦しませることが出来た」

 

 便利屋のコネクションを経由して連れてきた、特別協力員――『同胞十三号』であるトゥワイスは、ボロボロの勇を見て、

 

「気にするな! むしろ、役に立てなくてゴメンな! 一生俺に感謝しろよ!?」

「えっと……前者が本音だっけ? 後者か? それとも両方?」

 

 相反する二つの意味合いを持つ発言を羅列させる男――トゥワイス。彼の個性は『二倍』。対象を複製し、二倍に増やすシンプルな強個性だ。

 

「あの峰田、強度はどのくらいだ?」

「“死体”を二倍にしてるからな! 通常よりかなり脆い! 多分、日常的に喰らう衝撃を何度か受ければ溶けるぜ!!」

「……そうか。だとすれば、そろそろ崩れててもおかしくないかもなぁ」

 

 轟焦凍の氷結で奇襲を受けた時、それはおそらく、勇が雄英襲撃の中でも最も焦った瞬間だった。人質として活用した峰田は死体を二倍にしたものだったので、凍らされた拍子に崩れてしまう可能性があった。

 偽物を本物だと誤認させたままワープできたのは、不幸中の幸いだったと言える。

 

「なあ黒霧、蟻塚ちゃん、また一つ学んだな」

「……ん?」

「学んだ――とは何のことですか?」

 

「最後のオールマイト。アレさ、きっと本当なら俺たちに届いていた。俺たちは、あそこで終わっていた。それが実現しなかったのが何故か分かるか?

 ――安心して、油断したんだ。生徒を助けられたと確信したんだ。その瞬間に陥ったヒーローは、もう限界を超えられなくなる。だから、そいつを引き出した俺たちがオールマイトよりやり手だった! アイツの想定を凌駕した!!」

 

 峰田が溶ける瞬間を見られていたなら、やはりオールマイトは朝木勇たちを逃がさなかっただろう。

 

「そして――今から連合はもう一歩先へ行く」

 

 勇が死柄木を見る。

 そこから伝播した悪意は、二人の間で歪な笑みを共有させた。

 

何点(・・)だ?」

「60、かなぁ」

「……チッ、なら残りの40点は俺たちが埋めてやる。お前があつらえたボーナスステージだ、楽しませて貰うよ」

 

 言葉などいらなかった。

 別室で保管してある峰田実。彼は誘拐後、朝木勇の手によって即殺された。痛みを感じる暇もなく死を迎えたのだから、左手を失い激痛に悶える今の朝木勇より彼は幸せだったかもしれない。

 

 だが、それは前座。より深く暗い恐慌と不幸をまき散らすための前準備である。

 

 

 ――峰田実の死体をどう使うのか?

 ――朝木勇と死柄木弔の間で、言葉による意思疎通は不要だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 死柄木たちがアジトを後にした約十分後。

 応急処置を終えた勇の頭を蟻塚は撫で回していた。

 

「勇くん良い子。皆を逃がすために頑張った。あたしのために腕を無くした。優しい、良い子良い子」

「……間違っても良い子ではないし、優しくもないと思うけどなぁ」

 

 朝木勇は苦笑する。

 

「――なぁ、便利屋」

「おっと、その呼び方はもうナシな。俺の名前は朝木勇だ」

「んじゃあ朝木」

 

 落ち着いた声音のトゥワイスが、勇のすぐ隣に座す。

 

「……」

 

 朝木勇の左手に巻き付く包帯は赤く滲んでいて、彼が我慢しているだろう激痛を鮮烈に物語っていた。

 それを見て、トゥワイスは心底不思議に思う。

 自分の知る限り最も切れ者の勇が、どうしてこんな重傷を負ったのか。どうして、こんな危ない勝負に乗り出したのか。

 

「――“二倍”にするのは死体だけで良かったのか? 俺の個性ならあの脳無や、マスキュラーを複製することも出来た」

「……“先生”が言うには、個性の相乗効果で脳無に意志が宿る可能性があるらしい。こっちに従うかどうか分からない。マスキュラーや、死柄木も同様だ。黒霧は、複製して個性の精度を落とされても困るしな。いくつか実験を重ねないと、お前の個性(ちから)は盲信できないよ」

 

「だったら、――朝木。お前を複製しなかったのはどうしてだ? お前の理屈で言うと、無個性なら戦闘力の低下は度外視しても良いだろ」

 

「……ああ、何だ。そんなことを疑問に思ってたのか」

 

 何でもない、嗤ってしまうくらい下らない理由だ。

 言おうとして、勇は自虐的に微笑む。

 

「俺だって、たまには無茶したいさ。男の子だもんなァ……。煮え切らないとムカムカする。

 それに、アレかな。雄英(あそこ)に行くのは、やっぱ本体の俺じゃなきゃ」

 

 複製(ダミー)の見聞きした情報、記憶は本体と共有されない。

 本音を語れば、勇は久しぶりに見たかった。会って、話したいとまではいかずとも、自分の感覚で知りたかった。

 慎重な勇の気質と反対の矛盾した感情。理屈を見つけるのが難しくて、彼は一つの理由をこじつけた。

 

 

「……好奇心ってやつなのかなぁ」

 

 

 

 ××××××

 

 

 翌日、峰田実の『頭部』は丁寧に梱包されて彼の実家へと配送された。

 『両腕』は国立公園の看板に、『両足』は駅前の噴水に、『臓物と肉片』は都内の公道にぶちまけた。

 予定通りとは言え、この猟奇的な手腕には流石の朝木勇も苦笑するしかなく、先生曰く、死柄木弔はここ数年で最も上機嫌だった、とのことだ。

 

 

 街中に散らばったそれぞれの部位は、明け方に発見されるものが多かった。

 

 そのため、日本の犯罪史に残る程凄惨だったこの殺人事件は、後々、人々の間でこう呼ばれるようになる。

 

 

 ――『地獄の明朝』、と。

 

 

 

 

 

 




【速報! 主人公、腕ちょんぎれる!】
 
朝木「畜生ォ! 持って行かれた……! 返せよ! たった一つの左手なんだ!」
 
死柄木「あんまし落ち込むなや」
 
黒霧「ナイスガッツだったよ」
 
朝木「ブドウもぎろうとしただけなのに……シュン」
 
蟻塚「大丈夫? おっぱい揉む?」
 
朝木「君のような胸のないガキは嫌いだよ!!」
 
AFO「愉悦!!」
 
 
 
峰田「解せぬ」
 
 
 
 
 
ブドウは犠牲になったのだ……。次回、反響。
 


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二日後の連合

 無機質な熱を帯びた神経が左腕の関節に接合される感触は、傷口から虫が入り込んでくるかのような不快感の余韻だけを残した。

 勇はその鋼が自分の身体の一部であることを意識にすり込むために、何度か義手を上下に動かす。

 装着してまだ数分だというのに、時間差もなく能動的に運動の命令が伝達されている。それでも小気味悪い感触が残留したままだが、極度の拒絶反応を避けるために人工組織が編み込まれているからか、人間らしい温度が取り戻せてきているような気がした。

 

 今は腕を無くしたその二日後であるが、仕上がった義手の出来は想像を軽く凌駕するものだった。

 

「まさかここまでの精度とは、日本の技術は凄いな。……いいや、感嘆すべきはお前たちが秘めてる科学力か?」

 

 素直に賛辞が飛び出てくる程度には、驚嘆したと言っても良い。てっきりもう左腕は無いも同然の生活を強いられるものだとばかり想定していたのだが、この分だと元の運動能力に戻るのも時間の問題だった。

 賛辞を受けた『先生』は、含み笑いのような声を漏らす。

 

「僕の個性の応用さ。普段は使わないものだから忘れていたが、探してみたら意外とあるものでね」

「……は? それってつまり――ん? 先生は数え切れない程複数の個性持ちってことか?」

「厳密にはそうじゃないが、まあ、そんな認識で間違いはないかな」

「へえ、やっぱ神様は意地悪だねえ。改めて、運命めいたものを須く嫌いになった」

 

 連合の後ろ盾であるだけあって、やはり先生単体の力量は計り知れないものがあった。

 こうして実際に対面してみて不吉な風采は底抜けであると体感できたし、一つ二つ言葉を交わしただけで引き込まれる謎のカリスマまであった。その上、個性の複数持ちとは――才に恵まれすぎたこの男を嫉んでしまうのは当然だろう。

 

「……以前は隠居していると聞いたが、この際だから率直に聞く。お前は独力でどこまで強いんだ? 治療用のキューブや管を全身に纏わり付けたその姿は病人のそれだが――ほとんど気休めだろ、ぶっちゃけ」

「僕を買い被りすぎるのは御法度だよ。そこそこできる自負こそあるが、僕は本当に療養中の身だ。頼られても困る。今の君と比べたら霞んでしまうような弱小ヴィランさ」

「それこそ買い被りすぎだな。俺はガキ相手に左腕失うような雑魚だぜ」

「フフ、君だってまだ子供だろう。19歳だったかな? 大丈夫、まだまだ成長期だ」

「馬鹿言うな。自分の伸び代くらい自分が一番良く分かってる。俺はここで終点だよ」

 

 自虐は本心から来るものだった。自分が既に完璧を突き詰めているとまでは言わないが、効率的な努力は十分に重ねてきたつもりだ。これ以上自分を磨くために研鑽しても実りは少ないだろう。要は努力と成長、その費用対効果が悪いのだ。

 先生もそれには首肯する。

 

「……そうだねぇ。君の主張もあながち間違ってはいないかもしれない。ならば、こういうのはどうだろう?」

 

 常に先生は勇の想像の斜め上を行く言動を繰り返す。しかし、その時の“提案”は、普段のもののもう一段上から下されたものだった。

 

「君さ、自分だけの個性――欲しくないかい?」

「……嫌味ったらしい質問だな」

 

 勇は思わず歯噛みする。無個性という自分のアイデンティティにしてハンデ。それがあったからこそ、彼はここまで登り詰めることが出来たし、自分を追い込む胆力を得ることが出来た。それは間違いなく事実である。

 今更個性が欲しいか、だと? ……その問いは沈殿する勇の願望を一時だけ掘り起こす結果となった。

 

「話したことなかったっけか? 俺の個性は『勇気と笑顔』。それだけで間に合ってるんだよ」

「またまたぁ。君は医学的にも証明された正真正銘の無個性だろう。そんなつまらない意地やプライドは捨てて、言ってみなよ。君の本心。個性が欲しいのか否か」

「欲しいさ。あー欲しいね。精力絶倫の個性とか転がってないもんかなぁ」

 

 一度蓋を開けてしまえば、その願望は単純明快だった。個性は欲しい。当然だ。決して叶わぬものだと知っているから、勇は素直に全てを吐き出した。

 そして、無責任にそれを引き出した先生は――

 

「――――ならばあげようか?」

「…………ああ、そっか。そういうことか」

 

 瞬きほどの合間に全ての真相を導き出した勇は、つくづく神様は不公正だと悪態をつく。

 

「テメェが個性を何個か持ってるのも得心がいったよ。“作って譲る”――そんなところか?」

「惜しい。が、近い。“奪って譲る”が正解だね」

「それはそれは。悪党に相応しい能力だこと」

 

 勇の胸の中に嫉妬の二文字が浮かんだ。羨ましくて妬ましい。だが、頭を下げたら本当に貰えるのだろうか――そんな選択肢が浮かび上がってくる。

 もちろんそんな真似はしないが。

 

「……忠告しておくぞ。そこでテメェが黙って見てる分には俺は何も言わないが、これ以上、俺たちに躙り寄ってくるってなら、俺は躊躇なく身を引く」

「やれやれ。信頼されていないなぁ、僕も。義手まで用意してあげたというのに」

「する訳ねェだろうが。何も信じていないよ。そちらさんは俺を信じてるみたいだが――それがまた気にくわないんでね。俺の底まで見透かされてる気分でいけ好かない。つー訳で、その提案は却下だ。個性なんて不要だ。むしろ、無個性じゃなきゃ俺が俺でなくなる、そんな気がしてならない」

 

「そうか、とても残念。君なら簡単には脳無に成らない(・・・・・・・)と思うんだけどなぁ」

 

「悪いね。義手の件は普通に感謝するよ。んじゃ、俺はこれで」

 

 この場にいたら自分らしくない想いが芽生えてきそうな予感がして、勇はすぐに退散することを選んだ。

 踵を返す勇の背に向かって、先生は一言、

 

「ならば僕は待とう。君が自ら欲し、手を伸ばすまで」

 

 その言葉に返事をせず、沈黙を貫いたまま勇は先生と別れた。

 

 

 

 

「……ふむ。義手は貰うが個性は受け取らない、か。基準がよく分からないな。つくづく複雑な子だ」

 

◇◆◇

 

 日がな一日鬱屈としている連合アジトには珍しく、喜色が漂っていた。

 その空気の中心源となっている男――死柄木は、勇が左腕に帯びる無機質な光沢を眺めると、

 

「似合ってるじゃないか」

「どうも」

 

 彼から能動的に声を掛けてくるあたり、本当に機嫌が良いらしい。普段の天邪鬼ぶりからは考えられないことだった。

 

「あの事件……もう『地獄の明朝』なんて俗称まで出来ている。世間は俺たち連合の話題で持ちきりだ。今回だけは俺もお前を労ってやるとしよう」

「そんなもの必要無い。事前に確約と言ったからには確約だ。俺は出来もしないことを出来るとは言わん。最初から確定してた結末だった。というか、労う以前に俺に感謝しろよな。俺がいなけりゃ完全敗北だっただろうし」

 

 先日の雄英襲撃において、オールマイトの殺害というプランは完膚なきまでに頓挫した。主戦力は大半が無力化され、実質的に戦果を上げたのは朝木勇が唯一である。撤退の時間を稼いだのも彼だった。

 死柄木も認めざるを得ないと理解できていた。朝木勇が居なければ、目的を達成できなかったどころか募った仲間の多くが捕まり、計画は不首尾に終わっていたことだろう。

 

「……チッ、やっぱ鼻につくことしか言わないな、お前」

 

 反論は出来なかった。小さな舌打ちは死柄木に出来る精一杯の反抗だった。

 

「それにしても、」

 

 勇はカウンター席に乱雑に広げられた新聞記事を流し見する。

 

「何でこんなに散らかってるんだ?」

「さっきまで俺が見てたんだ。世間の動揺が愉快でな」

「……へぇ」

 

 言われて、勇は世の中の動向を思い出す。

 

 連合による雄英襲撃の翌日――街中に解体された死体の欠片が散乱していたことが一つの事件として取り上げられた。

 朝の段階では死体の身元特定は困難とされていたが、民衆の間では一つの憶測が犇めいていた。死体の正体は雄英の生徒なのではないか、と。と言うのも、同時期にヴィラン連合なる組織によって雄英が強襲され、生徒の一人が誘拐されたことが報道されていたからだ。

 

 そして、その憶測が真実と成り代わったのが正午の話。DNA鑑定の結果、バラバラの死体が現役雄英生だった峰田実のものであると断定され、警察は直ぐさまそれを公へと開示したとのことだ。 

 腕の治療に専念していた勇が知り得ている情報はこの程度だったが、世間に大混乱が巻き起こったことは想像に難くないものだった。

 

「地獄の明朝の発生から、今日で丸一日が経った訳だが――ハハ、どの記事でも猛烈に叩かれてるな、雄英」

 

 散乱している記事を軽く眺めてみて、雄英を擁護する文面は一つとして見受けられなかった。ヒーローの総本山とも言える学び舎が、犯罪者の侵入を許し、挙げ句生徒を殺害されたのだ。

 全ては教師たちの“怠慢”が招いた悲劇である――と、多くがそう結びつけている。実際に現場にいた教師三名は勇の想像以上の奮闘をしていたのだが、誤解の広がる勢いは減速することを知らないようだった。

 

(これで、主犯の一人が元生徒なんてバレたら、もっと性質(タチ)の悪い憶測が蔓延するんだろうけど――流石にマスコミがそれを嗅ぎつけるって事は考えにくいな。今後の展開のネックになってくるのは……やっぱり、雄英と警察がどこまでの真実を公表するかだ)

 

 草壁勇斗の個人情報が暴露されることすらあり得る話だ。この事件は既に、そういった異例の措置が要求されるレベルまで悪化している。

 だが、それでも別段問題はない。元より勇は素顔を街中で大衆に晒すつもりは無かったし、誰にも捕捉されない独自の移動手段――黒霧という万能すぎる無料タクシーを持っている。

 

「騒がれれば騒がれるだけ面白くなってくるなぁ」

 

 そんな呑気な感想が口をつく程の余裕があるというのが勇の認識だったが、それに異を唱えたのは、カウンターの内側で沈黙していた黒霧だった。

 

「悠長に構えていて大丈夫なのですか? 朝木のことが雄英の教師たちに知られてしまったのは大きなリスクだったのでは? この期に及んで『未成年だから』という理由で貴方の個人情報が全て守られるとは考えにくいのですが……」

「黒霧は心配性だなぁ。俺個人が注目されるのは物騒だけど、これまでに足跡が付くような活動はしてこなかった。所在地がバレたりはしないさ。それに、元々俺はヴィランでなくとも犯罪者ではあったしな。報道されたとしても今更さ」

「犯罪者……ああ、便利屋の仕事のことか」

 

 便利屋時代、確かに勇は幾つもの法を犯す行為を重ねてきたが、『便利屋』として警察に手配されることはなかった。つまり、勇の言った“犯罪者”という自称は、死柄木や黒霧の想像の埒外にあるものだった。

 

「いいや。便利屋だとか関係無く、最初から俺はお尋ね者の脱獄犯だった」

「「……は?」」

 

 二人の反応が意外で、勇は眉根を吊り上げた。

 

「何だよ。確かに俺の口から説明したことは無かったけどさ……、俺のことは調べ上げてたんじゃなかったのか?」

「朝木の情報を集めたのは先生だ。俺たちは断片的にしかお前のことを知らない」

「あ、そなの」

 

 考え直してみれば、連合に所属する者の中で、勇の個人情報にたどり着けるような目聡い輩は先生くらいである。

 目と耳の役割はほとんど先生。彼の敷いたレールの上を我が物顔で歩いている死柄木に呆れ、勇は不敵な微笑を浮かべた。

 

「俺って一度はヒーロー殺害事件の犯人として逮捕されてるんだよ」

「逮捕……それで脱獄犯、ですか」

「――そんなことをどうして今まで黙っていやがった?」

 

 同僚が秘密を持っていることがよほど勘に障るのか、死柄木は厳しい視線で勇を睨み付ける。それを軽やかに受け流すと、勇は、

 

「聞かれなかったからさ」

「……聞いたら答えるのか?」

「ある程度はね」

 

 勇には必要の無い嘘をつく趣味もなければ、虚言癖もない。自分から打ち明けないのも意地の汚い話だったかもしれないが、執拗に自分の過去を全て秘匿する気も無かった。

 

「意外だな。お前は詮索されるのが嫌いなタイプかと思ってたが」

「嫌いでは無いけど、苦手ではあるかな。言えないことだってあるし。だけど取り立てて不愉快ではない。疑問があれば聞いてくれても構わないぞ?」

「……だったら教えろ。お前無個性のくせに、どうやって脱獄したんだよ」

 

 死柄木は脱獄の難易度を物理的な戦闘力と直結させて解釈しているらしい。勇はそれを嘲り、希薄に笑って見せた。

 

「無個性だからだよ。色々と裏技があるんだ」

「裏技? ……看守に身内でもいたか?」

「発想が貧困だぜ。緻密な計画と演技力、そして胆力があれば誰でも再現可能な方法だよ。死柄木とかには無理そうだけどな」

 

 時折皮肉を混ぜつつも、勇は自分の脱獄の手法を懇切丁寧に説明する。

 全てを話し終えた頃、死柄木と黒霧の各々は舌を巻いていた。

 

「……認めるのは酷く癪だが、普通の人間はそんな方法を成功させるなんて出来ないぞ」

「ええ。朝木だからこそ可能とした芸当だと思います」

「ん~、でも、確かに滅茶苦茶難しかったからなぁ。同じ事をもう一度やれを言われても無理かもしれない」

 

 だが――その難解な手段を敢行したからこそ、蟻塚と出会えたし、こうして脱獄することも出来た。志を転向するきっかけを作ることが出来た。

 

「まあいいや。俺の過去の話なんてつまらないし、トランプでもしようぜ。トゥワイスと蟻塚ちゃんも呼んでさ」

「やらないよ、そんなガキの遊び」

「そう言うなって。乗ってこいよ。どうせ、まだしばらくは暇なんだからさ」

 

 言うと、勇はバーの時計を横目で見た。

 針は現在時刻の午前九時を指している。――それは、雄英の記者会見が予定されている時刻の六時間前を意味していた。

 




う~ん、あまり話進みませんでしたね。今度こそ、次回から、連合以外の視点から事件の振り返りがある予定です。


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染み付いた後悔

ポポン!

ポポポポーン!でなくて本当にすまない…


 

 真っ白な天井が視界に広がり、少し遅れて苦い薬物の匂いを感じ取る。

 気持ちが鎮静する独特の香りが、病院特有のものであると察するのに、さほど時間は掛からなかった。

 

「……僕、生きてるのか」

 

 意識が途切れる前は満身創痍の重傷だったと記憶がある。

 緑谷出久の身体は、壮健とは言えずとも、危機を脱したと確信できる程度までは回復していた。およそ痛みの類いと言えるものは感じ取れない。全身にのし掛かるような重みがあるのが気がかりだったが……

 

「……母さん?」

 

 視線を下ろせば、自分の腹部の上で寝息を立てる母の姿があった。目の周りが腫れていて、頬はまだ湿っていた。

 どうやら身体に降りかかってくる重力の正体は母だったらしい。

 

「母さん」

 

 んんん、と呻き声が這う。意味を成す返事は返ってこなかった。それから何度か同じように呼んでみるが、母が目覚めることは無かった。熟睡している。

 

 安堵に追随する形で強く感じ取れたのは、途方も無い罪悪感。母が自分のため、どれだけの心労を抱えたのか。力尽きるように、あるいは息子を掴んで逃さぬように、必死に寝入る母親の姿が全てを物語っている。

 

「…………ゴメン」

 

 誰に対して向けたものかは分からなかった。

 友人が誘拐された――その現場に居た自分に対する戒めなのか、犯人一味への憤りの裏返しか、それとも単純に、計り知れない不安を押しつけた母への懺悔だったのか。

 

 出所の知らない涙が溢れてくると、どうしてだか体温が下がっていった気がした。

 その直後、右掌に優しい温もりを感じる。

 

(母さんの両手)

 

 包まれている。

 暖かい。久しく忘れていたが、懐かしい感じだ。

 

「――出、久?」

「あ、起きた」

 

 強がって微笑んだのは、緑谷出久のせめてもの罪滅ぼしだったのか。

 ただ、自分から切り出す勇気が無くて、出久は母の言葉を待った。

 

「い、出久……大丈夫? 生きてる……?」

「うん。……生きてる」

 

 人肌を確かめるように頬に触れた、母の指。

 勉強や訓練に勤しんでいた受験期は勿論のこと、雄英に入学してからも、日々多忙だという理由で母とは疎遠になっていた。こうして直接的な触れ合いなんて、何年ぶりだろうか。

 

 指先から伝播する感覚は何処か気恥ずかしくて、だが振り解こうとは思えなかった。

 自分がここに居るということを、母の心に刻み込む必要があると思ったからだ。

 数秒、あるいは数分。そうしていると、突然女性の嗚咽が響いた。

 

「ふえぇえぇぇ……っ、出久が生きてるよぉ……っ!」

 

 端も外聞もなく泣きじゃくる――そんな目の前の光景を見て、出久の胸に無形の棘が刺さった。

 チクリと刺すような苦痛は身体の芯から移り広がっていく。

 

「良がったっっ! 出久がっ、無事でぇ……!」

 

 そこでようやく、自らの涙腺から溢れる液体の根拠が分かった気がした。

 

 ……この光景が、既に分かっていたからだ。

 自分のために全力で泣いてくれる人を、ずっと昔から知っていたからだ。

 そこまで理解が及んでしまったからか、出久も釣られて落涙を強める。

 

「――そん、なに、泣かなく、たって……ッ!!」

 

 だがそれは哀哭ではなくて、痛くなかった。

 死に瀕していた自覚はある。母さんの心痛は、僕の負傷が原因だ。

 もちろんその直感も間違いではない。しかし、出久が致命的に認識を欠いているのは、彼が意識を失っている合間に発覚した出来事についてだ。

 

 言葉に表せない多幸感が頭の先から足の爪先まで雪崩れ込んできて、幸せな酩酊を享受している間はそこまで想像が及ばなかった。

 

「あのね、……あのね゛っ――」

 

 だから、母が涙と不安の根拠を口にした瞬間、

 

 

「出久のお友達……死んじゃったよぉ……っ!!」

 

 

 ――ここまで完璧に思考が途切れたのは、生まれて初めてだったかもしれない。

 

 ◇◆◇

 

 一日の臨時休校を経て、ヴィラン襲撃事件より二日後となる今日。

 職員室への問い合わせの電話は鳴り止まず、正門に押し寄せたマスコミによって、全教師が総動員で事件の対応に当たることを余儀なくされていた。

 差し当たっては、ヒーロー科のみならず、普通科・サポート科の授業も全て中止。午前中に全校集会の場が設けられる運びとなった。

 

「――多くの者が既に知り得ているとは思う。けれど、改めて言わなければいけない。

 先日、(ヴィラン)が我が校に侵入し、生徒と教員が殺傷されるという不幸な事件が起こった」

 

 校長根津の声調はいつにも増して刺々しい。

 静かな不安は校庭に集められた生徒全体へと伝染していき、無言の緊張感は他の誰の発言も許さなかった。

 

「教師が二人、生徒の半数近くが重軽傷を負い――一人の生徒が亡くなった。雄英始まって以来の大惨事だ。正直、言葉にすることすら罪深いとすら思っている。

 校長として、生徒の安全に責任を持つ身の上としては、ただ自分の無力を呪うばかり。……だけど、ああ、違うね。君たち生徒に聞かせたいのは弱音じゃないんだ」

 

 誰も、他人事だとは感じていなかった。

 いつかの将来、事故・災害や事件を通じて他人の死に関わる予感を予め持っているヒーロー科生徒は勿論、被害者の顔も名前も知らない普通科やサポート科の生徒まで懐いている感想は同じだ。

 こんな身近な場所で、隣人が死んだ――否、殺されたのだ。

 その立場が自分であったとしても不思議ではなかった。大小落差はあれど、全員が例外なく持っているのは、同じ学び舎で学友が殺害されたことへの恐怖。

 

 教師へ不信感を持つ段階などとうに過ぎ、全校生徒の視線は縋るように校長へと注がれていた。

 

「改めて、私は自分の命すら懸けて誓う。ここから巣立つまで、絶対に君たち生徒を守り抜くと。

 ただ、根拠もなく信じろ――とも、言い切ることは出来ない。……そんな、資格がないんだ。教育者としてあるまじき不手際が露呈し、私たちに強い猜疑心を持つ生徒もいるだろう。現に今の世論はそういった動きに傾いている」

 

 ――平たく要約すれば、根津校長は絶対の庇護を約束するも、その言を信じることを強制出来ずにいたのだ。その言い回しはまるで、雄英強襲の事件の非が自分たちにあると結びつけているような気がして。

 若干十数名、憤り、歯噛みした。そんな訳がないと。事件の非は加害者だけが負うべきものだろうと、ヒーローに焦がれる子供たちは誰もがそう祈った。

 

「――……ヒーロー科の皆。特に、一年生諸君。死のリスクを負うには、君たちの多くは若すぎる。命を懸けろなんて絶対に言わないし、こんな時期から学友の死を経験して、それを糧とし踏み越えろだなんて……口が裂けても言えない。

 君らの多くはまだ卵。屈折なく育て伸ばすのが僕らの使命なら、今だけは辛いことから目を背けさせるのが教育のセオリーというものだ。

 

 ――けれどね、この悲劇を克服し、乗り越えた者は確実に強いヒーローになれる。

 そして『無垢なる友の命が潰えた』――それが理由となって、君たちの芽までも摘まれるというのが、私は一番悔しいんだ。

 

 泣いても悔やんでも、私たちを恨んだって構わない。何でも良いから、夢を折らない理由を見つけて欲しい。差し出がましい願いだが、縋り付く何かをこの社会に見出して欲しい。そうすれば、引き上げるのは大人の仕事だ」

 

 それは指導者の文言であり、罪人の悔悛にも聞えた。

 普段は自信で裏打ちされている声遣いは、この場では僅かな哀愁を帯びていて、しかしどこか熱誠にも聞える。だからだろうか。批判の言葉はおろか、反問の声も上がらなかった。あらゆる者が忸怩たる同情の念を持っていた。

 

「皆を不安にさせるような事件が校内で発生することを許し、あまつさえ前途ある生徒の命を守れなかった。……もはや多くは語るまい。志す未来の方向は別々でも、雄英に在籍している時点で皆優秀で強い生徒ばかりだ。

 今だけ躓いても、戸惑っても、君たち全員がいつかこの事件を乗り越え、迷わず自分の夢へと駆け抜けることを切に願っている」

 

 言い訳は欠片ほども介在しなかった。一字一句違わず、あらゆる言葉に生徒を鼓舞するための含蓄しか込められていなかった。

 

「それでは――最後になったが、今は亡き友のため、一分間の黙祷を捧げよう」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 全校集会の後、一年A組には音のない憂苦の空気が流れていた。

 全員が峰田実と親睦の深い仲という訳ではなかったが、それでも志を同じくする隣人の喪失は、成熟しきっていない純正の未成年たちには大きすぎる衝撃だったのだ。

 

「……あの、轟さん」

 

 初めに閑寂を破ったのは八百万。

 校長の弁に背を押され、塞ぎ込んだまま沈黙することを容認できなかったのか――それとも、前方の二つの空席を視界に入れるのが苦痛だったのか。窓際の席に座す彼女は、すぐ右隣の轟へと顔を逸らした。

 

「怪我は……もう大丈夫なのですか? 入院されてる緑谷さんを除けば、貴方が一番の重傷だったと思うのですが……」

「ああ。吐血してたのは口内を少し切っちまってただけだしな。重傷って程でもねェよ」

 

 確かに今現在は五体満足で出席することが叶っているが、マスキュラーとの戦闘で彼が負った肋骨骨折を、人は軽傷とは呼ばないだろう。

 条件反射で虚栄を吐いたのは彼なりの配慮のつもりだった。

 

「俺なんかを気に懸けるんだったら、緑谷のこと心配してやれ」

「そう、ですわね」

 

 個性により治療技術が革新的な進歩を遂げている現代、中等症くらいまでなら一日もあれば完治させられるケースは少なくない。現に、雄英襲撃の翌々日にして焦凍の傷は癒えきっていたのだから。

 そのため、未だ緑谷が顔を見せないのは、彼が飛び抜けて重篤であるということの証明だった。

 

「デクくん、大丈夫なんかな……」

「全身ボロボロ通り越してグチャグチャだったもんなァ。本気で大丈夫かね、緑谷の奴……?」

「……悪気は無いんだろうけど言うな、上鳴。聞きたくない奴だっているだろうし」

「あ、……ワリ」

 

 想起される満身創痍の緑谷出久。

 内出血で両手足が変色し、骨が砕けているせいなのか、一挙手一投足が軟体動物のように乱脈だった。どうやったらアレだけの傷を作り出せるのか疑問な程だったが――峰田の遺骸に対して行われた暴虐を思い返せば、今回の襲撃者たちならばやりかねないと納得できる。

 

「…………俺が、もっと速く応援を呼べていたなら――ッッ!!」

「飯田ちゃんは悪くないわ。今回の悪者は迷う余地が無いほど至極明快だもの」

「ホントだよね……ハァ、なんでアタシたち、入学早々こんな目に遭わないといけないんだろ……」

「天下の雄英に敵が侵入するなんて誰にも予想つかなかったんじゃない? ……その辺りの警備、緩かったとも思えなかったけど」

「単純に犯人グループが強すぎたってことだろ」

「でもさ、あの――何だっけ、朝木勇? とかいうヴィランはさほど強そうじゃなかったよね。轟にあと一歩の所まで追い詰められてたし」

「それでも結果は腕一本だ。こっちの犠牲と釣り合わねぇよ。それに――俺の氷がどれだけ高く届いてても、あの時点じゃ峰田は手遅れだったみたいだしな」

 

 故人の名が全員の耳に行き届く。静かに乗り越えようと決意していた各々の脳裏に、朽ちて溶ける『峰田実(にんぎょう)』の光景が克明に回顧される。

 あれが贋物であったと、死体の模型であったと悟った時の落胆は痛々しい程深いものだった。

 

 ――自分たちは人形を人質にとられて四苦八苦していたのか――

 

 単純な手に引っ掛かってヴィランを逃してしまった悔恨は、教員だけでなく生徒にも共通のものだった。人質の身を顧みず、朝木たちを打倒する準備をしていれば、もう少しマシな結果になっていたのではないだろうか。

 例えば、あの場面で逆に朝木を捕らえて、それを交換条件に本物の峰田を取り返すだとか、死者をなくす選択肢はほんの少し広げることが出来ていたのだ。

 

 簡単なトリックに騙され、何も出来ず、――翌日、解体された同級生が街中にばらまかれた。

 もはやヴィランへの憎悪と自分たちの非力への不満は、釣り合いが取れる度合いで並んでいる。自責に苛まれ、若干数名は露骨に様相を歪ませる。何処からか息を呑む音も聞こえた。

 そんな張り詰めた空気感がどうも不快で、爆豪勝己は教室中に響き渡るような溜息を吐いた。

 

「くっだらねェ。弱ぇ奴がヴィランに殺された。ありきたりな事件だろォが」

「…………くだらない?」

 

 奥歯を噛みしめた飯田が勢いよく立ち上がり、周りの制止も聞かずに爆豪の席の前まで駆け出す。

 

「ありきたりだって!?」

「何も間違ったこと言ってねぇだろうが、クソエリート」

「クラスメイトが! 殺されたんだぞ!! よくもそんな口が叩けるな!」

「ハッ、弱ぇ奴は踏みつぶされんのが当然だっつの。ヒーローは勝てなきゃ意味ねぇんだ」

「ッ! 違うだろう! 誰かを救うのがヒーローだ! 救えなかった友を悼むのだってヒーローだ!! 君の考えは歪んでいる!!」

 

 激情を露にして爆豪に掴みかかろうとする飯田。

 不穏を越えて爆発しそうな雰囲気になった所で、側にいた切島が二人の間に割って入った。

 

「オイ爆豪、言い過ぎだって……! 飯田も、そんな怒らないでやってくれ。こいつ不器用でさ、皆を激励したくてちょぉーっと過激な口調になっただけで……」

「誰が激励だクソが。そんな気ィ毛頭ねぇ。岡田? だっけ? あんな奴が死んだくらいで大騒ぎするコイツらが気持ち悪いだけだ。クソ共が偽善ぶってんじゃねェよ」

「彼は――峰田くんだ! 故人の名を誤るな無礼者!!」

 

 一触即発の空気に爆薬を投げ込まれ、とうとう飯田の自制心が外れた。

 爆豪の頬目掛けて右手を振るうが、咄嗟に飯田を押さえつけた切島によって、その拳は空を切るだけの結果となる。

 

「邪魔だ! 殴らせろ! 頼む、殴らせてくれ!!」

「暴力はマズいぞ飯田……! ちょ、誰かコイツ抑えるの手伝ってェ!!」

「爆豪、言い方考えろってお前。……まぁお前の性格からして、こういう状況が嫌いなの分かるけども」

「でも、流石に今のは――」

「……うん。有り得ないっていうか、何て言うか……」

「あァ!? 文句ある奴はかかってこいや!!」

「上等だ! 僕が今! 灸を据えてやる!! ぐ、ッ、だから離してくれ切島くん!!」

 

 意気消沈している中で、本気で二人を仲裁しようとする者は少なかった。大半の生徒は飯田の激昂を静観しているか、爆豪の暴論を内心非難しているだけ。

 完全に爆豪に非のある状況だが、彼が素直に謝罪しないだろうことは目に見えていた。いっそ気の済むまで殴り合わせたら良いんじゃないか――と諦観が蔓延し始めた頃、

 

「あ、あわわわ、男子が喧嘩してる……! どうしたらええの――って、あ……」

 

 小気味よい振動を机を介して感じる。

 麗日お茶子は教科書の間に挟まった携帯を引き抜くと、着信相手の表示を見て目を見開く。

 

「あー!? デ、デデテ゛クくんから電話キタ!!」

「っ、何!?」

 

 荒ぶっていた時間が止まる。憤怒をまき散らしていた飯田は、緩くなった切島の拘束を抜け出して、麗日の元へと急いだ。

 その他にも緑谷の安否を気に懸けていた面々周辺に集い始めた。

 

「も、もしもし、テ゛クくん?」

 

 スピーカーをオンにして、着信に応答する。すると、快活と言うよりどこか逸ったような語調が先端だけ飛び出してきた。

 

『麗日さ――!』

「無事なのか緑谷くん! 皆心配してるぞ!!」

「電話出来るってことは結構回復してんだな!?」

「緑谷ーっ!! 生きてて良かったぁ~っ!!」

 

 

『僕のことはいいから!! それより、峰田くんは――!!』

 

 その問いは、奇しくも沈黙を引き出す形となって終わった。しかし、それは緑谷の疑問が暗に肯定されているのと同義であり、

 

『ね、ねぇ! 嘘――だよね……?』

 

 真実を悟った声が、何かに縋るように紡がれる。

 誰も最適な返答を持ち合わせておらず、緑谷の詰問は虚しく肯定されるだけだった。

 

「え、ええ、っと……」

 

 言葉を探るように麗日が唸る。と同時に周囲に目配せするが、誰も視線を合わせようとしてくれない。誰かが緑谷に事実を告げなければならないのだが、好んでその役回りを取りたがる者はいないだろう。

 唯一、轟焦凍だけを除いて。

 

「麗日、電話変われ」

「えっ、いいの……?」

「ああ」

 

 轟焦凍は爆豪勝己程の厚顔無恥ではない。ある程度の抵抗感はあるが、それでも、事実を事実として語らうだけの度量が備わっていた。

 

「緑谷。もしかしなくてもお前、峰田が攫われる場面目の当たりにしてんだろ」

『……うん』

「そうか。……結論だけ言うと、アイツは殺された。詳細が気になるならニュース見ろ。今はどの放送局でもひっきりなしに報道されてる。無理言うようで悪いが、あんま他の奴の口から聞き出そうとしないでやってくれ」

『…………分かった』

「ああ、あとな。お前に聞きたかったんだが――」

 

 個人的に抱えている疑問が喉元まで沸き上がってくる。

 轟焦凍はオールマイトが色眼鏡で緑谷を見ており、二人の間に介在する特別感――別に嫉妬している訳ではないが、とある理由で注視している――に気が付いていた。

 そして、今回強襲してきたヴィランたちの目的はオールマイトの殺害。その矢先、平和の象徴にとっての“特別”なのではないかと懐疑していた同級生が執拗に怪我を負った。主目的のついで(・・・)だったとしても、その負傷が過度に深すぎて邪推してしまっていた。

 

 しかし、この場で疑問を発散しても緑谷に負荷をかけるだけだと思い至り、言葉半ばに飲み下す。

 

「――いや、やっぱいい。また今度聞くことにする」

『……? え、あ、うん?』

 

 間の悪い瞬間に会話を終えてしまった。

 焦凍はそのまま携帯を耳元から離すと、

 

「誰か他に話したい奴、いるか?」

「……では、僕が」

 

 引き継いだ飯田がしおらしい声で切り出す。

 

「緑谷くん……その、身体の方は大丈夫か?」

『うん。まだ少し療養が必要だけど、大事には至ってないよ。運良く後遺症も残らないみたいだ』

「そうか。良かった、本当に……」

 

 想像以上に深刻な状況ではないらしく、まずは安堵の息をつく。

 

「その……何だ、また君と昼食を共に出来る日を、待っているから。早く戻ってくるんだぞ」

『分かった。ありがとう』

 

 両方ともが譲歩しあっているせいか、会話は弾まなかったが、それでも意志を疎通させるには十分事足りた。互いに互いを憂慮している。無償の善意だけで、心の切り傷が塞がっていく気がしていた。

 

「……麗日くんも、話すか?」

「えっ、私??」

 

 元はと言えば君の携帯だろう、失笑しながら麗日と変わる。

 

「あ、デクくん。あのね……何て言ったら良いのか分かんないんだけど――」

 

 真っ先に自分に連絡が届いた。

 もしかすると緑谷にとっては深い意味のある行動ではなかったのかもしれない。早く誰かと情報を共有したくて、切羽詰まっていただけなのかもしれない。

 しかし、それでも圧を感じずにはいられない。真っ先に頼られた(・・・・)のだと乙女的な思考回路は拡大解釈し、自分の言葉が期待されているものだと錯覚する。

 

「あの――色々っ、大変だろうけど、頑張ろう!! 校長先生も言ってたけど、こんな理不尽な事件なんかに負けないでね!!」

 

 それは自分たちへの暗示も兼ねての発言だった。

 

『……そうだね。負けない。

 

    ――負けて、たまるか』

 

 

 その奥から、微かに歯噛みの音が聞こえた。

 

 



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清濁の軋轢

 

 午後から控えている会見に備えて、雄英高校では警察も交えた会議の場が設けられることになった。

 全校生徒を帰宅させ小一時間が経過する頃には、会議室の席の全ては埋まり尽くしていた。

 

 室内を包み込む違和感は全員が感じ取っている。混迷な雰囲気が肌で感じ取れるほど濃くなり、全員の意志が纏まっていないと予感するには十分なものがあった。

 

 教え子の一人が殺され、最悪の形で死体が晒されたのだ。どんな教師であれ、そのような惨劇には憤るし、正義の大望を掲げるヒーローであれば尚更だろう。

 しかし、教師たちは剣呑としている者と憮然としている者で見事に別れている。

 

 理由の全ては“彼”――かつて草壁勇斗と呼ばれていたあの少年であると、もはや疑う余地すらない。

 

 

「――草壁勇斗、ですか」

 

 

 警察の代表としてこの場に遣わされた塚内直正は、手元の資料を呼んで忌々しげにそう言った。

 

「個人的には何度も聞いた名前ですが……ここに触れる前に、一先ずは改めて事実確認を。

 

 雄英高校襲撃事件。現場の証言を元に推察すると、主犯格と思われる人物が四名ほど浮上してきました。

 

 死柄木弔……黒霧……この二人に関しましては、戸籍登録を洗ってみた所、名前を確認出来ませんでした。無戸籍かつ偽名かと思われます。

 “血狂い”マスキュラー。彼は既に手配中の殺人犯です。何らかの過程を経て、犯人一味に荷担しているものと思われますが……詳細は一切不明。捜査は難航しています。

 そして最後に――『朝木勇』。本名・草壁勇斗。元雄英生。彼については――後々、もう少し掘り下げて議論していきたいと考えていますが……まさか、こんな形で再び表舞台に現れてくるとは」

 

 塚内は資料から目を外すと、苦々しい面持ちをひっさげて会議室を見渡した。

 会議に出席しているヒーローたちは多種多様な反応を見せていたが、そのどれもに共通していたのは、物憂げに緘黙していたことだ。

 

「私にとっても、皆さんにとっても、一年と約半年ぶりですかね――彼の名前を聞くのは」

 

 皆さんと違って、私には良い思い出など一つもありませんが、と皮肉めいたものを仄めかす塚内の瞳には、懐古の喜色は欠片も見受けられなかった。

 

「…………用意周到に施設内の防犯カメラを全て潰され、一時的に警備システムがダウンしていた。おそらくは、事前に侵入した折、破壊工作が行われたものだと考えられる。となると――やはり、敵側の計画の核を担っていたのが草壁くんだというのは想像に難くないのさ」

「ええ。私たち警察も彼から内部情報が漏れていたと考えています」

 

 草壁の評価はヒーロー側と警察側とでも概ね一致しているものがあった。彼の情報収集能力を以てすれば、雄英の内部構造を把握するのは難しくないだろう。加えて、元雄英生としての予備知識と併用すれば、今回の侵入はさほど難解ではなかったものだと推測できる。

 

「警備網を毎年一新するというのも困難だ。元生徒がヴィランに寝返り、本校に直接的な打撃を加えてくるというのも想像の埒外にあった。未然に防ぐのは不可能に近いと言って差し支えないんじゃないか?」

 

 押し潰したような声で言うと、スナイプは嘆息する。

 

「――まぁ、だからと言って、そんな理屈でマスコミが納得するとは思えないが」

「如何にして説き伏せるかは重要じゃない。肝要なのは、我々の真摯な姿勢と誠意ある謝意を如何に表現するかさ」

「目の前に積まれてる問題はそれだけじゃないですけどねぇ……」

 

 また一つ、慚愧を吐き出すような溜息が増えた。

 現状、最も傷心している教師の一人でもあるミッドナイトは、弱々しく視線を落とす。その先には草壁勇斗の資料に添付された彼の顔写真があった。

 

「保護者への説明会から、被害を受けた生徒のメンタルケアに渡るまで、今後の課題は山積み。差し当たっては、釈明の場で何をどれだけ説明するのか決めないといけないのだけど、草壁くんのことをどこまで話せば良いのやら」

「……実名出すのは流石にマズいとしても、襲撃者の素性は把握してるって強気な態勢をアピールするためにも、かつての生徒が敵側に確認出来たってことは公表するべきだろうな。マスコミに嗅ぎつけられて露見するより、そっちのほうが幾分かマシだ」

 

 マイクの主張に反論は上がらなかった。

 生徒一人の犠牲を出しておきながら、戦果として得られたのは犯人一味に『朝木勇』と『血狂い』がいたという情報と、朝木勇の片腕だけである。完全に出し抜かれた以上、相手に容赦してその存在を隠匿してやる余裕はない。

 

「……私が着いていながらこの体たらく……何と不甲斐ない……ッッ!!」

 

 頭を抱え込むオールマイトの様相はいつにも増して萎れており、平時のトゥルーフォームから更に水分が抜けたかのように頬が痩けていた。

 

「自分を責めないでくれ、オールマイト。君は最善を尽くした。ヴィランの侵入を許してしまった時点で、真に不甲斐ないのは私と決まっているさ」

「しかし、私は現場にいた……!! 目と鼻の先に――奴が、朝木勇がいたんです! あと少しこの手が伸びていたらと思うと、私は……自分を呪わずにはいられない……!!」

「現場にいた、という観点では俺と13号も同列です。皮肉のつもりですか?」

 

 全身包帯だらけでミイラ男のような容貌でありながらも、相澤の発言は刺々しく、それを皮切りに空気が淀んでいくのを皆が感じ取った。

 

「い、いや……そういう訳じゃ……!」

「誰にどれだけ責任があるだとか、今はそういった話をする段階じゃないでしょう。迂遠な話し合いは好みじゃない。もっと合理的に要点を出し合いましょう――塚内警部、『便利屋』の件はどうなりましたか?」

 

 便利屋――その一言で淀んだ空気が一気に引き締まる。

 以前より邪な疑惑の尽きない存在であったが、今回の件で警察も本腰を入れて『便利屋』なる男の捜査に乗り出していた。塚内は頷くと、簡潔にその結果を述べた。

 

「便利屋とコンタクトを取った人間から言質を得ました。“便利屋としての朝木勇”と“敵連合所属の朝木勇”は同一人物と考えて、まず間違いないかと」

「……成る程。これで、草壁が裏社会で何をしていたのか裏付けが取れた訳だ」

 

 朝木勇としての彼の活動期間は実に一年近くにも及ぶことが立証された。

 彼が黙って隠居する柄ではないことは薄々勘づいていたが、それだけ時間があって今まで尻尾すら掴めなかった事実に、相澤は歯を軋ませる。

 

 

「――シカシ、ドウシテ彼ガ此程マデニ黒ク染マッテシマッタノカ……」

 

 

 エクトプラズムが吐露した疑念は、瞬く間に会議室全体に伝染すると、各々に対して部屋の温度が数度低下する体感を産み付けた。

 

「…………相澤くん、人伝手にだが、私は在学中の草壁勇斗が模範的な優等生だったと聞き及んでいる。それは――本当に事実だったのかい? 何らかの目的で生徒に扮して、学内に潜り込んでいたと言われても納得できてしまいそうなのだが……」

「それは無いでしょう。奴は普遍的なヒーロー志望の一般人でした。このような犯行に及んだのは、単に奴が屈折したからです」

「……しかし、たった一年余りで、人はここまで豹変するだろうか」

 

 献身の塊のような聖人君子が、残虐非道な悪魔に成り代わるまでの過程はまったく予想がつかない。人格を根底から覆す体験があるという実感は、その体験者に特有のものだろう。故に、誰一人完璧に得心のいっている者はいなかった。

 だが、草壁勇斗の性根を熟知している相澤消太だけは、形のある予想を持っていた。

 

「――何が奴をここまで変えたのか……まあ、確信に近い予想はついています」

「何、だと!? そんな肝心なことをどうして黙っているんだ!?」

 

 ブラドキングが噛み付くような勢いで起立する。

 彼の座していた椅子が転がる音が響き渡り、部屋に一拍の静寂が発生した。

 

「…………言って、何になるんですか。悪人のバックボーンは耳に痛いですし、それが知人であるなら尚更だ。あの犯罪者に――今更同情の余地を生んで、どうなるんですか」

「ぐ……ッ、しかし」

 

 誰よりも草壁を長く見てきた男の言葉は重かった。実際に、朝木勇を本心から恨めていない人間がこの中に潜んでいる。

 

「知って、同情して、矯正しようと考える。短絡的思考だ。合理的と言えない」

 

 反論を許さない確固たる想いが、相澤の言葉の裏に隠されていた。

 しかし、そこに斜めから槍を入れる者がいた。

 

「いいや、知っていることがあるなら話すべきだよ。ここにいるのは皆がプロ。実際の現場で私情を持ち出す愚昧はいないのさ」

「根津校長に同意だ。イレイザーヘッドが草壁くんの真実を秘匿したくなる気持ちもよく分かるが、その内容を知っている者として助言させてくれ。犯罪者の心理の究明は、犯人逮捕への大きな近道だ。これは犯罪捜査の基本でもある」

 

 犯罪者の深層心理を暴くためには、まずそれ自体に理解を示さなければならない。同じ視点を持ち、同じ感情を共有し、同じ心境を持つ。

 しかし、過度な同情は時に判断を鈍らせるだろう。相澤自身がまだ草壁勇斗を諦めきれていない、というのが何よりの証拠である。もはや社会に草壁の居場所が用意されないのは百も承知であるが、過去の清廉潔白だった彼を知っているせいで、彼を純粋にヴィランとして視ることが叶っていないのだ。

 

 ヒーローの本道――すなわち『人助け』の気質が、草壁勇斗と敵対することを拒んでいる。同じ苦悩を他の誰かに押しつけたくない。

 

「……なぁイレイザー」

 

 プレゼントマイクの声が鼓膜を劈いた。

 

「お前が言い淀むって事はそれなりの理由があるんだろうけど、俺らだってアイツの先生だ。いや、先生だった。俺は偉大な指導者じゃなかったんだろうけどよ、それでもまだ教え子に何が起こったのか、知る権利くらい残ってると自認してるぜ」

 

 学生時代からの付き合いである彼は誰よりも相澤の葛藤を感じ取っていた。暗に一人で抱え込むなと釘を打たれ、相澤から諦観の溜息が漏れる。

 ……新事実を仄めかしておいて、やっぱり言わない、の方が性質が悪い。

 全てを白状する決意を決めると、相澤は虚空を睥睨し、眼下に鈍色の光を灯した。

 

 

 

「プロヒーロー・ヘッドロッカーの殺害事件はまだ俺の耳に新しい。草壁について語るには、あの事件の真相を掘り返す必要があります」

「…………ちょっと待って、真相って何?」

 

 

 ミッドナイトを筆頭として、草壁と親交の深かった面々が追求の眼差しを向ける。

 あの事件は、夢の挫折を経験した草壁が心神喪失を発症し、プロヒーローに対する逆恨みのような錯覚を引き起こした結果として巻き起こった悲劇――そういうシナリオとして闇に葬られた筈だ。

 だが、今の言葉通りに受け取ると、その筋書き以上の真実を相澤が知り得ているような含蓄が読み取れる。

 

「ヘッドロッカーを殺害したと思われる草壁は、『神の啓示に従い、魂の解放を敢行した』との一点張りで尋問を潜り抜け、法廷では得意の口八丁で“心神喪失による責任能力の著しい欠落”――という判決を勝ち取りました。が、俺に言わせたら違和感だらけだ。薄々気付いている人もいたんじゃないですか?」

「そりゃおかしな話だと思ったさ!」

 

 ブラドキングが力強く同意の声を荒げる。

 それもそうだ。一週間前に共に笑い合っていた知人が――いきなり精神病だと? 現実味が薄いどころか荒唐無稽だ。道理を外れた妄想だとしか思えない。

 

「精神疾患なんてそう簡単に発症するものじゃない。草壁のように胆力ある若者とは無縁と言っても過言じゃない。――つまり、全部が奴の演技だったって訳ですよ」

 

 あっけらかんと紡がれた相澤の弁に息を呑む。場の空気は一瞬にして騒然とした。

 

「……本気で言っているのか? 慎重の上に慎重を期した鑑定と裁判が導き出した結論が、全て彼の誘導によるものだとでも? たった一人の少年に、まんまと司法が欺かれたと?」

「そう言っているんですよ。奴はそれをやってのけた」

 

 

「――以前、この仮説をイレイザーヘッドから聞いた私は、見ず知らずの犯罪者相手に人生で初めて戦慄を覚えました」

 

 ここで語り部が塚内へと変わる。

 

「草壁勇斗は通常の少年院ではなく医療少年院に収監――いいや、収容され、半年もの期間、狂人として周囲の目を眩まし続けた。そして結果、警備を突破し、脱走に成功した。

 

 つまり、裁判結果から何まで、全てが彼の掌の上だったという訳です。責任能力無しとして無罪判決を受け、警備の薄い精神病棟に入り、脱走する。そりゃ病院ですから、収容システムには穴だってあるでしょう――それこそ、無個性でも突けるような穴が」

 

 不規則に点在していた疑心が、一本の糸で繋がっていく。

 あくまで相澤消太の仮説である、ということを忘れてはならないが、既に確定された真実であるかのように全員が聞き入っていた。

 草壁ならやりかねないと、彼ならその芸当もこなせるだろうと、無意識の部分で納得があったからだ。

 

「更に言及すると、この事件には絶対的に不可解な点がもう一つある。現場に残された証拠品の全てが、見事に草壁が犯人であると証明していたことだ」

「……それの何処が不可解なんだ?」

「奴は紛れもなく正気だった。そんな状態で――草壁はまんまと証拠を残す失態を犯さない」

 

 一つ二つの小さな手掛かりなら、草壁勇斗が把握漏れすることもあるだろう。だが、現場には指紋突きの凶器がそのまま放置されていた――犯人特定に繋がる大きな要素を、隠滅しなかったのだ。

 すなわち、彼は――『ヘッドロッカーを殺害したのが自分である』との判断を意図して誘発していた。

 

「――彼は、自ら自分の首をしめた。いや……敢えて自分が犯人である、と誇示したのか? どうしてそんな事を……」

 

 相澤の言を要約したオールマイトが、混乱を隠さぬ声音で疑問を呈する。何らかの意図があってのことだとしたら、当時の草壁勇斗の思考が全く読めない。

 彼はわざと逮捕され、だからこそ事件初期の段階から脱走の構想を立てていたのか。

 しかし、一体どんな理由で――と当惑するオールマイトに提示した相澤の回答は、明瞭なものだった。

 

 

 

「…………庇っていたんでしょうね、真犯人を」

 

 

 

 ✕✕✕

 

 

「――――――へっくち!」

「可愛いくしゃみだなオイ! 純粋にキモいぞ!!」

「ああゴメン。何処かで誰かが俺について下らない噂してるのかねぇ」

 

 二人でババ抜きなんてするもんじゃないなー、と言いつつ、朝木勇はトゥワイスの手札を睥睨する。

 直後、残る二枚の内からジョーカーを引き当ててしまった勇。不気味に微笑む道化師のイラストを睨め付けると、痰を吹き付けて手札をばらまいた。

 

「……ケッ、俺の勝てないゲームはクソゲー。二度とやんね」

「うおォい!? 別にまだお前の勝ち目あったぞ!!」

 

 憤慨するトゥワイスをあしらっていると、甘酒に口をつけていた死柄木が冷めた瞳で勇を見据える。

 

「……演技力高いくせに負けるんだな」

 

 警察と裁判所を欺く能力を有しているのだから、ババ抜きでもそれを活かせそうなものだが。

 

「いやいや、無理言うなよ。人狼ゲームじゃないんだぞ。演技関係ないだろ」

「ならやってみろよ、人狼」

「二人で人狼とか寂しすぎるだろうが。まぁ、蟻塚ちゃんが加われば成立しそうだけどさ。今は何故か連絡つかないし」

 

 長椅子の上で仰向けになると、脱力して木目の天井を見つめた。

 

 

「あーあ、暇だー。とっとと雄英の会見中継始まんないかなー」

 

 

 連合は基本的に平和です。

 

 

 ✕✕✕

 

 

 考えてもいなかった真実に、内臓が締め付けられるような感覚が走る。

 草壁勇斗と親交のないオールマイトでさえ、その異常な真相を直ぐには飲み込めなかった。

 

「……庇っていたって、誰を――」

「――そこまでは分かりません。奴から直接聞き出す他ないでしょう」

「…………。」

 

 ヒーロー殺害事件は草壁の悪意が引き起こした惨劇ではなかった――その可能性が強まり、同時に一つの懸念が広がる。彼は臨んで峰田実を害した訳ではないのでは? 今回も複雑な事情が絡まり、やむなく蛮行に手を染めたのでは?

 

 ――しかし、どのような理由があれ、『朝木勇』が未来ある16歳の子供を殺した集団の一員だということは、否定のしようがない。

 益体のない期待と妄想。不安と猜疑。相澤が憂慮していた通りの感覚が空気を支配していた。

 

「――それで、仮に、仮によ? そうだったとして――彼が悪の道に染まった理由は未だ不明瞭のままよね?」

 

 最も肝心な犯行の動機――深く追求するならば、草壁勇斗を黒く染めた確固たる要因。その正体はまだ議論の舞台に登場していない。

 

「そこにも、まだ何かあるの……?」

 

 苦い面持ちでミッドナイトが言った。そこにあったのは、先刻までの強い詰問とは異なり、懇願のような追求。

 

「――狂ったフリを続けている内に、生来の人格が揺らいだ。どっちが本当の自分が分からなくなった――それが草壁が変わった理由です」

 

 あくまで推測である筈が、断定に近い口調だった。

 一年も狂人を演じ続けていれば、心に縺れが生じるのも当然の成り行きかもしれない。だが、それしきの事で根っから性分がひっくり返ったりするだろうか。

 

「……塚内くん。一応筋は通っているが――この話、本当に有り得るのか?」

「何人かこの手の専門家から話を伺ったが……“まあ、有り得ない話ではない”、と」

 

 塚内の発言で全てが繋がった。草壁勇斗の――朝木勇の持つ悪意の解明に近づいたのだ。

 これを誰より先んじて把握していた相澤の心労は如何ほどのものだったのか。

 オールマイトの視界の裏側に、敵がUSJに襲来した際に目撃した、一つの光景が浮かび上がる。

 

『――お前、あの、時、狂ったフリ(・・・・・)、してただろ……?』

 

 相澤消太は酩酊と覚醒の狭間にいた。いいや、完全に意識は途切れていたかもしれない。

 それでも立ち上がり、草壁に声を掛けたのは、教師としての責任感故のものだったのだろう。

 

『だから、どっち(・・・)が本当の自分か、分からなくなっちまったんだなァ……』

 

 オールマイトは彼がどんな想いを胸に立ち上がったのか、ようやく理解できた。

 

(相澤くんだけが真相に辿り付いていたのか――教え子が不当に罰せられて、悔しかったろうに……ずっと一人で、抱え込んでいたのか)

 

 自分はヒーローとして先輩でも、教師としては後輩だ。

 子供を導くことの責務の重さは身に染みて思い知っている今だからこそ、相澤消太の決意と苦悩の多寡を推し量ることができた。

 ――草壁が逮捕されたその日から今日に至るまで、延々と苦悩を積んできたのだ。

 相澤の心境を察して、オールマイトは眉を下げる。 

 

「その憐憫にまみれた目だけは止めてください」

「え……」

 

 しかし、返答として投げられた言葉は凍てついていた。

 

「勘違いしないでくれますか。俺の生徒を殺した外道を許すつもりは毛頭ありません。アレは――紛れもない悪魔です。同情してはいけない」

 

 ギプスの中で小刻みに腕を震わせ、殺意に近い悪念を瞳に灯す相澤は、静かに逆上していた。

 彼の中で今の生徒は峰田実なのだ。

 後悔がないと、憐情がないというのは嘘だ。叶うなら、草壁のことも救ってやりたかったことだろう。しかし、どんな理屈を積もうとも――一人の生徒の無残な死を容認することはできなかった。

 

「……ああ、そうだ。許してはならないね」

 

 その怒りには共感できる。

 朝木勇が簡単に許されたのでは、亡くなった生徒が浮かばれない。

 オールマイトだけでなく、話を聞いた全てのプロヒーローが、自分たちの責任を再確認した。

 

 ――警鐘の刻まで、あと二時間。

 

 




主人公に前世があったなら、ハスミンって愛称が定着してそう。

なお、相澤視点の推測が、全て真実とは限らないので悪しからず。


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一団の名は敵連合

 全身くまなく包帯で巻かれ肌を一切露出させない相澤消太の風貌は、まず間違いなく瀕死の重傷患者であり、自力で歩行する姿は見る者の同情を誘う。

 そして、平時より平和の象徴として風采を放つオールマイトの暗然とした様子は、自然と周囲の注意を引きつけ喧噪を幾ばくか抑えた。

 

 根津校長に加えてこの二人が会見の場に現れた最大の理由は、雄英への非難的な印象を少しでも和らげようといったものだった。そして一時的なものではあったが、意図した通りに会見場の刺々しい空気に一拍の閑寂が挟まれる。

 その期を逃すまいと、根津校長は深々と頭を下げ、彼の両脇の二人もそれに倣った。

 

 午後15時。遂に記者会見が始まったのである。

 

「此度の事件に関しまして、皆様に多大なる心労をかけましたこと、そしてなにより、被害者の皆様に対しまして、深く謝罪申し上げます」

 

 根津より述べられた謝罪の言。これにより、会見の方向性は定まったようなものだった。

 沈黙を破って、まるで懲罰を下すかのような勢いでフラッシュが鳴り続け。一気に会場に熱が混もった。最高のヒーローが……オールマイトが頭を下げたのだ。場が沸き立つにはその事実だけで十分だった。

 

「オ、オールマイト! 貴方がいながらどうしてこのような惨劇を許してしまったのか……!」

「直実な今の心境をお聞かせください!!」

「被害者遺族への釈明はどうなさるおつもりでしょうか!?」

「世間では犯人グループに完全敗北と囁かれておりますが、どうお考えですか!!」

「お応えください! オールマイト!!」

 

 詰問の矢の大部分は、学校の最高責任者にでも、死者を出したクラスの担任にでもなく、オールマイトへと向かっていた。犯罪者はもちろん、報道者にも、一般人にも、何処を崩せば民衆の関心を引けるのかは一目瞭然だったのだ。

 

「……私は――」

「――尊い一人の命を救えなかったことは慚愧に堪えません」

 

 オールマイトの言葉尻を奪ったのは根津校長だった。

 

「現場にいたプロヒーローは、オールマイトとイレイザーヘッド、そして――療養の為、この場には居ませんが――13号の三名でした。しかし、彼らは間違いなく最善を尽くしてくれた。甚大な犠牲を生んだ今回の強襲事件ですが、全ての非は、未然に敵の動きを察知できなかったこの私にございますこと、何卒ご理解ください」

「……生徒を見殺しにしておいて、最善と仰られましたか? 同じ事を、亡くなった生徒のご両親に豪語できますか!?」

「無論、遺族の方々へは細心の心遣いをさせていただきます。この場におきましては、厳然なる事実を世間に発信する必要性を鑑みて、ありのままの真実を述べさせていただきました」

 

 強気な反論が出てくる事が意外だったのか、質問した記者はそのまま押し黙った。

 すると別の箇所から、

 

「校長は現場に居合わせていた教師の奮闘を評価しているようですので、それを踏まえてお尋ねします。

 イレイザーヘッド……あなたは事件発生時の授業を担当していただけでなく、亡くなられた生徒の担任でもあったそうですね。その犠牲を出してしまった最大の要因は、どこにあるとお考えですか?」

 

 その問いを受けて、相澤は相手を静かに睥睨する。質問してきた記者は、相澤の口から校長の責任について言及させる腹なのだろう。

 

「……(ヴィラン)の個性が未知数であったという点が大きいかと」

「未知数、と言うと?」

(ヴィラン)の持つ個性が希少かつ強力なものであり、『抹消』の個性を使用しても完全に封じ込めることは困難でした。加えて、敵の数が我々の想定を大きく逸脱していたというのもあります。無論、私どもの力が及ばなかった事実は糾弾されて然るべきであり、此方としても猛省すべきと考えていますが、平常の防衛体制そのものが不足であったというのが、雄英教師としての見解であり総意です」

「成る程、貴方自身には何の不足もなかったと、そう仰る訳ですね」

 

 ――傍目からも分かるほど、相澤が憤懣を滲ませた。

 彼は被害を招いた要因として大きかったものを、掻い摘まんで挙げただけだ。防衛側の汚点を全て列挙していたのでは、時間も言葉も足りない。

 それに、相澤だけでなく、雄英教師の全てが自身の非力に負い目を感じているというのは、並大抵の感性があれば暗黙の内に誰でも悟れるというものだろう。それを否定するような言及には悪意以外の何も感じ取れなかった。

 

「……いえ、それは……少々歪曲された解釈かと。私が言いたいのは――」

「――何故、生徒は死ななければならなかったのか! 何故、矢面に立っていた筈の教師がまだ生きているのか!

 道理が外れているようにも思える今回の結果に見れば、貴方の怠慢は確実だったと感じますが? そのことについてどうお考えでしょうか、イレイザーヘッド!?」

 

 生徒ではなくお前が死ぬべきだった。暗にそう突きつけられたイレイザーヘッドの表情に、小さな汗が流れる。

 一見、稚拙な暴論に聞えるかもしれない。しかし、彼にとってそれは一つの正解だったのだ。

 

「…………その通りです。如何なる犠牲を払ってでも、自らを肉壁としてでも、文字通り命を賭して生徒を守るのが私の責務でした。生徒が死に、ぬけぬけと教師が生きている――私も、自分の力不足を呪うばかりです」

「おや……? では、先程までの現場の対応が最善だったとの主張は、誤りであったと認めるのでしょうか? 困りますよ、簡単に前言撤回なんて。公の言葉には責任を持って頂かないと。ヒーローや教師として以前に、社会人として必要な能力が著しく欠落しているように感じてしまいます」

 

 言い切った記者はフン、と得意げに息を漏らす。相澤は瞑目して頭を下げることしかできなかった。

  

「――先刻の発言、撤回はしません。ですが、少々、言葉足らずだったことは認めましょう」

「……ほう、言葉足らず?」

「はい。相澤先生は過度に自責の念を持ちすぎるきらいがあるようですが、それは担任としての責任感を由来とするもの。冷静に事件の全容を俯瞰すれば、生徒の中から死者が出た原因が私にあるのは明白なのです」

 

 根津校長の声の影に潜んだ圧力は、不思議と会場全域の注意を集め、彼が虚勢の類いを張っていないと語っていた。

 無視できない言葉の重みに引き寄せられた全員は、その後結ばれる言葉に耳を傾ける他なかった。

 

「雄英が襲われたその日の明け方、出勤の最中であるにも拘わらず、オールマイト先生がヒーロー活動に勤しんでいたことは皆さん調べがついていると存じます。それを糾弾するつもりはありませんが、結果として、事件当日、彼は遅刻による勤怠を犯してしまった。となると、校長として忠言を入れるのが私の責。しかし、愚かしくも私はその説法に熱を入れすぎてしまい、想定よりも長く彼の時間を拘束してしまっていたのです。

 

 ヴィランに襲撃された災害訓練は、当初の予定では『13号』『イレイザーヘッド』『オールマイト』の三人体制で執り行う手筈でした。が、私がオールマイト先生を本校舎に引き留めていたばかりに、訓練は彼抜きのまま始まった。つまり、ヴィランが校内に侵入した瞬間、オールマイト先生はその場にいなかったということになります」

 

 この時点で公表されていた情報の中には、生徒が襲われた現場にオールマイトが居合わせていた、というものが含まれていた。しかし、今の説明はその情報に異を唱えるものであり、ようやく記者たちにも根津校長の言葉に理解が及んできた。

 

「……え」

「おい、それって……」

「まさか……?」

 

 募った疑心を一身に背負い、根津校長は、“平和の象徴の敗北”を否定した。

 

「つまり、平和の象徴が現場に駆けつけた時、既に生徒は犯人の毒牙にかかった後だったのです。もしも最初から予定通りに訓練が行われていたなら、生徒の中から死者を出すこともなかったでしょう。

 ……全ては、私の冗長な判断が招いた悲劇でした」

 

 

 

 

 

(校長は――全てを背負われる気概でいらっしゃる……ッ!)

 

 オールマイトは沈黙を貫くことしかできなかった。

 根津校長個人を批難の矢の前に立たせることで、雄英の失墜の勢いを減速させる。全て事前の打ち合わせ通りの流れであったが、恩義のある人物が重苦を背負う瞬間に立ち会うことは、オールマイトには苦痛そのものだった。

 

(平和の象徴を生かすため、何より学校を救うため、この方は最も辛い役に回ろうとしている。だというのに、私は――何も出来ない……! この方の覚悟を踏みにじってはいけないのだ……!)

 

 根津校長の決意を無駄にしないためにも、オールマイトの取れる最善手は押し黙ることだけであった。

 

「校長がオールマイトを拘束していた……?」

「それがなけりゃ生徒は死んでなかったって……ッ!」

「……オールマイトが駆けつけた時、全ては手遅れだったってことか?」

「だとしたら、校長が負う責任は確かに重い……!!」

 

 無自覚の内に、オールマイトの両の手に重い力が込められ、拳が血で滲み始めた。

 

(――だが……)

 

 それは根津校長の誤算だった。

 あえてオールマイトを会見の場に招致したのは、校長自ら泥を被り、オールマイトの顔を立てる為だった。しかし、彼の愚直なまでの強い道義心は誰かの予想の枠に収まらない。

 彼は義勇の重病を患っているのだから。

 

「――――皆さんに、お伝えしておきたい!」

 

 割れ鐘のような声で会場が震えた。

 立ち上がったオールマイトが横目で根津を見やると、彼は嬉しそうに、困ったように微笑んだ。

 

「……校長はこう言われましたが、遅れながらも私は現場に駆けつけ、(ヴィラン)と対峙したのです。しかし、私たちは結局犯人グループ全員を取り逃し、一人の犠牲を突きつけられた! 傷付かれた方々を労るのは当然のこと。しかし同時に、私たちは目の前の脅威に立ち向かわなければならない!!」

 

 激昂するオールマイトに、その場の誰もが痺れていた。彼の憤怒を向けられた犯罪者は揃って戦慄していただろう。しかし、その庇護を受けるだろう人々にとって、その号は聞き入る程に耽美だったのだ。

 そして、告げられる。

 

「一団の名は――(ヴィラン)連合!」

 

 初めてオールマイトが名指しで言及した犯罪集団。その名は、人々の記憶に強く刻まれた。

 

「悪意の申し子のような彼らを、必ず見つけ出し、この負債を償わせる! 絶対に逃しはしない!

 

 改めて宣言しましょう――私が征く! と!」

 

 もちろんそこに笑顔は無い。

 しかし、民衆にとって、これ以上頼もしい修羅の相貌も無かった。

 

 

 ◇◆◇

 

 ――公開された雄英の会見映像。それを鑑賞しながら、不敵にほくそ笑む悪意の申し子たちがいた。

 

「必死だねぇ、熱くなっちゃって」

 

 死柄木はクツクツと嗤い、画面越しにオールマイトを睨め付けた。

 オールマイトは死柄木にとって忌々しい怨敵でありながらも、最大の脅威として認めるに値する男である。そんな巨大な存在の口から自分の組織の名前が出て、承認欲が満たされた彼は、不気味な含み嗤いを溢す。

 

「期せずして最高の売名成功だ。このバカは連合(こっち)に利を回してるって事に気付いてねェ……!」

「でもま、逸らし方(・・・・)としちゃ悪くはなかった。狙ってやったんだとしたら結構な演者だ」

 

 敵を晒して自分たちへのヘイトを削る意図があったのなら、オールマイトの台詞はやがて好結果を結ぶことになるだろう。

 しかし、勇はそれを嘲笑った。そもそも雄英は着眼点がズレているのだ。彼らが自分たちへの批判を逸らすために策を講じるのは、完全に徒労である。世間は本気で雄英を糾弾したりしない。もしもオールマイトが敗北したと流布されたとしても、平和の象徴として築いてきたものが全て崩れることは無いだろう。

 

「オールマイトの否定は象徴の否定。象徴の否定は平和の拒絶だ。少し考えりゃ分かる。何がどうひっくり返ろうと、メディアがどう印象操作しようと、根っこで皆が願うことは変わらない。オールマイトは自覚している以上に自分が偉大だってことに早く気付いた方がいい。全部茶番、出来レースだ。こんな些事に雄英が本気とは恐れ入ったね。彼らはヒーローの分際で、人の心の動きを知らないようだぜ」

 

 未成年の犯罪者が考え至った世論の動きを、プロのヒーローが予測出来ていないのだから、これほど滑稽な話はない。

 根津校長は無駄骨を折ったのだ。

 だが、もしかすると校長が汚れ役を背負ったことには、雄英を守る以外の目的があったのかもしれない。それを前提として勇は考える。

 

(……あの毛達磨、いつもより早口で声のトーンが高かった。上手く隠してたつもりだろうが、多分逸る想いがあったんだろうな。それがこの先(・・・)を視てのモンだったとしたら、校長の腹は……そうさな、『学校長を辞職して、連合の捜査に加勢したい』って所か。上等だ、テメェとの知恵勝負になったとしても負けねぇよ、俺は)

 

 勇の推測通りの魂胆が根津校長にあるとしたら、彼が視ているのは間違いなく草壁勇斗だ。

 母校の校長が自分に執着している気配を感じ取って、勇は口元を悪魔的に歪ませる。

 

「いやぁー、モテる男は辛いですなぁ」

「はは、全くだ」

「いや死柄木のことじゃねぇよ。調子乗んな非モテ陰キャが」

「…………あ゛?」

「おー、非モテ陰キャが怒った~。自覚あるのか。ワロスワロス」

「ぶっ殺されてェのか」

 

 リーダーの殺気を笑いながら軽く受け流す朝木勇。死柄木の沸点と、彼の自分への好感度、適切な尺度でそれらを測り、実行に移されないギリギリの殺意を煽っているのだから、死柄木の扱いにも慣れたものである。それにしても、アクセルの踏み込み方に(自分への)容赦がなさ過ぎるが。

 ……彼はいつか本当に死柄木に殺されるかもしれない。

 

「それにしても、朝木の名前が出て来ませんね。伏せられるのでしょうか?」

「いやいや、流石に俺とマスキュラーのヴィラン名くらいには触れると思うけどなぁ。ンま、続き見ようぜ」

 

 会見映像にはまだ中盤にすら差し掛かっていなかった。談笑をやめた勇たちは、再度画面に注意を向ける。

 その時、会見への世論の反応をスマホで調査していたトゥワイスが、

 

「あ、あッあああああ朝木!! ヤベェ!!」

「……トゥワイス? どうした、そんなに慌てて」

 

 只事ではないその様子に、朝木は声音の熱を何度か下げた。

 

「お前、蟻塚ちゃんの管理ちゃんとしてんのかよ!? 俺は知ってるぞ! 大事な家族(いもうと)なんだろ!?」

「…………何が言いたい?」

 

 蟻塚と言えば今朝から連絡が取れていない(・・・・・・・・・・・・・)。別段珍しいことでもなく、取り立てて勇は危惧していなかった。しかし、さて――どうしてトゥワイスの口から彼女の名前が出て来たのだろうか。この男は今、何を知って焦っている?

 

「だから! 今ネットニュースで、あ、蟻塚ちゃんが、捕まったって報道が……!」

「………………………………………………………()?」

 

 勇の中で何かが張り裂ける音がした。

 




次回より新章です。


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第二章【二人、横道に立つ】
毒撒きの負債


ヒロアカ4期にありがとう。PSYCHO-PASS3期にありがとう。


 ――おい知ってるか、雄英襲撃した犯人の正体って、元雄英生なんだってよ……!

 

 瞬く間に情報は拡散されていった。

 ある者は同情し、ある者は嘲笑する。その反応は大小様々ではあったが、『地獄の明朝』に対して無関心でいる者は少なく、並大抵でない衝撃が広がっていることは明らかだった。

 

 ――本名かは知らねぇけど、(ヴィラン)ネームは朝木勇、だっけ? まさか、除籍の腹いせに生徒ぶっ殺しちまうとはなぁ。

 ――いやいや、単独犯じゃないんだから、動機が復讐一色って事はないでしょ。

 ――だったら犯人グループの動機って結局何だったの……?

 ――愉快犯だろ。最近多いよな、そういった(ヴィラン)

 

 個性を使用した犯罪が多発する情勢の中で、ここまで注目を集めた事件は非常に稀だ。

 しかも、犯人たちは“平和の象徴”を前にして見事に逃げおおせたと聞く。警察の捜査に進展はないのかと、新しい情報を血眼になって求めた市民たちは、誇張されたデマや陰謀論を囁き続けていた。

 その最中の出来事である。

 

『雄英高校襲撃事件、犯人グループの少女を逮捕!』

 

 何処から嗅ぎつけたのか、テレビや新聞が報道するより早く、ネットニュースがその情報で一面を飾った。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……で、なんでお前は蟻塚が捕まったことに今まで気付かなかった?」

 

 鋭利な棘が全身を刺すようだった。

 死柄木の追求の眼差しから逃れるように、勇は俯いたまま重い口を開く。

 

「そもそも同居してないし、それに蟻塚ちゃんは普段からメールとかの返信も遅い。十分に用心もしていた。だから把握出来なかった」

「用心していた割には、あっさり捕まっちまったみたいだが?」

 

 死柄木はいつになく剣呑だった。だが、彼の眼下に潜む怒気の内には、蟻塚や勇への憐憫が欠片も含まれていない。

 

「……まさかとは思うが、アジトの場所までバレてないだろうな。もしそうなったらお前の責任だ。どう責任を取る、自称有能参謀枠?」

 

 結局の所、そこに帰結する。死柄木にとって蟻塚はそれほど重要な手駒ではなない。彼女はこれまでにも主立った貢献をしてこなかったし、邪魔な案山子と感じることさえあった。

 そんな蟻塚を連合の牙城に出入りさせていたのは、朝木勇への義理立てのためだったのだが、今まさにその義理を忘れて死柄木の怒りは頂点に達しつつあった。

 

「保証は出来ない。俺は完全に足下を掬われたとすら思ってる。もしかするとこの瞬間にも、警察やヒーローが俺たちを一斉摘発する算段を整えているかもしれない」

 

 頭脳担当の勇が最も避けるべき事態の発生を示唆したことで、死柄木の瞳に本気の殺意が籠った。

 

「……お前のミスのせいで俺たちは大ピンチってか」

「可能性は薄いと思うよ。でも絶対とは言い切れない。けどまあ、今できる最善を尽くそうぜ。俺たちの保身を意識しながら立ち回り、蟻塚ちゃんを奪還するんだ」

 

 勇が顔を上げる。

 つくりもののえがおが張り付けられている。

 

「蟻塚は助けない。代わりに使える奴をお前が補充しろ。それが最善だ。俺でも分かる引き際のセオリーだ」

「……オイオイオイ、そりゃねぇだろ」

 

 死柄木に異を唱えたのはトゥワイスだった。

 

「朝木にとってな、蟻塚ちゃんはすごく大切な妹なんだ! 今、こいつは蟻塚ちゃんを助けたくて仕方がないんだよ!! そうさ、俺だって同じ気持ちだ! それを簡単に諦めきれるか!」

「……確かに妹扱いしてるが、別に妹じゃないけどな」

 

 自分のために必死に喚くトゥワイスが余りに滑稽で、勇の思考がクリアになる。ふっと微笑が溢れた。

 感情で動くのが最悪手であることは痛感している。死柄木の弁に誤りはない。今できる事をやり尽くすのだ。そのために、憤慨も後悔も最期までとっておくことにしよう。

 

「俺は妹系後輩キャラと、姉系先輩キャラの両刀使いだ。二兎を追って二兎を狩ってのける男さ」

「え、は? 何の話ですか……?」

「ギャルゲーの話だ」

「どうして今そんな話を……」

「冷静に突っ込むな。嗤っちまうだろ」

 

 言いながらあっけらかんと軽薄に微笑む勇がいつになく不気味で、黒霧はたじろぐ。

 

「……どうでもいい。そんな話題。とっととズラかる準備をしろ。そして朝木、お前は俺たちが何処に逃げるべきかを決めろ」

「なら俺の家にしよう。アジト(ここ)よりは安全だろうしな」

 

 感傷に浸る暇も許されず、退却の準備が始まる。準備と言っても、金品や現金などをかき集めるだけだ。一分と時間を要する作業でもないだろう。

 その間、悲痛な視線をトゥワイスから感じるが、勇は澄まし顔でそれを受け止めた。

 

「おい、朝木……」

「大丈夫だ、お前に心配される事じゃない」

「……本当かよ。大事な人と別れるのは寂しいことだぞ。独りは寂しいことだ。蟻塚ちゃんも、きっと寂しがってるぞ」

「ああ、確かに、そのぐらいだといいけどな。それが一番傷付けられない態度だし」

 

 勇が懸念するのは、蟻塚が個性を濫用して一心不乱に暴れることだ。

 蟻塚の凶暴性が危険視されることになれば、警察は強引な手段で彼女を拘束するだろう。苦痛を伴う拷問だって行われるかも知れない。勇の懸念はそれが大半を占めていた。いっそ、あの子が警察に対してあまり強情でなければ良いのだが。

 

 退却の準備が整うと、黒霧が個性を発動させる。

 

「では移動します。朝木勇の自宅まで」

「お前、俺ん家知ってたっけ?」

「ええ、何度かお邪魔したじゃないですか」

 

 そういえばそうだったか。直ぐに思い出せなかった辺り、柄にもなく自分が焦っているのだと自覚した勇は苦笑する。

 

「……死柄木、先に断っておくが、俺は蟻塚ちゃんを助けるために行動するからな」

 

 今まさにワープゲートが閉じようとした瞬間、勇は言い放った。

 

「チッ、無能が。こっちに迷惑だけは掛けるなよ」

 

 死柄木は言外に手伝う気はないと告げた。

 

 

 ◇◆◇

 

  

 犯人一味の末端を逮捕したとの一報は塚内を通してオールマイトの耳にも届いた。

 

「連合と思しき少女を逮捕した、と……? 本当なのか!?」

「ああ。今朝、現行犯逮捕(・・・・・)された」

「お、大手柄じゃないか、塚内くん!」

 

 自分の認知しない所でも、警察は着々と犯人へと近づいていたらしい。世間ではヴィラン引き取り係と揶揄されている彼らだが、改めてオールマイトは認識を強めた。警察の地道で実直な努力はヒーローの作った穴を的確に埋めてくれる。

 心から賞賛を述べようとするオールマイトだったが、どこか陰鬱とした面持ちで塚内が、

 

「……いいや、今回の逮捕の手柄は私たちにあると言えない」

「と、言うと?」

「外部から警察内部へ情報のリークがあったんだ。敵連合の朝木勇に最も近い少女の行方に関してね」

「ッ」

 

 聞いて、オールマイトの表情が強ばった。

 

「ま、待ってくれ。まさかそんな根拠に乏しい情報を頼りに、少女を捕らえたのか? それじゃまるで、逮捕された子が連合であるという裏付けは取れていないみたいじゃないか」

「ああ。確信的な証拠はないよ」

 

 掴まれているのが誤情報だったなら、警察の行動は軽率すぎやしないか?

 何か不満を言いたげなオールマイトの胸中を察すると、すかさず塚内は捕捉する。

 

「……あの子――今は蟻塚と名乗っていたね。蟻塚少女の場合、他のヴィランと事情が違うんだ」

「事情……?」

 

 

「彼女は約二年前――――人格矯正治療院『ショッズ』から脱走した少女だ。あの草壁勇斗と共に」 

 

 

 ――ショッズは男女共用の治療少年院である。高度なストレスケアの技術を導入していて、個性矯正のプログラムも用意されていると聞く。深刻な心的外傷を抱えた未成年の(ヴィラン)は、通常の少年院でなくこの施設に送られる。その中でも草壁勇斗はレアケースだろう。彼は無個性でありながら、個性を持つプロヒーロー二人を殺傷し、その攻撃性を危険視され例外的にショッズに入れられていた。

 

 そんな彼と共に施設を脱走した? 少女が? 

 

「――――成る程、だからこその現行犯か……」

「敵に踊らされている感もあって不気味だが、蟻塚は朝木勇、ひいては連合に通ずる貴重な参考人の可能性が極めて高い。だからこそ、この機会を好転させなければいけないんだ。絶対に、活かしてみせるよ」

 

 塚内は誰より早期に勇の異常性に気付いていた。だからこそ、その尻尾を掴んだ今、焦らずにはいられない。

 あの男は今、逮捕しなければならない。だって奴は――まだ成熟しきっていない毒林檎のような気がするのだ。それが成った時の景色は、あまり想像したくなかったし、できるものでもなかった。

 

 この時はまだ誰も、朝木本人でさえ、草壁勇斗が懐く景色を知らなかった。

 

 ◇◆◇

 

 勇は重要な局面を識別する審美眼を持ち、また、何に対しても全力で、出し惜しみをせずに打ち込む人間だった。

 使えるものは何でも使い、奪えるものは何でも奪う。有用性を見出した駒を一つとして腐らせず、用法と用量を見極め、用途を見出す能力を持っているからだ。

 となれば、腐らせておく筈がなかった。

 敵連合の後ろ盾。未だに底の見えない怨敵。

 

「――よぅ、先生」

「予想より早く頼りに来たね。良い兆候だ」

 

 先生は焼け爛れたように醜悪な表情を歪ませる。歪みの上に見える感情は喜悦と興味の二つだけだった。

 腰を落ち着かせると、早速勇は本題を切り出した。

 

「アンタ、個性を他人に渡せるんだったよな。手中にある手段は全て把握しておきたい。今ここで詳しく説明してくれ」

「この僕を“手段”扱いとは……ふふ、前にも言ったとおり、僕は全快まで動かないよ」

「最前線で戦ってくれと言ってるんじゃない。個性譲渡の個性を俺たちの為に使って欲しいだけだ。裏方仕事なら断る理由もないだろうが」

「僕が持つ能力にもストックがあるんだがね。しかし、可能な限りは助力したいと思っている。うん、なるほどその程度であれば手を貸そう」

 

 くつくつと噛み殺すような笑い。常に相手を見下したような態度。先生の全てが勇の癪に障る。本能的にこの存在を許せない。全神経が殺意を滾らせている。それを無理に許容しようとしているからか、勇は先生の眼前で常に苛立っていた。

 

「……ならとっとと話せや」

 

 言って、歯噛みする。その殺意を心地よいと言わんばかりに、先生は滑らかな語調で話し始めた。

 

「君も知っている通り、僕の個性は他人の個性を奪い、また奪った個性を他人に譲渡するというものだ。しかし、それにはリスクもあってね、受け取った個性に順応出来なかったものは、個性に“呑まれる”」

「丁度……あの脳無みたいにか?」

「察しの良い者は嫌いじゃないよ」

 

 お前に好かれても嬉しくも何ともないがな、と喉の奥まで出かかった言葉を何とか飲み下す。どうやら、勇は自分でも驚くほど先生のことを拒絶していたらしい。普段ならこんな失言、胸の中で消化出来るというのに。

 

「脳無になっても、少し改造を加えれば一定の命令に従うようにはなる。自我と呼べるものを一切合切失ってしまうけれどね」

「へぇ……。個性に順応する条件とか分からねぇ訳? 教えろよ。あんだろそういうの。なぁ?」

「勿論。あるとも」

 

 むしろここからが本題、とばかりに先生の言葉に僅かな熱が籠った。

 

「個性の覚醒というものがある。ある特異点を境に、急進的に個性が成長することだ。通常、個性は肉体的な成長に伴って強度を上げていくものだが、この覚醒については精神的な要因に由来するものだと僕は考えている」

「考えている、ねぇ。確定じゃないのか」

「長年に渡る試行の繰り返しによって得た結論だ。個人的には、的を射ていると思うけどね」

 

 不確定要素を勇は嫌う。彼は天命に結末を委ねない。世界はどこまでも草壁勇斗に冷たいから、いつしか祈ることをやめたのだ。

 先生の話は勇の嫌う不確定要素そのもの。意図的に先生が嘘を吐いている、とは思わないが、勇は訝しげに話の続きに耳を傾けた。

 

「個性の覚醒は、過度なストレスへの反発によって発生するケースが最多だ。生存機構とでも言うのかな。内界からの重圧を払い除けようとする意志によって、個性が一気に活性化する。つまりだ、新個性への順応に必要な条件は二つ。肉体的に頑健であり、精神的に屈強であること。尤も、肉体的要因はあくまで土台だ。許容量を決めるのは意志力――心の力。その辺、君は強いだろう?」

 

「……つまり、身体を鍛えて心を強く持てってことだろうが。難しく言い過ぎなんだよ。そういうの人に好かれねぇぞ。賢者は迂遠な言い回しを好むと勘違いしてるマセガキと同じだ」

「ふふ、とてもユニークな自虐だ。僕は君が嫌いではないけどね」

「あっそ」

 

 師弟関係らしいが、先生と死柄木は真逆の人格だ。勇は先生と話している間、巨像と対面しているかのような圧迫感を感じる。何を言おうと相手に響いている気がしない。それがまた癪に障る点でもあるのだが。

 

「まぁいい。そういうことなら寄越せ。必要になった」

「……不要だと吐き捨てて僕の提案を一蹴したのは今朝だったよね? 君は変わり身がとても早い」

「柔軟だと言え。必要になったら調達するに決まってんだろうが。話の通じねぇジジイだな――おっと失敬、つい本音が。許してちゃん♪」

「怒ってないとも」

「それはそれでムカつくがな」

 

 段々と勇の口調に容赦が無くなってきた。相手が好戦的でないと悟ると、この男はすぐ調子に乗る。典型的な噛ませ犬ムーブであることに気付いていないらしい。

 

「ふむ……しかし、もし仮に君が個性に呑まれたらどうする? 脳無になってしまったら? 死柄木の補佐が黒霧一人というのでは役者不足が過ぎる」

「問題ねぇよ――さっき、トゥワイスに俺を作らせてきた」

 

 ほう、と先生が感嘆する。無策で個性を受け取りにきた訳ではないらしい。

 

「トゥワイスの個性で作った複製は、原物の戦闘力以外をそのまま複写する。思考やら頭脳やらはそっくりそのまま再現できるんだと。つまり、参謀隊長朝木勇様はトゥワイスがいる限り不滅という訳だ。お分かり?」

「分かるよ。感心している。その手があったかと」

 

 これで、本体の勇が脳無になろうと、トゥワイスは健常な勇を永久に複製できる。本体が死なない限りは。

 

「ならば良い。望むものを、望むだけ差し出そう。裁量は君に託す。

 

       ――さぁ、幾つ欲しい?」

 

 先生がおもむろに立ち上がり、勇の額に右手を翳した。

 嫌な汗が流れる――緊張しているのか?

 心拍数が上がる――興奮しているのか?

 否だ、俺は何も感じていない。必要だから用意する。それだけのこと。

 ……明日の新しい自分を、不敵に嗤って出迎えてやろうぜ。

 

 

「相当数を」

 

 

 

 

 

 ✕✕✕

 

 不快感が嫌悪感が虚脱感が浮遊感が責任感が倦怠感が幸福感が全能感が愉悦感が楽しくて痛くて堪らなくて嬉しすぎるから悔しいし辛い辛い辛い辛い辛い―――ッ!!

 視界が揺れる。痛覚が小刻みに刺激されているように、身体が痛みを伴って軋む。

 

「あぁ、これは、気持ちの良いものじゃ、ない」

 

 誰もいない廊下が一人、呟く。

 自分が自分で無くなる感覚。右肩の筋肉が膨張して爆発した。左足が骨を失ったようにぐにゃりと曲がり、蝶結びにされて固定される。すると腹にサッカーボール程度の穴が空いたと思ったが、窓に映った自分を見て驚愕する。外見的に異常はない。とても艶やかな肌だ。こんなに痛いと言うのに。

 

「はは、は、はヒ……大丈夫だ、俺は大丈夫。そう、大丈夫」

 

 そう唱えると、今にも発狂しそうな感覚が霧散していくように思えた。

 

「安心して待ってなって。絶対に助けてみせるよ……姉さん」

 

 




意外にあっさりと受け取ります。
人はこれを脳無フラグと言う。


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眠 り 歌

 薄暗い部屋の中心で、鉄製の椅子に縛られている少女。

 ショートの黒髪で童顔、身の丈は女子中高生の平均をやや下回る程だろうか。幼さが目立つ容姿をしていた。

 意識が断たれているらしく、無気力に顔を伏せる彼女に活力は見られない。うっすらと半開きになっている双眸からは深紅の光が漏れていた。

 

「彼女が……蟻塚か」

 

 特殊合金の檻越しに、塚内はまじまじと少女の姿を観察する。

 14歳と聞いていたが、本当に年相応の姿形をしていた。非力で華奢に見える。しかし、決して侮ってかかれる相手でないことは重々承知していた。捕縛の際に、なんと動員されたプロヒーロー一名と警官二名が殺害されたのだ。

 

「眠らせたはいいが、彼女が目覚めた時、まともに取り調べが出来るのか……?」

「するしかありませんよ。現状、(ヴィラン)連合への足掛かりとなりそうなのは彼女だけです」

 

 部下の三茶に言われて、塚内は再度覚悟を固める――と言っても、実際に取り調べを行うのは彼ではないのだが。

 

「しかし、警部」

「ん? どうした」

「先程、蟻塚少女の資料に目を通したのですが、彼女の本名って――――」

 

 と、その先を言おうとした瞬間、金属同士が擦れ合う音が激しく響いた。

 塚内と三茶は思わず音の中心へと視線を流す。

 そこには、拘束椅子に座らされたまま、深紅の瞳を業火の如く燃えたぎらせる蟻塚がいた。彼女は全身を捻りながら拘束具を外そうとしている。無論、ヴィランを捕らえる前提で設計されている拘束具が簡単に外される訳もないのだが。

 

「うぅう゛ーーーッッ!! ウあ゛ァ゛ッッーー!!」

 

 少女は獣のように唸る。

 そして、一拍の沈黙を挟んだかと思うと、

 

「離せ、離せよ!! ここから出せ!! 殺すぞ! 本気だ、殺すぞ!? 死にたくなかったら私を出せ!! 出せよ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せやァァァッ!! 勇くんに迷惑かかるだろうがぁああああ!!」

 

 そこに正気はなかった。およそ理性と呼べるものを全てかなぐり捨てたかのような野生が、溢れ出るほどの敵意で頭の中を充溢させているようだった。

 少なくとも、会話の成り立ちそうな相手ではない。

 

「私の毒液はニトロなんかよりずっと凶悪だ!! だからお前ら全員かみ殺してやる。グチャミソのバキバキだ!! 家族だって殺す!! 爺から孫まで全部殺す!! 勇くんが殺してくれるんだからな、お前らみたいなクソ共!!」

「……この後、君は尋問を受ける。勇くんとやらに会いたければ、素直にこちらの質問に答えることだ」

「うるせぇえええええええええええええ!!! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!」

 

 小さな身体に抑えきれないほどの殺意。

 壊れ切った彼女の怒りに触れて、塚内たちは同情こそしたが、決してそれを疎ましく思ったりはしなかった。

 

(……一体、どう育ったら、彼女みたいになるんだろうか)

 

 仕事である以上、蟻塚を裁くことはあっても救うことはない。既に三人の人間を殺し、更に余罪もある彼女は、今後誰からも許されることは無いだろう。

 しかしせめて、その哀れな生涯に今後少しでも幸があるようにと、塚内は思った。

 

 

  ◇◆◇

 

 

 トゥワイスの個性によって作られた勇は、まず情報漏洩の原因を探った。しかし、電子的に情報を抜かれた痕跡は一切見えない。となれば、もっと原始的な手段で蟻塚の身元を特定した者がいるのだろう。

 直接接触した者の中に、裏切り者がいる。付け加えるなら連合の中だ。

 疑わしいのは、雄英襲撃の際に募った即席のメンバーである。彼らは正規メンバーではないし、最初に疑う対象として妥当な立ち位置にいる。

 

 勇は即席メンバー全員の名簿と、彼らの身元確認を行った。すると、一人の女性の戸籍が実際のものと一致しないことが判明した。

 

 (ヴィラン)ネーム・リクラス――本名、久米光子(くめみつこ)。本物の久米光子は三週間前から不慮の事故により入院中だ。住所も名前も確かに存在し、久米は今でも存命だが、リクラスは彼女を騙った偽物である。

 連合か、あるいは朝木勇個人に対してかは定かではないが、彼女は連合側(こちら)の情報を抜き取ることを目的として接触してきたのだろう。偽造戸籍では無かったため、不審な点に気付けなかった。憤りながらもどこか冷静さを保ち、勇は血眼になってリクラスの行方を追った。

 

 蟻塚の住む街の監視カメラをハックし、15以上の画面を倍速で再生しながら、記憶を頼りにリクラスの姿を探す。その作業を15時間持続させ、ようやく勇は彼女の居所を発見した。

 

 

「コイツが蟻塚ちゃんを売ったクソ野郎で間違いない」

 

 不眠不休で捜索し続けて、もう明け方。

 眠っていた連合メンバーを叩き起こすと、集めた情報を壁一面にも及ぶモニターに列挙させた。

 

霧雨(きりさめ)(あおい)。25歳。最近まで凱善(がいぜん)製薬で勤務していたが、一身上の都合により自主退社。以後、職にも就かず両親からの仕送りだけで生活しているらしい」

「一日でよくここまで調べたもんだ。あんなガキ一人の為に随分必死じゃないか」

 

 皮肉を利かせながらも賛辞を述べる死柄木だが、実際、勇の執念は目を見張る。正体不明の敵を一夜で特定したのだから。

 

「気が遠くなる程地味な作業だったけどな。それに運も良かった」

「にしてもすげぇなオイ! 住所までバッチリ抑えてるじゃねぇか! 勘違いすんなよ、この位なら俺でも出来たぜ!!」

「何にせよ、この女を放置は出来ない。蟻塚ちゃんを助け出す準備を進めるのと平行して、コイツにも手を加えとかないとな」

 

 勇は眠気覚ましのコーヒーを一気に呷ると、そのままカップを握りつぶす。冷静を心がけつつも、霧雨碧を地獄に叩き落とす気概は十分のようだ。

 

「……凱善製薬」

 

 沈黙を破り、黒霧は呟く。

 

「確か、国内有数の大手薬品メーカーでしたね。それから一変、(ヴィラン)側に堕ちた訳ですか。絵に描いたような転落人生だ」

「ああ。可哀想にな。同情するぜ、あんなクソ会社に就職するなんて。こいつの人生設計は職業選択に致命的な問題がある」

 

 勇は爪を噛み、映し出された女の顔写真を睨み、不吉に口角を上げた。

 

「蟻塚ちゃんを貶めたことは絶対に許さないが、この女には感謝しないといけない。……おかげで、俺を付け狙ってる“黒幕”の全容が分かったぜ」

 

 そう言った勇に、全員の視線が集まった。

 

「お前が狙われていた? 俺たちじゃないのか」

「多分な」

 

 死柄木は舌を打ち、あからさまに不満げな態度を示した。朝木勇一人が原因で損害を被ろうとしている現状が、どうしても気に入らないのだろう。それでも手を上げないのは、勇の有用性に理解が及んでいるからなのだろうか。

 

「俺の父さんは凱善製薬に勤めていた。だが、重大な不義をやらかしたとかで会社の重鎮からえらく嫌われていたらしい。そんな父さんが会社の中で不審死を遂げたのは、今から3年前のことだった。結局、死因は原因不明の心臓発作と診断されたが、きな臭い事この上ない。他殺だと考える検事もいたし、俺もそう考えていた」

「それが巡り巡って、今度は息子のお前まで殺されようとしてると。バカらしい。お前が狙われる理由があるのかよ」

「実を言うと、便利屋時代からそれらしい人間に目を付けられてた。よほど熱烈な父さんのフォロワーだったんだろうぜ。その息子すら亡き者にしようってんだからな」

 

 ともすれば、敵対者の正体は存外に大きいのかもしれない。飄々と頬笑みながらも、勇は憤怒の間に緊張を介在させた面持ちで霧雨碧の顔写真を睨む。

 

「ともかく、霧雨碧は早めに拉致しておきたい。多分、蟻塚ちゃんと警察を繋げた首謀者は女の後ろにいるだろうからな。だが、今使えそうな余剰の人員は……マスキュラーくらいか」

 

 連合の正規メンバーの内、勇が恣意的に動かせるのはマスキュラーとトゥワイスの二人だけだが、トゥワイスではどうしても戦闘力に難があると言わざるを得ない。彼の能力は裏方向きだ。

 勇はチラリと横目で死柄木の様子を伺うが、

 

「……悪いな。俺はお前の妹のために骨を折るのは御免だ」

「頼んでねぇよ。……それに妹でもねぇよ」

 

 どうしても、彼は勇のために動いてやるつもりが起きないらしい。 

 

 

   666

 

 

 神野区にある築15年の木造マンション。その一室に住んでいるのが霧雨碧だ。

 フードコートで素顔を隠しながら、マスキュラーは彼女の部屋を訪れる。生きたまま女を攫ってこいとの朝木からの命令だった。しかし、死なぬ程度に“遊ぶ”ことは許可された。

 

 生きの良い、若い女を、自由に遊べる。

 

 オールマイトに敗北して以来不調だった彼は、久方ぶりの獲物に想いを馳せていた。

 どう嬲ってやろうか。どう痛めつけてやろうか。今日の標的はどんな刺激を与えてくれるのだろうか。女が半狂乱になって、刃物で抵抗してきたら最高なのだが。

 

「……ハッ、滾るねぇ」

 

 ドアノブを引こうとしたら鍵が掛かっていたので、部屋の扉を強引に蹴破る。

 部屋はカーテンを閉め切って陽光を遮っていて、全ての電気が消えているため仄暗い。一瞬無人かと思ったが、マスキュラーは小さな悲鳴を聞き取り、標的の在宅を確信する。

 

「リクラスゥゥ!! ……それとも霧雨碧(きりさめあおい)って言ったか? まぁどっちでもいい。――刃物は持ったか!? 俺が遊びに来てやったぜ!!」

「ひっ……、だ、誰……!? 何で、ここに……っ!?」

 

 部屋の隅で蹲る女性が、マスキュラーを姿を見て肩を揺らす。

 乱れた髪に、若干痩せた頬。元が端麗な顔立ちなのだろうか。それでも見栄えは悪くなかったが、生活習慣の悪さが顕著に表れた姿をしていた。

 

「やっぱいたな、女ァ……!」

 

 まず挨拶代わりに一発ぶちかまそう。頼むからどうか、これで気絶してくれるなよ。打ち込む場所はそうだ、頬にしよう。顎関節を砕いてやろう。今は顎を砕く気分なのだ。

 

 

「躾のなっていない狂犬だ」

 

 

 足音も、匂いも、空気の微弱な揺れすら伴わず、一切の気配を断絶してその男はマスキュラーの背後に立っていた。

 思わず振り返りつつ、マスキュラーは男と距離を取る。

 

 透明感のある流麗な声と病的に色白な肌は、死人と女性を連想させる。頭から鮮血を被ったかのように髪は紅く、暗闇の中でも輝いているのではないかと思わせる光沢を帯びているようだった。

 

「犬なら犬らしく、吼えたまえよ」

 

 それは女のような男であり、死神のような人間であり。

 甘美な音色を言霊に乗せる、廃人のような聖人だった。

 

「……よく分かんねぇが、取り敢えず女以外に用はない。男は今すぐ――死んどけェッッ!!」

 

 男を一瞬で屠ろうと繰り出した渾身の一振り。

 大砲のように繰り出されるマスキュラーの薙ぎを、男は紙一重で避けた。

 

(――ッ、避けた? 何の個性だ!?)

 

 一切の慢心も油断もなく、紛れもない全力で振るったはずの攻撃は男に掠りもしていない。相手の個性を疑うマスキュラーだが、頭を使うよりも一秒でも早く男を抹殺する方が良いと判断する。

 

「良いねぇお前ェ!! 俺と遊ぶかぁ!?」

「まるで闘牛だ」

 

 飄々とした男に追撃を仕掛ける。

 細身の男はそもそもの筋肉量でマスキュラーに大きく劣っている。一発でも当たれば一瞬で相手を屠れるだろう。その確信を持って、我武者羅に拳を振るい続けた。

 それを男が避ける度、マスキュラーは高揚する。この男は強い。稀に見る良質な玩具だ。腐らせておくのは惜しい。だからこそ、一気にここで遊び尽くす。

 

「オラァァッッ!!」

 

 次こそ男の顔面を砕いた――――と思いきや、振り切った拳には風を切る感触しかなく、

 

「さて、君は――タイミング的に、誰かさんの差し金なんだろうか?」

(後ろ!!)

 

 ――豪腕の裏拳。腕が纏った風が唸り、部屋の中の家具が揺れた。

 尋常ならざる瞬発力で放たれたそれは、寸分違わず男の芯を捉える。

 しかし――

 

(――この、野郎。受け止めやがった!!)

 

 両腕でマスキュラーの拳を包み込むようにして、男は肉の原型を保っていた。

 しかし、既にその表情から余裕の色は消えており、裏拳の勢いを完全には消化出来なかったのか、不安定な体勢で立っていた。

 

 ――効いている。

 

 一瞬、まるでオールマイトと対峙したかのような力の壁を感じ肝を冷やしたが、相手は精々、少し身体の動かし方が得意なだけの敵だ。単純な膂力勝負では圧倒的にマスキュラーが優勢である。

 いつも通り、力技で押し切れば勝てる相手――と、マスキュラーがそう判断したと同時に、男は彼の腕を這うように浮かび上がり、旋回しつつ顔面に踵蹴りを叩き込んできた。

 

 洗練された動きだ。小動物のように素早く、避けられなかった。だが――――軽い。もう四、五発はなんとか耐えられそうだ。

 

「へへ、やるじゃねぇかよ、クソガキ。強ぇなぁ……でも惜しい!! お前の攻撃さァ! 全ッ然響かねェんだわ!!」

「確かに吼えろと言ったが、よく吼える。まったく度し難い男だ」

 

 男は言うと、右手の中指と親指を押さえつけ合い、マスキュラーの視線の丁度正面に向けた。

 

 

「ならば、夢現(ゆめうつつ)に、死んでいけ」

 

 

 スナップさせて指を鳴らす。パチン、という音が部屋に木霊した。

 すると、マスキュラーは失神したかのように身震いし、そのまま倒れ伏して沈黙した。

 

「…………殺したんですか?」

「さてね。死んだどうかは彼に聞きなよ。返事をしなきゃ、もう死んでるんじゃないか」

 

 指を鳴らす――そんな単純な動作だけで、あの巨躯の襲撃者を退治したというのか、この男は。

 自分の命を脅かす者が倒れたのだと理解するのには数秒かかった。しかし、幾ばくかの後、碧は深い安堵の溜息を吐いた。

 

「た、助けて頂いて、ありがとうございます……凱善(がいぜん)さん」

「礼を言われる程のことじゃない。私の判断ミスだ。彼の少年は、私の予想よりずっと早く君の存在を嗅ぎ分けた」

 

 凱善と呼ばれた男は、肩についた埃を払う。息一つ切れていない。まるで幼子と談笑した後のように、泰然たる態度だった。

 

「この部屋は埃っぽい。それに、良くない輩に狙われているらしい。新しい戸籍を用意するから、直ぐにでも引っ越した方が良いだろうね」

「……………………凱善、さ……、」

 

 碧の声は震えていた。

 そして、少し遅れて凱善も視認する。涎と涙をまき散らしながら、立ち上がろうとするマスキュラーの姿に。

 

「あぐゥ、うぅッッッ、あぎィァああアアア嗚呼亜亜亜亜亜亜ッッ!!」

「ほう、起きるか。強いな君は」

 

 言うと、マスキュラーがもう戦えない(・・・・)という確信を得ている凱善は、軽い足取りで彼と対面する位置へと向かい、首を締め上げた。

 

「目覚めの気分は悪いだろう。その活力たるや素晴らしいものだが、もう戦う余力も無いはずだ。そして、それは永久に戻らない」

 

 体液をまき散らすマスキュラーは廃人同然である。奇妙な唸り声を上げているが、流暢な言葉は一切紡がれない。

 巨漢の瞳を覗き込んだ凱善は、

 

「――私の名前は凱善(がいぜん)踏破(とうは)。黄泉への土産として、この名を覚えていきたまえ。向こうでも素敵な友達が出来るだろうよ」

 

 弛緩しきったマスキュラーの筋肉を、凱善の手腕が抉る。

 心臓に到達した五指は、水風船を割るように容易く、巨漢の心臓を握り潰した。

 




凱善踏破(がいぜんとうは)

個性『悪夢』
対象者の深層心理に根付くトラウマを引き出し、恐怖の念を増幅させた後、強制的にそれを追体験させる。誇張された恐怖の記憶は対象者の精神を抉り、“逃避の意志”すら削る。マスキュラーは強固な胆力で“逃避の意志”を保ち、夢からの生還を果たしたが、目覚めた時、生への活力を取り戻せなかった。
また、トラウマを持たない相手への対策として、踏破自身の恐怖経験を相手に押しつけることも出来る。踏破の恐怖体験を視て目覚めた人間は、過去に一人もいないとのこと。


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開口する

11月1日。加筆しました。


 マスキュラーに霧雨碧拉致の命を出してから四日が経過しようとしていた。勇は携帯の通知画面に目を落とすが、やはりマスキュラーからの連絡は無かった。

 

 連合の中でも随一の武闘派である彼の消失は、勇に一抹の焦りを植え付けた。命令を出したきり、四日も音信不通なのだ。警察に捕らえられたとの話は聞こえてこないし、殺されたと捉えるのが適切である。

 ならば、誰に? ……決まっている。

 

「霧雨碧の部屋で、何かと遭遇したのか……?」

 

 きっとその“何か”は、霧雨碧本人か、彼女の後ろ身のどちらかだ。マスキュラーは脳筋だが、愚直と呼べるほど短絡的ではない。自分の力が及ばない相手に対しては、撤退の選択が行える男の筈だ。オールマイトに敗北して彼は逃げることを覚えていた。

 マスキュラーが殺害されたという確信は今でも持てていないが、間違いなく、勇が相対している敵はマスキュラーを越える戦力を保持しているのだろう。

 

(……出来れば先に女とその背後を潰しておきたがったが、もう無理だな。蟻塚ちゃん奪取の計画に横槍を入れてこなけりゃいいんだが)

 

 思考を切り替える。霧雨碧――そして“凱善製薬”という不安要素は、一旦忘れよう。今は蟻塚奪取という計画に考えをシフトさせろ。

 

「オラァ! 喰らえ必殺、ハリケーンアタック!!」

「……お強いですね」

「おい、この家には甘ったるいジュースしかねぇのか?」

 

 黒霧を強引に誘ってテレビゲームにお熱のトゥワイスや、他人の家の冷蔵庫を我が物顔で占拠する死柄木。まるで緊張感のない仲間たちは、勇の心労などどこ吹く風とばかりに生活を謳歌していた。

 一喝してやりたい衝動をぐっと抑える。蟻塚の件は、完全に勇の私情だ。彼らに押しつける理由はない。……それとは別に、無遠慮に他人の家を漁る死柄木には若干私怨を持ったが。

 

(――計画に必要なモノを纏めておこう)

 

 雑念を払って思考に集中する。

 

(“本体の俺”の方は個性のチューニングを終えようとしている。もう三日もあれば、戦力に数えて良い状況と報告があった。だったら、今必要なのは……)

 

 そこまで考えて、携帯に着信が入った。当然のように相手は非通知だったが、即座にそれが誰であるのかは理解出来た。

 

「もしもし? ……ああ。そうか、よくやった。すぐ回収に向かう」

 

 望んでいた一報がようやく舞い降りてきた。勇が歪に笑うと、トゥワイスが、

 

「のわっ!? 気持ち悪い奴だな朝木お前!? 一人で何笑っていやがる!! そんなお前の笑顔も素敵だ!!」

「お前がホモであると判明したのはともかくとして、計画に必要なアイテムが大方集まった。回収のため、黒霧にワープを頼みたいんだが、構わないな?」

 

 問いの相手は死柄木である。彼は不吉に沈黙を挟むと、占領していたソファから腰を上げる。

 

「許すが、計画とやらは俺にも教えろ。お前が内密に動いているのは不快だ。把握させろ」

 

 リーダーとしての自負からか、死柄木は状況の説明を望んだ。計画は、連合に損得がもたらされることがないよう調整してあるが、自分の知らない場所で部下が動いているような状況は、彼にとって快いものではないようだ。

 連合の仲間にまで隠し通す理由は見つからなかった。頷いて了承すると、勇は全員を連れて、黒霧の個性でとある地下シェルターの中にワープした。

 

 

「お待ちしていました、便利屋様」

 

 ワープゲートから姿を現した勇たちにすかさず声を掛けたのは、黒装束の男だった。

 

「朝木、彼は?」

「裏社会の運び屋組織――『レイヴン』を取り纏める男だ。顔合わせはこれが初めてだが、昔からよく世話になってる」

 

 便利屋を名乗っていた頃の勇は部下を持たなかった。直接的な人脈は己の秘匿性を損なうと考えていたからだ。そのため、彼はレイヴンのような集団と事務的な関わりを持っている。犯罪の下準備や、武器の調達などに際して、運び屋との接触は不可避だった。

 

「僭越ながら、レイヴンの纏め役の任を預かっております。三島とお呼びください」

「……あっそ。聞いてないけどね。だから俺たちは名乗らねぇ」

「俺はトゥワイス! 末永くよろしくな!」

 

 連合リーダーの意向を無視し、トゥワイスは声高く名乗りを上げた。

 

「三島。頼んでいたものは?」

「あちらに」

 

 三島が奥のシャッターを指し示す。すると、閉ざされていたシャッターが静かに開き、勇が仕入れた“商品”の姿が明らかになる。

 

「……人?」

 

 そう。

 それは全国各地からかき集めてきた一般市民たち。10歳以下の子供30名に、60歳以上の老人10名。合計40人の人質が、それぞれ頑丈に縄で縛られ、更には口まで封じられた状態で並んでいた。

 床には血を拭った痕跡があり、人質の中には血塗れで伏すものもいた。彼らは例外なく顔面蒼白で、泣き崩れる子供の姿も見られる。

 

「……まさか、ずっと、こんな大量のガキと老人を集めていたのか?」

「ああ。そのために、レイヴンへの依頼費用で一億近くかかった」

「一億!? 金持ちかよ!?」

 

 簡単に告げられた桁外れの金額に驚愕したのはトゥワイスだけだった。40名の誘拐に一億なら、一人当たり二百五十万だ。しかも、レイヴンがこの依頼を受けたのは蟻塚逮捕が発覚したその日……つまり、四日前の出来事である。そんな短期間でこの作業量では、裏社会の相場だと格安なくらいである。

 

「便利屋様、踏み入った質問になりますが、この四十名を使って一体何を? まさか、蟻塚お嬢さんとの交換条件として活用なさるので?」

「むしろ、それ以外の使い方があるなら教えてもらいたい」

 

 やはりと言うか、勇は他人の人権を踏みにじることに躊躇がなかった。

 

「まず老人を殺す。そして、此方が本気で人質を殺すのだと認知させた上で、子供を引き合いに出す。蟻塚ちゃんを取り戻すための生贄だ」

「…………もしかして、この数の子供まで、殺すのか?」

 

 渋い声音で、トゥワイスがそう吐き出した。

 

「見ず知らずの子供に情を移してるのか、お前?」

「それもある、けど……危なすぎる。ヒーローだけじゃなく、行政全体を敵に回しかねない。国家総出で来られたら太刀打ちできない。俺たちはそんなご大層なテロリストじゃないだろう?」

 

 珍しく、整った口調である。子供たちへの憐憫もさることながら、やることの過激さに肝を冷やしている様子だ。表情は見えないが、黒霧も同じ心境だろう。

 澄まし顔なのは、危機意識のない死柄木と、勇だけである。

 

「こういうのは思い切りが大事なんだよ。足踏みせずやりきってみたら、意外となんとかなるもんだ。元ヒーロー志望の俺が言うんだから間違いない」

「思い切ってガキ殺してみた結果、蟻塚が奪われちまったんだがな」

「はいそこ、ごちゃごちゃうるせぇ。そっちだってオールマイトに負けてんだろうが」

 

 勇は三島を一瞥すると、シャツの内側に隠し持っていた拳銃を取り出す。雄英襲撃の際に使用したものと同じ銃だ。

 

「三島、尾行はされてないだろうな?」

「勿論。それどころか、仲間にもこの場所は伝えていません。貴方の忠告通り、周りの全てに警戒して依頼を遂行しました」

「そうか、安心した」

 

 ――その僅か二秒後、硝煙の香りがシェルターの中に立ちこめ、かつて三島と呼ばれていた男の亡骸が床に転がっていた。勇の持つ拳銃は、その銃口から煙を吐いている。三島を殺害したのが誰であるかは明白だった。

 

「オイ……? 何で……」

「計画の一部を知った部外者を生かす訳ないだろ。今回の依頼で俺の個人資金が消し飛んだ。今後レイヴンに仕事を依頼する予定はない。それに、コイツに友情なんて感じてなかったからな」

 

 勇は理路整然と三島を殺した理由を述べる。しかし、この男はかつてヴィラン援助を生業とする人間だった筈だ。犯罪者を同胞として抱擁する彼が、いとも容易く、同じ犯罪者を殺した?

 その理由に納得できる部分は多々あったが、それ以上に、連合の面々が痛感したことがある。

 

 蟻塚絡みとなれば、この男は必要なら誰でも殺す。同胞の命すら躊躇いなく摘む。

 

 味方だと思っていた朝木勇が途端に信頼出来なくなったトゥワイスは、怪訝な表情を彼に向けた。すると、言い訳をするように、

 

「――ああ、安心しろ。お前らには感じてるよ、友情ってやつ」

 

 その言葉は甘く、どうしようもなく真実にしか聞こえなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――その日、ヴィラン連合より声明が発表された。内容は、30名の子供を人質にとった連合が、蟻塚の釈放を求めるというものだ。ここでは、その一部始終を記載する。

 

 

 事の発端は午後18時30分。

 都市部の大型ビジョンが何者かにジャックされ、10人の老人が縛られた状態で並ぶ映像が流れた。老人は例外なく全員が、尋常でない程の発汗をしていた。

 その映像を目撃した人々が、何事かと注目を集め出した頃合いに、画面外から髑髏の面をつけた何者かが現れる。

 

『どうもどうも~、(ヴィラン)連合所属(・・)朝木勇(あさぎゆう)です。ああ、巷で元雄英生と噂されてんのは俺のことね。

 いやぁ、今回は我々の同胞を捕まえてくださって、よくもやりやがったなこの野郎共。この度公共の電波をジャックさせて頂いたのは、警察とヒーローへの意趣返し、という意味も込めていましてですね』

 

 楽天的ともとれる軽い語調で話す勇だが、その手には鋭利なナイフが握られていた。身動きが取れない人質と、ナイフ。聴衆は、そこに不吉な繋がりしか感じなかった。

 

『俺たちの“ボス”がご立腹だ。よって、俺は同胞を救出するため、重い腰を上げた。

 今現在、俺たちの元にはこちら10名のご老体、そして――この画面には映っていないが、30名の子供がいる。もちろん人質だ。蟻塚ちゃんを解放しない場合、この40人には死んで頂く。そして、もっと多くの死者が出る』

 

 勇は人質の一人の首にナイフの切っ先を近づけた。ガムテープで口が塞がれていているため、くぐもったような悲鳴がいくつも上がった。

 

『冗談だと思っている者も多いだろう。こんな公共の場で? そんなまさか? ……ああ、俺もそう思う。とても非常識だ。よって、律儀な俺は皆さんに忠言を与えよう。

 

 ここから三秒後は18禁だ。もちろん、グロい方のね』

 

 ――血飛沫が上がった。死に瀕した生き物の絶叫が、限りなく野生に近い鳴き声が響いた。

 まるで映画のワンシーンのように、呆気なく、情け容赦なく、朝木勇は人質一人の首を貫いたのだ。その上、一撃で死に至らなかった人質の首を幾度も刺し、確実に絶命させるというアフターケアまでつけて。

 

『……ふぅ。さぁ、これで十分に俺の覚悟は伝わっただろう――とは思わない。まだ不十分だ。よって、残り9人も殺す。紛れもない地獄の映像をお届けしよう』

 

 その言に偽りはなかった。虚勢もなかった。最初の四人はナイフで刺し殺し、切れ味が落ちてきた辺りで拳銃に切り替え、また五人を殺害。最後の一人には発言の自由が与えられたが、出て来た言葉は支離滅裂な命乞いだけだった。そして、――発狂するように許しを乞う人質を、勇は撃ち殺した。

 

『さて、10人のご老体はこの手で殺した。残るは30名の子供たち。彼らは……そうだな。一週間以内に、警察から返答がない場合、一人ずつ殺すことにしよう。

 え? 本当に子供の人質がいるのかって? 確認のために、子供の姿を映せだと? ――嫌だね。人質の身元が知りたければ、自分たちで探し当てると良い。自分の子供が行方不明なら、その親は激しく騒ぐことだ。警察を説得しろ。何故なら、次に死ぬのが貴方の息子かもしれないからだ。貴方の孫かもしれないからだ。たった今証明した通り、俺は本気だぜ』

 

 彼の言葉には魔力があった。一度耳に入った声は、まるで魅了するかのように人々の記憶に浸透していった。

 悲劇的な映像に、滔々と紡がれる優しい声と残酷な言葉。その全てが耽美な朝木勇の演出に貢献している。

 

『――俺が彼女を切り捨てると思ったら大間違いだ。お前たちが捕らえた俺の同胞は、必ず奪還してみせる』

 

 力強い口調はさながらヒーローではあったが、映っているのは血塗れの悪魔だ。

 朝木勇は、奇妙な間を置くと――髑髏の面を外した。

 翠玉の瞳が映像の中心を捉え、闇に沈んだような髪が穏やかに揺れる。惨劇の中に咲いた薔薇のような彼は、柔和に頬笑み、言った。

 

『いつかまた、会うことになる。

 願わくば、寛大なる措置を。偉大なる御手に甘い泰平を。

 諸君らとの再会の刻限、この世が阿鼻叫喚の地獄でありませんようにと、切に祈っているよ』

 

 

 そのビデオは日本全土に中継され、多種多様な反響を産んだ。

 

「朝木、勇……! なんて事を……!」

 

 とある黄金の卵はひたすらに憤怒した。あの鬼畜には人の心がない。他人の命を、その人が享受する筈だった幸福を簡単に毟り取る。

 アイツは、生まれてくるべきじゃ無かった。そう思える程に救いのない悪魔だ。

 

 

「……ねぇねぇ、あの人は……」

「違う。あの人じゃない。……アレは人の姿をした怪物だよ」

「知ってるの? 二人とも」

 

 とある後進の者たちは、己の弱さを恥じた。

 あの男に期待していた己の甘さを、憧れていた己の小ささを、大きく恥じた。

 ……こんな想いをするくらいなら、いっそ出会わなければ良かったのに。

 いっそ、恨みだけしか感じられない身体であったなら、ずっと楽だったろうに。

 

 

「素敵です。血がいっぱい。トキメキです。きっとあの人、私と同じなのです」

 

 破綻した少女はそこに同類の気配を感じた。

 朝木勇は、私に羨望されるために生まれてきたのだ。私もああなりたい。彼になれるように努力しよう。学友の皆がヒーローを志したように、私にも焦がれる誰かが出来た。それはとても普遍的で、素敵なことだ。

 

 いつか私も、あんな風に血を浴びたい。

 そこに彼の血が混じっていたら、どんなに甘い香りがするだろうか。

 

 

 

 そして。

 

 ――示唆された連合の“ボス”の存在。

 ――衆人環視の中で殺人の映像を流す残忍性。

 ――30人の子供が人質であるということ。

 ――そして、警察やヒーローへの警告ともとれる最後の言葉。

 

 翌日、それらの情報を纏めた新聞記事の中に、朝木勇の顔写真が掲載されていないものはなかった。

 

 

 




あまり知る必要の無い裏設定。

三島
運び屋集団、レイヴンのリーダー。主に依頼用窓口の役割を果たしていた。勇のことを信頼していたために反応が遅れて即殺されたが、優秀な運び屋としての実績があるので、設定的にはそこそこ強かったらしい。らしいだけ。もしかしたら普通に弱かったのかもしれない。真相は闇の中である。

個性『収納』
運搬物を縮小して小さな袋に収納する個性。生物を縮小しても生命は脅かされない。ハンターハンターでこんな能力を持つ陰獣がいたが気にしてはいけない。




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衝突前

 

 個性なんて異物が日常に浸透して、現在は刺激に富んだ世の中になった。しかし、民衆が新たな刺激を、変化を求めるのは世の常である。結局の所、誰も彼も自分が楽しければそれでいいのだ。

 その燻りを、朝木勇は上手く燃やした。彼は素顔を晒し、ヒーローに挑発し、警察に挑戦した。しかも、堂々と人殺しの映像を流しながらも、民衆が彼に向ける感情は恐怖よりも興味の割合の方が大きかったようだ。

 

 彼が映像の最後に見せた表情は、10人も殺害した後に見せる表情ではなかった。常軌を逸している殺戮を行いながらも、彼の言葉は理性的であり、姿形は美麗だった。全てが荒唐無稽で、フィクションじみている。そのため、鈍感な市民は彼の脅威を認識できていないのが現状だ。聞くところによると、ファンクラブまで出来ているとのこと。

 

(ファンクラブなんて巫山戯たモノを……! 犯罪者を祭り上げるなんて、どうかしている)

 

 塚内は頭を抱えた。誰より早く朝木勇の異常性に目を付け誰より早く捜査に乗り出していたというのに、二年間尻尾も掴めず、ようやく姿が拝めたと思ったらもう何もかも手遅れに近かった。

 学生が一人、罪のない市民が十人殺害され、更に子供が三十人も人質に取られている状況。想定していた最悪の事態をそのまま再現したかのようだ。

 

 昨夜のビデオを受けて、自分の子が行方不明だという訴えが四十件ほど警察に届いた。内三十件は、大企業の跡取り息子や、医者の令嬢、政治家の孫など、富裕層の中でも特に発言力の強い大人の親族だった。そういった者が先導して、蟻塚を解放するように訴える運動は加速度的に広がってきている。

 

「……はぁ」

 

 再度、塚内は頭を抱えた。思考をクリアにしようと珈琲を呷るが、既に冷え切っている。どれほどの間物思いに耽っていたのだろう。

 

「どうしたものか」

 

 口に出すと、何故か安堵できた。しかし、僅か数秒で後悔と責任感の波が押し寄せてきて、呑まれそうになる。ビデオが公開された当初の塚内は憤っていたが、今は完全に気が滅入っていた。

 

「警部、珈琲淹れ直しましょうか?」

「……ありがとう。頼むよ」

 

 部下が珈琲を淹れている間に、目頭を抑える。昨夜はほとんど徹夜だった。今の自分の眼下にはさぞ大きな隈が出来ていることだろう。

 この後も会議、会議、ヴィラン連合への対策会議がずっと続く。少しでも身体を落ち着けておくか、と脱力していると、慌てて入室してくる足音に気付いた。

 

「塚内警部、ヴィラン連合から警察へ声明文が送られてきました!」

「……何だと? 眉唾物ではないのか?」

「人質と朝木勇の写真付きです! 加工画像のようには見えませんし、本物かと思われます。こちら、その原物です! ご確認ください!」

 

 渡された色紙には確かに朝木勇の写真が印刷されていた。その下には、手書きと思われる文が続いている。声明文には素性を隠す努力の跡が見られないどころか、勇が自分を誇示するような意図さえ見られた。

 塚内は文字を目で追っている内、無意識に口に出していた。

 

「二日後、午後十五時に蟻塚を引き渡せ。場所は経度131、緯度36の廃工場とする。また、引き渡しの場にヒーローは連れてくるな。この文を民間に公表することも許さない。蟻塚に同伴する警官は三人以下にしろ。一つでも此方の要求が満たされなかった場合……子供を十二人殺す」

 

 滅茶苦茶な要求だ。内容を把握した瞬間、塚内は体温が下がるのを感じ、心拍が止まったかと錯覚した。

 街のビジョンで流されたビデオでは、蟻塚解放までの猶予は一週間であり、子供は一人ずつ殺すという話ではなかったか。それでも十分無茶な要求ではあったが、“まだ一週間ある”“死ぬとしても一人ずつだ”と、何処か楽観視していた部分があった。それに引き替え、今回のコレは飛躍しすぎだ。

 

「警察を後手後手に回す気か……!? クソッ!!」

 

 憤りを机にぶつける。昨夜、徹夜で連合への対策を模索していたが、それは事前に公開されたビデオが真実であるという仮定での話。それがほぼ全て白紙に戻ってしまったのだ。

 もはや考える余裕も与えないつもりか。

 

 ……しかし、逆に考えろ。指定されたのは二日後。警察の事情を考慮せず、自分たちの要求だけを叶えたいのであれば、明日を指定してもおかしくない。それが一日挟んだ二日後ということは――連合も、実は手をこまねいているのではないか? 警察と相対する準備がまだ出来ていないのではないか?

 

 いや、だからどうしたと言うのか。蟻塚を解放する準備が出来ていないのは此方も同じだ。只でさえ、人質を救出する算段が立つ目処は立っていないというのに、猶予はたった二日に縮んでしまった。

 

「ああクソ! やるしかない……ッ!! 十二人の子供の命なんて、どうやっても取り返しきれない!!」

 

 怒りを発散させて机を叩く。乱れた髪を更に乱れさせて、声明文を握りしめた塚内はその場を後にした。

 

 

 

  666

 

 

 

 その後の議論は、いざとなれば釈放もやむなし、といった結論で落ち着いた。今は政府上層部が蟻塚釈放を審議にかけている。このまま連合への対処が難航したままならば、本格的に蟻塚を釈放する動きにシフトしていくだろう。

 しかしまだ僅かに時間は残されている。戦闘か、釈放か、警察側にとって前者の方が望ましいのは当たり前だ。どうにかして活路を見出したいが、やはり人質の存在があらゆる策を頓挫させる。こうなってしまえば、連合が人質を隠している場所を特定しない限り、事態は好転しない。

 

「何はともあれ、疲れた。もうずっと休んでいないじゃないか……」

 

 こうしていても何も始まらない。昼食の後、二時間ほど仮眠を取ろう。

 そう考えた塚内は、近所のファミレスに足を運んだ。思い返してみれば、しばらく寝ていないどころか食事も摂っていない。ここ一日で口にしたのは珈琲だけだ。

 

 店内に漂う香りが鼻腔を擽る。ここは一気に腹が膨れるものを食べておきたい。

 席に案内された塚内は、メニュー表を見ながら鶏肉のガーリックステーキに目を付ける。これにしよう。注文のために呼び出しボタンに手を伸ばすと、

 

「失礼、相席よろしいかな?」

「え、いや、他にまだ空席が……」

 

 屈託のない笑みを浮かべる赤毛の男。こんな広い店内で、わざわざ自分と相席を望む理由が分からない。

 塚内は男の顔に見覚えもなく、何か勘ぐったような眼差しを相手に向けた。しかし、どうも相手は塚内のことを知って近づいてきたようで、

 

「塚内直正警部……で間違いなかったかな? 二年前より便利屋絡みの事件を担当していて、現在はその捜査を打ち切り、ヴィラン連合への対処に入れ込んでいるとか。かねてより、こうしてお会いする日を楽しみにしていた」

「…………何処でそれを?」

 

 塚内の中で猜疑の色が濃くなる。相手から強い犯罪の気配は感じないが、犯罪と無縁の一般市民、といった風采でもなかった。

 

「私は凱善踏破(がいぜんとうは)。蟻塚と呼ばれる少女の情報を貴方たちにお届けしたのは、この私だ」

 

 ――一般に知らされていない、それどころか警察内でも箝口令が敷かれている極秘情報を知っている。凱善の虚言を疑い逡巡する塚内だが、考えれば考えるほど、彼が真実を述べている予感を強めるばかりだった。

 

「どうか安心したまえ。私は貴方の味方だ。一刻も早く連合が摘発されることを切望する、しがない一般市民に過ぎない。今日は貴方に幾つか助言をしにやってきた」

「……得体の知れない者からの助言を聞き入れる筈ないだろ」

「たった今、一般市民だと自称したばかりだがね。そんなに身構えられると、さしもの私もショックだよ」

 

 この凱善と名乗った男は、言葉の通り塚内の味方なのだろうか。それとも、連合の内通者か。

 どちらにせよ、凱善が蟻塚逮捕に貢献したという話には信憑性があった。此方の味方だという主張も、あながち嘘ではないのかもしれない。

 

「さて、まず確認したいのだが、蟻塚少女はこのまま釈放されるのかな?」

「……答える義務があるか?」

「無いね。では、政府が草壁に屈するという前提で話を進めようか。倫理的にそれは最善手なのだろう。だが、きっと彼は警察の逡巡を計算に入れている。法と道徳の間で揺れ動く役人たちに対し、無感情に殺戮の引き金を引いてくる」

「そんなこと、これまでの捜査でとうに分かっている」

「ならば迷うこともないだろう。優先順位を明確に決めたまえ。第一に草壁を捕まえること、第二に人質を保護すること、第三に連合を解体すること。そもそも、草壁が手中に収めている時点で人質の命などあって無いようなものだ。彼は三十人の子供を人質にしているらしいが、管理の難しさから、既に半数以上を間引いているかもしれない」

 

 簡単に言ってくれる。凱善の言った優先順位は、常識的に考えて第一と第二が逆だろう。彼から告げられたのは、人質の存在を数字としてしか認知していない酷薄な人間の考えだ。まるで情熱がない。

 ここで朝木勇を取り逃がせば、この先もっと大勢の人間が犠牲になるかもしれない。そんなことは重々承知だ。故にこその懊悩である。

 

「……ところで」

「うん?」

「先程から話している“草壁”とは誰のことだ?」

「ああ、それか」

 

 この男は、先程から朝木勇の本名を口にしている。この手の裏事情に精通しているということを、隠す気も無いようだ。

 

「言い間違いだよ。朝木と言ったつもりだったんだ。私が名指ししていたのは朝木勇のことさ。ほら、草壁と朝木――音調がよく似ている」

「そうは思えないが」

「はは、やはりこの言い訳には無理があるかな。でもね、私が警察の隠し事を知っていようと、コレは具体的な罪の何にも該当しない。咎められる筋合いはないと思うがね」

 

 少し言葉を交わして、塚内の予感は確信に変わった。凱善は今回の事件の貴重な参考人たり得る人物だ。そもそも、蟻塚の所在地を警察にリークしている時点で、この男が自分たちより多くの事柄を認知している。

 それらしい理由が一つでもあれば、署に強制連行してゆっくり話を聞いてみたいものだが、ここまで堂々と手の内を明かしているにも拘わらず、凱善の言葉には何の違法性もなかった。

 

「……助言と言うのは要約すると、連合の脅しを無視しろと言うことだろう。たったそれだけのことを言うために、僕に接触してきたのか、貴方は?」

「いいや。もう一つあるとも。今後の草壁――ああ、朝木と言い換えようか。朝木の動向についてお伝えしようかと思ってね」

「今後の動向だと?」

「彼の蟻塚への執着は、警察側が認識している以上のものだ。もしも彼女が解放されるなら、いの一番に接触を図るのは朝木だろう。別の言葉を使うなら、少女は朝木を釣り出す餌として非常に有用であるということだ」

 

 凱善の言葉は、現状を整理した時に出される理詰めの考察ではなかった。朝木の人間性を熟知している者ならではの文言である。少なくとも、塚内には彼が勇と既知であるように聞こえた。

 

「今の朝木は逃げも隠れもしない。過去で一番と言って良い程、逮捕が容易な状況に陥っている」

「貴方は彼とどういう関係なんだ。どうしてそこまで断言できるんだ」

「身内だからさ。肉親ではないが」

 

 聞いた途端に、塚内の中でピースの一部が接合する音がした。

 

(……身内。凱善……凱善製薬? そうだ、確か彼の父の勤務先が、凱善製薬という会社だった。そこの繋がりか……!?)

 

 何も告げずに、凱善が腰を上げた。立ち去ろうとする彼を、塚内は引き留める。

 

「待ってくれ! 貴方は僕の味方なんだろう!? 捜査に協力してくれないか!?」

「私は多忙な身の上でね。告げたいことがあるから、告げに来ただけだ。もう私の用は済んだ。短い時間だったが、話せて良かったよ」

 

 凱善は一方的な男だった。自分から警察に歩み寄りながらも、警察の歩み寄りは受け入れない。塚内は足下を見られているような気分だった。

 

「私の望みは、一分一秒でも早く草壁が抹殺、あるいは隔離され、この社会から姿を消すことだ。そして貴方は、それを成し得る可能性を秘めた人物だろう。誰より早く草壁を警戒していたその慧眼、私は高く評価しているんだよ」

「だったら、尚更……!」

 

 店内の客から好奇の視線を集めている。しかし、恥も外聞も無く塚内は声を荒げて食い下がった。

 

「成すべきは貴方だ。貴方には視えている。後悔したくなければ、目の前の三十よりも、その後の百を救う選択をしたまえ」

「人質を見殺しにしろと」

「そこまで容赦のない言葉選びは好きじゃないな――が、間違ってもいない。内閣が超法規的措置の発動を宣言すればゲームセットだ。残り時間は短いんだろう? なら早く決断したまえ。正解は、明瞭なまでに示されているじゃないか」

 

 心臓を撫でられているような気がした。

 凱善の落ち着いた声音は波紋のように広がり、塚内の気を静めさせる。

 気持ちが悪い――と、思った理由は即座に分かった。凱善踏破には朝木勇と通ずる才能があるのだ。この男は無条件に相手を心酔させる為の、独特の雰囲気を隠し持っている。

 

「期待しているよ、塚内警部」

 

 立ち去る彼を引き留める気は起きなかった。

 どんな言葉も、彼に響く気がしなかった。丁度、朝木勇がそうであるように。

 

 

 

  ◇◆◇

 

 

 

 ビデオに映った映像と声明文に印刷された写真だけでは、人質が収容されている位置の特定は難しかった。結局その日、捜索方面の進展は無かった。

 蟻塚を餌として活用するか、連合に完全に屈するかの二択の間で、塚内は揺れる。

 しかし、凱善の助言も加味した上で、塚内は一つの結論を吐き出した。

 

 翌日のヴィラン連合特別捜査本部の重要会議には、プロヒーローの姿が見られた。オールマイトとベストジーニストである。彼らを招致したのは塚内だった。

 

「ベストジーニスト、そしてオールマイト。まずは謝辞を。要請に応じてくれてありがとう、本当に助かるよ」

「礼を言われることではない。むしろ、助力できることを光栄に思う。今回の事件はあまりに惨い」

「私もそうだ。むしろ、名誉挽回の機会を受けてありがたい位だよ、塚内くん。今度こそ絶対に失敗はしない!! 安心して私に背中を預けるといいさ!!」

 

 返事は力強く、双方とも心を燃やしていた。だが、最高の戦力が揃っているというのに会議室の中の空気は張り詰めている。塚内は緊張感で身が引き締まった。

 

「蟻塚の引き渡しは明日の十五時。現場に同伴できるのは三人までの警官までだ。それ以上の増援や、ヒーローの姿があった場合、敵は姿を見せない。此方が一つでも条件を破れば、即座に三十人中十二人の人質が殺される」

「現場に動員されるプロヒーローは存在を気取られてはいけない。だからこその二人。少数精鋭な訳ですな」

 

 雄英の襲撃者数から連合の総力を逆算すれば、相当数が予想される。が、日本のナンバーワンとナンバーフォーならば、量の大差を質でカバーできるだろう。それが塚内の見立てであり、二人への信頼だった。

 

「恐らく敵は、何らかの手段で身の安全を確信した後、ワープの個性を使って現れるだろう。それまで、君たち二人には付近で息を潜めていてもらいたい」

「……ま、任せてくれ」

 

 歯切れの悪い返事はオールマイトからだった。

 巨躯の彼はやることなす事が全て派手だ。隠密行動は不得手とする所である。

 

「大丈夫だ。潜伏には此方も手を貸す。同伴する警官三人の中に、他人の姿を消す個性を持つ者を忍ばせる。ある特殊な状況下でのみ個性を使う、警察庁の隠し種だ。連合も把握してないだろう」

 

 すると、塚内の隣に座していた青年が立ち上がった。

 

「ご紹介に預かりました。テトラです。諸事情により、本名と所属は明かせませんがご理解ください。今作戦に於いて、オールマイト・ベストジーニストの両名を私の個性で不可視化します。ですが、微弱な空気の揺れで透過場所の風景に歪みが生じてしまいますし、物音も消せません。潜伏の折、極力動かないようにお願いします」

 

 テトラの個性で消せるのは姿だけであり、その他の気配は剥き出しのままである。動員できるヒーローの限度が二名なのも、そこに起因する。この個性で敵に潜伏が露呈しないとは断言できなかった。

 

「十全の準備は揃えたが、やはり最後にはヒーローに頼るしかない。ベストジーニストは広い視野で敵を捕捉し、オールマイトはその傑出した武力で敵を撃破してくれ。この大役は、君たちにしか託せない」

「承知した。任せてくれ」

「寄せられた期待には応えよう。私は平和の象徴だ」

 

 自身に課された責任を自覚し、二人は決意を固めていた。士気は十分以上のものがある。

 集められた者の中で、ヒーローの実力を疑う者はいない。しかし、全員の脳裏に共通してよぎる懸念は、やはり人質の存在だった。

 

 少なくない数の子供たちの命運が、自分たちの手に掛かっている。

 敵を出し抜き、なおかつ被害者を出さない。容易な道のりではないが、誰も犠牲にすることなく成しえなければならない。不安を払拭するために、少なくない熱量で塚内は言い放った。

 

「やること自体は明確だ――現れたヴィランを一人残らず捕らえる(・・・・・・・・・)! それが、我々に残った唯一の勝機だ! この作戦は必ず成功させるぞ!」

 

 

 

  ◇◆◇

 

 

 

 同時刻、連合の主力メンバーは神野区某所に集まっていた。蟻塚奪還作戦を共有するためだ。

 

「――久しぶりだなぁ、クズ野郎共? 元気してたか?」

 

 そう言った男は、片目に出血の痕を残し、髪の数本から色素が抜け落ちていた。首は広範囲に渡って腫れていて、内出血の痕が痛々しい。

 その男――“本体”の朝木勇は、相変わらず不敵な笑みを惜しげも無く振りまいている。しかし、その姿は交通事故に遭った人間のソレだった。

 

「元気じゃなさそうなのはお前だよ。全体的に汚い。風呂入ってるのか? 俺のイメージ崩れるからさ、清潔感だけは保ってくれよ。頼むから」

「煩い。俺の分際で俺に説法を垂れるな」

 

 勇は“複製(コピー)”の自分が呈した不満を一蹴した。朝木勇にとって、複製は本体のために命を賭して献身しなければならない。不満を口にしてはならない。作業効率を向上させる機械、或いは奴隷でなくてはならないのだ。

 この数日間、朝木勇はそういう理不尽な位置付けを複製物(じぶん)に課し、実行してきた。

 

「はいはい。贋物の俺は事務的に自分の仕事だけこなしますよ。という訳で確認しておくが、本体の俺よ、個性はどの程度扱える?」

「鉄を折る程度は余裕かな」

「力持ちになったなぁ。俺が俺じゃないみたいで寂しいぜ」

 

 本体の勇が不作法に座り込むと、集まった連合のメンバーを見渡す。主要戦力の数が減っている。

 

「…………オイ、マスキュラーは仲間はずれか。我ながら良くないぜ、そういうの」

「仲間の中に裏切り者がいた。そいつを粛正するためにマスキュラーを送ったが、返り討ちに遭った。多分殺されたよ」

「はぁ? ハァ!?」

 

 己の分身の失態を耳に入れて、勇は激しく動揺した。マスキュラーを殺しうる脅威なんて、それこそ上位のプロヒーローくらいしか思い浮かばない。本体不在の間に、そんな大それた対敵と交戦するとは何事か。

 

「クッソ無能ーー!! 死ねよお前クソが!! 生きたまま蛆虫の餌になれよ!! ねぇ何で生きてんの、何で!? 仲間を殺しておきながら何でお前がのうのうと生きてんだよ!! お前の存在価値とは如何に!? 生きる意味があるかお前に!? つーか世間様に中二病晒してたの何アレ……? イキってんじゃねェぞクソボケェ! 冷めた目で見られるのが俺だってこと分からない? 脳味噌にスポンジでも詰まってんのかコラ!! お前みたいに頭の悪い愚昧は初めて見たわ!!」

「…………分かんねぇな。自分を虐める時に容赦が無いのは何故だ。俺の判断ミスはお前の失態と同じなんだが?」

「偽物のクセに言い訳するのか!? 俺だったらもっと上手く筋肉達磨を運用できたっつの!! 少しは俺を見習え無能が!!」

「そうだな。俺は無能だ。生きていて本当に申し訳ないと思っている」

 

 戦闘能力以外の能力値は、偽物も本物も同じだ。本体の勇が複製の勇と同じ事態に直面した時、やはり同じ判断を下し、同じ結果を得ていた筈だ。

 言い返すのは簡単だったが、本体も疲労が溜まっていてイライラしているのだろう。きっとそうだ。そうに違いない。複製の勇はその罵倒を受け流し、話を先に進めた。

 

「俺が生きていてすまないが、蟻塚ちゃんは助ける必要がある。これから、その策を説明させてくれ」

 

 手を貸さないと公言していた死柄木も、その声を緘黙して聞き入る。作戦に参加する・しない以前に、その内容には興味があるらしい。

 

「死柄木・黒霧・トゥワイスの三人は危険に晒せない。だから、移動手段の確保のため、トゥワイスには黒霧を複製(コピー)してもらいたい」

「それだと私の個性の精度が落ちますよ」

「問題ないさ。ワープゲートは退却時にのみ頼る。用途は現地から遠方に逃げることだけ。座標が多少ズレようと支障はない」

 

 黒霧は逃げるためだけの手段である。そうすることで、取引現場へ移動する者には負担が大きくなるが、ワープゲートの使用に際する不安要素はなくなる。

 

「まぁ、蓋を開けてみれば簡単なことなんだよ。計画の実行犯は本体の俺、複製の俺、複製の黒霧、とこの三人だけだ。本体の俺が工場の中に単身入り込み、蟻塚ちゃんを回収した後、外部にいる俺たちと合流。ワープゲートで逃げる。難しいことじゃない」

「たった三人……実質一人じゃねェか。勝算はあるんだろうな。蟻塚はどうでも良いが、愚策で特攻してお前が死ぬのは許す訳にいかない」

「俺はやれる。やれる男さ。そうだよな?」

 

 複製の勇は本体の自分に問い掛けた。

 二人の間で思考は一致している。確認は不要であり、この問いは相手を鼓舞するためのものだった。草壁勇斗は何度も己の限界を感じた。しかし、その都度越えてきたじゃないか。

 

 個性を使った試みは初めてだが、未踏の領域は越えるためにあるのだ。成長のための贄だと思えば今回の障害だって恐ろしくない。

 

「やれるに決まってんだろ。つーか、その計画はお前を作る前から俺が思いついていたものだ。俺の頭の中にもある。変更点はマスキュラーを使えない所だけだろ? だったら、本体の俺の役割は変わらない」

「お前は今回も辛い役回りだ。ちゃちゃっとPlus Ultraしてこい」

「そっちこそ、リカバリーは頼んだぞ」

 

 根拠の無い自信で燃える二人だが、その心を温度を共有しないトゥワイスは成功を確信出来ずにいた。

 朝木勇のことは信頼している。彼が便利屋をしている時から交友のあるトゥワイスは、他の連合の誰よりも勇を理解しているつもりだ。

 勇の考えの全てが説明された訳ではないし、彼の感じている勝算には欠片も共感できない。しかし、この男はいままでずっと勝ってきた。きっと今回もそうなる。そうなって欲しいと願う。

 

「……本当に、大丈夫なんだよな? お前が死んでも哀しくない。俺が直接手助けしなくても勝てるよな? きっと負けるぞ?」

 

 マスキュラーとは言葉を交わしたこともない。彼が死んでも何も感じなかったのが本音だ。だが、勇だけは違った。この男は友人だから、極力傷付いて欲しくないし捕まって欲しくない。

 トゥワイスの個性は完全に裏方向きではあるが、戦闘にも多少の心得がある。勇が必要だと言うのなら、戦力に加わることも吝かではなかったのだが。

 

「予定通りに事を運ぶ自信はあるよ。ただ……正直に言うと、不安材料はある。凱善踏破(がいぜんとうは)が介入してきたら、結果がまるで読めなくなることだ」

「……が、がいぜ? 何? 誰?」

 

 聞き覚えのない人名に、各々が疑問符を浮かべる。その中で、本体の勇だけは何かを感じ取ったらしく、

 

「――蟻塚ちゃんを攫ったのはアイツか」

 

 即座にそう結びつける辺り、仲睦まじい間柄ではなさそうだ。

 

「可能性は限りなく百に近い。マスキュラーを殺した犯人も、アイツ本人か、或いはアイツに近しい誰かだろうな。ンま、あの悪代官様にお友達がいるとは思えないケド」

「へぇ…………そうか」

「何にせよ、トゥワイスの出る幕はないな。今回は特に」

 

「いやいや! ヤバいなら俺も手を貸すって!! 望まれてなくてもな!!」

 

 本体の勇が見たことのない剣幕で沈黙している。蟻塚が捕まったと聞いた時の表情とは何か違う。別の感情を由来とする、しかし不穏な形相だった。これで心配するなという方が難しい。

 だが、勇はすぐにいつもの作り笑いを浮かべた。

 

「負けられない理由がある。だから負けないぜ」

「ああ。ヒーローの顔に泥塗りたくって帰ってくるよ」

 

 二人の勇が同じ意志の言葉を告げると、トゥワイスは何も言い返せなくなった。

 

「発言には責任を持てよ? どうでもいいが、失敗だけは許さない」

「了解ボス。連合代表として、今回もヒーローを出し抜いてくると約束しよう」

 

 結局、最後の最後まで、勇の声には淀みがないままだった。

 




今回の要約
塚内「猶予が一週間あると思ってたら二日に縮められた。たった二日で人質救出とか無理やん。蟻塚解放するか」
凱善「人質なんて無視や。蟻塚を餌に主人公ぶっ飛ばせ」
塚内「主人公ぶっ飛ばすンゴ。助けてオールマイトー! ベストジーニストー!」
オールマイト&ジーニスト「血沸く血沸く♪」


主人公(偽)「俺と、本物の俺と、トゥワイスの個性で作った偽物の黒霧の三人で蟻塚助けるンゴ」
死柄木「実質一人やん。ぼっち乙」
主人公(真)「オリキャラのくせに凱善が横槍入れてきそうで恐いけど、ヒーローと警察は別に恐くないぜ。俺は凄いぜ。色々考えてるぜ。色々だぜ」
トゥワイス「本当に大丈夫かなぁ?」
黒霧(まぁ主人公やし、なんとかなるやろ…。知らんけど)


次回
塚内&オールマイト&ジーニストVS主人公…ファイッ!


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交渉決裂Ⅰ

 14時30分。塚内たちは廃棄された木材加工工場へと赴いた。河川と隣接し住宅街から離れた区画であるため、不吉な程に閑寂としている。

 

「オイ! 痛いってば!! 外してよコレ!!」

 

 拘束具から抜けだそうとする蟻塚の声はよく響いた。既に工場内に敵が潜伏しているであろう別働隊にも聞こえただろう。

 

「もうすぐ解放されますから、あまり騒がないでください」

「うっせェ話しかけるな!! お前の指も抜いてやろうか!?」

「……すみません」

 

 テトラはまるで熱意の籠っていない声で蟻塚を諫めた。その傍ら、塚内は周囲に聞えない程度に抑えられた声量で、イヤホンマイクに声を通した。

 

「今し方到着した」

『知ってるよ! 聞こえたからね! 今のが蟻塚少女の声かな? 快活でよく通るじゃないか!!』

 

 囁くような声だが、抑揚がはっきりとした喋り口調。オールマイトからのものだ。

 

「これを快活と言えて羨ましい。正直言うとね、僕は内心震えている。この娘は指を二、三本で僕らを虐殺できるだろうから」

『いざとなれば少女を捨てて、テトラの個性で逃げれば良いだろう。吉報だ。どうやら――今回は私とオールマイトで事足りるらしい。たった今、朝木勇を発見した。なんと単独だ』

 

 ベストジーニストからの通信に、塚内は固唾を飲んだ。てっきり敵連合は相当数の戦力を投入し、蟻塚を奪還するものだとばかり想定していたが、現実はその真逆だった。

 警察側の作戦は、現れた敵を即全員逮捕し、外部と連絡する手段を奪った後、その場で人質の居場所を聞き出すこと。それが唯一の人質救出までの糸口だったが、この分だと条件達成は容易に感じる。

 ……にも拘わらず、塚内には冷たい汗が流れていた。朝木勇への過剰な恐怖心の影響か、予想外の事象を不気味なものとしか捉えられなくなっているようだ。

 

「……確かかい?」

『先程から気付かれないように索敵しているが、やはり護衛の類いは発見できない。彼は一人だ。此方が条件を破ると考えていないのか、あるいは――』

「――後々、ワープの個性で増援が現れる、か」

『ああ、警戒するとしたらその線だな。ともかく、視認できる範囲にヴィランはいないと断言しておく』

 

 間違いなく簡単には終わらない。そういった予感の類いが、ジーニアスの言の奥に感じ取れた。

 

『朝木勇が無策で現れるとは信じがたいが……』

 

 オールマイトからも懸念の声が上がった。

 が、相手の手札が見えないからといって慎重に立ち回れるほど、今は余裕のある状況ではない。

 

 明確な優先順位を決めなければならないだろう。

 第一に朝木勇の拘束である。彼を逮捕する機会はこれが最後かもしれない。また、彼を取り逃がせば今後の被害は想像もつかない程に拡大していくだろう。よって、これが最優先事項。

 第二に人質の救出。三十人の子供の命だ。これの無視は論外だが――あくまで塚内の裁量において――朝木の方が優先度が高い。よって第二に据える。

 そして、第三に連合の解体。単純に、これは難易度が高く現実性がない。優先度としては格落ちである。

 

 ――結果的に、凱善の助言通りに塚内は思考していた。

 

(人質の引き渡し時間まであと30分だが……悠長に待つこともないな)

 

 迷わず、合理性だけを突き詰めて作戦に当たる。これが朝木対策の最善手であることを、塚内は知っている。長年の直感が、朝木勇のプロファイリングだけは不可能だと、あの男との心理戦に勝ち目などないと叫んでいるからだ。

 

「ではこれから、僕らは蟻塚を連れて指定場所に向かう。朝木とも接触するだろう。二人は適切なタイミングで援護してくれ。戦闘時の裁量は君たちに委ねる」 

 

 

 ◇◆◇

 

 そこには異様な光景が広がっていた。

 工場内の至る所に乾いた血痕がある。白骨化した人の骨が散乱し、辺りは腐敗した肉の香りで充溢されていた。人の死体の側には、野鳥や猫の遺骸も添えるように転がっている。

 まさにこの世のものと思えない地獄の図だが、既に見慣れている勇は、行きつけの喫茶店に寄るような軽い足取りで目的の座標へと進んでいた。

 

「念のため、繰り返しておく」

 

 歩む速度を変えず、機械的な声音で無線機に語りかけた。

 

「連続四発の発砲音は作戦成功の合図だ。最短ルートで回収に来てくれ。15秒以内にだ」

『訂正しろ、俺のライディングなら13秒でイケる』

「それは頼もしい。モテるだろ、お前」

『はは、褒めるなよ。お前こそモテるじゃんか』

「全くその通りだ。時折、溢れんばかりの自分の魅力を制御出来なくなりそうで、俺は俺が恐くなる」

 

 無線機の奥から、『どうして自画自賛が始まるんですか……』と黒霧の声が聞こえた。呆れられている。緊張を解きほぐそうと小粋な会話を挟んだだけなのに、傍目からは不気味に見えたらしい。

 こほん、と一つ咳払いをすると、勇は会話を主軸へ戻した。

 

「さて、そして作戦失敗の合図だが――それは爆発音とする。交渉決裂や不慮の事態に陥った場合、敵さんごと取引会場を吹き飛ばす。その時は俺を気にせずお前たちだけで撤収しろ。ただ、ぶっちゃけ洒落にならないレベルの爆破なもんでな。俺は蟻塚ちゃんと心中することになるかもしれないから、一応留意しておけ」

『なっ、初耳ですよ!? 自決も想定してるんですか!? どうして今になってそんな事を!!』

 

 自らの死を示唆した勇に、間髪入れず黒霧が声を荒ぶらせた。

 

「だってお前ら、それ話したら作戦の許可出さないじゃん?」

 

 予想ではなく、確定事項としてそうだろう。

 絶対に相手を出し抜く確証がなければ、死柄木は蟻塚の事を諦めるよう、勇に強いていた。しかし実際の勝算と言えば、勇の見立てでは半々と言った所だ。作戦失敗時の措置として自決手段を確保するのは、連合へ不利益を生まないための、せめてもの保険だった。

 

『……あー、死ぬ覚悟すらしてたのか。それは読めなかった』

 

 完全な思考をトレースしている筈だが、複製体の勇にさえ、今の発言は衝撃だったらしい。

 

「お前なら分かるだろ、蟻塚ちゃんの救出条件。それを考えれば心中ってのは悪くない手だぜ?」

『クッソ。なんでかねぇ、納得しちまった。学生の時は宗教じみた考えとか大嫌いだった筈なんだけどなぁ』

 

 同じ朝木勇であり草壁勇斗でもある二人の間では、共通の承知があった。

 蟻塚を殺し、自分も死ぬ。彼女を警察の手中から奪還するという意味では、これも一つの成功の形と言える。現在の勇の全て(・・)は、あの少女を中心に回っているのだ。

 

『私は全く得心がいかないんですが……』

「まぁまぁ、仮に俺がいなくなっても、十分にPRされた今の連合なら人員不足になるってことも無いだろ。極力失敗のリスクは考えないようにしよう」

『しかし、ですね……貴方の消失は取り返しがつかない。貴方に代わる人材が、この国にはもういませんから』

「流石に評価高すぎないか。一人や二人はいるだろ、頭脳派ヴィラン」

 

 その時だった。

 僅かに感じる前方からの視線。加えて、何かが動いたような気配を感じ取り、反射的に勇は顔を上げた。が、目を付けた位置に誰かの影は見られない。

 

(――確かに視線めいたものを感じたが……今のやり取りを聞かれた? ……それとも、緊張のせいで過敏になってるのか)

 

 否定できないのが難しい所だ。命を懸けて望む大勝負を前に、緊張しない人間などいない。精神的な臨界に達している勇でさえ例外ではない。

 

(まぁ、どっちでもいいか。聞かれていて好都合なのは俺の方だ)

 

 一方的に「んじゃ切るぞ」とだけ告げると、勇は無線機の電源を落としその場に投げ捨てた。

 

 

 ◇◆◇

 

 指定された座標と一致する地点は資材倉庫だった。工場内には腐乱死体から漂う異臭が漂っていたが、倉庫の中は更に強い匂いで充満している。

 

「何なんだ、これは。何なんだ、ここは……!」

 

 平然を保っていた塚内もとうとう表情を歪めた。鼻をつく死の香りは不快でしかった。

 こんな異質な建物が今まで発見されなかったのは、朝木勇の情報操作によるものなのだろう。塚内にはそれ以外に考えられなかった。

 

「……遊園地?」

「は?」

 

 場違いな蟻塚の発言に、テトラが食い付く。

 

「どこを見てここが遊園地だと思ったんです?」

「……ッ!!」

「そんなに睨まないでくださいよ」

 

 溢れんばかりの殺意を滾らせる蟻塚の瞳は、14歳のそれではない。付き添いの警官二人が遠巻きにその眼差しを目撃し、くぐもった悲鳴のようなものを発した。それも蟻塚逮捕の際に出た死者数を鑑みれば、妥当な反応だろう。蟻塚は一介のヒーローすら屠りうる力を秘めているのだ。

 

「つくづく野放しにできないな……っと」

 

 テトラが蟻塚の拘束具を更に強く締め上げた。

 すると、利用した入り口とは真逆の方向から、

 

「――大事な交渉材料だろ? 丁重に扱ってくれよ」

 

 独特の歩みで完全に足音は消えていた。加えて、纏った風采は熟練の格闘家のように剣呑である。

 無個性とは思えない程の貫禄を持った青年――朝木勇は、登場した途端に、蟻塚の身体を舐め回すように眺め始めた。

 

「大きな負傷は……してないか。良かった良かった。君が拷問を受けているんじゃないかと、俺は不安で仕方がなかったんだ。この国の公務員は俗物ばかりだから」

「来たか」

 

 忌々しげに声をかけたのは塚内。

 距離を詰めようと勇が歩みを進めた所で、塚内は左手を突き出してそれを制止した。無個性とは言え、接近されただけで脅威たり得る人物である、この男は。

 

「今日は雄英襲撃の時のような、大勢の仲間を連れていないのか」

「誘ったが、誰も来てくれなかったよ。俺は全ての友達から嫌われているらしい。同情するならその子を返してくれないか」

「同情はしていない。君なんて友がいなくて当たり前だ」

 

 通常、犯罪者が場の主導権を握っている場合は過度に刺激するような発言は慎むものだ。今回の場合だと、警察が人質の居場所を把握できていないという点において、勇の方が優位な場所にいる。

 上手く丸め込んで人質の居場所を聞き出さないといけない。だがその為に勇の機嫌取りに勤しむのは有効ではない。逆もまた然りだろう。

 

「君には孤独がお似合いだよ、犯罪者」

 

 溜まった鬱憤が、その元凶を前にしてとうとう爆発した。

 

「酷い言い草だな。その様子じゃ、蟻塚ちゃんを返す気はないのかにゃ?」

「その気はある。ただ、その前にこっちの質問に答えて貰おうか。それが条件だ」

「そう言って、警察は自分の主張ばかり押し通そうとする。たまには服従の気概を見せて欲しいもんだ。と言うわけで、そっちの条件や要求に俺は興味がない。さっさと娘を引き渡せ」

 

 無駄口が多く余裕を残しているような語り口調だったが、勇に譲歩の意志はないようだ。付け入る隙がまるで無い。それどころか、彼の声を聞くだけで迷宮を彷徨っているかのような錯覚すら起きてくる。この状態で長く会話するのは悪手かもしれない。

 勇を逃す気が警察にない以上、戦闘は不可避。ならその戦闘の前に情報を抜き取っておきたい所だが。

 

「流石に此方も君の言いなりになる訳にはいかない。少女を奪われ、人質も殺されるなら取引の意味がないだろ。人質の安全とその居所の開示。僕たちにはそれらを求める権利がある」

「ごちゃごちゃ何言ってんの……? 勇くんの言う通りにしろよ!!」

 

 思わぬ所から横槍が入った。元より感情の起伏の激しい彼女だったが、勇が姿を現した途端にその気勢を更に上げ始めた。

 

「勇くんゴメン……ゴメンね……ッ!! なんで私、こんな目に遭ってるのか……! いきなり警察が家にやって来て……! 抵抗して何人か殺したんだけど、ヒーローが沢山いたから……!!」

「へぇ。やっぱそういうシナリオだったんだ」

「私が勇くんの脚を引っ張ってる……もう、死にたいよ……!」

「言い過ぎだよ。今回は連合にリクラスって裏切り者がいた。それに気付かなかった俺の落ち度だ。まぁ、黒幕は三択にまで絞れてるからそう悲観するなよ」

 

 二人の会話の意味が塚内には理解できなかった。

 リクラスなる存在の裏切りが連合内部で起こり、警察側の状況が好転した。理解の及んだ部分はそこだけだ。

 当惑する警察たちに対し、勇は得心顔である。この男は今のやり取りから、何の情報を得たと言うのか。

 

「なぁ警察官。念のため尋ねるが、お前たちはこの工場の内装に既視感を持ったか?」

「何……?」

 

 濃密で生々しい死の気配を漂わせたこの工場は、塚内たちが当たり前のように平和を享受してきた国と同じ国のものだとは信じがたかった。迷うまでもなく、答えは一つ。

 

「持つわけ、ないだろ!! 並大抵の殺人現場だってここまで惨たらしくはない!!」

「ほら、つまりはそういうことだ」

 

 本当に、この、男は――!

 

「――一体何の話をしているんだ……!?」

 

 隠すつもりすらない怒気をまき散らしながら、テトラが勇を睥睨する。

 すると勇は好戦的に微笑を浮かべた。

 

「実はな、この工場を殺戮場として活用していたのは俺と蟻塚ちゃんなんだよ。ここは悪逆の限りを尽くした俺らの遊園地。ようこそ夢の国へ。鼠はいないから、記念撮影なら豚の死骸と一緒にどうぞ」

「はァ……!?」

 

 前後の言葉に関連性がない。飛躍しすぎた突然の宣言ではあったが、悪意に塗れた勇の笑顔が、その言葉の信憑性を裏打ちしていた。

 工場にあった死体の数は軽く十を超えていた。つまり彼らは、警察の認識より遙かに大勢の人間を殺めていたということ。自分たちの不甲斐なさを痛感すると共に、警察陣営の勇への警戒度が跳ね上がった。

 

 この男に関して、自分たちは分からないことだらけだ。

 しかし、一つ断言出来る。

 今すぐにでも、コイツを牢獄に入れなければいけない。

 

「……これから蟻塚を渡す。その後に人質の居場所を教えると約束してくれ」

 

 最後の望みをかけて吐き出した要求。これすら一蹴されたなら、本当に交渉の余地がない。潜伏中のヒーローたちが一斉に勇を捕縛するだろう。

 勇は想い耽るような沈黙を挟むと、ようやく口を開く。

 

「このままだと平行線だな。分かったよ、誓おう。そっちが女の子を解放したなら、こっちも人質の居場所を教えてやる」

「っ! そうか、助かるよ……」

 

 妥協したのは朝木勇だった。塚内に安堵の息が漏れる。人質の在処さえ吐かせてしまえば、もう警察側が躊躇する理由はない。

 塚内の視線に気付いたテトラがその意を汲み、捕らえていた蟻塚を離した。彼女は去り際にテトラの靴に痰を吐き付け、その後、勇の元へと駆け出した。

 

「勇くん!」

「遅れてゴメンな。ようやく君を取り戻せたよ」

「ううん、謝らないで。私が、下手なことしたばっかりに……! そうだ、リクラスを一緒に殺しにいこうよ! 私も手伝うから!!」

 

 会話の内容こそ常軌を逸していたが、合流し抱きしめ合う二人の間には、親子の絆と近いものが介在していた。

 

「こっちはそっちの条件を呑んだ。君も約束を果たしてくれ」

「ああ、勿論」

 

 瞬間、勇の身体が緩やかに動いた。

 周りの人間が気付いた時には既に、服の中から取り出した拳銃が彼の手に握られており、その銃口は塚内へと向けられていた。それは空気の合間を縫うような自然な動作でありながら、誰の警戒も刺激しない奇妙な挙動だった。

 

 爆竹のような乾いた音を皆が認識した瞬間、塚内の脳天に弾丸が突き刺さる。塚内は最期のその瞬間まで勇を睨んで離さず、やがてその瞳から色を消していった。

 

「次ィ」

 

 数秒にも満たない時間の狭間で、次なる標的を定める。勇が狙ったのは、同行していた無個性の警官である。引き金に指が触れたその瞬間、射線を切るように巨漢が出現した。

 

「貴様ぁあああああああああああああッッ!!」

 

 激怒の雄叫びが爆発する。男の熱量は空気を介して周囲にも伝わり、倉庫内を激しく揺らした。

 姿を見せたオールマイトを視認した途端、勇は顔色一つ変えずに、

 

「先に不義を働いたのはそっちだろう? 俺との約束を裏切ってヒーローを寄越した……だから、これから人質の約半数を殺すぞ。確定事項だ。残りを救いたきゃ今度こそ従順になるんだな! お前らに選択肢なんて無いんだよ、オールマイトォ!!」

 

 勇が殺すと宣言していた人質の数は12人。連合の要求に重みを持たせ、尚且つ更に警察とヒーローの行動を縛る為のものだった。

 しかし、オールマイトの血走った眼光が収まる気配はない。

 

「目の前で教え子と友を殺され、平和の象徴がその犯人を黙って眺めていると本気で思っているのか!?」

「だったら残念。人質を皆殺しにして、お前のことも殺すとしよう」

 

 勇が腰に手を伸ばし、携帯していた無線機を掴もうとすると――あったはずのそれが忽然と消えていた。

 

「――捜し物はコレか?」

「……ベストジーニストか。二年ぶりだな。返してよ、ソレ。同じ職場で苦楽を共にした仲じゃないか」

「仲間への通信など許さん」

 

 No4(ジーニスト)に通信機を握り潰される。

 彼はオールマイトより非力だ。より容易に殺せるとしたら、奴だろう――と判断し、勇は振り向き様に発砲する。

 ――が、発射された銃弾は意図していない方向へと飛んでいった。ジーニストの繊維を操る個性により、即座に銃が取り上げられたからだ。

 

「ちッ、蟻塚ちゃんは俺の側にいろ! いいな!?」

「う、うん……!」

 

 瞬時に目まぐるしく動く戦場の中心では、流石に蟻塚も動揺を隠せていない。勇はそんな彼女を背に、今度はオールマイトへと視線を向ける。

 

「この際だ。せめてアンタだけは確実に倒す! サシで勝負しろ!」

 

 その明確な挑発はオールマイトの自制を途切れさせるのに十分なものであり、同時に朝木勇と平和の象徴の一騎打ちを意味するものであった。

 

 テトラは専門外である戦闘に参加する意志を持たず、残る警官二名は状況判断すらままならない状態だった。

 そして、ジーニストも勇と蟻塚に攻撃を加えるつもりが無い。たった今射殺された塚内直正とオールマイトが友人関係であることは一部の界隈では有名であり、ジーニストも認知する所だった。弔いの場面を設ける意も込めて、戦闘を全てオールマイトに委ねたのだ。この判断は、平和の象徴への信頼故のものだった。

 

「殺してやるぞ、オールマイト!!」

 

 無個性である筈の勇が、個性使用者の極地に君臨する男を殺すと豪語している。荒唐無稽な話ではあるが、勇の声色にはそれが妄言でないと確信させる何かが隠されていた。しかし、

 

「むん!!」

 

 臆することのない巨躯が急接近する。オールマイトから放たれた拳が、勇の腹部にのめり込んだ。

 

「ごェっッ!?」

 

 ――揺れる。溢れる。千切れてしまう。

 

 痛覚が刺激されるより先に本能が察知した危険信号が、勇の脳内で激しく警鐘を鳴らしていた。

 どんな状況であってもヒーローはヴィランの殺害を実行しようとしない。オールマイトに勇を殺す意図はなく、打撃の威力は意識的にある程度抑え込まれていた。

 だが、それでも余りある衝撃に男の意識が飛びかける。

 

(気張れ……勇斗!)

 

 瞬時に勇の思考回路が高速稼働する。

 

(最善手を選び続けろ! 個性を抑え込め!! まだ(・・)使うな! 素の気力で耐えろ!!)

 

 反発的に発動しそうになる個性を、それによって抑止する。

 当然のことながら、ヒーローにはまだバレていない――個性を手に入れているということを。個性は切り札の一つだ。この場で発覚する訳にはいかない。

 ――だからこそ勇は地の力で強打に耐えきった。個性因子の獲得により身体能力が強化されているとはいえ、オールマイトの攻撃を受け止めた底力は勇自身の予想を遙かに超えていた。その為、他の者には本人以上の驚愕があっただろう。

 

「貧、弱ぅ……!! か、っるい拳だ……!」

「な……ッ」

 

 まさかあんな男が、オールマイトの攻撃に耐えきるとは――。

 無個性であるはずの男が秘めた予想外の体力。それに誰もが震撼した一瞬の隙に、勇は義手部分である自身の左腕にある命令を伝達した。

 

(――今だ、分離しろ)

 

 外皮が裂ける感覚は筋肉が千切れるそれと同種だった。激痛を伴いながらも外部の皮が引き裂かれ、機械部分が露出すると、関節部分の部品が分解される。それに要した時間はまさに刹那だった。

 肘を分け目に分離した左腕。その切り離された左手部分が、胴体からの動力供給が途切れたことである機能を作動させる。

 

 ――その直前、勇は目を閉じていた。

 

 左手部分が起爆する。その形状からは予想も付かないが、それは強力なスタングレネードと同じ機能を帯びていたのだ。

 放たれた閃光が勇以外全ての者の網膜を焼き、けたたましい音波が勇を含めた全ての者の聴力を奪う。

 

 光と、音が消えた世界。

 一時的な戦闘不全は避けられないものだった――唯一、視力だけを守り抜いた勇を除けば。

 

「覚えていろ、オールマイト。アンタを殺したのはこの俺だ」

 

 誰にも届かぬ死の宣告。

 直後、勇の左腕の断面から突き出ていた刃が、オールマイトの胸を抉った。

 




オールマイトブチギレ回でした。次回はお察し。

ちなみに、主人公にはベストジーニストの事務所でインターン活動をしていた過去があります。今は嫌われすぎて他人のフリされてますね。


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交渉決裂Ⅱ

 

 目の前の信じられない現象に、勇の心臓が締め付けられた。

 

(全力で打ち込んだ刃が、止められた……!? 嘘だろ鋼かよ、コイツの筋肉!!)

 

 先刻の肉を切り裂くような感覚は、オールマイトの胸部にナイフが走った時のもので間違いない。しかし、刃が到達したのは筋肉の中層までだった。内臓に届かないどころか、切っ先が中折れしていた。

 

「オオオオオオオオッッ!!」

「お前もはや恐竜だよ!!」

 

 視覚も聴覚も奪われ無防備な状態の筈なのに、オールマイトの死域に手が届かない。それどころか、その至近距離からの咆哮は無条件に勇の動きを止めた。

 これが第一位の風格。オールマイトは――人を越えた境地にいる。勝てる訳がない。この男は、人がどうこうできる存在じゃない。

 

「勇くん!」

 

 光と音が消えている。

 だというのに、蟻塚は勇の危機を察知し彼へと手を伸ばす。

 そしてまた、勇も同様に最も愛しい彼女へと意識を向けた。

 

「蟻塚ちゃ――――」

 

 ――――身体が、空中に押し上げられる。オールマイトに横腹を殴られたようだ。

 三半規管が今度こそ悲鳴を上げた。五臓六腑に染み渡る激痛に全身の細胞が耐えきれず泣き叫んでいる。肋骨は粉砕され、腹部の感覚が消えた。

 

「逃がさん!! 今度こそ逃がさん!! 私は貴様に――償わせると心に決めた!!」

 

 空気の振動や匂いの変化を子細に感じ取って、オールマイトは勇の居場所を捕捉していた。

 視覚と聴覚が一時的に死んでいても尚、平和の象徴が拳を鈍らせることは有り得ない。それを悟ると同時に、勇は久しい感覚と対面していた。

 

 ――やっぱ、死ぬのかな、俺……。 

 

 己の死期を悟ったのは、この短い人生の中で本当に数度だけ。今回はその中でも特に強い予感がある。

 ナンバーワンヒーローが向けてくる闘志の中に、禍々しい殺意が隠されている。誇りと矜持で自制しているとはいえ、確かにオールマイトは朝木勇の死を望む部分があった。

 

 ――貴方が俺にそんな顔を向けるなんて……犯罪者冥利に尽きるなぁ。

 

 死の淵に追いやられながら、朝木勇は不思議と冷静であった。

 もはや敗北は確定的であり、抗う気力が無くなったのだ。それにより、危機感も消え入った。もはや慌てるだけ無駄というものである。

 

 ――CAROLINA(カロライナ) SMASH(スマッシュ)!!――

 

 オールマイトが追撃を仕掛けてくる。

 跳躍した巨躯は、背を向ける勇の腰に両腕のクロスチョップを叩き入れて、華奢ながらも筋肉質な彼の身体を天井まで打ち上げた。

 脊椎が折れて死んだだろうか。それとも、天井と激突した衝撃で顔が潰れて死んだだろうか。否、忌々しいことに心臓はゆっくりと脈打っている。

 

(もう、いいじゃん。頑張ったじゃん、俺。……さっさと、殺してくれ)

 

 胸の奥から込み上げてくるものがあった。

 次の瞬間、口内が鮮血で染まった。噴水のように血が吹き出る。オールマイトめ、手加減が足りないぞ。本当に殺す気じゃあるまいな。

 

DETROIT(デトロイト)!!」

 

 容赦のない猛攻を告げる声音だ。もう目を閉じて眠ろうかと思った時、揺れ動く視界の中心に蟻塚の姿が映し出された。

 

 ――それがどうしようもなく彼女に似ていて。

 ――身体の何処かから得体の知れない何かが流れ出ようとする。

 

 何度も辞めようと思った。無理だと思った。そんな時、いつでも微笑む愛しい女性が確かにいたから、草壁勇斗は苦難を撥ね除けられたんだ。

 彼女はいつだって、いの一番に俺の夢の成立を優先してくれた。それがどんなに偉大なことか。それがどんなに立派なことか。

 でも、真実は少し違う。本当はあの人だって自分を救ってくれる誰かを探してた。

 俺は、その誰かになれなかったから。

 我が物顔で、自分の人生を踏みしめていたから。

 ずっと貴方の涙に、気が付けなかったから。

 

 

「勇くん……どこ……?」

 

 

 貴方の手を握ってあげられなかったその代わりに、今度はあの子に尽くすのだ。

 自分の為じゃなく、他人の為だから。

 世界の全てよりたった一人を優先できる。そんな自分に誇りが持てる。

 

 ――万人を救う英雄がヒーローと呼ばれ、個人を救う勇者がヴィランと呼ばれる、不思議な世の中だ。

 

SMAAAAASH(スマアアアアアッシュ)――!!」

 

 何時の間にか勇より高所まで跳んでいたオールマイトの鉄拳が、勇の胴体をくの字に曲げた。

 常人ならば絶命してもおかしくない。相手の体力と比較して過度に威力が乗った打撃だ。しかし、オールマイトは朝木勇の生存を強く確信していた。故に、この拳は紛れもない全力(100%)のもの。

 

 そしてまた、その確信通りに、勇はオールマイトの全力を喰らって意識を保っていた。

 それどころか、落下の折に血で赤く染まった口を三日月型に歪ませた。

 

「あの子を一人で死なせねェ! テメェら全員道連れだぁァァァァァ!!」

 

 吐血しながら歯噛みする。

 それにより、口内に仕込んだ電磁装置が起動した。

 倉庫内の壁に埋め込まれた全ての爆弾に起爆信号が届けられ、誰一人としてその予兆に気付くことなく、倉庫の壁が爆散し、天井が大破する。

 自決用の爆弾は正常に作動し、会場にいた全ての人間が崩れる倉庫の下敷きとなったのだった。

 

 

 ✕✕✕

 

 

 轟音は工場の外にまで届いていた。複製された勇・黒霧の両名は爆心地に目を向ける。

 

「今のは……!!」

「俺が自爆した音だろうね~」

「まさか本当に、自決するだなんて」

 

 遠目に見える爆発の程度から、あの状況での生還が容易でないことは想像がついた。死んだのか、生きているのか、どちらにも確信が持てない。そもそも本体である人間が死んでも複製体は存在できるのだろうか。

 ……ともかく、一つ言えることは当初予定されていた交渉が破綻したということ。

 

「爆発で死んでいたらそこまでだ。俺たちはアイツが生きている前提で駒を進めよう。一先ずここは撤退だ」

「……そうですね」

 

 今日の交渉が平和的に終わればそれに越した事は無かったが、こうなってしまっては仕方がない。

 取引が失敗する想定をしていなかった訳じゃない。その際の代案も存在している。

 二人に必要なのは、本体を信じてリカバリーに従事することだ。

 

「こっから先の下地は、生きていたらアイツが敷く。転んでもただでは起きない奴だからな。俺らも頑張ろうぜ」

 

 

 ◇◆◇

 

 強烈な異臭が鼻腔を刺激する。

 死後の世界にも香りはあるらしい。その上、どうも肌寒い。最悪の気分だが地獄にしては生易しい処遇だな、等と考えていると、勇の手を引く誰かがいた。

 美しい女性だ。草壁勇斗と似通った緑玉の瞳と、艶のある黒髪。美貌という言葉をそのまま担うような彼女の容貌の全てが蠱惑的であり、今すぐにでも愛を告げたい衝動に駆られる。

 

   勇斗、起きて。

 

 その瞬間、半覚醒状態だった意識が明瞭な思考を取り戻す。

 身体が動かないのは縛られているから。寒いのは濡れているから。異臭の元は、自分にかけられた謎の液体だろう。――俺は生きている。

 

「ゴホッ、ゴホぁっ!!」

「勇くん! 生きてた、生きてた!!」

「ああ、おはよ。喉も痛ェし頭も痛ェ……何が、起こった?」

 

 詰まるような声で吐き出す。

 左腕に何の感覚も無い。それ以外の部位は例外なく鈍痛が走っている。縛られていて身動きが取れないし、息苦しい。しかし、何より不愉快なのは己から漂う異臭だった。

 

「……臭い。何だってんだ」

「貴様が目を醒まさなかったものだから工場用水をかけた。大量の微生物の住処になっていたんだろう。妙な匂いがするならその所為だ」

「汚染水だったらどうする気だよ、クソ」

 

 温度のないベストジーニストの声に辟易する。

 そうだ。朝木勇はオールマイトに撃沈される間際に倉庫を爆破したのだった。それで全員が死ねば万事解決だったのだが、無様にも生き残ってしまったらしい。

 さて、もう弄する策も、それを講じる時間も与力も物資もない。終幕だ。

 

「敵を捕らえた今の感想はどうだい、ジーニスト」

「……最悪だな。塚内警部の遺体と、警官二人が先の爆発で瓦礫の下敷きとなった。貴様と蟻塚を優先して守ったせいでだ。幸い、警官二人の方は軽傷で済んだが……全く、初めて自分の性分が嫌になったよ」

「ハッ、何だそりゃ」

 

 勇は改めて周囲を見渡し、生還者を確認していった。

 自分と蟻塚を除いて、生還したのは五人とのこと。

 鬼の剣幕で睨みを利かせるオールマイトと、静かに憤るベストジーニスト。そして、勇が事前に調べた警察の名簿に記載がなかった人物――テトラである。

 負傷した警官二人がこの場に居ないのは、自分の目の届かない場所に待避させているからだろうか。ともかく、ベストジーニストによると誰一人として死者はいないらしい。何度も実験して、威力は十分だと確信を得ていた筈なのだが、流石はプロヒーローと言った所か。想定外の活躍をしてくれる。

 

「律儀にヴィランのことも守ってくれるとはな……んん? というか俺はヴィランなのかねぇ、ほら俺、無個性じゃん? 無個性の犯罪者にヒーローが個性を使用することは禁則だったと思うんだが」

 

 そう。

 勇が取引に勝算を見出していた理由の一つがそれだ。ヴィランは個性犯罪者に適用される呼称であり、それを摘発するのがヒーローの管轄でもあるが、無個性の青年はヴィランたり得ない。

 例え自称していたとしても、朝木勇は法的にヴィランである根拠に乏しい。ヒーローが手出し出来ないということも十分に考えられた。

 

「減らず口を。上から貴様に対して特例措置が出ている。無個性の特権はもう貴様に無い」

「あらら、随分と呆気なく曲がるんだね、法律って」

 

 楽観視していた訳じゃない。塚内直正の自分に対する執着は気付いていた。きっと彼の計らいなのだろう。今回の功労者は紛れもなくあの男だ。

 

「残念だなぁ。俺を捕らえた感想をあの警部さんにも聞きたかったのに。先に旅立ってしまった。約束を破る男は早死にするみたいだな」

「貴様が彼のことを口にするな!!」

 

 憤慨するオールマイトの蛮声が轟いた。

 

「第一、少女を受け取ってから発砲まで間が無かっただろう! そっちにも最初から約束を遵守する準備は無かったんじゃないか!?」

「違うな。アレは塚内直正が墓穴を掘った結果だ。奴は人質の解放を一度も要求せず、その居場所にばかり固執していた。俺を騙す算段があると直ぐに分かった。むしろ、気付けない奴の方が愚鈍なのさ。アンタたちにも、塚内にも、詐欺師の才能が無かったんだ」

 

 窮地であるというのに、その口調が饒舌であることに変化はない。目覚めて早々、よく舌の回る男だった。

 

「俺は本当に人質を全員返すつもりだったんだぜ? 子供たちには誰一人、傷一つ付けていないしな」

「ほう、それは良い事を聞いた気がします」

 

 その時、テトラが動いた。

 相も変わらず拘束具と格闘する蟻塚の頭を抑え、地面に叩きつける。

 

「あぐぅッ!! な、何すんだお前ェ!!」

「黙ってろクソガキ」

 

 冷淡に言い放ち、もう二回顔面を残骸の上に擦りつけた。温和な印象だったテトラの瞳に、以前の熱は灯っていなかった。

 事務的に蟻塚を痛めつけるテトラと対照的に、勇は眼下の奥に敵意を潜ませる。縛られて身動きがとれない自分に嫌気が差して、拳がキツく握り占められた。

 

「観察は私の得意分野ですので分かりますよ、朝木。上手く隠してるつもりでしょうが、この少女が傷付く時にだけ酷く狼狽えている。そんなに、大切ですか」

「……あぁ? 言ってる意味が分かんねぇな」

 

 上手く本性を隠していた自覚はなかった。昔から、愛情だけは隠すのが苦手だったから。

 だが、テトラに自分と同じ匂いを嗅ぎ分けた勇は、今後自分たちに課される待遇を想像して冷や汗を流した。塚内ではなくテトラを先に殺しておくべきだったかもしれない。

 

「この娘の為にそこまで必死になれるくせに、どうして他の人を大事な人に置き換えて見られないんですか? 君の精神状態はまるで理解できない。破綻者であることを咎めはしせん。が、その狂気に他人を巻き込むことだけは断じて許せない……!」

「J・S・ミルの自由論ってとこか。功利主義とは性根まで警察らしい。アンタとは気が合わなそうだ、イキリポリス」

「情報通り口巧者ですね。お得意の口八丁で今までに一体、どれだけの人間を欺き、操り、不幸に追いやってきたのやら」

「知るかよ。そんなことより、その子から手を離せ」

 

 塚内が持っていたどうしようもない危機感。それに最も同調しているのは、テトラだ。

 捲し立てることは不可能。時間稼ぎも難しそうだ。本当に警戒している相手は融通が利かない。ヒーローと対峙している時の勇がそうであるように。

 

「問いはある種の警告です。人質は何処にいます?」

「それは勿論、貴方の心の中に」

「ああ、そぅ」

 

 逡巡の間はなかった。相変わらず会話の意志を見せない勇を早々に見限ったテトラは、蟻塚を右腕を直角に折り曲げた――真逆の方向に。

 

「ぅぎゃぁああああああああああ!!」

「今から子供を拷問します。むしろこういう時の為に、私が派遣されたんですよ」

「……人間のクズめ」

 

 朝木勇の表情から余裕が抜け落ちた。

 それを好機とばかりにテトラは蟻塚の右手関節を折ろうとするが、それを止める声が二つ。

 

「テトラ! 止めろ、エレガントじゃない。それに違法だ」

「ああ。まだ時間はあるんだから、ゆっくり問い詰めればいいさ」

 

 ベストジーニストとオールマイトは、少女を無為に痛めつけることを承知できなかった。朝木勇を追い詰める最善手を、ヒーローの高潔さが邪魔している。

 これで本人を拷問するという話だったら、二人もやむなく同意しただろう。しかし、中学生と同程度の年齢である蟻塚は事情が違う。危険人物であることに違いはないが、同時に保護すべき対象という枠組みに含まれていた。

 

「時間はありませんよ。連絡手段を奪ったとはいえ、こっちは連合の要求を足蹴にしたんです。いつ人質が殺されても可笑しくない。もしかすると、既に私たちの知り得ない合図が送られているかもしれませんし」

「ッ」

 

 ベストジーニストの表情が強ばった。彼は知っている。潜伏中に、通信中の朝木勇の言葉を聞いていた。

 

「……合図はもう送られているだろう。先程の爆発は“交渉決裂”の知らせを仲間に届ける為のものだ。不可視化して潜伏している最中、朝木勇がそう言っていたのを聞いた」

「……そう、でしたか、得心がいきました。先程の爆破で死者をゼロに抑えられたのは、ベストジーニストさんの予備知識があったからですね。どうりで貴方の状況判断が早すぎた訳だ」

 

 爆発による死者が出なかったのは、ジーニストの奮闘があったかららしい。

 

(――やっぱ聞かれてたか)

 

 そのことに対する焦りはない。むしろ聞かせる前提があったからだ。焦るとすれば、この後の流れを予期してである。

 

「こうなったら直ぐにでも朝木の口を割らなければ。あの瓦礫の下に丁度良い機材があります。拷問に使えるかもしれません。運んできて頂けますか、ベストジーニストさん」

「……限度は守って貰うぞ」

 

 言うと、ジーニストはテトラが指した瓦礫の下を捜索し始めた。

 やはり良い流れではない。あの警察服を着たテトラとか言う男に先導させるのは拙い。倫理観の違いから不和を起こしてくれないものかと期待してみるが、オールマイトは否定する様子も肯定する様子も見られなかった。

 

「勇、くん、私、どうすれば……」

 

 不安に歪んだ蟻塚の表情に、勇の鼓動が加速する。

 

「大丈夫だ。俺が助けてやる。信じて、耐えてくれ」

「…………うん」

 

 我が儘で利己的な彼女なのに、勇の言葉には真摯だ。自分に寄せられている信頼をかつてない程に感じる。いつも煩いこの女の子は、自分を信じて泣き声一つ上げない。腕が折られて辛いだろうに、追い詰められて不安だろうに。

 

「これを、拷問に使う、と? しかし――これは」

「時間が無いんです!! 朝木に効くのは少女の叫声だけだ!! グズグズしてたら子供たちが皆殺しにされますよ!?」

 

 テトラに煽られてジーニストが運んできたのは、物々しい刃が剥き出しになっている粉砕器だった。巨大ミキサーと言った所だろうか。扇形のブレードが幾重にも重なり、投げ入れられた資材は数秒と待たずに粉微塵にされるだろう。

 この工場は地熱から電力を生み出す仕組みを採用しているため、常備の機材も使用可能な状態で置かれている。粉砕器の電源ボタンは、点灯していた。

 

「……冗談はよせ」

「そう思いますか?」 

 

 ――思わないから動揺しているんだ。

 警察と一番密接に関連しているテトラが、最も違法性のある方法に踏み切ろうとしている。少女を粉砕器にかけるなど誰が予想できただろうか。トップヒーローの二人も、思わず口を噤んでしまっていた。

 しかし、沈黙されては困る。行き過ぎたテトラとそれを制止するプロヒーローとで揉める構図を作らなければ。

 

「なぁベストジーニスト、オールマイト! お前たちヒーローだもんな? そんな事できないって、俺は知ってるぞ!!」

「私はヒーローじゃありませんけどね」

「だから14歳の女の子を粉々にするって? 巫山戯るな、イカれてんのか!」

「イカれてるのはお前だろ、朝木」

 

 テトラは身体を丸める蟻塚の首を掴むと、彼女の小さな身体を片手で持ち上げる。

 

「うぎゃっ、な、何すんだよ! やめてよ!!」

 

 蟻塚の声は震えていた。

 粉砕器の前にまで行くと、折れた右腕を取り、刃へと近づける。

 

「アレ……? どうやって動かすんだコレ?」

「やめ、やめて……嫌だっ、怖いっ!!」

 

 刃の層の中に蟻塚の右手は収まっている。誤って起動させれば、簡単に彼女の腕は切り刻まれるだろう。そしてどう見てもテトラにその躊躇いはない。

 

「嘘だろ、本気か!? お前、小さな女の子をミンチ肉にするのか!? 拷問って順序あるだろ、ホラ! 前座って言うかさ! いきなりそれは芸がないよ君ィ! まずはその娘をめった殴りするとか、その辺から始めるべきじゃないかなぁ!? うん、致命傷にならない程度にね??」

「既にこの場に応援要請はしています。右腕が無くなっても、我々の医務班が命だけは繋げてくれますよ。命だけは」

 

 冗談じゃない。

 勇の焦燥の色が強くなった。

 

「オールマイト。今の戯れ言を聞いたか。頼むよ、止めてやってくれ。こんなのヒーローじゃない! 何処の世界にこんな残酷な方法があるんだ! 貴方は、皆の笑顔を平等に守ってくれる最高のヒーローじゃないか……! 後生だから、お願いだよ……!」

「……」

 

 その請願に胸を打たれたのか、オールマイトから憤りが霧散していった。

 拷問にしても確かに度を超している。怨敵である朝木勇であっても、この瞬間だけは同情できた。誰かを想う気持ちは誰にでも共通なのだと、オールマイトは彼の言葉を寛大に受け止めた。

 

「テトラ少年。止めるんだ。他にやり方がある」

「連合が抱えている人質の数を考えてください! その小綺麗な理想論で子供が死んだらどうします! 私への諌言の前に、貴方はその男から聞き出す事があるでしょうに!!」

 

 オールマイトの視線が勇へと向かった。

 

「……少年。人質の居場所を言いなさい」

 

 友を殺され、親の仇のように恨んでいる男に、それでもナンバーワンは救いの手を伸ばさずにはいられない。

 オールマイトの声は朗らかで、柔らかかった。

 

「そんな、対価を要求するのは違うだろ……! この恩は必ず返すから、あの子を助けてやってくれよ!! たった一人の家族なんだ!!」

「本当に救いたいのに出し惜しみする方が違うだろう! 世の中は貴様の都合で回らない! 人質の監禁場所を言え!! それが、お前とこの子の為だ!!」

 

 ベストジーニストも遂に勇の説得に乗り出した。

 もう他に選択肢はない。主導権は完全に向こう側へ動いた。蟻塚の絶叫を聞き入れるか、人質の居場所を伝えるかの二者択一だ。ようやく――勇にも諦めが付いた。

 

「分かったよ。……ああ、教える。何でも話す。だから蟻塚ちゃんを解放してやってくれ。意外に恐がりなんだよ、その子」

「……」

 

 すると、テトラが蟻塚の腕を粉砕器から無言で離す。安堵の息は誰のものだったか。

 だが、安心したのも束の間。

 テトラが粉砕器の起動ボタンを蹴り上げた。僅か数秒で、刃が唸りながら回転する。その風を切る悍ましい高音が初めて蟻塚の双眸に涙を溜めさせた。

 

「嫌っ! 嫌だァァァッ!! 何するの、何するの!?」

「オイオイオイ!! 話すって言っただろうが!!」

「お前の言葉を信用して破滅した人間は数知れない。塚内さんならきっとこうする。だから今、話せ」

 

 ここで嘘を吐いて朝木勇に何の得があるのか。正論めいた理屈を訳の分からない場面で持ち出して、この男は何がしたいのだ。会話の主導権をひけらかして優越感を守りたいのか?

 ……私怨としか思えない。テトラは完全に、私的な理由で朝木勇の心を折りたがっている。

 

「神野区四丁目の集合住宅街にあるレンタルスタジオだ! そこに10人! 五丁目の大通りにある貸金庫に5人! そこに隣接するホテルの隠し地下シェルターに15人! そのホテルの支配人は俺だ! 紫藤迅雷という名義で経営している!! 調べれば分かる!! ほら全部で30人! 教えたぞ!!」

 

 一切の虚勢を捨て去って、願うことは蟻塚の安全のみ。

 テトラが蟻塚を粉砕器から離れさせると同時に、朝木勇は諦めたように項垂れた。

 紛れもない降伏の姿勢。

 それは、蟻塚が初めて見る、ヒーローと警察に屈した朝木勇の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――生まれてこの方、私の味方は君だけだった気がする。

 

 勝手に産まれさせられて、勝手に期待されて、勝手に見限られ続けた。

 他人の辛苦で興奮しだしたのはいつからだっただろう。

 他人の絶叫でよく眠れるようになったのはいつからか。

 きっと、初めから、全部間違ってた。

 

 誰も助けてはくれなかった。誰も見つけてはくれなかった。誰一人として、私の側に好んで立ってくれる人は居なかった。

 

 ねぇ、ナンバーワン。お前が知らなかった泥沼の私を、その人は掬い上げてくれたぞ。

 なぁ、ナンバーフォー。お前が喝采を浴びていた頃、その人は私の為に血を浴びていたぞ。

 おい、ポリ公。その人が苦しそうにしているのは、お前のせいか。

 

 他人の掲げる理屈はよく分からない。善悪の分かれ目を作ったのが誰なのかも知らない。なのに、お前らは上から私を押さえつけようとする。偉そうに見下して、異常者だの、悪党だの、よく分からない妄言を垂れ流す。いつのまにか出来上がっていた狭い区域に私を押し込もうとする。

 

 ――それが私の為だの、間違っているのは私だのと、そんな事言われても分からない。

 私が何一つ納得していないことを、君以外は認めてくれないんだよ。

 どいつもこいつも、理解出来ない私を悪者にしようとする。

 分からないんだから、仕方ないじゃん。

 

 その度に、私の中で磁石みたいに反発する何かがある。それの正体は知らないけど。

 

 恐怖に歪む顔を見るのが好きだ。他人を従わせるのが好きだ。人の断面を見るのが好きだ。腐った血肉の香りが好きだ。動物が潰れるのが好きだ。涙を見るのが好きだ。そいつを蹴り殺すのはもっと好きだ。捻り殺すのはもっと好きだ。

 人の嫌がることが、好きで好きでたまらない。

 

 もっと殺したい。壊したい。潰したい。殴りたい。斬り殺したい。落としたい。噛み千切りたい。私の毒で、苦しませてやりたい。

 

 ――私は他の人とどこか違うんだ。きっと、何か違う別の生き物なんだよ。

 ――だって、こんなに他人を傷付けて、楽しいんだから。

 

 でも、君だけは違う。

 どういうことなんだろう。分からないことだらけだ。理由が全く分からない。自分の考えが、定まらなくて最高に意味が分からない。

 

 何で、君にだけは傷付いて欲しくないのかな。

 どうしてだろうね。

 君に会って、おかしくなっちゃったのかな。

 おかしくなっちゃって、たまらなくそれが嬉しいのは何でかな。

 

 

 ずっと探してるんだと思う。

 

 

 あの日の涙が痛くなかった理由。

 

 私が側にいることで、君が笑ってくれるのが嬉しい理由。

 

 ずっと君の隣にいないと、分からないままで終わっちゃう。

 多分、きっと、そうだ。

 

 ただ、知りたい事があった。

 探し続けてた。

 

 だけど一つ分かったよ、勇くん。

 

 

 

 そいつらがいると、答えが逃げていく。

 君との暖かい日々が、遠く離れていく。

 嫌だ。

 嫌だよ。

 守られるのはもう嫌だ。

 

 

 ――金属が割れるような音が鳴ると、身体が軽くなった。

 

「死ィねぇえええええええええええええええッッ!!」

「……っ!?」

 

 蟻塚の左手がテトラの下顎を掴んだ。

 左腕が折れて憔悴している身体を突き動かす動力源は、邪魔者への殺意と一途な愛情のみ。

 

「ちょと、止め――あああああッッ!?」

 

 蟻塚は作動中の粉砕器の中にテトラの頭部を放り込んだ。

 気持ちの悪い絶叫が木霊した。脳髄の液が飛び散り、頭蓋骨の割れる小気味良い音が周期的に響く。瞬く間に彼の声は消えていき、最後には肉が刻まれ、骨が軋む嫌な音だけが残った。

 

「あの拘束具を外しただと!? ベストジーニスト、用心しろ! この少女は私より怪力だぞ!!」

「……了解した」

 

 現在進行形で切り刻まれるテトラの死を悼む暇などない。

 もう勝敗は決まったという終局の場面で、思わぬ所から出現した脅威。

 

「殺してやる!! お前たち二人!! 私の毒で!!」

 

 臨戦態勢のトップヒーローに向かって、少女の姿をした害虫は獰猛に吼える。

 誰の声も届きはしない。

 

 

「勇くん……直ぐにそのゴミ引っ剥がすから、帰ろうね。一緒に!」

 

 

 ――しかし、わたしは虫であって、人ではない。

 ――人にそしられ、民に侮られる。

 

 




海外の映画とかでたまにありますよね。巨大ミキサーに人間が巻き込まれる、みたいな。

次回は蟻塚のオリジン回です。主人公(光)と蟻塚の馴れ初めや、主人公(光)が闇堕ちした明確な理由を明かしていきます。原作のあのキャラも出てきたり来なかったり。
最後の一文は雰囲気持たせる為に聖書から引用。特に意味はない。


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草壁菊絵:フォールアウト

今回はほとんど蟻塚視点です。それを念頭に置いて読んだ方が分かりやすいかと思います。


 六畳の一室と、密閉された光を通さない窓。汗と酒の香りが少女の世界の全てだった。

 いつからそこに居るのか、どうして居るのか、何一つとして知らない。

 知っているのは、同居人から受ける暴力的な虐待と性的な陵辱の味だけだ。彼女の暮らしに規則性はないが、唯一の生活様式と言えるものが、同居人からの指示に服従することが絶対であるという点だけ。

 

 ――私に従えなきゃ、お前に明日は来ない。

 

 明日が来ないことが恐ろしい現象を指すのだと、直感的に理解できた。

 名も知らぬ同居人の女性が、少女にとっての絶対法則。

 言語と素行だけでなく、社会通念や倫理観すらも彼女の模倣。

 少女にとって血の味は世界の大半を占めるもので間違いなかったし、それを是とする女性の主張が少女にもそれを肯定させていった。

 

 そしていつしか、自分はこの人になるために産まれてきたのだと。

 女性の代替わりが自分なのだと解釈するようになり、少女はより同居人の人格に近づいていった。

 

「私は外に出てくる。お利口にしてろ。じゃねぇと今度は奥歯を折るからな」

 

 そう言って、いつものように彼女は部屋を出て行った。

 ふと、疑問に思う。

 

 あの扉の向こう側の景色を己は知らない。

 

 五年以上もこの日々に耐えた少女に、ある願望が目覚め始めていた。

 途方もない苦痛の毎日だった。そろそろ卒業の兆しが見えてもいいんじゃないだろうか。そろそろ、己もあの扉を開ける側に回ってもいいんじゃないだろうか。

 少女を律する法は自分の内側を由来とするもので、同居人への恐怖そのものではない。恐怖、という感情にそもそも疎いのが少女だった。この当時はあらゆる感情が麻痺していたためだろう。

 

 鍵は掛かっていなかった。

 歯止めを失った少女はその日、扉の向こう側の景色を知る。

 

 

 

 少女は縋るように明るい方向へと歩みを進めていく。少し行くと、庭園のような場所に出た。木々と花の香りが脳を蕩けさせるようだった。

 何だか酷く眠い。

 直射日光が肌に痛かったが、少女は欲望のままに一番香りの強い花壇の上で大の字に寝転がり、そのまま眠りにつく。

 何故だか、いつもより深く眠れた気がした。

 

 目覚めた時、頬を撫でる糸のような感触に気が付く。

 花壇の縁に見たことのない生物が座っていた。

 清潔な白い体毛。水のように澄んだ双眸。四足歩行で小柄な生き物ではあったが、ノミだらけの己より遙かに清らかで、美しく、また優雅であった。

 

「おまえはだれだ」

 

 にゃあ、とだけ返答があった。

 少女がしばらく見つめていると、白いソレは少女のすぐ隣で寝転がり始めた。腹を出して、服従の姿勢を取っているのか。

 ……成る程。コレは己より下位らしい。

 

「わ、わたしがうえだ」

 

 同居人は少女よりも大きかった。きっと、身長が立場を分ける上の要素なのだと思う。

 より体躯が優れている方が、肉体的に強固であり、生物としてのヒエラルキーの上に立つ。それこそ少女がこの短い生の中で見出した世界の理だ。

 であれば己は――私は、彼女が私に命じるように、コレに命じる権利を持っている。私はコレより上位の生物なのだから。

 

「私がおお腹がすいたからなんとかしろ。しないとおマえに明日はない」

 

 しかし、ソレは命令に従う素振りを見せなかった。

 それどころか、寝息を立てて沈黙し始めたではないか。

 従わない者には痛みが必要だ。

 

 少女は自分が受けたように。

 言うことを聞かないソレを暴力的に虐待し、性的に陵辱した。

 

 いつしか白かったソレは、全部が赤くなっていた。

 赤いシチューみたいになっていた。

 ……シチューは好きだ。ソレが作ってくれたのかな。

 木の枝を刺したくらいから、くぱぁっと真っ赤っか。

 糞尿の匂いがするシチューだった。

 少女はシチューがもっと好きになった。

 

「何してるんだお前ェェ!?」

 

 同居人が帰ってきたらしい。

 いつになく鋭い蛮声に、少女の肩が震える。

 私は彼女の言いつけを破って、部屋の外に出た。きっと折檻されるのだと思い、少女は両目から透明な液体を流した。

 後から知った話だが、それは涙という飲み物らしい。

 涙は痛い飲み物だった。

 

 ✕✕✕

 

 少女が同居人の飼い猫を虐殺してから二年の歳月が過ぎようとしていた。

 あれ以来、少女の胸の内に沸き立つような衝動が芽を出している。

 その芽は時折開花しようと少女から養分を吸い取るのだが、その度に少女は激しく抵抗していた。視界に入る物を全て破壊する勢いで暴れ回り、もはや同居人の忠言すら耳に入らない程深く狂乱することもしばしばだ。

 

 情緒が不安定な少女を手に余ると判断したらしい同居人は、彼女を売り払うことを決意した。

 買い手はすぐに見つかり、数週間後、引き渡しの日がやってきた。

 

「今日からお前は余所の家の子になる」

 

 告げられた言葉に、少女は疑問符を浮かべる。

 余所の家、という語義がそもそも理解し難い。この部屋とは異なる場所で、同居人とは異なる上位の者の奴隷になるという意味だろうか。

 少女は初めて、疑念を口にした。

 

「どうして、私は此処の子でいられないの?」

「はぁ? はぁ。……あのな、そもそも、お前はブラックマーケットの商品なんだよ。お前は私の家族じゃないし、私はお前の母親じゃない。お前は七年前に私に買われ、今日、別の人間に買われた。弁えろよ奴隷が」

「……母親、って?」

 

 少女が問い返したのは、同居人の言葉の中で何故だか耽美な含蓄を感じた箇所だった。

 

「チッ、無知の愚図が。お前を産んだ女のことだっつの。……まぁ何だ。最後だし、お前の商品名も教えといてやる。ちゃんと覚えて、次の飼い主に迷惑かけんじゃねぇぞ。飛び火を喰らうのは私なんだ」

「うん。覚える」

「お前の名前は菊絵。草壁菊絵(くさかべきくえ)。覚えたか?」

「……覚えた」

 

 夢現な状態で、菊絵は頷いた。

 草壁菊絵。それが私を縛る記号。忘れたら、同居人に迷惑がかかるらしい。覚えておこう。

 

 しばらくして部屋に数人の男が現れた。彼らに引き摺られるようにして、菊絵は扉の向こう側へ出る。二年ぶりのことだった。

 複雑に曲がりくねった廊下を進み、かつて見た庭園のある縁側に辿り付く。そこで、かつての風景、香り、そしてシチューの姿を幻視した。

 菊絵の胸の内の花が咲いた。

 

 ――にゃあ。

 

 菊絵に現状からの逃避という選択を促したのは、偏に内界で渦巻く真っ黒な欲望だった。

 ここにいたら、それが満たせない。しかし同居人にも逆らえない。ならば逃げるしかない、と菊絵は脇目も振らずに駆け出した。

 同居人や、男たちの呼ぶ声が聞える。怯えながらもそれを無視し、菊絵は跳んだ。

 自分でも驚くほどの脚力が発揮された。2メートルはあった塀を難なく跳び越えた菊絵は、一心不乱に、行き先も定まらぬままに走り続けた。

 

 

 どれだけ遠くに来たのだろう。

 体力が底を尽き、菊絵は「みんなの公園」との看板が飾られている敷地に侵入した。その中から魅惑的な気配を感じ取ったからだ。

 公園の隅に、パーカーを被った子供がしゃがみ込んでいた。

 菊絵は気配の元がそのパーカー人間だと察し、声を掛けた。

 

「お前は誰だ」

「……あなたこそ誰ですか?」

 

 パーカー人間の声は高い。女だ。私と同じ女だ。だって男は声が低いから。

 

「私は草壁菊絵。お前は誰だ」

 

 最近覚えた記号を口にし、再度問う。

 するとパーカー人間は振り返り、

 

「トガです。トガヒミコ」

 

 即座に菊絵はトガを上位者だと認識した。

 トガの手元には鴉の死骸が抱きかかえられており、彼女の口元は鴉のものと思われる血で汚れていた。

 シチューを食べているのか。

 でも、何故だかトガの食べるシチューは不味そうに思える。理由は直ぐに分かった。

 菊絵はシチューを作る過程に喜悦していたのであって、それを食すこと自体に快感を得ていた訳ではなかったのだ。

 

「……菊絵ちゃんは不思議だねぇ。怖くないんですか?」

「何が?」

「だって、動物の死体、皆怖いって言うんです」

「そうなのか。可愛いのに。哀しいね」

「うん、とってもカァイイのです」

 

 言うと、トガは鴉に口づけした。

 その猟奇的な風景を目の当たりにして、菊絵は戦慄した。自分の胸から沸き上がる久しぶりの感情。身体が痺れ、熱を帯び、心臓の鼓動が強くなっている。

 紛れもなく、彼女は高揚していたのだ。

 

「菊絵ちゃん。私たちお友達になりましょう」

「お友達って何?」

「一緒にお手々を繋いだり、小鳥さんや子猫さんの血を見たりするんです」

 

 類は友を呼ぶという。

 トガは先天性の人格破綻者であり、菊絵は後天性の精神異常者ではあったが、双方とも物狂いであることに変わりはない。

 共通項を見出した菊絵がトガに友情を感じるのは避けられないことだった。

 

「……いいよ」

 

 同類の友を得たこの日を境に、菊絵の異常性は更に悪化していくのだった。

 

 

 ✕✕✕

 

 

 それからと言うもの、菊絵は河原の橋の下で生活を送るようになった。食料はトガが差し入れてくれた。

 同居人のいない、檻の外の生活。彼女を縛るものは何もない。

 菊絵はトガと共に、欲望に身を任せた毎日を過ごした。

 

 動物を切り刻み、押し潰し、バラバラに解体する至高の毎日が、彼女に蜜の味を覚えさせていく。猛獣が人の肉の味を覚えるように、彼女もまた、虐殺の快感に悦んでいた。

 そうして甘い日々を享受する中で、菊絵の行動はエスカーレートしていった。

 最初は小動物。それからより大型の動物へと標的を変えていき、ある日、何らかの一線を越える感覚が菊絵を襲ったのだ。

 

 初めて自分より小さな――人間の子供を殺した瞬間のことだった。

 

 今までと比較にならない快楽が全身に走った。

 きっとそれが、菊絵にとって本物の肉の味だったのだろう。殺人衝動が沸き立ち、肥大化し、理性の縁からこぼれ落ち始めた。

 不可避の中毒症状。

 もっと殺したい。もっと味わいたい。

 友人のトガにそのことを打ち明けたとき、彼女は涎を流しながら応えた。

 

「狡いよ菊絵ちゃん! 私だってまだ好きな男の子の血の味知らないのに……私を置いて、先に行っちゃうなんて……!」

「えっ、もしかして我慢してんの? 何で? 気持ちいいぞ。やってみるべきだぞ」

 

 そう言うと、トガにも決心がついたらしい。

 好きな男の子を襲うとの発言を残し、その日の遊戯はお開きとなった。

 

 ――そして夜。薄い毛布の下で縮こまりながら、菊絵は子供を殺した時の感覚を想起した。直後、欲望の波が押し寄せてくる。

 次は明日にしようと決めていたが、あぁ、もうだめだ。耐えられない。殺したくてうずうずしている。コレを抑えきるなんて不可能だ。

 

 菊絵は寝床から飛び出した。

 昼間、初めて殺人を犯したあの場所へ、あの場所へ向かえばまだアレを感じられる。また遊べる。

 そんな生き急ぐ彼女を呼び止める声があった。

 

「ちょっと君、待ちなさい!!」

 

 その人物はケイサツと名乗る男性だった。同居人よりずっと体格に恵まれていて、自分より上位者であることは確実だ。

 命令に従わなければ、と思った。

 しかし、以前までの菊絵と違い、今の彼女を突き動かしているのは制御不能の殺人欲。

 

「邪魔、するな」

 

 菊絵は抵抗した。

 上位者は自分より強い。過去に受けた虐待から学んだ事だ。自分はケイサツよりも格段に弱い。その先入観があるからこそ、菊絵は全力の暴力で抵抗した。

 だがその夜、少女が振るった腕は、まるで豆腐を崩すかのようにケイサツの頭部を粉々にしたのだった。

 

 

 

 ――とんでもないことをしてしまったのだと、寝床に逃げ帰った後になって気が付いた。

 

 ケイサツと名乗ったあの男――上位者を、私は殺したのだ。

 

 ずっと自分を押さえつけてきた法則が、簡単に覆ってしまった。

 自分は何のルールに従って生きていけばいいのか。

 分からない。怖い。

 自分より身の丈の大きな人に逆らわないこと。単純なように聞えるが、その束縛は不愉快であると同時に、菊絵にとっては重要な行動指針だった。

 

「ようやく……見つけたぞ」

 

 上位者を象徴する女性の声が降ってきた。

 菊絵が顔を上げると、そこには寝床を覗き込むようにする同居人の姿があった。

 

「お前! よくも私に恥をかかせてくれたな!?」

「私、は」

「お前のせいで、私はマーケットのブラックリスト行きだ! 奴隷の分際で、どう責任とってくれんだよクソガキが! あぁ!?」

 

 思考が状況に追いつかなくなっていた。

 唾を飛ばして声を荒げる同居人が、気持ち悪くて仕方がない。

 今までこの人に反抗の意志を懐いたことなんて一度もなかったのに、今の自分は同居人を殺したくて我慢できない。

 

 発情していた。

 だから、爆発した。

 同居人をこの手で殺した。

 頭が割れるような感じ。しかし痛くはない。

 気持ち良かったのは、きっと生理現象だからだろう。

 不眠で、断食して、禁欲したまま生きていける者はいない。

 最高潮に達した欲望を、生きるために解放した。それだけのこと。

 

 菊枝の殺人欲は、既に生理的欲求にまで昇華していたのだ。

 

 

 ヒーローや警官が菊絵の寝床を包囲した頃、彼女は放心状態になっていたらしい。

 

 

 

 ✕✕✕

 

 同じ地方、同じ地域で、一夜に未成年殺人者が二人も出たとの報道があった。

 その二人の内、逮捕されたのは一人――痩せ細った少女だった。

 

 警察の調べによると、少女の脳は大幅に萎縮し、複数の機能障害を併発していた。その中には記憶力の異常低下も含まれ、彼女は自分の名前すら覚えていない状態だったと言う。

 少女には身体的な問題も多く発見された。栄養も不足していた。個性因子による重要器官の異常発達が功を奏し、寸前の所で彼女の命を繋ぎ止めていたのだ。それが無ければ、とうに栄養失調で死んでいただろう。

 

 程なくして、少女は心神喪失のシリアルキラーだと断定され、法廷では不処罰が認められることとなる。

 

 無罪判決を受け、少女は兇悪な未成年犯罪者を専門とする医療少年院――通称『ショッズ』へと送られた。

 

 同施設に草壁勇斗が収容される決定が下されたのは、それと同年のことである。

 

 ◇◆◇

 

 

 蟻塚。

 それが、ショッズにて少女に与えられた第二の名前だった。

 蟻塚は自分の欲望を抑える術を知らない。自分に反抗的な者を虐待し、例外なく痛めつけ、時には本気で殺しかけることもあった。

 

 ショッズで共同生活をしている子供たちは、誰もが強力な個性を恣意的に振り翳す。そこに安全な日々などない。時には命を落とす子供もいる程だ。

 そこで毎日のように暴れていく内に、蟻塚はヒエラルキーの頂点にまで登り詰めた。

 子供たちは勿論、常駐の監視員すら蟻塚の顔色を伺わない日はなかった。

 偏に、彼女が強かったからだ。

 

「テメェ私のプリン食いやがったなァァァ!?」

 

 朝食時間の喧噪。

 蟻塚が逆上するのは毎朝の恒例だが、その日は怒りのボルテージが普段より一段階高かった。

 

「死にてェのかコラ!!」

「ひぃい!」

 

 長机を蹴り上げ、蟻塚は誤って彼女のデザートに手を付けた男児を吹き飛ばした。

 特殊合金の壁に衝突した男児は、悲鳴を上げるより先に土下座の姿勢を取った。

 

「ごめんなさいごめんなさいすみませんごめんなさいすみませんもうしません許してくださいごめんなさいもうしません許してください殺さないですみませんしないでごめんなさい痛いの嫌だ許してくださいすみませんもうしませんもうしませんもうしませんもうしません……」

「何言ってるのか分かんないんだよ!! 要らないベロを引っこ抜いてやる!!」

「あの、蟻塚さん。そいつ頭がアレなんスよ。許してあげてくださいよ……」

「アレってどれだ? 私の知らない言葉を使うな!!」

「ごっ、ごめんなさいィ!」

 

 彼女の機嫌を損ねたら命すら危ぶまれる。蟻塚に逆らえる子供は誰一人としていなかった。抑止力となるのは大人の仲裁だけだ。

 どう事態を収拾するんだと騒然としていると、物音に気が付いた医務服の女性が食堂に駆け込んできた。

 女性の名はミサキ。臨床心理学の博士号を持ち、子供たちのメンタルケアを担当している。ショッズで勤務する医師の一人だ。

 

「こらこら! 駄目でしょ喧嘩しちゃ!! 何が原因!?」

「あ、あいつが間違えて蟻塚さんのプリンを食っちまって……」

「あ゛あ゛ああぁぁぁもう!! そんな子供みたいな理由で!? ……いやまだ子供だけど!! 全く世話の焼ける!!」

 

 常駐の医師や監視員にはある程度の身体技能が要求される。今のように、凶暴な子供たちのいざこざを解決する時のために。

 しかし、蟻塚は凶暴という枠組みを超えている。並大抵の大人でも蟻塚絡みの喧嘩には関与したくないというのが本音だった。

 だと言うのに、ミサキは一瞬の逡巡すらなく、男児に飛びかかりそうな蟻塚の肩を掴みにかかった。

 

「蟻塚さん、プリンなら新しいのをあげるから。ここは抑えて。ね?」

「……殺すよ?」

 

 少女に加減はない。声に乗った殺意は威嚇でも警告でもなく、獲物を狩るための準備完了を知らせるものだった。

 一拍の間を挟み、少女の小さな手がミサキの両目に迫る。

 その時に、

 

「天啓が舞い降りた!!」

 

 素っ頓狂とも言える声音で場違いな発言をする空気を読めない馬鹿がいた。

 

「これこそがエリニュエスの導きだったか! そう、預言者たるこの身は堕落と背徳を滅する為にこそ在り! 故を以て、俺は貴台を天上に誘おう何度でも! 悪魔に取り憑かれた魂をハーデスに捧げるのです! それがタナトスの決定だ!! ……あれ? 今俺タナトスって言った? まあいいや! エリニュエスもタナトスも似たような物だ! 語感はかなり違ってるけどねーーっ!!」

 

 闖入者の存在に食堂が静まりかえった。

 声を立てた青年は妖精を彷彿とさせる美貌だったが、発言内容は完全に気が触れているとしか思えないものだった。

 

「アイツ、確か新入りの……」

「草壁勇斗だよ! ヘッドロッカー殺し!」

「……早死にしそうだな」

 

 青年――草壁勇斗は、硬直中の蟻塚とミサキとそれぞれ視線を交わすと、

 

 

「汝らが離別者かーー!! 我が名はメフィスト・フェレス!! さぁ、共に現世に誅を下そうではないか!!」

 

 

 この瞬間、食堂にいる者全員が草壁を同様に評価した。

 

 ぶっちぎりでイカれた奴が来たと。 

 




草壁勇斗「我が名はメフィスト・フェレス!」


この時の主人公は全力で狂ったフリをしているだけで、中身は聖人のような人格者です。


それから本番の補足になりますが、蟻塚(草壁菊絵)の元同居人はレズビアンのサディストでした。分かりにくかったら申し訳ない。

次回のタイトルは『蟻塚:オリジン/草壁勇斗:インバート』です。
しっかり書いたら全然1話で纏まらなかったんだ……。苦渋の二分割。すまぬ。更新頻度上げるから許してください。

余談ですが、フォールアウトの意味は「落ちる」、インバートの意味は「反転させる」です。主人公オルタ化でもするのか?


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蟻塚:オリジン/草壁勇斗:インバートⅠ

実際の医療少年院の実状とかよく知らないのでほとんど妄想で書いてます。矛盾点あったとしてもファンタジーだと納得してくだされ。


  1

 

 草壁勇斗が周囲に振りまいた第一印象は最悪だった。

 基本的に緘黙としているが、時折何かに取り憑かれたように奇声を発し、簡単な会話すら成立しない。その上、彼の素行には一貫性が無く、施設内の慣習の一切に従わない。大人たちに薬で無理矢理眠らされる姿を、多くの子供が目撃していた。

 

 あまりに騒々しかったある日、蟻塚は彼の指を数本折ったのだが、全く口を噤む気配が無かった。

 しかし、どれだけ頭の螺子が緩んでいても勇斗の身体は健康そのものだ。痛覚だってある。彼が骨折の痛みに悶える姿はサーカスのピエロのように滑稽で、一ヶ月が経過する頃には、その姿を見るが為に彼を痛めつけることが蟻塚の日課になっていた。

 有り体に言うと、勇斗は蟻塚に気に入られたのだ。

 

「ふふふ」

「ご機嫌ですねぇ! 姐さん!!」

「ふふ、そう見えるか?」

 

 普段なら一蹴するだろう取り巻きの言葉に蟻塚は反応を示した。これだけで彼女は上機嫌だと断定できる。しかもこれまでにない程に。

 

「さっき勇の両腕をバッキバキにしてきたんだ!! そしたら猿みたいに泣き叫ぶもんだから面白くて面白くて……くく、あっはははははは!!」

 

 蟻塚が高らかに笑っている。

 それだけで取り巻きたちは顔面蒼白だった。日頃から感情が剥き出しだからこそ、蟻塚に喜色が浮かぶことが少ないというのは周知のものだ。それが笑っているとなると――あの新人、よほど気に入られているらしい。

 おかげで最近は蟻塚の被害者は少なくなり、傍目から眺めている者からしたら万々歳なのだが、彼女の暴力の全てが勇斗に向けられているとなると同情する者も多かった。

 

「あ~、思い出しただけで笑いが止まらない! ちょっともう一度あの野郎に会ってくる!!」

「えっ、会いに行くって……何処にですか?」

「二階の男子トイレだよ! あそこカメラねぇから! 両腕折った後に放置したんだ!! そういや私の去り際に、置いてかないで~って泣いてたなァっはは!! 自力じゃ動けないだろうしまだいるだろ!!」

 

 自力で動けない程重傷って――それ死ぬのでは?

 久しく出ていないショッズ内での死者だが、ゼロ人記録もここまでか。

 蟻塚が足早にその場から去ると、取り巻きたちは勇斗に黙祷を捧げた。期せずして、勇斗は他の子供たちを蟻塚の魔の手から守っていた(・・・・・)のだ。彼の犠牲のおかげで、他の犠牲者が出ていないと言っても過言ではない。

 

「あの新人、早死にしそうだとは思ってたがまさか一ヶ月で逝くとは。しかし、ご主人様の玩具として死ねるならば本望というもの……これは名誉な犠牲だ。せめて安らかに眠れ」

「綺麗な顔してたのに残念だなぁ。それに良い身体だった。きっと最高の締め付けだったろうに。……ウホッ、想像しただけで鼻血がっ」

「姐さんは勇斗のことが本当に好きだなぁ!! あはは!!」

 

 彼らは蟻塚の下僕三人衆だ。上から順に紹介していこう。

 

 一人は蟻塚の忠実なる奴隷――その忠誠心はもはや狂気に達する。蟻塚のことをご主人様として崇拝するガチの蟻塚信者である。座右の銘は「蟻塚たんの、蟻塚たんによる、蟻塚たんのための暴力。我々の業界ではご褒美ですォ!!」。人は畏怖の念を込めて彼のことを狂犬ハチ公と呼ぶ。

 一人は際限なく発情し男のケツを追い回す野獣――通称・猿王。ある意味では蟻塚よりも恐れられているショッズの裏ボスであり、報われぬ恋の炎を燃やす悲劇のヒロイン。彼は友達が少ない。

 一人は最強に空気が読めないミスターKY。ある有識者は彼を指して「キジも鳴かずば打たれまい」と言ったという。

 

 三人揃ってイヌ・サル・キジ! 蟻塚という名の桃太郎に虐待されているぞ!

 むしろ桃太郎が鬼まである。 

 

 

  2

 

 

 草壁勇斗には関節を故意に曲げるという特技がある。

 雄英在学中に、捕縛から逃れる技として編み出したものだ。実際の戦闘時に有用性があるとは到底思えない蛇足のような技術ではあったが、攻撃を受けた際の受け身に交えて使う事で、視覚的にも感触的にも骨折したかのように相手に思わせることを可能とする。

 

 先刻、もはや日常の一部となっている蟻塚の暴行に晒されたが、その際に両腕骨折の体を装って彼女を騙すことが出来た。

 蟻塚は極端に嗜虐的な性格だ。直接相手を痛めつける感触と、相手の苦しむ様を見ることを同時に悦としている。その狭間に、ここでこいつを殺すのは勿体ない、といった感想を誘導する事で勇斗は何とか致命傷を避ける毎日を送っていた。

 

「あー、もう、辛いなぁ…」

 

 そう呟くと、両腕関節を元に戻し正常に稼働するかを確かめる。動かしても奇妙な痛みはなかった。神経系に傷は付いていないらしい。

 

「なんなんだよ、あの子。顔は可愛いし素直だけど……それ以外が全てに於いて最悪だ。断言出来る、俺は絶対にいつか殺される」

 

 精神病院の内状は知っているつもりだったが、蟻塚ほど好戦的かつ強個性な患者がいるとは予想外だった。先人との不和は極力避けておきたいが、勇斗自身も心神喪失でここに送り込まれた病人だ。ある程度は情緒が壊れてる人間の演技を続けなければならない。そういう意味では、蟻塚に目を付けられるのは最初から避けられなかったと言える。

 

「上手く好感度調整してやり過ごそうにもなぁ。根っから壊れてる人間の目盛りって、把握するのに時間がかかるしなぁ。友達になる余裕があるか微妙な所だ」

 

 勇斗は大きく伸びをすると、深呼吸して疲労を吐き出した。男子トイレには誰もいない。快活な性格の彼だが、この施設に入ってからは、一人でいる時間ほど安息できる瞬間はなかった。

 独り言が多いのは、普段から本来の自分を圧し殺している反動が出ているからだろう。

 

「――気を切り替えよう。さて、もう一ヶ月経ったし頃合いだ。脱走のための準備を進めようかな。

 逃亡前提で姉さんの罪を被った(・・・・・・・・・・・・・・)ってのに、それを実行する前に殺されたんじゃ笑えない。気乗りしないけど、いざとなればアレ(・・)使えば良いし、今の所それほど重大な懸念要素、は、な――い?」

 

 意気揚々と勇斗が振り返ったその先。

 丁度トイレの出入り口を阻むように、表情の抜け落ちた蟻塚が呆然と立ち尽くしていた。普段の凶暴な相貌には、今は困惑の色を強く浮かんでいる。

 

「勇。お前、今、普通に喋ってる……?」

「…………。」

 

 沈黙。

 すると直後に勇斗の全神経全細胞が全力で警報を打ち鳴らし始めた。

 

(ば――っか俺ェ! 何を堂々と脱獄計画を一人でペラペラ喋ってんだ!? もしかして、寂しくて参っちまってたのか!? いやいやそれにしたって女の子に近づかれて察知できないってどういうことだ! 俺のフェロモンセンサーが完全に機能停止してらっしゃる! いや落ち着け、そんな機能は人間に備わってない! そう、俺に備わってるのはジャイアントマグナムだ!! ……いやでも待てよ? 実はマグナムどころかポークビッツだって説もあるがそうじゃない今は現実逃避しては駄目だ駄目なんだぁああ……!)

 

 素の自分を目撃され、勇斗は激しく動揺した。勿論その心情を顔に出すことは無いが、勇斗の論理的な思考を乱れさせるには十分すぎる不祥事だった。

 あれだけ徹底して作り上げた鉄仮面に、こんな事で亀裂が入るとは――完璧主義を自負している彼には受け入れ難い現実だ。 

 

「なぁオイ。感じ違ったけど、今のもいつもの独り言か? なぁ? 返事しろよ、なぁ!?」

 

 その問いに勇斗はどう応えるべきか思案する。

 

(ど、どうする!? バッチリ聞かれたけどどうすんだコレ!? 何て返事するのが正解なんだ!? 教えて姉さん!!)

 

 この場をやり過ごす最適解は存外早く見つかった。

 蟻塚は理論立てて思考するのが苦手の筈だ。下手に言い訳を並べて納得させる必要はない。いつものように対応していれば、独りでに疑念を放棄、いや忘れてくれる。

 つまり勇斗が取った対応は。

 

「…………」

 

 厳然たる無視である。それどころか、勇斗は蟻塚の視線を遮って無言で立ち去さろうとするが、

 

「脱獄するのか?」

「……」

 

 ――看過できない指摘を受け、流石に足を止めざるを得なかった。

 勇斗はまだ蟻塚の底を測り切れていない。彼女の行動に予測が立てられない。聞かれた発言内容を密告されれば、逮捕前から計画していた事柄がすべて無為になる。 

 

「もしそうだとして、君はどうする?」

 

 蟻塚の行動は読めない。

 しかし、この後の返答は、何故だか聞く前から分かってしまった。

 

「ここは狭くて息苦しい。ここから出たい。私も噛ませろ」 

 

 感情と本能だけが行動原理の人格破綻者かと思いきや。

 なるほどどうして、彼女にも最低限の損得勘定と判断能力はあったらしい。

 

「……良いけど、俺の言うこと聞ける?」

「あ? 誰がお前の言うことを聞くか! 上の人だからって調子に乗るな!!」

「何だよ“上の人”って……。あのさ、逃げ出すためには二つ条件があるんだ。この話を秘匿することと、俺の指示に従うこと。じゃないと“俺たち”の計画は失敗する」

 

 そう言いながらも、勇斗に蟻塚を引き入れる気は欠片ほども無い。社会に不利益な人間を隔離施設から解放するほど、自分本位な考えは持っていないのだ。

 そんな勇斗の腹など露知らず、蟻塚は彼の言葉を鵜呑みにした。

 

「俺たち? ……私と、お前だな?」

「そうだよ。さっきの条件さえ呑んでくれれば、君も俺も無事にここから逃げ出せる」

 

 蟻塚は勇斗を睥睨すると、拳を震えるほど強く握り占めた。彼女にとって他人からの命令は、条件反射で反発しなければ気が済まないものだった。

 

「偉そうに――グチグチ上から物言うなよゴミ野郎!!」

 

 叫ぶと、顔面を粉砕するつもりで拳を放つ。それを難なく勇斗が躱すと、その後ろの壁に蜘蛛の巣のような亀裂が入った。

 サンドバック同然だった男が軽やかに蟻塚の攻撃から逃れた。その事実が、まるで五寸釘が打ち込まれるように深く彼女の胸に突き刺さる。

 

「え……避け、た……?」

 

 目の前の男が圧倒的弱者だという前提が覆され、蟻塚の中に猜疑心が生まれた。

 彼女の拳を瞳の色一つ変えずに躱し、悠然と佇む草壁勇斗は、誰がどう見ても弱者といった風采ではない。

 

「俺に従うか、反発するか。ここから逃げるか、残るか。君は俺の敵か、それとも仲間か。等しく二つに一つだ。選べ」

 

 双方の視線が交錯する。平時の勇斗とは打って変わった毅然とした態度に、一瞬だけ蟻塚がたじろいた。

 そして、生物としての直感が彼女に選択を迫った。

 

「――残るのは嫌だ」

「だったら仲間だ。俺も君と同じ想いだよ」

 

 少女の肩に、ゆっくりと少年の手が下ろされる。

 蟻塚はそれを払い除けることができず、少年の唇が耳元に近づくのに何の抵抗を示すこともできなかった。

 

「ここで見聞きしたこと、他言するなよ」

 

 返答を待つ間も与えずに勇斗は蟻塚に背を向ける。颯爽と立ち去り、彼女の視界から逃れる位置にまで移動すると、徐々に歩調を強め、やがて駆け足ぎみに、最後には全力疾走でその場から逃走し始めた。

 

(ひぃぃぃぃッ!! ひ、罅割れた! ハンマーでもびくともしない特殊壁が罅割れてた!! あと数cmズレてたら俺の頭はトマトみたいに破裂してたぞ!? しっ、死ぬかと思ったああああああ!!)

 

 草壁勇斗は表面上で毅然としていても、内心は安全志向で紛れもない完璧主義だ。

 数cmで死の距離を感じて、平然としていられる訳がなかった。

 

(蟻塚ちゃん、恐ろしい子……!!)

 

 いや、実は余裕なのかもしれない。

 

 

  3

 

 

 その日の夜、蟻塚は就寝時間の直前に勇斗からの呼び出しを受けた。指図を受けるのは癪に障ったが、脱獄の算段を伝えられるのだろう、と拙い思考ながらに予想した蟻塚は素直に指示に従うことにした。

 待合場所の医務室に到着すると、そこで待ち受けていたのは勇斗とミサキの二人。

 

「なんでその女がいる? ソイツは大人で、私たちの敵だ」

「いいや、協力者だよ。俺が調教しておいた。な?」

 

 ミサキは無言で首肯する。

 

「調教って?」

「洗脳みたいなものかな。相手の深層心理に俺の意志を刷り込んで、違和感を感じさせることなく俺に従わせるんだ。ミサキさんみたいに正義感の強い人は特に考えが単調だから、操りやすい。ちょっと申し訳ないけどね」

「それがお前の個性か」

 

 勇斗は得意げな面持ちで首を横に振った。

 

「これは技術だよ。催眠術――とまではいかないけど、俺は暗示術と呼んでる」

 

 一ヶ月足らずで他人を洗脳する技術。それを荒唐無稽な虚妄の類いだと勘ぐるのが通常の思考なのかもしれないが、蟻塚は考えるのが面倒だったらしく、深く推察することもなく聞き流した。

 

「俺が君を呼び出したのは、この女性に危害を加えるなと釘を刺すためだ。ミサキさんは重要な脱獄のためのピース。いなくなってもらっちゃ困る」

「その女が私に突っかかってこなかったら私だって何もしない。私を止めるよりも女を止めろよ」

「目の前で問題を起こしてる患者たちがいたら、仲裁するのがミサキさんの仕事だ。職務の妨害は出来ない。あまり活動を阻害すると傍目から異変に気付かれることがあるからな。……まぁ、出来ないとは言わないけど。でもしない。ミサキさんから脱獄の手招きを受けたって痕跡は残さない方針だ。俺たちの脱獄が、他人の人生に悪影響を及ぼさないように心がけろ」

「……もっと分かりやすく言って」

「ミサキさんに迷惑をかけない! これを守る! 分かった!?」

「何で私にそれを言うんだ? その女が私に関わらなかったら済む話なんだけど。私を止めるより先に女を止めろよ」

「あれれ~? 会話がループしてるぞぉ~?? 勇斗どうすればいいか分かんな~い」

 

 

 その後、紆余曲折あり、

 

「――私が大人に手をあげなきゃいいんだろ!? しつけぇな分かったよ!! ほら、これで話は終わりだろ! 私は戻るぞ!」

 

 何とか蟻塚から同意の承諾の言質を取ることに成功した。

 蟻塚の破壊衝動を完全に規制するのは不可能だったが、彼女のここから逃げ出したいという欲求も相応に大きなものだ。そのおかげで、勇斗を含めた患者を虐待する時は他人の目につかないように済ますという方向で話は纏まった。

 勇斗は衝動が抑えきれない時は自分に暴力を振るってもいい、との提案もしたが、どうやら今の勇斗には傷付ける程の面白みが無いらしく提案は却下された。あの少女は理性のない猛獣と似ていると周囲から思われているが、実際は理性のない自覚を持つ程度の頭はある。自分の異常性も自覚していた。損得の前提の上での話し合いなら存外成り立つものだ。

 

「おやすみ、蟻塚ちゃん」

「気安く呼ぶな殺すぞクソが!!」

「お~怖い」

 

 彼女の中でのあらゆる欲求の中で最優先事項は脱獄である。そのことを読み解き終わった勇斗は、蟻塚に対する態度を確立させていた。どれだけ反感を買おうとも、施設から逃げ出すまでは蟻塚が暴れることも少なくなるだろう。

 数分後、蟻塚が寝室に戻り、医務室に残された勇斗とミサキの二人はようやく本題の話し合いに乗り出した。

 

「それじゃミサキさん、蟻塚ちゃんも帰ったし、例の記録見せてくださいな」

「はい」

 

 ミサキはデスク上で山積みになった資料の上から、紙の束を取り、勇斗に手渡した。

 

「それが警察が持っていた蟻塚少女の調査記録です。見て分かる通り、長期間に渡って虐待を受けていたことは確実です。彼女の心的障害もそこに起因しています。まるで麻薬を無理矢理摂取させられていたかのように、脳の大部分が萎縮しているんです。おそらく、彼女を掌握するのに有益な情報は拾えませんよ。蟻塚さんの過去は、ただ、悲惨なんです」

「……何だコレは。人間の所行か?」

 

 勇斗は歯噛みして書類の記載事項に不快感を滲ませる。情報を淡々と把握するだけの作業だというのに、少女の惨たらしい傷跡を抉るようで、読み進める手は止まりがちだった。

 

「特に性器は原形を留めておらず、酷い有様とかで」

「言わなくて結構です。書面で見ます。そういうことは他人の言葉で聞きたくないですから」

「そう、ですか。……あの、質問しても良いですか?」

「ん、何をです?」

「貴方の記録を調べました。ヒーローを殺したんですね」

 

 勇斗は書類を読み進める速度を落とさなかった。動揺する素振りを見せるどころか、意地悪くミサキの指摘を鼻で笑い飛ばす。

 

「それが何か」

「貴方は良い人です。今も蟻塚さんの過去に胸を痛めている。そんな人が、どうして殺しを?」

「ンー、ミサキさんみたいに正直な人に、嘘は吐きたくないなぁ。だから答えません」

「それは……本当は殺してないっていう事ですか?」

「だから答えないって言ってるでしょ。それよりちょっと、こっちも聞きたいんですけど」

 

 勇斗が尋ねたのは、とある書面の上部に印刷された写真。蟻塚の右上腕部に刻まれた刺青――『eblim saver』と掘られている――についてだ。

 

「このスペルの意味分かります? 英語は得意なつもりだったんですけど、こんな文字は覚えた記憶がなくて」

「……スペルじゃありませんよ。確か、警察の人はその文字を“識別番号”だと考えていると聞きました。闇市場で商品を称するときに用いられることがあるらしいです。確証が無いので、正式な書類には記述されていないようですが」

「闇市場ってことは、人身売買か……」

 

 その事実を疑いもなく飲み込めたのは、勇斗がその手の問題に造詣が深いからだ。日本での人身売買は、出品者が海外のコネクションを経由して行われていると聞く。尤も、闇市場はヒーローと警察の捜索を攪乱するために複数のルートが設営されているので、勇斗の知っている事柄が最新の情報かは定かでは無いが、ともかくそういった取引の実像があることは確かだった。

 

「身体の壊れ具合から見て、身売りされたのは生後間もない頃だろうな……可哀想に。あんなに可愛い娘を売り飛ばすなんて……」

「今日は感傷的ですね。もしかして、蟻塚さんのこと気に入ってるんですか?」

「ええ。何処となく俺の姉さんと似てるんです。面影とか顔立ちとか。だからかな。……まあ、蟻塚ちゃんがいくら美人でも、姉さんには負けますけどね」

 

 姉の話題になると、何処か冷たさを残していた勇斗の表情は温和そのものになった。まるで家族自慢をする童子のようだ。

 

「良いですね、そういう表情。草壁さんは誰かを褒める時の顔が一番良いと思います」

 

 すると、勇斗の瞳に仄かな影が落ちる。――いつもの能面だ。冷静沈着で飄々としていながら、漠然とした熱を帯びた、底の見えない表情。ミサキに暗示をかけた能面だ。

 

「――ミサキさんは俺を良い人だと言いましたけど、本当にそうなら他人の経歴を調べたりしませんし、そもそも此処にも居ませんし、他人の心を歪めたりもしませんよ」

「心を歪める? 何の話です?」

「いいえ。何でも。……どうせ貴方も、全部終わる頃には脱獄幇助の記憶を失ってる。俺の暗示術に抜け目はない。証拠も残さない」

 

 不自然な会話にミサキは首を傾げた。実際、勇斗の中には暗示の効果を弱めるワードが幾つかあった。

 

「えっと、それは――あれ? なんだっけ、何の、話? 私の……脱獄……って、え、いや、でも、これは……そういうことでしょ?」

「そう、これは只の世間話で、邪なものでも何でも無い。気にしないで」

「……分かりました。気にしません」

 

 勇斗の言葉を聞き、ミサキが懐いた疑念は即座に晴れた。

 暗示術で肝要な要素は、言葉そのものというよりも勇斗の声質や一言一句それぞれの音調の方だ。他の誰かが同じ台詞を用いた所で勇斗のソレと同様の効果は見込めないだろう。彼の発する音波そのものに、暗示としての効果が付与されている。

 

「さて、俺もそろそろ戻ろうかな」

「あ、あの!」

「はい?」

「……私は貴方の役に立ってますか?」

 

 ミサキの切迫した問いに、勇斗は否定も肯定も返せなかった。

 他人の心をねじ曲げる――勇斗がそれを可能としているのは、常人より共感能力に長けているから。

 それは悪用を前提として研鑽された技能ではなく、異常に他人を重んじるが為に発症した病である。人の心の振れ幅を熟知しているから、彼はそれの脆さと価値を知っている。やむなく使っている暗示術とは言え、何の良心の呵責もなく扱えるものではない。

 

「目覚ましい新情報は得られてないけど、ミサキさんが気にするようなことじゃねぇですよ。そもそも、他人の過去を暴く方が野暮ってものですから」

 

 言うと、勇斗は医務室の時計に目を向けた。

 

「次の指示は追って出します。今日はここまでにしましょう」

 

 

  4

 

 

 その後の数週間、勇斗は脱獄の計画と蟻塚を裏切る適切な方法を同時に思案しながら、破綻者として日々を送っていた。

 その中で、彼の脳裏にべったりと張り付いた奇妙な予感があった。蟻塚の素性に関するものだ。

 蟻塚は勇斗の姉――草壁水泉(くさかべすいせん)と似通った容貌をしている。まさに丁度、水泉を十歳ほど若返らせたなら蟻塚と殆ど同じ姿形になるだろう。それが似通っているという次元を逸しているように思えて仕方が無いのだ。

 

 勇斗は亡くなった姉と蟻塚を重ねて見ていた。蟻塚が邪悪に笑うとき、他人を傷付ける時、全ての挙動が姉と重なってしまう。

 毎夜、寝床についてからそれを振り返り、常々思う。

 

 ――やっぱ……似てるってどころか瓜二つだよなぁ。

 

 偶然だろう。

 しかし、つい最近最愛の姉を亡くしたばかりの彼にとって、その偶然は救いだった。

 

 

 

 ある日のこと。

 ショッズの患者には、朝食の後で精神安定剤と称される液体が支給される。それには摂取した者の思考と行動を鈍化させる効果があるのだが、そんなものを飲まされていては脱獄の計画も立てられない。

 勇斗はミサキに命じ、精神安定剤の容器に淡水を詰め替えたものが自分にだけ渡されるように根回ししていた。それを朝食の後に飲んでいると、何処からか蟻塚の怒鳴り声が轟いてくる。

 

「――煩い煩い煩い煩い!! 今度私に話しかけたらお前らでも殺すからな!!」

 

「ご、ご主人様! 何が不満なのですか!!」

ウホウホウキキ(どうかお慈悲を)!!」

「こっちも清々すらぁ! と、サルは申しております!」

ウッ、ウキウキウホウホウッホッホ(あっ、キジてめぇ嘘ついてんじゃねぇ)!」

「いやお前はまず人語を思い出せ! この頃どうした!?」 

 

 やはり欲求不満なのだろうか。取り巻きの三人に怒鳴り散らす蟻塚の姿があった。

 彼女の行動を縛っている負い目を感じた訳ではないが、何だか妹の癇癪を眺めているような心境になった勇斗は、取り巻き達に助け船を出そうと考えた。

 

「おーい蟻塚ちゃーん! あんま友達虐めるなよー!」

 

 ごく自然な口調で声を上げた勇斗に視線が集まる。

 その中でも蟻塚から向けられる眼差しは酷く冷たいものであったが、

 

「……チッ」

 

 反駁する様子もなく、彼女は舌打ちだけ残して逃げるように食堂を後にした。

 

 それにつれて、周囲から向けられた注意も霧散していく。異常者が健常者の如く振る舞った程度で大した話題にはならないようだ――が、まだ誰よりも刺々しい視線を向けてくる者が一人だけ。

 

「――蟻塚ちゃん(・・・)、だとぉ……!? しっ、新人貴様ァ! 死ぬ覚悟は出来てるんだろうなァ!!」

 

 敬虔なる蟻塚の崇拝者――狂犬ハチ公(以降よりイヌと記述)その人である。

 イヌは大股で勇斗に接近すると、彼の胸ぐらを掴む。

 

「……何だお前? ダレ?」

「俺はイヌでもハチでもない! 俺は貴様を殺す者だ! ご主人様――否、マイエンジェル蟻塚たんに慣れ慣れしくしやがって! 万死に値する!」

 

 凶暴な魔獣と相違ない蟻塚をまるでアイドルを推すような要領で敬っている辺り、この男に危機管理能力は無いと断言できる。やはりこの施設に入れられたものは例外なく異常者である。

 勇斗はいつものように、神への信仰に取り憑かれた自分を演出した。

 

「おお……離別者か。神よ、ワタシはずっと次なる試練の刻を待ちわびていました……。離別者よ、汝がそうなのか?」

「ああああああああああああ!! しらばっくれやがって!! 殺すゥゥゥゥゥゥ!!」

「あちゃー、まーたイヌが発作起こしちゃった! 姐さんのことになると豹変するからなぁ」

ウホホホホホホ(勇斗、抱かせろ)!」

「ありゃー、まーたサルが発情してらぁ! ハハ、なぁ新人、ちょっとコイツに抱かれてやってくれない? そうすりゃ人語取り戻すだろうし」

 

 勇斗は確信した。もし自分が正常であっても彼らと会話を成立させることだけは無理だと。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

「なぁ頼むよ、サルに抱かれてやってくれよ。コイツ、多分お前への想いが大きすぎて狂っちゃったんだ。いいだろ、な? クソホモ野郎のクソホモ野郎を熱く抱擁してやってくれ!! ありがとうな!!」

ホモモモモモモモ(勇斗たん萌え~~)♥」

「蟻塚たん萌ええええええええええええええええ!!!」

 

(あ、この人たちマジのやつだ)

 

 勇斗は彼らと喋らないことに決めた。

 

 

 

 あの後も、三人は数十分に渡って益体のない言葉を勇斗に向け続けた。彼らには時間を憂慮する能力が無いのか、向けられる言葉の圧は収まることを知らない。

 正直、鬱陶しい。今すぐここを後にしたい想いはあるが、それだと傍目から、他人由来の騒音から逃げたように見られてしまう危険がある。“正常な判断能力”を悟られていけないため、勇斗はしばらく動くことができなかった。

 

 やむなく、彼は三人から意識を外して食堂のモニターに目を向けた。そこではちょうど時事ニュースが流れていた。

 

『――目下のところ、多くの専門家が、全国各地で流行になっている個性刺青の副作用を懸念しています』

 

 ……個性刺青? あまり耳触りの良い語感ではない。勉学ばかりに勤しんできたためか、勇斗は最近の――主に若者の間などで流行している――社会現象などの良さを、理解しつつも共感することが出来ない人種だった。

 とはいえ、世の流行には研究の一環としての興味がある。彼はかなり真剣にニュースを聞き入っていた。

 

『えー、個性刺青というのはですね、生後数ヶ月以内の赤ん坊の身体の一部に、将来的に宿って欲しい個性を刺青として刻むというものです。個性は原則的に遺伝されるものですが、近年になって突然変異(ミューテーション)事例などの報告が増加したことが、この流行の原因の一つとされているようですね』

(……ふぅん、コレを駄目だと感じるのは、俺が旧態依然とした人間だってことなのかねぇ。昔ながらの勉強方法しか取り組んでこなかったからなぁ。やっぱ心から共感はできないや)

 

 個性により動物と人間のハイブリッド――旧時代では“獣人”と呼ばれていたファンタジーの創造物までもが、今の社会では当然のように慣れ親しまれている。それに伴い、他人の容姿を褒める感覚だけを残して、ポリティカル・コレクトネスが世界中に根強く浸透した。この刺青という流行を冒涜的に感じること自体が、古くさい考えなのかもしれない。

 しかし、これも無個性である弊害なのか、“個性”を宿さない旧来の人類である勇斗は、比較的今の時代よりも旧時代の価値観に即した感受性を持っていた。少なくとも、子供に刺青なんて彼なら絶対許さないだろう。

 

『ネット上では、刺青が子供の成長を阻害するのでは、という懸念の声が多数見受けられています。しかし、この刺青に使われている成分そのものは人体なんら悪影響のあるものではなく、刻まれる個性も英語のアナグラムに変換してあるため、肉体的、精神的に子供に害のある物ではないという考えが大部分を占めるようですね。

 個性刺青は十年程前から一部の人々の間で取り扱われてきたようですが、――今日になって、“個性”の願掛けが広く普及した。この流行こそ、個性重視の今の社会を象徴しているのかもしれません。今後は社会倫理的な観点から議論が展開されていくことでしょう』

(個性重視の今の社会、ねぇ)

 

 勇斗には耳に痛い言葉だ。

 彼はヒーローの基本が個性であることを承知している。そのため、雄英受験の際には個性届けを偽造して“超集中”という個性で受験に望み――合格点を叩き出してしまった。合格通知を受け取った数日後には罪悪感から真実を告白したが、平等性を損なうような偽造工作ではないとしてそのまま合格として処理された。

 この話から何を言えるかと言うと、努力次第で人並みのステージには上れるということだ。その可能性に限りはない。きっと自分もヒーローになれるのだと――そう信じて疑わない事にしていたが、やはり限界値が設けられていたらしい。

 個性無しではヒーローとして認められる事すら困難だ。無個性であるからこそ、良個性を切望する感覚は分かる。

 勇斗は自分のハンデを他人を卑下する道具として認めていない。

 そのため、主観を交えずに物事を評価出来るのだが、紛れもなく無個性は――惨めで、情けなくて、かっこ悪い。

 

(俺も、個性欲しかったなぁ)

 

 刺青に願掛けの意味合いを込めただけで救われた気になれるのなら、安いものかもしれない。

 

(刺青か。そういえば蟻塚ちゃんにも掘られてるんだよな、“識別番号”だけど――――いやちょっと待て。英語で、アナグラムだと……?)

 

 その時、勇斗の思考が違和感を弾き出した。

 彼の記憶は定着するのが早く、持続性もある。それによると、蟻塚の刺青は『eblim saver』だったと記憶している。

 先日、ミサキから貰った資料によると、蟻塚の年齢は十二歳。個性刺青が十年程前から流行りの兆しを見せ始めていたなら、有り得なくない話だ。

 『eblim saver』がアナグラムだとして、入れ替えると。

 

Brave(勇気)Smile(笑顔)

 

 ――かつて、在りし日の草壁勇斗が父から他称され、自称した個性の名前と一致すること。

 ――その個性刺青の主が、勇斗の姉の草壁水泉と瓜二つであること。

 

 勇斗の直感は、それを偶然の一言で済ませなかった。

 

 

  5

 

 

「草壁さんと蟻塚さんのDNA鑑定の結果が届きました」

「……それで、どうでした」

 

 神妙な面持ちの勇斗が尋ねる。伝播した緊張感を感じ取ったミサキは、一拍の呼吸を挟み、言った。

 

「貴方が考えていた“妹”という線は有り得ないようです。血の繋がりが薄い。……ただし、血縁関係はあると断言できます」

「――――何だと?」

 

 勇斗の疑問も尤もだ。彼の家族構成は、幼少期に母を事故で亡くし、父が一人と姉が一人。後者の二人もつい最近亡くしたばかり。親戚との親交はほとんど断絶されていたようなものだが、全員把握している。誰一人として人身売買に出される余地がない。

 つまり、蟻塚は――そもそも勇斗が知り得なかった家族。

 

「……誰の子だ?」

 

 結論を出すことを拒絶したがっている自分がいる。

 しかし、真実は明瞭だった。だって彼女は、最愛の姉さんの生き写しのようなのだから。

 

「――そんな。どうして……蟻塚ちゃんが、姉さんの子? ……俺の、姪? ああ、なんでそんなことに」

「あの、確かに血縁関係はあるんですが、まだ姪と決まった訳では……」

「決まってるんだよ!! あんなにも、そっくりなんだから!! 俺が、ずっと焦がれ慕ってきた、愛してきた、あの人に!!」

 

 発狂に近かった。

 冷静沈着な少年が、合理主義の彼が、ここまで動揺しているのは異例なことだ。雄英在学中の彼なら、入り乱れることすら有り得なかっただろう。

 

 ともすれば、彼は壊れ始めていたのかもしれない。

 目の前で、ヒーローに姉が殺された瞬間から。

 

「オイオイオイ、もしそうなら、姉さんが蟻塚ちゃんを産んだのは14歳の時だってことになる……! ふざけるなよ、有り得ないだろ、道徳的に、有り得ないだろ、何もかも……ッ。しかも、なんでそれが俺に隠されてた? なんでそれが、闇市に売り飛ばされる!? 巫山戯てるぞ何もかも! 何もかも!!」

「く、草壁さん、大丈夫……?」

「ああったくクソが!! 全部分かった!! 全部分かった(・・・・・・)!!」

 

 分からない方が幸せだった。知らないほうが苦しくなかった。だが、真相から目を逸らすことを勇斗は自分に許せなかった。それではどうやっても、彼女が救われてくれない。

 

「ごめんなさい、私が何が何だかさっぱりで。貴方と蟻塚さんの関係は、叔父と姪で間違いないんですか? 容姿以外に何か根拠があるんですか?」

「……俺が口にする憶測には、大抵ありますよ、根拠」

 

 一度大声で叫んだからか、勇斗の声は落ち着きを取り戻していた。

 

「まず俺の姉さん――草壁水泉は、十三歳から十五歳までの三年間、海外留学していました。その三年間だけは、俺と姉さんとの間で直接的なコンタクトがなかった。そして、蟻塚ちゃんが産まれた時期もその三年間に含まれています。姪の存在を俺が知り得なかったことにも得心がいく。隠されていたんだ」

「どうして隠す必要が?」 

「――全ての原因は姉さんの『個性』」

 

 勇斗は忌々しい記憶を掘り起こし始める。

 

「姉さんの個性は『ポイズンブラッド』――毒性の血液を精製する力です。そして、それに商用価値を見出したのが俺の父さんの勤務する“凱善製薬”でした」

「確か、大手薬品会社ですよね?」

「はい。あそこの会社は姉さんの個性を使って大量の毒物兵器を製造し、海外へ密輸していました。個性が重視されようと、やっぱり最強なのは兵器なんですよ。凱善製薬が姉さんから抽出し量産化した毒物は、主に紛争地域の抑止力として効果を発揮していました。勿論一部は悪用されていただろうけど、初志は世のため人のため。だから俺も姉さんも父さんも、アイツらの提案に同意した。

 だけど――凱善の一族はそれで満足しなかったんでしょうね。姉さんの個性の別の商業に転用しようと考え、より強力な個性への進化、つまり個性婚を強要した。……いや、個性婚どころじゃないな。繁殖装置とか、せ、性奴隷とか、姉さんはそういった扱いを受けていた」

「そうして産まれたのが、蟻塚さんってことね……」

「でも、蟻塚ちゃんの個性は『蟻』。等身大で蟻の膂力を引き出せる脳筋個性だ。父方の遺伝か突然変異かは分からないですけど、遺伝子診断の段階で『ポイズンブラッド』に類する個性が宿っていないと判明し、蟻塚ちゃんは違法行為を隠蔽するために存在を抹消された。ブラックマーケットに流すという形で。殺されなかったのはきっと、父さんや姉さんの尽力があったんでしょう」

 

 草壁菊絵は道具として産まれ、不良品として捨てられた。

 その出生の秘密は嘆かわしい。

 だが、愛されていなかった訳がないのだ。でなければ、個性の願掛けなどされる筈がない。

 『勇気と笑顔』――草壁勇斗の背中を支えてくれたその力を、後押ししてくれたその祝福を、どうかこの子にもと。

 蟻塚という少女は、幸せを願われていたに違いない。

 

「大前提として凱善製薬の違法取引は事実です。最近になって姉の仕打ちを知り得た父さんは、会社の上層部に反発し、間も無く謀殺されている。それから直ぐに姉さんも死んで――姉さんの死に関しては謀略じゃないだろうけど――口封じの為に俺も殺されかけた。

 本当は、今も命を狙われてる。雄英在籍中は安全だったけど、今はそうじゃないので。だから俺は庇護を求めてショッズに来たんです。ここに入れば足跡が一旦途切れる。アイツから――凱善踏破から逃げ切ることも叶う。まぁ、理由はそれだけじゃないですけど」

 

 勇斗は右手親指の爪をくわえ込み、憤りを噛み殺した。忌々しい新事実ばかりが発掘される。知りたくなかった、知らなければいけなかった事実が。

 

「全てが悪い方向で繋がった。蟻塚ちゃんが身売りされたのも、当時の海外ルートを使ったんだとすれば筋が通る。

 間違いなく、蟻塚ちゃんは姉さんの最後の忘れ形見で、俺の――姪だ」

 

 清廉潔白だった草壁水泉の一人娘。真っ当に育てば、姉に似て美しく快活な女性になっていただろうに。

 家族に名前すら知られていない彼女には、もう何もない。

 託された物も全て掠め取られ、可能性も全て潰され、未来を完全に蝕まれてしまっている。

 

「――ミサキさん、蟻塚ちゃんが健常者として社会復帰する可能性はありますか?」

「いや、どう……ですかね。脳細胞は再生しないものですから、脳の機能低下から来る彼女の精神疾患は――可能性がゼロとは言いませんけど、それでも、正常な状態まで治る可能性は、ほとんど無い、かと……」

「…………。」

 

 いっそ、産まれてこなかった方が幸せだったんじゃ無いだろうか。

 あの子は、真っ当な方法で幸せに浸れない。

 歪んだ手段で笑顔を勝ち取るその悪徳が彼女の幸福だとすると、彼女は生きていることが罪深く、残酷で惨たらしいことなのではないだろうか。

 

 でも、産まれてきたことを間違いだと誰にも言わせたくなくて。

 大好きな姉の遺産を、誰からも否定されたくなくて。

 それでも、他人を損なう彼女の悪辣な生き方を許容できなくて。

 

「――俺は、あの子を」

 

「どうするんですか?」

 

 ミサキに問われた時には、迷いは消えていた。

 

 姉から、父から、希望を託された。生きて欲しいと願われた。勇斗は自分の人生の尊さを知っている。

 それをかなぐり捨ててでも、やり遂げなければ。

 

 父さんは認めないだろうし、姉さんは哀しむだろう。意味なんて残らない無益な選択だと自分でも分かっている。これまでの努力が消え失せる最も愚かな選択だと分かっている。

 それでも、俺は果たさないと。

 

 

 ――蟻塚ちゃんをこの手で殺し、自ら命を絶つ。

 

 

 それこそ、草壁の名を背負う(・・・・・・・・)ヒーローの少年が果たすべき、最期の負債だ。

 

 




過去編長過ぎね? 大丈夫自覚してます。もうちょっとお付き合いください。


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蟻塚:オリジン/草壁勇斗:インバートⅡ

  6

 

 勇斗から見て、蟻塚の破壊的、暴力的衝動は根本的に解消できるものではなかった。彼女の幸福指数は嗜虐性に傾いている。それを一から矯正する術を、勇斗は知らない。根っこの部分で頭の螺子が足りない人間に対しては、勇斗の暗示術ですら効果を持たない。

 彼の調べによると、蟻塚がショッズで犯した殺人の数は七件。その周期から逆算した結果、蟻塚の欲求不満は、そろそろ限界に達するだろう、というのが勇斗の見立てだった。

 

 

 定期的に行われるメディカルチェックの日にて。

 勇斗は、整列する患者の中に混じっている蟻塚の姿を目撃した。取り巻きの三人の姿は見えなかった。確か、昨晩蟻塚から瀕死の重傷を負わされ今は別室で隔離されているという話だ。勇斗には、それが蟻塚が“爆発”する前兆に見えてならなかった。

 

「おっと、ゴメンな……って、あ、蟻塚!? なんでお前がここに!?」

 

 ふと目を離した隙に、蟻塚が正面から歩行してきた男と肩をぶつけていた。今の彼女は勇斗の助言で波風を立てないような素行を心掛けさせられている。普段から授業にも顔を出さない彼女が定期健診に現れるということは、かなりの異常事態だった。

 

「――――誰にぶつかってんだテメェ」

 

 蟻塚から剣呑な怒気が漏れ出し、周囲の空気から熱が消えた。これは蟻塚が相手を殺すときに特有の雰囲気だ。それを身に染みて実感している患者たちは、飛び火を喰らうまいと少しでも距離を取り始める。

 

「わ、悪かったよ。つか、よそ見してたのはお前もだろ? お互い水にながそうや、な?」

「―――、―――。」

「何、だよ……何だよその目付き! クソガキが粋がりやがって! 言っておくが、お前なんて俺がその気になりゃ……!」

 

 蟻塚に対抗心を燃やし吼えてみるものの、その先の言葉を紡げるはずもない。

 男は痛感している。単純に個性の強弱でも自分は蟻塚に劣っていて、その上、彼女の戦闘技術はショッズでも随一だ。上辺だけの言葉であろうと、そこを覆す発言だけは出来なかった。

 

「もういい。お前。うぜぇ」

 

 小柄な少女の身体が飛び跳ねた。

 真っ先に狙われたのは男の眼球だ。最大にまで短縮された初動で的確に急所を狙う蟻塚の俊敏性は、野生動物のそれと比類する鮮度がある。

 男は持ち前の直感で双眸に迫り来る小さな手を躱すが、その直後、少女に掴まれた左腕が弧を描きながら背中を通過した。勢いを殺さず可動域を大幅に逸した左腕は、弾けるような音と共に激痛の波に呑まれる。

 

「ぎィあぁあああァァァァァァァッッ!!」

 

 痛烈な絶叫を聞くと、脊髄反射で勇斗の足が動いた。

 男と蟻塚の間に割って入り、丁度両膝をついた男の首根に迫る蟻塚の手を掴む。剛速球を素手で受け止めたかのような衝撃が掌を走り、出血の鈍痛が響いた。

 

「サンタマリアに仇なす蛮族めがぁぁぁぁっ! 汝の不徳は主の御心にそぐわぬ物でありィ! 故に御手を拝借えっさっさァあらよっと!! 離別者たりえる友よ! ここは怒りを静めたまえ!!」

 

 訳・お友達に暴力振るっちゃ駄目っ! そんなことをする悪い子のお手々は私がにぎにぎしちゃう! うふ! にぎにぎ♪ さぁ、もうおこおこ冷めたよね?

 と、まぁ簡単に訳すとこんな感じに。

 易しく蟻塚を諭した勇斗は、柔和な頬笑みで彼女の殺意を受け止めた。

 

「……まだ壊れたフリしてんのかよ、お前?」

「(こっ、コラ! シーッ! シーッ!)」

「ムカつく。私ぶっ殺したい、お前のこと。仲間だと思って我慢してきたけど、やっぱお前、私の邪魔だ」

 

 殺人欲の禁断症状。

 視線を交わして分かった。この子はもう、限界だ。近々必ず誰かを殺すに違いない。

 

「そんな厳しいこと言わないでくれよ。仲良くしようぜ、蟻塚ちゃん」

 

 ただし、胸中の猜疑心は決して表に出してはいけない。

 勇斗はあくまで友好的で温和な自分を装って、少女の形をした猛獣を落ち着かせた。

 

「…………私、帰る。もう追ってくるなよ」

「そっか! それじゃあまた今度な!!」

 

 脱獄の協力者である手前、勇斗の言葉は蟻塚にとって相応に重いものだった。

 だが、これ以上の諌言は間違いなく彼女の理性を完全に壊す。今のが最後の堤防だ。

 だから、今日、殺す以外に選択肢はなかった。

 

 

  7

 

 

 移動が制限される施設の中で、確実に安楽死させられる薬物の入手は困難を極めた。

 そのため、勇斗が凶器に選んだのは通常の調理用包丁である。筋肉の隙間を通し、抵抗を受けずに動物の肉を断つ方法は知り得ている。蟻塚との筋力差を差し引いても、彼女に苦痛を与えず殺すだけの自信が勇斗にはあった。

 

 蟻塚が寝静まった深夜帯。

 勇斗は彼女の殺害を実行に移す。

 

 足音一つ立てず蟻塚の寝室に侵入し、彼女のベッドまで忍び寄る。

 目を降ろすと、そこでは無垢な表情で寝息を立てる少女の姿があった。暗闇の中でうっすらと光沢を帯びる黒髪は自分と同じで、長い睫毛は姉と似ている。虐待を受けていたというのに、顔の肌はきめ細やかな色白だ。

 

 まるで、宝石のような女の子。

 

 そんな子が、鬼になり果てるまで屈折させられ、愛の無い生涯を送ってきた。

 その事実に唾を吐き捨てて、俺は今からこの子を殺すのだ。

 確実に起こるであろう、蟻塚による未来の犠牲者を守るために。

 

「……っ」

 

 勇斗は虚空を睨んで歯噛みする。

 ようやく出会えた家族をこの手で殺す。ヒーローを志した穢れ一つないこの手で。それは到底、未だヒーローとしての心持ちを捨てられていない少年に耐えきれることではなかった。

 

(本気かよ、俺)

 

 勇斗は包丁を高々と掲げた。あとはそれを振り下ろすだけだ。

 しかし、単純な作業だというのに、指先が震えて力が出ない。

 勇斗の全身が殺人を否定し、その予備動作すら拒絶している。蟻塚を殺す必要性を予感しているというのに、同時に、それを覆す材料を模索している男がいる。

 

(――なんで、この子を殺さなきゃいけないんだ?)

 

 改めて自問。

 蟻塚という少女は、人間の根幹にある筈の道徳性が著しく欠如している。だからこそ、社会は彼女を切り離すことを決定した。それ以上の処方は無用の長物だ。

 では、どうして草壁勇斗は蟻塚を殺そうとしているのか。

 人殺しの少女がのうのうと生きているのが許せないから? ショッズの患者の身を案じているから? いいや、実はどちらも違う。

 

 楽に、なりたかった。

 

「…………。」

 

 父が凱善製薬に謀殺され、姉がヒーローに殺され(・・・・・・・・・・)、自分も命を狙われている。雄英卒業後、姉が死んでから何度も殺されかけた。凱善製薬は口封じの為に勇斗の心臓を狙い続けるだろう。となれば、もう光の差す舞台で生きることは叶わない。裏社会で勢力を拡大させているあの会社を潰すことも不可能だ。

 

 勇斗には、華やかな未来は待ち受けていない。

 

 夢が潰え、尽くそうと誓った人たちが死に、自分の人生に拭いきれない影が落ちた。まだ十七歳の少年の心を折るには、十分すぎる不幸が重なって訪れすぎたのだ。

 

(弱い奴)

 

 誰かの為に死ぬ。

 その大義名分を得るために、少年は姪を言い訳に使っていた。

 

(俺、卑怯者だ……)

 

 ナイフを掲げた腕は、だらんと弱々しく垂れ下がっていた。

 蟻塚が放置されれば患者や医師の間で死人が出る――それは確定事項とも言えるが、だとしても彼女を暗殺する動機たり得ない。しかし、かと言ってこのまま蟻塚を無視することを自分に許すこともできない。

 ならば、どうすればいいのか。

 決して正常な人生を見れず横道を進み続けるしかない少女を、救いようのない彼女を、間違いなく生涯殺人鬼であり続けると断言できる姪っ子を、草壁勇斗はどうすればいいのか。

 

 泥沼から引き上げられる段階などとうに過ぎ去った。

 彼女は罰せられる側であって、救われる側ではない。

 

(分かんねぇよ。この子の為に、俺に何が出来るってんだ……)

 

 すると、幻聴がした。

 

 

『もう答えは出てるんじゃないかね?』

 

 

 神経を逆撫でするような、忌々しい声。それが自分に染み込まれた恐怖を象るものだと思い至るのに、そう時間はかからなかった。

 意識の中に刻み込まれた虚構であるというのに、声の主はまるで直接対峙しているかのように、生々しく囁いてくる。

 

 

『あるじゃないか。自分自身と、愛する者の願いを同時に満たす唯一にして最良の方法が』

 

 

 ぐにゃり。

 身体が溶け出すような感覚。

 生理的に嫌悪しているものの、逃げだそうと考えるには、“ソレ”は強大過ぎた。

 金縛り、と表現するのが一番近いだろうか。萎縮して身体と頭が動かない。

 

 

『葛藤は健全な証拠だ。しかしね、行き過ぎた戒律は自壊しか導かない。未来を見据える視力があるのなら、より望ましい方を選びなさい。君の心の望む方角に、正解も間違いも無いのだから』

 

 

 本当は。

 とっくに心が決まっていた。

 この妄想は、全て草壁勇斗の決断を後押しする為だけのものなのだろう。

 自分が選べる道はたった一つだけだった。

 

 

 ――――勇斗……お願い。

 

 

 貴方の為に、自分の為に、姪の為に、少女を導く。

 他人のために家族を殺す覚悟なんて無い。

 けれど、家族のために他人を殺す覚悟なら、これから『獲得』する“方法”がある。

 

「俺が同じ土俵に、並べば良いんだ」

 

 自分に暗示術をかければ、それが叶う。

 

 

  8

 

 

 もういいや。もういいよ。

 逃げ続けるのは疲れたんだ。

 俺だって、やられっぱなしは辛いんだ。

 だから仕方ないよな、姉さん。

 

 ごめんなさい、相澤先生。

 

 皆に都合の良い草壁勇斗は、もういいや。

 

 

  9

 

 

 世の中には、枠からはみ出た異物に対し、枠内に戻そうとする強制力がある。

 産まれた場所や育った環境が常人と違う者ほど、その強制力は強くなる。

 とりわけ、蟻塚という少女に対する社会の強制力は理不尽なほどだった。

 

 他人を傷付けるなと、多くの人々は彼女に言い聞かせ、時に叱咤した。

 だが、その規則を裏打ちする納得出来る説明は一度として聞かされたことが無かった。いや、何を言われても、蟻塚が納得しなかったのだ。

 

 

 誰も、私の隣に並ぼうとしない。

 私を、誰かの隣に並ばせようとする。

 今もそうだ。

 

 

「また君か、蟻塚……。何度言われたら分かるんだ? 自分がされて嫌なことを他人にしては駄目だ。簡単なことだと思うんだけどなぁ」

 

 

 意味が分からない。

 自分がされて嫌なことと、自分がしたいことは別物だ。

 通常の順接を理解するには、蟻塚の思考回路ではどう足掻いても不足だった。

 

「うるせぇな。つーか誰だよ、お前」

「うん? ああ、僕はホリエと言う! しばらくミサキさんはお休みみたいだからね! 僕がそのピンチヒッターだ!!」

 

 ミサキは脱獄に必要な手配のために、しばらく休職する段取りとなっている。

 協力者である彼女ならまだ蟻塚の自制も利くが、目の前のこの男は、生かしておく価値が全くない。

 

 殺すか? 今。

 しかし後が煩い。私は賢い女だから、後のことを考えられる。

 いや、この場には男と私しかいない。ならばここを煩くする奴はいないではないか。よし殺そう、今。でないと、むしゃくしゃして自分が死んでしまいそうだ。

 

 だが間の悪いことに、殺そうと決断した途端に扉を開く音がした。

 入ってきたのは、緑宝の目をした眉目秀麗の優男。

 

「――おっすぅ、蟻塚ちゃん」

 

 草壁勇斗。

 この男、狙っているんじゃないだろうか。

 蟻塚の殺人衝動が沸点を越えかけた瞬間に、毎度毎度割り込んでくる。心を読む個性でも持っているのだろうか。

 

「な、何だ何だ!? 今、僕らは取り込み中で――」

「あー、いいから、そういうの」

 

 ホリエの首に線が走る。

 

「……へっ」

 

 勇斗が振った包丁が、男の喉笛を掻き切った。 

 

「はッ!? あがァ、ががあ、ああぁぁああああッッ!!」

 

 生臭い飛沫が宙を舞う。返り血の温度で蟻塚の頬が熱が灯り、男の叫声は調律されたピアノのように美しかった。

 勇斗が放った一筋の光芒。その直後、筋から広がる鮮血色の滲み。

 その完成された一挙手一投足、一秒ごとの景色全てが芸術としか思えない。

 凝り固まっていた不満が、甘味をまき散らしつつ爆ぜたかのようだった。

 

「隣、座るよ」

 

 そう言って腰を下ろす勇斗の挙動は、蟻塚の瞳には流麗に映った。

 

「この前はゴメンね。君の邪魔をしてしまって」

「な、何言ってんだよ、いきなり……?」

「いやさ。ふと、自分の過ちに気付いたものだから。とりあえず言葉にして、君に届けたいと思った」

 

 勇斗は必死で何かを訴えかけようとしているホリエの頭を踏みつけた。彼は声帯が引き裂かれていて、首に空いた穴から風を出し入れさせる度に声の代わりに血の塊を吐き出していた。

 

「蟻塚ちゃん、ごらん」

 

 勇斗は更にホリエの身体を解体し始める。

 魚の皮を剥ぎ取る漁師のような包丁捌きで男の腸を引きずり出すと、

 

「ほら、綺麗な蝶々だよ」

「…………ぁ」

 

 身体の内部を露出させた屍の姿を見ている内に、腹の奥から正体不明の熱が込み上げてきた。

 その熱は徐々に温度を上げ、数秒で防波堤の役割を果たしている一線の手前にまで押し寄せた。その一線を越えることが怖くて、しかし耽美な温もりに逆らうことが出来なくて、堤防が決壊する。

 変化はすぐに出た。

 全身の神経に快感が染み渡り、股ぐらに湿気が宿った。

 

「どうしたの? 顔赤いよ?」

 

 勇斗に指摘され、頬の紅潮は赤みを強めた。

 股から漏れ出す液体は羞恥心と悦楽を同時に誘い、その勢いを圧し殺すことは不可能だ。

 抵抗できない快感を享受した後、蟻塚はおもむろに口を開き、

 

「で、出ちゃった……」

「え。……ああ、そうか。なるほど」

 

 勇斗は悟ったように目を細めた。

 

「そういえばだけど、此処から逃げ出した後、君はどうするつもりなんだ?」

 

 唐突すぎる話題の転換ではあったが、むず痒い今の空気を快く思えない蟻塚からしたらありがたい話だ。

 

「い、今と同じだっつの。まず、ムカつく奴を片っ端からぶっ殺しにいく。それから……ムカつかない奴も、片っ端からぶっ殺しにいく」

「シンプルで良いね。俺もそんな生き方をしてみたい」

「ああ? じゃあしろよ。私に一々報告すんな」

「手厳しいな」

 

 勇斗の手が蟻塚の頭の上に乗った。柔らかい指が髪の中を泳ぎ、飛び散った血を頭皮へと刷り込ませていく。その感触に浸るのも束の間、頭を撫でられていることに気が付いた蟻塚は、勇斗の手を払い退ける。

 

「キッ、キメェ!」

「おっと、ごめん」

「キメェ!!」

「どうして二回言った。そんなに髪触られるの嫌かい?」

「ガキ扱いされるのが嫌なんだ! お前、私より弱いだろうが!! あんま調子のってんじゃねェぞ!!」

 

 怒鳴ってはみたものの、不思議と怒りは実感しなかった。

 トガヒミコと談笑している時の感覚に近いが、少し異なる未知の感情が自分の中で渦巻いている気がする。

 それを自覚するのが恐ろしくてこの場から逃走しようとした矢先、勇斗から思いも寄らない発言が飛び出した。 

 

「蟻塚ちゃん。俺と一緒に生きよう」

 

 それを想定できなかったのは、自分は勇斗から嫌われているという先入観があったからだ。

 

「なんで?」

「さぁ、なんでだろう。上手く言葉に出来ないんだけど、もしかすると、俺が君を愛してるからなんじゃないかなぁ」

 

 実際に向けられたことはおろか、聞いた事すらない『愛』という単語。本の中で何度か見たことがあるため語義は掴めているが、勇斗からソレを向けられる理由に心当たりがなさすぎて、少女の思考に空白が生まれた。

 その隙に口をついたのは、素朴な疑問。

 

「“愛”って、なんだっけ?」

 

 僅かな間を溜めて、勇斗は言った。

 

「俺が今、君に向けているもので、多分きっと、君が今、感じているものだ」

「はァ……?」

「自分の胸に手を翳して鼓動の奥に目を向けてごらん。今なら、俺が君に向けているものと全く同じものがそこにもあるだろうから」

 

 言われたとおり、自分の僅かな胸の膨らみの上で両手を重ねてみる。

 鼓動の奥に目を向ける――漠然とだがやり方は分かった。胸部の最奥に意識を向けて、そこで胎動する何かを発見する。勇斗の言によると、コレの名前が『愛』らしい。

 

「――チクチクして、痛い」

「でも、嫌な気分じゃないだろ」

 

 悔しいが、勇斗の言うとおりだった。

 

「コレ、くれるのか?」

「いいや、君が生まれた時からそこにあったんだよ」

「そうなのか。知らなかった」

 

 蟻塚は胸を押さえつける。

 初めて見つけた愛を逃がさないように、自分の中に押しとどめるように、そしてもっと近くで感じるために、強く鼓動を包み込む。

 

「そうか。知らなかったんだ。私……」

 

 蟻塚の身体は、理解できない事象に戸惑う隙すら彼女に与えない。

 今度は鼻腔の温度が上がり、鼻と目頭から体液が漏れ出し始めた。

 涙は今まで痛い飲み物だったのに。

 その時の涙腺から流れ出る体液だけは、優しかった。

 

「ぅ…………ふ、ぁ……っ」

 

 トガヒミコと草壁勇斗の何が違うのか、心の温度を共にしてようやく気付けた。

 好意を言葉にして自分に向けてくれたのは、勇斗が生まれて初めてなのだ。

 幸せと直結する脳内麻薬が過剰に分泌され、他人を損なった時以上の快楽に身体を貫かれる。すると、蟻塚の思考と関連しない、本能が紡いだとも言える言葉が形にされた。

 

「どうしでっ……私、今まぁで、ずっど……っ」

 

 そう。

 今までずっと、求めていたものがあったのだ。

 しかし、時間が流れすぎたせいで、それを溜め込む容器は壊れてしまった。

 

 けれど今、嬉しい自分だけは分かる。

 同時にまた、“それだけ”では満たされないどうしようもない自分も分かってしまった。

 

「いけない事だって、言わ゙れで、分かってたもん゙……っ!」

 

 分かっていた。

 自分が他人と違うこと。

 本当は、全うに願う心があった。

 

「私も゙、普通に、皆と一緒に生きたがっだもん……ッ!」

 

 彼女は苦痛と悪意の中で折れてしまった自分自身から目を逸らし続けていた。

 普通でない自分を受け止め、誰からも認めて貰えない自分を認め、たった一人で、たった一つ残された生き方に縋るしか無かった。

 勇斗がそれを察するのに、少女の涙は十分すぎる材料だった。

 

「うん。普通に生きようか。これから一緒に、俺と君で」

 

 翠玉眼の少年が、紅玉眼の少女の手を取る。

 

「まずはこの前の奴にお礼参りと行こう。君もまだまだ不完全燃焼だろうし。……あ、でもその前におパンツ履き替えとく?」

「うるせェ!!」

「ごふァッ!」

 

 悶絶する勇斗を尻目に、蟻塚は血臭漂う地獄のような部屋から逃げ出した。

 その頬はまだ先程の余熱を帯びたままで。

 芽生えた想いはまだほんの小さな種子だったが。

 たった今得た全てが、少年と少女の遠くない未来を。

 二人、横道(おうどう)に立つ未来を、力強く証明してくれていた。

 

 

  10

 

 

 半年後、施設内で原因不明の爆発事故が発生。

 事故に便乗して半数近くの患者が脱走し、その後の消息を断つことになる。無論、脱走した患者の中には草壁勇斗と蟻塚も含まれていた。

 

 やがて朝木勇と名を改めた彼により、数多くの動乱が巻き起こされるのだが、それを当時から予期できていた人物はごく少数だけだった。

 

 

 




主人公が反転(インバート)した理由→蟻塚と並んで生きるために、強力な暗示を自分自身にかけて意図的に人格を曲げたから。


まぁ普通に考えて、超能力とか催眠術でも使わない限り、ここまで人間が豹変する訳ありませんわな。
あ、後書きではありますが一応捕捉しておくと、現在の主人公は暗示術ってか催眠術?使えませぬ。自分が暗示にかかっていることを自覚しないために、無意識的に封印しています。


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踊りきった男

   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
   \\\||||||///
   ★☆祝・大戦犯発覚☆★
   ///||||||\\\
   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 轟音が伝播し大地が張り裂ける。

 それは比喩ではなく、実際に蟻塚が放った一撃は工場の床を崩し、地面の表層を抉り取った。

 

「ggrlhrrraaaaaaaaaaa――――ッッ!!」

 

 辺りの生き物を無条件に萎縮させる獣の咆哮。

 先刻のオールマイトが纏っていた怒気と敵意の塊より、更に濃密な害意の結晶だった。言葉として紡がれなくとも、発された音調に蟻塚の気迫が籠っている。

 

「くッ――彼女は私が捕縛する! オールマイト、動きを止めてくれ!!」

「任せろ!!」

 

 手早く役割確認を追えると、オールマイトは跳んだ。

 

「許せ少女よ! これから私は少々手荒いぞ!」

「勇くんぶっ飛ばした癖に、どの口が言ってんだ!!」

 

 オールマイトにはヒーローとしての積年の風采だけでなく、一つの巨大な暴力としての威圧感がある。大抵の小者は彼を由来とする空気に触れただけで戦意喪失してしまうものだが、この14歳の少女にはそれを撥ね除ける覚悟があった。

 我武者羅に暴れているのではない。

 はっきりと敵を見据え、それを粉砕する的確で明瞭な覚悟が、少女にはある。

 

「私のものばっか否定して! ムカつくんだよ! お前ら全員!! 殺してやるからなァ!!」

 

 そう言った少女を、オールマイトが殴打する。

 少女の怪力は脅威だが、素早さではやはりオールマイトに分があった。

 蟻塚は目にも留まらぬ速攻を受けつつ、外敵を駆除するという確固たる目的を軸にして意識を繋ぎ止める。そこに、ベストジーニストは纏っていた衣服の繊維を網状に広げて、

 

「……逃がすものか」

 

 有無を言わさず、彼女の身体を締め上げた。

 

「う、ぐ、こんなモノ……!」

「君の底力は垣間見た。その上で――それを凌ぐ拘束力で捕らえている。君には残念だろうが、私の能力は無機物より遙かに強靱だぞ」

 

 驕りのない真実だった。

 ヴィラン専用の拘束具を大破させる蟻塚の筋力でも、ベストジーニストの繊維は崩す余地がない。

 繊維が身体に食い込んで、血が滲む。それでも拘束から抜け出そうと試み続け傷を深める蟻塚に、勇が声を上げた。

 

「蟻塚ちゃん、無茶するな! 俺のことはもういい!! 君が、戦う必要なんて……!」

「うるさい! こんな終わり方は私が嫌だ!」

 

 大事な人の言葉を遮ってでも、少女は自分の意見を貫く。

 

「ずっと迷惑ばっかかけてきたけど、私だって君の助けになりたいの!! この二人を殺せば、勇くんの助けになるんでしょッ!!」

 

 不思議な空間だった。

 悪役が悪足掻きをしているだけだというのに、この瞬間の鬼気迫る少女の風貌はヒーローじみていたのだ。

 しかし、ベストジーニストは冷淡に言い放った。 

 

「無駄だよ。万に一つでも、君が逃げ出す隙を私が許すと思うか」

「う、ぐぐ、ぐぅ……ッ!」

「クソ、だったら、俺が――!」

 

 左腕の肘から先を消失し、全ての武器を使い果たした勇が立ち上がった。

 武器を無くした無個性の男。ヒーローの脅威としては不十分だが、怨敵とも言える彼をオールマイトが野放しにする筈もなく、

 

「貴様にだけは、これ以上何もさせんぞ……!」

「チィ……ッ!」

「らしくないな。其方の活路が残っていないとの判断もつかないのか。貴様は人質の在処を吐いてしまった。これで私が容赦する(・・・・)必要も無くなったというわけだ」

「――化け物が」

 

 オールマイトの猛攻は勇に明確な死を連想させる強烈なものだったが、それでも総合的には死力に達していないというのだから、やはりこの男は人外と称する他ない。

 

 朝木勇は既に膝を屈した。誰が見ても明らかな状況ではある。本来であれば勇もこれ以上の戦意を持ったりしないだろう。

 そんな中で異質なのは、やはり蟻塚。

 

「嫌い……嫌い、嫌い、嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い!! お前らなんか! ヒーローなんか!」

 

 ――一瞬の変化。

 蟻塚が、赤い霧状の何か(・・)を体外へと噴射した。

 

 

「ヒーローなんか――死んでしまえ!!」

 

 

 ◇◆◇

 

 

(…………何だ、アレ?)

 

 誰より真っ先にそう思ったのは朝木勇だった。

 

(蟻塚ちゃんの個性は単なる『蟻』だ。自分の何十、或いは何百倍の重量を持ち上げる蟻の力を、人間大にまで増幅させられる。だけど、こんなの(・・・・)は俺ですら初めて見るぞ――)

 

 思惟に耽りつつ、少女の異常を観察する。

 口や鼻からだけでなく、全身のあらゆる毛穴から蒸気が滲み出ていた。衣服にまで赤い染みがこべりつき、近い場所の空気から徐々に赤く染め上げていく。

 

 数拍遅れて、蒸気から……鉄臭い匂いが漂ってきていることに気付いた。

 ――そうか、これは……。

 

「血の香り――血液を霧状にして噴出しているというのか」

 

 勇と同じタイミングでベストジーニストも同じ推論に至ったらしい。

 

「な、何だその荒技は……ッ。直ぐに失血死するぞ! 朝木勇、彼女を止めろ!!」

 

 オールマイトは何より最初に、ヴィランである蟻塚の身を案じた。

 初見の個性の効果を考察するのも肝要ではあるが、蟻塚の力が諸刃の剣だというのは火を見るより明らかだったのだ。となれば勿論、勇もそう考えない筈がないのだが。

 彼はそれより重大な思索に囚われていた。

 

 

「同じだ、アレ……。姉さんの『ポイズンブラッド』と同じ使い方……」

 

 

 草壁勇斗の実姉――草壁水泉は、血液中に毒を練り上げる個性を保持していた。その用法の中に、今の蟻塚と同じく、『毒の血を霧状に噴出する』というものがある。

 

 

(まさか、姉さんと同じ“個性”が発現したのか? そんな馬鹿な……。凱善製薬が取り扱った遺伝子診断は精度抜群の最新式だった筈だぞ。蟻塚ちゃんは姉さんの個性を潜在的にも継承していないと、立証されていたんじゃないのか……?)

 

 ――朝木勇は偶然が嫌いだ。理論立てて物事を考えてしまうのもその性分の所為だった。

 だがこればかりは、偶然か奇跡の産物だと推察するしかない。

 結果、勇が辿り付いた結論。

 

突然変異(ミューテーション)の中でも更に特異的なケースだが、“成長”の域を超えた更なる飛躍――これが、個性の覚醒……? 都市伝説の類いじゃなかったのかよ……!)

 

 確かに、前兆はあった。

 増強系の個性保持者を封じる為の拘束具を破壊するのは平時以上の怪力だ。勇は『火事場の馬鹿力』として納得しようとしていたが、もはや蟻塚の肉体的な進化は確定的。

 

 個性の覚醒や、個性特異点など、眉唾だと思うような与太話は無数に転がっている。

 ただし、元を辿れば現代の超人社会そのものが眉唾にしか聞こえない。理解を超えた個性の進化だって、この社会では“常識”の範疇ではないだろうか。

 

 ――勝てるかもしれない。

 ――だが……。

 

 本音で言えば、勇にとってこの場の勝敗などどうでもいい。しかし、真正面からヒーローをねじ伏せられるのならそれに勝る方策はない。

 トップヒーロー二人の力を加味すれば蟻塚の個性単体で二人を殺せるとは考えられないが、蟻塚の進化の伸び代だけは予測できない。予測できないからこそ、可能性を否認できなかった。

 

「朝木勇! 朝木! 何を放心している!?」

「早く彼女を止めねば、長くもたないぞ!!」

「……。」

 

 自分を信じるか、家族を信じるかの逡巡。

 信じて、任せてやりたい想いもある。

 毎日が命がけなのに、今更愛する者の命を天秤にかけることを渋ったりはしない。

 迷っているのは、単純に可能性が割り出せないから。

 

(申し訳ないけど、やっぱここの予定は曲げる訳にはいかないか……)

 

 意を決して、蒸気の中心の蟻塚に声をかける。

 

「蟻塚ちゃん、今すぐ個性を止めろ! 君が死んでは意味がない!!」 

 

 返答はない。

 鮮血のカーテンに遮られて蟻塚の姿は包み隠されている。中の様子を探ることも出来ない。

 勇は彼女の身に何が起きているのか、ここでようやく察しが付いた。

 

「蟻塚ちゃん!!」

 

 ――ヤバい。個性、暴走してやがる……。

 ヒーロー二人の視線を潜って、血の中に突入した。

 

「ちょ――待つんだ! 迂闊にその霧に触れるな! 朝木!!」

 

 オールマイトの声はもう耳を通さなかった。

 勇は蒸気を掻き分けつつ、その中心点を探し始める。視界は赤で埋め尽くされていて、視界の悪さは暗闇と何も変わらない。血の匂いで嗅覚も頼りにならなかった。

 

「動、くなよ! 聞こえているなら、その場でじっとしていなさい!! すぐに、迎えに行くから!!」

 

 言い終わる頃になってようやく、地に伏している自分を自覚した。

 

「……え」

 

 ――自分が倒れたことに気が付かなかった。

 ――平衡感覚が鈍化している。

 ――これが『蟻』の『毒』……?

 

 『ポイズンブラッド』は生かすか殺すかの両極端な効果しか出せなかったが、蟻塚の振りまく毒は麻痺の効能を持っているらしい。毒性の方向が変わっている。もしかすると、姉と違い意図的に濃度と効果を調整することが出来るのかもしれない。

 

 ――こじつけのような理屈ではあるが、『虫』の器を得たことで『毒』の幅が広がったのか。 

 

(……っと、めでてェが、喜ぶ暇ないぞ、コレェ!)

 

 致死性の毒でないにせよ、気力だけで身体を動かすことは叶わないだろう。

 毒の源泉が血液である以上、過度な排出は出血と同じ。こうしている間も、蟻塚の命が秒速で縮んでいる。

 

「誰か……!!」

 

 ――都合の良いときにだけ、奇跡に縋る自分に嫌気が差す。

 しかも、世の中には本当に応えてくれる奇跡があるようで、更に悔しさが増した。

 

 

「   DETROIT(デトロイト) SMASH(スマッシュ)ッッ!!  」

 

 

 遠くからそんな声がして、突風が血の雨を攫っていった。 

 突如として視界が切り替わる。赤しかなかった世界に色彩が戻った。

 

MISSOURI(ミズリー)――SMASH(スマッシュ)ッッ!!」

 

 黄金の鬣をなびかせた閃光が蟻塚へと走る。

 朝木勇の視線の先で、黄金は赤霧の発信源たる少女の頸椎を強打し、毒虫を鎮めさせた。

 

「イヤー、失敗失敗! 柄にもなく動転してしまった! 初めからこうしてればよかったな!」

 

 蟻塚の暴走を力でたたき伏せたオールマイトは、快活で不敵な笑みを見せる。

 そこで改めて痛感した。

 少しでもナンバーワンに真正面から勝てると思ってしまった時点で、俺の読みが浅かった。可能性を見出すことすらも希望的観測なのだ。

 

 確約された勝利を世界から祝福されている、とでも言えばいいのか。

 

(――別に、本気で倒そうとも思ってなかったけど)

 

 ともかく、物理的にオールマイトを凌ぐ戦力は、この国にいないに違いない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「さて、もう間も無く警察の救援が来る訳だが……」

 

 全てのヴィラン――と言っても、朝木と蟻塚の二人だけだが――の無害化という目的を達し、ベストジーニストは戦闘中より幾分か柔らかな瞳で朝木勇を見据えた。

 

「戦略を残しているなら今の内に全て吐き出しておいた方が良いんじゃないか?」

「“戦略”? 端から戦う準備なんてしてませんよ。警察が取引に応じてくれるものだとばかり思ってましたから」

「……そうか」

 

 ベストジーニストがどう受け取ったかはともかく、勇が仕込んだ手札は本当に会場の爆弾だけだった。

 

「あまりその男と話さない方がいいんじゃないか」

 

 朝木勇に他人を操る魔法じみた話術でも期待しているのか、オールマイトが懸念を漏らす。

 

「ヴィランと落ち着いて話せる機会なんて稀でしょうし、ここは目を瞑ってください。彼とは前々から話したいと――いいや、話さなければならないと思っていた」

「インターンで俺の面倒を見ていた手前、今の状況に後ろめたさでもあるんですか? 別に、アンタが気にする必要ないでしょうに」

 

 少年の雄英在学時代の意外な新事実を聞き、オールマイトは意外そうな面持ちで、

 

「そうだったのか」

「……昔の話ですよ」

 

 ベストジーニストは消え入りそうな声で肯定した。  

 草壁勇斗が『ジーニアス』にインターン生として仮所属となったのは彼が一年だった頃の冬だ。せいぜい座学と一部の分野に秀でているだけの無個性の生徒に、ヒーロー事務所から勧誘が来るというのは異例と言える出来事だった。

 

「本当は大人らしく罵声を浴びせてやるべきなのだろうが……筋を通すのなら、やはり私は貴様に謝るべきだな……」

「はぁ? 何の筋ですか、ソレ。ヒーローがヴィランに何を謝るって? 捕まえちゃってゴメンナサイ、ってなら見逃してくんねぇですかね」

 

 勇は彼に感謝する筋合いこそあるが、謝罪されるような覚えは一つとしてない。むしろ、引き抜いてくれたヒーローの恩情を裏切ったのは勇の方なのだから。

 

 

「――草壁。貴様の放校を雄英に提言したのは私だ」

 

 

 犯罪者と正義の執行者。そう分別された立場だというのに、そこから想像の付かないような萎んだ声音だった。

 

「………………何で?」

 

 責めるつもりはない。そんな権利が自分にないことは勇とて理解している。

 単なる疑問の吐露だった。聡明で思慮深いヒーローの行動なのだから、きっと意味が込められているに違いない。

 

「私は言ったな。貴様が目指すべきなのは、卓越したクラッキング能力が活かせる『情報系ヒーロー』だと。草壁勇斗をインターンに引き抜いたのも、そこに新しい可能性を感じたからだ」

「……」

 

 ジーニストが開拓しようとしていた情報系ヒーローとは、元来の矢面で活躍するヒーローとは異なり、影からのヒーロー活動支援や警察やその他行政機関などとの連携を担う専門員のことだった。

 職業として冠される『ヒーロー』という言葉には、民衆を焚き付ける効果がある。『情報系ヒーロー』は、より専門的に犯罪処理を行う分野を増やすことで、個性を用いた犯罪の抑止になるという考えに基づいて生まれたものだ。――いや、厳密には、生まれる筈だったもの、である。

 

「……だが、貴様には他人を重んじる以上に、自分を軽んじるきらいがあった。市民を庇い、ヴィランの攻撃を受けた時にも躊躇しなかったと聞いている。それが私には、危うく思えてならなかった。他人の犠牲となることを是とするどころか熱望する貴様の本性が、不憫に思えてならなかった。貴様は裏方役に徹するには、信念と理想に正直で情熱的すぎる男だったという訳だ」

 

 ひゅう、と勇は口笛を吹いた。ベストジーニストはよく人を見ている。彼が言った学生時代の草壁勇斗の人物像は、現在の朝木勇が過去の自分を客観視したものと概ね合致していた。

 

「だから、私はお前の夢を頓挫させるしかなかった。ヒーローの本懐は――一概には言えないものの――間違いなく『踏み台』ではない。お前がヒーローに不向きだったのは、その誠実さが原因だ」

「俺がヒーローに不向き、ですか? イレイザーヘッドは俺のこと『誰よりもヒーローしてる』と称してましたがね」

「ならば彼の評価が間違っていたな。お前は善良な人格者ではあった。それこそ『誰よりも』、な」

 

 人格を悪評する言葉は使われていない。

 ここまで聞いて、勇にもジーニストが何を言いたいのか見えてきた。

 

「他人を蹴落とす程の野心もなく、自分本位な自己顕示欲もないような人物だ。それをヒーローの舞台に引き入れてしまっては才能を殺してしまう」

「俺にはヒーローよりも相応しい舞台があった、と?」

「ああ。――だが、その結果がこれだ。間違っていたのは私の方だ。君の全ては私の責任とも言える」

 

 お門違いな罪悪感だ、とばかりに勇は鼻を鳴らす。

 しかし、ベストジーニストには自分の非で最悪の犯罪者が生まれたのでは、という不安があった。

 

「あの時の私は異常者だった。何を考えていたのか……今では一つも納得出来ない。きっと、君という才能と出会って頭が狂ってしまったんだ。一歩間違えば子供の将来を潰しかねないというのに、君なら私の真意を理解し、同調するだろうと、根拠も無く盲信していた。当時17歳の――小さな少年だというのに」

「……なるほど、その件はアンタの視野を狭めてしまう程の才能人だった俺が悪いですなァ。そして実際に、俺はアンタを恨んでいない。雄英を退学になった後、別の人生を模索しようと新鮮な気持ちに立ち戻ることができた。だけど、やっぱり無意識にヒーローに嫉妬していたのかも。……あんな事件を起こしちまうくらいには」

「――もう、『嫉妬』などという“小さな言葉”で誤魔化す必要はない」

 

 ベストジーニストは強い音調で言い放つ。

 

「お前がヒーローを殺す訳がないだろうに。ヘッドロッカー殺人事件の犯人はお前じゃない。もしそうだとしても、殺さざるを得なかった理由があったはずだ」

「憶測ですねェ」

 

 そう一蹴しながらも、勇はベストジーニストの声の裏に隠れた力強い確信に気付いていた。 

 

「もっと早くに寄り添ってやれば良かったのに。まだ若い学生の身である君を過信し、君ほどの男(・・・・・)には私の助けなどいらないと、身勝手にも思い込んでいた。あの時、私が声を上げていれば……! 君に理解を示してやっていれば……ッ! 誰一人味方のいなかった君を支えてやれていれば! こんなことにはならなかったのに!」 

「……」

 

 誰かの息を飲む音がした。

 

「私のせいだな」 

「黙れ」

「全て私が招いた結果だ……!」 

「違う」

「私が君を追い詰め、君を変えてしまった!」

「――――違うって!!」

 

 どれだけ人格が屈折しても、曲げられない信念がある。偽れない本心がある。朝木勇は、自分の決断の責任を他人に奪われる屈辱を許せない。

 自分で望んだ道に、言い訳を許せないのだ。

 善行にも悪逆にも、全てに誇りを持って、胸を張ってこそ朝木勇だ。

 

「アンタなんかの為に誰が変わってやるもんか! 全部アンタの妄想なんだよ! 俺は自分の意志でここに立った! 誰かの所為でも、誰かのおかげでもない!」

 

 聞いて、ベストジーニストは目を見開く。

 

「――そうか……! 考えてみれば、そうだ。君の動機なんて、『誰かの為』以外に有り得ない……!」

「ッ」

 

 核心を突かれて動揺したのは初めての経験だ。

 知られたくない本心を、最も知られたく無い人物の一人に知られ、自分ではない誰かの心臓の痛みを感じた。

 

「教えてくれ。ヘッドロッカー殺害事件の犯人は、本当に君だったのか……?」 

 

 助けを求めるような顔でジーニストが問う。

 不気味に沈黙した勇は、原罪を償う咎人のように、告げた。

 

「……悪いが、今は誰にも嘘をつきたくない」

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その後、朝木勇と蟻塚の身柄引き受けのために現れた警官とプロヒーローの総数は30にも及んだ。万全の監視体制には、もう絶対にヴィランを逃すまいという強い意志すら感じ取れた。

 人質の居場所が警察に伝達されると、直ぐさま別働隊に出動命令が下り、人質救出の運びとなった。勇が渡した情報に嘘偽りはない。やがて、無傷の子供たちは一人残らず保護されることだろう。

 

「オールマイト」

 

 護送車に連行される間際、勇が言った。 

 

「罪滅ぼしをするつもりはありませんけど、峰田実の家族に伝言を頼んでいいですかねぇ」

「……今更、貴様が被害者遺族に何を伝えるというんだ」

 

 冷め始めていた怒りが再燃し、オールマイトから憤懣が滲み出た。しかし、一応の聞く姿勢を崩さないのは寛大と言うべきか。

 

「あの子を誘拐した後、抵抗できないよう真っ先に気絶させました。その後、一発で頭を撃ち抜いた。一瞬で殺したんで、眠るように死んだのと変わらないと思います。検視なんて出来てないでしょうし裏付けの証拠もありませんが、俺の言葉だけでも伝えといてくれませんか。息子さんは苦痛のない死に方でしたよ、って」

「……」

 

 警戒されているのか、返事はない。

 しかし、遺族の気休め程度にはなる。勇がオールマイトの立場なら、それとなく伝えるだろう。

 

「それと、塚内警部の件ですけど……友達だったんですか?」

「貴様には関係無いだろう……!」

「です、ね。どうせ死刑の俺には関係ねェか」

 

 今度の逮捕では罪の追求から逃れられないだろう。前科がある上に、自分の殺人映像を大々的に公表してしまったのだ。ここまで来て、死刑を想定できないような弱い頭はしていない。

 

 

「――ああ、それとね!」

 

 

 無個性専用の拘束具が取り付けられている最中、弾んだ語り口調で。 

 

「アンタの『探し人』、生きてるぞ!」

 

「ッ!?」

 

 朝木勇の言うオールマイトの『探し人』。

 それが誰を示唆する名詞なのか――オールマイトには、即座に見当がついてしまった。

 正確には、探している訳ではない。恐れているのだ。“あの男”がまだ存命かもしれない、という可能性を。

 

「誰の、ことを……! 誰のことを言っている!?」

「アンタが想像した人物です。連合の裏で元気に隠居してますぜ」

 

 素性の知れないような人間が告げるならともかく、朝木勇の言葉では信憑性が違いすぎる。

 無視するには、この少年の存在は大きすぎた。

 そして、強く確信させる。

 

「情報は小出しにします。そうすりゃしばらく殺されないでしょうし。ただ、疑問があるならいつでもどうぞ。友人殺しちゃったお返しに、アンタになら何でも教えますんで」

 

 

 そう言い残して、勇は蟻塚と共に連行された。

 彼が残した言葉の余韻を感じつつ、オールマイトはその場で食いしばる。

 

「奴が連合の糸を引いていたというのか……!?」

 

 つまり。

 間接的に、教え子を死まで誘導した真の黒幕は。

 

「――――ッッ!!」

 

 行き場を失っていたオールマイトの怒りが、不倶戴天の宿敵に向かうのは避けられないことだった。

 

「あの、オールマイト……? 恐縮ですが、朝木勇の言葉は信じない方がいいですよ……? 何を言われたのか分かりませんが、あの男は口達者の嘘つきですから」

 

 憤るオールマイトの様を見ていた周囲の警官の一人から、そう助言が入る。第三者から見て取れるほど、オールマイトは静かに荒々しく激昂していた。

 

「……いいえ。今の朝木は無意味な嘘をついたりしないでしょう」

 

 プロヒーローとして、断言する。

 

「同感ですね」

 

 ベストジーニストも朝木勇からは同じ印象を受けていた。

 

「長年ナンバーワンヒーローをやってきましたが、自分の終わりを悟ったヴィランの表情はどれも似たようなものです」

「ええ。さっきの朝木の様子こそ、まさにソレだ」

 

 熟練のヒーローなら、相手の口調が変わっていなくても戦意を失っているかどうかの識別は出来る。

 二人の目に映った朝木勇は紛れもなく諦めていた。罪を自覚し、反省も後悔もしていないが、自分の末路を受け入れようとしている。

 

 平和の象徴は、溜息に乗せて疲労を発散させると、 

 

「――これでようやく、多くの人が雪辱を晴らせます」

 

 まずは一区切り。

 連合という悪意の塊はまだ生きているが、朝木勇が逮捕されることで前に進めるという者は少なくないだろう。

 きっと多くの人が、未だに『草壁勇斗』に囚われているのだから。

 

 

 




オールマイト「朝木勇はもう諦めています!」ドヤッ!
ベストジーニスト「目を見れば分かる!」ドヤドヤァァ!
マイト&ジーニスト「この戦い、我々の勝利だ!」
 
朝木勇「全然諦めてないよーん( ´゚,_」゚)バカジャネーノ 」
 
 
 
そういやベストジーニストさん、とんでもないことしでかいちゃいましたねぇ……。(他人事)


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誰が敵か

二月中に更新速度上げると言いました。守れなかったら腹を切ると感想欄でとある方と約束しました。



忘れてください。


 話はつい数日前に遡る。

 『地獄の明朝』により、漠然としていたヴィランへの恐怖は身近なものへと変貌を遂げ、世間のヴィラン排斥思想は過激化した。また、雄英高校の生徒が殺されたのは、ヴィランがヒーローに向ける敵愾心が大きな要因と見なされ、ヒーロー科を併設する全ての教育機関に警備体制の強化を要求する声が寄せられた。

 

 具体的な被害者を出した雄英高校は学校運営の方針を見直す他なく、あらゆる学科の生徒に寮生活を強いることを決定づける。

 費用の捻出は一時的にヒーロー公安委員会が受け持つことになり、同様の措置を全国各地のヒーロー科高校にも行うと発表することで、地獄の明朝による恐慌は落ち着きを見せた――かに思われたが。

 

 

 ――警察がヴィラン連合構成員の一人を摘発したことで、激昂した『朝木勇』が公の場に姿を現し、

 ――市民を惨殺する映像を垂れ流した。

 

 

 映像の拡散速度は尋常ではなく、一時間も経過する頃には世界各国で『大規模テロ事件』として報道されるに至った。

 朝木勇は一週間以内に仲間を解放しろと警告し、30名の子供を人質に取っていると宣言する。日本屈指のヒーロー育成機関が失態を晒し、ヒーローへの一抹の不信感が高まっていた。そんな頃合いに、誰もが痛感したのだ。

 

 ――この男、あるいは連合は、無差別に市民を虐殺することに躊躇いが無い。しかも、それを容易にやってのける手段を持っている。

 

 たった一つの組織に、たった一人の人間に、日本中が大混乱の渦に巻き込まれていた。

 誰もが人質の全滅を連想し、覚悟していた。もはや手放しにヒーローを信頼出来ない。

 

 

 だからこそ、人質の子供たちが全員解放され朝木勇の逮捕が発表された時の歓喜は大きかったというのは、言うまでもない事である。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 雄英高校一年A組のクラス寮共同ロビーにて。

 入院中の緑谷を除く全ての生徒が、固唾を呑んでテレビを囲んでいた。

 

『り、臨時ニュース速報です! たった今、雄英高校強襲事件の首謀者の一人と思われる少年「朝木勇」が、警察とヒーローの尽力によって逮捕されたとの情報が入りました!!』

 

 ニュースキャスターの女性が逸る声で告げた。もはやこの国には連合による犯罪を憂い、悼んでいる者ばかりだ。この女性も例外ではない。

 

『人質は……全員、救出されています! 全員無傷での救出です!! 皆さん! 人質の子供たちは無事です! ヒーローがやってくれました!!』

 

 直後、複数の重たい呼吸音が聞こえる。

 絶望をもたらした元凶を、ヒーローが倒した。誰もが望んだ勧善懲悪の道筋。それが遂に実現したのだと理解が及んだ瞬間、誰もがまず胸を撫でおろした。

 

 安心したのはいいが、今の心情を表現できる言葉が見当たらない。この気持ちを誰と、どのような言葉で共有すればいいのか。

 そんな沈黙を最初に破ったのは上鳴電気だった。

 

「マ、マジか! やったな皆!! 聞いたか? ヒーローがやってくれたってよ!!」

 

 決して最良の結末とは言えない。友は殺され、更に多くの死者も出た。

 しかし、間違いなくこれは喜んでいい吉報である。

 

「捕まったって、あの、ほら。“あの時のアイツ”のこと、だよね? ……本当に?」

「し、信じられない……」

「…………ケロ」 

 

 芦戸三奈が、葉隠透が、蛙吹梅雨が、順々に述べた。

 それぞれが喜色を孕んだ声音。そして、まるで肩の荷が下りたかのように柔らかな表情になっていた。先の事件以降の張り詰めていた空気も霧散していく。

 

「……デクくん、もう知っとるんかな?」

「ッ、そうだ! 緑谷くんにも知らせなければな!」

 

 入院中の友人の事を思って、麗日と飯田が携帯を取り出す。恐らく、誰より傷心しているのは緑谷だろう。学友を目の前で拉致された時の悔しさは想像に難くない。

 

「そういや、今日の授業オールマイトいなかったよな? もしかすると……」

「絶対それだ! オールマイトがやったんだよ!! あんな奴、オールマイトが本気になりゃ一発だ!」

 

 上鳴電気と切島鋭児郎。二人の予想は個人的な期待が入り交じったものだったが、奇しくも真実を射貫いていた。まだ公に発覚していないとはいえ、事実として朝木勇はオールマイトの戦闘力に成す術無く終わる結果となったのだ。

 

「不謹慎なのは分かりますが……それでも、やっぱり……犯人が捕まって良かったですわ……」

 

 未だに学友の死を嘆く気持ちと、ヴィランの打破を喜ぶ気持ちの間を揺れ動く八百万百。探り探りではあったが、ようやく今の感情を言葉に紡ぎ出した。

 

「そんなに心配しなくても、今は全員似たような心境だと思うぞ。正直俺も言葉が見つからない」

「轟さん……」

 

 各々が胸中に在るものを吐露していく中、轟が上手く纏め上げた。

 そう、言葉にしなくても全員が共通の感想を持っている。間違いなく誰もが朝木勇を恨み、誰もが峰田の事を残念に感じていたのだ。誰もが(・・・)

 だが、未だに僅かな誤解は残ったまま。

 

「――若干一名は、どうだか分かんないけどね」

 

 耳郎響香の剣呑な視線が、ある少年に刺さった。

 峰田が殺されたことを自業自得だと揶揄するような、厳しい持論を吐き捨てて以来、爆豪への周囲の風当たりは僅かに強くなっていた。もちろん、彼は本心から死者を嗤っていた訳ではないが、陰鬱な最近の雰囲気が気に入らないのは否定できない。

 だから、爆豪勝己は言い訳しなかった。

 

「“クラスメイトに同情してる私良い人”アピールがしたいなら勝手にしてろ」

「なッ――」

 

 ――流石に、空気が凍り付いた。

 

「なぁ、オイ、爆豪……。悪いこと言わねぇから訂正しとけ」

 

 見かねた切島が助け船を出す。彼は知っているのだ。雄英襲撃の際の爆豪の奮闘を。一度頼もしいと感じた友人を、只の冷徹な悪漢だと思いたくない。

 だが、やはり爆豪勝己は訂正しない。

 その代わりに、より深い本音を吐き出した。

 

「お前ら悔しくないのな。オールマイトかどうかも分からねぇ、どこぞの誰かに仇を横取りされたってのに」

 

 倒れた人間の為に視線を落とし、只嘆くだけじゃない。

 その元凶がいるのなら、むしろそっちを見据えて離さない。

 それが爆豪勝己。彼は折れないし、前方以外を見る気がなかった。

 

「あの時、校長の言葉聞いてたか? 俺らのために目を配ってたプロヒーローの言葉をよ。俺はとっくに前向いてんだ。傷の舐め合いなら俺抜きでやれ」

 

 爆豪が言ったのはそれだけだった。

 彼は取り繕おうとしない。誰からどう思われようと、関係ないのだ。

 屈折しない自分がいればただそれだけで良かった。それだけで、今を乗り越えられる気がしていた。

 

「お、おう……うん、まぁ。お前はそういう奴だよな。誰かを故意に傷付けようとして言ってるんじゃないんだろ? な?」

「黙ってろクソ髪。誰がフォローしてくれつったよ?」

「何だよソレ、俺はお前の事を思って……」

「ケッ。お前の助けが要るほど俺は弱くねェ」

 

 恩情に唾を吐きかけられた切島は顔を顰めた。だが、ヒーロー志望なだけあって生来の彼は極めて温和である。心から爆豪を嫌悪するつもりにはなれなかった。それどころか、攻撃的な表現しかできない彼に同情すらしていた。 

 

「……まぁ、何だ。耳郎も気ぃ悪くすんなよ。爆豪に悪意はねぇっぽいし」

 

 耳郎に忠言したのは上鳴だった。

 

「……ああ、分かってる。ウチも魔が差して口が滑った。反省するよ」

「そ、そうだね。今は邪険になるの違うし。ともかく喜んどこうよ――峰田の為にも」

 

 地獄のようなあの朝を克明に思い出さないために、皆が意図的に彼の名を忌避していたが、ついに芦戸がソレを口に出した。

 そして。

 

「――――色んな人がこのニュースを見ている。先生方も、俺たちの保護者たちもだ」

 

 緑谷とメールのやり取りを済ませた飯田が顔を上げ、こう紡ぐ。 

 

「少しでも、乗り越えられる者が多いと願おう」

 

 まるで自分に言い聞かせるように、そう言った。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 護送中の勇は、万事順調である(・・・・・・・)ことに安堵し、不気味にほくそ笑んでいた。

 

(……馬鹿な連中。オールマイトもベストジーニストも、結局はこの程度か。ちょっと感情的になって見せただけで、簡単に騙されてくれた。これでヒーローからのマークは薄れる)

 

 ヒーローがあの様子なら、世間に広がるであろう反応も複製体である勇の思い通りになるだろう。

 

 まずは、ヒーローと警察の盲点を作り出す。

 計画の第一段階は上手くいった。世間は朝木勇の敗北を確信しているだろう。だからこその穴が発生する。

 

(さて、向こうの俺がきっちり準備をこなすと信じて、俺も自分の役割を済まそう)

 

 護送車の内装は簡素な作りをしていた。

 勇は軽く目を走らせる。それだけで、ここの設計が電波暗室と同質だと看破した。勇と蟻塚が連れ込まれた空間は中に監視も付いてない。完璧に内外を遮断してある。外は無数の警官とヒーローに囲われており、地力での脱出は不可能な状態である。

 だが、それがかえって今の勇には幸いだ。

 

(盗聴はされてないな。実によろしい)

 

 そう判断した矢先、対極の位置に座らされていた蟻塚が目を開く。

 

「……勇くん」

「お。起きたかい」

「腕、痛い……?」

 

 拘束されている我が身も気にせず、真っ先に彼女が気に掛けたのは勇の左腕。

 肘から先を喪失し、出血で赤黒く染まっている。しかし千切れたのは殆どが機械部分であり、出血量に関しては深刻ではない。問題は、神経が切り離されて壮絶な痛みが絶え間なく響いていることだ。

 だが勇はいつもの笑顔で。

 

「君と引き離された時の胸の痛み程じゃない。そっちの痛みも今は殆ど引いてるからオールオッケー問題無し」

「そう……? よかったね。えへへ」

 

 何が可笑しいのか、同調するように蟻塚も笑みを溢した。

 

「さて。早速だが本題に入ろう。今から俺は君に少し難しい話をするよ?」

「難しいの?」

「我慢してくれ。君と俺が話せるのはこれが最後かもしれないから」

 

 “最後”。

 その言葉を聞いた瞬間に蟻塚が反論しようとするが、隙を与えず勇は続けた。

 

 

「連合の誰かが俺たちを嵌めやがった。だから、事前に宣言した通り、全てを終わらせて俺たちは連合を辞める」

 

 

 ――蟻塚の一件が発生してから、朝木勇が本音を語ったのは実はこれが初めてである。

 蟻塚は彼の言う「誰か」を、リクラスかと推測するが、図ったようなタイミングでそれが否定される。

 

「リクラスじゃなく、別の誰か。死柄木か黒霧か先生(・・・・・・・・・)の誰かだ。俺が心から信頼してるのは君だけじゃなくトゥワイス――分倍河原(ぶばいがわら)もだが、アイツは隠し事が出来ないだろうから、コレを打ち明けるのは君にだけ」

「え。え……。え? 何? 言ってるの?」

 

 蟻塚は理解が追いついていなかった。

 連合に忍び込んでいた裏切り者であるリクラスが蟻塚を尾行して居所を特定し、警察にリークした。これが蟻塚逮捕の全容だと思っていたのに。

 死柄木。

 黒霧。

 そして先生。

 この三人と言えば、連合の中核だ。信頼している――いや、信頼しなければいけない人物。

 その誰かが、自分たちを嵌めたのだと言う。

 

「まず凱善踏破という男がリクラス――霧雨碧という女を連合に派遣し、君の身辺を調査させた。けど、俺の目を欺いて君に辿り付くにはあの女じゃ能力不足。考えてみれば分かる事なんだ。

 となるとこう仮説が立てられる。リクラスが連合に潜り込んだ所までは単純に俺の盲点だったが、その先は別の誰かの手引きがあったと。裏切り者の存在を俺より先に識別した誰かが、ソイツに情報を掴ませた。具体的な過程までは分からないが、リクラスが君の居場所を知り得るように誘導した人物がいる」

「ちょっと、意味が分からない……。ゴメン、私頭悪いんだ」

「気に病まないでくれ。確かに分かりづらい。俺の推測は酷く漠然としているしな」

 

 自覚はあった。理解し難いと。

 誰が、どういう目的で、何をしたか。

 肝心な部分は何一つ分かっていないのだから。

 判明しているのは結果と現状。残りは全て勇の頭の中での出来事だ。幾つもの仮説を組み立て、可能性の薄い事象を切り捨て、最も濃厚な道筋を割り出す。謎解きと変わらない。

 しかし、真相と黒幕に辿り付く確実な考え方は一つだけ。

 

「簡単に物事を順序立てる為の第一歩、まず結末を見てみよう。何故か“君だけ”がピンポイントで捕まり、俺は焦って窮地に追い込まれた。しかも、絶望的って程の窮地じゃない。俺なら解決への設計図を組み立てられる。

 ――そう、“程よく追い込まれてる”んだ。まるで誰かが俺を試してるみたいにな」

 

「……“程よく”って所が、大事だったりする?」

「その通り。流石は俺の蟻塚ちゃんだ。程よい窮地。乗り越えられる苦難。まさに今、俺はプルスウルトラの精神を強いられている。雄英在学中の感覚と同じなんだ。だから俺はこう考える。

 ――俺に、試練を与えてる教師気取りのゴミがいる」

 

 結末から後付けされた根拠に乏しい仮説。

 しかし、勇の考えが声に出されたその時点で、それは既に確信にまで昇華している。仮説を裏付ける物が何一つ無くとも、彼の経験が全力で叫んでいた。

 今回の事件の真相は一枚岩じゃない。勇を捕まえようとする警察と、勇を殺そうとする凱善踏破と、更にもう一人の誰かの思惑が絡み合った結果が現状である。

 

「これで分かったかい? 俺と君を嵌めた野郎が何処の誰なのか。教師気取りって言ったら一人しかいない」

 

 蟻塚と二人きり。もう周囲に警戒する必要が無くなった勇の本音は、直ぐさま蟻塚に伝わった。

 

「……先生」

 

 ――そう。AFO(オールフォーワン)だ。

 ――朝木勇のレールを敷いた、あの野郎だ。

 

「先生がどうしてそんな事するの? 勇くんと私、嫌われてるの?」

「さァーてな。理由は分からん。功績を挙げたこのタイミングで俺を挑発するなんて愚策も愚策だが、切り捨てられたにしては中途半端なのが不可解だ。分かってるのは、先生の考え方が論理的に非合理ってだけ。ンま、存在そのものが哲学みたいなジジイだし不思議じゃねェケドな」

 

 先生がここで動く理由。

 もしそれが破綻した理屈ではなく、明瞭な意志が添えられたものだとしたら。

 ――勇は分からないと言いながらも、先生の目的を推測していた。

 

(……そう。まず結末を見る。俺は――捕まった。ヒーローや警察と接触した。死柄木から不信感を買った。今までひた隠しにしてきた素顔を世間に露出させた。…………どれもピンと来ない。俺の周囲で起きた変化の内、先生の目的と直結してそうなものと言えば――)

 

 考える。

 考える。

 そして、行き着いた。

 

(――俺に、“個性”を与えることか?)

 

 先生ならば予想も出来ていただろう。蟻塚が真に危険に陥れば、朝木勇は信念を容易く曲げて手段としての個性に縋り付く。

 勇自身の戦闘力の不足を補うために、彼が個性を求めざるを得ない状況を作り出した。

 ……考えられなくはない。

 

「――真実を突き止めるには材料が足りない。今、蟻塚ちゃんが念頭に置くことは一つだけでいい。この後俺に何かあったら、トゥワイスを頼ること。そのため(・・・・)にアイツが俺を複製出来るようにお膳立てしておいた。

 信用できるのはトゥワイスだけだ。いいね?」

 

「…………。」

 

 少女は首を振らなかった。

 

「ううん。今度は私が勇くんを助けるの」

「無理だよ君じゃ」

「無理じゃないもん! 見てて! ふぎぎギギぃィ!!」

 

 素っ頓狂な雄叫びを上げながら、蟻塚は自らの身体の自由を縛る拘束装置を内側から破壊しようと試みる。それを見ながら勇は苦笑いした。

 

「俺のは簡易的な拘束具だけど、君のソレはタルタロスで導入されてる品と同じだぜ? 力づくじゃ外せないって」

「外してやる! 壊して、さっさと逃げよう!! ふンっっ!!」

 

 蟻塚は自力でヴィラン専用の拘束を粉砕した前科がある。それを鑑みれば、警察側が更に強度の高い手段で蟻塚を縛るのは当然だ。

 しかし、確かに一度、彼女は限界を越えた。

 

「……うん」

 

 勇は自分の甘さを痛烈に思い知ってしまった。

 自分は蟻塚に過保護すぎたと。

 彼女の未来をもっと華やかで他人の血に塗れたものにするために、更なる試練を与えてやらねばならない。

 

「そうだな。君を頼るかもな……この後、少しだけ」

 

 片方が支えるだけの関係じゃない。

 勇にはもう、いざと言うとき蟻塚に背中を預ける決心が付いていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――――どうやら本体がお迎えに来たようです」

「は?」

 

 舞台を整えるため、次なる駒を配置していた最中だった複製体の勇を、突如として漆黒が塗りつぶした。

 次の瞬間、死柄木たちに明け渡していた自宅の景色が視界に広がる。

 中央では腕を組んでソファを陣取る死柄木の姿が。

 

「よォ。捕まったらしいな、あっちのお前。こいつはもしかして失敗か? お前を仲間に引き入れた所から全て」

「………………あ?」

 

 策を“続行”していたまさにその瞬間に。

 蟻塚と自分の命運がかかっているまさにその瞬間に。

 作戦の成功がかかっているまさにその瞬間に。

 このクソガキ、勝手に決めつけて邪魔して来やがった。

 

「どうして俺をここに連れ戻した? 説教の為か? 非生産的なテメェの鬱憤のはけ口にする為か?」

「状況を理解してないな。質問してるのは俺だ。リーダーに敵対的な上、使えないパーティメンバーは切り捨て案件だ。俺がその気になりゃいつでもお前を切り捨てることだって! 出来るんだぞ!! なぁオイ!?」

「…………」

 

 ああ、拙い。ドロドロしてきた。

 

「お前は言ったな。今度もヒーローを出し抜いてくると。俺はその言葉を信じてやったんだ。前回の件でのお前の働きを評価してな! だがそんな忖度も此処までだ! いい加減に蟻塚を諦めてもらう!! お前は一生複製体のまま、俺たちの為に頭を回せ!! もうお前に!! 何の期待もしてねェからな!! 言われたことだけしてりゃァいい!!」

「……」

「良かったな、生きやすくなって。もう決断しなくていい。お前の全ては俺が決定してやるよ」

 

 癇癪を引き起こした子供に説法を垂れても効果が無いのと同じで、今の死柄木はどんな忠言も耳を逆らうだろう。

 初顔合わせの時よりも殺伐としていた。死柄木の殺意を肌で感じ取れる。彼が勇に対して懐いていた好感は完全にマイナス値へと反転している。

 

「トゥワイス、お前はどう思ってる? 死柄木と同じように俺を見限ったか?」

「えっ、俺? ……そうだなぁ」

 

 トスワイスは朝木勇と最も付き合いの長い人物の一人である。築かれた信頼関係は連合の他メンバーとの比ではない。便利屋時代からの友人なのだ。

 彼は勇に幾度も救われた経験がある。裏切れない恩がある。答えは決まっていた。

 

「死柄木はちょいと冷たすぎだぜ! 朝木の本体が捕まっちまったなら仕方ねぇ、皆で助けに行こう! 俺は勿論手を貸さない! なんつって、本当だよ!!」

 

 彼の主張と本音は逆転することがままあるが、要するに全員で勇を奪還するために動こうと提案しているようだ。

 だが、当然それは死柄木の琴線を逆撫でする訳で。

 

「――論外だ。話にならない。お前ら全員役立たずか」

「朝木は俺たちのために左腕を差し出した。だったら俺たちだって――」

「黙れ、トゥワイス、お前は。俺が朝木と話してる」

 

 言われて、トゥワイスは押し黙る。死柄木の純粋な害意は際限がない。歯止めを失おうとしている今、仲間であろうと安全の保証は無かった。

 口答えは許されない。そう誰もが直感したが、朝木はいつもより強い声色で言った。

 

「あ~、頭が蕩ける」

「は?」

「脳味噌が溶け出して、溢れ出して流れ出して消えちまう」

「オイ、勝手に狂うな」

 

 “狂う”というのは違う。最初から朝木勇は狂っていた。

 

「ムカムカするとドロドロしだす。昔からそうなんだ。視界が霞んで、全てが汚泥に飲み込まれる。その後、姉さんの腕が俺を引っ張るんだ。何処かへ連れ戻そうとしてくれる。……この症状を治すには誰かを殺さないといけない。いつもそうやって何人も殺してきた!」

「……なら、適当に見繕って誰か殺してこい。その位は許す」

「駄目だ。あの子が隣にいないと駄目なんだ」

「あぁあぁぁああ!! 話が通じないな! 蟻塚はもう終わった!! この下らない議論も、ここで終わりにする!」

 

 譲れないのは互いに同じだった。

 普段なら勇は他人に道を譲る。他人の願望を満たすことが、自分の欲求に直結するからである。

 だが、蟻塚と引き離されることだけは容認できない。

 

 彼女が死ぬのはいい。後から自分も死ぬだけだ。

 自分が死ぬのはいい。後から彼女も死ぬだけだ。

 終着が残酷な結果に終わっても、二人一緒ならそれでいい。許せないのは、引き離されることである。

 

 今だけ。勇は我が道を行く。そのために口を開いた。

 

「――死柄木よォ、お前の芯を俺は知ってる」

 

 彼の表情に浮かぶのは笑みとは違った。負の想いをそのまま具現化したかのような。

 まさに憎悪そのもの。

 

「胸に芽生えたそれは恐怖だ。分からないんだろ、目の前の男の本性が。全て把握していたいよな、だから未知の泉を覗き込む。一面は透き通っていて、泉の底が見える。だけどそれは全部勘違い」

 

 一歩分、歩み寄る。

 

「今まで朝木勇を覗き込もうとした奴は大勢いたが、全員戻ってこなかった。恵みの泉だと思ったそれは、真っ暗な沼だ。中のモノを知った所で、ぬかるみに足を取られて元の居場所には戻れない。

 俺自身ですら、俺の中身を知らないんだ。他人なら尚更だろ。

 知らない。分からない。だからお前は俺が怖い。俺も少しだけ“朝木勇”が怖い、が……死柄木弔は恐るるに足らない。とっくにお前の底を知ってるからだ。実に浅い人間性だったよ」

 

 言い終わる頃には、互いに手を伸ばせば触れあえる距離にまで勇は死柄木に接近していた。

 

 そして。

 少年は容易く他人の核心に触れる。

 

「――――今のお前は、俺が失敗したなんて欠片ほども思っちゃいない。それどころか、無条件に成功を予期している」

「…………何だと」

 

 絞り出したような反駁。

 死柄木の額に僅かな汗が伝った。

 

「これ以上、遠くにいかれるのが寂しいのか? だから自分の隣に縛り付けておきたい。分かるよ。そりゃサブキャラが主人公のレベルを超えてたら誰だってキレる」

 

 勇は死柄木が望む物を熟知している。彼が渇望しているのは主導権だ。誰かに先導されて、その跡を続く屈辱が許せないのだろう。

 故に、朝木勇がヒーローと警察に敗北したと決めつけて、安心しようとした。

 すなわち。

 

 とっくに。

 彼には。

 見抜かれていたのだ。

 

「俺を服従させたかったら蜜をおくれ。仲間に猶予を与えておくれ。でないと、お前の欲しいものはむしろ遠ざかる。俺が蟻塚ちゃんに向けている想いと同種のものを、お前に向けることはなくなる」

 

 言い得て妙だった。

 要するに俺の恨みを買いたくなかったら見逃せ。と単純な脅迫をしているだけなのに、勇の言葉には得がたい含蓄があった。

 死柄木に決断を促す何かが介在していた。

 

「時間を与えて何の得がある」

「俺と仲間に戻れる」

 

 死柄木は見破れなかった。

 勇の連合への不信感が、もう取り返しのつかない場所まで行き着いているということに。

 彼はとっくに、トゥワイスと蟻塚以外の“全て”を敵だと認識していることに。

 信頼しあえる仲間になんて戻れる筈がない。勇と死柄木の間の見えない溝は永遠のものだ。それに気付かなかったが為に、死柄木は判断を誤る。

 

「……期限は今日限りだ。日付が変わったその瞬間が、今回の結末」

「それでいい。ありがとう。これまで通り黒霧の複製体は借りていくよ」

「勝手にしろ」

 

 結局、あらゆる物事は勇の想定通りの軌道を見せ、予定通りの着地点へと近づいていく。

 

 

 666

 

 

 某所。

 閑散とした住宅街にひっそりと聳え立つホテルの最上階層で、男は三つのテレビに囲まれていた。それぞれに映し出されているのは、別々の局から放送されている同じ内容のニュースである。

 

「人質全員が無傷で救出され、朝木勇は逮捕された。ふむ。公表されていた日程より大幅に予定が繰り上がっているな」

 

 男は放映されている内容の全てに意味を見出さずにはいられない。

 人質の子供たちの中から犠牲者が出なかったこと。

 朝木勇から要求されていた期日より早めに決着がついたこと。

 

「素晴らしい終幕じゃないか」

 

 故にこそ感じるものがある。

 

「――素晴らしすぎて、何て嘘くさい」

 

 長年『便利屋』を追い続けていた塚内直正なら気付いていただろう。しかし、彼が死んだ今、違和感に気付ける存在はこの男だけ。

 それに、男の目的を果たせるタイミングは今だけだ。

 男は、殺害という“名目”で草壁勇斗に会いにいかねばならない。

 

「良い頃合いだ」

 

 ようやく、凱善踏破(がいぜんとうは)は腰を上げた。

 そして。

 

「私も出るか」

 

 遂に、ヨーロッパ最強(・・・・・・・)の男が動き出す。

 

 



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死なば諸共

 『ベルスーズ』というヒーローがいる。

 仏語で“子守歌”との意を示すその名は、フランスNo1の男に冠される。

 

 曰く、ベルスーズは声で人を殺せる。

 曰く、悪しき者を識別する眼を持つ。

 曰く、その素顔を知る者はいない。

 曰く、彼は人間ではない。

 

 市民の間での目撃情報が少なく、架空の存在であるかのように噂だけが飛び交ってはいるが、フランスの機関は確かに彼の実像と成果を認識しており、実在することは確かである。

 

 そしてベルスーズには定形がない。

 ある時は男児の姿で、ある時は青年、またある時は老爺として目撃されている。これらの情報から判明しているのは、一流の変装技術を持っており、男性であるという点だけである。

 

 実体が掴めず、霊的とも言えるヒーロー。それがフランスの頂点に君臨する人物だ。

 ヒーローの存在が漠然としているとその庇護下にある者にはある種の安心感が生まれる。正体が分からない対象にこそ、信仰というのは集まるものだ。

 彼のおかげでフランスの個性犯罪率は以前と比較して15%も減少した。

 

 その成果が評価され、ベルスーズはヨーロッパ全体に活動範囲を広げることなる。欧州における“平和の象徴”と目されるにはそう時間のかからないことだった。これが“ヨーロッパ最強の男”が誕生した一連の流れである。

 

 そして、今ではこう言われている。

 

 

 一年半ほど前のことだ。

 

 ベルスーズがフランスから姿を消した。と。

 

 

 666

 

 

「HNを介してエンデヴァーさんに緊急要請(エマージェンシー)が届いてます」

 

 日本で事件解決数最多を誇るヒーロー事務所に送られた一報。

 サイドキックのバーニンが告げた鐘の音をエンデヴァーは涼しい顔で一蹴した。

 

「その身の程知らずに伝えておけ。俺は別の用件で多忙だと。しかるべき手順を省いた要請なぞに手は貸さん」

 

 ここ数日、個性犯罪率は加速度的に上昇している。元凶は考えるまでもなく、現在日本で最も露出の激しい犯罪組織――ヴィラン連合で間違いないだろう。彼らの悪事に呼応するように、世の中の治安は悪化の兆しを見せている。そのしわ寄せを喰らっているエンデヴァーはいつになく時間に追われていた。

 

 もちろん、バーニンもエンデヴァーの状況は理解できていたが。

 

「いやぁー、応じた方がいいですよ。相手が相手だし」

「ほう?」

 

 サイドキックがNo.2に比肩すると評する相手。

 少し、興味が湧いた。

 

「お前がそこまで言うか。良かろう、繋げ」

 

 足を止めるエンデヴァー。バーニンは決して鈍い女ではない。エンデヴァーも彼女の助言を無条件に拒絶するほど耄碌していないつもりだ。

 バーニンが「了解!」と快活な返事をすると、直ぐさま常備のスピーカーから相手の声が響いてくる。

 

『こんにちは、No2』

 

 掴み所の無い落ち着いた声だったが、妙に耳に残る音だった。

 

「何者だ」

『私はベルスーズ。フランスの元No1と言えば分かるかね?』

「……ほう」

 

 ベルスーズ。それはデビューから半年で名実ともにフランスの頂点に登り詰めた俊豪の名である。彼が犯罪発生率の抑制に貢献した度合いは、最盛期に限って見ればオールマイトを凌ぐ。

 伝説じみていて誰も模倣できないと言われているが、多くのヒーローから彼の影響を受けていた。エンデヴァーも聞き及ぶ大物である。

 

「知っているとも。界隈ではそれなりに名の通った男だ。死亡説も出ていたがデタラメだったか」

 

 エンデヴァーの声の温度は一段階下がっていた。

 通話先の相手が誰であれ、こうしてHNを利用している時点でヒーロー免許を持った誰かであることに疑いはない。しかし、わざわざ外国のヒーローを名乗ってきた意図が掴めない以上、警戒せずにはいられなかった。

 

「して、退任隠居中の外国人がこの私に何の用だ。日本次席の時間を拘束している事実を重く受け止めて口を開け」

『警察に危機が迫っている。フォローを頼まれてもらいたい』

 

 要点だけを述べたつもりなのだろうか。話の筋が見えてこない。

 

「意味が分からん。どういうことだ」

『朝木勇が捕まったとの報道があるが、彼は逃げ出す。それもすぐに。計画は間延びするほど揺らぐものだからね。あの男は早期決着を望むだろう』

「……朝木……勇……だと?」

 

 耳に痛い人物だ。名前すら忌々しい。一度は実の息子を負傷させた相手でもある。エンデヴァーは吐き捨てるように言う。

 

「俺が手を下す機会に恵まれなかったのは残念だが、あの男はもう終わりだ。警察も盤石の備えをしているに決まっている。奴の仲間が奴を救出しに現れたとしても不足がない程にだ」

『そう。外堀を固めて誰もが彼から目を逸らしている。きっとそこが狙いだろう。現に警察もヒーローも、“内側”から蹴破られる想定をしていない』

「フン。無個性の輩に何ができる? サシなら俺の息子ですら朝木勇を凌ぐぞ」

『それが事実なら何て優秀なお子さんだ。日本の次期No1は決まったも同然かね?』

「勘が良いな。アレはなるべくしてそうなる人材だ。俺がそうさせる。仕立て上げる」

『へぇ……』

 

 嫌な間が空いた。

 何故だか、エンデヴァーの額に汗が垂れた。

 

『要請には応じる気がない?』

「当然だ。仮に朝木勇が逃げ出したとしても、その時は俺が直接手を下してやる」

『……駄目だな。やはり頭が回っていない。“仮に”と言いながら本気で予測を立てていない。立てていないから対策できない。行動しない』

 

 男は続ける。

 

『確かに警察の尻ぬぐいをしても、現行の制度じゃ君に利益は回ってこないだろう。だがね、人の命がかかっている、あるいはその可能性がある。今腰を上げないようじゃ、職業としてのヒーローは名乗れないよ。

 窮地に颯爽と現れる正義の味方。それが君たちの理想なんだろうが、仕事人とは言えないね。君たちは気持ちよく人を殴って富を築きたいだけかね?』

「……何だと、貴様」

 

 間違いなく侮辱されている。

 他人の命が天秤にかかっていて、それを指を咥えてただ眺めているとでも思うのか、このエンデヴァーが。

 ヒーローなら誰だって他人に寄り添うための心の温度がある。富を望まないと言ったら嘘だ。気持ちの良い勝利も名誉も欲しい。だが、ヒーローとしての義務も自覚している。

 

 ――人命まで掛かっているというなら、もちろん動くに決まっている。

 

 ベルスーズの言葉は上手くエンデヴァーを煽っていた。

 

『最も機動力があると見込んで頼んでいるんだ。時間もさほど拘束しない。今から――そうだね、一時間ほど、朝木勇が送られた拘置所で異変が起きないか監視しておいて欲しい。どれだけ長くても、一時間もあれば私も現地に着く』

「――もちろん、フランスNo1のヒーローとして、正式に依頼しているんだろうな」

 

 ここまで言われれば、次にエンデヴァーが紡ぐ回答は明白である。

 スピーカー越しにベルスーズ――凱善踏破は、三日月のような笑みを作った。

 

『勿論だとも』

 

 

 ◇◆◇

 

 

 野場市某所の警察署内にて。

 

「お前たちほどの重犯罪者、普通ならタルタロスに直通でぶち込むところだ」

 

 勇と蟻塚の前を歩く恰幅の良い老齢の刑事が言った。

 

「特に朝木、お前は――19だったか。俺の孫と大して変わらない歳だってのに、よくぞここまで暴れられたもんだ。その才能とタフネスだけは間違いない。使いどころを間違えさえしなければ、無個性でも十分活躍できたってのになぁ」

「あ、良いんで、そういう無駄口」

 

 勇は知っている。口数が多いのは怯えているのを隠すためだと。

 無理もない話だ。悪逆の数々が大々的に露呈した今、尻込みせず勇に接してくる輩はよほどの匹夫か、危機感が欠如した愚か者のどちらかだろう。

 

「褒めすぎですよ。あー気持ち悪い。プライドはないのかねぇ」

「……老人の気遣いは快く受け取るもんだ。少しでも緊張を解してやろうとしたんだろうが」

「無理な相談ですぜ。だって俺、今や全国のジジババの敵だもんね。本来なら世の中の生産性を向上させた功労者として、認められても良さそうなもんだが。害獣駆除の英雄だよ」

「ほぉ、根性の据わった奴だ。こんな状況でも弁が立つんだな、極刑は確実だってのに」

「はいはい。良いからその臭い口を閉じてね、税金泥棒」

 

 納税していない殺人鬼がとんでもない物言いである。

 無言で歩を進めると、ある監房の前で唐突に刑事の足が止まる。

 

「着いたぞ、ここがお前の房だ」

「あ、もう? そうですか寂しいなぁ。……そうだ、さっきの話の続きしません? お孫さんがどうのって。幾つなんですか?」

「無駄口嫌いなんじゃなかったか。良いから入れ」

 

 途端に饒舌になった勇の口を閉じさせ、肩を掴む。

 

「…………オイ、さっさとしろ」

「んー、出来ればまだ暫くお話ししてたいなぁ、なんて。へへ」

 

 ここに来て、勇は官房に入れられることを拒み出した。刑事が強引に背中を押してもその場に留まろうと必死に抵抗する。

 

「今更何言ってんだ。妙な抵抗はやめろ。まさか……何か企んでるんじゃねぇだろうな?」

「いやいや企んでるなんてそんな……。こうして拘束されてるんだから、無個性の俺には何も出来ねぇよ」

 

 勇自身がそう言った直後の事だ。

 

「そう。何も出来ない。……そう思い込んじまってたことが、お前らの死因だ」

 

 彼は自らの前言を否定する弁を紡ぐ。

 つまり、もう機は熟しているということ。

 もう演技を続ける必要は無いということだ。

 

「俺ずっと、数えてた(・・・・)

「は? 何を言ってる」

「改めて宣言するよ。やっぱり俺は人殺しが大好きらしい」

 

 警察とヒーローは朝木勇がひた隠しにし続けた切り札を知らない。彼の弄した策を推測することは不可能だったろう。

 だから、ここまでは彼の予定通り。

 

時間だ(・・・)。どうせなら楽しもう(・・・・)

 

 真意の掴めない勇の発言に、刑事の警戒心が限界まで跳ね上がる。

 そこで、何かを確かめるように窺い知れぬ勇の表情を覗き込み、確かに見た。

 

「やっちゃえ、勇くん」

 

 蟻塚の声に応えるように。

 およそ同じ人間とは思えぬ表情で朝木勇が嗤っているのを。

 

 

「 【膂力増強】 」

 

 

 ピキリ。

 鉄の折れる音がした。

 

「お前、何を……?」

 

 ――――瞬間、爆ぜる。

 

 四方に散る拘束具の破片が壁を抉り、威力の程を物語っている。

 『個性』を発動させて内側から鉄を粉砕した勇は、上昇させた筋力の勢いを維持させたまま刑事の下顎を掴み、そのまま引き抜いた。

 

「らァッッ!!」

「ギィェェェェェェェェェェェッ!?!?」

 

 耳を劈く金切り声を上げ、刑事は膝を折った。紙を裂くかのように容易く引き千切られた顎。想像し得なかった痛みに脳が追いついていないため、自力で立ち上がる余力は残されていないだろう。

 悶絶する刑事の尻目に、勇は武装した警官たちに目を向ける。

 

「――ぅ」

 

 不気味な閑寂が生まれると、直ぐさま破られる。 

 

「撃てェ!」

 

 誰が叫んだのか、当人ですら自覚がないかもしれない。

 生き物として残された人間の本能が警官たちを突き動かしている。目の前の男を、人として見てはいけないと。

 非力な無個性だった筈なのに。それが今はどうだ。朝木勇は自由を縛る枷を自力で解き、彼らの上司を惨殺した。

 

「撃ち殺せェ!!」

 

 そうだ。

 朝木勇に関しては何一つ信用できない。

 唯一信じられるのは、生き物として絶対的な『死』だけだ。

 死なない限り、朝木勇は何をしでかすか分からない。

 

 勇を目掛けて無数の弾丸が飛び交った。

 

「 【加速】 」

 

 全射線上から一瞬にして勇の姿が消えた――ように見えた。

 彼は機械的に最小限の動きだけで弾道から逸れ、警官たちが認識しづらい視界の隅にまで跳ねたのだ。

 

 猫のように、風のように。

 

 以前から戦闘行為における勇の動きは合理的だった。それが筋力と速度の増加に伴って、目で追えない程に巧みな軌道を描くに至っている。まさに荒唐無稽な俊敏性。

 蓄積された彼の努力を、一切殺すことなく『個性』が後押ししている。

 

 勇は風に乗った閃光のように柔らかい動きで警官集団の懐に潜り込むと、まず一人の首を落とした。

 

「エクスタシィ♪」

 

 倒した警官から銃器を奪うと、踊るように旋回しつつ周囲めがけて乱発する。そのどれもが蟻塚に命中しないように調節されていたが、その他の者は例外なく被弾し倒れ伏した。

 その後、全員の脳天に銃弾を打ち込んで確実に絶命させると、ある警官の懐から蟻塚の拘束具の鍵を盗み出す。勇は個性の行使に踏み切るまでに、鍵の在処を掴んでいた。

 

「早くコレ外して~」

「はいはい。お待ちくださいな、お姫様」

 

 勇は悠長な会話を広げながら、複雑に施錠された蟻塚の拘束を解く。

 

「……全身が痛い」

「軽く運動すれば治るさ。久々に、全力で遊んで良いぜ。今日は俺と一緒にね」

 

 そう言った直後、警報音が署内全域に響き渡った。入念な下調べをしていた勇と言えど、流石に監視カメラの目を盗みつつ殺しを敢行することは無理だったらしい。

 すぐに武装した警官や、外の見張りに雇われていたヒーローたちがやってくるだろう。

 だが、警察の人員配備は既に把握済みだ。対処可能なだけの研鑽は済ませている。 

 

「さて、あと5分と30秒だ。地下潜りの成果、発揮するとしますか」

「みんな殺そう! 楽しみ!」

 

 ボーナスステージ、延長戦である。

 殺戮が始まった。 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 野場市上空には数機の報道ヘリが集まっていた。

 その内一機に搭乗していた男性リポーターは、眼下の光景を迫真の様子で言い表す。

 

「ご覧下さい! 朝木勇が運ばれた留置所を取り囲むように群がる人々を! 彼らは皆、朝木に厳罰を望んでいます!」

 

 恐らくは報道を聞きつけ駆けつけた野次馬の群れであろう。一見して数百にも及ぶ人々が、幾つもの罵声を入り乱れさせながら響かせている。

 

「……未だかつて、たった一人の人間に、此程までの怒りが集まったことがあったでしょうか……! 彼らの声こそ全国民の総意であることでしょう!」

 

 そう言いつつも、リポーターの男は別段勇に特殊な怒りを覚えてはいなかった。彼自身が淡泊な人間であるというのもそうだが、どうすれば民衆の関心を集められるかという感覚が何よりも先行していたのだ。

 長年報道機関に属し養った経験が、朝木勇の事件を視聴率の材料としか見ていないのである。

 

 男は、恐らく国民の大多数が望んでいるであろう言葉を口にする。

 

「悪の芽を決して許してはなりません! 未成年だからどうしたというのか! 今こそ朝木勇に厳正なる報いを! 超人社会に相応の処罰を!」

 

 男の声が下まで届いたかどうかは定かではないが、その発言の直後、呼応するように飛び交う野次が勢いを増していくのが感じ取れた。

 

 多くの者が一人の少年を睥睨し、慈悲の欠片もない罵声を浴びせ、少年の破滅を心から願っていた。

 怨嗟の波は波紋となって広がっていく。

 

 朝木勇はもはや日本の敵と成り果てていた。

 

 

 666  

 

 

 凱善踏破は建物の上を渡って縦横無尽に駆けていた。

 その最中、腕輪型の端末を駆使して必要な情報を洗い出す。報道されている今回の騒動の時系列や、被害者の共通項。全ての材料を思案して朝木勇の次の行動を推測する。

 踏破が目を付けたのは、逮捕後の勇の足取り。

 

(最寄りの留置所を避けて輸送されている……。勇斗くんを幽する設備に空きが無かったのか? ここに彼の意図が介在しているのなら、輸送先は事前に把握出来ていたということに……)

 

 勇と蟻塚を乗せた輸送車は野場市にある警察署に向かったらしい。それを知った踏破は、警察署に関する調べ得る全ての概要を列挙させた。

 そして、衛星写真の地図を眺めた時、気付く。

 

(……不安な立地だ。コレならいくらでもやりようがある)

 

 不吉な未来図を思い浮かべて、踏破は溜息を一つ。

 

「極力、もう死人は増えないで欲しいのだがねぇ……」

 

 いざとなれば障害を物理的に排除するのもやむなしだが――誰も巻き込まず、草壁勇斗と凱善踏破の因縁を終わらせるのが最善手である。

 一秒でも早く現場に到着する為に、踏破は進む速度を上げた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――ひたすらに、暴れる。

 

 勇と蟻塚の戦法は、行き当たりばったりの出たとこ勝負である。

 戦闘を想定した策略は一つとして練っていない。視界に入る自分たち以外の者を外敵とし、片っ端から蹂躙していくだけの単調な戦い方である。

 ただ、それだけで警察戦力が半壊していた。その要因としては、勇の奮闘よりも蟻塚の方が多くを占める。彼女の力量が、勇の想定を遙かに上回っていたのだ。

 

 蟻塚は個性の覚醒に伴い、致死性の毒を含む多様な毒性を体内で練るようになっていた。まさに、毒液をまき散らす人型の恐竜である。

 彼女の爪は弾丸を食い止め、彼女の牙は鋼を食い破る。その上、浴びたら即死の血液を持っている。増援のヒーローたちはどうにか二人を生け捕りにしようと躍起になるが、それもまた悪手だった。

 

 ヒーローが“加減”している部分に、容赦なく絶殺の毒牙が突き刺さり、多くの犠牲者を許す結果となってしまったのだ。

 

 我が身を省みず荒れ狂う朝木勇と蟻塚の戦意を潰す手立てはない。無論、勇の方には今後の見通しと計画があるが、彼らの狂乱っぷりはそれを匂わせない程に苛烈だった。

 

 まるで戦争。

 しかし、そんな時間にもようやく収束の兆しが見え始める。

 

「はぁ、はぁ、キリがないぃィ~~ッ!」

「チッ、ゴキブリみてぇに湧きやがって……。やっぱ正面突破できるほど安くないか」

 

 屋上で蟻塚と勇は包囲されていた。

 もう数十人は潰したというのに警官の数は一向に減らず、今では隙間を作らず二人を包囲している。

 ヒーローの姿も少なくはない。本来は警備で雇われていたため、ランキングに名を連ねるような大物の姿はないが、ヴィラン二人に投入するには過剰すぎる戦力が揃っている。

 

「朝木ィ! どういうことだ! 貴様無個性ではなかったのか!?」

 

 とあるヒーローが、恐らく現場の誰もが驚愕していただろう事柄を追求した。

 警察が取り得た勇への対処は、原則的に無個性の犯罪者に対する手段だけだ。旧来の拘束方法で、旧来の官房に収監し、旧来の手順で裁く段取りである。そこを覆すのは人権の侵害と同義であり、蟻塚への処方と同様に勇を拘束することは出来なかった。

 

「また……欺いていたのか!?」

 

 まさか、後天的に“取得”したとは誰も考えないだろう。

 勇が個性を隠し持っていたと、警察もヒーローも同様に推察していた。

 

「想像以上の驚きっぷりだ。分かってるぜ。どうせテメェら、無個性の人間を障害者か何かと同じように考えてたんだろ! そんなんだから俺みたいなのに足掬われるんだよ!! 個性が有ろうと無かろうと、同じ人間で同じ犯罪者さ。慢性的に俺らを舐めてたツケがコレだ!! ちったァ痛みから学べバァァァカ!!」

「貴様毛ほども! 反省していないな!? 死刑で有り余るクズめ!!」

「フフン、褒め言葉☆」

 

 窮地でも、いや窮地だからこそ、勇は余裕の笑みを崩さない。

 

「今度こそ終わりだ。観念しろ!」

「さて、どうかな」

 

 言い終わるタイミングで、勇が密かに数えていた時間が10秒を切った。

 

「テメェらが終わりだと思った時は、大抵まだ始まってすらねぇんだよ」

 

 その時。

 街から、光が落ちた。

 

 

 

 

 複製体の朝木勇は、黒霧と共にオートバイに跨がり、最高時速で国道を走っていた。

 道路交通法に痰を吐きかける勢いで彼らが向かう先は、本体の勇が輸送された警察署。

 

(――見えた)

 

 目的地を視認できる距離にまで到着すると、まず目に付くのは野次馬とマスコミ、そして彼らを取り締まる警察の群衆だ。警察の機密である朝木勇の輸送先が民間に露見しているのは、複製体勇の情報操作の賜物である。

 勇は目的地が見渡せる高台の上に移動した。そこで、狙い通りに人だかりが出来ている景色を上から眺める。ここまでは予定通りだ。

 

「本当に……あんなものが、貴方の妙案ですか?」

「あん?」

 

 唐突に、黒霧から向けられた言葉。

 

あの策(・・・)は只の集団自殺だ」

「…………」

 

 釘を刺すような眼差しを感じる。黒霧が勇の行動に猜疑心を持っているということは、疑うまでもない。

 

「交渉の場でもそうだったが、多分俺とお前とじゃ死ぬことの認識が違うんだろうな」

 

 根を見れば、結局の所意見の相違はそこに起因するだろう。同じ組織だと言っても、勇とその他の連合メンバーが志を同じくしている訳ではない。彼らの心は常に別の場所を見つめている。

 言葉にして共感できるというものでもない。

 しかし、あえて言語化するとしたなら。

 

「一日でも、一分でも、一秒でも長く生きられたら儲けものなんだよ。蟻塚ちゃんにもそう教えた。生きてることの価値を、誰よりも認めてると自負がある。お前との大きな違いはそこだ。俺たちみたいなゴミにも吸える酸素が残されてるなんて、ありがたい話だと思わないか」

 

 勇は確かに命の価値を認めている。

 しかし、それは尊重することとイコールではなく、只知っているということに過ぎない。

 

「他人の命を刈り取る時、対価としてどれほどの物を賭けるべきか。勿論、安全な場所から犯罪を俯瞰することもあるが……誰かを殺す時は別だ。いつだってそれ以上の物を天秤に乗せて、殺してきた。俺自身や、蟻塚ちゃんの命とかな。そこまでして、やっと舞台に立つ権利を持てると思ってる」 

「私たちにも、そこまでの覚悟をしろと?」

「いや、この話に関して間違ってるのはおそらく俺だ。間違ってても、もう考え方を正せないでいる。多分、俺は――」

 

 ――死に場所を探してるのかもな。

 

 そう口にしようとして、やめた。

 黒霧に打ち明けるような話ではない。それに自分が誰かから共感を得ようとしているような気がして、心底気持ち悪くなった。

 

 勇はいつも通り嗤う。少しだけ、自虐的に。

 

「……そろそろ時間だ。準備しよう」

 

 突如として常闇が勇と黒霧を包んだ。まるで迎え入れるように。

 発電所に仕込んでいた爆弾は上手く作動したようだ。一部の重要施設はすぐに予備電源に切り替わるとしても、これで一時的に街の機能は停止する。

 

「お前の言うとおりこれが集団自殺だとして、せめて愉快な最後を飾ろうぜ」

 

 勇のオートバイのエンジン音が闇の中で響いた。

 

 

 

 

 

 

 一部施設を除いた全ての建造物が闇に包まれた。

 朝木勇を包囲した直後の出来事である。これを彼と結びつけて考えるなという方が無理だ。

 

「注意しろ! 奴は暗闇に乗じて逃げる気だ!」

 

 ヒーローの中で懸命に叫ぶ者がいた。朝木勇の為に費やされた皆の努力と流血を無駄にすまいと、その声は必死だ。

 警察たちは包囲を更に強固に意識した。下手に近づくのは包囲網に穴を空ける失策だと知っているヒーローは、索敵の為に視覚以外のあらゆる感覚を尖らせ、慎重に相手の出方を探る。

 そんな中、勇だけが別の場所を見ていた。

 

「……蟻塚ちゃん」

 

 視線を逸らさず、風に攫われそうな微かな声で呼びかける。

 

「踏ん張れ」

「うん」

 

 相方と身を寄せ合うと勇は空を仰ぐ。予報通りの曇天模様で月も星も出ていない。光源がなく、広がるのは一面の黒だった。

 蟻塚を抱きかかえるように腰を曲げ、膝を突き、両手の掌を空に掲げる。

 

 ――地震のような爆発音が轟いた。

 

 勇と蟻塚だけがその発信源を把握しており、この後に待ち受けるものを知っている。

 

「な、なんだこの轟音は!? また朝木が何かしたのか!!」

 

 事態を把握出来ない者の内からそんな声が上がる。

 息を殺して闇に潜んでいる勇から返事はない。彼は動転する警察たちに囲まれた場所で、次の衝撃に備えていた。その衝撃を受け流すのではなく、受け止めるために。

 そして間もなく、その時は訪れる。

 

「――自分が死ぬ覚悟もせずに、他人を殺す覚悟が出来てたまるか!!」

 

 己を鼓舞する言葉。

 そして。

 

 

「死なば諸共ォ――【衝撃反転】――ッッ!!」 

 

 

 声の主は勇だった。

 音源の位置を特定したヒーローたちが一斉に飛びかかる。

 しかし、彼らの手が勇と蟻塚に届くよりも一瞬早く、空から降ってきた膨大な重量の塊が、辺り一面を押し潰した。

 

 

 

 

 リポーターの男は街の暗転と謎の爆発音を受けて、表情を強ばらせていた。

 緊張感が極限にまで達し、呼吸すら忘れてしまう。勇に罵詈雑言を向けていた矢先に起こった不可解な現象。まるで、朝木勇の怨念が牙を剥いたかのような錯覚すら覚える。

 

 ともかく現状を視聴者に伝えようと、マイクに向かって口を開こうとするが。

 

「……いや、まさか」

 

 その瞬間、気付く。

 

「オイ操縦士! 急いでここから離れろ!!」

「え」

「死にたくなかったら言うとおりにするんだ!」

 

 男の様子に気圧された操縦士は、困惑しつつも全速力でヘリを動かす。

 しかし何に男が焦っていたのか、その答えは直ぐに形となって現れた。巨大な鉄の壁がヘリの真横を落下したのだ。

 操縦士はその“壁”の正体を理解した瞬間、嗄れた声を脊髄反射で絞り出した。

 

「…………嘘だろ」

 

 

 

 

 

 とある建築技師の男が、一キロ離れた位置からその光景を見ていた。

 街から殆どの光が消えたため、鮮明に目視した訳ではない。

 だが、今の爆音と地響きを聞き、即座に何が起こったのか理解し唖然とした。

 音の方向にあったのは高層オフィスビル『黒川グランドクロス』。昨年完成したばかりの野場市内で最も高い建造物である。

 その設計に携わっていた男は、心臓を掴まれたかのように面持ちを固めた。

 

 自分の設計に不備があっただろうか? 何か致命的な見落としをしていただろうか? 不安の種が無数に浮かび上がってくる。

 思わず目の前の現実を否定し、逃げ出したくなった。

 しかし、事実としてそれは起こってしまった。

 

「……私の、ビルが……倒れた……!?」

 

 後日、それが朝木勇による犯行だと発覚するまで、男は心身を磨り減らすのだった。

 

 

 ✕✕✕

 

 

「さぁ宝探しの時間だ!」

 

 暗視ゴーグル付きのヘルメットを被り、勇と黒霧はオートバイを走らせた。

 向かう先は倒壊したビルに押し潰された警察署があった位置である。

 砂塵舞う壊滅地帯目掛けて一直線に加速したオートバイの上で、勇は無邪気に叫んだ。

 

「俺が行くまで死ぬなよ、俺ェ!」

 

 複製体が消えていないということは、一先ず本体は無事なのだろう。

 その事実を受け自分のしぶとさを痛感した複製の勇は、流石に苦笑せずにいられなかった。

 

 

 

 



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奴が来る

 『衝撃反転』により威力を逃がしたとは言え、空から落ちてくるビルを支えるような力を捻出することは叶わなかった。

 瓦礫の中で勇は死の温度を感じ取る。己の内側から染み出る優しい熱。その正体は勇の血だ。定着しきっていない個性を複数個も身体に押しとどめ、それを同時に行使した反動だろう。

 骨を支える筋肉が千切れ、末端の血管が溶け出していた。脳の動きが弱まっているおかげで、痛みは感じない。

 

「……勇、く……苦し……」

 

 ――途端に、鼓動に力強さが戻った。

 壊れきった全身に祈りを込める。

 動け。止まるな。使命を果たせ。身体を精神に追随させろ。楽になろうとするな。

 

 限界を迎えた勇の身体が震え出した。その微熱はやがて灼熱となり、彼の心を焼き焦がす。

 寿命が一気に縮んでいるような気がした。足掻くほど死が近づくような。しかしこのまま消えてしまうよりは遙かにマシな気がする。

 

 やがて“死”は彼の眼前に現れる。それを勇を呑もうと大きく口を開け、魂を咀嚼し始めた。心地よかった。常に絶頂しているような法悦が迸っていた。とてもじゃないが、抗えるような快感じゃない。このまま呑まれきっても良いと感じる。

 

 そして――口内に能面が見えた。

 怪物という言葉を具現化したかのような、異形の生き物がそこでじっと此方を眺めている。

 

 

【     ?】

 

 

 怪物は目を窄めて首を傾げた。勇は自分に向けられている視線の本質を、獲物を値踏みする獣の眼差しと同種であると察する。

 この怪物は、勇のことを餌としか思ってない。

 

 

【    、   。】 

 

 

 辺りから泥が溢れ出てくる。

 限界に差し掛かったときに漏れ出す、いつもの溶液。

 勇は脱力して女の手招きを待つ。少し冷たくて気持ちいい温度の腕が、勇の身体に絡みついた。

 

 やっぱり、ずっとこうしているのが一番幸せな気がする。

 

 しかし、ふと目を開けると、

 

 

「……」

 

 そこには、血塗れで伏す姉の姿があった。

 全身に絡みつく腕を強引に引き千切ると、勇は彼女に駆け寄る。

 

「姉さん! あぁそんな……! どうして!! 何でこんなことに!!」

 

 草壁水泉の腹部には人の拳ほどの大きさの風穴があった。出血は収まる気配がなく、水泉の瞳からは刻一刻と生気が失われていく。

 命が、命が溢れてしまう。

 

「――――忘れ、ないで。だって、私は」

 

 勇は必死に紡がれた言葉に全力で応じる。

 

「忘れないさ! だって……貴方は、姉さんじゃないか……!!」

 

 聞き届けると、水泉は静かに逝った。綺麗な笑顔で、何一つ悔いなんて無かったかのように。

 そんな清々しい末路を無念に感じたのは、たった一人残された勇だけだ。

 

 嗚咽を噛み殺して姉を抱き寄せる。まだ僅かに残っている温もりが胸に突き刺さるようだった。

 

「水泉を貰っていってもいいかね?」

「……ッ!」

 

 忌々しい。

 忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい!!

 勇は己を上から見据える怨敵の名を吐き捨てる。

 

「凱善、踏破ァ……!」

「他人行儀だね。兄弟同然じゃないか、私たち。もう昔のように踏破先生とは呼んでくれないのかな?」

「巫山戯ンな! 俺は知ってるんだよ!! 俺の父さんを殺したのがアンタだって!! 俺たちの幸せを踏みつけにして、当然のように家族の顔をして、俺から全部奪っていく!! いつもそうだ!! 俺はずっとアンタに憧れてばっかで……搾取されてばっかで……!」

「なるほど。どうやら君は倣う人間を間違えたようだ。育ち方を、誤ったようだ」

 

 踏破の声は勇の神経を逆撫でする。

 彼から紡がれるあらゆる言語を、勇は憎まずにいられない。

 

「この俺が! 俺様が! アンタなんかを! テメェなんかを! どうして仰ぎ見なくちゃならない!? どうして憧れなきゃならなかった!?」

「それは君の問題だ。こんな私怨にまみれた(・・・・・・・)記憶の中で問う内容じゃない」

 

 踏破は勇の額に人差し指で模した銃口をあてがった。

 

「ともかく、さっさと死にたまえよ」

 

 そのまま、勇は自分の死を連想する。

 直感的に自分が踏破より格下だと思っていたため、それを覆すイメージを持てなかったのだ。

 しかし、勇が閉口していると静観に徹していた“怪物”がゆらりと動いた。

 

 

 

【ソレハ俺ノ獲物ダゾ、凱善踏破】

 

 

 

 身体の奥で、弾けるものがあった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――勇の身体から裂けるような衝撃が放たれ、彼を締め付けていた瓦礫の山の一部が吹き飛んだ。

 何の個性が暴発したのかは定かでは無かったが、とりあえず九死に一生を得たとして勇は息をついた。

 

「今の……何……? 勇くんがやったの……?」

「質問は後に、してくれ。今は、逃げよう」

 

 勇が肉壁となったおかげで、蟻塚に大きな外傷はなかった。

 彼女を横抱きにすると、勇はビルの残骸を転げ落ちるように下る。複製組とは指定の座標で合流する手筈だ。視界が悪く足場は不安定で、移動することすら困難だが、それはやがて救出に訪れてくるヒーロー達にも同じことである。今が好機だ。 

 

 殆ど記憶だけを頼りに、鉄骨やコンクリの欠片を掻き分けて進む。

 本体の黒霧が使えたなら既に逃げおおせている頃だ。複製体の黒霧は撤収にしか使えない。そう思うと少し悔しかったが、雑念が多いのは余裕が残っている証拠だろうか。

 

「――オーイ、生きてるか!?」

 

 自分の声が聞えた。複製がもう近くにまで来ている。

 

「ここだッ!」

 

 同伴しているであろう黒霧と接触し、何処でも良いから此処ではない遠方へワープする。それで今回の騒動は収束する。

 

「おー、いたいた。……おや、お前また左腕ちょんぎれたのか! ザマァ!」

「殺すぞクズ! さっさと黒霧をこっちに来させろ!!」

 

 複製体には悪いが、もう駄弁る与力もない。自分でも自分が生きていることが不思議なくらいだ。

 

「朝木勇! ご無事ですか!」

 

 見計らったように現れた黒霧を見て勇は、

 

「よォーーし!! 黒霧合流! これにて終了! よっしゃ終わりィ!! 帰るぞヨッシャ! 痛いの終わりィ! よォォォォォッッしゃァ!!」

 

 ……とんでもなく喜んだ。『よっしゃ』を三回も重ねて多用している。おそらく雄英強襲以来、一番の歓喜っぷりだっただろう。

 

「黒霧! 早く俺たちを転送しt――」

 

 その時だった。

 勇の視界を巨大な炎が遮った。

 一瞬遅れて吹き荒れた熱風が勇と蟻塚の肌を焼く。

 

「朝木! コレは……ッ!」

「――何、だ、よ、クソがァッッ!!」

 

 爆炎の中から複製体の二人の断末魔が聞こえた。炎を一身に受けたのだとしたら、無事ではないだろう。消滅する程の欠損が出ていてもおかしくはない。

 

「あァ、ったく! 熱いッ! 痛ェッ! 崩れてく!! 悪いが後は頼むぞ、俺!!」

「……オイ冗談だろ」

 

 複製体の遺言により、嫌な予感が実現してしまったことが確定する。

 救援に訪れていた二人は炎に焼かれて消滅した。

 勇は炎の発生源へと目をやる。

 

「俺なら露払いする筈だ……普通、アンタみたいなのが来る訳が無いのに……! なんで――エンデヴァーが居るんだよ!」

 

 紅炎を纏った巨漢が煌々と暗闇を照らしている。

 太陽の如く燃えさかる男――エンデヴァーは、火炎の噴射を動力として空中に留まっていた。しかし、その容貌とは対照的に勇を見下ろす瞳は冷淡だ。

 

「…………まさか、こんなことになっていようとはな」

 

「何なんだよ。また、轟かよ……!? お前ら本当は俺のこと好きだろ……!」

「寝言はもう十分だ、クズめ」

「知っての通り、アンタの息子は俺の左手を奪った訳なんだが!? 父親は俺から何を奪うつもりだ!?」

 

 逆上した様子の勇に対し、エンデヴァーは怒気を孕んだ声で言い放った。

 

 

「無論――貴様の運命を」

 

 

(えぇ……? もうほんと、轟家マジ勘弁して……)

 

 その瞬間、勇の脳には轟一家が厭忌の象徴として刻み込まれた。

 もう二度と関わりたくない。今すぐにでもこの轟の姓を持つ全人類を抹殺したい衝動に駆られるが、正面対決でエンデヴァーを討ち果たせるような実力も自負していなかった。轟家抹殺計画はとりあえず保留である。だがきっといつか実行してやる。四割くらい本気だ。

 勇はこの場を脱するため、ひたすらに頭を動かしていた。そんな彼の袖を引く少女が一人、

 

「勇くん、……これも予定通り?」

 

 狼狽する勇を見て、蟻塚も窮地を察したらしい。

 

「いいや、エンデヴァーはキャスティングしてない。コイツの登場は予定外だ」

「……ふぅん。そうなんだ」

 

 少女は落ち着いた風貌で事態を呑み込んだ。

 木材工場での一戦以来、蟻塚には精神的な余裕も生まれていた。その余裕が、今後は今までと反して自分が勇を守るのだという決意を促している。

 

「心配しないで。こんな奴、私がぶっ殺してあげる。もう勇くんは休んで良いんだよ」

 

 甘い声だった。つい頼ってしまいたくなるような、耽美な声。14歳の少女が向けている言葉とは思えなかった。

 まるで、いつも守ってくれていた姉のような、優しい声音。

 

「君は私を迎えに来てくれた。それが嬉しくて、もう負ける気がしないんだ。勇くんが見ていてくれたら、誰だって殺せると思ってる。だから、後は側にいてくれるだけで、もう十分」

 

 庇護すると誓った筈の少女から向けられる情愛は心地良い。

 しかし、それに身を委ねてしまったら最期、朝木勇は萎んで消えるだろう。別の何かが内側から芽を出して、これまで犯した罪を受け止める器量を失ってしまう。

 此処で甘えては駄目だ。捨て去っていた弱さと良心を直視しては駄目だ。

 

「いやいや、まだ君に全て投げる程切羽詰まっちゃいないさ」

 

 考える。

 費やしてきた時間と策略が全て潰えた。その上で、ゼロの状態からこの場を潜り抜ける最善手を紡ぎ出す。

 考える、考える、考える。

 まず、現況の原因を突き止める所から。

 

(――特段厄介な個性を持つヒーローに対しては、同時多発的に犯罪を起こして足止めする段取りだった。つまりエンデヴァーは、目の前の事件を無視してわざわざ収監中の俺の様子を見に来たって訳だ。――あり得るかよ、そんな話。数字に拘るエンデヴァーみたいなヒーローは、とりわけ憶測だけじゃ動かない。

 発電所とビルに運んだニトログリセリンの件がバレてたのか……? いいや、それを知ってたのは三島だけだ。そして三島は俺が殺した。……平時以上に慎重だっただろうに、そんな状態でむこうの俺が第三者に気取られる失態を犯す訳もねェ)

 

 つまり。

 推測だけで骨組みを作り、報道されていた僅かな情報でそれを肉付けした人物がいる。

 誰より朝木勇のことを理解し、憂慮していなければ彼に辿り付く事は不可能だろう。

 ……やはり、思い当たる人物は一人だけである。勇が最も危険視し、不安因子と位置づけていた男。

 

(――絶対に凱善踏破の根回しだ。となると……活路と思える道筋は、たった一つ(・・・・・)だけ。大博打になるな)

 

 正真正銘、最後の手段が弾き出された。

 もう後は人事を尽くすのみである。

 

「前言通り、少しだけ蟻塚ちゃんのことを頼ろう。でも、一先ず今は君が後ろで俺が“前”だ」

「無茶しないでよ。もうボロボロじゃん」

 

 確かに身体は蟻塚の言うとおりだ。

 オールマイトとベストジーニストと死闘を繰り広げ、死線を何度も跨いだ挙げ句、限界だとばかりに飛び出そうとする複数の個性を圧し殺し、ここに辿り付いた。

 その上ビルに押し潰され、個性を強引に濫用し、左腕から内臓に至るまであらゆる箇所を破損しながら立っている。

 

 常時、精神が肉体を超越している状態だ。今すぐにでも死んでも不思議ではない。

 

「余裕さ。俺は朝木勇だぜ?」

 

 超然とそう言う勇の気力は、もはや人間のものではなかった。

 

「もうじき俺の隣が空く。その時は頼むよ」

「……分かった」

 

 蟻塚を背にして、悠然とした佇まいで目前の男を睨め付ける。

  

 

「No2ヒーロー、エンデヴァー」

 

 

 今するべき事は明白だ。

 勇は自らに強く命じた。

 

 

「少し、お前と話したい」

 

 

 ――とにかく時間を稼げ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

「あれは……エンデヴァー!?」

 

 上空の報道ヘリから現場を俯瞰していた男性リポーターは、他の報道陣より比較的早期に乱入者の正体に気が付いた。

 

「炎が光源となってあの一帯だけ照らされて……その中で、エンデヴァーと朝木が睨み合っている……? これはいい絵になるぞ……!」

 

 ビルの下敷きになった人間も多くいるというのに、男は関心の的になりそうな光景に執心していた。

 例えヒーローの救助活動を阻害する結果になったとしても、より視聴率の取れる映像を入手しなければ。彼を支配するのは醜い願望だけである。

 

「下の連中、何か話し始めたみたいだ! 音声拾えるか!?」

「無理ですよ! ここからじゃ遠すぎます!!」

「なら必要な高度まで降下させろ!! 何が何でも音を拾うんだ! カメラも死ぬ気で回し続けろよ!? いいな!!」

「は、はい!」

 

 そして、これから起こる朝木勇の弁論は全国へと発信され、一部の層へは煽動的な効果を及ぼすようになる。

 それが後に、『地獄の明朝』を越える悲劇を巻き起こす結果となるのだが、この時点では誰も知る由のない事だった。

 

 

 666

 

 

「この期に及んで、まだ自分のペースで語らう猶予があると勘違いしているとはな……。頭の中身は随分おめでたいと見える」

 

 エンデヴァーの反応は辛辣だった。

 それもその筈、彼は勇に深い怨恨があるのだから。

 

「俺の息子を負傷させた――その懺悔なら耳を貸さないこともないが」

「お前の返答に興味はない。俺が勝手に話し、お前が勝手に聞くだけだ。時間が経つほど有利になるのはそっちの方だろう? とにかく黙って聞いてろ」

 

 勇の主張は間違っていない。エンデヴァーにとって現時点で相手を鎮圧することは難しくないと思えるが、ヒーローの増員を待つのも一つの得策だ。

 ビルの倒壊に巻き込まれた被害者を効率的に救助する為にも、ここで戦闘するのは早計かもしれない。誤って戦闘に巻き込み、死者を出さないとも限らない。

 

 一先ず増援が到着するまでの数分、エンデヴァーは沈黙することにした。

 

 

「――昔から、俺はこの世界に懐疑的だった」

 

 エンデヴァーの閉口を見計らって、勇は雄弁に語り始める。

 

「憧れを胸に、直向きにヒーローを目指し、距離を縮める毎に疑問の影は大きくなる。輪郭も見えない漠然とした疑問だ。その答えに気付いたのはつい最近のこと」

 

 大胆な身振り手振りを交えつつ、肝要な箇所で強く抑揚をつける。

 まるで大衆に演説しているかのような口調である。

 いや、実際に大衆に向けて語りかけていたと言っても過言ではない。彼は自分の発言の重みを熟知した上で、エンデヴァーの斜め後方の報道ヘリに気が付いていた。

 

「――フロイト曰く、花を見て癒やされるのは、花に感情も葛藤もないからだそうだ。人は完璧なものに癒やされる。確かに、俺が見ていた花はいつも笑顔を絶やさなかった。完璧に見えた。苦悩なんて無かったんだろう。

 だがどうだ。無個性の落伍者に葛藤するなという方が酷ってもんだ。悟ったよ、俺は花にはなれないのだと。結局、生まれながらに結末の決まった出来レースなんだと。

 だが、それに気付いても尚、人を癒やすことも何処かで諦めきれなかった。だからこそ見えてきたものがある。

 そうだな――今度はカフカの言葉を借りよう。悪は善のことを知っているが、善は悪のことを知らない。確固たる意志でここに立てるのは、きっと俺が悪に成り下がったからだ。自覚しよう、花になれなかった無様な俺は、ついぞ“悪”に堕ちたらしい」

 

 そこで区切りを付けると、今度はエンデヴァーに底意地の悪い眼差しを向ける。

 

「――うん。こうして話していると、殊の外本音が出るもんだな」

「……本音だと? 美談めいた言葉で着飾って誤魔化しているつもりだろうが、失敗者の負け惜しみにしか聞こえんな」

「言うね。じゃあ本音ついでに、お前たちヒーローにも疑問を呈すとしようか」

 

 もはや負傷者であることを匂わせない程に、勇の語り口調は滔々としていた。

 

「理想と実利は共生しないのが世の常だ。勧善懲悪の物語なんて、所詮は願望と現実の折り合い。その矛盾を解決するような、もっとこう……概念的な言葉、それをヒーローと言うんじゃないか。何十年も前までは、極度の理想主義者は盲人と呼ばれ、そんな奴らの逃げ口が『ヒーロー』って言葉だった。

 つまりさ、ヒーローを職業に落とし込んじまった時点で、俺とお前たちの夢は破綻していたんだ。元来ヒーローに込められていた意味を、今の世の中は忘れてる! スーパーマンなんて望まれちゃいない! スーパーヒーローは何処にいるんだよ!? 誰も実現できない、誰もが幸せな結末を知ってるような、この俺すら救ってみせるような、偉大なヒーローは何処だ!?」

 

 発言を重ねる度に、語勢は強まっていく。

 

「お前たちは知らないだろう! 俺はオールマイトの竹馬の友を、奴の目の前で殺してやった! その途端奴はどうしたと思う!? 鬼のような形相で襲ってきやがった! 同じ悪人だから分かったよ。あの一瞬、あの場所で、奴は俺を殺そうとしていたんだと! 裏では何人殺しているか知れたもんじゃない!! No1がこの始末なら、残りも大差ないだろうぜ!!」

 

 ヒーローとて場合によっては殺人を犯す。エンデヴァー自身がそうなのだから、他にも同類がいた所で違和感はない。

 だがオールマイトだけは、誰も殺さないと無意識に確信してしまっていた。

 “ヒーロー”を身体で示す聖人であると信じ切っていた。

 

「つまらん嘘をペラペラと……!」

「嘘だと? オールマイトが人殺しをするわけがないと、そう感じたのか? 違うだろう! それより先行した感情があっただろう!?

 ――『お前なんて殺されて当然だ』と思っただろうが!! 現代のお前たち“超人アイドル”なんて結局はそんなもんさ!」

 

 ……認識の埒外にある他人の本音を、朝木勇はいとも容易く暴けるらしい。

 彼は、エンデヴァーが無自覚だった感想を即座に引き出した。

 言われてみれば、そうだ。

 

 勇から告げられた事実を拒絶するより先に、彼の死を望む感覚があった。間違いなく一瞬だけ、エンデヴァーは朝木勇の死を連想し、歓迎した。

 

「いい加減に教えてくれよ。ヒーローは何処だ? この俺がその疑問の形になってやる。俺を終わらせられるのは真のヒーローだけだ! 悪鬼が壇上に上がり、無辜の民を殺したぞ! さぁ、それを解決するのは誰だ!? エンデヴァー、お前だと言うなら示してみろ!!」

「――もういい、黙れ。それ以上何か減らず口を叩くなら……」

 

 炎を荒々しくまき散らし、威嚇する。

 暗に警告したつもりだったが、勇は辟易するどころか、挑発的に表情を歪める始末だった。

 

「俺を殺したければそうするといい。俺は永遠となり、この社会のイデアになるだろう。正義の為の踏み台として確立され、未来永劫、誰も俺を無視できなくなる。そしてまた、新たな問いが俺以外の誰かによって繰り返される。それもまた、一つの素敵な未来だ」

 

 エンデヴァーは面貌に怒りを滲ませた。本気で殺すつもりはなかったが、静かに、だが確かに、殺意が沸き立ち始めていた。

 当初から場合によっては殺すのも視野に入れる構えだった。今ではそれがより確実な形と成ってきている。

 

「お前が紡ぐ全ての言葉が憎らしい。耳を傾けた俺が愚かだった。焼き焦がしてでも、貴様をここで捕らえよう。第二、第三の貴様が現れる事態になろうとも、その悉くを俺が燃やし尽くしてやる! このエンデヴァーに、恐れるものなど有りはしない!」

「そうかい。……話に付き合ってくれてありがとう。感謝するよ」

 

 この謝辞は心から述べられたものだった。エンデヴァーが慎重になることは、勇にとって非常に都合が良かったのだ。

 そして同時に、勇に好都合な状況というのは、この場における不吉な未来を示唆していた。

 

「ところでさ、ついさっきまでお前は増援を期待して俺との話に興じてくれてたんだろうけど、いくら待ってもお前の味方は来ないからね」

「ほう、来ない……とは、どういう意味だ?」

「それよりもっと厄介な奴が先に来るって意味さ。というか――」

 

 ――――もう来てるみたい。

 

 

「お疲れ、No2」

 

 

 風の揺らぎすら伴わず、初めからそこにいたかのように、彼はエンデヴァーの背後を陣取っていた。

 純黒の装束を身につけ闇に溶け込み、虚空から染みだしたかのように蒼白の肌が蠢いている。真っ赤な髪はその染みを更に血染めして、骸を彷彿とさせる姿形を演出していた。

 

「貴様は――」

「お や す み」

 

 闖入者は指を鳴らした。

 すると、エンデヴァーは男の瞳に吸われる様に意識を手放し、無気力に落下してくる。

 彼が倒れると、不気味な静寂が辺りを襲った。

 

「……さて、舞台作りはこんな所か」

 

 寂然と来襲した傑物は、朝木勇を見据える。 

 

「やぁ草壁、私が君を殺しに来たぞ」

 

 そして、凱善踏破は旧知の友であるかのように柔和な声で語りかけるのだ。

 

「諦めたまえ。詰みだよ」

「馬鹿言え。まだ王手だ」

 

 探り合いのようなやり取り。

 因縁の宿敵と相対した勇は、かつてない程の憤りを腹の中で煮やす。それを見透かしたように、凱善踏破は薄ら笑いを浮かべた。

 そんな中で、

 

「……コイツ誰?」

 

 蟻塚だけが、まだ状況を掴めていなかった。

 

 

 




主人公の演説報道を見た一般市民の反応
 
ステイン「コイツ見所ある」
荼毘「俺の求めていた思想だ」
スピナー「神……!」
トガヒミコ「好きです。勇様、死んでください」
蟻塚「あぁ!?」
 
がっつり三章のネタバレです。

とりあえず次回は朝木勇&蟻塚VS凱善踏破になります。


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悪夢 弐

一章「悪夢」との対比。


「久しぶり、凱善踏破。顔合わせは四年ぶりだな」

「……もうそんなになるか」

 

 互いに知った口ぶりの二人。

 疲労困憊の勇より、踏破の表情の方が余裕が見え透いていた。

 

「エンデヴァーを差し向けたのはアンタか? どうやって動かした?」

「一応、ヒーロー免許を持っていてね。その伝手で他のヒーローとコンタクトを取れるんだよ。君もよく知ってる手段の筈だ」

HN(ヒーローネットワーク)か……」

 

 埋まらなかった隙間にピースがはめ込まれていく。

 そこまで聞いて、ようやく勇は今の状況の全容が把握できた。

 

「成る程。アンタがヒーローやってたとは」

「まさか。ヨーロッパではNo1だったが、本業は殺し屋兼ビジネスマンだよ。ヒーロー免許は持っていると何かと融通が利いてね。公然と個性を使用しても咎められないし、場合によっては殺しも免罪される。私はあの紙切れを殺人許可証としか見てないよ」

「アンタみたいなのでも取得できるとか、世も末だな」

 

 これでは必死に勉学に励んでいた草壁勇斗が完全に道化である。

 勇は誰より努力して誰より報われなかった人間だ。とうの昔に痛感していたことを、凱善踏破に再認識させられた。やはりこの世界で求められるのは超常的な技能のようだ。

 

「ねぇ、コイツ誰なの? さっきから私の知らない奴ばっか出てくるよ」

 

 掴み難い雰囲気の踏破に警戒を持てないのか、蟻塚はどうも気の抜けた声音で問うた。

 

「蟻塚ちゃん、奴と目を合わせちゃ駄目だ」

「え」

「いいから。目ェ下に向けて喋ってくれるかい」

 

 返答の前に添えられた忠言を重く受け止め、蟻塚は言われたとおりに目を伏せた。

 その間を待ってから、勇は対面している男と自分の関係を簡潔に述べる。 

 

「この男は……そうだな。俺の永遠のライバル、かな」

「はは、笑わせる。君が私の何だって? 君の才覚は全て私を由来とするものだろうに。私が君という凡才を育て上げたんだぞ。冗談も休み休み言いたまえ」

 

 踏破は流れるように侮辱を混ぜた反論を組み立てた。

 その様子を見て、蟻塚に一つの感覚が芽生える。

 

「……何か勇くんに似てるね、お前」

 

 喋り方や、綽々然とした立ち振る舞い。そして、根幹的な性格の主に悪い部分で、踏破と勇は酷似している。

 それも当然だろう。草壁勇斗は凱善踏破を見て育ったのだから。

 すなわち、勇の方が踏破の模倣をしているのである。この男の能力と技術を認め、越えようと努力するより並ぼうとする方が賢明であると、無意識に悟ってしまっているのだ。

 

 その事実を最愛の女から突きつけられた勇は顔を歪めた。

 

「蟻塚ちゃん、流石に怒っちゃうぞ」

「え、私、君に何か悪いこと言ったっけ」

「こんな蓑虫と俺を同列視しないでくれよ」

 

 勇の瞳が色を失っていく。

 踏破の才能を否認する訳ではない。もっと単純に、心底嫌っているのだ。この男を自分が真似ているという事実を畏怖している。

 そんな勇の心理を見越してか、踏破は肩を竦めて微笑を浮かべるような素振りを見せた。

 

「何だね、酷い言い草じゃないか」

「酷いだと? だったら、そっちこそ俺の父さんの命を返してくれよ。殺したのアンタだろ」

 

 ちょっとした意趣返しを込めた反駁だった。

 しかし。

 

「……」

 

 一瞬。

 本当に一瞬だけだが、踏破の笑顔が死んだように見えた。  

 それを感じた勇はここぞとばかりに畳みかける。

 

「いや、それだけじゃ足りないな。アンタが今まで陵辱してきたあらゆる命に、今ここで心から謝ってみろ。そうしたら俺も少しは悔い改めるかもしれない」

「心にも無いことを言うな。悔い改めるつもりなんて無いんだろう?」

 

 当然とばかりに勇は嗤った。

 鬼に成り下がった彼の人生は、二度と正道に戻りはしないだろう。同情されたい訳でも優しくされたい訳でもないのだから。

 踏破に謝罪を要求しておきながら、勇は過去の自分の罪に欠片ほどの後悔も無かった。

 

「……君を殺すように勅命を受けたあの日から、私は君だけを見て生きてきた。その過程で、君が爪痕として刻んだ凶行と蛮行を目の当たりにしたが、演技とは思えなかったよ。まさか、こんな人間が成るだなんて。以前までの君は、虫も殺せない善良な市民だったのに」

 

 遠い思い出と自分の動機を想起しながら、世界の果てまで見透かしてそうな踏破の瞳がゆらりと煌めく。

 そんな彼でさえ、朝木勇という男の原点を掴み切るのは難解らしい。

 

「確かなことは一つだけ。君の生き方をなぞる者はいないということだ。これまでもこれからも。そう言わしめるほど君の変化は奇怪だ」

 

 何故ここまでの変化を、とは聞かなかった。勇が豹変した理由を追及する素振りはなかった。

 草壁勇斗の喪失を惜しく思っていなかったからだ。

 凱善踏破という男は、変化を悉く受け入れる。朝木勇の生き方ですら容認できる範囲にあった。

 

「――ハ、言っておくが、今の俺はアンタの想像の五倍は悪人してるぜ」

「だとしても些末な問題だよ。君は私の標的で変わりない」

「その割り切りの良さだけは他の奴にも見習って欲しいモンだ。俺を知ってる連中ときたら、どいつもこいつも過去(むかし)現在(いま)の俺とを比較して、勝手に絶望しやがる」

「ソレは私が最も嫌いな手合いの一つだ。尤も、そういう人間関係を築いたのは君の過ちだがね」

 

 殺伐とした空気を醸し出す割には、両者の間で会話は成立していた。

 二人の関係性がとうとう理解出来なくなってきた蟻塚は、直接的な問いを切り出した。

 

「てか、結局お前は勇くんの味方なの? あの炎男ぶっ倒して、私たちのこと助けてくれたもんね?」

「哀しい誤解をしている子がいるようだ。会話の流れから読み解きたまえよ。――――私は朝木勇の父親を殺しているんだぜ。どう曲解したら味方に見えるのかね?」

「……む。確かに」

 

 蟻塚は勇の家族構成に関して無知だ。勇の実質的な今の家族は蟻塚だけで間違いないだろうし、特別興味を駆り立てられることもなかった。

 しかし、ここに来て初めて知った新事実。

 

「勇くんには父親っていたんだね」

 

 ――彼女には、いないのだ。

 だから少し新鮮な感覚だった。

 

「……自分を父だと名乗るだけのジジイが、俺の人生に癒着していただけの話だ」

「それを父親と言うのだよ。蓮葉(れんぱ)さんの事を悪く言うだなんて、本当に変わってしまったんだな。あの人は偉大だったのに」

 

 その偉大な人物を殺害した踏破には、もはや一抹の容赦すら懐かない。

 勇は彼に牙を剥いた。

 

「アンタは昔から俺に主体性を説いた。……理由は分かってる。自分にそれが無かったからだろ。俺の父さんを殺せと命じられた時も、二つ返事で了承したに違いない。こうして父さんを殺したのも“命令”の為で、俺のことを付け狙ってるのも“命令”の為だろう。恐らくこの世で最も厳しい苦痛を味わっただろうアンタは、組織に刃向かう気概を持てないんだ」

「ではその苦痛とやら、君も味わってみるかね? この個性なら、君由来の“夢”を引き出すだけじゃなく、私由来の“夢”を視せることもできる。その為に経験し、備蓄した苦痛の数々とも言えるが」

 

 踏破の個性――『悪夢』は、相手の記憶に根付く恐怖を想起させると同時に、自分の記憶を基礎とする経験を相手に追体験させることも可能としている。

 すなわち、やろうとさえすれば、踏破の経験したありとあらゆる“全世界の拷問の数々”を強制的に対象者にも体験させることが出来るのだ。

 肉体的には何の損害もないだろう。しかし、精神の方はどうか。数時間、或いは数日、もしく数年に及ぶ拷問を数分に濃縮した悪夢を視せられて、精神はどこまで汚染されるのか。

 

 彼の個性の真髄を知っている勇は、告げられた提案を断固として拒否した。

 

「……ハッ、冗談でも勘弁してくれ。アレで壊れない人間なんていないだろ。アンタは誰とも分かち合うことの出来ない悪夢を、孤独に抱えながら死んでいけ」

 

 見栄も虚勢も捨て、冷静に分析すれば明白だ。

 踏破の個性は、勇を殺し得るだろう。それどころか、誰一人として踏破由来の悪夢を撥ね除けられる人類はいないかもしれない。

 そう直感せざるを得ない程に、脅威的な異能なのだ。

 

「君との会話にもう少し華を咲かせたいと思っていたが、穏やかな空気にはなれないらしい。名残惜しいが、仕事に取りかかるとしようか。――君を終わらせる」

「上等ォ。やってみろよ」

 

 空気が張り詰めたものに変わる。

 踏破は優秀な暗殺者だ。これまでに彼が殺しそこねた標的は勇のみである。そんな男が、面と向かって殺害を宣言した。

 戦慄の色を顔に滲ませても良いものだろう。

 だが、勇の顔色には何処か自信があった。玉砕覚悟で特攻する準備があるのか、それとも本当に勝機を見出していると言うのか――。

 

「ふむ、余裕めいた面持ちだな。私と相対しても尚、まだ有効な手段を残しているのか」

 

 疑問形で紡がれた声ではなかった。

 勇は隠すつもりもなく、不敵に告げる。

 

「常に俺の先を行ってるなんて先入観は捨てるんだな。今の状況、完全にアンタの思惑通りって訳でもないんだぜ」

「ほう、と言うと?」

 

 胸中に切り札を忍ばせているというのなら、勇がそれをひけらかす訳がない。彼は嘘で周囲を塗り固めることで自分を守る人間だ。

 その前提で、踏破は勇の応えに耳を傾ける。

 

「凱善踏破、アンタは慎重な男だ。必ず直接俺を殺しに来ると分かっていた。それなら、エンデヴァーを相手取るよりこっちの方が楽だと踏んだまでさ。何たって俺は、アンタの個性の攻略法を知ってる数少ない人間なんだからな」

「……つまり、正面戦闘で私を倒すつもりだったと。それはまた、つまらないことを考えたね」

 

 勇は自分の手札と力量を理解し、分析し、勝てると判断したのだろう。

 そして踏破は自分の能力と技術を客観視し、敗因足り得る穴は一つとして無いと判断する。

 

「私はライフルの弾も肉眼で見切る。直感も悪くない方だ。基礎的な格闘技術も君に比肩する。どう考えたら、私が負けるんだろうか。……いや、実際問題、君にはそれしか選択肢は無かったんだろうが……命乞いの一つでも考えていた方が賢明だったと思うよ」

「ほざけ。無個性なり(・・・・・)に、俺だって戦い方の研究はしてんだよ」

 

 言うと、勇の声が蟻塚へと向いた。

 

「少しと言ったけど……かなり頼ることになりそうだ。蟻塚ちゃん、頑張ろう。俺たちなら出来る」

「正念場ってヤツだね!」

 

 蟻塚は勇の判断に全幅の信頼を置き、自分の力を一縷の疑いもなく過信している。

 すなわち、この場で敗走を意識している者はいない。決死の戦闘の空気が出来つつあった。 

 

「この男――凱善踏破の個性は、視線を合わせて指を鳴らすことで対象者を昏倒させるものだ。喰らえば一発アウトだが、ネタが分かれば何てことはない。肉弾戦じゃ、きっと君より弱い筈。二人で一気にやるぞ!!」

「うん! 殺ろう! 一緒に並べて楽しいね!」

 

 二人は踏破の『悪夢』の攻略法を共有する。これで肉弾戦に持ち込む腹だろう。

 

 ――だが、それがどうしたと言うのか。個性の対処法を洗い出した程度で、凱善踏破の攻略を確信したと言うのか。

 そう言わんばかりに、踏破は二人の意気込みを嘲った。

 

「……無知蒙昧の子供たちよ。此方も、草壁の言葉調に述べよう。

  ――今の私は、君らの想像の五倍は強いぜ?」

 

 もしくは、それ以上の力量差があると豪語する。

 それでも勇は逃げないだろう。

 それでも踏破は加減しないだろう。

 

「此処を先途とかかってきたまえ」

 

 あくまで格上として発言する踏破に、勇は舌を出して挑発した。

 

 

「二年ぶりのPlus Ultra(プルスウルトラ)とは言わない。

 挑戦者はテメェだよ。クズが。その面ブチ砕いてやる」

 

 

 ✕✕✕

 

 

 先に仕掛けたのは勇だった。

 左腕が欠損しているにも関わらず、踏破に肉薄して攻勢に転じる。

 

「馬鹿者」

 

 無謀な特攻に苦言を呈しつつ、踏破は姿勢を屈めた。 

 

 朝木勇の格闘手段は既存の武術の重ね合わせである。

 もちろん独特の捻りや癖が介在するものの、あらゆる動きの基礎は技術として定められたものの中に収まる。そのため、現存するあらゆる格闘術を修めている踏破にとって、勇の攻撃は型に嵌まった単一的なものにしか見えなかった。

 流れるように繋がる勇の連撃をいなすことは容易である。

 

截拳道(ジークンドー)からのムエタイか。もう少し我流に転じるよう助言した筈だが?」

「うるッ、せェ!!」

 

 勇の跳び蹴りを躱しつつ、踏破は後方に回り込んでくる少女に意識を向けた。

 

「死ねッ!」

「……おや」

 

 脇腹を刺すように突き出された蟻塚の右手を掴むと、正面で肉薄している勇に向けて彼女の身体を投げ飛ばす。

 勇は少女の身体を抱きかかえるように受け止め、勢いを殺さないように後退した。その様子を見た踏破は即座に二人の関係性を疑問視する。

 

「その少女、今は蟻塚と言ったかね? 随分大事そうに抱えるじゃないか。鬼に堕ちても尊ぶ女の子……今の君の根幹に関わってそうだ」

「うっせェ馬鹿。くたばれ」

 

 端的な罵倒を受けて、踏破は確信した。

 

「味気ないレスポンス。そうか、当たりか」

「……はぁ?」

 

 勇はどんな状況でも、戦闘時でさえも弁が立つ人間だ。そんな彼が子供じみた罵声だけの反応を示すというのは、確かに不自然だったかもしれない。

 朝木勇は常に余裕であり饒舌であるべき。

 そんな基礎的な信念を、一瞬とは言え忘れてしまっていた。

 一つ苦笑めいたものを溢すと、勇は平時の饒舌っぷりを発揮する。自覚のない本心を相手に気取られない為にも。

 

「――フン、見なよ蟻塚ちゃん。アレこそ愛を知らない哀れな人間の成れの果てだよ。一人の女を愛するって現象が、どうも異常に見えるらしい。至って健全に生きてる俺たちに難癖付けてきやがった。愛を勘ぐらずに居られないとはな……この世で最もつまらない生き方じゃないか?」

 

 そう言って、凱善踏破の人生の価値を否定する。

 相手を面罵する為の言葉だったが、蟻塚には別の意味に聞こえたようで、

 

「……えへへ。勇くんは私を愛してるもんね。私もだよ」

「ありがとう。それじゃ、ラブ&ピースの力で凱善踏破はグチャミソだ」 

 

 横抱きにした蟻塚を下ろす。

 そして、勇は戦闘に意識を戻そうと瞳の色を変えた。

 引き続き視線の位置には注意しなければいけない。決して目を合わせぬよう、極力相手の下腹部より下だけを視界に収める。

 

「……“愛を知らない”、か。言ってくれる」

 

 すると、ふらりと踏破の足下が揺れた。

 何か仕掛けてくる――と身構えると同時に、突風が勇の真横を過ぎ去った。

 

「ぅぎゃッ――――!?」

「…………は?」

 

 潰れるような少女の呻き声に少し遅れて、勇は何が起こったのかを理解した。

 踏破が蟻塚を巻き込んで直線に進み、後方の瓦礫の山に衝突したのだ。

 

(クソ、マジかよ……)

 

 理解は出来た。

 しかし、反応できなかった。

 

(野郎、オールマイト並の速さじゃねぇか……。目では追えたが身体が動かなかった。此処に来て体力の限界が顕著に……)

 

 勇の視線の先――少女の首を締め上げながら、彼女の体躯を地面に打ち付ける踏破の姿があった。

 

 

 

「――私相手に断固として目を開けないか。草壁の助言を遵守しているのなら良い判断だ」

 

 蟻塚は全力で瞳を閉じていた。踏破の個性は、勇が言った通り『喰らえば一発アウト』である。彼女はよく理解できていた。

 己の首を絞め付ける踏破の手を振り払うより、相手と視線を交わさないよう努める方が、優先度は高い。

 最善の判断。

 しかしその最善のせいで、蟻塚の呼吸器系が一時機能不全に陥る。

 

「あぁ、ぁあぎ、ぃぁあ……ッ」

 

 声が出ない。空気も吸えない。気道が完全に閉ざされ、鼻呼吸すら封じられた。

 

「苦しいだろうが決して離してあげないよ。このまま絞首の刑だ」

「ぐゥ、ゾ……!!」

 

 通常、彼女の怪力は踏破の筋力を凌ぐ。

 それでも逃れられなかった理由は単純である。

 踏破は蟻塚の力が身体に伝達されないように、特殊な負荷をかけているのだ。彼が用いているのは個性でなく技能。少女にはその仕組みを理解できず、ひたすら酸素を浪費する一方だった。

 

「『膂力増強』」

 

 そこに横槍を入れたのは。

 

「『加速』」

 

 言わずもがな、朝木勇だった。

 

 切り札として隠し続けた個性を平行して乱発し、確実に無個性の域を出た速度で踏破へと迫る。

 相手の既知の範囲では勝ち目は薄い。だからこそ個性を出し惜しみしていたが、今、それを惜しげも無く使用した。

 当然、勇のことを無個性と認識している踏破にとっては青天の霹靂だ。

 

「その子を、返せ――――!」

 

 全霊を込めた拳を突き出す。

 相手の肉体を消し飛ばすつもりで放った一撃である。踏破の致命傷にも成りかねない。

 

「甘く見積もられたものだ」

 

 しかし。

 体勢を変えないまま、踏破の片足が振り上げられ、勇の顔面を射貫く。

 

「ッッ!?」

「砕けたまえ」

 

 そして、振り切った(・・・・・)

 

 

「~、~! ッ【ギッッ】~~ッ(。)!?」

 

 

 ――何かが確かに壊れる感触があり、直後、視界が熱を帯びて消し飛んだ。

 仰向けに落下した勇は全身の痛覚が死滅していくのを感じとる。

 ついに限界が来た。重要神経の一部が壊れたらしい。生気が抜け落ちていく感覚があった。

 

「踏、破、テメェ……!!」

「ハハ、今のが君の奥の手か。肉体改造……いや、皮下にギプスでも入れてるのかな。どういうメカニズムだったのか――後ほどゆっくり調べさせてもらうとしよう」 

 

 弾む踏破の声が癪だ、許せない。

 思考が混濁するも、その怒りと蟻塚を案じる心だけは健在だった。

 

「殺、して、やる……!!」

「無理だよ。自分の状態が理解出来ないかね? 今ので取り返しのつかない部分を失ったよ」

「何だと……!?」

 

「君の両目、はじけ飛んだぞ」

 

 勇の眼球が在った場所に、球形の固形物は無くなっていた。

 周囲の骨も砕け、眼窩は倍以上の窪みと変貌している。

 

 ――気付かなかった。痛覚が完全に途切れた訳ではなく、それを処理するための思考に遅延が生まれているようだ。

 これでは、全て終わっても五体満足とはいかない。

 

「っ」

 

 ガクン。

 突如として勇の下肢から力が抜け落ちる。

 必死に立ち上がろうとする彼を見て、踏破はその状態を推察する。

 

「脊髄損傷による下半身付随と言ったところか。そして双眸と左腕の喪失。盲目にして、隻腕。このままだと感染症やその他合併症も誘発されるだろう」

 

 言葉に羅列されると、本当に異常な負傷だと痛感できるものだ。

 勇は既に限界を何度も張り切っている。

 

「本当なら、私と対峙した時点で余剰の体力なんて無かっただろうに。その気力だけは人智を超えていると認めよう。君が万全なら、更に捻りのある戦闘に興じられていたかもね」

「……る、せぇ。黙、れ」

 

 踏破は勇と同類である。言葉巧みに相手を拐かし、心に触れて腐食させる。

 まともに勇の舌が回らなくなってきた今、踏破と蟻塚を対話させるのは危険である。

 それを悟ってせめてもの対抗めいた暴論を吐き捨てるが、踏破は涼しい顔で蟻塚へと視線を落とした。

 

「分かるかい、蟻塚? 君のせいで美丈夫だった草壁は見る影も無い」

 

 蟻塚に喋る余地を与えるため、絞首の力を緩める。

 

「――ッ! ゴホッ、ゴホッ! おま、ぇ……あの人に何したッッ!?」

「眼球を蹴り潰しただけさ」

「ッッ!! 殺す! 殺してやる!! 殺す! 死ね! 死ね死ね殺す!! 殺す絶対!」

「おやおや、二人揃って語彙力が尽きたようだ」

 

 自身の絶対的優位を確信した踏破の声音は軽い。

 そして、実際にそうだった。勇はかろうじて喋れるものの、不調を起こした身体を動かせないでいた。脊髄だけでなく自律神経にも異常が起きているらしく、五感に違和感がある。力も上手く入らない。

 

 そんな状態で、囁くように彼は言った。

 

「俺に……構うな。全力で、やれ」

 

 切り札の個性も物理的に容易く完封され、戦略の概念は一蹴された。

 もはやこの先は単なる泥試合。

 真正面から蟻塚が踏破を殺す以外に活路はない。情けない話だが、勇主体の手段は残っていないのだ。

 

「分かった」

 

 蟻塚から剣呑な覇気が霧散していく。

 その反対に、鋭利な殺意を視線に帯びた。

 

「もう、全部許さない」

 

 朝木勇への配慮は捨てろ。他ならぬ彼がそう言ったのだから。

 周囲の生物を須く殺し尽くせ。

 コレは、殺すための毒だ。

 

「お前なんか! 目を開けなくても! 殺せるんだ!!」 

 

 彼女の毛細血管の一部が千切れる。

 溢れだした血液は、全身の毛穴から加湿器のように噴霧された。

 

「……へぇ、血の蒸気。そうか」

 

 踏破は少女の拘束を解き、まるでその蒸気から逃げるように後方に跳んだ。

 そして、今度は物理的にではなく、言語の効力で蟻塚を縛る。

  

 

「――良いのかい、菊絵? 私は君の正体を知ってるぞ」

 

 

 蟻塚の個性は瞬く間に沈静化した。

 記憶の最奥に潜む記憶を刺激され、少女の頭は今の踏破の一言に支配される。

 

「…………今、私を何て呼んだ」

 

 確か、その名前は。

 忘れてはいけなかった、大事な何かだったような。

 

「何度でも言おう、草壁菊絵。私は君に答えをやれる」

 

 踏破は一瞬たりとも余裕を崩さず、だからこそ無視できない温度の声で更に続ける。

 

「ずっと苦悩してきたんだろう? 小さき事と唾棄するなんてできない筈だ。君くらいの年頃だと特にね」

「……何を知ってる」

「何もかもだよ。君は朝木勇に依存して、彼の人生を壊した。積み上げてきたものを全て捨てさせて、自分だけを選ばせた。草壁勇斗が死んだのは世の中のせいじゃなく、紛れもなく君のせいだ。生まれてくる場所を間違えた君は、度し難い邪魔者なんだよ」

 

 指摘されたそれは蟻塚が唯一後ろめたく思っている事柄だった。

 

「君のせいで、あの少年は死んだ。もう二度と戻ってこない。

 朝木勇の涙を見たことはあるかね? 彼の急所を知ってるかね? いいや、どちらも未経験の筈だ。だって君は、彼に寄生し犯すだけの毒虫なんだから」

 

 したり顔でそう言った踏破には確信があったのだろう。蟻塚にもまだ、愛人にして恩人である男を憂う良心があるのだと。

 証明するように、少女の相貌は色を失っていく。

 その様子をすぐに察した勇斗は、

 

「……そん、な、事――」

「真実だろう? 今更取り繕うなよ、草壁」

 

 蟻塚に代わり反論しようとするも、抑揚のはっきりした活力ある踏破の声に遮られる。

 胸中では幾つもの論駁の言葉が浮かび上がってきていたが、声にする力はなかった。

 結果、踏破の指摘は蟻塚の素直な部分に刺さる。

 

「うるせェ。私だって、勇くんのこと、助けてるもん……!」

「本気でそう主張出来るなら構わないが、そうではないよな」

 

 もちろん、少女は気付いていた。自分は足枷でしかなかったと。

 踏破は仰向けに倒れている勇に目を向ける。

 

「実を言うとさ、私は菊絵の存命を知った瞬間には既に悟っていたんだ。草壁勇斗は自分に暗示を掛けたんだろう? アレは私が伝授した技術だったからね」

「暗示……? 訳、分かんないこと言うなよ。どういう意味だよ……!」

「菊絵は救いようがない程に穢れていた。だからせめて一緒に穢れてやらなければ。一緒に堕ちて、傷付いて、孤独からだけは救い出してやらなければ。――そんなことを思ったんじゃないかなぁ」

 

 全て真実だ。誰一人としてたどり着けなかった真相を、踏破は斯くも雄弁に述べた。

 勇は歯軋りした。

 我が物顔で自分を語る怨敵が憎いというのもあるが、それ以上に悔しかったのだ。

 

 初めての“理解者”が、こんな奴だなんて。

 勇の中で、そう嘆く誰かがいたのだ。

 

「君たちは頑張ったが、そろそろ真実と向き合う頃合いじゃないかね」

 

 踏破は少女へと近づいて行く。

 

「菊絵は真実を知るべきだ」

 

 そして、蟻塚は問うた。

 

「お前は私の何だ」

「もちろん教えるが、順序が違う。まず朝木勇が君の何なのか知ると良い。

 ――彼は君の叔父。君を身売りした肉親の一人だ。草壁が菊絵を不幸にし、蟻塚が朝木を不幸にするとは皮肉なものだがね」

「…………売った?」

 

 蟻塚が愚直に鵜呑みしてしまうのは、生来の彼女の迂闊さもあるが、踏破の弁の力がそれだけ強いことを示している。

 痛くない音波を耳に流し込み、込められた含蓄を無意識に悟らせる。

 勇の記憶が確かなら、その技能には名前があった。

 

「暗示、術か」

 

 彼のそれより随分と精度の低いものだったが、踏破は洗脳紛いの言葉を吐いていた。

 

「蟻塚ちゃん、耳を……貸すな」

「……何で」

「ソイツ、嫌なヤツだから、すぐ嘘を吐く」

 

 吐血しながら喋り続ける。

 

「俺は君を愛し、君は俺を求める。それで、俺たちは完結してる。“草壁菊絵”、なんて、全部……どうでも良いことだ」

 

 そう、強調するべきなのは現在だ。

 蟻塚と朝木勇の世界には二人しかいない。その他は名前もない雑草と同じである。世界の見方を少し変えるだけで、絶対に傷付かない自分を得られる。

 朝木勇はそうしてきた。

 しかし、彼女にそこまでの精神力は無いらしく、

 

「どうでも……良くない!! 勇くんは分かってくれないの!? 自分が何処からやってきたのか分からないって……すっごく、怖いんだ!」

「今を、見ろ。大、丈夫。俺がいるよ」

 

 いつもなら、ここで勇は少女を抱きしめて愛を囁くだろう。簡単な愛情表現を受けるだけで蟻塚は心の平穏を保っていられる。

 が、今は決定的な邪魔者が一人。

 

「自分の頭で考えたまえ。朝木勇――改め、草壁勇斗は君の敵だ」

「ッッ」

 

 凱善踏破からそう言われることで、逃げ場が潰れた。

 勇の事を信じれば、自分が彼を追い詰めた罪悪感に圧迫されるだろう。

 しかし彼の事を呪えば、そんな良心に苛まれることはない。

 どちらにせよ、稚拙な蟻塚の思考が、朝木勇を懐疑するように誘導されている。

 

「菊絵、瞳を見せたまえ。鋼玉(ルビー)のように美しい紅を」

 

 踏破を信頼していた訳でも、勇を見限った訳でもない。

 しかし、ほんの少し、蟻塚の心の施錠が解かれてしまった。

 何を信じれば良いのか、絶対的な指針を見失ってしまった。

 

「……貴方は、何なの?」

 

 蟻塚は閉ざしていた瞳を開く。

 縋るような視線を踏破に向ける。

 自分を満たしてくれる答えを得られるような気がしていたのだろう。望んでいるものを、踏破がくれると感じたのだろう。

 だが、それは勘違いだ。 

 

「私はね――君を嫌う負け犬さ。

 水泉を犯した豚野郎と同じ瞳(・・・・・・・)をした君をな」

 

 踏破の声にはどうしようもない憤怒が混じっていた。

 一度蓋を開けたら引き返せなくなりそうな、底抜けの怒りが滲んでいる。

 直感的に命の危機を覚えるような殺意を、肌で感じ取れる。

 

 終始超然としていた踏破がその瞬間だけ、間違いなく、蟻塚を私怨で殺したがっていた。

 

「この世の地獄は須く夢現だ。その類いなら今、私の手中にある」

 

 そして、まるで赤子をあやす娼婦のように。

 

「寝なさい、小娘。優しい夢では無いがね」

 

 ぱちん。

 無慈悲に、だが静かに、彼は指を鳴らす。

 

「………………ぁ」

 

 蟻塚は死ぬようにその場に伏した。

 

 

 

 

「あぁ、クソが……。こん、な……呆気ない……」

 

 己の人生を賭した少女が倒れた。

 この状況で戦意を持てるほどの匹夫はここにいない。勇は起きてしまった事実をそのまま受け止め、吐血しながら歯噛みした。

 

「あの子を、殺したのか。姉さんの、子だぞ……!」

「安心したまえ。殺した訳じゃない。今はまだ、眠っているだけだ」

 

 勇の記憶の中では、踏破の個性を受けて生き長らえた者はいない。心を病み、狂い、やがて腐るように死んでいく。蟻塚も同様の末路に達するだろう。彼はもう、蟻塚の死を確信せずにいられなかった。

 そんな勇の心境を察していながらも、踏破はいけしゃあしゃあと言った。

 

「このまま少女を衰弱死させたくなければ、私が私の意志で個性を解除する必要がある。それでも無事では済まないかもしれないが、彼女の死はまだ確実なものではないよ」

 

 踏破にその気があるのかはともかく、言っていることに偽りはなかった。

 

「もし億が一可能だとしても、これで君は私を殺せなくなった訳だ。言った筈だよ、詰みだと」

「…………あぁ、そうかい」

 

 既に終局の盤面。それでも踏破の言葉数が減らないのは、勇への当てつけだろうか。それとも、まだ対話を必要とする理由があるのか。

 踏破の行動には理由がある。勇は後者だと感じた。

 

「言いたいことが、あるなら、さっさと、しろや」

「話が早くて助かるよ」

 

 勇が拒絶できない状況を作り出すことに成功した踏破は、早々に本題を切り出す。

 

「救済措置を用意してあるんだ。君と少女が死なずに済む方法を。

 ――生きて、私の部下になりたまえ。君にしか出来ない仕事が見つかった」

 

 ……。

 何かと思えば。

 到底承諾しかねない提案だった。

 勇は醜く変形した口を綻ばせ、小馬鹿にするよう吐き捨てる。

 

「ハ、……寝言を」

「状況を鑑みたまえ。断れる立場かね?」

 

 交渉として踏破には勝機があった。蟻塚の存命を掛けて勇が自分を曲げる、というのは的を射ている。

 それに。 

 

「便利屋が連合に加入したと聞き、私は霧雨碧を連合に潜伏させた。君の居所を探り当てるためにね。事はそう容易じゃないと感じていたが、確信を得なければ私自身が動くことは出来なかった。しかし、殊の外簡単に碧は蟻塚の居所を嗅ぎ分けたよ。何故だと思う?」

「さぁ……」

「ある人物が彼女に接触してきたんだ。碧は『朝木勇を破滅させろ』と言われ、その人物からUSBを譲り受けた。そこには連合構成員ほぼ全員の個人情報が揃っていたよ。君の情報は皆無だったが」

 

 そして、踏破は勇が八方塞がりであることを改めて言葉にした。

 

「連合には君を裏切った不届き者がいる」

「だろう、な」

「ほほう、気付いてはいたのか」

 

 殆ど妄想にも近い推測の範疇ではあったが、踏破から告げられた真相を既に勇は知り得ていた。そして今、ソレは覆しようのない真実へ変わった。

 やはり連合の誰かが勇と蟻塚を嵌めていたらしい。“誰か”と言っても、死柄木にそんな知恵は無いだろうし、黒霧には勇に敵視されるような英断は出来ないだろう。

 

「あの、ジジイめ……」

 

 依然として目的は不明だが、『先生』が勇を裏切った第三者ということで間違いなさそうだ。

 

「なぁ、草壁。君を切るような愚かな組織に身を置いて、何の利益がある? 金銭で雇われているなら私だって手厚く保証してやる。連合は君の居場所にしては狭すぎないかね」

「知るか、ゴミ。さっさと……殺せ」

「諦めるのが早すぎないかね。交渉の余地はあるだろうに。君は意地より結果を重視する人間だった筈だろう?」

 

 踏破は勇から承諾の意を引き出すため、更に言葉を重ねた。

 

「格上の相手を出し抜く手段、それは相手に華を持たせて油断を誘うことだ。わざと(・・・)ヒーローに捕まってみる、とかね。

 ――さて、私にも華をくれたまえよ。その場凌ぎの嘘でもいいから、私の望む返答をしてくれ。たった一言、『アンタの言うとおりにする』と約束してくれるだけでいい」

 

 一字一句が勇の胸に染み入った。

 目的のためにプライドを捨てることこそ勇のプライドだ。無個性で何も持っていなかった彼には、取り得る手段を取りこぼさない性根が残り続けている。

 

 それでも、踏破の提案にだけは乗りたくない理由があった。

 

「……俺が、どうして、犯罪者、に、なった。のか。分かった、なら……聞くな」

 

 形骸化してしまった意地があった。

 

「悪役は――強情なんだ」

 

 そしてまた、嘘を吐く。

 自分が勝ち馬に乗るためなら、一時的に敗者になることも、他人に媚びへつらうことも、どんな屈辱を強いられることも苦ではない。

 しかし、単純に嫌なのだ。

 

 彼は蟻塚を愛しているが、それと全く同程度に凱善踏破を忌み嫌っている。

 

「………その見栄は美徳かもね。残念だ」

 

 言うと、踏破は勇の左目に指を滑り込ませる。

 潰れた眼球を素手で刺激された勇からは呻き声が上がった。

 

「ッッ! 何、しやがる……!」

「網膜さえ生きていれば、私の個性は作用するんだよ」

 

 強引に目が開かされ、剥き出しになった無数の痛点が外気に触れる。

 その最奥にある網膜に向けて踏破の視線が伸びた。

 

「最後に一つ」

「あぁ……!?」

 

「水泉を――私の妻を殺した黒幕を、君は何処まで知ってる?」

 

 先刻とは異なった声色の、切実な問い。

 勇は生涯最後の意趣返しの機会になると踏んで、精一杯の嘲笑を交えて言った。

 

「教えねぇよ、バァカ」

 

 その時。

 色彩を帯びた光景として何も認識は出来ないはずなのに、勇には相手の表情が分かった気がした。

 少し憂いているような、情けない笑顔。

 

 

「おやすみ、勇斗くん。惨めな我が義弟(おとうと)よ」

 

 

 耳元に、踏破の右手が近づいてくる。

 

「君はまた、届かない」

 

 指が鳴った。

 意識が途絶える。

 

 

【 イタダキマス 】

 

 

 落ちた夢の先で、響く声があった。  




あと5話


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