涼宮ハルヒコの憂鬱(キョン子シリーズ) (佐久間不安定)
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涼宮ハルヒコの憂鬱(キョン子シリーズPart1)
(1)「ただの人間には興味ない」
幼稚園年長だったときのクリスマスイブかそれに近い日。うちの園にサンタクロースが来ることになった。私は他の子と一緒に「わーい」と騒いだ。子供が笑顔だと、大人たちは気前良くなるものである。
ところが、私の隣の席で異変が起きていた。
「サンタさんは、いるもん!」
その金切り声に、私たちの「わーい」が、たちまち消えうせたのは言うまでもない。
その子は男子にちょっかいを出されたらしい。「サンタを信じてるなんてバカだな」とでも言われただろう。彼女はムキになって反論したわけだが、そのあとで隣の私に同意を求めてきたのだ。
「そうだよね? サンタさんはいるよね!」
私の人生の中でこれほど難しい局面はそうはない。ベスト3に入るといっていい。私はまわりを見わたした。誰もが私のことを見ていた。だから、私はこう答えた。
「うん、いるよ」
彼女は念を押す。ゼッタイに、ゼッタイよね。私はうなずく。うん、うん。
言ったあとで、私は恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。実は私だって気づいていたのだ。サンタクロースなんかいるはずないってことに。
世の中には、科学的に「いない」と思われるものがいろいろある。神様とか、幽霊とか、天使とか。私はそれらを「いない」とは言いきれない。でも「いる」と自信を持って答えるほどの確信はないわけで。
つまり、そういうものを「いる」「いない」と、はっきり答えを求めるほうがまちがっているのだ。神様を信じることで幸せな人がいたら、それでいいじゃないか。
だけど、私は「いる」と信じる側には立ちたくなかった。このときのように「いないんじゃないか?」と問われたとき、どうすればいいのかわからない。だったら、信じないほうがいいのだ。
こんな結論に漠然とたどり着いた私は、それから、良くいえば現実的、悪くいえば夢のない子供になった気がする。
もし、いつの間にやら部屋にいる猫がいきなりしゃべりだして、このステッキをふれば魔法が使えますよ、と言われたところで、私が無邪気に「えいっ」と杖をふるかどうかは、はなはだ疑問である。私はアニメや漫画を見ても、そのヒロインになりきることが、どうしてもできなかった。
そんな私だが、占いはそれなりに信じているし、ゲンかつぎだってする。ただ、それはみんながやっているからそうするだけで、うっかり朝の占いコーナーの内容を忘れても「ま、いいか」と思って、学校に行った。実際、それで何とかなった。
だから、高校に入学するこの日、自分の運勢が何だったかとか、ラッキーカラーが何色だったかとか、そういうことはさっぱり覚えていない。もし、「ハッピーな一日を送ることができるでしょう」と放送していたら、私はその番組の占いを二度と信じることはなかっただろう。なぜなら、この日こそ、私の15年間のありふれた日常を粉々に打ち砕く出会いが待っていたからだ。
入学式が終わってから、私たちは新しい教室に入った。同じ中学の子がちらほらいて、これなら高校生活も安泰だと思ったものだ。目立つことなく、普通の高校生活が送ればいいと思っている私は、前の人と同じような自己紹介をして、それなりの拍手でむかえいれられた。
ところが、私の後ろにいる男子、生涯忘れえぬであろう名前を持つその男は、一呼吸おいたあと、こう言い放ったのだ。
「東中出身、涼宮ハルヒコ。ただの人間には興味ない。宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、俺のところに来い。以上!」
私は驚いた。と同時にあきれた。心底あきれた。ここは小学校でも中学校でもなく、高等学校であり、かつ、地元では名の知れた進学校なのである。そんな冗談とは無縁の場所に私はいるはずだった。
しかし、思わずふりむいたときに見た彼の眼差しを、今でも私はありありと目に浮かべることができる。腕を組み、瞳を見開き、クラス全体をにらみつけるような視線を投げかけていた。まちがいなく、彼は本気だった。冗談のカケラもなかった。
不覚にも、私はそんな彼の表情をカッコいいと思った。言葉の内容を抜きにすれば、これほど堂々と自己紹介をする男子を、それまで私は見たことがなかったからだ。
やがて、彼は私に気づき、不審そうな目を向けた。私はあわてて首を戻す。ちょっと動悸が激しくなった。いやいや落ち着け、と自分に言い聞かせる。おそらく、彼は変なヤツだ。高校生になったんだから、クラスに変なヤツが一人ぐらいいてもおかしくない。少なくとも、彼が私の平和を乱すようなことはないはずだ。
残念ながら、それは大誤算だった。入学してから一ヶ月かそこらもたたないうちに、思い描いた高校生活とはまったく別の方向へと、私は追いやられることになるのである。この涼宮ハルヒコのせいで。
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(2)「おまえは宇宙人か?」
我が高校、通称「北高」は丘の上に建っている。どんな歴史があるのか知らないが、丘の上にある。ゆえに、毎日坂道をのぼらないと、校門にたどり着くことはできないのである。
私は駅から歩きで通っている。自転車通学の生徒は多い。最初は、自転車の子たちがうらやましいと思ったものだが、よく見ると、必死で立ちこぎをしていたり、あきらめて自転車を押して行く生徒が少なくない。校門まで自転車でたどり着くには、それなりの脚力が必要みたいである。ならば、のんべんだらりと歩いたほうがいいではないか。
入学一週間にして、早くもこの真理に至った私は、自分のペースでだらだらと歩いていた。知人がいたら声をかけるが、この日は一人も出会わなかった。教室に入ったときは、チャイム五分前。すでにほとんどの生徒が着席して、カバンから教科書を出したり、話をしたりしている。
私は自分の席に向かって歩く。すると、どうしても、一人の男子の背中を見ないわけにはいかない。
そう、涼宮ハルヒコである。
あのとんでもない自己紹介のせいで、彼はまったくクラスになじんでいないようだった。今朝もぼんやり窓の方を見ている。かわいそうな気がするが、もともと一匹狼なのだろう、彼のほうからもクラスメイトと仲良くしようとする気配はまったく見られなかった。
問題は、そんな彼の前に座る私の精神状態である。正直いって、涼宮ハルヒコは得体が知れない。まず、あの自己紹介が冗談なのか本気なのか知りたい。どちらにしろ、変なヤツであることにはまちがいないが、我がクラスの席替えは五月になるまで行われないのだ。つまり、五月一日まで私の後ろには涼宮ハルヒコが座っているのである。
これはなかなかのプレッシャーだ。平和な日常を最上としている私のポリシーからして、涼宮ハルヒコという謎の存在が与える影響力は、決して看過できない問題である。
そんなわけで、私は彼に話しかけることにしたのだ。それは彼のルックスが良かったからだとか、そんなミーハーなものではなく、涼宮ハルヒコという男子を私なりに知りたかったためである。いわば、知的好奇心だ。チャイムが鳴る数分前というのも良いタイミングである。変な話ならば、すぐに切り上げることができる。
もちろん、なじみのない男子に話しかけるのだから、私なりの努力はする。きわめて愛想よく、かわいらしく、私はこう声をかけた。
「ねえ、涼宮くんって、宇宙人、信じてるの?」
そのあたりさわりのない言葉を聞いて、彼は私を凝視する。そして、こう言った。
「おまえは宇宙人か?」
さすがにこの言葉に私の愛想笑いは崩れた。
「いや、ちがうけど」
「なら、いい」
そして、涼宮ハルヒコは私から視線をそらした。あれ、これで会話終了?
数秒間、私は唖然とした。それから腹が立ってきた。
せっかく、クラスメイトが話しかけてきたというのに、この態度はなんだ? 変なヤツだとしても、人間には最低限の礼儀というものが必要ではないか。
ふと、私を見る視線に気づく。数人の男女が私に何やら同情的な視線を投げかけていたのだ。あとで気づいたが、彼女たちは全員東中出身者だった。つまり、中学時代の涼宮ハルヒコを知っている子たちである。
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(3)「スズミヤはホントにヤバいって」
「だから、スズミヤに話しかけるのはやめといたほうがいいって」
昼休み、お弁当をもぐもぐ食べている私の耳に、そんなありがたい忠告が聞こえる。
「でも、見た目、カッコいいしね。キョン子って昔から、面食いなところがあるし」
そう言われても、私は反論しない。なぜなら、食事中だからである。食べ物というものは、よく噛むことで、栄養を最大限に摂取することができるのだ。太る原因の一つが、噛まないで物を食べるせいだと聞いたことがある。
ちなみに、キョン子というのは私のあだ名である。この名づけ親が、私の弟というのがちょっと情けない。親戚のおばさんが、私の名前を中途半端に「キョン子」と呼んだのを面白がった弟が、その真似をするようになり、それを知った友達が定着させた。
できれば、弟には「お姉ちゃん」と呼ばれたい。さらにいえば、最近弟が自分のことを「おれ」と言いだしたのが、不満で仕方ない。きっと、悪い友達と付き合っているのだろう。私の悩みの種は尽きないのだ。
「いやいや、スズミヤはホントにヤバいって。マジやばいから」
「なにがヤバいの?」
二人は私を気にせず話し続ける。私も気にせず、もぐもぐ食べる。
「自己紹介で言ってたじゃん。宇宙人とか、超能力者だとか」
「そうだよね。オカルトだよね」
「あいつ、スズミヤは本気で信じてるんだよ。そういうの」
「でも、いいじゃん。変なことしないんだったら。班組みで同じになったらイヤだけど」
そうだ、と私はクニの言葉にひそかに同意する。他人に迷惑をかけるようなことを、涼宮ハルヒコはしていない。
ちなみに、クニというのは、私と同じ中学出身の同級生のあだ名である。中三のときにわりと親しかった友達だ。クニと同じクラスになったことは幸運だった。私は新しい友達を作るのが得意ではないからだ。
「いやいや、中学時代にスズミヤが何をやったかを知ったら、アンタら、驚くって」
そして、こんなことを言う子が、涼宮ハルヒコと同じ東中出身のグッチ。彼女がクニと仲良くなったことで、いつの間にか、私と一緒にお弁当を食べる関係になってしまった。
「例えば、屋上に御札をはりまくったことがあったよね」とグッチ。
「御札って、どういうの?」とクニ。
「魔除けだかよくわからないけど、とにかくそういうの。スズミヤは、あとで先生にたっぷり叱られたんだけど、ぜんぜん反省してる顔見せなかったのよ。信じらんない」
なお、グッチが「スズミヤ」と呼び捨てにして、大音量で話しているのは、彼が昼休みに教室にいないからである。きっと、学食を利用しているのだろう。
「そして、そのあとに起きたのが、運動場落書き事件」とグッチ。
「何それ?」とクニ。
「ライン引きでね、なんていうか、キテレツっていうか、マカフシギっていうか、そんな模様を運動場いっぱいに描いたのよ」
「それ、新聞に載ってたやつじゃない?」
「うん、載った載った。もう、先生みんな大騒ぎでね。スズミヤは、真夜中の校庭に忍びこんだことをすぐに白状したんだけど、パトカーも来たりしてさ。ホント大変だったよ」
「ははは、そりゃ迷惑だよね」
「笑いごとじゃないって」
二人の話を聞きながら、私は不謹慎にも感心していた。そうか、涼宮ハルヒコは宇宙人を待ってただけじゃないんだって。
御札を貼ったり、運動場に落書きするなんて、バカげたことかもしれない。だけど、それを涼宮ハルヒコはやりとげたのだ。たぶん、一人で。たいしたヤツではないか。
私は、夜の校庭でひとりきり白線を引いている彼の横顔を想像する。きっと、真剣そのものだったのだろう。あのときの自己紹介と同じように。
なぜ、そこまで夢中になれるんだろう。なぜ、いつまでたっても来ないものを信じることができるんだろう。
「あれ、キョン子? ますます、スズミヤに興味持ったとか?」
思わず箸をとめていた私に気づき、グッチがうれしそうに話しかける。
「でも、絶対にやめといたほうがいいよ。アイツにはもう一つの特徴があってね。なんと、女の子にまったく興味ないのよ」
「え? まさか、あっち系の人とか?」
「ちがうよ。クニったら、何言ってんのよ」
「だって、グッチがまぎらわしい言い方するから」
「ごめんごめん、そういうことじゃなくてね。スズミヤって、ルックス悪くないじゃん? だから、そこそこモテて、告白されたりしたんだよね。そしたら、アイツ、OK出すのよ、必ず」
「へえ」
「でもね、デートといっても、特に何するわけでもなく、ただ街を歩きまわるだけで、そして帰りにこう言うのよ。『ごめん、俺、やっぱり、普通の人間に興味持てないんだ』って」
「ひどい。なんで、最初から断らないのよ」
「せっかく勇気出して告白した子に、そんな態度取るなんて許せないと思わない?」
「うんうん」
「だから、東中では、スズミヤには話しかけるな、という暗黙の了解があったんだよね。それでも、ホレる子はいたんだけど。キョン子みたいに」
グッチはいたずらっぽく笑って私を見る。
「なんで私には教えてくれなかったわけ?」
食事が一段落ついた私は、ここぞとばかり反論する。
「だって、あんな自己紹介のあとに、スズミヤに話しかける子がいるとは思わないじゃん」
「それに、だいたい私は」
「まあまあグッチ、キョン子の趣味が変わってるのは、昔からのことだし」
「そうだよね。キョン子ってどこか変わってるよね」
援護をしてくれると思いきや、またもや根拠不明なウワサを流すクニと、それに同意するグッチ。私はまったく無力だった。だいたい、私のどこが変わっているというのか。
私はミルクを取りだす。私は食後に必ずミルクを飲む。昼休みが始まってすぐ自販機で買い、その新鮮さを噛みしめながら飲む。私ほどミルクをマジメに飲む子はそうはいるまい。
「最初はおとなしそうに見えたんだけど、キョン子ってガサツなところがあるよね」
「そうそう、女の子っぽくないんだよね。いろいろと」
それというのも、こんなことをすぐ言われるからである。だいたい、お弁当を食べながらしゃべる子が、黙々と食べる子をガサツというのはまちがっている。つまり、原因は私の性格にあるのではなく、私の貧相な体格にあるのだ。私がミルクを噛みながら飲む理由がそこにある。
胸がないせいで、私は女の子らしくないと言われる。髪を結んでみたら「侍みたい」「セッシャ、セッシャ」と言われる。「キョン子」が定着しなければ、あやうく「セッシャ」と呼ばれていた可能性があるのだ。いつか「そのポニーテール、似合ってるよ」と素敵な男性に言われるまで、私は髪を結い続けるであろう。
「でも、キョン子だったら、涼宮くんとうまくいくんじゃない?」
「いやあ、さすがのキョン子でも、スズミヤはダメでしょ。面食いでも、相手は選ばなきゃ」
二人は勝手なことを言っている。たしかに、涼宮ハルヒコの外見が悪くないことは認める。いたずらっぽい笑顔が似合いそうだ。だが、それが彼に話しかけた理由ではないはずだ。絶対に。
「それより、やっぱり、朝倉くんよね。朝倉くんのほうがカッコいいと思わない?」
「朝倉くん、がんばってるよね。クラス委員、ちゃんとやってるし」
「おまけに剣道もうまいんだって。総体からレギュラー確定っていうじゃん?」
「へえ、すごいね。文武両道なんだね」
「まあ、スズミヤだって、勉強もスポーツもできるんだけど、性格があれだからね。もう、このクラスの半数は朝倉くん派といっても過言ではないわ」
クラス委員である朝倉リョウのルックスも悪くない。だが、誰とでも親しくなろうとする彼の態度は、あまり感心しない。男子なんだから、もっと友情はじっくりとはぐくんでほしい。
「ねえ、キョン子はどっち? 朝倉くん派、それともスズミヤ派? 今、スズミヤ派に入ったら、ファンクラブ会長になれると思うよ。このグッチが保証するからさ」
「好きにしてよ」
私はグッチの無責任な言葉を軽く聞き流して、窓を見る。こんな女の子らしくない身体では、まともな恋愛は期待できそうにない。地道な運動とミルク摂取で、いつか人々を見返す日がくるのであろうか。
私はため息をつく。つくづく世の中は理不尽だと思う。私のスタイルとか、入学早々涼宮ハルヒコの前の席になったりとか。
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(4)「バカみたい」
それからも、涼宮ハルヒコは、クラスから孤立していた。誰もが彼を避けていたし、彼のほうもクラスメイトには無関心だった。私が声をかけたことなど、一日もたたぬうちに忘れてしまったにちがいない。
だが、私は涼宮ハルヒコの存在を無視することはできなかった。休み時間に、クニやグッチと話したり、廊下を歩いたりしながら、ひそかに彼のことを観察するようになった。私は彼のことが気になって仕方なかったのだ。それは淡い恋心とかそういうものではなく、知的好奇心と呼ぶべきものであったのは言うまでもない。
そんな涼宮ハルヒコの特徴その1。彼は休み時間になると、すぐに教室から出て行く。いったい、何をしているのかと思いきや、学校中を探索しているみたいなのだ。あるときは、渡り廊下でうーんとうなり、あるときは、プールの側で何かを調べていたり、などなど。霊的スポットを探しているのかもしれないが、変な御札をはるようなことはしていなかった。何を考えているのかは涼宮ハルヒコのみぞ知る、である。
涼宮ハルヒコの特徴その2。彼はいろんな部活に仮入部していた。ある日はバスケ部、ある日は陸上部、もしかしたら、書道部などの文化系クラブにも顔を出していたかもしれない。いずれにせよ、すぐに辞めていた。熱心な勧誘を受けたこともあった。体育の授業を見るかぎり、彼の運動神経はたいしたものだった。どの部活に入っても一年でレギュラーになれたにちがいない。それなのに、彼は全部断っていた。
四月の涼宮ハルヒコをあらわす言葉は「いらだち」という一言につきる。学校中を歩きまわり、様々な部活に顔を出す、という人間離れした行動を取っているのに、それでも彼は不満なのである。時には寝ていることもあったが、授業中、質問されたらきちんと答えていた。
勉強ができて、スポーツができて、ルックスも悪くない。それなのに、涼宮ハルヒコは、宇宙人とか超能力者とかそういうわけのわからない類のものを信じていて、それがいつまでたっても自分の前に現れないことにいらだっているらしい。バカなヤツだ。一流大学を目指して勉学にはげみ、県大会優勝を目指して部活動に精を出す。それこそが、高校生活という枠内でできる最善の努力ではないか。まあ、成績があまり良くない帰宅部の私が言っても説得力がないのだが。
そして、涼宮ハルヒコの特徴その3。それは彼のブレスレットである。右手首につけているその安っぽいアクセサリーは、毎日、色が変わるのだ。その日のラッキーカラーをつけているのかと思いきや、曜日ごとにブレスレットの色を代えているらしい。なかなか手のこんだことをしている。いったい何のために?
そんな観察をしながら、四月の終わりに近づいたある朝のこと。高校生活にも坂道を上るのにも慣れたころである。教室に入り、頬杖をついている涼宮ハルヒコのブレスレットを見て、今日は緑だから木曜か、と思いつつ、着席したあと、何を血迷ったか、私は彼に話しかけてしまったのだ。
「曜日でブレスレットかえてるのは、宇宙人対策?」
彼は驚いた目で私を見た。
「いつ、わかったんだ?」
「ちょっと前」
「そうか」
彼は再び頬杖をついて、窓のほうを見る。
「なあ、なんで、曜日に星の名前がついていると思う?」
突然、そんな質問をされて、私は慌てる。
「ど、どうしてだろ?」
「そのインスピレーションを得たくて、色を変えてるわけだ」
「へえ」
「だから、月曜は黄色、火曜は赤、水曜は青で、木曜は緑」
だんだんと熱を帯びてくる彼の口調が、なんだかおかしくて、私はたずねてみる。
「じゃあ、日曜日はどうなの?」
「そんなこと、おまえには関係ない」
会話が成立したと思ったら、たちまち、こんなことを言われた。やはり、涼宮ハルヒコにとって、私を含め、クラスメイトはどうでもいい存在らしい。
このまま、話を終えても良かったのだが、それだと気分悪くなりそうだったので、ひとりごとのようにつぶやいた。
「まあ、宇宙人に会うために努力はしてるってわけだ」
「それがどうしたっていうんだよ?」
「バカみたい」
ふと、そんな言葉が出てしまった。言った瞬間、彼の動きが止まった。そして、私を見る。明らかに、私をにらんでいる。
「おい、今、なんて言った?」
マズい。さすがの私もそう思った。しかし、残念ながら、口はそう簡単に止まるものではない。
「だから、宇宙人とか超能力者とか、そんなものを信じてるのが、バカみたいってこと」
そう言い放って、私は彼を見た。彼はもう頬杖をついていなかった。身体が小刻みに震えていた。左手をにぎりしめている。か弱い私なんぞ、ひとひねりするぐらいに。
「じゃ、じゃあさ」
彼がふりしぼるように言葉を出そうとしたとき、チャイムが鳴りひびく。私は平静をよそおって身体を戻す。チャイムに救われたとはこのことだ。
ふと、見わたすと、クラスメイトがみんな私に視線を向けている。誰もが驚いていた。私だって驚いていた。あんなことを言うつもりで話しかけたはずではなかったのだから。
その日の休み時間、私はいろんな子に声をかけられた。よくやった。ざまあみろ。キョン子ってやるときはやる子なんだな。みんな、口々に涼宮ハルヒコの悪口を言った。他人を見下してるだの、偉そうだの。グッチがもっともそれに熱心だった。
しかし、私は誇らしい気持ちにはなれなかった。幼稚園のとき「サンタなんかいないんだぞ」と言って、隣の子を泣かせた男子のことを思いだす。私は涼宮ハルヒコに嫌われてもかまわなかったが、その男子と同じように見られるのはイヤだった。
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(5)「ああこれがウワサに聞く拉致か」
放課後になると、私の自責の念はずいぶんうすらいでいた。だいたい、涼宮ハルヒコは中学時代にいろんな事件を起こして、先生に山ほど説教されていたというではないか。私ごときが「バカみたい」と言ったところで、それほど深い心の傷を負うことはあるまい。
そう考えながら、あくびをかみころし、カバンに教科書をしまいこんでいるときだった。いきなり、右肩をガッチリつかまれ、哀れ私の身体はくるんと振り向いてしまった。
「ちょっと来い」
涼宮ハルヒコはそう言って、私の腕をつかんだ。ガタンと椅子が倒れ、私は彼の導くがままにドアに向かってかけだす。
このときの様子について、グッチは後にこう証言する。
「帰り支度してたら、いきなり、スズミヤがキョン子を押し倒したのよね。息もつかせぬ早業だったわ。気づいたら、キョン子がお姫様抱っこで連れて行かれてるじゃん。ああこれがウワサに聞く拉致か、とウチらは呆然と見送ったんだけど、それから思ったわけよ。もしかして、これってめちゃくちゃヤバイんじゃないかって。だから、みんなで、助けに行かないか、相談していたのよね。キョン子、アンタは信じないかもしれないけど、みんな心配してたんだから」
もちろん、これは妄言である。どうして、お姫様抱っこなどという破廉恥な動作が思い浮かぶのか、グッチの豊かな想像力にため息をつくほかない。
私は反抗しようと思えばすることはできた。しかし、彼の表情には、赤ずきんちゃんを襲うオオカミのような危うさは感じられなかった。そう、涼宮ハルヒコは、ただの男子ではない。宇宙人や超能力者を信じるような変なヤツなのだ。それが私を安心させた。だから、私は彼についていったのだと思う。
彼が足を止めたのは、屋上につながる階段の踊り場だった。そこで、涼宮ハルヒコは向き直り、私の両肩をギュッと力強くにぎる。
「おまえ、宇宙人とか超能力者とかが、本当にいないって言いきれるのか」
まわりから見れば、告白モードだと思われるかもしれないが、あいにく相手は涼宮ハルヒコである。その言葉にはロマンスのカケラもなかった。ただ、彼の表情を直視できるほどの余裕はなかった。両肩に圧力がのしかかる。私はそっぽを向いて、つぶやくように答えた。
「いや、べつに、いないと言ってるわけじゃないし」
「そうか」
私の返答を聞いて、彼は軽く息をはいて言った。
「じゃあさ。もし、宇宙人、異世界人、未来人、超能力者、そういうやつを俺がおまえに見せたら、さっきの言葉を取り消せ」
「さっきの言葉って」
「俺をバカにしたことだ」
私は涼宮ハルヒコを見る。その真剣な形相を見ると、思わず笑いがこみあげてきた。さすがにこのセリフはガキっぽい。不思議なことに人間というのは、相手が必死になればなるほど冷静になれるものである。特に、自分にまったく利害のない話の場合は。
「わかったから、手を離して」
「え?」
「この二つの手。痛いから」
「あ、悪い」
思わず手をひっこめた涼宮ハルヒコの姿は、ほほ笑ましかった。得体の知れないヤツと思ってたけど、こういうところは、普通の男子と同じじゃないか。
私はすたすたと階段を降りる。彼と正面きって向き合ったときには、ちょっとあせったものだが、無事に対面を終えることができた。私は満足だった。うん、上出来じゃないか。
「絶対だぞ!」
ふりむくと、涼宮ハルヒコが身を乗りだして言っていた。私は、はいはい、と答えて、歩きながら手をふった。
教室に戻ると、クニとグッチが不安そうな顔をしてかけよってきた。何かされなかったの、ときかれたが、事実を話せば、私も涼宮ハルヒコと同類だと思われそうな気がしたので、だまっておいた。
こうして、私は危機を脱したはずだった。どうせ、宇宙人みたいなものが平和な我が北高にあらわれるはずはなく、彼に汚名返上のチャンスが訪れることはないであろう。そして、私はそれなりに有意義な高校生活を送り、涼宮ハルヒコもしかるべき形で落ち着くはずだった。
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(6)「中学のときモテてたって本当?」
このような経緯により、涼宮ハルヒコと声をかける関係になった私だが、話す内容といっても、
「宇宙人、見つかった?」
「そんなわけないだろ」
「そう」
三行で終わった。宇宙人にまったく興味がない私にとって、それ以上の話は聞く価値もなかった。
あいかわらず、涼宮ハルヒコは休み時間や昼休みには教室に出て行く。だから、彼のことを気にとめる必要はなかった。基本的に、私はクニやグッチと話しながら、平和な日常をすごしていたわけだ。
そして、五月一日、席替えの日。出席番号が近かっただけで、後ろの席に座っていた涼宮ハルヒコとも別れるときがきた。ちょっと名残おしいが、彼と同類と見なされることには耐えがたい私にとって、これは喜ばしきことであるはずだった。グッバイ涼宮ハルヒコ、フォエ―バー。
私の席は窓際で後ろから二番目の席となった。クニやグッチとは、ちょっと離れている。残念だが仕方ない。早くも数学の授業についていけなくなった私だ。親しい子がまわりにいない方が良いではないか。そう自分をなぐさめていたら、なんと後ろの席が、驚くなかれ、またもや涼宮ハルヒコになった。
これに運命を感じるのはまちがっている。誕生日が重なる子がクラスにいてもおかしくない理屈と同様に、席替えで後ろの生徒が変わらずとも不思議なことではないはずだ。それほど確率的には低くないと思う。数学を苦手とする私が言うのもなんだけれど。
せっかくの機会だ。知的好奇心を満たすべく、グッチから聞いたウワサの真相をたずねることにした。
「ねえ、中学のときモテてたって本当?」
そんな質問をすると、彼は不機嫌そうに窓を向いた。
「谷口だな、そんなこと話すの」
「誰からでもいいじゃん」
ちなみに、谷口とはグッチの名字である。
「なんで一回きりのデートで女の子をふったりするわけ? もっと付き合わないとわからないことがあるでしょうが」
「面白くないんだから、しょうがないじゃねえか」
そんな無神経な彼の発言を聞くと、さすがに女子として許せないものがある。私は正義感にかられて反論する。
「街をぶらぶら歩いただけで、その子のことがわかるはずないでしょ? デートするんだったら、もっとやり方ってもんが」
「映画とか、カラオケとかに行けっていうのか。なんで、そんな金のかかることしなくちゃいけねえんだよ」
「だって、デートでしょ?」
「そもそもだな、俺はその子のことを好きになれるかどうか知りたくて、一日付き合ってみたんだ。告白されたときに、ちゃんとそう言った。ところが、そいつときたら、質問に答えるばかりで、気のきいたこと一つ言えやしない」
涼宮ハルヒコはぶつぶつ話し続ける。
「おまけに、歩くスピードが遅すぎる。ペースを合わせるだけで疲れる。もし、本当に恋愛関係が成立するならば、ただの並木道を歩いても、楽しいと感じるもんだろ? そういう気配がちっとも伝わらないんだよな。どう考えても、一日をムダにすごしたとしか思えない」
ふーっと私はため息をついた。こいつはダメだ、女心というのがまったくわかっていない。嫌われまいと必死で歩く女の子の気持ちを理解しようとすらしていない。その子を喜ばせる努力もせずに、何が「一日をムダにした」だ。
「だいたい、告白の時点からおかしいんだよな」
涼宮ハルヒコのグチはつづく。
「放課後にどこそこに来て、と女子に言われたら、当然、そいつが待っていると思うじゃないか。だのに、別の子がいるんだよ。なんで、別のヤツに『放課後に来て』と言わせるんだ? それぐらい、自分でしろよ。せめて、待ってるのが誰かぐらいはわかるようにしてくれ」
女子の恋愛における友情も、こいつにかかるとこの通り。こんなヤツにホレた女子には不幸しか待っていないのだ。
もし、私に「好かれたい」という気持ちがあったら、涼宮ハルヒコと今のような関係になっていただろうか。「バカみたい」という言葉が、よくわからない作用を起こして、現在の関係に至っているのである。つくづく男女関係というのは難しいものだと思う。
しかし、周囲の子たちは、私がそんな話をしているとは考えていないようだった。次の休み時間に、グッチは大げさに言う。
「ねえ、キョン子。スズミヤと仲良さそうじゃん。いったいどうしたのよ?」
どうしたもこうしたも、あんたのウワサが事実かどうか確かめただけ、と反論しようとすると、クニがしたり顔で言う。
「やっぱり、キョン子には涼宮くんぐらいの子がちょうどいいんだよ」
「だ、だけど、あのスズミヤとだなんて」
いや、それはあんたの早とちりだから、とグッチの誤解をとこうとしたとき、予想外の男子が声をかけてきた。
「いいことじゃないか。涼宮君には、誰も友達がいなかったんだから」
視線を上げると、そこにはクラス委員の朝倉リョウがいた。
「正直、涼宮君には困っていたんだよ。なかなか、クラスになじんでくれなくてさ。だから、これからもお願いするよ」
いや、なんで私がそんなこと頼まれなくちゃいけないんだ。まるで、私が犠牲になってクラスの平和を維持しろ、と言わんばかりではないか。
しかし、私が答えるよりも、グッチが言葉を出す方が早かった。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。キョン子はスズミヤ対策委員長だから。スズミヤのことは、キョン子に任せたらきっとうまくいくよ」
「それだったら助かるよ」
そして朝倉リョウは、私たちの元を去った。どうやら、私に発言権は与えられていないようだ。
「すごいじゃん。朝倉くんにも認められてるよ、あなたたち」
グッチはやたらとうれしそうだ。私は反論する気力もうせて、窓の外を見る。今ごろ、涼宮ハルヒコは、どこで、うーんとうなっているんだろう。来るはずのない宇宙人を、どんなふうに待ってるんだろう?
「それにしても、男子に『バカみたい』って、けっこう使えるんだね。今度、やってみようかな」
「グッチ、それはやめといたほうがいいよ。相手が涼宮くんだからできたことで」
「ははは、そうか」
そんな平和な二人の会話を聞きながら、私はため息をつく。どうやら、私も涼宮ハルヒコと同じように変人の烙印を押されてしまいそうである。人のウワサも七十五日と、昔の人は言った。七十五日。それは、高校一年生にとって、いかに長い年月であることか。私はもう一度深いため息をついた。
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(7)「もうあきらめたら?」
もちろん、UFOが平和なこの街に姿を見せることはなく、たんたんと日々はすぎる。私にとっては好ましく、涼宮ハルヒコにとっては願いむなしく。
グッチにめでたく涼宮ハルヒコ対策委員長に任命された私だが、あまり対策をねる必要はないみたいだった。四月の彼をあらわす言葉が「いらだち」だとしたら、五月の彼は「ユウウツ」である。どうも、彼は万策尽きたようだった。わずか一ヶ月で、やることをやり終えるとはたいしたものである。私なんか、テストが返るたびに「今度こそは」「きちんと勉強さえすれば」と数年間思い続けているのだから。
めずらしく、休み時間になっても席を立たない彼を見ると、さすがにかわいそうになったので声をかける。
「もうあきらめたら?」
「何をだ」
私のほうをふりむく気力もないらしい。腕に顔をうずめたまま返事をしている。
「あんた、頭もいいし、運動神経もいいんでしょ? やろうと思ったら何でもできるじゃん。いつまでも来ないものを待ってるんだったらさ、もっとほかのことを」
「そんなありきたりのことをしたくねえよ」
涼宮ハルヒコは髪の毛をむしる。
「なあ、なんで、こんなにつまらねえんだ。高校生になったんだから、新しいことが起こると張りきってたのに、中学のときとたいして変わらないじゃないか。いったい、どうなってんだ、この世の中は」
いやいや、宇宙人みたいな物騒なものを望んでいるのはごく少数派で、大半の人は平和な日々を望んでいるのだ、と私は彼に説教したかった。
たしかに今の私たちは物足りない日々をすごしているのかもしれない。だが、世界には飢えて死ぬ子供たち、文字を知らない子供たちが、たくさんいるというではないか。彼らからすれば、涼宮ハルヒコの憂鬱なんて、どうでもいいことなのだ。憂鬱しているだけで、贅沢なのだ。
でも、そんな当たり前のことを言っても、彼は耳を傾けないだろう。私は頭を働かせる。
「ねえ、高杉晋作って知ってる?」
「ああ、幕末の長州藩士だな。奇兵隊を作ったヤツだろ? おまえ、歴史くわしいのか?」
「ええ、まあ」
実をいうと、くわしいのは日本史の一部にすぎないのだが、私はかまわずに続ける。
「でね、その高杉晋作って人、明治維新が始まる前に亡くなっちゃったのよね。27才かそこらで。その辞世の句って知ってる?」
「『残念だ、明治維新を、見たかった』とかか」
「ちがうわよ。『おもしろき こともなき世を おもしろく』っていうの」
ほう、と彼は身を乗りだしてきた。
「高杉晋作はね、家柄が良くて、優等生だったのに、そういう地位を捨てて、幕府を倒すためにがんばったわけよ。百人にも満たない兵士でクーデターを起こしたこともある。そうして心身を投げうって努力したから、ああいう辞世の句が遺せたわけよ。だから、あんただって、来るはずがないものを待つんじゃなくて」
と、話しかける途中で気づいた。いつの間にか、彼は考えこんでいるようだった。偉大なる高杉晋作の生涯には、てんで興味がないらしい。
もし、涼宮ハルヒコが幕末の長州藩に生まれていたら、奇兵隊に入って活躍していたかもしれない。しかし「一将功なりて万骨枯る」という漢文で習った故事成語のように、戦争は多くの悲劇を生む。この時代でも、充実した生き方というのは、いくらでも見つかるはずなのだ。私たちは日々の平和に感謝して生きていかなければならないはずなのだ。
そう伝えようとした私の言葉の続きを待つことなく、涼宮ハルヒコは腕を組んで、うーんと考えこんでいる。これは良い兆候ではない。そんな彼の姿、これまで一度も見たことがなかったからだ。
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(8)「だったら、自分で作ればいいんだよ!」
その日の五時間目は数学だった。昼食のあとの数学となれば、眠くならないほうがおかしい。外は晴れているし、教科書は無理難題を押し付ける。因数分解をさらに分解すると、いったい何が残るというのだろう。だんだん数式が呪文に見えてくる。すでに、ノートをとる手は止まった。私の視界が闇に侵食されてゆく。できることならば、夢の中では方程式のない世界に……。
いきなり、制服の襟をつかまれたかと思いきや、すごい勢いで引っぱられた。
ゴン! そんな音が聞こえたのと同時に、私の後頭部に鈍い痛みが走る。
私は意識を戻す。首をひねる。そこには、私の襟をつかんだ涼宮ハルヒコの姿があった。
「ちょっと、あんた!」
私は立ち上がって叫んだ。すると、彼も一緒になって立ち上がる。
「だったら、自分で作ればいいんだよ!」
「だから」
「部活だよ、部活。俺たちの部活だよ!」
彼は意味不明なことを誇らしげに訴えている。これまでの憂鬱一辺倒だった彼の表情とはケタちがいに晴れやかな顔を見せていた。
しかし、そんな瞳に目を奪われたのも、つい数秒だった。きわめて現実的な私の頭脳は、教室の雰囲気をすばやく察知する。
先生も生徒もみんな静まり返っていた。私たち二人にクラス中の視点が注がれている。
「今は授業中。あとで聞くから」
彼にそう言い放ち、私は、どうぞお気になさらずにと、クラスにジェスチャーをする。何だか、涼宮ハルヒコ対策委員長として、初めてまともな活動をした気がする。
いや、そんなことはどうでもいい。もし、私がこの髪型でなかったら、どうなっていたか? 私の後頭部は、涼宮ハルヒコの机の縁に直撃し、重傷を負っていたにちがいないのだ。このことに対しては、断固とした態度で厳重注意しなければなるまい。そう言い聞かせて、ふりむいた私だが、彼は無邪気な顔をしていた。笑みをこぼしながら「あとで」「あとで」と声にださずに言っている。
私は彼の言葉を思いだす。「俺たちの部活」。イヤな予感だ。素晴らしくイヤな予感がする。「俺たち」という複数形があまりにも引っかかる。
授業が終わると、案の定、涼宮ハルヒコは私の肩に手をかける。
「ちょっと来いよ」
そして、私の手首をつかみ、教室を出て行く。
連れていかれたのは、前と同じ、屋上に続く階段の踊り場。彼が足を止めたのと同時に、私は言った。
「イヤだからね」
「おい、まだ何も言ってないじゃないか」
「だから、イヤって言ってるの」
「だって、役割分担するとだな、俺が部室を確保して、おまえが部活設立に必要な書類を集める。それしかないじゃないか?」
私は頭が痛くなってきた。話が飛びすぎている。さっき後頭部をぶつけたとき、記憶の一部を失ったのだろうか。
「部室の心当たりはすでにある。なんとなると思うから、そっちの方は安心しろ」
「ちょっと待って」
私は彼の妄言をさえぎる。
「だいたい、宇宙人とか呼びたいんだったら、それらしい部に入ればいいんじゃないの?」
「だから、宇宙人だけじゃなくて、異世界人、未来人、超能力者もだ」
「オカルト研究部とか、そういうのないの?」
「ああ、あるよ」
あったのか。そういえば、部員募集の掲示板には、わけのわからないクラブ名のポスターが多く貼られていた。私はどこにも入部する気がなかったから、あまり気をとめなかったのだけれど。
「でも、あいつらじゃダメだ。みんなで怪しげな本を読んで、その感想を言い合うだけで、全然、本気じゃない」
さすが、涼宮ハルヒコ、オカルト研究部にも仮入部していたみたいだ。まったく、この行動力を別の方向に生かせないものか。
「だから、俺がやるしかないんだ」
「いったい、何部を?」
「俺たちの部活だよ」
彼は大げさなジェスチャーでアピールする。何の答えにもなっていないが、これ以上問いつめても無駄なのだろう。
「で、なんで、私がすでにその部に入ったことになってるの?」
きわめて常識的な質問であったはずだが、彼はきょとんとしている。
「だって、そうしないと、いざ、宇宙人、異世界人、未来人、超能力者があらわれたとき、おまえに見せることができないじゃないか」
「私は、それに協力するといったつもりは……」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。いてくれるだけでいいからさ」
そして、彼は階段をかけおりてゆく。五月の間、つもりにつもった鬱憤を晴らすかのような勢いだ。
動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、これ我が涼宮ハルヒコ君にあらずや。そんな言葉を思いつきながら、私はつぶやいた。やれやれ。
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(9)「変な彼氏を持つ子は大変だね」
放課後、帰り支度をする教室のざわめきのなか、私はぼんやり座っていた。
新しい部活を作る。そんな突拍子のない涼宮ハルヒコの思いつきに、いつの間にか、私は巻きこまれてしまっているらしい。しかも、その部は、名称どころか何をするかも決まっていないみたいである。順番があべこべだ。
「いやー、変な彼氏を持つ子は大変だね」
気がつくと、グッチが前の席に座りこんでいた。五時間目のことをいっているのだろう。
「まあ、この時期は微妙なんだよ、男女関係ってものはね」
訳知り顔であいづちうつのはクニ。まったくもって、二人の立場がうらやましかった。なぜ、平和を愛するこの私が、涼宮ハルヒコの気まぐれに付き合わなければいけないのか。
「だいたい、部室ってどこにあるのよ」
「部室って、キョン子、何のことなの?」
ふとつぶやいた私の言葉に、クニが応じる。
「いや、文化系クラブとかって、どこで活動してるのかなって」
「旧校舎じゃない? あそこには茶室もあるっていうし」
グッチが窓から指さした先は、北校舎の裏側の目立たないところだった。旧校舎の名にふさわしく、薄汚れている。授業で使ったことがないから、私は一度も足を向けたことはなかった。
「そういえばグッチ、運動部の部室とか、わたしたちの知らないところって、いっぱいあるよね」とクニ。
「ウチは剣道場には行ったことあるよ、朝倉くんを見に」
「さすがグッチ。行動早いじゃん」
「まあ、つきそいでね。ウチは、もっとねらいやすいヒトにシフトしてるし」
「へえ、誰なの? 教えてよグッチ」
「秘密よ、秘密。クニと一緒だったらやばいじゃん」
そうか、涼宮ハルヒコは、入学してから一ヶ月の間、そんな私の知らない場所を、どんどん踏破したというわけか。だが、それで部室というものは確保できるのだろうか。
ねえ、と私は二人の話をさえぎる。
「もし、新しい部活を作ろうとするんだったら、何がいると思う?」
「キョン子、いきなりどうしたの?」
グッチが私の顔を見る。
「だ、だって、いっぱい変なクラブあるじゃん? うちの高校って」
「あれって、五人いないと廃部になるんだよね。だから、弱小部は新入生勧誘に必死になるんだって」
そう言いながら、クニがポケットから生徒手帳を取りだす。
「えっと、まず、部活設立には、五人以上の本校生徒の同意が必要である。次に、申請書類を生徒会に提出し、学校側の認可を得なければならない。とまあ、こんな感じ」
なるほど、仮に私を含めたとして、残り三人の協力が必要となるというわけか。
「わかった!」
グッチが手をたたいて、うれしそうな顔をする。
「アンタたち、変な部活を作ろうとしてるんでしょ?」
「ああ、そういうことか」
クニがグッチの言葉にうなずいて、
「ついに、キョン子もそっち方面の人になったってことね」
「愛の力よ、愛。スズミヤへの愛が、キョン子を変人たらしめることに成功したのよ」
なかなか頼りになると二人に感謝しようと思ったら、すぐこれだ。なんで女子は、愛の力なんてものをすぐに信じたがるんだろう。
「でも、ウチらはずっとキョン子と友達よ。いくら、宇宙人を追いかける人になっても」
「じゃあグッチが涼宮くんの部活に誘われたら、どうする?」
「そんなの無理に決まってるじゃん。クニもそうでしょ? ウチらはあくまでもキョン子を温かく見守ってあげる立場なんだから」
そんな二人の都合のいい友情話を聞きながら、私は考える。一匹狼の涼宮ハルヒコが他の部員を集めることはありえない。つまり、新しい部活の設立など無理だということだ。
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(10)「一年六組、長門ユウキ」
その結論はまちがっていないはずだった。しかし、今、私は旧校舎のとある部室の前にいる。隣には得意げな顔をした涼宮ハルヒコがいるのは言うまでもない。
何の説明もしないまま、彼は勢いよく扉を開け、すたすたと中に入る。私は誰にも気づかれない程度の会釈をして、こそこそとその後につづく。いいのか、これ?
「ここが、今日から俺たちの部室となる」
彼は誇らしげにそう宣言するが、何をもって「俺たちの部室」と言いきれるのだろう。
「だいたい、ここはどこの部室なの?」
「文芸部」
言われてみると、机と椅子以外に、ぎっしりと本のつまった棚が見える。私の六畳間の部屋よりは広い。無理をすれば十人ぐらいの会議ができそうなスペースだ。奥には窓があって、そのそばには本を読んでいる男子生徒が一人?
「ああ、あいつが文芸部員。三年が来なくなって、実質一人なんだ。だから、部室を提供してくれるようになったわけ」
そんな涼宮ハルヒコの発言を気にせず、彼は本を読んでいる。
「でも、文芸部の部室でしょ。ここは」
「本が読めたら、ここで何をやってもいいんだってさ。あいつがそう言ったんだから」
眼鏡をかけて、知的な雰囲気をただよわせるその男子は、涼宮ハルヒコの自分勝手な物言いに動じることなく、本を読み続けている。おいおい、メガネ君、今は文芸部存続の危機ではないのか。
「じゃあ、俺は部員確保してくるから」
涼宮ハルヒコはそう言って、身体を向き直るや、猛ダッシュで部室を出ていく。私は謎の文芸部員と取り残される。何だこれ?
とりあえず、椅子に座る。見知らぬ部屋で見知らぬ男子と二人きり。これで平常心を保つことができる女の子がいたら教えてほしい。どうも、涼宮ハルヒコは私のことを女子だと思っていないふしがある。冗談じゃない。
「一年六組、長門ユウキ」
声がしたので、その男子を見る。眼鏡の奥の瞳は、無表情に私を見ていた。私はぎこちなく愛想笑いをしようとしたが、それを見ることなく、彼は本に視線を移す。
なかなか背は高そうだ。座っているだけでも体格が良いのがわかるのは、背筋を伸ばしているからだろう。足を組んでいるけれど、姿勢がいい。肌は色白だが、運動神経が無さそうではない。先輩かと思っていたら、同級生だったのか。
とりあえず、私はその男子に話しかける。
「あの、いいの? その、私たちがここにいて」
「かまわない」
短く鋭い口調だ。読書の邪魔をするな、という雰囲気がひしひしと伝わる。しかし、世の中には言わなければならないことがある。
「だけど、あの、涼宮ハルヒコっていうのは変なヤツで、宇宙人とか、超能力者とか、そんなものを信じていて、この部室でなんかそういうことをしでかそうと」
「聞いた」
彼の鋭い返答に私は黙る。それを承知の上で、部室を提供したというのだろう。でも、涼宮ハルヒコというムダな行動力の持ち主がいたら、せっかくの静かな読書環境はぶち壊しではないか。
それにしても、涼宮ハルヒコの言葉にたじろがなかったとは、長門ユウキ、ただものではない。もしかすると同じぐらい変なヤツなのかもしれない。変人二人に常識人一人。最悪だ。常識が多数決で否決されるという民主主義の根本をゆるがす事態になりつつある。私の思い描いた「普通の高校生活」は蜃気楼の彼方に消え去りつつある。
しかし、涼宮ハルヒコが戻らないことには話が進まない。部員確保に奔走すると言っていたが、どうせ、見つかるはずあるまい。もし、涼宮ハルヒコ級のバカが五人そろったら圧巻だ。宇宙人到来よりもありえないことだが。
「ねえ、何の本、読んでいるの?」
仕方なく、長門ユウキに声をかける。すると、長門ユウキは私のほうを向いて、表紙を掲げてみせる。カタカナ六文字の聞いたことがない題名だ。
「どんな本?」
「ユニーク」
長門ユウキは短く答える。だめだ。コミュニケーションが取れそうもない。
私は本棚に向かう。びっしりと詰まった本に、私が知っているタイトルを探す。ない。一つもない。文芸部だったら国語の教科書に載っているような定番の本があるはずなのに、まったく見当たらない。
とりあえず、一冊取りだして、パラパラめくってみる。研究所とか、地球外生命体とか、宇宙船とか出てくる。ほかの本も似たような感じだ。なるほど、ここにあるのは、SF小説ばかりというわけか。
SF小説。それは、私にとって無縁の物語であり、今後もできることなら無関係でいたい類の物語である。そんな荒唐無稽な話を読むのは、だいたい理系男子である。私は数学を天敵とする、れっきとした文系女子である。SFからもっとも遠い次元に存在する人間といっていい。
そんな本がギッシリ詰まった棚を見ていると、長門ユウキが涼宮ハルヒコを受け入れた理由が見えてくる。彼も宇宙人を信じたいのだろう。あんな冷静な顔をしながら、奇想天外なロマンに憧れているのだ。あの眼鏡の奥では、宇宙船がドンパチをくりひろげているのだ。
類は友を呼ぶという。涼宮ハルヒコは長門ユウキに出会った。結構な話である。つまり、私の出番は終わったということだ。これ以上私が付き合う義理はあるまい。私はそう決心した。次の部員が扉から入ってくるまでは。
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(11)「こいつに関わるとロクなことにならないわよ」
「待たせたな」
そんな威勢のいい言葉とともに、乱暴にドアが開く。静寂に包まれた長門ユウキタイムは、予想より早く幕を閉じたようだ。
「紹介しよう。こいつが、新しい部員だ」
そんなさわやかな涼宮ハルヒコの言葉は、しかし、連れてきた男子には届かないみたいだった。いや、男の子といったほうがいいだろう。女子の私よりも小柄なその少年は、肩をガッチリつかまされて、身動きできない状態だった。おびえた目つきで私たちをうかがっている。
「あの、ここは?」
「だから、おまえの新しい部だよ、ここが」
「ちょっと待って」
私は立ち上がって、涼宮ハルヒコに向き合う。
「まさか、あんた、この子を無理やり連れてきたわけじゃないでしょうね」
私は被害者の少年を見る。警戒心をまだ解いていない。興奮のためか頬が染まっている。戸惑いの色をかくせない瞳は、私にすがりついているように見えた。
上着は涼宮ハルヒコのせいで乱れているが、ネクタイはきちんとしめている。男子のわりには長い髪、清潔感ただよう外見。むむむ、と私はうなった。
「いや、それは関係ないから」
「なにがだよ」
「だから、この子のことよ」
私は気をたしかにするべく、語気を強め、涼宮ハルヒコににじり寄る。
「ええと」
少年がおずおずと言葉をだす。
「あの、入部の勧誘だったら、僕、無理です」
僕か。僕と自称するのか! 私は思わず嘆息する。最近は、小学生の我が弟ですら使わなくなった「僕」。それを完璧に使いこなす少年をまのあたりにして、私は動揺をかくしきれない。
「だって、僕、書道部に入っているし」
「でも、おまえ、ヒマそうじゃん。放課後いつも」
「そりゃ、書道部は毎日やってるわけじゃないし」
「そんな遊びみたいな部やめちまえ」
強引な論理がくりひろげられているなか、私は考える。なぜ、こんな私好みの子を涼宮ハルヒコは連れてきたのだろう。彼が私のことを考えているはずがない。つまり。
「あんた、この子をパシリにする気でしょ?」
「なんだよ、キョン子。人の邪魔をするなよ」
「ジャマもへちまもあるもんですか」
すっかり、少年を自分の弟と同一視してしまった私は、勝手に保護者役を買ってでる。
「あんたのやってることはね、イジメなのよ、イジメ。気が弱そうで、おとなしそうな子を、部にひっぱって、面倒なことをおしつけて、自分がラクしようとしてる。そんなの私が絶対に許さないんだから」
「いやいや、そういうつもりじゃないって。だいたい、パシらせるぐらいなら、自分でやったほうが早いし」
「そういえばそうね」
こいつは、他人に仕事を任せるぐらいなら、自分でやったほうがいいと考えるヤツだ。そのありあまる行動力だけは私も認める。
「あの、いいですか?」
私が納得したのを確認して、少年は口を開く。
「そもそも、何部なんですか、ここ」
「それはだな」
「世界不思議発見部」
私は短く答える。
「ちょっと待て。なんだよ、そのダサいネーミングは」
「だって、そういうとこにするんでしょ。宇宙人とか超能力者とかを探すんだから」
「いやいや、そんな安っぽい名前じゃなくてだな。なんていうか、その、魂をゆさぶる何かっていうか」
「あの、そういうのだったらいいです、僕」
これ幸いとばかり、少年はドアに向かって歩み寄る。もちろん、それに気づかぬ涼宮ハルヒコではない。彼の肩をつかみ、強引に向き合わせる。
「だから、俺たちの部に入れって。何しろ、まだ始まったばかりなんだ」
涼宮ハルヒコは熱弁をふるう。
「いわば、この部は真っ白いキャンパスなんだよ。それに、どんな色を塗るか。その一員として、おまえが欠かせないんだよ。おまえ次第で、この部はどんな色にも染めることができる。魅力的だと思わないのか?」
どこかで聞いたようなクサいセリフなのだが、それは少年の注意をひいたようだった。
「つまり、これから新しい部を始めるってこと? そして、その一員に僕がふさわしい、と」
「そうそう」
「でもね、その部っていうのは、この涼宮ハルヒコが自分勝手にやりたいことをする部活なのよね」
少年がだまされているような気がして、私は口をはさんだ。
「こいつに関わるとロクなことにならないわよ」
「キョン子、おまえ、どっちの味方なんだよ」
「この子の味方に決まってるじゃん」
そういって、私は涼宮ハルヒコと向き合う。
「だいたい、断りきれそうにない男子に声をかける、その神経が許せないのよね。おまえが欠かせないなんて心にもない言葉、いまどき宗教の勧誘でも使わないわよ」
「いやいや、こいつはだな、俺の見るかぎり、この学校で一番人気のあるヤツなんだ。俺たちの部の発展には、欠かせない人材なんだよ」
むう、そうきたか。私は涼宮ハルヒコの言葉に納得してしまう。こういう子は、男子からどう思われてるかともかく、女子の支持率はきわめて高い。そして、気のきいた性格が備わっていたとしたら、これはもう、信用するなというほうがおかしい。そこまで考えていたとは、涼宮ハルヒコ、たいしたヤツではないか。
「あそこの人は?」
少年が指さした先には、うっかり私も存在を忘れていたメガネ君がいた。あいかわらず無言で本を読んでいるようだ。
「ああ、あいつは、長門ユウキ」
「へえ」
予想外にも、少年は長門ユウキに興味を持っているようだった。そうか、と何度かうなずいたあと、少年は涼宮ハルヒコに向き直る。
「わかりました。僕、書道部やめて、この部に入ります」
その力強い言葉を聞いて、涼宮ハルヒコは諸手をあげて喜んだ。
「偉い! よく言ってくれた。そう言うと信じてたよ、俺は」
そんな彼の感動を無視して、私は小声で少年に語りかける。
「いいの? 書道部だって入ったばかりなんでしょ? もうちょっと考えたほうが」
「いや、僕は、その、二年だし」
「二年っていうことは、まさか、先輩?」
「そうですよ。僕は二年二組の朝比奈みつる。これからよろしくお願いします」
私は涼宮ハルヒコをにらむ。
「あんた、二年って知ってたの?」
「そりゃ知ってたよ」
「だったら、なんでタメ口で」
「いや、なんとなく」
「ちょっと、先に言ってよ。そういう大事なことは」
そして、私は少年改め朝比奈みつる先輩に向き直り、深々と頭を下げる。
「あの、ごめんなさい」
「いいですって。慣れてますから」
とんでもなく無礼なことを言った気がする。すっかり、涼宮ハルヒコのペースに乗せられた自分が情けないと私は反省する。
しかし、朝比奈みつる先輩は、そんな愚かな私を許してくれると思った。「僕」を使う男子で悪い人はいないはずだ。たぶん。
それにしても、活動初日で、部室ならびに部員を確保できたとは驚きだ。彼が費やしてきた学校探索の成果を見せられた思いである。ただし、長門ユウキが人数に入っているのかどうかなど、かなりの不確定要素がある。
まだまだ、世界不思議発見部(仮)は出発点にも達していないのだ。私だって、部活設立の申請書類を準備していないし。
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(12)「今日はパソコン一式を入手することにした」
ところで、高校生は、次のように分類することができると思う。部活に入っている者と部活に入っていない者。さらにくわしく、運動部に入っている者と文化系に入っている者とに分けてもいい。
このちがいがもたらすものは何かというと、下校時間である。これまで、帰宅部であった私は、同じ立場のグッチやクニと帰っていた。三人とも電車通学で、駅からは歩きである。駅までの距離は10分ばかり。一人で帰るにはさみしい距離だ。
私は強引に、涼宮ハルヒコの世界不思議発見部(仮)の一員にされてしまっている。しかし、部員増えたりとはいえ、女の子は私ひとりなのだ。
朝比奈みつる先輩を加えたことは、部を活性化させることに成功しただろう。だが、それで私の一人帰りという問題が解決したことにはならない。
登校のときは、一人でのんびり歩いても何とも思わない私だが、やはり下校が一人というのはつらい。人生の落伍者という感じがする。ならば、彼氏を持つべきか。冗談じゃない。帰り道がさみしいからといって、恋愛を持ちだすことなど許されるはずがない。
つまり、女子ひとりの部活に入っていることが問題なのである。いくら、涼宮ハルヒコに流されてこんな展開になってしまったとはいえ、一週間以上、一人帰りに耐えられるほど私は強くない。
そんなことを考えながら、私は文芸部室で、みつる先輩とオセロゲームをしていた。涼宮ハルヒコは、どこかに行き、何かをしている。長門ユウキにはSF小説があるが、私たちには何もない。ということで、みつる先輩はオセロセットを持ってきた。なぜ、そんなものが学校にあるのかわからないが、せっかくの好意だ。楽しませていただく。
それにしても、みつる先輩は弱い。弟よりも弱いんじゃないかと思う。「ああ、しまった」と小声でつぶやいたり、私がしかるべき場所に置き、ひっくり返すときも「やられたなあ」と舌打ちする。その仕草が何とも愛らしい。だんだんとゲームの勝敗よりもみつる先輩の方が気になってくるぐらいである。もしかすると、これは策略かもしれないと思うぐらいだ。みつる先輩が腹黒い人間とは思いたくもないのだが。
「よっ」
そんな緊張感のないオセロを続けていると、軽い挨拶で、涼宮ハルヒコが部室に入ってくる。
「今日はパソコン一式を入手することにした」
まるで、パンを買いに行くかのように、なにげない口ぶりだ。
「だから、みつる、ちょっと来い」
「僕が? なんで」
「そんなのおまえの協力が必要だからに決まっている」
なんだなんだ。毎度のことだが、彼の言っていることがよくわからない。
「ちょっと、どういうことなの? いきなり、パソコン一式とか言いだして」
「そりゃ、パソコンがなかったら部活動に不便じゃねえか」
「といっても、どこかに転がってるわけじゃないでしょうに」
「だから、こいつを借りてきたんだよ」
そうして、彼が見せたのはデジタルカメラである。
「これをもって、今から、コンピ研に行く」
デジカメをコンピ研に持っていくと、今ならもれなくパソコン一式プレゼント。そんなうまい話があるはずない。それに、みつる先輩を連れていく理由がどこにある?
ちなみに、コンピ研というのは、コンピューター研究部の略称だ。この文芸部の隣にある部活である。
「ということで、キョン子。留守番よろしくな」
そう私に言い残し、ふにおちない表情のみつる先輩とともに、涼宮ハルヒコは出ていこうとする。まちがいない。こいつはロクでもないことをしでかすつもりだ。
「ちょっと待って。私も行く」
私の常識人としての血が騒いだ。これから起こるであろう彼の無礼なふるまいを、私は許してはならないと立ち上がったのだ。面倒なことに巻きこまれるのはイヤだが、まがりなりにも、私は涼宮ハルヒコ対策委員長である。これ以上の尊い犠牲者をださせてはならない。
「いいのか」
めずらしく、涼宮ハルヒコは心配しているようだ。しかし、私はうなずく。女の子の私がいたら、変なことをすることはないだろう。それに、長門ユウキと二人きりになるのがイヤだったという気持ちもある。
「じゃあ、おまえ、これ撮る係な」
そして、彼はデジカメを私に渡す。
「俺が合図をしたら、シャッターを切れ。そうそう、フラッシュたくように設定しているから、変にいじるなよ」
「いったい、何を撮る気?」
「まあまあ、すぐにわかるよ」
涼宮ハルヒコはニヤリとほほ笑む。私とみつる先輩は首をかしげるだけである。
こうして、我が部最初の活動「パソコン一式強奪作戦」が始まった。
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(13)「あそこだ、みつる!」
私たち二人を従えて、涼宮ハルヒコは、意気揚々と隣のコンピ研の部室に向かっていた。ねらうはパソコン一式。手持ちはデジカメ一つ。彼はみつる先輩に何やら耳打ちをする。「マジで?」とみつる先輩は驚いて私を見る。妙なことをするみたいだが、校内に悪名をとどろかせるような事態は避けなければなるまい。
「こんにちは、コンピ研の皆さん!」
彼にしては礼儀正しく、しかし、初対面の部室に入るにしては図々しく、涼宮ハルヒコは中に入る。みつる先輩と私はその後に続く。
コンピ研の部室内は予想通りだった。文芸部室と同じぐらいのスペースに、ところせましと並べられたディスクトップ型パソコン。部員は五人、全員男子だ。
あっけにとられている五人の視線に私は肩を縮ませるが、作戦の主犯者は堂々たる態度で話しかける。
「今日はパソコン一式もらいにきました!」
「いきなり何だよ、君たち」
一番奥にいた男子が、口に泡を吹くような調子で声をだす。コンピ研部長だろう。
「いや、言ったとおり、パソコンもらいにきたんですけど」とハルヒコ。
「そんな話は聞いていない。だいたい、君たち何者だ?」とコンピ研部長。
「隣の部室の者」
「だから、何の権利があって、そんなことが言えるんだ?」
いや、コンピ研部長、もっと冷静にいきましょうよ、と私は心の中で助言する。どう考えても、まちがっているのは涼宮ハルヒコのほうで、あなたは何ひとつまちがっていないんですから。
他の部員も、そうだ、そうだ、と頼りない声を上げている。彼らからすれば、私は悪魔の手下その2ぐらいにしか見られていないのだろう。
「ふうん、あくまでも反対するということか」
彼は右手をあごにあてて、刑事のようにコンピ研部室をじーっと見わたす。
やがて、その視線は一点に集中して、
「あそこだ、みつる!」
彼が指さしたその先に向かって、まるで猟犬のごとく、みつる先輩が駆けだした。俊敏な動きで、みつる先輩は、ロッカーに向かう。コンピ研部長か部員かの「あ、あ、あ」といううめき声が聞こえると同時に、勢いよくそこを開いた。
「今だ、キョン子!」
「ひょえ~~~~!」
ほぼ同時に、二つの叫び声がコンピ研部室に響きわたった。ちなみに、後者の声の主は情けないことに私である。
そのロッカーにあったものは……いや、わざわざ私がとりたてて書く必要はあるまい。山積みになった箱のパッケージの色彩は、高校生が手にしてはならないものであることを、これ見よがしに主張していた。
「おい、キョン子」
涼宮ハルヒコが声をかけるが、私はあまりのおぞましさに、錯乱状態だった。しょうがねえな、と彼は私が落としていたデジカメを拾い、フラッシュをたきつける。
「や、やめてくれ」
コンピ研部長がか細い声で抗議するが、涼宮ハルヒコとみつる先輩の動きは止まらない。
「だから、俺の言ったとおりだろ。絶対、こいつら部室に置いてるって」
「うわあ、これ初回限定のやつじゃん!」
「家じゃ隠せないからな。まあ、気持ちはわかるけどよ」
「これ、会社が東京に移転する前のやつだ。レアだよレア!」
なんだか、みつる先輩のハツラツとした声が聞こえてくるのだが、幻聴ではないのだろうか。まるで、トレジャーハンターが財宝を掘り当てたような歓声が耳に届いてくるのだが。
涼宮ハルヒコは、ひとしきり、シャッターを切ったあと、さわやかな顔でコンピ研部長と向き合う。
「ということで、パソコンもらいにきたんだけど」
部長を含め、コンピ研部員はガックリと肩を落としている。しかし、私は彼らに同情することはできない。まったく、部活動を何だと心得ているのか。まさか、学校から配分された部活動補助金でこんな破廉恥なものを買っていたりはしていないだろうな。
「わかったよ、あれ、もっていけよ」
コンピ研部長は、涙目で入口近くのパソコンを指さす。
「おい、みつる。あれ、どうだ?」
「ダメダメ。もらうなら、その部長さんのだよ」
「ああ、これはダメですから。ヤバいですから」
「中身は興味ないから。今からバックアップ取ればいいんじゃねえの」
涼宮ハルヒコは容赦しない。
そんなゴタゴタの中、みつる先輩は私に近づく。
「キョン子さん、ちょっと驚きすぎだよ。いきなり見たらびっくりするのはわかるけど」
「だって、なんで、あんなものが部室にあるわけ?」
「いやいや、オトコの部室なんて、どこもわんさかあるもんだって」
もちろん、私だって男子がそういうものを求めていることは理解しているつもりだ。だが、私はそういうものには寛大になれない。寛大になってはいけない気がする。女の子として。
そんな私の葛藤も知らずに、みつる先輩はうれしそうに話す。
「キョン子さん、これ、すごいと思わない?」
「そんなもの見たくないから」
「これはだいじょうぶだから、ほら、ほら」
彼が見せたのは、なんとセーラー服だった。我が北高の制服ではない。いや、どこの制服でもあろうはずがない。白と赤のコントラストがまぶしい、個性的かつ非現実的なセーラー服。
「これね、初回特典のやつなんだけど、ゲームと同じ制服なんだよ。まさか、実物を見ることができるとはね。びっくりしたよ」
それよりも、それが何だかわかるアナタにビックリなんですが。コンピ研が堕落した部活であることはどうでもいいとして、みつる先輩にイヤらしいゲーム愛好家疑惑が発生したことに私は動揺をかくしきれない。
「だから、おまえはついてくるな、って言ったのに」
コンピ研部長と交渉を終えた涼宮ハルヒコが、私に声をかける。
「でも、キョン子さんがいたから、うまくいったところはあると思うよ」
「それは言えてるな。そういう意味では助かったぜ、キョン子」
感謝されてもありがたくない。こんな下品なことをやるのだったら、最初に教えてくれないと困る。頼むから、女の子に対する最低限の配慮ぐらいはしてほしい。
「あー、あと、これもらっとくぜ」
そう言って涼宮ハルヒコはみつる先輩が私に見せていた赤白のセーラー服を手にとったが、コンピ研にはもはや、それに異を唱える声は残されてなかった。
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(14)「今から、これを着てもらおうと思う」
部長席に設置された戦利品のパソコンと向き合って、みつる先輩はいろいろ操作している。とても楽しそうだ。みつる先輩のオタク疑惑が確信に変わりそうで、実に悲しくなる。
その後ろでは、窓際で読書にはげむ長門ユウキの姿がある。コンピ研騒動の間も、静かに本を読み続けていたみたいだ。私が「ひょえ!」とか叫んでいる間に、彼の読むSF小説では、星の一つや二つ、破壊されていたかもしれない。そこまで熱心に読書に打ちこむ姿は、ある意味うらやましくあった。私もたまには、宇宙大戦争に現実逃避したいものである。涼宮ハルヒコみたいな変人の相手をするぐらいなら。
しかし、今の最重要問題は、部室の中央の机に置かれている物体である。もう一つの戦利品として運ばれた、赤白の非現実的なセーラー服。
なぜ、涼宮ハルヒコは、こんなものを持って帰ったのだろうか? 思い当たるふしがある。彼の部活には女子部員が約一名所属している。彼は、自分が命令さえすれば部員はその通りに動くものだと考えている。もし、彼がみつる先輩と同じ趣味を持っていたら、何を望むだろう? 答えはひとつしかない。すなわち、私の貞操の危機である。
みつる先輩の作業が続くなか、私はその物体と無言の対話を続けている。それが存在する理由は、涼宮ハルヒコの気まぐれなのか否か。赤白のセーラー服は、沈黙したまま、私の問いに答えようとはしない。
「よし、これで初期設定完了!」
「みつる、ごくろう」
操作を終えたみつる先輩に、涼宮ハルヒコは偉そうに応える。
「で、結局、なにがやりたいのよ。ゲームでもして暇つぶししたいの?」
私は頬杖をついて、誰に向かってではなく、そうつぶやいてみせる。
「そんなわけねえよ。まずは、俺たちの存在を全世界に知らしめるべく、公式サイトを立ち上げる」
部活動に必要な人数にも満たないくせに、世界展開を試みるらしい。あいかわらず、順番がめちゃくちゃなヤツだ。
「だいたい、名前はどうなってるのよ。この部の」
「いや、それは今日はやめとく。明日、正式な形で発表しようかと」
正式な形ってなんだ。記者会見でも開くつもりなのか、こいつは。
「それより、これだ」
こともあろうに、涼宮ハルヒコは、あのセーラー服に手を伸ばす。私はひそかに決意していた。もし、このことで何か言われたら、即座に部室をでていこうと。さすがに、それぐらいの権利は私に許されていいはずだ。
「今から、これを着てもらおうと思う」
見事に期待を裏切らない発言に、私は思いきり音をたてて、席を立つ。
「私、帰るから」
そして、彼をにらむ。結局、涼宮ハルヒコは私をそういう目で見ていたのか。いつもは女扱いしないくせに、都合のいいときだけ女子扱いするデリカシーの無さ。うんざりだ。
「いや、おまえには、いてほしいんだけど」
しかし、涼宮ハルヒコは予想外の反応をする。あれ、もしかして、私、思いちがいしている?
「俺とみつるじゃ、セーラー服うまく着れないかもしれないし」
「へ?」「は?」
私はみつる先輩と同時に間の抜けた疑問符を発した。
「まさか、僕に着ろというんじゃないよね」
「いや、似合うだろ、おまえ」
「やだよ、そんなの」
といいつつ、パソコンのある部長席から、みつる先輩は身を乗りだしてくる。
「ほら、キョン子も何か言えよ」
女装――それは男子が避けて通れない道なのかもしれない。私の弟も、幼稚園児のときには家の中でスカートをはいたり、母の口紅をぬったりして遊んだものである。その写真を撮らなかったのが、まことに悔やまれる。もし、弟がこのまま不良化して、恋人なんてものを作ろうとしたら、私はその子に女装写真を見せることをいとわぬというのに。
「勝手にすれば」
私は興味なさそうな口ぶりで答える。
「よし、女子部員のお墨付きももらったことだし」
「でもなあ」
みつる先輩はそう言いながらも、上着を脱ぎ、椅子にかける。やる気満々らしい。ズボンのベルトに手を伸ばして、それを外す。そして――。
「ちょっと、脱ぐなら脱ぐっていいなさいよ」
私のことを無視して着替えようとするみつる先輩の無神経さを、私は大声で非難しながら、つかつかとドアに向かい、外にでる。弟のいる私にとって、男子の着替えなんて特に珍しいものではないのだが、やはりこういうことは、私の見えないところでやってほしい。
ため息をつき、部室のドアにもたれかかる。廊下の窓からは、運動場を走っている部員のかけ声が聞こえる。うん、青春だ。背後の部室からは、みつる先輩が涼宮ハルヒコと何やらぶつぶつ言いながら、女装作業にはげんでいる。うん、アブノーマルだ。
常識人として、私はこのまま帰るべきだったのかもしれない。しかしながら、私はもう少しだけ、この戯事に付き合ってみようと思った。なんといっても、みつる先輩のセーラー服姿には可能性がある。中身はオタクだが、外見は我が北高トップクラスの人気の持ち主だ。期待しないほうがおかしい。
「おーい、キョン子。入っていいぞ」
涼宮ハルヒコの声がする。私はすばやく反応し、中に入る。
そこで見たものは、悔しいことに、まぎれもない美少女だった。派手なセーラー服にも負けない可憐さが、そこには宿っていた。
髪の長さは、女子のショートヘアとして通用するものだったし、ひざ下の素足も男子のものとは思えないスラリとしたものだった。胸がないのは残念だが、私も似たようなものなので、その点は抜きにする。
「キョン子さん、どんな感じ?」
「……いい感じ」
「鏡ない?」
「ちょっと待って」
私はカバンから鏡を持ってきて渡す。
「うん、いけるじゃん。僕も捨てたもんじゃないよね」
「だろ? バカな男はだませそうだよな」
みつる先輩は、くるりと一回転して、ウィンクをしてみせる。どこで覚えたんだ、そんなポーズ。
「よーし、記念に写真、撮っておくか」
「えー。それ、売る気じゃないよね」
「バカいえ。そんなくだらないことに使うわけねえだろ」
涼宮ハルヒコはデジカメをかまえる。みつる先輩も気前よくサービスカットを見せる。おいおい、そんなポーズじゃ下着が見えるじゃないか。そこは、スカートをしっかり押さえてだな。そうそう、上目づかいでこっちを見て……。
って、私までアブノーマルになってどうするんだ。
涼宮ハルヒコは、私にセーラー服を着させる気がまったくなかった。たしかに、みつる先輩は似合っている。だが、みつる先輩は男子であり、私は女子なのだ。それでも、まったく相手にされていないという事実。これは戦力外通告に等しい。私はこの状況を楽しんではいけない。悔しいと思うべきなのだ。
「ねえ、私、もう帰っていい?」
変人と変態の撮影会をさえぎって、私は立ち上がる。
「なんだ、もう帰るのか。女子の視点で、ベストショットを選んでほしかったんだが」
デジカメを手にしたまま、そんなのんきなことをいう変人と、
「ベストショットって何だよ。どこかに投稿する気?」
ちょっとあせった表情を見せる、天使の外見をした変態。
しかし、それよりもすごいのは、未だに読書を続ける長門ユウキかもしれない。その集中力はいったいどこで身につけたのだろうか。
こんな個性豊かな三人の前では、私なんぞ風吹けば飛ぶ塵のようなものだ。
「やっぱり、私、帰るから」
「ああ、気をつけてな」
「バイバイ、キョン子さん」
そんな言葉を背に受けて、部室をでる。
私がいなくなって、いいだろいいだろ、とか、ダメだよ絶対ダメ、とか、何かのカタが外れたような会話が聞こえてくるのだが、戻るわけにはいかない。私は苛酷な現実世界に生きているのだから。
そう、今日も私はさみしく一人帰りなのである。そして、三人の男子部員は、そんな私のことをちっとも考えてもいないのである。木枯らしにぴゅーっと吹かれたら、私のさみしい後ろ姿を同情してくれたかもしれないが、残念ながら、今は五月。とぼとぼ帰る私の胸のうちなど、きっと誰も気にとめていないに違いなかった。
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(15)「やっぱり最強を目指さないと」
パソコン強奪および女装という、常識からも宇宙人からも遠く離れた部活動にあけくれた昨日、涼宮ハルヒコはある発言をしていた。世界不思議発見部(仮)の正式名称発表会が、本日開催されるというのだ。いったい、どんな名前なのだろう。口にするだけで恥ずかしくなるネーミングだけは避けてほしい。
放課後、そんなことを考えていたら、後ろから声が聞こえてきた。
「あ、今日、部活休みになったから、すぐに帰っていいぞ」
私は少なからずの驚きをもって、ふりかえる。
「いったい、どうしたのよ?」
「みつるのヤツ、学校休んだらしい。どうやら、昨日やりすぎたみたいだ」
ゴホッ。私はせきばらいをする。なんだなんだ、私がいなくなってから、どんな事態が発生していたんだ。
「あの写真さ、うちの部の公式サイトのマスコットがわりに使おうと思ったんだよ。いわば、客寄せパンダとしてさ」
そうなのか。変人と変態の饗宴にしか見えなかったのだが、いちおう目的はあったのか。
「女装だから、その少女は完全なフィクションだ。アニメや漫画と同じく作り物のキャラといえる。それなのに、あいつ、予想以上に反抗しやがって」
そりゃそうだろう。女装写真をネットで公開するなんて、変態カミングアウトと同じだ。しかし、みつる先輩が、セーラー服で涼宮ハルヒコに反抗する姿は、ちょっとだけ見たかった気がしないでもない。
「だいたい、なんでそんなものが必要なの?」
「やっぱり、公式サイトには、華がないとだな。アクセスアップのためには、バカな連中を楽しませる仕掛けがいるんだよ」
部活動のサイトってそういうところなのか。活動報告とか、そういう地味ながらも実用的な内容でいいじゃないか。あいかわらず、彼の考えていることはよくわからない。
「といっても、部活設立のためには、五人いないと許可されないのよ。ネットうんぬんより、部員を集めることを優先すべきじゃないの?」
「へえ、そうなのか」
興味なさそうに涼宮ハルヒコは言う。
「そのうえ、生徒会の認可がいるし。あんたは勝手に暴走して、思いつきで何だかんだしているけど、正式な部になるのは大変なのよ」
「だろうな」
「だろうなってあんた、今は長門くんが部室を提供してくれているけど、実際は居候の身だし、部員の数はそろってないし、みつる先輩だってやめちゃうかもしれないし。うちの部は問題だらけなのよ。せめて、公式に認められるまでは活動を自粛しておかないと」
「そんなの何とかなるんだって。俺たちのことが学校中に知れわたったら、認めなくても認めざるをえなくなるもんだ。文芸部だって、実質部員一人なのに、部室をとられる気配がないじゃないか。そういうもんなんだよ、世の中」
「でも、校則で決まってるんだから。それを守らないと」
「まあ、五人というのは、ひとつの目安ではあるな。つまり、あと一人か」
さんざん私を無視したあとで、涼宮ハルヒコはひとりごとのようにそうつぶやく。もしかすると、新たなる犠牲者を増やすつもりなのだろうか。行動力だけはあるヤツだ。一人ぐらい、力ずくで入部させることはわけないことかもしれない。
しかし、そうして設立した部に、私の居場所はあるのだろうか。女子一人でぽつんと座って、宇宙人とかそんな話を聞いている私。想像するだけで悲しくなる。まったく、涼宮ハルヒコは私のことをちっとも考えていない。クラスからは変人の仲間入りを果たしたと思われている私だが、いつでも普通の女子高生に戻る準備はしているつもりだ。
「そうそう、昨日の件で、俺は今、部に足りないものが何か、はっきりとわかったんだ」
そんな私の心の中を知らぬまま、涼宮ハルヒコは話し続ける。
「だから、最後の一人は、それを満たすヤツじゃないといけないんだ。だが……」
彼はため息をつく。めずらしく弱気な顔をしている。
「なあ、ビートルズって知ってるか?」
「なによいきなり」
あいかわらず突拍子のない質問だ。なんで、洋楽の話になるんだ。
「ビートルズっていうのは、ジョン・レノンが作ったバンドなんだけどさ。あるとき、自分と同じぐらい歌がうまくて、楽器も弾ける男と出会ったんだ。彼はそいつに興味を持ったけど、こう考えた。『もし、こいつを入れると、俺のバンドが乗っ取られるんじゃないか』って。ジョン・レノンには二つの選択肢があった。そいつを入れずに自分の色を強めるか、そいつを入れてバンドを強化するか。ジョンは後者を選んだ。その男がポール・マッカートニーってわけだ」
ふうん、と私はあいづちをうつ。
「今の俺はジョンの立場のようなものだ。ポールを入れるか否か。おまえはどう思う?」
自分の趣味を話していると思ったら、私に相談してたのか。だいたい、ビートルズのような天才集団と自分の部活を同一視するなんて、思い上がりすぎじゃないか。私は適当に答えることにする。
「いいんじゃない? ポールを入れても」
「そうだよな。やっぱり最強を目指さないと」
彼はそんな意味不明なことを言って、立ち上がる。
「あとキョン子、長門に言っといてくれ、今日は部活休みだって」
涼宮ハルヒコは私の返事を聞かぬまま教室をでていく。まったくもって自分勝手なヤツだ。
まあ今日は早く帰れるんだからいいかと、私はクニとグッチに待ってくれるように声をかけて、文芸部部室に足を運ぶ。
ドアを開けると、長門ユウキは指定席に座って、いつものようにSF小説を読んでいた。
「今日、部活休みって、涼宮ハルヒコから」
「そうか」
特に驚いた様子がない。彼からすれば、そんなことは些細な問題なのだろう。私たちがいてもいなくても、彼はここで本を読み続けているのだ。
「あ、そうだ」
そう思っていたら、彼は席を立った。静かに本棚に向かい、一冊の本を手にする。
「これ」
彼はそれを私に差しだした。最初に出会ったときに「ユニーク」と謎の表現をした、カタカナのタイトルの本。これを読め、というのか。
「あ、ありがとう」
私は深く考えずにそれを受け取る。
「じゃあ、私は帰るから」
「ああ」
こうして、私はSF小説を手に入れた。
私は驚いていた。まさか、長門ユウキが人間らしい行動を取ってくるとは思わなかったからだ。
やはり、彼も読書仲間が欲しかったのだろう。冷静なふりをしているけれど、心の中ではSFを布教したくてたまらなかったのだ。まあいいか。別に読まなくても、感想を求められたら「ユニーク」の一言で片付けたらいいし。
そんなことを考えながら、私はのんびり帰宅した。しかし、私は油断していた。涼宮ハルヒコが「最後の一人」として想定していた人物は、私の予想をはるかに上回る、どんでもない生徒だったのだ。
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(16)「いったいどういうことなのよ、これは!」
殊勝にも、その翌日、みつる先輩は部室に顔をだした。読書をする長門ユウキを背景に、私たちは今日もオセロゲームにはげむ。
「いやね、家でずっと見張ってたんだよ。ハルヒコ君がアレを載せるかどうか」
「そんなこと、学校でもできたんじゃ」
「だって、学校にいたら、すぐに対応できないし」
「人気者だからね、みつる先輩は。クラスじゃ、いろんな女の子の相手で大いそがしなんでしょ?」
「そんなことないって」
そうおだてながらも、心の中では、みつる先輩ってけっこう陰湿な性格なのかも、と思っていた。まだ、学校で涼宮ハルヒコを監視していた方が、人として許せる気がする。
「でも、実際に載せられたらどうするの?」
「だいじょうぶ、一瞬で削除するから」
「だって、家にいるんでしょ?」
「アカウントの設定は僕がしたからさ。どこでもデータをかきかえることはできるんだよ」
よくわからないが、みつる先輩はたいした実力の持ち主のようだ。これがウワサに聞くスーパーハッカーというものかもしれない。しかし、そっち方面で頼りになる人が身近にいても、全然うれしくない。それよりも、みつる先輩のイメージがどんどん下方修正されていく方がつらい。三日前は、純真無垢な少年だと信じてきっていたのだが。
「でも、みつる先輩が部に残ってくれて良かった」
「え? どういうこと、キョン子さん」
「昨日心配したのよ。みつる先輩やめるんじゃないかって」
「ごめんごめん。そういうつもりじゃなかったんだけどな」
そう謝るみつる先輩の仕草は、やはり、愛らしかった。うん、たとえ中身はオタクでも、この外見だったら許してあげようではないか。私は寛大にそう思う。
「でも、今日って何するんだろう? キョン子さんは知ってる?」
「ポール君を連れてくるって」
「誰それ?」
そう、涼宮ハルヒコの言葉によれば、彼に匹敵するほどの実力の持ち主、ポール君が、今日は入部するらしいのだ。いったい、どんな生徒なのだろう。私の変人図鑑を書きかえるほどの逸材だろうか。
そんなのんきなことを考えていると、ドアの外から声が聞こえる。えー、ここ、文芸部ってかいてるじゃん? それは予想に反して女子の声だった。
扉が開き、涼宮ハルヒコが顔をだす。
「紹介しよう。これが五人目の部員だ」
「ハーイ、よろしくう」
そんな甘えた声をだして、女子生徒が中に入ってくる。その姿を見て、私は目をうたがった。
髪の色は抜いている。スカートは短い。耳には金色のピアス。そして、部室にただようフレグランスの香り。
地味な生徒が多い我が北高で、ひときわ目立つ彼女の名前を私は知っていた。いや、知らない女子は一人もいなかった。とことん悪いウワサとともに。
「あたしが、新しい団員の、古泉イツキでーす」
そんな間延びしたあいさつをして彼女はほほ笑みかける。私は愛想笑いすらできなかった。
古泉イツキという子のことを好意的に見ている女子は、私のまわりには誰もいなかった。父親ほどの年上男性と付き合ってるだの、怪しい店でバイトをしているだの、様々な風説を聞いた。クラスメイトには相手にされていないものの、まったく気にしていないらしい。親しい上級生がいるらしく、手がだせないそうだ。私はイジメには反対だが、彼女の味方になるのは、正直ためらってしまうところがある。
ただし、これは女子の意見である。男子はそうではないだろう。なぜなら、古泉イツキは美人だからだ。メイクにしろ、髪の色にしろ、彼女は自分を美しく見せるにはどうするべきか、知りつくしていた。そして、その魔力を、彼女は最大限に利用していたのだ。だから、先生には何も言われず、クラスメイトはこそこそとウワサすることしかできない。私にとって、もっとも関わりたくない女子、それが古泉イツキだった。
彼女は軽やかに歩きながら、そんなことを考えていた私を見て、またもやニッコリと笑う。思わず、私は目をそらす。それでも、彼女は私の隣に座る。
「ということで、五人そろったことだし、我が団も正式に活動を開始することにする」
私の戸惑いに気づこうとせず、涼宮ハルヒコは話しはじめる。
「ちょっと、団って何の話?」
「さすがみつる、早くもそのことに気づくとはな。では、まず我が団の名称を発表しよう。その名前とは!」
「SOS団、でしょ?」
古泉イツキが最悪のタイミングで声をかける。
「ちょっと古泉、それ、俺のセリフだから」
「いいじゃん。なかなか面白い名前だしさ」
「ハルヒコ君、SOS団ってどういうこと?」
「『世界を、大いにもりあげる、涼宮ハルヒコの団』の頭文字をとって、SOSってことらしいわ。さっききいたところによると」
「へえ」
みつる先輩も続く言葉がないようだ。この「SOS団」なる名称には、私もあきれてしまったのだが、それ以上に古泉イツキの存在が、私に声をださせることをためらわせた。
こうして、面子を潰された涼宮ハルヒコだが、こほん、と咳払いして、おおげさに両手を広げ、話し始める。
「とにかくだ、この世界を大いにもりあげるべく、我が団は結成された。まだ解明されていない世界の怪奇現象。我々はそれを探り、それを知らしめ、退屈な日々にむしばまれた人々の心を解き放たなければならない。その崇高なる理念の下に、我々は活動を開始する。我々は誰にも支配されず、我々は何ものにも束縛されず、常識を疑い、非常識を受け入れよう。予測された明日ではなく、予測されない未来を目指し、我々は前進していこうではないか!」
その大げさな演説に拍手をしたのは、古泉イツキのみだった。みつる先輩も私も、ただあきれている。よく考えると、何をするかも知らされないまま部員になったようなものだ。これはちょっとした詐欺ではないのだろうか。
「はーい、あたしはそんな団長についていきまーす」
しらけきった部室の中で、調子のいい声が隣から聞こえてくる。団長ってなんだよ、と私は口にださずにつぶやく。もしかして、涼宮ハルヒコは応援団長にでも憧れていたのか。私はイヤだぞ、そんな男くさい部活は。
「そうそう、諸般の事情により、彼女、古泉イツキを、副団長を任命した。なお、俺は団長だから、これからは『団長』と呼ぶように」
「ちょっと待ってよ、ハルヒコ君」
みつる先輩が、律儀に挙手して反論する。
「諸般の事情ってどういうこと?」
「だって、団長がそう言ったんだもん」
きいていないのに古泉イツキが口をだす。
「ね、そうだよね? 団長」
「まあ、とりあえず、だな」
涼宮ハルヒコも古泉イツキ相手には分が悪そうだ。せっかくの所信表明演説も、これでは説得力がない。
「とにかく、我が団はこのように発足した。さて、まずやるべきことはなにか? 現時点で、我がSOS団を知る者は、この高校では皆無といっていい。すでに、公式サイトは用意した。あとは、その認知度を高めなければならない」
「はーい、団長」
「なんだ古泉」
「最初は、ビラ配りをしたらいいと思いまーす。新装開店なんだし」
「そうだな。それは俺も考えていたことだ。すでに文面は用意している」
涼宮ハルヒコと古泉イツキの二人で、勝手なやり取りがかわされている。私の出番はないようだ。ずっと自分がいたはずなのに、ひどく場ちがいなところにいる気がする。それもこれも、古泉イツキみたいな女を入れるからだ。こういう女子は、場の空気を平気で壊し、あっという間に、自分の色に染める。
「でも、団長。ただビラ配りしたって、面白くないんじゃないでしょうか?」
「まあ、そうだよな」
「だから、目立つ格好でやればいいと思うんですけど!」
やたらとうれしそうに古泉イツキは提案する。
「着ぐるみとか、そういうの準備するの? あれ、高いらしいよ」
「ちがうわよ、キミ」
みつる先輩を「キミ」呼ばわりして、古泉イツキは続ける。
「バニーちゃんよ、バニー。実はあたし、バニーガールの衣装を持ってるんだよね」
これには、涼宮ハルヒコも驚いたようだ。戦利品のセーラー服で女装にいそしんでいた日々が、遠い昔のように思われる。
「つまり、その、おまえがバニーガールになるってことか」
「うん。で、もう一着あるんだよね」
そして、古泉イツキは私を見る。
「いや、さすがにみつるのバニーはまずいんじゃないのか」
「団長、何いってんのよ。彼女よ、彼女」
古泉イツキは私を指さす。ええと、こういうときは、どういう表情をしたらいいんだろう。
「彼女、かわいいじゃん。きっと似合うよ。黒と赤とあるんだけどさ、あたしは赤で、彼女は黒。想像してみてよ。面白そうじゃん?」
古泉イツキは、席を立ち、私の後ろにまわる。
「こういうふうにさ、うさぎの耳、ぴょこんとつけてさ。かわいくなるよ。ゼッタイかわいくなるって」
女子にとって、自分より明らかに美人の子に「かわいい」と言われることが、どれぐらい腹が立つことかわかるだろうか。正直なところ、私の心は煮えくり返っていた。もちろん、古泉イツキはそれを知っているのだろう。わかってて、こういうことをやっているのだ。
「でもなあ」
涼宮ハルヒコも、さすがに無言をつらぬく私に気づいたのか、何とか反論しようとする。しかし、美人を前にした男子ほど頼りにならないものはない。
「いいじゃんいいじゃん。ね、キョン子ちゃん?」
なにが、キョン子ちゃんだ。まだ、自己紹介していないのに、なんで、私のあだ名を知ってるんだ。どうせ、涼宮ハルヒコがべらべらしゃべったんだろう。ふざけるな。
ここで、バカみたい、と席を立って、部室から出ていけば良かったのだ。でも、それができない。古泉イツキは私の後ろでほほ笑んでいるのだろう。いざ、私が怒っても、舌をだして「ごめんごめん」と言って、すべてを水に流すつもりだろう。その気になれば、私を悪者にすることぐらい、彼女からすれば朝飯前なのだ。特に、こんな男子しかいない状況では。
「じゃあ、そういうことで」
我らが団長は、そんな歯切れの悪い言葉で、古泉イツキの提案を受け入れる。
「わかりました団長! 明日、バニーちゃんの衣装、持ってくればいいのですね」
「ああ」
「よし、そうと決まれば、さっそく準備ね。それじゃ、あたし帰るから。バイトあるし」
彼女は席を立つ。どこまで自分勝手なんだ、この女は。
「キョン子ちゃん、明日、楽しみにしててよ」
そして、私に声をかける。私は何もいわず、ぶすっとした表情をするのが精一杯だった。
古泉イツキが去り、部室に静寂が訪れたあと、私は口火を切る。
「いったいどういうことなのよ、これは!」
「いや、だから、ジョンとポール」
「ごまかさないでよ!」
私は机をドンとたたく。予想以上に大きい音がでて、自分でも驚く。
「そうだよ、ハルヒコ君。キョン子さんの身になってよ」
みつる先輩もそれに加勢する。
「いきなり、新しい部員が来て、しかも、副団長ってどういうこと? 副団長はキョン子さんでしょ、普通」
あれ? そういうところをついてくるのですか、みつる先輩。
「だって、そういう条件だったしさ。副団長といっても、名誉職みたいなもんだから、安心していい」
「いや、ハルヒコ君、そういう問題じゃなくてさ」
「いいじゃねえか。我がSOS団が最強であるためには、あれぐらいのヤツをも受けいれないとダメなんだ。……それに、あいつ、放課後いつもヒマそうだったしさ」
それは友達がいないせいだろ、と私は心の中でつぶやく。
「まあ、キョン子もさ、ああいうヤツだけど、女の子同士、仲良くやってくれよ、な?」
いったい、どういうふうにさっきの場面を見たら、そんなセリフがでてくるのか。彼の頭の中をのぞいてやりたい。
「で、明日、どうすんの」
私はやたらと低音で、声をだす。
「明日って、ビラ配りか。いちおう、やるけどよ、無理しなくていいんだぜ、その」
「私が、かわいくないから、胸ないから、無理するなってこと?」
「いやいや、そんなこと言ってるわけじゃなくて」
「じゃあ、やるわよ。古泉イツキと一緒に。バニーだか何だか知らないけど」
「ま、まあ、おまえがそう言うんだったら」
ふーっと私はため息をつく。それにしても、こういうときに何も言ってくれないみつる先輩がちょっと悲しかった。だまっているのが上策とはいえ、この状況を何とかしてくれても良かったじゃないか。この私が、バニーガール姿でビラ配りだぞ? 冗談じゃない。
そのとき、パタンという音がした。長門ユウキが本を閉じる音だ。こんな騒ぎの間でも、SF小説を読み終えたらしい。さすがとしか言いようがないが、何の助けにもならないので、人間というより植物と形容したほうがいいのかもしれない。そろそろ、人数にカウントすることをやめたほうがいいと思う。
こうして、我が部、いやSOS団は、五人目のメンバーを加えることになった。しかし、早くもチームワークはガタガタである。それもこれも、涼宮ハルヒコが、古泉イツキみたいなヤツを入れるからだ。いったい、なに考えてるんだ、あいつは。
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(17)「イヤだ!」
「じゃじゃーん」
上機嫌で、古泉イツキが見せたものは、まがうことなき、バニーガールの衣装二式だった。
やはり、彼女は本気だったのだ。冗談かもしれないという私の淡い期待にこたえるほど、古泉イツキという女は甘くないのだ。
散々なことがあった翌日も、私は部室に来ていた。女子にとって、ここまで来たら、引くに引けない状況である。ただし、涼宮ハルヒコが気をきかせば、何とかなる状況ではあった。例えば、ビラを用意しないとか。
しかし、部室の机には、数百枚のビラが置いてあった。先生をごまかして、学校の印刷機を使ったらしい。その行動力は見上げたものだが、あいにく、今の私にとってはまったくありがたくなかった。
「じゃあ着替えるから、男子部員は外にでてよね。ほら、そこのメガネ君も」
長門ユウキも席を立った。これまで、いかなることにも動じなかった彼も、古泉イツキの言葉には従うようだ。私の逃げ道は完全に断たれてしまった。
「キョン子ちゃん。お着替えタイム、スタートだね」
ドアの鍵をしめて、カーテンを閉ざして、古泉イツキはうれしそうに私に近づく。
「どう着たらいいのか、わかるよね」
「わかる」
私は彼女の顔を見ずに答えて、バニー衣装を正視する。まず、タイツをはいて、尻尾のついたスーツを身につけて、小道具をつける。ハイヒールも準備している。何とも本格的だ。
私は椅子に座って、靴下を脱ぎ、網目模様のタイツをはく。伝線しないように慎重に。
「へえ、最初に脱がないんだ」
その声の方を向いてみると驚いた。古泉イツキは早くも下着一枚の格好になっているではないか。形のいいバストがあらわになっている。
予想していたよりも、大きい。
一瞬、その胸に釘づけになってしまった自分が悲しい。
「キョン子ちゃん、早くしないと、のぞかれちゃうぞ」
私はそんなに早く制服を脱ぐことなんてできない。やはり、彼女は慣れているのだろうか。その、こういうことに。
タイツをはき、ゆっくり制服を脱いでいく。彼女の視線が気になる。私の何を見ているんだろう。私には彼女に勝てる要素が何もない。スタイルの良さもルックスの良さも。
「ね、ねえ」
なんとか気をまぎらわせるために、彼女に話しかけることにする。
「なんで、イツキちゃんは、その、この部に入ろうとしたの?」
我ながら、イツキちゃん、と呼んでしまうところが情けない。
「そりゃ、団長の顔がマジだったから」
「え?」
ブラのホックを外そうとした手が止まる。
「最初は断ったんだけどね。それでも、しつこく誘われたのよ。すっかり、あたしにホレちゃってるのかと思うぐらい」
「そ、そうなの?」
「でも、そうじゃないんだよね。とにかく、あたしがいないと最強になれないとか必死に言うわけ。じゃあ、あたしも本気にならなくちゃと思ってね。だから、これ」
「これ?」
「うん、バニーガール」
「……なるほど」
私はすっかりフザけてると思ってたけど、彼女にとっては真剣だったのか。こういうの、勝負衣装っていうのだろうか。
「で、なんで、私も?」
「だって、あたし、キョン子ちゃんのバニー姿、すごく見たいし」
そんなこと言われてもうれしくない。うれしくないけど、返す言葉が見つからなくて。
「そうそう、あたしが入った理由のひとつは、キョン子ちゃんなんだよ」
「え?」
「団長ったら、キョン子ちゃんのこと、あたしにいろいろしゃべってきてさ。そのうち、どんな子なのか気になったっていうか」
「……ガッカリしたでしょ。実際に会って」
「そんなことないって。最初に言ったじゃん。キョン子ちゃんのこと、かわいいって」
ええと、これ、お世辞だよな。どう反応すればわからず、私は彼女に背を向ける。ブラのホックをはずし、バニースーツを着ようとする。ご親切にも胸にパットがついている。えいっ、と足を伸ばすが、うまく入らず、バタバタする。
「キョン子ちゃん、あわてないでよ。もう」
うれしそうに古泉イツキは近づく。すでに、バニー衣装に身を包んでいた彼女は、どう見ても同級生には見えない。って、私もその衣装を今着ているのか。
「ほらほら、支えてあげるから」
やたらと親切な彼女が怖いが、この状況ではその好意に甘えることしかできない。どうせ、着終わったあとで、私の無様な姿を見て笑うにきまっている。それにしても、背中がスースーするんだけど、これでいいのか。
「あと、これとこれ」
リストバンドと蝶ネクタイみたいなものを渡される。言われるがまま、私は身につける。
「で、最後に……」
彼女は私の髪留めのゴムを外す。これまでの私の象徴であったポニーテールがほどけていく。
軽やかに彼女は私の髪をブラシでといて、ウサギの耳がついたヘアバンドをつける。もはや、自分が自分でなくなったみたいだ。
「よし、完成!」
彼女は満足そうに私を見る。これで、私は目の前の彼女と同じ格好をしているということになるのだろうか。鏡はあったっけ? 私、今どんなふうになってるんだ?
「じゃあ、入っていいよ」
古泉イツキはドアを開ける。あの、ちょっと、心の準備というものができていないんですけど。
待ちかねていたであろう男性陣がずかずかと中に入る。おおー、というどよめきが聞こえたような気がする。
「どうでしょ? なかなか、かわいいでしょ?」
「うん、キョン子さん、いい感じじゃん」
そんなみつる先輩の声が聞こえる。いや、ここは笑うところだろう。馬子に衣装とはこのことだ。それより、古泉イツキを見ろ。あの美人のバニー姿なんだぞ。胸だってたっぷりある。それに比べりゃ、私なんてオマケだ。意地張って、こんな格好をしたバカ女だ。
「へえ、やればやるもんだな」
涼宮ハルヒコもよくわからないことを言っている。
「そうよ、歴史と伝統あるバニーガールをなめないでほしいわ」
古泉イツキはそう言って、私のところにかけよる。
「じゃあ、これから、ビラ配りに行こうよ。もう、キョン子ちゃん、みんなの注目の的よ」
「イヤだ!」
自分でも信じられないほど大きな声がでた。一気に場は沈黙する。
「こんな格好で行きたくない。行けるわけないじゃん!」
古泉イツキはかけよる。
「だいじょうぶだって、あたしが一緒なんだし。恥ずかしさは半分こだから」
「イヤだ!」
ほら見ろ、あの長門ユウキですら、SF小説から目を離して、私を凝視している。いつもと全然ちがう表情している。涼宮ハルヒコだって、みつる先輩だって、私を変な目で見ている。こんなバカな格好をしているんだから当たり前だ。みんな笑いたくてうずうずしているんだ。
「もう、キョン子ちゃんったら」
古泉イツキの甘くささやく声がする。そして、彼女は私の後ろにまわり、そして、私の耳を……。
「えいっ!」
彼女の歯の感触が耳たぶをふれたとき、私の緊張の糸はぷっつん切れた。私はへなへなと地面に座りこむ。どうやら、腰を抜かしてしまったらしい。
さて、ここからの描写は非常に難しい。なぜなら、私は情けないことに、泣いてしまったからだ。といっても、子供のように、うわーん、と大声で泣き叫んだわけではない。それぐらいの分別は私にだってある。私はじわっと涙をこぼした。それから、いろいろなものがふきだしてきた。
だいたい、なんでこうなるの。宇宙人とか探してたんじゃないの。なんでバニーガールなのよ。どうして、こういう部員を入れるのよ。それに、みつる先輩はオタクだったし、SFばっかり読んでいる植物人間がいるし。なにがSOS団よ。笑わせないでよ。私のことをさんざん無視して、なにがSOSよ。変人、変態、植物人間。そして、最後の一人は、かの有名な古泉イツキちゃんときた。どうなのよこれ? 私にいさせる気、ないんでしょ? 私のこと、からかってるんでしょ? みつる先輩だって、すっかり外見にだまされたわよ。結局、ただのオタクじゃん。そして、涼宮ハルヒコ! あんたにちょっとでも同情した私がバカだった。ほんとにホントにバカだった。あんたになんか声かけなくちゃよかった。そうすりゃ、私は今ごろ平和な日々を満喫できたわけよ。どうぞ、私のことなんて無視して、奇人コンテストにでも応募してみたら? けっこういいところいくわよ、あんたたち? もしかしたら、宇宙人より変じゃないの?
そんなことをぶつぶつつぶやきながら、私は床を叩いてみた。手が痛かったが、感触は悪くない。だから、私は床を叩き続けた。
想像してほしい。バニーガールの姿をした女の子が、よくわからないことを言いながら、床をドンドンしているのだ。これはもう、気が狂ったといわれても仕方のない醜態だ。
それでも、涼宮ハルヒコは近づいてきている。なんだか、私に言いたいことがあるらしい。今さら何を言うつもりだ。すべての元凶はおまえじゃないか。声を聞くだけで腹が立つ。私は手を伸ばす。何かをつかむ。椅子か。ちょっと重いけど、まあいいか。私は全力でにぎりしめる。まだ、涼宮ハルヒコは目の前にいるようだ。バカなヤツだ、ホントにバカなヤツだ。
「やばい。止めなさい!」
古泉イツキの声がする。それにすばやく反応して、みつる先輩が、私の手をおさえる。私は動けなくなって、ジタバタもがく。
「ほら、ビラ配りに行くわよ」
「だって、キョン子のヤツが」
「早く部室からでないと、あんた殺されるわよ!」
「で、でも……」
「いいからいいから」
そうして、目ざわりな二人は、私の視界から消え去る。同時に、私を突き動かしていたものがやわらいだ。
でも、涙は止まらない。私は考える。なんで泣きだしたんだろう。だいたい、自分でやると言っておいて、いきなりイヤと言いだしたら、そりゃ涼宮ハルヒコみたいなバカだって困る。結局、自業自得じゃないか。そう思うと、自分がみじめになった。つくづく自分が情けなくなった。
「キョン子さん、落ち着いた? ほら、椅子に座ったら?」
みつる先輩が優しい声をかける。その言葉に甘えさせていただく。
「とりあえず、お茶、用意したから、飲みなよ」
机には、緑茶が用意してあった。きめ細やかなサービスだ。ずずーっと飲む。身体があたたまった。
その横にはティッシュが置いてある。できれば、トイレに行きたかったが、この格好ではどうすることもできない。チーン、と鼻をかむ。
「ありがとう、お茶、とてもおいしい」
「どういたしまして」
気さくにほほ笑むみつる先輩がまぶしい。
「ごめんね、みつる先輩」
涙が落ちついたあと、しゃっくりをしながら、私は話しかける。
「あの、その、オタクだなんて言って」
「いいって、気にしないでよ。まあ、サブカルチャーに一定の理解がある、と言ってほしかったけどね」
「でも、ごめんなさい」
「それより、長門君にも謝りなよ。この上着、長門君のだし」
気がつくと、私の肩には制服が乗っかっていた。いつの間に、そんなことをしたのだろう。長門ユウキはワイシャツ姿で本を読んでいる。
「ごめんなさい、長門くん。変なこといって」
彼は私を見て、短く答える。
「いい」
どうやら、許してもらえるようだ。あいかわらずメガネの奥の眼差しが何を考えているのか、よくわからないのだが。
だんだんと頭が冷静になり、自分が何も考えずわめいた言葉が思い起こされる。ずいぶんとひどいことを言ったものだ。いや、いつも頭でそういうことを考えているから、あんな言葉が出たわけだ。ひどいのは私の心なのだ。
涼宮ハルヒコと古泉イツキは、私が謝ったら許してくれるだろうか。意外とすんなり許してくれるかもしれない。そうすれば何もなかったように、SOS団とやらは続いていくのかもしれない。
でも、それでいいのだろうか。
私はみつる先輩の用意してくれたお茶を飲みながら考える。そして、一つの結論を出した。
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(18)「もう来ないからね、ここには」
「まったく、冗談じゃないぜ、あいつら」
ドアを開けて、涼宮ハルヒコはぶつぶつ言っている。机にビラをドサッと置く。配れたのは半分ぐらいみたいだ。
「やっぱり、怒られた?」
不安そうにたずねるみつる先輩。
「でも、目立ったからいいじゃん。目的は果たせたよ」
開き直っているバニーガール姿の古泉イツキ。
そして、三人は私に向かって目くばせをする。みつる先輩が小声で何かをささやいている。
「着替えるから」
私は立ち上がる。
「あ、ああ」
涼宮ハルヒコはそれに答え、部室を出ていく。長門ユウキも席を立つ。二度も指定席から移動するとは、今日は彼にとって大変な一日だっただろう。部室を提供したことを後悔しているのではないだろうか。
古泉イツキはドアを閉め、鍵をかける。
「ねえ」
顔色をうかがうように話しかけてくる。
「今日はやりすぎちゃった。ごめんね」
バニー姿で謝る彼女はかわいかった。
「ううん、謝るのは私のほうだし」
自然と彼女に向かって言葉がでた。私の古泉イツキに対する劣等感は、涙とともに流れてしまったのかもしれない。
「あのね、キョン子ちゃん見たときにね、いろいろたまってると感じたのよ。だから、楽しいことをやろうと思って」
「そう」
彼女の読みはまちがってなかった。ただ、その感情がああいう形ででてしまっただけで。
「イツキちゃん、私、怒ってなんかないからね」
そう言って、ゆっくりとバニー衣装を脱いでゆく。夕日がカーテンをすりぬけて部室にさしこんで、なんだか、ずっと夢の世界にいたような気がした。
彼女も無言で着替えている。さんざん悪態をついた後でなんだけど、本当に彼女に悪気はなかったのだと感じてきた。彼女はただ楽しみたくて、私にこんなことをさせたのだけなのだと。
私は脱ぐのも着るのも遅い。着がえ終わった彼女はそんな私をじっと見ているようだった。話しかけられたらどうしようと思った。もし、彼女が笑ったら、私もつられて笑いそうだった。でも、そうして、今日のことを無かったことにするのはイヤだった。だから、話しかけられないように視線をそらした。
ドアを開けると、涼宮ハルヒコが身をのりだしてきた。
「あ、あのさ」
「ごめんね」
私は機先を制して声をかける。
そして、長門ユウキに上着をわたす。彼は無言で受け取る。
「いや、それより、俺のほうが悪かった。だ、だからさ」
涼宮ハルヒコの言葉が終わらないうちに、私は言った。
「もう来ないからね、ここには」
そして、歩きだす。ちょ、ちょっと、待てよ。そんな声が聞こえてきたので、ふりむいた。
「怒ってなんか、ないからね」
もう一度、その言葉をくりかえす。
このようにして、私は部室を後にした。涼宮ハルヒコ率いるSOS団は、早くも退団者を出してしまったというわけだ。
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(19)「ねえキョン子、元気出してね」
翌朝、教室の雰囲気はピリピリしていた。何かあったのだろうか、と思っていたら、その悪意はどうやら私に向けられているようだった。いや、正確には、涼宮ハルヒコと私である。なるほど、SOS団ビラ配り作戦は大失敗に終わったということか。
たしかに迷惑千万な話だ。帰宅しようとしたら、ビラを持った涼宮ハルヒコとバニーガールの古泉イツキが、校門に立ちふさがっているのである。古泉イツキのバニー姿をまじまじと見つめた男子生徒もいただろうが、面倒なことに巻きこまれて、心底うんざりしたと思っている生徒が大半であろう。
クニやグッチも同じような感想を抱いていたみたいで、休み時間になると、すぐさま私に苦情を言ってきた。すでに、涼宮ハルヒコは教室を出ている。
「なに考えてんのよ、アンタたち」とグッチ。
「そうそう、いくら宣伝とはいえ、あれはやりすぎだよ」とクニ。
「キョン子、もっとしっかりしてよね。スズミヤの暴走を止めるのはアンタの役目でしょ?」
まさか、そのとき私もバニー姿になっていて、部室の床を叩いていたとは、この二人には想像すらできないだろう。もし、私が古泉イツキと一緒にビラ配りをしていたら、クニやグッチは二度と口をきいてくれなくなっていたかもしれない。
「SOS団だか何だか知らないけど、せめて、ウチらの見えないところでやってよね」
「いや、私は」
グッチに反論しようとしたとき、男子の声がわりこむ。
「まったくだ。君たちのやり方にはとても賛成できないね」
クラス委員の朝倉リョウだ。律儀にも、昨日のビラを持参している。こいつ、いったいどんな顔をして、ビラを受け取ったのだろう。
「このビラによると、不思議な体験談を募集しているみたいだけど、学校のことをかぎまわったりとか、今回のような非常識行為をしたりとか、まわりに迷惑かけることばかりしてるじゃないか。まだ生徒会の認可を受けてないんだろ? 君たちの部は」
ビラをこぶしで叩きながら、朝倉リョウは私に説教する。毎度のことながら、彼の物言いは神経にさわるところがある。
「そんなの、あいつに直接言えばいいじゃん。あいつが部長なんだから」
私は朝倉リョウの顔を見ないまま、そうつぶやく。そんな私の態度にあわてたグッチが早口で言葉をかぶせる。
「だから、スズミヤがいないんだから、アンタに言ってるんでしょうが。ねえ、朝倉くん?」
そんなグッチの言葉にも、朝倉リョウの口調は変わらない。
「とにかく、今後、こういうことをしたら、君たちには何らかの罰が下されることになるだろう。覚悟したほうがいい」
脅し文句とともに、朝倉リョウは去る。やれやれ、と私は肩をすくめる。
「それにしても、キョン子。なんで、古泉さんなの?」
しばらくの沈黙のあと、クニが話しかけてくる。
「そうそう、諸悪の根源は古泉イツキよ。なんで、あんなビッチ女が一緒にいるわけ? スズミヤとコイズミって、最悪の組み合わせだと思わない?」
「キョン子だって、古泉さんのこと知ってるよね? 相当遊んでるってウワサだけど」
「あ、そうか」
グッチは何かを思いついたかのように手を叩く。
「なにが?」
「つまりね」
グッチがクニの耳元で何かをささやく。え、でも、そうか。クニは納得したみたいで、私を気の毒そうな目で見た。
「ねえキョン子、元気だしてね」
「そうそう、悪いのはスズミヤなんだから。ウチはあんな男子にホレるなって、何度も言ったはずだけど」
「こらグッチ。そういうこと言っちゃダメだって」
どうやら、二人の間では、涼宮ハルヒコが古泉イツキにホレて、私を捨てた、というストーリーができあがったらしい。
そう考えたほうがわかりやすいだろう。古泉イツキは誰もが認める美人で、それが目的で涼宮ハルヒコは部に勧誘したのだ。わざわざ「副団長」という役職を用意するという、彼なりの破格な条件で。
私は古泉イツキに嫉妬しているのだろうか。いいや、私は彼女を恨んではいない。憎んでもいない。逆に、彼女のような子が入ったから、私は安心して部をやめる決意ができたと感謝したいぐらいなのだ。
それはつまり、涼宮ハルヒコのことを私は好きではないということだ。恋愛対象として彼を見ていないということだ。
話すだけならば、彼の相手をするのは楽しい。でも、それ以上の関係になって、いろんなものに付き合わされることに、私は耐えられなくなったのだ。二度と自分の日常に戻れなくなるような気がして。
私の選択はまちがっていないはずだった。しばらくしたら、SOS団なんてものは忘れて、普通の高校生活を過ごすことができるようになるだろう。そして、ただのクラスメイトとして涼宮ハルヒコに気軽に声をかけ合う関係になるはずだ。私はそう信じていた。
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(20)「あんたたちになにがわかるっていうんだ!」
三日間、涼宮ハルヒコは私に話しかけようとしていた。しかし、四日目には、そういう気持ちがきれいさっぱり消えてしまっていた。私も女子のはしくれだから、それぐらいのことはわかる。
彼がそう決断したことは、さみしいことではあったが、それが最善の道だろうと思った。彼は彼の道を行き、私は私の道を行く。ただ、それだけのことなのだ。
それにしても、一日ってこんなに長かったけ? 学校生活はとても退屈で、色あせたもののように感じられた。これこそが、私の愛する平和な日々であるというのに。
たとえてみると、涼宮ハルヒコに付き合うのは、新幹線に乗るようなものだ。私はそれまで各駅停車の鈍行列車に乗っていた。新幹線のスピードに慣れると、当たり前だったはずの鈍行の速度が遅く感じてしまう。もちろん、新幹線では見落としてしまう景色を、鈍行ではじっくり見ることができる。ただそれは、あまり個性のない、似たようなものばかりだった。
おかしいな、と思う。彼と接したのは、一日のわずかな時間にすぎなかったのに、それがなくなっただけで、一日の景色ってこんなにも変わってしまうものなのか?
私は普段と変わらない生活を送っているつもりだった。数学の時間は睡魔と闘い、現国の時間は授業と関係ないページに熱中し、体育の時間は全力をだしきれない言い訳ばかり考えた。クニやグッチといるとき、私はもともと口をはさむタイプではなかった。お弁当を食べながら、二人のおしゃべりを聞いているだけのポジションだったはずだ。
でも、二人には私がいつもどおりだとは見えなかったらしい。
「やっぱり、こういうときはカラオケよね」
「うん、思いきり歌って、いろいろ発散しちゃおうよ、キョン子」
こうして、週末に、私たちは遊びに行くことにしたのだ。待ち合わせ場所に着いて驚いたのは、二人の服装だった。私は可も不可もない服装をしていたが、二人は短いスカートでカジュアルに決めている。まるで、デートにでも行くかのような勢いだ。
「これぐらい、女子高生なんだから、当たり前じゃん」とグッチ。
「そうそう、キョン子も服買いなよ。お金持ってるよね?」とクニ。
どうやら、私は普通の女子高生にもなれていないらしい。
まったく、人並みの格好をするのも大変な世の中になったものだ。まわりの視線を気にしながら、私は商店街を歩く。果たして、自分はどんなふうに見られているのだろうか。
カラオケショップに入り、主にグッチが歌っているのを聞いた。私だって、TVで流れている曲ぐらいは知っているけれど、あまり歌がうまくない。上手じゃない歌を、他人に聞かせるのは、ストレス発散のためとはいえ、ためらってしまうところがある。でも、このままでは、いつまでたっても、自分のレパートリーを持つことはできない。友達同士なんだから、ちょっとぐらい外したって許してくれるはずだ。そう思って、果敢に新曲に挑戦してみたが、この日、持ち歌を増やすことはできなかった。
店を出ると、雨が降っていた。やっぱり、とつぶやきながら、二人は傘を出す。
「あれ? キョン子は傘持ってきてないの?」とクニ。
「ちゃんと天気予報を見ときなさいよね」とグッチ。
そういえば、今日は家を出るときに天気を確認していなかったことに気づく。私はそういうことは欠かさない性格だったはずなんだけど、おかしいな。
クニの傘に入って、グッチおすすめの古着屋に向かう。どうやら、グッチも行ったことがない店らしく、私たちは立ち往生する。ぜったい、この近くにあるんだって。そう主張するグッチに、クニは笑う。まあまあ、時間はたっぷりあるんだからさ。
こうして、行ったり来たりを繰り返し、同じ横断歩道を再び渡ろうと信号待ちをしているときだった。
「あれ、スズミヤじゃないの?」
グッチの声のすばやく反応して、私は向こう側の歩道に目を走らせる。まちがいなく、涼宮ハルヒコの姿だった。雨の中、傘をささずに歩いている。何かを探すように、目を光らせながら。
「なにやってんの、あいつ」
グッチがあきれた声をだしている。涼宮ハルヒコは向こう側の歩道を早足ですぎてゆく。思わず追いかけようとしたが、私は傘を持っていない。だから、私は彼の姿を目で追うことしかできない。
ほんとにバカなヤツだ、と思う。雨にぬれて、ひとりぼっちで、バカにされて、それでも宇宙人か何かを探しているのだろう。風邪でもひいたらどうするんだ。宇宙人よりも自分の身体のほうが大事じゃないか。なんで、休日にそんなバカなことをやってるんだ。
「親戚の子とか探してるんじゃないかな?」
「いいや、どうせ、コイズミに置いてけぼりにされたんだよ。あんなビッチ女と付き合うから、こういうことになるんだよ。ざまあみろね」
だから、ちがうんだって。あいつはそういう人間じゃない。何回言ったらわかるんだ。あいつはバカだけど、あんたが考えているようなバカじゃない。あいつがどれだけ必死になっているか、あんた知ってるか? いつまでも来ないものを待って、そのためにどんなにバカにされても、あいつはひとりきりで、ずっとなにかを探してるんだ。そんなことを知らずに、勝手なことばかりしゃべるんじゃない。あんたたちになにがわかるっていうんだ!
「ちょっと、キョン子!」
「だから」
私は口を止めた。クニは私の腕を力強く引っぱっていた。我に返る。グッチは目を伏せている。まわりの人たちは、一定の距離を置いて、遠巻きに私を見ていた。しまった、と思った。
「ご、ごめん」
私はすぐにグッチに謝る。
「こんなこと、言いたかったわけじゃなかったのに」
「いや、いいって」
そう答えながらも、浮かない顔をしたグッチ。そんな表情は、これまで見たことがなかった。どれだけ私をからかっているときでも、決して見せたことのなかった視線。
「あのさ、今日は雨だし、もう帰ろうよ。またいつでも遊べるんだから」
クニがあわててそう言う。でも、私はそんな言葉を聞くことに耐えられなかった。
「じゃ、じゃあ、私、帰るから」
そして、きびすを返して、私は走りだした。傘を持っていないのも忘れて、その場から逃れるように、商店街のアーケードまで全力疾走で。雨にぬれない場所に着いてから、ふりかえる。二人は追ってきてはいない。ふーっと、一息つく。
私は何をやってるんだろう。グッチなりのなぐさめにムキになった自分。それなのに、涼宮ハルヒコにはかける言葉が何もない自分。もし、私が彼のことを好きだったのなら、もっと単純な話だった。「好きです」と告白すればいいだけの話で。
ハンカチで雨をぬぐい、私はとぼとぼと歩く。結局、近くのコンビニで傘を買った。誰とも会いたくなかったら、バスに乗って帰った。窓から流れる景色をぼんやり眺めながら、私は思う。クニとグッチを失ってしまえば、私は本当にひとりぼっちになる。あんなセリフを言うなんて、いったい、なにをやってるんだ、私は。
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(21)「ちょっと、一緒にご飯食べない?」
その日の夜の電話で、私はグッチとクニと長い話をした。二人とも私を許してくれた。でも、その日以来、私と二人との間には何だか壁ができてしまっていた。それまでの親しみが感じられなくなった。私の気のせいかもしれないけれど。
一週間が過ぎた。退屈な日々も過ぎ去ってみると早いもので、日記帳には二行しか書けないような毎日が続く。何かを待っているのだろうか、それとも何かをすべきなのだろうか。そんなことすらもわからないまま、私はぼんやりと学校に通っていた。
だから、昼休み、クニとグッチとお弁当を食べようとしていたときに、彼女から声をかけられるとは思わなかった。
「キョン子ちゃん」
ふりむくと、そこには古泉イツキの姿があった。
「ちょっと、一緒にご飯食べない?」
私には断る理由がなかった。正直、ほっとした気持ちがあった。あの日以来、SOS団員に初めて声をかけられたのだから。私はクニとグッチに、ごめんね、と言って、立ち上がる。
「ねえ、あそこの渡り廊下で食べようよ」
彼女が指さしたのは、三階の南校舎と中校舎をつなぐコンクリートの渡り廊下。屋根やベンチなんてものはないただの通路。そんなところでお弁当を食べている子なんて見たことがなかった。
「あたしさ、高校生になったら、屋上でお弁当を食べるのが夢だったの。でも、うちの高校って、屋上に行けないじゃん? なんか、成績が悪かったとか、そんなくだらない理由で飛び降り自殺した子がいて、それ以来、立ち入り禁止になったんだって。ホント、ひどい話だよね。こんな天気のいい日に、教室で食べるなんて、バカみたいだと思わない?」
いや、渡り廊下で食べるほうがバカみたいじゃないのか、と思いながらも、あの日と変わらぬ口調で話しかける彼女がうれしくて、私は笑って同意する。
「よし、ここだ」
彼女はそして腰をおろす。
「敷物とかないの?」
「いいじゃん、たかが制服なんだし」
それよりも、そんなはしたない座り方では下着が見えるんじゃないか。いや、見せているのか、彼女の場合は。
私は仕方なくハンカチを敷いて、膝の上にお弁当を乗せる。彼女の昼食は、学校の近くの店で売っているパン二つだけみたいだ。
「しかしまあ、キョン子ちゃんも意地っぱりよね。団長もだけど」
久しぶりに「団長」という言葉を聞いた気がする。あいつ、そんなふうに呼んでくれと言ってたな。
「わかってると思うけど、いつでも部室に戻ってきていいんだよ。キョン子ちゃんの椅子はいつでも用意してるんだから。でも、問題となるのは団長なんだよね。多分ね、キョン子ちゃんがその気になって戻ってきても、団長は喜ばないと思う」
「まあ、私から辞めちゃったわけだし」
私はお弁当箱を開きながら言う。
「ちがうちがう。そういうことはどうでもいいんだよ。もうね、団長の中では、キョン子ちゃんとの約束をかなえることしか頭にないみたい」
約束? そんなものしたっけ?
「宇宙人とかなんだかよくわからないけど、そういうのを見せること。もし、それを発見できたら、キョン子ちゃんを部室に戻す口実ができるんだって。だから、必死になってる。あたしたちなんか置き去りにしてさ」
踊り場で両肩をにぎられたあの日のことがよみがえってくる。「バカみたい」と教室で言ったあとのことだ。あのときはまだ、あいつとほとんど話していない関係だったっけ。
「でも、あの約束って、その場しのぎのようなもので」
「そうだよね。女の子からすりゃ、適当に言ったことなんだよね。でも、男子はそれを本気で信じちゃう。バカだからね、男は」
彼女はカレーパンをかじりながら、偉そうにそんなことを口にする。
私は雨の日の涼宮ハルヒコの姿を思い浮かべる。彼が雨にぬれながら、必死でなにかをさがしていた瞳の向こうには、もしかして、私の姿があったというのか?
「まあ、それは恋愛みたいに深刻なものじゃないけどね。団長はそういうことをしている自分に酔ってるだけなのよ。でも、いいじゃん。団長の中ではキョン子ちゃんの存在っていうのは大きいし、キョン子ちゃんだって団長のことを忘れちゃいないでしょ? そういうのって、なかなかいい関係よ」
たしかに、私はいまだに涼宮ハルヒコのことを考えている。気を抜くと、彼が何をしているのかとか、部室かどうなっているのか、そういうことばかりを思い浮かべてしまう。
「まあ、そんなおかげで、あたしたちは何もすることがないわけよ。団長に手伝おうかって言っても、一人でやったほうが早いっていうし。仕方ないから、みつる君とオセロばっかりしてるのよね」
また、オセロやっているのか。しかし、みつる先輩、オセロ好きだな。
「あの子、強いのよね。あたし、十回やって一回勝つのがやっとぐらいよ。仕方ないから、メガネ君にやらせてみたら、あっけなく負けちゃったりするし。どうも、あの子って、相手によって打ち方変えてるところあるよね」
そうなのか。怪しいと思っていたが、やはり手を抜いていたのか。それにしても、彼女相手には本気で、私には手加減するってどういうことだろう。もしかして、みつる先輩、私のことバカだと思ってる?
「そうそう、みつる君って、お茶いれるのうまいのよね。キョン子ちゃんが戻ったときには、おいしいお茶いれるって張りきってるわよ。以前、ほめたらしいじゃん? それで、うれしくなったみたいでさ。いろいろ、道具とかお茶っ葉とか持ってきて試しているみたい。なかなか凝り性なところあるよね、あの子」
そんな話を聞いていると、気分が楽になっている。私がウジウジしているときも、あいかわらずみつる先輩はわけわからないことをしているみたいだ。
「そんなふうに、あたし、マジメに部室行ってるのよ。副団長だけに。すごいでしょ?」
「でも、バイトとかあるって」
箸をとめて、私は言う。
「ああ、あれはウソ。いろいろ断るとき便利じゃん。バイトしてるって言ったほうが」
当然のようにそんなことを話す彼女は、とても同級生には見えなかった。私と同じ十五歳、いや十六歳かもしれないけど、高校一年で、どうしてそんなふうに物事を考えることができるんだろう。
「あのね、あたしはいつも思ってるんだけど、女の子って、どうしても男子に合わせちゃうところがあるじゃん? だからね、くだらない男と付き合ったら、どんどん自分がダメになっちゃうんだよ。その点、キョン子ちゃんは幸せ者だと思うよ。団長って、たいしたヤツだから」
あまりほめられている気がしないのだが、涼宮ハルヒコといるときの時間は嫌いじゃなかった。あいつと話さなくなって、どんどん自分がイヤになってきたけど、実はそれが当たり前のことだったのかもしれない。
「でもね、キョン子ちゃんたちの場合、このまま卒業しちゃうっていう事態もありえるわけ。宇宙人があらわれないことには話が進まないからね。あたしとしては、それだけは避けたいと思ってたんだけど、世の中、神様っているのよね。ちょっと面白いことが起きてるのよ」
なんだなんだ? ひょっとして、本当に宇宙人があらわれたっていうのか。
「ウワサでしか知らないから、どうなるかわからないんだけど、あたしの予感が正しければ、キョン子ちゃんもそれに巻きこまれるんじゃないかなあ」
いたずらっぽい眼差しで、彼女は私を見る。
「どういうこと?」
「それは実際に起きてのお楽しみー」
彼女はそして私の前にしゃがみこむ。
「ねえ、これ、ちょうだい?」
最後に残していた、とっておきのウィンナー。それを指さしたかと思うと、彼女は手づかみであっという間に口の中に入れる。いや、それ、私にたずねる意味ないんだけど。
そんな自分勝手な彼女なのに、私はなぜか怒る気になれなかった。
「ということで、現状報告終わり! あたし、副団長らしいでしょ?」
私は笑う。これが彼女なりの優しさというものだろうか。でも、こういうの、私は嫌いじゃない。
「イツキちゃん」
歩きだした彼女の背中に、私は声をかけた。
「また、一緒にご飯食べようよ。今度は私が誘うから」
彼女はふりむいて、ニッコリする。
「いいよ。あたし、いつも一人でヒマだからさ」
そして、そのまま歩いていく。今までに会ったこともない自由気ままな彼女。でも、そんな彼女のことを、私は親しく感じるようになった。もし、SOS団に戻らなくても、彼女とは友達になりたいと思った。
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(22)「いえ、彼女は古泉イツキではありません」
「バスケのボールが足りないって言われたんだけど、知らない?」
まさか、この言葉が罠だったとは誰が思うだろうか。
イツキちゃん報告から数日たった放課後、私にそう声をかけたのは、体育の授業で一緒に片付けをした、名字しか知らない子だった。特に仲が良いわけではない、隣のクラスの女子。私はその言葉を信じ、体育館に向かう。
なんで、急にそんなこと言われたの? 私の問いに、彼女は、さあ、と首をかしげる。たしかに、先生というのは、よくわからない理由で怒ったりするものだ。高校生活というのは、時として、このような理不尽が生徒に降りそそぐものである。いちおう、探したふりはしておこうか。そんなことを話しながら、体育館の用具室に入った。
私は不注意だったかもしれない。しかし、名字しか知らない子が、次のような行動を取るとは、並の女子高生には予測できないはずだ。
私が奥に入って、どこにあるんだろうね、と声をかけようとしたとき、彼女は急にかけよったかと思うと、
「えいっ!」
私を力いっぱいに押したのだ。私は体勢を崩して、床を踏み外す。そこには何もなかった。あれれ~! そんな疑問とも悲鳴とも言えない声を上げながら、私は暗闇へとまっさかさまに落ちる。走馬燈が浮かんでくる余裕すらなかった。
どすん。
一秒かからなかったと思うが、私はどこかに落ちていた。下がマットだったのが助かった。わずかな痛みとともに、私は驚きと戸惑いを感じていた。どうして、私は突き落とされてしまったのか。ここはどこなのか。心当たりがまったくない。
「やあ」
男子の声で我に返る。聞き覚えのある声だ。まさかと思って身体を起こす。まちがいない。豆電球の明かりでも、はっきりと彼の顔が見えた。
「朝倉くん? なんであなたが?」
我がクラス委員の朝倉リョウ。彼が私を見下ろすように立っていた。
「我々の秘密基地にようこそ」
この場所の明るさに慣れてくる。目の前には朝倉リョウの後ろに、見知らぬ男子が一人。そのほかには、マットや台車などがある。体育の授業では見たことがない道具だ。おそらく、昔の用具室なのだろう。文芸部室よりも広い地下室。こんな場所があるとは今まで私は知らなかった。しかし、なぜ、私が?
「もしかすると、君は多くを知らないかもしれない。しかし、涼宮ハルヒコは、ここの存在に気づいている。だから、君には人質になってもらうことにした」
涼宮ハルヒコという名前がでたとき、私の中で何かがつながった。あの日、イツキは私にこう言った。あたしの予感が正しければ、キョン子ちゃんもそれに巻きこまれるんじゃないかなあ。
「せっかく、我々が警告を出したのに、君はどうやら、彼に伝えなかったらしいね。まあ、君たちのことはいろいろと聞いているけど。古泉イツキのこととか」
「私になにをする気?」
「おとなしくしてたら、ひどいことはしない」
やばい気配がしてきた。どうやら、朝倉リョウは本気らしい。彼の警告が何であるかはイマイチ思いだせないのだが、この場所の存在に涼宮ハルヒコが気づき、それが朝倉リョウにとって好ましくない事態を招いていることはわかる。私はとっさに考える。叫ぶべきか。逃げるべきか。
「おっと、動くんじゃない。下手なことをすると、顔に傷がつくことになる」
私は横を見る。いつの間にか、ナイフを両手に持った女子の姿があった。それを持つ女子の顔は知っていたが、名前は思いだせない。彼女の持つ刃の先はかすかに震えていた。朝倉リョウの冷静な声に比べると、ひどく脅えている彼女の両手。それが、ますます、私の危機感をあおる。
「おい、朝倉。こいつはバニーちゃんじゃないのか」
そんな私のあせりを無視するかのように、悠長な男子の声がする。
「いえ、彼女は古泉イツキではありません」
朝倉リョウはそれにふりむいて、敬語で答える。上級生なのだろう。ということは、この男がボスで、朝倉リョウは手下というわけか。
「なんだ、面白くない」
「でも、涼宮ハルヒコさえ引きこめば、何とでもなりますよ」
「お楽しみは後にとっておけ、ということだな」
「ええ、古泉イツキは気が強そうですからね。その分、やりがいはあると思いますよ」
「お楽しみ」に「やりがい」ときた。まちがいない。こいつら本物の悪党だ。まさか我が北高でそんなことが行われているとは信じたくないのだが、私の貞操の危機であることは確かなようだ。
しかし、目の前の私よりも、イツキの話ばかりするのが癪にさわる。胸がないとはいえ、ちょっと私の扱いって悪すぎるんじゃないか。どいつもこいつも。
「それより、あんたたち、こんなことやって許されると思ってるの?」
私の言葉に、朝倉リョウはわざとらしく笑って見せる。
「心配しなくてもいい。我々は良き理解者に囲まれているからね」
この暗室、おそらく旧用具室の中には、私以外に六人の生徒がいるようだ。朝倉リョウと親玉の上級生、私の隣にいてナイフを持っている女子、そして、ただ見ているだけの男子が三人。私をつき落とした子を加えると、男子五人で女子二人だ。男子だけならともかく、女子が朝倉リョウに協力していることが私を戸惑わせる。
朝倉リョウは私の隣の子に目くばせをしたあと、親玉の上級生と何か打ち合わせをしているみたいだ。逃げるチャンスかもしれないが、あいにく私には武道のたしなみがない。小学生のときに剣道をすぐに辞めてしまったことが、つくづく悔やまれる。やはり、女の子は自分の身を守るぐらいのことはしておくべきだ。私が子供を産んだら、娘には必ず武道を習わせよう。合気道とかいいかも。って、そんなこと考えている場合じゃないよな。私の隣にはナイフ様がひかえているのだ。これほど、死に近づいた瞬間は、私の十五年の人生の中で、そうはない。
それよりも、涼宮ハルヒコのことだ。おそらく、私は「スズミヤホイホイ」のエサなのだろう。もし、あいつが「キョン子は団員じゃないから無関係だ」と言ってしまえば、私が助かる見こみはゼロになるが、そこまでひどいヤツではあるまい。涼宮ハルヒコに人助けは似合わないが、私のことを多少なりとも思っているならば、何とかしてくれるはずだ。
でも、何とかするって、どうするんだ?
そう思いをめぐらせたとき、聞き覚えのある音がしていることに気づく。ほんのかすかな音。すでに頭上の体育館で始まっている部活の足音よりも、目の前の朝倉リョウと親玉のひそひそ話よりも、ずっと小さいはずなのに、それは私にとって、確かなものとして響いている。何の音だったっけ? どこかでずっとこの音を聞いていたような気がする。でも、思いだせない。まちがいなく、この旧用具室の中から聞こえてくるのだけれど。
怪しまれないように、私は首を動かして部屋の様子をそっと探ってみる。
すると、飛び箱の頭が開いたと思ったら、にょきっと顔がでてきた。私は思わず叫びそうになった。
長門ユウキ! なんで、あんたがここにいる?
そうか。私は声をださないように慎重に、姿勢を戻す。聞き覚えのある音って、彼がSF小説をめくっているときの音か。いわば、それは、文芸部室のBGMみたいなものだ。
つまり、彼はこの旧用具室の飛び箱の中で、SF小説を読んでいたということだ。さすがに、長門ユウキとはいえ、わざわざそんなところで本を読む趣味はないだろう。彼は涼宮ハルヒコに頼まれて、見張っていたはずなのだ。こういう事態になることを見こして。
朝倉リョウ一味は、彼の存在に気づいていない。私がおとなしくすれば、この危機を脱するチャンスはある。
思わず、頬がゆるみそうになったが、まだ油断はならない。もしも、彼らが本気で私を襲ったら、長門ユウキはあてにならない。相手は六人で、味方はメガネ君一人だ。ここは「スズミヤホイホイ」のエサとして、私はおとなしくするべきなのだ。
「おい、聞いているのか」
朝倉リョウのいらだった声がする。私はきわめて厳粛な表情でそれを聞くことにする。
「ひとまず、我々は外に出るが、あいつは残ってるし、出口には見張りがいる。下手な真似をすると、身の安全は保証できない」
そして、彼は指を鳴らす。キザなヤツだ。その合図を聞いて、見ていただけの男子三人が、ロープ片手に近づいてくる。
「暴れるなよ」
そして、その男子の一人が私の手にふれる。思わず、私はその手を払いのける。
「さわらないでよ、変態」
「おいコラ。この状況がわかってないのか」
私につめよろうとする男子を朝倉リョウはさえぎる。
「あせるなよ。人質に傷がついたら面倒なことになる。今、我慢すればするほど、あとでたっぷり楽しむことができるんだからな」
彼は悪党らしいセリフを吐いて、私の隣の女子を指さす。
「おい、おまえ」
彼女は朝倉リョウの言葉にびくっとなる。おそらく彼女は弱みをにぎられているのだろう。だから、こんなバカなことをしているのだろう。しかし、いかなる事情があろうとも、無力な女子生徒にナイフを光らせるなんて行為は許すことができない。
私は彼女のなすがままに手を縛られながら思う。私は気を確かにしなければならない。ここには長門ユウキがいる。朝倉リョウさえいなくなれば、飛び箱から出て私を助けてくれるのだろう。あとは、涼宮ハルヒコが何とかしてくれるはずだ。たぶん。
私は飛び箱のほうを見る。朝倉リョウ一味に気づかれないようにそっと。豆電球の明かりでは、飛び箱の中まではのぞけない。まさか、手持ちのSF小説に夢中になっていたりはしていないよな。長門くん、私は君を信じるからな! そう祈りながら、私は捕縛の身になった。
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(23)「あんなヤツのどこがいいの?」
朝倉リョウ一味が去り、旧用具室に静寂が訪れる。隣の見張りの子は、ナイフを置いて携帯電話を見ている。絶好のチャンス到来だ。私は何度も飛び箱にアイコンタクトを送る。しかし、長門ユウキは動かない。なぜだ?
そういえば、私がSOS団をやめる前、彼からSF小説を借りていた。彼が「ユニーク」と評したあの本だ。いちおう目を通そうとしたものの、わずか3ページで挫折してしまった。私のSF嫌いに拍車をかける結果にしかならなかったのである。
ひょっとして、そのことを怒っているのか。借りた本をちゃんと読まないから、SF好きにならないから、私を助けようとしないのか? そりゃひどいよ、長門くん。
「余計なことしないでよね」
見張りの子が高圧的な態度で声をかける。なるほど、彼女の注意をもっと引きつける必要があるのか。私は彼女に話しかける。
「ねえ、あなたって、朝倉くんのなに?」
軽い気持ちで声をかけたつもりだったのだが、それは予想外にも彼女の気分を害したようだ。彼女は何かを言おうとしたが、それをうまく言葉にできないみたいだった。しばらくして、なぜか怒った口調でこう返す。
「あんたこそ、涼宮ハルヒコのなんなのよ!」
いわれてると、たしかに難しい質問である。頭上では部活動に精をだす生徒たちの声と足音が無関係に響いている。どこか遠い世界の物語みたいだ。彼らも床下でこのようなドラマが繰り広げられているとは思いもしないだろう。ナイフとロープと、飛び箱の中の男子。
「……とらわれのプリンセス、かな?」
そんな私の答えに、彼女は大げさに笑った。いや、自分でも不相応だとは思っているが、そこまで笑うことはないだろうに。
「せいぜい今のうちに悲劇のヒロインぶっていることね。あんたたちが朝倉くんにかなうはずないんだから」
彼女はそう断言する。先ほどまでは、命令におびえていたのに、私と二人きりになると、誇らしげに朝倉リョウの名前を持ちだすのはなぜだろう。
「そもそも、涼宮ハルヒコみたいな変人と一緒にいるのが信じられないのよね。あんなヤツのどこがいいの?」
「あなたこそ、なんで朝倉リョウと一緒にいるの?」
私の返した言葉に、彼女はまたも感情を乱す。
「だから、涼宮みたいなヤツと朝倉くんを一緒にしないでよ!」
「で、命令どおりに刃物をにぎらされて、私のような無力な女子を脅してるわけだ」
「なによ」
彼女はナイフを持って身構える。
「その気になったら、あんたなんて」
そう言いながらも彼女の手は震えている。捕縛された身なのに、なぜか私は冷静だった。
彼女の表情を見ながら、私は昔に見たアニメを思いだす。戦争が舞台の物語で、慣れない武器を手に、兵士を威嚇する若い女性の姿。彼女の後ろでは赤ん坊が泣き声をあげている。そんな子供を守る女性と、目の前の彼女が、なぜか重なって見えた。
私はここで行われていることが何であるかはあえて考えまいとしていた。ただ、それを知られるのをおそれるために、他人を傷つけることをいとわない彼女の姿に、私はその行為の悲惨さを見た。この子は、もう朝倉リョウに従うことしかできないのだろうな、と思った。
「……わかった。おとなしくしてるから」
「すぐに朝倉くんは戻ってくるんだからね。まあ、そのあと、どうなるかはあたしは知らないけど」
それにしても、このやり取りの間でも、長門くんがまったく動かないのはどういうことだ。飛び箱が動いた気配はなく、それどころか、あのとき聞こえていたはずの、ページをめくる音ですら耳に届かなくなっている。
もしかすると、私が見た長門くんは幻かもしれない。あのとき、私は極度の緊張状態に陥っていた。それがために、砂漠で倒れる旅人が見る幻のオアシスのごとく、見えないものが見え、聞こえないはずのものが聞こえたのかもしれない。
でも、それだったら、長門くんじゃないよなあ、と思う。どうせなら、みつる先輩のほうがいい。みつる先輩が、飛び箱からぴょこんと顔をだすのだ。なんとも愛らしいではないか。オセロで私に手を抜いたり、女装趣味があったり、オタクだったり、スーパーハッカーだったり、最近はお茶くみに目覚めたりと、外見に似合わぬ変態的なところがあるのだが。
そんな妄想は、背後からの物音にさえぎられた。その大きな音は、動かざること山の如しの長門ユウキによるものではなく、ふたたび朝倉リョウ一味が戻ってきたことを知らせていた。
「おい、人質の様子はどうだった?」
「だいじょうぶよ。じっとしてたから」
「そりゃ良かった。シナリオ通りにうまくいきそうだ」
朝倉リョウは竹刀を手にしている。まったく、悪党にふさわしいヤツだ。なんで、こんなヤツをクラス委員にしたのか、我が北高のモラルを疑いたくなる。
「ということで、これから、面白い芝居が見られるよ。我々にとっても、君にとっても」
朝倉リョウは楽しそうに話しかける。私はそれに答えず、そっぽを向く。
どうやら、涼宮ハルヒコが動きだしたらしい。あの日の昼休みのイツキちゃん報告、飛び箱にひそむ長門くん。おそらく、涼宮ハルヒコは、この状況を正しく把握しているはずだ。まさか、簡単に「スズミヤホイホイ」にひっかかることはあるまい。私は楽観的にそう考えることにした。
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(24)「貴様らの悪事もこれまでだ!」
ドサッ。
そんな情けない音とともに私の目の前に落下した物体。まさかとは思っていたが、心当たりは一人しかいない。そう、我が救世主であるはずの、涼宮ハルヒコである。
「貴様らの悪事もこれまでだ!」
急いで体勢を整えて、高らかに彼は叫ぶ。なぜか、私を指さして。
いや、あんたの敵、あっちだから。私はあごをふって合図する。彼はあわてて向きを変える。
「貴様らの悪事もこれまでだ!」
朝倉リョウはそんな言葉に肩をすくめる。
「まさか、君がこんなにあっさり罠に引っかかるとは思わなかったよ」
「ふん、罠であることは承知の上だ。昔の人はこう言ったものだ。虎穴に入らずんば虎児を得ず、とな」
丸腰の涼宮ハルヒコに対して、竹刀を持つ朝倉リョウ。おまけに、まわりには男子計四人がひかえている。圧倒的不利な状況なのに、よくもまあ、そんな能天気なセリフが言えたものだと私はあきれる。
例えるならば、仲間を救出するべく、罠にとびこんだ黒い害虫である。安っぽい正義感にかられたところで、人類科学の集大成であるトラップから逃れるすべはない。「虎穴に入らずんば……」という遺言を残し絶命した黒い害虫は何匹いることか。
「心配するな、キョン子」
彼は横目で私を見て話しかける。
「SOS団の辞書に不可能の文字はない」
いや、そんな言葉で片付けられては困る。今は私の人生最大のピンチなのだ。
「それより、キョン子。おまえに言いたいことがある」
朝倉リョウの動きを意識しながら、彼は私に真剣な声で話しかける。
「おまえはSOS団員その1だ。俺は古泉を副団長にしたが、団員その1というのは、かなり偉い。団長の俺ほどではないが、副団長に匹敵するといっていい。少なくとも、みつるよりは待遇いいから安心しろ」
この期に及んで、そんなことをマジメに話す彼の姿に、私は心底あきれかえる。もしかして、こいつ、その程度のことで私が辞めたと思っているのか。
「だいたい、私は部に戻るつもりは」
「じゃあ、名誉団員その1だ。名誉市民と同じく、その称号は団長である俺が、勝手に与えることができる」
「そんなことを言ってる場合じゃ」
「そうだ、久闊を叙すのはそれぐらいにしてもらおう」
朝倉リョウが竹刀を床で叩く。さすが剣道部ホープだ。動きが実にサマになっている。どこから見てもこちらに勝ち目はない。こういうとき、私は何をすればいいのだろう。何か叫んだほうがいいのだろうか。そう考えあぐねていたときだ。
「とりゃー」
そんな幼稚なかけ声とともに、上からまた何かが降ってくる。だが、見事に着地に失敗。いてて、と腰をさすりながら立ち上がるその影に私は思わず叫ぶ。
「みつる先輩!」
「やあ、キョン子さん」
まさか、みつる先輩も罠に引っかかるとは思わなかった。って、わざと落ちたんだよな。とりゃあ、とか言ってたし。
新たなる小柄な侵入者に、朝倉リョウ一味の間に動揺が走る。
「おい、話がちがうじゃないか。一人だけで来いと言ったはずだぞ」
「キョン子を人質とってる分際で、偉そうなことほざくんじゃねえよ」
「おまえ、人質がどうなっていいのか?」
その言葉に合わせ、隣の子が刃物を私に近づける。ちょっと、だいじょうぶなのか。人質の身柄安全こそが最優先事項ではないのか。
「そこどいて!」
そんな声が頭上から聞こえたと思うと、またもや人が落ちてきた。三人目の落下傘部隊である。不恰好な体勢でマットに沈み、見事に下着をさらしたその女子が誰であるかは、もはや書く必要あるまい。ひとまず、彼女の下半身に周囲の視線が集中する。ピンクか。ピンクだな。そんなささやきが聞こえた気がする。
パンパンとスカートをはらい、えへん、と咳払いをして、彼女は言う。
「SOS団副団長、古泉イツキ。ただいま参上!」
調子のいい自己紹介をして、イツキは私にウィンクをする。
「キョン子ちゃんをいじめるヤツは、このあたしが許さないんだから」
いや、来てくれたことはありがたいのだが、なんなんだこの作戦は? 飛び箱にひそんでいる長門くんを含めると、SOS団全員が集結したことになる。これ、猪突猛進といわないか?
「ふん、物量作戦ときたか。しかし、それでもこちらが多勢。それに、約束を破ったことは許すわけにはいかないな。おい」
そんな朝倉リョウの命令に、私の隣の女の子がびくっとなる。やばい。私も思わず目をつぶる。
「ちょっと待て!」
大声で涼宮ハルヒコが叫ぶ。
「もし、キョン子を傷つけたら、どうなるかわかってるよな」
彼の鋭い眼差しに、彼女の震えは止まる。
「傷害って犯罪だぜ。おまえらが勝とうが、俺たちが勝とうが関係ない。おまえは犯罪者になるんだ。いいのか、それで?」
犯罪、という言葉に、彼女はびくっとする。
「傷跡っていうもんはなかなか消えないからな。傷をつけられた者は、絶対にその恨みを忘れたりはしない」
「おい、こいつの言うことなんか聞くな」
朝倉リョウも負けじと声を張りあげる。
「誰も涼宮を信じるヤツはいないんだ。教師だって我々の味方だ。だから、だまされるな。お前はだまって俺に従えばいいんだよ!」
「ほらな。こういうことしか言わないヤツなんだ。朝倉ってヤツは」
涼宮ハルヒコはあきれた顔で、彼女に話しかける。彼女はナイフをどこに向けていいのか戸惑っているようだ。
彼は戦意を喪失した彼女にゆっくり近づいてくる。すっかり私も安堵の息をもらす。しかし、敵はだまって見てはいなかった。
「勝手なことをぬかすな!」
そんな声とともに、朝倉リョウは涼宮ハルヒコの脇腹に強烈な突きを見舞った。それを避けられるはずがなく、彼の身体は吹き飛ばされる。私は思わず、彼の名を叫ぶ。
しかし、それと同時に、朝倉リョウの身体が崩される。みつる先輩だ。彼の下半身をすくいとるように、みつる先輩が襲いかかったのだ。思いもよらぬ方向からの奇襲に、朝倉リョウは倒される。みつる先輩はそのまま、彼の身体を押さえこんで言う。
「動くな」
あっという間に捕まった朝倉リョウの姿に、場の緊張が走る。
「貴様、卑怯だぞ」
そんな朝倉リョウのうめき声に、あきれた声が返される。
「なにいってんのよ。人質は取るわ、不意打ちはするわ、テレビの悪役よりもカッコ悪いわよ、あんたたち」
イツキはそして、男子三人の前に立ちふさがる。
「おっと、こいつを助けたければ、あたしを倒すことね。言っとくけど、あたし、強いわよ。超強いんだから」
あれ? いつの間にか形勢逆転してる? 涼宮ハルヒコは腹を抱えてうずくまったままだが、私の隣の女の子は、ナイフを床に下ろしたままだし、男子三人はイツキの口上にたじろいでいる。いや、もう一人、朝倉リョウの後ろにひかえていたボスがいるはずだ。私はそこに目を走らせる。誰もいない。
「助けてくれ!」
親玉はあわてて出口に向かって逃げていた。おい、あんた、リーダーじゃなかったのか。彼はそのまま出口の上の床を空けて、もう一度、叫んだようだ。
「助けてくれ、涼宮ハルヒコが暴れてる!」
その声に合わせるように、頭上の足音があわただしさを増していく。
「ふふふ、作戦どおりにはいかなかったが、これでおまえらはジ・エンドだな」
みつる先輩におさえられたまま、朝倉リョウが言う。
「あの人にかかれば、お前たちを悪役に仕立てあげるなんてわけない。なにしろ、生徒会役員だからな。お前たちみたいな連中の言葉なんぞ、どの教師も耳を傾けないはずだ」
私の隣の女子が、急いでナイフをしまっているのを見て、みつる先輩も朝倉リョウを放す。先生たちが次々と降りてくる。
「朝倉!」
私たちのクラスの担任の声だ。
「まさか、おまえが、こんなことやってたとはな」
「いや、あの、僕たちは」
「まだ言い訳をするつもりか、お前」
はっきりそう言いきる先生の口調に、朝倉リョウとその一味の顔色が青ざめている。
「だから、この涼宮たちが」
「お前が主犯者だったことは知っている。言い逃れをしてもムダだ」
その言葉を聞いて、朝倉リョウは、わなわなとへたりこむ。どうやら、観念したようだ。
「キョン子さん、無事だった?」
みつる先輩が私に声をかけて、ロープをほどいてくれる。君たち怪我はないか? そんな先生たちの言葉に、ええ、だいじょうぶです、と答えながら。
「どう? あたしの演技力、たいしたもんでしょ」
イツキは私の前にしゃがみこんで、自慢そうに言う。
しかし、そんな二人よりも、私は彼の背中を追う。涼宮ハルヒコは倒れたままだ。先生たちが朝倉一味を連れて行こうとする横で、私は彼にかけよった。
「だいじょうぶなの?」
身体を起こそうとすると、激痛が走ったみたいで、彼はうめき声をもらした。
「すまん、しばらくこのままでいさせてくれ。痛い」
「まったく、何も考えず行動するからこうなるのよ」
「いや、これも作戦だったんよ、キョン子さん」
みつる先輩が後ろから声をかけてくる。
「ハルヒコ君がみずからオトリになるって作戦で」
「そんなの、たまたまうまくいっただけで」
「すでに長門君から状況は聞いてたからさ」
「長門くんが?」
私は飛び箱の方を見る。飛び箱が動いた様子はない。
「そうそう、今回のMVPはあのメガネ君よね」
「そんなことはない」
長門ユウキの声がする。いつの間にか、私の目の前に立っている。相変わらず平然とした様子だ。
「捕らわれた彼女が冷静だったことが、被害を最小限におさえられた一番の理由」
「うん、あたしだったら、わんわんわめいて、口封じされてたかもね」
「まあ、無事で何よりだよ。キョン子さんも、ほかのみんなも」
「俺は無事じゃねえけどな」
「そうよ、いちおう団長なんだから、もうちょっと、こいつのことも心配しなさいよ」
そんな私の声に、皆が笑う。あの長門くんですらも笑みを浮かべている。やはり、能天気な連中だ。ついさっきまで捕らわれていたというのに、彼らといるとあっという間にそんなことを忘れてしまう。
「そ、それよりも」
私は立ち上がる。やはり、言うべきことは言わなければなるまい。
「あの、助けてくれて、ありがとう」
「いやいや、謝るのは団長よ。団長が余計なもの探すから、キョン子ちゃんが犠牲になったんだよね」
「うるさい。朝倉のヤツの悪事も暴けたし、いいじゃないか、これで」
「ユーレイはいなかったけどね」
イツキはいたずらっぽく笑みを浮かべる。
「じゃあ、負傷の団長の代わりにあたしが宣言します。キョン子ちゃん救出作戦、大成功!」
みつる先輩の拍手とともに、旧用具室でくりひろげられた事件は終わりをむかえた。誰ひとり怪我人をださず、SOS団は目的を達成したのだ。しかし、私はまだ疑問だらけだった。いったい、長門くんはどこで何をやっていたのだろう。
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(25)「みつる、それは俺が言うべきセリフだ」
「あの地下室の存在は、先生たちも知らなかったんだって」
歩きながら、みつる先輩が話しかけてくる。
後ろでは涼宮ハルヒコが長門くんの肩を借りながら歩いている。私が肩を貸そうかというと断られた。男の意地、というものらしい。
「五年前の体育館拡張工事のときに、新しく用具室が作られて、地下室はなくなっていたはずなんだ」
「つまり、五年前に、秘密の地下室ができたってこと?」
「あたしもウワサには聞いてたんだけどさ」
イツキが会話に加わる。
「学校七不思議みたいなものだと思ってたんだよね。ところが、団長が秘密の地下室の存在に気づいちゃったんだ。一人で学校探索しているうちに怪しいことに気づいたのよ」
なお、私が降下した用具室にある穴は、下から開けることしかできない仕組みになっている。それとは別に、体育館管理室にその入口はあった。普段はその上に机を置いてある。つまり、先生の中に共犯者がいるということだ。
「たいてい、管理室には先生がいるから、なかなか入ることはできないけど、鍵があいたまま、誰もいなくなるときがあるんだ。そのときを見計らって、僕たち、中に入ったってわけ」
「誰もいなかったけど、あからさまに怪しかったのよね」
「それで、ハルヒコ君が、何が起こるかを目撃しようと考えて」
「長門くんが飛び箱の中に入ってた、と?」
私の問いに、みつる先輩がうなずく。
「こんな事態になるとは思わなかったけどね。そして、長門君は彼らと一緒にひそかに外にでて、それから先生たちに報告したんだ。長門君が脱出できるチャンスはそのときにしかなかったからね。後はごらんの通りさ」
あれ? 長門くんって、ずっと飛び箱にいたわけじゃなかったんだ。ナイフを持ったあの子と二人きりになったとき、ひたすらアイコンタクトをしていたのだが、まったく無意味だったということなのか。
「その後の作戦については、ハルヒコ君がたてたんだけど」
「団長が注意をひきつけて、倒されたらあたしたち二人が同時に動いて、場を静める。おそらく、誰かが逃げるから、そのときまでに、メガネ君が先生を連れてくる、とこんな感じで」
まさか、オトリのつもりでべらべらしゃべっているとは思わなかった。単に格好つけていたのかと思ったが、あれも全部計算ずくだったというのか。
「相手に主導権をにぎらせないためには、あのやり方しかなかったんだよ」
後ろからそんな声がする。
「どうせ、朝倉に正面きって挑んでも、かないっこないんだからさ」
「しかし、この作戦には不確定要素があった」
長門くんがめずらしく会話に加わる。
「そうだな、キョン子が何かしでかしたら、どうしようもなくなったからな」
「彼女はよく耐えた。軽率な行動を取らず、我々を信じてくれた」
「たいしたもんだ。いつものプッツンが飛びだすかと思ったものだが」
そりゃ、飛び箱の中にずっと長門くんがひそんでいると信じていたんだからさ。ちょっと恥ずかしいので、かんちがいしていたことは秘密にしておこうと、私は話題をかえる。
「それにしても、先生たち、こんな話よく信じてくれたよね」
「そりゃ、長門君が説明したからね。ハルヒコ君だったら、どうなったかわからないけど」
「なんで、長門くんなの?」
「だって、長門君といえば……」
「ちょっと待って!」
気づけば、文芸部部室のドアノブに手をかけたみつる先輩の後ろで、無意識のうちに中に入ろうとする自分に気づいた。私はまわりを見わたす。そんな私を見て、チッとイツキが舌打ちをした。
「もうちょいだったね」
「うーん、うまくいくと思ったんだけどなあ」とみつる先輩。
おいおい、これも作戦だったのか。いつの間にか、私を部室に入れさせるための。
「ねえ、ちょっといい?」
私は涼宮ハルヒコに話しかける。どうやら痛みはやわらいだようで、苦悶の表情ではなくなっていた。
「あんたは、私を部に戻すために、私を助けたんじゃないよね」
「まあ、そうだな。あくまでも名誉団員その1を救出すべく、自主的に活動をしただけだ」
「うん、わかった」
そして、私は力強くノブを回す。
「私、みんなに助けてもらって、すごくうれしかった。だから、もう一度、入部していい?」
「もちろんだよ、キョン子さん」
「いや、みつる、それは俺が言うべきセリフだ」
そして、彼はえへん、と咳払いをした。
「これからキョン子は、名誉団員その1から、団員その1に格上げとする!」
ええと、それは格上げなんだろうか。そんなことを言われても、全然うれしくないんだけど。そう戸惑う私に、横からイツキが抱きついてきた。
「もう、キョン子ちゃん、そんなわかりにくいことは抜きにしてさ。一緒にいろいろ楽しいことして遊ぼうよ」
「いろいろって、なによ」
ひょっとして、イツキちゃん、また私に何かをするつもりなのか。ちょっと後悔してきたぞ、この選択。
「まあまあ、中に入って。はたから見たら怪しいよ、二人とも」
そんなみつる先輩の言葉を聞きながら、私はふたたび文芸部室、いやSOS団本部に足を踏み入れたのだ。涼宮ハルヒコに手をひかれてではない。私の自身の意志によって。
たしかに、涼宮ハルヒコは変人で、みつる先輩は変態で、イツキは自分勝手で、長門くんは得体が知れない。でも、私はそんな彼らと一緒にいるのが楽しかった。たとえ、彼らにふりまわされる毎日になったとしても、かまわなかった。私はそんな毎日が好きだった自分に気づいたのだから。
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(26)「あ、まあ、それはそれでありかもな」
「キョン子ちゃん、ナースとかどう?」
私の髪をいじっていたイツキが、不意に後ろから話しかけてきた。
「ナース?」
「実はあたし、ナース服、持ってるんだよね」
いきなり何の話だ? まさか、また着ろというんじゃないだろうな。私はかつて、この文芸部部室、別名SOS団部室で繰りひろげられた、忌まわしきバニーガール騒動を思いだす。
「ねえねえ、みつる君だって、キョン子ちゃんにナース服ってなかなか似合うと思わない?」
イツキは私の前に座るみつる先輩にも声をかける。この質問には、みつる先輩、大いに困ってるようだ。イツキと私を交互に見ている。
「ええ、まあ」
そんなふうに言葉をにごしながら、白の石を緑の盤に置く。私はうなる。むむむ。
今、私はみつる先輩とオセロゲームをしているのだ。手抜き疑惑の解明のため、私はみつる先輩に真剣勝負を申しこんだのである。
その結果が、目の前で明らかにされている。気づけば角は押さえられ、どこに置いてもひっくり返される状態になりつつある。私は腕を組み、考えたふりをするが、本当はどこに打っていいのか、さっぱりわからないのである。
「あの、キョン子さんさ、オセロはコミュニケーションを楽しむゲームであって、別に負けたらどうかというわけじゃ……」
「うるさい!」
私はそう口ごたえする。みつる先輩は、この部室で唯一の二年生であるはずなのに、誰にも敬語を使われない、かわいそうな先輩である。この私ですら、みつる先輩にはタメ口をきいてしまう。決してバカにしているわけではないが、どうしても上級生として接することができないのだ。それもこれも、自分のことを「僕」と呼ぶみつる先輩が悪いのだ。私のせいじゃない。
私がいない間に、部室の中にはいろんなものが増えていた。みつる先輩のお茶くみセットから、バットやグローブなど使途不明なもの、さらにはコンピ研からの戦利品であるセーラー服や、イツキ持参のバニースーツ二着まで常備されている。まったく、なんでもかんでも持ちこめばいいものではないだろうに。近いうちに、大掃除をしなければなるまい。
「でも、アタシはそうじゃなくて!」
いや、もう一人、この部屋には上級生がいた。彼女はSOS団員ではない。わざわざこの部室に足を運んで相談を持ちかけてきた二年女子である。この部室に来客がくるとは、ビラ配り事件直後の悪評からすれば、信じがたい光景だった。
旧用具室事件のあと、朝倉リョウ一味は一週間の自宅謹慎処分となった。体育教師の一人が関与していることが発覚し、休職処分となっている。これが彼らの罪に対して、重いか軽いかについては、あえて語らないことにする。
だが、謹慎という形になったことで、事件は明るみにでることになった。誰もが謹慎の理由を知りたがり、その憶測は、やがて事実と重なった。首謀者である朝倉リョウは、それから一度も学校から復帰することなく、自主的に他の高校に転入したそうだ。どうやら、悪評の中で学校生活を送るのが耐えられなかったらしい。
こうして、平和が訪れるとともに、我らがSOS団長、涼宮ハルヒコが、それを解決したヒーローとして持ち上げられるようになったのだ。
そんなウワサを聞きつけたのか、ある二年生の女子が相談を持ちかけたとき、涼宮ハルヒコは寛大な態度で話に耳を傾けようとした。私たちもお茶をいれるなど、来客に対して最善のおもてなしをしようと努めた。だが、彼女が話し始めてから、一分たたぬうちに、イツキは私の髪をいじりはじめ、三分たたぬうちに、私はみつる先輩とのオセロゲームを再開させることになった。もちろん、窓のそばでは、いつものように、長門くんがSF小説を物静かに読んでいる。
「だから、俺たちは、人助けの部じゃなくてだな」
ついに、涼宮ハルヒコがしびれを切らしたようだ。彼にしては忍耐強く耳をかたむけていたほうだと思う。それが、団長としての責任感からか、愚痴をこぼし続ける女子の対応に慣れていないせいか、どちらかはわからない。
「そうよね。みんな、自分が大事なのよね。このSOS団だってそうよ!」
彼女はそんな捨てセリフとともに立ち上がる。自分のことばかりべらべらしゃべり続けたあげく、よくもまあ、そんなことが言えたものだと、女子の私ですらあきれてしまう。
彼女が荒々しくドアを閉めたあと、涼宮ハルヒコはみつる先輩をにらむ。
「おまえだろ、二年女子に変なこと吹きこんだの?」
「だ、だって、体験談募集ってビラにも書いてあったから、宣伝ぐらいはいいかな、と」
みつる先輩はたじろぎながら言う。
「みつる、SOS団って何の略称か覚えているか?」
「ええと」
そういえば、そんなものあったな。私もなんだったか思いだせないのだが。
「『世界を、大いにもりあげる、涼宮ハルヒコの団』だ。面白くない体験談なんぞ、ハナからお断りなんだよ」
「でも、いろいろ人助けをしたら、それはいいことじゃん?」
「そういうのはボランティアに任せりゃいいんだよ。俺たちはそんなにヒマじゃない」
団員がオセロゲームをやってる時点で説得力がないのだが、その点はだまっておこう。部室が悩み相談室となることだけは避けなければならない。
「ねえねえ、団長、団長」
しかし、そんな彼の様子をまったく無視して、調子のいい声をだす女子が一人。
「どう、キョン子ちゃんのツインテール!」
そう、私はイツキの手にかかり、従来のポニーテールからの脱却をとげていたのだ。鏡を見ていないので自分でもどうなっているかわからないのだが、ここは涼宮ハルヒコの反応に注目すべきであろう。しかし、彼は歯切れ悪い言葉で口をにごす。
「あ、まあ、それはそれでありかもな」
「ちょっと団長、なによそれ!」
私が口をだす前に、イツキが反論する。
「だいたい、団長って、どんな髪型が好きなのよ? ねえ、言ってみてよ」
うん、それはぜひとも聞きたい。これで、ポニーテールと答えたら、私の中でハルヒコ株がちょっぴり上昇するのだが。
「……そうだな、三つ編みとかいいかなって」
その答えには、私を含め、三人がずっこけた。
「ハルヒコ君、いまどき、三つ編みはないよ」
「そうそう、キョン子ちゃんが三つ編みなんかやったら、それこそ地味な子になっちゃうじゃん」
さりげなくひどいことを言っていないか、イツキちゃん。
「それよりも、だ」
すっかり劣勢に追いつめられていた彼だが、団長の威厳を取り戻すべく、口調を変えて立ち上がる。
「今後のSOS団の行動について、そろそろ、決めなければならないようだ。もう、今日みたいな不毛なことはするべきではない」
「といっても、何するの?」
みつる先輩が律儀に挙手してたずねる。
「そうだな。学校はあらかた調べつくしたし」
そう答える涼宮ハルヒコを見ながら、私はある光景を思いだしていた。雨が降っていたあの週末の一場面を。
「だったら、みんなで街探索してみたら? あんた、休日になると、いつも街で何か探索してるんでしょ?」
「いや、一人のほうが気楽でいいんだが」
「いいじゃん。たまにはみんなでやるのも」
あの雨の日、ひとりぼっちで何かを探していた彼の背中を、私は忘れていなかった。私が部に戻ったのだから、ああいうことはもうさせたくない。たまには、彼に共同作業の大切さを知らしめなければなるまい。
「まあ、一度ぐらいはいいかもな。それで新しい発見があるかもしれない」
「そうと決まったら、週末はみんなで遊びましょう!」
イツキが声をはりあげる。
「おい、古泉。遊びじゃないんだぞ」
「わかってるって、団長。あたしだって、やるときはやるからさ」
そして、イツキはなぜか私に向かってウィンクをする。また、何かたくらんでいるんですか、イツキちゃん。
こうして、我がSOS団は週末に学外活動にでることになったのだ。私はこれが新たなトラブルの始まりになるとは思ってもみなかったのだが。
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(27)「今日は部活なんだぞ、遊びじゃないんだぞ」
あの雨の日の週末のこと。諸般の事情により、私はある計画を果たすことができなかった。それは「女子高生らしい服を買う」ことである。
高校生になってから、一着も服を買っていないわけではない。しかし、家族と一緒に買った服はカジュアルというより、おめかし系である。あいかわらず、私のクローゼットの中は悲惨な状況なのだ。
しかも、一緒になるのは、かの有名な古泉イツキちゃんである。彼女がどんな格好をしてくるのか想像するだけで恐ろしいが、中途半端なおしゃれでは私に待っているのは敗北のみである。
そのような理由で、この週末、私はおめかしすることにした。ネックレスをつけるぐらい気合を入れた私なりのベスト・コーディネイトである。
だが、集合場所で、そんないでたちの私を待ちかまえていたのは、予想外の格好をしたイツキだった。
「ハーイ」
そんな白人めいた挨拶をした彼女は、帽子をかぶり、キュロットに縞模様のハイソックスをはいている。一言で形容するならばスポーティー。制服姿とはちがった彼女の魅力をぞんぶんにひきたてる着こなしだった。
「って、キョン子ちゃん、その格好なに? 今日は部活なんだぞ、遊びじゃないんだぞ」
かわいく叱るイツキ。私は返す言葉がないまま、立ちつくす。
「まさか、デートかなにかとかんちがいしてたんじゃないの?」
く、悔しい。まさか、イツキにこんなことを言われるとは。どうやら、私は彼女のファッションセンスを見くびっていたようだ。
「いやいや、似合ってるじゃん。キョン子さんらしくていいよ」
すぐさま、みつる先輩がフォローしてくれる。みつる先輩を含めた男子三人組は、特に描写する必要のない、悪くない格好をしていた。明らかに私だけが空回りである。そうだよな、ただの部活動だもんな。私はため息をつく。
「じゃ、とりあえず、動くか」
涼宮ハルヒコは、私の服装には、まったく興味ない口ぶりだ。私が一時間以上にわたり、何を着るべきか悩んだことなど、彼にとってはどうでもいいことにちがいない。
「で、ハルヒコ君、これからどうするの?」
「そりゃ、街を歩き回って、気になる箇所があったらチェックする。それ以外に何の方法がある?」
みつる先輩の質問に当然のように答える我らが団長。せっかく、みんなで集まったというのに、何ひとつ計画をたてていないらしい。朝の十時に集合してそれでは、昼まで持つかどうかも怪しそうだ。
「ねえねえ、団長」
そんな状況でも、イツキは陽気な声をだす。
「五人でぞろぞろ歩いてても、効率悪いじゃん? だから、二つのグループにわかれたほうがいいと思うんだけど」
「うん、そうだな」
イツキのめずらしく建設的な意見に、我が団長はうなずく。
「それぞれのリーダーは、団長と、副団長であるあたし。そして、団長はしっかりしているから二人で、あたしは三人。で、あたしとキョン子ちゃんが一緒にいたら、おしゃべりに夢中になってちゃんと活動しないから、それぞれ分けたほうがいいと思うのよね」
そうまくしたてるイツキの声に、涼宮ハルヒコはうなずく。
「ふむ、一理ある」
その言葉を聞いて、イツキはニッコリと笑った。
「じゃあ、決定ね。団長はキョン子ちゃんとで、あたしはみつる君とメガネ君。これでOKでしょ?」
あれ? もしかして、はめられた? 私が呆然としていると、イツキが背中を押す。
「あんまりここにいると、ほかの人の迷惑になるからね。じゃあ、キョン子ちゃん、団長と一緒にがんばってね」
そして、私にほほ笑みかける。あの、何か期待しているのですか、この組み合わせ。
「しょうがねえな。じゃ、行くか」
我らが団長も、なぜか納得したようだ。私に声をかけて、歩きだす。まさかの涼宮ハルヒコとの二人旅に、私はあせる。
もちろん、デート気分で浮かれているわけではない。例えてみれば、砂漠にいきなり置き去りにされた気分である。イツキやみつる先輩とのんびり話しながら歩く予定が、他人のペースに合わせる気などさらさらない涼宮ハルヒコを、ひとりきりで相手しなければならなくなったのだ。これであせらないほうがおかしい。
「ほらほら、キョン子ちゃん。急がないと、団長の背中を見失っちゃうぞ」
そんなイツキの言葉にせかされて、私は歩きだす。涼宮ハルヒコはポケットに両手を入れて、そんな私たちをあきれた顔で見ていた。
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(28)「いつからこんなことやってるの?」
涼宮ハルヒコは、中学時代にモテていて、いろんな子に告白されたらしい。彼はそれを断らずに、必ず、一度デートをした。しかし、デートといっても、映画を見たり、ショッピングに付き合うというような、女の子を楽しませることをまったくせず、自分本位に街を歩きまわるだけだったらしい。
相手のことを考えずに勝手きままに歩く彼と、それを追いかけるだけの女の子。彼の背中に従うことしかできない彼女は、かわいく見せるために、精一杯おしゃれな格好をしている。でも、彼はそれを一瞥しただけで、何も言わない。もし、彼女が足をくじいたとしても、彼は気づかないだろう。しばらくしてふりかえったとき、うずくまっている彼女を彼がどんな眼差しで見るか、私にはありありと想像できる。
こうして、へとへとになった女の子に向かって、彼は最後にこう言うのだ。
「ごめん、俺、やっぱり、普通の人間に興味持てないんだ」
しかし、私たちはそんな関係ではない。そりゃ、涼宮ハルヒコは、もうちょっと女心を知るべきだとは思う。みつる先輩みたいに、さりげなく服装をほめたり、相手に合わせて歩いたりしてほしいものだ。
とはいえ、そんな物分りのいい涼宮ハルヒコになってほしくない気持ちが私にはある。涼宮ハルヒコらしさとは、他人を無視してひたすら突き進むところであり、それがためにわけのわからないものを見つけてしまったりする。そんな意外性に期待して、私は彼と一緒にいるのだと思う。
まわりから見れば、私は新たなる涼宮ハルヒコの犠牲者だと思われるかもしれないが、決してそうではない。これまで彼の犠牲になった女の子に心から同情した後で、私は声をかける。
「ちょっと、あそこの公園に寄らない?」
彼は立ち止まって、不機嫌そうに言う。
「なんでだよ」
「だって、歩きまわるだけなんて、一人でもできるし」
「まあ、そうだけどさ」
「だから、計画をたてるために、ひとまず休憩」
彼はそんな私の言葉に、明らかに面倒くさそうな表情をする。ちょっとは、私と一緒に歩くことに恥じらいとか見せてほしいものだが、やはり、私はそういうポジションにいるわけではないらしい。いったい、私は彼にとって何なのだろう。友達? 仲間? それとも、それ以外の何か?
彼をベンチにおとなしく座らせたあとで、自販機でお茶を買う。彼に声をかけるが、何もいらないと答えた。
「なあ、いつも疑問なんだが、女子のバッグって何が入ってるんだ?」
戻ってきた私に、彼はそんな声をかける。
「あんたこそ、何持ってきてんの」
「そりゃ、懐中電灯とか地図とかコンパスとか……」
彼はバッグの中をゴソゴソしてそれを見せようとする。わかったから、と私はすばやく制止する。おまえのも見せろよ、という話になると困ったことになる。
「なんだか、いろいろ入れてるみたいだけど、飲み物すら入ってないんだろ? 実用性に欠けるじゃないか」
いやいや、女の子というのは、いろいろ大変なんだ。男子にはわからないだろうが、いざというときに備えてだな。まあ、実用性には疑問があるものもいっぱい入っているけれど。
「それよりも」
彼は携帯電話を取りだして何やら操作する。すぐさま、近くで着信音が鳴る。それにあわてる音と、なんでマナーモードにしないのよ、という女子の声。
「って、あんたたち、なんで、こんなとこにいるの?」
私の言葉に、きまりが悪そうな顔で茂みから出てきたのは、みつる先輩とイツキ。ちゃっかり木陰には、長門くんの姿もある。
「いや、まあ、たまたま」
「おい、ちゃんとしろよな、みつる」
「ほらほら、みつる君、団長命令よ。さっさと街の不思議を探しに行かないと」
調子のいい声で、イツキがみつる先輩を引っぱって、遠くに去る。長門ユウキも無言で後を追う。
こうして、三人が視界から消えたあとで、涼宮ハルヒコがため息をこぼした。
「だから、みんなで仲良くっていうのがイヤなんだよ。一人でやるよりずっと疲れる」
反論できる言葉が見つからない。やはり、涼宮ハルヒコに集団行動の大切さを教えるなど、どだい無理な話だったということか。
「それにしても、いつからこんなことやってるの?」
ふと、私はそんな質問をする。
「こんなことって?」
「街の中を歩きまわって、何かを探したりすることよ」
「そうだな。レオがいなくなってからだな。こんなことやってるのは」
「レオって?」
「ああ、飼っていたシェパードの名前。白かったから、レオって名づけたんだ」
そして彼は空を見上げる。
「レオは俺にとって、もっとも親しい家族だった。決して、ペットと飼い主だなんて関係じゃない。言うなれば、レオは俺にとって、弟であり、兄だった。俺とレオとの間には、二人にしかわからない、いろんな会話があった。言葉なんて必要なかった。一緒にごろごろ寝転がってるだけで幸せだったんだ。俺にとって、それぐらい大切な存在が、レオ」
私はペットを飼ったことがないので、犬を自分の家族と見なす感覚がわからないのだが、口をはさまずに、彼の言葉を耳をすませる。
「小学六年のとき、そんなレオがいなくなったんだ。俺にとっては、兄弟が行方不明になったのと同じことだ。何かの冗談だろうと思ったが、夜になってもレオは戻ってこなかった。探しに行こうとしたら、暗いから危ないと止められた。だから、ポスターを作ろうと考えた。小六の頭で思いつくことなんて、それぐらいしかない」
私はお茶を口に運びながら、そんな話を聞いている。こんな真剣な彼の口調は、もしかすると初めて聞いたかもしれない。きっと、私よりもずっと大事な存在なんだろう。そのホワイト・シェパードのことが。
「それから、いろんなヤツを頼って、ポスターを駅で配ったり、店に貼ってもらったりした。あまりにも俺が必死だったからだろうな、数日後、親父にこう言われたんだ。『信じたくないかもしれないが、おそらく、レオは死んだんだ』。俺は泣きわめいた。そんなはずがない、と。でも、そうだよな。もし、生きてるんだったら、俺のところにぜったいに戻ってくる。どんなことがあっても、俺には必ず何かを伝えてくれたはずなんだ。だから、その次の日から、俺はもうポスターを配ったり、そういうことはやめることにした」
「つまり、レオが死んだことを受け入れたってこと?」
「いや、実はレオが死んだとは俺は信じなかったんだよ。なんていうか、普通のやり方じゃダメなんだと考えたんだ。でも、死んだと信じるふりをしないと、親は悲しむし、手伝ったヤツらにもしめしがつかない。そこからは、一人でやろうと思った。レオが生きているか死んでいるかを、俺自身が納得するために」
「じゃあ、宇宙人とかを探してるんじゃなくて、レオを探してたってわけ? それがSOS団とか立ち上げた本当の理由?」
「そういうことじゃないんだ。俺だってさ、今でもレオがどこかでピンピンしているとは思っちゃいないよ。ただ、そういう事実も起こりえることに気づいたんだ。当時の俺にとって、レオがいなくなるなんて、世界の半分がなくなるのと同じことだったからさ。それに比べりゃ、宇宙人や未来人、異世界人、超能力者を信じるなんて、ずっとたやすいことだ。俺の世界の見方が変わったんだよ。レオがいなくなってから」
うーん、それだったら、レオをよみがえらせるために、生き返りの秘術を学んだほうが、まだ現実的のような気がするだけど。私は首をかしげながら聞いている。
「例えばさ、おまえ、地球が丸いってこと、証明できるか?」
不意にたずねてきた彼の言葉に、私は少しばかり戸惑いながら答える。
「そりゃ宇宙から撮った映像があるわけだし」
「それが、本当に地球の姿だとおまえには言いきれるか」
「でも、教科書にはそう書いているし、テストに『地球が丸いだなんて僕には信じられません』と答えたら点数もらえないじゃん」
「そりゃそうだ。テストなんて、暗記力を試しているんだからな。だけど、それで納得できるかとなると、話は別だ」
「でも、そうやって信じないと、ついていけなくなるじゃん。この世界のことなんて」
そう、私のまわりには、すでにわけのわからないものに囲まれているのだ。例えば、電子レンジ。扉の中でどんなことが行われているか、私にはさっぱりわからない。でも、電子レンジの使い方はわかる。いちいち、疑問を感じていたら、きりがないじゃないか。
「実は、地球が丸いと証明する方法は、いろいろあるんだ。海から船を見てりゃわかるし、影の長さを南北異なる場所で測ってもわかる。そういうことを知ろうとせずに、ただ『地球が丸い』ことを常識として受け入れるのが嫌いなんだよ、俺は」
これが好奇心というものなのだろうか。意外にも、科学的に物事を考えていることに驚かされる。すっかり頭の中は、宇宙人や超能力者のことでいっぱいなのかと思っていたが、いちおう、科学というのも信じているのか。
「ニュートンはリンゴが落ちるのを見て、万有引力に気づいた。俺が同じ光景を見て、同じ真理に達するとは思えない。つまり、俺は世界のことを全然知らないということだ。だからこそ、俺は世界の怪奇現象を、ウソっぱちだと決めつけようとは思わない。もともと科学だって、錬金術みたいな怪しい学問から発展したものだ。俺だってあきらめなければ、いつかきっと、誰も知らない真実を見つけることができるはずなんだ。それって、とても面白いことだと思わないか?」
そんな調子だと、死ぬまで宇宙人を追いかける羽目になるのではないか。自分が納得しないと認めないなんて、大変な生き方だと、他人事ながら思う。
いや、だからこそ、彼は、バカなことをやり続けているのだろう。私が公園のベンチを求めて歩いているとしたら、彼は太陽に向かっているようなものだ。そりゃ、他人にペースを合わせる余裕がないはずだ。
もしかすると、こういうヤツが、将来、ノーベル賞をもらうのかもしれない。とすれば、人類の未来のためには、彼にとっとと宇宙人をあきらめさせて、学究の道へと向かわせるのが、私に与えられた使命なのだろうか。
「で、あいつらはどうしてるのかな」
いろいろ話をして機嫌よくなったのか、彼は軽快に携帯電話を操作して、それを耳にあてる。しかし、予想に反して、私のすぐそばで「ひゃん!」という色っぽい声が聞こえる。ちょっとちょっと、という男子の声とガサガサ動く音。まさか。
「おい、おまえら、なにやってんだよ」
てへへと笑いながら、みつる先輩とイツキが顔をだす。いつの間に、ここに戻ってきたんだ、あんたら。
「あれ、長門は?」
涼宮ハルヒコの声に、みつる先輩はまわりを見わたす。
「さっきまでいたと思ったんだけど」
「だよね。トイレにでも行ったんじゃないの?」
いったい、この二人は何を期待していたのだろう。私と涼宮ハルヒコとの間に交わされる会話なんて、面白味もなんにもないものばかりだぞ。たぶん、これからも。
「もしかして、長門君、誘拐されちゃったりして」
おどけたみつる先輩の言葉に、私は笑う。
「高校生を誘拐するなんて、そんなのあるはずないじゃん」
「でも、メガネ君の家って、大金持ちなんだよね」
イツキが口をはさむ。
「うん、あの製薬会社オーナーの息子だからね。誘拐する価値はあると思うよ」
「だったら、北高じゃなくて、どっかの良い私立に行けばいいのにね」
「まあ、長門くんは次男坊らしいから。いろいろ金持ちなりの理由があるんじゃないかなあ」
なんと。さりげなく出てきた長門くん情報に、私は驚きを隠せない。近寄りがたい雰囲気がある男子だと思っていたが、金持ちの御曹子だったとは。そりゃ、文芸部室の棚をSF小説にぬりかえることなんて、わけないことだろう。
そんな彼が、なんでSF小説なんてものを読んでいるのだろう。経営学とか帝王学とか、もっと読むべき本があるんじゃないか。
いや、だからこそ、彼はSFみたいな荒唐無稽な本を読んでいるのかもしれない。きっと、長門くんの身の回りでは、庶民にはわからない血みどろの権力争いが繰りひろげられているのだ。札束を見慣れているからこそ、奇想天外なSFでなければ、満足できなくなったのだ。私みたいな普通の女子高生だったら、ただのラブストーリーで感動できるというのに、金持ちというのも大変だな、と彼に同情する。
なかなか姿をあらわさない長門くんに、涼宮ハルヒコのいらだちが積もっているようだ。まったく、これだから、みんなで仲良くっていうのはイヤなんだよ。そんな彼の声が聞こえたような気がした。
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(29)「さすが涼宮、そこまで知っていたのか」
世の中は不公平である。いくら人権の大切さを学校で教わったところで、差別というものがなくなることはない。私はその事実を、ファミレスで改めて知った。
我がSOS団の午前活動は、涼宮ハルヒコの独白と、長門くんを待つことで終わることになったのだが、その罪を問われて、なぜか、みつる先輩が全員におごることになったのである。
これはおかしい。副団長なのだからイツキが責任を取るべきだし、さんざん待たせたあげく「悪かったな」の一言ですませた長門くんも同罪である。しかし、そんな団長の決断を、我々は拍手でむかえ、みつる先輩はトホホと首をうなだれながらも、それを承知してしまったのだ。
私が注文したのはパスタのみ。比較的安価なメニューである。しかし、隣のイツキは、なんとパフェを三つも注文した。「一度、食べ比べしたかったのよねえ」とうれしそうに彼女ははしゃいでいる。そこまでの図々しさは、私にはない。
「ねえねえ、キョン子ちゃん」
隣を見ると、パフェをたっぷりすくったスプーンが近づいてきた。
「はい、あーん」
ぱくっ。私はそれにさからわず、口に含む。とたんにクリームの甘さが体内を満たしていく。ああ、なんと心地よいことか。まるで、緑の草原でうたたねをする羊になったようだ。私の魂は解き放たれて、安らぎのパラダイスへと導かれる。
「おいしいじゃん、これ」
「そうそう、ここのイチゴパフェ、超ヤバいんだよね。でも、チョコパフェのほうも」
「どれどれ」
もぐもぐ。
「うん、これはこれで」
「でしょでしょ」
しつこくなく、それでいてコクがある。なかなか絶妙なブレンドだ。私はその甘さをぞんぶんに味わいつくす。
目の前にはミートソースのパスタ。隣からは、たえまなく補給されるパフェ。この組み合わせは失敗だったかもしれない。せめて、カルボナーラを頼むべきであったと私は真剣に後悔する。
「で、どうするんだよ、これから」
不機嫌そうな声で涼宮ハルヒコが話しかける。
「何もやることがないんだったら、俺ひとりでやるからさ」
せっかくのランチタイムも、彼にとっては、ただの栄養補給の手段にすぎないらしい。彼のハンバーグランチはほとんどなくなっている。食事に時間をかけない性格なのだろう。もう少し、食べ物のありがたみをかみしめるべきだと思うのだが。
そんな彼を満足させる言葉など、もちろん、私が持ち合わせているわけがなく、場は沈黙に包まれる。今日の街探索を提案したのは私だが、さりとて、何かをしたかったわけではない。涼宮ハルヒコが、団体行動でいつもとちがった表情を見せてくれることを期待しただけだ。しかし、それは裏切られた。やはり、彼は一匹狼にすぎないのだろうか。
そんなことを考えていると、意外な人物が発言をする。
「犬の話を聞いて思いだしたんだが」
それは、長門くんの声だった。
「涼宮、おとこ岩って知ってるか?」
「ああ」
おとこ岩? 聞きなれない言葉に私は首をかしげる。
「あそこの近くで、犬の失踪があったと聞いたことがある。もちろん、お前の犬とは関係ない話だが」
「それは初耳だな。誰がそんなことを言ってたんだ?」
「家の知り合いの者がそう言っているのを小耳にはさんだ。問い合わせてみると、その付近で起きたという」
なんだ、先ほど長門くんがいなくなったのは、そんな理由があったのか。涼宮ハルヒコと私の会話に飽きて、図書館にでも行ったのかと思っていた。
「そういう話、僕は聞いたことがないけどなあ」
みつる先輩は不満そうな声をだす。
「でも、あの近くには防空壕の跡があったよな、たしか」
「さすが涼宮、そこまで知っていたのか」
「まあ、入り口は封鎖されてるから、中には入れなかったけどな」
実に珍しいことに、長門くんと涼宮ハルヒコの間で会話が成り立っている。
「防空壕って、空襲とか避けるために、掘られた穴のことだよね。ハルヒコ君?」
「もしかして、ユーレイとかいるかも!」
みつる先輩とイツキも、その話題に乗ってきたようだ。
「まあ、空襲で被害にあったのは市街地だからな。古泉のいうように、幽霊が出てくるんだったら、この辺になるだろうよ」
「ちがうわよ、団長。人の往来の激しいところにはユーレイってものはあらわれないのよ。おそらくね、死んだあとで、防空壕に入れば助かったのに、って無念の気持ちから、転移したユーレイがいると思うんだよね」
イツキの声が、いつしか神妙なものになる。
「もしさ、そうして集まったユーレイの中に、愛犬家がいたとしたら? せめて、犬と一緒じゃないと成仏できないというユーレイがいたとしたら? そうよ、これが、おとこ岩の犬隠しの真相よ!」
そして、身体をこわばらせるイツキ。自分で幽霊を作って、それに怖がるとはたいした想像力だ。みつる先輩は、そうかもね、と笑って同意する。
「あの、話の腰を折るようでなんだけど」
しかし、話題にとり残されている私は、たまりかねて、口をはさんだ。
「おとこ岩ってなに?」
それを聞いて、場は一気に冷める。あれ? たずねてはいけないことだったのか。
「キョン子さん、遠足で行ったことないの?」
「うん」
そんな私を見て、なぜだか笑いだすイツキ。
「ねえねえ、キョン子ちゃん。どうして、おとこ岩って名前がついていると思う?」
「ちょっとちょっと」
困った顔でみつる先輩がイツキの言葉をさえぎろうとするが、私にはその理由がまったくわからない。
「あれでしょ。男の人の形をしてたりするんでしょ。もしくは、その近くにおんな岩があるとか」
「もう、キョン子ちゃんったら、かわいいんだから」
そう言って、イツキは私の背中をたたく。いや、それ、答えになっていないのだけど。
こうして、午後のSOS団の活動は、私以外の誰もがその存在を知る「おとこ岩」へと向かうことになった。もともと、オカルト目的で設立されたSOS団にとって、初めてのまともな活動だといえそうである。
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(30)「わかるけど、答えない」
我々SOS団が目指す「おとこ岩」は山の中腹にある。いっぽう、私が毎日通う北高は丘の上にある。二ヶ月足らずの登下校を経て、すっかり健脚になったと自分では思っていたが、その見こみは甘かったようだ。丘と山では、坂道のきつさが全然ちがう。
目的のバス停に降りて、二十分ほど遊歩道を歩く。私とイツキの女子組は、たちまち先頭集団から遅れ、SOS団の潤滑油こと朝比奈みつる先輩が、私たちにつきそってくれるようになった。
涼宮ハルヒコと長門くんは、すでに視界から消え去っている。あの長門くんが、涼宮ペースについているとは驚きだ。インドア派だと思っていたのだが、意外と体力あるのか。
「ここだよ」
少し前を歩いていたみつる先輩の声がする。私とイツキは、その言葉に元気を取り戻し、あわてて遊歩道を走る。
そこは、平地になっていて、展望台になっているようだ。粗末なベンチがあり、その近くに、例のおとこ岩はあった。
「キョン子ちゃん。これが、おとこ岩!」
調子のいいイツキの声を聞きながら、私はあきれ顔で納得する。ああ、そういうことか。
その岩は、天に向かってそびえ立っていた。といっても、高さは私の身長と同じぐらいである。そして、その形状は、男性のとある部分に酷似していた。
「キョン子ちゃん。おとこ岩には、別の名前があるんだけど、なんだと思う?」
「わかるけど、答えない」
きわめて平板な声を私は返す。まったく、なんでこんなものが存在するのだろう。弟のいる私ならともかく、例えば、いたいけな小学生の女の子が、この岩のことで男子にからかわれる光景を想像すると、私は胸が痛む。存在自体が悪である。撤去するように市役所に申請書を出してもいいぐらいだ。
「やっと着いたか」
奥のほうから、涼宮ハルヒコと長門くんが出てくる。
「この近くにある防空壕跡なんだが、入口が崩れていて、中に入れそうなんだ」
「まさか、団長、これからその中に入るっていうんじゃないよね?」
さっきまで私をからかっていたイツキの顔が青ざめる。
「俺はそのつもりだ」
そして、私たちを見まわして、こう言う。
「怖かったら、ここで待っていればいい。全員行く必要ないしな。なあ、長門?」
「そうだな。中は狭いから、せいぜい三人までだろう」
三人まで? エレベータじゃあるまいし、なぜ、定員を決める必要があるのかと思いつつ、私はとっさにみつる先輩を見る。
「ちょっと、みつる君はここにいてくれなきゃ」
そんな私よりも先に、イツキが声を出していた。
「えー。僕だって男なんだから、ここは入るべきでしょ?」
「実際にユーレイがあらわれて、外に出てきたらどうするのよ。あたしとキョン子ちゃんじゃ、とても太刀打ちできないし」
そんなイツキの言葉に、みつる先輩は安堵のため息をもらしたようだ。男ぶってみたものの、どうやら、あまり行きたくなかったらしい。
「わかったよ。僕はここに残ってるよ」
「じゃあ、俺と長門の二人だけってことか。まあ、そっちのほうが気楽でいいんだけどな」
「彼女はどうするんだ?」
涼宮ハルヒコのセリフに、長門くんが予想外の反応をする。そして、私のほうをじっと見る。あれ? 私、何か期待されている?
「キョン子? こんなヤツ、ついてきても足手まといになるだけだし」
しかし、涼宮ハルヒコは私の返事を待つことなく、当たり前のように、そう口にする。
おそらく、この涼宮ハルヒコの言い方が問題だったと思う。私はカチンときたのだ。
「私、行くから」
そんな私の言葉に、みつる先輩とイツキは驚く。
「ちょっと、キョン子さん」
「ユーレイ出るわよ。本気なの?」
「私、霊感はないほうだし」
そう言ったあとで、私は考える。どうせ、防空壕といっても、中はそれほど広くはないだろう。戦争が終きたのは遠い昔の話。今さら変なものが転がっているとも思えない。
それよりも、涼宮ハルヒコの物言いが許せなかった。せっかくみんなが集まっているというのに、一人で何でもしようとする彼の姿勢が。
「そんな身なりでだいじょうぶか、キョン子」
「まあ、中は広そうだから、その心配はないと思うが」
二人の言葉に私は、問題ない、とうなずいてみせる。
こうして、涼宮ハルヒコと長門くんと私の三人が中に入り、みつる先輩とイツキが外でお留守番となった。
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(31)「水、いらないか?」
「おかしいな」
ようやく、涼宮ハルヒコがつぶやいた。
中に入ってから、もう三十分以上はたっただろうか。かなりの距離に達しているはずなのに、地肌の露出している道は、果てしなき闇へと私たちを導いている。いったいどのあたりを歩いているのか。まったく、見当がつかない。
「なあ、長門。昔、ここって炭鉱だったりしたのか?」
「そういう話は聞いたことがない」
長門くんが短く答える。
「うん、そうだよな。それならば、照明などの人工物があってしかるべきだ」
涼宮ハルヒコはそれから壁面にふれる。
「しかし、土は乾いている。水の通り道でもなさそうだ。そして、この穴の広さ。人が直立歩行できる大きさを保ち続けている。不自然だ。きっと、ここには、何かがある」
私はそんな彼の興奮気味な声を聞きながら、壁にもたれかかる。おそらく、私のおめかしした服は、泥だらけになっているだろう。
「涼宮、そろそろ引き返さないか」
長門くんがそんなことを言っている。
「いや、まだ帰るわけにはいかない。あんなふうに入り口があいていたのはおかしい。ここを調べるチャンスはもう二度とないはずだ」
「しかし、彼女が」
長門くんは私を指さしている。
「ん、キョン子か? そうだな、もう帰ったほうがいいんじゃないか」
私はそれをだまって聞いている。そんな無表情な私に、彼は声をかける。
「心配するなって。デジカメは持っているからさ。もし、何か見つかったら、証拠写真はバッチリ撮っといてやるよ」
懐中電灯の明かりだけではよく見えないが、きっと彼は晴れやかな笑顔を見せているのだろう。
「涼宮、俺もここで引き返す」
この長門くんの声には、さすがの彼も驚いたようだった。
「おまえもか?」
「彼女はライトを持っていない。一人で帰すわけにはいかない」
涼宮ハルヒコは、少しばかり、私と長門くんを交互に見たあとで、こう答えた。
「そうか。じゃあ、長門、キョン子をよろしくな」
そして、歩きだす。彼の背中はたちまち暗闇に同化し、彼の照らす光だけが少しだけ目に映った。
私は腰を下ろし、膝を抱える。ずっと不安定な道を歩いていたせいで、足の震えが止まらなかった。
「しばらく、休もう」
長門くんがそう声をかける。他人に無関心な彼の優しい言葉が意外だった。いや、長門くんですら、私の異変には声をかけずにいられなかったのだろう。それでも、涼宮ハルヒコは前に進むのだ。たとえ、一人になったとしても。
長門くんは携帯電話の電波状況を調べているようだ。外で待っているイツキとみつる先輩は心配しているだろう。もっと早く、私の口から「帰る」と言うべきだった。それが、誰にも迷惑をかけない方法だったのだ。どうせ、涼宮ハルヒコは「そうか」と答えるだけなのだから。
まったく、私は何を期待して、こんなところに入りこんだのだろう。もし、長門くんがいなければ、私はどうなっていたのだろう。
例えば、涼宮ハルヒコと二人で、見知らぬ世界に取り残されたとする。彼はただちにその世界を探検するだろう。私は一人がイヤだから、それに付き従おうとするけれど、彼ほどの行動力は私にはない。だから、今のように取り残されてしまうのだ。結局、私は洞窟の奥でお留守番をするしかない。
アダムは世界を探検し、イブは洞窟で見えざる敵におびえながら帰りを待つ。洞窟の中で、アダムは冒険した土地のことを話し、イブはただそれを聞く。ある朝、アダムはいつものように洞窟を出る。しかし、日が暮れて戻ったとき、イブはもういない。彼が留守の間に、獰猛な獣に襲われてしまったのだ。アダムは悲嘆にくれる。しかし、彼はこうも思うだろう。いったい、俺に何ができたのだ、と。
多分、涼宮ハルヒコみたいな人間に、私は何も期待してはいけないのだ。イツキやみつる先輩と同じく、私は待っていれば良かったのだ。でも、彼の冒険譚に耳を傾けるだけで、私は満足できるのだろうか?
「水、いらないか?」
長門くんがそう声をかけてきた。私は彼のことを、ほとんど何も知らない。毎日、部室でSF小説ばかり読んでいる製薬会社オーナーの御曹子。でも、今は頼れる存在は彼しかいない。好意に甘えて、何の警戒心も抱かずに、私はペットボトルを口に運ぶ。
しかし、すぐさま、私の身体には異変が生じた。手足が痺れ、するりとペットボトルが落ちてゆく。長門くんはそんな私を見ている。何か口を動かしているようだが、その言葉がうまく聞き取れない。
ふと、私はあることに気づく。公園で行方をくらましていた彼。ファミレスでの提案。そして、果てることのないこの洞窟の道。すべての鍵をにぎっているのは、この長門ユウキなのだ。
つまり、私が陥っているこの状況は、彼の仕組んだ罠なのか?
その答えを見出せないまま、私の視界はぼやけ、やがて、私はすべての感覚を失った。
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(32)「あいつは、どこにいるの?」
夢を見ていた。
私は空を飛んでいた。誰かの手をにぎっていた。隣を見ると、涼宮ハルヒコが「ん?」という顔で私を見た。彼の背中には翼が生えていた。なるほど、彼は天使だったということか。
見下ろすとアマゾンのような曲がりくねった川と密林が、地平線の彼方まで広がっている。実に雄大である。ドキュメンタリ番組のエンディングでよく見る風景だ。
どうやら、私には翼が生えていないらしい。彼とつないだ手を放せば、ただちに私はこのジャングルにまっさかさまだろう。しかし、不安な気持ちは無かった。隣の涼宮ハルヒコがとても機嫌よさそうに飛んでいるからだ。
「もうすぐだ」
彼はそんなことを口走る。私たちはどこかに向かっているらしい。宇宙人の秘密基地か、超能力者のアジトか、それともロマンティックな天空の城か。それらしいものをいろいろ考えてみるが、私の想像力では、漠然としていて、きちんとしたイメージを浮かべることができない。
だから、私は下の雄大な景色を見ようとする。しかし、そこにはメガネをかけた長門くんの無表情な表情があった。
そうだ! 私は彼に毒を盛られたのだ。
長く続く暗い洞窟で、涼宮ハルヒコに取り残されて、長門くんと二人きりの状態で、私は倒れてしまっているのだ。大ピンチである。空を飛んでいる場合ではない。私はすぐさま、そのことを涼宮ハルヒコに伝えようとする。
しかし、それが致命的だった。私は彼とつないでいた手を放してしまったのだ。あっという間に、私は墜落する。涼宮ハルヒコはそんな私を見ながら「ん?」という顔をしている。そして、そのまま飛び去っていく。そう、彼は私にそれほど興味がないのだ。
私は落ちる。私の背中には翼もパラシュートもない。このままでは地面に激突してしまう。密林であったはずの大地は、今や、白い光源になっている。私はその光に吸いこまれていく。身体が言うことをきかなくなっている。これはヤバい。私はあせる。あの光に、引きこまれてはいけない。身体中の力をふりしぼる。死にたくない。死ぬわけにはいかない。だから、私は叫んだ。
「助けて!」
目を覚ます。白い光源は私の顔を照らし続けている。どうやら、私は助かったみたいだ。私はぼんやりとその明かりの輪郭をなぞる。やがて、それは形をなす。シャンデリアのようだった。あれ、シャンデリア?
「キョン子ちゃん」
私を呼ぶ声がする。身体を起こすと、イツキが抱きついてきた。
「もう、心配したんだから」
どうして、イツキがいるのかわからなかった。でも、その感覚が確かなものだったから、私も抱きしめる。彼女の身体はあたたかく、いい香りがした。
そんな抱擁のあと、私はまわりを見わたす。優雅に丸まったカーテンと、壁にかけられた踊り娘の絵。
「キョン子さん。だいじょうぶなの?」
そして、みつる先輩。向こうでは、長門くんが誰かと話しているようだった。
私が寝ているベッドは、両手を伸ばしても届かないぐらいとても大きく、そして、やわらかかった。こげ茶色の壁と、赤いじゅうたんの色彩が目に優しい。陶器の花瓶と、ピンクの薔薇もある。なかなか豪華な部屋だ。
「それにしても、ここ、どこ?」
「長門君の家だよ」
私の質問にみつる先輩が答える。
「びっくりしたでしょ? こんなゴージャスな部屋!」
うれしそうにイツキが声をかける。
私はもう一度、部屋を見渡す。やはり、彼はいない。
「あいつは、どこにいるの?」
私の質問を聞いて、イツキはたちまち表情をくずした。
「団長はいないわよ。ここにいるの、教えてないし」
イツキはしかめっつらになっている。
「キョン子ちゃんの分は、たっぷり怒ってあげたから。今回ばかりは許せなかったからね。キョン子ちゃんのことを考えずに、なにが団長よ」
どういうことだ? 私が意識をなくしたのは、長門くんに何かを飲まされたせいで、別に涼宮ハルヒコがどうのこうのというわけじゃなくて。
「キョン子さんは倒れてたからわからないかもしれないけどさ。あれから、長門君が家の人を呼んで、そしてここまで運んでくれたんだ。だから、まず、長門君にお礼を言わないと」
「そうそう、メガネ君がこんなに頼りになるとは思わなかったわよ。ずっと、キョン子ちゃん背負ってくれたしさ」
ええと、よくわからないが、私は長門くんに恩を着せられたのだろうか。私の記憶だとその逆なんだけれど。
そんなことを考えていると、白衣姿の女性が近づいてくる。看護士というより、医者らしい雰囲気である。わざわざ、家に来てくれるとは、さすが金持ちだ。医者なんて、病院にしかいないと思っていた。
「ちょっと、脈をはからせてね」
女医さんは、そんな言葉をかける。私は抵抗なく手をさしだす。
「身体で痛いところとかはない?」
「いえ、特に」
「じゃあ良かった。問題ないみたいね」
その言葉に、みつる先輩とイツキは安堵のため息をもらす。でも、私は納得いかなかった。
「あの」
「どうしたの」
「私、なんで倒れてたのですか?」
そうたずねると、女医さんは身を乗りだして、私にしか聞こえない小声でこう言った。
「あなた、ろくに運動していないでしょ? そんなことじゃ、坊ちゃんについていくこと、できないわよ」
坊ちゃん? ああ、長門くんのことか。これまでの日常からあまりにも離れた世界に戸惑いながら、私はなおも続ける。
「いや、そういうんじゃなくて、私が倒れた本当の理由って何かないですか?」
「本当の理由?」
例えば、睡眠薬を飲まされたとか、と言おうとしたが、私の理性がおしとどめる。
どうして、長門くんが私を眠らせる必要があるのだろうか。ひょっとして、私に何かいたずらしようとしたのかと考えてみたが、身体にそんな違和感はない。
「とにかく、今日は安静にしてね。明日になったら、体力も回復してるから」
女医さんはそういって、立ち上がる。とりあえず、ありがとうございました、と声をかける。
気づけば、私の近くの棚にケーキと紅茶が運ばれてきた。運んできたのは、なんと、長門くんだった。
「あの、ありがとね。長門くん」
「いい」
あいかわらず、短く彼は答える。どうも、彼の態度に、やましさというのが感じられない。私に毒を盛ったとは、とてもじゃないが、考えられない。
やはり、あれは私の邪推にすぎないのだろうか。あのときの私は疲れていたし、水分を補給して、何らかの化学反応を起こして、意識を失ってしまったということもありえる。あまり聞いたことのない話だけど。
私は時計を見る。もう五時をまわっているようだ。
「そうだ、母さんに連絡しないと」
「心配しなくていい。こちらから、家には連絡しておいた」
長門くんが答える。いたれりつくせりだ。彼にこんな気がきいたことができるとは驚きだった。涼宮ハルヒコと同類だと思っていたのだが、みつる先輩よりも頼りになりそうではないか。
もし、長門くんが悪者ではなかったとしたら、涼宮ハルヒコは非難されてしかるべきだろう。長門くんが私を背負って出てきたときも、彼はまだ洞窟を探検していたはずだから。
探索を終えた涼宮ハルヒコが出てきたとき、すでに私たちの姿はなかったのだろう。そして、途方にくれて電話をしたとき、イツキにたっぷり説教されたというわけだ。団員が倒れそうになったのに気づかなかったのは、団長の責任じゃないかと。
でも、私は彼を憎むことはできなかった。むしろ、自分が申し訳ない気持ちになった。私がもっとしっかりしていたら、誰も傷つけずにすんだのに。まさか、長門家を巻きこむほどの大事になるとは思わなかった。
結局、私たちは豪華な長門くん宅で、六時まで過ごすことになった。食事の用意もしてくれていたみたいだが、それは断った。帰りは車で送ってもらった。イツキやみつる先輩が、長門邸についていろいろ話しているのを、私はただ聞いていた。涼宮ハルヒコの名前は、二人の会話にはまったく出てこなかった。
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(33)「ねえ、イカロスって知ってる?」
「引き返そうと思ったんだ」
月曜の朝、席につくと、涼宮ハルヒコのほうから声をかけてきた。
「おまえが何にも言わなかったからさ。これまでの経験上、そんなときはロクでもないことが起こる」
あのバニーガール騒動のことを言っているのだろうか。その性癖には我ながら思い当たるふしがあった。
「こんなこと言っても信じてもらえないだろうけど、あれからすぐに俺は戻ったんだ。ところが、おまえたちはいないし、出口にもなかなかたどり着けなかった。どう考えても、おかしかったんだ」
言い訳をしているのか、問題提起をしているのかわからなかったので、そのことについては答えないことにした。
「とりあえず、みんな無事だったわけだし。それでいいじゃん」
「いや、俺はしばらくあそこについて調べようと思う。このままじゃ納得いかない」
「また、あそこに行くつもり?」
「もちろん。これからは、俺ひとりでやるよ。部活は休みにでもなんでもしてくれ」
今回のことで、団員の信用度が低下したことに、彼は気づいていないのだろうか。いや、だからこそ、彼はこの謎を解明することが自分の使命だとわりきっているのかもしれない。以前、私がSOS団を辞めたときと同じように。
「ねえ、なんでSOS団なんてものを立ち上げたの?」
次の休み時間、私はそんな疑問を口にしてみた。彼はノートによくわからない図形を描いていた。昨日の探検成果を彼なりにまとめているようだった。
「どうして、そんなことをきくんだ?」
「だって、一人でやるんだったら、部活である必要ないんじゃないの?」
「でも、一人じゃできないこともあるからな。例えば、おまえを助けたときのこととか」
そうだ、私はSOS団四人に助けられたという経歴の持ち主なのだ。
「それに、いろんな人の情報源を集めるには、個人では限界がある。今のところ、みつるにそそのかされた女子ひとりきりだけど、俺たちの知名度が上がれば、もっと多くの目撃情報が寄せられるはずだ」
「つまり、私たちは、部室で誰かが不思議な体験談を持ちこむのを、ただ待てばいいってこと?」
「そういうことだ」
もう少し、チームプレーとか考えつかないのだろうか。みんなで図書館に行って調べれば、意外とあの洞窟にまつわる話が見つかるかもしれないし。
そういえば、こいつ、何よりも大切な存在として、レオとかいう飼い犬を持ちだしていたっけ。もしかすると、私やみつる先輩は、犬ぐらいにしか思われていないのかもしれない。でも、私には犬のような脚力や従順さはないわけで。
「ねえ、イカロスって知ってる?」
私はそんな質問をする。
「ああ、勇気ひとつを友にしたヤツだろ」
「あんたを見たら、イカロス君のことを思いだすのよね」
「どうしてだよ」
彼は首をかしげている。まったく心当たりがないみたいだ。
イカロス君は、蝋で作った羽根で空を飛び、そのまま太陽をめざしたものの、蝋が溶けて墜落した愚かな古代ギリシャ人である。歌では、彼の勇気をほめたたえていたが、私はバカな男だと思ったものだ。涼宮ハルヒコには、そんなイカロスと通じる、危なっかしさがある。
でも、私には彼が太陽に向かうことを止める妙案が浮かぶことはなく、放課後になると、いつものように部室に足を運んでしまう。
すでに、残りの三人は集まっていた。みつる先輩とイツキは将棋の山くずしを真剣にしている。いつの間に将棋部になったんだ、ここは。
私が団長の欠席を告げても、三人が帰る気配はない。どうやら、涼宮ハルヒコがいなくても、この部は成立するらしい。
「みつる先輩って、なんで、ここにいるの?」
山くずしの勝負がついたあと、私がそうたずねると、みつる先輩は驚いた顔をした。
「もしかして、僕、ジャマ?」
「いや、そんなことないけど、ほら、入部のときなんて、無理やり連れてこられたみたいだし」
「でも、面白そうだったからね。今も、みんなといると楽しいし」
みつる先輩はあっけらかんと答えてくれる。ううむ、私もその境地に達したいものだ。
みつる先輩とイツキは、それから将棋の駒を転がして、すごろくみたいなことをして遊んでいる。私も誘われたが断った。私はイツキと曖昧な会話をしながら、誰かを待つわけでもなく、ただ部室にいた。
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(34)「本気も本気、マジ本気」
「メガネ君が?」
帰り道、私はイツキにだけ、あの憶測を話すことにした。防空壕で、長門くんの渡したペットボトルの中身を飲んだあと、意識を失ってしまったことを。
「ねえ、イツキちゃんは、毒を盛るとか、そういうことがありえると思う?」
「うーん、ありえない話ではないわね」
意外とすんなりとイツキは私の言葉を受け入れる。
「どうして?」
「だって、メガネ君、キョン子ちゃんにホレてるみたいだし」
「へ?」
予想外の言葉に、私は取り乱してしまう。
「あの、メガネ君って、長門ユウキくんのことだよね?」
「うん、そうよ。ああいう子ってわかりにくいんところがあるんだけどさ、キョン子ちゃんのことを好意的に見ているのは、まちがいないね」
「でも、私には心当たりがまったくないし」
もし、長門くんにそんな気があったら、指定席でSF小説をおとなしく読んでいるはずがないじゃないか。みつる先輩に嫉妬して、今度は俺の番だ、と腕まくりして、私とオセロゲームをするぐらいことは見せてくれないと困る。
「まあ、キョン子ちゃんは知らないふりをすればいいんだよ。時機がきたら、向こうからアタックしてくるだろうしさ」
長門ユウキアタック。いったい、どんな攻撃だろう。二人きりの部室で、いきなり、あの長門くんが告白してくる姿を想像する。ダメだ。イメージがわいてこない。
「まったく、キョン子ちゃんモテモテだよね。メガネ君に好かれるし、団長にだって」
イツキはそう茶化すが、私は素直に喜べない。
「だから、そんなんじゃないって。だいたい、あいつとはロクなこと話してないんだし。イツキちゃんは、公園のベンチでの話、聞いてたよね?」
「うん。ああいうことって、普通の子には話さないじゃん。それだけ安心できる間柄ってことよ。団長相手にあれだけ会話が続くなんてキョン子ちゃんぐらいのものよ」
「でも、それは友達とかそういう関係で、恋人っていうのとは全然ちがうんじゃないかなあ」
はっきりいって、友達というのも怪しいぐらいだ。勝手気ままに話している彼の言葉を聞いているだけだし。
「ふうん、そっか」
イツキは人差し指を唇にあてて、なにやらたくらんでいるような顔をする。
「じゃあ、あたし、団長とっちゃおうかな」
「え?」
いきなり何を言いだすんだ、イツキちゃん。
「だって、団長って、なかなかいい男と思わない? 人のことを考えないバカだけど、それぐらいのひたむきさがあるし、団長の考えこむ横顔ってカッコいいんだよね」
「で、でも、そんなこと、これまで言ったことないし……」
「甘いわね、キョン子ちゃん」
イツキは私に人差し指をつきたてる。
「あたしは、恋愛よりも友情が大事だなんて言うつもりはないよ。キョン子ちゃんがいくら泣きわめいても、本気でとりに行くからね。そう、恋愛は仁義なき戦争なのよ!」
「ほ、本気なの?」
私の声は、ちょっと震えているようだった。
「うん、本気も本気、マジ本気」
胸の鼓動がはやくなる。イツキは美人で、こんな性格だ。まわりに誤解されているけど、SOS団のみんなは、そんなイツキの気まぐれさを愛している。もし、イツキがその気になれば、あいつが断る理由があるのだろうか。友達なのか犬なのかよくわからない立場の私と、副団長としてスカウトされたイツキ。勝てる見こみがどこにもない。私が男子だったら、迷わずイツキと付き合うだろう。
そして、恋人になった二人は、部室でも仲良さそうに話をしているのだ。私はそんな二人の会話をBGMに、みつる先輩とオセロゲームをやり続ける。勝負に熱中しているふりをするためにしかめっつらをして。でも、いつまでたっても、みつる先輩には勝てなくて、二人の言葉がとぎれることはなくて。
「……イヤだ」
私は子供っぽい声を出した。
「だって、そんなの、ずるい」
私はそんな幼稚なことを言っている。あれ? SOS団を一度やめたとき、イツキがいるから安心できるといったのは、この私じゃなかったっけ。
「なーんて、冗談」
私の言葉にイツキはにっこりと笑う。
「あたし、今のところ、恋愛する気ないの。五人でいるのが楽しいし……あれ? キョン子ちゃん、もしかして、泣いてる?」
「そんなことない」
私は顔をそらす。手で目をこする。何かしめっていた気がするが、そんなはずがないと思う。
「私、泣いてなんかないからね」
「もう、キョン子ちゃんったら、かわいいんだから」
そして、私に抱きつく。おいおい、ここは天下の公道だぞ。まわりの人が見てるって。あいかわらずの気まぐれなイツキの行動に私は大いに困惑する。
「キョン子ちゃんさ、そんなにあせったりすることはないんだよ。自分のペースでしっかり歩いていけばいいんだよ」
私をなぐさめるように、彼女は語りだす。
「あたしさ、小学生から中学のときまで、ちやほやされてたんだよね。ずっと年上のヒトたちに囲まれて。だから、同級生がガキっぽく見えてさ。学校で友達がいなくても平気だった。あのヒトたちのところが、あたしの居場所なんだって」
彼女はそして、長いため息をつく。
「でもね、どんどん変なことにまきこまれてしまったのよね。あたしはただ、あのヒトに会いたかっただけなのに、それさえもうまくいかなくなって。最終的には、そのヒトのことが信じられなくなって、やめちゃったんだ。そしたら、それまで仲がいいと思ってたヒトや、心から慕ってたヒトも、あたしを相手にしなくなった。そう、その立場を失えば、あたしはただの中学生なのよね。みんな、てのひら返すように、あたしを無視するようになった」
私に気を使っているのだろうか、あえて具体的な言葉をさけるように、イツキは話し続けている。
「で、あたしは学校にしか居場所がなくなった。だけど、成績はどん底だし、部活には顔を出してないし、変なウワサは流されてるし、あたしの相手をしてくれる子は誰もいなかった。だから、あたしは気づいたわけよ。たとえ、男のヒトと付き合ったって、どこかに連れてってくれるわけじゃないんだって。いろんなことをしても、最後は自分しかいないんだってね。それからね、あたし、勉強するようになったんだ。キョン子ちゃんはどうかわからないけど、あたしはすごくがんばって、北高に入ったんだよ。知り合いの先輩、もちろん女子だけどさ、そのヒトが北高に通っていたからね。そのヒトだけが頼りだったの。でも、三年生だし、あんまりかまってもらえなくて。そんなときかな、団長があたしに声をかけたのは」
そんなイツキの真剣な口調に、私はじっと耳をかたむける。彼女が大人っぽいのは、その外見だけじゃなくて、いろんなことを体験したせいだと思いながら。
「そんなことがあったから、あたしは、キョン子ちゃんには、あわてたりしないで、じっくり進んでほしいんだ。あたし、キョン子ちゃんのいいところっていっぱい知ってるんだから」
そうかな、私ってどこにでもいるありふれた女子だと思うけど。
「ほらほら、そんな顔をしないって。女の子はね、そのときが来たら身体が教えてくれるんだよ。だから、そのときまで、自分をしっかり守っていけばいいんだって」
そして、イツキは機嫌よさそうに歩きだす。私をはげましたかったのか、それとも、自分が気持ちよくしゃべりたかっただけなのか。どちらなのかよくわからないけど、私はそんな彼女と一緒に歩いていった。
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(35)「えー、前は気合入ってたじゃん」
「キョン子ちゃん、電話だぜ!」
それから数日後、自分の部屋でくつろいでいたとき、下から弟の声がした。最近、言葉づかいが乱暴になったことで有名な小学五年生の我が弟である。
「男だよ、オトコ」
やたらとうれしそうに弟は騒ぐ。とんだマセガキである。
私に電話をかける男子なんて、SOS団員ぐらいしか思いうかばない。彼らにはすでに携帯電話の番号を教えている。いったい、誰なのだろう。興味しんしんな弟の襟をつかんで追いだしたたあと、受話器を手に取る。
「もしもし」
「ああ、俺だ」
「長門くん?」
予想外の声に私は驚く。ふりむくと、弟がそんな私の態度に、声をださずに笑っていた。軽く蹴りを入れて、ふたたび受話器に向き合う。
「どうしたの?」
「実は、今日の晩餐をともにしたいのだが」
はあ? 長門くんの誘いに、私は言葉を失う。イツキの予想は外れていなかったということだろうか。それにしては、話が唐突すぎるのだけれど。
「先日は君の体調のこともあり、夕食をともにできなかったのが残念だと、両親が言っていてね。あらためて俺の家に招待しようという話になった」
なんだ、さすがにデートの話ではなかったのか。しかし、長門くんの両親といえば、とてもお金持ちだ。デートよりハードル高いんじゃないか。
「でも、今日は……」
あまり乗り気になれないが、長門くんには恩がある。なんといえばいいのか思いあぐねてみると、何かジェスチャーをしている弟の姿を見えた。ゴーゴー、と言っているみたいである。事情を知らずに何がゴーゴーだ。私は思いきり弟をにらみつける。
「もし、良ければ、車を手配するから心配いらない」
いや、そういう心配はしていないのだけれど。しかし、車を用意するとは、さすが金持ちである。
「それで、みつる先輩やイツキは」
「いや、今日は君ひとりを招待したい」
うーむ、と私はうなる。なぜ、長門くんの親が、私なんかを誘うのか。罠ではないと思うが、素直に好意に甘えるのにはためらいがある。だが、断る理由が私には思いつかない。
いや、このままうやむやにしていては、イツキの推測が本当かどうかを調べることができなくなってしまう。普段の長門くんは観葉植物に等しいほど、寡黙な男子である。もし、長門くんが両親を誤解させるようなことを言い含めていたとしたら、私の口から否定するより他ない。そう考えると、今回の誘いはチャンスではないか。
「わかった。親に話してみる」
「じゃあ、三十分後に迎えが来るから、待っておいてほしい」
こうして、電話を切った。すると、やったー、という弟の声がする。
「キョン子ちゃん、これからデートなの? ねえねえ」
「あんた、人の電話を盗み聞きするのは良くないって教わらなかった?」
「いいじゃんいいじゃん。それより、どんな人?」
「うるさい」
私は弟の頭をおさえようとしたが、するりとかわされてしまう。すぐさま、母に報告しているようだ。小学五年になってから、これまでの力でねじふせるやり方がうまくいかないことがある。今後、姉の威厳を保つにはどうすべきか、悩ましいかぎりである。
私は母にこのことを話して、二階の自分の部屋に入る。残り時間はあと三十分。さて、どんな服を着ていくべきだろうか。といっても、私にはおめかしをするかしないかぐらいの選択肢しかない。
そんなふうに悩んでいたら、私の携帯電話がブルブル震えだしていた。涼宮ハルヒコという表示だ。
「もしもし」
「ああ、俺だ」
長門くんと同じ返事である。
「どうしたの、わざわざ」
「いやさ、あの防空壕についてなんだけど、長門が何か言ったせいか、また入り口がふさがれちまってさ。一人で何とかしようとしたんだが、どうもうまくいかないんだ。そこで、おまえに……」
どうやら、彼はあいかわらずのようである。そんな要件で、私がわざわざ足を運ぶと彼は本気で思っているのだろうか。
「ごめん、今日、これから約束があって」
「何の約束だよ」
「なんでもいいじゃん」
「でも、おまえ、気にならなかったのか、あそこのこと?」
なかなか引き下がらない彼の声に、私はいらだってしまう。
「だから、これから、長門くんの家に行かなくちゃいけないの!」
この言葉には、さすがの涼宮ハルヒコもあせったようだった。
「おい、なんで、おまえが長門のところに」
「だって、あのとき、長門くんのお世話になったし」
「で、でも」
「今、その準備で忙しいから。ごめんね」
きちんと説明するのも面倒なので、電話を切る。あいつには、自分の思い通りに他人が動くものではないことを知らしめなければならないと思う。
結局、空回りするのも恥ずかしいので、服はありふれた格好にすることにした。私は長門くんの友人にすぎないのだ。変におめかしをして誤解されるのもイヤだし、私程度のおめかしなんて、長門家からすれば物笑いの種になってしまう可能性が高い。私は庶民らしい服装をするしかないのだ。
そんな格好には、弟ですら「えー、前は気合入ってたじゃん」と不満げだった。まあ、小五の弟にはわかるはずもないだろう。世の中はいろいろ複雑なのだ。
母に用意してもらった手土産を持ち、こうして、私は長門邸へと向かうことになった。
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(36)「はぁ?」
家に帰り、うるさい弟をおしのけて、部屋に入り、服を着替える。時間は八時前だった。
長門家の食卓は、いつもとちがう雰囲気に、ついつい緊張してしまって、何をしゃべったのかは覚えていない。怖れていた長門くんアタックもなかったし、長門ペアレンツは金持ちとは思えない良い人たちだった。どうやら、私の取り越し苦労だったらしい。
さて、宿題をしようか、風呂に入ろうかと迷っていたとき、携帯電話が光っていることに気づいた。私は出かけるときに、それを持っていくのを忘れたのだ。
見てみると、イツキからのメッセージで、
「ゴメン、団長に話しちゃった。てへ」
そのあとに、かわいらしい顔文字がずらりと並ぶ。それで謝っているつもりなのか。
今度は、着信記録を見てみる。すると、びっしりと並んだ「涼宮ハルヒコ」の名前。私が長門家で晩餐していたときに、彼はひたすら私に電話をかけてきたようなのだ。
いったい、これが何を意図しているのか。まさかなあ、と思いながら、両手で頬杖をつく。すぐさま、携帯電話が鳴った。何も考えず、それを取る。
「もしもし、キョン子か?」
やたらと早口な涼宮ハルヒコの声。
「そうだけど」
「今、どこだ?」
「家にいる」
「帰ったのか」
「そう」
そんな短いやり取りのあと、彼はこう言い放った。
「今から、おまえの家に行くから、待ってろ」
「今から?」
もう外は真っ暗だ。いったい、こいつは何を言っているのだ。
「ちょっと待ってよ」
「待ってろよ」
ほぼ同時に正反対の声が交わされ、電話が切れた。問答無用とは、まさにこのことだ。
いちおう、着替えなければなるまい。こう言いだしたときの彼が制御不能なのは、これまでの経験で十二分なほど知っている。でも、いったい何をするつもりなのだろう。
私が着替え終わると、携帯が震える。確認してみると、メールでただ一言「着いた」
窓を開けると、自転車に乗った涼宮ハルヒコが手を振っている。元気なヤツだ。そもそも、なんで私の家を知っているのか。どうやら、私に逃れるすべはないようだ。
私は今から行くから、とジェスチャーで合図して、窓を閉める。
そろりとドアを開け、階段を下りる。こんな夜中に外出するとなると、親にいろいろ問いつめられることはまちがいない。忍び足で廊下を歩いていると、弟がバッチリ待ちかまえていた。
どこ行くの? と無邪気にたずねようとする弟の口をすばやくおさえる。ジタバタもがく弟をなんとかおさえながら、耳元でささやく。
「秘密にしといたら、今度、アイスおごってやるから」
「そんなんじゃ、らめぇ!」
私の手に唾を飛ばしながら弟は言う。この期に及んで、交渉しようとしているようだ。
「じゃあ、あんたの好きな漫画買ってやるから」
それにうなずく弟。痛い出費だが仕方ない。
こうして、私は家を出る。夜遊びに縁のない私にとって、こんな門限破りは片手の指で足りるほどしか経験していない。
「よっ」
それでも、さわやかにほほ笑む涼宮ハルヒコ。こういうことが、どれぐらい私に迷惑をかけているか、彼は考えてくれているのだろうか。
「まあ、乗れよ」
彼は荷台を指さす。二人乗りで行くらしい。
二人乗りは嫌いだが、自転車を取りに行って物音を立てると、家族に気づかれるおそれがある。仕方なく、私は荷台にまたがる。
「そう乗るのか?」
彼の疑問に私は首をかしげる。
「いや、女の子って、横乗りに座るもんじゃないかって」
「なんで?」
私だって、二人乗りについては、多少の知識がある。横向きに座るのは、バランスは取れないし、視界も悪い。良いことなんて何もないのだ。
「いや、いい」
そして、彼はこぎはじめる。私はとりあえず彼の肩をつかむ。
「いったい、どこに行くつもり?」
「学校」
まさか、二人乗りで、あの坂道をのぼるというのか、こいつは。
なぜ、今でなければならないのか。なぜ、学校なのか。いろいろ疑問はつきないが、そんな答えを用意するほど親切な涼宮ハルヒコではない。きっと、行けばわかるのだろう。深く考えるのはやめることにした。
二人乗りとはいえ、体力には定評がある彼のこと、自転車のスピードは勢いを増し、風を切り裂くように進む。私は景色を見るゆとりもなく、彼の腹に手をまわしてしがみつく。彼の背中は、ちょっとゴツゴツしていているが、頼りがいはあった。
私を乗せた涼宮ハルヒコ号は、ついに学校前の坂道にたどり着く。たちまち、スピードはがくんと落ちる。彼は私の両腕をふりきろうとするかのように懸命にこぐが、さすがの彼を持ってしても、坂道を上りきるのは無理なようだった。
私はあきらめて、すたっと降りた。彼はバランスをくずしそうになりながらも、よろめくぎりぎりで持ち直して停まった。
「おい、降りるなら、降りるって言えよ」
「いいじゃん。どうせ、無理っぽかったんだし」
そして、私たちは歩きだす。
「ねえ、夜の学校に行って、なにをするつもりなの?」
「いや、べつに」
「防空壕のことは?」
「そのことはもういいんだ」
「で、今、学校に行かなくちゃいけない理由があるの?」
「なんていうか、そこしか思いつかなくて」
「なんの?」
「はじまりの場所」
彼は妙に詩的な表現をする。
「なあ、キョン子、長門の家に行って、何やったんだ?」
「私が?」
「ああ」
「べつに」
「べつにってことはねえだろ?」
彼の口調が激しくなる。私はだんだんいらだってきていた。
「そんなの、あんたに関係ないじゃん」
「ある」
彼は断言する。そして、一息を入れたあと、衝撃的発言をした。
「なぜなら、俺はおまえのことが好きだからだ!」
夜十時近くの学校に至る坂道の途中、自転車を押したまま、涼宮ハルヒコは高らかにそう言い放った。
私は答えた。
「はぁ?」
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(37)「だから!」
まるで決壊したダムのように、彼はしゃべり続けていた。ここからは、星がよく見えるんだ、あれが北極星で、あれがカシオペア座で、などなど。これだけの無数の星があって、それで何もないなんておかしいじゃないか、そういうロマンをおまえと分かち合いたいんだ、うんぬん。
ほとんど人通りがなかったとはいえ、道路で涼宮ハルヒコの独演会を聞かされるのはたまらなかったので、近くにある公園に移動する。その間も、彼はいろいろ語り続けている。
こいつはいつもそうだ。なんで、道端で告白なんかするんだ。学校に行くんじゃなかったのか。思い立ったら、即行動。私のことなんて、ちっとも考えていない。
おそらく、イツキに何か言われたのだろう。私が長門くんにとられそうだから急げとか、星空の下でロマンティックに告白すべしとか。そんなことを言うイツキもひどいが、それを実行する涼宮ハルヒコはもっとひどい。
まるで、お気に入りのおもちゃが奪われて泣きわめく子供と同じじゃないか。
そんな私の思いをよそに、彼の言葉は熱を帯びてくる。おまえがいなければ、SOS団が成り立たないように、俺にとっても、おまえがいなくちゃいけないんだ。俺はおまえにそばにいてほしい。そうだよな。いてくれるよな?
冗談じゃない。私はまだ一言もしゃべっちゃいないんだぞ。
「だから!」
彼は私の両肩をつかんだ。いつの間にか、彼の顔が間近にせまってきていた。
さて、女子には不思議な力があることをご存じだろうか。
女子は男子に比べて非力である。しかし、それは見せかけのものであり、防衛本能が働いたときの女子は、瞬間的にすさまじい力を発揮するのだ。
この力はそのときにならなければ、本人ですら知ることができない。それは、人類が誕生してから、脈々と遺伝子に刻まれた生命の神秘であり、男から身を守るべく与えられた女性の最終兵器なのである。
私はもはや「キョン子」と呼ばれし一個の人間ではなく、人類を形成するかたわれの存在「オンナ」と化していた。私の意志は切断され、身体は遺伝子レベルでの動きを開始した。
オンナはオトコが襲いかかっていると認識した。オトコは撃退せねばならない。
オンナは寸分の無駄のないフォームで、ありったけのエネルギーを右手にこめた。
バシーン!
そんな気持ちのいい音が夜の公園に響きわたる。
唖然とした表情で、彼は私を見ていた。右手に心地よい痺れを味わいながら、私は立ちつくしていた。
あえて言おう。これは私の望んだ結末ではないと。
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(38)「そんなこと言ったっけ」
涼宮ハルヒコと出会ってからのことをふりかえると、すべてが空回りで、肩すかしに終わった気がする。
来るはずのない宇宙人を待ち続ける男子が、普通きわまりない女子を強引に誘って、SOS団なる組織を立ち上げ、それなりのことをする。しかし、劇的な変化が世界に訪れることはなく、地球はあいかわらずの自転速度を保って悠々と回っている。
そう、宇宙人や超能力者が、やすやすと出てくるほど、世の中は甘くないのだ。
そんな涼宮ハルヒコの暴走は、いつの間にか私に向けられ、私は防衛本能をいかんなく発揮して、すべてを粉々にうちくだいたのである。
実に困った話だ。他人に話しても「ふうん、それで」の一言で片付けられそうである。
あのあと、逃げるように帰った涼宮ハルヒコと、取り残された私のみじめさといったら、筆舌につくしがたい。だが、そんな哀れな私たちをよそに、夜は終わり、朝は明けるのだ。
翌朝、私はいろいろな試みをしたもののうまくいかず、不機嫌なまま学校に向かった。教室に入ると、彼の姿が目に入る。いつものように、窓をぼんやりと見ている。
何か言葉をかけようと思ったが、なんと言えばいいのかわからず、無言でその前の自分の席に座った。
かばんの中身を出していると、後ろから声がする。
「なあ?」
「なによ?」
私はふりむかずに答える。
「どうして、今日は髪を結んでないんだ?」
「そんなの私の勝手じゃん」
「でも、髪を結わないで来るなんてはじめてじゃないか」
「別にこだわりがあったわけじゃないし」
「なんていうか、しっくりこないんだよな」
「なにが?」
しつこく食い下がる彼にたまりかねて、ふりかえる。すると、彼は当たり前のようにこう言った。
「そりゃ、おまえのポニーテール、似合ってたし」
「あんた、三つ編みが好きだとか言ってたじゃん」
「そんなこと言ったっけ」
「言った。だから、今朝ぐらいは、そうしようと思ったんだけど、全然ダメだったから、やめたの」
「なんで?」
「なんでってそりゃ」
いつの間にか、普段と変わらぬ調子でしゃべっている自分がいる。うっかり、涼宮ハルヒコのペースに乗せられてしまった自分が恥ずかしく、私は彼から目をそらす。
「昨日のことは忘れてよね。私も忘れるから」
「ああ」
そう言って、彼は苦々しく舌打ちをした。
朝のホームルームで、先生が帰りに席替えを行うと言った。今日は六月一日。はや、入学して二ヶ月がすぎたということだ。
いろんなことがあった。私にとっては、まったく予想外の高校生活となってしまったけれど。
「ねえ」
私は声をかけた。後ろに涼宮ハルヒコがいる日は、今日で最後になるかもしれない。そう考えるとなごりおしかった。
「もう二ヶ月たったのよ。入学してから」
「まだ二ヶ月だろ」
「ということは、残り二年十ヶ月しかないのよ」
「なにがだ」
「だって、あんた、宇宙人を私に見せてくれるって約束したじゃん」
「いや、宇宙人だけじゃなくて、未来人、異世界人、超能力者もだ」
「同じようなもんよ。SOS団に許された時間は、あと、たった二年十ヶ月なのよ」
「まあ、そうだけど」
「それまでは、あんたと一緒にいてあげるからさ」
「へ?」
情けない声を彼は出す。
「てことは、つまり」
思わず、彼が立ち上がろうとする。果たして、どんな表情をしているのやら。私はそれを確認しないまま、姿勢を戻す。そして、ひとりごとのように、こう付け加えた。
「私、宇宙人は信じてないけど、神様は信じることにしたの」
「なんだよ、それ」
私はそれに答えず、窓の景色を見る。
窓の外では、あいかわらず雲がのらりくらりと動いている。いつもと同じ日常と、いつもと変わらぬ教室。だけど、私はそんな世界にいるのがうれしかった。
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(39)「だったら、そいつが作ればいいんだよ」
そんなわけで、今でも、私は髪を結んで学校に通っている。
六月になっても、SOS団の活動はあいかわらずである。部室には、特に目的もなく、五人が集まり、何かをやっている。
最近の部室の変化といえば、黒板にはりつけられた写真だろう。イツキの提案で、SOS団の集合写真がベタベタと掲示されるようになったのだ。
私たちは暇なときに、学校近くの名所をたずねるハイキングを開始した。制服姿でとことこ歩いて、そこで記念写真を撮るのである。そして、それにまつわる様々な伝承を、公式サイトで発表する。もちろん、その文面を書くのは、涼宮ハルヒコひとりにゆだねられている。例の防空壕についても、不思議スポットとして紹介していたらしいが、それについての反応は一つもない。
雨の日などは、涼宮ハルヒコがパソコンのモニタをにらんで、うーんとうなっているのが、新たなSOS団の風景になっている。だが、長門くんとちがい、彼はBGMになりきれない。文章書きにつまったときは、髪の毛をかきむしり、そのあと、きまってみつる先輩が犠牲になる。二人の仲は、やはり、飼い主とペットみたいな感じだ。そのうち、みつる先輩のことを「レオ」と呼びだすかどうか不安である。
そんな人間あつかいされていないみつる先輩だが、部室を出れば、私たちの誰よりも人気者だ。最近、私とイツキの間では、みつる先輩ウォッチングが流行中である。オタクかつスーパーハッカーという影の姿を知るのは、私たちぐらいのもので、学校中でいろんな女子に声をかけられて、本人もまんざらではない様子だ。
個人的に、みつる先輩には彼女なんて作ってほしくない。だけど、イツキが相手だったら許してあげようと思う。この二人、実はかなり仲がいいのだ。たまに語るみつる先輩のオタク話に耳をかたむけているのは、SOS団でイツキぐらいのものである。
イツキにしたって、なぜかコスプレ衣装を持っていたりするし、知識の豊富なみつる先輩と組めば、オタク界に君臨できるんじゃないかと私は思うのだが、イツキにはそんな気持ちが全然ないらしい。
「今は、このままがいいんだよね」
彼女は集合写真を貼りながら言う。
「ずっと、五人のままでいられるわけじゃないんだからさ」
そうかもしれない、と思う。いつまでも、こんなことを続けるのはできないかもしれない。それでも、イツキとは友達でいたいと思う。
長門くんは今でもSF小説を指定席で読み続けている。どうやら、長門くんアタックというのは、イツキの妄想にすぎなかったようで、あの日以降、長門邸に招待されたことはない。
そうそう、SOS団結成間もなくのときに借りていた本は、結局、読まないまま返した。
「どうだった?」
そんな彼の質問に、私は答えた。
「ちょっと難しくて、よくわからなかった、かな?」
そう言うと、彼は本棚の前で、しばらく考えこみ、新たな本を持ってきた。
「これなら、いいと思う」
「いや、私ちょっと、いそがしくて」
「そうか」
私は言い訳にならない弁解をして、それを断る。長門くんには恩があるとはいえ、SF信者にはなりたくないからだ。
そんな私はといえば、最近、部室の大掃除を行った。残りの四人は、部室というものは私物をためこむところぐらいにしか思っていないため、放っておくと、日に日に美観が乱されてしまうからだ。そんな私の活躍を、我が団長は大いにほめたたえ、私を「掃除大臣」に任命した。
このように、相変わらずな我がSOS団だが、入部募集は打ち切っている。この五人で充分というのが、我が団長の意見である。
「でも、あんたの知らない優秀な人材もいるかもしれないじゃん」
「だったら、そいつが作ればいいんだよ。第二のSOS団を」
個人的に、それは勘弁してほしいと思う。ただでさえ、我がSOS団のことを、北高生はいかがわしい目で見ているのだ。こんなバカげた部は私たちだけで十分だ。
だいたい、今もSOS団は生徒会の認可を得ていない。あくまでも、部室は文芸部部室である。といっても、それで不便を感じたことはない。私は申請書類を提出するつもりはないし、ほかの四人もそのつもりはない。SOS団はこれからも北高の秘密結社であり続けるだろう。
しかし、体験談は今なお募集中である。もし、宇宙人や超能力者にまつわる面白い話があったら、北高の旧校舎一階にある文芸部室にたずねてもらいたい。放課後になれば、たいてい誰かがいる。
ドアを開ければ、物静かに本を読むメガネをかけた長門くんを見ることができるだろう。団長席で、不機嫌にキーボードをたたいている涼宮ハルヒコを見るだろう。その前でオセロやボードゲームを楽しんでいる残り三人の姿もあるだろう。一見すれば、あなたを歓迎しているようには思えないだろうが、私たちだって、おもてなしぐらいはできる。今なら、もれなく、みつる先輩のお茶もサービスしている。
そして、我らが団長は、いかなる非常識でバカげた話でも真剣に耳を傾けてくれるだろう。そして、残りの団員だって、のんびりしているように見えるが、いざというときは、それなりの活躍をするんじゃないかと思う。たぶん。
もちろん、本当に宇宙人や超能力者やその他もろもろの不思議な現象に遭遇したら、あなたにまっさきにお知らせしよう。私はあまり信じていないのだが、そのとき我が団長がどんな表情をするのか見てみたい。
だから、私はひそかに、そんな世界の不思議が、平和な我が北高に訪れることを神様に祈っているのである。かなり都合のいい願いごとだけれど。
【涼宮ハルヒコの憂鬱・終わり】
⇒涼宮ハルヒコの溜息(キョン子シリーズPart2)に続く
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涼宮ハルヒコの溜息(キョン子シリーズPart2)
(1)「今すぐ、予約を取り消して下さい」
私は猛烈に怒っていた。その鼻息の荒さは、ナウマン像ぐらいは吹き飛ばす勢いであっただろうし、のしのしと踏みしめるその足取りは、地響きを立てもおかしくないほどの力強さに満ちていた。
いつもならば、どんな不機嫌なときでも眉間にしわを寄せるだけの私が、こうあからさまに激怒を主張しているのはなぜか。それは、今もなお視聴覚室で上映されている、私たちの自主制作映画のせいである。まさか、あんな形で自分が出演しているとは思いもしなかった。私は憤怒の叫び声をあげたあと、人々の制止をふりきり、光あふれる廊下に舞いもどったのである。
そんな私の殺伐とした感情と相反するかのように、我が北高の廊下は極彩色と活気にあふれていた。ティッシュのバラや色紙のアーチ。どの教室にも飾りつけがされていて、生徒たちが熱心に声をかけている。廊下には様々な流行歌が交錯し、不思議なリズムを奏でている。
そう、今日は我が北高の文化祭なのである。
授業とテストに覆われた平凡な日常を吹き飛ばすかのように、校舎は騒然としていた。その華やかさの中で、私ひとりが怒りに打ちふるえているのだ。
「お、キョン子ちゃんじゃないか」
そんな私に親しげな口調でかけられる声。私はギョロリと彼のほうを見る。その視線は、彼の声色をたちまち一変させるだけの効果があったらしい。それでも、彼は私に話しかけることをためらうような人ではない。
「どうしたんだよ。いま、一人なの?」
「そうですけど」
声をかけてきた彼の外見は、私の怒りをやわらげてくれた。天井まで届きそうなコック帽に、マジックで描いたナマズひげ。この人は一流シェフを気取っているみたいだが、どちらかというと、子供に指さされそうな格好だった。ねえママ、あそこに変な人がいるよ、というふうに。
「君たちの映画って、まだ上映中だろ?」
「そうですけど」
取りつく島のない私の返答に、彼は困惑の表情をしてみせる。
「せっかくみんなで一緒に作った映画なのに、それを見ないなんて、友情に反すると思うぜ」
そうそう、この人は友情とか純愛とかそういう古典的なものを愛する人なのだ。それを好ましいと常日頃は感じていたものだが、あいにく今はそんな優しさはお断りなのであった。
「あんなもの、見る価値ないです」
「おいおいキョン子ちゃん、みんなが必死になって作ったものを否定するなんて」
「それより、つるやさんは、どうして見に来なかったんですか?」
「オレはクラスの担当があったからね。それに、もうDVD予約しているし」
「取り消してください」
「え?」
「だから、今すぐ、予約を取り消してください」
ふざけたことに、絶賛上映中の私たちの自主制作映画『純愛ファイターみつる』は、DVDでも販売する予定なのである。そして、それこそが、あの四人を映画制作に夢中にさせた最大の理由なのだ。
「まったく、自分の演技が恥ずかしいからといって、そこまで反発しなくてもいいじゃないか」
「いや、恥ずかしい以前の問題だと思います、あれは」
その映画では、このつるやさんだってゲスト出演しているが、私があんな形で登場しているなんて知らないのだろう。
「しょうがないなあ。おごってやるから、オレのクラスのケーキ、食べてみろよ」
「食べ物で釣ろうとしないでくださいよ」
「マジでおいしいからさ。このつるやパティシエが保証するぜ」
その笑顔と、ラクガキしたヒゲを見て、ひそかに私のお腹は音を鳴らした。そういえば、映画上映の準備や何やらで、朝から何も食べていなかったことに気づく。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「ハーブティーもついてるからさ。ゆっくり食べて、気持ちを落ち着かせなよ」
ふうむ、意外と気のきいたところがあるじゃないか、と私はつるやさんを見直した。さすがは、あの朝比奈みつる先輩の友人である。
いや、みつる先輩だって、今では悪の枢軸のひとりだ。結局、私の味方は誰もいなかったのだ。
教室に入り、パンケーキとシナモンティーを受け取って、窓際の席に座る。まわりを見わたすと、ひとりぼっちの客は私だけだった。だが、そのことに臆する私ではない。この北高に入学して半年というもの、変人の烙印を押されることにはもう慣れた。涼宮ハルヒコという男子のせいで。
どうしてこんな高校生活になってしまったのだろうか。あいつに出会って、SOS団なるヘンテコな部に入って、それからいろんなことに巻きこまれて……。でも、他人に同情してもらえるような悲惨なエピソードは思い浮かばなかった。第三者視点だと、楽しそうな毎日じゃないかと、うらやましがられそうである。私は深い溜息をつく。
窓の外を見ると、いろいろな声を交わしている人たちが見える。そのなかには、中学生らしき子たちもいる。我が北高はそれなりの進学校であり、この付近ではブランド力があるのである。だから、北高の文化祭はこの地域の高校では一番の盛り上がりを見せるのだ。
しかし、私は北高に憧れる中学生たちに言ってやりたかった。高校生活をなめるんじゃない。とんでもないヤツと出会って、非常識な連中と付き合う羽目になることもあるのだと。そう、いつの間にやら映画制作なんてものに巻きこまれてしまったこの私のように。
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(2)「映画って、どういうこと?」
「映画、作るぞ!」
今回の騒動の元凶となった涼宮ハルヒコの第一声は、しかし、ゲームに熱中していた私たちの耳には、ほとんど届かなかった。
私たちがそのときプレイしていたのは『ブラフ』というボードゲームである。サイコロの出目を予想するという、トランプのダウトみたいなだまし合いゲームだ。
そんなマイナーなボードゲームを持ってきたのは、当然のことながら、オタクな朝比奈みつる先輩である。彼によると、これはドイツのゲーム大賞を受賞した作品だそうである。ドイツはボードゲーム先進国として世界的に有名らしい。みつる先輩が言ってるだけだから、イマイチ信用できないけれど。
みつる先輩は、そんなドイツ製ボードゲームを次々と部室に持ちこんできた。特にするべきことがない私たちは、喜んでそれらをプレイした。ただし、ルールが難しいものは、すぐに山積コーナーに追いやられてしまったわけだが。
この『ブラフ』はめずらしく私も気に入った作品である。だまし合いにすぎないところがいい。ほかのゲームと同じく私が一番弱かったのだが、時々みつる先輩が手加減をしてくれるので、負けてばかりではなかった。
そんなブラフで、圧倒的強さを見せたのが、古泉イツキちゃんだった。彼女の自分勝手さには、これまで何度も苦労させられたものだが、「にたぁ~」としたイツキちゃんスマイルの前には、すべてを許さざるをえなかった。イタズラ好きだけど、湿っぽいことは嫌いな性格で、彼女といると妙な安心感がある。そんな彼女が、ブラフというだまし合いゲームで無頼の強さを見せるのが、私には不思議だった。
「ねえ、イツキちゃん。どうしてそんなふうに私たちをダマせるの?」
「いやね、3に見えても、もしかすると、そのあと1に変身するかもしれないと考えて、むしろ1だ、と自分に言い聞かせるのよ。そうすりゃいけるのよ。そう、このゲームは気合のゲームよ!」
いやいや、白河法皇ですら嘆かせたサイコロの出目を、気合でカバーできるほど世の中は単純ではないと私は思うのだが、私だけでなくみつる先輩も、そんな彼女に対しては分が悪かったのである。
このブラフは、私でも思いつきそうな単純なゲームだが、みつる先輩によると、なかなか奥深いゲーム性を構築しているらしい。時折、みつる先輩は「むぅ、さすがはドイツ人」とか「やっぱ、ゲルマン民族は偉大だなぁ」とかオタクらしい気持ち悪いつぶやきを発しながら感心していた。
と、前置きが長くなってしまったが、そんなゲームに興じている間に、我がSOS団の団長である涼宮ハルヒコが前述した発言をしたのである。我々で映画を作るべし、と。
「映画って、どういうこと?」
ハルヒコ発言に、みつる先輩は律儀に反応する。彼はSOS団唯一の二年生であるのだが、誰にも敬語を使われない。それでも気にしないのが、みつる先輩の偉大なところではある。
「みつる、来月初めにビッグイベントがあるだろ?」
ハルヒコはそう言って、私たちを見わたす。
「何よ、ビッグイベントって」
「文化祭だよ、文化祭」
私の問いにオーバーリアクションつきで答えて、ハルヒコは立ち上がる。
「我がSOS団としては、この文化祭を最大のチャンスだととらえている」
「部員獲得のための?」とみつる先輩。
「いや、団員募集はもう締めきってるからな」とハルヒコ。
「じゃあ、何する気?」と私。
「だから、映画制作だよ」
いつものことだが、彼との会話がまったくかみ合わない。そもそも、私たちは映画研究部ではないから、カメラなんてない。それなのに、映画を作る必要がどこにある?
「なぜならば、我がSOS団には、北高が誇るべき二人がいるからだ。古泉イツキ副団長と朝比奈みつる団員。この二人の長所を生かすためには、映画制作しかない!」
そうなのだ。朝比奈みつる先輩と古泉イツキちゃんは、北高生徒の人気を集めるルックスの良い二人なのである。
みつる先輩はオタクな趣味をしているくせに、天使のような外見をした美少年である。女子の私より低い身長を愛嬌に変え、そこに理想の男子像を見出す女子は少なくない。北高内にファンクラブができているぐらいだ。
そして、イツキは不良娘として悪名をとどろかせる派手な外見の女の子なのである。今では悪い噂だけではなく、その容姿の魅力が上級生の間で話題にのぼっているとのこと。
ちなみに、この私はそんな二人とは比べものにならないぐらい地味な生徒である。日頃はそのことを気にしていないが、こうあからさまに言われると、一緒にいる私が何だか情けなくなる。こういうデリカシーのなさが、涼宮ハルヒコの嫌いなところである。
「で、ハルヒコ君、どんな映画を作るつもり?」とみつる先輩。
「それは、まだ決まってない」とハルヒコ。
「あんた、映画を作るのに、どんなものが必要なのかわかってるの?」
平然とした彼の口調にたまりかねて、私は口をはさむ。
「それは今から調べるとしてだな」とハルヒコ。
「文化祭が始まるのはいつだっけ?」と私。
「十一月の最初の土曜だよな」
「今日は何日?」
「十月一日。まだ一ヶ月もあるじゃないか」
「その間に、中間テストがあるんだけど? まさか、テストをサボって、映画制作する気じゃないよね」
「まあな」
「じゃあ、できるわけないじゃん」
私はきわめて現実的に彼を問いつめてみる。この半年間、彼の気まぐれに何度も付き合っただけあり、私の涼宮ハルヒコ対処能力は、格段の進歩をとげていたのだ。
しかし、ハルヒコはあきらめない。
「そこを可能にするのが、我がSOS団だ!」
意味不明なことを言って、彼は大げさに机をドンとたたく。
「なあ、みつると古泉、おまえたちは面白いと思うよな?」
そして、話の矛先を私から他の二人に変える。
「うーん、いきなり映画っていわれても」とみつる先輩。
「脚本によるわね」とイツキ。
二人とも慎重姿勢を見せたようだった。私は安堵し、ハルヒコはうなる。
「とにかく、近々、この映画制作についての詳細を発表する。それなりの準備をしてくれ」
そういって、ハルヒコは団長席にどしんと座る。彼の前には、パソコンがある。今日も彼は、そこで街の不思議を紹介するSOS団公式サイトを更新したり、情報収集という名のネット探索をするわけである。
そして、私たち三人は、何もなかったかのように、ボードゲームに戻り、その勝敗に一喜一憂した。こういうことはSOS団では日常茶飯事なのだ。明日になれば、ハルヒコ自身すら、この提案を忘れているに違いない。私はそう達観していた。
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(3)「おまえ、バカか?」
SOS団――この物語は、そんな秘密結社を中心に繰りひろげられる。
構成員は現在五名であり、本部は北高文芸部部室に置かれている。団長は涼宮ハルヒコで、副団長は古泉イツキちゃんである。SOS団結成にまつわるゴタゴタは以前に紹介したので、そのいきさつを知りたい人は、まずそれを読んでほしい。
「SOS団」という名称を見て、人助けをする立派な部というような印象をもたれるかもしれないが、その内実はぜんぜん違う。団長である涼宮ハルヒコの思いつきによって、気まぐれな活動を行っている100%怪しい部なのだ。
そして、涼宮ハルヒコ団長は宇宙人とか超能力者とかそういうものを信じていて、それが我が北高に訪れるのを待ち望んでいる愚かな男子なのである。かつて私が提案した「世界不思議発見部」のほうがわかりやすいと常々思っているのだが、ハルヒコは「SOS団」という名称に格別のこだわりを見せていた。
そんな組織を結成するぐらい涼宮ハルヒコはバカな男子だが、ただのオカルトバカではない。彼のありあまる行動力は、宇宙人以外のものを見つけて、ちょっとした騒ぎを起こすことがあった。
例えば、この夏休みに街の不思議発見にいそしんでいたときに、川に飛びこんで子犬を救助したりとか。
その後、飼い主の人が地元新聞社に連絡したせいで、ハルヒコは取材を受けることになり、なんと写真つきでその行為が報道されたのである。
しかし、ハルヒコは記事の内容に大いなる不満を抱いていた。
「俺はSOS団のことを宣伝したのに、ヤツらはそのことにまったく触れなかったんだ、許せない」
ハルヒコからすれば、自分がありふれたイマドキの若者であるつもりはさらさらなく、SOS団団長という特別な存在であると自負していた。だから、新聞記事にSOS団の文字が踊らなかったことが不服だったのである。
ただし、このような新聞デビューのおかげで、それまで変人のレッテルを貼られていたハルヒコは、クラスでも好意的に受け止められるようになったのだ。あいかわらず、本人にはみんなと仲良くする意思が微塵もなく、クラスでの涼宮ハルヒコ対策は私ひとりにゆだねられているのだが。
そうそう、九月に、彼がらみの興味深いエピソードがあった。
ある休み時間、私はクラスメイトに呼ばれて廊下に出た。そこには面識のない女の子が立っていた。私と同じく高一であるその子は、少しためらいがちに、しかし、強い口調で私にたずねた。
「あなた、スズミヤ君の彼女なの?」
「いや、そんなことないし」
私は即答する。その言葉に彼女は安心したようだった。
「じゃあさ、スズミヤ君に伝えてくれないかな? 放課後に屋上前の踊り場で待ってるって」
「へ?」
まさかの展開に私は間抜けな声を発してしまった。
「あの、本気なの?」
「ちょっとちょっと、あなた、やっぱりスズミヤ君のことが……」
「ちがうちがうって。だいたい、あいつは宇宙人とかそういうのを信じて、変な部活やってるの、知らないの?」
「いいじゃん。宇宙へのロマンを持つ男の人って、夢があっていいと思う」
一学期初めの殺伐とした雰囲気を肌で知っている私としては、この発言に大変驚いたものである。変人の代名詞だった涼宮ハルヒコも、今やロマンティスト扱いされるようになったのだ。
「それに、新聞のあのニュース。いざというときには我が身を犠牲にして命を助ける正義感、ステキじゃない! みんな誤解しているけど、アタシはゼッタイに違うと思うのよ。本当のスズミヤ君は優しい心の持ち主だって」
まったく、乙女の恋心はどんな色眼鏡よりもタチが悪い。これまでのハルヒコ問題発言を、解説をつけながら逐一教えたくなったものだが、こう思い直してみた。彼女の淡い幻想を打ち砕く権利が私にあるのだろうかと。
「ねえ、だから、伝えてよ。あなたぐらいしか、スズミヤ君と親しい子いないみたいだし」
私には断る理由がまったく思いうかばなかった。
「わかった、ちょっと待ってて」
そして、休み時間にぼんやりと窓の外を見ているハルヒコの前に座った。最近の彼は、休み時間を謎の探索に費やすことがなくなったので、こういうときは楽である。
「ねえ」
「ん?」
ハルヒコは私を見る。さて、彼にどう話を切り出すべきか。気のきいたことが言えばいいのだが、何も思いつかない。それよりも、与えられた任務をさっさと遂行すべきだと、単刀直入に切り出すことにした。
「あんたに会いたい女の子がいるんだって」
「へえ」
たいして興味ない口ぶりである。
「で、どんな体験談なんだ?」
「はぁ?」
「そいつに、どんな不思議なことがあったんだ?」
私は溜息をついた。普通、女の子から話があると聞けば、もう少しトキメキを感じるのが世の男子というものではないだろうか。いくらSOS団が不思議な体験談を常時募集しているとはいえ。
「いや、そういうんじゃなくてね、その、あれよ」
「あれってなんだよ」
「放課後に屋上前の踊り場に来てほしいって」
その言葉に、ハルヒコはようやく真意に気づいたようだったが、その返答は予想外のものだった。
「で、なんで、おまえがそんなことを伝えるんだ?」
「だって、頼まれたから」
「おまえ、バカか?」
この返答にはカチンときた。どうして、他人の伝言を届けただけなのに、バカにされなければならないというのか。
「いや、だから、あんたのような変人を好きになった女の子がいるって伝えたかっただけだし」
「それを俺に伝えて、どうなると思ったんだよ」
「だって……」
ハルヒコの外見は悪くはない。そのために、中学時代はそれなりにモテて、告白されたことが何度かあったらしい。彼は必ずOKを出して、デートの約束をした。ところが、デートといっても、彼は好き勝手に歩きまわるだけで、女の子には後ろをついていくのがやっという代物だった。こうして、自分本位に行動したあげく「ごめん、俺、普通の女の子に興味ないんだ」と言って断ってきたそうだ。ひどい話である。
だから、今回もOKだけはするかもしれないと思っていたのに、彼の反応は私への罵倒だった。
「まったく、これだから、おまえはダメなんだよ」
そう言って彼は教室を出ていく。休み時間は残り少ないというのに。
廊下に戻ると、先ほどの子が待っていた。
「ねえ、あなた、何話したのよ」
「いや、ちゃんと伝えたんだけど、ね」
「やっぱり、あなた、スズミヤ君と……」
彼女が不審そうな目をしてきたので、私はあわてて首をふる。
「ちがうって。そもそも、あいつ、女の子に興味ないみたい」
「まさか、男子と?」
「いやいや、女の子よりも宇宙人のほうが好きみたいだから」
その言葉は彼女を大いに沈めさせるはずだった。しばらく、私たちの間には良からぬ沈黙が流れた。しかし、彼女はそれでも屈しなかった。
「……ということは、まだチャンスはあるってことね、うん!」
こうして、彼女は立ち去った。私はそれを見送りながら思った。まったくもって、愛の力は偉大なりと。
その後の彼女の足跡について、私は知らない。残念ながら、そんな色恋沙汰とは遠く離れたところにこの物語は存在しているのだ。
このように、夏休み以降、涼宮ハルヒコの評価は好転していたが、本人はそれがあまり気に入らないようだった。そのくすぶりが、映画制作宣言を生みだしたのではないかと、私は推測している。
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(4)「それじゃダメね、話にならない」
さて、例の発言の翌朝、いつものように眠たげな表情をしながら教室にたどり着いた私に、すぐさまハルヒコが近づいた。
「おい、何か考えてきたか?」
彼の瞳には不気味な輝きがあったが、私には何のことだかさっぱりわからない。
「なにが?」
「だから、映画の話だよ」
そう言われて、私はようやく昨日の部室での出来事を思い出した。
「なんとかメドが立ちそうなんだ」
「なにが?」
「だから、映画の話だよ!」
私は斜め60度に首をかしげる。はて、そこまで話が進むほど、昨日の部室で建設的な議論が交わされたっけ。
「くわしくは今日の部活で話すからさ。楽しみにしてろよ」
その無邪気さは、春にSOS団を結成したときに似ていた。どうやら、私はまた彼の良からぬたくらみに巻きこまれるみたいである。ただし、今の私はひとりではなかった。
それにしても、こいつ、どんな映画を作るつもりなのだろう。どうせ、宇宙人や超能力者が当たり前のように出てくる意味不明な内容なのだろう。私はさしずめ「なんだってー」とか叫ぶエキストラ役だろうか。
放課後になっても、彼の上機嫌は維持されていた。
「諸君、朗報だ!」
文芸部室のドアを開けるなり、ハルヒコはそう言い放つ。みつる先輩とイツキは優雅なティータイムを楽しんでいる途中だったが、いちおう、我らが団長の顔を見る。
「映画制作は我々にも可能であることが判明した」
そして、ハルヒコは部室の上座である団長席に向かう。
「映画って、昨日言ってたやつ?」
「そうだ、みつる。昨日の時点では確定事項ではなかったが、本日から正式に映画プロジェクトを開始することにした」
「まさか、団長ったら、もう企画書を書き上げちゃったとか」とイツキ。
「へえ、すごいじゃん。見せてよ」とみつる先輩。
「いや、そういうんじゃなくてだな」
イツキとみつる先輩が興味を抱きはじめたのに、ハルヒコは決まり悪そうに頭をかく。
「実は、シナリオは全然できていない」
「じゃあ、昨日と何ら変わってないじゃん」とみつる先輩。
「そうよ、あたし、くだらない映画だったら出演する気ないからね」とイツキ。
「そんなことは些細な問題だ」
ハルヒコはそう断言する。全国の脚本家の人々が聞いたら、どんな顔をするだろう。
「それよりも、テクニカルな問題だ。かつて、映画を作ることは、素人には難しいものだった。ところが、今では動画共有サイトの発達により、アマチュアでも手軽に動画編集できる時代になったのだ。つまり、タダで手に入るソフトを使っても、映画が制作できることが判明したのだ!」
彼は自信に満ちた表情でそう話す。しかし、聞いている私たち三人の不満は何ひとつ解決できていなかった。
「…………で?」
さすがに、このまま不毛な時間をすごすのもイヤなので、私が声をあげてみる。
「だから、カメラで映像を撮りさえすれば、俺たちでも何とかなるということだ」
「その映像がない状態で何言ってんのよ」
「そんなものは、どうにだってなる」
ハルヒコは私の現実的な意見にもひるまない。
「俺たちには大がかりなセットを組むなんて無理だ。それに、主演である二人の長所をいかすことを考えれば、作るべきシナリオの方向性は一つしかない」
「どんな方向性?」
「正義のスーパーヒロイン古泉イツキと、頼りないけど頑張るパートナー朝比奈みつるによる、冒険活劇だ!」
コブシを握りながら、そう宣言するハルヒコに、私は乾いた笑いを返すことすらできなかった。
「つまり、僕たちが正義の味方を演じるってこと?」
戸惑いながら、みつる先輩が声をあげる。
「そうだ、これからおまえたち二人は、正義のために戦ってもらうことになる」
腕組みをしながら、当然のようにハルヒコはうなずく。
「じゃあ、悪役は?」とみつる先輩。
「そりゃ、残りのメンバーとなる」とハルヒコ。
「私はイヤよ」
あまりにも実現性の乏しいハルヒコのプランにあきれながら、私は立ち上がる。
「それにあんただって、とても悪役がつとまるとは思えないし」
「いや、俺は監督だから、出演する予定はない」
そんな彼の言葉を聞いて、私は不作法ながら、軽く舌打ちをしてしまった。
「そういうことね。で、あんたは私を悪役にして、どんなシナリオを書くつもりなの?」
「そ、それは……」
すっかり分が悪くなったハルヒコは慌てる。どうやら、そこまで考えが至らなかったようだ。まったく、思いつきでべらべら発言するからこうなるのだ。高校生なんだから、もう少し落ち着きを見せるべきじゃないのか。
そのとき、沈黙を保っていたイツキが静かに声を発した。
「それじゃダメね、話にならない」
「な?」
イツキのダメ出しに、ハルヒコのみならず、私もみつる先輩も驚いた。そもそも、こういう面白そうなことには、後先考えずに突っこむのがイツキちゃんスタイルではなかったのか。
「だって、あたしが正義のヒロインだなんて、ダサすぎるわよ」
その通りだ。すっかりSOS団気質に染まっているように見えるイツキだが、もともと黒い噂が絶えない女子なのだ。中学時代は色々やっていたらしいし、今でもクラスメイトとはほとんど口をきかない。私はすっかり心を許しているけど、本当は怖い女の子なのである。
「それより、あたし、セクシーな女幹部のほうが似合うと思わない?」
しかし、そんな私の予想は見事に裏切られた。イツキは優雅に立ち上がり、口火を切る。
「そもそも、あたしとみつる君がコンビを組んだところで、それを見たみつるファンクラブの人が、どんな顔をするか考えたことある? あたしは彼女たちに嫉妬されて、殺されるかもしれないわよ。そんな誰も望んでいない展開にする必要がどこにあるの?」
やたらと熱気を帯びているイツキの声に、私たち三人はおとなしくうなずく。
「だから、あたしが悪役で、みつる君が正義の味方。これしかないじゃん」
「古泉、おまえ、悪役でいいのか?」
「そうよ、あたし、姉御肌の女幹部に憧れてたからね」
そして、イツキちゃんは不敵な笑みをこぼす。
なるほど、たしかに彼女らしい。私はそういう番組を見るとき、正義側に立ちながら、都合のいい展開にうんざりしたものだが、イツキはむくわれない努力を繰り返す悪役に共感を抱いていたということか。
「でも、正義の味方がみつるなんて、パンチ力が足りないんじゃないか? いささか頼りない」
「ハルヒコ君、そりゃひどいよ」
「そう、そのイメージが大事なのよ」
イツキはみつる先輩を完全に無視して、ハルヒコをビシッと指をさす。
「むしろ、あたしがみつる君をひたすらイジめるという内容なのよ。みつる君は果敢にもあたしに挑みつづけるけど、正義の力をもってしても、あたしにはかなわないわけ」
「じゃあ、イッちゃん。僕はただのやられ役ってこと?」
みつる先輩が不満の声をあげる。
「最終的に正義が勝つんだけどね。大切なのはその過程よ。みつる君があたしにボコボコにされるという展開が、この映画の最大の魅力なのよ」
イツキの言葉に、ふうむ、と私たち三人はうなる。
「でね、みつる君の変身コスチュームなんだけど、背丈の都合で女性用しかないんだよね。それでも、みつる君は正義のために、恥ずかしがりながらも、ヒロインの格好をして、あたしに挑むわけよ。あたしはそれを散々笑いものにしながら、何度もみつる君をやっつける。この変態がっ、とののしりながらね」
私はセクシー姿のイツキにイジメられる女装したみつる先輩を思い描く。イツキの短いスカートは、愚かな男子の視線をトリコにするだろう。そして、かわいそうなみつる先輩には――。
ちょっと待て、これ、ディープすぎないか?
私はみつる先輩を見る。彼は以前、セーラー服を着て喜んだという悪しき事例がある。とはいえ、今回は慎重な姿勢をとっているようだ。さすがにオタクといえども、イツキにいたぶられて喜ぶような性格ではないはずだった。
と期待していたら、何やらブツブツつぶやいている声が聞こえてくる。
「最近、女装男子がブームになってるみたいだけど、僕が本気を出せば、あんなヤツら、軽く粉砕できるはずだし……単なる女装なら、流行に乗っかったようでカッコ悪いけど、映画制作のためだと考えたら、これは、むしろチャンスと受け止めるべきかも……」
な、なにいってるんだ、この人は? 女のカッコなんてしたくないとか、そんな単純な返事でいいじゃないか。
「みつる君、これ、いけそうだと思わない?」
「たしかに」
そして、うなずくみつる先輩。ああ、やっぱり、この人はオタクな変態野郎にすぎなかったようだ。
「団長はどう思う?」
「うむ、面白そうではあるな」
ハルヒコも同意する。もともと、彼は部員勧誘のためにみつる先輩を女装させたという前歴がある。そう、このSOS団は、まともな人間が私しかいないという変人集団なのだ。私の常識的な意見なんて、この部室では無力に等しいのである。
「まさか古泉に企画の才能があったとはな。何かしらの可能性を感じさせるシナリオだ」
ハルヒコが他人を認めるとは珍しい光景だった。でも、これは思いつきでしゃべっているだけだと思う。明日になれば、イツキ自身忘れてそうだし。
「よし、その方向性で考えてみよう」
「せっかく映画するんだったら、とことん突き抜けないとね。ねえ、キョン子ちゃん?」
うれしそうな笑みを浮かべるイツキ。こういうときのイツキちゃんを止める方法を私は知らない。すべてをあきらめて、私は苦笑いをしてみせる。
「よし、副団長のおかげで、SOS団映画プロジェクトは大いに前進したようだ。まちがいなく、この企画は成功する」
ハルヒコは大胆にそう宣言した。しかし、議論は白熱したものの、まだ大事なことを忘れているような気がする。映画に必要な根本的な何かを。
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(5)「もう俺たちは退かない」
「昨日の副団長の構想を検討した結果、勝算があると俺は判断した」
そんなハルヒコの主張を聞き流しながら、私は緑茶を飲んでいた。
SOS団では、毎日のようにお茶がふるまわれる。これをいれているのはみつる先輩で、彼はハルヒコに「お茶くみ大臣」に任命されていた。実をいうと、一時期、私が代わりにいれていた時期があったのだが、あまりにも不評だったこともあり、みつる先輩が常時いれるようになったのである。
オタクなみつる先輩は、このお茶くみにもこだわりを見せていた。今回の茶葉は静岡産の有名なものらしい。私はそれを飲みながら、雄大な富士山を思い描こうとする。
「……ゆえに、DVD販売をすることが決定した!」
しかし、そんな私のささやかな平和は、ハルヒコの能天気な言葉によって、あっという間に打ち砕かれてしまった。
「ハルヒコ君、もしかして売る気なの?」
「ああ、そのための映画制作だ。部の財源確保のためのな」
みつる先輩の言葉に、ハルヒコは平然と答える。
私はあきれるどころか、金切り声で説教したくなった。こいつ、物事の進め方が根本的にまちがっている。もし、部の財源が欲しくて、文化祭で何かをしようとするのならば、まず、そのことを議題にあげるべきだ。そして、何をするべきか話し合った末に、部活動として行うべきなのだ。
だが、涼宮ハルヒコにそんな民主主義は通用しないのだ。彼は偉そうな口調で語り続ける。
「我々は結団以降、半年以上にわたり、この街で活動を行ってきたが、残念ながら、世間をとどろかせる発見をすることはできなかった。ゆえに、そろそろ県外進出をしなければならないと考えている。そのために、必要なのがお金だ。だから、映画を作らなければならないのだ!」
「でも、DVDって、どれぐらいで売る気?」とみつる先輩。
「一枚三千円ぐらいでいいんじゃないか。DVDなんだから」とハルヒコ。
「三千円っていえば、アニメのDVDよりは安いけど、市販なみの値段じゃん?」
「みつる、おまえの女装がありゃ、それぐらい売れるんじゃないか?」
平然とハルヒコは言い放つ。大言壮語しながら、結局はみつるファンクラブ頼みなのかと、彼のズサンな計画に私はあきれてしまった。
「カメラはどうするんだ?」
そのとき、ハルヒコの背後から声がした。
「DVDで販売するとなれば、それ相応の画質のカメラで映さなければなるまい」
ハルヒコだけではなく、私たち三人も驚いて、団長席の後ろ、窓際の席に座るその声の主を見る。彼のメガネは夕暮れの日差しを受けて、キラリと光っていた。
彼は侵入者ではない。最初から、この部室にいた。実をいうと、ハルヒコが映画制作発言したときも、イツキがべらべらと構想をしゃべっていたときも、彼はこの部室にいた。しかし、その存在感の無さから、これまで気にとめる必要がなかったのである。紹介が遅れたのは、私の怠慢のせいじゃない。
彼の名前は長門ユウキ。私と同じく高一で、ここにいる唯一の文芸部員である。もともと、SOS団が文芸部室を占拠しているのは、彼の許可を得ているからなのだ。
そんな彼はハルヒコのいかなる言葉にも動じず、団長席の後ろで毎日、読書に励んでいた。もし、それが純文学や歴史小説だったら、私は彼に好意を寄せていただろうが、残念ながら、その本はいつもSF小説だった。長ったらしいカタカナの名を持つ星の宇宙艦隊がドンパチを繰りひろげるような物語である。よく、そんな奇想天外な話を飽きもせず読み続けるものだと私は感心していたが、彼のオススメの本を読む気にはなれなかった。長門くんには長門くんの趣味があり、私には私の趣味があるのだ。
とにかく、そんな我関せずの長門くんがいきなり会話に加わったのだから、私たちからすれば、驚天動地の出来事だった。
「涼宮、まさか、学校のカメラを借りて、撮影しようとは思っていないだろうな」
「ま、まあな」と、さすがのハルヒコもあせり気味だ。
「シナリオや演技力などは努力すれば何とかなるが、映像の質は機材がなければどうすることもできないはずだ」
「そ、そうだな」
「ホームビデオに金を払うほど、世の中は甘くない。だから、そうではないと思わせるカメラが必要だ」
「た、たしかに」
「そこで、昨日調べてみたのだが、何とかなりそうだ」
「本当か?」
曇り気味だったハルヒコの表情が、一気に晴れわたる。一方、私は長門くんがハルヒコの愚かなプロジェクトを阻止するために立ち上がったと思っていたので、この展開は青天の霹靂だった。
指定席から立ち上がり、長門くんは部室を出る。おそらく電話をかけるためだろう。ただのSFオタクにしか見えないのだが、実は長門くんはこの街でピカイチの金持ちの御曹子なのだ。
長門グループは様々な事業に手をだしているが、製薬会社がもっとも有名で、私が愛用しているかゆみどめが長門印のものだった。この夏、私はそれを塗りながら、この代金の何%かが彼の読むSF小説に変わるのを想像してみた。私たちがそれを塗れば塗るほど、彼の元にはSF小説が送られ、そして、彼は宇宙大戦争に思いをはせることができるのだ。まったくもって、世の中の仕組みとは不思議なものである。
そんなことを考えながら、私は部室のドアを見た。その向こうで、長門くんはどのような話をしているのだろう。
「交渉がまとまった」
やがて、部室に戻ると、長門くんは三本の指を掲げた。
「レンタル料は一週間で三万円だ」
「おい、金とるのかよ、長門」と、ハルヒコは立ち上がる。
「あたりまえだ。これでも破格の価格だと思うが」
長門くんは涼しい顔で答える。
いや、いきなり三万円といわれても、と私はあせる。私たち高校生にとって、その金額はとてつもなく重い。そんな貴重なお金を、こんな気まぐれな映画制作に使うことが許されるのか。三万円あれば、何でも買えるじゃないか。服だって、財布だって、バッグだって、靴だって。
さすがにハルヒコも、その事態の深刻さに気づいたようだった。あごを手にのせながら低い声でこう発言する。
「仕方ないな、部費を徴収するしかない」
ブヒ、と私は豚のような悲鳴をあげる。
「そろそろ我がSOS団の会計を管理するときだ。そのためには、当然、部費を集めなければなるまい」
「ちょっと、そんな話だったら私は」
「キョン子、心配するな。これは投資みたいなもんだ」
ハルヒコはすぐさま口をはさむ。
「まちがいなく、でっかくなって戻ってくる。落ちるはずがない株を買うようなもんだ。三万円だったら、一枚三千円で十枚売ればもとがとれる。それは難しい話じゃないよな、みつる」
すっかり、このプロジェクトのキーマンとなったみつる先輩は、その言葉に応じて、何やら指折り数えているようだった。
「うん、十枚はいけると思う」
そう断言するみつる先輩を見て、私は悲しくなった。ああ、この人は、自分のファンを金ヅルとかしか見ていなかったのかと。
「あたしは、それには反対ね」
しかし、もう一人の出演者、イツキは首をふった。
「一枚三千円で売るのならば、あたしは出ない」
「古泉、おまえ、副団長だろ。そりゃ、三千円っていうのは高すぎるかもしれないけど、こうしないと採算が」
「違うわ。逆よ逆。一枚五千円で売らないと」
イツキちゃん、マジですか。私は強気すぎるイツキの値段設定に唖然とする。
「イッちゃん、さすがにそれは高すぎるんじゃ」
みつる先輩の口調も真剣さを増している。
「アニメDVDでも、特典がつかないと五千円以上なんて」
「そうよ、みつる君。だから、特典をつけるの」
イツキの言葉を聞きながら、だんだん私は頭が痛くなってきた。もはや、私の手に負えない次元に、この映画プロジェクトは進んでいるようだった。
「別に凝ったものじゃなくて、撮影の合間のスナップ写真でいいのよ。映像ではカットせざるをえないような危険なショットを含めたりとか」
「えー、僕の貞操が」
女々しくみつる先輩が声をあげる。
「だいじょうぶよ、みつる君。女装した時点で、キミの貞操なんてないようなもんだから」
そんなひどい言葉を放ちながら、イツキは話し続ける。
「もし、三千円で売ろうと考えたら、出来のいい映画さえ作ればと満足してしまうものよ。だけど、五千円で売るとなると大変じゃん? それぐらいの強気な姿勢でいくことで、素人のあたしたちでも売り物になるものができると思うわけ」
「でも、五千円はさすがに出さないんじゃねえか。俺たち高校生なんだから」
ハルヒコですら、現実的な意見を述べている。しかし、イツキはひるまない。
「団長、そうはいうけどね、三千円出す人は、五千円だって出すもんよ。買わない人は絶対に買わない。ならば、五千円で買うことにプレミアム価値をつけたほうがいいわけよ。秘蔵プロマイドとかつけて、買わなきゃいけないと思わせる動機づけをすることが」
「それで売り上げが変わるものなのか?」
「そうね。うまくいけば、そのプロマイド欲しさに二枚、三枚と買う人が出てくるんじゃないかな?」
「ちょっと待てよ。プロマイドだけに五千円出すやつっているのか」
「団長、それが、いるのよね」
イツキは断言する。
「ファンには序列というものがあるのよ。で、その序列が上がるためならば、金を惜しまない人がいるわけ。複数枚購入することで、自分の愛は他の人たちよりもすごい、と証明できるなら、喜んでお金を差し出すファンってものがいるのよ。むしろ、そのチャンスを与えてやっているようなもので」
「そ、そんなものなのか」
さすがのハルヒコもたじろぎ気味だ。
「そういうものよ」
イツキはうなずく。
「し、しかし、三枚買ったとはいえ、みつるやおまえが何かをしてくれるわけじゃないよな」
「そうね。どっちかっていうと、金の使い方を知らないバカだと思うわね」
「だったら、どうして、そんな愚かなことを……」
「団長ったら、ファン心理がわかってないのね」
イツキは恐ろしいまでに優しい表情で語る。
「彼らはみずからの身を削るように、その人が好きであることを証明できれば満足なのよ。それによって、名誉を手に入れることができるんだから、そのお金はムダじゃない。たとえ、その愛情がむくわれなかったとしてもね」
ああ、イツキちゃん、すっかり親友だと思っていたが、頭の中はそんな悪徳なことを考えていたのか、と私は絶望した。なんでそんな境地にまで達してるんだ。
「ということで、一枚五千円にして、三十枚限定販売。これしかないと思うんだけど」
そんな私の胸のうちを知らずに、イツキはそう高らかに提唱する。
「そんなに売れるかな、イッちゃん」
みつる先輩も心配そうだ。
「だいじょうぶよ、みつる君。映像の画質さえ良ければ、それだけの値打ちがあるはずよ。そして、完売すれば十五万円よ! カメラ代が返せるだけじゃなくて、県外にも旅行に行けるのよ」
「そうだな。俺、ネットで話題になってる心霊スポットに、いつか行きたいと思ってたんだ」
すっかりイツキの言葉に乗せられたハルヒコが口をはさむ。
「なにいってるのよ。そんなところに行きたいのは団長だけよ」
「でも、興味ないか? なにしろ、そこが注目を集めてる理由が……」
「そんなところより温泉に行こうよ!」とイツキ。
「温泉?」
私たち三人は同時におうむ返しする。
「そうよ。もし、このプロジェクトが成功したあかつきには、私たちは温泉旅行に行けるわけよ。そう考えると、がんばれるじゃん? ねえ、キョン子ちゃん?」
ここで、いきなり、イツキは私に話をふってきた。
「キョン子ちゃんと二人で露天風呂につかってね、裸でいっぱいお話するの。一緒に洗いっこしながらね。すっごく楽しそうじゃん。あたし、そのためなら、なんだってするよ!」
これはどう反応すべきなのか? 私は喜ぶべきなのか? とりあえず笑うことにする。
「……悪くないな」
「……うん、悪くない」
男子二人もうなずいているようだった。そんなに行きたいものなのか、温泉って。
「じゃあ、長門、手配してくれ。もう、俺たちは退かない」
「わかった」
長門くんはメガネをクイッとあげて、そう応じる。SF小説を読んでいるだけかと思ったが、彼の胸にも期するものがあったらしい。ここまで協力的な長門くんを見るのは初めてのことだった。
「うん、温泉めざしてがんばろうね、みんな!」
すっかり主導権をにぎったイツキは、にこやかにそう言い放った。
こうして、きわめて不純な動機による、きわめて不純な内容の映画制作が始まったわけである。乗せられてしまった私も、このときは、面白そうな企画だと感じるようになっていた。それが、取らぬタヌキの皮算用であったことを、このあと私たちはたっぷり思い知らされることになったのだが。
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(6)「純愛ファイターみつる?」
僕の名前は朝比奈みつる。ごくありふれた普通の高校生。あえて特徴をあげるとしたら、ちょっと背が低いってことかな?
でも、僕はそれを言い訳になんかにしたくない。僕は男の子なんだ。男の子は強くならなきゃいけない。だから、僕は柔道部に入っている。まだ弱いけどね。
この日曜の朝も、僕は部活のために学校に向かっていた。その途中に公園があって、まだ時間があるから、ふらりと足を踏み入れたんだ。そろそろ季節は秋なんだけど、まだ暑くて、木の葉の衣替えはまだ始まっていないみたいだった。
それにしても、と僕は公園のベンチに座って考える。最近、みんなの様子がおかしくなっている気がする。学校で交わされるのは恋愛話ばかり。誰かが誰かと付き合ったとか、誰かが誰かと別れたとか、そんなウワサをみんな必死に話している。なかには、人目をはばからず抱きつくカップルだっているんだ。僕は目をそらすんだけど、まるで僕に見せつけるような感じで。
いつからこんなふうになったんだろう。昔は、将来なりたいものとか、そんな目標に向かって、みんながんばっていたはずなんだ。テストや部活の成績、昨日見たテレビ番組、お気に入りの音楽、クリアしたゲーム、そんな会話を楽しむのが高校生活だったはずなのに。
僕たちは恋愛したっておかしくない年頃なのかもしれない。でも、あせったところで、自分の理想とする女性にめぐり合えるわけじゃない。こんなこと言いたくないけど、みんな、つかの間の快楽におぼれてるような気がする。
僕はそんなふうにはなりたくない。まず、強くなって、そして一人前の男になってから、自分を受け止めてくれる女の子を見つけるんだ。時代遅れっていわれるかもしれないけど、恋愛っていうのは、もっと大事なもので、清らかなものであるはずなんだ。
「ねぇ、そこのキミ」
そんな考えごとをしている僕に、誰かが声をかけてくる。女の子の声だ。思わず、僕は顔を上げてしまう。
そこにいたのは、僕と同じ高校の制服をした子。その格好を見て、僕は眉をひそめる。茶髪で、ピアスをして、化粧をした不良みたいな女の子。ちょっとかわいいみたいだけど、きっと良からぬことをやってるんだろう。
そんな子が僕なんかに用があるはずがない。僕の後ろにいる誰かのことだろう。だから、無視を決めこんだ。
「ねぇ、そこのかわいいキミ」
でも、彼女はまっすぐ僕に近づいてくる。僕は視線を外す。女の子は一人だ、怖がることはない。そう思ったけど、体の震えが止まらなかった。どうして、こんな不良の子が僕に用があるんだ?
気づけば、彼女は僕の隣に座ってきている。
「なんで無視するのぉ? ねぇ」
そんな甘い声で彼女はささやいてくる。僕は距離を置こうとするけど、彼女はその差をじっくりとつめてくる。
「キミに決めたの、今日の相手」
「なに言ってるんだ!」
僕はついにたえかねて、彼女に向かって叫んだ。
「ナンパだったらお断りだ! 僕は柔道部員なんだぞ!」
「それがどうしたのぉ?」
彼女はほほ笑んでいる。その顔は予想していたよりもずっとかわいくて、一瞬、見とれそうになったけど、すぐに目をそらす。早くこんなバカみたいな状況から抜けださないと……。
「ふふふ、逃げようとしたってムダよ」
立ち上がろうとしたのに、僕の体はピタリとも動かない。全身が金縛りにあったみたいだ。僕の背筋はひんやりと凍る。そんな僕を見て、彼女はうれしそうな笑顔を浮かべていた。
「どう? あたし、かわいくない? こんなあたしとイケナイことしたくない?」
そして、彼女の顔はゆっくりと近づいてくる。たまりかねて、僕はわめいた。
「やめろっ!」
「なんで?」
「だって、僕は、僕は」
渾身の力をふりしぼって、僕は叫んだ。
「黒髪ロングの女の子じゃなきゃダメなんだ!」
◇
「ねえ」
さすがに、そこまで読んで、私は耐えられなくなって、ハルヒコの顔を見た。
「これって、イツキが口出ししてるんだよね」
「ああ、このセリフがなきゃダメとか言われたんで、書き直した」
ここまであからさまだと、逆に反感を買ってしまうのではないだろうか。みつるファンクラブの皆さんも、これを真に受けとめるほど単純だとは思えないのだが。
「なんだか、俺、古泉にバカにされてる気がするんだよな」
ハルヒコは沈んだ表情でそうつぶやく。
「それは私も時々する」
私はめずらしく彼に同意した。
「でも、悪気はないんだよね。イツキちゃんだから仕方ないと思って、あきらめるしかない」
「へえ、キョン子もそんなふうに感じてるんだ」
「うん、そうね」
「まあ、これは、個人的に書いてて楽しかったからいいんだけどさ」
「…………」
私は沈黙する。こんなものを書くぐらいだったら、まだ、宇宙人を信じる涼宮ハルヒコのほうがマシだったような気がする。
しかし、もう賽は投げられたのだ。イツキはノリノリだし、みつる先輩も女装の決意を固めている。長門くんだってカメラを借りてきた。もはや、私にはどうすることもできないのだ。
私は溜息をついて、ハルヒコの書いたシナリオの続きを読む。
◇
「純情な子ね。でも、そんなところが気に入ったのよ、今のあたしは」
僕の言葉にも、彼女の甘い口調は変わらない。そして、立ち上がって、
「えい!」
彼女がそう叫ぶと同時に、光がまわりを包みこんで、僕は反射的にまぶたを閉じた。いったい何が起こったんだ? 思いきって目を開いた僕が見たものは、信じられない光景だった。さっきまで、僕の隣にいた彼女の服装は変わっている。バニーガール、というのだろうか。そんな破廉恥な格好で、彼女は僕の側にいた。
「これならどぉ? 君好みの女の子になれた?」
そういえば、と、僕はある話を思いだす。ここのところ、男子を誘惑する女性が街で出没しているらしい。今、学校で乱れた男女交際が目につくのも、その女が原因だと誰かが言っていた。僕は都市伝説のたぐいだと思って、本気にしていなかったけど、僕の前にいる女の子は、とても人間とは思えないことをしている。もし、彼女が人間以外の存在だったとしたら……。
「じゃあ、さっきの続き、しようよ」
バニーガールに変身した彼女は魅惑的な瞳で僕にせまってくる。僕の体は何かにおさえつけられたように動かすことができない。このままだと、僕は好きでもない女の子とキスしてしまう。そして、僕はクラスメイトたちのように、恋愛のことばかり考えて、人前で女の子に抱きつくような、そんな恥知らずな男子になってしまう。
そんなふうになりたくなくて、僕は柔道部に入っているのに、今は自分の身を守ることができなかった。指ひとつ、僕は彼女に抵抗することができない。そして、僕の無防備な唇は、彼女のされるがままに……。
そのときだ。
「はぁっっっ!」
どこからともなく声がして、鈍い衝撃音が響きわたる。目の前の彼女が、何かに吹っ飛ばされたかのように、地面に倒れこんでいた。ふと、身体が自由に動かせるようになったことに気づく。急いで、彼女から離れた。
「ま、まさか、あんたに気づかれるとはね」
地面にはいつくばっている彼女の声は、それまでの甘ったるい口調ではなかった。僕はその向こうに立っている人の影を見る。それは、僕の知っている人だった。思わず、僕はその名を叫んだ。
「Tさん!」
◇
「Tさん?」
私は思わず、ハルヒコにたずねてみる。
「まあ、つるやさんのことだけど」
「だよね」
つるやさんは、みつる先輩のクラスメイトである。このたび、特別にSOS団映画に出演してもらうことになったのだ。なお、つるやさんは柔道部主将なので、このような設定になったわけだ。
「なんでTさんなの?」
「いやさ、つるやって、どういう漢字なのかわからなくて、仮にそうしたらいい感じだったので、そのままにした」
「ふうん」
つるやさんは恰幅のいい人で、みつる先輩ですら同級生なのに「つるやさん」と呼んでいる頼りがいがある人である。朝比奈みつるファンクラブが健全なのは、このつるやさんが、みつる先輩といることが多いからで、いわば彼はガーディアンなのだ。
いちおう、SOS団にも二人の女子がいるのだが、ファンクラブの皆さんは例外扱いしているようだった。古泉イツキとその付き添い(私のことだ)に、天使のような朝比奈みつる様がホレるはずがない、というのが、北高女子の圧倒的多数意見なのである。そんな風潮も、ハルヒコの脚本には反映されているのだ。
「つるやさんには、みつるの師匠として、活躍してもらうことになるからな」
「うん、張りきってたもんね。つるやさん」
つるやさんは、この映画を完全に誤解しているようだ。あらすじを聞いて、みつる先輩が男として人間的成長を果たす物語と受けとめ、心底感動していたみたいだった。もちろん、温泉旅行のことは、つるやさんには話していない。
みんなの腹黒さに私はあきれながらも、つるやさんには真実を知って欲しくないと思った。彼は彼で、愛すべき先輩だったからだ。
そんなTさんがどんな活躍をするのだろうか。私は涼宮ハルヒコ作のシナリオを読み進める。
◇
「くっ、覚えてらっしゃい」
Tさんの衝撃波のようなものにダメージを受けた彼女は、よろめきながら立ち上がり、すばやく去っていった。
「Tさん、なぜ、ここに?」
僕は目の前で起きたことに驚きながらも、柔道部主将、Tさんのもとに駆けよる。
「ふっ。まさか、オレの正体がおまえに知られることになろうとはな」
Tさんはニヤリと笑って、僕に答えた。
「ありがとうございます、僕の危機を救ってくれて」
僕はぺこりと頭を下げたが、Tさんの表情は険しいままだった。
「安心するのはまだ早い」
「どういうことですか?」
「あの女は吸血姫、これまで数百年にわたり、若い男の生き血をすすり、生命を保ってきた怪物だ。その血を吸われたものは、まるで獣のように発情してしまうようになる。この街ではその犠牲者がどんどん増えているようだ」
やっぱりあの子が元凶だったんだ、と僕はうなずく。それにしても、数百年も生きているとは驚きだ。見た目は、僕と変わらない年齢なのに、いろんな人を犠牲にして、若さを保ってきたのだろう。その行為は、絶対に許されるものじゃない。
「そして、あの吸血姫はとても執念深い。一度ねらった男をあきらめることはない。これからも、おまえはあいつに襲われることになるだろう」
Tさんの言葉に僕の顔は青ざめる。
「で、でも、Tさんが」
「残念ながら、オレは四六時中、おまえを守ることはできない。オレがいないスキをねらって、あいつはおまえの血を欲するために動くだろう」
くっ……。僕は地面を蹴る。自分のふがいなさを呪いたくなる。もう一度、彼女にせまられたとき、僕は逃げることができるだろうか。全身を縛りつけるような能力のある彼女に。
「だが、解決方法がないわけではない」
「Tさん、どういうことですか?」
僕はすがりつくようなまなざしで、Tさんを見た。
「みつる。おまえには隠していたが、オレは代々討魔師の家に育ち、特殊な能力を身に付けているんだ」
いつもならば、そんなTさんの言葉を信じなかっただろう。でも、目の前であのようなことを見た今、Tさんの能力を信じないわけにはいかなかった。
「だったら、その能力を僕に授けてください」
「残念ながら、一朝一夕でどうとなるという代物ではない。オレは幼少から修練を積んだからこそ、あのような存在を追い払うことができるのだ」
「そ、そうですか」
「しかし、あの吸血鬼に惑わされない力ぐらいは与えることができる」
「だったら、ぜひ、お願いします!」
僕は力強くそう申し入れた。二度と、彼女の魅惑の術中にはまりたくはなかった。それに、Tさんの言うことならば、僕は信じることができた。柔道部で、いつもマジメなTさんのことを僕は尊敬していたのだから。
「……だが」
それにもかかわらず、Tさんの表情は曇っていた。僕の身体を頭のてっぺんからつま先まで、何度も往復して見ている。
「まあ、一度、変身させてやろう。これを手にしてくれ」
それは、緑色の首飾りだった。すぐに首にかけようとした僕を、Tさんは制止する。
「ひとまず、それを手でにぎって、目を閉じてくれ」
「は、はい」
Tさんの表情が気になったものの、僕は言われたままに、まぶたを閉じる。
「はぁっっっ!」
Tさんの気合のこもった掛け声が響きわたり、僕は竜巻にまきこまれたような感覚にとらわれた。そして、それは体に変化が起こす。不思議な力が体中にみなぎってくる。
「こ、この感じ。討魔師になったんですか、僕」
「ああ、ひとまず、服を見てみろ」
「服を?」
なんだか、下半身が頼りない感じがする。僕はあわてて視線を落とす。そこには、僕のむきだしになった足があった。つまり、僕が着ていたのは……。
「ちょっとTさん、これ、女の子の服じゃないですか!」
「実は160センチ以上しか、男性用衣装はないんだ。すまん」
僕は恥ずかしさのあまり、身をかかがめてしまう。そんなことだったら、先に言ってほしかった。僕は男の子なんだ。いくら背が低いといっても、こんな格好をして喜ぶはずがないじゃないか。
昔から、僕はこうだった。いつも、女の子みたいだっていじめられた。女の子の服を着せられたことだって何度もある。そんなふうになりたくなかったから、柔道部に入って、必死でがんばってきたのに。
「これじゃ、ただのヘンタイじゃないですか!」
僕は悔しくて泣きそうだった。男の子だから泣いちゃいけない、って思ったんだけど、胸が熱くなるのをおさえることができなかった。
「ああ、そう思われても仕方がない。だが、おまえがあの吸血姫に立ち向かうには、そのコスチュームでなければならないんだ」
「…………」
Tさんの口調は厳しいままだ。そうだ、Tさんだって、悪気があって、こんなことをしたんじゃない。悪いのは、僕の身長が低いせいなんだ。せめて、あと数センチあったなら。
「なあ、みつる。あの吸血姫に魅了されたとしても、命に別状はないんだ。そんな格好で戦わなくても、おまえは死ぬことはないんだ」
ふと顔を上げると、Tさんは身をかがめて、優しく僕に語りかけていた。
「ただ、そうなれば、おまえはかつてのおまえではなくなるだろう。純愛の意味を忘れ、性に飢えたけだものとなってしまう。柔道部に来ることもなくなるだろうな。オレはひたむきなおまえの練習姿をずっと見ていた。きっと、おまえは強くなる。その可能性をつみとってしまうのが、オレは主将として、とても辛いんだ」
僕はそんなTさんの言葉をだまって聞いていた。いつもぶっきらぼうで厳しいことしか言わないTさん。僕の柔道の実力は、そんなTさんには遠く及ばなかった。でも、Tさんは僕の努力をずっと見てくれていたのだ。そのことが嬉しかった。
それなのに、僕は自分の背の低さを呪い、Tさんのせっかくの好意をムダにしようとしている。僕はそんなTさんを裏切っていいのか。潤んだ目をこすり、僕は立ち上がった。
「ねえ、Tさんは、こんな格好で戦う僕のことをヘンタイだとは思いませんよね」
「もちろんだ。おまえの魂は、女装をしても汚されることはない」
Tさんははっきりとそう言った。
「わかりました。僕、この格好でがんばります」
僕は決意した。たとえ、女の子の服だったとしても、吸血姫の彼女を倒すまでは、討魔師として戦うことを。
「そうか。ならば、今日から、おまえは『純愛ファイターみつる』だ!」
「純愛ファイターみつる?」
「ああ、おまえがあの吸血姫を追い払ったとき、この街の若者たちも純愛の意味を思い出し、不純異性交遊を行うことはなくなるはずだ」
そうだ。僕ががんばれば、人々は清らかな心を取り戻すことができるんだ。そして、それをできるのは、あの吸血姫に見初められた僕にしかできないんだ。
「オレもできるかぎりのサポートをするが、それにも限界がある。ぜひ、強い意志を持ってくれ。そして、力のかぎり、この街の純愛のために、戦ってくれ!」
「はい、Tさん!」
こうして、僕の吸血姫との戦いの日々が始まったのだった。
◇
「……ひとつ疑問があるんだけど」
ひとまず、ハルヒコの書いたシナリオ『純愛ファイターみつる』を読み終えてから、私は口にした。
「台本って、こういう形式じゃないよね?」
「だよな。最初に、小説っぽく書いてみたら、書きやすかったんで、そのままにした」
台本形式にしないと、実際の撮影のときに、いろいろ面倒なことになるんじゃないか、と私は首をかしげる。あとで、みつる先輩のナレーションを入れてごまかすにしても。
「ひとまず、これで筋道は整った。あとは、あいつらのアドリブだけでも何とかなりそうだしな」
ハルヒコは楽観的にそう言い放つ。
「でも、この展開だと、みつる先輩が、戦いを重ねるうちに、イツキに情が移ったりとか、そういうのもアリなんじゃないの?」
「それはない」
ハルヒコは断言する。
「古泉は数百年生きている吸血姫だ。本来ならば、生きることは許されない存在なんだ。吸血姫になったいきさつは色々あるかもしれないが、だからといってみつると結ばれるとか、そんな甘い展開になるはずがない。みつるは最後に古泉を倒す。これは決定事項だ。なれ合いをする必要はない」
たしかに、見ている人からすれば、イツキとみつる先輩が結ばれるのは最悪の展開だ。もし、映画で感動させたとしても、その後の反動が怖い。結局、二人が相容れない存在であることを見せるのが最善の道なのだろう。
「で、私は雑用すればいいわけ?」
「そうだな。もしかすると、出演するかもしれないが、たいした役ではないだろう」
「まあ、がんばるわ。温泉のために」
「温泉のために、か」
ハルヒコは不本意そうにつぶやく。今回の映画プロジェクトは、すっかりイツキに主導権をにぎられてしまっている。独断専行型の団長としては、今回の立場に不満もあるだろうな、と軽く同情する。
「そうそう、買い物するときは、領収書きっといてくれよ。SOS団あてで」
「はぁ?」
そんなことを考えていたら、また、意味不明なことを言ってきた。
「金銭管理を徹底しないと、このプロジェクトは失敗する。だから、必ずSOS団あての領収書をもらっておくように」
おいおい、コンビニ店員さんに「SOS団でお願いします」と言わなければならないのか。説明するのが面倒くさいし、絶対にバカにされると思う。まあ、レシートもらっておけばいいだろう、と私は考える。
「じゃあ、明日から俺は監督業に専念するからな。気安く声をかけるんじゃないぞ」
「言うまでもなく」
そして、私たちは立ち上がる。そう、これがクランクイン前日での会話なのだ。
台本は序盤のみで、しかも小説形式。それなのに、明日の土曜と次の日曜で、大半を撮り終えることができると、私たちはたかをくくっていたのだ。
自主制作映画を作った経験を持つ人は、この準備不足に笑ってしまうだろう。その報いは、もちろん、翌日以降の私たちにのしかかってきたのだった。
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(7)「ローアングルで、そこからパンして!」
映画制作にむけて、初めて部費を徴収することになった我がSOS団だが、その金額は一人あたり五千円だった。
五千円×五人では、カメラのレンタル代の三万円には遠く及ばない。それでも許されたのは、長門くんが支払いを待ってくれたからである。そして、二万五千円はそのまま部の財源となったのだ。
そこから、みつる先輩の変身コスチューム代で六千円が消えた。それを用意したのは、もちろんのことながら、イツキである。すでに部室にて試着はすませており、恥ずかしながら、それを見た私のテンションはかなり上がっていた。
だが、フリルまでついたその衣装を着て、近所で撮影するのは勘弁してほしいと、みつる先輩が泣きついてきたので、ロケ地は北高から離れた街で行うようになったのだ。その電車賃は部費持ちである。このように、部費はいともたやすく消えていく運命になった。
それにしても、長門くんがレンタルしたカメラは想像以上に目立った。テレビ撮影で見るような集音マイクのついたデカいカメラである。ケースに入れて担いで歩くだけでも、まわりの好奇な視点を集めることができた。高校生どころか大学の同好会ですら、このようなカメラで撮影することはないだろう。
「ローアングルで、そこからパンして!」
「パン?」
「つまり、ここでこう固定して、そこからカメラを動かすのよ」
「あ、なるほど」
こうして、私の知らない公園で、撮影が開始され、ハルヒコとイツキの間で、こんな言葉が交わされているのだ。
情けないことに、私たちはカメラマンが誰なのかすらも決めていなかった。長門くんがつとめるかと思いこんでいたのだが、彼は銀色の板を掲げて立っている。レフ板というものらしい。これは身長のない私には不適任である。
そうなれば、消去法で私が撮影するしかないのだが、「キョン子では頼りない」とハルヒコはみずからカメラを手にした。プロデュース兼脚本兼監督兼カメラマンの誕生である。一方の私は何もすることがなく、ただ撮影現場を指をくわえて見ることしかできなかった。何しろ、映画撮影のイメージがさっぱり浮かんでこないので、自分がどのように動いたらいいのかわからないのだ。
ひとまず、ハルヒコが用意した監督イスに座ってみた。当初の予定では、そこで彼はメガホンをふるうつもりだったが、とてもそんな状況ではなくなっていた。とにかく、イツキが撮影の角度にいろいろ注文をつけ、逐一その映像のチェックをしているおかげで、撮影はほとんど進まなかった。
まあ、イツキがこだわるのはわかる。どのように他人に見られているかにこだわっているからこそ、彼女は美人でいられるからだ。
「じゃあ、その角度から一気に全身を映してみて」
「し、しかし……」
カメラマン涼宮ハルヒコの声が弱々しくなっている。気づけば、スカートの中をのぞきこむような格好で、ハルヒコがカメラを構えている。
ちょっと待て。これでは、いかがわしいビデオの撮影ではないか。
「おい、こんなのは聞いてないぞ」
しかし、私が声をあげるよりも、早く動いた人物がいた。友情出演のつるやさんである。
「こんな撮影だったら、オレは帰る」
真の純愛ファイターであるつるやさんにとって、その光景は忌まわしいものであったに違いない。さすがに堪忍袋の緒が切れたかのようだった。
「だいじょうぶよ。ヤバいところは編集でカットするし」
そんなつるやさんにイツキがすぐさま反論する。
「だけど、こんなのまわりから見たら……」
「なにいってんの。あたしたちは映画を撮っているのよ。芸術なの、これは」
ヤバい。感情的なイツキの口調に私は慌てる。そもそも、これが芸術だとしたら、世の不健全図書類はすべてアートで片づけられると思うのだが、それよりも問題は、この二人の性格があまりにも違いすぎるということだ。つるやさんとイツキちゃんは、水と油、N極とS極なのである。二人が会話をすればするほど、亀裂は深まり、やがて地割れが起き、世界は火の海に包まれるであろう。
「だいじょうぶだよ、つるやさん。あれはアンスコだから」
しかし、私が対処するまでもなく、間に入ってきたのが、SOS団の潤滑油こと、みつる先輩だった。
「アンスコ?」
「テニスとかで履いているやつだよ。つまり、ブルマみたいなもので、下着じゃないんだよ。見せても問題ないんだ」
「そうなのか」
「そうだよ」
みつる先輩はうなずいたが、これは大嘘である。私はこれまで不本意にもイツキの下着を数多く眺めることになったのだが、今回の下着は初めて見るものだった。それは、品のない言い方をすれば、この映画出演のために準備した、とっておきの勝負下着なのだ。
「そもそも、アンスコっていうのは、女性が魅力的に見えるように考えられた上で作られたファッションの一つなんだよ、つるやさん」
「でも、いやらしくないか?」
「つるやさん、スカートというのは、中をのぞかれるために着ているんじゃないでしょ? 自分をより美しくみせるために、着ているだけなんだ。性別問わず魅力的な人だと思われるために、女の人はスカートをはいているんだ」
「ふむ、フィギュアスケートも、無意味にスカート姿だしな」
「それはいやらしいものじゃなくて、女性らしいものであり、美しいものなんだよ。いやらしい目で見るから、いやらしく感じるだけで」
「そうなのか」
そんな白々しいみつる先輩の詭弁に、つるやさんは単純にも納得したようである。まったく、みつるファンクラブの皆さんがこの本性を知ったらどう思うものか、と私はあきれる。
「なあ」
そのとき、頭上から声がした。見あげてみると、そこにはレフ板係の長門くんがいた。
「時間を持てあましているみたいだが」
これまでにない優しい言葉をかけて、長門くんは自分のポケットをまさぐりだす。イヤな予感だ。私が暇なことに気づいて、彼はここぞとばかり、アレを渡そうとしているに違いない。そう、彼が部室でひたすら読んでいるアレである。
「い、いや、たしかにヒマだけど」
「だから、これをお願いしたい」
そして、渡されたのは予想に反してSF小説ではなかった。ただのデジタルカメラである。
「これ、どうするの?」
「これで現場を撮影したらいい」
予想外の言葉に面食らっていると、後ろから声が聞こえてきた。
「おい長門、もうすぐ撮影を再開するぞ。キョン子と遊んでる場合じゃない」
すっかり影のうすくなったハルヒコだ。どうも、彼の言葉にトゲが感じられる。イツキの度重なる注文に、さすがの彼も腹を立ててきたようである。
「涼宮、ちょうど良かった。彼女にスチールカメラを任せたいと思うのだが」
そんな口調を意に介さず、長門くんは涼しい顔をしてそう語る。スチールカメラ? 私はハルヒコと顔を合わせ、聞きなれない言葉に首をかしげる。
「このデジカメは画素数あるから、素人の彼女でも良い写真は撮れる。それは映画にも役立たせることができる」
「そうだな。古泉が言ってた特典用の写真を撮らなくちゃいけないし」
「それだけではない。映画用の素材としても、静止画は役立つ」
「映画用の素材? 写真が?」
ハルヒコ監督の驚きに、レフ板係長門くんはうなずく。何だか、立場が逆になったような会話が交わされている。
「例えば、場面転換のときに、遠景を使う必要がある。公園から学校に切り替わったとき、最初に校舎の全体図を見せるといった手法だ」
「うん、そうだな。そのほうが視聴者にわかりやすい」
「その遠景だが、特に動画にこだわる必要はない。静止画を使っても、場面転換したと、視聴者には伝えることはできる」
「いや、さすがに映画で写真を挿入するのはマズいだろ?」
「そんなことはない。あわだたしく場面を動かすよりも、静止していたほうが良いことだってある。このデジカメで撮影したものならば、ちょっとしたエフェクトを加えれば、違和感なく映画でも挿入できるだろう」
「だけど、せっかく良いカメラを借りたのに、デジカメの写真を使うっていうのもなあ」
「場面転換の遠景を注視する視聴者はいない。その手法で幻滅させたのならば問題だが、彼らが高画質で見たいのは主役を演じる二人であって、景色ではない。視聴者の関心を持続させるために、あえて動かない映像で、目を休ませることも重要だ」
「なるほど」
そんな長門くんの言葉に、ハルヒコも私も感心している。長門くんがここまで映画撮影にくわしいとは思っていなかった。
「それ以外にも写真の使い道はある。DVD化するのならば、パッケージ写真が必要だ。さらに、オープニングで写真を使った演出を使うのもいい」
「オープニングで写真を使うって、それじゃアニメと同じじゃないか?」
「そうだな、今回の映画は内容がアニメ的だから、それらしさを出したほうが面白いかもしれない」
「でも、長門。俺たちはアニメじゃなくて、映画を撮ってるんだぜ」
「ああ、あくまでもメインは動画にある。ただ、それを補助するために静止画は役立つ。特に写真は動画よりも素材管理が容易だ。編集作業中には写真で代用することもできるしな」
まるで映画制作の経験があるかのように、長門くんは語っている。もしかすると、将来、SF巨編を作る夢を抱いていたのかもしれない。
「ねえ、そんなにくわしいんだったら、長門くんが監督やったほうがいいんじゃない?」
「おい、今回の企画は俺が立ち上げたんだからな」
思わずつぶやいた私の言葉に、ハルヒコは過剰反応する。
「あくまでも監督は俺だ。長門だって、キョン子だって、俺の指示どおりに動いてもらわないと困る」
「だから、彼女にスチールカメラマンを任せることを許可してもらいたいのだが」
「勝手にしろ」
そう吐き捨てて、ハルヒコは持ち場であるイツキのもとへと戻っていく。何だか不穏な空気が取り巻いているのが心苦しいが、仕事を与えられることは、所在なかった私には歓迎すべきことだった。
「ありがとう、長門くん。私のことを考えてくれて」
「いや、いい」
クールに答えて、長門くんはレフ板をかかえて去っていく。ついでにSF小説を布教されるかと思っていたが、長門くんは紳士的に立ち去った。私はすっかり彼を見直した。
こうして、私はスチールカメラマンとなって、パシャパシャと写真を撮ることになったのだ。こう見えて私は、家族でカメラマンをつとめるほどの腕前である。遠景も必要だといってたので、空の写真を撮ったり、池の鳥の写真を撮ったりした。自分なりにそれっぽい構図を考えて、シャッターを切ると、すっかり私の芸術的良心は満たされた。
もちろん、陽気なのは私ぐらいなもので、撮影現場はひどいものだった。すぐに口を出すイツキにしびれを切らしたハルヒコとの間で言い争いが起きて、険悪な雰囲気はもはや修復不可能な状況だった。
注文ばかりのイツキも悪いが、前準備をロクにしなかったハルヒコも悪かっただろう。絵コンテを作るどころか、現地の下調べすらせずに、小説めいた脚本だけで撮影しようとしたせいだ。といっても、素人の私たちに、映画撮影が何たるものか考えることができるはずなかった。
せめて、知識がある長門くんが前に口出ししてくれれば良かったのに、と思う。だが、長門くんは自分から口をきかない性格だし、そんな彼の助言に素直にハルヒコが耳を傾けるはずがなかった。結局のところ、起こるべくして、この不穏な空気は起こったのである。
「楽しそうだな、キョン子」
うんざりした顔でハルヒコが語りかけていた。彼は監督イスに座っている。私がパシャパシャとシャッターを切っていた間に、彼はカメラマンをクビになったのだ。
理由の一つは小説めいた脚本の書き直しをせまられたためであり、もう一つはみつる先輩に「ハルヒコ君がカメラ持ってると照れる」とNGを出されたからだ。そして、後任カメラマンには無表情な長門くんがおさまった。
では、レフ板係は誰なのかというと、必然的につるやさんになってしまった。ゲストであるつるやさんにADみたいな真似をさせるほど、我がSOS団は落ちぶれてしまったのだ。ただし、つるやさん自体は喜んでそれをつとめてくれているようだ。こんな雰囲気だと、何もしていないほうが居たたまれない気持ちになってしまうだろう。
「まあ、私はスチールカメラマンだし」
私はハルヒコの沈んだ顔をデジカメにおさめる。
「おい、俺を撮影したって、映画で使えないじゃないか」
「いいじゃん。エンディングには使えるかもよ」
私はあえて快活に話しかける。
「スタッフロールなんて、この人数だから、すぐに終わっちゃうと思うんだよね。だから、最後に制作現場の写真を見せるわけ。私たちは、こんなにもがんばったんです、その努力だけは認めてください、ということで」
「そういうことは、あんまりしたくないんだけどな」
ハルヒコは弱々しく答える。私としては、撮影初日にしてこの映画は大失敗に終わると確信を抱いていたから、せめて見終わったあとに、観客に「ふざけるな」と言われない方法を考えなければと思ったのだ。映画が未完成になれば、カメラ代や衣装代や電車代などなどが、すべて水の泡なのである。それだけは何としても避けなければならない。
「それにしても……」
ハルヒコは何か言いたそうな顔をしながら、イツキのほうに首を振った。イツキはぽつんと離れたベンチに座り、爪をかんでいる。ここまで機嫌の悪いイツキを見たのは、私も初めてだった。
イツキは今回の映画で自分がどう映るかについて、かなり明確なビジョンを持っていたようだった。ところが、彼女にもハルヒコにも、それを実現できるほどの知識や技量がなかった。やがて、彼女は口をきかなくなった。無言になったときの美人ほど怖ろしいものはない。
「まあ、私の掃除モードみたいなものよ。あんたのせいじゃない」
「ああ。だから、話しかけないようにしてるんだけど、正直、今日はこのまま解散したほうがいいのかもしれないって思い始めてる」
「でも、続けなくちゃいけないでしょ、あれでは」
「だな」
私の掃除モードとは、月に一度ぐらいに訪れる私の感情発散タイムのことだ。あるとき、日々乱れていく一方のSOS団部室にたまりかねて、私は掃除宣言をした。しかし、ボードゲームを片づけようとすると、みつる先輩がオタクなことを言い出すし、ガラクタを捨てようとすると、ハルヒコがよくわからない説明を始めた。こうして、怒りは頂点に達し、私は獣のごとく咆哮したのである。
それから、イツキの耳打ちもあって、彼らは私の掃除モードにどう対処するか気づいたのだ。やがて、ハルヒコは調子に乗って、以下の「キョン子の掃除モード対策六か条」を制定したぐらいである。
[1]キョン子に話しかけてはならない
[2]キョン子を手伝ってはいけない
[3]キョン子の行動をさまたげてはならない
[4]かといって、部室から出てはいけない
[5]キョン子に感謝をする必要はない。ただのストレス発散である
[6]慌てず冷静に対応すること。これは日常の延長線にすぎない
このようなルールができあがると、私も安心して掃除できた。私が鼻息荒く作業をしているのを、彼らはただ見守ればいいのだ。もちろん、私物コーナーからはみ出たものは、修羅と化した私にすぐさま捨てられることになるのだが、それは自業自得である。ルールさえ守っていれば、私は余計なものに手は出さないのである。
こうして、私はストレス発散でき、部室は最低ラインの美観を維持することができたのだ。こういう物分りの良いところが、私がさんざん悪態をついているのに関わらず、SOS団にとどまっている理由の一つである。
「つまり、古泉からすれば、自分のおかげで撮影がうまくいかないって事実が、一番腹立だしいってことだろ?」
「うん、だから、あんたが監督として言うことには従ってくれるはず。仕事相手としては、今がやりやすいかもしれない」
「その反動が怖いけどな」
「だから、今日一日は最後までやらないとね。イツキに、自分のせいで途中で終わった、と思わせないために」
私の言葉に、ハルヒコは深い溜息をつく。すぐさま私はデジカメを構えて、シャッターを切る。
「おい、おまえ、なに撮ってるんだよ」
「涼宮ハルヒコの溜息」
私はそう切り返す。
「あとであんたの表情見せてあげる。どれだけひどい顔をしてるか、忘れた頃に見るとかなり笑えると思うよ」
「人の苦労も知らないで、楽しそうだな、おまえ」
「なんだか、私も映画を撮影している気がするんだよね。メイキング・オブ・ザ・純愛ファイターみつる、って写真集を出したいぐらい」
「勝手にしろ」
ハルヒコはふてくされている。現場の雰囲気は最悪だったが、これまで見たことない彼の表情を撮るのは楽しいことだった。もちろん、私は不機嫌モード全開のイツキちゃんを撮影するような、命知らずな真似をするつもりはないけれど。
「お待たせ!」
そんな私たちに、声をかけてくる男子の声。私はすばやく、彼を見る。そう、ようやく初めて、みつる先輩の女装が登場したのである。
それは、討魔師などといった設定を完全無視した、フリルのついた魔法少女の姿だった。
「ねえ、私、似合うかな?」
みつる先輩は、裏声でそう話しかける。どうやら、彼は女子になりきることで、自己同一性を保とうとしているようだ。それは悪くないことだった。私はスチールカメラマンとしての任務を果たすべく、すばやくデジカメを構えてシャッターを切る。
「このまま撮影を続けるのか?」
そんな私に水をさすかのように長門くんの声が聞こえてきた。
「ああ、まだ日は暮れていないしな」とハルヒコ監督が答える。
「バッテリーが間に合わない。電池を買ってもらいたいのだが」
「そうか、じゃあ、キョン子、買ってこい」
「イヤよ、私、スチールカメラマンだし」
「手があいているのが、おまえしかないんだよ」
たしかにそうだ。つるやさんを除けば、この撮影での重要度は私がもっとも低い。
「わかったわよ、どれぐらい買ってくれればいいの?」
「二十本ほど」と長門くん。
「そうだな」とハルヒコ。
「ちょ、ちょっと、二十本って、このあたりの店、私はよく知らないし、コンビニで買うしかないから」
「だから、そのコンビニで買ってくれればいいだろ?」とハルヒコ。
「だって、電池二十本でしょ?」
「仕方ないんだ、今は緊急を要するからな。ほら、これで買ってこい」
そして、ハルヒコは五千円札を渡す。
いや、いくら部費だからとはいえ、これは私たち五人の汗と涙の結晶なのだ。こんなふうに、軽はずみに使っていいものなのか。定価販売のコンビニで電池二十本買うなんて、とても正気の沙汰ではないじゃないか。
「ほら、早く。あと、領収書も忘れるなよ」
ハルヒコの声にせかされて、私は走り出す。そう、映画プロジェクトは動き出しているのだ。いくら、お金がかかろうとも、それをやりとげないことには、何一つ得ることができないのだ。
まったく、温泉旅行に心奪われて、なんという厄介なプロジェクトを抱えこんでしまったのであろうか。SOS団の前途は、嵐を進む帆船ぐらい絶望的だと私は思った。
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(8)「つるやさんの頼みとあらば」
悪夢のような週末ロケのあとの月曜日、イツキは学校を休んだ。携帯電話を見ると「思いきり泣きまくるぜ、ベイベー」とのメッセージ。ただし、放課後の撮影には行けるので、必要あれば連絡してほしいらしい。彼女にとっては、学業よりも映画が優先みたいだ。
私はズル休みなんて生まれたこのかたしたことがないので、いつものように学校に向かった。もしかすると、ハルヒコも休んでいるかと思ったが、ちゃんと来ていた。たいしたヤツである。イツキが休んでいることを伝えると「そうだな、今日は古泉なしの撮影をしておくか」と言った。
そんな昼休み、私はクラスメイトの雑談に付き合っていた。中学時代からの友達のクニと、お調子者のグッチのコンビのことである。教室でいるときの私は、あいかわらず、この二人と一緒に行動することが多かった。
グッチは昨日に見たテレビドラマについてしゃべっていて、クニは愛想よく相槌をしている。私は特に口をはさむことはないけれど、このような居場所があることは喜ぶべきことだった。そう、誰が何と言おうが、私は普通の女子高生なのであり、この二人といることは、それを実感できる安らぎの場所だったのである。
「ちょっと、話がある」
そんな幸せにひたっていた私に偉そうな声が聞こえてくる。まさかと思って見上げると、そこには例の団長がいた。
ハルヒコはそのまま近くの椅子に座ろうとする。私は思わず叫んだ。
「ふ、不可侵条約は!」
「は? 何言ってるんだよ、キョン子」
ハルヒコは意に介さない様子で、そのまま座る。
これは私にとって困った事態だった。たしかに、私と彼との間にはいかなる条約も締結されてはいない。しかし、私がクニ&グッチと話しているときに、ハルヒコは話しかけてはならないという不文律があったはずではないのか。
予期せぬ男子の登場に、たちまち、グッチの表情は一変する。入学してから半年、いろんな出来事があったとはいえ、あいかわらず涼宮ハルヒコは嫌われ者なのだ。思わず、その場から離れようと中腰になったグッチに、彼は話しかける。
「谷口、おまえに話があるんだけど」
この展開には、私もグッチも驚いた。ちなみに、谷口というのはグッチの名字である。
「う、ウチに何の用よ」
グッチは私のほうを見ながら、取り乱した声を返す。その目はこう言っていた。あんた、スズミヤ対策委員長じゃないの。なんで、ウチに迷惑をかけるわけ?
その視線の鋭さは、私をあせらせる。しかし、不可侵条約が破られた今、私にも対処のしようがないのだ!
そんな私の戸惑いに気づかないまま、ハルヒコは大胆にもこう言った。
「おまえたち、我々の映画に出てくれないか?」
「映画? 何言ってんのよ」とグッチ。
「だから、俺たちが撮っている映画のことだ」
ハルヒコは平然とそう答える。
「ちょ、ちょっと」
私は立ち上がって、彼の腕を引っ張る。
「映画のこと、話していいの?」
「当たり前だ。というより、おまえ、話してなかったのか?」
「だって、完成するかどうか定かではないし。部外者には秘密じゃないの?」
「その点はだいじょうぶだ」
なぜか自信に満ちた表情でハルヒコはうなずいて、グッチに向き直る。
「そんな我がSOS団の制作する映画に、おまえたちに出演してほしいのだ」
グッチの表情からたちまち血の気が引いていく。無理もない。いきなり、変人集団が作っている映画に出演しろと言われて喜ぶような女子など、世界中探してもいるはずがない。私はグッチの心の叫びが痛いほど伝わった。なんで、こんなことにウチが巻きこまれなければならないのよ。キョン子、これはアンタのせいよ!
「そして、谷口。これは、つるやさんたっての願いなのだ」
そんなグッチの様子に気づかないのか、さらに話を進めるハルヒコ。つるやさんの名前を出したところで、この最悪の状況が変わるはずがない。だいたい、つるやさんとグッチに何のつながりが……。
「え! つるやさんが出ているの?」
たちまち表情を一変するグッチ。あれ? これはどういうこと?
「ああ、特別出演だが、準主役級の活躍だ。今日は武道場で、そんなつるやさんのたくましい姿を撮影しようと思っている。どうだ? 現場を見てみたいと思わないのか?」
「キョン子。どうしてこのことを言ってくれなかったの!」
グッチは私の肩をつかんで、思いきりゆらす。いや、そんなことをされても困る。つるやさんのことをグッチが話したことはあるけれど、ここまでのファンとは思ってみなかったし。
そういえば、グッチはあの朝倉リョウのファンだったこともあった。どうやら、スポーツマンタイプが彼女の好みらしい。それにしても、なぜ、そんなことをハルヒコは知っているのだ?
「エキストラ出演だから、セリフは少ない。出演は今日の放課後かぎりだ。それでいいか?」
「うん、つるやさんの頼みとあらば」
笑顔でこたえるグッチ。その変わり身の早さに私はあきれる。
「あと、その、ええと、国木田? おまえも出演してくれるか?」
ハルヒコは失礼にもクニの名字を忘れかけていたらしい。しかし、それに気分を害さずにクニはうなずいた。
「うん、どんなふうに映画を撮影しているのか興味あるし」
それから、クニは私のほうを向いて続けた。
「キョン子がSOS団でどんな活躍をしているのか、見てみたいしね」
「よし、交渉成立だ」
満足そうにうなずくハルヒコ。そのまま何食わぬ顔で立ち去ろうとしたので、思わず私は彼の後を追いかける。
「ねえ、どういうことなの?」
「どういうことって、なにがだ?」
「あんたがなんで、グッチがつるやファンだって知ってたのよ」
そんな私の言葉に、ハルヒコは何でもなさそうに答える。
「あいつ、ときどき武道場に顔を出したりしていたし、人目はばからずに、つるやさんに黄色い声援送ってたからな。あいつが誰をねらっているのかほど、わかりやすいものはない」
そうだ、ハルヒコは無駄な行動力と鋭い観察眼の持ち主なのだ。今でも時々学校めぐりをすることがある。こいつの脳内には、我が北高生徒の多くの情報がインプットされているのだろう。
もしかすると、こいつは私に対しても良からぬ情報を持っているのかもしれない。まあ、私にたいした秘密はないし、彼が苦手とする古泉イツキちゃんと親友なのだ。いちおう、味方なんだし、恐れることはないだろうと開き直ることにした。
「でも、あんなこと言ってだいじょうぶなの? あの二人に話すとなると、意地でも映画を完成させなければならないわけで」
「そうだな、昨日の夜に長門と話し合って、いろいろ見直した結果、しかるべき尺に落ち着いたんだ」
「尺って時間の長さのこと?」
私はそうたずねながら、少し安心する。今回のプロジェクトに関していえば、長門くんほど頼れる存在はいないからだ。
「ああ、俺たちの実力では本編三十分以上のものは作れないという話になった」
「三十分? それじゃ、とても売り物にならないんじゃ」
「だから、特典映像をつける」
「特典映像?」
「ああ、古泉とみつるのムフフ映像を特典につけるわけだ」
かなりマジメな顔で、ハルヒコはそう答える。ムフフ映像って、よくそんな言葉を恥ずかしげもなく言えるものだな、と私はあきれる。
「で、その許可はとってるの、主演の二人には?」
「まだだが、だいじょうぶだろう」
「正直いって、イツキ、かなりこの撮影で気分害していると思うよ」
「いや、むしろ、古泉は張りきってくれると思うぜ。土日の撮影の様子からいって」
どういうことだ? 私は首をかしげるが、それ以上のことをハルヒコは口に出さなかった。ただ、彼が不退転の決意を固めていることはわかった。それが喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのかはさておき。
◇
「長門、そこらへんでどうだ?」
「ああ、ここなら全体を撮れるな」
「じゃあ、そこがA地点だな」
柔道部主将であるつるやさんの協力のもとに行われる今回の武道場ロケ。そこで、ハルヒコと長門くんはカメラのセッティングをしている。長門くんは「A地点」となった床に、ビニールテープを貼っているようだった。
土日の撮影とはまったく異なるやり方に私は驚いてたずねる。
「これ、どういうこと?」
「カメラの位置設定だよ。見てわからないのか」
「いや、土日にはそんなこと、してないじゃん」
「まあな、俺たちは根本的なまちがいをおかしていたからな」
ハルヒコはもっともらしくうなずく。
「そもそも、カメラは動くものじゃない。映画というのは固定視点で撮るべきものだったんだ」
「でも、ずっと固定カメラで撮影してる映画のほうが珍しいんじゃ……」
「キョン子さ、カメラをレールに乗せて動かす装置、知ってるか?」
「ああ、そういうの、あるよね」
そういえば、主人公が歩くのに合わせて、カメラがレールの上で動く装置を、昔のテレビ番組で見たことがある。
「そこまでして、視点をぶれさせないようにしてるんだ。カメラを動かすっていうのは大変なことなんだよ。手ブレが許されるのはホームビデオだけだ」
「でも、ズームとかあるじゃん。カッコよく、ピシャッて決めたりとか」
「それが難しいんだな。経験と技量が必要となる。今の俺たちでは到底無理だ。ただし、昔の映画なんて、そんな技法を使っていない。それでも、名作と呼ばれる映画は多い」
なるほど、長門くんと話し合っただけがあり、土日のときとは比べ物にならないほど、彼の言葉には説得力がある。
「多くの人が抱く映像のイメージは、音楽のPVなどがそうだ。たしかにPVでは視点がめまぐるしく動くこともあるが、それは五分程度で完結する内容だし、音楽と同期しているからこそ許されるんだ。目が追いつかないところは、耳でカバーできるからな。その手法で長編映画を作ったら、普通の人はとても耐えられないだろう」
「そうかもね」
「おそらく、古泉はPVをイメージして、自分を撮影してもらいたかったと思う。そこで、特典映像では、古泉の要望にこたえた撮影をしようと考えているわけだ」
そこで、ムフフ映像ときたか。なるほど、それだとワガママなイツキちゃんも満足できる撮影になるかもしれない。
「本編三十分とみつると古泉の特典映像。これなら五千円で売ってもおかしくないクオリティになる」
「その特典映像って、どこで撮るの?」
「そんなもん、部室でいいだろ。あいつらに好き勝手撮らせりゃいいんじゃないか」
ということは、イツキに任せるということか。なんだか、とんでもない映像になりそうだが、今は本編の完成を心配するのが先だ。
「涼宮、ここらへんでどうだ?」
「ああ。そこがB地点だな」
長門くんは、ハルヒコの返事にうなずき、床にビニールテープを貼る。
「そもそも、三つのカメラで同時撮影すれば、こんな苦労はかけずにすんだんだけどな」
「でも、私たちにはひとつのカメラしかないからね」
「ああ、俺たちの努力に比べりゃ、テレビのカメラマンの仕事なんて屁みたいなもんだ」
調子のいいことをハルヒコはつぶやく。しかし、その自信のせいか、昨日までの撮影現場のどんよりとした雰囲気は霧消したようだった。
それから、ハルヒコは長門くんといろいろな打ち合わせを始める。ふと壁を見ると、すっかり忘れていた二人のクラスメイトが立っていた。
「ごめん、退屈してたでしょ?」
そう、今回のゲストである、クニ&グッチのコンビである。そのおもてなしは私の双肩にゆだねられているようだ。
しかし、放置していたに関わらず、二人はそれほどイヤな顔を見せていなかった。
「わりと本格的にやってることに驚いた」とグッチ。
「キョン子ったら、いい顔してるじゃん。ちょっと、うらやましいぐらいだよ」とクニ。
二人の言葉に、私は思わず顔を赤らめてしまう。そんな私に、陽気な声が聞こえてきた。
「キョン子さん、これどう?」
主役である、みつる先輩の声だ。彼は柔道着に身を包んでいる。私は柔道着に汗臭い印象を抱いていたのだが、みつる先輩にはいつもの清潔感がただよっている。まるで新品のように汚れのない白い柔道着。
ううむ、と私はうなる。あのフリルのついた魔法少女服といい、この人には白が似合いすぎる。中身はオタクな変態野郎のくせに。
「お、今日は君たちが協力してくれるんだな」
それとは正反対な、はだけた胸がたくましい、つるやさんが私たちに近づいてくる。それを見て、ただちに姿勢を正したのがグッチだった。
「ええ、がんばります!」
「ああ、期待しているよ」
つるやさんはさわやかにそう答える。
そういえば、ハルヒコは、つるやさんがグッチに出演をお願いした、とか言っていた。おそらく、それは事実ではないのだろう。だが、グッチの様子を見れば、その真偽はどうでもいいみたいだった。
◇
さて、今回撮影するシーンは、イツキに負けてばかりのみつる先輩が、Tさんことつるやさんの胸を借りて修行するシーンである。
バトルに負けるたびに、このシーンを挿入するみたいだが、とりあえず、まとめて撮影して、編集で分割するらしい。
土日の撮影では、何の考えもなしに冒頭のシーンから撮影していたのだから、少しは賢明なやり方を取りはじめたようだ。
そんなわけで、A地点で長門くんがカメラを構え、撮影が始まる。柔道の練習の一つで「乱取り」というものを行うようだ。みつる先輩は果敢にもつるやさんに挑むが、その実力差は埋めがたく、彼の体はたちまち宙に舞う。
バシーン! そんな音が武道場に響きわたる。
それでもみつる先輩は立ち上がる。かまわずつるやさんは技をかける。みつる先輩は宙に舞う。バシーン!
それから、みつる先輩が起き上がって、つるやさんが投げて、バシーン!
バシーン! バシーン! バシーン!
しばらくして、何かがおかしいことに気づいた。ハルヒコはたまらず声をあげる。
「おい、カット、カット!」
みつる先輩とつるやさんは足を止める。さんざん投げられたのにも関わらず、みつる先輩は涼しい顔をしている。
「ちょっと、つるやさん、マジで投げてくださいよ」
そう口をとがらせるハルヒコに、つるやさんは決まり悪そうに答える。
「本気出しているけど、みつるは受身だけはうまいからな」
「うん、僕、ミスター受身って呼ばれてるぐらいだから」
ミスター受身――それは、何かしら、朝比奈みつるという男子の生き方をあらわす言葉のような気がした。決して自分から技をかけることはないが、どんな技でも軽やかに受ける。勝負には負けても、ダメージはゼロ。いかにも、みつる先輩らしい戦法である。
「だが、それじゃ困るんだよ!」
ハルヒコは声を張りあげる。
「おまえは古泉を倒さなくちゃいけないんだ。受身がうまくなったところで、古泉を倒せるわけじゃないんだ。もっと自分からつかみかかれ!」
そう興奮したあとで、彼は何やら台本にいろいろ書きこむ。
「今のセリフ、つるやさんに言ってもらおうと思うんですが、どうですか?」
「そうだな。オレもこんなみつるの試合運びには、正直むかついていたからな」
「だって、つるやさんとマジメに戦っても勝ち目ないし、受身を取り損ねると痛いし……」
「当たり前だ! その痛みを乗り越えてこそ、古泉に勝てるんだ!」
そう言って、ハルヒコは台本にまた何かを書きこむ。
「そうそう、つるやさん。古泉ってところは、吸血姫、と置きかえてお願いします」
「ああ。オレはあいつの名前を知らないことになってるからな」
「涼宮、そのシーンはBカメでいいか」
そこで、カメラマン長門くんの声がする。
「ああ、それで頼む。あと、それを聞いているみつるをCカメから取ろう」
「了解した」
おそらく、実際の映画撮影とはまったく異なる光景だろうが、私にはなかなかうまく機能しているように思えた。その場で台本を書きかえるなんてナンセンスだし、いちいちカメラの場所を変えるとは非効率きわまりないだろう。ただ、確実に映画制作は進んでいるように見えた。
ハルヒコと長門くんが何かを耳打ちしているのを見ながら、現場の雰囲気はイツキがいないほうがいいのかもしれない、と私は友情知らずに思ってしまう。ただイツキなしではこの映画は成り立たないわけだし、SOS団にはイツキのような存在が必要なのだ。
「ねえ、ウチらの出番はまだ?」
すると、後方からグッチの声がする。そういえば、ゲスト出演のクニ&グッチの出番がいつになるか、まだ聞いていなかった。でも、今の打ち合わせをしているハルヒコには、なんだか声をかけたくなかった。男子四人による映画制作風景。それは遠くで見ると、なかなか乙なものだったからだ。
「ごめんね、行き当たりばったりの撮影だから。台本もどんどん変わっているし」
私の言葉に、グッチは気分を害していないようだった。
「いいよ、見てるだけでも面白いし」
それは、グッチの本心であったと思う。この撮影現場には、何かしら新しいものが生まれそうな気配がしていた。芸術の神様が降臨してきそうな。
「それよりもさ」
クニがつぶやく。
「キョン子って何をやってるの?」
そういえば、と私は自分の職分を思い出す。私はスチールカメラマンなのである。あわてて、デジカメを探そうとするが、すぐに、家に置き忘れていたことに気づく。長門くんからの借り物であるデジカメを、私は持ってこなかったのである。
まあ、いいや。ハルヒコにそのことでとがめられたら、素直に謝るしかない。ただ、このときの現場の写真を残せないのは残念だな、と思った。みんな、いつもよりも良い表情をしていたからだ。私は久々に、こんな連中と一緒にいることに心から満足感を抱いた。
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(9)「必殺技に対する認識が甘すぎる!」
「必殺技会議を始める」
部室でハルヒコは高らかにそう宣言した。武道場ロケの翌日のことである。
そのバカげた発言に、私たちが動じることはなかった。すでに、団員全員に携帯電話のメッセージで伝えられていたからだ。といっても、文面はたった一行、『必殺技を考えてくるように』という、そっけないものだったが。
ハルヒコと同じクラスである私も、直接ではなく携帯電話のメッセージで団長命令を受け取った。どうやら、映画制作に夢中なあまり、私と一言交わす時間ですら惜しむようになってきたらしい。
「団長、今日は撮影しないの?」
昨日ズル休みをしていたイツキの問いに、ハルヒコは深くうなずく。
「ああ、これまでのロケで、事前準備を着実にしないと、まともな映像が残せないことを痛感したからな」
口調は偉そうだったが、ハルヒコなりに反省しているのだろう。独断専行型の彼が他人に助けを求めるとは、実に珍しいことだった。
「……でも、それが、必殺技っていうのが、ねえ」
思わずもらした私の言葉に、ハルヒコはするどく反応する。
「お、キョン子は、なんか考えてきたか」
うれしそうにたずねる彼に、私はそっけなく答えた。
「みつるビーム、とか」
「却下だ、却下。なんだよ、それ」
ハルヒコはあきれた顔で私を見る。わざわざ、必殺技会議なんてバカな企画に付き合ってやってるのに、失礼なヤツである。
「うーん、みつるサイクロン、とか?」
「ちょっとだまれ、キョン子」
「そういうんじゃないの?」
「誰が、必殺技の名称を考えてこいって言ったんだよ」
「どうせ、編集でいろいろ加工するんでしょ。バカみたいな光線とか波動を出したりして」
「それで面白い映画が撮れると、本気でおまえは思ってるのか? キョン子、おまえは必殺技に対する認識が甘すぎる!」
「なっ……」
ハルヒコのマジメな反論に私は絶句してしまう。高校生にもなって、必殺技なんてフレーズを連呼するだけでも恥ずかしいと思うのだが、ハルヒコの表情は、いたって真剣なものだった。
「で、でも、つるやさんはそういうの打ってたじゃん。あんたの脚本だと、『はぁぁぁっ!』って」
「それは、つるやさんだからだ。あの人だったら、必殺技の一つや二つ持っていてもおかしくない。それだけの説得力がある身体をしている。だが、我々のヒーローは、残念ながら、みつるなのだ」
「そうよ、キョン子ちゃん。この映画のコンセプト、わかってるの?」
イツキまでもが、ハルヒコに加勢する。なんだか説教口調になっている。私、それほど、見当ちがいなことを言ったつもりはないのだけれど。
「たしかに、映像編集により、アニメのようなエフェクトをつけることは、それほど難しいことではない」
団長席の後ろに座っている長門くんも口をはさんできた。
「だが、そんな誰もが思いつくアイディアを、わざわざ加工して見せたところで、観客が満足するとは思えない」
「そうだ、長門の言うとおり。我々の映画は、観客のありふれた予想を裏切らないといけないからな」
「……なるほど」
そんな会話に唯一加わらなかった、みつる先輩が、もっともらしくうなずく。
「お、みつるは何か考えてきたか?」
「そういうことだったら、ハルヒコ君、超能力系はどうだろう?」
「超能力系?」
思わず、私はオウム返しをしてしまう。まさか、系統別に分けるほど、みつる先輩は必殺技を考えてきたというのか。
「例えば、『秘技・マリオネット』とか」
「それって、あやつり人形みたいに、相手を動かせる能力ってこと?」
「そうだよ、イッちゃん。つまり、相手の命令に従わなくちゃいけないってことだから、イッちゃんは僕の……」
「なるほど、女装したみつるが、『シェー』とかやらされるわけか。面白そうじゃないか」
「あれ? 技をかけるのは僕じゃないの?」
途端にみつる先輩があわてだす。
「みつる、なに言ってるんだ。受身しか取柄のないおまえに、必殺技なんているか」
「……まさか、イツキちゃんの必殺技を考えてこいってことだったの?」
「ちょっと考えればわかるだろ、キョン子」
私の問いに平然と答えるハルヒコ。いや、映画のタイトルは『純愛ファイターみつる』であって『吸血姫イツキ』ではなかったはずなんだけど。
「今回の映画は、みつるが古泉に負け続けるという筋書きだ。みつるは最後に勝てばいい。だから、その間のバトルを盛り上げるために、古泉の必殺技がいるんだよ。できれば、五つぐらい」
「じゃあ団長、最初は、古典的に催眠術でいいんじゃない?」
ハルヒコの説明に納得したのか、イツキが提案する
「催眠術?」
「そうよ、五円玉をひもにぶら下げて、それを揺らして、『あなたは、動物です』と思いこませるとか」
「うむ、最初の戦闘は、それぐらいでいいな。みつるだったら、そんな子供だましにかかってもおかしくない」
「それでね、みつる君が、イヌになりきってお手をしたりとか、馬になってあたしを乗せてパカパカ走り回ったりするんだよね。もちろん、女装したカッコで」
「ひ、ひどい」
さすがのみつる先輩も、容赦ないイツキの提案には、たじろいでいるようだった。
「……まさか、それを、公園で撮影する気なの?」
「でも、キョン子ちゃん、みつる君のファンは喜ぶと思うよ」
私の常識的な意見に、角度を変えて反論するイツキ。それに、ハルヒコも同意する。
「そうだな。どうせ、週末にまとめて撮影するつもりだし、身内の来ない遠くの公園ですれば、みつるも文句ないだろう。昔の人は言ったものだ。旅の恥はかき捨て、とな」
「いやいや、これ、文化祭で上映するんでしょ? それなら限度ってものが」
「キョン子ちゃん、なにがいけないっていうの?」
「……なにがいけないって、いわれても」
高校生の私たちが、そんなもの撮影していたら、警察に補導されるんじゃないか。運よく完成しても、先生たちから上映禁止にされそうだ。
「そういうことだったら、次のロケのときは、大きめのシートを持ってこよう」
「ああ、みつるの衣装を汚すわけにはいけないし」
長門くんまでも、反対するどころか乗り気になっている。
「……でも、僕の心は汚れてしまうんだけど」
「ほかになにかないか、古泉」
「そうね、性別転換とかいいかもね。『秘技・トランス』って」
「ああ、なるほど」
みつる先輩の不平を無視して、ハルヒコとイツキは話を続ける。
「せっかく女装してるんだから、女の子になりきる場面もないとね、みつる君」
「僕、マゾじゃないんだけど。どっちかっていうと、サド――」
「まあまあ、みつる先輩。これは映画の話だし」
思わず本音をもらそうとしたみつる先輩の言葉を、私はさえぎってしまう。みつる先輩の内面が、その愛らしい外見にふさわしくないことは承知しているが、それを口に出されるのは、許したくなかったのだ。
「だいじょうぶよ、みつる君」
イツキが、優しい表情でみつる先輩に話しかけてくる。
「みつる君には、最大の武器があるじゃん」
「最大の武器?」
「ええ、純愛という、最強の必殺技が!」
机をドンと叩きながら、そう力説するイツキに、ハルヒコはうなずく。
「そうだ、みつる。おまえは最後に純愛で勝つんだから、安心しろ」
「……でも、純愛って」
みつる先輩は、納得いかない顔を浮かべている。
だいたい、純愛で勝つって、どういうストーリーにするんだろう。私たちは高校生であり、純愛に憧れるべき年齢であるはずだが、この部室にはその魔力が届かないようだ。きっと何も考えてないと思う。ハルヒコも、イツキも。
「よし、これで、シナリオ完成のメドがついた。あとは俺に任せろ」
そう言って、団長席に座るハルヒコ。どうやら、必殺技会議は終わったらしい。
「じゃ、僕、お茶、いれるね」
「ああ、渋めで頼む」
そして、さんざんな扱いを受けているのに、みつる先輩はお茶くみをするのである。その健気さに、私は感動しながら考える。映画撮影が終わったら、みつる先輩の好きなオセロゲームの相手ぐらいはしてあげようと。
◇
読書の秋、という言葉がある。十月の日暮れは早い。これが意味することは何かというと、平日に屋外の映画撮影なんて、授業をサボらなければできっこないということだ。ハルヒコが事前準備をするようになった理由は、そんな事情もある。そのため、次の週末でまとめて撮影する予定となったのだ。
ここで疑問が出てくる。カメラのレンタル料金はどうなるのか。一週間で三万円ということは、一日で約五千円である。誰も文句を言わないということは、かなり安い値段なのだろう。とはいえ、撮影が一日のびると、約五千円追加である。これは、ちょっと、とんでもない金額ではないだろうか。
おそらく、長門くんは延滞料をキッチリ請求すると思う。金持ちのくせに、私たちにジュース一本おごってくれたことのない長門くんのことだ。
しかし、その不安を、私は口に出せなかった。なぜなら、ハルヒコが本気になっていたからだ。
どうやら、彼は一日のほとんどを映画制作にささげているようだった。授業に出席しているといっても、先生の教えることにはロクに耳を傾けず、シナリオ作成に没頭していた。指名されても、悪びれなく「わかりません」と言って、脚本書きに戻った。そんな不遜な態度が許されるのは、彼の成績がトップクラスだったからである。私なら、そうはいくまい。
そのようなハルヒコの態度が気に食わずに、説教を始めた先生もいた。すると、ハルヒコはそれをさえぎって、こう言い放ったのだ。「そんなことより、授業進めたほうがいいと思いますよ。目ざわりでしたら、廊下に立ってましょうか?」
彼の大胆すぎる発言に、私は冷や冷やしていたのだが、クラスには意外と好評で、グッチすら休み時間に「あんときのペコちゃんの顔、サイコーだったね!」とうれしそうに言ったものだ。
まあ、生徒にペコちゃんと呼ばれてバカにされるような先生相手だったから、許されたのかもしれないが、それ以降、涼宮ハルヒコの存在は無視するという暗黙の了解が、先生たちの間で形成されるようになった。おかげで、一般生徒の私は、授業中にあてられる確率が少しばかり上がってしまって、大いに苦労したわけだが。
放課後は、週末ロケに向けての準備にあてられた。まず、ハルヒコが放課後までに脚本を書き、それをもとに、長門くんと話し合って、どう撮影するかを決め、主演二人を交えて台本合わせをする。無計画の独裁者だったハルヒコが、ここまで下準備を徹底したのは、最初のロケの苦い失敗があったせいだろうが、おかげで、問題児のイツキもハルヒコ監督のやり方に素直に従うようになったのである。
そのイツキにも、微妙な変化があった。それは、みつる先輩との距離である。最初は気づかなかったのだが、イツキは二人きりでみつる先輩と話すのを避けるようになったのだ。これは普段の二人の仲の良さを間近で見ている私からすれば、あまりにも不自然だった。
二人の間に何かあったわけではないはずだ。みつる先輩のほうは、イツキと話したそうなそぶりをしているのである。それを、イツキがかたくなにシカトしているのだ。たいていは私を盾にして。
みんな仲良く撮影すればいいのに、と私は思う。でも、イツキはそう考えていないらしい。二人の間でどういう演技をするのかについても、ハルヒコが間にいなければ、一言もしゃべろうとしなかった。イツキはあくまでも他人のみつる先輩と共演したいらしい。それはきっと、彼女なりに、本気で映画撮影にのぞんでいるからだろう。やがて、みつる先輩も、映画制作以外の話をしなくなった。イツキの無視が、ある種の緊張感をもたらしたのだ。
さて、私といえば、週末に晴れることを祈るぐらいしか、やることがなかった。さりとて、退屈だったわけではない。何しろ、涼宮ハルヒコの本気である。辛口のハルヒコ評論家である私ですら、その努力を認めないわけにはいかなかった。それを観察するだけで楽しかったし、スチールカメラマンという職分をいかして、部室での打ち合わせの様子をデジカメに収めたりした。
こうして、週末ロケに向けた前準備は万全だったはずだった。しかし、これでも、私たちは楽観的すぎた。おかげで、週末はさらなるハプニングを招いてしまったのである。
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(10)「うちのキョン子ちゃんは、なにしてんの?」
「すみません! これから映画撮影しますんで、静かにお願いします!」
ハルヒコはそう怒鳴り、撮影が始まる。この日、三ヶ所目の撮影である。
映画撮影に欠かせぬものに、ロケハンがある。現地の下調べのことだ。しかし、私たちはそれをしなかった。「撮影できそうな公園には心当たりがある、俺に任せろ」という、ハルヒコの言葉をあてにしすぎたのである。
それに、当日は朝6時集合だった。誰ひとり遅刻する者は出ず、私たちはその事実に大いに感動したものだ。「あたしエラいよね?」と早起きを自慢するイツキを褒めてやりながら、こんな休日の朝早くに人がいるはずないと、私たちはたかをくくっていた。
しかし、老人の朝は早い。最初の撮影予定地には、なんと、大勢のご老人方が太極拳をしていた。終わるまで待つことにしたが、老人の腰は重い。太極拳の先生が去ったあとも、彼らは動こうとはしない。しかも、老人の耳は遠い。ハルヒコは一人ひとりに説明しようとしたが、やがてあきらめた。
「心配するな、公園はここだけじゃない」
そう強がるハルヒコに私たちに従ったものの、公園は映画撮影のためにあるのではなく、市民の憩いの場としてあるのだ。地図をひろげたハルヒコについていった公園には、たいてい誰かがいた。
「団長、これじゃ、いつまでたっても撮影できないじゃん」
不平をこぼすイツキをなだめながら、私はつるやさんがいない損失を痛感した。ハルヒコが「必殺技の一つや二つ持っていてもおかしくない」と言うように、つるやさんの屈強な身体には説得力があり、自然と人々も遠のいてくれたのだ。しかし、今回のロケには、つるやさんは参加していない。部活が忙しいから、と言ったが、本心はイツキと一緒にいたくなかったからだろうと思う。つるやさんのイツキに対する偏見は、私たちが束になっても解けそうになかったからだ。
移動をくりかえしながら、それでも何とか二ヶ所での撮影を終えた。私からすれば「これでいいのか?」と疑問をいだく撮影内容だったが、下手に口を出して長引かせると、すぐに日が暮れてしまう。そもそも、十月に映画撮影をするというのが根本的な企画ミスだと思うが、いまさら嘆いても仕方あるまい。
問題は、この三ヵ所目のロケ地である。移動に疲れて妥協してしまったのだが、この公園はあまりにも近場すぎた。だから、私はデジカメのファインダーから目を離さないのである。
この公園にも、子連れ主婦たちがたむろっていたものの、ハルヒコの言葉で、なんとかその親子たちを追いやることに成功した。私はスチールカメラマンとして、デジカメを構えながら、それを見守るのみである。というのは――。
「あれ? キョン子ちゃん? おーい!」
なんだか、聞き覚えのある少年の声がするが、私は無視する。最近の子供たちは、外で遊ぶことが少なくなったという大人たちの分析にのっとれば、それが私のあだ名と同じであっても、他人である可能性がきわめて高い。特に、親にねだって、ゲームを買ってもらったばかりの子供が、公園にいる確率はゼロに近いはずであって。
「おい、うるさいぞ、ガキども」
そんな子供の声に、思わずふりむいたハルヒコに、さらなる言葉が返ってきた。
「あ、団長じゃん!」
「お、おまえは……」
最悪だ。私はすべてをあきらめて、能天気な声を投げる子供を見る。
かつて、涼宮ハルヒコのことを「団長」と呼ぶ人間は、世界中にただ一人しかいなかった。ご存じ、古泉イツキちゃんである。ところが、夏休みに新たな一人が加わってしまったのだ。
「それに、イツキ姉ちゃんもいるし!」
「久しぶり、オチビちゃん」
しかも、その「オチビちゃん」は、腹立たしいことに、実の姉をあだ名で呼ぶくせに、イツキに対しては、姉ちゃんをつけるのである。
「ちょっとあんた、今は大事なことやってるから」
私がもっとも恐れていた家族との遭遇。それに直面しながらも、私は冷静をよそおって、声をかける。
「なになに、面白そうなことやってるみたいだけど」
「おい、キョン子。おまえ、弟にも言ってないのか。俺たちが映画作ってるって」
「へー、映画つくってんの! すごいじゃん!」
「だから、あんたはジャマだから、早くどっかに行って」
「ふふふ、どうよ、あたしの服、カワイイっしょ?」
「それ、チアガールっていうんだよね? とても似合ってるよ! で、団長、うちのキョン子ちゃんは、なにしてんの?」
「ああ、あいつは役に立たないからな。裏方やらせてる」
「情けないなあ」
姉である私を無視して、ハルヒコやイツキと楽しそうに話す我が弟。まったくもって不快きわまりない。
だいたい、私はSOS団員に弟を会わせるのは大反対だったのだ。彼らは高校生の中でもきわめて異端な、いわば変人ぞろいなのであって、弟が彼らを見習ってしまえば、とんでもないことになってしまうのだ。安易に「おれ」と自称するような場に流されやすい弟が、こういう連中と付き合うとどうなるか。まちがいなく、ゆがんだ高校生になってしまう。
だからこそ、とある事情で、夏休みにSOS団と我が弟が初顔合わせとなったとき、私はよくよく言い聞かせたのだ。私が彼らと一緒になったのは成り行き上仕方のないことであるが、あんたにはまったく関係ないこと。それでも、誰かを尊敬したいと思うならば、それは涼宮ハルヒコではなく、みつる先輩にするべきということ。オタクなところはあるけれど、みつる先輩のさりげない心配りこそが、今のあんたに完全に欠けているところであって、あんたも自分の姉に対しては、それを見習って優しい態度をとるべきだ、うんぬん。
「どうも、こんにちは、キョン子さんの弟さん。たしか、名前は……」
「わっ、オカマがいる!」
さわやかにあいさつしたみつる先輩に、とんでもない答えをする我が弟。
そうだ。今のみつる先輩は、絶対に見習うべきではないヤバい格好をしているのだった。弟はすばやくハルヒコの背後に隠れる。
「団長、あの人、本物の女の子になっちゃったの?」
「ああ、残念ながら、な」
「ひどいよ、ハルヒコ君。これは映画の撮影上、やむにやまれぬ事情があって……」
あわてて、裏声で話し始めたみつる先輩だったが、時すでに遅しである。私が心配するまでもなく、みつる先輩の女装が我が弟に不健全な影響をもたらすことはなさそうだ。
「ちょっとちょっと、オチビちゃん」
安心したのもつかの間、イツキが口をはさんでくる。
「たしかに、みつる君は女装好きの変態だけど、あのカッコ、カワイイと思わない?」
「う、そういえば……」
それから、まじまじと我が弟はみつる先輩を見る。そんな視線に恥ずかしそうにしているみつる先輩は、思わず私も見とれてしまうものであって。
「か、かわいい、かも」
「す、ストップ!」
あわてて、私は弟にかけより、その肩をつかむ。
「あんた、気は確かなの? あの人は、男なのよ。男子なのよ。目を覚ましなさい!」
「おい、キョン子」
今度は、ハルヒコがわりこんでくる。
「せっかく、第三者の子供の視点から、みつるの女装が通用するか確かめてるのに、余計なことするんじゃねえよ」
「だって、これがきっかけで、こいつが異常性癖に目覚めちゃったら、どうすんのよ!」
「いいじゃん。いま、女装男子ってブームだから、なんとかなるって」
「イッちゃん、僕はそんな安易な流行に乗ったつもりは……」
せっかく映画撮影が軌道に乗り始めたのに、我が弟のせいで場の緊張感はたちまち壊されてしまった。私にできることは、一刻もはやく、こいつを公園から追いやることしかない。
「すげえな、おまえ」
そんな私たちに飛びこんできたのは、見知らぬ少年の声。
「いつの間に、こんなスゴイ人たちと知り合いになってたんだよ」
もう一人。もしかして、弟の友達も一緒にいるのか。
「へへ、うらやましいだろ」
そんな友達の声に、我が弟は自慢げに答えている。小学生男子にとって、知り合いの高校生というのは、同級生に差をつける最大の武器なのだろう。それに、SOS団員はただの高校生ではない。団長と呼ばせる偉そうな男子と、美人女子高生と、女装するオタクがいたりする変わり者集団なのだ。
「おまえら、ちょっといいか」
そんな弟とその友達に、ハルヒコがマジメな声で語りかけてくる。
「俺たちの映画に、出てみる気はないか?」
「ちょっと、何言ってんのよ」
「だまれ、キョン子」
私の抗議を一蹴して、ハルヒコは他の団員に話しかける。
「せっかく、キョン子の弟に会ったんだから、映画に使わない手はないだろ?」
「でも、ハルヒコ君、そんなシーンあったっけ?」とみつる先輩。
「ああ、おまえがイツキに正義だの純愛だの言ってるときに、こいつらに、『わぁ、オカマがいる~』とバカにされるっていうのはどうだ?」
「ひ、ひどいよ、ハルヒコ君」
「いいじゃんそれ。さすが団長、みつる君の頼りなさをいかす名演出じゃん」
「涼宮、それは、横から撮るのか」
「ああ、そうだな」
気づけば、カメラマン長門くんも話に加わってきた。
「ダメよ、そんなの」
しかし、乗り気なSOS団員に向かって、私は高らかに拒否の声をあげる。
「なんでだよ、キョン子」
「だって、うちの弟がSOS団の映画に出るなんて……」
末代までの恥になるじゃん、と言おうとしたところで口を閉ざす。この一週間の彼らの努力を知っているだけに、それをおとしめる発言はするべきではないと思ったのだ。
「えー、おれは映画に出てみたいけどなぁ」
「ダメよ、あんたは、さっさとうちに帰りなさい」
「なんだよ、キョン子ちゃんは、おれの保護者かよ」
「そうよ、ガキのくせに、お姉ちゃんの言うこともきけないの?」
「うっせー。キョン子ちゃんはウラカタにすぎないくせに、えらそーなこと言うんじゃねえよ。な、団長」
「そうだ、キョン子。俺が監督なんだからな」
「くっ……」
私はなおも食い下がろうとするが、意地を張ることに関しては、我が弟もなかなかのものだ。それに、こうしていくうちに、刻々と時間は過ぎていくのであって、ただでさえ終わりの見えない映画撮影のクランクアップがさらに遠のいてしまう。
「わかったわよ。そのかわり、マジメにやりなさいよ」
私はあきらめて、引き下がる。
「ねえねえ、キョン子ちゃんたちって、家でいつもこんな感じなの?」
ふてくされた私に、イツキがうれしそうに語りかけてくる。
「そうなのよ。最近、私のいうことを全然聞いてくれないんだよね、あのバカ弟は」
「うらやましいなぁ」
「どこが? あんな生意気な弟を持つぐらいなら、妹のほうがよかったわよ」
「もう、キョン子ちゃんったら、あたしたち一人っ子をイジメないでよ」
「そう? 一人っ子のほうがいいよ。弟がいると、なんでもかんでも、独り占めしちゃダメって言われるようになるから、メンドくさいよ」
「なるほど、だから、キョン子ちゃんは優しいんだね」
「へ? どこが?」
よく「変わってる」と言われることが多い私だが、「優しい」と言われたことは親戚のおばちゃん以外にない。
「おかげで、あのオチビちゃん、すくすく育って、いい感じになってるじゃん。小学生のくせに、団長相手に物怖じせずしゃべれるなんて、たいしたもんよ」
「それは、弟がバカだからだよ。私の友達だから、多少のことは許されるって思ってるんだろうね。困ったヤツだよ、あいつは」
だいたい、姉を見かけたからといって、すぐに声をかけるのは弟失格だと思う。姉には姉なりの事情があり、弟はそれを察して、それに応じた行動をとってもらいたいものなのだ。おかげで、ただのスチールカメラマンにすぎないはずの私が、ゲスト出演者の姉という余計な肩書きを背負うことになったではないか。
「おい、キョン子」
そんなことを考えていると、偉そうなハルヒコ監督の声がした。
「ちょっと、ジュース買ってきてくれ」
「はぁ? なんで?」
「ガキどもの出演料だ。ジュース一本で、出てくれるってさ」
おいおい、タダで出演するんじゃなかったのかよ。
「キョン子ちゃん、おれはコーラだからな」
「じゃあ、ぼくはファンタのグレープ」
「俺はサイダー!」
子供三人衆が生意気に注文してくる。それにしても、調子に乗りすぎだろ、我が弟。家に帰ったら、たっぷりお仕置きしないと。
「じゃあ、これで買ってこい、ついでに、俺たちの分もな」
そう言って、財布から千円札を二枚出すハルヒコ。
「やっぱり、レシートいるの?」
「ああ、領収書のほうがいいけどな」
「この近くに、安い自販機あるんだけど」
「ダメだ。コンビニ行ってこい」
はぁー、と私は溜息をつく。このように、私たちの部費は減っていく。生意気な弟を持つと、ロクなことにならない。そう嘆きながら、私は映画ロケ始まってから何度目かの使い走りに行くのだった。弟の映画出演のためにパシる姉なんて、世界中探しても、私ぐらいのものだと思いながら。
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(11)「フザけてないじゃん」
『純愛ファイターみつるのテーマ』
チビだからって バカにするな
女みたいって 笑うんじゃない
胸に秘めてる情熱は
どこの誰より おっきいんだ
純愛! 純愛! 純愛だー!
正義のために 平和のために
戦う僕を 見守ってTさん
そうさ 僕は 純愛ファイターみつる!
◇
「どうだ、これ?」
「どうっていわれても……」
うれしそうにハルヒコが見せてきたノートには、ロクでもない歌詞が書かれてあった。
「いうまでもなく、これ、映画の主題歌だよね?」
「ああ、もちろん、歌うのはみつるだぞ」
「……でも、こんな歌詞に曲をつける人っているの?」
「だいじょうぶだ、曲も一緒につけた」
「マジで?」
このセンスは、私が中学二年のときに作詞作曲した「連れションのテーマ」に似ている。当時、親友と信じていたクラスメイトと、よく一緒にトイレに行ったものだが、その廊下で作った曲だ。
そんな友情あふれる歌を、私は彼女に誇らしげに唄ったものだが、何の感想も言ってくれなかった。
中三になり、クラスが別れると、とたんに彼女とは疎遠になった。それどころか、人づてに、彼女が私のことを「変わった子」だと宣伝していることを知り、私は枕を涙でぬらしたものである。
私にだって、このような辛い過去があるのだ。
「あんた、楽器とか弾けるの?」
「そう見えるか?」
「じつは、ピアノ習ってたりとか」
「なんで知ってるんだよ」
「へ? ホントなの?」
「ああ、女子ばっかりでつまんなかったから、長続きしなかったけどな」
知られざるハルヒコの過去に驚きながらも、ピアノが弾けたところで解決できる問題ではないと思った。なにしろ「純愛! 純愛! 純愛だー!」という歌詞である。ピアノ伴奏だけだと、より悲惨さがきわだつだけだ。
と、私とハルヒコがムダ話をしているのには理由がある。なんと、映画撮影が、ラストシーンを残すのみになったからだ。
打ち合わせをロクに聞いていない私からすれば、まだまだ撮っていない場面があると思う。例えば、初期の脚本にあった、みつる先輩がイツキに魅了されたところを、つるやさんが助けるシーン。これを撮らないかぎり、話が始まらないはずだが、武道場ロケ以降、つるやさんが撮影に来ることはなかった。
どうやら、映画のシナリオは、私が知らない間に大きく変わってしまったらしい。しかし、このままでは、みつる先輩が女装するに至った理由が説明できない。スタッフの私ですら疑問をいだくぐらいなのだから、観客はあっけにとられるのではないだろうか。
だが、ラストシーンである証拠に、みつる先輩は制服姿である。みつる先輩だけではない。私たち全員制服を着ている。
それというのは、撮影場所が我が北高の屋上だからだ。立ち入り禁止のはずだが、長門くんが交渉すると、あっさりと許してくれたのだ。撮影した映画が、DVD販売目的のために作られたことを先生たちが知ったら、どうするんだろう。謹慎処分とか受けるのだろうか、この私も。
そして「ラストシーンは夕方でないと」というイツキの提案により、しばらく待ち時間ができたのだ。ここ数日映画漬けだったハルヒコと軽口をたたいているのは、このような事情による。
「こういう感じなんだ。たーたらたー、たーたらたー。ちびだからってー、ばかにするーなー」
たずねてもいないのに、ハルヒコは自作の歌を口ずさみはじめてきた。どうやら、映画撮影に終わりが見えたせいか、ハイテンションになっているようだ。私はその拷問から逃れるべく、主演二人に視点を動かす。
イツキとみつる先輩は、今も微妙な距離を保っている。みつる先輩は話しかけるタイミングをうかがおうとチラチラ視線を送っているが、イツキはまったく相手にしていない。でも、私はその態度をひどいとは思わなくなった。撮影を通じて、イツキがみつる先輩を無視するのも、なんとなくわかってきたからだ。
セリフを言いまちがえて、ごめんごめんと舌を出すみつる先輩は愛らしかったが、それを許してしまっては、映画撮影は進まない。照れ笑いは場の雰囲気をなごませるが、撮影の進行を滞らせてしまう。
かといって、その愛らしさを捨ててしまえば、みつる先輩の魅力がうばわれてしまうのだ。みつる先輩の頼りなさこそが、この映画最大の見どころなのである。
だから、イツキはみつる先輩に助け舟を出さないのだ。みつる先輩をとことん困らせることが、映画をより良いものにできると確信しているからだ。まあ、イツキのことだから、みつる先輩の困った姿を本気で楽しんでいるだけかもしれないけど。
「……それにしても、おまえらって、似ないよな?」
ハルヒコの声がする。いつの間にか、主題歌を歌い終わっていたらしい。私の視線を追うように、ハルヒコはイツキを見ながら話しかける。
「どういうこと?」
「ほら、女子って、友達同士で同じような服を買ったりとかするだろ?」
「まさか、私に、イツキみたいなカッコをしてほしいの?」
この屋上で私は制服に黒のカーディガンを羽織っている。我ながら地味な格好だ。いっぽうのイツキは、ただの制服姿とはいえ、メイクしているし、ピアスしているし、髪だって黒くない。屋上の柵にもたれてたたずんでいる姿は、とても同級生とは見えない貫禄がある。
「ちがうちがう、ちがうって」
「そんなに否定しなくてもいいわよ、どうせ、私がイツキの真似をしても、バカにされるだけだし」
「かたくなにポニーテールだしな」
「どうでもいいでしょ、そういうの」
私がポニーテールを続けているのには理由があるのだが、わざわざ口にするまでもあるまい。
「あんた、私がどういうカッコしても、あまり興味ないくせに」
「いや、最近、おまえ、いろいろ服かえてるじゃん。だから、古泉と買い物行ったりしてるのかなって」
気づいていたのかよ。だったら、そのときに言ってほしい。なんで、制服着ているときに、そういう話を始めるんだ、こいつは。
「まあ、服買ったりしてるけど、どこかの店に行ってるわけじゃないよ。ネットのオークションで買ってるから」
「そうなのか。おまえ、そういうのにくわしくないと思ってたけど」
「いちおう女子高生だからね。買うのは古着ばっかだけど」
実は、そのオークションサイトを教えてくれたのはイツキで、いい服があるのを教えてくれるのもイツキである。だから、イツキのオススメの古着を買っているのにすぎないのが事実だが、そこまでハルヒコに言うつもりはなかった。だって、イツキのセンスが良いって知られるのは、なんとなく癪にさわるじゃないか。
「イツキちゃんは目立ちがり屋だからね。私は、地味なぐらいでちょうどいいんだよ。張り合ったところで勝ち目ないし」
「いや、おまえにはおまえなりの――」
「涼宮、そろそろじゃないか」
「お、そうだな」
長門くんの声に、ハルヒコはすぐさま監督モードに戻る。
「じゃあ、みつるも古泉も、こっちに来てくれ」
そして、ラストシーンの打ち合わせを始める。私と話していたことなど、すっかり忘れてしまったように。
私とて、そんな移り気なハルヒコの態度には慣れている。それに、私もスチールカメラマンとして、このラストシーンを撮影する任務があるのだ。さて、あの二人をどこから撮影すればいいだろうかと、頭を切り替える。
なにしろ、この場面、映画の最大の見せ所なのだ。
◇
【ラストシーン台本】
夕暮れ。学校の屋上。制服姿の古泉とみつるが向き合う。
古泉「(ぞんざいな様子で)それで、改めて話ってなに?」
みつる「(うつむきながら)そ、それは」
古泉「なんで、いつもの女装じゃないのぉ?」
みつる「だ、だって」
古泉「もしかして、あたし倒すのあきらめた、とかぁ?」
みつる「そ、そうじゃない!」
古泉「じゃあ、あたしのドレイになるのぉ?」
みつる「そうじゃない!」
古泉「だったら、話ってなんなのよ」
みつる「ぼ、僕は……」
(みつる、一歩前に踏み出す)
みつる「き、君のことを、好きになってしまったんだ!」
古泉「あ、そう」
みつる「え、おどろかないの?」
古泉「だって、あたしって、魅力的だしぃ」
みつる「ちがう! 君の魔術にかかったんじゃなくて、本気で、好きになったんだ!」
古泉「本気っていわれても、ねぇ」
みつる「最初、出会ったときは、君のことが憎かった。でも、戦っているうちに、どんどん、君の魅力に気づいてしまったんだ。そして、一人の女の子として、君のことを、僕は……」
古泉「でも、あたしは一人の男の子に満足できる体じゃないの? キミ、知ってるでしょ」
みつる「ああ、僕は純愛ファイターみつる。君に純愛の意味を教えたくて、だから、君を倒そうとした。でも、今はちがう!」
古泉「じゃあ、どうするの?」
みつる「君を倒さなくても、純愛を教えることはできる!」
古泉「……そんなことが、できると思う?」
みつる「ああ、君は純愛の力を知らず、迷子になっていた。だから、こんなふうに、みんなを苦しめてきたんだ」
古泉「それは、あたしが望んできたことなのよ」
みつる「ちがう! 君は本当はそうじゃない。そして、その運命のクサリを、僕なら断ち切れるはずだ!」
古泉「ほ、本気なの?」
みつる「ああ。だから……」
(みつる、古泉に近づいていく。古泉、おもわず、それに目を閉じながら、唇をつきだそうとする)
みつる「……油断したな、吸血姫!」
古泉「えっ!」
(みつる、古泉を押し倒し、寝技をきめる)
みつる「最初に言ったはずだ、僕は黒髪ロングの子が好きだって!」
古泉「ちょ、ちょっと……」
みつる「この体勢じゃ、いつもの能力を使うこともできないはずだっ!」
古泉「くっ!」
みつる「このまま締め上げたら、さすがの君もどうなるかな?」
古泉「お、おねがい、やめて!」
みつる「純愛に憧れる人々を苦しめた過去の悪行、僕は許すことはできない!」
古泉「く、きゅ~~」
(古泉、失神する。それを確認して、みつる立ち上がる)
みつる「Tさん、見てくれましたか。正義は勝つ! 純愛は勝つ!」
(ガッツポーズをしたあと、みつる意味なく走り出す。そして、適当なところでカット。エンディングに突入)
◇
私たちの映画撮影には、常識では考えられないことが二つある。まず、一つはカメラが一台しかないことであり、もう一つは、台本が一冊しかないことだ。
なぜ、台本が一つしかないのかというと、ハルヒコがしょっちゅう書き直すからで、パシリ役と化した私がコンビニでコピーをとってる間にも、脚本が変わっていたりするのである。
では、どのように撮影するか。このラストシーンで具体的に説明しよう。
まず、設定位置に、演じる二人が立つ。ハルヒコ監督は、100円ショップで買った小型の黒板に、こう書きこむ。
「SCENE ラスト PART A
CAMERA 全体 TAKE 1」
それをカメラに映して、叫ぶのだ。
「ラストシーン、Aパート、全体カメラ、テイク1、スタート!」
この黒板はカチンコの代用品である。カチンコとは、プロの撮影で使われる「パシーン!」と鳴るやつのことだ。実は、あれには黒板がついていて、どのシーンを撮っているかが書かれているらしい。あとの映像編集のための目印になるのだそうだ。私はすっかり、音を鳴らすのが目的だと思っていたが、フィルムを管理するラベルとしての役割のほうが大きいという。これまた、長門くんのアドバイスをもとに、ハルヒコなりに自己改良した撮影手法のひとつだ。
今回の全体カメラというのは、向き合う二人をとらえた構図である。
しばらくの沈黙のあと、ハルヒコ監督が声をかける。
「古泉!」
すると、イツキは視線を変えないまま言う。
「なまむぎ、なまごめ、なまたまごっ!」
「みつる!」とハルヒコ。
「となりのきゃくは、よくかきくう、きゃくだっ!」とみつる先輩。
これは早口大会をしているわけではない。その証拠に、二人の発音はずいぶんとゆっくりしたものである。カメラが一台しかないので、後の編集で使うための映像素材を撮っているのだ。
「みつる、一歩前へ!」というハルヒコの声を合図に、みつる先輩は、イツキに歩みよる。
それから「古泉!」とハルヒコが言うと、「あかまきがみ、あおまきがみ、きまきがみっ!」とイツキ。「みつる!」とハルヒコが言うと、「ももも、すももも、もものうちっ!」とみつる先輩。
そのあとも、二人は沈黙したまま向き合っている。十秒以上たったあと、ハルヒコ監督は声をかける。
「カット! 長門、どうだ?」
長門くんは両手でマル印をする。オッケーということだ。これで、全体カメラの撮影は終わりである。
「次、古泉視点カメラ!」
ハルヒコ監督の号令のもと、カメラの移動が始まる。今度は、イツキの隣にカメラが置かれる。みつる先輩とイツキは先ほどの場所から動かないままだ。
それから、ハルヒコはイツキに台本を渡す。たった一冊しかない台本である。イツキはそれを読みながら演じるのだ。カメラは隣にあるので、イツキは映らない。直前まで変更される台本の内容を記憶できるはずはなく、演じる二人とも、台本を見ながら演じているのである。
「ラストシーン、Bパート、古泉視点、テイク1、スタート!」
カメラにカチンコがわりの黒板をかぶせて、ハルヒコが叫んだあと、数テンポおいて、イツキが台本を見ながら、セリフを言う。
『それで、あらたまって、はなしって、なぁに?』
そのあと、台本を裏返して、みつる先輩の方向につきだす。それを確認しながら、みつる先輩は演じる。
『そ、それは』
このケースでは、同じ場面を二回、撮影する。イツキ視点と、みつる先輩視点である。先攻はイツキ視点と決まっていた。それは、台本を読みながらセリフを言うイツキが、話のテンポをコントロールできるからだ。普段の会話からすれば、まどろっこしいぐらい、イツキはゆっくりとしゃべっているのだが、聞き取りやすさを考えれば、これぐらいのほうが良いのだろう。それに、この映画に時間制限はない。むしろ、長ければ長いほど良いのだ。
二人同時にカメラに映って演じている場面だってある。そのときは、ハルヒコ監督が、カメラの見えない位置かつ演者の視点の方向に、台本を見せるのだ。私はスチールカメラマンとして、そういうハルヒコの奮闘ぶりを写真にしてきたのである。
きわめて原始的なやり方であったが、おかげでNGシーンが出ることは少なかった。二回撮影しているのだから、ちょっとした言いまちがいも、あとの編集で何とかなるというし。
『ちがう! きみのまじゅつにかかったんじゃなくて、……ほんきで、すきになってしまったんだ!』
ラストシーンも佳境に入ってきた。みつる先輩は素なのか演技なのか、顔を赤らめながら、告白を演じている。いっぽうのイツキは無表情なままだ。
『ほんきって、いわれてもねえ』
それぞれの視点で、二回撮影しなければならないので、緊張感を保つことは難しいだろう。実際、これまでの撮影では、二回目のみつる先輩視点のときは早口になってしまうことが多かった。
『ちがう! きみは、ほんとうはそうじゃない! そして、そのうんめいの、くさりを、ぼくなら、たちきれるはずだっ!』
『ほ、ほんきなの?』
『ああ、だから……』
「カット!」
一番盛り上がるシーンの直前で、ハルヒコ監督のカットが入る。
「じゃ、次、みつる視点だな」
こうして、長門くんはカメラを移動させる。もう一度、このシーンをくりかえさなければならないのだ。映画撮影って本当に大変だな、と思う。プロの俳優がどう演じているのかわからないけど、断片的に撮っているものでも、観客にはそのシーンが連続するように思わせなければならないのだ。撮影現場の雰囲気に流されてしまってはいけないのだ。
今度は、みつる先輩視点の撮影だ。みつる先輩の位置にカメラが移動して、イツキだけを映す。みつる先輩はカメラの隣で台本を読みながら演じている。
『ぼ、ぼくは……きみのことが、すきになってしまったんだ!』
『あら、そう?』
なんだか、さっきのイツキ視点の撮影と言葉遣いがちがっている気がする。しかし、台本は一冊しかないので、監督のハルヒコにも確認のしようがない。セリフのテンポを同じくすることは、初めからあきらめているらしく、よほどの言いまちがいがないかぎり、撮りなおしになることはなかった。まあ、長門くんがマル印をしているということは、だいじょうぶなのだろう。編集作業は部室のパソコンでできるから、カメラの延滞料金は最小限ですむだろうし。
「つぎ、Cパート!」
無事、Bパートは両方とも1テイクで終わったが、ここからが問題である。ラストシーンおきまりのキス未遂シーンだからだ。
みつる先輩はイツキに「僕が純愛を教えてあげよう」と言ってキスをせまり、イツキは本気になってしまうが、それはみつる先輩の罠だった。このCパートでは『油断したな、吸血姫』とみつる先輩が言って、イツキを押し倒すところまでを撮影する。寝技のシーンはカメラ位置を変えたDパートとなる。制服が汚れるといけないので、長門くんが持参したレジャーシートが敷かれている。
結局、純愛とは何なのか、とあきれるシナリオだが、本当にキスをしてしまってはこの映画が成り立たない。また、男子が女子を寝技で締め上げるというのは、映像的には問題がありそうだが、みつる先輩が手加減しないことで、観客(特に、みつるファンクラブの皆さん)に「イツキを女子扱いしていない」と納得させることができる。
ただ、みつる先輩は割りきって演じるまでには至ってないようだ。なにしろ、キス未遂シーンと寝技である。
しかし、ハルヒコ監督がリハーサルをしようと言っても、イツキはにべもなく断った。こういうのは一発勝負だからこそ面白いのだと。
この二つのシーンは台本を見ずに演技する。ほとんどセリフはないし、台本を気にしていたら良い映像が撮れないからだ。
長門くんのカメラは、イツキの後ろに設置されている。『かかったな、吸血姫!』と表情を一変するみつる先輩を映すためだが、私はあえて二人の横にカメラを構えた。長門くんカメラでは、二人が本当にキスしたのかと錯覚する人がいるかもしれない。その誤解をとくためにも、私はキス未遂シーンの真実を撮らなければならないと思ったのだ。
「ラストシーン、Cパート、古泉後方カメラ、テイク1、スタート!」
ハルヒコ監督の号令があっても、みつる先輩はしばらく動かない。台本では、みつる先輩がイツキに歩み寄らなければならないはずなのに、なかなか近づこうとしないのだ。なにしろ、イツキは目を閉じて、みつる先輩が何をしてもかまわない無防備な態度をとっているのだ。
私のデジカメを持つ手も汗ばんでくる。キスを待つイツキの表情は、女子の私から見てもいじらしく、みつる先輩が過ちを犯しかねないものだった。
やがて、みつる先輩は意を決して、一歩踏み寄る。それは、キスをするにはちょっと離れた距離だったけど、吐息がかかるぐらいの近さだ。映画撮影が始まってから、いや、部室で二人が仲良く話しているときでも、近づくことのなかった距離まで、二人は接近しているのだ。
そのときだ。瞳を閉じていたイツキが動いたのだ。
コツン、と何かがあたったような音がした。
いや、気のせいではない。私はうっかりデジカメを落としそうになった。
唇あたってるのだ。キスしてるのだ。この二人。
それは数秒だったかもしれないけど、私がシャッターを切るぐらいの余裕があった。
それから、イツキはくるんと振り返って言う。
「あたしをだまそうとしたって、そうはいかないよ。ばいばい、純情くん」
そして、カメラに向かって歩き出す。あれ? これ、撮影の続き?
そのまま、カメラを抜けると、イツキはすぐに私にかけよってきた。
「キョン子ちゃん、撮れた?」
「へ?」
「撮れたよね!」
「……あ、うん」
私がその受け答えで正気を戻すと同時に、ハルヒコも声を出した。
「ちょっと待てよ! 台本どおりやれよ、古泉」
「えー。こんなふうに書いてなかったっけ」
特に、あせった様子もなく、イツキはそう言いのける。
「おい、古泉、撮り直すぞ」
「なんで?」
「だ、だって、あ、あんな……フザけたことしても、映画で使えないじゃないか」
「使えるじゃん。ね? メガネ君?」
長門くんは、無表情でマル印を作る。
「な……」
「だいたい、映画撮影にはハプニングがつきものなんだから、それをいかさないと。ねえ、団長」
「ハプニングじゃなくて、明らかにわざとだよね、イツキちゃん」
だんだん冷静になった私の言葉を、イツキは聞こえないふりをした。
「とにかく、これで、あたしの演技は終了ってことで」
「おい、それだと映画が」
「問題ない、涼宮。これからDパートにつなげればいい」
「な、長門、……おまえ」
あまりにクールな長門くんの答えに、私もハルヒコも気づいた。これは、イツキと長門くんの間で打ち合わせしていた計画通りの展開であることを。キス未遂シーンを撮るふりをして、本当のキスをする。その後の内容も、すでに長門くんとイツキは決めていたのだ。みつる先輩ばかりでなく、監督のハルヒコやスチールカメラマンの私にも知らせないまま。
「……まあ、たしかに、このほうが面白いかもな」
ハルヒコはそう言って、みつる先輩を見る。この騒動の中、みつる先輩は顔を真っ赤にして、硬直したままだった。いつもは、ミスター受身として活躍しているみつる先輩だが、この事態にはどうすればいいのかわからないみたいだった。
「ねえねえ、さっきの写真、見せてよ」
「あ、いいけど」
いっぽうのイツキは、やたらと上機嫌で私からデジカメを取り上げる。そして、ボタン操作をして、さきほどの映像を見る。
「バッチリじゃん! キョン子ちゃん、よくがんばりました!」
「あ、うん」
「みつる君。あたしたちのキスシーン、ちゃんと写真になったからね」
「え? あ、ああ」
もしかして、イツキのやつ、今後、みつる先輩を脅すために、こんな写真を撮ったのか。
いや、イツキの調子は、とてもそんな裏があるようには感じられなかった。どう考えても、この浮かれっぷりは、恋する乙女と変わらないもので。
「おい、みつる! 最後のセリフ、行くぞ!」
「は、はい!」
監督のハルヒコも、すっかり取り乱しているようだ。ただ、もうすぐ日が暮れるし、なんとか撮影を終わらせなければならない。
「長門、準備はいいか?」
「ああ」
「じゃあ、みつる。ここだけでいいからな」
それから黒板に書きこむ。ラストシーン、Dパート。この映画撮影の、正真正銘の最後の場面である。
みつる先輩は、まだ顔が赤いものの、ガッツポーズをして言う。
『そう、正義は勝つ! 純愛は勝つ! とぉーーっ!』
それから走り出すみつる先輩だったが。
「みつる君、逆だよ、逆! あっちに行かないと」
うれしそうにイツキが声をかける。台本では回れ右をして長門くんのカメラに背を向けて走り出すはずなのに、なぜかみつる先輩はカメラに向かって走ってきたのだ。
「カット、カット! しっかりしろよ、みつる」
「う、うん」
それから、みつる先輩はためらいがちにイツキを見る。それに対して、イツキは満面の笑みでこたえてみせた。
「じゃ、キョン子ちゃん。あたし、帰るね」
「え?」
イツキは屋上の扉に走り出す。ふふふーん、とステップを踏みながら。
「団長、あとはよろしく!」
そう無責任に言い放って、イツキは屋上から出て行った。
◇
「ったく、古泉のやつも、みつるのやつも」
撮影が終わって、ハルヒコ監督は苦々しくつぶやいた。
結局、最後のみつる先輩のシーンは五回撮り直した。それでも、監督のハルヒコは納得していなかったが、日が暮れて映像が撮れそうにないという長門くんの助言で、中途半端に『純愛ファイターみつる』のロケは終わりをむかえたのだ。主演女優が早退したままで。
「長門も、一言ぐらい俺に言っといてくれよな」
「彼女は『こういう可能性もある』と言っただけだ。俺はカメラマンとして、映像として使えるものならば採用しようと考えた」
「それにしてもなあ」
がっくりと肩を落とすハルヒコに、私は声をかけてやる。
「おつかれさま。この一週間、本当によくがんばったよ」
「でも、こんな終わり方になるとはな」
「まあ、イツキがヒロインという時点で、こういうことも起こりうるってことで」
「いくら古泉とはいえ、まさか、あんなフザけたことやるとはな」
「フザけてないじゃん」
「え?」
私はハルヒコのグチに反論する。そう、イツキはいつも気まぐれで、私は何度も苦い思いをしたのだけれど、あの場面は決して冗談ではない。
「……つまり、純愛は負けるってことか」
「へ? なにいってるの」
「だってそうじゃないか。古泉は、その、ああいうことに慣れているから、俺たちをダマして、あんなハプニングを演出したわけだろ?」
はぁ、と私は溜息をつく。あのあとのイツキの浮かれっぷりをハルヒコは見ていないのか。家に帰って、ベッドで枕抱きしめてゴロゴロしてるんじゃないか、今夜のイツキは。
「あんたがどう思ってるかもしれないけど、イツキは純情な子なんだから」
「ということは、あれ、本気だったのか」
「うん」
「じゃあ、俺たちを巻きこんで、映画撮影したのも、みつるにキスをすることが目的だったのか?」
「うーん、キスしない可能性もあったんじゃないかな」
「どういうことだ?」
ハルヒコの問いを私は聞こえないふりをした。女子の揺れ動く恋心なんて、鈍感なハルヒコにわかるはずもない。
あのとき、みつる先輩が自分からキスしようとしたら、イツキは引っぱたいたと思う。かつての私と同じように。でも、みつる先輩はためらった。そして、映画の脚本どおりに、イツキを押し倒すこともできなかった。そんな演技に徹しきれないみつる先輩だからこそ、イツキはああいう行動に出たんだと思う。
でも、それは私の推測にすぎないし、ハルヒコに話したところで「女心と秋の空……」みたいなことを言われるのがオチだろう。だから、私は何も説明しないことにした。
こうして、私たちの映画ロケは終了した。あとは、撮った映像をつなぎ合わせるだけだろう。私はこの日を境に映画制作から解放されると思っていた。
しかし、映画とはそんなに簡単に作れるものではない。そのことを、私たちはロケが終わった翌日から思い知らされるのだった。
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(12)「なんでSF小説ばかり読んでるの?」
「ううむ」と私。
「ううむ」とハルヒコ。
しかし、私たちが見ているものは同じではない。
ハルヒコは団長席で、イアホンをつけて、パソコンの画面をにらんでいる。その隣で、長門くんがマウスをにぎっていろいろ操作している。先日までの撮影の映像を見ているようだが、どうもハルヒコの表情は明るくない。
後ろでは、イツキが腕を組んで見守っている。ハルヒコはだまって、イツキにイアホンを渡す。それをつけながら、イツキも画面を見る。顔色が優れないままだ。どうやら出来た代物は、二人が満足できるものではなかったらしい。
それは、例えば、料理に似ていると思う。がんばって調理したものが、おいしいとは限らない。自分なりに工夫すればするほど、どんどんマズくなってしまう。料理にもっとも必要なのは、努力やがんばりではなく、先人が残したレシピを忠実に遂行するという確固たる信念なのだ。しかるべきタイミングで具材を投入し、しかるべきタイミングで味見をして調整する。気まぐれ料理が許されるのは、それらの基礎をマスターしたシェフだけなのだ。
と、映像も見ずに偉そうに私が語っているのは、先ほどハルヒコにさんざん文句を言われたからである。私はスチールカメラマンとして、撮影現場の写真を数多く撮ってきたつもりだった。ロケが終わり、その中身を初めて確認したハルヒコは、あきれた顔で言ってきた。
「おい、半分以上が、空と雲の写真って、どういうことだよ」
さすがにそれは言いすぎではないか、と私は反論しようとしたが、パソコンにアップロードされた縮小画像の一覧を見て、私も呆然としてしまった。
「い、いや、空の写真だって、役に立つじゃん」
しどろもどろに言い訳する私に、ハルヒコは冷たく言い放つ。
「二、三枚は使えるかもしれないけどな。多すぎるだろ」
「ま、まあ、空って、いろいろ表情を変えるものだし。それぞれの時間帯で撮っといたほうが役立つかなって」
「じゃあ、この空の写真が、何日の何時何分のものか言ってみろよ」
「そ、それは……」
「まあいい。使える可能性がゼロじゃないからな。でも、この雲だけの写真は何の意味があるんだ?」
「た、たしか、何かに見えたんだよ」
「何かって、何だ?」
「……たとえば、チョコレート・パフェとか?」
「ふざけんなよ。撮影した本人ですらロクに説明できない写真が、映画で使えるわけないだろ」
「う……」
ぐうの音も出ない。言われてみれば、ロケの最中「あ、あの雲、おもしろい形してる!」と喜び勇んでシャッターを切ったものだが、その積み重ねがこれである。
こうして、ハルヒコに役立たずの烙印を与えられて落ちこんだ私をはげましてくれたのが、みつる先輩だった。
「まあまあ、キョン子さん。オセロしようよ」
「みつる先輩は、映像見たくないの?」
「いや、ちょっと恥ずかしいし……」
そう言いながら、みつる先輩はイツキを見る。せっかく映画撮影が終わったのだから、前みたいに仲良くすればいいと思うのだが、今度はみつる先輩がイツキを避けるようになっていた。まちがいなく、あのラストシーンのせいである。やはり、乙女のキスは偉大だったのだ。
そんなみつる先輩の相手をするのは私しかあるまい、と、久々にオセロゲームをすることにしたのだ。どうせ負けるから、それなりに楽しめばいいや、と思っていたのだが、みつる先輩は驚くべき提案をした。
「キョン子さん、先に四つ打っていいよ」
「へ? 四つ置けっていっても、はさむところなくなるんじゃないの?」
「だから、好きなところに打っていいんだよ」
「マジで?」
オセロで自由に四つ置いていいといわれて、打つべきところは決まっている。言うまでもなく、四隅である。かつて、私はカドをねらって打ちつづけたものの、寸前でみつる先輩に阻止されて、続きをやる気をなくしたことが多々あった。
「ホントにいいの?」
「うん」
私をバカにしすぎだろ、と思いながら、私は力強く四つの角にピシャッと打つ。
「……これで、真剣勝負できるね」
そう言ったみつる先輩の声に、私は「しまった」と思った。
これはハンデ戦である。今までの平手戦だと、負けたところで「みつる先輩はオセロ好きだし、仕方ないな」と軽く考えることができた。ところが、四つ角をおさえた状態で敗北を喫するとどうなるか。私がバカであることが確定してしまうではないか。
だから、私はマジメに打たざるをえないのである。実は私、そこそこオセロの勉強をしている。大事なのは、自分の色に染めることではなく、相手を打ちにくくすることだと、本に書いてあった。打つときに相手の石をどれだけひっくり返すか考えるのは初心者で、次の手を予想しながら打つのが上級者の道なのだと。
そう理屈ではわかっているものの、みつる先輩は私の予想通りには打ってくれない。そして、最初から四つ角をおさえているはずなのに、だんだん私の打つ場所がなくなっている。ヤバい。このままでは、私は『役立たずなバカ』という、最低女子に分類されてしまう。
「キョン子さん。待ち時間の制限はないし、お茶でも飲みながら、じっくり考えたら?」
対戦相手に同情されるのが情けないが、これ幸いとお茶を飲む。映画撮影で、女装してまで主演を果たしたのだから、今日ぐらいはお茶くみをしなくてもいいと思うが、そんなみつる先輩の優しさに甘えるのが、私を含めたSOS団員なのである。
「……ひとつは、明るさの問題だ」
ふと、盤上から目を離すと、長門くんがハルヒコとイツキに向かって、何かを説明している。
「撮影には照明係が欠かせないものだが、彼らの目的は、ただ映像を明るくすることではない。映像の明度を一定にするという役目があるのだ。むろん、映像編集で調整することはできるが」
「そうか。あとで変えることができるんだな、長門」
「しかし、単純の明度を上げれば良いものではない。我々の眼とカメラの目は異なる。我々は物体に対して固定の色を定め、認識する。トマトは暗いところでも明るいところでも、赤であると我々はとらえる、しかし、機械はそうではない。色合いというものは、環境によって左右されるものだ」
「そういや、それを利用しただまし絵があるよね。サクシとか言ってたっけ」
「映画を見るのは、そのような錯視を持っている人間だ。だから、データだけを頼りに調整しても、理想の映像になるわけではない」
「そういや、長門って、最初に銀色の板みたいなもの、持ってきてたよな? 結局、使わなくなったけど」
「自然下で撮影すると、日光の影響が出てしまうから、レフ板などを用いるべきだったのだが、こればかりは仕方がない。人数が限られていたからな」
長門くんの言葉に、私はいたたまれない心地になってしまう。空と雲の写真をパシャパシャ撮るぐらいなら、レフ板を持っていたほうが役立っていただろう。
「ともあれ、これらの映像を使う場合は、ホワイトバランス処理をしなければならないということだ」
「ホワイトバランスって、補正処理ってやつ? フォトなんとかっていう、すごく高いソフト使ってやるんだよね」
「まあ、フリーソフトでも何とかなるが、静止画ならともかく、動画に処理をほどこすとなると、大変だ」
「そうだよなあ。映像といっても、連続写真みたいなものだからな」
「うーん、撮影される側からすれば、できるだけ肌を白く撮ってね、としか思わなかったけど、そう簡単なものではないのね、メガネ君」
「いちおう、カメラ設置の際に、できるかぎりの配慮をしているから、満足のいく映像に仕上げることは不可能ではないと思う。それよりも、問題なのが、音だ」
「ああ、俺が思っている以上に雑音が入ってるし」
「あたしは、できるだけ、ゆっくりはっきりしゃべったつもりだけどなあ」
「そうだな、古泉はまだいい。問題は、みつる、おまえだ!」
いきなり、ハルヒコは身を乗り出して、私とオセロを打っているみつる先輩を指さす。
「えー! 撮影のときはOKって言ったじゃん」
「あ、ああ。そうだけどな」
その指摘には、さすがのハルヒコ監督も分が悪い。とにかく、スケジュールを消化するのが先だと、ちょっとしたNGを気にせずに、どんどん撮影を進めたものだが、そのツケが今になって返ってきたということだ。
「正直いって、素材として、映像は使えるが、音声はあまり使えないと思う。だから、アフレコをするべきだと提案する」と長門くん。
「アフレコって、声優がやることじゃないか」とハルヒコ。
「撮影した音声を使うために編集する労力を考えれば、イチから声を吹きこんだほうが良いと思うのだが」
「つまり、映像にあわせて、古泉やみつるにしゃべらせるってことか」
「それだと、映像の編集をしないと、アフレコができない。それよりも、音声を先につくってから、それに映像素材を合わせたほうがいい」
「ようするに、ドラマCDを作るってこと?」とイツキが口をはさむ。
「古泉、なんだよ、それ」
「ドラマCDっていうのは、そこそこ人気がある漫画やアニメで、よくやる商法よ。声優使って、映像なしの音だけでストーリーを演じさせるの。お金かからないから、けっこう流行ってるんだよね、みつる君?」
イツキがみつる先輩に話をふる。
「あ、うん、そうだよね。ドラマCDとアニメ版の声優が違うって、ファンの間では騒ぎになったりするけど」
「とにかく、音声だけで物語が完結すれば、それに合わせて映像を編集することはできる。映像では音声にできない速度調整ができる。高性能なカメラで撮影した映像だから、編集過程でトリミングやズームアップをすることも可能だ」
「うーん」
ハルヒコは腕組みをして首をひねる。彼の中では、あとは編集でつなぎあわせば、それなりに満足いく映画が完成できると思っていたのだろう。
「映像を先に完成させる方法もある。だが、その際に音声を無視できるかだ。はっきりいって、音声編集の労力は、映像編集の比ではない。それぞれのシーンの音を一定にせねばならないし、ノイズを隠すためのSEを効果的に配置せねばならない」
「……たしかに、今のまま、映像をつなぎあわせても、支離滅裂な話に終わるかもしれない。ドラマCDを作ると割り切れば、目で全体図を追うことができる」
「今回で撮影した音声素材をそのまま使ったほうが良いシーンもあるだろう。ラストシーンなどは、そうだ。だが、大部分の音声はとりなおしたほうが良いと考える」
「でも、団長。そうなると、スタジオ借りちゃったりするの? もう部費、ないんでしょ?」
「その点はだいじょうぶだ。放送部の機材を借りればなんとかなると思う。そうだよな、長門」
「ああ、音声を録音するのは、それほど高価な機材でなくてもいい。雑音がなく、音声レベルが一定であれば、編集することは難しいものではない」
「……なるほど」
それから、ハルヒコは立ち上がった。
「よし、じゃあ、古泉とみつるも一緒に来てくれ」
「え? 僕が?」
「おまえら主演二人を連れて行ったほうが、話が進むからな。とりあえず、いまから話をつけにいかないと、向こうの予定もあるだろうし」
「でも、団長が脚本をまとめてくれないと、アフレコは始まらないじゃん」
「だから、顔合わせだ。脚本は俺が何とかするから安心しろ」
どうやら、映画制作はまだ続くようだ。もしかすると、ハルヒコの授業ボイコットは続くのだろうか。中間テストが近いというのに。
「わかったよ。じゃ、キョン子さん、勝負はお預けだね」
そして、みつる先輩は立ち上がる。私は内心ほっとする。ハンデ戦であるのに関わらず、勝負は明らかに劣勢だったからだ。
「そうだ、キョン子。留守番のついでに、頼みたいことがある」
ハルヒコはそう言って、ポケットからレシートと領収書の束を出してきた。
「会計清算をしていてくれ」
「え? 私が?」
「ほかにヒマなヤツがいないんだよ」
さらに、ハルヒコは私に新品のノートを渡す。いつの間にか私はSOS団の会計に就任していたようだ。
「じゃ、古泉、みつる、行くぞ」
そう口にするハルヒコの声には明るさが戻っていた。まだまだ映画制作の終わりは見えないのに、よくもまあ、陽気でいられるものだ。
もし、タイムマシンがあったのなら、能天気な映画制作発言を始めたときに戻って、ハルヒコにこの現実を見せてやりたいと思った。あんたの未来には、こんな困難が待ち構えているのだと。でも、あいつは、自分が思いついたことは、絶対にやりとげないと気がすまないヤツなのだ。きっと、時計の針を戻しても、あいつは同じことをするのだろう。実に困ったことに。
◇
「あれ? 長門くんは、行かないの?」
ノートを開いて、会計の清算を始めようとしたとき、部室にいるのは私一人ではないことに気づいた。
長門くんは、団長席の後ろの指定席に座って、本を読んでいる。いつものSF小説だろう。それは、SOS団における日常風景のはずだったが、ここ十日あまりの映画撮影では見られない光景だった。
「あれは涼宮の映画だ」
長門くんは、私にそう言い放って、読書タイムに戻る。
思えば、長門くんは、さまざまな提案をしたものの、決定権はすべてハルヒコ監督にゆだねていた。だが、映画制作での長門くんの役割は欠かせぬものであったし、これからもそうだと考えていた私には、意外すぎる冷淡な返事だった。
まあ、今回の映画の内容は、長門くんのポリシーに反したものだっただろう。なにしろ、主人公が女装男子なのだ。ストーリーに口をはさまず、映像などの技術的な部分ばかり説明していた長門くんの目的は、別にあったと考えるべきで。
「やっぱり、SF巨編とかのほうが良かったの? 長門くんは」
「そうではない」
冷たく言い返されてしまった。
普段は無口な長門くんだが、映画ロケに入ってからは、それまでの半年間の口数からは信じられないペースで喋っていた。だから、すっかり心を開いてくれたと感じていたが、どうやら撮影期間限定であったらしい。
このまま会話を終えてもよかったのだが、私には気になることがあった。おそらく、今、このときでなければ、訊けないことだろう。だから、私はそれを口にした。
「ねえ、なんでSF小説ばかり読んでるの?」.
「読めばわかる」
あっさり返された。そういえば、前に本を薦めてくれたことがあったが、ほとんど読まずに返してしまった。そんな私が、こういう質問をするのは筋違いかもしれない。
私はあきらめて、レシートの束と向き合う。予想よりも、はるかに厚い。もしかすると、五人で集めた二万五千円は、とっくになくなってるのかもしれない。となれば、さらなる部費徴収とかあるのだろうか。
その運命から逃れるべく、私の意識は長門くんに向かうのだ。あきもせず、SF小説を読んでいるのはなぜだろう。現実逃避のためだろうか。それならば、今の私もSFを読んでしかるべきかもしれない。
「……でも、SFって、ウソばかり書いてるじゃん」
私は思わず口に出す。
「それは、どの物語でもそうだと思うが」
「いや、フィクションとかそういうのじゃなくて、SFの書いてた近未来って、実現されてないじゃん。SFだと、宇宙旅行が当たり前になってたり、宇宙人が攻めてきたりしてるけど、そういうこと起きないし。SFで21世紀がどうだとか予言してたけど、ちっとも当たってないし」
かつて、涼宮ハルヒコは、そういうものを信じていた。それゆえに、現実が面白くないと嘆き、怒り、こんな部を作るに至ったのである。いわば、SF小説に裏切られた一人といっていい。そんな無駄な期待を抱かせるものならば、最初から読まないほうが良いではないか。
私の言葉に、長門くんのページを進める手は止まった。しばらく、何かを考えたあと、立ち上がって、本棚に向かう。
「この本を知っているか?」
そして、一冊の本を出す。
「『1984年』って、タイトルなの?」
「ああ、かなり有名な本だが」
「それって、SF小説なの?」
「だから、作家が予想した未来の1984年が描かれている」
「その予言は当たったの?」
「外れている、ともいえるし、当たった、ともいえる」
長門くんにしては、曖昧な答えをする。
「当たったって、どこらへんが?」
「そのような具体例を、未読の者に説明することは骨が折れるのだが……」
ヤバい。このままでは、また新たなSFを薦められることになってしまう。ふと身構えた私の様子に気づいたのか、長門くんは口調を改めた。
「ともあれ、SFには、それぞれの作家が想像力を駆使して描いた未来予想図が描かれているわけだ」
「未来予想図?」
「そう、人々が恐れている未来だ」
「え? SFって、今よりも理想的な未来を書いているんじゃないの?」
「SFによく使われる手法のひとつに『楽園小説』というものがある。現在の世界が抱える種々の問題が解決された未来を描いているものだ」
「例えば、貧困とか、戦争とか?」
「SFはそれに目を背けたものではない。むしろ、『楽園』を描くことで、人間性を描きだしている、といえる」
「どういうこと?」
「例えば、宗教がなくなれば、世界は平和になるのか、というような仮定だ。未知なるものを崇拝する人間性が消えないかぎり、宗教がなくなることはない。だから、絶対的な力を持ち、社会に干渉ができる存在を作れば、宗教を統一することができる、と考える者がいてもおかしくはない」
「そういうものなの?」
「あくまでも仮定の話だ。そうして実現された『楽園』に生じた弊害を描くのが、SFの基本形といえる」
「ヘイガイ?」
「そうだ。人々が理想とする未来に警鐘を鳴らすのがSF小説の役目だ。その『楽園』を賛美するだけならば、物語とはなりえない。主人公が『楽園』の内側にいるか、外側にいるかで物語の方向性は変わってくるが」
「たしかに、未来になれば、みんな解決して、平和になりますよーって話じゃ、面白くないもんね」
「そう、SFの本質にあるのは、恐怖だ。科学進歩や宇宙空間といった未知への恐怖。それに立ち向かう人間を描いたものが、SFなのだ。だから、SF作家はカナリアでなければならない。炭鉱で危機を訴えるカナリアのごとき鋭い嗅覚を持って、この世界を生きねばならない」
「へえ」
「想像力の限界に挑み、その臨界点で寒さに打ち震えながら紡ぎだされた物語。それが、SFの正体だ」
「なるほど」
私はうなずいてみせたものの、半分以上はよくわからなかった。わざわざ、未来を予想して恐怖を描くというのは、まどろっこしくはないだろうか。それよりも、恐れるべきものは、いっぱいあるはずなのに。
そう、目の前にあるレシートの束がそうである。ハルヒコは私をパシらせてるとき、いつも自分の財布からお金を出していたことから、部費と私費の区別をしていなかったように思う。少なくない金額を自腹で切っていたのではないか。
それを知ることは恐ろしいことだった。宇宙に出て、未知なるエイリアンと戦うことよりも、ずっと。でも、目をそらすわけにはいかない。ハルヒコはどれぐらい身銭を切っているかは把握しているはずだし、私が会計清算をサボっても、失われたお金は戻ってこない。
「そういえば、文芸部の部費って、どうなってるの?」
ふと、私はつぶやいてみた。もともと、ここは文芸部部室であり、文芸部は学校から認められた正式な部なのである。だから、秘密結社であるSOS団とは違って、毎年学校側から部の活動資金が与えられるはずなのだ。
「それは部活動補助金のことか?」
「うん。文芸部にも配分されてるはずだよね?」
「すでに使った」
私の甘い期待を裏切る長門くんの冷酷非情な声。
「全部、使ったの?」
「ああ」
「何に?」
長門くんはだまって指差す。彼が熱っぽく話していたSF小説ばかりが詰まっている本棚だ。
「……ま、まさか、学校からの補助金使って、SF小説をそろえたの?」
「そうだ」
当然のように長門くんは答えて、また読書モードに入る。
私は愕然とした。長門SFコレクションは、彼が自腹で購入したものを部室に持ちこんでいると思いこんでいたからだ。
そのあとで腹が立った。個人の趣味全開で本をそろえるのは、文芸部としてどうなのだろう。新入生を完全にシャットアウトしているではないか。せめて、歴史小説ぐらいは置くべきではなかったか。
でも、それこそが長門くんの狙いなのだろう。いわば、SF小説とは、新たな文芸部員をこばむ壁なのだ。SOS団員の出入りを許しているのも、本当の文芸部員ではない私たちにはSFコレクションに文句が言えないからだろう。
こうして、頼みの綱が断たれた事実に、私は打ちのめされる。秘密結社である私たちの財源は団員が持ち寄るしかないわけで、このままでは追加徴収もありえるのだ。
そう考えると、棚に並んだSF小説が憎らしくなった。私はそれをにらみつける。やはり、女子高生とSF小説は永遠に分かり合えない天敵なのである。
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(13)「おまえはだまってオセロ打ってろ」
「ううむ」と私はうなる。昨日と同じく、オセロの盤上を前にして。
会計清算の結果、是が非でも映画を完成させなければならないことを痛感したものの、いっぽうで一週間後にせまった中間テストの不安もある。だから、オセロなんか打っている場合ではないのだが、みつる先輩に迫られて、ついつい承諾してしまったのである。
どうやら、今日は放送室を借りられなかったようで、みつる先輩だけではなく、イツキもハルヒコも部室にいる。ハルヒコは団長席で脚本を執筆中だ。
だが、問題は、長門くんである。指定席でSF小説を読んでいるのではなく、カメラを構えているのだ。なぜか私に向けて。
「なんで?」とあせる私に、長門くんはクールに答える。
「ホワイトバランスの調整だ。オセロの石が、色の基準に適切だからな」
どうやら、昨日説明していた映像の明るさ調整のために、何かを撮っているという。
「ということは、まだカメラは借りっぱなしってこと?」
「だいじょうぶだ、キョン子」と、ハルヒコが団長席から声をかける。
「長門と交渉して、一ヶ月で六万円ということになった」
「え? 六万円って」
「もともと、一週間で三万円だったから、半額以下となったわけだ。そうだよな、長門?」
長門くんは、それにうなずく。
「いやいや、そういう問題じゃないでしょ」
うれしそうなハルヒコの口調に、私はするどく切りこんでみせる。
「それよりも、一日でも早く、カメラを返したほうがいいんじゃないの?」
「だって、特典映像をまだ撮ってないだろ? 追加撮影もあるかもしれないし、このままカメラを返して、売り物にならない映画をするぐらいなら、ギリギリまで借りておいたほうがいい」
「そうだけど……」
ますます泥沼にはまっている気がするのは私だけだろうか。このままでは、SOS団が破産する可能性もでてくるんじゃないか。
「だいじょうぶだって、キョン子ちゃん」
イツキが明るい声で話しかける。
「売れたらいいのよ、売れれば」
そういえば、温泉旅行を夢見たこともあった。あのあと、一度だけ親に、そのことをボソッと話したこともある。当然のことながら、高校生同士、しかも男女合同の旅行なんて許されるはずがなかった。まあ、イツキに言わせると、そのときになったら何とかなる、らしい。でも、今ではそんな夢物語、口に出すのもはばかれる状況だった。
「……それにしても」
私がこう考え事をしている間にも、長門くんはカメラをかまえている。
「カメラを向けられるのは、ちょっと照れるんだけど」
「心配するな、キョン子」と、ハルヒコが団長席から声をかける。
「どうせ、おまえを撮ったって、映画じゃ使えないからな。そうだろ?」
「まあ、ね」
まさか、特典映像で『キョン子、ハンデ戦でみつるに敗れる!』なんてものを収録するはずがない。そんな映像を見て喜ぶ人なんて、SOS団員以外には世界中探してもいるはずがない。だから、私は心配することはないのだ。撮っているのは、私ではなく、盤上の石にすぎないのだから。
「ねえねえ、みつる君」
みつる先輩の隣にイツキもいる。イツキはみつる先輩になにやら耳打ちしているようだ。これまでの疎遠さがウソのような親密さである。おそらく、昨日の放送室で何かあったのだろうが、私の知らないところで仲直りするというのも不快な話である。
「ちょっと、イツキちゃん。助言とかしないでよ」
「だいじょうぶだって。あたし、みつる君より弱いし」
その通りだ。各種ボードゲームはともかく、オセロに関してはみつる先輩に勝る者はいない。しかし、こちとら、真剣勝負をしているのに、イチャイチャされていてはたまらないではないか。
「ねえ、キョン子さん」
「……なに?」
私は不機嫌そのものの声色で、みつる先輩に答えてみせる。
「もし、僕が負けたら、なんでも好きなこと、してあげるからさ」
「へ? いいの?」
途端に身を乗り出してしまう私。いくら、イツキと仲むつまじくなろうが、みつる先輩が美少年であることは変わりないわけで、そんな彼に何でも好きなことっていったら……。
「って、ストップ!」
思わず、顔がニヤけてしまったではないか。顔を上げて、イツキを見ると、予想どおり笑っている。
「イツキちゃん、なに見てんのよ」
「べっつに~。それより、真剣勝負なんだから、キョン子ちゃん、油断しちゃダメだよ」
「言われなくても、わかってるわよ」
それにしても、これは何なのだ。ハルヒコは団長席にいるものの、長門くんはカメラを構え、イツキもマジメに見ている。これまでのオセロなんて、対戦相手のみつる先輩をのぞけば、誰もその勝敗に注目してはいなかった。だから、気楽に打つことができたのに。
やがて、部室に沈黙が走る。これほど、重い雰囲気の中で、オセロをしたことはなかった。しかも、負けることが許されないハンデ戦。さらに、みつる先輩は、勝利の報酬も約束してくれているのだ。
「むむぅ」と私はうなる。この手のゲームに私はあまり本気になったことはない。意地っ張りだが、負けず嫌いではないのだ。そのせいか、思考がうまく定まらず、なかなか本気モードに入れない。
「それよりも、みんな、中間テストはだいじょうぶなの?」
たまらず、私はそんなことを口にする。
「えー、なんで、そういうこと言うかなぁ、キョン子ちゃんは」とイツキ。
「僕のことは気にしなくていいよ。なんとかなると思うし」とみつる先輩。
「そうだ、そうだ」とハルヒコも口をはさむ。
「高校一年の二学期の中間テスト。そんなものに一喜一憂したって、将来の道が開けるはずがない。世の中には、もっと大事なものがある!」
「でも、学業こそが、高校生の本分じゃないの? それよりも、映画制作が大事っていうの?」
「映画よりも、まずは目の前のオセロだろが!」
「はぁ?」
まさかのハルヒコの返事に、私は耳を疑う。成績の良いハルヒコが、中間テストを捨てて映画制作を優先するのは、根本的にまちがっているけれど、理解できなくはない。だが、そこまで私VSみつる先輩のオセロ戦に思い入れるはずがないわけで。
「もしかして、あんたたち、この勝敗に、何か賭けてるんじゃないでしょうね」
「そ、そんなこと……」
「余計なこと言わないでね、団長」と、イツキが口をはさんでくる。
いや、オセロはともかく、中間テストのことをマジメに考えなくちゃいけないのは、イツキちゃん、あんただろう。ズル休みが多い彼女のこと、中間テストの成績次第では、赤点もありえる。そうなると、落第である。人生をゆるがす大問題である。彼女は、おそらく、このオセロの勝敗に注目することによって、現実逃避しているのにちがいない。親友として、その過ちを許すわけにはいかないわけなんだけど。
「ほら、キョン子ちゃん。早く次の手を打たないと」
「そうだ、キョン子。おまえはだまってオセロ打ってろ」
まちがいない。こいつら何かを賭けている。まあ、ジュースぐらいだろうけど、そんなものに真剣になっているのは、これまでの映画制作でがんばった反動なのかもしれなくて。
それに、昨日の対戦もあって、盤上の局面はそれほど不利ではない。みつる先輩は強いが、四つ角を抑えられたハンデ戦の経験はあまりないはずだ。私がミスをしなければ勝てる勝負なのである。
「わかったわよ、勝ってやるわよ」
「そうそう、キョン子ちゃん、その意気」
「ああ、キョン子はできる子って、俺、信じてるからな」
どうやら、イツキとハルヒコは私に賭けてるようだ。イツキがみつる先輩に耳打ちしたのも、私を発奮させるためかもしれない。でも、何でもやる、とみつる先輩が約束したということは、勝てる自信があるからかもしれず。
「まあ、キョン子さん、お茶をどうぞ」
「うむ」
そんな私に、いつもどおりお茶を差しだすみつる先輩。私は考えすぎたせいか、偉そうにそれに答えてしまう。気合を入れて、ぐびっとそれを飲む。おいしい。まさに、敵に塩を送る行為だが、それでこそ、私の愛するみつる先輩である。
「よしっ!」
私は力強く、次の手を打つ。周囲の注目が気になるが、それに動じてはならない。だいたい、撮影ロケで、カメラを向けられても、イツキやみつる先輩は、立派に役を演じていたではないか。そのプレッシャーに比べれば、今の私の立場など、どうってことないはずだ。
チッ、と、みつる先輩の小さな舌打ちが聞こえてくる。どうやら、彼の読みを上回る手であったようだ。しかし、そう簡単に勝たせてくれるみつる先輩ではないだろう。
ふたたび、部室は沈黙に包まれる。私は長門くんのカメラを無視して、盤上に注目する。まずは、この戦いに勝つことだ。そうすれば、ハルヒコやイツキが私をバカにすることはなくなるし、みつる先輩は私の言うことを聞いてくれる。私は神経をとぎすまし、みつる先輩の次の手を待った。
私は気づくべきだったのだ。映画制作の最中、たかがオセロゲームに彼らが注目していた理由が、ジュース一本とかそんなチンケなものではないことに。
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(14)「楽しみにしてろよ、上映会」
スチールカメラマンという肩書きである私にとって、その後の映画制作には、ほとんどノータッチだった。
アフレコには、つるやさんも来ていたらしいが、私はその現場に立ち会っていない。
最初は脚本を見せてくれたハルヒコも、アフレコ用の台本は私に見せようとしなかった。
だから、スタッフの一人である私にとっても、どのような映画になるのかは見当もつかなかった。
それよりも問題は中間テストだった。私自身だけでなく、イツキの面倒も見なければならなかったのである。空き時間を利用して、私はポイントをまとめ、イツキに教えたりした。その努力の甲斐あって、イツキは全教科で赤点をまぬがれた。私もさして順位を落とさずにすんだ。映画制作に没頭していたハルヒコと長門くんは、大いに順位を落としたものの私よりは上位だった。
こうして、あわただしかった十月が終わり、十一月に入ったその日、私はハルヒコとポスターを印刷していた。一銭のお金も使いたくないので、学校の印刷機を使ってである。もちろん、名義はSOS団ではなく、文芸部としてだが。
ポスターには女装姿のみつる先輩とバニーガールのイツキの姿が載っている。白黒で印刷するのがもったいない良い出来である。ちなみに、この写真を撮ったのはスチールカメラマンの私ではない。映画ロケ以来、私がデジカメを手にすることはなかった。はたして、スタッフロールに私の名前はあるのだろうか。
印刷中のポスターには、タイトルと上映時間だけでなく、DVD販売の予告もあった。値段は書かれていない。五千円で売るという話になっていたが、どうなったのだろう。
「そういや、特典映像って、まだ撮ってないの?」
「それどころじゃない」
私の問いに、ハルヒコは答える。
「いま、長門が最後の編集をしてるからな。本編が完成するのはギリギリまでかかりそうだ」
「じゃあ、試写会とかはしないの?」
「そんな余裕はない」
「でも、みんなで確認しといたほうがいいんじゃないの?」
「心配すんなよ。最後は俺がチェックするんだから」
「そうだよね、これ、あんたの映画だもんね」
「ああ。俺が監督兼脚本兼プロデュースだからな」
そういってニヤリと笑うハルヒコを見て、私はたいしたもんだと思った。
気まぐれで始まった今回の映画制作だが、初回ロケでは、見事に準備不足が露呈した。あわや、空中分解の危機に直面したものの、長門くんの助言を受け入れて、みんなの協力のもと、なんとか完成にこぎつけることができた。
「ねえ、映画制作して、よかったと思う?」
「それは売れないとなんともいえないな」
そう、この映画制作はかなりの赤字を出しているのだ。カメラのレンタル料を含めると、五人で分割しても払えない金額になっている。
「DVD製作費用だって、バカにならないんでしょ?」
「まあ、それはなんとかなるって」
なお、DVDの完成品を用意できるのは、まだ先なので、上映会では予約を受け付けるのみとなった。はたして、売れるかどうかは疑問なのだが、それを思いわずらってはなるまい。みつるファンクラブや隠れイツキファンに期待するしかない。
「それよりも、楽しみにしてろよ、上映会」
「私が?」
「ああ、おまえが予想していたよりも、はるかにおもしろい映画になってるからな」
「変な期待はやめとくよ。あんたががんばったのは知ってるし」
「そういうことじゃねえよ」
「どういうこと?」
「まあ、楽しみにしてなって」
ハルヒコの答えに、私は深く考えずにうなずいた。
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(15)「これで、誰も文句ないわね」
文化祭当日、私たちは視聴覚準備室で、上映時間を待っていた。
上映会の舞台である視聴覚室は、合同授業をすることもあってか、100人近くが座れるようになっている。私たちは、その机の上に、学校中に掲示したポスターの残りを並べている。あとは、観客を待つのみである。
我が北高には映画研究部なんてものはなく、自主制作映画を文化祭で上映するのは、私たちSOS団のみだった。しかし、上映は一回かぎり。というのは、タイトルだけで話の筋がわかるような、ありがたい映画を上映することが決まっていたからで、私たちはその間隙を縫う形でしか、時間が与えられなかったからだ。
「来ないな、客」
ハルヒコが腕組みをする。準備室から前方の視聴覚室の様子を見ることはできるが、入場者は十人、全員女子である。みつる先輩は、その女子の相手をしている。言うまでもなく、彼女らはみつるファンクラブの皆さんである。
つまり、ファンクラブ以外に客が一人も来ていないということだ。ハルヒコは「あのポスターを見たら、相当な客が来るだろう」と楽観視していたが、この惨状である。SOS団員は友達が少ない連中ばかりなので、第三者に期待するしかないのだ。これならば、クニとグッチを誘っておけばよかったと思う。
「しかし、会長さんはあいからわずだな」
ハルヒコは視聴覚室を見ながらつぶやく。会長というのは、生徒会長のことではなく、みつるファンクラブ会長さんのことである。映画制作に追われていた十月、我が北高では生徒会役員選挙があったのだが、私たちは誰も興味をいだかなかった。進学校で生徒会役員をつとめるのは、内申点目当ての人ばかりだし、たいした権限はない。私ですら、前生徒会長と現生徒会長の名前を覚えていないぐらいだ。
だからこそ、ハルヒコはわざわざ自分の部を作ったのだが、学校内の知名度でいえば、涼宮ハルヒコよりも、みつるファンクラブ会長さんのほうが有名だろう。会長が団長に勝っているのが、北高の現状なのである。
みつるファンクラブでは、月一回のお茶会を開催している。地区会館の会議室を借りて行われるそのお茶会では、みつる先輩がいれたお茶を、ファンクラブの皆さんはありがたく飲んでいるらしい。私は部室で「うむ」と当然のように飲んでいるが、SOS団員でなくなれば、ファンクラブに入って会費を払わないと飲めない代物なのである。
「いつも思うんだが、なんであんな人が、みつるのファンクラブ会長なんかやってるんだ?」
準備室には、私とハルヒコとイツキの三人が待機している。長門くんは受付係として、視聴覚室の入口でSF小説を読んでいる。
「あんな人って?」
「だって、あんな美人だろ? その気になればどんなヤツでも付き合えるはずなのに」
「団長、ここに女の子二人がいるのに、他の子を美人っていうのはどうかと思うけど」
「いや、古泉とはタイプがちがうじゃないか、会長は」
そう、みつるファンクラブの会長さんは美人なのだ。我が北高でもっとも黒髪ロングが似合う女子といっていい。しかも、立ち振る舞いや言動にも気品があった。そんな人が、みつるファンクラブの会長をしているのである。
だから、お茶会もひどく上品なものらしい。SOS団の活動に支障をきたさないように、その日程はあらかじめ私たちにも伝えられていたが、その際、いつもみつる先輩は「あれ、ここのように気楽にできないから疲れるんだよね」と言いながら、ニヤケ面をしているのだ。
まあ、あの会長さんにアイドル扱いされるんだから、まんざらでないのはわかるが、私はともかくイツキに対して、そういう表情を続けるのはどうかと思う。
今だって、ファンクラブの皆さんに囲まれたみつる先輩は、営業用かもしれないが、笑顔を浮かべているわけで、それをイツキはじっと見ているのである。これは、ちょっとした修羅場ではなかろうか。
「まあね、あたしも、あのヒトがいたから、こんなカッコしているようなものだし」
「え?」
イツキのなにげない言葉に、私とハルヒコは驚いて、同時に声をあげる。
「もしかして、イツキちゃんって、髪の色抜いたの、高校に入ってから?」
「ううん、北高に入学する一日前、だったかな」
「そうか、古泉って高校デビューだったのか」
「ちがうわよ、団長。あのヒトとは知り合いだったから、入学式のときに、あっと驚かせようと思ってね」
「知り合いって?」
「キョン子ちゃんには言ってなかったっけ? あたしが北高に入ったのは、あのヒトがいたからなんだって」
そういえば、そんな話を聞いたことがある。知り合いの先輩がいて、その人だけを頼りに北高に入ったという話。イツキと仲良くなっても、その先輩が誰なのか教えてくれなかったし、私も気にしてなかったのだけれど、まさか、みつるファンクラブの会長さんだったとは。
「でもな、古泉。そういうことで髪の色変えるのはどうかと思うぞ」
「だって、負けたくなかったから」
そう言って、イツキは会長さんを見る。
ちょっと待て、勝ち負けってどういうことだ? 結果的に、イツキは会長さんのアイドルの唇を奪ったことになる。ああ見えて、みつる先輩は意外とガードが固い。どんなときでも話に付き合ってくれるけど、あと一歩踏みこもうとすると、軽くいなされる。イツキだって、あのラストシーン撮影までは、みつる先輩の隣に座っていても、触れそうなぐらい近寄ることはなかった。私なんか「キョン子さん」と呼ばれてるだけで調子に乗っているけど、みつる先輩とそれ以上の仲を目指すとなると、見当がつかない。
そう、ハプニングを起こさないかぎり。
SOS団に入ってからのイツキちゃん物語は、近くにいた私が考えているものと、まったく異なるものであったのかもしれない。
「……ということは、おまえ」
さすがに、鈍感なハルヒコも気づいたようだ。しかし、イツキは表情を変えずに言う。
「あのさ団長、歌であるじゃん。『私は人ごみに流されて変わっていくけど、あなたはあの頃のままでいて』って」
「ああ、女の都合よい妄想を押しつけた歌詞だよな、あれ」
「あのヒトにとって、みつる君とは、そういうものだと思うのね」
「古泉、そういうものって、どういうものだよ」
「あのヒトは、アイドルが欲しかったんだよ。しかも、自分の手が届くぐらい身近で、大人たちに管理されていないアイドルが。それに、みつる君が選ばれただけにすぎなくて……。だから、みつる君と彼氏になろうとか、独り占めしようとか、そういう気持ちはないんだよね」
「そういうものなのか?」
「まあ、そのアイドルがほかの女子とキスしているのを知ったら、絶対に許さないと思うけどね。あのヒト、思いこみが強いところがあるからなあ。ノーマークだった後輩にとられたとなると、そいつをナイフで刺して、自分も死ぬってこともありえるぐらい」
おいおい、涼しい顔で怖いこと言わないでくれよ、イツキちゃん。でも、あの会長さんだったらやりかねない。そして、そのことを、イツキのみならず、みつる先輩も知っているわけで。
だから、この二人、部室ではイチャイチャするようになっても、外では絶対にそんな素振りを見せないのだ。まるで、芸能人の恋愛である。そのスリルを二人は楽しんでいるのだろうと私は微笑ましく見ていたが、本当は修羅場寸前の状況なのだ。
だいたい、私とイツキは、不思議なことにみつるファンクラブの皆さんからはノーマークだった。それは、会長さんが「イツキはだいじょうぶ」と信じこんでいたからだろう。その根拠は、イツキが私にも語らない過去にあるのかもしれない。
はたして、この二人、どういうつながりがあるのだろう。会長さんがみつる先輩をアイドルに仕立てあげて、イツキが嫌われ者を気取るのは、なぜなのだろう。
「お、あいつらが来たぞ」
そんな私にハルヒコが声をかける。その視点の先にいたのは、なんと、クニとグッチだった。私は上映会があることは伝えていたけど、熱心には誘わなかった。きっと来ないと思っていたからだ。
しかし、みつるファンクラブしかいないこの状況で、この二人が来てくれたことはありがたかった。私はあわてて、準備室から出る。
「よ、キョン子。見に来てやったよ」とグッチ。
「ホントに女子ばっかりだね、あの男子が言ったとおり」とクニ。
「あの男子って?」
「受付にいた人だよ。名前、なんて言ったっけ」
「そうそう、あの金持ち。入口にいたけど、本ばかり読んでたよ、あいつ」
ああ、長門くんのことか。もしかすると、客が入ってこないのは、長門くんのせいなのか。
でも、ハルヒコが受付やってたら絶対に誰も近寄ってこないと思うし、みつる先輩はファンクラブの相手をしなくちゃいけないし、イツキにやらせたらとんでもないことになりそうだし……あ、私がいた。
そう、私が受付をするべきだったのだ。地味なことには定評のある私のこと、たいていの生徒は怖気づくことなく中に入れただろう。
しかし、時すでに遅し。私はクラスメイトの相手をしなくてはいけない。
「とにかく、二人とも、来てくれてありがとう」
私は素直に感謝する。
「だって、キョン子は友達だからね」とクニ。
「そうそう。友情、大事だもんね」とグッチ。
私は自分を恥じた。彼女たちを無理に上映会に誘わなかったのは、私がこの二人を信じてなかったからだ。本当ならば、猫の手を借りても、観客を集めたいところなのに、私は自分の友達を頼ろうとしなかったのだ。情けない。
「で、つるやさんはどこ?」とグッチ。
「いや、つるやさんは来てないけど」と私。
「えー? マジで? じゃあ、来た意味ないじゃん」
前言撤回。友情は建前で、本音はつるやさんに会いたかっただけなのか、グッチのやつ。
「まあまあ、わたしたちも、撮影現場に立ち会ったからさ」とクニ。
「そうよね。結局、二人とも映画に出ることはなかったけど」と私。
「だから、ぜひとも完成した映画は見たいと思ったんだよ。グッチはつるやさん目当てとか言ってるけど」
「スタッフの私も完成品見てないんだよね。最後の編集には付き合ってないから」
「キョン子は出てるの?」とグッチ。
「私は裏方に専念してたから」
「なーんだ、キョン子の銀幕デビューと思ったのに」とクニ。
そんな話をしている間に、パンパンと手拍子を叩く音が聞こえた。
「SOS団制作『純愛ファイターみつる』、間もなく上映を開始します」
ハルヒコの声だ。そして、私に目で合図をする。みつる先輩が、そそくさと準備室に戻っていく。私たち制作スタッフは、観客とは別のところから、この映画を見ることになるのだ。
「おかえり、キョン子ちゃん」
準備室に入ると、イツキが声をかけてきた。ご丁寧にイスまで用意してくれている。
「それでは、上映にあたっての注意を。まず、携帯電話の電源をお切りください」
この準備室にも、ハルヒコの声は聞こえてくる。映像ではなく口頭で説明するというのが、いかにも自主制作映画っぽい。
「次に、上映中は、大声を出さないでください。ほかの人の迷惑になります」
「……だってさ、キョン子ちゃん」
いつの間にか、私の隣に座ったイツキが声をかけてくる。
「上映中は大声を出しちゃ、ダメだからね」
「え? 私に言ってるの?」
「だって、キョン子さん、映画を見て、ツッコんだりするかもしれないから」
みつる先輩も私の隣に座っている。あれ? あなたはイツキの隣に座るんじゃないのか。
「あと、上映中は、なるべく席を立たないでください。退室するときは、くれぐれも、ほかの人の迷惑にならないように」
当たり前のルールである。まさか、この注意がすべて私に向けられているとは、このときは想像できなかったわけだが。
「では、SOS団制作『純愛ファイターみつる』をお楽しみください!」
そういって、ハルヒコは電気を消し、カーテンのスイッチを押す。目の前にはスクリーンが浮かびあがる。あとは、この準備室で再生ボタンを押すだけだ。
「どうだ、ちゃんと説明しただろ」
「うん、これで、誰も文句ないわね」
準備室に入って、ハルヒコとイツキが軽口を交わす。いよいよ、私たちの映画が幕を開けるのだ。
ふと、隣から手が差し伸べられてきた。イツキは私の手をにぎってくる。おいおい、手をにぎるのは私じゃないだろ、と思っていたが、その手はクールな彼女の表情とは逆に汗ばんでいた。
そうだよな。これから、イツキは自分の出演する映画を見るのだ。緊張しないはずがない。ならば、その手をにぎりかえして安心させてやることが、親友の私の役目じゃないか。
私自身も不安でいっぱいだった。もし、面白くなかったらどうしよう。無理に笑ったりしたほうがいいのだろうか。でも、自分をごまかしたって、きっと、みんなは喜ばないだろう。だから、私は気合を入れて見ようと思った。
再生ボタンを押して、ハルヒコもイスに座った。私の真後ろである。こうして、右にイツキ、左にみつる先輩、後ろにハルヒコという、キョン子包囲網が完成したのだが、当の本人である私は、そのことに気づく余裕などなかった。
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(16)「約束したじゃん!」
まず、映像に映し出されたのは、私たちの部室だった。現実とちがうのは、表札が『文芸部』ではなく『SOS団』となっていることだ。さっそく私の知らない映像が使われていたのだが、初期の脚本にあったつるやさんの出るシーンを撮影していないということは、序盤は私の知らない展開になっているということだ。
『SOS団部室。ここには、オニがすんでいるという』
ハルヒコの声だ。いつもの偉そうな口調とは異なり、ナレーターを気取って低音でしゃべっている。それだけで私は面白かったのだが、視聴覚室の観客は特に動じることはない。
それにしても、ずいぶんあっさりしたモノローグだと思った。初期の脚本では、みつる先輩がべらべらしゃべる予定だったのだ。それが「オニ」の一言で片付けられている。無論、このオニこそが、「純愛ファイターみつる」の宿敵である「吸血姫イツキ」だと私は思いこんでいた。
が。
次に、おどろおどろしい効果音とともに、スクリーンに映し出されたのは、私の姿だった。
「……え?」
数秒遅れて、そんな疑問を口にした私の手が引っ張られる。イツキだ。イツキは、口に人差し指をあてて「シー」と合図する。
いやいや、私が出演するなんて聞いてないぞ。もしかして、流す映像をまちがってるんじゃないか。
画面の中の私は、眉間にしわをよせて何かを考えているようである。そういえば、ホワイトバランスとかなんとか言って、みつる先輩とオセロをしていた様子を撮影したことがある。もしかして、あのとき、盤上の石を撮影するふりをして、私を撮っていたのか。いったい、なんのために?
それから、みつる先輩にカメラが切り替わる。おそらく、これは別撮りだろう。みつる先輩は小さい背をさらに縮めて、おそるおそるといった感じで石を打つ。
そして、こんなセリフが流れてくる。
『あー、今日も接待オセロかあ。この人弱いくせに、勝たないと機嫌悪くなるんだよなー。かといって、適当に打ってると、マジメに打て、と怒られるし』
「ちょ、ちょっと!」
思わず立ち上がろうとする私の肩をおさえる手があった。右に座っているみつる先輩だ。みつる先輩も、イツキと同じように「シー」と合図する。
正直、私はかなり混乱していた。こんな場面は、私の知っているハルヒコの脚本のどこにもない。もしかすると、私を驚かせるためのドッキリ企画なのかもしれないが、視聴覚室には会長さんをはじめとしたみつるファンクラブの皆さんや、クニやグッチもいるのである。
『むぅ……』
画面の中の私は、その一手に深く悩んでいるようだった。それから、みつる先輩に画面はかわる。その表情は優れないままだ。
『くっ、こんなわかりやすい手を打ったのに。しかたないなあ。この人でもわかるところに打っておくか』
頼りない手つきで、みつる先輩は石を置く。それにすばやく反応したのが、画面の中の私である。
『……ふっ』
私の口元がアップで映し出され、私は力強く石を置く。ビシッ! かなり迫力ある効果音である。
『ねえ』
画面の中の私がうれしそうな顔つきをしている。
『私が勝ったら、なんでもしてくれるって約束してくれたよね?』
ちなみに、映画の中の私の声は、実際のものとは違う。スピードを遅くした、低音で間延びされた加工音声である。
それにたいして、みつる先輩は、
『そ、そんな約束した覚えは……』
「約束したじゃん!」
たまりかねて、私は叫んだ。
「おい、上映中だぞ」
「そうだよ、キョン子さん、静かにしないと」
そんな私に対して、ハルヒコとみつる先輩が同時に反論する。しかし、私は見逃さなかった。二人が笑いをこらえていることを。
「キョン子ちゃん」
イツキも声を出す。
「団長が言ってたよね? 上映中は、叫んだり、立ち上がったりしちゃダメだって」
「い、いや、これは……」
『……で、なにをすればいいの?』
映画の中のみつる先輩が、おびえた顔で言う。私はうれしそうな顔をする。ああ、そうだったなあ。あのときの勝負、この一手で勝ちを確信したんだっけ。
『ふふふ……』
映画の私は下品に笑っている。
それから、画面は切り替わる。あの、女装をしたみつる先輩の映像である。観客全員の息をのむ声が、準備室まで聞こえてくる。
すると、私がまたもや出てくる。デジカメをかまえた後ろ姿である。
『ふん、ふん、ふん!』
鼻息をあらくして、私が女装したみつる先輩の写真を撮る姿が……。
ち、ちがう! と、私は叫ぼうとしたが、イツキに口元をふさがれていた。画面の私は、おそるべき速さでシャッターを切っている。そりゃそうさ。私はスチールカメラマンだったし、女装したみつる先輩にちょっとばかり興奮したのは事実だ。でも、これは明らかに倍速以上のスピードで編集している。ていうか、長門くんはこのときもカメラを回していたなんて知らなかった。
私は弁明したかった。これはすべて悪意ある編集にもとづく誤解であると。私がオセロゲームを打ったのは事実だ。勝ったら、なんでもしてくれるというみつる先輩の提案に乗ったのも事実だ。スチールカメラマンとして、女装したみつる先輩を熱心に撮ったのも事実だ。
でも、これでは、私がみつる先輩を女装させたと思われてしまうではないかっ!
「ふが、ふが、ふが」
気づけば、私の身体は三人がかりでおさえられていた。イツキとみつる先輩とハルヒコである。ああ、そうか。こういうことをあらかじめ想定して、この配置だったということか。そして、長門くんをふくめ、みんなこの悪意ある編集に加担したということか。
それが何のためであるかは、もはや、どうでも良かった。映画の私は、バカなくせに、みつる先輩にオセロゲームに勝たないと気がすまない女であり、わざと負けたみつる先輩に女装を強制するような、とんでもない女だった。
スクリーンには、すでに私の姿はなく、イツキとみつる先輩が対峙しているようだが、もはや目に入らなかった。涙でにじんで、まともに映像を見ることができなかったのだ。そう、団員たちの裏切りに、私は涙すらこぼしていたのだ。しかし、今は泣いている場合じゃない。
「ふがーーーっ!」
私は力をふりしぼり、思いきり叫んだ。そして、彼らの手をふりほどき、私は立ち上がり、一目散に出て行ったのだ。
我ながら、よくぞ、停止ボタンを押さなかったと思う。そのときは、そこまで考えることができなかったのだ。まあ、そうしようと思っても、ハルヒコに阻止された可能性が高い。あのキョン子包囲網は、それぐらいのことは想定していただろう。非力な私にできることは、その場をのがれることだけだったのである。
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(17)「映画を見た人だけの秘密ってことで」
つるやさんにパンケーキとハーブティーをおごってもらったあと、結局、私は視聴覚室に戻ることにした。
私の映像を本人に無断で使ったことは許しがたい暴挙である。しかし、その目的は私を怒らせるだけではないはずなのだ。
まず、お金の問題がある。みつるファンクラブの皆さんにDVD購入してもらわないことには赤字になる。私が出演したところで、その売り上げがプラスになるはずがない。
それに、彼らは変人ぞろいだがマジメな奴らなのだ。私はスチールカメラマンとして、そんな彼らの真剣な表情を見てきた。
彼らが、みずからの作品を汚すような真似をするとは思えない。だから、何らかの理由があるはずなのだ。
そんな疑問を抱えながら、私は忌まわしき視聴覚室への道をたどる。
「帰ってきたのか」
そんな私を待ち構えていたのは、入口で受付をしていた長門くんだった。手元には、いつものSF小説がある。
今回の映画制作で長門くんが果たした功績は大きい。長門くんの的確なアドバイスがいなければ、映画が完成することはなかっただろう。このことで、私の長門くん評価は大いに上昇していたのだ。
しかし、あんなものを見せられた今、あまり人を憎んだことのない私でも、涼しい顔をしている長門くんには一言いってやりたかった。
「なんで、あんな編集したの?」
「言ったはずだ、これは涼宮の映画だと」
平然と長門くんは答える。いや、あの編集はどう考えても悪意に満ちている。いくら、ハルヒコが悪だくみをたくらんだところで、長門くんの知識がなければ、あそこまでひどい代物とはならなかったはずだ。
そういえば、と私は思い出す。ラストシーンを撮った翌日の部室で、長門くんとSF談義をしたことがあった。私はそれを適当に聞き流した。おかげで、長門くんは私に新たなSF小説を勧めようとはしなかったのだ。
しかし、内心は傷ついていたのかもしれない。自分の趣味を、彼なりに情熱的に説明したのに、私はそっけなく答えただけだったのだ。このことで、彼はうらみを持ったのかもしれない。だから、ハルヒコの命令に従って、あんな編集をするのをためらわなかったのだ。
これが選択肢をあやまったということか。あそこで私が話を合わせておけば、違う結果になったのかもしれないのか。
でも、後の祭りだ。あの映像は、SOS団員だけでなく、みつるファンクラブの皆さんやクニとグッチも見てしまったのだ。覆水盆に返らず。その事実をくつがえすことはできない。
「もういい、このことは、絶対に許さないから」
そう言い放った私に、長門くんは肩をすくめただけだった。
音を立てないようにドアを開けたが、明かりが漏れたせいで、反応する人もいた。クニやグッチもそうだった。二人とも「あ……うん」という、なんとも言えない表情をしている。ただ、戻ってきた私には、汚名返上のチャンスがある。上映後は、二人の誤解をとかねばと決意しながら、悪の枢軸がひそむ準備室に私は足を進める。
「キョン子ちゃん、おかえり」
私は怒りの形相をしているはずなのだが、出迎えたイツキは罪悪感ゼロの笑顔をしていた。
「ごめんね、キョン子さん。悪気はなかったんだけど」
申し訳なさそうに、意味不明のことをつぶやくみつる先輩。
「ちなみに、おまえの映像を使うことを提案したのは、古泉だからな」
この期におよんで、そうのたまっているハルヒコ。
「ひどい、脚本を書いたのは団長じゃん」
「で、その脚本を私にだまって演じたわけね。イツキも、みつる先輩も」
「だ、だって……、仕方ないじゃん」
私の声にしどろもどろになるみつる先輩。どうやら、自分が責められるとは思わなかったようだ。かわいい顔してるくせに、とんでもない先輩である。
「キョン子ちゃん、今は上映中だから、話はそこらへんで」
イツキの正論に、私はとりあえずうなずいた。
「とりあえず、あんたたち、絶対に許さないから」
そう言って、私はイスに座る。例のキョン子包囲網の真ん中である。
そんな私の怒りとは無関係に、映像は流れている。そこに、もちろん、私の姿はない。イツキとみつる先輩が向き合っている。
『もう、君の思いどおりには、させないからな!』
『ふふふ、これを見ても、そんなこと言えるのかな?』
画面の中のイツキは、ポケットの中から笛を取り出す。100円ショップで買った、どこにでもある笛を、これまた100円ショップのアクセサリで飾りつけした、つまり何でもない笛である。
『な、なんだ……それは』
『これはね、マジックホイッスルっていうの。その効果は……』
『見た感じ、フツーの笛なんだけど』
『じゃあ、試してみる? せーの、気をつけ!』
ピッ! 画面のイツキの号令と笛に合わせて、みつる先輩は姿勢を正す。なお、このときのみつる先輩はいつもの女装で、イツキはチアガール姿である。もし、観客に男子がいたら「逆だろ!」とツッコまれそうな展開だ。
『くっ……、なんだ、この笛は』
『あはは、必死で特訓したっていうけど、まだまだ弱っちぃじゃん』
『そ、そんなことはない! ぼ、僕は……』
『わー、オカマがいる』
そのとき、聞き慣れた声が耳に飛びこんでくる。そうだ、これはうちの近所の公園で撮影したパートであって、そこに出演しているのは――。
『オトコなのに、オンナのカッコしてるヘンタイだ!』
『つーほーだ! 通報だ!』
言うまでもなく我が弟と、その友達である。結局、採用しちゃったのか。そうなると、出演者特権として、弟にもこの映画を見せないといけないじゃないか。
『う、うるさい! 僕は正義のために、純愛のために、戦ってるんだぞ!』
『子供にもバカにされるなんて、ホンっと、キミってみじめだよねぇ。お姉さんがなぐさめてあげようか?』
『そ、そんなことはない。僕が本気を出せば……』
『まわれー、みぎ!』
ピッ! ピッ! ピッ! その笛に合わせて、みつる先輩は華麗に後ろを向いてしまう。
『こ、こんなはずじゃ……』
『もう一度! まわれー、みぎ!』
ピッ! ピッ! ピッ!
また、律儀に回れ右をする画面のみつる先輩。それを見て、視聴覚室では失笑している人もいた。もしかして、これ、受けてる?
ちなみに、この回れ右は、カメラの位置を変えて十回以上撮影している。想像してほしい。公園で、チアガールの格好した女子の笛に合わせて、女装した男子が回れ右をする姿を撮っている集団を。スタッフの一員だった私が言うのもなんだが、相当にシュールな光景だったと思う。よく通報されなかったものだ。
『じゃあ、今度は……まえにー、ならえ!』
ピッ! ピッ! その笛に、なぜか、手を腰に回すみつる先輩。
『あれ? 前にならえ、って言ったよね? 前にならえって、手を伸ばすよね? おかしいなぁ』
首をかしげるイツキ。一方のみつる先輩は、腰に手をあてたまま、何か言いたそうに、ぷるぷると震えている。
『じゃあ、もう一回! まえにー、ならえ!』
ピッ! ピッ! それでも、両手を腰にあてて、直立不動するみつる先輩。
『これ、どういうことなの?』
そんなイツキの言葉に、みつる先輩は赤面しながら言う。
『だ、だって……僕は、ずっと背が小さくて、先頭だったから……』
それから、アップになって。
『前にならえで、手を伸ばしたことがないんだ!』
「きゃはははっ!」
視聴覚室から、大きな笑い声がした。
「お、ウケた……って、谷口かよ」
グッチかよ、と私も落胆してしまう。私たちにとって、何よりも気になるのが、みつるファンクラブの皆さんの反応だったからだ。
こんなわかりやすいネタでも笑わないとなると、もしかすると、会長さんは怒っているかもしれないと心配になる。上映後、「わたしたちのアイドルを、こんなひどい映画に出すなんて、ひどいわ」と怒られるかもしれない。そうなると、DVD販売のメドが立たなくなる。みつるファンクラブの皆さんに予約してもらうことが、赤字解消の大前提だからだ。
これは一種の賭けのようなものだ。面白いほうがいいとイツキは主張し、それにハルヒコも同意したけれど、そもそも、ファンの幻想は甘く、そして強い。みつる先輩を徹底的に美化して活躍させたほうがよかったんじゃないか、と今さらながら不安になった。
「だいじょうぶよ、みんなにウケてるって」
そんな私の心を察してか、イツキが小さくつぶやく。
「だいたい、あのヒトたち、みつる君が女装したポスター見て来てるんだからね。上品ぶってる自分たちにはできないことを、あたしたちに期待してるわけだから」
そうだよな、女装していた時点で、スーパーヒーローみつるを期待しているわけじゃないよな、と私は思い直す。イツキは会長さんのことは、私以上に知っているだろうし、みつる先輩のことだって、私以上に考えているわけだし。
『そんなキミが、あたしに勝てるわけないじゃん。いいかげん、あきらめたら?』
画面の中のイツキは、悪役らしい笑みを浮かべながら、みつる先輩につめよる。
『そ、そんなことはない! 純愛は勝つ!』
『そればっかりじゃん。もうね、お姉さん、あきちゃったよ』
『わかった。明日、すべての決着をつける!』
あ、セリフ変わってるな。このときの撮影は、最終決戦手前のものではなかったはずだ。それでも、そのことに違和感をいだいている様子は、視聴覚室を見るかぎりはない。
『わかったわ。じゃ、また明日』
そう言って、イツキはきびすを返し、去っていく。
そして、こぶしをにぎりしめながら、立つみつる先輩が映しだされる。これは、別の公園で撮影したものだ。
『Tさん。こうなったら、最後の手段、使わせてもらいますね』
つるやさんの名をつぶやき、意を決したようにみつる先輩が瞳を光らせる。うん、なかなかうまい編集だ。その編集力を冒頭でいかした結果、私の怒りの退室を招いたわけだが。
こうして、場面は転換する。
「おっ、私が撮影したやつじゃん」と私。
「ここしか使い道なかったけどな」とハルヒコ。
そう、カラスの鳴き声らしき効果音とともに、スクリーンに映し出されたのは、私が数多く撮影した空の写真のひとつ、夕暮れの空だった。スチールカメラマンとしての私が役立ったのは、もしかすると、この場面だけかもしれないが。
いよいよ、例のラストシーンである。学校の屋上で向き合う二人。でも、みつる先輩は、おなじみの女装をしていない。
『……それで、あらたまって、はなしって、なぁに?』
『そ、それは』
イツキの口調は甘ったるいが、緊張感がある。どうやら、ここは、撮影ロケの音声をそのまま使っているようだ。今にして思えば、このときのイツキは、例のたくらみのために、いつも以上に神経をとがらせていたのかもしれない。そのせいか、これまでのコミカルな雰囲気とはちがう凄味があった。
視聴覚室を見ると、だらしない姿勢で見ていたグッチも、食い入るように見ているようだ。会長さんは相変わらず背筋を伸ばして、上品な姿勢を崩していない。
『ぼ、僕は……き、君のことを、すきになってしまったんだ!』
そんな画面のみつる先輩の告白に、視聴覚室の空気は乱れる。いくら映画とはいえ、あのみつる先輩の告白である。会長さんはその画面を見て、まるで雷を打たれたように、身体を震わせていた。
『そして、一人の女の子として、君のことを、僕は……』
しかも、その対象はイツキである。会長さんがイツキのことをどう思っているかは、正直いってよくわからない。付き添いの私を含め、イツキを例外あつかいしているということは、みつる先輩とイツキがくっつくはずがないと思いこんでいるせいだろうが、女子には女子特有の勘というものがあるわけで。
『……君を倒さなくても、純愛を教えることはできる!』
『そんなことが、できると思う?』
『ああ』
にべになく、告白を断るイツキと、それでも言葉を止めないみつる先輩。撮影現場を見ている私でも、思わず緊張してしまうぐらいなのだから、会長さんはどんな心境なのだろう。
そんな私の手を強くにぎる感触がした。そう、隣に座っているイツキだ。演じていたイツキですら、このシーンを平然とは見れないのだ。
『ほ、本気なの?』
『ああ。だから……』
画面のみつる先輩はイツキに近づいていく。私はこの場面を見ているみつる先輩の表情も知りたかった。ミスター受身のみつる先輩は、どんな顔をして、この映像を見ていたのだろう。
でも、それどころではなかった。隣のイツキから伝わる熱、そして視聴覚室の会長さんの動きに、私は心を奪われていたからだ。
観客をじらすように、二人は停止する。憎らしいほどうまい演出だ。それから、みつる先輩は近づく。そう、一度しか撮影しなかった、キス未遂のはずの、キスシーン。
「……あっ!」
私はたまらず声を出してしまった。そう、画面の中のイツキが、ほんのちょっとだけ動いたのだ。私はそれを隣で見て、コンデジのシャッターを切った。このとき、二人はまちがいなくキスをしたのだ。
それは、長門くんが映した後方カメラだと、はっきりとは映っていない。現場にいた私にはわかる。だが、観客はどうなのか。際どい、と思った。本当にギリギリだ。キスをしたわけないと主張することもできるが、キスをしていないとは言い切れない。こんな映像を、堂々と見せていいのか。
くるんと、映像のイツキは振り向いた。
『私をだまそうとしたって、そういかないよ。ばいばい、純情くん』
そう言って、歩き出したイツキ。カメラは動かない。茫然としているみつる先輩を映しだすのみだ。
カメラが切り替わって、みつる先輩は叫ぶ。
『そ、そう。正義は勝つ! 純愛は勝つ! とぉーーーっ!』
そして、後ろに向かって、みつる先輩は走り出す。
これ、だいじょうぶなのか? イツキがキスをしていない保証なんて、どこにもないんじゃないのか。映像のみつる先輩の動揺は、まちがいなく、イツキが何かをしたからであって、こんなふうに終わっても、観客は納得できないのではないか。
「……えっ!」
そう考えていた私だが、その後に映し出された人物を見て、思わず叫んでしまった。
そう、私である。すっかり忘れていた私である。画面は切り替わり、あのオセロ対局のときの私が映し出されたのだ。いったい、なんのために?
『結局、あのオニには勝てなかったけど、戦いを通じてわかったことがあったんだ』
みつる先輩のナレーションだ。
『僕はまだまだひ弱な純情少年で、他人をダマすことなんてできないって。だから、自分に正直に生きようと決意したんだ』
画面の私は、自分でもかわいそうなぐらい、顔をゆがませていた。その表情のけわしさは、例のハンデ戦の終盤であることを意味していた。このあとで、私は言ったのだ。
『……負けました』
そうなのだ。最初に四隅を抑えた状態で始まったハンデ戦、私は負けてしまったのだ。私は自分が思っている以上にバカだったのである。まさか、あの屈辱が映像として残されるとは思わなかった。
ただ、映画ではハンデ戦を暗示するところはなかった。映像ではまったく盤面は映し出されていない。だから、これがハンデ戦かどうかは視聴者にはわからないはずで。
『こうして、僕は接待オセロをするのをやめた。たとえ、そのあとで、この人が怒り狂ったとしても、それに耐えようと思ったんだ』
『……強かったんだね、私の思ってる以上に』
『そ、そんなことないよ』
『照れたって、そうはいかないよ。今日は惨敗。認めてあげる』
うー、こんな負け惜しみを言ってたのか。なけなしのプライドをかき集めて強がって見せる自分の姿はなんとも哀れで、とても正視することには堪えられなかった。
それにしても、映画では違和感なく使われている。多少の編集はしているのだろうけど、私は脚本に合わせて演じていたのではない。そのままの自分である。あのあと、長門くんを含めた四人が「いい素材が撮れた!」と喜ぶ姿が目に浮かぶようだ。
「……まさか、私がオチなの?」
「うん、キョン子ちゃん、才能あるわよ。天然役者としての」
「そうだ。ここまでうまくいくとは思ってなかったからな。助かったぜ、キョン子」
そんな誉め言葉をもらってもうれしくはない。ただ、この場面を見て、視聴覚室の観客の人たちの緊張感がほぐれていくことは感じられた。。
そうか、私はみつる先輩を女装させた動機だけではなく、イツキのキス疑惑を解消するためにも利用されたということか。もし、あのまま終わっていたら、会長さんは猜疑心のトリコになっていたかもしれない。でも、そのあとで、私が映しだされることによって、みんな冒頭シーンを思いだすわけだ。
つまり、ラスボスは私なのである。なんともひどい話だが、納得のいく展開ではあった。
『……僕はこれからもあきらめない。純愛が勝つことを!』
そんなみつる先輩のガッツポーズのあと、やけにチープなサウンドが流れはじめた。これで、エンディングに突入ということだろう。
さて、私が映画を見に戻った理由のひとつが、スタッフロールである。この映画、プロデュース&脚本&監督をつとめたハルヒコが、最大の功労者であることは間違いないが、長門くんはカメラマン以上に活躍したし、イツキだって様々な助言をしている。ハルヒコ一人では絶対に完成させられなかった映画である。それを、どんなクレジットで表現しているのか、私は楽しみだったのである。
しかし、私の期待は裏切られた。
【制作 SOS団】
黒に白文字でそう表示されたあと、映し出された文字はこうだ。
【団長 涼宮ハルヒコ】
「って、スタッフロールじゃないじゃん!」
私は思わず口に出してしまった。
「そうか?」
「だって、団長って、そのままじゃん」
「でも、団長は団長でしょ?」とイツキ。
「そうそう、これがしっくりきたんだよ、僕も」とみつる先輩。
「最初は肩書きをつけようと思っていろいろ調べたんだけどな。面倒くさくなって、やめた」
しかも、そこに表示されてるのは文字だけではなくて。
「これ、私が映した写真だよね?」
「おう、よくわかったな」
私がスチールカメラマンとして撮影したハルヒコの写真が数枚使われていたのだ。いちおう、私の写真は空以外でも使い道があったのだ。
続いて、映しだされるのは、もちろん。
【副団長 古泉イツキ】
主演のみつる先輩ではない。SOS団の権力順である。
「それにしても、この歌って……」
そんなクレジットよりも気になったのが、エンディングテーマだった。単純なリズムに合わせて、みつる先輩が歌っているのだ。
『純愛! 純愛! 純愛だー!』
撮影ロケ最終日にハルヒコが見せてくれた主題歌の一節だが、これしか歌っていないのだ。具体的に書くと、こうなる。
『純愛! 純愛! 純愛だー!
……え? もう一回?
うん、純愛! 純愛! 純愛だー!
もっと大きく? やだよ、恥ずかしいじゃん。
って、純愛! 純愛! 純愛だー!
まだ終わんないの? いつまでやるんだよ。
あっ、純愛! 純愛! 純愛だー!」
この繰り返しである。これはひどい。映画史上最低のエンディングテーマではなかろうか。
「時間がなかったからな。これだけになった」とハルヒコ。
「そういや、最初に、主題歌流さなかったの?」と私。
「そうか、キョン子ちゃんは、すぐ逃げちゃったもんね」とイツキ。
「これって、ホントは、ちゃんとした曲だったの?」とみつる先輩。
「いいじゃないか。一行だけの主題歌。実にみつるらしい」
ハルヒコはそう言って胸を張る。いや、これ、曲としての体裁をなしてないだろう。
ただ、グチをこぼしながら、ひたすら「純愛! 純愛! 純愛だー!」と言うみつる先輩の声は愛らしかった。下手にフルコーラス流すぐらいだったら、これだけのほうが良いのかもしれないと思う。このバカげた映画にふさわしい。
いっぽうのスタッフロールだが、イツキの次はこうである。
【団員 長門ユウキ】
やはり、みつる先輩よりも長門くんのほうが先だったか。その文字とともに、私が撮った長門くんの写真が映し出されている。
【団員 朝比奈みつる】
主演のみつる先輩が、まさかの四番目である。ということは、トリをかざるのは。
【団員 キョン子】
「って、なんで、私だけあだ名なのよ!」
「だって、キョン子はキョン子だろ?」
「私にもれっきとした名字が、……ていうより」
そう、文字とともに映し出されたのは、空と雲の写真である。他の四人はちゃんと本人の写真が映っていたのに、私だけこの扱いである。
「そりゃ、おまえの撮った写真に、おまえが映るわけないからな」
「い、いや、これは……」
思わず泣きそうになる。これはイジメではないのか。この映画での私、あつかい悪すぎるだろ。
【友情出演 つるやさん キョン子の弟とその友達】
最後に、文字だけで表示されるクレジット。我が弟はこれを見て満足するのだろうか。というか、弟にこんなもの見せるのか、私は。
『じゃあ、これを見ているみんなも、さんはい!
純愛! 純愛! 純愛だー!』
そして、ノリノリになったみつる先輩の歌声とともに、でっかく映しだされる【完】の文字。
「……終わったな」
ハルヒコが溜息をつく。それは、映画制作途中のものとはちがって、確かな充実感が含まれていた。
「どうだった? キョン子ちゃん」
イツキがうれしそうに声をかけてくる。
「……思ったよりは面白かった、かな?」
「でも、キョン子さん、ちゃんと見てないし」とみつる先輩。
「そうそう、せっかくみんなで作った映画なのに、途中で出て行くなんて、サイテーじゃん」とイツキ。
「あれは仕方ないし。……でも、許す。面白かったから」
私は寛大にそう言ってみる。
「まあ、キョン子ちゃんの驚く顔が見たくて、作ってたところあるし」とイツキ。
「そうそう、最後はそれがモチベーションになったね」とみつる先輩。
「……やっぱり許さない」
そんな会話をしている間に、ハルヒコは照明のスイッチを押して、準備室から出る。
「以上を持ちまして、SOS団自主制作映画『純愛ファイターみつる』を終了いたします。ご来場、ありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げるハルヒコ。
「じゃ、みつる君、がんばってね」
「う、うん」
そんな私の隣で声をかけあう二人。そうか、今からDVD予約の戦いが始まるのだ。上映して終わるほど、私たちの映画制作はのどかなものではないのだ。
「キョン子ちゃんも、行かないの?」
「そ、そうか」
観客は十二人。みつるファンクラブの皆さん十人と、私の友達であるクニとグッチである。そして、会計清算をした私ならわかるが、二十枚以上販売しないと元がとれないのである。
ということは、クニとグッチにDVDを売らなくちゃいけないのか。たしか、一枚五千円の強気価格だったはずだ。でも、そんなこと、あの二人に言えるわけないじゃないか。
「あ、キョン子。おつかれさま」
「おつかれー。予想よりも面白かったよ、これ」
クニとグッチは私に気づいて、声をかけてくる。
「でも、つるやさんの出番が少なかったのは、残念だったなー」とグッチ。
「友情出演だから仕方ないじゃん、グッチ。これはSOS団の映画なんだし」とクニ。
「そうそう、ウチね、キョン子のこと、誤解してた」
「誤解?」
グッチの言葉を、私はたずね返してしまう。
「うん、キョン子がスズミヤの部活で、どんなふうにやっていたか、完全に誤解してた。ごめんね」
やけに素直にグッチは言う。
そうだよな。すっかり、私はハルヒコと同じ変人あつかいをされていたが、この映画で散々なあつかいをされているのを知って、グッチは私に同情してくれたのだろう。
「キョン子って、SOS団の影の支配者だったんだね」
「はぁ?」
そう思っていた私に、とんでもないことを言ってきたグッチ。
「ははは、映画の中のキョン子、いきいきしてたよ。いろんな意味で」
「ち、ちがうって。何いってんのよ、クニ」
それは、長門くんの悪意に満ちた編集のためであって、私はこの映画の最大の被害者なのだ。奇声をあげて出て行った光景を、この二人はちゃんと見ているじゃないか。
「涼宮くんにホレてるだけかと思ったけど、自分の趣味をおしつけたり、楽しそうにやってんじゃん」
「いや、あれは映画だから、フィクションだから。つまり、作り話であって、実際の私は……」
「ははぁ、あくまでもシラをきるつもりなんだね、キョン子」
グッチがうれしそうに、私たちの間に入ってくる。
「まあいいよ。これは映画を見た人だけの秘密ってことで」
「いや、全然わかってないよ、グッチ。あれは映画で編集されたウソの私であって……」
「照れなくていいって、キョン子」
クニ、あなたまでも、わかってくれないのか。中学時代からの友達ではなかったのか、私とあなたは。
こういう誤解を許したのは、あのスタッフロールのせいなのかかもしれない。ハルヒコが面倒だから肩書きを載せるのをやめたことで、脚本が誰なのかわからなくなったのだ。そのせいで、グッチならずクニまでも、みつる先輩の女装を私のアイディアだと見なしたのである。
「あ、あの……」
そんな私にかけてくる女子の声。ふりむくと、予想外の人物がいた。
「ひとこと言わせてください」
なんと、あのみつるファンクラブ会長さんが私に声をかけてきたのである。私は姿勢を正してしまう。
「……は、はい!」
「この映画をつくってくれて、ありがとうございました!」
「はい?」
映画をつくったって、貢献度でいえば、SOS団メンバーの中で、私はダントツのビリなんだけど。
会長さんは、あの清楚な黒髪ロングをたなびかせながら私に歩みよってくる。そして、私の両手をにぎった。
「あなたなら、次を任せられると思うの!」
「はい?」
会長さんから、意味不明の言葉を浴びて、私は面食らってしまう。次ってなんだ。
「会長さん、ちょっと」
そんな会長さんに、あわてて駆けよるみつる先輩。わざわざアイドルのみつる先輩をふりきって、私に何を言いにきたんだよ、会長さん。
「で、このDVDのことなんだけど……」
チラシを手にしながらみつる先輩は、言いにくそうにそう口にする。
「あ、みっちゃんの特典映像もついてるんだよね」
書き忘れていたが、会長さんはみつる先輩のことを『みっちゃん』と呼んでいるのだ。
「ぜひ、買わせてもらうわ。ファンクラブのみんなも、もちろん」
「うん……それはありがたいんだけど」
なお、会長さんは高三でみつる先輩は高二なのだが、会長さんはみつる先輩に敬語を使わないでとお願いしているらしい。SOS団の待遇とは雲泥の差である。
「値段が、ちょっとね」
「どのくらい?」
「……五千円、なんだけど」
「え?」
さすがの会長さんも、その値段には戸惑っているようだった。
やはり、高すぎる。そばで聞き耳を立てていたクニとグッチも顔色を変えたようだった。
「マジなの、キョン子? ウチも買ってあげようと思ったんだけど」
「グッチ、いくらぐらいと思ってた?」
「千円ぐらいかなと。まあ、千五百円までなら出せると思ったんだけど」
「……そうだよね」
私は肩を落とす。だいたい、イツキちゃん価格が常軌を逸していたのだ。高校生が、そんな大金出すはずないじゃないか。
「なんとかならないの、みっちゃん」
「ちょ、ちょっと、聞いてみる」
みつる先輩は、準備室に行く。そこにはハルヒコとイツキがいるはずで、私もその後をついていく。
「……ということで、五千円だったら厳しいんじゃないかと」
「うーん、そうだよなあ」
ハルヒコはそう言いながら、頭をかく。
「じゃあ、安くすればいいじゃん」
「え?」
そんなハルヒコにつぶやきに平然と答えたイツキに、私たち三人は同時に声を発してしまった。
「古泉、五千円って言ったのはおまえじゃないのか」
「うん、定価は五千円。これはゆずれない線よ」
イツキは当然のようにそう言う。
「でも、予約割引とかそういうので、安くするのはどこでもやってることだし」
「じゃあ、いくらぐらいならいいと思うんだ?」
「三千円だったら、いいんじゃないの?」
「って、それだったら最初に」
「バカねえ、みつる君」
イツキがさとすように言う。
「あたしは五千円で売る映画のためにがんばってきたつもり。だから、五千円の看板は外せない。でも、売れないと意味がないから、そこらへんは、ね?」
「まあ、たしかに、たいていのDVDは定価以下で売られてるけど」
「じゃあ、みつる。三千円で予約とってこい」
「う、うん」
そして、みつる先輩は視聴覚室に戻っていく。
「おい、キョン子。おまえも行けよ」
「え? 私も営業かけるの?」
「当たり前だ。俺たちの未来は、谷口にかかっているといっていい」
たしかにそうだ。映画上映はもうない。あとは口コミで販売するしかないわけで、ここはグッチの口の軽さに期待するしかない。みつるファンクラブの皆さんは、ファンゆえに購入しても、それ以上の販売にはつながらないわけで。
「わかったわよ、あまり期待しないでね」
そう言いながら、私もクニとグッチに駆け寄る。
「定価は五千円だけど、今なら予約割引で三千円になるみたい」
「わかった」
「え?」
「それなら買うよ」
「マジで?」
「だって、それだけ気合入ってるってことでしょ。ちゃんとパッケージとかも用意してるんでしょ?」
「でも、それは、あの、みつる先輩のファンクラブの皆さんとか、そういうのを意識した感じになるかもしれないけど」
「わたしも買ってあげるよ」
「クニも? いいの?」
「だって、なんか手元に置いときたいじゃん。自分の友達が作った映画って。きっと記念になるって」
「それに、ちゃんした映画だったし」
「ありがとう、あんたたち!」
予期せぬ購入者に、私は驚いた。そういえば、つるやさんも予約しているらしい。みつる先輩のほうを見ると、交渉はうまくまとまりそうだ。ということは、十三枚の予約がとれたということか。目標の半分近くは達成できたではないか。
いや、待てよ。これはあくまでも三千円での予約であって、当初の五千円で計画していた売り上げとは異なるのか。
まあ、いいか。とりあえずは、観客全員が購入したという事実を祝おうではないか。それは、なんといっても、みんなががんばった成果であるのだ。あまり映画制作にがんばっていない私にも、心地よい達成感があふれていた。自分が悪意ある編集でラスボスに仕立て上げられていたことも忘れて。
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(18)「……純愛ってなんだ?」
「売れた」
文化祭も終わり、DVD販売を開始してから一週間後、部室に向かおうと帰り支度をしていた私に、ハルヒコが短く話しかけてきた。
「で、あと、三十枚まで何枚なの?」
「いや、完売したんだよ」
「マジで?」
表立ってDVD販売を宣伝するわけにはいかないので、あくまで、SOS団員を窓口としていたのだが、私のところにはクニとグッチ以外には一人も購入の声をかけてくる人はいなかった。だから、相当な長期戦になると思っていたのだが、一週間で完売だったら、もっと枚数を増やせばよかったんじゃないかと思う。
なお、限定三十枚販売とうたっているが、実際は四十枚製作されている。私たち団員と、友情出演つるやさんの見本盤の分もあるからだ。もともと、つるやさんは予約購入する予定だったが「撮影に協力してくれたつるやさんに売るわけにはいかない」とハルヒコが妙な男気を見せたのである。そうなると、ほかの友情出演者にも渡さなければならなくなるわけだが、私は弟にこの映画を見せたくはなかった。どう考えても、姉の威厳が崩れるとしか思えない。だから、そのDVDは私の部屋の奥深く、弟の手の届かないところにしまってあるのである。
「よく、あんた相手に声かけてきたわね」
「まあ、まとめ買いだったからな。あの、古泉の特典映像が話題になってるみたいで、それを聞きつけたやつが、一気に買ったんだよ」
「ああ、あれはすごかったね」
みつる先輩とイツキによる特典映像は、あのあと部室で撮影された。以前、ハルヒコが言ったとおり、両者に好きなように撮らせたものである。
みつる先輩は部室に持ち寄ったボードゲームを紹介するという内容だった。ドイツはボードゲーム先進国とか、ドイツのゲーム大賞受賞作がこれだとか、ゲルマン民族は偉大だとか、そういうオタクな内容である。ファンクラブの皆さんが喜ぶことをすればいいのに、みつる先輩は自分の趣味を高らかに主張してしまったのだ。
しかし、その映像のみつる先輩は、やっぱり愛らしかった。必死でゲームのすばらしさを宣伝してるのに、ゲームの魅力よりも、みつる先輩の表情に関心が向かってしまうのだ。画面外のハルヒコの「10分すぎたぞー」という声に動揺して早口になってしまうところとか、本当に愛らしい。
以前、みつる先輩は「僕をオタクって言ったら、オタクの人に失礼だよ」と言っていたが、その映像を見ると、何となく合点がいった。オタクの人は、趣味を語るとなると我を忘れて見苦しい醜態をさらすものらしいが、みつる先輩はそうではないのだ。なぜかというと、いざとなれば、ごめんごめんと舌を下げて照れ笑いをしたら、たいてい許してもらえるからである。美少年ゆえの甘さがみつる先輩にはあって、だからオタクになれないのだ。
これを見たみつるファンの人も、この映像を喜んで見ながらも、そのオススメのボードゲームをプレイしようとは考えないはずだ。これならば、私とイツキをまじえて、実際にプレイしているところを映したほうが宣伝になったはずである。
いっぽうのイツキだが、私が恐れていた、発禁覚悟のセクシー全開ムフフ映像とは大いに異なるものだった。
イツキはただ、曲に合わせてダンスをしただけである。スカートが短いので、下着が見えた瞬間があったかもしれない。ただ、そんなことよりも、彼女の動きに、見る者は心を奪われたはずだ。親友を自認していた私も知らなかったのだが、彼女はめちゃくちゃダンスがうまかったのである。
「あれさ、十回以上、撮り直したんだよな」
「そ、そうなの?」
「古泉は秘密にしろ、と言ってきたけど」
その特典映像撮影には、本人とハルヒコだけが参加していたので、私はそれを撮った経緯を知らない。
「へえ、そんなふうにはとても見えないけど」
「ああ、あくまでも、一発撮りらしく見せたかったみたいだ」
「実際は、あれ、十回目ぐらい踊ったあとだったんだね」
「いや、採用したのは、四回目ぐらいのテイクだった」
「え?」
「そのあとのほうが動きにキレがあっていいと思ったんだが、古泉は『これぐらいが素人っぽくていい』との一点ばりで」
いや、アンタも素人じゃないのか、イツキちゃん。
「俺さ、アイツに言ったんだよ。これ、どっかのオーディションに送ったら、いいとこまでいくんじゃないかって。アイツ、絶対、芸能人とか目指してるだろ?」
「そうかもしれない」
「でもさ、アイツ、それに首を振って言ったんだよ。自分は芸能人よりも、もっとなりたいものがあるって」
ほほう、それは興味深い。親友の私にも話さないイツキの将来の夢ってなんなのか。
「……女子大生になりたいってさ」
「そ、そうなの?」
あまりにも平凡な答えに、私も驚いてしまう。
「ああ、芸能人よりも女子大生になりたいって、意味不明だろ?」
「うーん、でも、言われてみれば、納得できるかも」
「そりゃ、アイツの今の成績じゃ、国立どころか私立も厳しいかもしれないけど、大学なんて、そこそこがんばったら誰でも行けるだろ? 芸能活動しながら大学に受かった芸能人なんて腐るほどいるし」
「あんた、知ってる?」
「なにが?」
「イツキってさ、分数の計算できないんだって」
「はぁ?」
「約分とか通分とか、全然わからないんだって。私も言われて唖然としたわよ」
「そ、そうなのか」
映画制作の合間に、中間テストの勉強をしていたときのことだ。イツキは私が教えることを「わかった、わかった」と軽く答えながら、そういう話をしてきたのだ。
「……よく、この高校受かったよな、それで」
「そうなんだよ。それだけじゃなくて、私たちが小学生のときに学んだ当たり前のことを、イツキはまるで知らないんだよ」
「へえ」
つまり、イツキは小学時代に、ほとんど学校に行ってなかったのだ。それがなぜなのかは、まだ話してくれないけれど。
「だから、はっきりいって、勘で解いてるようなもんなんだよね。基礎となる知識がなくて、その応用問題ばかりやってるわけだから」
「そりゃ、ズル休みもしたくなるだろうな」
「だからさ、イツキがいま芸能人になったりしたら、きっと、大学受験なんてできないと思う。それがわかってるから、あくまでも、学校生活の範囲で楽しんでるんだよね。SOS団の活動だって」
「なるほどな」
はたして私のような者が勉強を教え続けて、イツキの成績が伸びるかどうかは不安だ。家庭教師を雇ったほうがいいと思うのだけれど、彼女の家庭事情とか、私、あまり知らないし。
「まあ、そんな古泉のおかげで、なんとか赤字はまぬがれそうだ」
「でも、三千円で売ったんだよね」
「ああ。さすがに五千円じゃ無理だ」
「じゃあ赤字じゃん」
「問題ない。徴収した部費があるから、長門にレンタル代金を払っても、ちょっとは手元に残る」
「ちょっとって、旅行できるほどはないよね?」
「当たり前だ。まだそんなものを夢見てるのか」
「そんなことないよ、ただ言ってみただけだって。まあ、打ち上げとか、するんでしょ?」
「打ち上げ? それよりも、この部費を使ってだな……」
「いやいや、打ち上げに使うべきよ」
「でも、打ち上げってなにをするんだよ」
「カラオケでも行けばいいじゃん」
「いいな、それ。で、みつるにあの曲をずっと歌わせるとか」
「あんた、カラオケ行ったことないの?」
「行くわけねえだろ、あんなもん」
「ふぅん」
いつも偉そうにしているくせに、こいつ、カラオケにすら行ったことがないのか。
でも、バカにする気にはなれなかった。それもまたハルヒコの個性だ。みんながカラオケに行っているときにも、宇宙人なんかを探したりしていたから、今のハルヒコがあるわけで。
「……ところで、キョン子。あの映画を作って、一つ疑問があるんだよな」
「そういうことなら、長門くんにきけばいいんじゃ」
「いや、技術的なことじゃなくて、もっと根本的なことなんだけど」
「なに?」
やけにマジメな顔をしてきたハルヒコに、私は思わず身構えてしまう。
「……純愛ってなんだ?」
しかし、その問いはあまりにも幼稚だった。私はたまらず吹き出しそうになる。その表情を見て、ハルヒコは機嫌を悪くしたみたいだった。
「何がおかしいんだよ」
「だって、あんた『純愛ファイターみつる』って映画、作ったじゃん」
「そうだけどな」
「さすがにガキっぽいよ、その質問は」
「なにオトナぶってるんだよ。わからないことを質問するのがガキっぽいっていうんなら、俺はそれでもかまわない」
いやいや、高校生ともあろうものが、異性に対して、そういう質問をぶつけることはどうかということなのだが。
そうそう、中間テストでハルヒコなりに悲惨な点をとった反省からか、しばらくの彼は勉強漬けになった。放課後も、部室に行かずに、先生に質問しに行く。その態度のおかげか、すっかり、先生たちのハルヒコ株は上がったらしい。進学校というのは、多少の問題があっても、立派な大学に入れば、それですべて許されるのだ。
「で、笑ったからには、おまえ、答えられるんだよな。純愛がなんたるか」
「うーん、勉強とかスポーツとか、みんな、いろいろがんばってるじゃん」
「そうだな」
「で、純愛ってのは、恋愛にがんばるってことで」
「はぁ?」
ハルヒコがバカにしたような目つきで私を見る。
「なにがおかしいのよ」
「だってさ、恋愛ってがんばるほどのものか?」
「な、なに言ってんのよ、あんた」
「だいたいさ、ああいうのって、がんばればがんばるほど嫌われるもんだろ? 意識すれば意識するほど、うっとうしいって嫌われるのが人間関係じゃないか」
「そういうところもあるけどさ、だから、恋愛ってものが難しいわけで」
「だろ? マジメに考えるほうがバカなんだよ」
はぁ、と私は深い溜息をつく。こいつはまるでわかっていない。出会ってから半年がすぎたけど、肝心なところはまるで成長していない。私は意を決してこう叫ぶ。
「あんたは、恋愛に対する認識が甘すぎる!」
「……なっ」
「押してばかりじゃ、嫌われちゃうのが現実。だから、いろんな駆け引きが大事となってくるのよ。相手のペースに合わせるだけじゃなくて、ちょっと突き放したり、追いかけてくるのを待ったりとか」
「そうなのか。まるで、マラソンだな」
「そうね、恋愛はマラソンに等しいものよ。そこには、あんたの知らない様々なテクニックがあるわけよ。あんたが言ってるのは、マラソンを見て、最初から全力疾走すれば勝てるだろ、というぐらい非現実的なものよ」
「なるほど、マラソンではスパートのタイミングが勝負の分かれ目だ。早すぎても遅すぎてもいけないし、そのために余力を残しておかないといけない。ううむ、恋愛とは、そこまで奥深いものだったのか」
「……って、あれ?」
「どうしたんだよ」
すっかりハルヒコを言い負かして得意になっていた私だが、よく考えると、根本的にまちがっている気がしてきた。たしかに、そういう駆け引きが恋愛に必要なのは事実らしいが、それは純愛じゃなくて、その対義語である大人の恋愛って感じだ。純愛っていうのは、もっとこう……。
「ご、ごめん。恋愛ってのは、言うなればマラソンかもしれないけど、純愛はもっとガムシャラなものなのよ」
「つまり、恋愛は長距離走で、純愛は短距離走だと」
「そう言ったほうが、しっくりくるかも」
「じゃあ、才能があるやつに勝ち目ないじゃないか。短距離走なんて、結局は生まれ持った才能で決まっちゃうところがあるし」
「ま、まあ、そうだけど」
「俺は純愛よりも恋愛派だな。長距離の心理戦のほうが面白い」
そんな意味不明なことを言って納得するハルヒコ。ヤバい。このままでは、恋愛を完全に誤解した男子を一人世に送り出すことになってしまう。
「ちょっとそういうことは抜きにしてさ、あんた、映画作ってたとき、ひたむきだったじゃん。まわりのことも見えずに、ガムシャラに作ってたじゃん。それを恋愛に向けることが純愛なのよ」
「うーむ、恋愛って、それほど大事なものだと思わないのだが」
「大事なものよ!」
私は高らかに主張する。
「恋愛の延長線には結婚があり、その先には新たな家庭があり、それが次の世代への架け橋となるのよ。恋愛ほど、大事なものは、この世にないといっていい!」
「そうか?」
「はぁ?」
あまりにも軽いハルヒコの返事に、私は面食らってしまう。
「そりゃ、恋愛が大事なヤツだっているだろう。結婚して、家庭を作って、それで幸福だというのも、生き方のひとつだ。でも、俺はそうじゃない!」
ハルヒコは私に向かって、そんな強い口調で話し続ける。
「俺は、そんな個人の幸せよりも、もっと強いなにかを求めてるんだよ。人類全体を震撼させるような!」
私はあきれた。心底あきれた。ああ、こいつと結婚するやつは不幸しかないと思った。家庭をかえりみずに、宇宙人とかを探してるバカ亭主。でも、そのまなざしはとても真剣なもので、嫁はコロリとだまされてしまうのだ。
「って、話が大きすぎるのよ、あんた」
「いいじゃないか。それぐらいの心構えじゃないと、SOS団団長なんて、やってられないぜ」
「まあ、とりあえずは、SOS団の活動もお休みじゃないの?」
「なにいってんだ。まだまだこれからだろが」
「まさか、映画をまた作ったりはしないよね?」
「そりゃ、今すぐってことはないけど、今回の経験をいかして、また、いろいろ作りたいな。今度は、金儲けじゃなくて、もっとまともなやつをだな」
「あんたのまともって、ロクな予感がしないんだけど」
「そうだな。新入生がくるときまでは、映像を作りたい」
「団員募集はしめきってるとか言ってなかったっけ?」
「それは今年の話だ。来年になれば、いきのいいやつがいるかもしれないし、そういうやつをひきつけるための映像を作らなければならないと思ってる」
やれやれ。この行動力の源は、いったいなのだろう。今回の映画制作で、いろいろ苦労したはずなのに、全然懲りていないじゃないか。
「そうだな。今度は、もっと不思議な体験談を募集できそうなやつがいい。口に出すのも恥ずかしいような常識外れなことでも、この人たちならわかってもらえると思えるような。よし、今日の議題はそれだ」
そういって、私を無視して歩き出す。ああ、こいつは、本当にどうしようもないヤツだ。
「おい、キョン子。なにしてんだよ、早く来いよ」
「はいはい」
そして、それにさからわらない私がいるのだった。何しろ、油断すると、あの映画みたいにラスボスに仕立てあげられたりするのだ。こいつにとって、私は何をしても許される存在なのだ。
あのようなたくらみを阻止するために、私はハルヒコについていくのだ。だいたい、あの映画でのひどい扱いを許すつもりはない。幸いにも、あのロケで撮った写真のなかには、映画本編では使わなかった、ひどい表情のハルヒコの写真もある。それを使って、いつしか復讐することを決意しながら、私はハルヒコの後ろを歩くのだった。
【涼宮ハルヒコの溜息・終わり】
⇒笹の葉レクイエム(キョン子シリーズPart3)に続く
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笹の葉レクイエム(キョン子シリーズPart3)
(1)「キョン子、勉強する気あるの?」
七月初めの放課後。
「……キョン子、どうしたの?」
聞きなれたクラスメイトの声に、私は我に返る。
それとともに、初夏の匂いがおしよせてくる。窓からは太陽が、午後四時をすぎても、得意げに肌の敵を放っている。そういえば、今日で梅雨が明けたとか、朝のニュースで言ってた気がする。
教室に残っている生徒は半分を切ったぐらいで、のんきにおしゃべりをしている子は誰もいない。いつもより静かな放課後のざわめき。
「むずかしい顔してたけど、もしかしてキョン子ったら、放課後になったことに気づいてなかったりとか?」
「そんなことないって、クニ」
そう答えながら、私は彼女の方を向く。
クニ、というあだ名は、彼女の名字『国木田』からきている。幼い顔立ちの彼女にその名字は立派すぎたのか、みんな、クニちゃん、と呼ぶようになった。私もそれに便乗しただけである。
クニと親しい仲になったのは中三のときで、高校に入ってからもそれは続いていた。
でも、いつも二人で一緒にいるわけではなくて。
「グッチがさ、今日、用事があるからって、先に帰っちゃったんだよね」
そう言いながら、クニはため息をつく。
グッチというのは、クニの親友のことだ。それが、とあるブランド名と同じなのは偶然ではなく、彼女が流行ものに目がなくて、移り気な性格だからである。もともと皮肉の意味でつけられたニックネームだと思うが、本人はいたく気に入っていて、わざわざ最初にそう呼んでくれと指定されたぐらいだ。
そんなグッチの口うるささに、私は時々ゲンナリするけど、だからこそ、聞き上手なクニは彼女とコンビを組んでいるのだと思う。
私だって、グッチの話をふんふんと聞き流しているだけで、世間の流行についていってる気になれるし。
「だから、今日はキョン子と一緒に勉強したかったんだよ」
「うん、期末テスト、もうすぐだからね」
私たちの高校は三学期制で、来週から一学期期末テストが始まる。高校生になってから初めての成績表が決まる重要イベントである。放課後に、むむぅと考えごとをしている場合ではないのだ。
「じゃあクニ、図書室に行く? 放課後もエアコンきいてたよね、あそこ」
「まさか。今の時期なんて、常連でいっぱいだよ。今日は特に暑いから、新参おことわりって感じじゃないかな」
「そ、そんな厳しいところなんだ」
この北高に入ってから三ヶ月あまり。まだまだ私の知らない世界があるようだ。
「それに図書室って、声を出すとすぐに怒られちゃうから、落ち着いて勉強できないんだよね」
「グッチなんか連れて行ったら殺されるんじゃない?」
「ははは、いないからってひどいこと言っちゃダメだよ、キョン子」
「じゃあ、クニたちはいつもここで勉強してるの?」
「うん。でも、キョン子だって、部室で勉強してるんだよね?」
「そんなことない!」
私は力強く否定する。それは、勉強してないアピールではなく、私の属している部活とそのメンバーがどれだけ異常であるかを強調しているだけだ。
そもそも、部活と呼んでいいのか怪しい組織だけど。
「へえ、せっかく成績のいい人がいるっていうのに」
そう言いながら、クニは視線を動かす。
空白の我らが団長の席だ。
なぜ、部長ではなく団長なのか。高一なのに、団長を自称しているのはなぜか。イチから説明するのがとてもメンドくさい男子である。
「でも、あいつ、人に教えるのヘタだよ」
「たしかにそうかも。天才タイプだもんね、涼宮くんは」
「いやいや、努力してないわけじゃないよ、あいつだって」
「ははは。涼宮くんのことになると、すぐにムキになるね、キョン子は」
「だから、ちがうって」
クニやグッチの脳内では、私と涼宮ハルヒコは恋人に限りなく近い関係という設定らしいが、冗談じゃないと言いたい。
そんな甘ったるい仲ならば、この大事な時期に私が一人で思い悩んでいるはずがないじゃないか。
「で、どうする? キョン子、わたしと一緒に勉強する?」
「そうねえ」
本来ならば、クニの誘いは願ってもないことだ。
昨日のように、部室で不毛な時間をすごして、帰宅してもやる気をなくし、数日前にたてたテスト勉強計画を消化できない苦しみに悶えながら『もう終わりだー、私はサイテー女子だー』とベッドで転がり回るようなあやまちは、二度とくりかえしてはならないはずなのだ。
だから、今日は部室に寄らないと我らが団長に伝えようと思ったが、私が立ち上がる前に彼はさっさと教室から去ってしまった。
そのせいで、私は悩んでいたのだ。いったい、なにが彼を突き動かしたのかと。
しかし、期末テストは刻々とせまっている。テスト勉強をする時間は、どんどん限られてゆく状況であるわけで。
「……数学やるなら、一緒にやる」
「そう言うと思ってたよ、キョン子は」
私の提案に、クニは会心の笑みを浮かべながら、カバンを取りだす。
涼宮ハルヒコのことで思いわずらうのは、もうやめよう。せっかく、絶好のパートナーと勉強できる機会なのだから。
クニと私は高校受験戦争をともに闘った戦友である。だから、クニは私の苦手科目について百も承知なのだ。私は典型的な文系人間で、クニはどの科目も平均している。つまり、私が文系科目を教えて、クニから理系科目を教わればうまくいくのだ。
「じゃあクニ、ノート見せて」
「はいはい」
私が不良学生のように差しだした手に、クニはやれやれという顔つきで、自分のノートを置く。
「うわー、あいかわらずキレイだね、クニのノート」
「ありがとう。でも、キョン子はもっと、ちゃんとまとめないとダメだよ」
「う……」
クニのノートは読むだけでも勉強した気になれるスゴいものだ。家に帰ってからも、復習がわりに蛍光マーカーで色づけしたりして、きちんとまとめている。
いっぽうの私のノートは、要点と同じぐらい目立つところに、先生のおもしろかった雑談を書いたりしているので、テスト勉強にはあまり役に立たないのだ。
「……そういえば、涼宮くんって、あまりノートとらないよね?」
忘れようとしてたのに、クニは再びあいつの名前を出す。
「ああ、あいつは自分だけがわかればいいとわりきってるから、殴り書きみたいなノートなんだよね。一度、見せてもらったことがあるけど、暗号みたいでわけわからなかったし」
「でも、わたしたちよりずっと成績がいいからなあ」
そうなのだ。団長と名のって好き勝手やってるくせに、あいつの成績は一ケタ台なのである。それゆえに、彼の奇行は大目に見られているのだ。
「うらやましいなあ。わたしも涼宮くんみたいに頭良かったら、家でもっと遊べるのに」
「ダメよ!」
私はクニの弱音を力強く否定する。
「クニのマジメなノートを待ち望んでいる人は、世界中にいるのよ。グッチとか、私とか!」
「じゃあ、わたしはグッチやキョン子のために、ノートをまとめてるってわけ?」
「ま、まあ、結果的にそうなってるだけで、自分のためにも友達のためにもなるから、一石二鳥じゃん」
「そういわれると、やる気なくすんだけど」
クニは苦笑する。どうせ、私が何を言ったところで、クニはノートをまとめることをやめたりはしないだろう。そんな彼女の几帳面な性格は、いつか必ず役に立つときがあると思う。たぶん。
「それに、ハルヒコみたいな頭になったら、ロクなことがないよ。宇宙人とか、そういうのを信じるようになるから」
「それって、涼宮くんが成績いいのと関係あるの?」
「うん、あいつは頭の構造がフツーとちがうんだよ。だから、そのやり方を参考にしちゃダメだからね」
「なるほど、頭いいだけじゃなくて、全部ひっくるめて、涼宮くんのことが好きなんだね、キョン子は」
「だ、だから、ちがうって」
どうして、あいつの話をすると、すぐに恋愛話になってしまうのだろうか。
入学当初は涼宮ハルヒコのことをみんな変人扱いしてたくせに、今では『キョン子とまんざらな仲でない男子』という普通のポジションになっている。
その認識がいかにまちがってるか、私は何度も説明したのだが、理解されることはない。
「そんなことより、テスト勉強よ、テスト勉強」
私は自分に言い聞かせる。涼宮ハルヒコのような頭の持ち主でない私は、ただ地道な努力あるのみなのだ。千里の道も一歩から。継続は力なり。そう頭で唱えながら、私はクニのノートとにらめっこする。
しかし、私の天敵である数学の公式は、クニのノートをもってしても、なかなか頭に入ってこない。
「……ねえキョン子、勉強する気あるの?」
「いや、ちゃんとノート見てるけど」
「でも、心ここにあらずって感じだし」
「そう?」
「やっぱり、涼宮くんのこと、考えてるんだ」
「ま、まあ。だけどクニが思ってるようなことじゃないけどね」
私はため息をつく。
この放課後、クニに声をかけられるまで、私が考えこんでいたのは、心の危険予知警報が鳴り響いていたからだ。
涼宮ハルヒコと私は同じクラスで同じ部活に入っている。となると、放課後は仲良く部室に行っていると思われるかもしれないが、そんなことはない。それは、私と肩を並んで歩く姿が学校のウワサになったら困るというような甘ったるいものではなく、彼が自分の衝動のおもむくがままに行動しているだけにすぎない。
だから、たいていは彼が先に行く。話がある場合は、私のところに来る。彼が席についたまま動かないと、私が「部活はどうすんの?」と声をかけるときがあるものの、本当にマレなことだ。
今日はちょっと特殊だ。彼は終業ベルと同時に、一目散に教室から出ていった。小学生男子にも劣らないガキっぽさである。こういうたくらみがあるときは、私に一声かけても良さそうなものだが、今日はそうではない。
だから、私には関係ないはずだ。私に彼のようなオカルト趣味はないから、ハルヒコにとって重要なことでも、私にはあくびがでるほど退屈なものだったりする。それなのに、イヤな予感がするのである。
「たぶんね、九割ぐらいは私に関係ないことだと思うんだよ。でも、残り一割が気になるんだよね」
「たとえば、どんな?」
身をのりだしてくるクニに、私はしどろもどろに答えた。
「うーん、呪いのワラ人形を見つけちゃったり、とか」
「ははは。キョン子って、そういうの信じるようになったの?」
「信じてないよ。ただ、そうなると、真っ先に標的になるのは、みつる先輩なんだよね」
「朝比奈先輩って、そういう実験台にされたりするの?」
朝比奈みつる先輩は、我が部唯一の上級生である。小柄な身長を愛嬌に変え、女子の人気は非常に高い。ファンクラブも結成されているぐらいだから、我が北高のアイドルといっていい。
それなのに、部室でのポジションはもっとも低いのだ。主に、ハルヒコ団長のせいで。
「でも、みつる先輩は口がうまいから、なんとか逃げきるんだよね。で、次の標的になるのは、たぶん、私」
「大変じゃない! キョン子」
「ま、まあ、たとえ話だから」
私はそんなものを信じていない。しかし、あのハルヒコの張りきりぶりからして、何かをしようとしているのはまちがいなく、それが悪いものである場合、十中八九私がターゲットになってしまうのだ。
それを止めるには、私自身が部室に行かなければならないわけで。
「キョン子、部活に行ったほうがいいよ。今日、休みじゃないんだよね」
「まあ、基本フリーだから、行っても行かなくてもいいんだよね。それより期末テストが」
「でもキョン子、勉強する気ないみたいだし」
「う……」
クニの指摘どおりだ。心の不安を無視しようとしても、数学の公式はいつまでたっても頭に入ってこない。
「わかった。部室に行く」
「うん、それがいいよ」
微笑みながら答えるクニを見て、私は中学時代の放課後を思いだす。
そうそう、中三のとき、いつも一人きりで残って勉強しているクニを見て、私は声をかけたんだっけ。
几帳面なノートを見せてもらって、それをほめたら、はにかみながら笑ってくれたクニ。そんな秋の夕焼け色に染まった教室が、私の心によみがえってくる。
それでも、ハルヒコ警報が止まることはなかった。この三ヶ月、涼宮ハルヒコ対策委員長をつとめてきた経験が、それを鳴らしているのだ。
まったく困ったヤツだ。人がマジメに勉強しようとしているのに。
「クニ、ごめんね。せっかくさそってくれたのに」
「いいって。それよりもキョン子、涼宮くんと進展があったら、わたしたちに教えてね」
「だから、そんなことないって」
そういう幻想が持てる相手だったら、どんなに楽だっただろう。しかし、涼宮ハルヒコは涼宮ハルヒコであり、涼宮ハルヒコでしかないのだ。
私を意を決して、教室を出て、旧校舎にある部室に向かう。あの魑魅魍魎が巣食う部室へと。
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(2)「おまえは七夕の星空に何を願うんだ?」
【文芸部】
私が向かう部室の表札には、そう記されている。しかし、私は文芸部員ではない。
いや、表向きはそうなっているし、私だって面倒なときはそのふりをしているけど、実態は大きく異なるのだ。
私は嫌な予感をかかえながら、その部室のドアを開ける。
「キョン子ちゃん、おそーーい!」
そんな私への第一声は、ピアスがキラリと輝く茶髪女子から発せられた。地味な私の対極に位置する派手な外見をした女の子。彼女はここの副団長である。
「そうだ、なにやってたんだ、キョン子」
そして、奥の席から身を乗りだしてきたのが、我らが団長である涼宮ハルヒコなのだが――。
「って、なにそれ」
それよりも目に飛びこんだものがある。昨日までは部室になかったもの。
短冊のついた笹竹だ。
「キョン子、おまえ、七夕も知らないのか?」
あきれた顔で、ハルヒコが声をかけてくる。
「いや、知ってるけど」
「じゃあ、おどろくなよ。まさか、今が何月か知らないのか?」
「いや、知ってるけど」
そりゃ、幼稚園のときは、七月七日になると笹の葉に願いごとを書いた短冊を吊して、そのまわりで歌ったりしたものだ。
でも、私たちは高校生である。そんな子供向けのイベントからは卒業してしかるべき年齢ではないのか。
「……ということは、短冊になにを書くか、まだ決めてないのか?」とハルヒコ。
「へ?」と私。
「前に言っただろ、七夕に向けて、短冊に書く願いごとを考えてこいって」
「聞いてないんだけど」
「言った」
「聞いてない」
「いや、言っただろ。なあ、おまえら」
そう言って、ハルヒコ団長は、他の団員を見わたす。
「あたしは聞いてないけどね」
入り口に立つ私から見て左側に座っているのは、さきほど声をかけてきた副団長、古泉イツキちゃんである。目立ちたがりの気まぐれ屋。わがままだけど、なんだか憎めない女の子。
「でも、笹の葉飾るってことは、ハルヒコ君が前に言ってなかったっけ」
イツキの前、つまり、私から見て右側に座っているのが、朝比奈みつる先輩である。かわいい外見をしているくせに、オタクな趣味をした小柄な男子。
「そうだ! 七夕は宇宙のことを考える絶好の機会なのだ! このイベントをムダにすれば、我がSOS団の名がすたる!」
そうそう、文芸部室を借りているが、私たちの部活の名称は『SOS団』という。この名を決めたのが、涼宮ハルヒコ団長であることは言うまでもない。立派な名前だが、特に人助けをすることはなく、勝手気ままな活動をしている。団員の私にも、よくわからない部活である。
「さっきあんたが放課後に教室を飛びだしたのってこれが理由?」と私。
「ああ、長門のやつが葉竹を用意してくれたからな」とハルヒコ。
「長門くんが?」
私はハルヒコの奥にいるメガネ男子を見る。彼は正真正銘の文芸部員である。彼の許可によって、我々は文芸部室を占拠しているのだ。
彼、長門ユウキは、我が街でピカイチの金持ちの御曹子だが、その存在感はきわめてうすい。部室では、いつもSF小説ばかりを読んでいるし、ほとんど口を開くことがない。
そんな長門くんが葉竹をどんな表情で持ってきたのだろうか。もしかしたら、私の知らない長門家執事が届けに来たのかもしれない。いずれにせよ、持ち物検査をパスできたのは、長門家ならではの権力だろう。もっとほかのことにその財力を使えばいいのに。
私の視線に気づき、長門くんは、クイッとメガネをあげる。そして、また読書モードに戻る。彼からすれば、私の驚きよりも、SF小説の続きのほうが重要なのだ。
「そうそう、キョン子ちゃんが来るの遅いから、短冊書いちゃったんだよね、みんな」
イツキがうれしそうに話しかけてくる。
「ああ、もうちょっとで、勝手におまえの願いごとを書こうと思ったぐらいだ」とハルヒコ。
「なんでそんなことを」と私。
「やっぱり、五人そろわないと、しまりが悪いからなあ」
ハルヒコの言葉を聞きながら、私は安堵する。部室に来たのは正解だった。私の名前でハルヒコ発案の短冊が飾られるなんて、考えるだけで恐ろしい。
「ねえ、みんなの願いごと、先に見ていい?」
「どうぞ、どうぞ」
私の言葉に、やたらとうれしそうにこたえるイツキ。
「まさか、俺たちの真似をするつもりじゃないよな?」とハルヒコ。
「そんなわけないじゃん」と私。
他のメンバーと願いごとがかぶらないことには自信があった。期末テストが近いというのに、七夕気分で浮かれる連中と、常識人の私の願いが同じはずがないだろう。
私は笹の葉に近づく。真っ先に目についたのは、もっとも大きな短冊に、でっかい文字で書かれたものだ。
【世界に異常なことが起こりますように 涼宮ハルヒコ】
「……って、ダメじゃん!」
「は? なに言ってんだよ」
平然と答えるハルヒコの姿に私はあきれる。変人とは思っていたが、よくもまあ、こんなバカげた願いを恥ずかしげもなく書いたものだ。
「こういうのは『世界が平和でありますように』とか書くものよ」
「そんなことを七夕に願ってどうするんだよ」とハルヒコ。
「どうするって、平和は尊いものでしょうが!」
私たちは平和な世界に生きている。だが、日々の平和に感謝する気持ちを忘れてはダメではないか。
世界のどこかでは、今でも戦争が起きていて、尊い命が奪われているのだから。
「キョン子、おまえは世界が平和になってほしいのか」とハルヒコ。
「当たり前じゃん」と私。
「じゃあ、短冊に書くよりも募金でもしろよ。そのほうがマシだ」
「う……」
まさかのハルヒコの正論に私はたじろいでしまう。
「俺は平和を願うヤツをバカにするつもりはないし、そのために活動するヤツは立派だと思う。だが、短冊に書くだけで何もしないヤツは腹立つな。願うよりも行動しろよと。ボランティア活動するとか募金するとか」
「じゃ、じゃあ、なんで、あんたはこんな願いをしたのよ」
「そりゃ、異常現象が起きるためには募金できないからだ。祈るしかない」
「そのせいで、戦争になったら、どうするのよ!」
「キョン子、なんでそういう話になるんだよ。おまえは戦争が起きてほしいのか?」
「起きてほしくないから、こういうこと言ってるんだけど」
私の言葉にハルヒコは、はぁー、と大げさにため息をついて、
「あのさ、異常現象というのは、新たな発見につながることなんだ。例えば、俺は定期的に学校の様子をチェックしているけど、もし、数日前にないものが見つかったら、何かあるって気づくだろ? それは、日々探索してないヤツにはわからないことだ」
「それ、掃除みたいなもの?」と私。
「どういう意味だよ」とハルヒコ。
「だって、いつも部屋をキレイにしておくと、汚くなったところが目立つからね。そうすると、日ごろから整理整頓するようになるんだよ。そういうことを言ってるのかと」
「なるほど、一理あるな。キョン子にしては、良い話するじゃないか」
大げさに納得するハルヒコ。素直に感心すればいいのに、余計な一言を付け加えてしまうのが、彼のダメなところである。
「とにかく、あんたは、そういうちょっとした異常なことが起こればいいってことね」と私。
「ああ、俺はどんな些細な異常現象でも見逃さない自信がある」とハルヒコ。
「じゃあ、いいんじゃないの」
「なんで、おまえが俺の短冊を認めるような口ぶりなんだよ」
うん、見たときは、常識外れな願いごとだと思ったものだが、話を聞いてみると納得である。
こいつも、入学当初に比べると、だいぶマシになったんじゃないか。これも私の努力の成果だと思いたい。
「……で、次は」
その下には達筆な書体でこう記された短冊があった。
【「ろまねく」の新作が出ますように 朝比奈みつる】
「字、うまいんだね、みつる先輩」
「だって、僕、ここに入る前、書道部に入ってたし」
「あ、そうだった」
私はそう答えながら、謎の四文字に心を奪われている。達筆だからこそ、より目立つというものがある。そして、みつる先輩は、何かを話したくて、うずうずしているようだ。気乗りはしないが、社交辞令として、いちおうきいておかなければなるまい。
「で、『ろまねく』ってなに?」
「ロマンシング・ネクロマンサーの略だよ、キョン子さん」
正式名称を聞いても、さっぱりわからないのは言うまでもない。
「つまり、ゲームか何かのタイトルなんだよね?」
「うん、エロゲだけどね」
「はい?」
私は光の速さで反応してしまう。今、聞いてはならない単語が聞こえた気がした。
「だから、エロゲのタイトルなんだよ」
「はい?」
「えっと、要するに、エロゲっていうのは18禁ゲームのことで」
「いやいや、そういう説明を聞きたいんじゃなくてね」
「え? どういうこと?」
みつる先輩は愛らしい笑顔をたたえたままだ。私はこの外見に何度もダマされてきたのだが、さすがに今回は怒りがこみあげてきた。
「みつる先輩は、まだ18歳じゃないよね?」
「うん、そうだけど」
「じゃあ、ダメじゃん」
「なにがダメなの?」
「18禁ってことは、18歳未満はやっちゃダメなんだよ、そのゲーム」
「でも、みんなやってるよ」
あまりにも罪の意識がゼロのみつる先輩に、私の堪忍袋の緒が切れた。
「そんなもの、部の短冊に書いて、どうすんのよ!」
「だ、だってさ、それ、泣きゲーなんだよ、抜きゲーじゃなくて」
「なに言ってんのかわかんないんだけど」
「だから、『ろまねく』は感動できる名作ってことだよ。キョン子さんが、エロゲに偏見を持ってるのはわかるけど、トゥルーエンドを見たら泣けることまちがいなしっていうか」
「ハルヒコ!」
私は机をたたいて、団長席に視点を変える。
「な、なんだ?」
「18歳未満がプレイしてはいけないゲームのことを短冊に書くなんて、団長として、見逃せないことだと思うんだけど」
「そうか?」
「例えばさ、あんた、部の短冊で、『酒飲みたい』とか『タバコ吸いたい』とか書かれてたら、どう思う?」
「いや、そういうのとエロゲはちょっと別だし」
「同じよ! そうよね、イツキちゃん」
私はさらなる同意者を求めて、イツキを見る。しかし、こういうときに頼りにならないのは、イツキも同じだった。
「……だってさ。みつる君、キョン子ちゃんに嫌われちゃったぞ~」
「かまうもんか。男には自分を貫かなければならないときがある!」
「そういう問題じゃなくて、ダメなものはダメなの!」
私はさらに机をたたく。
「そりゃ、みつる先輩がオタクなのは知ってる。家でそういうゲームをプレイしてるのは、ショックだけど、まあ許す。問題は、部活動に、それを持ちこむことよ!」
「だから、キョン子さんは、大げさなんだって」
「18禁って、何の略なの? 日本語わかってないのは、オタク先輩のほうでしょうが!」
「……お、オタク先輩?」
「あーあ、みつる君、変なあだ名つけられちゃった」
「そうだな。キョン子の言い分のほうが一理ある」
ようやく、ハルヒコ団長も納得してくれたようだ。
それにしても、こんな当たり前のことで、なぜ大声を出す必要があるというのか。
「わかったよ。じゃあ、これ、アニメのほうにするから」とオタク先輩。
「アニメもゲームも関係ない! 18禁なのが問題なの!」と私。
「だから、アニメは18禁じゃないんだよ」
「はい?」
「『ろまねく』のアニメは地上波で流してる一般アニメだからね。一期は終わったけど、まだゲームのシナリオ全部やってないから」
「……つまり、18禁ゲーム原作のアニメが、普通にテレビで流されたってこと?」
「そうだよキョン子さん。これは、泣きゲーとして話題になったからこそ実現したことだから、僕の主張の正しさの証明に――」
「それって、誰が見ても問題ないの?」
「当たり前だよ。そういうシーンを抜きにしても、シナリオの完成度が高いからね。『ろまねく』は」
「で、そのアニメを見て感動したところで、原作は18禁ゲームなんだよね」
「そりゃそうだよ。だいたい、エロゲというのは、数多くの優秀なシナリオライターとイラストレイターを世に生みだした偉大なジャンルなんだよ。いわば、クール・ジャパンの最先端といっていい文化で、その影響力は一般アニメしか知らないニワカどもにも無視できないスゴいものであって――」
「そんなの関係ない! ダメなものはダメなの!」
「なにがダメなの?」
平然とするみつる先輩に、ハルヒコは、
「そうだ、キョン子。今回はみつるのほうが正しい」
「……ハルヒコ、あんた」
「キョン子ちゃん、アニメのほうは18禁じゃないんだから、それを短冊に書くことは、すごく気持ち悪いことだけどまちがってはないよね」
「……い、イツキちゃんまで」
「ふふふ、キョン子さん。これでも反論できる?」
「く……」
たしかに、みつる先輩の言い分はまちがっていないかもしれない。でも、人として根本的にダメな気がする。そんなことで敗北宣言をするわけには――。
「……わかりましたよ、朝比奈先輩」
「え?」
「おっと、オタク先輩からグレードアップしたか、みつる」とハルヒコ。
「朝比奈先輩の言うとおりですよ、はい」
「あれ? キョン子さん、どうしたの?」
「なにかおかしいこと言ってますか? 朝比奈先輩」
「だ、だって、なんでいきなり敬語なの?」
「朝比奈先輩は二年で、私は一年だから、敬語を使うのが当たり前じゃないですか? なにがおかしいんですか、朝比奈先輩」
「う……」
「うわー、みつる君ったら、キョン子ちゃんを本気で怒らせちゃったね」とイツキ。
「でも、僕は一介のオタクとして、自分の信念を曲げるわけにはいかないんだ!」
「はいはい、朝比奈先輩はオタクです。で、次は、と」
私はその下の短冊を見る。
【S・B・メイスンの新作が出ますように 長門ユウキ】
朝比奈先輩とは異なり、こちらは機械的で均一的な筆体である。しかし、書いていることが、オタク先輩とほとんど同じではないか。
「このメイスンって人は、SF作家だよね?」
「そうだ」
長門くんは私の問いにうなずく。普段は無口だが、SFのことになると熱弁するのは、彼もまたオタクだからだろうか。まあ、18禁ゲームのような忌まわしい話題よりは、はるかにマシであると、私は彼の言葉に耳をかたむける。
「S・B・メイスンの代表作『天の支配』は、SF界に多大な衝撃をもたらした傑作だ。彼の小説が後世に与えた影響は計り知れない。親日家でもあり、世界SF協会の会長をしているときに、何度も来日をしたこともある。日本のSF界の発展を考えるうえでも、彼の存在を抜きにして語ることはできないだろう。そもそも、我が国の同人誌即売会はSF愛好家によって始まったという歴史的経緯があり、その黎明期にメイスンのような大御所が後押ししてくれたという事実は、日本のサブカルチャーを考えるうえで無視できるものではない。SFという枠組みをこえて、この国にも影響をもたらした偉大な小説家だ。――昨年、残念ながら亡くなったが……」
「はい?」
途中まで、ふんふんと聞き流していたのだが、最後に聞き逃してはならない言葉が聞こえてきた。
「ということは、このメイスンって人は、死んでいるの?」
「ああ、故人だ」
「え? じゃ、じゃあ、この願いって……」
いくらSF小説ばかり読んでいたとしても、長門くんはまともな思考をしていると信じていたのに。
「長門くんは、死んだ人に新作を書いてもらいたいの?」
「フッ、君は何を言ってるんだ?」
あれ? 長門くんにすごい軽蔑した目をされたぞ、私。
「死者に小説が書けるはずがなかろう」
「で、でも、長門くんは、そう願ってるじゃん?」
「ああ、それは未発表作品のことだ。メイスンには、ファンなら誰もが知る未発表作品があり、我々はそれが世に出されることを待ち望んでいるのだ」
「な、なーんだ」
じゃあ、まぎらわしい書き方をしないでほしい。例の先輩もそうだけど、なぜ、オタクは自分にしかわからない書き方しかできないのだろうか。
「その未発表作は、彼の傑作『天の支配』のプロトタイプ的内容らしいのだが、生前は本人の意志により刊行されなかったのだ」
「うーん、作者が見せたくないということは、面白くないんじゃないの?」
「それは、メイスンの偉大さを知らないから言えることだ。彼のファンならば、その未発表作品を読みたいと誰もが願っているはずだ」
「でも、本人が死んだからって、それを世に出すっていうのは、あまり良くないことだと思うんだけど」
「その点は問題ない。死後は、彼の家族に権利がゆずられているからな。我々SFファンは署名活動などをして、その刊行を訴えているのだが……」
ちょっと待て。まさか、夫を亡くして悲しんでいる妻に「死んだ主人が見せたくなかった作品を売ってくださいよ~」と訴えているというのか。それ、遺族の心を踏みにじる行為じゃないのか。
「未発表作品が発売されれば、印税は遺族に入ってくるから、悪い話ではあるまい。おそらく、今年中に何らかの発表があるのではないかと我々は期待しているのだが、なかなか交渉が難航しているようなのだ」
そうか、そのメイスンさんの遺族は、お金になるからと言われても、故人の遺志を尊重しているわけだ。なんとも立派な人たちではないか。うらやましい。
たとえていうならば、私の死後、我が弟に「お金出すから、姉さんの卒業文集を見せてくださいよ~」と言っているのに等しい。弟のことだから、ジュース一本ぐらいで簡単に裏切りそうである。反抗的なくせに安っぽい困ったヤツなのだ。
犯罪者の卒業文集がさらされるのは自業自得だと思うが、何も悪いことをやっていない人の過去を暴くのは、死体を鞭打つ残酷なことではないか。いやいや、私が中学の卒業文集で赤面するほど恥ずかしいことを、勢いで書いちゃったという苦い経験はさておき。
つまり、メイスンさんの未発表作品の刊行を願うSFファンは、死者の卒業文集の中身を暴露する連中と同じなのだ。
最低ではないか。
「なるほど、長門くんは、そういう人間だったのね」
「その通りだ」
私の皮肉にまったく気づかないのか、長門くんは満足そうにうなずいて、読書モードに移る。
この結果、私がSF小説を読む可能性はさらに遠のいてしまったわけなのだが。
「……で、最後は」
【キョン子ちゃんの胸が大きくなりますように 古泉イツキ】
「てぇーーーい!」
私は光の速さでそれを引きちぎった。
「な、なにするのよ、キョン子ちゃん!」
「ちょっとなに書いてんのよ、イツキちゃん」
「だって、キョン子ちゃんは、恥ずかしくて自分では書けないと思ったから、あたしが代わりに願ってあげようかと」
「そんな余計な親切はいらない!」
私は肩で息をしながら、そう叫ぶ。
まさか最後にこんな爆弾が待ち受けているとは。
「あーあ、これで、キョン子ちゃんの胸が大きくなる可能性は、完全になくなっちゃったね」
「……どういうこと?」
「だってさ、せっかくの願いごとを破っちゃったんだよ。今後キョン子ちゃんのバストが変わらなくても、それ、自業自得だからね」
「そ、そんなわけないし!」
私の胸が成長しなくなる可能性はゼロではないがありえるわけで、それをこのせいにされるなんて、たまったものではない。
「だいじょうぶだよ、キョン子さんは今のスタイルでも十分に魅力的だからさ」
「朝比奈先輩はだまってください」
「え? まだ、それなの?」
「だって、朝比奈先輩は、朝比奈先輩じゃないですか?」
いつもならばなぐさめになるオタク先輩の言葉も、イヤらしいゲーム愛好家と知った今となっては、まったく心に響かない。
「……で、キョン子はどうなんだ?」
ずっとだまっていたハルヒコが声をかけてきた。
「みんなの分を見たんだ。キョン子、おまえは七夕の星空に何を願うんだ?」
「う……」
まさか、高校生にもなって、七夕の願いをするなんて思いもしなかった。
頭に浮かぶものはある。一番の切実な願いは、来週の期末テストの成績だ。だが、そんなことを書けば、ハルヒコに「じゃあ、勉強しろよ」と言われるのがオチだ。平和を願おうとしても募金しろ、と言われるぐらいなのだ。
ううむ、私が本気で願いたいことって、いったい何なのだろう。
そんなときだ。SOS団、いや、文芸部部室のドアを叩く音がしたのは。
顧問すらいない我が部にとって、来訪者が現れることは、ほとんどない。私たちは、いっせいに口をとめて、その音を発するドアに視線を向けた。
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(3)「サンタクロースは、いるだろ?」
我がSOS団は秘密結社めいているが、関係者以外立入禁止ではない。
ハルヒコ団長は、不思議な体験談を常時募集しており、それを告知するポスターだって出している。
だから、ハルヒコはあわてることなく、ドアの向こうの人影に高らかに叫んだ。
「どうぞ!」
ガチャリ。我が団長の声にはげまされたのか、ドアが開く。
その女生徒の顔を見て、私は思わず叫んだ。
「中河さん?」
彼女も私を見て、驚いて言った。
「清水さん?」
それに便乗するように、イツキも声を出した。
「清水さんって誰?」
真顔でたずねるイツキに私はあわてて、
「ちょっとイツキちゃん、冗談はやめてよ」
「冗談もなにも、この部室に清水さんってヒトはいないんだけど」
「そうだ!」
ハルヒコが立ち上がって力説する。
「この部室に、清水京子という女子はいない! キョン子と呼ばれし女子がいるだけだ!」
「な……」
私は怒りを通りこして、あきれた眼差しをハルヒコに向ける。
書き忘れていたが、私の名前は「清水京子」という。
古くさい名前だと感じるかもしれないが、私自身は気に入っている。習字で書きやすいわりにサマになる名前なのだ。
ただ、親しい友人には、みんな「キョン子」と呼ばれるので、これまで紹介しそびれていただけである。
「……まさか、イツキちゃんって、私の名前、知らなかったの?」
「だってキョン子ちゃんは、キョン子ちゃんだし」
私の問いに当たり前のように答えるイツキ。
たしかに、私たちは正式に自己紹介したことはなかった。でも、私の名字を知る機会はいくらでもあったはずだ。一週間とか一ヶ月の付き合いじゃないのだから。
「それより、この女子はキョン子の知り合いなのか?」
ハルヒコが私に耳打ちしてくる。
「まあ、顔を知っている程度だけどね。グッチの友達だよ、中河さんは」
「あー、谷口つながりか」
私の返事に納得するハルヒコ。ちなみに、谷口とはグッチの名字である。
グッチの知り合いはクラス内外に多い。クニや私はそんな女子たちをよく紹介されたものだ。私たちはグッチ一人で間に合っているので、彼女たちと親しくなることはなかったけれど。
中河さんもそのひとりだ。私のことを「キョン子」ではなく「清水さん」と呼ぶ時点で、あまり親しくない関係であることがわかるだろう。
その中河さんが私を手招きする。
「清水さんって、涼宮くんと親しいの?」と中河さん。
「まあ、なりゆき上、仕方なくっていうか」と私。
「へえ、イメージとちがってたなあ」
「どういうこと?」
「だって、清水さんって、どちらかというと地味キャラっていうか……」
「そうだよね」
私は中河さんの言葉を素直に受けとめる。自分がこの部室にもっとも似合わない存在であることは、我ながら理解していることだからだ。
団長のハルヒコは言うまでもなく、副団長のイツキ、文芸部部長の長門くん、そしてオタク先輩と、SOS団員は我が北高の個性キャラをかき集めたようなメンバーなのだ。
「で、なんの用だ? ここがSOS団だと知ってるんだよな?」
偉そうな口調で、ハルヒコは来訪者にたずねる。
「うん、涼宮くんって、宇宙人を探しているぐらいだから、星空のこと、くわしいんだよね?」と中河さん。
「まあな」
「じゃあ、涼宮くんは望遠鏡とか持ってるよね?」
「ああ、たいしたもんじゃないけどな」
持ってるのか。こいつの性格からして、望遠鏡を持っていたら、部室で見せびらかしたあと、掃除大臣である私を悩ます邪魔物になりそうなものだが。
「アタシ、七夕の星空をマジメに見たことがなくて。グッチに星にくわしい人がいないかたずねてくれたら、涼宮くんのことを紹介されて――」
中河さんの言葉に私は納得した。なるほど、放課後にグッチがクニと勉強せずにクラスを去った理由はこれなのだ。
「それは良い心がけだ。我が団員のキョン子に爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ」
「って、まさか、これから星を見に行くつもりなの?」
私はハルヒコにすかさず言い返す。
「昔の人は言ったものだ、鉄は熱いうちに打て、とな。今の季節だと、まともに星が見えるのは八時ぐらいになるか」
「こ、この、テスト勉強で大変なときに、夜の八時から星空を見るって――」
私はあきれてつぶやく。
「おいキョン子。せっかくの良い機会じゃないか。俺はひそかにSOS団で星空鑑賞会を計画していたのだが、依頼者がいるとなれば、是が非でも強行せねばなるまい」
「ねえ、中河さん。どうして、七夕に星が見たいなんてこと考えたの?」
私は非常識なハルヒコから目をそらし、来訪者と向き合う。
「そ、それは、秘密、かな?」
頼りなく答える中河さん。
「そうだ、星を見るのに理由などいらない。古代から、人類は星空を見つめ、その位置に様々なメッセージを読みとったものだ。七夕はその思いを知る絶好のイベントではないか」とハルヒコ。
「で、でも……」
「だいたいさ、ハルヒコ君、どこで星を見るっていうの?」
言葉につまった私にかわり、朝比奈先輩がハルヒコにたずねる。
「そりゃ、この学校の近くでいいんじゃないか? ちょうど星を見るには良いところがあってな」
「げぇ」
私はたまらず下品な声をあげてしまう。まさか、そこは二度と思いだしたくもないことをハルヒコから聞かされた場所ではないか。
「まあキョン子、あのことは、忘れて、だな」
さすがのハルヒコも、きまり悪そうな顔をしたが、それも一瞬のことだった。
「あらためて部活動として星空を見るのも良いじゃないか。なあ、キョン子」
「あんたの望遠鏡を使って?」
「まあ、オモチャみたいなもんだけどな。サンタクロースからもらったものだし」
「サンタクロース?」
ハルヒコの口からもれた意外な言葉に、私はすばやく反応する。
「それって、あんたが何歳のとき?」
「ああ、小三のときだったな」
「へえ、あんたって、小三になってもサンタさんを信じてたんだ」
「信じるもなにも、サンタクロースは、いるだろ?」
「へ?」
真顔で答えるハルヒコに私はしばらく絶句する。
「……ま、まさかあんた、サンタさんを今でも信じてるの?」
「そりゃそうだろ。サンタクロースがいなければ、クリスマスプレゼントをもらえなかったんだから」
平然と答えるハルヒコに、私は冷や汗すら浮かべてしまった。
「あのね……サンタの正体っていうのは、父さんっていうか」
「それがどうした?」
「は?」
「俺にプレゼントを買ってくれたのも枕元に置いたのも父親だってことはわかっているんだよ。でも、サンタクロースという存在がいなければ、俺がクリスマスプレゼントをもらうことはなかっただろう」
「そ、そうだけど……」
ハルヒコの妙な理屈に、私はたじろぐ。
「もちろん、サンタクロースは何でもくれるわけじゃない。親の予算と願望を計算しなければいけないのだ。子供は親が自分に何を望んでいるのかを見きわめたうえで、クリスマスプレゼントを要求する。サンタクロースという存在を仲介してだ。クリスマスプレゼントは、子供が子供らしくふるまうことが試される社会のテストなのだ!」
「は、はい」
私は神妙にうなずくほかない。
「……で、団長は小三のときに望遠鏡をもらったんだよね?」とイツキが口をはさむ。
「ああそうだ」とハルヒコ。
「じゃあ、小四のときは?」
「顕微鏡だ」
「あ、あんたって、クリスマスプレゼントに顕微鏡を頼んだの?」と私。
「ああ、星の次は、ミクロな世界を見たいと思ってな。たいしたものじゃなかったから、すぐに飽きたけど」
私は小四のハルヒコを思い浮かべようとする。クリスマスプレゼントで顕微鏡を要求する子供。実に利発だ。将来ノーベル賞をもらえるかもしれないと親は期待するだろう。
でも、そんなに頭いいのなら、サンタクロースの存在を信じているほうがおかしいと考えるんじゃないか。
「で、キョン子は、いつまでサンタクロースにプレゼントをお願いしてたんだ? おまえのことだから、小二ぐらいで、サンタはいない、とか余計なことを言って、せっかくの贈り物をフイにしそうだけど」
ハルヒコの問いに私は正直に答えた。
「ま、まあ、小六のときまでだったかな?」
「しょ、小六? キョン子ちゃんって、そんなにバカだったの?」とイツキ。
「失礼な。私の場合、弟がいたからね」
「へえ、キョン子って弟がいるのか? あんまり姉っぽくは見えないけど」とハルヒコ。
「僕もキョン子さんに姉属性はあまり感じられないなあ。キョン子さんの属性ってどちらかというと――」
「オタク先輩はだまっててください」
私は朝比奈先輩の発言を容赦なく切り捨てる。
「つまりキョン子、おまえは弟につけこんで一緒にサンタクロースからプレゼントをもらってたってわけか」
「まあそれも、弟が小二になって、サンタはいないとか騒ぎだしたせいで終わっちゃったけどね」
そうなのだ。我が家にサンタさんが来なくなったのは、弟が余計なことを親に言ったせいなのだ。私のはぐらかし方がマズかったこともあるが、弟のバカさが最大の原因である。
世の中にはだまっていたほうがトクをすることがたくさんあるのだ。サンタイベントはその最たるものではないか。
「――それで、今夜八時に、学校の近くで星を見るってことでいいの?」
すっかり対応を忘れていたゲストの中河さんが口をはさむ。
「ああ、そうだな。ただ、問題は月齢なんだが……」とハルヒコ。
「月齢って、月の満ち欠けのこと?」とイツキ。
「できれば、新月のほうがよく星が見えるからなあ」
「団長、それならだいじょうぶ。今日は新月ぐらいだから」
イツキは自信満々に答える。
「おい、古泉。なんで、おまえ、月齢がわかるんだ? もしかして、おまえの腕時計に月齢機能がついているとか?」
「そんなことないって、団長」
そう答えながらイツキは私にウィンクをして、
「だって、女の子は体の中に月齢時計があるんだから!」
「ちょ、ちょっと、イツキちゃん!」
私は大声で叫ぶ。
「イッちゃん、そういうことを言うのは」
続いてオタク先輩も口を出す。
「……どういうことだ?」
ハルヒコは怪訝な顔を浮かべている。
「あれぇ? 団長はわからないのぉ?」
「わからなくてもいいし、口に出さなくてもいい!」
私は机をたたいて、イツキをさえぎる。
「そ、そうか」
私の剣幕にさすがのハルヒコもだまったようだった。
「とりあえず団長、今夜は月明かりにジャマされないってことは確かだからね」
「ならば古泉、是が非でも本日に決行しなければならないな」
ハルヒコはゴホンと咳払いして断言する。
「もちろん、団員は全員強制参加だ」
「私は行かないわよ」
すぐさま私は声を上げる。
「おいキョン子、おまえが来なくてどうする?」
「だって、行くわけないじゃん」
「おまえ、七夕の星空を見たくないのか?」
「それよりも、テスト勉強をしたいし」
「キョン子、おまえはまちがってる! テスト勉強なら、週末にまとめてやればいいじゃないか。それよりもだな……」
「だいたい、午後八時に、ここに来れるわけないし。私んち、門限あるから」
我が家の門限は六時ぐらいである。事前に連絡していれば、ちょっとぐらいは遅くなっても許してくれる。
でも、部活動で星空を見るとなれば問題だ。しかも、顧問の先生がいるならともかく、引率者は涼宮ハルヒコである。許してくれるはずがない。
「みんなでテスト勉強するとか、そういうウソをでっちあげればいいじゃないか?」とハルヒコ。
「もし、緊急事態が起きて、親がその家に電話かけたりしたらどうするのよ?」と私。
「過保護なんだな、キョン子の家は」
「そんなことないって、女子高生なら常識だよ。ねえ、イツキちゃん」
ハルヒコに対抗すべく、私はそんな声をかけてしまった。ピアスをして、メイクをバッチリきめた女子に向かって。
「キョン子ちゃんさ、そういうのは、一度、思いきり破っちゃえばいいんだよ。家出とかしたら、親はなにも言わなくなるものだって」
「いやいやいや」
たずねた相手が悪かった。私は来訪者に向き合う。
「中河さんの家もそうだよね? 門限は六時だよね?」
「あ、アタシはだいじょうぶ。今日は予備校があるから、遅く帰ってもバレないし」
すでに中河さんはアリバイ工作を終えているようだった。
「ねえキョン子さん、これは親のしがらみから離れる良い機会だと思うよ。キョン子さんは華のJKじゃないか!」
「オタク先輩はだまってください」
私は朝比奈先輩にそう言ったあとで、
「私は絶対に行かないからね。他人は他人、私は私」
「どうして意固地になってんだよ、キョン子」
「いや、意地張ってるんじゃなくて……」
そりゃ自分が「箱入り娘」を気取るには不相応なことは知っている。いざとなれば、私だって門限を破るときがあるかもしれない。
でも、その「いざ」が、七夕の星空を見るというのはどうなのだろう?
門限破りという一大決心をするには、もっと重要なイベントがあるはずではないか。
「なあキョン子、おまえ、今までマジメに星を見たことないだろ?」
ハルヒコがさらに説得の言葉をかけてくる。
「まあね」
私は軽く受け流す。
「そんな調子だと、いい大学に入ってもバカにされるぞ」
「バカにされるもなにも、ここより都会になれば、星なんて見ることはできないだろうし」
「でも、都会にはプラネタリウムがあるからな」
「ぷ、プラネタリウム!」
私はその言葉の響きにたまらず叫んでしまった。
「どうしたの、キョン子ちゃん」とイツキ。
「いや、幼稚園のときの七夕の願いごとを思いだして」と私。
「ほう、おまえは昔、どんなことを短冊に書いたんだ?」とハルヒコ。
私は少しためらったあと、言ってみた。
「……【プラネタリウムに住みたい】って」
私は幼稚園のときに、そんなとんでもない願いをしたのだ。
なぜ、今でも覚えているかといえば、それを知った母にさんざんからかわれたからである。
そして、いま、私はイツキにバカにされていた。
「ひひっ、キョン子ちゃん、どうして、そんな願いを」
笑いをこらえながら、イツキはそうたずねてくる。
「だ、だって、子供の頃って、プラネタリウムにあこがれたりしない?」
「あこがれるかもしれないけど、住むところじゃないよね? キョン子ちゃん」
「でも、そのときは子供だったから、星空を見ながら寝るのが、すごく素敵な気がして」
そのあこがれが一過性のものであったことは、クリスマスプレゼントで家庭用プラネタリウムをねだらなかったことからもわかるだろう。
ただ、私はひそかにプラネタリウムに行く日を夢見ている。大学生になって彼氏を持つようになったら、一度ぐらいはデートで行ってみたい。それぐらいのロマンティズムは私にもあるのだ。
「なるほど、やはりキョン子、おまえは有望な団員だ」
ハルヒコがやけに感心しながら言う。
「でも、これ、子供のときの話だし」
「なにを言う? 昔の人は言ったものだ、三つ子の魂百まで、とな。そして、幼き日の願望をかなえるときは、今日なのだ!」
高らかに叫ぶハルヒコ。
「ま、まあ、言われてみれば、せっかくのチャンスではあるけれど……ほかのみんなはどうなの?」
「あたしは行くわよ、キョン子ちゃんも来ると信じて」とイツキ。
「僕も、もちろん」とオタク先輩。
「俺もだ」と長門くん。
「な、長門くんまで……」
いきなり動きだした長門くんに私は驚きながらも、すぐさま納得する。SF小説愛好家である長門くんは、ハルヒコに負けないほど宇宙へのあこがれがあるのだろう。
「それでは、SOS団公式イベントとして、本日夜八時から、七夕星空鑑賞会を行う。ゲストとして、その、中河さんにも参加してもらう」
ハルヒコ団長の言葉に、イツキ副団長が調子よく答えた。
「はーい、意義ありませーん」
「もし、参加しない団員には、それ相応の罰があるといっていいだろう。具体的にいえば、団員その1であるキョン子が参加しなかった場合、みつる以下の待遇になると警告しておく」
「はーい、意義ありませーん」とイツキ。
「ねえ、それって罰になるの?」
私は素朴にたずねてみるが、ハルヒコは完全無視した。
「それじゃ、七時半に校門前で集合だな。俺は望遠鏡を持って来るから一度帰るけど、おまえらはどうする?」
「あたしは、ずっとここにいるけど。帰るの面倒くさいし」とイツキ。
「僕もイッちゃんと一緒にいるよ。中河さんはどうするの?」とオタク先輩。
「アタシもここで学校が閉まるまで待つつもりです」と中河さん。
「それでは、俺は双眼鏡を持ってこよう」と長門くん。
「……で、キョン子は?」
みんなの乗り気な態度に驚きながら、私はハルヒコにこう答えるしかなかった。
「ま、まあ、行けたら行く、かな?」
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(4)「あんなのが天の川?」
行こう、と思い立ったのは、集合時間の七時半近くになってからだった。
それはテスト勉強からの逃避にすぎない。夕食のあと机に向かっても、SOS団員の顔が浮かんで教科書を開く気力も出てこなかったからだ。
とりあえず、イツキに電話してみる。。
「いまから家を出てもだいじょうぶ?」
『学校に着くのは、いつぐらい?』
「八時すぎちゃうかも」
『遅刻じゃん。キョン子ちゃん、お仕置きしちゃうぞ~』
「じゃあ行かない」
『待った待った! それじゃ一人、駅で待ってるから』
「いいの?」
『いいっていいって……あ、そうそう、キョン子ちゃんが来るとわかって、団長喜んでるわよ』
「いや、あいつは関係ないし」
『あたしだってうれしいんだよ。キョン子ちゃんと一緒に星が見たかったし』
「わかった」
私は意を決して、クニに電話をする。アリバイ工作のためである。クニは快諾してくれた。「涼宮くんと進展があったら教えてね」というお節介な一言をそえて。
こうして、クニの家でテスト勉強をするという口実で、私は家を出ることにしたのだ。
ひとまず夜空を見上げる。天文学的知識のない私には、どれが彦星なのかもわからない。イツキちゃん予報どおりに月明かりはなかったけれど、雲がかかっていて星空鑑賞会には不向きの天候みたいだった。
さぞやハルヒコはガッカリしているだろう。短冊に「晴れてください」と願っていればよかったのに。
それにしても、中河さんが星を見たい理由ってなんだろう? 私は電車に乗りながら考える。わざわざ見知らぬ部室のドアをノックするぐらいだから、相応の目的があるはずなのだ。
はたして、顔見知りの私がいない空間で中河さんはどうふるまっているのだろう。もしかすると、駅でイツキと一緒に私を待っているのかもしれない。もしくは、オタク先輩の愛らしい外見にダマされているのかもしれない。あるいは、ハルヒコの偉そうな星空解説に喜んで耳を傾けている、とか?
そんなことを考えている間に、電車は学校の最寄り駅に着く。改札口を出た私を待ちかまえていたのは。
「やあ、キョン子さん。早かったじゃない?」
「あれ、イツキは?」
予想外にも、制服姿のオタク先輩が一人で待っていた。
「イッちゃんは中河さんの相手してるから」
「で、みつ――いや、朝比奈先輩が私のために待ってくれたの?」
「まだそう呼ぶの?」
「うん」
私は力強くうなずく。
しかし、私は敬語を使わなかった。どうも、朝比奈先輩を目の前にすると、改まった口調で話す気になれないのだ。
それに、同行者として朝比奈先輩は悪い人選ではない。イヤらしいゲーム愛好家の変態だが、それゆえに私に手を出すことはないだろう。前科のあるハルヒコやその疑いのある長門くんに比べれるとずっと安全ではないか。
「だけど、朝比奈先輩がいないとなると、中河さんはだいじょうぶなの?」
「いやさ、あの中河さん、すっかりイッちゃんと仲良くなって、ガールズトーク始めちゃったんだよね。僕が間に入れないぐらいに」
「へ、へえ」
私はイツキと中河さんが楽しそうに会話する光景を思いうかべるが、あまりうまくいかない。
「イッちゃんがキョン子さん以外の女子と親しそうに話すのって初めて見たよ」
「でも、イツキって、けっこう懐が深いっていうか、話題の幅が広いんだよね。だから、その気になれば、誰とでも仲良くなれるのかもしれない」
「そうそう、イッちゃんって、年上の人とつき合ったりしたんだよね?」
「私はくわしく知らないけどね」
よく考えてみれば、みつる先輩と二人きりで話す機会なんてほとんどなかった。その話題がイツキのこというのは、私に合わせてくれているだけなのか、それとも。
「……やっぱり、イッちゃんって、背の高い人が好きなのかなあ?」
「へ?」
みつる先輩のつぶやきに、私は思わず反応してしまう。
「ま、まさか……みつる先輩」
「あー、今のナシ! 聞かなかったことにして!」
赤面するみつる先輩。そのあわてっぷりは愛らしかったが、さみしくもあった。
そうか、そうだったのか。
「少なくとも、イヤらしいゲームをしている男子はキライだと思うけどね、イツキは」
ちょっと悔しくなった私は、嫌みっぽくそう言ってみる。
「そんなことないよ。イッちゃんは、そういうことに理解があるよ。キョン子さんとはちがってね」
「どうせ私はケッペキですよ、オタク先輩」
「いや、それもまたキョン子さんの魅力だし、僕はキョン子さんのことも好きっていうか……」
「ほほう、これがオタクのハーレム願望というやつなのですかね、朝比奈先輩?」
「う……意地悪言わないでよ」
もちろん、私だって、みつる先輩が私のことが「好き」なのは「LOVE」ではなく「LIKE」であることはわかっている。
「……まあ、正直いって、イツキの好きなタイプって、私にはさっぱりわからないんだよね。だから、みつる先輩の相談相手になることはできても助けにはなれないかな、と」
「二人で恋愛のこととか話したりしないの?」
「しないしない。イツキが私に合わせてくれているだけかもしれないけど」
「でも、イッちゃんはキョン子さんのこと、相当気に入っていると思うよ」
「だけど、名字も覚えてくれてなかったし」
「あー、僕も最近まで知らなかったんだよ、キョン子さんの名前」
「マジで?」
「だって、清水京子って言われても、ピンとこないし」
「私も朝比奈みつるって名前は、オタクっぽくないと思ってますけど」
「ひどいなあ」
「でも、私がいくら言っても、みつる先輩はオタクであることをやめないんだろうし」
「うん、僕の生きがいだからね。すばらしいエロゲをプレイすることは!」
……天下の公道でなにを叫んでいるのだ、この人は。
でも、私は「もう同じ空気を吸うだけでもイヤです」と、オタク先輩から逃げだすことはなかった。
世の中、いろいろ我慢しなければならないことがあるのだ。サンタクロースを信じたふりをしたりとか、ハルヒコの理不尽な企画につき合わされたりとか。
◇
「あ、みんな集まってるね」
みつる先輩が指をさしたその先は、望遠鏡をかまえるハルヒコと、双眼鏡をのぞいている長門くんと、制服姿でぺちゃくちゃしゃべっているイツキと中河さんがいた。
遠目に見ると、天文部らしい微笑ましい光景だ。あいにく、我々は天文部ではなくSOS団なのだが。
学校近くとはいえ、生徒たちの姿はない。期末テストが近いせいで部活動を早めに切り上げているからだろう。
「やっと来たか、キョン子」
偉そうに答えるハルヒコにうなずきながら、女子の会話に加わろうとした私だが、
「で、そのとき、アタシの彼氏がさー」
「あー、無神経なこと言っちゃったんだね。わかるわかる!」
イツキと中河さんは恋愛話の真っ最中だった。
ていうか、彼氏がいるのか中河さん。
それなら、SOS団と星空を見ている場合ではないだろうに。
中河さんはやたらと大げさな口調で話していて、イツキはそれに合わせている。きっと、その彼氏と破局寸前の状況だろう。うん、関わりたくないパターンだ。
私だって女子のはしくれ、恋愛話には興味あるけど、同意を求められたりしたら困る。恋する女子は時として常識を軽く飛びこえて、感情のままにとんでもない発言をしてしまう。そのときに「あなたもそう思うでしょ!」とたずねられたら、どんな顔をしたらいいのかわからない。
だから、私は回れ右をする。そうなると、ハルヒコと目が合う。
「キョン子、おまえは星を見に来たんだよな」
「そうだけど」
「じゃあ、とりあえず、のぞいてみろよ。ピントは合わせてるから動かすなよ」
ハルヒコの望遠鏡は、たしかに高校生には小さい代物だった。
「なんの星が見えるの? 彦星?」
「見ればわかるって」
ハルヒコの言葉にうながされて、私はレンズをのぞきこむ。そこから見えたのは。
「星だね」
「だから、なんの星だよ」
「星としか言いようがないんだけど」
「なに言ってんだよ、よく見ろよ」
私は目を凝らす。見えるのは円形の天体である。いや、その輪郭は少しだけゆがんでいた。
「言われてみると、この星、なんか耳みたいなのがついてるね」
「耳じゃねえよ、輪っかだよ、輪っか!」
テンション高めに応えるハルヒコ。
「輪? そんなたいしたものには見えないけど」
「でも、それが土星なんだよ」
「土星? まさか」
「まさかじゃねえよ。見ればわかるだろ」
私は土星の形を知っている。理科の教科書に載っている土星の輪というものは、もっと美しいものであったはずだ。
しかし、レンズから見えるそれは、ただの耳でしかない。
「望遠鏡が発明されて、人類は初めて土星に輪があることを知ったんだ。キョン子、おまえが目にしているそれは、そんな歴史的発見なんだぜ。どうだ、ロマンを感じないか?」
「……へえ」
私はガッカリしていた。耳のついた星を土星だと言われても感動できるはずがない。
「だいたい、私たちは惑星を見に来たんじゃないよね?」
私は望遠鏡から目を離して、肉眼で夜空を見上げる。
「でも、残念だったね。月明かりはないけど、雲が出ているから、星がちゃんと見えないし」
「はぁ? キョン子、おまえ今なんて言った?」
ハルヒコがやけにすごむが、私は臆することなく、
「あれ、雲だよね?」
「なに言ってんだ、あれが天の川だろが!」
「あんなのが天の川?」
「おい長門、ちょっとキョン子に双眼鏡を貸してやってくれ」
ハルヒコは後ろでバードウォッチングのように夜空を見ていた長門くんに声をかける。
「ああ、わかった」
「双眼鏡で星が見えるの?」
私の問いにハルヒコが、
「残念ながら、その双眼鏡は、この望遠鏡よりも性能が良いんだよ」
「じゃあ、望遠鏡の意味ないじゃん」
「まったくだ。でも、望遠鏡にはロマンがあるじゃないか」
「自分の趣味を押しつけるのはロマンって言わないと思うけど」
そうつぶやきながら私は長門くんから双眼鏡を受け取る。ハルヒコの望遠鏡よりもずっと高級そうな代物だ。
長門くんにピントの合わせ方を教わったあとで、私は雲らしき物体をのぞきこむ。
たしかに、そこにあったのは光の粒だ。
「ホントだ、雲じゃなかったんだね、あれ」と私。
「おまえ常識外れにもホドがあるだろ。もう一度、義務教育からやり直せよ」とハルヒコ。
「失礼な。私、こう見えて理科の成績はそんなに悪くなかったんだけど」
「天の川を雲だと言ってる時点で、テストでいくら良い点をとっても同じだ」
「でも、おかげで彦星の場所がわかったし。あれだよね?」
私が指さした方角を見て、ハルヒコはまたもやため息をついて、
「あれは木星だ」
「また惑星? いい加減にしてよ」
「いい加減にしてほしいのはこっちだ!」
「だって、あんなに明るいじゃん。まぎらわしいんだよ惑星って。地球から近いだけで、主役の彦星よりも輝くなんて」
「おまえ、惑星ってどういう漢字書くのか知らないわけじゃないだろうな」
「なるほど、惑う星って書くものね。……ということは!」
私はパチンと手をたたいた。
教科書に出ていた太陽系の図が頭に浮かぶ。
「惑星の不規則な動きを知ったことが、地動説の発見を生んだわけね!」
自信満々に答える私に、ハルヒコは首をふりながら言う。
「おまえなあ、星座ができたのはいつだか知っているか?」
「たしかギリシャ神話が由来なんだよね?」
「地動説が確立されたのは何世紀の話だ?」
「う……」
「東洋の星座だってそうだ。そもそも、星座は、惑星がどこにあるかを知る目印として作られたんだよ。そして、不規則な惑星の位置から未来を予知しようとする占星術が生まれたわけだ」
「へえ、占星術とか興味あるの、あんた」
「昔は立派な学問だったんだぜ。日本でいえば陰陽師がそうだな。そもそも陰陽師とは天文学者のことで――」
「あの安倍晴明とかもそうなの?」
「ああ、それだけ人類は星空を真剣に見てきたということだ。惑星の動きに人々は天の意志、つまり未来を読み取ろうとしたんだよ」
「そのくせ、昔の人は地動説を知らなかったんだよね。じゃあ意味ないじゃん。天の意志とか、お笑いぐさだよね」
「まあ、その地動説にたどり着いたのが、この望遠鏡の発明だったわけだ」
「どういうこと?」
「例えば、ガリレオの名前がついた星の発見とかな」
「そうよ、ガリレオ=ガリレイ!」
私は力強く叫ぶ。
「ガリレオは地動説を主張した。それなのに、キリスト教はそれを否定したんだよね? ひどいよね宗教って」
「いや、ひどいもなにも、ガリレオの地動説モデルは不完全だったからな。そこから導かれるデータは、実際の観測とはズレがあったんだ」
「そんな些細なこと、どうでもいいじゃん。天動説と地動説よ。天と地ほどのちがいがあるじゃない!」
「――ったく、これだからバカは」
ハルヒコは頭をポリポリとかいたあとで、
「キョン子、一年は何日か知ってるか?」
「は? もしかして、私のことを本気でバカにしてるの?」
「バカにしてないからたずねてるんだよ」
「そんなの365日――いや、四年に一度、うるう年があるから、プラス4分の1日だよね?」
「ちがうな」
「ちがうの?」
私は本気で驚いてたずねかえす。
「正解は、約365.2425日だ」
「はぁ? ほとんど同じようなもんじゃん」
「ちなみに、1年を365.25日としたのがユリウス暦といって、ブルータスに裏切られたことで有名なジュリアス・シーザーが紀元前一世紀に定めたものだ。日本でいうと、弥生時代のころだな」
「そんな昔に、うるう年ってできてたの?」
「でも、それでは不正確だってことで、400年のうち三度だけうるう年をなくすことにした。これが、今の日本でも使われてるグレゴリオ暦だ」
「へえ」
「このグレゴリオっていうのは、当時のローマ教皇の名前からきている。そして、ガリレオが活躍した17世紀よりも前、16世紀の人間だ。つまり、ガリレオの地動説モデルを否定したときのキリスト教は、1年を365.2425日という精度で定めていたんだよ」
「じゃあ、なんで、キリスト教は天動説にこだわって、ガリレオをいじめたの?」
「ガリレオの地動説モデルには誤差があったからだよ。ガリレオは惑星軌道が真円であると主張したが、実際は楕円軌道だった。ガリレオは決して真理にたどりついちゃいない。そのくせ、ガリレオはケプラーの説を否定したんだよな。そういう経緯を知らずにガリレオが宗教の被害者っていうのは――」
「ケプラー? 誰それ」
「その楕円軌道を発見した天文学者だよ。そもそも、惑星の不規則な動きは、天動説モデルでも十分に説明できたんだ。わざわざガリレオの不完全な地動説モデルを採用しなくても問題なかったんだ。例えば、アルマゲストでは惑星の動きが天動説で説明されている。ちなみに、アルマゲストというのはアラビア語だけど、それを書いたのは古代ギリシャ人だ。なぜ、アラビア語で呼ばれているのかといえば、当時のイスラム圏が――」
「ちょっと話を広げすぎないでよ」
私は頭をおさえながら、
「私はただ、地動説を発見したエピソードが知りたいだけで」
「それが知りたければ、天動説についても、ちゃんと知らないといけないんじゃないか? かつて人々が信じていた宇宙の構造を」
「はぁ? 天動説はまちがってるんでしょ? なんでそんな仕組みを知らなければならないのよ? 私たちにはもっと知るべきものがあるのよ。電子レンジの仕組みとか!」
「でも、おまえは地動説を知識として知っているだけで、天の川を雲だと思っていたし、惑星がどれほど明るいかも知らなかった。そりゃ古代の人は、土星に輪があることも知らなかったし、地球が太陽のまわりを回っているとも知らなかった。でも、おまえよりずっとマジメに空を見てきたんだ。そして、それぞれの星の位置から様々なメッセージを――」
「もういい!」
私はたまらずにそう叫ぶ。これ以上、こいつの話を聞くと、熱が出て倒れてしまいそうになったからだ。
そして、あらためて思った。こいつは本当にものを教えるのがヘタだな、と。
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(5)「それが七夕の奇跡なの?」
「あ、流れ星」
ハルヒコ談義がもたらした知恵熱を冷ますべく、ぼけーっと星を見ていた私は、その一瞬の輝きに心を奪われた。
そうだ、今は流れ星に願いごとをする絶好の機会なのだ。
流れ星が見えている間に、三度願いを言うことができれば、その願いはかなう。
かつて私はそれを信じていて、できるだけ願いごとをシンプルにしようと考えたものだ。
今こそ、それを実践するときだ。次に流れ星を見たときに、私は叫ぼう。「カネカネカネ!」と。
「そういやキョン子って、流れ星を英語でなんていうか知ってるか?」
「また、あの話の続きなの?」
私はうんざりした目つきでハルヒコを見る。
「ちがうって。ただ質問してるだけだ」
「シューティング・スターでしょ? 私でもそれぐらい知ってるから」
「そうだ、シューティングだ。フォーリング・スターじゃない。つまり、落ちる星じゃなくて、射つ星ってことだ。バンッ!」
そう言いながら、ハルヒコは人差し指をつきたてて夜空を射撃する。
私はひそかに、ハルヒコのガキっぽい仕草は悪くない、と思っていたのだが、今回のそれはあまりにもバカらしかった。
「……それがどうしたの?」
「だから、昔の人は、流れ星のことを、天幕を破って神の国に達しようとする魂だと思ってたんだ。つまり、流れ星を死者の魂ととらえていたんだよ」
「はぁ? だって、流れ星は落ちるものでしょ?」
「でも、昔の人は肉眼でそう見ていたんだ。だよな、長門?」
ハルヒコは後ろにいる長門くんに話題をふった。
「そうだ。キリスト教圏では、そのようにとらえる文化があったという」
「あー、あのガリレオを否定したキリスト教ね」と私。
「どれが惑星かわからないおまえに、そんなことを言う権利はねえよ」とハルヒコ。
「じゃあさ、流星群とか見たら、昔のキリスト教徒は、たくさんの人が死んだと思ったわけ?」
「ああ、遠くのどこかで戦争や災害が起こったと信じて、その魂が安らかになるように祈ったんじゃないかな」
「その祈りはまったく見当ちがいだけどね」
「そうか?」
「はぁ? あんた、キリスト教徒なの?」
「そういうことじゃねえよ。ただ、昔の人が死者の魂を思って星空を見たという文化について俺はよく想像したもんだ」
「だけど、ここは日本。クリスチャンの国じゃないからね。そんなこと考えても意味ないじゃん」
「なに言ってるんだ。七夕なんて、その最たるものじゃないか?」
「へ? 七夕が?」
カタカナにまみれたハルヒコの言葉から、不意にあらわれた漢字に私は驚く。
「七夕が死者の魂と何の関係があるの?」
「旧暦では、七夕はお盆と同じ時期だったんだ。旧暦七月十五日がお盆で、七月七日の七夕はそれに連なる行事の一つだったんだよ」
「長門くん、そうなの?」
私は後ろのメガネ男子にたずねる。
「ああ。お盆というのは、そもそも盂蘭盆会(うらぼんえ)と呼ばれていたもので、旧暦七月に行われていた仏教行事だ。十五日の中元がもっとも有名だが、伝統的には旧暦七月一日からお盆に入り、故人を迎える準備を始めたものだ。七夕もその盂蘭盆会の行事の一つであり、だからこそ、俺は短冊に故人のメイスンのことを願ったのだ」
それはまったく知らない事実だった。私にとってお盆とは八月十五日のことであり、七夕とはぜんぜん関係のない行事だった。
「じゃあ、どうして、彦星と織姫の伝説が生まれたの?」
「その伝説については様々な説があるんだが……」
ハルヒコはアゴに手をあてながら、
「天の川を三途の川ととらえていたとも考えられてるんだよ」
「へ? ということは、彦星と織姫って、どっちかが死んでるの?」
「ああ、だから、年に一回しか会うことができないという設定になったらしい」
「つまり、生者と死者が年に一度だけ会える日。それが七夕の奇跡なの?」
「そういう説もあるってことだよ」
ハルヒコの答えはにわかに信じがたいことだった。
もし、そうであれば、商店街に飾ってある無邪気な子供の願いごとは、すべて台無しになるではないか。
死別したものの、互いを忘れられず、年に一度の奇跡を待ち望んでいる織姫と彦星。そんなカップルに「成績が良くなるように」とか「お金持ちになりたい」とか願いをたくすなんて。
「まあ、旧暦の七月七日なんて、月の形が半月だから、星空を見るのには向いてないんだけどな」とハルヒコ。
「そうね。旧暦って、月の満ち欠けをもとにしているから」と私。
「なぜ、七日になったのかといえば、桃の節句や端午の節句に合わせたという事情もあるらしい」
「なるほど。三月三日、五月五日ときて、七月七日と」
「だから、七夕には子供向け行事という背景もあるんだ。そんな色々な物語が今の七夕を形作っている。盆の行事としての七夕。節句としての七夕。どれが正解でどれがまちがいってわけじゃなくて」
「へえ」
たしかに、私たちは多くのことを知らないままでいるのかもしれない。電子レンジの仕組みすらわからないまま、コンビニで「あたためてください」と言うように。
「ともあれ、キリスト教圏でもこの日本でも、星空にまつわる行事は、死者の魂に関するものが多いんだ」とハルヒコ。
「どうしてなの?」と私。
「おまえ、どんなときに星空を見るか考えたことないか?」
「考えたこともない」
「そりゃ今のおまえが幸せだからだよ」
ハルヒコはやけに優しい口調で言った。
「世の中にはどうしようもならないときがある。そういうとき、人は夜空を見たものだ。誰にも言えないことを、夜空に向かって話しかけたんだよ。星空を見ることは、孤独と向き合うものだからな」
そういえば、こいつは家族同然の愛犬を亡くした過去があるんだっけ。
私は幸せなことに、知人を亡くしたことはない。親戚のお爺さんが死んで葬式に出たことはあるけど、ほとんど会ったことがない人だから、あまり実感がなかった。
だけど、ハルヒコの言葉は私の心に珍しく響いた。
大事な存在を失ったから、ハルヒコは必死に探していたのだ。星空の形にも、何かの意味があると信じて。
「……そうだったんだ」
「中河さん?」
すっかり忘れていた知人の声に、私は驚いて振り向く。
いつの間にか、イツキとのガールズトークは終わっていたようだ。
「アタシ、それが知りたかったんだ。どうして人が星を見ているのか? あの人が星を見ていたのもきっと……」
「あの人って、誰?」
ふとたずねた私の言葉に、中河さんは笑って答えた。
「それは秘密、かな?」
その声は先ほどまで大げさにしゃべっていた口調とは全然ちがうもので。
「今日は良い話が聞けたよ。ありがとう、涼宮くん。そして清水さん」
「へ? 私がなんで?」
お礼を言われて驚く私に、イツキが声をかけてきた。
「だって、キョン子ちゃんがいなかったら、こういう話、聞けなかったからね」
「そ、そう?」
私にはよくわからなかった。
イツキに彼氏のグチばかり言っていた中河さんの、七夕の星空を見たかった理由。
そして、私がここにいることの意味。
それでも、満天の星空はとてもキレイで、まるで私が生きていることを祝福しているように感じた。
たしかに、昔の人の考えていることは悪くないと思った。
あの光の一粒一粒が死者の魂と考えれば、なんと心強いことか。いろんな人が生まれて死んで、今の私がいる。
そんな生の実感を、星空を見ながら、私は確かめていた。
……たぶん、それは錯覚にすぎないだろうけど。
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(6)「そんな願いごとでいいのか」
「それで願いは考えたのか、キョン子」
星空観賞会翌日の放課後。
私は懲りずにSOS団の部室に顔を出していた
今日こそはクニと一緒にテスト勉強しようと考えていたのだが、グッチに無理やり追い出されたのだ。
それというのも、中河さん報告のせいである。
昼休み、私のクラスに戻ってきたグッチは上機嫌で言った。
「キョン子、うまくやったみたいじゃん?」
「なにが?」と私。
「中河さんがうらやましがってたよ。キョン子とスズミヤの相性はバッチリだって」
「はぁ?」
「昨日、すごく良い雰囲気だったんだよね?」
「……どこが」
私はあきれながら言う。昨日、私はあいつに「義務教育からやり直せ」と言われたのだ。慰謝料を請求してもいいぐらいの暴言である。
「それよりグッチ、中河さんに私のこと教えてあげればよかったのに。彼女、部室に来たとき困ってたよ」
「ごめんごめん。でも、結果オーライってことで」
悪びれなく答えるグッチに私はあきれつつも、ついでにたずねてみた。
「あとグッチ、中河さんに彼氏がいるって本当?」
「うん、このクラスのサカモトなんだけど」
「ま、マジで?」
私は思わず、阪本くんの席を見る。
その阪本くんは、この昼休み、友達と一緒に談笑していた。
「キョン子のおかげで、彼女、サカモトとも仲直りできたみたい」
「……そうなんだ」
いやいや、阪本くん、昼休みは中河さんと一緒に弁当を食べないとダメじゃないか。彼氏と彼女の仲なんだろ? あんたたちは。
「ははは、キョン子ったら、マヌケな顔をしてるよ」
私の表情を見て、クニが笑う。
とまあ、結局、何がどうなったのか私にはよくわからないまま、放課後をむかえたのだ。
そして、教室に残って勉強しようとした私は、グッチに「スズミヤに教えてもらえば」と軽くあしらわれたわけである。
文芸部部室には相変わらず短冊のついた葉竹が飾られている。
「キョン子ちゃん。あたしは新しい願いごとを書いたからね!」
にこやかなイツキにうながされて、私はその短冊を見る。
【キョン子ちゃんがグラマーになりますように 古泉イツキ】
「てぇーーーい!」
私は光の速さでそれをひきちぎった。
「な、なに? あたしとの友情を否定する気?」
「そんな友情は、いらない!」
私は肩で息を切らしながら、そう叫ぶ。
いったい、昨日の星空鑑賞会はなんだったというのか。
「だって、キョン子ちゃんがもっとグラマーになったら、一緒にお風呂に入ったとき、楽しそうじゃん!」
「な、なにを……」
私は絶句する。
ここ数ヶ月、イツキとはずいぶんと仲良くなったものだが、まだお泊まり会をしたことはない。
「ごほん」「ごほん」
男子の咳払いが聞こえる。ハルヒコとみつる先輩のものだろう。
「あんたたち、心配しなくていいから。私にそんな気はないからね!」
「えー? キョン子ちゃん、あたしと一緒にお風呂に入りたくないの?」
「うん、こんな願いごとされると入りたくなくなった」
「そ、そんな……」
私のつれない返事にかわいらしくうなだれるイツキ。しかし、そんな仕草にダマされるほど私と彼女の仲は浅くはないのだ。
「で、キョン子、おまえはどうなんだ?」
「……うーん、と」
ハルヒコの催促に私は抵抗せず、すらすらと短冊にこう書いた。
【SOS団のみんなが元気でありますように 清水京子】
「そんな願いごとでいいのか、キョン子?」
「だって、今度の期末テストの成績が良くなりますように祈っても、あんたはバカにするよね?」
「ああ、それは愚の骨頂だ」
「だから、こう祈るのよ」
私は七夕の星空にたくすような切実な願いはない。
ただ、今の生活が続くこと。
それを願うしかないと思ったのだ。
「はいはーい、団長。書き直しました!」
いっぽう、イツキは調子の良い声で手を挙げる。
私は不信度100%の眼差しでそれを見た。
【キョン子ちゃんともっと仲良くなれますように! 古泉イツキ】
「な、なんで、執拗に私をターゲットにするのよ」
「だって、キョン子ちゃんが、みんなのことを願うから、あたしが代わりにね」
「もっと仲良くなるって、どうなるの?」
「そりゃもう、ベッドで一緒に寝たりとか」
「な……」
私は自分の肩を抱きしめる。まさか、貞操の危機なのか、これ。
「ごほん」「ごほん」
男子二人の咳払いに、私は平静さを取り戻す。
そう、これはイツキの悪い冗談なのだ。
だいたい、中河さんと恋愛話をしたように、イツキはその気になれば誰とでも仲良くなれる子だと思う。わざわざ、私だけを標的にするはずがない。
「まあ、キョン子ちゃんだけでなく、みんなと仲良くなりたいけどね、あたしは」
そう言って、イツキはちらりとみつる先輩を見た。その視線にみつる先輩はすぐさまうつむく。
うん、やっぱりオタク先輩だ。年上のくせにイツキをリードするなんてできそうもない。みつる先輩が想いを告げるのはいつになることやら、と私は思う。
まあ、そんなイツキの七夕の願いは、夏休みに予期せぬ形で実現しそうになったのだけれど。
【笹の葉レクイエム 終わり】
⇒エンドレス・サマー(キョン子シリーズPart4)に続く
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