百合の華の下には (朝雲)
しおりを挟む

百合の華の下には

おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。

 

──梶井基次郎『桜の樹の下には』より抜粋──

 

***

 

朝比奈百合子。通称ゆーちゃんは、とても綺麗な女の子でした。

 

ゆーちゃんの色白の肌は卵のようにつやつやで、黒の髪はシルクのように滑らかでした。風が吹くと、その一本一本が絡まることなく生糸のようにふわっと舞い上がり空気を撫でるのです。

 

また、ゆーちゃんの唇は桜の花びらのような艶やかな薄紅色で、爪の先から睫毛(まつげ)一本に至るまで彫刻のように均整がとれていました。

 

ゆーちゃんは余りにも美しすぎる女の子でした。

 

嫉妬するのも馬鹿らしいゆーちゃんの美しさを、クラスのみんなは褒め(そや)します。私の通っている私立美濃女子学園は、一クラスあたりおよそ二十五人ほどいるのですが、私とゆーちゃん本人を除いた二十三人は口を揃えたかのようにこう言うのです。

 

「あぁ、百合子さんは相変わらずお綺麗ですね」

とか。

「どうやったら百合子さんのような肌になれるのでしょうか」

とか。

「百合子さんになら抱かれてもよろしくてよ」

など。

 

賞賛。賞賛。賞賛。

ひたすらの賞賛がクラスに沸き起こります。それは余りにも異様な光景で、私はその光景を見ると決まって中学生の時にネット上で見た、NSDAP(ナチス)Nürnberg(ニュルンベルク)党大会の光景を思い出しました。

 

Adolf Hitlerをゆーちゃんに。クラスメイトをかつてその独裁者に心酔した独逸国民に置き換えれば、何ともデジャビュを感じる光景に見えてきます。

 

ゆーちゃんはまさにカリスマ独裁者でした。

 

クラス委員長であり、生徒会会長であるゆーちゃんは学校の絶対的支配者として君臨していたのです。おまけに学園長の姪ときた日には、空恐ろしさすら感じましたよ。

 

この女には逆らえないという風格がゆーちゃんにはありました。そして、私を含めたクラスメイトのみんなも、その事を本能的に嗅ぎ分けていたのだと思います。しかし、それだけならばゆーちゃんはただの暴君として君臨しただけでしょう。

 

ゆーちゃんがカリスマ独裁者たる所以は、一部のクラスメイトが彼女のことを「ゆーちゃん」と呼んでいるところに全て現れています。

 

ゆーちゃんは畏れられ、またそれと同時にあふれんばかりの親しみをもたれていました。Bismarck(ビスマルク)のように飴と鞭を巧みに使い分けて人心を掌握する女帝が朝比奈百合子だったのです。硬軟入り混じった、眉目秀麗なオトナの女性。それが多感な時期の乙女にはウケけました。それはもう。驚くほどに。

 

しかし、そんなクラスメイトの評判とは対照的に、私はゆーちゃんが不気味で堪りませんでした。その美しさが余りにも際立っていて、何か空恐ろしい存在に感じられたのです。

 

ゆーちゃんは怪物でした。それも名前のない怪物です。

ゆーちゃんの美しさはきっと、何か得体のしれない狂気から発現するのではないかという偏執的な妄想に私は取り憑かれていました。

 

私はゆーちゃんを見ると梶井基次郎の『桜の樹の下には』という小説を思い出します。

 

桜の樹が美しいのはその下に屍体(したい)が埋まっているから。その目には見えない隠れた狂気こそが美しさの所以(ゆえん)なのだと。

 

私は小説に沿ってゆーちゃんの狂気を想像をしてみました。

 

ゆーちゃんは屍体の傍にいます。その屍体はこれまた美しい女の子のものなのですが、それがいったい誰なのかは分かりません。ただ()()()()であろう裸の女の子の屍体でした。

 

その女の子の屍体はところどころ腐り始めており、(うじ)が湧き、堪らなく臭いのです。目はどろどろに溶け、樹液のような光り輝く滴をたらたらと垂らしています。床には、かつてその女の子のカラダの一部であった肉片の液化したモノが、染みをつくりだしていました。

 

私の想像の中のゆーちゃんは、その女の子の屍体を、まるで赤子を慈しむような瞳で見つめながら舐め回します。

 

彼女の髪を。耳を。頬を。胸を。(へそ)を。性器を。足を。爪までも舐め回す。どろっと、ゆーちゃんの舌に女の子の肉片がこびり付きました。臭くて、汚くて、細菌だらけの肉片を恍惚とした表情でゆーちゃんは味わっていました。そして、その水晶のような肉片はゆーちゃんの胃を通り、小腸を通り、毛細血管とリンパ管を通りゆーちゃんの全身へと行き渡ります。やがてそれはゆーちゃんの血肉となり彼女の美しさに花を添えるのです。

 

嗚呼!なんたる狂気でしょう!

しかし、それと同時に感じるのは背徳的で狂気的な美!ゆーちゃんの美しきことのなんたるか。

 

これこそが、ゆーちゃんの美しさの源泉に違いありません。もちろんゆーちゃんが屍体を食べる妄想など馬鹿げていますが、それに近い猟奇性が眠っていると思えるだけの深淵が、彼女にはありました。そして、その深淵のもつ引力に人々は惹きつけられるのです。暗い誘蛾灯。それがゆーちゃんでした。

 

えぇ?…なるほど。確かに食人など頭が狂っているという批判はごもっともです。

 

しかし。そうでなければ、どのようにしてゆーちゃん美しさを説明しようと云うのでしょうか。

 

ゆーちゃんは怪物。ゆーちゃんは物の怪。美麗な女を喰い漁り、そしてそのたびにその美しさを吸収するのです。

人ならざるからこそ惹かれてしまう。人はとかく狂気に惹かれやすい。

つまるところ、ゆーちゃんの美しさは()()()()()()()()美しさではなくて、()()()()()()美しさだったのですよ。

 

おや。…随分と長く妄想に耽ってしまいましたね。

いつの間にか朝のホームルームが終わっていたようです。

 

教室から芝山先生が出て行くのを確認すると、クラスメイトはめいめいに騒ぎ出し始めました。多少格が高い高校とはいえ、やはりこの辺は女子高校生なのでしょう。

 

私が一限である英語表現の授業の準備をするために鞄の中を漁っていると、コツコツという上履きの音──ハイヒールのように格調高い──が聞こえてきました。その音次第に大きくなって私のもとへ近づいてきます。

 

コツコツ。

コツコツ。

 

ピタリ。

 

私の直ぐ近くでその音は止みました。私の机の上には麗しい日本人形のような人影が一つ。蛍光灯の光を受けぼんやりと浮かんでいます。

 

はて、これは…。

 

「三宅由香里さんでよろしくて?」

 

その人影が発した音は、脳にまで響くかのような艶美な声。こんな声を出せるのはこの世界にただ一人、ゆーちゃんしかいません。

 

恐る恐る顔を上げると、私の目に映ったのは物の怪ことゆーちゃんでした。その顔と(からだ)は何度見ても一つの芸術作品のような均整を保っていて、見る人を同性であったとしても惹きつける。…貴女はなんて畏しくて美しいのでしょうか。

 

「えぇ。そうですが。…いかがなされましたか。百合子さん」

「ふふ。そんな畏まらなくてもいいですよ。慣れていないのでしょう」

 

ゆーちゃんはすべてを見透かしたような目で、そう告げます。彼女は私が高校からの編入組だと知っていたのでしょうか。

 

この美濃女子学園は中等部と高等部があり、基本的に「お嬢様」は中等部から。「庶民」は高等部から入るのが一種の慣わしになっていました。

 

私ですか?

 

それはもちろん高等部からに決まってますよ。もっとも高等部から入る人は数える程しかいないのですが。

 

「ありがとう。それで百合子さんは私に何か用があるのかしら?」

「用というほどのことではないのですけど…。由香里さん。今夜私の部屋に来てくれないかしら」

 

──貴女と親睦を深めたいの──

 

そう言って、ゆーちゃんは薄く笑います。とても絵になる笑顔なのですが、やはりどこか不気味です。

 

言い忘れていましたが、この美濃女子学園は昨今では珍しく全寮制の高校で、私とゆーちゃんは同じA棟に入寮していました。「私の部屋」とはゆーちゃんの実家という意味ではなくて、ゆーちゃんの寮部屋ということ。たしか302号室であったはずです。

 

「貴女だけ私に苦手意識を持っているようだから。仲良くしたいのよ」

 

よよよ。ゆーちゃんはわざとらしい泣き真似をしてそう言います。この少しおちゃらけた性格が、ゆーちゃんのもつ親しみやすさの所以なのでしょうが、私にはそれすらも計算に思えてなりません。

 

「ねぇ…ダメかしら?」

 

ゾクッ。底冷えするような声でゆーちゃんはそう告げました。それはゆーちゃんのもつ暴君の一面。その片鱗の発露。

 

──喰われる──

 

そんな悪寒から、全身の筋肉が硬直します。私はある種の生存本能から、じっとゆーちゃんを警戒の眼差しで見つめますが、彼女は薄く笑っているだけ。先ほどの声が、目の前の一見柔和な女性から発せられたとは到底信じられませんでした。

 

「…302号室ですよね」

「まあ!来てくださるのね」

 

ゆーちゃんは喜色を含んだ声でそう言いました。

 

もう、ダメです。

 

私は蛇に睨まれた蛙のように、なにもする事ができませんでした。これが格の違いと云うものなのでしょうか。

 

ゆーちゃんは「八時に来てくださいね」と告げると手を控え目に振って去って行きます。

 

ゆーちゃんが遠くへ去ると、トントンと後ろの席の女の子、たしか榊原さんという名前の女の子が私の肩を叩きました。そしてゆーちゃんに聞こえぬように、耳元でこっそりと話し出します。

 

「よかったですね、由香里さん。これで貴女もやっと百合子さんの寵愛を受けられます」

「寵愛…ですか?」

「そうです。今夜、百合子さんは貴女のことをいっぱい愛してくださるでしょう」

 

一瞬、榊原さんが何を言っているのか理解に苦しみましたが、しばらくしてその言葉の意味を理解した私は、雷に打たれたかのような衝撃に見舞われました。

 

寵愛。夜。密室。

 

その文脈で「愛す」がどういう意味をもつのか分からないほど、私は純情ではありません。

 

驚いた私はバッと後ろを向いて榊原さんの表情を確認しますが、彼女はそれがさも当然と言いたげな顔をしています。むしろ、なぜそんなに狼狽えているのかとでも言いたげでした。

 

私とゆーちゃんの話を聞いていたであろう周りの生徒数人を見渡しても、みんな狼狽える私を見て、頭にクエスチョンマークを浮かべているようでした。それはまるで常識を知らない異邦人を見るかのような目。

 

「もしかして…」

「あぁ…。由香里さんは、このクラスで唯一高校から入ってきた生徒ですから、知らなかったのですね」

 

──貴女以外のクラスメイトはみんな百合子さんの愛人ですよ──

 

唖然として、榊原さんと遠くで談笑しているゆーちゃんを交互に見ました。

 

ゆーちゃんは私の視線に気が付くと、あの屍体を見るような慈愛の籠もった目で私を見つめ返してきます。そしてニコッと微笑むと、また数人のクラスメイトと談笑を再開しました。

 

嗚呼…。

 

やはりゆーちゃんは私を喰おうとしていたのだ。その黒髪を、桜の根のように私の肢体に絡め、養分を吸い取ろうとしている。

 

ゆーちゃんは私以外のクラスメイト全てと繋がっていて、彼女らの血を。肉を貪っていた。このクラスには既にゆーちゃんの根が張り巡らされていて、彼女らはゆーちゃんに養分を捧げる腐葉土。

 

狂っている。そう思いました。

狂っているはずだ。そう思いました。

狂っているにちがいない。そう思いました。

 

しかし、このクラスで「狂っていない」という狂っている状態にあるのは私だけ。熱に浮かされた聴衆は冷静な批評家を受け入れない。このクラスでは腐葉土になることが絶対的な正義。ある種のイデオロギーなのです。

 

独裁者ゆーちゃん。

Heilゆーちゃん。

 

ゆーちゃん。やはり貴女は何処までも狂っていた。

そして、クラスメイトのみんなも、その狂気に当てられて狂ってしまった。

 

百合の華の下には数え切れないほどの屍体が埋まっていた。

 

でも。だからこそ百合の華は美しいのかもしれない。

 

 




深夜テンションで書いてしまったァ!!
後悔は…ちょっとしてる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。