見つけられなかった私の戦車道 (ヒルドルブ)
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プロローグ

【西住まほ視点】

 

「大洗女子学園フラッグ車走行不能! よって黒森峰女学園の勝利!」

 

 勝った。

 

 私たちが、黒森峰が勝ったんだ。

 

 黒森峰の隊長として、去年の雪辱を晴らすことができた。

 

 西住流の後継者として、王者の戦いを見せることができた。

 

 一戦車乗りとして、高校最後の大会で優勝できた。

 

 これほど嬉しいことはない。

 

 ――はずなのに。

 

 本来なら喜ぶべきところのはずだ。嬉しいという感情しか湧いてこないはずだ。

 

 なのに何故だろう?

 

 何故こうも心躍らないのか。

 

 ……いや、本当はわかっているんだ。

 

 その原因は。

 

 目の前で虚ろな瞳で白旗を見つめ続ける妹の姿にあった。

 

 

          *

 

 

「みほ」

 

 試合が終わり、撤収しようとしている大洗の面々、その中から私は目当ての人物の姿を見つけ出して声をかける。

 しかしみほに近づく私の前に立ち塞がる複数の影があった。どれも見覚えがある顔だ。たしか以前戦車喫茶でみほと一緒にいた娘たちだ。

 彼女たちは私の前に、まるでみほを守るように立ち塞がった。

 随分と嫌われたものだ。まあ以前の戦車喫茶でのやり取りを考えれば仕方ないが。

 みほはそんな彼女たちを手で制すと私に向かって歩み出た。心配げに見つめる仲間たちに大丈夫というように微笑んでから私に顔を向ける。

 その笑みにも力がない。試合に負けたばかりなのだから仕方がないが、どうにもその表情に私は違和感を覚えた。

 

「優勝おめでとう、お姉ちゃん」

 

 祝福の言葉とともに差し伸べられた手を、私は一瞬躊躇いながらも握り返した。

 

「完敗だね。やっぱり黒森峰は強かったよ」

「いや、ここまで追い詰められるとは思わなかった。戦車道を始めて数カ月でこれほどのチームを作り上げるとは大したものだ。もっと経験を積めば来年には優勝も夢じゃないぞ」

 

 来年。その言葉を聞いてみほも、周りの隊員たちも目に見えて意気消沈していた。その様子に先ほどの違和感が更に大きくなる。

 負けて悔しがるというのなら理解はできる、というよりも当然の反応とは思う。だがどうにもみほたちの反応はそういったものとは違う気がしてならなかった。

 そもそもみほが試合に負けただけでこんなに落ち込んでいるのを見たことがなかった。いくら優勝まであと一歩だったからといってこんなに落ち込むものだろうか。どうにも腑に落ちなかった。

 

「来年だと?」

 

 そんな中で声を上げる者がいた。声のした方を向くと、モノクルを掛けた少女がこちらを睨みつけていた。

 

「ふざけるな! 来年なんてない! この大会で優勝できなければ我が校はなくなるんだぞ!!」

 

 学校がなくなる。突然の宣告に理解が追い付かなかった。

 

「あと一歩だった! あともう少しで勝てたのに! 優勝すれば、大洗は廃校にならずに済んだのに! 何で! なん、で……!」

 

 それ以上は言葉にならず、目の前の少女はそのままその場で泣き崩れた。

 

 大洗女子学園が廃校になると目の前の少女は言った。それは優勝できなかったからで、私がみほに勝ってしまったからで。

 

 つまり。

 

 私はみほがせっかく見つけた居場所を、仲間を、奪ってしまったのか?

 

 呆然とする私を置いて、ツインテールの小柄な少女に率いられて大洗の面々は撤収すべく歩き出していた。

 

「ねえお姉ちゃん」

 

 その中でただ一人、みほだけが立ち止まって振り返った。

 

「覚えてる? 私が小学生の時のこと」

 

 小学生の時、漠然とした物言いに私は首を傾げる。みほはそんな私の反応に構わず続けた。

 

「お姉ちゃん、私に言ってくれたよね。『自分だけの戦車道を見つけなさい』って」

 

 思い出した。たしかにみほが小学生の時にそんなことを言った。私がちょうどドイツから日本に戻ってきていた時のことだ。あのみほがお母様に逆らうとは思わなかったから大層驚いたものだ。

 そこまでみほを追いつめていたことが、それに気付いてあげられなかったことが情けなくて、泣いているみほを見ていられなくて。

 

 だから私は言ったんだ。

 

『みほは自分の道を進んだらいい。戦車が嫌いになったらやめてもいい。

 ……だが、もし戦車を続けるのであれば。

 自分だけの戦車道を見つけなさい』

 

 と。

 

「なかったよ」

「え?」

「“私の戦車道”なんてなかったんだよ」

 

 

          *

 

 

 表彰式も撤収作業も終わってようやくいち段落ついた現在。私は着替えもせずにベッドに横になっていた。

 頭の中はみほのことでいっぱいだった。思い出すのは別れ際のみほの言葉。

 

『“私の戦車道”なんてなかったんだよ』

 

 あの時のみほの言葉が頭から離れない。

 

 私はみほの戦車道を否定してしまったのか?

 黒森峰で散々周りから非難の目に晒されて、辛い思いを抱えて転校した先でようやく仲間とともに見つけた戦車道を。

 いや、戦車道だけの話ではない。

 大洗女子学園は廃校になると言っていた。そうなればみほはどうなる?

 黒森峰に戻ってくる? いや、それはありえない。今の黒森峰にみほの居場所はない。

 あんなことがあって黒森峰を去って、転校先の弱小校で戦車道を続けて、挙句黒森峰に敗北した。一体どの面を下げて戻ってきた? そう言われるのが目に見えている。

 では別の高校に転校するか? だがお母様はみほを勘当すると言っていた。お父様や菊代さんが取り成してくれる可能性はあるが、それをお母様が聞き入れてくれるとは思えない。

 百歩譲って勘当を取りやめてくれるとしても、転校した先でみほが大洗と同じように上手くやっていけるという保証はない。

 正直に言ってみほの未来は暗いと言わざるをえない。私でさえそうなのだからみほ本人は余計そうだろう。

 

 そこまで考えて私は無性に嫌な予感がしてみほに電話をかけた。

 しかし何度かけても繋がらない。嫌な予感は益々膨れ上がるばかりだった。もう一度かけようと思ったところに着信があった。

 みほかと思って液晶を見ると実家からの電話だった。予想外のことに訝しみながらも私は通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

『もしもし、まほお嬢様ですか!?』

「菊代さん? どうしたんですか、こんな時間に?」

 

 電話の相手は西住家の女中の菊代さんだった。多忙な母に代わって私たちの身の回りの世話をしてくれていた人だ。

 厳しい母とは対照的に優しい人でみほは特に懐いていた。私も菊代さんには物心つく前から世話になっているが、こんな切羽詰まった声は聞いたことがなかった。

 

『みほお嬢様が……!』

「みほ? みほがどうかしたんですか!?」

 

 みほの名前が出て、先ほどの嫌な予感もあって私は語気を強めた。

 落ち着いて聞いてくださいと前置きした上で菊代さんは言った。

 

『先ほど病院から連絡があって、みほお嬢様が……お亡くなりになった、と』

 

 ……みほが死んだ?

 

 何を言っている? だってみほはついさっきまで生きていたじゃないか。私と試合で戦って、直接会って話もした、別に怪我も何もしていなかった。そんなみほが何故?

 

 そんな私の疑問に菊代さんは短く、自殺だと答えた。

 

 自殺? 何故? まさか試合に負けたから? 大洗が廃校になるから? それに責任を感じて?

 

 予想外のことで頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。結局私は言われるままに菊代さんから教えられた病院へと向かった。

 

 病院にはすでに両親が到着しており、私が来るのを待っていた。母も父も普段と変わらず無表情だった。だがどことなく沈んだ面持ちに見える。

 私は病院の職員に案内されるままに両親とともに霊安室へ移動した。

 

 横たわる遺体を目の前にしても私は未だにみほの死を受け入れられなかった。顔にかかっていた白い布を取って顔を確認して。それでも信じられなかった。信じたくなかった。

 だって目の前のみほの顔はとても死んでいるとは思えないくらいに綺麗で、ただ眠っているだけだと言われても納得してしまうほどだった。

 

 でも。

 

 触れた頬は信じられないくらいに冷たくて。

 

 みほがもう生きていないと否応なく思い知らされて。

 

 そこで私はようやくみほが死んだことを理解した。理解せざるを得なかった。

 

 理解した途端体から力が抜けて私はその場に膝から崩れ落ちた。そのまま縋るように手を伸ばすが、そうして触れたみほの体はやはり冷たくて、それが余計に私の悲しみを煽った。

 

 私はそのままみほの遺体に縋りついて声を上げて泣いた。

 

 

          *

 

 

 今日はもう遅いから学園艦に戻るのは明日にして一緒に実家に戻ろう。そう言われて私は黙ってヘリに乗り込み、両親とともに帰路に就いた。

 家に着くまでの間、誰も口を開かなかった。母も父も私も全員寡黙な性質ではあるが、普段に輪をかけて静かだった。

 実家に着くと出迎えてくれた菊代さんとの挨拶もそこそこに、今日はもう疲れたから休むと言って、言葉少なに両親と別れ自室に向かった。

 

 その途中、ある扉の前で私は足を止めた。

 みほの部屋だ。私は何かに導かれるようにドアを開けて中に足を踏み入れた。

 みほの部屋は毎日綺麗に掃除され、みほが出て行った時と同じ状態が保たれていた。みほがいつ戻ってきてもいいように、と。

 

 ……結局みほがこの部屋に戻ってくることはなかったが。

 

 部屋を見回していると、一際存在感が大きい包帯が巻かれた痛々しい姿のクマのぬいぐるみが目に留まる。

 みほが好きだったぬいぐるみ、たしかボコと言ったか。私は何とはなしにベッドに横たわると、そのぬいぐるみを抱き締める。

 

 みほも毎晩こうしてぬいぐるみを抱いて寝ていたんだろうか? そう考えると途端に喪失感が襲ってきた。

 私はぬいぐるみに顔を埋めると、そのまま一晩中泣き続けた。

 

 夜が明けた頃には涙など枯れ果てていた。その後私は一滴も涙を流すことはなかった。通夜の時も、葬儀の時も、火葬場でも、表情も感情も一切動かさなかった。

 

 みほの葬式が終わった後実家に戻った私は真っ先に母の部屋へと向かった。聞きたいことが山ほどあったから。

 

 母の部屋に入ると母は黙々と仕事に打ち込んでいた。

 その様子が無性に癇に障った。何故みほが死んだのにそんなに平然としていられるのか、と。

 

 みほの葬式の時、父も、菊代さんも泣いていた。みほの死を心から悲しんでいた。だが母はみほが死んで以来一度もそんな感情を表に出さなかった。まるでみほの死などどうでもいいと思っているかのように。

 あまつさえ葬式にすら出なかった。たしかに母はみほを勘当すると言っていた。西住流の師範として、次期家元として立場というものがあるのはわかる。

 だがそれでも。実の娘の葬式に出ないなんて話があるだろうか。みほの死よりも西住流としての立場の方が大事なのか。

 そんな蟠りをとくべく私は母に向かって口を開こうとした。

 

「奥様、よろしいでしょうか」

「入りなさい」

 

 そんな時だ、菊代さんが部屋に入ってきたのは。何ともタイミングが悪いと思いつつ黙って話を聞いていると、どうも来客があったとのことだった。母と私に話があると。

 こんな時間に、それもアポイントメントもなく訪ねてくるなど非常識にも程がある。

 母もそう思ったのだろう、会う気はない、そのままお帰り願うように、と菊代さんに伝えたが、来客の名前を聞くと表情を変え、部屋に通すように告げた。

 

 来客の名前は角谷杏。大洗の生徒会長だった。

 つい数日前に試合で会ったばかりだが、彼女の様子はその時とは変わり果てていた。

 身なりこそ整えているものの、生気のない瞳と表情はどうしようもなかった。本当に同一人物かと疑いたくなるほどだ。

 

 そんな彼女は私とお母様の前に現れるなり土下座した。そしてすべてを洗いざらい白状した。

 

 大洗女子学園が廃校になること。

 

 大洗が戦車道を復活させて全国大会に出場したのは、廃校を阻止するためだったこと。

 

 廃校を撤回するためには全国大会で優勝する必要があり、そのためにみほに無理矢理戦車道を履修させたこと。

 

 そしてみほが自殺したのはひとえに自分の責任である、どのような罰も受ける、と締めくくった。

 

 母はどう返すのか、と隣を窺う。しかし母は特に表情を変えることもなく淡々と言った。

 

「すべてはあの娘が自分で選んだことです。貴方に非はありません」

 

 実の娘が死んだというのに、母親としてあまりに素っ気ない言葉だった。私としては母の発言に思うところはあったが、角谷さんに非がないという点は同感だった。

 

「みほを殺したのは私だ。貴方は何も悪くない」

 

 そうだ、すべては私のせいだ。私がみほの戦車道を否定してしまったからだ。みほの居場所を奪ってしまったからだ。だから罰を受けるとしたらそれは私であるべきだ。

 

 角谷さんは母と私の言葉に衝撃を受けたように目を見開いていたが、やがて悲痛に顔を歪めて何か言おうと口を開きかけた。でも結局は言葉にならずそのまま俯いてしまった。

 

 角谷さんが帰った後、私もそのまま一礼して退出しようとした。色々と問い質したいことはあったがもうそんな雰囲気でもない。また機会を改めることにしよう。そう思って。

 

「まほ」

 

 そんな私を母は呼び止めた。

 

「貴方は西住流として正しいことをしました。みほのことを気に病む必要はありません。みほが死んだのは誰のせいでもない……仕方のないことだったのです」

 

 ……今この女は何と言った?

 

 みほを殺したのが正しいことだと? 気に病む必要はないと?

 

 みほの、実の娘の死を“仕方のないこと”だと、そう言ったのかこの女は!?

 

「ふざけるな!!」

 

 気付けば私は目の前の女の胸倉を掴み上げていた。

 

「それでも母親か! 実の娘が死んだのに何も感じないのか! 西住流を守ることは娘の命よりも大事なのか!!」

 

 今まで積もり積もった怒りがついに堪えきれずに爆発した。

 

 みほが死んだというのに涙も見せず、葬式にすら出ず、挙句の果てに“仕方のないこと”だと!? この女には人の心がないのか!?

 

 だが目の前の女は何も言わず、表情すら変えず、冷徹な目で私を見下ろしてくるだけだった。

 

 それが余計に私の神経を逆撫でする。私は怒りに任せて目の前の女の頬を殴りつけた。

 一発では足りない。左の頬を殴ったら右の頬を。次はまた左を。その次はまた右を。

 何度も何度も何度も――

 

 騒ぎを聞きつけた菊代さんが止めに入るまで私は一心不乱に目の前の女を殴り続けていた。

 

 

          *

 

 

 私はあの女のことを勘違いしていたようだ。

 

 母は昔から厳しい人だった。しかられたことはあっても褒められたことはほとんどない。

 西住流の後継者として実の娘だからといって、いやむしろ実の娘だからこそ甘やかすわけにはいかない。そういう考えがあってのことだと思っていた。

 厳しくはあってもそれは私たちのことを想ってのことだと、本心では母親として私たちのことを愛してくれていると、そう信じていた。

 

 だがそんなものは幻想に過ぎなかった。

 

 あの女は私やみほのことなど西住流を維持するための道具としか思っていなかった。西住流という王道から外れ邪道に堕ちたみほなど不要な存在。だから死んでも悲しむ素振りすら見せなかった。そういうことなんだろう。

 

 撃てば必中、守りは固く、進む姿は乱れ無し。鉄の掟。鋼の心。

 

 それが西住流だ。私が目指すべきものだ。そう思っていた。

 

 だが今はもう西住流のことなど信じられなくなってしまった。

 

 私はこの先どうすればいい?

 

 私の戦車道は、私の進むべき道はどこにあるんだ?

 

 もう何もかもわからなくなってしまった。

 




しほさんの内心については次の次あたりに書きたいと思います。

まあ立場があると色々と大変なんですよ、うん。


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西住まほの死

続きです。
プロローグから時間が飛んでます。
まほが大学2年生で20歳、エリカが大学1年生で18歳です。

未成年飲酒、パワハラ、アルハラはダメ、絶対!


【逸見エリカ視点】

 

 しんと静まり返った部屋に時計の音と書類をめくる音だけが響き渡る。

 もう夜も更けて大学の敷地内に残っている人間などほとんどいない。少なくともこの部室棟で明かりが点いているのはこの部屋、戦車道部の部室だけだ。

 

「先輩。もうそろそろ終わりにして帰りませんか?」

 

 私は作業の手を止めて、同じく机に向かうまほ先輩に声をかけた。

 

「いや、私はもう少し残る。エリカは先に帰っていいぞ」

 

 ちらりと壁掛けの時計に目を向ける。時刻は既に10時を回っている。これから更に居残りを続けたとして部屋に戻るのは恐らく日付が変わってからになるだろう。明日も朝練があるのにこれでは碌に休めるはずがない。

 先輩は黒森峰にいた頃も夜遅くまで学校に残って仕事はしていた。しかしそれは隊長としての業務があったからだ。今は隊長でもなんでもない、平の隊員なのだからここまで遅くまで残る理由はないはずなのに。

 訓練メニューの見直しや戦術研究、模擬戦の反省、対戦相手の研究に作戦立案などなど。先輩が毎日続けていて私もご一緒しているが、本来なら先輩がやるべき仕事など一つもない。

 実際隊長たち上級生がどれもこれも一通り終わらせていることばかりだ。別に隊長たちが嫌がらせでやらせているわけではなく、これはあくまで先輩が自主的にやっているにすぎない。

 真剣に戦車道に打ち込んでいる、と言えば聞こえはいい。でも目の前の先輩は何かに追い立てられているかのように見えた。何故ここまでする必要があるのか。

 先輩がこうなってしまったのはいつからだろうか。ドイツ留学から戻ってきてからか。いやあるいは。

 

 あの娘が死んでからか。

 

 どうしたものかと私は思案する。口でいくら言っても先輩が止めるとは思えない。

 ならばと私は部屋を出てコンビニへと向かった。

 目当ての物を買った私はそのままもう一度先輩がいる部屋へと戻った。

 

「エリカ? どうした、忘れ物か?」

 

 さっき出て行ったばかりの私がすぐに戻ってきたことを訝しむようにこちらを見遣る先輩に私は袋を掲げてみせる。

 

「先輩、その、少し休憩しませんか?」

 

 コンビニ袋から先ほど買ってきた缶ビールを取り出しながら私は提案した。

 

「……酒だと?」

 

 しかしそんな私の提案は先輩のお気に召さなかったようだ。

 

「エリカ、ふざけているのか?」

 

 鋭い眼光に射竦められて足が竦む。それでも私は何とか踏みとどまって声を絞り出した。

 

「で、でもたまには息抜きも必要だと思うんです! 先輩はずっと根を詰めていて、このままだと倒れてしまうんじゃないかって心配で……」

 

 先輩はなおもこちらを睨んでいたが、やがて諦めたのか溜息をつきつつ目を逸らした。

 

「第一、お前は未成年だろう」

「私はその、ノンアルコールビールでお付き合いします」

 

 高校の時から飲んでいるので飲み慣れていますし、と付け加えてビール缶をテーブルの上に並べる。私はその中からノンアルコールの物を選んで率先して飲み始めた。

 それを見て先輩もしぶしぶ目の前に置かれた缶を手に取ってプルタブを開けた。

 最初こそ如何にも気が進まないという風情だったけど、一口二口と飲むうちに高校時代に飲んだノンアルコールビールの味を思い出したのか、次第に飲むピッチが速くなってきた。

 その様子に私はほっと息を吐く。多少強引ではあったけど何とか上手く行った。これで少しは気休めになってくれればいい。そう思って私も缶を傾ける。

 

 

          *

 

 

「せ、先輩。流石に飲みすぎじゃ……」

 

 気付けば机の上には飲み終わって空になったビール缶がダース単位で転がっていた。

 

「何を言っている、飲めと言ったのはお前だろうが」

「いや、たしかにそうですけど……」

 

 だからってこんなハイペースでしかも大量に飲むとは思わなかったですよ!?

 

「何、安心しろ。ビールなら高校時代に飲み慣れている。この程度ならしょっちゅう飲んでいただろう?」

 

 どう考えてもこんなに飲んだことはない。そもそも先輩は隊の中でも飲む量は少なかった。せいぜいが缶で一本か二本程度だったはずだ。

 というか高校時代に飲んでたのはノンアルコールですから! これアルコール入りですから!

 しまいには私にまで飲めと言い出す始末。「お前は未成年だろう」と言ってたのはどの口ですかね!? 何が「私の酒が飲めんのか!?」ですか! 酔っ払いですか貴方は!? そうですね酔っ払いでしたね!

 

「その、先輩、今までお酒を飲んだことなかったんですか?」

 

 このままじゃ本当に飲まされかねない。未成年飲酒で停学だの大会出場停止だのは絶対にごめんだ。何とか話題を逸らさねば。

 

「ああ、アルコール入りのビールはこれが初めてだが、美味いものだな」

「意外です。その、ご実家でご家族の方に勧められたりはしなかったんですか?」

 

 あの堅物の家元が成人しているとはいえ娘に酒を勧めるというのはあまり想像はできないが、成人のお祝いにお酒を飲むのはどこの家庭でも普通にありそうなものなのに。

 

 それは単に話を逸らそうとして何とはなしに言っただけのことだったが、先輩は家元の名前が出た途端に先程までの大荒れっぷりが嘘のように静かになった。

 

「もうずっと実家には帰っていない。高校を卒業してからは一度もな」

「え? 何故ですか?」

「何故だと?」

 

 私はただ単純に疑問に思っただけだったのだが、それに対する先輩の声は低い。

 

「あんな女がいる家に行きたいなんて誰が思う? みほが、実の娘が死んだというのに葬式にすら出ない女の顔を、誰が好き好んで見たいと思う? あんな薄情な、娘を娘とも思わないような女と何故同じ空間にいたいと思うんだ?」

 

 静かな声音だったが、その端々から怒気が滲み出ていた。

 みほの自殺以来先輩と家元の仲は冷え切っているという噂は聞いていた。

 とはいえ所詮噂に過ぎないと思っていたし、仮に事実だとしてもそこまで深刻なものではないだろうと高を括っていた。

 でも目の前の先輩の様子はそれを否定していた。噂はすべて真実だと何よりも雄弁に語っていた。

 私はようやく自分が地雷を踏んだことに気付いたが、既に何もかも遅すぎる。

 

「いいかエリカ、あの女はな!」

 

 一息に中身を飲み干した缶をテーブルに叩きつけて、先輩は叫んだ。

 

「実の娘の死を“仕方のないこと”で済ませたんだ! 何が西住流として正しいことをしただ! その正しさの結果みほは死んだ! 死んだんだぞ! なのにあの女は何故あんな涼しい顔をしていられる!?」

 

 そこまで言って先輩は怒りに染まっていた顔を皮肉げに歪める。

 

「いや、そう言えばあの女はみほを勘当したんだったな。ならみほは既に娘でもなんでもない、赤の他人。他人の死に一々心動かされる必要もないということか」

 

 先輩の言葉に私は耳を疑った。その口調は嘲る様な毒の籠ったもので、今まで聞いたことがないものだったから。

 

「もっとも私もあの女のことをどうこう言えはしないがな。みほが自殺した原因は私にあるんだから」

「そんな! 先輩は悪くなんて――」

「いいや、事実だ。みほが死んだのは、私のせいなんだ」

 

 聞き捨てならない台詞に即座に否定しようとするがそれは先輩に遮られてしまった。

 

「なあ、エリカ。覚えているか、2年前の決勝戦のことを。あの時みほが言った言葉を覚えているか?」

 

『“私の戦車道”なんてなかったんだよ』

 

 覚えている。忘れられるわけがない。

 あの娘の疲れ切った顔が、力ない笑みが、消え入りそうな声が、余すところなく脳裏に焼き付いている。

 

「私は昔みほに言ったんだ。もし戦車道を続けるならば自分だけの戦車道を見つけなさい、とな。みほは自分の好きな道を行けばいいと、戦車が嫌になったら止めればいいと。私が西住流を継ぐ限りみほは自由だ、そう思っていた。そんなはずはないのにな」

 

 自嘲するように笑うと先輩はまた新しい缶に口をつける。

 

「西住の家に生まれた以上戦車から逃げることは許されない。西住流以外の戦車道を選ぶ余地などない。そんな当たり前のことすら私はわかっていなかった。結局私は子供だった。何もわかっていないただの子供だったんだ。

 だがみほはそんな私との約束をちゃんと守ってくれたんだ。黒森峰から、西住流から離れた先で、見事に自分の戦車道を見つけてみせたんだ。なのにそれを私が否定してしまった」

 

 悔いるように言って先輩は持っていた缶の中身を一息に飲み干した。

 

「違うんだよ、みほ。お前の戦車道はあった、ちゃんとあったんだ。私が! 私がそれを奪ってしまったんだ!」

 

 頭を掻きむしりながら後悔するように、懺悔するように先輩は言った。

 

「お言葉ですが家元の仰ることは間違っていないと思います」

 

 そんな先輩の姿が見るに堪えなくて、気付けば私はそんなことを口走っていた

 こんなことを言えば火に油を注ぐことになるかもしれない。それでも言わずにはいられなかった。

 

「西住流は何があっても前へ進む、強きこと、勝つことを尊ぶ流派のはずです。先輩はその教えに従っただけじゃないですか」

 

 何故先輩がこんなにも苦しまなければならない。先輩は何も悪くない、正しいことをした、だから先輩には責められる謂れなんてないはずだ。

 

「ほう」

 

 私の言葉にピタリと動きを止めたかと思うと、先輩はゆっくりと顔を上げる。前髪の間から覗く瞳がまるで幽鬼のような不気味さで、私は一瞬怯んでしまった。

 

「エリカ、本当にそう思うか。私は悪くないと。私は正しいことをしたとそう思うか」

「も、もちろんです!」

「そうかそうか」

 

 いっそ清々しいくらいに明るい声音だった。表情とのあまりのギャップに私は戸惑いを隠せなかった。

 

「だがその結果みほは死んだ」

 

 先輩の言葉が私の心に重くのしかかる。

 

「大洗女子学園は廃校になった」

 

 わかってはいてもいざ口に出して言われると、その重みに押し潰されそうになる。

 

「当時の大洗女子学園の人口を知っているか? 3万人だそうだ。つまりそれだけの人間が住む場所を追われたということだな」

 

 私ですらそうなら、当事者である先輩の罪悪感は如何ほどの物か。

 

「さて、エリカ」

 

 すっと目を細めて、私の目を真っ直ぐに見つめてきた。私は目を逸らすことができなくて、その視線を真っ向から受け止めるしかなかった。

 

「お前は言ったな? 私は正しかったと。西住流として正しい行いをしたと。あの女も同じことを言っていた。西住流にはそれほどの価値があるらしい。実の妹を殺して、3万人もの人生を狂わせて、そうまでして守るほどの価値が。生憎私にはいくら考えても理解できなかったがな。よければ教えてくれないか。西住流の正しさ、その価値というものを」

 

 私は何も言えなかった。

 先輩は悪くない、その気持ちに嘘はない。

 でもあの試合に黒森峰が勝った結果、みほを含めた大勢の人間が不幸になったのは事実だ。それを仕方のないことだなんて私には言えなかった。

 

「ならどうすればよかったって言うんですか? まさか負ければ良かったとでも言うんですか?」

 

 結局私は先輩の問いに答えを返すことができなかった。挙句、質問に質問を返すことで誤魔化してしまった。

 

「ああ、そうだ」

 

 即答だった。あまりに躊躇のない言葉に脳の認識が追い付かない。

 

 だってそうでしょう。

 

 あの先輩が、西住まほが、西住流の次期家元が。

 

「負ければ良かった」なんて誰が言うと思うのよ。

 

「あの試合、私は勝つべきじゃなかったんだ。……ああ、わかっている。わざと負けたところでより悪い結果にしかならなかっただろうことくらいは。それで八百長を疑われればどのみち大洗は廃校になっただろうし、黒森峰も巻き添えになっただろう。私もみほともども実家から勘当を言い渡されていただろうな。誰も幸福にならない、最低の結末だ」

 

 だがな、と言葉を継ぎながら先輩は持っていた空き缶を握りつぶした。

 

「あの時の私は本気だった。本気で勝とうとしていたんだ。にもかかわらずあと一歩で負けるというところまで追い詰められたんだ。そのまま負けていればいいものを、あろうことか勝ってしまった……」

「で、でも! それが西住流です! 常に前を向き勝利を目指すそれが西住流の――」

「そんなもの糞食らえだ!!」

 

 私の言葉を遮って、テーブルの上の空き缶を手で薙ぎ倒しながら先輩は叫んだ。びくりと身を竦ませて口を閉じる私を、先輩は息を荒らげながら睨みつけてきた。

 

「西住流、西住流。お前といい、あの女といい、どいつもこいつもそればかりだな。私の戦車道を見ると誰もが口を揃えて言うんだ。流石は西住流だと。西住流の名に恥じぬ戦いぶりだと。私こそ西住流の後継者に相応しいと。見る目のない阿呆ばかりだ。誰よりも西住流を憎んでいる私が、誰よりも西住流に相応しいなどと。皮肉にしても出来が悪いにも程がある」

「で、でも先輩は、先輩の戦車道は西住流そのものです。昔から変わらず、今でもずっと……」

 

 何とか言葉を絞り出す私に対して、しかし先輩はふんと鼻を鳴らす。

 

「私が西住流の戦い方を、妹を殺した戦車道を何故未だに続けているのかと言われれば。何と言うことはない、単にそれ以外の戦車道を知らないからだ。幼い頃から西住流の戦車道しかしてこなかったからだ。皮肉なことにそれが一番勝てるしな」

 

 先輩の発言に私は信じていたものがガラガラと音を立てて崩れていくのを感じる。

 聞きたくなかった。先輩の口からそんな言葉を聞かされたくなかった。私がずっと憧れていた存在を汚されたくなかった。

 あまりにショックで私は呆然としてしまう。

 そんな私に構わず先輩は更に続けた。

 

「だが見ている奴は見ているものだ。少なくとも私の同期の連中はこぞって私を、私の戦い方を非難した。特に安斎の奴はな」

 

 安斎、安斎千代美。アンツィオ高校の隊長だった人だ。先輩とは中学時代から面識があるらしい。高校時代は対戦することもなかったけど、大学に入ってからは何度も対戦し先輩と鎬を削っている。

 あの先輩が「指揮官としては私より上」というのだからその能力は推して知るべしだ。悔しいけれどその点は私も認めざるを得ない。

 もっとも「一戦車乗りとしてなら私の方が上」と付け加えてもいたけど。

 

「安斎は言っていたよ。私の今の戦車道は見るに堪えない。私のやっていることはただの八つ当たりだとな」

「なっ! そんなことは――」

「見る目のあるやつだとは思わないか?」

 

 私の反論は続く先輩の言葉に掻き消されてしまった。

 

「そうだ、私のやっていることはただの八つ当たりだ。エリカ、私はな、戦車道が憎い。西住流の戦車道が。みほを死に追いやった戦車道が。何よりも最愛の妹を殺した私自身がな。今の私の戦車道はその怒りをただ相手にぶつけているに過ぎないんだ」

 

 反論したかった、否定したかった、でもできなかった。

 

 先輩の戦車道は。

 

 私が憧れた人は。

 

 既に見る影もなく壊れ切ってしまっていたんだ……。

 

「私にとって戦車道はすべてだった。西住流の戦車道こそが私の目標であり生きる意味だった。その教えに従って努力して、戦って、ただただ勝利を追い求めて……そしてその結果がこれだ。私が本当に欲しかったもの、一番大切なものが何なのか。気付いたのはすべて無くした後だった。失って初めて気づくとはよく言ったものだな」

 

 一息つくように先輩は缶を傾ける。でも既に中身は空だったようで、顔を顰めながら空き缶をテーブルの上に置いた。

 

「ああ、そうだ。私にとって一番大切なのはみほだった。何よりも優先すべきで、何物にも代えられない、絶対に守り通さなければならないはずの存在だったんだ。

 だがそんな存在に対して私は何をした? 自分の信じた行動を否定されて一度は戦車道を捨てた。それでも転校した先で仲間を、自分の居場所を見つけて、苦しみながらも前を向いてようやく自分の戦車道を見つけた妹に対して私は何をしたんだ?

 しかも自分の戦車道を見つけろなどと偉そうなことを言った本人はどうだ? 西住流こそが自分の戦車道だと思っていた。だがそれは自分で否定した。ならば私の戦車道とは何だ? 答えは未だに見つけられない。

 あるいはみほもこんな気持ちだったのかもしれないな。己の人生を懸けたすべてが無意味だと言われたんだ。自分の人生は何だったのかと途方に暮れたくもなる」

 

 言いながら先輩はまた新しい缶を開け、もう何本目になるかわからないそれを一気に呷る。勢い余って口の端から零れたビールが首を伝って服を汚すが、先輩は気づいていないのか、気づいた上で気にしていないのか、そのまま喉を鳴らして缶の中身を流し込んでいた。

 もう私の口からは飲み過ぎを咎める言葉は出てこなかった。

 

「ならどうして戦車道を続けているんですか?」

 

 代わりに口を衝いて出たのはそんな言葉だった。言ってから思わず口許を手で押さえるがもう遅い。

 

 でも知りたかった。

 

 最愛の妹を失って。

 

 自分の信じていた戦車道を見失って。

 

 何故貴方はそれでも戦車道を続けようと思えるんですか?

 

「私が戦車道を続けている理由、か」

 

 幸い先輩は怒ることはなかった。ふむと顎に手を当ててしばし考え込んでいる。私は先輩が口を開くのを黙って待つ。

 実際には数秒程度だろうけれど、私にとっては何分、何時間にも感じられるほどの長い静寂を破って先輩は答えを口にした。

 

「正直に言えば止めたいと思ったことは何度もある」

 

 あまりにあっさりと言われて面喰ってしまった。てっきり止めようなどとは考えたこともないと思っていたから。

 

「成程、たしかに私は戦車道を止めた方がいいのかもしれない、止めるべきなのかもしれない。だがそもそもにおいて止めるならもっと早く止めるべきだったんだ。みほが死ぬより前に、いやみほが黒森峰を離れた時には私も西住流に見切りを付けて戦車道自体止めてしまえばよかったんだ。そうすればみほは死なずに済んだのにな。

 もっとも今更言ったところで後の祭りだ。みほはもう帰ってこない。二度と……帰ってはこないんだ」

 

 絞り出すような言葉とともに先輩は手に持っていたビール缶を握り潰した。残っていた中身が溢れ出し手を、机を濡らすが先輩はそんなことは気にも留めなかった。

 

「今更だ。本当に今更だ。止めるべき機会なんてとっくに過ぎてしまっている。もしここで戦車道を止めてしまったら、それこそ何のためにみほは死んだのか分からなくなるじゃないか。だから私は止めるわけにはいかないんだ」

「……止められないから続けているだけ、ってことですか?」

 

 失望を隠そうともしない冷たい響きに口に出した私自身が驚いた。どうもさっきから感情の抑制が利かない。酔っているのだろうか。気付かないうちにアルコール入りの方を飲んでいた? そんなことはないはずだけど。

 

「言ってしまえばそういうことだ。だがまあ、敢えて理由というものを挙げるとすれば、だ」

 

 先輩は特に気にした様子もなく、新しい缶を開けて口をつける。そうして唇を湿らせてから続きを口にした。

 

「あの女は言った、私の行いは西住流として正しかったと。

 昔の私は言った、私は西住流そのものだと。

 その正しさとやらにはみほを、大勢の人間の人生を狂わせてでも全うする価値があるのか。

 西住流を究めて、その行き着く先には何があるのか、みほの屍を乗り越えてでも手に入れるに値するものがあるのか。

 その答えを見たい。

 ……そんなところか」

 

 先輩は自分が言ったことを確かめるように何度も頷きつつ更に缶を傾ける。

 

「私は戦い続ける、勝ち続ける。証明してやろうじゃないか。西住流の正しさとやらを。そしてその先にあるものを必ず手にしてみせる。

 きっとあるはずなんだ。勝って勝って勝ち続けたその先には。みほの死は無駄ではなかったと、そう思えるほどに素晴らしいものが待っているに違いないんだ。

 ……そうでなければあまりにも救われないじゃないか」

 

 

          *

 

 

 静まり返った室内に時計の針が時を刻む音だけが響き渡る。時刻は既に午前4時に差し掛かっている。

 結局あの後も先輩は飲み続けた。飲み続けて、毒を吐き続けて、挙句酔い潰れ、そのまま机に突っ伏して眠ってしまった。

 いくら起こしても起きる気配がないため、しばらくはそのまま寝かせてあげることにした。風邪をひかないようにと肩から毛布を掛ける。

 

 先ほどまでの先輩との会話を思い出す。「負ければよかった」だの「勝つべきじゃなかった」だの、黒森峰の隊長としても西住流としてもあるまじき発言だった。

 

 でも心のどこかで納得している自分もいた。

 

 2年前の決勝戦、みほが乗るⅣ号戦車と一対一の状況に追い込まれた時、先輩は迷うことなく一騎討ちを選んだ。

 西住流に逃げるという道はない。だからみほの挑戦を受けて立つのは当然だ。そう言われればまったくその通りだ。

 でも最後の決着の場面についてはどうだろうか? 結果的に勝ちはした。でもあと少しで私や小梅の車輌が駆けつけるところだったのに先輩はみほとの一対一にこだわるかのように決着を急いだ。

 そんな博打を打つ必要があっただろうか。私たちの到着を待てば確実に勝てたのに。

 もしかして先輩はあの時負けようとしていたんじゃないか。そんな疑念はずっとあった。

 結局それは事実だった。でも先輩は負けることなく、黒森峰を勝利に導いた。そしてみほは死に、大洗女子学園は廃校になった。

 

 そして。

 

 先輩は壊れてしまった。

 

 西住みほが死んだ時、西住まほもまた死んだのだ。

 

 誰が最初に言った言葉かは覚えていない。たしか先輩の同期の人の誰かだったと記憶している。

 アンチョビさんか、ダージリンさんか、カチューシャさんか、ケイさんか。

 ただいずれにせよ、その全員が同じことを口にしていたことはたしかだ。

 私はずっとそれを否定していたけど、もう認めざるをえなかった。

 

 私が憧れたあの人はもういないということを。

 

 ……でも、それでも。

 

 私はこの人とともに歩みたい。この人を支えたい。

 

 そんな気持ちはまだ消えずに残っていた。

 

 何故かは自分でもよくわからない。私が先輩に憧れていたのは先輩が西住流そのものだったからだ。そのはずだった。なら西住流を否定してしまった先輩に固執する理由はないはずなのに。

 あるいは私のこの気持ちは同情にすぎないのかもしれない。もしくは共感だろうか。みほを死なせたことに対して罪悪感を抱いているのは何も先輩だけじゃない。私だって、いえ、本当は私こそが――

 

「みほ……」

 

 不意に聞こえた呟きに驚いて先輩に目を向ける。起きたのかと思ったが先輩は未だ机に突っ伏したままだった。どうやら寝言らしい。

 見ると先輩は一体どんな夢を見ているのか、悲痛に顔を歪めて涙を流していた。

 

『もし天国や地獄があるというなら私は間違いなく地獄に落ちるだろう。それでも構わない、いやそうでなければならない。みほを殺した外道には相応の裁きが必要だ。むしろ地獄ですら生温いくらいだ』

 

 酔いつぶれる直前に先輩が言っていた言葉を思い出す。

 

 先輩はきっとこの先も戦い続けるのだろう、勝ち続けるのだろう。西住流を究めた先にある“素晴らしいもの”とやらを手に入れるまで。

 

 きっとそんなものはありはしないとわかっていながら。

 

 私はそっと先輩の手を取る。

 

「貴方が地獄に落ちるというなら私も最期までお供します」

 

 私は先輩の手を握り締めながら誓いの言葉を紡いだ。

 罪があるのは私も同じだ。ならば私にも同じように罰を受ける義務がある。

 だから。

 私はこれからも先輩の傍に居続けるべきだ。

 果たしてそれが私の本心なのかはわからない。

 でもひとまず私は自分の気持ちをそう結論付けることにした。

 

 そうして決意も新たに部屋の中を見渡すと。

 

 あちこちに空き缶が散乱する惨状が視界に広がっていた。

 

 今日は土曜日で大学の講義はないが、戦車道の朝練はある。朝練自体は6時からだが、早い人なら30分前には来る。

 それまでにこの部屋を元の状態に戻さなければいけないわけだ。

 

 ……我ながら何とも締まらない。

 

 私は嘆息しながら腕まくりをして、空き缶を一つ一つゴミ袋に入れ始めた。

 

 これから先、先輩や私がどうなるかなんてわからない。

 でもとりあえず一つだけ言えることはある。

 それは。

 二度と先輩には酒を飲ませちゃダメだということだ。

 

 そんな私の決意とは裏腹にこの日以降私は頻繁に先輩に飲みに連れて行かれることになる。

 過労で倒れる心配がなくなった代わりに二日酔いで寝込む羽目になるなんて、まったく笑い話にもなりゃしない。

 




次はしほさんのお話。
エリカの”罪”については追々書いていきます。


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西住しほの過ち

今回はしほさんのお話です。
このあたりからキャラ崩壊が加速していきます。
ご注意ください。


【西住しほ視点】

 

 撃てば必中、守りは固く、進む姿は乱れ無し。鉄の掟。鋼の心。それが西住流。

 私は幼い頃からそう教育されてきた。そして自分が将来その西住流を継ぐのだと。

 若い頃はそのあり方に反発したこともあった。しかし成長するにつれてそんな気持ちも徐々に薄れていき、最終的には西住流を継ぐことを受け入れた。

 

 だから娘も同じだと思っていた。

 今は西住流の在り方に反感を覚えたとしても、いつかは受け入れてくれる。そう思っていた。

 

 事実長女のまほはそうだった。西住流の名に恥じない戦車乗りに育ってくれた。

 

 けれど次女のみほは違った。

 

 表面上は西住流の戦車道を受け入れているように見えた。でもそれは取り繕っていただけで、内心では西住流のあり方に疑問を抱いていたのだ。

 

 そんな齟齬は最悪の場面で最悪の結果をもたらした。

 

 第62回戦車道全国高校生大会決勝。黒森峰は前人未到の10連覇にあと一歩のところまで来ていた。

 車輌の整備も乗員の練度も問題なし、万全の布陣で臨んだはずだった。ましてやあの時はまほとみほが、西住流宗家の長女と次女がそれぞれ隊長、副隊長を務めていた。負けるはずがないし、負けるわけにはいかなかった。

 

 そんな大切な試合でみほは西住流にあるまじき行いをしてしまった。

 

 事前の予想に反して黒森峰は苦戦を強いられていた。プラウダの隊長はまほの、西住流の戦術をよく研究していたようだ。試合は一進一退を繰り返していた。

 そんな中みほが乗るフラッグ車と護衛の車輌の数輌がまほの本隊と別行動を始めた。

 相手の背後を突くつもりだったのだろう。しかしプラウダの隊長はそれも読んでいたのか、別働隊は移動中に攻撃を受けた。

 

 事故が起こったのはそんな時だった。

 

 雨のせいで地盤が緩んでいたせいだろう、足場が崩れてフラッグ車の前を走るⅢ号戦車が増水した川に滑落したのだ。

 戦車道で使用される車輌はすべて特殊なカーボンでコーティングされているため選手の安全は保証されている。

 しかし水没した戦車に関してはその限りではない。そもそも戦車というのは水中での使用を想定していないのだ。

 このままでは中の乗員が危険だ。一時試合は中断して救助を要請すべきだ。

 そう思ったがどうにも運営の対応が遅かった。救助どころか試合を続行すべきかどうかもまだ決めかねている状態だった。

 一体何をしているのか、苛立つ私の目の前、試合を中継しているモニターの中で動きがあった。フラッグ車から誰かが飛び出して滑落した車輌の救助に向かったのだ。

 それはみほだった。あの娘は黒森峰の副隊長として、フラッグ車の車長として、西住流の人間としての責務をすべて放り捨てて。仲間を助けに行ったのだ。

 

 おかげで乗員は全員無事だった。

 

 しかし黒森峰は10連覇を逃した。

 

 わかってはいた。みほに西住流の戦車道は向いていないと。もっと言えば戦車道自体向いていないかもしれない。

 才能がないということではない。むしろ戦車乗りとしての才能という一点においていうならばまほや私すら凌ぐほどだ。

 ただあの娘は優しすぎた。親としてそれは誇るべきことだ。でも西住流の人間としてはそれは恥ずべきことだ。

 勝利至上主義の下いかなる犠牲を払ってでも勝利する、それが西住流の在り方だ。仲間との助け合い、馴れ合いなんてものは唾棄すべきものにすぎない。

 みほには幼い頃からそんな西住流の在り方を徹底的に教え込んできたつもりだった。そして表面的にはそれを受け入れているように見えた。

 でも心の奥底ではずっと西住流を拒絶し続けてきたのだろう。それが行動になって表れたのがあの試合だった。

 

 何故わかってあげられなかったのか。どうして自分もそうだからみほも西住流を受け入れてくれるなんて無責任に考えてしまったのか。そんな後悔の念が私を襲った。

 しかしすべては遅すぎた。そして私には母親として自責の念に駆られる時間などなかった。西住流の師範としてその後のことを考えなければならなかった。

 西住の娘が隊長と副隊長を務めたにもかかわらず優勝を逃した。この責任は取らねばならなかった。

 

 とはいえ私はみほに敗北の責任を問うつもりはなかった。

 そもそもあの状況に追い込まれた時点でフラッグ車は遅かれ早かれ仕留められていた可能性が高い。みほのあの行動がなくとも結果は変わらなかっただろう。だとすれば責任があるのはむしろ隊長であるまほの方だと言えた。

 しかしみほがフラッグ車を放棄したのも事実であり、その行動が西住流にとっては許容できないものであったのも事実だ。私はみほを呼び出して決勝戦での行動を厳しく叱責した。そして来年度からは別の高校に転校するように告げた。

 あんなことがあった以上、みほを黒森峰に置いておくわけにはいかなかった。例え実の娘であろうと、否、実の娘だからこそ落とし前はつけなければならなかった。そうしなければ周りにも示しがつかないのだから。

 

 転校先にみほが選んだのは戦車道がない大洗女子学園だった。私はそれを戦車道をやめるという意思表示と受け取った。

 西住の名を背負う以上戦車道から逃げることは許されない。かと言って当時のみほに戦車道を強制しても碌なことにならないだろうことも容易に想像がついた。

 一度戦車道から離れて自分を見つめ直すのもいいと思った。その上でどうしても戦車道を止めたいというのならそれも仕方のないことだ。

 西住流はまほが立派に継いでくれるだろう。ならばみほには自分の好きな道を選ばせてあげてもいい、そう考えていた。

 

 転校先でみほが戦車道を続けていると知るまでは。

 

 私にはみほの気持ちが理解できなかった。

 あの娘は戦車道をやりたくなくて戦車道がない学校に行ったはずだ。それが何故わざわざ20年もの間廃止されていたものを復活させてまで戦車道を続けているのか。

 いや、どんな理由があろうと関係ない。みほの行いは西住流に対する明確な敵対行為だ。西住流にあるまじき行いをして、その責任を取って転校したにもかかわらずその転校先でこちらに一切話を通すことなく戦車道を再開するなど。

 あまりにも勝手が過ぎる。あの娘には西住の名を背負うものとしての自覚が足りない。西住流の師範として見過ごすことはできなかった。

 

 私はみほを勘当することを決めた。

 

 本来であれば準決勝が終わった時点で勘当を言い渡すつもりだった。しかし相手の油断があったとはいえ大洗はあのプラウダに勝利した。

 まさか前回黒森峰を下したプラウダに勝つとは思っていなかった。しかしある意味では好都合だった。

 まほが率いる黒森峰が大洗を倒す、つまりは西住流の王道の戦車道でみほの邪道の戦車道を叩き潰す。そうした上で勘当を言い渡す方が自然な流れと言えた。

 私は決勝戦が終わるまでみほの勘当を保留にすることに決めた。

 

 そうして迎えた決勝戦。

 

 黒森峰と大洗の戦力差は歴然。万に一つも黒森峰が負けることはないと思っていた。

 だが勝負に絶対はない。事実大洗はその乏しい戦力で決勝戦まで勝ち上がってみせたのだ。何が起こっても不思議ではないとも思っていた。

 

 そして実際に試合は接戦になった。

 

 序盤こそ黒森峰の速攻に意表を突かれたのか浮足立っていたが、大洗は徐々に落ち着きを取り戻していった。時には煙幕を張って視界を塞ぎ、時にはヘッツァーによる遊撃で攪乱し、黒森峰を相手に互角に渡り合っていた。

 その後大洗は追撃を振り切って市街地に向かって進んでいった。恐らくはそこで決着をつけるために。

 

 しかし市街地に向かうために川を渡ろうとしていた時、それは起こった。

 

 大洗の車輌の内一輌、M3中戦車が川の中でエンストを起こしたのだ。

 

 何という運命の悪戯か。前年の決勝戦に続いてまたしてもこんな局面に立たされるとは。あの娘が一体何をしたというのか。思わず天を呪いたくなった。

 

 あの娘はどうするだろうか。

 

 西住流ならば迷いなく見捨てることを選択するだろう。

 しかも前とは違い、川が増水しているわけでもなく、乗員の生命が脅かされているわけでもない。迷う理由は何一つありはしない。

 

 しかしみほは違った。みほは前と同じように仲間を救出することを選択した。

 

 それがみほの戦車道なのだろう。西住流とは違う、あの娘だけの。

 

 結果みほはM3を救出することに成功した。

 その後は市街戦に移り、あのマウスすら退けて最終的にはまほが乗るフラッグ車との一対一の状況を作り上げた。

 こうなれば戦力差など関係ない。あとは互いの実力だけがものを言う。どちらが勝ってもおかしくはない。

 勝負の行方を誰もが固唾を呑んで見守っていた。私もその一人だ。

 

 そして。

 

『大洗女子学園フラッグ車走行不能! よって黒森峰女学園の勝利!』

 

 最終的に壮絶な撃ち合いを制したのはまほの駆るティーガーだった。

 

 あの時の私の気持ちを言葉にするのは難しい。

 

 まほが勝ったことが嬉しくほっとしたという気持ち。

 

 それと同時にみほが負けてしまったことを残念に思う気持ちもあった。

 

 たしかに西住流の師範としての立場で言えばまほの勝利を望んでいた。

 しかし一人の母親としては別だった。

 まほもみほもどちらも同じように大切な私の娘だ。本音を言えばどちらにも負けてほしくはなかった。

 だが勝負である以上そうはいかない。どちらかが勝ち、どちらかが負けるのが定めなのだから。

 

 そしてみほが負けた以上、私はあの娘に勘当を告げなければならなかった。

 

 あの娘の戦い方は西住流ではなかったかもしれない。でもあの時仲間を助けたあの娘の行動は一人の人間として称賛に値する行動だった。母としてはあの娘のことを誇りに思う。

 しかし西住流の師範として、邪道に堕ちたあの娘の戦車道を認めるわけにはいかなかった。

 

 まだ試合に勝利していれば話は違った。

 西住流は勝利至上主義、強きこと、勝つことを尊ぶ流派だ。だから勝ちさえすればすべてが罷り通る。……というほど単純ではないが、そういう理屈で周りを黙らせることはできたかもしれない。

 とはいえ負けた以上無意味な仮定だ。私は撤収しようとしていたみほを呼び出し、西住家を勘当することを告げた。

 

『一つだけ聞いてもいいですか?』

 

 勘当を告げられたというのにみほは取り乱すことなく、むしろ落ち着いた様子だった。

 

『もし私が大洗で戦車道をやらなかったら。ううん、黒森峰を転校してから一生戦車道をやらなかったら。それでも娘として愛してくれましたか?』

 

 縋る様な瞳で私を見つめながらみほは問いかけてきた。

 

 私は考えた。何と言えばいい、何と言うのが正解なのか。何か言うとしてそれは母親としての言葉か、それとも西住流の師範としての言葉か、どちらを言うべきなのか。

 

『愚問ですね』

 

 結局私は西住流の師範としての言葉を選んだ。

 

『西住の家に生まれた以上、戦車から逃げることは許されません。私の娘なら、西住流の人間ならば戦車道を選んで当然です』

 

 どこで誰が見ているかわからないこんな場所で不用意なことは言えない。西住流の後継者として例え実の娘相手であろうと毅然と対応しなければならない。

 

 ……などというのは建前だ。単に母親として言うべき言葉が見つからなかった、それだけだった。

 

 そして後悔した。

 

『……戦車に乗らない私なんて娘じゃないってこと?』

 

 この世のすべてに絶望したとでも言わんばかりの表情でみほは呟いた。頬を涙が一筋流れ落ちるがそれを気に留めることもなく続けた。

 

『私は……いらない子ですか?』

 

 違う。断じて違う。例え戦車に乗らなくても、西住の家を勘当することになっても、貴方は変わらず私の大切な娘だ。

 

 そう言えばいいのに。言わなければいけない、言わないと取り返しのつかないことになるとわかっていたのに。言葉が出てこなかった。

 

 西住流としての立場ももちろんあった。それに加えて自分で勘当を言い渡しておいてどの口がそんなことを言うのかと、当時の私はそんなことを考えてしまったのだ。

 

『そっか、そっかぁ……』

 

 そうして何も言えずにいると、みほは一人納得した様子で俯けていた顔を上げた。

 私の予想に反してみほは笑顔だった。何か憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔だった。

 

 次の瞬間あの娘の口から放たれたのは、笑い声だった。

 

 何がそんなにおかしいのか、みほはただひたすらに笑っていた。

 

 その様は思わず逃げ出してしまいたくなるほどに不気味で恐ろしかった。

 

『さようなら、お母さん』

 

 一頻り笑った後、みほは私に背を向けて去っていった。その後一度も振り返ることなく歩き去るあの娘の後姿を、私は呆然と見送ることしかできなかった。

 

 思えば私はあの娘に母親らしいことをしてあげたことがあっただろうか。

 私は常に西住流らしくあろうと心掛けてきた。西住流の後継者に恥じない振る舞いを心掛けてきた。何よりも西住流を優先させてきた。それこそ実の娘よりも、だ。

 

 でもこの時ばかりは。

 

 西住流よりも優先すべきものがあった。何よりも娘を、みほのことを優先すべきだったのだ。

 

 それに気付いたのはすべてが終わった後だった。

 

 当時の私は例えみほに嫌われたとしてもそれでもいいと、仕方がないと思っていた。

 私を恨むなら恨めばいい。西住流を貶すなら貶せばいい。ただあの娘が生きていてくれさえすればそれでいい、そう思っていたのだ。

 

 みほが自殺したという知らせが届いたのはそれから数時間後のことだった。

 

 何かの間違いだと思いたかった。ほんの少し前に会ったばかりのあの娘が死んだなどと、どうして信じられる?

 病院の霊安室でみほの遺体を目の前にしても、顔伏せの白い布を取ってあの娘の顔を目にしても、それでもなお私は信じられなかった。

 まるで現実感がなかった。跪いて泣き叫ぶまほの声が、涙を流して悲しむ夫の姿がどこか遠くに感じられた。私は何も考えられずただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

 気付けば私は自室にいた。どうやって家まで戻ってきたのかそこまでの記憶はすっぽりと抜け落ちていた。傍には夫がいて心配そうに私を見つめていた。

 もう夜も遅い。とりあえずは一晩寝てそれから考えようと思った時だ。

 

 突然夫に抱きしめられた。

 

 戸惑う私の耳元で夫は優しく囁きかけてきた。

 我慢しなくていいと。

 今ここには自分しかいないからと。

 だから今だけは西住流のことは忘れて、一人の母親として泣いてもいいのだと。

 

 私は今まで抑えつけていたものが一気に溢れてくるのを感じた。

 本当は私もまほと同じように泣きたかった。みほの母親として、恥も外聞もなく泣き喚きたかった。

 でもそれはできなかった。西住流の師範として、次期家元としてそんな無様を晒すことは許されない。絶対に人前で涙を見せるわけにはいかない。そんな風にずっと気を張っていた。

 けれどそれももう限界だった。みほが、最愛の娘が死んだというのにその悲しみを抑え続けることなんて無理だった。

 

 その日、私は夫の胸の中で声を殺して泣いた。

 

 翌日からの私は悲しみに浸っている暇がないほど忙しい日々を過ごしていた。

 勘当したとはいえ西住の家に生まれた者が自殺したとなれば一大スキャンダルだ。マスコミへの対応や各方面への根回しで多忙な毎日を送っていた。

 目が回るような忙しさだったが、かえってありがたかった。仕事に追われているうちは嫌なことを考えずに済んだ、みほのことを忘れられた。

 あの娘の葬式については喪主を主人に任せ、私はずっと仕事に専念していた。

 実の娘とはいえ私はあの娘を勘当したのだ。西住流の師範として葬式に出るわけにはいかなかった。

 とはいえまほが葬式に出ることは止めなかった。あの娘も将来西住流を継ぐ身ではあるが、せめて今だけは、最後くらいはそんな立場を忘れてみほの姉として振る舞うことを許されてもいいだろう、そう思ったから。

 

『お母様、ただいま戻りました』

 

 みほの葬式が終わり帰宅したまほは真っ先に私の部屋を訪れた。

 書類から顔を上げると物言いたげなまほの表情が目に映った。声もどこか硬く、その視線は真っ直ぐに私の顔を見つめていた。

 そうしていざまほが何かを言おうと口を開いた時だ。来客を告げに来た菊代が現れたのは。

 そんな予定はなかったはずだ。訝しげに見やると果たして約束はしていないが、私とまほに話があるとのことだった。

 約束もなしにこんな時間に訪れるなど、非常識にもほどがある。会う気はない、お帰り願うように。そう伝えようとしたが、来客の名前を聞いて私は思いとどまり部屋に通すように菊代に伝えた。程なくして件の来客が姿を現した。

 

 角谷杏。大洗女子学園の生徒会長だという少女は、私とまほの目の前に現れるなり土下座した。みほが自殺したのは自分が原因だと、自分が戦車道を強制したせいだと、額を床に擦り付けながらひたすらに謝罪を繰り返した。

 けれど私には彼女を責める気にはなれなかった。戦車道を強制したと言っても、結局最終的に決めたのはあの娘自身だ。ならばすべてはあの娘の自己責任ということになる。

 

『すべてはあの娘が自分で選んだことです。貴方に非はありません』

 

 実の娘が死んだというのに実に素っ気ない言葉だった。しかし西住流の師範として嘘偽りのない本音でもあった。

 

 ……あの娘の母親としては別として。

 

 彼女を責める気がないのはまほも同じようだった。

 

『みほを殺したのは私だ。貴方は何も悪くない』

 

 そのまほの発言に私は胸が抉られる思いだった。

 角谷さんが悪くないという点は私も同意見だった。けれどみほを殺したのがまほだなんて、どうして言えようか。

 自分が勝ってしまったせいだとでも言うつもりだろうか。ならばそれは見当違いもいいところだ。勝負事で勝利を目指すのは当然のことだ。別に不正をしたわけでもなし、責められる謂れはないだろうに。

 

『まほ』

 

 角谷さんが去った後、一礼して退室しようとするまほを私は呼び止めた。

 

『貴方は西住流として正しいことをしました。みほのことを気に病む必要はありません。みほが死んだのは誰のせいでもない……仕方のないことだったのです』

 

 貴方は悪くない。貴方は西住流の教えに従っただけで何も間違ったことはしていない。だから貴方が罪悪感を抱くことはないのだと。そんな気持ちを込めた言葉だった。

 

 しかしまほは私の言葉を聞いた途端目を剥いて怒り出した。

 

『ふざけるな!!』

 

 血相を変えて詰め寄ってきたかと思うと、あの娘はあらん限りの声を張り上げて私を罵倒した。

 

 それでも母親かと。

 

 実の娘が死んだのに何も感じないのかと。

 

 西住流を守ることは娘の命よりも大事なのかと。

 

 そんなつもりはなかった。私はただまほが苦しんでいるのを見ていられなかったのだ。

 母親としてみほの死が悲しくないわけがない。

 だがまほだって同じように大切な娘だ。

 そんなあの娘が自分を責め続ける姿が私には見るに堪えなかったのだ。

 

 それならそうと口に出せばいいものを、当時の私は何も言うことができなかった。まほが私に反抗することなど今までにないことだったから。何と言えばいいのか、どう対応すればいいのかわからなかった。

 結局のところ私は母親としてあまりにも未熟だったのだ。西住流の師範という立場でしか娘たちと接してこなかった。戦車道を通してしか娘と触れ合ってこなかった。だから母として、人として当たり前のことすら口に出すのを躊躇ってしまった。

 

 そんな私の態度をまほはどう解釈したのか、顔を憤怒に歪めて腕を振り上げた。

 

 頬に衝撃が走った。

 

 自分がまほに殴られたのだと気付いた時には反対側の頬を殴られていた。

 その後も何度も何度も私はまほに殴られ続けた。

 まるで獣のような叫び声を上げながら私を殴り続けるまほの姿を、私はどこか他人事のように眺め続けていた。

 

 この時私は理解した。

 

 私は私自身の失言で二人の娘を失ったのだと。

 

 取り返しのつかない過ちを犯してしまったのだと。

 

 これはきっとその罰なのだ。

 

 そう思って私は甘んじて受け入れることにした。

 

 菊代が止めに入るまで私は無抵抗でまほに殴られ続けていた。

 

 その日以来まほと私の関係は完全に冷え切ってしまった。

 高校時代は顔を合わせることもほとんどなく、仮に会ったとしてもあの娘はもう二度と私の言葉に耳を貸さなくなってしまった。

 高校を卒業して大学に入学してからは実家に寄り付かなくなったし、仕送りにも一切手を付けている様子はなかった。

 夫から聞いた話では特待生のため授業料は全額免除、それに加えて奨学金のおかげで生活費にも困っていないとのことだった。

 あの娘は昔からお父さん子で夫にはよく懐いていたため、私と絶縁状態になった今でも夫には定期的に連絡を取っているようだった。

 

 唯一の救いはまほが戦車道を続けていることだ。それも西住流の名に恥じない戦いぶりだという。

 まほの戦いを見たという者は誰もが口を揃えて言っていた。彼女は素晴らしい、あれでこそ西住流だ、これで西住流も安泰だ、と。

 

 でも私にはあの娘の戦車道は私に対する当てつけにしか見えなかった。

 

 私に対する、西住流に対する憎しみを対戦相手にぶつけているようにしか見えなかった。

 

 唯一の救いと私は言った。

 それは誰にとっての救いだ?

 西住流にとっては間違いなく救いだろう。次期家元として立派に西住流の戦車道を継いでくれる存在がいるのだから。

 

 しかしまほにとっては?

 

 あの娘にとって西住流を継ぐことは救いだろうか? みほを死なせた戦車道をこれから先死ぬまで続けることがあの娘にとって幸せだとでも言うのだろうか?

 

 みほ。まほ。私の最愛の娘たち。

 そんなあの娘たちを犠牲にしてでも西住流とは守らなければいけないものなのだろうか。西住流にそんな価値があるのだろうか。何度考えても結論は出なかった。

 それでも私には西住流の在り方を否定することはできなかった。

 ここで西住流を否定したりすればそれこそ私の娘たちは何のために犠牲になったのか、私の今までの人生は何だったのかわからなくなる。

 私は西住流の家元として死ぬまで流派を守り続けなければならない。今更それ以外の道を選ぶことなど許されるはずがない。

 

 例え娘を死なせても。

 

 例え娘と袂を分かつことになろうとも。

 

 私は死ぬまで西住流であり続けなければならないのだ。

 




そろそろ更新ペースが落ちるかもしれません。


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井手上菊代の誓い

本来であれば前話とセットで一つの話の予定でしたが、長いので分割。
ついでにタイトルも変えました。


【井手上菊代視点】

 

「奥様、これ以上はお体に障ります。どうか――」

「菊代」

「……はい」

 

 突き出されたグラスに私はなみなみと焼酎を注ぐ。水で割られてもいないそれを奥様は一息で呷った。そしてまた同じようにグラスを突き出してくる。

 奥様のこのようなお姿にももう慣れてしまった。最近は暇があればこうしてお酒に浸っている。

 といっても仕事を蔑ろにされている訳ではない。むしろ以前よりも精力的に仕事に取り組んでいる。それこそ休む間も惜しんで。

 

 まるで何かを忘れようとしているかのように。

 

 あの日から奥様は変わってしまった。

 みほお嬢様が亡くなられてから。

 まほお嬢様が家を出られてから。

 

 いや、今思えばみほお嬢様が黒森峰を去った時からすでにその兆候はあったようにも思う。

 西住流としての立場と母親としての立場で板挟みになって精神を擦り減らしていた。

 決して表に出すことはしなかったけれど、学生時代からの付き合いがある私には奥様が無理をしているのがよくわかった。

 

 とはいえ、私の立場でできることなど限られていた。

 私にできたことなど大洗に転校したみほお嬢様に手紙をお送りすることくらいだった。

 私はその過程でみほお嬢様が大洗で戦車道を続けていることも知っていた。

 私は敢えて奥様にそのことを伝えることはしなかったが、高校戦車道連盟の理事長である奥様にいつまでも隠し通せるものではなかった。

 大洗女子学園が2回戦を突破し、準決勝に臨む頃には奥様にもみほお嬢様の活躍は耳に入っていた。

 

 奥様はどうなさるのか、そんなことは聞くまでもなかった。母親としてはともかく、西住流の師範として奥様に許される選択肢など限られていた。

 西住流の人間としてこのような事態を見過ごすわけにはいかない、みほお嬢様に勘当を言い渡す、と奥様が決断するまでに時間は掛からなかった。

 

 それを聞いた私はすぐにお暇をいただき、一人大洗に向かってみほお嬢様にお会いした。

 久方ぶりにお会いしたみほお嬢様は黒森峰にいた頃とは別人だった。ご学友に囲まれて笑い合って、戦車に乗ることを楽しんでいた。

 思えばいつ以来だったろう、みほお嬢様の笑顔を見たのは。

 転校以前も表面的には笑顔は浮かべていた。しかし幼い頃からお嬢様のお世話を任されていた私にはわかった。それが心の底からのものではないということが。そういう時は決まって心の奥底に負の感情を押し隠していた。

 まだ小さい頃はほとんど見られなかったが、戦車道の訓練を本格的に始めてから徐々に頻度が増していった。そして気が付けばみほお嬢様は常に作り笑いを浮かべるようになっていた。

 まるで昔に戻ったかのように心から笑うみほお嬢様を見てやはり黒森峰を出られたのは正解だったと思った。

 

 それと同時に心苦しくもあった。

 

 今から自分が言おうとしていることはそんなみほお嬢様の笑顔を曇らせることになるとわかっていたから。

 でも言わないわけにはいかなかった。そのために私は大洗まで来たのだから。

 

『お嬢様は西住家を……勘当されます』

 

 みほお嬢様は目に見えて動揺していた。カップを持つ手が震えていた。

 みほお嬢様もこうなることはわかっていただろう。それでもいざ言われてみればやはりショックは大きかったようだ。

 それでもみほお嬢様は私に心配をかけまいと笑っていた。

 

 私でなくてもわかる、明らかな作り笑いで。

 

 その後私は奥様とまほお嬢様とともに大洗の試合を観戦に訪れた。

 もし大洗が負けるようなら奥様はその場でみほお嬢様に勘当を言い渡すつもりだったようだが、幸いにも大洗は試合に勝利し、決勝戦まで駒を進めた。

 私は密かに安堵した。これでみほお嬢様はひとまず勘当を免れる、と。

 とはいえ危機的な状況に変わりはなかった。決勝戦の相手はまほお嬢様率いる黒森峰だ。戦力差は歴然。しかも決勝戦では車輌数は20輌まで。これまで以上に厳しい戦いになるのは目に見えていたから。

 

『あんなものは邪道。決勝戦では王者の戦いを見せてやりなさい』

『西住流の名に懸けて、必ず叩き潰します』

 

 お二人の会話を聞けば手心を加える気がないのは明らかだった。

 そして決勝で大洗が負けることがあればやはりみほお嬢様の勘当は免れないと理解した。

 だが私にできることは何もなかった。

 ただみほお嬢様の勝利を祈ることしか私にはできなかった。

 ……西住家に仕える身として西住流が負けることを祈るなどあってはならないことだろうが、この時ばかりはそう祈らざるを得なかった。

 

 そして迎えた決勝戦。大洗はこれまでの試合がまぐれではないことを証明するかのように、素晴らしい戦いぶりを見せた。

 何度もピンチを迎え、途中でアクシデントもありながらもそれらを乗り越えた。勝利まであと一歩というところまで黒森峰を追い詰めた。最終的にはフラッグ車同士の一騎討ちにまでもつれ込んだ。

 

 けれど一歩及ばず、結局大洗は敗北した。

 

 試合を見届けると奥様は試合会場に向かって歩き出した。その背を慌てて追う私に奥様は無感情に言った。

 みほお嬢様に勘当を告げに行くと。

 

『奥様、本当によろしいのですか?』

 

 ただの女中の身分で口出しするなど出過ぎた真似だと理解はしていた。それでも言わずにはいられなかった。奥様も本当はそんなことを望んでいないとわかっていたから。

 奥様は私の言葉に立ち止まると、少し間を開けてから口を開いた。

 

『西住流の人間として邪道に堕ちたあの娘を許すわけにはいきません』

 

 奥様の表情はわからなかった。しかし僅かに声が震えていたような気がした。

 私にはそれ以上何も言えなかった。奥様にも立場がある、西住流の次期家元としてあまりにも大きなものを背負われていると理解していたから。

 その後奥様はみほお嬢様を呼び出すと、西住家を勘当することを告げた。

 

『一つだけ聞いてもいいですか?』

 

 私から事前に話を聞いていたためか、みほお嬢様は取り乱すことはなかった。

 

『もし私が大洗で戦車道をやらなかったら。ううん、黒森峰を転校してから一生戦車道をやらなかったら。それでも娘として愛してくれましたか?』

 

 どこか祈る様な、縋る様なみほお嬢様の言葉に、見ているこちらの方が胸がつまった。

 

『愚問ですね』

 

 けれど奥様はそんなみほお嬢様の言葉を一言で切り捨てた。

 

『西住の家に生まれた以上、戦車から逃げることは許されません。私の娘なら、西住流の人間ならば戦車道を選んで当然です』

 

 そんな奥様の物言いに私は堪らず顔を伏せた。

 奥様にも立場があるのは理解している。常に西住流らしくあろうとするその姿勢は純粋に尊敬している。それこそ学生時代からずっと。

 けれど。けれどだ。

 今この場でくらいは西住流よりも娘を優先してもいいのではないか。

 みほお嬢様を勘当するというのなら、これでお別れというのなら。

 せめて最後の一言くらいは母親として娘に声をかけてあげるべきではないのか。

 

『……戦車に乗らない私なんて娘じゃないってこと?』

 

 はっとして顔を上げた私の目に映ったのは、無表情で頬を流れる涙を拭いもせずに立ち竦むみほお嬢様の姿だった。

 

『私は……いらない子ですか?』

 

 私は堪らず奥様の方に振り返った。

 このままでは駄目だ。何か言わなければ取り返しのつかないことになる。きっと後悔することになる。そう思ったから。

 けれど奥様は最後まで口を開くことはなかった。

 

『そっか、そっかぁ……』

 

 そうしているうちにみほお嬢様は、一人何かに納得された様子で俯けていた顔を上げた。

 みほお嬢様は笑っていた。

 作り笑いではない、心からの笑顔だった。

 普段ならみほお嬢様が笑ってくれたと喜ぶところかもしれない。でもこの時に限ってはそんな気にはなれなかった。むしろ悍ましいとすら感じていた。

 何故ならその笑顔は場にあまりにも相応しくない表情だったから。実の母親に勘当を告げられた娘が浮かべるべきものでは断じてなかったから。

 奥様もそんなみほお嬢様の表情に困惑しているようだった。

 

 次の瞬間みほお嬢様の口から放たれたのは笑い声だった。

 何かを恨むような、呪う様な、ありとあらゆる負の感情を煮詰めたような、そんな笑い声だった。

 本当に今私の目の前にいるのはみほお嬢様なのだろうか。顔がそっくりなだけの別人ではないのだろうか。そんなことを考えてしまうほどには目の前のみほお嬢様の様子は恐ろしかった。

 私は目を逸らすこともできずに、狂ったように笑い続けるみほお嬢様を見続けるしかなかった。

 

 果たしてどれほどの時間が経っただろうか。実際には数秒に過ぎなかったのだろうが、私には数分にも、数時間にも感じられた、そんな地獄のような時間はようやく終わりを告げた。

 

『さようなら、お母さん』

 

 みほお嬢様は笑いを収めると、ただ一言別れの言葉とともに私たちに背を向けた。その後はこちらを振り返ることなく真っ直ぐに歩き去っていった。

 

 私は一瞬どうすべきか迷った。

 みほお嬢様の後を追うべきかとも考えた。しかしショックで立ち竦む奥様を放っておくわけにもいかなかった。

 結局私はその場に残ることを選んだ。呆然とする奥様を支え、落ち着くまでその場に留まっていた。

 

 みほお嬢様が自殺したという連絡が届いたのはそれから数時間後のことだった。

 

 病院からの連絡を聞いた時は動揺のあまり受話器を取り落としてしまった。そして後悔の念が押し寄せてきた。

 あの時すぐに後を追ってお声をかけていれば。あるいはみほお嬢様が亡くなるようなことはなかったのかもしれない。そう思うとどんなに悔やんでも悔やみきれなかった。

 病院から戻られた奥様や旦那様、何よりもまほお嬢様の沈んだ面持ちを見ると尚更だった。

 

 みほお嬢様の葬儀には私も参列したが、奥様は出席されなかった。

 西住流としての立場上仕方がないとは理解していた。せめて葬儀だけでもとは思った。だが結局私は何も言えなかった。

 葬儀が終わり、出棺の前の別れ花の儀式の時のことだ。棺の中で眠るみほお嬢様を見て。私は改めてみほお嬢様が亡くなられたことを理解した。

 涙が止まらなかった。私だけではない、旦那様も、みほお嬢様のご学友の方々も誰もが涙を流していた。

 

 ただ一人、まほお嬢様だけは一切涙を流さなかった。

 もはや涙など枯れ果てた。そう言わんばかりの虚ろな瞳で佇んでいた。

 その様があまりに不憫で私は更に涙を流した。

 

 葬儀も終わり屋敷に戻るとまほお嬢様はすぐに奥様の私室へと向かった。私も後を追おうと思ったその時だった。

 

 大洗女子学園の生徒会長である角谷杏さんが訪ねてきたのは。

 

 角谷さんは私に向かって丁重に頭を下げると、みほお嬢様のことで奥様とまほお嬢様に話があるので取り次いでほしい、と言った。

 本来ならば約束もなくこんな時間に訪ねてくるような相手は門前払いだったろう。

 でも相手の顔を見ると私には何も言えず、私は奥様に来客があることを告げた。

 奥様も最初こそお帰り願うようにと言ったものの、来客が角谷さんであると知ると前言を翻した。

 

 私に案内されて部屋に入った角谷さんはお二人に向かって土下座した。そしてみほお嬢様が亡くなられたのは自分のせいだと、どのような罰も受けると告白した。

 しかしお二人の反応はにべもなかった。

 

『すべてはあの娘が自分で選んだことです。貴方に非はありません』

『みほを殺したのは私だ。貴方は何も悪くない』

 

 角谷さんはお二人の言葉に衝撃を受けたかのように固まり、結局そのまま口を開くことはなかった。

 奥様の部屋を退出した後、私は角谷さんを門まで送り届けた。その間角谷さんは終始無言だった。その面持ちは最初にお会いした時以上に暗かった。

 

 どのような罰も受ける、と彼女は言っていた。彼女はあるいは自分を罰してほしかったのかもしれない。

 しかし奥様もまほお嬢様も彼女を責める気は毛頭ないようだった。それについては私も同意見だった。

 彼女は自分がみほお嬢様に戦車道を強制したことを気に病んでいたようだが、少なくとも私が見た限りではみほお嬢様は大洗で戦車道を楽しんでいた。黒森峰にいた頃よりもずっと生き生きとしていた。その点ではむしろお礼を言いたいくらいだった。

 とはいえ私が言うべきことでもない。そう思って私はただ大人しく案内に徹することにした。

 

 もう夜も遅いため、駅まで車でお送りすると伝えたが角谷さんはそれを固辞した。

 私としても客人に対して礼を欠くわけにはいかないと最初は食い下がったが、今は一人になりたいからとお願いされて、最終的に私の方が折れた。

 

『どうかお気を付けて』

 

 私は角谷さんが歩き去るのを最後まで見送った。

 

 見送りを終えて屋敷に戻ると何やら騒ぎが起きていた。方角からして奥様の私室のあたりだった。私は妙な胸騒ぎを覚えて奥様の私室へと急いだ。

 そうして駆け付けた私の目に飛び込んできたのは。

 

 馬乗りになって奥様を殴り続けるまほお嬢様の姿だった。

 

『まほお嬢様!?』

 

 私は慌ててまほお嬢様を奥様から引き剝がした。

 

『おやめください、まほお嬢様!!』

『離せっ!! 離せええぇぇぇっ!!!』

 

 まほお嬢様があんな風に声を荒げることなど、戦車道の試合ですらなかった。私が止めに入らなければどうなっていたことか。考えたくもない。

 私は旦那様が駆けつけるまでの間、必死にまほお嬢様を羽交い締めにして抑えつけるしかなかった。

 

 あれ以来まほお嬢様と奥様の関係は険悪になってしまった。

 まほお嬢様は高校を卒業されてからは一度も屋敷にお戻りになっていない。

 奥様もそんなまほお嬢様に何かを言おうとはしなかった。

 そんなお二人の関係をどうにかしたいという気持ちはある。しかし私の力ではもうどうしようもない程にお二人の仲は拗れてしまっていた。

 

『菊代さんがお母さんならよかったのに』

 

 みほお嬢様が黒森峰を去り、大洗に転校する時に言われた言葉を思い出す。

 

『菊代さんが母親ならよかったのに』

 

 まほお嬢様が高校を卒業されて、家を出る時に言われた言葉を思い出す。

 

 嬉しい気持ちはあった。私もお二人のことを実の娘のように大切に想っていたから。

 でもそれ以上にやるせない気持ちが胸の内に湧き上がってきた。

 奥様はたしかに昔から不器用な人だった。私は学生時代奥様とともに戦車道を学んでいたが、当時もそれで周りの隊員たちと何度も衝突していたものだ。

 不器用なせいで言いたいことも言えず。立場のせいで言いたくないことも言わなければならない。そのせいでよく周りの人間に誤解されていたものだ。きっとお嬢様方もそうだったろう。

 それでも奥様なりにお二人を心から愛しているのは私にはわかった。だから奥様の愛情がお二人にはまったく伝わっていなかったと知って、それがどうしようもなく悲しかった。

 

 あるいは私が奥様とお嬢様方の仲立ちをすべきだったのだろうか。そうすればこんなことにはならなかったのだろうか。そんな風に悩んだことは何度もあった。

 けれどそんな仮定にもう意味はない。

 

 みほお嬢様は亡くなられ。

 

 まほお嬢様は心を閉ざされてしまった。

 

 二度と親子で仲睦まじく過ごす未来などありえないのだから。

 

 気付くと奥様はいつの間にか酔いつぶれて眠ってしまっていた。

 これもいつものことだった。私は奥様の肩から毛布を掛け、そのまま退出しようとする。

 

「みほ……まほ……ごめん、なさい……」

 

 不意に聞こえた呟きに驚いて振り返る。起きたのかと思ったが奥様は未だ眠ったままだった。どうやら寝言らしい。

 見ると奥様は一体どんな夢を見ているのか、悲痛に顔を歪めて涙を流していた。

 

 みほお嬢様が亡くなられた原因は奥様にある。

 

 そういうのは簡単だし事実でもあるだろう。けれど少なくとも私には奥様を責める気にはなれなかった。

 奥様が西住流の後継者としてどれほど重いものを背負われているか、私はよくわかっていたから。

 

 何よりも私も奥様のことを言えはしないのだ。

 

 女中の身分に過ぎない私が口出しすべきではないだなんて。結局のところ私も立場を言い訳にしていたことに違いはないのだから。

 

 私も奥様と同罪なのだ。ならば私はどうすべきかと考えて、ふと昔のことを思い出した。

 

 あれは高校三年生の秋のことだった。高校の最後の大会も終わり、三年生は皆引退して各々の進路に向けて歩き出す、そんな時期だった。私も例外ではなかった。

 そんなある日、私は奥様に呼び出された。二人きりで話がしたいと。一体何を言われるのか、何か怒らせるようなことをしてしまっただろうか。私は緊張の面持ちで奥様の言葉を待った。

 

 身構える私に対して奥様は言ったのだ。

 

 自分はいずれ西住流を継ぐ。しかしその重責はきっと一人で耐えきれるものではない。だから今までと同じようにこれからも自分を支えてくれないか、と。私の力が必要だと。奥様はそう言ってくださったのだ。

 

 私は嬉しかった。奥様は私の憧れだった。ずっとこの人のようになりたいと思っていた。そんな人から自分が必要とされたことが、認められたことが何よりも嬉しかった。

 

 そして決めたのだ。

 

 一生この方を支えていこうと。

 

 この命ある限りこの方の傍に居続けようと。

 

 それがともに戦車道を学び、ともに成長し、ともに青春時代を過ごした戦友としての私の務めだ。そう思った。

 

 戦友。そう、戦友だ。私と奥様は戦友だった。

 私と奥様は今でこそ主従の関係だが学生時代は違った。隊長と隊員という意味では主従の関係とも言えるが、私たちの関係はそんな浅いものではなかった。

 ともに学び、戦い、助け合ってきた。奥様には随分とお世話になったし、逆に私が奥様の手助けをすることもあった。そうやってお互いに支え合ってきたのだ。

 

 私はあの時の気持ちを再び思い出した。

 

 そして改めて誓いを立てた。

 

 例え奥様がどんなに変わり果てようと。

 

 私は死ぬまでこの人の傍にいよう。

 

 この人が西住流に一生を捧げるというなら。

 

 私もこの人のためにこの身を捧げよう。

 

 それが私の、この人の戦友としての務めなのだから。

 




だれか一人くらいしほさんの味方がいてもいいじゃない、というお話。
まあ常夫さんもそうだと思いますが。

次回は角谷会長のお話です。


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悪夢

書き直しを繰り返し、気付けば随分長くなっていたため分割。
……したものの切りのいいところで切っても過去最長。

今まで以上にキャラ崩壊注意です。
後流血描写ありなのでそちらも注意です。


【角谷杏視点】

 

『もう泣くなよ、河嶋~』

『だ、だって……会長……。大洗が……私たちの学校が……』

 

 夜の帳が下りて他に誰もいない生徒会室。その中で私は涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにした河嶋に慰めの言葉を投げかけた。

 試合はとっくに終わって学園艦まで戻ってきたというのに、河嶋はいまだに泣き続けていた。

 そんな河嶋のことを小山が慰めていたけど、小山も小山でその暗い面持ちは隠せていなかった。

 無理もない。正直言えば私だって気持ちは同じだから。

 

『決勝まで来た時はきっといけるって思ったのにな~……』

 

 私は行儀悪く足を机に乗せながら天井を仰いだ。

 

 戦車道の全国大会で優勝したら廃校を撤回する。

 

 今年度限りで大洗女子学園は廃校だと告げる文科省の役人に対して、私はそんな約束を強引に取り付けた。相手の役人もそんなことはできるわけがないと高を括っていたのか、あっさりと受け入れた。

 実際無茶なことだとは理解していた。でも他に方法が思いつかなかったし、廃校を大人しく受け入れるなんて選択肢はなかった。ならやるしかないと自分を奮い立たせた。

 

 けど現実は予想以上に厳しかった。

 20年前までは戦車道が盛んだったらしいからもう少しいい戦車が残ってると思ったけど、実際にあったのは売れ残った戦車ばかり。

 そして戦車道の経験者なんて当然いる訳もなく。

 優勝どころか一回戦でボロ負けする未来しか見えなかった。

 

 そんな中一筋の希望の光が差し込んだ。

 4月になって新入生が入学してきたのに併せて、私たちは改めて全生徒の経歴を洗い出した。すると一人だけ、戦車道の経験者がいたんだ。

 

 西住みほ。

 

 あの西住流の娘で、去年は強豪黒森峰女学園で一年で副隊長を務めた、そんな逸材だった。

 戦車道を復活させると決めてその年に経験者が転校してくるなんてまさに渡りに船だった。

 

 けど一つの疑問が浮かんできた。そんな娘が何故戦車道が廃止されて久しい大洗に転校してきたのか、と。

 調べるとその答えはすぐに見つかった。

 昨年の戦車道全国大会決勝戦、10連覇を目指す黒森峰はしかしプラウダ高校に敗北した。そしてその原因が副隊長である西住ちゃんの行動にあったこと、それを散々に非難されたらしいことも知った。

 

 そこまでわかれば何故西住ちゃんが大洗に転校してきたのかはおおよそ察しがついた。きっと西住ちゃんは戦車道をやりたくなくてこの学校に転校してきたんだろう。そんな娘に戦車道を取るよう言っても断られるに決まっていた。

 ましてや負けたら廃校だから絶対に勝て、なんて言えるわけがない。

 

 私は悩んだ。

 何も人情だけの話じゃない。本人の意思を無視して無理矢理やらせたところで実力を十分に発揮できるとは思えない。正直気が引けた。

 しかし、なら他に方法があるのかと言われれば思いつくはずもなく。

 結局私は西住ちゃんを引き込むことに決めた。

 ただし廃校の件は伝えなかった。

 こちらの都合に巻き込むならせめて西住ちゃんにはプレッシャーを感じずに伸び伸びと戦車道をやってほしい。そう思ったから。

 

 西住ちゃんという経験者を得て、そこそこの人数と戦車も集まった。とはいえ苦しい状況に変わりはなかった。本当に上手く行くのか、私は不安に苛まれていた。

 でも西住ちゃんはそんな私の不安を吹き飛ばしてくれた。

 初めての練習試合、聖グロとの対戦は負けこそしたけど、あと一歩というところまで相手を追い詰めた。初試合としては上々の成果だった。

 続くマジノ女学院との練習試合では見事に勝利。そして本番の全国大会では強豪サンダース、それに続いてアンツィオを破った。

 

 これはもしかしたらいけるんじゃないか。私の中で希望が芽生えた。

 

 しかしそんな私の考えはただの慢心に過ぎなかった。

 

 準決勝のプラウダ戦ではその慢心故に追い詰められてしまった。

 もう負けを認めるしかない。そんな状況にまで追い込まれた。

 そこで私はとうとう大洗女子学園が廃校になることを告げた。

 本来なら最後まで隠し通せれば一番だったけど、おかげでみんなは奮起してくれて、圧倒的な劣勢を覆して何とか勝利を収めることに成功した。

 

 そして迎えた決勝戦は今まででもっとも厳しい戦いだった。流石に今度こそダメかと思った。

 車輌数だけでも20対8と倍以上、それに加えて戦車の性能も、乗員の練度も、何もかも絶望的なまでの差があった。

 でも西住ちゃんはそんな戦力差を見事にひっくり返してみせた。あれこれと策を練って黒森峰の重戦車部隊を翻弄した。途中でアクシデントはあったものの予定通り無事市街戦に持ち込んだ。

 マウスが出てきた時は絶望しかけたけど何とか撃破に成功し、最終的には作戦通りにフラッグ車同士の一騎打ちにまで持ち込んだ。

 

 勝てる。きっと大丈夫だ。あんこうチームのみんななら、西住ちゃんならきっとやってくれる。そう信じていた。

 

 でも現実はどこまでも非情だった。

 

『大洗女子学園フラッグ車走行不能! よって黒森峰女学園の勝利!』

 

 最後の最後、壮絶な撃ち合いを制したのはⅣ号ではなく黒森峰のティーガーだった。私はしばらく白旗を上げるⅣ号戦車を呆然と見つめていた。

 

 あと一歩だったのに。

 

 ここまで来て、最後の最後で負けるなんて。

 

 私は思わず神様を呪った。

 

 廃校の撤回は全国大会での優勝が条件だった。それを逃してしまった以上、本来なら大人しく廃校を受け入れるしかないんだろう。

 

 でも、だ。

 

『諦めるにはまだ早いよね~』

『会長? で、でも廃校の撤回は全国大会の優勝が条件だって……』

『ま、そうだな』

 

 小山の反論に対して私は頷く。

 

『たしかに優勝はできなかった。けど準優勝でも十分な実績だ。まだ手はあるはずだ。それとももうダメだ~、って大人しく諦める?』

『そんなの嫌です! 私は、この学校を無くしたくなんてない!』

 

 涙ながらに訴える河嶋に私は不敵な笑みを返した。

 

『そうだな、私もだよ。私もこの学校が好きだ。絶対に廃校になんてさせない、させてたまるもんか。そのためにもさ、最後までやれることをやろう』

 

 私が自信満々に言うと、それまでボロボロ泣いていた河嶋も涙を拭って顔を引き締めた。

 

『やりましょう、会長! 絶対に大洗を廃校になんてさせません!』

『そうだよ! 泣いてる暇なんてないよ、桃ちゃん!』

『桃ちゃん言うな!』

 

 そのやり取りを見て私は笑みを浮かべた。河嶋もようやく調子が戻ってきたようだ。

 やっぱり湿っぽいのは好きじゃない。例え可能性が限りなく0に近くても、最後の最後まで足掻く。その方が私の性に合ってる。

 ……本当は自信なんてない。勢いで言ったはいいけど何をしたらいいか見当もつかない。けどそれを顔に出すことはしなかった。

 例え内心でどんなに不安が渦巻いていても、絶対にそれを悟らせちゃいけない、大丈夫だって笑ってろ。それが長たる者の務めだ。

 そんな風に自分に言い聞かせていると、ノックの音が響いた。

 

『西住ちゃん?』

『よかった、皆さんまだ残ってらしたんですね』

 

 ドアを開けて入ってきたのは誰あろう西住ちゃんだった。

 珍しいこともあるものだ。こちらから呼び出したことは何度もあるけど、西住ちゃんの方からこちらを訪ねてくることなんて今までにないことだった。

 

『どったの、こんな時間に?』

『あ、はい』

 

 私の問いに西住ちゃんはにっこりと笑った。

 

『実は会長たちに報告したいことがありまして。居ても立っても居られなくてこうして来ちゃいました』

 

 笑顔、そう笑顔だ。

 何の敵意も害意も感じられない優しい表情のはずなのに。

 何でだろう、さっきから変な汗が止まらない。

 

『さっきお母さんから言われたんです。今日限りで私のことを勘当するって』

 

 あまりにもあっけらかんと言われたので最初理解が追い付かなかった。

 

 そして理解するにつれて愕然とした。

 

『どうして……』

『どうして、ですか?』

 

 私の呟きに対して西住ちゃんは何を当たり前のことを聞くんだとばかりに首を傾げていた。

 

『だって敗北の責任を取って戦車道をやめるつもりで他所の学校に転校しておいて、のうのうと戦車道を続けているなんて知られたらそうもなりますよ』

 

 言外に私たちのせいだと責められているように感じた。というよりも実際に責めているんだろう。自分自身責められても仕方がないことをしたという自覚はある。

 私がショックを受けたのは、あの西住ちゃんがそんな悪意に満ちた物言いをしたことだった。信じられなかったし、信じたくなかった。

 

『だから私は嫌だ、やりたくないって言ったんです。それなのに私の言い分を無視して無理矢理戦車道をやらせて。その結果がこれです。しかも大洗女子学園は廃校になるんですよね? 困りました、私住む場所も帰る家ももうないんです。何もかも全部無くしちゃいました。私どうすればいいんですかね?』

 

 淡々と。まるで他人事みたいに笑顔で言葉を並べる西住ちゃんのその様子はただただ不気味だった。

 あの河嶋ですら西住ちゃんの異様な雰囲気に当てられて黙り込んでいた。

 

 ……いや、違う?

 見るとその肩は震えていた。まるで怒りを押し隠すように。

 

『ふざけるなよ、西住』

 

 マズい。そう思った時には手遅れだった。

 

『お前があそこで勝っていれば優勝できたんだ』

『やめろ、河嶋』

『大洗は廃校にならずに済んだんだ』

『桃ちゃん、やめて!』

『お前のせいで、この学園艦はなくなるんだぞ!? 全部! 全部お前のせいだっ!!』

『河嶋!!!』

 

 河嶋の言葉を遮るように私は声を振り絞って叫んだ。

 私の叫びに河嶋はハッとして、すぐに狼狽え出した。自分が何を口走ってしまったのかを理解したのだろう、見る見る顔を青ざめさせた。

 

『あ、いや、ちがっ、に、西住! い、今のは違う、違うんだ!』

 

 必死に言い繕うがもう手遅れだった。

 慌てて西住ちゃんの方を見ると先程までとは打って変わって能面のような無表情だった。

 けれどまたすぐに笑顔を貼り付けた。そう、貼り付けた、という表現がピッタリの空虚な表情だった。

 

『そうですね、河嶋先輩の言う通りです。廃校になるのは私の力が足りなかったから、私がお姉ちゃんに勝てなかったからです』

『そんなことないって。西住ちゃんは本当によくやってくれたよ。本当に感謝してる。河嶋もついカッとなって言っちゃっただけで本気で言ったわけじゃないって』

『そうだよ、西住さんのせいなんかじゃないよ!』

『そ、そうだ西住! あれはつい口が滑ったというか、とにかく違うんだ!』

『何が違うんですか!?』

 

 私たちは矢継ぎ早に否定の言葉を紡ぐが、西住ちゃんの叫び声にかき消されてしまった。

 私たちは押し黙った。西住ちゃんが声を荒らげるのなんて見たことがなかったから。

 

『本当は会長だって、小山先輩だって思ってるんでしょう? 全部私のせいだって。ええ、そうですよ、悪いのは全部私です。でもね、私だって頑張ったんです。頑張って頑張って頑張って……それでもどうしようもなかったんですよ。私は嫌だって言ったのに無理矢理やらせておいて、負けたら全部私のせいですか? どうしてそこまで言われなきゃいけないんですか? 去年の黒森峰でもそうでした。何でみんな私のせいにするんですか? どうして私ばっかりこんな目に遭わないといけないんですか!?』

 

 髪をかきむしりながら、まるで癇癪を起こした子供のように叫ぶ西住ちゃんの姿に私は何も言えなかった。それは河嶋も小山も同じようだった。

 けど西住ちゃんは不意にピタリと動きを止めると、さっきまで騒いでいたのが嘘のようにぼそりと呟いた。

 

『ごめんなさい。本当はこんなこと言っちゃいけないってわかってるんです。でももう頭の中がぐちゃぐちゃで。訳が分からなくて。言わずにはいられなくて。私は、私は……』

 

 私は椅子から立ち上がって西住ちゃんの前まで移動すると、深々と頭を下げた。

 

『ごめん。私たちの都合に無関係な西住ちゃんを巻き込んで、重荷を背負わせて、辛い思いをさせて、本当にごめん』

 

 私はこの時になって初めて自分の罪の重さを自覚した。

 

 覚悟はしていたつもりだった。西住ちゃんの事情は知っていた。その上で戦車道を強制する以上西住ちゃんを傷つけることになるのは分かり切っていた。すべてが終わった後で償いはしなきゃならない、私にできることならなんだってやる。そう思っていた。

 

 でも結局のところ私は何もわかっていなかったんだ。

 償いはする? 償ったところでどうなる? いくら償ったところで西住ちゃんの失ったものは取り戻せないのに。

 何故西住ちゃんがわざわざ戦車道のない大洗に転校してきたのか、少しでも考えたのか? その転校先で戦車道をやることがどういう結果を生むか、想像できなかったのか?

 そもそも償いといったところで私に何ができるのか。今でこそ生徒会長としての権力を使ってある程度の融通は利く。しかし学園が廃校になってしまえば、会長でなくなってしまえば私はただの一学生に過ぎないのに。

 

 勝てば官軍。優勝さえすればどうにかなると思っていた。でも負ければただの賊軍でしかない。そして賊軍の末路がどうなるかなんて考えるまでもないことだ。

 私は学園艦を救うためなら何でもやるし、いくらでも犠牲になるつもりだった。でも実際には犠牲になったのは西住ちゃんだった。

 やりたくもない戦車道を無理矢理やらされて精神を擦り減らして、実家を勘当されて、住む場所もなくなって、大切なものを何もかも無くしてしまった。

 本当なら戦車道とは無縁な楽しい学園生活を送るはずだったのに、私はその輝かしい未来を奪ってしまった。その結果が今目の前にいる西住ちゃんの姿だ。

 

 謝って済む問題じゃない。それでも謝らずにはいられなかった。そしてただ謝ることしかできない自分が心底情けなかった。

 

 私は、こんなにも無力だったのか。

 

『顔を上げてください』

 

 無力感に打ちひしがれる私にかけられた声は思いのほか優しかった。

 

『私もうわからないんです。会長たちを恨めばいいのか、感謝すればいいのか、謝ればいいのか』

 

 顔を上げると西住ちゃんは言葉の通り困惑の表情を浮かべていた。

 

『最初は無理矢理戦車道をやらされたことを恨んでいました。私は戦車道をやりたくなくてこの学校に来たのに、どうしてわかってくれないのかって』

 

 私の脳裏に武部ちゃんと五十鈴ちゃんと手を繋いで顔を俯ける西住ちゃんの姿が思い浮かぶ。

 

『最初は戦車に乗るのも嫌で嫌で堪らなかった。でも次第にそんな気持ちも薄れていきました。だってここの戦車道は黒森峰にいた頃じゃ考えられないことばかりだったから。戦車の中にクッションを敷いたり、芳香剤を置いたり。戦車をカラフルに塗装したり、幟を立てたり。今までじゃ考えられないことばかりだったけど、それが楽しくて』

 

 見る影もなく変わり果てた戦車たち。頭を抱える秋山ちゃんの隣で楽し気に笑う西住ちゃんの姿が思い出される。

 

『黒森峰にいた頃は毎日が苦痛でした。勝たなきゃって思ってばっかりで、戦車道を楽しいなんて思ったことは一度もありませんでした。でも大洗はそんな雰囲気は全然なくて、みんなが戦車に乗るのを楽しんでいました。そして気付いたら私も戦車道が楽しいって思っていたんです』

 

 最初こそ如何にも気が進まないという風情だった西住ちゃんも、気付けばあんこうチームのみんなと楽しそうに笑い合っている姿をよく見かけるようになった。

 

『だから会長たちには感謝していました。ここに来てようやく私の戦車道を見つけられたって思いました。勝ち負けよりも大事なことがあるって。私は間違っていないって思えたんです』

 

 お礼を言いたいのは自分の方だ。今までとは違う戦車道を知ることができた。西住ちゃんは私にそう言ってくれた。

 

『でも負けたら廃校だって言われて。やっぱり勝たなきゃダメなんだって、楽しいだけじゃダメなんだって思い知らされて。やっぱり私の戦車道なんてないんじゃないかって。気持ちが揺らいでしまって』

 

 全国大会で優勝しなければ廃校になる。そう告げた時の西住ちゃんの顔は今でも忘れられない。

 

『負けたら廃校なんだから、そんなことを考えてる暇なんてないって。今はとにかく勝つことを考えようって。そう自分に言い聞かせました。でもそんな半端な状態で勝てるほど黒森峰は甘くなくて。それでも食い下がったけど最後の最後で負けて。学校を守れなくて、仲間の居場所を奪ってしまって、会長たちにも申し訳が立たなくて……』

 

 西住ちゃんは白旗を上げるⅣ号を虚ろな瞳で見つめ続けていた。

 

『勘当されたのは会長たちのせいだなんて言いましたけど、あれ嘘なんです。だってお母さんは戦車に乗らない私は娘なんかじゃないって言ってたから。きっと大洗に転校した時点で私はもう見捨てられてたんですよ』

 

 今の西住ちゃんはあの時と同じ目をしていた。

 

『もう何もかもわからないんです。誰に何を言えばいいのか、何処へ行けばいいのか、何をすればいいのか、何も、何も……。ねえ、会長。私どうしたらいいんですか?』

 

 先程と同じセリフだけどその声音はまるで縋る様なものだった。しかし私はすぐに言葉を返すことができなかった。

 

 原因は西住ちゃんが右手に持っている物体にあった。

 

 いつの間にかそこにはナイフが握られていた。

 

 背後で河嶋と小山の息を呑む音が聞こえた。

 

『……そんなもの持ってどうする気? 私たちを刺すとか?』

 

 それ以外に目的があるとは思えないのに我ながら間の抜けたセリフだった。

 西住ちゃんは首を傾げると自分の右手に視線を向けて、その手に握られたナイフを見て呆然としていた。

 

『……そうですね。それもいいかもしれませんね』

 

 西住ちゃんはどこか他人事のように呟いて力なく笑った。

 その反応には違和感があったが、今はそれどころじゃない。

 

『お願いできる立場じゃないのは理解してるけどさ、一つだけいいかな?』

『何ですか?』

 

 私は一度呼吸を整えてから西住ちゃんの目を真っ直ぐ見つめて懇願した。

 

『やるなら私だけにしてくれないかな。河嶋と小山は私に従っただけで何も責任なんてないからさ』

『か、会長!?』

『そんな!? だめだよ、杏!!』

 

 河嶋と小山は目を剥いて叫ぶが、私は無視して一歩進み出た。

 

『お願い西住さん! こんなことやめて!』

『そうだ、西住! 殺すなら、私にしろ! 悪いのは私だ! 会長は何も悪くない!!』

 

 そんな二人を手で制して私は付け加えた。

 

『私を刺して、それで西住ちゃんの気が済むならいくらでもやればいい。私にはもう、こんなことくらいしかできないからさ……』

 

 西住ちゃんが一歩こちらに近づくのを見て、私はぎゅっと目をつむる。

 カッコつけてはみたもののやっぱり怖かった。当たり前だ。誰だって死ぬのは怖いに決まってる。

 それでも甘んじて受け入れなきゃいけない。それが西住ちゃんの人生を台無しにしてしまった私に対する罰なんだから。そう覚悟を決めて痛みに備える。

 

 が。

 

 いつまで経っても痛みは襲ってこない。

 恐る恐る目を開けると、西住ちゃんは私の目の前で黙って俯いていた。手はだらりと垂れ下がり、今にもナイフを落としてしまいそうだった。

 

『会長、聞いていいですか?』

 

 どうしたのか、私が尋ねるよりも前に西住ちゃんの方から口を開いた。

 

『会長は私の事情を全部知ってたんですか?』

『知ってたよ。知った上で西住ちゃんを巻き込んだんだ』

『廃校を阻止するために?』

『うん、戦車道で全国大会で優勝する。それ以外に方法がなかったからね。そのためには少しでも確率を上げたかったんだよ。例えそれが限りなく0に近い可能性だとしてもね』

『会長にとってはこの学校がそれだけ大事だったってことですか?』

『そうだよ。私はこの学校が、学園艦のことが大好きだ。それを守るためなら何だってやってやる。その結果西住ちゃんを犠牲にすることになっても、ね』

 

 最後の台詞は挑発に聞こえたかもしれないけど、事実なんだから仕方がない。実際私は西住ちゃんを犠牲にしてしまったんだから。

 けれど西住ちゃんはというと怒り出すこともせずにむしろ冷静なままだった。

 

『なら私には会長を責めることなんてできません』

 

 私の目を真っ直ぐに見つめて西住ちゃんははっきりと言った。

 

『だって私も会長と同じだから』

『同じ?』

『はい』

 

 私の疑問に対して西住ちゃんは頷いてみせた。

 

『去年の決勝も今日の試合でも。私は試合の勝敗よりも仲間を助けることを優先しました。私がやりたいから、仲間を助けたいと思ったから、周りのことなんて考えずに自分の都合を押し通したんです』

『でもその結果仲間は助かったじゃないか。ウサギさんチームのみんなは西住ちゃんに感謝してた。黒森峰の仲間もきっとそうだよ』

『でも試合には負けました』

『試合に負けたのは西住ちゃんのせいじゃないでしょ。去年の試合も。今日の試合も。西住ちゃんの行動のせいで負けたなんて私は思わないけどね』

 

 西住ちゃんの自虐に対して私は反論した。

 西住ちゃんには自分の行動を後悔してほしくなかった。だって西住ちゃんは間違ったことなんて何一つしていないんだから。

 試合の勝敗なんてものは時の運に過ぎない。少なくとも西住ちゃんが一人で背負うものじゃないと思う。

 

『負けたのは私のせいです。去年の試合は私が自分の役割を放棄したから、今日の試合は私の力が足りなかったから、それで負けたんです』

 

 けど西住ちゃんは私の言葉にふるふると首を振った。

 

『それにね、会長。会長は私が仲間を助けたって言いましたけど、私は本当は誰一人救えなかったんですよ。黒森峰で助けた戦車の乗員はみんな戦車道をやめてしまいました。ウサギさんチームのみんなだって、大洗が廃校になったら全員バラバラになってしまうかもしれない。私の行動は所詮ただの自己満足だったんです』

 

 そう言って西住ちゃんは皮肉げに唇を歪めた。まるで自分自身を嘲るかのように。

 

『……ああ、でもそうですね。一人だけ助けられた人がいたんでした』

 

 ふと思い出したように西住ちゃんは言った。

 

『その人は私が黒森峰を去ってからも戦車道を続けていて。きっと辛いこともたくさんあったはずなのにそれを乗り越えて。今日久しぶりに会った私にお礼を言ってくれたんです』

 

 そこまで言って西住ちゃんは嬉しそうに微笑んで。

 

 けどすぐにその表情を泣きそうに歪めた。

 

『でも、そんな人に対して、私は……』

 

 最後の方は声がかき消えて聞き取れなかった。

 でも表情を見るに西住ちゃんが何かを悔いているということだけははっきりとわかった。

 

『これが私です。自分の身勝手で周りに迷惑ばかりかけて、挙句の果てに誰も救えなかった。……逸見さんの言う通りです。私は無神経で最低の人間なんです』

 

 逸見? たしか黒森峰の副隊長がそんな名前だったような……。

 

『会長は自分の大切なものを守るために私を犠牲にした。私も自分が信じるもののために他の人間を犠牲にした。そこに何の違いがあるんですか?

 私には、貴方達のことを恨む資格なんてないんです……』

 

 今にも消えてしまいそうなくらい弱弱しい声音だった。

 私はそんな西住ちゃんに対して何と声をかければいいのかわからなくて。

 それでも何とかしなくちゃと西住ちゃんに向かってそっと手を伸ばす。

 

『だから死ぬのは私だけでいいんですよ』

 

 けどその伸ばした手は空を切った。

 

 どん、と衝撃が走って私はその場に尻餅をついた。

 

 西住ちゃんに突き飛ばされたんだと理解して、私は思わず西住ちゃんの顔を見上げる。

 

 そして目に飛び込んできたのは。

 

 持っていたナイフを自分の首筋に当てる西住ちゃんの姿だった。

 

『西住ちゃ――』

『来ないで!』

 

 西住ちゃんは叫んだかと思うと私たちから逃げるように一歩後退った。

 

 まさか。

 

『最初から死ぬ気だったの?』

 

 果たして西住ちゃんは私の問いににっこりと微笑んでみせた。

 

『だって私の居場所なんてもうどこにもないじゃないですか。

 大洗女子学園は廃校になる。黒森峰にはもう戻れない。実家も勘当された。一体何処に行けばいいって言うんですか?』

 

 絶句する私に構わず西住ちゃんは続けた。

 

『西住の家に生まれたから仕方なく西住流の戦車道をやってきて。でもやっぱり耐えられなくて自分のしたいようにしたら失敗して追い出されて。転校してきた大洗で友達や仲間ができて。ようやく自分の戦車道を見つけられたと思ったのに大洗は廃校になって。また自分の行動のせいで大切なものを全部無くして。

 それで気付いたんですよ。私は生きてるだけでみんなに迷惑をかけちゃうんだって。

 だったら。

 こんな私なんてもう、死ぬしか、ないじゃないですか』

 

 そんなことない!

 私も河嶋も小山も叫ぶが西住ちゃんは聞く耳を持たなかった。

 西住ちゃんを止めようにも距離があって、取り押さえる前に事に及ぶのは明らかだった。

 

『会長、ありがとうございました。短い間だったけど、それでも大洗に来て私は初めて戦車道を楽しめたから』

『お礼を言うのは私の方だよ。西住ちゃんのおかげでここまで来れた。西住ちゃんがいなかったら私はただ不安に押し潰されて何もできずに終わっていたかもしれない。全部西住ちゃんのおかげだ』

『そしてごめんなさい。私は貴方達の大切な学校を守れませんでした』

『違うよ。西住ちゃんが謝ることなんてない。謝らなきゃいけないのは私の方だ。西住ちゃんの都合も考えずに私の事情に巻き込んで、西住ちゃんのすべてを奪って、こんなにも追い詰めてしまった。全部私が悪いんだ。だから西住ちゃんが死ぬことなんてないんだ』

『本当にごめんなさい。こんなことで罪滅ぼしになるなんて思いません。でももう疲れちゃったんです。もう生きていく希望もなくて。だから』

 

 私は必死で西住ちゃんを説得した。

 

 でも西住ちゃんは私の声なんて聞こえていないかのように一方的に言葉を並べるだけだった。

 

 そうして言うだけ言って西住ちゃんは――

 

『さようなら』

 

 首筋に当てたナイフを一気に引いた。

 

 噴水みたいなんて表現があるけど本当にそうだと思った。

 

 西住ちゃんの首から勢いよく血が噴き出している。

 

 それは私の顔にも降り注いだ。

 

 生温かい、生臭い。

 

 誰かの悲鳴が聞こえる。

 

 河嶋か、小山か、それとも私か。

 

 脳が目の前の現実を受け止められない。

 

 そうしているうちに西住ちゃんの体が力を失ってゆっくりと倒れていく。

 

 目の前の光景がまるでスローモーションのようにゆっくりと流れていく。

 

 私はそれを呆然と眺めているしかできなくて。

 

 それでも無意識のうちに私は懸命に手を伸ばして――

 

 そこで視界が暗転した。

 




会長たちにも事情があったのは理解しているけど、みほも少しくらい会長たちに文句言っても罰は当たらないと思う。
そんな気持ちを込めた結果最初は恨み節全開だったんですが、それだとみほっぽくないかなと今の形に落ち着きました。
桃ちゃんにあのセリフを言わせるかは迷いました。けど愛里寿・ウォー! の「お前が転校しろ!」発言を見るに、カッとなったら桃ちゃんはこれくらい言うなと思い押し通しました。


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角谷杏の罪①

例によってキャラ崩壊注意です。


【角谷杏視点】

 

「っ……はぁ、はぁ……」

 

 目が覚めた。

 

 目に映るのは見覚えのある天井。大洗女子学園の生徒会室ではなく、アパートの自室のものだった。

 全身冷や汗びっしょりで息は荒い。いつも通りの最悪の目覚めだ。

 西住ちゃんが私の目の前で死んだ日。あの日から悪夢を見なかった日はない。何百回と見ているというのに慣れることはない。もっとも慣れたら終わりだとも思うけど。

 部屋の中はまだ真っ暗だ。時計を見るとまだ4時、夜が明けるには時間がかかる。まるで私の心みたいだね、な~んつってね、あはは……。

 タバコに火を点ける。とてもじゃないが寝直せる気がしない。本当は酒も欲しいけど、一限目から講義が入っている以上それも無理だ。一箱あれば夜明けまでは持つだろうか。

 

 紫煙をゆっくりと吐き出しながら先ほど見た夢の内容を反芻する。

 西住ちゃんがあそこまで追い詰められていたなんて夢にも思わなかった。

 もちろん西住ちゃんが戦車道にトラウマを抱えていることは知っていた。知った上で私は西住ちゃんを引き込んだんだ。大洗の廃校、それを阻止するためなら何だってやってやる、私はそう決めたんだから。

 

 当然最初西住ちゃんは戦車道を履修することを拒んだ。でも私は執拗に食い下がって、しまいには脅迫紛いのことまでした。

 罪悪感はあった。でも他に方法がない以上しょうがないって自分を納得させて無理矢理に押し通した。

 正直こんなやり方で上手く行くかは不安だったけど、いざ始まってみればあんなに嫌がっていたのが嘘みたいに西住ちゃんは頑張ってくれた。

 素人の私たちを鍛えてくれて、勝つために作戦を考えてくれて、友達に囲まれて楽しそうに笑っていた。

 何やかや戦車道を楽しんでくれている。そう思っていた。

 いや、実際に楽しんでくれていたんだ。

 

 あの時までは。

 

 準決勝のプラウダ戦。そこまで順調に勝ち進んだことで調子に乗った私たちは、ものの見事に敵の策にはまって包囲されてしまった。

 追い詰められた私たちに対してプラウダは降伏勧告をしてきた。全員土下座すれば許しやると。

 みんなは当然そんな要求は受け入れられない、徹底抗戦だと息巻いていた。

 

 でもあんこうチームのみんなだけは違った。

 包囲された状況で無理に戦って怪我人を出すくらいなら降伏した方がいい、土下座ぐらいするって。もう完全に勝ちを諦めていた。

 

『私、この学校へ来てみんなと出会って、初めて戦車道の楽しさを知りました。この学校も戦車道も大好きになりました。だから、その気持ちを大事にしたままこの大会を終わりたいんです』

 

 西住ちゃんのあの言葉に嘘はなかったと思う。あのまま降伏していれば西住ちゃんは自分の戦車道を見つけられたのかもしれない。

 でもそれはできなかった。それだけは絶対に無理だった。

 だって負けたらその時点で大洗女子学園は廃校になってしまうから。

 だから私は、みんなの前で全国大会で優勝しなければ大洗が廃校になることを告げた。

 

 そして後悔した。西住ちゃんの顔を見てしまったから。

 

 その表情を一言で言い表すなら、絶望。

 戦車道に勧誘した時も似たような表情をしていた。でもその時よりもずっと色濃い絶望が、西住ちゃんの顔を埋め尽くしていた。

 

 今思えばあそこが分水嶺だったのかもしれない。

 たしかにあそこで負けていれば大洗は廃校になっていた。恐らく西住ちゃんは実家を勘当されていた。

 それでも西住ちゃんの戦車道が否定されることはなかったんじゃないか。

 自殺するほど追い詰められることはなかったんじゃないか。

 たくさんのものを無くして、それでも残るものは辛うじてあったんじゃないか。

 あのタイミングがギリギリ引き返せる、本当に最後のチャンスだったんだ。

 

 そして最悪だったのはあのまま試合に勝ってしまったことだ。決勝まで勝ち上がってしまったことだ。黒森峰相手に優勝まであと一歩というところまで行ってしまったことだ。それがこれ以上ないほどに最悪だったんだ。

 結果だけ見れば優勝を逃して廃校が決まったことに変わりはない。どこで負けようと変わりはないのかもしれない。でも西住ちゃんの立場からすればあのタイミングの負けは最悪に過ぎたんだ。

 

 初戦でサンダースに負けていれば別に問題はなかった。元から無理な話だった、所詮この戦力で優勝なんて夢物語にすぎなかった、と諦めもついただろう。

 

 準決勝でプラウダに負けたとしてもまだ大丈夫だった。仮にあそこで負ければ、原因は西住ちゃんの指示を無視して突っ走った私たちにある。西住ちゃんもそう自分を納得させることはできたかもしれない。

 

 でもあの場面での敗北にはそういった言い訳ができなかった。

 決勝まで駒を進めて、策を巡らせて、劣勢を覆して、最終的にはフラッグ車同士の一対一まで持ち込んだ。

 

 でも最後の最後で負けた。

 

 後一歩だった、どちらが勝ってもおかしくなかった。

 

 だからこそ罪悪感が募る。

 

 自分のせいで負けた、と。

 

 自分のせいで大洗は廃校になる、自分が仲間の居場所を奪ってしまった、そんな風に。

 

 責任を感じる必要なんてないのに。誰も西住ちゃんを責めはしないのに。

 

 少し考えればわかることだ。

 碌な戦車もなく、戦車道の経験者は自分以外一人もいない、何よりも戦車の数も人員も資金も何もかもが絶対的に不足している。そんな状態で並み居る強豪を破って全国大会で優勝しろ。それがどれだけ無茶苦茶な要求かなんて。

 素人ばかり集めた設立一年目の野球部で甲子園で優勝しろと言われた監督の心境と言えばわかりやすい。むしろ優勝まであと一歩のところまで行ったのが奇跡だったんだ。

 

 でもそんな風に西住ちゃんは考えられなかっただろう。

 西住ちゃんは優しい娘だ。優しいからこそ一人で抱え込んでしまう。本当なら私がいち早くその内心に気付いてあげるべきだったのに、私は最後まで気付けなかった。そしてそんな優しい娘があんなことをするほどに追い詰めてしまったんだ。

 

 思えば私たちはみんながみんな西住ちゃんに頼り切っていた。

 

「西住隊長なら何とかしてくれる」

 

 そんな風に無意識に考えていた。私もその一人だ。

 廃校を阻止するためなら何だってやるし、責任は全部自分で負うつもりだった。その実、重荷をすべて西住ちゃん一人に背負わせてしまった。その結果があの惨劇だ。

 

「いっそ廃校を大人しく受け入れていれば良かったのかな……」

 

 これまで何度となく考えたことだ。

 

 そして結果を見ればまさにその通りだった。

 

 廃校までの一年間、泣いて学校生活を送るより希望を持ちたかった。だから無謀を承知で戦車道に賭けたんだ。

 それ自体は別にいい。可能性が0じゃない以上、最後の最後まで足掻くべきだしそれが悪いことだとは思わない。

 問題は西住ちゃんを巻き込んでしまったことだ。

 可能性は0じゃないとはいえ、限りなく0に近かった。そんな博打に戦車道にトラウマを抱えている人間を巻き込むなんてどうかしていた。

 

 何で私はあんなことを。

 

 苛立ち紛れに煙を吐き出して、タバコをもみ消す。気付けばすでに夜も明けて、タバコの箱も空になっていた。私は気怠い体を無理矢理起こしてのろのろと着替えを始める。

 いっそサボってしまいたいという誘惑を振り払い、重い体を引きずりながら私は大学へと向かった。

 酒に溺れる毎日を送っていながら、こうして講義にだけは真面目に出ている。

 サークルに所属するでもなく、バイトに勤しむでもなく、ただ毎日講義に出て勉学に励む。そこだけ見れば今時珍しい勤勉な学生に見えるかもしれない。

 でも実際はそんな立派なものじゃない。

 サークルやバイトに精を出すほどの気力がなく、家にずっと引き籠っていると気が滅入るし、他にやることもないから最低限講義には出ている。ただそれだけだ。

 

 

          *

 

 

 午前の講義も終わって昼食の時間になった。

 大学も3年目ともなると既にグループが出来上がっていて、それぞれのグループで集まって食事をとるのが当たり前になっていた。

 私にはもちろん一緒に昼食をとるような友人はいない。いつも一人寂しく学食で日替わり定食を食べる毎日だ。

 

 ……そういえば最近は干し芋をまったく食べてないな。大洗にいた頃は毎日食べてたのに。

 大洗が廃校になって地元から離れてからというものほとんど食べる機会がなくなってしまった。

 もっとも食べないのは機会がないだけじゃない。単に食べたくないからだ。色々と嫌なことを思い出してしまうから。

 事実、前に一度だけ食べた時はまったく美味く感じられず、一口食べただけで捨ててしまった。3年前までの私だったら目を剥いて怒り出しそうな話だ。

 

 頭を振って益体のない考えを打ち切って立ち上がる。

 

 ふと顔を上げると見覚えのある顔が視界に映る。

 

 顔もそうだが何よりも特徴的なのはその灰色がかった緑色の髪だ。私の知る限りそんな髪の色の奴は一人しかいなかった。

 

 目が合った。相手もこちらを視認したらしい。

 

「……チョビ子?」

「アンチョビだ! って、やっぱりお前か、角谷」

 

 ああ、懐かしいなこのやり取り。もう3年ぶりになるかな。

 私の目の前にはかつてのアンツィオ高校の隊長、アンチョビこと安斎千代美が立っていた。

 

 

          *

 

 

【アンチョビ視点】

 

「久しぶりだな、元気……ではなさそうだな」

「見ての通りだよ」

 

 元気そうだな、と社交辞令の一つでも言おうかと思ったが目の前の人物の有様を見て言い直す。

 角谷杏。元大洗女子学園の生徒会長だ。大学に入って3年目になるが同じ大学に通っているとは知らなかった。

 立ち話もなんだし、どこか落ち着いて話ができるところということで今はキャンパス内のカフェに来ていた。

 

 久しぶりに再会した角谷は高校の時とは変わり果てていた。

 以前は私と同じようにツインテールにしていた長い髪は束ねもせずにボサボサ、服もヨレヨレ。不敵な笑みを浮かべていた顔には今ではまるで生気がなく、自信に満ち溢れていた目はどんよりと黒く濁っていた。

 無理もない。角谷に、大洗女子学園に何があったのか。私も大まかではあるが事情は聞いている。

 

 大洗女子学園が廃校になったこと。

 

 そして……西住みほが亡くなったことも。

 

 大洗の生徒会長として学園艦を、そこに住む生徒を守れなかったとなれば責任を感じるのは当然だ。私だって同じ立場ならそうだろう。

 だが話を聞く限り角谷は廃校を阻止するために精一杯のことをしたと思う。

 そもそも大洗女子学園が20年も前に廃止された戦車道を復活させたのはそのためだったらしい。文科省相手に、全国大会で優勝すれば廃校を撤回するという約束を取り付けたと聞いている。

 まあ、普通に考えれば碌な戦車も残っていないだろうし、その上経験者もいない。そんな状態で優勝など不可能だと思うが、それでも学生の身で文科省を相手取ってそこまでの譲歩を引き出せただけで大したものだと思う。

 

 とはいえ優勝できなければ元の木阿弥だ。しかし強豪校有利の高校戦車道で無名校が一年で全国大会で優勝など、よほどの奇跡がない限り不可能だ。普通ならそこで諦めるだろうが、角谷は諦めなかった。

 噂でしかないが色々と無茶をしたらしい。中には角谷が西住みほを脅迫して無理矢理戦車道を履修させたなんてものもあった。

 

 それが事実だとすればたしかに問題だろう。

 しかもその結果西住みほが亡くなったことを考えれば、角谷が自分を責めるのは無理からぬことだとは思う。

 しかし私は角谷を責める気にはなれなかった。

 もし自分が角谷と同じ立場だったら何もできずにただ廃校を待つしかできなかったかもしれない。

 それを考えれば少なくとも角谷は学園艦を、学園艦に住むみんなを守ろうとした。そのために努力した。なりふり構わずできることはすべてやろうとした。

 それは称賛に値すると思う。

 

 例え結果が最悪なものだったとしても。

 

(西住みほといえば……)

 

 ふと長年のライバルのことが頭に浮かぶ。

 

 西住まほ、西住流の後継者にして西住みほの姉だ。

 西住は妹が死んでから変わった。

 以前は無愛想ではあったが、それでも話をしてみるとちゃんと人間味があった。それが今では人としての温かみなど一切感じられなくなってしまった。

 戦車道の試合では特にそれが顕著だ。あいつの戦車道は元々西住流の名に恥じない苛烈なものだったが、今ではそれに更に磨きがかかっているように感じる。情け容赦がないといった方がいいかもしれない。

 

 確かにあいつの実力は誰もが認めるところだ。現在の日本における戦車乗りの中では間違いなくトップクラスだろう。だがそんなあいつに向けられるのは憧憬や羨望などではなく、畏怖と嫌悪だ。

 高校時代に鎬を削ったやつは口を揃えて言うのだ。「私たちの知っている西住まほはもういない」と。

 あの逸見エリカでさえ同じことを言っていた。

 私も同感だった。

 

 西住みほが死んだ時に西住まほもまた死んだのだ。そう思えてならない。

 

 はっきり言って今の西住の戦車道は見るに堪えない。戦術的に劣っているなどということはない、むしろ完成されたものだろう。けど、私は思うのだ。

 

(西住、お前は今楽しいか?)

 

 今のあいつは誰よりも戦車道に対して真剣で、にもかかわらず誰よりも戦車道を憎んでいるように見えた。

 あの苛烈さはあるいはただの八つ当たりに過ぎないのかもしれない。妹を死に追いやった戦車道に対する、あるいは西住流に対する憎しみを対戦相手にぶつけているだけなのかもしれない。

 

 ――いや、今はその話は置いておこう。今は目の前にいる角谷のことが優先だ。

 

「今にも死にそうな顔色だな。ちゃんとご飯は食べてるのか? 夜は眠れてるのか?」

 

 私はこいつの母親か。そんなツッコミを入れたくなるようなことを口走ってしまった。だが思わず心配してしまうくらいに、目の前の角谷は酷い有様だった。

 

「死にゃあしないよ」

 

 そんな私の心配を角谷は笑い飛ばした。

 

「死ねるわけがないよ」

 

 強調するように言葉を重ねるが、その笑みは萎れかけていた。

 

「学園艦を守れなくて、西住ちゃんを死なせて、みんなを不幸にしておいて、それで本人はとんずらするなんてできるわけないよ。私は一生この罪を背負って生きていかなきゃいけないんだ。死んで逃げるなんて許されない」

 

 まるで自分に言い聞かせているかのような台詞に胸がつまった。

 

「西住みほのことをあまり気に病むな。彼女が亡くなったのはお前のせいじゃない。お前は学園艦やそこに住む人たちのために自分にできることを必死にやったんだろう? 誰もお前を責めやしないさ」

「そんな風に考えられればよかったんだけどね~……」

 

 私の慰めの言葉に角谷は悲し気に笑った。

 

「チョビ子だって噂で色々聞いてるんじゃないの? 私が西住ちゃんに何したのかをさ」

「それは……だが噂は噂だろう」

「そうだね~、あくまで噂だね」

 

 ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべて「でも事実なんだよね~」と角谷は続けた。

 

「私は西住ちゃんが戦車道にトラウマを抱えてるって知ってて無理矢理引き込んだんだ。『戦車道をやらないならこの学校にいられなくしてやる』なんて脅したりもした。我ながら最低だよね~」

 

 その露悪的な態度を見て私の胸に去来したのは怒りではなく哀れみだった。

 

 その姿は私にはまるで死刑台で自分の死を待つ死刑囚のように見えたから。

 

「挙句の果てに結局大洗は廃校になるってんだからさ。ははっ、ほんと……」

 

 そこまで言って角谷は笑みを消してポツリと呟いた。

 

「私のしたことって何だったんだろうね」

 

 その表情と眼差しがあまりにも空虚で。私は何も言葉が出てこなかった。

 

 そんな私に構わずに角谷は不意に席を立つ。

 

「あ、おい、どこに行く?」

「帰る」

「帰るって、おい、午後の講義は!?」

「サボる。そんな気分じゃないしね~」

 

 じゃあね~、と角谷はひらひらと手を振って去っていった。

 

 その背中がやけに小さく見えた。

 

 以前の角谷は自信に満ち溢れていた。

 

 たとえどんな困難が待ち構えていようとも彼女なら何とかしてくれる、そう信じて付いていきたくなるような風格があった。

 

 今ではそんな雰囲気はまるで感じられない。

 

 どこまでも頼りなく、今にも儚く消えてしまいそうなそんな背中だった。

 




*アンチョビの設定について

アンチョビの性格はアニメ版ももちろんいいけど、コミック版もあれはあれでいいものだと個人的には思うのです。
なので本作では中学ではコミック版の性格で、アンツィオに入学してからアニメ版の性格になった、という設定でいきます。
ついでに中学時代は西住まほとライバルだったという設定で。


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角谷杏の罪②

この話には以下の要素が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

・百合
・性格悪いモブキャラ一名登場
・グロテスクな表現


【角谷杏視点】

 

 口から紫煙を吐き出し、グラスに入った酒をがぶ飲みする。

 チョビ子と別れた後、宣言通りに講義をサボって部屋に帰って、そして何をしているかと言えばこうして昼間から酒を飲んでいるというわけだ。

 

「……我ながらダメ人間の鑑だね」

 

 ふとさっきのチョビ子との会話を思い出す。

 

 ……何が「死んで逃げるなんて許されない」だ。本当は死ぬのが怖いだけだ。

 

 西住ちゃんが自殺した数日後私は死のうとした。

 剃刀で手首を切った、でも死ねなかった。手首に薄く線が走って血が滲んだ、それだけだ。ちっとも死ねやしない。もっと深く切らなきゃ死ねないってわかっているのに、いざやろうとしたら手が震えて、結局できなかった。

 

「河嶋の方が私よりよっぽど勇気があるじゃないか……」

 

 河嶋は死んだ。西住ちゃんの自殺から一カ月くらい経った日だったろうか。学園の屋上から飛び降り自殺した。

 遺書も見つかった。そこには西住ちゃんを自殺に追いやったことに対する懺悔と、私と小山を残して逝くことに対する謝罪の言葉が書かれていた。

 

「西住ちゃん。どうしてあの時私を罵倒してくれなかったの? どうして私を刺してくれなかったの?」

 

 いや、西住ちゃんだけじゃない。

 西住ちゃんが自殺したことについて、誰も私たちを責めなかった。西住ちゃんの戦車道勧誘の現場に居合わせ、事情を把握しているであろう武部ちゃんや五十鈴ちゃんでさえそうだった。

 それどころか西住ちゃんの母親と姉まで私に責任はないと言った。

 

『すべてはあの娘が自分で選んだことです。貴方に非はありません』

『みほを殺したのは私だ。貴方は何も悪くない』

 

 二人の言葉は私の胸に深々と突き刺さった。

 

 どうして誰も私を責めてくれないのか。

 

 どうして私を罰してくれないのか。

 

 どうして。

 

 誰も罪を償わせてくれないのか。

 

 そんな周りの反応は余計に私たちの罪悪感を煽った。元々メンタルが弱いところがあった河嶋はそれに耐えられなかったんだろう。

 おかしな話だ。心が弱いから自殺する。でも自殺するには勇気がいる。何とも矛盾した話じゃないか。

 

 小山とは高校を卒業してからは会っていない。お互い顔を見ると辛くなるから。西住ちゃんや河嶋のことをどうしても思い出してしまうから。示し合わせたわけでもないけど、お互いに連絡を取らなくなった。

 今はどうしているのやら。すべてを吹っ切って気持ちも新たに日常を送っているのか、私のように罪の重さに押し潰されて酒に溺れた毎日を送っているのか。

 

 ……それとも、河嶋みたいに……。

 

 そこまで考えたところでグラスを一気に呷った。

 タバコを吸いながら酒を浴びるように飲んで、酔い潰れて寝る。最近はずっとそんな生活だ。成人して酒とタバコを覚えてからというもの、こうしないと眠れなくなってしまった。

 グラスが空になったので新しく注ごうと思って瓶を手に取ると、玄関のチャイムが鳴った。今の私には訪ねてくるような友人などいない、セールスか何かだろうか。面倒なので無視した。

 しかしチャイムは鳴り続ける。2回、3回、4回、5回……。しつこいやつだ、いい加減諦めればいいのに。

 

「おい、角谷! いるんだろう!? 開けろ!」

「……チョビ子?」

 

 予想外の来客だ。何であいつが? そう思っている間に乱暴にドアノブを回す音に続いて、ガチャリとドアが開く音が聞こえた。

 荒い足音とともに部屋に飛び込んできたのは誰あろうチョビ子だった。

 

「おい何で鍵をかけてないんだ!? 女の一人暮らしで不用心にもほどがあるぞ! 泥棒でも入ったらどうするんだ!」

 

 余計なお世話だ。普段から鍵はかけていない、別に盗られて困るものもない。いやいっそ強盗でも入ってきて、私を殺してくれないかな。ああでも痛いのはやだから、酔い潰れて寝てるところをサクッとやってくれたらありがたいな。

 

「それに何だこんな真昼間から飲んだくれて、ていうか臭っ! 換気をしろ換気を! タバコまで吸って一体何本吸ってるんだ!? こんな生活をしていたらいつか体を壊すぞ!」

 

 知ったことか。いっそ肺でも肝臓でも壊れてしまえばいいのに、そう思ったことは数知れない。直接的な自殺ができないから、間接的な自殺を選ぶ。言ってみれば今の私はそんな状態だった。

 

「私なんかにかまけてていいのか?」

 

 チョビ子は大学に入っても戦車道を続けていた。地道に実績を積み重ね、今ではうちの大学のエースだと噂で聞いた。それどころかあの大学選抜にも選ばれ、中心選手として活躍しているというのだから大したものだと思う。そんなスター選手が私のような人間に一体何の用なのか。

 

「こんな状態を見せられて放っておけるわけがないだろうが」

 

 カーテンと窓を開け放ちながらチョビ子は言った。澱んでいた空気が換気されて気持ちいい。ついでにそれで心まで晴れてくれればいいのに、と思うのは贅沢だろうか。

 こんな私を構ってくれるなんて、面倒見がいいのは相変わらずらしい。昔からそうだった。彼女の下には人が集まる。カリスマというやつだろうか。今も後輩からさぞかし慕われていることだろう。

 

 ……私とは大違いだ。

 

「ていうか何で私の部屋の場所知ってんの?」

 

 教えた覚えはないし、他に知っている人間もいない。サークルには所属していないし、今日チョビ子と会うまで大学では知り合いらしい知り合いもいなかった。

 

「ああ、お前と別れた後尾行したからな」

 

 事もなげにそんなことを宣った。思わず「は?」と間の抜けた声が漏れた。そんな私に構わず、チョビ子は我が物顔で部屋を歩き回っていた。

 灰皿に溜まった吸い殻やら、転がっている酒瓶、脱ぎ散らかされた服、隅に放置されているゴミ袋を見て盛大に顔を顰めている。

 次いで廊下に出ると、冷蔵庫を開けて中身を確認していた。

 

「何だ、碌なものが入ってないじゃないか。どうせ酒のつまみばっかりでちゃんとした食事もとってないんじゃないのか?」

 

 図星だった。以前は料理が趣味でよく作っていたが、最近はそんな気力も湧かなくて出来合いのものばかりで済ませていた。

 惣菜やコンビニ弁当を食べているうちはまだマシだった。酒を覚えてからというもの家では酒を飲んでばかりで、食べるのは軽くつまめるものくらいだった。

 

「いいか、角谷。アンツィオに3年通っていた私が断言するぞ。食事は人生の活力剤だ。美味しいものをお腹一杯食べればそれだけで幸せな気持ちになれる。逆に食べることを疎かにすると体も心も調子が悪くなっちゃうんだ」

 

 アンツィオ出身としてこんな食生活をしているやつを見過ごすわけにはいかない。今日は私がご飯を作ってやる。

 そう言ってチョビ子は渋る私の手を強引に引っ張って近くのスーパーに連れてきた。

 

「何か食べたいものはあるか?」

「……何でもいいよ」

「そういうのが一番困るんだよな~」

 

 チョビ子はぶちぶちと文句を言いながらもあれこれと食材を籠に放り込んでいた。

 別に食べるものなんて何でもいい。どうせ何を食べても美味いなんて感じられないんだから。

 そんな私の内心を知らずにチョビ子は買い物を進めていた。

 

 部屋に戻るとチョビ子は早速調理を開始した。思わず惚れ惚れする手際の良さだった。私も料理には自信があったが、チョビ子の腕はそれ以上だった。

 流石は元アンツィオ生ということか。……料理してる暇があったら戦車に乗ればいいのにっていうのは禁句かな?

 

「よ~し、できたぞ!」

 

 そんな益体のないことを考えている間に料理は出来上がっていた。目の前に次々と並べられる料理はどれもこれも美味そうだった。その香りに食欲をそそられて、私は思わず生唾を飲み込んだ。

 その反応に私自身が驚いた。今まで何を食べようが味なんてしなかったのに。

 私は恐る恐る手近な皿を取って口を付ける。

 

「美味い」

「ふふん、そうだろうそうだろう!」

 

 チョビ子は得意気に胸を反らすが、私の方はそれどころじゃなかった。

 

「美味い、美味いな……」

 

 ああ……。

 食事が美味いって感じられるのは何年ぶりだろうか。

 いや、味覚だけじゃない。

 西住ちゃんが死んだあの日から。

 私を取り巻く世界の全てが色褪せて見えていた。

 きっと私はこの先も永遠にこの灰色の世界で生き続けるんだろうって思ってた。

 そんな諦めにも似た気持ちが一瞬で吹き飛んだ。

 チョビ子の言う通りだ。美味いものを食べればそれだけで幸せな気持ちになれるんだな。

 嬉しさのあまり涙が零れてきた。私はそれを拭うこともせずに一心不乱に目の前の料理を頬張り続けた。

 

「ごちそうさま」

 

 結局私は出された料理を一人ですべて平らげた。

 

「……まさか一人で全部食べるとは思わなかったぞ」

 

 呆気に取られたようなチョビ子の声に我に返った。今更気付いたけど、これもしかしてチョビ子の分まで食べちゃった? 言われてみれば一人分にしては量が多かった気がする。

 

「ご、ごめん」

「いいって。そんなに喜んで食べてもらえると作った甲斐がある」

 

 慌てて謝るとチョビ子は笑って許してくれた。

 その後は洗い物までしてくれた。後は私がやるからいいって言ったのに、ここまでやったらついでだからって。

 

「じゃあそろそろ帰るよ。ちゃんと栄養のあるもの食べろよ。部屋もきれいに掃除して。あと酒とタバコは程々にな」

 

 まるでお母さんみたいなことを言ってチョビ子はそのまま部屋を出て行こうとする。

 それを見て私は急に心細さを覚えて。

 行ってほしくなくて。

 

「角谷?」

 

 気付けばチョビ子の服の裾をつかんでいた。

 

 はっとしてすぐに手を放す。

 何をしてるんだ私は。チョビ子は私と違って忙しい身のはずだ。戦車道の練習だってあるし、私なんかに構ってる余裕はない。そんなことわかりきってるはずなのに。

 

「……あ~、しかし汚い部屋だな~」

 

 わざとらしく部屋を見回しながら明らかな棒読みでそんなことを言うチョビ子を私は訝しげに見やった。

 

「こんなに汚れてるのを見たら放っておけないな~。掃除もしなきゃだし、洗濯物も溜まってるみたいだし、気になって仕方ないな~。でも今日はもう夜だし、今からじゃ無理だよな~。

 うん、だからさ」

 

 一通り部屋を見渡して最後に私の方を向くとチョビ子は優しく微笑んだ。

 

「また来るよ」

 

 また来る。

 たったそれだけの言葉を脳が理解するのに随分と時間を費やしてしまった。

 そして理解した途端、頭の中が歓喜で埋め尽くされた。

 

「うん、待ってる」

 

 我ながら単純すぎるとは思うけど本当に嬉しくて堪らなかった。世界がまた少し色を取り戻した気がした。

 

 その日。私は久しぶりに悪夢を見ずに眠ることができた。

 

 

          *

 

 

 アパートを出て大学への道のりを歩く。その足取りは前とは比べようもなく軽かった。以前まで色褪せていた世界はすっかり色彩を取り戻していた。

 

 それもこれも全部安斎のおかげだった。

 

 再会したあの日から安斎は頻繁に私の部屋に来るようになった。

 料理を作ってくれて、部屋の掃除をしてくれて、部屋に籠ってばかりじゃ気が滅入るからと外に連れ出してくれた。

 安斎と再会してからは悪夢に悩まされることもなくなった。おかげで酒もタバコも減ったし、気怠さもなくなった。

 

 あと変わったことと言えば名前の呼び方だ。

 チョビ子と呼ぶたびに訂正されるので、「じゃあ、安斎」と言ったら安斎は驚いたように目を見開いて固まってしまった。

 その後目を逸らして溜息をつくと、「もういいよ、それで」と言うので以来安斎と呼ぶようになった。

 ……あの反応は一体何だったんだろう? 気にならないわけじゃないがそんなのは些細なことだ。

 私は安斎と一緒にいられればそれでいいんだから。

 

 ああ、早く安斎に会いたい。逸る気持ちを抑えつつ私は歩みを進めた。

 

「ちょっといいですか」

 

 そんな時だった。

 

 大学の構内で見知らぬ女の子に声をかけられたのは。

 

 見覚えのない顔だ。そもそも大学には知り合いなんて安斎くらいのものだ。一体何の用だろうか。

 

「単刀直入に言います。これ以上ドゥーチェを誑かさないでください」

 

 ……なるほど、やはり安斎は慕われているようだ。さしずめ私は純朴な女の子を騙して寄生するヒモ男ってところかね?

 っていうか安斎のやつ大学でもドゥーチェって呼ばれてるのか。あれはてっきりアンツィオ特有の呼び名かと思ってたんだけど。あるいはそう呼んでいるのはこの娘だけかもしれないが。

 何にせよ面倒なことになった。思わず溜息が漏れた。

 

「誑かしてなんかないよ。ていうか部外者にどうこう言われる筋合いなんてないね。何も知らないくせに勝手なこと言わないでくれる?」

 

 ついつい喧嘩腰になってしまったが言ったこと自体は本心だった。

 そんな私の物言いが気に食わなかったのか、目の前の女はキッと私を睨みつけてきた。

 

「貴方、大洗女子学園の生徒会長だった人ですよね」

 

 その一言に私の心臓がドクンと跳ねた。

 

「知ってるんですよ。貴方が自分の身勝手で一人の生徒を死に追いやったってこと」

 

 心臓の鼓動がバクバクとうるさい。

 

「最低ですね。人を一人死なせておいて罰も受けずにのうのうと生き続けて、その上今度はドゥーチェの人生まで台無しにする気なんですか」

 

 やめろやめろやめろやめろやめろやめろ聞きたくない聞きたくない聞きたくない――

 

 そう思っているのに。

 

「この人殺し!」

 

 目の前の女の言葉ははっきりと私の耳に届いた。

 

 

          *

 

 

「この人殺し」

 

 血塗れの西住ちゃんが目の前に立っている。

 

「この人殺し」

 

 頭がザクロみたいに潰れた河嶋が背後に立っている。

 

「人殺し」

 

 二人はゆっくりと私に近づいてくる。

 

「人殺し」

 

 私の体は金縛りにあったみたいに動かない。

 

「人殺し」

 

 それどころか瞬きすらできない。

 

「人殺し」

 

 まるで自分の罪から目を逸らすなとでも言わんばかりに。

 

「人殺し」

 

 西住ちゃんが前から私の顔を掴む。

 

「人殺し」

 

 河嶋が後ろから私の肩を掴む。

 

「「この人殺し」」

 

 まるで自分の罪からは逃げられやしないとでも言わんばかりに。

 

 

          *

 

 

 ……久しぶりに悪夢を見た。最近は安斎のおかげかご無沙汰だったがその分インパクトも強烈だった。

 目を開けると見覚えがある布団が視界に入った。どうやらベッドに寄りかかって寝ていたらしい。周囲を見渡すとこれまた見覚えのある光景が目に入ってくる。自分の部屋だ。

 はてどうして私はこんな体勢で寝ているのか。寝起きではっきりしない頭で考える。

 

『この人殺し!』

 

 ……ああ、ようやく思い出してきた。たしか安斎の後輩だって娘に因縁付けられたんだった。

 あの後どうやって家に戻ったかは覚えていない。何か喚き散らしていたような気もするし、何も言わずに一目散に逃げ出したような気もする。

 何にせよこうして家までは辿り着いた。そして目の前の布団が湿っていて私の服装が部屋着じゃないところを見るに、そのままベッドに突っ伏して大泣きしてそのまま泣き疲れて寝てしまったというところか。

 

「それにしても」

 

 思わず私は苦笑してしまう。

 何て無様。誰かに責めてほしいなんて思っていながら、いざ言われてみればこの様だ。我ながら随分と弱くなったものだ。生徒会長をしていた頃はこんなんじゃなかったのに。

 いやあるいは元々私は強くなんてなかったのかもしれない。会長をしていた時は誰にも弱みを見せられないと気を張っていただけで、実際にはただ強がっていただけなのかもしれない。メッキが剥がれて地金が出た、ただそれだけのことなんだろう。

 

 そこまで考えたところで玄関のチャイムが鳴った。立て続けに2回鳴った後にノックの音が3回響いたかと思うと、ドアが開く音が聞こえた。

 安斎だ。今のは安斎が来たと私に教えるための合図だ。別に好きに出入りしていいと言っているのに毎回毎回律儀なことだ。

 

「角谷~? いるか~?」

 

 いるよ~と返事をするとドアが閉まる音、パタパタとした足音の後、安斎がドアの陰からひょっこりと姿を覗かせた。

 

「泣いてたのか?」

 

 私の顔を見た途端眉を顰めて問いかけてくる安斎に私は苦笑を漏らす。鏡は見てないけどたぶん目の周りは真っ赤に腫れてるんだろうな~。

 そんな私の反応を見て安斎は神妙な顔つきのまま私の隣に腰を下ろす。

 

「話は聞いた。……うちの後輩が迷惑を掛けた。すまなかった」

「……何で安斎が謝るのさ」

 

 安斎は何も悪くない。

 安斎の後輩だというあの娘も悪くない。

 彼女はただ本当のことを言っただけじゃないか。

 悪いのは私だ。全部私だ。

 

 ……私は……人殺しなんだ。

 

「なあ、安斎」

「何だ?」

「……私が悪足搔きしないでおとなしく廃校を受け入れていたら、あんなことにはならなかったのかな……」

 

 安斎が驚いたように私の顔を凝視する。無理もない。それは私の口から初めて漏れた弱音だったからだ。今まで心の中で何度思っても誰にも決して漏らさなかった。

 

 廃校を言い渡された時も。

 

 プラウダ戦で絶体絶命の状況まで追い詰められた時も。

 

 黒森峰に負けて廃校が決まってしまった時も。

 

 ……西住ちゃんや河嶋が死んだ時でさえ……。

 

 一度口を衝いて出てしまえばもう止められない。言葉が次々と堰を切ったように溢れ出す。

 

「西住ちゃんは武部ちゃんや五十鈴ちゃんと楽しい学園生活を送って。

 河嶋は私や小山と一緒の大学に入ってキャンパスライフを満喫して。

 他のみんなも残り少ない学園艦での生活を最後まで楽しんで。

 悪夢に魘されるたびに考えるんだ。廃校を大人しく受け入れていれば。戦車道以外の方法を選んでいれば。戦車道を選ぶにしても西住ちゃんを、みんなを傷つけずに済む方法があったんじゃないかって。

 全部全部私が台無しにしちゃったんじゃないかって!」

「杏!」

 

 安斎に名前を呼ばれたかと思うと私の体が温かいものに包まれた。ほのかな甘い香りが鼻をくすぐる。

 一瞬何が起きたのか理解できなかったけどすぐに気付いた。

 

 もしかして私、今安斎に抱きしめられてる?

 

「お前はよくやった」

 

 やめろよ、やめてくれ……。

 

「最善の方法じゃなかったかもしれない。でもな、お前はお前にできることを精一杯やったんだ。誰にでもできることじゃない」

 

 そんな優しい言葉をかけるな。私にそんな資格なんてないんだ。私のせいでみんな不幸になったんだ。

 西住ちゃんも、河嶋も、小山も、学園艦に住んでた人たちもみんなみんな……。

 

「だからそんな風に自分を責めるな。お前は悪くない、悪くなんてないんだ」

 

 そんな風に優しくされたらもう……。

 

「私はお前を尊敬するぞ」

 

 我慢できなくなっちゃうだろ。

 

 限界だった。

 私は安斎の胸に顔を埋めて声を上げて泣いた。

 安斎は何も言わない。ただただ私を受け入れて優しく背中をさすってくれている。それが温かくて嬉しくて、そしてそんな風に思ってしまう自分の浅ましさが情けなくてまた涙が零れてくる。さっきあれだけ泣いたのにまだ涙は枯れていなかったらしい。

 

 思えばこうして誰かの前で泣いたのはいつ以来だろう。少なくとも大洗の生徒会長になってからは一度も泣いたことがなかった。

 当時の私は一組織の長として常に気を張っていて、誰にも弱みを見せられなかった。それこそ小山や河嶋にも。

 けど今の私には何もない。見栄を張る相手も、守るべき威厳もプライドも何もない。だから誰憚ることもない。

 

 私は罪を犯した。絶対に許されるものじゃないし、許されていいなんて思わない。きっとそれは私が一生背負わなければならない十字架だろう。

 

 でもお願いします。

 

 どうか今だけは。

 

 今だけはこの温もりに縋ることを許してください。

 

 そう願いながら私は安斎の胸で泣き続けた。

 




最終章第2話を観た後だと桃ちゃんのこの扱いは流石に……とは思いました。
けど原作主人公を初っ端でいきなり自殺させておいて今更すぎる、ということで押し通しました。

個人的にはアンチョビのカップリングではまほチョビが一番好き。
しかしあえてここは杏チョビで。


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秋山理髪店の看板娘

ある意味でこの小説で一番のキャラ崩壊です。
秋山殿が原型を留めていないのでご注意ください。


【赤星小梅視点】

 

 その店に入ったのはただの偶然だった。

 

 そろそろ髪を切らなきゃと思っていた矢先、いつも通っていた美容室が閉店してしまって。また新しいところを探さなきゃと考えながら外を歩いている時にたまたまその店が目に入った。

 

 秋山理髪店。

 

 別に珍しくもないどこにでもあるような普通の店だった。

 古めかしい看板に反して建物の外観は新しくて綺麗なのに違和感を覚えたけれど、恐らくどこかから引っ越してきたばかりだったのだろう。

 どうしてあの時その店に入ろうと思ったのかは私にもわからない。

 どこでもいいから、ちょうど目に入ったから、その程度の理由だったのかもしれない。

 でも私にとってはあれはまさしく運命の出会いだった。

 店に入ると出迎えてくれたのは私と同い年くらいの若い女性だった。

 

 綺麗な人。

 

 それが私のその人に対する第一印象だった。

 ウェーブのかかった髪を肩まで伸ばして、優しい顔立ちと柔和な表情は見ているこちらに安心感を与えてくれる。雰囲気はどこか儚げで、触れたら壊れてしまいそうな繊細さを感じさせた。

 私は思わず見惚れてしまっていた。

 その人は入り口で突っ立っている私を見て一瞬驚いたように固まっていたけど、すぐに微笑んで頭を下げた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 秋山優花里さん。

 

 それが彼女の名前だった。

 聞けば私と同い年で、この春理容師の専門学校を卒業したばかりらしい。

 ここは元々ご両親がやっていた店で今は見習いで働いているとのことだった。

 そんな彼女とは不思議と会話が弾んだ。年が同じということもあったけど、何より優花里さんも私と同じクセ毛で毎日髪のセットに苦労しているという話がきっかけだった。

 苦労話で盛り上がっているうちに仲良くなって、カットが終わった後に連絡先を交換して、その後も個人的に電話やメールで連絡を取り合うようになった。

 

 私自身、自分の積極性に驚いていた。私は自分で言うのもなんだけど引っ込み思案で、初対面の人とこんな風にすぐに仲良くなった経験はなかった。

 なのに優花里さんとは何故か自然と打ち解けていた。

 理由はよくわからない。でも何か親近感があったのだ。

 単に髪質のことだけではないと思うけれど、何に対してそんなに親近感を覚えたのかはわからなかった。

 

 そんな風に何度かカットをお願いしたり、プライベートで会ったりを繰り返したある日のこと。

 私はいつものように優花里さんにカットをお願いしようと店に入った。

 

「あら、赤星さん」

 

 出迎えてくれたのは優花里さんのお母さんの好子さんだった。

 優花里さんのご両親とは既に顔馴染みだ。今日のようにカットをお願いするだけでなく、個人的に優花里さんの部屋に遊びに来ているうちに自然と仲良くなっていた。

 

「ごめんなさいね、優花里は今休憩中で買い物に行ってるのよ。もう少しで戻ってくると思うから、よかったらお茶でも飲んで待ってて」

 

 最初は申し訳なくて断ろうとしたが、「いいからいいから」と押し切られてしまった。無理に断るのもかえって失礼かと思い、結局お邪魔することにした。

 

「赤星さん、いつもありがとうね」

 

 お茶を出しながら好子さんは言った。

 てっきりいつもご利用ありがとうございます、という意味合いの言葉かと思ったけど、どうやら違うらしい。

 

「赤星さんが来るようになってからあの娘随分明るくなってね、私もあの人もほっとしてるのよ。昔からあの娘は一人でいることが多くて、友達が家に遊びに来ることなんて高校まで一度もなかったくらいだから」

 

 意外だ、と思った。少なくとも私が知る優花里さんのイメージとはそぐわなかった。

 たしかに優花里さんは初対面の時は物静かな印象を受けたが、話してみると会話が苦手ということもなさそうだったし、気遣いもできる優しい人という感じだった。

 友達を積極的に作るタイプではないかもしれないけど、かといって一人も友達ができないということはなさそうに思えるのに。

 そんな私の疑問に好子さんは苦笑しながら答えてくれた。

 

「あの娘ってば子供の頃からずっと戦車が好きでね。そればっかりで同年代の子と全然話が合わなくて、気の合う友達ができなかったみたいなのよ」

 

 戦車、という単語に私は暗い気持ちになる。

 私にとっては嫌な思い出ばかり詰まった代物だから。

 でも妙だと思った。優花里さんとは初めて会って以来何度もお話する機会があったが、一度も戦車の話題が出てきたことがない。

 私に気を遣っていたというわけではない。純粋に興味がないように思えた。

 

「ここに引っ越してきてからもう3年以上経つんだけど、あの娘ってば引っ越してくる時に戦車のグッズを全部処分しちゃったのよ」

 

 それを聞いて得心が行った。

 優花里さんの部屋にお邪魔したことは何度かあったけど、戦車関連の物はまったく見かけなかった。それどころかほとんど物がなくて最低限の家具しかなかった。

 随分と殺風景な内装に違和感を覚えたものだけど、ずっと集めていたグッズを処分したせいだとすれば納得がいく。

 

 とはいえそれはそれで新たな疑問が湧く。

 そんなに好きだったものをどうしていきなり処分しようと思ったんだろう。

 私の疑問を察したのか、好子さんは説明してくれた。

 

「私も本当にいいの? って確認したんだけど、あの娘ってばあんなに好きだったのに今ではもう見てるだけで辛いからって言ってね。……まあ、あんなことがあったんだから無理もないけど」

「あんなこと?」

 

 反射的に聞き返すと好子さんははっとして口許を押さえる。

 もしかして聞いちゃいけないことだったのだろうか。なら別に無理に言わなくてもと思ったけど、好子さんは口許に手を当てて考え込んだ末、意を決したように顔を上げる。

 

「赤星さんは大洗女子学園って学園艦のことは知ってる?」

 

 大洗女子学園。

 その名前を聞いて心臓がドクンと跳ねた。

 知っている。知らないはずがない。

 だってその学校はあの人がいたところだ。

 私を救ってくれた、あの人が。

 

「今はもう廃艦になっちゃったんだけどね。うちの一家はずっと学園艦に住んでたから、それでこっちに引っ越してきたのよ」

 

 動悸が激しくなる。

 だって大洗が廃校になったのは戦車道の全国大会で負けたからで。

 その対戦相手は私がいた黒森峰女学園で。

 つまり。

 私たちの、私のせいで優花里さんたちは故郷を失った?

 

「優花里ね、そこで戦車道をやってたの」

「……え?」

 

 優花里さんが? 大洗で戦車道を?

 

 好子さんは言うべきか言わざるべきか、再度迷っているようだった。でもここまで言って今更口を噤むことはできず、その先を口にした。

 

「4年前の戦車道の全国大会にも出てたの。でもその大会の後に仲良くしてた友達が亡くなってね。それからなのよ、あの娘が戦車を嫌いになったのは」

 

 

          *

 

 

【秋山優花里視点】

 

 今日の小梅さんは変だ。小梅さんの髪をカットしながら私はいつもとの違いに戸惑っていた。

 普段なら自然と会話が弾むというのに、今日はどうにも歯切れが悪い。こちらから色々話題を振っても「はい」とか「ええ」とか生返事が返ってくるだけだ。

 

 まあ人間誰しも機嫌の悪い時もあれば、人と話す気分じゃない時もあるものだ。そういう時に無理に話を振ってもいいことはない。

 また日を改めればいいと気持ちを切り替えて、その後は必要最低限のことだけを口にして黙々とカットを続けた。

 

 結局カットが終わるまで小梅さんの様子は変わらなった。

 最後にお会計をして「ありがとうございました」と頭を下げるが、小梅さんは店を出ていくことなくその場に留まったままだった。

 どうしたんだろう? 訝しむ私に対して小梅さんは意を決したように私の目を見つめて言った。

 

「あ、あの、優花里さん!」

「は、はい、何でしょうか?」

「付き合ってくれませんか!?」

「へ?」

 

 

          *

 

 

「すいません、お仕事中に突然連れ出してしまって」

「いいんですよ、今日はお客さんも少なかったですし。母も大丈夫と言っていましたから」

 

 私たちは近所の喫茶店に来ていた。

 何と言うことはない、付き合うというのは話があるので付き合ってほしい、ということだった。勝手に告白かと勘違いしてしまった自分が恥ずかしい。

 それは小梅さんも同じなのか、私たちはお互いに気まずい顔で無言になってしまった。

 

 注文したコーヒーが運ばれてくると、間を持たせるために真っ先に口をつけた。砂糖もミルクも入れられていないそれは想像以上に苦くて、思わず顔を顰める。

 小梅さんはというと同じものを平然と飲んでいた。やっぱり飲み慣れているのだろうか。

 ドイツではコーヒーが人気らしいから、きっと黒森峰でも――

 

「それで、お話というのは何でしょうか?」

「あ、はい!」

 

 小梅さんはカップを置くと、一度深呼吸して息を整える。その表情は緊張のせいか強張っていた。

 

「その、さっき優花里さんのお母さんから聞いたんです。優花里さんが大洗女子学園で戦車道をやってたって」

 

 そんな予想外の言葉に、今度は私の方が表情を強張らせる番だった。

 

「その話を聞いて思い出したんです。あの日、私が初めて店に入った時、優花里さんは私の顔を見て驚いてましたよね?」

 

 小梅さんが初めてうちの店に現れた時のことは今でもはっきりと覚えている。

 

「優花里さんは知っていたんですか? 私が黒森峰の人間だってことを」

 

 一目見た時から小梅さんが黒森峰の人間だということには気付いていた。

 だって私は見ていたから。

 あの日、試合前に小梅さんがあの人と話しているのを。

 

「……すみません、問い詰める気はなかったんです。でも知ってしまった以上、隠しておけなくて」

 

 コーヒーに無言で口を付ける。その苦みはまるで今の私の内心そのもののようだった。

 どうすべきか。私は迷った。

 誤魔化すことは可能だろう。きっと小梅さんは無理に追及してくることはないだろうから。

 でもそれは正直に話してくれた小梅さんに対して不誠実だと思った。

 いや、それだけじゃない。私自身、私の中に淀んでいたものを吐き出したいという気持ちがあった。

 だから私は観念してすべてを話すことにした。

 

「母の言っていた通りです。私は大洗女子学園で戦車道をやっていました。乗っていたのはⅣ号戦車で、装填手をしていました」

「Ⅳ号? ということはみほさんの……」

「はい。西住みほさんと同じ戦車に乗っていました」

 

 みほさんの名前を口に出すと、私の脳裏に高校時代の思い出が甦ってきた。

 

 いい思い出も。

 

 悪い思い出も。

 

「……他には母から何か聞いてますか?」

「ええっと、昔は戦車が好きだったのに、今はグッズもすべて処分してしまったってことは……」

 

 ああ、そんなことまで聞いていたんだ。存外母もお喋りだなと私は苦笑した。

 あるいは、小梅さんなら大丈夫と思ったのかもしれない。小梅さんと出会ってからの私は自分でもわかるくらい気持ちが晴れやかになっていたから。

 私が小梅さんに自分の話を聞いてほしいと思ったのと同様に、母も私の話を聞いてあげてほしいと、そう思ったが故なのかもしれない。

 

「そうですね、私は以前は戦車が大好きだったんです。それこそ子供の頃から。もっともそのおかげで同年代の子と話題が合わなくて、全然友達もできなくて、ずっと一人ぼっちだったんですけどね」

「意外です」

 

 それはどちらのことだろう? 戦車が好きだったことか、それとも友達が一人もいなかったことか。聞いてみると後者だという。

 学生時代の私を知らない小梅さんからすれば当然の反応だと思う。接客業を務めるにあたってはお客さんとの接し方には気を付けているつもりだから。

 もっとも母に言わせれば私は昔から人当たりは悪くなかったし、会話だって苦手ということもなかった。単に戦車の話題になると熱くなるのが問題だったとのこと。

 たしかにその自覚はある。初めて戦車に乗った時なんて興奮のあまり叫んでしまったくらいだし……。

 あるいは以前沙織さんに言われたようにパンチパーマにしていたのも原因かもしれない。

 何にせよ私がずっと友達がいなかったのは事実だった。

 

 あの時までは。

 

「でも高校に入って、私にもようやく友達ができたんです」

 

 そう、私は出会ったんだ。

 

 大切な仲間たちに。

 

 西住みほさんに。

 

 高校2年生の春のことだ。選択必修科目のオリエンテーションで戦車道が復活することを知った私は、迷いなく戦車道を選択した。

 そして戦車道の授業の初日。集合場所のガレージ前でみほさんの姿を目にした時は自分の目を疑ったものだ。夢じゃないかと思った。あの西住みほさんが大洗にいるなんて信じられなかったから。

 

 でもすぐに理解した。前年の決勝戦、みほさんが取った行動を思い出したから。その行動の結果、黒森峰が10連覇を逃したことも。そのこととみほさんが大洗にいることが無関係だとは思えなかった。

 私個人としてはあの時のみほさんの行動は間違っていなかったと今でも思っている。でも黒森峰ではそうは思われなかったらしく、あちこちから批判にさらされたという噂も聞いた。

 そんなみほさんに対して私はどう接すればいいのかわからなくて、というよりも恐れ多くて声をかける勇気が出なくて、隠れて見ているしかできなかった。

 

 でもそんな私にみほさんは声をかけてくれた。

 

 それをきっかけに私の戦車道は始まったんだ。

 

「本当に楽しかった。大好きな戦車に乗れて、憧れのみほさんと一緒に戦車道ができて、友達もできて。毎日が充実してました。こんな日がずっと続けばいいのに、そう思うくらい最高の日々でした」

 

 でもそんな日々は唐突に終わりを告げた。

 

 大洗女子学園が廃校になったことで。

 

 そして。

 

 みほさんが亡くなったことで。

 

 今ではあんなに好きだった戦車を見るのも辛くなってしまった。

 みほさんのことを思い出してしまうから。

 そしてそれは何もみほさんが亡くなってしまったという事実を思い出すということだけではなかった。

 みほさんは逸見さんに対して言っていた。

「やりたくもない戦車道を無理矢理やらされて」って。

 仲間で一緒に戦車に乗ったあの日々はみほさんにとっては苦痛でしかなかった。そう思うと、悲しくなるからだった。

 

「逸見さん? エリカさんがどうかしたんですか?」

 

 エリカさん。

 小梅さんは今たしかにそう言った。

 下の名前で呼ぶということは親しい間柄だったのだろうか。

 

「寮の部屋が同室だったんです」

 

 そんな人に対してあのことを言っていいのか私はしばし悩んだが、結局打ち明けることにした。

 あれは忘れもしない、決勝戦を間近に控えたある日のことだった。

 ガレージでみほさんと二人で強化した戦車を見て回っていたところにあの人が現れたんだ。

 

 黒森峰の副隊長、逸見エリカさんが。

 

 何故彼女が大洗に? 戸惑う私たちに構わず彼女はみほさんのことを罵倒した。

 みほさんのせいで黒森峰は10連覇を逃した。それなのに何故他所の学校で戦車道を続けているのか、と。

 10連覇を逃したせいでチームがバラバラになりそうだったのを、みほさんのお姉さんがまとめ上げるのにどれだけ苦労したのかわかっているのか、と。

 みほさんのことを裏切り者だとか、無神経すぎるとか、好き勝手に扱き下ろしていた。

 

 私は悔しい思いでいっぱいだった。たしかに黒森峰の人たちだって大変な思いをしたのかもしれない。それでもみほさんの方がずっと辛い思いをしたはずなのに。

 人命救助という人として称賛に値する行動をしたにもかかわらず、敗戦の責任を一身に背負わされて。

 心に傷を負いながら転校した先では廃校を賭けて戦うことを強いられて。

 逸見さんの方こそそんなみほさんの気持ちをわかっているのか、と言いたかった。

 

 本当はみほさんを庇いたかった。でも部外者が口を挟むなと言われて、私はつい押し黙ってしまった。

 あの時に私が逸見さんに反論していれば、あんなことにはならなかったのかもしれないのに。

 

「言うだけ言って逸見さんはそのまま出ていこうとしました。でもそんな逸見さんにみほさんが突然掴みかかったんです」

 

 当時の私は目の前の光景が信じられなかった。

 みほさんは優しい人で、怒っているところなんて見たことがなかった。ましてや誰かに掴みかかるなんて尚更だった。

 そんなみほさんが逸見さんの襟首を締め上げて罵声を浴びせていた。まるでそれまで溜め込んでいたものを吐き出すように。

 

『落ち着いてください、西住殿!!』

『離してっ!! 離せええぇぇぇっ!!!』

 

 私が止めに入らなければ、みほさんはあのまま逸見さんを殺していたかもしれない。普通に考えればありえない話だけど、それくらいあの時のみほさんは恐ろしい形相をしていた。

 その後自由になった逸見さんは逃げるように去っていって、しばらくするとみほさんも落ち着いてくれた。

 

『……ごめん、優花里さん。あんなことするなんて、私どうかしてた』

『いえ』

 

 私は気の利いたことも言えずに、ただ黙って佇むだけだった。重苦しい沈黙が私たちの間に横たわっていた。

 何か言わなきゃと思って必死に言葉を捻り出そうとしていると、先に口を開いたのはみほさんの方だった。

 

『ねえ、優花里さん。優花里さんは私が戦車に乗らなくても友達でいてくれた?』

『え?』

 

 思いも寄らない言葉に私は呆然としてしまった。

 私にとってみほさんと戦車は切り離せない存在だった。

 みほさんは一流の戦車乗りで、私はそんなみほさんに憧れて、そんなみほさんと友達になれたことが嬉しくて。

 だからみほさんが戦車に乗らないなんて考えたことがなかった。

 そんな私の反応を見て、みほさんは寂しげに微笑んだ。

 

『……ううん、今のは忘れて』

 

 そしてそのまま私に背を向けて歩き出そうとした。

 

『あ、西住殿』

『来ないで』

 

 慌てて後を追おうとする私にかけられたのは明らかな拒絶の言葉だった。

 

『ごめんなさい、優花里さん。今優花里さんと話したら、たぶん私、優花里さんに酷いこと言っちゃう。だからお願い、今は一人にしてください……』

 

 みほさんに拒絶された。そのショックで立ち竦む私を置いてみほさんは一人歩き去った。私は何も言えずにその背中をただ見送るしかなかった。

 

「あの時にもうみほさんの精神は限界に来ていたんです。あの時私が無理矢理にでもみほさんの傍にいてあげれば、あんなことにはならなかったのに」

 

 あの時後を追って言ってあげればよかったんだ。例えみほさんが戦車に乗らなくても、戦車のことを嫌いになっても。私はみほさんの友達であり続けるって。

 

 今なら自信を持って言えることだ。

 

 でも当時の私にはできなかった。

 

 私は迷ってしまったんだ。たしかに私はみほさんのことを尊敬していた。でもそれは西住みほという一人の人間ではなく、あくまで一人の優秀な戦車乗りとしてじゃないのかって。

 みほさんは西住流の人間として扱われることを嫌っていた。それは何も西住流だけでなく、自分の人生に常に戦車が付いて回るのを嫌がっていたようにも思えた。

 私はみほさんを西住流の人間として見ていたわけではない。それでも優れた戦車乗りという一面ばかり見ていたのも否定できなかった。

 戦車に乗らなくても友達でいてくれたか、とあの時みほさんは言った。

 あの時のみほさんが何を思ってそんなことを聞いてきたのかはわからないけれど、あるいは私のそんな内心を見透かしていたのかもしれない。

 

 けれど違う。そもそも私がみほさんに憧れたのは、仲間を助けようとしたみほさんの行動に胸を打たれたからだったはずだ。

 今でも鮮明に思い出せる、川に落ちた仲間を救助するために車輌を飛び出すみほさんの姿を。一人ぼっちだった私はあのみほさんの想いに心を打たれたんだ。

 

 当時の私はそのことを忘れていた。

 

 そしてそれを思い出した時にはすべてが遅かった。

 

 しかも翌日会った時にはもういつものみほさんに戻っていて。だからもう大丈夫だなんて、思ってしまった。あんなことがあって平気なわけがないのに。

 私はあの人のことを神様か何かと思っていたのかもしれない。

 そんなはずないのに。

 あの人も私たちと同じ人間で。

 ただの16歳の女の子で。

 普通に笑って、泣いて、怒って、苦しむこともある。

 そんな当たり前のことを忘れてしまっていた。

 

 思えば私たちは全員みほさんに頼り切りだった。みんな素人なんだから仕方がなかったのかもしれない。それでももっとできることがあったんじゃないか、と今更ながらに思う。

 当時の私たちはそんなことに考えが及ばず、無責任に信じていたんだ。

 

 みほさんなら何とかしてくれるって。

 

 ……いや、違う。私はみほさんを信じていたんじゃない。私はただみほさんを崇拝していただけだ。みほさんにすべてを押し付けて、みほさんに何もかも背負わせてしまっていたんだ。

 そして私はその代償を支払うことになる。しかも絶対に負けられない一番重要な場面で。

 4年前の決勝戦、フラッグ車同士の一騎討ちの場面で、最後の最後で敗北してしまったんだ。

 

「あの時私の装填があと少し速ければ、勝てていたんです。きっと勝てていれば全部うまくいったんです。大洗女子学園は廃校にならずに済んで、みほさんは自分の戦車道を見つけられて、みんなバラバラになることもなく今でも一緒に戦車道を楽しんでいたはずなんです」

 

 そうだ、だから。

 

「みほさんが死んだのは私のせいなんです」

 

 顔を俯けて懺悔するように私は声を絞り出した。

 

「……流石にそれは言い過ぎじゃないですか?」

 

 小梅さんの反論に私は苦笑で返した。

 

「そうですね、みんなそう言ってくれました。両親もあんこうチームのみんなも」

 

 私のせいで負けたなんて思い上がりも甚だしいと言われればそれまでだ。

 

 でも。

 

「でもあの日以来何度もあの試合の夢を見るんです」

 

 それも決まって最後の一騎討ちの場面で。

 目の前にはフラッグ車のティーガーがいて。

 それも相手は主砲を撃ったばかりで装填には時間がかかる、そんな状況で。

 後は私が砲弾を装填すれば勝てる、そういう場面で。

 焦る必要もない、いつも通りに装填すればいいだけだ。何も難しいことなんてない。

 

 なのに。

 

 何故かいくら力を入れても腕が動かなくて。

 いつまで経っても装填ができなくて。

 早くしないとって焦りばかり募るけど状況は変わらなくて。

 そうしているうちに相手の砲塔がこちらを向いて、砲弾の装填も終わっていて。

 私が砲弾を装填しさえすれば勝てるのに結局できなくて。

 それで負けるんだ。

 

 それからだ、あんなに好きだった戦車を見るのも辛くなったのは。

 




エリカが決勝前に大洗に乗り込んできたのはコミック版準拠です。
コミック版は抽選会当日の戦車喫茶でのやり取りがなかったのであのシーンを入れたのかもしれませんが、この小説では両方あったという設定でいきます。
あとエリカと小梅ちゃんが同室というのはあくまでこの小説の設定で公式ではありません。


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赤星小梅の存在意義

何かUAやらお気に入りやらが伸びてるなと思ったら。
まさかの総合日間ランキング入り!
これも読んで下さる皆さまのおかげです!
本当にありがとうございます!!

さて今回は小梅ちゃんのお話。
プラウダ戦以降みほは情緒不安定になっており、その結果思わぬところに被害が波及することに。
あと百合要素ありです。


【赤星小梅視点】

 

 悲痛な面持ちで、まるで罪人が己の罪状を告白するように声を絞り出す優花里さんの姿に私は胸が苦しくなった。

 その気持ちは痛いほどに理解できたから。

 

 私もよく悪夢を見た。

 

 川に沈む夢。

 

 水没する戦車から必死に脱出しようとする夢。

 

 私以外は全員脱出して、後は私だけ。

 

 そこで何かに足を掴まれて動けなくなって。

 

 息が苦しくなって、必死に藻掻くけど振りほどけなくて。

 

 そのまま水底に引きずり込まれて。

 

 最後は力尽きて意識が闇に飲まれる。

 

 そんな夢を毎日見た。

 

 あの夢は死の危険に晒されたが故の恐怖心から来ていたのかもしれない。

 けど私はそれに加えてみほさんに対する罪悪感が見せたものじゃないかと思っている。

 私はいつもみほさんに迷惑を掛けてばかりだったから。

 

 みほさんとの出会いを思い出す。

 

 私が初めてみほさんに会ったのは中学生の時だった。

 私は子供の頃からずっと戦車道が好きだった。だから必死に努力して名門である黒森峰女学園に入学した。

 でも最初は何をやっても全然上手く行かなくて、練習もきつくて、周りに迷惑ばかりかけていた。

 

 そんな私にみほさんは優しくしてくれた。私がミスをして迷惑をかけても責めることなく、逆に励ましてくれた。

 私は最初みほさんのことをもっと怖い人かと思っていた。西住流というとどこか近寄りがたいイメージがあって、事実まほさんはそうだったから。

 でもみほさんは違った。とても親しみやすくていい意味で西住流らしくない人だった。

 エリカさんはそれが気に入らないみたいだったけど、私はそんなみほさんのことが好きだった。一緒に頑張りたいと思っていた。

 みほさんのおかげで私はきつい練習にも耐えられた。ミスも減って次第に実力もついていって、ついにはレギュラーにも選ばれた。

 そして高校に入学するとそのままの勢いで一年生でレギュラーに選ばれた。

 まるで夢のようだった。あの黒森峰でそれも一年生のうちにレギュラーになれるなんて思っていなかったから。

 何よりみほさんと一緒に戦える、それがとても嬉しかった。本当に幸せで充実していて、こんな日がいつまでも続くって信じて疑わなかった。

 

 あの事故が起こるまでは。

 

 あの日からすべてが狂ってしまった。

 みほさんは塞ぎ込んでしまったし、あの時滑落した戦車の乗員は針の筵に座らされた思いで毎日を過ごしていた。

 いじめも受けた。『死ねばよかったのに』なんて言われたこともある。実際死のうと思ったこともあったが何とか耐えた。

 そんな日が延々と続いて、気付けばあの日あの車輌に乗っていた人間の中で残ったのは私だけになった。みほさんは黒森峰をやめて他の高校に転校することになった。

 

 それでも私は戦車道をやめなかった。

 何故か?

 簡単なことだ。すべてはみほさんのためだ。私が戦車道を続けていたのはひとえにみほさんのためだった。あの日のみほさんの行動は間違っていない、それを証明するためだけに私は戦車に乗り続けた。

 

 でもそのみほさんはいなくなってしまった。

 

 そして私は戦車道をやめた。

 

 未練はなかった。あんなに好きだったのに、あんなに必死に頑張ってきたのに、驚くほどあっさりと手放してしまった。

 みほさんがいなくなったからというのは勿論ある。でもそれ以上に大きかったのは、私のやってきたことが無意味だったと思い知らされたからだ。

 

 4年前の決勝戦。試合前に私はみほさんを呼び止めてあの時のお礼を言った。

 それまでずっと胸につかえていたものが取れた気がした。言いたくても言えなかった、感謝の気持ちをようやく伝えることができたと思った。

 

 でもそれは私の自己満足でしかなかった。

 

『何それ?』

 

 一瞬誰の声かと思った。だってその声はみほさんのものとは思えない程に冷たい響きだったから。

 思わず顔を上げた私の目に映ったのは。

 

『何で今頃になって、そんな、そんな……!』

 

 私を睨みつけるみほさんの顔だった。

 

 私は目の前の光景が信じられなかった。みほさんのあんな怖い顔は初めて見たから。いやそもそも怒っているところ自体見たことがなかった。

 何より信じられない、信じたくなかったのは、その怒りを向けられているのが自分だということだった。

 私は逃げるように後退った。みほさんから、直視したくない目の前の現実から逃げるように。

 そんな風に前ばかり見て足元が疎かになっていたせいか、私は足を滑らせてよろめいた。

 倒れる、と思ったところで何かが私の肩に触れた。そしてそのまま引き上げられた。

 恐る恐る目を開くとそこにいたのはエリカさんだった。いつの間にか私の傍にいて肩を抱いて支えてくれていた。そして怯える私を庇うようにみほさんと対峙していた。

 

 エリカさんに助けられたのはあれが初めてじゃなかった。

 エリカさんは何度も私のことを助けてくれた。私が敗戦の責任を糾弾されるのを何も言わずに耐えていると、エリカさんは庇ってくれた。

 

「あの逸見さんが?」

 

 優花里さんは信じられないと言わんばかりに目を見開いていた。その反応に苦笑する。

 あの人は誤解されやすいけど本当は優しい人だ。たしかに言動がきついところがあるし、私自身そのせいで傷ついたこともある。でもその何倍も助けてもらった。

 

 あの時もそうだった。

 

 しばらくの間二人は睨み合っていたけど、不意に視線を逸らすとみほさんはそのまま何も言わずに私たちに背を向けて去っていった。

 その後の試合のことは正直よく覚えていない。

 私が覚えているのは結果だけだ。

 

 黒森峰が大洗を破って悲願の優勝を勝ち取ったこと。

 

 そしてみほさんがその日の内に自殺したことだけだ。

 

「私がもっと早くお礼を言えていればよかったんです。みほさんの行動は、みほさんの戦車道は間違ってなかったって言ってあげれば……いいえ、そもそもあの時私の車輌が川に落ちなければ、みほさんは苦しまずに済んだのに」

 

 そうだ、だからきっと。

 

「みほさんが死んだのは私のせいなんです」

 

 重苦しい沈黙が私たちの間に漂う。

 店内に流れるBGMだけが穏やかに空気を震わせ続ける。

 このままこの状態が永遠に続くのではないかと、そんな錯覚を覚えるほどに私たちの間に流れる空気は重かった。

 

「そんなの」

 

 そんな沈黙を破ったのは優花里さんだった。

 

「そんなの、小梅さんは何も悪くないじゃないですか。あの事故も、黒森峰が負けたのも、ましてやみほさんが死んだのだって、小梅さんに責任なんてありません」

 

 優花里さんの言葉にエリカさんの面影が重なった。

 まったく似ても似つかない二人なのにそう思ったのは、二人とも私に同じことを言ってくれたからだ。

 

 貴方は悪くない、って。

 

 あれはみほさんが亡くなってしばらく経った日のことだった。

 私はみほさんが亡くなってからというもの、ずっと部屋に引き籠り続けていた。戦車道の練習どころか授業すら出ずにベッドに独り蹲っていた。同室のエリカさんが声を掛けてくれても、無視するか生返事をするばかりで、ほとんど生きた屍といっていい状態だった。

 

『いつまでそうやっているつもりなの?』

 

 そんな私の様子を見てエリカさんが声を掛けてきた。私はそれに返事もせずに黙りこくっていた。そこまではいつも通りだった。

 しかしその後は普段とは違う展開になった。

 不意に視界が回転した。

 背中に感じる布団の感触と視界一杯に広がるエリカさんの顔を見て、ようやく私は自分がベッドに押し倒されていることに気付いた。

 まともにエリカさんの顔を見たのは久しぶりだったけど、見るに堪えない有様だった。

 私も大概酷い状態だったはずだけど、エリカさんもそれに負けていなかった。目には隈ができて、肌も荒れて、綺麗な銀髪は見る影もなく傷んでいた。

 

『いつまでも悲劇のヒロイン気取ってんじゃないわよ!』

 

 その言い様にカチンときた。

 付き合いも長いので、私もエリカさんの口の悪さに慣れてはいた。

 でもあの時の私にはエリカさんの暴言を聞き流すだけの心の余裕がなかった。

 

『一番辛いはずの隊長が耐えてるのよ? 今日だって戦車道の練習を最後までやり遂げて、今も隊長室で一人業務をこなしてる。それなのに、貴方はいつまでそうやって自分の殻に閉じこもってるつもり!?』

『エリカさんに何がわかるんですか!?』

 

 私は怒りに任せてエリカさんの襟首を掴んで体勢を入れ替えた。どこにそんな力が残っていたのかと私自身が驚いたほどだ。

 それはエリカさんも同様で、呆然と私を見上げていた。さっきまで抵抗できるだけの体力も気力もなくされるがままになっていた私が豹変したんだから無理もない。

 

『私のせいで、私があの時川に落ちたせいで、試合に負けてみほさんは転校して。私は助けてもらったのにお礼も言えなくて、そのせいでみほさんはずっと苦しんで、死んでしまって。全部、全部私が悪いんですよ!!』

『貴方は悪くないでしょう!?』

 

 私に負けないくらいの声量で叫び返すエリカさんに私は呆気に取られた。

 

『あの娘が死んだのは私のせいよ。本当は全部私が悪いの。だから貴方が責任を感じる必要なんてない。だから自分を責めないでよ、お願い。でないと、私は……』

 

 そこまで言ってエリカさんは顔を覆って泣き出してしまった。

 あのエリカさんが涙を見せるなんて信じられなかった。エリカさんはどんな時も気丈に振る舞って、他人に弱みを見せるようなことは絶対にしない人だったから。

 私は訳が分からないながらもそんなエリカさんを慰めて。

 

 気付けばそのまま二人して眠りこけてしまった。

 

 その後、先に目が覚めたのは私の方だった。

 まだ夜中なのを見て取ってもう一度寝ようと思った私の耳に入ってきたのは、隣で寝ていたエリカさんの呻き声だった。

 最初は自分の隣でエリカさんが寝ているという事実に頭が混乱したけれど、次第に眠りに落ちる前の状況を思い出して冷静さを取り戻した。

 

 エリカさんは魘されていた。

 

 一体どんな夢を見ているかはわからなかったけれど、寝言でみほさんの名前を呼んでいた。

 みほさんが死んだのは自分のせいだ。エリカさんの言葉を思い出した私は、やはりどうしていいかわからなくて、でも目の前で苦しんでいるエリカさんを放っておけなくて、抱き締めて安心させるように頭を撫でてあげた。

 しばらくそうしているとエリカさんは段々と落ち着いてきて、安らかな寝息を立て始めた。

 それを見て私も安心して再び眠りについた。

 

 何故エリカさんがみほさんの死に責任を感じるのか当時の私にはわからなかった。

 たしかにエリカさんはみほさんが黒森峰にいた頃はよく突っかかっていたし、みほさんの西住流らしくない人柄に不満を抱いてはいた。

 

 でも私はエリカさんがあの事故のことでみほさんを責めているのは見たことがなかった。

 

 みほさんがしたことは西住流にあるまじき行いだと言ってはいたし、みほさんに対して見返してやればいいと発破をかけているのは見たことがあった。

 それでも直接みほさんを詰るようなことはなかった。それどころかみほさんが救出した車輌の乗員が私以外全員やめたのを見て、みほさんが転校して戦車道をやめるのも仕方がないとすら言っていた。

 でも優花里さんの話を聞いて納得した。優花里さんが話した通りなら、エリカさんがみほさんの死に責任を感じるのもわかる。

 

 でもそれで私がエリカさんに助けられた事実が変わるわけじゃない。

 

 あの事故以来私の周りには二種類の人間しかいなかった。

 

 私を責める人。

 

 私と関わろうとしない人。

 

 そのどちらかだった。

 

 私の周りは敵だらけだった。私はずっと孤独だった。この世界の中で孤立していた。

 みほさんが間違っていなかったと証明するなんて意気込んでいたけど、そんな状況が続くと次第に私は疲弊していった。何度も心が折れそうになった。

 そんな中でエリカさんだけは他の人とは違った。唯一明確に私の味方になってくれた。私がいじめに遭っていた時に庇ってくれた。

 あるいはエリカさんにとっては単にいじめが見るに堪えないとか、そんな何気ない理由だったのかもしれない。

 それでも私の心は間違いなく救われたんだ。

 世界中が敵だらけに見えていた私にとって、自分の味方でいてくれる存在がどれだけ心強く、ありがたかったか。

 私の想いを、存在を肯定してくれた。それに私がどれだけ救われたか。

 

 みほさんを追い詰めたエリカさん。

 私を救ってくれたエリカさん。

 どっちが本当のエリカさんなのか。

 私にはわからないけれど、とりあえず一つだけ言えることがある。

 優花里さんの話を聞いた今でも、私はエリカさんを嫌いにはなれないということだった。

 こんなことを言ったら優花里さんは怒るかもしれないけれど、それでもそれが私の本心だったから。

 

 それに私には負い目もあった。

 私は結局あの後戦車道をやめてエリカさんの傍から離れてしまったから。

 みほさんが亡くなってから大変な状況にある黒森峰に、エリカさんを置き去りにしてしまったから。

 

 あの日気持ちを吐き出したおかげか私は徐々に心身ともに回復していって、通常授業に出れる程度には回復した。

 でも戦車道を続ける気にはとてもなれなかった。

 戦車道を続けるだけの理由も熱意も失い、むしろ戦車を見ても辛い気持ちしか湧いてこなくなってしまっていた。

 

 そして私は正式に戦車道をやめて普通科に編入することを決めた。

 隊長であるまほさんにその件を報告すると、ただ「そうか」とだけ答えた。

 引き止められても困るけれど、あまりに素っ気ない対応だった。

 もっとも、エリカさんが言った通りみほさんが亡くなって一番ショックを受けているのはまほさんだろうし、私なんかに構っている余裕はないだろうことも理解できた。

 だから私は用が終わるとすぐに退室しようとした。

 

『赤星』

 

 そんな私をまほさんは呼び止めた。

 

『戦車道をやめるのは構わない。だが一つだけ頼みがある』

『何ですか?』

 

 戦車道をやめる私に何を頼むことがあるのか。

 訝しむ私に対して、まほさんは椅子から立ち上がって私の目の前まで来ると深々と頭を下げた。

 

『身勝手な頼みだとは承知している。それでも頼む、これからもお前は生き続けてくれ。みほのためにも、みほがしたことが無駄ではなかったと証明するためにも。せめて、お前だけは……』

 

 あのまほさんが私に頭を下げている。それがあまりに予想外で、私の脳はその事実を認識するのに時間を要した。

 頭が冷静さを取り戻し、まほさんが言ったことを理解するにつれて私の心の内に湧き上がってきたのは怒りだった。

 

『本当に身勝手なお願いですね』

 

 たしかに当時の私は生きる意味を見失っていたし、一時は死んでしまおうかとすら考えた。それを見透かした上での言葉だったんだろう。

 けどその台詞には私に対する思いやりなんて欠片も感じられなかった。私の気持ちなんて一切考えていない、ただみほさんのことしか考えていない台詞だった。

 

 それだけこの人にとってみほさんは大切な存在だったんだろう。

 

 しかし、ならどうしてみほさんが生きている間に何かしてあげなかったのか。

 

 みほさんが黒森峰で孤立していた時に何もしなかったくせに。みほさんが死んだ後になって姉として振る舞おうとするその姿には軽蔑すら覚えた。

 罪滅ぼしのつもりだろうか。ならあまりにも遅すぎだった。

 この人が隊長としてではなく姉としてみほさんにちゃんと接してあげていれば、みほさんは死なずに済んだんじゃないか。

 自分のことを棚上げして私はそんなことを思った。思わずにはいられなかった。

 でも私はそれを口に出すことはしなかった。私には言う資格がないことだと理解していたし、それこそ言っても遅すぎる話だったから。

 

『私はたった今戦車道をやめた身です。だから隊長の命令を聞く義務はありません』

 

 代わりに口を衝いて出たのはそんな突き放すような冷たい言葉だった。自分自身こんなに冷たい声が出せるのかと驚いたくらいだ。

 

『ですが先輩の一人の人間としての……いえ、みほさんの姉としてのお願いなら話は別です』

 

 まほさん個人のお願いなら聞く義理はなかった。でもみほさんの姉としてのお願いなら聞いてもいいと思った。

 私はみほさんを傷つけてしまった。あの優しいみほさんがあんな顔をするほどに追い詰めてしまった。その罪は償わなければならない。

 例えどんなに辛くても。生きることが私の務めであり、罰であり、贖罪だ。

 それが私の生きる意味、存在意義だ。そう思ったから。

 

『ありがとう』

 

 私の返答を聞いて安心したかのように再び頭を下げるまほさんを一瞥することもなく、私は隊長室を後にした。

 少しでもあの場に留まっていたらまほさんに何を言ってしまうかわからなかったから。

 

 私はまほさんのことは一戦車乗りとして純粋に尊敬していた。でもあの日以来、私のまほさんに対する認識は戦車に乗るしか能がないダメな人というものに変わってしまった。

 ただ今でもそうかというと、そうでもない。

 あの時の私は頭に血が上っていた。戦車乗りは頭に血が上りやすい人が多いというけれど、私もその例外ではなかったらしい。

 今は戦車に乗らなくなって久しく、あの時まほさんに対して感じていた怒りも沈静化した。

 

 代わりに今まほさんに対して抱くのは哀れみだった。それは先日偶然見た戦車道の試合も無関係ではないだろう。

 テレビで見たまほさんは見る影もないほどに変わり果てていた。その顔には人としての温かみなど欠片も感じられず、まるで機械のようだった。

 そんなまほさんの姿を見て私は少し認識を改めた。

 戦車に乗ること以外能がないのではなく、戦車に乗る以外許されない、もしくは他に何をすればいいのかわからない、そんな哀れな人という認識に変わった。

 

 そういう意味では、まほさんもまた被害者だったのかもしれない。

 とはいえ、戦車道をやめた私にできることもない。

 それにまほさんを支えるべきなのは私じゃない、もっと相応しい人がいるはずだ。

 

「小梅さん?」

 

 優花里さんの声に意識を現実に引き戻される。

 いけない、目の前の優花里さんを放って物思いに耽るなんて。

 私は頭を切り替えて先程の優花里さんの言葉を思い出す。

 

「優花里さん、本当にそう思いますか? 私は何も悪くないって、そう言ってくれますか?」

「勿論!」

 

 力強く肯定する優花里さんを見て私の顔には自然と笑みが浮かぶ。

 優花里さんの気持ちは素直に嬉しい。反面、それに甘えてはいけないという内なる声も聞こえてくる。

 

「なら優花里さんもですよ」

 

 優花里さんは私の言葉に虚を突かれたように目を瞬かせる。

 

「優花里さんは何も悪くない。あの試合で負けたのも、大洗が廃校になったのも、優花里さんの責任じゃありません。ましてやみほさんのことについては尚更です。私が悪くないと本当に思ってくれているなら、同じように自分のことも許してあげてください」

 

 それが無理なお願いだと承知の上で私は言った。案の定、優花里さんは顔を顰めて視線を逸らすとポツリと呟いた。

 

「……そんな簡単にいきませんよ」

「ですよね。私もそうです」

 

 貴方のせいじゃない、貴方が責任を感じる必要はない。そんなことを言われたくらいで割り切れるものじゃない。それは私が一番よくわかっていた。

 

「私たちって似た者同士ですね」

「そうかもしれませんね」

 

 私の言葉に優花里さんは苦笑しつつも同意してくれた。

 

 そう、私たちは似ている。

 

 戦車道が大好きだったのに今はやめてしまったところとか。

 

 みほさんが大好きだったところとか。

 

 みほさんの死に責任を感じて自分を責め続けているところとか。

 

 初めて会った時に優花里さんに親近感を覚えたのは、それを感じ取っていたのかもしれない。

 あるいはこれは単なる傷の舐め合いにすぎないのかもしれない。自分の罪から逃避しようとしているだけなのかもしれない。

 でも私は独りでいるのに疲れてしまったんだ。

 みほさんも、エリカさんも、誰もいない。

 この世界に一人取り残されるようなあの感覚は、もう味わいたくない。

 だから私は、優花里さんと一緒にいたい。

 そんな風に思ってしまうのは我儘だろうか?

 考えても答えは出なかった。

 

 

          *

 

 

「今日はありがとうございました」

 

 喫茶店を出て少し歩いて、分かれ道に差し掛かったところだった。

 私と優花里さんでは帰る方向が逆なので、ここでお別れというところで感謝の気持ちを込めて私は言った。

 今日優花里さんと話せてよかった。心からそう思ったから。

 また連絡しますね、と言って私は手を振って優花里さんに背を向けた。

 

「小梅さん」

 

 しかし数歩歩いたところで優花里さんに呼び止められた。

 

 振り向くと優花里さんは何かを言おうとして、でもそれを言うべきかどうか迷っているように見えた。

 どうしたのかと訝しんでいると、優花里さんは意を決して顔を上げる。

 

「小梅さんはみほさんを怒らせてしまったって言っていましたよね? そのことを後悔しているって。でもみほさんも小梅さんに言ったことを後悔していました」

「え?」

 

 私は一瞬何を言われたのかわからなかった。

 だってみほさんは私に対してあんなに怒って、まるで仇でも見るみたいな目で私を睨みつけていたのに。

 私はみほさんに恨まれている、恨まれて当然だと思っていたのに。

 何を根拠にそんなことを言うの?

 

「きっと小梅さんが言っているのは、試合前の隊長同士の挨拶の時のことですよね? あの時のみほさんは小梅さんと何を話したかは教えてくれませんでした。でも戻ってきたみほさんは暗い顔をしていました。

 だから、きっと――」

「……何ですか、それ?」

 

 それ以上聞いていられなくて、私は優花里さんの言葉を遮った。

 頭に血が上っていくのを感じる。

 最近は戦車に乗っていないから頭に血が上ることもないなんて、舌の根の乾かない内にこれだ。

 けれど私は怒涛のように溢れ出してくる感情を抑えられなかった。

 

「何で今頃になってそんなこと言うんですか。私、やっと覚悟を決めたのに。これからも罪を背負って生きていこうって。みほさんのために生き続けようって決めたのに。どうしてそんな、決意が揺らぐようなことを今更言うんですか!?」

 

 私は人目も憚らずに叫んでいた。

 わかってる。こんなことを優花里さんに言ってもしょうがないってことくらい。こんなのはただの八つ当たりだってことくらい。

 それでも言わずにはいられなかった。このやり場のない感情を誰かにぶつけないとおかしくなってしまいそうで。

 

 そこではたと気付いた。

 

 あの時のみほさんもこんな気持ちだったんじゃないかって。

 

 でもそれがわかったところで、それこそ今更だった。

 もっと早く気付いていればまた違う未来があったかもしれない。でももう何もかも遅すぎた。

 

「ごめんなさい、小梅さん」

 

 そんな風に喚き散らす私に対して、優花里さんの口から漏れたのは謝罪の言葉だった。

 私はそれが無性に癇に障って、衝動に任せて優花里さんの胸を叩く。

 何度も何度も、まるで子供が駄々をこねるように。

 

「……何で、何で優花里さんが謝るんですか!? 優花里さんは悪くないのに! 悪いのは私なのに! 私が、私がっ!!」

「それでも。ごめんなさい」

 

 優花里さんは私のされるがままになっていた。私の身勝手な怒りを拒むことなく優しく受け止めてくれていた。

 やがて私は叩く手を止めると、優花里さんの胸に顔を埋めて泣き出した。胸の内に蟠る感情を吐き出すように。

 そんな私を優花里さんは優しく抱き締めてくれた。

 何も言わずにただ頭を撫で続けてくれた。

 私が泣き止むまでずっと。

 

「すみませんでした……」

 

 しばらくして涙が止まると、私は優花里さんから離れて謝罪した。

 落ち着いた途端に気恥ずかしさを覚える。

 いい年をしてこんな往来で叫んで、大泣きして、何よりも優花里さんに当たり散らしてしまって。申し訳なくてまともに優花里さんの顔が見れなかった。

 

「このお詫びは必ずします。何でも言ってください」

「そんな、気にしないでくださいよ」

「いえ、それじゃ私の気が済みません」

 

 優花里さんは最初こそ遠慮していたけど、執拗に食い下がる私に根負けしたのか苦笑しながら口を開いた。

 

「なら、一つお願いを聞いてもらってもいいですか?」

「何ですか?」

 

 優花里さんのことだから無茶なお願いはしないと思うけれど。一体何をお願いされるんだろうか。

 

「今度私と一緒にみほさんのお墓参りに行ってくれませんか?」

 

 予想外の言葉に私は固まってしまった。

 普通の人にとっては何ということのない話かもしれないけれど、私にとってはハードルが高いお願いだったから。

 私はみほさんのお葬式には出たけど、お墓参りには一度も行ったことがなかった。

 だって怖かったから。みほさんの死を直視するのが、自分の罪に向き合うのが怖かったから。

 それは今でも変わらない。

 

 でもよく考えてみればいい機会かもしれない。

 一人では無理でも優花里さんと一緒なら乗り越えられるかもしれない。

 そう考えて私は頷いた。

 

「私なんかで良ければ」

「ありがとうございます」

 

 お礼を言いたいのはこちらの方だった。

 しかしわざわざこんなお願いをするということは、もしかして優花里さんも私と同じような悩みを抱えていたのだろうか。

 気にはなったが、それをあえて言葉にするほど私も無粋ではない。

 また連絡しますという優花里さんの言葉を合図に、今度こそ私たちはそれぞれの帰路に就いた。

 

 優花里さんと別れて一人歩きながら私は考える。この先私はどう生きていけばいいのか、と。

 みほさんは本当は私のことを許していてくれたのかもしれないけれど。

 仮にそうだったとしても私自身が私を許せない以上、これからもみほさんのために生きるというのは変わらない。

 とはいえ前のようにただ純粋にみほさんのために生き続けるとは言えない。何か他に理由が必要だと思った。

 

 私は何とはなしに自分の頭に触れる。

 

 先程優花里さんが撫でてくれたところを。

 

 そこには優花里さんの温もりが残っているような気がした。

 

 考えても答えは見えないけれど。

 優花里さんと一緒なら見つけられるかもしれない。

 そう思うと心が温かくなる。きっとそれが答えの一欠片だと、そう思った。

 

 みほさん。

 

 私はこの先もずっと貴方を忘れません。

 

 貴方に救ってもらった命を精一杯生きようと思います。

 

 でも少しだけ。

 

 ほんの少しだけ、自分のために生きる我儘を許してください。

 

 そう願いながら私は家路に向かって歩き出した。

 




まさかのゆか梅。
まあ秋山殿が原型留めてないので、これをゆか梅と言い張る勇気、と言われそうですが。
あと何故か小梅ちゃんがまほに対して辛辣になってしまった。
そんな予定はなかったんですが、書いてるうちにそうなってしまったのです。

ちなみに小梅ちゃんに対するいじめの件。
コミック版ではみほが黒森峰は規律が行き届いているからいじめはなかったと言っていました。
しかし戦車道ノススメでは小梅がいじめられているのをエリカが助けたという描写がありました。
なのでこの小説では間を取って、みほに対するいじめはなかったが、小梅たちに対するいじめはあったとしています。
そもそも規律という点ではより厳しいはずの軍隊や自衛隊ですらいじめは普通にあるらしいですし、ただの女子高生の集団である黒森峰でいじめがないということはないと思うのです。


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武部沙織は彼氏ができない

今回は露骨な百合要素があるので苦手な方はご注意ください。

しかし書いていて思ったんですが、麻子のおばあちゃんって何歳なんでしょうか?
麻子の年齢から逆算すると60後半から70前半くらいだと思うんですが、アニメを見ているともっと上のように感じられます。
公式で年齢が出ていないので何とも言えないところではありますが、ふと気になりました。


【武部沙織視点】

 

 みほの様子がおかしい。

 

 そう感じたのはたしかプラウダ戦が終わってすぐの頃だったと思う。

 表面的にはいつも通りに見えたけど、どうにも無理をして笑っているように見えた。

 当然だと思う。

 負けたら廃校だから絶対勝てなんて、プレッシャーを感じるに決まってる。そんなの一人で背負えるものじゃないし、背負っちゃいけないと思う。

 だから私は言ったんだ。

 

『ねえ、みぽりん。辛いことがあったら一人で抱え込まないで。もっと私たちを頼って。友達なんだから』

 

 でもみほはぎこちなく笑って。

 

『ありがとう、沙織さん。でも大丈夫だから』

 

 あの時のみほは単に遠慮してるだけだったのかもしれない。でも私は悔しかった。

 私なんかに話してもどうにもならない。そう言われてる気がして。

 そりゃ私は麻子みたいに操縦が上手いわけでも、華みたいに射撃が上手いわけでも、ゆかりんみたいに戦車に詳しいわけでもない。役に立てることなんてないかもしれない。

 でも私だってみほの、皆の力になりたかった。だから私は自分にできることを精一杯やったんだ。

 戦車のことも勉強したし、頑張ってアマチュア無線の免許も取った。これで少しは私でも役に立てるかもって思った。

 

『大洗女子学園フラッグ車走行不能! よって黒森峰女学園の勝利!』

 

 でもそれも全部無駄だった。結局私は何にも役になんて立てなかった。

 試合に負けて、大洗女子学園の廃校が決まって、皆バラバラになっちゃうんだから。

 私を含めて皆沈んだ顔をしてたけど、そんな中で一番落ち込んでたのはみほだった。虚ろな目でずっと立ち尽くしてた。

 私は何て声を掛けていいかわからなくて、それでも何か言わなきゃと思って必死に言葉を探して。

 

 そんな時だった。みほのお姉さんがやって来たのは。

 

 私は前の戦車喫茶でのやり取りを思い出して、思わずみほを庇うようにお姉さんの前に立った。それは麻子も華もゆかりんも同じだった。

 何を言うつもりか知らないけど、みほを傷つけるつもりなら容赦しない。そんな気持ちだった。

 でもみほはそんな私たちを手で制して、お姉さんに近づいていった。心配する私たちに大丈夫って伝えるみたいに微笑んで。

 私は内心ハラハラしながら見守ってたんだけど、意外にもみほはお姉さんと普通に会話していた。前に会った時は険悪な雰囲気だったのに。

 大洗が廃校になるのは勿論ショックだった。でもせめてみほがお姉さんと仲直りできただけでも良かったのかな。

 

『“私の戦車道”なんてなかったんだよ』

 

 そんな思いもみほがお姉さんに言った言葉で全部吹き飛んだ。

 

 そんなことない!

 みほの戦車道はあったんだよ!

 前に私、言ったじゃない!

 私たちが歩いた道が、戦車道になるって!

 あの時ウサギさんチームの皆を助けた、仲間を大切にしたいって気持ちが、みほの戦車道なんじゃないの!?

 

 ……そう、あの時言えてればよかったのに。

 あの時の私には言えなかった。

 代わりに私の頭に浮かんだのは別のことだった。

 

 私、余計なことを言っちゃったのかな?

 行ってあげなよ、なんて。

 無責任なこと言っちゃったのかな?

 

 そんな風に思っちゃって。

 結局私はみほに何も言ってあげられなかった。

 

 その後私たちは撤収作業に戻ったけど、いつの間にかみほはいなくなっていた。ゆかりんに聞くと電話でどこかに呼び出されたみたい。そしてしばらしくして帰ってきたみほは何か吹っ切れたような顔をしていた。ついさっきまで落ち込んでたのが嘘みたいに。

 私はそんなみほが心配だった。だからせめて一晩だけでも一緒にいようとして、学園艦に戻って解散するとすぐにみほに声を掛けた。

 

 でも。

 

『ごめん、今は一人になりたいから……』

 

 って言われて。

 

 私はそれ以上何も言えなくて、そのまま黙ってみほの背中を見送ってしまった。

 

 みほが自殺したって知らせが届いたのはそれから数時間後のことだった。

 

 どうしてあの時無理矢理にでも傍にいてあげなかったんだろう。

 みほの様子が明らかにおかしいって、気付いてたはずなのに。

 

 ごめんね、みほ。

 

 役に立てなくて、ごめん。

 

 無責任なこと言って、ごめん。

 

 傍にいてあげられなくて、ごめん。

 

 ごめんなさい。

 

 本当に、ごめんなさい。

 

 

           *

 

 

【冷泉麻子視点】

 

「ほら沙織、着いたぞ」

「え~? 酔ってないって~。ほら~、やっぱりいい女は酒は飲んでも飲まれないっていうか~……」

「……飲みすぎだぞ」

 

 タクシーから降りると、私はへべれけになった沙織に肩を貸しながら歩き出した。

 私たちの、私と沙織の家に向けて。

 体格差があるせいで歩くのにも苦労したが、何とか玄関前まで辿り着いた。

 

 今日も今日とて沙織は大学の飲み会に参加して、こうして前後不覚になるまで飲みまくっていた。

 いつものことだ。沙織は交友関係も広いのであちこちから飲み会に誘われるし、それを断らない。

 私はというと一緒に付き合って参加することもあれば、今回のように飲み会には参加せずに迎えにだけ行くこともあった。

 沙織が酔い潰れる度に一緒に住んでいる私が介抱して連れて帰って、いつの間にかそれが当たり前になっていた。

 まあ下手に他の連中に任せて沙織が悪い男に捕まりでもしたら大変だから、それ自体は構わない。

 だがもう少し飲み方を何とかしてほしいものだ。何が酒は飲んでも飲まれないだ、飲まれまくっているじゃないか。

 

 私は溜息を吐きつつ玄関の鍵を開けて。

 ふとこの家で沙織と暮らすことになった経緯を思い出していた。

 

 大洗の廃校が決まって、西住さんが亡くなった後。私はずっと学校を休んで家に引き籠っていた。布団に包まって、外界からの情報を遮断して、暗闇の中に閉じ籠り続けていた。

 沙織も最初こそそんな私を毎朝起こしに来てくれたが、私がそれを拒絶し続けると諦めたのか無理矢理起こそうとはしなくなった。

 それでも毎朝様子は見に来てくれたし、朝御飯と晩御飯は毎日作ってくれたが。

 

 そんなある日、おばあから電話が掛かってきた。

 

 おばあは当然私たちの状況は知っていた。あるいは沙織から何か言われたのかもしれないが、今となってはどうでもいいことだ。

 おばあと言葉を交わしながらも私はどこか上の空だった。そんな私の様子が気付かれないはずもなく、おばあは私を叱り付けた。

 

 いつまで塞ぎ込んでるつもりだって。

 

 私がそうやっていれば全部なかったことになるのかって。

 

 亡くなった西住さんの分まで精一杯生きるのが私の役目じゃないのかって。

 

 おばあなりに私のことを心配してくれていたのはわかる。おばあの口の悪さなんて慣れきっていたはずなのに。

 でも当時の私はカッとなって言い返して、そのまま大喧嘩をしてしまった。

 遂には一方的に通話を切って携帯を放り投げてしまった。その後何度か携帯が鳴ったが、私は頭から布団を被ってそれを無視し続けて、気付けば寝入ってしまった。

 

 おばあが亡くなったのはその翌日のことだった。

 

 その日は私にしては珍しく沙織が訪れた時には目が覚めていた。今思えばあれは虫の知らせか何かだったのかもしれない。

 いつものように私の部屋を訪れた沙織は、部屋の隅に転がっていた携帯を拾って私の布団の横に置いて朝食の準備を始めた。

 前日のおばあとのやり取りを思い出した私は、気怠い体を起こしてそれを受け取った。

 一晩寝て私も頭が冷えていた。おばあにも色々と酷いことを言ってしまった、謝らないと。そう思って私は携帯を開いた。

 

 だが着信履歴を見て私はすぐに違和感を覚えた。

 おばあの番号が何回も並んでいたのはいい。

 問題なのはその上にあった知らない番号だった。時刻を見ると掛かってきたのは深夜で、留守番電話にメッセージも入っていた。

 私はそれに猛烈に嫌な予感を覚えてすぐにメッセージを再生した。

 電話は病院からだった。

 そしておばあが倒れて病院に運ばれたと聞いて――

 

 その後のことはよく覚えていない。

 

 私が覚えているのは、病院に到着した時にはおばあは既に亡くなった後だったということだけだ。

 

 どうして私はこうなんだ。

 いつもいつも取り返しのつかない言葉を口にして。

 挙句、大切な人の死に目に会うことすらできない。

 

 おばあがいなくなってからというもの私は抜け殻のような状態だった。

 両親が亡くなって以来、私にとってはおばあだけが唯一の家族だった。そんなおばあがいなくなって、私は生きがいを無くしてしまった。

 だが自殺する気にはなれなかった。

 死にたいと思ったことがないわけじゃないが、その度に西住さんのことが頭を過ってとても自分から死ぬ気にはなれなかった。

 かと言って生きようとする気力は微塵も湧いてこなかった。

 死ねないから生きている。ただ心臓が動いて呼吸しているだけ。当時の私はそんな状態だった。こんな状態で私は本当に生きていると言っていいのだろうか? そんな益体のないことを考えてしまう程度には私は酷い状態だった。

 

 でもそんな私を沙織は見捨てないでくれた。

 私の家に泊まり込んで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて。いつの間にか沙織と一緒に暮らすのが当たり前になっていた。

 そんな沙織の姿に対して私が抱いたのは、感謝の念よりも申し訳なさだった。

 沙織は自分の生活を犠牲にしてまで私の世話をしてくれた。だが私にそんな価値なんてない。沙織には沙織の人生がある、それを奪う権利なんて私にはない。

 

 だから私は言ったんだ。

 

 もう私のことは放っておいてくれ、と。

 

『私なんかのために沙織が自分の人生を犠牲にする必要なんてない。私の家族はみんないなくなってしまった。私は一人ぼっちだ。もう生きている意味もない――』

 

 パンッ! と乾いた音が響いた。

 

 一瞬何が起きたかわからなかったが、遅れてきた頬の痛みで私はようやく沙織に叩かれたのだと理解した。

 

『お願いだから、そんなこと言わないでよ』

 

 沙織は泣きそうに顔を歪めると私を抱き締めてきた。

 

『私がいる、華もいる、ゆかりんもいる。麻子は一人なんかじゃない!』

 

 沙織の体は、声は、震えていた。

 

『私はもう二度と、友達を無くしたくなんてないっ!!』

 

 沙織は痛いくらいに強い力で私を抱き締めると、堪えきれなくなったのか嗚咽を漏らした。

 そんな沙織を抱き締め返して、私は謝り続けた。沙織が泣き止むまでずっと。

 

 思えば私はずっと沙織に迷惑を掛けてきた。

 おばあが亡くなった時に限らない。西住さんが亡くなった時も、両親が亡くなった時も。いつも沙織は私の傍にいて私を支えてくれた。

 沙織に迷惑を掛けるのなんて今更だ。なら私がすべきなのは沙織を遠ざけることじゃない。せめて沙織に心配を掛けないようにすることじゃないのか。

 そう思った私はその日以来、少しずつ学校にも出るようになっていった。

 

 正直辛かった。両親もおばあもいなくなって誰一人家族はいない。西住さんという友達も無くして、大洗女子学園も廃校になる。私はあまりにも多くのものを無くしてきた。

 それでも私には沙織がいてくれた。沙織の力を借りて少しずつ私は元の日常を取り戻していった。

 

 大洗が廃校になった後は、私と沙織は一緒の高校に転校した。

 転校先の高校に戦車道はなかった。仮にあったとしても私も沙織も戦車道を続ける気にはなれなかっただろうが。

 卒業できるかどうかだけが不安だったが、意外にもすんなりと卒業できた。

 てっきり出席日数が足りないものだと思っていたが、大洗にいた頃にあれだけ溜まっていた遅刻や欠席はどうなったのだろうか。

 戦車道の成績優秀者は遅刻見逃し200日、通常授業の3倍の単位という特典があるとは言っていたが、まさかそれだろうか。

 まあ、無事卒業できたのだからどうでもいいことだが。

 

 高校卒業後、私は陸に上がって沙織と一緒の大学に進学することを選んだ。

 理由は単純だ。沙織のことが心配だったからだ。

 西住さんが亡くなってからというもの、沙織は私たちが暗い気持ちにならないようにとあえて普段通りに明るく振る舞っていた。

 そんな沙織の様子は無理をしているのが見え見えで、危なっかしかった。

 おばあがいた頃は高校を卒業した後は就職して面倒を見なければと思っていたが、その理由もなくなったから、というのもある。

 

 大学に入学するにあたって私はおばあが住んでいた家にそのまま住むことになった。そして何故か沙織も一緒に住むことになったんだ。

 理由を聞いたら「麻子のこと、放っておけないんだもん」とのことだった。

 まあ、高校時代はほとんど一緒に住んでいると言っていい状態だったし、私としては沙織が朝起こしてくれて家事もやってくれるならありがたいので断る理由はなかった。

 ……それにおばあがいなくなったこの家は一人では広すぎたから。

 

 そんな過去を振り返っていると、いつの間にか寝室に着いていた。私は沙織を布団に横たえるとようやく一息ついた。

 だらしなく布団に寝そべる沙織を見て、私は苦笑する。

 

「そんなんじゃいつまで経っても彼氏はできそうにないな」

 

 もっとも普段からそうやってからかってはいるが、本当はわかっているんだ。

 

 沙織が恋人を作る気がないということも、その原因についても。

 

「いいよ別に」

「何?」

「彼氏なんて作る気ないし」

 

 ぎょっとして思わず沙織の顔を覗き込む。ついさっきまで酔っぱらって焦点が合っていなかった瞳は、今でははっきりと私の顔を見つめていた。

 

「気付いてたんでしょ?」

 

 その真っ直ぐな視線を受け止められなくて私は視線を逸らす。それが何よりも明確な回答だった。

 

「みほを、友達を死なせておいて、自分だけ幸せになるなんて。できるわけないよ、そんな最低なこと」

 

 わかってはいた。沙織が本当は恋人を作る気がないことも。その原因が西住さんの自殺にあることも。沙織が西住さんの自殺に責任を感じてずっと自分を責め続けていることも、全部。

 

「みほが思い詰めてるって気付いてたのに、私何もしてあげられなかった。友達だったのに、ずっと傍にいたのに、そのくせ何も理解してあげられなかった。だからあんな無責任なこと言っちゃったんだ……」

 

 あんな無責任なこと。たしか前にも沙織は同じことを言っていた。忘れもしない、4年前の決勝戦が終わった後のことだ。

 あの試合は大洗女子学園の廃校が懸かった一戦だった。私たちは最初こそ黒森峰の奇襲に慌てふためいたものの、その混乱が収まると徐々に試合のペースを掴んでいった。あの黒森峰と互角に渡り合っていた。

 そして最終決戦の場である市街地へと向かうために川を渡っている最中にそれは起こった。

 

 ウサギさんチームの車輌がエンストしたのだ。

 

 まるで前年の決勝戦の再現だった。もっともその時とは違い川は増水していたわけではない。だから中の乗員の命にかかわることはなかっただろうが放っておけば横転しかねず、危険なことには変わりはなかった。

 救助しようにも後ろからは黒森峰の本隊が迫っている。ここで時間を食えば追いつかれてその場で全滅もあり得る、そんな状況だった。

 私たちは選択を迫られていた。ウサギさんチームを見捨てて前進するか、危険を承知で救助に向かうかを。

 どうすべきか。車長であり隊長である西住さんの判断を仰ごうとして。

 振り向いた私の目に映ったのは――

 

『わからない……わからないよ……』

 

 顔を俯かせて、ぼろぼろと涙を流して泣きじゃくる西住さんの姿だった。

 

 私は目の前で起こっていることが信じられなかった。

 西住さんは普段戦車に乗っていない時はどうにも頼りなくて抜けているところがあった。

 だが一度戦車に乗ればまるで別人のようだった。

 常に冷静に戦況を分析し、的確な指示を出し、私たちを勝利に導いてくれる、誰よりも頼りになる存在だった。

 そんな西住さんが泣いていた。どうすればいいのか、どうしたいのかわからずに途方に暮れていた。

 車内は重苦しい雰囲気に包まれていた。誰もが黙り込んでいた。何を口にしていいかわからずに口を噤んでいた。

 

『行ってあげなよ』

 

 そんな時だ。私の隣に座っている沙織が西住さんに声をかけたのは。

 その言葉を聞いた西住さんは目を見開いて沙織を見詰めていた。

 

『……いいの?』

 

 呆然と呟く西住さんに対して、沙織は力強く頷いてみせた。

 西住さんはそれでも踏ん切りが付かないようで私たちの顔を見渡していた。秋山さんが、五十鈴さんが、そして私が何も言わず頷いて後押しするとようやく覚悟を決めたのか、袖で涙を拭ってウサギさんチームの救出に向かうと宣言した。

 その後西住さんはウサギさんチームを無事救出した。当初の作戦通り市街戦に移り、最終的に敵のフラッグ車との一騎討ちに持ち込んだ。

 

 そして……あと一歩及ばず敗北した。

 

 その日のうちに西住さんは自殺した。

 

 沙織はあの一言を悔やんでいた。無責任なことを言ってしまったんじゃないかと。そして未だにその思いを引きずっているらしい。

 

「そんなことはない」

 

 だから私はあの時と同じように沙織の言葉を否定した。

 そうだ、そんなはずがあってたまるか。

 沙織は悪くない。沙織はただ西住さんの背中を押してあげただけだ。何も間違ったことはしていない。

 もちろん西住さんが悪いわけでもない。仲間を助けるのが悪いわけがないし、それが原因で負けたわけでもない。

 あの時前進するより仲間を助けることを優先したのは決して間違いなんかじゃなかった。私は今でもそう思っている。

 だが結果が伴わなかった。

 そしてあの試合は何よりも結果が優先される試合だったんだ。

 

『“私の戦車道”なんてなかったんだよ』

 

 西住さんのお姉さんに向けて言った言葉が今でも忘れられない。思い出す度に胸が張り裂けそうになる。

 勝たなければいけなかった。大洗の廃校を阻止するためだけじゃない。西住さんの戦車道を守るためにもあの試合だけは絶対に勝たなければいけなかったんだ。

 いや、あと一歩で勝てた試合ではあった。大洗と黒森峰の戦力差は圧倒的だったが、フラッグ車同士の一騎討ちに持ち込んだ時点でそんなものは関係なくなっていた。

 最終的に勝負を分けたのはほんの少しの差だ。秋山さんは負けたのは自分のせいだと言っていたが、私を含めてあの時Ⅳ号に乗っていた人間は誰もがそう思っていた。

 

 今でも思う。もしあの時勝てていれば、すべて上手く行ったんじゃないかと。大洗女子学園は廃校にならず、西住さんも死なずに済んで、今でもあんこうチームの五人で仲良く遊んで笑い合って。そんな未来がありえたんじゃないかと。

 だが現実はどこまでも非情だ。大洗は廃校になった。西住さんは亡くなった。戦車道をやっていた仲間も、大洗に住んでいた皆もバラバラになってしまった。

 それを悲しむ気持ちはわかる。私だって同じ気持ちだからだ。だからといって沙織が責任を感じるのは見当違いもいいところだ。

 

「頼むからそんな風に自分を責めないでくれ。沙織は何も悪くない」

 

 私は沙織の体を起こすと、ぐずる子供をあやすように抱きしめながら頭を撫でる。

 

「違うよ。私が悪いんだ。全部全部、私が……」

 

 酒が入っているせいだろうか。常の沙織からは考えられないくらいに思考がネガティブになっている。

 いや、違う。

 本当は沙織だってずっと辛い思いを抱えていたんだ。それを必死に押し隠して無理に笑っていただけで。そして今まで我慢していた分だけ、箍が外れて感情が溢れ出してしまったんだ。

 

 どうすればいい? いくら考えても答えは出なかった。

 当然だ。私が沙織に慰められることは今までに何度もあった。だがその逆など今まで一度もなかったんだから。

 

 何が学年主席だ、何が天才だ。

 

 私は無力だ。

 

 友達一人救えず、今もこうして打ちひしがれる沙織を相手に何もできずにいる。

 

「もうやだ。もう、消えちゃいたいよ……」

「そんなこと言わないでくれ」

 

 しかし沙織が呟いた聞き捨てならない台詞に私は考えるより先に反応していた。否定の言葉とともに沙織を抱き締める腕に力がこもった。

 

「私はお前に救われたんだ」

 

 両親がいなくなった時も。

 

 西住さんがいなくなった時も。

 

 おばあがいなくなった時も。

 

 いつも沙織は私に寄り添って支えてくれた。沙織がいなければ今頃私はこの世にいない。沙織がいてくれたから私は生きてこられた。今では沙織の存在こそが私の生きる意味そのものだと言ってもいい。

 そんな沙織がいなくなるなんて耐えられない。そんなことを言う奴は許せない。例えそれが他ならぬ沙織本人だとしてもだ。

 一度口を開けば先程まで言葉に詰まっていたのが嘘のように私の口からは言葉が溢れ出してきた。

 

「いいか沙織、何度でも言うぞ。お前は何も悪くない。お前が西住さんの死に責任を感じる必要なんてない。

 別に忘れろと言ってるんじゃない。西住さんのことを忘れられるわけがないし、忘れちゃいけない、それは当然だ。

 でもな、だからといって罪の意識に囚われて自分を責め続けて何になる?」

 

 そうだ。おばあも言っていたじゃないか。塞ぎ込んで自分を責めてそれで過去が変わるのかって。亡くなった人の分まで精一杯生き続けるのが私の役目だって。

 

「お前は幸せになっていいんだ。これからも幸せに生き続けるべきだ。私はお前に、幸せになってほしいんだ」

 

 私は祈るように言葉を紡いだ。私の気持ちが沙織に届きますようにと。

 

「……麻子、今のちょっと告白みたいだね」

 

 茶化すな、と言おうとして私は口を噤む。

 そして代わりに口を衝いて出たのは別の言葉だった。

 

「そうだ、これは告白だ」

「え?」

 

 それもいいかもしれない。

 

 お前が自分から幸せになる気がないなら。

 

 私がお前を幸せにしてやる。

 

「なあ、沙織。さっき“彼氏”を作る気はないと言ったな?」

 

 私は沙織の体を離すと、沙織の目を真っ直ぐに見詰める。

 

「でも“恋人”を作る気はないとは言っていない」

 

 わかっている。こんなのは屁理屈に過ぎないということくらい。

 だが今必要なのは理屈ではなく気持ちだ。相手を納得させられるだけの真摯な想いだ。

 

「私を沙織の恋人にしてくれ」

 

 私は沙織の目を真っ直ぐに見詰めて思いの丈をぶつけた。

 沙織は私の告白に目を見開いて固まっていたが、すぐに目を逸らして肩を竦める。

 

「……何それ、同情のつもり? 恋人ができない可哀想な沙織さんに愛の手を、って?」

 

 私の言うことをまるで本気にしていない、悪い冗談だとでも思っているのだろう。

 だが。

 

「私は本気だ」

 

 私はあくまで引かなかった。一度言ってしまった以上、誤魔化すようなことはしたくなかった。

 

「……どうして?」

 

 沙織は未だに信じられないのか、呆然と呟いた。

 どうしてだと? 決まっている。

 

「沙織のことが好きだからだ」

 

 ずっと胸に秘めていた、これから先も秘め続けたままでいようと考えていた想い。それを私は口にした。

 

「私はずっと沙織に支えられてきた。だから今度は私が沙織を支えたい。ずっと傍にいたい。ずっと傍にいてほしいんだ」

 

 そこまで言ってようやく沙織も私の本気を感じ取ったのだろう。表情を引き締めて真っ直ぐに私の目を見詰め返してきた。

 

「……本気で言ってるの?」

「ああ」

「私、面倒くさい女だよ?」

「知ってる」

「麻子にいっぱい迷惑掛けるよ?」

「お互い様だ。むしろ私の方が毎朝起こしてもらったり、沙織に迷惑を掛けているだろう?」

「後になってやっぱり別れようとか言っても絶対に逃がしてあげないよ?」

「それはむしろこっちのセリフだ。絶対に離れないし、離さない」

 

 矢継ぎ早に浴びせられる言葉に淀みなく返す。だがそれでも沙織は納得いかないらしい。

 

「じゃあさ、証拠見せてよ」

「……何をすればいい?」

 

 一体どうすれば信じてもらえるのか。私にできることなら何だってするぞ。

 

「キスして」

 

 予想外の言葉に私は面食らった。

 いや、たしかに恋人ならキスくらい当たり前なのかもしれないが、そういうのはもっと段階を踏んでから、などと考えたが恐らくそれを言おうものなら沙織は二度と私の想いを受け入れてくれないだろう。

 

 私は意を決してすっと沙織の顎を持ち上げる。

 

 私がゆっくりと顔を近づけると沙織はそっと目を閉じる。

 

 胸がドキドキしている。

 

 こんなに緊張するのは人生で初めてかもしれない。

 

 沙織との距離が縮まるにつれて、心臓の鼓動がどんどん速くなるのを感じる。

 

 そうして遂に唇と唇が触れ合い。

 

 私たちは誓いの口づけを交わした。

 

 沙織の柔らかい唇の感触が心地良い。あまりの心地良さに頭がくらくらする。酒臭いのは減点だが、そんなことがどうでもいいと思えるほど、私の心は幸福感に満ちていた。

 このまま時間が止まってしまえばいいのに。そんな名残惜しさを感じながらも私は唇を離した。

 ゆっくりと目を開いた沙織は頬を赤らめてはにかんだように笑った。

 

「不束者ですが、よろしくお願いします」

 

 冗談めかして三つ指ついて頭を下げたかと思うと、沙織は不意に私に抱き着いてきた。

 私は慌てた。まさかこのままの流れでキスの先まで行く気か、と。

 ちょっと待て、心の準備が、と言おうとしたところで沙織の寝息が聞こえてきた。

 

「……この流れで寝るか、普通!?」

 

 とはいえほっとしたのも事実で、途端に体から力が抜けてその場に倒れ込んでしまった。沙織はというと私の胸に頭を乗せて幸せそうに眠りこけていた。

 その顔を見ているだけで何もかも許せてしまうのだから、我ながら単純なことだ。苦笑しながら沙織の体を布団に横たえる。

 私も同じように隣の布団に入って目を閉じる。

 

 視界が暗闇に包まれると私は不意に不安に襲われた。そして考えてしまう。本当にこれでよかったのかと。

 沙織が好きだという気持ちに嘘はない。告白したこと自体に後悔はない。

 だが勢いで言ってしまっていいことではなかったんじゃないか。もっと色々と考えるべきじゃなかったのか。

 私と沙織が恋人になると聞いて周りの人間はどう思うだろう?

 沙織の家族は?

 五十鈴さんや秋山さんはどう思うだろう?

 そもそも沙織も酔った勢いで受け入れただけで、明日になって冷静になったらやっぱり無理だと言われるんじゃないか。

 いや、下手をすれば忘れている可能性すらある。

 そうなったらもう一度告白する勇気は私にはない。

 

「まこ~……」

 

 そんな思考の渦に飲まれていた私は、沙織の寝言で我に返った。

 

「だいすき……」

 

 ……ああ、本当に。

 

 本当に我ながら単純にも程がある。

 

 あれだけ感じていた不安がたった一言で霧散してしまうなんて。

 

「おやすみ、沙織」

 

 これからの私たちの未来がどうなるかなんて、私にはわからない。

 

 でもきっと大丈夫だ。

 

 だって私は一人じゃないんだから。

 

 何があっても沙織と一緒なら乗り越えられる。

 

 私はそう信じることにして、ゆっくりと瞼を閉じた。

 




角谷杏にとっての干し芋。
秋山優花里にとっての戦車。
武部沙織にとっての彼氏。
あんなに大切なものを捨ててしまうほどにみほの死はショックだった。
というわかりやすい記号ではありますが、あまり乱用すると萎えるだろうしこれくらいでやめておこうと思います。
ダー様が紅茶を飲まないとか、華さんが華道を捨てるとかは有り得ないと思いますし。
……沙織さんに捨てる彼氏なんていましたっけ? とか言ってはいけない。

あんこうチームはこれで残るは華さんのみ。
……ではありますが、華さんの話はまだ先になります。


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ペパロニの懺悔

今回は短いです。
ペパロニの口調ってこれで大丈夫か? とちょっと不安な気持ちを抱えつつ書いてました。
気心知れた同級生や後輩にはこういう話し方のイメージなんですが、どうでしょう?

ちなみにペパロニが言う“あいつ”というのは以前出てきたモブ子です。
彼女の出番はここで終了になります。


 よお、カルパッチョ! こっちだ、こっち~!

 いや悪い悪い、あんまり遅いから先に始めちまってたよ。

 え? 遅くなったのは私が仕事ほっぽりだしてさっさと帰ったからだって?

 あ~……うん、ごめん。

 ここは私が奢るからさ、それで勘弁してくれよ。

 

 って、おい! アマレット、パネトーネ、ジェラート! 誰もお前らの分まで出すとは言ってねえぞ!? 何が「ゴチになりま~す!」だ、おい!

 ……あ~、もうわかったよ、出しゃいいんだろ、出しゃあ!

 チックショー、今月厳しいのによ~。

 え? 半分出すって? いや、でもよ。……悪い、助かる。

 

 って、おい! お前ら少しは遠慮しろよ! 何高いモンばっか注文してんだよ!?

 ……よ~し、お前らがその気ならこっちにも考えがあるぞ。いいぜ、好きなだけ注文しな。

 その代わり、お前ら次の訓練は覚悟しとけよ? 「え~!?」じゃねえ! 今更後悔しても遅えぞ! お前らまとめて地獄を見せてやるよ!

 

 え? 最近の訓練は毎日地獄だって?

 あ~、そりゃあ、まあ、な。

 

 ……。

 

 って、な~に辛気臭い顔してんだお前ら! おら、今日は嫌なことは忘れて、とことん飲むぞ!

 お? 何だよカルパッチョ、グラス空いてんじゃん。

 すいませーん! 注文いいっすかー!?

 

 

          *

 

 

 お~し、じゃあそろそろいい時間だし解散すっか!

 お疲れ! 気を付けて帰れよ~!

 は~、ったくあいつらもいい加減しっかりしてほしいよな、ったく。

 

 私が言うなって?

 ……そうだな。そうだよな。

 私らがしっかりしなくちゃ、いけないんだよな。

 何だよ? 悪かったな、らしくないこと言って。ちょっと酔いが回ってきたかもな。

 

 なあ、カルパッチョ。この後時間大丈夫か?

 そっか、なら少し付き合ってくれよ。

 いいじゃんか、偶には、さ。少しでいいから、頼むよ。

 

 そういやお前と二人で飲むのって初めてだよな。

 愛しのたかちゃんと一緒にいたいのは分かるけどさ~、もうちょい部活の連中との時間も作ってくれよ。

 四年が引退したら姐さんが隊長で私らが副隊長になるって話だし、私たちが皆のまとめ役にならないと。

 姐さんが隊長で大丈夫かって? ……大丈夫に決まってる、とは言えないけどさ。前の姐さんならともかく今の姐さんは、な。

 

 姐さん、やっぱ角谷さんのことが――

 

 お、美味い! 居酒屋にしては意外と凝ってるじゃんこの料理。これどうやって……ああ、悪い悪い。で、何の話だっけ?

 別に誤魔化してなんてねえよ。姐さんのことだろ?

 ……今日お前を誘ったのはさ、姐さんのことで聞いてほしい話があったからなんだよ。ちょっと長くなるけどいいか?

 

 うん、じゃあ、え~と、どっから話せばいいかな。そうだな、まずは私が姐さんと角谷さんの関係を知ったきっかけからにするか。

 きっかけは姐さんからタバコの臭いがしたことだったんだ。

「あれ、姐さんタバコ吸うんすか?」って聞いたら、明らかに動揺して誤魔化すもんだから、「もしかして彼氏でも出来たんすか~?」ってからかったりしてたんだよ。

 姐さんはそんなんじゃないって否定してたけど、あからさまに怪しい態度だったから私も気になってさ。

 

 だから私は姐さんのこと尾行して真実を確かめようとしたんだよ。

 だって姐さんが悪い男に騙されでもしてたら困るだろうが。まあ結果的には無駄な心配だったんだけど、代わりに別の問題が出てきたんだよな。

 尾行した先で姐さんは誰かと待ち合わせしててさ。こりゃマジで彼氏か!? って思ったけど来たのは男じゃなく女で、それが角谷さんだったんだ。

 

 実は最初は誰だかわかんなかったんだけどな。いや、だってしょうがないと思うぜ? たぶんお前もパッと見じゃわかんなかったと思うぞ。

 高校の時、試合の後の宴会でちらっと顔見ただけだからってのもあるけど、あの人すっかり変わっちまったからな。

 無理もないとは思うけどな。大洗に何があったのかは私だって知ってる。だからあの人があんな風になっちまうのもわかるよ。

 まあその後は、何だ彼氏じゃなかったのか、ってほっとしてすぐ帰ったんだ。で、その後に噂で姐さんが角谷さんのことをあれこれ世話してるって知ったんだ。

 

 その噂もいつの間にか部活中に知れ渡っててさ、だから私は姐さんにもう角谷さんとは関わらない方がいいって言ったんだよ。

 たしかに姐さんが角谷さんのことを放っておけなかったのはわかるよ。

 でもさ、姐さんは本当はそんな暇なんてなかったはずなんだよ。チームの副隊長で、四年が引退したら隊長になるって前々から言われてたし、大学選抜の練習だってある。

 ただでさえ忙しいのにあの人の面倒見てる暇なんてなかったはずなんだよ。

 それに角谷さんに関しちゃ色々悪い噂も聞いたしさ。本当かどうか知らないけど西住さんを脅迫したなんて話もあるし、正直姐さんが自分の時間削ってまで面倒見る必要なんてないと思ったね。

 姐さんも人が良すぎるっつーか……。そこが姐さんの良いところだとは思うけどさ。

 

 本来なら無関係な私が口出しすべき問題じゃなかったのかもしれない。

 でもさ、姐さんは明らかに無理をしてた。疲れが溜まってたのか体調も悪そうで倒れちまうんじゃないかって心配だった。

 姐さんは真面目だから、角谷さんの世話にかまけて戦車道の方を疎かになんてしない。きっとどっちも全力だったはずだ。

 戦車道だけでも手一杯なのに、土台無茶な話だったんだよ。

 

 でも姐さんは私が何を言っても聞いてくれなかった。それどころか6月の大会が終わってからは戦車道の練習もちらほら休むようになって、私も我慢の限界が来ちまった。

 いや、私だけじゃなくて他の皆もそうだった。中には実力行使に出ようなんて奴もいて、パネトーネなんかは角谷さんにヤキ入れてやるなんて言ってたから、私も慌てて止めたよ。お前ら絶対に余計なことすんじゃねえぞ、って。

 とりあえずそれでひとまずは収まったけど、もう色々限界だったんだ。あのままじゃいつ姐さんは壊れちまうか分からなかったし、私を含めて周りの人間は何するか分からなかった。

 

 それで思ったんだよ、私が何とかするしかないって。

 でも姐さんは私の話なんて聞いてくれなかったから、私は角谷さんを説得するしかないって思ったんだ。

 だから私は角谷さんを呼び出して言ったんだ。

 

 姐さんと別れてくれって。

 

 アンタといたら姐さんはダメになるって。

 

 姐さんのためを思うなら、もう姐さんには近づかないでくれって。

 

 最悪殴られることも覚悟してた。でもあの人は私の言葉を聞いて少し寂しそうに笑った後、「わかった」ってただ一言呟いただけだったよ。

 その顔を見て後悔しなかったって言えば嘘になるな。やっぱり言うべきじゃなかったかもって思ったよ。でも私は姐さんのためにも心を鬼にしなきゃダメだって無理矢理自分を納得させたんだ。

 これでいいんだって思ってたよ。

 

 角谷さんが自殺したって聞かされるまではな。

 

 角谷さんがいなくなってから姐さんは変わった。いや、昔に戻ったっていうべきかな。私らがアンツィオに入学したばかりの頃の姐さんはさ、何て言うかいっつもピリピリしてたろ?

 勝つことがすべて。

 戦車道を楽しみたい、遊びでやりたいなんて奴はお呼びじゃない。

 やる気がないならやめろ。

 そんなウチの雰囲気とは真逆のことばっか言っててさ。それで何度もウチの連中と衝突してた。私もよく突っかかってた。最終的に私たちの学年で残ったのは結局私とお前だけだったもんな。

 まあ、うちの戦車道を立て直すために他の強豪校からのスカウトを蹴ってまで来てくれたって話だから、気ぃ張ってたんだろうけどな。

 

 それでもあの時はまだマシだった。角谷さんの件は皆知ってたし、今はそっとしておこう、時間が解決してくれるってさ。あの絹代ですら空気を読んで黙ってたくらいだしな。

 実際あのまま刺激しないでそのまま過ごしてれば姐さんも元に戻ってくれたかもしれない。

 

 でも“あいつ”のせいで取り返しのつかないことになっちまった。

 

 あいつはさ、元々明らかに姐さん目当てで入りましたって雰囲気のミーハーなやつで、戦車道になんてこれっぽちも興味なさそうで、それを隠そうとすらしてなかった。

 姐さんも面倒見がいいからよくあいつに指導したり世話を焼いたりして、それで自分が大事にされてるとか勘違いして調子に乗ってた。

 だからあんな態度を取れたのかね。皆空気を読んで大人しくしてたってのに、あの女はそんなのお構いなしにいつものノリで姐さんに話しかけてた。

 角谷さんが死んだってのにそんなこと知らない、むしろ邪魔者がいなくなったって言わんばかりに嬉しそうにしてさ。

 私は思ったね。ああ、こいつ馬鹿なんだなって。

 噂じゃ角谷さんに絡んで酷いことも言ったらしいじゃん。……そうだな、ただの噂だな。でもあの女ならやりかねないって思うよ、私は。

 

 姐さんもそこでようやくあいつの本性に気が付いたのかね。あるいは我慢の限界が来たのかもしれないけど。

 すんげえいい笑顔で、そんなにしてほしいならいくらでも“指導”してやるって言った時は、「ああ、ご愁傷様」って思わず手を合わせて拝んじまったよ。

 私も姐さんの“指導”は何度か受けたけど正直もう二度とごめんだもん。

 

 けどあの時の姐さんの“指導”は私の時より酷かった。私も最初はざまあみろって思って見てたけど、だんだんシャレにならなくなってきてさ。

 しまいにゃ泣いて吐いてもうボロボロになってるあの女の胸倉を掴み上げて無理矢理戦車に乗せようとして。

 あん時は流石にマズいってことで慌てて止めに入ったよな。あのままだと姐さんはマジであの女が死ぬまで“指導”を続けてもおかしくなかったし。

 止めるのも苦労したけどな。私とお前と絹代の三人がかりでようやくって、姐さんあの細い体のどこにそんな力があるんだって話だよ。見かけによらないって言うか、鍛えてんのかね。

 まあ、あのバカは姐さんを訴えてやるとかふざけたこと抜かしてやがったから、後で私がきっちりシメといてやったけどな。

 

 ……そういえばあいつ、最近見ないけどどうしてんのかね?

 あ、そ。辞めたのか。

 それだけかって? それだけだよ。他に何言えってんだよ。

 自業自得だろ。ていうかあんなことがあってまだ続けるつもりなら逆に尊敬するわ。

 大体私はあいつのことは前から気に入らなかったんだよ。姐さんの手前我慢してたけど、本当はすぐにでも追い出してやりたかった。

 そりゃ私たちアンツィオも戦車より飯の方が大事って雰囲気だったし、他校の連中からすれば似たようなものなのかもしれないけどさ。

 それでも私たちは戦車道については真剣だった。

 真剣に練習して、真剣に戦って、真剣に楽しんでた。あいつとは違うさ。一緒にされたかないね。

 

 ……もういいだろ、あんな奴のことなんて。それより姐さんのことだよ。

 あいつの一件以来、姐さんの状態は悪化しちまった。今の姐さんはもう仲間のことなんてただの道具としか思ってない。勝つためなら平気で仲間を犠牲にするし、それを当然だと思ってる。

 このままじゃアンツィオの時みたいに皆辞めちまうかもしれない。……どうしたらいいんだろうな?

 

 え? 私が角谷さんにしたことを姐さんに言ったのかって?

 言ってねえよ。何て言えってんだよ。角谷さんが死んだのは私が余計なこと言ったせいだって?

 そんなの言えるわけないだろ。

 

 ……何だよ、私が悪いってのか?

 そんなこと言ってない? 嘘つけ! どうせそう思ってんだろ!?

 私が余計なことしたせいで、角谷さんも姐さんも不幸になったんだって!

 ふざけんなよ! 私は悪くない! 私はただ姐さんのためを思ってやっただけなんだ! こんなことになるなんて誰が思うかよ!

 

 私は悪くなんてないんだ!!

 

 ……悪い、怒鳴っちまって。

 

 本当はさ、わかってるんだよ。私が悪かったってことくらい。

 私は馬鹿だからさ、他にいい方法が思いつかなかったんだ。なら放っておけばよかったのかもしれないけど、それもできなかった。

 お前ならもっと上手くやれてたのかな。私は余計なことしないで他の奴に任せておけばよかったのかな。

 今更後悔したって遅いけどな。

 

 ……私が何をしたのか、姐さんに言わなきゃいけないってこともわかってるんだ。でも私は怖いんだよ。

 姐さんに責められるのが。

 姐さんに嫌われるのが。

 

 ……なあ、どうすれば良かったんだ?

 

 どうすれば角谷さんは死なずに済んだ?

 

 姐さんは傷つかずに済んだんだ?

 

 教えてくれよ、なあ……。

 

 私はどうしたらいいんだよ。

 

 姐さんに、何て謝ればいいんだよ。

 

 どうしたら、姐さんは元に戻ってくれるんだよ。

 

 教えてくれよ。

 

 ……お願いだから……。

 




ちょっといい話が続いたと思ったらこれである。
やっぱり作者の根本はネガティブなんやなって。

アンチョビの性格が中学の時はコミック版という設定がようやく活かされる時が来ました。
コミック版のあの性格からどうやってアニメ版の性格になったかは、この後書いていきます。
ちなみにアンツィオ高校時代の話についてはアンチョビ細腕繁盛記も参考にはしています。
が、アンチョビの性格が異なるため、話の展開も別物になっております。
あしからずご了承ください。


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安斎千代美の初恋

何故作者が書くキャラはこうネガティブな方、ネガティブな方に行くのか。
作者がネガティブだからですね、うん。
という訳で例によってキャラ崩壊注意。
あと百合要素および流血描写もあるので、そちらも注意です。


【角谷杏視点】

 

 手首にカミソリを当て一気に引くと鋭い痛みが走った。

 手首に赤い線が走ったかと思うとそこから目の前の水面にジワリと赤が広がる。

 このまま放っておけばやがて私の命は尽きる。私は自分の血が流れ出ていくのを他人事のように見つめていた。

 

 不思議だ。前に死のうとした時はいくらやってもダメだったのに、こんなにあっさりとできるなんて。

 あの時との違いは何かと考えて、すぐそれに思い至った。

 なんてことはない、自分のためならダメでも大切な人のためなら勇気が出せる。ただそれだけのことなんだ。

 

『姐さんと別れてくれ。

 アンタといたら姐さんはダメになる。

 姐さんのためを思うなら、もう姐さんには近づかないでくれ』

 

 ああ、やっぱり。

 

 私なんかが千代美と一緒になろうとしたのが間違いだったんだ。

 

『最低ですね。人を一人死なせておいて罰も受けずにのうのうと生き続けて、その上今度はドゥーチェの人生まで台無しにする気なんですか』

 

 あの娘の言う通りだ。

 

 学園艦を守れず、西住ちゃんや河嶋を死なせて、みんなを不幸にして、この上千代美まで道連れにしようとする。

 

 こんな私はいなくなった方がいい。

 

『気付いたんですよ。私は生きてるだけでみんなに迷惑をかけちゃうんだって。だったら。こんな私なんてもう、死ぬしか、ないじゃないですか』

 

 西住ちゃんもこんな気持ちだったのかな。

 

 そして改めて西住ちゃんに対する罪悪感が湧いてくる。

 

 西住ちゃんのためには死ねななかったくせに、千代美のためならあっさりと死ねるなんて。

 

 自分の浅ましさに嫌気が差す。

 

 意識が朦朧としてきた。

 ああ、どうやら終わりが近いらしい。

 今までの思い出が走馬燈のように頭を過る。

 

 生まれ故郷の水戸で過ごした日々。

 

 大洗女子学園で過ごした日々。

 

 そして。

 

 千代美と過ごした日々。

 

 たった数カ月の短い時間だったけれど、今までの人生でも一番輝いていた。

 楽しい思い出のはずなのに、思い出すと同時に湧き上がってくるのは申し訳なさだった。

 千代美が無理をしているって気付いていたのに。私は目を逸らして、甘え続けて。しまいにはあれだけ真剣に打ち込んでいた戦車道を蔑ろにするまで千代美を追い詰めてしまった。

 

 千代美。

 ごめんなさい。

 きっと千代美は優しいから私が死んだら悲しむよね。

 本当はもっと早くこうするべきだったのに、私が弱かったからズルズルと先延ばしにして、結果千代美を苦しめてしまった。

 本当にごめんなさい。

 

 千代美。

 ありがとう。

 こんな私を助けてくれて、見捨てないでくれて。

 でもさ、私なんかのために自分の人生を犠牲にしなくていいんだよ。

 私にそんな価値なんてないんだから。

 だから千代美は私から自由になって自分のために生きて。

 ……なんて。今更言うことじゃないよね。

 でも私は、千代美には私の分まで幸せになってほしいから。

 

 千代美。

 

 千代み。

 

 ちよみ。

 

 すきだよ。

 

 だいすき……。

 

 

          *

 

 

【西住まほ視点】

 

「先輩、こちらが次の対戦相手のデータです」

 

 エリカからデータを受け取った私はその内容に目を通す。

 

「安斎のチームか」

 

 あいつと戦うのは6月の大会以来になるか。

 大会後はどうにも不調だったようだが、最近では調子を取り戻しつつあるようで連勝を伸ばしていると聞いている。

 本来ならそれは喜ばしいことなんだろう。

 だがここ最近の試合のデータを見ると安斎の戦い方には明らかな変化があった。

 私はその変化を見て顔を顰める。

 

「成程、たしかにこれは見るに堪えんな」

 

 傍から見るとよくわかる。

 

「先輩?」

「いや、何でもない」

 

 知らず口に出ていたらしい。私は軽く首を振って誤魔化すとすぐに作業に戻った。

 エリカはそんな私の様子を訝し気に見やっていたが、やがて一礼して離れていった。

 それを横目で確認して私は深々と溜息をついた。

 

 安斎……。

 

 お前は言っていたじゃないか。

 

 私の戦車道はただの八つ当たりだと。見るに堪えないと。

 

 そんなことを言った本人がこれか?

 

 一体お前に何があったんだ?

 

 何がお前を変えてしまったんだ?

 

 もしかして。

 

 お前も私と同じように……。

 

 考えたところで結論は出ない。所詮は私の憶測に過ぎないのだから。

 何にせよ一度安斎と話をしなければなるまい。そう決めて、私はデータの分析を続けた。

 

 

          *

 

 

 そして試合当日。

 

「エリカ、車を出してくれ」

「はい」

 

 試合前の車輌の点検や作戦の確認を終えると、私はエリカに声を掛ける。

 同じように自分の作業を終えていたエリカはすぐに車のキーを持ってきてくれた。

 

「どちらに行かれるのですか?」

「安斎のところだ」

 

 何故?

 言葉にこそしなかったが、エリカの表情はそう語っていた。

 

「試合前に対戦相手に挨拶に行くのは何もおかしいことではないだろう?」

 

 我ながららしくないことを言っているという自覚はある。私は今まで一度だって自分から相手の陣地に挨拶に出向いたことはない。

 案の定、エリカは信じられないものを見るような目で私を見詰めていたが、私はそれを無視して助手席に乗り込んだ。

 そんな私を見てエリカは何か言いたそうにしていたが、結局何も言わなかった。運転中も一切口を利かなかった。もっとも何か話しかけられたところで私はまともに言葉を返す気にはなれなかっただろうが。

 

 相手の陣地に辿り着くと私は車を降りて目当ての人物を探す。

 私の姿を認めると誰も彼もが先程のエリカと同じ反応をしていたが、私はそんな周りの反応を一切無視した。

 

 いた。安斎だ。

 

 安斎は試合前の車輌の点検をしているところだった。

 私の存在に気付いた安斎はちらりと横目でこちらを確認したが、すぐに戦車の点検に戻ってしまった。

 

「西住か。何しに来た?」

「何、試合前の挨拶をと思ってな」

 

 一応会話こそしているが、安斎はこちらに視線さえ寄越さなかった。

 以前の安斎なら自分から相手のもとに出向いて挨拶をしていたというのに、今ではこの対応だ。

 その顔には対戦相手への敬意など欠片も感じられない。これから戦う相手などただの障害物としか思っていない、そんな横顔だった。

 周りの隊員たちもそんな安斎の有様に困惑しているようだ。無理もない。普段の安斎の姿を知っていればそのギャップに戸惑うのも当然だろう。

 

 だが私は違った。

 何故なら今の安斎の姿には見覚えがあったから。

 

「懐かしいな」

「何がだ?」

「今のお前を見ていると昔のお前を思い出す。アンツィオというぬるま湯に浸かってすっかり腑抜けたかと思ったが、中々どうして。鈍っていないようで安心したぞ」

 

 我ながら、らしくもない嫌味っぽい口調だと思う。だが正面から言ったところで今の安斎が聞く耳を持つとは思えない。

 それに本音も混じってはいるのだ。

 中学時代の安斎は高校時代とはまるで別人だった。笑顔などほとんど見せず、仲間にも自分にも厳しい。ただ一心に勝利を目指すその様は西住流に近いものがあった。

 

 だが西住流とは決定的に違う面があった。

 安斎の戦車道はたしかに勝利を第一とするものだ、その点は西住流と共通している。しかしそれは仲間のことを想っているからこそで、隊長として仲間を勝たせてやることが使命だと考えるからだった。以前本人がそう言っていた。

 それが今の奴はどうだ。

 勝利を第一に考えるのは同じだがとてもではないが仲間のことを想っているようには見えない。むしろ仲間など勝利を達成するための駒としか見ていない、少なくとも私の目にはそう映った。

 今の安斎の戦車道は悪い意味で西住流と酷似している。私がイラつくのはそれが理由だろうか。

 

 ……いや違う。

 

 それもあるが原因は別にある。

 私には何故安斎がこんな有様になっているのか何となく予想がついていたから。

 

「いつかお前が私に言ったことを覚えているか?」

「さあ、忘れたな。何のことだ?」

「私の戦車道は見るに堪えないと。私のやっていることはただの八つ当たりだと。そう言ったんだよ、お前は。その言葉をそっくりそのまま返そう。見ていられないよ、今のお前は」

 

 敢えて挑発するように言ってやると、安斎は初めて私の顔を正面から見てきた。まるで悪鬼のような形相だ。普通の人間が見たら恐ろしさのあまり震え上がるだろう。

 だが私の心中に湧き上がってきたのは恐れなどではなく哀れみだった。

 私には今の安斎の顔は怒れる鬼のそれではなく、まるで親と逸れて泣いている子供の様に見えた。

 

「なあ安斎」

 

 だから私は声を掛ける。迷子の子供をあやすように。

 

 それが相手の逆鱗に触れる行為だとわかった上で。

 

「お前は一体誰を失った?」

 

 案の定、安斎は怒りで顔を真っ赤に染めて私に食って掛かった。

 

「お前に何が分かる!?」

 

 烈火の如くとはまさにこのことか。

 しかしそんな勢いもすぐに消え去り、安斎はさっきまでは赤かった顔を瞬時に青ざめさせた。赤くなったり青くなったり忙しい奴だ。

 

「あ……いや、その、ちが、今の、は……」

 

 言ってから自分の失言に気付いたとでも言うように安斎は狼狽している。

 だが手遅れだ。一度口にしたことはもう取り消せない。

 

「分かるさ」

 

 そうとも、分かるに決まっている。

 

「私も大切な人を失ったんだからな」

 

 それも他ならぬ自分の手で死なせてしまったんだ。

 

 そうだ。私は私の手で、みほを、妹を……。

 

「だからこそ見ていられないんだ」

 

 まるで鏡を見ているようで。

 

 自分の醜悪な姿を見せつけられているようで。

 

 今すぐにでも叩き割ってしまいたいと思うんだ。

 

 その後の試合の結末などもはや語るまでもないだろう。迷いのある指揮官に率いられたチームでは勝てるものも勝てはしないのだから。

 

 

          *

 

 

 繁華街にある居酒屋のチェーン店、その中の個室で私と安斎はテーブルを挟んで向かい合っていた。

 試合後、撤収作業もそこそこに私は安斎のもとを訪れた。戸惑う周囲の反応を無視して私は安斎の前に立った。

 

『……何の用だ? 無様な私を笑いに来たのか?』

『飲みに行くぞ、安斎』

 

 私は安斎の自虐めいた言葉を気にも留めずに要件を一方的に口にした。そして呆気に取られる安斎の腕を掴んで有無を言わせずにその場から強引に連れ出した。

 当然安斎のチームメイトに止められるものとばかり思っていたが、意外にも然したる抵抗もなく連れ出すことに成功した。

 いや実際に何人かは私を止めようと動こうとしていたがそれを押し止める者がいた。

 

 ペパロニだった。

 

 彼女なら真っ先に私に食って掛かると予想していただけに驚いたが、何にせよ邪魔をしないでくれるならありがたいと私はそのまま彼女の横を通り過ぎた。

 

『……姐さんのこと、頼みます』

 

 すれ違いざまに耳に届いた呟きに思わず振り返ったが、その時には彼女は既に撤収作業に戻ってしまっていた。

 何故彼女があんなことを言ったのか気にはなった。

 だがあれ以上あの場に留まっていると面倒なことになりそうだったため、私はそのまま安斎の手を引いてその場を離れた。

 安斎は最初こそ私の手を振りほどこうと抵抗していたが、次第にその力も弱まっていき、遂には諦めたのか黙って私に連れられるがままになっていた。

 そしてその後は適当な居酒屋に入って今に至る、という訳だ。

 

「……」

「……」

 

 沈黙。

 私たちの間にはあまりにも重苦しい沈黙が横たわっていた。

 普段であれば安斎の方からあれこれと話題を振ってきて私がそれに相槌を打つことによって会話が成立するが、今日の安斎はとても会話に花を咲かせるような雰囲気ではない。

 なら私の方から話しかければいいのだろうが、元々話すのが苦手なのに加えて試合前のやり取りや無理矢理連れてきた気まずさもあって口を開くことができなかった。

 せめて酒が入れば少しは口も軽くなるだろうか。そう思ってただ黙って酒が来るのを待つことにした。

 

「すまなかった」

 

 すると唐突に安斎は私に向かって頭を下げてきた。

 

「お前の事情は知っていたのに、無神経なことを言ってしまった。本当にすまない」

 

 律儀な奴だ。試合前のことを未だに気にしていたらしい。思わず苦笑が漏れる。

 

「それについてはお互い様だ。私も随分と無遠慮なことを言った。こちらこそすまなかった」

 

 私も同じように安斎に向かって頭を下げる。それで終わりだ。元々私と安斎は別に仲が悪いわけではない。好んで険悪なムードを作る理由もないのだから。

 そもそも仲が悪いならこうして二人で飲むこともない。試合で何度も対戦したことはあるし、意見が衝突することはある。酒が入ればなおのことだ。

 だがそれが後を引くことはない。お互い根に持つ性質ではないし、酔った上でのことならすべては酒の席の上のことと割り切っていた。

 

 注文した飲み物が来るとどちらからともなくグラスを掲げて乾杯する。

 美味い。

 ビールは好きだが、特に最初の一杯の味は何度飲んでも格別だ。何故こんなに美味いのか。

 気付けば最初の一杯はすぐに空になっていた。

 私は店員を呼んでおかわりを注文する。

 

「角谷杏」

 

 そうやってしばらくお互いに無言でグラスを傾けていると、先に口を開いたのは安斎だった。

 

「私の“大切な人”だ。いや、だった、というべきかな」

 

 それが試合前の私の問いに対する答えだと理解するのにしばしの時間を要した。

 聞き覚えのある名前だ。

 そう、たしか……。

 

「……お前にとっては最愛の妹を死なせた憎い仇でしかないのかもしれないけどな」

 

 その言葉ではっきりと思い出した。

 そうだ、大洗女子学園の生徒会長だ。

 戦車道ではヘッツァーの車長だった。あのヘッツァーには随分と手を焼かされたのでよく覚えている。

 

 だが私の中で彼女について最も強烈に記憶に残っているのは、私とあの女の前で土下座する姿だった。

 みほが死んだのは自分のせいだと、自分がみほに戦車道を強制したのが原因だと。そう言ってひたすらに頭を下げる姿だ。

 仇、というのは恐らくそのことを言っているのだろう。何故安斎がそのことを知っているのか。本人から直接聞いたのかあるいは噂で聞いた話かそれはわからないが。

 

「私は彼女を恨んだことなど一度もない」

 

 それは私の偽らざる本心だった。

 成程、たしかに彼女はみほに戦車道を強制したのかもしれない。だがそれが何だというのか。結局みほに引導を渡したのが私だという事実に変わりはない。

 あるいは西住流の戦車道がみほを追い詰めたという考えもあるかもしれない。その理屈でもやはりみほを殺したのは私だということになる。何故なら私は西住流そのものであり、私は西住流の教えに則ってみほを叩き潰したのだから。

 つまりはみほを殺したのは他の誰でもない私自身であり、ならば私が恨むとしたら私自身しかありえない、ということだ。

 

 むしろ角谷さんの方こそ私を恨む権利がある。

 何せ私は大洗女子学園に引導を渡した張本人なのだから。

 角谷杏が西住まほを恨むことはあってもその逆はありえない。少なくとも私はそう考えている。

 私の言葉に嘘はないとわかったのか、安斎は「そうか」とだけ言ってタバコを取り出した。

 

「吸ってもいいか?」

「構わないが……タバコ、吸うのか?」

「ああ」

 

 私は酒はやるがタバコは一切やったことがない。安斎にしても今までに何度も飲んだことがあるが、タバコを吸っているのは見たことがない。となると吸い始めたのはここ最近ということになる。

 

「あいつの……杏の遺品だよ」

 

 私の疑問の視線を察したのか、安斎が説明してくれた。

 今吸っているタバコもライターも元は角谷さんの持ち物だという。どちらも親族に譲ってもらったものらしい。

 角谷さんの両親と会ったのは葬式の時が初めてだったが、安斎のことは角谷さんからよく聞いていたらしい。安斎の人柄もあってすぐに打ち解けたとのこと。……私にはとても真似できそうにない。

 しかし物憂げな顔でタバコを咥える安斎は何というか絵になる。退廃的な雰囲気に魅力を感じる人の心理というのはこういうものだろうか、などと益体のないことを考えてしまう。

 

「大切な人だったんだ……」

 

 そんな私の内心に構わずに、ゆっくりと紫煙を吐き出しながらポツリポツリと安斎は語り出した。

 

「最初はさ、ただ放っておけなかっただけなんだ。久しぶりに会ったあいつは見る影もなくボロボロになっていて、そんな姿を見ていられなくて、何かしてあげたいってそう思って。あいつの家に押しかけて色々世話を焼いていた」

 

 懐かしむように、愛おしむように、安斎は言葉を紡いでいく。

 

「でもいつからだろうな、そこに別の感情が混じり始めたのは。ただ純粋にあいつと一緒にいたいと思うようになったのは。私の料理を美味しそうに食べてくれて、私が何かする度に喜んでくれて、段々笑顔を見せてくれるようになって。その笑顔を見て思ったんだ。あいつの辛そうな顔は見たくない。あいつには笑っていてほしいって」

 

 そうして自然とあいつと一緒にいる時間が増えていった、と安斎は言った。

 最近付き合いが悪いと思っていたが、そういう事情だったのか。

 それならそうと言ってくれればいいものを、と思うがここで口を挟む程私も野暮ではない。

 

「あいつといる時間は楽しかった。戦車に乗っている時よりも、料理をしている時よりも、今までの人生で一番、と言ってよかったかもしれない。それぐらい幸せな時間だった。

 ……でもそんな幸せな時間は唐突に終わりを告げた」

 

 安斎は表情を曇らせたかと思うと、タバコを揉み消した。

 

「いつものようにあいつの部屋に行っても返事がなくて。風呂場の方で音がするから、風呂にでも入っているのかと思って何気なく見てみたら。あいつが手首から血を流して倒れていて。頭が真っ白になって。それで。それで……」

 

 そこまで言って安斎は言葉を詰まらせる。何かに耐えるかのように体を震わせていたかと思うと、グラスを掴んで一気に飲み干し、それを机に叩きつけた。

 

「何でだ、何で私に何も言ってくれなかったんだ? そんなに私は頼りないか? 『千代美にこれ以上迷惑はかけられない』だと!? いつ迷惑だなんて言ったんだ!? 私は一度もあいつのことを迷惑だなんて思ったことはないぞ!!」

 

 感情のままに叫んだ安斎はそのまま荒い呼吸を繰り返していた。そしてしばし息を整えると、私の目を見詰めて言った。

 

「お前の言う通りだ。私は八つ当たりをしていただけだ。あいつが死んで、自分でも何故だかわからないくらい動揺して、自分の内で荒れ狂う感情を何かにぶつけないとおかしくなってしまいそうで。私は、自分で自分がわからなくなってしまっていたんだ。

 ……でもな、今日お前に言われて気付いたんだ」

 

 安斎は寂しげに微笑む。

 見ているこちらまで胸が締め付けられるような表情だった。

 

「ああ、私は杏のことが好きだったんだ、って」

 

 涙が一滴、安斎の頬を伝った。

 それを拭いもせずに安斎は続けた。

 

「初恋は実らないって言うけど、本当だな。……何で。何で今頃になって気付くかな。いなくなってようやく気付くなんて。……遅いよな。遅すぎるよな。何で、私は……」

 

 そこまで言って安斎は顔を伏せる。しばらくするとすすり泣く声が聞こえてきた。

 私は何も言えず、ただ安斎が泣き止むのを黙って待ち続けるしかできなかった。




同情から始まる恋があってもいいじゃない! というお話。
まあ実際同情から始まる恋は普通にあるらしいです。
特に母性が強い女性に多いとのこと。
……アンチョビ姐さん、もろに当てはまってるじゃないすか。


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安斎千代美と西住まほと分かたれた道

投稿直前に読み直してみたら何か納得いかずに修正した結果、思いの外時間がかかってしまいました。

あと長かったので前話と分割したんですが、もう完全に初恋関係なくなってしまったのでタイトルを変更しました。


【西住まほ視点】

 

「……すまん、愚痴ってしまって」

「気にするな。私にも気持ちはわかるしな」

 

 しばらくしてようやく泣き止んだ安斎は赤い目をこすりながら言った。

 そう、安斎の気持ちは私には痛いほど理解できた。

 みほが自殺した当時、私は未成年だったから酒は飲めなかったし愚痴る相手もいなかったが、今なら間違いなく安斎と同じ状態になっていただろう。

 

「西住みほか……」

 

 新しく運ばれてきたグラスを傾けながら安斎はポツリと呟いた。

 

「……お前の妹に聞かれたことがある。戦車道とは何なのか、ってな」

 

 みほが何故安斎にそんなことを聞いたのか、それはわからない。

 だがそれはきっと――

 

「最初は何故そんなことを聞くのかと疑問に思ったけど、すぐに思い至ったよ。4年前の決勝戦は私も観ていたからな」

 

 あの決勝戦での出来事と無関係ではあるまい。そう思い至るのと安斎の言葉は同時だった。

 みほの事情を知っている人間からすればやはり真っ先にあの出来事が思い浮かぶだろうし、恐らくそれが正解なのだろう。

 あるいは安斎の戦車道を見て何か感じ入るものがあったのかもしれない。安斎がアンツィオでやっていた戦車道は、勝ち負け抜きに楽しむ戦車道だった。それはきっとみほが目指していた戦車道そのものだったろうから。

 

「中学時代の私ならみほの行動を非難していただろう。仲間を大切に想うのはいい。だが仲間が大切だからこそ、仲間を勝利に導いてやることが指揮官の務めだと当時の私は考えていた。西住流とはまた違うが勝利至上主義という意味では共通している。

 アンツィオに入ってすぐの頃はそれで他の隊員としょっちゅう衝突したもんだ。あの時の私は結果を出そうと躍起になっていて周りがまるで見えていなかった。先輩たちに噛み付いて、同級生の言葉にも耳を貸さなかった。二年に上がったら先輩は全員卒業して、数少ない同級生も全員辞めて、残ったのは私一人になってしまった。

 それでも私は自分を省みなかった。自分は絶対に正しいと信じて、間違っているのは周りの方だって言い聞かせた。例え一人でもやってやるって」

 

 あの安斎が弱小校に進学すると聞いた当時の私の心境を一言で言い表すのは難しい。

 驚いたし、失望したし、悲しくもあった。

 だがアンツィオ高校の戦車道を一から自分の手で立て直してやるんだ、という決意を聞いて、最終的には純粋に応援したいと思った。

 

 そして安斎は宣言通りに見事にアンツィオの戦車道を立て直してみせた。

 長年1回戦負けを続けていたチームを見事勝利に導き、2回戦進出を果たした。

 結局その後にすぐ敗退したが、あの貧弱な車輌でマジノ女学院に勝てただけでも充分な成果と言えるだろう。

 黒森峰のような強豪校からすれば1回戦負けも2回戦負けも大差はないと思われるだろうが、戦車も設備も人員も大きな隔たりがある以上比較するのがそもそも間違っている。

 しかし勿論苦労はしただろうと思っていたが、どうやら私の想像以上に安斎の歩んだ道は険しかったらしい。

 

「そんな時だ、カルパッチョが来てくれたのは。たった一人とはいえ履修希望者がいてくれた、それが心の底から嬉しかったのをよく覚えている。一人でもやるなんて息巻いていたけど、私も本当は内心心細かったんだな。で、その後何やかやあってペパロニも戦車道をやることになってな。それでようやくアンツィオ高校の、私たちの戦車道はスタートしたんだ」

 

 愛おしそうに思い出を語る安斎の様子からは仲間への、母校への愛情が伝わってきた。本当にアンツィオの仲間のことが好きなんだろう。

 そしてその仲間の方も皆安斎のことを慕っている。偶に試合で顔を合わせるだけの私ですら一目見て分かる程には。

 ……私とは大違いだ。

 

「とはいえ問題は山積みだったけどな。2人入ってくれたとはいえ、人数不足には違いなかったし、経験者のカルパッチョはともかくペパロニは全くの素人で、戦車道の『せ』の字も知らない状態だった。

 とりあえずは戦車に乗せてみたんだが、あいつときたらはしゃぎ回って私の話を中々聞こうとしない。『戦車に乗るのって楽しい』と言ってな。私はそれを聞いてつい怒鳴り散らしてしまったよ。そんな甘ったれた考えで戦車に乗るなって。

 当時の私には戦車道が楽しいなんて考えは到底受け入れられなかった。強豪校のスカウトを蹴ってまでアンツィオに行ったのは戦車道を立て直すためだったんだ。私にはその義務がある、そう思っていたからな。求められるのはまず勝利、楽しむ余裕なんてないってさ」

 

 昔の安斎ならいかにも言いそうな台詞だ。

 それが何故今では真逆の考えに変わったのか。前々から疑問ではあったがそういえば聞いたことはなかった。

 変わったと言えば私も変わった。

 到底受け入れられないと安斎は言ったが、それは私だってそうだった。アンツィオでの安斎の戦車道を見た当初、私は困惑したものだ。

 あの安斎千代美ともあろうものが、何を腑抜けた戦車道をやっているのか、あの頃のお前はどこに行ってしまったんだ、と思ったものだ。

 それが何故受け入れられるようになったのだったかと考えて――

 

「けどな、そんな私に対してあいつは言ったんだ。戦車に乗るのが楽しくないのか、なら何で戦車に乗っているのかって。私はその問いに答えられなかった。そして思ったんだ。私は何のために戦車道をやっているんだろう、ってな」

 

 安斎の言葉に心臓が跳ねた。

 

 私にも身に覚えがある話だったからだ。むしろ現在進行形で自問していることだ。

 

 昔は戦車を乗るのに悩むことなどなかった。

 撃てば必中、守りは固く、進む姿は乱れ無し。鉄の掟。鋼の心。それが西住流。

 その教えに従い、修練を積み、勝利を積み重ね、迷うことなく突き進んでいた。

 だがみほが死んで、西住流の在り方に反感を覚えて。そうして自分の戦車道を見失った時、ふとある疑問が浮かんできた。

 

 私は何のために戦車道をやっているのか、と。

 

 以前までなら考えもしないことだった。

 生まれた時から戦車が身近にあった。戦車に乗ることに何の抵抗もなく、それが当たり前のような感覚すらあった。一般人が車や電車に乗るのと似たようなものだろうか。

 戦車道をやることにも疑問を抱いたことなどなかった。純粋に戦車に乗るのは好きだったし、西住の家に生まれた者として当然の義務と教育されてきたから。

 

「戦車道を始めたきっかけなんてものは戦車が好きだからとか、そんな単純な理由だったはずなんだ。実際最初のうちは純粋に戦車に乗ることを楽しんでいたと思う。でもいつからだろうな、戦車に乗るのが楽しいと思えなくなった。いや、それどころか楽しむなんていけないとすら思うようになってしまったんだ」

 

 自分が戦車に乗ったきっかけなんてものは覚えていない。物心つく前から乗っていたのは間違いない。気付いたら戦車に乗っていて、いつの間にかそれが当たり前になっていた。

 

 戦車に乗るのを楽しんでいた時期は私にもあった。みほと二人で畦道を戦車で走ったあの光景は今でも脳裏に焼き付いている。

 あの時の私は純粋に、西住流に縛られることなく戦車に乗れていたはずだ。だがいつの間にか私の戦車道は楽しさとは無縁になっていた。

 楽しむなんてそんな軟弱な思考は許されない、そんな浮ついた考えで戦車に乗ってはいけない、まるで楽しむことが悪いことのように感じるようになっていた。

 

「そう思うようになったのは勝つことにこだわるようになってからだ。そして何故勝ちたいと思うようになったかと言えば、元々は一緒に戦う仲間のためだった。こいつらと勝ちたい、勝って喜びを分かち合いたい。そんな純粋な気持ちがきっかけだったはずなのに。いつの間にかそんな気持ちは消え失せていた。

 次第に戦車道自体が楽しいんじゃなく、勝つことが楽しいと思うようになっていった。しまいには勝つことすら楽しいとは思えなくなった。むしろ重圧すら感じるようになっていた。勝たなきゃいけない、勝ち続けなきゃいけない。負けたらダメだ、負けてしまったらすべてが無駄になる。そんな風にな」

 

 戦車道以外のすべてを無駄なこと、不要なものと切り捨てて。

 義務感に突き動かされるままに戦車道に打ち込んで。

 勝利に向かって邁進して。

 気付けば戦車道が楽しいなんて全く思えなくなっていた。むしろ息苦しい、辛い、やめたいとすら思うようになっていた。勝利に対する喜びも勝利を積み重ねるごとに薄れていき、勝っても嬉しいという気持ちよりも安堵の気持ちの方が強くなっていった。

 それでも私は戦車道をやめることはなかった。そしてそんな自分の有様に疑問を抱くことすらなかった。

 

「挙句の果てに仲間のために勝ちたいと思っていたはずなのに、いつの間にか勝つためなら仲間を犠牲にしても構わないと思うようになっていた。それに気付いた時はぞっとしたよ」

 

 私が戦車道をやっていたのは果たして自分の意思だったのだろうか。

 西住の家に生まれた以上戦車に乗るのが当たり前だ。そう子供の頃から教育されていたから、何の疑問も抱かずに戦車に乗っていただけじゃないのか。他に選択肢を与えられていなかったから、自分には戦車道しかないと決めつけていただけじゃないのか。

 

 そんな疑問が芽生えたのはすべてを失った後だった。

 

「ペパロニのおかげで私は自分のことを見つめ直すことができたんだ。そうして初心を思い出すことができて、次第に私の心も解れてきてな。負けても楽しめればいい、そういう戦車道もあるって認めてもいいと思えるようになったんだ」

 

 すべてが遅すぎた。

 もっと早く疑問を抱いていれば別の道もあったのかもしれない。

 だが私は既に戻れないところまで来てしまっていた。

 だから私は自分の在り方を変えられず、未だに西住流の戦車道を続けている。

 

 ……おかしいな。

 何故私と安斎とでこうも違ってしまったんだろうか。

 いや、何ということはない。

 安斎にはペパロニがいた。

 私には誰もいなかった。

 きっとそれだけのことなんだろう。

 

 そこまで考えて私はようやく思い出した。何故私が安斎の今の戦車道を受け入れられるようになったかを。

 単に自分の浅ましさに気付いたからだ。

 安斎のことを腑抜けたなどと思っていたが、私は単に羨ましかっただけなんだ。

 安斎を勝手に自分の同類だと決め付けて、まるで裏切られたような気持ちになって拗ねていただけなんだ。

 それに気付いてからは安斎の新しい戦車道を認めることができた。安斎は私とは違う。安斎は自分の道を行くべきだとそう思ったんだ。

 

 そして何故気付けたかと言えば。

 

 みほの戦車道を、みほが大洗で見つけた戦車道を目にしたからだった。

 

 ……本当に。

 

 私という人間はつくづく遅すぎる。

 

「……お前には理解も共感もできない考えだろうけどな」

「3年前までの私ならそうだったろうな」

 

 中学時代から私を知っている安斎からすればそう思うのも当然だろう。

 事実まだ西住流を信奉していた頃の自分なら、安斎の戦車道を惰弱の一言で切って捨てていただろう。勝つために仲間を犠牲にして何が悪い、犠牲なくして大きな勝利を得ることはできない、西住流にとっては勝利こそがすべてだ、と。

 だが。

 

「勝負事である以上勝利を目指すのは当然のことだ。そのための努力も尊いものだ。だが勝利だけを追い求め、他のすべてを犠牲にしたところでその果てに何が残るというんだ?」

 

 少なくとも私には何も残らなかった。

 

 西住流の教えに従ってただただ勝利を渇望し、たとえ実の妹であろうと敵対するなら叩き潰した。

 

 その結果一番無くしてはいけないものを無くした。今まで信じていた西住流も信じられなくなった。今ここにあるのは何もかも失ったただの搾り滓にすぎない。

 

 そんな様を見て誰が私に憧れる? 誰が私のようになりたいと思うんだ?

 

 私に付けられた様々な渾名を見れば分かる。

「戦闘機械」、「氷の女王」、「鋼鉄の処女(アイアンメイデン)」、あるいはもっとストレートに「鬼」だの「悪魔」だの「死神」だのと呼ばれたこともあった。

 どれもこれも畏怖、嫌悪、侮蔑といった負の感情を込められた渾名だ。

 対戦相手どころかチームメイトにすらそう言われていると知った時は軽くショックだったが。

 

「今日の試合」

 

 これ以上考えると気が滅入りそうだったため、私は話題を変えることにした。

 

「確かに勝ったのは私だ。だがそれは私の方がお前よりも優れていたからではない」

 

 一車長としてなら私は安斎よりも優れている自信がある。

 だが指揮官としてなら私では安斎には及ばない。

 総合的に見てどちらが上かと問われれば、負けるつもりはないが勝てるとも言えない、少なくとも簡単に優劣をつけられる関係ではない、といったところか。

 

「私の戦車道はただの八つ当たりに過ぎないのかもしれない。だがな、少なくとも私はそれを自覚している。その点では今のお前よりも私の方が勝っている。戦いは迷いがある方が負ける。お前は迷い、私は迷わなかった。勝敗を分けたのは所詮その程度の差だ」

 

 今思えば3年前の決勝戦で私がみほに勝てたのも結局はそういうことなのかもしれない。

 

 あの時の私には迷いはなかった。

 例え相手が妹であろうとも敵はただ打ち倒すのみ、それが西住流だと信じていたから。実にシンプルな思考でそれ故に迷いもなかった。

 

 だがそれに対してみほはどこか迷いがあったように思う。

 恐らくみほは自分の戦車道が何なのか、あの時はっきりと自覚できていなかったのではないか。

 川に取り残された仲間を助けたのも、明確な意志の下での行動ではなく状況に流されていただけだったのではないか。

 

 その迷いがなければ、自分の戦車道を信じていれば、みほは勝てていた。

 

 そうすれば――

 

 いや。そんな仮定は無意味だ。現実としてみほは敗北した。それがすべてなのだから。

 

「だがそれは私の方がお前よりも優れているということではない。むしろ自覚した上でなお改める気がないという点では私の方が余程救いようがない」

 

 そうだ。全くもってその通りだ。私という人間は本当に救いようがない。

 勝ってはいけない試合に勝ち、妹を殺しながら今ものうのうと生き続けている。あまつさえ妹を苦しめ、追い詰め、死に追いやった西住流の戦車道を未だに続けている。

 我ながら恥知らずにも程がある。

 

「私とお前は違う。お前はまだ間に合う。お前のチームの連中を見たか? 誰もが皆お前のことを心配していた。あいつらのためにも、何よりもお前自身のためにも、お前はやり直すべきだ。……きっと角谷さんもそれを望んでいるさ」

 

 最後の一言は余計だったかもしれない。だがきっと彼女もそう思っているに違いないと、そう思ったから。

 安斎は痛ましいものを見るかのように私を見詰めていたが、やがて顔を俯けてただ一言、「わかった」とだけ呟いた。

 

 その後は話は終わりとばかりに互いに言葉少なに飲み食いを続けた。

 そして店員からラストオーダーの知らせを聞いて、最後にもう一杯ずつ注文を済ませる。そろそろお開きかと思ったところで安斎はまた一本タバコを吸い始めた。「これで最後だ」と言って。

 

「酒はまだしもタバコはやめた方がいいんじゃないか?」

 

 体に悪いというのもそうだが、最近は喫煙者は相当肩身が狭い印象を受ける。私は気にしないが同席している人間によっては快く思わない者もいるだろう。臭いに関しては日頃から鉄と油の臭いに塗れている身としては今更だが。

 

「もう少しで杏が備蓄していた分が尽きる。そうしたらやめるさ」

「……そんな簡単にやめられるものなのか?」

 

 偏見かもしれないが、タバコというのは一度吸い始めたらやめられないというイメージがある。まあ今日の様子を見るに安斎はいわゆるヘビースモーカーというわけではなさそうだが。

 

「やめるさ」

 

 安斎は決意を秘めた表情で言った。

 

「……やめなきゃいけないんだ」

 

 それを文字通りタバコをやめる決意と受け取るほど私も鈍くはない。

 つまりは安斎はタバコと一緒に角谷杏への気持ちを吹っ切るつもりなのだろう。

 それこそ簡単にできることではあるまい。私はみほが死んでからもう3年も経つというのに未だにみっともなく引きずっている。

 私と違って安斎の場合は自分のせいで相手が死んだというわけではないが、喪失感という点においては違いはあるまい。

 

 だが安斎ならできるのかもしれない。

 

 そう、安斎は私とは違うのだから。

 

「……お前はどうだ、やめられそうか?」

 

 何を、とは聞かなかった。

 

「いや」

 

 代わりに私はただ首を横に振って、否定の言葉を返すだけだ。

 

「しばらくはやめられそうにない」

「……そうか」

 

 それっきり安斎は何も言葉を発することはなかった。私も同様だ。そしてそのままお開きとなり、それぞれの帰路に就くことになった。

 

「……やめられるものならやめたいさ」

 

 一人夜道を歩きながらポツリと呟く。

 

 やめられるものなら今すぐにでもやめてしまいたい、楽になりたい。結局のところそれが私の本心だ。

 安斎にやめられそうか、と聞かれて大いに心が揺らいだ。私もいい加減自分の気持ちに区切りをつけるべきじゃないのか? そんな迷いが生まれた。

 あるいは私も安斎のようになれるんじゃないか。やり直すことができるんじゃないか。そんな希望を抱いてしまった。

 それは何とも甘美な誘惑だった。私の弱い心を侵す甘い毒だった。思わず身を任せてしまいたい、そんな衝動に駆られるほどに。

 

 否。

 

 断じて否だ。

 

 身を任せてしまえるならどんなに良かったか。

 

 何もかも投げ出してしまえるならどんなに良かったか。

 

 だがそれはできない。それだけは決して。

 

 私はまだ“答え”を見ていない。

 

 みほを死なせたことに対する贖罪も、みほを殺した奴への復讐も終わっていない。

 

 少なくとも西住流に復讐するまでは私は止まるつもりはない。止まれるわけがない。

 

 ……だがいつか。

 

 いつか私にもやめられる日が来るのだろうか。

 

 今の私には想像もつかなかった。




この小説を書いていて思うのです。
読者の方々の中には、もっとダークな展開を期待している方も少なからずいるんじゃなかろうかと。
でもそんな方々には申し訳ないのですが、この小説はそこまでダークな方向には行かない予定です。

ただ作者もダークな話は好きなので、ifルートという形でダークな話を書いてもいいかもしれないと思ったり。
あるいは他に思い付いた話で結構ダークな話があるので、それを投稿してもいいかもとか。
ただこの小説の完結を優先したいので、書くとしても当分先になりそうですが。

次回はアンチョビとペパロニのその後のお話です。


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アンチョビはペパロニを許したい

まほチョビは「まほ」「千代美」と呼び合うイチャイチャカップルもいいけど、「西住」「安斎」と呼び合う戦友ポジもいいと思う。
という訳で今回はそんな感じのまほチョビ。


【ペパロニ視点】

 

「本当にすいませんでした!」

 

 格納庫に集まった部員たちの前で姐さんはそう言って頭を下げた。

 大学の戦車道部の練習前、皆に話があるからって姐さんは部員を格納庫に集めた。

 そして全員揃ったのを確認するなり、姐さんは言ったんだ。皆に謝らなきゃいけないって。

 

 角谷さんに構ってばかりで戦車道を疎かにしていたこと。

 

 角谷さんが死んだ後、その苛立ちをぶつけるみたいに八つ当たりのような戦い方をしていたこと。

 

 大切な仲間を駒にみたいに扱ってしまったこと。

 

 皆に迷惑を掛けたこと。

 

 全部謝りたいって、姐さんは言ったんだ。

 

 許してもらえるなんて思わないけど、どうしても謝りたかったって。

 

 ……何でそんなことを思うのか私には分からなかった。姐さんを許さないなんて言う奴がこの場にいる訳ないのに。

 実際姐さんを責める人間なんて一人もいなかった。皆笑って姐さんのことを許した。そしてまたこれからもよろしくお願いしますって逆に頭を下げた。

 そんな周りの反応に姐さんは泣きながらまた謝って、そんな姐さんを皆で慰めて、最後には皆で笑い合ってた。

 私はそんな皆の様子を離れて見てるしかできなかった。

 本当なら私が真っ先に声を上げるべきだったのに、結局私は一言も声を出せなかった。

 

 姐さんのことを許せないから、な訳がない。

 そもそも逆なんだ。謝らなきゃいけないのは姐さんじゃない、私なんだ。

 なのに何で私は姐さんに謝らせて、姐さんを泣かせてんだよ!

 そんな風に考えちまって、でも皆の前で言える訳がなくて。

 そんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま話は終わって、そのまま皆は何事も無かったみたいに練習に移った。

 でも私は全然気持ちを切り替えられなくて、練習中も何度もミスして、隊長にも何度も叱られてと散々だった。

 

 今日はもう帰りたい。さっさと帰って寝てしまいたい。

 練習が終わると私はすぐに着替えて、着替え終わるとすぐに部室を出た。

 

「ペパロニ。ちょっといいか?」

 

 そこで姐さんに声を掛けられた。

 

 思わずドキッとして身構える私に構わず姐さんは何か言いかけて、ここじゃ何だからってことで場所を移動することになった。

 私は気が気じゃなかった。

 何を言われるのか、怖くてビクビクしながら姐さんの後を黙って付いていった。

 だって姐さんがこんな改まって私に話をしようなんて、角谷さんのこと以外ありえないじゃないか。

 

 そう思ったけどそんな私の心配は全くの無駄だった。

 

「お前にも迷惑を掛けたな。本当にすまなかった」

 

 二人きりになるなり姐さんはそんなことを言ってきた。

 一瞬何を言われたのか分からなくて、でも段々姐さんの言葉が頭に入ってきて、何を言われたのか分かった途端、私は胸が苦しくなった。

 

 何で、何で姐さんが謝るんすか。

 

 姐さんが私に謝ることなんて何もないのに。

 

 私の方こそ姐さんに謝らなきゃいけないのに。

 

 何で。

 

 何で……!

 

「お前には特にちゃんと謝らなきゃって思っていたんだ。お前は何度も忠告してくれたのに、私がそれを無視し続けたせいであんなことになってしまった。私がもっとしっかりとお前たちや杏と向き合えていれば、あんなことにはならなかったのにな。本当にダメな先輩だよ、私は」

 

 そんな風に辛そうな顔で自分を責めるみたいに言う姐さんを見て――

 

「違うんすよ、姐さん」

「え?」

 

 私は思わずそんなことを口走ってた。

 

 もう限界だった。

 やっぱり隠してなんておけない。

 これを言ったら私は姐さんに嫌われるかもしれない。

 怒鳴りつけられるかもしれないし、下手すりゃ殴られるかもしれない。

 もう二度と姐さんと一緒に戦車道ができなくなるかもしれない。

 それどころか顔を合わせることすらできなくなるかもしれない。

 

 それでも。

 

 それでも言わなきゃいけないんだ。

 

 今言わなきゃもうこの先死ぬまで言えなくなる、一生後悔することになる。

 

 だから、私は――

 

「角谷さんが死んだのは、私のせいなんです」

 

 

          *

 

 

【西住まほ視点】

 

 戦車道の練習も終わり、すっかり暗くなった道を一人歩く。

 週末だけあって繁華街は大学生や仕事帰りの会社員でごった返していた。そんな喧騒を横目に私は目的地を目指して一直線に進む。そう、安斎が待つ場所まで。

 私が自宅から離れた繁華街まで足を延ばしているのは安斎と飲む約束をしているからだった。しかも今回は珍しいことに安斎からのお誘いだった。

 今までも何度も二人で飲んだことはあるが、基本的に誘うのは私からだった。試合後の飲みはほぼ恒例行事だが、それ以外は私が気が向いた時に安斎に連絡して、安斎の予定が合えば一緒に飲むというパターンだった。

 私としては断る理由はないので二つ返事で了解したのだが、後になって違和感を覚えたものだ。もしかして何かあったのだろうか。

 そんなことを考えているうちに待ち合わせ場所の店の前に到着していた。そこでは既に安斎が待っていた。

 

「待たせたか?」

「いや、私もついさっき来たところだよ」

 

 気のせいだろうか、今日の安斎はどうも元気がないように見える。しかしこちらが口を開く前に安斎は店の扉を開けてさっさと中に入ってしまったため、私も後に続いた。

 予約していた個室に案内されて注文を済ませるともう問い質す空気でもなくなってしまい、そのままいつも通りにグラスを合わせて乾杯した。

 そして酒を飲んで、つまみを食べて、安斎が他愛もない話を振ってきて、私がそれに相槌を打つ、そんないつも通りの雰囲気のまま時間は過ぎて行った。

 

 そう、あまりにもいつも通りだ。

 私はてっきり何か特別な話があると思って身構えていたのだが、肩透かしを食らった気分だ。

 まあ、私個人としては別にこのまま取り留めのない雑談を続けてもまったく構わないのだが。

 

「そういえばあの後部活の連中とはどうだ? ちゃんと和解できたのか?」

 

 ふと先日のやり取りを思い出して私はその話題を口にした。

 気になったので聞いてはみたが、安斎とその仲間たちなら心配はいらないと思っている。だからこれはあくまで確認のための言葉だった。

 

「ん? ……ああ、まあ、な」

 

 しかし安斎の返事はどうにも歯切れが悪かった。まさか何かトラブルでもあったのだろうか。

 

「いや、別にそういう訳じゃないんだ。まあ、私も許してもらえるか最初は不安だったんだけどな。でも私が皆の前で頭を下げて、今まで迷惑を掛けたことを謝って、そうしたら皆笑って許してくれて。それで終わりさ。特に蟠りもなく、今ではすっかり元通りの関係だよ」

 

 安斎の様子に一瞬心配したものの、やはり無用な心配だったらしい。

 しかしなら何故あんな反応をするのか。

 そんな私の疑問の視線に対して安斎は迷う様な素振りを見せた後、グラスを一気に呷ってから意を決して口を開いた。

 

「でも、な。一人だけ……一人だけ元通り、とはいかない奴がいたんだ。ペパロニの奴が、な……」

 

 安斎の口から出た意外な人物の名前に私は驚きを隠せなかった。

 私もそれほど彼女と深い付き合いがあるわけではないが、安斎を慕っている者たちの中でも一際懐いている印象だった。失礼かもしれないがまるで主人に尻尾を振る忠犬というイメージだ。

 そんな彼女なら真っ先に安斎のことを許しそうなものだが。

 

「いや、別にペパロニが私のことを許してくれなかったという訳じゃないんだ。むしろ逆というかな。私の方があいつから謝られたんだ」

「謝られた?」

 

 一体何を、という私の疑問に対して安斎は一拍置いてから答えた。

 

「杏が自殺したのは自分のせいだ、って」

 

『みほが死んだのは私のせいなんです』

 

 ……どこかで聞いたような話だ。

 しかも私と同じく戦車道の後輩から言われたものとは。偶然とは恐ろしい。

 しかし成程、元気がないと思っていたがそれが原因か。

 ということは。

 

「今日私を誘ったのはそれが理由か?」

「どうだろうな。自分でもよく分からん。……でも誰かに話を聞いてほしかったのかもな」

 

 予想に反して安斎の反応は何とも煮え切らないものだった。そんな安斎に対して私は敢えてぶっきらぼうに言った。

 

「話したいなら話せ。本当に聞くだけしかできないがそれでもいいというのならな」

 

 私の物言いに対して安斎は苦笑しつつも事の顛末を語った。

 要約するとペパロニが角谷さんに安斎と別れるように言ったその日の内に角谷さんは自殺した。そのことをペパロニはずっと気に病んでいた、ということらしい。

 

『……姐さんのこと、頼みます』

 

 不意にあの日ペパロニに言われた言葉が脳裏に甦る。

 安斎があんな状態になっていたら本来ならペパロニこそが率先して何とかしようとするはずなのに、私に任せるなどおかしいとは思っていた。

 大方自分にはそんな資格はないとでも思っていたのだろう。実際話を聞く限りでは責任を感じて当然だと思う。

 

「それで、どうしたんだ?」

 

 私の場合はエリカのことを許した。いや、許す許さない以前の問題だ。私はみほの死について自分以外の誰かを責める気はなかったから。

 だが安斎はどうだろうか。

 安斎は言っていた。角谷さんのことが好きだったと。初恋だったと。

 そんな相手が死ぬ原因を作った人間がいるとなれば、流石の安斎でも心中穏やかではいられまい。

 

「許したよ」

 

 だが安斎の返答は実にあっさりとしたものだった。

 

「いや許すも何もそもそもペパロニのせいだとは思っていない、これは本心だ。ペパロニは私のためを思って行動しただけだろうし、あいつの言葉は結局のところただのきっかけに過ぎなかった。いつか来る終わりが早いか遅いかの違いだよ。

 今にして思えばあの頃の私は酷い状態だった。杏の世話にかまけてばかりで他のことを疎かにしていた。勉学も戦車道も手を抜くつもりはなかったが、それでも掛ける時間は確実に減っていた。

 それでも6月の大会や7月の大学の試験が終わるまではまだよかった。だがそれらが終わって夏休みに入って、一緒にいる時間が長くなると杏は更に私に依存していった。私もそんな杏を突き放すことができずにずるずると関係を続けて。しまいには戦車道の練習まで休むようになってしまった。

 あのまま行けば私も杏も揃ってダメになっていた。そうなればもっと酷い結果になっていたかもしれない。だからむしろ悪いのは私の方だ。ペパロニが謝ることなんてない」

 

 安斎の言葉に嘘はないように見える。

 

 その一方で本音をすべて語っている訳でもないように思えた。

 

「でもな」

 

 果たして安斎の言葉には続きがあった。新しいグラスの中身をグイっと呷ると、己の内に溜まった毒を吐き出した。

 

「そこまでわかっていながらそれでも割り切れない自分がいるんだ。あいつは悪くないって分かっているのに、『お前が余計なことをしなければ』ってつい言いそうになった。ははっ、我ながら最低だな。自分の不甲斐なさを棚に上げて後輩に当たろうなんてさ」

「そんなことはない」

 

 自虐的に笑う安斎だが、私は笑う気にはなれなかった。

 

「“大切な人”の死をそんな簡単に割り切れるわけがない。そこで簡単に割り切れてしまうなら、その人のことを本当に大切だとは思っていなかったということだ。少なくとも私はそう思う」

 

 私の場合は事情が単純だった。みほを殺したのは私自身であり、他の人間を恨みようがなかった。だから私はエリカを責めなかった。

 だが思いが燻ぶっていたのも事実だ。

 みほが死んだのはエリカのせいではないと本心から思っているにもかかわらず、心のどこかで微かな苛立ちを感じていた。

 

 思えばエリカはみほが黒森峰にいた頃から何かとみほに食って掛かっていた。

 それを見て思うところはあった。だが何だかんだ言いながらもエリカがみほのことを認めていたのを私は知っていた。

 そしてだからこそ黒森峰を去ったみほが転校先で戦車道を続けている姿に裏切られた気持ちになったのだろう。そう考えれば文句の一つや二つ言いたくなるのも仕方のないことだと思える。

 ……それでも相手の学園艦に乗り込んでまでというのは流石にやり過ぎだが。

 何にせよエリカの気持ちも分からないでもないし、仮にみほの死に対してエリカに責任があったとしても、直接手を下した私にエリカを責める資格はない。そう自分を納得させた。    

 

 今ではもうエリカに対する蟠りも無くなったが、そうなるまではしばらく時間が掛かった。

 ましてや安斎の場合私よりも事情が複雑だ。

 安斎は角谷さんの死に直接責任があるわけではない。だから自分を責めるにしても限界がある。

 なら他者を恨めばいいかというとそう単純にも行かない。

 これが全く関係のない赤の他人であればそいつを憎めば済む話だ。だがペパロニもまた安斎にとっては大事な後輩だ。彼女とて安斎のためを思って行動しただけで、角谷さんに対して悪意があったわけではないだろう。恨むに恨めない、というのが辛いところだ。

 

「ペパロニか……」

 

 安斎はグラスを傾けながら、昔を懐かしむように遠い目をしていた。

 

「あいつの第一印象は最悪だったな。いきなり戦車道準備室に乗り込んできて勝負しろだの、負けたら手下になれだのと言ってきてな。最初は追い返そうとしたんだが、逃げるのかって言われて私もついカチンときちゃってさ。それであいつの乗る自転車と私が乗る戦車でレースで勝負することになったんだ」

 

 口出しせずに黙って安斎の話を聞いていようと思っていた私だったが、聞き捨てならない部分があって思わず口を挟む。

 

「自転車で戦車に挑んできたのか?」

「ああ」

「……正気か?」

 

 思わず呟いた私を責められる者はいないだろう。少なくとも戦車道を学んだ者ならそれがどれだけ無謀なことか分からないはずがない。

 

「私も勝負にならないって言ったんだがあいつは聞きやしなかったよ。こっちとしては手加減する理由もないから遠慮なく叩きのめしてやったんだが、あいつときたら負けを認めようとしなくて、その後も性懲りもなく何度も勝負を挑んできてな。しまいには土砂降りで雷まで鳴っている日までやって来て、その時は流石に止めたよ。

 それでもやるって聞かなくてどうしたものかと思ったんだが、腹を空かせているみたいだったから私が作った料理を食べさせてやったんだ。これで少しは落ち着くかと思って。そうしたらそれを偉く気に入ってくれてな。それがきっかけであっという間に打ち解けて、私のことを姐さんと呼び出して、戦車道を履修してくれることになったんだ。その後のことは……この前も少し話したっけな」

 

 ペパロニのおかげで初心を思い出すことができた。先日安斎がそう語っていたことを思い出す。

 

「その後もまあ色々あったんだが。素人だったあいつも指導の甲斐あってか、一年も経つと一人前の戦車乗りと言っていいレベルまでは成長したよ。そのご褒美、って訳でもなかったんだが名前を付けてやったら、お返しのつもりか私のことをアンチョビって呼んできたんだ。安斎千代美だからアンチョビ。安直な名前だろ?」

 

 そう言って安斎は苦笑した。その表情も声音も台詞に反して馬鹿にするような印象は全くなく、むしろ慈しむようなものだった。

 

「でも嬉しかったよ。これで私もようやくあいつの、アンツィオの仲間になれたって実感できた。やっと私の新しい戦車道を始められる。そう思ったんだ」

 

 大切な宝物を、壊れないようにそっと包み込むようなそんな優しい声だった。安斎は嬉しそうに、本当に嬉しそうに言葉を紡いだ。

 

「今の私があるのは、私の戦車道があるのはあいつのおかげなんだよ。いや、ペパロニだけじゃない。カルパッチョや、アマレットや、パネトーネや、ジェラートや、アンツィオの皆のおかげなんだ。

 だから私はアンチョビと名乗るんだ。安斎千代美じゃない。アンチョビでなきゃいけないんだ。あの日思い出した初心を忘れないためにも、な」

 

 いつからか安斎は自分を“アンチョビ”と名乗るようになっていた。

 中学時代から安斎を知っている私からすれば何故そこまでその名に拘るのか分からなかったが、そんな理由があったとはな。

 

「なら……私も今後はお前のことは“アンチョビ”と呼ぶべきかな?」

 

 安斎が望むなら、そう呼ぶのも吝かではない。

 ただ何となく寂しい気もする。

 安斎の今の戦車道を認めてもいいという気持ちに嘘はない。だが過去の安斎の戦車道を、中学時代に共に競い合ったあの日々を、無かったことにはしたくなかった。

 とはいえこれは私個人の我儘に過ぎない。安斎がアンチョビと名乗ると決めたのならその意志を尊重すべきではないか。

 

「好きに呼べばいいさ。“アンチョビ”でも、今まで通り“安斎”でも、お前が好きなように呼べばいい」

 

 そんな私の葛藤を知ってから知らずか、安斎はあっさりと言った。

 

「でも出来れば、お前にはこれからも“安斎”って呼んでほしい。矛盾しているのは分かっている。でもな、お前と競い合ったあの日々を無かったことにはしたくないんだ。我ながら勝手な話ではあるが……」

「いや」

 

 安斎の言葉に私は首を振る。

 安斎も私と同じ気持ちでいてくれた。あの日々を同じように大切に思ってくれていた。それがとても嬉しかった。

 

「私も同じ気持ちだよ」

 

 だから私はその思いを素直に口にした。

 安斎は私の言葉に目を見開いて固まっていたが、目を逸らすと「そうか」とだけ呟いて口を噤んだ。

 そのまま私たちはしばらくの間無言だったが、それに耐えきれなくなったのか安斎はわざとらしく咳払いをした。

 

「あ~、話が逸れたな。え~と、何だっけ? そうそうペパロニのことだったよな。……うん、だから、まあ、私はペパロニには感謝しているんだ。杏が自殺した責任がペパロニにあるとしてもだ。あいつが私の大切な仲間だっていう事実は変わらない。それにあいつも杏に対して悪意があった訳じゃない、私のためを思ってのことだってことも分かる。

 だから私としては、統帥アンチョビとしてはペパロニのことを許したいと、そう思っている。……思っているんだけどな……」

 

 ペパロニのことを許したい。だがどうしても割り切れない。結局は先程と同じ結論に行き着く。堂々巡りだ。

 

 アンツィオ高校の戦車道隊長、統帥アンチョビとしては許したい。

 

 だが角谷杏に恋をした安斎千代美としては許せない。

 

 どちらの気持ちを優先すべきなのか。

 

 そんな安斎の葛藤は私には心から理解できる。そして理解した上で何も言わなかった。

 何と言えばいいのか、何が正しいのかわからないというのもある。

 だがこれは安斎が自分で答えを出すべき問題だ。私があれこれと口出しすべきことではない。そう思ったから。

 安斎も私の助言を期待していた訳ではなかったのか、それ以上は何も言わなかった。

 代わりにタバコを取り出して封を開ける。

 

「まだやめてなかったのか」

「最後の一箱だよ」

 

 安斎はそう言いながら箱から取り出した一本を咥えてライターで火を点した。

 

「……これでやめられるかな?」

 

 私にはわからない。少なくとも安易に答えられることではないのはたしかだ。

 タバコにしても、角谷さんに対する思いにしても、ペパロニに対する思いにしても。そんな簡単に断ち切れるものではあるまい。

 

「やめた方がいい。健康に悪いからな」

 

 だから私は当たり障りのない言葉でお茶を濁す。

 

「手遅れになる前にやめられるならそれに越したことはない」

 

 私のようになる前にやめられるならその方がいいに決まっている。

 いや、絶対にやめるべきだ。

 私はすでに手遅れだが安斎はまだやり直せるはずだし、実際にやり直すことができたんだから。

 

「……ああ、そうだな」

 

 安斎はゆっくりと紫煙を吐き出しながら頷いた。

 

「けどな、西住。お前だってまだ遅くない。私はそう思うぞ」

 

 安斎の言葉に私はグラスを傾けるだけで答えを返すことはなかった。

 

 安斎もそんな私に対してそれ以上何も言わなかった。

 

 その後はこの前と同じようにお互いに特に言葉を交わすこともなく、それぞれの帰路に就いた。

 

 安斎と酒を飲み交わすのは楽しい。

 だが同時に辛くもあった。

 かつては同じ道を歩んでいたはずの私たちの道は、もう二度と交わることはないと思い知らされるから。

 

 分かってはいる。こんなことを考えるのは筋違いだということくらい。

 安斎はこんな私に今でも手を差し伸べてくれる。一緒の道を行こうと言ってくれる。それを振り払ったのは私なんだから。

 

 分かっている。分かっているのに。

 

 それでも一人で歩く帰り道は暗くてどこか心細くて。

 

 それがどうしようもなく悲しかった。




次回はまほと話す前の安斎千代美状態の時にペパロニが告白していた場合のifルートを投稿予定です。
タイトルは「安斎千代美はペパロニを許さない」です。


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ifルート:安斎千代美はペパロニを許さない

この話には流血、殺人などの残酷な描写が含まれています。
苦手な方は閲覧注意です。
またアンツィオが大好きでアンツィオのキャラが不幸になるのは耐えられないという方は特に注意です。

ていうか投稿する段になって気付きましたが、よりによってペパロニの誕生日に何てモン投稿してんだ、俺は!
ペパロニファンの方、本当すみません!!


【安斎千代美/アンチョビ視点】

 

「角谷さんが死んだのは私のせいなんです」

 

 格納庫で一人戦車の整備をしていた私に向かってペパロニはそんなことを言ってきた。

 

 大学に入ってからも私は自分の戦車は自分で整備するようにしていた。

 本来なら整備士に任せるべきなんだろうが、高校時代の癖が抜けなくて自分の戦車の整備は自分でやらないと気が済まなくなっていた。

 それに今は何かしていないと杏のことを思い出して気が滅入ってしまいそうだというのもある。

 そんな訳で、他の部員が全員帰った後も私は一人格納庫に残って戦車を整備していた。

 

 ペパロニが声を掛けてきたのはそんな時だった。

 杏が死んだのは自分のせいだと。

 自分が杏に私と別れるように言ったのが原因だと。

 自分が会ったその日の内に杏は自殺したと。

 私に向かって深々と頭を下げながら、ペパロニはそんな風に謝罪の言葉を繰り返した。

 ペパロニの言ったことを理解するのにしばしの時間を要した。理解するにつれて、自分の内でどす黒い感情が次々と溢れ出してくるのを感じた。

 

 お前か! お前か! お前のせいだったのか!!

 

 おかしいとは思っていたんだ。杏が私に何も言わずに突然自殺するなんて。朝まではいつも通りだったのに何故、と。

 何かあったんじゃないかと疑ってはいたが、最終的には私がもっと杏のことを気に掛けていればこんなことにはならなかったという結論に至った。

 だがやはり原因は別にあった。そしてその原因が今私の目の前にいる。

 

 許さない許さない許さない許さない許さない――。

 

 私の頭の中は目の前の女に対する憎悪で埋め尽くされていた。

 目の前には私から杏を奪った憎い仇が無防備にその頭部を晒していて。

 それを見て、そして私の手には先程まで整備で使っていたスパナが握られていて。

 

 気付けば私は手にしたそれを振り下ろしていた。

 

「が……っ!」

 

 鈍い音とともに硬いものを捉えた確かな手応えを感じた。

 目の前の女は呻き声を上げると、頭を押さえてその場に蹲った。私はそんな相手に構わずもう一発打撃を叩き込んだ。

 血飛沫が舞った。目の前の女は堪らず倒れ込んで悶え苦しむ。

 まだだ。まだ足りない。こんなものじゃ足りない。杏を死なせた報いはこんなものじゃ済まない!

 私は目の前の女の上に馬乗りになって相手を押さえ付けると更に殴り続ける。

 

「お前が! お前が余計なことをしなければ! お前のせいで!」

「ねえさ……ね、え……」

「ふざけるな! ふざけるなっ!! ふざけるなあああぁぁぁっ!!!」

 

 謝って済むはずがないだろう! 謝れば杏は生き返るのか!?

 

 そんな訳あるか! 杏はもう帰ってこない! 杏は二度と、私の下に帰ってくることはないんだ!

 

 私が作った料理を食べてくれることも、私に話しかけてくれることも、私に笑いかけてくれることもない!

 

 お前のせいだ! 全部全部お前のせいなんだ! 死んで償え!! あの世で杏と私に詫び続けろ!!

 

 私は怒りに任せて目の前の女を殴り続けた。何度も何度も何度も何度も――。

 

「アンチョビさん! やめてください! お願い、やめて!!」

 

 はっとして私は手を止めた。

 気付けば私はカルパッチョに羽交い締めにされていた。

 一体どういう状況だ? どうしてカルパッチョがここに? 何故私はカルパッチョに取り押さえられているんだ?

 

「ペパロニ! しっかり! しっかりして!」

 

 ペパロニ? ペパロニがどうかしたのか?

 そう思って声のした方に視線を向けると。

 

「……え?」

 

 血塗れの人間が一人、倒れていた。

 

「……ペパロニ?」

 

 一瞬誰だか分からなかった。

 だって顔が血で真っ赤に塗り潰されて見えなかったから。

 ……血? 何でペパロニが?

 ふと自分の右手に重く冷たい感触があることに気付いて私はそちらを見遣った。

 

 そこには血塗れのスパナが握られていた。

 

「ひっ!」

 

 私は思わず手に持っていたそれを放り投げると、ペパロニの体から逃げるように後退った。

 

 何で?

 

 何で何で何で?

 

 疑問符が頭を埋め尽くす。記憶が飛んでいて自分が何をしたのか思い出せない。

 でも目の前には血塗れで痙攣するペパロニがいて。

 私の手には血塗れのスパナが握られていて。

 そこから導き出される結論は――。

 

 まさか。

 

 私がペパロニを?

 

「あ……ああぁ……」

 

『たのもーー!!』

『……何だ、お前らは?』

『チームピカンテの総長様が直々に勝負を挑みに来てやったぜ! この辺りは私が片っ端から手下にした。最後はお前たちだ。負けたらお前たちはチームピカンテ戦車部だ!!』

『何だか分からんが、戦車道の履修希望者でないことだけは分かる。とっとと失せろ』

 

 嘘だ。

 嘘だ嘘だ嘘だ。

 こんなの嘘だ!!

 

『あ、ありえねえ……。この私が負けるなんて……』

『いや、戦車と自転車ならこうなるだろう? だが勝負は勝負だ。別に手下になれとは言わんから、さっさと――』

『認めねえ……こんな勝負認めねえ……。もう一回だ! 明日、もう一回勝負だ! 覚えてやがれー!!』

『二度と来るな!!』

 

 何でだ?

 何で、ペパロニが……。

 

『勝負だ!!』

『お前も毎日毎日飽きないな。しかもこんな大雨の日にまで』

『うっせえ! もう天下なんて関係ねえ。お前らに勝てれば、それでいい!』

『まあ、いいけどな。だが今日はやめておけ。戦車ならともかく自転車でこんな雨の中を走るのは危険だ』

『逃げるのか、テメ――』

『死にたいのか、お前?』

『う……』

『……分かった分かった。雨が上がったら勝負してやるからそれまで飯でも食って待っていろ』

『飯なんていらねえよ!』

『いいから。食ってけ』

『…………おお』

 

 何で?

 何を言ってるんだ。

 本当は分かっているくせに。

 ただ認めたくないだけなんだろう?

 安斎千代美(わたし)がペパロニを殺したということを。

 

『なあお前、戦車道やってみないか?』

『え?』

『……いや、すまん。忘れてくれ。私としたことが、一体何を言っているんだろうな?』

『いいっすよ』

『……何?』

『だからいいっすよ。やりますよ、その、戦車、道? とかいうの』

『何故だ?』

『何でって言われても……まあ強いて言うなら、今食わせてもらった飯がすげえ美味かったからって理由じゃダメっすかね?』

『何だそれは……』

『それにほら、負けたら手下になるって約束だったじゃないっすか』

『何度も負けを認めずに勝負を挑んできておいてよく言うな』

『細かいことはいいじゃないっすか! これからよろしくお願いするっす、姐さん!』

『誰が姐さんだ』

 

 違う!

 

 違わないさ。

 安斎千代美(わたし)はこいつが憎かった。許せなかった。

 安斎千代美(わたし)から杏を奪ったこいつを殺してやりたいと、そう思ったんだ。

 

 違う違う違う違う!!

 

『いや~、戦車に乗るのって楽しいっすね、姐さん!』

『楽しい? ……そんな甘ったれた考えで戦車に乗るな! いいか戦車道というのはだな……』

『んな小難しいこといいじゃないっすか~。やっぱ人生楽しまなきゃ損っすよ。楽しみながら天下を取るってのもいいと思うんすけどね~。ていうか姐さんは戦車に乗るの楽しくないんすか?』

『当たり前だ! いいか? 戦車道において楽しさなんてものは二の次だ。求められるのはまず勝利。勝たなければ意味がないんだ。楽しむ余裕なんてない!!』

『……』

『何だその目は? 何か言いたそうだな?』

『姐さん、何でそんな辛そうな顔してるんすか?』

『……何だと? 馬鹿を言うな。私はそんな顔してなんて――』

『してるっすよ。姐さん、私は何でそんなに姐さんが戦車道に必死なのかは分かんないっすけど、そんな顔してまでやらなきゃいけないものなんすか? 何で姐さんは戦車に乗ってるんすか?』

『何でって、そりゃ……。…………』

『姐さん?』

 

 現実を見ろよ。

 こうしてペパロニが目の前に倒れている。

 それがすべてだろう。

 

 違う! アンチョビ(わたし)は、こんなこと望んでいない!

 ペパロニは私の大事な仲間だ! それをこんな、こんな……っ!

 

『この前はすまなかったな』

『あ~、いえ。私の方こそ、何かすいません。変なこと聞いちまって……』

『いいや、お前は悪くない。お前の言ったことは正しいよ。

 そうだよな。戦車に乗るのって楽しいものなんだよな。私だって、戦車に乗るのが楽しかった、はずなんだよな。いつの間にかそんな当たり前のことすら忘れていた。お前のおかげで思い出せたよ、最初の気持ちってやつを。ありがとう』

『や、やだな~、やめてくださいよ姐さん。照れ臭いっすよ』

『いや、本当に感謝しているよ。お前にも、カルパッチョにも』

『ん? カルパッチョって誰っすか? え? 姐さんに名前を付けてもらったって? ええ~っ!? ずるいっすよ、カルパッチョだけ! 私にも名前付けてくださいよ、姐さん!』

『ダメだ。お前にはまだ早い』

『ええ~、そんな~!』

『でもそうだな……お前が一人前の戦車乗りになったら、付けてやってもいいかな』

『マジっすか!? やった! 約束っすよ!?』

『ああ。でも果たしていつになるかな?』

『この私にかかればすぐっすよ! 姐さん、バシバシ扱いてください!』

『ほう、言ったな? 言っておくが私の指導は厳しいぞ?』

『望むところっすよ、姐さん!』

 

 ああ、そうとも。

 アンチョビ(おまえ)ならペパロニを許しただろう。

 だが安斎千代美(わたし)は許さなかった。

 それだけのことだ。

 

『ね、姐さん……。ちょ、ちょい……タンマ……』

『どうした、もう限界か? この程度で音を上げるとは口程にもない』

『この程度……この程度って……。さっきからもう何時間もぶっ続けなんすけど……』

『言っておくがこれはまだ基礎の段階だ。こんなところで躓くようじゃ先が思いやられるな』

『ってこれでもまだ序の口なんすか!? 嘘だろ!? ってことはこれからもっとキツくなるってことじゃないっすか! そんなん無理っすよ、無理! 姐さんの鬼! 悪魔! 人でなし!』

『ほ~、まだそんな口を叩く余裕があるのか。じゃあもう1セット追加だな』

『うげっ!? そ、そりゃないっすよ~、姐さ~ん……』

『ほらほら無駄口を叩いている暇はないぞ。それとも諦めるか? 仮にもチームの総長を名乗っていた奴がそんな弱腰でいいのか?』

『姐さん! 人の黒歴史を掘り返さないでくださいよ! ……ああ、もう、わかりましたよ! やってやるよチクショー! 絶対認めさせてやる!!』

『その意気だ。……期待しているぞ』

 

 だが安斎千代美(わたし)アンチョビ(おまえ)でもある。

 直接手を下したのは安斎千代美(わたし)かもしれないが、アンチョビ(おまえ)安斎千代美(わたし)を止めなかった。

 安斎千代美(わたし)がペパロニを殺したというのなら、アンチョビ(おまえ)も同罪だ。

 

 私は……。

 アンチョビ(わたし)、は……。

 

『お前が戦車道を始めてからもうそろそろ一年か。早いもんだな。最初は素人だったお前も気付けば立派な戦車乗りになったな』

『そりゃあんだけ扱かれりゃ誰だってそうなるっすよ。もう二度とやりたくねえ……って、あ。じゃあ姐さん、私ももう一人前ってことっすか?』

『ああ、そうだな。お前ももう一人前の戦車乗りだ』

『よっしゃー!』

『何だ、随分と嬉しそうだな』

『そりゃそうっすよ! 姐さん。約束、忘れてないっすよね!?』

『約束?』

『名前っすよ、名前! 私が一人前になったら付けてくれるって言ったじゃないっすか!』

『ああ、そのことか。心配するな、既に考えてある。今日からお前は“ペパロニ”だ』

『“ペパロニ”?』

『お前が前いたチーム、ピカンテだったか? たしかイタリア語で“辛い”って意味だったからな。ピリッと辛い奴だから、“ペパロニ”だ』

『いい名前じゃん! 気に入ったっす、アンチョビ姐さん!』

『“アンチョビ”?』

『ほら、姐さんの名前って“安斎千代美”っすよね? いや~、前からもっとイカした名前の方がいいと思ってたんすよ。それで考えてみたんすけど、どうっす、か、ね……』

『……』

『ね、姐さん……?』

『…………』

『す、すいません姐さん! 調子乗ってました! 今のは忘れ――』

『“アンチョビ”……、“アンチョビ”か。うん、悪くない。悪くないぞ』

『へ?』

『これでようやく私もお前たちの本当の仲間になれた気がするよ。これからもよろしく頼むぞ、ペパロニ!』

『……はい! こちらこそよろしくお願いするっす、アンチョビ姐さん!!』

 

 いい加減認めろよ。

 

 やめろ。

 

 安斎千代美(わたし)が。

 

 違う。

 

 アンチョビ(わたし)が。

 

 違う!

 

“私”が。

 

 私は!!

 

 ペパロニを。

 

 私、は……。

 

 殺したんだ。

 

「あ…………。

 

 あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

          *

 

 

【カルパッチョ視点】

 

 コンコンとドアを叩くノックの音が響いて私は夢から醒めた。どうやらいつの間にか眠っていたらしい。

 気分はいつも通り最悪だった。最近寝起きはいつもこうだ。毎度毎度同じ内容の悪夢を見させられるから。

 

 そう。ペパロニとアンチョビさんが亡くなったあの日の夢を。

 

『角谷さんが死んだのは私のせいなんです』

 

 あの日、ペパロニがアンチョビさんに謝るのを私は離れたところで見守っていた。

 

『全部正直に話して謝りましょう』

 

 角谷さんが死んだのは自分のせいだ。

 ペパロニの懺悔を聞いた私は考えた末にそう提案した。

 最初ペパロニは渋っていたけれど、私は根気よく説得を続けて最終的には折れてくれた。

 本当は私も一緒に付いていけば良かったのかもしれない。でもペパロニは一人でいいって、自分一人で行かなきゃいけないってそう言って聞かなかった。

 私はそんなペパロニの意志を尊重して陰から隠れて見守ることにした。

 

 不安はあったけれどきっと大丈夫だと、私は信じていた。

 伊達に高校から一緒にいた訳じゃない。アンチョビさんとペパロニの絆の深さを私はよく知っていたから。

 アンチョビさんがゆっくりとペパロニに近づいていくのが見えた。

 そしてアンチョビさんは――。

 

 手にしたスパナをペパロニの頭に向かって振り下ろした。

 

 一瞬何が起こったか理解できなかった。そんな私を置いてけぼりにしてアンチョビさんはなおもペパロニを殴り続けた。

 今まで見たこともないような鬼の形相で、ペパロニに対する怨嗟の声を撒き散らしながら何度も何度も――。

 

 そこで私はようやく我に返った。

 

『アンチョビさん! やめてください! お願い、やめて!!』

 

 私は隠れていた物陰から飛び出してアンチョビさんを押さえ付けた。

 アンチョビさんが本気を出したら私一人じゃ止められない。それは分かった上で私は必死にアンチョビさんを止めた。

 幸いアンチョビさんは私の声で正気を取り戻したのか、すぐに止まってくれた。

 それにほっとしたのも束の間、私は今度はペパロニに向き直った。

 

『ペパロニ! しっかり! しっかりして!』

 

 ペパロニからの返事はなかったが、辛うじて息はあった。

 それを見て取って私はひとまず安堵したが、それでも危険な状態には変わりなかった。ペパロニは完全に意識を失っていたし、息も絶え絶えの状態だった。

 とにかく救急車を呼ばないと。そう思って携帯を取り出したところで――。

 

 突然アンチョビさんの叫び声が聞こえた。

 

 驚いて振り向いた私の前でアンチョビさんはゆっくりと、まるで糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 

『アンチョビさん!?』

 

 私は急いで駆け寄るとアンチョビさんの体を抱き起こしたが、何度呼び掛けても反応がなかった。

 

 それどころか息をしていなかった。

 

『え……?』

 

 私は呆然としながらアンチョビさんの手首に触れた。

 

 脈がなかった。

 

 どうして? 何でアンチョビさんが? だってさっきまでアンチョビさんは元気で、それが、何で?

 

 目の前の現実に頭が追い付かなかった。

 あまりに予想外のことの連続で私は頭の中が真っ白になってしまって……。

 結局騒ぎを聞きつけた先輩たちがやって来るまで、私はその場で呆然と座り込むことしかできなかった。

 

 その後病院に運ばれた二人は治療の甲斐なく亡くなった。

 そしてあの事件以降、戦車道部は無期限活動停止になった。

 部員が二人亡くなった、それだけでも十分不祥事だけれど、それが殺人事件となれば尚更だ。私という目撃者がいた上に、現場に落ちていたスパナからはアンチョビさんの指紋が検出されたらしい。

 将来的には廃部になるのではないかという噂もあった。

 

 でもそんなことはどうでも良かった。

 私にとって重要なのはペパロニとアンチョビさんが二人とも亡くなったという事実だけだ。

 それも私のせいで。

 

『大丈夫よ。アンチョビさんは優しいから、きっと許してくれる。一人で行くのが怖いなら私も一緒に行ってあげる。だから、ね?』

 

 何で。

 

 何で私はあんな無責任なことを……!

 

 私は思わず苛立ち交じりに壁を殴りつけた。

 

「ひなちゃん!?」

 

 ドアの向こうからたかちゃんの戸惑う声が聞こえたかと思うと、続いてドアを開く音が聞こえた。

 

「ひなちゃん! どうしたの!? 大丈夫!?」

「何でもない」

「何でもないって……」

「何でもないって言ってるでしょ!!」

 

 私が怒鳴って言葉を遮ると、少し間を置いてたかちゃんの「ごめん」という声が聞こえてきた。

 大学入学を期にたかちゃんは私とルームシェアをしていて、あの事件以降部屋に引き籠ってしまった私の世話をしてくれていた。

 それには感謝している。でも今はその気遣いが煩わしかった。頼むから今は一人にしてほしい。

 

「えっと、さ。お粥作ったけど、どう? 食べられそう?」

 

 ベッドの上で膝を抱えて座り込んでいる私に対して、たかちゃんは湯気を立てる土鍋をテーブルに置きながら言った。

 私はそれを一瞥してふるふると首を振る。

 たかちゃんは「そっか」と残念そうに呟いた後、「食べたくなったら食べて。一口でもいいから」と付け加えた。私はそれに対して無言で返した。

 

 もう用は済んだはずだ。早く出て行ってほしい。

 そう思っているのに、たかちゃんは一向に立ち去る気配がなかった。

 

「……まだ何かあるの?」

「その、さ。元気出して、ひなちゃん。あんなことがあったんだから無理もないけど、いつまでもそうしてる訳にもいかないでしょ? 今はまだ無理かもしれない。でもちょっとずつでいいから外に出よう? 私もできることがあったら協力するから」

「無理よ、そんなの」

 

 ペパロニもアンチョビさんも私のせいで亡くなった。

 私が無責任なことを言わなければあんなことにはならなかった。

 私は人殺しだ。

 そんな私にはこのままこの暗い部屋で朽ち果てていくのがお似合いなんだ。

 

「ひなちゃんの気持ちは分かるけど――」

「分かる?」

 

 何を言ってるの?

 

「たかちゃんに何が分かるの?」

 

 そうだ、分かる訳がない。

 

「たかちゃんには分からないわ、私の気持ちなんて! 知ったようなこと言わないで!!」

 

 私は俯けていた顔を上げて感情に任せて叫んだ。

 そうして初めて真っ直ぐたかちゃんの顔を見て。

 

 そして後悔した。

 

 私の言葉に辛そうに顔を歪めるたかちゃんを見てしまったから。

 

「あ……ごめ……私……」

「ううん、私こそごめんね。ひなちゃんの気持ちも考えないで勝手なこと言って。本当に……っ!」

「あ、待って、たかちゃん!」

 

 私の制止する声を無視してたかちゃんは家を飛び出した。

 私も慌てて後を追い掛ける。けどずっと引き籠っていたせいで体力が落ちしまっていて追い付けない。それどころかどんどん引き離されてしまう。

 それでも私は必死に走って走って走って――。

 限界を迎えて、足が縺れて転んでしまった。

 受け身も取れずに思い切り転んだせいで体中が痛かった。それでも痛みに耐えながら何とか立ち上がる。

 顔を上げるとたかちゃんの姿は既に見えなくなっていた。

 

「……何やってるんだろう、私……」

 

 たかちゃんは私のことを心配してくれただけなのに。

 それなのに私は八つ当たりして、挙句の果てに私の気持ちなんて分からない、なんて無神経なことまで言ってしまった。

 たかちゃんだって西住さんが亡くなった時に同じように辛い思いをしたはずなのに。

 アンツィオに転校してきてからもずっと元気がなくて。戦車道もやめてしまって。

 それでも最近はようやく元のたかちゃんに戻ってくれていたのに。

 自分の身勝手さに嫌気が差す。

 

 ふと自分の姿を見下ろす。

 着替えもせずに出て来たせいで服は部屋着のままだ。その服も転んだせいであちこちが汚れていた。

 でもそれ以上に酷いのは中身の方だった。ペパロニとアンチョビさんが亡くなったあの日以来私は心も体もボロボロになっていた。

 

 あの日以来私は碌に眠れない日々を過ごしていた。眠ると悪夢を見るから。二人が死ぬ場面を延々と見させられるから。

 かと言って起きている時も二人の姿が頭から離れることはなかった。

 逃げ場はどこにも無かった。

 食事もほとんど喉を通らず、部屋から出ずに引き籠り続けた。

 たかちゃんはそんな私を心配してずっと傍にいてくれた。でも私はそんなたかちゃんにすら当たり散らしてしまった。

 そして今。私は自分が傷付けてしまったたかちゃんを追いかけることもできずに、当てもなく外を彷徨い歩いている。

 これからどうしよう。どうすればいいんだろう。いくら考えても答えは出ない。頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。

 そんな風にぼーっとしたまま歩き続けて。

 

 突然鳴り響いたクラクションの音に我に返った。

 

 次の瞬間やって来たのは衝撃、浮遊感、また衝撃、そして激痛。

 

 何が起きたのか分からなかった。

 頭が割れるように痛い。ううん、頭だけじゃなく体中至る所が痛くて痛くて堪らなかった。

 何で? 何があったの?

 混乱する頭を何とか落ち着かせて直前の状況を懸命に思い出して。

 

 そして理解した。自分が撥ねられたということを。

 

 理解した途端私はまるで他人事のように自分の状態を冷静に分析していた。

 私、死んじゃうのかな。頭から落ちたみたいだし、きっと助からないだろうな。そりゃ痛いに決まってるわね。割れるように痛いどころか本当に割れてるんだもの。

 これから死ぬというのに冷静にも程があるとは思う。

 私だって死ぬのが怖くない訳じゃない。

 でもこれで楽になれる、もう思い悩むこともない、悪夢に魘されることもない、やっと解放される。そう思うといっそ安らかな心持ちだった。

 こんな簡単なことに気付かないなんてやっぱり私はどうかしてた。もっと早くこうしていればよかったのに、どうしてしなかったのか。

 

 そこまで考えたところでたかちゃんの顔が頭に浮かんだ。

 

 そうだ、たかちゃんに謝らないと。

 たかちゃんは優しいから、私が死んだら悲しむだろう。あんな風に喧嘩別れしたままなら尚更。

 せめて一言謝りたい。死ぬにしても最期にそれだけは。

 そう思って起き上がろうとしても体が言うことを聞かなかった。

 辛うじて動くのは指だけだった。見るとその指は私の血で汚れていた。

 ならば、と私は最後の力を振り絞って地面に血で文字を書いた。

 

 ご

 

 め

 

 ん

 

 そこまでが精一杯だった。もう指一本動かすことすらできない。

 もっとちゃんと謝りたかったな。

 ごめんなさい、たかちゃん。

 貴方を残して死んでしまう私を許してください。

 

 心の中で謝ったところでどうしょうもないけれど、それでも謝らずにはいられなかった。

 でももうこれで思い残すことはない。

 いや、たかちゃんと仲直りできなかったのは心残りではある。たかちゃんを残して死んでしまうことに対して申し訳ない気持ちはある。

 でももう疲れてしまったんだ。

 ペパロニとアンチョビさんを死なせておきながら、一人のうのうと生き続ける罪悪感を抱えて生き続けるのにはもう耐えられない。

 

 だから。

 

 もう、休ませてください。

 

 ああ、何だろう。この所全然眠れなかったからかな、すごく眠い。先程まで感じていた痛みももう全く感じない。これなら久しぶりにぐっすり眠れる気がする。

 そして私は眠気に誘われるままに瞼を閉じた。

 

 最期に脳裏を過ったのはアンツィオ高校で過ごした日々だった。

 

 アンチョビさんがいて、ペパロニがいて、皆がいて。今までの人生の中でも一番楽しかった日々の思い出だった。……って言ったら、たかちゃんは嫉妬しちゃうかな。

 ……死後の世界なんてものが本当にあるのかは分からないけれど。

 あったらいい、あってほしいと切に願った。

 だってそうすればまた二人に会えるんだから。

 

 ごめんなさい、ペパロニ。

 

 ごめんなさい、アンチョビさん。

 

 今、会いに行きます。




別名「アンツィオ高校隊長陣全滅ルート」です。
あれです、ノベルゲームで言うところの選択肢ミスった結果のBAD ENDというかDEAD ENDルートです。
分岐条件は「ペパロニの懺悔を聞いたカルパッチョがペパロニにアンチョビに謝るよう促す」ことと、「安斎千代美が格納庫で整備中にペパロニが己の罪を告白する」の二つです。

アンチョビの死因はいわゆる発狂死です。
正確には発狂死という死因はないらしいので、過度なストレスによるアドレナリンの急激な上昇が原因の心停止とかそういう感じでしょうか。
生憎と専門家ではないので詳しいことは分かりませんが。
逮捕された後に獄中で自殺とかも考えましたが、何かしっくりこなかったのでこういう形に。

それと今回思うところがありましてアンケートを設置しました。
ご回答いただければ幸いです。
当小説は何の救いもないBAD END or DEAD ENDを迎える人もいますが、救える人はできるだけ救いがあるHAPPY ENDを迎えられるようなTRUE ENDを目指しています。
ただし今回のアンケートの結果次第では、今回のようなifルートという形で他のエンディングも投稿していこうかと思いますのでよろしくお願いします。


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Who am I?

ダー様の誕生日をお祝いしたり、ぱんあに参加して同人誌買い漁ったり、チョビの誕生日をお祝いしたりしていたら遅くなりました。

今回はミカさんのお話。
継続高校の隊長、一体何流なんだ……(棒)。
まあぶっちゃけるといわゆる島田ミカな訳ですが。
苦手な方はご注意ください。
しかしドリタンの会話を見る限り公式では島田ミカは無さそうかなあ……。


【×××ミカ視点】

 

『××流は×××に継がせます。だから貴方はもう××流の戦車道を続ける必要はありません。来年からはこの家を離れて学園艦で暮らしてもらいます』

 

 それは12歳の冬の出来事だった。

 母から呼び出しを受けた私は唐突にそんなことを告げられた。

 最初何を言われたのか理解できなかった。目の前の女が、母がそんなことを言うなんて当時の私には想像もできなかったから。

 

 母は優しい人だった。

 私が生まれた××家は戦車道の名家で、××流と言えば日本において西住流と並んで由緒ある流派だった。そんな家のそれも本家の長女として生まれた私には、当然ながら××流を継ぐ義務があるはずだった。

 けれど母は私に××流の戦車道を強制したりはしなかった。勿論物心ついた頃から戦車には乗っていたが、××流に囚われずに伸び伸びと戦車に乗らせてもらっていたと思う。

 周囲の人間がそれをどう思っていたかは分からないが、少なくとも私は幸せだった。ただ大好きな戦車に乗れて、大好きな母と一緒にいられるだけで幸せだった。

 

 けれどそんな幸せな時間は突然終わりを告げた。

 妹が生まれたことによって。いや、正確に言えば妹が戦車に乗るようになってからだ。妹は紛れもなく天才だったから。

 

 妹に戦車の才能があるとわかると、周りの大人はすぐに私を妹と比較し、こぞって妹を誉めそやした。

 妹は天才だと。

 妹こそ××流を継ぐに相応しいと。

 別に××流になんて興味はなかった。だから妹が××流を継ぐというならそれでいいと思っていた。

 それでも常に妹と比較されて貶されるのは気分のいいものではなかった。

 それが原因で妹を疎ましく思っていた時期もあった。でもあの娘は無邪気に私に懐いていたし、私が邪険にすると、とても悲しそうな顔をした。

 そんな姿が見るに堪えなくて結局私は暇があれば妹の相手をしていた。何やかや言っても妹のことは嫌いではなかったし、一緒にいると心が安らいだのも事実だった。

 

 それでも日に日に鬱憤は溜まっていった。

 それは何も妹の存在だけが原因じゃなかった。私はいつしか戦車に乗ることに息苦しさを感じるようになっていた。

 初めはただ戦車に乗れるだけで楽しかったのに、いつしか妹には負けられない、結果を出さなきゃならない、とそんな風に自分を追い込んでしまっていた。

 もうやめたいと何度も思った。それでも我慢して××流の戦車道を続けてきたのは、頑張ってきたのは母のためだった。母の期待に応えたい。その一心で私は××流の戦車道を続けてきた。

 

 でもそんな私に対して母は言ったんだ。

 

 私はいらないと。××流に私は必要ないと。

 

 それまで私がやってきたことはすべては無意味だったと、そう言われた気がした。

 

 母は優しい人だと思っていた。周りの××流の連中とは違う、才能があろうとなかろうと私のことを愛してくれる、たとえ私に戦車の才能が無くても見捨てたりしない。そう信じていたのに。

 

 あの女は、そんな私の気持ちを裏切ったんだ!

 

 私は気付けば目の前の女に掴みかかっていた。そして感情に任せて喚き散らした。

 しかしあの女は私の言葉を冷たく受け流した。

 私は母がそんな反応をするのが信じられなくて、悲しくて、そして怖かった。

 私はそのまま執務室から逃げるように飛び出して、自分の部屋に閉じ籠った。

 

『姉様……?』

 

 部屋の隅で膝を抱えて蹲っていると不意に声を掛けられた。それに反応して顔を上げて、妹の姿が視界に入った瞬間。

 私の内にどす黒い激情が湧き起こってきた。

 

 こいつだ。こいつのせいで私は……っ!

 

 私は怒りに任せて拳を振り上げて――。

 

 目の前の妹の姿を見て、振り下ろす寸前で止めた。

 

 妹は怯えていた。

 いつも持ち歩いていたあちこちに包帯を巻いたクマのぬいぐるみ――たしかボコと言ったか――を抱き締めながら、体を震わせて俯いていた。

 

『ごめん、なさい……』

 

 震える声で呟く妹の姿を見て私の頭は急速に冷えていった。俯いていたため妹の顔は見えなかったが、見なくても分かった。

 妹は、泣いていた。

 

『……何で×××が謝るんだい?』

 

 一体何を謝ることがあるのか。むしろ謝るべきなのは私の方だ。

 妹に八つ当たりのように気持ちをぶつけて、怖がらせて、理不尽に暴力を振るおうとしていたというのに。

 

『だって……姉様、すっごく、怖い顔、してたから。私が、何か、しちゃったんじゃ、ないか、って……』

 

 しゃくりあげながら、途切れ途切れに話す妹を見て。

 私は振り上げた拳を開いてゆっくりと妹の頭に近付けた。

 妹はびくりと体を震わせたけれど、私はそれに構わずに妹の頭に手を乗せると安心させるように頭を撫でた。

 私が危害を加える気がないと分かると次第に震えも収まり、妹は恐る恐る顔を上げた。涙でくしゃくしゃになった妹の顔を見て私は途端に罪悪感に苛まれた。

 

 私は何をしているんだ。妹は悪くないのに。

 悪いのはいつも私を妹と比較してきた××流の連中だ。

 私をいらないと言ったあの女だ。

 そして。

 周りの期待に応えられなかった私自身だ。

 私はその場で妹を抱き締めて泣き止むまでずっと頭を撫で続けた。

 

 その後私は継続高校の学園艦に移り住み、××流と袂を分かち自由の身になった。

 ただし××の家を離れてからも戦車道は続けていた。

 単純に戦車自体は好きだったからというのもあるが、妹と約束したからというのも大きい。

 

『もう会えないの?』

 

 あれは××の家を出る時のことだ。

 ポロポロと涙を流しながら、私の服の裾を掴む妹の姿には胸が詰まった。私はしゃがんで妹と目線を合わせると、涙を拭ってあげながら優しく語りかけた。

 

『お互いに戦車に乗り続けていればいつかまた会えるさ。今は道が分かれてもきっとその道が交わる時が来る。だから悲しむことなんてないんだよ』

『本当に? 本当にまた会える? 姉様は戦車道をやめたりしない?』

『うん、やめたりなんかしないよ』

 

 安心させるように微笑みながら頭を撫でると、妹はおずおずと小指を差し出してきた。

 

『約束』

 

 私はその小さな指に自分のそれを絡ませて指きりをした。そうして再会を誓って私は妹と別れて××の家を出た。

 

 妹の噂は××の家を出ても自然と耳に入ってきた。

 大学に飛び級で入学しただの、大学選抜の隊長に選ばれただのと、××流の後継者に相応しい華々しい活躍ぶりだった。

 私はそんな妹の活躍を耳にするたびに劣等感に苛まれて、いつしか妹に関する情報を完全にシャットアウトするようになってしまった。

 いつかまた会える、などと言っておきながら薄情だとは思ったが、あれ以上妹との差を見せ付けられると妹のことを嫌いになってしまいそうだったから。

 特に中学まではまだ×××ミカと名乗っていたため、私が××流の関係者ということは周囲の人間には筒抜けだった。そのせいであれこれと根掘り葉掘り聞かれたことも影響しているだろう。

 

 それが嫌になって、高校に入ってからは私は名前を捨てて名無しで通すことにした。そのせいかは分からないが、高校ではありがたいことに誰も私の過去については詮索してこなかった。

 戦車道の訓練が始まると、名無しでは不便ということで実の名前から二文字取って“ミカ”と呼ばれるようになった。

 誰が呼び出したかはもう忘れてしまったが、初めてそう呼ばれた時はとても嬉しかったのだけは覚えている。

 ××流なんて関係ない、ただの“ミカ”という一人の人間として認められたように感じたから。

 それに戦車に乗るのも楽しかった。××の家にいた頃はあんなに息苦しく感じていたのが嘘みたいに。

 戦車に乗っている時だけは嫌なことをすべて忘れられた。

 ××流のことも、あの女のことも、妹のことも、何もかも全部。

 

 そして継続高校に入って二年目の春。黒森峰との練習試合で私は出会った。

 西住みほさんに。

 出会った、と言っても正確には彼女と会うのは初めてではなかった。彼女とは××の家にいた頃に何度か会ったことがあったから。

 しかし残念ながら、あるいは幸いにもと言うべきか、彼女は私に気付かなったらしい。

 あるいは覚えていなかったのかもしれない。無理もない。会ったことがあると言ってもお互い小さい時に少し顔を合わせたことがあるという程度のものだ。私だってあの頃のことは正直うろ覚えだった。

 

 ただそれでもみほさんがすっかりと変わってしまったことだけは分かった。

 小さい頃のみほさんは活発で悪戯っ子な一面があり、何事にも積極的で誰とでも仲良くなれるような明るい娘だった。

 それが黒森峰では随分と大人しくなっていた。年相応に落ち着いた、と言われればそれまでだ。けれど他人の顔色を伺いおどおどする様は、そんな好意的な解釈ができる変わりようではなかった。

 もっともみほさんだけではなく周りの人間もみほさんからは一歩引いている印象を受けたが。

 

 何より一番変わったのは戦車に乗っている時の雰囲気だった。

 昔の彼女は戦車に乗るのを心から楽しんでいたというのに、黒森峰で見たみほさんにその面影は欠片も残っていなかった。ただ忠実に西住流の戦車道を実行するだけの機械に成り下がっていた。

 その様を見て私は思った。何て窮屈そうに戦車に乗っているんだろうと。まるで昔の私のようだ、××の家にいた頃の私のようだと。そんな風に彼女に自分自身を重ねてしまっていた。

 

 しかしそれは私の思い違いだった。

 私がそれに気付いたのはそれから数ヶ月後のことだった。

 

 第62回戦車道全国高校生大会決勝戦。黒森峰にとっては10連覇が懸かった大事な一戦だった。

 試合前の予想では黒森峰が有利と言われていたが、実際に試合が始まると予想に反して黒森峰は苦戦を強いられていた。

 そんな中、本隊と別行動を取っていたフラッグ車を含めた数輌が攻撃を受けて。

 

 そしてあの事故が起こった。

 

 フラッグ車の護衛の車輌が一輌、川に滑落したんだ。

 

 ただでさえ足場が悪い隘路を進んでいて、しかもあの日は雨が降っていた。そんなところに砲撃を受ければああもなるだろう。そして滑落した戦車は見る間に川の底へ沈んでいった。

 すぐに救助に向かわなければ危険だ。いやそもそもまずは試合を止めるべきじゃないのか。そんなことを考えていると予想もつかない事態が起こった。

 

 誰あろう西住みほさんが川に落ちた戦車の救助に向かったんだ。

 

 彼女はフラッグ車の車長だったにもかかわらず、だ。

 

 彼女は勝利を捨ててまで、悲願の10連覇を捨ててまで仲間を助けることを優先したんだ。

 

 その時になって私はようやく自分の勘違いに気付いた。彼女は私と似ているなんて、あまりにも失礼な思い違いだった。

 彼女は私とは違った。私なんかよりもずっと強い娘だった。西住流という鎖に繋がれながらも決して自分の道を曲げなかった。自分の想いを、自分の戦車道を貫き通したんだ。

 

 翻って私はどうだ?

 私は逃げ続けてばかりじゃないのか?

 ××流からも、母からも、妹からも。嫌なことからはすべて目を背けてばかりじゃないのか?

 私は急に自分が情けなくなった。

 

 3年生が引退すると私は戦車道の隊長に就任した。

 最初は引き受ける気はなかった。でもいつまでも嫌なことから逃げてばかりではいけない。せめて少しずつでも自分を変えたいと思ったから。

 

 あの決勝戦以降、黒森峰でみほさんの名前を聞くことはなかった。噂では敗戦の責任を取らされてどこかに転校したのではないかという話だった。

 私はその噂を聞いて無性に腹が立ったのを覚えている。

 たしかに彼女のあの行動は西住流の流儀には反するものだったのかもしれない。

 しかし戦車道という武道を学ぶものとして、一人の人間としては正しい行動だったはずだ。

 

 そんなに連覇を逃したのが許せないのか?

 

 勝利がそれ程までに大事か?

 

 人の命よりも?

 

 それが黒森峰の、西住流の戦車道だとでも言うのだろうか?

 

 西住流といい、××流といい、そんなカビが生えた時代遅れの考えをいつまで続けるつもりだ?

 

 そしてそんな骨董品を守るために、何故彼女が犠牲にならなければならない?

 

 そんな風に苛立ちが募ったが、みほさんに対して私にできることなど何もなかった。それがまた歯痒かった。

 もう彼女が戦車に乗る姿を目にすることはないと思うと寂しくもあったけれど、同時にそれもいいかもしれないとも思った。

 彼女は西住流から、戦車道から自由になれた。もう思い悩むことはない。きっとこれからは戦車とは無縁な楽しい人生を送れるに違いないとそう考えていた。

 

『大洗女子学園、8番!』

 

 全国大会の抽選会の会場でみほさんの姿を見つけるまでは。

 

 まさか彼女が戦車道を続けているとは思わなかった。それも戦車道が廃止されて久しい大洗で。

 何故彼女が転校した先で戦車道を続けているのか。それは分からなかったが、まだ彼女が戦車道を続けているという事実が私は嬉しかった。

 とはいえ一回戦の相手は強豪サンダース。恐らくは初戦で即敗退となるだろうと思っていたが、そんな予想を裏切って大洗は快進撃を続け、遂には決勝戦にまで駒を進めた。

 そして決勝戦でも大洗はそれまでの戦いがまぐれではないと証明するように、あの黒森峰を相手に互角に渡り合っていた。

 最初こそ黒森峰の奇襲に慌てふためいていたが、その混乱が収まると奇想天外な策の数々で黒森峰を翻弄した。

 

 しかしその後市街地に向かって川を渡る最中に事故は起きた。

 恐らくエンジンのトラブルだろう、一台の戦車が停止してしまったのだ。

 

 まるで前年の決勝戦の再現だった。

 放っておけば戦車が横転してしまうかもしれない。しかし後ろからは黒森峰の本隊が迫っていて、救助に向かえばその間に追い付かれてしまうかもしれない。

 味方を置き去りにするか、危険を覚悟で救助に向かうか。

 大洗は選択を迫られていた。

 

 彼女は、みほさんはどうするのだろう?

 

 勿論本心では助けたいと思っているはずだ。しかしそうして自分の心に従った結果、彼女は黒森峰で戦犯として周囲から非難の目に晒されることになった。

 勿論大洗と黒森峰では事情が全く違う。

 別に連覇が懸かっている訳ではないし、流派を背負って戦っている訳でもない。20年ぶりに戦車道を復活させた大洗からすれば準優勝でも充分過ぎる結果だ。ならば負けたところで大した問題ではないし、誰も彼女を責めはしないだろう。

 それでも自分の行動の結果、周りから受けた仕打ちを忘れられはしないだろう。それでも彼女は選べるのだろうか?

 そんなことを考える私の目の前、試合を中継していたモニタで動きがあった。そこにはみほさんが命綱を付けて戦車から戦車へと飛び移る姿が映し出されていた。

 

『それが君の戦車道か』

 

 知らず私はそんな呟きを漏らしていた。

 

 彼女は同じように仲間を助けることを選んだ。

 人として当たり前のことをしたにもかかわらず周りから責められて深い傷を負った。それでも故郷から遠く離れた地で戦車道を続け、再び自分の道を貫き通した。

 私はそんなみほさんに対して改めて尊敬の念を抱いた。彼女の一挙手一投足に目が離せなくなっていた。

 

 その後みほさんは無事仲間を救出し、市街地へと辿り着いた。市街戦ではあのマウスを撃破し、黒森峰の戦力を分散して最終的にはフラッグ車同士の一騎討ちにまで持ち込んだ。

 どちらが勝ってもおかしくない、そんな緊迫した戦いを繰り広げて。

 そして。

 

『大洗女子学園フラッグ車走行不能! よって黒森峰女学園の勝利!』

 

 みほさんは後一歩及ばず敗北した。

 

『あーあ、負けっちゃったね……。あとちょっとだったのに』

『勝ち負けは戦車道においてそんなに大事なことなのかな?』

 

 一緒に観戦していたアキの残念そうな声を聞いて、私は即座に反論していた。

 たしかに結果だけ見れば残念だと言わざるを得ないだろう。勝利まで後一歩というところまで行ったことを考えれば尚更だった。

 しかしそんなことは些細なことだ。大した問題じゃない。彼女は、みほさんは自分の戦車道を最後まで貫き通したんだから。

 

『戦車道は人生の大切な全てのことが詰まってるんだよ』

 

 それまで私は戦車道というものに失望していた。

 ××の家にいた頃に私が受けた仕打ち。仲間を助けたみほさんに対する糾弾。そんな身勝手な大人たちが生み出す戦車道の闇ばかり見せられていたから。

 それでもこの日の試合で私はそんな闇の中に一筋の希望の光を見た気がした。 

 彼女なら私に道を示してくれる。

 彼女が巻き起こす風が私を高みへと連れて行ってくれる。

 そう思っていたんだ。

 

 みほさんが自殺したと聞くまでは。

 

 みほさんの自殺の原因については様々な噂が流れていた。その中で最も信憑性があるものとして、大洗女子学園が廃校になることに対して責任を感じたが故、というものがあった。

 大洗女子学園は廃校が決定していたが、戦車道の全国大会で優勝すれば撤回するという約束だったらしい。

 何故みほさんが大洗で戦車道を続けているのか疑問だったがそれで納得がいった。きっと彼女は大洗女子学園が廃校になるのを黙って見ていられなかったのだろう。黒森峰で川に落ちた仲間を助けた時のように。そしてまた同じように彼女一人が犠牲になってしまった。

 私はみほさんの周りの人間に対する憤りを覚えた。本来彼女は大洗女子学園とは無関係な人間だ。そんな彼女一人に責任を背負わせておいて他の連中は何をしていたのかと。

 

 でも私にとって一番許せなかった噂は別にあった。

 

 それは。

 

 みほさんが自殺したのは西住家を勘当されたから、というものだった。

 

 その噂を耳にした時、私はどんな顔をしていたんだろう。私の顔を見たアキとミッコの怯えた顔が今でも忘れられない。

 今ではよく覚えていないが、少なくとも腸が煮えくり返っていたのはたしかだ。思わず弾いていたカンテレを叩き割ってしまいたい衝動に駆られる程度には。

 

 みほさんの自殺以降、私はそれまで以上に戦車道に打ち込むようになった。

 何もかもが憎かった。

 西住流も、××流も、いっそ日本の戦車道も、何もかも全部壊してしまいたい、そんな風に考えるようになった。

 そうして戦車道に打ち込んだ結果、推薦で大学に入学して、一年でレギュラーにも選ばれた。

 

 私はやれる。××流に縛られていた頃とは違う。私は私の戦車道で必ずあいつらに引導を渡してやると勢い込んでいた。

 

 しかしそんな私の自信は完璧に打ち砕かれた。

 

 西住まほさんによって。

 

 レギュラーに選ばれて初めての大会で私のチームはまほさんのチームと対戦することになった。まほさんは私と同じように一年生ながらレギュラーに選ばれていた。そんなまほさんの車輌と私は試合中に一騎討ちになり。

 

 そして私は手も足も出ずに負けた。

 

 それまで積み上げてきたものが一瞬で崩れ去ったような気がした。

 私は妹とは違う、才能なんてないただの凡人だ。そんなことは分かっていた。それでも自分なりに努力してきたつもりだったし、結果を出してきたつもりだった。

 けれどまるでそんなものは無意味とでも言わんばかりに、完膚なきまでに叩き潰された。力の差を見せつけられた。

 私はそんな現実を受け止められなくて、認めたくなくて。

 試合が終わるまでの間、白旗を上げる戦車の中で蹲り続けるしかなかった。

 

 試合後、私はチームの輪から離れて一人試合会場になった森の中で佇んでいた。

 気持ちを整理するためにも一人になりたかった。チームメイトの中には心配して声を掛けてくれる人もいたが、私はそれを一切無視した。口を開けば何を言ってしまうか分からなかったから。

 そうして何をするでもなく目を閉じて心を落ち着けようとしていると、背後から近付く足音に気付いて振り返った。

 やって来たのは、まほさんだった。

 

『久しぶりだな、×××ミカ』

 

 何故彼女がここにいるのか。身構える私に対して、まほさんは平然と爆弾を投下してきた。

 どうやらみほさんと違いまほさんは私のことを覚えていたらしい。……できれば忘れていてほしかったが。

 周りに人がいなくてよかったと心底思った。その名前で呼ばれるのを誰かに聞かれたくはなかったから。

 

『私は×××ミカじゃない』

 

 その名前で呼ばれたのは久しぶりだったが、私の胸の内に湧き上がってきたのはどうしようもない嫌悪感だった。

 

『その名前はもう捨てたよ。私は×ミカじゃない。××流じゃない。そもそも名前なんてものは個人を定義する一要素に過ぎない。そんなものに拘ることに意味はあるのかな?』

『あるさ』

 

 ××流の話題には触れられたくなくて私は話をはぐらかそうとしたが、まほさんはそれを許さなかった。

 

『お前が××流であるという逃れられない事実を証明するためにはな』

『……聞いていなかったのかい? 私は××流じゃない。私は――』

『どれだけ否定しようが、お前が××の人間であることは変えられない。お前の戦い方は××流そのものだ。お前は××流とは違う、自分なりの戦い方をしているつもりなんだろう。だがその根本には××流がある。お前はどこまで行っても××の人間なんだよ』

 

 私の反論を遮ってまほさんは捲し立てた。

 私が最も触れてほしくない部分に土足で上がり込んでくることに私は苛立ちを隠せなかった。

 

『人それぞれ風の流れは違う。まったく同じなんてことはないさ』

 

 私は××流とは違う。あんな連中と同じになんてならない。

 そんな思いを籠めた言葉だったが、まほさんはそんな私の言葉を鼻で笑った。

 

『そうやって話をはぐらかして相手を煙に巻いたところで、相手を誤魔化すことはできても自分を誤魔化すことはできないぞ。本当はお前自身が一番よく分かっているんじゃないのか? 自分が××流に囚われているということを』

 

 まほさんの言葉を私は否定できなかった。

 そうだ、本当は自分でも分かってはいた。

 ××の家を出て、関係を断って、名前を捨てて。それで自分は××流から自由になれた。そう思い込もうとした。

 けれど何気ない日常の中でも、ふとした瞬間に××の名が頭の中にちらついた。××のことは忘れたつもりでも、心のどこかで自分は××の人間だと思い知らされた。

 名前は捨てた、なんて斜に構えたところで結局のところ私は××流に縛られているんだ。でもそれを認めるのは癪だった。

 

『随分と絡むじゃないか。それもわざわざこんなところまで追い掛けてきて。何故そうまでして私に関わろうとするんだい?』

 

 それは話を逸らす意味もあったけれど純粋な疑問でもあった。まほさんは無駄話を好むタイプとは思えない。ましてや相手のところに出向いてまで嫌味を言いに来るなんてイメージができなかった。

 

『お前を見ているとイラつくからだ』

 

 まほさんの口から飛び出たのは予想外の言葉だった。その表情にも口調にも明らかな怒気が籠っていた。

 

『……何か君の気に障るようなことをしてしまったかな?』

 

 覚えはなかったが、私自身ひねた言動で周りをイラつかせることがあるのは自覚していた。高校時代はよくそれでアキに文句を言われていたものだ。それでもここまで怒りを露わにされたことは一度もなかったが。

 

『気に入らない。ああそうだ、気に入らないな。お前の在り方が、お前の存在そのものが。××流に生まれながら××流を否定するお前が、私は気に入らない』

 

 私の言葉に対する返答、のように見えてそうではなかった。まほさんは私の言葉など聞こえていない、ただ己の内に蟠る感情を吐き出しているだけだった。

 

『お前がどんなに否定しようがお前は××流だ。誰も生まれからは、流派からは逃げられやしないんだ。私も、お前も。……みほもな』

『彼女は私とは違う』

 

 まほさんが私の言うことを聞く気がないなら、私も同じように何を言われようが聞き流すつもりだった。

 しかし聞き捨てならない台詞に思わず反論していた。

 まほさんが私を嫌おうが、罵ろうが、それは一向に構わなかったが、みほさんを貶めるのだけは断じて許せなかった。

 

 私の憧れを、私の希望を、私の夢を、汚すのだけは絶対に許せなかった。

 

『当然だ。みほは私たちなんかとは違う。……そうだ、違うんだ。違ったのに……』

 

 まほさんは泣きそうに顔を歪めて、拳を握り締めていた。ギリッと歯を軋ませる音が私の耳にまで届いた。

 そんな姿に私はそれまで感じていた苛立ちが一瞬で霧散していくのを感じた。そして代わりに湧き上がってきたのは申し訳なさだった。

 

 てっきりまほさんは他の西住流の連中と同じだと思っていた。西住流に反する行いをしたみほさんを疎んでいると思っていた。

 しかし目の前のまほさんの姿を見ればそれが甚だしい思い違いなのは一目瞭然だった。

 まほさんはみほさんの、実の妹の死を心から悼んでいた。その悲しみは、赤の他人に過ぎない私なんかよりも余程重いに違いなかった。

 

 まほさんに対して何か言わないといけないとは思ったが、何と声を掛けるべきか分からなかった。それでも迷いながらも私は声を発しようとして。 

 姿が見えないために探しに来たのだろう、私とまほさんを呼ぶ声が聞こえてきて口を噤んだ。

 どうやらそろそろ撤収するらしいと知って、まほさんは私に背を向けて立ち去ろうとした。

 しかし数歩歩いた所で足を止めた。

 

『最後に聞かせろ。お前は自分は×××ミカではないと言った。なら今のお前は一体何だ?』

 

 私は一体何者なのか?

 少なくとも×××ミカじゃない。×××ミカになんてなりたくない。それだけはたしかだった。

 

『私はただの名無しの戦車乗りさ』

 

 だから私としてはそう答えるしかなかった。けれどはっきり言ってそれは苦し紛れに言ったに過ぎなかった。

 

『つまりお前は何者でもない、何者にもなれない半端者という訳か』

 

 そんな私の迷いを見透かしたようにまほさんはせせら笑った。

 

『言ったはずだぞ、×××ミカ。いくら名前を偽ろうが、××流の戦車道を否定しようが、お前は××流からは逃げられないと。

 私は西住流から逃げられないし、みほも逃げられなかった。それなのにお前が、お前なんかが逃げられるはずがないんだ』

 

 まほさんは振り返ると真っ直ぐに私を睨み付けてきた。その視線には怒りを通り越して殺意すら籠っていた。その迫力に気圧されて私は無意識に後退っていた。

 

『せいぜい足掻いて見せろ。無様に足掻いて足掻いて、そして何者にもなれず、何も為せずにそのまま朽ち果てる。それがお前に相応しい末路だ』

 

 言うだけ言ってまほさんは再び踵を返して、今度こそ私の前から去っていった。私は何も言い返すことができずに黙ってその背中を見送るしかなかった。

 散々に扱き下ろされたというのに不思議と怒りは微塵も湧いてこなかった。代わりに私の胸に去来したのはどうしようもない痛ましさの念だった。

 そして同時に恐ろしくもあった。まほさんの変わり果てた姿を見て、あれが私の成れの果てかと思うと、怖くて仕方がなかった。

 

 ……いや、あるいは既にそう成り果てているのだろうか。

 

 自室のベッドで横になっている今も、頭の中ではまほさんに言われた言葉がずっと反響している。

 

『何者にもなれず、何も為せずにそのまま朽ち果てる。それがお前に相応しい末路だ』

 

 私に何ができるんだろう?

 

 私には妹のような才能はない。

 西住流も××流も私の手で壊してやるなどと息巻いておきながら、今日はまほさんに何もできずに完敗した。

 そんな私に何が為せるというのか。

 

 私は何者だ?

 

 私は××流との関係を断ちたくて名前を捨てて、名無しを気取ってきた。

 でもまほさんは言った。私は何者にもなれないと。

 そんなことはない、と否定するのは簡単だけれど。

 

 ならば。

 

 私は一体誰なんだろう?




Who are you?

お前は誰だ(フー・アー・ユー)……。
名無しか、×××ミカか。
我流か、××流か。
答えろミカよ。
お前は誰だ(フー・アー・ユー)。

う……

う……
うう……

            Who are you?

  Who are you?
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何故タイトルが英語なのかと言えば、「聖闘士星矢」のこのシーンを思い出したからです。
何故かこのシーンは妙に印象に残っているんですよね。

しかし気付けばまほがミカに対してものすんげえ辛辣になっていた。
この頃のまほは、みほが死んでから一年くらいでまだ酒も覚えていないために毒を吐き出すこともできずに内に溜め込みまくっていた、そんな最も荒んでいた時期なのもありますが、それにしてもやりすぎた……。
何か書いているうちに筆が乗りまくってこんなことに。
作者はまほミカも嫌いじゃないはずなんですけどね……。

あと正直ミカの一人称を入れるかは迷いました。
何を考えているのか分からないミステリアスなキャラが何を考えているのか書くというのは無粋では? と思ったからです。

……嘘です。
いえ、全くの嘘ではありませんが半分以上は言い訳です。
単純に何を考えているのか分からないキャラが何を考えているのか考えるのがしんどかっただけです。

島田ミカを採用した理由の一つがこれだったりします。
作者の力量的に何かとっかかりがないとまるで話が思い付かなかったのです。
ちなみに島田ミカ説を採用した他の理由としては、単純に作者の好みというのもありますし、愛里寿を何としても出したかったというのがあります。

劇場版の展開がないのでみほを始めとした原作キャラとほとんど絡みがないため、誰かしら繋がりを持たせたかったのです。
ただこの小説の独自設定で決勝戦より前にみほと出会っていた、という展開もいいかな、と思ったり。
あれだけのボコフリークのみほならボコミュージアムの存在を知っていてもおかしくない、むしろ知っていた方が自然だと思うし、寄港日に行ってみたら偶然愛里寿と出会って意気投合したというのもありかなと。
もっともその場合、愛里寿が闇落ちしそうですが。

そしてアンケートの回答、誠にありがとうございました!
ハーメルンでもPixivでも半数以上の方々から「作者の書きたいものを書けばいいんやで」と言っていただけました。
これからも書きたいものを書いていこうと思います。

それはそれとして。
TRUE以外ですが、やはりというかBADが多めという結果になりました。
しかしHAPPYを望む声も意外に多くて驚いております。
という訳で今後もちょくちょくifルートは書いていこうと思います。
差し当たってはミカのifルートを書きますかね、次の次あたりに。
BAD多めになりますがHAPPYなのも書ければ、いいな~。


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ミカが奏でる旋律

【アキ視点】

 

「あっつ~……」

 

 照り付ける日差しの中を歩きながら、私は額から流れる汗を拭った。

 熊本の夏は暑い、というか本土の夏はどこも暑い。大学入学を期に本土に移り住んでもう3年目になるけど未だに慣れない。

 こういう時は継続高校の学園艦が恋しくなる。フィンランドがモチーフになっているからかは分からないけど、継続高校の夏は過ごしやすかった。夏を迎えるたびにあの頃に戻りたいなんて思ってしまう。

 もっとも冬は冬で本土の方が過ごしやすいからこっちの方がいいなとか思ってしまうんだから、人間って勝手だよね。あ、でもサウナは気持ちよかったからまた久しぶりに入りたいな。

 

「お~い、アキ~!」

 

 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか待ち合わせ場所に着いていたらしい。私の名前を呼びながら手を振るミッコの姿を認めて、私は手を振り返した。

 

「ミッコ! 久しぶり!」

「アキ、髪伸ばしたんだ。似合ってるじゃん!」

「えへへ、ありがとう! ミッコも髪型変えたんだね、格好いいよ!」

 

 ミッコは高校を卒業後ミカと同じ大学に入って操縦士として活躍していた。

 私は二人とは違う大学に進学したから会うのは久しぶりで、懐かしさから自然と会話も弾んだ。

 

「そういえばミッコ、大学選抜に選ばれたんだって? おめでとう!」

「ありがと! まあ、って言っても私はミカのおまけみたいなもんだけどね」

「そんなことないって。これなら卒業後はプロも夢じゃないよ」

「う~ん、どうかな~? 戦車の操縦は楽しいけど、私の腕でプロになんてなれるかね~?」

「なれるよ、ミッコならきっと」

 

 戦車道は3年前にプロリーグが開幕した。

 

 4年前の全国大会の後のごたごたがあって一時はプロリーグ設立を危ぶむ声もあったみたいだけど、島田流家元(・・・・・)がプロリーグ設置委員会の委員長として各所に働きかけて、何とか予定通りに事は進んだらしい。

 

 そして現在、世間では4年前のことなんて完全に忘れ去られてしまった。

 

 あの戦車道の全国大会の決勝戦のことも。

 

 大洗女子学園が廃校になったことも。

 

 そして。

 

 西住みほさんが亡くなったことも。

 

 あの試合は私たちも試合会場で観戦していた。

 当時大洗女子学園は戦車道では無名にもかかわらず、強豪を次々破って決勝戦にまで駒を進めたということで話題になっていて、私はどうしても実際に会場に行って試合が観たかった。

 私が会場まで観戦に行こうと提案するとミッコもミカも二つ返事で了承した。

 ミッコだけでなく、あのミカも、だ。

 てっきりミカはあれこれと屁理屈をこねて断るだろうと思っていて、どう説得しようかとあれこれ考えていたから拍子抜けした。

 何にせよ反対意見は出なかったので、私たちは3人で試合会場の東富士演習場に向かった。

 

 そして試合は決勝戦に相応しい盛り上がりを見せた。

 大洗は圧倒的な戦力差をものともせずに黒森峰相手に堂々と立ち向かってみせた。それだけでも観ていて面白くて興奮したけど、みほさんが川に取り残された仲間を助けた時には更に胸が熱くなった。私だけじゃない、観戦していた人たちは皆同じ気持ちだったと思う。

 

『それが君の戦車道か』

 

 そしてそれはミカもだった。

 誰に対して言ったわけでもない、ただ無意識に呟いてしまったようなそんな声を聞いて私はミカの方に振り返った。

 ミカはいつも弾いていたカンテレの存在すら忘れて試合に観入っていた。

 やっぱり観に来て良かった。あのミカが何かに夢中になる姿なんて滅多に見れるものじゃない。そんなミカの様子を見ていると何だか嬉しくなった。

 

 そして試合終盤。

 大洗は黒森峰とフラッグ車同士の一騎討ちに持ち込むことに成功した。

 大洗のⅣ号が、黒森峰のティーガーが、お互いに砲弾を撃ち合い、お互いの意地とプライドをぶつけ合う様を私は固唾を呑んで見守った。

 ここまで来たら勝ってほしい、私は祈るように試合の行方を見守って――

 

『大洗女子学園フラッグ車走行不能! よって黒森峰女学園の勝利!』

 

 でもそんな私の祈りも空しく、大洗は結局負けてしまった。

 

『あーあ、負けちゃったね……。あとちょっとだったのに』

 

 白旗を上げるⅣ号戦車を見詰めて私はがっくりと肩を落とした。

 でもまあ戦力差を考えれば妥当な結果ではあった。やっぱり最後は強いチームが順当に勝った、それだけのことなんだろう。

 

『勝ち負けは戦車道においてそんなに大事なことなのかな?』

 

 そんな風に自分を納得させようとしていると、ミカは反論してきた。またいつものひねくれた物言いかと思って私は聞き流そうとした。

 でもその時はいつもと様子が違った。

 

『戦車道は人生の大切な全てのことが詰まってるんだよ』

 

 その言葉には力があった。ミカにしては珍しい熱の籠った言葉だった。

 そんな何時に無く真剣なミカの様子に、たしかにそうかもしれない、と私は思い直した。

 優勝を逃したのは残念だった。でも大洗の快進撃は戦車道をやっている人たちに希望を与えてくれた。

 それまで強豪校が有利になるように作られたルールの中で、息苦しさを感じていた人は少なくなかった。強豪以外の高校はどんなに頑張ってもどうせ勝てないと諦めていた。

 でもそんなことはないんだって、諦めなければ夢はきっと叶うんだって思えた。

 私もみほさんのように頑張ろうって、そう思えたんだ。

 

 みほさんの自殺、そして大洗女子学園の廃校の知らせを聞くまでは。

 

「そっか。あれからもう4年か……」

 

 ミッコの沈んだ声で私は現実に引き戻された。

 気付けば私たちはみほさんのお墓がある墓地にまで辿り着いていた。

 最初にここを訪れたのは4年前の秋、みほさんが死んでから一カ月くらい経った日のことだった。

 

『お墓参りに行こう』

 

 そう言い出したのは誰だったか。ミカだったかもしれないし、ミッコだったかもしれないし、私だったかもしれない。

 誰も反対する人はいなかったけど、唯一つ問題があった。それはみほさんのお墓の場所が分からないということだった。

 でもそれはすぐに解決した。ミカが道案内を買って出てくれたから。

 

『ミカ、みほさんのお墓の場所知ってるの?』

 

 そう聞いても「ただ風の導きに従うだけさ」なんてはぐらかされてしまった。

 本当に大丈夫かな? と不安に思う気持ちはあったけど、何となく大丈夫な気もした。それに他に手掛かりが何もない以上ミカを信じるしかないということで任せることにした。

 

 道中の私たちは必要最低限のことしか喋らなかった。代わりにという訳じゃないけど、時折ミカの奏でるカンテレの音が響き渡った。

 何の曲かはわからなかったけど、どこか悲しい音色だった。まるでみほさんの死を悼む鎮魂歌のようだと思った。

 

 そして丸一日かけて私たちは遠く熊本まで、みほさんのお墓まで辿り着くことができた。

 

 みほ之墓。

 

 墓石にはそう書かれていた。

 みほさんのお墓は西住家のものとは別の場所にあった。

 お墓について私も詳しいルールは知らないけれど、みほさんのように次女でも結婚していない人の場合は実家のお墓に入るのが普通らしい。それをわざわざ別のお墓を建てたのはみほさんが西住家を勘当されたからで、自殺の原因もそれではないかという噂だった。

 その噂を耳にした時のミカの表情はたぶん一生忘れられないと思う。

 ミカがあんな怖い顔をしてるところなんて見たことがなかった。思わずミッコと抱き合って震え上がってしまった程だ。

 

 正直何故ミカがそこまでみほさんのことを気に掛けるのか私には分からない。

 以前一度だけ練習試合で顔を合わせたことはあった。私は直接話をする機会もなかったけど、ミカは試合後の挨拶でみほさんと話しているのを見掛けた。けどミカとみほさんの繋がりなんてそれくらいのはずだった。

 ただ、ミカが何かとみほさんのことを話題に出すようになったきっかけは覚えている。

 5年前の決勝戦だ。

 あの時川に落ちた仲間を救うみほさんの姿を見てから、ミカは雰囲気が変わった気がする。

 

 一度だけ聞いてみたことがあった。どうしてそこまでみほさんのことを気に掛けるのかって。

 それに対してミカは興味があるから、と答えた。ミカがそんなことを言うなんて珍しいからよく覚えている。

 みほさんの何に興味があるのかまでは教えてくれなかったけど、ミカがみほさんのことを語る時の口調には普段に比べて熱が籠っているように感じた。

 

 そこまで考えたところで、ふと聞き覚えのある音が耳に入った。

 懐かしい音だった。これは。

 ミカが奏でるカンテレの音だ。

 そうしてみほさんのお墓が見えると、その目の前に佇むミカの姿が目に留まった。

 

「お~い、ミカ~!」

 

 ミカはミッコの呼び声に気付くと、カンテレを弾く手を止めて振り向いた。

 

「やあ、ミッコ」

 

 3年ぶりに会ったミカは随分と雰囲気が変わっていた。私やミッコと違って髪型を変えた訳じゃない、見た目が大きく変わった訳じゃないのに前より何だか大人っぽくなっていて、思わずドキッとした。

 そんな私の動揺をよそにミカはミッコと言葉を交わすと、今度は私の方に向き直った。

 

「久しぶりだね、アキ」

「うん、久しぶり」

 

 3年ぶりの再会だった。

 あの日ミカと会ったからこそ今の私はある。今でも戦車道を続けていられる。

 一時は戦車道をやめようとすら思った。事実、私は高校を卒業したら戦車道をやめるつもりだった。

 そんな私が曲がりなりにも戦車道を続けていられるのは3年前、ミカと約束をしたからだった。

 

 

          *

 

 

 あれは私が3年生に進級して半年くらいしたある日のこと。

 戦車道の練習を終えてくたくたになりながら寮に戻ると、部屋の前で意外な人物が私を待ち構えていた。

 

『やあ。お帰り、アキ』

 

 大学に進学して本土にいるはずのミカだった。

 

『……何やってんの、ミカ?』

『見て分からないかい? アキが帰ってくるのを待っていたのさ』

『……何で?』

『友人を訪ねるのに理由が必要かい?』

『ていうかまさかずっとここで待ってたの? この季節でも夜は冷えるでしょうに』

『少し夜風に当たりたい気分だったのさ。それに夜風の冷たさを肌で感じると季節の移り変わりを実感できて、これはこれでいいものさ』

『……あー、もう!』

 

 会話が嚙み合わなかった。

 懐かしいやり取りではあったけど、あの時の私は懐かしさよりも気疲れの方が勝って溜息を吐きながら部屋の鍵を開けて中に入った。

 私に続いて部屋に入ってくるミカを私は咎めることはしなかった。

 本当は色々言いたいことはあったけど、ミカ相手に何を言っても無駄だってことは分かってたから。

 

『別に来るのはいいけどさ、連絡くらいしてよね。急に来られてもこっちにも予定ってものがあるんだから』

 

 コーヒーを出しながら文句を言ってもミカはどこ吹く風で、すぐに自分の部屋のように寛ぎ始めた。私はそれ以上何も言わずに、座って自分の分のコーヒーを啜った。

 

『お疲れ様。忙しそうだね』

『そりゃ、ね。一応隊長なんだから』

 

 ミカが引退した後、私はミカから隊長を引き継ぐことになった。

 指名された時は私なんかに務まるとは思えなくて断ろうとしたけど、誰も反対する人はいなくて、むしろ私なら任せられるという雰囲気で、結局そのまま押し切られてしまった。

 今思えば単に面倒事を押し付けられただけな気がしないでもない。

 当時の私はというと、まあいいか、何とかなるでしょ、なんて楽観的に考えていた。

 ミカとは一緒にいることが多かったけど、全然仕事をしてるイメージはなかった。だから隊長なんて言ってもそこまで大変じゃないと思ってた。

 

 そんな甘い考えは一カ月もしないうちに消え去った。

 

 黒森峰みたいなガチガチの強豪校ではないとはいえ、仮にも一つのチームのトップとなるとやることは多かった。ああ見えてミカも私が見てないところで仕事をしてたんだろうか。

 

『そういえば聞いたよ、一年でもうレギュラー入りしたって。凄いじゃん。たしかミカの大学って戦車道強いんでしょ?』

 

 みほさんが死んでからミカは変わった。それまでとは比べ物にならないくらい戦車道に対して真剣に取り組むようになった。

 別にそれまでが不真面目だったなんてことはないけど、何と言うか、鬼気迫るとでもいうか、とにかく凄かった。

 推薦で戦車道の強豪の大学に入学して1年でレギュラー入りして、現在では大学のチームでもエースとして活躍し、大学選抜にも選ばれていた。卒業後はプロ入りは確実とまで言われている程で、そんなすごい人と高校時代に一緒のチームだったことが未だに信じられない。

 

『試合に出られればいいってものじゃない。それに強いとか弱いとか、そんなことに拘るのに意味があるとは思えない』

『も~、またそんなひねくれたこと言って――』

『そういえば、アキは卒業したらどうするんだい?』

 

 私の言葉を遮ってミカは露骨に話題を変えてきた。

 触れられたくない話題だったんだろうか。私としてもただの雑談程度のつもりで振った話題だったので、別にミカが話したくないというならそれはそれで構わなかった。

 けどミカが振ってきたのは、今度は私にとって触れてほしくない話題だった。

 

『とりあえずは進学かな。……でも正直戦車道は高校でやめようかなって思ってる』

 

 ミカとは対照的に私はあの一件以来戦車道に対する熱が冷めてしまっていた。

 みほさんが自殺して。

 大洗が廃校になって。

 結局強豪校以外の高校はいくら努力しても勝てないって、私みたいな凡人はいくら頑張っても無駄だって思い知らされたから。

 そこに隊長としての激務が重なって、当時の私は戦車道に対して嫌気が差していた。

 それでも戦車道を続けていたのは、隊長としての責任感というのも勿論あった。

 でも一番の理由は別にあった。

 ミカが私を隊長に選んでくれたからだ。

 ミカの期待に応えたかったから、ミカの信頼を裏切りたくなかったからだった。

 

『アキにはアキの人生がある。自分の人生を決める権利は自分にしかないさ』

 

 だからミカにそう言われた時はショックだった。

 どうして理由も何も聞いてくれないのか、引き留めてくれないのかって。

 どうして戦車道をやめないでって言ってくれないのかって。

 ミカのために私はどんなに辛くても戦車に乗り続けたのに。それが全部無駄だったって言われたみたいで、私のことなんてどうでもいいんじゃないかって思えて、悲しかったんだ。

 

『ねえ、アキ』

『何?』

 

 今思えばあれはミカなりの優しさだったんじゃないかって思えるけど、当時の私にはそんな風に考えられなかった。

 あの時の私は疲れていたのもあって自分の内心を言葉にすることはしなかったけど、不機嫌さは隠しきれなくて、ぶっきらぼうな返事をしてしまった。

 

『私は一体誰なんだろうね?』

 

 ミカはそんな私の様子に気付かなかったのか、あるいは気付かないふりをしていたのか、構わずに言葉を続けた。

 

『誰って……』

 

 当時は毎日が忙しくて大変な時期だった。ただでさえ戦車道の隊長としての仕事が大変で、受験勉強だってある。現にあの日も疲れて帰って来て、本当だったら今すぐにでも寝たいくらいだった。そんな忙しい時にいきなり訪ねてきて何を意味不明なことを言ってるのか。

 私は文句を言おうとして初めてミカの顔を正面から見て。

 

 喉まで出掛かっていた言葉が引っ込んだ。

 

『……何かあったの?』

 

 代わりに私の口から漏れたのはそんな言葉だった。

 だって目の前のミカが今までに見たことがないような表情をしていたから。

 いつもの落ち着き払った雰囲気なんて微塵もない、まるで何かに縋るような、そんな余裕のない表情をしていた。

 ミカは私の問いには答えずに、ただ曖昧に微笑むだけだった。

 私はそれ以上追及するようなことはせずに改めて考えた。ミカは何者なのか、と。

 

 ミカには謎が多い。

 そもそも“ミカ”という名前にしても本名なのかは分からない。初めて会った時も自分のことを“名無し”と言っていた。みんなから“ミカ”と呼ばれているというから私もそう呼ぶようになっただけだ。

 継続高校に来るまではどこで何をしていたのかとか、自分の過去のことも一切話そうとしなかったし、あれこれと詮索する人はうちには誰もいなかった。

 

 でも一度だけ、練習試合をした時に他校の人がミカがあの島田流の関係者だと噂をしているのを耳にしたことがあった。

 本当かどうかは分からないけど、同じ戦車に乗っていた私から見てたしかにミカの戦い方は島田流に似ていると感じた。だからあながち間違ってはいないのかもしれない。

 でもミカが聞きたいのはそういうことじゃないんだと思った。なら何て言えばいいのか、何て言うのが正解なのか。いくら考えても分からなくて。

 

『……ミカは、ミカでしょ』

 

 結局私にはそんなありきたりな答えしかできなかった。何かもっと気の利いたことが言えれば良かったのかもしれないけど、私には他に言葉が思い付かなかった。

 私は気まずさから目を逸らすと、誤魔化すようにコーヒーを一口飲んだ。

 

『私は、“ミカ”でいいの?』

 

 一瞬誰の声かと思った。

 とてもミカが言ったとは思えない、不安に押し潰されそうなか細い声だった。

 ミカの方を見ると、ミカは私の言葉に大きく目を見開いて固まっていた。

 何でそんな顔をするのか私には分からなかったけど、ミカのそんな顔を見たくなくて私は言葉を続けた。

 

『いいも何もミカが自分で言ったんじゃん。皆から“ミカ”って呼ばれてるから、そう呼んでほしいって』

『そうか……。うん、そうだね……』

『そうだよ』

 

 ミカらしくない弱々しい声音に私はいよいよ心配になってきた。

 ミカに何があったかは分からなかった。でもそんなミカを見て私は放っておけなかった。

 

『ねえ、ミカ』

 

 ミカが何者なのかなんて当時の私には分からなかった。今でもそうだ。

 それでもたった一つだけ言えることはあった。

 

『ミカはミカだよ。いつも飄々として、素直じゃなくて、ひねくれたことしか言わない。でも本当は仲間思いで、誰よりも優しい。私の大切な友達だよ』

 

 安心させるように手を握って、その瞳を真っ直ぐに見つめながら私は自分の素直な気持ちを口にした。

 言ってから気恥ずかしさを覚えたけど、でも後悔はなかった。

 だってそれは紛れもない私の本心だったから。

 

『…………ありがとう』

 

 ミカは私の真っ直ぐな視線から逃げるように顔を背けながらポツリと呟いた。

 顔は見えなかったからミカの表情は分からなかった。でも何となく想像はついた。

 だって髪の間からちらりと覗くミカの耳は真っ赤に染まっていたから。

 その後、ミカは用事を思い出したと言って慌てて部屋を出て行こうとした。照れ隠しにしても露骨すぎだった。

 私はそんなミカを玄関まで見送りながら声を掛けた。

 

『ミカ。大学で色々大変なのかもしれないけどさ、何か辛いことがあったらまた来なよ。私で良かったら話くらいは聞いてあげられるし』

 

 ミカは私の言葉にピタリと足を止めると、恐る恐るといった様子で振り返った。

 

『迷惑じゃないかい?』

『ミカが私に迷惑掛けるのなんて今に始まったことじゃないでしょ』

『そうだね……ごめんよ、アキ』

『いや、別に責めてる訳じゃないけどさ』

 

 あのミカが素直に謝るなんて思わなくて私は慌ててフォローを入れた。

 あの日のミカは本当に終始おかしかった。実は別人だったと言われたらむしろ納得してしまうくらいに。

 

『ミカ』

 

 そして最後の最後。

 ドアを開けて部屋を出ようとするミカを呼び止めて、私は言ったんだ。

 

『私さ、もう少し戦車道、続けてみるよ』

 

 正直言うかどうか内心迷いはあった。

 でも言わなきゃいけないと思った。

 戦車に乗るのが辛いという気持ちは変わらなかったけど、あのままやめたらきっと後悔すると思ったから。

 ミカとの繋がりが消えてしまうみたいで寂しかったから。

 

『そうかい……』

 

 対するミカの返事は短く素っ気ないものだったけど、私は言って良かったって思った。

 

 だってミカはどこか嬉しそうな微笑みを浮かべていたから。

 

 

          *

 

 

 お参りを済ませた帰り道。駅までの道を歩きながら私たちは他愛もない話に花を咲かせていた。まるで高校時代に戻ったみたいで、懐かしくて楽しかった。

 そんな中、「そういえば」と唐突にミカが口を開いた。

 

「アキは卒業したらどうするんだい?」

 

 それはあの日と同じ質問だった。

 単に進路のことだけを聞いてる訳じゃないことは分かった。

 これからも、大学を卒業してからも戦車に乗るのか。

 ミカが聞きたいのはそういうことなんだろう。

 

「どうかな。まだ分かんないよ」

 

 ミカやミッコと違って私の実力じゃプロになんてなれっこない。

 今までずっと戦車道を続けてきたけど、言ってしまえばそれは所詮学校のクラブ活動に過ぎない訳で。大学を卒業したら就職して、もう戦車道はやめてしまうのが普通なんだろう。

 でも。

 

「でも、できれば戦車道は続けたい、かな」

 

 プロは無理でも、どんな形でもいいから戦車に関わりたい。私はいつしかそう思うようになっていた。

 ミカとの繋がりを断ちたくないと思って大学に入ってからも戦車道を続けることにしたけど、今私が戦車道を続けているのはそれだけじゃない、もっと単純な理由からだった。

 

 戦車に乗るのが楽しいからだ。

 

 私はあの日の約束通り大学に入っても戦車道を続けていた。

 ミカたちと違ってうちの大学は戦車道の強豪でもなんでもなかったから、戦車道と言っても普通のサークル活動だった。

 でもそれがかえって良かった。サークルの皆は全員楽しそうに戦車に乗っていて、それを見て私は忘れていた気持ちを思い出した。

 戦車に乗るのって楽しいものなんだってことを。

 そうして私は久しぶりに純粋な気持ちで戦車に乗ることができた。あの日戦車道を続けると決めて良かったって思えた。

 

 みほさんと大洗の件で戦車道が嫌になった時期もあった。でも今ではそんな気持ちは微塵もなかった。

 それにみほさんの件で私は気付かされた。今当たり前にあるものもいつ目の前から消えてしまってもおかしくないんだって。私が毎日大好きな戦車に乗れているのは本当に幸せなことなんだって。

 いつまで戦車に乗れるかなんて分からない。いつ戦車に乗れなくなってもおかしくない。なら乗れるうちに行けるところまで行ってみたい。この道がどこまで続いているのか見てみたい。そう思うようになった。

 

「そうかい……」

 

 ミカはあの日と同じように言葉少なに微笑むだけだった。

 その反応が何だか堪らなく嬉しかった。

 

「な~に、二人でいい雰囲気になってんのさ!」

 

 私を仲間外れにすんな~! とミッコは飛びつくように私とミカの肩に腕を回してきた。

 

「よ~し決めた! 私絶対プロになる! 3人ともこれからもずっと戦車に乗ろう! そんでさ、いつかまた3人で戦車に乗ろうよ!」

「いいね! ね、ミカもいいでしょ?」

「ああ、勿論さ」

 

 私たちは顔を見合わせて3人で笑い合った。

 

 私たちの進む道はそれぞれ違う。

 

 こうして3人で会える日が次にいつ来るかは分からない。もしかしたらまた何年も先のことになるかもしれない。

 

 でも寂しいとは思わなかった。

 

 だって離れていても私たちは戦車を通じて繋がっているから。

 

 ミカが奏でる音が私たちを導いてくれるから。

 

 それはとても素敵なことだって思えるから。

 

 

 

 

 

 ねえ、ミカ。

 

 何だい?

 

 戦車道には本当に人生の大切なことが詰まってるね。

 

 だろう?

 




作者が書いたとは思えないHAPPY ENDっぷり。
あまりのいい話っぷりに後輩に「病院行ってください」と本気で心配されたほどです。

……嘘です。
いえ、病院行けって言われたのは本当ですがこの小説は関係ありません。
ちょいと健康診断で引っ掛かっただけです。
……ガルパンが完結するまでは死なん! 死んでたまるか!
ってこれはフラグってやつでしょうか。

それはともかくミカアキでございます。
ミカのカップリングでは一番好きです。
島田ミカを採用するならミカありになるのが自然ではなかろうかとも思いますが、この二人はあくまで姉妹という関係で行きたい所存。

次回はifルート。
ミカさんのBAD ENDルートを投稿予定です。
DEADではなくBADなので人は死にません。
死には、しません。


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ifルート:名無しの少女は旅に出る

とある名無しの少女が自分探しの旅に出る話。
旅の行き先はこの世のどこかか、それとも……。
例によってキャラ崩壊注意。

今回は難産でした。
本当は10月中には投稿するつもりだったんですが……。
島田さんちの家庭事情の練り込みが足りんと思って考えに考えたら時間ばかり過ぎてしまいました。


【×××××視点】

 

 目を開けると私は暗闇の中にいた。

 

 周りには何もない。右を向いても左を向いても、上を向いても下を向いても、どこもかしこも黒一色で塗りつぶされていた。

 

 ここはどこだろう?

 

 何故私はこんなところにいるんだろう?

 

 そんなことを考えていると目の前に唐突に人影が現れた。

 その人影は継続高校の制服を着て、チューリップハットを被って、亜麻色の髪を肩まで伸ばした女性の姿をしていた。

 一目見て分かった。あれは私だ、と。けれど私とは決定的に違う部分が一つだけあった。

 その人影は顔の部分が真っ黒に染まっていた。

 どんなに凝視しても底が見えない。周りに広がっているのと同じ、ずっと見ていると引きずり込まれてしまいそうな漆黒の闇だった。

 

「君は誰だい?」

 

 人影は言った。

 

「君こそ誰だい?」

 

 私は相手の問いに答えることなく、そのまま鸚鵡返しに問い返した。

 相手はそれに気分を害した様子もなく淡々と答えた。

 

「私は×××××だ」

「違う」

 

 私は反射的に人影の言葉を否定していた。

 

「違う、違うだろう? 君は、×××××なんかじゃないだろう?」

 

 それは目の前の相手に言っているというよりは自分に言い聞かせているという方が正しい台詞だった。

 相手の言葉に引きずられそうになるのを堪えて、必死に絞り出した台詞だった。

 

「違わないよ。君がどんなに否定したって私は××流だ。その事実からは逃げられやしない。本当は君だって分かっているんだろう?」

 

 感情的な私とは対照的に目の前の人影はどこまでも無感情に淡々と言葉を紡ぐ。

 自分の言っていることは揺るぎのない事実だと言わんばかりに。

 逃れようのない現実を拒絶し続ける私を諭すように。

 

「違う! 私は××流じゃない! ×××××じゃない! 私は! 私はっ! あいつらなんかとは違うんだ!!」

 

 そんな相手の態度が気に食わなくて、けれど反論の言葉が思い浮かばなくて、私はただただ感情に任せて相手の言葉を否定する。

 耳を塞いで、目を瞑って、相手の声を掻き消すくらいの大声で叫ぶ。

 目の前の存在を、認めたくない現実を否定しようとする。

 

「そうかい」

 

 それでも人影の声を遮ることはできない。まるで脳に直接届いているかのように鮮明に声を認識できてしまう。

 

「それなら」

 

 それでも人影の姿を消し去ることはできない。まるで直接網膜に映り込んでいるかのように鮮明にその姿を認識できてしまう。

 

「私が×××××じゃないって言うなら」

 

 その顔を覆っていた闇が徐々に薄らいでくる。

 

 そして隠れていた顔の部分が露わになる。

 

 ……ああ、やっぱり。

 

(わたし)は誰だって言うんだ?」

 

 目の前の人影は。

 

 私と瓜二つの顔をしていた。

 

 

          *

 

 

 そこで私は夢から醒めた。

 

 目に映るのは見慣れた天井、自分の部屋の天井だった。

 どうやら試合の後、部屋に帰ってきてそのまま着替えもせずにベッドに寝転がって、あれこれ考えているうちにいつの間にか眠ってしまったらしい。

 私はゆっくりと起き上がると先程まで見ていた夢の内容を反芻する。

 ……あんな夢を見るなんて、昨日まほさんに言われた言葉が余程堪えていたらしい。

 そして一晩寝た今でもそれは変わらなかった。

 

『わたしは誰だって言うんだ?』

 

 夢の中の最後の問い掛けが頭を廻り続ける。

 

『お前は自分は×××××ではないと言った。なら今のお前は一体何だ?』

 

 昨日まほさんに言われた言葉が頭から離れない。

 

 私は……。

 

 私は一体、誰なんだろう?

 

 いくら考えても答えは出なくて。

 

「やあ。お帰り、アキ」

 

 気付けば私は継続高校の学園艦に乗り込んで、アキの部屋の前に立っていた。

 

「……何やってんの、ミカ?」

 

 アキの問い掛けに苦笑する。

 全くだ。私は一体何をやっているんだろう? いきなり陸から学園艦に乗り込んでまでアキの部屋に押し掛けたりして。

 

 私は何者なのか。私にはいくら考えても答えは出なかった。

 それでもアキなら答えてくれるんじゃないか。そう思ったら居ても立っても居られなくなって、こうしてすぐに行動に移してしまったという訳だ。

 アキは私の突然の訪問に驚きながらも部屋に招き入れてくれた。私はお言葉に甘えて部屋に入って寛ぐことにした。そしてコーヒーを淹れてくれるアキの後姿をぼんやりと眺める。

 

 半年ぶりに会ったアキは見るからに疲れ果てていた。

 無理もない。隊長を務めるとなればただ戦車に乗っていればいいというものじゃない。ただでさえ戦車道の練習はハードなのに、それに加えて雑務もこなさなければならないとなると疲労は倍以上だ。

 私はそこら辺は要領よくやっていた。手を抜くところは抜いていたし、他の人間に頼める仕事は頼むようにしていたからそこまで苦労することはなかった。

 サボっていただけじゃないのか、と思われるかもしれないが私は前隊長のトウコに倣っただけなので問題はない、と思う。

 けどアキは真面目だから私たちのようにはできないんだろう。適度に手を抜くなんてできないし、自分でやれることは全部自分でやろうとしてしまうんだろう。

 私はアキにならと思って隊長を任せた。でもそれは失敗だったかもしれない。

 今のアキの様子を見る限り明らかに隊長の責務は重荷になっていた。それが原因で戦車道すら嫌になっているように感じられた。

 

「アキにはアキの人生がある。自分の人生を決める権利は自分にしかないさ」

 

 だから私はアキが高校で戦車道をやめるつもりだと言われても、敢えて引き留めることも理由を聞くこともしなかった。

 

「……ミカはさ、私が戦車道をやめてもいいの?」

「言っただろう? 決めるのはアキ自身さ。私の意見を聞くことに意味があるとは思えない」

 

 本音を言えばアキには戦車道をやめてほしくなかった。

 どんなに離れていても、戦車に乗っていればお互いに繋がっていられると思えたから。

 でもこれ以上無理に戦車道を続ければアキはきっと戦車のことを嫌いになってしまう。それだけは嫌だったから。

 やめたいならやめればいい。戦車道を続けるのもやめるのもすべては自分の意思であるべきだ。誰かに強制されて嫌々やるものじゃない。

 

「何それ……」

 

 呆然とした呟きを聞いてアキの方を見遣る。その顔は何の感情も映さない無表情だった。けれど次第にその顔が歪んでいく。その顔に浮かぶ感情は怒りか、悲しみか。私が今まで見たことがない表情をしていた。

 

「何でそんなこと言うの? 私が、何で今も戦車道を続けてると思ってるの!? 何度もやめたいって思った! 投げ出したいって思った! それでも我慢して必死に頑張ってきた! どうしてだと思う!?」

「アキ……?」

 

 私はアキの豹変ぶりに困惑した。

 今までもアキを怒らせてしまったことはあった。それが原因で喧嘩になってしまったこともあった。

 それでもアキがここまで感情を露わにしているのは見たことがなかった。

 

「ミカのためだよ!? ミカが私を隊長に選んでくれたから! ミカの期待に応えたかったから! ミカの信頼を裏切りたくなかったから! だから私は、どんなに辛くても頑張ってきたのに! 全部無駄だったって言うの!?」

 

 私は頭を殴られたような衝撃を受けた。

 アキがこんな風になっていたのは私のせいだという事実に。

 単純に隊長としての仕事が忙しいという話じゃない。私がアキの心を縛り付けてしまっていたという事実にだ。

 

 けど私は反論したかった。

 私はそんなつもりで言ったんじゃないって。ただアキが辛い思いをしているのが見ていられなかっただけなんだって。

 そう言えばいいのに、言葉が出てこなかった。アキの今まで見たことがない剣幕に押されて、舌がまともに動いてくれなかった。

 それでも何とかして気持ちを伝えたいと思って、私は俯くアキに手を伸ばして――。

 

 その手を振り払われた。

 

「出てって」

 

 アキの口から漏れたのは、そんな明確な拒絶の言葉だった。

 アキが言ったとは思えない、温かみなんて欠片も感じられない氷のように冷たい声音だった。

 

「出てって! 出てってよ!!」

 

 そんなアキの反応が信じられなくて。

 信じたくなくて。

 私は逃げるように部屋を出て玄関のドアノブに手を掛ける。

 

「ごめんね、アキ」

 

 そこまで来てようやく言葉を絞り出すことができた。だというのに辛うじて口から出たのはありきたりな言葉だった。

 

「さよなら」

 

 ただ一言、別れを告げて私は外に出て後ろ手にドアを閉める。

 ガチャリとドアが閉まる音を確認すると同時に、私は堪らず走り出した。

 あの場に留まっていたくなかった。何でもいいからとにかく逃げ出したかった。

 そうやって走って走って走って――。

 

 気付けば私は森の中にいた。

 

 どこをどう走ってきたかまるで思い出せない。それでもここがどこかはすぐに分かった。

 だってここはアキとミッコと3人でよく過ごした場所だから。

 どうやら無意識にあの頃の思い出に縋っていたらしい。

 私は手近な木に背中を預けると、ずるずるとその場に座り込んだ。

 ずっと一心不乱に走り続けたせいで息が苦しい。でも好都合だった。今は何も考えられないし、何も考えたくない。

 しばらくの間私は無心になって、息を整えるのに専念した。

 

 それからどれくらい時間が経っただろう。

 呼吸は既に落ち着いている。そうなると否応なしにアキのことが頭に浮かんでくる。

 アキは言っていた。今までどんなに戦車道が辛くてもやめずに頑張ってきたのは私のためだと。

 そんな私にやめたければ好きにすればいいと言われて裏切られた気持ちになったんだろう。

 

 でも私にだって言い分はある。

 私はそんなつもりで言ったんじゃない。

 私は、ただアキが苦しんでいるのを見たくなかっただけなんだ。

 だから、自分の気持ちを、本当はアキに戦車道をやめてほしくないという本音を抑え込んでいたのに。

 それなのに。

 

「どうして分かってくれないんだ……」

 

『どうして分かってくれないの……』

 

 ふと頭の中に浮かんできたのは、××の家を出るきっかけになった日の出来事だった。

 どうしてか、さっきのアキの姿が当時の私と重なって見えた。

 あの日のあの女の姿と今の私の姿が重なって見えた。

 

 ……どうしてあの女のことが思い浮かぶ?

 まさか。

 私はよりによってあの女と同じことをアキにしてしまったのか?

 違う。断じて違う。

 私はあんな女とは違う。××流のことしか考えていないあの女とは。

 

「あの女は!」

 

『無理をしなくていいのよ』

 

 無理なんてしてないよ。

 

 私は好きでやってるだけだから。

 

 だって私はお母さんの娘だから。

 

「……あの女は」

 

『これからは×田流に縛られなくていいの』

 

 縛られてなんていない。

 

 私が自分で望んでやっているだけ。

 

 私はお母さんの娘として立派に×田流の戦車道を継いでみせるから。

 

「あの、人は……」

 

『貴方は貴方らしく戦車に乗ればいいの』

 

 私らしさなんていらない。

 

 私は誰よりも島×流らしくなってみせるから。

 

 あいつらよりも、愛里×よりも。

 

 そうしたらお母さんも私を褒めてくれるよね?

 

「お母さん、は……」

 

『せめて貴方だけでも島田流から離れて自由になって』

 

 お願いだからそんなこと言わないで。

 

 私、頑張るから。

 

 もっともっと頑張るから

 

 だから。だから。

 

「……ははは」

 

『だからお別れよ、風美香(ふみか)

 

 私を捨てないで、お母さん!

 

「あははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 ああ、何てことだ。アキが怒るのも無理はない。

 だって私も同じだったんだから。

 私もあの人のことが許せなかったんだから。

 ああ、私は何て馬鹿なんだろう。

 アキに拒絶されるのも仕方ない。

 私は己の愚かしさがおかしくて堪らなくて、それからずっと喉が枯れるまで狂ったように笑い続けた。

 

 一頻り笑うと、今までぐちゃぐちゃだった頭の中が嘘みたいにスッキリしていた。

 

「あの人もこんな気持ちだったのかな……」

 

 今になってようやく母の気持ちが理解できた。私を島田の家から追い出した訳も。

 私は今まであの人が私を追い出したのは私が島田流に相応しくない凡人だからだと思っていた。

 いや、そう思い込もうとしていた。

 あの人は島田流のことが大事で、愛里寿が島田流を継ぐのに私の存在が邪魔だから私を捨てたんだと。そんな風に。

 

 しかし実際には違った

 あの人は私のことを思って島田流から解放してくれようとしただけだったんだ。

 きっとあの人は私が島田流の戦車道に押し潰されそうになるのが見るに堪えなかったんだろう。

 私がアキの辛そうな姿を見ていられなかったように。

 

 たしかに当時の私は島田流の戦車道を重荷に感じていた。島田の家の空気に息苦しさを感じていた。

 けれどその一方で、私はいつの間にか島田流の戦車道に拘るようになっていた。

 島田流の戦車道で周りの連中を見返してやる、認めさせてやると。

 そうすれば母も私のことを褒めてくれる、私を愛してくれると。

 そうしなければ島田風美香でいられない、あの人の娘ではいられないと。

 いつの間にかそんな風に自分で自分を追い詰めていた。

 だからあの人に島田の家を出ていくように言われて、島田流の戦車道を続ける必要はないと言われて裏切られたような気持ちになった。

 さっきのアキと同じように。

 

『本当はお前自身が一番よく分かっているんじゃないのか? 自分が島田流に囚われているということを』

 

 まほさんの言った通りだ。私はずっと島田流に囚われていたんだ。

 何より救いようがないのは、島田流から自由になりたいと思っていた私が、その実自分で自分を縛っていたことだ。

 そのことに今の今まで気付いていなかったことだ。

 何て滑稽なことだろう。

 母はそんな私を呪縛から解き放とうとしてくれていたのに。勘違いして、反発して、自分から深みにはまってしまっていた。

 

 でも今更気付いたって遅い。

 

 今更私は島田風美香には戻れない。

 あの人の本心がどうあれ、私が島田の家から追い出された事実は変わらない。

 

 そしてミカにも戻れない。

 アキはきっと私のことを許しはしないだろう。私があの人を許さなかったように。

 ならミッコに頼るべきかと考えて、私はすぐさまその考えを打ち消した。アキを傷付けておいてミッコに縋るなんてそんな恥知らずな真似は出来る訳がない。

 

 島田風美香にもミカにもなれない。

 

 なら私は誰にならなれるんだ?

 

『何者にもなれず、何も為せずにそのまま朽ち果てる。それがお前に相応しい末路だ』

 

 ああ、その通りだ。

 私は何者にもなれやしない。

 私には何も為せやしない。

 私はどこへも行けやしないんだ。

 

 ……なら一体。

 

 私はどうすればいいのかな?

 

 もう何もかも分からない。

 

 誰か私に教えてよ。

 

 誰か私を助けてよ。

 

 お願いだよ。

 

 アキ。

 

 ミッコ。

 

 愛里寿。

 

 ……お母さん……。

 

 

          *

 

 

【ミッコ視点】

 

「ミッコはさ、大学を卒業したらどうするの?」

 

 昼食を食べ終わって食後のコーヒーを飲んでいると、アキは不意にそんなことを聞いてきた。

 休日の午後の練習前、私はいつもアキの部屋で一緒にお昼を食べることにしている。

 アキの部屋の方が大学に近いから、というのもある。

 アキの作る料理は美味しいから、というのもある。

 でも一番の理由は別にあった。

 

 ……それはともかく卒業したらどうするか、ね。と言っても悩むこともない。私の答えは決まっていた。

 

「私は、戦車道のプロになる。プロでいっぱい活躍して、日本代表になって、世界一の操縦手になってやるんだ」

「そっか。うん、ミッコならなれるよきっと」

「……って言っても、私の実力で指名してくれるチームがあるかは分かんないけどさ~」

「何言ってんの、大学選抜のエース様が。この前なんて月刊戦車道でもおっきく取り上げられてたよ」

「うわ、あれ読んだの? 恥ずかしいな~」

 

 日本中の人に見られてることを考えれば今更な話だ。それでも友達に見られてると思うと何だか気恥ずかしかった。

 アキはそんな私を見ておかしそうに笑った。

 

「けど意外。ミッコはてっきりプロになる気ないと思ってた。だって今まで一度もそんなこと言わなかったよね」

 

 たしかに前までの私だったらこんなにはっきりとは言えなかっただろう。戦車に乗るのは好きだけど、それだけでなれる程プロは甘くないことくらい私にだって分かってたから。

 単純に実力の問題もあるし、きっと今までみたいにただ楽しく乗るなんてできなくなる。それは嫌だったから。

 でも今の私はそれらを全部理解した上で、プロになりたいとそう思っている。

 だって今の私にはプロになりたいってそう思えるだけの理由があるから。

 

「私がプロで活躍して有名になったらさ、ミカの奴も私に会いに来てくれるかもしれないじゃん」

 

 そう。

 私がプロになりたいと思うようになった理由。

 そしてこうしてアキと一緒にいる理由。

 それはどっちもミカが絡んでいた。

 

「……うん、そうだね。そうだと、いいね……」

 

 ミカの名前を出した途端、アキの顔がみるみる曇った。

 それを見て、しまったと思ったけどもう遅い。さっきまでの明るい声が嘘みたいに沈んだ声で呟いて顔を伏せるアキを見て罪悪感が湧く。

 

「……ごめん」

 

 謝る私に対してアキは何も言わずにただふるふると首を振るだけだった。私もそれ以上は言葉が出なくて互いに一言も喋らないまま時間が過ぎていく。

 ふと時計を見るとそろそろ戦車道の練習の時間だった。

 

「ごめん、そろそろ行かなきゃ」

 

 私は気まずい沈黙に耐えられなくて、慌てて部屋を出ようとして――。

 

「ねえ、ミッコ」

 

 アキに服の裾を掴まれた。

 

「ミッコはどこにも行かないよね? 私を一人にしないよね?」

 

 アキはまるで小さい子供が母親に置いていかれそうになるのを怖がるみたいな心細い姿をしていた。

 

「当たり前だろ」

 

 私は振り向いてアキを抱き締めた。

 

「大丈夫。私はいなくなったりなんてしないから。だから安心しろって」

「うん……」

 

 落ち着かせるように言って頭を撫でてもアキは中々放してくれなかった。私はそれを振りほどくことができなくて、結局遅刻するギリギリまでアキを慰め続けた。

 

 

          *

 

 

「どこ行っちゃったのさ、ミカ……」

 

 アキの部屋を出て大学に向かう途中、私は不意に空を仰いで呟いた。

 

 ミカが行方不明になってもう4年が経つ。

 

 最初ミカがいなくなったって話を聞いても私はまたか、としか思わなかった。

 ミカがふらりといなくなることなんて高校時代からよくあることだったし、しばらくしたら何事もなかったみたいに戻ってくるだろうと思ってまともに取り合わなかった。

 けどあのトウコさんが血相変えて電話してきて、これは徒事じゃないってようやく私も焦り出した。

 心当たりがあるところは手当たり次第に探した。アキもトウコさんも皆で探し回った。警察に捜索願も出したらしい。

 

 けど未だにミカは見つかっていない。

 

 ミカがいなくなってからアキは変わった。

 前は人見知りが多い継続(うち)の生徒にしては珍しく社交的で誰とでも友達になれるような明るい娘だったのに、今では人との係わりを極端に怖がるようになった。大学の講義には最低限出てたけど、戦車道もやめて、部屋に引き籠ることが多くなった。

 私はそんなアキのことが見ていられなくて、出来る限り一緒にいるようになった。アキも私とだけは今まで通りに接してくれたから。

 

 アキとミカの間に何があったかは私にも分からない。私も敢えて聞こうとはしなかった。あんなに辛そうな顔をしたアキを問い質すことなんて私には出来なかったから。

 けど前に一度だけ、酔ったアキが話してくれたことがあった。

 ミカがいなくなったのは自分のせいだって。自分がミカに酷いことを言ったのが原因だって。

 正直それを聞いた時はどうしてアキがそこまで責任を感じるのか分からなかった。

 アキがミカにきついこと言うのなんて別に珍しくなかったし、ミカもミカでひねくれたことばっかり言ってたからお互い様だと思ってたから。

 実際高校時代も何度か喧嘩になってたけど、特に長引くこともなくすぐに仲直りしていた。

 だからアキが気にすることじゃないって慰めたけど、アキは首を振った。そうじゃないんだって。たしかにミカに酷いことを言ったことは何度もあるけど、その時はいつもとは違ったんだって。

 その場にいなかった私には何が違うのか分からなかったし、アキもその後すぐに眠っちゃったから詳しいことは聞けなかった。

 

 私には難しいことなんて分からない。

 ミカとアキの間に何があったのかとか。ミカがいなくなったのが誰のせいなのかとか。いくら考えても分からない。

 

 でもこれだけは言える。

 これまでも、そしてこれからも、アキは変わらず私の友達だ。

 アキが本当にミカに酷いことを言っちゃったんだとしても。ミカがいなくなったのが本当にアキのせいだとしても。私はアキのことを責める気にはなれないし、アキを見捨てることなんてできない。

 

 たしかにミカだってアキと同じくらい大切な友達だ。

 でも、いや、だからこそ。

 ミカがいなくなって、この上アキまでいなくなるんて耐えられないから。

 

 私には難しいことなんて分からない。

 どうすればミカが帰って来てくれるのかとか。どうすればアキが元気になってくれるのかとか。いくら考えても分からない。

 私に出来るのは戦車に乗ることだけだ。

 前にミカは言ってくれた、私の操縦が好きだって。私が動かす戦車ならどこまでも行ける気がするって。

 

 だから。

 

 私は今日もその言葉を胸に目の前の道を走り続ける。

 そうしていればいつかまたきっとミカに会える。

 また3人で笑い合える日が来る。

 私はそう信じてこれからも走り続けるしかないんだ。

 

 

          *

 

 

【アキ視点】

 

 ミッコが出て行って静まり返った部屋の中。

 私は何をするでもなくベッドに寝転がって天井を眺め続ける。

 思い出すのはミッコがさっき言っていた台詞。

 

『私がプロで活躍して有名になったらさ、ミカの奴も私に会いに来てくれるかもしれないじゃん』

 

「ある訳ないよ、そんなこと……」

 

 そうだ。ある訳ない。

 4年。4年だ。それだけ待ってもミカは帰ってこなかったんだから。

 私だってミカがいなくなってすぐの頃は心のどこかで期待していた。ミカのことだからある日突然何事もなかったようにひょっこり帰ってくるんじゃないかって。

 ……本当は分かっていたのに。そんなことはありえないんだって。ミカはもう二度と帰ってくることはないんだって。

 それでも私はずっと待って、待って、待ち続けて。

 いつしか期待するのをやめてしまった。

 

「……ああ、でもどうかな。私ならともかくミッコになら会いに来てくれるのかな?」

 

 ミカと最後に会った日のことを思い出す。

 あの時の私は練習と隊長としての業務で疲れ切っていて。

 そこに戦車道は高校でやめるつもりだって言ったら、ミカにやめたければやめればいいなんて言われて。

 私はカッとなって、つい酷いことを言ってしまった。

 だって本当は引き留めてほしかったから。やめないでって言ってほしかったから。

 ミカのために戦車道を続けていたのに、そのミカ自身に私の気持ちを否定された、裏切られたと思ったから。

 

 あれはミカの優しさだったんじゃないかって、今ならそう思える。

 でもあの時の私はそんな風に考えられなかった。

 ミカがひねくれたことを言うのなんていつものことなのに、あの時の私は余裕がなくて、怒鳴り散らして、ミカの手を振り払って、ミカのことを拒絶してしまった。

 

「何であんなこと言っちゃったんだろう……」

 

『ごめんね、アキ』

 

 ミカが部屋を出ていく間際の言葉が今でも忘れられない。

 

『さよなら』

 

 あれがミカとの最後の会話になってしまったから。

 

 そしてあの日を境にミカは姿を消した。

 

 あの時私があんなことを言わなければ。

 

 あの時私がすぐに後を追い掛けていれば。

 

 ミカはいなくなったりしなかったのに……。

 

「……っ!」

 

 そこまで考えて、私は腕で顔を覆った。

 ダメだ、これ以上考えちゃいけない。これ以上考えたらまた泣いちゃう。またミッコに心配掛けちゃう。

 こんな私とまだ一緒にいてくれるミッコに迷惑を掛けたくない。

 ミッコにまで見捨てられたら、私は、私は……っ!

 

 私は気分を切り替えるように頭を振ってベッドから起き上がった。

 ふと視界にミカが卒業する時にくれたチューリップハットと、あの日ミカが置いていったカンテレが目に入った。

 私はのそのそと起き上がるとそれらを手に取った。

 ミカに貰ったチューリップハットを被って、ミカが置いていったカンテレを弾く。

 でもその音色はというとミカとは全くの別物だった。

 ただ一つ一つの音がバラバラに響くだけ。ミカが奏でる綺麗な旋律とは雲泥の差だった。

 

「あはは、全然上手く弾けないや」

 

 ミカみたいにはいかないな。こんなことなら弾き方を教わっておけば良かったかな。

 

「ミカ……」

 

 あ、ダメだ。

 

 ミカのことが頭に浮かんだかと思うと途端に視界が滲んだ。

 これ以上考えちゃいけないって。そう思えば思う程、私の頭の中には次々とミカのことが思い浮かぶ。

 

 ミカが奏でるカンテレの音が。

 

 ミカと一緒に戦車に乗った日々が。

 

 ミカの笑顔が。

 

 ミカとの思い出が全部、全部……っ!

 

「ミカ……ミカ……っ!」

 

 とうとう堪えきれなくなって、私の目から涙が零れ落ちる。一度流れ出すともう止められない、次々と涙が溢れ出す。

 涙と一緒に今まで抑え込んできた悲しみも一緒に溢れ出して、止めることができなくて。

 私はカンテレを抱き締めて声を上げて泣いた。

 

 ミカ……。

 

 会いたいよ、ミカ。

 

 ごめんなさい。

 

 酷いこと言ってごめんなさい。

 

 謝るから。

 

 ミカが許してくれるなら何でもするから。

 

 だからさ。

 

 帰って来てよ。

 

 ……お願いだよ、ミカ。

 




ミカさんの名前について。
「皆からはミカって呼ばれてる」という台詞から、ミカは名前そのままよりも名前の一部という方が個人的にはしっくりきたので“フミカ”に。
漢字については“ミ”は“美”、“カ”は“香”とすぐに決まりましたが、“フ”はどうしよう? “富”? “芙”もいいか? と悩んでネットで“フ”の漢字を検索したところ、“風”の文字が目に入って「これっきゃねえ!!」と即決しました。

そしたら思いっきり被ってたというね。

他の人と被ってないかと検索したらまあものの見事に……。
しかしそうか、“カ”は“佳”という手もあるんだな、勉強になりました。
とはいえもう他の漢字が思い浮かばないので、このまま押し通させていただきます。

次回はミカさんのifルートをもういっちょ。
そういえばあの人も継続だったな、と気付いたら色々と思い浮かんできたもので。


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ifルート:名無しの少女はミカになる

ルミさん筆頭に継続オールスターでお送りします。

アスコ「訴訟も辞さない」

……ごめん、アスコ。決して君の存在を忘れていた訳じゃないんだ。
けど出すタイミングがなかったんだ、許しておくれ。

しかし思ったんですが、島田ミカ説を採用するとルミさん周りの人間関係がちょいと複雑なことになりますな。
後輩の妹が隊長とか割と気まずいよね。

例によってキャラ崩壊注意。
あとヤンデレ要素ありなので苦手な方は注意。
……どうしてこうなった?
自分で書いておいて何ですが、本当にどうしてこうなった?
前回といいミカさんが原型留めていないので、ご注意ください。


【ルミ視点】

 

「トウコ、ミカの奴は今日も来てないのか?」

「いや~、私は見てないですね。リリは?」

「私も見てないです」

「また今日もサボりかー? もう3日だぞ。何かあったんじゃないだろうな」

「無理もないですよ。レギュラーに選ばれて初めての試合で何もできずに撃破されたんですから。それも撃破された相手が同学年となれば尚更ショックですよ」

 

 リリに言われて先日の試合のことを思い出す。あの試合、確かにミカは一騎打ちの末に何もできずに撃破された。けどあれは相手が悪かった。

 

 西住まほ、あれは怪物だ。正直私も一対一じゃ勝てる気がしない。それどころかあいつに勝てる奴なんて今の日本にどれだけいるかってレベルだ。それくらい今の西住まほは異常なんだ。

 元々西住流の後継者として昔から高い評価は受けていたみたいだし、国際強化選手に選ばれるくらいだから実力はあったんだろう。

 けど最近の彼女の強さは尋常じゃない。正直愛里寿隊長ですら万が一がありえる、そう思ってしまう程には。

 

 一体いつからあそこまで化けたのか。

 

 大学に入ってから?

 

 ドイツに留学してから?

 

 あるいは。

 

 妹の西住みほが死んでからか。

 

「ミカがそんなタマかね~? 勝とうが負けようがいっつも飄々としてるイメージなんだけど。むしろ負けても『勝ち負けに拘ることに意味があるとは思えない。ポロロ~ン♪』とか言ってそうだけどね~。……あ~、でも最近はそうでもないか?」

 

 トウコの言葉に意識を現実に引き戻される。今は西住まほのことよりもミカのことだ。

 そう、以前のミカなら私もここまで心配はしない。講義をサボろうが、練習に来なかろうが、その内来るだろうと放置するだろう。

 けど今のミカに対してはそんな楽観的な考えては抱けなかった。大学に入ってきたミカは以前とは別人だったから。

 真面目に戦車道に取り組んでくれるのはいいけど、どうにも何かに急き立てられている印象があって心配はしていた。

 トウコの言う通り高校時代のミカは勝ち負けに拘る様な性格じゃなかった。それが今では逆にとことん勝敗に、勝つことに拘るようになってしまった。

 

 ただ純粋に戦車に乗るのを楽しんでいたあいつはどこに行ったんだ?

 そういえば大学で再会してからあいつがカンテレを弾いているところを見たことがない。

 私があげたチューリップハットは後輩の子にあげたということだから、カンテレもそうなのかと思ったけどそうではないらしい。

 

 そんな状態のミカが3日も音沙汰がない。心配するなという方が無理な話だ。

 とりあえず電話してみるか、と私は携帯を取り出す。

 コール音が鳴る。1回、2回、3回……。

 出ない。

 まあ駄目で元々くらいの気持ちだったし仕方ない。然して期待していなかった私はそのまま通話を切ろうとして――

 

『……ルミ……?』

 

 そこで応答があった。

 

 突然のことに慌てながらも私はミカに声を掛けた。

 

「もしもし、ミカ? もう練習始まるぞ。一体今どこ――」

『ルミ』

 

 私の言葉を遮ってミカは尚も私の名前を呼んだ。

 その声音はミカが出したとは思えないくらい弱弱しかった。

 

『助けて……』

 

 その一言に全身が総毛立った。

 

「おいミカ!? 大丈夫か、何があった!? 今どこ!?」

『……自分の、部屋……』

 

 それだけ答えるとミカは押し黙ってしまった。代わりにすすり泣く声が聞こえてきた。

 ミカの身に何があったのかは分からない。それでもあのミカが泣いているところなんて私は見たことも聞いたこともなかった。それだけで焦りを覚えるのには充分だった。

 

「分かった、自分の部屋だな!? 今すぐ行くから待ってろ!!」

 

 私は通話を切るとすぐに駆け出そうとして――

 

「どうかしたんですか、ルミ先輩?」

 

 トウコの真剣な表情に阻まれて、動きを止めた。

 

 いつものおちゃらけた雰囲気は欠片もない。トウコとは高校時代からそれなりに長い付き合いだけど、こんな顔を見たのは数えるくらいしかない。

 トウコも私の様子から徒事じゃないと察したんだろう。

 

「分からん。ともかく私はミカの家に向かうから、お前らはいつも通り練習に出てろ」

「え!? で、でも隊長たちにも知らせた方が……」

 

 リリの言うことももっともだと思う。けどまだ何かあったと決まった訳じゃないし、あまり大事にはしたくなかった。

 

「何かあったらすぐ連絡するから、まだ他の奴らには何も言うなよ? 頼むよ!」

「あ、先輩!」

 

 リリの制止の声を無視して私は走り出した。

 

 一瞬車で行くことも考えたけど、距離を考えたらかえって走った方が早いと判断して私はミカの家までの道を一気に駆け抜けた。

 そしてミカの部屋の前まで辿り着くと、私は荒い息を整えるのも惜しんでインターホンを鳴らす。

 

 反応はない。

 

「ミカ! おい、ミカ! 大丈夫か!?」

 

 近所迷惑も顧みずに私はドアをドンドンと叩いた。

 

 返事はない。

 

 それに焦れて乱暴にドアノブを回すと何の抵抗もなくドアは開いた。鍵は掛かっていなかった。

 私は勢いよくドアを開けてそのまま部屋に踏み込んだ。

 部屋の中はカーテンを閉め切って電気も点けていないため、昼にもかかわらず真っ暗だった。

 

 そんな暗闇の中にミカはいた。

 

 ミカはまるで世界のすべてを拒絶するようにベッドの横で膝を抱えて座り込んでいた。

 

「ミカ! おい、ミカ!!」

 

 肩を掴んで揺さぶるとミカはようやく私の存在に気付いたように顔を上げた。

 

「ルミ……」

 

 ミカの顔は酷い有様だった。

 部屋が暗いのも相まって、見知った顔でなければ幽霊か何かと勘違いしそうな程生気のない顔をしていた。

 その目が私を捉えたかと思うと、いきなりミカは私に抱き着いてきた。

 

「ルミ……ルミ……っ!」

 

 私は突然のことに反応できずに勢いのままにミカ共々後ろに倒れ込んでしまった。

 

「いって~……。おい、ミカ! いきなり何す――」

 

 口から出た文句はすぐに引っ込んだ。

 だってミカが泣いているのを見てしまったから。

 電話で泣いているのを聞いてはいたが、実際に目の当たりにすると重みが違った。

 あのミカがまるで子供みたいに何かに怯えるように震えている。

 それを見て私は文句を言う代わりに、小さい子供をあやすみたいにミカを優しく抱きしめて頭を撫でてやった。

 

「よしよし、もう大丈夫だからな。私はここにいるぞ。だから安心しろ」

 

 結局私はミカが落ち着くまでずっとそのままの姿勢で頭を撫で続けた。

 

 

          *

 

 

「うん、とりあえずこっちは大丈夫だから。隊長には……まあ、適当に誤魔化しといて。うん、うん、じゃあよろしく」

 

 トウコにミカの無事を伝えると私は電話を切って、自分の胸元に目線を落とす。

 ミカは未だに私の胸の中でぐずっている。

 見たところ怪我はないし、体調が悪い訳でもなさそうだ。体の方は無事だろう。

 けど心の方はとても無事とは思えなかった。

 

「なあ、ミカ。何があったんだ?」

 

 こんな状態のミカを問い質すのは躊躇われたけど、このままじゃ埒が明かないのも事実だ。だから私は思い切って口を開いた。

 

「練習にも来ないし、何の連絡も寄越さないし、心配したんだぞ。トウコも、リリも、他の皆だってそうだ。言いにくい事だったら深くは聞かないけど、せめて――」

「ねえ、ルミ……」

 

 ミカは私の問いには答えなかった。

 

「私は、誰……?」

 

 代わりに口から漏れたのはそんな意味不明な言葉だった。

 子供みたいに泣き出して抱き着いてきて、ようやく泣き止んだかと思ったら前置きもなくそんなことを言われたら普通は戸惑うだろう。

 

 けど私にはミカがそんなことを言う理由に心当たりがあった。

 

「……島田風美香、とは答えてほしくないんだろうな」

 

 私の答えが予想外だったのか、ミカは目を見開いて呆然としていた。

 

「何で……」

「あのな、仮にも私隊長だったんだぞ? 隊員の本名くらい把握してるに決まってるだろ」

 

 サンダースみたいに500人も履修者がいたら知らない奴がいても仕方ないけど、普通は隊長なら隊員の顔と名前くらい覚えているに決まっている。

 ましてやミカの場合は忘れようとしたって忘れられるはずがない。

 何せあの“島田”だ。島田なんて別に珍しい苗字でもないしただの偶然だろう……なんて流石に考えられなかった。日本で戦車道をやっていて島田流の名前を知らない奴なんていない。

 それにあの島田流の娘が学園艦に来たって噂は私も中学の時に耳にしたことがあったから。

 もっともミカは高校では名無しで通していたし、きっと触れられたくないんだろうということで私を含めて少なくとも戦車道のメンバーは誰もそのことには触れなかったけど。

 

「お前が誰かって? お前はミカだよ。ていうか忘れたのか? そもそも“ミカ”って名前、私が付けてやったんだぞ?」

 

 ミカの過去に触れる気はなかったから本名で呼ぶという選択肢はなかった。かと言っていつまでも名無しじゃ不便だということで当時の私は何か渾名を付けようと思い立った。

 継続(うち)の隊員はフィンランド人の名前を渾名にしている奴が多かった。ちょうど“ミカ”という名前があるから、“フミカ”から一文字除いて“ミカ”と呼ぶことにしたんだ。

 

 ミカは私の言葉が予想外だったのかしばらく呆けていたけど、次第に理解が追い付いたのかポツリと呟いた。

 

「私は、“ミカ”でいいの?」

「いいに決まってるだろ? 私が保証してやる」

 

 私が力強く断言してやると、ミカはそこでようやく安心したように微笑んだ。

 やっと笑ってくれた。それが嬉しくて私も自然と笑みが零れる。

 

 けど同時に、罪悪感が芽生えた。

 

 誰に対する罪悪感かと言えば。愛里寿隊長だ。

 だってそうだろう。ミカが島田風美香であることを否定するのは、愛里寿隊長の姉の存在を否定することで、隊長を裏切ることになるんだから。

 

 私は初めて愛里寿隊長に出会った時のことを思い返す。

 大学選抜で初めて隊長と会った時は何とも複雑な心境になったもんだ。

 ただでさえ飛び級で大学に入った年下の天才少女、島田流家元の娘なんて肩書きがあるってのに、それに加えてミカの妹とかもう数え役満だ。正直どう接していいか分からなかった。

 

 そしてそれは何も私だけの話じゃなかった。

 自分で言うのも馬鹿馬鹿しいが、大学選抜ってのは言ってみればエリートの集まりだ。高校時代にエースとして活躍した連中が大学に入って、その中でも更に選りすぐりの人間が集まるところだ。

 そしてエリートなんてのは総じてプライドが高いものだ。そんな連中が13歳の子供に完膚なきまでに叩きのめされれば、プライドもズタボロだ。いい感情を抱けるわけがない。

 隊長も隊長で周りに対して壁を作っている印象があったから、余計に溝は深まっていくばかりだった。

 まあ、島田流の後継者として周りに弱みは見せられないって気を張っていたんだろうし、私たちとは歳が離れているから中々話題も合わないっていうのもあったんだろうとは思う。

 

『ルミ』

 

 そんなある日のことだ。大学選抜での練習が終わって、愛里寿隊長を宿舎まで車で送り届けていた時に隊長から話し掛けられたのは。

 私は大学選抜では中隊長を務めていたから他の隊員に比べれば隊長と話す機会が多かったけど、それだって訓練メニューについてだとか試合の作戦についてだとか、必要最小限の事務的な会話ばかりだった。

 

『ルミはたしか継続高校出身だったな?』

 

 だから愛里寿隊長からそんな世間話みたいな話題を振られた時は面食らってしまった。

 

『……はい、そうですけど』

『そうか……』

『え~と、それがどうかしました?』

『…………いや、何でもない』

 

 戸惑いながらも答える私に対して、隊長は誤魔化すように言葉を切った。

 何で私の出身校のことなんて聞くのか。最初は分からなかったけどすぐにピンときた。

 きっとミカのことを聞きたかったんだろうって。

 

『あ~、そういえば』

 

 だから私はわざとらしく思い出したふりをして、それでもなるべくさりげなさを装いながらミカのことを口にした。

 私としても中隊長としていつまでも隊長と壁を作ったままじゃまずいという思いがあったし、何でもいいから話題が欲しかったというのもある。

 

『高校時代の後輩で一人変わった奴がいて印象に残ってるんですよ。私が3年の時に入学してきた奴で、“フミカ”っていうんですけど』

 

 反応は劇的だった。運転中だったから顔は見れなかったけど、明らかにこっちを凝視しているのが肌で感じられた。

 私はそれに気付かないふりをして続けた。

 

『私は“ミカ”って渾名で呼んでたんですけどね。妙に達観してるっていうか何て言うか、いっつもひねくれたことばっかり言ってましたね。けど一度戦車に乗れば別人みたいで、うちの誰よりも戦車に乗るのが上手くて。それに何より、本当に楽しそうに戦車に乗ってましたよ』

 

 あくまでミカが隊長の姉とは気付いていないという体で話さなきゃいけなかったから話せることにも限界があった。

 果たしてこれで愛里寿隊長は満足してくれるかと内心不安だった。

 

『そっか……』

 

 けど私の耳に届いた愛里寿隊長の呟きでそんなものは吹き飛んでしまった。

 短い言葉だったけどその声には明らかに感情が籠っていた。隊長は私たちの前ではいつも感情を押し隠した無機質な声で喋るから、本当にこれは隊長の声かと自分の耳を疑ったくらいだ。

 それを確かめるためという訳でもないけど、私はちらりと横目で愛里寿隊長の様子を窺って。

 

 今度は自分の目を疑うことになった。

 

 あの愛里寿隊長が笑っていた。

 いつも私たちの前では無表情だったあの隊長が何かを懐かしむような、嬉しがるような、そんな表情をしていた。

 その表情は大学選抜の隊長としてのそれじゃなく、年相応の一人の女の子のものだった。

 

 何だ、そんな顔もできるんじゃん。

 

 そう思ったら愛里寿隊長に感じていた壁があっという間に消え去ってしまった。

 

 その日から私は何かと愛里寿隊長と話すようになった。お昼を一緒に食べたり、世間話をしたり、戦車以外の色々な話題で会話に花を咲かせた。

 それをきっかけに同じ中隊長のアズミとメグミも隊長との距離を縮めて行って。

 他の連中はそれを遠巻きに眺めている奴がほとんどだったけど、私たちと仲良く喋る愛里寿隊長を見て、時折年相応の表情を見せる隊長を見て、一人また一人と認識を改めていって。

 

 いつの間にか愛里寿隊長を悪く思う奴はいなくなっていた。

 

 そんな愛里寿隊長のことを思い出すと、心苦しくはあった。あの時の隊長の顔を見れば、隊長がどれだけミカのことを慕っているかは嫌でも分かる。

 それでも今の私にとってはミカの方が大事だった。

 目の前で苦しんでいるミカを見捨ててまで愛里寿隊長を優先するなんて、できる訳がなかった。

 

「で? 泣いてた理由はそれ?」

 

 誰に何を言われたのかは知らないけど、ミカらしくもない。

 少なくとも高校時代のミカなら他人に何か言われたくらいでここまで追い詰められるようなことなんてなかっただろうに。

 しかしミカは私の言葉にふるふると首を振った。

 

「違う。それもある。あるけど……」

 

 そこまで言って辛いことを思い出したのか、ミカはまた泣き出してしまった。

 私は慌ててミカを抱き締めると、落ち着かせるように背中を擦った。

 

「焦らなくていい。ゆっくりでいいから、話せることだけ話しな。私は逃げやしないからさ」

 

 しばらくそうしているとミカも段々落ち着いてきたのか、ポツリポツリと語り始めた。

 

 先日の試合で西住まほに負けた後に二人で話したこと。

 

 その時に自分は島田風美香で、それ以外の何者にもなれやしないと言われて自分が何者なのか分からなくってしまったこと。

 

 自分が何者なのか知りたくて継続高校の学園艦まで出向いて、ミカの後輩で隊長を引き継いだアキという娘に会いに行ったこと。

 

 隊長の重圧に押し潰されそうになっていたその娘に戦車道をやめたければやめればいいと言ったこと。

 

 それがきっかけでその娘を怒らせてしまったこと。

 

 どうすればいいのか分からなくて逃げ出して、ずっと部屋に引き籠っていたこと。

 

「私は、どうすればいいのかな……?」

 

 ミカは最後にそう締めくくった。

 

 西住まほに対しては言ってやりたいことが山程あるけどそれは一旦置いておこう。今考えるべきはミカと後輩の娘のことだ。

 とは言え私から言えるのは一つしかない。

 

「謝ればいいだろ」

 

 実際それしかない。相手に悪いことをしたと思っているなら、仲直りしたいと思っているなら、誠心誠意謝罪するしかない。少なくとも私はそう思う。

 

「無理だよ、許してくれる訳がない。だって私は許せなかった。きっと、アキだって……」

 

 ミカが誰のことを許せなかったのかは敢えて聞くまい。大体予想が付くし、今は関係ない話だ。

 

「大丈夫だ。お前が隊長を任せてもいいって思った娘なんだろ? きっと話せば分かってくれるさ」

 

 生憎とその後輩の娘とは入れ違いで卒業してしまったので面識はない。

 でも前にミカの高校時代の試合を観戦した時にミカの車輌のメンバーは目にしたことがある。

 あのミカが心から気を許しているのが一目見て分かった。ミカが隊長になったと聞いた時は正直不安だったけど、あの二人が一緒にいれば大丈夫だってそう思えた。

 私ですら分かるくらい深い絆がそんな簡単に断ち切れる訳がない。だから絶対に大丈夫だ。そんな気持ちを込めて説得したらミカは最終的には頷いてくれた。

 

「よし、んじゃとりあえずは飯でも食いに行くか! あ~、その前に風呂か? それとも一眠りするか? 美味いもの食べて、身綺麗にして、ぐっすり眠れば気持ちも切り替えられるだろ」

「ねえ、ルミ」

 

 立ち上がった私を見上げてミカは恐る恐るといったように聞いてきた。

 

「ルミはどうして私にそこまでしてくれるんだい?」

 

 どうして、か。言われて改めて考える。

 同じ高校の後輩だから?

 副隊長として隊員のケアも仕事の内だから?

 どちらもあるのは事実だけどそれだけじゃない。

 まあ一言で言えば。

 

「私もお前も同じ継続だから、かな」

 

 何を言っているのか分からない、というミカの表情に苦笑する。まあ当然だ。今のは流石に言葉が足りなかった。

 継続高校の生徒は一般的に物静かだとか、人見知りだとか、忍耐強いだとか言われている。とはいえそれはあくまで一般論であって、勿論それに当てはまらない奴も多い。トウコなんかは正にその典型だろう。

 

 けど、ただ一つ。

 そのトウコを含めて継続(うち)の連中全員に当てはまるものがある。

 

「知らなかったのか? 継続(うち)の人間は皆義理人情に厚いんだよ。お前も含めて、さ」

 

 

          *

 

 

「ただいま~」

 

 戦車道の練習終わりでクタクタになりながら私は自宅の玄関のドアを開けた。

 私は大学を卒業した後戦車道のプロになった。

 プロ入り当初は中々試合にも出られなくてもどかしい思いを抱えていたけど、最近ではようやくレギュラーに定着してきた。とはいえまだまだ油断はできないし、もっと上を目指したいという気持ちもある。

 いずれは日本代表になって世界で活躍してやると意気込んで毎日練習に励んでいる。

 

「おかえり、ルミ」

 

 そんな私を出迎えてくれたのはエプロンを身に纏ったミカだった。

 そう、ミカだ。

 あのミカだ。

 高校時代のミカを知る人間が見たら卒倒しかねない光景だろうけど、私にとっては既に見慣れたものだった。

 

「お~、いい匂い。今日の晩御飯は何?」

「今日はカレリアパイを作ってみたよ」

「おっ、いいね~、懐かしい。継続にいた頃はよく食べたけど、そういや最近食べてないな」

 

 ミカの顔には大学に入ってばかりの頃の張り詰めた雰囲気はもうない。あの日みたいな弱弱しい姿を見せることもない。

 あの日。私の前でミカが大泣きした日だ。

 あの後ミカは後輩のアキって娘に謝りに行った。

 私は現場に立ち会うことはなかったけど、後輩の娘に謝って許してもらえたらしい。

 いや、許してもらったというのは正確じゃない。相手の娘もミカに酷いことを言ったことを気にしていたらしく、お互い様ということですぐに仲直りできたらしい。

 それだけじゃなく島田流家元との関係も今ではすっかり修復できて、愛里寿隊長ともしょっちゅう連絡を取り合っていると本人の口から聞いた。

 

『姉様から聞いたよ。お母様と姉様が仲直りできたのは全部ルミのおかげだって。本当に、ありがとう』

 

 顔を赤らめながらお礼を言う愛里寿隊長の姿は、可愛らし過ぎて思わず昇天しそうになった。背中に突き刺さるアズミとメグミの嫉妬交じりの視線が心地よかった。

 ……流石にその後、島田流家元にまで頭を下げられた時には別の意味で昇天しそうになったけど。

 

 そんなこんなでミカの周りの人間関係のトラブルは全部無事解決、めでたしめでたしという訳だ。

 ただ一つだけ問題があるとしたら、私と違ってミカは大学卒業を期に戦車道をやめてしまったことだ。

 ミカの実力だったらきっとプロにだってなれただろうに。というか実際スカウトも来ていたみたいだけど、ミカは断ったらしい。

 

『母さんや愛里寿に迷惑は掛けられないからね』

 

 その一言で私はすべてを察した。

 一学生に過ぎない私ですらミカの本名を知っていたくらいだ。ちょっと調べればミカが島田流の人間だってことくらいすぐに分かる。

 そして島田流の家元の娘が何で本名を隠して、島田の家を離れて戦車道をやっているのかという疑問に行き着くだろう。

 西住みほの一件以来落ち目の西住流に代わって日本戦車道を牽引する島田流にとって、そんなスキャンダルは御免被るだろう。ミカはそれを理解していたんだ。

 

 ただ、戦車をやめたのはいいがそうなるとどこにも行く当てがないという問題が発生した。

 今更島田の家に住むというのも気が引けるし、自分に真っ当に働くなんてできそうもない、などと宣うミカに呆れながらも、「だったら家政婦代わりに雇ってやろうか?」なんて冗談交じりで言ってみた。

 そうしたらまさかの二つ返事でOKしてきて、その結果今では二人で同じ部屋に暮らしている、という訳だ。

 

 最初はミカに家事をやらせるのは不安だった。事実何度か失敗することはあったけど、致命的なミスは一回もなかったし、今では手慣れてきて本当の家政婦みたいに完璧に仕事をこなしてくれている。

 何よりミカは毎日幸せそうだった。

 私としてもミカと一緒にいる時間は嫌いじゃない。

 料理、掃除、洗濯と家事は全部やってくれるから助かっているのも事実だ。

 だから不満なんてあるはずがない。

 

 けどただ一つだけ、気になっていることがある。

 

「なあ、ミカ」

「ん? 何だい、ルミ?」

「…………いや、何でもない」

 

 誤魔化すようにコーヒーを飲む私に対して、ミカは特に追求せずに洗い物に戻った。その背中を眺めながら考える。

 私が唯一気になっていること。それは私の存在がミカのことを縛ってしまっているんじゃないかということだ。

 ミカは元々何かに縛られるのを嫌っていた。今も本当は自由に羽ばたくことを望んでいるんじゃないのか、私がそれを妨げているんじゃないか。そんな疑問はずっとあった。

 

 けど未だに言えずにいる。今だってそうだ。

 何故かと言えば……怖いからだ。

 それを口に出してしまったら、何かが決定的に壊れてしまうんじゃないかって。そう思うと言い出せなかった。

 ……ああ分かっている、こんなのは問題の先送りに過ぎないってことくらい。そして後回しにすればするほど事態は悪化する一方だってことも理解している。

 

 それでも。

 

 私は今の幸せを壊したくない。

 

 ミカと一緒いられるこの時間を失いたくないと、そう思っている。

 

『ルミはどうして私にそこまでしてくれるんだい?』

 

 あの日の問い掛けが脳裏に浮かぶ。

 

 どうして、か。私は改めて考える。

 同じ高校の後輩だから?

 副隊長として隊員のケアも仕事の内だから?

 継続(うち)の人間は皆義理人情に厚いから?

 どれも正解だけど、どれも外れだ。

 

 ……ああ、今頃になって分かったよ。

 何てことはない、私はミカのことが好きなんだ。

 あの日愛里寿隊長よりもミカを優先した時点で気付くべきだった。

 

 そうだ。あの日私の胸の中で泣きじゃくるミカを見て私は思ったんだ。

 こいつを守ってやりたい、私が守ってあげなきゃ駄目なんだって。

 そして気付けばその思いは更に大きくなっていた。

 一生傍にいたい。一生離れたくない。一生放したくない。

 一生傍にいてほしい。一生離れないでほしい。一生放さないでほしい。

 そんな風に考えている自分がいる。

 

 だから私はこれからもミカを手元に置き続ける。

 

 たとえそれが砂上の楼閣に過ぎないと理解していても。

 

 

          *

 

 

【ミカ視点】

 

 ルミの存在を背後に感じながら私は洗い物を続ける。

 ああ、今日もルミの役に立てた。

 ルミが私が作ったご飯を美味しそうに食べてくれた。

 ルミが私に話し掛けてくれた。

 ルミが私に笑い掛けてくれた。

 ルミが傍にいてくれる。それだけで私はこんなにも幸せなんだ。

 何物にも縛られずに生きていきたい。そんな風に考えていた時期もあった。

 あの頃の私は何て愚かだったんだろう。

 自由? そんなものに何の価値があるんだ?

 私にはルミだけいればいい。

 私はルミだけ見ていればいい。

 ルミの言うことだけ聞いていればいい。

 ルミのことだけ考えていればいい。

 それが私の幸せでそれ以外は何もいらないんだ。

 ルミ。

 名前をくれてありがとう、ルミ。

 ルミのおかげで私は私でいられるんだ。

 助けてくれてありがとう、ルミ。

 ルミのおかげでアキは私を許してくれた。

 お母さんや愛里寿とも仲直りできた。

 全部ルミのおかげだよ。

 ルミは私に欲しいものをすべて与えてくれたんだ。

 ルミ。

 好きだよルミ。

 大好きだよルミ。

 愛しているよルミ。

 ルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミルミ――

 君に私のすべてを捧げる。

 一生傍にいる。一生離れない。一生放さない。

 一生傍にいて。一生離れないで。一生放さないで。

 もうルミがいない人生なんて考えられないんだ。ルミがいない人生に価値なんてないんだ。ルミがいない人生なんて耐えられないんだ。

 だからルミ。

 ずっとずっと一緒にいようね。

 もしルミがいなくなったりしたら。

 私。

 どうなっちゃうか分からないよ。




ミカさんのifルート第二弾。
別名「ミカヤンデレルート」
ミカさんはアキとちゃんと仲直りして、母親とも妹とも関係を修復して、大好きなルミ先輩と一緒にいられる。
うん、HAPPY ENDだな!

……ルミは犠牲になったのだ。
ミカのHAPPY END……その犠牲にな。
……となる予定だったけど、書いているうちにルミさんもミカのこと大好きになったので正真正銘のHAPPY ENDですね。
大丈夫です。ヤンデレってのは手綱さえちゃんと握ってればただの一途な可愛い女の子で済みますから。
ただし一つでも選択肢ミスればnice boat一直線ですが。

ちなみにルミさんはこの話の時点では大学のチームでは副隊長です。
大学選抜で中隊長を務めていたルミなら、隊長では? とも思います。
しかしミカと面識があって、アキとミッコとはないということはルミはミカより2学年上。
つまり原作時点でアキとミッコが高校2年、ミカが3年、そしてルミは大学2年。
この話は原作の1年後なのでルミは大学3年。なので年功序列ということで副隊長に。

というか2年で大学選抜の中隊長と考えるとルミさん相当優秀ですよね。
アズミとメグミは同学年なんでしょうか?
そうなると中隊長は全員2年ということになるんですが、3年と4年の連中は何やっているんでしょうか。
……いやまあ隊長が飛び級の13歳という時点で今更な話ではありますが。

あと三人とも2年の場合一番気になるのは全員20歳になっているのかということ。
ドラマCDで3人とも普通にお酒飲んでいたけど大丈夫か?
ちゃんと全員誕生日を迎えていたんだろうか?
お酒は20歳になってから……いや、よそう、俺の勝手な推測でみんなを混乱させたくない。

さて、次の話は澤ちゃんか西さんにしようかと思っています。
澤ちゃんの話は前からずっと書きたいと思っていたし、西さんは最終章で株爆上がり中なのでこちらも書きたくて堪らない。
どちらを先に投稿するかはもう少し考えます。


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西絹代の求道

西さんの誕生日記念、とはいきませんでしたが西さんのお話です。
知波単は何気に大洗の廃校の影響を一番受けている学校だったりします。
エキシビションも大学選抜戦もないので、突撃一辺倒の戦い方を見直す機会がなくなりましたし、アヒル殿と出会わなかったために福ちゃんも突撃馬鹿のままです。
その結果苦悩を背負うことになった西さんのその後のお話になります。

あと今後しばらくは鬱展開はありません。
楽しみにしてくれている方には申し訳ないのですが、これが作者が書きたいTRUE ENDなのです。
あしからずご了承ください。


【アンチョビ視点】

 

「絹代、今日も一日お疲れ様」

「はい、お疲れ様です!」

 

 運ばれてきた杯を合わせて二人で乾杯する。

 大学の戦車道の練習終わり、私は珍しく絹代と二人で飲みに来ていた。手に持つのは日本酒。絹代は日本酒が好きだから、今日は私もそれに合わせて同じように日本酒を頼んでいた。西住と飲む時はビールばかりだから、偶には別の物が飲みたいというのもある。

 

「アンチョビさん、本日はお誘いいただき誠にありがとうございます!」

「ああ、うん。……なあ絹代、頼むからそんなに畏まらないでくれ。礼儀正しいのは結構なことだし、戦車に乗っている時は隊長としての立場もあるから仕方ないとは思う。けど戦車に乗っていない時はもう少し砕けて接してくれると助かる」

「はい! では全力で砕けさせていただきます!」

「いや、だからな……まあいいか」

 

 言葉に反して全く気安く振る舞う様子がないことに私は思わず苦笑する。

 まあアンツィオの皆のように馴れ馴れしく接してくる絹代というのもそれはそれで反応に困るから、今のままでいいのかもしれない。

 

「さて、絹代。今日お前を誘った理由は他でもない、来年のことについて話をしたいと思ったからだ」

 

 私が雰囲気を変えると絹代は杯をテーブルに置き、姿勢を正して聞く体勢に入る。

 私はそれを確認して話を続ける。

 

「私は今年で引退する」

「はい! 今までご指導ありがとうございました!」

「いや、こちらこそありがとう。お前には3年間本当に世話になった。今まで装填手としてよく頑張ってくれたな。おかげで助かったよ」

「勿体ないお言葉です」

「いや、本当に感謝しているよ、お前にも、他の皆にもな。……杏が亡くなった直後の私の振る舞いを思えば愛想を尽かされてもおかしくないのに、今でもこうして以前と変わらず接してくれて嬉しいよ。あの娘の件ではお前にも迷惑を掛けた。本当にすまなかった」

 

 あの件については皆の前で頭を下げて許してはもらえたが、それですべてを忘れてなかったことにできる程私は恥知らずじゃない。

 何度も蒸し返すのもそれはそれでよくないだろうが、こうして一対一で顔を突き合わせたならせめて一度は改めて謝るべきだろう。

 

「いえ、アンチョビさんが気になさることではありません。すべてはあの者の自業自得でしょう」

 

 絹代の返答はにべもなかった。絹代が人のことを悪く言うのも珍しい、というより初めて見た。それだけあの娘に対する憤りが強いということだろう。

 そしてそれは絹代に限った話じゃない。ペパロニもカルパッチョも、あるいは他の隊員たちも全員がそうだったのかもしれない。

 

 あの娘が戦車道に興味がないのは私だって分かっていた。分かった上で私はあの娘の指導を引き受けたんだ。

 単純に自分を慕ってくれたのが嬉しかったというのもあるが、それだけじゃない。きっかけが何であろうと戦車道を好きになってくれる人が一人でも増えてほしいと思ったからだ。

 ペパロニだって最初は戦車道に興味なんてなかった。それが今では一人前の戦車乗りになって私の跡を継いでくれている。だからあの娘も誠意をもって接すればきっと、と期待していた。

 けど残念なことにその思いは伝わらなかったようだ。あの娘は最後まで戦車には興味を持ってくれなかった。正直杏の件がなくても辞めてもらうことになっていただろう。

 あるいは最初からあの娘を辞めさせていれば、遠ざけていれば、あんなことには――

 

 そこまで考えたところで私は頭を振って思考を切り替える。

 あの娘のことは既に終わったことだ。それよりも今はこれから先のことを考えるべきだ。私は逸れてしまった話の流れを元に戻すことにした。

 

「私が引退した後の後任だが、隊長はペパロニ、副隊長はカルパッチョに任せようと思っている」

「あの二人なら問題ありません。必ずやアンチョビさんの跡を立派に継いでくれることでしょう」

「うん、私もそう思う。ただ、二人ともアンツィオで同じように隊長と副隊長を務めてくれたとはいえ、大学と高校では規模も違う。きっと苦労することも多いだろう。お前もできる範囲で構わないから二人を支えてやってほしい」

「言われるまでもありません。お二人が職務に専念できるように私も微力を尽くします。お任せ下さい」

「お前ならそう言ってくれると思っていたよ」

 

 実際その点については最初から心配はしていなかった。きっと絹代なら私に言われるまでもなくその程度のことは心得てくれているだろうと思っていたから。

 本題はむしろここからだった。

 

「新体制になるにあたって、レギュラーの入れ替わりや、必要に応じてポジションの変更も考えている。そこでだ、絹代。車長に戻る気はないか?」

 

 絹代は大学に入ってから今までずっと私の車輌で装填手を務めていた。正確に言えば入学当初は車長を務めていたが、すぐに装填手にコンバートされてしまったのだ。

 まあ新入生歓迎試合で何もできずに真っ先に撃破されたことを考えれば仕方のないことではある。

 だが私が見る限り絹代は優秀な人間だ。いや絹代に限らず知波単の選手達は皆練度や技術と言う点で言えば日本でもトップクラスだった。突撃一辺倒の戦い方と戦車の性能差のせいでその能力を生かすことができていなかっただけで。

 大学では戦車の性能も上がっているし、戦い方についても3年間私の車輌で装填手を務めている間に明らかに意識に変化が見られた。今の絹代なら車長を任せても問題ないと判断したが故の提案だった。

 

 絹代は私の言葉に固まってしまった。しかしそれも一瞬のことで、申し訳なさそうに顔を伏せると頭を下げた。

 

「有り難い申し出ではありますが、辞退させていただきます」

「いや、別に無理強いする気はない。お前にその気がないと言うならそれでいいさ。……でも、そうだな。もしよかったら理由を聞かせてもらってもいいか?」

 

 車長といえば戦車乗りの中でも花形のポジションだ。勿論向き不向きというものはあるが、絹代は元々車長だった。普通は戻れるものなら戻りたいと思うはずだ。何か理由があるというなら聞いておきたかった。

 

「まだ己の戦車道とは何か、答えを見つけられていないからです」

 

 絹代は私の問いに顔を上げると、真っ直ぐに私の目を見つめて言った。

 

「以前の私なら迷うことなく『突撃』と答えていたでしょう。しかしそれでは、いえ、それだけでは駄目だと思い知らされました。

 思えば高校時代から突撃だけではいけないという思いはありました。夏の大会が終わって早々に分不相応にも隊長に選ばれて以来悩んではいたのです。いつまでも突撃だけに頼っていていいのか、それでは同じことの繰り返しではないのか、我々は変わらなければならないのではないかと。

 ……ですが具体的にどうすればいいか見当もつかなかったのです。周りの隊員たちに作戦について意見を募っても、一言目には『突撃』、何は無くとも『突撃』、最終的には『突撃』といった有様でした。何度失敗を重ねようとも、我が校の伝統に則って戦うべきだと。それこそが知波単魂であると。そんな皆の言葉に私もいつしかまあいいか、と諦めてしまって……。結局知波単の突撃一辺倒の戦い方を変えることは終ぞできなかったのです。

 そして高校時代の最後の大会。我が知波単はいつも通りに突撃を敢行し、一回戦で敗北しました」

 

 その試合のことは私もよく覚えている。何故なら、その試合の知波単の対戦相手は私の母校のアンツィオ高校だったからだ。

 隊長のペパロニと副隊長のカルパッチョを中心にアンツィオは知波単の突撃をいなして見事に勝利してみせた。

 アンツィオはその後の二回戦にも勝ってベスト4まで駒を進めた。私はそれが誇らしかった。私が越えられなかった壁を越えて一歩先へと進んでくれたことが、我が事のように嬉しかった。

 

 しかしこうして後輩になった絹代の話を聞くと複雑な気持ちになる。勝負事である以上勝者がいれば敗者もいる。それは仕方のないことだし、勝者の側から同情を向けるなんてことは相手に対する侮辱にしかならないだろう。それでもやはり思うところはあるんだ。

 

「知波単の戦車道を変革するために隊長に選ばれたにもかかわらず、結局私は一勝もできずに終わりました。皆に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ですが隊員たちは誰一人として私を責めませんでした。それどころか負けても皆朗らかに笑っていました。最後までいい突撃ができたと。これこそ我々の戦車道だと。

 それを見て私もこれで良かったのだと、そう思うことにしました。……ですが心のどこかにしこりは残ったままでした。それが何なのか当時の私には皆目分からなかったのです」

 

 絹代は「失礼します」と一言断りを入れてから酒を一口飲んで喉を潤して先を続けた。

 

「そして私は知波単を卒業後、大学に進学して戦車道部に入部しました。アンチョビさんも覚えておいでかと思いますが、新入生歓迎試合において私の車輌は無謀な突撃を敢行した挙句、何もできずに撃破されてしまいました。その試合後に当時の隊長である鬼塚さんに呼び出しを受けました。今のままの私では車長を任せることはできない。車長を降りて装填手をやるか、退部するか、どちらかを選べと」

 

 それは初耳だった。いや、装填手へのコンバートの話をされたというのは聞いていたが、まさかそこまできついことを言われていたとは思わなかった。まだ入学したばかりの一年生には酷な選択だったろう。

 だがそれはきっと鬼塚先輩なりの優しさだったんだろう。中途半端に希望を持たせるようなことを言うよりも、はっきりとお前じゃ無理だと言ってやる方が相手のためになるとそう思ったが故の言葉なんだろう。

 

「鬼塚さんの言葉に衝撃を受けたのは事実です。ですが憤りはありませんでした。全ては自分の至らなさが原因だと、いつか見返してやればいいと、そう思っていました。そして私は装填手として戦車道を続けていく道を選びました」

 

 確かに私の車輌に装填手として配属されて以来、絹代が不満を口にすることは一度としてなかった。

 いや、正確に言えば無かった訳じゃない。ただそれは車長を降ろされたこととは別の事柄についてだった。

 

「今だから正直に申し上げます。最初私はアンチョビさんの戦い方に不満を抱いていました。突撃はいつするのか、何故突撃をしないのか、ともどかしさを感じていました。……知波単にいた頃は突撃ばかりではいけないと思っていながら、いざ禁じられると突撃がしたくて堪らなくなるとは……。やはり私も知波単生だったということでしょうか」

 

 言われて絹代が私の車輌の装填手になって間もない頃のことを思い出す。

 最初の内は一言目には「突撃ですか?」、二言目には「突撃はいつするのですか?」、三言目には「やはり突撃しかありません!」といった有様だった。

 確かに突撃は状況が噛み合えば強力な選択肢ではあるが、実は簡単なようでいて難易度が高い戦術でもある。

 重装甲・高火力の戦車が揃っているなら何も考えずに突っ込んでもある程度は勝てるだろう。だが知波単の戦力で闇雲に突撃したところでただの自殺だ。そうならないためには少々頭を使わなければならない。

 一言で言えばいかに機を見極めるか、これに尽きる訳だが、それを絹代に理解してもらうのには、あるいは納得させるのには相応の時間を要した。

 

「ですがそれも最初だけのことでした。アンチョビさんの車輌で装填手を続けて、アンチョビさんの戦い方を間近で見ているうちに、私は如何に自分の視野が狭かったかを思い知らされました。アンチョビさんの戦い方は、今まで知波単の突撃一辺倒の戦車道しか知らなかった私にはすべてが新鮮で大変勉強になりました。本当に感謝しています」

「私は別に特別なことはしていない。ただいつも通りに戦っていただけなんだけどな……。まあ、私の指揮を見て何かを学んでくれたというのなら嬉しい限りだ」

「はい」

 

「ですが」と言葉を区切って絹代は更に続けた。

 

「アンチョビさんにはアンチョビさんの戦車道がありましょう。しかしそれはあくまでアンチョビさんの戦車道であって私の戦車道ではありません。仮にアンチョビさんの戦車道を真似れば、それが例え猿真似に過ぎないとしても知波単の戦車道に比べれば圧倒的に勝てるのは間違いないでしょう。

 ですがそんなただの物真似では、私は自分の戦車道を誇ることはできません。偉大なる先達に対して、未来ある後進に対して、これこそが知波単魂である、と。そう胸を張って言えるように私はなりたいのです」

 

 それはそうだろうと思う。

 私の戦い方を見て学ぶのはいいし、真似るのも最初のうちなら構わない。

 だがそこで終わってはいけない。物真似は所詮物真似でしかない。そこから自分なりのやり方を見つけられなければいつか行き詰る。

 要するに絹代は今、殻を破って次の段階へ移る時期に来ているのだろう。

 

「そして知波単の戦車道と言えばやはり突撃を抜きにしては語れません。しかし突撃に拘り続けた結果負け続けたことを考えれば、突撃を止めるか、止めるまで行かずとも控えるべきなのかもしれません。そうすれば少なくとも勝率が上がることは私にも分かります。

 しかし思うのです、果たしてそれでいいのかと。闇雲に突撃するだけではいけないということは流石に私にも分かります。ですが突撃をすべて否定してしまっては、私の、知波単の戦車道は、何の特色もないただの有り触れたものになってしまいます」

 

 それについては同意する。

 高校戦車道は大学と違って各校ごとに戦車にしろ戦術にしろそれぞれに特色がある。その多様性こそが高校戦車道の魅力の一つだと思う。

 勿論知波単やアンツィオのようにその特色というか伝統が足を引っ張って中々勝てないチームも多いから、観ている側はともかく実際に戦車に乗っている側からすれば一概にいいことだとは言えないかもしれないが。

 

「しかしその一方で勝てなければ意味がない、というのも理解できるのです。大学で試合に出て、初めて勝利した時の感動と興奮は今でも忘れられません。その後も勝利を積み重ねて、その喜びを味わい続けて。そしてある時ふと気付いたのです。先程申し上げた心に残ったしこりの正体に」

 

 それは何だ?

 私が目で問うと、絹代は一呼吸置いてからゆっくりと口を開いた。

 

「私は知波単の皆と一緒に勝ちたかったのだと」

 

 絹代は何かを堪えるように顔を伏せて、後悔や自責の念が籠った声で尚も続けた。

 

「それに気付いてからは、勝利する度に、罪悪感に苛まれるようにもなりました。

 隊長として皆とこの喜びを味わいたかった。

 皆を勝たせてあげたかった。

 皆の努力に報いてあげたかった。

 今更ながらに後悔の念が押し寄せてくるのです。

 もっと何かできることがあったのではないか。皆が望んでいるから、それが知波単の伝統だからと言い訳ばかりして、考えることを放棄してしまっていたのではないかと。

 笑ってください。私は無能で、怠惰で、最低な隊長でした。こんな私に付き従ってくれた隊員たちに、申し訳が立たなくて……私は……」

 

 俯いているせいで絹代の表情は見えない。だが声の震えから察することはできた。

 

「飲め」

 

 だから私は空になっていた絹代の杯に酒を注ぎながら短く告げた。

 

「今日は私の奢りだ。好きなだけ食べて飲んで、胸に蟠っていることがあるなら全部吐き出してしまえ。私でよければいくらでも聞いてやるから」

 

 絹代は潤んだ瞳で杯を見つめていたが、恐る恐るそれを手に取ると恭しく掲げた。

 

「御相伴に与ります」

 

 そして改めて杯を合わせて乾杯すると、お互いに中身を一息に飲み干した。再び互いの杯に酒を注ぐと、私は一口飲んでから口を開いた。

 

「アンツィオで隊長をやっていた身としてはお前の気持ちはよく分かるよ。私も3年かけて勝てたのは結局一回だけだったからな、無能な隊長という点では私も似たようなものさ」

「そんな! アンチョビさんは私とは違います! アンチョビさんはたったお一人でアンツィオの戦車道を立て直してみせたではありませんか!」

「立て直した、ね……」

 

 私の自虐に対して絹代は即座に否定を返してきた。しかし私はそれに対してすんなりと頷けはしなかった。

 果たして私は本当にアンツィオの戦車道を立て直したと言えるだろうか。立て直すどころか滅茶苦茶にしてしまっただけじゃないのか。確かに結果的にアンツィオの戦車道は復活したかもしれない。

 けどそれは。

 

「私はアンツィオの戦車道を立て直せたとは思っていない。仮に立て直せたのだとしたら、それは私の力じゃなくペパロニやカルパッチョや、他の皆の力だと思っている。私のしたことなんて高が知れているよ」

 

 敢えてぶっきらぼうに言ってやると絹代も何かを察したのだろう、一度は口を噤んだが、それでも何か言おうと必死に言葉を絞り出した。

 

「……私にはアンツィオで何があったのかは分かりません。ですが、我が大学にはアンツィオの卒業生が数多くいます。皆アンチョビさんを慕って来た者ばかりです。あれだけの人間に慕われている、そのことがアンチョビさんのしてきたことは間違いではないという証明ではありませんか?」

「だといいんだけどな……。私も所詮は道半ばだ。選んだ道が正解かどうかなんてまだ分からないよ」

「……アンチョビさんですら、まだ道半ばであると仰るのですか」

「私なんてまだまださ。そもそも“道”なんてものはそんな簡単に見つけられるものじゃないだろう?」

「……考えれば考える程に分からなくなります。一体私の戦車道とは、いえ、そも戦車道とは、何なのでしょうか……?」

『……戦車道って、何なんですか?』

 

 前にも同じことを聞かれたことがあった。

 忘れもしない。あれは4年前の大会の大洗との試合後、アンツィオ恒例の宴会を開いた時のことだ。

 いつの間にか宴会の場から離れて一人で佇んでいたみほの姿を見つけて私は声を掛けたんだ。

 

『やあ、みほ。楽しんでいるか?』

『あ、アンチョビさん』

『……どうした、元気がないみたいだが。もしかしてうちの料理は口に合わなったか?』

『いえ、そんなことないです! どれもすごく美味しかったです』

『そうか、ならよかった』

 

 うちの自慢の料理が原因だったらどうしようかと心配になったがそれはないようで安心した。しかしそうなると何故元気が無さそうなのか、という疑問に再び行き着いた。

 とはいえ安易に触れていいことでもなさそうだったので、私はつい無言になってしまった。それはみほも同じで、私たちはしばらくの間無言で向き合っていた。

 その沈黙に耐えきれなくて何か言おうとしたが、先に口を開いたのはみほの方だった。

 

『……あの、少し聞きたいことがあるんですけど、いいですか? アンチョビさん、いえ、安斎千代美さん』

 

 わざわざ名前を言い直したことに私は驚いた。

 他の人間だったら「アンチョビだ!」と訂正していただろう。だが相手がみほというなら話は別だった。

 

『私のこと、覚えていたのか……』

『私、人の顔と名前を覚えるのは得意なんですよ』

 

 みほは表情を崩すと、得意気に微笑んだ。

 中学時代、私は西住が所属する黒森峰と何度か対戦した。そして西住と対戦したということは、その妹で同じ中学のみほとも戦ったことがあるということだ。

 

『でも今日、最初に会った時は見間違いかと思いました。だって安斎さん、中学の時とは全然雰囲気が変わっていたから』

『だろうな』

 

 中学時代の私を知っている人間からすれば、高校の、そして現在の私を見ればあまりの変わりように驚くだろう。私自身、自分の変わりように驚いているくらいだから。

 

『中学で対戦した時の安斎さんは、何て言うか、雰囲気がお姉ちゃんやお母さんに似ていました。西住流と同じで勝つことを何よりも優先する人だと思っていました。

 だから今日の試合後に負けても笑っている安斎さんを見て、私びっくりしたんですよ? だって中学時代の安斎さんは、その……』

『あ~、うん。言いたいことは分かるぞ』

 

 中学時代の私は西住に勝ったことはあるがトータルで言えば負け越していた。そして負ける度に西住に対して噛みついていた。「これで勝ったと思うなよ!」とか、「次こそは勝つ! 首を洗って待っていろ!」とか。

 ……我ながら何と言うか、うん。ペパロニたちには絶対に知られたくない過去だな。

 

『え~と、それで聞きたかった事っていうのは?』

『あ、はい』

 

 それ以上過去のことには触れられたくなくて私は強引に話を変えた。

 みほは言葉を探すように少し間を置いてから、改めて口を開いた。

 

『……戦車道って、何なんですか?』

 

 一瞬何を言われたのか理解できなくて呆然としてしまった。

 

『あ、すみません。え~と、何て言うか……』

 

 それに気付いたのかみほは慌てて言い直そうとするが、上手い言葉が見つからないのかアタフタするばかりだった。

 戦車道とは何か。

 何故みほがいきなりそんなことを聞いてきたのかは分からなかった。だが一つだけ心当たりがあった。

 

『もしかして、去年の決勝戦のことが何か関係あるのか?』

 

 それを口にするとみほはピタリと動きを止めて、気まずそうに顔を逸らした。

 

『……知ってたんですね』

『ああ、そりゃあ、な……』

 

 戦車道をやっている人間であの試合のことを知らない人間の方が少ないだろう。前人未到の10連覇が懸かった試合ということで、あの試合は注目を集めていたから。

 

『私、あれからずっと悩んでいたんです。私の行動のせいで黒森峰は10連覇を逃した、それは確かです。でも私は、仲間を助けることが間違いだったなんて思いたくなかった。仲間を見捨ててまで勝ちたいなんて思えなかったんです。けどそう思っていたのは私だけでした。黒森峰では私の味方は誰もいなくて、お母さんからも……犠牲なくして大きな勝利を得ることはできない、って言われて。

 前々から西住流の戦車道は私には合わない、私には無理だって思ってはいました。でもあの一言で、もう本格的に何もかも分からなくなっちゃったんです。戦車道って何なのかなって。そこまでしてやらないといけないものなのかなって。仲間を見捨ててまで、勝たなきゃいけないものなのかなって……』

 

 みほの事情については、戦車道が廃止されて久しい大洗に転校していたことから大凡察していたつもりだった。しかし実際に言葉にされると重みが違った。

 

『大洗に来て、西住流とは違う戦車道を知って、私のしたことは間違っていなかったって言ってもらえて、悩むこともなくなったはずなのに。何ででしょうね、今日安斎さんを見てふと思ったんです。安斎さんなら、分かるんじゃないかって』

 

 何故そう思ったのか。当時の私には分からなかったが、今なら分かる気がする。

 みほは自分と私を重ねていたんじゃないかと。私なら、西住流と同じ勝利至上主義の戦車道をしていたにもかかわらず、アンツィオでは勝ち負け関係なく戦車道を楽しんでいた私なら分かるんじゃないかと、そう思ったんじゃないかと。

 あの時はそこまでは分からなかった。そして今でも戦車道とは何か、なんて問いに対する答えなんて持ち合わせていない。

 それでも何か言わなければと考えに考えて。

 

『……すみません、変なことを聞いて。忘れてくだ――』

『なあ、みほ。戦車道は楽しいか?』

 

 気付けばそんなことを口走っていた。

 

『安斎さん? 何を……』

『答えてくれ』

 

 口に出してから何を言っているのかと後悔したが、もう言ってしまったことは取り消せない、ここはアンツィオ流にノリと勢いだと私はそのまま突き進むことにした。

 

『楽しいです』

 

 戸惑いながらも、みほははっきりと答えてくれた。

 

『黒森峰にいた頃はそんな風には考えられませんでした。いえ、考えちゃいけないって思っていました。10連覇が懸かっているから、西住流らしくしないといけないから。戦車に乗る以上、求めるべきは勝利で、それ以外のことは無駄なことで、楽しむ余地なんてないって』

 

 沈んだ声で語るみほの表情を見れば、それがどれだけ当人にとって苦痛だったかは一目瞭然だった。

 

『でもここでは、皆が戦車に乗るのを楽しんでいて。勝っても負けても戦車に乗るのは楽しいって言ってくれて。気付けば、私自身も戦車に乗るのが楽しいって、そう思えていたんです』

 

 けど次第に声に明るさが戻り始めて、最後には一転して晴れやかな笑顔になっていた。

 その笑顔を見て思ったんだ。みほは自分で気付いていないだけで、本当はもう答えを持っているんじゃないかって。

 

『楽しい、か。ならそれでいいんじゃないか?』

『え?』

『なあ、みほ。戦車道とは何か、なんて私にも分からない。けどな、何故私が戦車に乗っているかと言ったら、答えは単純だ。戦車に乗るのが好きだからだ。

 お前は私が変わったって言ったな? けどな、それは違う。私は変わったんじゃなく元に戻っただけなんだ。昔の、戦車道を始めたばかりの自分に。私も最初の頃はただ戦車に乗るだけで楽しかった。その頃の自分に戻っただけなんだよ。

 だからお前もただ戦車に乗ることを楽しめばいい。その楽しいって気持ちが答えなんじゃないかと私は思うぞ』

『アンチョビさん……』

『……ああ、もう、結局何が言いたかったんだろうな、私は。よく分からなくなっちゃったな、すまん』

『そんなことないですよ、何だか少し楽になりました。ありがとうございます』

 

 我ながら支離滅裂なことを言ってしまって恥ずかしくなったが、結果的にみほが元気になってくれたので良しとした。

 

 話し終えたちょうどその時、私とみほを呼ぶ声が聞こえてきた。それを耳にして、私はみほの手を引いて宴会場に戻ることにした。

 

『さあ、戻るぞ! まだまだ宴会はこれからだ! 主役を持て成さずに帰したとあってはアンツィオの名折れだからな!』

『あ、はい!』

 

 きっとみほは西住流の家元として、黒森峰の副隊長として、ずっと重い物を背負ってきたんだろう。それは大洗に来てからもずっと残ったままだったに違いない。

 私にはその重荷を肩代わりしてやることはできない。だからせめて私にできることとして、あの時間くらいは辛いことは全部忘れて楽しんでほしいと、そう思った。

 

『アンチョビさんがお姉ちゃんならよかったのに……』

 

 ポツリと誰に言うでもなく、思わず呟いてしまったというような、そんな言葉。でもその言葉はしっかりと私の耳に届いた。

 私はその呟きにどう返していいか分からず、聞こえないふりをしてやり過ごしてしまった。

 だがもしかしたら。あの時に何か言ってあげていれば違う未来もあったんじゃないかと――

 

「アンチョビさん?」

 

 絹代の声に我に返った。

 いかんいかん、つい物思いに耽ってしまった。今は絹代のことを考えなきゃいけないのに。

 ……しかしこのタイミングでみほとの会話を思い出したのも何かの縁かもしれない。

 

「なあ、絹代。戦車道は楽しいか?」

 

 だから私はあの時と同じ問いを口にしていた。

 

 絹代は私の言葉が予想外だったのか呆然としていたが、すぐに表情を引き締めると迷いなく答えを返した。

 

「楽しいです」

 

 それはあの日のみほと同じ答えだった。

 しかし、後に続く言葉は全く違っていた。

 

「戦車に乗ること、戦車で突撃すること、そのどちらもずっと楽しくて堪りませんでした。それに加えて大学に入ってからは勝利の喜びを知りました。確かに知波単の仲間に対する申し訳なさはあります。ですが、皆で勝利の喜びを分かち合えることが嬉しいという気持ちに嘘はありません。勝利の美酒と言いますが、成程、あの味は確かに甘美なものです。あの味を味わうためならば、厳しい訓練も苦ではなく――」

「違う」

 

 それ以上聞いていられなくて、気付けば私は絹代の言葉を遮っていた。

 

「違うよ、絹代。それは戦車道が楽しいんじゃない、勝つのが楽しいってことだ。戦車に乗るのが楽しいのと戦車で勝つのが楽しいのとは別ものなんだ。そこを履き違えるな」

「は、はい、申し訳ありません!! 猛省致します!!」

「あ~、いや、すまん。別に責めるつもりはなかったんだが……」

 

 冷や汗を流しながら、上擦った声で謝罪してくる絹代の様子に途端に罪悪感が湧き上がってきた。

 酒が入っているせいか感情の抑制が利かなくてつい低い声が出てしまった。まさかあの絹代がここまで怯えるとは。そんなに今の私は怖かっただろうか……。内心で少し傷ついたが、今は一旦そのことは置いておこう。

 

 知波単で負け続けだった絹代からすれば勝利の味は格別な物だろう。私だってアンツィオ高校時代に勝利した時はあまりに久しぶりのことだから舞い上がってしまったものだ。だから絹代の気持ちは分かるつもりだ。

 けどだからこそ今の絹代の考え方は危ういとも思う。戦車道が楽しいという気持ちが、勝つのが楽しいという気持ちにすり替わってしまったらどうなるか。それを私は誰よりも知っているから。

 

「なあ、絹代。あるところに一人の女がいたんだ。そいつは子供の頃から戦車に乗っていて、中学時代はそれなりに名の知れた選手だった。卒業後、どの高校に進学するか悩んでいたんだが、そんな折ある高校にスカウトされたんだ。我が高校の戦車道を立て直してほしいってな。

 ……だが実際には立て直すどころか、逆に滅茶苦茶に壊してしまった。その高校の校風とは真逆のことばかり言って、周りの仲間といがみ合ってばかりで、一年も経つとそいつの周りには誰も残っていなかったんだ」

「アンチョビさん、それはもしや……」

 

 絹代が何か言おうとするのを手で制して私は続けた。

 

「そいつは最初は純粋に戦車道を楽しんでいた。だが次第に楽しむことよりも勝つことを優先するようになっていった。何故かと言えば、元々は仲間のためだった。仲間を勝たせてやりたい、仲間と勝利の喜びを分かち合いたいとそう思ったからだった。それなのにいつしかその気持ちを忘れてしまっていた。自分が何のために勝利を求めるようになったのか分からないまま、気付けば勝利のために大切な仲間すら犠牲にするようになってしまったんだ」

「……私も、そうなると仰るのですか?」

「それは分からない。だが忘れないでほしいんだ。勝利というのは手段であって、目的ではないということを。

 勝負事である以上勝利を求めるのは当然だ。勝てば嬉しいし負ければ悔しいと思うのは普通のことだ。ましてや隊長ともなれば勝利の重みは自分だけのものじゃない。仲間全員の想いを背負って戦わなきゃならない。

 だからこそ。仲間が大切だからこそ。隊長の役目は仲間を勝利に導いてやることだ。その考え自体が間違っていたなんて私は思わない。思いたくない。

 ……けどな、だからと言って勝利がすべてだと、勝利のためなら何をしてもいいと考えるようになったら終わりだよ。仲間のために勝利を求めていたのが勝利のために仲間を犠牲にするようになってしまったら本末転倒もいいところだ。手段と目的が入れ替わってしまっている。

 ……お前には、そんな風になってほしくないんだ……」

「アンチョビさん……」

 

 お節介と思われるかもしれない。私がこんなことを言わなくても絹代は道を踏み外したりはしないのかもしれない。

 でもどうしても言わずにはいられなかった。絹代には私の二の舞にはなってほしくない、あんな辛い気持ちは味わってほしくないと、そう思ったから。

 

「申し訳ありません、私が浅はかでした。己の至らなさに羞恥を覚えます。アンチョビさんに言われたこと、しかと胸に刻み込みます。決して忘れはしません!」

「分かってくれたならよかった。その気持ちを忘れなければ、お前は私のようになることはないだろうさ。……それにその気持ちは、自分の戦車道は何かという問題の答えを得る鍵になるかもしれないしな」

「それは、どういう?」

「さあな、あとは自分で考えろ。他人から教えてもらったものじゃなく、自分自身で悩んで出した結論でないと意味がないだろう?」

「はい、全くもってその通りです」

 

 正確には教えたくても教えられないと言った方がいいのかもしれない。

 たぶん私とみほが求めていた戦車道は似ているんじゃないかと思っている。だからアドバイスもできたが、それに対して絹代の求める戦車道については私とはまた違ったものだと感じられる。

 しかし根底にあるものは似ているとも思う。それを自覚した上で絹代がどんな道を選ぶのか、楽しみにさせてもらおう。

 

 さて、これで胸にわずかばかり残っていた不安も解消された。これで話は終わり、でもいいんだろうが……。

 

「なあ絹代、改めて聞く。車長に戻る気はないか?」

 

 最後に私はもう一度だけ聞いてみることにした。

 無理強いはしないなどと言っておいて何だが、今なら絹代の考えも変わっているんじゃないかと思ったから。

 絹代は私の問いに目に見えて狼狽えていた。

 

「ですが、私はまだ……」

「自分の戦車道を見つけられていないから、か?」

「はい……」

「なあ絹代。お前は真面目だから、ちゃんとした答えを出せないと納得できないのかもしれない。けどな、迷ってもいいんだよ。立ち止まって考えることも時には必要だろうが、進んでみて初めて見えてくることもある。さっきも言ったがお前なら、仲間を大切にしたいという気持ちを胸に刻んだ今のお前なら大丈夫だと私は信じている。

 だから迷いながらでもいい、少しずつでもいい。一歩進んでみないか?」

 

 これでも断るというならもう仕方がない。別に無理強いする気はないというのは嘘偽りのない本音だし。

 絹代は何か言いかけて口を噤み、しばらくの間顔を俯かせて考え込んでいた。私は急かしたりはせずに絹代の返事を黙って待った。

 すると絹代は徐に一歩下がってその場で床に手をついて深々と頭を下げた。

 

「分かりました。非才の身ながら、全力で務めさせていただきます!」

 

 そして勢いよく顔を上げると、私に向かって堂々と宣言した。

 

「そしていつの日か、これこそが私の戦車道であると、そう胸を張って言えるようになってみせます!!」

 

 私は絹代の返事に満足げに頷くと、手に持った杯を掲げた。絹代もそれに倣う。

 そしてそのまま杯を合わせて三度乾杯した。

 

「頑張れ」

「ありがとうございます!!」

 

 絹代の進む道がどこへ続いているのか、それは私には分からない。ただ、決して容易な道でないことだけは確かだ。

 けどきっと絹代なら、今の絹代なら道を見失うことはないと確信を持って言える。

 だって目の前の絹代は吹っ切れたような晴れ晴れとした笑顔を浮かべているんだから。



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ifルート:姉として

何とか年内に間に合いました。


【マカロニ視点】

 

「おーい、マカロニー!」

「あ、ペパロニさん」

 

 授業も終わって帰り支度をしていると、私はクラスメイトのペパロニさんに声を掛けられた。

 アンツィオに転校してきてから一年近く経つけど、ペパロニさんは転校当初から私とずっと仲良くしてくれる大切な友達だ。何度か屋台の手伝いをしたこともある。

 

「今度の寄港日だけどさ、何か予定入ってるか? 何もなかったら、カルパッチョと三人で街に行こうかと思ったんだけどさ」

 

 普段の私だったら友達からのお誘いを断るなんてありえない。

 けど、残念ながらその日はどうしても外せない用事が入っていた。

 

「ごめんね、ペパロニさん。今度の寄港日はお姉ちゃんと会う約束をしてたんだ」

「マジかよ~! まあ、姐さんとの約束なら仕方ないか」

 

 お姉ちゃんは1年前までアンツィオ高校の生徒で、戦車道の隊長だった。ペパロニさんは現在ではお姉ちゃんの跡を継いで隊長になっているけど、未だにお姉ちゃんのことを「姐さん」と呼んで慕っていた。

 

「ごめんね、せっかく誘ってくれたのに……」

「いいっていいって、気にすんな。また誘うからさ。じゃあ姐さんによろしくな!」

「うん、伝えておくね」

 

 手を振って去っていくペパロニさんに同じように手を振り返して、私も教室を後にした。

 

 ……ペパロニさんは本当にいい人だ。

 ペパロニさんは戦車道の隊長をしている。うちの戦車道は人手不足で猫の手も借りたいくらいなはずなのに、それでもペパロニさんは一度だって私に戦車道をやるように言うことはなかった。

 それどころか、私の前では一切戦車道の話をしようとしない。

 気を遣われているのが申し訳ないという気持ちはあるけど、それ以上にありがたかった。

 もう私は戦車には関わりたくない。あんな思いは、もう二度と――

 

「マカロニ?」

 

 はっとして私は我に返った。

 いけないいけない。ついつい考え込んじゃった。私の悪い癖だ。

 

「あ、カルパッチョさん」

「もう駄目よ、そんな風にぼーっとしてたら。ただでさえ貴方は危なっかしいんだから」

「うっ、ごめんなさい」

「分かればよろしい」

 

 カルパッチョさんはペパロニさんと同じで、アンツィオに来て以来の友達だ。

 クラスは違うけど、ペパロニさんと同じく戦車道を履修していて副隊長を務めている人だ。

 同級生ということもあって、私も合わせて三人で放課後や寄港日には一緒に遊びに行くことも多い。

 

「そういえば今度の寄港日なんだけど」

「うん、ペパロニさんに聞いたよ。けどごめんね、その日はお姉ちゃんと会う約束をしてて」

「そうなの。残念だけど仕方ないわね。ドゥーチェによろしくね」

「うん! あ、でも駄目だよカルパッチョさん。ドゥーチェはもうペパロニさんなんだから」

「あ、そうね。どうしても癖が抜けなくて……」

 

 カルパッチョさんもペパロニさんと同じで、私の前では戦車の話をしようとはしない。

 本当は経験者の私が入れば二人の力になってあげられるのかもしれないのに。

 けど。

 けど私はやっぱり。

 

「マカロニ」

 

 またネガティブな思考に陥りそうになったところで、カルパッチョさんに両頬を引っ張られる。引っ張ると言ってもそんなに思い切りじゃない、かるくつまむ程度のものだったけど。

 

「暗い顔しないの。せっかくの可愛い顔が台無しよ」

「カルパッチョさん……」

「せっかくドゥー……アンチョビさんに会うんだから。久しぶりに会った妹がそんな顔をしていたら、悲しむでしょ。だから笑って。ね?」

 

 そう言ってカルパッチョさんはにっこりと笑った。それに対して私も笑顔で返す。ちゃんと笑えていたかは分からない、それでもこの場でできる精一杯の笑顔を浮かべたつもりだった。

 

「ありがとう、カルパッチョさん」

「どういたしまして」

 

 本当にありがとう。

 

 戦車のことに触れないでくれてありがとう。

 

 こんな私と友達でいてくれてありがとう。

 

 本当に、本当に、ありがとう。

 

 

          *

 

 

 そして待ちに待った寄港日。

 私はお姉ちゃんとの待ち合わせ場所に30分以上前に到着していた。

 お姉ちゃんに会えると思うと落ち着かなくて、ついつい早く家を出ちゃった。

 

 まだかな。

 

 早く会いたいな。

 

 そんな風にそわそわしながら待ち続けていると。

 

「あっ! お姉ちゃん!!」

 

 私はこっちに近づいてくるお姉ちゃんの姿を見つけた。私はすぐさま駆け寄って、勢いのままにお姉ちゃんの胸に飛び込んだ。

 

「おっと。こらこら危ないぞ、怪我したらどうする」

 

 お姉ちゃんはそんな私を優しく抱き留めてくれた。

 

「えへへ、ごめんなさい。お姉ちゃんに会えるのが嬉しくて、つい」

「まったくもう、可愛い奴め~」

 

 お姉ちゃんは苦笑しながら、わしゃわしゃと私の頭を撫でてくれた。私はそれが心地よくて、しばらくされるがままになっていた。

 

「久しぶりだな、みほ」

「うん、千代美お姉ちゃん」

 

 アンツィオ高校三年生、マカロニ。

 

 そして安斎千代美さんの妹、安斎みほ。

 

 それが今の私の名前です。

 

 

          *

 

 

【アンチョビ視点】

 

「すぅ……すぅ……」

「みほ~? ……寝ちゃったか」

 

 私が借りているアパートの一室で、私とみほは一緒のベッドで横になっていた。

 みほはずっと会えなかった分の時間を取り戻すように色々と話をしてくれていたが、そのうちに疲れが出たのか眠ってしまった。

 私はみほが体を冷やさないように掛け布団をしっかりと掛けてやった。

 

 こうしてみほの穏やかな寝顔を見ているとまるであの日のことが嘘のように思えてくる。

 あの日。

 1年前の決勝戦の日。

 大洗女子学園が敗北して廃校が決まった日。

 みほが西住の家を勘当された日。

 そして。

 みほが私の妹になった日のことを。

 

 第63回戦車道全国高校生大会決勝戦、大洗女子学園と黒森峰女学園の試合は私も会場で観戦していた。

 もっとも、危うく寝過ごしてしまうところだったが。前日の夜に会場入りしてそのまま宴会に突入して夜通し騒いで、気付いたら眠ってしまっていたんだ。試合開始に間に合ったのは奇跡としか言いようがない。

 ……今思えばあれは虫の知らせか何かだったのかもしれないが。

 

 試合は予想に反して接戦になっていた。観客は皆一様に驚いていたが、私の驚きはそれ以上だった。あの戦力で黒森峰相手に渡り合うのがどれだけ困難なことか、アンツィオで隊長をやっていた身としてはよく分かったから。

 最終的にフラッグ車同士の一騎討ちにまで持ち込んだ時は、私を含めて大勢の観客が番狂わせを期待した。

 

『大洗女子学園フラッグ車走行不能! よって黒森峰女学園の勝利!』

 

 だが現実はそう甘くはなかった。

 撃ち合いの末に白旗が上がったのは、みほが乗るⅣ号だった。

 妥当な結果、と言ってしまえばそれまでだが何とも残念な結果だった。あと一歩だっただけに落胆も大きかった。ただ観戦していた私でさえそうなら、実際に戦っていた選手の心情は推して知るべしだ。

 

 そこまで考えて私は猛烈に嫌な予感に囚われた。

 そう、私でさえそうなら実際に戦っていたみほの落胆はその比ではないはずなんだ。その証拠に、みほは試合が終わってからもずっと虚ろな瞳で白旗を見つめ続けていた。

 試合後、私は撤収作業をペパロニたちに任せてみほを探していた。あのままみほを放っておいたら、取り返しのつかないことになるようなそんな気がしたから。

 撤収作業をしている大洗の面々の中にはみほの姿は見当たらなかった。聞いてみると何処かに呼び出されてまだ帰ってきていないということで、私はあちらこちらと探し回る羽目になった。

 その甲斐あってか、私は試合会場から遠く離れた場所で一人で歩くみほの後姿を視界に捉えることができた。

 

『みほ!!』

『アンチョビさん? どうしたんですか、こんなところで』

 

 私の声に反応して振り向いたみほは笑顔を浮かべていた。

 笑顔、そう、笑顔だ。あの時のみほは普段通りの穏やかな笑顔を浮かべていた。

 私にはそれが恐ろしかった。

 ちょっと前に虚ろな瞳で白旗を見つめていたのと同一人物とは思えなかった。

 

『アンチョビさん?』

『あ~、え~と……その、試合、観てたよ。残念だったな、あと一歩だったのに』

 

 誤魔化すように言うと、みほは苦笑した。

 

『しょうがないですよ、やっぱり最初から無理だったんです。あの戦力で黒森峰に勝つなんて……』

『いや、そんなことはないぞ! あの黒森峰をあそこまで追い詰めるなんて大したものだ。最後だって本当にギリギリの勝負だった。この調子なら、きっと来年こそは勝てるさ』

 

 来年。その言葉を聞いた瞬間、それまで笑顔だったみほの顔から表情が消えた。

 

『来年なんて、ないんですよ』

『え?』

『だって大洗は今年で廃校になるんですから』

 

 大洗が廃校になる。

 予想外の言葉に理解が追い付かなかった。

 

『全国大会で優勝すれば廃校を撤回してもらえる約束だったらしいんですけどね。けど、負けちゃったから。……私が、お姉ちゃんに勝てなかったから……。だから。来年なんて、もうないんですよ』

 

 虚ろな瞳で語るみほに対して、私は何と声を掛けたらいいか分からなかった。

 

『……あはは、ごめんなさい。こんなこと、アンチョビさんに言ってもしょうがないですよね』

 

 そう言ってみほは笑ったが、それは明らかに無理に笑っているのが分かる表情だった。

 私はみほのそんな顔が見るに堪えなくて。

 

『アンチョビさん?』

 

 気付けば私はみほを抱き締めていた。

 

『え~と……どうしたんですか、いきなり?』

『無理をしなくていい。頼むから、そんな辛そうな顔で無理に笑うな。見ているこっちの方が悲しくなる』

 

 びくりと、密着したみほの体から震えが伝わってきた。

 

『……何、言っているんですか……。私は、無理してなんて――』

『しているさ。みほ、お前は負けたのは自分のせいだと思っているのかもしれないけどな、そんなことはない。お前が言った通り大洗の戦力で黒森峰に勝つなんて普通に考えて不可能だ。それでもあそこまで接戦に持ち込めたのは、お前の指揮があってこそだ。お前はそれを誇っていい。お前は自分にできることを精一杯やったんだ。だから――』

『貴方に何が分かるんですか!!?』

 

 私は怒鳴り声とともに突き飛ばされていた。

 

『何にも知らないくせに! 私が、どんな気持ちで今まで戦車道を続けてきたのか知りもしないくせに! 勝手なこと言わないで!!!』

 

 みほはそれまでの笑顔が嘘のように、怒りに満ちた顔で私を睨み付けてきた。

 でも不思議と怖くはなかった。代わりに私の心に湧き上がってきたのは、やるせない痛ましさの念だった。

 あんな激情をずっと胸の内に隠して笑っていたのかと思うと、ただただ悲しかった。

 

『あ……ご、ごめんなさい……わた、し……』

 

 尻餅をついて呆然と自分を見上げる私の姿を見て我に返ったのか、みほは露骨に狼狽えていた。

 私が立ち上がって近づくと、みほはびくりと体を震わせて縮こまってしまった。

 

『辛かったな』

 

 私はそれに構わずみほの目の前に立つと、もう一度みほを抱き締めた。

 

『みほ、確かに私にはお前がどんな気持ちで今まで戦車道を続けてきたのかは分からない。けどな、お前が今までどれだけ頑張ってきたかは分かるつもりだ。そんなにボロボロになるまでよく頑張ったな。

 今までは隊長として仲間に弱音は吐けなかったのかもしれないが、私にならいくらでも言っていい。周りには誰もいない。だからもう、我慢しなくていいんだ』

 

 そこまで言うと、みほは恐る恐る私の背に腕を回してきた。

 最初は弱弱しく背中に触れる程度だったが、徐々に感情を堪え切れなくなったのかその腕にも力が籠り始めた。

 

『……私、頑張ったんです』

『うん』

『本当に、頑張ったんです。絶対に勝てない相手でも必死に勝つための作戦を考えて、それであと一歩ってところまで行ったんです。でも負けちゃった。勝たなきゃいけなかったのに。守らなきゃいけなかったのに。やっと、やっと見つけたと思ったのに。友達を、私の戦車道を、私の居場所を。私は、また自分のせいで皆を不幸にしちゃったんです』

『そんなことはない。さっきも言っただろ? 負けたのはお前のせいじゃ――』

『嘘っ! 嘘嘘嘘!! 嘘だよ!! どうせ皆思ってるんです、私のせいだって!! 黒森峰でもそうでした。皆言うんです、私のせいで10連覇を逃したんだって。私はただ仲間を助けただけなのに! それの何がいけないの!? お母さんまで、私のしたことは間違ってたって、言って……』

『みほ……』

『私、頑張ったのに……ずっとずっと、やりたくもないことを我慢してやってきたのに。家でも、黒森峰でも、大洗でも、嫌なことでも無理してやってきたのに、その挙句にこれですか? 黒森峰を追い出されて、大洗は廃校になって、お母さんにも捨てられて、どこにも私の居場所なんてなくて。

 ……どうしてなんですか!? 私が何をしたって言うんですか!? 何で私ばっかりこんな辛い目に遭わなきゃいけないんですか!? 何で! なん、で……っ!

 もうヤダ……戦車なんて嫌い、西住なんて嫌い。黒森峰の皆も、生徒会の人たちも、お母さんも、みんなみんな、大っ嫌い!!

 ……でも、そんな風に考えちゃう自分が、一番、大嫌いなんです……』

 

 みほはそれで言いたいことは言い尽くしたのか、後は何も言わずにただただ子供のように泣きじゃくっていた。私はそんなみほの頭を泣き止むまでずっと撫で続けた。

 

『すいません……みっともないところをお見せして』

『気にするな。少しはすっきりしたか?』

『はい、ありがとうございます。……でも私、これからどうしたらいいんでしょう……?』

 

 みほは泣き腫らした目でこちらを見つめながら困ったように呟いた。

 

『みほはどうしたい?』

 

 何をするにしてもすべてはみほの意思次第だ。

 そう思って聞いたのだが、私の問いに対してみほは困ったように曖昧に微笑んだ。

 

『分からないですよ、自分が何をしたいのか、どうしたいのかなんて。そんなの今まで考えたこともなかったんですから。考えることなんて、許されなかったんですから。

 昔からそうでした。

 西住の家に生まれたから西住流の戦車道をやってきて。

 黒森峰では家元だからって理由だけで副隊長をやらされて。

 大洗では戦車道の経験者だからってだけで無理矢理戦車道をやらされて。

 私は、ずっとずっとやりたくないことをやらされてきたんです。

 ……でもそれで良かったのかもしれません。だって私がしたいことをしたらいつも失敗して皆を不幸にするんだから。黒森峰でも、大洗でもそうでした。アンチョビさんは、私は悪くないって言ってくれたけど、でもやっぱり私にはそうは思えないんです。

 だから。どうしたいかなんて分からないし、考えられないし、考えちゃいけないんですよ……』

『みほ……』

『ねえアンチョビさん。私どうすればいいんですか? 私はどこに行けばいいんですか? 大洗は廃校になる。黒森峰にはもう戻れない。実家も勘当された。もうどこにも居場所なんてないじゃないですか。こんな私に、一体どうしろっていうんですか? アンチョビさんなら分かるんですか? だったら教えてください。……お願いだから……教えてよ……』

 

 縋るように見つめてくるみほに対して私は言葉に詰まった。私としてもみほに何かしてあげたいという気持ちはあった。しかし具体的なことは何も思い付かなかったんだ。それでも私は考えに考えて。

 

『アンチョビさんがお姉ちゃんならよかったのに……』

 

 不意に脳裏に浮かんだのは、そんなみほの呟きだった。

 

『……みほ。前に言ってくれたよな? 私がお姉ちゃんなら良かったって』

 

 みほは私の言葉に目を見開いて固まっていたが、すぐにばつが悪そうな顔で目を逸らす。

 

『聞こえてたんですか……』

『そんな顔をするな。私は嬉しかったよ。……なあ、みほ。お前が良ければ、私の妹にならないか?』

 

 みほは何を言われたのか理解できないという顔をしていたが、私はそれに構わず続けた。

 

『居場所がない? なら私が作ってやる。私がお前の居場所になってやる。お前のお姉ちゃんになってやる』

 

 そこまで言うとようやくみほも理解が追い付いたらしい。

 

『それって私を、アンチョビさんの家の養子にするってことですか?』

『そうだ。……ああいや、でも別に嫌だというなら無理には――』

『そんなことないです!』

 

 先走り過ぎたかと思ったが、みほは慌てて否定した。

 

『なりたい、です。アンチョビさんの妹に。……でも、本当にいいの? 本当に、私のお姉ちゃんに、なってくれるの……?』

『勿論だ』

 

 一瞬西住の、みほの実の姉の姿が脳裏を過ったが私はそれを振り払って安心させるように笑いかけた。

 みほはぽろぽろと大粒の涙を零しながら、私の胸に飛び込んできた。

 私はそれを優しく抱き留めると、みほが泣き疲れて寝てしまうまで、ずっと頭を撫で続けた。

 

 その後みほを膝枕しながらどうしたものかと悩んでいると、帰りが遅いのを心配してか、アンツィオからはペパロニとカルパッチョが、大洗からはあんこうチームのメンバーと生徒会長の角谷がやってきた。

 私は話せる範囲で事情を話して夏休みの間はうちでみほを預かると説明した。みほが実家を勘当になったことは流石にプライベートなことなので伝えることはしなかったが。

 

『西住ちゃんのこと、お願いね』

 

 そう言って頭を下げる角谷と、それに次いで同じように頭を下げるあんこうチームの面々の姿は今でも忘れられない。

 ペパロニもカルパッチョも深くは事情を聞こうとしなかった。それがあの場ではありがたかった。

 そしてみほを二人に任せて私は両親に電話を掛けた。挨拶もそこそこに私は単刀直入に用件を告げた。

 みほをうちの養子にしてほしいと。

 両親は私の突然の提案に困惑していた。そりゃそうだろう。見ず知らずの女の子をいきなり養子にしてくれなんて娘から言われたら、誰だって戸惑うに決まっている。

 私としても無茶なことを言っているという自覚はあった。人一人養うというのがどれだけ大変なことかなんてちょっと想像力を働かせれば分かることだ。

 それでも。私はみほの姉になると、姉としてみほの居場所を作ると約束した。私にできることなら何でもするつもりだった。だから私は無理を承知で両親に頼み込んだ。

 

 両親も私の必死な様子に何かを感じ取ったのか、とにかく電話だけじゃ事情が分からない、一度会って話をしようと言ってくれた。私はみほを連れて実家に帰省して、両親と直接話をすることにした。

 みほは最初こそ初対面の人間に囲まれて緊張していたが、うちの家族の穏やかな雰囲気に次第にリラックスしてくれたようだった。それを確認して私はみほを養子にしてほしいと頼むに至った経緯を話し始めた。

 事情をすべて話し終えた頃には、両親はみほの境遇に同情して涙を流していた。

 母に至ってはみほを抱き締めて号泣していたくらいだ。みほも釣られて泣き出して、二人してわんわん泣いていた。思わず私も貰い泣きしてしまった。

 一頻り泣いて落ち着くと、両親はみほさえ良ければうちの、安斎家の養子にならないかと言ってくれた。

 ただ一人、弟だけはいきなり年が近い義理の姉ができるという状況に複雑な表情を浮かべていたけど、私が決めたことなら、と最終的には受け入れてくれた。

 

『その、不束者ですが、よろしくお願いします!』

 

 畏まって頭を下げるみほに対して、それじゃ嫁入りするみたいだな、と私が笑うと釣られて両親も弟も笑い出した。

 みほも最初は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたけど、次第に笑顔になっていって、最後は皆して笑い合った。

 その後は一緒に食事をして、談笑しているうちにみほもすっかり打ち解けていった。

 

 そして数日後。私たちはみほの実家にみほを養子にする許可を得るために家族全員で熊本まで出向いた。

 そして私はみほの母親である西住流家元と対面することになった。

 流石はあの西住流の家元だけあって威圧感が半端なかった。私は両親の後ろでただ座っていただけだったが、それだけで息苦しさを覚えたほどだった。普段から戦車を相手にしている私ですらそうなのだから、両親や弟については言うまでもない。むしろ気絶しなかっただけ立派だと思う。

 

 それに対して家元の態度はあくまで淡々としたものだった。

 みほを養子にするというなら構わない、戸籍謄本など必要な書類があれば用意する、といった事務的な会話に終始していた。

 そして必要最低限のことだけを伝えると後は話は終わり、とばかりに家元は退出しようとした。

 

『待ってください!!』

 

 気付けば私は家元を呼び止めていた。家元は私の声に足を止めると、こちらを見遣った。

 別に睨まれた訳じゃない、ただ見られただけだというのに私は気圧されて言葉に詰まってしまった。

 

『母親として、みほに何か言うことはないんですか?』

 

 それでも私は必死に声を絞り出した。

 私には流派の重みなんてものは分からない。きっと私みたいな小娘には想像もできないくらい家元というのは大変な立場なんだろうとは思う。

 それでも。

 最後に何か一言くらい母親として娘に声を掛けてあげられないのか。そんなことすら許されないものなのか。そんな気持ちを込めた言葉だった。

 

『その子は既に西住を勘当された身です。どこへ行こうとこちらの関知するところではありません』

 

 返ってきたのはあまりにも素っ気ない言葉だった。

 私は絶句してしまった。それが、仮にも自分の娘に対して言うことか。

 戦車道とは何か。

 あの時、みほが私に聞いてきた気持ちが分かった。私がみほと同じ立場でもそう言いたくもなるだろう。

 西住流とは、流派を背負うというのは、そこまでしなければならないものなのかって。

 

『話は終わりですか? なら私はこれで。……菊代、お送りしなさい』

 

 こちらが何も言い返さないと見るや、家元はそのまま部屋を出て行こうとした。

 私は思わず立ち上がって、尚も言い募ろうとした。

 

『アンチョビさん』

 

 そんな私を止めたのは、みほだった。

 

『もういいの。もう、いいですから……』

 

 みほは私の服の袖を掴んで、諦めたように微笑んでいた。

 あの人には最初から何も期待していなかった。そう言わんばかりの態度に胸が締め付けられる思いだった。

 

『み……』

 

 その時、声が聞こえた。本当に微かな、気のせいかと思う程に本当にか細い声だった。

 声のした方を向くと、家元が何か言いたげに佇んでいた。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに表情を引き締めると何も言わずに部屋を出て行った。

 

 私はあの時になって初めて、家元のことを誤解していたことに気付いた。

 あの人は西住流としての立場に縛られていただけで、きっと本心ではみほのことを娘として大切に思っていたに違いないんだ。

 しかし気付いたところでもう遅かった。結局私はそのまま促されるまま部屋を出た。

 

『安斎さん』

 

 部屋を出て玄関で靴を履いていると、家元が菊代と呼んだ家政婦さんが声を掛けてきた。

 

『どうか奥様のことを責めないであげて下さい』

 

 菊代さんは私に向かって深々と頭を下げた。

 

『奥様は西住流の家元として、あまりにも重い物を背負われているのです。ですから、どうか……』

『でも』

 

 私には何も言えなかった。

 そんな私に代わって、口を開いたのはみほだった。

 

『それって、あの人は私よりも西住流の方が大事だってことですよね』

 

 その表情からは一切の感情が抜け落ちていた。

 

『みほお嬢様、それは――』

『いいんです、分かっていたことですから』

 

 菊代さんが尚も何か言おうとするのを遮って、みほはにっこりと微笑んだ。

 

『むしろすっきりしました。これで心置きなく、西住の名前を捨てられます』

 

 言葉通り晴れやかな顔つきで微笑むみほに対して、その場にいる誰も声を掛けることはできなかった。

 その後玄関を出て門まで歩く間も、菊代さんが車を取りに行っている間に揃って門の前で待っていた時も、私たちは全員無言だった。

 あの時のみほに対して、何と言えばいいのか、あの場にいる誰にも分からなかったから。

 

『みほ』

 

 そんな中、不意に声を掛けられた。

 声のした方を向くと、そこにはみほの姉である西住まほが立っていた。

 みほは西住の姿を認めると、びくりと身を竦めて私の背後に隠れてしまった。

 それを見て西住は泣きそうに顔を歪めたが、口を引き結んで耐えていた。西住はみほとは言葉を交わすことはなく、代わりに私の方に顔を向けてきた。

 

『安斎、少し話がある。付いて来てくれないか』

 

 私としても西住とは話をしたいと思っていたので渡りに船だった。私は頷いて西住の後に付いて行った。心配そうに見つめてくるみほに、大丈夫だというように微笑んで私は西住と連れ立って歩き出した。

 流石にあの西住流の宗家の邸宅だけあって庭も広かった。どこまで歩くのかと尋ねようとしたところで、西住は不意に立ち止まった。

 しかし西住はすぐに話を始めることをせずに、しばらくの間ずっと無言だった。私はそんな西住を急かすことはせずに、ただ相手が口を開くのを黙って待ち続けた。

 

『みほはお前の家の養子になるらしいな』

『ああ、もう話は付けてきた』

『……きっとその方がいいんだろうな。みほは西住からは距離を置いた方がいい』

 

 西住は私に背を向けていたので、その表情は分からなかった。あの時の西住は一体どんな表情で、どんな気持ちであんなことを言ったのだろうか。今では知る由もないが。

 

『みほはな、小さい頃はいつも楽しそうに戦車に乗っていた。私も一緒に戦車に乗って遊んでいたからよく分かる。あの頃は毎日が楽しかった。きっとみほだってそうだ。私と同じでみほも戦車に乗るのが大好きだった、はずなんだ。

 それなのに……いつからだろうな、みほが笑わなくなったのは。あんな風に辛そうに戦車に乗るようになったのは。成長するにつれて、西住流の訓練を受けるようになって、西住流らしくあれと教育されて、黒森峰に入学して。次第にみほの顔から笑顔は消えていった』

 

 そう語る西住の声音もまた、次第に暗いものへと変化していった。

 

『西住流の在り方が、黒森峰という環境が、そして私という存在が、ずっとみほを苦しめてきたんだ。西住の家に生まれなければ、黒森峰に来なければ、私の妹にならなければ、きっとみほは今でも友達に囲まれて楽しく戦車に乗れていたはずなんだ。

 ……だがそうはならなかった、ならなかったんだよ、安斎』

『西住……』

『……“西住”、か……ああそうだ。私は西住だ、西住なんだよ、安斎』

『何を――』

 

 言うのかと訝る私に構わず西住は続けた。

 

『これまでも、そしてこれからも。私は西住であり続けなければならない。そのことに後悔なんてない。私は西住流そのものだ。西住流こそ私の人生と言ってもいい。

 だがみほは違う。みほにとっては西住の名は重荷でしかない。だから私が西住流を継ぐことで、西住流であり続けることで、本来みほが背負うべきものを肩代わりすることでみほを守りたいと、そう思っていた。

 しかし結局私はみほを守れやしなかった。黒森峰では周りから責められるみほを助けてやれなかった。お母様に糾弾されるみほを庇ってやることすらできなかった。あまつさえ、転校した先でみほが見つけた友達を、居場所を、自分だけの戦車道を、私の手ですべて踏みにじってしまった……』

 

 まるで罪人が己の罪を告白するかのような重苦しい口調だった。

 いや、実際にあれは懺悔だったんだろう。西住はみほを、大切な妹を守れなかったことにそれだけ罪悪感を抱いていたんだろう。

 西住はそこでようやく振り向いて私の顔を正面から見つめてきた。

 

『分かるか、安斎。みほの幸せのためには私の存在は邪魔でしかないんだ。私が傍にいる限りみほは幸せにはなれないんだ。だから、こんな私はみほの前からいなくなった方がいい……』

『にしず……』

 

 言い掛けて私は慌てて口を噤んだ。あの時のあいつのことを“西住”と呼ぶのは憚られたから。

 そして一度口を噤んでしまえば言葉は出てこなかった。言いたいこともすべて飲み込んでしまった。

 けどそのまま何も言わずにいるなんて耐えられなくて、何か言わなければと必死に考えて。

 

『お前はそれでいいのか?』

 

 辛うじて口から漏れたのはそんな言葉だった。

 

『いい』

 

 私の問いに対して、西住は苦渋に満ちた表情で声を絞り出した。

 

『みほが幸せならそれでいい』

 

 歯を食いしばって、血が出るほどに拳を固く握りしめて呟く西住の姿に私は胸が締め付けられる思いだった。

 

『私は昔からみほを泣かせてばかりいた。みほが小学生の時は、私のせいで友達と仲違いをさせてしまった。黒森峰ではみほの居場所を作ってあげられなかった。そして今度は大洗を、ようやくみほが見つけた居場所を、廃校に追いやってしまった。

 ……私はいつもそうだ。みほのことが大切だと思っていながら、いつだってみほよりも西住流を優先してきた。みほのことを蔑ろにしてきたんだ。こんな私に、みほの姉を名乗る資格はない』

『そんなことはない!』

 

 私は即座に反論していた。

 西住の言葉を聞くだけでも、どれだけみほのことを大切に思っているかは痛い程に伝わってきた。

 立場が邪魔をしていただけで、本当は西住もみほの味方になってあげたかったはずなんだ。そんな西住に姉としての資格がないなんて、どうして言えようか。

 しかし西住は私の反論を聞いても、寂しげに微笑むだけだった。

 

『さっきのみほを見ただろう? みほは私ではなくお前を選んだんだ。どちらがみほの姉に相応しいかは一目瞭然だろう……』

 

 私の脳裏に思い浮かんだのは、西住に怯えて私の背中に隠れるみほの姿だった。

 あの姿を思い出してしまえば、私も二の句が継げなかった。

 

『……お前の言う通りだ。本当は私だってみほの味方になってあげたかった。隊長としての責務も、西住流としての立場も、何もかも投げ出して。……投げ出すことができればどんなに良かったかと思う。だがそれはできない。黒森峰の隊長として、西住流の跡取りとして、私にはやらなければならないことが多すぎる。自分の役目を放棄することはできない、そんな無責任なことはできる訳がない。

 そして立場を捨てられない以上、私からみほにしてあげられることはもう何もない。……いや。私が何かしようとしてもみほを苦しめるだけなんだ。だから私はもうみほに関わらない方がいい』

 

 そこまで言うと西住は私に向かって歩み寄ってきた。そして私の手を取って深々と頭を下げた。

 

『頼む、安斎。どうかみほを幸せにしてあげてくれ。姉らしいことなど何一つしてあげられなかった、私の代わりに。身勝手な頼みだとは承知している。それでも、どうか……お願い、します……』

 

 震える手で私の手を握り締めながら、震える声で懇願してくる西住に対して、私はもはや反論の言葉は浮かんでこなかった。

 

『……分かった』

 

 代わりに私の口から漏れたのはそんな言葉だった。

 

『みほは私が責任を持って幸せにする。姉として必ずみほを守ってみせる。約束するよ』

 

 西住の意志の固さを感じ取った私には、そう言うのが精一杯だった。

 

『ありがとう、安斎……』

 

 私の返事を聞いて西住は顔を上げた。その瞳からは大粒の涙が零れ落ちていたのに、表情はそれに反して笑顔だった。西住は泣きながら、安心したように微笑んでいたんだ。

 

「お姉ちゃん……」

 

 はっとして、私は意識を現実に戻した。

 起きたのかと思ったが、みほは目を閉じたまま静かに寝息を立てている。どうやら今のは寝言だったらしい。

 

 お姉ちゃん、とみほは言った。

 

 それは私のことなのか。

 

 それとも……。

 

 あの日の西住とのやり取りを思い出して改めて考える。

 西住の家に生まれなければ、黒森峰に入学しなければ、みほは幸福になれた。あの日西住はそう言っていた。

 確かにみほの性格は、みほが求める戦車道は西住流や黒森峰とは根本的に相容れないものだろう。

 みほの戦車道が何なのか、というと私も正確に把握している訳じゃないが、勝ち負け関係なく楽しむとか、仲間を何よりも大切にするとか、そういうものだったんじゃないかと思っている。それは私がアンツィオで見つけた戦車道そのものだった。

 私にとってはそれが正解だったが、それはあくまで私にとっての正解であって、誰にでも当てはまるとは思っていない。

 ましてや黒森峰は戦車道の名門だ。日本全国から才能ある人間が集まり、努力してお互いに競い合う、そういう場所だ。そこに通う人間からすれば、皆仲良く戦車道を楽しむなんて考え方はただの馴れ合いとしか思われないだろう。

 

(そういう意味でもみほは異質だったんだろうな……)

 

 きっとみほが黒森峰に入学したのは誰にとっても不幸だったんだろう。みほ自身にとっても、周りの隊員たちにとっても。だから西住の言うことも分かる。

 しかし一つだけ。

 西住の妹であることがみほにとって不幸だったとだけは思えなかった。

 みほは確かに西住流を重荷に感じていただろう。黒森峰の環境を苦痛に感じていただろう。

 でも。

 西住まほを悪く言うことは一度もなかった。

 西住本人が言っていたように、みほの立場からすれば西住のことを恨んでいてもおかしくないはずなんだ。それなのに、西住を責めるようなことは一度たりとも口にはしなかった。

 西住がみほのことを妹として大切に思っているように、みほも本当は西住のことを姉として慕っているに違いないんだ。

 

「置いていかないで……私を、一人にしないで……」

 

 一体どんな夢を見ているのか、その眦には薄っすらと涙が浮かんでいた。

 私はみほを抱き締めて優しく頭を撫でる。

 

 西住。

 お前は自分がいない方がみほにとって幸せだと言ったな?

 けどな、今こうして姉のことを想って涙を流しているみほを見てもお前は同じことが言えるのか?

 みほの幸せのためにはお前の存在が必要なんだよ。

 私はお前に姉としてみほを幸せにすると約束した。あの日の誓いに嘘なんてない。

 だから。

 みほの幸せのためにも、お前にはみほと仲直りしてもらう。絶対にだ。

 今はまだ無理かもしれない。

 それでもいつか。

 いつの日か二人がまた姉妹として心から笑い合えるようにしてみせる。

 別に義務感で言っているんじゃない。

 妹であるみほのために。

 戦友である西住のために。

 ただ私がそうしたいからそうするんだ。

 それが私の、みほの姉としての、西住まほの友人としての私の願いなんだから。




別名「安斎みほ」ルートです。
たぶんこれが一番のHAPPY ENDです。
みほは死なずに済んで、自分の居場所を見つけられて、優しいお姉ちゃんと友達に囲まれて。
ねっ? HAPPY ENDでしょう?(実の姉から全力で目を逸らしつつ)
……真面目な話、このルートならまほさんも将来的には救われるので、やっぱりHAPPY ENDですよ(実の母親から目を逸らしつつ)。

次回は澤ちゃんの話を投稿予定です。
それでは皆様よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願い致します。


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“軍神”澤梓

遅くなりましたが明けましておめでとうございます!
本年もどうぞ宜しくお願いいたします!


【澤梓視点】

 

「これにて本日の訓練を終了する! では、解散!!」

「「「「「ありがとうございました!!」」」」」

 

 夕焼けに赤く染まる空に隊長の号令が響き渡る。

 周りを見ると誰も彼もが疲れ果てた顔をしていた。例外はたった今号令を掛けた西住まほ隊長だけだった。

 戦車道で日本一と名高いうちの大学は、その訓練内容も日本一と言われる程厳しいものだ。以前はここまでではなかったらしいけど、まほ隊長が隊長になってから厳しさに磨きがかかったらしい。

 文句を言う人も多いけれど、私は現状に不満はなかった。確かに訓練は厳しいけどやりがいがあるし、日に日に強くなっている実感がある。だから私は今の環境に満足していた。

 とはいえ、疲れてクタクタなのも事実だった。早く帰ってお風呂に入りたい。

 

「澤、少しいいか」

 

 そんなことを考えながら歩いていると、不意にまほ隊長に呼び止められた。

 

「はい、何でしょうか隊長」

「今晩時間はあるか?」

 

 これはもしかして飲みのお誘いだろうか。私はそれを意外に思った。

 まほ隊長は基本的に飲むとしたら逸見先輩を連れて二人で飲みに行くイメージがあった。それをわざわざ私一人を誘う理由が分からなかった。

 別に断る理由もない、とは思ったけどふと先輩たちの忠告が頭を過った。

 私が入学する前のまほ隊長はそれはもう酷い有様だったらしい。今でも十二分に厳しいと思うけど卒業した先輩曰く、今の厳しさから人間性を大幅に差っ引けば当時のまほ隊長になるとのこと。

 お酒を覚えてからは一緒に毒を吐き出すことを覚えたのか大分丸くなったらしい。

 ただし一緒に飲みに行けばその毒をもろに浴びることになるから絶対に同席してはいけないとも言われた。

 その忠告に従うならこの誘いは断るべきなんだろう。何か適当な言い訳を用意して誤魔化せばいい。

 でも下手な嘘をついてバレたら後が怖いし、言い包められるほど私は口が上手くない。

 そうなると正直に答えるしかない。

 

「はい。特に予定はありませんけど」

「なら少し付き合え。話したいことがある」

「……分かりました」

 

 結局断り切れずに同席することになってしまった。

 でも仕方ない。所詮平の隊員では隊長の命令に従う以外にないんだから。

 

 

          *

 

 

「どうした澤、グラスが空いているじゃないか」

「いえ、隊長。もう充分飲みましたので」

「今日は私の奢りだ、遠慮するな」

「いえ、遠慮とかではなくてですね?」

「それとも何か? 私の酒が飲めないとでも言うのか? 隊長である私の言うことが聞けないとでも?」

 

 酒癖悪っ!

 いわゆる絡み酒というやつだろうか。まほ隊長の豹変ぶりに私はどう対処していいか分からなかった。

 逸見先輩から「隊長は酒癖が悪いから覚悟しておきなさい」とは言われていた。アンチョビさんからは「私といる時は大丈夫なのに、後輩と一緒だと変なテンションになるから気を付けろよ」と以前聞かされたことがある。

 その忠告を忘れていた訳じゃないけど、私はどこかで楽観視していた。まほ隊長は普段の飲み会では一人で静かに飲んでいるイメージがあったので、そこまで酷いことにはならないんじゃないか、皆大げさに言っているだけなんじゃないかと油断していた。

 けど今更後悔しても遅い。とにかくこれ以上飲まされずに済む方法を考えないと。

 

「そういえば隊長! 話したいことがあるって仰ってましたけど、内容を伺ってもよろしいでしょうか!」

「ああ、そうだったな」

 

 話を逸らすにしても些か強引すぎるだろうか、と思ったけど隊長はあっさりと引き下がった。

 さっきまでのテンションが嘘のように普段の落ち着いた雰囲気を取り戻した。まるで一瞬で素面に戻ったかのようで、そのギャップに大いに戸惑った。

 

「話というのは他でもない、来年のチーム体制についてだ」

 

 そんな私の内心にはお構いなしに隊長は話を切り出した。その内容に私は姿勢を正して気を引き締める。

 

「私は今年で引退だ。私としては次期隊長はエリカ、そして副隊長はお前を推薦しようと考えている」

 

 隊長の口調は実にあっさりとしたもので一瞬理解が遅れた。

 

「私が副隊長!? ほ、本当ですか!?」

「お前以外に誰がいるというのだ?」

 

 何を当たり前のことを、とでも言いたげな視線を受けて私は慌てて両手を振って反論した。

 

「そんな無理です! 私なんかが副隊長なんて、とても務まるとは思えません!」

 

 しかしそんな私の言葉がお気に召さなかったようで、まほ隊長は見る見るうちに不機嫌な顔になる。

 

「澤、謙遜は美徳というがな、それも過ぎればただの卑屈だ。少なくとも私はお前の能力を高く評価している。エリカもそうだ。それともお前は私の目は節穴だと愚弄したいのか?」

「い、いえ、そんなことは!」

 

 ギロリと睨まれ、私は全力で首を横に振って否定した。目が据わっていた。普段の隊長はこの程度のことで怒る人じゃないんだけど、やっぱり酔っているんだろうか。

 

「お前には副隊長を任せられるだけの実力がある。高校時代はサンダースのレギュラーとして2年連続で全国優勝、3年時には隊長も務めた。大学では入学して1年目でレギュラー、更には大学選抜にまで選ばれた。実績という点でも申し分ない。むしろ何故これだけの成果を上げておいてそんな風に卑屈になれるのかが不思議だ。いや、ここまでくると卑屈を通り越して嫌味だ。お前はもう少し自分の発言に気を配るべきだな」

「はい、申し訳ありません……」

「エリカはお前こそが隊長に相応しいなどと言っていたがな。まったくお前といいエリカといい自己評価が低すぎる。もっと自分の実力を誇っていいと私は思うぞ」

 

 溜息をつきつつグラスを傾けるまほ隊長の言葉に恐縮する。

 確かに私はこれまで一生懸命努力してきた。高校から戦車道を始めた分、私は周りの人たちよりも出遅れていた。その差を埋めるために必死にやってきた。

 高校でも大学でも与えられた役割を全うしたと思うし、結果を出すことで期待に応えてきたと思う。

 でもそれくらいでは私は自分の実力を誇れなんてしなかった。

 

“あの人”に比べれば私なんて……。

 

「言っておくがな、みほと自分を比較するのはやめておけ。あいつと比較したら世の戦車乗りの大半は才能がないことになる。私を含めてな」

 

 私の思考を遮るように放たれたまほ隊長の言葉に思わず私は顔を上げる。

 何故私が“あの人”のことを、西住みほ隊長のことを考えているとわかったのだろう。私の頭の中を読んだ? なんて馬鹿げたことをつい考えてしまった。

 

「お前が分かりやすいだけだ。戦車に乗っている時はポーカーフェイスのくせに、“西住隊長”のことを考えている時のお前はすぐに顔に出るからな」

 

 揶揄うように言われて私は思わず赤面して顔を伏せる。

 うちの大学で“西住隊長”と言えば誰もがまほ隊長のことを思い浮かべるだろうし、誰もがまほ隊長のことを西住隊長と呼ぶ。

 そんな中、私だけが“まほ隊長”と呼ぶ。

 まほ隊長はそれを咎めなかった。他の隊員も、あの逸見先輩でさえそうだった。

 どうしてもあの人以外を“西住隊長”と呼ぶ気にはなれなかった。

“西住隊長”は私にとってこれまでも、そしてこれからもあの人だけだから。

 

「なあ、澤。この際だから聞いておきたいんだが……」

 

 そこまで言ってまほ隊長は躊躇う様な素振りを見せる。

 この人がそんな素振りを見せるなんて珍しい。いつもは例え先輩が相手だろうが言いたいことははっきりと言うのに。

 まほ隊長は数秒の間逡巡していたが、やがて決心したのかビールを一気に呷ってから口を開いた。

 

「私のことを恨んでいるか?」

 

 何を、とは聞かなかった。私がまほ隊長を恨むとしたら理由は一つしかないからだ。

 

「……恨んでいないといったら嘘になります」

 

 4年前の試合でまほ隊長に敗れた西住隊長はその後自殺した。

 分かっている。それはただの試合の結果であってまほ隊長には何の非もないことくらい。だからといってそんな簡単に割り切れるものじゃない。

 でも。

 

「でも、私はまほ隊長が西住隊長の死を誰よりも悔やんでいるのを知っています。そんな人を恨んで責めるなんてできません」

 

 思い出すのは西住隊長のお葬式の日。涙など枯れ果てた、そう言わんばかりの虚ろな瞳で西住隊長の遺影を胸に抱くまほ隊長の姿だ。

 あんな姿を見せられて恨みなんて抱きようがない。むしろ同情すらしていた。大学で一緒のチームになってからはその気持ちは更に強まった。あんなに辛そうに戦車に乗る姿を見せられれば誰だってそうだろう。

 

「いや、私はお前に恨まれて当然だと思っている。……みほを殺したのは私なんだからな」

「そんなことは――」

「あるんだ」

 

 間髪入れずに否定され、私は口を噤む。

 

「私はみほの戦車道を否定してしまった」

 

 悔やむように、あるいは懺悔するようにまほ隊長は言葉を紡いだ。

 

「私は昔みほに言ったことがあるんだ。『自分だけの戦車道を見つけなさい』とな。そんな偉そうなことを言っておいて、いざみほが自分の戦車道を見つけたら即座に自身の手で叩き潰す始末だ。実にできた姉だ。そうは思わないか?」

 

 まほ隊長の言葉に私は思わず眉を顰める。この人は少なくとも普段はこんな皮肉と自虐に満ちたことを言う人じゃない。

 酔っているせいだろうか。それとも西住隊長絡みの話だからだろうか。

 

「勝利のためなら犠牲もやむなし、それが西住流の戦車道だ。それに対してみほの戦車道は犠牲を良しとしない、全員で一丸となって勝利を目指すものだ。その在り方は西住流の真逆と言っていい、みほにしかできない戦車道だ。

 もしあの試合に勝利していれば、みほは自分の戦車道を見つけられたのかもしれない。だがそうはならなかった……」

 

 まるでそうなってほしかった、とでも言いたげな台詞だった。

 まさかと思う。いくら西住隊長の死を悔やんでいるとはいえ、あのまほ隊長が。西住流の次期家元と目されている人が。そんなことを考えるとは思えない。

 

「負ければよかった、と思ってるんですか?」

 

 だからこれは確認だ。そんなことはあり得ない、ともすれば再び逆鱗に触れかねない台詞だと分かった上で私は口にした。

 

「傲慢だと思うか?」

 

 でもまほ隊長の返事は私の言葉を肯定するようなものだった。言葉に詰まる私に構わずまほ隊長は続ける。

 

「相手が誰であろうと、どんな事情を抱えていようと全力で戦うのが礼儀だという。西住流に限った話ではない、真剣勝負ではそうするのが当たり前だ、というのが一般的な考え方だ。それはたしかに正しいんだろうさ。

 だがな、その正しさの結果はどうだ? みほは永遠に帰らぬ人となった。大洗女子学園は廃校になった。お前を含め大勢の人間が人生を狂わされた。それでもそれは本当に“正しいこと”なのか?」

 

 私には答えられない。「負けてあげればよかった」なんてたしかに相手を馬鹿にした物言いだとは思う。でもあの時まほ隊長が負けてくれれば、西住隊長も大洗女子学園も救われたかもしれない。そう思うと気安く否定できる言葉ではなかった。

 

「……私はあの日の勝負は自分の負けだと思っている」

 

 本当に今私の目の前にいるのはあのまほ隊長なのだろうか。さっきからいつものまほ隊長からは考えられない言葉ばかり聞いている気がする。

 そんな私の内心の混乱に構わずまほ隊長は続けた。

 

「黒森峰に対して大洗は戦車の数や質、人員の練度、予算、あらゆる面で圧倒的に不足していた。戦力差は誰から見ても一目瞭然だった。にもかかわらず最終的にはフラッグ車同士の一対一に持ち込まれた。その時点で戦術的には私の負けだ。試合そのものも、あのまま行けば私が負けていた。……負けていたはずだったのにな」

 

 確かに当時の私から見ても大洗と黒森峰の戦力には大きな開きがあった。今の私ならそれがどれ程絶望的な差かよく分かる。

 そしてそれを覆してみせた西住隊長の凄さも。

 

「みほの戦車道は勝ち負けに拘らずに楽しむもののはずだ。だから本来は負けたとしても問題はないんだ。戦車道は戦争じゃないんだから」

 

 これは受け売りだがな、とまほ隊長は付け加えた。

 誰の受け売りかはすぐにわかった。私の恩人であり尊敬すべき先輩が口癖のように言っていた言葉だから。

 

「そう、戦車道は戦争じゃない。スポーツである以上勝敗以上に重要なこともある。だがな、それでも勝たなければいけない試合というのは存在する。そしてあの試合は正にそれだった」

 

 4年前の大会の決勝戦。あの試合は大洗女子学園の廃校を阻止するためにも、何よりも勝利が優先される試合だった。

 そしてそんな大事な試合中にそれは起こった。

 黒森峰の追撃を振り切り川を渡って市街地へと向かおうとしていた時のことだ。私が乗るM3中戦車が川の中でエンストを起こしてしまったのだ。

 いくらエンジンを掛けようとしても戦車は動く気配はなかった。後ろからは黒森峰の本隊が迫っていた。時間がなかった。だから私は自分たちを置いて先に行くように進言した。

 

 悔しかった。私たちだって最後まで一緒に戦いたかったから。

 

 怖かった。私たちだけ置いていかれるのが。

 

 でも西住隊長の足手纏いにはなりたくなかったから、大洗を廃校になんてしたくなかったから。だから私は自分の気持ちを必死に抑え込んでいた。

 

 けれど。

 

 西住隊長はそんな私たちを助けに来てくれたんだ。

 

「……西住隊長がしたことは間違っていたと、そう言いたいんですか?」

 

 もしそうなら、いくらまほ隊長でも絶対に許さない。そんな思いを籠めた言葉をまほ隊長は「いいや」と首を振ってあっさりと否定した。

 

「みほの行動自体は正しかった。それは人道の面だけの話ではない。黒森峰と違って大洗はただでさえ戦車の数が少ない。一両たりとも犠牲にする余裕はないというのも確かだ。しかもあの時救出したお前たちのM3中戦車は、その後エレファントとヤークトティーガーを撃破する大金星を上げた。それを考えれば戦術的にも正しい行動だったと言える。

 だがそれでも試合には負けた。みほからすれば一度ならず二度までも自分の信じた行動が勝利に結びつかなかった訳だ。自分の戦車道は間違っていると思っても無理はない」

 

 ましてやそれで大洗の廃校が決まったとなれば尚更だろう、とまほ隊長は付け加えた。

 勝っていれば違ったんだろうか。勝っていれば、大洗は廃校にならなくて、西住隊長は自分の戦車道を見つけられて、まほ隊長もこんなに辛い目に合わずに済んだんだろうか。

 私たちにもっと力があれば、あの試合に勝てたんだろうか。

 私たちが、私が、西住隊長の足を引っ張らなければ。

 西住隊長を死なせずに済んだんだろうか。

 

「私はそうは思わない」

 

 そんな私の考えをまほ隊長は否定した。

 

「お前がみほの足を引っ張っていた? ああ、確かに最初のうちはそうだったのかもしれない。だが少なくとも、あの決勝戦については足手纏いになるような奴は一人もいなかった。むしろあの戦力差であれだけの接戦を演じることができたのはお前たちの力があればこそだ。確かにみほの存在なくして大洗が全国大会の決勝まで勝ち進むことはできなかっただろう。だが一人の力で勝ち進める程戦車道は甘くはない。今のお前にならよく分かるだろう?」

 

 私は黙って頷いた。

 そもそも戦車を動かすこと自体一人では不可能なんだ。ましてや複数の車輌を動かして陣形を組んで戦うとなれば、一人優れた選手がいただけではどうにもならないだろう。

 だから大洗があの大会で勝ち進めたのは西住隊長だけじゃなく皆の力があってこそで、私たちが西住隊長の足を引っ張っていたなんてことはないのかもしれない。

 ……そう理解はしても納得できるものじゃないけど。

 

「大洗にはみほ以外にも才能溢れる選手が大勢いたはずだ。少なくとも私が見る限りⅣ号戦車の乗員は誰もが大成する器を持っていた。あのまま戦車道を続けていれば、大学で、プロで、更には日本代表で活躍して日本の戦車道を引っ張ってくれたはずだ。だが今現在戦車道を続けているのは澤、お前だけだ」

 

 大洗のメンバーは西住隊長以外は私を含めて全くの素人だった。高校に入るまで戦車なんて乗ったことはもちろん見たことすらなかった、という人がほとんどだった。

 そんな素人集団が、戦車道を始めて数カ月で全員並みの高校の技量を凌いでいた。それがどれ程異常なことか、今の私ならよく分かる。

 まほ隊長が言う通りきっと今でも戦車道を続けていれば、皆大学で中心選手として活躍していてもおかしくなかった。

 

 けれど実際には大洗の廃校が決まった後、私以外は皆戦車道をやめてしまった。正確には五十鈴先輩だけは転校後も戦車道を続けていたらしいけれど、それも高校の途中までのことだった。

 バレー部や自動車部の人たちのように元々の活動に戻っていった人たちはまだしも、あの秋山先輩ですらそうだった。

 あんなに戦車が好きで、西住隊長を慕っていた人がまさかやめるなんて最初は信じられなかった。

 それと同時に納得している自分もいた。だってその気持ちは痛いほど理解できたから。西住隊長を慕っていたからこそ、戦車道を続けるのが辛いのは私も同じだから。

 

 でも私が選んだ道は逆だった。西住隊長を尊敬していたからこそ私は戦車道を続けなきゃいけないと思ったから。

 あの時私たちを助けてに来てくれた、見捨てないでくれた、それが心の底から嬉しかったから。

 そんな西住隊長の戦車道の正しさを証明できるのは私しかいない、それが私の務めだから。

 と言っても最初からそんな風に考えられた訳じゃない。それどころか私も最初は皆と同じように戦車道をやめようと思っていた。

 そんな私が今でも戦車道を続けていられるのは、ケイさんのおかげだった。

 

 あれは西住隊長のお葬式の日のことだ。

 私はお葬式が終わった後も西住隊長の死を受け入れられなくて、チームメイトの皆と離れて人気のない場所で一人佇んでいた。

 そんな時に声を掛けてくれたのがケイさんだった。

 ケイさんは私の顔を見ると私を抱き締めて、頭を撫でてくれて、慰めてくれた。

 そんなケイさんの温かさに触れて、それまで我慢していたものが溢れてきて。私はケイさんの胸の中で声を上げて泣いた。

 

『アズサはこれからどうするの?』

 

 一頻り泣いてようやく落ち着いた私にケイさんは聞いてきた。

 正直私は何と答えていいか分からなかった。西住隊長が亡くなったショックから立ち直れていなかった私には何も考えられなかったから。

 

『……私は、戦車道を続けたいです』

 

 それでも気付けば私は自然と口を開いていた。私自身、自分の言葉に驚いていた。

 

『ならウチに来ない? ウチはいつでもウェルカムよ!』

 

 私の答えを聞いて、ケイさんは微笑んでいた。

 そして私は夏休みが明けるのに合わせてサンダースへ転校した。

 ケイさんは転校してきた私を見て驚いていた。転校するとしたら、大洗が廃校になってから、年度が変わってからのことだと思っていたらしい。

 確かに普通に考えればそうするだろう。けど私には転校を急ぐ理由があった。

 それはケイさんの存在だった。ケイさんは3年生で3月にはもう卒業していなくなってしまう。ケイさんに直接戦車道の指導してもらうにはどうしても年内にサンダースに行く必要があった。

 

『お願いします、私を鍛えてください!』

 

 分かっていた。そんなのは私の我儘にすぎないってことくらい。相手の都合をまったく考えていない身勝手なお願いだってことくらい。

 サンダースには500人もの戦車道履修者がいる。そんな中で隊長が私一人に付きっきりで指導なんてできるはずがない。

 それでも。

 

『強くなりたいんです』

 

 それでも私はケイさんに指導してほしかった。きっとケイさんなら、私を強くしてくれる、私の気持ちを分かってくれる、そう思ったから。

 

『西住隊長の戦車道は間違っていない、それを証明したいんです!』

 

 私にできるのはただ誠心誠意頭を下げてお願いすることだけだった。

 ケイさんはそんな私に対して笑顔で言った。

 

『OK! 任せなさい! でも私の指導は厳しいわよ。付いてこれるかしら?』

『……勿論です!』

『いい返事ね! なら善は急げよ! 早速今日から訓練開始! 行くわよ!!』

『イエスマム!!』

 

 そしてその日から地獄の訓練は始まった。

 ケイさんの指導は宣言通り厳しいものだった。優しい人だと思っていた、いや実際に優しい人ではあるけれど訓練の時は別人のように厳しかった。鬼軍曹という言葉がぴったりのスパルタぶりだった。

 ケイさんが教えてくれたことはどれもこれも基本的なことばかりだった。最初私はそれに不満を抱いていたけど、すぐにそんな気持ちは消え失せた。

 だって私はそんな基本の段階で躓いていたんだから。

 当時の私は有り体に言って調子に乗っていた。あの黒森峰のエレファントやヤークトティーガーを撃破したことで、知らず知らずのうちに天狗になっていたんだ。

 ケイさんの指導を受けて、私はその鼻っ柱をへし折られた。

 私はこんな基本的なことすら満足にできないのかって。

 こんなことで西住隊長の正しさを証明できるのかって。

 結果が出せず悔しさのあまり泣いたことは数知れず、何度も挫折しかけた。

 

『ギブアップかしら、アズサ?』

 

 そんな時ケイさんは決して優しい言葉で励ましたりはしなかった。

 

『ならやっぱりミホの戦車道は間違ってたってことかしらね』

 

 代わりに投げ掛けられるのはそんな挑発めいた言葉だった。

 今ならあれは発破をかけようとしていたんだと分かる。でも当時の私はそれが分からなくて、西住隊長のことを侮辱されたとしか思えなくて。怒りのあまり頭が沸騰しそうになっていた。

 

『訂正してください』

 

 涙を拭って、怒りを両目に滾らせながら私はケイさんを睨み付けていた。

 

『私はともかく西住隊長を馬鹿にするのは許せない!』

 

 でもケイさんはそんな私の怒りなんてどこ吹く風で、ニッと快活に笑った。

 

『ならガッツを見せなさい! 落ち込んでる暇なんてないわよ!』

 

 今思えば何とも身勝手な態度だった。無理を言って指導をしてもらっている相手に癇癪を起こして当たり散らすなんて。

 そんな私に愛想を尽かさずに卒業まで付き合ってくれたケイさんにはどんなに感謝してもしきれない。

 

 そして月日は流れて、ケイさんの卒業式の前日。

 ケイさんに呼び出された私は何故かケイさんと一騎討ちをすることになった。

 どうしてこんなことに? 混乱する私に対して既に戦車に乗りこんでいたケイさんはマイク越しに告げた。

 

『卒業試験よ。見せてみなさいアズサ。貴方の実力を。貴方の覚悟を!』

 

 その言葉に私は気を引き締めた。

 何故突然ケイさんがあんなことを言い出したのかは分からなかった。それでもケイさんの想いは伝わってきた。なら私も全力で答えるべきだと、それだけは分かった。

 ケイさんに勝つ。それがケイさんに対して私にできる最高の恩返しだと、そう思ったから。

 

 ケイさんは強かった。

 それまでも訓練で対戦したことはあったけどあの時のケイさんの強さは段違いだった。

 もちろんケイさんのことだから勝負で手を抜いたりはしないだろう。けどあの時のケイさんは気迫が違った。

 それでも私は必死に食らいついた。何度もやられそうになったけど、何とか持ち堪えた。そうしているうちに私は不思議な感覚に囚われた。

 何をどうすればいいのか、考えるまでもなく分かる。

 勝利までの道筋が自然と頭に浮かんでくる。

 そんな感覚だった。

 ケイさんに教わった基礎と西住隊長と一緒に戦った経験が、パズルのピースみたいに繋ぎ合わさっていくのを感じた。

 それまで積み重ねてきたものが、血となり肉となり私の体を突き動かした。

 私はあの日、一つ上のステージに上ることができたんだと思う。

 

 そして気付けば勝負は終わっていた。白旗を上げていたのはケイさんが乗るシャーマンだった。

 

 私はその日、初めてケイさんに勝利した。

 

『グレイト!! やったわね、アズサ!!』

 

 勝てたことが信じられなくて呆然としていた私を、ケイさんは笑顔で祝福してくれた。

 そして私はその場で一軍への昇格を告げられた。

 誰からも反対の声は上がらなかった。あのケイさんに勝った私の実力に疑問を抱く人は一人もいなかった。

 

 後から聞いた話だと、ケイさんは元々私を一軍へ昇格させるつもりだったらしい。

 けれど戦車道を始めてまだ一年も経っていない、サンダースに転校してからまだ半年しか経っていない私を一軍に加えることに対して反対意見も少なからずあったらしい。

 あの勝負はそんな人たちを納得させるためのものだったらしい。本当に、ケイさんにはどんなに感謝してもしきれない。

 

 その後私はサンダースのレギュラーとして全国優勝を勝ち取った。3年生の時には隊長も務めて、全国大会で2連覇を達成した。おかげで色んな大学からスカウトが来た。

 大学の進学については正直迷った。最初はケイさんと同じサンダース大学に行くことも考えた。けど私は現在の大学に、まほ隊長がいる大学に進学することを選んだ。名実ともに日本一と言われる大学で自分の実力を試してみたかったから。

 ケイさんにそのことを報告する時には申し訳ない気持ちになった。あんなにお世話になったケイさんを裏切ってしまったように感じられたから。

 でもケイさんはそんな私を責めるようなことは一言も言わなかった。あの日と同じように、笑って祝福してくれた。

 ……本当に。私なんかにはもったいない、素晴らしい先輩だと思う。

 

「だからこそお前にはこれからも戦車道を続けてほしいと思う」

 

 まほ隊長の言葉に、私は意識を現実に引き戻された。

 まほ隊長は縋るような瞳で私を見つめていた。

 

「お前は私の希望なんだ。みほが助けたお前が、みほの戦車道を受け継いでくれる。みほが見つけたみほだけの戦車道を、みほが生きていた証を残してくれる。それこそが――」

 

 そこまで言うとまほ隊長は急に我に返ったように口を噤んだ。

 

「……いや、すまん。何を言っているんだろうな、私は。忘れてくれ」

 

 まほ隊長は目を逸らして誤魔化すようにグラスを呷った。

 

「いいえ、忘れません」

 

 私はそんなまほ隊長の顔を真っ直ぐに見つめて宣言した。

 

「あの時の西住隊長の行動は間違ってなかった、西住隊長の戦車道は間違ってなかった。それを証明してみせます!」

 

 まほ隊長に言われるまでもない。西住隊長のためにも、私はこれからも戦車道を続けていかなきゃいけないんだ。それが私の、あの日西住隊長に助けられた私に課せられた使命なんだから。

 

「……そうか」

 

 私の言葉にまほ隊長はまるで眩しいものを見るように目を細めた。




澤ちゃん魔改造の巻。
優れた才能、才能を伸ばす努力、努力を継続できる熱意、熱意を正しい方向に導くケイさんの指導。
それらが上手い具合に噛み合いまくった結果、澤ちゃんがとんでもないことに。


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ケイの嫉妬

ケイさんの誕生日に投稿したかったのに遅れに遅れました。


【ケイ視点】

 

 強烈なアルコール臭に混じって仄かな桜の香りが鼻をかすめる。

 冬に桜の香りなんて本来はありえない。事実その香りの元は桜じゃなく、私の目の前にあるグラスを満たした液体だった。

 ズブロッカというポーランドのウォッカだ。バイソングラスという薬草を漬け込んでいて、それが日本人からすると桜の香りと味に感じられるらしい。初めて飲んだ時はその香りと味に驚かされた。

 正確には桜というより桜餅という方がしっくりくるけど、そんな細かいことは個人的にはどうでもいい。お酒なんてものは美味しく楽しく飲めればそれでいいんだから。

 グラスを傾けて中身を少量口に含むと、味わうように舌の上で転がしてゆっくりと飲み込む。

 喉が焼けるような熱さとともに桜の香りが口いっぱいに広がったところで、私は切り分けたケーキを頬張った。

 こちらは同じくポーランドのチーズケーキ、セルニックだ。この重くて甘い風味、一度食べてからというもの病みつきになっちゃったのよね。

 

「ケーキをつまみに酒を飲むというのもどうかと思うけど」

「いいじゃない、どっちも美味しいんだから」

「まあ、気に入ってくれたようで何よりだわ」

 

 目の前に座る女性、ヤイカは苦笑しながら同じようにケーキを一口、口に運んだ。

 ヤイカはボンプル高校の出身で、一時はタンカスロンの王者にまで登り詰めた選手だ。今では公式戦車道の舞台に舞い戻り、私と同じサンダース大学に進学。そして現在では私が隊長を、ヤイカが副隊長を務めている。

 とは言ってもそれもあと数日のこと。私たち4年生は引退して後輩にその役目を引き継ぐことになっている。

 結局私たちの代では一度も優勝することはできなかった。新隊長のナオミには私たちの分まで頑張ってほしい。

 

「それで、話って何?」

 

 このまま美味しいお酒とケーキを味わっていたいのは山々だけどそうもいかない。今日こうしてヤイカの家に来たのはヤイカから話があると言われたからだ。

 お酒は強い方だけど、このお酒は度数が高いから何杯も飲めば流石にそのうち酔いが回ってくる。酔っぱらう前に用件があるなら聞いておかないと。

 ちょうどケーキを食べ終えていたヤイカは、フォークを置いて真っ直ぐに私の瞳を見つめてきた。

 

「本当にプロに行く気はないのね」

 

 私はヤイカの言葉に思わずウンザリしたように顔を顰めた。ように、というか実際に私はウンザリしていた。

 私とヤイカは今年度で大学を卒業する。

 私は日本戦車道連盟公認の戦車道の教官に、ヤイカはプロの戦車道選手になることがそれぞれ決まっている。

 周りの人間は私もヤイカと同じようにプロに行くと思っていたらしくて、私が戦車道の教官になるというと皆こぞって聞いてきた。「何故教官に?」とか「どうしてプロに行かないの?」って。

 特にヤイカには何度もしつこく考え直すように言われたものだ。

 

「何度も言ってるでしょ? アズサの指導をしているうちに人に教える楽しさに目覚めたのよ。プロに行きたい気持ちがないと言ったら嘘になるけど、もう私は教官になるって決めたのよ。今更変えられる訳ないでしょ」

「ありえないわ、貴方程の人がプロにならないなんて。今からでも遅くない、考え直しなさい。オファーだって来ていたんでしょう?」

 

 いつも通りの答えを返す私に対して、ヤイカは納得がいかないのか尚も食い下がってきた。

 

「しつこいわね。どうしてそこまで私の進路に拘るのよ。私がプロに行こうが行くまいが貴方には関係ないでしょ」

 

 内心の苛立ちを抑えることができず、ついきつい口調になってしまった。

 そんな私の態度に気圧された訳でもないだろうけど、ヤイカはばつが悪そうに目を逸らした。

 

「私はこれでも貴方に感謝しているのよ。貴方は私に、私たちに居場所をくれた。今の私たちがあるのは貴方のおかげだと思っている。そんな貴方とこれからも一緒に、同じ舞台で戦いたい。そう思うのはおかしいことかしら?」

 

 予想外の言葉に私は驚いて目を瞬かせる。

 隊長として、チームメイトとしてあれこれ世話を焼いたのは確かだけど、そこまで大真面目に言われると流石に照れる。私はつい誤魔化すように頬を掻いた。

 

「大袈裟ね。私はそんな大したことはしてないわ」

「貴方にとってはそうかもしれないわね。でも私たちにとっては大したことなのよ。私が副隊長になれたのも、私たちが今もこうして戦車道を続けていられるのも、すべては貴方のおかげだと思ってる。貴方に受けた恩は返そうと思っても返しきれるものじゃないわ。私が、私たちがここまで来るのにどれだけ苦労したか。貴方だって知ってるでしょう」

 

 ヤイカの言葉に私は頷く。

 私は知っている。ヤイカが、ボンプル高校の皆が今までどれだけの苦難の道を歩んできたかを。タンカスロンの王者と言われた彼女たちが今では公式戦車道の舞台で戦っている理由を。

 

「私たちは、ボンプル高校は公式戦車道ではずっと勝てなかった。貧弱な戦車、ポーランド有翼重騎兵(フサリア)の突撃を再現するというロマンに対するこだわりのせいでね」

 

 確かにヤイカがいたボンプル高校は、保有する戦車のほとんどが軽戦車や豆戦車だった。戦車道は戦車の性能がすべてじゃないけど、ボンプルの火力では強豪校を相手にするのは厳しいと言わざるを得ない。

 事実ヤイカが隊長として隊を率いた4年前の大会では、一回戦でプラウダ高校相手に完敗を喫していた。

 

「強豪校有利の公式戦車道に私たちの居場所はない。一度は戦車道に絶望した私たちは、強襲戦車競技(タンカスロン)に希望を求めた。そしてそこで勝ち続けた。勝って勝って勝ち続けて、遂には王者の座を掴み取った。やっと報われたと思ったわ。そして自信になった。戦車の差さえなければボンプルこそが最強だと、そう思った時期もあったわ。

 けどその栄光も終わりを告げた。……あの事故のせいで」

 

 あの事故。

 タンカスロンの試合中に起こった死亡事故のことだろう。一時期、戦車道界隈でも話題になったので私もそのことは覚えている。

 と言っても私もそこまで詳しい事情は知らない。私が知っているのは、一人の選手が試合中に相当な無茶をした挙句に亡くなったらしいということだけだ。

 たしか名前は。

 

「鶴姫しずか、だったかしら」

「ええ。……全く余計なことをしてくれたわ」

 

 ヤイカは苛立たしげに歯ぎしりをして、グラスの中身を一息で飲み干した。

 元々戦車道界隈ではタンカスロンの存在を快く思わない人は多かった。伝統と格式を重んじる公式戦車道からすれば、ルール無用のタンカスロンは下品で野蛮なものに映ったのかもしれない。

 けどヤイカがいたボンプル高校を始めとして予算や校風などの縛りがあって強力な戦車を導入できない高校からすれば、戦車の性能差なしに戦えるタンカスロンは魅力的に映っただろう。

 大洗の廃校とミホの自殺を機に戦車道をやめてタンカスロンに参加する子も少なからずいた。将来的にはタンカスロンが戦車道に取って代わって、日本の戦車競技の主流になるんじゃないかと言う人までいた。

 

 そんなところにあの死亡事故だ。

 日本戦車道連盟はこれ幸いとばかりにあれこれと規制を掛けて、今ではタンカスロンは日本国内において全面的に禁止になっている。

 とは言え、それだけで公式戦車道に人が戻ってくる訳じゃない。そこで連盟は公式戦車道の改革に乗り出した。そしてあの事故を引き合いに出して公式戦車道の安全性を訴えた。

 公式戦車道はタンカスロンと違って安全性には充分に配慮されている。だからあのような事故は起こらない、って。

 確かにタンカスロンは安全性という点では問題を抱えていた。観戦については何があっても自己責任で特にルールなどは設けられておらず、戦車を間近で見られるからと観客はそれこそ戦車同士が撃ち合っているすぐ傍まで近寄って観戦していた。

 そこが面白いところでもあったけど、一歩間違えれば大事故に繋がりかねなかったのも事実だ。

 公式戦車道の試合では観客席は試合会場から遠く離れているのでそんなことは起こらない。それに加えて審判を始めとしたスタッフを増員し、天候不良の際には試合開催の可否をより慎重に協議するようになった。また、選手の生命が危険に晒されるような事態が起きた場合には即座に試合を中断して救助に当たることがルールに明記された。選手の安全をそれまで以上に重視するようになった。

 日本戦車道連盟で戦車道の教官を募集し始めたのもその頃からだった。今では日本で戦車に乗るには連盟公認の教官による講習を受けることが義務付けられているし、それ以外でも希望する学校には教官が赴いて教導を行うようになっている。

 正直言って遅すぎたとは思う。もっと早く改善に乗り出していれば、5年前の事故だって起こらなかっただろうに。

 

「強襲戦車競技という居場所を無くした私たちは選択を迫られた。戦車を降りるか、それとも公式戦車道に戻るか。実際戦車を降りた子も少なからずいたわ。今更どの面下げて戦車道に戻れるのか、って。大半は私と一緒に公式戦車道の舞台に戻ることを選んでくれた。けどそんな私たちに対して周囲の反応は冷たいものだった。強襲戦車競技出身というだけで誰も彼も私たちを見下していた。

 でも貴方は違った。誰もが色眼鏡で見る中、貴方だけは私たちを見下したりしなかった。差別したりしなかった。私を副隊長に推薦したのも貴方だと聞いている。本当に、いくら感謝してもしきれないわ」

「私は何もしてないわ。貴方は自分で皆の信頼を勝ち取ったのよ。あのカチューシャに勝ったんだもの。誰も貴方の実力を疑ったりなんてしないわ」

「そうね。ええ、その通りよ。勝ったのは私の実力、それを否定する気なんてない。でもね、勝ち負け以前に勝負する機会を与えてくれたのは貴方でしょう?」

「……何のこと?」

「惚けないで。貴方はあの日、どうしても外せない用事があると言っていた。でもあれは嘘でしょう?」

 

 ヤイカの問いに対して私は曖昧に笑って誤魔化した。

 あれは一年前の大学3年生の冬のことだった。

 ロシア留学から戻ってきたカチューシャが率いるチームとの公式戦。当時隊長だった私はどうしても外せない用事があって副隊長のヤイカに部隊の指揮を任せた、ということになっている。

 でもそれはヤイカの言う通り嘘だった。ヤイカに部隊の指揮を任せるための方便に過ぎなかった。

 どうしてそんなことをしたかと言えば、必要なことだったからだ。

 私はヤイカは副隊長になるに相応しい実力があると思っていたし、先輩たちも納得してくれた。部員たちからも表立っては不満の声は出なかった。でもやっぱりどこかでタンカスロン出身だからと侮っている節はあった。そんな考えを払拭するためにも、ヤイカの実力を皆に知らしめる必要があった。

 私はヤイカならきっとやれると思っていたし、結果としてヤイカは見事に勝利を勝ち取った。あの試合以降ヤイカに対する周囲の態度は明らかに変わったし、私としても上手く事が運んでくれてほっとした。

 それを敢えて口にするのも野暮ってものだから、絶対に言わないけどね。

 

「まあいいわ。とにかく私は貴方に感謝している。今もこうして戦車に乗れる、それどころかプロにまでなれるなんて以前なら考えられなかった。それもこれも全部貴方のおかげよ。それなのに私だけプロになって貴方がプロを諦めるなんて納得できる訳がない。

 一緒にプロになりましょう。そしてこれからも、ともに競い合いましょう。お願い、ケイ。どうか考え直して」

 

 そこまで言ってヤイカは私に向かって頭を下げる。

 私は驚いた。あのプライドの高いヤイカがここまでするなんて。その姿を見て私の心は大いに揺らいだ。

 

 それでも。

 

「……ごめんね、ヤイカ」

 

 もう決めたことだから。

 

 私の答えは変わらなかった。

 

「……残念ね。本当に、残念……」

 

 私の意志が固いと見て取ると、ヤイカはそれ以上引き止めるようなことは言わなかった。

 

「貴方がプロになる気がないというならもう何も言わないわ。けどね、最後に一つだけ聞かせてほしいのよ。貴方がプロを諦めた理由を」

「だから。何度も言ってるでしょ? 人に教える楽しさに目覚めたからって――」

「嘘ね」

 

 私の言葉を遮ってヤイカは断言した。

 

「……いいえ、違うわね。貴方は嘘は言っていない、確かにそれも本音ではあるでしょう。けどそれだけが理由じゃない。そして隠している理由の方が本当の理由。私にはそう思える」

 

 その瞳が語っていた。嘘は許さないって。その真剣な瞳を見て、私は誤魔化しきれないと悟った。

 

「分かった分かった。降参よ、降参」

 

 私は大袈裟に両手を上げるジェスチャーで観念したという旨を伝える。

 

「アズサの指導をしているうちに教える楽しさに目覚めた、その言葉に嘘はないわ。でもそうね、一番の理由はそうじゃない。私が教官を目指した……いいえ、プロを諦めた理由はね。なんてことはないわ、単に身の程を知ったってことよ」

 

 それは今まで誰にも話したことがない、一生胸の内に秘めておこうと思っていた私の本心だった。

 アズサの指導をしてその成長を間近で見続けた私は指導者として誇らしい気持ちを覚えると同時に、戦車乗りとしてその才能に嫉妬もしていた。戦車道を始めてたった一年で私に追い付いて、遂には追い越してみせたんだから。

 自惚れるつもりはないけど私はこれでも人望はあるつもりだ。サンダースで高校、大学と隊長を務められる程度には実力もあるつもりだ。けど一選手としてははっきり言ってそれ程優れている訳じゃない。

 その証拠に同学年のマホやダージリン、カチューシャやアンチョビと比べてその実力を評価される機会は少ない。人柄だとか人望だとかフェアプレイの精神だとか、私に対する称賛の言葉はそのほとんどが実力とは別の事柄に対して向けられるものだ。

 

「アズサの指導をして、アズサの成長を間近で見続けて思ったのよ。こういう子が将来プロになって、代表に選ばれて、世界で活躍するんだろうな~、って」

 

 そしてそんなアズサと比較して自分はどうだろう。私にあの子のような実力があるだろうか、才能があるだろうか。私もプロになって、世界で活躍することができるだろうか。いつしかそんな疑問を抱くようになった。

 その疑問を解消するために、私は高校の卒業式の前日にアズサに一騎討ちの勝負を挑んだ。

 表向きの理由はアズサの一軍入りに懐疑的な子たちにアズサの実力を見せて納得させるためだった。別にそれは嘘じゃない。

 

『卒業試験よ。見せてみなさいアズサ。貴方の実力を。貴方の覚悟を!』

 

 あの言葉にも嘘はない。アズサの実力を、覚悟を確かめたかった。その気持ちは嘘偽りのない本音だ。

 けど本当は違った。

 あの時本当に確かめたかったのはアズサの実力じゃない。自分の実力だ。

 私だってやれる、私だってきっとプロになれる、いつか世界で戦える。それを証明したかった。

 

 でも負けた。

 

 あの時の私は本気だった。今まで試合で手を抜いたことはなかったけど、あの時の私は今までの人生の中でも一番集中していたし、調子もよかった。

 

 それでも負けた。

 

 もしあの時勝てていたら、私はずっと戦車道を続けようって思えたのかもしれない。

 

 でも、負けたんだ。

 

 だから。

 

 あの日、あの瞬間。

 

 私の戦車道は終わったんだ。

 

「なるほど」

 

 私の話を聞き終えると、ヤイカはグラスにお酒を注いで舐めるように一口飲んだ。そして静かにグラスを置くと口を開いた。

 

「確かに貴方は澤梓に比べれば劣っていると言わざるを得ないわね」

「はっきり言うわね」

 

 別に慰めの言葉が欲しい訳じゃないけど、そこまではっきり言われると流石に傷つく。

 

「勘違いしないで。私は決して貴方を貶している訳じゃない。確かに貴方は高校でも大学でも突出した選手ではなかった。でもそれはサンダースの戦術を考えれば仕方のないことではないかしら?」

 

 言われて私は考える。

 本来サンダースの強みは戦力の平均化による汎用性と対応力にある。例え隊長や副隊長がいなくなってもすぐに指揮系統を引き継ぎ対応できる。誰がいなくなろうが替えが効く。それこそがサンダースの強さの秘訣で、むしろ替えが効かない存在はかえって邪魔になりかねない。

 

「澤梓。確かに彼女は優秀よ。今の日本の戦車乗りの中なら五本の指に入るでしょう。けどそんな彼女の存在はサンダースの戦車道においては異物でしかない。澤梓がいなくなった後のサンダースがどうなったか、貴方が知らないはずがないでしょう?」

 

 私は黙って頷いた。確かにアズサが卒業した後のサンダースは悲惨なことになっていた。

 サンダースは全国大会で2連覇を達成した。その立役者は間違いなくアズサだろう。アズサという一人の突出した指揮官を中心にチームはまとまっていた。アズサの指揮を忠実に実行することでチームは強さを発揮していた。

 でもそれは本来のサンダースのチームコンセプトとは相反するものだった。そしてその歪みはアズサの引退後にすぐに現れた。

 アズサが引退した後の隊長はアズサと同じだけの力量を求められて明らかにキャパオーバーになっていた。チーム全体としてもそれまでアズサに頼り切りになっていたのが災いした。隊長がいなくなると指揮系統は混乱して、ただの烏合の衆に成り果てていた。

 

「純粋な戦車乗りとしての能力なら澤梓の方が上かもしれない。けどサンダースの隊長にどちらが相応しいかと言えば、それは間違いなく貴方よ」

「あんまり嬉しくないわね~。結局実力では負けてるってことでしょ?」

「それは仕方がないわ。彼女に勝てる選手なんて今の日本には片手で数えられるくらいしかいないだろうし。けど彼女があそこまで強くなれたのは貴方の指導があったからこそでしょう。そこは誇っていいところだと思うけどね。元々の才能もあったでしょうけど、彼女の成長速度は異常の一言よ。聞けば彼女が戦車道を始めたのは高校からというじゃない。一体どんな指導をしたらあそこまで伸びるのかしら」

「別に特別なことはしてないわ。ただ私は基本を教えただけよ」

 

 これに関しては謙遜でも何でもなく事実だった。実際私がアズサにしてあげたことと言えば徹底的に基礎を教え込んだ。それだけだ。

 確かにアズサには才能があった。でも才能に頼って基本を疎かにすればいずれ行き詰る。そして当時のアズサは早く実力を付けようと焦っていた。ミホに憧れるあまり足元が見えていなかった。

 私もミホの戦いは観ていた。私が思いもよらないような方法で強豪校を相手取る様は本当にエキサイティングだった。傍から観ていた私でそうなら一緒に戦っていた仲間にとっては尚更だろう。

 事実、アズサは私以上に身近でミホの戦い方を見てきたし、ミホの戦いに魅せられていた。それ自体は悪いことじゃない。

 でもミホの戦術は初心者がいきなり真似すべき戦い方じゃなかった。基礎も碌にできていない段階で応用に手を出しても所詮は付け焼き刃にしかならない。

 ミホの場合は西住流として生まれて、中学高校と黒森峰に在籍して訓練を受けて基礎は既に出来上がっていた。奇策に走るのも大洗の戦力じゃ正面から戦えば強豪校相手に敗北は免れない以上仕方がないことだ。

 アズサはそこを理解していなかった。別にセオリー通りに戦うことがいつも正しいとは言わない。けどセオリーを知った上で無視するのと、そもそも知らないのでは大きな違いだ。

 ただ楽しくやりたいというなら私だってうるさいことは言わなかったし、そもそも私が指導する必要なんてなかった。必要最低限のことだけ教えて後は自由に楽しくやらせていただろう。

 

『西住隊長の戦車道は間違っていない、それを証明したいんです!』

 

 でもあの娘が選んだ道はそんな甘いものじゃなかった。ミホの戦車道を受け継ぐ、その正しさを証明する。それがどれだけ困難なことかは本人も自覚していただろう。だからこそ大洗の廃校を待たずに転校してきたんだろうし。

 私がアズサの指導を引き受けたのはそんな彼女の熱意に心を打たれたからだ。応援したいと、証明してほしいと思ったからだ。

 ミホの戦車道は間違っていない、これこそが戦車道だ、って。

 

 5年前の決勝戦は私も観ていた。

 仲間を助けるために川に飛び込むミホの姿を見て私は感動した。たとえその結果敗北したとしても、勝利よりも仲間の命を優先したミホの判断は絶対に間違っていない、これこそ戦車道のあるべき姿だ、そう思った。

 でも黒森峰ではそう思われなかったみたい。西住の娘で一年ながら副隊長を務めていた人間が、戦車道が廃止されて久しい大洗に転校していたことを考えればどんな扱いを受けたかは想像がつく。

 前人未到の10連覇、それを逃したのは確かに残念なことかもしれない。けれどスポーツである以上人命こそが何よりも優先されるべきだと私は思う。

 

 ……そういえば、ヤイカはあの時のミホの行動をどう思っているんだろう。

 ふと気になって私は聞いてみることにした。

 

「ねえ、ヤイカ。貴方はミホの、5年前の決勝戦で西住みほのしたことは間違ってたと思う?」

「ええ」

 

 ヤイカは何の躊躇いもなく頷いた。

 

「……理由を聞いてもいい?」

「簡単よ。彼女は負けたから。それだけのことよ。戦車道は戦争ではなくスポーツだという貴方の考えには私も同意するわ。でもね、スポーツの世界でも結果が優先されるのは変わらない。黒森峰でも大洗でも、結果が伴ってさえいれば西住みほの行動は称賛されたでしょうね。

 でも負けた。それも絶対に負けられない試合で負けた。副隊長として、隊長として、部隊を預かる者として、許されない失態よ」

 

 確かに一理ある。

 戦車道はスポーツで勝ち負けがすべてじゃない、とは言っても勝ち負けはどうでもいいということじゃない。部隊を率いる人間として、皆の努力を無駄にしないためにも勝たせてあげるのが隊長の責務だというのも分かる。高校最後の大会で一回戦負けした私が言っても説得力はないから口には出さないけどね。

 だから私が口にしたのは別のことだった。

 

「仮に、もし仮によ。貴方の仲間が、ウシュカやピエロギやマイコが、同じ状況に陥ったら。貴方は見捨てるって言うの?」

「見捨てるわ」

 

 何の迷いもない即答だった。私はそれが信じられなかった。ヤイカだって仲間のことを大切に思っているのは私にも分かる。

 それなのに。

 何故そんな簡単に見捨てるなんて言えるのか。

 

「それこそ仮に。そういう状況で私が勝利を捨ててまで仲間を助けに行ったとしても、あの子たちは喜ばないからよ。少なくとも私が同じ立場なら喜ばない、いいえ、許さないわ。

 私たちがしているのはただ戦車に乗って遊ぶだけの仲良しごっこじゃない。私たちの青春のすべてを懸けた真剣勝負よ。だからこそ勝たなきゃ意味がない。仲間を大切に思えばこそ、仲間を犠牲にしてでも勝たなければいけないのよ」

 

 それが他の人間の言葉なら私は即座に反論していただろう。けどヤイカが相手となるとそうはいかなかった。

 だってヤイカは知っているから。

 勝利の重みを。

 勝てないことの辛さを。

 負け続けることの苦しみを。

 きっと誰よりも知っているから。

 それでも黙っているわけにはいかない。何か言わないと。そう思って私は懸命に言葉を絞り出した。

 

「そうね、確かに貴方の言うことも分かるわ。けどね、それでも私はミホのしたことが間違いだなんて思えないし、思いたくないのよ」

 

 ミホの戦車道が間違っているなんて思いたくない。

 けどヤイカの戦車道が間違っているなんて思えない。

 きっとどちらも間違いじゃない、どちらも正しいんだ。

 仲間を大切に思う気持ちも、勝ちたいと思う気持ちも、どちらも私は否定したくない。

 私は誰の戦車道も否定したくないし、誰にも自分の戦車道を否定してほしくないんだ。

 

「ねえ、ヤイカ。そういえばまだ言ってなかったわよね。私が教官を目指した本当の理由を」

 

 さっき話したのは私がプロを諦めた本当の理由。

 これから話すのは私が教官を目指した本当の理由だ。

 と言っても今まではぼんやりとしていて我ながらはっきりしなかった。

 でも今こうしてヤイカと話していてようやく自分の気持ちを理解できた。

 

 あの日、アズサに負けた時に私の戦車道は終わったのかもしれない。

 でも戦車が好きだという気持ちは今も変わらない。そしてこの気持ちを皆にも知ってほしいと思っている。

 戦車を知らない人にも戦車のことを知ってほしい、戦車を好きになってほしい。

 戦車に乗っている子に戦車を嫌いになってほしくない、戦車に乗るのは楽しいものなんだということを忘れないでほしい。

 アズサみたいに道に迷っている子を導いてあげたい。自分の道を歩めるように手助けをしたい。

 それが、私が教官を目指す理由なんだ。

 

「甘いわね」

 

 ヤイカは私の言葉をせせら笑った。せせら笑うような声だった。けどその声音とは裏腹に表情はどこか優しかった。

 

「でも、貴方のその甘さに救われる人間もいるのかもね」

 

 ヤイカは不意に立ち上がると、私に向かって敬礼した。中指と人差し指だけを伸ばしたポーランド式の敬礼だった。私は同じように立ち上がって敬礼を返す。こちらは指をすべて伸ばす一般的な敬礼だった。

 しばらくの間私たちは無言で向かい合っていた。不意に敬礼を解くと私は表情を崩して笑った。それはヤイカも同じだった。今日初めて見せた、心からの笑顔だった。

 

「今日はとことん飲むわよ。付き合いなさい」

「オフコース! 朝までだって付き合うわ!」

 

 私たちはお互いのグラスにお酒を注いで改めて乾杯した。

 

 

          *

 

 

 その日私は夢を見た。

 夢の中の私は戦車に乗っていて、周りを見るとヤイカや、ナオミや、アズサや、かつてライバルとして戦った皆がいた。

 私は日本代表の一員としてこれから世界大会の決勝に臨む、そういう場面だった。

 試合開始の合図とともに私は戦車を前進させようとして。

 

 そこで目が覚めた。

 

 気怠い体を起こす。時計を見ると昼の12時を回っていた。

 昨日は流石に飲み過ぎた。最後の方は記憶が朧気だけど、たしか夜明け近くまで飲んでいた気がする。

 私はまだ寝ているヤイカを起こさないようにそっと立ち上がると、二日酔いでズキズキと痛む頭を押さえながらとりあえずは水を飲もうとキッチンに向かう。

 

 歩きながら私は考える。

 仮にあの時、アズサに勝っていたら私はどうなっていたんだろう。

 今でも本気でプロを目指していただろうか。

 目指したとして本当にプロになれていただろうか。

 もしかしたら、あの夢のように皆と一緒にプロで、代表で、世界で戦う未来もありえたんだろうか。

 そう思うと途端に寂しい気持ちに襲われる。

 選んだ道に後悔がある訳じゃない。

 それでも。

 私も皆と一緒に、プロで戦いたかったな……。

 

 そこまで考えたところで私はコップに注いだ水を一気に飲み干した。まるで胸の内から湧き起こる未練を一緒に飲み込むように。

 アルコールのせいでダウナーになっていたかもしれない。私は頭を振って気持ちを切り替える。

 終わったことを今更悔やんでも仕方ない。悩みに悩んで自分で決めたことを否定しても何にもならない。どんな道を選んでも全く悔いがないなんてことはありえない。時間は掛かるかもしれないけど、それでも自分の気持ちに折り合いをつけていくしかないんだから。

 未来がどうなるかなんて誰にも分からない。先のことを考えるのもいいけどまずは目の前のことを一つ一つ片付けて行くべきだ。

 とりあえず今考えるべきは。今日の朝食もとい昼食は何を食べるかだ。まずは食べてお腹を満たして後のことはそれから考えよう。

 そう決めて私は昼食の準備に取り掛かった。




最初はケイさんのお相手はダー様の予定でしたが、ボンプル高校はサンダース大学に進学する生徒が多いという情報を思い出して変更しました。
リボンの武者のキャラは出すかどうか迷っていたんですが、もうこの際だからガッツリ書きます。
今後もちょくちょくリボンの武者のキャラは出てきます。
差し当たってはBC自由のあの人かな。


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ifルート:ケイの未来

大分間が空いてしまいましたが。ようやく投稿できました。
最近暗い話題が多いから、という訳でもありませんが今回はケイさんifルートのHAPPY ENDです。
あと今回名前ありのモブキャラが何人か出てきます。
と言っても本当に少ししか出番はありませんが、苦手な方はご注意を。


【ケイ視点】

 

 ソファに座って目の前のテレビから流れる映像をぼんやりと眺める。好きな映画が放送されるからとテレビを点けたはいいけど内容は全然頭に入ってこない。

 明日のことを考えるとどうにも緊張して何も手につかなかった。

 だって明日は待ちに待った私の戦車道のプロデビューになる試合なんだから。

 リーグ戦はすでに優勝争いは終わっていて、残りは消化試合に近い。それでもこうしてレギュラーに選ばれた以上、アピールはしておきたい。来年以降のことを考えればここでしっかりと結果を出しておきたい。

 気負っても仕方ないと分かっているのに、どうしても色々考えてしまう。まだ早いけどさっさとベッドに入ろうかとも考えたけど、今の状態じゃ中々寝付けそうにない。なら軽くジョギングでもしてこようかと考えていると携帯が鳴った。

 こんな時間に誰だろうと思って画面を見る。電話をしてきたのはアズサだった。

 

『お久しぶりです、ケイさん! えと、今大丈夫でしたか?』

「ええ、大丈夫よ。久しぶりね、アズサ。今日はどうしたの?」

『はい。ケイさんが明日の試合のレギュラーに選ばれたって聞いて、どうしても直接お祝いの言葉を言いたくて。おめでとうございます!』

 

 他の子からもメールでお祝いの言葉はもらったけど、わざわざ電話してきてくれるなんてね。何だか嬉しい。

 でもお祝いというなら。

 

「サンクス! けどそっちこそ凄いじゃない。聞いたわよ、大学選抜に選ばれたって。おめでとう!」

『いえそんな、私なんてまだまだで……』

「謙遜しないの。アズサの悪い癖よ、そういうところは」

『は、はい! すみません!』

「大学リーグでも絶好調らしいじゃない。期待してるわよ、今年こそはサンダース大学が優勝してくれるって」

 

 私の母校であるサンダース大学は現在リーグ戦で首位に立っている。

 今年のサンダース大学はアズサ以外にも隊長であるアリサ、副隊長のナオミを筆頭に優秀な選手が揃っている。

 私たちの代では結局優勝はできなかったけど、今年のサンダース大学ならきっと優勝してくれる、私たちが叶えることができなかった悲願を達成してくれる。私はそう信じている。

 

「大丈夫、貴方たちならできるわ。自信を持ちなさい」

『はい!』

 

 いい返事だ。これならきっと大丈夫ね、と思ったところでアズサは無言になった。

 どうしたんだろう。まだ何かあるんだろうか。疑問に思った私が声を発する前にアズサの方から口を開いた。

 

『その、ケイさん』

「うん? どうしたの?」

『ありがとうございます』

 

 突然真剣な口調で言われて私は困惑した。

 

「どうしたの、そんな改まって」

『ずっとお礼を言いたかったんです。今まで中々言う機会が無くて、でもこの気持ちは絶対に伝えたい、伝えなきゃいけないって思ってたから。だから言わせてください。

 ケイさん、本当にありがとうございます。私が今もこうして戦車道を続けていられるのはケイさんのおかげです。ケイさんの指導があったから、私はここまで強くなれたんです』

 

 真っ直ぐに感謝の言葉を伝えてくるアズサに対して、私はすぐに返事をすることができなかった。

 

「……私はお礼を言われるようなことはしてないわ」

 

 これは謙遜なんかじゃなく本心だ。

 そう、私はお礼を言われるようなことはしていない。

 私には、アズサにお礼を言われる資格なんてないんだから。

 

『お願いします、私を鍛えてください!』

 

 私は思い出す。

 5年前、戦車道の全国大会が終わって、夏休みが明けて新学期が始まって。サンダースの制服を着たアズサが私に会いに来た時のことを。

 

 目の前に現れたアズサの姿に私は驚いた。確かに「ウチはいつでもウェルカムよ!」とは言ったけど、まさかあんなに早く転校してくるとは思わなかったから。仮に転校してくるとしても、大洗が廃校になってから、年度が変わってからのことだと思っていたから。

 聞けばあの時期に転校してきたのは私に指導をしてもらいたかったかららしい。私が卒業していなくなる前にと無理をしてあの時期に転校してきたんだとか。

 そこまで言われて悪い気はしなかったけど、だからと言ってYesと即答はできなかった。

 サンダースには500人もの戦車道履修者がいる。そんな中で隊長である私が特定の隊員一人に付きっきりで指導なんて本来ならできるはずがない。アズサだってそれくらいのことは分かっていたはずだ。

 

『強くなりたいんです。西住隊長の戦車道は間違っていない、それを証明したいんです!』

 

 私はどう答えたものか迷った。けど、誠心誠意頭を下げてお願いするアズサに対して結局Noとは言えなかった。

 

『OK! 任せなさい! でも私の指導は厳しいわよ。付いてこれるかしら?』

『……勿論です!』

『いい返事ね! なら善は急げよ! 早速今日から訓練開始! 行くわよ!!』

『イエスマム!!』

 

 そしてその日から私は徹底的にアズサを鍛え上げた。映画に出てくるような鬼軍曹をイメージして、ひたすら厳しく指導した。

 と言っても訓練内容自体は単純なもので、基礎を繰り返し教え込んだだけだった。

 アズサには確かに才能があった。けど戦車道を始めて数カ月ということもあってまだまだ基礎が出来上がっていなかった。どんな才能も基礎という土台をしっかり作り上げないと花開くことはない。必ずどこかで行き詰るものだ。

 特にアズサの場合はミホの戦い方を身近で見てきたのもあって、セオリーを無視した奇策に走る傾向があった。あるいはすぐに強くならなきゃいけない、結果を出さなきゃいけないという焦りもあったのかもしれない。

 だから私はそんなアズサを落ち着かせる意味も込めてひたすらに基本的な訓練を繰り返し行わせた。

 

 アズサは最初明らかに不満そうにしていたけど、その基礎の段階で何度も失敗していくうちに不満を言うこともなくなった。

 当時のアズサはあの黒森峰のエレファントやヤークトティーガーを撃破したことで知らず知らずのうちに慢心しているように感じた。だからその鼻っ柱をへし折る必要があった。

 とはいえやり過ぎれば潰れる可能性もあった。

 事実、訓練を始めたばかりの頃はアズサは毎日のように泣いていた。少しでも早く結果が欲しいところに基礎ばかりの練習、しかもそれすら満足にできない自分自身の不甲斐なさに落ち込んでいたんだと思う。

 

『ギブアップかしら、アズサ?』

 

 そんな時私は決して優しい言葉で励ましたりはしなかった。

 

『ならやっぱりミホの戦車道は間違ってたってことかしらね』

 

 代わりに投げ掛けたのはそんな挑発めいた言葉だった。下手な慰めの言葉よりもその方が効果があると思ったからだ。

 

『訂正してください』

 

 効果は覿面だった。アズサはそれまでの落ち込みようが嘘のように怒りを両目に滾らせながら私を睨み付けてきた。

 

『私はともかく西住隊長を馬鹿にするのは許せない!』

 

 そんなアズサの顔を見て私は心が痛んだ。私自身酷いことを言った自覚はあったから。

 

『ならガッツを見せなさい! 落ち込んでる暇なんてないわよ!』

 

 でも私はそんな内心を表に出すことはせずに笑顔で指導を再開した。

 そんなことが何度もあって、私はアズサが潰れてしまわないか、私が卒業した後はやっていけるのかと心配したこともあった。

 

『あそこまで厳しくする必要ないんじゃないですか?』

 

 そんな風にアリサにやんわりと諫められたこともあった。けど私はアズサに対する指導方針を変えることはなかった。

 そもそも私がアズサの指導を引き受けたのは彼女の熱意に心を打たれたからだ。ミホの戦車道を受け継ぐ、その正しさを証明する、そのためならどんな困難だって乗り越えてみせる。そんな想いに応えてあげたいと思ったからだ。

 そして引き受けたからには半端な真似は許されない。だから私は心を鬼にして指導を続けた。

 

 結果として私の心配は杞憂だった。アズサは訓練を続けていくうちに次第にミスも減っていき、年が明ける頃には基礎は完全に出来上がっていた。

 そんなアズサの成長ぶりを見て私は指導者として誇らしい気持ちになった。

 その一方で心のどこかで暗い炎が灯るのを感じていた。

 有体に言って当時の私はアズサの才能に嫉妬していた。戦車道を始めて一年ですでにサンダースの二軍の子たちと同じかそれ以上の実力を身に付けていた。はっきり言ってあの成長速度は異常だった。

 アズサがどれだけ頑張ってきたかは指導した私が一番分かっていた。でもあれは努力だけでどうにかなるレベルを超えていた。

 これが才能ってものなんだろう、そしてきっとこういう才能溢れる子が将来プロになって、代表に選ばれて、世界で活躍するんだろう、とそう思った。

 

 そして不意に疑問が芽生えた。

 そんなアズサと比較して自分はどうだろう。

 私にあの子のような実力があるだろうか、才能があるだろうか。

 私もプロになって、世界で活躍することができるだろうか。

 私はそれまでは周りからの評価はそこまで気にしていなかった。けど、改めて考えると自分の評価が大して高いものではないことに気付いた。

 強豪サンダースの隊長としてそれなりに評価はされていたと思う。けど私に向けられる称賛の言葉は、人柄だとか人望だとかフェアプレイの精神だとか、実力とは別の事柄に対するものばかりだった。

 違う! 私だってやれる、私だってきっとプロになれる、いつか世界で戦える!

 私はそう自分に言い聞かせて黒い気持ちを押し隠した。

 

 そんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま過ごしていたある日のこと。

 アズサの指導を終えて帰り支度をしていた私はアリサとナオミの二人に呼び止められた。私に相談があると言って。その内容はというと、アズサを一軍入りさせるかどうか、というものだった。

 あの時の私はアズサの指導のために戦車道の練習に顔を出してはいたけどほぼ引退したと言っていい状態だった。引き継ぎも終わっていたし、誰を一軍に上げるかは隊長であるアリサが決めればいいことのはずだった。

 そう言うとアリサは渋い顔をした。

 

『私としてはあの子はまだ一軍に上がるのは早いって思うんですけどね……』

 

 そこで言葉を区切るとアリサはちらりと隣に立つナオミを見遣った。

 

『私は梓を一軍に上げてもいいと思ってる』

 

 ナオミはアリサの意見に真っ向から反論した。

 

『実力は充分だし、あの子がどれだけ努力してきたかは皆知ってる。アリサだってそうでしょう?』

『それはそうだけど……。けどあの子は戦車道を始めてまだ一年よ? サンダースに編入してきてからはまだ半年しか経ってない。いずれは一軍入りするにしても、今すぐってのは時期尚早じゃないかしら。もう少し経験を積んでからでもいいと思うけど』

 

 隊長と副隊長で意見が見事に真っ二つに割れていた。しかもそれはアリサとナオミだけの話じゃなくて、隊員たちの中でも同様だったらしい。

 どちらを選んでも角が立つということで二人ともほとほと困り果てて、前隊長であり、アズサの指導を担当していた私の意見を聞きに来たということだった。

 事情は理解したけど私としてもどう答えたものか迷った。アリサの言うことも、ナオミの言うことも理解できたし、どちらが正解とも言い難かった。

 それに仮に私がどちらかを支持したとしてもそれはそれで角が立つだろうし、引退した身であれこれと口出しするのもどうかとも思った。

 中々いい案が出なくて三人でどうしたものかと頭を悩ませていると、私は唐突に閃いた。

 

『ならこういうのはどう? 私とアズサが一対一で戦うの。それでもしアズサが私に勝ったら一軍入りを認める、負けたら一軍入りは当分の間見送る。どう? シンプルでいいでしょ?』

 

 私の提案に二人は驚いていたけど、確かにそれなら分かりやすくていいということで納得してくれた。その後はそれまで悩んでいたのが嘘のようにすぐに話はまとまって、卒業式の前日に勝負をするということに決まった。

 

 そして卒業式の前日、私とアズサの勝負の日がやって来た。

 

『卒業試験よ。見せてみなさいアズサ。貴方の実力を。貴方の覚悟を!』

 

 アズサは最初明らかに困惑していたけど、私の言葉にすぐに気持ちを引き締めて戦車に乗り込んだ。

 アズサは強かった。

 それまで指導を通してアズサの成長を間近で見続けてきたし、実際に対戦したことも何度もあった。だからアズサの実力は知っていたつもりだった。

 でもあの時のアズサの強さはそれまでとは段違いだった。序盤こそ私の方が有利に試合を進めていたし、惜しい場面は何度もあった。そこを凌がれてからは逆に私がやられそうになる場面も何度もあった。

 

 やっぱり私じゃ、ダメなの?

 そんな風に諦めそうになる自分を私は必死に鼓舞した。

 私はあの日、自分なりに覚悟を決めて試合に臨んでいた。

 もしアズサに負けたら戦車道をやめる、そう決めていた。

 だからこそ私は必死だった。今までの人生であれほど本気で勝ちたいと思ったことはなかった。

 絶対に負けられない。

 何が何でも勝つ。

 そんな気持ちで戦って戦って。

 

 そして最終的に白旗を上げたのはアズサが乗るシャーマンだった。

 

 勝った?

 私が勝ったの?

 私は目の前の光景が信じられなくて呆然としてしまった。

 何をどうしたかまるで記憶になかった。気付いたら勝負は終わっていた。それくらい集中していた。練習でも試合でも手を抜いたことなんて一度もなかったけど、あの時の私はこれまでの人生で一番集中していたと思う。

 

『ありがとうございました!!』

 

 試合後の挨拶で頭を下げるアズサを見て、私はようやく自分の勝利を実感できた。

 

『やっぱりケイさんは強いです』

 

 負けたのにアズサは晴れやかに笑っていた。私は同じように笑みを返した。

 

『見せてもらったわ、アズサ。貴方の実力も覚悟も本物よ。これなら私がいなくなっても安心ね』

 

 そう言って私が差し出した手をアズサは握り返した。

 その瞬間、周りから一斉に拍手が沸き起こった。

 予想外のことにアズサはおろおろしていたけど、私はそんなあの子の肩を抱いて手を振って拍手に応えた。それを見てアズサもぎこちなく笑いながら手を振っていた。

 そして拍手が鳴り止むとそれを待っていたように一歩進み出てきた子がいた。

 アリサだった。

 アリサはその場でアズサを一軍入りさせることを告げた。

 負けたら一軍入りは見送るという約束ではあったけど、アリサを始めとした一軍入りに反対していた子もアズサの戦いぶりを見て考えを改めたらしい。私としても反対する理由はなかった。

 ただ一人、当のアズサだけが自分にはまだ早いなんて言って断ろうとしていたけど、あの戦いぶりを見ればアズサの実力に疑問を抱く人間はいなかった。

 最終的には私から「皆貴方のことを認めてる、もっと自信を持ちなさい。貴方なら大丈夫よ」と説得してようやく納得してくれた。

 

『えと、その……ありがとうございます! どうかこれからもよろしくお願いします!!』

 

 アズサが挨拶とともに頭を下げると、また拍手が起こった。

 アズサの一軍入りを巡って対立していたのが嘘みたいに誰もが笑顔でアズサのことを祝福していた。

 その光景を見て私はこれなら安心して卒業できると、そう思えた。

 

 卒業後もアズサの活躍はたびたび耳にした。

 二年生の時には黒森峰に、三年生の時には前年に敗れたプラウダにそれぞれ勝利して二年連続で決勝進出を果たした。

 最後は聖グロに負けて優勝こそ逃したけど、アズサはサンダースの中心選手として活躍していた。

 大学に入学した後も順調に結果を出し続けて、そして今回は大学選抜にも選ばれた。後輩の活躍を聞いて私は素直に嬉しかった。

 

 でも同時に罪悪感も覚えた。何故なら私はあの時、アズサとの勝負を提案した本当の理由を誰にも言えていないからだ。

 戦って実力を証明する、それが一番手っ取り早くていい。そう思ったのは事実だし、個人的にアズサの実力と覚悟を確かめたかったのも嘘じゃない。

 けど本当の理由は別にあった。

 私が本当に確かめたかったのはアズサじゃなく自分の実力だった。

 もしアズサに勝てたら、私だってやれるとそう思える、これから先も戦車道を続けていく自信を持てる。

 そんな身勝手な考えを私はずっと隠し続けていた。

 

 アズサは私のおかげで今も戦車道を続けていられると言ってくれた。

 確かに結果だけ見ればそうかもしれない。でも結果良ければすべてよし、なんて考えは私の良心が許さなかった。

 いっそすべてを打ち明けてしまいたい衝動に駆られる。けど私は必死にその衝動を抑え付けた。だって事実を明かして何になるのか。私の罪悪感が解消される以外に意味があるとは思えなかった。

 アズサに悪いことをしたと思っているなら、真実は誰にも言わずに墓場まで持って行くべきだ。これからもアズサにとっての“いい先輩”であり続ける、それこそが私がアズサに対してできる罪滅ぼしだと、そう思ったから。

 

「お礼を言わなきゃいけないのは私の方よ、アズサ」

 

 代わりに口にしたのはそんな言葉だった。

 さっきアズサは私にずっとお礼を言いたかったと言っていた。でもそれは私も同じだ。

 

「貴方がいなかったら私はここまで来れなかった」

 

 それはあの一騎討ちの話だけじゃない。アズサと出会えなかったら私はきっと挫折していた。

 大学を卒業してプロに入って一年でレギュラーに選ばれる。そこだけ見れば順風満帆に見えるのかもしれない。

 でもそこに至るまでの道のりは決して平坦じゃなかった。

 プロの厳しさは私が想像していた以上のものだったし、周りのレベルの高さに圧倒されて何度も挫折しかけた。

 けどその度にアズサの顔が脳裏に浮かんできた。私の指導に何度も心が折れそうになりながらも立ち上がって前に進み続けたアズサの姿を思い出した。

 ここで私が折れたりしたらアズサに対して申し訳が立たない。意地でも食らい付いていかなきゃいけない。そうやって自分を奮い立たせてこれまで頑張ってきた。

 

「貴方の存在がずっと私の支えになってた。私がプロになれたのも、レギュラーに選ばれるまで頑張れたのも、全部貴方のおかげよ。本当にありがとう。

 貴方と出会えてよかったわ、アズサ」

『ケイさん……』

 

 ……改めて言うと何だか照れ臭いわね。それは言われた側のアズサもそうだったみたいでお互いに無言になってしまった。

 

「……いけない! もうこんな時間! そろそろ切るわね! グッドナイト、アズサ!」

 

 その沈黙にいたたまれなくなって私はわざとらしく慌てたふりをして電話を切ろうとする。

 

『ケイさん!』

 

 そこをアズサに呼び止められた。

 

『明日は応援に行きます。私だけじゃなくて、サンダースの戦車道部員皆で応援しますから。だから、頑張ってください!』

「ありがとう。私の活躍、楽しみにしてなさい!」

『はい! それじゃあおやすみなさい、ケイさん』

 

 そこで通話は終わった。

 私は自分の気持ちが少し軽くなったように感じた。

 アズサとの会話を振り返る。罪悪感がなくなった訳じゃないけど、自分の気持ちに一応の決着はつけられたと思う。これからはアズサともっと真っ直ぐに向き合えるんじゃないかと、そう感じた。

 

 ……さて、アズサとの会話のおかげか緊張も解れたことだし早く寝ないとね。寝不足で力を出せずにレギュラー落ちなんて笑えないもの。

 ベッドに入ると私はそのまま朝までぐっすりと眠った。

 

 

          *

 

 

 そして一夜明けて試合の日がやってきた。

 

「まさかデビュー戦で貴方のチームと当たるなんてね、ヤイカ」

 

 今私は試合前の挨拶で相手チームの下に出向いて、サンダース大学でチームメイトだったヤイカと顔を合わせている。

 

「ええ、それもお互い今日がデビュー戦なんて、こんな偶然ってあるのね。けど嬉しいわ、私は貴方と戦えるのをずっと楽しみにしていたの」

「私と?」

「ええ。前にも言ったでしょう? 私がここまで来れたのは貴方のおかげだって。今日はその恩返しをさせてもらうわ。貴方に勝つことで、ね」

 

 まったく、アズサといいヤイカといい。私のことをそんなに持ち上げないでほしい、照れるじゃない。

 

「残念だけど勝つのはウチよ。後輩の前でカッコ悪いところは見せられないもの」

 

 昨日アズサが話していた通り今日はサンダース大学の後輩たちも皆応援に来てくれている。先輩として後輩には良いところを見せたい、勝って笑顔で結果を報告できるようにしたいから。

 

「それは私もよ。後輩が応援に来てくれているのは私も同じだもの」

 

 ヤイカは私と同じサンダース大学出身だ。私の後輩はすなわちヤイカの後輩でもある。その中でもヤイカと同じボンプル高校出身の子たちはきっと私よりもヤイカのことを応援しているだろう。

 

「なるほど。負けられないのはお互い様ってことね」

「そういうこと。勝つのは私たちよ。精々頑張りなさい。無様を晒して後輩に幻滅されないようにね」

「言ってくれるじゃない」

 

 挑発ともとれる言葉だけど、この程度のことは大学時代もしょっちゅうあった。特に雰囲気が険悪になることもないし、むしろおかげで少し緊張もマシになった気がする。

 試合開始時間が近づいてきたため、私たちはそれぞれお互いのチームへと戻った。そして今私は自分の車輌に乗り込んで試合開始を待っている。

 

 私はふと気付かないうちにきつく握り締めていた手を開く。

 そこには汗がじっとりと滲んでいた。

 私は慌てて汗をジャケットで拭う。どうやら自分で思っている以上に私は緊張しているらしい。

 さっきのヤイカとのやり取りで少し肩の力が抜けたとはいえ、今日は私にとってプロとしての初試合だ。緊張しない訳がない。

 大丈夫。

 いつも通りにやればいいだけ。私は私にできることをすればいい。

 私はゆっくり深呼吸をして心を落ち着かせようとする。

 

「ヘイ、ルーキー。な~に、怖い顔してんのさ」

 

 不意に声を掛けられたて私は我に返った。

 声を掛けてくれたのは装填手のマヤさんだった。

 細かいことは気にしない豪快な性格で初めて会った時から意気投合した。面倒見がよくて私がミスをして迷惑を掛けた時はいつもフォローしてくれた。

 

「いつもの笑顔はどうしたの? せっかくのデビュー戦なのに、楽しまなきゃ勿体ないよ」

 

 通信手のミアさん。

 いつも明るいチームのムードメーカー。私が落ち込んでいた時にはいつも励ましてくれた。この人の明るさに私は何度も救われた。

 

「貴方ならやれるわ。自信を持ちなさい」

 

 砲手のサラさん。

 クールな性格で普段は最低限の事務的な会話しかしないけど、本当は優しくて仲間思いの人。私がレギュラーに選ばれた時は笑顔で祝福してくれた。

 

「私たちはチームだ。一人で抱え込もうとするな」

 

 操縦手のアンナさん。

 普段は寡黙で多くを語らないけど、本当は誰よりも情に篤い人。私が一人で落ち込んでいた時にくれたコーラの味はたぶん一生忘れられない。

 

 皆プロに入ってからずっと私を支えてくれた、大切な仲間だ。そんな人たちがこちらを振り返って私を安心させるかのように笑い掛けてくれていた。

 

「はい!」

 

 私はそれまでの緊張が嘘みたいに心が軽くなっていくのを感じた。

 そうだ。私は一人じゃない。こんなに頼もしい仲間がいてくれるんだ。一体何を思い悩む必要があるのか。

 戦車道は一人じゃできない。一人で何でもやろうとする必要なんてない。チーム皆で一丸となって勝利を目指す。それが私の戦車道なんだから。

 そして私が落ち着くのを待っていたかのように、試合開始を告げる号砲が鳴った。

 

「さあ、行くわよ! ゴーアヘッド!!」

 

 これが私の、未来への第一歩だ。




別名「私たちの戦車道はこれからだ」ルート。
ご愛読ありがとうございました!
……とはなりませぬ。
正規ルートからの分岐条件はケイさんが澤ちゃんに勝つことです。
たぶんこのルートが2番目に平和なルートです。
特に澤ちゃんにとっては。
つまり正規ルートの澤ちゃんは……。
それはともかくそろそろエリカの話が書きたい。
けど先にもう一話挟んでから。


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我らは知波単

お久しぶりです。
随分と間が空いてしまいましたが、何とか投稿できました。
さて今回は知波単組のお話になります。
何か突撃突撃言いすぎて突撃がゲシュタルト崩壊起こしそうな話です。


【細見視点】

 

「まったく西の奴め! いつからあんな腑抜けになった!? 知波単の突撃精神を何処に置き忘れてきたんだ、あいつは!!」

 

 居酒屋の個室に玉田の怒声が響き渡る。

 今日の玉田は荒れに荒れていた。元々酒乱の気がある奴だが、今日は輪をかけて騒がしい。

 

「いい加減落ち着け、玉田」

 

 賑やかな店内でしかも個室であることを考えれば周りに迷惑を掛ける心配はないと思うが、それでも節度は守るべきだと思う。

 そんな思いからの言葉だったが、玉田は聞き入れてはくれなかった。

 

「これが落ち着いていられるか! あいつの、西の戦いを見ただろう!? あれは知波単の戦車道に対する冒涜だぞ! 細見、お前は何とも思わないのか!?」

「だから落ち着けと言うに……」

 

 全く声を抑える気がない玉田の様子に私は思わず溜息を吐いた。

 玉田がここまで荒れている原因は今日の昼に観戦した戦車道の試合にあった。高校時代の同級生である西絹代が出場した試合だった。

 私や玉田とは別の大学に進学した西は入学以来ずっと装填手を続けていた。それがこの度車長に復帰したと聞いて、その雄姿を一目見ようと私たちは観戦に赴いた。

 私たちは最初は試合を純粋に楽しみにしていた。かつての仲間の活躍が見られると期待に胸が膨らんでいた。

 

 しかしそれも試合が始まるまでのことだった。

 

 今日の試合で西が見せた戦い方は私たちが知るものとは全くの別物だった。

 一言で言えば突撃をしなかったのだ。

 いや、この言い方は正確ではない。全く突撃をしなかった訳ではなく、単に闇雲に突撃をしなかった、機を見計らって突撃を仕掛けていたのだ。

 それはよく言えば臨機応変に事態に対処していたと言えるのかもしれない。しかし知波単の突撃戦法に慣れ親しんだ我々からすればそれは受け入れ難いものだった。

 玉田は知波単でも特に突撃に拘っていたのもあって試合中に何度も叫んでいた。何故突撃しない、臆したか、と。試合の最後の方になると怒りが臨界点を越えたのか、黙って試合の行く末を見守っていた。もっともその視線には底知れない怒りが滲み出ていたが。

 

 試合は結局西の所属する大学が勝利を収めたが、とても祝福できるような雰囲気ではなかった。試合が終わると同時に玉田は苛立たし気に席を立って歩き始め、私は慌ててその後を追い掛けた。

 あのままだと西の所に殴り込みにでも行きそうだったので、私はそんな玉田を何とか宥めて試合会場から引き離すことには成功した。

 しかし時間が経てば落ち着くかとも思ったが、玉田はなおも憤懣遣る方無いといった様子だった。これはすぐに発散させないとまずいと考えた私は、飲みに行くから付き合えと半ば強引に適当な居酒屋に玉田を連れ込んだ。

 

 そして酒を飲みながらこうして愚痴を聞き続けている訳だが、玉田の怒りは一向に収まる気配を見せない。私としても延々と同じような内容の愚痴を聞かされ続けてうんざりしてきている。酔いが回ってきたのもあって自分でも相槌が段々と適当になってきているのが分かる。

 そんな私の態度がお気に召さなかったのか、玉田は手にした杯を一息で飲み干すとこちらを睨み付けてきた。

 

「おい、聞いているのか、細見!?」

「聞いている。……そうだな、私だって思うところはあるさ」

 

 そう、確かに私にも思うところはある。

 しかし実の所私は玉田とは違い西に対して怒りや反感を抱いてはいなかった。今私が抱いている感情はそういったものとはむしろ逆と言っていい。

 今日の西の戦い方は確かに知波単の戦車道とは別物と言って良かった。

 しかし何故だろうか。気付けば私はあいつの姿に魅せられていた。私は今のあいつの姿に真の知波単魂を見た気がしたんだ。

 あるいはそれは私がずっと思い悩み、そして未だに答えが出ない問いに対する答えを見たからなのかもしれない。

 

 私と玉田は大学に入学して早々に戦車道を辞めてしまった。

 知波単の突撃一辺倒の戦いは大学では受け入れられなかった。無謀な突撃を繰り返した挙句に何も出来ずに撃破されてばかりでは仕方がないが。

 知波単の先輩方からまで窘められたが私たちは聞く耳を持たなかった。むしろ裏切られたように感じた。私たちは先輩方から受け継いだ知波単の伝統に則っているだけだというのに、なぜ分かってくれないのかと。

 

 そして入部して一カ月程経ったある日、私と玉田は隊長から呼び出しを受けた。隊長は私たちに向かって、今のままでは私たちに車長は任せられない、退部するか装填手をやるか、どちらかを選べ、と告げた。

 結局私たちはその日のうちに退部届を出して、戦車道を辞めてしまった。突撃を、私たちがずっと信じてきた道を否定してまで戦車に乗り続ける気はない、むしろ清々した。あの時は本気でそんな風に思っていた。

 

 しかし数日もすると徐々に後悔の念が押し寄せてきた。あんなに簡単に辞めてしまって良かったのか。あれ程真摯に取り組んできた戦車道を簡単に捨ててしまって良かったのか。そんな風に思い悩む日が続いた。

 大学で戦車道の部員を見掛ける度に、戦車の姿が目に入る度に、その走行音や砲声を聞く度に。また戦車に乗りたいと、そう思う気持ちは強まっていった。

 とはいえ先輩方の忠告も無視して一方的に辞めておいて、おめおめと戻れるはずがない。仮に戻れたとしても、突撃一辺倒の戦い方を改めない限りまた同じことの繰り返しになるだけだ。

 

 そこまで考えて私は思った。私は、私たちは変わるべきではなかったのか、と。知波単の伝統を守ることに固執して考えることを放棄してはいなかったか、何か大切なものを見失ってはいなかったか。

 そもそも知波単の伝統とは何なのか。ただ闇雲に突撃を繰り返すことが知波単の伝統なのか。

 私たちは伝統に則っているつもりだったが、同じ知波単の先輩方にそれは否定された。ならば私は間違っていたのだろうか。だとすれば私はどうすればよかったのか。いくら考えても答えは出なかった。

 今日、西の戦いぶりを見て、私はそこにずっと抱き続けてきた疑問に対する一つの答えを見た気がした。だがそれを上手く言葉にできないでいる。あともう少しで何かが掴める気がするのだが……。

 玉田に相談したところで怒りを買うのは目に見えているし、他に相談できる知り合いもいない。ならば己の中で答えを見つけるしかないのだろう。

 

 内心でそう結論付けつつ、私はその後もひたすら玉田の文句を聞き続けた。

 そうして何杯目になるか分からない酒を飲み干したところでふと時計が目に入った。見ると時刻は既に十一時を回っている。気付かぬうちに随分と時間が経っていたようだ。

 玉田はまだ言い足りない様子だがあまり長居するのもよろしくない、ということで私たちは店を出た。

 

「まだ飲み足りん、もう一軒行くぞ」

「飲み過ぎだぞ。もう今日は帰って休んだ方が……」

「五月蝿い! 帰りたければ帰れ! 私は一人でも行くからな!」

 

 玉田は酔いに足をふらつかせながら怒鳴り散らした。そんな様子に私は溜息を吐きつつ肩を並べて歩き始めた。

 今の玉田に何を言っても聞きはしないだろうし、かと言って一人にするのは危なっかしい。酔い潰れるまで付き合うしかない、と私は覚悟を決めた。

 

「玉田? 細見?」

 

 横に並ぶ玉田を気に掛けつつ、どこかいい店はないかと周囲を見渡していると、不意に声を掛けられた。私はその声の主を確認して驚きのあまり固まってしまった。

 

 背中で綺麗に切り揃えられた艶やかな長い黒髪。

 背筋を伸ばした凛とした姿。

 意志の強い真っ直ぐな瞳。

 どれもこれも見覚えのあるものだった。

 その人物は私も玉田もよく知っている人物だった。

 

 そして今最も会いたくない人物だった。

 

「西?」

 

 その人物は、先程まで話題に上がっていた西絹代その人だった。

 

 ああ、何と間が悪い。

 恐らくは祝勝会か何かの帰りなのだろうが、よりによってこの瞬間に出くわすとは。

 

「何だ絹代、知り合いか?」

 

 そんな風に私が内心で頭を抱えていると、西の隣に立っている女性が西に声を掛ける。癖のある翡翠色の髪を後ろで束ねた女性。その顔には見覚えがあった。

 アンツィオ高校の元隊長で、西と同じ大学の戦車道部でもかつて隊長を務めていた、たしかアンチョビ殿。

 

「はい、アンチョビさん。こちらは高校時代の同級生で、戦車道では副隊長だった玉田と細見です。玉田、細見。こちらは私の大学の先輩で戦車道部の隊長を務めていたアンチョビさんだ」

 

 西に紹介された私と玉田はアンチョビ殿に対して揃って頭を下げる。アンチョビ殿も「よろしくな」と礼を返してくださった。

 アンチョビ殿は我々が大学に入ってからはずっと会えていないという話を聞くと、久しぶりの再会で積もる話もあるだろうし一緒に飲もう、とお誘い下さった。

 普段であればありがたい申し出だが、正直に言うと今は、今この時だけは遠慮したかった。今の玉田と西を同席させたりすれば一体どうなるか分かったものではない。

 とはいえ、せっかくのご厚意を無碍にするなどという選択肢はない。それは玉田も同様らしく特に反対はしなかった。

 もっとも不機嫌さは隠し切れていなかったが。

 その様子を見て私は不安で仕方なかった。

 

 どうか何事も起きませんように。

 

 そんな願いが叶うことはないと分かってはいたが、私は祈らずにはいられなかった。

 

 

          *

 

 

【アンチョビ視点】

 

 アンチョビですが、個室の空気が最悪です。

 

 思わずそう言いたくなるくらいに目の前の空間は居心地が悪かった。

 繁華街にある居酒屋にある個室。そこで私は後輩である西絹代と、絹代の高校時代の同級生だという二人と卓を囲んでいる訳だが、さっきから誰も一言も喋ろうとしない。運ばれてきた飲み物にも料理にも誰も手を付けようとしないし、一体どうしたらいいのかと内心頭を抱えている状態だった。

 

 そもそも何でこんなことになったのか。私は順を追って思い出す。

 

 今日はうちの大学の戦車道の公式戦がある日だった。それもただの試合ではなく私たち四年生が引退し、新体制になって初めての試合だった。そして絹代にとっては記念すべき車長復帰戦でもあった。

 後輩たちが自分抜きでもちゃんとやれているかとついつい心配になった私はこっそり観戦に訪れた。特に絹代については車長への復帰を強く勧めた身としては見届ける義務があると思っていた。

 幸い私の心配は杞憂に終わった。緊張か、あるいは自分の戦い方についての迷いのせいか、絹代の動きには若干硬さがあった。それでも復帰初戦としては充分に役割を果たしていたと言える。少なくとも突撃一辺倒で即撃破されていた頃からすれば見違えるようだった。

 新隊長のペパロニも、副隊長のカルパッチョも見事に隊員たちを統率していたし、試合も危なげなく勝利を収めることができた。

 これなら私がいなくても大丈夫だなと、安心したものだ。

 

 その後は帰ろうとしたところを撤収中の皆に見つかってしまい、せっかくだからと試合後の飲み会に誘われてノリと勢いで参加することになった。

 一次会、二次会と終わって、三次会は各自でということだったので、私はせっかくの機会だからと絹代を誘うことにした。本当ならペパロニたちも誘いたいところだったが、声を掛けようとしたその時には既に姿は見当たらなかった。

 一緒に飲めないのは残念だったが、絹代と二人でないと話しにくいこともあるしある意味ちょうどいい、とそう思うことにした。そのままいい店はないかと探しながら歩いていると、たまたま絹代の高校時代のチームメイトであるという二人と出くわした。

 二人は絹代が隊長の時に副隊長を務めていたらしく、今は別の大学に進学していて会うのは久しぶりということだった。それを聞いた私は積もる話もあるだろうし、せっかくだから一緒に飲もうと二人を誘って今に至る。

 

 ……うん。思い出してみてもやはりこうなる原因が分からない。

 おかしいな。三人は知波単時代の同級生らしいし、てっきり自然と話も弾むものだと思っていたのに。店まで歩いている間も、店に入ってからも、三人の間には終始重苦しい空気が漂っていた。

 その中で一際重苦しい雰囲気を放っているのが髪を三つ編みにした女性――たしか玉田だったか――だった。言葉こそ発していないがどうにも絹代に対する敵意のようなものを感じる。

 もしかして二人は仲が悪かったりするのだろうか。しかし絹代からはそんな話は聞いていない。むしろ知波単時代の仲間は皆仲が良かったと聞いていたんだが。

 絹代もそんな玉田に対して何と声を掛けていいか分からないらしい。

 

「西」

 

 このままじゃ埒が明かない。ここは強引にでも雰囲気を変えるべきかと思って声を上げようとしたところで、口を開いたのは玉田だった。

 

「観たぞ、今日の試合。……何だ、あの腑抜けた戦い方は」

 

 静かな口調だった。だがそこには隠し切れない怒りが滲み出ていた。

 どうやら玉田は私と同じく今日の絹代の試合を観ていたらしい。そして絹代の戦い方に反感を抱いた。それがこの重苦しい雰囲気の原因だったということか。

 確かに今日の絹代の戦い方は高校時代のものとは全くの別物だ。玉田からすれば昔との違いに戸惑うのも仕方がない。

 

 私としては。

 絹代が車長に復帰するのに、突撃一辺倒の戦い方を捨てるのにどれだけ悩んだかを知っている身としては。

 絹代の今日の戦いぶりは誇らしくすらあった。

 しかし玉田からすれば、絹代の戦い方はどうやら受け入れられないものだったらしい。

 

「腑抜けた、か。お前にはそう見えたのか」

「当たり前だ! 見損なったぞ、西! 何時如何なる時も恐れずに敵に向かって突撃する、それこそが知波単の戦車道だろうが! 貴様、知波単の伝統を何と心得る!?」

 

 なるほど。絹代から話は聞いていたし、知波単の試合は観たことがあるから知波単の突撃好きは知っていたつもりだった。

 けどこれは想像以上だ。「突撃馬鹿」などと揶揄されるのも分かる。まあ、玉田が特別そういう傾向が強いという可能性もあるが。

 

「知波単の戦車道を否定する気などない」

 

 玉田の非難の言葉に対して絹代もただ黙ってはいなかった。毅然とした態度で負けじと言い返す。

 

「よく言う! 知波単の伝統たる突撃戦法を捨てておいて、知波単の戦車道を否定する気はないだと!? ふざけるのも大概にしろ!」

「突撃を捨てた訳ではない。お前の言う通り、突撃は我ら知波単に根付いた伝統だ。簡単に捨てられる訳がない。それに私自身突撃は好きだ。今でも気が抜くとすぐにでも突撃してしまいそうになるくらいにはな。だが闇雲に突撃するだけでは勝てるものも勝てはしない」

「勝てないから何だと言うのだ!? たとえ何度敗れようとも、我ら知波単は己の道を貫き通すのみだ! 突撃をやめて、美学を捨ててまで勝利に固執するくらいならば、突撃して潔く散るべきだろうが!」

「勘違いするな、玉田。私は何も突撃をやめるべきだと、突撃は一切しないと言っているのではない。突撃だけではいけないと言っているんだ」

「突撃だけではいけない? 何を言っている!? 突撃以外に一体何が必要だと言うのだ!? 突撃こそ知波単の伝統! 我らの戦車道に突撃以外のものなど必要ない!」

「突撃だけが知波単の伝統なのか? 突撃に拘ることが伝統を守ることなのか? そうではないはずだ。どんな状況でもとにかく前に進めばいいというものではない。戦いは機を見て時を掛けて戦うものだ。だからこそ、勝利のためには時には退くことも必要――」

「黙れ黙れ黙れ!!」

 

 絹代の言葉を遮って、聞きたくないとばかりに頭を振って玉田は声を張り上げた。

 

「臆病者が! 私は認めん、認めんぞ! 勝利のためだと!? 欲に目が眩んで志を忘れたか!? この知波単の面汚しが!! 貴様などに知波単の戦車道を語る資格はない!!」

「ちょっと待て」

 

 部外者の私が口出ししても拗れるだけだと思って静観していたが、流石に黙っていられなくなって私は口を挟んだ。

 

「玉田、だったよな。お前の言い分も分かるけどな、今のは言い過ぎだ。お互い熱くなっている上に酒も入っているから言葉遣いが荒くなるのは仕方がない。それでも言っていいことと悪いことがあるぞ」

「アンチョビ殿! どうか部外者は口出し無用に願いたい! これは我々知波単の問題です!」

「そうはいかん。確かに私は知波単の卒業生じゃない。けど絹代は私の大切な後輩で、仲間だ。仲間を侮辱されて黙っていられるか」

 

 ヒートアップする玉田に対して私は声を荒らげたりはせずに努めて冷静に返した。ここでこちらまで熱くなれば収拾がつかなくなってしまう。話をするにしてもまずは一度相手の気持ちを落ち着かせる必要があった。

 そんな私の態度に気圧されたのか、玉田はさっきまでの勢いが嘘のように口を噤むとバツが悪そうに目を逸らした。

 

「……貴方も。貴方も西と同じで、私の言っていることは間違っていると、そう仰るのですか」

「いいや」

 

 私は玉田の発言に対して首を振った。

 

「私はお前の言うことも間違っていないと思うぞ」

「アンチョビさん!?」

 

 絹代は驚いたように声を上げる。私の言葉が予想外だったらしい。それは玉田も同様だったみたいで、同じく驚いたように目を見開いていた。

 

「言っただろう、お前の言い分も分かるって。私は絹代を侮辱するような発言が許せないとは言ったが、お前の考え自体を否定する気はない。

 絹代、お前の言うことも勿論分かるさ。突撃だけでは勝てない、勝つためには時に退くことも必要。全くもってその通りだ。でもな、勝敗だけが戦車道のすべてじゃない。それはお前だって分かってるだろう?」

「それは、そうですが……」

 

 そう、絹代だってそれは分かっているはずだ。だからこそ今もずっと悩み続けているんだから。

 

「戦車道に限らず“道”とつく競技は他にも色々ある。それらすべてに共通しているのは、競技を通して肉体だけでなく精神を練磨することを目的としていることだ。道を極めるためには試合の勝ち負けよりも重視すべきことがある。そういう意味では常に己の道を貫き通す知波単の戦車道こそが本来の戦車道のあるべき姿じゃないのか、とすら思うんだ」

 

 美学を捨ててまで勝とうとは思わない。玉田はそう言った。アンツィオの戦車道が勝ち負けよりも楽しむことを優先したように、玉田もまた自分の美学を貫き通すことを選んだということだろう。それが間違っているとは私には思えなかった。

 

「貴方はどちらの味方なのですか? 西を擁護するのかと思えば、貴方は私の意見を肯定するようなことを仰る。私が間違っていないと、正しいと仰るならば、誤りを正すべきは西の方、ということになりますが……」

 

 玉田は私の言葉に困惑しているようだった。まあ無理もない。ただどうにも勘違いをしているようなのでそこは訂正する。

 

「お前の言うことは間違いじゃないさ。だからと言って絹代の言うことが間違ってるということにはならない。戦車道は勝ち負けがすべてじゃない。負けても得るものはあるだろうし、とにかく勝てばいいってものじゃない。でもな、勝つことでしか味わえない喜びってものも確かにあるんだ」

 

 思い出すのは高校最後の大会の一回戦。私たちアンツィオ高校がマジノ女学院に勝って二回戦進出を決めた時のことだ。

 あの時はそれはもうお祭り騒ぎだった。お祭り騒ぎなのはいつものことだったが、初めての勝利の味はやっぱり格別だったのか、皆が皆これ以上ないくらいに喜びを爆発させていた。

 あの試合以降、皆の意識は明らかに変わった。それまで以上に熱心に訓練に取り組むようになった。まあ食事のことを何よりも優先するのは変わらなかったが、それでも食事の次に戦車道を優先するくらいには戦車道の楽しさを知ってくれたんだと思う。

 

「すべては勝ったからこそだ。勝ったからこそ皆に戦車道の楽しさを知ってもらえた。勝ったからこそ、それが励みになってより真剣に戦車道に取り組むようになった。それは紛れもない事実だ。だから、勝利を求めることも必要なんだ。勝敗がすべてじゃないからと言って、勝敗を蔑ろにしちゃいけないんだよ」

「……私とて勝敗を蔑ろにしているつもりは――」

「いや、お前さっき美学を捨ててまで勝利に固執するくらいなら突撃して潔く散るべきだ、とか言ってたろ」

「そ、それは……」

 

 私の反論に対して玉田は言葉に詰まった。口を挟まれたので思わず言い返してしまったが、別に玉田を言い負かすのが目的じゃない。私は構わず言葉を続けることにした。

 

「いや、いい。私としても別にお前の考えを否定したい訳じゃないからな。ただ絹代は別に志を忘れてしまった訳じゃない。それだけは分かってやってほしいんだ。勝利を取るか美学を取るか、こいつもどうすべきかずっと悩んでるんだ。そしてそれはとても難しい問題で、そう簡単に答えが出るものじゃない」

 

 私の言葉に何か思うところがあったのか、玉田はそのまま押し黙った。

 

「ではアンチョビ殿はどうお考えなのですか」

 

 そんな中それまで黙って成り行きを見守っていた、頭の上で髪を渦巻きみたいにまとめた女性――たしか細見だったか――がここに来てようやく口を開いた。

 

「戦車道において最も重んじるべきことは何なのか。貴方の答えをお聞かせ願いたい」

 

 細見は真剣な瞳でこちらを真っ直ぐに見つめてくる。その真っ直ぐな視線に私は細見の本気を感じ取った。だから私は自分の心の内を正直に話すことにした。

 私はグラスの中身を飲み干して、ただ一言。

 

「分からん」

 

 と、きっぱりと言い放った。

 

 細見は私の言葉を聞いて思い切り額をテーブルにぶつけていた。見ると玉田と絹代もそうだった。

 

「いや、分からんって……」

「分からないものは分からないんだから仕方ないだろう?」

 

 赤くなった額を擦りながら戸惑うように言う細見に対して私は苦笑いを返す。我ながら情けないとは思うが事実なんだからしょうがない。

 

「昔の私なら、中学時代の私なら迷うことはなかった。戦車道において最も大切なものは勝利だと、そう即答していただろうな。戦車道をやるからには勝たなきゃ意味がない、当時の私はそう信じていた。それが間違いだとは思わない。さっき言ったように勝つことでしか得られないものはあるし、私自身勝つことで手に入れてきたものは数え切れない。

 一方で勝つことに執着して、その結果失ってしまったものも多い。それは仕方のないことだ。何も失うことなくすべてを手に入れることなんてできない。何かを得るためには何かを犠牲にする必要がある。でも私が失ってしまったものは、絶対に無くしちゃいけないものだったんだ」

 

 私の場合は幸いにも無くしたものを取り戻すことができた。だがそれは本当に運が良かっただけだ。一度無くしたものは二度と取り戻せないことも多い。

 実際に取り戻せずにすべてを失った人間を私は知っている。この場でそのことを口にする気はないが。

 

「少なくとも同じチームで戦う仲間には私のようにはなってほしくないと思う。何よりも戦車道を楽しむことを優先してほしいと思ってる。勝つことに執着しすぎて大切なものを失うことだけはしないでほしいと、そう思ってるよ」

「ならばそれが答えではないのですか? 勝ち負けよりも楽しむことを優先する。何よりも戦車に乗るのを楽しむ。それこそがアンチョビ殿が、戦車道において最も尊ぶものではないのですか? 少なくとも今お話を聞いた限りでは、私にはそう思えましたが」

 

 細見の反論に対して私は首を振る。確かに細見の言いたいことも分かる。けど違うんだ。私が皆に求めるものと私自身に求めるものはまた別物なんだ。

 

「私にはもう楽しむことだけを追い求めることなんてできない。今までは隊長として、そして今後はプロとして。私は私だけの都合で戦車に乗ることはできない。私の勝利と敗北は私一人だけのものじゃない。私の一存で勝ち負けなんてどうでもいいなんて言えないよ」

 

 楽しんだ上で勝てればそれが一番いいんだろうが、そんな旨い話は残念ながらない。

 楽しい戦車道と勝てる戦車道は違う。何も戦車道に限った話じゃない。楽しむことと勝つことは中々両立できるものじゃない。勝つこと自体が無上の喜びで、それ以外はすべて下らないことだと考えるような奴なら別だろうが。

 勝利を目指す、自分の美学を追求する、楽しむことを優先する。全部正しいけど全部を同時に満たすなんていうのは無理だ。

 だからこそ選ばなければいけない。そして選んだもの以外は捨てなければいけない。私だってそれは分かっているのに。我ながら優柔不断だとは思うが、そんな簡単には選べないし捨てられないんだ。

 

「お前は強いよ、玉田。試合に負け続けても美学を貫くことを選ぶ。それは並大抵のことじゃできない。お前は勝利よりも美学を追求することを選んだ。それは悪いことじゃない。

 けど絹代の気持ちも分かってやってほしいんだ。隊長ともなれば、試合の勝敗は自分だけのものじゃない、仲間全員の想いを背負わなきゃいけない。時には自分の気持ちを押し殺してでも、仲間に勝利を齎すことが隊長としての責務なんだから」

 

 私は細見から視線を移して再び玉田に声を掛ける。玉田は何か言いたげに口を開いたが、言うべき言葉が見つからなかったのかそのまま口を閉じて顔を逸らした。

 その様子を見て私は溜息を吐きそうになった。やはり所詮は部外者に過ぎない私の言葉では玉田の心には届かないのだろうか。

 

「玉田。細見」

 

 どうしたものかと言葉を探していると、それまでずっと口を閉じていた絹代がようやく口を開いた。

 

「すまない」

 

 絹代は二人に向かってその場で深々と頭を下げる。

 

「私は、本当に駄目な隊長だった。隊長としての責務を果たすことができなかった。知波単の隊員たちは誰もが素直で実直、勤勉で、私は本当に隊長として恵まれていたと思う。にもかかわらず、私は結局お前たちをただの一度も勝たせてあげられなかった。すべては私の至らなさが招いた結果だ。本当に、すまない」

 

 絹代の発言に私は自身の失言を悟った。私としては絹代を責める気はなかったが、確かにさっきの言い様では嫌味を言っているようにしか聞こえなかっただろう。己の迂闊さを呪わずにはいられないが、言ってしまったことは取り消せない。

 

「やめろ」

 

 何とかフォローしなければ、と思い口を開こうとすると先に声を上げたのは玉田だった。

 

「何故謝る? お前は立派に、隊長としての務めを果たしたはずだ。確かに試合には負けた。だがそれが何だ? 私は勝ち負けなんてどうでもよかった。負けても満足だった。最後まで知波単の戦車道を貫き通すことができて本望だったんだ。お前はそんな私の気持ちを否定するのか!?」

「よせ、玉田」

 

 細見が肩を掴んで制止するが、玉田はそれを振り払って逆に細見の顔を睨み付けていた。

 

「放せ、細見! なあ、お前もか? お前も勝ち負けの方が大事だったのか? 私はただお前たちと一緒に戦車に乗れるだけで、一緒に突撃ができるだけで楽しかったのに。そう思っていたのは私だけだったのか!? お前は、お前たちは違ったのか? お前たちにとって知波単の戦車道は、突撃は重荷でしかなかったのか? 答えろ。答えて、くれよ……」

 

 玉田はどこまでも頑なだった。だがそれは彼女がそれだけ突撃を愛していたという証左でもあるのだろう。頑固で融通が利かないと非難するのは簡単だが、何かを堪えるように歯を食い縛る玉田を見ると、とてもそんなことを言う気にはなれなかった。

 

「私だって」

 

 私も細見も何も言えなかった。そんな中、絹代は恐れずに口を開いた。

 

「私だって楽しかった。お前たちと一緒に戦車に乗るのが楽しくて仕方がなかった。知波単の皆と戦場を駆け抜けた日々は決して忘れられない思い出だ」

「なら!」

「だからこそ!」

 

 絹代は玉田の言葉を遮って叫んだ。

 

「だからこそ、私は少しでも長くお前たちと戦車道を続けたかった」

 

 それはきっと、今まで絹代がずっと胸に秘めていた気持ちなんだろう。言いたくてもずっと言えなかった、嘘偽りのない本音なんだろう。

 そんな絹代の言葉に玉田も反論を忘れて呆然としていた。

 

「ああそうだ。玉田、私だってお前と同じ気持ちだった。私も最初は勝ち負けなんてどうでもよかったんだ。お前たちと一緒に戦車に乗れる、それだけで満足だったんだ」

 

 ただ楽しいから戦車に乗る。

 絹代だけじゃない。きっと世の戦車乗りのほとんどが最初はそんな純粋な気持ちで戦車に乗り始めるものなんだと思う。

 西住流や島田流のような戦車に乗ることを宿命づけられた家系でもない限りは。

 あるいはそういう人間も含めて。

 

「だがいつからだろうな、それだけでは満足できなくなったのは。真剣にやればやるほど勝ちたい、結果が欲しい、そういう気持ちが強くなっていった。楽しいからこそ、好きだからこそ、勝ちたいと」

 

 それは別に戦車道に限った話じゃない。好きだからこそ真剣になり、真剣になればなるほど結果が欲しい。そう思うのは自然なことだ。悪いことなんかじゃない。

 

「隊長になってその思いはより一層強くなった。分不相応にも隊長に選ばれたからには皆を勝利に導く義務があると。……いや、違う。別に義務感からそう思ったんじゃない。私はただお前たちと、皆と一緒に勝ちたかったんだ。一緒に勝利の喜びを分かち合いたかったんだ。それはいけないことなのか?」

 

 ましてや隊長ならば、部隊を率いる者ならば。それに加えて責任というものが付いて回る。それを抜きにしても、仲間を大切に思えばこそ共に勝ちたい、勝たせてあげたいとそういう気持ちを抱くものだ。

 

「私は知波単の皆がどれだけ努力してきたかを知っている。その努力が正しく報われてほしい、そう思うのは間違いなのか? 余計なお世話だったのか? 知波単は突撃するしか能がない、ただの突撃馬鹿だと蔑まれるのを良しとするべきだったのか? 私の仲間たちがどれだけ優秀なのか知ってほしいと、そんな風に思ってはいけなかったのか?

 答えてくれ、玉田。私は、どうすればよかったんだ?」

 

「私は……私、は……」

 

 玉田は先程の勢いが嘘のように声を震わせて、そのまま押し黙ってしまった。絹代の言葉に、そこに込められた想いに対してどう答えを返せばいいか分からないのだろう。

 重苦しい沈黙が流れる。玉田も絹代も、お互いに言葉が見つからないようだった。

 

 私としても口を出した以上は責任を持ってこの場を収めなければならないとは思う。

 その一方で私では駄目だという気持ちもあった。

 それは単に何を言えばいいのか分からない、というだけの話じゃない。

 これは我々知波単の問題だと玉田は言った。ああ、全く以てその通りだ。そして所詮私は部外者に過ぎない。

 助言はするし、拗れるようなら仲裁には入る。でも結局の所、最後は当事者たちで解決するしかないんだ。

 

 とはいえ絹代と玉田の二人だけではこれ以上事態は進展しないだろう。

 ならばと私はもう一人の当事者である細見に視線を向ける。

 

「私は」

 

 私の気持ちが通じた訳でもないだろうが、黙りこくる二人に代わって今度は細見が口を開いた。

 

「私も同じだった。ただ戦車に乗れるだけで楽しかった。ただ突撃ができるだけで楽しかった。突撃こそ知波単の伝統だと、突撃こそが私が求める戦車道だと、そう信じて疑わなかった。大学に入って知波単の先輩方に突撃一辺倒の戦いを否定されても私は考えを改めなかった。

 そんなことだから訓練中の紅白戦でもすぐに撃破されてばかりいてな。それで玉田共々車長を降りるか退部するかを選べと言われて、迷わず退部届を出して戦車道部を辞めてしまった。突撃を捨ててまで戦車道を続ける気はない、と。後悔などするはずがないと思っていた」

 

 それはつまり細見は玉田と同じ気持ちということだろうか。絹代もそう思ったのか悲し気に目を伏せる。

 

「……だが今では後悔している」

「細見!?」

 

 しかし予想に反して細見はそんなことを言い出した。玉田は恐らく裏切られたような気持になっただろう。そんな玉田に構わず細見は続けた。

 

「勢いで戦車道部を辞めたはいいものの、それ以来私は胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちで日々を過ごしていた。また戦車に乗りたいという気持ちは日増しに強まっていった。

 ……お前はどうなんだ玉田。戦車道を辞めて物足りなさを感じたことはないのか。また戦車に乗りたいと、そう思ったことはないのか?」

 

 突撃を捨てるかどうかは別として、と付け加える細見に対して玉田はバツが悪そうに目を逸らしつつ答えた。

 

「……仮にそうだとしてどうしろというのだ。もう我々の学生生活は一年しか残っていない。何よりあんな風に一方的に辞めておいて、今更どの面下げて戻れと言うのだ」

 

 玉田は細見の言葉を否定はしなかった。つまりは玉田もまた細見と同じく戦車道を辞めたことを、戦車を降りたことを後悔しているこということだろう。

 

「そうだな。今更だ。だが私は辞めた直後、何度も考えた。まだ間に合うんじゃないか、今からでも恥を忍んで頭を下げるべきじゃないのか、とな」

「なら何故そうしなかったんだ。まさか私に気を遣って言い出せなかった、とでも言うつもりか?」

 

「ないとは言わないがな」と前置きしてから細見は続けた。

 

「仮に戦車道部に戻れたとしてだ。突撃一辺倒の戦いを改めない限り結局は同じことの繰り返しになるだけだ。そこで思ったんだ。私は、私たちは変わるべきではなかったのか、と。高校時代は知波単の突撃一辺倒の戦い方に疑問を持つことはなかった。戦車道を辞めて初めて疑問を抱くとは何とも皮肉な話だがな」

 

 苦笑する細見に対して、玉田は拗ねたように顔を背ける。

 

「お前も……やはりお前も西と同じなのか。突撃を捨てるべきだと、そう言いたのか」

「事はそう単純ではない。ただ戦車に乗りたいから、じゃあ突撃をやめます、などというのはそれこそ志を捨てる行為だ。突撃を捨てるにしても、それは明確な信念によるものでなければならない。

 今までずっと考えていたよ。知波単の戦車道とは、知波単魂とは何なのか、と。いくら考えても答えは出なかった。だが今日、西の戦いぶりを見て、ようやく答えが見えた気がするんだ」

「わ、私か!?」

 

 急に話を振られて絹代は面食らっていた。そんな絹代に対して頷いてみせてから細見は続ける。

 

「私は今日のお前の姿に知波単魂を見た。何を以ってそう感じたのか、というと漠然としていて上手く言葉にできずにいた。だがこうしてお互いに胸の内をさらけ出して、ようやく理解できた気がするのだ。すなわち知波単の戦車道の真髄は戦術ではなく、精神にあるのではないかと」

「精神、だと?」

「そうだ。知波単学園の名は『知恵の波を単身渡れるような進取の精神に溢れる学生になるように』という思いが込められたものだ。その思いこそが、我々が最も尊ぶべき知波単魂ではないか。そして今のお前の戦車道は、そんな知波単の精神を体現していると、私は思う」

「……買いかぶり過ぎだ。確かに私も突撃ばかりではいけないとは思っているし、変わらなければいけないとは思っている。だが具体的に何をどうすべきかはまるで分からない。何もかも手探りの状態だ」

 

 細見の真っ直ぐな言葉に対して絹代は恥じ入るように目を伏せる。

 

「今日の試合だってそうだ。私は大学に入ってからずっとアンチョビさんの車輌で装填手を続けていた。そこで学んだことを私なりに実践しただけに過ぎない。勝ちこそしたが、本当にこれでいいのかと、今でも自信を持てずにいるんだ」

「そう自分を卑下するな、西。少なくともお前は己の意志で変わろうとしているし、実際に変わるべく行動することができたんだ。それがどれ程困難なことか、私は身を以て知っている。お前は自分を誇っていいんだ」

「細見……」

「胸を張れ、西。そんなことでは知波単の仲間たちに顔向けできんぞ」

 

 細見は笑顔で言った。

 そんな細見の言葉に何か思うことがあったのか、絹代は押し黙って何事かを考え込んでいるようだった。自分の気持ちを、言いたいことを整理しているように見える。

 細見も、玉田も、勿論私も、何も言わずに絹代が言葉を発するのを黙って待ち続けた。

 

「……そう、だな。変わろうとすることそれ自体が、己の意志で自分を変えていくことが肝要、そういうことなのだろうな」

 

 自分で自分の言葉を確かめるように何度も頷きながら絹代は言葉を続ける。

 

「私は今までずっと迷っていた。迷ったままではいけないと思っていた。そんな中途半端なことでは皆に申し訳が立たないと、そう思っていた。

 だが違ったんだな。迷ってもいいんだ。いや、迷いながら進むのがいいんだ。歴史や伝統に囚われることなく、常に自分で考え己の進むべき道を模索する。それこそが知波単魂であり、私の、知波単の戦車道なんだ」

 

『いつの日か、これこそが私の戦車道であると、そう胸を張って言えるようになってみせます!!』

 

 以前二人で話した時の絹代の言葉を思い出す。

 絹代ならきっといつか自分の戦車道を見つけられるはずだと思っていたので心配はしていなかった。けどまさかその日がこんなに早く来るとは。

 私は嬉しくなって思わず笑みが零れた。見ると細見も同様だった。どうやら西の答えに満足しているようだった。

 

「……だが、それでは突撃は……知波単の伝統はどうなる?」

 

 しかしここにまだ一人納得していない人間がいた。玉田だ。とはいえその声にも力がない。玉田自身、絹代と細見の言葉に、そこに込められた想いに何か感じるものがあったんだろう。

 だからと言って今までずっと拘ってきたことをいきなり捨てろと言われてすんなりと納得できるはずもない。

 

「玉田。重ねて言うが、私は決して突撃を捨てる気などない。突撃は知波単の戦車道の中に深く根付いたもので、切り離すことなどできはしないだろう」

 

 何か言おうとした細見を手で制して絹代は言葉を紡いだ。

 

「だがな、だからと言ってただ突撃だけしていればいい、というのは違うのではないか。そんな風に思考停止してしまってはいけないのではないかと思うのだ。確かに先人の教えを学び実践することは大切だ。だがそこで終わってはいけない。そこに何かを、私たちなりの新しい何かを付け加えなければならない。温故知新。故きを温ねて新しきを知る、というやつだ。伝統とはただ物真似をすればいいというものではない。変えるべきところは変えていかなければいけない」

「……変えるべきではないことも、あるだろう」

「勿論変えることなく受け継ぐべきものもあるだろう。だがそれは突撃では、ただひたすらに突撃を繰り返すことではないはずだ。今細見が言った進取の精神、知波単魂こそがそれだと私は思う」

 

 淀みなく答える絹代の言葉に細見が頷く。玉田は何も言わない。ただ黙って顔を俯けて何かを考え込んでいるようだった。

 そんな玉田に対して絹代も細見も何も言わない。玉田が言葉を発するのを黙って待ち続ける。

 

「私は、何をやっていたんだろうな……」

 

 永遠にも思える長い長い沈黙の果てに玉田は重い息を吐き出した。

 

「ただ突撃が好きだから、兎に角突撃がしたいから、そんな自分の気持ちを正当化するために伝統という言葉を言い訳にして考えることを放棄していた。千恵の波を渡る? 進取の精神? 何もかも私には欠けていた。これでは知波単の面汚しは私の方じゃないかっ!!」

「玉田……」

「西」

 

 玉田は絹代に向きう合うとその場で勢いよく頭を下げる。

 

「すまなかった。今更詫びたところで遅すぎるということは理解している。もっと早くお前の気持ちに気付いていれば、私が副隊長としてしっかりしていれば、そうすればお前をここまで苦しめることはなかった。本当に、すまない」

「顔を上げてくれ、玉田。至らぬ点があったのは私も同じだ。お前だけのせいではない」

「いいや、お前は悪くない。悪いのは私だ。変わるべきだったのは私だ。何故もっと早く気付けなかったんだろうな……。過去は変えられないし、戦車を降りた今となってはやり直すことも叶わない。分かっているのに、それでも後悔の念を禁じ得ない。本当に、余りにも遅すぎる……」

「玉田……」

 

 玉田は心から悔いるように声を絞り出す。そんな玉田に対して絹代も二の句が継げずにいた。

 

「西、お前に頼みがある」

「何だ?」

「どうかお前には、お前にだけはこれからも戦車に乗り続けてほしい。そしてお前の知波単魂を、知波単の戦車道を、これからも見せてほしいのだ。私にはもう、お前と共に戦車に乗ることはできない。だから頼む。私や細見の分も、いや、知波単で共に戦った皆の分の想いもすべてお前に託す。押し付けに過ぎないが、それでも、どうか……」

 

 床に頭を擦り付けて懇願する玉田。絹代はそんな彼女の手を取って顔を上げさせる。そしてその顔を正面から見据えてはっきりと言い切る。

 

「誓おう。私は、これからもお前たちの分まで戦車に乗り続ける。そして知波単の戦車道ここにありと、そう言われる選手になってみせよう。知波単の名を汚さぬためにも、何よりも共に戦ったお前たち仲間のためにも」

 

 そんな絹代の手を握って、玉田はありがとう、と震える声で口にした。表情こそ分からなかったがその声の震えから涙を懸命に堪えているのが分かった。

 絹代はそんな玉田を慰めるように肩に手を置く。細見は二人の様子を温かな目で見つめていた。

 そこにはさっきまで存在していた険悪な雰囲気はどこにもなかった。

 

 どうやら一件落着のようだ。一時はどうなることかと思ったが、丸く収まったようで良かった。良かったんだが……。

 何か私、空気だな。いや、むしろ空気の方がいいというか、空気であるべきというか。むしろここで存在感出したら空気が読めていないにも程があるというか。

 うん、これ私完全にお邪魔だよな。このままフェードアウトしてもいい、というかした方がいいんじゃなかろうか。お代だけ置いてこっそり帰ろうかな。ああでも入り口から一番遠い席だし、気付かれずに部屋を出るのは無理だよな。どうしよう。

 

「アンチョビさん」

「アンチョビ殿」

 

 なんてことを考えていると絹代と玉田の二人は揃ってこちらを振り向いた。

 

「お、おう。何だ、どうした?」

 

 考えを読まれた訳でもないだろうが、あまりにタイミングよく声を掛けられたものだからつい声が上擦ってしまった。

 そんな私に構うことなく二人は揃って頭を下げる。

 

「ありがとうございます。アンチョビさんのおかげで私は己の道を見つけることができました。アンチョビさんにはいくら感謝してもしきれません」

「誠に申し訳ございませんでした! アンチョビ殿は私のことを思って仰って下さったというのに、生意気にも口答えをしてしまって。数々の非礼、どうか御容赦下さい!」

「い、いや、気にするな。というか私は何もしてないぞ。むしろ部外者の癖に余計な口出しをしてしまって私の方こそ申し訳ないというか何と言うか……」

「何を仰いますか。こうして西と玉田が和解できたのもすべてはアンチョビ殿が二人の間に立ってくれたからこそです。あのまま二人で言い合いを続けていればきっと玉田のこと、西の言い分など碌に聞きもせずに喧嘩別れしていたに違いありません」

「おいおい、細見、何てことを言うんだ。私はそこまで狭量な人間ではないぞ」

「どうだか。実際アンチョビ殿が間に入って下さるまでは、お前は西が何を言っても聞く耳持たんとばかりに怒鳴り散らしていたじゃないか」

「い、いや、それはだな……」

「まあまあ、玉田も細見もそれくらいにしておけ。ともかく今こうして我々が分かり合えるようになったのも、すべてはアンチョビさんのおかげなのです。本当にありがとうございます!」

「「ありがとうございます!!」」

「そ、そうなのか?」

「「「はい!!!」」」

 

 息ピッタリだな、お前ら。仲がいいのはいいことなんだけど、流石に切り替えが早すぎやしないか。

 ……いや違うか。きっとさっきまでのいがみ合っている状態がおかしかっただけで、これがこいつらの本来の姿なんだろう。単に気持ちがすれ違っていたのが解消されて元の関係に戻った、それだけの話なんだ。

 そしてどうしてすぐに元の関係に戻れたのかと言えば、お互いが本気でぶつかり合ったからこそだ。お互いに本音をさらけ出して、お互いに納得するまで話し合った。だからこそ蟠りもないということか。談笑する三人の姿を見て私は微笑ましい気持ちになった。

 

 そしてふと思った。

 

 私もこんな風にいつかペパロニと仲直りできる日が、元の関係に戻れる日が来るんだろうか、と。

 

『すみません、姐さん。本当に、すみません……』

 

 杏が死んだのは自分のせいだ。そう言って私に頭を下げるペパロニの姿を思い出す。

 私はペパロニを責めることはしなかった。あいつが私のためを思ってくれていたのは分かっていたし、あいつのせいで杏が死んだなんて思っていなかったから。その考えは今も変わりはしない。

 

 だがあの日以来、私はペパロニとの間に精神的な距離を感じていた。

 あいつは私が戦車道部にいた頃は表面上は前と変わらずに接してくれていたから周囲の人間はそれに気付かなかっただろう。私自身、考え過ぎじゃないかと思ったくらいだ。

 けど私が引退してからは、部活で顔を合わせることがなくなってからはほとんど話す機会はなくなった。私が高校を卒業してからあいつが大学に入学してくるまでの一年間は、お互いにしょっちゅう連絡を取り合っていた。それを考えればペパロニが私を避けているのは明らかだった。

 

 ……いや、あいつだけのせいにするのはよくないな。ペパロニが私を避けているように、私もあいつと正面から向き合うのを恐れているんだ。

 結局今日だって碌に話もできなかった。もっとも、仮に話ができたとしてもそれであいつとのギクシャクした関係が改善されたとも思えない。

 私は確かにペパロニを許した。だがその一方でずっと割り切れない思いを抱えている。それを解消できないことには、きっとあいつとの仲が元通りになることはないだろう。

 私も絹代たちと同じように、自分の胸の内を正直に告白してあいつとちゃんと向き合うべきなんだろう。

 そうすれば――

 

「アンチョビ殿、飲み物が空ではありませんか! 気が利かずに申し訳ありません! ささっ、どうぞどうぞ!」

「あ、ああ、ありがとう」

 

 そこまで考えたところで玉田の声に現実に引き戻された。

 いかんいかん、ペパロニのことは今は置いておこう。あいつとはいつかちゃんと話し合わなきゃいけないとは思うが、今は考えてもしかたがない。

 もっともそうやって問題を先送りにし続けた結果が今なのかもしれないが。

 

「そういえば宴の席だというのにまだ乾杯をしていなかったな」

「そうだな。では、アンチョビさん、乾杯の音頭をお願いできませんか?」

「え? 私?」

 

 絹代に話を振られて私は思わず聞き返した。

 この場において誰が音頭を取るべきかといえば、年長者である私が適任なのは分かる。分かるが。

 さっきも言ったように私は場違いな存在な訳で、そんな私が仕切っていいものなのかと不安になる。

 だが既に雰囲気が出来上がってしまっているし、ここであれこれ言うのも無粋というものだろう。私が観念してグラスを持って立ち上がると、三人もそれに倣った。

 さて、乾杯の音頭というが何に乾杯するべきだろう。

 考えて思い付いたのは一つしかなかった。私が言っていいものかは疑問だが、この場に相応しいのはこれしかない。

 

「知波単魂に!」

 

 三人は一瞬意表を突かれたような顔をしていたが、すぐに笑顔を浮かべて、グラスを掲げる。

 

「「「知波単魂に!」」」

「乾杯!」

「「「乾杯!!!」」」




最初は西さんと玉田がメインで細見は割と空気だったんですが、気付けば出番が増えまくってました。
一人だけ仲間外れは可哀想、というのもありますが、西さんと玉田の二人だけだと話がまとまりそうになかったというのもあります。

しかし、あれですね。
四人もキャラがいると会話のキャッチボールが中々大変ですね。
最初細見が空気だったのも二人で延々と会話させた方が楽だから、というのもあったんですよ、実は。
一つの場面で二人までなら比較的楽に書けるんですが、三人以上はきつい。

こういう話を書いておいて何ですが、個人的には原作アニメの玉田には最後まで突撃馬鹿でいてほしいという気持ちがあります。
「我々は変わらなければならない」という西さんの言葉には同意するし、最終章第2話のラストを見る限りきっと福ちゃんと西さん以外の知波単の面々も変わっていくのだろうとは思います。
でも一人くらい変われない、変わらない人がいてもいいじゃないかと思うのです。

あと樅鉄の最新話を読んで果たしてこの話を投稿していいものかと正直悩みました。しかし周りが何と言おうとも己が信ずる道を貫き通せばそれも一つの真理、とかそういう感じで行くことにしました、はい。

さあ、次は。
ようやくエリカの話だ。
今回の話と同時進行で進めてきましたが……逸見エリカって難しいね、本当!


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