星に映る友情 (福寺霧也)
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旧友を探す皇帝

「星に映る友情」第一談


今からおよそ千九百年ほど前のこと。

 

日本の国のお隣、現在の中華人民共和国は、後漢と言われてました。

当時のこの国は皇帝が治めており、まだ宗教的な観点から物事をとらえておりました。

 

さて、後漢の初代皇帝は光武と言い、貧しい書生から身をおこし、ついには天下をとった英雄でした。

 

この光武帝には、若い頃、同じ先生について学んだ、一人の親友がいました。

名を厳子陵と言いまして、学問も才能も優れていた人物でしたが、光武が皇帝になると名前を変えてどこかに姿を隠してしまわれました。

 

光武帝は名君や猛将などと言われておりましたが、この昔の友人がそばにいてくれたら、国家を治めるのにどれほど力になるか知れないと、いつも考えていました。

 

そこで、ある時、人相書きを国中にまわし、子陵の行方を探させました。

しかし、いつまでたっても手がかりがないため、光武帝ももう諦めていました。

 

すると、ある日のこと、斉という国から知らせが来たのです。

 

「こちらで、羊の皮を着た一人の男が沼で釣りをしていますが、どうも人相書きの人物のようにございます。」

 

光武帝は大喜びで、なお詳しく、その男を調べさせてみますと、確かに子陵に違いないということが分かりましたので、洛陽の都から、はるばる馬車で迎えをやりました。

 

ところが、子陵に断られてしまいました。

 

「見つけ出されたからには、仕方がありませんや。しかしながら、私は、今さら政治家の仲間入りなどをしたくないのです。このまま、田舎でひっそりと釣りでもして、一生を送るのが望みです。」

 

子陵はそう言って使者を追い返してしまったのです。

 

けれども、光武帝は諦めきれずに三度までも迎えをやりました。

 

そこで、とうとう、子陵もしぶしぶ承知し、馬車に乗って洛陽へとやってまいりました。

 

光武帝は、北の宮殿を子陵の宿とし、まず、いろいろな、珍しいものをごちそうしました。

そして、自分は後から北の宮殿へと向かいました。

 

子陵はぐうぐういびきをたてて眠っていていました。

 

光武帝は寝間に入っていき、子陵が床から出している腹を、そっとさすりました。

 

子陵はそれでようやく目を覚ますと、光武帝の手を振り払って言いました。

 

「男子たるものには、志があるものだ。それを、あなたは無視しようというのか。」

 

子陵は厳しい声できめつけました。

 

光武帝は溜め息を吐きましたが、こう言いました。

 

「それは思い違いじゃて。今夜は、皇帝などという身分は忘れて、お互いに貧しかった書生時代の、君と僕に帰って、話し合いたいのじゃ。」

 

子陵の心はようやくほどけました。

 

そして、二人は夜が更けるまで、おおいに飲み、おおいに食べながら、遠い昔の思い出を語り合いました。




申し訳ない。
日本軍人浪漫が思う以上に進まなかったんだ。
これも歴史の複雑さだね、しょうがないね。
でも個人的には好きな話だったので想像で書いてみました。
似たような書籍があったらすみません。


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寝相の悪い旧友

「星に映る友情」第二談


さて、前のお話から引き続き、光武帝と子陵のお話。

 

長い時を経て再開した光武帝と子陵は、夜が更けるまで思い出を語り合っていました。

 

やがて、夜が更けてきたので光武帝は言いました。

 

「さぁ、昔のように、床を並べて寝よう。後は、夢物語じゃ。」

 

それを聞いた子陵も笑って頷きました。

 

光武帝と子陵は、まるでかつての若い頃に戻ったかのように、床をしかせ、二人で眠りました。

 

ところが、眠ってまもなくのことです。

 

光武帝は、太った腹の上に、突然に何か重たいものが乗せられ、驚いて跳ね起きました。

 

見ると、隣の床から子陵が転げだし、毛むくじゃらの太い足を突き出していました。

それが、自分の腹の上に乗っていたのです。

 

子陵は、何か幸せそうに寝言を言っていて、眠っていました。

 

光武帝は思わず吹き出してしまいました。

 

「そうじゃった。昔のことだから忘れておった。子陵め、昔の通り、相変わらず寝相が悪いようじゃな。」

 

そう言って、光武帝は子陵の足を戻してやりました。

 

夜が明けると、天文台の役人が慌ててやってきて、こう言いました。

 

「至急、陛下にお目通りさせてください。」

 

並々ならぬ勢いに、光武帝はその話を聞くことにしました。

 

「昨夜、いつものように空を見ていたときのことです。帝座の星の近くに妖しい星が現れて、夜中に帝座とぶつかりそうになったのです。」

 

光武帝はその話を聞き、思い当たる節を見つけて笑いそうになりましたが、役人が話しているので、笑いを抑えることにしました。

 

役人はさらに続けました。

 

「これは、畏れながら陛下の御身の上に何か関わったことのおこる前触れかと存じます。どうぞ、くれぐれもご用心くださいませ。」

 

光武帝はついに笑い転げてしまいました。

 

「それは、昔の友達の子陵の足が、わしの、この腹の上に乗ったまでじゃよ。」

 

光武帝は、子陵と共にしばらく話をしたり遊んだりしていましたが、子陵が帰ってしまう日になったので、子陵を重い位につけようとしました。

 

しかし、子陵はこう言いました。

 

「いいや、友よ。私はこの国に、君もこの国にいる。ならば、心はこの国の大気の中で混じり合いながらも繋がっているだろう。私達はずっと友情で結ばれているよ。」

 

光武帝はそれを聞いて、子陵には敵わないと思いました。

 

今では猛将や名君と言われる光武帝も、かつては貧しい書生だったのです。

それでも、光武帝を支えてくれる存在があったからこそ、光武帝は見事に歴史に残る活躍をすることができたのでした。

 

子陵と光武帝は、ずっと友情で結ばれていて、光武帝が気付かなかっただけだったのです。

 

子陵は、あっさり位につくことを断って、富春山と言うところで一生を送りました。

その中でも、二人は心の中で繋がっていたのでしょう。




さぁ、光武帝と子陵の話も後少しです。
日本軍人浪漫は未だに1901年なので1904年の日露戦争は出ていませんが、投稿していないだけで執筆中です。
と言っても、当時の資料をあまり持っていなくてネット上の不確定な情報ばかりを基にしているから、間違いを訂正しながら投稿していくよ。
これは遅くなるね。


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