TCL-3における野生動物事故 (TUTUの奇妙な冒険)
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TCL-3における野生動物事故

風の歴史が始まる2億年前の宇宙に、ぽつんと惑星が浮かんでいた。無数の天体が輝く純粋な漆黒を基調とした空間に、惑星の数や速度は違えど、太陽系と同じように恒星系が動いていた。そのうちハビタブルゾーンと呼称される、恒星に比較的近い生命の生育できる軌道範囲に、ある惑星が存在していた。

 

惑星TCL-3。

 

岩石惑星である。卓越した大気の層に包まれていて地表の空気の密度は高く、どこかねっとりとした雰囲気を醸している。大気圧と気温も全体的に高い。とはいえその気温はヒトの生活に大した支障をきたすほどのものではなく、惑星の熱収支は平衡が保たれていた。先ほど生命居住可能領域にあると説明したのだから自明とも言えよう。

ところが、入植以前に行われた衛星での探査では特に発達した多細胞生物はほとんど見られなかった。無人探査機が何機も送られたことで大気組成についてはかなりの情報が手に入っていたが、地形や生態系についてはサッパリだった。というのも、原因は先に述べた発達した大気にある。惑星全域が温暖であるが、当然恒星の光を最も受ける赤道付近の気温が特に高い。大気圧が異なるのだから地球とむやみに比較すべきではないのかもしれないが、低緯度地域の高温により発生する熱帯性低気圧は、地球のハリケーンやサイクロンを遥かに凌駕する規模と発生頻度を誇る。移動性の低気圧により惑星全体の大気が搔き乱され、各地に発達した積乱雲が形成されている。金属イオンの豊富に混じった雨や猛烈な暴風に襲われ、地表に接近しようとした無人探査機は次々に墜落した。大気組成や大気大循環モデルの確立に無人探査機は大きく貢献したが、その研究が停滞を見せ始めると、今度は税金の無駄だと社会一般大衆から罵られるようになった。

数十年前に無人探査機がかろうじて脊椎動物に似た生命体を捕捉すると、大衆は揃って手のひらを返した。眼鏡をかけて偉そうにふんぞり返ったコメンテーターが「科学研究はこの国に重要だ」などと宣い、巨額の資産が無人探査機に投入された。やはり失敗続きの探査機であったが、批判の声は以前よりもずっと小さいものになっていた。やがてその生物は頭部と頸部を除いて体毛を持たない四足歩行の動物であることが判明し、新聞やニュースで連日報道され続けた。研究プロジェクトの主任の名にちなんだのか、『マンジョウ』と呼称すると発表された。

しかし一向に生態系の解明は進まず、やがて批判がぶり返し始めた。理解のない者たちからはマンジョウの発見はやがて些末なつまらない研究とみなされるようになり、より大きな研究成果が求められた。年々大きくなる社会の声に対し、政府と宇宙生物学的機構EBAは人類の入植を発表し、入植者に実地での生物調査・地質調査を実施させることとした。安全をもっと考慮しろと批判の声が相次いだが、他の惑星と合わせてEBAは入植を開始させた。入植実験にの調査隊には5名のエリートが選出され、以下にその氏名を示す。

 

 

 

「……おい、いつまで端末で無関係なサイト開いてんだガルファ。俺に運転押し付けといてよォーッ」

ハンドルを捌きながら、運転をしている男が小言を口にする。頭には安全のためかヘルメットを被っている。タイヤが砂利を撥ね、ところどころにある岩石を踏んで車体が揺れる。上体が激しく揺さぶられるほどの振動にも関わらず、助手席に腰を掛けたガルファと呼ばれた男はなおも端末をいじる。この男もヘルメットを装着しており、見れば後部座席の乗員も同様であった。

「無関係じゃあないんだぜ。データベースで調べてみたら、俺たちのことがバッチリ書かれてる」

「何のデータベースにアクセスしたんだよ?EBAのデータならいくらでも閲覧できるだろう」

シュヴァイクという男の台詞は上っ面だけを見ると確かに疑問文の形を呈していたが、そのぶっきらぼうな口調は心底興味がないようだった。眉をひそめて遠くの雲を横目に見ながら、岩場で車を走らせる。

「知らねえ。どっかの大学の講義資料らしいぜ。TCL-3のざっくりした説明と入植までの歴史についてだ。地球惑星科学じゃなさそうだ。肝心な部分を端折りすぎているからな……惑星開拓史学とか、そのあたりか?」

「無関係ではないですけど、でもこの任務に直接関係はないですよねーっ。ガルファさん!」

「おうジェイク。まあ、古い言葉でいうエゴサーチってやつだよ!やる気が違うだろうが」

後部座席から身を乗り出した若い男を相手にガルファが屁理屈をこねる。まだ20代前半だろうという若々しい目をした男はジェイクという名らしい。その左右でもクスクスと2人の男がやり取りを聞いて笑っている。

「エゴサーチね……君らしくない古風な言葉を使うじゃあないか」

「うっせ。俺だってたまには──」

「皆、少し静かにしてくれ」

シュヴァイクが片手を上げ、皆を黙らせた。車は既に止まっていた。乗組員の視線はシュヴァイクの手から、その前方へ向いた。岩場の影から2頭のマンジョウが姿を現した。マンジョウの巣穴から何かの動物の白骨体が発見されており、それを根拠に彼らは雑食性または動物食性の生物と考えられている。目が前方に付いていることや鉤爪を持つことからやはり捕食動物ではないかという意見や、鉤爪の用途は攻撃のみではない上に歯の形状が捕食者向きではないとして雑食説を推す意見も学会では日々飛び交っているらしい。

いずれにせよ、ここでマンジョウと鉢合わせするのは得策とは呼べない。マンジョウの四肢は哺乳類のように垂直に備わり、高い機動力を有していた。その行動が狩猟のためか自衛のためかは不明だが、調査の間に幾度も襲撃を受けてきた。この車体や手持ちの銃に刻まれた無数の傷がそれを物語っている。

「マンジョウ……2体もいるのか」

「追い払おうぜシュヴァイク!」

ガルファが銃を手に取ると同時に、マンジョウは車から離れる方向へ駆け出した。

予想外の行動に、車の乗員は皆あっけにとられる。普段なら襲い掛かって来るか、あるいは唸り声を上げて警戒態勢に入るところだ。それがなぜ、今回は逃げ出したのか。

「ん?何だ?なぜ……逃げ出す?」

「銃を持ったのがバレたんじゃないですか?」

「銃ならいつも携帯している。なぜ今回に限って……」

「分からん。周囲をよく見ておこう──」

ガルファがそう言い終わらないうちに、視界を“何か”がかすめた。

 

「あっ」

“何か”が胸を貫いた。心臓を外れ、肺も損傷を受けなかったが、内臓のいくつかを破られた感覚がした。しかし痛みはなかった。痛みを上塗りするほどの恐怖に襲われていたからである。“何か”は胸を貫いたまま、ガルファの肉体を持ち上げていた。次第次第に肉体が1メートル、2メートルと上昇していく。調査隊の他のメンバーも各々が顔に驚愕の色を浮かべていた。目を丸くする者。大口を開く者。息を飲む者。本来は一瞬のことだが、ガルファにとってこの一瞬は十数秒に感じられるほど長く悲痛な時間だった。

「うわああああシュヴァイク──!!」

すぐ傍にいた相棒とも呼ぶべき男に救いを求めるが、この状況に相応しい慣用句は、後の祭りだった。鮮血を撒き散らせながら、空高くガルファの体が巻き上げられていく。

「ガルファアアアアアアア!!」

咄嗟に手を伸ばすが届かない。届くはずがない。伸ばした腕におびただしい友の血液がかかり、次は己だという未来が直感として具現化される。

「全員車を降りろォォオ──ッ!!」

シュヴァイクの叫びが耳に入るや否や、全員が急いで車を飛び出す。この車は既に狙われていたのだ。未知の生物に弄ばれる玩具と化していた。人類側の検出器を潜り抜け、一体どうやって奇襲を仕掛けてきたのか。そんな思考が一瞬よぎるが、切迫した危機を前にして、生存以外の思考を切り捨てる。

後部座席から飛び降りた3人は後ろを振り向いた。どんな生物が仲間の命を奪ったのか、もう一度目に焼き付けるために。

「馬鹿ッ!早く走れ!」

しかしそれは失策だった。瞬く間に後部座席の男──ミルトという名だった──の頭部と腕が吹き飛んだ。その断面は骨や肉が飛び出た荒々しいものではなく、むしろ超一級の刃物で裂いたかのように滑らかなものだった。駆け出すジェイク。もう1人の男は後れを取った。次に審判が下されたのはその男ファルマだった。まだミルトのパーツが滞空している最中、ファルマの下半身が宙に舞い上がった。これを耳にして恐怖しない者はいないであろうという凄惨極まる絶叫が響き渡る。

ジェイクも逃れることはできなかった。ジェイクの背中から突如血が噴き出し、彼は岩盤に倒れ伏した。傷は長く伸び、素人目には頸動脈まで達しているようだった。首と背から滝のように流れる血を溢れさせながら、ジェイクは助けを乞う。その願いは唯一生きているシュヴァイクへか、先に散った者たちへか、あるいは故郷へ残してきた肉親へか。首を斬られて発声のままならない喉で呻く。

「う……あ……助け……」

「ジェイク……すまん、もう助からねぇ……!」

シュヴァイクの歯には尋常でない圧力がかかっていた。隊員を次々に失った理不尽な状況、目の前で消えゆく命に何もできない己のふがいなさ、そして突如襲撃した未知の生物。これらへの怒りと憎しみが増幅し、心の深層に芽生えた焦燥や呪詛を絡めとってゆく。

ジェイクの向こうではマンジョウが攻撃を受けていた。マンジョウの体が背中から射抜かれ、反動で浮き上がりながら臓物をぶちまける。これまでの惑星探査の希望の象徴であり、そして最大の弊害でもあった彼らが、いともたやすく蹴散らされる。

もはや何もできない。入植基地へ一刻も早く帰還して防御を固めることが最優先だった。シュヴァイクは突如地獄へ突き進んだ岩場を棄て、拠点に向かって一目散に駆け出した。

 

息を切らせながら走るうちに、ついに拠点が視界に捉えられた。ほんの数舜足を止め、微量でも体力の回復を図る。

「もう少し……」

再び足に力を入れたその時だった。

ヘルメットが外れた。落下したのではない。突如空高く飛び上がったのだ。

「ヘルメットがぁッ!!何だってんだあ!?」

度重なる理不尽の連鎖に憤るが、すぐにその怒りの感情は消え失せた。ヘルメットが取れて視野が広がった結果目に入った物があった。それは、彼がここまで逃げてきた原因。隊員4名が命を落とした元凶。見たくもなかったその姿を、正面からようやく見ることができた。

目に涙が浮かぶ。この姿を見たなら、もう俺は何があろうと殺されるのだろう。完璧な隠匿能力を持つ生物なら、その姿を見る時はどちらかが死ぬ時だ。

嗚呼、俺はもう終わりだ……

 

 

 

シュヴァイク、ガルファ、ミルト、ファルマ、ジェイクの5名は長らく消息不明となっていたが、入植拠点から北へ300メートルほど離れた地点で発見された人骨片のDNAがシュヴァイクのものと一致した。さらにそこから100メートル北上した地点に確認された血痕から、劣化はしているものの4名と同一のDNAが検出された。彼らは未知の野生動物による襲撃を受けて殉職したと考えられているが、現時点でこのような捕食行動を見せる生物は惑星TCL-3において確認されていない。またシュヴァイクの遺体とされる骨片の付近にヘルメットと思われる人工物が転がっており、EBAに保管されている同型のヘルメットには有機体を検知する機能が備わっていることから、装備が何らかの動作不良を起こしていた可能性が指摘されている。




原作はTwitter上で@Ma_Tori_xさんが創作されている一連のシリーズになります。


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