王になれなかった女の話 (石上三年)
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花の魔術師の述懐

……あの子の子供の頃の話?

 

確かに、もうあの子が子供だった頃を知る者なんて私を除けば誰もいない。

父は言うに及ばず生母とも死別しているし、あの頃の使用人たちも皆年老いるなどして彼女のそばから居なくなってしまった。

 

そうだね。話をしよう。王になれなかった女の話を。

 

 

まずあの子はウーサー王が意図せずして愛妾に生ませてしまった子供だった。

 

母親となった女性はウーサーが戦場で、つい保護してしまった若い娘だった。身分なんてないただの村娘さ、恐らくね。

彼女は最初、恩を返すためにウーサーに召し使いとして使えることになったのさ。

それがどういうわけか、私の知らないところでウーサーと彼女は懇ろな仲になった。ウーサーは結局最後まで何があったのか教えてくれはしなかったよ。

彼女のそばに居る時、ウーサーは冷徹な王ではなくただの人間でしかなかった。

 

だからね、ウーサーは顔には全く出さなかったがあの子が彼女の腹に宿った時王として喜び人として嘆いていた。

王として世継ぎが生まれる可能性に喜び、数少ない愛する人を政に巻き込んでしまう可能性を嘆いたのさ。

 

まあ、彼女、面倒事に巻き込む前に死んでしまったんだけどね。

彼女が死んでモルガンが生まれた日のことはよく覚えているよ。

ウーサーがあんなにも悲嘆にくれたのは後にも先にもあれだけだった。

 

産婆と産気付いた彼女が扉の向こうに消えた時、王と私は執務のために一度その場を離れた。

しばらくしてウーサー王の居城全体を揺らすような振動が起きた。揺れは一回だけだった。ただし、ウーサーが焦って飛び出すのには十分な異常だった。

私は城の異常をこの目で探りながらウーサーを追いかけたよ。

 

それでウーサーが真っ先に向かったのは彼女が出産を終えているはずの部屋。

明らかにおかしかった。扉の向こうから大きな篝火でも焚いたように熱気がただよっていた。私が中の様子を確認する前にウーサーが扉を開けようとして、私は千里眼で先に中を見ていたから、慌ててウーサーと彼の開けた扉の間に身を挟んだ。

 

すると熱気と夥しい血の臭いがね、私とウーサーの顔に叩きつけられた。

部屋の中の様子は凄惨というにふさわしい有り様だった。

 

産婆は上半身が消え失せていた。断面は焼け焦げたように黒ずんでいた。ただ断面以外はきれいなままだ。

彼女は寝台に寄りかかった状態で、下半身から下が消え失せていた。いや、壁にかけられた板のような状態というのが正しいかな。

彼女はその状態で、自分の腹のあたりでぐずついている赤子に腕をのばしているように見えたよ。

 

産婆の断面や彼女の下の当たりの床は、燃えた炭のように真っ黒なのに表面は水晶のようにつややかだ。

 

それを見て私とウーサーは何があったのかすぐに察しがついた。

 

もともとウーサーの血筋は超常の力を持つ者が生まれやすかった。

それ故に王家として成立した家系だ。

 

モルガンはウーサーと同じく超常の力をその身に宿していて、産声を上げた途端にそれを暴発させてしまったのだろうさ。

 

彼女がモルガンを抱いてから悲劇が起きたのか、悲劇が起きてから彼女がモルガンを抱こうと瀕死の身で腕を伸ばしたのかは、誰にも分からないままだった。

 

ウーサーはそれから、後継者候補としてモルガンを育てることに決めた。

ウーサーは自分の武器がヴォーティガーンに届かないことを予測していたが、子供の頃から鍛練を積んだ同類の力の持ち主の剣なら届く可能性があると思ったんだ。

 

ブリテンの未来を少しでも長く存続させるには我々を裏切り異民族と盟を結んだヴォーティガーンをいずれ取り除かなければいけないことは明白だった。

 

この時にウーサーは生まれた赤子に名を与えた。

あの子にケルトの戦女神にして大いなる女王に連なる名を与えたのさ。

 

モルガンという名をね。

 

まあ、今思えばこの名を与えたからこそ彼女は我らが王の敵になる運命をたどってしまったのかもしれない。

多分私もウーサーも初手を間違えていたんだろうね。

 

 

 

ウーサーは彼女の死んだ惨劇を忘れられずモルガンに接することを苦痛に思っていた。

憎んでいたわけじゃないが、父親らしいことなんて頭を何度か撫でるぐらいしかしてなかったね。

 

王としての教育は私に丸投げされてたし。その延長で私は魔術を彼女に教えていた。

あの子は何事も熟すことができる優秀な子だったよ。

 

武芸は槍が得意で並の騎士ではすぐに相手にならなくなったし、魔術を習い始めて1年程度で壊すことと殺すことに関しては私を上回るようになった。

聡明で齢十を数える頃には、政に関する知識は教えることがなくなってしまったし、あとは経験を積むだけというところまでいってしまった。

 

人間の王、その世継ぎとして女であることを除けばあの子はどこまでも優秀だった。

ただそれでもあの子は後継者候補に過ぎなかった。

 

彼女の生母を殺した例の力が彼女の意思ではちっとも発現しなかったんだ。

 

だからウーサーはモルガンへの教育と並行して、モルガンより優れていてヴォーティガーンも倒せる後継者を作る可能性を探っていた。

 

モルガンは父に誉められたい一心で、王としての修行を頑張っていたのにね。

 

私は不思議だったよ。

なんでろくに話しもしない父親に、そんなに親愛を抱けるのか。

で、直接聞いてみたら驚いたね。

 

モルガンが誉められたいからって勉学の成果なんかをウーサーに見せに行ったんだそうだ。

成果を見たウーサーは「よくやった」とだけ言って、あの子の頭を撫でた。その時の手つきはお世辞にも上手とは言えなかったそうだよ。傷つけまいとして恐る恐る触れるような弱い手つきだったそうだ。

 

たったそれだけで、モルガンはウーサーがウーサー成りに大事してくれているのだと思って、ウーサーを慕うようになったのさ。

その一方で、父から大切な女性を奪ってしまった自分にはそれだけで十分なのだと、あの子は思っていた。

 

 

今のあの子しか知らない者には信じられないくらいに素直なところもあったんだよ、昔はね。

 

もちろん今のあの子の、魔女としての一面に通じる酷薄さもその頃から垣間見えていた。

民の生活を考える中でさえ迷うことなく小を切り捨て大を取る。

 

その辺は王として不適格じゃないのかって? 我らが王をご覧よ。正しく優しいだけでは王は務まらない。

モルガンの性質は、私から見てもウーサーから見ても十分許容範囲だった。

 

幼くとも聡明なあの子は、いずれ自分は王族の務めとして政を行うのだと考えていた。そのために教育されているのだ、と。

あの子は幼いながらにやろうと思えば、むしろウーサーよりも冷徹に王という務めを果たせたかもしれないね。

私とウーサーを切り捨てでもブリテンのために奉仕する、時に暴君を演じる自我を必要とされない機構。

 

 

モルガンは、あの二人に出会って人間としてだけの純粋な愛情を向けられていなければ、魔女にならない代わりに冷徹な暴君や横暴な女神のように君臨していたかもしれない。そう思うんだ。

ある意味あの二人に出会ったからこそ、彼女は完成した王になれずに人間になってしまったのさ。

 

あの二人とは誰か? 一人は君も朧気でも覚えているんじゃないかな。

 

一人はアーサー王の生母、碧き瞳のイグレイン。

そしてもう一人はアーサー王の異父姉、ウーサーに殺されたティタンジェル公ゴルロイスとイグレインの間の娘、モルゴースさ。

 

本当にね、父親を殺し殺された者の娘たちと思えないほどに仲がよかったんだ、あの義理の姉妹たちは。

モルゴースが命をかけてモルガンを救おうとする程度には。

 

おや? そんなに驚くことかな?

そうだね、じゃああの母と娘がモルガンに出会うまでを説明しよう。

 

 

モルガンが生まれてから、ウーサーはモルガン同様の力を持った子供が生まれないか色々と試してみた。

結果としてモルガンが生まれてからアーサーが生まれる前までに、7人の娘たちが生まれた。

うん、問題の力を持った子供も、王子も、生まれなかった。まるで呪われたように、一人も。

 

ウーサーは王族として政略結婚に使えそうな娘には王妃になるものとしての教育を与えるように指示を出して他所に預け、そういった機微に疎そうな娘は早々に大陸側の修道院に出家させてしまった。

 

だからウーサーの元で育った実子はモルガン一人だけだった。

 

やがてウーサーは例の超常の力を宿して生まれた子供を待つのではなく、力が無くてもヴォーティガーンを討ち果たせる子供を作ればよいのではないかと考えるようになった。

その考えと計画に基づいてつくられた絶対なる理想の王 、それが我らのアーサー王さ。

 

ウーサーと私は王と、母体の中にいる胎児に竜の因子を与えて竜としての機能を持つ人間をつくろうと考えた。

 

竜と人の血を混ぜ合わせることができる適性を持つ女、母体としてそれを持っていそうだったのがティタンジェル公ゴルロイスの妻「碧き瞳のイグレイン」だ。

 

まあ、戦にかこつけてイグレインを騙してウーサーの子を孕ませて戦が終わったら拉致してしまおうとしたんだけど、むしろこっちが一杯食わされた。

その時まで僕も気づけなかったのが悪いんだけど、彼女、ドルイドの末裔だったんだ。

ゴルロイスの振りをしたウーサーに気付かないふりをして、夫婦だったら違和感の抱きづらいような娘に過保護な母親の会話の体をして、イグレインはドルイドとしての知と技でウーサーに魔術に基づいた誓約(ギアス)を結ばせたのさ。

戦が終わったら娘モルゴースに対して彼が考えうる最善の待遇を与えて結婚相手を選べ、とね。

 

つまり、ウーサーは戦が終わったその瞬間から自分にできる最善の待遇でイグレインの娘モルゴースを扱わなければいけなくなったのさ。

 

そうしてウーサーの居城に、ウーサーが後継者の母体として確保したイグレインと保護しなければいけないモルゴースが やってきたのさ。

うん、ウーサーは自分の居城が当時一番安全で、母と娘は一緒に居るのが良いことだと信じていたんだよ。

自分は実の娘とその母とを七度も引き離したのにねえ。

 

イグレインはウーサーと私から同じ城に居るモルガンの生い立ちを聞いて、憐れに思っているようだった。

 

母の愛を知らず、父に王族として都合の良い手駒にされていると想像すらしない、あるいはそれが王族なのだと受け入れてしまっている。モルガンはイグレインがウーサーの後継者足る子を生まなければいずれ戦場に王として立たなければならず、生めば王の後継者として積んだ経験のほとんどが無駄になる。

 

彼女はそう考えて、自分が与えられるだけのものを与えようと、実の娘モルゴース同様にモルガンと接することにした。

愛情だけでなく様々な知識や技もさ。

モルガンがドルイドとしての技と知を持つのは、イグレインから与えられたからなのさ。

 

本当にモルガンの使える魔術は多種多様なんだよねえ。

しかも魔術に関しては天才といって差し支えないし、僕の手元を離れてから独学で色々と学んでいたようだし。

おっと、話が逸れたかな?

 

モルゴースの方は聡明で美しい義理の妹にすぐに夢中になった。

あと、モルゴースはあまりゴルロイスと接した時間もなく、ゴルロイスが決していい父親ではなく嘆きようもなかったのがこちらにとって幸運だったというべきか。

そうして、本当に家族としての愛情と近い年頃の娘としての友情を育んだ。

 

アーサーが生まれるまでの約10ヶ月。

モルガンにとっては人生初めての、幸福ばかりの時間だった。

敬愛する父、温かな愛情を惜しみ無く与えてくれる義母、優しい義姉。優秀な師。

 

え。自分で言うなって?

少なくとも知識を教えるものとして優秀だったのは本当だし、あの子の初恋は私だったんだぞ。

あの頃のあの子が私に向ける感情は本当に私にとって好みでね、あれで慕われてなかったとかないない……。

 

……ああ、これモルガンの前で言ったらモルガンが本気で私を殺しにくるから絶対他言しないように。私も命が惜しくないと言ったら嘘になってしまうから。

 

 

 

 

モルガンにとっての幸福な日々が崩れたのはアーサー王がこの世に生を受けた日のことだ。

 

ウーサーは政務に、私は生まれたアーサー王の魔術的な調整のために、別の場所に居たからそれが起きた時のことは推測でしかわからない。

 

モルガンのあの力が、彼女の生母を殺した日同様に暴走した。

その場に居合わせたのはモルゴースだけ。

 

暴走した力は呪いと炎と言うべきもの。何もしなければ、内側からモルガンの魂と肉体を焼き尽くしていた。

あの時モルゴースが瞬時にモルガンの身に起こったことを理解できたのは、普段からよく互いに師から習ったことがらについてよく話をしていたからかなあ。

 

モルガンを内側から焼き尽くす呪いをモルゴースは自分の中に引き寄せた。

そうしなければモルガンは死んでいたし、周辺にも被害が出ていたよ。

モルガンとその周辺を見捨てればモルゴースは助かったのに、彼女はそうしなかった。ウーサーに仕えていた魔術師として私は感謝した。

 

けれどモルゴースのその試みが成功しただけでも奇跡だ。

当然、モルゴースは無事ではすまなかった。

 

モルガンの力の暴走が終わったあと、モルガンもモルゴースも余談を許さないような状態だった。

 

この時点でイグレインはアーサーを生むのに耐えられずに死んでいたから、私は彼女たちに優先順位をつけたよ。

ヴォーティガーンを倒せる可能性があるから、アーサーとモルガンを優先した。

 

モルガンの意識が回復した時、彼女の義母は亡くなっており、義姉は彼女のせいで命と魂を削ってしまっていた。

 

モルガンは自分を責めた。

 

あと、彼女があの髪と目の色になったと分かったのもこの時だ。

 

彼女は母親似でウーサーとは余り身体的な特徴は似ていなかった。

ウーサーは金褐色の髪に青い瞳だった。

この青い瞳の色だけが、彼女が見た目でウーサーから受け継いだ唯一の特徴だったよ。

 

モルガンはこの日までは、灰色の綿のような髪に青い瞳をしていた。

しかし力が暴走した折、彼女の瞳は深紅に染まってしまった。

 

奇しくもその名前の由来であった女神と同じ色になってしまったのさ。

 

 

モルガンが目覚めた後、私はアーサーの調整にかかりきりになった。

 

モルガンは目覚めて間もなく、かの呪力の暴走後の苦しみようが嘘のように回復していた。

モルガンはモルゴースを必死に看病をしたから、モルゴースが一命を取り留めた。

看病の間、モルガンはイグレインの死も自らの変わりようも嘆く暇などなかったよ。モルゴースを助けたい一心で、その他のことを考えれば潰れてしまうかもと可能性を自覚していたんだから。

 

そしてこの頃だった。

モルガンが頻繁に川の浅瀬で死ぬ槍持つ戦死の死に様を何度も夢に見ているのだと言うようになったのは。

 

そしてウーサーと私はモルガンを王の後継者候補から除外すると決めた。



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王の義兄の懐古

ああ?

モルガンの話を聞くために何で俺のところに。

は? マーリン?

 

はあ……。分かったよ。

といっても、俺に話せることなんてあまり無いぞ。

とりあえず記録に残ってるはずがない話からいくか。

 

アーサーが俺の家にきて2年ぐらいのことだった。

 

俺は親父に頼まれて近くの村や町に書状を届けてきて帰りだった。

 

それなりに整った身なりで馬に乗った女が街道で盗賊らしき男たちに剣を突きつけられていた。

俺は街道近くの林にできるだけ素早く移動して 馬を隠して、横から賊の不意をつける位置を狙って移動した。

 

移動して女の顔が見えた時、俺は少しだけ教会の神様に感謝したな。

賊に絡まれた女は美人だった。うねる雨雲のような灰色の髪に柘榴の実を思わせる赤い瞳の女だよ。しかも女一人で賊に囲まれてるってのに、女の態度は小揺るぎもしなかった。

美人の聞き心地のいい声で賊を相手に「そこをどきなさい」の一点張りだ。

 

業を煮やした賊が剣を振り上げた瞬間、俺も走り出そうとしたが、俺もあの時の賊もとんだ無駄をした。

 

いつの間にか女の手には白い槍があって、馬上から槍の穂先で敵の剣をからめとって弾き飛ばしていた。

賊が呆気に取られたのは一瞬だ。次の瞬間には、女の槍が賊の喉首を捕らえていた。

 

美女が冷ややかな鋭い声で脅せば、賊はどいつもあっという間に震え上がってその場からへっぴり腰で逃げ出したのさ。

 

で、その美女はすぐに俺の方を見てにっこり笑った。

「助けようとしてくれて、ありがとう」ってな。

 

今度は俺が間抜けな面をさらしてただろうよ。

無言の俺に対して女はクスクス笑いだしたんだから。

 

聞けば女は魔術師で、賊と対峙しながらも周囲を魔術で警戒していたらしい。

で、街道を後からやってきた俺がわざわざ馬を隠して賊の死角を選んで徒歩で動いたことにも気づいてたんだと。

 

なんで、それだけでその女は俺を味方だと判断したのか?

ああ。それな。俺も最初訳が分からなかった。

 

女は馬に乗ってただろ?

賊の仲間で女が逃走するのを防ぐためだったら、わざわざ馬から降りるのも危険だろ? 歩兵じゃ簡単に騎兵には勝てやしない。

女が包囲を抜け出して馬に乗ったまま逃走しようとする可能性を踏まえれば、賊の仲間が馬を降りてしまうとは考えづらい。むしろ背後から馬で近づいた方が、女への脅しになるはずだ、と。

 

俺は女の言うことに一理あると思いながらも、反論が思い浮かんで言ってしまった。

 

「もし俺がさっきの連中の仲間でただの馬鹿だったとか、さっきの連中の敵で別の賊とかって可能性は考えないのか?」

 

今度は女が呆気に取られたよ。そしてすぐにけらけらと童女のように笑いだした。

 

「考えてもみなかった!」

 

笑いだした女を前に、色々と考えてた俺もなんか馬鹿馬鹿しくて笑ってしまった。

 

話を聞けば、女は数年前に養子に出された腹違いの妹の様子をお忍びで確認にやってきたと言う。向かう先は俺の家がある街だ。

もしかしたら、と俺は思ったがその場ではその疑問を飲み込んで、ひとまず女の名前を聞くことにした。

 

「モル……」

「モル? それがあんたの名前か?」

「ち、違うわ! モルゴース、私の名前はモルゴースよ!」

 

露骨な態度だったよ。

 

ん? 変な顔するんだな。確かに今の魔女と呼ばれるあいつからは想像できないかもしれんが。

 

当時の俺が、モルゴースの名前の意味に気づかなかったのか、って?

ああ、そもそもモルゴースって名前自体知らなかったのさ。

その名前が誰のものなのか知ってたら、俺は親切心と下心でもってあいつを俺の家に案内したりしなかった。

 

あいつの父親に身内を殺された女かもしれないやつを、あいつの前に連れていくような判断はしなかったさ。

 

俺はモルゴースと名乗ったそいつに言った。

「俺の父親は街で顔が利くから、あんたを紹介してやる。そうすれば目的もちゃんと果たせるだろ」と。

女は安心したように笑って、俺の案内に従った。

 

案内ついでに口説いてみたが、すごい幸せそうな顔で素敵な夫と二人の息子が居るとのろけられた。

一刀両断だったな。でも、あいつが幸せそうな顔をしてるから悔しくはなかった。

 

 

それで街まで一緒に向かって、まず俺の家に案内した。

家に帰った矢先、出迎えたのは俺の腰ぐらいしか身長のなかった金の髪の子供だ。そう、アルだ。

女は面食らっていたよ。

 

ガキだったアルは女の表情に気づかず、「お客さまですね、こちらに」とか言って、女の手をひいて家の奥に案内しようとした。

女はアルにされるがままだ。

 

そうこうしている内に俺の親父であるエクターも出てきて、俺がそいつを連れてきた理由を説明した。

親父はモルゴースという名を聞いて、アルとそいつの繋いでる手を見て、笑ったよ。

 

親父はすぐにモルゴースと名乗ったあいつをうちに泊めると言って、準備をするように俺とアルに言いつけた。

俺はアルに引きずられるようにその場を後にしたが、親父とあいつは何かを話していたよ。

 

客間の準備を終えた俺とアルが夕食に必要な食材を買いに出ようとすると、あいつがやって来て俺たちについてきた。

妹の住んでいる街の様子を見たいと言ってな。

 

アルは不思議がって、あいつに尋ねた。

 

「モルゴース、妹さんを探さなくていいのですか?」

 

あいつはアルにこう返した。

妹の様子を確認して、元気にやっているのであれば、それでいいと。むしろ相手はこちらの顔を覚えてもいないだろうに、今さら姉と名乗るつもりはないのだと。

 

その言葉があいつの嘘か本当か俺には分からなかった。

アルは納得できていなかったようだが、あいつに街の様子をあれこれ聞かれて頼られているとでも感じたのか、すぐに満更でもないような顔をしてあいつの案内を始めた。

モルガンはそんなあいつの背中を眩しいものを見るような目で見ていた。

 

 

1日かけて、買い物をしてアルはあいつに自分が住んでいる街や周辺を紹介した。

 

その日の晩にはアルはあいつにすっかり懐いていた。むしろあいつの方が、それに困惑していたほどだった。

 

 

翌朝に目覚めると、あいつの姿はどこにもなかった。

それどころかアルも親父もあいつのことを覚えていやしなかった。

 

覚えていたのは俺だけで、あいつをもてなすのに使った金子と同じ額が入った袋が俺の部屋に残されていた。

 

後からマーリンに聞いてみたときには、記憶の消失はやっぱりあいつの仕業だったそうだ。

 

まあ、俺がこのことを話した時にアルにかけられた魔術もマーリンが解除したんだが。

 

 

俺たちが再びあいつと関わったのはアルが選定の剣を引き抜いて旅に出た後だ。

 

 

ペリノアとアルが鉢合わせて戦いになるように状況を整えて、モルガンはその隙に聖剣の鞘を自分がさらした騎士に盗ませた。

モルガンはアルの不老の理由が選定の剣の鞘にあると誤解させられていた。

情報戦ではマーリンが勝っていたってことだな。

 

マーリンが遠見の魔術で悔しがってるところを覗き見したそうだから間違いない。見られていることに気づいたモルガンのはすぐにあの野郎に不運になる呪いをかけてたがな。

しばらく口説いた女にことごとくふられているあいつを見るのは愉快だったよ。

 

まだガキだったアルはこの一件でそれなりにショックを受けていたようだった。

あの優しかった人が何故、ってな。

この件で選定の剣を折ってしまったから余計にそう感じていたんだろう。

 

この件でモルガンと直接顔を合わせることはなかった。

 

そういやこの件の後、エクスカリバーを手に入れるために湖の乙女ヴィヴィアンに会いに行ったんだが……。

ヴィヴィアンとモルガンは面差しがよく似ていた。正直薄気味悪いと俺は思った。

そういや、あの時は珍しくマーリンが真顔だったんだよな。それだけあの湖の乙女がヤバイやつってことだったのかもな。

ただ、あの顔で真面目に対応したのが悪かったのかマーリンはヴィヴィアンに気に入られちまった。

 

 

 

あとはお前も知ってる、諸王の反乱の際の騒ぎだ。

反乱の裏で糸を引いていたのがモルガンとその夫、オークニーの王ロットだった。

 

モルガンの密偵行為による騒ぎ、諸王の反乱、ロット王の戦死。

 

この辺の詳しいことは当事者たちに聞いてくれ。俺は精々密偵騒ぎの最後の方でモルガンと顔を合わせたぐらいで、それもすぐにあいつは俺たちの拠点から脱出してしまった。

 

反乱に失敗した後モルガンは姿を消したものの、各地で騒ぎの種をばらまいていた。

緑の騎士のように呪いをかけられた者。各地の騎士に与えられた祝福と呪いが紙一重に合わさったような武具や秘薬が起こした騒動。不審な諸侯の死。

 

 

アーサー王に仕える騎士たちがどうにかしてなければ、さぞ巷は悲劇にあふれていただろうよ。



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騎士王の悔恨

マーリンから聞きました。あの人について方々で聞いて回っていると。

といっても私も話せることなどほとんどないのだが。

 

子供の頃にやって来たけれど私の記憶が消されていた、その時の話はケイ卿から聞いたのか。

ああ、カリバーンが折れてしまった時は正直にいうと、あの人どころではなかった。あれは当時に私がウーサー王の後継者であることを対外的に示すために必要なものでもあったのだ。

 

そうだな、私に話せるとしたら、モルガン直々の密偵騒ぎのことか……。

 

 

モルガンの夫でもあるオークニーのロット王を始めとした諸王の反乱。

マーリンによって兵站の動きからもその兆候があると知らされたものの、こちらの兵糧の都合上私も決定的な対策を取れなかった頃だ。

 

あの日、マーリンが侵入者に気づいた。

モルガンは魔術を使って忍び込んだのではなく、自ら送り込んだ密偵からの情報を利用して、我が拠点に物資を運び込む商人の一団に紛れ混んでマーリンの結界をすり抜けたのだ。

 

マーリンが気づけたのは、マーリンの持つ眼と、とある場所にしかけていた別種の結界ゆえのことだろう。

モルガンは自分の送り込んだ密偵からの情報で、当時の私の軍勢の総力を簡単に図れたはずだ。

 

とある場所にあったのは、特別な武器庫。マーリンをしても再現は難しいというような、ロンゴミニアドのような聖なる武具 の置き場でもあった。

 

私はマーリンに勝る魔術師など知らなかったが、そのマーリンをして敵対しようとしまいと最大の警戒をして臨まなければならないという相手がそんな場所に侵入しようとしていたのだ。私は急ぎその武器庫に向かった。

 

人気も無く、日の光も届かない場所だった。私も意識しなければ彼女の使った人避けの魔術に惑わされてしまうところだった。

私が武器庫前にたどり着くと、私に背をむけて灰色の長い髪をした女性が扉を探るように触れていた。

 

その姿を見た瞬間、騎士見習いですらなかった頃の子供の頃の記憶がよみがえった。わざわざ私の記憶を消していったあの人が、そこに居た。

 

マーリンが彼女によって私にかけられた魔術を解いていなければ、私はおそらく戦場で敵を捕虜にする時のような態度を取ってしまっていただろう。

 

でもその時の私は、彼女が忘れていて欲しかった出会いを思い出せたのだ。

私に気づいて振り返ったあの人に、あの日と同じように私は呼び掛けた。

 

「モルゴース」と。

 

あの人は目を見開いて唇を震わせた。

私にあの人の声は聞こえなかったが、「なぜ」と言っていたような気がする。

ああ、マーリンが術を解いてくれなければ、私はあの人の本当の名前を極めて事務的に呼んでいただけだろう。

 

 

だがあの人の動揺も一瞬だった。すぐにあの人は険しい眼差しになって、魔術でどこからか取り出した槍を構えて私に向けた。

 

私が話がしたい、と告げるとあの人は逡巡してから「他に誰も居ない場所でなら」と言って、槍を下ろしたのだ。

私はその条件をのんでマーリンに人払いをさせた部屋で、あの人と二人で話すことにした。まあ、マーリンは最低限の用心として覗き見をしていたかもしれない。

 

 

既に私の元にはガウェイン卿や貴方がいて、アグラヴェイン卿もやって来たばかりだった。

その誰もが信頼に足ると私は判断していたからこそ、あの人とも敵対せずに済むならその方が良いと思っていた。

 

 

ただな。二人きりになった部屋で険しい顔になったあの人と話せば話すほど、その望みが無理難題であると知ることになってしまった。

 

あの人は私に尋ねた。何故王になったのかと。

私は正直に、選定の剣を抜いた日の、否、選定の剣を抜く直前の心境を答えた。

それはあの人の表情をますます険しくさせた。

 

私は尋ねた。

何故諸王の反乱に荷担するのか、と。何故尊い身分の女性の身で、危険を承知でここまで乗り込んできたのかと。

 

あの人は激昂した。

「それをお前が言うのか」と。

 

……不思議そうな顔をしているな。

いや、検討違いな怒りではなかったのだ。私が墓まで持っていくと決めた秘密があるのだ。あの人がそれを知っていたことも関係ある。

私が安穏とブリテンの王の座を降りることがあれば、貴殿にもガウェイン卿にも教えて構わないとは思うのだが……。

 

 

ああ、話を戻そう。

あの人は怒りながらも答えてくれた。

諸王の反乱に荷担するのは、当時の私が王として信頼に値しないと考えていたから。

女性の身で危険を侵したのは、それが一番あの人にとって望む未来を引き寄せる可能性の高い手段としてロンゴミニアドを手に入れる必要があったから。

 

……当時の私は何故、それがロンゴミニアドを求めることにつながるのか分からなかった。

今なら分かる。あの人は今の貧困にあえぐブリテンを予見していた。

私が聖杯の奇跡でもってそれに対抗しようとしたのに対し、あの人は聖槍の力の一部をもってしてそれを覆そうとしたのだ。

 

ヴォーティガーンを倒した槍に、そんなことが出来るのかだと?

人間には不可能だ、無論私にも。

だがマーリンをして魔術の天才と賞されるあの人だ。

 

マーリンも言っていた。

「彼女なら聖槍の力や機能の一部を奪うか制御して、世界そのものを時間の制限がつくかもしれないとはいえブリテンの人々に都合良いものに置き換えてしまえたかもしれない」と。

 

ええ、恐ろしいことだと思います。

 

あの時、あの人はヴォーティガーンを倒す算段をつけているのか、と訪ねてきた。

ええ、私は聖槍の力でヴォーティガーンを倒すと答えた。実際その通りになった。

 

あの人はヴォーティガーンの正体、いえその果てが何であるかを知っていたからこそ、私のその策を否定した。

私はその時点で知らなかった、聖槍で古きブリテンを体現する竜を縫い止めるその意味を。

 

あの人は厳しい声で言いました。

お前のやろうとしているその行いは、呪詛がかけられているからと呪詛のかけられた体の一部を切り落とすに等しい愚行だ、と。

より正確に言うなら、体の深い部分に寄生している害ある虫を素手でえぐり出しその傷を治療せずに放置するようなものだと。

 

私は反論した。

ヴォーティガーンを退けた後にこそ、ブリテンを豊かにするための策を講じる時間ができるはずだと。

貴方にヴォーティガーンを退ける策はあるのかと。

 

あの人はヴォーティガーンを知りぞける策はあるが、それよりもブリテンの土地から失われていく豊さを取り戻すか補う策が先だと。

あの人はその具体的な手段として、大陸の侵略すら視野に入れていた。

ええ、ブリテンの民を大陸側に入植させ、ブリテンには異なる種と血を王命の元に受け入れさせる。

そこに民の喜びがあるか私には確信できなかった。

 

……ええ、そんなやり方は騎士の道ではありません。

それどころか王の道ではないとさえ、その当時の私は思って激怒した。

 

しかしあの人にとっての王とは、民に代わって悪を敷き、全ての怨嗟と責を受け止める者なのだ。

ええ、今の私には否定することすら許されないかもしれない。

けれど、今でもあの人のやり方は間違っているとしか思えない。

 

ブリテンが滅びを防ぐために、関係のない大陸側の民を不幸にしていい理由などない。交易などの平和的な手段もあるのだから。

 

……そういう私だからこそ、従うことを選んだ騎士もいる。最初こそ父の命令だったが、少なくとも今の自分はそうだと。

そう言ってくれるのか、貴方は。

ありがとう。

 

その後、あの人は槍を振るい、私は剣を抜くことになった。

すぐにマーリンと拠点に残っていたケイ卿がやってきて、私に助太刀してくれた。

 

そして私に手傷を与えてようやくあの人は自分から本当の名を告げた。

私が軍を得る前に妨害してきた時もあの人は決して私の前に直接姿をみせなかったのに。

 

ウーサー王の娘にして長子、お前に後継者の座を奪われた女。アーサー・ペンドラゴンを名乗るお前の敵、お前から王位を取り戻す者。

モルガンである、と。

 

あの人は、あの日そう告げて私の敵になったのだ。



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太陽の騎士の愛惜

おや、どうしたのです。そのように神妙な顔をして。

……母上について、私の意見を聞きたいと。

それは構いませんが、モルゴース様とモルガン、どちらの話ですか?

 

そうですか、そちらの母上ですか。

いえ、そちらなら私にも話せることはある。

モルゴース義母上のことだと、私もあまり話せることはありませんから。

 

実のところ、王の敵となったあの人を、私は斬ることはできても憎むことができないような気がするのです。

どのような盟約がウーサー王と父上の間に交わされたかは分かりませんが、私の覚えている父上と母上は政略のために結婚しながらも仲睦まじかった。その姿は貴方も覚えているでしょう?

 

その姿を覚えているからこそ、母上はもはや永遠にアーサー王の敵に回るしかないのだと、私はそう思ってしまうのです。

 

 

初めは政略結婚だったそうですね。

ウーサー王とあのマーリンは父上……オークニー王と何らかの盟約を交わし、ウーサー王の下から二人の娘を妻として迎え入れた。

 

一人はティタンジェル公ゴルロイスとイグレインの間に生まれたモルゴース様。この方は父上の最初の妃となった。

 

もう一人はウーサー王とその愛妾の間に生まれたモルガン。

この人はモルゴース様が死ぬまで、妾という立場だった。

 

モルゴース義母上は血筋については申し分なかったが、とても体が弱く跡継ぎなど望めなかった。

モルガンは母方の血筋についてはオークニーに全く利益をもたらさないがあの人自身はとても健康で、ウーサー王の血筋に生まれる超常の力を持つ者をロット王の後継者として生める可能性があった。

 

ええ、もしかしたら私の体質はそういうことなのかもしれません。

 

けれど、父上と母上は最初から王に仕える騎士として私を育てたのです。

ええ、私は母上と違って王としての教育を受けていない。領地を持つ者として最低限の知識は身に付けさせられましたが。

え? 全く向いてないから教えられていなかったのでは? 貴方は王の最低限の補佐が務められるようにと多少は教わっていた?

 

……。

ああ、すみません。落ち込んでいませんとも。

 

父上と母上は、私が生まれた頃からいずれ世に現れるであろうウーサー王の正当な後継者のもとに送り込むために私を育てていたのでしょうか。

 

慣例からいうなら、アーサー王に何かあったとき嫡子がいないのなら王の姉の元に生まれた男子が後を継ぐというのが正しい。

アーサー王の正当な後継者と成りうるならば、最初からアーサー王の元にて評判を高めた方が周囲への心証はよい。

 

……かの諸王の反乱で、アーサー王が敗北しようと勝利しようとウーサー王の血筋とオークニー王の血筋は残る。

そのように父上たちが画策していたのではないかと、貴方は推測しているのですね?

故に父上たちは影では率先して動き、反乱を主導していた、と。

 

ああ、確かに辻褄は合う。

恨まないのか? ああ、恨まない。

それがあったからこそ、私は私の仕えるべき王に出会えたのだから。

 

 

……話を戻しましょうか。

母上について、私見ですが、あの人が魔女と呼ばれるようになる契機はやはり父上との死別だったと思うのです。

 

反乱が終わり父上が亡くなって、オークニーをこちらの領地として引き渡すように求めに、あの城に閉じ籠る母上に会いに行った時のことです。

 

ええ。アーサー王に仕えるために王の下に駆けつけて以来の初めての里帰りでした。ああ、私も旅に出た時はあの城で父上が帰りを待っていてくれると、信じていたのにな。

 

マーリンとケイ卿とお前以外の誰もが反対したのに、私は一人で会いに行った。

私はむしろ、あの人の子供以外の誰が使者として赴いても殺されるような気がしていた。

 

城にたどり着くまでに妨害はなかった。

城にたどり着けば丁重に、見知らぬ顔の使用人たちが私をもてなした。

まるで自分が客人になってしまったような疎外感ばかりがあった。

 

しばらくして羊皮紙の束を抱えて母上がやってきた。

母上はひとまず羊皮紙の束を机上に置いて、私と向き合ったよ。

 

かつて見た溌剌とした気配は見る影も無く、あの人は世の全てを厭うように気だるげだった。

オークニーの引き渡しについて要求を述べるとあの人は、こちらを嘲けるように笑い声を上げた。鳥の鳴き声のような、喉の奥をつまらせるような、それでいてどこか甲高い、嫌な笑い声だった。

 

あの人は皮肉を言った。

太陽の聖剣に選ばれたというだけで、若輩者のお前が使者として大きな口を叩くのね、と。

私は言い返せるだけの功績もまだ無かった頃で、口をつぐむしかなかった。

 

だが、あの人の興味はすぐに私から失せたようで、机の上の羊皮紙の束を私に見るように促した。

私はそれに従った。

 

羊皮紙に記されたオークニーの領地としての詳細な記録だった。

昨年の作物の収穫、兵士の数と練度、税収、人口。作物の収穫を増やすための工夫と、試行錯誤の結果。ブリテン島全体の、蛮族の侵入路となる地形の詳細、その周辺の集落についての情報。

 

 

母上は私が新しい羊皮紙に手を伸ばす度に、その内訳について概略を述べた。

羊皮紙の筆跡は、私にも見覚えのある癖が目立った。

 

文字と文字の間が均等なのに、特定の文字になると最後をはねるように伸ばしてしまう癖。それは父上の字だった。

流れるような走り書きに見えて、見て美しいと分かるような端正なバランスで書かれた文章。あれは母上の字だった。

 

どちらの字も、羊皮紙の量は負けていない。記録の緻密さという意味では、少し母上の方が上回っていた。

 

 

きっと民から見て父上と母上は悪い為政者ではなかったと、そう思える記録でした。

 

私が全ての羊皮紙の中身を確認すると、あの人は立ち上がって部屋を出ていこうとしました。

 

私が呼び止めると、母上は一度だけ立ち止まってこちらに挑発するような笑みを向けました。

 

「何があろうとアーサー王に下るのは御免被るわ。さようなら、ガウェイン」

と言って、母上は部屋どころか城を出ていってしまいました。

 

以来、母上は一所に留まることをしなくなったようです。

アグラヴェインが王に請われて、あの人が各地に作っていた隠れ家や拠点を教え、マーリンが捜索したものの、一度たりとも姿を捉えることすら出来なかったそうです。

 

あの日、私は母上を追いかけようとしたものの、オークニーに一人残されたガレスに出会い、追うのを諦めました。

 

ええ。私たちが王に仕えるために旅に出たころは、物心もついていなかったあの子も大分背が延びていた。

 

……いえ、一人残されたというのは言葉の綾です。

実際にはあの子の身の回りの世話をする従者や侍女らがいましたから。

 

結局私は、オークニーを母上たちから託され、王から預かることになりましたが、私はほとんどオークニーに帰りませんでした。

領地を預かる者として最低限の務めを果たしてはすぐさまキャメロットに引き返すような生活ばかりしていました。

 

手紙で何度かやり取りしてはみたものの、あの頃のガレスとはあまり直接言葉を交わしていませんでした。

今思えばそんな風にしていたから、あの子が領地からキャメロットを目指していたことも後から聞かされることになってしまったのかもしれません。



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美しい手を持つ騎士の回想

あれ、どうかしましたか?

え? お母様の話?

 

……私が語れることはごくわずかです。

私が物心ついた頃には、母はオークニーの城を空けてばかり。

城に戻れば父となにかを歓談しては、部屋にこもって何かの研究をしたり、たまに槍の鍛練をしたり。

 

いつも忙しなく働いているような印象があります。

 

でも、母親として決して悪い親ではなかったような気もするのです。

 

私が寝付けなくて城を彷徨うように歩いていた夜、母は私を見つけると抱き上げて寝室まで運んでくれることがありました。

そのまま寝台に私を横にならせると、私が眠れないとみるや、古の英雄譚を語り聞かせてくれたのです。

 

私の前で母はいつも優しい母親でしたから、私はそれ以来夜に眠れないふりをして何度か部屋を抜け出して母の部屋を訪ねては物語をねだりました。

思えば私が騎士に憧れを持つ切欠は、母の聞かせてくれた物語と風に聞こえるアーサー王の武勲だったのかもしれません。

 

私が最後に母を見たのは、城の中は何かを恐れて息を潜めているように静かなのに、どうにも落ち着きがなき慌ただしい気配に満ちているような変な日でした。

 

ええ、私は後から知りましたが父が死んだと知らせがあった日でした。

珍しく母上の居室から人の気配がしたので……。

 

え?  はい。母上は魔術師ですから部屋の掃除などは自分でなさっていたと思います。

私が部屋を訪ねると危険なものがたくさんあるから入ってはいけない、と何度も言われていました。

仕えていた人の中にも、母上が城を出ている間に部屋の掃除をしている人はいなかったと思います。

 

そうですね。

あの日、珍しく母上の居室から気配がして扉が完全には閉まっていなくて、少し隙間が開いていたのです。

 

子供だった私は後先考えずに隙間から部屋の中にいるであろう母に声をかけようとして、隙間に顔を近付けました。

ええ、本当に今思えば子供だったとはいえ迂闊で不用心だったと思います。

 

隙間に顔を近付けた私は廊下に向かって小石のように弾き飛ばされ、悲鳴をあげました。

 

母上が大きな声で私の名前を呼んで、部屋から駆けて出てこなければ泣いていたかもしれません。

転んだように座り込んだ私の側にしゃがみこんだ母上は私の無事を確認すると安堵したようにため息をついたのです。

 

その時に私は痛みを忘れて驚いていました。母の目元が泣きはらしたように赤く染まって、目尻に涙が浮かんでいたからです。私はその日初めて、母上の笑顔とちょっと困った時の顔以外の表情を見たんだと思います。

 

私が泣いていたわけを問うと母上は、ぎゅっと私を抱き締めて、何度も「ごめんなさい」と呟いていたんです。

その「ごめんなさい」を聞いていると何だか悲しくて、私もつられるように泣き出してしまいました。

 

最後には泣き疲れて寝てしまった私を、いつもように母上が抱き抱えて私の部屋まで運んでくれたのだと思います。

 

目覚めると次の日になってしまっていました。母上のことが心配になった私は、飛び起きて母上を探しましたが、母上は城をガウェイン兄様にオークニーの領地と城を託して、城から出ていってしまった後でした。

以来、私は未だに母上に会えていません。

 

だから、私が最後に見た母上は泣き顔だったのです。




これを投稿する前にまさかのガレスちゃんFGOに実装。
この話を書いたのは実装前で、開き直ってそのまま投稿しました。
4周年前まではガレスちゃん実装は2部6章前後だと根拠もなく考えていました……。


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顔を隠した騎士の怒り

は? 母上の話?

よりによって、お前が俺に聞くのかよ。

 

……おいおい、騎士が簡単に頭を下げるなよ。ったく、お前がそんなだと調子狂うぜ。

 

母上なあ。

円卓の連中、皆が知っているように悪辣な魔女で間違いないと思うぜ。

 

母上の関わった騒ぎってのは、全て母上が意図したこととは限らねえよ。

だが、意図して引き起こしたことも確かにある。

母上は何らかの基準で自分にとって邪魔な奴を追い落とすなり破滅させるなりしていた。

 

その中で俺はこういう奴を残しておくと国全体には悪影響だから、っていうのをガキの時点で何度も見せられた。

 

母上としては国内で王が排除すべき連中の見本を見せるってのが主な目的なんだろう。そいつらを破滅させる手段まで俺はきっちり見せつけられてるわけだ。

 

直接殺しちまえば手っ取り早いのに、母上はそうしない。まあ、母上には率いる兵も大義名分も王位という権威も無いからな。そうせざるをえなかったんだろう。

 

母上はあちこちに仕込んだ目と耳の代わりになるやつを通して、騒動のきっかけをつくり、破滅させる。

まあ、その騒動の中で改心して運良く難を逃れた連中もいるがな。

 

目と耳の代わりになるのは母上が作った使い魔の鳥どもってこともあれば、母上が作った人間もどきってこともあった。

 

……もどきども?

ああ、文字通り人間もどきだよ。

 

母上が自分の血とか他の動物の肉とか色んなものを使って作った人間そっくりの何かだよ。

大体数年で内側から壊れて死ぬ。傍目には何かの病気で弱っていったようにしか見えねえ。

昔の騒動に母上が関わっていたんじゃないかって思って探っても、決定的な証拠を持っていたやつは皆すぐに墓の下にベッドを作って休んでしまってるってワケだ。

 

まあ、キャメロットにはいないんじゃないか?

マーリンの野郎が結界を張ってるし、母上の手口をよく知ってるやつが目を光らせてっからさ。

 

まあ、そんなこんなで俺は母上の下で過ごしながら母上の基準で騎士として必要なものを、王に必要なものを教わりながら過ごした。

剣術、馬術、政の知識、ブリテンの風土やそこに住んでるやつらの人間関係とかな。

 

母上はこうも言っていた。

民というのは自分達をより幸福にしてくれるのなら、王とは誰でもいいのだと。

だから本当に死んではいけないのは、矢面に立つ王ではなく、政の采配を取る者なんだと。

もっともな言い分かもしれねえが、性格の悪さが透けて見えるだろう?

 

……騎士としての心構えは教わらなかったのか、って?

……ああ、教わらなかったよ。王が持つべき心構えってやつもな。

口ではどう言おうと母上にとって俺はそういう存在なんだろうよ。

 

まあ、そんな母上の下からキャメロットにやって来て、ひとつだけ後悔したことがある。

キャメロットで出る食事はな、母上の作った食事より不味い。

 

……何を呆気に取られてんだよ。

ああ、そうだよ。

 

母上って味にはうるさい方なんだよ。どうせ食べるなら美味しい方がいいって。

それだけは全くもって同感だ。

 

そんな考えで回りの使用人が最低限しか居なくて、食材も限られていて、王族としての見栄を張る必要があんまり無い状況であの母上が我慢するかよ。

俺がガキの頃住んでたのは母上の隠れ家のひとつだったしな。

 

……ああ、母上の手料理だけは悪くなかった。

本当にガウェインのやつは母上の血を分けた息子なのかよ。

って、おい。何目をそらしてやがる。俺は潰しただけの芋を歓迎の料理と称して食わされたことを忘れてねえからな!



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王の秘書官の嫌悪

一体今更私に何用かな?

それとも今になって怖じ気づいたのか?

あの二人の密会の場所を教えたのは、私の見込み違いだったということか。

 

 

違う?

斬る理由も斬らなくていい理由も 斬ってはいけない理由も知った上で斬るために、あちこちで話を聞いて回っている?

……私とて溜め息もつく。

何を悠長に迂遠なことをしているのかと呆れているのだ。

斬ると決めているの何故そんなことを。

 

……まあいい。私には関係ないことだ。

いや待て、つまり私にもモルガンの話を聞きに来たのか?

よりにもよってお前が私に?

 

……怖い顔をしないでくれ、だと?

父上そっくりの顔で、父が全く浮かべなかったような顔をするから余計に怖い、だと? 私が知るか。

 

……はあ。

いや、私は物心ついた頃からお前やガウェイン卿と違ってモルガンに魔術師としての修行を受けていた。

 

王に仕える真っ当な騎士として育てられたのがお前とガウェイン卿なら、王に仕える魔術師として育てられたのが私ということだろう。

 

……いや、剣術を叩き込まれたのは、モルガンの知っている男で凄腕の魔術師があの男だからだろう。

まあアーサー王に仕えさせるにあたって騎士の方が都合がよかったというのもあったかもしれないが。

 

ああ、だから、お前たちと違って私は父と接した記憶があまりない。

物心ついてからは調略のために動いていたモルガンに従って各地を移動しながら、魔術の修行をしていた。

 

……そんなに私とあの女が城を空けていたのが意外か?

忘れたのか、あの女はマーリンでさえ敵対するのならば本気で警戒しなければいけない魔術の使い手だぞ。

空間移動といえばいいのか。あれは日常の食事と同じぐらい当たり前だった。

 

お前とガウェイン卿は父と母が、良き夫婦だったと思っているようだがな、そんなことありはしない。

あの女は様々な人間を籠絡するために自分の体を使うことを厭わなかった。

 

あの女と共に調略の結果を父に報告したことがある。

あの女が先に退出して私は父に、あの女が緒王を反乱のため焚き付けるのに何をしているのかを伝えた。

 

あの男は平然と笑顔を浮かべていた。

 

「調略の手段はモルガンに任せている」

「彼女が最後に帰ってくるのは私のところなのだから、私の居ないところで多少羽目を外したとてかまわない」

 

笑いながらそう言ったのだ。

 

母が父に隠していたのでもない。

父が母に命じていたのでもない。

最初から、ああだった。

 

お前はそんな二人の間にあるのが、愛だったと思えるのか?

 

 

調略に出た先で、何故そんなことをするのかあの女に聞いた。

あの女は「いずれ自分がブリテンの王になるためだ」と答えた。

 

数多の男に足を開いてから座る王の席のなんと汚らわしいことか。

王位などくだらない、と私は思った。

 

あの女はことあるごとに自分が王位についた時に行うべき政策について語った。

今思えば驚くべきことに、政と智略においては最善と最良にならずとも妥当な判断ができるそれなりに優秀な女だった。

だが、それだけで数多の民や騎士が従うはずはないのだ。

 

アーサー王でさえ、多くの人々に王と認められるのに長い時間がかかった。

 

あの女もそれは分かっていたはずだ。

結局のところあの女が王になったとして、暴君と成るしかない。

それを分かっていながら、それでよいと笑う女だ。

 

あの女は人間としての幸福を味わい楽しみ知りながら、他者のそれを迷うことなく良心の呵責なく踏みにじることができる。

 

モルガンは見た目が美しいだけで、その性根は魔女と呼ばれるにふさわしい、淫蕩で醜悪な女だとも。

 




なおアッくんはこの話で母に対する最大のトラウマ案件について全く言葉にしていません。


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一先ず退場

頭に上った血でガヘリスは目眩がした。

 

押し入った部屋の寝台では、突然の侵入者に警戒したのか男が女を抱き寄せていた。

 

男はラモラック。ガヘリスと同じくアーサー王に仕える騎士である。

 

女の名はモルガン。アーサー王の異母姉にして、アーサーの治世を騒がせる魔女。

ガヘリスにとってはアーサー王に仕えるために旅だって以来、十数年ぶりに見える母だ。波打つ灰色の髪は艶やかで、赤い瞳はルビーとも血とも似て非なる色。それらは記憶のままだった。

しかしモルガンの顔はガヘリスが想像していたよりも遥かに若々しく美しく、いっそ作り物めいて見えた。

 

ガヘリスは歯噛みする。

ガヘリスの父、オークニー王・ロットとモルガンは仲睦まじく、ガヘリスの記憶の仲でモルガンは留守がちとはいえ、いつでも優しい母親だった。

 

故に、父ロットを殺した相手ペリノア王の息子ラモラックと、モルガンが情を通じるような行いはガヘリスにとっては裏切りに等しかった。

ガヘリスにとっては母に対する三度目の嘆きでもあった。

 

一度目は父と供に諸王の反乱に荷担した時。

二度目は兄ガウェインが危機に陥った緑の騎士一件で騎士に呪いをかけたのが母と知った時。

 

ガヘリスは剣を鞘から抜いて叫んだ。

 

「魔女モルガン! アーサー王の治世に騒乱をもたらすものとして貴殿の命頂戴致す! 緑の騎士の一件、忘れたとは言わせん!」

 

ガヘリスは知らなかった。

モルガンに面と向かって彼女を魔女と呼んだ初めての人間が、ガヘリス自身であることを。

そして彼自身が苦痛に堪えるような顔で剣を構えていたことを。

 

モルガンはそんな我が子の顔を見て、彼女の肩を抱くラモラックの腕に白い繊手を添える。

ラモラックは一瞬縋られたように感じ、驚いてモルガンを見るがすぐにそれが錯覚であることを覚った。

 

ラモラックの目にはモルガンの表情が憂いに満ちているように見える。

 

ラモラックの知る彼女は、我が子に敵意を向けられて嘆くような儚い人ではない。我が子が自身の感情の板挟みで苦しみになりながらも剣をこちらに向けることを悲しむような人である。

 

憎んでしまった方が楽だったでしょうに、という憐れみに似たなにかを抱いている。

けれど内に抱いた憐憫の情を人に見せることを嫌う女性でもあった。

 

「ラモラック卿! そこをどけ!」

 

ガヘリスが足を一歩踏み込み剣の間合を詰める。

ラモラックは険のある視線をガヘリスに向ける。

 

「ガヘリス卿、私を見ろ。貴殿は武器を持たぬ騎士を斬る卑劣漢か?」

「貴殿は殺さん! 私が斬るのは貴殿が庇っている魔女だけだ! 貴殿こそ、その人の所業を知らぬわけではあるまい!」

 

ガヘリスとラモラックは睨み合うが、先にしびれを切らしたのはガヘリスだった。

二人の居る寝台へ駆け出すガヘリス、その剣の切っ先は迷いなくモルガンへ向かっている。

ラモラックは動けば剣に貫かれて死ぬ。しかし彼は瞬時にモルガンを後ろに押しやった。

 

ガヘリスは目を見開くが、ラモラックはその表情にしてやったりと嘲笑う。

 

剣がラモラックの腹を裂かんとした瞬間、甲高い音を立ててガヘリスの剣が弾かれた。

二人の騎士は呆然と、間に音もなく呪文もなく現れた赤い光の障壁を見つめる。

モルガンの魔術であるその赤い光は氷が溶けるように消えた。

 

「母上……」

 

ガヘリスは勢いと共にあらゆる怒りを削がれたように悄然として、母を見た。

 

「母上、ラモラック卿は父上を殺した男の息子です。父上は母上を愛しておられたし、母上も父上を愛しておられたではありませんか。 どうして……」

「私の旦那様を殺したのはペリノアでしょう? あの男はとっくに死なない程度に不幸になれって呪ってるわよ」

 

モルガンの声は氷のように冷たかった。

彼女の言葉に、ラモラックは「ああやはり」と思った。

ただしラモラックは不幸になる因果を父ペリノア自身が引き寄せた自業自得だと思っている。あくまでモルガンは引き寄せられやすくしただけだ。

 

「ねえ、ガヘリス。愛や恋は正しさとは無縁の心ではなくて?」

 

今度のモルガンの声は労るように温かい。ガヘリスは震える声で問う。

 

「父上と母上はウーサー王の政略の一環とはいえ夫婦となったから愛し合った。違うというのですか!?」

「結婚は切っ掛けに過ぎないわ。そも政略による婚姻は、愛情の観点からいって正しいと言えないのではなくて?」

 

ガヘリスは言葉をつまらせる。

モルガンはうっとりと、蜜のように甘い声を溢す。

 

「私は幸運だった。あの方は私にとって最高の夫だった、私の恋心はあの方に捧げたわ、永遠に」

「……待ってください。では何故あなたはラモラックと」

「求められるのは退屈しないわ。ラモラックも承知のうえよ」

 

モルガンが婉然とした笑みを向けてくるので、ラモラックも微笑み「ああ、そうだな」と肯定した。

その途端ガヘリスの顔が理解できないものへの嫌悪で歪む。

 

「貴方とラモラックの間にあるのは愛ではない! そんな関係間違っている!」

「貴方には関係ないことよ」

 

モルガンは温度の無い声で告げると、指先を空中で滑らせる。すると、どこからともなく黒い鎖が現れてガヘリスを締め上げた。

 

「うぐっ……」

 

ガヘリスが苦鳴をもらすと、少しだけ鎖がゆるむ。

モルガンはガヘリスから興味が失せたようにラモラックへと微笑んだ。

 

「じゃあ、もう行くわ。あと私と貴方はこれでおしまい。約束は約束だもの」

 

ラモラックは情けなく眉を下げる。

 

「今回は不可抗力ってやつだろう?」

「そうかもしれないけど、約束だったでしょう? 閨に貴方は剣を持ち込まない。閨で私は魔術を使わない。どちらかが決まりを破ればこの関係は終わりにする」

 

なおも言い募ろうとするラモラックの口に、モルガンは指を添えてそれを封じて微笑んだ。

 

「さようなら、ラモラック」

 

次の瞬間、部屋の中に風が荒れ狂い黒い烏の羽根が舞う。

風が収まると、黒い羽根もガヘリスを縛る黒い鎖も、モルガンの姿も跡形もなく消え失せていた。

 

ガヘリスは歯軋りしながら立ち上がる。

剣を鞘に収め、ガヘリスは寝台の上のラモラックを見やる。

 

「ラモラック卿、貴方はあの人とあれで良かったのか」

「いいわけあるか馬鹿め」

 

思わず反論したラモラックに、一瞬ガヘリスは目を丸くする。

 

「俺は愛している者に愛していると言うこともできない意気地無しには成りたくなかった。彼女のたったひとつの特別になれないことは俺にとって悔しいことだ。しかし、それがどうしたというのだ? 彼女の中で俺がただの有象無象で終わるより余程いい 」

 

そこでラモラックはため息をついた。

 

「ただな俺は少しでも長くこの関係を維持したかったんだ。それをお前が邪魔したんだ」

「……それに関しては謝らないぞ」

「知ってるさ、そんなこと」

 

ぶっきらぼうに言うとラモラックは天を仰ぐように顔をそらした。

 

この日より、モルガンはブリテンの表舞台から完全に姿を消した。

ラモラックがモルガンをその腕に抱くことは二度と無かった。

 

 

目的を果たせなかったガヘリスは、早々に密会の現場を後にした。

 

「愛や恋は正しさとは無縁、か……」

 

ガヘリスは母の言葉を口にして、心の中でそれを否定した。

正しさから生まれる男女の愛もあるはずだ、と。

 

ガヘリスは知らない。

モルガンの放ったその言葉が彼女も意図せずして、ガヘリスにかけられた呪いと成り果てることを。

 

その呪いは王妃ギネヴィアと騎士ランスロットの不貞が暴かれた日から、ガヘリスの心を蝕むこととなる。

 

 

 





※なおモルガンはガヘリスが駆け出した時にラモラックが迷った場合、自分は迷わずラモラックを肉盾にする。


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黄金の日々が終わるのだとしても

 後に花の魔術師と呼ばれる半人半魔の男は、仕事の合間に城に作られた塔から中庭を眺めていた。

 

 魔術師の男マーリンが王の長子を喜ばせるため作った中庭はマーリンの魔術で花が咲き乱れ、華やかながらも花をつける薬草園と変化している。

 

 その中庭で王の後妻イグレインが王の長子である王女モルガンと己の連れ子であるモルゴース相手に薬草についての知識を与えていた。

笑顔が絶えず仲睦まじくある義親子の様子は、マーリンが端から見て三人の中でモルガンに血の繋がりがないということを忘れかけるほどである。穏やかな光景だ。

 

 そんな中、ふとモルガンが視線をあげて当の上のマーリンに気付いて目映いほどの笑みを見せて大きく手を振った。マーリンはそれに小さく手を振り替えしてから、穏やかな光景に背を向ける。

 

 マーリンは人と夢魔の合の子であり、名実ともに人でなしであり、またうっすらとその自覚があった。

 

 モルガンは幼いながらも聡明でマーリンの実態を知りながらも、心の底から師として憧れの対象として慕っていた。

 マーリンはそれを心底不思議に思いながらも、好奇心から夢の中で彼女の憧れを男女の慕情に変えてしまうような真似を魔術の修行の一環も兼ねて試してみた。マーリンはその試みに期待はしていなかった。

 

 しかしマーリンの戯れは成功してしまい、夢魔としての栄養価と味の好みを両立する感情を彼女から継続的に得られるようになった。

その一方で王の臣下として、師として、人として、あるまじき振る舞いであることも彼は理解していた。

 

 そして王の娘はマーリンの理解を超えていた。マーリンの非道を理解しながらも、彼女の感情は今なお若芽が成長するようである。

 マーリンは己の主であるウーサーにそのことを話してみたが、現実の肉体に手を出していないことを知ればウーサーはその拳を下ろした。

 

「私が王でなければ、お前とモルガンが魔術の師弟でなければ、双方に自覚がなければ、あの娘の肉体に傷がついていれば、貴様を殺す気で殴っていたぞ。マーリン」

 

 そう凄んだウーサーの怒りは本物であった。

 

 ウーサーは知っていた。

 マーリンが最初モルガンに接するにあたり、ウーサー自身がモルガンに直接向け損なった父親としての感情を再利用していたことを。

それによってマーリンは保護者らしい態度を獲得し、モルガンを導くのに成功したのだ。

 

 ウーサーの怒りの具合からして、マーリンはようやく自分がかなりのことをやらかしたようだと曖昧ながらも理解した。

 

 まあ、でも、王になったあの子の手をひくのは自分になるだろうし。

 マーリンはこの時点で問題ないだろうと、たかをくくっていた。

 

 しかし、ウーサーが9番目の後継者候補をつくる計画を提案した時、マーリンは「自分好みの過程が長そうだから」 と、モルガンの最期までそばにいるという予定をあっさり放棄した。その選択はマーリンであっても他の誰であっても罪と呼べるものではなかったかもしれない。当然彼もまた何ら罪の意識を抱いてはいなかった。

 

 

 それから時は流れて、マーリンとウーサーの「理想の王」を作る計画は、その要となる9番目の子は世に生まれ出でた。

 

 アルトリアの実母イグレインは、出産の時に逆流してきた赤子の魔力によって死亡した。竜の性質を持つ赤子の魔力によって内側から体を焼かれるような苦痛を味わって気絶するように事切れたはずだ。

 

 その日はモルガンの魔力の暴走もあり、イグレインの遺体の処置は後回しになってしまっていた。

 

 出産に使った部屋につくと、焼け焦げた肉の臭いが漂っていてマーリンは顔をしかめた。魔術的な処置の理由もあり、産婆を務めた老婆を除けばその部屋にいたのはマーリンだけ。部屋に残されたイグレインの遺体は簡素な木の寝台の上に横たわり、首から下には布がかけられた状態で安置されていた。老婆の体力ではそれができる限界だったのだろう。

 

 布をペラリとめくれば過剰な魔力の余波のせいかひどい有り様である。これを見たらただでさえ弱っているモルガンが更に消耗すると予測して、マーリンは非効率かと思いながらも魔術で遺体を修繕していった。

 

 修繕しながらマーリンはふと思い出す。イグレインの最期、マーリンが苦痛以外に夢魔として感じ取ったのは、彼女の二人の娘の未来への憂いだ。

 

 人の心への配慮が薄いマーリンでさえ疑問に思った。

「一般的な母親というものは出産時には、目の前の赤子を気にかけるものではないのか」と。

 

 こういった疑問に答えてくれそうな弟子も、流石に慕った義母の悲惨な最期を知ればとても苦しむだろうと思えたのでマーリンはその疑問を忘れてしまおうとすぐに決めてしまった。

 恐らく伝えていれば、後のアーサー王と妖妃モルガンの運命はまた違うものになっただろう。伝えていれば恐らくより凄惨な方向に。

 

 マーリンはそういった予想をしたわけではないが、忘れると決めた疑問を胸のうちにしまいこみ、モルガンが死ぬまで掘り起こすような真似をすることはなかった。

 

 生まれて間もない赤子といえど大声を上げて泣くアルトリアの息吹は竜種のそれである。

 マーリンは結界を張ってアルトリアを城の地下に隔離せざるをえなかった。

 

 最初は護符を与えた乳母をつけていたものの、すぐに壊れてしまう護符の費用が馬鹿にならないのでマーリンはウーサーに睨まれてしまった。

 結局動物の乳をマーリン手ずから匙でアルトリアに与え、その隙に魔術でアルトリアを強制的に眠らせる仕掛けを施した。その他の世話は眠っている間に侍女たちに行わせた。侍女の仕事が終わればマーリンは、アルトリアの肉体を魔術で弄りながら人の中でも生活できるよう機能を調整していく。

 

 そんな日々を過ごすうちにマーリンはモルガンへの説明を疎かにした。

 侍女たちの噂話からモルガンが奇妙な夢を夜毎に見ていると聞くまで、彼は自分が弟子に義母の死に関してまともに言葉をかけていないことに気づいたのだ。かといって人間らしい情の通った慰めの言葉など、ウーサーや弟子から知識として学んでいる最中であったマーリンには見当すらつかないのである。

 

 結局非人間の魔術師は弟子にかける言葉を後回しにして、ウーサーの執務について城の外へ出かけてしまった。

 

 翌日帰ったマーリンを出迎えたのは、アルトリアの眠る部屋の破れた結界の気配である。マーリンが焦って己の千里眼で地下を垣間見ると、モルガンが赤子のアルトリアを腕に抱いて涙を滝のように流しているのである。

 結界破りが誰かは分かった。しかしマーリンにはその光景の意味するところが全く分からなかった。

 

 マーリンが息をせきって地下に駆け込むと、モルガンは赤子を抱いたまま彼から距離を取る。光彩以外も赤く染まった目でモルガンはマーリンを睨んだ。

 

 マーリンは愕然とした。

 モルガンから強い警戒とかつてない怒りを感じ取ったからである。

 

「この子を王にするつもりなの。あんな騎士たちの屍の上で孤独な終わりを迎えるのを良しとするの? どうしてこの子を一人にするの? 私の妹なのに」

 

 そのモルガンの問いかけの声は、並みの人間であれば背に冷や汗をかくようななおどろおどろしさが溢れていた。

 しかしマーリンはその問いのきっかけこそが恐ろしいものだと直感した。

 

「モルガン、君はいつ何を見た?」

「この子を腕に抱いた時に見たの。この子が大きくなった姿で、何故かこの子だとら分かる姿で、屍の丘の上で治せないのような傷を負いながら剣を握って、一人でうずくまって泣いていた」

 

 モルガンは赤子を更に強く抱き締める。

 マーリンは、何故かそれがモルガンが守るためでなくモルガンがすがるための振る舞いに見えた。

 

 マーリンは非人間である。

 夢魔の血をひくためがモルガンの心が血を滴らせるように深く傷ついていることは分かっても、彼にはそれがどんな風についた傷なのかは分からなかった。

 

 マーリンが歩み寄るとモルガンは更に赤子を抱き込んで身をすくませる。

 マーリンはモルガンがもっと幼い頃に誉めた時のように彼女の雨雲のような髪の上に手を置いた。あの頃はそのまま髪をすくように撫でるだけで、少女の笑みを見ることができた。

 

 今は灰色の旋毛が見えるだけ。

 

「どうか今はお眠り」

 

 マーリンが眠りの魔術をかけると少女の体がふらりと揺れる。マーリンが赤子共々倒れるモルガンを抱えこむ、赤子の方はすやすやと眠ったままだ。

 マーリンは魔術で赤子を浮遊させ寝台の敷布に収めると、モルガンを横抱きにして部屋を出た。

 

 彼の足取りに迷いは無い。ウーサー王に使える魔術師として、千里眼の持ち主として、為すべきを為す。彼はそのためだけに歩き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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花の魔術師の推定

 イグレインが死に、モルゴースが魂と命に癒えぬ傷を負い、モルガンの瞳が赤く染まったあの日は間違いなく分岐点だった。モルガンが槍持つ勇士の死に様を夢に何度も繰り返し見るようになってから、私はウーサーと相談してからその夢に入り込んだ。

 

 予想はしていたものの、やはり驚いたよ。

 あの子の夢は、聡明なあの子が想像力を膨らませて作った世界ではなかった。あの子の肉体に刻まれた記憶から再構成された世界でもなかった。

 

 あの子の魂そのものに刻まれた過去の記憶、あの子の前世とも言うべき女神の記憶、その過去の完全なる再現だった。

 

……ああ。あの子は生まれ変わりだったんだよ。

古きケルトの戦女神、敵に死の恐怖を与え味方に加護を与え戦場の運命を支配する三柱にして三姉妹その長女、女神モルガンの紛れもない生まれ変わりだった。

 

 流石に私の生まれるより遥か昔のことだから、私もその頃のことを調べるとなると伝承に頼らざるをえない。

 確かなことはケルトの民にとって、魂とは死すれば次の命へと廻るものであったということ。それは神々でさえ例外ではない。

 

 

 ここからは私の推測だ。

 

 そもそも死を命の終焉と考え、争いを生命のひとつの状態と考えるのは人間に知性があるからだ。

 他の生物にとっても死とは命の終焉かもしれないが、生存と争いは等しいものだ。生きるためには餌場にしろ住みかにしろ伴侶にしろ競って奪い合うものだからね。

 

 つまり戦いという概念は人間が作り出したものだ。人間が存在しない世界で戦という概念は成立しない。

 そう考えたケルトの戦女神たちは、この世界から戦女神のままで星の内海に逃げ込んでも自分達の存在を維持できるか危ぶんだ。故に戦女神の魂のまま他の存在の概念という皮を被るために、他の何かに生まれ変わった。

 

 ここまでが私の仮説だ。……混乱しているようだね。

 

 そうだね。

 皮袋に入った蜂蜜酒があるとしよう。その袋には蜂蜜酒と書いてある。その袋の上から更に皮の袋を被せる。新しい袋には葡萄酒と書く。

 

 何も知らない者は皮袋には葡萄酒が入っていると騙される。

 そんな感じで女神たちは世界を騙そうとしたんじゃないかな。蜂蜜酒は女神、皮の袋は肉体と精神、葡萄酒が人間。酒そのものが魂だ。

 

 君の母親であるモルガンは、人間の肉体に無理やり女神の魂を埋め込んでいる状態なわけだ。

 

 あの子は夫であるロット王が死んだ後、魔術師がよく行う分割思考を応用し、思考と感情を三つに分けて自分の魂諸共切り裂いた。そうして自我を三つの人格に分けた。

……うん、正気の沙汰ではない。

 

 あの子も狙ったわけではないだろうが、そうすることで擬似的に1つの神格を共有する三姉妹の女神たちの状態を再現した。そのために人から女神への揺り戻しが緩やかなものになっている。

 

……もし女神に戻ってしまったのなら、先ほどの例えでいうなら、葡萄酒と書かれた皮袋だけが破れた状態になるね。

 

 人間のモルガンとしての人格は死ぬだろう。女神にとっては仮初めの人格でしかなかっただろうしね。肉体も女神の魂を収めるにふさわしい人外のものに変化していくだろう。多分今も変化している最中だ。 肉体が変化を終えてしまえば、きっと、あの子の記憶は女神にとって実感の無い記録と成り果てる。

 

……そして、今のあの子はそれに気づいて自分の運命に抗っている。けれど抗いすぎても、激しい揺り戻しが起きる。運命に抗いながら、アーサー王をブリテンの王から追い落とすために画策している。多分。

 

 本当に、きょうだい揃って頑固だよ。

 

 あの子にとっては自分がいつまで人間としての心を持っていられるか、ブリテンという土地の神秘がいつまで保つか、時間の争いなんだろう。

 だから自分が王位につくのを諦めた。

 

 あの子はブリテンの救済よりも、アーサー王を追い落とすのを優先した。

 

 人間の心を持ったまま自分が王位についてブリテンを救う時間は無い、あの子はそう判断してしまったんだろう。そうでなければ自信家のあの子がモードレッドなんて送り込むものか。

 

 もし復活した女神なんてものが王位についたら、流石に世界を誰も騙せない。

 世界はブリテンごと復活した女神を滅ぼすように運命を動かすだろう。

 

……私とウーサーがあの子を完全に後継者から外したのはそういう理由だよ。

女神の目的が単なる自己保存ならいいけれど、その権能を用いて何かをされては困る。今はもう人間の時代なのだから。

 

 ただ、それをまだ自覚の無かったあの子に告げるわけにもいかなかった。伝えればあの子自身に女神としての自覚と覚醒の切欠を与えてしまいかねなかった。

 

 そうして私とウーサーは、あの子に彼女が如何に私たちの思うところの王にふさわしくないか騙そうとした。しかしあの子はこれまでに教えた王としての教育から、それらが嘘だと看破した。

 その日から、あの子の心の片隅にはアーサーへの嫉妬と怒りとやるせなさが永住することになった。

 

 姉としてアーサーへの親愛が全くなかったわけではなかった。けれどロット王が死んで、あの子はアーサーへの負の感情をようやく自覚してそれと夫を失った悲しみに耐えられなくなったんだろう。

 

 そのせいで魂を裂くような暴挙に出たんだと、私は思う。

 私の知ってるあの子はとてもプライドが高いけれど、その高さと同じくらいに身内への情の深い子だったから。

 

 



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夢の終わりの後、語られることなき顛末

 

 咲き誇る花々が海のように果てなく広がる大地。

 花の海のただ中を割るようにそびえたつ堅固な石造りの尖塔。

 その塔は死を忘れて世界を眺める半人半夢魔の魔術師が、地球という星の終末までの己が居場所と定めた牢獄である。

 

 魔術師マーリンは最後に仕えたアーサー王の死後、地球という星に内包された世界に引きこもった。

 そこは人間たちのために変化する世界から逃れた妖精たちの住処であり、妖精郷や常若の国、あるいはアヴァロンとも呼ばれる場所であった。

 

 アーサー王の死後、およそ100年。

 マーリンは尖塔の中から妖精たちに思い出話を語るか、「千里眼」と呼ばれる空間を超えて世界を映す目を以て人間たちが日々の営みを続ける世界を眺めるかして過ごしていた。

 ときおり興味を引かれる人間が居れば夢を介して助言もしたが片手で数える程度の回数のこと。

 

 さて今日はどこの国を見てみようかとマーリンが思案した矢先、塔についた窓から妖精たちのざわめきが届いた。

 耳を澄ませれば、どうやら人間とも妖精ともつかぬ何者かが足を踏み入れて、マーリンの居る塔にまっすぐと向かっているらしい。

 

 その者は美しい女のような容貌ではあるが、なめらかな肌が石のようにひび割れ、砕けた石の欠片ような何かを歩くたびにひび割れから零すも、その何かは風にさらわれると雪のように溶けて消えるらしい。

 

 そんな妖精たちの噂話に、マーリンはらしくもなく胸をざわめかせた。

 灰色の髪を持つあの弟子が、人間として死ねる時期を逃してしまっているなら、このアヴァロンに足を踏み入れる可能性はある。

 

 アヴァロンという場所は、この時代の只人が一度息を吸えば、大気中の魔力の密度が濃すぎて耐性が足らずに即死するような魔境でもある。

 マーリンは無事なのは夢魔との混血故に、肉体は人間のものといえないからだ。

 モルガンはその魂が本来女神のものであるが故に、肉体の方が本人の意思と関係なく人外のものへと変じている。

 

 マーリンは千里眼を使って妖精たちの視線を集めるものを探した。

 そしてそれは既に塔のすぐそばにまで近づいていて、マーリンは息を呑んだ。

 

 かつて輝いていた宝石のような赤い瞳は、今は虚ろでくすんだ石のよう。

 アラバスターのごとくなめらかな肌は、文字通り黒いひび割れが入っていて、壊れた石膏像が誰かの魔術で動いているのではないかと錯覚しそうな状態だ。

 外見だけなら、人間でいうところの三十歳前後の女性だ。顔の造形にはかつての弟子の幼いころの面影が色濃く残っている。

 

 灰色の風よけのマントの下から、彼女は黒く塗られた木彫りの小鳥を取り出した。

 ひび割れて今にもそこから折れてしまいそうな指で彼女が小鳥の頭をなでると、小鳥はなめらかに羽ばたいて、尖塔の窓、マーリンの傍らにまでやってきた。

 

 塔の外の女性が口を開くのに合わせて、黒い小鳥の嘴が震える。

 

「お久しぶりね、我が師、マーリン」

 

 小鳥の嘴から響いたのはマーリンにとっては記憶の中よりも静かで、懐かしさも覚える女の声だった。

 もしかしたら、もう声を張り上げられるような肉体ではないのかと思うとマーリンは非人間であっても少しだけ胸の痛みを感じた。

 

「久しぶりだね。モルガン。君がまだ私を師と呼んでくれるとは思ってもいなかったよ」

「……多分、私の気持ちの問題。貴方をどう評しようと私の勝手」

「君がそれでいいなら構わないけどね」

 

 人の感情を餌にする情報生命体の夢魔、その性質を引き継ぐマーリンをして、会話しているモルガンからはかつてのような情動を感じ取ることはできない。

 

 己の気持ちの問題などと言いつつも、それは過去の記憶から彼女の身体の方が場に適した言葉と行動として選択してしまった条件反射に近い。

 それだけ彼女の魂が、心までもが、女神のものに近づいてしまっているということか。

 

 本来用意されていた女神への完全な変質をモルガンが己の意思で拒否しているが故に、肉体と精神と魂のバランスは崩れ、彼女は肉体から崩壊が始まった。

 彼女にはもう人間として必要な痛覚も残っていないから、あんな身体で世界の果てまで歩いてこれたのだ。

 

 モルガンの心は人としての最期を迎えようとしている。

 それはマーリンにも理解できたが、何故末期にマーリンの元へやって来たのか。

 

 マーリンが小鳥に向かって尋ねると、モルガンは「答え合わせに」と呟いて塔を見上げた。

 

「あの愚妹が、カムランで、屍の丘に座り込んでいるのを見て思い出したのよ。

 私の魂がどこから来たのか。私が子供の頃に見ていた槍を持った戦士の夢の意味も。

 私がお父様の後継者から外された理由もなんとなくわかった気がする。

 けれど、なんとなくでは駄目なのよ。

 私は多くを踏みにじったのだから確かな理解をしておくべきだと思ったの。

 私が王になれなかった理由を」

 

「あの子が死んで100年近く経った今になって?」

 

 マーリンの問いに、モルガンの表情が歪む。口元を引き結び、乾いている目で何度も瞬きを繰り返す。

 マーリンはその時彼女に残った僅かな情動を感じ取り、もはや彼女は涙を零す機能さえ失っているのだと気づいた。

 非人間の魔術師は自分がまた彼女の心に追い打ちをかけるような行いをしてしまったことを悟り、久々に苦さを感じる。

 

「……またボクは意地の悪いことを言ってしまったみたいだね。

 君がこの100年何をしていたのか、たまに見つけて眺めて少しは知っている。

 だから君がここに来たのが不思議なんだ」

 

 荒れ果てるブリテンに力なくとも残るものに魔術で加護を。

 ブリテン島と滅びから逃げ出すために抗うものに知識と技で支援を。

 彼女はそうして幻想種の民としてのブリテン人たちが滅びるまでを見届けた。

 

 見届けた後は各地を流転しながら、善も悪も区別なく乞われるがままに代価を要求することもなく魔術師としての力を振るった。

 彼女の力は災禍といっても過言ではなく、彼女が不幸にした人間の数は彼女が幸福にした人間の数よりも遥かに多かった。

 

 愛する家族も、肉親も、故郷も彼女は失った。

 彼女に感謝を捧げた人間たちは永遠の眠りについて、子孫たちが感謝を語り継ぐこともなかった。

 彼女に残ったのは、客観的に見て「魔女モルガン」の悪名と罪過だけだ。

 

「君は誰かに滅ぼされたかったのだと思っていた」

 

 マーリンの呟きに、彼女は首を横に振った。

 

「誰も本気で災厄を振りまく魔女を殺しには来なかった」と、モルガンはため息をつく。

 

「マーリン、貴方の言うような気持ちはもしかしたら、塩の一つまみ程度はあったかもしれない。

 けれど、それでは女神にこの魂を明け渡すことになるの。そんなのは嫌よ」

 

 モルガンは詩を吟じるように囁く。

 

「この血と命はウーサー王の娘として使うもの。この魂と心は私の、私のためだけのもの。

 そんな風に生きて死ぬと決めていた身勝手な私に、命も心も全部使ってしまった人が居た。

 私はそんな人に何一つ返すことができなかった」

 

 モルガンの心に浮かぶのは、政略結婚によって結ばれたはずの男の姿。

 

「だから旦那様の最期に約束したのよ。

 私が貴方に差し上げられるのはもう私の心しかありません、だから私の恋心は生まれかわることがあろうとも未来永劫に貴方のものです、って。

 そうしたら旦那様、自分は死ぬっていうのに心底嬉しそうに笑ったの」

 

 ペリノア王によって致命傷を負わされた一人の男は、そうして二人目の妻に見守られながら息を引き取った。

 

「だから私の魂と意識とあの方への想いを女神なんて過去の遺物に明け渡して、あの方への想いをただの記録にして堪るものですか。

 そんなことになるぐらいなら、私は私の魂を壊します」

 

 マーリンは彼女の狂気のような決意に寒気を感じた。

 そして彼女が王の娘として出来ることを終えた後に、彼女が自身の魂が何なのかを悟った後に、こうして生き長らえた意味を理解してしまった。

 女性の心のこわばりを溶かす時滑らかに動くはずのマーリンの口舌は、鞘の中で錆びついてしまった剣のように動かない。

 

「マーリン、答えて。私を王の後継者から外した理由を」

 

 モルガンは、幼い頃にマーリンから教えを乞うていた頃と同じような表情で、塔を見上げて問うのだ。

 千里眼越しにモルガンのその顔を見て、マーリンはかつて気まぐれに幼いモルガンへ教えたことを思い出す。

 

 遠い昔のエルサレムに居た王が、最後に使った魔術に関する推測。

 モルガンといえどそれをそのまま再現できようはずもないが、応用して己にまつわる因果を散逸させ、自分の魂が英霊として世界に召し上げられる可能性も無にするだろう。

 恐らくその影響で彼女に関する伝承も、まともに残らないはずだ。

 

 マーリンが止めてくれと願ったところで彼女は困ったように笑ってみせるだけで意に介さないだろう。

 マーリンにできるのは彼女の問いに答えてその死を見届けるか、口をつぐんでその死を見届けるか、そのどちらかだけだ。

 

 マーリンはモルガンの問いに、昔、彼女の息子に語ったものと同じ内容を伝えることにした。

 もっともその語りは流暢とは言い難いものだった。アルトリアの生まれた日からずっと、マーリンはモルガンを前にして完璧にことを運べた試しがない。

 

 モルガンは全て聞き終えると、静かに頷くのみだった。

 

「教えてくれてありがとう。さようなら、マーリン」

 

 モルガンは感謝を述べて、塔に背を向ける。

 

 これがモルガンとマーリンの最後の対話になるはずだ。

 彼女の最後の魔術が成功すれば、彼女が自身の魂を壊してしまえば、彼女が英霊として姿を現すことも無い。

 

 塔の部屋に設けられた窓、マーリンの眼前から黒い偽物の小鳥が役目は終わったと言わんばかりに飛び立とうとする。

 

「待ってくれ」

 

 マーリンは思わず彼女を、呼び止めた。小鳥は広げていた羽を閉じ、モルガンは素直に振り返って首を傾げる。

 マーリンは自分でも不思議なほどに、吐き出す言葉に迷った。

 半人半夢魔の魔術師は、結局どれだけ考えても自分では答えが分からないことを、彼女に尋ねることにした。

 何せ、幼かった頃の彼女の話なので。

 

「……餞別代りに教えてくれないかい?

 子供の頃の君が、あの頃の私を心底慕っていたその理由を」

 

 あの頃の私マーリンが人の道や道徳といったものから外れた行いをモルガンに教えたし彼女にしたこともある。

 王や魔術師としての教育で関係ないところでもそういうことはあった。

 あの頃のモルガンとて、マーリンの非人間ぶりは分かっていた。

 

「野暮ね。無粋だわ。本当にそういうところも昔から変わってないのね」

 

 モルガンは半眼になってマーリンの居る塔を見上げた。

 

「誰かを好きになった契機を説明できる人間はいても、何故誰かを好きになってしまうのかを答えられる人間は少なくてよ」

 

 モルガンはそっと目を閉じる。

 

「まあ、そうね。きっかけぐらいは教えてあげる。

 いつだったか貴方が言ったのよ。

 私に最初に接するときに、私に向けられた感情の中で一番強くてしっかりしていたものを参考にした、と。

 それは人間が慈しみと評するような心でお父様のものだった、と。

 貴方が私の前で、お父様の臣下と私の教育役を兼ねた立場として振る舞うなら、一番無難なのは他の臣下の感情と振る舞いを真似て見せること。

 それで私の師として失敗したのなら、それから別の人を参考にすればいいでしょう?

 でも、そうしなかった。貴方は最初からお父様の心を参考に選んだのよ」

 

モルガンの瞼は開き、塔の窓へと視線を向けた。

 

「私と出会ったころの貴方は温かで優しい人に見えたわ。

 簡単に移ろうことの無い確かで温かな心を真似するのを選んだ。

 貴方のその選択をあの頃の私は、非人間なりの貴方の優しさなのだと信じていたかったのよ。

 きっと貴方に夢を見ていたの。貴方が心を弄んだ女性たちと同じように。

 私の愚妹に負けず劣らず愚かだったのよ、あの頃の私はね」

 

モルガンの目元は緩み口元は柔らかな弧を描く。

 

「これで答えになって?」

「……ああ、時間をとらせて済まなかったね。モルガン。ありがとう」

「そう。それでは今度こそ、さようなら。マーリン」

「さようなら、モルガン」

 

 

 微笑む女は塔に背を向け、マーリンのすぐそばの窓から黒い小鳥は飛び立った。

 黒い小鳥は夕暮れのような淡い黄金に染まる空を飛び、唐突に動きを止めて花々の中へと墜落した。

 音もなく乾いた朽ち木のごとく小鳥は割れ、残骸は瞬く間に黒い砂となって風に攫われて跡形もない。

 

 牢獄と定められた塔の中、マーリンは立ち上がって窓から外へと目を向け、その目で弟子の後ろ姿を追いかけた。

 地球の表面で空が夕焼けから宵へと姿を変える程度の時間がたった頃、崩れかけの体でもまっすぐに背筋を伸ばして歩いた彼女の姿を、マーリンは肉眼で追えなくなる。

 マーリン千里眼で彼女の影を追うと、彼女はそのまま一昼夜に等しい時間を歩き続けた。

 

 その間に空の色は移ろい、青白い輝石の煌めく夜空から夜明けの紫と黄金へと色を変えた。

 

 明るくなっていく空を目を細めて見上げて、モルガンはその目を閉じて最後の魔術を囁くのだった。

 

 彼女の体は花々の上に崩れ落ち、指先から足先から土くれのように灰のように崩れいく。

 安らかな寝顔に見える顔が崩れて壊れて、風よけのマントが風に舞い上がったあとには何も残らなかった。

 

 マーリンは、王になれなかった女の最後を見届けて、腰を下ろして目を閉じる。

 不意にかつて仕えた王とその子と最後に仕えた娘の顔が、彼の頭の中に浮かんだ。

 

「なんだろうね。私は得難いものを私に向けてくれる人に限って必ず何かを間違えた気がするよ」

 

 その独り言を、聞く者はどこにも居なかった。

 





この話のモルガンですがsnセイバールートを想定しています。

アルトリアがランサーになる世界線、獅子王になる世界線などでは彼女は別の選択をするかもしれません。


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