ONE PIECE -Stand By Me - (己道丸)
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ワノ国編
海賊ゲッコー・モリアの敗北


こちらでは大変ご無沙汰しております。
自分がぐずぐずしている間に、ワノ国編の過去編すら終了してしまいました。あれから多くの情報も公開されたこともあり、以前の作品に評価を下さった方々には申し訳ないのですが、全面的に再構成することにしました。
作風も大分変えたので、以前のものを望まれた方々には重ね重ね申し訳ありません。


「――つっ」

 

 女の目覚めはここ数ヶ月のあいだ片時も離れぬ竹馬の友、痛みとともにあった。

 頭も胴も、手も足も指の先に至るまで、焼きごてを当てたような痺れが突き刺さり、そこに自分の体があるのかすら疑わしいとさえ思えた。

 こうなってくると、なけなしの服すらも疎ましい。ボロキレ同然のシャツとズボンは生地が荒く、肌を破る裂傷や擦り傷を絶え間なく撫で付ける。おまけに血や汗が染みこんでいるから、時々張り付いて皮膚を引き剥がすようなマネをしてのけるのだ。

 しかも痛みとはまったく律儀な奴で、付き合いが長くなるほどより一層の働きを見せる。今回に限っては、なんと友達を連れてきたようだ。

 寒さである。

 

(……冷た)

 

 無色透明な刃を体内を走りぬけるような思いがして、女は開けたばかりの目を閉じる。 

 

(どこよ、ここ)

 

 痛みとは昨晩も添い遂げたが、しかし寒さはそこにいなかった。

 いつもなら、頼みもしないのに目覚ましをしてくれる痛みに起され、カビと苔の生えた天井に巣を張るクモにおはようという、それが女の起床である。しかしここにはそんな天井も、粗く削りだされた岩肌の床も、縦横に幾度も交差する鉄格子も、その向こうから昼夜を問わず響いてくる悲鳴と嗚咽の響きもない。

 風があれば空もある。女は今、数ヶ月振りの外にいた。

 

(私、連れ出されたんだ)

 

 見上げた先には曇天が広がっている。吹き荒ぶ寒風に雲は鈍くのたうち、絶え間なく雪を降らして地に落とす。せめて雲間に青さが覗ければ気は晴れようが、たゆたう天蓋越しでも分かるこの暗さは、今が夜中であることを悟らせた。

 雪降る夜天、その寒さ推して知るべし。

 勘弁してくれ、と女は思った。寒さは堪えるのだ、と。

 何せ女の首には、そして両手には、鉄製の枷が嵌められているからだ。

 分厚い首輪と鉄板に穴を二つ穿ったような手錠は、夫婦作りといってもいい番いの拘束具だ。そいつらは寒さを吸って育つのか、氷もかくやの冷たさをもって女の体に食い込んだ。

 全く、苦痛に愛されるのも困りものだ。

 

「なんでこんなところに……」

「ん~~~~~?」

 

 口をついてでた疑問は、傍にいる者の気付きを生んだ。

 女の傍には、そいつが居たのだ。

 

「ぐ……っ!!」

 

 手錠が突如として女を引き倒した。繋がれた鎖を、そいつが引き寄せたからだ。

 

「お目覚めかい、ギーアちゃ~ん?」

「……はい。おはようございます、クイーン様」

 

 女、ギーア苦々しく口をゆがめながら、そいつの膝に傅くしかなかった。

 ギーアが抱きつく羽目になった膝の主は、豊満な大男であった。首から肩までを分厚い肉で埋め、はちきれんばかり腹を揺らすなりは一塊の玉のようですらある。縄のような辮髪と口髭を蓄え、分厚い唇は葉巻を食み、サングラスをかけた顔は蛸に似ている。ともすれば道化を思わせる姿だったが、機械仕掛けの左腕と、ドクロの刺青を刻んだ右腕が、男が只ならぬ人生を歩んできたことを伺わせた。

 何故ならドクロの刺青は海賊の証。特に、歪曲する二本角と八方に伸びる骨を背景するその印は、この世に名立たる大海賊の部下である事を示しているからだ。

 世界で最も過酷な海域“新世界”、そこに巣食う百獣海賊団の大幹部の一人こそ、このクイーンという男であった。

 

「ムハハハハ! 気の利いた返事だぜ! いつもそれぐらい口をきいてくれればいいのによう!!」

 

 機械仕掛けの手がギーアの乱れた髪を撫で、

 

「……!!」

 

 ひっつかんで吊り上げた。

 

「いい加減、知ってること全部話してほしいんだよなぁ。おれだって、あの拷問好きの変態野郎に任せたくないんだぜぇ?」

 

 人形を吊るして飾るのとはわけが違う。赤く長い髪がギーアの全体重を支えることは大変な苦痛を引き起こし、血と砂にまみれた顔は苦悶に歪んだ。しかしクイーンは固く結ばれた彼女の口が苦悶すらもらさないのを見て、

 

「まぁいい」

 

 と、そっぽを向く。

 

「お前のことは、おれの趣味の範疇なんだ。聞き出すところもおれがやらなきゃ、変態野郎に何言われるかわかったもんじゃねぇ。……今日お前を連れてきたのは、そのことじゃねえんだ」

「じゃ、じゃあ、何だって、のよ」

「おいおい、ちゃんと目を開けて見てくれよ」

 

 髪で吊り上げられる痛みを堪え、からくも目を開くギーア。

 そこには戦場が広がっていた。

 

「…………!!」

 

 怒号と雄叫び、血潮と殺意の巷がそこにはある。

 数百人はいるだろうか。ある者は剣をかかげ、ある者は銃をつきつけ、しかし誰もが目を血走らせ、目の前の相手を打ち倒そうと駆けずり回っている。積もった雪を蹴散らし、その下にある土を抉り、返り血で我が身を飾る者と引き裂かれた者が交錯し、熱を失った肉塊が雪に代わって地を覆う。

 中には人の形を失う者もいた。それは腕を切り飛ばされたとか首を落とされたとか、そういう者も確かにいたが、それらとは別に、人ではなく異形や獣の姿に変じる者達もいたのである。

 世には悪魔の実というものがある。

 食った者に不可思議な能力を授ける特殊な果実だ。この戦場の所々にいる様々な変容を見せる者達は、そうした果実を食った、悪魔の実の能力者たちなのである。

 ギーアやクイーンのように。

 

「ムハハハハ! どいつもこいつもエキサイトしてやがるぜ!!」

 

 ギーアを吊り上げたまま、クイーンは顎の肉を揺らして笑う。

 見下ろせば、クイーンは巨大な椅子に腰掛けていた。それは動力機関と四つの車輪を備えていて、天井のない車のような作りをした機械であった。どうやらギーアは、それに乗せられてここまで来たらしい。

 

「まぁそういうことだ」

 

 そうごちるクイーンは、懐から一本の鍵を出してギーアの手錠を解いた。しかしそれが解放を意味しないということは、首輪を残したまま地面に打ち捨てられたことで理解できた。

 

「ほうら、海楼石の枷を外してやったぞ。これで戦えるだろう?」

(それが温情のつもりか、っての)

 

 二度三度と雪原を転がり、口の中に入り込んだ冷たい塊を吐き捨てる。

 それでも、能力者の力を封じる海楼石が離れたことで幾らか体が楽になる。身の内に力が戻り、痛みに耐える気骨がほんの僅かに頭をもたげる。

 それを見計らったかのように、クイーンは叫んだ。

 

「目覚めの運動といこうかギーアちゃん! このクソ生意気な小僧共の頭を連れて来い!! そうすりゃ三日は檻の中で寝かしといてやるよ!!」

「そんなこったろうと、思ったわよ……!」

 

 恨み言を口をつき、しかしいつまでもそうして倒れているわけにはいかなかった。

 

「死ねぇ!」

 

 殺意のままに、剣を高々とかかげた男が迫るからだ。

 

「ああもう!!」

 

 一瞬の入れ替わりが交わされた。

 剣は地を割り、女は風を切って男の頭を蹴りぬく。苛烈な打撃に白目を向き、男の頭が雪原をえぐった。

 白い息を吐いて構えるギーアを見下ろし、クイーンは声高に唱えた。 

 

「お見事! さすがはジェルマ66の部隊長だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「元、を忘れないでくれる!? いつまでもあの戦争屋と一緒にするな!!」

「そいつは無理な相談だ、お前の体と頭にあの科学国家の技術がある限りな!」

 

 どいつもこいつも、とギーアは思った。生まれ育った国、その指導者に貢献しようと思った過去を、今は呪いたい気持ちで一杯だった。日々課せられた地獄のような訓練を耐えるぐらいならもっと早く逃げ出すべきだったのだ。

 あの国王が、クローン兵を作るなどと言い出す前に。

 人間の複製を作るという計画。原型の一人に選ばれたことに、誇りより先に違和感を得たのが始まりだった。そして違和感は、国王にたった一人で立ち向かった王妃の言葉により、ギーアを動かす確かな指針となった。

 

(ソラ様……!)

 

 端麗な横顔を思い返せば、尊敬と罪悪感が一度に湧く。

 彼女の言葉がなければ気付きを見過ごし、人間としての情緒を得られぬまま、今もあの戦争国家で兵隊をしていただろう。そんな曇った目を覚ましてくれたことへの感謝。

 そして、そんな王妃を置いて国を逃げ出してしまったことへの、罪の意識。

 

(ひょっとしたら、あれからの逃亡生活はその罰だったのかもね)

 

 あの国の中に居た頃は気がつかなかったのだ。

 自分たちと自分たち以外は、ただ殺しあうだけの間柄なのだと。脱走者から国の技術を奪うという、今にして思えば当然の考えも、あの頃の自分は出来なかったのだ。

 洗脳されていたのだと言い訳したかった。ただ強くなって従っていればいい、そう思った時期が長すぎたのだ。強さの扱い方を全く考えていなかった。身につけた強さと知識が狙われることもあるなど思いもしなかった。

 しかしそんなことは誰も聞いてくれない。祖国ジェルマ王国はかつて圧制の帝国として国土を奪われた悪の代名詞であり、その戦闘部隊ジェルマ66の部隊長の一人であった自分は、そこからはぐれた女は、格好の獲物でしかなかったからだ。

 国が、組織が、個人が、ギーアの肉体に宿る技術と頭に焼きついた様々な技術を狙った。時には祖国から口封じを狙う刺客が送られてくることすらあった。

 そうして逃げ続けるうちに、このクイーンに捕らわれた。

 物作りが好きだと標榜するこの男に。

 

「全くなんて不幸!!」

 

 飛来する銃弾を避け、ギーアは嘆いた。

 捕らわれ、尋問を受け、その末に戦場に引きずり出される。生まれついた地の業に振り回されているとさえ思った。

 

「言っておくがその首輪は爆弾だ、おれから遠く離れると爆発する! この戦場から出られると思うなよ!?」

「んなこったろうと思ったわよ!」

 

 手錠を外しても首輪は外さない、そこに含みの想像ぐらいは今なら出来る。距離に反応する爆弾を作るなど、さすがは物作り好きというだけある。

 

(頭いいくせに海賊してんじゃないわよー!!)

 

 怒鳴ってやりたかったがやめておく。

 今のクイーンにそれを言ったら、踏み潰されてしまいそうだからだ。

 

「ウオオオオオオオオオオオオォォォォォォォ!!!」

 

 いまやクイーンの姿は人のそれではなかった。

 両腕は足となり、皮膚は厚く節くれだって変色し。何よりも首が伸びた。肩に埋もれているといってもよかったクイーンの頭は、天を衝くように伸び上がり、口は頬まで大きく裂けていく。

 もはや人ではない。

 クイーンは恐竜の姿となった。

 

「ブラキオサウルス……!」

 

 クイーンが食らった悪魔の実の能力だった。この男は、恐竜の中でもとりわけ大きな体を持つ、その姿に変身することができるのだ。

 

「ナメてんじゃねえぞ小僧共ォー!!」

「ギャアアアアアアアア!!」

 

 振りぬかれた尾が屈強な男達をなぎ倒す。ギーアは飛来する図体から飛びのかなければならなかった。

 普段はひょうきんに振舞ってみせる男だが腐っても海賊、それも粗暴にして凶悪を旨とするあの大海賊の幹部を務めるのだ。一度戦場に立てば凶暴な本性がむき出しになる。

 つかみどころの無い逆鱗に触れてしまえば、その場で踏み潰されてしまうだろう。

 

「まったく……やりゃいいんでしょ、やれば……」

 

 ごちる間にも敵は迫る。

 凶相の男が3人、それらの手には剣に槍にカギヅメ、既に幾人も襲ったのか、こちらへ届く間に血が滴り落ちる。

 ギーアは両の腕を高く掲げた。五指を開き、刃の降るところにギーアの手が広がる。

 

「何だぁ命乞いかぁ~!?」

 

 男のうちの誰が叫んだだろうか、ギーアには興味がない。だからこの次に誰が叫んだのか知ろうとはまったく思わなかった。

 

「んなぁっ!?」

 

 鉄が鉄を打つ甲高い音。場違いなそれは、降り下ろされた刃の破砕を意味していた。へし折れた切っ先が宙を舞い、六対の瞠目が女の細腕に集中する。

 光を灯しはじめた番の手を。

 

「硬ぇッ! なんだこいつの腕!」

「おい待て、何か熱……」

 

 声では遅い。

 音に勝る光を見よ。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!」

「!!?」

 

 陽が地に咲く衝撃が男達を襲う。

 

「ぎゃああああああああぁぁぁぁ!!」

 

 光が目を、高熱が肌を、膨張した大気が男達の体躯を吹き飛ばした。焼けた血肉は黒く焼き焦げ、叩きつけられた雪原を溶かしていく。ギーアの手はすでに光を収めたのに、放たれた光熱は今を持ってなお男達を苛んでいる証拠だった。

 女は痛みに悶える男共に見向きもしなかった。襲ってきた悪漢に気を使うことなど祖国は教えなかったし、出奔した後もこうした輩のことを気にしようとは思わなかったからだ。

 来る度に焼いた。植えつけられたジェルマ66の力をもって。

 

(まだ動くか……全然手入れできてないから、もう駄目かと思った)

 

 多くの者どもが求め、クイーンが聞き出そうとする科学技術の一端が、ギーアの両腕には埋め込まれている。王がクローン兵とともに開発を進めていた何か、ギーアの腕に移植されたのは試作品とも言うべき兵器だった。

 光と電熱を放つ機械だ。

 それを両腕に仕込まれたギーアは、思うときに鮮烈な光熱を放つことができる。

 

「……でもそろそろ限界かな」

 

 度重なる尋問と放置が機械の動きを悪くしている。腕の動きを察知して動作を補助する機能が鈍っているのだ。このままにしてしまえば、兵器としての機能を失い、腕の中に残り続ける鈍重な手械になりかねない。

 早急に復旧する必要があった。

 

「ん?」

「お、何だあの女?」

 

 閃く光熱は周囲の男達の注目を集めたらしい。衆目を一瞥し、しかしボロキレ同然の手にかけ、

 

「うおおおおおおおおおおおお~~~!!?」

 

 勢いよく脱ぎ捨てた。

 戦場で突然はじまった女の脱衣に、幾人かの男が歓声をあげ、

 

「……あ?」

 

 そこにあるはずの裸体へ疑問を投げた。何故ならそこに女の素肌はなかったからだ。

 女ギーアの姿を見るがいい。

 白く滑らかな玉の肌には、刻まれていたあらゆる傷がなくなっているではないか。いやそれどころか、ついさっきまでボロキレ同然だったシャツやズボンも新品同然となり、汚れ一つ無い無地の布をもって素肌を隠しているではないか。

 ついさっき、確かに服を破り捨てたはずの女の服がそこにはあった。しかしギーアの手には、たしかに襤褸切れ寸前の服が握られている。

 否、引き千切ったにしては、はためくそれはあまりに大きい。

 

「な、なんじゃありゃあ!?」

「女が……! 女がはためいてる……!!」

 

 ギーアが手にしていたのは服であって服ではない。それは、服と一体になったギーア自身の姿であった。襤褸切れの服をまとった傷だらけのギーアの形をした布が、傷一つ無いギーアの手に握られ、寒風にあおられているではないか。

 それは布ではなかった。

 それは、皮だったのだ。

 

「――私はヌギヌギの実の脱皮人間」

 

 ギーアは、視線を結んだ有象無象へと告げる。

 

「傷ついた体を脱ぎ捨て、より強くなった万全の体へと戻ることができる。……ストリップを期待してたんならごめんなさい。悪魔の実は衣服にも作用するから、着てる物も新品になって残るのよ」

 

 そして身の内にある機械もまた然り。

 祖国ではこの能力ゆえに、改造手術によって傷ついた体もたちどころに直る便利な実験体として扱われていた。それを光栄だと思っていた過去の自分が恥ずかしい。

 だがこの能力も一長一短だ。傷が治ると分かっていれば尋問を加減する必要もない。殺される寸前まで痛めつけられたとしても、息絶える前に脱皮させてしまえばいいのだから。

 しかも、一度や二度脱皮した程度では埋められない力の差を持つ男に捕まったのが運の尽きだった。クイーンの戦闘力は、能力者にして改造人間であるギーアをもってしても及びもつかない高みにある。

 未だにまとわりつく首輪は、そんなクイーンの呪縛であるようにさえ思えた。

 

「てめぇ期待させやがってぇ……んごっ!?」

「……はぁ」

 

 飛び掛ってきた愚か者を叩き伏せ、ギーアの瞳は天を仰ぐ。

 

(だいたい何なのよこいつら。百獣海賊団と抗争する海賊団ってこと?)

 

 小僧共、とクイーンは言っていた。ならば近年台頭してきた若手の海賊たちだろうか。

 大海賊時代、そう呼ばれるのが今であると、捕らわれの女でもそれぐらいは知っていた。

 去年のことだ。幽閉同然のギーアにはもっと長く感じられたが、1年前のことである。

 大海賊ゴールド・ロジャーが処刑の寸前に放った言葉が、男達を海へ駆り立てた。この世の全てとロジャーに言わしめるほどの宝、“ひとつなぎの大秘宝”を手に入れ、彼に続く新たな海賊王となるために。

 百獣海賊団は、その大海賊時代が来るより前の海賊たちである。あい争うこの男達が新手の海賊であるというなら、なるほど小僧と謗るのも納得できた。

 

(まぁ私にはどうでもいいけど)

 

 囚われのギーアには選択の余地など無い。望む望まないに関わらず、首輪の主が命ずるままに奔るしかないのだ。

 

「くたばれ!!」

 

 振り下ろされる斧を避け、振るう男の肩を蹴って宙を舞う。

 傷は癒えても多勢に無勢、百獣海賊団と抗争するだけの海賊団を全て相手にする愚は犯さない。

 

(命令は、海賊の頭を連れて来い、よ!)

 

 雪原に降り立ったギーアは、体格差を利用して男達の隙間を駆け抜ける。時に敵の、時に百獣海賊団の腕と武器を潜り抜け、ギーアの双眸は標的を探す。

 二本の脚が雪を蹴散らし、番う両腕は交わしきれなかった男共を薙ぎ払う。

 どこまで広がっているかも分からない戦場で、いったいどれほど大蛇の真似事をしただろうか。右往左往と蛇行するなかで、遂にギーアはそれを見つけた。

 

(いかにも頭っぽい奴!!)

 

 そいつは、数多の男がたむろする修羅場にあって、特に抜きん出て巨大な体を持つ男だった。何よりまとう覇気が違う。見る者の心身を圧倒する気迫は、人の上に立つものほど強いのが道理だ。

 

「狙うは、アンタだけよ!」

「そっちに行ったぞ船長ォ――!!」

 

 走り抜けた背後から、野太い男の声がした。やはり所詮は海賊、浅はかな自白がギーアの予想を裏付けてくれる。

 迫るほどにその男は体躯を大きくしているように見えた。間近にしたその身長はクイーンですら及ばないだろう。極太の腕には、巨体に相応の長大な剣が携えられていた。

 頬まで裂けた口で荒く呼吸する顔には、凶悪な三白眼が穿たれている。額には鋭い角、頭には炎のように逆立つ髪、さながら地獄から這い出た鬼といってもいい男がそこにいる。

 しかしその鬼も、この戦場にあっては傷を免れなかったらしい。少し前までのギーアと同じか、それ以上の傷をその身に刻んでいた。

 

「アンタが頭ね!!」

「チィ! 鉄砲玉がぁ!!」

 

 奔り、構えた腕に電熱を灯す。接近に気付いた大男も苦々しく牙を食いしばり、巨漢は白刃を振るう。

 互いの威力が交差する。

 

「“閃光火拳(フラッシュヴァルキリー)!!」

「“角刀影(つのトカゲ)”!!!」

 

 白熱する掌底を迎えたのは刀ではない。一本の長大な槍だった。

 

「!?」

 

 突きつけられた刃の切っ先、突如としてそこに蝙蝠の群れが集まり、溶け合って巨大な黒い尖塔となったのだ。矢の速度で伸びる鋭角が、ギーアの拳を真っ向から迎え打つ。

 貫かれはしない。改造人間ギーアに植えつけられた鋼鉄の拳は欠けもしない。

 だがこのままでは先鋭に押し返され、大砲の弾のように宙へ押し出されてしまう。ここでまた離される訳にはいかなかった。

 

「こなくそ!!」

 

 肘を引き、腕を緩めた。

 迎え撃つのではない、いなすのだ。迫る漆黒の先鋭が頬をかすめ、しかしギーアはコマのように体を回転させ、奔る先鋭の横へと身を逸らし、雪と土を抉ってギーアは着地する。

 傍らで、塔にも似た槍が再び蝙蝠として散らばっていく。そうした蝙蝠たちが集まるのは、件の大男のもとである。

 

(当たり前のように能力者な訳ね!)

 

 どいつもこいつも悪魔の実の能力者。うんざりする思いだ。

 

「百獣海賊団の回し者だな!? 小娘如きが、おれに敵うと思ってンのか!」

「御託はくたばってから言いなさい。この状況が見えないのかしら」

 

 その瞬間、背後で爆音が立ち上った。それだけの武力が出現したのだ。

 

「ウオオオオオオオオオォォォォォォォ――――!!!」

 

 獣の群れが雄叫びをあげているようだった。

 そこにはケダモノに変じたクイーンの声も含まれていた。しかし奴と同格、いやそれ以上の雄叫びが乱立する。あの凶暴な男と張り合う奴らが、群れを成すほどに控えているのだ。

 ギーアと向かい合う大男は、慄いて身を固めていた。硬直し、瞠目し、青ざめた顔は、それこそ起きてみる悪夢を前にしているかのようだ。

 それほどの光景に、ギーアは振り向く気にもなれなかった。

 

「なんだ、あいつらは……!」

「百獣海賊団の戦力が“災害”だけだと思った? 生憎とあいつ等の船長は……総督様は、部下集めに余念がないのよ」

 

 “災害”、それは百獣海賊団が誇る二人の大幹部を指す通り名だ。その片割れがクイーンであり、奴が変態野郎と呼んで止めない相手こそが、もう一人の“災害”である。

 

「ナンバーズ、それに“真打ち”。この大海賊時代に前後して百獣海賊団が集め始めた大戦力……化け物どもよ」

 

 雄叫び、地響き、そして阿鼻叫喚。あらゆる破壊と悲鳴が戦場を満たそうとしていた。

 

「ぎゃあああああああああああああああああ!!!」

 

 それは誰の悲鳴だっただろうか。

 この大男の部下だったかもしれないし、逃げ遅れた愚かな百獣海賊団の下っ端だったかもしれない。あの化け物連中が部下に配慮して戦うような機微を持っているとは到底思えない。

 戦局は決したのである。

 化け物以外は踏み潰される、という結末に。

 

「ば、ばかな……、おれの、おれのゲッコー海賊団が……!!」

「戦力が、部下が足りなかったわね。どの海から来たか知らないけど、これが“新世界”の実力よ」

「おれの、部下たちが……!!」

 

 大男の手から剣が落ちた。瞳は色を失い、覇気の衰えは見るも無残なほどだ。

 

(墜ちたわね)

 

 心を折られた男の顔だ。

 ギーアはこの顔を、あの牢屋の中から幾度となく見てきた。百獣海賊団が拓いた、採掘場とは名ばかりの強制収容所で、労働力として放り込まれた海千山千の男達が、飢える身に鞭打たれ、心の底から屈服していく様を、幾度となく眺めていた。

 自分もいつかこうなるのだろうと、そう思いながら。

 

(……こいつも百獣海賊団に従えられるぐらいなら)

 

 きっとクイーンは、いや、百獣海賊団の総督は、この大男すら屈服させて飲み込む気なのだろう。この世の暴虐を人型に練り上げたようなあの男は、徹底的に加虐的な性格をしているのだ。このまま呆然とする男をひっ捕らえれば、遠からぬうちに百獣海賊団の大戦力として頭を垂れるだろう。

 自分を虐げる者共を満足させる気には到底なれなかった。

 

「アンタを引きずり出せって命令だけど……私、あいつ等が嫌いなの」

 

 膝を突いて尚高い巨漢の懐へ歩み寄る。呆然自失の男はそれにさえ気付かない。

 構えた拳が光を灯す。

 

「そんなに部下たちが大事なら、一緒にいかせてあげるわ……!!」

 

 手に力を。最大限の輝きを。

 大男の屈強な胴も貫くほどの膨大な熱量が、ギーアの引き絞られた掌底に蓄積される。さながら太陽を抱える姿となった大男、その命を今ここで終わらせるために。

 

「往生なさい……!!」

 

 閃光を放つ。

 間際、

 

「――待ってくれ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は百獣海賊団か!? 奴等に使われている奴隷じゃねえのか!?」

「誰が奴隷だこの野郎!!」

 

 突如として飛び込む声に、思わず振り向いてしまうギーアである。

 そこには男が一人、赤く滲む足跡を引き連れて立っていた。大男と同等、いやそれ以上の深手を負っているのは明らかだ。肩に矢を突き立て、切り裂かれた胸板からはしとどに血が溢れ、二本の脚を赤一色に染め上げる。

 見覚えの無い風体。どうやら百獣海賊団ではなく、大男の部下であるようだ。

 茫洋としていた大男の双眸に光が戻る。

 

「生きてたのか!!」

「ああ、今はな」

 

 しかし、

 

「……だが、もう駄目だ」

 

 大男の顔が凍りつく。

 しかしギーアは、そうだろう、と胸の中だけで頷いた。男の寿命がもう幾らも残されていないのは、火を見るより明らかだったからだ。流々と流れる血潮が雪原に染み渡り、さながら男の落とす影は赤色になってしまったかのようだ。

 

「――モリア」

 

 一筋の吐血とともに男が囁く名前、それが大男の呼び名であるらしかった。

 

「モリア、おれ達はもう駄目だ。お前のゲッコー海賊団は、今日ここで終わる」

「ぅ、うおおおお……」

 

 大男、モリアの口から意味を為さない呻きが漏れた。両の手が頭を抱え、五指が髪をかき回す。男の出現に一度は見た希望を失い、改めて突き落とされた男の嗚咽が零れ落ちる。

 しかし男は、男をそうさせる為に現れたのではなかった。

 

「……それでも!!」

 

 男は絶望の再確認させるために現れたのではない。危難にあってなお望みを託そうと、不屈の意気でここまできたのだ。

 

「お前だけは生かしてみせる!!」

「!!?」

 

 力なく垂れていた傷だらけの腕を振り抜けば、男の腕から突如として大量の流体が溢れ出す。艶のない白亜のそれは飛沫を散らしてモリアへ走り、太い手足に纏わりつく。

 するとどうだろう、流体はみるみる間に形を定め、ついには8の字型の枷としてモリアの手足を縛ったのだ。

 

「おい! 何のつもりだ!!」

 

 しかしモリアの叫びを無視して、当人は傍らのギーアへと向かう。しげしげとギーアの首元、分厚い首輪を眺めて掌を掲げると、再び流体が溢れ出した。流体は掌の上で一つの小さな形となり、それを掴んだ男は、そのままギーアへと投げ渡す。

 思わず受け取ったギーア。それが何であるのか、握った手を開いて確かめる。

 

「鍵……?」

 

 は、となった。

 

「まさか首輪の!?」

「ドルドルの実の力があれば、合鍵なんて安いもんよ」

 

 白い流体、その正体は蝋燭であった。どうやら男は体から蝋を搾り出し、望む形に練り上げることができる悪魔の実の能力者だったのだ。

 急ぐ手つきで首輪の鍵穴に差せば、見事音を立てて外れたではないか。

 吹く風が喉に触れるのは何時以来だろうか。いかなる時も頭を下げるようにのしかかってきた鋼鉄から、今ようやく解き放たれたのである。

 踊りだしそうな感慨が胸に湧き、だが兵士として育った理性がそれを引き締めた。

 

「……何をしろと?」

 

 海賊が、ただで人助けをするとは思えなかった。向かい合う男は、にたりと黄ばんだ歯を覗かせて、

 

「決まってんだろう。――モリアを、逃がしてくれ」

「バ……ッカ野郎!!!」

 

 怒鳴りつけたのはモリアである。

 

「おれに、お前たちをおいておめおめ逃げろってのか!」

「逃げるんじゃねえ、生き延びるんだよ」

 

 この男とモリアと、一体どれだけの時間を共にしたのであろうか。

 どれほどの時間をともにすれば、人間はこんな表情を浮かべられるのだろうか。

 誰かの傍らで生きることができなかったギーアには、想像することもできなかった。

 

「――生きろ」

 

 男とモリアの目が通う。

 

「死に損なえ、ゲッコー・モリア。傷を癒し、武器を集め……兵力を整えろ! 強く、立ち上がれ!!」

「…………!!!」

「お前の夢を、悪夢で終わらせるな」

 

 一際強い轟音が鳴った。

 地響きに等しい足音の連打は次第次第にこちらへ近づいてくる。残された時間は幾らもない。それは戦場にとっても、男にとってもだ。雪に降る血は勢いを増し、刻一刻と迫る死に、男の顔が青ざめていく。

 

「頼む」

 

 男の、人が最後に願うことを、無下にする女ではありたくなかった。

 

「……恩には報いるわ」

 

 頷いて、それを最後に男は膝をついた。

 疲れ果てたように、ゆっくりと尻をつき、傷だらけの背をモリアに見せて、

 

「お前は、海賊王になる男だ」

 

 それが最後の言葉となった。

 直後、男から噴き出す蝋燭の津波がモリアを戦場から押し流したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「畜生! 畜生ぉ――――!!」

 

 蝋の津波は広げられた絨毯のように、一直線に駆け抜けた。雪原を渡り、雪の森へと走る。その先頭には手足を拘束されたモリアが乗っている。蝋の津波は無限に伸びる手となり、大男は見る見る間に戦場から遠ざけた。

 林間にこだまするモリアの叫びが哀れでならなかった。

 しかしギーアには憐れみをかける暇はない。一直線に伸びる津波は、途中にある木や岩を避けて通るような器用なことはできないのだから。

 

「せいっ!!」

 

 悪魔の実の力によって万全の体調を得た改造人間の脚力は、時として津波に勝る速度で走り、障害物を破壊した。電熱の掌底は木を焼き払い、岩を割り、逃避行の妨げを一切合財を薙いでゆく。

 雪を蹴散らし、怒涛の勢いで森林を駆け抜ける両者。

 

「くそっ! くそぉ――!!」

 

 隣で悶えるモリアの悲鳴は止まらない。

 しかし鍛えられた改造人間の脚に匹敵する津波の速度に乗せられては、いかなる余技が果たされることもない。ただただ、波に乗って戦場から離されるばかりだ。

 そうやって男の苦悶を聞き流し、木や岩を何度払っただろうか。

 木々の太さや大きさ、密度が薄れていくのが分かった。森の反対側に近づいているのだ。

 

(いける)

 

 戦場の音はもはや遠い。戦乱に興じる化け物共は、高速で戦場を離れる者に気付きもしない。

 あともう一歩だ、そう思った時だ。 

 

 

 

「ウォオオオオオ――――――――――――――――――――――ッ!!!」

 

 天から、かつてない怒号が轟いた。

 

「!!?」

 

 何、という声もかき消されるほどの雄叫び。百獣海賊団の誰とも比べることができない、圧倒的な咆哮が地に降り注ぐ。思わず耳を塞ぎ、しかし骨まで震わす唸りを前にしては、まったく徒労に終わってしまう。

 瀑布のごとき声の主は、曇天の中にいた。

 

「……奴だ」

 

 モリアの囁きが聞こえた。

 何者が来たというのか、そんなことはギーアだって分かりきっている。“災害”や“真打ち”、いやナンバーズを越える雄叫びを放つ者など、早々いてたまるものか。

 渦を巻く暗雲、奴が現れる前兆だった。

 

「――カイドウ!!」

 

 始まりは爪、次に指、これらを左右に四本ずつ生やした巨大な腕。それは青白い鱗に覆われ、赤い炎を綱のようにまとっている。それらが雲と寒風を引き裂き、巨大なあぎとが現れた。黒髭を蓄え、居並ぶ歯はすべて鋭く、地上を睨む眼差しは獣のそれ。うねる角と二股の角を一対ずつ生やした頭は、巨大な龍のものであった。

 長大な胴は傷一つなく、とぐろを巻くようにうねる体は雲を押しのけ、遂に全天を覆う覇者の全様が露わになる。

 

「ウォロロロ……」

 

 まるで雷鳴のような笑い声だ。鋭い牙が僅かに開き、赤い舌が垣間見える。

 いや違う。覗いているのは本当に舌か。奴の舌は、あんなにも煌々と輝くというのか。

 

(いけない)

 

 駆けるような危機感があった。

 だからといって走る以上の何ができようか。ただ走り続けることだけが、次に来るものから逃れる、たった一つの方法なのだから。

 熱が、来る。

 

「“熱息(ボロブレス)”!!!」

 

 龍の口腔で輝くものは、炎のほかに在り得ない。

 凝縮された炎の一閃が、森の向こうへと降り注いだ。

 

「……!!」

 

 轟音、そして熱風。

 宙に土砂と岩が飛び、雪が蒸発したのか濃密な霧が立ち上った。すさまじい熱風が木々の合間をぬって追いすがり、蝋の波に乗るモリアの宙へと弾きとばした。巨躯の男ですらその有様だ、ギーアに至って錐揉みをうって投げ出される。

 一体何度地に打ちつけられただろうか、数えるのもばかばかしい。終いには脇を木の幹にしたたかに打ちつけ、短く呼気をはいて倒れ伏してしまう。

 

「ぬ、ぐ……」

 

 モリアは逆に木を幾つもへし折ったらしい。えずきながら身を起こせば、倒れた木々の上に見慣れた巨体が横たわっていた。

 

「どうやら、お互い生きてるみたいね」

 

 あの火が降るところにいて生き延びた幸運を喜ぶべきか、それともあれに晒された不幸を嘆くべきか。ギーアは断固として前者を採りたかった。所詮ギーア達が受けたのは余波でしかなかったからだ。

 あの龍こそがカイドウ。百獣海賊団の総督にして、龍に変じる悪魔の実の能力者。

 その大火が降り注いだのは、さっきまでギーアたちがいた戦場であるのは間違いない。

 そして、絶望は空から降ってきた。

 

「生き残りは……無しか」

 

 傍らで、モリアが動くのがわかった。

 

「ウォロロロ、これで生き残る奴がいれば部下にしてやろうとも思ったが……所詮時代の波に乗せられてただけの、ガキの集まりだったか」

「お……!!!」

「黙って!!」

 

 ギーアは飛び起き、叫びを上げかけたモリアの口を強引に閉じた。こちらからは巨大な龍が見えるが、向こうからは生い茂る葉が隠れ蓑になって見えない筈だ。しかしモリアほどの巨体であれば、ひょっとしたら見つかってしまうかもしれない。

 ここで声を上げる訳にはいかなかった。

 

「貴様……!!」

「生きろって、言われたでしょうが!」

 

 横たわるモリアの顎を押さえ、ギーアは叱咤する。

 

「力をつけて立ち上がれって……!! 今立ち上がって、あいつに勝つ力はあるの!?」

「……!!!」

 

 体格差は歴然、しかし所詮は満身創痍に手足を枷で封じられた男である。改造人間の兵士であったギーアの膂力の前に、反発するも空しく取り押さえられる。男の大口を握って強く閉じさせ、息を殺して木々に潜めば、

 

「待ってくれカイドウさん!!」

「!」

 

 一際大きく叫ばれたのは野太い声、そう、クイーンの声だ。

 

「おれの大事なギーアちゃんが戻ってこねぇんだ! 探しにいかせちゃもらえねえか!?」

「……!!」

 

 龍に届けられたそれは、ギーアを追うための願い出であった。

 厄介なことを、そう思い、

 

「……ああ、なんだとテメェ!? もう一辺言ってみやがれ!!」

 

 何か問答があったのだろうか、突然怒鳴りちらした。その声に呼応し、今度はクイーンに応じる怒号が叫ばれた。

 

「バカが下らねぇ趣味で逃した獲物を、どうしておれ達が追わねばならない!?」

「能無しのカス野郎が! あの女がどれほどの技術力を秘めているか分からねえのか!?」

「それをむざむざ戦場に出したのはてめぇだろうが! カイドウさんの一撃で、消し炭になっただろうよ!!」

 

 あのクイーンと貶しあう何者か。奴と対等に話せるとしたら、それは百獣海賊団に一人しかいない。

 

(“災害”の片割れ! “火災”のキングだ……!)

 

 クイーンが時折口にしていた、拷問好きだというその男。彼がいない場でも、ましている場にいたってはより激しく罵るほどの、不仲な間柄。だからなのだろうか、探索を望むクイーンとは反対の、ギーアの死亡を唱えている。

 

(そのまま頑張ってお願い……!!)

 

 会った事も無い、会いたくもない大悪党を勝手に応援してしまうギーアである。

 口汚く罵りあう二人の“災害”、しかしそれに飽きたのか、空でとぐろをまくカイドウに動きが起きた。

 

「クイーン、それはおれが酒を呑むより大事なことか……?」

「えっ、いや、それはぁ……」

 

 たった一言。それだけで諍いは踏み潰されたのだった。

 

「野郎共、今日は戦勝の宴だ! 引き上げるぞ!!」

「ウォオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 龍の宣言に歓声が沸いた。

 カイドウが再び雲の向こうへ飛んでいくのを見届け、地響きじみた行進が始まる。

 血と勝利に酔う一団は行軍の音を隠そうともしない。歌い、嗤い、時に雄叫びをあげて、次第次第に地響きも遠くへ去っていく。

 立ち去る後に、、焼け野原と薄汚れた雪原だけを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 渦巻く雲が凪を取り戻し、再び雪が降り出すのを待った。それほどまでに耐え続けて、ようやくギーアは全身の力を緩める。

 

「はぁ……っ!」

 

 どっと噴き出す汗も、熱しきった肌には心地よい。尻を落とした先は土交じりの雪であったが、いっそ転がりまわりたいとすら思った。

 だがその前にやることがある。

 

「……ねぇ、あいつら行ったみたいだけど?」

「…………」

 

 傍らの大男は手足を蝋の枷に抑えられたまま、泥と雪に背を浸していた。龍の去った天を仰ぐその表情は、何色も浮かばせない。血の気の一切を失ってしまったように、傷まみれの顔を風に晒している。

 無言。呼びかけにも答えないモリアを、ギーアは回り込んだ。

 触れるのは足枷である。白く、どこか粉っぽい表面のそれは、まごう事なき蝋燭だ。しかし硬度はまったくの別物、爪をたてても欠けることはなく、握った感触はまるで鋼鉄のようだ。

 しかし、

 

「蝋ってんななら、熱で溶けるんでしょ」

 

 ギーアは足枷を小突いていた手を引き、うちに秘めた科学技術の粋に働きかけた。出力を調整し、戦場で使っていたような激しい光輝ではなく、仄かに照るような熱量を起こし、再び足枷に触れる。

 するとたしかに、あんなにも硬かった蝋がみるみると溶けていくではないか。

 

「……このまま奴らに突っ込まないってんなら、枷を溶かしてもいいけど?」

「……あぁ」

 

 再度の問いかけにやっとモリアは答えた。

 

「本当に?」

「ああ、奴らにゃ手を出さねぇよ。――今はな」

 

 ぎろり、とモリアの凶相がギーアを捉えた。

 

「お前、何者だ」

「百獣海賊団に痛めつけられた、って意味では同類かもね」

 

 鬼にも勝るそのかんばせに、しかし動じる風もなく肩をすくめてみせる。

 

「ギーアよ。そういうあんたは何、モリアでいいの?」

「ああ、ゲッコー・モリアだ」

「ふうん、百獣海賊団のナワバリに攻め込むなんて、大した海賊だったのね」

「……それもたった今、全滅しちまったがな」

 

 寂寥が間を生んだ。

 それは風が二人の間を通り抜けるまでの、ほんの少しの間。

 

「この島を出るのに力がいる。――お前、おれと組め」

「それしかないみたいね」

 

 ギーアの答えは、示し合わせたように即断であった。というのも、ギーアとモリアの境遇では、二人が協力することでしか生き延びる道はなかったからだ。

 クイーンによってこの国に連れてこられたギーア。

 百獣海賊団によって仲間を滅ぼされたモリア。

 孤立無援、しかもいつ狙われるか分からぬ身だ。今は全滅させたと浮かれているが、外国人の男と女、それも異様に軽装の女と類稀な巨漢となれば、目立つことこの上ない。人目につけば噂が立ち、噂をききつければ生き残りがいたかと追っ手をかけるかもしれない。

 何より敵の大幹部、クイーンは未だにギーアを諦めきれていないのだ。

 

(私一人じゃ、とてもじゃないけど奴に勝てない)

 

 一対一は問題外、そのうえ敵は数百人の部下を従える大海賊団だ。この島に長居すれば、再び捕らえられるのは火を見るより明らかだ。

 

「やつらの船を奪い、この島を出る。百獣海賊団の船や港がどこにあるのか知っているのはおれ、外海に出た後の航海をこなせるのもおれ、そうだろう?」

「私はとっ捕まってこの島に連れてこられたしね。ええそう、航海技術なんてないわよ」

「だが今のおれ一人では船まで辿りつけないだろう。勿論お前一人でもな」

「そこで協力して、ってわけね。でもあんた、その図体で忍び込むとかできるの?」

「いらねえ心配だ。ちゃんと策はある」

「本当にぃ?」

「疑う暇があったら、とっととこの枷を解きやがれ」

 

 確かにその通りだ。今さら百獣海賊団に向かっていくということもあるまいし、ギーアは光熱を蓄えた掌を添え、モリアの手足を縛る蝋を溶解させた。

 湯気をたてて滴る液体となったそれをモリアは拭い、手を地について身を起こす。上半身を起こせば、なるほど見事な大男だ。

 

「……でもさ、モリア」

 

 協力すると決めた相手である。いい加減名を呼ぼう、とギーアは思った。

 

「この島を出て、どうするつもりなの?」

「決まってんだろうが」

 

 そこではじめて、モリアが表情を浮かべるのを見た。

 怒りではない。

 悲しみでもない。

 浮かんでいるのは笑み、だが喜色でもなかった。

 絶望を呑みくだしたものだけが見せる、底冷えのする強固な決意の表れが、笑みのような形をして表情に表れるのだ。

 

「武器を、部下を……兵力を整え! もう一度やつらに挑む! そして今度は、やつらを全滅させてやるのさ!! そしておれは、――その力で海賊王になる!!」

 

 憎悪、殺意、それらがモリアに一層の活力を与えているのだ。凶相を更に禍々しく歪み、逆立つ髪が恨みに湯立ち、陽炎のように揺らめいているようにさえ見える。

 ギーアは寒風によらぬ冷たさが身を侵すのを確かに感じた。

 

(私、やばい奴と組んじゃったかも)

 

 しかし賽は投げられた。彼と共にあることでしか、生き延びる道はない。

 

「這い上がってやるぜ、この地の底からな!!! 覚えてろカイドウ……!!!」




ちなみに主人公は、筆者が考えていたONE PIECE二次創作設定の全部載せになりました。


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剣豪リューマをめぐる戦い

 草履という履物の感触を、ギーアは好きになれなかった。

 そもそも素足で履くというのが理解できない。サンダルに似ていると思えばいいのかもしれないが、足の親指と人差し指の間を渡る鼻緒は、靴に慣れきった彼女に違和感を与えた。それに着物とかいうこの国の服もどうかと思う。生地は薄い上に目が粗く、この暗い寒空ではまるで用をなさない。

 あたり一面の銀白の雪景色といえば聞こえは良いが、それは確かな防寒着を身につけた者だけが抱く感想だ。薄手の着物と草履だけで進む雪降る夜の道行きは、茨の垣根をかき分けて進み続けるような思いだった。

 しかしそれももう終わる。

 一歩二歩と脚を進めたところで、地面の感触が変わった。踏みしめた雪の下にあるものが、砂利や土のざらついたものから、平らで硬いものに変わったのだ。

 

「……やっと着いた」

 

 白くなった息をはいて、ギーアはそびえたつそれを見た。

 最初は家かと思った。

 だが違う。

 それは社であった。

 左右へ長く伸びる朱塗りの屋根が雪を乗せ、軒下からは白い壁が立ちはだかる。壁面には等間隔に格子窓が穿たれ、中からは蝋燭の火が覗いており、それがどうやら回廊であるらしいことが伺えた。

 ギーアが眼前にするのは、その回廊が結ばれるところだった。

 社の中央。

 回廊の終着点。

 すなわち本殿である。

 一際巨大な建物だ。反り返った大小無数の瓦屋根が幾重にも重なっているのは、雪が積もらないようにする工夫だろうか。巨大な鏃の複合体ともいうべきそれは、まるで山脈のようだ。

 その軒下には様々な動物を描いた彫刻が刻まれている。そして正面、巨大な扉の前には、飾りなのか何なのか、一本の綱紐が逆さまのアーチを描いて吊るされていた。

 分からないといえば、先ほど通り過ぎた2体の犬を模した石像は何だったのだろうか。番犬をかたどる魔除けの類だろうか。

 

(外国人の考えることは分からないなぁ)

 

 と思って、すぐさま自嘲する。

 苛烈な意識統一を強いた祖国、いっそ閉鎖的ですらあったあの国での過去を思い出してしまったのだ。これまでの半生をあそこで過ごした自分に、異国文化を理解する素養があるかと聞かれれば、なるほど首を横に振るしかないだろう。

 だが今それに囚われる訳にはいかない。なるべく早急に事を済ませなければならないからだ。

 雪の下の平らで硬いもの、本殿外縁に敷かれた石畳を踏みしめ、歩みを急がせる。

 石畳の先はもう本殿の屋根の下、雪を踏むようなことはない。4・5段しかない小さな階段を昇り、意味不明な綱紐のアーチを通り過ぎ、ギーアは巨大な扉と対面した。

 暗い鼠色をした、いかにも分厚そうな鉄の扉だった。左右一対のそれはぴたりと閉じ、見上げるギーアを威圧するかのように立ちはだかる。

 

「……よっ」

 

 扉に手を置き、押してみる。

 確かな重さが手に返り、石材の床と鉄の擦れる音がして、

 

「やっぱ駄目か」

 

 扉が動いたのはほんの僅かであった。

 なにか固い物が噛んでつっかえる手応えがある。片側の扉だけを押したのにつられてもう一方の扉が動いたところを見ると、この扉は本殿の内側でかんぬきがかけられているらしい。

 

「ま、当然よね。鍵ぐらいかけるか」

 

 なにしろこの社は、神と讃えられるほどの戦士を奉っているのだから。

 

(……さて、どうしたものか)

 

 改造人間の力を持ってすれば、破壊すること自体は造作もない。しかし重厚な扉を強引に破ればそれ相応の轟音を立て、音一つない雪原の端の端まで一瞬で響き渡るだろう。それはギーアの望むところではなかった。

 腕を組んで思案する。

 先ほど見かけた回廊の格子窓を壊して入ろうか、と思い、

 

「ん?」

 

 肩を叩かれた。

 どうやら、同行者には考えがあるらしい。

 

「どうにかできるの?」

 

 振り向くところにいたのは、峰のように巨大な人影だった。

 暗がりに立つからではない。本当に、影そのものがそこに立っていたのである。

 照り返すところのない黒一色の塊は、まるでそこだけ景色が切り取られ、宙に穴が開いているのかようだ。人型の闇ともいうべきそれの体で影色がないのは頭部、二つの目と釣りあがった口だけであった。

 立体感のない騙し絵のような姿は、ギーアに違和感をもたらした。

 しかし当の人影は気にとめた風もなく、彼女を軽く押しのけて門へと歩み寄っていく。

 

「何、なんとかできるの?」

 

 問うてみれば、

 

(……サムズアップ)

 

 振り返る人影は、握り拳に親指をたてて胸を張る。

 どうやら策があるようだ。ギーアはおとなしく後ろへさがり、扉の正面を人影に譲る。

 人影は扉の合わせ目へと右手を伸ばした。太い指がゆっくりと上から下へ合わせの隙間をなぞり、

 

「あ」

 

 水が入り込むように、掌が隙間へ潜り込んだ。

 立体と平面の境い目が分からなくなるような光景だった。扉の前に立つ人影は確かに立体物であるはずなのに、その腕は扉の隙間をくぐるほどに薄くなっている。

 人影の腕はすでに肘の辺りまで隙間に潜り込んでいる。そして扉の向こうでは何か重たい物が擦れるような音がして、次の瞬間、

 

「開いちゃった」

 

 人影が空いた左手で片方の扉を押せば、軋みをあげて道を開く。扉の先には、かんぬきを掴みあげる人影の右腕。

 見事人影は何も壊すことなく、鍵を外してみせたのだった。

 

「……お見事。本当に便利ね、影の体って」

 

 呆れかえったギーアに、人影は頭と肩を小刻みに揺らす。笑っているつもりらしかったが、しかし声がでていない。どうやら人影は喋ることができないらしかった。

 人影は門の向こうへ。ギーアもそれに続く。

 扉の向こうにあったのは、木と石を組み合わせて作った大広間であった。床は、平らに切り出された岩がタイル張りのように敷き詰められたものだ。等間隔に木柱が等間隔に埋まる壁は乱れない漆喰塗りで、左右の壁には出入り口があり、外で見た回廊と繋がっているらしかった。

 そして正面には第三の道がある。

 一対の巨漢の立像を傍に置き、朱塗りの木枠で縁取られた入り口。その上には横長の額がかけられ、たったの二文字を記していた。

 刀神、と。

 

「あの先に、剣豪リューマの死体があるわけね」

 

 隣で人影がもっともらしく頷いている。

 半開きの扉を戻し、やれやれという思いで髪をかきあげている顔には、眉尻を下げた渋面がある。

 ギーアは舌打ちせんばかりの苦々しい声で、

 

「――墓荒らし、ね。ついに私もまっとうな犯罪者の仲間入りかぁ」

 

 事は数時間前にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怨敵百獣海賊団から逃げ延びた先、広大な墓所でギーアは松明を片手にした。

 所狭しと並ぶのは、刀を突き立てた座棺の群れである。樽に似た棺には刀が突き立てられており、それがこの土地特有の弔い方であるのを伺わせた。

 あい変わらず降り続く雪は、ギーアの上にも座棺の上にも等しく積もる。

 勿論、ゲッコー・モリアという大男の上にもだ。大きな頭と広い肩は既に雪化粧が施され、ただでさえ白いモリアの顔をより白く震え上がらせていた。

 それでも歯を食いしばって胡坐をかく男である。シャツにズボンの薄手とはいえ、負けるわけはいかない。かじかむ手を腰にあてて大男を見上げた。

 

「それでモリア、あんたはどうやってこの島から出るつもり?」

 

 悪鬼もかくやという凶相に一歩も退かない。相手は幾百の仲間を皆殺しにされ、なおも立ちあがった生粋の海賊だ。協力関係を結んでいるとはいえ、百獣海賊団から逃れるための策はモリアが握っており、ギーアに求められているのは負傷した彼を補う戦力である。

 気迫と戦闘力、これらが足りぬと見られれば何時どこで裏切られるか分からない。

 

「そうだな……」

 

 相変わらずの、蝙蝠が鳴くような甲高い声だった。

 

「まずおれの能力について説明しようか」

 

 言うなりモリアに異変が生じた。

 巨体相応の大きな影が蠢いたのである。

 

「……?」

 

 座したモリアは身動き一つしていない。しかし松明に照らされるモリアの影が動き出す。

 それも形が変わるどころの変化ではない。手が、頭が、胴が、まるで水面から現れるのように雪原から這い出してきたのだ。まるで照り返すところのない一面真っ黒のそれであったが、しかしその輪郭はモリアそのものだ。

 形ばかりが瓜二つの、漆黒のモリアが立ち上がる。

 

「“影法師(ドッペルマン)”。おれの分身だ」

「これは、影なの?」

「そうだ。おれはカゲカゲの実の影人間。あらゆる影を支配する影の支配者だ」

 

 ギーアは先刻の戦いでモリアと矛を交えた時のことを思い出す。

 彼は蝙蝠の群れを操ったかと思えば、それを一塊にして槍のように変じさせ、こちらの一撃を迎え撃ってみせた。

 

「あの時見せた攻撃も、この悪魔の実の能力だった訳ね」

「そうだ。おれの影は変幻自在、こうして“影法師”にもなれば無数の蝙蝠にもなるし、巨大な槍にもなる」

 

 更に、

 

「おれと“影法師”は居場所を逆転できる」

 

 言うなり、モリアの顔が黒く染まる。頭の先から始まって胴へ、肩へ、腕へ、そして脚へ。立体感のない黒一辺倒の姿は“影法師”であった。

 そして先ほどまで“影法師”が立っていた場所にはモリアが立っている。

 座るモリアと傍らの“影法師”、両者の位置と姿勢が入れ替わったのだ。

 

「結論を言えばこうだ。お前と“影法師”で百獣海賊団の船を奪う。そして傷だらけのおれは、出航してから居場所を逆転して安全にこの国から出る。――ワノ国からな」

 

 ワノ国。

 捕らわれ連れてこられたギーアの知らない、この土地の名前であった。

 “影法師”は雪原に爪をたて、雪を抉って絵図を書きはじめた。

 最初に『ワノ国』という文字を書き、その下に縦長の凸の字を描く。更にその中央に縦線を一本引き、凸型の図形が真っ二つに割られる絵となった。

 

「――これがワノ国を横から見た図だ」

「雑すぎない?」

「黙って聞け」

 

 絵心がないのかもしれない、と思ったが黙っておくことにした。

 

「ワノ国ってのは、馬鹿でかい高台の上にあると思え。高低差で周囲の海とは隔絶された、百年以上世界と交流を断っている鎖国国家だ」

 

 “影法師”は更に線を書き加える。凸の突き出た部分をまたぎ、下の大部分だけを囲うように一回り大きな四角を描く。だがそれには底辺の線がなく、さかさまにした籠を被せたような絵図となった。

 

「おれ達が今いるのは、高台の上にある陸地だ」

 

 書き足した囲いの線からはみ出す、凸の字の天辺を指差す。

 

「その周囲にも海があるが実際は淡水で、底の深い湖だ。溢れた水は滝となって外海に流れ落ちていて、この国に出入りするにはこの滝を行き来するしかない」

「滝を? 行き来?」

「滝の周辺には馬鹿でかい鯉が生息していてな。この鯉は滝を昇るから、入国する時はそいつ等に船を引かせるんだが……」

「――馬鹿じゃないの?」

「いちいちうるせぇ女だな!!」

 

 鼻息荒く足を踏み鳴らしてしまうモリアであった。だがそれはモリア自身も受け入れるところがあったらしい。思わず荒らげた口調を整え、

 

「まぁ実際、この方法は一か八かの賭けだ。……ワノ国を根城にしている百獣海賊団は、いちいちこんな方法をとりゃしねぇ」

 

 どうやらここからが本題らしい。ギーアは居住まいを正して絵図を見る。

 

「百獣海賊団だけが使う、別の出入り口があるんだよ」

 

 “影法師”は凸の中央に引いた縦の線をなぞった。

 

「この線は、ワノ国の地盤を通る縦穴だ。これはゴンドラで行き来していて、縦穴の底には百獣海賊団が使う港、潜港がある」

 

 縦線を上から下になぞった“影法師”の指は、今度は右へ曲がった。両断された凸の、右側半分の底辺をなぞる形だ。

 

「潜港は外海とほぼ同じ高さにあり、洞窟で海と繋がっている。やつらは出入りする時だけ滝を割り、安全に国と外を行き来してんだよ」

「つまりこの国の地盤にはL字型の洞穴があって、そこから出入りできるって訳ね。んで? ワノ国側では洞窟はどこに繋がってるの?」

「白舞って所だ。おれ達がいるのは鈴後、川を挟んで隣の土地になる」

 

 ふうん、とひとしきりギーアは頷き、

 

「随分詳しいのね」

「敵を攻めるのに拠点がどうなってるか調べねぇ奴は馬鹿野郎だろうが。奴らを壊滅させた後は、潜港を使って安全に出るつもりだったしな」

 

 実際は逆に滅ぼされてしまったのだが、とはギーアは口にしなかったが、モリアの顔はどこか憎憎しげだった。とはいえ当初の予定とは異なるが、こうして調べていなければ脱走の作戦も立てられなかった。備えとは不測を迎え撃つ最も手堅い手段ということだ。

 

「じゃあこれから白舞に向かうんだ」

「いや、駄目だ」

 

 意気を上げようとしたギーアだったが、モリアはそれを否定する。

 

「白舞にある基地を通り抜け、ゴンドラを乗っ取り、潜港にある船を奪い、滝を割って逃げる。お前と“影法師”だけじゃ力不足だ」

 

 それに、と続け、

 

「“影法師”はおれが操る影だから、離れすぎると細かい判断ができない。“影法師”だけの判断力では戦闘力が落ちる。……かといって今のおれが近くにいたんじゃ、先に本体の方が殺されちまう」

「でも、私たち以外に戦力なんてないでしょうが」

「ああ、だから“影法師”の戦闘力を上げる」

「……どういうこと?」

「影を操り、実体化させるだけがじゃねえのさ、カゲカゲの実はな」

 

 モリアは凶悪な笑みを深くした。

 

「カゲカゲの実にはな、本体から切り離した影を死体に封じ込め、ゾンビとして動かす能力があるんだよ」

「ゾンビ?」

「ああ。性格や技は影のもの、肉体の強靭さは死体のもの。そして全てのゾンビをおれは支配できる。……尤も、今回死体に入る影はおれ自身の影だから、服従するのは当然だが」

「要するにこういうこと? 強力な死体を見つけてあんたが操り、戦力を底上げする」

「おれと離れて動く“影法師”に、人間並みの判断力を持たせるにはこの方法しかない」

「死体を動かす、ねぇ」

 

 正直、気色悪い能力だった。だが好き嫌いを理由に作戦を拒めばモリアと決裂するだろうし、そうなれば百獣海賊団に捕まるのは時間の問題だ。

 ここは選り好みしている場合ではない、と自分を戒める。

 

「でも体の強さは死体頼りなんでしょ? そんな都合よく、あんた並みに強い体なんて見つかるの?」

「……お前は知らないだろうがな。ワノ国の戦士、侍は、『強すぎる』ことで有名なんだよ」

 

 どこか呆れを含んだ目を向けてくる大男だ。

 常識だろう、とでも言いたげだが、まともな国交を拒んでいたのはギーアの祖国も同じこと。知らんものは知らん、という思いで唇を尖らせるしかなかった。

 

「ワノ国が何百年も鎖国を維持できるのは何も立地の力だけじゃない。そこに住む連中に、外界を拒むだけの強さがあるからなんだよ。探せば、きっととりわけ強い侍の死体を見つけることができる……!」

 

 そう言ってモリアは辺りを見回す。あたり一面の座棺に何が入っているのか、想像しているのだろう。

 

「或いはここにある全てをゾンビにできたなら……いや、掘り越す手間も、入れる影もない。今は一体、上等な一体を見つけ出すしかねぇ……」

「だったら、とっととその一体を見つけましょうかね」

 

 思案に没入したモリアを呼び戻すため、ギーアは手にする松明を掲げた。モリアの気を引くためではない。少し離れた場所を照らすためだ。

 そこにいる、そいつを見るために。

 

「ひ、ひぃッ!!」

 

 顔をひどく腫らした男がいた。頬も目元も玉を埋め込んだように丸々と膨れ上がり、元の人相も定かではないほどだ。腰が抜けたのか、ばたつく足はとりとめも無い動きをであった。

 

「ここでこの国の人に会えたのは運がよかったわ。特に、叩きのめしても気にならない悪党にね」

「墓荒らしか。まあこれだけ刀が放置されていれば狙いもするか」

「ぢ、畜生! 大名が海賊にかかりきりな今が好機だと思ったのに……!」

「大名?」

「鈴後を管理する……まぁ貴族みたいなもんだ。おれ達と百獣海賊団の戦争をここでやったもんだから、その後始末に追われてるんだろう」

 

 モリアとしては人気のない場所を求めてこの墓場に逃げ込んだのかもしれないが、逆に忍び込んでいた人間と出くわしてしまったのだ。

 そして、短刀を向けて脅してきたので、叩きのめした。ギーアが掲げる松明も元を辿ればこの男の物である。

 

「で、墓荒らしなら知ってるでしょう?」

 

 腫れ上がった男の頬を握ってやれば、情けない悲鳴がこだまする。

 

「ここで……いやそうね、この国で一番強かった人間の死体は、どこにあるのかしら?」

「んぎぎぎぎぎぎぎ……! そ、それなら……!!」

 

 そのまま掴み上げてやれば、簡単に口を割ってくれた。

 

「それなら! 刀神様だ……!!」

「刀神……?」

「大昔の侍だよ! 嘘かまことか空飛ぶ竜を斬り落とした大剣豪! まだこの国が『黄金の国』と思われて侵略を受けていた時代、迫る敵を軒並み撃退したって伝説の侍、リューマ!!」

「その死体が、まだあるって?」

「この先の社に安置されているんだよ! 使っていた刀と一緒にな!」

 

 ふぅん、と鼻を鳴らしたギーアは男を放り捨てた。

 男が指差した方、建ち並ぶ座棺の先にあるという社を見る思いで目を細める。モリアもまた同じ顔だ。

 

「決まりだな。“影法師”を向かわせるから、護衛しろ」

「……あーあ、私も墓荒らしの仲間入りかぁ」

「へ、へへへ、社を暴くんなら、急いだ方がいいぜ……!」

 

 墓荒らしという言葉に仲間意識を持ったのか、顔を腫らした男が声をかけてきた。

 

「刀神様の社は、普段なら大勢見回りがいるんだ。今みたいに、鈴後の侍が総出で持ち場を離れることなんてまずない! 暴けるとしたら、今しかねぇ……!」

「ご忠告どーも」

 

 はぁ、と思わずため息をつけば、白くなって目の前を覆った。雪降る寒さをギーアは改めて感じ、そこでふと思い至った。

 振り返り、にんまりと微笑んでみせれば、冷や汗を流す男である。

 

「な、なんでしょうか……?」

「いやぁ、私ってほら、こんな格好じゃない?」

 

 ギーアの服装は、まかり間違っても雪景色を行く格好ではなかった。薄手のシャツにズボン、百獣海賊団でクイーンに宛がわれた、安物の服である。寒さをしのぐ工夫などかけらもなかったし、何よりも、

 

「万が一にも誰に見られて、よそ者だって思われるのは避けたいのよ、私」

 

 外国の服装をした女が鈴後にいるとしれれば、間違いなくクイーンは追ってくるだろう。その可能性は少しでも下げなければならない。

 だから、

 

「だからぁ」

「だから……?」

 

 うん。

 

「身ぐるみ、寄越せ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくしてワノ国の服を手に入れたギーアは今に至る。

 剥ぎ取った着物は所々ほつれている上に薄汚れていたが、そこは彼女の能力の出番だ。悪魔の実が身につける物にも作用するのを利用し、脱皮してしまえば服も新品同然である。

 尤も元々が軽装なので、新品になっても寒いのに変わりなかったのだが。

 

「……行くわよ」

 

 墓荒らしの男が言った通り、社の中に人の気配はない。狙うなら今だ。

 ギーアが歩き始めれば“影法師”も追って歩き出す。モリアは自分の分身だと言っていたが、喋らない上にあの凶相ががはっきりしない分、こちらの方が随分と可愛げがあるように思えた。

 戻ったらそのことをモリアに言ってやろう、とほくそ笑み、

 

「……!」

 

 背後に風。

 

「隙アリィ――――――ッ!!」

「――ッ!?」

 

 大気を突き穿つ白刃、殺気と殺意の化身が背に迫る。

 あらゆる者達から狙われ続け、鋭敏になった感覚がなければ気づけなかっただろう。すばやく身を翻し、水平に構えた肘に遠心力を加えて迎え撃つ。

 強固な兵器を埋め込んだ腕が刃の横腹を打ち据える。

 だが、

 

(重ぉ……!?)

 

 返る手応えに驚愕する。まるで壁を打ったかのようだ。

 へし折るつもりで放った一撃が、しかし軌道をずらすので精一杯だ。

 しかし下手人は手を緩めない。打ち返された刃は宙を抉り、今度は逆袈裟斬りを繰り出した。

 

「ちょ……!!」

 

 飛び退き、しかし刃は奔り続ける。

 上段、中段、下段、右といわず左といわず、閃く刃が視界を埋める。

 幾つもの刀が同時に振るわれていると言われた方がまだ信じられる、驚嘆すべき速度。その一つ一つが、打ち返した一撃と同じだけの威力を秘めていたのだ。

 耳朶が突風になびき、散った汗が両断される。

 すぐ隣で自分の首が飛ぶ様を幻視し、反射神経が加速する。

 しかし俊敏さは激憤を呼び、

 

「小癪!!」

「せぇい!!」

 

 ついに一撃が激突した。

 神速の刺突と抜き放たれた掌底。鋼と鋼が硬度を競う激音を響かせる。

 

「……!!」

 

 競り負けたのはギーアだった。

 威力に打ち抜かれた手を先頭にして細い体は宙を飛び、石の床へしたたかに打ちつけられる。

 鋼仕込みの腕は痛みに震え、激突を制した刃の威力を改めて思い知らされた。

 

 

「女だてらに見上げた身のこなし! それがしの刃をいなすとは、貴様の手はその面の皮より厚いと見た!!」

 

 轟くような声。

 いまだ痺れる手で身を起こすギーアを睨むのは、一人の巨漢であった。

 

「貴様、墓荒らしだな! 手薄を狙い、刀神様の社に忍び入るとは不届き千万!!」

 

 薙刀を構えた僧兵装束の男である。

 ギーアの三倍はあろうかという体躯を裳付衣で包み込み、裏頭を被る姿は、まるで白と黒のダルマのようだ。しかし隈取りに化粧された顔は獣のように険しく、苛烈な怒りを一面から燃え上がらせていた。

 

「死してなお刀と共にあるのが鈴後の慣わし! ましてや刀神様を狙うなど許しがたい! 鈴後の大名、霜月牛マル様に代わり、このオニ丸が成敗する!!」

 

 僧兵は身の丈ほどもある薙刀をつきつけ、

 

「そこな黒装束ともども切り捨ててくれるわ!!」

「させない!!」

 

 “影法師”へ躍りかかる巨漢、オニ丸の刃を迎え撃つ。振り下ろされた薙刀を横殴りにして逸らせば、白刃が床を切り裂いた。ギーアは腕ほどもある柄を取り押さえ、

 

「いきなさい! ここは私がおさえる!!」

 

 横目にすると、“影法師”は頷きとともに額のかかった廊下へ駆け出していた。

 その肌も服もなく一緒くたに黒い姿にオニ丸も違和感を覚えたのか、剣呑な目つきが更に鋭くなる。

 

「面妖な……まさか妖怪か!? 刀神様には近寄らせんぞ!」

「悪いのは元より承知の上、やらせてもらうわよ!」

「おのれ、道理も弁えぬ盗人め! まず貴様から切り捨ててくれるわ!!」

 

 オニ丸の憤慨に得物が応えた。

 改造人間の膂力を真っ向から振り払い、白刃は再び高く掲げられ、ギーアの細首へ牙を剥く。

 

「うわ……っ!」

 

 伏せるギーアの頭上を刃は奔り抜けた。

 しかし尚もオニ丸は止まらない。斬りかかり、突き上げ、唸る刃が速くなる事にとどまりがない。

 

(これがワノ国の戦士、侍……!!)

 

 心胆寒からしめるほどの腕前だった。

 これほどまでの強者が、この国にどれだけいるというのか。そして彼等が尊ぶ刀神は、どれほど強かったというのか。

 武力で世界とを分かつ国、ワノ国。その一端を垣間見た思いだった。

 

「どうした! おさえるとぬかしたのは偽りか!!」

 

 素手の女に勝手なことを、と改造人間が思うのは不当だろうか。

 薙刀と鉄腕、互いの鋼は一拍のうちに十合打ち合い、音を置き去りにする速度が交わされる。

 ギーアが侍の業に拮抗できるのは、小回りの利く徒手空拳に鋼以上の硬度を内蔵するからだ。二つの腕を交互に、時には重ねて応じるからこそ、オニ丸の峻烈さに立ち向かえる。

 だが如何に硬度を誇ったところで腕は腕、重ねるうちに痛みが骨の髄に蓄積される。我が身を得物とすることの短所であった。

 早急に勝負を決める必要があった。

 

「うぉりゃあああああ――――!!」

 

 オニ丸が薙刀を上段に高く振り上げる。

 狙うなら、

 

「……ここだ!」

 

 ギーアは左手を突き出した。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!」

「!!?」

 

 腕に秘められた兵器が機能を果たし、掌が強烈な光熱を放射する。すさまじい熱量がオニ丸の眼前で発生し、爆ぜる熱風が攻めの構えを押し崩す。

 だが目的はそれではない。

 

「……! …………!?」

 

 狙いは目眩しだ。

 肉が焼けるほどの光輝を目前にして、目を開けていられる者などいるはずがない。

 薙刀を掲げて固まってしまうオニ丸。その間にギーアは構えを完了する。

 右肘を弩のように引き絞り、五指を立てた掌底が赤熱する。

 さあ、

 

「――“閃光火拳(フラッシュヴァルキリー)”!!」

 

 一閃がオニ丸に叩きこめ――!

 

「ぐお……!!!」

 

 臓腑を鷲掴みにするような一打、背骨に届く衝撃が突き抜ける。

 小山の如き体躯が崩れた。オニ丸の目は見開かれ、えずいた口からは苦悶がもれる。ギーアの祖国、戦争屋とも呼ばれるジェルマ王国が生み出した兵器の一撃は、確実に敵を打ち倒すのだ。

 右手を引き抜いても折れ曲がった背は元に戻らない。

 巨体を支える両膝が床をつき、そして、

 

「隙アリイイイイイイイイイィ――――――――!!!」

「!!?」

 

 ギーアの頭へ薙刀の石突が叩き込まれた。

 男は耐えたのである。

 

「この程度で……! 倒れると思ってか!!」

 

 尋常ならぬ強靭さ、武器を超えた兵器の一撃をまともに受けて、しかし巨漢は得物を離さなかった。勝利を確信するギーアを、脳天から叩き伏せたのである。

 

「奇天烈な技を……よもや妖術使いか……!?」

 

 しかし息絶え絶えのオニ丸だ。

 震える膝を立て直し、からくも身を持ち直した男はギーアを見下ろす。汗の浮く額を拭いもせず、

 

「ならば確実に首を落とす……!!」

 

 薙刀の刃を右肩から背後へ送るように、大きく振りかぶる。処刑人となるべく膂力を漲らせれば、ただでさえ太い腕が更に膨らんだ。

 だがその時、オニ丸の目にあるものが映った。

 それはギーアに打ち込まれた石突、その先にぶらさがっているもの。まるで飾り布のように石突にまとわりついているそれは、

 

「!!!」

 

 絶句した。

 それは女の顔の皮だったのである。

 

「な、な、な……!?」

 

 目も、歯も舌もない。空ろな穴をぽかりと開けた、赤い長髪を垂れ流した覆面のごときもの、その額を石突が貫通していたのである。

 

「なんだ、これは……!!」

「私の能力よ」

 

 わななくオニ丸に答えられるのはこの場に一人しかいない。

 ギーアだ。

 

「貴様!」

「――“旋風飛脚(ジェットジャンブ)”」

 

 風が爆ぜた。

 突如として吹き荒れた突風、その出所はギーアの脚であった。猛烈な勢いだ。ギーアの体を、足から宙に舞い上がらせてしまうほどに。

 

「やはり妖術使いか!!」

「それは破けちゃった頭の皮の方。これは悪魔の実の能力じゃなくて――科学力」

 

 ギーアはオニ丸の頭上で身を翻す。

 突風で着物の裾が膨れ上がり、細い両脚が露わになった。傷一つない白い肌、しかしその形は歪で、常人の形をしていない。脛やふくらはぎに幾つも穴が空いているのだ。

 それこそが唐突な突風の出所。噴射口だ。

 

「私の体内には幾つもの兵器が埋め込まれている。あんたの薙刀を受け止めることができたのも、そのおかげで……」

 

 そして、

 

「これからあんたをぶっ倒すのも、その力よ」

「ぬかせ悪党がぁ――!!」

 

 振り上げられた薙刀。

 しかし突風を追い風にしたギーアの脚は、刃を押しのけ敵を打つ――!

 

「“旋風断頭(ジェットダントン)”!!!」

「!!!」

 

 疾風の一撃だった。

 さながらギロチンの刃、墜ちる踵がオニ丸の頭を打ち据え、その顔面でもって石の床を粉砕した。轟音をたてて床は陥没し、クモの巣のようなヒビ割れが駆け抜ける。

 その中心で頭を埋もれさせたオニ丸は、今度こそ沈黙する。

 そしてギーアは宙で身を回し、それを見下ろす場所へ着地した。

 

「あいにく生まれは世界に名立たる戦争屋、言われなくたって悪者なのは分かってる。だから――悪いわね、好きにさせてもらうわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「“脱皮(スラフレッシュ)”」

 

 能力を発動し、首から下だけ残った古い皮を脱ぎ捨てる。

 肩も、胴も、手も足も衣服に至るまで、全てが一枚の皮となって脱げ落ちた。現れるのは傷一つない万全の姿。ギーアは足元で折り重なるように潰れた皮から足を抜き、脱皮を完全なものとする。

 そして、オニ丸に引き千切られた頭の皮とともに拾い上げた。頭のもげた自分の似姿に顔を顰めつつも、それをまとめてタオルのように引き伸ばし、首元に巻いてしまえば即席のマフラーとなる。気休めの防寒具であった。

 

(悪魔の実の能力者は一度に一人。抜け殻を残していったら、間違いなく私ってバレる)

 

 隠れて行動するならば、足跡を隠さなければならないのが欠点だった。

 何も知らない人間から見たら、中身を抜かれた精巧な女の人形とでも思われるのだろうか。少なくとも間違いなく噂になる。

 

「ま、帰り道もあるしね」

 

 あの雪原へ折り返して行かねばならないのかと思うと嫌になる。

 額に手をあてゆるくかぶりを振っていると、

 

「キシシシシ! そうだ、ここにはもう用がねぇ! とっとと引き上げるぞ!!」

「!」

 

 一度聞いたら忘れない、ひどく甲高い声だった。

 モリアの声だ。

 追ってきたのだろうかと思い、ギーアは本殿の扉へ振り向くがそこには姿はなく、閉じた扉にも開けた様子は微塵もなかった。

 そもそも声がしたのは後ろからではない。

 声がしたのは、扉とは対極の位置に開く、刀神の額が掲げられたあの出入り口だ。

 

「よくやったギーア! これで目的は達成された!」

 

 出入り口の向こう、薄暗い廊下から一人の男が現れる。

 否、それを男と言うべきなのか、ギーアは迷う。

 確かに体格や歩く姿は人間の男であった。しかし干乾びた土色の肌は、枯れ草のようにしおれた短髪と髷は、頭蓋骨が浮き彫りになった目玉の無い顔は、現れた男が既に生命活動を終えていることを明確に示していた。

 呼び表すならば男というよりミイラ、死体と呼ぶのが適切だと思われた。

 

「あんたが刀神……」

「そう! ワノ国が誇る伝説の侍、リューマだ!!」

 

 あまりにも堂々とのたまう男の死体、リューマ。しかしどうしようもない違和感がギーアを苛んだ。なにせ動いて喋る死体と接するのはこれが初めてだ。

 落ち着きを取り戻すように口元を撫でつけ、

 

「それがカゲカゲの実の力って訳ね」

 

 強引に納得することにした。

 

「そうだ! この体を動かしているのは本来の体の持ち主ではない、ご主人様の影であるこのおれだ!!」

 

 頬骨の浮いた顔を親指で差し、リューマは高々と宣言する。

 

「ああ、あんた自身がモリアって訳じゃないのね」

「あくまでおれはご主人様の影! ご主人様とまったく同じ性格、判断力、記憶を持っちゃいるが、おれ自身がご主人様そのものというわけじゃねぇ!」

「ややこしいわねぇ」

 

 思わず腕を組んでしまうギーアであったが、本題はそこではない。

 必要なのは、刀神とうたわれる者の強さだ。

 

「で、どうなの? リューマの体は」

「ああ、強靭さだけでいったらご主人様以上だ。それに、思った以上の収穫もあったしな」

 

 そこまで言ってリューマは腰の物に手をかけた。

 薄野模様の着物を縛る胴の帯、そこに佩いているのは一振りの黒い刀であった。突き出た柄も、鞘に至るまで真っ黒の太刀だ。その長さは下駄を履いたリューマの足元に、鞘の小尻が届きそうなほどであった。

 墓場で聞かされた、死体とともに安置されたリョーマの愛刀に相違なかった。

 

「――黒刀『秋水』! 世界に名立たる名刀、大業物21工の一本だ! 随分昔に姿を消したと言われていたが……成程、ワノ国にあったのか!!」

 

 そういえばあの戦場でもモリアは刀を使っていたな、とギーアは思い出す。ひょっとしたら剣には覚えがあるのかもしれない。

 

「いけそう?」

「ああ、この体と刀があればいけるぞ!!」

 

 表情のないはずの死相に、確かな意気があった。

 かつて数多の戦場をともにした刀を掲げ、しかし今や侍ならぬリョーマは高く吼える。

 

「待ってやがれ百獣海賊団!! さぁ! 仕掛けるぜ……!!」




オニ丸って河松と一緒にいる前は、あの姿でも自分の名前を名乗ったと思うんですけど、どうなんですかね。


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クイーンをたたき落とせ

 安穏とした風景がここにはあった。

 天高く午の刻越ゆる今にあって日差しはおだやか、澄み切った青空には鱗雲が広がり、ゆるやかな風に木々がそよいだ。葉はどれも赤く色付き、時にそれらは枝を離れて宙を舞い、さながら深紅の桜吹雪といった風情で景色に彩りを添える。

 木々と道の間にはすすきが群れをなしていた。枝葉とともにうねる様はまるで海のよう、ひらけた場所だけに遠くまで見通せる風景は壮観であった。

 そんなすすき野の中、丘ともいえぬゆるい坂道の上で、ギーアは広がる風情に心を休めていた。少し乾いたそよ風に踊る長髪を押さえ、

 

「川をまたいだだけで、随分気候が違うのね」

「ワノ国の特徴だ。川で分けられた六つの土地それぞれに四季があるんだよ」

 

 そう答えた連れは、ギーアの後ろを通り過ぎてしまった。下駄をならす足はよどみなく、慌ててその後を追うギーアである。

 駆け足で男の隣並べば、彼の異様な姿が目に映った。一振りの刀を佩く着物は年代物、裾から伸びる手足に生気はなく、褪せた土色を浮かべている。何より、笠と襟巻きで隠していたが、その顔はおよそ生ける人間の顔ではなかった。干乾びて骨の浮いた、死体の面立ちがそこにあったのである。

 動く屍、リューマだった。

 

「じゃあこないだまでいた鈴後は冬で、この白舞は秋ってこと?」

「そういうことだ」

 

 リューマは、正しくは悪魔の実の力で寄生するゲッコー・モリアの影は頷いた。

 しかしそれさえも正確とはいえない。モリア自身がそうさせたという訳ではないからだ。

 カゲカゲの実の能力で実体化したモリアの影は、リューマの死体に入り込むことで、より深く考えて会話する力を得た。しかしそれはモリアと全く同じ性格や判断力を持っているというだけで、モリア本人がリューマを操作しているという訳ではないらしい。

 こうして持ち前の知識を披露していても、モリア本人は今ここで自分の影がそれを口にしているとは把握していないのだ。

 

「白舞はワノ国で唯一正規の港を持つ郷だ」

 

 モリア本人は、今や遠く離れた鈴後の地に残り、その大きな図体を懸命に隠している。その目立ちすぎる巨体では、満身創痍の体では、これから行う作戦を遂行できないからだ。

 百獣海賊団が巣食う港から船を奪い、出国する作戦を遂行することは。

 

「内海に出る刃武港と、地下にある潜港。潜港は内地にあるから、もうすぐ見えるだろうよ。――地下の潜港へ通じる、大縦穴がな」

「そこにあるゴンドラに乗らないと潜港へは行けないんでしょ? 厄介ね」

 

 と、ギーアは向こうから人がやって来るのに気づいた。

 男の二人組だ。武器の無い、変わったところのないごく普通の町人であるようだった。男達は歩きながらも互いの顔を向いており、抑えた風もなく声高に言葉を交わしている。

 

「聞いたか、九里のバカ殿の話」

「ああ、毎週都に現れては城の前で裸踊りしてるってんだろ? みっともねぇ」

「奴が都の城に乗り込んだ時は期待したんだがなぁ」

 

 ギーアは怪しまれない程度に顔を背け、リューマもまた笠を深く被りなおす。だが男達は雑談に夢中なようで、すれ違ったギーア達に気づいた様子すらない。

 

「野郎、強さだけなら白舞の侍にも負けないと思ってたのによ」

「無駄無駄、臆病者だったんだよ。オロチとカイドウに腰を抜かしちまったのさ」

 

 人は誰かを謗るときほど周りが見えなくなるものだ。

 荷もない男女二人組をいぶかしむこともなく、姿が見えなくなるまで雑談に勤しんでいた。

 

「……何、今の」

「さぁな」

 

 ああも声高に話されてしまえば、誰のことかと気になってしまうギーアである。

 リューマは、くだらねぇ、と吐き捨てて、

 

「力もねぇザコってのは陰口を叩くもんだ。特にこの国の王はカイドウと組んでいやがるからな。歯向かう気概もない連中が、誰かを槍玉に挙げて気を紛らわせてんのさ」

「よくある話ね」

「ああ、国を閉ざそうが、人の性は変えられねぇ」

 

 世の日向を歩かずに生きてきた二人だ。そういう者達を、あるいは期待に添わなかった隣人を、集団というものがどう扱うのかは身を持って知っている。

 群れをなした人間は、どこまでも人間に対して残酷になれるのである。

 

「そんなことより……オイ、見えたぞ」

「!」

 

 すすきで覆われた地平線の向こうに、それは広がっていた。

 穴だ。野原を切り取る巨大な穴がある。

 地面を穿つ大縦穴であった。

 陽の光によって穴の縁は厳しい岩壁を見せているが、下るほどに影が色を増し、闇で満たされる穴の底がどれほど深くにあるのか、想像するこはできなかった。

 だがそんな断崖に迫り出す家が一つあった。 

 家は柱のようなもので左右から挟み込まれている。しかし柱は地面に建つのではなく、大縦穴の内壁に沿うに取り付けられ、底知れぬ闇の中へと伸び続けていた。

 そしてよくよく見れば、2本の柱は履帯のような形で、家の側面にある巨大な歯車をくわえ込んでいた。どうやら柱の見えた物は、垂直に伸びるレールであったらしい。

 だとしたら、線路と噛み合う大歯車が回ることで、あの家は移動するということか。

 大縦穴に添って昇降するという建造物。つまり、

 

「――あれが、ゴンドラね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「“旋風飛脚(ジェットジャンブ)”!」

 

 左右に果てなく続く竹の柵を、ギーアは軽々と飛び越えた。

 脇に抱えたリューマはひたすら軽い。やはり数百年かけて干乾びた死体だけに、人が生きていく上で必要な体重を失ったらしい。帯に佩いた刀の方がよほど重いとさえ思えた。

 この先入るべからず、の書付を無視し、二人は大縦穴の外縁ともいうべき敷地に忍び困む。

 柵の内側には蔵が立ち並び、その合間では木造のコンテナが塔のように積み上げられていた。コンテナに捺された焼印は、百獣海賊団の海賊旗にあるのとおなじもの。この荷を誰が持ち込み、蔵に仕舞い込んでいるのか。ギーアは渋い顔で納得した。

 

「本当に、国と海賊が結託しているのね」

 

 国が有する数少ない正規の港に、こうも堂々と海賊の積荷が積まれている。王がまともな治世をしていれば、許されることではなかった。

 

「……行くわよ」

 

 蔵の裏手を行くギーア達は、足音を殺してひそかに走る。

 人の声、人の気配は多い。しかしギーアも百獣海賊団に捕まるまでは、国や組織を追われ続けた身の上である。これだけ蔵とコンテナが立ち並んでいれば、身を隠しつつ行くことは造作も無いことであった。

 やがて建ち並ぶ蔵の端までたどり着き、幅の広い通用路に差し掛かった。

 道の反対側にはやはり蔵とコンテナが並んでおり、そして道が伸びる方を見れば、その先には柵で縁取られた大縦穴と、レールの上端まで上り詰めたゴンドラが目に入った。

 大縦穴の周囲は環状にひらけた広場であった。そこでは痩せ細った人足たちがせわしなく行き来し、またそんな彼等へ鞭を振る凶相の男達、百獣海賊団の構成員がたむろしている。

 

「ゴンドラへは、あそこを越えなきゃいけない訳ね」

「そうだ。ワノ国から潜港にいくには、あれに乗るしかねぇ」

 

 リューマもまた笠に手をかけ、目玉を失った眼孔でゴンドラを睨みつけている。

 

「今のおれ達がこの国を出るには潜港の船と――永久指針が必要だ」

 

 永久指針。

 それは外海で用いられる品で、ギーアも良く知る物だった。

 ギーア達がいるワノ国は“新世界”と呼ばれる海域に存在しているが、これは“偉大なる海路”という帯状の海域の後半にあたる。この“偉大なる海路”にある島々は特別な磁気を帯びており、異常な気候と海獣が跋扈する海域ということもあり、ただの羅針盤では航海することなどできない。

 “偉大なる海路”を往くには、滞在地とする島の磁気を溜めて別の島を示す特殊な羅針盤、記録指針が求められる。

 モリアが言った永久指針とは、一度磁気を記録した島のみを指す、記録指針の一種である。

 

「都合よく磁気が溜まった記録指針があるとは思えねぇ。どこ行きでも良いから、永久指針が必要だ」

「あるとしたら、ここじゃなくて潜港の方でしょうね」

 

 ここも潜港の一部かもしれないが、あくまでも積荷を仮置きする倉庫街でしかない。船から下ろしたのかこれから積むのかは定かではないが、船そのものの航行に必要な機材を置く施設とは思えない。

 船の中か、あるいは船着場を有する潜港の本部にこそ、羅針盤は置かれているだろう。

 

「そうと決まれば話は早ぇ」

 

 干乾びた顔に、なにか笑みのようなものが浮かんだ。

 

(果てしなく嫌な予感が……)

 

 その勘働きは正しいことはすぐに証明された。

 リューマの手が、腰に差す刀の柄を握ったからである。

 

「待てぇい!!」

 

 刃が光を放つ前に、ギーアはリューマを押し留めなければならなかった。

 

「どういうつもりよ、あんた!」

「剣豪と呼ばれた肉体と、この名刀『秋水』の力を試す良い機会だ。あそこにいる奴らをぶった斬り、ゴンドラまで突っ走る!!」

「アホ! これまで何のために隠れてきたと思ってるのよ!? 見つかったらお終いでしょうが!」

「一人も逃がしゃしねぇよ! 皆殺しにしてやる!!」

「そしたら誰がゴンドラ動かすのよ! 言っとくけどゴンドラ動かすために残るなんて、私しないからね!?」

「おれもやらねぇよ!!」

「じゃあ行くな!!!」

 

 ここまで全て蔵の影での押し問答、声を潜めた大喧嘩であった。

 

「……いい? 慎重に行きましょう。潜港でも動かなきゃいけないんだし、わざわざここで見つかるような真似はできないわ」

 

 そう言われれば、リューマも不承不承に刀を納めるしかない。

 舌を打つような彼に、ギーアは思わず目頭を押さえ、深々とため息をついてしまう。

 

「このまましばらく待ちましょう。奴らがゴンドラを動かすのを待って、その屋根の上にでも飛び乗れれば乗員に気づかれずに潜港までいける。待つ間に、ゴンドラまで近寄る方法を考えるのよ」

 

 リューマが、いやモリアがここまで粗野だとは思わなかった。

 いや所詮は海賊、百獣海賊団の連中がそうであったように、この男もまた暴力と残酷の巷で生きる無法者なのだ。策よりも腕っ節で事を解決しようとするのは、ある意味当然なのかもしれない。

 手綱は握っておいた方がよさそうだ。下手に自由にさせれば共倒れしかねない。

 問題は、どうやれば協力関係を崩さないままモリアを誘導できるかということだが、

 

「……?」

 

 その時、ギーアの耳が音をとらえた。

 

「太鼓?」

 

 陽気な旋律であった。

 打楽器を中心として笛や弦の音がとりまく、聞く者を高揚させる音楽だ。見ればゴンドラの前には百獣海賊団の連中が集まり、腕をかかげて歓声を上げている。

 なにか祭りを始めたのだろうか。

 否、それにしては妙だ。奴らに使われているはずの人足達が、逆に泡を食って離れていく。

 そうこうしている内に、人垣へと合流する一団があった。

 自分たちが飛び越えた柵の先、きっと正門があってそこからやってきたのだろう。そいつらもまた百獣海賊団であったが、この倉庫街にいる連中に比べて屈強な体格の者が多く、どうやら精鋭であるらしいことが伺えた。

 この音楽は百獣海賊団の精鋭に対する歓待の演奏だったのだ。

 そして、一団の中に一際巨大な塊があった。野太い排気音の唸る音、どうやら車か何かにそいつは乗っているらしい。

 

(……まさか)

 

 予感がした。

 信じたくはなかった。

 しかしギーアの勘が鋭いのは、今しがた証明されたばかりだ。

 

「――QUEEN!!」

 

 歓声が唱和した。

 

「QUEEN! QUEEN! QUEEN! ……QUEEN!!!」

 

 それはギーアにとって呪わしい名前。

 二度と会いたくない、もう会わないために行動してきたといっても過言ではない。

 だというのに、

 

(なのに……!!)

 

 どうして恐怖というものは追いかけてくるのか。

 

「待たせたなゴミクズ共ォ――――――――――――――!!!」

 

 巨大な塊が立ち上がった。

 極太の辮髪を振り回す丸々とした巨大な肉体、百獣海賊団の印を刺青で刻んだ右腕と機械仕掛けの左腕は、忘れられるはずも無い。

 百獣海賊団の大幹部、“災害”と世界に仇名される凶悪な男。

 

「クイーン……!!!」

 

 ギーアを数ヶ月に渡ってなぶり続けた男が、そこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やせちまったらモテるから! あえてやせないタイプの!!」

「“FUNK”!!」

 

 広間の中央、ゴンドラを前にして公演が始まった。

 手下の団員達が垣根を作る中で、バックダンサーを従えたクイーンは踊り狂う。

 

「丸く見えるが筋肉だから! 歌って踊れるタイプの!!」

「“FUNK”!!」

 

 拍子を合わせて足を踏み鳴らし、腕を突き上げる度に観客達も拳を突き上げた。叫びは熱を伴って立ち昇り、その一帯には陽炎が揺らめいているようにさえ見える。ある者はついには剣を抜き、掲げて振り回し自らの熱狂を大いに主張した。

 男もなく、女もなく、そこにいる誰もが黄色い歓声をあげていた。

 

「エキサァ――――――――――イト!!!」

「ウオオオォ―――――ー!!」

 

 舞台に上がった花形を見る観客達のように、広場に熱狂的な活気が満たされる。

 やがてクイーンは、そんな団員達に向かって高らかに叫んだ。

 

「野郎共ぉ聞いてくれェ――――!! 最近困った事ランキングTOP3――――!!」

「なぁぁぁにぃぃぃぃ――――!?」

 

 宣言に合わせて団員達が声をそろえた。

 クイーンは何度か軽く頷き、

 

「第3位! おれ達のナワバリを荒らしやがったクソ野郎がいる!!」

「えぇ――――!?」

「第2位! そいつにブチのめされたどこぞのザコ共に話かけられた!!」

「えぇ――――――――!?」

「第1位!! そのザコ共としたくもねぇ連合を組まなきゃならねぇって事だ!!」

「ええええぇ――――――――!!?」

「急げゴミクズ共ぉ!! クソ野郎もザコ共もまとめてぶちのめすぞぉ――――――!!!」

「ウオオオオオオオォォォォォ――――!!!」

 

 数多の雄叫びが一つとなり、巨大な咆哮となって広場に轟く。

 それに合わせて機械の駆動する音がした。ゴンドラの扉が開き始めたのである。人垣を作っていた団員の誰かが操作したのだろう。

 クイーン達を囲んでいた団員達は左右に割れ、広場へ入ってきた一団が行く道を開いた。先頭を行くのはクイーンだ。野太い歓声に機械の腕を掲げて応え、ゴンドラに乗り込んでいく。

 その髭面は紅潮とし、まだ見ぬ戦いを期待してか獰猛な笑みを浮かべている。 

 冷え切った心に竦みあがり、青ざめた顔で震え上がるギーアとは正反対に。

 

「なんてこと……!」

 

 戦慄した面立ちから汗が伝い落ちた。

 怯え昂ぶる気持ちを宥めようと肺は激しく収縮したが、呼吸が荒くなるばかりで落ち着きが戻ってくることはない。体内に埋め込まれた兵器の重さなど気にしたことはなったが、今この時ばかりは二倍三倍になってのしかかってくるかのようだった。

 強張る肩をリューマが押さえた。

 

「まさか奴らも潜港に用があったとはな」

「最悪よ……! あいつ等の目を逃れてここまできたのに!」

 

 どんな不運に見舞われれば、この局面で鉢合わせてしまうというのか。

 不幸中の幸いは、まだこちらの存在に誰も気づいていないこと、そして公演に団員達が集まったので見回りをする奴がいないということか。さっき離れていった人足達も蔵やコンテナの元に逃れ、もっともらしく働く風を装い、クイーン達の登場を遠巻きに見ていた。

 彼等もクイーンを恐れ、その襲来から少しでも距離をとろうとしたのだ。それほどまでに恐れるべき存在がクイーンなのだ。そのことをギーアは身を持って知っている。

 

「ウゥ……!」

 

 思わずえずいてしまう。

 ようやく離れることができた、という希望が、また出会ってしまった、という絶望によって踏み潰され、胸の奥で澱のようになった感情を吐き出しそうになる。

 数ヶ月前、幾つもの組織が送り込む追っ手に迫られて疲弊したギーアに、とどめを刺すように現れたクイーンの姿を否応もなく思い出してしまう。見上げるほどの体躯が更に人外の巨体へと変じた時の驚愕、そして追っ手達ごとギーアを薙ぎ払った衝撃。

 そして気がついた時には檻の中だった。

 ジェルマの技術を教えろ、お決まりの台詞がくるのだと思った。

 しかしその言葉がギーアにかけられたのは、何日もしてからだった。

 

――よぉし、盛り上がるやつ、考えた!――

 

 奴の余興で叩きのめされ、朝晩に宛がわれる保存食も食えない日々が始まった。捕らえた理由もほっぽりだして、嗜虐心を存分に満たしてから、奴等はようやく動き始めたのだ。

 イカレてる、と思ったことは数知れない。

 虐待は、ギーアが悪魔の実の能力ですぐに傷が癒えるとバレてから、更に激しさを増した。体を蹴る足は銃弾に、背を打つ鞭は剣になった。さっさと脱皮してみせろと、皮膚を肉ごと引き剥がされたのも二度や三度ではない。ワノ国に着く前は、首を縄で繋いだまま海に落とされ、そのまま航海を続けるということも多かった。

 殴られ、抉られ、斬り付けられ、擦り切れ果てたものがギーアである。

 それでもジェルマ66の技術を漏らさなかったのは、祖国に誇りがあるからでも、操を立てたからでもない。こんな凶悪な連中にジェルマ66の技術を教えればどうなるかを悟ったからだ。持っていない今でさえこうなのだと、身を持って体験させられたからである。

 

(ジェルマは戦争しか知らないクズだけど……! クイーンも人間やめた最低のゴミだけど! クズの力をゴミに垂れ流したんじゃ私はゴミクズ以下よ!!)

 

 それは、恩人を見捨ててなお生き続けるギーアの意地であった。

 ヴィンスモーク・ソラ。

 戦争国家ジェルマ王国の王妃にして、唯一人道を説いた心優しい女性。非情な戦士であったギーアが抱いた些細な気づきを、それは人間として当然の感情であると教えてくれた恩人。

 やがて王を恐れたギーアは、国から逃げ出すことを選んだ。

 しかしソラは王妃として責務があるからと、国に残った。

 彼女の手をギーアは引くべきだったのだろうか。分からないし、今となっては果たすことのできない過去のことだ。

 そんなギーアにも分かることはある。

 もう自分は、死ぬまで戦い続けることを望む非人間ではない、ということだ。

 

「……別の日を、狙いましょう」

 

 どうにか搾り出した声は、思いのほか力なく震えていた。

 

「今行ったらクイーンと乗り合わせてしまう。それに、あれだけの海賊が増員された潜港の目をかいくぐって船と永久指針を奪うのは、不可能よ」

 

 自分たちはまだ見つかっていない。

 奴と鉢合わせた不運を、クイーンの出国を知ることができた幸運と考え直すべきだ。奴がこのまま出発すれば、ワノ国の百獣海賊団は手薄になる。そうなればワノ国からの脱出もしやすくなるだろう。引き返し、機を伺うのが当然の判断だ。

 だからギーアはきびすを返した。

 再び柵を飛び越え、どこか身を隠す場所を探さなければならない。リューマとモリアは直接繋がっているわけではないから、この作戦変更を伝えなければならなかった。一度鈴後まで引き返す必要がある。

 だが鈴後からまたここまで戻ってくれば、今度こそ潜港に潜入するのに良いタイミングになるだろう。

 ぶち当たった危機はチャンスに変えられるものだった。そう胸をなでおろして、

 

「……え?」

 

 足が、止まった。

 腕が引かれていた。

 リューマの手が、ギーアを掴んで引き止めた。

 

「何よ?」

「――駄目だ」

 

 屍の口が声を紡いだ。

 

「……え?」

 

 耳を疑った。

 否、理解したくなかったのかもしれない。

 体は侍でも、それを動かすのはモリアの影である。たとえ粗暴な海賊であったとしても、一団の長として、知恵のある冷静な判断をするのは当然だと思っていた。

 しかし、

 

「――今しかける!! あのカス野郎に一撃を叩き込むんだ!!!」

 

 モリアの人格が宿るリョーマが口にしたのは、ギーアの判断とは全く正反対のものだった。

 

「な……!!」

 

 絶句する。考えられないことだった。

 この状況にあって強行する意味が分からなかった。

 

「何を言っているの! クイーンが、あれだけの海賊達を引き連れて港に行くのよ!? 目を掻い潜るのは不可能よ!!」

「あれだけの海賊が出たら、船や永久指針が残るか分からねぇじゃねぇか!!」

 

 互いの手が相手の胸倉を掴みあげた。

 ギーアの険しい眼差しとリューマの空ろな眼孔が直面する。

 

「出航した後にご主人様と入れ替わるんだ、相応にデカい船じゃねぇとならねぇ!! そもそもただの小船じゃこの“偉大なる海路”を渡ることはできやしねぇ!!」

 

 リューマの中身はやはりモリアそのものだ。死体で失ってしまう、余人では持ち得ることができない気迫が、ギーアに正面から叩きつけられる。

 

「今なんだ!! クイーン共が出るために準備を整えられた港! それなら乗る船も永久指針も見つけられる!! 今しかねェんだ!!」

「だ、だから、それを使うクイーン達からどうやってそれを奪うのよ……!」

「決まってる。――あのゴンドラを落とすんだよ!」

「!!!」

 

 は、となってギーアは振り向いた。

 口を開けたゴンドラにはもう過半数の海賊達が乗り込んでいる。それだけの巨大な昇降機を支えているのはゴンドラを左右から挟みこむ長大なレール、そしてゴンドラとレールを繋いでいるのは、ただの歯車でしかない。

 ギーア達の力を持ってすれば破壊するのはたやすかった。

 

「奴らが乗り終え、ゴンドラが下り始めたタイミングでレールと歯車を破壊する! クイーン共はゴンドラごと墜落し、潜港も混乱するだろう。……その隙を狙う!!」

「そんな……!!」

 

 なんて凶暴な計画だろうか。

 綿密さなど微塵もない。強襲し、不意をつき、混乱に乗じて狙いのものを掻っ攫う。ギーアがこれまで経験してきた、祖国で行ってきた精緻な作戦とはまるで正反対の、行き当たりばったりと言ってしまいたくなるほどの杜撰な計画だった。

 リューマの手がギーアの腕を握った。

 

「レールは2本、一度に壊すにはお前の手が要る!!」

 

 冷たい死体の手の筈なのに、どこか熱いと感じるのは錯覚か。

 

「来い!! 奴に逆襲するチャンスだ!! ――クイーンをたたき落とせ!!!」

 

 これが海賊の流儀ということか。

 

「で、でも……」

 

 気圧され、思わず顔を背けてしまい、

 

「おれを見ろ!!!」

 

 顎を引っ掴まれて、無理矢理リューマの顔に向き直された。

 干乾びた死者のかんばせが眼前に迫り、しかしもう目を逸らすことはできない。収まるものの無い眼孔の影に、モリアの眼差しを見る思いがした。鋭く、険しく、見上げる者が身を竦ませるほど威圧する、凶悪な眼力を。

 

「――怖いか? クイーンが」

「……!!」

 

 核心が痛みを上げた。

 

「百獣海賊団で何があったのか、クイーンに何をされたのかは知らねェ……。だが今のお前みたいな奴は、この世に掃いて捨てるほどいるぜ……!! そういう奴らを何ていうか知ってるか……?」

 

 それは、

 

「――奴隷だ!!!」

「!!!」

「心を折られ……逃げ出し! 後姿を見ては竦み上がる! それでてめぇは首輪を外したつもりか!? 心を折られたままの奴はな、どこへ走ろうが繋がれたままなんだよ!!!」

 

 顎から手を離し、リューマの手が拳を握りギーアの胸を突いた。

 体が揺れる。

 心が揺さぶられる。

 

「今勝てなかろうが! 奴の方が強かろうが!! ぶん殴って奴の鎖をもぎ取らなきゃ、てめぇは一生そのままだ!!」

「……!!」

 

 魂が、鼓動する。

 

「選べ! 奴に怯えたまま引き下がるか……ブチかまして奴の向こうに走り抜けるか!!!」

 

 男も、モリアも一度は心を折られたはずだった。

 挑んだ相手に仲間を皆殺しにされ、しかし落ち延びさせられ、自分の生以外の全てを失った。戦場で出会ったとき、確かにモリアの目は一度死んだ。

 しかし立ち上がったのだ。

 自分を逃がした仲間が、自分たちを滅ぼしてなお貶める龍の嘲笑が、モリアを再起させた。

 たからこそ、ギーアもここにいる。

 

「私は……」

 

 答えなければならなかった。

 リューマの、否、モリアの問いに、ギーアという人間は答えなければならない。

 

「わ、わたし、は――」

 

 すがりつく恐怖は未だに喉を締め付ける。

 心は立ち上がったはずなのに、それでも畏怖が取り付いて離れない。

 もう時間はないというのに。

 

「下ろせェ――――――!!」

 

 ついにゴンドラへの搭乗が終わり、開かれていた扉が閉まった。

 クイーンの号令の下、レールに組み込まれた歯車が動き出し、奴らを乗せたゴンドラが下降を始める。送り出しの歓声に混じって機械の駆動音は響き、刻一刻とそれは遠のいていく。

 ゴンドラの屋根は大縦穴の縁を過ぎようとしている。

 これ以上、迷う時間はない。

 

「…………!!」

「あっ!」

 

 ギーアを押しのけ、リューマが駆け出した。

 隠れていた蔵から通用路に姿を晒し、まっすぐに広場へ、そしてゴンドラを目指す。下駄が地を蹴る甲高い音を連発し、聞きつけた海賊共の幾人かが振り返る。

 

「オイ! なんだテメェは!!」

 

 開けた場所での愚直なまでの突進、見つかるのは当然だ。

 だが笠で顔を隠したリューマは走りを止めず、いやむしろ加速する勢いで突っ込んでいく。

 ゴンドラを見送っていた百獣海賊団の誰もが声をあげ、銃を取り出し、剣を鞘から引き抜いた。数にして数十人、それに向かっていくのは、たった一人の後姿だ。

 

「駄目……!」

 

 多勢に無勢そのものだった。海賊たちは土煙をあげてリューマへ殺到する。

 獣のような雄叫びが幾重にも重なって、海賊たちは接敵するリューマへ剣を振り下ろす。

 笠が、宙を舞った。

 

「――“夜刀ノ咬蛇(ヨルムンガンド)”!!」

「!!?」

 

 そしてそれ以上に男共が吹き飛ばされる――! 

 

「すごい……」

 

 一太刀。

 抜き放たれた黒い一振りの刀が、リューマを切り裂こうとした有象無象を斬り飛ばした。襲ってきた一団は中央を失い、生まれた空隙を侍はそのまま走り抜ける。

 その横顔を見る海賊達の悲鳴。

 

「げぇ!? 何だコイツ!!」

「化け物だ!! ゾンビだぁ――!!」

 

 リューマが走り抜けた左右の海賊達は怯え、浮き足立つ。恐怖はすぐに伝播し、掲げた刃を鈍らせた輩を侍は相手にしない。

 ただ一直線に、ゴンドラへ。

 

(行ってしまう……)

 

 置いていかれてしまう。

 立ち上がり、走り出したその男の背が、遠のいていく。

 繋がれたままでは、その背に手は届かない。

 

「――おれは!!」

 

 走るまま、振り向かぬまま。

 リューマは叫びを上げた。

 

「――海賊王になる男だ!!!」

「!!!」

「この海の支配者になる男だ! 他の誰にも支配なんぞさせやしねぇ!!」

 

 それでも叫びは、ギーアに向けられていたのだ。

 

「このおれに!! しっかりついて来やがれェ――――――!!!」

「う……!!!」

 

 これは、リューマであってモリアの叫びだ。

 その熱は、確かに届いた――!

 

「“旋風飛脚(ジェットジャンブ)”!!!」

 

 ギーアよ、飛べ。

 すべては鎖を断つために。

 

「今度はなんだぁ――!?」

「飛んでる! 人間が、飛んでるぞォ――!!」

 

 両の脚が突風を放ち、ギーアの体を飛翔せしめる。

 蔵の影を飛び出し、海賊達の頭上を抜け、一瞬でリューマへと追いついた。

 

「……ノロマが! 来るのが遅ェんだよ!!」

「勝手に飛び出して偉ぶるんじゃないわよ!!」

 

 憎まれ口を受け、ならばとギーアは加速する。負けじとリューマの脚も速さを増した。

 狙うはゴンドラを支える二本のレール。

 ギーアは大気の壁を突き破り、風は凍てつき頬を叩いた。

 しかし彼女の感情は、そして両腕はそれ以上の熱を持っている。

 

「合わせなさい!」

「テメェがな!」

 

 同時だった。

 

「“日蝕狼(スコル・グラトニア)”!!!」

「“閃光熱剣(フラッシュブレイザー)”!!!」」

 

 巨大な斬撃を伴う黒刀が。陽炎を引いて赤熱する手刀が。

 番いのレールを叩き割る――!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 片や大小無数の断片を撒き散らして。

 片や融解して液状化した鉄が飛沫をばら撒いて。

 ゴンドラを抱える2本のレールが、完膚なきまでに破壊された。

 大縦穴の縁に繋がっていたレールの基部は形を失い、2本のレールはひどい軋みをあげて反り返り、大縦穴の岩壁から剥落し始めた。垂直に伸びる細い履帯のようであったそれらは、いまや枯れたすすきがうな垂れるように、大縦穴の中央に向かって剥がれ落ちていく。

 そうなれば墜落するしかないのが、ゴンドラの宿命である。

 

「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ――! 何だ!! 何が起きてやがる――!!?」

 

 既にレールを噛んでいた歯車は砕け落ち、巨大なゴンドラが大縦穴を落下していた。

 乗り込んでいたクイーンの、百獣海賊団の悲鳴を置き去りにして、巨大な家屋のごとき昇降機は闇に向かって墜ちていく。

 悲鳴と破砕音が洞穴にこだまして、何重何倍にもなる大音響を轟かせた。

 

「キシシシシ! ざまぁみやがれェ――!!」

 

 振り抜いた黒刀を携えて、一足遅れて大縦穴を落下するリューマの姿があった。自らもまた飛ぶ術なく投げ出されているというのに、どうしてこうも笑っていられるのか。

 海賊の考えることは分からない、とギーアは思った。

 

「捕まって!」

 

 両脚から放つ突風で姿勢を整えて、宙を進んでリューマの空いた左手に手を伸ばす。

 そのまま腰に手を回し、脇に抱えるような形をとって、落下の速度を緩めていく。リューマが死体でなければ、人ならざる軽さでなければできない芸当だった。ギーアに搭載された飛翔装置は基本的に一人用、並みの人間を二人三人と抱えて飛び続けるほどの出力はないのだ。

 加えて、未だ上から飛来する瓦礫や破片に注意しなければならないのだから大変だ。

 

「うおっと!?」

 

 今もまた、砕けた岩と鉄がギーアの傍を通過した。

 弧を描いて剥がれていった2本のレールが、大縦穴の対面する側の岩壁に突き刺さり、新たな粉砕を生んだ。粉塵が降り注ぎ、人よりよほど大きな岩石が幾つも放たれる。

 レールの剥落は止まったが、大縦穴は橋が架かったような形となってしまった。復旧には相当な時間がかかるだろう、とギーアはそれを見上げて思う。

 そうして落下速度を調整しながら大縦穴を降りると、

 

「……!!」

 

 途方も無い轟音が地の底から吹き上がってきた。

 ゴンドラが地に降り、しかも降り注ぐ岩塊が追い討ちをかけた音だった。

 乗っていた者達と諸共に、間違いなく大破しただろう。

 しかしリューマはギーアの手を叩いた。

 

「おい! とっとと降りろ!」

「はぁ!? どこまで続いてるか分かんないのよ!? そんな速度出せるわけないでしょ!」

「早くしねぇと、奴が這い出してきちまうだろうが!!」

 

 その言葉に、ギーアの思考は固まった。

 

「……あいつら生きてるの!?」

 

 底の見えない闇を見つめたまま、リューマは確かに頷いた。

 

「“新世界”の海賊をナメんじゃねぇよ。何人かはくたばったかもしれねぇが……少なくとも億越えの海賊は、この程度じゃ死なねぇよ」

 

 この高さをゴンドラごと墜落する事を、この程度と言ってしまうリューマに頭が痛くなる。

 理解し難い連中だった。しかし億越えとやらが誰を指すのかは、嫌でも理解する。

 クイーンだ。

 確かに奴なら、この惨状でも起き上がってくるのではないかと思えてしまう。 

 

「早く行け!」

「分かったわよ……!」

 

 脚を下にした空中で直立するような姿勢から一転、頭から下に向かってかっ飛んだ。

 自ら落下の速度を速めるような飛行、どんどん遠のいていく大縦穴の、その入り口から差し込む陽の光だけが頼りだった。目を凝らし、濛々とあがる粉塵が次第に濃度を増して、

 

「ぅおっと!!?」

 

 地の底が迫った。

 どうにか宙返りを間に合わせ、風を吹く両脚を地に向けて落下の勢いを相殺する。どうにか激突することは避けられたが、それでも重い音をたてて着地する羽目になり、反動で投げ出され地面を転がった。

 

「ぐぇっ!」

 

 リューマもまた同じだ。

 ギーアの腕から投げ出され、顔面から地面に突っ込んだ。

 それでも全身の骨が砕けるような憂き目に遭わなかっただけ上等だ。下手をしたら地面にめり込み、自らのシルエットそのままの陥没を刻みつけかねなかった。

 転がる痛みを我慢して身を起こし、

 

「……何だお前らは!!」

 

 そこへ険しい誰何が突き刺さった。

 見れば、人相の悪い男達が遠巻きに自分たちを囲い込んでいるではないか。誰も彼もが手に武器を持っていたが、しかしその顔は混乱と不安の情を露わにしている。

 男達の姿は、地上で見た百獣海賊団の連中と似たようなものだ。

 

「じゃあここが……潜港なのね」

 

 大縦穴の底に広がる港、そこに待機していた百獣海賊団の一群が奴らであった。

 凶相の男共の向こうには波打つ海原が広がっており、岸から伸びる桟橋の先には何隻もの巨大な帆船が停泊している。岸沿いには木造のコンテナや樽が幾つも並んでおり、積み込む備えを整えようとしているのが分かった。

 広いとはいい難かったが、確かに港というべきものがここにはある。

 

「さあ、ここからが勝負だぜ……!」

 

 隣で立ち上がったリューマは、粉塵の向こうにある惨状を横目にする。

 そこには無数の岩塊に押し潰された、哀れなゴンドラの残骸が積もっていた。家屋にも似た造りの面影はなく、いまや岩の下敷きになった瓦と木材の集積地と化している。

 とても乗っていた人間が生き残っているとは思えなかったが、しかし歴戦の海賊を宿すリューマが言うならば、それは警戒して事に当たるべきだと判断した。

 

「リミットはクイーンがここから這い出すまで!! さぁ、船と永久指針を奪い取れ!!!」




若い頃のモリアは、「冷酷で傲慢なルフィ」のイメージで書いてます。
オリジナル技は、原作で使っていた技を鑑みて「影・闇・夜を連想させる単語」「動物の名前が含まれている」「北欧神話の用語を意識してみる(シャドーズ・アスガルドとか)」というルールで考えてみました。あとモリア自身は剣が得物だった、という想定。回想でも剣持ってたしね。


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ワノ国を出国せよ

「侵入者たった2人だ! とっとと討ち取れェ――――――!!」

 

 ひりつくような雄叫びがあげられた。

 数十人に及ぶ凶相の一群が迫ってくる。革のジャケットを着た男、ハーネスベルトを巻いた男、肩当てからマントを翻した男、中には水着同然の格好をした女もいたが、誰もが目を血走らせて声を張り上げて駆けてくる。

 ある者は剣を構えていた。ある者は槍を突き出し、またある者は金棒を振り上げた。凶悪を形にした鉄の群れが、こちらを餌食にするべく唸りを上げる。

 対するこちらはどうであるか、ギーアは隣に立つもう一人を見た。

 それは着物を着た男、手には一振りの刀を携えている。そして自分は、形の上では無手。

 物量の差は歴然だった。迫る鋼の持ち主たちも、勝利を確信して舌なめずりをする。殺意の包囲網は急速に狭まり、二人と一群の間合いは失われた。

 そしてついに暴力が吼える。

 

「“夜刀ノ咬蛇(ヨルムンガンド)”!!」

「!!?」

 

 力に晒されたのは一群の方であった。

 男が携えた刀を奮う時、波打つ斬撃が解き放たれる。大蛇もかくやという極太の波動は、一群の先頭を走る者達を十把一絡げに切り捨てた。

 

「ええええええぇ――――――ッ!!?」

 

 続くはずの第二波が足を止めた。

 眼前にいた筈の味方が頭上を吹き飛べば、次は我が身というのが分かろうというものだ。

 

「おいおい何だこの男!!」

「侍だ! 黒い刀を使う侍だ!!」

「いやそれより……何だよあの顔!?」

 

 残された一群は戸惑いの声を上げた。口をつくのは、刀を携えた男の姿だ。

 

「見ろあの顔! まるで死体じゃねぇか!!」

「バカ言え! 死体が動くか!!」

「ゾンビだ……!! 侍のゾンビが出たぞォ――!!」

 

 竦み上がる者、戦意を鈍らせた男、そういう者から順に男は切り捨てていった。

 

「……ふん、百獣海賊団もピンキリだな。こんなザコに負けたと思うと反吐がでる!」

 

 まさしく侍のゾンビであるその男、リューマは苦々しげに吐き捨てる。

 一群は、このワノ国を拠点とする百獣海賊団の中の、潜港に詰める一部の者達だった。たしかに海賊としては下働きともいうべき分担だ。それに従事するのだから、彼らが全体の中でどれほどの位階にあるのか、どの程度の実力と士気を持つのか、想像することはできる。

 しかしギーアはそれを戒めた。

 

「油断しないでよ。こいつらはザコでも、私達の後ろにいるのはそうじゃないんだから」

 

 ギーアが顎でしゃくるのは背後、岩石と瓦礫の集積地である。

 人の倍以上はある無数の巌は、かつて家屋のようであったものの残骸を踏み躙っている。周囲には砕けた屋根からは瓦が飛び散り、岩塊の隙間からはへし折れた材木が突き出していた。そこには機械も含まれていたようで、歯車や配管も所々からはみ出している。

 ギーアがリューマとともに撃墜したゴンドラの成れの果てであった。

 ここに乗っていた百獣海賊団は、今ギーア達を囲う一群とは違う。大幹部が引き連れて同乗させた、強力な精鋭達なのだ。

 恐ろしいことに、そういった者共はこれほどの被害を受けても死を受け入れないらしい。

 信じがたい。しかしそうかもしれない、とも思う。

 彼らを率いた大幹部、クイーンの強さを知るギーアには、そう思えるのだ。

 

「あいつが這い出すまでが勝負! それまでに船を……永久指針を見つける!!」

 

 それが一体どれほどの時間なのか。

 ギーアには、きっとリューマにも分かりえないことだ。ただ言えることは、なるべく早くとっととやれ、ということだ。

 

「行け! 永久指針を見つけて来い! ……船はおれがやる!!」

「分かった!!」

 

 示し合わせ、二人はそれぞれの方向に走り出した。

 リューマは正面、囲う一群を蹴散らしてその向こうにある船着場を目指す。ギーアが走るのはリューマが進んだ方向に対して直角、木造のコンテナや樽が立ち並ぶ貨物置場だ。その奥には岩壁に埋め込まれた扉があり、ギーアにはそれが港の詰め所であるように思われた。

 

(詰め所になら永久指針だってあるはず!)

 

 この“偉大なる海路”を渡るために必要な羅針盤の一種、永久指針。ワノ国から出国して百獣海賊団から逃れるために、奴らからどうしても奪わなければならない代物だ。

 

「ま、待ちやがれ!」

「邪魔!!」

 

 幾人もの男が立ち塞がるが、ギーアにとって物の数ではなかった。両腕が内臓する兵器を作動させ、両の手が輝きを放って赤熱する。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!」

 

 鎧袖一触だった。

 

「熱ィ――――――――ッ!!?」

 

 光熱の発露、爆ぜる熱風が男達を吹き飛ばす。

 屈強な体躯がコンテナに突っ込み、別のある者は波止場の上から海へと突入した。焼けた体を冷やせるかもしれないが、海水は大いに沁みることだろう。

 敵は一蹴で散る三下、しかしそれらをいちいち相手にするわけにもいかなかった。

 ギーアは両脚の機能を発動する。

 

「“旋風飛脚(ジェットジャンブ)”!!」

「えぇ――!? 飛んだぁ!!」

 

 目を丸くした海賊達を置き去りに、コンテナの山を跳び越える。

 

「ち、畜生! 追えぇ――!」

 

 コンテナ越しに野太い声が届くがもう遅い。貨物置場は人より大きなコンテナが所狭しと並べられ、高く積み上げられた迷路のような場所だった。ましてや海賊の作る置場である。整頓されているとは言いがたかったし、奴らが道筋を把握しているとは思えない。

 追っ手を大きく引き離し、ギーアは詰め所へと駆け出した。

 そして、

 

「……あった!!」

 

 先ほど見つけた岩壁の扉の傍、乱雑な並びの椅子に囲まれた机の上、酒瓶や食いかけの肉がまだ残るその場所に、ギーアが求めるものがあった。

 『ETERNAL PORSE』の焼印が押された、一抱えほどの木箱である。

 ギーアは走る脚に力を込めた。

 戦争国家で軍人として鍛えられた健脚は、機械の力を借りずとも自慢の走力を発揮して机との距離を一気に詰める。あとは箱に詰まった永久指針を取り出し、リューマのもとにとって返して加勢すればいい。

 そうして船を奪って奪取すれば終わる。

 その筈だった。

 

「!!!」

 

 風の裂ける音がした。

 鍛えられた五感と勘の冴えは混じり合い、もはや予知という第六の感覚として発動する。

 咄嗟に伏せたギーアの頭上を鉄塊が奔った。

 そして、爆発。

 

「うあ……!?」

 

 間一髪だった。

 直線状にあった貨物や岩壁を炎が砕く。まごうことなき、爆薬を内蔵した砲弾による破壊だ。

 恐るべきはその速度、精度、火力。

 砲弾が飛ぶ音で速度や射線のブレは読み取れる。爆発の大きさから火薬の量や砲弾の大きさも予想できるが、大きさに対して速度と精度が高すぎる。

 武器の精度だけならジェルマ王国に比肩しうる。

 

「こんな閉じた国が、ここまでの技術を持つなんて……!」

「ハオハオハハハ! よくぞかわした侵入者!!」

 

 銅鑼を鳴らしたような声がした。

 その気がなくても振り向かせる無遠慮な声に、眉をひそめたギーアは響いてきた方へと向き直る。

 男がいた。

 巨漢である。

 屈強な筋肉で覆いつくされた胸板を誇張するかのように、服や鎧をまとっているのは両腕と下半身だけだ。染まり切った筆を思わせる髭と髪は黒々と蓄えられ、するどい牙と相まって鬼の形相である。

 担いでいたバズーカ砲を放り捨て、男は憤慨した顔のままで笑い声を轟かせた。

 

「だがここで終わりだ! この潜港の警備長、ババヌキに見つかったんだからなぁ!!!」

 

 どうやらこの男、ババヌキはここを守る百獣海賊団の戦闘員らしい。

 実力主義の百獣海賊団にあって、満ち満ちた自信を保っていられるのは実際に実力があるからだろう。つまりあの体格は見掛け倒しではないということだ。

 しかも役職を任されるとなれば、

 

(——真打ち!!)

 

 緊張を禁じえず、我知らずと息を吞んだ。

 百獣海賊団総督カイドウは部下集めに余念がない。自らこうべを垂れた者はもちろん、逆らった者の心を折り、従えることも少なくない。そうして百獣海賊団に組した者のうち、特に強い者は“真打ち”と呼ばれ、主力として幹部に近い待遇を受けているらしい。

 

(そりゃいるわよね、ここにも!)

 

 敵は軍備に力を入れる武闘派集団だ。

 ワノ国に根城をかまえた当初ならいざ知らず、将軍と手を組んで地盤を固めた今、擁する実力者の数は想像することも出来ない。

 今この瞬間に、強力な増援が来るかも知れないのだ。

 

「貴様、ギーアだな?」

「……!」

 

 隠していたかった事実が見破られてしまった。

 

「クイーン様がご執心の女。このあいだの戦闘で死んだって話だったが……生きてたのか」

「できればそうと思っててほしかったわ」

「ハオハハ! クイーン様なら向こうにいる。会いにいったらどうだ?」

「絶対、イヤよ!!」

 

 厳として拒否を放ち、ギーアの身が素早く跳んだ。

 全身を一本の矢として奔る先は、奴の懐。

 

「せいッ!!」

 

 打点は胸の合間、心臓の守りが最も薄い部位だ。いかな真打ちでも、最も重要な臓器の一つを打ち抜かれれば、動きを止めざるを得ない。

 そのはずだった。

 

「ヌゥエエエエエエエエエエエイイイッ!!!」

「!?」

 

 ギーアの全身が叩き伏せられた。

 何か平らで広いものが、真横からギーアの全身を全く同時に打ったのだ。

 受け身をとれないまま地面に墜落したような感覚。何だ、という思いで、吹き飛ぶギーアはそれを見る。

 コンテナだ。

 

「な……!」

 

 ババヌキは恐るべき腕力と握力でもって、掴み上げたコンテナを振り抜き、ギーアに叩きつけたのだ。

 貨物は一つ一つがババヌキに勝るとも劣らない大きさである。中身だって相当な重量物のはずだ。それを片腕でやすやすと振り回すとは。

 

「これが、真打ち!」

 

 背を地面で削りつつ、転がり続ける体に制動をかけた。攻撃は食らったものの、まだまだ戦える。

 敵の武器は屈強な腕力と周囲のコンテナ。コンテナは辺りに山ほど積まれているから、代わりはいくらでもあると言える。

 今度はそれに気を付けて挑まなければならない。

 

「む? ……ハハ、運が悪かったな侵入者。お前は今、まさに“ババ”を引いた」

 

 不意に、ババヌキが含み笑いをこぼした。

 

「何?」

「勝ち目がなくなったということだ。このおれと、この武器が揃ったんだからなぁ!」

 

 直後、ババヌキは手にしたコンテナを引き裂いた。

 端と端を掴み、まるで綿を裂くかのような気軽さで木材の構造物を引き裂いてしまう。粉々になった破片は梱包材とともに地面へと落ちていく。

 その中に、一際固く重い音があった。

 重厚な鉄器である。

 

「……鎧?」

「そう見えるだろうな。だがこれは兵器だ。人間一人が持てる火力の限界を求め、武器工場に造らせた逸品。威力の反面、すさまじい反動で使えるヤツが限られてしまうのが難点だが」

 

 だが、

 

「——このおれが!! その中の一人さ!!!」

 

 ババヌキの巨大な胸にそれは取り付けられた。

 肩と胸全体を覆う金属部品の羅列、その中央には巨大な砲門がぽっかりと空いている。まるでババヌキ自身が一つの大砲になったかのようだ。

 大砲と鎧が一つになったそれが、やがて駆動音をあげる。

 

「さあ避けれるものなら避けてみろ! こいつの弾速を見切れるならなぁ!!」

「く……っ」

 

 まずい。

 軍備に精通した知識と予感が警鐘を鳴らしている。

 アレは、まずい。

 

「避け……」

「遅いわぁ!!」

 

 男の胸が火を噴いた。

 

「“象の進軍(エレファンティネ・アクション)”!!!」

「!!?」

 

 直後にそれは来た。

 速い。

 発射音と着弾がほぼ同時だった。

 発砲の光が一瞬で全身を包む砲火となる。痛みと熱さが、全身を余すことなくなぶり尽くす。

 

「が……っ」

 

 体中が煙を吹く消し炭で覆いつくされてしまう。衝撃が意識と体のつながりを寸断し、受け身もないまま、ギーアは倒れ伏した。

 

「ハオハオハハハ! どうだ、ワノ国製の兵器は! 労力はいくらでもある、大量生産も技術の向上もお手の物だ!」

 

 撃ち終えた武器を脱ぎ捨て、悠々とした歩みでババヌキがやってくる。

 丸焦げになったギーアにはただその姿を睨みつけることしかできない。

 

「ふん、まだ心は折れんか。大した女だ」

 

 横たわるギーアをババヌキは嘲笑する。

 

「どうだ? ――クイーン様の下へ連れて行ってやろうか?」

「!!!」

 

 牙だらけの口が弓なりを描く。

 クイーン。このババヌキよりもはるか上に位置する最高幹部で、恐竜に変身する悪魔の実の能力者。

 それを思った瞬間、心が激しい熱を発した。

 

「お前をクイーン様の前に連れて行ったら、褒美がもらえるかもな」

「ナメるなぁ!!」

 

 両脚が突風を噴き、ババヌキの頭上高くへと飛び上がる。

 “脱皮”している時間はない。炭化した皮膚が剥がれ、焼き切れた肉が血をにじませるが、それよりもこの男を倒さなければならない。

 

「“旋風断頭(ジェットダントン)”!!」

 

 噴き出す烈風で威力を増した踵落とし。

 交差したババヌキの太い腕がそれを防ぎ、男の嘲笑を崩すことができない。

 

「随分可愛がってもらったそうじゃないか。何ならおれもやってやろうか!?」

「黙れぇ!!」

 

 烈風の蹴り。

 赤熱する掌底。

 激するままに放たれるギーアの攻撃は、一拍のうちに数多打ち込まれる猛攻だ。

 

「無駄だぁ!」

 

 それでも男の強固な体を貫くには至らない。

 

「ゴンドラを落としたのもお前等だろう? あの程度でクイーン様がくたばると思ったか!? じきに出てくるだろうよ!」

「…………!!」

「そうなった時、ズタボロにしたお前を手土産にするのも悪くない!!」

 

 ババヌキの言うとおりだ。

 このままこの男に時間をとられれば、あの男は岩塊と瓦礫の下から復活する。そうなれば自分もリューマも太刀打ちできない。再び捕らわれる。

 そうなる前に、ババヌキを倒さなければならない。

 ギーアは胴をひねり、右腕を大きく引き絞り、

 

「うあああああああ――――!!」

 

 渾身の一撃を放った。

 

「“閃光火拳(フラッシュヴァルキリー)”!!」

「!!!」

 

 光熱の掌底がババヌキの腹に叩きこまれた。

 筋肉の鎧に食い込むほどの攻撃、巌のような体が威力に押されて後ずさる。遂にギーアの一撃はババヌキを捉えたのだ。

 巨漢の巨体はたしかにゆらぎ、

 

「ああぁ――――……」

 

 しかし、

 

「今のは効いた」

 

 それだけだった。

 

「ヌウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!」

「!!!」

 

 激烈が来る。

 空気をえぐる振り上げの拳であった。弧を描いて風を打ち破る一打がギーアを叩きのめす。

 

「……!!」

 

 つぶてのように体が飛んだ。

 風を切る音、痛打のままに頭から弾き飛ばされる。

 

「ハオハオハハハハハハ!! くたばらねぇ能力者なんだろ! だったら手加減はいらねぇよなぁ!!」

(どいつもこいつも……!!)

 

 好き勝手言ってくれる、とギーアは思う。

 確かに傷は癒える。しかし傷を負った時に痛みを感じないというわけではないのだ。鍛えられた自分が常人並みだとは思わないが、それでも打たれれば痛いし、斬られれば血が出る。

 何より、このヌギヌギの実の能力は、使おうと思って使わなければ発動しない。ある程度の傷を受けたら自動的に発動するというものではないのだ。

 身動きがとれなければ人を頼らねばならないし、気絶してしまえば傷はそのまま。即死ならそこで終わりだ。

 だから今、ギーアは必死で意識を体にしがみつかせていた。

 

(ここでオチたら終わる……!)

 

 ババヌキの一撃で全身が軋み、内臓が悲鳴をあげている。諦めていいのなら諸手を上げて諦めたかった。

 しかしそうする訳にはいかない。闘志を投げ出すわけにはいかない。痛みが無くせなくても、それでも傷をなかったことにできるのはギーアのアドバンテージだからだ。

 痛みと向き合う事、耐え忍んで勝つまで殴り返す事。

 それがギーアの戦い方なのだ。

 もう心を折りはしない。

 

「……っ!!」

 

 威力のままに吹き飛ぶギーア、しかしそこで姿勢を直し、地面に脚を突き立てた。

 

「こんのぉ――!」

 

 鋼を仕込んだ両の脚で踏ん張り、勢いを止める。

 だがそこは真打ちの一撃、途方もない威力で吹き飛ばされていた体は、たかが2本の脚程度では止まらない。足裏は地を抉り、地面に軌跡を刻み込むばかりだ。

 このままでは岩壁に背中から衝突する。

 故に、両の手が赤熱を放った。

 

「んぎぎ……!!」

 

 光熱と爆風を後ろ手に放ち、その反発を利用して踏み止まる。

 後退しようとする体と前進しようとする両手、その板ばさみにあう肩が千切れそうだ。祖国での鍛錬、そして改造人間としての強化手術がなければ耐えられなかっただろう。

 どうにか激突を免れ、負荷を逃がすように荒く息を吐く。

 

「ふん、まだやるつもりか? 諦めれば良いものを」

 

 ババヌキはまだまだ余裕だ。

 膝をつき、肩で息をするギーアを嘲笑い、

 

「叩き潰してやる!!」

 

 巨体が駆けだした。

 大男の疾走だ、ギーアとの間合いなどすぐ詰まる。地響きが聞こえそうなほどの轟きは、その圧倒的重量を幾度となく主張した。

 拳をふるうまでもない。あれほどの疾走と体重が乗っていれば、ただの体当たりでもギーアを打ち破ることができるだろう。

 鋼さえ潰す体躯が迫る。

 

「とどめだ!!」

「…………」

 

 対するギーアは、

 

「ああん!? 命乞いかァ――――!?」

 

 直上を指差した。

 まるでそこにある何かを見ろ、というかのように。

 

「私達が今どこにいるか、分かってないみたいね」

「何ィ!?」

 

 ギーアとババヌキの立ち位置。

 女は男の一撃を受け、しかし岩壁に激突する寸前で爆風を放ち踏み止まった。そこへとどめを刺そうと疾走し、男は今まさに女を岩壁との間ですり潰そうとしている。

 つまり二人は今、この潜港の端にいる。

 端には一体何があったか。

 

「まさか……!」

 

 詰め所の扉。そしてその傍にあったもの。

 

「――永久指針!!」

 

 ババヌキが見上げたところにそれらはあった。

 ギーアの放った赤熱と爆風により机や木箱は四散し舞い上がる。いまや木片の群れでしかないそれらに混じって、砂時計型の小さな羅針盤が幾つも宙に浮いていた。

 無数の永久指針だ。それらは方々へ放物線を描き、落下しようとしている。

 

「貴様、あれが目的じゃないのか!? 全部ぶち壊す気か!!」

「私達は1個あれば十分。あんなにあったんじゃ、あんた達に追いかけられちゃうじゃない」

 

 不敵に微笑み、

 

「1個だけ回収する。あれらが落ちきるまでに、――あんたをぶっ飛ばす」

「貴様ァ――――!!!」

 

 激する竜の一撃が降ってくる。

 しかしババヌキが永久指針に気を取られた隙に、ギーアは反撃の準備を整えていた。

 

「ぜぇりゃああぁぁぁ――!」

「!?」

 

 ギーアを襲う擦り潰しの一撃、その軸足を光熱の手刀が薙ぎ払った。

 いかな巨体とて、いや巨体だからこそ、足首という弱点がそこにはある。それは相手よりはるかに小さい体をしているギーアにとって、たやすく狙える一点であった。

 内から外に向けて、水平に奔る一打がババヌキの姿勢を崩す。

 男の巨体が傾き、一瞬宙に浮く形となり、

 

「ぶっとべ!!!」

 

 ひっくり返った巨躯をギーアは狙い撃つ。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!!」

「!!!」

 

 最大出力だった。

 空中でゆるやかに回転するババヌキの体を、光熱が吹き飛ばす。

 

「き、貴様ぁ――――!!」

 

 ババヌキの怒声が響き渡る。

 全身を火に包まれた巨漢の形相は、まさに地獄の悪鬼といっても過言ではないものであった。

 

「熱ィ!! 意趣返しのつもりか、この女ぁ!」

「言ってる場合? 今どこに向かってるか分かってないみたいね」

 

 火の粉を散らしながら、ババヌキは走ってきた方向に吹き飛んでいく。その先にある、壁のように積まれたその場所へ。

 大量の武器を内包したコンテナの群れへ。

 

「ぬぅおおおおおおおおおお――――――!!!」

 

 コンテナを砕き、材木と粉塵の中に巨体が沈む。

 直後。

 

「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ――――――――!!!!」

 

 巨大な爆発がコンテナの群れを消滅させた。

 男を、その爆心地に呑んだまま。

 

(ヤツはコンテナの中から武器を取り出した。つまり、あそこにあるものは武器。それならあると思ってたわ。……爆薬や、それを内蔵した兵器がね)

 

 ならばそこに火を注げばいい。

 最大出力で火だるまにした敵を、その真っ只中へと叩き込めばいい。巨体はコンテナという外装を砕き、火気厳禁の中身に火を注いでくれるはずだ。

 男が突っ込むあたりに兵器があるかは賭けだったが、あの巨体なら狙える範囲は広い。分は悪くないとギーアは思っていた。

 そして後にはギーアだけが残され、

 

「――おっと」

 

 落ちてきた永久指針を受け止めた。

 手に取るのは1個だけ。降り注ぐ十数個の永久指針は次々と地面に打ち付けられ、あえなく木っ端と硝子の破片に形を変える。

 この“偉大なる海路”で特に信じぬくべき重要な道具が、一気にその数を減らした瞬間だった。

 永久指針に印字された地名をギーアは見る。

 

(マガジン島……それが目的地になるってことね)

 

 どうやら他の永久指針も揃って同じ場所を示す物だったらしい。周囲に転がる永久指針だった物にも、その名を見ることができた。

 それにしても、とギーアは痛む体を押さえて先を見た。

 コンテナは今や炎の壁といってもいい有り様だ。あれだけの量の出荷品を焼いたならば、百獣海賊団にも痛手を与えられただろう。

 ババヌキは火に溺れ、その影すら見えない。

 

「私が、いつまでも私がクイーンに怯えると思わないことよね。そんなのは、あのゴンドラを墜とした時に振り払ってやったんだから!!」

 

 まったく、

 

「女がいつまでも男に囚われると思うなんて……考えが古いのよ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永久指針を手に入れ、迫る追っ手も退けた。となれば後はリューマとの合流だ。

 急いで船着場に向かわなくてはならない。クイーンの復活が刻一刻と迫る中、真打ちとの戦闘という不運に見舞われてしまった。ともすればリューマの方にも真打ちが行っている可能性すらある。もしそうなら早急に手を貸さなければならない。

 再び積荷置場を飛び越えるべく、両脚の機能を作動させようとして、

 

「――おい、ギーア!!」

 

 横合いから声がかけられた。

 一度聞けば忘れられない甲高い声、しかしこの場においては本人以外の口から出る声だ。

 

「リューマ!」

 

 ゲッコー・モリアの声を宿す男は、波間を行く船の上にいた。

 港湾にあって波がうねる海上を行くのは、両脇に水車を備えたパドルシップだ。大きさは中型程度、水車を回すのに蒸気機関を使っているのか煙突からは煙が立ち昇り、船はみるみる間に沖を目指して進んでいく。

 舵は固定してきたのだろう、船の最後部にリューマは立っている。

 

「船は奪った!! ……お前は!?」

「こっちもいただいたわ!」

 

 手にした永久指針を掲げれば、大きく手を振り返された。

 ギーアは跳ぶ先を海上に変え、両脚が秘める機能を作動させた。突風に押し上げられ、波打つ海原を飛び越えれば、そこは中型パドルシップの甲板の上だ。

 ギーアとリューマは合流し、腕を高く掲げ互いの掌を叩きあった。

 

「よくやった、上出来だ!」

「ええ、このまま出国しましょう!」

 

 目的のために必要なものは全て奪った。もうこれ以上ここに留まる理由はない。むしろ追撃の手がかかる前に、早々に出て行かねばならない。

 潜港から続く洞穴は一本道、遠く見える出口にらは荒れ狂う海原と空が見えた。

 

「リューマ! 早くあそこまで――」

 

 行かないと、と言おうとした。

 しかし突如として炸裂した轟音はそれを許さない。

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ――――――ッ!!!」

「!!」

 

 離れつつある港の上に無数の岩石が舞い上がる。

 打ち上げられた岩塊が周囲に降り注ぐ衝撃と響き、しかしそれをかき消すほどの轟音は、信じられないことに人の喉が発するものであった。

 奴が、立ち上がったのである。

 

「何してやがるノロマ共ォ!! とっととガキ共を捕まえねェか!!!」

「……クイーン!」

 

 本当に生きていた。

 乗っていたゴンドラごと墜とされ、幾つもの岩塊と大量の瓦礫に押し潰されて、しかしそれらをはじき返して奴は立ち上がった。恐ろしいまでの強靭さである。これが百獣海賊団の大幹部、“新世界”を根城にする海賊の実力か。

 

「ムハッ! ムハハハハ!! ゴンドラで姿を見たぞギーアァ!! やっぱり生きてたんだなァ! 侍を引き入れゴンドラを落とすとは……あじな真似をしてくれるじゃねェか!!!」

 

 遠目にも見て取れる巨体を揺らし、クイーンが部下の海賊達に指示を飛ばす。

 

「――滝を閉じろ!! 袋のネズミにしちまえ!!!」

「は、はいッ! ただちに!!」

 

 そうだ。

 この潜港が最も安全にワノ国を出入りできる場所でありながら、百獣海賊団がそれを独占している理由。それは外海と潜港を分かつ、滝の開閉にある。

 パドルシップが走り続ける洞穴の先に海原が見えていたのは、洞窟の出入り口へと流れ落ちる滝が分けられた状態だったからだ。言うなれば開門している状態、これからクイーン達が出航するために開け放っていた。

 だがその操作は、滝の内側で行うもの。やはり潜港で操作できるらしい。

 

「……リューマ!」

「無理だ! これ以上の速度はでねぇ!!」

 

 かくいう間に、洞窟の口が閉じ始めた。

 両端から次第に迫ってくる激流は、左右に二分されていた瀑布に他ならない。開門として滝を切り裂いていた仕掛けが、百獣海賊団の操作によって動き始めたのだ。

 降り注ぐ膨大な水は海面を乱し、踊らされたパドルシップが速度を鈍らせる。

 

「駄目! 間に合わない!!」

「ムハハハハハ! 捕まえたらまた可愛がってやるぜェ! 今回のことも含めて、念入りになァ!!」

「…………!!」

 

 克服したはずの恐怖が首をもたげた。

 クイーンに痛めつけられた過去が追いすがってくる気配に、背筋が凍るようだ。

 やはり自分は奴から逃げられないのではないか、そんな思いが胸をつき、

 

「何をビビッてやがる」

 

 隣のリューマが、刀を抜いていた。

 荒波にもまれる船の上、下駄をはいた足でゆっくりと先頭へ。

 

「未来の海賊王と組んだのなら……情けねぇ面晒してんじゃねェ!!!」

 

 徹頭徹尾を黒くする一振りの刀、『秋水』が構えられた。

 大きく、大きく、更に大きく、背後へ刀身を送るようにして、そして二本の腕が太く張る。刀に巨大な力が集約されるのをギーアは確かに感じた。吹き荒れるような威圧感、剣気とでもいうべき侍の力が発揮されようとしている。

 向かうところは、閉じたる瀑布の壁。

 

「まさか……!」

「おれは海を支配する男だ……! たかが滝一本が――道を塞いでんじゃねェ!!!」

 

 打ち破れ。

 

「――“樹陰大蛇(ネグロ・ニドヘグ)”!!!!」

「!!!」

 

 それは途方もなく巨大な斬撃であった。

 侍の膂力をもって放たれる刃が、莫大な激流を斬り飛ばす――!

 

(嘘でしょ……)

 

 兵器でもない。

 科学力でもない。

 ただ一人の実力が自然に打ち勝つ瞬間を、ギーアは間近にしたのだった。

 降り注ぐ滝が、莫大量の飛沫となって外海へ降り注いだ。流れ落ちる瀑布が欠損し、空隙になった隙をついてパドルシップは駆け抜ける。

 

「――――――!!!」

 

 潜港ももはや遠い。降り注ぐ瀑布が欠損を埋めようと再び降り注ぎ、激流は新たな壁となってクイーンの怒号の断ち切った。

 

「は、ははは……!」

 

 ギーアは我知らずと笑っていた。

 滝を斬り裂いてくぐり抜けるというバカげた現実に、笑ってしまうしかなかったのだ。

 

「あははははははは……!!」

 

 ギーア達の乗る船が滝を抜けたのである。

 2人は、ワノ国を脱出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滝を文字通り切り抜け、しかしだからといって無事に逃げおおせた訳ではない。

 巨大な高台ともいうべきワノ国の近海は、その特異な地形ゆえか、滝が流れ込むこともあって異常な海流が入り乱れる迷路なのだ。おまけに切り立つような岩礁もそこら中で顔を出し、幾度となく衝突の危機に晒される。

 

「ちょっと右! いや左ィ――!!」

「黙ってろ! 操舵なんて久しぶりなんだ、茶々入れんじゃねェ!」

「はぁ!? あんた航海技術あるって言ったじゃない!!」

「あるとは言ったが専門じゃねぇ! あくまでおれは船長だったんだ、自分自身で船を動かしてたのは、随分昔なんだよ!」

「騙されたァ――!! こんな奴信じるんじゃなかったァ――――!!!」

「黙れっつってんだろうがァ――――――――――ッ!!!」

 

 そんな問答をどれほど繰り広げただろうか。

 ワノ国の滝も岩礁海域もいまや遠景、ようやく落ち着いた海原まで辿り着くことができたのだった。

 

「はァ――……、はァ――……」

 

 甲板で大の字になるギーアである。

 手足が弛緩し、立ち上がる気力も湧いてこなかった。汗と海水で全身は濡れ鼠となっていたが、骨の髄まで火照って寒さなど微塵も感じない。何かとてつもなく大きなことを成し遂げたような感慨に満たされ、そのほかのことなど些細なことに思えてしまう。

 否、確かに自分は確かに成し遂げたのだ。

 自分を捕らえていた百獣海賊団に一矢報い、その魔手から逃れ、自由の身になったのだ。

 リューマと、正しくはゲッコー・モリアと力を合わせて。

 

「そういえば」

 

 リューマはどうしただろうか、と思った。

 ひとまず安全なこの海域まで彼は操舵していたが、こうして船を落ち着かせると、操舵輪から離れて静かになってしまった。

 どこに行ったのだろうか、と思い首を回すと、

 

「あ……」

 

 いた。

 パドルシップの中央にある船室、その外壁に背中を預け、刀を抱えて座り込んでいた。

 ギーアのように息を抜いているのだろうか。いや、そうではない。

 リューマはその役目を終えたのである。

 

「“影法師”」

 

 リューマの傍にそれは立っていた。

 全身黒塗りの影の塊。ここにいないゲッコー・モリアの姿そのままの巨体は、これまでリューマに宿ってその体を動かしてた動力源ともいうべきものだ。

 そうだ。もとよりそうする予定だった。これまでリューマがギーアと共闘してきたのは、モリア本人が傷ついていたため、そして巨体が目立つためだ。ワノ国脱出という目的を達成した今、リューマが動く理由は無い。

 “影法師”は、本体であるモリアといつでも居場所を交換することができる。

 こうしてワノ国を脱出した後はリューマの体から“影法師”が抜け出し、本体と入れ替わるというのは、すでに前もって話していたではないか。

 だがそれでも、

 

「もう、動かないのね」

「そうだ」

 

 寂寥を込めたギーアの呟きは肯定された。

 

「侍リューマが動いていたのは、あくまでおれの影が寄生していたからだ。こうして抜け出てしまえば……抜け殻でしかない」

 

 答えたのはモリアだ。

 照り返すところの一切無い、黒い影でしかなかった“影法師”に色がつく。まるで布が水を吸うように、頭の天辺から黒色が引き、人間としての姿を表していく。

 一拍の間に、“影法師”はゲッコー・モリアと入れ替わっていた。

 

「よくやったギーア。お陰でおれはこうしてワノ国を脱出することができた」

「助けられたのはお互い様でしょ」

 

 最後に見た時と変わらず、モリアの全身は傷だらけだった。それどころか、雪降る鈴後で身を潜めていたせいか、皮膚は赤く腫れ、ところどころが凍傷になりかけているようだった。

 自分達が戦い続けている最中、モリアもまた、耐え忍ぶという戦いを続けていたのだ。

 

「……ねぇ」

 

 甲板に寝そべり、天を見上げたままギーアは問いかけた。

 

「やっぱりあんたは、リューマに入ってた“影法師”とは別物なの?」

「そうだ。おれと“影法師”は一心同体だがおれ自身ではない。おれとまったく同じ性格と記憶を持っているだけであって、おれが“影法師”を通して見聞きし操ってた訳じゃねぇ」

「そっか」

 

 つまり、リューマとともに戦った記憶は、もうギーアの中にしかないということか。

 “影法師”はリューマから抜け出し、再び入ることがあるかは分からない。入ったとしてもそれ以前の記憶を持っているかも分からない。

 彼にかけられた言葉で動かされた自分がいる。

 その事実は、声を放った本人ですら失ってしまうということか。

 

「………………はぁ」

 

 幾ばくかの感情を抱き、しかし飲み下すようにため息をつく。前もって分かっていたことを今更蒸し返すようなことはしない。ギーアも子供ではないのだ。

 だからモリアにワノ国で交わしたことを求めまい、と心に誓い、

 

「――だが」

「?」

 

 モリアは続けた。

 

「おれ自身ではないが、しかし一心同体なんだ。いま“影法師”はワノ国からおれの元に飛んで戻ってくる途中だが……戻ってくれば、“影法師”が体験したことはおれに還元される」

 

 ギーアは言葉を失った。

 

「“影法師”があんたの影に戻れば、ワノ国でのことを思い出すってこと?」

「思い出すわけじゃねえ、二つに分かれたものが一つにまとめ直されるんだ。おれが他人の影を切り取った後、それが戻った時に影が体験したことを本体が漠然とだが知っていることがあった。能力者本人であるおれは、それがもっと明確なんだ」

「……そっか」

「今はまだ知らねェが、“影法師”が戻ってくれば、お前とワノ国でやったことは分かるようになるだろうよ」

「うん」

 

 よかった、とは言わなかった。

 それをモリアに言ってしまえば、きっとモリアは自分を笑うだろうから。

 

(だからこの言葉だけは……私だけが知っていればいい)

 

 この感謝は自分だけのもの。

 折れた心を救い、本当の意味で自分を奴隷から解放した感謝は、胸のうちに隠していこう。

 ギーアはそう思い、空を見上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてモリアの下に“影法師”が帰ってきて、少し経った時のことだ。

 直上にあった陽は傾き、赤みを増して水平線を目指している。海原は未だに平静、ワノ国近海のような、荒れ狂う海模様は今のところ無い。

 モリアが永久指針を片手に操舵輪を操る一方で、ギーアは船の動力を確認することにした。脱走したとはいえジェルマ王国出身の元兵士だ、この程度の機関を理解することは難しくない。向かう島にいつ着くか分からない以上、船のことはなるべく多く把握する必要があった。

 そうして船室の中で動力系を調べていると、

 

「ぷるるるるるる……ぷるるるるるる……」

「……?」

 

 囁くような声がした。

 モリアのものではなく、ましてやギーア自身の声でもない。くぐもった声は、何か密閉さあれたところで喋っているようだった。ギーアは配管の隙間から顔を出し、声のする方を向く。

 そこには机と、その上に置かれた小さなトランクボックスがあった。どうやら声はその中からしているらしい。

 

「ひょっとして」

 

 煤けた手を着物で拭い、トランクボックスの鍵を外す。蓋を開けて中を見れば、

 

「やっぱり電伝虫」

 

 トランクボックスの中にいたのは、一匹の電伝虫だった。

 一抱えほどもある大きなカタツムリは、人が手を加えることによって通話装置となる家畜の一種だ。草食でおとなしく、人と共存することを種として受け入れているため、世界各地で広く飼われている。

 ワノ国では別の種が使われていたが、外海に出るこの船には電伝虫を乗せていたのだろう。

 ということは、

 

(これは百獣海賊団宛の連絡ってことね)

 

 このパドルシップは百獣海賊団から奪ったものだが、それはついさっきのこと。この電伝虫の向こうにいる人間がそのことを知っているとは思えなかった。

 無視する、という手もある。

 だがギーアは敢えて出ることにした。

 ここで出なくても、脱走者がでたということはすぐに伝わるだろう。それにもし既に伝わっていたとしても、相手にもこちらにも話をする以上のことはできない。であれば、通話の相手が前者であることに賭け、なにか情報を引き出す方が幾分かマシだと思えた。

 鎖国するワノ国に捕らわれて数ヶ月、外部の情報は少しでも手に入れておきたかった。

 

「……こちら、百獣海賊団」

 

 電伝虫の受話器を手に取り、なるべく低い声を作って応答する。

 その瞬間、電伝虫が口を開いた。

 

『遅ェぞクソったれ! 待たせるんじゃねェよ!!』

「わりぃ、ちょっと手間取っちまった」

『オイオイそんな調子で大丈夫かよ。百獣海賊団だろう、しっかりしてくれよ』

 

 どうやら通話先の相手は百獣海賊団ではないらしい。かといって敵対しているという風でもない。察するに、同盟か何かを結んだ外部の海賊といったところか。

 

(そういえば……)

 

 クイーンがゴンドラに乗り込む前、配下の海賊達に向かって出航の目的を話していた。不本意な連合と言っていたが、この相手が連合を結んだ海賊団なのだろうか。

 だとすれば自分たちは彼らにとって不都合な存在である。港で奪い、その他の殆どを破壊した永久指針は、きっと彼らとの合流地点を示すものだったのだ。だから同じ場所を示す永久指針がまとめて置いてあったに違いない。

 

(でもそうなるとマズいわね)

 

 これから自分たちが向かう島には、百獣海賊団と協力関係にある海賊団が待ち構えているということだ。自分たちが百獣海賊団を出し抜いてやってきたと知れば、牙を剥くに違いない。

 少しでも相手の情報を知る必要があった。

 

「そっちの具合はどうなんだよ。ちゃんとやれるのか?」

『バカ言え! この日のためにどれだけ準備したと思ってやがる!』

 

 それは怒声であったが、すぐにほの暗い喜びに変わった。

 

『へへ、あの野郎に痛い目を見た海賊は多いからな……声をかけて回るのに苦労したぜ』

 

 どうやらこの連合は、何者かに対する逆襲を目的として集められたものらしい。百獣海賊団もナワバリを荒らされたと言っていたから、その人物は相当の荒くれ者のようだ。

 果たしてそれは何者なのか。

 通話先の相手は、恨みがましい口調でその名を告げた。

 

「とっとと来い!! 海軍が奴を狙っている今がチャンスなんだ。今度こそあの化け物を……ダグラス・バレットを仕留めるんだ!!!」

 




これにてひとまずワノ国編は終了です。
しかし一難さってまた一難がこの世の常、次からはあの劇場版キャラを相手取ることになります。本編はこのように、作中の時系列において「過去にあった事件」を拡大解釈しながら繋げていく形をとっていければと思っています。

感想や評価をいただけると喜びます。おもに私が。よろしくお願いいたします。


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バレット編
海軍中将の集う町


 険しい沿岸に波が打ちつける様は、まるで陸と海の抗争であった。

 鏃を束ねたような岸辺に白波は押し寄せ、砂が崩れ落ちるような音ををたて喰らいつく。しかし岩石でできたそれはまるで動じるところがなく、まさに傲岸そのものといった体で波を蹴散らし、打ち破れた津波は飛沫を散らして海原に返された。

 頑健な巌が長く広がっていた。乾くことのない岩肌は黒く光り、朝の日差しを跳ね返す。

 およそ人のよりつく場所ではなかった。岸壁と高波がかき乱す海流を恐れて魚ですら近寄ろうとはしない。この広い海にどれほどの沿岸があるのかは分からないが、どう贔屓目に見ても、この岸辺が上陸に適していないのは明らかであった。

 しかし、だからこそ今求められる。

 

「よし、ここだ」

 

 延々と続く岩礁の中でも、とくに大きく抉れたところにそれはいた。

 船である。

 それも両脇に水車を備えたパドルシップだ。

 搭載した動力機関によって風もなく進むことができる科学の粋が、停泊しようとしている。知恵ある者なら誰もが避けるであろう、峻険な岩場ともいうべきこの沿岸にである。

 その光景を見る者がいれば誰もが口を揃えて止めただろう。しかし敢えてそれを強行するのは、まさにそうした者たちが寄り付かない場所を求めているからに他ならない。

 

「海軍の奴らも、ここまでは探しに来ないだろう」

「だと良いんだけど」

 

 船の甲板に立つギーアは、隣に立つモリアの言葉に肩を竦めた。

 慣れない操舵で四苦八苦しながら、なんとか寄せた天然の船着場である。それだけの成果があるはずだと、彼が期待をするのも分からないではない。

 しかしモリアは渋い顔でこちらを見下ろしてきたので、ギーアは早々に逃げることにした。

 両脚に埋め込まれた噴射装置が風を噴き、細い体が跳び上がる。

 

「よっ、と」

 

 拡張された跳躍があれば岸の上までひとっ飛びだ。

 祖国が生み出した科学技術の産物である。それだけの技術力を戦争にのみ費やす彼らを苦々しくも思うが、すでに脱走した身である。自分の身にもたらされた分ぐらいは、せいぜい思うままに使わせてもらおう、というのがギーアの思いあった。実際この力は、自分を狙う敵を迎え撃つのによくよく活躍してくれる。

 などと思う間に、モリアが岸壁をよじ登って来た。

 ギーアの倍以上はある巨漢だ。腕力もあるが体重もそれ相応、こちらの立つところまでたどり着くには苦労を要するだろう。まして彼は悪魔の実の能力者だ、一歩間違えて海に落ちれば浮かび上がってこられない。内心、緊張感で満ち満ちているのではなかろうか。

 だから無事に登りきった時は、ちゃんとねぎらいの言葉をかけてやった。

 

「お疲れ」

「うるせぇよ」

 

 この憎まれ口だ。鼻で笑ってしまうギーアである。

 しかしこの難所に船を停めた努力を笑おうとは思わなかった。モリアがそれだけの苦労をしているのは後ろから見ていたし、そうした努力が必要な状況であると聞きつけたのは、ギーア自身なのだから。

 

「本当に海軍がダグラス・バレットを追ってこの島に来てるんだな?」

「あの電伝虫の先にいる男は、そう言っていたわ」

 

 もう何日も前のことだ。

 ギーアとモリアを狙う百獣海賊団から逃れるため、奴等の船を奪い脱出した後のこと。

 奪った船の中にあった電伝虫に通信が入った。それは百獣海賊団と連合を組んでいた海賊からからの連絡で、相手が言うことには、海軍がダグラス・バレットなる人物を攻撃するので徒党を組んでそこを狙おう、とのことであった。

 ギーア達が奪った船は、その襲撃のために準備された船だったのである。

 

「ダグラス・バレットを狙うンなら将官以上の海兵が動いてるはずだ。連合を組んでる海賊とやらも、それまではどこかしらに隠れてるんだろうよ」

「……ダグラス・バレットって、そんなヤバい奴なの?」

 

 問いかけたモリアの横顔は、かつてないほど緊迫し張り詰めていた。ダグラス・バレットとは、海賊達の間ではそれほど知られた存在なのか。

 ああ、とモリアは頷いて、

 

「大海賊時代以前の海賊さ。――あのロジャー海賊団の船員でもある」

「……!」

 

 ギーアは言葉を失った。

 予想を超える大物が話題に上がったからだ。

 

「海賊王ゴールド・ロジャーの部下ってこと!?」

 

 世界一周を成し遂げた唯一の海賊、ゴールド・ロジャー。

 彼は世界のどこかに莫大な財宝を残し、それを探してみせろと言い残し、昨年処刑された。その遺言に端を発したのが、今の大海賊時代である。

 数多の競合する海賊達を退け、荒れ狂う海を制覇した、この海でもっとも自由であったという男。彼の冒険と戦いを支えた男の一人が、ダグラス・バレットということか。

 

「どうだかな。“鬼”の跡目と呼ばれるほどの男が、易々と人の下につくとも思えんが」

 

 モリアは渋面のまま腕を組み、思い返すように瞑目した。

 

「ロジャー海賊団に入る前も下りた後も、戦うこと自体を求めて暴れまわったって話しか聞かねぇよ、奴の事はな」

「強いってこと?」

「強いなんてもんじゃねぇ。奴に勝つことができたのは海賊王ロジャーだけ。奴の右腕である“冥王”シルバーズ・レイリーに匹敵するとまで言われた猛者だ」

「そんな……」

「ロジャーの処刑後、幾つもの海賊団を潰し海を暴れまわっていると聞いたが……そうか、遂に海軍が動いたか……」

 

 モリアは沿岸の先へと目を向けた。

 起伏のある坂を登った先にあるのは、この島の港町だ。

 

「――この島は間違いなく戦場になる。その前に出発するんだ」

 

 緩んだところのない彼の横顔に、ギーアもまた戦慄する思いがした。百獣海賊団からやっとの思いで逃れたというのに、その先で待っていたのは、それに勝るとも劣らない危機だったのだ。

 モリアがそれほどまでに危ぶむのであれば、早急に町へ向かう必要がある。

 

(永久指針を探さなきゃ)

 

 “偉大なる海路”を進む上で求められる、特定の島のみを指す特殊な羅針盤。この島へ向かうのにも必要となった品である。

 この島で新たに別の島を指す永久指針を手に入れる必要があった。

 

「行くわよ」

 

 と、ギーアは歩を進め、

 

「ちょっと待て」

 

 しかし歩みはほかならぬモリアによって止められた。

 出鼻を挫かれてつんのめり、思わず恨めしい顔で振り向いてしまう。

 

「……何よ。急がなきゃいけないんでしょう?」

「お前その格好で行くつもりか?」

 

 え、と自らの姿を顧みれば、なるほど確かに呼び止められる理由がそこにはあった。

 ギーアたちが脱出した百獣海賊団の根城、ワノ国は鎖国国家である。独特の文化と技術を持っており、それは当然衣類の形にも影響している。なのでギーアはそこにいる間、悪党から奪ったワノ国の服で活動していた。

 しかし今度は逆に、それが目立ってしまうのだ。

 

「ワノ国の格好のままじゃ目立つ。これを持っていけ」

 

 そう言ってモリアは数枚の紙幣を手渡す。

 

「船の中にあったもんだ。それでまず目立たない服を買ってから行け」

「……ありがと」

「金で物を買うなんざ海賊として業腹だが……海軍の目があるんじゃしょうがねぇ」

 

 一般人の常識は海賊の非常識。

 まったく悪党らしいこと言うモリアを受け入れてしまうのは、自分も海賊の流儀に染められつつあるからだろうか。それを悲しむべきかどうか、はっきりとはしなかった。

 ギーアは受け取った紙幣の額を数え、なるほどこれなら服も一新できそうだ、と計算する。上下の服に靴、あと永久指針も物によっては買えるかも知れない。

 と、めくる紙幣に1枚の紙切れが混じっていた。掌に乗る程度の小さな四角い紙だ。

 

「モリア、これは?」

「持って行け、おれのビブルカードだ」

 

 ビブルカード。

 それは今ギーア達がいる“偉大なる海路”の後半、“新世界”で作られる特殊な紙である。個人の爪の欠片を元に作られ、平らな場所に置くと爪の元になった人物の方へ進むという性質がある。しかも火や水を受けても失われないため、時に永久指針などに代わる道標として使用されることもある。

 ギーアに渡されたのは、モリア自身のビブルカードの一部らしい。

 

「ここでは二手に分かれる。もし合流する必要がある時は、それを辿って来い。だがもし燃えるようなことがあれば……」

「――急いで向かうわよ。あんたがいないと、船が動かないんだから」

 

 ビブルカードにはもう一つの機能がある。

 それは爪の元になった人間の生命力を表すという性質だ。紙自体は決して失われないが、元となった人間の生命が危うくなると、独りでに燃え始めて小さくなっていくのである。

 しかしギーアはそんな事態を許すつもりはなかった。

 

「貰っとくわ。でもどこかで一端区切りをつけて、一度集合した方がいいんじゃない?」

「……そうだな。いつ戦いが始まるかも分からねぇ。昼過ぎにはここに戻ってこい」

「了解」

 

 示し合わせたギーアは今度こそ歩き出した。

 モリアもそうである。こちらとは正反対の方向へ歩いていくのは、別の場所から街に入るためだろう。半日で街の中から見つけ出すのだ、探し始める場所は離れていた方が良い。

 巌でできた上り坂を進んでいくと、高台にある町の入り口が見えてきた。

 

「さてね。手早く見つけられると良いんだけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 危惧は現実となった。

 

「無いなぁ……永久指針……」

 

 長く伸びる商店街の中を、ギーアはため息交じりに歩いていく。

 その姿はすでに新調されている。永久指針を買うために金銭を温存したので安物にしか手が届かなかったが、今は目新しいキャミソールにワイドパンツという軽装を身に着けていた。袖がなく裾がゆるい服にしたのは、手足が秘める兵器を使った時のことを考えたからだ。

 だが新しい服で練り歩く楽しみも、目当ての品がなければ肩を落とすしかない。合わせて買ったサンダルの靴底を擦るように歩き、立ち並ぶ商店のショーウィンドウを流し見する。

 やはりなかった。

 道すがら様々な商店を覗き、店主に問い合わせたものの、誰も彼もが首を横に振る。

 彼らに曰く、

 

(誰も彼もが買い求める、か)

 

 少し前にこの町で永久指針の需要が高まったらしい。

 近場の島から遠くの島まで、この町で手に入るあらゆる永久指針が買われてしまっている。記録指針ですら完売する有様なのだから、相当に求められていたのは間違いない。

 原因はやはり、海軍とダグラス・バレットに絡むものだろう。

 

(すでに噂になっている、ってわけね)

 

 バレットはこの“新世界”各地を転々としながら暴れまわっていると言っていた。ならば彼が来たことを察するのはそう難しくはないだろう。危機に聡い者なら近づいた時点で買いに走る。そこへ海軍の姿が見えるようになったとなれば、危機感のある者も買い求める。

 永久指針の消失は、そうした聡い者達の手によるものだとギーアは思っていた。

 しかし原因が推測できても問題を解決できなければ意味がない。こうなってしまっては後の祭りだ。この街において、正攻法で永久指針を手に入れるのはもう不可能だ。

 となれば、また誰かから奪うしかないか。

 

(都合よく海賊が出てくれたらなぁ)

 

 この島に来ているのはダグラス・バレットと海軍だけではない。

 船に連絡してきた者のように、バレットへの強襲を画策する海賊達が来ているはずなのだ。そういった者達なら永久指針か、あるいは磁気を溜め終えた記録指針を持っているかもしれない。

 だが彼らも今は姿を見せようとはしないだろう。下手に動けば、先に海軍に見つかってしまうからだ。それに下手に動けないのはギーア達も同じだ。向こうがこちらを百獣海賊団と誤解している以上、ボロを出してしまえばその海賊達にすら避けられ、本当に永久指針を手に入れる手がかりがなくなってしまう。

 船に残した電伝虫からかけ返すのは、最後の手段にしたかった。

 しかし事態はすでに八方ふさがりである。

 

「どうしよっかなぁ……」

 

 困り果て、見るものも見ずに歩み続けていると、商店街を抜けて開けた場所に出た。

 そこは広場であった。

 円形に開けた空間には環状の花壇が敷かれ、淡い色の花々が彩りを添えている。花壇の環の中はパラソルに机と椅子を一組として幾つも点在する一角があり、この広場が憩いの場として造られているのが見て取れた。そのためだろう、広場の外縁にある店はどれも飲食店だ。

 広場の四方はそれぞれ商店街へと続いており、ギーアが通ってきたのもその一つのようだ。どうやら漫然と歩き続けるうちに商店街を抜け、終点というべきここに出たらしい。

 しかし、

 

(? なんだろ)

 

 広場には人だかりができていた。

 数十人にわたる人垣が広場の奥にできており、休憩のために設けられた机や椅子を使う者は一人もいない。人ごみからはどよめきのようなものが聞こえ、この広場が作ろうとしていていた交流は行われていないように思われた。

 何だろうか、と思い、ギーアは人だかり近寄っていく。最後尾から先頭を覗くように背伸びをしていると、群がる後姿の向こうに噴水があるのが見えた。そして噴水の前には、2人の男がこちらに向かって立っている。

 どうやらこの人だかりは彼等を理由にして集まっているらしい、と思ったところで、

 

「――町民に告ぐ!!」

「うわっ!?」

 

 銅鑼を鳴らすような声がした。

 思わず耳を押さえて腰を落とすギーア。人だかりの面々も似たようなものだ。驚いて目を瞑ったり肩をびくつかせたり、唐突な大声に誰もが一様に竦んでしまっていた。

 声の主は、人だかりの向こうにいる男の片割れだった。

 

「現在この島には凶悪な海賊が潜んでいるとの情報が入っている!! 然るに我々海兵は、絶対正義の名の下にこれを叩き潰し、拿捕しなければならない!!!」

 

 改めて見た声の主は、なるほど確かに海兵であった。

 海軍将校にのみ与えられるコートを肩にかけ、腕を組んで仁王立ちする姿は大柄で逞しく、鍛えられているのが一目で分かった。頭にはフードを被り、更にその下につばの長い海軍帽を被っているので目元ははっきりしない。だがそれでも、顎骨の張ったいかつい顔立ちをしているのは見てとれた。

 それにしても大きな声である。

 広場を囲う飲食店の壁に反響するほどの声量だ。腹からたたき出される声色は鋼鉄のように固く、いっそ悲痛な印象すらあった。大儀は徹底して行われなければならないと自らに重く課しているかのような、凄まじいまでの気負いがそこにあるからだ。

 真面目な人なのだろう、とギーアは思った。

 しかしその真面目が人に受け入れられるものかは、また別の問題であったが。

 

「よってこの島は! この町は戦場になる! 町民は身分を証明する物を持って即時、我々が用意した避難船に乗って退避せよ!!」

 

 矢継ぎ早に放たれる男の宣言に人だかりは口々に不安を訴えた。

 

「ひ、避難船? そこまで大きな戦いになるのか?」

「そういえば最近、急に町を出て行く人が増えたわよね」

「でも海軍が来てるんだろ、なら島を出るまでしなくても……」

 

 誰も彼もが青ざめた顔を見せ合い、降って湧いた苦難に不満をもらす。

 しかしギーアは口を押さえ、驚きの声をあげないようにするので精一杯だった。

 

(来たんだわ、ダグラス・バレットが)

 

 事態を知った上でこの島に来たギーアには、ことの進展が理解できた。

 モリアも恐れる大海賊、戦うことに執着して海を荒らしまわる凶悪な犯罪者を追って来た海軍が、本格的に動き出したのだ。それも、こうして公共の場で堂々と避難指示を出すほど大々的に。

 彼等は被害がでるのを理解した上で、戦おうとしている。

 

「か、海兵さん、そんなこと急に言われても……」

 

 人だかりの中から一人の男が歩みだしてきた。

 恰幅の良い男性だ。商店街の顔役か、あるいは町長だったのかもしれない。気圧されているのは目に見えて分かったが、それでも声を上げて将校たちに反発する。

 帽子の将校は息を吸い、再び銅鑼のような声で答えようとした。しかしそれを手で制し、脇から出てくる者がいる。彼の隣に立つもう一人の将校だ。

 

「オー……サカズキィ~、そんなに怖がらせることはないよォ~……」

「……ボルサリーノ」

 

 サカズキ、それが帽子の将校の名前だろうか。

 制止された彼は、苛立たしげに進み出た将校の名を呟いた。しかし呼ばれた当人、ボルサリーノという将校はどこ噴く風で手を掲げて見せ、

 

「ここはわっしに任せなよォ~……」

 

 そういって、人だかりから踏み出した男に向き合った。

 ボルサリーノは、黒い帽子を被った面長の青年であった。背丈はサカズキに勝るとも劣らない長身だが、彼に比べて細く、肩にかける将校用のコートが随分大きく見える。白に縦じまのスーツを着込み、広げた腕の先には黒い皮手袋をした手があった。

 

「わっしの同僚が怖がらせてすまんねェ~……。でもねェ~……わっしらも町民の皆さんを、海賊退治に巻き込みたくないって話なのさァ~……」

「で、ですが海兵さん」

 

 サカズキよりは話し易いと踏んだのだろう、男はボルサリーノになおも食い下がった。

 しかし、

 

「わっしら中将が何人も出張らなきゃいけないぐらいのォ~……オー……危険な海賊っていうのはいるモンなのさァ~……」

「――!!」

 

 海軍中将。

 海をまたにかけ、世界政府加盟国を守る正義の軍団において、上から三番目にあたる階位。それに上り詰めるほどの実力者が何人もこの島に来ているというのか。

 息を飲んだ男の眼前に、ボルサリーノの顔が迫った。

 

「だぁから~……」

「ひっ!」

「わっし等も全力で皆さんを守るけどォ~……ンー……近くにいたら危ないだろォ~……?」

 

 大げさなぐらいに長身を曲げて、男に向けられた顔はあくまでも笑顔だ。

 しかしそれは、見るものを威圧する陰った笑みであった。

 

「わっし等もねェ~……そういうのは本望じゃないんだよねェ~……」

「う……!」

 

 にっこりとしたままのボルサリーノだ。

 しかしそれに町民たちの心配を和らげる目的があったとは思えなかったし、この場にいる誰もが、本当に好意からくる忠告をされているのだとは思わなかっただろう。それどころか、人だかりには萎縮したような空気があった。サカズキの怒号によって竦んだ人々が、続くボルサリーノの忠告で臆し、誰もが一歩後ずさってしまっている。

 

(ほとんど脅しじゃない)

 

 将校たちの町民に対する言動は、いっそ高圧的であるとギーアには思えた。

 しかしだからといって人だかりをかき分け、彼等に反論するようなことはできない。海軍にはあの態度を押し出すだけの権威と力があったし、自分にも彼らに食って掛かって目をつけられるのを避けねばならない理由があるからだ。

 何せ自分は悪の軍団を抱えるジェルマ王国の出身、しかも今は海賊ゲッコー・モリアの相方である。下手に口を挟んで正体がばれれば、その場で拿捕されることもありえる。

 

(ここは引いた方がよさそうね)

 

 身を潜めてこの場を離れるべきだった。

 幸いにしてギーアがいるのは人だかりの一番後ろだ。身を低くしていけば将校たちに見つからないまま、来た道を引き返すこともできるだろう。そうしてこの場を撤収し、モリアと合流してことの推移を伝えるべきだ。

 だからギーアはきびすを返し、来た道を引き返そうとして、

 

「おっと」

「!?」

 

 サカズキたちを返り見たまま走ったのが災いした。人にぶつかってしまったのだ。

 

「ご、ごめんなさい」

 

 思わず謝り、ギーアは相手を見る。

 そこには長身痩躯の男がいた。手足は長く、上半身は黒いシャツ、下半身は白いズボンの簡素な出で立ちだ。目元には丸いサングラスをかけており、いかなる目つきを自分にむけているのか分からない。髪はアフロのように膨らんでいたが、上半分をバンダナが絞っていたので、頬骨の張った顔の傍でのみ広がっていた。

 そしてそのバンダナには、そしてシャツの左胸には、海軍の印があった。

 

(海兵!)

 

 サカズキ達とは違い、将校のコートはかえていない。一平卒なのかもしれなかった。しかしここであの2人を呼ばれてしまうようなら、彼の地位は問題ではない。

 

「…………」

「え、ええっと」

 

 眼差しの知れない男は、依然としてギーアを見下ろしていた。

 への字に結ばれた口は憮然として見える。なにか不信を買ったか、と頬を汗が伝い、

 

「あららら悩殺ねーちゃんナイスバディ! 今夜ヒマ?」

「いきなりナンパか不良海兵!!」

 

 腹に一発見舞ってしまうギーアであった。

 

「オゥフッ! なかなか良いモン持ってんじゃないねーちゃん、見直したぜ!」

「見直すほどの何を知っているというのか……」

「まあ良いモン持ってるのは一目で分かってたけどな」

「このうえセクハラかッ!!」

 

 サングラスは値踏みする眼差しを隠すためだったのだろうか。

 ギーアは両腕で胸元をかばい、身をひねって男から隠す。しかし男の方は一転してへらへら笑うばかりで、一向に反省する様子が無い。とんだ不良海兵だった。

 こんな男に関わっている場合ではない。こうして喋っていることで将校たちの目に留まってしまうかもしれないのだ。

 早く行かなければならない。

 

「次からはもっとまともな誘い文句を考えるのね」

 

 だからギーアは男の横を通り過ぎようとした。サヨナラ、そう言い残して去ろうとして、

 

「――まぁ待ちなよ、ねーちゃん」

 

 男の手に腕をつかまれた。

 

「ちょっと、あんまりしつこいようだと……」

 

 言葉を続けることはできなかった。

 ギーアの腕を握る男の手が、まるで万力のような力を発揮したからである。

 

「……!!」

 

 改造人間であるギーアの腕は鋼の硬度を持つ。たとえそれだけの力を受けようとも折れるようなことない。しかしその握力はただの海兵が持つには有り余るものであり、何より、町ですれ違っただけの女に向けるような力加減ではなかった。

 いけない、と思った時にはすでに遅かった。

 腕を引いても振ってもびくともしない。男の腕こそ鋼でできているのではないかと思うほどの、不動の膂力がそこにはあった。

 

「さっきの、良いパンチだったぜ? いや本当に」

 

 油断した。

 男の腹に見舞った拳、その感触だけで、ギーアの腕がただの腕ではないと見抜いたのだ。もしかしたら最初に体がぶつかった時から怪しんでいたのかもしれない。ならば唐突なナンパは挑発だったのか。

 だとしたらまんまと嵌ってしまったことになる。

 

「ただのイカしたねーちゃんじゃねェな。――何モンだ、あんた」

「く……っ!」

 

 そこに軽薄な笑みはなかった。厳格に引き締まった無表情が、焦るギーアの顔ただ一点に向けられている。

 しかも悪いことに、先ほど思った予想が実現してしまう。

 

「――どうしたクザン!!」

「ンー……またナンパかいィ~……?」

 

 轟くような声と間延びした声が、人だかりの向こうからやってきた。

 サカズキとボルサリーノに気づかれてしまったのである。

 

「ちょ、ちょっと……!」

「まぁ逃げなさんなって。あいつ等の思うようにはさせんから」

 

 クザンと呼ばれたその男は、腕を掴んで離さないまま温情めいたことを口にする。しかし逃げようとしていたこちらからすれば、まったく何の容赦にもなっていない。

 そうこうする間にもサカズキとボルサリーノはやってくる。人だかりをかき分ける長身の2人は頭一個分飛びぬけていて、近づいてくるのが如実に見せ付けられた。

 もしかしたらクザンはサカズキたちと同じ将校であり、またサカズキたちもクザン並みの力を持っているのかもしれない。もしそうだとしたら、そんな3人に囲まれてしまえばギーアには一たまりもなかった。

 逃げなければならない。

 しかしどうやって逃げろというのか。

 

(か、考えろ……!)

 

 サカズキたちが来る前にクザンを倒して逃げる。無理だ。片腕だけでギーアを封殺するこの男を一撃で倒すことなどできそうになかったし、そうなったらサカズキたちは走ってこちらに向かってくるだろう。 

 同様にクザンを抱えて飛び去るのも却下。クザンに空いているもう一方の手も使われ、こちらが取り押さえられるのが関の山だ。

 八方ふさがりであった。

 

(こ、これまでか……!)

 

 2人の将校が人だかりを抜けて来た。もうまもなくギーアを中心にした三すくみが出来上がり、自分は逃げ場を失ってしまうだろう。そうなればギーアにできる事など一つも無い。

 しかし焦れば焦るほど思考は空回りし、考えはまとまらない。

 どうにもならない、ギーアは目を瞑って諦めを抱いた。

 その時である。

 

「――――――!!?」

 

 轟音、そして地響き。

 サカズキの声がちゃちに思えるほどの凄まじい爆音が響き、凄まじい縦ゆれが広場を、いや町そのものを襲った。中将たちですら立ち姿を崩すほどの激震だ、ギーアは足をとられて膝をつき、人だかりを作っていた町民たちもめいめいに倒れてしまった。

 大気を叩き伏せた轟きの名残は未だ根強く、全身の肌を一時に叩かれたような痺れがギーアを襲う。周囲の商店では、硝子が砕けてしまった窓も少なくない。

 

「一体何が……」

 

 誰が呟いたのか、痺れた鼓膜では聞き分けられなかった。分かるのは、それはこの場にいる誰もが思っているだろうということだ。何せギーアもその一人なのだから。

 これだけの災害があったのに、クザンの手は未だに腕を離さない。

 しつこい、と思い、もう片方の手で額を押さえ、ギーアはかぶりを振った。まあここで解放されたとしても、未だ震えの残る足では逃げるのも難しいだろうが。

 だったらせめてクザンの腕を支えにして立ち上がってやろうと思った。だから彼の袖を掴み、膝に力を入れなおそうとして、

 

「――え」

 

 都合、上を向いたギーアの瞳はそれを捉えた。

 それは天蓋だった。

 

「は?」

「んん?」

「お?」

 

 それが落とす広大な影に気づいたのだろう。将校たちや町民たちも空を見上げ、太陽の光を妨げる蓋が突然現れたことに目を丸くする。

 あれは何だろうか。どうしてあんなに大きなものが宙に浮いているのだろうか。

 だが酔いが覚めるような心持ちで、その思いが間違いだと気がついた。

 それは浮いているのではない。

 それは、空から落ちてくるのだ。

 

「はああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ―――――――!!!?」

 

 天蓋の正体は巨大な人間の背であった。

 巨人が空から降ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 広場が阿鼻叫喚で満たされた。

 集まっていた町人たちの誰もが絶叫し、唱和する絶望が高く響き渡る。それも当然のことだ。振ってくるのは広場を優に越える巨大な体である、下敷きになれば一たまりもない。

 誰も彼もが逃げ惑い、しかし今更走ったところで間に合わない。すでに巨人は落下を始めているのだ。あれほどの大きさであれば重さも相当、ならば墜ちてくる速さもそれ相応だ。

 広場が、いやその周囲にある商店が、諸共に圧砕される。

 それはもはや不可避の未来だと思った。

 

「し、死んだァ――――――――――!!」

 

 突然現れた災害のごときものに命を奪われる理不尽に目を見開き、悲鳴があがる。

 そのときである。押さえられていた腕が自由になったのは。

 

(……え?)

 

 何故、とクザンを見れば、手を放した彼はゆっくりと歩いていく。

 この局面でのんびり過ぎるほどに穏やかな歩調。死を受け入れて頭がおかしくなったのか、とさえ思った。しかし彼の横顔は冷徹なまでに平静な顔のままで、とても狂ったようには見えない。

 そして、おもむろに両手を天に掲げた。

 巨人を両手で支えるかのような姿で、次の瞬間、

 

「“アイス塊「大暴雉嘴」(アイスブロック・フェザントビック)”!!!」

 

 冷気が広場を駆け抜けた。

 そして巨大な塊が出現する。

 

「!!!?」

 

 それは光を反射する多面の結晶体。白く、または青く、向こうにある景色を歪めてみせる、透明度のある鉱物のごときもの。そして周囲の空気を凍てつかせる低温の源。

 氷だ。

 氷塊である。

 それもただの氷の塊ではない。周囲の商店をはるかに超える大きさの、しかし翼を広げた鳥を象る氷像であったのだ。翼から伸びる羽根の一本一本、鎖にも似た輪郭の尾羽に至るまで、大きさに対して精緻を極める、芸術品のごとき結晶である。

 そして氷像の鳥は、その広げた翼で抱きとめるように、墜ちる巨人を受け止める。

 

「――――――!!!」

 

 山を叩き伏せるような音がした。

 凄まじい重量と氷塊が激突し、像がひび割れる悲鳴じみた轟音が響き渡った。全力を発揮した腕に血管が浮き出すように、太い亀裂が氷像のいたるところを駆け巡る。だとしたら割れ目から吹き上がる氷の粉塵は、氷像の血飛沫なのだろうか。

 歯軋りのような耳障りな音が広場を満たし、誰もが耳を塞いで体を伏せた。

 誰も理解できなかっただろう。

 何故空から巨人が降ってくるのか。

 どうして巨大な氷塊が生えたのか。

 天地から迫る理不尽な災害に対して、ギーアはあまりにも無力であった。

 

「う、うううう……!!」

 

 歯を食いしばって異音に耐え、ただことの成り行きを見守るしかない。巨人と氷の巨鳥が激突するという現実の先に、何が待っているのかを。

 一体どれほどの時間が経っただろうか。

 体のあらゆる部位を引き締めて耐えしのいだギーアからは、時間の感覚が失われていた。

 しかしそれでも、未だ自分が息をしているのは理解できた。 

 

「と、止まった?」

 

 白く膨れ上がった吐息は、氷像が未だ健在であることの証拠だ。

 見上げるギーアの視界には、家よりも巨大な氷の鳥が翼を広げて巨人を抱きしめる、そんな光景が広がっていた。

 

「は、ははは……」

 

 ギーアは引きつった笑いをこぼした。

 今は氷像に挟まれて見えないが、向こう側にいる町民たちも同じ気持ちを持っているだろうと思いたい。朝の陽気の下で、突然巨大な氷が出現するなど、理解の範疇を超えた現象だ。

 しかしギーアは、それを起こせる力がこの世にあると知っていた。

 悪魔の実である。

 

「あんた、能力者だったの……?」

「まぁな」

 

 氷像の根元からクザンが戻ってきた。

 半身を氷で覆い白い息をつく彼は、事も無げに歩いてくる。まるで氷が自分の皮膚であるかのような平然とした様子に、ギーアは底知れぬ恐れを抱いていた。

 食った者に自然現象へ身を変える力を与える悪魔の実、“自然系”の力だった。

 

「ジョン・ジャイアント中将! しっかりしろ!!」

 

 氷像の向こう側でサカズキの声がした。降ってきた巨人の安否を確かめているらしい。

 氷像を背もたれのようにして倒れている巨人は、重厚な軍服に身を包んだ厳しい男だった。面長で顎の割れた顔は大猿を思わせる険しさがあり、常ならば厳格な表情を一時たりとも緩ませないのであろうと、初対面のギーアにすら思わせる。

 しかし今は白目を剥き、呆けた口の端からは一筋の血をこぼして横たわっている。

 

「あらららら、海軍初の巨人海兵がなんつう様だ」

 

 恐ろしいことに、巨人の屈強な胸には大きく陥没していた。骨を折り、心臓を叩き伏せているのが一目で分かるほどの、深い傷跡だ。

 まるで何か、凄まじい力によって殴り飛ばされたかのように。

 

(まさか)

 

 信じがたいことだ。しかしそうとしか考えられない。

 このジョン・ジャイアントという巨人は、何者かによってここまで殴り飛ばされたのだ。

 

「嘘でしょ……」

「残念だけど本当」

 

 どうやらクザンも同じ結論に達したらしい。

 見上げていた彼の顔は、いつの間にかこちらを見ていた。

 

「聞いたろ? ヤバい海賊が近くにいるって。これ、間違いなくそいつの仕業なんだわ」

 

 クザンはその名を告げる。

 

「――ダグラス・バレット。おれ達は奴を止めるためにここに来た」

「……!!」

 

 やはりだ。クザンが、海軍中将が何人も一つところに集まった理由は、それだったのだ。

 ダグラス・バレット、奴は巨人を一撃で倒すほどの力を持っているというのか。

 

「こうなっちまったらねーちゃんへの職質は無しだ。これを幸運だと思うなら、幸運なうちにこの島を出な。巻き込まれたくねェだろ?」

「――おいクザン、何をしている!」

 

 クザンの忠告を怒声が切り捨てる。

 地を強く蹴る音がして、向かいに建つ商店の屋根に人が飛び移った。数は2人、はためいているのは将校専用のコート。サカズキとボルサリーノだった。

 サカズキが指差すのは、ジョン・ジャイアントが飛んできた方角だ。

 

「行くぞ! ダグラス・バレットは向こうにいる!!」

「分かってらァ! すぐ行くから待ってろ!!」

 

 相変わらずの銅鑼を鳴らしたような声に、クザンも声を張りあげた。

 そして最後にこちらを見て、

 

「じゃあな。生き延びてくれよ」

 

 それだけ言って、クザンは一瞬にして姿を消した。

 前もってサカズキ達が屋根の上へ飛び乗っていなければ消失したと思ったかもしれない。見上げれば2人の傍にクザンの姿があり、またすぐに姿を消してしまった。恐らく奥の建物へと飛び移っていったのだろう。

 そうして後には巨人と砕けた巨像、そしてギーアと町民たちが残された。

 

「お、おい」

「ああ、海兵が言ってたのは本当だったんだ……このままここにいたら、こんな戦いに巻き込まれるんだ……!」

「急いで島を出るんだ! 他のみんなにも声をかけろ!! 早く避難船へ!!」

 

 氷像の向こうからざわめくような声がする。誰も彼もが口々に叫び、あわただしく走り回る。見れば、周囲の商店街からも人が飛び出し、巨人と巨像を見上げて驚いている。きっと彼らにも話は伝わり、皆もろともに島から逃げ出すだろう。

 ギーアにしても、いつまでもここでじっとしてはいられない。

 

「モリアと合流しよう……!」

 

 事態は急を要する。こうなったら近海に退避するだけでも良い、とさえ思った。とにかく一刻も早く、彼らの戦いから遠ざかることが必要だった。

 そのための手立ても、今のギーアは持っている。

 

「そうだ、ビブルカード!」

 

 ズボンのポケットから取り出したのは一枚の紙切れ。町に入る前にモリアから手渡された、彼のビブルカードである。それを水平にした掌に置けば、糸で引いたかのように独りでに動きだす。

 モリアがその先にいるのだ。

 

「急がないと……!」

 

 震える足に力を込めて立ち上がり、ギーアは紙片の指す方へと走り出した。




新章突入、という感じで。
サカズキが方言じゃないのは、ロビン過去編で登場した時のサカズキに準拠してるからです。なまり始めたのって歳食ってからなんですかね。

感想・評価をいただけると喜びます。主に私が。


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“鬼の跡目”と呼ばれる男

 人が濁流をなす光景がそこにはあった。

 誰も彼もが顔を青ざめさせ、おぼれたように手足を振り抜き駆けていく。いずれの顔も恐怖と焦燥で塗り固められ、それは走るほどに砕けて周囲に及び、隣り合う者、すれ違う者へ不安という病を伝染させてしまう。

 恐れは焦りを、焦りは不安を、そして不安は逃亡へと至る。状況が個人を汚染し、さながら一塊の存在であるかのように融け合わせる。

 混乱だ。

 混沌といってもいい。

 つい先ほどまで賑やかだった商店街は騒然と荒れ狂い、来客と町民はその区別を失い、ただとにかくこの場から一刻も早く逃げ出すことしか考えられない、烏合の衆と化していた。

 

「――逃げろ!」

 

 男も女も、老いも若きも関係なく、誰もが口にする言葉。

 あるいは走る以上の速さで、その言葉は町中に広がっていく。

 

「船着場へ! 早く海軍の避難船に逃げるんだァ!!」

 

 周囲に対する精一杯の善意だったのかもしれないし、あるいは叫ぶ者が自らに言い聞かせるため口にした鼓舞だったのかもしれない。ただいえることは、この人の波が向かうところを示す言葉は、まさしく一方へと迸る濁流の音そのものに思えたということだ。

 

「くそ……っ! 何だってこんなことに!!」

 

 誰かが怒りを露わにした。

 しかしそれは、併走する数多の声によってすぐさま説き伏せられる。

 

「仕方ねェだろ! 海軍中将が暴れるってんだぞ!?」

「敵は巨人族をぶっとばすような化け物っていうじゃねェか!」

「そうだ、おれは見たんだ! 商店街の広場に巨人が降ってきた!!」

 

 何度も繰り返されるこのやり取りは、そして最後にはその一言で結ばれる。

 

「巻添えをくう前に、逃げるんだよォ――!!!」

 

 その叫びがあがるたびに遁走は加速した。

 一方通行の恐慌が、町から海辺へ向かって人々を押し流す。濁流は一路、町の端にある船着場へ向かって流れる。そこに停まる、一隻の巨大船へと。 

 

「……ひどいわね」

 

 そうし光景を、ギーアは屋根の上から見下ろしていた。

 俯瞰した遁走の濁流は、同じ高さにたって見るのとはまた違った理解があった。誰も彼もが自分のために動いているのに、結果として一緒くたになり個人が失われる。意思が一斉に暴走して巻き起こるこの状況に対して、身の毛もよだつ何か恐ろしいものを感じた。

 あの流れにいては目的を達成できない。ゆえにギーアは屋根の上へと上がったのだ。

 ギーアは走る。

 濁流に逆らう方へ向かって。

 平らな屋上を、屋根の峰を、時に建物と建物の隙間を大きく跳び越え、速やかに。

 その掌には、一枚の紙切れが乗っていた。

 

(やっぱり貰っといて良かったわね)

 

 紙切れの名はビブルカード。

 個人の爪を材料とし、その主の安否と居る方向を確かめることができる、特殊な紙片だ。

 ギーアが持っているのは、ここまで一緒に航海してきた男のもの。この町で別行動するにあたり渡された物だが、良くも悪くもこうして早速役立つ羽目になった。

 鍛えられた体は風を切り、いったい幾つの建物を跳び越えていっただろうか。紙片の向くままに走り続けてた先に、ギーアはその姿はあった。

 

「――モリア!!」

 

 人と人の区別が失われた濁流にあって、それでも目立つその男。何故なら彼は巨躯だからだ。さながら押し寄せる波を割る大樹のように、ゲッコー・モリアの体は人波を左右に二分していた。

 

「ギーアか!」

 

 呼びかけに気づき、モリアはこちらが立つ屋根の方へと近寄る。

 

「これは一体なんの騒ぎだ!? まさか……」

「ええ! 残念だけど始まったわ!!」

 

 2人はこの町で騒乱が起きることを予期していた。

 ダグラス・バレット、その男が狙われると知っていたからだ。

 かつて海賊王ゴールド・ロジャーの下にいた、今は行く先々で海を荒らす凶悪な海賊。正義を標榜する海軍はもちろん、同じ海賊ですら彼を憎み、その両勢力は武力をもってこの島に集結していると、聞き及んでいたからだ。

 だからそれらが動き出す前に逃げたかったのだが、間に合わなかった。

 

「さっき海軍に会ったわ! “自然系”の能力者と、中将が2人! ぶっ飛ばされてきた巨人の海兵を受け止めて、どっかに跳んでいった!!」

「巨人族の海兵……!? ジョン・ジャイアントか!!」

 

 それは確かに、あの広場で中将の一人が口にした名前であった。

 

「鳴り物入りの海軍中将だぞ!! それをぶっ飛ばしただと……!? やはりダグラス・バレットか!!」

「こうなったらもう無理よ! 近海に逃げるだけでもいいわ、早くこの島を出ましょう!!」

 

 別の島へ行くのに必要な永久指針も見つけられなかった。

 戦場となる島の圏内から出られないのは不安だが、それでも爆心地にいるよりは大分マシだ。次善の策ではあるが、もうそれにすがるしかない。

 

「早く船に――……」

 

 行こう。

 ギーアがそう言おうとした瞬間であった。一閃が奔ったのは。

 

「――――」

 

 誰も反応できなかった。それがこの世で最も速い力の集約であるが故に。

 人々が逃げ惑う商店街の道、その一角を突如して一条の光が貫く。

 

「うあああああああああ!!?」

 

 家屋が内側から破裂し、破断した材木や硝子が逃げ惑う人々へと降り注いだ。貫いた光線によって焼かれたのだろう、飛来する建物の瓦礫には、火を伴って落ちてくるものも少なくない。

 雨のように注がれた硝子から人々は頭を庇い、しかし幾人もが瓦礫に押し潰され、停まれなかった後続を走る者たちに踏み潰される。唐突な災害によって、濁流をなす人々は更なる混乱に陥ってしまう。

 人々に混乱をもたらしたその光に、ギーアは心当たりがあった。

 

「レーザー……!?」

 

 科学技術に秀でた国で育った彼女には、その知識がある。なんらかの技術によって光を圧縮して放ち、あらゆるものを焼き貫くエネルギーの矢だ。

 しかし理論上はありえても実現する力が今はない、そのはずだったのに。

 

「どうしてそれがこんなところに……」

「おいギーア! そこを下りろ!! ――まだ来るぞ!!」

 

 え、とモリアの叫びに疑問を漏らしたとき、確かにそれはやってきた。

 ギーアが立つ商店街の向こう側で、再び光が発せられる。

 

「……!?」

 

 しかし今度の光は、今しがた建物を貫いた光線とは質が違った。赤みを帯び、周囲の景色を陽炎によってゆがめる、膨大な熱量を持つ光だったのだ。否、光が本体なのではない。光と熱をともなう巨大な塊が、そこに現れているのだ。

 赤と黒を含む、炎と岩の混合物。

 その呼び名もまた、ギーアは知っていた。

 

「溶岩……!!?」

 

 火山などない。起伏すらないこの拓かれた町中で、それは突如出現する。

 遠くからでもよく見えるほど巨大な溶岩の塊が、ギーアの視界を右から左へと飛び抜けていく。奇異なことにその塊には造形があり、拳のような形をしているように見受けられた。

 塊は軌道上にある全てを焼き払い、一直線に飛んでいく。

 だがある一点に差し掛かった時、突如として進みを止め、そして、

 

「嘘でしょ――――――――――!!!?」

 

 崩壊した。

 一山はあろうかという溶岩の塊に亀裂が走り、一瞬にして数十の断片となって四散する。断片といっても元々が大きいのだから飛び散るものもまた大きい。人の二倍三倍はあろうかという融解した岩石が、炎をまとって四方八方に降り注いだのだ。

 それはまさしく噴火というべき惨状だった。

 

「……!」

 

 急いで飛び降りた屋根にもまた、溶岩の断片は到来した。

 飛び散った溶岩は屋根を押し潰し、打ち砕かれた家屋は瓦礫を宙に吹き上げる即席の火山となる。新たに舞い上がった瓦礫が更なる破壊となって降り注ぎ、商店が密集する一帯に甚大な被害をもたらした。

 家屋が、人が次々と失われていく。

 連鎖する倒壊によって商店は次々と失われ、地面を舗装しようとするかのように降り注いだ瓦礫は、地を走る町人たちへと襲い掛かった。

 ある者は頭を砕かれ。

 ある者は肩を抉られ。

 逃げ惑う背に無慈悲な脅威があますことなく突き刺さる。

 しかしそれでも逃げ続ける人々にできることは、隣で起きる隣人の悲鳴に耳を塞ぎ、脚を交互に繰り出し続けることでしかない。

 逃げ延びることが一体何割程度だっただろうか。逃げられなかった者たちの亡骸はどこに埋もれてしまっただろうか。瓦礫の平原と化したこの場所ではもはや定かではない。華やかですらあった商店街は、瞬く間に焼け野原へとその姿を変えてしまったのだ。

 

「い、一体、どうして……」

「決まってんだろ、能力者だよ!!」

 

 屋根から跳び下りる僅かな間に、景色は飛来する炎と岩に平らげられてしまった。その現実にギーアは竦み上がるしかない。

 そんな彼女を受け止めたモリアは、燃え盛る廃墟を睨みつける。

 

「光と溶岩、“自然系”が2人もいるのか……! 」

 

 商店街を更地に変えた力を悪魔の実の能力だとして、その使い手が何人いるのかをモリアは予想したのだ。

 しかしギーアはそれが間違っていると気づいた。何故なら、もう一人の“自然系”の能力者と出会っているからだ。

 

「違うわモリア、3人よ!!」

 

 その瞬間だった。球状の氷塊が天に打ち上げられたのは。

 投石器で放られたかのように山なりを描くそれは、上りつめるのもそこそこに、ゆっくりと降下を開始する。落ちるほどに速度は増し、いまや風を切って甲高い音をたてるほどになった氷塊が向かうところは、

 

「こ、こっちに来る……!」

 

 息絶えた者と逃げ延びた者、そしてギーアとモリアしか残らないこの一帯にそれが落ちたのは、幸いであったのか不幸であったのか。おそらく逃げおおせた者にとっての幸いであり、こうして生きて残されたギーアたちにとっての不幸であるといえるだろう。

 鉄球が打ち付けられるような音がして、瓦礫と粉塵が吹き上がる。ギーアは不発弾が真横に落ちてきた心境で、降ってきたそれを見つめていた。

 

(氷……まさかクザンが……?)

 

 商店街で出会った海兵のことを思い出す。一瞬で建物より大きな氷像を作り出す彼なら、この程度の氷塊を撃ちだすなど造作もないだろう。

 流れ弾だろうか、とギーアは思い、

 

「……違う!」

 

 間違いだと気づいた。

 

「氷の中に、何かいる……!」

 

 とっさに呟いてしまったギーアだったが、しかしそれさえも間違いだった。

 氷塊は流れ弾ではなかったし、中にいるのも、何かではなく、誰かだったのだから。

 

「……!!」

 

 氷塊の中にギーアは人影を見た。

 身の丈にしてギーアの二倍以上はある、逞しい体つきをした大柄な影である。膨れ上がった肩と腕は、その人物が身の内に秘めた凄まじい膂力を、姿によって物語っている。しかしそれもいまや氷のうちに封じられていた。このままなら放置すれば、内臓にいたるまで凍てつき果てるはずだ。

 だがその時、氷が亀裂を刻んだ。

 

「――伏せろ!!」

 

 モリアがギーアを地面に押さえつけるのと、氷塊が爆ぜたのはほぼ同時だった。

 岩が砕けるような音がして氷塊は炸裂し、飛び散った断片が瓦礫や廃墟へ撃ちこまれる。

 信じがたいことだ。氷の中にいた男は、その腕力だけで内側からあの氷塊を砕いたのだ。そして自らの力を持って自身を解放せしめた男は、残る氷塊を踏み砕いて地に下り立つ。

 筋骨流々な肉体に凶相を掲げた男が、ギーアの前に現れる。

 

(まさか……)

 

 あの氷はきっとクザンのものだ。

 海兵である彼が力を振るう相手は、海賊をはじめとする犯罪者に他ならない。そして、彼の力を持っても封殺できない力を持つ者など、ギーアは多く知らない。

 その数少ない心当たりの一人が、脳裏を過ぎった。

 海賊王ゴールド・ロジャーの部下。

 世界で最も過酷な“新世界”の海を荒らす者。

 海軍中将が何人も集まらなければならないほどの猛者。

 この男こそが、それなのだ。

 

「――ダグラス・バレット」

 

 “鬼”の跡目と呼ばれる海賊が、今、ギーアの目の前に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 粉微塵になった氷を男は踏み躙る。

 内臓の全てを筋肉に置き換えたのかと思うほどの逞しさを誇る、赤々とした肌の屈強な男であった。太い腕、逞しい肩、巨大な体、隆起する強靭さによって軍服は張り詰め、うちにした逞しさを隠すところがない。峻険な巌から削りだされたような、厳然とした体躯がそこにはあった。

 そして氷の中でも死ななかった眼差しが、憤然と世界を睥睨する。

 

「……………………」

 

 男、バレットは無言であった。

 筋肉で膨れ上がった腕は微動だにせず、息を漏らすこともなく、ただ黙って自分が飛んできた方角を鋭い眼差しで見つめている。

 彼は待っていたのだ。自分を攻め続ける追っ手の到来を。

 それらは一瞬の後に現れた。

 

「……バレットォ!!」

 

 廃墟を蹴散らしてバレットに迫る3人の影。

 それは広場で出会った男たち。一瞬にして巨大な氷像を作り出した海兵クザンと、その同僚と思しき2人の中将、サカズキとボルサリーノだった。

 視界の外から一瞬で現れた3人は、めいめいに腕をふるってバレットに迫る。

 

「“天叢雲剣(あまのむらくも)”」

「“アイスタイム”!!」

「“冥狗(めいごう)”!!!」

 

 右から迫るサカズキが煮え立つ溶岩の掌底を繰り出した。対する左からはクザンが氷塊のような掌を突き出し、中央上段からはボルサリーノが光の塊のような長剣を振り下ろす。

 一つとってしても致命傷は避けられない攻撃だ。それが三方から同時に迫る絶対の布陣。只人であれば次の瞬間に絶命させられる、ギーアはそう思った。

 しかしそれを破るからこそ、ダグラス・バレットという男は怖れられているのだ。

 

「!!?」

 

 ギーアが目の当たりにしたのは、クザンとサカズキの攻撃を躱し、ボルサリーノの腹を打ちぬくバレットの姿だった。

 

「え……?」

 

 彼の拳は黒金のように変色していた。否、実際に鋼鉄そのものになったのかもしれない。中将に至るほどの男が、ただの一発で身を折るほどの威力があったのだから。

 

「は、覇気ィ~……厄介だねェ~……!!」

「……悪魔の実の能力に頼りすぎだ」

 

 たった一言の応酬、それを経てボルサリーノの体は地面へと叩きつけられた。

 

「ボルサリーノ!」

「てめぇもだ!」

 

 中空からバレットの蹴りが放たれる。

 殴り飛ばされた彼へと振り返るクザンの顔が刈り取られ、ボルサリーノとは真逆の方向へ吹き飛び、燃え残った商店の壁をその身でもって粉砕した。

 後に残るのはサカズキだけだ。

 

「貴様ァ――――!!」

 

 噴煙を引く溶岩の左腕が再び振りぬかれ、

 

「ぬん!!」

「ぶ……!!!」

 

 交差する互いの左腕、しかしサカズキのそれを紙一重で躱し、バレットの拳がサカズキの顔面を真っ向から打ち抜いた。

 それでも尚倒れまいするサカズキ、ぐらつく足を一歩引いて踏み止まり、

 

「オオオオオオオオオオオオオオォォォォォ!!!」

 

 はじめてバレットが雄叫びをあげた。

 そして放たれる峻烈な一撃。控えていた右の正拳がサカズキの胸を穿ち、はるか彼方まで突き飛ばして山積する瓦礫に埋没させた。

 一瞬だ。

 刹那の交錯だった。

 ただそれだけの時間を持って、3人の海軍中将は一蹴されたのである。

 

「……嘘でしょ」

 

 見ているしかできなかったギーアは、ここに至ってようやく口を開くことができた。

 クザン。

 サカズキ。

 ボルサリーノ。

 揃いも揃って悪魔の実最強といわれる“自然系”の能力者、それも海軍中将に上り詰めるほどの実力者だったはずだ。そんな彼らが、たった一人の手によって一瞬で叩き伏せられる。

 我が目を疑う光景であった。

 それを事も無げに成し遂げる男、それがダグラス・バレットという男なのか。

 

「信じられねェ……!」

 

 隣のモリアも同じ心境だったらしい。思わず息を飲む彼は、海軍の戦力やバレットについて自分以上に知っている分、ギーア以上の衝撃を受けているのかもしれない。

 

「ぐ、ぐぉ……!」

 

 そんな中で、サカズキは苦悶しつつも立ち上がった。ボルサリーノも、クザンもだ。降り積もっていた瓦礫を払いのけ、腕をついて自らの体を起き上がらせる。

 それを見るバレットは、狂犬そのものといった風の獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「そうだ、立ち上がれ! この海は戦場だ、死ぬ瞬間までこのおれに挑み続けろ!!」

「ほざけ“悪”め……! 正義の、名の下に……!! 貴様を……!!!」

 

 血の泡をこぼすサカズキは呻き、決起するように再び腕が溶岩へと変貌する。

 そのときだった。

 

「そこまでにしとけ」

 

 彼の肩に手が置く者が現れたのは。

 

「!!!」

 

 初老の男である。

 顎ひげをたくわえ、髪は左右から白く染まりつつあったが、左目の縁に三日月形の縫い傷を刻むその顔は溌剌として陰るところがない。太く逞しい胴と腕は、今を持ってその男が現役であることを如実にしめしていた。

 男の肩にあるのは将校専用のコート。彼もまた、海兵であった。

 

「ガープ中将!」

 

 サカズキはその名を呼んだ。

 位は同格、だが呼び声に含まれる敬意は、彼をはじめとする3人とその男の間に、埋められない差があることをギーアに伺わせた。

 ガープ、その初老の男はサカズキを押さえて前に出る。

 

「若ェもんのやり合いに手を出すのは性分じゃないが……! 奴相手にはそうも言ってられん!!」

「何を言っているガープ。何のためにお前たちを揃えたと思っとるんだ」

 

 更に新たな人物が現れた。

 ガープに続いてサカズキの背後からやってきたのは、玉のような髪を蓄えた眼鏡の男だ。謹厳実直を絵に描いたような顔はガープと同世代、だが彼と同じく、歳を感じさせない屈強な体はただ歩くだけでも威圧感を漂わせている。

 彼も類に漏れず将校のコートを羽織っていた。しかしその位階は、他の面々と同じものではなかった。

 

「嘘だろ……!」

「モリア? あれが誰か知ってるの!?」

 

 廃墟と瓦礫に身を隠す中、驚愕のあまり口を閉じられないといった風の彼に問いかけた。

 

「大将センゴク……! 海軍最大戦力の一角、“仏”のセンゴクだ!!」

 

 大将。

 中将を超える海兵が、ついに現れたのである。

 それに対するバレットは、獰猛な喜色をより一層深めていた。

 

「“海軍の英雄”モンキー・D・ガープと、最大戦力“三大将”の一人、センゴクか……!! ようやくそれらしい敵が現れてくれたじゃねェか!!」

「だ、そうだぞ」

「狂犬め……イカレとる」

 

 ガープとセンゴクに対し、バレットは拳を固める。

 歳にして倍以上の開きがあるだろう2人に、しかし男は怯むどころか戦意を煮えたぎらせていた。揺らぐところのない双眸は闘志で燃え盛り、眼前にそびえる敵を打ち倒すことしか考えていないことが、全身から溢れ出る闘争心で伝わってくる。赤々とした肌はより色を深くし、赤熱する鋼鉄と見まごうばかりだ。

 対するガープとセンゴクも、肩に羽織るコートを脱ぎ捨てることで戦意に応える。首もとのネクタイを緩め、青年を迎え撃つべく意気を吹き込まれた筋肉は大きさを増し、包み込むスーツは張り裂けんばかりに膨れ上がった。

 

「…………」

 

 無言で進み出るのはガープだ。

 赤鬼ともいうべき青年に対し、頑健な初老の男は臆することなく歩みを重ねる。

 一歩、二歩、地を踏むほどに失われる両者の距離が大気を竦ませ、痛いほどの緊迫がギーアにのしかかってきた。

 固唾を飲んで見る中、ついにガープとバレットの距離は十歩にも満たないところまで迫り、

 

「……え?」

 

 消えた。

 激突はその直後だった。

 

「!!!!」

 

 両者の間は一瞬で失われ、互いの拳が衝突する。

 圧倒的な威力の相殺は周囲を薙ぎ払う衝撃波となって打ち寄せた。

 恐ろしいまでの打撃力の交差、だがそれは幕開けに過ぎない。幕開けの余波でさえ、ギーアにとっては必死に身を伏せ耐えなければならないほどの威力を持っているのだ。

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ!!!」

 

 雄叫びが重なる。

 互いの拳が握り締めた威力は拮抗し、鍔迫り合いのように軋んで競り合う。

 突き出された腕は膨張を続け、譲るところのない男たちのせめぎ合いは臨界点を迎えた。

 

「ぐ……!!」

 

 ガープとバレット、2人の拳が弾かれる。

 激突の狭間で凝縮された威力はついに両者の膂力を超え、両者を弾き返したのだ。

 しかしそれを認める男たちではない。

 

「ぬん!!」

「だァッ!!」

 

 ガープの右拳がバレットの脇腹を貫き、バレットの左拳はガープの顔面を打ち据える。初撃が終わるやいなやの、一瞬の交錯。

 どちらも食いしばる歯から血をこぼし、

 

「うお……!!」

 

 しかし止まらない。加速する。

 人に拳は二つある、ならば敵を打つ間に次を打て。

 

「お!」

 

 打て。

 

「お!!」

 

 打て。

 

「お!!!」

 

 打て。

 

「お……!!!」

 

 打て打て打て、打ち抜いてしまえ――!

 拳は空気を穿ち、音を置き去りにする幾百の打撃へと進化する。

 数多の残像が男たちの間を疾走し、その最先端にある一打が敵を打つ。

 肩を、胸を、腹を、時には相手の拳を迎え撃ち、一撃必殺の連撃が応酬される。

 いまやガープとバレットは多腕の修羅、眼前のそれを倒すことだけが腕を振るう理由。

 その腕に力と速度がある限り、男たちの殴打は止まらない。

 

「……あれは……」

 

 いつしか拳が黒く染まっているのにギーアは気づいた。

 さっきバレットがボルサリーノを破ったときにも見た、黒金のごとき拳の輝きだ。

 

「――覇気だ」

「覇気?」

 

 問い返しにモリアは頷いた。

 

「体内を巡る意思の力だ。気迫や威圧……そういった類の、人間が誰しも持っている“力”。それを引き出した時、相手の気配を読み、体は鉄のように硬くなり、変化する悪魔の実の能力者も確実に捉える」

「あの黒い拳が、それ……?」

「武装色硬化だ。強い覇気を集約させた拳。あれだけの覇気で殴られて、どっちも倒れねェとはな……!!」

 

 モリアの顔には戦慄が浮かんでいる。今目の前で応酬されている力は、それほどの高みにある力なのだ。 

 今や両者は黒い嵐となっていた。

 唸る疾風には武装色の輝きが走り、相手が倒れぬ限り止ることはない。 

 

「……カハッ!」

 

 暴風に混じる声。

 風を切る音で連続する中、ギーアは確かにそれを聞く。

 

「カハハハハハハハハハ……!!」

「――笑ってる」

 

 それは哄笑だった。

 狂気に等しい狂喜が起こす、闘争に沸き立つバレットの歓喜。

 未だもって倒すことができない敵の存在に、“鬼”の跡目は歓喜しているのだ。

 

「やるじゃねェか“海軍の英雄”!! 久しぶりだぜ、殴っても倒れねェ奴はな!!!」

 

 歓喜で加速した一撃がガープへと叩き込まれる。

 

「お前に勝てば……! おれの強さはまた一歩、奴に近づく……!!」

「――ぬかせ小僧!!!」

 

 だが男が倒れることはない。

 額からしとどに血を流し、それでもガープの拳は繰り出された。

 狙うは突き出されたバレットの拳。横から打ち抜かれ、巨大な腕が払われる。

 腕を強制的に広げさせられ、開かれた胸へとガープの追撃が叩き込まれた。

 

「ウ……!」

 

 ついに両者の対峙が崩れた。ガープの一打が敵の巨体を後方へと吹き飛ばしたのだ。

 しかしバレットは踏み止まった。突き立てられた二本の脚が地を削り制動をかけ、

 

「退けガープ!!」

 

 そこにセンゴクが飛んだ。

 ガープの頭上を通り抜け、海軍大将はバレットへとその力を下す。

 

「何!!?」

 

 それは黄金の巨体であった。

 一瞬で膨れ上がった体躯は三倍以上、半裸になった体は金色に光り輝き、玉のようだった髪は螺髪へと変わる。その姿はまさしく仏、しかしバレットを睥睨する顔には、仁王もかくやという憤怒の相が刻まれていた。

 そして大いなる掌底が放たれる。

 

「ぬん!!!」

 

 鐘の鳴るような音とともに、大地は砕かれた。

 掌から放たれたのは衝撃波、球状の力場はバレットを飲み込み、土と瓦礫を粉砕する。

 

「オォ……!!」

 

 内臓まで震わす痛打に、さすがのバレットも苦悶した。

 だが攻めの手は緩まない。掌底を放つとともに引かれた左腕は既に力を込められている。

 連撃がバレットを襲う。

 

 

「”悪身打打(アミダブツ)”!!!」

 

「!!!!」

 

 輝ける拳がバレットを叩き伏せた。

 衝撃波によって浮いた男に堪える術はなく、その強固な体をもって地を割ることとなる。

 さながら板を割るように地殻は砕け、即席の谷間へとバレットは身を落とす。

 信じがたい光景だった。

 つい先ほどまでクザンたち中将を一蹴していたバレットが圧倒される。それだけの力を示す男たち、ガープとセンゴクの存在に、ギーアは驚愕を禁じえなかった。

 しかし、もっと信じられないのは、

 

「――カハハ」

 

 それでもなお立ち上がる、バレットであった。

 

「まだだ! まだおれはくたばっちゃいねェぞ……!!」

 

 男は傷だらけだった。

 身に着けていた軍服はすでに破れ、筋骨流々な肉体が露出している。赤々とした体はいたるところから血を流し、およそ人間が立ち上がれるような状態ではない。少なくともギーアにはそう見えた。

 しかしバレットは立ち上がる。

 

「これが、“鬼”の跡目」

 

 我知らずとギーアの唇はその名を呟いていた。聞くに勝る、とてつもない強さだと。

 しかし最も恐ろしく思うのは、強靭な腕力でも屈強な肉体でもない。自分の全身全霊をかけて徹底的に相手をねじ伏せ、それを果たすまで決して折れようとしない、妄執に等しいその闘争意欲が恐ろしかった。彼が見せた戦闘力は、それを振るう男の精神を示す一端に過ぎない。

 戦争に明け暮れる祖国ですら、敗けないための計略と軍備を整える知性があった。

 しかしあのダグラス・バレットという男にはそれがない。ただ一途に、自分の強さのみをもって相手を正面から打ち破ることに固執している。

 闘争自体にここまで執着する男を、ギーアは未だかつて見たことがなかった。

 

「……あれを受けてなお立つか」

 

 黄金の巨体を収め、本来の姿に戻ったセンゴクもまた同じ心境だったらしい。

 ガープとあれだけの応酬を交わし、地を砕くその力で真っ向から叩き伏せて、それでも立ち上がってくる男に対し、驚嘆の表情を浮かべている。

 

「まったく、ゴールド・ロジャーも厄介な奴を残してくれた」

 

 その名を口にした瞬間、バレットの気配が変化した。

 喜悦から憤怒へと。

 

「……黙れ」

「貴様が奴の死をきっかけに暴走を始めたのは分かっている」

 

 背から炎が噴き出したのではないかと思うほどの、峻烈な怒気がそこにはあった。しかしそれに動じる大将ではない。地鳴りのような返答に臆することなく言葉を続ける。

 ガープもまたそうだ。

 顎ひげを濡らす血を拭い、一対の拳を構え直す強靭な男。だがその顔には、あるいは憐れみとも呼べるような悲哀の情がにじんでいた。

 

「“金獅子”にも言ったが……! お前との勝負なら奴の勝ち逃げだ!! 死んだ者の影を追って、今を生きる者達の世を乱すのはよせ!!」

「黙れェ――――――――!!!」

 

 空気を破砕せしめる怒声が爆発する。

 烈火のごとき怒気が、彼の叫びとともに噴出したのである。

 

「貴様等が……!! 奴を語るなぁ!!!」

 

 大気が萎縮するのをギーアは感じていた。

 激昂によって染め上げられたバレットの体は、もはや赤黒いほどだ。嵐にも等しい憤慨は周囲を震わせ、降り注ぐような気迫によってその場にあるもの全てを圧倒していた。

 ギーアは必死でそれに耐える。

 きっとモリアもそうだ。3人の中将たちも、きっとガープやセンゴクですら、その威圧を前にしては、耐えることに力を注がなければならなかっただろう。

 ゴールド・ロジャー。その名を口にしただけで、彼の怒りは頂点を極めたのだ。

 

「おれは強い……! おれの強さは、やつを超えるんだ……!!」

 

 激憤の赤鬼は放つ眼光は、2人の男を射殺さんばかりだ。

 しかしそれを受け止めるガープとセンゴクには、そんな彼を哀れむような気持ちすらあるようだった。

 

「死んでしまった者にどうやって勝つ?」

「諦めろ! お前が奴を越えることは、もう出来やしないんだ……!」

「黙れ……! 黙れ黙れ黙れ……!!」

 

 憤怒はとどまるところを知らない。

 バレットは燃え盛る烈火の炎と化していた。人の形をとってはいたが、もはや彼を人としてみることはできなかった。その姿は吹き上げる激情が埋もれ、直視しがたいものとなる。

 怪物だ。

 怒りと焦燥に突き動かされた人ならざるものに、バレットは成り果てていたのである。

 

「おれは! おれ一人の強さですべてに勝つ……!! ロジャーにも、お前たちにも、おれは勝つ!! おれは、世界最強の存在になる……!!」

「そのためにいつまで闘うつもりだ! お前は、世界中を戦争に巻き込むつもりなのか!?」

「この海は戦場だ……! 強さことが全て……弱い奴は生きていけねェ……!」

 

 そしてバレットは叫ぶ。

 

「おれはおれ一人の強さで勝利する! そうだ! おれはロジャーを超えるんだ!!」

 

 彼が爆破されたのは、その瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!!!」

 

 猛るバレットの顔面に爆砕の花が咲いた。

 顔だけではない。肩に、腕に、脚に、その周囲に次々と炎と黒煙が吹き上がる。耳をつんざく轟音が連鎖し、幾重もの爆撃は濃厚な硝煙の匂いを爆心地に充満させた。

 砲撃だ。

 降り注ぐ砲弾である。

 数多の戦場で用いられる最も一般的な兵器。鋼の殻に火薬を詰め、筒より撃ち出して目標地点を焼き払う破壊兵器がこの場にある。それも、こうして絶え間なく降らせるほどの数が集結しているのだ。

 

「ぐ……!」

 

 両腕を交差し、吹き付ける砂礫から顔を庇った。

 しかしそんなものは気休めにしかならない。いまギーアの目の前で行われている爆撃は、そこに砦があろうとも更地に帰してしまうほどの、莫大量の破砕が重ねられているのだ。嵐に等しい暴風と瓦礫が、爆心地の周囲で巻き起こっている。

 そして爆心地に立っているのはバレットだ。

 そう、いまや数百を数えようという爆撃の雨は、彼を狙って注がれているのだ。

 

「モリア! これ!!」

 

 誰がこの爆撃を行ったのか。ギーアには思い当たるところがあった。

 

「ああ……間違いねェ……!」

 

 それはモリアも同じだ。

 吐き捨てるように苛立ちをこぼし、空を見上げて砲弾が放たれるところを追えば、

 

「いた! クソ、おれ達も巻き込みやがって……!!」

 

 モリアが、続いてギーアが見るところにそれはいる。

 バレットをなぶる爆撃を中心して、地平線を隠す巨大な円陣がいつの間にか広がっていたのである。バレットも、海兵たちも、ギーアたちすら飲み込んで、数十台に及ぶ迫撃砲から砲弾を撃ちあげ続けるのは、凶相に笑みを浮かべたならず者の集団であった。

 数にして数百人、誰も彼もが剣や銃を手に携え、舌なめずりをして爆撃を見守っている。

 

「あいつらは……!」

 

 自分たちと同じく爆撃の余波に晒されるガープたちも、円陣に気づいたようだった。

 ひょっとしたらその中には彼ら海軍が知る顔もあったかもしれない。何故なら円陣を組んでいるのは、この“新世界”で活動する海賊たちなのだから。

 

「やめェ――――――――――い!!!」

 

 やがて円陣の最前線に立つ男の一人が、剣を掲げて声を張り上げた。それを合図にして砲撃は静まり、あとには濛々と上がる爆炎と残響音だけが残された。

 合図を出した男が、一歩前へ進み出る。

 

「いい様だなァ! ダグラス・バレットォ!!」

 

 いまだ晴れぬ爆炎に身を沈めるバレットへ、その男は叫び続けた。

 

「おれ達を覚えてるかバレットォ――!! お前に礼をしたいってお友達が、こんなにたくさんの仲間が集まってくれたぜェ――――――!!?」

「ギャ――――――――――ハッハッハッハッハッハ!!!」

 

 男の宣言に、円陣を組む海賊達の哄笑が一斉にこだまする。

 やはりそうだ。

 奴らこそバレットへの復讐を誓う海賊たち、この島で起こるだろう大きな争いを予告した海賊連合である。バレットがガープやセンゴクと闘っている隙をつき、この包囲網を組み上げたに違いなかった。

 それにしても凄まじい人と兵器の数である。ギーアとモリアによって百獣海賊団という増援を失ったにも関わらず、これだけの迫撃砲と弾薬を揃えるとは。

 それだけに、彼らがいかにバレットを仕留めようと執心しているのか、その程が伺えた。

 

「海賊の包囲網だと……!?」

「まさかこれほどの兵器を揃えてくるとは!」

 

 ガープとセンゴクも焦燥の声を上げた。当然である、自分たちもまた、その包囲網にくくられてしまったのだ。これほどの兵力差を前にしては当たり前の反応に思われた。

 しかし、

 

「――バカな!! その力で、ダグラス・バレットを倒せると思っているのか!!?」

 

 続いた言葉は、自分たちの危機を案じてのものではなかった。

 センゴクが叫んだのは、これだけの兵器群の力をもってしてもバレットを倒せないという確信だったのである。

 そして彼の叫びは現実のものとなった。

 

「……カハハ」

 

 濛々と土煙がのぼる中、それをかき分けて現れる姿があった。

 ダグラス・バレットである。

 

「あれだけやられて、まだ生きてるの……!?」

 

 軍服は消し飛び、露出する赤々とした肌からはおびただしい量の血が流れている。しかしそれでも確かに、バレットは土を踏みしめて進み出た。

 血みどろのかんばせに獣の笑みを乗せて、

 

「ザコなんざ……覚えちゃいねェよ……!」

「何ィ!?」

「闘った奴の息の根も止められねェとは……おれもまだまだだな……!」

 

 笑みが、力を増した。

 

「だが……いいもん持ってきてくれたじゃねェか……!!!」

 

 予感が走った。

 いけない、何かがある。バレットは何かしようとしている。

 

「やめ――……」

 

 予感のままにギーアは叫ぼうとして、しかしそれが間に合う筈もなかった。

 バレットの両腕から紫紺の輝きが放たれ、

 

「――”鎧合体(ユニオン・アルマード)”!!」

「!!!?」

 

 光る両腕が地を打ったとき、それは津波となって大地を食い潰す。

 岩とも鱗ともつかない、鋭角な結晶片の群れは波を打って周囲に放出され、またたく間に包囲網まで広がっていく。

 

「な、なんだこりゃァ!!?」

 

 結晶片の津波は海賊達を押し流し、しかし彼等が持ち込んだ武器を侵食した。剣、銃、金棒、武器という武器に結晶片は群がり、掴み取るように巻き上げていく。ついには迫撃砲さえも飲み込み、紫紺の奔流は武力を余さず掴む貪欲な大海となった。

 そして円陣の全てを飲み干したとき、波は引き潮を迎えた。

 まるでバレットが結晶片の海をすすり上げているかのように、兵器群を掴んだまま波が引いていく。さかしまの激流ともいうべき輝きはバレットの巨躯を包み込み、しかし何倍にも膨れ上がらせていった。

 

「武器と兵器を飲み込む力……ガシャガシャの実の能力だ!!」

「愚かな海賊共め、これがあるから我々は直接奴と対決していたというのに!!」

 

 膨張するような結晶の塊を、ガープとセンゴクは苦々しく見上げる。

 しかし悔やんだところでもう遅い。すでにバレットはその力を発動させてしまったのだ。

 やがて結晶片は人の形に集約し、一際強い光を放って一塊の存在へと変形する。光が静まったとき、そこに立っているのはバレットではない。

 バレットの数倍はある、巨大な鉄の巨人がそこには立っていた。

 

『カハハハハハハ!! さぁここからが本番だ海軍!! この力こそがおれだ! あらゆる武器を飲み込み、おれの下で合体し、変形させる!! この力で……おれは誰よりも強くなる!!』

 

 軋みを上げて鉄巨人が腕を振りかぶる。

 顔の傍に拳を添えるような構え、鋼の拳はより黒く硬いものへと変質する。覇気が、その拳を覆ったのだ。

 

(あの姿でも覇気をまとえるの!?)

 

 ギーアの二倍三倍はある巨大な鉄製の拳に、バレットの覇気が伴えばどうなるか。その結果は一撃をもって証明された。

 

 

『“グレイテスト・ファウスト”!!!』

 

「!!!」

 

 地殻を粉砕する一撃が炸裂した。

 一瞬のうちに渓谷を生み出す豪腕、極大の亀裂が四方八方へと走り抜ける。轟音があらゆる悲鳴を飲み込み、バレットを取り囲んでいた数百人の海賊たちが塵あくたのように飛散する。

 破壊だ。

 あらゆるものを粉砕する力が奮われた。

 

「――モリア!」

「死にゃしねェよ!! この程度!!」

 

 ギーアは空を跳ぶ機能によって被害を抑えたが、モリアはそうもいかない。砕かれめくれあがった地殻に張り付き、姿勢を低く保ってどうにか吹き飛ばされないように耐えていた。

 ガープやセンゴク、クザンたち中将も同様である。海賊達が宙に投げ飛ばされる中、強靭な肉体をもって地面にしがみつき、地を穿った鉄巨人を見据えている。

 

「大将センゴク! もはやここまでです!!」

 

 ガープとセンゴク、2人のもとまで戻ってきたサカズキは、轟音に負けじと叫んだ。

 

「どうか、ご決断を!!」

「……そうだな」

 

 彼の叫びに厳かに頷き、センゴクは懐へ手を忍ばせた。

 取り出したものは、

 

(金色の電伝虫……!?)

 

 掌ほどの小さな個体だ。通信機は備わっておらず、ただ殻の天辺に一つだけスイッチがついているだけだ。まるで、たった一つの目的にのみ使われるためだけにあるかのように。

 そしてセンゴクは、それを押した。

 

「……センゴク」

「諦めろガープ、もとよりその予定であっただろう。何のためにお前たち中将を5人そろえたと思っている」

「………………」

 

 懐に電伝虫を戻したセンゴクは、無念そうにうな垂れるガープに振り向かない。ただ肩越しにその言葉をかけるだけだ。

 

『カハハハハハハハ!! なんだ、増援要請か!? それまで生き残れるつもりか!?』

「増援要請とは少し違う……これは攻撃要請だ。この島を犠牲にしてでも目的を果たすためのな……」

 

 センゴクの瞠目は決意の表れ。

 そして再び目が開かれた時、渓谷と化した大地に立ちはだかる鉄巨人へ届くように、確固とした宣言を放った。

 

「大将の権限においてバスターコールを発動した!! お前の暴走はここで止める!!!」

「…………!!!」

 

 ギーアは息を飲んだ。

 センゴクが口にしたその言葉の意味を知っていたからだ。祖国の軍隊にかつて所属した折、噂同然のそれとして伝え聞いた軍事作戦のことを。

 

「モリア、逃げるわよ!!」

「何ィ!!?」

「バスターコールがくるわ!! 海軍はこの島ごとバレットを消し去るつもりなのよ!!」

「何なんだ、バスターコールってのは!!」

「――海軍中将5人と軍艦10隻による無差別攻撃よ!!」

 

 それは国家戦争クラスの大戦力を意味している。

 過去幾度か行われた事があるらしいその攻撃は、しかしその証拠が一切無い。海軍は基本的にそれを公にしないし、攻撃対象は完膚なきまでに破壊され、対象となった土地は海図の上からその名を消されてしまうからだ。

 あらゆる意味で相手を滅ぼしつくす海軍の最大級軍事作戦、それがバスターコールだ。 

 

「ここにいたら、巻き込まれる!! だから早く!!」

「お、おう……!」

 

 発令されたばかりの今なら逃げ切れるかもしれない。だからギーアはモリアを急かし、早くこの場を去ろうとして、

 

『カハハハハハハ! 面白ェ!! この島ごとおれを殺すつもりか!?』

 

 しかしその発動を前にして、なおもバレットは哄笑した。

 それは超えるべき目標を目の前にした者だけが持つ、活力ともいうべき感情の発露だ。

 ゆえにバレットは、燃えたぎる激情のままにその言葉を叫んだ。

 

『ならばバスターコールに打ち勝ち……!! 貴様等も全員葬ってやる!! その時おれはロジャーを超える――世界最強の海賊王になるんだ!!!』

「……!!!」

 

 この、ゲッコー・モリアの前で。

 

「海賊王、だとォ……!?」

「モ、モリア……?」

 

 砕かれた大地を飛び降りようとしたところで、モリアの動きが止まった。何かを堪えるように肩を振るわせ、しかし、抑え切れないままに男は振り向いた。

 宣言を遂げた鉄巨人へ向かい、その胸に秘めた怒号を解き放ったのである。

 

「……海賊王になるのは、このおれだァ――――――――――――――!!!!」




今回は難産でした。
まだ結論を出す前だったので、ちょっとぶれやすい拙作のバレットさんです。


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海賊モリアvs鉄巨人バレット

 瓦礫の平原に叫びが響く。

 かつては華やかな商店街であったこの場所は、いまや残骸と断片を敷き詰めた人工物の荒野といっても過言ではない。そこかしこには店並みを破壊しつくした火山弾が点在しており、今もなおくすぶり続ける炎は生々しい傷跡を見るかのようだった。

 土煙と黒煙は濛々と青空に向かって立ち昇り、周囲は霞がかかったように判然としない。一帯は融解した岩と材木が焼ける臭いで充満していたが、聡い者ならば、その中に人肉の焦げる臭気も嗅ぎつけたかもしれない。

 戦禍がそこにはあった。

 戦場であるといっても良い。

 余人がたむろするような場所ではない。現に広々と広がる商店街跡地には、悠々と練り歩いていたはずの町民たちの姿は、それを迎えるはずの店員たちですら、一つとしてない。

 故に、その叫びを聞き届ける者はそう多くなかった。

 

「貴様は――」

 

 耳にした者は三つに大別される。

 まず一つ。めいめいの姿で正義を背負う5人の海兵たち。

 いわくその殆どは中将の位階にあり、例外であるただ1人にいたってはその上をいく大将であるらしい。この世の悪を討伐するために集められた幾千万の兵士たち、その最上位といっても過言ではない戦力がここにある。肩ではためく将校専用のコートが何よりの証拠だ。

 

『何だァ……』

 

 もう一つ。見上げんばかりの巨大な鉄巨人だ。

 それは人をかたどる兵器の集合体だった。剣や槍、銃、大砲、そういった数多の鉄器を束ねて練り上げたような、戦意の権化ともいうべきそれが立っている。悪魔の実の能力によって1人の海賊と合体しているそれは、煌々と輝く双眸で海兵たちと対峙していた。

 

「モ、モリア……?」

 

 そして最後の1つ。それはギーア自身である。

 赤い長髪を戦場の風になびかせたその顔は驚きで目を丸くしている。何故なら、ともに隠れていたもう1人が唐突に叫びを上げて立ち上がったからだ。

 立ち上がったその人物の姿に、戦場に残るすべての視線が集約された。

 ゲッコー・モリアという、この海で名を馳せる海賊の姿に。

 

「1人だけの力で海賊王になるだと……ふざけやがって……!!」

 

 見上げんばかりの大男である。

 さすがに鉄巨人と比べられるほどではないが、その頭ほどもある身長は、人間としては十二分に巨体であると言えた。屈強な肩を大きく怒らせ、憤然とする顔は赤く紅潮している。そんな巨漢の姿を、ギーアはその足元で跪きながら見上げていた。

 2人がいるのは、砕かれて捲れ上がった地殻の端だ。鉄巨人、よりただしくは鉄巨人を操る海賊、ダグラス・バレットによって生み出された地形だ。その圧倒的な破壊の余韻は今もギーアの体に残り、膝をついて形になってしまっている。

 しかし同じ条件に晒されたはずのモリアは、憤慨をもって仁王立ちになっていた。

 海兵たちを、鉄巨人をすら睥睨するような顔つきで、鬼のような凶相を怒りでより一層ゆがめた様は、まさしく地獄の悪鬼羅刹といった面貌といえた。

 頬まで裂けた口が、牙を晒して怒気を放つ。

 

「海賊王になるのはこのおれだ!!! 貴様ごときが、口にするんじゃねェ!!」

『……カハハ、こいつはとんだ対抗馬がいたもんだ』

 

 空気を震わすモリアの怒号を鉄巨人は、否、その中にいるダグラス・バレットは笑い声でもって迎えた。そこに明らかな侮りの色が滲んでいるのは、誰の耳にも明らかだった。

 対する海兵たちは、モリアの姿に心当たりがあるらしかった。

 

「大将センゴク、奴はゲッコー・モリアです」

「ゲッコー・モリア? カイドウに挑んで消息不明になった、ゲッコー海賊団のか?」

 

 フードの下に帽子を被った将校サカズキの言葉に、クザンは色眼鏡越しの視線を投げた。二人の会話に、センゴクと呼ばれたその男は頷き、

 

「ああ、まさかこんなところにいるとはな。どうやってワノ国から出国したのか……」

「大方カイドウに敗れて逃げ延びた、というところだろう。案外、あの娘が手引きしたのかもしれんぞ?」

(え、私!?)

 

 初老の中将、ガープがこちらを顎でしゃくってみせたので、つい身を竦めてしまう。その仕草でクザンはギーアの姿に気づき、途端に苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「あいつ……!」

「は、ははは……」

 

 思いもよらない再会であった。広場で出会った折は見逃してもらったが、さすがに今回もそれを期待するのは難しいかもしれない。あの時は単なる不審者で済んだが、今はもう海賊の協力者としての正体がバレてしまったのだから。

 しかしこの場においてギーアの存在は些事である。

 

「しかしこれはまた……面倒なことになったねェ~……」

 

 実際、最後に口を開いた中将ボルサリーノは、ギーアのことなど微塵も気に留めていない様子であった。面倒、と言いつつもそれを感じさせないひょうきんな顔と口調で、

 

「有象無象の海賊共が早々と退場したかと思えばァ~……今度は“億越え”の海賊が出張ってくるとはねェ~……」 

 

 ボルサリーノが見渡す先にあるのは、倒れ伏した数百人の海賊達だ。めいめいの姿で横たわる彼らは、バレットに対する恨みで結託し、彼を始末しようとした包囲網の成れの果てだ。数多の剣、幾多の砲を揃えて現れたが、あわれバレットの能力によって奪われ、返り討ちになってしまった。

 ギーアとしても、まったく愚かな連中だと思う。万全を期したつもりなのかもしれないが、結局は敵の利になることをしでかしてしまったのだから。

 

(こんなデカブツ、どうすりゃいいのよ)

 

 悪魔の実、ガシャガシャの実の合体人間だとバレットは言った。あらゆる武器と兵器を束ね合体する能力だと。地殻を割るほどの膂力を見せた鉄巨人はこけおどしではない。バレットは途方も無い強化を果たしているのだ。真っ向から挑んで勝機があるとは思えなかった。

 現に、こうして正面から向き合ったモリアを、鉄巨人たるバレットは圧倒的優位を確信して見下ろしている。

 ご丁寧にも人体ならざる金属の集合体である顔に、嘲笑のような変化を加えて、

 

『ちょっとは名の知れた海賊のようだが……貴様程度の強さで海賊王になるつもりか?』

「そうだ! だがおれは、てめェのように自分1人だけの戦力で挑むバカじゃねェ!!」

『何ィ……?』

 

 返された叫びに、はじめて鉄巨人は戸惑いを得た。苛立ちをにじませる戸惑いを。

 

「……おれは!!」

 

 モリアは宣言した。

 

「おれは最強の軍勢を率いて海賊王になる男だ!!!」

『……!!!』

 

 それをこの場で彼に対して言うことがどういう意味なのか、それは怒気によって膨らむ鉄巨人の様相をみれば一目瞭然だ。

 跪いていたギーアは急いでモリアの足に掴みかかり、

 

「ちょっと、モリア!」

「海賊王になるって野郎の前で言わねェでいつ言うんだ!!」

「だからって……海軍大将だっているのよ!?」

「丁度いいじゃねェか! こいつ等にも教えてやる、おれの再起をな……!!」

 

 もはやモリアが見るのは鉄巨人だけではない。

 中将たちを率いる大将さえも睥睨して、一歩も引くことなく胸を張る。

 だが目を向けているのはモリアに限ったことではない。鉄巨人も、海兵たちも、揃ってモリアの立ち姿に目を奪われ、意図せずに次の言葉を待ってしまっている。

 場の主導権を、モリアは奪っていたのだ。

 

「おれとカイドウの話をしたな海軍!」

 

 モリアは大将たちを睨む。

 

「ああそうさ、おれは奴との勝負に敗れ、従えていた部下も武器も全てを失った……! しかしおれは死んじゃいねェ! 生きて奴のナワバリから帰ってきた!!」

 

 ギーアは知ってる。それは彼にとって、今も記憶に新しい絶望であると。

 しかしそれから逃げようとはしなかった。その先を見据えて、再起のために明らかにする気概をモリアは示してみせたのだ。

 自分はすでに立ち上がっているぞ、と。

 

「おれは知った! 部下の力、数、統率……兵力で圧倒しなければ勝てない戦いがあると! あの日のおれ達はたしかに百獣海賊団を超えられなかった! だが今度はそうならねェ!! 今までを上回る強力な部下を従え……兵力を整え!! 奴の軍団に勝利する!!!」

 

 だから、とモリアは鉄巨人を指差した。

 明確な嘲笑をともにして。

 

「てめェの、たった1人だけの力で勝利するなんざ笑い話だぜ!! どんなに強かろうが所詮は1人、数の力を前にして生き残ることなど出来やしねェ!!」

 

 断言した。

 

「ダグラス・バレット!! お前の強さでは――海賊王にはなれねェ!!!」

 

 轟然とした名言である。

 遮るもののない平野の隅々まで叫びは波及し、朗々と聞く者全てに過たず届けられた。

 鉄巨人が、海兵たちが、空気を鳴動させる明朗な宣言によって、モリアへ向いたまま動けなくなっていた。

 隔絶といっても過言ではないほどの違いが、モリアとバレットの信念にはあった。

 誰よりも強い1人の力で勝ち残ろうとするダグラス・バレットと。

 強大で膨大な兵力を従えて勝とうとするゲッコー・モリアと。

 個か群か、対極の力を尊ぶ2人が、ここで対峙しているのだ。それをここまで明らかにたたきつけられて、何事もなく済ませられる者達ではないはずだ。

 何故なら2人は、海賊なのだから。

 

『……よくもそこまで吠えたもんだな、負け犬野郎』

 

 やがて沈黙は破られた。

 鉄巨人の中から、地獄の底から響くような声があふれ出す。

 赤々と燃え盛る炎のような、バレットの声だった。

 

『いいだろうゲッコー・モリア。てめェをおれの敵として認めてやる。世界最強の海賊王になるための道にはばかる石ころとして、認めてやる』

 

 不意に、鉄巨人が軋みを上げた。

 鉄と鉄のこすれ合う音、僅かに零れ落ちる粉塵。それは鉄の集合体が動き出す前兆だ。鉄巨人が数多の鉄器をこすり合わせ、巨人としての総体を大きく動かしているのだ。

 右腕がもたげられ、肘が引かれ、五指が握り締められる。そして胸を張るようにして腰をひねる姿は、溜め込んだ膂力を放出するための最適解とも言うべき動作だった。

 

(来る……!)

「てめェは下ってろギーア」

 

 モリアがギーアの前に手をかざすのと。

 ギーアが両脚の噴射装置を起動させるのと。

 鉄巨人が大きく引き絞った腕を2人に繰り出すのは。

 そして憤怒が激したのは、ほぼ同時だった。

 

『――だからくたばりやがれェ!!!!』

 

 鉄拳は放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一撃は大破壊と同義だ。

 鉄巨人の右腕は空気を突き破り、鋼鉄の隕石ともいうべき一打が砕けた地殻に追い討ちをかける。

 

「……!!!」

 

 轟音。

 クモの巣のように砕けていた地殻は今再び粉砕され、より多くの巨岩となって宙に舞う。猛烈な勢いで爆ぜる粉塵とあいまってそれは間欠泉か噴火のような有様で、荒野のようであった即席の廃墟はもはや渓谷に姿を変えようとしていた。

 細かく砕かれた、しかし一つ一つが人一人よりよほど大きな土塊どもが落下してしまえば、流星群が地に降るような二次災害が巻き起こる。激音に告ぐ激音、骨はおろか内臓まで震わせる大音響が何十にも重ねられる。

 

「……ぷぁっ!」

 

 土煙から飛び出してきたのはギーアだ。両脚から風を噴き、降り注ぐ巌を辛くも避ける。全身は既に砂と埃にまみれ、掠めた礫による細かな傷もあちこちにあった。

 余波ですらこの有様だ。鉄巨人と化したバレットの膂力を見せ付けられる思いがした。

 臆する気持ちがある。

 むしろその方が強くある。

 だが、それに立ち向かう者もいると知っている。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォ!!!」

 

 雄叫びをもって粉塵を吹き飛ばしたのは、疾走するゲッコー・モリアであった。

 遮る土煙、はばかる隆起を蹴散らして、凶相の巨漢は眼前にそびえる鉄巨人のもとへと駆け抜ける。目指すは今まさに地面から引き抜かれようとしている鉄巨人の腕だ。

 拳に穿たれて捲れ上がった一際大きな地殻、その頂点にモリアは跳び、更にまた跳んだ。巨体は隆起した地殻を踏み台にして巨大な右腕の直上へと身を躍らせる。

 そして着地、では済まさなかった。

 

「“影法師(ドッペルマン)”!!」

 

 落下を始めたモリアの下、鉄巨人の右腕におちる影に異変が生じた。

 まるで水面から何かが這い上がるように、モリアの影が人型の闇として実体化する。彼が持つ悪魔の実の能力、カゲカゲの実の能力だ。

 鉄巨人の腕に立つ“影法師”はある姿勢を作った。腰を落として背を丸め、両手の指を組み合わせて開いた足の間に沈める形。まるで中腰で重いものを抱えたような姿だ。

 モリアが落ちるのは、その組まれた掌の上だ。

 

「かち上げろ!!」

 

 着地し、体重のままに沈み込み、しかし“影法師”はモリアを中空へと投げ上げた。

 “影法師”の膂力によって押し上げられた巨体は、モリア自身の跳躍と組み合わさることより、一人では成し遂げられない長大な飛距離を生み出した。矢を天に射るような鋭さと軌道で第二の跳躍を果たしたモリアは、今度こそ鉄巨人の上に着地する。

 鉄巨人の右肩へと。

 

『貴様!』

「“角刀影(つのトカゲ)”!!!」

 

 間髪入れない攻撃だった。

 

「……ッ!!」

 

 “影法師”は無数の蝙蝠となってモリアの手に集まり、叫ぶとともにまた一つとなった。だがそれは人型ではない。先鋭の柱ともいうべき、巨大な槍だ。

 蜥蜴をかたどる穂先が鉄巨人の顎を打ち抜く。

 

「やった!」

 

 思わず歓声をあげるギーアの見る前で、鉄巨人は大きく体をかしがせた。

 貫き抉るにはいたらなかったが、顎を横合いから打ち抜く一撃は鉄巨人であっても有効だったらしい。巨大な頭が回されるのに合わせ、バランスを崩した鉄巨人は膝をつく。

 武器の集合体といっても、やはりそれは悪魔の実の能力によって一人の人間を基礎とする体である。鉄巨人に対する衝撃、ダメージはバレットに繋がっているはずだ。一撃の瞬間、鉄巨人が漏らした苦悶はその証拠である。

 だが、

 

『……カハハッ! 効かねェよ!!』

 

 鉄巨人は体の揺らぎを制し、左腕をモリアへと伸ばした。

 

『合体によってこの兵器の群れはおれ自身となった! おれの覇気をまとわせた鋼の体が、おめェ程度に破れると思うな!!』

(……覇気!)

 

 武装色硬化、モリアがそう言っていた力だ。

 人が誰しもその身に宿す力。感覚を鋭敏に、または強靭にする生命の力。肉体を黒金のように変化させるほど覇気を凝縮させたものが武装色硬化だ。バレットはそれを鉄巨人の全身にまで通わせることにより、ただでさえ硬い鋼の体をより強靭にせしめたのだ。

 頑強な左手がモリアを握りつぶそうと、風を唸らせて迫っていく。

 だがしかし、影が形を変えるほうがより早かった。

 

「“影箱(ブラックボックス)”!」

 

 大槍は穂先に向かって縮み、一塊になったところで鉄巨人の頭を飲み込んだ。そうやって出来上がるのは巨大な影の立方体だ。光を一切通さない闇の小部屋を作り上げ、鉄巨人の視界を奪う。

 驚きからか、鉄巨人の動きが鈍った。その隙にモリアは立方体へと跳び、

 

 

「おらァ!!!」

『がッ!!?』

 

 その太い豪腕が唸りを上げ、黒影越しに鉄巨人の頭を殴りつけた。

 しかし黒いのは影だけではない。影の立方体から引き出されたモリアの拳もまた、黒金の色を得ていたのだ。

 

「オオオオオオオオオオォォォォォォォォ!!」

 

 轟音が影の箱から幾度も響き、しかし拳は止めない。

 二度、三度、四度。峻烈な連続攻撃が影を貫き、巨大な頭を滅多打ちにする。

 

『ぐォ……!』

「覇気の巨人だとォ……! だったら効くまで食らわせてやるよ!!」

 

 さすがに鉄巨人の全長とは比べるべくもないが、モリアもまた人間としては相当な巨漢だ。それこそ頭だけと比べるなら同程度の大きさなのである。それはつまり、モリアにとっては殴りやすい大きさをしていると言えた。故に一打一打は極めて重い。そこに覇気が加わるとなれば尚更だ。

 モリアもまた世界で最も過酷な海を往く大海賊。覇気を習得していたのだ。

 

「うおォ……!!」

 

 連打に次ぐ連打。鉄巨人の覇気を打つモリアの覇気は幾度となく打ちつけられる。断続的に響く激音がもはや一つの音として聞こえるかのような速度だ。

 そして一際強く引かれた拳。全身の膂力がそこに込められ、

 

「くらえ!!」

 

 抜き放つ、その瞬間。

 しかしそれは爆撃を持って迎えられた。

 

「ぐォ!?」

 

 烈火の炸裂と黒い硝煙がモリアの腕を押し返す。衝撃と炎熱にモリアはふらつき、一歩引いてしまう。

 何事か。モリアを迎え撃ったものは、彼の足元にある。

 

「何あれ!?」

 

 モリアが乗る鉄巨人の肩、その太い首まわりに幾つもの大砲が生えていたのだ。さながら歯車かたてがみのようなそれらが火を噴いた証拠に、薄く硝煙が立ち昇っている。

 

『カハハ、図体がデカくなるだけだと思ったか?』

 

 影の中からバレットの声がする。

 

「この体は兵器の集合体だぞ? 体に取り付けば細かな攻撃はできないと思ったか!?」

 

 鉄巨人の首元からはなおも砲台が出現し、モリアに向けて火を噴いた。

 爆音に次ぐ爆音。モリアは腕を交差して体を庇うが、本来人が耐えるような攻撃ではない。次第次第に肩の先まで押し返され、

 

「ぐァ!?」

 

 足裏から生えた剣に貫かれた時、ついに巨体は転落してしまった。

 

「モリア!!」

『くたばれ負け犬!!』

 

 落下していくモリアを狙うのは、今度こそ振りぬかれた鉄巨人の左腕だ。

 視界はいまだに影で封じられている。ならば狙わずともあたるような攻撃を繰り出せばいいということなのか、繰り出されたのは五指を開いた平手打ちだった。拳という点ではなく、掌という面。おまけに五本の指という線も加えて、広大な一撃が大気を押しのけて迫る。

 気流を生むほどの巨大な手がモリアを叩き潰そうとして、

 

「――代われ“影法師”!」

 

 鉄巨人の頭を包む影の立方体が形を変えた。

 直角を崩し、渦を巻くようにして練りあがるのはモリアの似姿、“影法師”だ。それは鉄巨人の頭頂部に立つ形で現れる。

 そして、黒一色であったその体に色付いていく。

 

『何ィ!?』

 

 それは平手の一撃を受けようとしていたモリアも同じだ。

 急に開けた視界の中で、鉄巨人はモリアの全身が黒く変わり果てるのを見た。全身が染め上げられてしまえば、そこにいるはゲッコー・モリアではない。“影法師”という影武者だ。

 

「“欠片蝙蝠(ブリックバット)”!」

 

 それが“影法師”であるという証拠は、その身が蝙蝠の群れに分裂したことだった。あるものは余裕綽々と、またあるものは気流に流されるように、しかしどれもこれもが鉄巨人の平手打ちから回避していく。

 そうして散らばった影の蝙蝠たちが集うのは、鉄巨人の頭上に立つモリアだ。

 

「おれと“影法師”はいつでも居場所を交換できる! 残念だったな!!」

 

 集合した蝙蝠たちはまたその形を変えた。

 かかげられたモリアの右手へと集約されていく数十匹の蝙蝠たち。一塊になった影はモリアの掌を包み込み、そして新たな形へと洗練される。

 それは五枚の長大な爪だった。弧を描いたそれは柄のない大鎌を束ねたかのようだ。色はやはり黒。しかしそれまでの影としての黒とは決定的に違うものがあった。

 光を照り返す、黒金のような光沢がそこにはある。

 バレットが本来の自分の体ではない鉄巨人に覇気を纏わせているように、モリアもまた、形にした影に覇気を加えたのだ。

 より強固となった影の巨爪が、鉄巨人の頭へ突き立てられる。

 

「“爪刀影(クロトカゲ)”!!!」

「!!!」

 

 鋼そのものの輝きを得た、しかして鋼以上の硬度を持つ刃が頭頂一点を突く。

 モリアが覇気を込めた五枚の刃と、バレットの覇気でより一層の硬度を得た鉄巨人の体が激突していた。一点に集約された覇気と全身に拡散した覇気、密度でいえば段違いのはずだ。だというのに、

 

「貫けない……!!」

 

 ギーアは見た。モリアの腕が、突きたてられたその時から数分も進んでいないのを。

 

「ぬォ……!!」

『このおれに、覇気で勝負を挑むか!!』

 

 覇気とは本来目に見えない力だ。

 だがそれでも、2人の覇気が鉄巨人の頭部で激突しているのが明確に分かった。

 種類の異なる二種類の威圧感が、鍔迫り合いにも似たせめぎ合いを起こしている。まるで突風がそこから吹き荒れているかのように、ギーアはモリアと鉄巨人のもとから突き放されるような圧力を受けていた。思わず腕で顔を庇い、腰を落として堪えてしまうほどの迫力だ。

 互いの意思そのものをぶつけ合っているといっても過言ではない。

 むき出しの戦意がそこにはあった。

 

「ウオオ……!」

 

 モリアの太い腕が一層膨れ上がった。

 鉄巨人の頭を突く巨爪が、僅かにその先端を表面に食い込ませる。

 膂力を乗せたモリアの覇気が、わずかに鉄巨人のそれを上回ろうとしているのだ。

 

(やっぱり全身を覆う覇気より、一点突破しようとする覇気の方が有利なんだわ!)

 

 覇気には詳しくないギーアだ。しかしそうした理屈の想像ぐらいはつく。

 少しずつ、少しずつ、モリアの腕が鉄巨人の頭へと沈んでいく。

 行け。

 行くのだ。

 このまま鉄巨人の頭を貫き、顔面を抉り取れ。

 その結果をギーアは想像し、言葉ならずともモリアを応援した。

 しかし、

 

「!!!?」

 

 その希望は、一発の砲撃によって燃え尽きてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 それは風を切る音とともにやってきた。

 口笛を吹くような甲高い音を鳴らしてやってきたのは、長い煙の尾を引きて宙を飛ぶ黒い点のようなもの。それが一瞬だけ視界を横切り、鉄巨人の頭部に命中するとともに、激音をともなって莫大な炎と黒煙を開花させる。

 吹き荒れた爆風がギーアの顔を打ちつけられ、長い髪が宙を泳いだ。舞い上がった砂利や微細な瓦礫が吹き荒れるが、呆然とする女にとってその程度は些事である。 

 

「――モリア!!?」

 

 爆裂した砲撃に呑まれた男の名を叫び、しかしそれは続く砲撃によってかき消えた。

 肩、胸、腹、脚、鉄巨人のいたるところで業火が花開く。

 遠雷のような音に始まり、鉄巨人の体で炸裂するまでが一括り。それが一体どれほど連発しただろう。十か、二十か、いやそんなものではきかない大量の砲撃だ。留まるところを知らない波状攻撃は鉄巨人を埋め尽くし、鉄の巨体は火と煙によって覆いつくされてしまった。

 度し難いほどの、圧倒的な爆撃がギーアの眼前で展開される。

 

「……!!」

 

 荒れ狂う熱風と塵芥が嵐のように襲い掛かり、ついにギーアの細身は押し倒された。油断すればそのまま横転し続けてしまいそうな烈風を、それでもどうにか堪える。

 爆発の連鎖は一体どれほど続けられただろうか。

 度重なる爆音によって耳が麻痺したギーアにとって、今も砲撃は続いているのかどうかを耳で判別することは出来ない。だから面を上げて、目で見なければならなかった。

 そしてそこには、爆風によって洗い流された不毛の荒野が広がっていた。

 目を閉じる前のそこには、何もかもが破壊されつくしたとはいえ、それでも隆起した地殻や商店街の残骸、瓦礫が残されていた。しかし今ギーアが見るところにはそれすらもない。何もかもが爆撃と爆風によって平らかに吹き飛ばされてしまっていた。

 

(何が……)

 

 何が起こったというのだ。

 モリアと鉄巨人の争うこの戦場を一体何が襲ったのだ。

 しかしギーアはそれを知っている。莫大な火力を持って地表にある全てを滅ぼしつくす攻撃を。そしてそれが今居るここに向かって発動されたことも、知っている。

 モリアたちはそれをおして闘っていたのだ。だから攻撃に晒されてしまった。

 バスターコールという名の軍事攻撃に。

 

「あれが……!」

 

 平らかになった地平の向こう、遠く並ぶ木々のそのまた向こう、水平線にそれらはいる。

 遠景ゆえにかすんだようにも見える、しかし確固としてその姿を浮かび上がらせるそれらは、10隻の軍艦であった。

 

「あれがバスターコール……!」

 

 海軍大将か元帥によってのみ発動される、中将5人と軍艦10隻による無差別攻撃。

 対象を焼き、巻き込まれる者を気にもせず、地表にある全てを焼き払い、最後には目的を海図の上からすら抹消する軍事作戦。冷酷なほどに徹底される大破壊ゆえに滅多に広まることのない作戦名だ、ギーアも噂程度にしか聞いたことがなかった。

 しかしそれが今現実のものとなって、目の前にある。

 鉄巨人と化したダグラス・バレットを討ち滅ぼすために、ここにある。

 

『――カハ』

 

 しかし、

 

『カハハハハハハハハハ!!』

 

 その相手は、あれほどの火力を持ってしても顕在であった。

 

『そうか! そうかこれがバスターコールか!!』

 

 薄れ始めた爆煙より現れたのは、いまだその巨体を誇示する鉄巨人であった。節々をほつれたように崩してはいたが、いまだに兵器の集合体は人の形として立っている。

 その巨躯を覆い尽くすバレットの覇気は、あの砲撃にすら耐えてみせたのだ。

 

「――そうだ! これがバスターコールだ!!」

 

 そして、哄笑する鉄巨人に叫ぶ者がいた。

 センゴクをはじめとする、5人の海兵たちである。

 

「この砲撃は狙いを定める初撃にすぎん! いかに貴様でも、一国を焼き払う火力を前にして生き延びられると思うな!!」

『面白ェ……!』

 

 しかし鉄巨人は、バレットは怯えない。

 むしろ歓喜しているようだった。

 

『海軍最大の軍事作戦! これを叩き潰せば、おれは海軍最強の軍事力すら超えられる!!』

 

 あれだけの艦隊に狙われて、しかし鉄巨人は一歩も引かない。はるか彼方の水平線に向けていた視線をセンゴクたちに移して、鉄巨人は豪語する。

 そうして一歩二歩と地響きをたてて硝煙から姿を現し、

 

『てめェらの横槍でこいつもくたばったからな……! お前等の相手に戻らせてもらおうか!!!』

「!!!」

 

 煙から現れたのは鉄巨人だけではなかった。

 風を引き、黒煙を振り払った鉄巨人の頭部には、まだその男が残っている。

 

「……モリア!!」

 

 軍艦の砲撃をもろに受けた体は黒く焼け焦げ、いたるところから硝煙を立ち昇らせていた。服は消し飛び、色白だった肌は火傷と流血によって赤黒く染められている。茫洋としてゆっくりとぶれる立ち姿は、今にも彼が意識を手放そうとしているからだと遠目にも分かった。

 やがて彼の巨躯は大きく傾き、

 

『まぁまぁ楽しめたぜ負け犬! だが、てめェとはここで終わりだ……!!』

 

 滑落したモリアを、鉄巨人の首から生えた大砲が追い討ちをかける。

 砲撃、そして爆撃。

 至近で放たれた砲弾は破壊力を遺憾なく発揮し、モリアをはるか遠くへ吹き飛ばす。

 

「……!!」

 

 ギーアが見上げる先で、モリアは地平の向こうへ身を隠してしまった。

 そうして後に残されるのは、結果的に勝者となった鉄巨人である。

 覇気のせめぎ合いでは、モリアに軍配が上がるかに見えた。しかし降り注いだ爆撃の前では、全身を強固な覇気でかためた鉄巨人が生き残り、一点を破ることに集中してしまったモリアは第三者の不意打ちを受けて敗れてしまった。その結果だけがここにある。

 そうなれば、次に何が起きるのかを選べるのは鉄巨人、バレットだけだ。

 そしてバレットは、鉄巨人の歩を進めることを選んだ。

 向かう先にあるのは、

 

「奴め、まさか艦隊を迎え撃つつもりか!?」

 

 鉄巨人の一歩は大きい。

 いまやその背を見上げる形となったセンゴクは、歩みを進めるバレットの目的を想像して驚愕を叫んだ。あの火力を前にして向かっていくことを想像していなかったのだ。

 だがバレットには、立ち向かうに足る力がある。

 

「大将センゴク! まさか奴は、バスターコール艦隊すら取り込むつもりなのでは!?」

 

 帽子で顔を隠したサカズキが、それでもなお分かる焦燥を叫んだ。

 

「野郎は覚醒した能力者。能力の範囲外がら焼き払う作戦だったが……」

「さっき見せられた能力じゃあねェ~……ひょっとしたら……届いちまうかもしれないよォ~……?」

 

 それに呼応してクザンが、ボルサリーノが次々と声を上げる。

 最後にはガープがセンゴクの肩を掴み、

 

「やるしかないぞセンゴク!!」

「貴様に言われんでも分かっとるわ!」

 

 大将の号令は、鉄巨人の背に向かって放たれた。

 

「――追え! 奴を軍艦に近づけてはならん! 防衛線を張って迎え撃つんだ!!」

「はっ!!」

 

 言葉も短く応答はなされ、そして海兵たちは姿がかき消えるような勢いで跳んだ。地響きの向かうところ、鉄巨人を先回りして迎え撃つために彼等は駆け出したのだ。

 それを追おうとは思わなかった。バレットより、海軍より、それらより優先することがギーアにはあったからだ。

 

「モリア……!」

 

 鉄巨人に吹き飛ばされた方へと、ギーアは飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何もかもが吹き飛ばされた地表である。見つけることはそう難しくなかった。

 

「モリア! しっかりして!!」

 

 かつてはそこには大きな商店があったのだろう。あれだけの破壊と爆撃があったこの場所に今だ残る壁の名残。それを打ち砕いてモリアは倒れていた。

 ただでさえ深手を負ったところに追い討ちを受けた身である。半裸同然となったモリアの傷は深く、逞しい体は血と埃と泥で汚れきり、本来の肌の色が伺えるところがない。

 ワノ国で始めてあった時よりも更にひどい、満身創痍の有様だった。

 

「モリア!!」

「……うるせェ……聞こえてるよ……」

 

 しかしそれでも生きているのだから驚嘆すべき生命力である。

 鉄巨人との戦いで、バスターコールで、最後にとどめにも等しい形で砲撃を受け続けたはずなのに、しかもあの高さからここまで吹き飛ばされたというのに、それでもこの男は生きていた。

 そして起き上がった。

 だがそれはギーアに応えたからではない。

 もはや後姿を見ることも難しいところにいる、鉄巨人を睨むためだ。

 

「あの野郎、おれを無視しやがって……!」

「そんなこと言ってる場合!? あんた死にかけたのよ!?」

「死んでねェだろうが! おれは敗けねェよ!!」

「バレットだけじゃない、バスターコールが始まったのよ!? もう逃げましょうよ!!」

「おれは逃げねェ!!!」

 

 返されたのは、空気を竦ませる絶対の断言だった。

 

「奴は一人で海賊王になると言った男だ!! 奴を超えなきゃ……おれは海賊王になんかなれやしねェ!!!!」

「!!!」

「おれの力になれギーア!! おれは、従える力で海賊王になる男だ!!!」

「……!!!」

 

 ああ、と思った。

 これはこの男共の信念の戦いなのだ、と。

 ここで逃げれば勝敗を失う。そうなった時、モリアの中からは永遠にそれが失われる。

 勝つか。

 敗けるか。

 そのどちらかを必ず得なければならない、その場所にモリアは立っているのだ。

 そしてギーア自身も。

 

(ああ、もう……!)

 

 逃げよう、そう言っているのに。

 まったくどうしてこの男はそれができないのか。

 そんな男だから、

 

「付き合うしかないじゃないの……!!」

 

 この男が望むところへ行く、そこについていきたいと思う。

 その力になりたいと思ってしまうのだ。

 

「……策はあるんでしょうね? 相手はバスターコールの砲撃にも耐えた化け物よ!?」

「分かってる。奴の覇気は異常だ……今のおれじゃ、正面から覇気をぶち破って野郎をデカブツから引きずり出すのは不可能だ……!!」

「だから?」

 

 あるんだろう、策が。

 

「覆すんでしょう? その不可能は」

「そうだ! たとえおれ自身が奴の覇気を破れなくても、この場にある全てを使って奴を倒す!! 奴におれの能力を……カゲカゲの実の真骨頂を見せてやる……!!」

 

 モリアの言葉には確信があった。

 今は奴より弱くても、奴の方が強かったとしても、そんなものは関係ない。

 それを覆す力が自分にはある。

 ダグラス・バレットを乗り越えて奴に勝利してみせると。

 

「いくぞギーア!! 奴がどんなに強くてもおれ達は勝つ……!! ここで、革命を起こしてやる!!!」




本当は1話でまとめるつもりだったんですけど、前後編で分けることにしました。
若モリアはまだ若いのでとてもエネルギッシュ。


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海賊王を目指すということ(前編)

前後編にすると言ったな、あれはウソじゃ。
後編も長くなってしまったので、これも二つに分けようかと思います。後編の後半は今日の晩にでも。


 ギーアが飛び、モリアは疾走する。

 度重なる戦禍により、廃墟以下の荒野と化した市街を出たのは少し前のことだ。砂礫を蹴散らし、瓦礫を踏み越え、かつて商店街と呼ばれ活気に満ちていたその跡地を、2人は矢のような勢いで後にする。

 無人と化した市街跡地の周囲にあるのは草原、そしてその向こうにある壁のような防風林だ。2人が風を切って進む目指す場所は、更にその先にある。先んじて林を通過した者達に追いつくため、早急にたどり着かなければならない。

 両脚に移植された噴射装置の出力を高め、より強い烈風を放ってギーアは飛行する。

 そうしなければ併走する男、ゲッコー・モリアの激する疾走に置いていかれそうになってしまうからだ。人の何倍もある巨体だけに、その歩幅は常人ならぬ広さがある。

 漲る戦意で鬼の形相を浮かべ、雄牛のごとくモリアは走る。

 すると、先んじた者達の痕跡が見えてきた。

 道をつけるように木々が薙ぎ倒されているのだ。まるで巨大な何かが強引に通ったかのように。

 

「やっぱりここを通ったみたいね!」

 

 倒木で舗装された道を行くモリアへギーアは叫ぶ。声が大きくなってしまうのは、飛行によって風の音が激しくなり、耳が遠くなっているためだ。

 

「ああ! やっぱり奴らは……海岸線にいる!!」

 

 対してモリアも声を張り上げたのは、高揚する戦意の昂ぶりゆえだった。頬まで裂けた口を吊り上げ、縁取るような牙の群れを晒せば凶相はより一層深められる。

 その時だ、遠雷じみた轟音が響いたのは。

 

「……!」

 

 鐘が鳴らされたのかとも思うような、延々と空に残る重低音だった。

 だがそれは一発や二発ではない。数十の、それも重なり合って一つになる時すらあるほどの乱発であった。すさまじいまでの密度で轟く鳴動が、ギーアたちの向かう先で響く。

 音はやがて口笛を吹くような甲高い音に変わった。

 そして次第に大きくなり、否、近づいてきて、

 

「うお……!!」

 

 地に激震が走り、モリアの疾走を鈍らせる。

 遠くから聞こえた重低音の数に等しい爆音の群れ、木々の向こうで巨大な火柱が何本も立ち上がり、砕けた木々や土砂が上空へと舞い上げられる。

 砲撃だ。

 砲弾が降ったのだ。

 遠くで鳴る激音の正体は、弾を撃ち出すための砲撃音だったのだ。

 すさまじい威力を秘めた砲撃が、ギーア達のいるこの地に向けて数十発と放たれている。それはつまり、ギーア達が先を急ぐ理由が、未だに終わっていないことを示している。

 

「やってるやってる……!」

「当たり前だ! あの野郎、おれが着く前にくたばったら許さねェ!!」

 

 ギーアと違い、モリアは乱発される砲撃にも臆していないようだった。やはり歴戦の海賊としての度胸の違いだろうか。否、宿敵と見定めた相手を追う興奮で、眼前の危機を易々と飲み込みすぎているのではないだろうか。罵りながらもどこか期待じみたものを滲ませる彼に対し、そう思わずにはいられない。

 ダグラス・バレット。その男を闘って倒すという誓いが、彼を駆り立てているのだ。

 

「……さっき言ってた策!  本当に大丈夫なんでしょうね!?」

 

 彼の冷静さを呼び覚ますつもりで、呼びかけた。

 

「相手は馬鹿デカい上に覇気で身を固めた兵器の塊よ!? おまけに今度は海軍とやりあう真っ最中に飛び込むんだから! しくじったら、本当に死んじゃうわよ!?」

「ガキのケンカじゃあるめェし……! てめェもおれについてきたんなら覚悟を決めろ!」

 

 駆けるモリアが凄烈な気迫は放つ。

 まるで彼の体から突風が吹き荒れたのではないかという威圧すら感じられた。

 

「本物の海賊には“死”も脅しにはならねェ!! おれ達がやるのは、戦闘なんだ!!!」

「……!!」

 

 海賊だ。

 そうだ目の前にいるのは海賊なのだ、とギーアは思った。

 自分が手を貸すと決めた相手は、幾千の荒波を超え、幾多の同類としのぎを削ってきた無法者の上位者なのだ。そこに常人が通じるような、死を絶対の危惧とする思考は存在しない。

 これが海賊か、ギーアは思った。

 

「だがおれも死ぬつもりはねェ……お前もな。いらねェ心配してねェで、お前は任せた分をしっかりやれ! おれが奴に近づけるかはてめぇにかかってるんだ!!」

「……ああもう好き勝手言って! やりゃ良いんでしょ!?」

 

 駆け続ける2人だが、防風林の終わりも近い。

 左右の木々の密度は薄くなり、倒木でつけられた道も終点が目前に迫ってきた。

 道の果て、そこにあるのは海岸線だ。むき出しの岩肌を荒削りにしたような平地が広がり、その向こう青々と輝く海が広がっている。この島の果てともいうべき外縁がそこにはあった。

 だが今この時は、その果ての向こうからやってきた者共がいる。

 水平線を飾る艦隊だ。

 十隻の戦闘艦が並んでいる。

 奴らこそが先ほど砲撃を放ってきた相手であり、この海岸線で繰り広げられている戦いに介入しようとしている存在なのだと理解していた。

 砲撃が静まった今、ギーアの耳は戦いの音を聞きつける。これから突入しようとしている海岸線で繰り広げられている戦闘の激音が、木々の向こうから届けられるのだ。

 そうだ、戦場はすぐそこにある。

 

「あぁもう何でこんなことになってるのかしら私!!」

 

 何もかも、すべてはモリアの言葉にのせられたせいだ。

 ワノ国で叱責され、そして今しがた彼が語った大望に惹かれた自分のせいだった。

 兵力を率いて海賊王になる。

 その力の一端として一緒に来い。

 その言葉に応えてしまったのが少し前の自分であり、それを受け入れたのが今の自分だ。

 臆する気持ちはあっても心は定まっている。

 賽は投げられらたのだ、もうやるしかない。

 

「――行くわよ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 波が打ち寄せる平かな岸辺がある、はずだった。

 しかし平地であるはずの岩肌は砕かれ、抉られ、陥没している。切り立つ巌にいたっては粉砕され、大小無数の岩石となってあたりに転がる有様であった。

 何故ならそこは戦場であるからだ。

 

『オオオオオオオオオオオオォォォォォォォ!!』

 

 潮騒に勝る雄叫びが唱和する。

 咆哮をあげるのは、長大な両腕で組み合う2人の巨大な人影であった。

 かたや黄金の巨人である。

 身の丈にしてギーアの4・5倍はあろうかという巨躯は、半裸の男だ。豊満な腹に太い腕、玉のように丸い螺髪までが金色で、昼下がりの陽を受けて煌々と輝いてる。その姿は大仏そのもの、しかし眼鏡をかけたその顔に慈悲はなく、眼前の相手を憤怒の形相で睨みつけている。

 それに対するのは黒金の鉄巨人であった。

 巨人、とはいったがそれは生ける人の姿をしていない。大小無数の鉄器が寄せ集まり、結果として人の輪郭をとっているだけの、巨大な人形というべきものだ。よく見ればそれは大砲や剣といった兵器の集まりであり、その全てが均等に黒々と照っているのが分かった。まるで一色の塗料によって均等に塗り潰されているかのように。

 

「オォ……!」

 

 両者は拮抗していた。

 巨体を支える脚は沿岸の地に突き立ち、組み合う相手を押し倒そうとする膂力の礎となる。しかし巨人たちのせめぎあってどちらも譲らず、両腕は鍔迫り合いによって細かく震えるほど。踏ん張ろうとする足の方が押し負けてわずかに擦り下がってしまっていた。

 力の上では互角、しかし鉄巨人は純粋な力比べを望まなかった。

 

『死ね!』

 

 獣の毛が逆立つように、鉄巨人の胴から大小無数の鉄筒が起立する。

 それは銃であり大砲であり、また迫撃砲でもあった。それぞれの砲身が狙うのは鉄巨人の眼前、組み合うがゆえに無防備に晒してしまった黄金の巨人の胴体だ。

 

「“鉄塊”!!」

 

 黄金の巨人が力むのと砲の群れが火を噴くのはほぼ同時だった。

 光り輝く太い体に炎と爆音が咲き乱れる。

 

「ぐォ……!!」

 

 五臓六腑を滅多打ちにする鋼の弾幕。肉を穿ち、背へと貫通しないだけでも奇跡といえた。食いしばった歯の隙間から血をこぼし、黄金の巨人が膝をつく。

 しかしそれに追い討ちをかける暴力があった。

 鉄巨人の膝蹴りだ。

 

「……!」

 

 黄金の顔面を鉄製の膝が打ち抜いた。

 眼鏡が砕け、潰された鼻が血を散らす。前歯をへし折られた苦悶の顔を押さえ、黄金の巨人が崩れ落ちる。

 

「センゴク!」

 

 黄金の巨人を気遣うように飛び出してきたのは初老の海兵、ガープだ。

 白髪混じりとは思えぬ壮健な体をスーツに包み、袖まくりをした強靭な腕を振り上げ、

 

「ぬェい!!」

『ぐォ……!?』

 

 意趣返しというかのように、鉄巨人の顔を正面から殴り飛ばした。

 鉄巨人からすれば掌ほどもない相手からの一撃、しかしまるで同等以上の相手が殴りつけたかのように、鉄巨人はのけぞり姿勢を崩す。

 そこへ、

 

「ガープ中将、下ってください!」

 

 両者の横合いから若い声が届いた。

 それは将校だけに許されたコートを羽織る、フードの下に軍帽を被った青年はサカズキだ。大柄で鍛え抜かれた半身は、しかし今、ふつふつと煮えたぎる溶岩に形を変えている。

 赤熱する巌は膨張し、その臨界点をもって一撃を放った。

 

「“大噴火(だいふんか)”!!」

 

 人の身が放つそれは、鉄巨人ほどもある巨大な溶岩の塊だ。

 拳をかたどるそれは鉄巨人を横殴りにして押し倒す。さらに膨大な量の溶岩が黒金の巨体を覆いつくし、身動きを封じた。

 そこへ遠雷のごとき砲音が再び轟く。

 

「総員、下がれィ――!!」

 

 顔を押さえた黄金の巨人、センゴクが飛び退き、合わせてサカズキもさがった。

 取り残される形となった溶岩の下敷きになる鉄巨人。

 撃ち放たれた砲弾の群れにとって格好の的である。

 水平線に浮かぶ、十隻からなる軍用艦隊からの集中砲火。数にして五十は下らぬ砲弾が一時に放たれ、硝煙の尾をひいて岸辺に届けられる。

 岩肌を砕く火柱が乱立した。

 突き立つ岩が、打ち寄せる波が、近隣に生える木々が、諸共に区別なく吹き飛ばされる。爆心地にいた溶岩と鉄巨人も言わずもがなだ。何もかもを破砕する爆裂が沿岸に咲き誇る。

 しかし、

 

『カハハハハハ!!まだだ! まだ死なねェぞ!!!』

 

 吹き上がる粉塵の奥から鉄巨人は立ち上がってきた。

 もうもうと立ち込める中から現れる様は、不死身の怪物がそれであるかのようだ。

 度し難い激戦がここにある。猛攻の応酬に、ギーアは言葉を忘れて戦いを見つめていた。

 

「……!!」

「バカみてェな覇気だ……! 中将共の攻撃も、艦隊の砲撃も全部耐えやがった……!」

 

 傍らでモリアも息を呑む。

 海軍将校たちの強さは見るに明らかで、水平線から砲撃を送り込む軍艦の攻撃力なども言わずもがなだ。しかしそれらを一人で相手どるバレットの強さは常軌を逸している。

 海軍は明らかに決め手を欠いていた。

 あれだけの巨体を覆い尽くして尚あれだけの強度を発揮する覇気の鉄巨人を前にして、彼らがこの場に用意したあらゆる攻撃のことごとくが通じないのだ。

 

「……だが奴の強さは覇気の強さだ」

 

 モリアは身の内の力を奮い立たせるように言った。

 

「おれの能力ならそれを散らせる! そうすりゃ奴はただのデカい的だ!!」

「本当にやれるんでしょうね!?」

「やる!」

 

 問いに断言は返された。

 

「やれる! そして勝つ!! 海賊王を目指す限り、おれは奴に負けねェ!!!」

「――あぁもう!!」

 

 モリアの意気にあてられ、ギーアは髪をかきあげて唸った。

 ここまでともに来た者にそうまで言われて、今更引き下がることはできない。

 

「あの化け物と海軍のやり合いに突っ込むんだからね!? 命、預けたわよ!!?」

「死なねェさ!! 生きておれと組んだやつを、おれはもう死なせねェ!!!」

「言ってろバカ船長!!」

 

 叫びとともにギーアの両脚は爆風を吹いた。

 戦場へ、鉄巨人へと向かうのだ。

 

「先行くわ! 上手くやってよね!!」

「よし行け援護する!!」

 

 突撃したギーアに合わせ、モリアの影が形を変える。

 泡立つように膨れ上がったかと思えば、空に落ちる雨にように大量の蝙蝠が飛び出した。それらは矢の勢いで飛ぶギーアに追随し、同じところを目指して加速する。

 向かうは鉄巨人の後頭部だ。

 

『――あん?』

 

 風を切る音に気づいたのか鉄巨人は振り向き、だがその横顔へ蝙蝠たちが先行する。

 影の蝙蝠はよじるように形を変え、無数の杭となって殺到した。

 

「“馳錐蝙蝠(パイルバット)!!”」

『!!』

 

 兵器が寄り集まって出来た顔を連打する影、更にギーアの蹴りが追撃となる。

 

「“旋風断頭(ジェットダントン)”!!」

 

 もとより鋼を内蔵するギーアの蹴りだ。鉄器の集合体である鉄巨人の頭を打ち抜けば、鐘をつくような激音が轟く。突き立つ杭を更に押し込むような一撃は確かに決まった。

 しかし、

 

(硬ったァ……!!!)

 

 改造人間のギーアが逆に痛みを堪えなければならないほどの手応えがくる。

 現に鉄巨人も、先鋭の連打と烈風の一撃を続け様に受けて、変わることなくこちらへと振り向いてみせる。

 

『お前は、負け犬と一緒にいた女か! それに影の能力……負け犬野郎も、さっきの砲撃でくたばっていなかったか!!』

「当たり前だ鉄クズ野郎!!」

 

 鉄巨人から叫ばれるバレットの声に応えたのは、駆けてくるモリアだ。

 

「おれはお前を超えて海賊王になる男だぞ、ダグラス・バレット!! こんなところでくたばりゃしねェよ!!!」

『ぬかせ!!!」

「げっ!」

 

 鋼の巨腕が振り上げられた。

 覇気によって黒ずんでいたそれが、更に輝く黒金の光沢を得て巨大化する。大気を唸らせるそれは、一打で地形を変える鉄巨人の鉄槌だ。

 

「“グレイテスト・ファウスト”!!!」

「!!!」

 

 黒金の豪腕が岩肌を粉砕した。

 天災にも等しい衝撃が岸辺を打ち砕き、幾つもの岩塊が宙に舞う。全身を微細な砂礫が打つ痛みを堪え、砂塵の中にいるような視界でギーアは必死に飛ぶ。

 

(モリアは……!?)

 

 腕で顔を庇い、どうにか視界を拓けば、辛くも攻撃をかわしたモリアの姿が見えた。蝙蝠の群れとして放った影を呼び戻し、それらに身を引かせて避けたらしい。

 危なっかしいにもほどがある。

 鉄巨人に近づく必要があるとは言っていたが、言い合いながら近づいたのでは自分が囮に飛んだ意味がないではないか。

 

「……ったくもう!!」

 

 バレットの意識をこちらに向けさせる必要があった。

 鉄巨人を迂回するように走るモリアに悪態をつき、ギーアもまた飛翔する。

 

『女ァ! お前もやるつもりか!?』

「あいにく私はあいつに賭けたもんで! あいつが一発カマすまで、私が相手よ!!」

『ザコが……いきがるな!!』

 

 鉄巨人の顔がうごめき、無数の砲門は出現する。

 夕立もかくやの大連射。大粒は砲弾、小粒は銃弾、面を成すほどの弾幕が放たれる。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!」

 

 ギーアは両手を突き出し、熱風と光熱の力場を生み出した。

 弾は融け、砲弾は熱に煽られ当たる前に自爆する。それを見届けてギーアは素早く飛んだ。抉るような軌道で弧を描き、鉄巨人の側頭部へと過熱した掌底を打ちつける。

 

「“閃光火拳(フラッシュヴァルキリー)”!!」

 

 それがただの鉄であれば融解し貫くほどの熱量だ。

 しかし覇気により硬化した鉄器の群れは火花さえ散らさず、無慈悲な手応えをギーアに送り返す。

 やはり駄目か、と腕の痛みを堪え、早々に飛び退くギーアである。

 覇気を使うモリアや、悪魔の実の能力で自然の力を操る中将たちですら破れなかった鉄巨人の体だ。いまさらギーアの一撃が通じないのは分かりきっていた。

 

『バカが! ザコが何をしたところで無駄だ!!』

「ごもっともだけどねぇ……!」

 

 それでも相方が成し遂げるまでことを続けなければならないのがつらいところだ。

 しかも、注意を向けなければならないのは鉄巨人だけではない。

 

「……!!」

 

 光が差す。

 熱が湧く。

 太陽の輝きかと最初は思った。しかし違う。

 空で光るそれは日の光というにはあまりにも鋭く、湧き上がる熱は注がれる光からではなく地上よりほとばしっていたからだ。

 そこには中将たちがいた。

 

「ぅげ!!」

 

 ギーアの直上にいるのは痩身の中将ボルサリーノ、地上にいるのはサカズキだ。

 どちらも自らの身に宿る悪魔の実の能力を最大に励起させている。

 

「オー……海賊と一緒にいたならねェ~……お嬢さんも海賊ってことでいいよねェ~……!」

「悪はすべて滅びなければならない……! ダグラス・バレットもろともくたばれ……!!」

「ちょ、ちょっとォ――!!?」

 

 ボルサリーノの交差した腕、サカズキのかかげた腕、そのいずれもが極大の力を打ち放つ。

 

「“八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)”」

「“流星火山(りゅうせいかざん)”!!」

 

 炸裂する光と熱。

 膨大な光線の雨と無数の溶岩の拳は、もはやギーア達を狙うような攻撃ではない。一人を相手取るのではなく、一つの区域にあるものを焼き尽くす範囲攻撃だった。天と横合い、二軸より迫る莫大な数の熱量が隙なく迫る。

 

「こんのぉ――!」

 

 それでもギーアは飛んだ。

 溶岩の連打から逃げるように、光線の雨が届く前に、先んじて鉄巨人の体躯へ飛翔する。熱気が押し寄せ、まぶしさは募る一方だ。だがそれに先んじなければ命がない。

 速度が内臓と血流を押しやる中、しかしギーアはその場所に届いた。

 鉄巨人の脚の間へと。

 

『貴様!』

 

 鉄巨人が見下ろそうとして、しかしその暇はなかった。

 激音をたてるものどもがその身を襲うからだ。

 

『ぐォ……!』

 

 溶岩の拳が鉄の体を滅多打ちにし、しかる後に光線の雨が降り注ぐ。鉄巨人を盾にして陰に潜むギーアとてまったくの無事ではいられない。激突して四散した溶岩や、逸れた光線が沿岸へと落ち、熱気と砂礫の飛沫を手当たり次第に飛散させるからだ。

 それでも直撃するよりはずっとマシだ。

 流石の鉄巨人もあれだけの二重攻撃を受ければ苦悶の一つもこぼすか、とギーアは見上げ、

 

「い……っ!?」

 

 左右に立つ柱のごとき両脚が、茨のトゲのように銃器を群立させた。

 待ったなしの弾幕がギーアを挟み撃ちにする。

 

(かゆいところに手が届く、ってことね……!)

 

 モリアたちの戦いでも見たが、あの巨躯に相応の膂力に加え、全身のいたるところから兵器や武器を生やすことができるのは厄介な能力だ。今もこうして手が届かないところに逃げ込んだはずなのに、すぐに炙り出されてしまった。

 ギーアは脱出する。

 鉄巨人の尻から背に向かって弧を描くように急上昇、そのまま後頭部に一撃をいれようとして、

 

「!!!」

 

 そこで一つ目の兵器と目が合った。

 

(――読まれた!)

 

 後頭部から生えた大砲が火を噴いたのは、そのときだった。

 真正面から飛んでくる弾はやけにはっきり見えた、などと思うのは悠長だっただろうか。

 爆炎が全身を包む。

 

「が……!」

『カハハハハ! 虫けらみたいに飛び回るのも疲れるだろう……!』

 

 黒煙を引いて山なりに墜落していくギーア。

 その方に向かって振り返る鉄巨人は高らかに嘲笑し、

 

『打ち落としてやる!!』

 

 バックハンドで長大な腕を振りぬいてきた。

 肘からくの字に曲がった黒金の腕が、風を切って迫るのをギーアは漠然と見つめる。避けなければ死ぬ。そう分かっていても、虚をつかれて砲撃された体は鈍く重く、言うことを聞こうとしない。

 

(まっず……!)

 

 痛みに思考が支配され、姿勢と両脚の機能が制御できない。早く風を噴いて飛ばねば、と意識だけが先走り、萎縮した体は縮こまって立ち止まったままだ。

 巨腕はすぐそこだ。叩き飛ばされるだけではすまない。これは五体が粉々になるな、と諦めの境地を抱いてしまう。

 やはりこの戦いには役者不足だったのだろうか、と思い、

 

「おいおいねーちゃん、何してんの」

 

 下から跳んで来た、何か勢いのあるものに受け止められた。

 それはそのまま鉄巨人の腕よりも高いところまで跳び上がり、戦場を広く見渡せる視界をギーアに与える。

 ギーアは抱きとめられたのだ。逞しく硬い感触だったが、衝撃を和らげる確かな技術を持って迎えるそれは、まぎれもない人の腕と胸だ。

 ぼやけた焦点を至近で結べば、そこには見知った顔がある。

 

「あ、あんた!」

「クザンっつーんだ。聞こえてただろ?」

 

 墜落するギーアを抱きとめたのは海兵の1人、クザンだった。その風貌は一介の海兵然としたものだったが、サカズキやボルサリーノと肩を並べるところから、どうやら彼も中将の1人であるらしい。

 クザンはギーアを抱えたままゆっくりと降下し、

 

「まさか海賊の一味だったとはな」

「いや、まあ成り行きというか……」

「とはいえ今相手してる余裕がないのは変わンないのよ。あのデカブツからバレットを引きずり出さなきゃならねェんで、引っ込んでてくんないかね」

「…………!」

 

 その時、ギーアの脳裏に閃くものがあった。

 自分を抱きとめるクザンの袖を掴み、

 

「――だったら私たちに協力しなさい!!」

 

 思わず叫んだギーアの命令にクザンは目を丸くする。

 

「はァ? 何だって?」

「あのデカブツの動きをとめて! そうすれば私達でどうにかするから!!」

「バカ言ってんじゃないよ。なんで海兵が海賊の言うこと聞かにゃならんの」

「ダグラス・バレットを止めたいのは一緒でしょ! それぐらい手ェ貸してよ!」

「あのなァ……!」

 

 ギーアの提案を呑もうとしないクザンだったが、しかし状況もそれを許さない。2人は今また、鉄巨人の手が届く高さまで降りてきたからだ。

 

『オオオオオオオォォォォォォ!!』

「っちィ!!」

 

 振りぬかれた巨腕。

 舌打ち一つ、クザンはギーアを上へと放り投げ、一人その身で拳を受ける。

 

「クザン!?」

 

 両脚の噴射で滞空し、犠牲になったクザンを見下ろす。

 しかしそこには打ち飛ばされた人はなく、代わりに砕けた人型の氷が飛散していた。そのうちの一つ、胴体のような氷塊が形を変え、人としてのクザンの顔になる。

 

「雑なことばっかりいいやがって! ……ヘマこいたら承知しねェぞ!!!」

「!」

 

 “自然系”特有の、自然現象に変化して攻撃を受け流す回避術だった。答えるクザンの顔は、サングラス越しであっても分かるほどに憤然としている。

 

「デカブツを波打ち際に引き寄せろ!! そしたらおれの方で止める!!」

「……わかった!!」

 

 了解とともにギーアは飛ぶ。向かうのは鉄巨人とこの沿岸を見渡せる高みだ。

 寄せては返す小波は小高い岸にぶち当たり、飛沫を散らしている。鉄巨人が立っているそこから、数歩程度の距離がある。クザンの指示を叶えるならば、どうにかしてその分を鉄巨人に歩ませなければならない。

 ギーアに出来ることは限られていた。

 

「やっぱ囮やるしかないかァ……!」

 

 結局のところギーアに出来ることはそう多くない。周囲の攻撃の合間を縫い、あの巨体の周囲を飛んで注意をひくことが、現状できる数少ない意義のある行動だ。

 不幸中の幸いは、まだ鉄巨人もこちらを狙っているということか。

 

「うわ……!」

 

 数発の弾丸が顔を掠める。鉄巨人が顔から生やした銃が火を噴いたのだ。

 身を翻して落ちるように飛ぶギーア。放たれる弾を避けるが、

 

『それで避けきったつもりか!?』

「ああもう! 厄介なんだから……!!」

 

 頭だけではない。胸、肩、腕、体のいたるところから砲門が起立し、そして放たれる。

 銃弾の弾はもとより、大砲や迫撃砲の巨大な砲弾、時には剣や槍そのものが撃ち出され、鉄巨人の向くところ、すべての空間を攻撃が埋め尽くす。ギーアはあらゆる鉄の造形をこの一時で網羅できたような気分で、必死にその合間へと体を滑らせた。

 徹底した弾幕である。意識と内臓を置き去りにするつもりで飛翔するしかなかった。

 

「……うぷっ!」

 

 全身の血と胃液が縦横無尽に押しやられ、意識が振り回される。速度はもとより、一秒以下の頻度で切り替えられる姿勢制御に、鍛えられた改造人間の体すら音を上げようとしていた。

 だがここで諦めるわけにはいかない。

 モリアを鉄巨人に近づく間をつくるため、鉄巨人の注意を引く必要がある。それにはクザンの手を借りて、あの巨体の動きを止めるしかない。

 だからギーアは飛ぶのだ。

 ここで諦めたら全てが頓挫する。

 

(やったろうじゃない……!)

 

 既に天がどちらにあるのかすら見失った。

 極限まで高めた集中によって頭がひどく熱いのに、手足は冷え切って重りのようだ。振り回すたびに風がまとわりつき、肩や腰からもげてしまうのではないかと思った。いや、今は手足があることさえわずらわしい。

 弾幕を捉える意識だけが先行し、体が途方もなく鈍重に思える。

 肉体という足手まといを伴い、それでも避け続けろ。

 鉄巨人が放つ弾、砲弾、槍、剣、全てを避けろ。

 敵が業を煮やすその時までしのぐのだ。

 弾幕では落とせないと思わせろ。

 その身にある拳を誘い出せ。

 耐えろ、奔れ、奔れ!

 

「うぉ……!!!」

『羽虫みてェに飛び回りやがって……!!』

 

 そしてついにその時は来た。

 弾幕が止み、鉄巨人の長大な右腕が引き絞られる。

 

『いい加減、終いだ……!!』

 

 構えられた腕がより黒く、強固に形を変えた。

 覇気の一つ、武装色硬化の技だ。大地を砕いたあの一撃が来ようとしている。

 弾幕をしのぎきったギーアは、全身から噴きだす汗をぬぐいもせず、その一撃を待つ。

 

(ここが……勝負よ……!)

 

 敵に拳をふるわせ、踏み込みを誘発する。

 それをもって鉄巨人を波打ち際に誘い込む。

 この一撃をいなせるかどうか、ギーアの正念場がここである。

 腕が引き絞られるまでの僅かな時間が、途方もなく長く感じられる。しかしそれは高められた集中が、時間を引き延ばして近くしているからに過ぎない。

 一撃はすぐに来る。

 

『――“グレイテスト・ファウスト”!!!』

 

 覇気の鉄拳が大気をぶち抜いた。

 その巨大さに不相応の劣るべき速度が暴風を起こしながらギーアへと迫る。

 

(――死ぬ――)

 

 終わる。ただその一言が思考を締めた。

 視界の全てを覆い尽くす強大な攻撃を前に、諦めなければならないという義務感すらある。自らの終わりを確信し、全身から血の気が失せて冷感に支配される。

 これが死に直面した者の境地か、ギーアはそう思った。

 迫る。

 当たる。

 砕け散る。

 一秒後に自分が辿る未来を見たような気さえする。

 兵士として生まれ、軍事力として育てられ、脱走兵として今に至る生が終わろうしていた。

 しかし、

 

(でも――)

 

 そうだ。

 

(まだ――)

 

 やらなければならないことが、

 

(――ある!!)

 

 恩人によって情緒を与えられ、しかし苦しめられるだけの人生だった。

 しかし今、ようやくやってみたい、見てみたいと思えるものに出会えたのだ。

 図体相応に大言壮語を吐いてみせた、そのためにこの死地へ自ら臨んだあの男の夢。

 志が折れる瞬間に立ち会って、しかし立ち上がって見せたあの男が口にした言葉。

 その実現を見ずして終える悔いを、受け入れるというのか。

 

(いやだ!!!)

 

 反骨は翼となってギーアを羽ばたかせた。

 

「ああああああああああああああああァァァァァァ――――――――!!」

 

 叫びを置き去りにする速度。

 女の体は流星となって地を目指す。

 

『ザコが! 無駄なあがきを……!!』

 

 両脚が放つ烈風を最大出力、ギーアの体は一直線に降下して拳を潜り抜ける。

 だが止まらない。

 ギーアは止まらない。

 弾より早く、矢より素早い速度は留まるところを知らず、穿たれた大気が描く幾つもの輪を潜っていく。機能を超える出力を持って、ギーアの加速は止まらない。

 ただ一直線に、地を目指す。

 鉄巨人の太い脚が立つ、巌でできた海岸を。

 

「“騎行(チャージ)”!!」

 

 意気に答えろ赤熱の一打。

 奴の寄る辺を打ち砕け。

 

「――“閃光火拳(フラッシュヴァルキリー)”!!!」

 

 それは獲物を狩る鷲にも似た瞬撃。

 左右同時に繰り出される掌底が鉄巨人の足元を粉砕した。

 

『ぬ……!?』

 

 拳を繰り出すために踏み出した脚が足場が崩れれば、そこにあるのは姿勢の瓦解である。

 始まりは傾くように、次第に腕を伸ばすように、そして最後は転ぶようにして、鉄巨人の体躯が前のめりに倒れていく。そうなってしまえば鉄巨人の行き着く先は、岸辺で白波をたてる波打ち際だ。

 大音響、そして天高く水柱が立ち昇った。

 

『貴様、何のつもりだ……!!』

 

 鉄巨人は拳として突き出していた腕を杖にして起き上がる。

 その姿は近海に右腕と膝下を近海に浸すような形となっている。水柱が散らした海水が雨のように降る中、鉄巨人は怨嗟を込めてこちらへと振り返る。

 これならいけるはずだ。

 

「クザン!!」

「ああ!!」

 

 鉄巨人が身を起こす。しかし岸辺に這い上がるより、クザンが駆けつける方が何倍も速い。

 駆ける男の両手から冷気の閃きがほとばしる。

 

「“氷河時代(アイスエイジ)”!!!!」

「!!!」

 

 瞬きをする間もなかった。

 鉄巨人を中心にして、一瞬にして近海が氷結する。

 うねる波の形もそのままに、もはや白い荒野がそこにあると言ってもいいほどの光景がその場に現れた。強固で分厚い氷塊は光を通さず、きらめくように光を跳ね返している。

 そうして固く凝結した海辺が鉄巨人を噛み締めた。

 

『何だとォ!?』

 

 海水にまみれた鋼鉄の表皮が凍りつく。何より二本の長大な脚が氷結した波間に食われ、鉄巨人はその身動きを封じられる。お膳立てをしたとはいえ、一瞬であの巨躯を封殺せしめた能力に驚嘆を禁じない。

 だがいつまでもそうしてはいられない。

 

「オイ! それでどうするんだ!? あのデカブツ相手だといつまでももたねェぞ!!」

 

 体を覆う氷の皮膜はすでに砕け散った。

 分厚い氷の大地と化した波間ですらいつまでも鉄巨人を留めてはいられない。鉄巨人が引き抜こうとするほどに軋みを上げ、亀裂は広がろうとしている。

 間もなく氷結が砕かれる。機は今しかないのは明白だった。

 

「モリア――――――――――!!!」

「上出来だギーア!!!」

 

 応えは傍らを駆け抜けた。

 汗をしとどに流して倒れるギーアへそよぐ風、それは黒い巨体が走るがゆえに起こす風だ。

 モリアだ。垣間見た凶相は喜色にゆがみ、勝機を逃すまいと四肢を滾らせているのが遠のく後姿からでも見て取れる。

 向かうは凍てつく巨人の下。

 ギーアの奇策を受け、クザンの拘束を受け、だがそれらを跳ね除けようとする巨躯へ走る。

 

「“影法師”!!」

 

 モリアに追いすがる影が形を変えた。併走するように立ち上がるのは彼の似姿だ。

 二つの黒い影が一丸となって鉄巨人へ迫る。

 

『てめェの小細工か! この程度でおれを倒せるとでも……!!』

「少しで良かったんだよ!!」

 

 氷の粉塵を散らして動き始めた鉄巨人。その怒号にもモリアは臆さず吠える。

 

「少しの間動きが止まってくれれば良かったんだ……! てめェの“影”に近づければな!!」

「何ィ!?」

「……行け!!」

 

 モリアは“影法師”へと命令を下した。

 指差す先、鉄巨人のそれ相応に巨大な影へ跳べ、と。

 かくして事は成される。

 

「――“影革命”!!!」



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海賊王を目指すということ(後編)

 “影法師”は姿を消した。

 さながら水鳥が獲物を求めて水中を目指すかのように、鉄巨人の影へ飛び込んだのだ。

 後には何も残らない。ただ鉄巨人とモリアの対峙がそこにあるだけだった。

 

(本当に、上手くいくの……!?)

 

 この戦場に来る前に聞かされたモリアの秘策。

 彼の能力、カゲカゲの実の能力を用いた鉄巨人の突破策は、果たして成功するのか。

 静寂ともいうべき両者の対峙。

 ギーアは流れる汗がより冷たくなったような気さえした。これで通じなければ、きっとモリアは鉄巨人に叩き潰されてしまうだろう。あるいは全身から生える砲の群れによってハチの巣になるかもしれない。その恐怖が体を冷やすのだ。

 いけるのか、と再び思い、

 

「あ……」

 

 ギーアは気づいた。

 つい先ほどまで、耳をつんざくほどに響いていた氷の砕ける音が止んでいることに。

 

『――何だと?』

 

 鉄巨人からバレットの声。しかしそれは今まで聞いたことがない感情がこもった声だ。

 戸惑いである。

 

『何だこれは……!!』

 

 鉄巨人の体から飛び散る氷の粉塵、強引に引き抜く脚により砕けようとしていた氷塊の海。それらすべてが止まっている。それは鉄巨人が動きを止めたからに他ならない。

 しかし鉄巨人を操るバレットは氷結への抵抗を諦めたわけではない。それは彼の言葉からも明らかだ。

 つまり彼は今、氷結とは異なる第二の拘束を受けているのだ。

 

「……キシシ、動けねェだろう?」

『てめェ、おれに何をしやがった!!?』

「“影革命”と、そう言った筈だ!」

 

 傍目には鉄巨人が氷原に両脚を埋めた鉄巨人が、モリアに背を晒しているようにしか見えない。しかしそれは、モリアがその能力によって鉄巨人を縛り付けているからだ。

 聞かされていたモリアの秘策、相手の影を操る“影革命”が成功したのだ。

 

「影は実体に追従する、その鉄則に革命を起こしてやったのさ!」

「……!!」

「お前の影は今、おれの“影法師”が支配した! 影と実体は同じ形、しかしその影の形を“影法師”は操っている今、実体は影の形に添って動くしかない!!」

 

 モリアから聞いていた通りだ。

 “影法師”を鉄巨人の影に潜り込ませることができれば、影を介して鉄巨人の動きを支配できる。あの強力な拳も、強靭な鉄の体も、全身から生える銃身も封殺できる、と。

 ここに至るまでのすべては、モリアが“影革命”を成功させるための布石だったのだ。

 ギーアが囮になったのも。

 クザンに動きを止めさせたのも。

 これで鉄巨人を突破できるかもしれない、そのとば口に立つことができた。

 

「動きを止めたから何だ! 結局のところ、てめェらにおれを倒すことはできねェ!!」

 

 なおも鉄巨人は吼える。

 

「てめェの攻撃では、おれの覇気は突破できねェんだからな!!」

「あぁそうだ、たしかにてめェはとんでもねェ覇気使いさ」

 

 モリアはおごそかに頷き、しかし、

 

「――だがその覇気はどこまで及ぶかな?」

「何だと?」

「さァおれの能力とてめェの覇気、根競べといこうか!!」

 

 モリアが叫ぶと同時に、鉄巨人に変化が生じた。

 否、正しくは鉄巨人の影、“影法師”が潜り込んで操る影に変化が生じたのだ。

 

「これは……!」

「“影革命”は動きを支配するだけじゃねェ! 影の形そのものを操るのさ!!」

 

 鉄巨人の体が、影が、みるみるうちに膨張していく。

 大きく、より大きく、ただでさえ大きかったそれがまた一層に大きくなる。さながら空気を注がれた風船のように丸々と、もはや人型としての輪郭も危ういほどに体積を増していく。その変形を先導する影にいたっては、まるで大地を闇で飲み込もうとするかのようだ。

 膨張する鉄巨人によって氷の大地は押し開かれ、岩の割れるような轟音が生まれる。しかしそれでもまだ巨大化は止まらない。

 今や鉄巨人の大きさは最初の3倍以上、丸々としたヒトデのような形に成り果てた。

 

『こ、これは……! 負け犬、てめェ!!』

 

 しかしもたらされた変化は形態の変化だけではない。

 鉄巨人の色だ。大きくなるほどに、全身を染め上げていた黒色が薄れていくのである。

 黒色、すなわち武装色硬化。それが褪せていくことはつまり、膨張によって鉄巨人の覇気が密度を落としていることに他ならない。

 

「キシシシシシシ! おれの“影革命”で変形させられる限界に、お前の覇気が追いつけるのか……!! さぁお前はどちらに賭ける!?」

 

 攻めるなら今だ。

 

「――クザン!!」

「そういうことかよ!!」

 

 ギーアの呼びかけに即応が返された。

 クザンは袖をまくり、腕輪に備え付けられた小さい電伝虫を取り出す。

 

「――こちらクザン! バスターコール艦隊、更にデカくなったデカブツを狙えェ!!」

 

 指示には激音をもって返された。水平線に並ぶ軍艦が、今また遠雷に等しい砲声を響かせたのだ。

 数多の砲弾が飛来する。向かうは一点、膨張した鉄巨人だ。

 

(お願い、通じて……!)

 

 これが最後の策だ。

 モリアの“影革命”による拘束と耐久力の低下、そこへ軍艦の砲撃を叩き込む。それで通じなければ、もう後がない。巨大化した鉄巨人は確かに覇気の色を落とした。果たしてそれは砲撃が通用するほどまでに弱体化したのだろうか。

 願うのつもりでギーアは凝視した。

 砲弾の群れが鉄巨人へ迫る。撃ち抜けるのか、否か。

 結果は火をもって証明された。

 

『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ――――――!!!』

 

 轟音、そして爆炎。

 大火の花が鉄巨人の左肩で吹き飛ばす。

 

「……効いた!!」

 

 砲撃を受けた左肩が、それを構成する様々な兵器群を飛び散らせる。

 左肩だけではない。砲撃を受けたあらゆる場所が、これまで砕くことができなかった鉄巨人の体を破り、それを形作っている数々の鉄器を四散させたのだ。

 その身を維持する覇気が通用しなくなった証拠だった。

 

『き、貴様ァ――――――!!!』

 

 欠けた左肩から爆煙を立ち昇らせる鉄巨人。振り返ることも許されない。

 そして、この隙を許す海兵たちではなかった。

 

「サカズキ! ボルサリーノ!」

「はっ!!」

 

 叫んだのはガープ。応えたのは2人の中将。

 初老とは思えないその声量を受け止めて、2人の体は再び光熱を発した。

 掌から放たれる閃光と両腕から溢れる溶岩。

 “自然系”による攻撃が、再び空間を埋め尽くす。

 

「“流星火山(りゅうせいかざん)”!!!」

「“八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)”」

 

 次々と撃ち出される拳型の溶岩塊と光線の雨。

 先ほどは通用しなかったそれが、しかし今度は鉄巨人を砕き散らしてく。

 

『グオオオオオ、オ、オオ、オ……!! オ……!!!』

 

 砲弾、溶岩、光線。三つの弾幕による集中砲火に鉄巨人は呑まれていく。

 炎と煙によって姿は包み隠され、何倍にも膨れ上がった姿はついに見えなくなった。

 

(やったの……!?)

 

 一瞬、その期待がギーアの胸に湧いた。

 しかし現実は、敵はそれを素直に受け入れることはないのである。

 

「やりやがったなァ――――――――――!!!」

 

 もうもうと上がる煙を突き破る一つの人影。

 堅固で猛々しい、強固な筋肉で覆われた巨躯の男。

 ダグラス・バレット本人だ。

 

「負け犬野郎! てめェは……! ここで殺してやる……!!」

 

 左肩に巨大な傷跡を残す姿は、さながら鉄巨人が受けた傷をそのまま引き継いだようだ。やはり悪魔の実の能力によって合体しているが故に、鉄巨人はそのまま彼の体でもあったのだ。

 肩から流血の尾を引き、焼け焦げた体を滾らせてバレットは拳を構える。

 

「ついに出てきやがったなワンマン野郎! ここで決着だ!!」

 

 モリアもまた拳に応えた。

 煙の中から伸びる、崩れつつある鉄巨人の影、そこから這い出した“影法師”を呼び戻す。飛んで戻る影武者はその似姿を崩し、黒い奔流となってモリアの腕に巻きついた。

 影は形を変える。モリアの腕を取り巻く、一本の巨大な短槍へと。

 バレットの拳が。

 モリアの巨槍が。

 2人の決着を求めて、その豪腕に全身の膂力を漲らせた。

 

「おれ達の勝利だ!! ダグラス・バレット!!!」

「おれの強さにひれ伏せ!! ――ゲッコー・モリア!!!」

 

 バレットの両腕が、全身が覇気によってきらめく。

 黒金を超えた青い鋼鉄のような輝きが、決着を望むバレットの姿だ。

 さながら隕石のようになって飛来する男は、殺意と握り締めた豪腕で峻烈の拳を解き放つ!

 

「“最強の一撃(デー・ステエクステ・ストライク)”!!!」

 

 覇気の連撃が降り注ぐ。

 巨大な拳がモリアの巨躯を打ち据える。

 顔。

 頬。

 肩。

 腹。

 内に秘めた臓腑や骨にいたるまで。

 人が人を打って起きるとは思えない激音の嵐、戦意の暴風が吹き荒れる。

 モリアのありとあらゆるものを打ち負かすべく、バレットの拳がモリアを射抜く。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォ!!!!」

 

 雄叫び。

 勝利を望んで揺るがないバレットの咆哮までもがモリアを押し潰す。

 だが、

 

「お……! おォ……!!」

 

 それでも折れない。

 ゲッコー・モリアは倒れない。

 立ちはだかるダグラス・バレットという最強の敵を貫く、最強の一撃を練り上げるために。

 

「おおおおおおォォ……!!!」

 

 形作る影の槍がその黒さを増していく。

 乾坤一擲の覇気が、本当の黒金に勝る輝きを穂先に与える。バレットの奥義を全身に受けながら、それでもモリアは先鋭の影をゆるがせない。

 すべては自らの信念をもって敵に勝つために。

 勝利を確信するバレットの笑みを、今こそ突き破れ――!

 

「“影王の一刺し(スカーハ・ゲイボルガ)”!!!」

「!!!」

 

 閃く一打が、青く輝くバレットの胸を穿つ。

 鋼と鋼が競り合う鍔迫り合いのような音。それは男たちの覇気のせめぎ合いに他ならない。

 覇気とは意思の力。

 男たちの意思の硬さ。

 鋼鉄に勝る堅固な志が、決定的な決着を求めてせめぎ合う。

 

「おおおおおォ……!!」

 

 はたしてそれはどちらの雄叫びだったのか。

 バレットか。

 モリアか。

 そして、

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォ――――――――――!!!!」

「!!!!」

 

 叫びは疾駆した。

 バレットの屈強な体躯が、モリアの槍が向かう先へと。

 

「ォ……!!」

 

 絶句するような、ほんの僅かな絶叫。

 それがダグラス・バレットという男が敗北したことの証であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人の男が倒れ、一人の男が立っている。

 それがこの対決にもたらされた決着であった。

 

「モリア……!」

 

 バレットの連撃を受けながら覇気を練り続けた男は、今まさに倒れる寸前である。両者の戦いはそれほどまでに紙一重だったのだ。計略と助力、そしてバスターコールという突破力を重ねなければ、モリアがバレットに勝つことは出来なかっただろう。

 しかしその力はモリアのものではない。そのことの意味が、降りかかろうとしていた。

 

「……!!」

 

 軍艦が砲撃を止めないのである。

 

「モリア! 逃げるわよ!!」

「クソ海軍め……本当にこの島ごと吹き飛ばすつもりか……!」

 

 バレットという核を失い、鉄巨人はすでにその形を失っている。砲弾に混じって砲台や剣といった鉄器が降り注ぎ、今や沿岸は鉄の流星群と立ち昇る火柱の板ばさみにあう崩壊の平野と化していた。

 そんな中に2人は取り残されている。

 

「いつまでもこんなところにいられるか……! とっととずらかるぞ!!」

「異議無し! この砲撃を隠れ蓑にしましょう!!」

 

 この場にある全てを滅ぼそうとする戦禍、ここを生き延びるにはそれにまぎれるしかない。

 そうしなければ、砲撃以上の脅威が2人を追ってくるからだ。

 

「行くぞ……!」

 

 爆音に次ぐ爆音、鉄と炎が吹き荒れる巷から2人は走り出そうとして、

 

「――そういう訳にはいかないじゃない」

「!!」

 

 氷の一閃が奔り抜けた。

 2人が駆ける以上の速さでつき抜けたそれは、両者の脚へと食らいついて離さない。ギーアとモリアは、その脚を氷付けにされてしまったのだ。

 

 

「悪ィなねーちゃん」

 

 火柱と粉塵の中から一人の男が現れた。

 それはバレットを倒すため、一時の共闘を得た相手。しかし本来は敵する間柄の相手。

 

「……クザン!!」

「億越えの海賊と組んでるとあっちゃ、流石に見逃せねェよ」

 

 こちらは海賊。

 あちらは海軍。

 追われる者と追う者、共通の敵を失った今、両者は元来の姿に戻るしかない。

 

「海兵……! 中将だな!?」

「そういうお前はゲッコー・モリアだな。ダグラス・バレットを破るとは、やるじゃないの」

 

 それに、とクザンは続けて、

 

「――海賊王とは良い啖呵をきるじゃない。だったら、とっ捕まって地獄に行く覚悟は出来てんだろうな?」

「……地獄?」

「あん?」

 

 海兵が口にした言葉に、つい笑みをこぼしてしまったのはギーアだ。

 頬を吊り上げた凶暴な笑みをクザンに晒して、

 

「地獄ってのはね……こないだまで居たところのことよ!!」

 

 それは暴力と残虐によって百獣海賊団が支配する国。

 モリアは仲間を滅ぼされ、ギーアは肉を剥ぐような尋問を受ける日々を過ごした。あれを地獄といわずして何というのか。すでに自分たちは苦界を体験し、それを乗り越えてきたのだ。

 それにまた送り込まれようとしている。その事実がギーアに反骨を促した。

 両の手が赤熱する。

 

「モリア、逃げなさい!!」

「!!!」

 

 高熱を発散する掌が足元の氷を蒸発させ、2人の拘束を消失させた。

 しかしギーアは走らない。

 モリアとクザンの間を分かつように腕を伸ばし、隔たりとしてその場に立ちはだかる。

 

「こいつ相手に1人も2人も同じよ! あんただけでも逃げなさい!!」

「……ふざけんじゃねェ!!」

 

 ギーアの背にモリアの怒号が叩きつけられた。

 

「またおれに……! てめェらを見捨てて逃げろってのか!!?」

「……ふふ」

 

 見捨てられない。

 誰かにそう言われる日が来るなど、考えたこともなかった。ましてや自分が誰かのために自らの身を投げ打とうとするなど。

 認めよう。

 ゲッコー・モリアは自分の長だ。

 彼がかかげる大望の礎になることを夢見てしまったのだから。

 

「ギーア!!」

「……あんたは、海賊王になるんでしょうが!!?」

 

 振り返らない。

 追っ手を見据えて揺るがず、救うべき相手に背を見せる。

 

「良いわ、のってあげる! ここまで来たら見届けてやるわ、あんたが海賊王になるところ! あんたが言う、あんたを海賊王にする戦力の一つになってやるわよ!!!」

 

 言って、ギーアは自らの小指の爪を引き剥がした。

 もうこの程度の痛みでは動じようもない。血がこびりつくその一片をモリアに押し付け、

 

「持ってきなさい! それで私のビブルカードを作るの!!」

「!!」

「絶対に! 絶対に!! 私は死なないから!! それが動き出すのを待っていなさい!! 絶対、あんたのところに戻ってくるから!!!」

 

 息を呑むような間があった。

 2人は依然として視線を交わさず、しかしそこには強い疎通が確かに交わされる。

 

「……絶対だ」

 

 やがて男は口を開いた。

 

「絶対だぞ……! 絶対生きて戻って来い!!」

「上等……!! やったろうじゃない!!」

 

 だから行け。

 走れ、未来の海賊王。

 音に乗らないその言葉を送り、そして受け取ったモリアは疾走する。

 

「逃がすか……!!」

「追わせるかっての!!」

 

 その腕を氷に変えて駆け出すクザンを、ギーアの赤熱する腕が取り押さえた。光輝を伴う熱量によって氷が沸騰し、幾筋もの水蒸気を立ち昇らせる。

 ギーアとクザン、敵対を決定的にした2人の視線が交錯する。

 

「悪いんだけど付き合ってもらうわよ!」

「ねーちゃん、まさかおれに勝つつもりか?」

「まさか。でも……あいつが逃げ切るまで、ここから先には行かせない!!」

 

 輝く腕は氷の腕を溶かし、ギーアは飛び退いてクザンと距離をとった。腕を失ったクザンであるが、しかし氷がそれを補い、当然のように本来の腕となって復活する。

 勝てるはずはない。分かりきったことだった。

 相手は中将、しかも今はバレットとやりあって疲労困憊だ。

 しかし勝てないと分かっていても、こうして足止めできる幸いに感謝した。光熱を発する力を身に秘めていなければ、こうして足止めすることも叶わなかっただろう。まるで今この時、モリアを逃がすためにこの力を得ていたのではないかと思ってしまう。

 幻想だ。

 妄想だ。

 しかしそれほどまでに、彼に夢を見たのだ。

 ギーアをはじめとする最強の兵力を率いて海賊王になる、そう豪語した彼に。

 

(大丈夫……! 私は絶対に、あいつが海賊王になるのを見届ける……!!)

 

 だから死なない。

 クザンを相手取っても。

 大将が出てきたとしても。

 彼が生き延びるまで一歩も譲らない。

 それがゲッコー・モリアに付き合うと決めた、自分の強さだから。

 

「うああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――!!!」

 

 女の叫びは、爆音の中にかき消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、海軍は生きていたダグラス・バレットを大監獄インペル・ダウンに投獄した。

 収監されるのは、その存在を知る者の少ない最重要監獄Lv.6。

 世に公表するのもはばかられるほどの凶悪な犯罪者や海賊が収容される、無数にある階層の中でもっとも深い場所にある牢獄。獄卒や囚人たちは時にそれを無間地獄とも称する。

 彼の常軌を逸した強さを考慮して、またバスターコール発動を隠匿するための処置だった。 そしてそれゆえにもう1人、Lv.6に投獄された人物がいた。

 その名はギーア。

 バレットに向けられたバスターコールに巻き込まれた彼女は、同作戦に出撃した海軍将校によって捕らえられ、それを間近に見た海賊として投獄された。

 海の底、悪意と罪悪が澱となって沈むその場所に、ギーアは封じられたのである。




これでバレット編の終了。次からはインペルダウン編が始まります。

それにしても、やはり多人数が入り乱れる戦闘を描写するのはとても大変。上手く書ける気がしないです。


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インペルダウン編
地獄の底に金獅子を見る


 朝日のない目覚めはこれで何度目だろうか。

 薄暗い天井を見上げていたギーアは、石造りの硬い床から身を起こす。

 せめて身を包む布の一枚も欲しいところであったが、牢屋にあってはそんな贅沢な代物は望むべくもない。レンガのように敷かれる石畳に接していた頭や背が痛みを訴えた。

 

(つくづく檻の中に縁があるわね)

 

 かつて捕らわれていた時も牢屋に入れられたことを思い出し、否応もなく溜息がこぼれる。

 そうして息をすると、この場に溜まる悪臭が鼻と胸をついた。

 濃厚な血と垢とカビの臭い。

 鼻が曲がるどころの話ではない。吐き気をもよおすほどの臭気で満たされているのは、それだけここが年季の入った牢獄であることの証明になるだろう。

 四角く切り出された石を隙間なく積み上げた壁は飾り気がなく、陰鬱なほどに重厚な存在感をもってこちらを囲い込む。そこには長く太い鎖が何本も打ち付けられており、床へと垂れ下がる様はまるで鈍色の大蛇が忍び寄っているかのようだ。

 そうした鎖のうちの2本は、ギーアを常に縛りつける手械へと繋がっている。

 

(……重)

 

 左右の手首にかかる腕輪状のそれらをひどく重く感じるのは、それが海楼石でできているからだ。

 悪魔の実の能力者であるギーアにとって、弱点である海と同じエネルギーを発するこの鉱物に触れていると、それだけで全身の力が失われてしまう。

 おかげで常に体のだるさに苛まれ、四肢は血の気を失ったように鈍重になっていた。

 

(まぁ、囚人を牢屋で快適に過ごさせてくれる訳ないか)

 

 そのことは、収監以来一度も着替えさせてもらえない囚人服が証明している。白黒の縞模様を描く服は汗と皮脂を吸い上げており、嫌になるほど肌によく馴染む。

 見たくもない自分の姿から目をそらす。

 しかしそうしたところで目に入るのは石造りの壁と、堅牢な檻だけだ。

 マス目状に隙間を空けた鋼鉄の格子からは淡い光が差し込んでおり、明かりのないこの牢屋においては、それだけが視界を拓く唯一の頼りであった。これがなければ、ギーアは暗闇の中で延々と寝起きを繰り返す羽目になっていたに違いない。

 だが当然、それは親切で設けられている訳ではない。

 むしろ、檻の外にある光景を見せつけるために敢えて用意されているのかも知れなかった。

「……いつ見ても代わり映えのしないこと」

 

 檻の向こうにあるもの、それはまた別の檻である。

 ここは、大小無数の牢屋がひしめく巨大な牢獄だったのだ。

 薄ぼんやりとした明かりに浮かび上がる檻の群れは、当然その全てが囚人を内包している。数多の同類を見せつけられることは、ギーアに辟易と鬱屈の思いを抱かせた。

 その者達が、檻に詰め寄ってこちらへと下卑た歓声を飛ばしてくるとなれば尚更だ。

 

「よォ、お目覚めかい姉ちゃん!」

「ちょっとこっち来いよ、可愛がってやるからさァ!」

「バカ、お前もあいつも出られやしねぇよ!!」

「ギャハハハハ! 違ェねェ!」

 

 誰がどの檻から叫んでいるのかも定かではない。

 それほどまでに牢屋と囚人は多く、声は閉ざされた牢獄に反響してしまうからだ。

 

(まぁ、あんな連中と同じ牢屋に入れられなかっただけマシ、か)

 

 ちらり、とギーアは自分がいる檻の奥を見た。

 光の届かないそこには、足枷をされた男が一人、壁にもたれかかるように横たわっている。

 一度として話したことのない、この牢屋の同居人だ。

 外の牢屋にいる、女に飢えた悪漢共のように囃したててくることもない。全くの無関心で亡羊と闇を見つめるその男は、ひょっとしたら長く閉じ込められたことで心を病んでいるのかも知れなかった。

 ともあれ、相手に関心がないのはこちらも同じ。むしろ積極的に関わってこないだけありがたい。

 これがギーアを投獄した連中の配慮だとしたら、それは不幸中の幸いであると言えた。

 もっとも、仮にも政府が誇る世界一の監獄ならば、この程度は当然だと主張したかったが。

 難攻不落の大監獄とも呼ばれる、このインペルダウンならば。

 

(まさか私が、ここに収監されることになるなんてね)

 

 それも、世間に存在が公表されないほど厳重な牢獄に入れられるとは。

 

(――Lv.6。そんな階層があるなんて知らなかったけど)

 

 インペルダウンは、大海に沈む塔型の監獄だ。

 五つの階層からなると以前聞いたことがあったが、それよりももっと下、海底に面したそこに、世間からもみ消したいほどの凶悪犯を収める第六の監獄があったのである。

 それがLv.6。“無間地獄”とも呼ばれる階層だった。

 

(あいつもどこかにいるのかしら)

 

 思い浮かべるのは筋骨隆々とした男の姿。ギーアとともに収監された男のことだ。

 ダグラス・バレット。

 海賊である。

 奴と海軍のあいだで戦いが勃発し、そこで発動した大規模殲滅作戦バスターコールにギーアは巻き込まれた。

 島一つを滅ぼし尽くす火力と、海図の上から存在を抹消するほどの政治力が働く強大な軍事作戦。軍の暗部と言っても過言ではないそれの発動が知れ渡れば、海軍にとって風聞が悪い。

 故にギーアは投獄された。

 政府機関が行った大破壊を隠すための口封じだ。

 とばっちりだ、とは思う。しかし一度無法者になると自らに定めた以上、ギーアに意見する権利はない。もはや自分は国や政府に庇護を求められる立場にはないのだから。

 

(そう、私は海賊になったのだから)

 

 その決意はバレットとの闘いでギーアが得たもの。

 海賊となり、一人の男を船長として支えていこう、と。

 男の名はゲッコー・モリア。

 軍勢の力で海賊王になると豪語した男。

 彼をこの海の頂点に押し上げるとギーアは誓った。それだけの器をモリアに見たのだ。

 仲間を滅ぼし尽くされてなお再起する不屈の精神。

 折れない心を支えにして戦い続ける屈強な肉体。

 その場にあるすべてを自分の利とする権謀術数。

 何よりも、心の折れた奴隷になり下がっていた自分を叩き直した恩義がある。

 だからこそギーアは彼を逃がすための足止めとなり、海軍に捕まった。ここに投獄されて随分時間がたったが、まだ来ないところを見るとモリアは逃げおおせることができたらしい。もしも捕まっていたなら、ギーアと同じ理由でこのLv.6に入れられるだろうから。

 彼は捕まっていない。ならば部下としてやることは一つだ。

 

「ここを出る」

 

 いつまでも監獄に囚われているわけにはいかない。

 絶対に生き延びると誓った。

 絶対に彼の下に戻ると誓ったのだ。

 彼がこれから率いる軍勢の、最初の一人として名乗りをあげた誇りを失う訳にはいかない。

 脱獄する。

 モリアと再会したい。

 しなければならない。

 

「……そろそろ行けるかな」

 

 バレットとの闘いで消耗した体も癒えた。今ならいけるはずだ。

 脱出の決意をもって拳を握れば、逃しはすまいと長大な鎖が音をたてた。ギーアの腕ほどもある太い鎖は、その身を縛る二つの手械がここにはあるぞと主張してくる。

 しかしそれに負けるつもりはなかった。

 力の入らない手足で、それでもギーアは立ち上がる。

 

「オイ何だ姉ちゃん! マジで来てくれんのか!?」

「ヒュー! 立つ姿も色っぽいねェ!!」

「おい貴様等! いい加減にしろ!!」

 

 留まることを知らない野次の嵐に、ついに牢獄の番をする看守が叫ぶ。

 軍服に似た制服とサングラス、手にライフル銃を持った二人組の男である。男達は檻の外を交代で定期的に巡回している。一人が歩いてくる時、もう一人が立つのは上層へと繋がる階段の入り口だ。

 このLv.6を出入りする方法は二つ。一つは階段、もう一つはリフトによる移動である。今は降りていないその出入り口はぽかりと口を開け、上層へ繋がる縦穴を覗かせていた。

 狙うならばこちらだろうか。

 

(枷さえなければ私は飛べる)

 

 圧倒的な科学力を戦争に費やす祖国、ジェルマ王国の部隊長だったギーアの体には、幾つもの兵器が移植されている。両脚が内蔵する、風を噴いて空を飛ぶ装置もその一つだ。この力があれば、リフトの縦穴を行く最短の脱出経路をとれるだろう。

 そのためにもまず、ギーアを檻に繋ぎとめる手械をどうにかしなければならない。

 立ち上がり、壁際へと向かうのはその第一歩だ。

 

「よっ、と」

 

 鎖を打たれたそこへ近寄れば、手械と繋がる鎖はあまってとぐろを巻く。その側にしゃがみ込めば、鉄の輪が違え違いになって噛み合う連なりをより明確に見ることができた。

 太い鎖だ。構成する輪一つとっても掌ほどの大きさがある。

 そのうちの一つをギーアは見つめ、

 

「――よし」

 

 意気込みを入れる。

 そしてギーアは、輪の一つへとおもむろに指を差し込んだ。

 いくら大きいとはいえ鎖を成す輪の連なりである。人の手がくぐれるようにはできていない。だが強引に五指を突っ込み、隣り合う輪とのあいだに挟むように無理やり押し込んでいく。

 鉄器に噛まれる痛みが指先に走る。

 しかし堪えて、鎖を掌に巻きつけた。

 鉄の輪に噛まれたまま巻きつかれる様は、さながら蛇に捕食された獲物のようだ。実際、これからギーアが行おうとしていることはそれと似たようなものだから、それも当然か。

 今一度深く息を吸い、これから来るものに対して覚悟を決める。

 その時だった。

 

「おい、正気か?」

 

 誰の声かと思った。

 うねるような低い声が牢屋の中にこだまする。

 それは今まで一度も口を開いたことがなかった、牢屋の同居人の声だった。

 

「お前が何をしようとしているかぐらい分かる。それをして、そこから先のことをどうにか出来ると思ってんのか?」

「どうにかなるんじゃなくて、どうにかするのよ」

 

 覇気のない、しわがれた声だ。

 一体どれだけの時間をこの牢獄で過ごしたのだろうか。薄暗い牢屋よりも陰鬱な声が投げつけられ、へばりつくそれをギーアは振り払うようにして答えた。

 今は初めての会話に感動している場合ではない。諦めてしまったのだろう男にかまって覚悟を鈍らせてはいられないのだ。

 看守が別の牢屋を見回っている今が好機。その間に事を済ませなければ。

 糸玉のようになった鎖の端を素足で踏み押さえ、締め付ける力とともに痛みが増す。

 しかしまだまだ、この程度ではすまない。

 

「おい」

「私ね、外で待たせてる男がいるの」

 

 答えるのは自分に言い聞かせるためでもある。

 これから自分自身に科す責め苦を受け入れるために。

 

「だから、いつまでもこんなところにいられない」

 

 鎖を踏む足に更なる力を込め、逆に鎖に巻きつかれた手からは力を抜いてその時を待つ。ここまで覚悟を決めても、自分の顔が青ざめているのが分かってしまう。

 しかし、それでもやらなければならない。

 全てはこの監獄から脱出するために。

 さぁ覚悟を決めろ。

 痛みの時間だ。

 

「――ふっ!!」

 

 発揮できる最大の力を振り絞って、ギーアは鎖の糸玉を締め上げた。

 それはまさに、蛇が捕らえた獲物を呑み込むために締め殺すのと同じこと。巻きついた獲物の骨を全て粉々にして形を失わせる所業を、ギーアは自らの手に下したのだ。

 圧搾。

 そして激痛。

 鎖に噛みつかれ、締め上げられる手が悲鳴を上げる。

 

 「う、う、ゥ、ウ……!!」

 

 骨がよじれる痛みに涙がこぼれ、しかしそれでも止まらない。

 鎖を引き絞る力に加え、巻きつかせた腕を引いて更なる負担を手にかける。

 耐え難い激痛が増す。しかしここで悲鳴をあげるわけにはいかない。声を上げて看守に気取られればすべては水泡に帰してしまう。

 噛み締めた歯が砕けそうになるほど食いしばり、ギーアは渾身の力で鎖を引く。

 自らの手を嬲り、甚振り、締め上げる。

 自身に対する加虐に耐えて、堪えて、辛抱する。

 その果てに結果はある。

 

「――!」

 

 水風船が割れるような音。

 鎖の中で、掌が形を失う。

 

「っっ!!!」

 

 最後は、湿った角砂糖が崩れるような呆気なさだった。

 達成された自虐に悲鳴をあげるのを堪え、両肩を震わせながらゆっくりと鎖を解いていく。

 血のしたたる鎖が開かれ、中から出てきたもの。

 それは、手首と繋がるひき肉。

 ギーアの手の成れの果てだった。

 

「さすがは海楼石の鎖……! ダイヤモンド並みの硬さっていうのは本当ね……!」

 

 大自然が生み出した強度の前には、ジェルマが開発した鋼鉄の兵器も形無しだ。

 破けた皮膚からこぼれる赤い血肉と骨、それに混じってささくれ立つように鉄片がはみ出している。腕に移植された科学兵器の残骸であった。

 体の末端が崩れる感覚に吐き気がする。

 しかし駄目だ。まだ止まれない。何のために自ら掌を砕いたというのか。

 手をひき肉にして手械から引きずり出すためではないか。

 

「ぎ、ぎ、ぎ……!」

 

 骨の髄まで粉砕された手だ。

 肉が削げ、手械の輪からまろびでるのにそう時間はかからなかった。

 

「ハッ……! ハッ……!」

 

 息も荒く、汗まみれになってへたり込む。

 途方もない苦痛の果てに得られた開放だけが、ギーアの心を支えてくれた。

 この痛みをもう一回繰り返さなければならない、という事実に立ち向かわせてくれる。

 そう、もう片方の手は繋がれたままなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、はは……! やってやったわ……!」

 

 かくして激痛は繰り返された。

 その結果は両手の開放。

 まさに血と汗と涙の結実として、ギーアは枷から抜け出したのである。

 

「やるじゃねェか。だがこれでお前の人生から両手が永遠に失われた訳だ。それでどうやって脱獄する?」

 

 そこへ男は無慈悲に問いかけてくる。

 こんな相手であるから、ギーアもまた愛嬌をもって返事はしないのだった。

 

「ご心配なく。海楼石さえなければ、私の能力でどうとでもなるわ」

 

 よろりと立ち上がり、海楼石の枷によって封じられていた能力を発揮する。

 

「“脱皮(スラフレッシュ)”」

 

 その瞬間、ギーアの全身がずるりとたるんだ。

 姿勢の問題ではない。全身の皮膚と服がもろともに、少しだけゆるんだのだ。さながら、ギーアと全く同じ形をした袋を頭の天辺からかぶっているかのように。

 

「はい、これで問題なし」

 

 答えた声には、もはや激痛にあえぐ震えはない。

 口調に余裕が蘇り、苦痛を堪えて屈み気味になっていた背筋が真っ直ぐに伸びる。

 しかも、砕けたはずの手が自らの肩を掴んだではないか。

 五指は服を握り締め、そのまま勢いよく引き裂いた。布を裂くというには少し粘質で生々しい音をたて、女の似姿が破り捨てられる。

 そうして現れたのは、傷も汚れもない完璧な姿のギーアだった。

 

「悪魔の実か」

「そう、私はヌギヌギの実の脱皮人間。傷ついた体を皮として脱ぎ捨て、より強い体として再生することができる」

 

 身につける囚人服すら新品同然だ。

 あらゆる不調を破り捨てた古い自分の姿に押しつけて、ギーアは完璧な姿に再生する。

 

「なるほど、どんな傷も後から帳消しにできるって訳だ」

 

 頷く男の言うとおりだ。

 手を砕いて枷から抜き出すなどという荒業も、この能力があればこそだ。そうでなければここまで無鉄砲な真似はできない。

 

(まぁ、二度はごめんだけどね)

 

 思い出すだけでも汗が吹き出る思いだ。必要だったとはいえ、もう繰り返したくはなかった。

 と、後悔するような思いでいたギーアの耳に声が届く。

 転げるような喜色の発露。

 初めて聞く、男の笑い声だった。

 

「――ジハハハハ! やるじゃねェのベイビィちゃん!!」

 

 抜け殻のように横たわっていた男から活力の火が噴き出す。

 

「今の海にはミーハーしかいねェと思ってたが、中々どうして、覚悟を決めてやがる」

 

 身を起こし、あぐらをかいて向き直った男が影の中から現れる。

 まるで滝のように長く荒々しい金髪をした、壮年の男だった。さきほどまでのうらぶれた気配は微塵もない。意気と欲で満ち満ちた顔は凶相といっていいほどの活気を放ち、獰猛な笑みをギーアに向けてくる。

 だがそうしたものとはまた別に、その男には他の誰にもない特徴があった。

 頭だ。

 まるで鶏のトサカのように、舵輪が頭に突き刺さっているのだ。

 

(いや何で生きてるのこの人)

 

 脳天に舵輪が食い込むなど、およそ人が生きていける傷ではない。

 だが男は平然として対面している。座してなおギーアと目線を同じくする巨躯は泰然として揺るがず、まるで巨大な獣と対峙しているかのようだ。

 しかも、笑みは更に獰猛さを増す。

 

「ベイビィちゃんにも出来たんだ。これをやらねェんじゃ、男が廃るぜ」

 

 男はおもむろに手を掲げた。

 平らかに伸ばした五指が手刀を形作り、太い腕が垂直に伸ばされる。

 そこで男は静かに、深く息を吐いた。その横顔には決意がある。手を砕くと意思を固めたギーアと同じ、筆舌に尽くしがたい苦痛を自ら選びとった者特有の顔がある。

 瞑目。そして開眼。

 振り下ろされた手が黒金に染まる。

 

(覇気!)

 

 武装色と呼ばれていた力だ。

 肉体を鋼のように硬くし、力を何倍にも高める、顕在化した“意志の力”。

 投獄されるきっかけになった闘いにおいても、モリアやバレットがおおいに使っていた力を、この男もまた使って見せたのだ。

 自らの拘束を切り落とすために。

 

「ぬんッ!!」

 

 黒金の手刀は断頭台の刃。

 圧倒的な瞬発力で振り下ろされた手刀は、あぐらをかく両脚を一撃の下に叩き切る。

 皮、肉、血管、骨。そのことごとくを一太刀のもとに寸断したのである。

 

「……!!!」

 

 脛を半ばから失った脚が猛烈な勢いで血を吐き出す。

 だが男は、汗の浮く顔で歯を食いしばり、悲鳴もなく哄笑する。

 

「ジハハ、これでおれも自由だ」

 

 およそ信じられる行いではない。

 悪魔の実の能力者は一世代に一人だけ。この男にはギーアのように傷を帳消しにする力など無いはずだ。それに類似する能力がないのも、犠牲を覚悟する表情から明らかだ。

 だというのに、束縛から逃れるためだけに取り返しのつかない欠損を受け入れた。

 度し難い覚悟だ。

 

「あ、あんた……!」

 

 一歩引いてしまうギーア。それを追って男も動きを見せる。

 ひとりでに宙に浮かび上がったのだ。

 足のない男が音もなく浮遊すると、まるで幽霊のようでますます及び腰になってしまう。

 

「おれは“金獅子”のシキ。海賊だ」

 

 そんなギーアとは正反対に、男の名乗りは堂々としたもの。

 ただでさえ大きな体は宙に浮くことで更に高いところへ身を置き、その顔を捉えるギーアはなされるままに見上げてしまった。大いなるものを仰ぎ見るように。

 そんな自分に反骨の情が湧く。

 自分が仰ぎ見ると決めたのはただ一人、長にすると定めた男ただ一人だ。

 

「……ギーア。海賊よ。なったばっかりだけどね」

「そうかいベイビィちゃん。よろしくな」

 

 張り合うように名乗ったところで、その眼光すら易々と受け止める。

 やはり只者ではない。悔しいが、格上の相手であることは間違いなかった。

 覇気を体得する実力は勿論、脚を切り落として枷から逃れる蛮行を即断できる度胸は、一角の人物でなければ持ち得ないものだろう。最深層Lv.6に投獄されるだけのことはある。

 モリアと同じかそれ以上、あのカイドウに並ぶかもしれない強大な海賊なのかもしれない。

 気圧されるまま、思わず息を呑み、

 

「おい貴様等、何をしている!」

 

 苛烈な問いが叩きつけられた。

 檻の外で見張りをしていた看守達がこちらに気付いたのだ。手にしたライフル銃をこちらに向け、二人の男が駆けてくる。

 

「おうおう、看守諸君は勤勉だねェ」

 

 そう言うシキは、相変わらず薄ら笑いを浮かべたまま。

 

「んで、ベイビィちゃんはどうするんだい?」

「……決まってるでしょ」

 

 試されていた。

 あらゆる手を使って枷を外す、ここまでは大前提。

 その先を突破する実力がお前にあるのかと、その眼差しが雄弁に問いかけてくる。

 上等だ。やってやる。

 いまだ反骨の火は胸にある。

 ナメられっぱなしでは、名乗ったばかりとはいえ海賊の名折れだ。

 

「囚人共、何をしているのかと……!」

 

 看守達は檻の向こう側にたどり着く。

 そこは間合いの内だ。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!」

「!?」

 

 再生した手は問題なく稼動し、赤熱する掌底は檻を穿つ。

 高熱の打撃が一瞬にして鋼鉄を溶解させたのだ。あわれな看守達は、赤々とした鉄の飛沫を全身で浴びる羽目になってしまう。

 

「ぎゃァ!」

「あ、熱ゥ!?」

 

 浮き足立った男達。そこに当身を叩き込む。

 

「……ふっ!」

「ゲフッ!!?」

 

 噴き出す苦悶も短く、看守達はカビ臭い石畳へと倒れふす。

 問題なく彼等を鎮圧したところで、まず一息。脱走は第一段階を終えたといえるだろう。

 枷から抜ける。

 檻を破壊する。

 看守を倒す。

 そして、出る。

 悪魔の実の能力を用い、無傷の体でこれを完了してのける。

 もっとも、両脚を失った男というおかしなおまけがついてきてしまったが。

 

「お見事だベイビィちゃん! あざやかなお手並みだったぜェ?」

「そりゃどうも」

 

 ギーアがそうしたように、シキもゆっくりとした動きで融解した檻をくぐってくる。利用された感も否めないが、もし彼一人だったとしても何某かの手を使って抜け出しただろう。

 空飛ぶ海賊は流石の上から目線。

 しかしそれは頼りになる相手がそこにいるということ。

 

「ねぇ、あんた……」

「ウオオオオオオオオオオオやりやがった!」

 

 シキに声をかけようとした時、怒号が津波となって押し寄せた。

 

「脱獄だ! 脱獄だァ!!」

「おいお前等ァ! おれもここから出せ! 出しやがれ!!」

 

 あたりの牢屋すべてに囚人が張り付いてくる。

 誰も彼もが目を血走らせて涎をたらし、檻の外へ吠えたてる様はまさしくケダモノ。叫び、檻を揺らす音、足を踏み鳴らす音、すべてが牢獄に反響して二倍三倍に膨れ上がり、渇望の大合唱を響かせる。

 とはいえ、ギーアに彼等を連れ出す義理はないのだが。

 

「やめときなベイビィちゃん。ここにいる連中は足並み揃えて一緒に脱獄できる連中じゃねェ。人に従うことが出来ない奴が寄り集まるとロクなことにならんぜ」

「随分知ったようなことをいうのね」

「経験があるもんでね」

 

 そう言ってシキは肩をすくめた。

 投獄される前に何かあったのだろうか。シキが多くの部下を従える姿を想像していたのだが。あるいは、そういう立場になる前に、何か苦い思いをしたのかもしれない。

 と、そこで、

 

「だがベイビィちゃんはちょっと違うようだ」

 

 喧騒を無視してシキは切り出した。

 

「どうだいベイビィちゃん。おれと一緒に、ちょっとシャバまでおでかけしないか?」

「……脱獄のお誘い、ってことね」

「そうさ。おれも海に用がある。いつまでもこんなところに閉じ込められている気がないのは一緒だろう? 何ならおれの足の代わりに部下になってくれてもいいんだぜ?」

「ご生憎様、先約がいるの」

「ジハハ、振られちまった! 氷のようだぜベイビィちゃん!!」

 

 軽口の耐えない男だ。

 しかしこの男と組めば、一人でやるよりよほど確実に脱獄できるだろう。

 傲慢な態度が鼻につくが、それが実力のある海賊の立ち振る舞いだと思えば納得もできる。ここは実力との差し引きで耐え忍ぶ場面だと判断できた。

 

「だが、脱獄の前にやんなきゃならねェことがある」

 

 哄笑を潜め、真顔になったシキは意見をする。

 

「例えば?」

「まずはおれの得物を取り返さなきゃな。手に馴染んだ名刀なんだ、奴等に渡すにゃ惜しい。それに……」

「脱獄した後のこと、ね」

「そうさ、分かってるじゃねェか」

 

 そうだ。無事脱獄できたとして、その後の事も考えなければ。

 何故ならインペルダウンは、怪物の巣窟に建てられた牢獄なのだから。

 世に“凪の帯”と呼ばれる海がある。常に凪いで波一つないそこは、巨大な海洋生物、いわゆる海王類が大量に生息する危険海域だ。

 インペルダウンは、その“凪の帯”に建造されている。

 ここが難攻不落の大監獄と呼ばれる最大の由縁は、この天然の要害にあるといっても過言ではない。

 

「おれは空が飛べるが、陸地がはっきりしねェとジリ貧で落ちちまう。都合よく永久指針が見つかればいいが……」

「それだったら私にビブルカードがあるわ。あれで陸地が目指せるはず」

 

 ビブルカードは、ある一個人の爪を原料にして作る特殊な紙だ。その人物の生死を反映させ、今どの方向の先にいるのかを示すので、時に指針代わりにもなる代物である。

 

「彼は能力者だから、陸地か、少なくとも船の上にいるはず」

「成程な。じゃあまずは、看守共に取り上げられた持ち物を取り返さなきゃならん訳だ」

 

 では、と二人してみるのは上層へと繋がる階段だ。

 

「囚人から取り上げた品をまとめる保管庫がどこかにあるはずだ。見つかるまでは、下からしらみつぶしに探すしかねェな。看守共から聞きだせりゃいいが」

「先は長いわ。聞き出すなら確実に、叩きのめしながら確認しましょう」

「おおう、容赦ないねェ」

「言ってなさい。自分だって、聞き出したら始末するつもりのくせに」

「ジハハハハハ! 確かになァ!」

 

 笑って肯定するシキへ振り向かず、ギーアはLv.6から出るために進み出る。

 勢いを増す囚人共の怒号は、いまや罵声すら含んでいる。しかしその一切合財を無視して、ギーアは浮遊する男とともに階段を目指す。

 その先にある上層、ひいては監獄の出口へと至るために。

 

「さァ! 世界最大の監獄、突破させてもらいましょうか!」

 

 狙うは脱獄。

 入る者は囚人のみ、抜け出た者のない世界最強の大監獄からの脱走劇が始まろうとしていた。




インペルダウン編の開始。
バレットに引き続き、劇場版キャラクターに登場していただきました。


そういえばちょっと質問してみたいんですが。
本作のタイトルを、もっと内容が分かりやすいものに変えようかなぁとか思うんですが、どうですかね。将来的にゾンビの元になる死体を集める旅になるから今のタイトルにしたんですが、まだ大分先のことになりそうですし。もっと内容が分かりやすい題名の方が良いかなぁ、と迷っております。
今のままで良いか、変えた方が良いか、もしよければご意見ください。


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海賊ギーアvs獄卒獣ミノタウロス

お気に入り100件突破ありがとうございます。
タイトルも現状のままで行こうかと思います。


 灼熱の大気は泥にも似た重さがある。

 体にまとわりつく熱気は脚を踏み出す時、腕を振り上げる時、体を回して構えをとる時、いかなる時であっても普段以上の労力をこちらに求めてきた。

 掌が熱を放つ、それ故に高い耐熱性を誇るギーアですら耐えがたい暑さがここにある。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!」

 

 石橋の回廊に光熱の花が咲く。

 強烈な熱波と、それにより破裂した暴風が幾つもの人影を弾き飛ばす。

 

「ぎゃああああァ――――……」

 

 手にする三叉の槍を放り出し、人影は野太い悲鳴をあげながら回廊を落ちていく。

 それは一様にドクロのような覆面をかぶった、丈の長い貫頭衣を着た男達であった。その手にまだ槍があったなら、まさに地の底で罪人を嬲る悪鬼の姿に例えられただろう。

 しかし今は回廊が囲む巨大な大釜に投じられた哀れな供物でしかない。

 膨大な熱気の源であるそれは大火に炙られ、赤々と沸騰する巨大な湖を掲げている。悲鳴は水柱が立つ音にかき消され、大気に勝る高温の湖中へと沈んでいった。

 

「狼の次は獄卒!? 本当に地獄みたいなところね、インペルダウン!」

 

 奴等はこの大監獄で囚人をいたぶる獄卒達だ。

 すでに抜けた極寒のLv.5が凶暴な狼しかいなかったのとは違い、業火と熱気が支配するこのLv.4“焦熱地獄”は、彼等覆面の職員が多く務める階層のようだ。

 どうやらギーア達がLv.6から脱走したことは知れ渡っているらしい。

 未だかつて侵入者も脱走者も許したことのない、鉄壁の大監獄に現れた初めての逃亡者だ。彼等がやっきになって押しよせるのも当然と言えた

 

「まったく、キリがないったら!」

 

 幾度とない襲撃のたびに叩き伏せ、背後には無数の獄卒達が倒れている。

 それを見るギーアは滝のように汗を流し、濡れそぼった囚人服を体に貼りつけていた。この熱気の中で敵を迎え撃つのだから、当然の労苦だった。

 だが追っ手は必ずしも面倒事ではない。

 こちらが知りたいことを知る相手が、向こうからやってくるのだから。

 

「――ジハハ。なぁ、教えてくれよ」

 

 それは黄金のたてがみにも似た後ろ姿。

 荒々しい金髪を滝のように伸ばした壮年の巨漢だ。ギーアと同じ囚人服を着たその男には、三つの大きな特徴があった。

 一つ目は頭。まるでとさかのように舵輪が突き刺さっていること。

 二つ目は脚。左右どちらの脚も、脛の半ばから切断されていること。

 そして三つ目は、脚のない体が宙に浮いてそこに留まっていることである。

 垂れ下がるズボンの裾は真っ赤に染め上げられ、今も新たな血痕を石橋の床に垂らしている。

 隠しようのない重傷だ。この熱気も重なって激痛に苛まれているはずなのに、しかしその男は平然とした様子でその場に浮遊している。

 平然と、獄卒を締め上げている。

 

「シ、シキィ……!」

「そう、おれは“金獅子”のシキさ。だったら、おれの探し物も分かるだろう?」

 

 覆面越しに頭を鷲掴みにされ、吊り上げられる獄卒は悲鳴を上げる。

 金髪の男、シキの五指が更に食い込むからだ。

 

「答えるまで殺さないと思うなよ? お前の代わりは幾らでもいる」

「わ、わがった! わがったがら……! お前の持ち物は、この先の保管庫にある……!」

 

 周囲に倒れる同僚達の姿に怖気づいた看守は早々に白状した。

 シキは嘲るように獄卒は打ち捨て、

 

「ジハハ、最初からそう言や良いんだよ! そうすりゃてめェ等クズ共に用はねェんだ!」

「あっちで、間違いないのね?」

「そ、そうだ、向こうにある!」

「おいおいベイビィちゃん、しっかり心を折ってやるなよ。このLv.4は署長室もある階だ。これ以上クズ共に時間をとられると面倒だぜ?」

「分かってるわよ。行きましょう」

 

 音もなく飛び去るシキに溜息をつき、ギーアはそれを追って石橋の回廊を駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶え間ない熱気をどれだけかき分けただろうか。

 環状を描く石橋の回廊を突き進むと、幾度目かの扉に目当ての看板を見つけた。

 保管庫、と。

 

「――あれね!」

 

 獄卒の言葉が正しければ、囚人の持ち物は全てあそこに集められるらしい。ならばギーア達が取り上げられた品もその中に含まれているはずだ。

 この監獄から抜け出した後必要になる品が。

 

(モリアのビブルカード。あれさえあれば)

 

 ビブルカードとは、人の爪を材料に作られ、元になった人間の居場所を指し示す特殊な紙だ。

 ギーアは収監される以前に、船長と仰ぐ男、ゲッコー・モリアのそれを分け与えられていた。一度別れた時合流するのに役立った代物が、今また必要とされている。

 

「…………」

 

 保管庫へとひた走る中、不意にギーアは併走する相手へと横目にした。

 獰猛な笑みを浮かべる男の横顔を忍び見て、

 

「ねぇ」

「んん? 何だい、ベイビィちゃん」

「あんたの目当ては剣って言ってたけど、それが得物なの?」

「ジハハ! おれに興味があるのかいベイビィちゃん! 良いぜ、ベイビィちゃんの頼みだったら何でも答えてやるよ!」

 

 シキは顎ひげを撫でて大笑し、問いに答えた。

 

「おれの目当ては、“桜十”と“木枯し”って二本の剣さ。結構な名剣でね、クズ共の手に残すにはちと惜しい」

「剣士で、その上空を飛ぶ能力者ってこと?」

「フワフワの実の能力さ。おれはおれ自身と、一度触れた物を宙に浮かすことができる」

「……ふぅん」

 答えは返され、しかしギーアの返事はそっけない。

 それは、本当に知りたいことが別にあるからだ。

 

「聞きたい事はそれだけかい? 違うんだろう?」

「む」

 

 にやにやと笑うシキの顔。どうやら魂胆は見抜かれていたらしい。

 見透かされたことに苛立ちが湧く。しかし相手はLv.6に投獄された古豪の海賊である。彼からすれば若造にすぎないギーアの思惑などあからさまだったのかもしれない。

 だが聞いて答えるというなら、この機を逃す手はない。

 

「――覇気って、どう使うの?」

 

 それは海を往く強豪達にあって自分にはない力。

 モリアに曰く、それは顕在化した“意志の力”だという

 科学技術を偏重する祖国にはなかった力だ。しかし現実に目の前で見せつけられれば、その力の意義を疑う余地はない。

 この海で戦っていくならば必要になる力だろう、ということも。

 

「モリアと合流する前に身につけたいの。あんたも使ってたんなら何か知ってるんでしょう?」

「ん~……覇気、覇気ねぇ。ジハハ」

 

 その覇気で手刀を本当の刃に変え、自らの脚を斬り落としたのがシキである。

 彼はもったいぶるように笑って、

 

「そうだなぁ、まずは知識を憶えてもらおうか」

 

 ギーアへと手を突き出した。そこに立つのは三本の指。

だな。

「一口に覇気と言っても、大きく分けて三つの種類がある。“武装色”“見聞色”“覇王色”だ。

 おれがベイビィちゃんの前で見せたのは、武装色の覇気だな」

 

 そう言うと、突き出したシキの腕が黒金色に染まる。

 覇気をまとったのだ。

 

(モリアやバレットも使っていたやつだ)

「肌の色が黒くなるほど密度を上げたものを、武装色硬化という。この海でのしあがるなら、誰もが身につける技さ」

 

 やはりある程度の水準に達した者に求められる技術なのだ。

 モリアも身につけているというなら、彼を支える者として自分も体得しなければ。

 

「覇気は人間なら誰しも持つ力だが、どの種類がどれだけ伸びるからはそいつの才能次第だ。……そう、才能ってんなら覇王色の覇気だな。こればっかりは努力しても身につかねェ」

「覇王色?」

「周囲の人間や獣を圧倒して昏倒させる覇気さ。王の資質とも呼ばれ、数百万人に一人しか持たないと言われているが……ジハハ、この世界で名を上げる奴は大体持ってるな」

「……私には無理そうね」

 

 モリアはどうだろうか。彼ですら持ちえないのだろうか。

 

「最後に見聞色の覇気だが」

「ええ」

「周囲の意思を察知し、そいつがどこにいて、何をしようとしているかが分かるようになる。――丁度こんな風にな」

 

 言うなりシキが石橋から大きく飛び退いた。

 空中に身を投げて飛び上がる彼にギーアは脚を止め、思わず呆けた顔を向けてしまう。

 

「何を」

 

 問おうとした。

 しかしギーアの声は、無残にも踏み潰される。

 

「ヴモオオオオオォ――――――!!!」

「!!?」

 

 破壊が飛来する。

 シキと入れ替わるように巨大な影が飛来し、石橋の重厚な床を打ち砕く。

 噴き上がる破片と粉塵がギーアを取り巻き、

 

「何……がァ!?」

 

 煙を引き裂く横薙ぎに打ち据えられた。

 とてつもなく頑強な塊だ。柱のように長く太い何かがギーアの体を打ち払う。不意をついた一撃に堪える術はなく、圧倒的な威力のままに弾き飛ばされる。

 

「ぐァッ!!」

 

 飛び石のように石橋に打ちつけられ、受身をとることも許されない。

 体は幾度となく床を跳ね、転がり、硬質な石造りの床に擦りつけられてしまう。石橋への熱烈な求愛の結果は、全身が軋むほどの痛打だ。

 理解の外から襲ってきた衝撃に慌てふためく内蔵を抑えつけ、震える腕でかろうじて起き上がる。そうして顔を上げるのは、何が襲ってきたのかを確かめなければならないからだ。

 何が起きたのか。

 誰が攻めてきたのか。

 薄れゆく粉塵の先にそれはいる。

 

(……金棒?)

 

 粉塵から突き出されているのは、鋼鉄のこん棒だった。尖った突起を四方八方に伸ばす形は、凶悪さをこれでもかと主張するいかにもな造形をしている。

 鈍重なそれを、あれだけの勢いで振り抜くには常軌を逸した膂力が求められる。

 そんな強靭な肉体を持つ敵の姿は、

 

「……何あれ」

「モ」

 

 半人半牛の化物だった。

 見上げるほどの巨躯を誇るそいつは、まるで二本の足で立ち上がった牛のような姿だ。白地に黒のまだら模様は乳牛を思わせるが、頭には曲線を描く二本の大きな角が生えている。両脚は蹄のある牛のものだったが、両腕は筋骨隆々な人の形をしており、右腕はゆるぎなく金棒を携えていた。

 しかし何よりも特徴的なのは、茫洋とした顔である。

 小さな瞳には一切の感情がなく、思慮のない無表情を貼り付けている。

 

「ジハハ! そいつはミノタウロス、インペルダウンが誇る地獄の化物、獄卒獣だ!」

 

 ギーアの背後に降り立つシキが、化物の正体を声高にする。

 

「そして、そんな化物の襲来も察知する、これが見聞色の覇気さ!」

「分かってたんなら私も逃がしてよ!?」

 

 思わず怒鳴るギーアだったが、しかし彼へと視線を向けることは出来なかった。

 目の前の化物から目を逸らすことは自殺行為だと、身をもって教えられたからである。

 一瞬で目の前まで距離を詰めてくる脚力に、一国の兵士長だったギーアを薙ぎ倒す腕力。虫も殺さぬ顔をして、その実、凶悪な身体能力を秘めているのが獄卒獣なのだ。

 しかも、そんな化物は一体ではなかった。

 

「――ッ!」

 

 湧き上がる殺気。

 見聞色などなくとも分かる。幾つもの視線が殺意を含んで向けられていることなど。

 振り向けばそこに怪物はいる。

 

「獄卒獣……!」

 

 そいつらは、揃いも揃って小山のような巨体を誇る半人半獣の姿だった。

 コアラ、サイ、シマウマ、それぞれの特徴を持つ化物が、各々に得物を携えやってくる。

 その先頭に立つ一人の女性に連れられて。

 

「Lv.6からの脱走を許すなんて、ん~~~~~~! とんだ赤っ恥だわ」

 

 深紅のボンテージをまとう長身の女だ。その顔は波打つ長髪で目元を隠しており、口元しか窺うことができない。

 だがそれで十分かもしれない。厚い唇は、加虐の予感にしっとりと濡れているのだから。

 

「あんたは……」

「おだまり!! サディちゃんとお呼び!!!」

 

 獄卒獣を率いる女、サディちゃんは手にした鞭を鳴らし、問いを引き裂いた。

 烈火のごとき苛烈な断言。かと思えば、次の瞬間にはとろけたような甘い声で女は告げる。

 

「おバカな脱走劇はここで終わり! 四体揃った獄卒獣がアナタ達に、ん~~~~~~~! ステキな悲鳴(スクリーム)をあげさせちゃう!!」

「……っ」

 

 ギーアは息を呑む。

 獄卒獣ミノタウロスの力は今しがた味わったばかりだ。あれと同等の化物があと三匹、しかもそれを率いるサディちゃんまでもが現れた。

 ギーア一人だったならば、切り抜けることは出来なかっただろう。

 だが今は一人ではない。

 

「ジハハ、奴等はおれがやってやる」

 

 シキが足音もなく前に出た。

 宙に浮かぶその男と背中合わせの形になる。脚を失ってなお揺るがない後ろ姿には、地獄の化物と向き合っても何一つ動じない、自分に対する強固な自負が滲み出ている。

 彼がいれば何とかなる、そう思わせる強さだ。

 しかし男は全てを担おうとはしなかった。

 

「でもベイビィちゃん。そっちの牛の化物はベイビィちゃんがやってみな?」

「え?」

 

 シキは顔だけ振り向き、ギーアの向こうに佇むミノタウロスを顎でしゃくってみせる。

 

「覇気を身につけたいんだろう? 本来、覇気は長い修行の中でその使い方を覚えるもんだ。それを今すぐ身につけたいってんなら……

 

 にたり、とシキは残虐に笑った。

 

「――死闘! より強い奴に歯向かい、徹底的に打ちのめされ、死線を越えるしかあるめェ!!」

「……!!」

「今のベイビィちゃんじゃ、覇気に目覚めなきゃ獄卒獣には勝てねェ! まして、このまま海に出たところで生き残れやしねェよ!! 死にたくなきゃ、ここで覇気を身につけな!!!」

 

 獰猛な宣告はまさに獅子が吼えるかのようだった。

 つまりシキはこう言っているのだ。この一戦に、本来必要な長い鍛錬の時間を圧縮させろと。生き残りたいのならば無理を通せ、と。

 それしかないというのなら、

 

「……やったろうじゃない!!」

 

 ギーアは拳を握り、胸のうちの闘志をたぎらせた。

 ここで道理を曲げられないならばそこまでの命、そう自らに科したのである。

 敵は金棒を携えたミノタウロス。その目は相変わらず亡羊とした眼差しをこちらへ返すままだが一度動き出せば凶暴極まる化物だ。立ち向かえば苛烈な闘いになるのは明白。

 そんな相手にギーアは誓う。

 

「いくわよ化物! あんたを倒して私は覇気を得る! 強くなって、ここから生きて出る!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人は合図もなく、同時に駆け出した。

 シキはサディちゃん達へ。

 ギーアはミノタウロスへ。

 保管庫へ向かうため、目の前の敵をねじ伏せるために。

 左右の脚が風を噴き、疾風の速度で距離を詰める。一瞬で獄卒獣の大きな懐へ身をもぐらせ、赤熱する掌底をその腹へと叩き込む。

 

「“閃光火拳(フラッシュヴァルキリー)”!」

 

 移植された科学兵器は機能を果たし、鉄をも溶かす一撃がミノタウロスの腹を射抜く。

 防ぐ間は与えない。掌は的確に奴を捉えた。

 しかし、

 

「嘘でしょ!?」

 

 

 鉄塊を打つような手応え。

 獄卒獣はただ立っているだけだ。攻撃を受ける前も、受けた後も、変わらずに。

 度し難い強靭さで目の前に立ちはだかっている。

 

「この……!」

 

 これが自分と敵の格差か。

 それでも勝たねばならない。相手の方が強いのは承知の上だ。

 

「“旋風断頭(ジェットダントン)”!!」

 

 烈風に後押しされた蹴りが頭を打つ。

 肩、腕、胸、腹、脚、改造人間が誇る鋼鉄の脚で間断なく攻め立てる。

 人としての鍛錬に兵器の威力を重ね、苛烈な打撃音が化物の巨体を強打する。

 大きな的だ、外すことはない。狙うところは山のようにある。腕の付け根や腰といった間接、肉付きが薄く内臓に届きやすい部位、あらゆる場所を狙った。

 それは人間であれば骨が砕け、内臓から破裂している威力の猛打。

 轟音はたゆまなく続く。

 

「…………」

 

 一歩。

 怪物の脚が引いた。

 

(効いてる……!)

 

 その思いで連撃に一層の力を込め、

 

「ヴモオゥッ!!」

「!!?」

 

 化物の逆襲を受けた。

 水平に奔る金棒が大気を打ち破り、ギーアの左腕を打ち据える。

 次の瞬間には右半身に衝撃。一撃で石橋の床に叩きつけられたのだ。

 

「ぎ……ッ!」

 

 胴が折れ曲がるほどの威力、吹き飛ぶ勢いは頭がもげるかと思うほどだ。

 石造りの床に擦りつけられた半身は悲鳴をあげ、囚人服の袖が破けて失せる。

 しかし地獄の権化は手を緩めない。

 

「モッ!!」

 

 速い。

 それまでの案山子じみた立ち姿からは想像できない俊敏さ。

 身を起こそうとしていたギーアには迎撃すら許されない。

 

「モオオオオオオオウ!!」

「ぎゃあ!!」

 

 起きかけた体が金棒に叩き伏せられた。

 刃のつぶれた断頭台にも等しい一撃が、ギーアの体越しに床を粉砕する。

 服が裂け、肌が割れる。血が飛び散るとともに内臓が悲鳴を上げた。押しつぶされた肺から息がひり出され、短い悲鳴とともに胸のうちの酸素を洗いざらい吐き出してしまう。

 攻めを堪える力を失った体に、それでも化物は執拗だ。

 

「モッ!」

 

 後頭部を打ち伏せ、

 

「モッ!」

 

 返す手で顔面を打ち抜き、

 

「モッ!」

 

 浮いた体を横打ちにし、

 

「ヴモゥッ!!!」

 

 吹き飛んだ体は撃墜された。

 

「げ、う……っ」

 

 そして始まる滅多打ち。

 殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打。

 もはや苛烈ですらない。

 虐待というべき執拗さだ。

 平手打ちの気軽さで金棒が降り注ぐ。

 執拗に、丹念に、圧倒的な暴力が続く。

 呵責のない殺意を振るう、奴はまさしく地獄の悪鬼。

 これが罪人に対する正当な行いだというかのように、間断のない暴虐がギーアを染め上げる。

 全身はその赤い髪よりも更に赤く染まり、裂けた唇から覗く歯の白さが際立つ。

 

「ぶ……! “閃光放火(フラッシュフローラ)”……!!」

 

 かろうじて伸ばす反逆の手。

 掌に咲く熱波が獄卒獣の体を呑んだ。

 しかしそれさえも、

 

「モッ!!!」

「ぁぎっ!」

 

 焦熱地獄に巣食う化物には通用しない。

 伸ばした腕は打ち払われ、ついに肉が削げ落ちた。

 千切れ飛ぶ肉片。埋め込まれた科学兵器の硬い表面が、破けた肉の底から露呈する。

 

「ああああ……!!」

 

 苦悶する間も責め苦は降る。

 血と涙に濡れた頬を金棒が打ち据え、再び石橋の上を転がされる。

 

「ひぎ……!!」

 

 これが強者への挑戦か。

 これが無理に挑むということか。

 応戦することも許されず、ただ一方的な蹂躙に圧殺される。

 呼吸のたびに血反吐が絡み、息苦しい。

 血潮の鼓動すら痛痒となって精神を苛んだ。

 暗く、重い一念が胸を満たす。

 

(……死ぬ)

 

 臓腑から熱が失せる。

 これが絶望か。

 

(――殺される)

 

 待ち受ける未来を思う。

 無慈悲な処刑人がやってくる。

 手にした金棒を床に擦りながら歩み寄る。

 奴の手によって、今まさに死が科されようとしている。

 

「ハァ……ッ」

 

 全身から汗が噴き出す。

 意識は混濁し、視界が暗く、狭くなる。

 両腕は力なく垂れ下がり、脚は腑抜けて立つこともできない。

 肉体が諦めようとしていた。

 死を受け入れようとしている。

 心が、折れる。

 

「ハァ……ッ!」

 

 しかしそれを許してはならない。

 意思はまだ折れてはいない。

 

(あいつを……! 追いかけなきゃいけない……!!)

 

 外の世界で待つ男がいる。

 彼はきっと、別れ際に渡した爪で自分のビブルカードを作っているはずだ。

 だからきっと、今自分が死にかけていることも分かっているだろう。

 情けない。

 絶対に生きて戻ると、船長に約束した部下の顛末がこれか。

 日の差さない海の底で、火に炙られながら化物に叩き殺されるのが自分の末路か。

 許さない。

 そんなことを許しはしない。

 彼を、ゲッコー・モリアを海賊王にすると誓った自分はこんなところで終わらない。

 まだ彼との船出は始まったばかりだ。

 まだ彼と自分の再起は始まったばかりなのだ。

 死ねない。

 生きる。

 勝つ。

 

(――これだ)

 

 感情が閃く。

 形のない何かが胸の中で開いた。

 血流に代わって五体を満たす奔流がある。

 血よりも熱く、滾るもの。

 意思だ。

 精神の濁流が血潮に代わって体内を駆け巡る。

 そうだ。

 

(きっと、これが)

 

 確信がある。

 これが力だ。

 あとは本当にそうか、試すだけ。

 もしも違ったならば、死ぬだけだ。

 

「ヴモオオオオオオオオオオオオオオオオォ――――――――――ッ!!!」

 

 叫ばれた。

 敵が来るぞ。

 鋼が降るぞ。

 力を握れ。

 身を立てろ。

 さあ、立ち向かえ。

 

「ああああああああああああああああああッ!!!!」

 

 這い出すような一撃。

 血まみれの拳を、それでも放つ。

 果たしてその一撃は、

 

「!!!!」

 

 黒金の輝きを持っていた。

 

「モオオオオッ!!?」

 

 一撃が化物の筋骨を突破する。

 初めて通じた一撃。臓腑に突き刺さる衝撃に、地獄の権化は後ずさる。

 亡羊とした目に、確かな憎悪の輝きが宿った。逆らえるはずのない自分に歯向かった罪人を、ついに獄卒獣は明確な相手として捉えたのだ。

 しかし、今やギーアの方が敵を見ていなかった。

 見るのは黒く染まった自分の腕だ。

 

「やった……!!」

 

 錯覚ではなかった。

 体に流れた感覚、腕を満たした意志の集約。

 これこそが覇気だ。

 死の際に身を落とし、ギーアはその片鱗に手が触れたのだ。

 

「ヴモオオオオオオオオオオォ――!!」

 

 雄叫びがあがり、ギーアは面を上げた。

 金棒を振り上げた化物が、牛の様相に相応しい突撃をしかけてくる。

 元より油断するような知性もないだろう。しかしここに至り、早急に叩き潰さねばならない相手だと、この化物は認識したに違いない。

 攻めかかる姿に迷いない。まさしく奴は確信しているのだろう。

 この暴力は正しいのだ、と。

 

「……ええ、きっとあんた達は正しいんでしょうね……!」

 

 迫る巨体に向けて、ギーアは腰を落とした。

 床を踏みしめ、肘を引き、いま残されたあらゆる力を一点に集める。

 掴んだばかりの覇気を、引き絞った右腕へと。

 

「私達は海賊! それが牢獄から出ようなんて、世を乱す行為でしかない……!」

 

 新たな力は得たばかり。

 体は血まみれの満身創痍。

 心も今の今まで折れていた。

 しかし今は、意志が体に満ちている。

 

「それでも、あんたを倒して私は行く! この意思で、あんたに一矢報いてみせる!!!」

 

 五指を束ね、覇気をまとった手は鏃のごとく。

 さぁ敵が来る。

 持てる全力で迎え撃て。

 迫る敵を踏み越えるのだ。

 放て。

 

「“戦意心矢(ソウルホーネット)”!!!」

「!!!?」

 

 一閃。

 覇気の貫手が巨体を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 撃音、そして静寂。

 巨体を射抜かれた獄卒獣が石橋から身を落とす。

 風を切る甲高い音、遠くに聞こえる激突音。それでも奴がまた這い上がってこないと確信できるまで、いくらかの時間を必要とした。

 

「……ハッ! ハァ……!! ハァ……!!」

 

 腕を突き出した姿勢が崩れ、決壊したような荒い呼吸とともに汗が噴き出す。

 勝利した。

 その確証を得た体が、張り詰めていた力を失ったのだ。

 ついに尻から床に落ち、瞑目しながら天を仰ぐと、

 

「ジハハ! やったじゃねェかベイビィちゃん!!」

 

 シキの歓声があがった。

 本当なら数分前に聞いたはずの声が、今は数ヶ月ぶりにも思われた。

 

「本当にこの一戦で覇気を会得するとはな! あのまま殺されるんだと思ったぜ!」

「……ひとでなし。その時は、助けなさいよ」

「甘えんなよベイビィちゃん! この海で、弱い奴に死に方は選べねェのさ!!」

 

 そう言うなり、シキはギーアへと小さな箱を投げ渡した。

 消耗した体では受け止めることもままならず、晒した胴で受け止める。蓋に何か記号が印字されているその箱は、

 

「ほれ、ベイビィちゃんの持ち物さ」

「!!?」

 

 驚愕し、体が軋むのも構わずギーアは振り向いた。

 そうだ。シキは自分の背後で獄卒獣達と戦っていたはずなのだ。それがどうして前からやってきたというのか。

 その答えは単純だ。

 シキが自分よりずっと早く、決着をつけていたのだ。

 

「……ガフッ!」

 

 積み重ねられた傷だらけの獄卒獣達。その天辺に横たわるサディちゃんが血反吐を吐く。

 一様に打ちのめされた監獄の番人達に、シキは嘲笑を向けた。

 

「ここがLv.4で良かったな。てめェ等の始末に時間をかけて、署長や副署長に出てこられちゃ面倒だ」

「…………」

 

 そう嗤う男は、二本の剣を携えている。

 あれがシキの言っていた彼の得物か。しかしそれは獄卒獣達を倒した後に取り戻したはずだ。つまりこの男は、身一つで獄卒獣三体とその指揮者を完封してみせたのだ。

 

(やっぱり只者じゃない)

 

 目標を達成した矢先、即座に現実に引き戻された。

 自分よりもはるかに強い人間がこの海にはいるのだと、まざまざと見せつけられたのだから。

 

(もっと……もっと強くならなきゃいけない……!)

 

 彼は越えなければならない壁だ。

 この男がモリアの下につくとは思えない。逆も然り、モリアは彼に従わないだろう。

 そうなればきっと二人は戦うことになるだろう。

 その時、自分もシキに立ち向かわなくてはいけない。

 

(いいえ、シキだけじゃない)

 

 バレット、海軍将校、何より怨敵カイドウとその百獣海賊団。

 奴等は覇気を会得した程度では越えられない、強大な敵だ。

 モリアの力となって立ち向かうために、より一層の力が必要なのは明白だった。

 

「…………」

「そう睨むなよ、ベイビィちゃん。この監獄を出るまではオトモダチだろう?」

 

 きっとこの考えも、シキには丸分かりだろう。

 だが男は鷹揚に振る舞う。それが強者の余裕であるというかのように、

 

「さぁこれで目的達成、あとは脱獄するだけだ。行こうぜ、ベイビィちゃん?」

「……ええ」

 

 すれ違いざまにギーアの肩をたたくシキ。

 その手に彼の強大さを感じ、それでも今は彼とともに行くため、その後を追うのだった。




主人公パワーアップ回。
書いてる時のテンションは「なぶって! なぶって!! MOTTOMOTTO!!」でした。


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毒竜の先に空を見よ

「ジハハハハ! まさかベイビィちゃんも空を飛べたとはなァ!」

 

 石造りの縦穴を二つの人影が翔け昇っていく。

 男と女、しかしどちらも翼のない体一つで、矢にも勝る速度をもって空気を貫く。

 声を上げたのは男の方だった。硬い金髪をたくわえた壮年の男は、頭頂に舵輪を突き刺し、両手に双剣を携えるという奇矯な姿をしている。

だが最大の特徴はその両脚だ。

 欠けているのである。はためくズボンの裾は赤く滴り、生々しい傷がそこにあると窺わせる。激痛があるはずだ。だが男の声は吹き荒ぶ風の音にも勝る堂々とした声量で。

だからこちらも、ギーアも負けじと声を張り上げた。

 

「世の中、人が飛ぶ理屈は悪魔の実だけじゃないって事よ!」

「言うねぇ、さっきまで殺されかけてたとは思えねぇ啖呵だ!」

 

 口の減らない男の名はシキといった。

 食った者に超常の力を授ける果実、悪魔の実によって飛行能力を得た男だ。その力を誇る彼は、自らを空飛ぶ海賊、“金獅子”のシキと名乗った。

 その力は凄まじく、ギーアが危うく殺されかけた化物、獄卒獣三体を同時に素手で相手取り、傷一つなく勝利を収めている。自分では及びもつかない戦闘力を持つのは明らかだ。

 だがこちらも彼が持ち得ない特色がある。

 

「お生憎様、私の能力なら、死にさえしなければこの通りよ!」

 

 ギーアもまた悪魔の実を食べた人間の一人。どんな傷も脱皮によって回復することができる、ヌギヌギの実の能力者である。

 この回復力のおかげで瀕死の傷から蘇り、死線を越えて新たな力を得ることができた。

 

「まぁあそこで立ち上がれなきゃLv.4に置いてくだけだったがなァ!」

「覇気を身につけたのよ!? こんなところで終われないわよ!」

 

 覇気。

 それは誰もが持つ、しかし鍛えなければ得られない、意志を顕在化した力。

 この広い海を海賊としてのし上がっていくにはどうしても必要な力を、ギーアは手に入れた。

 あとはこの大監獄から脱出するだけだ。

 

「このリフトの昇降路を抜ければLv.1、海上にある最上層だ! そこまで行ければインペルダウンを抜け出せる!!」

 

 加速するシキに合わせ、ギーアも両脚の噴射機の推力を強めた。

 二人がいるこの施設は、数多の凶悪な犯罪者を収監する世界一の大監獄である。その最下層、Lv.6から抜け出たギーアとシキは取り上げられた私物を取り戻し、いよいよ脱獄しようと監獄唯一の出入り口を目指している。

 が、地獄とも呼ばれる大監獄もただでは見過ごさない。

 

「ちょっと! 何か来てるんだけど!?」

 

 見上げる先、暗がりを突き破った影が迫る。

 天板だ。無数のトゲを備えた、脱走者用の罠だった。

 自由落下で加速するそれが、昇り続けるこちらとぶつかるのに時間はいらない。

先行するシキの脳天が砕かれる。

その直前、

 

「ハッ、こけおどしィ!」

 

 シキが突き出す手が触れた瞬間、天板は動きを止めた。

それどころか、弾かれたように逆方向へ、ギーア達が向かう方へ急上昇するではないか。

 シキが持つフワフワの実の能力だ。彼は自身や一度触れた物を自在に浮遊させ、操ることが出来る。どれほど危険な罠も、それが無機物ならば彼にとって自由にできる傀儡に過ぎない。

 弾丸の速度で昇る天板は行き着くのは縦穴の天井、昇降路の終着点だ。

 

「うわああああァ――――!?」

 

 暗闇の向こうで天板が激突する轟音。響き渡る激震の中に無数の悲鳴を聞きつける。

 

「あそこね!」

 

 縦穴に光が差す横穴がある。シキの能力で宙に滞留する天板の破片や粉塵の手前だ。

昇降路に設けられた階層毎の出入り口である。

 

「着いたぁ――――!!」

 

 出入り口へと身を躍らせるギーアとシキ。

 ついにLv.1へ到達した瞬間だった。

 

「来たぞ! 脱走者共だぁ!!」

 

 そんな二人を待ち受けるのは大監獄の看守達だ。

 誰もがライフル銃を構え、この最上層まで辿り着いた脱走者を前に緊迫で張り詰めている。どうやら道を譲る気はないようだ。

 

「ジハハ、今更てめェらザコが止められると思ってんのかァ?」

「悪いけど、このまま脱獄させてもらうわよ」

 

 踏み出せば退いていく。人数と戦力の差がまるで一致しない。

 このまま蹴散らそうかと、そう思い、

 

「――ふざけるなァ!!」

 

 歯向かう声を聞いた。

 

「ここは破られたことのない最強の大砦! ここがあるから世のか弱き人々は安心できる! ――それを破られちゃ、皆々様は恐怖のどドン底じゃろうがィ!!」

 

 列の先頭に立つ、一際大柄な男だった。

 頬骨と顎の浮いた強面にあるのは強固な覚悟。身に纏う看守の制服を誇るようにギーア達に立ち塞がる彼は、長大な薙刀を構えて声を張り上げる。

 ゆるがぬ使命感が吼える。

 

「ここは!! 通さんぞォ――――!!!」

 

 男は白刃をひらめかせて躍りかかる。

覇気を身につけた今なら分かる。この大男はこの場に詰める看守の誰よりも強い。これだけの覚悟も示せるならば、きっとただの看守では終わらないだろう。

 

(出世するわよ、あんた)

 

 この場を生き延びれば、だが。

 

「!!!!」

 

 声一つ、閃き一つない。

 シキの双剣を前にして、男は格好の獲物だったからだ。

 

「ハンニャバル看守長ォ――――!!」

 

 看守達の叫びは切り裂かれた男に届かない。

鮮血を散らしてシキの横に倒れた男は、自らの血で池を作り、誇った看守の服を赤く染める。

鎧袖一触。いかなる高潔な意志も力を伴わなければ果たせないと、証明された瞬間だった。

 

「さて、次はてめェ等な訳だが、どうするね?」

「おのれ、よくも看守長を!」

 

 シキの歯を剥く獰猛な笑みに、看守達は吠える。男の犠牲が彼等を決起させたのだ。

 かくして弾丸は放たれる。

 

「奴等を止めろォ!!!」

 

 一斉掃射がLv.1の通用路に響き渡った。大気を穿つ破裂音の群れ、鉄の礫は余さず二人へと集約される。

 しかし脱走者は光をもって迎え撃つ。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!」

「“獅子・千刃谷(しし・せんじんだに)”!!」

「!!?」

 

 かたや熱波、

かたや斬撃の嵐。

 弾を溶かし、または蹴散らす暴圧は、看守達すら蹴散らしていく。

 

「ま、まだだ……!」

「無駄な足掻きだ!!」

「ぎゃあッ!」

 

 立ち上がろうとした者も、無慈悲に切り伏せられた。

 ギーアもそれに続く。看守達に正義があるのは理解していた。だが野に下り、無法者となり、一人の男に仕えると決めた彼女にとって、彼等は蹴散らす対象でしかない。

 鋼鉄の手足が隊列を突き破った。

 絶え間ない弾幕を避け、時に強固な腕で弾き、交差するたびに敵を打つ。

 シキと並んで敵の戦線を押しやっていく。そうやって看守達を圧倒すれば、敵陣の向こうに目指すものべきものを見る。

 

「あった!」

 

 巨大な門扉だ。

 重厚な石造りの壁を穿つ、インペルダウンの正面入り口である。

 あの向こうには跳ね橋があり、“凪の帯”という一切波風のない海原と、警備の軍艦が何隻も停留している。大監獄を守る二重の防壁だ。

 だが空を飛べる二人にとってそれらは無意味だ。

 

(あと、もうちょっと!)

 

 あそこを抜けられればそれで終わる、その意気が両脚にみなぎっていく。

 ゆえに翔けた。

 

「……! 抜けられるぞ! 止めろォ――――!」

 

 叫んだところで止められはしない。

 宙を飛び、看守達の頭上を越えれば門扉まで一瞬だ。

 焦燥にかられた顔を見下ろし、ただ前方を見据えて行けばいい。

 そのはずだった。

 

「ベイビィちゃん、戻れ!」

「!?」

 

 はじめて聞いたシキの焦った声。

 それがなければ危うかった。

 

「きゃあ!?」

 

 急停止した眼前を濁流が奔り抜ける。紫色の鉄砲水が、周囲の大気を刺激臭で汚染した。

 

「何よこれ!?」

 

 大きく退いて着地するギーア。

 その眼前で濁流も鞭打つように床へ落ちる。それは汚泥のように鈍い音をたてる粘液だった。飛沫を散らして門扉への道を横断する様は、まるで通行止めを示す極太の線を引くようだ。

 その上に、いつの間にか男が立っていた。

 濁流が奔る前にはいなかった、小山のような巨漢だ。その身を包む制服から、彼もまたインペルダウンに勤める署員ということがわかる。

 

「あんたは……」

「――やった! 来てくれたぞ!」

「間に合ったんだ! マゼラン副署長――!!!」

 

 ギーアの誰何を歓声が塗りつぶす。

 この男が、彼等看守にとって救世主であったからだ。

 

「……よくもここまで暴れてくれたな、囚人共」

 

 もし本当に地獄があるなら、そこにいる生き物は彼のような顔をしているだろう。

 ヤギのようにうねる角と毛深い頭、鷲にも勝る眼光がギーアを睨みつける。

 これまで多くの巨漢と対峙してきた。

 しかしこのマゼランという男は、彼等とは違うものを持っている。そこに立つだけで、実際以上にその身を大きく見せる重厚な存在感を放っているのだ。

 挫けることなく立ち向かってきた看守達の上に立つ男の、強固な使命感のなせる業だった。

 

「良く持ち応えた、お前達。――後は任せろ」

「は、はいッ」

 

 マゼランの賞賛に看守達は涙を浮かべ、倒れた同僚に肩を貸して通路の奥へ下がる。

 そうして門扉へ至る道は、マゼランとギーアとシキ、三人だけが残された。

 うって変わって数では勝る形。しかしマゼランが戦場に立つ時、数は有利を意味しない。彼の力の前では、敵も味方も数という意義を失ってしまうからだ。

 息を吞むギーアの隣にシキが寄る。

 

「面倒なのが来たな」

「ええ、時間を稼がれちゃったわね」

 

 副署長マゼラン。

 この大監獄にいる者なら誰もが知る、インペルダウンの有名人だ。

 囚人への厳格な態度は勿論、最も恐れられるのは、地獄の大監獄を守るに相応しい能力だ。

 

「貴様等はここで終わりだ! 絶対に外へは出さん!!」

「!」

 

 肩を怒らせたマゼランの体から紫の粘液が噴き上がる。

 ギーアの目の前を横切った濁流と同じものが彼の頭上へと立ち上り、巨大な塊となった。やがてそれはうごめき、粘土をこねるように一つの造形物を作り上げていく。

 竜だ。

 三ツ首の竜がそこにある。

 長い尾でマゼランと繋がるそれは、飢えた獣のような生々しさでこちらを見下ろしていた。

 

(これが全部、毒の塊って訳ね!!)

 

 頬に汗が伝うのを禁じえなかった。

マゼラン、ドクドクの実を食べた毒人間。

彼が操る紫の粘液は、触れる者に激痛を与える猛毒だ。つまり頭上の竜は毒素の塊、一度吞み込まれれば耐えがたい痛みに全身を苛まれ、悶え苦しんだ末に息絶える致死毒なのだ。

それが、迫る。

 

「げ!」

「ちっ!」

「“毒竜(ヒドラ)”!!!」

 

 竜の威容に後ずさるギーア達へ、マゼランは三つの巨大なあぎとをけしかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

降り注ぐのは猛毒の津波。

一切触れる事が許されない怒涛を前に、ギーアとシキはめいめいに飛んで躱すしかなかった。

 

「うわっ!」

 

 ただ避けるだけでは済まない。

 石畳に食らいついた牙は都合よく液体の特性を発揮し、飛沫を辺りに飛び散らす。飛来する大小無数の柔らかな礫、それらにさえ触れてはならないのだ。

 全力で竜から離れ、壁に手足を着く形で着地する。垂直で四つん這いになる姿はイモリのように不恰好だが、文句は言う暇はない。

 竜の頭は三つあるからだ。

 

「げ!?」

 

 来るのは左端の頭。

 開かれた牙から逃げるため、今度は壁を蹴って飛ぶバッタの真似をしなければならなかった。

 

「こんの……!」

 

 飛ぶ。

 回る。

 ひねる。

 縦横無尽に躍るギーアと、追い回す竜のあぎと。

 生物ならざる毒液の塊は、まさに機械的なまでの執念深さで追撃する。

 所詮それは、頭を象るだけの水流に過ぎないのだ。まともに逃げ続けても体力が持たない。今でさえ無軌道な飛行を続けるあまり、平衡感覚が狂いそうなのだ。

 

(要は触れなきゃいいんでしょ!)

 

 相手は液体だ。

 ならば消し飛ばしてしまえ。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!」

 

 ギーアの手が放つのは鉄をも溶かす強烈な光熱、粘液でできた竜が耐えられる筈もなかった。

 追いかける頭が消し飛び、煙に変わる。

 

「よしっ!」

 

 やはり熱攻撃は有効だ。

 このまま“毒竜”本体も潰そうと身を翻し、

 

「う……っ!?」

 

 五感の全てに痛みに突き立てられた。

 目鼻と肌に刺さる刺激。勝手に溢れる涙が視界を歪め、鼻水と咳が呼吸を乱す。

周囲を染める薄紫の霞のせいだと気付いたところでもう遅い。形を変えたところで毒は毒、竜の頭は毒ガスとなってギーアの周囲に充満し、包み込んでいたのだ。

 広範囲に広がる分タチが悪い。熱で迎え撃つことは悪手であった。

 

「オエ……!」

 

 空中にいた事も災いした。今自分がどこに向いていて、どういう姿勢なのかすら分からない。

 分かるのは、自分が墜落したという事だけだ。

 

「ぐ!」

 

 受身もままならない。

 半身を打つ痛みも、瞬く間に毒の傷みが塗りつぶす。

 まるで微細な小人が頭にある穴という穴の奥に入り込み、爪を立てているような痛痒だった。

 眼球が裂け、鼻の奥を千切られ、喉を内側からかき毟られるような感覚。肌にいたっては一度に全身の皮を剥かれたような錯覚さえある。

 ギーアの全身は完全に毒ガスに汚染されていた。

それを敵が見逃す筈もない。

 

「ベイビィちゃん、立て!!」

 

 シキの声がやけに遠い。

 鈍った頭は、何故そうしなければいけないのかすら曖昧だ。

 問い返そうと頭をもたげ、

 

「ぁ」

 

 牙を剥く竜に吞まれた。

 

「ぶ……っ!!」

 

 全身が毒液まみれになって転がる。

 冷たい。最初はそう思った。しかしそう思えたのはその一瞬だけ。

 直後、全神経が燃え上がった。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ――――!!!」

 

 生涯最大の絶叫があがる。

 肌から染みる毒は、身の内の神経一本一本を丹念に端から焼き尽くす。

 肌がただれる。

 肉が解ける。

 内臓が腐る。

 まるで全身の毛穴に釘が突き刺さっているような。

 骨格全体を有刺鉄線で締め上げられているような。

 血に交ざり込んだガラス片が血管を内側から引き裂いているような、そんな感覚。

 全身全霊をかけて苦痛を与えたい、その上で死なせたい。

 厳然とした害意と悪意からなる殺意がそこにはあった。

 

「んギ……!!」

 

 虫のように這う。そんなことでは毒から逃れられない。

 だが幸いなことに、ギーアはほぼ全ての人間が諦めなければならない苦境から逃れる術をもっていた。

 

「す……“脱皮(スラフレッシュ)”……!!」

 

女の体が古布のように崩れ落ちた。

 そうして現れるのは無傷な姿のギーア。その様はまさに虫が殻を破って成虫になるようだ。

 ヌギヌギの実の能力により、猛毒に汚染された体を脱ぎ捨て、回復を果たしたのである。

 しかしそれは単純に好転を意味しない。

 

「ハァ……! ハァ……!」

「毒を無力化する能力者か。だが苦痛を無かったことにはできまい」

 

 肩で息をするギーアをマゼランは冷酷に見下す。

 男の言うとおりだ。全身を苛む猛毒を脱ぎ捨てることは、体の傷をそうするのとは訳が違う。どん底まで貶められた体調と激痛の記憶は、今も精神を大きく苛んでいる。

 何より、この能力はあらゆる不調と負傷を癒し肉体を強化するが、唯一つ、疲労だけは補ってくれない。

 猛毒による激しい消耗は、ギーアの心身を大きく削ぎ落としていた。

 

「オイオイやるねぇベイビィちゃん。まさか“毒竜”を受けて立ち上がるとは」

 

 そこへシキが近寄ってきた。

 毒に汚れたところのないその姿は、流石というべきだろうか。

 

「こ、これが無事に見える!? 死にかけたわよ!!」

「普通は助からないんだよ、奴の攻撃はな。……しかしベイビィちゃんならマゼランを相手取るのも無理じゃない、か……」

「は?」

 

 何やら不穏当な呟きに顔を上げれば、顎ひげを撫でるシキの思案顔がそこにある。

 耳を疑う発言に頬が引きつり、聞かなかったことにしようと思った。しかし残念ながら、彼の発言は改めて明言してしまう。

 

「よし! ベイビィちゃん、マゼランの相手は任せたぜ!!」

「はぁ!!?」

 

 悪い予感は的中した。

 

「その間におれは脱出の手立てを調える! なに、覇気を身につけたベイビィちゃんなら何とかなる!!」

「バカ言わないで! 自分から奴に触れろっていうの!?」

「いいか、門扉さえ越えれば、おれの能力で全て打開できる! それともベイビィちゃんは今のままマゼランを倒していく算段があるかい?」

「むぅ……!」

「条件さえ整えば道を開けるおれと、身一つで奴に立ち向かえるベイビィちゃん、適材適所だと思わねェかい?」

「むううぅ!!」

 

 髪をかき毟って顔をしかめるギーア。

 受け入れがたい事実、しかし覚悟決めるしかないのは分かっていた。

 

「あぁもう、分かったわよ!」

 

 奮い立つように二本の脚で立ち上がる。

 

「止めてやるわよ、それでいいんでしょう!? ……門扉を越えたからって、一人で逃げたら承知しないからね!?」

「安心しろ、おれの計画がしくじることはあり得ねェ! てめェこそ、途中でくたばるような真似するんじゃねェぞ!!」

 

 互いの手を打ち、二人は動き出した。

 門扉に向かって飛び立つシキ、それをマゼランは追おうとする。

 

「待て、通さんぞ!!」

「あんたの相手は私よ!!」

 

 ギーアの突貫がマゼランを打った。

 毒の層を穿つ一撃は、注意を逸らしたマゼランの腹に深々と突き刺さる。

 

「ぬう!」

「ひぎゥ……!」

 

 苦悶するマゼランとギーア。

 痛みに焼け落ちる腕を振り払い、迎え撃つ“毒竜”から大きく飛び退く。

 “毒竜”は所詮マゼランの傀儡、これを攻撃したところで意味がない。同じ毒に触れるならば、その先に本体がある分マゼランを狙った方がマシだ。

 ここが正念場だった。

 毒に自ら望む恐れを握りつぶせば、その意気に応じて腕は黒く染まる。

 

「“戦意心矢(ソウルホーネット)”!!」

「ぐおッ!!」

 

 武装色の一撃が巨体を射抜く。

 

「おのれ……! 覇気で覆えば本当に鉄になるとでも思ったか!」

「んなわけ、あるか……!」

 

 武装色硬化によって腕は黒金色になるが、肉体はあくまでも肉体だ。毒液がまとわりついた腕が悪臭を伴う蒸気を立ち上らせ、肉と骨に激痛が染み渡る。

 振り払えるものではない。ギーアは能力を発動することでそれを脱ぎ捨てた。

 

「“脱皮”!」

 

 健常な体を取り戻すが、しかし汚染されていた手足には幻痛が残る。

 それを意志の力でねじ伏せ、

 

「まだまだぁ!!」

「毒に侵されるのを前提で挑むか! 小癪な!!」

 

 決死の覚悟が四肢を黒金に染め上げ、毒の被膜を打ち破る。

 拳。蹴り。掌底。貫手。

 とりうる全ての格闘術がマゼランを捉え、確かな手応えを得た。

 だが引き換えに、体のいたるところに猛毒の粘液が取り付く。

 こびりついた部位が欠損したかのように、神経が痛みに独占される。敵を打つたびに肉と骨が抉れ、零れ落ちていくような気さえした。

 しかし止まるわけにはいかない。

 奴を止められるのは自分だけだ。

 自分なら、死にさえしなければ幾らでも挽回できる。戦後の回復を前提とし、受ける傷を度外視した闘いによって死線を越える、それがギーアの戦い方だ。今回はそのスパンが短いだけ。

 敵を打つ度に脱皮を重ね、少しでも多くの時間を稼ぐのだ。

 

「うりゃああああ!!」

「追い詰められたネズミはこうも果敢か! だがいつまでも付き合うつもりはない!!」

 

 もう何度目の脱皮になるだろうか。

 繰り返される激痛と攻防を顧みないギーアに、マゼランは業を煮やした。

 体を覆う毒液がにわかに形を変え、

 

「“毒竜”!」

「しまっ……!」

 

 巨体を包む毒の被膜が竜の頭を形作り、ギーアを吞み込んだ。

 連撃に力を注いだのが災いした。勢いづいた手足は止まらず、開かれたあぎとに自ら飛び込んでしまう。

 ギーアを吞んだ“毒竜”は、これまでのように毒液をまぶして吐き出そうとはしなかった。長い首は伸び上がり、口の中に閉じ込めたギーアを高々と掲げる。

 

「毒を脱ぎ捨てるというなら、このまま包み込むだけだ! 毒で死ぬのが先か、溺れ死ぬのが先か、自らの身で試すがいい!!」

「……!」

 

 全方位から毒液が押し寄せてくる。

 これまでと比較にならない量の毒がギーアへと浸透し、また水圧のような圧力をかけてくる。強引に口を開かされ、喉の奥へ毒液が流入する。

体内から毒が汚染していく感覚はまた格別だった。

胃袋が焼け落ちるのが分かる。内側から肉体が削り取られ、体が密度として薄くなっていくような気さえした。それは頭の中身も例外ではない。

 思考力が、一気に削り取られる。

 

(いけない……!)

 

 なけなしの思考を振り絞ろうとした。

 蒸発させるか。

 ダメだ。また毒ガスに変わるだけだし、これだけの量を一気に気化させれば大爆発となり、その中心にいる自分は消し飛んでしまう。

 両脚から風を噴いて突き抜けるか。

 これもダメだ。風を噴くには一度大気を吸引しなければならない。毒液の中に空気が無い。やったところで両脚が内蔵する科学機械に液体が入り込んで壊れるだけだ。

 八方ふさがりだった。

 

(……だめ、頭が……)

 

 どうやら窒息の方が先だったらしい。

 意識が暗闇に沈む。

 身を侵す激痛が遠い。

 毒液越しの景色がかすんでいく。

 これまでか、とそう思い、

 

「“斬波(ざんぱ)”!!」

「!」

 

 毒液さえも震わす轟音。

 辛うじて目を開ければ、毒液の向こうにこれまで無かったものを見た。

 外の景色だ。

 

(シキ……!)

「待たせたなベイビィちゃん!!」

 

 やったのだ。

 シキが門扉を切り崩したのである。

 広がる外界を背にした男が、悠然と剣を構えて浮かんでいる。

 

「おのれ! だが外には海軍の船が警備を……!」

「はん、それはこいつらのことかい?」

 

 マゼランの怒りに応えるシキの笑み。

 そこに怒涛の音が響く。重厚な石壁で覆われた大監獄を揺らすほどの激震だ。

 

「な、何だ!?」

「お望みの軍艦だよ。脱獄の祝いだ、くれてやる!!」

 

 シキの叫びが破砕を導いた。

 

「――“獅子威し・軍艦巻き(ししおどし・ぐんかんまき)”!!!」

「!!!!」

 

 大監獄の壁を打ち砕いてそれは来る。

 石壁を破るのは、軍艦をくわえる巨大な獅子の群れだった。

 一つ一つが巨艦に勝る程の大きさを誇る獣の頭は、莫大な量の海水によって象られている。怒涛の津波を咆哮の代わりにして、居並ぶ獅子頭が監獄内へと攻め込んだ。

 シキが能力によって操る海水の一撃だった。

 

「何だとォ!!?」

 

 海に嫌われた悪魔の実の能力者であるマゼランにとって、この攻撃は致命的だ。

 叩きつけられた波濤に力を奪われ、押し流された巨体は軍艦と水流の向こうに消える。大監獄の入り口を半壊せしめる巨艦の鉄槌により、Lv.1は崩壊と轟音に満たされた。

 全ては瓦礫と粉塵に帰し、閉じていた監獄の最上層は展望台になってしまう。

 

「がはっ! げぼっ!!」

 

 かくして崩壊したインペルダウンに、ギーアは放り出された。

 海水によってマゼランの制御を失った“毒竜”は形を失い、ただの液体となって崩れ落ちる。それに混じり、ギーアは石畳に打ちつけられた。

 腹に溜まった毒液を吐き、空気を吸って汚染された体から脱却する。

 

「……“脱皮”!」

 

 これまでで最も危険な段階まで汚染された外皮は、脱いだ瞬間にしなびて潰れてしまった。自分がどれだけの危険に瀕していたかを自覚させられる。

 だがそれに恐怖してうずくまってはいられない。

 

「おいベイビィちゃん、今のうちだ!!」

 

 シキが飛んできた。

 壁を失った大監獄を飛ぶシキは手を伸ばし、それをギーアは掴み返す。そうすれば彼の手は確かな力で握り返し、大きな体へと抱き上げた。

自分以外の力で飛ぶことに慣れないものを感じながら、しかし今は彼の胴に腕を回す。

 そうして二人は空へ。

 砕かれた大監獄の外へ向かう。

 

「ま、待て!!」

 

 遠く、瓦礫と軍艦の下からマゼランが呼び止める。

 しかしそれはもう届かない。

 

「あばよカス共! 大監獄の神話は今崩れた!! この“金獅子”によってなァ!!!」

 

 かくして二人は解き放たれた。

 誰一人突破できなかった、大監獄からの脱獄に成功したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ここまで来れば、もう追ってこれないでしょう」

 

 大監獄を出てどれほど飛んだだろうか。

 インペルダウンは水平線の向こうに消え、今や影すらも見えない。

 

「それよりベイビィちゃん、いつまで抱きついてるんだい? そんなにおれのことが好きだったかな?」

「悪いけど私の脚は短距離用なのよ。流石に海を越えるなんて無理よ」

「じゃあ陸に着くまではベイビィちゃんの体を堪能できるってわけか!」

「張り倒すわよあんた!?」

 

 だがそれも“凪の帯”の海上では無理なことだ。

 見下ろせば波一つ無い海原に巨大な影が浮かび上がる。この海域に潜む巨大な魚、海王類だ。

 随分と離れたが、ここはまだ“偉大なる航路”に入っていない。陸地に着くまではまだまだ時間がかかるだろう。腹立たしいが、確かな飛行能力を持つシキに頼るしかなかった。

 

「時にベイビィちゃん、おれはどっちに向かえばいいんだい? 流石に目的地が分からんと、いつまでも陸には辿り着けんぞ」

「ああ、そうだったわね」

 

 言われたギーアが懐から出すのは小さな紙片、ビブルカードだ。

 この材料になった爪は、ギーアが合流を目指す海賊ゲッコー・モリアのものだ。平らかにした掌に乗せれば、紙片は微々とした動きで一方へと進んでいく。

 ビブルカードが持つ特別な力だった。

 

「あっちよ! あの先にモリアがいる!」

 

 紙片の指す方を目指し、二人は一路、空を翔けるのだった。




インペルダウン編も終了です。
次回からはやっとこ強くなった主人公をモリア様と合流させてやれるかなー。



なのですが、ここでちょっとご報告です。
実は当方、別所にて一時創作にも手を出したいと思っており、これからは作業時間をそちらにも割きたいと思っております。……といいますか、今回間が空いてしまったのは、一時創作の方を少し書いたから、というのもあるのですが。
これまでどおりの分量を溜めて投稿するか、もう少し小刻みに分けてコンスタントに投稿するかは決めかねているので、今後の進捗次第になりそうです。

本作を読んでいただける皆様には申し訳ないですが、もしよろしければ気長にお付き合い願えれば、大変嬉しく思います。


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スリラーバーク編
影満ちる時、そこで会う


 ギーアは第三の音を聞きつけた。

 一つ。壁の向こうから響く、腹の底を洗うような海が波打つ音。

 二つ。波と風の間で揺れる船、それを構成する木材がきしむ音。

 そして三つ。夜陰に沈む通路に響く足音だ。

 

(来る)

 

 木造の床をたたく音は硬く大きく、何より等間隔で規則正しかった。

 音の硬さは堅固な装具を身に着けている証拠。大きさは装具と本人の総重量を予想させ、等間隔な足取りは相手が確かな鍛錬を積んでいることをうかがわせる。

 ならず者にはない、体系化された訓練で身につけた身体能力だ。

 かつて一国の兵隊長を務めたギーアにとって、それはまさに我が身のこととして分かる。

 

(隠れる場所は)

 

 ない。

 通路は前後に伸びる一本道だ。左には月明かりが差す小窓が並ぶ壁、右には腰ほどの高さで手すりが取りつけられた壁が続いている。道幅はお互いが壁際によればすれ違える程度、身を隠せるようなものなどあるはずもない。

 小窓から注ぐ月明かりの向こうに、うっすらと人影が浮かぶ。

 ギーアの手が拳を握る。

 細くも鍛えられた二本の腕は、祖国で移植された科学兵器を秘めている。鋼鉄に勝る強度と光熱を放つ機能は、ギーアが最も信頼する武器の一つだ。

 やるか。

 

(……ダメ)

 

 今この船の者に見つかる訳にはいかない。戦闘は、見つかってしまった時の最後の手段だ。見つかる前にこちらから手を出す愚を犯すわけにはいかない。

 ゆえにギーアはするどく息を吸い、

 

「ふっ!」

 

 跳んだ。

 それは相手が見える距離まで来る、その直前のことだった。

 

「む?」

 

 現れたのは屈強な鎧姿の衛兵だった。

 丸みをおびた装甲で肩幅の広い体を包み込み、円錐形の兜をかぶっている。手には槍を携え、それを垂直に構えたままふらつかせることもなくやってきた。

 衛兵は歩みを止め、左右を見回した。

 

「ぬ……?」

 

 だがそこには薄暗い壁道があるだけだ。窓から注がれる月明かりも暗がりの床に差し、そこには何もないと淡く照らし出している。

 そう、そこには誰もいないのだ。

 だからさっさと通り過ぎろ、という思いでギーアは衛兵を見下ろしていた。

 

「……っ」

 

 ギーアは天井に張りついていた。

 天井に接する壁の際に足をつき、左右の五指を後ろ手に天井板に食い込ませ、水平になった体が落下しないよう全身の筋力を総動員して支える。

さながら十字に張りつけになったような姿で、衛兵の直上へと逃げたギーアは息を殺す。

 衛兵はそこに相手がいるとは知らず、携えた槍の穂先を突きつける形となっていた。それをどうにかしたくても、最も有効な手段は、このまま何もしないでやり過ごすことだ。

 

(早く行って……!)

 

 目の前を、喉のあたりを、胸の先をすんでのところを穂先がかすめる。

 背負いこんだ荷物のせいで、ただでさえ大きな胸をのけぞるように突き出してしまっているのだ。あとわずかにでも槍を持ち上げられれば、当たる。

 冷や汗が出そうになり、しかしそれも許されない。

 辛抱の時はどこまでも続くのかと思われたが、

 

「……気のせいか」

 

 しかし衛兵はその一言をこぼし、また歩き始めた。

 よもや侵入者が一瞬で天井に跳びつき、息をひそめているとは思いもしなかったのだろう。嘆息するように息を吐くと、ふたたび規則正しい足音をたて、衛兵は薄暗い廊下の先へと去っていく。

 ギーアが降り立ったのは、それからしばらくのことだった。

 足音を殺して着地するその顔を、窓からの月光が照らし出す。そこには衛兵をうまくやり過ごした達成感の色はなかった。むしろ顔をしかめて、今にも舌打ちせんばかりの様相で通路の先を睨んでいる。

 

「急がないと」

 

 踏み出すのは衛兵がやって来た方向。

 足早に、だがゆれる船内にあって無音に等しい足取りでギーアは行く。二本の足はもてる最大限の慎重さの下で最高速度を発揮し、影と月明かりが交互に続く通路を駆ける。

 それは一度来た道だった。

 最初は手探りで無駄も多かったが、今はそれを整理して最短距離を導き出せる。

 目当ての物を手に入れた今、早急に戻らなければならない。

 

(早く手当てしないと)

 

 その思いに従い、両の手はあるものを握りしめる。

 帯だ。左右の肩からそれぞれの脇に伸びる一対のそれは、背にした白染めのリュックサックにしっかりと縫い付けられていた。幾つもの小物を厚手の布地で包み込んだそれこそが、ギーアが苦労を重ねて盗み出した品である。

 医務室から持ち出した、薬や包帯をまとめたバックパックだ。

 これを用い、早急に治療しなければ彼の命が危うい。

 しかし、

 

(……いえ)

 

 思いをすぐに考えを改めた。早いか遅いかで言うならば、もうすでに手遅れの段階をすぎてしまっているのかもしれない、と。

 なにせ彼は、両足を切り落としてから既に何日も放置し続けたのだから。

 

(——海賊、“金獅子のシキ”)

 

いまさら顔を青ざめさせ、辛くなってきたと言い出すあの男の体力が異常なのだ。

 

(さすが、大監獄の最奥に収監される大海賊だけのことはあるってことね)

 

 その強靭な生命力は、まさに獅子にたとえられるにふさわしい男だと思えた。

 だがそれもここまでだ。

 食った者に超常の力を与える果実、悪魔の実によって空を飛ぶ力を得た男。数多の海賊艦隊を従えた大親分。そんな大海賊であったとしても、世界最大の大監獄から脱獄するには両足を切り落とさなければならなかった。

 そんな重傷を放置してここまで逃げ続けたツケが、ついに表れてしまったのだ。

 

(それでも、船に遭遇したのは幸いだった)

 

 数日にわたる飲まず食わずの海上飛行、いよいよ危なくなってきたその時に出会ったのが、この船であった。

 大きな船だ。これほどの規模なら医薬品もあるに違いない、とシキを甲板に隠し、潜入したのが数時間前のこと。巡回する衛兵をかいくぐり、こうして目当ての品を盗み出すことができた。

 だが海を行く船においてそれらは線の一つだ、確認はおろそかにしないだろう。紛失に気付かれるまで、そう猶予はないはずだ。

 そうなれば、

 

「動くのは衛兵だけじゃすまないかもね」

 

 ギーアは窓の向こうにあるものをみた。

 夜空にまたたく星空と月、しかしその景観を阻む巨大な影がそこにある。

 軍艦だ。

 闇の中にあっても映える白く巨大な帆には、その船の所属がたったの二文字で明快に記されている。

 

「——海軍」

 

 それも一隻だけではない。船にもぐりこむ前、空から降りる時にギーアは見たのだ。

 三隻。

左右と進行方向、それぞれに一隻ずつ軍艦が一随行している。

 

(どんな警護体制しているのよ)

 

 大型船とはいえ、一隻の船を守るには明らかに過剰な戦力だ。

 それでもやるしかなかった。ここで逃せばシキは力尽き、海に落ちるのは目に見えている。夜陰に乗じて監視の目を抜き、船内の警備もあざむき、備品を盗んで発覚する前に脱出する。生きながらえるにはそうするしかなかった。

 ここで移動手段となる協力者を失うわけには、まして再び捕らわれて監獄に送り返されるわけにはいかない。

 ギーアには生きて再会しなければならない相手がいるのだから。

 

「……」

 

 ギーアは懐から一枚の紙片を取り出した。

 ビブルカード、人をたどる紙だ。個人の爪から作るそれは、元になった人間のいる方向を示す性質がある。手の平を水平にすれば、その上で紙片は這いずるように一方へ進みだす。

 その先に、約束の相手がいる。

 

「……モリア」

 

 感情が熱を上げた。あとどれだけ行けば再会できるだろうか、と。

 ゲッコー・モリア。

 自らの船長と定めたその男。

今は亡き彼の仲間から託され、奴隷同然に折られた心を彼が立ち直らせたその時から、彼はギーアにとっての主となった。彼と最後に交わした約束は、大監獄での日々、そこからの脱獄においても幾度となく立ち上がる力をくれた。

 絶対に生きて戻る、と。

 

「よし」

 

 誓いを思い起こし、決意を新たにする。

 そうしてギーアはビブルカードを再び懐にしまおうとして、

 

「え?」

 

 それの異常な動きに気付いた。

 

「何、この動き」

 

 掌の上のビブルカードが、小刻みにブレた動きを見せたのだ。

 

「彼が傷ついてる、訳じゃないのよね」

 

 ビブルカードにはもう一つ、示す相手の生命の危機を表す性質がある。しかしそれは危機に応じて焼け落ちるような形で表される。手の内にあるビブルカードが示す異常は、そういったものではない。

 動きに変調を来しているだけ。そう、まるで、

 

「指す相手を迷っているような」

 

 どういうことだろうか。

 思った時だ。船に激震が走ったのは。

 

「——!!?」

 

 船自体が太鼓とするような轟音と揺れ。

 津波か、ギーアは思った。しかしそれをすぐに否定する。轟音は海が波打つ音ではなかったし、自然現象であれば予兆があるはずだ。何よりその大きな揺れは下からではなく、頭上で発生したように思われた。

 まるで甲板で大きな力が起き、船を殴りつけたような。

 そこまで考えて、ギーアの脳裏に予感がひらめいた。

 

「……まさか!」

 

 思わずつぶやき、ギーアは駆け出す。忍ぶことをやめた全力疾走で甲板を目指した。

確かめなければならない、そう思ったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る勢いをそのままに、ギーアの足が甲板への扉を蹴破った。

 そこに広がっているのは闇夜にさらされた広大な甲板だ。頂点に月をいただく全天の星明りが照らし出すその場所は、船内の通路よりよほど明るいのではないかと思われた。

 それだけにそれらは良く見えた。

 甲板にうずくまり、肩を震わせてうめく者どもの姿が。

 

「ぐ、ぉ」

 

 夜陰でも見て取れる白い服は、海軍の軍服だ。

 ある者は肩を、ある者は胸を切り裂かれて、割れた体からあふれる血潮を抑えようと必死に手を当てている。だが噴き出す流血は合間をぬってこぼれ出し、白い軍服を染め、甲板に赤黒い水たまりを広げていく。

 誰も彼もが切り伏せられる鮮血の庭。そこに立ち続ける者がいるとしれば、それは彼らを切り伏せた刃の持ち主をおいてほかにいない。

そう、うずくまって震える彼らの先に立つ、一人の巨漢のことだ。

ギーアは、その猛々しい金髪の持ち主が誰か知っていた。

 

「シキ!」

 

 ギーアは叫ぶ。もはや隠れることを諦めた、その声で。

 早足の勢いでシキへと詰め寄り、こちらへと振り向く男の太い腹に指を突き立てた。にやけ面で見下ろしてくる相手の顔を引き絞った目つきで睨み上げ、

 

「どういうつもり!?」

 

 身長さえ合うなら、胸ぐらをつかんで揺さぶってやりたい気持ちだった。

 

「戻るまで隠れてろって言ったでしょ!」

「ジハハ、気にするなベイビィちゃん!!」

 

 しかし当の男、シキはこちらの怒りにもどこ吹く風。

大仰に肩をすくめて、

 

「——手当てなら済んだぜ!!」

 

 シキはしわの深い顔に壮健な歯を輝かせ、ドラを鳴らすような声で宣言する。

 そこに、別れ際に見た半死半生の弱弱しさはみじんもない。両足の流血により蒼白になっていた顔と唇、冷や汗で首まで濡れそぼっていた姿はどこにもなかった。

 赤ら顔とは言わないまでも、活力のある笑みを向けてくるではないか。

 

「手当てって……」

 

 薬や包帯の類はなかったはずだ。だからギーアはそれを盗みに行ったのだから。

 彼にあるのはご自慢の得物、二振りの剣があるだけ。それでどうやって手当てをしたというのか。

 そう思い、そう問おうとして、

 

(待って)

 

 疑問を得た。

 どうして今、自分はシキを見上げているのか、と。

 

(いくら大柄だからって、足を無くした体でそこまで大きいわけない)

 

 否、シキには宙に浮く能力がある。

 この船に逃げてくるまでも存分に使っていた力だ。そうだ、今もそれを使って両足があるのも同然の高さにまで浮いているに違いない。そうに違いない。確信を持って言える、それ以外にあり得ない。

 だというのに、この胸騒ぎは何だ。

 心の奥でささやく、疑念の声はなんだ。

 本当に彼は、そんなことで済ますのか、と。

 

「考えてみりゃ簡単なことだったぜ、傷口を塞げば良いんだからな!」

「……」

 

 聞くな、考えるな、よぎる想像を否定しろ。

 だというのに、するべきではないと分かっているのに、どうして首は勝手に動くのだろう。首の骨が錆びついたような動きで、ギーアはシキの足元を見てしまう。

 そこにあったのは、

 

「え」

 

 刃だ。

 人の足というにはあまりに薄く鋭くきらめく一対の白刃が、シキの膝下から生えている。

 ギーアはそれらに見覚えがあった。他に何があろう、それはシキが自らの得物として大監獄からの脱出時に取り戻した二振りの愛刀に他ならない。

 その剣が、両膝の先から生えている。

 

「あ、あんた」

 

 声がふるえるのを禁じえなかった。目をこぼれ落ちそうになるほど見開き、ふるえる唇は信じがたいものへと声をかける。

 ふたたび見上げたシキの顔は、やはりにやけ面だった。

 

「どうだ! 足ができたぜ!!」

「バカじゃないの!!!?」

 

 切り落とした足に剣を突き刺して義足とした男へ、ギーアは一世一代の罵倒を叫んだ。

 それは奇しくも、甲板に衛兵の部隊が踏み込むのとほぼ同時のことあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでだ密航者ども!!」

 

 ギーアが通った扉から、シキの背後にある別の扉から、あるいは他の扉から、それを勢いよく開いて現れた男たちが甲板をまたたく間に埋め尽くす。

彼らの多くは衛兵だったが、中には海兵もいた。突きつけられた槍の穂先に混じり、軍服の男たちがライフルの銃口を向けている。

 敵意と警戒に突き動かされた彼らは、一瞬にしてこちらを囲む円陣を作り上げた。

 

「貴様ら何者だ! ここが誰の船か分かっているのか!?」

 

 衛兵の一人が兜越しに怒声を響かせる。腰を落とした構えは、何かあれば即座にこちらへと突撃する準備に他ならない。同じ構えが、実に十数人分。くわえてライフルまで狙いをつけているとなれば、そのすべてを避けることなどまず不可能といえた。

 ギーアとシキは、それらの得物が囲む小さな空白地帯の中心にいた。

 

「……ねぇ、ちょっと」

「あぁん?」

「どうすんのよこの状況。船中を駆けずり回った私の苦労を返してよ」

「ジハハ、下らねぇ。だったらこのカスどもをまとめて蹴散らしてやるよ」

「無駄にやりあうだけの体力が、今のあんたにあんの?」

 

 包囲網を前にしても変わらずにやけていたシキが、ここではじめて表情を変えた。

 わずかに細められた眼差しが滲ませる威圧感。それは、次に放つ言葉によっては逆鱗に触れかねないという、言外の警告だった。

 誰に向かってものを言っている。

 音もなく伝わってくる彼の意図に、首を絞められるような思いがした。しかしここで及び腰になることもまた彼の満足する答えにはならないだろう。

 腹に力を込め、続く言葉を絞り出す。

 

「ここでやりあう意味がないわ。退きましょう」

 

 包囲網は面倒だが、戦って敗ける相手ではない。

 だが槍を弾き、弾を避け、あと何人控えているかも分からない衛兵と海兵をすべて始末して、そこで得られるものはその戦闘と消費に相応しいものといえるだろうか。

 シキは手当てをしたとのたまうが、足に剣を突き刺して義足にするなんて無茶な処置をして、まともな体調のはずがない。ただでさえ飲まず食わずで空を飛び続けた後なのだ、戦闘による消費も、戦った後の疲弊も、並みならぬものとなるだろう。

 何より、いざ戦うとなれば相手は衛兵や海兵だけではすまない。

 

「下手したら、軍艦が動くわよ」

 

 今はまだ動いていないが、戦いが長引けば軍艦からの増援が来るだろう。最悪、砲撃によって甲板ごと吹き飛ばされるかもしれない。これほどの護衛がつく重要な船を吹き飛ばすとは考えにくいが、こと正義に徹底した時の海軍がとる行動は常軌を逸しているのだ。

 これらの危険をふまえて、このまま戦う意義がここにはあるのか。

 

「……いいだろう。ここでカスどもの相手をしてもつまらん」

 

 シキは賢い男だ。理が伴う諫言を受け入れるだけの度量もある。男は鼻を鳴らし、こちらの言葉にうなずいた。

 

「能力で船をゆらす、その隙に飛べ」

「了解」

 

 ひそめた男の言葉にギーアもうなずき、静かに腰を落とした。

 その様子に気付き、衛兵たちはにわかに殺気立って武器を構える。

 

「おい、動くな!」

 

 包囲網を狭めようとする。だがそれももう遅い。

 

「どっこいしょォ!!!」

 

 衛兵が駆けるより、海兵が銃の引き金を引くよりも早く、シキの掌底が甲板を突く。

 そして彼の力は駆け巡り、ここにいる者たちにとっての天変地異が果たされる。

 世界が横転したのだ。

 

「!!!?」

 

 地が、否、船がかしぐ。

 さながら首をかしげるように、巨大船が傾いていく。それは緩やかな動きであったが、しかしこれほど大きな船であれば乗る者への影響は計り知れない。

床だったはずの甲板は壁同然となり、何もかもが眼下に広がる海原へと落ちていく。

 

「う、うあああああああああああ!!」

 

 衛兵や海兵たちが、一斉に転がり落ちた。

 幸運な者は網や柵、帆柱にしがみついていたが、大半は宙に投げ出され、夜より暗い海面に水しぶきをあげて落下していく。

 誰もが転がり落ちる中、ギーアは鋼仕込みの指を甲板に食い込ませ、耐える。

 

(こういう時便利よね、フワフワの実の能力!)

 

 自身と一度触れた無機物を自在に浮かせる力。一人で一軍を崩せる力だ。

 だが、ギーアはいつかそれを破らなければならない。

 

(シキとモリアは必ずぶつかる。その時までに……)

「おいベイビィちゃん、何してる!」

 

 強大な力を前に思索へ沈んだ意識を、頭上からの声が呼び覚ました。

 シキだ。見上げた先、月を背にして空に浮かぶ男が、険しい顔でこちらへ声を飛ばす。

 

「とっとと来な、ズラかるぞ!」

「分かってる!」

 

 ギーアは甲板を蹴り、それとともに足が秘めた化学兵器を起動した。足にうがたれた排気口から突風を噴き、砲弾にも等しい大跳躍が果たされる。

 疎ましくもある祖国の遺産は、空中にいる協力者との合流を確実のものとした。

 この男が将来の敵になるとしても、今はなくてはならない協力者だ。脱獄も半ば、まだ彼には力を貸してもらわなければならない。内心の敵愾心は、努めて秘めるべきだ。

 だから伸ばされたシキの手をとるべく、ギーアも手を伸ばし、

 

「……!?」

 

 悪寒。

 気迫が首筋を削った。

 

「——させん」

 

 いる。

 いた。

 男が宙で身をひるがえしている。

 

「な」

 

 長く細い刀身を月光にかざされ、

 

「“野伏魔《のぶすま》”!!!」

「!!!?」

 

 滝に等しい斬撃が降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣圧の瀑布がギーアを撃墜する。

 体が両断、否、四散してもおかしくない重圧だ。そうならなかったのは肉体が強化改造されていたから、何よりこらえるところのない空中で受けたからに他ならない。もしいたずらに堪えられる地上で受けていたら、ひとたまりもなかっただろう。

 威力に乗ってダメージをできる限り受け流す。

 しかし叩き落されるという事実は、それはそれで新たな危機に向かう。

 海だ。

 船が傾いている今、眼下には大海原が広がっている。

 

「ベイビィちゃん!」

 

 一瞬で遠のくシキの呼び声。

 直後、巨大船が揺り戻してギーアを受け止めた。

 

「ぐぁ!!」

 

 甲板の強固な材木に正面から激突した。

 最初にぶつかった右肩が食い込み、周囲を一瞬で陥没させ、砕けた破片を飛び散らせる。叩き付けられた衝撃で全身の骨が震え、内臓はすくみ、筋肉が痙攣した。強い揺さぶりに思わず脳が意識を手放しそうになってしまう。

 上からの斬撃、下からは甲板の殴打。ギーアの余力はまたたく間に削られる。

 それでも、海に落ちなかったことを幸いに思わなければならないだろう。

 ギーアもシキと同じ、海に嫌われた悪魔の実の能力者。一人で海に落ちれば助からない。シキがとっさに船を操り受け止めていなければ、今頃海中深くに没していた。

 代わりに得た甲板への墜落は、十分な痛みとなったが。

 

「ぁ、ぐ」

「しぶとい」

 

 身を起こそうとするギーアに声が降る。

 刀を携えたその男は、ギーアを撃墜せしめた者にほかならない。

 

「お、まえ」

 

 精悍な男だ。

 鷲を思わせる鋭い眼光、彫りの深い顔は長い口ひげを蓄えている。頭は高波を描くようなモヒカンヘアで、そこから続く太い首筋は屈強な胸板へと繋がっていく。広い肩幅、分厚い胸板、長く太い手足は鍛錬の結晶だ。

彼がいかに屈強であるかは、身につけているもので分かった。

 縦じまのスーツの上、肩に羽織る大ぶりなコートがはためいていたのだ。それはある組織において、実力と功績を認めらえた者にのみ与えられるものだ。

 正義の二文字を背負うコート、それを持つ者をギーアは知っている。

 

「海軍将校……!」

「モモンガ准将ォ!!」

 

 かろうじて甲板にしがみついてた海兵の一人が声を上げる。

モモンガ、それがこの男の名前か。

 

「海賊シキ、それに連れ立つ女。……貴様ら、インペルダウンの脱獄者だな」

 

 将校、モモンガの眼光が鋭さを増す。

 どうやら大監獄が脱獄者を出したという情報はすでに出回っているらしい。准将を動員したこの警備体制はそのせいだとでもいうのだろうか。

 苦虫を噛む思いでギーアはモモンガを睨みつけ、

 

「な……!」

 

 奴は眼前にいた。一拍のうちに踏み込まれたのだ。

 白刃が振り下ろされ、辛くも右腕で受け止める。

 

「ぬ」

 

 モモンガの目がわずかに見開かれた。

 だが驚きたいのはこちらの方だ。鋼仕込みの腕に武装色の覇気を加えて、ようやくこらえられる剣撃とは、一体どれほどのものだというのか。

 こちらは未だ甲板から半身を起き上がらせたばかり。両膝と左手を甲板について、そこまで堪える姿勢をかためて、なおモモンガの一刀は圧倒しようとする。

 

「覇気、……しかし練度があまい!!」

「うァ!!」

 

 押し切られた。

 モモンガの膂力は右腕を押し退け、長大な刃が首筋に迫る。

 

「ううゥ!」

 

 ギーアは首と肩も武装色で硬化させ受け止めた。

 しかしそれは、首筋のすぐ隣に敵の刃を置くことに他ならない。こちらの覇気ごと切り裂こうとする敵の力に、食いしばった歯から苦悶がもれる。

 敵は歴戦の勇士。覇気に目覚めたばかりのこちらでは一時しのぎがせいぜいだ。

 

「ベイビィちゃん!」

 

 シキの声が遠い。ダメだ。空にいる彼では間に合わない。

 断頭台にも等しい海軍将校の刃が押し切る方が早い。

 

「これで終わりだ!!」

 

 モモンガの喝に、刃が重みを増す。

 覇気が割れる。

 

(……う、ぁ……!)

 

 もたない。

 ダメだ。

 死ぬ。

 そして、

 

「!!!?」

 

 モモンガが真横に吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 剣圧が失せ、まるで体が浮き上がるような思いがした。

 ふらつき、刃をこらえていた腕を甲板につき、こうべを垂れるようにしてうずくまる。それから刀が当てられていた肩を撫で、一つの思いを得た。

 助かった。

 

(でも、どうして)

 

 迫る死をまぬがれた体が一気に弛緩し、震えとともに汗が噴き出す。だが心まで浮足立つわけにはいかない。ここはまだ戦場なのだ。

 この状況下でどうして助かったのか。

 否、誰が助けたのか、それを確かめなければならない。

 

(今、私を助けてくれる人なんて)

 

 シキは遠い。

 目前には敵。

 海上にあるこの船に駆けつけてくれる味方など、

 

「ぁ」

 

 いた。

それはギーアの眼前にいた。月明かりに映える、闇夜よりも黒いものがそこにいた。

 それは巨大な人型の影だ。

 見上げるほど大きなそれは、その太い腕を持ってモモンガを殴り飛ばし、今こうしてギーアとの間を遮るように立ちはだかっている。

 

「何者だ!!」

 

 モモンガの問いに影は答えない。

 しかしギーアはその正体を知っていた。

 この場でただ一人、それが何であり、誰の力であるのかを知っていた。

 

「“影法師”」

「……キシシ、約束通り生きて戻ったな」

 

 やがて人影が色づき始めた。

 頭の先から、まるで染み込んだ墨が抜け落ちるようにして影は正体を現していく。

 そこに、鬼を思わせる巨漢が出現した。

 それまでの闇色とは正反対の、血の気もない色白な肌。炎のように逆立つ髪。額から生える二本の角。鋭い歯に縁取られた口は頬まで裂け、凶悪な三白眼があざけるように細められている。

 袖を通す黒革のジャケットは開襟され、たくましい胸板と腹筋をさらしている。同じ色のレザーパンツを履き、腰にはその巨体に相応しい長大な刀を帯刀している。

 そして今、刀は抜き放たれた。

 ギーアへの万難を断ち切るために。

 

「どうして、ここに」

「バカ野郎。てめェがビブルカードを作れって爪を寄こしたんだろうが。それでいざ作ってみれば、何べんも死ぬような目に遭いやがって」

 

 だが、

 

「——よく生きてた。だからおれも、間に合った」

 

 そうか。

 自分がそうであるように、彼もまたそうであってくれたのだ。

 ギーアが彼のビブルカードで辿るように、こちらのビブルカードを作った彼は、それを頼りに“影法師”を飛ばしていたのだ。見つけ次第、“影法師”と入れ替わる力を使って合流するために。

 そうして理解する。さっき見たビブルカードのおかしな動きの意味を。

 指す相手を迷うような動き。あれは人と影、本来なら分かれるはずがないそれらが大きく別れて動いていたから、それゆえの動きだったのだ。

 それはきっとこの世で彼だけが起こせる現象。

 悪魔の実、影を操るカゲカゲの実の能力者である彼だけが。

 

「——モリア!!!」

 

 ギーアが定めるただ一人の主。

この大海原に名を馳せる大海賊が、そこにいた。




ご無沙汰しております。長らく間を開けてしまい、すみませんでした。

オリ主も一章間をおいてご主人様と再会。
“影法師”が空を飛べる設定については、作中でルフィに捕まえられた後にモリアの下まで飛んで行ったので、そのあたりを拡大解釈をしています。

感想や評価をいただけますと、当方とても喜びます。


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海賊モリアvs海軍将校モモンガ

 巨体は月光をさえぎり甲板に現れた。

 黒革のジャケットを羽織る、蒼白の肌をした小山のような大男だ。握られた長大な太刀は刃を輝かせ、まるで周囲の景色をゆがめんばかりだ。

 だが、たちのぼる怒気はそれに勝るとも劣らない。

 

「おれの右腕が世話になったようだな、海軍!!」

 

 背を向けた男の顔を、ギーアは見ることができない。

 しかし陽炎にも似た激情を察するのは容易なことであった。

 彼を遠巻きに見る海兵たちの顔はどれも恐れおののき、氷水を浴びせられたかのようだ。誰もが鬼を前にしたかのようにすくみあがり、手にした武器を構えるのも忘れていた。

 実際、彼らにすれば悪鬼に出くわしたようなものだろう。

 しかし自分にとっては、幾度となく夢見た相手との再会だ。

 

(船長)

 

 胸のなかで彼への賛辞が湧き上がった。

 彼こそ“億”を超える懸賞金をかけられた大海賊。身に宿した超常の力によって海を渡り、たった一人で部下を守るために駆けつけた有情の男なのだから。

 ギーアを救うために、天敵ともいうべき海軍艦隊に乗り込むことを彼は選んだ。

 彼はいつもそうだ。いつだって、ギーアの前に立って敵へ挑む。

 だから自分はついていこうと誓ったのだ。かつてくじけた自分を立ち上がらせてくれた、この男がどこまでも進んでいけるように。

 そんな彼の名は、

 

「――モリア!!!」

「……ふん、なんて声を出しやがる」

 

 呼び声は、信じられないぐらい涙で震えていた。

 

「檻の中から這い出すぐらいだ、少しは力をつけたかと思ったが……まだまだだな」

「う、うるさい! あんたに会うためにこっちは散々だったわよ!!」

「あぁ、見てたぜ。ビブルカードでな。てめェは傷が治る分、何度も死にかけるから気が気じゃなかったぜ」

「……へぇ、見ててくれたんだ」

「当然だ」

 

 彼は、モリアは断言した。

 

「――おれはもう、生きた部下を死なせねェ」

「!!」

「約束通り地獄の底から生きて戻ってきたんだ。待ってるだけじゃねェ、迎えにいくさ。おれはな」

 

 言葉にならない思いが胸を絞めつける。

 

(いつだってそう。あんたは私に立ちあがる力をくれる)

 

 切り伏せられた体が力を取り戻してくのがわかった。冷えきった手足に熱と意思が通い、みなぎる力がふるえる心を支えてくれる。

 仲間を奮い立たせる力。モリアの船長としての資質だった。

 

「海賊、ゲッコー・モリアか」

 

 そんなモリアを睨みつける、屈強な海兵がいた。

 高波のような髪をもつ偉丈夫だ。白いコートを肩にかけ、太い両腕はゆるみなく刀を構え、数分たりともゆるがせない。

 だが刃よりもするどいのはその眼光だ。鷲を思わせる険しさがモリアを射貫く。

 モモンガ。それが海兵の名前であった。

 

「そうか、貴様が“金獅子”の脱獄を手引きしたのか」

「……何ィ?」

 

 口ひげの下で歯を噛むモモンガに、モリアは怪訝そうな声をもらした。

 

「部下がインペルダウンに入ったのもそのためか! あれほどの巨悪をふたたび世に放とうとは……!!」

「オイ、いったい何の話を……」

 

 その時だ。

 ギーアのとなりに音もなく男が降りてきたのは。

 

「ジハハ! おい、こいつが話していたベイビィちゃんの船長かい?」

 

 荒々しい金髪をした壮年の男である。

 モリアほどではないが、ギーアの倍はある屈強な体格。あごひげを撫でながら笑う姿は鷹揚だが、その目に笑みはなく、値踏みするかのようにモリアを見据えていた。

 そんな男の際立った特徴は二つ。

 トサカのように舵輪が突き刺さった頭と、失われた膝下から伸びる一対の剣だ。

 男へ肩越しに振り返ったモリアは、途端に三白眼を見開かせた。

 

「まさか“金獅子”のシキか!? どこでそんな大物掘り出した!!」

「監獄の底で、ちょっとしたランデブーよ」

 

 肩をすくめたシキはいかにもいやらしい笑みを浮かべ、

 

「見込みのある部下がいるようでうらやましいぜ。おれは欲しいぐらいだ」

「……何だとォ?」

 

 おどけるような口ぶりに、モリアの怒気が移ろいだ。

 だがそれは、戦場において大きな隙となる。

 

「モリア! 前!!」

 

 モモンガの姿が掻き消え、次の瞬間、モリアの目前に出現する。

 

「“(ソル)”!」

 

 跳んだのだ。

 それこそ瞬間移動のような速度で間合いを詰めた敵が、刃を振りかぶる。

 

「チィ……ッ!」

 

 月光でかがやく二振りの刃がぶつかり合った。

 檄音。

 鋼鉄が衝突したような響きがとどろき、爆風のような威圧が周囲へ駆け抜ける。

 途方もない力にギーアはよろめき、その肩をシキが泰然と支えた。

 

「ジハハ! 戦場で気ィそらしてんじゃねェぞ、小僧ォ!!」

「てめェ!!」

「奪われたくなきゃしっかり守れェ! 安心しろ、お前がくたばったらベイビィちゃんはしっかり面倒見てやるからよォ!!」

「言ってろクソジジイ!!!」

 

 眼前の敵を睨みつけたまま、モリアの怒声が爆ぜる。

 太刀を支える腕が大きく膨らみ、渾身の腕力がモモンガを振り払った。宙を舞う海軍将校に、モリアは猛然と突きを抜き放つ。

 

「くたばれ!!」

 

 しかし屈強な海兵は、空中ですら隙を作らない。

 

「“月歩(ゲッポウ)”!!」

「!?」

 

 空気を蹴ったのだ。

 どれほどの脚力をもってすれば叶うのか。空気を破裂させ、放たれた矢の速度でモモンガは甲板へと急降下する。

 そびえ立つモリアにとって、それは死角だった。

 

「“飛倉武蔵(とびくらむさし)”!!」

「ぐォッ!!」

 

 伸び上がる斬撃がモリアを切り裂く。

 鮮血が舞い散り、相対する二人の足元を赤黒く染め上げた。

 

「巨体が仇となったな。その太刀捌きではおれに追いつけんぞ!」

「ぬかせェ!!」

 

 報復の一撃を、しかし海兵は動じることなく受け止める。

 一合。二合。幾度となく切り結び、そのたびに檄音が響きわたり、骨の髄までしびれる衝撃波が吹き荒れた。

 しかし、対決はモモンガが優勢であるように思われた。

 モリアの攻めが追いついていないのだ。

 巨体から繰り出される太刀は威力こそ絶大だが、体格差のある相手を追い詰めるには一つ一つが大きすぎた。かわされ、いなされ、時に隙をついたモモンガの刀が巨体を裂く。

 速度の差はあきらかだった。

 

(違う)

 

 ギーアは否定した。

 そうではない。モリアには速度の差を埋める、小回りのきかない巨体をおぎなう手管が本来はあるのだ、と。

 影を実体化させて操る悪魔の実、カゲカゲの実の能力だ。

 変幻自在に形を変える漆黒の分身を操って戦うのがモリアの本領だ。ある時はもう一人の自分に、ある時はコウモリの群れになるその力は、あらゆる間合いに応じることができる。

 その影が今、モリアの傍にない。

 

(ここに来るために)

 

 実体化した影、“影法師”にはモリア自身と位置を入れ替える能力がある。

 彼はその力によってどこか離れた陸地からこの船にやってきたようだが、それはつまり、影を遠く離れた場所に離してしまったということだ。

 モリアは今、本領を発揮できない戦いに臨んでいるのだ。

 

(私のせいだ)

 

 支えるべき主の足手まといになったという事実は、胸の奥に泥を流し込むような心地がした。だが敵がこちらの心中を察して手を緩めるはずもない。

 幾度目の攻撃か、ついにモモンガの刃がモリアの足を切り裂いた。

 

「ぐ……!」

 

 膝をつくモリア、その首へと刀が奔る。

 

「これで終わりだ!!」

 

 振り下ろされる刃は断頭台。風を割り、首を落とそうと斬撃がひらめく。

 

「モリア!!!」

 

 ギーアは叫ぶ。モリアの首が宙に飛ぶのを幻視したからだ。

 けれど宙を舞ったのは首ではなかった。

 

「……何ィ!?」

 

 モモンガだった。

 精悍な顔を驚愕に歪ませた彼が、コートをはためかせながら屈強な体を空中におどらせる。まるで釣り上げられた魚のような姿をさらす海兵。

 実際、モモンガが宙に飛んだのは一筋の線によるものであった。

 

「あれは……」

 

 長く黒いものが、モモンガの足裏から伸びていた。

 影だ。

 

「月光じゃ影が薄くてな……。苦労したぜ、てめェの影を掴むのはよォ!!」

「き、貴様!!」

 

 膝をついたのは傷ついたからではなかったのだ。

 戦いのなかでモモンガの影が伸びてくる位置に回り込み、相手に気付かれないように影へ手を伸ばすため、モリアは攻めに屈したかのように見せかけたのだ。

 モリアは堪えた風もなくく立ち上がり、掴んだモモンガの影をまるで鎖のように振り回す。

 

「うおおおおぉぉぉぉぉ!!」

 

 風を切ってモモンガが旋回する。それはやがてつむじ風を巻き起こし、彼の姿は残像に紛れて判然としなくなってしまう。

 振り下ろされたのは、その時だった。

 

「“黒星落とし(マケ・スティグマ)”!!」

「!!!?」

 

 さながら鉄槌。

 モモンガはその身をもって甲板を叩き割る一撃となった。

 

「…………!!!」

 

 悲鳴は崩落の音に呑まれた。

 分厚い木材はめくれ、立ち並ぶ牙のように立ちあがる。大小無数の破片と粉塵が吹き上がり、船内へといたる巨大な大穴が穿たれた。

 それこそ口のように開かれたそれは、手当たり次第に周囲のものを呑み込んでしまう。

 すなわち、モリアとモモンガだ。

 

「うぉ……!!」

 

 甲板を砕いた下手人への怒りとでもいうかのように、二人の姿が穴の中へ消える。

 

「モリア!」

「オイ待てベイビィちゃん!」

 

 肩を抱くシキを振り払い、ギーアは走り出した。

 雨のように降る木片もかえりみず、いまだ煙のあがる大穴へとギーアは飛び込む。ようやく再会できた主をふたたび見失う恐怖に突き動かされたのだ。

 巨大とはいえ船の中だ。そう間をおかず、船内の床に着地することができた。

 

「つれないぜベイビィちゃん。置いてくなよ」

「モリア! 大丈夫!?」

 

 追ってきたシキに目もくれず、ギーアはもうもうとあがる粉塵を振り払った。

 そこは明かりのない、やけに広大な空間だった。

 ギーアの入ってきた大穴からそそぐ月明かりだけが頼りである。周囲には壁があるはずだが、そこまでどれだけの距離があるのかさえ、はっきりと分からない。

 分かるのは、男たちがいまだに対峙しているということだけだ。

 

「しぶとい野郎だ」

「ナメるなよ海賊……! 我々“正義”は、“悪”に屈しない!!」

 

 注がれる光を横顔に受けて、男たちは変わらずに対峙していた。

 その身で甲板を割ったモモンガの姿は、いまやモリア以上に満身創痍だ。いたるところが裂けた軍服の下には裂傷がのぞき、純白の布地はそこかしこを赤く染めている。

 杖代わりにした刀をふたたび構え、モモンガはモリアに挑みかかろうとした。

 その時、

 

「んキィ~~~~~~ッ!! 何なんだえ~ッ、お前らはァ~~~~!!」

「っ!?」

 

 鳥の首をしめたような金切り声が耳をたたいた。ことさらに音をたてるような踏み鳴らしを幾度も重ね、暗闇の向こうから白い人影が現れる。

 それは肉塊のような男だった。

 胸にいくつもの勲章をくくりつけたローブは、ゆとりある作りをしているにも関わらず、内に秘めたぜい肉を隠さない。頬と顎下からたれさがる肉は首のくびれを埋め、しまりのない唇はあふれ出す唾でぬかるんでいた。

 かつて見たことがないほど醜い男である。しかしギーアの目は、男を捉えなかった。

 その手に握る鎖につながれた者たちへ向けられたのだ。

 

「ウゥ……ッ」

 

 少女たちだった。

 二本の鎖はそれぞれ少女たちを捕らえる首輪に繋がり、犬のように這う彼女たちを闇のなかから引きずり出す。

 一人は年ごろの背格好をした金髪の少女、もう一人はその半分にも満たないだろう幼い娘だ。どちらも踊り子のような衣装をまとい、傷とあざにまみれた肌をさらしている。

 だが金髪の少女の背には、体にあるどの傷よりも深い爪痕が刻まれていた。

 獣の足跡に似た焼き印である。

 

「……ッ!!」

 

 それが何か、ギーアは知っている。

 “天駆ける竜の蹄”と呼び習わされる、とある特権階級の紋章だ。それを刻まれるということは、その座にある者たちの所有物であると決定づけられる烙印なのだ。

 すなわち、この醜い男が何者なのかという証でもあった。

 

「“天竜人”であるわちしの部屋に入り込むなんて、不届きすぎるえ~~~~ッ!!」

 

 世に“世界貴族”とも呼ばれる、現代社会を築いた王たちの末裔だった。

 ギーアも話でしか聞いたことがない存在。しかし唾をまきちらしてわめくその姿は、聞き及んでいた噂が事実だったのだと思い知らされた。

 曰く、悪しき権力の権化。

 世界の創造主の末裔、神を自称する彼らは、常軌を逸した権力を有する異常な選民思考の持ち主だと聞き及んでいた。俗世を軽んじ、世界の国々から税を搾り取り、分別もなく我欲をまき散らす暴君だと。

 一般的に廃れた制度である奴隷を公然と売買し、従えるのはその象徴だ。

 

(まさか天竜人が乗ってるなんて……! どうりでこんなに海軍が護衛しているはずだわ!)

 

 海軍、そしてその上にある世界各国の共同体、世界政府は天竜人を守る。

 海軍艦隊に護衛されるほどの何がこの船にあるのかと思っていたが、なるほど天竜人がいるならば当然だ。海軍と天竜人の結びつきは非常に強固なものなのだから。

 

「お、お待ちください、我々は……!」

「喋るな下々民~~~~!!!」

 

 声をあげたモモンガに、天竜人はあまりある怒声でそれを塗りつぶした。

 

「わちしのコレクションルームを、お前たち下々民の汚い息で汚すんじゃないえ~~!」

 

 癇癪をおこした天竜人がわめく。どうやらこの部屋は天竜人の私室であるらしい。

 しかしコレクションルームとは何か。

 その疑問にギーアは闇の向こうへと目を凝らす。天井の大穴からそそぐ光だけが頼りの一室だが、それでも長くいれば目も慣れてくる。

 やがて暗がりの中にいくつもの形が浮かび上がり、

 

「!!!」

 

 見た。ギーアはそれを見出した。

 壁一面を覆いつくす、何段にも積まれた檻の棚を。

 それらすべてを埋め尽くす、首輪をした人間の群れを。

 

「う、ァ、ア」

「あうゥ……!」

 

 男がいる。女もいる。老いも若きも、肌の色も髪の色も様々だ。

 しかし誰もが痩せ衰え、落ちくぼんだ眼をこちらに向けて、ゆるみきった唇からとりとめのない嗚咽を垂れ流している。

 奴隷だった。

 

「まさか……!」

 

 信じがたい予感に突き動かされてあたりを見回す。その直感が正しかった。

 反対側の壁も、背後の壁も、天竜人の先にある壁も、すべてが奴隷で満たされた檻に埋め尽くされていたのである。

 ギーアは理解した。天竜人の言うコレクションとは何なのか。

 人間だ。この大部屋は、天竜人が所有する奴隷を集めた私室だったのだ。

 

「せっかく子供奴隷に印を捺すところだったのに、お前らのせいで失敗しちゃったえ~! どうしてくれるんだえ~~!!」

 

 天竜人のがなり声に、鎖でつながれた幼い娘が肩を震わせる。

 枯れ枝のような手足をふるわせる、本当に幼い娘だ。まだ烙印こそなかったが、骨が浮くほどやせ細り、薄汚れた薄桃色のざんばら髪からのぞく目は恐怖で見開かれ、濡れそぼっていた。

 娘は許しを乞うように天竜人を見上げ、

 

「なんだえ、その目は」

 

 しかし容赦で迎えられるはずもなかった。

 

「誰の許しでわちしを見てるんだえ~! 図々しいヤツだえ~~~~!!」

「おやめください、天竜人様……!」

「お前もなんで喋ってるんだえ奴隷ィ~~~~!!」

 

 娘をかばった金髪の少女が蹴り倒される。

 二度、三度、幾度となく天竜人の暴力が少女の背を踏み荒らす。闇に慣れたギーアの目は、その横顔が良く見えた。

 暴力に酔った人間の顔だ。

 自分は目の前の相手よりも上等で、ひざまずくこの生き物には何をしても良いのだと思い込んだ者の顔だ。思い通りにするためなら暴力をふるってもよいと、そう思っている者の顔だ。

 それに見覚えがあった。

 かつて自分を捕らえ、虐げた奴らの顔だ。

 百獣海賊団のクソども。そいつらの顔を百人分集めて煮詰めたような顔だ。

 

「…………!!!」

 

 そう思った時、五体が燃え上がるのを自覚した。白熱した思考は言葉を焼き尽くす。

 次の瞬間、ギーアはそのにやけ面を眼前にしていた。

 

「――は?」

 

 天竜人がこちらを見返す。しかしギーアはそれと向き合うことはない。

 弛緩した頬っ面に拳を叩き込み、床へと叩き伏せたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶげえぇ――――――――――ッ!!!」

 

 興奮した豚のような悲鳴がこだました。

 拳はたるんだ頬肉越しに頭の骨をとらえ、弓なりを描いて天竜人の頭をかたい床へ打ちつける。打撃は天竜人の頭をつらぬいて床へ届き、鐘の音にも似た轟音をとどろかせる。

 槌を振り下ろすかのような、呵責のない一撃。

 鋼仕込みの拳が鳴らす轟音は、その場にいるあらゆる者から声を奪った。

 

「………………」

 

 鎖につながれた女たちは、眼前のできごとに目を剥いている。

 暗がりの向こうで檻に閉じ込められている者たちもそうであった。

 モモンガなどは目玉がこぼれ落ちそうになるほど見開き、口を大きくあけて呆けてしまった。

 逆にシキは、いま行われたことにらんらんと目を輝かせ、頬を吊り上げて笑っている。

 誰も彼もがそれぞれの形で言葉を失っていた。それは次第に失われていく反響がついに聞こえなくなっても、変わることはない。

 だからギーアに言葉をかけることができたのは、たった一人だけだった。

 

「おい」

 

 彼女の主、モリアだけだった。

 

「……何よ」

 

 拳を打ち下ろした姿勢を正し、ギーアはモリアへと振り向く。

 頭に血がのぼっているのは自覚していた。天竜人に手を上げること、その意味を知らない人間はこの世界でまずいない。幼子にすら教え込まされる禁忌であったからだ。

 しかし、理性を焼く感情の火はそんな不条理をたやすく踏み越えさせた。

 悔いはない。そして彼は、これを責める人間ではないことも分かっていた。

 

「――よくやった」

 

 周囲の瞠目が今度はモリアへと集まる。

 だが彼はその一切を無視し、ギーアたちへと歩み寄っていく。手にした太刀を肩に乗せ、ギーアとは打って変わって何一つ感情の浮かばない目で天竜人を見下ろした。

 這いつくばってそれを見上げる天竜人は、まるで死にかけのヤモリのようだった。

 

「ギ……! 貴様、ら……!」

 

 腫れあがった頬をうごめかせ、鼻血とともに恨み言が吐き出される。

 

「下々民風情が……! こ、このわちしに……! 天竜人に手をあげて……!」

「だまれ、クズが」

 

 モリアから天竜人にかけられた言葉は、ただそれだけだった。

 彼が突き刺した太刀が、天竜人を権力ある者からただの肉塊に変えたからである。

 

「ア……!!」

 

 それは天竜人の断末魔だったのか、周囲の誰かがもらしたのか声だったのか、ギーアには分からなかった。ただ確かなのは、天竜人は一度大きくふるえて、それから二度と動くことがなかったということだけだ。

 打ち捨てられた五体の下から血があふれ出し、赤い水たまりが作られる。

 死が天竜人を満たしていた。

 当然だ。胴を貫かれて生きている生き物は存在しないのだから。

 

「……な、なんという事を!!」

 

 その事実を、モモンガもようやく飲み込むことができたらしかった。

 

「貴様ら!! 何をしたか分かっているのか!?」

「ジハハ、大変だなぁ海軍。こんなクズでも守らなきゃならねェか」

 

 海兵の怒号はまたたく間に気勢を失った。シキの嘲笑が彼に反論を許さなかったのだ。

 苦渋の表情を浮かべるモモンガ。しかしギーアにとってはどうでもいい事だ。彼が海兵として天竜人を肯定するしかない以上、相いれることはないのだから。

 それよりも問題は別にあった。

 

「准将ォー! ご無事ですかぁー!?」

 

 天井から声が降ってきたのである。

 

「この下は天竜人様のお部屋! それにさきほどの轟音、大丈夫ですか!?」

「……マズいわね」

 

 見上げた先にある天井の大穴、そこからのぞき込んでいるのは甲板の海兵たちだ。

 どうやら明かりのないこちらの様子は見えていないようだが、しかしこのままにしていれば彼らが突入してくるのは目に見えていた。何せ、彼らが守るべき天竜人が侵入者によって殺されてしまったのだから。

 しかも考える時間などギーアには与えられていない。

 

「お前たち!!」

 

 モモンガが声を張り上げたのだ。

 当然だ。この異常事態を部下に伝えない理由などありはしない。鍛えられた彼の声量は、傷付いた今でも健在であるようだ。

 モモンガを口止めする必要があった。さらに言えば、海兵たちをこの部屋から遠ざける手立ても。

 しかしそんな都合の良い手立てなどあるはずが、

 

「喋るな」

 

 そんなギーアの迷いを、モリアの太刀は切り捨てた。

 モモンガと彼の影を分断したのである。

 

「が……!?」

 

 天井の穴からそそぐ月明かりを受けたモモンガの影は、モリアのもとまで伸びていた。それは影を操るカゲカゲの実の能力を受けたモリアの刃にとって、格好の獲物でしかない。

 影を失ったモモンガは白目を剥き、床へと倒れ伏す。

 

「……死んだの?」

「いいや、気絶しただけだ。影を切り離すと、本体は数日間意識を失う」

 

 そう言ったモリアの手には、分断されたモモンガの影が握られていた。黒一色の人型は、大きな手から逃れようと手足をばたつかせている。

 しかしそれは、影の支配者を前にしては意味をなさない抵抗だ。

 

「しずまれ、海兵の影!」

 

 ただその一言で、影は動くことをやめてしまう。

 本体がいかなる人物だったのかは問題ではない。カゲカゲの実の能力で実体化した時点で、モリアには強制力があるのだ。

 だから次に彼が行うことも、モモンガの影は受け入れた。

 天竜人の影に押し込まれたのである。

 

「起き上がれ、おれのしもべ」

 

 死体に叩きつけられた影は、あっという間にその中へと沈み込んでいく。

 その直後だ。天竜人の体が動き出したのは。

 

「ひ……っ!」

 

 目の前の出来事に呆然としていた女たちがすくみあがった。

 無理もない。胸を貫かれ、血まみれになった人間が起き上がれば恐ろしくもなるだろう。それはまぎれもなく、ゾンビなのだから。

 

「お呼びですか、ご主人様」

 

 ゾンビは青ざめた顔でモリアを仰ぎ見る。そこに生前の傲慢さはかけらもない。あるのは実直なまでの誠実さだ。まるでたたき上げの海兵を思わせるような。

 ギーアは知っている。モリアの能力で動くゾンビの性格は、肉体ではなく仕込まれた影に由来するのだと。

 その意味では、モモンガの実直さと命令に忠実なゾンビの性質は相性が良いのかも知れない。

 

「最初の命令だ。天竜人の真似をして海兵どもを遠ざけろ」

「かしこまりました」

 

 そして下されるモリアの命令。頷いたゾンビはやおら天井を見上げ、

 

「貴様らァ~~~~~~ッ!!!」

 

 張り上げられた声に、大穴からのぞく人影の肩が震えた。

 

「その声は、天竜人様!?」

「ご無事でしたか! 下の様子は? モモンガ准将はどちらに!」

「黙れ下々民!! わちしに口をきくなど、無礼にもほどがあるえ~~ッ!!」

 

 かつて天竜人だったものは、いかにもそれらしい物言いで彼らをののしった。

 

「わちしを見下ろすなど無礼すぎるえ! もうその大穴には近づくんじゃないえ!!」

「し、しかし……!」

「口答えする気かえ~! わちしのコレクションルームも守れなかったグズどもが、わちしのまわりをうろつくんじゃないえ!!!」

「か、かしこまりました!!」

 

 度重なる怒声を受けて、ついに大穴をとりまく人影は姿を消した。続いてあわただしい足音が響き渡り、遠ざかっていく。

 甲板にいた海兵たちが離れていった証拠だった。

 

「ご命令通りにしました、ご主人様」

「よし、これでしばらくはもつだろう」

 

 天竜人のふりをやめたゾンビに、モリアは頷く。それが愉快だったのか、近づいてきたシキはゾンビをまじまじと眺める。

 

「便利な能力だな。死体を操るのか」

「カゲカゲの実の能力だ」

 

 問いに短く答えるモリア。それからも二人は何か喋っているようだったが、しかしギーアはそれに耳を傾けなかった。それよりも優先すべきことがあったからだ。

 いまだ呆然とこちらを見る、首輪をされた女たちである。

 

「――大丈夫?」

 

 ギーアの問いに、彼女たちは答えられなかった。ただ震えながら、こちらを見上げている。

 目の前の出来事に理解が追いついていないのは明らかだった。

 

「……鍵を探してくるわ。すぐにその首輪も外してあげる」

 

 彼女たちの目にようやく理性の光が戻ったのは、その一言をかけてからだった。

 

「あ、あなたたちは」

「何?」

「わたしたちを、助けてくれるんですか……?」

「少なくとも、首輪を外してここから出してあげるわ」

 

 その瞬間だ。幼い方の少女が泣き出したのは。

 金髪の少女はそれをなぐさめるように肩を抱いたが、しかしすぐにこらえきれない涙で頬を濡らしてしまう。

 

「ありがとうございます……ありがとうございます……!」

 

 少女たちはうわ言のように感謝を繰り返す。

 一体どれだけの時間、彼女たちは奴隷であることを強いられていたのだろう。寄り添い合って嗚咽する彼女たちの姿に、かつての自分が思い出され、ギーアもまたわき上がる感情が溢れそうになった。

 それでも口をむすんで堪え、ふたたび娘たちに問いかけた。

 

「あなたたち、名前は?」

 

 すぐには答えられなかった。嗚咽が激しかったからだ。

 だがせめてもの報いと思ったらしい。金髪の娘は真っ赤に泣きはらした顔を上げて、くぐもった声で答えた。

 

「――わたしはステラ。この子は、ペローナといいます」

 




お久しぶりです。更新を滞らせており、申し訳ないです。
やっとこ船の謎を明かすところまで話が進み、戦闘にもひと段落つけることができました。次は出そろったメンツで話し合いタイム。

多分次はヒロアカssの方を更新します。今月中に出したいですが、さてはて。





感想や評価をいただけますと、当方とても喜びます。


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彼と彼女の"旗揚げ"

「落ち着いたみたいね」

「はい。泣き疲れたようで……」

 

 床に腰を落としたギーアは、隣に座る少女の膝へ目を向ける。

 そこにはひどく痩せ衰えた幼い娘がいた。骨と皮だけと言ってもいいほどやつれたその娘は、しかし今は小さな寝息を立て、やすらかな顔をうかべて眠っている。

 伏せた目元は赤く腫れ、濡れた頬は直前まで涙を流していたことがうかがえる。

 

「この子が、ペローナがこんな顔で眠るのははじめてです」

 

 だがそれは膝を貸す少女も同じだった。

 波打つ金髪の下には、いかほどの肉もないやせ細った体がある。傷とあざにまみれた肌は、その背に獣の足跡を思わせる焼き印が捺されていた。

 特権階級、天竜人の奴隷である証だ。

 

「……ありがとうございます」

 

 金髪の少女は、名をステラといった。顔を見ると、彼女はあざの残る首を撫でてこちらを見返していた。

 

「私たちを解放してくれて……本当に、本当にありがとうございます」

「いいのよ」

 

 瞳をうるませるステラのかたわらには、鎖でつながれた首輪が二つ落ちている。

 彼女たちを縛っていたものだ。鍵穴にはギーアが見つけてきた鍵が刺さったままになっており、少女たちに奴隷を強いる拘束具としての機能はすでに失われていた。

 くびきから解かれた彼女へ、ギーアは微笑みを向ける。

 

「――私もね、似たようなものだったから」

「…………そう、ですか」

 

 それだけですべては伝わった。

 ステラは目を伏せ、こらえるように唇を結ぶ。ちいさく肩をふるわせる様子は、ひどく辛いものを頭の中で思い浮かべていることを如実にうかがわせる。

 それができる彼女を、ギーアは胸の中で讃えた。

 

(賢い、そして優しい人)

 

 自身もまたひどく虐げられているはずなのに、言葉一つで相手に共感できる心を彼女は失っていなかったのである。

 それだけで、ギーアが彼女を好ましく思うには十分だった。

 

「でも、大丈夫なんですか」

 

 そんな彼女は、上目遣いでこちらを問う。

 

「――天竜人を手にかけるなんて」

「あぁ、それね」

 

 短く答えたギーアは天をあおぐ。

 顔をしかめ、小さくうなって、それから吹っ切れたように晴れやか顔でステラを見る。それは眉尻を下げた、力の抜けた笑みだった。

 

「まぁ、何とかするわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、話はすんだか」

 

 そこへ彼が声をかけてきた。

 小山のような大男だ。青白い肌を薄暗い闇のなかに浮かばせ、鬼もかくやという悪相でこちらを見下ろす彼は、あぐらをかいて対面に座っている。

 凶悪な三白眼にステラは肩をすくめたが、ギーアは動じることなく応えた。

 

「急かす男は嫌われるわよ、モリア」

「ぬかせ。こっちはお前が鍵を見つけるまで待っててやったんだぞ」

「ジハハ! 図体のわりに細かい男だぜ!」

 

 そこへ割り込んできたのは、ギーアの隣に座り込む男だった。

 滝のような金髪を伸ばす壮年の男は、頭に舵輪を、膝から下を失った両足に剣を突き刺す異様な風体をしていた。あきらかな致命傷をいくつも抱えて、しかし平然と彼は笑う。

 その男に、モリアは苛立たしげに鼻を鳴らす。

 

「うるせェぞ、クソジジイ。誰もてめェに話しちゃいねェよ」

「つれない若造だぜ。格上のいう事は素直に聞くもんだ」

「ンだとォ……!?」

「やめなさい、モリア」

 

 にわかに険しくなった二人の掛け合いに、ギーアは口をはさむ。

 

「シキも、あまり挑発しないで」

「ベイビィちゃんが言うなら仕方ねェな! ジハハハハハ!!」

 

 壮年の男、シキは笑ったが、一方のモリアは頬杖をついてそっぽを向いてしまう。

 まるで図体ばかり大きくなった子供を相手にしている気分だ。これでどちらも、ひとたび立ち上がれば手に負えないほどの大海賊なのだから始末に悪い。放っておけば血を見るのはあきらかであった。

 どちらにも付き合いのある自分が取り持つしかない。

 そのことに肩を落としてため息をつき、円陣をかいて座る面々を見回した。

 自分。

 ステラとペローナ。

 シキ。

 モリア。

 そしてそのかたわらに、ひどく醜い男が一人。

 

「………………」

 

 白いローブを血で染めたその男は、土色の顔をさらしながら、何でもない風に立っている。人間であれば、とても生きていられない傷を負っているにもかかわらず、だ。

 だがそれもゾンビであれば話が違う。そもそも生きていなければ、どれほど傷ついても立っていられるのは当然だ。

 モリアの後ろに控えるそれを、ステラは恐ろしげに見ていたが、一方でシキはにやにやと面白そうに眺めていた。

 

「それにしても、天竜人を始末するとはやるじゃねェか。そこは認めてやるぜ」

「フン」

 

 称賛に対し、しかしモリアは半眼でシキを睨んだ。

 どうも今のは本心から出た言葉らしかったが、彼はそれを素直に受け入れられないらしい。まるで毛を逆なでされた猫のように苛立った様子で、三白眼がさらに険しくなる。

 想像以上に二人の相性は悪かったようだ。

 あるいはこれが、人の上に立つ気質を持った者が出会った時の必然なのかもしれない。

 

(男ってのはコレだから……)

 

 思わず頭を抱えたくなったが、つとめてそれを抑える。

 それからかつて天竜人と呼ばれていたゾンビへと目を向けて、

 

「船とその衛兵たちの主は押さえた」

 

 次に、円陣の外で倒れ伏す男を見る。

 

「海兵たちのトップも黙らせた」

 

 倒れていたのは、“正義”の二文字を刻むコートを羽織る屈強な男だった。

 彫りの深い顔を苦悶するようにゆがめながら目を伏せてる彼は、いたるところを血で染めた傷だらけの様相であったが、その背は浅く上下していまだに息があることを示している。

 ギーアを追い詰め、モリアに敗れた男。海軍将校モモンガだ。

 モリアが持つ悪魔の実の能力、カゲカゲの実の力によって影を奪われた彼は、その場で気絶したのだ。聞くところによれば、影を失うとそれから数日は意識が戻らないらしい。

 

(あんたの影は有効に使わせてもらうわ)

 

 彼の影は天竜人の死体に入り込み、ゾンビとして動かすための原動力になっている。

 ギーアたちがいるこの巨船の持ち主であり、取り囲む海軍艦隊の警護対象である天竜人の肉体を自由に操れる以上、自分たちの安全は当面のあいだ確保されたと言えるだろう。

 しかしそれも限りがある。

 

「この船が目的地に着いたら、もう誤魔化せない」

 

 そもそも、だ。

 

「――この船団はどこに向かってるの?」

 

 ギーアとシキは、飛行する最中に偶然遭遇して潜入した。モリアは自分のビブルカードで行き着いた。つまり自分たちは、この船団の目的をまったく知らない。

 今も進み続けるこの船がどこに向かっているのか。到着するまでどれほど猶予があるのか。

 それを知るのは、この場で一人だけだ。

 

「……この船は、オークションに向かっています」

 

 三人の視線を一身に受け、ステラは体をすくめながら答えた。

 

「ご主……天竜人が言っていました。何でも、世界最大級の船が競売にかけられるとか……」

「最大級の船だァ?」

「は、はい」

 

 噛みつくようなモリアの問いかけに、ステラは声までふるえあがる。

 とがめる視線をギーアは向け、それを受けたモリアは小さく舌打ちして視線を泳がせた。すがるようなステラに励ましの眼差しを送ると、彼女は少しだけ緊張を解いた様子で言葉を続ける。

 

「その船と、あと他にも売り出される財宝を買い占めるために、天竜人は海軍を引き連れて出発しました。……目的地に着くまで、あと一週間もかからないでしょう」

「そこまで分かるの?」

「海軍が、通信で話していましたので」

 

 え、とギーアが声をあげた時、ステラの姿が変貌した。

 二本の足が一つにまとまり、腹から一つながりになった寸胴な下半身になる。背はやや丸くなり、腰から下が後方に向かってただれたように伸び、滑り台に似た輪郭を描く。

 だがそこにはいつの間にか渦を巻く殻があらわれ、巨大なリュックを背負っているかのような形となる。

 なかば人以外のものとなった彼女の姿に、しかしギーアは見覚えがあった。

 ある動物に似ていたのだ。

 

「……電伝虫?」

「悪魔の実ですよ、ギーアさん」

 

 電伝虫とは、遠地と通話する能力を持った家畜である。ステラは、またたく間に胸から下が電伝虫のそれへと変容してしまったのだ。

 人の形を保つ顔に浮かぶ力のない笑みに、ギーアは声をかけようとした。

 しかし、

 

「ほう。ムシムシの実モデル電伝虫ってところか」

「いい“能力(もん)”もってんじゃねェか、お嬢ちゃん」

 

 男どもは口々にステラの能力を讃えるものだから、ギーアは彼らを睨みつけるしかない。彼女がその能力と容姿を好ましく思っていないことに気付いていたからだ。

 だがモリアたちはそれをものともせず、口々にステラへ言葉を投げつける。

 

「その能力でほかの電伝虫の通信を傍受したのか」

「というより、あの子たちにお願いして送った念波の内容を教えてもらうんです。この能力を得た時から、私は電伝虫と直接話せるようになったので」

「なるほどな。人魚や魚人は魚と話し従えることができるが、それを電伝虫相手にできるようなったってことか」

「しかしどこで悪魔の実なんぞ食ったんだ、お嬢ちゃん?」

「……大分前に、天竜人に余興で」

 

 うつむく彼女の顔に深い影が差す。奴隷として無理やり与えられた能力、それが彼女の言動から意気を奪う原因だったのだ。

 ことさらに弱弱しくなったステラ。それを老獪なシキが見逃すはずもない。

 

「するってェと、そのおチビちゃんも能力者かい?」

 

 眠るペローナに水を向けたシキに、ステラははじけたように面を上げた。

 

「こ、この子のことはどうかそっとしてあげてください! その分、私が働きますから!!」

「そいつァ感心だ。お嬢ちゃんがしっかりしてりゃ、たしかにおチビちゃんに起きてもらう必要はねェなァ」

 

 肩を揺らす男の笑みは、まさに悪党そのものであった。

 

「聞くが、お前さんは電伝虫の通信内容に手を入れることはできるのかい?」

「……はい。前もってあの子たちにお願いすれば、念波を書き換えて相手に送ってくれると思います」

「そいつァいい。じゃあ早速お願いしてもらおうじゃねェか」

「……この艦隊の海兵たちと、船団の目的地にいる海兵たちの通信を改ざんするんですね?」

「分かってるじゃねェか! 賢い女は好きだぜェ、ジハハ!!」

「待ちなさいシキ! ステラに海賊の片棒を担がせるなんて……」

 

 思わず身を乗り出し、ギーアはシキを咎めようとした。だが言葉は語気を失い、語尾まで言い切ることなくかき消えてしまう。

 ステラの言ったことに疑問が生まれたからだ。

 

「……目的地にいる、海兵?」

「天竜人を警護する海兵が連絡をとりあう相手なんて、他にいねェだろう?」

 

 答えたのはモリアだった。

 

「天竜人が出張るほどのオークションとなれば、他にも要人が集まっているだろう。そいつらの警備も含めて、会場には大勢の海兵どもが詰めてやがるに違いねェ」

 

 いかにも重苦しく、彼は言葉は続けた。

 

「十中八九、この艦隊と同等以上の兵力が目的地に待っているはずだ」

「……このまま手をこまねいていたら、待ち受ける敵のど真ん中に突っ込むってこと!?」

「そういうことさ。だから、ちょっとでもこっちの情報が漏れるのはマズいんだよ」

 

 シキは体を固くしたステラを覗き込むようにして、言葉を続ける。

 

「分かるな? お嬢ちゃん」

「……はい」

「なァに、迷うことはねェ。海軍がおめェらを守っちゃくれねェってのは、身に染みて分かってるだろう? そんな奴らに義理立てすることはねェよ」

「シキ!!」

「いいんです、ギーアさん」

 

 立ち上がろうとしたこちらの手を、しかしステラは掴んで留めさせた。

 振り向けば、やはり力のない表情を彼女は浮かべ、物憂げに首を横に振っていた。

 

「もう私は、奴隷でいることなんてできない。……この子に、また辛い顔をさせることも」

「……でも……」

「やります」

 

 その声は悲壮で、それだけにこれまでで一番力のある声だった。

 首輪から解かれたステラには、膝の上で眠るペローナの髪をすく彼女には、もはや譲れない確かな思いが芽生えていたのである。

 

「この艦隊の電伝虫たちに、今後私たちのことを目的地に伝えないようお願いします」

「確かにやってくれるんだろうな、電伝虫は」

「やってくれます。――そうなるように、お願いします」

「頼んだぜェ、お嬢ちゃん」

 

 口では頼るようなことを言うシキだったが、その目には冷酷で無慈悲な光が輝いていた。

 もし果たせなければ、あるいは裏切ることがあれば手を下すことをためらわない。大海賊として名をあげた無法者に相応しい、悪辣な本性があふれ出しているのだ。

 彼は少女を威圧していたのだ。

 

(ステラ)

 

 歴戦の猛者に気圧され、それでも少女は健気に向き合っていた。

 彼女もまた、自分とかたわらの幼い娘のために、反旗をひるがえすと誓ったのだから。

 ただ守られなかっただけのこれまでと、牙を剥くこれから。その違いを理解できない彼女ではない。奴隷に貶められてなお失わない知性がステラにはあったからだ。

 それでも言葉にした決意が、傷付いた彼女自身を支えている。

 

「……このままじゃ逃げられなくなるわね。なにか脱出の方法を考えないと」

 

 もはや彼女を庇うことも励ますことも不毛であった。

 ここに至っては彼女が振り絞った決意に応え、この場所から抜け出す術を見つけ出すしかない。

 だが、

 

「キシシシシ、何言ってやがる」

 

 唐突に、彼が笑い出した。

 

「モリア?」

「天竜人がつられるほどのオークション、面白ェじゃねェか。その世界一デカい船とやら以外にも、値打モンが山ほどあるんだろう?」

「な、何言ってるのあんた? まさか……」

 

 悪い予感に背筋を走った。

 外れてほしかった。しかし得てしてこういう時の予感とは、的中するのが常なのである。

 

「決まってんだろうが!! ――船も宝も奪って逃げる!!! おれたちは海賊だぞ!!!」

「はァ!!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「正気!? 今でも軍艦に囲まれてるのよ!? ここから更に大勢の海兵がいる場所に、自分から突っ込もうっての!!?」

「バカ野郎!! 海賊が命惜しさに宝を諦めてどうする!!!」

 

 思わず張り上げた声は、しかしより大きな声でもって塗りつぶされた。

 

「そんだけのオークションだ、他にも要人も多いだろう。その中に入り込めば、海軍も足を引っ張られて動きが鈍くなるに違いねェ」

「入り込むって……船から顔を出した時点で取り押さえられるわよ!」

「そこでこのゾンビよ」

 

 モリアが指差したのは、かたわらに控える天竜人のゾンビだ。

 

「こいつを表に立たせて、おれたちは衛兵か奴隷に化けて忍び込む。それで宝を奪い、船も奪ってトンズラよ」

「そんな無茶な!」

 

 開いた口がふさがらないとはまさにこのことだった。となりのステラにいたっては、目を皿のように丸くして言葉を失ってしまっている。

 信じられない豪胆さだ。無謀と言ってもいい。

 身の安全をかえりみず、宝のために圧倒的な兵力差の相手に挑むなど、言われるまで想像もしなかった。

 

(――これが海賊!!)

 

 欲のためなら分の悪い賭けも挑む生き方。無法の世に生きる無頼の価値観は、一国の兵隊長として合理性に凝り固まっていたギーアに、頭を殴りつけられるのにも等しい衝撃を与えた。

 

「正気じゃない……」

「まともじゃ海賊はつとまらねェよ、ベイビィちゃん」

 

 あごひげをしごくシキが、含み笑いとともにつぶやく。

 どうしようもなく楽しそうな顔でモリアを見上げた彼の目は、無鉄砲な主張を値踏みするかのように鋭い光を放っている。

 

「――その意気や良し。一端の海賊ではあるようだな、若造」

「当たり前だ、おれを誰だと思ってやがる」

「だが兵力が足りねェな」

 

 取り残されたこちらをよそに、二人の男は話を進めていく。

 

「おれとお前にベイビィちゃん。三人対数千人じゃ話にならん」

「問題ねェ。ゾンビを増やす」

 

 モリアの目がかがやいた。

 闇のなかにも浮かび上がるほどの眼力が、頬まで裂けた凶悪な笑みを見せつける。それはまさしく、世に悪名をとどろかせる海賊に相応しい悪相だった。

 舌なめずりをしながらモリアは答える。

 

「この船の連中を皆殺しにして死体を揃える。影は……ここの連中を使おう」

 

 言って、モリアはあたりを見回した。

 広大な部屋を満たす影の向こうにひそむ彼らを見出すように。

 

「ひ……っ」

 

 これまで息を殺して様子をうかがっていた者たちが、おびえたように息を呑む。

 一室に満ちる暗闇の先には、棚のように鉄製の檻が積み上げられている。右も左も、前も後ろもすべてだ。何段もある鉄格子が、まるで壁であるかのように辺りを埋め尽くす。

 そして、いずれの檻も中に人間を閉じ込めていた。

 

「うぅ……っ」

 

 かつてのこの部屋の主、天竜人があつめた奴隷たちだ。

 誰も彼もが首輪をはめられ、やせ細った体を闇のなかにさらしている。傷とあざに埋め尽くされた肌はくすみ、落ちくぼんだ目はひどくおびえた視線をこちらへ向けていた。 

 老若男女、人種も様々な奴隷たちを一瞥し、モリアは鼻を鳴らす。

 

「肉体は鍛えられた兵士、中身は心の折れた奴隷。さぞかし良いゾンビが出来上がるだろうよ」

「決まりだな。そうとなれば、海兵どもを仕留める策を練るか」

 

 シキは頷き、モリアと向き合って話し込んでしまう。

 だがギーアは、そんな彼らにすくみあがる奴隷たちから目をそらすことができなかった。

 

(この人たちから影を奪って、私たちだけ逃げるの?)

 

 彼らはモリアの能力を知らない。

 だが“何か”されるということだけは伝わっているのだろう。あるいは、具体的に何をされるかが分からないだけにより一層の恐怖があるのかもしれない。

 そんな彼らから、奴隷に貶められた人間から、更に搾取して捨て置くのか。

 

「ねぇ、提案があるんだけど」

 

 そう思った時、ギーアは口を開いていた。

 

「あぁ?」

 

 怪訝そうな男どもにギーアは告げる。

 

「――彼らも戦力に加えましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何ィ?」

「オイオイいきなり何言い出すんだいベイビィちゃん」

 

 モリアは目を細める。シキなどは、薄ら笑いを浮かべて肩をすくめていた。

 だがしかし、ステラだけは真摯なまなざしを向けている。

 ギーアが何を言いたいのか、その意図を理解しているがゆえの、あざけるところのないまっすぐな瞳であった。

 だから彼女に頷きを返し、男どもを尻目に立ちあがって辺りへ視線を投げかける。

 檻に入れられた奴隷たちへと。

 

「貴方たち、ここで一生を終えるつもり?」

 

 問いに、檻の中の者たちは肩をふるわせる。

 

「私たちは、別にあなたたちを助けにきた訳じゃない。このまま黙ってるなら、あなたたちから更に奪って見捨てていくだけの海賊よ。――だから、選びなさい」

「な、何を」

「奪われるだけの奴隷で終わるか、それとも海賊として生き延びるかをよ」

 

 奴隷たちのつぶやきに、ギーアは答えを打って返した。

 

「私たちについて一緒に戦うなら、この檻から連れ出してあげる。ただし、その時は海賊よ。海軍に追い立てられ、いつ殺されるかも分からない犯罪者になってもらう」

「そ、そんな……!」

「それよりも奴隷がマシだって言うなら、私たちもいらないわ。ここに残ればいい」

「……!!」

 

 にべもない断言に沈黙が生まれた。

 押し黙る奴隷たち。しかしややあってから、震えた声があがる。

 

「む、無理だ」

 

 檻の中の誰もが顔を青ざめさせ、すすり泣く者さえいた。

 声をあげた誰かの答えに弱弱しくうなずき、続く言葉をまた誰かが言う。

 

「お、おれたちなんかに、どうにかできる訳がない……!」

「無駄だギーア。こいつらは心が折れている。何を言っても、何もできやしねェよ」

 

 侮蔑するモリアの呼びかけに、しかしギーアは胸を張った。

 

「あら、ここに一人、誰かさんの言葉で立ち上がった人間がいるけど?」

「おめェとこいつらじゃ出来が違う。大体、おれが影を奪った人間は太陽の下に出られなくなる。こいつらを表に連れ出すことなんざできねェよ」

「陽に直接当たらなければいいんでしょう? それなら私に考えがあるわ」

「何ィ?」

「上手くいけば数を増やすだけじゃない、一人一人の戦う力を強められる」

 

 だから彼らが必要だ。そのために、彼らを奮い立たせる言葉がいる。

 かつてギーアがモリアのおかげで立ち上がることができたように、今度は自分が彼らの心に灯をともすのだ。

 自分を虐げる敵へ、世界へ、反逆する意思を。

 

「――顔をあげなさい」

「ウゥ……!」

「ここにいる全員が力を合わせれば、自由になれる。それにはあなたたちが自分の意思で立つ必要があるの。いつまで心を折られているつもり?」

「だから、おれたちは……!」

「しっかりしなさい!!!」

 

 気炎の叫びがこだました。

 

「自由が欲しくないの!? 奴隷のままずっと生きていくつもり!!? そんなのは生きてるとは言わない!!!」

「!!!」

「“人間”でありたいなら!!! 自分の生きる世界を勝ち取ってみなさい!!!!」

 

 数十、いや、百人をこえる視線があつまるのを感じた。

 まるで肌を焼かれるような思いがする。格子の合間から向けられる数多の視線が、そのいずれもが内に秘めた熱量を矢のようにしてこちらへ放っていたのだ。

 それまではなかったものが、今はある。

 意気だ。

 生きようとする意志だ。

 冷え切った奴隷たちの心身にみなぎる力が、あふれ出し始めているのだ。

 

「――そうだ」

 

 声があがる。

 はじまりは弱く、しかしすぐに力を増し、数を増す。またたく間に重なって部屋に響く。

 

「おれたちは“人間”だ」

「“奴隷”なんかじゃない」

「自分が生きる場所は自分で決められる」

「生きる場所は……! こんな檻の中じゃない!!」

 

 いつしか、部屋を満たす闇はらんらんと輝く瞳の群れによって照らされていた。

 

「出してくれ!! おれたちを!!」

「おれたちも戦う!! ――あんたたちについていく!!!」

「このクソッタレな世界をぶち壊して!! 生き延びてやる!!!」

 

 草むらに広がる火のような勢いだった。

 寒々しかった部屋は、今や心を取り戻した人間の気迫によって満たされようとしていた。

 

「――モリア、戦力二倍よ」

「チッ、勝手に話を進めやがって。船長はおれだぞ」

 

 そう言うモリアだったが、しかし腕を組んで彼らを見る表情には燃えるような笑みがある。

 

「いいだろう。だが、ふるいにはかけさせてもらうぜ。海賊として生きる覚悟がない奴はおれの部下にはいらん」

 

 彼の言葉にギーアは頷く。

 結局のところ、彼らを受け入れるかどうかを決めるのはモリアだ。ギーアにできるのは、折れた心を立ち直らせて試されるところまで背中を押すことだけである。

 それを善行だとは思わない。選ばれたところで、海賊という日陰者になるだけだからだ。

 だが奴隷として一生を終えるよりはマシなはずだ。ギーアはそう思う。

 その程度には、自分もまた“悪党”なのだ。

 

「じゃあ今から檻を開けて回るわ」

「それには及ばねェよ」

 

 ギーアはステラたちの鍵を見つけた場所へ向かおうとした。だがその目前を、鉄色のひらめきが横切っていく。

 鍵だ。

 無数の鍵がひとりでに空を飛び、檻やその中にいる者たちの首輪の鍵穴に突き刺さる。

 次の瞬間、施錠の解ける音が唱和した。

 

「ジハハ、受け取れゴミクズども」

 

 シキだった。

 彼がみずからの能力、フワフワの実の力によって無数の鍵をそれぞれが対応する鍵穴へと飛ばし、閉じていたそれらを解き放ったのである。

 それは奴隷だった者たちにとって、歓喜の瞬間だった。

 

「……やった」

 

 格子の扉が勢いよく開かれる。

 

「……やったァ―――――!! 自由だァ――――――!!!」

 

 飛び出す彼らはもはや奴隷ではない。

 主はいない。くびきもない。今ふたたび、人間として自らの足で立つことができたのだ。

 

「……ありがとう、シキ」

「クソジジイが。余計なことしやがって」

「良いってことよ。これでどうなるか見物だぜ」

 

 くしくも同じタイミングで正反対の言葉を告げたこちらに対し、シキは頬を吊り上げながら答えた。

 

「解放奴隷を従えたガキどもがどこまでやれるか、付き合ってやるのも悪くない」

「……獲った獲物は山分けしてやる。だが、船はおれたちのものだぞ」

「いいぜ、おれにも自分の海賊団がある。お前らの行く末を見届けたら引き上げるさ」

「同盟結成ね」

 

 男たちが手を結ぶのを見届けて、それからギーアは抱き合う周囲の人々を見渡す。

 その様子にひとつ頷いて、一人ごちるようにつぶやいた。

 

「モリア。これがきっと私たちの旗揚げになるわ」

「あぁ、そうだな」

 

 こちらの言葉に首肯して、彼は吼えるように声をとどろかせた。

 

「やるぞ野郎どもォ!! てめェの人生はてめェで奪い返してみせろォ!!!」

「オオォ!!!」

「欲しいもんは奪い取れ!! おれたちは!! 海賊だ!!!」

「ウオオオオオォォォォ――ッ!!」

 

 押し寄せる解放された者どもの叫び。

 dがそれに負けない咆哮をあげて、モリアは拳を振り上げた。

 

「――獲りに行くぜ!!! 船を!!! 宝を!!!!」

 




ミーティング回。解放・決起・襲撃はワンピの華。

原作にいそうでいない、二次創作にありそうで見かけないあの動物になる能力を出してみました。結構便利だと思うんですよね。
スリラーバーク的にはどちらかというとナメクジとかの方が「それらしい」と思うんですけど、まぁそれはそれ。あと本当なら顔面も目が飛び出したり口がでかくなったりすると思うんですけど、女子にそうさせるのは忍びないので許して。ブラックマリアだって人獣型は下半身だけだったし。





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モリアの“ふるい”

「来たわよ、モリア」

「ああ、見えてる」

 

 夜空を見上げるギーアにモリアは応じた。

 それから間もなく、見上げるほど大きな塊が甲板に降りてくる。

 闇夜を飛行してきた黒塗りの人影だ。その正体は、

 

「よく戻った、俺の“影法師”」

 

 モリアに宿る悪魔の実の能力により実体化した、彼の影だ。言葉こそ発さないが、その姿はモリアと瓜二つである。

 主であるモリアの出迎えに、“影法師”は肩を揺する。

 どうやら笑っているらしかった。

 

(本体と違って陽気よね)

 

 だがその手にあるものを見れば、余人は不気味さに恐れをなすだろうとギーアは思う。

 土色に干乾びた死体が握られていたのだから。

 

「よしよし、忘れずにリューマの死体を持ってきたな。お前との“入れ替わり”でここに来たおれでは持ち込めなかったからな」

 

 “影法師”から手渡された死体を掴み上げたモリアは、凶悪な顔に残忍な笑みを浮かべた。

 死体の風体は独特だった。

 色あせた髪でマゲを結い、薄布で作った着物をまとう姿は、遠い異国、ワノ国の格好だ。

 しかも腰から下げた一振りの刀は、その死体がワノ国の代名詞と言うべき存在だと証明している。

 

「ワノ国の戦士、サムライは強大な戦力。使わない手はないものね」

「ああ、しかも今は丁度よく強者の影が手元にある」

 

 モリアはかたわらに控える者を見た。

 みにくい男がそこにはいた。血の気の失せたぜい肉をローブに包んだ男は、よどんだ瞳で押し黙っている。

 モリアの能力で作られたゾンビである。

 生前は天竜人という特権階級として横暴にふるまった者のあわれな末路であった。

 

「いつまでも雑魚の中身にしておくのは宝の持ち腐れだからな」

 

 そう言ってモリアはリューマの死体をかかげ、声高に命令を下した。

 

「――出てこい、ゾンビの中の影よ! お前の新たな入れ物はこのサムライ・リューマだ!!」

 

 その瞬間、天竜人のゾンビが跳ねた。

 

「アッ!!」

 

 背をのけぞらせ、大きく開かれた口が天をあおぐ。その奥から這い出すものがあったからだ。

 漆黒のものである。

 モリアの能力で実体化した影だった。

 はらわたを引きずり出されたように震えるゾンビ。影はゾンビの原動力なのだから、そのような反応がでるのも当然なのかもしれない。

 

(ゾンビは、切り離された影によって動く)

 

 モリアが持つカゲカゲの実は、本来投影にすぎない影を形にし、時として本体から奪うことができる。そうして分かたれた影を死体に仕込めば、ゾンビという動く死体の完成である。

 ゾンビは支配者であるモリアに従順だ。

 だからこそ、下された彼の命令を忠実に実行する。

 

「ア……ッ!!」

 

 ついに影が死体から引き剝がされた。

 飛び上がった影がリューマの死体に吸い込まれるのとほぼ同時に、支えを失った天竜人の死体が甲板に倒れ伏す。

 そして中身を得た死体は動き出した。

 

「オォ……!!」

 

 干乾びた喉が雄叫びをあげ、モリアの手から解き放たれる。

 甲板を打つ下駄の音。振り返ったサムライのゾンビはきびきびとした立ち振る舞いでこちらへと敬礼した。

 手の平を相手に見せない、海軍式の敬礼だった。

 

「お呼びですか! ご主人様!!」

 

 リューマの佇まいはまるで一流の海兵のようだ。

 当然だ。この肉体を動かしているのは、先日ギーアたちを追い詰めた海軍将校の影なのだから。

 

「……やっぱり性格は海兵のものになるのね」

「仕方ねェだろ。ゾンビの性格と技は中身の影によるからな」

「まぁ、従順みたいだからいいけど」

 

 ともあれ、

 

「これで完全復活ね、モリア」

 

 モリアの傍にいた“影法師”は、今は彼の足元で元の影に戻っていた。

 ギーアを助けるべくこの巨大船に乗り込んだ時、手放していたものを取り戻した証拠だった。みずからの影と奪い取った影で動くゾンビを従える、これこそカゲカゲの実の能力者であるモリアのあるべき姿だ。

 

「おう。あとは、兵力の頭数を揃えるだけだな」

 

 そう答えたモリアは、凶悪な笑みでするどい牙をむき出しにした。

 眼下の光景が彼にとって愉快なものだったからだ。

 

「ぐォ……!」

 

 そこには大量の海兵が苦悶しながら這いつくばっていた。

 

「う、うげェ……ッ!」

「オェ……ウプッ!」

 

 屈強な男たちが、誰も彼も顔を青くして脂汗を流し、太い腕で腹や喉をおさえている。食いしばった歯からは泡立つほどの唾液がこぼれ、中には吐しゃ物に顔をうずめる者さえいる。

 ギーアには、凄惨を通り越してあわれな光景に見えた。

 

「……本当にいいの? ステラ」

 

 モリアのような笑みを浮かべられなかったギーアは、隣にいるもう一人の仲間の様子をうかがった。

 長い金髪の少女、ステラである。

 

「……いいんです。せめて私が見届けなくちゃいけない」

「ペローナは?」

「船室で寝ています。あの子には背負わせられません」

「殊勝だな。だが影を差しださない以上、それぐらいの気概は欲しいところだ」

 

 悲壮な表情のステラにモリアは鼻を鳴らす。

 そんなこちらを見て、うずくまる海兵たちが顔をあげた。

 

「き、貴様ら、先日の海賊……!」

「我々に、何をした……!?」

「簡単よ。あなたたちの食事に一服盛ったの」

「……バカな!!」

 

 短く答えたギーアに、海兵たちはがなり立てる。

 

「料理長たちがそんなことを許すはずがない!」

「悪いわね。彼と……あと船医さんには、先にゾンビになってもらったわ」

「なんだと!?」

 

 大量の海兵を相手取るならいざしらず、ほんの数名を不意打ちで仕留めるのは難しくなかった。

 コックと船医をひそかに討ち取ったギーアとモリアは、彼らの姿と職務を利用して乗組員たちを罠にはめた。

 医務室の薬品を彼らの食事に混ぜたのだ。

 

「ゾンビ!? まさか貴様ら……!」

「うるせェ海兵だぜ。これからくたばるお前らがそれを知ってどうする」

「何……!?」

「おい、出てこいてめェら!」

 

 放たれた号令に、姿をあらわす者たちがいた。

 

「な、なんだお前たちは!?」

 

 ギーアたちが解いた元奴隷たちだ。

 彼らは海兵に応えない。

 やせ細った手にナイフや銃を持ち、落ちくぼんだ目をらんらんと輝かせる様はまるで餓えた狼だ。

 後から後から出てくる元奴隷たちは、倒れている海兵一人一人の前に立ち、感情のない面持ちで哀れな姿を見下ろす。

 無言の彼らに海兵たちが顔色をことさら青くした頃を見計らい、モリアは高らかに宣言した。

 

「さァお前たち! 試させてもらうぜ!!」

 

 それは彼から解放奴隷たちに向けた“ふるい”だった。

 

「一人につき一人! 自分の影が入る死体を作ってみせろ! それができた奴だけおれの部下として連れ出してやる!!」

「!!!」

「くたばり損ないの海兵にとどめもさせねェヤツに、どのみち海賊はつとまらねェ!! さァ、奴隷をやめて生き延びてェなら覚悟をみせろ!!!」

 

 叫ばれた宣言を聞き、ある海兵は息を呑み、また別の海兵はぽかんと口を開けて呆けてしまった。

 だが武器を構える音が重なった瞬間、震えあがったのはどの海兵もが同じであった。

 

「こいつを……こいつを殺せば自由になれる……」

「や、やめろ……やめてくれ……!」

「こんな事をして、どうなるか分かってるのか!?」

 

 海兵たちも必死だ。誰もが涙を浮かべて目の前の元奴隷に命乞いをする。

 しかしそんなものは余命を縮めるだけであった。

 

「――うるせェ!!!」

 

 次の瞬間、甲板の一角で血しぶきが舞った。

 そこには元奴隷の一人が海兵にまたがり、喉にナイフを突き立てている光景があった。

 

「おれたちを助けなかったくせに……見捨てたくせに! なんでおれたちは助けなきゃなんねェんだよ!!」

 

 絞り出すような声だ。

 それは同じ境遇にある者たちの決起を促す。

 

「……そうだ……そうだよ!!」

「こいつらは誰も!! おれたちを守ってくれなかったじゃないか!!!」

 

 そこからは凄惨な時間であった。

 

「やっちまえ!!」

「ギャッ!!」

 

 一人死んだ。

 

「くたばれ!!」

「ヒギ……!」

 

 また一人死んだ。

 

「くたばれ海兵!!!」

「ウギャアアアアァ――――ッ!!」

 

 何人もが同時に死を迎えた。

 

「なにが海軍! なにが正義!! 天竜人なんてクズを守ってるクセに!」

「奴隷にされたおれたちを無視しやがって! お前たちなんか誰も助けねェよ!!」

「や、やべで……ガァッ!」

「助けて……助げで……」

「こんなところで死にたくない……! 死にたく……アァッ!!」

「イヤだああああァァァァァ――――――!!!」

 

 悲鳴はことごとく無視された。

 かつて海兵たちが、自分に向けられた元奴隷たちの視線をそうしたように。

 

「………………ッ」

 

 ギーアの隣で、ステラは唇を噛みきらんばかりの顔をしていた。

 彼女にかける言葉をギーアは持っていなかった。優しく賢い彼女を慮る気持ちはある。しかし、彼女もまた海賊として生き延びる道を選んだのだ。

 境遇に同情はあったが、業を背負うと決めた以上、下手な情けは彼女への侮辱となる。

 そうして幾ばくかの間が過ぎて、

 

「ハァ……! ハァ……!」

 

 後に残ったものは何もかもが血まみれだった。

 赤く染まった甲板の上には、返り血を浴びて立つ者たちと、全身の血を溢れさせた者たちだけがある。

 伏した海兵たちが悲鳴をあげることはもうない。恐怖も苦しみも、もう感じることのない体になったのだから。

 やがて元奴隷たちは、誰からともなくこちらを見る。

 そこに怯えや挫折の眼差しはない。あるのは、譲れないもののために一線を越えた修羅の眼光だけである。

 彼らが本当の意味で奴隷から脱却した瞬間だった。

 

「――よくやった、てめェら」

 

 そんな彼らをモリアは称賛した。

 

「今からてめェらは! このゲッコー・モリアの部下だ!!」

「ようこそ海賊の世界へ」

 

 ギーアもまた彼らを迎え入れた。

 無法者の世界に彼らを引きずり込んだこと、その責任が自分にはあると思っていたから。

 

「今からてめェらの影をそこの死体に移す! 月明かりで自分の影がよく映るようにしろ!」

 

 新たな部下たちはモリアの命令に従った。

 夜空と足元を見比べ、夜陰にみずからの影が隠れないように立ち位置を改める。全員がそうしたのを見届けて、モリアは声高に能力を発動させた。

 

「“影の集合地(シャドーズ・アスガルド)”!!!」

 

「!!」

 

 その瞬間、モリアの影が無数に枝分かれしてするどく伸びた。

 さながら獲物に跳びつく蛇の速度で元奴隷たちの足元に伸びた影の先端は、彼らの影と一体化を果たす。

 そして、

 

「オァ……ッ!?」

 

 元奴隷たちの影が吸い上げられ、それとともに彼らは白目を剥いてその場に倒れた。

 先日の戦いと同じだ。影を奪われた者は数日間意識を失う。

 そうやって部下の影を切り離したモリアの影は、新たな標的へと飛びつく。

 転がっている海兵の死体だ。

 

「さァ目覚めろ海兵のゾンビ! おれの部下として立ち上がれ!!」

 

 大きな鼓動が響くようだった。

 枝分かれしたモリアの影が張りついた海兵の死体が地を打つ鞭のように跳ね、

 

「……アァ~~~~~……ッ!」

 

 声をあげた。

 元奴隷たちと入れ替わるように起き上がったそれらは、まさしく気怠そうなうめき声を上げ、白濁した目をギーアたちに向ける。

 無数の死相に注目される光景は、まったくもって異様であった。

 

「お呼びですか、ご主人様」

 

 しかしゾンビは従順だ。それこそが彼らの特性なのだから。

 

「最初の仕事だ。お前らのもとになった影の、もと主たちを船内に運び入れろ」

「はい」

「その後は残党狩りだ。まだ残っている海兵と、あと衛兵どもを探し出して捕らえろ。リューマ、てめェが指揮をとれ」

「はっ! 了解しました」

「よし行け!!」

 

 モリアの指示を受け、リューマに率いられたゾンビたちは、めいめいに元奴隷を担いで船内へと消えていった。

 影を失った人間は太陽の下に出られないからだ。あのまま朝になるまで甲板に放置すれば、せっかくの部下をまとめて失ってしまう。

 そうして甲板にはギーアとモリア、ステラだけが残される。

 そこへ新たな人物が加わった。

 

「段取りはついたようだな、若造」

 

 シキだ。

 舵輪の埋まる頭と双剣を義足にした異様な風体を持つ男は、音もなく空から舞い降りる。

 

「おかえりなさい」

「てめェこそしくじってねェだろうな」

「誰にものを言ってやがる。このおれにぬかりはねェよ」

 

 顔を合わせればまたたく間に衝突する二人である。仲裁できるのは自分しかいなかった。

 

「これで兵力は確保できたわね」

「他の軍艦にいる海兵まで手は回らねェがな」

 

 ギーアが間に立つと、モリアはしぶしぶといった風に矛先をおさた。シキもまたあごひげをしごき、一時考え込むようにしてから頷いてくれる。

 

「これでこの巨大船は制圧できたようなもんだな。兵力はどれぐらいになる?」

「解放した彼らと海兵のゾンビ、全部合わせて1000人ってところね」

「対して海軍は軍艦三隻と乗組員が2400人。さらに目的地には同等以上の兵力があるだろうから、これは倍増するだろう」

「……兵力差は五倍かそれ以上ってことね」

「目的は皆殺しじゃねェ、会場にある宝と船をいただいて逃げることだ。来場客も多いだろうから、混乱させりゃ目はある」

 

 モリアはそう締めくくると、押し黙っていたステラにするどい眼差しを向けた。

 

「おいステラ。通信の改ざんはしくじってねェな?」

「……はい、問題ありません」

「よし。――それでギーア、本当に影をなくした連中も兵力にできるんだな?」

「大丈夫よ。私の能力ならできる」

「頼むぜ、兵力差を少しでも埋めにゃならん。……おい、ジジイ」

「ジハハ! 仕切ってんじゃねェよ! 問題ねェ、せいぜいひっかき回してやるさ」

 

 その答えにモリアは腕を組み、にやりと満足そうな笑みを作った。

 そりの合わない二人であったが、互いに相手の実力は認め合っている。できると言った以上、それを疑うことはないだろう。

 

「……やるぞ、てめェら」

 

 モリアのうなるような声に一同は頷く。

 やりとげる、四人の意思はすでに一つになっていたからだ。

 

「――海軍を出し抜き、宝と船を奪ってやろうじゃねェか!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 船が目的地に着いたのは数日後のことだった。

 広くもない陸地の大半を港と港町にした、まさに会場のためにあるような島がそこにある。

 中央には海をのぞむ扇形のコロシアムとでもいうべき施設があり、露天の客席には王冠をかぶった男や豪奢なドレスをまとう貴婦人が席につき、隣り合う者と談笑しているのが遠目にもわかった。

 しかしそんな者たちはどうでもいい。

 今ギーアが目を離せないのは、港湾に停泊する巨大な船である。

 

「……大きい」

 

 まるで海に浮かぶ城だ。

 雲をさえぎる壁のような帆の下には、塔をいただく大舘がある。横に取りつけられた巨大な滑車は、まさか舵輪だろうか。これほどの規模なら舵輪も比例して大きくなるのかもしれない。

 館の外縁は生い茂る木々で囲まれているが、ということはあの下には土があるのか。森を載せる船の存在に、ギーアはおどろきを禁じえない。

 なるほど、これは天竜人も目をつけるに違いない。

 とはいえ、

 

「キシシ、いいじゃねェか! こいつは奪い甲斐がある獲物だぜ!」

「ちょっとモリア、声が大きい」

 

 隣にいる船長のように、歓声をもらすことはできなかった。

 何故なら今、自分たちは天竜人の奴隷に扮しているのだから。

 

「まぁ見て、天竜人様よ」

「すごい行列だな。さすがだ」

 

 先頭に立たせた天竜人がゾンビだとも知らず、港にたむろする来場客たちの遠巻きな声がする。

 一度影を抜いた天竜人の死体であったが、あれから確保した別の影を入れてある。ゾンビ特有の忠実さを発揮するそれは、黙って前を進んでくれていた。

 そのすぐ後ろに続くギーアは、いかにもな踊り子装束を着込んでいる。四つん這いなって隣に並ぶ巨漢はモリアだ。世に知られた顔を隠すため、天竜人の印を捺したズタ袋をかぶっていた。

 

「……お姉ちゃん……」

「大丈夫、あともう少しだから……」

 

 背後でおびえた声をもらすのは、ステラにしがみつくペローナだった。周囲の好奇の視線に震える少女をステラは撫でて励ましている。

 天竜人のゾンビに続くギーアやステラたち、更にその後ろには行列が伸びている。

 あるいは、幼いながらに一行の緊迫した空気を感じているのかも知れない。

 

「ごめんね、ペローナ。でも私たちの傍にいた方が、きっとまだ安全だから」

 

 この面々を含む行列の大半は、奴隷や衛兵のふりをしたゾンビだ。それらはいくつもの巨大な木箱をかついで運んでいる。周囲には天竜人の奴隷が貨物を運び込もうとしている様子に見えるだろう。

 オークションの運営側にも、木箱の中身は天竜人からの出品物だと説明していた。

 

(本当は“とっておき”の兵力なんだけどね)

 

 出品物を運び込む、という体裁で会場深くに入り込み、他の出品物を奪って船も奪取する。多少の無理は天竜人の権力によって押し通す。

 普段から強権を振りかざしているのが、この時ばかりは役に立ってくれた。

 港を行き来する誰もが天竜人を恐れて近寄らず、一行は会場の搬入口をまっすぐに目指す。

 

(あともう少し……)

 

 たどり着ける。そのはずだった。

 

「――天竜人様に! 敬礼!!」

「!」

 

 その時、横合いからはじけるような声がした。鍛えられた者特有の、実によく通る響きである。

 そこにいたのは、一様に白い軍服を来た男たちの隊列だ。

 

(海兵!)

「長旅お疲れ様でした、天竜人様! 乗り物をご用意してあります、どうぞ貴賓室においでください」

 

 海兵の声に合わせ、大柄な人影が進み出た。

 それは四つん這いになってなお見上げるほど大きい、半裸の男であった。顔にはモリアと同じく、天竜人の印があるズタ袋がかぶせられている。

 背中に椅子がくくりつけられた様は、まるで鞍の乗る馬のようだ。

 

(海兵が奴隷を用意するなんて……!)

 

 そうまでして天竜人におもねりたいのか。腐敗の二文字がギーアの心を占め、煮え立つ怒りが胸を焦がす。

 だが今、彼らに怪しまれるわけにはいかない。忍び込むまで、天竜人のゾンビにはそれらしい振る舞いが必要だ。

 

「……行け」

 

 モリアはゾンビに耳打ちする。下された命令に天竜人は頷き、

 

「気が利くな下々民。これは中々の乗り物奴隷だえ」

 

 列から離れた天竜人のゾンビは巨体の奴隷に歩み寄っていく。奴隷はしつけられた犬のように伏せ、ゾンビを背中に乗せた。

 そうして背中の椅子に腰かけるところまで見届けて、ギーアはモリアに押し殺した声を送った。

 

「ここからはゾンビ抜きね。急ぎましょう」

「ああ、これ以上呼び止められちゃかなわねェ」

 

 矢面に立たせるゾンビが離れた以上、そうされる可能性は高くなる。

 だから一行は足早に進もうとして、

 

「……あの」

 

 不意に、ステラが声をあげた。

 

「ゾンビの様子がおかしくありませんか?」

「……え?」

 

 言われて、目を離したばかりのゾンビを見る。

 そこにあったのは、まるで煮詰めた水のように体を震わせるゾンビの姿だった。

 

「な……」

「オ、オォ……オアアアァ……!!」

 

 椅子に腰かけたままのけ反るゾンビは、口を大きく開いて天を仰ぐ。やがてその口から、空に向かって這い出すものがあった。

 ギーアはそれに見覚えがある。

 ゾンビに仕込まれた影だ。

 

「モリア!? 何をして……!」

「違う、おれじゃねェ! 勝手に抜け出そうとしてやがる!」

「何ですって!?」

 

 予期しない事態だった。

 だが対応するよりも早く結果は果たされる。

 口から這い出した影が、ついにゾンビの体から千切れて空へと飛び上がったのだ。

 

「な……!」

 

 ゾンビと繋がっていられなくなった影の行先は、本来の主の足元だ。背後にある巨大船の方に向かって飛んでいくのは、切り離した主を目指すからだろう。

 そして後には、単なる死体だけが残される。

 

「……え?」

 

 それが地面に崩れ落ちるのと、周囲の人間がどよめくのはほぼ同時であった。

 

「お、おい、あれ……!」

「天竜人が倒れたぞ!?」

 

 ぴくりとも動かない姿に、周囲のざわめきはまたたく間に広がった。

 それは計画の瓦解を意味している。

 どういうことだ。

 言葉にもならない一語がギーアの頭を満たす。何故天竜人のゾンビから影が抜け出したのか、と。

 その答えは、思いのほか近くから生まれた。

 

「海楼石を敷いた椅子が効いた。やはり何らかの能力の犠牲になっていたか」

「あなた……!」

 

 声の主は、ゾンビを背に乗せていた奴隷だった。

 二本の足で立ち上がった巨体は、それまでとは見違えるような偉丈夫だ。くくりつけられていた椅子を外し、脱ぎ捨てたズタ袋の下から精強な顔が現れる。

 固い意志が光る眼差しがこちらを見据えた。

 

「モモンガは責任感のある男だ。奴本人からの連絡が途絶え、ここに現れないのはおかしいと思っていた」

 

 男の断言にギーアは失策を悟った。

 おそらくこの男は会場側の海兵を仕切る将校だ。その立場にある者が、仲間への信頼だけで疑念を正す行動に出たのだ。

 

「すみません、まさかここまで警戒されていたなんて……!」

「ステラのせいじゃないわ。どのみち改ざんじゃこの事態は避けられなかった」

 

 震えあがる彼女をギーアは慰める。この事態を予期しなかったのはこちらも同じだ、責める気はない。

 しかし何者だ、この男は。

 海楼石は貴重品だ。杞憂かもしれない判断に持ち出すなど、その優れた洞察力と同じぐらい権力が必要になるだろう。

 それほどまでの権威を持つこの男は、

 

「――ゼファー教官!!」

「!!」

 

 期せずして、男の名はすぐに知れた。

 

「無茶苦茶ですよ! 奴隷のフリをして天竜人に海楼石を触れさせるなんて!!」

「おれの行動が無意味だった時、責任を負える男がやらねば意味がない」

 

 傍にいた海兵の苦言も男はどこ吹く風だ。

 しかし彼を見る周りの海兵たちには、感嘆と畏敬の眼差しがある。厚い信頼がある証拠だった。

 それも、今しがた呼ばれた名を思えば当然だ。

 

「まさか、“黒腕”のゼファー!? 元海軍大将が何故こんなところに!!」

「天竜人が来るイベントの警備。現役の大将にやらせることもないと代わったが、こんな事態になるとはな」

 

 かつて海軍の大戦力として知られた男の名をギーアは叫ぶ。しかし男、ゼファーはそれに取り合わず、周囲の海兵たちに合図を送った。

 この不審者たちを逃がすな、と。

 海兵たちがこちらに銃を向けるのに時間はいらなかった。

 

「お嬢さん、いや、その行列もどうやら不幸な奴隷たちという訳ではなさそうだ。話を聞かせてもらおうか」

「……ヤバいわよ、モリア……!」

「分かってる! どうやらここでやるしかねェようだな……!」

「暴れるか? できると思うか?」

 

 会話を聞きつけたゼファーの体が、あふれ出す威圧感で膨れ上がった。

 その重圧に、ギーアは彼が銃などよりもはるかに大きな脅威だと改めて理解する。

 やれるだろうか。

 

(やるしかない!!)

 

 次の瞬間、ギーアは体に力をみなぎらせた。

 モリアもそうだ。頭にかぶっていたズタ袋とともに、奴隷の真似を脱ぎ捨てる。

 背後の者どももまた、戦うための姿勢をとろうとした。

 しかし、それよりも圧倒的に引き金を引く方が早い。

 撃たれる。

 そう確信した瞬間、

 

「イヤアアアアアアアァァァァァァァ――――――――――ッ!!!」

「!!?」

 

 悲鳴がこだました。

 

「おじさんたち!! こわいィ~~~~ッ!!!」

「ペローナ!?」

 

 振り向けば、ステラの腕の中で幼い少女が泣きわめいていた。

 いや、それだけではない。

 彼女からあふれ出すのは涙と絶叫だけではない。

 

「これは……!」

『ホロホロホロホロホロ……』

 

 落書きじみた人型だった。

 半透明の細長い人型の群れが少女の体から出現し、音もなく空を飛ぶ。

 向かうのは、銃を構えた海兵たちだ。

 

「な、なんだこれは!」

 

 驚愕する海兵たち。思わず構えを解いてしまった彼らの胸を、人型どもは貫いた。

 

「うおォ……!?」

 

 そこに負傷はなかった。

 人型は海兵たちの胸から背へと透過し、ふたたび空へと舞い上がっていく。何一つケガを負わせることもなく。

 しかし後に残された者たちの変化は劇的だった。

 

「……おれなんかゴミだ……」

 

 海兵の手から銃がこぼれ落ちた。

 一人ではない。次々に銃が地面に転がり、それを追うようにして海兵たちの膝が落ちる。

 そして、ほの暗い声を流れ落ちた。

 

「そうだ……おれなんか海の藻屑になればいい……」

「ナマコになりたい……海底で這いずっていたい……」

「どうしたお前たち!」

 

 突如としてうずくまった部下たちにゼファーの声が飛ぶ。だが打ちひしがれる誰もが答えられず、ただその場で丸くなるだけだ。

 間違いなく、彼らの体を貫いた人型の影響だった。

 

「これは……」

「この子の能力です!」

 

 ステラが叫んだ。

 

「ペローナはホロホロの実の幽霊人間! この子から生まれるゴーストに触れた人間は、極端にネガティブになって心が折れる!!」

「ほう、そんな便利な能力だったとはな。おかげで隙ができたぜ!」

 

 そう言ったモリアはにやりと笑い、続いてギーアに向かってするどい声を飛ばした。

 

「やれギーア! ここで戦闘を始める!!」

「分かった!!」

 

 船長の命令に逆らうことはない。

 事ここに至ってはこれ以上忍び込むことは不可能。

控えさせていた“とっておき”を持って突破するしかなかった。

 ギーアは叫ぶ。行列が担ぐ木箱に隠れた彼等へ向かって。

 

「出番よ!! “ブギーマンズ”!!!」

 




遅くなりました。オークション襲撃編、やっと決戦までこぎつけました。

“影の集合地”が一度にたくさんの影を奪ったりゾンビを作り出したりできる、というのは独自解釈です。あと海楼石でゾンビに効く、っていうのも。前者はともかく後者はありえると思うんだけど、どうですかね。

次からは戦闘回。
オリジナル戦闘員グループを投入です。


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“ブギーマンズ”

ご無沙汰しております。
大変長く間をあけてしまい、申し訳ありませんでした。年をまたぐのはマズいな……って感じで、戻ってまいりました。
リハビリも兼ねて一話5000文字前後の縮小運転ですが、続きを出したいと思います。



※前回までのあらすじ(久しぶりすぎるので)
ギーアはシキとともにインペルダウンを脱獄、逃亡先の船でモリアと再会する。
しかしその船は大オークションに向かう天竜人の船だった。
天竜人を暗殺し、乗っていた奴隷を解放し、護衛の海兵たちをゾンビにしてオークションを襲撃しようとするギーアたち。
しかし警備で詰めていた元海軍大将ゼファーに見破られ、全面対決となる。


 木箱(コンテナ)から現れたのは全く同じ姿の集団だった。

 

「は?」

 

 相対する海兵の誰もが目を丸くする。

 当然だ。天竜人だと思っていたものの行列が運ぶ巨大木箱、そのすべてから瓜二つの人間たちが出てくれば。

 だがこれが自分たちの切り札だ。

 オークションへの出品物だと偽り、奴隷のふりをさせた兵士ゾンビたちに運び込ませた女の一団。

 赤い長髪。

 青い瞳。

 色白の肌。

 大柄な背丈。

 起伏に富んだ体型。

 女奴隷に着せられる踊り子装束。

 百人あまりのそれらが、列をなして戦場に立つ。

 

「何だコイツら!?」

 

 同一人物の群れとでもいうべき光景。向かい合う海兵たちの中から次々と声が上がる。

 

「ふ、双子?」

「バカ、数を見ろ! 何ツ子だよ!?」

 

 ライフル銃を構えつつ、しかし隊列を組む海兵たちは顔を見合わせる。相手は異様な集団だ、当然である。

 しかし最も声を張り上げたのは、あろうことか彼らを率いる将校だった。

 

「……パシフィスタ!?」

 

 胸に勲章をつけた屈強な海兵が顔を青くする。

 

「バカな、アレはまだ理論段階のはず! たかが海賊ごときが生み出せる訳が……」

「落ち着け」

 

 泡を吹く将校の肩に、大きな手のひらが乗った。

 巨漢だ。

 髪の色、顔に刻まれたしわの深さからして初老。しかし剥き出しにした上半身は隙無く筋肉で固められ、落ち着き払った態度はまるで山のようだ。

 

「ゼ、ゼファー教官」

 

 将校は巨漢を見上げた。

 

「で、ですがあれは」

「お嬢さんの仕込みだろうさ。なぁ、そうだろう?」

 

 そう言って放たれた眼光の鋭さ。

 将校に向けていたのとはまるで違う、銃弾のような鋭い眼光に、心臓が射貫かれた思いがした。

 圧倒的な格上に敵として認知された恐怖。

 けれど、そんなものはこれまで何度も体験してきた。

 

「――そうよ」

 

 だからこそギーアは胸を張って答えた。

 自分と同じ姿をした、その集団の最前線に立って。

 

(さすが元海軍大将、一発で見抜かれた)

 

 いや、当然か。

 木箱から現れたそれらは、自分の背後に控えている。まして、最初に海兵たちの前に現れたのは自分なのだから、そう推理するのは自然だ。

 つまり、この状況で正常な判断をする胆力があの男にはある。

 

(彼の存在はまったくの予想外)

 

 元海軍大将、“黒腕のゼファー”。

 大海賊時代以前から名を馳せた大英雄だ。今は一線を退いたと聞くが、やりあって勝てるほど実力が衰えたようには見えない。

 しかし、臆する姿を部下たちには見せられない。

 堕ちたとはいえ一国の軍隊を率いたこともある身だ。士気の重要性と、隊長がそれに深く関わるのは熟知している。

 だからギーアは一歩進み出た。

 

「私はヌギヌギの実の脱皮人間。傷ついた体を脱ぎ捨て、より強くなって再生する」

 

 だが、

 

「必ずしも脱いだ“皮”を捨てるとは限らない。無傷のまま能力を使えば、当然無傷の“皮”ができる」

「……なるほど。つまり、それが“そいつら”か」

「そう。彼らは私の“皮”をかぶった“私”という軍勢。――それが“ブギーマンズ”!!」

 

 問いには答えた。

 ならばあとは進むしかない。

 

「モリア」

「あぁ」

 

 この場でそれができるのはただ一人。

 攻め手を率いる者、自分たちの長であるゲッコー・モリアだけだ。

 塔のように巨大な体で進みでた彼は、控えるブギーマンズを一瞥する。

 

「やるぞ。てめぇらの初陣だ」

 

 自軍の、いや敵軍も、誰もが息をのむ。次の瞬間、火ぶたが切られると予感したからだ。

 それは果たされた。

 

「海軍を蹴散らし!! 宝を奪え!! ――海賊の名乗りをあげろォ!!!」

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ――――――ッ!!!!」

 

 雄叫びは地響きとなる。

 ブギーマンズと兵士ゾンビ、合わせて1000人になる兵力が進撃したのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「く、来るぞ! 総員、構えぇ――!!」

 

 津波にも似た突撃の群れに、しかし海兵たちは揺るがない。

 隊列を崩さず、柵を思わせる等間隔で向けてくる銃口の数々は、日ごろの訓練の結実に他ならない。

 誰もが熟練の海兵である証拠だ。

 

「撃てぇ――――ッ!」

 

 銃声もまた一律。

 重なって一つの巨大な音となり、空気を貫いた数百の弾丸がブギーマンズへと迫る。

 だからギーアは、銃声にも勝る叫びで命令を飛ばす。

 

「兵士ゾンビ、前へ!!」

「イエスマム!!!」

 

 応えてブギーマンズの前に出る影があった。

 兵士ゾンビだ。並走していたそれらが速力を上げ、その身をもって弾丸をさえぎったのだ。

 

「何!?」

 

 海兵たちの驚きも当然だ。本来なら、一を守るために一を犠牲にする無意味な行動だ。一兵卒が将軍の身代わりになるのとは訳が違う。

 だが守るのが兵士ゾンビなら話は別だ。

 

「アァ~~~~……腐れ痛ぇ~~~~」

「へ……へへ……許さねえぞ、てめぇらぁ~~」

「何だコイツら! 撃たれても倒れない!!」

 

 体に穴をあけた兵士ゾンビたちだが、しかしその足を止めることはない。

 彼らは血の通わない、動く肉の壁だ。痛いと言うが、それも生きていた頃の思い込み。実際には何の支障も得ていない。

 その様を見て、いよいよ海兵たちは敵が本当の化け物だと気づいたらしい。

 

「ま、まさか、本当にゾンビなのか!?」

「いや待て! それより、こいつらの顔!」

 

 前線にいた海兵が一人、声を上げた。

 

「こいつら!! 天竜人の護衛に出た海兵だ!!!」

(へぇ、知り合いがいたのね)

 

 目を丸くするギーアをよそに、青ざめた叫びは一瞬で居並ぶ海兵たちへ及んでいく。

 

「な、何だと!?」

「み、みんな死んでるのか!? 操られてるとかじゃなく!?」

「か、海賊ども! こいつらに何をしたぁ!!」

 

 理解とともに、激怒と恐慌があちらこちらで噴き上がる。腰が引ける者もいれば、ことさらライフル銃をつきつける者もいた。

 隊列が乱れる。

 

(そんな様じゃ、彼らの激情には耐えられないわよ)

 

 敵への感情であれば、ブギーマンズこそ凄まじいのだから。

 

 

 

「何かされたのは!!! おれたちの方だぁ――――!!!!」

「!!!?」

 

 

 

 腕力は怒涛となった。

 恨みがブギーマンズの腕をより強く膨らませ、海兵の隊列を打ち砕く。

 

「……!!」

 

 声もなく、あるいは白目を剥いて、海兵たちはブギーマンズの突撃によって吹き飛ばされていた。

 彼らの感情が、ギーアが与えた“皮”の力を存分にふるった証拠だった。

 

(ブギーマンズが着るのは私自身、全員が私の身体能力を持っている)

 

 ギーアは思い返す。

 あの日、天竜人を始末した後、思いついた策がこれであった。

 ギーア自身が回復するために脱皮するのではなく、皮を他人に着せるために脱ぎ捨てる。

 モリアに影を奪われた者たちが、陽の光を浴びずに日中行動するための対策だったが、しかしそれがギーアの膂力を得たのは、予想外の幸運だった。

 

(これで頑丈さもあれば文句なかったんだけどね)

 

 残念ながら肉体の耐久力は得られなかった。

 ものが皮なのだから当然だ。ある程度のダメージを受けると破れ、中身があらわになってしまう。

 

(つまりブギーマンズは“撃たれ弱い攻撃要員”)

 

 ゆえに、兵士ゾンビがそれをフォローする。

 死んでいるからこそ、もう死ぬことがないゾンビ兵。異常な耐久力を持つ彼らこそ、ブギーマンズを補う優秀な盾となる。

 兵士ゾンビに守られ、ブギーマンズは拳をふるう。

 

「結局お前ら海兵は権力に媚びを売るクズだった!」

「正義なんてどこにもなかった!!」

「くたばれ海軍——————————!!!」

 

 圧倒的な腕力の群れが敵を蹴散らす。

 だが特筆すべきは腕力以上にそれをふるう攻撃性だ。突然与えられた強靭な力を、彼らはあますことなく存分に発揮している。

 当然だった。

 ブギーマンズの中身は、あの船で海兵たちが見捨てた天竜人の元奴隷たちなのだから。

 萎えた体に釣り合わない巨大な恨みと戦意が、“皮”によって即席で強化し、かつ弱点を補うゾンビたちも用意できる。

 ヌギヌギの実とカゲカゲの実、その相互補完だ。

 

「おれとお前の能力がここまで噛み合うとはな」

「ええ、予想通り補い合ってる」

 

 鮫のような口を吊り上げたモリアに、ギーアもまたニヤリとした表情を返した。

 その胸に熱い感情が湧き上がる。

 あたかも示し合わせたかのような能力の相互関係。自分こそ彼を支えるのに相応しいと、運命に保障されたような気分になったからだ。

 だが、いつまでも浸ってはいられない。

 腐っても自分は軍勢の指揮官。戦線が崩壊しかけた時、戦場に何が現れるのかを知っている。

 劣勢を押し返す英雄の出現だ。

 

「そこまでだ」

「!!?」

 

 蹴り上げた砂粒のようにブギーマンズが吹き飛んだ。

 一瞬のことだ。前線の海兵たちを突破しようとしていた一団が、木っ端みじんに散らされたのだ。守っていたはずの兵士ゾンビごと、ひとまとめに舞い上がる。

 

「来たわね」

 

 ブギーマンズと兵士ゾンビ、今できる最良の作戦であり難攻不落の戦略。破られるとしたら、可能性は二つだけ。

 共通する弱点、海水や塩を受けること。

 もう一つは、兵士ゾンビの守りをものともしない強力な攻撃を受けることだ。

 

「こいつらはおれが引き受ける。お前たちは敵の首魁を討て」

「ゼファー教官!!」

 

 海軍側の指揮官、ゼファーの参戦であった。

 一度に数十人を蹴散らしてみせた剛腕を構え、かつて大将と称えられた男が盤石の態度を示す。

 

「報告ではインペルダウンを脱獄したのは二人。悪魔の実の能力で手駒を増やしたようだが、それは本体以外は有象無象ということだ。敵本体を押さえれば鎮圧できる」

 

 そう言って、ゼファーはちらりと脇を見た。

 戦場の外に転がる天竜人の死体を。

 

「……これは好機だ。この混乱に乗じて、天竜人に囚われた奴隷たちを助ける」

「!!! は、はい!」

 

 告げられた言葉に、海兵たちが喜色に染まっていく。

 それは海兵たちが押し殺していた本心だったのだろう。おそらくゼファー自身も。

 

(上手いわね)

 

 自分という立場も実力もある人間が戦線に立つことで戦術的な優位を保証し、かつ押し殺していた本心を解放させることで戦意も鼓舞する。

 部下たちの心を掴み士気を高揚させる手腕は、まさに海軍大将のものだ。歴戦の海兵という事実を理解させられる。

 しかし唯一難点があるとすれば、

 

「貴方が蹴散らしたブギーマンズこそ、その奴隷たちだったんだけどね」

 

 皮肉だ。

 敵を倒して人助けをしようとする者たちの、その敵こそが助けようとしている相手なのだから。

 つまるところ、海兵たちは動くのが遅すぎたのだ。あるいは、状況さえ整わなければ助けることすらできなかったとも言える。

 今の世の海兵と正義の限界だった。

 

「でも、ゼファーに来られたら誰も敵わないわね」

「ヤツの存在は完全に想定外だったからな。ブギーマンズやゾンビは勿論、おれとお前が加わったって勝てやしねェだろう」

 

 モリアも頷いて同意する。

 役職を辞しても実力は変わらない。大将を務めた男と真っ向勝負で勝てると思うほど、ギーアもモリアも向こう見ずではない。

 自分たちだけなら、きっとこのまま突き崩されただろう。

 しかし、今は彼がいる。

 

「……!? 教官、何か来ます!」

「何!?」

 

 “それ”は風を切って現れる。

 金色の影だ。残像を引いて一閃となった“それ”は、停泊する船の合間を縫って飛来する。

 

「がっ!」

「ぎゃあ!!」

「ひぎ……!」

 

 すれ違う海兵たちを片っ端から切り伏せ、“それ”はゼファーへ一直線に奔る。

 そして、激突。

 

「!!!」

「うあああああああああああああああああああああああああっ!!?」

 

 噴火にもひとしい衝撃。

 飛び散った海兵たちはしたたかに地面へ打ちつけられる。地面さえ砕ける激震だ、一兵卒が耐えられる波動ではない。

 密集していた海兵の戦線を穿つ穴。

 粉塵浅からぬその中心にいたのは、たったの二人。

 

 

 

「ジハハ! 久しぶりだな、“黒腕のゼファー”!!!」

「貴様か!! “金獅子のシキ”!!!」

 

 

 

 黒金色の腕と競り合う、両足を剣にした大男だった。

 

「き、“金獅子”!! かつて海賊王と覇権を争った大海賊!?」

「だ、脱獄したってのは、本当だったのか!」

「そういうことよ。あまりに退屈だったんでな、イキのいいベイビィちゃんとシャバに帰ってきたぜ」

 

 両者は拮抗し、その余波は今なお周囲を威圧した。

 どちらもかつては大勢力の筆頭を成し、しかし今はその座を離れて久しい者たちだ。条件が同じなら、今ある力もまた同じ。

 つまりこの二人が対峙する限り、両者は戦場から除外されるに等しいということだ。

 

「こいつはおれが止めてやる! ベイビィちゃんと若造は、とっとと先に行きな!!」

「ありがとう、シキ!」

「そのままくたばれ、クソジジイ」

「コラ! そういうこと言わない!!」

 

 シキの到来こそ、ギーアたちが待っていたものだ。

 

「ま、待て貴様ら……!」

 

 駆け出したこちらへ目を向けようとして、しかしそれさえゼファーには許されない。

 ほんのわずかでも集中を乱せば押し切られるほど、眼前の敵とは拮抗していたからだ。

 

「てめぇの相手はおれだよ!!」

「ぐ……!!」

 

 せめぎ合う巨岩のような二人を横目に、ギーアは戦場へと走る。

 

「ブギーマンズ! 兵士ゾンビ! 行くわよ、ついてきなさい!!」

「イエスマム!!!」

 

 指揮官の参戦に鼓舞されるのは海兵だけではない。

 ギーアとモリアの到来に、ブギーマンズも兵士ゾンビも、熱を持った了解を叫ぶ。

 だからギーアも一層の覇気をもって吼えた。

 

「敵を突破して!! 進むわよ!!!」

 

 




こんな感じで、戦闘パートの始まりです。
当分は一話あたりを短くしてコンスタントに投稿したいと思っていますが、さてどうなるか。


追伸
外部サイト「進捗ノート」に二次創作小説関係のノートを作りました。
進捗具合は適宜書いていきたいと思っているので、もし進み具合が気になる方がおりましたら、こちらをご覧いただければと思います。

https://shinchoku.net/notes/66000


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”晴れ時々船”

前話とは元々一つの回だったので、下地がある分早く仕上がりました。
あるいは、約5000文字仕上げというコンセプトが想像以上に有効だったのかもしれません。


「来るぞ! 海賊たちを進ませるな!!」

 

 決戦の地は無数の巨大船が泊まる港湾部。迎え撃つ海兵たちが叫びをあげた。

 当然だ。オークションを警備する正義の戦力として、悪の略奪者である自分たちを許すはずがない。

 問題は、彼らに止めるだけの力がないことだ。

 

「ギーア、合わせろ!」

「ええ!」

 

 ブギーマンズと兵士ゾンビを追い越し、ギーアはモリアに並走する。

 従うべき主が長大な刀を振り抜くのに合わせ、光熱を秘めた拳を打ち放つ。

 

「“樹陰大蛇(ネグロ・ニドヘグ)”!!!」

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!!」

「!!?」

 

 かたや極太の斬撃。

 かたや光熱の破裂。

 強烈な威力が重なり、屈強な海兵たちを吹き飛ばす。

 “新世界”に常駐する戦闘員とはいえ、相手はたかが兵卒に過ぎない。ギーアとモリアの攻撃を前にして、隊列は落ち葉を掃うように一蹴された。

 

「こ、これが“百獣のカイドウ”と渡り合った海賊の! 史上初のインペルダウン脱獄者の力か!」

「噂じゃ“鬼の跡目”拿捕にも関わったらしいぞ……」

「海賊王の元クルーの!? あの戦いはバスターコールで決着したんだろ!? まさかそこから生き延びたのか!?」

「うろたえるな! 所詮はくだらない悪の進撃だ!」

 

 ざわめく海兵たちを将校が一喝する。

 

「やつらは各国要人の集まるこのオークションを狙い、あまつさえ天竜人を手にかけた大罪人! どれほど強くとも、ここで捕えねばならんのだ!!」

「……ですってよ、船長」

「キシシ、雑魚ほどよくわめくもんだ」

 

 仰げば、肩に刀を担いだモリアはいかにも下らないものを相手取ったという風に見下していた。

 ギーアにとってもそうだ。

 彼らの叫びなど恐れるに足りない。たとえ、どれほどの数が現れたとしても。

 

「せ、船長! ギーアさん!!」

 

 隣でステラが上擦った声を上げる。

 泣きじゃくるペローナを抱きかかえた彼女は、肩で息をしながら、目を剥いて敵勢を見ていた。

 湧き出す水にも似た海兵たちの様子を。

 

「――海兵の増援です!!」

 

 港湾の奥から、オークション会場から、次々と海兵が集まってくる。

 モリアとともに吹き飛ばした数を補ってあまりある数だ。自分たちの戦闘力が彼らをはるかに上回るといっても、相手取っていられないほどの。

 ブギーマンズや兵士ゾンビがいても焼け石に水だ。

 

「この島に詰める兵力がこれだけだと思ったか!? お前たちの兵力は1000人ほどか? このまま押し潰してくれる!!」

「当然ね、これが兵力戦。数に勝る力はない」

 

 かつてジェルマ王国軍、ジェルマ66の一角を率いていた頃、幾度となく体験した戦いだ。

 訓練された大軍は、ただそれだけで策に勝る王道の力だ。本来兵力戦とは、戦うまでにその数をどれだけ増やせるかにかかっていると言える。

 策を弄することは、本質的に邪道なのだ。

 だからこそ自分たち()は、それを用意してきた(・・・・・・・・・)

 

「集まったわよ! シキ!!」

 

 群がる海兵とこちらの戦線がぶつかる。

 怒号とともに打ち合い、悲鳴をあげて倒れる兵士たち。その檄音の重なりにも負けない叫びをギーアはあげた。

 この最前線にも勝る戦いを繰り広げる、その男たちへ。

 

「おうよ!」

「何をする気だ、シキ!」

 

 ギーアの背後、手勢とともに通り過ぎたその場所で、二人の初老が打ち合っている。

 大海賊“金獅子のシキ”。

 元海軍大将“黒腕のゼファー”。

 黒金色の腕と剣の足が火花を散らして攻撃を応酬する。

 しかしギーアの呼びかけに答え、シキは大きく飛び退いて宙へと舞い上がった。

 フワフワの実による飛行能力だ。

 

「選別の時間だ! 生き残ってみな、ガキども!!!」

 

 獰猛に歯を剥き、シキは空を握りつぶす。

 それは、自らの影響下にあるものたちへの合図だった。

 

「……は?」

 

 戦場の誰かが、あるいは誰もが、疑問をつぶやいて空を見上げた。

 当然だ。まるで突然夜になったかのように、辺り一面が影に包まれたのだから。

 

「ぐ、軍艦が……! 船が……!!」

 

 海兵たちの誰もが動きを止めていた。

 目を皿のようにして見上げ、あごが外れたと言わんばかりに口を開ききっている。

 何故ならそこに信じがたい現実があるからだ。

 

「う、浮いてるぅ~~~~~~~~~~!!!?」

 

 海兵たちの唱和がこだました。

 港湾に泊まっていた軍艦やオークション客の船が、まるで天に蓋をするかのごとく浮かび上がれば、その反応も当然であった。

 

 一度見たギーアでさえ、顔が青ざめるのを止められない驚異的な力だ。

 特に、これから何が起きるか知っているとなれば。

 

「総員!!! 走れぇ――――――――!!!!」

 

 ギーアが味方に言えることはそれだけだった。

 次に来る攻撃を前にしては。

 

 

 

「“獅子威し・軍艦巻き”!!!」

「!!!!」

 

 

 

 船は流星となった。

 下にいる者たちをまとめて破砕する、流星群に。

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ~~~~~!!!!」

 

 幾千の海兵があげる悲鳴で戦場は支配された。

 ステラとペローナ、ブギーマンや兵士ゾンビも、許されるならそうしたかっただろう。

 前もって作戦を知らせていた自軍は、誰もが歯を食いしばって悲鳴を押し殺し、その分の力を足に込めて走り続ける。

 これが圧倒的劣勢を覆す唯一の策だ。

 巻き込まれることを覚悟で、戦場全体に広大な攻撃を振り下ろす。承知して臨むことで対応できる可能性に賭けて、敵軍も戦場もまとめて破壊する。

 これを聞いて笑っていられたのは、今もその時も、シキを除けばたった一人だった。

 

「キシシシシシ!! やっぱりバケモノだ、あのジジイ!!!」

「笑ってないで走りなさいモリア! そのご立派な図体を削りたくなかったらね!!」

 

 叱るギーアをよそに、モリアは笑いながら、棒立ちの海兵たちを蹴散らして行く。図らずもそれは後に続く手勢の通る道を拓くこととなった。

 ギーアはステラたちと並走していた。特に戦闘力が低い彼女たちを庇うためだ。足をもつれさせるステラを支え、船が墜落するまでのわずかな時間を走る。

 ほんの少しでも、爆心地から離れるために。

 

「……心配しなくても、船が丸ごと落ちてくるってことはなさそうだぜ、ギーア」

「え?」

 

 だが不意に、モリアに呼びかけられた。

 見上げ続ける彼につられてみれば、船が落ちてくる空には、たった一つの小さな影があった。

 否、それは船と対比すればであって、人間として見れば、十分に大きな影であった。

 

「あれは……!!!」

 

 それは男だった。たった二本の黒い腕を持つだけの。

 

 

 

「“悪の終点(バスターマン・ゼット)”!!!!」

「!!!?」

 

 

 

 直後、天は光を取り戻した。

 たった一発の拳が、墜落する船を打ち砕いたから。

 

「う!! うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~!!!?」

 

 危機への恐怖から上がった悲鳴の群れは、驚愕と歓喜を含んだ叫びへと変わった。

 天災にも等しいそれを、自らの腕で打ち砕いた上官の雄姿に、戦場にいる海兵の誰もが尊敬をもって仰ぎ見ていた。

 驚愕という一点で言えば、ギーアも同じだった。

 

(これが、大将の実力……!)

 

 見くびっていたつもりはない。しかし想像のはるか上をいく力だった。

 ここに彼がいること自体予想していなかったが、発揮された力もまた、全く予想だにしない凄まじい威力であった。

 しかし。

 

「……くっ、手が足りん」

「え?」

 

 ゆるやかに落ちてくるゼファーのつぶやきを、しかし誰もが聞いた。

 そして改めて空を見る。

 

「……あ」

 

 船の破砕はなされた。

 巨大な構造物を粉砕した威力は破片を伴って広がり、周囲の船さえ破壊する。信じがたい光景だ。

 戦場の中心に降る船は形を失った。

 だが飛来する船は、ただ一点からの波及で全滅する程度の数ではない。何より、バラバラになった船の残骸は、その大半が人よりも多きものだ。

 つまり、

 

「残骸が降ってくるぞぉ~~~~~~~~~!!!」

 

 今もってなお危機はそこにあった。

 もうそれを防ぐ力を持つ者はいない。だから、それは戦場に起きる。

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――!!!!」

 

 大破壊が場を埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局のところ、作戦はおおむねギーアの狙ったところを果たすに至った。

 

「……状況報告!」

 

 粉塵が霧のように立ち込める中、瓦礫の荒野と化した戦場でギーアは声を張り上げる。

 

「わ、私は、生きてます……ペローナも……」

 

 ギーアが覆いかぶさっていたステラたちが声を上げた。

 弱弱しく震えた声色だったが、それでも無事なようだ。見れば、ペローナは白目を剥いて気絶していた。彼女の幼さを思えば当然の反応だ。

 

「兵士ゾンビ、全員無事です!」

 

 続いて次々と起き上がるのはゾンビ兵たちだ。

 ギーアと同じようにブギーマンズを覆いかぶさって守った彼らは、体のいたるところに破片や瓦礫が刺さっていたが、ものともしていない。

 まさにゾンビの面目躍如だ。

 やがてその足元からブギーマンズが起き上がってくる。見たところ、その数は船の墜落前から減った様子はなかったが、

 

「うわっ! “皮”が……!」

 

 何人かのブギーマンズから悲鳴が上がった。

 体を包むギーアの“皮”が、全損とはいかないまでも一部が裂けてしまったらしい。まるで血を流すように、裂け目から煙が昇っている。

 モリアに影を奪われた者が陽を浴びた時に出す、肉体の消失を伴う症状だった。

 

「負傷者は前もって渡した布で裂け目を塞ぐか、さもなきゃ手で庇え! 陽さえ浴びなきゃ体は元に戻る!」

 

 そんな彼らに指示を飛ばしたのはモリアだ。

 

「あぁ、やっぱり無事だったんだ」

「当たり前だ、おれを誰だと思ってやがる」

 

 分かっている。だから彼に確認はとらなかった。

 モリアほどの男ならこの攻撃にも生き延びてみせるだろう。それは信頼以前の、当然のことだった。

 それにしても、

 

「上手く言ったな。こっちの被害は最小限。対して海兵どもは」

「ぐ、うぅ……っ」

 

 戦場のあちこちで、押し退けられた瓦礫が音をたてる。生き延びた者や、その者たちがそうでない者たちを助けようとする動きだ。

 あれだけの攻撃を受けて動ける海兵が少なくないのは、さすが“新世界”に常駐する戦力と言えた。

 そして、中にはすでに戦闘を再開している者たちもいる。

 

「やってくれたな、シキ!!」

 

 剣戟、否、剣と拳がぶつかり合う音だ。

 練り上げられた武装色の覇気をまとう腕は、名刀と打ち合っても劣るところがない。それほどまでの覇気を持つのは、この戦場において、巨大な船を打ち砕いたゼファーをおいて他にはいない。

 

「よくも島を! 部下たちを!!」

「ジハハ、誰にモノを言ってやがる。海賊が、被害を気にして略奪すると思ってんのかぁ!?」

 

 檄するゼファーの連打をさばくシキもまた練達の戦闘力を持つ。

 船を落とした男と、その船を砕いたからこそ被害をまぬがれた男。両者は誰よりも早く戦闘を再開していた。

 このまま立ち止まっていれば、他の海兵たちもまた戦い始めるだろう。

 

「全員、立ちなさい! 止まっているヒマはないわ、このまま目的に向かって走るわよ!!」

 

 ギーアは手勢に指示を飛ばす。

 

「モリアと私、船を奪うチームとオークション会場から宝を奪うチームの二手に分かれるわ!」

 

 言って、ギーアは一方を指差した。

 浅からぬ粉塵の向こう、かすかに見える巨大な影は、港湾の端に泊まる異常な大きさを誇る船だ。シキが戦場の破壊に使わなかったそれは、自分たちが狙う獲物の一つである。

 このオークションの目玉になるはずだった、世界最大という触れ込みの巨大船だ。

 

「あれを奪って逃げる算段をつけなさい! ステラとペローナ、あと今の攻撃で“皮”がやぶれたブギーマンズはこっちよ! 残りは私と一緒に……」

 

 しかし、言えたのはそこまでだった。

 

「え?」

 

 疑問するステラの声が遠い。

 当たり前だ。彼女たちから遠く離れた場所に吹き飛ばされたのだから。

 

「ぁぐあっ!!」

「ギーア!?」

 

 モリアの叫び。だがそれを遮るものがある。

 大柄な肉体だった。スーツの上からでも屈強と分かる体は、しかし至るところから煙を吹かし、体の輪郭を崩している。

 

「ぐ……っ!」

 

 煙が爆ぜるたびに苦悶が漏れた。

 傷ついたブギーマンズと同じ、影を失った者が陽を浴びた時の反応だ。けれどその人物は、誰もが悲鳴をあげるその症状を得て、しかしゆらごうとはしなかった。

 ギーアの知る限り、そんな相手は1人しかいない。

 

 

 

「海兵、モモンガ!!」

「ハァッ……ハァ……ッ! やってくれたな、海賊!」

 

 

 

 あの日、あの船で最初に影を奪われた男が、そこに立っていた。

 

「船ごと死なれちゃ困るから救命艇で放逐したっていうのに、どうやって戻ってきたんだか」

「部下たちの無念を思えば、たやすいことだ」

 

 答えたモモンガの眼光は、粉塵の中にあって輝くかのようであった。

 

「天竜人を手にかけ、私の部下を皆殺しにし、あまつさえこの戦場でも多大な被害を出した! 貴様らはまごうことなき本当の悪だ!!!」

「……正義になろうとしたことはないわ。今も昔もね」

 

 海賊になってからは当然。それ以前ですら、ジェルマに生まれ育った自分は、世間から見れば悪の軍勢に他ならない。

 自分という人間は、そういう星の元に生まれたのだ。

 

「モリア、作戦変更よ! 宝を奪うチームはリューマに率いらせなさい!!」

「何!? お前、まさか!」

「私は、こいつの相手をする!!!」

 

 瓦礫を踏みしめて立ち上がり、ギーアは拳を構えた。

 握りしめた力を、眼前の敵にぶち込むために。

 

「大丈夫、今度は待たせないわ」

「……とっとと追ってこいよ! 行くぞ野郎ども!!」

 

 モリアの命令で、集団が瓦礫を蹴って離れていくのが分かる。視界の端であっても、それを見送ることができたのは幸いだった。

 一瞬の隙も許されない、強敵と対峙する最中にあっては。

 

 

 

「部下の仇だ……。貴様らは!! 私が討つ!!!!」

「仲間は追わせない。あんたはここで潰す!!!!」

 

 




次回はギーアvsモモンガ再戦。
果たして海軍本部の将校を相手に勝てるのか!? 的な雰囲気で。


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"海賊ギーアvs海軍将校モモンガ"

スリラーバーク編決戦。
今更ですが、作中でスリラーバークって名前でてきてないのにスリラーバーク編って言って良いんですかね。


「来た、海賊だ! ここで止めろ!」

「邪魔だ海軍!!!」

 

 振り抜く刃は斬撃を放ち、さえぎる敵を切り倒す。

 この船に入って何度目の応酬となるか、モリアは記憶していない。いずれもとるに足りない相手だったからだ。

 しかし、ひしめく海兵の数はこちらをはるかに上回る。

 自分たちが打ち勝つには本丸を落とすしかない。

 

「野郎ども! とっとと操舵室を抑えるぞ!!」

「了解ですご主人様!!」

 

 こちらはブギーマンズと兵士ゾンビが数百人。

 兵力の質は勝るが、ブギーマンズの大部分は手負いだ。体を包む“皮”の所々が破けていて、油断すると中身が陽の光を浴びてしまう。

 幸いなのは、船上にも関わらず遮蔽物に恵まれたことだ。

 

「まさか船の上に森があるとはな」

 

 信じがたい大きさなのは分かっていた。

 だが、モリアをして見上げるほどの大樹で満ちた、鬱蒼とした森があるとは想像もしていなかった。

 

「ちょっとした小島だぜ、これは」

「信じられない。……天竜人も欲しがる訳だわ」

 

 応じるように呟いたのは、肩に乗るステラだった。膝の上にしたペローナを、走る揺れで転がり落ちないように抱きかかえている。

 つい先日まで奴隷だった女が、幼女一人抱えて走り続けることは不可能だったのだ。倒れそうになるステラを見かね、モリアは邪魔にならない肩の上へと置いていた。

 それほどまでにこの船は広い。

 

「だが、船もデカけりゃ舵輪もそうなるらしい。良い目印だ」

 

 そう言って見上げる先、木々の合間に覗けるものがある。

 城と、その背後に建つ巨大な帆柱だ。そこには大きな滑車のような装置があり、かけられた極太の鎖を垂直に垂らしている。

 最初は何のためにあるのか分からなかったが、どうやらあれが舵輪らしい。滑車の仕組みで舵をとる仕組みのようだ。

 

「つまりあの真下が操舵室だ。そこを落とせば、この船を出航させられる」

「そうなりゃどんなに海兵どもが残ってても慌ててに港に逃げますね、ご主人様!」

「もし残っても、本隊から分かれた奴らなんて物の数じゃねぇ! まとめてゾンビにしてやらぁ!」

「キシシシ! 頼もしいな、我がゾンビ兵ども! だが吟味を忘れるな、影を奪うんなら死なせちゃならねェんだからな!!」

 

 盛り上がる後続の部下たちにモリアも笑う。

 ステラはことさらに揺れる肩から落とされまいとしがみついていたが、そこでふと言葉をもらした。

 

「……島に残ったみんなは間に合うでしょうか」

「ヤツらが心配か?」

 

 それは部下たちに対するものとは違う、押し殺したような真に迫る声だった。

 モリアの部下はここにいるだけがすべてではない。遠雷のように戦いの音が響く港湾で、残り半分の部下たちが今も戦い続けているのだ。

 

「オークション会場に乗り込んだ連中なら大丈夫だ。率いるリューマはワノ国の剣豪、中身は海軍将校の影だ。格下に敗けるような戦力じゃねぇ」

「でも、ギーアさんはその影の本体と戦っている」

「……モモンガか」

 

 かつて戦場で相対したモリアだ。その強さは今も覚えている。

 最後に見た時の、怒りと恨みに満ちた目も。

 

「彼にとって私たちは仇です。貴方の右腕であるギーアさんなら、特に恨んでいるはず」

 

 言って、ステラは震えながら目をつむった。

 ひどく恐ろしいなにかを思い出し、恐怖するかのように。

 

「恨みは人を強くする。ブギーマンズ、いえ、私たちが海兵に対してそうだったように」

「そうだな。おれたちが敵を破ってここまで来れたのは、あいつらが強くなった以上に、敵を滅ぼしたいと強く思っていたからだ」

「では、やはり」

「楽には勝てねェだろう。元々、ヤツらの実力はせめぎ合っていた。なら戦意で勝敗が左右されてもおかしくねェ」

 

 だが、

 

「ステラ、てめェは知らねェだろうがな。……アイツは海軍大将相手にしんがりをして、生き延びたヤツさ」

「!!!」

「しかも地獄の監獄にぶちこまれながら、大海賊とともに脱獄するなんて離れ業で帰ってきやがった。ギーアには実力と強運が備わってるのさ」

 

 そこまで言って、モリアは頬を吊り上げた。

 するどい牙ばかり並ぶ口で三日月を描き、途方もない獰猛な表情を浮かべる。その中に、確かな信頼を含ませて。

 

 

 

「ギーアを信じろ! あいつはおれを海賊王にする女だ!!!」

 

 

 

 背後で戦う味方への信頼は追い風となる。

 ついにモリアたちは森を抜け、操舵室がある船の中心部に迫ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 檄音の直後、港湾に面する家は穿たれた。

 

「あぐぁっ!」

 

 建材を無数の瓦礫に変えて、ギーアはしたたかに体を打ちつけた。床を削り、いくつもの家財を弾き飛ばしたところでようやく止まる。

 痛みをこらえるために止めていた息を吐きだし、熱をあげた我が身のために新鮮な空気を吸い込む。

 擦り傷。

 打ち傷。

 だがそれ以上に切り傷。

 隙間なく埋め尽くしたそれらがギーアを苛む。普段であればヌギヌギの実の力で脱皮し、手早く回復するところだ。

 しかしその間を敵は許してくれない。

 

「!」

 

 跳ねるように身を起こし、腕を構える。

 迫る相手を受け止めるために。

 

「“斬技渡(きぎわたり)”!」

「うっ!!」

 

 その速度はまるで砲弾。

 しかし砲弾は、これほどまでの気迫と威力で刀を振るうことはない。

 

「“犯捕(ばんどり)”!」

「“百具破(ももぐは)”!」

「“威太刀音速(いたちねずみ)”!!」

 

 絶え間ない斬撃が視界を覆いつくす。

 きらめく白刃は輝きの残像を引き、まるで光る檻が迫ってくるようだ。風を切る音が重なり、嵐の中にいるような気さえする。

 覇気をまとう黒金色の腕で迎え撃つが、

 

「“飛倉武蔵(とびくらむさし)”!!!!」

「!!!」

 

 斬撃は防御ごとギーアを吹き飛ばす。

 大蛇を鞭代わりに叩きつけられたような感覚。極太であまりにも重い一閃は、こちらが堪えることすら許さない。

 受けた次の瞬間には、背が後方の壁を砕いていた。

 

「ぐあ……!!」

 

 衝撃が肺を打ち、血を噴くように息が抜ける。

 骨の髄を激痛が駆け巡り、全身の筋肉が萎縮するのを感じた。これほどまでの威力は、単なる鍛錬だけで得られるものではない。

 

(なんて戦意!)

 

 度し難いほどの感情に裏打ちされた猛攻だ。

 鋼仕込みの腕に覇気を集中させ、ようやく斬撃を鈍らせることができる。もしあと一歩でも覇気が足りなければ、自分はすでになます切りになっていただろう。

 刃をふるう男の怨嗟はそれほどまでに執拗だ。

 

「……随分私にお熱ね? モモンガ准将殿」

「貴様は! 貴様らだけは!! 許す訳にはいかんのだ!!!」

 

 眼光は燃え盛るように輝く。

 敵意、害意、殺意、そういったもので勢いを増す猛火のごときものを瞳に宿しているのだ。

 

「部下たちの仇! 天竜人を殺した社会の敵! 貴様らこそ“悪”だ!!!」

「天竜人こそ、世の害悪だと思うけどね」

 

 にやり、とギーアは唇を舐めた。

 海賊は逆境でこそ笑うものだから。

 

「あれから目をそらすことを、どうとも思わないの? 奴隷にされた者たちが反旗をひるがえしたことこそ、人にとってあれがどういうものかを示してる」

「……だがそれは“正義”ではない」

 

 男の目に理性が差し込んだ。

 しかしそれも一瞬のこと。凝り固まった理念がそれを押し潰し、言い聞かせるようなかたい声が絞り出された。

 

「今ある社会に牙を剥いた時点で、何より貴様ら海賊に加担した時点で、あの者たちも“悪”! 同情に値しようとも、それで理を曲げることはできない!!」

 

 ギーアに、あるいは自分に向けて言うかのように。

 

「裁きに情はいらんのだ!!」

「話にならない」

 

 立ち上がる姿こそ陽炎のようだ。

 なにも感情に火がついたのはモモンガだけではない。ギーアもまた、その目に激情を灯して敵を見据えている。

 

「“正義”か“悪”かなんて興味ない。あんたが何を思うかも自由。……でもね、私や仲間に手を出すなら、こっちも自由にやらせてもらう」

 

 拳がある。

 意思とともに。

 

 

 

「あんたが“正義”だとしても!! 私の“敵”よ!!!」

「まさに海賊!!!」

 

 

 

 互いの思いは放たれた。ならばあとは押し通すだけ。

 男と女が駆けるのは同時であった。

 

「“割空(かっくう)”!」

「“閃光火拳(フラッシュヴァルキリー)”!」

 

 鉄と鉄。

 斬撃と熱量が衝突する。

 

「ああああああああああああああああああああ!!」

 

 吼える。相手を討つために。

 感情を叫べ。意志を示すことこそ戦いだ。

 全身全霊は今この瞬間のためにある。

 

「……っ!!」

 

 星が生まれたかのような輝きは二人を弾き飛ばす。空気が破裂し、弾けた威力は建物の中で荒れ狂う。

 それでも戦う者たちが倒れることはなく、今なお敵を倒すために走り続ける。

 

「やぁ!!」

 

 攻めたのはギーアだ。

 得物を持つモモンガとは違い、ギーアは徒手空拳。四肢を自由にできる分、立ち回りの早さには分がある。

 振り下ろす蹴りがモモンガを捉えた。

 

「ぐおっ!」

 

 半身を打ち抜き、男の巨躯を叩き伏せる。床を砕いて跳ね上がるそこへ、更なる追い打ちが飛ぶ。

 

「“旋風断頭(ジェットダントン)”!」

 

 噴射によって蹴りは加速する。当たりさえすれば背骨もへし折る強烈な一撃だが、

 

 

「“月歩(ゲッポウ)”!」

「!」

 

 

 しかし空中を跳ぶことによって躱された。

 煙が爆ぜ、それを踏むかのようにしてモモンガは上空へと身をひるがえす。

 今や男はこちらを見下ろす位置取りだ。

 

「政府側の体術、“六式”ね!」

「ふん、私の影から聞き出したか」

「素直はゾンビの長所。あんたの強さは全部教えてくれたわ」

「ならばこれも知っているな!? 私が使える三つの“六式”!!」

 

 体を逆さまに、天井へと着地したモモンガは、次の瞬間かき消えた。

 

「“(ソル)”!!」

 

 跳んだのだ。次の瞬間、男の姿は眼前に現れる。

 そして、

 

「“嵐脚(ランキャク)”!!!」

「!!」

 

 振り抜く脚が斬撃を生んだ。

 風を切る風、鎌風だ。鍛え抜かれた脚力がカマイタチを生み出したのである。刃渡りと呼ぶべきものはあまりに長大。刀が繰り出す技よりもずっと大きく、長く、広い。

 だが、

 

「この程度……!」

 

 ギーアの強固な両腕を崩すには至らない。

 

「ええ、知ってるわ! 六つの技であんたが使えるのは足由来のものだけ! しかも“嵐脚”は、“月歩”と“剃”を身につけた結果使えるようになった、おまけ程度の練度ってこともね!!」

 

 今はオークション会場へ向かったリューマは、このモモンガの影で動いている。男と同じ強さと技を持つそれは、持ちえる技量をつまびらかに教えてくれた。

 “六式”を身につけたのは、戦闘において俊敏に動き回るためであったと。

 

「空中移動と高速移動を叶える脚力なら、たしかに強風ぐらい起こせるでしょうね! でもこの程度の威力じゃ、倒せるのは雑魚ぐらいよ!!」

「ああ、分かっている。貴様を倒すのはこの刃だ」

 

 構えられた白刃が光を放つ。

 男が構える刀こそ、ギーアが真に注意すべきものだ。覇気をまとう鋼仕込みの腕でさえ防ぎきれない、圧倒的な威力を誇る強力な武器である。

 これを越えなければギーアに勝利はない。

 

「………………」

 

 気がつけば、互いに声を無くしていた。

 ギーアがそうであるように、モモンガもまた、相手の最たるものを越えるために、全身全霊を己の武器に集中させていたのだ。

 女は拳。

 男は刀。

 自らのそれで相手のそれを破るために。

 静けさの中で、押し殺した戦意が空気を震わせる。

 そして、

 

「!!!!」

 

 力は放たれた。

 

「“王鉄砲(のうでっぽう)”!!!」

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!!」

 

 矢を放つがごとき男の突撃を、しかし光が包む。

 ギーアの放つ強力な熱量は部屋を焦がし、屈強な男の全身を焼き尽くす。

 爆ぜる空気があらゆるものを吹き飛ばした。

 ただ一つの例外を除いて。

 

「おおおおお!!!」

 

 モモンガだ。

 心に差した一本の槍、戦意という意思を支えにして、折れることのない感情で満ちた体は止まらない。

 

「な……!」

 

 光熱を抜けて現れた男にギーアは驚愕する。

 “六式”で鍛え抜かれた突撃はまさに巨大な弾丸。刃を水平に構え、残像が一直線に伸びる様は長大な槍のようですらある。

 わずかな間を一瞬で詰め、切っ先が迫った。

 

「!!!!」

 

 貫きは為された。

 豊かな乳房のあいだ、心臓のある場所を鍔が触れようかというところまで、深々と刃が突き刺さる。

 まごうことなき致命傷だった。

 それが、人体であれば。

 

「何!?」

 

 しかし、ない。

 出血がない。

 それどころか、端正な顔からは目や歯、舌といったものが失われ、ぽっかりと闇を覗かせている。

 つまりこれは、

 

「“瞬間脱皮芸・空蝉(しゅんかんだっぴげい・うつせみ)”“!!」

 

 声は貫かれたギーアの背後にあった。

 何故なら彼女はそこにいるからだ。

 

「身代わりか!」

 

 モモンガが穿ったのは、ギーアが脱ぎ捨てた“皮”だ。その背を破って後ろに退いた本体は、“皮”の影に潜んで刃を躱している。

 さらに、

 

「うっ!?」

 

 “皮”が引っ張られ、巻き取られた刀につられて男の構えが崩れる。つんのめった体に生じた隙は、まさしく絶好の好機だ。

 

「おおおおおおおおお!!」

 

 雄叫びを追い抜き、覇気をまとう一撃が敵を討つ。

 

 

 

「“戦意心矢(ソウルホーネット)”!!!!」

「!!!?」

 




おまけ。
モモンガの技は、動物のモモンガの古い呼び名や妖怪・野衾(モモンガやムササビの姿をしているとされる)からとってます。

①野伏魔(のぶすま)…野衾。モモンガやムササビの別名でもある。
②飛倉武蔵(とびくらむさし)…野襖の別名「飛倉」+歌川国芳作『美家本武蔵 丹波の国の山中にて年ふる野衾を斬図』
③斬技渡(きぎわたり)…木々渡り。モモンガが木々を飛んで渡ることから
④犯捕(ばんどり)…バンドリ。モモンガの別名。
⑤百具破(ももぐは)…モモングァ。江戸時代の古い呼び名。
⑥威太刀音速(いたちねずみ)…鼯鼠。モモンガの別名。
⑦割空(かっくう)…滑空。モモンガがやるアレ
⑧王鉄砲(のうでっぽう)…野鉄砲。野衾の類型にあたる妖怪。

ちなみに日本においてモモンガとムササビは区別されていなかった時代があり、呼び名は結構ごっちゃです。なのでこのへんはふわっと考えてください。本題じゃないし。





p.s.
第4話「ワノ国を出国せよ」にページワンが登場する流れ、原作の時系列的に修正しなきゃいけないんですが、少々お待ちいただければ。
なけなしのモチベーションなので、スリラーバーク編を終わらせることに集中させたいのです。一段落着いたら修正します。


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“ギーア99(ダブルナイン)

「“戦意心矢(ソウルホーネット)”!!!!」

 

 叫ぶ時、すでに必殺はある。

 ギーアの一撃がモモンガの胸に刺さっていた。

 覇気により黒金色に染まった抜き手は、鋼鉄の槍にも勝る威力だ。それを胸に受けては、さしもの海軍将校といえどただでは済まない。

 

「ぐ、ぶっ」

 

 眼球はこぼれんばかりだ。

 目は見開かれ、たくわえられた口ひげをしとどに濡らして吐血があふれる。散ったいくつかの飛沫は、ギーアの顔をかすめていった。

 筋骨隆々の体が震え、まるで巌のようだ。

 明らかな決定打。生半可な兵士であれば、致命傷になっていてもおかしくない一撃を与えたのだ。むしろ、崩れ落ちない彼の頑強さに驚かされる。

 

(でも、これで)

 

 倒した。

 あとはまた縛りつけて日陰に放置すればいい。そうすれば後で部下の海兵が回収するだろう。その後は日の当たるところに出られない身の上だが、敵の不幸に同情するギーアではない。

 すでに影をゾンビに仕込んでいるモモンガが死ぬのは困る。こちらのゾンビ、主力のリョーマが使い物にならなくなるからだ。

 だから男から腕を引き抜こうとした。そうして倒れるだろうモモンガを捕えて寝かし、先行した仲間たちを追いかけよう、と。

 しかし、

 

「!?」

 

 抜けない。

 男の胸から、突き刺さった手を抜きだせない。まるで岩に噛みつかれたようにびくともしない。

 嘘だ、と思った。

 指の根元まで埋まっているのだ、心臓に直撃していると言っていい。それは主要な臓器を痛めるだけでは済まない。全身の血のめぐりを乱されるからだ。

 血を吐いているのだ、それは確実に起きている。

 なのに、

 

「貴方!」

「ま、まだだ、まだ……!!」

 

 男は倒れない。

 男は立っている。

 海軍将校モモンガは折れていない。

 

「まだ貴様が、倒れていない!!!」

 

 男の形相は鬼のそれであった。

 口とひげは赤黒く滴り、額は蒼白になって脂汗ばかりが浮かぶ。痙攣する首には極太の血管が浮かび上がり、崩れそうになる体を必死で堪えている。

 血走った眼差しをつきつけられた。

 ありあまる、燃え上がる殺意と敵意を。

 

「貴様は! 貴様らはここで討つ!!!」

 

 膨れ上がる男の腕。残る全身の血を集めたような剛腕は、握る刀を絡めとったギーアの“皮”を引き裂いた。

 そして掲げられる。

 

「ぐ……!」

「逃がざん!!」

 

 手に食らいつく胸筋の力が一層強くなる。もはや指先がへし折れんばかりの力がかかり、ギーアの力をもってしてもびくともしない。

 離れられない。

 だから一撃は注がれた。

 

 

 

「“野伏魔(のぶすま)”!!!!」

「!!!」

 

 

 

 滝にも似た一撃は、けれどかつてに勝る威力だった。

 

「あ、が……っ!!!」

 

 両断されなかったのが奇跡だ。

 刀でもって斬るには間合いが近すぎたこともあるが、何より激情の乗った一撃があまりにも重すぎたことが原因だった。

 ギーアを呑む斬撃はすさまじく、捕らわれていた腕は引き抜かれ、木っ端同然に吹き飛ばされる。

 荒々しく、それだけに多くを巻き込む一撃だ。

 二人のいる家を半分消し飛ばし、それどころか延長線上の家屋を軒並み瓦礫に変えて散らしてしまう。

 ギーアの周囲は一瞬にして瓦礫の荒野と化す。

 

「! ……! ……っ」

 

 砕けた建材の身を埋めて、しかしなおも生きようとする本能が体を痙攣させる。けれど血を噴き、筋肉が竦むばかりで、身を起こすことすらできない。

 

「ゴフッ! ゴホッ!」

 

 対するモモンガもまた、ただでは済まない。

 咳に混じって血と唾液を吐きだし、突き立てた刀を杖代わりにしてようやく立っている有り様だ。

 それでも、戦場を征したのはこの男だ。

 

「ハァッ! ハァッ! あれを食らわせて、切り裂くこともできんとはな……!」

「ぅ、ぐ」

「だが最早立てまい、そのまま倒れていろ。次に目を覚ました時は牢獄の中だ。貴様の仲間もろともな!」

「あああ……!」

「裁きを受けろ海賊!! 貴様ら全員、刑場に叩きこんでやる!!!」

 

 睨むこともできなかった。

 直後、ギーアは意識すら保てなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くとギーアは闇の中にいた。

 重い闇だ。指先にまでへばりついてくるかのように。墨かなにか、否、ヘドロの中に全身を沈めているような感覚であった。

 

(ここはどこ?)

 

 記憶はあいまいだ。

 何故こんなところにいるか。

 そもそもここはどこかに実在するのか。

 ひょっとしたら、生きているうちはいけないような場所なのではないだろうか。

 

(私は死んだの?)

 

 そう思った瞬間、指先が崩れた。

 全身がほぐれた糸か、あるいは溶け出す水になって、際限なく広がっていくのが分かる。その範囲は次第に広がり、体や頭にまで至ろうとする。

 遠からずして、この意識すら失せるだろう。

 

(仲間を置いて死ぬの?)

 

 その時差したのは思いだった。

 

(彼との約束を破って?)

 

 主と定めた男との二度目の約束。

 生きて帰る、その誓い。

 破るのか。

 

(一度目は、地獄みたいな監獄からでも帰ってきた。なのに、こんなぬるま湯みたいなところからは帰れないの?)

 

 思った時、薄まる意識に感情が注がれた。

 これだ。そう思った。

 これが闇の中にあって必要なものだと。

 

(思え、ギーア! 彼への誓いは死に勝る!!)

 

 熱だ。感情がそれになる。

 糸か水になって広がる自分に、それが通っていく。糸というならそれらを血管にしろ、水ならばそれそのものが血潮だ。自分の命を見せつけろ。

 死よ。

 まだ私には赤いものが通っているぞ。

 

(――死ねない!!!)

 

 仲間を守る。

 約束を守る。

 生還は当然だ。それよりも大きな誓いがある。彼を海賊王にするという誓いが、まだ残っている。

 立て。

 生き返れ。

 そして敵を討て。

 持てるすべてを賭して勝利しろ。

 

(!)

 

 瞬間、光が闇を裂いた。

 

(あれは)

 

 さながら一本の剣だ。はるか高みからくる一筋のそれは、黒一色のものを掻き分けてギーアの胸に突き刺さる。

 胸。

 そう、それはある。自分は形を取り戻そうとしている。胸は胴となり、やがて肩や腕や足、指先となる。もはや意志だけのものではない、自分は正しく闇と分離した一人の人間だ。

 そして、光の中に景色を見た。

 

(私の、記憶?)

 

 これまで見てきたものが、映像となって光に投影されているのが分かった。

 敵将たちとの対峙。

 巨大船で得た新たな部下たち。

 モリアと再会して約束を果たした時のこと。

 それからシキとの脱獄、海軍大将との対決、ダグラス・バレッドとの戦い、ワノ国からの出国、次々と映し出されていく。

 そうしてモリアとの出会いを過ぎて、

 

(これは)

 

 それ以前のことも表れた。

 大看板クイーンに囚われ拷問を受けた日々、数多の勢力から逃げ続けた日々、あの戦争で同格の軍隊長とともに脱走したが袂を分かった時のこと。

 それも越えて映るものは。

 

(ジェルマ王家)

 

 かつて心のない兵士として仕えた血族。

 数百年に渡る怨恨と宿願に囚われる一族。けれどそれを笑うことはできない。かつて自分もそうだったのだから。

 例外はたった一人だ。

 

(ソラ様)

 

 自分に心をくれた、優しい王妃。

 彼女がいなければ今もあの国で戦っていただろう。きっと、あの男の忠実なしもべとして。

 

(ヴィンスモーク・ジャッジ)

 

 一族の野望を王位とともに継いだ王。

 かつては輝く星のようにも思われた男。

 そう思えばこそ、ギーアは自らの体を差し出した。複製人間の元にもなったし、改造人間の実験体にもなった。

 だがやがて男は、育った人間への改造よりも、生まれそのものへの改造を思いつく。

 

(生まれながらに情緒を持たない、けれど強靭な肉体と強固な表皮を持つ天性の強化人間)

 

 ソラがその母体となると、それを聞いた時だ。自分の中に叛意が生まれたのは。

 だからこそ自分は軍を抜け、祖国を離れ、

 

(……ぁ)

 

 ギーアは閉じていたものが開く音を聞いた。

 改造人間。

 強固な肉体。

 それらは自分の原点だ。

 今となっては悔いばかりが残る、憎しみによって捨て去ってしまった自分の原風景。しかしどうあっても否定しきれないもの。

 

(否定するものじゃないのかもしれない)

 

 ギーアは天啓を得た。

 

(ジャッジへの恩讐、戦争ばかり繰り返す祖国と軍隊、これまでずっと否定してきた。でも、それがなければ今の強さは持ちえなかった)

 

 そうだ。

 

(ソラ様への感謝と同じだったんだ)

 

 あらゆる過去は今のためにある。

 自分がどう思っているかの問題であって、過去はいつだって自分の力になってくれる。

 だからこそ、

 

「――過ぎた日々よ、私を包め」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気がつけば立ち上がっていた。

 思ってそうしたのではない。心が命じる前に、五体はそれを為していたのだ。体と心が同じことを望んでいる、そんな風にさえ感じられる。

 

「……フーッ……フーッ……」

 

 痛まないところなどない。

 流れ出る血潮に乗って命が漏れていくのが分かる。爪先にいたるまでどうしようもなく熱いのに、頭の中身だけは冷え切った鉄のように澄んでいる。

 心身はもはや道理と手を切ったのだ。

 決意が限界を凌駕する。

 眼前の敵を倒せ、と。

 

「まだ立つか。やはり化物の将は化物だな」

 

 立ち去りかけたモモンガが振り向いた。鞘に納められた刀、その白刃を再び輝かせる。

 粉塵浅からぬ中にあって、その光はギーアの首を照らし出す。

 そっ首落とす、その意思を表すように。

 

「……そうね」

 

 血反吐を吐いてギーアは答えた。

 言葉を紡ぐほどに、喉と肺の中から体が削れていく。それほどまでに体は傷ついていた。

 しかし思いは止められない。

 見たものを言葉にしたい、と。

 闇に差す光が見せたもの、その尊さを。

 

「今に始まったことじゃない。私は昔から、化物が治める国に生まれた、化物だったから」

 

 ジェルマ王国。

 尽きぬ妄執を薪にして燃え盛る戦争国。個人の思いを離れ、血筋の系譜に意思をゆだねる様は、まさしく化物の有り様だ。

 そこに生まれ、それに染まり、そう生きてきた。そのことを否定できはしない。

 光熱を放つ鋼仕込みの腕。風を噴いて空を飛ぶ足。全身に埋め込まれた機械がその証拠だ。戦いに勝つため生来の肉体を捨てた。それを変えられはしない。

 けれど、

 

「――この胸に決意がある限り、私は人間よ」

 

 あの方が自分を人にした。

 鉄の体に血を通わせてくれた。

 情と意志の意味を教わったのだ。

 だから今、自分は彼らのために立ち上がれる。

 

「仲間は死なせない。だから敵を倒す。そして」

 

 そして、

 

「――彼を海賊王にする」

 

 それが決意だ。

 

「これが私よ」

「ならば断とう、その我欲」

 

 事ここに至って理解は不要。

 自我と大義、相いれない目的のぶつかり合いだ。向き合う敵が刃を引くはずもない。

 構えられた切っ先は的確にギーアを狙う。

 

「その意気や良し、敵ながら見事。しかしそれを目指す限り、貴様は討つべき“悪”だ」

「“正義”に興味はない。ただ、私たちは自分のために戦うだけ」

 

 そしてギーアは構えた。

 我流だった。胸に湧くものを象る、突き動かされた動きだ。

 祓うように手刀を水平に薙ぎ、もう一方の手で空を握りしめ、結んだ拳を眼前に掲げる。そして誓いを捧げるために顎を引き、瞑目した。

 この手に賭けて決意する。

 

(敵を討つ)

 

 ここにあるのは化物の力。

 闘争の産物、鋼仕込みの血肉。

 けれど用いる意志が胸にある限り。

 ギーアは違う。あの国のものどもとは。

 だからこの技に、逆しまの名を与えよう。

 

 

 

「“ギーア99(ダブルナイン)”」

 

 

 

 

 かくして我が身は黒金色に染まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「武装色の覇気。全身にか」

 

 刃の先を微塵も揺るがさず、鷹の眼光が鋭く細められる。ただならぬ変容を前にしても、海軍将校の胆力は動じることがないらしい。

 

「窮したな。全身をにまとう力量は見事、だがその密度は一点集中に勝るものではない。それが分からぬ貴様でもあるまい」

「だったら来なさい」

 

 黒く染まったかんばせでギーアは誘う。

 眼前の拳は弧を描いて伸ばされ、一直線に敵将へと向けられる。その身を打ち抜くと予告するために。

 

「ここからの私は一段強い。もう貴方は届かない」

「ならば見せてみろ」

 

 そう言ったモモンガの姿は眼前にあった。

 

「“(ソル)”!」

 

 地を連打する高速移動だ。

 距離を無意味にする脚力が発揮され、巨躯の男は眼前の壁となって立ちふさがる。

 刃が降る。

 

「“飛倉武蔵(とびくらむさし)”!!」

 

 膨らんだ斬撃をまとう一刀が叩きこまれた。

 肩だ。首の隣から反対側の脇へと抜ける袈裟斬り、骨もはらわたもなく断ち切る剛剣である。

 必殺の業だった。

 これまでなら(・・・・・・)

 

「!!?」

「言ったはずよ」

 

 止まっていた。

 斬撃が霧散する中で、女の体は刃を通さない。

 

「もう貴方は届かない。……薄皮一枚でね」

 

 拳が唸った。

 そうだ、一撃を刻め。

 

 

 

「“不乱拳(ジョンドゥアーツ)手打印(シュダイン)』”!!!!」

「!!!?」

 




決戦・中編。次でvsモモンガは決着です。


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“早撃ち勝負”

決戦・後編です。決着つけます。


 家並みが一直線に砕かれる。

 射線上にあるすべての壁を貫き、風を打ち破って頑強なものが翔け抜けるからだ。

 

「ぐおおおお……ッ!!」

 

 モモンガだ。

 数多の障害物を壊し続けるものの正体は、人体だったのである。

 鷲のそれを人に直したような顔は、険しく歪められていた。食いしばった歯からは噛み殺しきれない苦悶が漏れ、それはまたたく間に置き去りになる。

 男は飛ぶ。

 否、飛ばされる。

 彼に迫る黒金色の女によって。

 

「!!」

 

 今やモモンガの速度は弾丸にも勝る。けれど女は追いついたのである。たった数回地を蹴るだけで成し遂げる、圧倒的な脚力のなせる業だ。

 その姿はあまりに黒い。

 影ではない。体自体が黒いのだ。

 服さえも黒金色に染まった姿、それが仰向けになって吹き飛ぶモモンガの上空に現れる。

 ギーアに他ならなかった。

 

「“不乱拳(ジョンドゥアーツ)”!」

「ぐ……!」

 

 ギーアの叫びに身構えられた。

 しかし無駄だ。今この身に宿る力は、彼のそれをたやすく打ち破るのだから。

 

『“魁力(ストロング)』”!!」

「!!!」

 

 断頭台の一撃だった。

 打ち下ろす打撃はモモンガを叩き落し、その身は地を砕く捨て駒と化す。舗装は砕けて舞い上がり、跳ねあがった男の体は、水切りさながら幾度となく地面に激突した。

 その末に、また建物の壁を打ち破る。

 

「……! …………ッ!!」

 

 日向では消滅する身の上となったモモンガだ。屋根の下に転がり込んだのは不幸中の幸いかもしれない。もっとも、それは全身の痛みと流血を看過するならば、だが。

 衣服はとうに引き裂かれ、あふれ出すもので赤黒く染まっていた。常人であれば、骨から臓腑から何もかもが粉々になっていてもおかしくない有り様だ。

 そうならないのは、一重に鍛錬の結実と言うしかない。

 

「ハァ……ハァ……ッ! ……ガフッ」

 

 震える足でモモンガは立ち上がる。

 海軍将校にまで上り詰めた男の闘志は、その身がたやすく屈することを許そうとはしない。

 

「……執念ね」

 

 モモンガがぶち抜いた壁の穴をくぐり、ギーアは建物の中へと進んだ。

 大きな建造物だ。見渡せるほどに広いそこは、港湾に面した倉庫の一つらしい。船の積み荷をオークション会場に運ぶまでの仮置き場のようだ。

 決着の場としてはあつらえ向きだ。

 

「おおお……っ!」

 

 双眸が幽鬼の光を放つ。

 

「“犯捕(ばんどり)”!!!」

 

 斬鉄の一刀、しかしそれは甲高い金属音をもって跳ね返される。

 ギーアの肌が弾き返した音だった。

 

「……!! おおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 激情は雄叫びとなって噴き上がる。

 奮い立つ両腕は幾度となく刀を閃かせ、連撃となってギーアのいたるところを攻め立てた。

 顔。

 首。

 肩。

 胴。

 足。

 狙える場所はすべて刃が振り降ろされた。

 けれどすべては無駄に終わる。苛烈な斬撃は、身構えることすらしない女の肌に傷一つつけることはできなかったのだ。

 

「せぅええええいッ!!!」

 

 渾身の一撃であったとしても、だ。

 

「無駄よ」

 

 首元を狙う袈裟斬りの一太刀。

 受ければ一瞬で胸が斜めに割られている一撃だ。にも拘わらず、ギーアは無防備でそれを受け止める。

 黒金色の首には、傷一つない。

 

「…………」

 

 男と女、刀が橋渡しする両者の動きが止まる。まったくの対峙であった。

 刀身に添えるようにして両者の眼光が交わされ、空気が震えあがるほどのにらみ合いとなる。

 それが、どれほど続いただろうか。

 

「――そうか」

 

 ぽつり、とモモンガは呟いた。

 

「貴様、“皮”を武装硬化しているのか」

 

 忸怩たる思いを渋面からにじませ、モモンガは納得せざるをえない現実を受け入れたらしかった。

 自分の攻めが通じないという事実を。

 

「そう、私はヌギヌギの実の能力者。負傷を脱ぎ捨て、少しずつ強くなる脱皮人間。……でも、“皮”は必ずしも脱ぐ必要はない」

 

 それこそが、伯仲するモモンガを圧倒した技の正体だ。

 

「全身を覆う“皮”を武装硬化する。薄皮一枚に覇気が集中するから、ただ全身を武装色で強化するより効率的に強化できる」

「覇気の密度を上げる技、か。この土壇場でよくぞ」

 

 モモンガの肩から力が抜ける。

 大きく息を吐き、ぎらぎらとした目が伏せられた。

 互いの拮抗が崩れ、これより先は圧倒されるしかないという現実に男の戦意が折れたから。

 では勿論ない。

 

「一点集中、ならばこちらも応えよう」

 

 力を抜いたのは意識を集中させるためだ。

 こちらの防御を突破し、堅固な薄皮の中にある本体をまとめて切り裂く刃を練り上げるために。

 

「――“黒刀”」

「!!!」

 

 柄から切っ先に向かって黒金色が走る。

 モモンガとギーアを橋渡しする刀が、覇気によって硬く強く強化されたのだ。

 その切れ味は、これまで歯が立たなかったギーアの首筋に刃が食い込んだことが証明する。覇気の密度が拮抗以上に持ち込まれたのだ。

 だがそれは捨て身の策だ。

 

「いいの? 貴方の体に回す覇気が残ってないわよ」

「貴様が打つよりも早く切り裂けば済むことだ」

 

 にやり、と男は血まみれの歯をさらした。

 

「早撃ち勝負だ、女海賊」

「上等」

 

 ギーアはモモンガが構え直すのを許した。自らまた肘を引き、拳を放つ構えをとる。

 互いに理解しているのだ、ここが終点だと。

 戦いを終わらせる応酬の時が来たのだ、と。

 

「…………」

 

 声はない。

 息づく音と視線だけが二人を結びつける。ただ眼前にあるものを討ち果たして先に進もうという、その意思だけが相手に向けられる。

 事ここに至って言葉は無粋。

 眼前の敵さえいればそれでいい。

 これさえ倒せば進めるのだから。

 門だ。目の前にあるのは鉄の門だ。

 鍵などない。進む術はただ一つだけ。

 ならば撃ち抜け。

 

「――“不乱拳(ジョンドゥアーツ)”――」

 

 破城槌たれ。

 

 

 

「“最者刃(ももんじん)”!!!!」

「“『壊物(モンストル)』”!!!!」

 

 

 

 意思は交差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして島の一角は荒地に帰す。

 破砕である。あらゆる物体を丹念にすり潰す破壊力によって、それが及ぶところは一切が吹き飛んだのだ。

 爆心地となった倉庫は内側から破裂し、放たれた威圧の本流は射線上にあった周囲の家屋をことごとく塵に変えた。

 破壊である。それに尽きた。

 天災のようなそれは、しかし人の手により、ただ一人を打ち倒すために放たれたものであった。

 

「……フーッ……フーッ……」

 

 破壊の起点には人影があった。

 濃密な粉塵に影を映すそれは、肩を揺らして荒く息づき、それでも二本の足で立っている。

 勝者だ。

 島に荒野を刻む大破壊を生んだ者。一対一の戦いを制した者こそが、粉塵の先に立っている。

 やがて風が吹いた。

 粉塵を晴らす一陣の風だ。吹き込んだそれは、瓦礫を転がしながら、そこに立つ者を露にする。

 戦いを制した者。それは、

 

 

 

「――押し通らせてもらったわ。さよならね、“正義”」

 

 

 

 女であった。

 ギーアである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無駄じゃなかったわ、貴方との戦い。こうして強くなることができたんだから」

 

 ギーアの体から黒金色が抜け落ちていく。

 覇気を解いたのだ。後に残されるのは、わずかに体の輪郭をたるませた姿。全身を包むギーア自身の“皮”だ。

 肌色を取り戻したそれであったが、しかし、

 

「あ」

 

 砕けた。

 風化するように端から散り散りになっていくそれは、限界を越えた素材の末路であった。

 

「あの量の覇気を注ぐには、薄皮一枚じゃ限界があるってことかしら」

 

 勝負は紙一重だったのかもしれない。

 覇気を解いた途端にこれだ。戦闘中に“皮”が限界を迎えてもおかしくはなかった。そうなっていれば敗れていたのはこちらの方だ。

 

「“ギーア99”には時間の限りがある。もう少し詰める必要があるわね」

 

 有用だが、窮地の思いつきだ。

 どこまで覇気が注げるのか、どこまで強くなれるのか、注いだ量と保てる時間に関係はあるのか。把握すべきことはたくさんある。

 そして何よりの問題は、戦った後の疲労感だ。

 

「……これが全力の代償って訳ね」

 

 瓦礫へと腰から崩れ落ちる。体中の血が抜かれたような空虚感があったからだ。

 ありったけの覇気を振り絞り、本来の自分が出せる限界以上の力を発揮する。そんな戦い方をして何事もなく済む筈がなかったのだ。

 

(ヌギヌギの実は疲労を癒さない)

 

 肉体的には怪我一つない身ではあったが、うちに秘めた疲労感たるや、骨身が鉛になったかのようだ。立つことすらままならない。

 倒れていないのは、一重に気合のたまものだった。

 

「……早くモリアたちを追わないと」

 

 この戦場におけるギーアの役割は勝利ではない。

 勝利は前提だ。戦うことによって先行させた仲間に追いつき、ともに戦場から脱するところまで達成しなければならない。

 敵将を討てばそれで終わる話ではないのだ。

 

「船は奪えたのかしら。宝を奪いに行った別動隊は、もう向かったの……?」

 

 うずくまった首をもたげ、青ざめた顔で先を見る。

 遠景の先にあるのは巨大な帆柱。モリアたちが向かった、世界有数の大きさを誇るという巨大船だ。だがそれはあまりにも大きく、ここからでは停泊しているのか遠ざかっているのかすら分からない。

 

(やっぱり直接行くしかないわね)

 

 だからギーアは膝に手をつき、立ち上がろうとして、

 

「……!」

 

 空気を穿つ檄音に、咄嗟の動きで腕をかかげた。

 銃弾を弾くためである。

 

「貴方たち……!」

「敵は手負いだぞ! 討ち取れェ――――!」

 

 海兵たちであった。

 

「モモンガ准将の仇をとれ!」

「准将の戦いをムダにするなぁ!」

「敵の幹部を討ち取るのだ!!」

 

 モモンガとの戦いに巻き込まれまいと遠巻きになっていた海兵たちが、決着と見るや押し寄せてくる。

 当然だ。自軍の幹部が落ちたのだから。

 

「……まいったわね。さすがにこの数は……」

 

 立ち上がりはする。だが、これでは生まれたての小鹿の方がマシという有り様だ。

 普段なら歯牙にもかけない相手だが、モモンガを下した後では、押し寄せる軍靴の音にも耐えられそうにない。

 卑怯とは思わなかった。

 個人の戦闘力を頭数で補うのは、軍勢の基本理念といっていい。

 問題は、正論であっても受け入れる訳にはいかないことだ。

 

「さて、どうやって突破したものかしらね」

 

 赤い舌が唇をなぞり、獰猛な笑みで自らを鼓舞する。

 蹴散らすしかない。

 仲間を追うために。

 

「おおおおおおお……!!!」

 

 獣じみた雄叫びで全身の筋肉を叩き起こす。

 一点でいい。包囲網のどこかを破り、そこを走り抜けるのだ。

 

「“閃光放(フラッシュフロー)……」

「お待ちください!!!」

 

 拳を引いた、その時であった。

 影が降ってきたのは。

 

「ここは私が!」

 

 影は人の形をしていた。

 迫る軍勢を飛び越え、ギーアの眼前に降ってくる男の影。それは干乾びた髪を結わえ、擦り切れた独特の服を着込む痩身の長躯である。

 そして、腰から抜き放たれるのは黒金色の一刀。

 

 

 

「“最者刃(ももんじん)”!!!」

「!!!?」

 

 

 

 その姿でもって極大の斬撃を放つ者をこう呼ぶ。

 サムライ、と。

 

「リューマ!!!」

「お待たせしましたご主人様! サムライ・リューマ、ただいま任務を達成し戻って参りました!!」

 

 別動隊を率いたゾンビの帰還であった。

 枯れ木を思わせる体で構えを作り、眼孔しかない目でもって、ゾンビは海兵たちを睨みつける。

 

「ここからは我々が相手だ、海兵どもォ!!!」

 

 反響するほどの一喝に、海兵たちは肩を震わせた。だがそれは威圧されたことだけが理由ではない。

 幾度となくその声に指導されてきた経験が、無意識のうちに彼らを縛りつけていたからだ。

 

「? ……!? え、え? モモンガ准将!?」

「馬鹿! どう見たって死体だろ!」

「で、でも今のは准将の技……! あの口ぶりだってまるで准将のようじゃないか!!」

「ていうか何で死体が立って喋ってるんだよ!!」

 

 今や海兵たちは踏みとどまり、めいめいに顔を見合わせて喚きあっていた。

 自分たちが仇を討とうとしていた上官と思わせる技と言動をする敵が現れたからだ。

 

(リューマの中身はモモンガの影。その性格と技を引き継いでいる)

 

 まさしく海兵たちは自軍の将と戦うのに等しい。

 そう思った時、ギーアは笑いがこみ上げるのを禁じえなかった。それは海兵たちへの同情であり、モモンガに驚嘆したからだ。

 

(生き延びたのね、モモンガ)

 

 影と本体と一蓮托生。

 本体が死ねば影も消え、ゾンビは動きを止める。今リューマが動いているということは、あの男は今も生きているのだ。

 日向では体を保てない身だ。瓦礫に埋もれたか、遠くにある森林まで飛んだか、とにかく日陰にいるのは間違いない。

 

(大した強運だこと)

 

 もはや殺す気で放った一撃を受けて、なおも生き残った強靭さと、敗れても陽の光から逃れた強運には呆れ果ててしまう。

 だがそのおかげ、自分はこうして活路を得た。

 

「……ていうか、今アイツ、我々って……」

「そう、おれたちもいるよぉ~」

「!?」

 

 リューマが来たということは、彼らもいるのだ。

 

「ギャ――!! ゾンビィ――――!!!」

 

 包囲網の外縁から悲鳴があがる。

 陣形の外から彼らを襲う一団、兵士ゾンビたちが現れたからだ。

 

「数で来るならおれたちが相手だぜぇ~!?」

「うわぁ噛まれた! ゾンビになるぅ――!!」

「くっ、来るなバケモノォ!!!」

 

 強靭な力と恐ろしい容姿でもって、ゾンビは円陣に穴をあけた。そこを、ギーアとまったく同じ容姿をした女たちが駆け抜ける。

 

「ブギーマンズ!!」

「遅くなりました、ギーアさん!」

「オークション会場に向かった別動隊! 戻ってまいりました!!」

 

 部下だ。

 仲間である。

 追うばかりだと思っていた彼らが、自分を助けに現れてくれた。その現実はギーアの胸に熱を通わせた。

 感謝が血潮になって全身に働きかける。

 一言かけてやらねばならない。

 敵陣を越えて来てくれた仲間に贈る言葉。

 つまりこれだ。

 

「――宝は!!?」

「モチロン!! 奪って来ましたァ!!!」

「よくやった!!!!」

 

 ブギーマンズがかかげて見せる無数の宝箱に、ギーアは満面の笑みで褒めたたえた。

 海賊の本懐である。

 目的は成った。ならばやるべきことは一つだけ。

 

「野郎ども!! ――ズラかるわよ!!!!」

 




長かった(長くなってしまった)スリラーバーク編も、次で最後です。
その後は過去作の修正をした後、続けて次のエピソードを始めるか、別作品を書くか考えたいと思います。


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“スリラーバーク海賊団”

長くなっちゃいました(元々はこの文章量だけど)。
今エピソードの最終回だから許して。


「来るぞ! 止めろォ!!」

 

 敵が行く手を遮る。ならば命じることは一つだ。

 

「押し通れェ――――――ッ!!!」

「ウオオオオオオオオォォォォォ!!!!」

 

 応えもまた叫びであった。

 男の声がある。女も、老いも若きも、様々な声が唱和する。その気炎たるや、まさしく火を吹く勢いだ。

 ギーアの命令を果たすため。

 自分たちが生き延びるため。

 そのために敵を撃ち破るべく、一団は駆ける。

 

「この……!」

 

 海兵の隊列が銃を構えた。

 膝をつく前列と、その後ろで立つ後列からなる二段構えの布陣だ。それらが放つ百発あまりの弾丸に突っ込めば、ハチの巣ではすまないだろう。

 もっとも、それは発砲されればの話だが。

 

「総員、撃……」

「“飛倉武蔵(とびくらむさし)”!!!!」

「!!?」

 

 号令を下す間もなかった。

 突っ走る一団の最先頭が放つ斬撃によって、隊列はひとまとめに吹き飛ばされてしまったからだ。

 黒刀を振るうゾンビ。

 リューマである。

 

「すげェ! これが噂のサムライの力か!」

「道が開けたぞ! 進めェ!!」

 

 倒れた者を踏みつけ、余波にたじろぐ者を蹴散らし、兵士ゾンビたちは包囲網の穴を押し広げる。一団の本隊は、拓かれたその道を一丸となって駆け抜けた。

 ブギーマンズである。

 オークション会場から奪った宝物を担ぎ上げ、わき目もふらずに行く者ども。

 ギーアがいるのはその中心だった。

 

「情けない。部下に背負われて脱出なんて」

「無茶言わないでください! あの海軍将校との戦いでボロボロじゃないですか!」

 

 自分を背負うブギーマンズに愚痴を諫められる。全く同じ姿の相手に自重を求められるのも、妙な気分だった。

 業腹だが事実だ。

 今やギーアの足腰は小鹿も同然、一団となって走ることすらできない有り様だ。幹部として、これ以上部下たちの足手まといになる訳にはいかない。

 

「先行したご主人様たちが船を奪ってる筈です! ギーアさんと宝は、必ず届けてみせます!」

「そうだ! おれたちを解放してくれた恩返しはしてみせる! そうだろ、お前ら!!」

「おう!!!」

 

 奴隷の境遇から救われたブギーマンズである。その決意たるや、銅鑼の音にも勝る大唱和を轟かせるほどだった。

 固い結束は海兵たちの追随を許さない。

 

「クソッ、止めろ! 相手は小勢だぞ!」

「巨大船に向かった連中と合流させるな! ここで捕えるんだ!!」

 

 いまや隊列は貫かれていた。

 海兵たちは迎え撃つのではなく追いすがる形となり、円形だった戦場の形は水滴に似た楕円形と化す。

 円陣による包囲が崩される。

 

「よし! 行けェ!!」

 

 一団の誰かが叫んだ。

 確信に裏打ちされた勝機の叫びは、そこに属するすべての者を鼓舞した。

 抜け出せる。

 突破できる。

 地面が爆ぜたのは、そう思われた瞬間だった。

 

「!!?」

 

 包囲網を抜けた一団の、そのすぐ先だ。

 地面が砕け、土と舗装がばらばらになってギーアたちへと降り注ぐ。

 

「砲撃!?」

 

 否。

 火の手はなく、火薬の匂いもしない。何より、ギーアの耳は、土が爆ぜる直前に何かが飛来する音をとらえていた。

 何かが降ってきたのだ。

 その正体を見極めようとギーアは目を凝らし、

 

「……痛てて」

 

 それは粉塵の中から姿を現した。

 

「やってくれるぜ、あのジジイ」

「シキ!!?」

 

 土煙を押し退けて出てきたのは、金髪の大男だった。

 両足から剣を生やし、頭に舵輪を埋め込んだ姿は、“金獅子”のシキをおいて他にはない。

 彼もまた横を走り抜けるこちらに気付き、体を宙に浮かせて横並びになった。男がその身に宿す力、フワフワの実の能力だ。

 

「よぉベイビィちゃん、まだこんなところにいたのか」

「貴方こそ何やってるの!? 足止めは!?」

「いやな、持病の癪がよォ」

「何言って……! …………!!」

 

 言いかけたギーアは、しかし息をのんだ。宙を翔けるシキから零れ落ちるものがあったからだ。

 血だ。

 両足が血まみれなのだ。

 失われた膝下に突き刺した二振りの剣。その接合部分から、しとどに鮮血があふれ出していたのである。

 

(傷が開いたんだわ!)

 

 元々、手当てが意味をなさないほどの重傷だ。その傷口に埋め込んだ剣で戦うなど、無理があったのだ。

 むしろ、ここまで戦えたことが異常と言っていい。

 

「しかもな。やっこさん、おれよりもお前らを追うことを優先しやがった」

 

 その言葉に誰もが息をのんだ。

 それはつまり、これまでシキが足止めしていた戦力がこちらを狙って動き出したという意味なのだから。

 来る。

 地鳴りを上げてそれは来る。

 もはや止める手立てのない巨大な力が、自分たちを叩きのめすために追ってくる。

 来た。

 

 

 

「待てェ!!! 海賊どもォ――――!!!!」

 

 

 

「ゼファー!!!」

「よくもモモンガをやってくれたな、若造ども!!」

 

 海兵たちを飛び越えて現れた男。

 色褪せた髪としわの深い顔はいかにも老境のとば口といった風だが、屈強な体格に弱弱しさは一切ない。人型の岩とでも言うべきその姿は、実際以上に彼を大きく見せていた。

 何より、黒金色に染まった腕こそ、男が“黒腕”と呼ばれる所以だ。

 

「奴に代わり! 貴様らはおれが捕らえる!!」

「走れェ――――――――――!!!!」

 

 およそ反射的な行動だった。

 ギーアの厳命に一団は我を取り戻し、ブギーマンズと兵士ゾンビは跳ねるように加速する。

 だからこそ、爆心地から逃れることができた。

 

「“黒・剛・力(コク ゴウ リキ)”!!」

「ウワアアアアアァァァァ――――――!!!」

 

 地面が岩盤ごと砕かれる。

 まるで地中から岬が生えるような光景。いくつもの巌がめくれ上がる様子は、さながら巨大な手が宙を鷲掴みにしているかのようだ。

 およそ人間の腕力がなせる業ではない。

 

「これが元海軍大将の力!」

 

 モモンガとの戦いで疲弊していることなど、理由にはならない。万全な状態で、今ここにいる全員で挑んでも勝ち目のない相手なのだから。

 逃げるしかない。

 ここで戦う意味すらないのだから。

 

「全員、船へ! モリアたちと合流するのよ!!」

「アイ・マム!!!」

「逃がさんぞォ――――――!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからは熾烈な撤退戦だった。

 先を行くギーアの一団は、もはや陣形も何もない、遮二無二になって全力疾走する人の群れと化していた。

 すぐ後ろに迫るゼファーはそれだけの脅威であったからだ。両腕を黒く染め、浅からぬ土煙をあげる巨漢が一団を追い立てる。

 港の端へ続く大通りを、二つの勢力は駆けていく。

 

「……もう駄目だギーアさん!」

 

 やがて、一団に勢いを鈍らせる者たちが出始めた。

 

「おれたちが足止めになる! 逃げてくれ!!」

「駄目よ!!! 貴方たちじゃ相手にならない! バカなこと言ってないで、もっと早く走りなさい!!」

「けど……!」

「兵士ゾンビ!! 弱ったブギーマンズを担いで走りなさい!!!」

「えー! ゾンビ使いが荒いぜご主人様! ……でも了解!!!」

 

 命令を受けたゾンビたちは、足止めを名乗り出たブギーマンズを背負い上げた。それでも勢いが弱らないのは、疲れ知らずのゾンビなればこそだ。

 

「ギーアさん!!」

「聞きなさい!!!」

 

 あわや捨て石になりかけた彼らに、ギーアは言い聞かせた。

 それは鎌首をもたげるようなゆっくりとした口ぶりであったが、この状況にあっても通る、確かな声であった。

 

「船長は。モリアはもう部下を死なせない」

「!!!」

「分かるわね? 私たちは死ねないの。モリアの部下は不死身の軍団。彼の下についたからには、ゾンビ並みにしぶとく在りなさい」

「ギ、ギーアさん……!」

「ゾンビもよ。貴方たちは壊れても中身の影は戻ってくるけど、また入れ物を用意しなきゃいけない。私たちに、それをさせるんじゃないわよ」

「アイ・マム!!!」

 

 走れないなら騎手となれ。

 一団の手綱を握り、彼らの士気と指針を御すのだ。それこそが、ここにいる者たちを率いる幹部として、ギーアにしか出来ないことなのだから。

 

「全員!!! 生きるために走りなさい!!!!」

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォッォォォォォォ――――――ッ!!!!」

 

 叫びが結束となって轟く。

 意思を揃えた一団の突撃は巨大な砲弾といってもいい。勢いを取り戻した部下たちは一直線に突き進み、縮まりつつあったゼファーとの間を再び開かせた。

 そうして一体いくつの建物を横目にしただろう。

 さざ波の音と潮の香りがあることに一団は気付いた。

 

「あと少し! あの倉庫の向こうが港だ!!」

 

 目的地は間近。しかし、

 

「広すぎる!!!」

 

 垣根のように左右へ広がる倉庫の群れが、一団の行く手を遮っていた。

 

「迂回してる余裕なんてねェよォ!!」

「ならば切り拓く!!!」

 

 人影が突っ走る一団の先に出た。

 リューマだ。

 干乾びた死相を閃く剣の輝きで照らし出し、着物をはためかせたゾンビは壁のごとき倉庫に躍りかかる。

 みなぎる膂力が斬撃となった。

 

「“野伏魔(のぶすま)”!!!!」

「!!」

 

 障害は割られた。

 サムライが振り下ろす一太刀は極太の威圧を生み、積み上げられた建材を瓦礫に変えて飛散させた。

 後に残るものは何もない。

 

「うおおおおおお! 道が開けたぞ!」

「逃げ切れる! 船まで一直線だ!!」

 

 喜色をあげて一団は倉庫の断面を横切った。

 これで本隊と合流できる。仲間たちが奪った船に乗り、背後に迫る脅威から逃れることができる。

 走り続ける誰もがそう思っていた。

 しかし、

 

 

 

「!!!?」

「ふ、船が!! 無ェ!!!」

 

 

 

 港はもぬけの殻であった。

 巨大船はおろか、帆船の一つもない。渡し舟がいくつかまばらに浮くだけの、閑散とした船着き場がそこに広がっていた。

 一団が望むものは何一つとしてない。

 それがあるのははるか先、水平線の上だ。

 

「あ、あそこだ! 船は既に出航しているぞ!!」

 

 めざとい一人が指を指した。その先には影がある。

 遠くにあるにも関わらず、小山ほどもある船影だ。遠近感を狂わせるほどに大きなそれは、なるほど確かに“世界有数”とうたうだけのことがある。

 けれども、それは一団を絶望させる要因でしかない。

 

「に、逃げた? おれたちを置いて行っちまったのか!?」

「そんなァ! 見捨てられたってのか!!?」

「ご主人様!! 戻ってきてくれェ――――!!!」

 

 もはや一団の前に道はない。

 すでにここは港の縁。白波が打ちつける船着き場にあっては、いかなる健脚であろうとも踏みしめる地面がない。

 あるのは一団を攻め立てる脅威だけだ。

 

「裏切られたか! 所詮は海賊だったな!!」

 

 陽を背に浴びた巨漢の影が一団へと伸びる。

 逆光の只中にあってさえ黒い両腕を膨らませ、ゼファーは冷厳とした面持ちでこちらを見下ろす。

 そこに容赦の色は一片もなかった。

 

「貴様らの顛末などその程度だ!!」

「違う!!!!」

 

 すぐ間近に迫ったゼファーの嘲りを、けれど強く跳ね除ける声があがった。

 ギーアである。

 悲嘆にくれる一団にあって、部下に背負われる弱弱しい姿を晒していて、それでも女の心は折れていない。

 

「モリアは!! 私たちを見捨てない!!!」

「現実を見ろ女海賊!! ならば連中はどうしてここを去った!? 貴様らはどうやってここを切り抜ける!!?」

 

 ギーアの啖呵は、ゼファーの狙いを誘った。

 

「どうやって!! この拳を免れる!!!」

 

 引き絞られた黒腕が唸りを上げる。

 

「“黒・剛・力(コク ゴウ リキ)”!!」

 

 覇気の一撃。

 岩盤を割る拳から逃れる術など一団にはない。両者のあいだにある空気が打ち抜かれる一瞬の後に、自分たちは地面ごと粉砕されるだろう。

 狙われたブギーマンズが、ゾンビが竦み上がる。

 ギーアですら拳を正面から睨みつけることしかできない。

 故に。

 

「!!!」

 

 受け止めたのは一団の誰でもない。

 

「え? ええ!?」

 

 身を挺してゼファーの拳を受け止めた者がいる。

 それはこの場にいる誰よりも大きく、攻めを受けた瞬間に粉々に吹き飛ばされるもの。

 しかし、その破片をコウモリに変えるものだ。

 

「これは……!」

「“影法師(ドッペルマン)”!!!」

 

 モリアの能力、カゲカゲの実の力で実体化した影だ。

 かつて自分を助けた時のように、海の向こうから飛んできたそれは、ゼファーの攻撃からギーアたちを守ったのだ。

 またたく間に飛び散る破片はコウモリの群れとなり、ゼファーを取り巻いた。

 

「おのれ、邪魔を!」

 

 振り払っても失せることのない目くらましに、ゼファーは踊らされていた。

 それをギーアは指差す。

 

「見なさい! これが見捨てられてない証拠よ!」

「そ、そうだ! ご主人様は助けを寄こした! まだおれたちを捨ててねェ!!」

「でも、じゃあどうすんだ!? どうやってここから船まで行けば……!」

 

 術ならある。

 一団がひとまとまりにして海を越えて行く方法が。

 それができる男がいる。

 

「シキ!!!」

「人使いが荒いベイビィちゃんだぜ」

 

 金髪の男が舞い上がった。

 両足に突き刺した剣を光らせた男は、にやり、といかにもいやらしく笑い、一団を見下ろす。

 

「いいぜ、ここでおめェらとはお別れだ。餞別にくれてやる」

「え?」

「な、なんだ、どういうことだ?」

 

 理解が追いつかない部下たちをよそに、ギーアはともに地獄の底から抜け出した同士と視線を交わす。

 

「面白かったぜ、若造ども。しんがりはしてやる、しっかり逃げおおせて見せな」

「今までありがとう、シキ」

「ジハハ! 海賊が素直に礼なんて言っちゃあいけねェ! “貰い逃げ”はおれたちのモットーだぜ!?」

 

 ぎしり、とシキの剣が構えられた。

 足のつなぎ目から血が滴るのもかまわず、みなぎる脚力が得物の威圧感を膨らませる。

 そして放たれた。

 

「“斬波(ざんぱ)”!!」

「!?」

 

 斬撃が飛ぶ。

 切り裂かれたのは地面だった。

 港の縁を斜めに切り落とし、ギーアたちが立つ一角が港と分離される。断片と化したそれは、重量物がこすれ合う耳障りな音をたて、港からずり落ち始める。

 

「……? え、え?」

「全員、地面にしがみつきなさい!!」

 

 置いてけぼりの部下たちは、言われるがままギーアに従った。目を丸くした彼らの誰も、これから起きることを予想できていない。

 だが理解を待つシキではなかった。

 彼は滑り落ちる港の断片に触れ、まさに悪辣そのものの笑みを浮かべる。

 

「飛んでけ若造どもォ!!!!」

「!!?」

 

 直後、港から切り離された断片は宙に撃ち出された。

 シキの力によるものであった。

 

「しまった!!」

 

 飛び去るコウモリの群れから進み出たゼファーであったが、もう間に合わない。

 一団は、彼が及ばないところへ飛んだのだから。

 

「うわああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ――――――!!!?」

 

 一団の悲鳴は尾を伸ばすかのようだった。

 一団を乗せた断片は、もはや海面を横切る巨大な弾丸だ。凄まじい風圧をギーアたちに与えながら、一直線に飛んでいく。

 ただ一点、先を行く船を目指して。

 

「み、見ろ! もうすぐ船だ! 合流できるぞ!!」

「けどコレ、どうやって着地すんだよォ!!」

「船に激突する! おれたちも潰れちまうぞォ!」

 

 辛くも持ち上げた顔で、一団は進む先を見た。

 見る見る間に鮮明になっていく船の姿は、確かに自分たちが乗り込もうとしていたものに他ならない。だが、それにしてもやり方というものがある。

 このままでは、断片もろとも船にぶつかって砕け散ってしまう。

 

「全員、聞きなさい!!」

「ギーアさん!?」

 

 その時、ギーアは一団に呼びかけた。

 押し寄せる風にも負けない声量で届かせるものは、部下たちへの命令に他ならない。

 

「1・2の3でここから飛び降りるのよ。巻き込まれるわ」

「ま、巻き込まれる? 何に?」

「勿論、船の出迎えに、よ」

 

 青ざめる部下たちに、ギーアは笑みを向けた。

 

「見なさい」

 

 ギーアが面を上げると、部下たちもそれに続いた。

 進行方向、船の縁に何者かが立っている。

 遠くからでもはっきりと分かる巨大な人影が何者であるか、それを見間違う者はこの一団にはない。

 ゲッコー・モリアだ。

 

「ご主人様ァ!!!」

 

 一団に歓喜の声があがる。

 しかしそれは、冷や水を浴びたかのように一瞬で消え失せてしまった。

 彼がその手に長大な刀を握っていたからだ。

 

「ま、まさか」

 

 一団の誰かが呟く。

 そうしなかった者も、胸のうちは同じである。

 

「いい? 1・2の3よ。良いわね?」

 

 息をのむ一団は、ギーアの言葉に頷くことすらできない。けれども、誰もが固く了解していた。

 そうしなければ命が無いのだから。

 

「1」

 

 カウントが始まる。

 距離が縮まっていく。

 船が、迫る。

 

「2」

 

 迎えるモリア。

 その白刃が閃く。

 

「――3!!!」

 

 誰もが飛び降りた、その直後。

 

 

 

「――“樹陰大蛇(ネグロ・ニドヘグ)”!!!!」

「!!!!」

 

 

 

 極大の斬撃が断片を破壊した。

 砲撃にも等しい威力である。標的となった港の断片は、切り裂かれるどころか余波によって粉々になり、威圧に乗って吹き飛ばされた。

 砂礫が雨のようになって海面に降り注ぐ。

 船に辿り着くのは、飛び降りた一団だけだ。

 

「うぐぁ!」

「ぐぇ!」

「ぎゃん!!」

 

 ブギーマンズも兵士ゾンビもない。

 誰も彼もがめいめいに悲鳴をあげて船上に打ちつけられる。彼らが担いでいた宝箱も激突し、いくつかは中身をぶちまけてしまっていた。

 けれども、確かに、

 

「お、おれたち……」

「ああ、全員いるよな……?」

 

 呆然とした様子で、一団は顔を見合わせた。

 頭や肩を押さえながらであったが、誰もが身を起こし、誰一人欠けていないことを確かめる。

 モリアはそんな部下たちを見下ろしていた。

 

「よく戻った、てめェら」

「ご主人様!」

 

 相変わらずの凶相。

 だが今は、その耳まで裂けた口を弓なりにして、するどい歯を剥き出しした笑みを見せた。

 

「誰も死なず、宝も奪ってきた。――それでこそおれの部下だ」

「!!」

 

 一団はその言葉を理解するのに、いささかの時間を要してしまった。

 目を丸くし、呆然として、そうしてから次第に肩が震えはじめる。やがてわなわなとした様子で目をうるませる。

 感情は決壊したのは、その結果であった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ――――!!!!」

 

 誰からでもない。

 誰もが一時に、だ。

 示し合わせることなく、歓声を一つにしたのだ。

 

「やった、やったぞ!」

「おれたちはやったんだ! クソッタレな金持ち連中や海兵どもに一泡吹かせてやったんだ!」

「もう奴隷じゃない! おれたちは海賊なんだ!!」

 

 歓喜は光り輝くようだった。

 人とゾンビの区別もなく、誰もが涙を流して肩を叩き、あるいは抱擁を交わす。苦難を共に越えた仲間として、ここに至った喜びを分かち合う。

 だが、それはこの場にいる者だけにとどまらない。

 

「おーい! お前らァー!!」

 

 奥の方から声がする。

 モリアとともに先行し、この船を奪い出航させた本隊の面々であった。

 手を振りながら駆け寄ってくる彼らもまた満面の笑顔を浮かべ、たどり着いた一団を迎え入れる。

 

「よく生きて戻ったなぁ!」

「すげェよ、お前ら!!」

 

 歓喜の輪は広がり続ける。

 彼らが感情を沸かせるのは、何もこの苦難を乗り越えたことだけが理由ではない。長い年月を奴隷として過ごしてきた彼らであるから、この成功でもって得られる喜びも一入なのだ。

 不幸を自らの力で跳ね除けた経験は、彼らにとって大きな糧となるだろう。

 

「……よかった」

 

 大歓声の中でギーアは小さくつぶやいた。

 彼らを海賊に引き入れたのは自分だ。他に選択肢のない彼らを暴力と無法の世界に引きずり込んだことは、きっとこれからもギーアを苛むだろう。

 けれど同時に、彼らが人としての活力を取り戻したということも忘れない。

 海賊ギーアの功罪は、この一団とともにある。

 

「……ねぇ、モリア」

 

 この気持ちを彼に伝えたいと思った。

 だがそこで、彼が険しい顔で遠くを見ていることに気付いた。歓喜の輪に加わることなく、海の果てを睨みつけていていたのである。

 

「………………」

「……? モリア?」

 

 何を見ているのか。

 ギーアも彼に倣って水平線に目を向けて、

 

「!」

 

 見た。

 水平線に見える、つい先ほどまで自分たちがいた島。今も海兵たちが詰めかけているだろう港湾部。

 その上空にあるものを。

 

「何、あれ」

「よく覚えておけ、ギーア。あれが海賊“金獅子”のシキの力だ」

 

 浮遊する巌。

 あるいは立ち上がる海流。

 これだけの距離をおいても見てとれる巨大なそれらが、港湾部を取り囲んでいたのだ。まるで、そこにいる者どもに舌なめずりする巨獣のように。

 人の手で成せるものではない。

 超常の力、悪魔の実の能力だ。

 空飛ぶ海賊、シキの技に他ならない。

 

「……一人でも心配なさそうね」

 

 しんがりを買って出た彼の姿を思い返す。

 見下ろすような目で送り出した、彼の笑い顔を。

 侮っていたつもりはない。しかし、彼の実力はギーアが想像するよりもはるか高みにあったのだ。

 

「ああ、あそこでくたばるようなジジイじゃねェ。油断するなよ? 今回は手を組んだが、次に会った時もそうだと思うな」

 

 一息。

 

「次に会う時は海賊の高み。潰し合う敵だ」

「……ええ、そうね」

 

 やがて、巌と海流は港へと注がれた。

 聞こえない音、見えない破壊を脳裏に思い描きながら、ギーアたちは船とともに島から離れていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして時は経った。

 陽は沈み、空はすでに暗い。影を失った者たちであっても気兼ねせずに表へ出られる頃合いになると、巨大船は島の領海から抜け出していた。

 海軍の追っ手はない。

 周囲に船影や海獣もない。

 それを確かめてから、一味は船の中央部に集まっていた。

 

「さて、てめェら」

 

 巨大なメインマストの根元に建つ大舘を背にして、モリアはこちらを見下ろしている。

 そこにいるのはギーアだけではない。

 隣にはリューマがあり、ステラやペローナもいる。背後にたくさんのブギーマンズと兵士ゾンビたちが集合している。

 皆、誰もがモリアの次の言葉を待っていた。

 

「全員にまず言っておくことがある」

 

 凶悪な人相がおごそかに言うと、ただそれだけで威圧感がのしかかる。重さを増した空気を受けて、何人かが息をのむのが聞こえた。

 その言葉は、そんな中で放たれたのだった。

 

 

 

「この戦い!!! おれたちの勝利だ!!!!」

 

 

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォ――――――――――!!!!」

 

 宣言は感情を破裂させた。

 誰もが笑っていた。

 ある者は抱き合って。

 ある者は泣きながら。

 この場に集った全員はただ一つの感情を共有し、それを燃え上がらせるように言葉と行動を交わす。

 虐げられた過去を返上し、それを強いてきた者たち、見過ごしてきた者たちに逆襲を果たす。そうして得られたものに、誰もが酔いしれていたのだ。

 

「宝を奪った、船を奪った、海軍にも一泡吹かせてやった。……何より、誰も死ななかった」

 

 船長として感情を抑えていたモリアだったが、どうやらそれもここまでらしい。

 声に浮かぶ喜びの震えが、彼の胸のうちにある思いを感じさせる。

 

「それでこそ海賊、おれの部下だ!! おれの新しい海賊団の一員として相応しい!!!」

 

 かけられた言葉に、部下たちははっとした様子で、歓声を鳴りやませた。

 やがて、その中の一人が確かめるように問い返す。

 

「新しい、海賊団……?」

「そうだ!!」

 

 モリアは轟々とした声で答える。

 

「おれの海賊団は一度壊滅した。失った部下、滅ぼした敵をおれは忘れない! ……だが今、こうしてお前らを得て、立ち上がった!! 海賊王になるための新しい力を得たからだ!!!」

「ご主人様……!」

「そうだ! ゲッコー・モリアこそおれたちの主! 海賊王に相応しい男だ!!」

「ゲッコー・モリア! ご主人様ァ!!」

 

 彼を讃える喝采は炎の様相を呈する。空気を揺るがす大歓声は、夜中にあってもまばゆいほどであったからだ。

 やがて、部下を代表してギーアは一歩進みでた。

 

「じゃあ、やることがあるんじゃない? モリア」

 

 一見して冷静な風体であった。

 しかし頬を吊り上げた笑みは獰猛を極める。モリアに向ける感情が一味の中で最も色濃いものだったのは、誰の目にも明らかであった。

 それを受けて、モリアはうなずく。

 

「あぁそうだ。いいか、よく聞けてめェら」

 

 携えた刀を抜き放ち、切っ先を高く掲げてみせるモリア。その様子は静寂を招いたが、まさしくそれは嵐の前の静けさだった。

 一味の総員が、続く言葉を待っていたからだ。

 そして、言葉は生まれる。

 

 

 

「おれたちはスリラーバーク海賊団!!!! この世界一巨大な海賊船、スリラーバークで“偉大なる航路”を往く海賊団だ!!!」

 

 

 

「!!!」

 

 間があったのは一瞬だけ。

 理解を経て喜びにいたった部下たちは、またたく間に唱和をもって追随した。

 

「スリラーバーク! 船の名はスリラーバーク!!」

「そしておれたちはスリラーバーク海賊団!!!」

「ゲッコー・モリアが率いる不死身の海賊団!!!!」

「そうだ!! お前たちの力で!!! ――おれは海賊王になる!!!!」

 

 名乗りはあがった。

 ならばやるべきことはあと一つだけ。

 

 

 

「いくぞ野郎どもォ!!! ――宴だぁッ!!!!」

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォ――――!!!!」

 

 

 

 かくして結成は成された。

 やがてこの海を激しくかき乱す海賊たち、スリラーバーク海賊団の誕生した瞬間である。

 




はい。という訳でスリラーバーク編は終了。これでもって主人公勢は正式に再起しました。
ここから更にあれやこれやと大暴れしてもらうつもりです。





とはいえ、ここいらで当方の別作品も進めておきたいところ。
何分その時々のモチベーションで作ってるので明言はできませんが、ワノ国編でページワンが登場するくだりを修正したら、多分ヒロアカ小説の更新に回ります(あとFate/Zero短編も)。
次のエピソードの構想はありますが、少しお待たせするかもしれません。


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モリアの逆襲編
"とある冬島にて"


ご無沙汰しております。今回よりいよいよ新章突入です。
これまでを第一部としまして、ここからは第二部としたいと思います。つまり、これからしばらくは「第二部・モリアの逆襲編」をお送りします。


 その日、ガブルは覚えのない後ろ姿を見た。

 いつものように祖母が作ったミートパイを頬張っていると、家の窓に旅装の人影が横切ったのだ。

 

(こんな町に人が?)

 

 目を疑い、窓に寄って覗き込んだ。

 すでに人影は道の先で、誰なのかは分からない。

 だが降り積もった雪道はよそ者がそこにいたと教えてくれる。靴跡は雪用ではなかったし、積雪に足をとられた不慣れな歩き方が残っていたからだ。

 異邦人だ。

 それも、雪が降るこの島の外から来た。

 

(バカだな)

 

 何者か知らないが、ガブルはそう思った。

 ここかどんなところか知らないのだろうか。一度踏み込めば、どんな目に合うのかということも。

 

「ガブルや、どうかしたのかい?」

「何でもないよ、ばあちゃん」

 

 食卓につく祖母に呼びかけられた。

 ガブルは席に戻ると、食いかけのミートパイを飲み込み、コップの水で流してから、手の甲で口元を拭う。

 そうして手短に返事をした。ごちそう様、と。

 

(何のつもりか知らないけど、構ってられないよ)

 

 ガブルにも守るものがある。

 祖母と家、自分の命、そしてそれら全てが揃った生活だ。そのために果たさねばならない労務がある。

 顔も知らない赤の他人を気遣う余裕などない。

 椅子から床に足もつかないような小さい子供に、できることなどそう多くないのだから。

 

「ばあちゃん、じゃあおれ行ってくるから」

 

 祖母はあいかわらず人のよさそうな顔に浮かべ、白髪の混じった髪を晒してゆっくりと頷いた。

 ケープの下から手を伸ばし、ひらひらと振ってこちらを送り出してくれる。

 いつもの一言を添えて。

 

「気をつけてね。あいつらには決して逆らっちゃいけないよ」

 

 ガブルはすぐに応えられなかった。

 祖母はいつだって自分を案じてくれる。嬉しく思う反面、近頃はささくれを逆なでされるような苛立ちがあって、素直に顔が見られない。

 喉元まで来た感情で口の中が苦くなるから。

 

(あいつらに逆らうな、か)

 

 思いはある。

 あってもどうにもならないが。

 ガブルが向かう扉の先には、もう何日も降り続く雪空がある。この冬島ではよくあることだ。

 ずっと前から変わらない現実だ。

 この島で生まれ育ち、生涯を終えるだろう自分の人生と同じぐらい、分かりきった当たり前のこと。

 それはつまり、生涯あいつらに逆らうなと言うのと同じことだ。

 きっと自分は、一生あいつらにこき使われて、一生あいつらを恨んで、一生逆らえないまま、最後まで生きることができずに途中で死ぬ。

 そういう星の下に生まれたのだ。

 

「……行ってきます」

 

 ドアノブにかけた手が重い。だがその目は更に重苦しい。まるでこの雪雲のようだ。

 ガブルにできることはそう多くない。

 少年にできるのは、せめて手短に扉を閉めて、寒風が祖母と家を冷やさないようにすることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二列の小さな足跡が続いていく。

 さいわい今日の道は雪が薄い。ガブルの短い脚でもすぐに路面へ届いたし、積雪に足をとられず進むことができた。

 けれど少年の心は少しも軽くならない。

 今も降る雪が胸の中にも積もったかのように、どんどんと重くふさぎ込んでいった。

 進みやすくとも、行くことを望んでいなければ単なる苦痛でしかないのだから。

 

(一体いつまで続ければいいんだ)

 

 今日はじめてのことではない。

 毎日考えていた。

 常に繰り返してきた。

 いつものように祖母が用意する朝食をとり、雪の降る街中を歩き、朝から晩まで働く。

 おこぼれにあずかるために。

 あいつらの機嫌をうかがうために。

 そうやって息をひそめて生きていくために。

 

(でも、いつかおれも大人になる)

 

 そうなれば今の仕事は続けられないだろう。

 きっと彼らと同じになる。青い顔でうつむいて、枯れ木のようにやつれきった姿をして歩く、彼等のような人間に。

 

「……よォガブル、今日も早ェな」

「……おはよう」

 

 声をかけてきたのは隣人だった。

 一人ではない。町中から集まるのだ、この通りだけで何人もいる。全員が同一人物じゃないかと思えるほど、似通った人たちが。

 背中を丸め、首を落とし、ボロ布を縫い合わせて作った防寒着でやつれた体を隠し、肺にカビが生えてるんじゃないかとすら思える溜息をこぼす。

 それでも、声をかけてきた彼は微笑んでくれた。だがガブルは、その搾りかすみたいな作り笑いも大嫌いだった。

 

「……じゃあ、おれ、行くから……」

 

 中身のない紙袋が空気を吹くような声だ。隣人の男は背を向け、周囲に混じって歩いていく。

 これがこの町の大人だ。

 ここで生きればこうなる。

 すりきれた薄布みたいになっても毎朝働きに出る。広場に集められる。あいつらに連れていかれる。そして、こき使われる。

 そう決まっているのだ。

 あいつらによって。

 

「ギャーハハハハ! よく来たな奴隷どもォ! 今日もしっかり働けよォ!?」

 

 奴らは広場の中央にいる。

 町長の発表や見世物のために置かれたやぐらの上で、町中から集められた大人たちを見下している。

 防寒着の上からでも分かる、屈強な男たちだ。

 けれど、大人たちをがなり立てる声やニヤついた顔には、品性らしきものはかけらもない。ただただ嘲りと侮りを込めて見下し、唾を吐き散らかす。

 

(……海賊め!)

 

 広場の外からでも見てとれるその醜態に、思わず顔をしかめた。

 無法者だ。それ以外の何者でもない。

 この島を牛耳る海賊たちだ。

 

「ンン? おう、どうしたそんな顔をしてェ!」

 

 海賊の一人がやぐらから下り、囲んでいた大人の一人に近寄ってきた。

 肩に手を回し、青ざめたその顔をまじまじと覗き込む。

 

「ンな不景気なツラじゃ転んじゃうぜ? ……こんな風によォ!」

 

 次の瞬間、海賊は男を引き倒した。

 雪の中に顔面を叩き込まれ、身もだえする。きっと口に雪が入って上手く息が出来ないのだ。

 周囲がおののく中、しかし海賊どもは嘲笑う。

 

「ギャア~~~~ハッハッハ! どうだ、腹いっぱいか? 元気出たかぁ~~!!?」

 

 雪に埋もれた頭を更に踏みつけ、起き上がれずにいる姿をことさら嗤う。そういう生き物なのだ、あそこにいるのは。

 だが大人たちの誰も逆らえない。

 そんなことをすればその場で殺されてしまう。

 だから怖くて誰もが口を紡ぐ。何をされても黙って愛想笑いを浮かべるしかない。それがこの町の、この島の現実なのだから。

 

「おら行くぞ奴隷ども! 今日も仕事だ!!」

 

 やがて雪に沈めるのにも飽きたのか、海賊は大人たちに号令をかけた。

 やぐらに残っていた海賊たちも降りてきて、まるで羊を追い立てる犬のように大人たちを囲い込む。

 そうしてされるがまま、海賊どもが進むままに、彼等は広場を後にする。

 行先は決まっている。

 遠くに見える巨大な工場だ。

 大人たちはあそこで朝から晩まで働かされているらしい。

 

(おれも大きくなったらあそこに行かされる)

 

 工場はなにか武器を作っているらしいが、むしろ自分を疲れ切った人間に加工するための工場なんじゃないかと、ガブルは日ごろから思っていた。

 だがそうやっていつまでも止まっていられない。

 年若いガブルにさえ、海賊どもは労役を課しているのだから。

 早くいかなくては。

 ガブルは遅れを取り戻すために、雪を蹴散らして広場前を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 行き先は酒場だ。

 町中の大通りにある店である。かつては大人たちが一日の勤めをねぎらう憩いの場として親しまれていた。

 ガブルにとってもそうだ。

 たまに顔を出してメシをおごってもらったり、それで怒られたり、いつか自分も客としてここに来ることを夢見た時もあった。

 こんな形で毎日来ることになるとは、あの頃は思っていなかった。

 

「……おはようございま……」

 

 挨拶代わりの酒瓶が飛んできた。

 ウェスタンドアを押し開いて入ると、顔のすぐ横を通り抜けたそれが壁にぶち当たり、残りの中身もろとも木っ端みじんになる。

 

「遅ェぞガキィ!!」

 

 投げつけたのは、店にたむろする海賊だった。

 一人ではない。何人ものやさぐれた男が、机につっぷしたり、逆に足を乗せたりと、めいめいの格好で料理を食っている。

 そのすべてが、顔を真っ赤にした酔っ払いだ。

 

(何が遅いだ。昨日からずっとここにいるクセに)

 

 この酒場は毎日昼過ぎから開くのが常だった。

 しかしこいつらが来るようになってから、その日の気まぐれに合わせるしかなくなった。もっとも、こいつらが朝方までに引き上げたことなどないが。

 

「とっととメシ運べェ!!!」

「……はい、すいません」

 

 町の大人たちは夜遅くまで働き、ここに来ることすら許されない。なのに、こいつらは日をまたいでもなお飲み食いしているという。

 噛んだ歯を砕いてしまいそうな気持ちを抑え、ガブルはカウンターの奥から厨房へ入り、店員用のエプロンを首から下げた。

 気休めだが、これがあると服が汚されづらくて良い。

 

「おはよう、ガブル。……悪いな」

「店長のせいじゃないだろ」

 

 厨房で鍋をふる男が肩越しに声をかけてきた。

 店長だ。今朝広場に集められていた大人たちと同じように、青ざめてくたびれた顔をしている。それでも料理を作る手は止まらない。

 遅れた時。

 ミスをした時。

 誰がまず被害を受けるのか。

 それを知っているからだ。

 

「娘が相手してる。手伝ってやってくれ」

「分かってる」

 

 昨日今日始まったことではない。

 もうずっと続いて来たことだ。

 だからいつも通り、ガブルは厨房の机に乗った料理を手にとる。

 注文の品だ。唾を吐きつけて出してやりたいが、もしもバレれば自分だけの咎では済まない。

 憎々しく思いながらガブルは表に出ようとして、

 

「きゃあっ!?」

 

 女の悲鳴を聞いた。

 そのすぐ後、何かが床を打つ音と、固いものが割れる音がいくつも響き渡る。

 そして、やつらの嘲笑う声。

 

「まさか……!

 

 呟いて、すぐさまガブルは駆けだした。

 カウンター脇の通り道を抜けると、そこには想像していた通りの惨状が広がっていて、思わず立ち眩んでしまう。

 店の真ん中で、海賊たちの注目が集まる中で、店長の娘が倒れていたのだ。周りに割れた食器や料理を巻き散らかして。

 その足元には、いかにも伸ばされた海賊の足。

 

(あいつら……!!)

 

 娘はこの酒場の看板娘だ。店の中にいて一人で転ぶようなミスを今更しでかしたりしない。

 海賊に足を引っかけられたのだ。

 きっと、からかい半分に。

 

「ギャハハハハ! 鈍くせェ女だぜ!」

「折角のメシが台無しだ! もったいねェなァ!」

 

 そうやって囃し立てるやつらはまだマシだ。

 だが一人、丸々と太った巨漢が立ち上がった。その膝周りはじっとりと濡れている。娘がこぼした酒を浴びたのだ。

 

「おいおい、どうしてくれんだ? おれ様の一張羅が台無しだぜ!」

「も、申し訳ありませ……」

 

 

 最後まで言うことはできなかった。

 巨漢の大きな手が細腕をひねりあげ、娘を宙づりにしてしまったから。

 

「い、痛い! やめてください! お願い、許してェ!!」

「い~や、ダメだね。詫びを入れてもらおうじゃねェか。そうだな……そのウマそうな唇一つでカンベンしようじゃねェか!」

 

 野卑な歓声が爆発した。

 嗤い、囃したて、手を叩く者までいる。それを浴びた巨漢はいやらしい顔を浮かべ、娘の頬を節くれだった指で掴み上げた。

 ゆっくりと、でっぷりとした唇が迫る。

 

「お、おい! 待ってくれ!」

「オヤジは黙ってな!」

 

 厨房から店長が慌てて飛び出す。

 だがカウンターに腰かけていた海賊がその横顔を殴りつけ、そのまま机の上に押さえつけられてしまった。その膂力の下では身動き一つとれない。

 

「いや……いやぁっ!」

「へへ、あんまり嫌がると泣いちゃうぜェ……?」

 

 動けるのは、ガブルただ一人だった。

 

「やめろォ!!!」

 

 巨漢の鼻息が娘の顔にかかろうとした時、ガブルは手にしたものを投げつけていた。

 厨房にあった料理、湯気が立つほどに熱いもの。

 シチューの乗った皿だった。

 

「ギャア!! 熱ィ!?」

 

 皿は見事に巨漢の膝へと中身を浴びせかけ、その巨体を跳びあがらせた。娘を放り出した巨漢は膝を抱えて転がり、こびりついたシチューの具を拭いとる。

 ガブルは足音を鳴らして詰め寄った。

 

「いい加減にしろゴロツキども! お前らが足を引っかけたんじゃないか!!」

 

 我慢の限界だ。

 元々許せることではなかった。それを我慢し続けてきた。だがそれも、今この瞬間に耐えきれなくなっていた。

 どうしてこんなやつらのために。

 そう思わない日はなかった。

 どうして自分たちは泣かなければならないのか、と。

 だから少年は、この行いに悔いはなかった。

 たとえ、その返答が拳だったとしても。

 

「ギャア!!」

 

 ガブルの頭より大きな拳が叩きつけられた。

 顔を真っ赤にして逆上した巨漢は、そのままガブルを蹴りつけ、また殴りつけた。気のすむまでそれらを繰り返した。

 そして最後に、腫れあがった顔を踏みつけた。

 

「ギャハハハハ!! 容赦なし!!!」

「大人げねェ~~~~!」

「うるせェ!! このガキが調子乗るからだ!」

 

 嘲笑の的は、いまやガブル自身だった。

 助けるものなど誰もいない。あるのは嘲る者たちだけ。自分を見下ろす、酔っぱらった海賊たちだけだ。

 その誰もが自分の行く末を決めつけている。

 この場で終わるものだと、その目が言っていた。

 

「パパから口の利き方を教わらなかったか、ガキィ!」

「ウゥ……!」

「おいおい許してやれよ! だってそのガキの父親はよォ……」

「……あぁそうか、そうだったな。……おれたちが殺しちまったんだよなァ!!?」

 

 涙があふれて止まらない。

 嘲笑も、抗えない情けなさも、それら全てがガブルを苛んだ。

 何故こんなにも自分は弱いのか。

 どうして自分は子供なのか。

 もっと早く生まれていたら。

 父を死なせなかった。一緒に戦って、こいつらを追い払ってやったのに。

 

「いいザマだぜ、ガキ。その情けなさに免じて、カンベンしてやるよ。……その腕一本でなァ」

 

 やがて、男の腰から剣が引き抜かれた。

 高々と掲げられたそれの用途はギロチンだ。真下にあるガブルの腕を叩き切るための、巨漢による私刑の集大成である。

 ガブルの涙が一層深まった。

 恐怖はある。だがそれ以上に、この体に取り返しのつかない“敗北”が刻まれるのが悔しかった。

 悔しくて、悔しくてしょうがない。

 だから振り下ろされようとした瞬間、思わず目をつぶってしまい、

 

「——あぁ?」

 

 巨漢が手を止めたことに気付けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 痛みが来ない。

 何故だ。

 その疑問が生まれるほどの間をおいて、ガブルは固く閉じた瞼を開いた。すると、涙に歪む視界の中に何かが映し出される。

 人影だ。

 酒場に新たな人物が入ってきたのである。

 

(あ、あいつは)

 

 その旅装姿に見覚えがあった。

 間違いない。今朝、家の前を通ったヤツだ。

 顔まで覆ったフードのせいで人相は分からないが、マント越しでも肩幅は見て取れる。どうやらその人物は男であるらしい。

 

「………………」

 

 この修羅場に割り込んで、旅装の男は一言もない。

 店の床を踏み、こちらへ向かってまっすぐ歩いてくる。だが、その目的は自分たちではないらしい。

 海賊たちの注目を無視し。

 ガブルと巨漢も素通りして。

 男が立ち止まったのは、カウンターにいる店長の前だった。

 それからやっと、彼の頭を押さえつける海賊を見て、

 

「げぶほぉっ!!?」

「!?」

 

 そいつの顔を殴り飛ばした。

 

「な……!」

 

 一撃を受けた海賊はカウンターの上を滑り、何人も巻き込んで店の端まで吹っ飛ばされる。

 たむろする海賊どもは息を呑み、腰を浮かす。

 しかし旅装の男は見向きもしない。

 ただ、起き上がった店長を見下ろして、

 

「酒」

 

 その一言だった。

 

「あ、あんた」

「この島は寒い。キツいのを出せ」

 

 店長は固まっていた。

 この局面で現れ、海賊を叩きのめして自分を救った人物が、まさかここまで“客”として真っ当なことを言い出すとは思わなかったのだろう。

 ガブルも、目を見開いて涙が止まったほどだ。

 だが周囲の者どもがいつまでも旅装の男を許しておくはずがない。一人、また一人と席を立ち、ゆっくりと男に向かって集まり始める。

 その最たるものは、ガブルを踏みつける巨漢だった。

 

「てめェ、よそ者か。それもカタギじゃねェ、海賊だ」

 

 巨漢はもはやこちらを見ていない。

 踏みつけていた足をどけ、人一倍大きな足音をたてて進んでいく。他の海賊どもを押し退けて行く先は当然、旅装の男だ。

 男が腰かけるカウンター席の隣に立つ巨漢。

 直後、手にした剣が机に突き立てられた。

 

「ナメてんじゃねェぞ!! ここがどこだか分かってんのか!!?」

 

 巨漢の恫喝が唾を散らす。続く動きで、その幅広な胸板がさらけ出された。

 服の下にあるもの。

 それは刺青だ。

 髑髏を中心した絵図は海賊の印。この巨漢が、とある海賊団の一員であることを示す証であった。

 

「おれたちスコッチ海賊団が! 泣く子も黙る百獣海賊団から預かったナワバリだぞ!? そこでこんなマネして、ただで済むと思ってんのかァ!!?」

 

 巨漢は顔を真っ赤にして怒鳴るが、取り囲む海賊どもも似たようなものだ。睨みつける者、薄ら笑いを浮かべる者、様々だが誰一人その目に好意はない。

 首を回し、指を鳴らし、武器をとる者も少なくない。誰もが酔いの醒めた面持ちで、赤ら顔の理由を酔いから怒りに変えてしまっている。

 海賊どもの逆鱗に触れたのだ。

 無法に生きる者は侮りを許さない。

 認められること、恐れられること、それらがなければ無頼の世を渡っていけないからである。

 しかし、

 

「——知ってるよ」

 

 旅装の男が恐れた様子は欠片もなかった。

 短く、ぽつりと答えるだけだ。

 

「あぁ?」

「知ってるって言ったんだ。ここがどこのナワバリにある島で、誰が牛耳ってやがるのか」

「……その上で、こんなマネしてやがるのか」

「むしろおれは不満だな。カイドウのバカがいなくてよ」

 

 その瞬間、場は一気に気色ばんだ。

 カイドウ。

 その名を聞いて。

 それはここの海賊どもの親分にあたる、この“新世界”で名を馳せる大海賊の一角なのだから。

 

「ナメるにも!!! ほどがあるぜ!!!!」

 

 ついに男は剣を抜いた。

 カウンターから現れた切っ先が天井に向けられ、一瞬の間をおいて風を切り振り抜かれる。

 殺意ばかりの一閃だ。

 旅装の男を叩き切るための。

 

「前にもいたよ、百獣海賊団に挑んで潰された雑魚海賊が! お前もそいつらと同じ負け犬にしてやる!!」

 

 刃が迫る。

 

「あの敗北者!! ゲッコー・モリアみたいになァ!!!」

 

 その瞬間。

 宙を飛んだのは巨漢だった。

 

「は?」

 

 ガブルは顎が外れる思いがした。

 きっと店長も、店長の娘も、旅装の男を取り囲んでいた海賊どもだってそうだろう。だが一番驚いたのは、巨漢本人だったはずだ。

 白目を剝いた奴に、意識が残っていればの話だが。

 

「…………!?」

 

 巨体が錐もみしながら頭上を行く。ゆっくり山なりになったその軌道は、どれだけの力で打ちつければ描くことができるのか。

 そんなことをぼんやり思ううちに、巨漢は酒場の入口へと突っ込み、それを粉砕した。

 舞い上がる木片と建材。

 立ち込める粉塵の向こう、店の表に転がった巨漢はぴくりともしない。ただゆっくりと、その上に新雪を降り積もらせていくだけ。

 

「——もういっぺん言ってみろ」

 

 背が震えて、ガブルは飛び起きた。

 旅装の男の声だ。だがそれは今までとはまるで違う。それこそ地獄の底から響いてくるような、明らかな怒りを秘めた声であった。

 そして見る。

 男の腕を。

 旅装から飛び出した、巨木のような腕を。

 

「な、なんだその腕!?」

 

 見上げるほどに大きな腕だ。

旅装の男はおろか、吹っ飛ばされた巨漢にも勝る大きさを誇っている。

 おかしいのは、どう見ても男と釣り合っていない長大さなのはもちろん、それがつい今しがたまで旅装の下に隠れていたことだ。

 ありえないことに、男の腕は巨大化したのだ。

 

「あ、あんた一体」

 

 誰もが凍りつく中、ガブルは問う。

 しかし旅装の男は答えず、店の中を驚きと恐れによる静けさが支配しはじめ、

 

「あ~! やっぱりいたぁ!!」

 

 突然の声がそれを打ち払った。

 

「ステラ! ギーアさん! いたよ、やっぱりここにいた!!」

 

 新たな来客である。

 それは、ガブルよりもいくらか小柄な娘だった。薄桃色の髪を揺らし、綿毛で作ったようなコートを羽織っている。

 やけに色白で大きな目が特徴的だった。

 

「もう! 一人でどっか行かないでって言ったのに!」

 

 跳ねるように入ってきた娘に続き、更に二人入ってくる。

 どちらもやはり女だ。

 片方は波打つ金髪、もう片方はまっすぐな赤髪を伸ばしている。金髪の女は細くていかにも優しそうだが、赤髪の女は大柄で、いかにもキツそうだ。

 何より、美貌を感情のままに吊り上げ、旅装の男へ詰め寄る姿が恐ろしかった。海賊どもを押し退けて、その輪の中へと入ってしまうのだから。

 

「どこに行ったかと思えば、酒場なんて! ペローナでも覚えてることを忘れたの!?」

 

 芯の通った力強い怒声だ。

 耳に残るその声は、ついに旅装の男の名を呼んだ。

 

「——モリア!!! まさか話を聞いてなかったとか言わないでしょうね!!?」

「……うるせェなァ」

 

 ゆっくりと旅装の男は振り向いた。

 フードから現れた顔は、これが人の顔かと思うほどの凶相だった。鋭い三白眼に頬まで裂けた口、逆立つ髪は地獄の炎みたいだ。

 極め付きは喉を縦に割る縫い傷だ。何をすればあんな傷を負い、生き延びることができるのか。

 

「今は隠れて様子を探るってんだろ。分かってるよ」

「ウソつけ! じゃあこの騒ぎは何なのよ!」

「この雑魚どものせいだ。そこの奴がナメたこと抜かしやがるから……」

「男が言い訳するんじゃない!!」

 

 ぎゃんぎゃんと言い合い始めた男と女。

 ガブルはそれを店長たちとともに呆然と見ていた。

 だが海賊どもはそうもいかない。

 時間が経つとともに目の前で何が起こったのかを理解すると、誰も彼もが怒りで肩を震わせ始める。

 そうして、誰からか呟く。激情を込めて。

 

「こ、こいつら、ふざけやがって!」

 

 熱をあげる海賊どもの様子に、金髪の女が声をあげた。

 

「あの、ギーアさん、モリア様? 気をつけた方が……」

 

 だが一向に見向きもしない男女である。

 そして何より、その声かけはいかにも手遅れだった。

 恐る恐るといった風の声を掻き消すほどの、激しい怒号が店の中に響き渡ったのだから。

 

「ぶっ殺せェ!!!!」

 

 剣が光る。

 銃が火を噴く。

 海賊どもはどいつもこいつも鬼の形相で、言い合いを続ける男と女へ、四方八方から襲いかかった。

 殺される。

 普通なら。

 だがあの男女は、全くもって普通ではないのだった。

 

 

 

「うるせェ!!!!」

「!!!?」

 

 

 

 唱和とともに、海賊どもを攻撃ごと薙ぎ払ったのだから。

 振り上げられた巨大な腕とともに、突然の光と熱風が海賊どもを吹き飛ばす。

 ある者は窓や壁を突き破り、そうでない者は店の端まで転がった。共通するのは、反撃を前にしてなす術もなかったということである。

 だが今度はそれに止まらない。

 更なる変化が生まれたのだ。

 旅装の男が、その全身までも巨大化させ始める。

 

「——“影革命”、解除」

 

 今や男は天井を突くばかりだ。

 牙ばかりの口を歪ませ、額から角を生やした顔に見下ろされると、まるで絵物語に出てくる地獄の鬼を目の前にしたような気分になる。

 いや違う。

 恐ろしいのは姿だけが理由じゃない。

 気迫だ。

 酒場でたむろする海賊どもにはない、真に迫った迫力がこの男にはあった。対面して立つことすら恐ろしくなるほどの威圧感が。

 

「て、てめェ、まさか」

 

 言葉が上がる。

 反撃によって転がった海賊どもが、体を震わせながら起き上がりつつあった。だが連中は一様に顔を青ざめさせ、巨大化した男と赤髪の女を見る。

 

「鬼みてェなツラの大男と、火を噴く赤髪の女……! 間違いねェ!」

「お、おい、まさか」

「ああ。女はあの“金獅子”と組んだ大監獄インペルダウン初の脱獄者! 男は、そいつらを従えて天竜人をぶっ殺した稀代のイカレ野郎……!」

「百獣海賊団に挑んで生き延びたって噂は本当だったのか!」

 

 海賊どものざわめきは、ついにその名に行き着いた。

 男と女、二人の異名に。

 

「“死者王”ゲッコー・モリア!!! “葬列”のギーア!!! 二人合わせて懸賞金10億ベリーに届く大物だ!!!!」

 

 ガブルは理解した。

 この男や女たちもまた、海賊であったと。

 さっき吹き飛んだ巨漢が言っていた、かつて奴らの親分と戦って敗れた海賊が、こいつらだったのだ。

 けれどこいつらは死んでいなかった。

 生き延びて、この島を牛耳る海賊どもの前に現れたのだ。

 

「ウソだろ!? なんでそんなやつらが、こんなところに!?」

「決まってんだろ。逆襲だ」

 

 そう言って大男はにやりと笑った。

 とても笑みとは思えない獰猛すぎる顔には、この場にいる誰も彼も押し潰してあまりある戦意が満ちている。

 そうだ。決まっている。

 一度敗けたヤツが、勝った奴の手勢の前に望んで再び現れたのである。その目的は明らかだ。

 逆襲だ。

 再起である。

 自分たちはまだ終わっていない。今度こそ勝ってみせると、その意気を見せつけるために他ならない。

 そのために男たちはやって来たのだ。

 

「安心しな、殺しやしねェ。てめェらのボスに伝えてもらわなきゃならねェからな」

 

 大男は息を吸った。

 続く宣言を声高にするために。

 

 

 

「——ゲッコー・モリアとその一味! スリラーバーク海賊団が、てめェらを潰しに来たってなァ!!!!」

 




皆さんはガブルという登場人物を覚えていますか。
カリブーの扉絵連載で登場(?)した、カリブーのそっくりさんです。本作では子供時代ということで登場していただきました。

つまり今回の舞台は、原作で何かと攻め込まれることに定評のあるアイアンボーイ・スコッチが守るカイドウお気に入りの冬島です。
勿論彼にも登場してもらう予定ですが、敵勢にはもう一ひねり加えたいと思っています。次回でそのへん書こうとおもってるので、ゆるっと広い心で待っていただければ幸いです。





p.s.
他に2作、頑張って同時投稿しました。もし見てやっていただけると、とても嬉しいです。

ヒロアカ小説
https://syosetu.org/novel/239029/16.html

Fate小説
https://syosetu.org/novel/277396/2.html


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“スリラーバークの怪人たち”

ご無沙汰です。
またしばらくは5000文字構成で完成させやすい書き方をしていこうかと思います。


ならず者どもは果敢であった。

 ギーアたちが何者か、それを理解した上で剣や銃を抜き、襲いかかる蛮勇さを持っていたという意味で。

 

「ビビんな! こっちは百獣海賊団傘下、スコッチ海賊団だぞ!」

「簀巻きにしてカイドウさんに送りつけてやれ!!」

 

 先頭の男が叫んだ。

 未だ青ざめる他の者どもを鼓舞しようとしたのかもしれない。気色ばんだ顔を引きつらせ、旗のようにかかげた剣の刃を輝かせる。

 ひょっとしたら、この酒場にたむろする者どものまとめ役だったのかもしれない。

 その意気や善し。

 問題は、実力が伴わないことだ。

 

「――腰が引けてる!」

「ぐえっ!?」

 

 隙だらけの体はあまりに脆い。腰の入らない構えは、たった一発の蹴りで総崩れとなる。

 人を斬る上で、この男はまるでなっていない。

 しかも、未熟な点はそれに止まらなかった。

 

「剣を握る手!」

「ンぎっ!?」

「床を蹴り出す足!」

「ぎゃっ!」

「敵を見る目!」

「うがァ——!?」

「仲間との位置取り!」

「ウ、ギ……ッ!」

 

 あらゆる不出来を叩きのめしてやれば、あっという間に千鳥足の出来上がりだ。その胸倉を掴み上げるなどたやすい。

 片腕で吊り上げられた体は標本箱の虫か、あるいは氷室で垂れ下がる肉の塊である。床から浮いた両足がぶらりと揺れて、あまりにも力ない。

 打たれ、腫れあがった男の顔を、ギーアは睨む。

 

「何より、私たちを狙ったおつむの悪さ。部下を仕切って長いけど、逸るばかりの愚かさだけは手に負えないわ」

「ひ……!」

 

 構えた拳、握った怒気に、男が息を詰めた。

 心が折れた者の表情だ。

 それは、この酒場についた時に、ならず者どもに組み敷かれた彼らのそれと、まるで変わらなかった。

 捻じ伏せられた店長。

 床に放り出された店員の娘。

 そして、殺される直前の少年。

 なによりここに来るまで見てきた、この街のその住人達の姿。それらをつぶさに思い出し、五本の指が一層の力を得る。

 確かな手応えは、力と心が噛み合った証拠だ。

 

「うん」

 

 にっこりと、満面の笑顔でギーアは告げる。

 

「――あんたたちは、要らないわ!」

「う、うああああ! 助けろお前らぁ――――!!」

 

 蒼白になった男が絶叫した。

 胸倉を掴み上げる腕がどうにもできないと悟るや、上擦った声で背後の者どもへと助けを求める。

 周囲のならず者どもは、弾けたように走り出した。男は無様だったが、それでも者どもにとっては仲間である。何より、次に同じ目に合うのは自分たちだという確信が、者どもを一致団結させていた。

 しかし、そんなものはギーアには無意味だ。

 拳に宿す光熱は、それら全てを一掃できるから。

 

 

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!!」

「オゲ――――――!!!?」

 

 

 

 光輝。

 その一打は男を火だるまに変え、向かってくるならず者どもを迎え撃つ炎の弾として撃ち放った。

 

「う、うわぁッ、こっちに来ンなァ!」

「に、逃げ……」

「ギャアアアアアアアアア~~~~!?」

 

 蹴散らされた者どもこそ無様である。

 大の男が十数人、まとめて木っ端みじんに吹き飛ぶ様子は、まさしく連中の軽薄さが形になって表れたかのようであった。

 なってない。

 その一言だけがギーアの胸にあった。

 

「……なまくらね。足りないわ、訓練も覚悟も」

 

 黒焦げになった酒場の一角で、ならず者どもは誰も彼もが丸焼きになって倒れ伏す。指先一つ動かせないようでは、もう立ち上がれないだろう。

 惰弱。それ以外に者どもを言い表すことができない。

 ゾンビにして従える価値すらもない。

 怒りを通り越し、ギーアは嘆息するしかなかった。

 

「海賊を名乗るンなら、もっと覚悟して来なさい」

 

 

 

スリラーバーク海賊団 副船長

― “葬列”のギーア ―

ヌギヌギの実の脱皮人間

懸賞金2億9000万ベリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バカ野郎、副船長から狙うヤツがあるか! ……こういう時はなぁ!」

 

 叫んだのは、ギーアを迂回するならず者だった。

 数人の男どもを従えたそいつらの行く先は、二人の少女だ。

 片方は金髪で華奢な体つき、もう片方に至っては年端もいかない小さな娘だ。身を守る物も、この島の寒気に耐えるための防寒着程度しかない。

 男どもは舌なめずりして躍りかかった。

 

「弱そうなのから狙うンだよォ~~~~ッ!!!」

 

 断頭台を気取ったのか、男は高々と跳び上がる。

 ことさら大振りになった白刃は勢いに乗り、落ちる先にある金髪の少女に癒えることのない深手を刻もうと、風を切って迫る。

 だが、図らずも傷を得たのはならず者自身だった。

 

「ぎゃあああ~~~~! 痛ぇ~~~~~~!!」

 

 まず響いたのは、刀身が砕ける甲高い音。

 続いたのは、男の野太い悲鳴。

 砕け、跳ね返った剣の切っ先が、持ち主であるならず者の顔を切り裂いたのである。

 

 顔から血を噴いて落ちたならず者に、後続の者どもは足を止め、刃を砕いたそれを驚きの顔で見上げた。

 

「何じゃこりゃあ!?」

「か、殻ァ!?」

 

 ならず者の剣を砕いたもの、少女たちがいたはずの場所にあったもの。

 それは、渦巻きを描く巨大な楕円形の殻だ。

 

「バカデケぇ電伝虫!?」

 

 者どもはそれに見覚えがあった。否、この世界の人間であれば、ほとんどの者がそうであっただろう。

 電伝虫、改造を施すことで離れた場所の相手と通話できる家畜のそれと、目の前のそれはまったく一緒だったからだ。

 だが電伝虫の大半は、手のひらに乗るか、少なくとも抱えられる程度の大きさだ。見上げるほど巨大な電伝虫など滅多にない。

 まして突如現れるなど。

 

「大丈夫だった? ペローナ」

 

 困惑する者どもを他所に、殻から声がした。くぐもっていたが、か細くか弱い女の声だ。

 やがて、ゆっくりと殻が持ち上がり始めた。殻の底を晒すように、片側から傾けるように起き上がると、そこから何か軟体じみたものが這い出してくる。

 ぬるりとした動きで伸び上がった軟体。

 その正体は、下半身がカタツムリのようになった金髪の少女であった。

 あまりにも異様なその姿に、圧倒された者どもの口をついたのは、至極簡単な一言だった。

 

「で、電伝虫人間……!」

「あの、私たちを襲わないでください。貴方たちでは、私の殻は砕けないと思いますので」

 

 

 

スリラーバーク海賊団 通信手

― “虫の報せ”ステラ ―

ムシムシの実モデル電伝虫

懸賞金1500万ベリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、ナメやがってェ――!」

 

 だが、少女に諭されて引き下がるようでは海賊足りえない。申し訳なさそうな少女の顔は、尻込みしていた者どもを決起させる呼び水でしかなかった。

 頭に血をのぼらせ、血を流して倒れるならず者も無視して、者どもは走り出す。

 それを笑う者がいた。

 

「ホロホロホロ! バカなおじさんたち、せっかくステラが親切で言ってやったのに!」

 

 鈴を転がすような声。

 けれど、続いたのは者どもを見下すあざけりだった。

 

「可愛くねーお前らじゃ何やってもムダだよ!」

 

 声の主は、殻の影から現れた幼い娘だった。

 いやに大きな目を弓なりにし、結わえた髪を揺らす姿は、およそこの場には似合わない可憐さだ。

 だが、いるからには獲物である。

 

「このガキィ!」

 

 まして煽られたとあっては狙うしかない。

 小さな少女へと、屈強な男の群れが殺到する。雪崩のようなそれらは、しかし、

 

 

 

「“ネガティブホロウ”!!」

「!!?」

 

 

 

 白い何かによって貫かれた。

 

「ォアア……ッ!?」

 

 娘の体から飛び出してきた、人の形をした半透明の何かであった。それは泳ぐ魚にも似たゆるい動きで、迫りくる者どもの胸を通り抜ける。

 その直後だ、男どもが膝をついたのは。

 

「…………!!」

 

 血はない。傷もない。だが力もない。

 頬や肩でもって床にすがりつく者どもは、ことごとく蒼白な顔にうつろな目を浮かべていた。

 そして、うわ言じみたうめき声こぼす。

 

「……生まれてきてすみませんでした……」

「ホロホロ、ザマァねェなァ! 私のゴーストに触れて、心が折れないヤツはいない!」

 

 打ちひしがれる者どもを見下し、娘は胸を張る。

 その周囲に浮かぶ白い人型どもは、なるほど確かに幽霊と呼ぶしかないような風体をしていた。

 

『ネガティブ、ネガティブ』

 

 そんなかけ声を背に、少女は豪語した。

 

「ステラに守られた私に死角はねェ! 無敵のペローナ様を前に、ネガティブになっちまいな!!」

 

 

 

スリラーバーク海賊団 船長預かり

― “ゴーストプリンセス”ペローナ ―

ホロホロの実の幽霊人間

懸賞金150ベリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、やり過ぎるなよ。お前の能力だと、どいつもこいつも話が通じなくなっちまう」

 

 そんなペローナを諫める声が降った。

 見上げるほどの、天井を破りかねないほどの大男だ。

色白の肌に三白眼、赤毛を炎のように逆立てた姿は、地獄の悪鬼がこの世に現れたようですらある。

 凶相は呆れ顔で少女を見ていたが、それもやがて、別の者どもへと向けられた。

 残りのならず者どもへと。

 

「ひ、ひぃ……!」

 

 大男の睥睨に立ち向かえる者はいなかった。

 誰もが大男以上に蒼白となり、震える足腰で後ずさる。中には武器を取り落とす者すらいた。

 そんな姿を見た三白眼は細められ、生え揃った牙は剥き出しになる。

 

 辺り一面を怒気が塗りつぶす。

 人だけではない。床や壁や天井や、酒場の机や酒瓶の群れさえ、ことごとく竦んで震え上がった。大男の激情が、まるで形を持って湧き上がっているかのようだ。

 事実、大男の足元から這い出すものがある。

 彼の影だ。

 

「てめェらみてェのがカイドウの威を借りてるのかと思うと、虫唾が走るぜ」

「ひ、ひぃ!」

 

 影は渦を巻き、主の号令を待つ。

 まるで引きずり込まれているかのように立ちすくむ者どももまた、同じ有り様であった。

 そして、言葉は成った。

 

 

 

「“角刀影(つのトカゲ)”!!!!」

「!!?」

 

 

 

 形を得た影が天を突く。

 塔、否、巨大な槍だ。矢にも勝る勢いで伸び上がるそれは、残りのならず者どもを屋根もろとも撥ね飛ばす。

 砕け散る建材に混じって者どもが舞い上がる様は、まさしく木っ端海賊と言うべき有り様であった。

 

 

「ギャアッ!」

 

 やがて者どもが降り注ぐ。

 ある者は床板を砕き、またある者は表通りの積雪に沈む。共通するのは、誰もが満身創痍で身動き一つできないということだった。

 大男の怒号が響く。それが、彼にとっての許しだから。

 

「ツケは払ってもらったぜ! このおれ、ゲッコー・モリアを侮ったツケはなぁ!!!」

 

 

 

スリラーバーク海賊団 船長

― “死者王”ゲッコー・モリア ―

カゲカゲの実の影人間

懸賞金7億ベリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、軒並みノシちゃって。伝言させるんじゃなかったの?」

「歯ごたえがなさすぎる。この雑魚どもが悪い」

 

 あたりは死屍累々だ。

 雪の上に散乱する瓦礫と負傷者、酒場は天井すら砕かれて露天の廃墟となり、ギーアたちを雪から守る役目を放棄してしまっていた。

 肩に乗る雪を払い、ギーアは半眼でモリアを睨むが、しかし当の本人はそっぽを向いて取り合わない。

 どうやら、このならず者どもには相当おかんむりらしい。

 逆襲を目論んでこの島へ来た彼からすれば、あまりにも肩透かしだったのだろう。

 

「ホロホロホロ! 私たちにかかればこんなもんだよ、モリア様! 私たち、スリラーバーク海賊団にかかればね!」

 

 風通しのよくなった酒場で、ペローナの笑い声はよく通る。

 モリアは変わらずヘソを曲げたままだが、しかしギーアはそこまで落胆していなかった。

 この連中は、自分たちが狙う敵の本隊ではない。それにおもねる傘下海賊の、そのまた末端だ。そもそもの格が違う。

 それに、今狙う敵はまだ残っている。

 

「でも、目立ってしまいましたね。早く離れないと」

「そうね。今敵の本隊に見つかるのは、さすがに時期尚早だわ」

 おずおずとしたステラの言葉に頷く。

 ギーアたちは先遣隊だ。近海に泊めた海賊船、スリラーバークに控える兵力を呼べるように、この島の様子を探って準備すべく、潜入している。

 部下がゾンビか、あるいはギーアの皮をかぶって同じ姿になったブギーマンズしかいない以上、人目を忍ぶには、ギーアたちが自ら潜り込むしかなかった。

 

「モリア、もう私たちがいるってことは隠せないし、何人かさらって行きましょう。連れ帰って締め上げてやるわ」

「あぁ、そうだな」

 

 船長に提案し、頷きを得たギーアは、近くにいたならず者を掴み上げた。

 痛む体を引きずりあげられて男は苦悶したが、しかしやがて、卑屈な忍び笑いを浮かべてこちらを見た。

 

「お、おれたちをやったぐらいでいい気になるなよ。いや、むしろやっちまったと後悔するといいぜ」

「……何?」

 

 この期に及んでする大上段の物言いに、ギーアは首を傾げた。

 それが可笑しいのか、男はことさら煽るように叫ぶ。

 

 

 

「自分たちの運の無さを呪え! 大看板がいる時にこの島へ来た不運をなぁ!!」

「!!!」

 

 

 

 大看板。

 それは仇敵の最高幹部だ。この“偉大なる航路”後半の海、“新世界”において覇権を誇る百獣海賊団において、頂点に立つ男を守る3人の実力者。

 その力と凶悪さ故に、“災害”という別の呼び名すら持つ大海賊たちである。

 

「大看板の一人がこの島にいる……?」

「……キシシ、面白くなってきやがった」

 

 息を呑むギーア。だが一方で、それを聞きつけて寄ってきたこの男にとっては、吉報でしかないらしかった。

 目をらんらんと輝かせたモリアは、牙しかないその大口で呑み込むかのように、ならず者を覗き込んだ。

 

 

 

「誰だ? ――誰がこの島に来てやがる!!?」

 

 




麦わら一味に例えるなら、モリアは船長枠として、

ギーア … ゾロ枠
ステラ … ナミ枠
ペローナ … チョッパー枠

みたいな感じです。原作のスリラーバーク一味を始め、増員する予定ですが、書き上げられるのはいつになるやら。
今回のエピソードにおける敵方も次でようやく顔見せできそう。気長に読んでやっていただけると嬉しいです。


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”百獣海賊団大看板 ジャック”

「すまねぇクイーン様。今納められる兵器はこれだけだ」

 

 スコッチは眼前の男にこうべを垂れた。鋼の仮面に精一杯の謝意を浮かばせながら。

 “新世界”で恐れられる“アイアンボーイ”の異名も今は無意味だ。ガトリング砲を据えた義手も、一海賊団を率いる船長という立場も、男の前ではゴミほどの意味しかない。

 男が許すことを期待して、ひざまずくしかなかった。

 

「オイオイ、ダメだろスコッチ。おれたちが今日ここに来ることは前から分かっていただろう?」

 

 男は巌のような巨漢だった。

 多くに勝る体格を持ったスコッチですら見上げるしかない、それこそ人間とは思えないほどの体躯だ。広すぎる肩幅と胸板は、まるで左右の壁を渡る架け橋だ。身じろぎの度に軋む椅子には同情しかない。

 不意に、男は腕を伸ばしてきた。

 女の胴ほどもある五指が、スコッチの頭を掴む。

 

「海賊がアガリにケチつけちゃシメシがつかねェ! 見せしめを出してでも、今日に間に合わせるのがてめェの役目だろう、スコッチ!!」

 

 右へ左へ、前へ後ろへ。

 首の骨をいたぶるかのように、頭を揺さぶられる。

否、ように、ではない。この男がその気になれば、首を引きちぎることも、手のひらの中で頭を潰すことだってできる。

 自分の受け答え一つで、それは起こりうる。

 

「……面目ねェ」

 

 ここで弱みを見せれば相手の加虐心に油を注ぐだけだ。

 釈明しようと男の手から逃れれば、その瞬間にスコッチを叩き伏せるに違いない。そして、部下もろとも拷問にかけ、なぶり者にした末に八つ裂きにするだろう。

 それが大看板だ。

 百獣海賊団の最高幹部とは、そういう海賊なのだ。

 

「……フン、つまらねェヤツだ」

 

 こちらの様子に飽きたのか、男はスコッチの頭を離し、極太の腕を厚い胸の前で組んだ。

 鼻を鳴らし、舌打ちもして、それでも動じないスコッチに、いよいよ退屈をこじらせたらしい。部屋の隅に唾を吐き捨てる。

 そして、隣に置いた電伝虫へと手を伸ばした。

 

 

 

「で、どうするよ、クイーンの兄貴」

『――そうだなぁ』

 

 

 

 男が受話器をとって言葉を促せば、やがて通信先にいる男の声が響いた。

 百獣海賊団の大看板。

 “疫災”の異名を持つ海賊、クイーンの声が。

 

『てめェにその島を任せた意味をよく考えろ、スコッチ。カイドウさんお気に入りの島のシキリを任せた意味をな』

「……へい」

 

 言葉は短い。だが、かかる重圧は頭を握られた時よりも余程ひどく感じられた。

 もし、この場に相手がいたならば。

 そう考えるだけで、折角ここまで耐えてきた体が勢いよく震えだしてしまいそうになった。雪の絶えないこの島で、しかし感じたことがないほどの寒気がスコッチを襲う。

 そんな時間がどれほど続いたか。

 やがて電伝虫は新しい言葉を送ってきた。

 

『ひとまずアガリは待ってやる』

 

 そこではじめてスコッチは面を上げた。

 

「本当ですかい?」

『三日だ。それまでに間に合わせるンだな』

 

 条件付きでも許しは許しだ。

 スコッチはようやく人心地ついた思いで、強張らせていた肩を緩め、大きく息をついた。

 しかしそれに異論を唱える者もいる。

 

「オイオイ、待ってくれよ兄貴! ってことは、おれはそれまでこの島で待ちぼうけか!?」

 

 傍らの男だった。

 身を乗り出して言葉を送るが、どれほど真に迫ったところで、その様子は電伝虫の向こうには伝わらない。

 

『何のためにてめェを行かせたと思ってる。わざわざアイツらまで付けて。スコッチの後ろに立って、せいぜい島の奴隷どもにビビらせてやれ』

「そんな雑魚がやるような仕事……」

『バケモノどもを仕切ってぶっ壊すしか能がねェんだ! それぐらいやれ、“ハナタレジャック”!!』

 

 地響きのような一喝。

 とても電伝虫から放たれたとは思えない怒号が、何もかもを震え上がらせた。

 部屋を。

 家具を。

 スコッチを。

 そして、男を。

 信念や自負、あらゆる精神の強みをへし折る圧倒的な迫力。実力と残忍さに裏打ちされた激情が、海を越えてこの一室にもたらされた。

 

(これが、懸賞金10億越えの男)

 

 その逆鱗に触れたとあっては、目の前にいるこの男ですら口ごもるしかない。

 スコッチが男に対して絶対的な恐怖を抱いているように、男もまた、クイーンに対して同等以上の畏怖を抱いているのだから。

 

『随分と偉ぶるじゃねェか。てめェ、大看板になっておれと同格になったつもりか?』

「いや、そんなつもりは……」

『おれと、あのクソッタレなキングの野郎に続く大看板なんざ、これまで何人もいたぜ。そいつらが今いない理由を分かってンだろうな?』

「も、もちろんさ、兄貴!」

『だったらナメたクチきいてンじゃねェぞ。てめェが成り上がれたのは悪魔の実の力あってこそだと忘れんな』

 

 クイーンは百獣海賊団旗揚げの頃から大看板の座に座る古豪だ。強さが全ての百獣海賊団において、その意味は地位以上の意味を誇っている。

 目の前にいるこの男に強さがあれば、クイーンの居場所は海賊団にもこの世にもない。

 そうなっていないことの意味を、見せつけられた思いがした。

 

『コトが済むまで、おれにかけてくるンじゃねェ。いいな、三日以内にアガリを納めろ』

 

 留飲を下げたクイーンは、それだけ言い残して電伝虫の通信を切った。

 余韻すらなく、言葉は空気の中に消える。

 けれどスコッチの胸には、これまで海賊として培ってきたあらゆる記憶よりも深く、根強く刻み込まれたのだった。

 絶対的な恐怖が。

 

「………………」

 

 静寂が残された。

 電伝虫は萎れた草花のようにうなだれ、目を伏せている。この部屋で、たしかに意思を示しているのはスコッチともう1人だけだ。

 その1人が、ゆっくりと口を開いた。

 

「なぁ、どう思う?」

 

 ぎくり、とスコッチは肩を強張らせた。

 最早こうべを垂らし、目をそらすだけでは収まらなかった。それだけの激情が、男からあふれ出していたからだ。

 平服して嵐が過ぎるのを待つ時間は終わった。

 ここからは、暴風に真っ向から受けるしかない。

 癇癪という災害を。

 

「ナメすぎだと思わねェか? このおれを」

「……いや、そんなことは……」

「おれの言うことが違うってのか!!!!?」

 

 瞬間、部屋が爆ぜた。

 男の巨体が放つ激昂はたやすく空気を破裂させ、ここにある全てのものを吹き飛ばしたのである。

 家具は壁板もろとも木っ端みじんとなり、窓ガラスは破片となって舞い上がった。スコッチが貴賓室にしていた空間は、荒れ果てた露天の一室と化したのだ。

 雪と寒風がスコッチたちを包み込む。

 けれどスコッチの体が冷え切ったのは、全身から怒気と湯気を放つ男を目の前にしていたからだった。

 鬼の形相が、スコッチの血肉から熱を奪っていた。

 

 

 

「このおれを誰だと思ってやがる! 百獣海賊団の大看板、“ジャック”だぞ!!! ナメてんじゃねェ!!!」

 

百獣海賊団 大看板(最高幹部)

― “音害”のジャック ―

懸賞金8億ベリー

 

 

 

 鬼のごとき男は、まさしく音でもって辺りを破壊する災害なのであった。

 

「す、すまねェ、ジャックの旦那」

 

 弁明する自分の声がやけに遠い。

 男、ジャックの怒号で鼓膜が痺れ、耳が遠くなってしまったのだ。ともすれば、叫びによって胸の奥が貫かれたので、せき込んでしまいそうになる。

 度し難い声量だった。

 

「クイーンの野郎もだ! 古株だからって威張りくさりやがって、変態趣味の肉ダルマが!! 一体誰のおかげでよォ……!」

 

 言いながら、ジャックは両腕を大きく広げた。そこにあるものを誇示するように。

 開けてしまった一室は、壁の向こうに控えていたものどもの姿をスコッチへと見せつける。

 ジャックの体格すら比較にならない、文字通り山のような大きさでそびえ立つ、異形の者どもを。

 

 

 

「誰の力で! こいつらが言うこと聞いてると思ってやがる!!!」

 

百獣海賊団 ナンバーズ

― 四鬼(ジャキ) ―

― 五鬼(ゴーキ) ―

― 十鬼(ジューキ) ―

 

 

 

「ジャキキキキ!」

「ゴキキ? ゴキー!」

「ジュキキキキキキキキ!!」

 

「おうおう、おめェらもそう思うよなァ!!?」

 

 獣じみた鳴き声をあげる3体の巨人に、ジャックは機嫌よく頷いてみせる。

 やつらの返事を都合よく受け取っているようでもあったが、あるいは本当に、スコッチには分からない手管で意思疎通が出来ているのかもしれない。

 

(百獣海賊団最高幹部、現・大看板の一角、“音害のジャック”。……その能力でナンバーズを従え、成り上がった男)

 

 巨人族にも勝る巨体でもって数多の街と国を滅ぼす10体の巨人、ナンバーズ。だがそれと引き換えに、やつらは知能に乏しく、制御できずにいた。

 それを成し遂げたのが、当代のジャックである。

 ナンバーズを御す能力に本人の実力もあり、この男はまたたく間に百獣海賊団の中でのし上がっていった。

 

(そんな男でも三番止まりか)

 

頂点に立つカイドウを支える、双璧とも言うべき二人の海賊がいる。彼らを前にして、この男はそれまでのジャックたちと同じように、“格下の大看板”に甘んじ続けていた。

 だが問題は、この男が下剋上を諦めていないことだ。

 

「おめェもよォ、スコッチ。誰につくか、考えとけよ」

 

 一転して猫なで声になったジャックが、こちらを呑み込むように見下ろしてきた。

 

「立場固めて入り込む隙のないヤツより、これから成り上がる男についた方が得すると思わねェか?」

「……へい」

 

 自分以外の戦力を従える能力を持つからだろう。この男は、部下を従えることで組織内の地位を高めようとしている節があった。

 純粋な実力ではなく、付加価値でクイーンたちに並ぼうとしているのだ。

 だがスコッチには、それが叶うとは思えなかった。

 クイーンたちのような、常軌を逸した戦闘力や精神、何よりも狂気がこの男には感じられなかったのだ。

 

(この男は三番手止まりだ)

 

 それ以上でもそれ以下でもない。それが天命だ。

 問題は、本人がそれを受け入れておらず、また自覚していないことだったが。

 

(簡単に従って、没落に巻き込まれちゃたまらねェ)

 

 とはいえ、率直に断れば自分の身が危ない。

 どう答えたものかと、スコッチは溜まっていた唾を大きく飲み干した。

 その時である。吹き飛ばされた電伝虫が、再び鳴り出したのは。

 

「……クイーンか? かけてくんなっつったばかりのくせに」

 

 この電伝虫は幹部格専用の、百獣海賊団の拠点への直通電伝虫だ。こちら側からならともかく、拠点の側から頻繁に連絡が来るようなものではない。

 が、現に鳴っている。

 相手は間違いなく幹部格以上だ。いたずらに待たせれば怒りを買う。

 ひょっとしたらクイーンではなく、もう1人の大看板が入れ違いで連絡を寄こしたのか。あるいは、まさか頂点であるカイドウからか。

 とにかく出ない訳にはいかなかった。

 だからジャックは電伝虫を拾い上げ、受話器を取り、

 

『そこにいるのは、百獣海賊団の大看板の方ですか?』

 

 しかし響いたのは、聞いたこともない女の声だった。

 

「……誰だ、てめェは。どうしてこの番号を知ってる」

 

ジャックは警戒の色を顔に浮かべ、怪訝そうな声を出す。

スコッチにすれば地鳴りのような威圧感を感じるところだったが、だが相手はそうでもないようだった。

 

『番号は知りません。この島にいる中で、それらしい位置にいる子に声をかけただけで……』

『何ィ?』

『あ、それから』

 

 女の声は、とってつけたように言葉を続けた。

 だがそれは、スコッチを驚愕させるには十分すぎるだけの一言だった。

 

 

 

『この島の電伝虫たちには、他の島の子とお話しないようにお願いしました。――もう百獣海賊団の本隊とは連絡できませんよ』

「!!!?」

 

 驚愕したのはジャックも同様であった。

 目を見開き、それからぎろりとこちらを睨む。それを受けたスコッチは、背後へと声を張り上げた。

 

「オイ! 電伝虫持って来い!!」

「へ、へい!」

 

 吹き飛ばずに残っていた背後の壁、その向こうに控えていた部下が応える。

 慌ただしく駆けていく足音がして、それから間もなく、戻って来た部下が部屋に飛び込んできた。

 電伝虫を一匹、抱えたまま。

 

「本当です、船長! 島の外と連絡がつきません!」

「何だとォ!?」

 

 どうやら声の主の言うことは正しかったらしい。

 この女は、番号も無しに見知らぬ電伝虫と通話し、逆に他との通信を制限する能力を持っている。ひょっとしたら、島の中での連絡も止められるかもしれない。

 その恐ろしさが理解できない者はここにはいない。

 

「アジな真似をするじゃねェか、お嬢ちゃん。おれたちにこんなことして、どうなるか分かってンのか?」

 

 ジャックの押し殺した声は、いよいよ怒りを匂わせ始める。

 頬を吊り上げてはいたが、眼光が輝く目はにこりともせず、強張る手でもって受話器を握り潰すのではないかと思われた。

 だが同時に、その能力の有用性にも気付いているようだった。

 

「どこのモンだ? その能力は悪魔の実の能力か?」

 

 探りを入れるジャック。

しかし女は答えなかった。

 

『え? あ、はい、分かりました。ちょっと待ってください、今受話器をつけますから……』

「ああ? オイ、聞いてンのか?」

 

 声の主は、明らかにジャック以外と話していた。

 こちらには返事もせず、それからすぐに、何か固いものをはめるようなノイズが響く。

 そして、かすかに息を吸うような音がして、

 

『――よォ、聞こえるか?』

 

 声が変わった。

 甲高い男の声だ。金切り声にも似たそれは、スコッチをまるで悪霊か何かと話しているような気持ちにさせた。

 

「なんだてめェは」

『今まで話してた女の船長さ。それぐらい分かれ、三下が』

「……あァ?」

 

 ジャックの額に青筋が浮く。

 いよいよ怒りは殺意へと変わろうとしていた。煮え立つような感情は、たとえ受話器越しであっても相手に伝わっているはずだ。

 けれど相手に臆した様子はない。

 それどころか、それを鼻で笑ってすらいた。

 

『悪くねェ。お前が大看板で間違いねェみたいだな』

 

 この威圧感を、格を測る判断材料にした。

 只者ではない。

 スコッチがそうであったように、ジャックもまたそう持ったらしい。殺意はそのままに、けれど目を細め、探るような調子で言葉を紡いだ。

 

「船長ってことは、海賊か。おれが誰か分かった上で大口を叩くてめェは、どこのモンだ。ここが百獣海賊団のナワバリだと分かってンのか?」

『当たり前だ。その上で言ってンのさ。てめェらをぶっ潰すってな』

「……ほう」

 

 底冷えするようなジャックの頷きにも動じず、続けて新たな声の主は名乗りを上げた。

 

 

 

『――おれはゲッコー・モリア。海賊王になる男だ』

 

 




と言う訳で、オリキャラです。
ナンバーズの加入時期から考えて「アプーが入るまでの数十年間、制御する手段がなかったとは考えづらい」こと、また「キングが本名ではない事と原作ジャックの年齢を若い事を考えて、先代ジャックはいるんじゃないか」ってことで、両方をかけ合わせたキャラを作ってみました。

まぁぶっちゃけ、百獣海賊団の年齢層が若すぎて過去編やってると出せるキャラが少なすぎるってこともあるんですが。
この手のオリキャラでこういう性格をしたヤツがどうなるのか、お察しください感はありますが。


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“修羅の素養”

ご無沙汰しております(定型句)。


「ゲッコー・モリア? ……ああ、あったなァ! カイドウさんに挑んで全滅した海賊団がよォ!!」

『あの場にてめェがいなくて残念だぜ、“音害”のジャック。いれば勝ち筋もついたのによ』

 

 電伝虫から届く声が、ジャックに火をつけた。

 雪と冷気に晒される露天の一室にあって、寒風をものともしない熱気が体を満たしていく。

 熱を上げた激情が蒸気のような声を出す。

 

「調子に乗ってンじゃねェぞ、木っ端海賊」

 

 全身の血管が膨れ上がる感覚。煮え立つ血潮が全身を駆け巡り、その身に宿した獣の形を呼び覚ます。

 人並外れた体躯がまたたく間に巨大化した。

 太い腕はより太く、筋肉で隆起する脚は更に彫りを深めた。指先は鉄塊のような爪に覆われ、全身もまた節くれだった分厚い皮膚に変質していく。

 背筋は連山のように張り出し、尻から伸びる長い尾へと、波打つ形を続けていた。

 最早人の形をしていない。

 その姿は、

 

「きょ、恐竜……ッ」

 

 背後で、アイアンボーイ・スコッチが後ずさる。

 正面にいるナンバーズもそうだ。巨大化したと言っても、奴らからすれば腰ほどもない大きさだ。しかし、3人の誰もが冷や汗を浮かべて、竦んでいる。

 そうだ。

 これが自分だ。

 

「おれは百獣海賊団の大看板だぞ……!!!」

 

 怒りに任せて発動した悪魔の実の力、太古の獣に変身する力は、憤慨するジャックの声をより大きく、深く、禍々しく響かせる。

 それは電伝虫を通じて、余すことなく相手に伝わったはずだ。

 しかし、

 

 

『ああ、知ってるよ』

 

 返事には、数分の震えもなかった。

 

『むしろいるのがお前で良かったぜ。丁度いいからな』

「……そうか」

 

 男の声は嘲るようですらあった。

 その時、ジャックが電伝虫を叩き潰さなかったのは、自制や容赦というものが胸のうちにあったからではない。

 逆である。

 極まった怒りが、逆に頭を冷静にさせていたのだ。

 

 

 

「覚えたぜ、ゲッコー・モリア。てめェはおれが潰す」

 

 

 

 

 宣言は、撃ち出された投石のように頑なだった。

 

「クイーンもてめェを仕留め損なったらしいじゃねェか。その首をとれば、ヤツを出し抜くいい手土産だぜ」

『待ってるぜ? 大看板を討てば、カイドウにもしっかり伝わるだろうからな。……まだおれは食いついてるってよ』

「負け犬ほどよく吠えるぜ」

 

 ジャックは鼻で笑った。

 

「こっちはナンバーズ3人を含むおれの配下が5000。それに、この島を仕切る傘下の海賊団が2000。合わせて7000の兵力だぞ。てめェらにどれほどの兵力があるってんだ?」

『…………』

 

 返された沈黙に、にやり、とジャックは頬を吊り上げた。

 当然だ、こちらはあの白ひげ海賊団やビッグ・マム海賊団に並ぼうとする百獣海賊団、その大幹部が率いる部隊なのだ。

 カイドウがかかげる完全実力主義の下、競い合う荒くれ者どもは今や1万を越える。数も練度も違うのだ。

 一介の海賊団ごとき、挑むのもおこがましい。

 

「どうした? てめェらはどれだけの兵力を連れて来たって聞いてんだよ」

 

 2000か、3000か。

自分たちの半分程度にまで届こうというなら、むしろ誉めてやろう。

 そう思って返事を待つと、やがてかすかに息を吸う音が電伝虫から聞こえてきた。言葉を作るための呼吸を、電伝虫が拾ったのだ。

 さて、どんな数が飛び出すか。

 にたにたとした顔のジャックに向けて、言葉は届けられた。

 

 

 

『――5万だ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「めちゃめちゃサバ読んでンじゃないわよ、このバカ!!!」

 

 

 モリアが通話を切った瞬間、ギーアの蹴りは彼の向う脛を全力で打ち抜いた。

 

「オォ……!!」

 

 銅鑼が鳴るような檄音に、脛はたわむようですらあった。

 人体が抱える急所の一つだ、さしものモリアももんどりうって転がるしかない。足を抱えて伏した姿は、さながら震える小山といった風であった。

 見かねたステラが、いかにもおずおずといった風に手を伸ばす。

 

「あ、あの、ご主人様、大丈夫ですか……?」

「大丈夫、問題ないわ」

「てめェが答えてンじゃねェよ!!」

 

 半壊した酒場の床に額をこすりつけるようにして、モリアが凶悪な三白眼で睨みつける。しかしギーアにすれば痛みを堪えたやせ我慢の行為だ。どうということはない。

 やがて、向けられる怒りに歯ぎしりが加わった。

 

「オイ、おれは百獣海賊団になしをつけた功労者だぞ……!」

「黙ってなさい、この船長! 大ボラ吹いた上に勝手に宣戦布告して……今は潜入中って言ったのに!!」

 

 だが怒りたいのはこちらだ。

 横たわったモリアの顔はあまりにも近い。その貴重な機会を活かし、鼻っ面に怒声を浴びせるつもりで指を突きつけた。

 

 

 

「何が5万! 私たちの戦力は搔き集めても1000程度じゃない!!!」

 

 

 

 

「……兵力の数は、盛って伝えるのが常だろう」

「限度があるわ!! 大体、今この島にいるのは私たち4人だけなのよ!? 兵力はこの島に上陸さえしていないのに……あァもう!」

 

 こんなことを言い合っている場合ではない。

 髪を一しきり搔きむしると、ギーアは唸り声を嚙み殺して勢い良く振り向いた。

 

「ステラ! スリラーバークに待機してる連中をこっちに呼んで! 至急よ!!」

「は、はい!」

「それからペローナ! 貴方がさっき能力で止めた敵はどれ!?」

「え、え? えーと、あのへんに転がってるヤツらだけど……」

「あの連中ね……! オラあんたたち、いつまでも寝てンじゃないわよ!!!」

「ぐぎゃあッ!?」

 

 いも虫のように転がっていたならず者の腹に、モリアも呻く強烈な蹴りが叩きこまれた。

 ギーアたちが全滅させたならず者のうち、ペローナがゴーストで心を折った連中は、体そのものは無傷である。力を加減する必要はなかった。

 胸倉を掴み上げ、鋼鉄仕込みの手のひらで頬っ面を何回か叩いてやれば、呆けた目に正気が戻る。

 

「お、おれは、一体……」

「うるさい!!! 正気に戻ったンなら、知ってること全部吐きなさい! こっちは時間が無いのよ!!」

「ギーアさん、すっごい強引……」

「キレたアイツの相手なんざ出来たもんじゃねぇな」

「多分一番怒らせたの、ご主人様だと思います……」

 

 外野が何やら言っているが、今は無視。

 ならず者の顔を、そうだと分からなくなるまで平手打ちにしてやれば、おのずと口を割らせることができた。

 目鼻の場所も分からないほど腫れあがった顔を放り捨て、ギーアは改めて気絶したならず者を背にしてモリアたちの元へ戻る。

 

「……本当だったわ。今、この島には7000の兵力がいる。しかも、ここにはやつらの兵器工場がある」

「街の人たちが連れていかれていた場所ですね」

「武器いっぱいってこと? ヤバいじゃん!」

 

 ステラとペローナが騒ぎ立てるのを聞きながら、ギーアは腕を組む。

 

「不幸中の幸いは、連中の拠点は兵器工場の向こう側にあるってことね。7000の兵力が準備を整えて出発し、工場で順繰りに武装して雪原を越えてくるなら、開戦まで時間はある」

 

 と言いつつも、決して余裕はない。

 むしろ、僅かばかりの猶予をどう使えばいいのか、その悩みで渋面は深まったと言える。

 こめかみに手を当て、軋むほどに食いしばった歯を開けば、泥のように重い声が漏れ出してしまう。

 

「戦力差が大きすぎる。1000対7000……しかも向こうには大看板とナンバーズ3人……こっちの戦力が持たないわ……」

「ねぇ、ナンバーズって何?」

 

 不意に、ペローナが手を上げた。

 ギーアは一瞬目を丸くしたが、すぐに小さく頷いて、

 

「あ、ああ、そうね、話したことなかったわね。ええと、ナンバーズって言うのは……」

「巨漢の巨人どもさ」

 

 言葉を継いだのはモリアだった。

 憎々しげに凶相をゆがめた大男は、思い返すように軽く天を仰いだ。

 

「ただでさえデカい巨人の、更に倍はある図体をした連中さ。どこで見つけてきたのか、カイドウはそれを十人近く従えてやがる」

「おおきな、巨人?」

「巨人も見た事ねェか。そうだな、じゃあ……大体おれの五倍はある大男だと思えばいい」

「ご主人様の五倍!?」

 

 そこで、ようやくペローナは想像することができたらしい。それはステラもだ。

 巨体を思い浮かべるようにモリアの頭上を見上げるペローナの隣で、ステラは肩をすくませるほどに顔色を失わせていた。

 

「そ、そんな人間がいるんですか?」

「いるところにはいる、としか言えないわね」

 

 いなければどんなに良かったか。

 かつてモリアが海賊団を率いてカイドウたちに挑んだ時、そこに現れた巨大な姿をギーアは今も覚えている。

 

「あいつらが厄介なのは、ただ強いことじゃない。とても大きいってことよ」

「……? それは、同じことではないんですか?」

 

 小首をかしげるステラに、大きく頷いて見せる。

 

「私やモリアみたいな“強いヤツ”ってのは、要するに“倒れない兵力”なの。もちろん強さも持っているけど、それ以上に、どんな攻撃にも耐え、倒れず、戦い続けることで最終的に勝利を得る」

 

 しかし、

 

「ナンバーズは逆。広範囲に及ぶ一挙手一投足が、一度にたくさんの“弱いヤツ”を攻撃する。一部の“強いヤツ”は耐えても、その他大勢の“弱いヤツ”は無理。そうやって、相手を戦えなくして勝利を得る」

 

 つまり、

 

「本質的に私たちは“受けの兵力”で、ナンバーズは“攻めの兵力”ってこと。こっちが何十分も走り続ける距離を一歩で詰め、ちまちま数十人蹴散らす間に腕一振りで百人を倒す。……戦略的に見て、あれは兵力というより兵器の役回りね」

 

 説明すると、こみ上げる気持ちがため息となった。

 ステラから目をそらすように天を仰ぎ、額を拭ってギーアは言葉を結んだ。

 

「――数が段違いな上に、兵力を減らす力は向こうが圧倒的に上。とてもじゃないけど勝負にならないわ」

「そ、そんな」

「今の私たちに対抗できる手札があるとすれば……」

「おれのゾンビか」

 

 額から手を離し、そう言った声の主を見上げた。

 やはり聡い。時々、いやちょくちょくバカをしでかすが、根は賢い男なのだ。

 このゲッコー・モリアという男は。

 

「影と死体さえあれば、逆らわない兵力をいくらでも増やせる。何より、どんな攻撃を受けても起き上がる耐久力がある」

 

 見返す目には、分かっているんだろう、と言わんばかりの意思が込められていた。

 当然だ。だから、深く頷く。

 分かっている。

 嘆きはあっても、しかし諦めるつもりはない。

 この男を海賊王にするため、自分はいるのだから。

 

「兵士ゾンビをナンバーズに当てる。それしかないわ」

「問題はどう増やすかだな。影は島民から取るにしても、肝心の死体がねェ。この島に都合よく大量の死体でもねェ限りな」

 

 顎を手を添えるモリアに、ギーアも腰に手を当てて渋い顔を浮かべた。

 スリラーバークの時は大量の死体を用意する環境があったが、今回はそうではない。この街の人間半分を死体にしても、結局得られる兵力は全体の半分ということになる。それは避けたい。

 敵海賊団の構成員を死体にするか。

しかしやつらは一丸となって攻めて来る。本体の百獣海賊団とぶつかるまでに、そんな悠長な準備をしている間がない。

 

「どうしたものかしらね」

 

 こうして悩む間も惜しいほどの状況。消費する時間が苦悩を助長するのが否応もなく分かる。

 いよいよ歯ぎしりした歯を噛み砕いてしまうか、そう思われた時、

 

 

 

「――あるぞ」

 

 

 

 声が響いた。

 それはギーアの仲間のうち、誰のものでもなかった。年若くはあるが、しかしペローナのような少女特有の高い声色を含んでいない。

 低音を含む、芯のある声だった。

 

「たくさんの死体が必要なのか? それがあれば、あいつらに勝てるのか?」

 

 少年だった。

 ギーアの振り向いた先、一人の少年がこちらを見ている。

 見据えていると言ってもいい。

 らんらんと輝く二つの瞳にあるのは強い意気。体の震えを抑え込み、少年をこちらに立ち向かわせる激情が、光となって溢れているのだ。

 

「……子供の出る幕じゃないわ」

 

 ギーアの威圧が走る。

 結果としてならず者どもから助ける形になったが、何も自分たちは島を救いに来たヒーローではない。単なる圧政者の競合相手に過ぎない。

 少年もそれは分かっているはずだ。

 だからこそ、続く言葉には威圧に抗おうという激しい語気が込められていた。

 

「大勢、死んだんだ!!」

 

 涙がある。

 悲しみと、それに勝る怒りによって絞り出される感情の実体化が、少年からこぼれ出していた。

 

「やつらがこの島に来た時! 追い払おうとして、でも戦ったみんなは死んだ! その墓場がこの島にはある!!」

 

 大きく肩を震わせて、

 

「おれの父ちゃんも……! 何千人も斬ったけど、最後はあいつらに殺された……!!」

「……へぇ」

 

 やがて、少年の声は嗚咽に飲まれてしまう。

しゃくりあげる息に押しつぶされ、言葉が続かなくなる。

 けれど、確かに少年の言ったことはギーアの関心を誘った。

 

「興味あるわね。百獣海賊団に大立ち回りした、この島の戦士」

 

 少年が顔を上げた時には、ギーアは彼の眼前に立っていた。

 見上げる顔は、どうしようもなく不細工だ。目元を赤く腫らし、涙と鼻水と涎にまみれ、嗚咽をこらえようと食いしばる歯は剥き出しになっている。

 けれど、決して目はそらさない。

 瞳の光は途絶えることなく、こちらをまっすぐ見上げている。

 

「“新世界”の人間なら、悪魔の実を知ってるわね? 私たちはその能力で死体を操り、兵士にするわ」

 

 ギーアは少年の意志を認めた。

 だから試す。彼が自分たちを知ってなお同じことが言えるのか。

 

「分かる? あんたは今、同郷人や父親の死体を、武器として海賊に差し出そうとしてるのよ?」

「……それであいつらを追い出せるなら」

 

 ギーアの言葉に、しかし意思は揺らがなかった。

 

「みんな、戦って死んだ! それでも守れなかったなら、死んだって戦いたいハズだ……!!」

「……そう。あんた、才能があるわ」

 

抗う才能。戦い続ける才能。

 それは、修羅の素養であったけれど。

 

「あんた、名前は」

「ガブル」

「強かったっていうの、貴方の父親の名前は?」

「――()()()()。みんなは、()()()()()()()()って呼んでた」

 

 少年、ガブルは鬼の宿る形相で言った。

 

 

 

「7000人斬りの剣豪、ジゴロウ。……あいつらを追い出してくれるなら、父ちゃんたちの眠る墓場まで案内してもいい」

 

 




作中にてジゴロウがガブルの父ってことにしてますが、勿論これは独自設定です。というか、もう設定のパッチワークですね、コレ。
「ガブルとその祖母がいるなら、間にもう一世代あるなー」って感じで、ジゴロウの死体獲得の流れをここにねじ込みました。ジゴロウはワノ国の人間って考察もあるみたいですが、ワノ国出身じゃなくても和風なキャラはいる(たしぎとかクマドリとか)ので、本作ではそちらを採用していません。

あと、ナンバーズの役回りについては個人的解釈がありますが、別に軍事的知識が豊富な訳じゃないので、あんまり突っ込まないでやってください<(_ _)>。
原作では作画に花を添えるための目立つモブみたいな扱いでしたが、ちゃんと兵力戦を展開するならカイドウや大看板たちとはまた別の活用法があるキャラだと思うんですよね、ナンバーズ。



感想や評価をいただけると、今後の励みになります。


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“墓場の怪”

評価・感想をありがとうございます。
おかげで次話を続けざまに出すことができました。今後も頑張りたいと思います。





あ、それはそれとしてFILM RED始まりましたね。楽しみー。


「ここが大墓場だ」

 

 雪が降り積もる平野の先、ギーアが案内された場所にそれらはあった。

 石塚の群れだ。

 不揃いで無骨な、墓石とも呼べないそれらが延々と広がるのは、とてもうらぶれた風景に思われた。

 

「……久しぶりだ」

 

 先頭に立つ少年、ガブルが白い息を吐く。

 

「皆でここを作ったけど、ずっと百獣海賊団のやつらに働かされて、誰もここには来れてない」

 

 ガブルは振り向かない。

だがその声や後ろ姿に、悲嘆や怒りの仕草を見つけることはできなかった。

 資格が無いと分かっているのかも知れない。

 ここに眠る死者を、自分たち海賊に武器として明け渡そうとしているのだから。

 

「……こっちだ。ついて来い」

 

 息を噛み殺す間をおいて、少年は歩き出した。

 

「百獣海賊団と戦った人の墓は、大墓場の真ん中に集められてる。父ちゃんの墓はその中心だ」

 

 ガブルは石塚の合間を縫って行く。

それは決して広くなかったが、成人のギーアであっても難なく通れる道幅である。

 問題は、同行者が規格外の体格をしていたことだ。

 

「モリア、踏み荒らさないでよ?」

「分かってる。目印がなきゃ、どこに死体が埋まってるか分からなくなるからな」

 

 言うなり、彼の姿が変異する。

 見上げてあまりある巨体が見る見る間に小さくなっていく。ギーアが膝ほどまでしか届かなかった体は、今や目線を同じくするほどまでになっていた。

 

「“影革命”。これで問題ねェだろ」

「影の形を変えることで本体も変形させる。便利な技ね」

「まァ図体の不便がねェのは確かだな」

 

 そう話す間に、二人はガブルを追いかける。

 雪降る中で石塚の隙間を進む小柄な姿は、ともすれば簡単に見失いそうだ。向こうに案内する気があるとはいえ、気を抜くことはできなかった。

 それにしても広い墓場である。

 

「ガブル、ここに墓はどれだけあるの」

「……大体900。おれたち生き残りと同じぐらいだ」

 

 つまり、島民は半数近く殺されたのか。

 戦闘力と残虐性を売りとする百獣海賊団の所業だ、珍しくはない。むしろ半分も生き残ったのは幸運だ。

 やつらも労働力を欲していたからだろう。

 とはいえ、

 

「生き残りと死体の数が同等なのは良いとして、もう少し数が欲しいところね」

「………………」

 

 唇を噛んで押し黙るガブルを他所に、考えをめぐらせる。

 モリアの能力でゾンビを作るには、生者の影と死体が一つずつ必要だ。

 ここの死体と街の生き残りを搔き集め、新たに900のゾンビを作ったとして、ギーアたちの配下と合わせても総数は1900程度。

 7000の兵力を持つ百獣海賊団とやり合うなら、せめてその1/3程度まで頭数を増やしたいところだ。

 もっとも、その配下もまだ島に来ていないのだが。

 

「でもそろそろ……」

 

 と、勘を働かせたところで、懐から音がした。

 電伝虫の着信だ。

 

「ステラ、着いたの?」

『はい。スリラーバークが到着しました』

 

 電伝虫による通信が封鎖されたこの島で、なおもそれが使えるのは、彼女が封鎖した張本人だからだ。

今この島では、彼女自身も含めてステラが許した電伝虫でしか通信ができない。

 だから彼女に海賊船の出迎えと誘導を任せた。

 

『指示通り、街から離れた岩壁に泊めています』

「誰にも見られてないわね?」

『ペローナにゴーストで見回ってもらっているので、大丈夫だと思います』

 

 スリラーバークは海賊船だ。

 開戦前に街の住人に見つかり、怯えて逃げられたらたまらない。彼らにはゾンビに仕込む影を提供してもらわねばならないのだ。

 

(彼らもブギーマンズにできたら戦力なのだけどね)

 

 モリアが影を奪うと、本体は数日間意識を失う。

 今回は意識を取り戻すのを待つ時間は無い。別の方法で兵力を工面するしかなかった。

 

「とにかく、全員街の近くに待機させて」

『既にブギーマンズは防寒着、ゾンビたちは薪や食べ物、火を起こす物を準備してもらっています』

「大看板とやりあうって分かってたら、もっと備蓄は用意したんだけど……まぁ開戦まで持てばいいわ」

『それから、途中で洞窟を見つけました。皆さんは、そこに隠れてもらおうと思うのですが』

「よく見つけたわね。この島の環境なら、冬眠中の獣がいるかもしれない。安全確認は忘れずにね」

『もちろんです』

 

 ゾンビはともかく、ブギーマンズの中身は生きた人間だ。真冬の雪原で野営させては、開戦前に体力も士気も尽きてしまう。

 戦うまで、暖と食事をとらせ英気を養う必要がある。

 

「設営が済んだら、何割かこっちに寄こして。墓から死体を掘り出して、街まで運ぶのに手が要るわ」

『ギーアさんが今話している電伝虫の念波をたどれば、そちらまで行けると思います』

「上出来よ。後は任せて良いわね?」

『任せてください。では、また後程』

 

 通信を切り、ギーアは肩をなでおろした。

 現場を指揮できる部下がいる、その頼もしさを実感したからだ。

 

「ステラは拾い物だったな」

 

 モリアの言葉に強く首肯した。

 はじめは通信網を制圧する支援要員のつもりだった。だがこの島に着くまでの間に、彼女は自分たちの補佐を担えるところまで成長してくれた。

 生来の賢さに加え、気遣いのできる優しい性格が、仲間に慕われ、先回りして手助けを準備する能力として現れたのだ。

 

「分隊を託せる指揮官がいると助かるわ」

 

 モリアが方針を定める。

 ギーアが必要な作戦を立てる。

 そして、ステラが分担された作戦を実行する。

 自分たちも作戦を進めるが、本来の役目がある以上、手が回らなくなる場面もある。

 指揮官がいれば、分割した作戦を同時進行できる。組織のトップからすれば価値のある人材だ。

 

「もっと指揮官は増やしたいところね」

 

 命令に忠実なゾンビを持つからこそ、それを最大限活かすには、作戦を分担する指揮官が必要だからだ。

 だが、それは別の機会に考えることのようだ。

 

「着いたぞ」

 

 ガブルの呼びかけが来たからだ。

 立ち並ぶ石塚の先、降り続く雪の向こうに、一際大きな影が見えてくる。

 

 

 

「あれが父ちゃん、……“風のジゴロウ”の墓だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは見上げるほどの巨岩であった。

 色黒な楕円形の上には雪が積もっていたが、目線ほどの高さに文字が彫られていた。

 

「……風のジゴロウ、ここに眠る」

 

 細く浅い、拙い彫り文字だ。彫ったのは本職ではあるまい。素人が、少しでも故人を讃えようとしたのだ。

 と、隣にいるガブルの異変に気付いた。

 

「どうしたの?」

「無いんだ」

 

 辺りを見回しながら少年は答えた。

焦りを伴う震えた声で、

 

「ここには父ちゃんが使ってた刀が二本、立ててあったんだ。それが、無い……!」

 

 戦士の墓に、生前使っていた武器をそなえるのはよくあることだ。

 それはゾンビを武装させたいギーアたちにとって都合のよい事であったが、しかし似たような事を考える人間は他にもいる。

 

「墓荒らしね」

 

 世にはそういう者どもがいるのだ。

 

「まぁ野晒しの武器があれば、見逃さないか」

「ありえない!」

 

 ガブルは叫んだ。

 

「街の皆は父ちゃんを尊敬してたし、誰もここに来る余裕なんて無かった! それに、武器を持ってたら反逆者だと思われて百獣海賊団に殺される!」

「なら簡単。……墓荒らしは街の人間じゃないのよ」

 

 言うなり、ギーアはガブルの襟首を掴み引き寄せた。

 目を白黒させる少年を無視し、モリアと背中合わせになって石塚ばかりの景色を鋭く睨む。

 そして一言。

 

「――何かいるわ」

 

 ギーアの背面側を見据えるモリアが声を返す。

 

「分かるか」

「ええ。何か、気配じみたものがある」

 

 姿はない。

 音も、匂もだ。

 だが確かに何者かがいる。

 五感とは別の感覚が、ギーアの危機感を強く刺激して止まらない。

 その直感は、重なる銃声により証明された。

 

「!?」

 

 ギーアの手が火花を散らす。

 ガブルの眼前で広げた五指の中央で、鉄と鉄がぶつかる甲高い音が響いた。激突した物は弾かれ、手近な石塚の表面を穿つ。

 それは数発の弾丸だ。

 

「……妙ね」

 

 石塚に刺さる弾を見て、ギーアは目を細めた。

 

「な、何が?」

「ピストルの弾は飛距離がない。銃声から着弾までの時間でそれも分かる。なのに、撃った当人の姿がない」

「物陰から撃ったんじゃ……」

「周りの石塚は遮蔽物だけど、背が低いわ。隠れると中腰になるから弾は下から来るはず。でも今受けた感じ、弾は高所から飛んできた」

 

 つまり、とガブルの問いに答え、視線を上げた。

 ジゴロウの墓である巨岩の上へと。

 

「敵がいるのは石塚の陰じゃなく、この巨岩の上。姿が無いのは……隠れてるんじゃなくて見えないのよ」

 

 何もない場所に向かって言う。

 そこに何かがいるという確信をもって。

 

 

 

「透明になる悪魔の実でも食べた? 墓荒らしさん」

 

 

 

 問いは沈黙を呼んだ。

 モリアもまた巨岩の上を睨み、ガブルは息を呑んで身を小さくする。そんな彼らとともに応えを待つ。

 それがどれだけ続いたか。

 やがて音が聞こえた。

 

「……かひゅーっ」

 

 空気の漏れるような音。

 それは、まさしく巨岩の上からだった。

 

「!」

 

 次の瞬間、それは起きた。

 まるで紙が色水を吸って染まるかのように、巨岩の上にある空間が色づき始めたのだ。

 にじむように現れた幾つもの色は混じり合い、やがて立体を描き出して、一つの姿をそこに現す。

 人であった。

 

「ぐるるるる……」

 

 金髪の少年だ。

 口元にボロ布、オールバックの頭に帽子をかぶり、素顔はうかがえない。だが、らんらんと輝く瞳のシワのない目元が、彼の年頃を想像させた。

 

「ずいぶん若い墓荒らしね」

「お、お前が父ちゃんの刀を盗んだのか!?」

 

 拍子抜けするギーアを他所に、後ろからガブルが叫ぶ。

 父の遺品を奪われたのだ。怯えはあるようだが、それに勝る怒りが彼を突き動かしたらしい。

 しかし、

 

「ぐぇらっ! げっ、げぉっ、がぁおう!!」

 

 返されたのは、けだもののような雄叫びだった。

 口元を包むボロ布を湿らせ、足元へ涎を垂らす姿は、まさしく狂犬のような有り様だ。

 が、狂人という風でもない。

 敵意こそあったが、墓荒らしの目にはこちらの言葉を理解し、返事をしようという理性の光がある。

 と、言うことは、

 

「……貴方、喋れないの?」

「アブサロムさんに質問するンじゃねェ!!!」

 

 返事をしたのは墓荒らしではなかった。

 彼が乗る巨岩の陰から、数十人の男たちが列をなして現れる。縫い合わせて作った防寒着を着込む、いかにも野卑な顔をした連中であった。

 声を上げたのは、その先頭に立つ一人だ。

 

「アブサロムさんはなァ、名誉の負傷によって喋れねェんだ! だから話しかける時は、“はい”か“いいえ”で答えられるような聞き方を……」

 

 その時、言い切ろうとした顔に雪玉が飛んだ。

 

「ブフッ!?」

「ぐぇあうっ!!」

 

 投げたのは巨岩の上の墓荒らし、アブサロムと呼ばれた少年であった。

 足元に積もる雪を握って投げつけた彼に対し、ぶつけられた方の男は顔を拭いながら、

 

「な、何すんスか、アブサロムさん!」

「バァカ、アブサロムさんがこいつらと仲良くお話する気なワケねェなだろォが」

 

進み出た別の男が胸を張った。

 

「以心伝心のおれには分かる! アブサロムさんは、あそこにいる姉ちゃんに一目惚れしたんだ!」

「ぐぇあうっ!!!」

「ギャフンッ!?」

 

 二人目も雪玉の的になった。

 

「ふ、所詮こいつらは前座。アブサロムさんの本心が分かるのは、このおれだけってことよ。いいかよく聞け、アブサロムさんはなァ……!」

 

 その後も延々と雪玉は飛び続けるのだった。

 

「……何なの、こいつら」

「三流の芸人一座か?」

「どう見ても墓荒らしとその手下だろうが!!」

「……そうかぁ……?」

 

 ガブルに突っ込まれても、つい首をひねってしまうギーアとモリアであった。

 そうこうする間も、アブサロムと手下たちのやり取りは続く。やがて巨岩の上で踊るようなジェスチャーが始まり、

 

「あァ~~、そう言うことかぁ~~~~」

 

 ようやく手を叩いて頷く手下たちであった。

 

「ねェ、話はまとまった?」

「あ、はいはい、どうもお待たせしてスミマセン」

「で? 貴方たちのアブサロムさんは何て?」

 

 申し訳なさそうに笑んだ彼らは、一様に揃って頭を下げた。

 それから、気を取り直したように咳払いをして、示し合わせるために、隣り合う者同士で目配せをする。

 そして、1・2・3と音頭を取り、一言。

 

 

 

「――みぐるみ置いてきやがれェ!!!!」

 

 

 

 唱和して駆け出す手下どもが、開戦の合図だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局のところ、手下どもは物の数ではなかった。

 ナイフやピストルを振り回したところで、にわか仕込みの賊に敗けるギーアとモリアではない。

 厄介なのは、やはりというかアブサロムだった。

 

「ぐおおおおおおうっ!」

「ぐ……っ!」

 

 見えない。

 再び透明になった墓荒らしは、周囲の石塚や手下たちの肩を足場にして跳び、こちらへと一撃離脱の奇襲をしかけてくるのだ。

 防げはするが、常にタイミングは紙一重だ。

 しかし焦燥に駆られているのは敵も同じのようだ。

 

「くそっ、あいつアブサロムさんが見えてンのか!?」

「バカ言え、ありえねェ! なんて勘のいい女だ!」

 

 勘。確かにそうかも知れない。

 だがギーアにとっては、もっと具体的な感覚だった。奇襲が迫ると、五感以外の何かに危機感が走るのだ。

 そうして反射的に腕を構えると、それがアブサロムの透明な一撃を防いでくれる。

 

「勘じゃない。もっと何か、“声”のような……」

 

 だがそれは耳で捉えている訳ではない。

 ならば、どこで感じているのか。それをギーアは明確にすることができずにいた。

 

「おい、ギーア」

 

 答えは自分の外からもたらされた。

 太刀を担いで敵勢をけん制する男は、振り向きもせずにこう言ったのだ。

 

 

 

「お前、見聞色の覚えがねェのか?」

 

 

 

「見聞色。確か……周囲の意思を感じて居場所や行動を察する覇気」

「知識はあるようだな。だがその様子じゃ、それと分かった上で使ったことはねェか」

 

 ふん、と鼻を鳴らして、

 

「脳筋め。大体は両方とも同程度に使えるんだが……お前は武装色に偏りすぎなんだよ」

「地獄の化け物に殴られて目覚めたもので」

 

 獄卒獣との戦いは思い出したくもない。

 手早く使えるようになるためとはいえ、やはりあのやり方で覇気に目覚めるのは異常だったのだ。

 

「まァいい。武装色と同じように、見聞色もこれからの戦闘で必ず必要になる。ここでちゃんと使えるようになっておけ」

 

 そう言って振り向いた彼の顔は、悪戯を思いついた少年のような、人の悪い笑みが浮かんでいた。

 

 

 

「船長命令だ。見聞色を使いこなして透明人間に勝て」

 

 




中間ミッション『見聞色の覇気に目覚めて透明人間を倒せ!』回。
という感じでアブサロム登場です。
ホグバック加入後に改造されたと思われる顔に関しては、こんな感じで対応しました。次回でもうちょっと手を加えるので、ゆるっとお待ちください。



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“海賊ギーアvs盗賊アブサロム”

アブサロム戦、後半です。

p.s.
FILM RED見ました。良いものでした(ネタバレ回避


 奔る太刀が雪原を刻む。境界線だ。

 

「この先には行かせねェ」

 

 モリアの戦意が威圧となる。悪魔の実の能力で小柄になっても、その強さは変わらない。

 あのアブサロムなる盗賊の手下が数十人。だがそのいずれもが顔を青くし、誰からともなく後ずさった。

 境界線に近づけばどうなるか、分かるからだ。

 

「それでいい」

 

 太刀を担ぐモリアは、わずかに後ろを見た。

 ギーアがアブサロムと戦っている。

 悪魔の実の能力か、透明になれるあの少年は、ギーアが新たな力を得るのにうってつけの相手だ。

 見聞色の覇気。

 自分も持つそれを、彼女にも得てほしかった。

 

「上手くやれ、ギーア」

 

 彼女ならできる。それは信頼というより確信だ。

 ギーアは自分を海賊王にする女なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐるおおうっ!」

 

 透明なアブサロムの一撃は目測を許さない。

 ギーアが頼れるのは、敵が迫ってようやく鮮明になる、この感覚だけだ。

 見聞色の覇気なる、芽生えかけの力

 

「ぐ……!」

 

 気配に向かって腕を交差すれば、鋼鉄仕込みの両腕が一撃を受け止めた。

 重い。が、受け止められないほどではない。

 だから反撃しようとして、

 

「あ!」

 

 その腕を蹴り、アブサロムが飛び退いた。

 途端に薄らぐ気配。雪原に足跡が無いところを見ると、どうやらまた周囲の石塚に着地したらしい。

 そうやって石塚伝いに動き回り、時に奇襲をかけてくるのが、アブサロムの戦い方だ。

 

「厄介な」

 

 手がかりを求め、五感を研ぎ澄ます。

 衣服のこすれる音はないか。石塚を移った時に積もった雪が落ちていないか。何かないか。

 そうやって察知しようとして、

 

 

 

「――見聞色の覇気を使って透明人間を倒せ」

 

 

 

 

 その一語が蘇る。

 

「く……っ!」

 

 石塚の向こう、アブサロムの手下たちを足止めする船長の信任に背くことはできない。

 五感じゃ駄目だ。見聞色で見破るのだ。

 

「なんて厄介」

 

 ただ実力だけならギーアの勝利は揺るがない。ただ叩きのめすだけなら、既にこの戦いは終わっている。

 見聞色にさえこだわらなければ。

 

「でも、それじゃ駄目」

 

 武装色の覇気に目覚めて以来、それを戦いで欠かしたことはなかった。もしインペルダウンで目覚めていなければ、それからの戦いで生き残れなかった筈だ。

 これはそれと同じなのだ。

 

「今()()にしなければ、生き残れない」

 

 これは好機だ。

 実力では勝る、しかし実際に勝つには見聞色の必要性が高い敵。見聞色がなければ勝てない強敵と遭遇する前に、アブサロムと対峙したのは運が良いとしか言いようがない。

 だから掴め。見聞色を。

 

「ぐるる……!」

「む」

 

 背後で唸り声。

 だが振り向くと同時に石塚を蹴る音。別の石塚に着地する音に振り向いて、けれど同じことの繰り返し。

 五感に振り回されている。

 

「むむむ」

 

 雑念だ。

 目も耳も鼻も肌も、舌さえも足手まといだ。

 かつて軍の精鋭として鍛えられた五感が、しかし今は新たな感覚を拓く妨げになっている。

 その焦燥に歯噛みすれば、

 

「ぅがっ!?」

 

 なけなしの見聞色はおろか、五感さえ鈍った。

 アブサロムの奇襲を許し、背に受けた一撃で雪原に叩き伏せられた。

 

「ん、ぐ」

 

 ぶつけた体が痛む。

 しかめた顔が視界を狭める。

 口の中を切ったのか血の味がした。

 それを吐き捨てれば血の匂いが鼻をつく。

 そして、

 

「ぐへっ! ぐへへへへ……!」

 

 どこかにいるアブサロムの嘲笑を聞かされた。

 瞬間。

 

「あああああああああああああああ~~~~!!!」

 

 ギーアの忍耐は限界を迎えた。

 叫び、髪を掻きむしって眼前を睨みつける。

 そんなところに彼がいるはずもないが、そんなことは関係ない。この激情を発散せずにはいられなかっただけなのだから。

 そうしてギーアが次にとった行動は、

 

 

 

「――五感!!! 邪魔!!!!」

 

 

 

 脱ぎ捨てた“皮”を顔に巻きつけることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヌギヌギの実の能力で生まれた“皮”、それが頭全体を包み込む。目鼻や口、耳まで全てだ。

 五感を閉じるために。

 

「よし」

「げぁ!? ぐるおおおおうっ!」

 

 戦場で始まる奇行に、アブサロムは戸惑ったような叫びをあげた。

 だがこれこそ、見聞色を掴むために選んだ策だ。

 

「五感を閉じて、見聞色に集中する」

 

 捨て身の策だ。だが、これしかない。

 

「ぐおおおおおっ!」

 

 敵が叫び、来る。

 塞がれた目や耳ではよく分からない。

 だから目や耳に頼るな。新たな感覚を研ぎ澄ませ。

 

「まだよ」

 

 避けるには早い。

 もう少しだけ、あと少しだけ。

 集中力が時間を細分化する感覚。細かくなった数だけ、見聞色がアブサロムを精査していく。

 どこにいるのか。

 どんな姿勢でいるか。

 次は何をする気なのか。

 未だかつてない精度でそれが読める。

 だから、

 

「ここ!」

「!?」

 

 一歩退いた瞬間、アブサロムの一撃がかすめた。

 

「がるる!」

 

 敵は飛び退き、再び迫る。それをギーアはまた回避した。

 迫る相手の気配を読めたからだ。

 

()()()()なのね!?」

 

 五感を閉じて見聞色に集中する。

 捨て身に近かったが、土壇場で踏み切った度胸が、自分を新たな段階へ進めたのを確信した。

 

「もう少し……!!」

 

 攻めを避け続ける。

 退く。

進む。

身を回し。

屈みもする。

 いつしか動きは連なり、さながら躍るような軽やかさへと昇華されていく。

もはやアブサロムの攻めが触れることはない。

 そして、ついに、

 

「ここね?」

「グガアッ!?」

 

 身を回す動きで、ギーアの拳が宙を打つ。

 違う。手応えがある。

 そこにはあるのだ。透明人間の胴体が。

 

「やっと分かったわ。見るんじゃない、聴くんだわ。貴方の体が放つ“声”を聴く。これが見聞色」

「ぐ、がぁ」

「大丈夫、分かるわ。“声”で分かる。――一撃を受けて苦しいってね」

「……がああああ!!」

 

 次の瞬間、ギーアの頭が引き裂かれた。

 アブサロムの反撃だ。振り上げられた腕が、ギーアの顔面に命中する。

 ただしそれは、

 

「ありがとう。もう、いらなかったの」

「!」

 

 頭を包む“皮”だけだった。

 後ろにそらされたギーアの顔は今も無傷だ。裂かれた“皮”の下から、確信のある目が覗かれた。

 

「見聞色のおかげかしら。目の前の貴方が、とても鮮明に感じられる」

「う、お……!」

「だから分かるわ。この一撃で終わるってね」

 

 瞬間、敵を捉える拳は光を生んだ。

 

 

 

「“閃光火拳(フラッシュヴァルキリー)”!!!」

「!!!?」

 

 

 

 光熱が虚空を焼き、潜む者を討つ。

 吹き飛ばされたそれは宙を舞い、落ちた先にある石塚を砕いて雪原に転がった。

 それは、白目を剥く金髪の少年。

 透明人間が姿を現す。すなわち敗北の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焼け焦げたアブサロムが目を覚ましたのは、それから数十分後のことだった。

 

「ぐ、ぐお」

「アブサロムさん! 目ェ覚めたんスね!」

 

 起き上がる彼を手下たちが取り囲む。

 ギーアはそれを、モリアと挟み込む形で見ていた。

 と、そこへガブルが迫る。

 

「おいお前! 父ちゃんの刀をどこやった!」

「よしなさい。拘束してないのよ」

 

 本当は縛っておきたかったが、肝心の縄がない。仕方なく、付かず離れず見張るしかなかったのだ。

 もっとも見聞色がある今、彼ら程度なら反撃しようとした時点で叩きのめすことができるが。

 

「おう、お前ら」

 

 ガブルを押し退け、モリアが進み出た。その威圧感に、アブサロムたちは息を呑んで彼を見上げる。

 

「おれたちの勝ちだ。お前らが今まで溜め込んだものは全部いただく。武器から食料から全部だ」

 

 そして、

 

 

「その上でお前ら全員、部下になってもらう」

「!!?」

 

 

 

「本気か!? こいつらに襲われたんだぞ!」

「兵力が足りねェんだ。少しでも戦い慣れてるヤツを増やさなきゃならねェ」

 

 ガブルの異議を一蹴するモリア。微動だにしない彼の三白眼に、アブサロムは首を傾げた。

 

「ぐ、げぇおぐ……?」

 

 うめきは言葉をなさないが、言いたい事は分かった。

 

「そうだ。てめェらには、百獣海賊団と戦う兵力になってもらう」

「!!!」

 

 瞬間、アブサロムの目が見開かれた。

 

「がうぎぅががぞぐあっ!? げあっ、があっ、うごっひおおやうがあ!!?」

「はい、どうどう」

 

 モリアに掴みかかろうとしたアブサロムを、ギーアは取り押さえる。

 腕をひねりあげ、頭を積もった雪に叩きつけた。

 だが、

 

「があっ! ごおあんあ!? あっげがあうあ!?」

 

 彼は収まらなかった。

 だがそれはこちらへの反感ではない。彼の目には、何かを問いかける切実な眼差しがあった。

 

「ちょっとあんたたち。どうしたの、彼」

「そ、それは……」

 

 手下たちに問うが、言葉を濁される。

 それにらちが明かないと見たのか、モリアは大きくため息をつき、こちらに声を飛ばした。

 

「このままじゃ話にならん。おいギーア、何とかしろ」

「いや、何とかって貴方」

「てめェの能力でどうにかなるんじゃねェのか? やってみろ」

 

 最初、何を望まれたのか分からなかった。

 けれど首を傾げ、頭をひねり、やがて何を言わんとしているのか、その答えを見つけ出す。

 

「……出来るか分からないわよ?」

 

 それはギーアにとって初めての試みだ。

 だが失敗しても損はない。だから、やってみよう。

 

「いい? ちょっと大人しくしてるのよ」

「?」

「“脱皮(スラフレッシュ)”」

 

 目を丸くするアブサロムを無視して“皮”を作る。

それから後頭部に両手を伸ばし、“皮”のたるみに指をかけ、

 

「!」

 

 顔下半分の“皮”を引き千切った。

 アブサロムたちが呆然とするのも気にせず、ギーアは次の行動へ移る。

引き千切った“皮”をアブサロムの口元に引っかけたのだ。

 

「ンが!? がぐぶぶっ!」

「じっとしてなさい。上手くいけば貴方も得よ」

 

 ギーアの口元と顎、頬の下半分からうなじあたりまでが連なる“皮”は帯のようだ。

 くつわをはめるように彼の口元を塞ぎ、“皮”の両端を後頭部で縛る。そうして出来上がるのは、顔の下半分がギーアの“皮”で包まれたアブサロムの顔だ。

 

「う、ぐぐぐ……」

 

 幼さの残る顔立ちとはいえ、顔の下半分が女性の肌や唇になっている男の顔は、中々異様だ。

 だが、

 

「――何しやがる!」

 

 効果はあったのだ。

 

「……え?」

 

 誰もが目を丸くする。叫んだ本人すら。

 声を発したのは、それまで雄叫びや唸り声しかあげられない男だったのだから。

 

「え、え?」

 

 彼は口元を包む“皮”を撫でた。

 アゴや頬をなぞり、呆然とする。

 だがやがて眼に涙が浮かび、肩を震わせ始めた。胸を掻くように拳を握り、次の瞬間、突き上げる。

 それは万感の思いが込められていた。

 

 

 

「お、おいらのアゴが治ったああああああぁぁぁぁぁ~~~~~~!!!!」

 

 

 

「マジっすか、アブサロムさん!」

「すげぇ! 奇跡が起きた!!」

「この皮みてェなもんのおかげか!? どうなってんだ!?」

 

 感涙するアブサロムに手下どもは次々と飛びつく。抱き合う男どもの絵面は暑苦しかったが、それだけの喜びが彼らにはあるのだろう。

 上首尾に安心の一息をつき、ギーアは口を開いた。

 

「私の“皮”は包んだ相手の体を上書きするの。貴方のアゴの負傷を、無傷な私のアゴで包み隠したってことね」

 

 千切った“皮”に効果が残るかは賭けだったが、どうやら上手くいったようだ。

 

「いい? それは対処療法で、“皮”がぴったり貴方のアゴを包んでいる間しか効果はないはずよ。そのあたり気をつけて……」

「うおおお喋れる! おいらは今、喋ってるぞおおおおおおお!!」

「話を聞きなさいあんたたちぃっ!!!」

 

 だが当人たちは歓声を上げるばかりで、こちらにはちっとも振り向かないのだった。

 

「どうだ、上手くいっただろう」

「……まぁね」

 

 不意に、怒らせた肩にモリアの手が置かれた。

 にやりと笑う彼に唇を尖らせる。自分の能力を人に開拓される、その不満や気恥ずかしさがあったからだ。

 悪態の一つもつかねば、とても隣に立てない。

 

「……さて、口をきけるようになったところで、話を続けようか」

 

 それから歓声が落ち着いたのを見計らい、モリアはアブサロムに声をかけた。

 彼は振り向き、涙と鼻水を拭いながら、

 

「すまねェ、あんたたちは恩人だ。あいつに受けた傷はもう治らねェと思ってたのに……!」

「あいつってのは、百獣海賊団か?」

「……正確には違う。やったのは、傘下のアイアンボーイ・スコッチだ」

 

 その名は、恨みと憎しみが大きく含まれていた。

 

「あの野郎にアゴを砕かれ、ケダモノみたいな鳴き声しか出せなくなって以来、ずっと復讐を考えてきた」

「なら、おれたちは同じ敵と戦えるな?」

「もちろんだ!」

 

 答えは快諾だった。

 

「傷も治してくれた上に、やつらに挑むチャンスを貰えた! 感謝してもしきれねェ!」

「傷は治った訳じゃないんだけどね」

 

 とは言ったものの、それは誰の耳にも届かなかった。

 まぁ負傷を補う方法は与えたのだ。しっかり恩は着てもらおう。

 事実、続く言葉は恩義によって成るものだった。

 

 

 

「おいらたちアブサロム一味は、喜んであんたたちの下につく!」

 

 

 

 頭目の言葉に、手下たちも声を上げた。

 

「アブサロムさんを助けてもらったんだ! おれたちも一緒に戦うぜ!」

「やるぞぉ! やつらに逆襲してやるんだ!」

 

 期せずして戦力増強がなった瞬間だった。

 

「予想外の収穫ね」

「荒事慣れしてる分、一般人よりゃマシだろう。働いてもらおうじゃねェか」

「そうね」

 

 と頷きつつも、しかしギーアの顔は晴れなかった。

 

「でも、兵力じゃまだ焼け石に水ね」

 

 雄叫びを上げるアブサロムたちを他所に、ギーアとモリアは顔を突き合わせる。

 予定外の増員だが、それでも楽観はできない。今をもってしても、敵の三分の一にもならないのだ。

 

「この墓場の死体を全部ゾンビにしても、まだ一歩足りない。他にあてはないものかしら」

「さァな。……おい、どうなんだ?」

 

 それに答えられるのはこの場に一人だけ。島民であるガブルだけだ。

 少年は腕を組んで俯き、顔をめいいっぱいしかめ、やがて面を上げた。

 こちらの顔を見て、そうしてから一言を告げた。

 

 

 

「なぁ。死体や影は人間じゃなきゃダメなのか?」

 

 

 

「何……?」

 

 ガブルの意図を、モリアは読み取れなかったようだった。しかし、つい先ほど盲点を突かれ新しい能力の使い方に得たギーアである。

 少年の意図に、いち早く気付いた。

 

「そうよ、そうだわ! それがある!」

 

 気が付けば、ギーアはモリアの肩を掴み、ゆさぶる勢いで言葉をぶつけていた。

 

 

 

「やりましょうモリア! これが出来れば、兵力をまだ増やせるわ!!!」

 

 




という訳で、アブサロム加入です。まぁ原作的に予定通り。
次からはいよいよ本題、百獣海賊団勢との対決。原作の醍醐味「乱戦」を描けるよう、頑張りたいと思います。



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“開戦”

ようやく戦い始めるところまできました。


 家並みに明かりが灯り、表の人通りもまばらになった頃、一人の少年が街を駆け抜ける。

 ここに住む全ての者に声を届けるかのように。

 

「大変だァ! 海賊が攻めて来たぞォ!!」

 

 途端、家々の扉が開かれた。

 

「ガブル!? どういうことだ!」

 

 次々と住人たちが表に飛び出し、今や走り去った少年の後ろ姿へ目を向ける。家という家、その全てで同じことが起こっていた。

 それほどまでに少年の言葉は衝撃的だったのだ。

 

「海賊が攻めてくる? 百獣海賊団か!?」

「バカな……今日だって命令通り働いたのに!」

「そうよ、攻められるようなこと、何もしてないわ!」

「奴らに道理が通じるもんか! きっと何か都合が変わって、おれたちが要らなくなったんだ!」

 

 かつて住人の半数近くが殺された恐怖を、生き残った誰もが覚えていた。

 故に恐れおののき、口々に不安をぶつけ合う。

 

「とにかく、ガブルに説明させよう!」

 

 それでもどうにか一応のまとまりを得て、住人たちは少年の後を追いかけようとした。

 しかし、

 

「悪いが説明する時間はねェ」

 

 声が降って来た。

 

「……え?」

 

 聞きなれない声に誰もが振り向き、そして見る。

 鬼のような大男を。

 

「影、もらうぜ」

 

 凶相と目が合った直後、住人たちの意識は失われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街はずれに積まれた死体の山を背に、ガブルはその光景を見届けた。

 

「な、何だこれは!?」

「影? 影なの!? まるで蛇みたいな……!」

「お前がやっているのか!? 誰だお前は!」

 

 自分を追って来た住人たちの、困惑と悲鳴と怒号。

 それらを男は一瞬で奪う。

 

「“影の集合地(シャドーズ・アスガルド)”」

 

 次の瞬間、誰もが自分の影を失い、崩れ落ちた。

 住人たちの体に張りついた触手状の影をくぐり、彼らの影は一ヵ所に集まっていく。

 その男の足元に。

 

「ふん。ただの一般人から影を奪うのは楽でいいぜ」

 

 ゲッコー・モリアであった。

 街中の住人から影を吸い上げたその大男を、ガブルはせいいっぱい背を逸らして見上げる。

 

「街の皆は無事なんだろうな」

「安心しろ。影を奪っただけじゃ死なねェし、死なれて困るのはおれも同じだ」

 

 そう言って、モリアは死体の山へと視線を移した。

 

「とっとと済ませよう」

 

 直後、モリアの足元から伸びる触手状の影はひとかたまりとなり、吸い上げた影を解き放った。

 それらに、逆らうことのできない命令を刻みながら。

 

「さァ影ども! 積み上げた死体に宿り、ゾンビとなれ!!」

 

 影は飛び立つ鳥の群れのようだった。

 モリアの影から膨大な数の影が撃ち出され、その一つ一つが、ガブルの背後にある死体一つ一つに吸い込まれていく。

 そんな光景がどれほど続いたか。

 全ての影が死体の山へと消えた後、ガブルとモリアだけになったこの場所で、動き出すものが現れた。

 死体だ。

 

「……アァ~~~~~~……」

 

 一体、また一体と死体が起き上がる。

 山を崩すように次々と歩き出したそれらは、あますことなく全てが支配者へとかしずいた。

 

 

 

「――お呼びですか、ご主人様」

 

 

 

「よし、この街で揃う兵力は手に入ったな」

 

 動く死体、ゾンビどもを前にして、モリアは満足そうに頷いた。

 

「最初の命令だ。影を失った街の住人どもを家の中に運べ。雪の降る曇天の下じゃ陽も差さねェだろうが、もしもがあってもつまらねェ」

「かしこまりました」

 

 応じたゾンビたちはめいめいに散らばり、手あたり次第に住人たちを手近な家へと運び始める。

 ガブルはそれらを見送りつつ、

 

「街の皆はこれで全員のはずだ。だからゾンビの数は、大体900体」

 

 続く言葉には震えがあった。

 

「本当に、やつらに勝てるのか?」

「まともにぶつかったら無理だろうな」

 

 恐る恐るの問いに、にべもない断言が返された。

 

「だが、おれたちは海賊だ。まともに戦うつもりなんかねェし……敗けるつもりで戦う気もねェ」

 

 答えるモリアの足元から新たに影が這い出した。

 彼と瓜二つの形をした、彼自身の影だ。

 

「よし行け“影法師”。ギーアたちへの合図だ」

 

 影は肩を揺らして首肯し、バネのように渦巻いたかと思うと、空へ向かって飛び去って行った。

 だがモリアはそれを見送らず、にやにやとした底意地の悪い笑みをこちらに向けている。

 

「……それに、まともじゃねェのはお前も同じだろう」

 

 彼の言わんとすることを悟り、唇を噛む。

 だがそんな様子を気に留めた風もなく、むしろ煽るように、大男は皮肉を込めた賞賛を口にする。

 

「子供だてらに大した策士だよ、お前は」

 

 縫い傷のある喉を鳴らして、

 

 

 

「お前の作戦、勝ったとしてもてめェらは生き残れねェ。それを一人で決めて、勝手に街の人間も巻き込むとは、大した悪党だぜ」

 

 

 

「……分かってるよ」

 

 激情が唸りを上げる。

 泣きそうにもなったし、わめきそうにもなった。だがそれを自らに許さず、モリアを強く見返した。

 それこそが自分の責任だからだ。

 

「いつか殺される支配の中で生き続けるなら、未来がなくても戦うことを選ぶ。他の皆をそれに巻き込むとしても」

「いい覚悟だ。デカくなったら、集団を率いる器にもなれただろうよ」

 

 話す間に、散らばっていたゾンビたちが戻ってきた。どうやら倒れた皆を移動させ終わったらしい。

 それを認め、モリアは遠くを睨んだ。

 その先にあるのは武器工場。つまり、これから自分たちが戦う敵はそちらからやって来る。

 大男は牙を剥いて笑った。

 

「さァ、ここからが戦場だ。――いくぞ、野郎ども」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お頭! 先発隊の兵力が2000を越えましたぜ!」

 

 追ってきた部下の声に、アイアンボーイ・スコッチは手を振って応じた。

 

「後続も順調か?」

「ヘイ、武器工場で武装できたヤツから順に、この雪原に出てきています!」

「よし、そのまま続けるように伝えろ」

「アイアイサー!」

 

 景気よく答え、部下は後方へ戻っていく。

 その後ろ姿はまたたく間に人だかりで見えなくなり、その事実にスコッチは鉄仮面の下で舌打ちした。

 

「電伝虫さえ使えりゃ、伝令なんて要らねェってのに」

 

 苦虫を噛む思いで、スコッチは辺りを見た。

 そこには人の海というべきものが広がっている。全身を武装した海賊たちの軍勢である。

 剣やライフル銃、ガトリング砲を抱えた者までいる。あらゆる武器を携えた配下が、雪原を踏み荒らしながら進んでいく。

 百獣海賊団が率いる兵力の進攻だ。

 

「心配ねェですって! こんだけ数がいりゃ、木っ端海賊なんて一揉みですぜ!」

「連中、五万の兵力とか抜かしたらしいが、とんだ大ぼら吹きだぜ!」

 

 近くで進む連中がげらげらと濁った高笑いをあげる。その様子を、スコッチは冷やかな眼差しでもって侮蔑した。

 所詮下っ端、率いる側の苦労をまるで分っていない。

 総数7000。この雪原にいるだけで2000になる兵力を動かす上で、通信が使えないことがどれだけの損失だと思っているのか。

 

「しかもおれたちは海賊だ」

 

 軍隊のように、小隊を率いる者など何人もいない。

 この軍勢は、人の流れを利用して開けた場所を漠然と進み続けているにすぎないのだ。

 事実上の烏合の衆である。

 

「とはいえ、それで敗けるとも思わねェが」

 

 兵力戦の鍵は数と武装だ。

 スコッチが仕切る武器工場で全身を武装した海賊が、大軍をなして進撃する。それだけで十分戦力を発揮できる。

 この先発隊だけで決着がついてもおかしくない。

 否、そうでなければならない。

 

「武器工場の向こう、山間にいるジャックさんと本隊を動かす訳にゃいかねェ」

 

 総大将として最奥に陣取る男、“音害”のジャックのふんぞり返った姿を思い出す。

 傲慢で冷酷な目は、敵のみならずスコッチにも向けられていたことを。

 

「ジャックさんは、ゲッコー・モリアに実力を見せつける気なんだ」

 

 単なる本人の戦闘力の話ではない。これだけの兵力と武器を動員できる、地位と組織力も含めた話だ。

 自ら手を下さずともモリアに勝てる。

 それを証明するのがジャックの思惑なのだ。

 

「おれたちで始末できなかったら、何されるか分かったもんじゃねェ」

 

 あの男の自尊心を満たすために、電伝虫も使えないまま軍勢を率いなければならない。

 それを思うと肩が落ち、ため息を禁じられなかった。

 だがいつまでもぼやいていられない。

 

「お頭ァ!! 向こうに何かいます!」

 

 最前列を行く者どもから報告が来たからだ。

 目を凝らすと、確かに何かがいる。白銀の地平線をなぞるように、何かが群れているのだ。

 間違いなく敵の兵力だ。

 

「やはり街の方から来たな」

 

 この島で拠点にできる場所など、あそこぐらいだ。だからまずは街に向かっていたのだが、予想はあたっていたらしい。

 

「よし」

 

 見やれば、軍勢の誰もが息まいていた。

 兵力も装備もこちらが上。勝利を確信する軍勢の士気が高まるのは当然で、それを抑えきれないのだろう。

 故にスコッチは声を上げた。

 

「野郎ども!! 戦闘準備ィ!!!」

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 号令には獣じみた雄叫びが返された。

 スコッチから離れた場所にいる連中にも、この雄叫びによって号令が出たことが伝わるだろう。

 あとは蹂躙するだけだ。

 

「通信を封じたことを後悔させてやる」

 

 統率できない海賊の群れを相手取ってどうなるか、思い知らせてやる。

 スコッチもまた残虐な海賊の一人だ。何より、日頃の鬱憤を晴らせるこの機会に、戦意は熱く煮えたぎっていた。

 誰からともなく早足になり、いつしか駆け足になる。

 踏み荒らされる積雪のように、敵勢も蹴散らしてやろうと、軍勢の誰もが目を輝かせていた。

 だが誰もがそれを見た。

 敵勢の異様な風体に。

 

「なんだありゃァ!?」

 

 誰かが声を上げた。

 行く手に群れる敵勢、その全てが血の気の無い肌にボロ布をまとう、異形の者どもだったからだ。

 

「ゲヘへ、おいでなすったぜ……!」

 

 不気味に笑うそいつらは、およそ生きた人間の姿ではない。

 絵物語にある、ゾンビそのものだった。

 

「ば、化け物!?」

「ひるむな! このまま蹴散らせェ!」

 

 軍勢を止める訳にはいかない。

 怯えた声を怒号で制し、スコッチと軍勢はゾンビどもとの距離をどんどんと詰めていく。

 

「たとえ化け物だろうが、踏み潰して終わりだァ!!」

 

 銃撃と共に切り込み、蹴散らしてやる。言葉にせずとも思いは揃い、皆が銃や剣を構えて敵勢に迫った。

 まもなくそれは叶う。

 距離はあともう僅かだ。

 その時、

 

 

 

「――道を空けろォ!!!」

 

 

 

 ゾンビどもの向こうから響く声。

 瞬間、群れは統制のとれた速やかな動きで左右に分かれ、中央に一本の道を開いた。

 その先にいるのは、太刀を構えた一人の大男。

 マズい。そう思った。

その瞬間に太刀は閃いた。

 

 

 

「“影断分(かげたちぶ)”!!!」

「!!!?」

 

 

 

 津波のような斬撃が飛び、軍勢を切り裂いた。

 

「ぎゃああああああああ―――――!!」

 

 直撃した者は切り裂かれ、かすめた者は手足を削られながら弾き飛ばされる。

 進撃する軍勢を正面から迎え撃つ一撃は、最前列から奥まで深く切り込んだ。ここまで大きな斬撃を飛ばせる者は、“新世界”でもそう多くないだろう。

 

「やりやがったな!」

 

 ヤツだ。ヤツこそがゲッコー・モリアだ。

 これほどまでの実力、船長に相違あるまい。

 機先を制する強力な一撃によって軍勢は怯み、進撃を止められてしまった。恐るべき敵である。

 

「だが、この程度で!」

 

 出鼻をくじかれた程度で敗けはしない。また改めて攻撃を再開すればいい。自分と周囲の兵力がまた攻め込めば、離れた連中もまた動き出すだろう。

 だからそうしてやろうとして、

 

「ざっと30体分か。不満だぜ」

「!?」

 

 大男の嘲りを聞いた。

 そして気付く。斬撃が抜けたあたりだけ、やけに兵力の密度が高まっていることを。

 頭数が増えている。だがそれは、

 

「何だお前……?」

 

 配下の海賊に混じって立っていたのは、黒々とした人型の何かであった。縦列をなすように点々を現れたそれらに、周囲の海賊たちが怯む。

 だが、それどころではない者たちもいた。

 

「なんじゃこりゃァ!?」

「お、おい、お前! 影がないぞ!?」

 

 切り裂かれつつも生きながらえた者たちだ。

 血を流しながら荒く呼吸する彼らは、本来あるべきものを失っていた。

 

「影が、ない!?」

「じゃあ何だ! この黒いのは、こいつらの影だってのか!?」

 

 影を失った負傷者と、突如現れた漆黒の人型。それらを何度も見比べて混乱する海賊たち。

 敵がそれを見逃す筈はなかった。

 

「影どもォ!」

 

 ゲッコー・モリアの呼び声。

 その瞬間、立ち尽くしていた人型たちの背筋が伸びた。まるであの大男に従うかのように。

 それは事実だった。

 

「命令だ! 手近な死体に入ってゾンビとなれ!!」

 

 奔り抜けた斬撃の後に残されたのは、負傷者だけではない。攻撃をモロに受け、息絶えた者も少なくないのだ。

 命を失ったその体に、影たちは飛び込んでいく。

 直後、

 

「うわァ! 死体が立ったァ!!」

 

 明らかに致命傷を受けた者、血を流しつくした者、それらが気怠い動きで起き上がったのだ。

 その蒼白な顔は紛れもなく、ゾンビのものだった。

 

「な……!」

 

 悪魔の実だ。それ以外にありえない。

 黒々とした人型は、能力で実体化した影だったのだ。そして敵の斬撃によって分離するそれが死体に入ると、ゾンビが生み出される。

 

「マズい……!」

 

 そう思った時には、すでに事態は起きていた。

 

「お、おい! どうしたお前……ぎゃああっ!?」

「ゾンビ! ゾンビが出たぞォ!」

「ギャー噛まれた! ゾンビになるゥ!!!」

 

 ゾンビが手あたり次第に周囲を襲い始めたのだ。それは斬撃をきっかけに発生した都合上、軍勢の先頭から奥へ線状に発生している。

 

「軍勢の中に敵兵を差し込まれた……!」

 

 先ほどの先制攻撃はこれが狙いだったのだ。

 斬撃で死ぬなら良し。仕留め損なっても影を切り離し、それを操ってゾンビを新たに生み出す。

 この力は軍勢を相手にした時、真価を発揮するのだろう。攻め立てる毎に、ゾンビに必要な影と死体を同時に生み出すのだから。

 つまり、

 

「ヤツの斬撃を受けると! 数十人単位で兵力が乗っ取られるってことか!!」

 

 斬撃の軌跡に沿って悲鳴がはじける。

 それまで並んで進んでいた仲間がゾンビになって襲ってくるのだ、混乱しないはずがない。

 

「ぎゃあああああああ! 助けてくれェー!」

 

 スコッチの舌打ちが爆ぜた。

 敵の攻撃を受けるとゾンビにされるかもしれない。だが、混乱し始めた軍勢では声も届かない。通信も封じられ、情報を共有することもできない。

 混乱が止められない。

 

「 貴様ァ~~~~~~!!!」

 

 スコッチの怒号に応えたのは、皮肉にも敵だった。

 大男は悪辣な笑みを浮かべながら太刀を構え直し、こちらに勝るとも劣らない轟きを返した。

 

 

 

「かかって来い百獣海賊団! ――開戦だァ!!!」

 

 

 

 獰猛な雄叫びが大気を揺るがす。

 スリラーバーク海賊団と百獣海賊団。その戦端が開かれた瞬間だった。

 




モリアの影奪取・ゾンビ作成能力は、ややハードル下げて取り扱っております。
そういや珍しくギーアが登場しない回になったな。



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“ムクロダマ作戦”

ちょっと身辺がバタバタして、間が空いてしまいました。


「また来るぞォ!!」

 

 百獣海賊団の叫びはあまりに遅い。

 ゲッコー・モリアの太刀は既に振り抜かれた。

 

「“影断分(かげたちぶ)”!!!」

「!!!」

 

 飛ぶ斬撃が敵勢を割り、攻め入る者どもをみっつに分ける。

 攻撃を免れた者と、直撃し息絶えた者。

そして、深手を負いつつも生き永らえた者。

 血や手足を失う彼らだったが、しかし、失ったものはそれに留まらない。

 

「クソ! また影を奪われた!」

 

 雪原に倒れた負傷者に、あるべきものがない。

 影だ。

 本来人の足元に投影されるべきそれは、全身黒塗りの人型となって負傷者の傍で立ち上がっている。

 影の実体化。モリアの能力だった。

 

「影ども! 死体に入ってゾンビとなれェ!」

 

 カゲカゲの実の能力によって形を得た影は、それ故にモリアの支配力を強く受ける。轟くように命令してやれば、影どもは迅速に応えた。

 切り伏せた負数の死体へと飛びかかり、その中へと溶け込んだのである。

 そうして出来上がるものこそ、モリアの手勢。

 ゾンビである。

 

「畜生ォ!! おれたちの仲間だぞォ!!!」

 

 今の今まで隣にいた者が、青ざめた死相で襲いかかる。その恐怖と怒りは怒号となり、そこかしこから噴き上がった。

 だがそんなものは幾らでも聞いてきた。

 

「残念だが今はおれの部下、情で手が鈍るなら好都合だ。……野郎ども、押し潰せェ!!」

「了解しましたご主人様ァ!!!」

 

 軍勢に紛れ込んだゾンビに慌てる百獣海賊団へ、モリアが率いる兵士ゾンビたちが突撃する。

 弾幕を受け、剣に裂かれようと進撃は止まらない。

 命令に忠実なことこそ、ゾンビの特徴だからだ。

 それは数でも質でも劣るこちらが勝っている点の一つだったが、それで油断することはできない。

 モリアの巨体は、この戦場を俯瞰していたからだ。

 

「敵勢をゾンビにして、やっとおれの兵力は約1000」

 

 だが、

 

「――敵が減らねェ」

 

 数十のゾンビを作り、それに倍する負傷者と死者を出したのに、迫る百獣海賊団はまるで減った様子がない。

 この雪原へ、次々と増員されている証拠だ。

 

「この場の敵は今も変わらず約2000」

 

 比率にして1対2。

 元が900と2000の戦いだったことを思えばマシになったと言えるが、気休めだ。

 何より、敵の兵力が2000で留まるはずがない。こちらがゾンビを作る以上の早さで、敵は増え続けているのだから。

 

「押し返せェー! 化け物がなんだ、数はこっちが上だぞ!!」

 

 凶悪な風体、かつての仲間とはいえ、命がかかった戦場にあっては、時間が経つほどに構っていられなくなる。

 後ろからの増援に押し出されたこともある。

 内部にゾンビが紛れ込んでいるにも関わらず、敵勢はこちらの攻めを受け止めつつあった。

 

「仇をとるんだ! ゾンビを斬り倒し、ゲッコー・モリアを討ち取れェー!!」

 

 慣れてしまえば、恐れを強いた分だけ敵の戦意と殺意は熱を上げる。反撃は戦線を動かし、こちらを圧倒しようとしていた。

 そうして進めば進むほど、敵の増援が入る場所も増える。

 今や雪原にいる敵勢は2000を越えていた。

 それはつまり、

 

「計画通りだ」

 

 増え続ける敵を見下ろし、モリアは獰猛に笑む。その目は、敵が来る地平線の先へ向けられていた。

 

「頃合いだ。任せたぞ、ギーア」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頃合いね。行くわよ、スリラーバーク別動隊」

 

 振り向くギーアを、輝く目の群れが見返した。

 戦意のまなざしだ。

 この瞬間、この言葉を待ち続けた者たちの、抑え続けてきた意気が眼光となって表れている。

 スリラーバーク本船から呼び寄せた兵士ゾンビとブギーマンズ、合わせて1000。

 だが一際強い光を放つ者は、そこに含まれない。

 

「待ってたぜ、ギーアさん」

 

 アブサロムだ。

 一歩進み出た彼は、この島で加わった戦力である。

 顔の下半分をギーアの“皮”で包んだ男は、崖から身を乗り出し、眼下にあるものを覗き込んだ。

 

「ようやくあの武器工場をぶち壊せるんだな」

 

 ギーアたちは今、雪山の中腹にいた。

 雪の積もる山林に手勢を忍ばせ、岩陰に潜むことしばし。そこからの解放感も、眼光を強める一因だろう。

 だがそれも、百獣海賊団に勝つための作戦だ。

 

「武装するために一度武器工場を経由する。それは敵を最も強くするけど、同時に隙でもある」

 

 ギーアがいる山と向かいの山、その谷間を埋めるように広がる武器工場。山奥から来る列が入り、雪原へ抜ける様は関所のようだ。

 武装する百獣海賊団の手勢である。

 

「あれを叩く。しくじれば、私たちは兵力差に押し潰されて敗けるわ」

「大丈夫さ、そのために島中からかき集めたんだからな」

 

 言って、アブサロムは背後に合図を送る。すると彼の部下たちが、何か大きな塊を転がしてきた。

 肉塊。

 あるいはゾンビの塊というべきものだ。

 直径はギーアの背丈に勝るほど。その表面は、数十体のゾンビが互いの手足を掴み合い、網状になって覆いつくしていた。

 その隙間からは別の死肉が覗いており、塊は中に至るまでゾンビが詰まっているのだと分かる。

 そんなものが、続いて幾つもやって来た。

 

「あのガブルってガキ、とんでもねェこと思いつきやがる」

「そうね、まともじゃない。でも、今の私たちがまともに立ち向かっても奴らには勝てない」

 

 ゾンビの詰め合わせとでもいうべきこれらこそ、百獣海賊団に勝つための策だ。

 そして発案者にとっては、全てを投げ打った背水の陣でもある。

 

「頼むわよ、“影法師”」

 

 呼ぶと、黒塗りの巨体が進み出た。つい先ほど空を飛んで来た、モリアの影である。

 命じられた“影法師”は手近なゾンビの塊を掴み上げた。こんな大玉でも、この巨体にとっては片手で掴み上げられる程度の大きさでしかない。

 それから、体を大きくひねった。

 引き絞るように力を溜めた巨体を認め、ギーアは改めて標的を見据える。

 口火となる宣言を放つために。

 

 

 

「ガブル発案、“ムクロダマ作戦”。――かかれ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは屋根を砕いて飛来した。

 

「!!? な、なんだァ!?」

 

 突然の轟音、瓦礫となって降り注ぐ天井の残骸。

 武器工場で意気揚々と武装していた百獣海賊団は、目を剥いて仰ぎ見るより他になかった。

 瓦礫の雨の中、何かがある。

 大きな塊。それが武器工場を上から突き破り、破壊を伴って侵入しているのだ。

 もっともそれが分かったところで、その真下にいる者たちに逃げ道はなかったが。

 

「ぎゃああああああああああッ!!!」

 

 人がひしめく工場内にあっては逃げ場などない。

 数十を越える者どもの姿と悲鳴は、瓦礫と轟音の下敷きとなって掻き消された。

 

「オイ! 大丈夫かてめェら!!」

 

 霧のような粉塵を振り払い、辛くも被害を免れた周囲の者どもが駆け寄る。

 手探りで瓦礫を押し退け、埋もれた仲間たちを助け出していく。その誰もが傷だらけで、致命傷を負っている者も少なくなかった。

 

「ウ、ウゥ……」

「しっかりしろ! 気を確かに持て!」

 

 それでも息のある者はいる。だから肩を貸し、手当てをしようと瓦礫の山から担ぎ出した。

 しかし、

 

「お、お前……?」

 

 その中の一人が気付いた。

 肩を貸す負傷者の体が、あまりにも冷たいことに。

 とても生きているとは思えないほどに。

 

「へへ、腐れヒデェ。投げ込まれちまったよォ……」

「ひィ!?」

 

 思わず悲鳴を上げた。

 もたげられた負傷者の顔が、青ざめた死体の顔だったからだ。

 

「ゾ、ゾンビ!?」

「今さら気付いたって遅ェんだよォ~~~~~~!」

「うぎゃあああああッ!?」

 

 離すのも間に合わず、躍りかかったゾンビの剥き出しの歯が喉笛に食らいつく。

 そうして押し倒される様が、粉塵の中で幾つも生まれていた。

 

「うがァ!」

「ぐぎゃああ~~~~!!」

「ヒ、ヒィ! ゾンビ、ゾンビがァ!!」

「どうしたお前ら! 何が起きてンだぁ!!?」

 

 次々とあがる悲鳴に、駆け寄ろうとしていた者たちがたじろぐ。粉塵と瓦礫に何かが潜むと分かったからだ。

 だがその認識は甘かった。

 襲いかかるものどもが、粉塵の中から出てこない保証など、どこにもなかったのだから。

 

「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

「うわあああああっ!? う、牛!?」

 

 立ち込める煙を貫き、牛が飛び出してきた。

 それだけではない。

 

「メエエッ! メヒエエエエエエエッ!!!」

「フゴフゴッ! ブヒィ!」

「グオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 羊、豚、熊。鶏や猪、鹿にいたるまで、様々な獣が続いて現れ、足踏みしていた者たちを踏み潰していく。

 だが、襲い来るのがそれだけならまだ幸いだった。

 中には名状しがたいものもいたのだから。

 

「うあああああああああああああああああっ!!!」

 

 それを目にした者たちは一際大きな悲鳴を上げた。

 生きた獣に襲われる、そんな常識的な危機をはるかに越える、理解しがたいものどもが現れたのだから。

 

「ブオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

「ブゴゴッ! ブフオオオオォ――――!!!」

 

 それは、首を断たれた牛や鶏の死骸、全身の皮を剥かれた豚の死体。

 そして、腕や顔面の皮を縫い付けられ、タコかクモのように這いまわる岩石であった。

 それらが獣の雄叫びをあげて迫ってくる。その恐怖は、百獣海賊団の混乱を助長した。

 

「何だこれは! 一体何が入り込んだんだ!!?」

 

 無数のゾンビ。

 荒れ狂う動物たち。

 立って走る獣の死骸。

 うごめく人皮付きの岩。

 そのすべてが、百獣海賊団の理解を越えていた。

 

「ば、化け物だ!!! 化け物が入り込んだぞォ―――――!!!!」

 

 警告とも悲鳴ともつかない叫びは、しかし新たに天井が砕ける轟音で踏み潰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「“影法師”、玉が尽きるまで投げ込みなさい!」

 

 ギーアが命じるまま、“影法師”は運ばれてくるゾンビの塊を投げ飛ばし続けた。

 山の中腹から投じられ、落ちる先は眼下の武器工場。一つ、また一つの屋根に穴を穿たれ、その全てから悲鳴が湧き上がる。

 

「うまくやってるみてェだな。玉にして放り投げられたってのに、忠実なやつらだ」

「それがゾンビよ。たとえ中の影が人のものでなかったとしてもね」

 

 アブサロムは加わったばかりだ。ゾンビの性質や成り立ちを聞いても半信半疑だったのだろう。

 だがギーアにしても、今回のゾンビははじめて見るものだった。それはおそらく、作ったモリア本人にしてもそうだろう。

 そんなものどもが暴れまわる様を、ギーアは遠くから想像していた。

 

 

 

「獣の死体と、死体や皮を縫い付けた無機物のゾンビ。言うなれば“動物(ワイルド)ゾンビ”と“びっくりゾンビ”」

 

 

 

「……獣の影でも動いてくれたのは助かったわね」

「戦いが始まるまでに島中の動物を捕まえるのは骨が折れたぜ」

 

 肩を回して見せるアブサロムに、ギーアは苦笑する。

 

「おかげで兵力を底上げできたわ。動物の影だとゾンビも獣並みの知能しかなかったけど、モリアの支配力があれば問題なかったしね」

 

 そういう間にもゾンビの塊が新たに投じられる。

 ゆるやかな曲線を描いて飛んでいく大玉を見送り、ギーアはその中身を思い返す。

 いわば攻城兵器そのものとなったゾンビたちを。

 

「動物ゾンビやびっくりゾンビ、あと影を奪った獣たちを、手足を繋ぎ合って網状にした兵士ゾンビでひとまとめにする」

「それを“影法師”に投げ込ませりゃ砲弾代わり。ついでに武器工場へ手下を送り込むこともできる、か」

 

 肩をすくめたアブサロムである。

 

「ゾンビじゃなきゃできねェ作戦だな」

「体で網を作るのも、投げつけられて行動不能にならないのも、ゾンビの忠実さや頑丈さがなければできないものね」

「しかも落ちた衝撃で気を失っていた獣どもが目を覚ます、か。容赦ねェなァ、ギーアさん」

 

 そうして、やれやれ、という風におどける彼だったが、しかし、不意にそれをやめた。

 神妙な目つきになり、続けざまに投じられ続けるゾンビの塊を見て、

 

「でも一番容赦ねェのは、あのガキだぜ」

「……そうね」

 

 それについてはギーアも同じ思いだった。

 この作戦を思いついた少年、ガブルの恨みや決意を思うと、空恐ろしさで背筋が冷えるようだ。

 

「雪合戦でもするみてェに死体をひとかたまりにして投げつけるなんて、まともじゃねェよ」

「それだけじゃない。この作戦は、ガブルの街やこの島にある資源の、ほぼ全てを絞り出している」

「この戦いが終わった後の生活を考えてない、ってことですかい?」

 

 問いかけに首肯した。

 

「動物ゾンビを作るため、島の獣や家畜は狩り尽くしたし、食糧庫にあった加工中の食肉も全部持ち出した」

 

 つまり、あの街には貯えがないということだ。

 

「数日振りに目が覚めたら食肉と家畜は全滅、狩る獲物も無し。保存食だけで雪の降る冬島はまず乗り切れない」

 

 断言する。

 

 

 

「この戦いに勝とうが敗けようが、街の人間は生き残れない」

 

 

 

「大した鬼だぜ。街全部を巻き込んだ復讐とはな」

「でも、おかげで勝ち筋がついた。見なさい」

 

 眼下の武器工場で轟音が連発する。

 それは施設が壊される音であったり、武器の発砲音であったり、人間の悲鳴であったりと様々だ。

 その結果、屋根の崩落や工場から逃げだす人の群れが見て取れた。それまでの流れに逆らい、山間の方へ戻る人の波もある。

 敵の拠点が混乱しているのは明らかだった。

 

「狙い通り、武器工場を境にして敵を分断できた」

「後は雪原に取り残された連中と、武器工場で泡食ってるやつらを叩けば、百獣海賊団の少なくない兵力を削れるってことか」

「武器工場の占拠を忘れてるわよ。……山間に残る敵本隊に備えなきゃならないんだからね」

「分かってますって」

 

 注意に頷くアブサロムが“影法師”へと振り向くと、ギーアもそれに続いた。

 見れば、“影法師”は最後のゾンビの塊を投げ終えたところだ。

 

「そろそろ動くわ」

 

 その一声に、周囲の誰もが意気を高める。

 

「“影法師”とリューマ、それにブギーマンズは私と一緒に雪原へ。敵を挟撃してモリアを助けるわ。兵士ゾンビはアブサロムについて武器工場へ」

「ギーアさん、おれの子分は連れてっていいよな?」

「もちろんよ。それから、そのゾンビもね」

 

 そう言った時、アブサロムの背後には一体のゾンビがいた。腰に二振りの刀を差した男の死体だ。

 彼に付き従う姿は、まさしくそれを動かす影のあるべき姿と言えるだろう。

 

「貴方の影で動く、貴方の分身よ。上手く使いなさい」

「おうよ! あんたたちの部下になっての初陣だ、役に立って見せるぜ!」

 

 拳を握って応えたアブサロムに笑みを返し、しかしすぐにそれを引き締め、ギーアは部下たちへ振り返った。

 戦意でらんらんと目を輝かせる者たち。

 その全てに火をつけ、ともに駆けだすために。

 檄は飛んだ。

 

 

 

 

「やるわよスリラーバーク別動隊!!! ――百獣海賊団を滅ぼせェ!!!!」

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 兵力は雄叫びをあげ、山を駆け降りるようにして戦場へ乗り込んだ。

 




そんな感じで、オリ主も参戦です。
ゾンビを塊にして投げ、敵陣に飛び込ませる作戦は、まぁバーフ〇リを思い浮かべてもらえば、近い絵面になるんじゃないでしょうか。



感想や評価をいただけると、今後の励みになります。





p.s.
私はお絵描きもするんですが、某イラスト中心SNSで年に一度開催されるイベントの日程が発表されまして。その他諸々のお絵描きタスクが溜まったこともあり、次回以降も投稿の間隔が空きそうです。
読者の方々には申し訳ないですが、気長にお付き合いいただけると幸いです。


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“船長モリアvs海賊スコッチ”

大変大変ご無沙汰しております。
pixivの方でイラスト制作にかかりきりになっており、かなり間を開けてしまいました。加えてブランクのせいで思うように書き上げられず、難義しました……。

これからまた小説の方も書き進めていきたいと思うので、気を長くしてお付き合いいただけると幸いです。



(おまけ)これまでのあらすじ
スリラーバーク海賊団を結成したゲッコー・モリアとギーアは、百獣海賊団に逆襲するため、カイドウお気に入りの冬島を襲撃していた。アブサロム一味や追加のゾンビ軍団を部下に加え、現大看板“音害のジャック”と兵力戦を展開する。


「お頭ァ、後ろから敵だァ!!」

 

 正面のゾンビどもを潰せ。

 スコッチが下そうとした命令は、自軍を掻き分けて来た伝令により遮られることとなった。

 

「何ィ!?」

 

 冷気に勝る悪寒が走り、風を裂く勢いで振り返る。

 するとどうだ、雪原を埋め尽くす軍勢の先、地平線の向こうに幾筋もの煙が昇り、遠雷じみた轟音が続け様に響いてくるではないか。

 

「お、おいあれ」

 

 部下たちからも声が上がる。

 やつらもまた、スコッチと同じことを考えたのだ。

 

「あの方向、武器工場の方じゃねェか!?」

 

 音のする方にあるもの、それは自分たちも経由してきた百獣海賊団の補給基地に他ならない。

 山間を埋めつくほどの巨大な施設は、多種多様な武器と兵器を潤沢に揃え、数千に及ぶ自軍を余すことなく武装させた。

 だが同時に、この前線と本隊を繋ぐ要所でもある。そんな武器工場が攻撃を受けているということは、

 

「まさか、おれたちは分断されたのか!?」

 

 伝令の報告を聞き、恐れからの声が叫ばれた。

 

「バカ言え、そんなワケねェ!」

「じゃああの煙と音は何だってんだよ!?」

「おれが知るか! そんなことより、あれが見えねェのか、てめェは!!」

 言い合う者どもの一人が、遠くを指差した。

 そこにはある。地平線の上、煙を背にして突き進んでくる人影の群れが。道々の友軍を蹴散らして迫る集団が。

 

「敵が来る!! ――挟撃だ!!!」

 

 進軍する集団というものは、正面以外からの攻撃にはもろいものである。ましてそれが背後からとなればなおさらだ。

 その事実は士気を暴落させかねない。

 

「何が起きてるかなんて知るか! そんなことより、このままじゃおれたちは挟み撃ちになって……」

「黙れ」

 

 だからスコッチは撃ち殺した。

 

「ぎゃあっ!!?」

 

 義手にしたガトリング砲が火を吹き、悲鳴の主を薙ぎ倒す。その時、周囲の何人かを巻き添えにしてしまったが、気に留める理由はなかった。

 同じく臆病風に吹かれた雑魚だ。むしろ、汚染された患部を切り捨てられるので都合が良い。

 叫ぶより楽で、早く伝わるもの。たった数人で周囲の者どもを従えることができるもの。

 見せしめだ。

 

「てめェら海賊だろうが。ビビってんじゃねェ」

「ひ……っ」

 

 恐れを塗り潰す恐れで士気を立て直す。

 青い顔で息を呑む部下たちは、迫る敵よりも恐ろしいものがここにいると理解できたらしい。

 敵によって電伝虫による通信が封じられた今、自分が指揮できる範囲は広くない。手綱をゆるめる訳にはいかなかった。

 部下たちに恐怖が浸透するのを待ってから、スコッチは命令を下した。

 

「全軍前進! 数は勝ってんだ、とっとと潰せェ!!」

「お、おうっ!!!」

「進め……進めェ!!!」

 

 怒号に突き動かされ、進攻が再開される。

 撃ち殺された仲間を踏み潰す様は、スコッチへの恐怖に裏打ちされた士気の表れである。

 後ろの敵に、目の前の男に殺されないために、殺される前に殺しに行け。それだけが生き延びるたった一つの方法だと思い込むかのように、集団は進む。

 だが、危機が迫っているのは事実だった。

 

「おい、てめェ」

「へ、へいっ」

 

 伝令は一瞥するだけで震え上がった。

 

「あいつらを向かわせろ。こういう時のための連中だ」

「わ、分かりやしたっ!」

 

 一目散に走り去る姿は臆病者そのものだ。だが、命令さえ果たすならばどうでもいいことだ。

 まずは眼前の敵である。

 それを始末できなければ、百獣海賊団に消されるのは自分の方なのだから。

 青ざめる顔を鉄下面で隠し、スコッチは再度の号令を下した。

 

「行くぞてめェら! クソ生意気なゲッコー・モリアを叩き潰せェ!!!」

「オオオオオオオオオオオオオオ――――!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先行しなさい、“影法師”」

 

 ギーアが指示すると、並走する黒い巨体は頷き、その姿を大きく変容させた。

 まるで粘土を練り上げるように細く伸びる体。それはバネか、あるいはとぐろを巻く蛇のような格好となり、そのまま宙へと踊り出す。

 

「なんだ、あの黒いのは!」

「敵だろ!? 撃ち落とせ!」

 

 またたく間に頭上を越えていく“影法師”に、百獣海賊団の手勢が銃口をそちらに向ける。

 だがそれはこちらへの注意を失ったということだ。

 

「リューマ、援護」

「かしこまりました、ご主人様」

 

 その瞬間、人影が飛び出した。

 抜き放たれた白刃の光で尾を引く姿は、ワノ国の戦士、サムライのそれに他ならない。ただ一つの違いは、その顔に色濃い死相を浮かべていることだった。

 

「な、なんだこいつは!」

「人間じゃねェ! ゾンビだ、化け物だっ」

 

 リューマの顔に悲鳴を上げ、敵は銃を向け直す。だが、剣豪の肉体を前にしては最早遅すぎる。

 刃が走った。

 

「“野伏魔《のぶすま》”!!!」

「!!?」

 

 舞い上がる血肉の雨。

 長大な斬撃は、そこにいた十数人のならず者を一度に斬り倒したのだった。

 

「ひ……っ」

 

 赤く染まる雪原におののく敵。

 そうなってしまえば、後は突き崩すだけだ。

 

「進めェ――――――!!!」

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――!!!!」

 

 敵陣に躍りかかるギーアに負けじと、ブギーマンズは燃え滾るような勢いでもって攻め入った。

 その雄叫びはすさまじく、竦んだ敵は悲鳴を上げる間もなく踏み潰される。

 

「ち、畜生、なんだこいつらァ!」

「どいつもこいつも同じ顔しやがって……!」

 

 ブギーマンズは、ヌギヌギの実によってギーアが脱ぎ捨てた“皮”をまとう戦闘員たちだ。

 ギーアの戦闘力を借り受け強化されたのはもちろん、同じ顔の集団と戦うということは、敵に狙いをつけづらくさせる効果があった。

 

「くそっ、指揮官はどれだ、どこに行った!」

「……私のこと?」

「えっ」

 

 それでもギーアを追いかけようとする敵は、それこそギーアにとって格好の獲物であった。

 

「“閃光火拳(フラッシュヴァルキリー)”!!!」

「ぎゃあああああああっ!?」

 

 光熱の拳が敵の背を焼く。殴り飛ばされた体は砲弾そのものであり、直線上にいた何人もの敵兵を弾き飛ばしていく。

 

「くそっ、そこかっ」

 

 こちらに気付いた何人かが武器を向ける。

 だがその時には既に、他のブギーマンズに紛れて戦塵の中へと姿を隠していた。

 同じ顔、同じ姿で乱戦を仕掛け、隙を見せた敵に一撃離脱を繰り返す。それが自分とブギーマンズの戦法だった。

 そうやって敵を翻弄しつつ、ギーアは敵勢の奥へと進んでいく。その先にいる、船長が率いる友軍と合流するために。

 

「こちらギーア。モリア、来たわよ」

『おう、事は上手く運んだみたいだな』

 

 ふところから出したのは電伝虫だ。

 ステラが通話を許したその個体は、彼女によって通信を封鎖された百獣海賊団の事情をよそに、何一つ問題なく仲間との連絡を可能とする。

 

「手筈通り、武器工場にはアブサロムたちが行ったわ。私たちは貴方と合流するために進んでる」

 

 ギーアの脳内には、この百獣海賊団との戦いにおける戦場の様子が思い浮かべられていた。

 

「これで戦場は三つに分けられた」

『この雪原と、武器工場と、敵がいる山間部だな』

「雪原は挟撃が、武器工場は奇襲が成功した。……問題は山間部ね」

『ああ、敵の首魁が異変に気付き、対処するまでにどこまで有利に運べるかが勝負だ』

 

 モリアもまた、戦況を理解していた。

 ちょくちょく馬鹿をやらかす男であるが、地頭は悪くないのだ。むしろ時々でしでかす考え無しを、悪だくみによって後から補填する才覚を持っている。

 それは行動力の強さだ。

 人を率いる素養であるとギーアは思っていた。

 

「アブサロムたちには奪取より破壊を優先するように指示したわ。時間との戦いだもの、施設を障害物に変えて時間稼ぎに使う方が有用だわ」

『ぶっ壊した工場で足止めする間に、雪原に分断した敵軍を始末する、か』

「半分だけよ。ゾンビには影が要るんでしょう?」

「ああ、ここにいる敵で兵士ゾンビを増員し、山間部の本隊に備える」

 

 見回すと、ブギーマンズは自分たちの特性を利用して敵を混乱させ、戦果を挙げていた。

 かつては奴隷に貶められた彼らだが、だからこそ、そこから脱却して生きようという意思は強い。この島に着くまでの間に鍛えた甲斐があるというものだ。

 

「敵は多いけど練度はそこまでじゃない。きっと百獣海賊団は本隊の方で、ここにいるのは島に常駐する傘下の海賊団が主体なのね」

『いけそうか』

「ええ、混乱で陣形も崩れてるし、このまま……」

 

 いける。

 そう言おうとした。

 だがそれは、飛来するサムライによって中断せざるをえなかった。

 

「リューマ!?」

「ぬ……!」

 

 辛くも着地し、しかし勢いを殺しきれず、サムライは地面に刀を突き立ててようやく制止した。

 しわだらけの顔をしかめ、目玉のない双眸が眼前を睨む。ギーアはそれを追い、

 

「モリア、通信を切るわ。あと……合流は遅れそう」

 

 結果として、新たな判断を下さざるをえなかった。

 

『難敵か』

「ええ」

 

 そこにいたのは、異様な集団だった。

 敵意がある。敵であるのは間違いない。しかしその出で立ちは、ボロ布のような服をまとい、顔をズタ袋で包み隠すという悲惨なものであった。

 そしてズタ袋の正面には文字がある。

 奴隷、その二文字が。

 

「やっと来たか、――奴隷部隊!!!」

 

 周囲の敵勢から声があがった。

 

「とっととそいつらをぶち殺せ!」

「一人一殺だ! 捨て身でかかれよ、クズども!」

 

 囃し立てるような声の中、ズタ袋の集団の中から一際大きな体躯が進み出た。

 みすぼらしい身なりでありながら、それでもなお誇示される屈強な肉体。むしろその立ち姿には、餓狼じみた凶暴な野獣の気配が感じられた。

 奴隷部隊と周囲の連中は言った。

 ならばこの巨漢はその隊長であり、また、リューマを正面から押し返す戦闘力を持っているのは間違いなかった。

 

「ごごは……! 通ざねェ!!!」

 

 ひどくしわがれた声には、追い詰められた者特有の激情が込められていた。

 周囲のブギーマンズがそうであり、ギーア自身もまたそうであったように、日常的に痛めつけられ、隷属させられていることの証明だ。

 

「……くそっ」

 

 同じ境遇の者同士が戦う。その怒りと苛立ちは、ギーアに強く硬い拳を作らせた。

 だが、立ちふさがる彼らは退くことはないだろう。心を折られた彼らは自分自身を貶め、捨て駒となることを受け入れてしまっている。

 

「ウオオオオオオオオオォォォォ――――!!!」

 

 叫ぶ巨漢とともに、奴隷部隊が迫る。

 奴隷の身から抜け出た者たちと、今なお奴隷であることを強いられる者たち。その戦いが始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぉ!?」

 

 モリアは苦悶をこぼす。

 飛来する銃弾の群れを長刀で防ぎ、しかし抑えきれない衝撃に連打されたからだ。

 およそ人の操作でかなう以上の連射速度。ガトリング砲の類で撃たれたのは明らかである。

 射線の先を睨み、その先に一人の巨漢を見た。

 

「……そのナリ、“アイアンボーイ・スコッチ”か」

 

 小ぶりのガトリング砲を義手にした鉄下面の男だ。その容姿を見て、相手が誰かも分からないモリアではない。

 それは相手にしても同じであるらしかった。

 

「そう言うてめェがゲッコー・モリアだな。手配書通りの、クソ生意気なツラだ」

 

 “偉大なる航路”後半の海、“新世界”で名を立てた海賊同士なのだ、その姿や名前程度は知りえている。

 問題は、今それと戦っているかどうかだ。

 硝煙を吹く義手は今も下ろされない。それが意味するところは、長刀を構え直すモリアの行動と同じものである。

 

「てめェ、こんなマネしてどうなるか分かってんのか」

 

 戦意を解かない姿にいらだったのか、鉄下面から覗くスコッチの目が細められた。

 

「おれたちは、あの百獣海賊団の傘下だぞ。いや、それどころか今この島にはその最高幹部が来ている。生きて帰れねぇぞ」

「そういうのは、おれが最初にカイドウへ挑んだ時に言うんだったな」

 

 相手の言葉には、雪を解かすような怒気があった。

 しかし海賊ゲッコー・モリアの精神と経験は、それに臆して折れるほど軽薄ではない。

 

「おれはヤツに挑み、生き延びた。ヤツの部下や傘下ごときに今更ビビるとでも思ってんのか」

 

 そう返した瞬間、雄弁に勝る怒気が噴き出した。

 無言である。しかしそこには、言葉に勝る感情の発露がある。焼けつくような威圧感がモリアの肌をひりつかせた。

 確固とした激情は、まさに鉄のようだった。

 

「……自分の海賊団を壊滅させられたクセに、デケェ口を叩きやがる」

 

 まるで歯まで鉄になったかのような、強烈な歯ぎしり。そして、

 

「雑魚海賊の分際で……てめェみてェのを見ると、はらわたが煮えくり返るぜ!!!」

 

 怒号は、発砲音を隠すほどであった。

 

「うぉ……!」

 

 激昂が火ぶたを切って落とす。

 飛び退くモリア、一瞬前までいた場所が銃弾の嵐を受け、血肉の代わりとばかりに雪と土を散らす。土煙はさながら血しぶきのようだ。

 

「てめェが生き延びたのは、カイドウさんをキレさせるところまで及ばなかっただけだ! それを自分の実力と勘違いするとは、笑わせやがる!!」

 

 ただの銃弾ではない。

 間違いなく、弾の一発一発に覇気が込められている。ガトリング砲の連射速度に追いつく覇気の量と操作は、生半な練度によって成せるものではない。

 “新世界”の海賊は伊達ではないということだ。

 しかし、

 

「いきり立つなよ。お前と違って、心が折られなかったからってよ」

 

 モリアの嘲りは止まらなかった。

 

「何ィ!?」

「カイドウにビビって尻尾を振り、この海で上を目指すことを諦めたヤツが、見苦しいっつってんだよ」

「貴様ァアアアア――――――――――!!!」

 

 今度は回避を許されなかった。

 巨体の背後に隠された剣が引き抜かれ、袈裟斬りの勢いで斬撃が飛来したからである。

 片腕で放ったとは思えない威力に、迎え撃つモリアの足が止まる。そうなってしまえば敵の銃撃をかわすことなどかなわない。

 

「くたばれェ!!!」

 

 弾丸の嵐が迫る。

 覇気を帯びた鉄つぶての数は先ほどの比ではない。動きを止められた体で受ければ、モリアにしてもただでは済まないだろう。

 受け止めたとすれば、であったが。

 

「――戻ったな、“影法師”」

「何だと!?」

 

 飛来する黒い影。

 それが射線上に割って入り、その身を挺して銃弾からモリアの身を守ったのである。

 巨体でもって弾丸を受け止めるそれは、しかしあます事無くそれらを受け止め、血しぶきを上げることもない。

 何故ならそれは、文字通り影の塊だったからだ。

 

「き、貴様ァ!」

「おれは折れねェ。敗けても、必ず勝ちに戻る。――海賊王になるためにな!!!」

 

 “影法師”が形を変える。

 モリアの戦意そのままに、立ちはだかる敵を打ち破り、前へとただ進み続けるために。

 

 

 

「“角刀影(つのトカゲ)”!!!」

「!!!?」

 




そんな感じで、戦況は進んでいきます。図らずも再開後の初回に丁度いい、中間地点的な内容になったように思います。
次回あたり、戦況が動きます。今度は間を開け過ぎずにお出ししたいですね。



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“ナンバーズ”

「ぐおおおおお――――――!!!」

 

 尖塔と化したモリアの影がスコッチの胴を撃つ。

 生半なら串刺しになる一撃を、しかし鋼で覆われた巨体は耐え抜いた。さすがは“新世界”の海賊である。

 だが、この場に踏み留まる事はできなかった。

 

「え、お頭……ぐぎゃあっ!?」

「うがっ!?」

「ああああああぁぁぁぁぁぁ――――――…………」

 

 直線上にいた者をことごとく薙ぎ倒し、巨体が飛ぶ。

 伸びる“黒刀影”は射出台、スコッチの体は撃ち出される弾となったのだ。

 その勢いたるや残像を引くほど。またたく間に敵軍を率いた男は、地平線の彼方に消えたのだった。

 

「…………」

 

 沈黙が戦場を満たす。

 敵の誰もが息と身動きを止め、呆然としてこちらを見る。その顔は一様に青ざめ、目がこぼれ落ちそうになるほど見開いていた。

 モリアは周囲一帯にそれが蔓延するのを待って、おもむろに拳を突き上げる。

 かちどきの声であった。

 

 

 

「――“アイアンボーイ・スコッチ”は倒れたぞォ!!」

「うおおおおおおおおおおお――――っ!!!」

 

 

 

 呼応し、友軍の兵士ゾンビたちが雄叫びをあげる。

 活力をみなぎらせる死体の群れに、支配者であるモリアは更なる号令を下した。

 

「やつらを一人も逃すな、半分は殺しても構わねェ!」

「かしこまりました、ご主人様ァ!」

「敵勢を貫け! 反対側にいる友軍と合流する!!」

 

 轟々と猛るゾンビたち。

 それに対して、将を失った百獣海賊団の手勢はあまりにも脆かった。烏合の衆と化していたのだ。

 

「お頭がやられたァ!」

「ど、どうすんだよこれから!?」

「決まってる、敵討ちだ!」

「バカ言え、お頭が敗ける相手だぞ、逃げるんだよ!」

 

 まとまりを失った者どもには潰走の流れすらある。だが、一人たりとも逃がさない。何故なら後に控える敵の本隊に備え、手勢を増やす必要があるからだ。

 この場の敵は全員ゾンビの材料になってもらう。

 

「く、来るな、来るなァ!!」

「ケヒヒッ、影をくれるだけでいいんだぜェ? あんまり逆らうようなら、死体になっちまうかぁ!?」

 

 誰も彼もがゾンビに引き倒されていく。応戦する者もいたが、将を失っては誰もが腰砕けだ。すぐに四方からゾンビに圧し潰され、屍を晒すこととなった。

 そこかしこでそんな光景が繰り返される。

 雪原の戦いは決したのだ。

 この流れはやがて雪原全体に広がり、敵軍を挟んで向こう側にいるギーアにも届くだろう。強敵と対峙し、通信できない状態らしいが、それもすぐに解けるに違いない。

 

「助太刀するか」

 

 その巨体を活かし、モリアは遠くを見た。あるいは、それらしい戦闘が見つかるかと思ったのだ。

 その瞬間である。津波が上がったのは。

 

「!!!?」

 

 巨大な高波、あるいは噴火と言い表すしかないもの。

 信じられない規模の土砂が地平線で噴き上がる。その高さたるや、遠景の山々の中腹に届くほどだ。

 控えめに見て、災害であった。

 

「何が……」

 

 モリアだけではない。辺りの誰もが身動きを止め、降り注ぐ土砂を遠巻きに眺めていた。

 そうするうちに、新たな変化に気付く。

 地震だ。地面が短い周期で、幾度となく揺れている。それはまるで、

 

「あ、歩いてるのか?」

「バカ言え! どんだけデカいヤツが……」

 

 敵勢の誰かが呟き、また別の誰かがそれを否定しようとした。けれどその言葉はしりすぼみになり、言い切ることなく地響きの中に消える。

 いつしか、敵軍の誰もが震えあがっていた。

 その理由がモリアには分かる。何故なら、そうなる原因をモリアは知っていたし、現在進行形でそれを目の当たりにしていたからである。

 

「あれは……!」

 

 高波を割ってそれが来る。

 三つの、これだけの距離があってなお巨大な人影が、響き渡る足音とともに走ってくる。

 哄笑するそれらの正体は、

 

「ジャキキキキキキキッ!」

「ゴキッ! ゴキキキキ――――――!」

「ジュキキキキィ~~~~!!」

「――ナンバーズ!!!」

 

 モリアがかつてワノ国で戦った、巨人をはるかに越える異形の大巨人たちである。

 

「な、なんでナンバーズが来るんだよ!」

「あいつらはデカすぎて武器工場を通れなかったはずだろ!? それがどうして……」

「……決まってンだろ」

 

 口々に上がる敵軍の悲鳴に、モリアはサメのような歯を軋ませて答えた。

 

「さっきの高波が武器工場だ。やつらに蹴散らされたんだよ」

「え……じゃあ」

「お前らの総大将は武器工場もこの雪原も見捨てたんだよ! ナンバーズと本隊がいれば、状況はひっくり返せるってなァ!!!」

「そんなァ!!」

 

 その間にも、大鬼としか言いようのない姿が迫る。

 だがモリアは、げらげらと笑うそれらが駆逐すべき敵である自分たちを全く見ていないことに気付いた。

 いずれもより遠くを見据えて走ってくるのだ。

 

「なんだ、どこを見ていやがる」

 

 どいつもこいつも知性のかけら一つ感じない顔だったが、一直線に走ってくる以上、何がしかの目標はあるはずだ。そもそも、その程度の知能すらなくては百獣海賊団にいられない。

 だとすれば答えは一つ。

 目標は自分たちではないのだ。

 

「まさか」

 

 ありえないと思いつつも、モリアはそれを確信した。

 武器工場を突破し、途中で敵味方関係なく雪原を踏み潰して、だがやつらの目的地はその向こうにある。

 この雪原の先にあるもの。

 つまりそれは、

 

「やつら! 街を襲う気か!!!」

 

 モリアの額に焦燥の汗が浮かぶ。

 今、あの街の住人はほぼ全てモリアの能力によって影を奪われ、気絶している。つまりナンバーズから逃げることができないということだ。

 ゾンビたちを動かす影は、本体である彼らの命と繋がっている。もしこのまま住人が街ごと踏み潰されれば、増員した兵士ゾンビは全て機能停止する。

 

「やつら、カゲカゲの実の能力を知ってるのか!?」

 

 慮外の強襲だった。敵はこちらの軍勢を根本から揺るがす策に打って出たのである。

 だがモリアにとって、それに勝る危機感があった。あの街には非戦闘員である仲間が控えていたからである。

 このままでは巻き添えになる。

 そう思った瞬間、かつて仲間を滅ぼしつくされた記憶が蘇り、モリアの心を焼き焦がす。

 気がつけば、叫んでいた。

 

「――逃げろ!!! ステラ!! ペローナ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パハハハ! 行け、ナンバーズ! 全部踏み潰せ!」

 

 山間部に“音害”のジャックの哄笑がこだまする。

 持ってこさせていた専用の大椅子に腰かけ、覗き込んだ望遠鏡に映るのは大鬼たちの後ろ姿だ。これほどの距離をあっという間に走り抜け、ナンバーズは雪原を越えようとしている。

 その足元では、天災にも似た疾走に逃げ惑う者たちがいた。だがそれは敵だけではない。むしろ友軍の方が多かった。

 その姿に、ジャックは膝を叩いて笑う。

 

「雑魚どもめ、あんなガキどもに押されやがって。良いざまだ」

 

 だが、控える部下が声を上げた。

 

「しかし良いんですかい? 武器工場をぶっ潰して」

「どのみち敵に入り込まれて始末に悪い。だったら一揉みにした方が楽だろ? ……なぁに、連中のせいで破壊されたって言っときゃ問題ねェさ」

「ですが……」

「それに、お前もあれを見てみろ」

 

 そう言われて、部下も望遠鏡を取り出した。

 自分と同じ方向にそれをレンズを向けた部下は、やがて何かに気付き、大きく身を乗り出す。

 こちらと同じものを見つけたのだ。

 

「あれは、戦艦!?」

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 戦塵と降雪にまぎれ、確かな姿は見てとれない。

 しかし大型の船が街の傍に着こうとしているのは間違いなかった。

 

「あれを含めても五万にはならんだろうが、戦力があるのは本当だったようだな」

 

 敵の船長、ゲッコー・モリアとの会話を思い出す。ブラフもどきの見栄とあの時は笑ったが、仕込みはあったようだ。

 だがそれもナンバーズの前では無意味だ。

 

「やつらなら戦艦一隻沈めるなんてワケもねェ。街には尊い犠牲になってもらおうじゃねェか」

 

 そう言ったジャックだが、その顔には隠す気もない愉悦の色がある。周囲の部下たちもそうだ。

 暴力。

 破壊。

 それは百獣海賊団の誰もが持つ激情だったからだ。

 敵船が砕かれ、街が踏みにじられる。それを妄想するだけで、分厚い胸板は燃えるような思いを得る。

 感情の火を吹くように、ジャックは雄叫びを上げた。

 

「やっちまえ! 全部ぶっ潰せェ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちに来るぞ! 逃げろォ!!」

「ダメだ、間に合わねェ!」

「ぎゃああああああ~~~~~~!!!」

 

 敵も味方もなく、全てが雪もろともに蹴散らされる。

 落ちてくる土と血の混じった雪が、逃げ遅れた者どもの哀れな末路であった。

 

「なんて巨体だ!」

 

 ナンバーズの進路から外れていたモリアだが、それはつまり、その巨体を見送るしかないということだ。追おうにも地響きがすさまじく、走ることもままならない。

 だが、止めなければならない。

 街ごと住人たちを始末されれば自軍は崩壊し、しかも二人の幹部がその巻き添えになるのだから。

 

「くそったれが!」

 

 策などない。だが、追いつかなければ話にならない。

 震えあがる地面を踏み、追いかけようとして、

 

「!?」

 

 見た。

 ナンバーズが拓いた戦場の隙間、その先に見える街から人影がやってくる。

 あまりにも小さな人影だ。その上、ほぼ全ての住人が気絶した街からやってくる人間など何人もいない。

 ステラとペローナが避難しているのかと思った。

 だが違った。

 不格好な走りでナンバーズに向かっていくのは、

「――ガブル!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガブルの頭の中は真っ白だった。

 考えなどない。ただ、突き動かす衝動だけで走る。

 

「くそっ、くそォっ!!!」

 

 涙が、鼻水が止まらない。

 恐ろしさのせいでつま先まで冷え切っている。

 今すぐにでも脇に逸れ、逃げてしまいたかった。

 けれど、

 

「ちくしょォ――――――――――ッ!!!!」

 

 距離感を狂わせる巨体が迫ってくる。顔にいたってはかすんで見えるほどだ。

 向こうはこちらに気付いてすらいないだろう。子供の自分は、ただの人間同士であっても見下ろされるのだ。巨人相手ではそれも当然だろう。

 このまま行っても、なんの甲斐もなく踏み潰されて終わる。それだけだ。

 だから許せなかった。

 

「お前らに! 何が分かるってんだよォ!!」

 

 自分の命。

 この街の生活。

 それらを無視して、軽はずみに滅ぼそうとするやつらが、憎くてしょうがなかった。

 だから走る。走るしかない。

 届かなくても、何も出来なくても、何もしないなどという判断を、自分に許すことができないから。

 叫べ。

 

「やめろォ!!! 街の皆に近寄るなァ!!!!」

 

 渾身の叫び。

 答えは、降り注ぐ足裏だった。

 

「――あ」

 

 天井が降るようだ。

 影が落ちる。

 死ぬ。

 気付かれず、何も残せず。

 奴らがこれから死なせる人間の最初の一人になって、終わる。

 畜生。

 

「誰か、助けて」

 

 

 

「――おう、任せなさいよ」

 

 そして何もかもが凍りつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!!!?」

 

 その瞬間起こったことは、場所を問わず、戦場にいた誰も彼もを驚愕させた。

 三体のナンバーズが突如、氷像になったのだから。

 

 

 

「何だ!? 何が起きた!!」

 

 山間部。

 街が滅ぶ光景を心待ちにしたジャックは、望遠鏡を取り落として声を上げた。

 

 

 

「どええ~~!? 巨人どもが凍ったァ!!!」

 

 武器工場。

 半壊したそこで、やっとの思いで瓦礫から這い出したアブサロムは、最初に見たその光景に叫んだ。

 

 

 

「……ウソでしょ!? こんなところまで追ってくるなんて!!!」

 

 雪原。

 青ざめた顔でギーアは絶叫する。振り切ったと思っていた相手に、再び追いつかれたと分かったからだ。

 

 

 

「キシシ、しつこい野郎だぜ」

 

 そしてモリアは、その相手を睨んでいた。

 街の中からやってくる姿は、さっきのガブルよりも余程大きい。見つけるのに苦労はしなかった。

 

「な、何が起きたかご存じなんですか、ご主人様!?」

「ああ、この島で作ったお前らは知らんだろうな」

 

 すがりつくように訊いてきた周囲のゾンビに、モリアは頷きを返した。

 

「おれはこの島に来る前に天竜人を殺し、船を奪い海軍を振り切って逃げ延びた。……だがな、それで諦めてくれるなら世界政府は務まらねェよな」

「て、天竜人を!?」

「そんな! じゃあ、まさか!?」

 

 元になった影の記憶を引き継いでいるのか、ゾンビたちもそのあたりの知識は持っているらしい。

 そのおかげで、これ以上説明する手間は省けそうだ。

 

「そうさ。天竜人に手を上げたヤツには海軍から戦力が差し向けられる。……海軍大将がな」

「大将!」

「海軍の最高戦力……!!」

「追い回されるのを振り切り、百獣海賊団のナワバリにまでは入っちゃこねェだろうと思ったんだがな」

 

 鼻を鳴らし、モリアはいかにも忌々しくその顔を思い浮かべる。

 

「さすが新任。仕事熱心ってことかよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え……?」

 

 寒風が奔った。そう思った時には、全てが固まっていた。

 ナンバーズはもれなく氷漬けとなり、自分へと足を振り下ろそうとした格好のまま止まっている。

 この冬島でも、ここまでの冷気が起きることはない。一体何が起きたのか、困惑に目を白黒させていると、

 

「……あ」

 

 何かが頭の上に乗った。

 暖かく、大きく広がるそれが、人の手のひらだと気付くのには少しの間を要した。

 手のひらは、ひどく固かった。鍛えられた男の、分厚く固くなった手であった。そうと分かったのは、ガブルにはなじみのある感触だったからだ。

 父の手だ。

 かつて生きていた時、幾度となく触れたその手だ。

 

「よく言った、坊主」

 

 見上げると、そこには男がいる。

 父ではない。当然だ。

 だがその目には優しさがあった。ガブルを認め気遣う心が、視線に乗って感じられる。

 長身なその男は、にやりと笑って、

 

「後はおれたちがやる」

 

 頭の上にあった手はかかげられた。合図だった。

 その仕草に応えるように、数百に及ぶたくましい男たちがやって来る。

 その誰もが、その身に白い軍服を着込んでいた。

 そして、彼らの先頭に立つこの男こそ、彼らのリーダーであるのは間違いない。

 それを証明するように男は告げた。

 

 

 

「――ここからは海兵の出番だ」

 

海軍 モリア討伐部隊隊長

― 大将“青キジ”(クザン) ―

ヒエヒエの実の氷結人間

 




やっと本エピソードの転調まで話を進められました。
青キジは、原作のルフィに対するスモーカー的ポジションになってもらいました。狙いを定めて追いかけてくる、主人公勢にとっての海軍代表って感じですね。
乱戦混戦はワンピの華。ここからは彼らも込み込みで戦ってもらいましょう。


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“モリア討伐部隊”

大変ご無沙汰しております。
年末年始からの多忙もありましたが、絵創作にかかりきりですっかりこっちがおろそかになってしまいました。今年はもうちょっと字創作とのバランスをいきたいですね(もう六分の一が終わってしまいましたが……)。



前回までのあらすじ
スリラーバーク海賊団を結成したモリアとギーアは、逆襲のために百獣海賊団が支配する島を攻撃する。現大看板“音害のジャック”がけしかけたナンバーズにより危機に陥るが、それを止めたのは、海軍のモリア討伐部隊を率いる大将青キジだった。


「海軍!? それも大将の部隊だとぉ!!?」

 

 “音害”のジャック、百獣海賊団最高幹部“大看板”の一人は望遠鏡をかなぐり捨てた。

 弾丸より早いそれは周囲にいた部下の一人を打ち抜いたが、それを気遣う者はこの場に一人もいなかった。

 突如現れた脅威への危機感、そしてそれに勝る眼前の怒りに対する恐怖が先だったからだ。

 

「ど、どうして大将が今ここに……?」

「決まってンだろうが!」

 

 青い顔で話しかけた部下はジャックの巨大な手に掴み上げられ、歯ぎしりする鬼のような形相を間近にする。血走った二つの目は火が付いたようだ。

 

「ゲッコー・モリアの野郎を追ってきたんだ! ヤツは天竜人を殺してるからな、あの疫病神め!!」

「ぐ、ぐえぇっ!」

 

 激高するままに五指で締め上げられた部下は、まるで目玉と内臓を吐き出さんばかりであった。

 カエルの鳴き声にも似た苦悶をあげるが、それでもジャックの頭を冷やすことはできない。

 

「あの大将もどうかしてやがる! おれたちは百獣海賊団だぞ! 白ひげやビッグ・マムに比肩する、あのカイドウさんの部下だぞ! そのナワバリに入ってきやがって……!!!」

「ジャ、ジャックさん、どうか落ち着いてくださ……」

「うるせぇ!!!」

「ギャアッ!」

 

 内臓までひしゃげた体を投げつけられ、諫めようとした部下が悲鳴を上げる。

 声をかけた端から八つ当たりの的だ。居並ぶ部下の顔が軒並み青ざめ、震えあがって後ずさりした。

 だが激するこの男が指示しなければ動けない。

 部下たちの間で視線が交わされ、いくらかの間をおいて一人の男が進み出た。取り巻きの中でも特に身なりの汚い、貧相な男である。

 

「そ、それで、これからどうするんで?」

「決まってるだろうが!!!」

 

 当然、その男は叩き潰された。

 

「野郎どもォ!!!」

「へ、へい!」

「前進しろ、モリアも海軍も皆殺しだ!!!」

 

 竦みあがる部下たちに怒号を浴びせ、それまで座っていた大椅子を蹴とばすと、ジャックは進み出た。

 

「どいつもこいつもおれをナメやがって……! このおれを誰だと思ってやがる!!!」

 

 肩をいからせ、大男は積雪を踏み荒らす。

 赤黒い凶相は殺意と悪意に満ち満ちており、胸の内にあるたった一つの不文律を遂行しようと全身をたぎらせていた。

 目の前のすべてを破壊しろ。

 それが海賊、百獣海賊団の掟であったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガブルは見た。

 その男が巨人たちを氷漬けにするのを。

 

「す、すげぇ……」

 

 かかしのように細い手足をした、もじゃもじゃの髪をした長身の男だ。額にアイマスクをずらした顔は眠たげで、雲のように白い息を吹きこぼしている。

 男はこちらをゆっくりと見下ろし、

 

「よう、ケガぁないかい?」

「……あ、ああ……、いや、はい」

 

 ガブルは返事を改める。

 巨人たちを氷の塊に変えたこの男がなんと名乗ったか、それを思い出したからだ。

 そして、それはどうやら聞き間違いではなかったらしい。男の後ろから続々と白い軍服を着た集団が駆けつけてくるではないか。

 間違いない。

 

「海軍……! 本当に、この島へ」

 

 正義の味方。

 海軍の天敵。

 だが巨大な組織である彼らであっても世界中の人間を救うことはできない。これまで百獣海賊団に虐げられてきた自分たちがその証拠だ。

 それが今、いきなり現れた。

 

「ど、どうして」

 

 答えは分かっている。

 今この島に変化があるとすれば、それはあの連中がこの島に来たことに他ならない。

 

 答えは明白だ。

 ガブルは知っている。今この島に変化があるとすれば、その原因はあの集団が島に来たことに他ならないと。

 

「おい!」

 

 その時、声を張り上げて来る二人組が現れた。

 海兵たちは左右に分かれ、将校用のコートを肩にひっかけた二人に道を譲っている。積雪をものともしない強い歩みは、長身の男に向かって伸びていく。

 男女の二人組だった。

 女は腰に何丁ものライフルを下げ、刈り込んだ髪に勝気な顔で長身の男を見上げる。

 

「先走ってんじゃねェよ青キジ! 大将を矢面に出したんじゃ部下の立場がねェだろ!」

「ベルメール殿、それは部下の物言いではない」

「だがよォTボーンさん、この男ときたら……!」

 

 女を諫めたのは、まるでガイコツが浮き彫りになったかのような顔をした男だ。身に着ける鎧や兜には金の縁取りがあり、海兵というよりはどこかの国の騎士のように思われた。

 長身の男、青キジを前にして歯に衣を着せない女と、それを諫める男。どうやらこの二人は青キジを支える海兵たちの幹部であるらしかった。

 

 

 

海軍 モリア討伐部隊

― 曹長“跳弾”のベルメール ―

 

海軍 モリア討伐部隊

― 少佐“船斬り”Tボーン ―

 

 

 

「んで、どうすンだ大将」

 

 ひとしきりがなりたてるとベルメールは腕を組み、値踏みするような目で青キジを睨んだ。それはTボーンもそうだ。年下であろう青キジに対し、うかがうような態度でじっと黙っている。

 二人の後ろに控える海兵たちの視線も集まる中、しかし青キジは臆した風もなく雪空を見上げ、

 

「そうだなぁ……」

 

 不意に、ゆらりと手を空にかかげた。

 まるで降る雪を掴もうとするかのような何気ないしぐさだったが、

 

「あらら、さすがにこれだけじゃ止まってくれないか」

「は?」

 

 次の瞬間、

 

「!!?」

 

 その手は巨大な氷塊を受け止めた。

 

「な……な、な……!?」

 

 身の丈をはるかに超える、氷塊といってもいい大きさだ。それを青キジは、痩身そのものといっていい体で難なく支えてみせる。

 常軌を逸した強靭さにへたりこむガブルだったが、しかし周囲の海兵たちはそうではなかった。

 誰もが一様に空を睨み、

 

「……ナンバーズが!」

 

 苦々しく、うなるようにその名を呼んだ。

 

「ゴ、ゴキキ……!」

 

 ひと際長身な巨人が全身の氷を砕き、動き出そうとしていた。落ちてきたのはどうやら目元を覆う氷だったらしい、晒された目が怒りに満ちた視線でこちらを見下ろしている。

 他の二体も似たようなものだ。肩やひざにヒビが入りはじめ、今にも動き出しそうになっているではないか。

 

「う、うわ……っ」

「坊主」

 

 青キジは氷塊を投げ捨てた。片腕で投げたとは思えない、とてつもない飛距離と轟音である。

 

「坊主は早いところ街に下がりな」

「え……?」

「ここにいると巻き込まれるぞ」

 

 ゆっくりと雪原に足跡を刻み、青キジはガブルに大きな背を見せる。今や男の正面にあるものは、ナンバーズという巨大な敵だけだ。

 そのまま振り返ることなく白い息を吐き、

 

「ベルメールちゃん、Tボーンさん」

「ちゃんをつけるなっつってんだろ」

「さんは要りませんぞ、大将殿」

「まぁいいからいいから」

 

 ゆるく肩をすくめる青キジ。

 だがほんの少し、顔の半分を見せるようにして向けた目に込められていたのは、厳格な兵士の眼力であった。

「二人は部隊の指揮。おれはこいつらの相手をする」

「「了解!」」

 

 弦を弾いたような了解の直後、こちらと青キジの間に巨大な氷壁が伸びあがった。ナンバーズとの戦いを街へ飛び火させないために、青キジが作り出したものなのだろう。

 その証拠に、壁の向こうから轟音と地鳴りが響き、そこへけだものどもの雄たけびが続いた。

 

「ほ、本当に一人であの怪物と戦ってるのか」

「さぁ君、大将が言った通り街に下がっていなさい」

 

 呆然とするガブルの肩に置かれたのは、Tボーンの節くれだった手だ。彼の顔からはとても連想できないほど穏やかな声に促され、ガブルはおずおずと立ち上がる。

 一方のベルメールは部下の海兵たちに向き直り、

 

「おし野郎ども、カチコミだ! こっからならモリア一味の背後をつける、鉄火場を利用して今度こそあの野郎をとっ捕まえるぞ!!!」

「イエス・マム!!!」

 

 敬礼した軍服の男たちは銃を構え直す。

 湯気が上がるほど戦意に満ちた海兵たちの様子にベルメールはうなずき、自らも腰の銃を手に取る。

 準備万端。

 あとはこの場で最も高位の号令を待つだけだ。

 

「Tボーンさん」

「あぁ」

 

 呼ばれ、その男は応えた。

 背の長剣をたかだかとかかげ、大きく息を吸う。

 叫びを成すために。

 

 

 

「――総員突撃!!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 

 一気呵成。

 部隊は大きく左右に分かれ、青キジが立てた氷塊を迂回して突撃していく。白煙を立てて雪を蹴散らす様は、さながら蒸気機関車のようであった。

 進む先にあるのはただ一つ、モリアの手勢と百獣海賊団がせめぎ合う戦場である。ここに海軍という第三勢力が加われば、戦況は大きく狂っていくだろう。

 ガブルとていつまでもじっとしていられない。

 

「ステラさんたちに伝えないと……!」

 

 ガブルは走った。

 街に入り、目指すのは隠れ家にしていた民家だ。ナンバーズの接近に思わず飛び出したそこには、一緒に隠れていたステラとペローナがいる。

 今この島の通信を掌握するステラにこのことを伝えなければ、モリアたちが危ない。

 扉を蹴破る勢いで隠れ家に飛び込み、

 

「ステラさん! この島に海軍が……!」

 

 息を切らした叫びが家の中に響き渡る。

 無人の家に。

 

「……え?」

『戻ってきてくれたのね、ガブルくん』

 

 がらんとした家には人一人分の影すらない。

 あるのは一つ、テーブルの上の電伝虫だけだ。

「これは……」

 

 電伝虫は通話状態になっていた。殻の装置から伸びる受話器が届けるのは、ステラの声だ。

 

『ごめんなさい、貴方と海軍の様子は遠くから見ていたわ。大丈夫、彼らは私たちの敵だけど、民間人をおろそかにはしない。貴方たちを守ってくれるわ』

「で、でも追手なんだろ!?」

『ええ、もうこの島にはいられない。私たちは先に船に行って、この後戻ってくる船長たちを迎えて逃げる準備をします』

「だ、大丈夫なのか? 来たのは海軍の大将なんだろ? それに百獣海賊団だって……」

「心配しないで。今までも逃げきってきたの」

 

 彼女の言葉には確信があった。

 そしてそれは、続けられた言葉で最高点に達する。

 

『彼は海賊王になる男。こんなところでは終わらない』

「……!」

 

 ガブルが知るステラの口調は、いつだって温和で物静かだった。しかし今聞いた彼女の語気は、それをくつがえすほどの強い意思が込められている。

 

『成り行きで救われた私だけど、今はそうすると決めているの。彼はね、私たちみんなで海賊王にする人なのよ』

「……信じてるんだな、モリアのこと」

『ええ、だからもう行かなきゃいけない』

 

 言葉では言われていない。だがガブルには分かった。

 これは別れであると。

 決して長くない付き合いであったが、けれど彼らがもたらしたものはあまりにも大きい。永遠に続くと思っていた地獄に風穴をあけたのだから。

 

『これまでありがとう、ガブルくん。さようなら』

 

 そして言葉は成った。

 言い終えるなり通話は切られ、電伝虫は眠ったように目を閉じる。そうやって、本当の意味でこの家はガブル一人になった。

 こみ上げる感情に肩を震わせ、けれどそれ以上はこらえた。まだ戦いは終わっていないのだから。

 外から聞こえる雄たけびと地響き、轟音の群れ。それらが聞こえてくる方へ、ガブルは決然とした顔を向ける。

 そして思う。どうやら自分の出番はここまでだ、と。

 あとは投げられた賽の目を信じるだけだ。

「モリア、ギーア、……みんな。ーー後は頼む」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおーっ、腐れヤベェー! あれ海軍なんじゃねェのか!? 敵だろ、あれもよォ!」

「当たり前だろ、おれたちは海賊だぞ、ご主人様の部下なんだからよォ!」

 

 前に百獣海賊団。後ろに海軍。

 新手の出現によって別々の勢力に挟撃される形となり、ゾンビたちが大きく浮足立つ。

 だが中心にいるたった一人だけは違う。

 ゲッコー・モリアは、その凶相にまったく似つかわしい獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「ご、ご主人様……?」

 

 死相をことさら青くしたゾンビたちが、巨体の上にあるこちらの顔を見上げている。

 モリアはそんな周囲に檄を飛ばす。

 

「面白くなってきたじゃねェか! 海軍はおれを追ってきたが、だからって百獣海賊団を素通りしやしねェ。百獣海賊団だってそうだろうさ」

「そ、それは」

「海軍をうまく利用して兵力差を一気に縮めンだよ! そしておれたちはうまいところだけさらっていくのさ!」

 

 いまや一団は静まり返っていた。それどころか、ゾンビたちは期待するような目をモリアへと向けている。この静けさは、嵐の前の静けさなのだ。

 だから言おう。

 死体であるこいつらが、死ぬ気で立ち向かっていけるようにする言葉を。

 

「野郎ども、ズラかるぞ。――百獣海賊団を踏みつぶしてなァ!!!」

 

 長刀の切っ先をかかげ、モリアは大きく吠えた。

 それは戦場の端にいる部下一体一体に届くほどの、すさまじい叫び声であった。

 

「ズ、ズラかるって、まさか……百獣海賊団を突っ切っていくってことですか!?」

「ああ、最初からやることは変わっちゃいねェ。敵を潰して島から出る、それだけだ。後ろからケツを叩く連中が来たってンなら、ありがてェ話じゃねェか!!」

「腐れヤベェ! 正気かよご主人様!」

「だ、だがよォ……」

「……ああ」

「もう、それしかねェぞ!!!」

 

 ゾンビたちの間で戦意が灯る。

 活力などあるはずもない死体に力がこもり、たずさえる武器を構え直す音がそこかしこで上がった。

 そして誰もがこちらを見る。

 先ほどまでのうかがうような、期待するような目ではない。確信に満ちた目だ。次に来ると確信する言葉を今か今かと待つ、そういう目だ。

 にやり、とモリアはサメのように歯を剥いた。

 

「キシシ。なんだ、命令してやらなきゃならねェか?」

「当たり前っスよご主人様、おれたちゾンビですぜ」

「あんたの兵隊だ、あんたのためなら死ぬ気で戦いますぜ、おれたち。……もう死んでんですけど!!!」

「ちげェねェ!」

「……ふん、しょうがねェやつらだ。いいぜ、だったらくれてやるよ、命令をな」

 

 鼻を鳴らし、モリアは大きく息を吸った。この場にいるすべてのゾンビへと命令が届くように、胸を強く張り詰めさせる。

 放つのはそれが頂点に達した時。

 今だ。

 

 

 

「戦うぞ!!! 敵を蹴散らせェ――――!!!」

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!!!」

 

 

 

 さながら地獄からの行進。

 モリアとその手勢は一丸となり、敵軍への進撃を開始した。

 

 

 

 




このエピソードとしてはやっと後半戦、ずいぶん長くなってしまいました……。
主力同士の戦いまで流れ込みたいところですが、さてはて。


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