雪火の魔女 (光子大爆発)
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プロローグ

 それは雪が舞い散る夜のことだった。

 レインレイク。

 氷雪に囲まれるがゆえに雨など滅多に降らないスノリア地方には似つかわしくない名を持つ小都市は一夜にして変貌していた。

 

「……ッ!」

 

 町唯一の商業街の裏路地に身を潜め、変わってしまった街を少女は覗き見る。

 少女の名前はスレイ=シーモア。12歳になるどこにでもいるような、しかしながら、おそらくこの町の最後の住人になってしまった少女だ。

 

「お嬢ちゃん、隠れんぼは楽しかったかい? 」

 

 いつのまにかスレイの背後から声がする。

 穏やかな美声の持ち主だ。声音も優しい。しかし、スレイはその声を聞いたと同時に身体の震えが止まらなくなった。

 なぜならば、背後にいるこの青年こそが、レインレイクを人間の町から悪魔の都市に変えてしまった元凶なのだから。

 

「はは、怯えちゃって可愛いねえ。ああ、この町は実にいいよ。良質な魔力を持った子がごろごろいる。特に君はその最たるものだ。おかげでいっぱい悪魔を受肉させられるよ」

 

 青年が舌舐めずりをしてスレイを眺める。とはいえ、それは本当にスレイを見ているわけではない。青年はスレイに宿る魔力だけを見ており、青年にとっては素材の吟味でしかなかった。

 

「……あなたの欲望のせいで、みんながこんなになって悪いとは思わないの?」

 

 その目に微かに怒りを想起させられたのか、スレイは問う。それに青年は幾ばくか驚いたのち、何事もないように答えた。

 

「悪いとは思うよ。けど、仕方ないじゃないか。僕は悪魔と一緒に居たい。しかし、悪魔は基本的に魔力喰いでね、維持に手間がかかるんだよ。だったら自活する知恵を悪魔に与えればいい。けど、そのためにはどうしても人間が必要なんだ」

 

「それはあなたの理屈でしかないじゃない! なんで我慢しなかったのよ!」

 

「我慢? 僕に限らず魔術師に我慢なんて不可能だ。なにせ頭に思い描いたことを実践したくてしょうがない。そして魔術以外は基本的に二の次さ。社会通念さえも邪魔なら従わないだろうね」

 

 滔々と青年は語る。スレイはそれを聞いて再び身体を震わせるた。

 

「……ふむ、君もみんなの後を追わせてあげようと思ったけど気が変わった。屈服させて侍らせた方が面白そうだ。見た目もかなりいいしね」

 

 そう青年が言うと呪文を唱える。するとスレイは力なく横たわった。

 

「はあ、この町は本当にすごいな。美人も多いし、平均魔力量も多い。それになによりこの娘だ。人間としての格が違う。おかげですごい悪魔を作れそうだよ」

 

 スレイを担いで、青年は歩を進める。

 天の智慧研究会第二団≪地位≫、ゴービル=ブリランテ。白金術と悪魔召喚術を極めた悪辣敏腕魔術師であった。

 

 

 

 レインレイクにはカタコンペという施設がある。この地にかつて根付いていた北方秘蹟教が聖エリサレス教会からの弾圧を避けるために地下に掘った施設で、北方秘蹟教が断絶寸前にまで陥った現代においてもレインレイクで最も厳かなところだと町民から敬意を払われている。

 そこに今、宮廷魔道士団特務分室執行官のグレンとアルベルトは任務で訪れていた。

 

「ひどい有様だな……」

 

 カタコンペの中は酸鼻を極めた。

 悪魔の糧にされたのだろう、ところどころ食いちぎられた屍や無残に犯された少女たちが力なく横たわっている。

 

「……ッ!」

 

 思わずこみ上げた吐き気をどうにかグレンは収める。

 

「……町の仕掛けが分かった。人口全てが悪魔に変化させられたわけではない、一定の魔力量以下の連中はこのように糧になっていたようだ」

 

「なんてことを……! これが人間のやることか⁉︎」

 

「恐らく、奴は人間を資源として見ているのだろう。ゴービルはことさらに堪え性がない。傾倒した魔術を実現するためには隠密性すら時にはかなぐりすてる」

 

 アルベルトはそう言って淡々と歩を進める。一方、グレンは少女たちを助け起こそうとするが、アルベルトに止められる。

 

「どうしてだ、アルベルト! こいつらはまだ生きているんだぞ!」

 

「肉体的にはな。だが、人格は完全に破壊されている。実質は死んでいるようなものだ。一様に人格破壊が成されていることから奴の悪魔召喚術は恐らく空いた人格に悪魔を宿らせ存在そのものを変質させるものだろう」

 

 言うとアルベルトは聖句を唱え、【プラズマ・フィールド】を起動させる。するとたちまちのうちに周囲は一掃された。

 

「行くぞグレン。この敵は逃してはならない。生かしておけば、他の街にこの惨状が波及する」

 

「……すまない、アルベルト。また嫌な役をさせちまった……!」

 

「そう思うなら今回の任務に平素以上に励め。このような惨劇を繰り返させないことこそが彼らに報いる唯一の道だ」

 

 なんとも言えない後味の悪さを抱えながらグレンたちはカタコンペを進んで行く。

 そうして最深部、ひときわ開けたところにたどり着く。しかし、そこでグレンたちは衝撃的な光景を目にした。

 

「≪嫌あああああああああああッ≫!!」

 

 カタコンペに響き渡る少女の絶叫。

 しかし、それと同時に少女に相対していたゴービルが苦痛の表情を浮かべて昏倒する。

 少女は尻餅をついてそれを呆然とした様子で眺めたのち気絶した。

 

「おい、お前! 大丈夫か⁉︎……ってアルベルトまた止めるのか⁉︎」

 

「ああ。馬鹿なことはよせ。今の光景を忘れたか。あの少女は無意識ながら魔術を暴走させて奴の息の根を止めた。油断していたらお前までやられかねない」

 

 強い力でグレンの肩を掴むアルベルト。その表情はやけに真剣だった。

 

「忘れてなんかいないッ! だが、こいつは確実に助けを求めている! 見捨てられるかよ!」

 

「また『正義の味方ごっこ』か。救いようがないな貴様は。……だが、どちらにせよあの少女は脅威だ。拘束しておく必要性はある。念のため【愚者の世界】は起動しろ」

 

「無理を言ってすまないな。……それにしても今日は謝ってばかりだな俺」

 

「織り込み済みだ。この任務を受けた時から予想は出来ている」

 

「はっ、このツンデレさんめ」

 

「ふん、額を撃ち抜かれたくなければ、早く行け」

 

 アルベルトに追い立てられるようにしてグレンは少女の前に立つ。年の頃はグレンより一回り下で、あどけなくも整った顔立ちと青みがかった銀髪が特徴的だった。

 

(まさか、こんな娘がゴービルほどの外道魔術師を討ち取るなんてな)

 

 少女を横抱きに抱えてグレンたちはカタコンペを去る。

 未だに自分の腕の中に眠るこの少女が、ゴービルを倒したことをグレンは信じられずにいる。

 

「ん、あれ? ここはどこ?」

 

 そうこうしているうちに少女が目を覚まして、あたりを見回していた。

 

「ん。目を覚ましたか。ここはレインレイクのカタコンペの外だ。町にはもう悪魔はいない」

 

「お兄ちゃんたちは誰?」

 

「俺の名前はグレン=レーダス。こいつの名前はアルベルト=フレイザー。レインレイクの異常を聞いて駆けつけた軍人だ。お前の敵じゃない。それで、お前の名前は?」

 

「スレイ。スレイ=シーモア。この町に住んでたけど……。これからわたしはどうなるの?」

 

 問われてグレンは押し黙る。まさか、危険因子だから軍に連れて帰るとは言えなかった。

 それを見かねたのかアルベルトが言い放つ。

 

「スレイと言ったな。お前はこの町における最後の生き残りだ。ゴービルもすでに死んだ。事情を聞くために軍に来てもらう」

 

「そう、なんだ。やっぱりわたしだけ、か……」

 

 廃墟になった町を眺めながら、スレイは一人寂しく呟いた。

 

 

 

 これが三年前レインレイクに起きた災厄。

 悪魔変換事件。

 スレイ一人を残して住民は全て悪魔とその糧と化して姿を消した悪夢的な事件だった。

 



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第1話 節制

 

 学院生徒達で賑わう魔術競技場。その観客席の通路の一角にて。

 黒を基調としたスーツと外套に身を包む、奇妙な男女の三人組がいる。

 一人は二十歳ほどの青年だった。藍色がかった長い黒髪と鷹のように鋭い双眸が覗いている。細身ながら鍛えられた身体で、ナイフのような鋭い雰囲気を放っている。

 もう一人は、まだ十代半ばの少女だ。無造作に伸びた青髪をつむじでまとめられ、顔立ち体躯は細やかに小さく整っているが、表情は死滅していた。

 最後の一人もまた十代半ばの少女だった。肩口で切り揃えられたアイスブルーの髪とまばゆい金眼。顔立ちはあどけなくも整っており、華奢でありながらもその肢体は女性らしさを確かに主張していた。

 

「んー、やっぱりあれ先輩ですかね?」

 

「グレン、だな」

 

「間違いなくグレン……」

 

 三者の視線の先は一様に一人の男へ向けられている。安物のカッターシャツを着た青年……グレン。グレンは金髪の少女と銀髪の少女に挟まれている。

 

「ふふ、良い顔をしてますね。やっぱりうちは先輩には合わなかったんでしょうか?」

 

「同感だな。あいつは俺たちのような薄暗いところではなく、光が当たる場所の方が映える」

 

 冷ややかな表情を青年は言う。しかし、それに僅かに寂寥感が伴っていることをアイスブルーの少女は理解していた。

 

(まったく、アルベルト先輩は素直じゃないんだから……)

 

 ただ、二人には感傷に浸る猶予はない。

 なぜならば、目を離すと青髪の少女がグレンの元へ向かってしまうからだ。

 

「リィエル、どこに行くの? 今回の任務に先輩は関係ないよ?」

 

「決まってる。……グレンと決着をつけに行く」

 

 銀髪の少女の問いに青髪の少女……リィエルは淡々と答える。

 

「だーめ。そんなことしたら目立っちゃうでしょ? 任務が台無しになっちゃうよ?」

 

「任務? ……あ、グレンと決着をつけること?」

 

 依然として変わらぬリィエルにアイスブルーの少女は嘆息する。そしてやむなく呪文を唱えて歩き出そうとするリィエルの動きを封じた。

 

「スレイもアルベルトもグレンに会いたくないの?」

 

 動きを封じられながらもリィエルは淡々と問う。

 

「それは会いたいよ。こうも見せつけられるとくるものがあるけど」

 

「……知れたことを。俺とてあの男には色々言いたいことがある」

 

 スレイは半ば寂しげに、アルベルトは微かに怒気を滲ませながら言った。

 

「そう。なら、スレイはグレンを捕まえて。わたしはグレンをボコるから、その後でアルベルトは言いたいことを言えばいい」

 

「あはは、そう出来れば苦労はないんだけどね……」

 

 あまりのリィエルの脳筋具合にスレイは苦笑いを浮かべる。

 

(でも、ほんとうにこんな感じになれば気楽でいいんだけどね。実際はやっぱりみんな思うところがあるから……)

 

 

 スレイたちはグレンのことが気にかかりつつも、任務を続けた。

 今回の任務は異能者保護法が議論され始めてから怪しい動きを見せるようになった王室親衛隊の監視。

 王室親衛隊は女王に最も忠実だが、それ以上に王室の権威を重んじる。

 だから、異能者は悪魔の生まれ変わりだという迷信が蔓延している現状では保護法は寛容さの発露どころか汚れの象徴になると彼らは判断していた。

 そうして迎えた今回のアルザーノ帝国魔術学院魔術競技祭。王都から離れたこのフェジテは彼らがアクションを起こすにはお誂えむきだ。

 

(うーん、ほんとはこんなごちゃついた派閥闘争なんて関わりたくないんだけどなー。まあ、仕方ないかー)

 

 王都に帰ったら憂さ晴らしにスイーツバイキングに行こう、と内心スレイが倦み始めた頃だった。

 起動していたスレイの遠目の魔術にグレンとルミアの姿が見えた。学園の外れの木立に二人並んでいる。

 

(あーあー、また女の子といちゃついてるよ先輩。昔から不思議と女の子が集まってくるんだよね)

 

 特務分室時代は別にいい。けれど今のグレンは聖職たる教員だ。それなのに目の前の光景が広がるなんて、とスレイは苦笑した。

 しかし、スレイが茶化して眺めていられたのは長くはなかった。

 

(ッ! 王室親衛隊⁉︎ どうして⁉︎ 狙いは陛下じゃなかったの⁉︎)

 

 グレンとルミアを取り囲んで白刃を向ける王室親衛隊。スレイは直ちにアルベルトとリイエルに合図をとばした。

 その間にグレンは王室親衛隊を気絶させてルミアと共に逃げ出す。慌ててスレイはそれを追いはじめるのだった。

 

 親衛隊に追い立てられられるままに、グレンは学院のある北地区から一般住宅街が立ち並ぶ西地区に至っていた。

 元執行官だけあって逃走にはグレンに利がある。しかし、すでにフェジテの市門は閉められ、各所に親衛隊の手が伸びていた。

 

「はぁ、はぁ……ったく面倒なことになっちまったぜ……」

 

 どうにか一息つけそうなところを見つけ、グレンはルミアを下ろす。

 

「まずはセリカと連絡を取るか。セリカを通して陛下に親衛隊の暴走を止めてもらうよう進言すればいい」

 

 しかし、連絡してもセリカは碌に喋らず、ただ一言『状況はわかっているが、私には何もできない』としか言わなかった。

 だが、それだけでグレンは今のこの状況はただ事でないことがわかった。

 

『最後に言っておく。お前だけがこの状況を打破できる。だからどうにか陛下の前に来い。……これ以上は危険から切るぞ』

 

 セリカとの通信はこれを最後に途切れた。いや、セリカが断ち切ったのだろう。ともあれ、最後の頼りはなくなった。

 

「来いっっったって俺一人でどうやって陛下の所まで行けばいいんだよ……くそ!」

 

 ひとまずは陛下の前に行けばいいことはわかった。しかし、そこに至るまでには親衛隊の数が大きな壁になる。逃げ続けるなら問題はないが、踏み入るのは難しい。

 どう、計算したって手が足りないとグレンが弾き出した時。

 ぞくり、と。かつて慣れ親しんだ感覚を覚えた。

 脊髄反射で発生源に目を向ける。

 すると、通りの向こうの屋根の上に、三人の男女が立っていた。その三人組はまごうことなく、グレンを真っ直ぐに見下ろしている。

 その三人組にグレンは見覚えがあった。

 

「リィエル⁉︎ スレイ⁉︎ それにアルベルトまで⁉︎。まさか王室親衛隊だけじゃなくて宮廷魔術師団も動いていたのか⁉︎」

 

 グレンが三人を認識した瞬間。

 リィエルが即座に大剣を錬成し、大上段に構えながら飛び降りてくる。

 着地の瞬間、路地の石畳が一瞬で吹き飛んだ。

 

「やっと見つけた! グレン! ちぇすとおおおおォッ‼︎」

 

 グレンを視界に抑えたリィエルが野獣のように飛びかかり、リィエルの身の丈ほどの大剣が狭い路地裏の中で盛大に振るわれ、何かにぶつかるたびに火花と剣圧がグレンを襲う。

 

「≪氷柱よ≫」

 

 そして、リィエルの背後からスレイが飛ばしてくるいくつもの氷塊がグレンの動きをさらに制約する。

 黒魔【フローズン・ピラー】

 相手を柱の中に閉じ込めるだけではなく、着弾先に氷柱を設置する移動阻害魔術としての側面を持つ。軍用魔術ですらない学生でも扱える術だが、スレイが使えば改変によっては一瞬で相手を絡め取る魔手と化す。

 

(ちっ、さらに精度が上がってやがる。やっぱこいつの成長ぶりは化け物だなッ!)

 

 だが、それだけではなかった。

 リィエルの後ろ、スレイの隣。遠い建物の屋根の上からこちらの様子を伺うアルベルトの姿にグレンの焦燥は否応なしに昂ぶっていた。

 アルベルトは魔術狙撃の名手で、いかなる混戦であっても誤射なく敵を貫く。さらにあらゆる高等技量を手足のように扱える。

 

(くそ、こいつらには俺の固有魔術【愚者の世界】がまったく役に立たねえしッ!)

 

 帝国宮廷魔術師団特務分室、執行者ナンバー17『星』のアルベルト。

 同、執行者ナンバー7『戦車』のリイエル。

 同、執行者ナンバー14『節制』のスレイ。

 愚者の世界の効果範囲外からの狙撃を可能とする天才魔導狙撃手アルベルト。

 愚者の世界の意味がない肉弾戦を得意とする天才魔導剣士リィエル。

 愚者の世界の起動より早い妨害速度を誇り、先んじられれば、後方に回って味方を支援する天才支援魔導士スレイ。

 グレンが執行者ナンバー0として『愚者』の名を冠していた宮廷魔導士時代、組めば最も頼りになった三人で、同時に相手取れば相性最悪の三人だった。

 視界の端で、アルベルトが指をこちらに向けて構えているのが見えた。

 無理だった。スレイに妨害されつつ、リィエルを相手取り、二反響唱で唱えられるアルベルトの魔術狙撃を回避するなど不可能だ。もはや、それは人間業じゃない。

 

「すまない……ッ! ルミア……」

 

 超一流の魔術師三人による猛襲の前に死を覚悟するグレン。

 しかし、放たれた雷閃はグレンには当たらなかった。

 

「へう⁈」

 

 なぜならば、リィエルの後頭部に突き刺さったのだから。

 

「……先輩、すいません。先輩がいなくなった後、リィエルの制御に苦慮してまして。程よく暴れさせないと最近はダメなんです」

 

 途端に倒れ伏すリィエル。その横でスレイは申し訳なさそうに頭を下げていた。

 



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第2話 魔術競技祭の乱

『さぁ、魔術競技祭もいよいよたけなわ午前の部では大健闘を果たした二年次生二組、後半になって遂に失速かーッ⁉︎』

 

 競技場には相変わらず威勢の良い実況の声が響き渡る。

 

『そして、この「変身」勝負。……これを落としたら、まさかの二組優勝はもう絶望的でしょう! さぁ、どう出る二組──ッ!」

 

 そして、それを宮廷魔導士団の制服を着て、となりの二年次生二組の生徒と緊迫した面持ちで聞いている少女がいた。

 

「スレイさん。……次が二組の正念場ですわね。リンは大丈夫なのかしら」

 

「うーん、リンちゃんはさっき一目見せてもらった限りレベルは高かったけどメンタルが弱そうだからちょっと順番によるかもしれないね」

 

「そうですか。ですが、わたしはリンが勝つと信じてます」

 

「そうだな、テレサ。グレン先生を信じようぜ!」

 

 スレイの隣でリンを心配するテレサとカッシュ。

 その姿をスレイは少し疼痛を覚えながらも微笑ましげに眺めていた。

 

(うーん、青春って感じでいいよね〜。でも、これ作戦なんだよね……)

 

 今、二年二組のスタンドにいるのはスレイだけではない。アルベルトとリィエルの姿もある。そして、いずれも軍服のままだ。

 

(いや、これぐらいしか作戦ないのはわかるけど、こっちサイド結構微妙な気分だよ⁈)

 

 グレンが考えた作戦に対するツッコミをどうにか心中に留めるスレイ。

 なぜ、このような状況になったのか説明するには時を少し前に遡らなければならない。

 

 ……

 

『ルミアは感応増幅者だが、異能ってのはバレたらヤバイ。だから、状況打破のためといえ能力の使用は禁止だ』

『ルミアの素性を隠し通さなければならないという前提がある以上、今この場にいる奴以外の協力者はなしだ。それでも陛下に会うためには俺のクラスが優勝する必要がある。栄典授与があるからな。流石に連中も邪魔はしないだろう。とはいえ、俺はすっかりお尋ね者だ。つまり、わかるだろ?」

 

 ……

 

(……だからといって監督業をアルベルト先輩に預けるのはね……。違和感しかないよ、ほんと)

 

 とはいえ、ほかに策がないためスレイは文句を言えない。

 

「お、リンすげえ!」

 

「満点、満点だ! これで俺たちはまだまだやれるぜ!」

 

 それにスレイは違和感を感じる、この一点以外に文句はない。むしろこの状況を楽しんですらいた。

 

(特務分室に入ったことに不満も後悔もないよ。ただ、こんな未来もあったんだってことをここのみんなを見て気づかされた。選べなかった未来を少しだけだけど体験できている。……先輩には少しだけ感謝、かな?)

 

 たらればの話に過ぎないが、あの事件の現場がレインレイクでなければ、スレイはこの場に生徒という立場で入っていた可能性は高い。あの事件さえなければ、スレイは魔術師志望の12歳の少女でしかなかったのだから。

 そんなスレイをアルベルトはほんの僅かではあるが、哀しげに見ていた。

 

 

『き、決まった──ッ⁉︎ 場外だぁああああああああああ──ッ! なんと、なんと、なんとおおお! 二組だ! 二組だッ! 優勝はまさかの二組だぁああああああああああ!」

 

 長い長い魔術競技祭の最終競技、決闘戦。

 その決勝戦はシスティーナの【ゲイル・ブロウ】で決した。

 ブービーだと思われていた二組のまさかの優勝。

 会場は大いに沸いていた。

 

「みんな、かっこよかったよ! おめでとう!」

 

 いつのまにか入れ込んでいたスレイの目には涙が浮かんでいる。

 

「おい、スレイ。これからが本番だというのに感極まってる場合か」

 

 そんなスレイを冷ややかな目で見つめるアルベルト。

 

「それはそうですけど……。なんかクるものを感じませんか?」

 

「それはな。彼らは実によくやってくれた」

 

「ですよね。そう思ったらちゃんと口に出して上げたらいいのに……。二組の子、アルベルト先輩をかなり怖がってましたよ?」

 

「鬱陶しい。じきに閉会式が始まる。行くぞ」

 

 急かすアルベルトに生返事をしながらスレイはスタンドを立ち去った。

 

 

 魔術競技祭閉会式は粛々と進んだ。

 実に面白みもなく儀礼が進んでいく。

 ただ、今年に限っては例外があった。

 いよいよ当世のアルザーノ帝国女王、アリシア七世が表彰台に姿をあらわす。

 その背後に控えるのは、王室親衛隊総隊長ゼーロス・ドラグハートと大陸最高の魔術師セリカ・アルフォネア。護衛にしたって過剰な勢力である。

 

『それでは、今大会で顕著な成績を収めたクラスに、これから女王陛下が下賜されます。二組の代表者は前へお願いします。生徒一同、盛大な拍手を』

 

 拍手が上がる中、堂々と前へ進むアルベルトとリィエルとスレイ。

 

「……あら? 貴方たちは……?」

 

 表彰台に立ったアリシアは目の前に現れた人物に強い違和感を覚えていた。

 現れたのはグレンではない。特務分室の三人だった。

 

「……陛下。そやつが二組の担当講師グレン・レーダスとやらなのですか?」

 

 訝しむゼーロス。親衛隊と同じく王室との関わりが深い特務分室だが、横のつながりはなく、両方を把握できるのは女王とその周辺の近侍、イグナイト家当主のような軍の重鎮ぐらいであった。

 

「いい加減、馬鹿騒ぎは終わりにしようぜ」

 

 突如アルベルトがらしくもない口調で言う。ゼーロスはそれに面食らう。その直後、男女の周りが歪み始める。

 歪みが続くことわずか。再び像が結ばれて現れたのはグレンとルミアだった。

 

「馬鹿な⁉︎ ルミア殿、貴女は今、魔術講師と共に町中にいるはず」

 

 会場全体も困惑している。それを愉快そうに見ながらグレンはタネを明かした。

 

「【セルフ・イリュージョン】で入れ替わっただけだ。こんな単純なのも気づかないなんてもうちょっと訓練がいるんじゃねーか?」

 

「まあ、いい。賊は賊。捕らえよ!」

 

 しかし、ゼーロスの指示は通らなかった。

 なぜならば、

 

「≪静寂の鐘よ・響け≫」

 

 スレイの白魔【サイレント・フィールド】によって音をかき消されてしまったからである。

 そして、それと同時にセリカが事前に構築した結界が形成され、親衛隊は締め出されてアリシア、ゼーロス、セリカ、グレン、ルミア、スレイだけの世界が成立した。

 

「さて、おっさん。なんでこんなことをした、あんたがやったのは偽勅。場合によっちゃ死罪だ」

 

「……」

 

「陛下、安心してくれ。親衛隊も結界の外。このおっさんもセリカや俺、スレイの三人には勝てないだろ」

 

 グレンがアリシアに語りかけるも返事はない。それどころかグレンの方ではなくゼーロスの方に顔を向け言い放った。

 

「ゼーロス」

 

「はっ」

 

「あの娘を、ルミア・ティンジェルを、討ち取りなさい」

 

「え?」

 

「……ッ!」

 

 グレンが固まる。スレイは唖然とする。ルミアは蒼白になった。

 

「その娘は、私にとって存在してはならないものです。生まれなければよかった。愛したことなど一度もなかった」

 

 それは、あまりに残酷な言葉だった。衝撃のあまり、ルミアが崩折れてしまう。

 

「ふはははっ! わかってくれましたか陛下。大義は我らにあり、賊ども覚悟するがいい!」

 

 一方、ゼーロスは哄笑しながら嬉々として二刀レイピアを抜く。ただ、相対するグレンは表情に焦りを浮かべた。

 立ちはだかる四十年前の奉神戦争で多大なる武勲を挙げた生ける英雄。

 不意のアリシアの発言。

 あまりに状況が悪いし、訳がわからない。たまらずグレンは脂汗をかいた。

 

「先輩。ゼーロスは私に任せてください」

 

 しかし、そんな中。スレイは一歩進み出ていた。

 

「……確かにお前なら一矢報いれそうだが、近接戦だと厳しいぞ」

 

 スレイの提案にグレンはあまり乗り気ではない。スレイが妨害支援特化ではなく、近接遠距離も両方そつなくこなせるオールラウンダーだと知っている。しかし、ゼーロスのような一分野のプロには及ばなかった。

 

「わかってますよ。ただ、私むかついてるんで。正直負ける気がしません。先輩は陛下を頼みます」

 

「陛下を頼むたって、何をすればいいのか……」

 

「私の後に固有魔術をお願いします。……実は表彰台に上がってから違和感を感じてたんですよね。……なんか今日の陛下はあまりに多弁に過ぎるって」

 

「ッ! ……わかった! ゼーロスは頼んだぞ!」

 

「相談は終わったようだな。お望み通り小娘の方から殺してやろう!」

 

 そう言うと、ゼーロスはスレイに飛びかかる。

 神速の一撃。華奢なその肢体をレイピアが貫く。

 

 ……かのように思われた。

 

「な、なに……⁈ 身体が動かんッ!」

 

 突如、ゼーロスの身体が硬直する。握られたレイピアはスレイの脇腹寸前で止められていた。

 

「一点特化もいいですけど、たまには脇道にそれないと。横のつながりって案外重要ですよ?」

 

 そう、スレイが微笑むと同時に氷柱がゼーロスの身体を飲み込んだ。

 

「さあ、先輩。後は頼みましたよ?」

 

 生ける伝説を一蹴したスレイの笑みにグレンは寒気を覚える。

 いとも容易く倒していたが、ゼーロスは一流の魔剣士である。身体強化系に優れ、なおかつ超高性能の魔術耐性を誇る防具を装備しており、魔術師らしい魔術師ほど倒しにくい相手だった。

 スレイはそれを超高速の停止魔術で封じ、条件起動式に改変したB級軍用魔術【アイスバーグ・コフィン】で耐性を貫通して無力化せしめたのだ。いずれも熟達した魔術師にしか出来ないことで、宮廷魔術師団でもアルベルトぐらいしか再現することは叶わないだろう。

 

「はいはい、全く。おっかない後輩だよ、マジで」

 

「そこは頼りになる後輩って言ってくださいよ。というかこんなか弱い女の子にここまで仕込んだのはどこの誰でしたかね?」

 

 問いかけるスレイを無視してグレンが【愚者の世界】を起動する。

 すると、アリシアはネックレスを外して投げ捨てた。

 音こそセリカの結界で聞こえないが、顔面蒼白になる親衛隊たち。

 しかし、すぐに彼らは首をかしげることとなる。

 

 

 

 静寂の中、グレンがアリシアが投げ捨てたネックレスを見てぼやいた。

 

「やっぱりこのネックレスが呪殺具だったか。解呪条件はルミアの殺害だろ?」

 

「そうだ、よく分かったなグレン」

 

「冷静に考えたら分かった。セリカ、お前ほどの魔術師を封じるには陛下を人質にするしかない。そして、陛下がやけに言葉を弄したのは、本意でないことを気づいて欲しかったから……。スレイがいなければ、危ねえところだった」

 

 グレンが改めて此度の敵の手際に戦慄しているなか、スレイは抱き合うアリシアとルミアを優しげな目で見つめている。

 

「そういえば、スレイ。どうして分かったんだ? セリカからの情報があまりに足りないのに、お前はなぜかそれほど迷っていなかった」

 

「実は見てたんですよ。陛下とルミアちゃんが競技祭中に顔を合わせた時の会話を。その時、ルミアちゃんに拒絶された時の陛下の表情を拝見しました。あの表情は絶対に演技じゃ出せません。だから、私は陛下を信じました」

 

「そうか」

 

 そうとだけ言ってグレンはこれ以上聞くのをやめた。

 なぜ、信じられたのかは聞く必要はない。

 グレンもスレイも知っているからだ。

 親の愛情というものを。

 二人とも血縁上では天涯孤独の身ではあるが、幸いにも愛情だけは満足に与えられてきた。

 

「お二方には悪いですけど、正直なところ私はお二方が羨ましいです。特務分室の皆さんはよくしてくれましたが、やはり親だといえる人はもういないので……。この仕事をする上では割り切らないといけないことなんですが、どうにもまだ……」

 

 スレイの独白にグレンはぎゅっとネクタイを握りしめる。

 守るとスレイを保護した時に決めたはずなのに自分は教職に退き、彼女は最前線で戦っている。未だあどけなさの残る可愛らしい少女だというのに。

 

「すまねえ、スレイ。俺は……約束を……!」

 

「いいんです、先輩。案外、私は今を楽しんでいますよ? 先輩はもういないけど、その代わりに先輩の教えが私に宿っています。それに、先輩が泣きそうになりながら人を殺す場面を見ることもありません。それどころか、これからは先輩を私が守ることが出来るんです。いつまでも守られるばかりはちょっと嫌ですから……」

 

 凛とした声がグレンの耳朶を打つ。するとなぜか、グレンの目頭が熱くなってきた。

 

(あの泣き虫だったスレイが良くもまあここまで)

 

「先輩、これからは教師として頑張って下さいよ? あんまりだらしない姿は見せないように。色々思い悩まれると思いますが、私をここまで育てたのなら大丈夫なはずです」

 

「うるせえ、いつの間にセリカみたいになりやがって……」

 

 急に母性を感じて、グレンの表情が苦笑いに変わる。

 

「あーあと、多分ルミアちゃん関連でこっちが動くかもしれません。というか、編入生として特務分室のルミアちゃんと同世代の子が入ります。誰が行くかは決まってないですけど、私が行く可能性もあるので覚えといて下さい」

 

「何だよ、お前学院に来るのかよ。なんだこの湿っぽい雰囲気は!」

 

「たはは、なんか感極まっちゃいまして……。すいません、とりあえず私たちと関わる機会はこれから増えると思うので、ルミアちゃんによろしくお伝えください」

 

 今度はスレイが苦笑いを浮かべ、転移魔術でその場を辞する。

 残されたグレンにはアリシアとの話を終えたルミアが駆け寄り、共に何も残っていない転移跡を見送った。



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第3話 スレイのフェジテ生活初日

ひとまずは続けてみることにしました。
今回は日常回です。なぜか文字数が五千オーバーしてますが。


 その伝達はスレイにとっては晴天の霹靂だった。

 かねてより調整されてきたアルザーノ帝国魔術学院における廃棄王女エルミアナ・イェルケル・アルザーノの護衛任務の人事が決まったのだ。

 

「うそ、でしょ……」

 

 あまりの衝撃にスレイは書状を取り落としてしまう。

 

「嘘のように思えるが、この辞令は絶対だ」

 

 傍に立つアルベルトは唖然とするスレイを冷ややかに見つめている。

 

「ん、わかった。グレンは私が守る」

 

 リィエルは仏頂面で特務分室室長のイヴ=イグナイトから辞令を受けた。……発言からして本当に辞令の内容を理解しているようには到底見えないが。

 

「スレイが唖然とするのもわかるわ。けれど、間抜けな手を打たなけれぼならないほど、天の智慧研究会の情報は少ない。……とはいえ、リィエル一人を放っておくほど私も間抜けではないわ。アルベルト、スレイ。貴方達はリィエルの補佐につきなさい」

 

「承知した」

 

「わ、わかりました」

 

 アルベルトが律儀に、スレイは困惑しながら生返事をしたことを確認するとイヴは3人の前から辞する。

 イヴが去ったのち、スレイは小さく溜め息を吐いた。

 

「……アルベルト先輩。リィエルに護衛なんて務まるのでしょうか……?」

 

「さあな。……ただ、学院にはグレンがいる。リィエルはグレンの言うことならば、比較的素直に聞く。問題はないだろう」

 

「まあ、先輩の胃が心配ですけど。背に腹は変えられません、先輩の奮闘を祈るとしましょう」

 

 たははと軽く笑うもスレイの表情は晴れない。

 

「やはり、心配か?」

 

 今度はアルベルトが問いかけてくる。アルベルトにはスレイが本当に心配しているのか言わずともわかっている。

 

「はい、リィエルはなんというか妹みたいなものですから。任務は多分果たせるとは思うんです。……けれど、生徒たちから遠ざけられていたら嫌だなって……」

 

「その点もグレンが何とかするだろう。奴は救いようがないお人好しだ。その様な事態を見過ごすことはあるまい」

 

 断言するアルベルト。その言葉には何度も死線を共にした者たち特有の説得力があった。

 

「ですね。でなければ、私はここにいませんから」

 

 今度こそスレイの表情が華やぐ。

 それと同時にスレイは脳裏に過日に再会した魔術講師の顔を思い浮かべていた。

 

(まさか、先輩が魔術講師になるとは思わなかったなあ。もう魔術なんて関わらないと思ってたのに)

 

 割とぐーたらだったり有り体に言って屑だったりするグレンが聖職たる魔術講師なんて務まるわけがない、と再会した当初のスレイは否定していた。

 しかし、任務の過程でグレンの担当クラスである二年次生二組の生徒と関わりを持つと考えが変わった。むしろ魔術講師こそがグレンの天職なのではないか、と。

 

(先輩の生徒たちはみんな先輩を慕っていた。先輩は優しいから、誰よりも真正面に生徒と向き合えるからだ。……もしかしたら今の先輩ならリィエルに欠けた何かを埋められるのかもしれない)

 

 リィエルについてスレイが知ることは多くない。

 ある日、グレンとアルベルトが天の智慧研究会の施設から保護したこと、そして白兵戦において類まれな実力を持っていたこと。そして、天涯孤独であること。大まかなことはこの3つしか知らない。

 特務分室に入った時期が近いこともあって一緒にランチを食べたり、鍛錬を重ねてきたが、あまりにも知らないことが多すぎた。

 ただ、それでもスレイはリィエルに何か大きな欠落を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 フェジテの学院通りを二人の少女がアルザーノ帝国魔術学院へと歩いていく。

 少女の片方を端的に言えば、幼い。

 艶のある青髪は伸ばすに任され、身体つきはやや幼い。卑猥だと学院内外問わず人気、いや顰蹙を買っている魔術学院の制服を着用しているが、これがなければ少女が到底学院生とは思わないだろう。

 もう一人の少女は形容するならば、午睡日和の柔らかな雲が妥当だろう。アイスブルーの髪に白を基調としたワンピース。呑気にチーズバーガーを食べ歩いている姿は少女が持つほんわかとした雰囲気を際だたせていた。

 

「スレイ、それ美味しそう。ちょうだい」

 

「ダメ、というかさっき家を出る前に苺タルト食べてたじゃない」

 

 青髪の少女がハンバーガーを奪わんと跳躍する。それをアイスブルーの少女はひらりとした身のこなしで躱す。

 側から見れば、仲の良い姉妹に見えるだろう。

 しかし、

 

「……お前ら、何やってんだ……」

 

 グレンは二人を見て特大のため息を漏らす。というのも、仲良くハンバーガーを取り合ってる姿はスレイがカモフラージュのために発動させた幻術だとわかっているからだ。

 グレンの目から見た二人は白魔『フィジカル・ブースト』を全開にしてバク転やロンダートは当たり前、果ては街灯を利用した立体機動を用いてハンバーガーを取り合っている。

 

「あ、先輩。おはようございます」

 

 スレイはグレンの姿を認めると小規模の転移魔術でリィエルを撒き、グレンの目の前に移動する。リィエルはスレイを追うのをやめてグレンのもとに向かうが、右腕に超速錬金した大剣を手にしていた。

 

「いやあああああああああああああッ!」

 

 猿叫をあげながら、リィエルはグレンに斬りかかる。

 

「ちょっと待てリィエル、殺す気か! どわあああッ⁉︎」

 

 あわや大惨事かと思いきや、グレンはなんとか白刃どりでリィエルの大剣を防いで命を繋いだ。

 

「な、な、何しやがんだテメェええええええ──ッ!?」

 

 涙目になりながらリィエルに吠えるグレン。

 

「……会いたかった。グレン」

 

「やかましい! 質問に答えやがれリィエル! こりゃ一体、何のつもりだ!?」

 

 吠えながら、グレンは大剣から手を離し、その場から素早く飛び下がる。

 

「挨拶」

 

「は、これが挨拶ゥ? てめぇ、挨拶という言葉を辞書で百万回くらい調べてきやがれ!?」

 

 するとリィエルはほんの少しだけ不思議そうに表情を揺らす。

 

「……違うの?」

 

「違うに決まってる!」

 

「でも、アルベルトがそうって言った。久々に会う戦友に対する挨拶はこうだって」

 

「んなわけあるかっ⁉︎ てか、アイツの仕業かッ⁉︎ くっそぉアルベルトのやつ、そんなに俺が嫌いか⁉︎ 覚えてやがれ! ちっくしょーッ! あとスレイ! なんでこのアホを止めなかった!?」

 

「いやー、再会の余韻を味あわせてあげた方がいいかなって思いまして」

 

「余韻どころか、血痕が残るわ!」

 

 絶叫するグレン。あまりのリィエルのフリーダムぶりにまだ始業前だというのに息も絶え絶えで疲れきっていた。

 

「あの……先生? その子は……?」

 

 ルミアが曖昧な笑みを浮かべながら、グレンに問いかける。

 

「あれ? そう言えば、その子、この間の魔術競技祭の時の……」

 

 システィーナはふと、今グレンに捕まっている少女に見覚えがあることに気づいた。

 

「あぁ、覚えていてくれたか。ところで、お前ら。俺が昔、帝国軍の宮廷魔導士団に所属していた時期があったってのは話したっけな?」

 

「いえ、私は……でも、なんとなくそうなんだろうな……とは思ってましたけど……」

 

 システィーナはどう反応したらよいか分からず、ぼそぼそと応じる。

 

「そうか。まぁ、いい。それで、リィエルとスレイ……この二人はその俺の魔導士時代の同僚だ。ルミアは直接会ったし、白猫も顔ぐらいは知ってるはずだ。……さて、この後の説明はスレイ、お前に任せる。ぶっちゃけ俺はもうリィエルだけで疲れた」

 

げんなりとした表情でスレイに水を向ける。それを受けてスレイは軍の内部事情に触れないよう気をつけてシスティーナとルミアに説明した。

 

「というわけで、私ではなくリィエルが編入生です。まあ、私とアルベルト先輩が補佐役なのでちょいちょいは顔を合わせることになりますね」

 

 説明を終え、スレイはチーズバーガーを口にする。

 

「お前とアルベルトが補佐役なら問題はねえが、もうちょい編入生の人選どうにかならなかったの? クリストフとかもっとマシなやついただろ」

 

「特務分室の人材不足舐めないでくださいよ、先輩。私ですらバリバリこき使わないといけないぐらい忙しいんですから。アルベルト先輩は今確か四十連勤ぐらいしてますよ?」

 

 四十連勤と聞いてグレンの顔が引き攣る。自分が以前いた職場とはいえ、ブラックすら生温い煉獄のごとき労働環境だった。

 

「なあ、それアルベルト大丈夫か? 過労でやられるんじゃね?」

 

「多分、ルミアさんの護衛任務が休暇がわりになってるんでしょうねー。アルベルト先輩から接触しないとわからないと思いますけど、余裕があったら労ってあげてください」

 

「その余裕があるのかわからねーんだけどな……」

 

 ふとリィエルの方を見れば、護衛対象であるはずのルミアの前で「グレンを守る」と息巻いている。そもそもの任務さえリィエルは理解をしていない節があった。

 

「苦労するとは思いますが、頑張ってくださいね、先輩。いえ、グレン先生」

 

 そうとだけ言い残すと、再びスレイは転移魔術を唱えて四人の前を後にする。

 スレイがグレンたちの前に姿を見せたのはリィエルの見送り、それだけのためだ。ただ、この些事でさえ捻出するのにスレイは苦労していた。

 

(もう、フェジテの周りは天の智慧研究会の手の者ばっかり。少しは休ませてくれればいいのに……)

 

 内心で愚痴をこぼしながら、転移先をマークしていた外道魔術師の眼前に固定する。

 

「……面倒だから、見敵必殺できるようにしとこう」

 

 予唱呪文(ストックスペル)として黒魔【ライトニング・ピアス】、黒魔【レーザー・ナイフ】、黒魔【ハデス・ボーダー】を詠唱しておく。

 この三つの呪文はいずれも軍用魔術で殺傷性が高く、特に【ハデス・ボーダー】は命中させることが困難だが、当たれば仮死状態は免れない。

 用意が済んだら、転移門から飛び出す。その座標は外道魔術師の眼前2メトラくらいだ。

 突然現れたスレイに外道魔術師は迎撃しようと身構えたが、それより先にスレイの予唱呪文が炸裂した。

 

「≪問答無用≫ッ! 」

 

 この一節だけで、【ライトニング・ピアス】と【レーザー・ナイフ】が時間差起動(ディレイ・ブート)する。

 雷光が外道魔術師を襲い、光の刃がその身を切りさかんと迫る。

 狙撃と面制圧。逃げ場がないと思われたが、外道魔術師はその二つの魔術攻撃を路地裏の立体起動で交わした。

 

「さて、俺も反撃に出るか……≪雷光の鞭よ・……≫⁈」

 

 しかし、外道魔術師の反撃は成らなかった。

 なぜなら時間差起動させた【ハデス・ボーダー】の結界に足を踏み入れてしまったからだ。いや、正確には踏まされたという方が正しい。

 

「なっ、急に視界が暗転してッ⁉︎ うわあああッ!」

 

 死神の名を冠するその魔術は容赦なく外道魔術師の意識を刈り取り、スレイの白魔【マジック・ロープ】によって敢え無く御用と相成った。

 

 

 夕方のフェジテをスレイは歩く。

 今日は転移してから三人の外道魔術師を刈った。とはいえ、めぼしい情報を得ることは出来ていない。

 今回刈った外道魔術師には第二団≪地位≫(アデプタス・オーダー)はおろか第一団≪門≫(ポータルス・オーダー)すらおらず、参入志願者(プロペイショナー)……天の智慧研究会に協力こそしているものの、組織図にすら入れない末端中の末端……ばかりだった。

 第一団すらろくな情報を持っていないのに、参入志願者など塵芥でしかない。事実上、今日のスレイは箒でフェジテのゴミを掃いただけだった。

 なんとも言えない徒労感を感じながら、ふとスレイは目の前の建物を見上げた。

 赤煉瓦をふんだんに使われた格調高い建造物。過日、スレイはこの敷地に足を踏み入れていた。そして、おそらくこれからも足を踏み入れることになるだろう。

 その建造物こそ、アルザーノ帝国魔術学院の校舎だった。

 

「いつのまに、ここまで歩いてたんだ……」

 

 足を止め、感慨深げに呟くスレイ。スレイにとってアルザーノ帝国魔術学院は護衛対象であるルミア・ティンジェルが通う学校というだけではない縁がある。

 もう3年前のことになるが、今でもスレイは覚えている。あの忌まわしき悪魔変換事件の一週間後がアルザーノ帝国魔術学院の体験入学の日だったことを。

 当時のスレイも参加を予定していたが、件の事件でそれどころではなくなり、魔術競技祭に潜入するまでは学院と関わることはなかった。

 

「……戻ろう」

 

 ひとりごちてスレイは踵を返し、フェジテの中心街にある借宿へと歩き出す。

 その姿を学院を囲う鉄柵の内側から眺めている男がいた。

 

「なーにやってるんだ? スレイのやつは」

 

 グレン=レーダス。

 悪魔変換事件後、主体となってスレイに魔術を仕込んだ人物であった。

 

 

 借宿に戻りスレイは特務分室の制服からネグリジェに着替えてベッドに横たわっていた。その傍らには白ワインのボトルが転がっている。中身はまだ半分ほど残っていたが、スレイは気にも止めない。

 

(何、やってるんだろう、私)

 

 酒精の強さに耐えかねて寝返りを打つたびにネグリジェがはだけ、ところどころ白い柔肌が剥き出しになる。

 無防備かつ退廃的なその姿をツェスト男爵辺りが見たならば、劣情を催して何らかの精神干渉魔術を唱えてくるだろう。もっとも無防備なのは見かけだけできっちり魔術防御は施してあるため、効果はあまり見込めないのだが。

 

(入ろうと思えば、入れる状態だったのに。むしろ、学院が任務の中心だから把握のために入らないといけないのに、入れなかった)

 

 しかし、スレイは着衣の乱れを気にも留めず夕方の自らの不可解な行動に首を傾げていた。

 

「まあ、考えても仕方ないか。そういえば……」

 

 これ以上、考えてもラチが明かないと無理やり結論づけ、スレイは家の郵便受けに投函されていた書状を広げた。なお、この書状にはマナロックがかかっており、意図しない相手には書状の存在すら感知できないようにできている。

 

「『サイネリア島・白金魔導研究所に資金の不正流用の疑惑があり、可及的速やかに調査し、何らかの違法行為が行われていた場合、これを弾劾せよ』……招集令状だね」

 

 読み終わったスレイは証拠隠滅のためにすぐさま書状を焼き捨てる。

 

「サイネリア島かー。遠いんだよね……」

 

 フェジテからサイネリア島までは、港町のシーホークまで馬車で一日半、船で数時間と丸二日かかる。

 

「でも、任務だからしょうがない。確かリゾート地だったから任務が終わったら少し寛ごうかな」

 

 緩慢な動作で身だしなみを整え、晩酌の跡を片付ける。

 それが終わってスレイは床につく。

 これが、スレイのフェジテ生活初日であった。

 



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第4話 サイネリア島に行くだけの話

読んで字の如し。


 

 フェジテ南西の港町、シーホークにて。

 スレイ=シーモアは軽い目眩を覚えていた。

 

「へ〜い、そこのお嬢さんがたぁ〜? ちょおっといいかなぁ〜?」

 

 スレイの傍らに立っている青年が、軽薄な声で道行く女性に話しかけている。

 藍色がかった長い黒髪を後ろでひっつめ、目元には色つき眼鏡、シルクハットに小洒落たフロックを着用し、手にはステッキという伊達姿のその青年は絶えず軽薄な笑みを浮かべて女性を物色する。

 その青年の名はリザーフ=オルブリア。アルザーノ帝国北方スノリア地方の領主家の嫡男で稀代の女好きだ。

 

(……という設定だけど、これ演じてるの先輩じゃなくて、アルベルト先輩なんだよね……)

 

 平素の冷厳なアルベルトの姿を知る者がリザーフ=オルブリアを見れば、間違いなく目を剥くだろう。それほど、アルベルトの変装は真に迫っていた。

 なお、スレイは困った兄リザーフ=オルブリアの尻拭いを押し付けられる不憫な妹マルティナという設定でシーホークの街を闊歩している。

 二人が変装している理由は他でもない。サイネリア島に秘密裏に渡航するためである。特務分室は往々にして潜入任務が多いため変装は執行官にとっては必須技能となっていた。

 

「あ、あそこにも可愛い子はっけ〜ん!」

 

 二十半ばの女性に手酷く振られるやいなや、リザーフは少女達の集団……アルザーノ帝国魔術学院二年次生二組に近寄っていく。

 

「へ〜い、そこのお嬢さんがたぁ〜? ちょおっといいかなぁ〜?」

 

 先程と寸分違わぬ台詞でリザーフがルミアの肩に手を乗せる。やはりリザーフがアルベルトだとは気づかれておらず、すぐにシスティーナが阻止に動いて、一悶着に発展している。

 

(うーん、この完成度だったらもしかしたら先輩も気づけないかもしれない……)

 

 仲裁のためにスレイ扮するマルティナが困り顔を貼り付けてシスティーナ達の元に向かう。

 

「ダメですよ、お兄様。学生さんを困らせちゃ」

 

 淑やかな乙女を意識してリザーフとシスティーナの間に割って入る。

 スレイ扮するマルティナの容姿は銀髪金眼のロングヘアといかにも令嬢といった風情で、ひとたび姿を現わすだけで、場の空気がガラリと変わった。

 一応、グレンも仲裁のために割って入っていたのだが、マルティナの存在感の前では霞んでしまっていた。

 

「そちらの方が引率の先生ですか。当家の愚兄が失礼いたしました。少しお詫びをしたいので、乗船後に私たちの部屋においで下さいませ」

 

 マルティナはグレンに気づくと令嬢然と微笑み、貴賓室のマナロックコードと礼装を手渡した。

 

(さすがに礼装なんて渡せば気づくはずだよね……)

 

 マルティナはそう期待をかけていたが、グレンはただただ「お、おう」と困惑するばかりだった。

 

「さあ、お兄様。帰りますよ〜」

 

「いやだ、あの金髪の子を口説くまでは僕は帰らないッ!」

 

「寝言は寝てから言って下さい。それとも、今からお昼寝したいですか?」

 

「ひいッ〜〜! 妹が怖い〜〜ッ!?」

 

 ジダバタするリザーフの首根っこをマルティナは令嬢らしからぬ手つきで引っ掴んで連行する。

 そのまま船に乗り込み、貴賓室に入ると二人は変装を解いた。

 

「容姿は堂に入ってはいるが、所作を含めれば超一流には届かんな。まあ、最低限の力量はあるだろう」

 

 スレイの変装についてフィードバックするアルベルト。しかし、その内容は辛口だった。

 

「アルベルト先輩の完成度が異様に高いだけですよ。特務分室を辞めたら本当に役者で食べていけるレベルじゃないですか」

 

 慣れないコルセットに締め付けられていた腰をさすりながら、スレイは口を尖らせる。

 

「完成度は高いに越したことはない。変装は些事ではあるが、全てを魔術で賄うのは任務においては非効率だ。文句を言いたければ、コルセットに慣れてから言え」

 

 スレイに軽く舌鋒を突き刺したのち、アルベルトは貴賓室のドアを見つめる。

 

「存外、早いお出ましのようだ」

 

 アルベルトがつぶやいた直後にマナロックが解かれ、グレンが中に入ってくる。その足取りは貴賓室には似合わない、ひどくよろけたものだった。

 

「やっぱ、お前らだったか、うっぷ」

 

「先輩、まだ船酔い治ってなかったんですか」

 

「当たり前だろ、船なんてそうそう乗るもんじゃない。そもそも人ってのは、地に足つけて生きてくもんだろ? 在り方自体に合わないのさ」

 

 グレンが御託を並べているが、特務分室を辞めてから一年間ニート生活をしていたためか説得感はかけらもない。

 

「惰弱が……。まあいい、此度の作戦のブリーディングをする。グレン、貴様はさっさとスレイから受け取った礼装を使え」

 

「はいはい、ってお?」

 

 スレイからの礼装を起動するとグレンから吐き気が消え去り、平衡感覚が戻ってくる。

 

「【グラビティ・コントロール】と【ライフアップ】を並列起動させる礼装です。端的に言えば、対船酔い礼装ですね」

 

「ありがてえ、スレイ。しかし、魔道具の作製も板についてきたな、これ市販化したら一財産築けるんじゃね?」

 

「慣習さえなければ、ですね。ただ、私の魔術特性(パーソナリティ)にかなり依存してるので、やったら私が過労死します」

 

 スレイの魔術特性はエネルギーの抑制と活性である。こと魔力操作に特化した特性であるために、炎と氷といった本来ならば混ざり合わない事象を両立させたり、一つの魔術式に二つの事象を盛り込むなんて真似が可能となる。特段珍しい訳ではないが、持ち主が優れているほどその恩恵は計り知れないものがあった。

 

「ふん、じゃれ合ってる暇はないぞ。これからお前たちが向かうサイネリア島には天の智慧研究会第二団≪地位≫の姿が二名確認されている。目的はエルミアナ王女の確保だろう」

 

 緩んだ場の雰囲気を引き締めるべくアルベルトは軽くハナを鳴らす。

 

「第二団≪地位≫だと!?」

 

 グレンの顔が驚愕に歪む。

 第二団≪地位≫は特務分室の執行官ですら手を焼くレベルの猛者で、組織の中核と言える。第二団≪地位≫より上位の第三団≪天位≫(ヘブンズ・オーダー)も存在するが、前線に出てきたことは帝国戦史上数えられるほどしかない。

 かつてアルザーノ魔術学院を襲撃したジン=ガニス、レイク=フォーエンハイムも第二団≪地位≫であったことが後日の調査で明らかとなっており、両者の真のスペックにグレンは「よく勝てたよな、俺」と後日改めて背筋を冷やした。

 

「またあの二人と同格の相手とやり合わなきゃいけねえのか……」

 

「それだけではない、グレン、スレイ。リィエルにも気をつけろ」

 

「リィエル、ですか?」

 

 聞きに徹していたスレイが不思議そうに声を上げる。

 

「何故だ、アルベルト。リィエルは仲間だろう?」

 

「ああ、そうだ。スレイには与り知らぬことだが、俺とお前は知っている筈だ。……リィエルの危険性をな」

 

「……っ」

 

 鋭い指摘にグレンは返答すらままならず、押し黙る。

 

「先輩、アルベルト先輩。何が……」

 

 もうスレイには訳がわからない。リィエルは大切な仲間であって妹分、そのはずだった。

 

「スレイには悪いが、事情を話すことは出来ん。グレンに聞いても無駄だ。リィエルの秘密は知っているのは俺たち二人だけで他言はしない。そう、約束をした。余人に知られれば、確実にリィエルの未来は閉ざされる」

 

「未来が閉ざされる……?」

 

「端的に言えば、封印だ。今も俺はリィエルは封印するべきだと思っている。だが、お前の時と同じようにグレンがリィエルの未来を開いた」

 

 アルベルトに封印と言われ、スレイの表情にもやがかかる。

 

「おい、アルベルトッ! それ以上言ったらお前とてただじゃおかないからな」

 

 敵意を剥き出しにしてグレンが吠えるが、アルベルトはどこ吹く風だ。されど少しは辟易していたのか次の言葉で締めた。

 

「いいか、グレン。今、俺はお前に問うている。リィエルに未来を与えた責任をな。未来を与えた以上、お前にはリィエルの行く末を見届ける義務がある。あるいは、リィエルに引導を渡す義務がな。……まあいい、警告はした。後はお前がいざという時に躊躇わない事を祈るだけだ」

 

 言い切ると、アルベルトはスレイに目配せをする。

 すると、グレンの足元に魔方陣が浮かび、眼前から彼の姿を消してみせた。

 それを見届けた後、アルベルトはスレイに言い聞かせる。

 

「……グレンばかりに告げたが、リィエルの姉貴分を自認するならば、お前にも責任がある。無論、俺もだ。リィエルを仲間として迎えた義務を果たさなくてはならないからな……」

 

 しかし、その口調はスレイに言い聞かせるだけではなく、自分に何かを念じているようにも見えた。

 

 

 

 二組の生徒たちを乗せ、シーホークを出港した定期船は、帆をいっぱいに広げ、西南西に航路を取った。

 香る磯の香り。抜けるような青空。はるか遠く燦然と水平線が輝く、見渡す限りの広大な大海原。

 ゆるく流れる心地よい風が、肌を、髪を優しく撫でていく。

 

「わあ、これはすごいなあ……」

 

 このような海原をスレイは今まで目にした事はなかった。

 幼年期を山と雪に閉ざされたスノリア地方で過ごしており、近場の海は流氷が絶えず漂う北海しかない。特務分室入りしてからは海辺の集落に足を運んだこともあったが、のんびり海を眺められるほどの余裕はなかった。

 

「こんなに優しい海、初めて見たなあ」

 

 スレイが見た海は五年前の北海が初めてだ。父と一緒に魔獣の生息地調査に行った付き添いである。

 吹き荒れる吹雪に、たゆたう流氷。遠くからは氷河が崩れていく音が聞こえて、夜にはオーロラが激しく漆黒の夜空を舞った。

 当時をとても美しい景色だったとスレイは記憶している。それと同時に霊験あらたかな、厳格な場所だとも。

 もし、いにしえの北方秘蹟教の神々がいたのならば、このようなところにいたのだろうと、益体も無く思いを馳せた。

 

 サイネリア島までは残り数時間余り。

 彼の地にてスレイは一つの真実を知ることとなる。



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