星をみる少女 (業務用きなこもち)
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1話

夜の月明かりを歩く。一歩一歩、踏みしめて歩く。

心地よい風が吹いていた。芽ぶくような草のにおいも風に乗ってくる。山あり谷ありのあぜ道を越え

ここからしばらくは平らな草原だ。藤の花を持ってきているし、ここらあたりで野宿をとってもいいかもしれないけれど、もっと頑張れば町があり、そこから半日ほどで鱗滝さんの所へたどり着く事を考えると疲れきっているはずの体が嬉しさで動く。駆動する。

 

禰豆子に、鱗滝さんにまた会える。

 

最終選別。本当に色々な事があった。錆兎と真菰がすでに死んでいた事。あの巨大な怨念の塊の手鬼。助けられなかったたくさんの人たち。助けられたほんの少しの人たち。

なによりも、あの巨大な怨念と憎しみの塊だった手鬼にとどめを刺し、ほんのひとかけらとなって初めて嗅いだ、痛切な悲しみと寂しさのにおい。俺にはあの鬼の事はわからないけれど、なりたくてなったわけじゃなかったかもしれない。気が付いたらああなってしまっていたのかもしれない。

 

……禰豆子も、一つ糸が違えば。

 

そう思うと、無性に悲しくなる。

俺がなさなければならない事。鬼から無辜の人々を守る事。

俺がなさなければならない事。鬼を滅し、重ねていくとりかえしのつかない罪を止める事。

俺がなさなければならない事。禰豆子が罪を犯さないように守る事。

俺がなさなければならない事。禰豆子を鬼から人間に戻す事。

俺が----

 

こんな調子で出来るだろうかと不安になる時もあるけれど、俺は前を向く。

それしかできないなら。せめてそれしかできないことをやろう。

一歩一歩、足を踏みしめる。草の音と風の音が響く。そしてその前には、

 

女の子が倒れていた。

 

「お星様を見ていたの」

「……はあ」

「ここからだと、いっぱい星座が見える。こと座、わし座、はくちょう座、てんびん座、さそり座

いて座、りゅう座、へびつかい座、ヘルクレス座」

次々に指をさされてもなにが何座だかさっぱりわからない。

「こと座にはベガ、わし座にはアルタイルがあるの」

「ベ、べ……アル……?」

読み書きはまあなんとかできるけれど、横文字はさっぱりだ。

 

「織姫と、彦星。あれが天の川」

「天の川はわかるよ」

 

変な子だった。この辺じゃ珍しい白い洋装をしていて、艶やかな黒とぱっつんとした前髪が印象に残る長い髪をしている。背丈は禰豆子より少し小さいけれど、かといって俺や禰豆子より年かさが少ないかというと、それがわからない。もしかしたら年上かもしれない。真菰のようにフワフワとしている子で、フワフワしているからどうにも摑みどころがない。洋装をしてるから名家の子かとも思うけど、そんな家がこんな夜更けに一人で子供の外出を許すだろうか。

 

駆け寄って無事を確認したら、そのぱちくりとした大きな目で夜空の星を見ていたと返され、いつのまにやら俺も草原に横たわり、まばゆい星々を見ていた。横になると乾ききってない雨の露がひんやりと全身をつつみ、風が心地よい。--藤襲山にいた時は七日間生き残るのに一生懸命で、夜空なんてゆったり見れなかったな。死なずに済んでよかったと心底思う。

 

「炭治郎は、これから何をしに行くの?」

「先生のもとへ帰るんだ。最終選別、ううん、試験に合格できたから、その報告をしに」

「君はどうしてここに—」

「星鶴」

「星鶴はどうしてここにいるの? お母さんやお父さんは? こんな夜に一人ぼっちだと危ないよ?」

「どうして危ないの?」

 

どう答えればいいのだろうか、と一瞬迷い、そのままを答えることにした。

鬼が襲ってきたとしても、俺がいればなんとか守れるはずだ。

むしろちょっとぐらい怖がってくれた方が一緒についてきてくれるかもしれない。

 

「夜にはね、怖い怖い人喰い鬼が人間を食べよう食べようって彷徨っているんだ。だからもう家に帰った方がいいんだよ。一緒についていくから星鶴の家に帰ろう?」

「炭治郎は、つよいの?」

「俺は弱いよ。全然、まだまだ。けれど君を守りたいって思う」

そっか、と星鶴は呟く。

「じゃあさ、もうちょっとだけ星を見ようよ」

 

星鶴はずる賢いような、してやったりみたいな感じで言った。

だって、守ってくれるんでしょう?

虫の音が鳴いた。

 

「このお星様の輝きはね、ずっとずっと昔のものなんだよ」

 

「地球は丸い、っていうのは知ってるよね?」

「それぐらいは」

まだ禰豆子がああなる前、街で地球儀を見たことがある。世界の全てがのっかった小さな球。

「たとえば、ここから炭治郎がずっとまっすぐ。とことこ歩いていくとするよね」

「うん」

「私はここでずっと待ってる。そしたら炭治郎はいろんな山や川や谷や崖や海や、知らない国がいっぱいあるけど、とにもかくも振り返らずにとことこ歩いていく。そしてずっととことこ歩いていったら、いつかは地球をぐるりと一周して、待ってる私にたどり着く。それはわかる?」

「ええと、地球儀にすごくちっちゃい俺と星鶴がいて、俺がまっすぐ歩いて行ったらぐるりと一周して星鶴にたどり着く、みたいな感じ?」

「おお、正解。炭治郎もなかなか独創的なイメージするね」

「いめえじ?」

「発想力とか想像力とか、まあそんな感じのことば」

「さて、この地球一周ぐるりん、距離にしたらだいたい何里ぐらいあるでしょう?」

 

星鶴は変な子で、さらに不思議な子だった。

話題がとんでもない方向に投げられ、どんどん変わっていく。

しかも俺にはとても考えつかないような「いめえじ」をどんどん投げつけてくる。

ここから町までとか、そういうのじゃなくて「ここ」から「ここ」までの距離。

ぐるり、と地球を一周。

想像すらできない。

 

「ごめん、わからないよ。そんな事今まで考えた事もなかった」

「正解はね、だいたい一万里」

「いちまん……」

 

数字を聞かされても想像ができない。一万里。いちまんり。

 

「このいっぱい瞬いて、輝いてる星の光はね、一秒で地球を七周半するの。つまり大体秒速七万五千里だね。そしてそんな光の速さで「一年間進んでたどり着ける距離」の単位が、光年」

「ちょっと待って!よくわからない!」

 

話がものすごい勢いで大きくなっていく。

そうすると、困ったような、はにかんだような顔をしてもういちど説明してくれるのだけど、困った事に俺の頭がなかなかついていけない。まるで鱗滝さんに弟子入りした頃の山下りのようだ。

星鶴は本当になんでもよく知っていて、読み書きそろばんを両親から手習いしただけの俺はとてもかなわないけれど、とても楽しそうな星鶴の話を聞いていると、こっちまでなんだか嬉しくなってしまう。鱗瀧さんや禰豆子と接する時とはまたちがう、ちょっとドキドキでワクワクな感じ。

それをなんと呼ぶのか、その時の俺はまだよくわかっていなかったのだけれど。

 

「いまこの夜空で煌めいてるお星様はね、ここから何十光年、何百光年、時には百万、千万光年……それ以上の距離にあるの。今私たちが見えてる星の光はずっとずっと昔の輝き。だからね、ずっと星空を見てるといろんな事がどうでもよくなって楽になったり、ちっちゃくみえたり、落ち着けたりするの。……なんで自分は生まれてきたんだろうとか、そういうやつ」

「俺は、今は少なくとも鬼から人々を守るために、妹を、禰豆子を治すために生きてる」

「病気なの?」

「治るかどうかわからないんだ。でも俺は絶対に治るって信じてるし、禰豆子のためならなんだってしてやりたい……二人残った家族だから」

「炭治郎は、つよいね。……きっと妹さんもよくなるし、炭治郎はもっともっと強くなれる。

後悔のない選択ができる力を、きっと手に入れられるよ」

そろそろ町にいこうか、と星鶴が半身を起こす。

月光に彼女の顔が照らされる。俺も起き上がる。さあ。そろそろ言わなければいけない。

「……ありがとう。でも、出来なくなった」

少し困ったような、アンニュイな表情を彼女は浮かべる。なぜ?どうして?

俺は正直に、言うべき事を言った。

 

「だって君は、鬼だろう?」

 

どうしようもなく困ったような、なんとも言えない表情を星鶴は浮かべたまま。

「炭治郎は、すごいなあ」

と、びっくりしたように、惚けたように言った。

「どうしてわかったの? この姿の時はだれにもわからないようにしてるのに」

「においだ。最初はわからなかった。でもとてもやさしいにおいの中に、かすかにすごく違和感のあるにおいがする……とてもひどいにおいは、ちいさくてもわかるんだ」

「私もね、初めて炭治郎をみたときにあれ?って思ったよ。すごく微かに変なにおいがした。藤襲山の鬼とも違う変なにおい……禰豆子ちゃんは、鬼になっちゃったんだ」

俺は静かに頷く。

 

彼女は俺の鞘をじっと見て言う。

「お願いだから刀を抜かないでね。……炭治郎みたいなやさしい子は、あんまり食べたくない」

「……抜かないよ。俺を食べようと思えばいくらでもその機会はあったはずだ。でも君はそれをしなかった。……でももしわかるなら、俺の質問に答えてくれないか?」

彼女は無言のまま頷く。それが答えだった。

 

「珠世さんのところに行くしかないんじゃないかなあ。今どこにいるかわからないけど」

「珠世さん?」

「人間を喰べない、はぐれ鬼」

「そんな人がいるのか⁉︎」

「前会った時は百年くらい前だけど、その時と変わらないなら人間相手のお医者さんをしながら、ずっと鬼を人間に戻す研究を続けているはずだよ。ただ人間の社会で生きて行く上で住居を転々としてるはずだし、名前や顔も変えてるかも。少なくとも最後に会った時はは珠世さんのままだった」

「いや、いいんだ。ありがとう。お医者さんをしている女性の鬼(ひと)。それさえわかれば必ず見つけてみせる。大丈夫」

「もしも会えたら禰豆子ちゃんを預けて、炭治郎も鬼殺隊をやめて珠世さんで住み込みで働くのをお願いしてもいいかもね」

「鬼殺隊を—?」

「だって、いつ死ぬか今日死ぬか明日死ぬかわからないのが鬼殺隊だもの。鬼に対する復讐と怨念の塊だもの。炭治郎が死んじゃったら禰豆子ちゃんはどうなると思う?」

「それは—」

「人間はね、そもそもなにかを選択できる人の方が少ないんだ。それにね、後悔のない選択を出来る人はもっと少ないし、なかなか二つの事を同時にやる事も難しいの。……炭治郎は、鬼への復讐と禰豆子ちゃんのこと、どっちが大事?」

「……」

「答えられないよね。それも人間だから。けれどそれはいつか必ずやってくる。その時に後悔のないようにね……禰豆子ちゃんは、希望だから」

「希望?」

「そう。私はこれまで生き汚く人を喰べてきたし、これからも喰べる。だってそうしないと生きていけないから。生きるために喰べるのは、私は仕方のない事だと思う。人間にとっては悪い事だけど、私たちにとっては仕方のない事」

「でも君は--」

「命を奪うのに律は必要だと思ったから、私は決意を持って殺しあった人だけを喰べる事にした。

つまり、炭治郎たち鬼殺隊のひとたちの命。でも、それだってどこまでも我儘で身勝手でどうしようもなく薄汚い。それぐらいわかってるんだけどね」

「珠世さんのように喰べないでいる事はできないのか?君みたいなやさしさをもった子ならーー」

彼女はさびしそうに首を横に振る。

「珠世さんは特別だから。私は体が持たなくなる。だから炭治郎とは、本当のところは理解しあえないんだよ。君のやさしさはわかっているのにね。だから禰豆子ちゃんは希望なの。人間を喰べないで生きていける鬼。人間を喰べた事のない鬼。私がなれなかった希望のかたち」

 

そして。

だからね、と前置きをして。

困ったような顔のまま、苦笑いをして、星鶴は言った。

 

 ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いつか私と殺しあう。そうなっても後悔のない選択をしてね」

 

満天の星空の下。

 

俺と、奇妙な鬼の女の子は別れる。

私と、やさしいにおいのする男の子は別れる。

 

きっと、再び出逢う時には。

 

 



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