実力主義のこの世界では、絢辻詞は拳と策謀で想いをつたえる~アマガミ×エクストリーム(序)絢辻詞編 (vwview)
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プロローグ

 

異種格闘技界の若きクイーンとして名を馳せていた輝日東高校フルコンタクト部の森島はるかから叩き付けられたタイマン勝負に、マーシャルアーツ部の部長、塚原響は戦うことなく従うことを決めた。後輩の七咲逢にはどうしても納得がいかなかったが、その問いに答える事無く、塚原響はマーシャルアーツ部を去っていった。

 

この事件は、部活をする者たちの間では、しばらく話題となった出来事ではあったが、数日もたつと忘れ去られ、人々の口に上ることはなかった。しかし、この些末な出来事を切っ掛けに、やがて多くの人達を巻き込んだ事件となっていくことになるのだが、今はまだ誰もその事を知らない――。

 

 

 

 

 

 

放課後の輝日東高校――

 

委員会の部屋が集まる校舎の一画で、彼女はひとり佇んでいた。

窓からの夕日が逆光となって表情はよく見えない。彼女の左腕には「風紀」と記された腕章が確認できる。さらさらとした長い黒髪が、夕日で金色の天使の輪を形作っていた。

 

「まったく。平穏という言葉のありがたさがわかっていない人が多すぎるわね」

机に向かい、黒い手帳に何か書き物をしている彼女が独りごちた。

「かといってこのまま放っておくわけにもいかないか……」

 

彼女の周りには少し早い夕闇が取り巻きつつある。しかし、それは時間帯によるものだけではなかった。彼女自身がつくり出している静寂と張りつめた空気がより濃い闇を呼び込んでいるかのようだ。

 

「塚原響……。この人は要注意ね。いったいどうする気なのかしら。目的がなんなのか、もう少し調べる必要があるわね」

 

彼女の情報ネットワークは輝日東高校だけにとどまらない。いまや周辺地域にもそのネットワークは広がっていた。それをもってしても塚原響という先輩の真の目的がはっきりしない。それがこの事態に対する彼女の行動を慎重にさせていた。

 

「ふん。まぁいいわ。状況を作り出してしまえば目的もおのずと明らかになるでしょ」

「今回の事をうまく利用すれば、結果的にはすべての問題を一気に解決する事ができるかもしれない」

 

彼女は大きく息を吐いた。

 

「いいわ。お望み通り、素晴らしいリングを用意してあげる」

 

彼女の周りの闇と張りつめた空気が一層濃くなる。

 

「ふふっ。ふははっ。

久しぶりに面白くなりそうね」

 

この時、誰かがたまたまこの部屋をのぞいたとしたら、いつもとあまりに違う彼女の雰囲気に一瞬別人ではないかと錯覚をした事だろう。仮にそう思ったとしても、その後の彼女のいつも通りの所作や言動で、さっき見たものは自分の見間違いと誰もが瞬時に思い直す事だろうが。

 

メモをしていた黒い手帳を閉じると『風紀委員長 絢辻詞』は静かに立ち上がった。そして、壁に設置されたロッカーから取出した鍵を制服のポケットに落としいれると、両のこぶしに拳サポーターをつけ風紀員室から出て行った。

 

深い闇をそこに残したまま。

 

 



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一章 輝日東高校 旧ボイラー室Ⅰ
第一話


 

 

夜の輝日東高校――

 

下校時間はとっくに過ぎており、本来ならば校舎に残っている生徒は一人もいないはずの時間だ。その夜の学校を旧校舎に向かって歩く制服姿の人影が一つ。月の光に照らされ、地面に長い影を引いている。

 

人影の主、絢辻詞が向かう旧校舎の北側奥には、旧ボイラー室がある。学校が温水プールを増築した際にポンプやボイラーといった施設の一切が、温水プールの地下に移設された為、現在はその空間だけ取り残され何年も使われていない。北向きで薄暗いその周辺は、幽霊が出ると言った噂話も(あい)まって、昼間でも生徒が近寄ることは滅多にない。ただでさえ人気(ひとけ)人気が無くなった夜の学校は薄気味悪い事この上ないはずだが、絢辻詞の足は真っ直ぐに旧ボイラー室の方へ向かっている。その歩みに一切の躊躇も迷いも無い。

 

***

 

絢辻詞は旧ボイラー室の鉄扉の前に立った。少しサビがでたドアノブに手をかけると静かに回し手前に引く。が、鍵が掛かっていて開かない。しかし絢辻詞は特に落胆もせず、さも当然といった所作でポケットから鍵を取り出す。そして辺りを見回し、誰も居ないことを確認した後、覆面がわりに用意してきたガスマスクを顔に被った。そして、ドアノブの鍵穴に鍵を差し込み静かに回す。ロックが外れる乾いた音が鳴った。再び辺りを見回すとドアを少し開き、その隙間に体を滑り込ませた。

 

扉の内側に滑り込んだ絢辻詞は素早く周囲を観察する。

 

旧ボイラー室の中で待っていたものは暗闇と静寂――――ではなく、明るく喧騒に満ちていた。そこは不良のたまり場となっていたのだ。

 

扉から入って直ぐは、狭い踊り場のようになっている。そこから下に数段の短いコンクリートの階段が伸びており、広さ十畳ほどの四角いコンクリートでできた空間が広がっていた。対面の壁には鉄扉があり、さらに奥に続く部屋があるようだ。倉庫としても使われているのか、壁際には不用品や段ボールなどが積まれている。見るからに素行の悪そうな男子が数人ごとにたむろってタバコを吸ったり、雑談や悪ふざけをして、下卑(げび)た笑いを起こしている。

 

(ざっと十人――――ってところね)

 

絢辻詞に気がついたものはまだいない。視線を下に移すと床はタバコの吸い殻やゴミでかなり汚れている。酒の空き瓶らしきものまで転がっていた。絢辻詞はガスマスクの中で眉をひそめた。

 

――――この間数秒ほど。

 

扉の上部にに装着されたスプリングでゆっくり動いていた鉄扉が絢辻詞の背後で音をたてて閉まった。

 



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第二話

 

階段のすぐ近くでたむろしていた三人が、鉄扉の閉まる音に気付き、一斉にこちらに目を向けた。絢辻詞の顔を覆っているガスマスクに一瞬、ぎょっとしたそぶりを見せたが、女子だと分かると、余裕を取り戻したのか立ち上がって階段に近づいてきた。

 

「ンだてめぇ、ガスマスクなんか被りやがって」

 

向かって右側の茶髪がヤンキー特有の巻き舌で(すご)んできた。マスクの下で絢辻詞は舌打ちをする。

 

(どうしてこの手の(やから)は、相手が女子供(おんなこども)の弱者と見ればこいう態度をとるのだろう。)

 

クラスや委員会などでの彼女は、誰にでも柔和に接する面倒見の良い優等生を装っている。だが、裏の顔の絢辻詞は沸点が非常に低い。しかし、今日は荒事(あらごと)をしにきたわけではない。努めて冷静に用件を伝える。

 

「……貴方達のボスに話があって来たの。取り次いでくれるかしら?」

 

左側にいたロン毛が、

 

「くれるかしらぁ~だとょぉー!!」

 

と、突然叫んで爆笑しはじめた。何が面白いのかわからない。酔っているのか。もしかしたらヤバいクスリでもキメているのかもしれない。 右側の茶髪といえば、どこからココを聞きつけてきた、顔みせろやぁと、終始喧嘩腰だ。絢辻詞はイライラし始めた。

 

(面倒くさいなぁ……。やっちゃうか。)

 

それまで黙って見ていた真ん中のスキンヘッドが他の二人を制して口を開いた。

 

「取り次いでやってもいいぜ。だが、ここを通る前に身体検査が必要だ。」

「…………」

「ムネや股に何か隠してねぇとも限らねぇからなぁ」

 

今度は三人全員が、爆笑する。スキンヘッドは下卑た笑いを浮かべ正面に向けた両手の指をいやらしく動かしながら、階段の一段目に足をかけた。

 

その刹那――――。

 

絢辻詞はスキンヘッドの脳天に強烈な(かかと)落しを振り落とした。スキンヘッドは何が起こったのか判らぬまま意識を刈り取られてその場に崩れ堕ちる。

 

絢辻詞はすぐさま踊り場から階段を駆け降りる。その勢いを使って、茶髪の顎に膝蹴りを叩き込んだ。ここでようやく我にかえったロン毛が奇声を上げて彼女の背後に迫る。

絢辻詞は振り返りざま足刀蹴りを放つ。ロン毛は部屋の真ん中に向かって2メートルほど吹っ飛んだ。そこにあった物や人を巻き込んで派手な音を立てて転がり、そのまま動かなくなった。

 

旧ボイラー室は先程までの喧騒が嘘のように、水を打ったように静まり返った。

 

(まいったなぁ……やり過ぎた。自分が思っていた以上にあの三人にイラついていたようね。)

 

さて、どうしたものかと絢辻詞は思案を巡らせる。今日は荒事を避ける予定だったが、こうなっては仕方がない。失敗をいつまでも引きずらず、切り替えが早いのがリアリストである彼女の持ち味だ。

 

「はい。今、皆さんが静かになるまで三分かかりました」

 

朝礼あるあるネタを言ってはみたものの、誰一人反応しない。

 

「あれ?おかしいなぁ。橘くんは鉄板ネタと言ってい……」

 

突然、顔の前に何かが飛来する。絢辻詞は咄嗟に体を引いて回避した。飛んできたのはパイプ椅子だった。派手な音を立てて彼女の後方に転がっていく。

 

「ふざけるなよ女」

 

ドスの利いた声が、静まり返った部屋に響いた。

 

 



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第三話

声の主は対面の壁際にいるタンクトップの男だった。どうやらこの中ではヒエラルキーの上位に位置する男のようだ。肩のよく発達した三角筋や、引き締まった体系から見るに、何か格闘技の経験がある事が外見から想像できる。

 

「顔を隠してこんな所に来るようじゃ、おめぇも真っ当な筋じゃねぇんだろ?」

「…………」

 

絢辻詞は問いには答えず、ゆっくりと部屋の中央に歩を進める。

 

「なにが目的か知らねぇが、こんな派手な事して、ただで済むと思ってるのか?」

 

絢辻詞は肩をすくませて、さも困ったような仕草をする。

 

「貴方達のボスに会いに来ただけなんだけどね。なんだか意気投合しちゃって、盛り上がり過ぎちゃったのよ。ごめんなさいね」

 

タンクトップの表情が一気に険しくなった。

 

「――ここの事を何処まで知っている?てめぇ、何者だ?」

 

タンクトップはゆっくりと近づいてくる。その動きに合わせて、他の連中も絢辻詞を中心に間合いを取り始めた。

 

「あらあら剣呑ね。 “お友達”ではだめかしら」

「……答える気がねぇなら、体に聞くまでだ。足技には多少自信があるようだが、この数相手にどこまでやれるかな」

 

絢辻詞は周囲の動きに注意を払いながら、相手に気取(けど)られないよう、両腕に仕込んだトンファーをすぐ引き出せる体制を整える。

 

()ぐにふん捕まえて、そのムカつくマスクを引っぺがしてやる。もっとも、先にひん剥くのは下半身だがなぁ!!」

 

タンクトップの咆哮に続き、周りの連中も一斉に罵声を浴びせる。旧ボイラー室は静寂から一転、一気にヒートアップした。

 

男たちに取り囲まれている、渦中(かちゅう)の絢辻詞といえばびくとも動かない。その様子を見て、周りの男たちは誰もが、絶望的な状況に体が竦んで動けなくなったと理解した。もうすぐ「狩りの時間」がはじまると感じとった男達は益々ヒートアップする。

 

しかし、実際の絢辻詞の状況はといえば、全く違っていた。その時の彼女は、自身の中で膨張する嗜虐性向を理性で必死に抑え込もうとしていたのだ。ここにいる奴らを(ことごと)く病院送りにしてしまっては、流石にその後の関係に悪影響が出るのは必至だ。リーダー格を瞬殺して他の奴らを黙らせるつもりでいたが、こうなってしまってはもう収まりがつかない。そもそも、絢辻詞自身が内に膨れ上がる闘争への欲望を抑えきれなくなってきていた。

 

あの目だ――――。

 

自分を屈服させようとする時に、男たちが向ける爬虫類のような、あの目。

 

 



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二章 少女絢辻詞 仮面の理由
第四話


絢辻詞の育った家は上流と言える地位の家だった。もっと上の地位を目指す親の野心により、幼少の頃から上流社会に相応(ふさわ)しくと、厳しく躾けられた。物心つく頃には一通りの礼儀作法は体に染み付いていた。作法が身につくと、親は上流社会に()きものの社交の場に自分の娘達を連れ出した。

 

幼女でありながら、その完璧な礼儀作法、立ち振る舞い。加えて整った容姿とくれば、四歳年上の姉と共に社交の場で話題の姉妹となることも度々だった。一見、幸せそうに見えるその家庭環境が、彼女の内なる嗜虐性向を目覚めさせることとなる。

 

「人形の様に美しい幼女」がいると聞けば、手に入れたいと思う輩も当然ながらいる。

 

それでも、普通の家庭に生まれてさえいれば、その手の性癖の犯罪者に目をつけられるといった、よほどに運の悪い事がない限り、普通に成人して幸せな人生を送るのが殆どだろう。しかし上流社会の人間の中には、自分の持つ力で欲しいものを大概は手に入れる事ができると思っている、表面的には紳士的に装っていても、一皮剥けば強欲の塊のような連中が一定数いるのもまた事実だ。特に情欲的な事となれば多少の倫理や手順を無視しても、後で金を積めばどうにかなると思っている輩だ。

 

絢辻詞の親は、それなりの家柄と婚儀を結び、上流社会に確たる地位を築きたいと思っている。その前に娘をキズものにされては堪らないと、長女に対するガードは固かった。一方、次女である彼女の方といえば、まだ幼少で年頃にはほど遠いとでも考えていたのか、ガードはさほどでもなかった。当然ながら、ターゲットはガードの緩い彼女に向く。

 

その手の「性癖」をもつ輩にとって、それはまさに「渡りに船」であった。

 

当時の親はそう言った性癖に「無頓着なふり」をしていたのだと、現在(いま)の彼女は確信している。姉は、正式な婚儀により、自分は正当ではない関係によって、親の地盤強化に利用される道具だったのだと。その事を理解してもなお、姉が羨ましいとは思わなかった。どちらにしろ自分達は、結局親の駒でしかない事に変わりはないのだ――そうした中で、当然のようにそれは起こった。

 

絢辻詞がまだ幼女であった頃――とある週末の午後の事だった。

 

海運グループの会長が突然来訪した。家人として家にいたのは絢辻詞ひとりきりの時だった。国内トップ、世界でも有数の海運グループを率いるこの男を親が懇意にしていたのを絢辻詞も知っていたので無下な対応はできない。

 

使用人に来訪を告げられ、仕方なく親の書斎まで足を運ぶ。執務机の前に置かれた接客用のソファーに恰幅の良い赤ら顔で禿頭の老人が座っていた。はやくも備え付けのシガーケースから葉巻をとって火をつけている。そもそも、主人が居ないのに応接室ではなく、書斎まで勝手にあがり込むこの大人の厚顔さに絢辻詞は嫌悪感をおぼえたが、そんな素振りはおくびにも出さず、親が不在の旨を丁寧な挨拶とともに伝える。

 

「おかしいな。予定を間違えたかな」などと、老人はうそぶいて「暫く待とう。お茶を頂けるかな。お嬢ちゃん」と一向に帰る気配をみせない。絢辻詞は諦めて、使用人にお茶を用意するよう指示する。後にして思えばこの日、絢辻詞がひとりと知った上での来訪に疑いの余地は無かった。そしておそらくは、親がそう仕向けたと確信している。

 

絢辻詞はしかたなく老人の話し相手をつとめる事にした。高齢を理由に会長に退(しりぞ)いてはいるが、いまだ巨大グループを采配しているのは、この八十歳の老人なのは周知の事だ。粗相(そそう)の無いよう、卒なく相槌をうつ。決して出しゃばらず、話し相手の自尊心を満足させるよう、たまに無邪気に驚いて見せる素振りなどは、考えずとも出来るまでに会得していた。

 

テーブルに置いた紅茶のカップに視線をおとしながら適当に相槌を打っていたが、突然耳元で、

 

「――しかし、綺麗な髪だね」

 

と老人が囁いた。絢辻詞はびっくりして声のする方に視線を向けた。老人はいつのまにか彼女の真横に座っていて、満面の笑みを浮かべて絢辻詞の髪の毛に触れている。さしもの絢辻詞も一瞬何が起こっているか理解できなかった。

 

 



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第五話

「肌も透き通るように美しいねぇ」

 

さらに老人は絢辻詞のほおに指をのばしてくる。少女は硬直し、されるがままとなっていた。この期に及んで自分がどんな目に合うかわからない程、絢辻詞は世間知らずではなかった。どちらかといえば聡い方だ。だからこそ身動きができなかった――この老人を怒らせるような事をした時の絢辻家の立場を考えてしまい、行動を躊躇してしまったのだ。

 

「どうだね?私の養子にならないかね」

 

老人は耳元で囁き、ソフアーに押し倒そうとする。その段になって、絢辻詞は多少の抵抗を試みるが、老人は急に強い力で彼女の両肩を掴み「私を怒らせると、君の御父上の立場が困ったことになるぞ」と恫喝した。現在の絢辻詞と違い、この時の彼女は親の命令に絶対の服従を叩き込まれていた。当時の絢辻詞にとって、親の立場が悪くなる行動をとるなど論外であった。老人の恫喝にびくっとした後、少女は身体から力を抜いて抵抗を諦めた。老人はそれを見て、存外簡単に落ちたなと内心ほくそ笑んだ。

 

「聞きわけの良い娘だ。私の言う通りにすれば、悪いようにはしない。君や君のご家族もね」

 

絢辻詞はもはや老人の話など聞いていなかった。姉のように何も見えていない、なにも知らないフリをして生きていくしかないんだ。そう諦観(ていかん)し、自分に覆い被さる老人の爬虫類のような目を無感情で見上げていた。

 

「これで完全に掌握した」と確信した老人は、早速行為に及ぼうと少女のスカートの中に手を差し入れる。その時、奇しくも絢辻詞の諦観(ていかん)の念を断ち切ったのは、自分をまさぐる老人の骨ばった指への、強烈な嫌悪感だった。服の中に虫が入り込んでしまった時のようなどうにもならない不快感で、少女は正気を取り戻した。いや、正気に戻ったのではなく、諦観より嫌悪感によるパニックが上回ってしまったという方が正しいかもしれない。強烈な感情の濁流に、自分の立場や状況は完全に頭の隅に追いやられた。老人を力任せに横に押しやる。油断していた老人はバランスを崩してそソファーの下に転がり落ちた。

 

「このっ!小娘……」

 

と、激昂して起き上がろうとした老人の顔に飛んできたのは、少女の足だった――絢辻詞は、ソファーの上に立ち上がり、四つん這いになっている老人の顔を踏み付けたのだった。

 

「このっ!このっ!このぅっ!」

 

あまりの嫌悪感に我を忘れ、少女は顔を真っ赤にして、老人の顔を何度も何度も踏み付けた。こんなにも感情のままに行動したのは物心ついて初めてかもしれない。突然の反撃に四つん這いのまま茫然自失してる老人を置いて、絢辻詞は書斎を飛び出した。

 



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第六話

書斎をでた絢辻詞は、一目散に自室に駆け込み、ベットの中に潜り込んだ。彼女を見とめた使用人が様子を見にきたが、「へいき!ほおっておいてっ」と追い返した。しばらくして、老人は「悪戯(いたずら)が過ぎた。謝っておいてくれ」と言伝(ことづて)をして帰ったと、使用人がドアの向こうから知らせてきた。絢辻詞は、自分や姉の置かれた状況、親に仕組まれたかもしれない可能性など全てを理解し、ベットの中で声を出さずに泣いた。

 

一頻(ひとしき)り泣いた後、少女はこれからの事について考え始めた。先ず親は助けにならない――あと助けを()うなら姉だが、今の姉では駄目だ。昔の姉は聡明で美しく、小さい絢辻詞にとって憧れの存在だった。姉はあまりにも全てを持っている為に、自分の矮小さを感じて近くにいるのが辛い程だった。

 

そんな姉がある日を境に変わってしまった。聡明さは陰を潜め、ただニコニコと愛想を振りまき、ふわふわと暮らすだけの(ひと)になってしまったのだ。姉の豹変 (ひょうへん)に彼女はおおいに混乱し、(いぶか)しんだが、絢辻詞は今日、自分の身に起きた事によって、姉がどうしてあのようになってしまったのかを理解した。自分と状況は違いながらも、おそらく姉はある時、全てを悟ってしまったのだ――事が起きなければ気が付けない愚鈍な自分より、遥かに聡明だった姉が気が付かない訳はない。そして、周りに誰も自分を助けてくれる人が居ないと理解した姉は、目を閉じ考える事をやめるのを選んだのだ。その答えを導き出した姉の絶望感たるや如何程(いかほど)であったことだろう。

 

姉は生きたまま死んでしまった。しかし絢辻詞は、姉と同じ選択をする気は毛頭なかった。何も知らずに姉の背中を追いかける平穏な日々は、はからずも終りを告げた。全てを知ってしまった今、これからは自分一人で前に進んでいかなくてはならない。絢辻詞は考える、その為には力が必要だ。降り掛かる厄災(やくさい)を振り払う力が。

 

改めて今日の出来事を思い返す。危ない所だった。あと少しの所で、あの破廉恥漢の老人に凌辱されていたのだと思うと、考えるだけで虫唾が走る。獲物を呑み込む爬虫類のような目をしていた老人が、反撃を受けて一転、怯懦(きょうだ)の表情を浮かべた(さま)は溜飲が下がる思いだった。

 

しかし、自分に顔を踏み付けられている時に、老人がなぜ恍惚(こうこつ)の表情を浮かべたのか、少女にはまったく理解出来なかった。後に判明する事だが、老人はペドフィリアであると同時にマゾヒズムでもあった。老人は思わぬ反撃に始め動揺したが、天使のように美しい幼女に足蹴にされるという、理想ともいえる奇跡的なシチュエーションに、思わず我を忘れ陶酔してしまったのだった。

 

ほおを桃色に染め、大人である自分を物怖じもせず足蹴にする美少女のなんと凛々しく可憐で愛くるしいことか――この日「落ちた」のは、絢辻詞ではなく、老人の方であった。絢辻詞を「お(つか)え」すべき女王様と見初(みそ)めた老人は、その後、彼女の資金面における大きな支援者となっていくのだが、この時の絢辻詞はまだ知らない。

 

また、老人を足蹴にしていた時に自分の中で蠢めく、今まで感じたことのない感情を絢辻詞はどう受け止めていいのか思い(あぐ)ねていた。老人のマゾヒズムが絢辻詞の嗜虐性向を開花させてしまった事に本人もまだ気付いていなかった。

 

夜が更け、さらに空が白み始めるまで彼女はこれからの事を思案し続けた。

 



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第七話

事件があってから暫くの間、少女 絢辻詞は荒れた。

 

それが、当時を知る周辺関係者の総じての印象だった。老人はちょっと脅かしすぎただけだと、何をしたのかについては言及を避けていたし、当の絢辻詞もこの件を語ることはなかったので、表向きは何もなかった事になっている。相手が相手でなければ、通報案件の出来事があったことは間違いないと誰もが分かっていたが、老人の持つ権力と絢辻家との関係性、体面からこの事は公然の秘となっていた。ともかくも、絢辻詞のその後の様子から大事に至らなかった事は明白なので、周辺関係者はひと先ず胸を撫で下ろした。

 

そうした訳で、「純真無垢な(つかさ)お嬢様」が受けたであろう心の傷に、使用人含め関係者は皆、自分の事のように胸を痛めていた。

 

これまでの絢辻詞は、小さな頃から使用人が手を焼くような行動は一度たりとも取ったことがない。それどころか、誰にでも礼を(わきま)え、大概(たいがい)の事は自分でしてしまうので、手がかからな過ぎて使用人としては困る程であった。そんな彼女が突然、使用人達をわざと転ばせたり、わざと物を落としたり、拾ろおうとした手を踏むなどといった、迷惑行動をし始めた際も、周囲は「あの詞お嬢様が」「お(いたわ)しい」と、事件による心の影響を(おもんばか)りどちらかと言えば同情的に受け止められたのだった。

 

絢辻詞からするとその時、別に(すさ)んでいた訳ではなかった。被害に遭った使用人達には申し訳ないが、事件の際に自分の中で生じた感情が何なのか、何が原因で発露するものなのか理解を試みていただけだ。(しばら)くして、絢辻詞の迷惑行動はパタリと止み、これまで通りの「詞お嬢様」に戻ったのをみて使用人達は一様に安堵した。

 

しかし、絢辻詞の中では収まったどころか(むし)ろ、エスカレートしていた。ただ単に人目に付かないようなやり方に変えただけであった。

 

ある日の昼下がり――第二次性徴もまだだというのに、嗜虐性向が開花するなんてと、 裏庭の片隅でトカゲを虐待しながら、少女 絢辻詞は独り自嘲する。

 

自分の中に芽生えた嗜虐性向を理解した後、当時の絢辻詞は努めてその事を秘匿するようにしていた。そして、もっぱら庭の虫などを密かなリビドーの吐け口としていた。元々虫は嫌いなので罪悪感は皆無であった。しかし最近の問題は、始めアリくらいで済んでいた対象が、徐々に大きくなってきている事だ。

 

この頃、絢辻家の内庭には、(うさぎ)が飼われていた。どこぞの男が絢辻家に取り入ろうとして、「お嬢様に」と持ってきたものだ。普段は使用人が世話をしており、昼間は「詞お嬢様が遊べるように」と内庭に放している。その兎に特段の愛着はなかった。名前などもついていない。ごくたまに、勉強や習い事の気晴らしに、その白くフワフワした温かいものを触りに内庭に出向くことがあるくらいだ。

 

絢辻詞はそれに目を付けたが、さすがに兎となると話は簡単ではない。彼女は一計を案じた。

 



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第八話

ちょうどその頃、絢辻家の使用人に一人の若い男が新たに加わっていた。使用人で終わるつもりは毛頭なく、(いず)れ上流階級の世界に食い込もうという野心を全身から( みなぎ)らせている男だ。絢辻詞も、何度か直接顔をあわせた事がある。自分に慇懃(いんぎん)な態度をとりつつも、子供とみて(あざけ)りの表情を(にじ)ませている男という印象だった。

 

絢辻詞は早速、その男についての情報収集を開始した。使用人同士の会話を盗み聞いたり、周囲の人々との会話から何気なく情報を引き出す。親が不在にしている間に書斎からプロフィールなどのファイルにも目を通す。学歴などは非常に優秀で、知人のコネだけで採用されただけの男ではないらしい。

 

しかし、人物としてはどうやら、女子供(おんなこども)と見ると見下した態度を取り、権力や権威には()(へつら)うタイプのようで、特に女性の使用人達には(すこぶ)る評判が悪い。何より良くないのは、そういった態度を表にだすのを(はばか)らない点だ。男にとって、女子供は余計な事をして、自分の足を引っ張る程度の存在とでも思っているのかもしれない。別に男尊女卑の思想でも、権力に(おもね)る男でも一向に構わないが、そういった感情を隠せない、隠さない事でのリスクを理解出来ない無能に、絢辻詞は必要性を感じなかった。少なくとも自分の身の周りには。これで絢辻詞のターゲットは決まった。

 

――それから、絢辻詞はその使用人の男に、周到に策を巡らし始めた。

 

いつの頃からか、その使用人の男は、小さな齟齬や思い違いといった「落ち度」とまでは言えないレベルのミスを頻発するようになっていた。おそらく自分でも何故こんなケアレスミスをするのか理解出来ず、首を傾げていたに違いない。絢辻詞の仕業であった。やり方は単純で、変更された業務内容が男に届くのを遅らせたり、複数の違った内容が男に伝わるようにするなど、ちょっとした情報操作をしただけだ。

 

勿論、絢辻詞が手を下した事が分からないよう、複数の人や物を介して操作した事は言うまでもない。

 

「自分は出来る人間」と自認していた男は、自尊心(プライド)が邪魔をし、ケアレスミスを連発する自身を受け入れられないでいた。結果、自分のミスを、「伝達が遅い」、「正しく伝えられてない」など他人に責任転嫁した。絢辻詞が操作しているので実際、男の言い分は正しいのだが、これによってただでさえ少なかった人望はなくなり、結果として情報入手経路を更に狭める悪循環に陥ったのであった。

 

男が新参者で親しい人が身近に居なかった上に、人との馴れ合いを好まない性格であった事が、絢辻詞にとっては幸いした――男にとっては最悪であったのだが。こうして、男のはじめの頃にあった(みなぎ)る野心はすっかり鳴りを潜め、悲壮感すら漂う状態となっていった。



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第九話

 

男の鬱憤(うっぷん)が溜まり、冷静な判断を欠くようになったのを見計(みはか)らって、絢辻詞は次の段階に進んだ。

 

今度は男に、直接「お願い事」を依頼する。しかし、言い間違いや心変わりをして、男が無駄に手を(わずら)わせる様に仕向(しむ)けたのだ。とは言え、普通の大人なら年端(としは)もいかぬ少女の言うことと、笑って許せる範囲である。ましては、自分が仕える主人の「お嬢様」の言う事だ。

 

しかし、普段から鬱憤が溜まっている状態の男は、そういった事が度重なるにしたがって大人の余裕を保てなくなっていった。ある日ついに「これだから女子供は!」と、日頃から思っている事を、絢辻詞の前でつい口にだしてしまった――その場の空気が固まる。

 

流石にこれは不味いと思ったか、男は慌ててその場を取り(つくろ)う。「詞お嬢様」としては当然、叱責なり、言い返していい場面だが、彼女は敢えて言い返さない。さも傷ついたかのように、目を伏せ、

 

「あたしがわるいの。ごめんなさい……」

 

と小さな声で謝るだけに留めた。絢辻詞の人心操作であることは言うまでもない。彼女擁護の状況を形成しつつ、男と絢辻詞との関係性の悪さを周囲に印象付けるのが目的であった。

 

しばらくすると、男は勝手に自滅し始めた。絢辻詞の事を「世間知らずが」、「我儘小娘が」と陰口を叩き始めたのだ。もはや絢辻詞が手を下すまでもなくなっていた。男への周囲の評価が、「あれは、いつ暇を言い渡されてもおかしくない」といった様相に醸成されたと見て、絢辻詞はいよいよ行動に移ることにした。

 

絢辻詞は、数日前より準備を重ね、この時間、内庭周辺に人が居ない時間を作りだした。彼女の身の周り担当である女使用人にも、お使(つか)いを頼んだのでしばらくは戻ってこない。

改めて(あた)りを見回し、誰も居ない事を確認してから絢辻詞はそっと内庭に足を踏み入れた。

 

***

 

(さて……。そろそろ男が、内庭に向かっている頃だ。)

読んでいた本を閉じて、絢辻詞は立ち上がる。最近は、男に仕事以外で(かま)う者は(ほとん)ど居なかった為、情報操作で男の行動を限定的にするのは容易(たやす)かった。

 

「ちょっと、うちにわにいってくるわ」

 

絢辻詞は、自分の身の周り担当の女使用人に声を掛ける。

 

「詞お嬢様、(わたくし)もご一緒いたしますわ」

 

彼女に声を掛けられた女使用人は、にこやかに応じた。気の良いこの女性が、そう応える事も想定の範囲内だ。

 

内庭に向かう通路で、内庭の方から掛け出してくる男とすれ違う。

女使用人は、「廊下を走るなんて、非常識にも程がある」「詞お嬢様にぶつかったらどうする気なのかしら!」と文句を言いながら、絢辻詞と内庭に足を踏み入れた。

 

「あら?」

 

女使用人の足が止まる。一瞬の間を置いて、女使用人が短い悲鳴を上げた。

 

「な、なんてこと!

詞お嬢様、こちらに来てはいけません!誰か!だれか来て!兎が――――!!」

 



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第十話

 

内庭は大勢の大人でいっぱいになっていた。(うさぎ)(むくろ)の前で、二人の男が絢辻詞と一緒に内庭に来た女使用人に発見の状況を真剣に聞いている。二人の男は、セキュリティ部長と使用人長であった。外部の犯行なら、侵入を許したセキュリティ部長の責任となる。内部の犯行ならば不適切な人物を雇い入れた使用人長の責任となる。話はただ、兎が死んでいたでは済まされないのだ。

 

そんな大人達の動きを、絢辻詞は内庭に面した家の壁に(もた)れて観察していた。物心つく前から、社交の世界での振る舞いを叩き込まれたせいか、絢辻詞は自分が人に注目される様にも、されない様にも振る舞うことが出来た。

 

(しばら)くして、内庭の入り口に、例の男使用人が顔を見せた。兎の亡骸を発見した時、恐らく男は日頃の自分と「詞お嬢様」との確執を思い出し、余計な誤解を避ける為、他人に知らせずその場を離れる選択をした。そして今度は騒ぎに関心を示さず顔を見せないでいると、逆に疑われる事を心配して内庭に来たのだろう。男の想定通りの動きに、絢辻詞は内心ほくそ笑んだ。配役が揃ったところで、絢辻詞は行動に移った。

 

真っ直ぐに、女使用人と二人の男が話している、兎が横たわる場所へと歩みを進める。

先ほどまでと打って変わって、人の注目を集めるオーラを放って歩く絢辻詞に、銘々(めいめい)に話し込んでいた大人達が気付き、静かに道を開ける。

 

女使用人と二人の男も「詞お嬢様」に気付いて、話を中断した。絢辻詞は静かに、兎の骸の前にしゃがみ込み、亡骸(なきがら)を膝の上にそっとのせる。

 

「詞お嬢様……」

 

女使用人には答えず、絢辻詞は(うつむ)き加減で、膝の上に載せた兎の(むくろ)を撫でながら、ほおに一筋の涙を流した。内庭は静まりかえり、そこにいる全員が絢辻詞に注目していた。そこで少女は(おもむろ)に口を開いた。

 

「あたしが、うちにわにいくとき、はしりでていくひとにあったわ」

 

彼女はそう言って、うつむいていた顔を上げ、(くだん)の男使用人を見つめた。視線は一斉に、その若い男使用人に注がれた。

 

「ち、ちょっと待ってくれ!俺はやってない!

そんな事して、俺になんの得が……」

(わたくし)も見ましたわ」

 

強い口調で女使用人は、男の弁明を遮った。

この瞬間に、全てが決した。

 

――疑わしきは(とお)ざける。

警護でなくとも、要人の周辺関係者であれば当然のセオリーである。その日の内に、その若い男使用人は絢辻家から居なくなった。ただ、絢辻家が断れない人物からのコネで来た男であったので、表立っては依願退職(いがんたいしょく)扱い。さらに、他の家への紹介状まで持たせる厚遇であった。

 

もっとも、絢辻家に関する一切の口外を(つつし)む事、もし何かしら洩れた事が分かり次第、事実の有無に関わらず、今回の件で訴訟を起こす用意がある事、そうとなれば社会的に抹殺するまで徹底的に潰す。という事を、オブラートに包んだ言い回しで、

よく良く言い含めた上ではあったが。

 

また、セキュリティ部では、男使用人の犯行ではない事も考慮し、屋敷の警備は(しばら)く厳重に行われる事となった。

 



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第十一話

兎の事件から一ヶ月程たったある日の午後――。

 

裏庭の隅に、少女 絢辻詞の姿があった。彼女の前には、(うさぎ)の小さな墓がある。あの日、御召(おめ)し物が汚れるのも(いと)わず兎の亡骸(なきがら)を膝に抱えた「心優しい詞お嬢様」に感銘をうけて使用人達が作ったものだ。先日、警備の警戒体制が()かれて、(ようや)く絢辻詞は庭へ出る事が許されたのだった。

 

兎の小さな墓を見ながら、絢辻詞は考える。今回の事で大きな発見がいくつもあった。最大の発見は、物心つく前から叩き込まれた、社交の場での振る舞い方が、人心の誘導や掌握など権謀術策(けんぼうじゅっさく)に非常に有効であったという点だ。

 

絢辻詞は、人の注目を集めたり、思う通りの印象を相手や周囲に与えたりといった、これらの技術を自分の為に使った覚えがない事に気が付いて驚愕した。今まで社交の場や接待でのみこの技術を使い、他に応用する発想を全く持ち合わせていなかったのだ。いかに自分が親に洗脳されていたか気付いて、絢辻詞は慄然(りつぜん)とした。

 

そして、やはり自分は何事(なにごと)か起きないと気付けない愚鈍な人間なのだと、少し落ち込んだ。しかし、たとえ自分が愚鈍なカメであっても前に進む事を止める気は無かった。そう――お伽話の「うさぎとカメ」のカメのように。愚鈍なカメにもカメなりの意地があるのだ。

 

もう一つは、思っていた以上に自分が、権謀術策に()けていたという点だ。やると決めたからには、下手に罪悪感を感じて躊躇(ちゅうちょ)などしては、墓穴を掘ってそれこそ身の破滅となる。今回、果断(かだん)な対応に終始出来たのは、新たに開花した嗜虐性向のお陰だった。

 

絢辻詞は、(うさぎ)の小さな墓の前にしゃがみ込んで、手を合わせた。海運グループ会長による強姦未遂事件以来、絢辻詞は自分を守る「力」になる物をずっと探していたが、まさか、(すで)に自分の中に備わっていたものが、武器になるとは思ってもみなかった。今回の件は思いがけず、それを気付かせてくれた。

 

「あなたのおかげだわ……」

 

彼女は小さく(つぶや)いた。

 

これまで絢辻詞は、表の顔しか持っていなかった。それは社交の場で自身に課せられた役割を(まっと)うする為に、必然的に生まれた仮面だった。どんなに辛い時でも、たとえ心では泣いていたとしても、相手を魅了する笑顔を作り、完璧な作法で対応する為の仮面だ。

 

今回の事で絢辻詞は、新たな仮面を持つに(いた)った。それは自分を守る為に権謀術策を果断(かだん)行使(こうし)する、嗜虐性向の裏の仮面であった。

 

そう、それはあくまで仮面である。

 

身近な者にも「詞お嬢様としてあるべき」姿をして見せているのであって、本当の自分を他人に見せた事など一度もない。(いつわ)らない本当の自分を誰かに見せるなんて、そんな時は来るのだろうか。小さな絢辻詞にはわからなかった。

 

絢辻詞は立ち上がり、長い真っ直ぐな黒髪を(ひるがえ)して兎の墓に背を向けると、一度も振り返らずに裏庭を後にした。

 

――以来、少女が庭に立ち入ることは無くなり、小動物への虐待もする事はなくなった。



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三章 少女絢辻詞 金城との出会い
第十二話


都内某所――とある上流階級主催のガーデンパーティーの場に絢辻詞はいた。

 

海運グループ会長との事件の後、(しばら)く彼女の精神的な影響に配慮して、社交の場に出る事は差し控えられていた。

 

(おおやけ)には「体調不良により暫く休養」とされていたので、会う人々は皆、久々の「天使」の登場に再会や全快を心から喜ぶ言葉を投げかけていく。それに対して少女 絢辻詞も、完璧な笑顔で挨拶を返す。しかし、内心では溜息を洩らしていた――ここに居る(ほとん)どの大人達は、彼女をただ、可愛らしい少女としてしか見ていない。しかし、周りをよく注意して見れば、明らかに自分を性的な対象として見ている視線がいくつも確認できた。

 

(こんな、狼の群の真ん中で、今まで何も気が付かずに過ごしていたなんて……。)

 

自分の迂闊(うかつ)さに、落ち込むのを通り越して、怒りさえ覚える程だった。その手の性癖の輩には、恐らく海運グループ会長との顛末(てんまつ)は「かなり」正確に伝わっているに違いない。要するに、爺さんは失敗(しくじ)った――自分達にはまだ手の付いていない、青い果実を食べるチャンスがあると。

 

権謀術策(けんぼうじゅっさく)の力を得たとは言っても、所詮(しょせん)子供騙(こどもだま)しだ。相手はいくらペドフェリアの人格破壊者(笑)だとしても、この上流階級の集まる場に招待されているからには、数々の謀略や策謀で、ライバルを蹴落とし勝ち残ってきた猛者達である事はいうまでも無い。小さな自分が到底、(かな)う相手ではないのだ。絢辻詞は実際的な対抗手段を得る事――格闘術の習得を、可能な限り秘匿しつつ――が急務と感じていた。

 

(うさぎ)の件で、若い男使用人を罠に()めた時もそうだったが、絢辻詞は誰に教わる(まで)もなく「情報」の重要性について理解していた。此方(こちら)の手の内を如何(いか)(さら)さずにおくか、格闘技術においては尚更(なおさら)重要であると確信している。しかし習得する為には先ず、師匠を探さなくてはならない。秘匿以前に、少女には習う事すらままならなかった。

 

ある日の早朝――――。

 

静まりかえった屋敷の中を絢辻詞は思案しながら、あてもなく歩いていた。最近、考えなくてはならない事が多くて余り良く(ねむ)れていない。今朝も起床時間までベッドの中で悶々としているよりはと、早々に身支度(みじたく)を整えて自室を後にしてきたのだ。

 

――もう一層(いっそ)の事、通信教育の格闘入門講座にでも申し込もうかしらと自虐的な事を考えながら、屋敷二階の奥廊下に差し掛かった時、外から何か物音が聞こえた。廊下に面しているのは裏庭だった。絢辻詞はそっと、窓から裏庭の様子を(うかが)う。

 

裏庭で痩身(そうしん)の男が独り、武術のトレーニングをしているようだった。年の頃は三十歳半ば、背丈は百八十センチくらい。一見痩身に見えたが、どちらかと言えば、無駄を削ぎ落とし、良く鍛錬された体躯と言った方が正確かもしれない。

 

「――かねしろ、とかいったかしら?」

 

絢辻詞は二階の窓の端から、男の横顔を見下ろし記憶を辿(たど)る。たしか、姉の身辺警護として新たに加わった金城という男だ。男の動作は、素人目に見てもかなり素早く洗練されているように見えた。

 

「ほう――」

 

絢辻詞は、更にその男が繰り出すあまり見た事がない動きに興味をそそられた。金城などと、如何(いか)にも偽名(ぎめい)ぽい姓を名乗っているのだから、中国系かもしれない。恐らく本名は、(キム)何某(なにがし)とか言うのだろう。

 

しかし、これは千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスかもしれない――絢辻詞は、金城の動きを食い入る様に見つめ続けた。

 




「金城(かねしろ)」のイメージは、そのまま、若い頃の金城武さんでw
本文のなかでは、金城の姓を、「如何にも偽名」なんて書いちゃいましたが、金城武さんは、ご本名なので念の為。風評被害を起こさないようお願いしますよ。

前回の補足と独り言:
絢辻さんについてよく、裏と表や、黒辻さん、白辻さんと二極化して扱われたり、表現されていたりします(まぁ、インパクトありますし、モチーフとしてはその方が分かりやすいし、扱いやすいのは理解出来ます)が、個人的には絢辻さんはそんな白黒はっきりつけられる様な、単純な女の子では無いと思っていたりします(これはアマガミのキャラ達全員に言える事ですが)
前の話で、この世界における、絢辻さんの表の顔と、裏の顔が何故誕生したか語られましたが、裏の顔も実は本当の自分(素顔)では無い事に、あえて言及してみました。
どうも猫を被っていた、表の顔の化けの皮が剥がれてでてきた裏の顔は、本性だと思われている節が多々見受けられますが、果たしてそうでしょうか?
原作ゲームのスキbesルートだけだと黒白二極に感じられますが、なかよしの猫かぶりカミングアウトルートの絢辻さんだと、黒、白の間くらいな感じがあったり、最後の告白エピソードのセリフを深読みすると、そう単純では無いと感じられたりもしそうです。
まぁとにかく一つ確かな事は、コイツ何こんなトコで熱く語ってんだ?キモっ!って事ですw


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第十三話

絢辻詞が庭に出る事が無くなったからと言って、嗜虐性向(しぎゃくせいこう)(おさま)った訳ではなかった。この時期、ターゲットは大人の人間に移っていた。少女にとって、自身の権謀術策(けんぼうじゅっさく)の精度を高める為と、嗜虐性向を満足させるのに一石二鳥だったのだ。

 

主に標的となったのは、怪しい行動をしてる者や、気に入らない使用人達だ。絢辻家( ほど)の家柄ともなると、当然ながら他の家から密偵が入り込む事も多いので、獲物には事欠かない。かと言って、自分のしている事を勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の英雄的行為とは微塵(みじん)も思ってはいなかった。ただ単に、そう言った行動不審(こうどうふしん)(やから)は、罠に()(やす)かっただけの事だ。実際、何の落度も無い青年を陥れた事もある――(ただ)の暇潰しに。

 

「こんかいは、なんもんね……」

 

少女 絢辻詞は独りごちた。標的を罠に嵌めて、ただ排除するのであれば簡単だ。しかし今回は、金城(かねしろ)という男を仲間に引き込まなければならない。ターゲットである金城の身辺調査を、何時もより入念に行わなければ。少女は、何時(いつ)ものように周囲の者や、親の書斎から基本的なプロフィールの収集から始める。

 

金城は、要人警護を生業(なりわい)とするプロのボディガードという事らしい。活動範囲はやはり海外が多く、フランス語、英語をはじめアジア数カ国の言語に精通。PMC(民間軍事企業)に在籍していた期間もあり、「かなり」危ない警護も経験しているようだった。

 

経歴は申し分無かった。腕っぷしに自信のあるだけの格闘家という訳ではなく(日本では活用する場は無いが)銃火器の使用も含め、「人を制圧する」プロフェッショナルという事だ。絢辻詞のようなひ弱な女子供(おんなこども)が、敵対する相手に対して、正々堂々(こぶし)でタイマンなどあり得ない。使える物は何でも使って相手を倒すという彼女のコンセプトにうってつけの教官(マスター)と思えた。

 

問題は金城の人格だ。信用に足る人物でなければ、これ以上、事を進める訳にはいかない。絢辻詞は、上流社会の社交の場で、多くの大人達を見てきており、人物眼はそれなりに養われているつもりだ。しかし殺伐とした世界を渡り歩いてきた男が一体どういう人格を形成するのか、少女にはさすがに想像すら出来なかった。

 

下手をすれば、絢辻詞(みずか)ら危ない野獣にこの身を(さら)す事になりかねない。最後は自分の直感を頼りに、金城が信用たり得る人物かを判断する必要があった。彼女は今までと手法を変え、ターゲットである金城に直接接触する事に決めた。

 

 



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第十四話

ある日の午後――金城(かねしろ)は、裏庭で日課である格闘術の自己修練を終え、調息をしていた。

 

近年の要人警護は、ハイテク化した通信・位置情報システム連携などにより、襲撃タイミングやアンブッシュの予測など、相手の動きを先回りするといった、事前の分析や経験則が物をいう部分が多くなってきている。とは言え、最後の最後は自らが盾となって、要人を守る瞬発力が不可欠との考えから、金城はプロとして咄嗟(とっさ)に素早い行動が出来るよう、日々の鍛錬を(おろそ)かにしない。特に日本のような、銃を携帯出来ない国では尚更(なおさら)である。

 

金城は調息しながら、

 

(――また見に来ているな)

 

努めて少女に無関心を装い、金城は独りごちた。

 

その長い黒髪の少女は、屋敷から庭にでる為の短い階段にちょこんと座って興味深そうにこちらを見ている。服装は清楚な薄青色のワンピースだ。一見(いっけん)簡素な服装にみえるが、良く見れば、最上級な素材と随所に凝った刺繍やレースがふんだんに使われているのが見てとれる。一般家庭で「普段着」として着るなど、とても叶わぬ代物だと容易に想像できた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

少女はこの屋敷の次女、絢辻詞である。現在、金城が警護を担当しているのは彼女の姉の方であったので、この「詞お嬢様」と接する機会は無いに等しい。それが何故か、金城はこの次女に興味を持たれてしまったようだった。

 

金城はこの屋敷に、海外での要人警護の実績を買われてスカウトされた。いざ来てみると、警護対象は屋敷の(あるじ)ではなく、その娘に配置された。恐らくは、金城の技量と人間性をみて、信用がおけると判断した(のち)、主の警護を任せるつもりなのだろう。言うなれば、現在は試用期間中という事だ。

 

その処遇について金城は特に気にしていなかった。逆に慎重でリスクに対する意識が高い点は高評価だ。これまでの金城の経験から、そういったクライアントの方が仕事はしやすい。

 

長女の警護を担当して最初に変更を進言したのは、毎日同じルート、規則正しい時間で行っていた送り迎えを、ランダムにする事だった。襲撃する側は、()ず手はじめに標的の日常生活を観察し、毎日、あるいは毎週といった、定期的なリズムで行う習慣――ルーティン行動から襲撃ポイントを探す。ルーティン行動を少なくする事は警護上、非常に有効な手段なのだが、金城は当初、自分の進言には難色を示すだろうと想定していた。

 

過去に金城の妻であった人は日本人だった。その為、日本人は規則正しい生活や、時間を重視する事をよく理解していたのだ。なので、あっさり進言が通った時は、逆に拍子抜けしたのと同時に、利に(さと)い主の日本人離れした現実主義(リアリスト)な一面を垣間見た気がした。

 

そういった訳で、当の金城の日常生活も、修練など日課としている事はいくつかあるが、(いず)れも意識的に決まった時間には行っていない。にも関わらず、その少女、絢辻詞は修練をしていると何処で聞きつけてくるのか現れ、興味津々といった面持ちで金城の修練を見ていくのだった。

 

 



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第十五話

クライアントとのプライベートな接触はプロとして慎むべきだが、その日、金城(かねしろ)は何の気まぐれか、自分の修練を見に来ていた絢辻詞に声を掛けてしまった。小さな子という事で、自分の娘の面影を重ねてしまったのかもしれない。

 

「――詞お嬢様は格闘技に興味がおありですか?」

 

そろそろ引き上げ時と、腰を上げ掛けていた絢辻詞は、よもや声を掛けられると思っていなかったのか、驚いた表情でこちらを見つめ固まっている。金城は少女を怖がらせないよう、努めて笑顔で続けた。

 

「よく見にいらっしゃるのでそうなのかと思いまして」

 

少女は居住まいを正し、少し考えあぐねるような仕草をした後、ぽつりと口を開いた。

 

「かねしろさんは、おつよいのでしょう?」

「――え?」

「ひとをまもれるくらい、つよいってどんなかんじ?」

「強さ――ですか」

 

格闘技の体捌きなど、見た目の面白さに興味を惹かれたのだろうと、無邪気な返答を予想していた金城は、少女が返した言葉に意表を突かれた。そして、少女は少し(うれ)いを()びた顔をして、独り言のように小さく(つぶや)いた。

 

「じぶんをまもるのも、むずかいしのに……。すごいわ」

「…………」

 

もう行かなくてはと、スカートの乱れを正すと絢辻詞は、天使と見まごう微笑と完璧なお辞儀をしてその場から居なくなった。

 

金城は、絢辻詞が去った後も(しばら)くその場に留まり、少女の残した言葉の真意を考え続けていた。金城が、この少女に関心を持ったのはこの時が最初であった。

 

金城は周囲の者に、絢辻家の姉妹について聞き込みをした。絢辻家の姉妹は、幼少の頃からその美しさと礼儀作法、立ち振る舞いの完璧さで、上流社会の社交の場では、かなりの有名人――名物姉妹なのだそうだ。

 

今自分が担当している姉の方は、少女から女性にと、更なる美しさの高みに登りつつある成長期のようで、特に少女に興味が無い金城でさえ、(まれ)にはっとするような美しさを垣間見せる時がある。

しかしながら、それは外観だけであって、内面はと言うと、当初この娘は精神に問題があるのでは無いかと、金城が(いぶか)しんだ程、極度に周りの事に無関心だった。

常に心ここにあらずといった感じで、此方(こちら)が言っている事をちゃんと理解しているのかも疑わしい。実際、会話が噛み合わない事も多い。

 

これで、学校生活の方は大丈夫なのかと思ってしまうが、成績の方はというと、名門大学付属の一貫校で幼少の頃から学年トップの座を誰にも譲った事がない才女というから驚きだ。パーソナリティとしてはエキセントリックに見えても、周りに迷惑を掛けると言った言動も無い。社交の場での振る舞いも完璧。ちょっとふわふわとした世間知らずな振る舞いは、逆に愛嬌があるお嬢様というのが世間が持つ彼女の印象だった。

 

日本ではこう言ったパーソナリティの持ち主の事を「天然」という便利な言葉で好意的に受け止めるようだった。確かに、日常会話は噛み合わないが、警護上の約束事については一度で理解し、同じ事を繰り返し伝え直した記憶が、金城には皆無だった。

 

警護に支障が無いので、金城はそれ以外については無関心を装った――警護のプロとして、クライアントのプライベートに干渉するのは慎むべきというポリシーからだが――しかし、実際に会った印象と、客観的に見た振る舞いがどうにも一致しない。彼女の本心が掴みきれない点に違和感があるのは事実だった。

 

一方、次女の絢辻詞はというと「天然」な姉とは対照的に、利発な印象の少女だった。何事にもコツコツと地道に研鑽を積む優等生タイプらしく、幼少の身ながら、身の周りの事は、大概(たいがい)自分でこなしてしまうので、お付きの使用人泣かせだという。

 

確かに、金城(かねしろ)の修練を見に来る時も、自分から話しかけてくる事もなく、遠目から見ているだけで、金城の邪魔にならないよう、幼女とは思えない配慮をしていた事を思い出す。少女と会話をして以来、彼女の事を気にして見るようになったが、日常生活においても、その(たたず)まいが崩れることはない。使用人など周りの者達に対し、柔和に接して気遣いも怠りない。

 

親の教育の賜物と言えばそれまでだが、様々な要人の警護をしてきた金城の経験からすると絢辻詞――いや、この家の姉妹はかなり異質だ。

 

これまで警護したどの家庭の子供も、外では自分の立場を(わきま)え自制をするが、身内だけの時には、子供らしく我儘(わがまま)を言ったりもっと自由闊達(じゆうかったつ)なものだ。絢辻詞の年齢であれば当然、愚図(ぐず)ったりしても良い年頃であるが、そういった姿を見たことが一度もない。まるでテレビドラマに出て来る、理想的なお嬢様を見ているような印象だった。その客観的な印象と、この前の会話はやはり、違和感を感じずには居られなかったのだ。金城は、絢辻詞の担当使用人に話を聞いてみる事にした。

 



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第十六話

金城(かねしろ)が絢辻詞と初めて会話をしてから、修練の後に、二人で短い会話を交わすのが定番となっていた。内容はとりとめの無い雑談がほとんどだ。初めに交わした「強さ」の話については、その後触れていない。某海運グループ会長との顛末を、絢辻詞お付きの使用人から聞き出す事が出来たが、その使用人から「くれぐれも詞お嬢様にその話に触れないよう」念を押されていたのだ。

 

言われるまでもなかった。大人でも真似できない程に、常に自分を律した行動や、強姦未遂事件など、金城から見ても少女の日常は、決して楽ではない事が容易に想像できたからだ。

 

金城は、そんな少女のひと時の安らぎの時間になればと、()えて日常と()け離れた話題を振る事にしていた。その中でも、絢辻詞が特にお気に入りな話題が少女がまだ見た事のない他国の話だった。

 

「――ベトナムに行ったらお薦めはチキンライス」

「ベトナムでもピラフをたべるの?」

「あぁ、そうか。西洋料理のピラフとは全然違う料理だよ。コムガーといって、鶏の出汁の炊き込みご飯だ」

「まぁ、おいしそう」

 

絢辻詞は、両手を胸元で合わせて目を輝かせる。最初はぎこちなかった絢辻詞も、最近ではだいぶうち解け、歳相応の無邪気な表情をみせるようになっていた。

 

「うん。屋台でもボリュームがあって、しかも安い。ベトナムにいた時は、毎日食べてた」

「まいにちチキンライスでは、ビタミンぶそくになりそうだわ」

「ビタミン補給は果物だね。日本と違って東南アジアは、どこもフルーツは安く手に入る」

「まいにち、やたいですませてたなんて、

おしょくじをつくってくださるごかぞくは、

いらっしゃらなかったの?」

「うん。今はいない。死んだんだ――」

「――――っ!」

 

絢辻詞がはっとして場の空気が固まったのを感じて、ようやく金城は自分の失言に気が付いた。いくら相手が幼女だからと言って、クライアントに自分の過去を吐露してしまうとは――油断意外の何物でもなかった。

 

「ごめん、なさい――」

 

絢辻詞は(うつむ)いて小さな声で謝った。金城は、この失態に、心の中で自身を罵った――自分のプライベートを(さら)すのみならず、少女の気持ちまで沈ませてしまうとは……。

 

「もう随分前の事ですから、詞お嬢様が気にされる事はないのですよ」

 

金城は努めて明るく応えた。それでも絢辻詞は――本当に?という顔で、金城の顔を見上げている。

 

「もう自分の中では普通に話を出来るくらい過去のものになっていますから」

 

金城は少女が気兼ねないよう微笑みかけながら言葉を重ねた。絢辻詞はちょっと逡巡した後、金城を真っ直ぐに見つめて意を決したように口を開いた。

 

「なくなったのは――いまのしごととかんけいが?」

 

いつになく踏み込んでくる絢辻詞に、金城は一瞬動揺したが、表情に出ないよう平静を保つ事には成功した。金城は話すかちょっと迷ったが、今の状況では、誤魔化(ごまか)さずに話した方が得策な気がした。

 

「――この仕事に着く前、もっと危ない仕事をしていてね。ちょっとしたトラブルに巻き込まれて――その時に、妻と娘を亡くしたんだ」

「…………」

 

金城の話に絢辻詞は少しびくっとしたが、目は(そら)らさず、金城を真っ直ぐに見つめ、話を聞いている。

 

「その仕事から足を洗った後、今の人を守る仕事をする様になった――そういう意味では、今の仕事をする切っ掛けとなったと言えるかな」

「むすめさんがいらっしゃったのね」

「生きていれば、詞お嬢様くらいでしょうか」

 

絢辻詞は、そっと金城の手を取り、自分の両手で包み込んだ。

 

「ごめんなさい」

 

少女は再び謝った。これは、さらに踏み込んで聞いてしまった事への謝罪だろう。金城もその場の雰囲気とは言え、自分の事をここまで話して良かったのか判断が付かなかった。金城の様子からそれを感じて、絢辻詞は金城の顔を見上げ、哀しそうな、困ったような複雑な表情を浮かべ口を開いた。

 

「だれにもいわないわ――ふたりだけのひみつ」

 

そして俯いた少女は独り言のような、か細い声で呟いた。

 

「でも――はなしてくれて、うれしかった……」

 

どつやら金城がプライベートな話を吐露した事で、絢辻詞の心はさらに開いたようだった。しかし、少女に何故ここまで、自分の事を話してしまったのか――自分の娘の面影を重ねてしまったからか。いや、これまで警護した仕事で小さな娘がいるクライアントなどいくらでもいた。絢辻詞にだけ何故なのか、この時の金城にはその理由はまだわからなかった。

 

 



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第十七話

ある日の修練の時、絢辻詞はいつになく沈んだ表情だった。金城(かねしろ)は気になってその訳を聞いたが、はじめ少女はなかなか口を割らなかった。なんとか聞き出した所によると、どうやら家の誰かに、変な目で見られていて怖いという事のようだった。

 

「雇い人なら、簡単だ。辞めさせればいい」

「あたしのおもいちがいかも……。

まわりのひとにはなしても、きっと、きにしすぎといわれるだけだわ」

 

少女は困ったような、寂しそうな顔をこちらに向けた。

 

「――かねしろさんも、あのはなしはきいているのでしょう?」

「…………」

 

海運グループのオーナーとの件を言っているのだろう。どうやらあの事件の所為(せい)で、他人の視線に過剰に反応してると思われたくないらしい。しかし少女からすると、かなり不安に思っているようだ。人に襲われた経験が、蘇ってくるのか、話をしているだけで肩を強張らせ、小さくなっている。

 

「かねしろさん――おねがいがあるの

たんとうのおしごとではないけれど……」

 

絢辻詞の相談は、金城が絢辻詞の担当ではない事は重々承知しているが、それとなく自分の身の周りも見守ってほしいという事だった。

 

「かってなこといって、ごめんなさい……。

でも、ほかにたよれるひとがいなくて」

「仕事としては受けられない」

「…………」

 

金城の返答に、絢辻詞はかなり落胆した様子で、(うつむ)き肩を落とした。

 

「でも、大切な友達のお願いとして、受けさせてもらうよ。是非」

 

少女は俯いていた顔をぱっと上げた。金城はその顔に優しく微笑み返す。

 

「ありがとう……」

「友達が困っていたら助けるのは当たり前だろう?」

「――ともだち」

 

絢辻詞は、心から安堵した表情で、胸の前で両手を重ね合わせ、金城の言葉を噛み締めているようだった。

 

金城が絢辻詞の身辺を見守るようになって数日が経った――。

 

少女には業務の合間の時間のみ。いつでも傍で見守れる訳ではないという条件を伝えてある。それでも、自分の事を誰かが見守ってくれているという事実が彼女を安堵させているようで、たまに目が合うと、はにかんだ笑顔をこちらに向け嬉しそうな顔をする。

 

はたして、少女の云うことが事実がどうか判然(はんぜん)としない所だと金城は思う。本人の言うように、気にし過ぎという事も考えられる。その辺も含めて、(しばら)く様子をみる事にした。何事もなければ、それはそれで少女の不安が取り除ければよいと思っている。

 

それにしても、絢辻家の家庭環境はちょっと異質というか、異常だ。姉の警護は、金城を含め6人体制であるのに対して、絢辻詞には誰一人付いていない。まだ年頃では無いという事を差し引いても極端だ。そもそも、誘拐といった犯罪に巻き込まれる可能性は歳が小さい方が高いのだ。

 

一度、セキュリティ部長にそれとなく進言した事があるが、小学生の時から周りに警護がごたごたと付くと、交友関係に影響がでるとかなんとかで、結局やんわりと却下された。それが絢辻家の主の方針であるというのなら仕方(しかた)がないが、しかし絢辻詞が不安や悩みを家族や身近な人に話せず、金城など外様(とざま)もいい所の雇われ用心棒に話さざるを得ないのは、あまり良い状況とは思えなかった。

 



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第十八話

警護の業務が終わった後、今夜も金城(かねしろ)はいつもの様に絢辻詞の部屋周辺を見廻(みまわ)る。最近、夜の見廻りが就寝前の日課となっていた。時刻は日付も変わり、広い屋敷内は静まり返っている。

 

二階奥の廊下に差し掛かった時、何かの物音に気が付いた。

 

「ぃゃっ!――やめて……」

 

小さい声だが確かに叫び声だった。

 

金城は声のする方に急いで近寄る。廊下の角に差し掛かったところで、小さな白い物とぶつかった。足を掛けられた状態となって、思わず前に倒れこむ。

 

「詞お嬢様――」

 

ぶつかって来た白い物は、寝間着姿(ねまきすがた)の絢辻詞だった。金城は四つん()いになって、少女に覆い(かぶ)さる体制になっていた。押し潰さなくて良かったと安堵しつつ、絢辻詞の様子を伺う。

 

「どうしました?大丈夫ですか?」

「かねしろさん?――た、たすけて!」

 

絢辻詞は、立ち上がると走り出した、金城も立ち上がって少女の後を追う。絢辻詞はそのまま自室に駆け込んだ。

 

「――詞お嬢様、いったい」

「はやくはいって、カギをしめてっ!」

 

ベッドの上に倒れ()した絢辻詞が小さな声で叫ぶ。金城は一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したが、()むを()ず絢辻詞の言う通り、少女の自室に入って鍵を閉めた。

 

「はい。ごくろうさま」

 

部屋の温度がそれで下がったかのような固く冷たい声が響く。金城は自分の耳を疑った――今の声は絢辻詞(しょうじょ)が出したのか?ベッドから起き上がった絢辻詞の表情もまた、金城が今まで見たことのない冷淡な表情を浮かべていた。

 

「――いったいどういう」

「静かにした方が身の為よ。今誰かに踏み込まれたら、あなた、強姦未遂の現行犯になるわ」

「なにを……」

「あたしを押し倒した廊下には、録画式の監視カメラが設置されてるの。(さら)にあなたは、逃げるあたしを追って、あろう事かプライベートルームに押し入り、ドアの鍵まで閉めた。何か言い逃れができる?」

 

金城は目の前にいる絢辻詞の変わり様に、動揺を隠しきれないでいた。誰かに変な目で見られているという話は嘘だった――いや。それどころか、絢辻詞が金城に接近してきたこと自体、始めから仕組(しく)まれた事だったということか。

 

「俺は、子供になど興味はない。馬鹿馬鹿しい」

「あなたがそう主張しても、周りの大人達はどうかしらね。最近、あなたがあたしの周りにまとわりついて、じろじろ見ていたのは、周知(しゅうち)の事実だわ」

「――それは、君が見守って欲しいと……」

「誰か証明できる人はいる?」

「…………」

 

金城は内心、舌を巻いた。確かに今ここで少女が悲鳴を上げて涙ながらに、襲われたと証言すれば、金城が(いく)ら弁明しても状況証拠としては黒と(あつか)われるだろう。年端(としは)のいかない少女がこれほど周到(しゅうとう)に罠を張り巡らす事ができるとは。正直油断した――焼きが回ったと後悔しても、もう遅い。

 

しかし分からないのは、なぜこの少女は一介(いっかい)の雇われ用心棒なんぞを罠に()める必要があるのか。一体何が目的だ?

 

冷淡な顔に、嗜虐的(しぎゃくてき)()みを浮かべて少女は続ける。

 

「怒った?殴りたいなら殴りなさい。ただしその時点で、交渉決裂。強姦未遂、婦女暴行の現行犯だわ。今後、ボディガードの仕事が出来なくなるどころか、社会的に抹殺(まっさつ)される事になるけど」

「――いったい何が望みだ」

 

絢辻詞は腰掛けていたベッドからゆっくりと降り、腕を組んで金城の前に立った。

 

「契約なさい――あたしの物になると」

 

 




恐るべし、ロリ辻トラップ、、、。あなたなら、どう乗り切りますか?自分は思いつきませんでした。。。


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第十九話

「え――なんだって?」

 

絢辻詞の容姿、体型からあまりに()け離れた言葉に、金城(かねしろ)は少女が何を言っているのか理解できなかった。

 

「もう、ちゃんと聞いてなさいよ。仕方がないからもう一度分かりやすく言ってあげる」

 

少女 絢辻詞は、腰に手をあて、()ん反り返るように金城を見上げて言った。

 

「強姦の罪でこの世から抹殺されたく無ければ、あたしの物になりなさい」

 

これは何の冗談だ。金城は頭が痛くなってきた。天使の様に可憐な少女の口から「強姦」などといった単語が飛び出すだけでも卒倒モノなのに、自分の所有物になれだと?一体何が起こってるんだ。今日の夕方まで、実の父娘(おやこ)の様に互いに親交を深めていたのは夢幻(ゆめまぼろし)か。

 

「す、すまん。ちょっと頭を整理させてくれないかな」

「なによ。案外飲み込み悪いのね」

 

絢辻詞は再びベッドによじ登ってちょこんと座りなおした。どうやら、金城が落ち着くまで待ってくれる気らしい。

 

金城は、一度大きく深呼吸をした。

 

「あ――要するに俺を強姦魔にしない()わりに()う事を聞けと」

「あってるけど違う。契約よ。あたしの物にあなたがなるの」

「あぁ、失礼。俺を強姦魔にしない代わりに、えーっと、君に(つか)える契約を結べと」

「そう。契約よ」

 

どうやら少女が限りなく有利な条件で、金城を仲間に引き入れたいという事らしい。金城は腕を組んで左手を口元に持っていき、さも思案(しあん)しているという顔で(つぶや)いた。

 

「それは困ったな」

「別に困るところはないでしょ」

 

実の所、金城はさして困っていなかった。仮にこのまま連行されたとしても、嘘で塗り固めた経歴に付く傷など無いのと一緒だったし、本当の経歴は書いた分だけ犯罪歴の自供になってしまう程に元から真っ黒だ。気が向くなら、このまま逃走してしまってもいい。金城がまた裏社会に復帰したと聞けば、いくつかのマフィアが札束を山ほど抱えてスカウトにくるだろう。もちろんそこまでする気力が今の金城にあればだが。

 

そもそも――仮に脅迫者が大人で、言う事を聞かなければ殺すと脅されたのだとしても、金城の反応は大差なかっただろう。脅迫と言うものは、される相手が失うと困るものがある事が大前提だ。そう言った意味で今の金城には効果のない戦術だった。日本に態々(わざわざ)来たのも、死ぬ前に妻の故郷を観ておくのも悪くないと、気紛(きまぐ)れに思ったにすぎない。そう――今の金城にはもう(うしな)うものは何も無かったのだ。

 



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第二十話

金城(かねしろ)は、組んでいた腕を解くと大袈裟に手振(てぶ)りを交えて話し始めた。

 

「俺は仮にもプロですし、特にこの業界は、約束事、契約に(うるさ)い業界です」

「まぁそうでしょうね」

「今、俺は絢辻家と契約しています。そこで詞お嬢様と契約するとなると……。これは、二重契約になってしまいます」

「――そんなの……」

 

怪訝(けげん)な顔をして口を挟もうとする絢辻詞を制して、金城はさも困ったといった風に、部屋のなかをぐるぐると往復しながら茶番(ちゃばん)を続ける。

 

「いやいや。詞お嬢様が思っている以上に、この業界は掟が厳しいのです。二重契約をしている事が知れた時点で、この業界では生きていけません」

「…………」

 

絢辻詞は寝間着の(すそ)をぎゅと握りしめて、居心地の悪い表情をし始めた。金城は気が付かないフリをして話を続ける。

 

「あ――これでは、強姦魔にされようと、されまいと俺はこの業界では生きていけません。特に絢辻家には、恩も借りもございませんから、詞お嬢様にお(つか)えすることに、何ら含む所は無いのですが……」

 

まるで舞台俳優のように大袈裟な仕草(しぐさ)で金城は至極(しごく)残念そうにがっくりと(うつむ)く。

 

「あ、あなた!犯罪者になってもいいというの」

「確かに。前科が付くというのは(いささ)(いただ)けませんね」

 

金城はくるりと振り向いて絢辻詞の方を見ると、人差し指を顔の前に立てた。

 

「こういうのはいかがでしょう。一度、絢辻家からお暇を(いただ)いた後、改めて詞お嬢様にお仕えするというのであれば、二重契約にならずに済みます」

「うん、それよ!そうなさい」

 

(しぼ)みかけていた絢辻詞は、再び元気を取り戻して同調する。金城はここで間髪入れず、少女に近付(ちかづ)いて囁いた。

 

「――しかしそうなりますと、俺は絢辻家に自由に出入りすることが出来なくなりますが、さて……詞お嬢様、如何致(いかがいた)しましょう」

「…………」

 

絢辻詞は顔を真っ赤にして押し黙った。

 

金城の虚言を(ろう)した話術によって、絢辻詞は完全に気勢(きせい)()がれてしまった。こういった脅迫事の成否は、相手に精神的な余裕を与えず、一気にたたみ()めるかに掛かっている。大人と子供の差というよりは、金城との場数を踏んできた数、経験の差だった。

 

先程までの鬼気迫る策謀家の姿は見る影もなく、すっかり意気消沈してしまった少女の姿を見て、金城はこのくらいにする事にした。

 

本来なら、もっと早くに切り上げて退室してしまっても良かったのだが、金城には気になる事が一つあった。何故(なぜ)自分がこれ程までに絢辻詞を気にかけるのか、その訳を知りたかったのだ。

 

「詞お嬢様……」

「――なに」

 

(はかりごと)の全てが失敗に終わってしまった事を理解した絢辻詞の、むしろ清々(すがすが)しいとまで思える表情を見て、金城は内心驚嘆した。今なら「今夜はもう遅いのでそろそろ引き上げます」と言ったら「あらそうね、おやすみなさい。ごきげんよう」と何事も無かったかのような受け答えが返ってきそうだ。

 

今回の絢辻詞の謀略は金城に出会った時からと考えても、膨大な時間と労力を掛け、緻密に策を練ってきた事が容易に想像できる。それが(わず)か数分前に全て水泡に帰したのだ。この年頃ならもっと駄々を()ねたり、暴れてもいいくらいなものだ。

 

長い時間と労力を掛けた計画が破綻した時、「こんなはずでは無い」「まだ終わっていない」と現実を受け入れられず、無様(ぶざま)な醜態を晒す大人達を、金城は数多く見てきた。

 

それに比べて目の前の少女、絢辻詞の態度は実に理性的で見事だった。帝王学を学んできた絢辻家の娘としての品格なのか、それとも――あまり関係性は良くないようなので、本人に言っても喜ばれないと思うが――リアリストな絢辻家当主の天性の素質を少女が色濃く受け継いるからかも知れない。

 

実際、金城にドアの鍵を掛けさせた所までは完全に少女の術中に(はま)っていた――相手が守るべき家庭や地位がある普通の人間なら、間違いなく成功した事だろう。

 

金城は少女が座っているベッドの(そば)に膝をついて、絢辻詞と目線の高さを同じくして向き合った。

 

「――詞お嬢様。このように策を(ろう)さなくとも、何か助けて欲しい事があればおっしゃっていいのですよ」

 

「べ、別に助けてほしいなんて言って…ない……」

 

少女の声のトーンは語尾に行くに従って弱々しくなった。

 

「なに意地を張っているのですか。詞お嬢様と金城は友達ではありませんか」

「え、だって、それは……」

 

金城は静かに首を左右に振って、絢辻詞に最後まで言わせなかった。

 

少女はため息を一つすると、観念して肩の力を抜き、ぽつりぽつりと語りはじめた。

 

 

 



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第二十一話

少女の語る半生はある意味、壮絶としか言いようが無かった。東南アジアのスラムで生まれ育った金城(かねしろ)の少年時代も大概(たいがい)だったが、絢辻詞のそれはベクトルが違っていた。これだけ裕福な家庭に生まれながら、心身共に自由が無かったのだ。

 

物心つく前からの徹底した「躾け」によって、全ての行動が絢辻家、親のためだけの生活だった。そして、その事に全く疑念を持つ事無くこれまで過ごしてきたという。絢辻詞はそれを「洗脳」と言った。この言葉を一般的には親の過干渉に対する、比喩的表現として使われる事が多々あるが、絢辻家の場合は、客観的にみて、正にそれと表現するのが適切と思われた。

 

「親にとって、周りのものはみな自分の為の道具なの。それは家族といえども変わりはない。ううん、身内な分だけ扱いはより酷いかも」

 

海運グループ会長による強姦未遂の件も、大物とのパイプ強化の為に仕組まれたのだと絢辻詞は断言した。普通なら親が実の娘に対してそんな事をする訳がないと一笑に付す所だが、金城がこれまで絢辻家で感じてきた違和感からするとあながち間違いとも思えないのだった。

 

「――だから、あたしには自分を守るための力が必要だったの」

「それで、俺の弱みを握って、用心棒に引き入れようとしたわけだ」

「ううん。それはそれで有難いけど、護られてるだけでは、あなたが傍に居ない時、あたしは無力のままでしょう?だから、あなたから格闘術を教えてもらいたかったの」

「ええっ」

 

自ら体術を修得する為だったとは――これには、金城もさすがに意表を突かれた。大人である金城の力を利用する為に策を()ったのかと思っていたのだが、そうではなかったのだ。

 

「なるほどね……」

「もしかして、あなたの体術は門外不出だったりするの?」

 

金城の煮え切らない表情を見て絢辻詞が疑問を口にする。

 

「い、いや別にそういうものではないですが、詞お嬢様は、女の子ですし……」

「だからこそ、必要としているのよ」

 

絢辻詞の口調は静かだったが、金城を真っ直ぐに見つめる眼には熱がこもっていた。

 

金城は考えあぐねた。確かに少年だった頃の自分が底辺のスラムから這い出す事が出来たのは、格闘術を修得したお陰と言えた。金城と絢辻詞は生まれも育ちも全く違うが、置かれている境遇は酷似していた。

 

「ねぇ。あなた、本当に少女に興味はないの?」

「え、なんだって」

 

金城は思案に(ふけ)っていた為、絢辻詞が何を言ったのか理解できず、思わず聞き返した。

 

「だから、あなたはペドフェリアではないの?」

「は?」

「自分で言うのも何だけど、その筋で、あたしは相当に価値が高いそうよ」

「いったい何を……」

 

絢辻詞は一瞬、躊躇するような仕草をした後、意を決したように金城を上目遣いで真っ直ぐに見つめた。

 

「もし……あなたが、あたしのお願いを聞いてくれるなら――あたしをあげる」

 



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第二十二話

「その代わり……今、あなたがいる日常をあたしにちょうだい」

「…………」

 

金城(かねしろ)は、一瞬言葉を失った。しかし、過激な発言の中にある少女の必死さは充分に伝わった。大きく深呼吸をすると、金城はゆっくり口を開く。

 

「詞お嬢様――。先程(さきほど)も申しましたが、そんな無理な交渉事をしなくても、ただ、助けてほしいと言えばいいのです。金城と詞お嬢様は友達なのですから」

「え……でも」

 

少女は言っている意味がよくわからないといった感じで小首を(かし)げる。その仕草 (しぐさ)に絢辻詞が本当に理解していないのだと分かって、金城は暗い気持ちになった。

 

これだけの豪邸に住まい、多くの使用人に(かしず)かれながら、この少女はスラムの孤児達と同じく、人の善意というものを知らないのだ――。

 

もちろん、社交的なコミュニケーションを円滑にする配慮としての表面的な優しさや親切心は理解している。しかしながら、真心(まごころ)から生まれる無償の善行や愛といったものに触れた事が無いのだろう。例えば――親からの愛情とか。

 

だから自分の価値観に当て嵌め、世の中の人たちも皆、何かしらの対価――(ある)いは弱みを握られるなどしないと人は動かないと思っているのだ。おそらく物心つく前から、本音を語らず腹の探り合いをするのが当たり前の上流階級の社交の場で育った事で、人とは皆そういうものだと認識してしまったのだろう。

 

「いったい、どうしたらいいのかしら……。残念ながら、あたしには自分しかあなたにあげられるものはないの」

 

絢辻詞は(うつむ)き、長い睫毛(まつげ)を伏せて(うれ)いの表情を浮かべた。そんな少女を見ながら、金城は思案を(めぐ)らす。ここで金城が、なんの対価も要求せずに助力を申し出ても、彼女の価値基準では到底納得しないだろう。

 

逆に裏があるのではと猜疑心を強め、最悪の場合、金城との交渉を断念――悲鳴を上げて、人を呼ぶかもしれない。今は絢辻詞の気勢(きせい)()らして金城が会話の主導権を握っているが、実際の所は、まだ絢辻詞が仕掛けた(キルゾーン)の只中にいる事に変わりはない――金城は、打開策を探る為に少し話題を変える事にした。

 

「詞お嬢様は体術を修得して、自分を守れる様に強くなった後はどうされますか」

「あなた馬鹿なの? 体術を修得したくらいで、強くなった気になんて、なる訳ないじゃない」

「はあ……」

 

金城は、少女の毒舌に苦笑した。実現した未来を夢想させて、少女の気分を変えさせようとしたが、それ程甘くはなかったようだ。

 

「体術の修得は、夢の実現に向けたほんの一歩に過ぎないわ。あたしは、絶対に姉さんのようにはならない――いつの日か必ず、親に対抗できる力を手に入れてみせる。今は何もないけれど……」

 

絢辻詞の言葉には固い決意が込められていた。その台詞は反抗期の娘が親に対してよく口にするような言葉だが、絢辻家において、この言葉の意味する所は遥かに重い。

 

絢辻家の現当主は、上流社会における地位を着実に上げている。裏で日本を真に動かしている「五人会議」の次期最有力候補と目されている人物だ。この親に「対抗」するという事は、比喩ではなく世界を敵にまわす事に等しい。

 

それでも、少女らしい「夢」という単語が絢辻詞の口からて出来た事に金城は安堵した。金城は、微笑みを浮かべて会話を繋ぐ。

 

「夢ですか――詞お嬢様はどの様な夢をお持ちなのですか」

「そんなの決まってるじゃない」

 

絢辻詞は、聞くまでもないでしょうと、いう顔をして言った。

 

「本当の自分で居られる場所を手に入れるのよ」

 

 

 

 

 



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第二十三話

絢辻詞の言葉に、金城(かねしろ)は愕然とした――年端(としは)もいかない少女が、一体どんな生き方をしてくればこんな寂しい夢を持つに(いた)るのか、想像すら出来なかった。薄幸なスラムの子供の方が、まだ無邪気な夢を語るに違いない。

 

そして、目の前で腰に手を当て、ドヤ顔をしている少女をまじまじと見つめながら、金城は考える――という事は何か?この目の前の嗜虐的で毒舌な策士の顔も本当の絢辻詞では無いということか。

 

要するに絢辻詞は――絢辻家の娘として、理想のお嬢様を演じる清廉可憐な表の顔と、自分の夢を実現させる為に暗躍する冷徹な策士としての裏の顔の二つの顔を使い分けているのだ。おそらく物心つく前から、厳しく社交の場での所作を叩き込まれ、どんなに具合が悪い時でも完璧な礼儀作法で対応する事を()いられるなかで、自己防衛の為に仮面を作らざるを得なかったのだろう。そう考えると目の前の少女が見せる傲岸不遜な態度も、痛々しく思えた。

 

そして、この少女が見ている世界では、他の人も同じような生活を強いられており、みな同じ願望を持っていると思っているのだ。学校で同年代の子供達が語る無邪気な夢は表面的な社交トークで、よもや本音で語っているなどと、絢辻詞は、露程(つゆほど)も思っていないに違いない。

 

「――そ、それは素敵な夢ですね……」

 

金城は平静を装ってなんとか言葉を絞り出した。絢辻詞は、そうでしょうと言った顔で満足げに頷いた。

 

絢辻詞は、人は本音で語り合う事など無いと思っているため、これまで誰かに助けを()うなどした事が無いに違いない。だから、ただ一言「助けて」と言えれば済む所を、こんな手の込んだ策を(ろう)する事になってしまったのだ。逆に言えば、それだけ少女がこれまでに無く、切羽詰まった状況であるとも言えた。今回、金城にこれだけ自身の胸中(きょうちゅう)を語ること自体、少女にとって異例中の異例に違いない。

 

そして自分が、絢辻詞を何故(なぜ)こんなにも気にかけるのか、金城はここにきて(ようや)く理解した――この豪邸で多くの人々に囲まれながら、少女は金城と同じく壮絶な迄に孤独だったからだ。

 

金城は、実の所もう人生を終わりにして、家族の元に()こうと思っていた。日本に来たのも最後に、妻の生まれ故郷である日本を見ておくのも悪くないという気まぐれからだった。しかし、絢辻詞と関わり合いを持ってから、段々とこの少女と人生を共に歩いてみたくなってきていた。

 

金城は、自分の中に芽生えたこの気持ちが何なのか考えてみる。娘の面影を重ねている訳でもないし、単なる同情とも違う。どちらかといえば境遇といった、自分との共通点 (シンパシー)だろうか――ただ単に、傷を()めあいたいだけかもしれない。死のうと思っている人間が、この後に及んでまだ心の救済を求めるなどと、自嘲する。

 

ただ一つ確かな事は、既にかなり歪んでしまっているこの少女は、放っておけば早晩(そうばん)、壊れてしまうに違いないということだ――絢辻詞には寄り掛かれるものが必要だ。

 

金城は、絢辻詞を見つめ、意を決して口を開く。

 

「詞お嬢様。この金城に、お嬢様の手助けをさせては、いただけませんでしょうか」

「でも――あたしには、あなたにあげられるものは何も……」

 

案の定、少女は怪訝な表情をして金城を見つめ返す。

 

「夢の話を聞いて、詞お嬢様に賭けてみたくなったのです。是非、金城にも同じ景色を見せてはくれませんでしょうか」

 

これで、少女が納得してくれればいいが――ベンチャーキャピタルなど所謂、先行投資 案件というやつだ。これなら、絢辻詞の価値観でも理解できる話だと金城は踏んだ。

 

「成る程――先行投資という訳ね」

「その通りです。いかがでしょう」

 

絢辻詞に話が通じて、金城は内心安堵した。

 

「必ずしも、あたしが親より力を付けられるとは限らないわよ。それでもいいの?」

「金城は、詞お嬢様の類い稀なる、権謀術策(けんぼうじゅっすう)の才に感服(かんぷく)いたしました。賭ける価値は充分あると判断します。それに、先行投資とはまだ誰もその価値に気が付いていない時に決めなければ、相応のバックは見込めないものです」

 

少女は腕を組んで「ふむ」と(しば)し金城の話を思案してから言った。

 

「――いいわ。あなたにも、一枚噛ましてあげる」

「ありがとうございます」

「これで契約成立ね」

 

絢辻詞は、太々(ふてぶて)しい笑顔の中に安堵の表情を(にじ)ませて言った。

 

これで家族に再会するのが遅くなってしまうが、あの妻なら、この寄り道をきっと許してくれるに違いない――ほんの一瞬、垣間見せた、年相応な少女の表情を見ながら、金城は思った。

 

 

 

 



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第二十四話

それから(しばら)くたった、ある日の午後――金城(かねしろ)は、絢辻詞の姉に挨拶をする為、彼女の自室の前に来ていた。

 

絢辻詞に思い切り蹴られた(すね)がまだ少し痛む。

 

あの夜、絢辻詞と金城との間で「密約」が成立した。「秘密ですよ」という金城の言葉に「それで済むなら、二重契約とか言わずに最初からそうすれば良かったじゃない。あたしを(たばか)ったわね」と絢辻詞は不満顔だったが、金城を引き込むという当初の目的は果たせたので、金城の脛を蹴り飛ばして納得する事にした様だった。

 

この密約によって、金城が行動しやすいよう体制変更を画策する必要性ができた。絢辻詞は、この件については姉と話をしてみると言ったが、金城は、あの現実離れした天然の姉に、到底何か出来るとは思っていなかった。なので、警護対象の担当配置替えの辞令が下りた時には正直、驚きを隠せなかったのだ。

 

ドアを数回ノックするが返事はない――返事が無いのはいつもの事だ。「失礼します」と声を掛けて、金城は部屋に足を踏み入れた。当然ながら、ドアは開け放したままだ。

 

絢辻詞の姉――絢辻縁は、窓際に設置された一組(ひとくみ)のテーブルセットの椅子に腰掛け、テーブルに(ひじ)をついて窓の外を眺めている。こちらからは、表情を(うかが)い知る事はできない。金城が入ってきた事にも気が付いているかどうかすら怪しい所だが、そんな事を一々(いちいち)気にしていたら、彼女の相手は務まらない事を、金城は警護を担当して充分理解していた。

 

金城はいつもの様に、一方的に用件を伝える事にする。今回、辞令が下りて、詞お嬢様の警護を(おお)せつかったので、警護担当から外れる(むね)を絢辻縁の背中に向けて伝えた。

 

(いた)らない点、多々ありましたでしょうが御許(おゆる)し下さい。警護の担当からは(はず)れますが、絢辻家には引き続きお世話になりますので、今後共お引き立ての程、何卒宜しくお願い致します」

 

金城は頭を下げる――が、特に反応はない。最後までこれかと内心ため息を付きつつ、引き上げようとした矢先だった。

 

「金城。詞ちゃんを宜しくお願いね」

 

凛とした聡明な声が部屋に響いた。

 

金城は、はっとして顔を上げた。一瞬誰の声か分からず、思わず辺りを見回してしまった。目の前に居る絢辻縁には何の変化もない。相変わらず、窓の外を眺めているままだ。

 

しかし金城は、これで全てを理解した――金城は姿勢を正し、絢辻縁の背中に向かってもう一度、深々(ふかぶか)とお辞儀をすると、何も言わずにその場を後にした。

 

 



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第二十五話

絢辻縁の部屋を辞した金城(かねしろ)は、次の目的の場所に行く道すがら考える。遠い将来の話だが、現当主が老いるなどして権力を次に移譲した時、絢辻縁は絢辻詞にとって最大の障害になるやもしれない――少なくとも侮ってはならない相手だと心のメモに記しておく事にした。やれやれ――我が(あるじ)の前途はどこまでも多難だ。

 

目的のドアの前に立つと、(おとな)いを告げる。中から「どうぞ」と明瞭な返事が返ってきた。金城は部屋に入ると、姿勢を正して部屋の主人に挨拶をする。

 

「失礼します。本日付けで、詞お嬢様専任の警護長兼使用人長を拝命いたしました」

「ようこそ。待っていたわ」

 

少女、絢辻詞が笑顔で出迎える。

 

「長などと、肩書きが付いていますが、部下もなく一人でなんでもやる、詞お嬢様専任のお世話係という感じです」

「金城一人の方が、動きやすくて好都合よ」

「まぁ、詞お嬢様が良ければそれで――」

「金城。名前はいらない」

「は?」

 

絢辻詞は、金城にしか見せない嗜虐的な表情を浮かべて言い放った。

 

「あなたが(つか)えるお嬢様は、この世にあたし一人しか居ないのだから、呼ぶ時に一々(いちいち)名前を付ける必要はないでしょう?」

 

早速これだ。まったくこの少女は――金城は苦笑する。金城は、改めて(うやうや)しくお辞儀をした。

 

「失礼いたしました――お嬢様(・・・)。以後気をつけます」

「うん。それじゃぁこれからの事を話しましょうか」

 

――この日から二人の、二人三脚の生活が始まった。

 

金城が、絢辻詞と生活を共にする様になって驚嘆した事が二つあった。一つは、裏と表の仮面の使い分けの見事さだった。少女とは思えぬ、その切り替わりの巧みさには思わず舌を巻いた。

 

もう一つは、絢辻詞の(みずか)らに対する厳しい姿勢だ。金城は日中、絢辻詞の個人執事兼警護として仕え、早朝と夜に、格闘術の師匠として少女の指導にあたった。

 

日中は、絢辻詞が主として振る舞い、稽古の時は、立場が逆転する訳だが、当初、日中の金城に対する絢辻詞の傲岸不遜(ごうがんふそん)な態度を見るにつけ、果たしてちゃんとした稽古になるのかと疑念を持っていた。しかし、いざ稽古となると、日中の絢辻詞とは別人かと見紛(みまご)うほど真摯に、稽古に取り組む姿勢を見せた。

 

一度、稽古の合間にこの事について絢辻詞に話した事があったが、少女はさも心外と言った面持(おももち)ちをして言った。

 

「自分の人生が掛かっていると分かっている時に必死にならなくて、一体、いつなると言うの?」

 

少女は言葉の通り、どんなに疲れている時も、稽古に一切の手抜きをしなかった。稽古が終わった後も、睡眠時間を削って自己修練で研鑽を積み続けた。成績が下がる事など絶対に許されない学業に加え、多数の習い事、公的行事への出席など、既に多忙を極める日常の中で、格闘術の自己修練を入れるには、只でさえ少ない睡眠時間を削る以外に余地がなかったのだ。その為、逆に金城の方が、オーバーワークで絢辻詞が壊れてしまわぬようコントロールする必要があった程だった。

 

 

***

 

――それから十年近くの時が過ぎ、高校二年となった絢辻詞は驚く程強くなっていた。

 

女性ならではの関節の柔らかさを活かした、広い可動域から繰り出す多彩な蹴技(けりわざ)は既に金城を越えており、彼女独自のトリッキーな戦術も相まって、金城との組手でも五本に一本は取る迄になっていた。

 

今の絢辻詞であれば、その辺の格闘かぶれのゴロツキが束になっても、指一本触れられないだろう。

 

――しかし、お嬢様。いくらなんでも、無茶し過ぎでしょうが……。旧ボイラー室に潜入した金城は、積み上げられたダンボール箱の影で頭を抱えていた。

 

 

 



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四章 輝日東高校 旧ボイラー室Ⅱ
第二十六話


()ぐにふん捕まえて、そのムカつくマスクを引っぺがしてやる。もっとも、先にひん()くのは下半身だがなぁ!!」

 

タンクトップの咆哮に、絢辻詞を囲む男達も一斉に罵声を上げ、旧ボイラー室は一気にヒートアップする。渦中(かちゅう)の絢辻詞もまた、湧き上がる嗜虐性向を理性で抑えるのが限界に来ていた。

 

部屋の中央に移動する際に、金城(かねしろ)が潜入している事は確認済みだ。今頃きっと、物陰に(ひそ)みながら、この状況に頭を抱えているに違いない。しかし――金城が居るなら、自分の背中は金城に任せてしまえばいい。目の前の奴らを片っ端から潰していけばいいだけだ。

 

彼女は、考えただけでゾクゾクする衝動に全身が包まれるのを感じた。「今日はもうここまででいいや――」考えるのが面倒になった絢辻詞は、リビドーに身を任せる事に決めた。手加減せずに暴れまわれるなんて、いつ以来だろう――マスクの中で舌舐めずりをする。

 

「帰ったら、また金城に小言を言われちゃうわね」などと、他愛もない事を考えながら、周りの男達に気が付かれぬよう、彼女はゆっくりと跳躍のために膝を沈めていく。タンクトップがあともう一歩近付いたら、絢辻詞の射程距離だ。そして彼女が飛び出そうとした、まさにその瞬間――野太い男の声が、旧ボイラー室にひびいた。

 

「そこまで!」

 

タンクトップが声の方を振り向き(つぶや)く。

 

「お、おやっさん……」

 

旧ボイラー室の奥の壁にある鉄扉の前に、小柄な年配男性が立っていた。

 

「お前が居ながら、何だこの騒ぎは。馬鹿者が!」

「しかし、このアマ、ここの秘密を……」

 

男は、タンクトップをひと(にら)みで(せい)して、今度は静かな声で言った。

 

「――お前達は、命拾いをしたのだぞ」

「…………」

 

男は、呆然(ほうぜん)としているタンクトップの横を通り過ぎて、絢辻詞に近づき、小さな声で話しかけた。

 

「詞ちゃん。ウチの若いもんをあんまり揶揄(からか)わないでくれないかなぁ」

「あら、いやだわ。名前を言ってしまっては、顔を隠して来た意味が無くなるじゃないですか――用務員さん」

 

近くにいたタンクトップが、二人の会話に気付いてはっとする。

 

「ま、まさか――風紀委員長……」

 

絢辻詞は顔の前に人差し指を立ててタンクトップに「内緒」の意思を示す。年配の男―― “用務員さん”は「話は奥でしましょう」と、絢辻詞を奥の鉄扉へと(いざな)う。彼女が“用務員さん”について奥に行こうとしたその時の事だった。一人の男が突然後ろから襲いかかった。

 

入り口で早々に倒された、茶髪だった。失神していた為に、状況が飲み込めていなかったのか、ただ単に腹に据えかねての行動だったのかもしれない。茶髪の右フックが、絢辻詞の右顔面を捉えたと誰もが思った、その瞬間――茶髪の(こぶし)は空を切った。

 

絢辻詞は、瞬時に膝を落として茶髪の拳を(くぐ)り抜けると、そのまま懐に飛び込んだ。そして何時(いつ)のまにか取り出したトンファーで茶髪の顔面を縦横無尽に連打する。一撃で勝負はついていた。しかし、絢辻詞の繰り出す連打で、茶髪は倒れる事を許されなかった。

 

茶髪が、床に横たわる事を許された時には、顔面は真っ赤に染まり、ボールのように丸く膨れ上がっていた。茶髪の意識は最初の連打を食らった時点で無くなっていた事がせめてもの救いだった。突然()り広げられた地獄絵図に、その場に居る全員が凍りつく。

 

「いいところで止められちゃったから、欲求不満をどう解消しょうかと思って居たけれど、手間が(はぶ)けて助かったわ。ありがとう」

 

絢辻詞は、意識無く横たわる茶髪に向けて、平然と語りかける。そして、血が滴るトンファーを勢いよく振って、周りに血を飛び散らせながら、男達に言い放った。

 

「か弱い女子が、むつくけき男達の巣窟に、まさか、単身丸腰(たんしんまるごし)で来るとでも思っていたの?」

 

彼女は、せせら笑う。

 

「さあ、他に何を仕込(しこ)んで来ているか、見たい人は前に出なさい」

 

旧ボイラー室は、再び水を打ったように静まり返る。絢辻詞にこれ以上暴れられては堪らないと、“用務員さん”は慌てて「ささ、もう行きましょう」と、絢辻詞を急き立て奥の鉄扉に誘った。男達は、それを無言で見送る事しか出来なかった。

 



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第二十七話

奥の鉄扉を入ると、薄暗く細長い廊下が真っ直ぐ奥まで続いていた。廊下は建物の左壁に沿って配置されているようで、右側の壁の向こうはかなり広い空間で占められているようだ。“管理人さん”は、後ろで鉄扉が閉まるのを確認してから口を開く。

 

「事前にお知らせ頂ければ、お迎えにあがりましたものを」

「ごめんなさいね。普段の現場を見ておきたかったの」

「……あれでも、大切な兵隊の一人だったのですが」

 

先程の絢辻詞の仕打(しう)ちに、用務員さんは不満の意を漏らした。それに対して、絢辻詞は、氷の様に冷たい口調で返す。

 

「あら、そう。でも、ちょっと躾がなっていないわね」

「……も、申し訳ございません」

 

“用務員さん”は肩を硬直させ、異議を申し立てた事を後悔した。

 

絢辻詞は、長い艶やかな黒髪をなびかせて、顔に付けていたガスマスクを外した。“用務員さん”は、露わになったその美しい素顔に、年甲斐もなく見惚(みと)れてしまうが、この女が悪魔の様に恐ろしい事を身をもって知っていた。

 

用務員さん――というのは、「通り名(あだな)」ではない。この男は、まぎれもなく現職の輝日東高校の用務員であり、校内全ての鍵を自由に使える夜の王であった――絢辻詞が現れるまでは。

 

かねてから、不良達を束ねて悪事を働く裏のグループの存在が風紀委員会の中で取り沙汰されていたが、歴代風紀委員達はそのグループの主犯格を、長年特定出来ずにいた。それもそのはず、輝日東高校のOBでもあり、大人の学校関係者である用務員が、よもや主犯格などと、学生達では想像もつかなかったに違いない。

 

絢辻詞が風紀委員長となったこの代でも、創設祭の夜に、立ち入り禁止となっている校内で不良達による裏創設祭が開催されるという情報をキャッチして摘発に乗り出したが、公式の報告書においては、(かんば)しくない結果となっている。校内に無断侵入した生徒何人かが、数日の停学処分を受けただけだった。

 

しかし、それは事実とは異なる――。

 

実際は、風紀委員達が踏み込む前に、絢辻詞が単身乗り込み、用務員が統率するグループの主要メンバー五十人を(ことごと)く病院送りにしてしまったのだった。

 

絢辻詞の他に、もう一人居たという証言もがあるが定かではない。どちらにしろ圧倒的な力量差であった事に違いはない。笑みを浮かべながら三節棍(さんせつこん)を使い、血飛沫を飛ばして跳梁(ちょうりょう)する(さま)(さなが)ら、殺戮と恐怖の女神カーリーのごとくだった。

 

戦闘が終わり、立っている者が絢辻詞と用務員だけになった時も、彼女は今の様に長い艶やかな黒髪をなびかせて、何事もなかった様に平然と語りかけてきた。

 

「こんばんは、用務員さん。創設祭の時は大変お世話になりました。裏の情報網も、とても良いものをお持ちと聞いています。是非、その情報を分けて頂きたいのですが構いませんか?」

 

まるで、用務員室に女子高生が備品を借りにきたかの様な、場違いに丁寧な言い回しが、逆に恐怖を助長した。用務員は、激しく首を縦に上下して応ずる以外に術はなかった。こうして、摘発を逃れた用務員は、絢辻詞の傘下に加わる事になったのだった。

 

「そうそう。さっきの溜まり場、汚すぎるわ。少しは片付けた方がいいわよ」

「――あまり締め付けがすぎるのも、離反を招きますので」

 

“用務員さん”の弁明に、絢辻詞は溜息を一つ付くと、真面目な顔をして話し始めた。

 

「来月――。校内の複合機(コピー機)が新型に総入れ替えになるわ。入れ替えの際の一時保管場所として、この旧ボイラー室が候補に挙がっている。今週にも、あなたを連れて、教頭が下見に来るかも」

「げっ!!そ、それは……。早速片付けます。しかし、流石に、情報がお早い」

「情報屋のあなたにお褒めに預かり光栄です。表の情報は、スルーで入ってくるから当然よ」

 

廊下をゆっくりと歩きながら、絢辻詞はにこやかに返事を返す。

 

表の情報は、教師他、学校関係者に絶大な信頼を置かれている彼女に筒抜けだった。(さら)に、生徒会の現政権は、黒沢という議員の娘を絢辻詞が擁立(ようりつ)した傀儡政権で、予算や執行内容の全ては彼女自身の采配によるものだった。

 

この“用務員さん”を自分の傘下に加え、裏の情報網を掌握した事で、今や絢辻詞は、表裏共に輝日東高校の実質的な支配者となっていた。そもそも、生徒会長ではなく、あまり()り手の居ない、風紀委員長に立候補したのも、立法的な立場の生徒会より、実質的な執行権のある風紀委員会の方が、学園を統率しやすいと判断したからだった。

 

 

 



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第二十八話

 

「――ところで、ここで催されているのは、所謂、賭博でしょう?学生の悪ふざけの域を超えているのではなくて?」

 

絢辻詞は、ここに来た目的――今日の本題にはいった。

 

「いえいえ。確かに賭け事ではありますが、扱っているのはお金ではありません」

 

“用務員さん”は、勿体(もったい)ぶって間を開けた。

 

「絢辻さまも、その重要性をよくご存知のものです」

「成る程。わかったわ」

「そうです。私共が賭けに使っているのは――情報です」

 

絢辻詞は早速、疑問を呈する。

 

「それぞれが情報を出し合って、それを元に賭けをする訳でしょう?みんなが皆、人が欲しがる情報を提示できるものなの?」

「絢辻さま。情報の面白い所は、こんなモノと思われる情報も、ある人にとっては喉から手が出る程に価値があるものだったりする所です。

例えば、あなたさまは表じゃ大層人気がございますから、服や靴のサイズ、使っているシャンプーの銘柄など、好きでは無い人にとってはどうでも良いような情報でも、なかなかの高値で取り引きされているようですよ」

「はぁ、物好きな人もいるものね。しかし、そんな風に情報の価値がバラバラでは、公平なオッズにならないでしょう?」

 

用務員さんは「よくぞ聞いてくれました」とばかりに、ニヤリとして語り始める。

 

「どうオッズを平準化するかというと、そもそも情報を単体では取り引きに使いません」

「ふぅん――」

「絢辻さまが仰られた様に、各情報の価値はバラバラです。そこで先ず、主要な情報の種類で、銘柄(めいがら)を作って分類します。さらに銘柄の中で、情報の希少性などでランク付けします。こうして情報をマトリクスにマッピングする事で各情報を定量化するのです。

後は、株式市場と同じく、銘柄毎のニーズによる変動値を加味すれば、その日その時の情報の価値が決定できます」

「なかなか面白いアイデアね」

「この価値基準をベースに、価値の高い情報、低い情報を複数混ぜあわせて、だいたい等価値になるようにした情報の塊を多数作り、それを一つのチップとして賭けに使う訳です」

「それじゃぁ、欲しい情報を手に入れられる訳ではないのね」

「左様です。情報はあくまで、賭けるチップの価値基準として使ってます。パチンコで景品や現金と交換する前の、レコード針やダイヤモンド刃みたいなもので、いざとなったら現金に換算出来るという“信用”としての情報です」

 

用務員はここで一度言葉を切って、絢辻詞が理解するのを待った。

 

 



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第二十九話

「情報はルーレットのチップやパチンコの玉と同じく、単に賭けを遊ぶのに必要なものとして扱っていますが、どうしても、欲しい情報を手に入れたいと言う要望にも個別に対応します。相応(そうおう)の手数料は頂きますが」

 

絢辻詞は、腕を組んで暫し思案(しあん)した後に口を開いた。

 

「二つ質問があるわ」

「なんでしょう」

「初めての客が持ってきた情報の価値が、一つ分のチップすら得られない価値しかなかった場合どうするの。遊べないでしょう?」

「その際は、胴元が足りない分をお貸しします」

 

絢辻詞は、ニヤリとした。

 

「ふふーん。成る程ね。ではもう一つの質問。

持ってきた情報の価値は、正しく評価されるのかしら。提示された価値に納得しない客はいないわけ?」

「そこが、この胴元の腕の見せ所でしてね。

長年、情報屋としてやって来ている此方(こちら)目利(めき)きとしての腕を信頼してもらっとります。この目利きこそ、他では早々真似できないと自負しておりますので」

 

場末でチンケなシノギをしてるだけの小悪党だが、プロとしてなかなかいい顔をすると、絢辻詞は思った。

 

「それでも、納得しない分からず屋も、たまに居るっちゃいますが、そうなったら、ウチの若いもんが力で分からせるだけですわ」

 

がははと、“用務員さん”は破顔する。絢辻詞も一緒に苦笑しながら思った――考えていた以上によく出来ている。

 

お金が無い学生に、元手がタダの情報で一儲(ひともう)け出来るかも知れないと匂わせる所が上手い――さして価値が無いと思っていた情報が高く査定された、などと噂を流せば、ひょっとしたら自分が持っている情報もと思う奴らが、多数釣れるだろう。

 

最後まで一切お金の話しが出てこない所も、罪悪感や賭博の後ろめたさを払拭するのに一役買っている。ちょっとやってみようと思うハードルが低いのだ。

 

実際は、高値が付く情報など早々ないから、大抵の客は、大した数のチップを得ることは出来ない。もしかしたら、持ってきた情報で一枚のチップにも換えられない人が殆どではないだろうか。

 

そこで――「折角来たのだし、足りない分、貸すから、遊んで行きなよ」となる訳だ。お金を借りるのが危険なのは小学生でも理解している。だが、情報の貸し借りなど誰が危険だと思うだろう――それが罠だ。来た客を最初優しくもてなして、抜けられない様にする手口は、闇金と変わらない。

 

無形の「情報」と(いえど)も、借りは借りだ――。貸している分の情報を取立てたり、ガセネタを持ってきた者を脅したり、仕置きをしたりする実働部隊が、先程の部屋にいたゴロツキどもなのだろう。入るは容易く足抜けするのは困難――そうする事によって、情報の流入枯れを防いでいるのだ。

 

“用務員さん”の裏の本業は、この賭場ではない。地域のチンピラや窃盗団といった、同じレベルの小悪党を相手にした情報屋だ。既に学校を(また)いだ地域規模になってはいるものの、学生なんぞから集めた情報など価値は無いと思われがちだが、先程この男が言ったように、情報の価値は受け取る側による。

 

「あの金持ちの家は来週から長期の旅行で家を空ける」「親の事業が軌道に乗って、あの家は最近羽振りがいい」など、学校で交わされる他愛のない情報でさえ、場合によっては充分価値があるものになるのだ。いや。どんな情報が必要となるかは予測出来ない。とにかく膨大な情報が自動的に手元に集まる仕組みをつくったという点が、慧眼と言えるだろう。

 

個別対応もすると言っていたから、重債務者には、依頼された情報を入手してくる様、強要などもしているに違いない。この情報収集システムが、地域一番の情報屋と言われるこの男の、情報の源泉という訳だ。

 

「まぁ、情報云々の方は、地味な裏方の話ですわ。人を呼ぶには、興行がどれだけ人気を博すかが命です。あたしゃこれでも、地域一番の興行をしていると自負しております」

 

などと、情報はオマケの様な口ぶりだが、絢辻詞は誤魔化されない。(いず)れこの男を切る時には、この情報収集システムをどうにかしなければならないが、今は“用務員さん”に話を合わせる。

 

「ええ、そうね。初めて見るから、今から楽しみ」

 

既に二人は、長い廊下の端まで歩いてきていた。そして、右側の壁にある両開きの大きい鉄扉の前で立ち止まる。“用務員さん”は、鉄扉の取っ手に手を掛けて、絢辻詞の方を振り返った。

 

「絢辻さま、こちらです。さあ、どうぞ――」

「うん」

 

二人は、鉄扉を開けて中に入る。絢辻詞は、中の眩しさに一瞬目が[[rb:眩 > くら]]んだ。

 

鉄扉の向こうは、光と歓声の渦だった――。

 

大きな部屋の中央に、明るく照らし出されたリングがあった。リングの周りには大勢の観客が群がって歓声や罵声を浴びせている――リング上では二人の男が闘っていた。ぶつかり合う度に、強いライトに照らされ虹色の汗が飛び散る。

 

「わあ…………」

 

絢辻詞は、思わず我を忘れて、声がもれてしまう。

 

「絢辻さま。お気に召しましたか」

「ええ――。とっても」

 

絢辻詞は、リングから目を離さず、恍惚の表情で答える。

 

これから絢辻詞が仕掛ける策謀によって、ここで多くの人達が熱い闘いを繰り広げる事になるかと思うと、さらに恍惚感が高まる。絢辻詞が満足しているのをみて“用務員さん”は、芝居掛かった大仰な仕草をして言った。

 

「輝日東ファイトクラブへようこそ――」

 

アマガミ×エクストリーム

序章 絢辻詞編(了)

 

 

 

■現在公開可能な情報

絢辻詞

クラス:2年A組

所属:輝日東高校風紀委員会 委員長

血液型:AB型

年齢:17歳

流派:不明

スタイル:不明

得意技:不明

 

 

【挿絵表示】

 

 

輝日東高校の完全掌握を目的に、あえて生徒会長ではなく、風紀委員長に立候補。

裏創設祭摘発事案の際、裏情報網の掌握に成功した。

現生徒会執行部は絢辻詞の傀儡政権なので、表裏共に輝日東高校の実質的な支配者。

表立っては、柔和な面倒見の良い優等生を装っているが、反面、裏の顔は沸点が非常に低く嗜虐性向。

偽らない本当の絢辻詞を、まだ誰も見た事がない。

 

 



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番外編
裏庭の天使


1

 

静まり返った夜の住宅街――金城(かねしろ)は絢辻家の脇の路地に静かに車をつける。車内の時計はもうすぐ23時になろうとしていた。

 

絢辻詞から帰宅早々(そうそう)、今夜は輝日東高校に潜り込むからと指示があった。いくら高校生になったとはいえ、絢辻家の娘が夜中に出歩くなど公然とはできない。何時(いつ)ものように帰宅後の日課をこなして、自室に引き上げた後に部屋を抜け出す算段だ。

 

絢辻詞の送り迎えに使用している大型の公用車はさすがに使えない。警護者が移動用に使う黒塗りのセダンを金城が用意して、絢辻詞が抜け出してくるのを待つ。こういった突発的な対応を余儀(よぎ)なくさせられるのは毎度の事だ。

 

絢辻縁の警護ならば学校に送った後、下校時刻まで絢辻家に戻って来ても、なんら差し(つか)えがなかったのだが、絢辻詞の場合は、突然呼び出される事が多い為、初動の効率から最近は戻らず、学校の近くに車を止めて待機するのが常態化している。

 

まったく世話の焼けるお嬢様だが、放っておくと独りで危ない橋を渡ってしまうので、警護としては看過するわけにはいかなかった。彼女には再三にわたって苦言を(てい)しているのだが、その度に絢辻詞は大袈裟に肩をすくめて「金城――あなた、最近小言が多くなったわよ。歳をとったのではなくて?」と暖簾(のれん)に腕押しでまったく聞く耳を持たない。

 

実際の所、格闘家カブレの学生相手ならば、今の絢辻詞の強さなら早々やられる事はないのだが、多勢に無勢や油断といった不確定要素は常に付き(まと)う。万が一の事があってはならないので、そういった荒事(あらごと)は自分に任せて貰った方が、余程に気が楽なのだが、嗜虐性向もあってか自分で動かないと気が済まないらしく、金城の心配の種は尽きない。

 

絢辻詞が自室から抜け出してくるのを待つ間、金城はふと過去を振り返るーー早いもので絢辻詞と出会ってからもう十年近くになろうとしていた。

 

少し思い返してみても、彼女の嗜虐性向の所為(せい)で苦笑せざるを得ない記憶の方が多い。それでも、彼女の成長を(そば)で見て()れた事は、相対的にみれば良い思い出なのだろう。決して口には出さないが、よくここまで強く、聡明で美しく成長したものだと感慨もひとしおだ 。まぁ、かなり歪んではいるが。

 

金城はここで思わず笑みを浮かべてしまう出来事を一つ思い出した。

 

あの、お嬢様に金城は一度(せま)られた事があったのだった。

 

 

 

2

 

今思っても、それは若気の(いた)り、一時の気の迷いであったと思う。成長期の若者が新たに芽生えた内なる性的情動をどう処理して良いのか扱いかねた結果、身近な父性的愛情を男女の性的な愛情と履き違えてしまったという事なのだろう。

 

それは、絢辻詞が高校一年の初夏の事だった。

 

早朝――金城と絢辻詞は、何時(いつ)ものように裏庭での修練を終え、それぞれ調息や整理体操をしていた時の事だ。絢辻詞が突然金城の胸に顔を身体ごとぶつけてきた。金城は、また絢辻詞がふざけてサブミッションを仕掛けてきたのかと、咄嗟に身構えたがそうでは無かった。彼女は顔を金城の胸に押し付けたまま、くぐもった声で話し始めた。

 

「ねぇ、金城。あたし――随分成長したでしょう?」

「ええ。大層強くなられました。最近では組手で金城が取られることもしばしばです」

「そうじゃない.......」

「は?」

「――おとなの女性として魅力的になってきたでしょう?」

 

金城の胸に顔を押し付けたままなので、彼女の表情は見えない。ポニーテールにしているために、(あらわ)になった(うなじ)が桃色に上気しているのがわかる。それが修練の所為なのか、恥じらいのせいなのか。金城は、そもそも彼女の意図をはかりかねていた。

 

「お嬢様――?」

「最近は胸だって大きくなってきたと思うし.......。これだけ綺麗な女性が近くにいたら欲情しない?」

「これは一体、なんの冗談......」

 

何時(いつ)もの嗜虐的ジョークに違いないと、金城は彼女の方を見たが、腕の隙間から垣間見せた彼女の表情は、金城の予想を裏切り、真剣な眼差しで金城を真っ直ぐに見つめていた。

 

「――金城は、あたしを抱いてみたいと思った事はないの?」

「...............」

 

これは茶化さず、真剣に応えないといけないな。金城は、絢辻詞の自分を見つめる瞳をみながらそう思った。金城はちょっと思案してから、ゆっくりと口を開いた。

 

「――お嬢様と金城は、長らく一緒に苦楽を共にして参りました。もはやお嬢様とは一心同体なのです。となれば、自分自身に対して、その様な感情を抱くことは御座いませんでしょう?」

「一心同体.......」

 

金城は、絢辻詞から突きか膝蹴りが飛んでくる事を覚悟したが、どうやら金城の回答はお気に召したようだった。

 

「そう......まぁいいわ」

 

絢辻詞は、くるりと身体を反転させ、今度は金城に寄りかかりながら話しはじめた。

 

「――もしも、金城が今際(いまわ)(きわ)で、()の世の名残(なご)りに、美しいあたしを抱いてから死にたいと思った時は言ってちょうだい。貴方には、あたしを凌辱することを許してあげる」

 

金城は苦笑する――まったくこのお嬢様は。先程の金城の一心同体発言に対する返答という事なのだろうが、何処までも捻くれている。しかし、えげつない表現とは裏腹に、いざとなれば金城の為に、自分の大切な身体を投げ出せると言っているのだ。彼女なりの最大限の愛情表現であることは充分理解できた――付き合いの長い金城は、敢えてそこには触れず、何時(いつ)も通りに嗜虐的ジョークに対するボケを返す。

 

「格別のご配慮有難う御座います――しかし、死にそうになっている時に、そんな豪気な事ができますかね?」

「大丈夫よ。金城なら殺しても死なないのだから」

 

絢辻詞は金城から離れ、此方(こちら)を振り返って微笑む。

 

「あ、でも死なないんじゃ約束は無効ね。残念でした」

 

ちょうどその時、彼女が背にした木立ちの間から朝日が差し込んだ。柔らかな光に包まれた絢辻詞はまるで、今しがた降臨したばかりの天使の様に美しかった――。

 

 

 

後部座席のドアが開く音で金城は、思い出を辿るのを止め――バックミラーをちらりと確認して言った。

 

「お嬢様――なんですかそれは」

「これで顔を隠そうと思って。どお、似合う?」

 

絢辻詞は、ガスマスクを顔に付け後部座席から身を乗り出して金城に見せびらかす。夜の旧ボイラー室に潜入するのが、相当に楽しみらしく、いつにも増してご機嫌のようだ。

 

「言っておきますが、無茶な行動は無しですよ」

「はいはい。今日は、荒事は無しよ」

「そう言いながら、色々仕込んでますね」

「当たり前でしょ護身用よ。それより早く出しなさい」

 

やれやれ――今夜も先が思いやられる。シフトをドライブに入れ、車を走らせながら、金城は苦笑した。

 

番外編:裏庭の天使(了)

 

 




●あとがき的な何か

絢辻さんの魅力は何か――強くて脆くて健気、いや、人の性格をあらわす全ての表現が絢辻さんの賛辞になる。そんな絢辻さんの性格が濃縮果汁のようにぎゆっと濃くなった、絢辻さんを愛でたい!読みたい!なければ書くしかない――という訳で出来上がった本作でしたが、如何でしたでしょうか。ここまで読み進めていただいた方なら、きっとこの世界の絢辻さんを存分に愛でていただけたと思います。一読者として感謝いたします。

さて、この世界は、原作のアマガミと違い、あらゆる状況において、実力主義がモノをいう世界です。

そして、絢辻さんの幼年期は、原作に比してかなり厳しいものとなってしまいました。
これは、高校生の絢辻さんの様々な面をよりデフォルメした結果、そうなる為の帰結として、心を形成するであろう幼年期の生活がよりデフォルメされることになってしまったものです。

これによってまた、原作の橘くん的な、絢辻さんの心を救う役となる、金城の登場が早くなる事にも繋がっています。絢辻さんの心が壊れるのも前倒しになる事が予想されるので、その前に救済者が現れる必要がありますから。

一方の金城は、どうやら心を失って、生きる気力を無くしている男のようです。しかし、小さいながら、人生にあがらおうと独り奮闘する少女絢辻詞のバイタリティに次第に惹かれ、結果、二人の利害が一致し、それから二人三脚の生活が始まって行くーーといった流れが幼年期編でした。

そこから、高校生になるまでは、描かれて居ませんが、おそらく二人にとって最も幸せな時期だった事でしょう。絢辻さんにとっては特に、昼間は個人執事として傅かれ、我儘放題(笑)、武道の修練の際は、遥か高みの尊敬して止まない師匠という、娘溺愛のパパ像と、背中で語る様な頑固一徹の厳しい父親像、その両方のタイプの(疑似)親から、今まで受けた事の無い愛情を一身に受けて成長した訳なのですから。ある意味、父親が二人居たようなものなので、それまでの親不在の状況を埋めて余りある、誰よりも贅沢で幸せなひと時だったに違いありません。

金城にとっても、喪失の痛手から、絢辻詞を育てるという目的によって癒された時期になったはずです。

厳しくも優しい、相反する愛情を注がれて育った絢辻さんが、裏表がよりはっきりある絢辻さんに成長するのは、これはもう必然と言えるでしょう(笑)。

ある意味、完璧なまでに溺愛されて育てられた絢辻さんが、今回の番外編の様に、金城に迫ってしまうようなファザコンになるのも、人の無償の愛(建前上は契約ですが)を受けた事のない、絢辻さんにとってはいた仕方がない事だったでしょう。

さてこの後、二人がどうなるかは分かりません。
本編では金城の一人語りが長くなるので、入れるのをやめましたが、一つ言える事は、親子、男女の愛を超越した、究極的な深い絆で二人は結ばれているという事です。

絢辻さんが実の親との対決が終わった後、金城に本当の自分を晒す時がくるのでしょうか。言える事は、他人に素の自分を晒すという行為は、絢辻さんにとって究極の勇気が必要で、それが出来たとき、絢辻さんは「本当の強さ」を手に入た時に違いありません。


さて、本編は、余市さまが、アマガミのキャラ達が格闘界で対決する、スポ根的な格闘小説の原案として、アップしたアマガミ×エクストリームhttp://touch.pixiv.net/novel/show.php?id=1424361
をベースにだいぶ?、かなり?変えて作成させて頂きました。この場を借りてお詫びいたします(一応、原案を元に書かせて頂く、許可はいただいていますが、ここまで変容するとは自分でも書く前に予想が出来ませんでしたすいません)。本当にすいませんでした。

本編を、書くとしたら、次からようやく第一章で、原案の主人公七咲さんが登場する事になります。それでも、原案とは設定はかわり、格闘界ではなく、格闘技が盛んなある世界の輝日東高校の学生の設定というお話になります、、、。ので、これまた予め、お詫びしておきます。すいません、、、。

とはいえ、続けて書くにはいろいろ調査や準備が足りないので、一旦、これにてお別れとさせて頂きます。

長々とお付き合い頂き有難うごさいました。絢辻さんに幸あれ。



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