やや邪悪なラスボス系人外お姉さんは、ショタ勇者を拾って育てる事にした (曇天紫苑)
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やや邪悪なラスボス系人外お姉さんは、ショタ勇者を拾って育てる事にした

 床には既に滅んだ魔族の残骸が転がっている。

 一応、冥福は祈っておこう。

 死後があるかは知った事ではないけれど。

 

 彼は震えながら剣を握りしめた。

 壁も床もすっかり瓦礫になっていて、この城で繰り広げられた戦いの凄まじさを思わせる。

 

 最初に出会った頃より、少しだけ背が伸びた。

 顔つきもどこか大人びて、男の子の成長は早いんだと分かる。

 けど、雰囲気は少しも変わっていない。

 

 困惑しているのも、手に取る様に分かる。

 

「どうして……?」

「どうして。ああっ、なるほど、気になるんだね? やっとこいつを倒したのに、私が君の敵になるその理由! 聞きたい?」

 

 ばっと腕を広げて、ふふんと笑ってあげた。

 分かりやすく、恐ろしげに。

 

「それはねー……私が、君にとって滅ぼさなきゃいけない最後の敵だから!」

 

 凄い音がして、城の壁という壁が吹き飛んだ。

 戦う前の演出としては、なかなかだ。 

 彼も笑ってくれている。

 

「あはは」

 

 乾いた笑い声だった。

 目がまったく笑っていない。

 手はかたかた震えている。きっと戦いの後遺症ではない筈だ。

 

「冗談はやめてください。そんな、僕だって怒っちゃいます……」

「分かるよ。そうだよね。信じたくないよね。その武器も、力も、私が鍛えたんだものね?」

 

 目を瞑れば、思い出がこみ上げる。

 色んなことがあった物だ。戦いもあったし、友情もあった。

 彼は凄く頑張った。

 

「辛いよね。分かる、分かるよ。けど……これは冗談じゃない」

 

 冷たい風に言い放つと、彼がぶるりと凍えた。

 

「私こそは、君達勇者が滅ぼすべき驚異の怪異であり、人類の為に滅ぼさなければならない、邪悪そのものなんだ」

 

 見るからに、まだ信じたがっていない。

 涙目で私を捉え、今にも倒れそうなくらい青ざめている。

 いつもみたいに「冗談だよー?」って言って欲しそうで、哀願するようで。

 この調子では、覚悟を決めるのに何年かかるやら。

 

 仕方がない。背を押してあげよう。

 

「手始めにそうだ、こうしたら信じる?」

 

 

 『城が消し飛び、周囲が消し飛んだ』

 

 

 近くにあった森も、街も、村も、全てが無に帰った。

 魔族も、人も、あらゆる全てに私という力は容赦なく牙を剥いた。

 音もなく、予兆もなく、彼と私以外の全てが滅び、荒涼とした砂漠だけが残った。

 

 例外は彼だけだ。

 

「さて、次はどこにしようかな? どこがいい?」

「や、やめてっ!」

「じゃあ、私と戦おうよ。君なら、ひょっとしたら、いや少しくらいは、まあ、僅かなら、勝てるかもよ?」

「できないよ! 僕……イクスさんが居なきゃ、とっくに壊れてた! 死んでた! なのにどうして、そんな事を言うの!?」

「さぁ? ま、趣味かな?」

「ぼ、ぼくっ。僕は! あなたの事が、大好きなのに!?」

 

 きゅぅーん。

 思わず胸に手をあてて、偽物の心臓が爆発しそうな気分。

 

「もちろん! 私も、君のことが、だぁーーーーいっすきっ!」

 

 流石に抱きしめて頬ずりする状況ではない。

 ……いいや、我慢できない!

 剣を慌てて下げるのも気にせず飛びついて、抱きしめた。

 

「あぅっ、だ、あぶなっ」

「平気平気! 大体これから君は私を倒すんだから、細かい事は気にしないの!」

 

 刃が掠めたが気にしない。そんな事より彼の感触だ。

 筋肉質で、力強く、温かい。

 

「でね、大好きだから、チャンスをあげる。優しくて人助けが大好きな君に、選ばせてあげる!」

 

 揺れる瞳の少し上、まぶたに口づけをして、ほっぺたを掴む。

 かわいらしい顔が凄く近くて、目元を伝う涙が彼の表情を彩った。

 

「さあ、選んで? 滅ぼしてくれなきゃ、イタズラするぞ?」

 

 黙ってぼたぼたと涙をこぼす彼の表情を、思いっきり目に焼き付けた。

 

 最初に出会った時、こんな事になるとは全く思っていなかった。

 ああ、最初に出会った時、彼は森の中にいて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はイクス・スピネル。

 森の中で一人寂しく暮らす寂しい女である。趣味は散歩。

 ついでに、森の中で自主封印中の怪物だ。

 

 思い返していないと、自分が何だったのか時々忘れそうになる。

 

 

 

「あー……やっぱ誰か私を滅ぼしてくれないかなぁ」

 

 今日も一人で靴を履き、白のワンピースを着て歩いてる。

 

 足下の水たまりで顔を確認すると、真っ白い髪が虹色の光を発しているのがよく見えた。

 穏やかそうな顔が不気味に歪む。

 

「どこかに面白そうなものは落ちてないかな、ほんと」

 

 声だけわくわくしながら辺りを見回しても、木、木、木、木、空は木の葉で覆い隠されている。鳥の一羽も住んでいない。

 遙か遠い空の向こうにドラゴン……と、昔貰った「世界の幻獣図鑑」に書いてあった」、がいるのは分かった。

 誰かを探している様だ。

 手を振ってみたけど、無視された。

 

 相変わらず、森の中には大きめの動物は一つたりともいない。

 ずっと昔に迷い込んできた人から聞いた話では、迷いの森だとか、人食いの森だとか、封印の森だとか、そういう風に呼ばれているらしい。

 

 この場合、封印されている物とは私の事を指す。

 

 「お前がいたら人類は恐怖と混沌で支配される」

 そう言われ、説得に応じて森に移り住んで、あれから何年経つものか。

 八百年だったか、千年だったか。

 

 当時の誰かは、私を「虹の怪異」と呼んでいた。

 瞳と髪が虹に光るから、そう呼ばれていたらしい。

 

「あっははー。そろそろ出ようかなぁ」

 

 これくらい時間が経てば、当時の人間はみな死んでいるだろう。

 つまり、今更私が現れても、誰も驚かない筈だ。

 

 何にせよ、そろそろ新しい事の一つでもやってみたい。

 きっかけが欲しいのだ。きっかけが。

 

 だから、今日は何か面白い事があるといいな。

 そう思いながら森を歩んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えば、小さい男の子が森の中に倒れていたら、人間はどんな風に思うのだろうか?

 

 私の場合は、かわいい、だった。

 

 思いがけない落とし物を見つけてしまった期待感もあって、迷うことなく近づき、しゃがみ込んで顔を確認する。

 小さい男の子が、なんだか戦士らしい格好をして倒れていた。

 

「生きてるー?」

 

 しゃがんで、つんつんと頬をつついてあげる。

 少し反応したが、起きる様子は無い。

 

「ぅぅ……」

「とりあえず生きてるみたいね」

 

 どうやら、生き倒れだ。死にかけだけど。

 見たところ十歳と少し。傷だらけで、剣を落として倒れている。

 髪は黒で、この辺りではちょっと珍しい。

 世界を乱す悪を倒す為に……地球? だったかな? から召喚されたのだろう。

 

「この感じなら、負けて逃げてきたのかな? どう、キミ、私の推測は正しい? あんまり自信ないんだけど」

 

 声をかけつつ頬を撫でたり、首筋をさすってみたけれど、返答はない。

 変わらず血が流れており、顔色もどんどん悪くなる。

 

 さて、どうしたものか。

 放っておけばこの子は死んでしまうだろう。

 しかし、助ける理由も特にない。

 

 確かに死なせてしまうのはかわいそうだ。

 けれど、ここで土にならなければ、それはそれで木々の栄養にならない。

 

 どちらにするか、いっそコインでも投げようか。

 考えている間に男の子は小さく目を開けて、こっちを見ていた。

 

「んっ? あれ、キミ起きたの?」

 

 なら聞いてみようかと手を伸ばす。

 そうしたら、この子はぎゅう、と私に抱きついてきた。

 

「はぅっ……」

「お、おっ」

「ご、ごめんね。起こしちゃったね、大丈夫?」

 

 思いのほか強い力で抱きしめられた。

 強く握られすぎて爪が食い込んだ。血は流れない。

 

「う、うーん。嫌じゃないけど」

 

 身体は意外に鍛えてあって筋肉質だった。戦う子なんだと分かる。

 

「お」

「なあに? どうしたの?」

「お母、さん……」

 

 小さな呟きを口にして、この子はまた意識を失った。

 私にしがみついたまま、手は全然離れない。

 

「ふうん。お母さんね」

 

 ふと気づくと、この子の頭を撫で回していた。

 血がべったりと手に着いたけど、それはどうでもいい。

 

「ふーん、へえ」

 

 よほど寂しかったのだろうか。戦いの日々でも送ったに違いない。

 しかし、同情する気持ちなどより、高めの声で発せられた「お母さん」に響く物があった。

「お母さん、お母さんか」

 

 分かってる。ただ見間違えただけ。

 朦朧とした頭の中で、僅かに起きた意識が認識した幻に過ぎない。

 

 しかし、母親扱いされるだなんて。

 長く生きていたけれど、親と呼ばれるのは初めてだった。

 

「ふふーん。そっかあー。私の事、おかあさんと間違えちゃったんだ」

 

 そっか、そっかあ、と何度か口にして、この子を抱きかかえた。

 お母さんなら仕方ない、と呟くと、より楽しくなってきた。

 

「私、キミを拾っちゃって良いかな?」

「……」

「良いよね? うん、良いはず」

 

 答えはない。自分がやりたい選択肢を選んだまでだ。

 

『肩に触れると、男の子の傷は癒えた』

 

 スキルを使うのも久しぶりだけど、上手く使う事ができた。

 

 

 『世界を、己の思うままに変える力』

 私達の中で、最もあくどく強烈なスキルだと言われたのは、思い出深い。

 

 どんなに変えても私が知らない物にはならないし、私の心に干渉する事もできないけれど。

 それでも万能だ。

 

「何にしても、使い方忘れて無くて良かった良かった」

 

 お姫様抱っこしてあげると、やはり見た目より重さを感じる。

 もちろん、足取りには全く影響は無い。

 

 『すぐに自宅へ戻ってきた』

 

 一部屋にお風呂だけがある小さな小屋。それが私の部屋の全てだ。

 背負っていた男の子をベッドに寝かせると、一人の時より空気が薄れるような気がした。

 

 やっぱり今日は良い日だ。思いがけず良い落とし物を見つけてしまったのだから。

 

「じゃあ、汚れたお洋服、脱がせてあげるねえ」

 

 上着に手をかけ、ボタンを外して胸まで脱がせる。

 治療された傷跡が残っていて、胸や腰には包帯が巻かれている。べったりと血で濡れていた。

 ただ、肌は綺麗だった。傷があっても、とっても綺麗。

 

「……」

 

 手が止まる。

 

「っていうか、わざわざ脱がす必要なんてないや」

 

 思い直して指を鳴らす。

 

 『と、男の子の服と、部屋にある自分の服が入れ替わる』

 

 やや大きすぎて、上着がスカートみたいにひらひらしていた。

 胸元もぶかぶかだ。

 

 この格好も似合うな、と思った。

 

「すぅ……」

「うん、かわいい」

 

 服を作り替えるのはやめておいた。

 そのまま、私も一緒のベッドに入り込む。

 幸いベッドは小さめで、密着すれば二人で眠る事ができた。

 

 健康な体温が布団を温めている。

 生きるために、この肉体が必死になっているのがよく分かる。

 

「ちょっとごめんね」

 

 捕まえてみたら、小柄なこの子はすっぽりと腕の中へ収まってしまった。

 私にまで強く熱が伝わって、のぼせ上がった気分。

 

「ね、助けてあげるよ、かわいい子」

 

 耳元で囁いたのに、男の子はまだ起きなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男の子はほとんど一日寝ていた。

 ずっと隣で寝顔を眺めていたからか、悪夢を見ているのはよく分かった。

 誰かの名前を呼んで、ひどくうなされていたからだ。

 

 目を覚ましたのは、仄かな朝日が窓越しに差し込んだ時だった。

 

「っ……」

「あ、起きた」

 

 ゆっくりと、彼は静かに目を開けた。

 

「よく眠れた?」

「……!?」

 

 そして、がばっと私ごと飛び起きた。

 自分の身体をまったく気にせず、この子は必死に周囲を見回した。

 キョロキョロと辺りを見回して、私の顔の前で止まる。

 

「あの……みんなは!?」

「みんな? 私が拾ってきたのはあなた一人だけど」

「ぅ、僕の隣に誰か居ませんでしたか!?」

「残念ながら」

 

 この子の息がひどく乱れて、ぐちゃぐちゃなペースで漏れ出てた。

 背中をさすっても、気づいていない。

 

「そんな、じゃあ……そんなっ……!?」

 

 両手で絶望した顔を覆って、彼はぼたぼたと涙を流す。

 

「あ、えっと、キミ、泣き止んで?」

 

 ぽんぽんと頭を叩いてみるが、効果は無い。

 思えば子供の相手をするのは初めてで、今ひとつ対応が分からなかった。

 

 『泣き止んで貰うべきか?』

 

 しかし、久しぶりのお客様だ。

 無理矢理はよくない。それくらいは知ってる。

 

「あ、あのね、私、泣いてる子を慰めるのはちょっと、わかんなくて」

「みんな、僕の為に、どうして、どうしてっ」

 

 聞いちゃいない。

 泣き続けながら嘆く。これもまた見栄えする顔立ちをしている。

 笑ってくれた方がかわいいのに。

 

「んー……そうだ。んっ!」

「あうっ」

 

 この子を抱きしめ、頭を胸元に寄せた。

 生物ではない私に鼓動はない。

 

 『だが、存在しない心臓の音が、この子に伝わりだした』。

 

 あえて鼓動をリズム調にして、彼の呼吸に合わせた。

 

「辛かったね、苦しかったんだね……あっためてあげる」

「あの、えっ、その」

 男の子がどことなく落ち着いた。

「だから、泣き止んでくれると嬉しいな」

 

 抱きしめながら囁いて、腰から抱きしめ頭を押さえた。

 全身が密着して、泣き嘆く子の全部が私と一体化していった。

 

 

 数分もすれば、この子も流石に落ち着いた。

 やや顔を赤くしている。睫毛が長い。

 

「ご、ごめんなさい。あの、ここは」

「私の家?」

 

 混乱気味な顔になってしまった。

 説明不足だったか。腰に手を置き、尋ねかけた。

 

「キミは森の中で倒れていたんだよ? 覚えてない?」

「ちょっとだけ、覚えています」

「ここはその真ん中にある家なの。住んでいるのは私だけ」

 

 まだやや困惑している風だけど、彼は小さく頷いた。

 頭を下げ、私に向かって笑顔を見せてくる。

 

「ありがとうございます。あ、傷まで治してくれて……本当にありがとう!」

 

 この子が私の手を握り、お礼を口にした。

 ちょっとした事だけれど、そこに秘められた真心はよく伝わってくる。

 なんて、いじらしい子だろう。

 

 人間とは何十年かぶりに遭遇したけれど、こんな素直な子ははじめてかもしれない。

 

「きゅぅ……」

「?」

「ああ、うん、気にしないで。ほら、キミ、怪我してるんだから休んでいなさい」

「は、はい」

 

 胸を押して寝かしつける。

 彼は、ちら、と私の上半身を見上げた。その視線が胸元で僅かに止まった途端、素早く逸らした。

 それからはもう、視線は私の瞳から動く事は無い。

 

「……」

「どーしたの?」

「いえ……凄く綺麗な目の色だって、ごめんなさい、急に」

「へー。綺麗に見えたんだ」

 

 恐るべき死の虹とか、見た者は発狂するだとか、そう呼ばれていた瞳を褒められるのは悪い気がしない。

 思わず寝転がって、再び腕の中にへと引き寄せた。

 

「あうっ、う、ええっ? あああのっ!!」

 

 彼はすごく高い声で騒ぎだし、腕をじたばたさせる。

 結構な力だけれど、離れてはあげない。

 

「あーばれなーいーでー? さっきからずっとこうしてたし」

「あの、でもでもっ、僕は」

「いーのいーの。人肌があると落ち着くんだよね?」

「う……」

 

 寝顔を見ていたから知っていた。

 そう言ってみると、諦めたのか、抵抗をやめてくれた。

 頭を撫でてあげると、身を小さくしているのが良い。

 照れる彼の耳元に口を近付け、勢いのまま息を吹きかけた。

 

「キミ、勇者でしょ」

「!」

 

 照れて顔を枕に埋めていたのがピタリと止まる。

 この子はすぐに顔を上げ、私の顔を強い意思のこもった瞳で見つめた。

 

「どうして分かるんですか?」

 

 凄い輝きだ。実際に光っている訳じゃない。心が瞳に籠もってる。

 責任の重さに押し潰されそうで、それでも倒れず立ち上がる。そんな力のある人間の瞳だった。

 

「キミみたいな子は召喚されたに決まってるの。合ってる?」

「……はい」

「じゃあ、ようこそ私達の世界へ! 悪を倒す為に来てくれてどうもありがとう!」

 

 飛び上がるようにして立ち上がり、両手を大きく翼のように広げる。

 そしてもう一度、改めて彼に向き合った。

 

「ねえ、お名前は?」

「リオン・エィルです。栄留理音」

「理音くんね、理音……リオンくんでいい?」

「あ、はい。こっちの人は僕をそう呼びます」

「うんうん、そっか」

 

 顔を近付けてみる。僅かに引かれたが、視線は瞳から外れない。

 

「私はね、イクス・スピネル。聞いたことある?」

 

 リオンくんは、首を小さく横に振った。

 その瞳孔、仕草、さりげなく握った手から伝わる機敏が、嘘では無いと告げてくる。

 

「ふふ、そっか」

 

 名乗った瞬間に逃げられるのではないかと警戒していたが、やはり私の存在は伝わっていない。

 忘れられている。

 

 あるいは、私なんて大した存在じゃ無くなったのかも。

 

 せっかく助けたのに逃げられるのは残念だから、いずれにせよ良かった。

 

「そうだ、お腹空いてる?」

「はい、えっと、です」

 

 取り繕ったような口調に、思わず吹き出す。

 ごめんごめんと謝って、指を鳴らす。

 

 『すると、机と彼の口に合うカレーライスが出現した』

 

 湯気を立てた、茶色いどろっとした液体にライスがかかっていて、切られた野菜をそこそこに含んでいる。

 

 かつて召喚された勇者から聞いた食べ物だ。

 これで合っているだろうか。

 

「わっ、凄い……! 一人で魔法が使えるなんて、しかもワープ?」

 

 リオンくんが目を丸くして、私の事をどこか興奮気味に見つめた。

 

 はて、と首を傾げる。

 この力は魔法ではない。

 

 魔法というのは人間が編み出した生活の知恵を発展させた技術だ。

 私が外に居た頃はまだまだ発展途上だった。

 そのまま成長し続けていれば、きっとこんな事くらい出来るようになっている。

 

 

「魔法で物をワープさせるのって、まだ不可能って聞きました」

「そうなんだ?」

「はい。色んな……物理? 化学……? えっと、まだ必要な研究ができてなくて、道具を使っても、物を動かすのが精一杯って……」

「うーん。そうなの? 私、魔法にはあんまり詳しくないんだけど」

 

 彼の手をさする。

 

 『その間に、コップに注がれた水が現れた』

 

 ちなみにこれはどこかから持ち出してきた物ではない。

 作り出したものだ。

 

 コップを差し出すと、彼はますます興味津々で私を見ていた。

 

「普通は、一人じゃ火もつけられないって」

「んー。なんでだろうね」

 

 はぐらかしつつ、言い訳をする。

 ニヘラとした表情を自覚する。ほとんど独り言だからか、口調の丁寧さが抜けている。

 どうやら、素はこちらの様だ。かわいい。

 

「あ、自分で食べられるから、僕、大丈夫です」

 

 スプーンで食べさせてあげようとしたが、断られてしまった。

 「それは残念」などと言いつつも彼にスプーンを渡す。

 彼がおずおずと口へ運び、咀嚼しながら小さく頷く所を見て、心に安堵が広まった。

 

「美味しい?」

「おいしい」

 

 思わずといった風に零れた声に、にっこり笑って応えてあげる。

 そうしたら、リオンくんは本格的にカレーを口へ運び始めた。

 美味しそうに、幸せそうに、味わいながらゆっくりと。

 彼の目から涙が垂れた。

 

「ううっ」

「あ、辛かったかな?」

 

 急に泣き出してしまった。

 顔を覗き込みながら返事を待っていると、無理矢理作った微笑みが返ってくる。

 

「ごめんなさ、こういうの食べるの、ひっく、ひさしぶりで、えぐっ、うう」

 

 すぐに笑みは消えて、また泣き出した。

 だが、手は止まっていない。震える指先でスプーンを押さえ、口元に涙を滲ませながらも次々と食べ進めている。

 

「はーい、ゆっくり食べてねー。欲しかったらお代わりもあるよ?」

 

 『お水をコップの中に満たす』

 

 差し出し、一気に飲み干す様を楽しく眺めさせて貰った。人間に食事を提供するなんて、生まれて初めてではないだろうか。

 いつになく自然と笑顔が溢れてくる。

 

「ん……お姉さん」

 

 そんな私を見て、リオンくんは何を思ったのかスプーンを置いた。

 

「お姉さん」

 

 また私を呼び、ゆっくりと私の両手を握る。

 なぜだろう。その真剣な面持ちに、私の心が熱くなる。

 

「ありがとう……」

 

 何度も何度も腕を振って、同じ事を繰り返している。

 

「ありがとうっ……! ありがとう……!」

 

 また、声をあげて泣き出してしまった。

 笑いと泣きが同時に現れ、もはや「ありがとう」も言葉になっていない。

 明らかな感謝と尊敬の念が送られてきた。

 

「……どういたしまして」

 

 返答はこれで良いのだろうか?

 感謝されるのも、前はいつだったか。

 

 しかし、胸の高鳴りを感じる。これはいいものだ。

 本当に、良い拾い物をした。

 今日の私の直感は、非常に正しかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お風呂場の前で背中をつけて聞き入っていると、漏れ出た吐息が耳をくすぐる。

 

 私の家を最初に作ったのは異世界から召喚された人だ。

 彼は入浴という習慣について沢山の興味深い事を教えてくれた。

 

 お風呂場のデザインもその一つ。

 当時は自分の好みで書き換えるくらいだったけれど、飽きてからは固定していた。

 今では教えてくれた事に感謝している。

 

「うふふ、いい音」

 

 カレーのお代わりは二人で一緒に食べて、私も久しぶりの食事を楽しんだ。

 

 お腹いっぱいになって、後はお風呂の時間だ。

 顔を付き合わせてする食事は、とっても楽しかった。

 

 リオンくんは身綺麗にしたがる方らしく、お風呂があると聞いて目を輝かせていた。

 あるいは、そういう国の出身だったのだろうか。

 バスタオルを貸したら、大喜びで入っていった。

 

 それが数分前。リオンくんはお風呂に入ったばかりで、お湯を流す音が聞こえる。楽しげな鼻歌が響く。

 

 とりあえず私も脱いだ。

 タオルを身体に巻きつつ、気分よく笑う。

 前に形だけ聞いていた水着を着込んでいる。良い具合に慌ててくれると嬉しい。

 

 扉の向こうの彼へ、声をかける。

 

「ねえ、お湯はどうかなー?」

「……んっ、気持ちいいです、あったかくて」

「うん、なら良かった」

 

 静かに、静かに

 

『扉を通り抜けて彼のすぐ後ろへ』

 

 リオンくんはまだ気づかない。

 とても気持ちよさそうに髪を洗って、温かな息を吐いている。

 

 彼は、目を瞑ったままお湯をかけた。

 シャンプーが流れ、私の足下に通る。まだ私の存在には気づかない。

 音も姿も気配も消しているから、気づかれるはずもない。

 忍び寄り、出来る限り近くで声をかけた。

 

「ねえ、こっち見てー?」

「え……」

 

 不思議そうに振り向いたリオンくんが、私を見るなり目をめいっぱいに見開いた。

 

「わっ、わぁぁっ!?」

 

 素早く目を閉じ、両手で自分の身体を隠した。

 私から背を向け、お風呂場のタイルにへたりと座り込んだ。

 

「キミを洗ってあげたくて」

「お、おねっ、なん、ちょ、だめ!」

「うん? なんで? キミはまだ子供なんだから、大丈夫だよね?」

 

 すっとぼけて呟けば、彼は必死に首を振る。

 それがまた非常に好ましい。

 

「だめなものはダメですよぉ……恥ずかしいし……」

「へえ。恥ずかしいんだぁ……?」

 

 顔を正面から確認すると、きゅぅぅっと目を閉じていた。

 無理矢理開けさせる事もできる。けど、やらない。

 もう一歩近づくと、彼は更に身を小さくして、私を見ないようにした。

 

「ね、一緒にお風呂入ろう? 長い間ここで一人だったから、ほら、やっぱり誰かと一緒に入るのってやってみたかったの」

「で、でも」

「……私とお風呂に入るの、嫌?」

 

 本当に嫌そうにしたら、大人しく逃げ帰るつもりだった。

 恐らく大丈夫と踏んだけど、どうだろうか。

 

「い、嫌じゃない、です」

「ならよし」

 

 自分でも驚くほどの安堵が満ちた。

 

「じっとしてね? 洗いにくいから」

「ううっ……はい……」

 

 さっきまでより背筋を伸ばし、顔は真っ赤でも大人しく受け入れてくれる。

 ゆっくりと、その背中を洗う。

 

「ひぅ」

「痛かったらすぐに言ってね?」

「大丈夫、です。ちょっとびっくりして」

 

 背中もしっかり鍛えられて、筋肉質だ。だけど、子供らしい所は沢山残っていて、決して硬いだけではない。

 指も私より小さくて、腕は柔らかさを残している。

 

「えいっ」

 

 背中に密着すると、小さな声があがった。

 

「あうっ……ひゃああぁぁ……」

「ごめんね、前を洗いたいの」

 

 この子の心臓が凄い勢いで鳴っていた。

 布の上からでも鼓動をさらに強く感じる。

 触れ合うと、沢山の苦しみの痕跡がそこにあった。特に火傷が多い。

 

 外の治療技術はそれなりに発展しているようで、さほど目立たない。

 が、隠していても密着すればよく分かる。

 

「傷、いっぱいだね。沢山戦ったんだね」

「……」

「キミは、頑張り屋さんなんだ」

「そんなこと、ないです」

 

 リオンくんが静かになった。俯いて、私が抱きついても反応が薄い。

 最後は静かに終わった。

 相変わらず目は開けてくれない。

 

「終わったよ? 大丈夫? 苦しかった?」

「全然、少しも辛くはなかった、です」

 

 何とか調子を取り戻し、彼は明るい声をあげた。

 無理に楽しげな振る舞いだった。

 

「あの、僕、洗いましょうか? その、髪とか、お母さんから、教わってて」

「……私の事、触りたい?」

「いやっ、違うんです! 違くて! ただ、僕、今日ずっとして貰ってばっかりで……こんな事くらいでも、お返しできればいいなって」

 

 大慌てで手を振って、しかし目を開けない。

 彼の唇に指を当てた。

 

「また今後、ね」

「あ、えっと、はい」

「それじゃあ、お風呂入ろっか」

 

 何か言いたそうだったけれど、彼を抱き上げても抵抗はない。

 

 お風呂の中で、膝の上にリオンくんを載せる。

 筋肉の上の柔らかな肌を撫で回していると、よけいに縮こまった。

 

「良いお湯だねー」

「そう、ですね」

 

 リオンくんの心臓が弾けそうなくらい音を立てていて、今にものぼせそうなくらいに真っ赤な顔をしている。 

 私には心臓がない。

 ただ、反射して映った私の顔はかなり赤かった。

 

「むぅ」

「?」

「あ、なんでもないよ」

 

 自分の胸に手を置いてみたけれど、やはりそこには何もない。

 私の身体の中には何も入っていないのだから、当然なのに。

 

「ねえねえ、キミは、この世界に連れてこられたの?」

 

 彼の全身が強ばった。

 後ろから抱きしめていたから、よく分かる。

 

「……それは」

「うん」

 

 聞かない方が良かったのかもしれない。

 口にしてから後悔した。『今の会話は無かった事に』……はしなかった。

 リオンくんが自分から「僕は大丈夫」と言ってくれた。

 

「誘拐されたとかじゃなくて、事情を聞いて、助けたくて」

「あー。なんだっけ、さっき聞いたよね。悪の帝国?」

「そうです。魔族が支配する悪の帝国に襲われてるんだって、召喚する前に教えて貰って」

 

 驚異が、人類の生存を脅かしている。どうか助けてくれ。

 そんな風に頼まれたらしい。

 

「……僕が貰ったスキルがないと、魔族とはほとんど戦えないんだって」

 

 魔族は、私が外に居た頃は殆ど見ない種族だった。

 今では爆発的に増えており、国のような物も持ち合わせているらしい。

 

 

 彼らは一人の例外もなく、この世ならざるスキルを持っている。

 高位の魔族は圧倒的な強さが故に人類の驚異として長く恐れられているそうだ。

 

 だが、召喚された勇者もまた、同じようにスキルを持つ。

 だからこそ、勇者は今も召喚され続けているのだ。

 

 ……と、いう事らしい。

 

「すると、分かっていてこの世界に来たの? 危ないっていうのは、知ってたんだよね?」

「はい、分かってました。けれど……それが僕にしか出来ないのなら、頑張りたくて」

 

 そう語っている時だけは、彼は明るく胸を張った。

 眩しい笑顔に貫かれながらも、私の頭には疑問が浮かぶ。

 

「悪の帝国……?」

「?」

「ああいや、気にしないで」

 

 そんなシンプルな呼び名で良いのだろうか。

 子供向けに、分かりやすく砕いた表現をしたのだろうか。

 

 彼の口調が落ち込んで、溜息がこぼれた。

 

「……僕で良かったのかな」

「うん?」

「僕、自分で選んでここに来たんです。だけど……自分のスキルで自分を焼いちゃうようなのが勇者で、本当に良かったのかな」

 

 リオンくんの嘆きは、悲痛な苦しみとして漏れ出した。

 

「みんな、僕が弱くなかったら死ななくて済んだ筈なのに。みんな僕を守って……僕が弱かったから……」

 

 目は決して開けないまま、何度も何度も自分を責めている。

 今にも消えて無くなりそうな面持ちだった。

 

 くるりと身体を彼の前へ移動させ、息が触れ合う所まで顔を寄せた。

 私の位置に気づいて、より強く目を閉じている。

 

「ねえ、私の身体を感じてくれる?」

「え」

 

 彼の手首をとって、有無を言わさず私の肩に当てた。

 そこから、二の腕、手首、指先と触らせ、輪郭を確かめて貰う。

 

「分かるかな? 私の身体の形」

「え、えええっ! あのあの、こんなのよくなくて……」

「私は、ここに居るよ?」

 

 彼は静かに口を閉じた。

 ゆっくりと、身体全体の輪郭を手で確かめて貰った。

 最後に私の首筋や顔をなぞって貰い、お互いの両手を握り合った。

 

「少なくとも私は死んでない。分かるよね?」

 

 言い聞かせるように囁くと、リオンくんが小さく頷いた。

 

「生きている私に集中したら、きっと少しは気が楽だよ」

 

 もう一度、彼は同意を示した。

 そして、されるがまま身体をなぞって私を撫でる。

 

「顔真っ赤」

「……お姉さんも、真っ赤、ですね」

 

 そんな返事ができるなら、もう大丈夫だろう。

 改めて背後に回り込み、彼を膝に乗せ、髪をくしゃくしゃと撫でた。

 

「私、キミは立派だと思うなぁ」

「それは……」

「だってキミの為にみんなが頑張ったんでしょう? それは、凄く愛されてたって事だよ? 気づいてる? キミが素敵で、良い子だっていう証拠」

「……」

「もしも、その人達を失って戦うのが辛くなったなら、ここに居てもいいよ。戦う事なんて忘れて、ゆっくり暮らしてくれて構わない」

「それは、できません」

 

 頑なで淀みなく、意思の定まった声だった。

 どれほど苦しみ抜いたとしても、変わらない意思がそこにあった。

 

「うん、分かってた。今でも戦う気があるんだよね」

 

 人の心を読む力は、その気にならねば持っていない。

 だが、彼の内面は簡単に分かった。

 

「はい。力が全然足りないんですけどね」

「じゃあ、強くなっちゃえばいいの。お姉さんは応援してるぞー?」

 

 頑張り屋さんめ。

 

 うなじに頬ずりしたら、また良い声で反応してくれる。

 また抱きしめて、耳たぶに甘噛みをしたら、味はしないけど美味しかった。

 

「頑張ってね……がーんばれっ、がーんばれっ」

「あはは……はい」

 

 彼は深々と礼をした。

 

「お姉さん、ありがとうございます」

「イクスって呼んで-?」

「えっと、イクスさん」

 

 名前を呼ばれると、何やら頭が爆発するような気がした。

 思わず両頬に手を当てる。熱い。お湯のせいではない筈だ。

 

 リオンくんは私の反応には気づかないまま、微笑んだ。

 彼の身に柔らかな光が宿っている。

 きっとこれは、濡れた肌のせいじゃない。心が光っているんだ。

 

「僕、明日になったらここから出ようと思います」

「……そっか」

「みんなの分まで、頑張らなきゃいけないから」

 

 両手を握って、リオンくんは目を開けた。

 きっと、ごく無意識な仕草だったのだろう。

 凄い勢いでまた目を閉じたので、私を見る事は無かった。

 代わりに私はリオンくんの全てを目に焼き付け、出来うる限り身を寄せる。

 

「……」

 

 溶け合ってしまうくらいに張り付いて、この子の体温を楽しんだ。

 

 窓の外からは微かに光が差し込んでいて、森の木々が音を立てている。

 リオンくんと一緒に聞く音は、何やら心地が良い。

 そう、私は良い気分だった。

 

 彼が、勇者という存在が何者であるのかも分かっていたけれど、それでも素晴らしい気分だったんだ。

 

「……ふふっ」

「?」

「なんでもなーい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かと一緒に眠るのは楽しい。それが好感を持った相手であれば尚更だ。

 

 リオンくんも最初は猛烈に照れていたけれど、いつの間にか寝息を立てていた。

 よほど疲れていたらしい。

 私の腕の中で安らいだ顔をして眠り、起きたのは今から二時間ほど前だ。

 

「はい、これが食べ物で……こっちが、飲み物ね」

「こんなに貰っていいんですか?」

「もちろん! 楽しませてくれたお礼だよ」

 

 袋に沢山の果実や鍋を入れ、大きめの鞄を作って手渡した。

 朝食も済ませて、朝のお風呂も一緒に楽しんだ。

 今はもう家の外に出ており、ここから離れる準備をしている。

 

「どうかな? 服の大きさは合ってる?」

「うん、ぴったり」

「良かった。キミの身体を沢山触った甲斐があったね」

「……」

 

 困り顔の彼に向かって、「冗談だよ」と付け加える。

 彼が着ていた服は修復しておいたが、裾を伸ばしたらスカートみたいになってしまった。

 リオンくんは気にしていない様子だ。

 

「うん、似合ってる」

 

 もはや癖のように頭を撫でる。

 流石に慣れたらしく、微笑みだけを返してくれた。

 

「今日は珍しく、太陽の光が綺麗に入ってくるね」

「そうなんですか? ちょっと暗いような」

「うん、まあ、森の外よりはね」

 

 『木々に少しだけ退いて貰った』ので、空から差す光が差し込みやすくなっている。

 

 

 あれが太陽と呼ばれる星なのか、私は実の所知らない。

 「あるいは、この世界は空から明かりを照らされている虚飾の舞台かもしれない」などと、私と戦った勇者が口にしていたのを覚えている。

 

 確認する気は起きなかった。

 世界がどうあれ私は生きているのだから。それが嘘であったとしても、生きる事をやめる理由にも、無気力に過ごす理由にもならない。

 

 

 ともかく、今はリオンくんだ。

 彼の持ち物の大半は綺麗にして渡したが、一つ、まだ渡していない物がある。

 

「はいこれー」

「あれ? これって」

「キミの持ってた剣だよ」

 

 一年間たっぷり使い込まれた剣は、彼が片手で使える様に調節された大きさだ。

 幾度かの修理や魔法での補強こそ行われていたが、使い込まれすぎて脆くなっている。

 

「ああ、ありがとうございます」

「ふふん、ちょっと違うんだなあ」

 

 剣を彼の前にかざし、表面に軽く触れた。

 

「これをね」

 

 

『触れた瞬間に剣は改変された』。

 

『完全に修復し』

『切れ味を大幅に向上させて』

『持っているだけで身体が軽くなり』

『持っているだけで攻撃によるダメージを軽減し』

『ついでにこれらの機能は本人の意思と願いを反映して強力になり』

『おまけで、リオンくんが死んでしまっても安全な場所で復活する』

 

 見た目はやや綺麗になっているだけだが、ほとんど別の剣になってしまった。

 やや過保護かもしれない。だが迷わず手渡した。

 

「振ってみて欲しいな」

「これを? はい」

 

 迷わず受け取ってくれて、彼は慣れた手つきで剣を構えた。

 途端にまじまじと刃を見つめ、首を振っている。

 

「ひょっとして、魔法で強化した……とかですか?」

「まあそういう感じ。ほらほら、どう? 使ってごらん?」

「魔法でこんな事もできるんですね。うん、これなら……やってみます」

 

 そう言いながら、彼は深々と剣を構え、縦に重々しく振った。

 軌跡がきらめき、一振りで風が鳴く。ごう、という音と共に木々が傾き、圧力で地面が吹き飛び、穴が開いた。

 

「っ……!?」

 

 一瞬、彼の足が止まった。

 が、コンマ数秒程度で素早く復帰し、もう一度剣を振る。次はより柔らかく、加減をした上で。

 鋭い一閃が光り、すぐに消える。

 

「ふっ!」

 

 何かを想定しているのか、リオンくんは虚空をもう一閃し、連続側転で大きく退いた。

 私の傍まで戻ってくると、自分の足捌きや手元を眺め、嬉しげに笑う。

 軽やかに跳躍し、彼は家の屋根に着地した。

 彼の手から火球が現れた。小さな火の玉が幾つも、幾つも現れては消えて、彼の周囲を彩っている。

 

「あはっ!」

 

 調子の上がった声を漏らすと、彼はすぐに下りてきた。

 剣を鞘に戻し、大事そうに握りしめながら。

 

「お姉さん、これ……これ最高です!」

 

 リオンくんが声をあげ、感極まった様子で飛びついてきた。

 とっさに受け止めた。通常なら問題ない。

 だが、強化された身体能力が私を襲い、軽くバランスを崩してしまう。

 

「あっ」

 

 私の手を掴み、リオンくんが引っ張ってくれた。

 無事を確認するなり、彼はすぐに離れ、申し訳なさそうに目線を下げた。

 

「ごめんなさい、調子に乗っちゃって」

「ふふ、喜んでくれたなら良かった」

 

 やや強化のしすぎかとも思われたが、大事そうに抱えている姿を見ていると、やって良かったと思えた。

 

「さっきの火は?」

「あれですか? あれは僕のスキルで、火の玉を出せるんです。僕自身もちょっと熱いのに強くって、やけどしても治るんですよ」

「へえ」

 

 聞きながら、なんとなく考えた。

 火傷が治りきっていない辺り、自分の身体まで焼きかねない。完全なスキルではないのだろう。あるいは、彼がまだ成長途中なのかもしれない。

 何にせよ、私の『これ』の様な危険性は感じられなかった。

 

「他に何か欲しいものはある?」

「大丈夫です。ありがとうございます!」

「おまけでお姉さんもセットでどう?」

「ええっ」

 

 流れで言ってみたが、リオンくんは頷いてくれなかった。

 困った顔で首を横に振り、断られてしまう。

 だが、予想していた通りだ。ここで私を欲してくれても一向に構わないけれど、きっと彼は望まない。分かっていた。

 

「どうかな?」

 

 私はあえてもう一度尋ねた。

 もちろん、リオンくんは頷かない。

 

「しばらく僕一人で行きたいので……」

「私は一緒に行きたいんだけどなー。さっきも見せたけど、色々できるよ? お得だよ?」

 

 自分の事を売り込むなんて初めての経験だ。当然、勝手も分からない。

 

「うーん、実はお姉さんも戦えるかもしれないよ?」

「あはは。うん、そうですよね、助けてくれてありがとうございます」

 

 完全に冗談だと思われていた。

 

「結構戦えるつもりなんだけどなあ」

 

 今の時代にどの様な力を持つ存在が居るか、厳密には知らない。が、今のリオンくんを見る限りでは、まだ私の力は有効だろう。

 

 確かに、外見的に私は戦闘に秀でている風ではない。だが、私のような存在にとって、外見というのは可変であり、その気になれば如何様にも変更できる一要素、いわばお気に入りの衣装に過ぎない。

 そもそも私を構成している肉体とは、私の本質とは全く掠りもしない虚構であり、虚飾であり、私という生物はどこにもいないのだ。

 

 私はただの怪異である。

 生物が積み重ねてきた命の系譜とは全く関係のない、ただの理不尽な暴力だ。

 

「……本当にダメ? 私、キミの助けになりたいな」

 

 もちろん、そんな事をリオンくんに教える必要はない。

 念押しで聞いてみたが、やはり彼は了承しなかった。

 

「ごめんなさい。気持ちは嬉しいです。けど、やっぱり僕は一人で戦えますからっ」

「ええー。しょうがないかなぁ」

 

 真摯に見つめられて、私は飲み込んだ風を装った。

 こっそり一緒に行くのも面白そうだ。

 

「また来てね」

「……はい」

 

 そんなリオンくんの頭をまた撫でた。もう癖になってしまっている。

 意識的に彼と距離を近付けながら、赤らんだ頬を両手で掴み、少しだけしゃがんで顔を近付ける。

 

「やっぱり、お顔も綺麗だねー」

 

 わたわたと慌てる彼をひとしきり楽しみ、解放する。

 

「あははっ! うんうん、かわいい」

「うう」

「あ、ごめんね? かわいいって言われるの嫌だった?」

 

 撫で回しつつも問いかけた。

 彼はむずがゆそうな顔をして、目を閉じている。

 

「いえ、いいえ、そうでもなくて。喜んでくれるなら、いい、ですよ……?」

「私みたいな怪しい人の言う事、素直に聞いてたらいつか騙されちゃうよ?」

「怪しくないですよ」

 

 不意に、彼の顔色が変わった。

 赤らんだ頬に真剣な感情が差し、瞳には深い確信だ。

 

「本当だから。イクスさんは怪しくなんかないです」

 

 胸に手を置いて、頑迷に言い張ってきた。

 

「あれだけ僕に優しくしてくれた人を、そんな風に思うわけないじゃないですか」

「……うん、まあ、そうかもね」

 

 いやいや、と心の中で首を振った。

 「あなたに黙っている事はいっぱいあるんだよ」と言ってあげたくなった。

 例えば今、空の上からこちらを覗く「ごく些細な視線」の事すら教えていない。

 

 

 天の彼方にドラゴンが待機し、その上に乗った者が私達を監視していた。

 もちろん最初から気づいている。

 リオンくんに言う必要がなかっただけで。

 

 何やら上が騒がしい。そろそろだろう。

 私がそう思うと同時に、動きがあった。

 

 いかにも悪党と全身で表現している存在が、ドラゴンの背から飛び出す。

 男が天を指すと、彼の頭上に巨大な紫の炎が幾つも出現する。強烈な熱と共に、残虐な顔で私達を見下ろしている。

 そして、指を地に向けると、炎が世界を軋ませながら落ちてくる。

 

「!?」

 

 炎が私達に向かう。

 その途端、リオンくんが凄まじい勢いで空を見上げた。

 

「伏せて!」

 

 目を見開き、彼は手を空にかざす。

 瞬間、手のひらくらいの火球が彼の手の中から発生した。

 彼はその火球を、迷うこと無く掴んだ。肌が焼ける。

 

「っ……らぁぁっ!」

 

 構わず、振りかぶって投げつける。火が斜め遙か上に飛んでいく。

 

 迫り来る炎の塊に触れ合い、火球は音をたてて爆発した。

 地獄が混ざり込むような音。即座に爆風が土を巻き上げ、衝撃が私達を襲う。

 

「いやーっ!」

 

 リオンくんが私の前に立ち、叫びながら剣で衝撃を断ち切った。

 私にはそよ風一つ届かない。

 火球の爆裂は、幾つもの炎を巻き込んだ。初動の数十発は、私達に届く前に消え失せた。

 

 しかし、煙を裂き、続けて紫の炎が落ちてくる。

 

「イクスさん!」

「ひゃっ」

 

 迎撃失敗。彼は察知すると同時に私を押し倒した。

 

「じっとして!」

「リオンくん!?」

「口を閉じてください! 危ないから!」

 

 私の身体を丸めさせ、その上に彼が覆い被さる。

 淀みなく、私を隠すように抱きしめた。

 

「動かないでね……僕が守りますっ……!」

 

 覚悟を決めた彼の面持ちが、私の視界いっぱいに広がっている。

 かわいらしい狼狽や照れはまるでなく、ただ必死で、空から降る悪意の弾丸から私を守り通そうと、歯を食いしばっていた。

 

 ひゅう、という音が聞こえる。そして、炎の塊が落ちてきた。

 

 空から雨めいて降り注ぐ炎はまさに暴力である。

 一つ数えている内に、相当な数の塊が着弾する。

 

 森の中にある全てを焼き尽くす勢いで、炎が地面から漏れ上がっていった。

 ただの炎ではあるまい。紫の炎は悪意的に広まり、熱が私達を取り囲んでいくのだから。

 

 『しかし、炎は全て奇跡的に私達から外れていた』

 

 だが、私の家は部屋の半分が消し飛んでしまい、今も燃えさかっている。

 

「ああ……こんな」

 

 私よりリオンくんが嘆いている。

 

「ひどい……」

 

 その声を嘲るようにして、炎が呪詛の如き音を立てていた。人間の断末魔にも聞こえ、煙には呪いが漂っている。

 だというのに、木々の一本にすら燃え移っていない。

 

 炎は逃げ場を奪うように私達の周囲を囲むが、他は何も燃やさない。

 どうやら、相手はよほど人間だけが嫌いらしい。あの炎はどれほどの数の人間を焼いてきたのだろう。

 

 やがて炎の雨が止むと、リオンくんが飛び上がった。

 もう剣を構えている。

 火球を握った片手の方はだらりと垂れ下がっていた。

 

「リオンくんっ」

「これくらい平気。僕、勇者だからっ! イクスさんこそ怪我はありませんか?」

「……おかげさまでね。ないよ。ありがとう」

「いえ」

 

 私に目を向けず、彼は炎の最も燃えさかる地点を見つめた。

 そこにあった炎の塊が、花びらのように開く。

 

 リオンくんがハッとした様子でこちらを見て、心配そうに声をあげた。

 

「離れてください! あいつの狙いは僕だから! 僕に任せて! 大丈夫だから!」

 

 激しくも心地よい声を聞いている間に、花びらの中から人型が生まれた。

 それは私より一回り背の高い男で、全身が紫の炎で覆われている。

 リオンくんに視線を注ぐと、彼はニヤと邪悪な笑みを浮かべた。

 

「見つけたぞ」

「フレイル……!!」

 

 怒りのこもった声を漏らしている。

 その背中に近づこうとするなり、リオンくんは振り返った。

 

「僕の事はいいから、離れて!」

「でも」

「来るな!」

 

 彼ははっきりと言い切った。

 想定よりも力強い怒声に驚かされて、足が止まる。

 

「……」

「っ……ごめんなさい」

 

 私の反応をどう思ったのだろうか。

 リオンくんは、敵を警戒しつつゆっくりと私へ近づく。

 目の前に来ると、空いた手で私の手を触れ、ぎゅっと握ってくれた。

 

「イクスさん、僕が頑張るから」

 

 周囲の熱でリオンくんはやや汗を掻いていた。

 焼けた家の灰が顔にかかり、せっかく綺麗に洗ったのが台無しだ。

 

「……」

「じゃあ、僕は行きます」

 

 何も言わずにいると、リオンくんが離れた。

 改めて剣を握りしめて、優しく優しく笑ってくれる。

 

「僕は行きます。そのためにここに来たんだから! だってほら、僕、勇者なので!」

 

 そう口にして、彼は私に背を向けた。

 

「待ってくれたんだね。ありがとうフレイル」

「構わん。別れはもう済ませたか」

「うん。来たのは、お前だけ? ……フォルスは?」

 

 気分の悪そうな声でその名を挙げる。

 フレイルと呼ばれた男が苦笑した。

 

「彼か。彼はお前の仲間で遊び疲れて寝た」

「……そっか」

 

 リオンくんが強烈な圧迫感を纏った。

 怒りの波動が大地を軋ませ、空間がぐにゃりと歪む。剣がその感情に応えて、鋭さを増していった。

 だが、その凄まじい波は一瞬だけで消えた。

 

 背後の私を、意識している気がする。

 

「それで、フレイル以外は?」

「今は私一人だ。じきに増援も来るが」

 

 なるほど確かにと私が頷いた。

 少し意識を伸ばしてみれば、森の端にドラゴンなどの存在が入り込んでいる。

 リオンくんも信じたらしく、静かに頷き、呟いた。

 

「ならっ……! あいつらが来る前に、お前を倒す……!」

「ほう? 負けたお前が?」

「負けたのはお前にじゃない」

「生意気な子供だ」

 

 フレイルが眉をしかめ、だが、小さく笑う。

 そこにいる魔族は憎悪で炎を燃やしていた。私に対しても、リオンくんに対しても。等しく凄まじい憎しみを放っているのだ。

 だが、彼は堂々と仁王立ちしていた。

 

「心意気は買ってやる……来い!」

「ああ……行くよ!」

 

 剣を握りしめ、リオンくんが立ち向かう。

 

 私はそんな姿を見守った。

 堪えきれない笑みが浮かぶ。声もまた漏れ出してしまう。

 

「うふっ」

 

 思わず頬に手をやった。炎の熱で温められて、冷たい身体に熱がこもる。

 握ってくれた方の手を何度か開いたり、閉じたり。

 あの子は、私が落ち込んだと思って慰めてくれた。

 

「……頑張れ、リオンくん」

 

 その声に応えるように、剣が炎の塊とぶつかり合って、火花が散った。

 ひとまず見守ろう。せっかく、彼が頑張っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは初撃から熱量を持っていた。

 リオンくんは見た目以上に力強く、フレイルとぶつかり合っている。

 衝突の度に炎が飛び散って光が舞った。

 

 紫の炎と赤の火球が絡み合い、混ざり合う。

 見た目には綺麗な光景だった。

 

「前より強くなった様だな。たったこれだけの時間で、何をしたのやら」

 

 フレイルが呟く。実力としては、彼の方がやや強いと言った所だろう。

 その間にも果敢に攻め込むリオンくんをいなし、傷ついた腕を炎で修復する。

 紫の炎が流動し、粘性の液体めいて広がった。

 

 液体はリオンくんを飲み込まんと迫る。

 

「っ。派手だね!」

 

 周囲に小さな火球が発生し、攻め込む炎を弾き飛ばし、あるいは諸共消し去った。

 

 リオンくんの指が焼け付いている。

 苦悶の声一つ漏らさず、視線は決して戦いから外れていない。

 

「……」

 

 見守っていると、手出しをしたくなってしまう。

 

 『簡単なのだ。戦いを終わらせるだけならば。リオンくんが怪我をせずに終えるだけならば』

 

 しかし、私はやらない。

 

「相変わらず自爆か貴様!」

「ああ、そうだよ! ちょっと痛いけどね! これくらい、なんだっ!」

「まったく、威力だけは立派だな!」

 

 不思議だった。彼が頑張る姿を、もっとずっと見ていたい。

 ああ、簡単にできるとも。

 『どうとでもなる』

 だが、そうして良いとは、決して思えないのだ。

 

 今まさに、彼は成長しているのだから。

 

 頑張るって、彼が言っていたから。

 

「……頑張ってね」

 

 私の声はリオンくんの耳に届いたらしく、無言で答えてくれた。

 

 炎の塊であるフレイルは触れるだけで肌を燃やし、熱によって意識を乱す。

 確かに炎の威力は凄まじい。一撃一撃は確かに強力で、リオンくんは防ぎきれていない。

 ただし。

 

「がっ……!」

 

 フレイルが呻いた。リオンくんが飛び膝蹴りを食らわせたのだ。

 そう、今のリオンくんは意思によって強化されている。勝てないなどという事はない。

 

 吹き飛ばされた紫の炎が、再び人の形を整えた。

 殺意のオーラが充満する。

 

「ぬぅぅん!」

 

 渾身の回し蹴りがリオンくんに襲いかかった。

 

 片手剣がフレイルの脚とぶつかり合うと、その脚が弾かれる。

 僅かに姿勢を崩したフレイル。それを見逃さず、リオンくんが空いた片手を……強く握りしめた!

 

「なんとっ!?」

「はぁっ!」

 

 胴へ深く突き込まれた腕は、紫の炎で燃やされながらも突き破り、フレイルの胴を貫通した。

 

「ぐ、うぉぉ!?」

「やぁぁぁっ!」

 

 小さな火球が山のように剣へ纏い、そして、線となった赤が一筆で描かれる。

 フレイルの身体が横から真っ二つになり、漏れ出す炎を巻きながら、地面に落ちた。

 

 

「はっ……はっ……どうだッ!!」

「ごほっ、なるほど……確かに強い」

 

 上半身だけになっても、フレイルは己の身を確認し、やや怪訝そうな顔をするだけだった。

 

「一体、何をして強化したのだ。貴様は」

「僕は何もしてない。ただ、助けて貰っただけだ」

 

 どうも私に視線をくれたようだ。

 何も言われていないのに、深い感謝が送られているのが分かる。

 フレイルは見下ろされながら、溜息を吐いた。

 

「殺さんのか」

「……」

 

 剣を下ろし、リオンくんは黙って口を閉ざした。

 これもまた悪手だ。まだ戦意のある敵に、しかし彼は剣を振れずにいる。

 

「ふん、なんと甘い男だ。それでも勇者か、貴様は」

「でも、勝ったのは僕だよ」

 

 むっとした顔で告げられて、フレイルが言葉を失った。

 一瞬、彼らの表情が緩む。けれど再び殺気が満ち溢れ、戦いの気配が戻ってきた。

 

「なるほど、確かにお前の勝ちだ」

 

 彼は両腕だけでぐぐ、と身を起こした。紫の炎がまた強く燃え上がっていく。

 

「だが、終わった訳ではないぞ?」

「……来い!」

 

 リオンくんが再び剣を構えた。すぅ、はぁ、なんて呼吸音が聞こえる。

 一呼吸ごとに力が集約している。

 隙はない。どこから攻められても確実に対応できるだろう。

 

 対して、上半身だけとなったフレイルの力は大幅に衰えていた。だが、まるで恐れもなく笑い飛ばす。

 

「知るのだ。貴様は……自分の、愚かさを!」

 

 両手だけで地面を叩き、紫の炎を噴いて飛んだ。

 リオンくんが正面からの突撃に備える。

 

「だから、貴様は甘いというのだ!」

 

 が、瞬時に跳ね、リオンくんを通り過ぎた。

 その先に居るのは、私だ。

 

「あっ!?」

「その命、貰ったぞ!」

「イクスさん!」

 

 よほど予想外だったのだろう、リオンくんの反応が僅かに後れ、焦燥が彼の顔に浮かぶ。

 私の名を呼び、必死で駆け寄ってくる。しかし炎の方がやはり早い。

 

「命を以て、絶望の礎となれ!」

 

 フレイルは憎悪を散布させつつ、私を暴力でもって討ち滅ぼしにきた。

 炎の身体による突進は、ただそれだけで人を消し炭にするだろう。

 これはリオンくんの心を折る為の最善手だ。

 

 だが、それは同時に最悪手だった。

 一番取ってはいけない選択だ。

 

 

 にたり。私の顔が、感情の通りに歪む。

 

 

「っ!?」

 

 フレイルが驚愕で目を見開いた。だが、興味は無い。

 ただ手を伸ばし、指を鳴らすように。受け入れるように。

 何よりも早く。

 

『その身体「イクスさぁん!」ををっ!?

 

 リオンくんが私を突き飛ばした。

 当然のように、炎はリオンくんを焼く。

 

「あ゛あ゛ぁぁぁぁっ!」

 

 炎の突撃を彼は正面から胸で受け止め、悲鳴をあげた。

 一瞬、リオンくんの膝がぐったりと崩れ落ちる。

 だが、瞬時に瞳へ業熱が宿り、炎を睨みつけた。

 

「なんだと!?」

「ぁ……ぁあぁぁっ! さ、せるかぁっ!」

 

 彼は、フレイルの頭をむんずと掴んだ。

 指が燃え上がる。しかし力は抜かず、稲妻のごとき音が手の中から現れる。火花が散っていた。

 

「まさか貴様っ!?」

「くぅらえぇぇぇっっ!」

 

 火球がリオンくんの目前で発生し、瞬時に爆発した。

 音が耳を潰さんばかりに轟き、周囲の空間が真っ白に染まる。 

 

「がっ、ああ……」

 

 飛ばされたリオンくん。

 

 『その姿を確認し、落ちる位置に移動して抱き留めた』

 

 今にも灰になって、消えてしまいそうだった。

 剣によって強化されていても、体中の多くの傷と火傷は痛々しく、まだ身体が幾らか燃えている。

 

『彼の身を焼く炎を消して』

『ずたずたになった身を癒やして』

 

 その背をゆっくりと撫でた。

 

 スキルの発動を潰されるなんて何時ぶりだろう!

 この子が勇者だからだろうか!?

 

 

 背後で、フレイルの上半身は粉々に砕けていた。

 生きてはいまい。

 

『リオンくんがあんなに頑張ったのに復活するなんて許さない』。

 

 炎がぼろぼろ崩れ、そこら中に飛散する。

 地面に、小さな火がいくつも転がった。

 

「リオンくん」

「うう」

 

 名前を呼ぶと、彼はゆっくり目を開く。

 視界がはっきりとしていないのか、ぼんやりと私を見つめている。

 

「あっ……だい、じょうぶ、です?」

 

 私の頬を彼が撫でる。弱々しくて、優しい手つきで。

 あまりに腕の力が入っていない。まさか、彼はいつもこんな風に戦っているのだろうか。

 

 だとすれば、なんて酷い有様だ。

 

 意識なんてほとんどないだろうに、リオンくんの指先は正確に私の身を案じ、慈しんでいた。

 

 彼の腕を、そっと掴む。

 柔らかい腕には確かな命があった。

 

「うん、私は少しも傷ついてないよ、リオンくん」

「そっか、ぁ。よか、ったぁ」

 

 にっこり笑う。

 思いっきり口元を上げて、煤けた顔を明るく彩った。

 

「ぼく、みんなを、まも、るよ……ぼくが……」

 

 目元に手をあて、視界を覆う。リオンくんが口を閉じた。

 子守歌のように彼へ話しかけた。

 

「大丈夫だから、ね? だから、少し休もう?」

 

 自分の胸元で彼を抱きかかえる。

 やはり私に命はない。私の皮の下には何もない。

 

 『だが、偽りの中身を作りだした』

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 何が大丈夫なのか聞かれても困るけれど、それでも「大丈夫」と繰り返す。

 リズミカルに心臓を鳴らし、内臓が運動する音を流し、極力人間らしく振る舞って、その音を彼に聞かせた。

 

「……おかあさん」

 

 ぽつりと呟かれた声に、偽りの心臓が跳ねる。

 私は、そんなにも彼の母に似ているのだろうか。

 

 今はなんでも構わない。

 こんなにも頑張った彼の為に、私がやる事は決まっている。

 

「うん、だから、もう休みましょう?」

 

 耳に顔を近付けて、柔らかく優しい言葉だけを流し込む。

 すると、彼はぐったりとして、気を失った。

 

 

「なんて愛しくて……愚かな子」

 

 

 守ろうとしてくれる姿がとても好ましかった。

 だからこそ、不思議な事に胸がちくりと痛む。

 例え私に紫の炎が当たったとしても少しも問題ではないというのに。

 

 それを知らない彼は、必死になって頑張って。

 

 あまりに無知で、どうしようもなく愚かだけど。

 一生懸命で、人を疑う事を知らなくて。

 彼はこんなにも眩しくて。愛おしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ? そうでしょう?」

 

 振り向くと、そこに数人の魔族と、大きなドラゴンが鎮座している。

 リオンくんの行動は読まれていたようだ。

 私を取り囲むと、彼らは見るからに殺気立った。憎悪と敵意は明白だ。

 

「フレイルを……? 貴様ぁ……!」

 

 いや、粉砕された炎の残骸を見て、さらに憎悪が煮えたぎっている。

 

「で、私達を殺しに来たのか、捕まえにきたのか、どっち?」

「捕まえたのち、殺す」

 

 端的な回答である。「それは結構ね」と呟いて、彼らの姿を改めて観察した。

 目玉の塊、ドラゴン、熊、名伏しがたい粘性のなにか、外見の統一感はない。

 

 が、全員、生き物らしい気配がない。

 つまり、全て魔族で、個別にスキルを持っている。

 今のところ、リオンくんより興味を惹かれる者はいない。

 

「貴様らは処刑する」

 

 リオンくんの髪が汚れてしまっている。

 頑張ったねってまだ撫でて、背後の雑音は無視した。

 何やら声をあげてくる。なんだやかましい。

 

 指を鳴らす。

 

 『フレイルの残骸が一個に固まり、紫の炎となって彼らに遅いかかった』

 

「なんっ、おまえぇ!」

 

 ドラゴンが焼き尽くされ、目玉が必死に逃げ回った。

 どうやらフレイルは彼らより強かったようで、火が蹂躙していった。

 

「よくもフレイルの身体をぉ!」

「叫ばないで、リオンくんが起きるから」

 

 『私の一言で彼らは音を立てられなくなった』

 

 リオンくんをお姫様抱っこしたまま立ち上がり、笑顔を作る。

 

「じゃあ、改めて挨拶しましょうか」

 

 炎に追われる彼らに聞こえるかは分からない。

 

「私はイクス・スピネル。かつて虹の怪異と呼ばれていた者だけど」

「……!? ……!?!?」

「ああー。どうしてしゃべれないのか不思議? これは私のスキル『誰が記述を殺したか?』って言ってね。私の認識する事実を、私が分かる範疇で書き換えるんだけど……どうでもいいかな」

 

 どうも彼らは私を知らないようだ。

 やはり、私の名前や存在は何百年かで忘却されている。

 

 『森の木々が彼らの逃げ道を完全に封鎖する』

 『天を覆う葉は光を隠し、森の中を閉鎖された空間に変えた』

 

「つまり、君らを帰す気はないってこと」

 

 

 『森は暗闇に包まれて、そして戦慄の夜が訪れた』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり好ましく思える髪を、半ば義務として撫でてみる。

 ああサラサラの髪! すっかり綺麗で心地いい。

 

 もう何時間、こうしていただろう。

 魔族の痕跡もすっかり失せて、森は開けて空がはっきりと見えている。

 

 よほど疲れているのか、リオンくんは深く眠っていた。

 

「あったかいかな?」

 

 地面の上に私が寝転がり、彼を乗せて抱きしめている。

 今の私は彼のベッドだった。背中や髪が熱せられた土に温められて、その温かさを少しだけリオンくんに伝えていた。

 彼はうつ伏せになって私の脇腹にしがみついた。

 寝息が私をくすぐる。

 

 彼の背中から、肩、腕へと指を這わせ、手を合わせる様にして握る。

 私の指の方が長かった。

 彼は小柄で、こんな風に私をベッドにも出来る。

 

 彼の肩甲骨をすりすりしていると、リオンくんが僅かに目を開けた。

 

「……イクスさん」

 

 顔を上げ、寝ぼけ眼で私を見つめている。

 ゆっくりと意識が覚醒してきたのだろう。

 顔をほのかに赤らめながらも、私というベッドから降りた。

 

 私の髪からつま先までをゆっくり眺め、安堵の息を漏らす。

 

「怪我は、ないですか?」

「ないない。君のお陰で凄く元気だよ。怪我は治しておいたけど、良かった? 勲章として残しておきたかった?」

「ううん、それはないです」

 

 服はほとんど焦げていたから、既に直している。

 すっかり新品同然となった服を身に着けて、微笑んでいる。

 

 そんな彼の面持ちは、さっきまでの戦いぶりが嘘のようだ。

 けれど、その視線が炎の残骸に及ぶと、彼が眉を下げた。

 

「あいつは」

「フレイルだっけ? あの炎は君が倒したよ」

 

 戦いにおいて、私は本当に何もしていない。

 少々身体能力は強化したものの、リオンくんは自力で勝ったのだ。

 だが、その表情は暗かった。

 

「そう、ですか……」

 

 どこか悔いているようにも見える。

 私の顔を見ると、彼はぽつぽつと話し出してくれた。

 

「結構、いい人だったんです」

「敵だよ?」

「うん、敵でした。戦ったし、僕も、彼も、命を取り合って……でも、フォルスとか、ああいう奴よりはずっと話が通じて……だから……ううん、イクスさんを守れたのなら、良かったです」

 

 無理をして明るい顔をして、けれど、声は悲しげで。

 両手で剣を抱いて、手が震えている。

 

「やっぱり、何度やっても……慣れないですよね……」

「……」

 

 言えない。

 助けてくれなくても大丈夫だった、なんて。

 今までなら、他人がどう思おうが気にせず、ずかずか土足で踏み込めたのに、それがどうしてもできない。

 

「んっ!」

「わわっ……」

 

 代わりに、背中から思いっきり抱きしめた。

 一緒にお風呂に入った時も同じ事をした。なのに、今は昨日とは全く違う。

 

 慈しみの情とでも呼ぶべきかもしれない。

 偽物の心臓を通して、偽物の血が流れていく。

 鼓動を彼の鼓動と合わせ、血が混ざり合っている様だった。

 

 リオンくんの震えは止まっていた。

 

「ありがとう、イクスさん」

 

 彼は穏やかに立ち上がった。

 まだ疲れを残した足取りでも、しっかりと、両足で立って歩いている。

 

「僕、行きますね」

「待って、どこへ行くつもり?」

「森から出て、街に行こうかなと」

「そうじゃなくて、まだ疲れているでしょう?」

「けど、もう平気ですよ。イクスさんが僕に優しくしてくれたから」

 

 私も一緒に行くよ。

 そう言いかけて、リオンくんの視線が口を閉じさせた。

 

「イクスさんに危ない目に遭って欲しくないんです」

 

 転がっていた剣を拾って鞘に直し、荷物を肩に掛けた。

 

「僕が居たら、また魔族の誰かが追いかけてきますから……今回はフレイルだったから何とかなったけど、フォルスが来たら本当に殺されちゃうかもしれない」

「そんなにひどい人なんだ?」

「クズ野郎です」

 

 彼は真顔で言い切った。

 すぐに優しい面持ちに戻り、彼は私を見つめている。

 

「だから、僕とイクスさんが一緒に居たら、きっと酷いことになります」

 

 立ち上がって、彼を前から見下ろした。

 その鼻先へ指を当てて、にっこり笑ってみせる。

 

「その判断は間違いだよ? なにせ私、ついていっちゃう」

「ダメですよ! 僕と一緒に居たら危ない!」

「うーん。キミの事が凄く心配になっちゃうから、嫌って言われてもついて行っちゃうなぁ私」

 

 両腕を掴んで、少しかがんで目線を合わせた。

 彼は振りほどかない。

 離して欲しそうだけれど、私はそうしなかった。

 

「それに、私の家、焼けちゃったんだよね……」

「ごめんなさい。僕のせいで……」

「ああっ! 責めてるんじゃないからね? 間違えないでね? 単に、住む場所もないし、君と一緒に行きたいなって思ったの」

 

 リオンくんは焼け落ちた家を一瞥し、ひどく申し訳なさそうに俯いている。

 思わず顔を近付けて、腕を引っ張る。

 

「もう、だから私は責めてないし、迷惑だなんて思ってないって!」

「あうっ」

 

 おでことおでこが合わさって、こつんと音がした。

 瞳が触れ合うくらい近づき、リオンくんの目が泳ぐ。

 

「フレイルだっけ、彼が私の顔も教えているだろうから、キミと一緒に居た方が安全じゃない? まだキミを狙ってるだろうから、私が一人の時に襲われたら、そっちの方が危ないよ?」

 

 家は簡単に再建できる。増援は全員、森から一歩も出さなかった。

 何より、私の顔を知られたところで一体何の問題があるだろう。

 しかし、言い訳としては非常にちょうど良かった。

 

「……分かりました」

 

 彼がごく自然に私の腕を振りほどいた。

 逃げ出す様子はない。

 黙って待っていると、彼は膝をついて、私の手を恭しく取った。

 

「ん?」

「僕、イクスさんを守ります。僕が死んだとしても守るって、そう誓います」

 

 見上げる視線には、真摯さだけがこめられている。

 想いという矢が私を貫いた。

 

「君は」

 

 知らない感情が私の中で駆け巡る。

 思考が火花を散らし、何かが噛み合うような音が聞こえた。

 私の中で部品となって転がっていたものが完璧に混ざり合い、やがて一つの形を成した。非生物の思考が押し流されて、まるで人間のような気持ちが心を完全に支配した。

 

 つまり私は、この、彼のことを。

 

「……うん、強くなろうね、勇者様?」

 

 さりげなく顔を撫でる。

 そして、ほっぺたにキスをした。瞬時に彼の顔がゆで上がる。

 

「あ、あう、あうあうあう……」

「ね?」

 

 片目を瞑って見せると、彼は真っ赤になって俯いた。

 そんな今の彼には力強さなんてどこにもないけれど、視線は今も私を貫通していた。

 喜びで身が震える。

 なんてことだ。私に、こんな日がくるなんて。

 

「……あはははっ。本当に、今日は良い日だね!」

 

 光が差し込んで、見上げてみると綺麗な空がそこにある。

 

 いつもは薄暗くて狭いのに、空を、今はやけに広く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……彼は、何も知らない。

 

 勇者とは、かつて私達のような怪異を討伐する為にこの世界へ呼ばれたのだと。

 

 魔族がなぜ生まれたのか。

 私達ではなく、魔族を討伐する者だと思われているのか。

 

 私には分からない。

 

 けれど、異界から人を召喚する方法が変わっていないのなら、きっと、勇者の本来の役割も変わってはいないだろう。

 

「リオンくーん」

「は、はい?」

「呼んだだけ。これから、仲良く頑張ろうね?」

「……はいっ」

 

 この子は、何時の日か私と戦うのだろうか。

 

 全てを理解した時に、彼は私を滅ぼすのだろうか。

 それとも、私以外の全ての敵となるのだろうか。

 

 ああ、でも、こう思う。

 

 この子になら、滅ぼされてもいいかもしれないと。

 

 期待感に胸を膨らませ、彼の頭をまた撫でる。

 くすぐったそうな逆のほっぺたに、もう一回、キスをした。

 

 




初期バージョンでは「やや」ではなく邪悪なお姉さんで、人をペット感覚でかわいがったりする邪神系お姉さんだったんですが
改稿を重ねるうちにショタにどハマリして、愛を知り、優しさを覚え、ちょっと悪いお姉さんに落ち着きました

おねショタものはよく見かけますし私も大好きですが
私は『ショタが』『お姉さんに』『恋をする』より
『お姉さんが』『ショタに』『落とされる』方を重視しています。
あとショタコンじゃないお姉さんが惚れ込む方がいい(注文が多い)でもちょっとアブナイ感じのよだれとか垂らすショタコンなお姉さんもいい

ところで、ロリマザコンが許されるのならパパみを求めるショタファザコン、ショタに父性あるいは母性を求めて甘えるタイプのおねショタものがあっても良いはずなんですが私はまだ出会えていません
ショタおねとはちょっと違う
GLは同世代カプが一番だけど、BLとNLは年の差カプがいい(なんたるワガママ!)

魔族とは、怪異が引きこもって脅威が去り行く中で、かつての勇者たちが人類同士の戦争を回避する為に生み出した人類共通の偽りの敵であり、ある程度制御された暴虐の上で人々からの敵意を集めさせ、その闘いに使う為の代理として異世界から少年を拉致しては使っていたいわば魔族とはマッチポンプの犠牲者で、実は勇者召喚のシステム上怪異を殺すことができればその勇者はお役御免で元の世界に帰還できるんですがでも、今はそんな事はどうでもいいんだ重要じゃない。

おねショタとは、ショタに悶えるお姉さんであり、顔真っ赤で照れながら少しずつお姉さんに甘えるようになるショタであると私は思います


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