黒死牟殿の弟子 (かいな)
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第一話

 果たして、いかなる因果があればこのような事態に陥るのだろうか。

 

「……ぁ」

 

 声が出せない。まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。

 ……いや。ようだ、ではない。私と彼との関係はまさしく蛇と蛙。食う側と食われる側だ。

 

「……」

 

 彼は今も、その圧倒的存在感を放ちながら……六つの対になった目で私を見下している。

 私がへたり込んでいるそばには、親代わりとなっていた男の死骸が転がっている。

 

 何故、こうなったのか。冷静に順を追って考える。

 

 そうだ。包丁を受け取りに行った帰りだった。根元からぽっきりと包丁が折れてしまったので、修理に出していたのだ。

 包丁を扱うとあって、この地べたを転がる男も一緒についてきたのだが、男の歩みが遅いせいで常の買い出しよりも遅い帰宅となってしまい、家に着くころには月が完全に頭上に上がっていた。

 その時だった。私達は彼と出会った。はじめは、今時刀を持ち歩いている変人だと思った。男もそう思ったのだろう。どこか馬鹿にするような調子で声を掛けた。

 

 次の瞬間には男の首と胴は泣き別れていた。刀を持つ彼が殺った。

 彼の剣は恐ろしい速度だった。

 

「……凄い」

 

 そして、何より美しかった。私は彼の剣技を、一瞬であったが確実にこの目でとらえている。その剣技の何と美しい事か。ある種の芸術のようにも思えて来る。

 一体、どれほどの人をその剣に捧げればこのような極致に至れるのだろう。彼から漂うにおいからして、百や二百じゃきかない筈だ。

 

「…貴様…」

 

「素晴らしい……なんという……美しい剣技」

 

「見えたのか…今の…技が…」

 

「綺麗だ……」

 

「……」

 

 ただただ、感嘆の声がのぼる。

 そしてただひたすらに、その剣技に憧れる。

 

 欲しい。私も、あの極致に至りたい。

 

 ぽーっとそんな事を考えていると六つの目でこちらを見ている彼に気付く。

 

 そして黙り込む彼を見て、私はある事にハタと気づいた。まずい、このままでは彼に殺されてしまう。いやだ、私は今、人生で初めてやりたいと思えることが出来たのに。

 気づいた私は立ち上がり、彼の下へと行く。都合、足元にあった親代わりの死体を越える事になるが、せっかくなので踏みつけにしておいた。

 

「私の身には過ぎた願いかもしれませんが、是非その剣技をご教授願いたい」

 

「…何…?」

 

「その剣技……とても感服いたしました」

 

「……」

 

「筋肉の動き一つ一つに無駄がない。全てが精密で精巧で美しい」

 

「……」

 

「貴方の技は、私の人生においてもっとも美しいものです」

 

 語る所に嘘偽りなし。彼の放った一撃は、私の人生でもっとも美しい光景だった。

 私は彼の足元で首を垂れるように膝をつく。

 

「私の人生はつまらないものでした。ですので最後に良いものを見れたと思い、このまま命を散らすのも私としては悪くありません」

 

「…ほう…」

 

「しかし、もし、貴方がよろしければ……私を貴方の弟子にして欲しい。貴方の素晴らしい剣技を、自らも振るってみたいのです」

 

「…なるほど…」

 

 彼が言い終わると同時に、手元に隠しておいた包丁を彼へと突き立てる。

 瞬間、彼は目にもとまらぬ速さで動き、私の背後に着く。

 

「なっ」

 

 完全に不意を突いた形だ。彼から聞こえる音も、感じ取った視線からも、何一つ私には向いていなかった。私を眼中に納めていなかった筈だ。

 

 だと言うのにこれは!

 

「…気概は…いい…しかし…いささか…」

 

「凄い! 今の足運び!」

 

「……」

 

 私は包丁を構えつつ、背後に居る彼の方へと振り返る。

 

「完全に不意を突いたのに! 貴方の視線も意識もこちらには向いてなかったのに! 凄い! やはり私の目に狂いは無かった!」

 

「……」

 

「申し訳ありません! このような不作法! しかも貴方の技術を疑うような真似を! どのようにしますか! 私を殺しますか!? ぜひ! 受け入れます!」

 

「……」

 

「しかし私はあなたの弟子になりたい! なのでどうかこれで許してほしい! 失礼つかまつる!」

 

 私は包丁を一転自分へと向け、腕に深く突き立てた。

 

「……」

 

「どうか! どうか許してほしい! 更にもう一発行きますか!?」

 

「……待て」

 

「駄目ですか! 残念です。更にもう一発!」

 

 痛みをこらえつつ、もう一度包丁を振りかぶり、今度は足へと包丁を──。

 

「…もうよい…」

 

 彼が私の腕を止めていた。彼の手から伝わる体温は異常に低く、まるで死人の様であった。

 

「…貴様の…思いは…十二分に伝わった……」

 

「まさか! 許して下さるのですか!? という事はつまり、私の弟子入りを許可してくれるのでしょうか!」

 

「…それは…」

 

「あの様な凶行ですら許して下さるなんて! これからは貴方の事は先生とお呼びいたします! 先生の懐は深いのですね!」

 

「……」

 

「お名前を! お名前を伺ってもよろしいでしょうか! 先生!」

 

「……」

 

 先生はほんの少しばかり黙り込むと、口を開いた。

 

「黒死牟……」

 

「黒死牟先生! どうか! どうかよろしくお願いいたします!」

 

「……ことわ」

 

「え!? ことわるのも忍びない!? つまり許可してくれるのですか!? ありがとうございます!」

 

「……」

 

 黒死牟先生の懐の何と大きい事か、私の事を許して下さるばかりか、弟子入りすら快諾してくださった。

 今も黒死牟先生は私を見ている。その六つの目を大きく見開いている。

 先生は優しいからきっと私の傷のことをいたわってくれているのだろうなぁ。

 私は腕の痛みも忘れてひたすらに感服した。

 

 こうして私は黒死牟先生の下に弟子入りするのであった。

 

 

 

 



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第二話

「黒死牟先生! 黒死牟先生のお住まいはどちらでしょうか!? お供いたします!」

 

「…ついて…くる…つもりか…?」

 

「勿論! 地獄のそこまでお供いたします!」

 

「……」

 

 夜の帳も下りた頃。月明かりが差す夜道を騒がしい二人が歩いていた。

 一人は一見只人のように見えるが、その顔には六つの目が引っ付いていた。異形の存在、黒死牟である。

 もう一人は、特にこれといった特徴のない少年……のように見える人物である。性別は定かではない。

 腕から夥しい量の血を流していると言うのに、これを気にする事なく騒がしくしゃべり続けている。

 

「……」

 

 黒死牟は今も考え続けている。自身の存在に何ら驚く事も慄くこともせず、ただただしゃべり続けながら付いてくる少年のことを。

 はっきり言って異常事態である。黒死牟が出会った事のある反応はおよそ二種類。反抗するか、首を垂れるか。後者に対しては慈悲を与える事も有ったが、しかし殆どの相手を地面のシミに変えてきた。

 だがこの少年は違った。

 黒死牟としても、反抗するでも、首を垂れる訳でもなく、教えを請われたことは初めての事であった。

 

「……」

 

 故に考える。この少年の処遇を。

 と、じろりと少年の身体を一睨みして黒死牟はある事に気付いた。そして、これは使えるとも考えた。

 

「…貴様…」

 

「はい! 何でしょうか!」

 

「…我が剣技…その神髄を…学びたいか…?」

 

「はい! あれ!? もしかして何か試験のようなものがあるのでしょうか!? 私は既に黒死牟先生の弟子ですので、そんなものは必要ないかと!」

 

「…む…?」

 

「え!?」

 

「……まぁ…よい…」

 

 どこか意識の差を感じた黒死牟であったが、これを軽く流すことにした。

 

「…であれば…」

 

 黒死牟は瞬時に少年の背後へと回る。そしてそのまま目にもとまらぬ速さで少年の首に手刀を打ち込んだ。

 

「がっ!?」

 

 黒死牟の攻撃に少年は思わず足をつく。

 一体何を……? 少年は黒死牟の動きをしっかりと把握していたため、何をされたか、よりもなぜ攻撃されたのかに疑問を抱いた。

 そしてその疑問の答えを、少年はすぐに導き出した。

 

「…やはり…貴様には光る物が…ある…貴様は…鬼に」

 

「そ、そう言う事なのですね! 分かりました! これから試験が始まるのですね!」

 

「…いや…」

 

「い、意識が遠のいてます! 人を気絶させる程の一撃をこうも容易く放てるなんて! 流石です黒死牟先生!」

 

「……」

 

 黒死牟は内心慄いた。彼の長い長い人生の中でも、ここまで人の話を聞かない人間に初めて出会ったからだ。しかも悪意ではなく純粋に好意というのが質が悪い。

 

「あっ、意識が……では……また……後で……」

 

「……」

 

 黒死牟は別に試験などするつもりは無かった。

 この少年は、自身の傷の具合がどれ程のものか理解していない上に、手当もせずぺちゃくちゃと喋りながらずっとついて回った。少年は気づいていなかったが、彼の体はとても消耗していた。このままでは少年は死ぬだろう。

 故にとりあえずの手当と、朝日が上がっても問題のない場所まで移動しようと考えていた。

 

 だというのに、何かしなくちゃならない空気になっている。

 何故だ。黒死牟は困惑していた。

 

「……止血を…しておこう…人は…脆い…」

 

 しょうがないので一旦止血をして、これ以上血が体の外に漏れ出ないようにする。

 そして少年を担ぎ、人を超えた速度で疾走する。

 そしてしばらく走り、人里の近くまで出る。

 

「……」

 

 そこでしばらく考えたのち、少年をその場に寝かせる。そして懐から紙を取り出し、人差し指に傷を入れ、血で滲んだ指先で指示を書く。

 書き終えた黒死牟は、少年の横に紙を置き、どこへなりとも消えた。

 有る筈の無い試験を行うために。

 

 

「黒死牟先生!」

 

 叫びながら、飛び跳ねるように起床する。

 朝日が既に昇っている。だいぶ長い時間眠っていたようだ。

 

「あ、あれ? 黒死牟先生?」

 

 と、辺りを見渡して状況を確認してみると、しかし近くに誰も居なかった。

 ま、まさか黒死牟先生……私を置いてどこかに行ってしまわれたのか!? そう思った次第であったが、手元からかさりと音が聞こえてきた。

 

「? これは──」

 

 紙を開くと、真っ赤な墨汁で書かれたおどろおどろしい文字があった。

 

 曰く、日食山と呼ばれる山のどこかに居を構えているので、そこまで自力で来い、と。そして読み終えた後は、手紙は日光にさらしてほしいとも。

 言われるがままに日光にさらすと、何故か紙にかかれた内容がきれいさっぱり消えていった。どうも日に当たると消えるらしい。

 何とも不思議な墨汁だ、流石は黒死牟先生。そう言った不思議な物にも精通していらっしゃる。

 

「──よし! 行くか! 日食山へ!」

 

 日食山に行くのも、恐らくは試験の一環。人に聞くことなども極力せずに、自力のみで到達してみせる。

 ふと手元に目を向けると、包丁で傷つけていた筈の腕が治療されていた。これは黒死牟先生がやった事だろう。すんすんと腕のにおいを嗅いでみると、やはりほのかに黒死牟先生の匂いがした。

 

 そしてバッと地面に這いつくばり、地面の匂いを嗅ぎまくる。

 ほうほう、これは……。

 

「──そちらに行かれたのですね! 先生!」

 

 私は人里には一切寄り付かず、一直線に黒死牟先生の許へと向かった。

 

 

「……」

 

「ぜぇっ、はぁっ……こ、黒死牟先生! つ、着きましたよ!」

 

 黒死牟は困惑していた。人里の近くに置いてきたので、少しは休憩したり、何らかの用意をしてくると踏んでいたからだ。

 だと言うのに、少年の姿は明らかに着の身着のまま。会った時よりなにも変わらぬ格好だ。

 

「さ、流石に二週間走り続けるのは疲れました!」

 

「…そうか…」

 

 普通の人間なら走っても一か月くらいはかかるのだが。

 そんな心持ちが喉まで出かかったところで、それを抑える。

 そして黒死牟は口を開いた。

 

「…貴様…」

 

「はい! 何でしょうか!」

 

「…まずは…風呂に入れ…」

 

 黒死牟は泥だらけの姿を指して、そう呟いた。

 

「あ、これは失敬! 申し訳ないです!」

 

「…水場を…案内する…」

 

 黒死牟は色々と思う所があったものの、取り敢えずこの少年……少年? を受け入れることにした。

 



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第三話

 一年中日が差すことがない山、日食山。日中は常に曇り空が続き、しかし月が上がる頃には満天の星空が見れるという不思議な山。

 現在の時刻は夜。私は黒死牟先生のお住まいで、先生と向き合って座っていた。

 

「先生! それで、今回の試験は合格でしょうか!」

 

「…合格だ…」

 

「やったー!」

 

「…しかし…教えるには…条件がある…」

 

「はい! どのようなものでしょうか!?」

 

 条件? と心の中で首を傾げそうになるが、先生の為す事なので何かお考えが有ると気づき、お言葉を待つことにした。

 

「…貴様は…鬼になれ…」

 

「鬼……?」

 

「…そうだ…貴様に…血を…」

 

「先生! 鬼ですか!? 鬼というのは空想上の生き物ですよ! そのようなものはこの世に存在しません!」

 

「…いや…貴様の…言う所の…鬼では無く…」

 

「はっ! そうか! 分かりました! そう言う事なのですね先生!」

 

「……」

 

「鬼のように強くなれと! 比喩表現の事でしたか! 至らぬ弟子で申し訳ありません!」

 

「…違う…」

 

 と、私が理解した所を語って見るも、どうにも黒死牟先生の様子は芳しくない。

 はて。私は何か間違えてしまったのだろうか。

 

「…鬼とは…私のような…最初の鬼の血を分けられた…人食い鬼のことを指す…」

 

「最初の鬼……?」

 

「…我々は…人間に…その名を口にする事を…許可されてない…」

 

 よく分からぬという顔をしていると、黒死牟先生は更に補足の説明をしてくださった。

 

「…そのお方の血を…人間の…体内に入れると…その人間は…人食いの鬼と化す…」

 

「なるほど……。つまり! 先生の仰りたい事というのは、空想上の鬼では無く、実際にそう言った生き物が存在するという事なのですね!」

 

「…そうだ…」

 

 はたして、その衝撃は如何ほどだったか。

 鬼、鬼と来ましたか。まさか斯様な存在が実在するとは思いもしなかった。しかし黒死牟先生の仰る所に間違いがあるとは毛ほどにも思わない。

 つまり、鬼は実在するのですね! 黒死牟先生!

 

「なるほどなぁ……つまり、私にその最初の鬼の血を入れて鬼になる事が教える事の条件と言う事なのですね」

 

「…そう…なる…」

 

 鬼……鬼か……。別段、人にこだわるつもりもない。しかし、黒死牟先生では無くそのよく分からぬ最初の鬼とやらの体液を体に入れなければならないことがひたすらに嫌だ。

 しかし、黒死牟先生は鬼にならねば技を教えてくれないという。

 私が腕を組み軽く考えていると、黒死牟先生が声を掛けてこられた。

 

「…貴様…酷く…驚いているようだが…私の容貌に…なにか思わなかったのか…」

 

「容貌?」

 

 黒死牟先生のお顔にはきりりとしたおめめが六つほど引っ付いていらっしゃる。

 

「目元がとてもきりっとしていらっしゃって、とても凛々しくて良いと思います! 目の中の数字もなかなかにお洒落です!」

 

「……」

 

 人の顔というのは千差万別。特に黒死牟先生のお顔は通常目が二つのところ、三倍の六つあるので、つまり通常の三倍の凛々しさが有るという事になる。

 カッコいい……。

 

 と、改めて黒死牟先生の凛々しさ格好良さを確認していた所、鬼の話をしていた事を思い出した。

 

 不味い不味い。

 そうだ。鬼の話だ。しかし、最初の鬼の体液を……うーん。

 色々と考えていると、ふと気になる点を見つけた。

 黒死牟先生はいつ頃鬼になられたのだろうか。

 

「先生! 先生はいつ頃鬼になられたのですか!?」

 

「…何故…それを…聞く…」

 

「鬼になる参考までに!」

 

「……」

 

 黒死牟先生は私の返事を聞き、一瞬難しい顔になられたが、しかしすぐに口を開かれた。

 

「…私は…以前…鬼を狩る…剣士だった…」

 

「鬼を狩る剣士! そのような方々が! いえ、ですが確かに! 何かの噂で鬼狩りの剣士の話を聞いたことが有ります!」

 

 そうだ。あれはたしか、姉が話してくれた事だった。

 夜になると人食い鬼が出て、みんな食べられてしまう。鬼の力は凄い強いから、大の大人だろうと一瞬で倒されてしまうのだけど、鬼狩りの剣士様が悪い鬼を退治してくれるから、私達は無事に暮らせているんだよ、という話だ。

 姉が親代わりの男に嬲り殺される前日の事だったので、話してくれた中でもよく覚えている話だ。

 

「…その後…縁があり…鬼となった…」

 

「なるほど! そのような経緯で!」

 

 しかし、黒死牟先生はまず剣士になられたのか……。

 

「先生!」

 

「…なんだ…」

 

「鬼にはなります! しかし、その前に剣士にしてください!」

 

「…何故…」

 

「黒死牟先生と一緒がいい!」

 

「……」

 

 そうだ。折角なら黒死牟先生と同じ道を辿ってみたい。それなら、最初の鬼とやらの体液だろうと何だろうと取り入れても構わない。

 そして私の心意気が伝わったのか、黒死牟先生は閉口してジッとこちらを見つめていた。折角なので私も黒死牟先生の目を見つめ返す。当然見つめ合う形となるが、何ら問題はない。

 二十四時間までならこのまま耐えられます! 黒死牟先生!

 

「…いや…もう…いい…」

 

「はい!?」

 

「…良いだろう…しかし…いつか必ず…鬼となれ…」

 

「はい! 勿論!」

 

 そうして、黒死牟先生との修業が始まった。

 

 

 押し切られてしまった。

 黒死牟は初めての感覚と経験に戸惑っていた。

 黒死牟の前に居る少年は、今も妙にギラギラとした変な目つきでこちらを見つめている。

 

 まさか、私と全く同じ道を辿りたいとは……。

 

 黒死牟からしても不覚だった。剣技にほれ込んだ、というのは少年の言動から分かるが、よもや人生まで模倣したいとは思っても見なかった。

 少年は今も黒死牟の事を見つめている。今まで向けられたことのないタイプの視線だ。正直薄気味が悪い。黒死牟は困惑した。しかも質の悪い事に、何も行動に移さなければずっとこのままで良さそうなところが黒死牟を焦らせた。

 結果、譲歩してしまった。これはとんでもない異常事態だ。上弦の壱である黒死牟がたった一人の少年に譲歩するなど。

 

「はっ、ふっ」

 

 しかし黒死牟は考えた。この少年が約束を反故にする可能性を。

 そして瞬時にそれは無いとも考えた。まだ短い付き合いの少年であるが、黒死牟に対して嘘をつくことは決してないという確信があったのだ。

 

「ごほっ、げっ……」

 

 それは、目前で必死に鍛錬を行っている少年の姿からも見て取れるだろう。

 現在、少年には刀を振るうための基礎的な訓練を行わせている。走り込みと素振りだ。

 

 しかし只の基礎訓練では無い。走り込みについては野生の生物が跋扈する日食山を延々と走らせたり、素振りは一日に一万回を全力で振らせたり、等々。これらを毎日欠かさず行わせている。

 

 黒死牟にしても、数日で音を上げるだろうと思っていたが、既に一か月ほど休みなしに鍛錬を行っている。

 

「……」

 

 この姿を受け黒死牟は、少年が多少捻じ曲がっているとはいえ、言う事を聞く素直な性格の持ち主であることを見抜いた。

 故に、このまま少年を鍛え続ければ、ほぼ確実に剣士の鬼が出来上がるのだ。

 

「…ふむ…」

 

 少年の振るう刀は、現代の鬼狩りの剣士が使っている色変わりの刀だ。二日ほど前から、木刀を取り上げその刀を与えた。

 未だ粗削りな部分が多分に存在するが、しかし当初と比べて刀を持つ姿は幾分か様になっている。

 

「……」

 

 黒死牟は今日の分の素振りを終えた少年に近づいていった。

 頑張っている少年へのご褒美を。

 

 追加の一万回を伝えるために。

 



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第四話

 黒死牟先生が私の修行を見る事は少ない。いつもは私が修行を始める時と終わるときにふらりと現れ、その日の訓練内容を伝えたり、追加の修行をお伝えなられる。

 しかし、今日に限っては私の修行に付きっきりで見ていられた。心なしか、黒死牟先生の目つきも鋭いような気もする。

 よもや粗相でもしてしまったか? そんな事を考える間に、本日の訓練である素振り一万回が終わってしまった。ちらりと空に目を向けると、雲に覆われているが明るさからしてまだ日が出ている時間だ。

 前までは真夜中まで刀を振り回していた事を考えると、私も成長しているという事なのだろうか

 と、私が今までの事を思い出していると、黒死牟先生の気配が動いた。

 そちらに視線を向けると黒死牟先生が目の前に居た。

 凄い……一切音が聞こえなかった……。

 

「流石です! 黒死牟先生!」

 

「…む…」

 

「私、結構耳が良い自負があったのですが! 見事に打ち砕かれました! 感服いたします!」

 

「…そうか…」

 

「それで! 本日はどういったご用件でしょうか! また猪を狩りますか!? それとも追加の一万回でしょうか!」

 

「…いや…」

 

「しかし! 猪はもう、近隣一帯のものは駆逐してしまいましたよ! いかがいたしますか!?」

 

「…もう…猪は…いい…」

 

「え!? でも凄くおいしいですよ! 猪!」

 

「…そうか…そうだな…」

 

「はい!」

 

「……」

 

「……」

 

 会話が途絶えてしまった。

 どうしたんだろう黒死牟先生。そんなに猪食べたかったのかな。

 なんて思っていると、黒死牟先生はおもむろに考えるそぶりを取り、口を開いた。

 

「…貴様には…これより…呼吸法を教える…」

 

「呼吸法、ですか?」

 

「…ああ…」

 

 はて、呼吸法? 私が首を傾ているとその疑問に答えるように黒死牟先生は口を開かれた。

 

「…人は…およそ一呼吸のうちに…百五十尺ほど…動ける…」

 

「確かに! そうですね!」

 

「…呼吸法とは…つまり…一呼吸に…十回分の空気を取り込む…技術だ…」

 

「む! つまりは!」

 

「…つまり…呼吸法を修めると…常人の…十倍…動けるように…なる…」

 

「こ、呼吸法というのは凄いですね!」

 

「…いや…これは無論…比喩表現だ…」

 

「あ、流石に十倍は嘘──」

 

「…常人の十倍など…目ではない…何れは…百倍…二百倍と強くなる…」

 

 思わず絶句した。果たして、人というのはそこまで強くなれるものなのだろうか。

 しかし物知りで心優しい黒死牟先生が間違いや嘘を言うとも思えない。きっと、呼吸法を極めれば本当に百倍二百倍の力を得られるのだろう。

 

 私が一通り感心し終えると、呼吸法の習得が始まった。

 

 

「…呼吸法は…鬼狩りの剣士として…必須の技能だ…」

 

「必須!? という事は、黒死牟先生も呼吸法を修めているのですか!?」

 

「…無論だ…そして…それを貴様に…教える…」

 

 黒死牟はまず自身の呼吸法……月の呼吸を一通り少年に教える事とした。

 理由は色々と有るが、何よりまず少年の適性を調べるためだ。

 

「…もっと…丹田に力を入れろ…」

 

 ばしんっと少年の腹を叩く。少年は真面目な顔でひゅうっと息を吸っているが、黒死牟からしたらまだまだなようで、少年はもう一度腹を叩かれた。

 

 そんなこんなで、黒死牟はしばらく少年が呼吸法を試す姿を見て、はたと気付く。

 

「…一度…練習を止めろ…」

 

「え!? は、はい!」

 

 常に元気な少年の声が困惑に染まる。何か間違いがあったのだろうか、などとらしくも無い事を考えてそうな顔を浮かべる少年に、黒死牟は告げた。

 

「…貴様…既に…呼吸法の技術を…持っているな…?」

 

 そう。それは少年から感じた違和感。

 通常、普段の許容量を遥かに超える空気を取り込む呼吸法を使った時、初心者は大なり小なりむせる。肺など、普通の生活では鍛えられないからだ。

 しかし少年にはそれがない。どころか、黒死牟が二度ほど修正しただけで既に月の呼吸の原型が出来かけている。才能と一言で片づけるには異様な速度だ。少年は会った時から異常では有るが。

 

「め、滅相もございません! 私には無理でございます! このように私はただの元小使いでして……」

 

「…貴様は…呼吸法の基礎が…出来ているだろう…」

 

 黒死牟は見抜いている。その特殊な呼吸の仕方によって鍛えられた肺を。

 

「……」

 

 そうだ。元よりおかしな話だった。見た所十代に入ったか入らないかという様な少年が、大人でも一月はかかる道を二週間で乗り越えたり、過酷な鍛錬に一切の手を抜かず、更には時間を余らせるほどの速度で終わらせるなど。

 それらは少年の呼吸法による力の賜物だったのだ。

 

「……」

 

 と、黒死牟はそう判断したが、どうにも少年の反応が鈍い。嘘をついているようにも思えないし、明らかに呼吸法を使っていたと思われるのだが。

 

「…貴様…では…何か呼吸に関する…心当たりは…ないか…?」

 

「こ、呼吸ですか!?」

 

 少年はそう言って考え込む素振りを見せる。と、そこで黒死牟は少年の態度に違和感を覚えた。いつもの少年ならば、このような事ならば飄々と答える筈だが、どうにもそれが芳しくない。

 

「…ふむ…」

 

 少年の顔を見ると、その表情はどこか強張って見える。何故かと考えたが、答えはすんなりと出てきた。

 

 まさか、私が怒っていると思っているのか?

 

 そんな殊勝な事を少年が考えるとは思えない。

 そう思ったが、しかし思えば今まで修行をこのような問答のために止めたことはないし、いささか語気を強くしすぎたかもしれない。

 何よりこの少年はまだ子供だ。体力こそ大人と謙遜ないが、心は未だ子供という事なのだろうか。

 

「…これは…呼吸法習得のため…必要な問いだ…思い当たるものがあれば…それを言うだけでいい…」

 

「! 分かりました! 頑張って思い出します!」

 

 修行の一環だと伝えたところ、面白いほどいい反応が返ってきた。

 

 分からないようで、意外と分かりやすいものだ。

 

 黒死牟は少年の表情を見て、少し懐かしい気分になった。

 



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第五話

 呼吸法の心当たり。先生に言われ改めて冷静に思い返すと、過去の記憶では有るが、心当たりが見つかった。

 

「先生! 確かに、疲れづらい呼吸の仕方を知っています!」

 

「…ほう…」

 

「あれは確か……そう! ずっと昔、誤って高所から落ちた事が有りまして! その際、鳩尾の部分を強く叩きつけてしまったのです!」

 

「…ふむ…」

 

「その後より恐らく! 私の呼吸は他の人よりも変則的なものとなりました! 更に深く息を吸うと、他の人よりも疲れづらくもなりました!」

 

「……」

 

 そうやって語るうちに、自身の内でもこれは呼吸法では無いかと思い始める。

 今まではあまりに自然の行為過ぎて意識をしたことが無かったが、どうなのだろうか。私は呼吸法とやらには無知なので、黒死牟先生の判断に任せるばかりだ。

 

 眼前の黒死牟先生は何か考えるようなそぶりを取っている。

 やがて先生は口を開かれた。

 

「…貴様のその…症状を聞く限り…やはりそれは…呼吸法と…言えるだろう…」

 

「そうだったのですね!」

 

 やはりそうだった。しかも先生からのお墨付きだ。

 なるほど、私の呼吸は先生の月の呼吸というものと同じものだったのか。

 先生との共通点が出来て嬉しい気持ちが溢れて来る。

 

「黒死牟先生! どうしましょうか! 現在の呼吸法は改めたほうがよろしいでしょうか!?」

 

「…いや…貴様のそれは…既に…才能だ…」

 

 黒死牟先生は一度そこで区切り、じっと私を見つめた後続ける。

 

「…方針を…変える必要が…ある…」

 

「方針、ですか?」

 

 思わずつぶやく。

 森羅万象全てを見通す先生が建てられた完璧な方針を変えるほどに、既に呼吸法を覚えてしまっている事は問題なのだろうか。

 ジッと黒死牟先生のお言葉を待つ。

 

「…月の呼吸…適応するかは…分からぬが…まずは一通り教えておく…」

 

 しかし黒死牟先生は多くを語らぬまま、何事も無かったかのように修行を再開してしまった。

 

 黒死牟先生のいけず!

 

「はい!」

 

 でも従っちゃう。そこが黒死牟先生の魅力。

 

 

 やはり、合わないか。

 黒死牟は少年が行う月の呼吸を見て、予想が確信へと変わった。

 現在、少年は非常に疲れた表情で月の呼吸の型を振るっている。月の呼吸に体が適応しきっていないから、無駄に体力を使ってしまっているのだ。

 

「…ふむ…」

 

 しかし、少年の素質に黒死牟は驚愕を隠せなかった。

 今、地面に腰かけて体力の回復に努めている少年だが、無意識のうちに回復の呼吸を使っている。恐らく、少年が語った所の事故で発現した呼吸法によるものだ。

 その回復の呼吸は既に、熟練者の領域にある。それは少年がすぐに立ち上がり、また月の呼吸の鍛錬に戻った事からも伺える。

 

 少年の年齢からすると恐ろしい習得速度だ。例え少年の倍の年を生きる呼吸の使い手であろうと、ここまでの習得には至らないと思われる。

 

 だが少年の語った事情が正しい物であれば、この習得速度もまた納得できるものだ。

 

 ようは少年が行っている呼吸法は、少年にしてみればそれこそ息をするのと同等の事なのだから。息をする様に回復の呼吸を行い、息をする様に体力増強の呼吸を行う。そして常に呼吸を行い、習熟度もまた日増しに増えていく。

 まさしく呼吸法の申し子なのだ。

 

「……」

 

 恐るべき逸材。少年が仮に鬼殺隊に所属していたら、数多の鬼を狩る柱となっていただろう。

 

 だからこそ、惜しい。

 

 先ほども語った通り、少年の体に月の呼吸は合っていない。呼吸法を既に会得しているのであれば、また別の呼吸を覚えるのも簡単では無いかと思うだろう。

 別の人間ならまだしも、少年はそうもいかない。

 それは、少年の独自の呼吸法に起因するものだ。

 

 少年は昔、といったが、具体的にその事故が起きたのは何時なのだろうか。黒死牟の目算からしておよそ五から七年ほど前と踏んでいるが、どちらにせよ今よりずっと昔の話だ。

 

 そう、ずっと昔。少年の体が今よりも未成熟の頃より、彼は呼吸法を行ってきたのだ。

 

 そして今日に至るまで、意識的にも無意識的にも少年は呼吸を使いながら成長していき……少年の体は既に、その呼吸法に完全に適応した成長を遂げてしまったのだ。

 

「……」

 

 無論、少年の体が彼の呼吸専用の体になっている事自体は悪い事ではない。彼の持つ呼吸が一番輝く状態なのだから。

 しかし新たに呼吸を覚える時、最初こそ良いだろうが……きっと、少年がその呼吸法を完全に物にする事は出来ないだろう。出来上がるのは彼の呼吸に引っ張られた形になると思われる。

 どころか最悪の場合今までの彼の呼吸すら乱す可能性も有るかもしれない。

 

 黒死牟としても、少年程幼少の頃より呼吸法を覚え、かつ常に使用し続けるような存在に会った事は少ない。故に確実な事は言えない。

 

 確実な事として言えるのは、少年が完璧な形で月の呼吸を覚える事は決してない、という事だけだ。

 

「…今日は…これまでとする…」

 

 黒死牟は少年にそれだけ伝え、今日の訓練を打ち切る。

 

 方針を変えるか……。

 

 胸中でそう呟く黒死牟は、何時になくワクワクしていた。

 

 月の呼吸を完全には覚えられないという事は、そこまで問題ではない。そこにこだわる必要は無いのだ。最終的に、極めた人間が辿り着く場所は同じなのだから。

 違うのは、到達した場所がより高いか低いかの違いだ。

 

 この少年の呼吸法を完璧に鍛え上げた時、一体どれだけの高みを目指せるだろうか。

 いや。ともすれば人間の内に私を超えるかもしれない。

 

 そして私を超える人間を鬼にした時、一体どこまで強い鬼が生まれるのか。

 

 ワクワクが止まらないぞとばかりに、黒死牟の脳内で新たな修行が高速で組み立てられていった。

 



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第六話

 呼吸法を教わってから暫くがたった。

 黒死牟先生は、私の呼吸法がある程度形になって来ると、また以前のようにふらりと何処かへ消えてしまった。

 私としては、先生が一度見せてくださった月の呼吸の型をもう一度見てみたい。修行の成果か以前よりもくっきりと見えるようになった先生の剣舞は、初めて黒死牟先生と出会った頃よりも更に美しいものだった。

 

 もっと、もっと見てみたい。そして私のものとしてみたい。美しいものを、綺麗なものを、先生の技を。

 

「え?」

 

 だと言うのに、先生はつれない人だ。

 

「…貴様は…今後の修行で…月の呼吸を使うな…」

 

 呼吸法の修練を始めてはや数か月。

 

 夜の帳が下りた頃、黒死牟先生は唐突にそうおっしゃられた。

 

「な、何故ですか!? わ、私の練習に何か間違いでもありましたか!?」

 

「…問題は…ある…貴様の体と…月の呼吸が…合わないのだ…」

 

「そ、そんな……」

 

 私の体と月の呼吸が!? そんな……。あんまりだ。なぜよりにもよって……。

 

 私は絶望した。

 私は月の呼吸がいい。綺麗で美しい、月の呼吸が。

 

「…案ずるな…」

 

「……え?」

 

「…元より…道を究めし者が辿り着く場所は…いつも同じだ…」

 

 先生はそう言うなり立ち上がり、外に出られた。

 いきなりの事だったので面食らったが、すぐに付いていく。

 しかし、すぐに付いていったと言うのに黒死牟先生のお姿はすでになく、忽然と消えていた。しかもついさっきまでいらっしゃったはずなのに、黒死牟先生の匂いを全く感じなかった。

 

 何故。

 一瞬焦りかけたが、すぐに落ち着いて別の方法で試す事にする。

 

 上着を脱いで上半身を裸にする。

 こうする事でより感じ取りやすくなる。

 息を吸い、神経をとがらせ、風の流れから黒死牟先生の居場所を探る。

 

「いた」

 

 向ける視線の先は、この日食山の頂点だった。

 

 

 少年は、黒死牟が思っていたよりもずっと早く、日食山の頂上までたどり着いた。

 

「……先生!? やはりここに居らっしゃいましたか!」

 

「……」

 

 何でもないようにそう言ってのける少年の顔には、汗が一切浮かんでいなかった。常人であればあり得ぬ体力。およそ人間の域を超えている。

 

「……」

 

 更に言えば少年に与えた寝床からここまで、黒死牟は全力で走り抜けた。それこそ追跡のための匂いすら残さない程の速さで。

 いくら少年であろうとも、追跡には一日ほどは掛かると思っていた。

 しかし、少年はいともたやすく此処まで辿り着いてみせた。

 

 もう、いい機会だろう。

 

 黒死牟はそう確信するとともに、少年に言い放つ。

 

「…空を…見てみろ…」

 

「え? そ、空ですか!?」

 

 そう言って少年が見上げた先には、月と、綺麗な星々が浮かんでいた。

 

「……綺麗、ですね」

 

「…ああ…」

 

 そう言って何時になく感慨深そうに呟く少年を横目に黒死牟は言葉を続ける。

 

「…空には…月の他にも…様々な星が有る…」

 

「え?」

 

「…月…光輝く星々…どれもみな…美しい…」

 

「……」

 

「…お前には…月の呼吸が合っていない…だが…お前の持つ呼吸法には…大きな適正が有る…」

 

「……先生、それは……」

 

 少年はおそらく、黒死牟が言わんとする事が分かったのだろう。

 だが、それを遮るように黒死牟は続けた。

 

「…お前は…この巨大な空で…誰よりも輝く…素質がある…それこそ…月よりも…」

 

「……」

 

「…美しいものを…手に入れたいのなら…寄り道をしている暇は…ない…」

 

「……」

 

「…故に…お前はまず…自らの呼吸を…修めろ…」

 

 そう言って黒死牟は話を締めくくった。

 黒死牟はもとより、少年の求めている所とは別の方向性で育てる事に決めていた。

 しかし、それを伝える事を決めあぐねていた。理由は何より、少年の憧れによるものだ。

 

 そう。黒死牟の使う月の呼吸への憧れだ。

 

 しかし運命は残酷なもので、少年にその適正は無い。どころか、きっと覚えた所で少年の望んだ形にはならないだろう。

 その事実に黒死牟は頭を悩ませた。何せ会った時より目的のためであれば自傷を辞さない様な少年だ。その事実を教えられた時にどのような反応をするのか予想が付かなかったのだ。

 

 しかし、少年の類まれなる才能を見て覚悟を決めた。

 

 今、この説得に少年が応じなければ……この場で少年を鬼とする。

 

 鬼は自在に体を変化させることが出来る。上手く変化させれば、変化した体質も変える事が出来るだろう。

 そうすれば少年は自身の体の体質を自在に変える事が出来、月の呼吸に適した体を作り上げる事が出来る。

 少年は独自の呼吸という伸びしろを失うが、月の呼吸を完璧に覚える事が出来るだろう。

 

 しかし、応じるのであれば……。

 

「……」

 

 より険しい道のりでは有るが、きっと、乗り越えた先の少年の手には、月の呼吸よりもずっと綺麗なものが有る筈だ。

 

 そして黒死牟は少年の返答を待つ。

 どの道を選ぶのか。この選択が、少年にとって一つの分水嶺。

 だがどの道を選ぼうと、黒死牟は弟子を見放さない。

 

 故に待つ。

 そして、少年が口を開いた。

 

「私の呼吸の名前……決めてもらっても良いですか?」

 

「…何…?」

 

 帰って来たのは予想外の返答だった。

 しかし少年の言葉の意味する事は……。

 

「…月の呼吸は…諦めるか…」

 

「……いえ! 諦めません!」

 

「…何…?」

 

「私は! 自身の呼吸を完璧に修めます! ではその後ならば! 問題は有りませんよね!?」

 

「…いや…それは…」

 

「いいんですか!? やったー!」

 

「……」

 

 やはり人の話を聞かぬ少年だ。

 しかし、完璧に修めると言った時の少年の顔からは虚偽を感じなかった。

 ならば、少年は本当に完璧になるまで自身の呼吸を修める事だろう。黒死牟はその点で少年を疑う事は無かった。

 

 黒死牟は考える。十年、二十年先の事を。少年が自身の呼吸を万全とし、月の呼吸を覚えた程度ではぐらつかない程に鍛え上げ、両方の呼吸を完璧に使いこなす姿を。

 

「……」

 

 存外の事いい気分だった。

 黒死牟としても、弟子が自らの呼吸を使いこなす姿は見てみたい。

 

「では! その! 黒死牟先生!」

 

 と、初の感覚を味わっていた黒死牟に元気いっぱいな声を掛けてきたのは弟子だった。

 

「…なんだ…」

 

「そ、その! 名前を、付けてください!」

 

 名前とは、呼吸の名前か?

 黒死牟は疑問に思った。確かに名は重要だが、だからこそ弟子自ら付けたほうが良いのではないかと。

 

「…お前が…付けないのか…?」

 

「……そ、そのですね! ……私はそういうのが、に、苦手といいますか!」

 

 いつになく歯切れの悪い弟子に疑問を抱きつつも、黒死牟は答える。

 

「…であれば…」

 

 数瞬考え、丁度いい名前を思いついた。

 弟子は名づけを苦手といったが、やはり自身で付けたほうが良い。これであれば、今後弟子が如何様にも変えていける。

 

「からの呼吸」

 

「からの……呼吸?」

 

 首を傾げる弟子に、黒死牟は補足の説明を加えていく。

 

「…『から』とは…何も無い状態の事を指す…まさに…今のお前の呼吸…そのものだ…」

 

「そ、そうですね! 私の呼吸には型が有りませんから!」

 

「…そうだ…故に…これより後…がらんどうの呼吸の中身を…お前自身で…埋めていけ…」

 

「は、はい!」

 

「…そして…しかる後に…自らの呼吸に…相応しい名前を…付けろ…」

 

「わ、私がですか!?」

 

「…そうだ…」

 

 名付けをしろと言うとやはりどこか動揺する弟子。

 あれだけ月の呼吸に執着していると言うのに、妙な所で引いてくる。自意識が低いのか高いのか。

 

「…ふむ…」

 

 しかし、弟子が自身の呼吸に正式な名前を付ける頃にはそのような事も無くなるだろう。

 

 あたふたする弟子を見て思う。

 

 弟子は素直だ。そして何物にも負けない強い芯も、黒死牟相手に怖気づかない胆力も有る。

 

 だと言うのに、時折反応が鈍くなる時が有る。

 弟子の過去に何が有ったのか、それとも別の理由か、それは分からないし、黒死牟は()()に踏み込むつもりは無い。

 

「……」

 

 しかし黒死牟には確信めいた予想があった。

 弟子ならば、何時か()()を乗り越えてくるという確信が。

 

 黒死牟は、あたふたとしている弟子の横顔を静かに見守った。



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第七話

 からの呼吸。

 先生にそう名付けられた呼吸法の技を、私は一通り作ってみた。

 

「うむむ……!」

 

 しかし、これに出来栄えに納得がいかない。如何せん月の呼吸という技の完成形を見ている分、それに見劣りするように思えてしまう。

 黒死牟先生にも相談してみたが、最初はそれで良いと、それだけ言われてまたどこかに消えてしまわれた。

 

 一体、今の状況の何が良いのだろう。

 黒死牟先生。私は貴方の呼吸の仕方から動きの癖、匂いに至るまですべて把握しておりますが、たまに先生の仰ることが分からなくなることがございます。

 

「……はぁー」

 

 思い通りに事が運ばず、いじけるように寝っ転がる。

 自然、視界には空が見えて来る。日食山は日中常に曇っているため、見えて来るのは曇天だ。

 

「……」

 

 やっぱり、空は綺麗です。

 この山の空みたいに、何時もいじけた様にしている時もあれど、そんな空模様もまた、趣深くて、綺麗だ。

 

「……」

 

 手を伸ばす。視界の先、揺れ動く雲を掴むように、届かぬ空に手を伸ばす。

 

 姉も、何かに手を伸ばしてたのかな。

 唐突に思い浮かんだのは、唯一の肉親である、姉だった。

 

 姉は何時も、空を見ていた。綺麗だ綺麗だと、どんな空模様の時も言っていた。

 姉は多くを語る人では無かった。でも、姉は私に色んなものをくれた。

 

 でも、姉が何かを与える事は有っても、欲しがることは無かった。

 

「……姉。姉は、何が欲しかったのかな」

 

 ぺたんと手が落ちる。

 そんなことを考えていると、うつらうつらと視界が揺れ動く。

 ああ……これは、寝ちゃうやつだ。修行の最中に寝てしまうのは不味いと知りつつも、その心地よい感覚は私を眠りにいざなった。

 

 

「……きな…い」

 

「うーん……」

 

「お…きなさ…」

 

「うむむ……」

 

「起きなさいっ!」

 

「はうあっ」

 

 ぼごんというとんでもない音と共に衝撃が弟子の頭を襲った。

 うう、と声を漏らしながら弟子は目を覚ました。

 

「もうっ! 日が昇っちゃってるじゃない! 起きるの遅すぎ!」

 

「……え」

 

 弟子は、言葉を失った。

 

「なーに辛気臭い顔してんのよ! さっさと顔洗いなさい! アイツが起きるよりも前に仕事終わらせちゃうわよ!」

 

 目の前に立っていたのは、弟子の、姉であった。

 

「……なに? 本当にどうしたの? ま、まさか風邪ひいてた!?」

 

「え、ち、ちが……」

 

「ご、ごめんなさいっ! 風邪ひいてたら辛いわよね、叩き起こしてごめんなさい。姉、多すぎる一生の不覚に又一つしくじりが記録されちゃったわっ」

 

「だ、大丈夫だって! 本当に……少し、変な夢を見てて……」

 

「もう! 風邪ひいて弱ってる奴に限ってそう言って来る! あんたは寝てなさい! こういう時にこそ姉に頼るものよ!」

 

「あ……」

 

 姉は圧倒的な手際の良さでござの上に弟子を寝かせると、風のように去っていってしまった。

 これは……。

 弟子はどたばたと朝の準備を続ける姉をみて、思った。

 

 もしかして……黒死牟先生に弟子入りしたのは、夢だったのかな。

 

 そう思う弟子の考えも、仕方が無い事だった。

 今弟子に起こっている事は、人生の殆どを過ごしてきた景色そのものだった。あちらでの事が夢で、こちらでの事が本当のように思えるほどに。

 

「姉……」

 

 弟子はただ、姉が食事の準備を終えるのを待つのみだった。

 

 

 完全に日が昇ったころ。弟子と姉の育ての親である男が仕事に出かけてから暫くして、彼等の食事が始まる。

 

「くぅ~、我ながら最高に上手い味噌汁ね。あんたもそう思わない?」

 

「うん……でも、猪の方が美味しいよ」

 

「は?」

 

 言うが早いか、姉は弟子に飛び掛かり、その口に味噌汁をぶち込んだ。

 

「あっつう!」

 

「猪ィ? 馬鹿馬鹿お馬鹿! 姉の味噌汁に勝るものなし!」

 

「あ、熱いよぉ!」

 

 がやがやとしゃべくりながら、姉と弟子は食事を続けている。

 これが彼らの朝の始まり。

 

 そして、食事が終わると更なる仕事が始まる。

 

「見てこれ! 桶! ぶっ壊れたわ!」

 

「姉!? また!?」

 

「姉の力に桶の方が耐えられなかったのよ……ほら、私姉だから……」

 

「それ直すの誰だと思って!」

 

「あんたに決まってるじゃない。何でも出来る姉に唯一出来ないことは創り出す事よ……」

 

 洗濯だ。

 しかし洗濯物を洗う時、何故か姉は必ず桶を破壊する。そしてその桶を直すのは弟子のする事であった。

 そして弟子が桶を直す間、姉は川に洗濯に行ってしまうため、結局直った桶が使われるのは明日以降となる。

 そして明日もまた桶は破壊されるのだ。

 

 だから、弟子にとって洗濯の時間とは、洗濯ではなくなぜか工作の時間になる。

 お陰で、弟子は手先が器用になった。

 

 そして、洗濯が終われば次は山へと向かう。

 

「よし! 生態系を崩す勢いで山菜を採るわよ!」

 

「そ、そんなにいるかな……」

 

「育ち盛りが二人も居るんだから必要! 成長には常に犠牲が伴うのよ!」

 

「そうなんだ……」

 

 食卓に彩りを加えるための山菜採りだ。なにより食費は真っ先に削られるため、このような山菜採りは日課であった。

 しばらく、山中を駆け巡り、山菜を採っていく。弟子はそれこそちょっとしか採らないが、姉は遠慮なく根こそぎ採っていく。親代わりの男が食べられない程に。

 そして、男が食べられなかった残りは大抵弟子が処理する事となる。

 何でいつもそんなに採るんだろう。弟子はいつも不思議に思っていた。

 

 そして山菜採りが終われば、次はお昼ご飯だ。

 

「見なさいこのおにぎりの綺麗な三角形……これもう一種の芸術でしょ」

 

「でも姉……それ左右対称に見えないよ? 片手で握ったの? へったくそだなぁ……」

 

「それはあんたの目が腐ってるからだろうがぁぁぁぁ!」

 

「わああああっ!」

 

 そのおにぎりはお世辞にも綺麗な形では無かった。弟子がそれを素直な気持ちで伝えると、姉はキレた。

 そして弟子の口におにぎりを突っ込んだ。

 

「多少形がぁあああ! 歪んでてもぉおおお! 結局は味ぃいいい!」

 

 むがっと突っ込まれたおにぎりを、弟子は取り敢えず食べてみた。

 するとどうしたことか。何故かそのおにぎりは甘かった。

 

「あ、甘い! 姉! これ砂糖と塩間違ってる!」

 

「それでも! 愛が有るから!」

 

「あ、愛!?」

 

 こうして昼ご飯が終わると、洗濯物を取り込むまでの暫くの間は休憩の時間となる。

 

 このなにものにも縛られない時間。

 

 姉と弟子はいつも空を見ていた。

 

「……綺麗ね……」

 

「……そう、だね」

 

 姉は、何時かのように手を空に伸ばし、青い綺麗な空を見上げていた。

 

「……姉は、さ」

 

「ん?」

 

「何か、欲しい物とかって、ないの?」

 

 弟子は思わず聞いてしまった。

 弟子がいつも気になって……結局、言わずじまいで終わってしまった事。

 そして、この問いで夢が覚めるだろう。

 

「……」

 

 これは夢だ。

 

 今までの事を振り返って、弟子はこの現象にそう結論付けた。

 

 理由は様々だが……何より、確実に夢であると確信したものが有った。

 

 姉から、育ての親の精液の匂いが全くしなかった。

 姉に、痛々しい生傷が少しも見られなかった。

 そして何より……姉の目は両方とも潰されていたはずだ。

 

「欲しい物……ね?」

 

 姉は、その綺麗な目でこちらを見つめた。

 

 これは夢。

 だから、姉がこの問いに答える事は出来ない筈だ。きっと姉は答える事は出来ず、それで夢から覚められるだろう。

 弟子はそう確信していた。

 

「私、もう欲しい物持ってるから、そう言うの良いの」

 

「え?」

 

 だからこそ、弟子は姉が言葉をつづけた事には驚いた。

 

 これは私の夢?

 

「私が欲しかったのは……あんたよ」

 

「……」

 

「あんたがこの世界に生まれて来てくれた。それだけでもう……私は良いの。満たされてるの」

 

 違う。これは私の夢ではない。

 

 弟子の目の前に立つ姉は、満天の青空のようにすがすがしい、綺麗な笑顔だった。

 弟子はこういう風に笑う事が出来ない。きっと夢の中でも。妄想でも。

 

 つまり、これは──。

 

「だからさ。あんた、もう少し自分の声に従って良いのよ」

 

「……姉?」

 

「正直、あんたの師匠のあのこくしぼーって奴! 沢山人を殺してる悪い奴よ! 鬼! 鬼畜! こくしぼー! まぁあんたを助けてくれてもいるけど! 恩人! 師匠! こくしぼー! 色々複雑な気分だわ!」

 

「え、ちょ……」

 

「だから!」

 

 不意に、姉が抱き着く。

 

「自分の心の声の通りに生きて」

 

 そう姉が呟いた所で、弟子の意識は現実へと浮上していった。

 

 

「はっ!」

 

 がばっと起きると、周囲は暗くなっており、空は満天の星空を覗かせていた。

 

「…起きたか…」

 

「こ、黒死牟先生!?」

 

 そして、黒死牟先生もすぐそこに居た。

 ま、不味い! 修行をさぼってしまった!

 

「も、もうしわけ──」

 

「…やはり、か…」

 

「え?」

 

「…お前には…休息を与えるべきと…考えていた…」

 

「あ、あの?」

 

「…明日まで…修行は…休止とする…存分に…休め…これもまた…鍛錬だ…」

 

 黒死牟先生はそれだけ伝えると、すぐにどこかへ去っていった。

 

「……黒死牟先生、失望されたのかな」

 

 流石に修行中に居眠りは不味い。流石に黒死牟先生も失望なされただろう。

 

「……よし!」

 

 私は自身の頬をぱちんと叩く。

 しかし! 落ち込んでいてもしょうがない! 明日! 全力で休み! また修行をすればいい!

 

「……姉! 私! 姉の言ってる事全然分かりません!」

 

 でも、と言葉を続ける。

 

「生きてみます! 自分の声を聞いて! 生きてみます!」

 

 綺麗なものが欲しい。

 それは、今はもう、私の望み。

 何物にも代えられない私の望み。

 

 だから、それに従って生きる!

 きっとどこかで聞いているであろう姉にも聞こえるよう、大きな声でそう叫んだ。



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第八話

 私が先生に休暇を与えられてから二月ほど経った。

 その間、どうにかこうにか技の型を考えだし……四つの型を作り出した。

 

 先生が編み出した月の呼吸よりも遥かに数は少ないが……私の考えた技の中でまともに使えるようになったのはこの四つだけだった。

 だが、この四つしか使えないと言うのならそれを磨き上げれば良いというもの。

 私の体が更に成熟し、筋力が増えれば更に考えた技を使う事も出来るようになるだろう。

 

 故に、ここから先は時間が解決してくれる。

 

 そうして鍛錬を続けてはや二か月。

 現状の型がほぼ完ぺきになったころだ。

 先生が唐突に私を呼びたてた。

 

「何の用でしょうか! 先生!」

 

「……」

 

「先生?」

 

 何時もの拠点に入って見ると、先生が目を閉じながら瞑想していらっしゃった。

 そこで私は黒死牟先生に少し違和感を覚えたが……師が瞑想していらっしゃる以上、弟子としてご同伴しなくては無作法という物。

 

「瞑想ですか! 私もご一緒させて──」

 

「…弟子よ…」

 

 さて、一緒に瞑想しようかと先生の脇にそそくさと向かおうとした時だった。

 先生が一番左上の目だけを開けてこちらを見てきた。

 

「なんでしょうか!」

 

「……」

 

 答えてみたが、しかし先生はジッとこちらを見つめるばかりで何も言ってくれない。

 そんなに見つめられると恥ずかしい。

 

「…よく…鍛えられてある…このような剣士はそれこそ…三百年ぶりだ…」

 

「はい?」

 

「…その闘気…あの世界に至るのも近い…」

 

「先生?」

 

「……」

 

 どうも今日は先生との会話が中々成立しない。

 何時もは会話どころか心すら通じ合っていると言うのに。

 

「…正直に言おう…最早…お前に教える事は…ない…」

 

「えっ?」

 

 そう言うと、先生は脇に置いてあった刀を持ち立ち上がった。

 

「…お前にしてやれることは…最早唯一つ…刀を持て…」

 

「っ、はい!」

 

 先生の匂いは今までにないものに成っていた。

 そしてようやく違和感に気付く。

 そう、そうだ。この胃がピリピリとする重い匂いは……。久しく嗅ぐことが無かったから忘れていた。

 

「……先生……」

 

「なんだ……」

 

「何故、怒っているのですか?」

 

 先生から、ほのかに怒りの匂いがしていた。

 今まで先生からしていたのは……また別の匂いだったのに。

 今日は違う。

 うっすらと、焼き焦げるような怒りの匂いがしてきたのだ。

 

「……怒り、か……」

 

 先生は刀を持ったまま、また目を閉じられた。

 まるで、遠い昔を思い出しているかのように。

 

「…そうだ…私は常に…焦がれていた…」

 

「……先生?」

 

「お前のような……神々の寵愛を一身に受けた者を……」

 

 そこまで言うと、先生はすらりと今まで一度も見せてくれなかった刀を抜いた。

 目が沢山ついた、まさしく先生の現身(うつしみ)のような刀だった。

 

「抜け。これが最終選別だ……」

 

「……」

 

 私も先生に倣い、刀を抜き放つ。

 この刀は先生が鬼狩りから奪った色変わりの刀だ。

 先生は刀身の色がまだ変わってない物を私にくれた。

 つまり、この刀は先生の命をも奪い去る可能性が有る。

 

「……」

 

 私は、未だ一度も真剣による打ち合いをした事が無かった。命を賭して戦う侍と侍の死合い。

 先生が私に最後に教えられる事。

 

 先生との真剣による果し合い。

 これが先生の課した最終選別であった。

 

 そして先生の刀の切っ先が動き──。

 私の視界は暗転した。

 

 

 何時も空を見上げる。空を見上げては、遠いどこかに思いをはせている。

 

 私に何が出来ただろうか。もしあの時……選択を違えなければ、今とは違う景色が広がっていたのだろうか。

 空を見上げるたび……何時もあり得ぬ妄想をしてしまう。

 

 私は……酷い()だ。

 

 私が生まれたのは、とある華族の家だった。両親は共に見目麗しい顔立ちをしており、互いに愛し合い支え合う……一言で言えば、完璧な夫婦だったと思う。

 

 しかしそんな両親にも完璧でない部分が有った。

 子供が生まれなかったのだ。

 

 父は健康そのものだった。

 恐らく、二人の間に子供が生まれなかったのは……母に問題が有ったのだ。

 

 そうして三年ほど子供が生まれず、とうとう離婚の目すら出てきた時。母は私を妊娠した。

 その時の母の喜びを私は理解できる。

 だけれども、結局はその喜びも露と消え去ってしまったのだが。

 

 そう、生まれた赤子は……男ではなく女だったのだ。

 父と母はどれだけ嘆き悲しんだのだろう。家督を継ぐことのできない女は不要だったのだ。

 

 それからだろう。彼等の歯車が狂い始めたのは。

 私が自我という物を認識するようになったころには、彼らは常に喧嘩をしていた。

 やれお前が悪い、貴方が悪いとかとか。

 

 父と母が必死に互いを非難していたのは、現実を受け入れたくないからだろう。

 なにせもう、母が子供を産むことが出来なくなってしまったのだから。

 というのも私を産んだ折、母は重度の危篤に陥ったそうだ。結果母の半身は不随となった。

 おまけに次の出産は無理とのことだ。これはどんな名医に見せても覆る事は無かった。

 

 そんな絶望的な彼らは、私が視界に入るごとに喧嘩をはじめるようになった。そのあまりの剣幕に私は強い恐怖を感じたのを覚えている。

 しかしその矛先はあくまでも私に向く事は無かった。

 

 それは親としての情……という訳では無く、単に無かったものにしたかったのだろう。しかし家に居てさえくれれば最悪私の子が家を継ぐことが出来る。だから壊さぬよう、視界に入れぬよう、私を無視していたのだ。

 

 ふざけるな。

 私は……自分の境遇が許せなかった。

 勝手に産んでおいて、求めているものと違えばコレだ。

 臓腑が煮えくり返る思いだった。

 

 ……でも唯一救いが有ったのは……私の齢が十を超えた頃から、父が私に対して優しくなっていった事だった──。

 

 

(なんだ……この、記憶は……)

 

 私は、全く身に覚えのない記憶を想起していた。

 見知らぬ男と女が大部分を占めるその記憶。覚えも無いと言うのに、その二人の男女に奇妙な感情を抱いていた。

 私の過去……? いや、違う。これは──。

 

「ッ──!?」

 

 揺蕩う意識でそこまで考えた所で、私は反射的にその場から離れた。

 

 ──直後、先ほどまで私がいた場所に綺麗な月が叩きつけられていた。

 

月の呼吸 拾陸ノ型 月虹・片割れ月

 

 先生の放った月の呼吸による攻撃は地面を抉り取り、勢いそのままに避けた筈の私を追いかけてくる。

 そして私は現状を理解した。

 死に掛けていたのだ、先生の一太刀で。身体の感覚からして、肩口から脇腹までバッサリと斬られている。しかし思いのほか深くはない。

 反射で出した技がギリギリ間に合ったのだろう。そして吹き飛ばされ、今に至ると。

 

「──ガアアアアッ!!!」

 

 迫りくる先生の月の追撃。その技に合わせ、私も技を出す。

 

からの呼吸 壱の型

 

「無銘・早暁!」

 

 無銘・早暁。私が生み出した四つの型の内の一つ。

 地平線の向こうから覗く太陽の陽光の様に刀を構え──迫る月を打ち払うように解き放つ。

 

 バチィッという音と共に斬撃でもある月の大群を打ち払った。

 しかし。

 

「…甘い…」

 

 後方から濃厚な血の匂いがする。先生の呼吸の前に起こる強烈な死の気配。

 不味い──ッ。

 

 私は先生の技に合わせ、呼吸を整え──

 

月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮

 

「ぐうううっ、ガアアアアッ!!!」

 

 全身を捻り、先生の居合の間合いから離脱する。

 

からの呼吸 肆ノ型 

 

「ぐっ──無銘・宵の口ぃぃぃ!!」

 

 月の呼吸の壱の型は居合切りの型だ。そこに先生の月が加わる事で、刀で受ける事すら難しい痛烈な技となっている。

 私の技の始動は先生のものよりもずっと遅い物となってしまった。

 全身を先生の月が私の体をかすめながらも、匂いを基にどうにか月の軌道を読み取り先生の技に私の技を合わせる。

 

「…む…」

 

 無銘・宵の口。現在、私の持ちうる型の中でもトップクラスの速度と威力を持つ型。

 いわゆる突きである。

 

 自らの刀の切っ先を先生の刀の刃に突き立てる。

 ぶちりと、先生の刀が千切れるような音が聞こえてきた。

 

「…良き技だ…」

 

「!?」

 

 しかし、そこから全く刃が立たなかった。

 それどころか、先生は腕力で刀ごと私を吹き飛ばした。

 

 どうにか空中で体勢を整え、そのまま着地する。

 

「……」

 

 やはり、先生は強い。私などでは届かぬほどの領域に居る。

 

 私と先生は互いの間合いを詰めるように、見つめ合う。

 

 ああ、ゾクゾクする。体中から血を垂れ流しながら、私は歓喜した。魂が喜びに震えている。

 先生の技は美しい。全身の血が沸騰するような感覚を覚える。

 

 気分が高揚する。

 多少なりとも、私の技が美しき先生の技と打ち合えている事に感激を覚える。

 心臓が早鐘を打つ。その度に、体の奥底からあり得ぬほどの力が湧いて出てきた。

 

「──参る」

 

 全力の跳躍。全身の力を籠めた刀の振りぬき。

 今の私に放てる最高の一撃。

 

 先生は──。

 

「……」

 

 無言で私を迎え撃った。

 



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第九話

 私の家に長子が生まれたのは……私が十一の頃だったか。

 生まれてきた子はとても可愛くて……何より小さかった。

 

 その子は産声を上げなかった。

 未熟な状態で生まれたからか、手足も短く頭も小さく、産声を上げることも出来ない程に貧弱だった。

 

 父は激怒した。母は気が狂い、自殺した。

 親戚の人間は私やこの子の事を穢れた子と呼び、非難した。

 

 父の言を借りると、私は夫婦仲を惑わす魔性の鬼らしい。

 酷い言い様だった。父は全ての責任を、まだ十一の私に押し付けてきたのだ。

 求めてきたのはそちらだと言うのに。

 

 ──そこから、私が三行半を突きつけられるのは早かった。

 家から私が居た痕跡は全て消え去り、わずかばかりの路銀と子供用のおもちゃだけ持たされ、私とその子は世界に投げ出されたのだった。

 

 そして世界は私たちを受け入れなかった。

 なにせ薄汚い子供と、今にも死にそうな赤子。しかも元は華族ときたものだ。誰からも忌み嫌われ、石を投げつけられた──。

 

 

(また……この記憶)

 

 心臓が締め付けられる。私は演劇を見たことがないが……だが、これが途方もない悲劇であることは理解できた。

 全身から血が噴き出る。また、あの世とこの世を行き来した。

 

「っ、はぁっ……っ」

 

 ほぼ無呼吸で行った全力の攻撃。

 だが、黒死牟先生は全く意に介さずに攻撃を受け流し、返す刀で私を切りつけてきた。

 

 濃厚な血の匂い。

 それを察知できた私は、本当にぎりぎりの所で致命傷を回避できた。

 

 でも、このままではだめだ。先生の剣戟は全てが命に届きうる。

 ぎりぎりで回避しても、小さくない傷を負うことになる。

 

「凄い、です……! 先生! 私の全てをっ掛けた一撃を……!」

 

 私が思わずそう溢すと、ブレる事のなかった先生の切っ先がピクリと揺れ動いた。

 

「……全て?」

 

 そして──先生の放つ圧力が更に上がる。

 

「これが……貴様の……全てか……? 違う…全てな訳が無い…お前にはまだ……先が有る……」

 

「っ……!」

 

 来るっ。

 匂いでは追い付かない。視力を! 視力を強化して……!

 

月の呼吸 陸ノ型 常世孤月・無間

 

 私と先生の間に無数の斬撃が発生する。

 

「っ、ガアアアアッ!!!」

 

 型を使っては間に合わない。呼吸で強化した視力と腕力を使い、無理やりに斬撃を受け流していく。ギャリギャリと、刀が削れる音が聞こえる。

 

「アアアアッッ!!」

 

 さっきの感覚を思い出せ。もっと心臓を脈動させろ。力を爆発させろ。

 額が熱くなる。先ほどの全力を遥かに超えた力が湧き上がってくる。

 

「……」

 

 バリンっという何かが割れる音とともに、先生の月と刀を叩き切った。

 先生の刀は、先生の肉体から作られる。つまり刀を切るという事は先生を切るという事に他ならない。

 初めて、先生が血を流した。

 

 しかしその代償は大きい。こちらの刀も半分に折れてしまった。

 だがそんな事は意にも介さず、先生の前に躍り出る。

 

からの呼吸 参ノ型 無銘・黄昏

 

 そして上昇した体力と共に、先生の体に型を叩きつける。

 無銘・黄昏。

 沈む太陽の軌道のように袈裟斬りにする型。先生は今、刀を振り切っている。

 これなら──。

 

「…ふん…」

 

「んなっ!?」

 

 先生は事もなさげに私の刀を指でつまんだ。

 

「…仕上がってきたな…だがまだ……」

 

 そして刀ごと、私を持ち上げ──。

 

「未完成だ」

 

「ガッ──!?」

 

 地面に叩きつけた。

 視界がぶれる。先生は瞬き数瞬のうちに刀を振り上げ、月の呼吸を発動させた。

 

月の呼吸 拾ノ型 穿面斬・蘿月

 

 視界一杯に月の斬撃が発生する。

 刀は折れた。呼吸のいとまもない。

 

 死──。

 

 

 そんな私たちに手を差し伸べる者もいた。そいつは特別裕福にも見えず、いたって普通の男のように見えた。

 ここだけ抜き取れば……とても感動できる美談のように思えるだろう。だが実際は美談でもなんでもなかった。男の性根はまともではなく、捻じ曲がっていたのだ。

 

 向かうあてもなく、しょうがなくその男に付いていくと、そこには既に傷だらけの少女が居た。

 彼女は恭しく男を迎え入れると、私たちを歓迎した。

 

 そこまでは私も、救われたと思っていた。その少女が傷だらけなのが疑問だったが……守るべきものばかりで他に何も持っていなかった私には多少の疑問は気にならなかった。何せ、久方ぶりに屋根のある場所で寝られるのだから。この子も、ようやく落ち着いて暮らすことが出来る。

 そう、思っていたのだ。

 

 夜。この子を寝かしつけ、私も寝ようとすると……男が寝ないでそこに居ろと言ってきた。

 何故?

 そう思いはしたが、特に気にも留めずにそこで待っていた。

 

 そこから地獄が始まった。

 男は、傷だらけの少女を嬲り始めたのだ。

 悲鳴を上げ、やめて助けてと叫び声を上げる少女。あまりに凄惨なその姿に、私は男にやめてあげてと言ってみた。

 しかし私の願いは聞き届けられず、男は少女を嬲りながらにっこりとした笑顔でこう言った。

 

「こいつはもう少ししたら死ぬから、次は君だ」

 

 楽しみだなぁ、なんて、こなれた雰囲気でそう言ってのける男。

 私は男の言葉を一瞬、理解することが出来なかった。

 

 しかし悲鳴を上げ続ける少女と、とても嬉しそうに少女を嬲る男の狂気を見せつけられるうち、男が嘘を言っていないという事が分かった。分かってしまった。

 

 そして地獄のような夜が終わり、皆が寝静まったころ。

 私は逃げ出そうとしていた。

 しかし。

 

「ぁぁ……ぁぁ」

 

 とても弱ったように、途切れ途切れに鳴き声を上げるこの子を、今以上に酷い環境に連れ出すことが出来るのだろうか。

 きっと無理だ。この子はすぐにでも死んでしまうだろう。

 

 じゃあ、私にできることは……?

 

「大丈夫だよ……私が、あんたを守るから。だってあたし、長女だからね」

 

 優しく、慈愛の笑みを浮かべながら……私はこの家に残ることを決めた。

 

 そして一年がたち、先に居た少女がとうとう死んでしまった。

 その少女の遺体の状態は酷いものだった。死因は破傷風だった。

 

「それ、処分しといてね」

 

 アイツは死んでしまったものに興味はないのか、私に事もなさげにこう言ってきた。

 私は彼女のために1人で墓を作った。いつもアイツに嬲られているというのに、私やあの子の事をずっと気にしてくれている、弾けるような笑顔が素敵な良い子だった。

 私は泣いた。墓を掘りながら泣いた。

 

 そして朝から始めた墓作りではあったが、彼女を埋葬し終える頃には既に夜になっていた。

 

 それがどういう意味を持つのか。私は覚悟していたこととはいえ、とても怖かった。

 

 

 それから……長い時間が流れた。

 あの子は生まれた時からは信じられない程健康的に成長してくれた。

 一度だけ、あの子が崖から落ちてしまうという事故が有ったが、それでもあの子はすくすくと成長していった。

 

 反して、私の体は日に日にボロボロになっていく。

 何時も血に濡れる布団や服。そして傷ついた肌をあの子の目につかないようにするので必死だった。

 

 でも。

 

「姉! 桶直せたよ!」

 

 天真爛漫に言うその子を見るだけで……満ち足りる想いがした。

 

 今まで……私の人生に意味は無いように思えた。

 生まれた頃から望まれぬ子で、月日が経つにつれ罵倒されるようになり、ついには絶縁され、流れ着いた場所では毎晩のように嬲られる。

 

 でも。私にはこの子が居る。ずっとずっと欲しかった、人生の意味。

 可愛い可愛いこの子が。健康で、幸せで生きていてくれるだけで私の人生の全てに意味を持たせてくれるのだ。

 

「……」

 

 でも。

 私は……酷い女だ。

 

 私は何時も、空を見上げる。

 私は……空が好きという訳では無い。

 空を見上げている間は、今を忘れられたから。

 

「……」

 

 思わず、手を伸ばしてみる。でも届かない。空には届く事は無い。

 

 平穏で、普通の家族。

 父がいて、母がいて、私がいて、あの子がいる。皆仲が良くて、愛し合ってる家族を。

 

 ちらりと視線をあの子に向ければ、目をキラキラとさせて笑っていた。

 

「……」

 

 この子が笑顔を向けるのは、空だけだ。

 この子は産まれた時より感情という物が希薄だった。何時もボーっとしていて、崖から落ちた時でも声すら上げることが無かったのだ。

 

 でも、空を見ている時は違った。

 明るい笑顔を見せて、まるで宝の山でも見ているかのように楽しそうにしているのだ。

 

 きっと、私はもう長くはない。

 だから生きている間、そして死んだ後も、可能な限りこの子の笑顔を守らなくちゃいけない。

 

 毎日、この子の笑顔を見るたびに、私はそう思うのだった。

 

 

 

「……」

 

 私は此処まで来てようやく、この記憶が誰からもたらされたのかに気付いた。

 姉だ。これは……姉の記憶だったのだ。

 

「もう……やっと気付いた」

 

「……姉」

 

 振り返れば、そこには姉がいた。

 向上した視力が、姉の隠している体の傷も見抜いてしまう。

 

「なん、で……」

 

「それ、どれに対しての質問? 隠してたことに対してなら……単に教育に悪いからよ」

 

「そ、それも有るけど! な、何で今この記憶を見せたの!?」

 

 淡々とそう言ってのける姉に、私は思わず声を張り上げて聞いてしまう。

 この記憶は、姉の人生の断片だ。

 

 ……そして、私の出生にも関わる話でもあった。それを今まで私に隠していた理由は分かる。でも、何故それを今……?

 私は混乱していた。

 

「なんで、ですって……?」

 

 でも姉は違ったようだ。柳眉を逆立てながら、ずんずんと私の方により、小さな手で私の胸倉をつかみ上げた。

 

「……あんた……」

 

「え?」

 

「なーんで前に言った事が出来てないのよ!!」

 

 そして耳元で叫ばれた。

 凄い大きな声だった。

 

「わあっ!?」

 

「自分の声のまま生きろって言ったじゃん! やりなさいよ!!」

 

「え、ええっ!? そ、そんないきなりは無理だよぉ!?」

 

「あんたなら出来る! 私知ってるもん!」

 

 酷い無茶ぶりだ。私だからという理由で出来る事なのだろうか。

 いや、姉が信じてくれていると言うのは分かるのだけど。

 

「……ねぇ」

 

 と、姉が今にも泣きそうな目で私を見つめてきた。

 

「もう、私の真似をしなくても、いいんだよ?」



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第十話

 うだるような暑い日だった。

 姉はゲホゲホと咳き込みながら、布団に入って休んでいた。

 最近は何時も調子が悪そうにしていたけど、今日は特に調子が悪そうだった。

 

「……」

 

 いや、はっきり言おう。

 姉はもう……。

 

「……ねぇ」

 

「っ、ど、どうしたの!?」

 

 と、今までずっと黙ったままだった姉が声を出した。

 私はその時とても驚いたが、すぐに姉の顔を見る。

 

「もしかしたら、分かってると思うけど……私、これから死ぬわ」

 

「えっ……」

 

 それは思いもよらぬ告白だった。

 まさか当人から言われるとは思いもしなかった。

 

「前に……女の子がいたのは覚えてる?」

 

「……ごめん、覚えてない」

 

「そ。アンタ小さかったもんね」

 

 そこまで言うと、姉はゲホゲホとせき込みだした。

 

「あ、姉!?」

 

「……分かってるのよ、全部」

 

「え?」

 

「あの子が死んだ時と、全く同じ……。だから、私は……これから……死ぬの」

 

「わ、わかんない……姉が何言ってるのか分かんないよ!」

 

 既に姉の意識は朦朧としていた。私の声が本当に届いているのかもわからない。

 

「ねぇ……なんか……暗いわ。それに寒いの……」

 

「っ……」

 

 今の季節は夏だ。寒いなんてことは有り得ない。

 私には分かってしまった。姉の心臓の鼓動がどんどんと弱くなっているのが。

 そして私には分からなかった。今の姉に何をしてあげられるのかが。

 

「お父、さん……お母……さん……皆……皆一緒……」

 

 だから私にできたのは、姉が今際の際に言い残したことを叶えて上げる事位だった。

 姉の手を握る。その手はもう、死人のように冷たかった。

 

「そうだよっ、一緒だよ! 姉とずっと一緒にいる!」

 

「……」

 

「姉が死んじゃっても、一緒だよ! 私がっ、私が姉になるから! 姉の想いをずっと、どこまでも持っていくから! だから──」

 

 私が必死に頭を働かせて、どうにか思いついたことだった。

 でも私には分かっている。私が言っていることは、今、苦しんでいる姉の助けにならないという事を。

そもそも常識的に考えて無理な話だ。誰も彼も、代わりなどいないのだから。

 姉が死ねば姉の想いや考えなどここで消え去ってしまうのだから。

 

「……そう、ねぇ……」

 

 それでも──。

 

「……なら、安心ね……」

 

 姉は、本当に安心したように笑いながら死んでいった。

 だから私は、その日から私になったのだ。

 

 

「……」

 

「もう、良いの。私にならなくても良いの。貴方は貴方なのよ」

 

 姉はその大きな瞳いっぱいに涙を抱えながら、そう言った。

 

「ごめんなさい……ごめんね……私が……あなたを縛ってしまった。ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 先ほどの勝気な姉ではなく、とても弱った姉がそこに居た。

 その姿は死んでいった時よりも……ずっと小さく見えた。

 

「姉……」

 

 子供のように泣きじゃくる姉。

 その姿に、私は少なからず動揺してしまう。

 

 しかし。

 それでも揺るがぬ思いが、私の心の中にはあった。

 

「……姉。違うよ。私は姉に縛られてなんかない」

 

「……え?」

 

「違うんだ。自分を出さずにいたのは……ただ、自分に自信がなかったんだ」

 

 何をしても何も感じることが出来なかった。

 猪を叩き殺そうが心はピクリとも動かなかったし、私たちの保護者役の男にいくら殴られようともなんとも思わなかった。

 きっと生まれた時からそうなんだと思う。

 

 でも……姉と一緒に居る時だけは違った。

 その時だけ、私は人になれたのだ。

 

 ……だから、自信が無かった。

 自分で何かに名前を付けるなんて恐れ多くて出来なかったし、何時も全力で挑まなければ求められているものを満たせているかもわからなかった。

 

「姉が一緒なら、勇気が出たんだ。姉の想いを背負ってると思えば……なんでも出来たんだ。だから今まで、ずっと頑張れたんだ」

 

「……」

 

 それは姉の想いを利用していたという、罪の告白だった。

 

「……」

 

 そして姉は笑うでもなく、怒るでもなく……ただ私を抱きしめた。

 

「馬鹿ね。そんな事で、ずっと悩んでたんだ」

 

「……うん」

 

 姉の言葉に答えると、姉は私を抱きしめる力を強めた。

 そうしてると、何故か涙が溢れて来た。それを隠すように私も姉の小さな体を抱きしめる。

 

 空が、明るくなっていく。

 この何処かもわからない世界の空が。

 そのおぼろげな陽光は、私たちを明るく照らしてくれた。

 

「あーあ。じゃあ互いに無駄な悩みを抱えてたって訳ね!」

 

 なら、これでおあいこ。

 姉はそう言って、私から離れた。

 姉は、どこかスッキリとしたような顔でこちらを見つめている。

 

「あんた……でかくなったわね」

 

「……うん」

 

 感慨深そうに、姉はつぶやいた。気付けば姉の背をとっくに超えて、私は大きくなっていた。

 

「うわ……腕ふと……私もうアンタと喧嘩しても勝てないわね……」

 

「うん……」

 

 姉は私の腕を掴んだかと思うと、うわぁ、みたいな顔で自分の腕と見比べていた。

 

「……あんなに小さかった子がこんなに立派に成長して。私はアンタの事を誇りに思うわ。ずっと」

 

「……」

 

「それに! 一番に生まれた子はうじうじ悩んじゃ駄目なのよ! 家を支える柱となるんだから! それに変に拗らせたら数百年も無意味に過ごす可能性だってあるんだからね!?」

 

「そうなんだ」

 

 それは知らなかった。

 

「──だから、もう行きなさい」

 

「……」

 

「まだ自信が持てなくても。空への距離が遠くても。手を伸ばし続けなさい。私は何時だって……貴方の味方よ」

 

 そして姉は、私の体を思いっきり押した。

 浮遊感が全身の感覚を支配する。

 

 意識が──現世へと浮上する。

 

 

 視界一杯に広がる月。

 その幻想的な光景の実態は、恐るべき死への道だ。

 

「……」

 

 だけど、私の心に恐怖は一片も存在しなかった。

 姉が……見守ってくれているから。姉が自信を持って送り出してくれた自分を、信じているから。

 

「スゥゥゥ……」

 

 燃えるような体の感覚は鳴りを潜め、形を変える。

 視界が捉えるものが透き通る。思い出した。この目……姉の死際に、姉の身体を診たこの目の使い方を。

 

 月の向こう。そこに悠然と立つ先生の姿をとらえる。

 先生の冷たくも昂った脈動までをも知覚し、像を結ぶ。

 技の間隙。

 

「スゥゥゥ……ウウウウゥゥ……」

 

 折れた刀を構え、呼吸の型を繰り出す。

 からの呼吸……()()()()

 

 かねてより考えておいた、私の呼吸。

 私の自信や実力が足りないばかりに先生の手を煩わせてしまった、からの呼吸の本当の形。

 

()()()() 漆ノ型『晴天霹靂』」

 

 晴天の空に鳴り響く雷鳴のように、月と月の合間を縫い先生のもとにたどり着く。

 

「……」

 

 そしてその勢いのまま刀を振り抜く。

 晴天霹靂。高速移動と居合いの合わせ技だ。

 先生は私の方を一瞥したかと思うと、今度は刀で私の技を迎え撃った。

 

「…そうだ…それでいい…」

 

 グッと、先生が刀に力を籠めている。

 

「月の呼吸 伍ノ型──」

 

「……っ!」

 

 先生と鍔迫り合いに持ち込んだ。しかし先生はすぐに次の手を打ってくる。

 月の呼吸の伍ノ型、『月魄災禍』は鍔迫り合いに陥った際に使う技。

 この型では全くの事前動作なしに斬撃を作れる。

 

 だが、その動作も既に見ている。

 

「空の呼吸 陸ノ型『天の川』!」

 

 直後、間髪入れずに技を先生の刀ごと叩き込む。

 空の呼吸陸ノ型『天の川』は、周囲に怒涛の斬り下ろしを行う技。範囲も威力も申し分ない技だ。

 

「……ほう」

 

 先生が型を発動させる一瞬前、出鼻をつぶす形で放った『天の川』は先生の肩口を軽く切り裂いた。

 鮮血が飛び散る。

 

 しかし浅い。折れた刀では致命傷すら与えられない。

 

「っ──」

 

 直後先生が動く。

 筋肉の動き、脈動。全てを読み取り先生の次の一手を読み取る。

 

「月の呼吸──」

 

「空の呼吸 伍ノ型 『碧空炎天』」

 

 先生の刀を跳ね上げる下からの振り上げ。昇り上がる炎を幻視させる様な一撃だ。

 先生の腕は刀事かち上げられる。

 

 そして『碧空炎天』は二連撃の技。

 

「ああああッ!」

 

 振り上げた所で刀の進行方向を変え、無防備となっている首を狙う。

 

「…狙いは…良い」

 

「っ……」

 

 『碧空炎天』

 一撃目で相手の腕をかち上げ、防御を無意味とさせ、二撃目で止めを刺す必殺の型。

 受けられるはずのない二撃目を、先生は柄の部分で受け止めていた。

 

 馬鹿な。完全に不意を突いた筈……!?

 

「やはり……貴様……既に視えて……」

 

「す、凄いです先生! 初見の技ですら完全に対応するなんて! 先生は神通力にも精通しているのですか!?」

 

「……」

 

「そして先生!? 先ほどから視界が変なのです! 子供の頃、何故か人の体が透けて見えた事が有りました! それと同じように先生の体が透けて見えるのです!」

 

「……」

 

 ビキリと、先生から怒りの匂いが増したように見える。

 

「先生!? お怒りなのですか!? はっ、そうか! やはり先生の事ですから、これくらい生まれし頃より使えという事なのでしょうか!? 申し訳ありません! 至らぬ弟子で!」

 

 ビキビキと、なんだか先生の刀が脈打ってるような感じがする。

 

「せ、先生──」

 

「お前……お前はもう……黙れ……これ以上口を開くな……」

 

 ビキビキと青筋を立てている先生の顔は、今までに見た事ない程にお怒りの表情をしていた。

 な、何か気に障る事を言ってしまったのだろうか。

 

「……」

 

 いや、少し気を昂らせ過ぎたのかもしない。このように昂った状態では知らず知らずのうちに先生に無礼を働いてしまっていたのかもしれない。

 でも私は、人生でも最高に近い程の昂りを、抑える事が出来なかった。

 

 死に際に体験した姉との会話。

 あの走馬燈の姉が、本当の姉なのかは分からない。私の妄想が作り出した虚像なのかもしれない。

 

 でも。

 私の心は今、とても晴れやかだ。

 姉。私は今、自分の心のままに生きています。

 姉の想いをこの胸に抱いて、姉と共に空を見上げているのです。

 

 折れた刀を更に強く握り直し、私は構える。

 

「──行きます!」

 

 先生の言いつけを早速破りながら……私は呼吸の型を使った──。

 





(急に始まる! コソコソ噂話!)ノ”

弟子は崖から落ちて呼吸を使えるようになるまでは非常に虚弱で今にも死にそうな幼子でした。崖から落ちていなければもっと早くに死んでいたでしょう。
崖から落ちる事故はまさしく神々の寵愛でした。黒死牟先生の言葉には何の間違いも無かったという事ですね。
神に感謝!


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第十一話

 黒死牟の弟子に抱く感情は複雑怪奇なモノであった。

 その黒死牟の感情については語るには、まず黒死牟という鬼の人生について語らなくてはならない。

 

 黒死牟。人の頃の名を継国巌勝。戦国の世の侍の家に生まれた長男である。 

 巌勝には兄弟がいた。双子の弟だ。弟の名を緑壱という。

 

 戦国の世、双子の兄弟とは家を乱すものとして疎まれていた。それは巌勝と縁壱が生まれた時も同じである。

 巌勝は長男として生まれ……縁壱は弟として生まれた。家督を継ぐこととなるのは巌勝だ。そしてこうなると邪魔になるのは弟として生まれた縁壱である。しかも縁壱には醜い痣が生まれた時より存在しており、継国家はすぐにでも縁壱を殺すという判断を下した。

 

 しかしそれに反対したのは、巌勝と縁壱の母であった。彼女が烈火のごとく怒り、その手に付けられなさから縁壱は延命される事となる。十歳になったら寺に出家させて僧にするという条件で。

 

 そのような境遇で、巌勝は長男として育っていった。

 毎日のように修行に明け暮れ、侍としての力を手に入れていく。

 

 その最中……巌勝は自身の弟であり、三畳しかない離れで過ごす弟の存在を哀れに思っていた。その頃の縁壱は一言もしゃべらず、家の人間からは耳も聞こえないのかと思われていた。行動するときは何時も母親にしがみついていた。

 だから巌勝は父の目を盗んでは縁壱の元へ遊びに行ったり……手作りの笛をやったりなどしてあげていた。

 

「兄上の夢はこの国で一番の剣士になることですか?」

 

 だから見下していた縁壱が流暢にしゃべりだした時、巌勝は息が止まるほど驚き、持っていた木刀を取り落とした。

 

「──では、私はこの国で二番目に強い剣士になります」

 

 そしていきなり侍になりたいなどと宣い笑う姿に、巌勝は気味が悪いとしか思えなかった。

 そして以後、縁壱は巌勝の鍛錬に自分も混ぜて欲しいとうろちょろ姿を現すようになった。

 巌勝に刀を教えていた父の配下が戯れに袋竹刀を持たせた。

 そして構え方と振り方を口頭で伝えたのち、さあ打ち込んでみよと構えた。

 直後だった。

 

 縁壱は、巌勝が何度打ち込んでも一本を取れなかった父の配下に四発叩き込み失神させたのだ。

 

 そして縁壱はその後侍になりたいなどと宣う事はなくなった。人を打ち付ける感覚は縁壱には耐えがたいものだったのだろう。

 しかし巌勝は縁壱の強さの秘密を知るため、縁壱に詰め寄った。すると縁壱は不可解な事を言いだした。

 

 その言葉を統合すると……縁壱には人の体が透けて見えるのだという。

 巌勝はその事実を理解するのに時間がかかった。

 縁壱は生まれつきの痣と同じく生まれつき特殊な視界、それに対応できるほどの身体能力を会得していたのだ。

 

 巌勝にとってそれは耐えがたい屈辱だった。

 自身より下に見ていたものは自身よりもはるかに才覚が有った。しかも巌勝が重要に想い目指しているものは縁壱にとっては童遊び以下のものでしかなかったのだ。

 

 不幸は続いた。二人の母が身罷られたのだ。

 その事実を夜遅くに伝えに来た縁壱は、昔にあげた音の外れたガラクタの笛を宝物のように抱え、荷物もほとんど持たずに寺へと発った。

 

 母の残した手記によると、縁壱は兄ではなく自身が跡継ぎに選ばれると分かっていたそうだ。故に予定よりも早く家を出たと。

 そして縁壱は母の死期も分かっていたようだ。数年前から半身が不随となり、苦しんでいた母の病を。

 

 縁壱が母にしがみついていたのは……甘えているのではなく母を支えるためだったのだ。

 

 それに気づいたとき。巌勝は全身が嫉妬の炎で焼き付く音を聞いた。

 そして縁壱という天才を心の底から憎悪した。

 

 ◇

 

 頼むから死んでくれ。お前のような奴は生まれてさえ来ないでくれ。

 お前が存在しているとこの世の理が狂うのだ。

 

 父が縁壱を連れ戻すために寺へと使いをやるも、縁壱はそこには来ておらず、忽然と消息を絶った。

 何かに巻き込まれ死んだのか。図らずも、私の願いはかなったのだ。

 

 しかし十数年後、我らは望まぬ邂逅を果たしたのだ。

 合戦の最中、鬼に襲われた。

 私の配下は死に、私自身もあわやという所だった。

 

 それを救ったのは、幼少のころとは比べ物にならないほどの技術を持ち、非の打ち所がない人格者となった縁壱だった。

 

 その姿を見て私の心の平穏は再び破壊された。

 そして私は、その力を、剣技を、どうしても我が物としたかった。

 

 家を捨て、家族を捨て、すべてをなげうって鬼狩りの剣士となった。

 そして私は縁壱に技の教えを請うた。

 程なくして、私にも痣が発現した。縁壱そっくりの痣だ。

 

「ガアアアアッ!!」

 

 弟子の額にも今、痣が発現している。

 痣とは心拍数を上げ、体温を上昇させ、身体能力を極限まで上昇させるモノだ。

 その痣を、我が弟子は事もなさげに発現させている。この痣を出すだけでも挫折するものすら現れるというのに。

 

「……」

 

 弟子が呼吸法を変える。

 弟子の呼吸法の種類の範囲は非常に広い。

 こいつの持つ呼吸法はまさしく変幻自在だ。一呼吸の間に、まるで人が変わったかのように呼吸の質が変化する。

 そして、()()()()()()()()()()()()()

 

「……」

 

 こんな変化は初めて見る。痣が成長し、大きさを変える程度ならばありうる。

 しかしこいつは今、雷のような痣から燃え上がる炎の痣へと変化させた。

 有り得ぬ。なんだこいつは。

 

 初めて見る事態に気色の悪さを覚えつつも、このようにさも当然のように異常事態を引き起こす奴には覚えがある。

 

 やはりお前も──。

 

「月の呼吸──」

 

「空の呼吸 壱ノ型『早暁三文斬り』」

 

 バシュッと、構えた腕から血が噴き出す。有り得ぬ速度。何度も死にかけていた筈の先ほどとは天地の差だ。

 何が有ったというのだ。わずかな時間で。

 

 思考が巡る。まるで走馬灯のように、自身の記憶の奥底を見せてくる。

 

 ◇

 

 縁壱はモノを教えるのも爆裂にうまかった。

 一人一人に合わせた実用的な呼吸法は鬼狩り全体の力を底上げし、鬼狩りの力を増していった。

 そんな中、私は焦っていた。結局、日の呼吸を使えるようにはならず、後に月の呼吸と名付ける派生の呼吸しか使えるようにはならなかった。

 もっと鍛錬を積めば私は縁壱に追いつけるだろうか。その剣技を扱えるようになるだろうか。悔しい思いで胸が張り裂けそうになっていた時。痣を発現させた者……痣者がバタバタと死んでいった。

 痣は寿命の前借に過ぎなかったのだ。全盛期はすぐに終わり、私に先はなかった。

 

 そんな折だった。無惨様から鬼への道の打診を受けたのは。

 そして私は、その誘いに一も二もなく飛びついた。

 

 結果、私は黒死牟となった。

 すべてのしがらみから解放された……筈だった。

 

 だというのに、私が鬼となって六十年が過ぎたころ。縁壱が老いさらばえた姿で私の目の前に姿を現したのだ。

 痣者は全て二十五で死ぬはずだ。縁壱の年は八十程。しかもその老骨のみで振るう技は全盛期と何も劣っていなかった。

 何故お前だけが……お前だけがその理の外に居る。

 

 そしてなぜ、私にとどめを刺してくれなんだ。

 何故いつも私に惨めな思いをさせるんだ。

 

 何故──。

 

「空の呼吸 参ノ型──」

 

「月の呼吸 玖ノ型『降り月・連面』」

 

 そして今、私の前にはお前のように神々の寵愛を受けているとしか思えぬ我が弟子が立っている。

 技を放ち牽制するも、その悉くを当然のように避けてくる。

 そして事もなさげに技を続けてくる。

 

「先生! 凄い技です!」

 

 何故今私の技を褒める。お前はその技をたった今避けたばかりか、返す刀で撃ち落としているではないか。

 ふざけているのか? 馬鹿にしているのか? 

 

「……」

 

 しかし弟子は私の事をキラキラとしたものを見るような……宝物でも見るかのような目で見つめてくる。

 こいつは本気で言っているのだ。私の技を、剣技を、本気で至上のモノと信じて疑っていない。

 

「月の呼吸──」

 

「空の呼吸 参ノ型『逢魔陽光・無間』」

 

 そして褒め言葉を吐いた直後に、訳の分からぬ技を使ってくる。

 連続攻撃。しかし、そのどれもが殆ど同じ瞬間に私の体を切り裂く。

 私が神通力に精通しているだと? お前も訳の分からぬ得体のしれぬ技を使っているではないか。

 

「……」

 

 服が切り裂かれ、肌が切り裂かれる。しかしこの程度の傷は一瞬で治る。

 

「着物を裂かれた程度で……」

 

「はわわ!? 先生のお召し物が!?」

 

 赤子でも死なぬと続けようとしたところで、弟子が何やら喚き始めた。

 

「げ、げへへ……」

 

「……」

 

 こいつは時折、この様な気味の悪い笑みを浮かべる事が有る。

 ただただ気色が悪かった。どういう感情の顔だ? これは……。

 

「っ?」

 

 そして何故か技の速度が上がった。

 何だと? なぜそうなる。お前は服を切り裂くと速度が上がるのか? そんな馬鹿な事が有るのか?

 訳が分からぬ。脳が理解を放棄する。いまだにこいつの思考回路を読み解けぬ。

 

「月の呼吸 捌ノ型『月龍輪尾』」

 

 横なぎの一閃。

 しかし何の手ごたえも無い。

 

 直後、頭上から気配を感じる。

 

「空の呼吸 捌ノ型『天岩流星』!」

 

 空から零れ落ちる流星の様な怒涛の振り下ろし。

 不味い。これは……()()()()

 

 身体を反転させ、弟子の攻撃範囲から外れる。

 直後鳴り響くのは轟音と衝撃波だ。まるで百の雷が同時になったかの様な爆発音が地上を薙いだ。

 

「空の呼吸──」

 

 いとまなく弟子は技を続ける。

 あれ程の威力の技を使ったと言うのに何の反動も無しだと?

 

 これ以上勢いに乗らせてはならぬ。私も刀を構え、型を発動させる。

 

「月の呼吸 拾肆ノ型 『兇変・天満繊月』」

 

 『兇変・天満繊月』は連続の横なぎによって折り重なる斬撃を発生させる型。

 回避は上に逃げるほか──。

 

「玖ノ型『颱風一過』!」

 

「っっ……!?」

 

 避けるでもなく真正面から強引に進んできただと!?

 弟子は全身から血を垂れ流しながらも、未だに気色悪い笑顔を浮かべながらこちらに迫る。

 弟子の痣は形を変え、渦巻き状の痣となっていた。

 

 そして技の勢いのまま、鍔競り合いに持ち込まれる。

 不味い。この状態で先程の型を使われれば受けきれぬ。

 早く月魄災渦を……!

 

「なっ……」

 

 しかし弟子はするりと鍔競り合いを解き、私から離れる。

 何を──。

 思わず逡巡してしまった。そしてそれは弟子が技を繰り出すのに十分な時間だった。

 

「空の呼吸 拾ノ型──」

 

「──」

 

 痣の形が変わる。縁壱を彷彿とさせるような……炎のような痣だ。

 翻弄される。こいつの動きが、筋肉の動きだって視えて居る筈なのに全くつかめない。

 

 まるで揺れ動く空模様の様に──。

 

「!?」

 

 そして奴の手に持つ刀の色が……()()()()()()()()

 

 何なのだ……何なのだお前は──。

 

「『晴天天晴なり』」

 

 弟子の姿が消え、刀ごと身体を引き裂かれた。

 



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第十二話

 首から血が噴き出る。

 平静が足元から瓦解する感覚。忌むべき、そして懐かしき感覚。

 

 四百年ぶりの……縁壱との邂逅を最後に、久しく味わう事のなかった感覚だ。

 だがこいつは……我が弟子は縁壱とは違う。

 

「空の呼吸──」

 

「月の呼吸──」

 

 あの時力尽きた縁壱とは違い、全盛を控え、未だ成長途中の化物。我が弟子は折れた刀を振り上げ、止めとばかりに踏み込んでくる。

 

 先ほどの一撃。こいつの刀が折れていなければ、私の首を両断せしめていた。

 私を……『上弦の壱』を超えるほどの速度。そして我が肉体から作り出した刀を意にも介さず切り込んでくる強靭な肉体。それでもまだ体が完成しきっていない。

 一体どういう理屈だと言うのだ。筋肉も何も足りていないだろう。道理に合わぬ!

 

「弐ノ型『蒼穹無欠』!!」

 

「弐ノ型『珠華ノ弄月』」

 

 互いに血を吹き出す。私の振り上げと弟子の振り下ろしが衝突し、星が散る。

 

「月の呼吸 参ノ型『厭忌月・銷り』」

 

「っ!?」

 

 しかし間髪入れずに呼吸を行う。

 『厭忌月・銷り』。挟み込むように生み出される月。その合間に挟まれた弟子は一瞬ではあったが行動を制限される。

 

「月の呼吸 陸ノ型『常夜孤月・無間』」

 

 そして瞬時に月を展開させる。進退窮まる状況。

 どうする……?

 

「──空の呼吸 参ノ型『逢魔陽光・無間』!」

 

 すると先ほど使って来た謎の型を使いだした。

 視界に映るものすべてを切り刻むと言わんばかりの連撃。

 事実その技で縦横無尽に展開されていた月を全て破壊しつくした。

 辺りに砂塵が舞う。

 しかもそれだけでは終わらない。

 

「空の呼吸 肆ノ型『夜天・宵の口』!」

 

 先ほどの参ノ型の速度を一点に集中させたかのような速度の突き。

 恐るべき技だ。

 

「……しかしまだ……未熟……」

 

 弟子が踏み込んだ瞬間、弟子の体の至る所から血が噴き出る。

 速いだけの技など、いくらでも対処できる。その初動で潰せばよいのだ。

 

 既に型の傾向は読み取った。後はそれを基に積んでいけば良い。

 

 ──四百年の研鑽。それは全て縁壱へと至るためのもの。その領域に近いとはいえ()()()()()()()()()弟子の攻撃に合わせる程度は造作もない。

 

「ぐふっ──!?」

 

 弟子がたたらを踏む。

 弟子が動きを変えてから初めて見せた明確な隙。

 

 次で……終わらせる。

 

 私は──。

 

「せんせい──」

 

「──」

 

 今にも死にそうな弟子の声に、動きを止めてしまった。

 

「やはり先生は……凄いお方だ」

 

 弟子の言葉が耳朶に響くたび、湧いて出る感情が有った。

 しかしその感情に動揺はなかった。

 経験が有ったからだ。

 

「だから私の……全身全霊をもって……この試合を……終わらせます」

 

 弟子も同じ思いだったのか、そのような事を口にする。

 直後。弟子の放つ威圧感が変わる。

 

 それは、まるで()()()の再来だった。

 

「──空の呼吸 ()()

 

 両肩にのしかかる重圧は岩の如し。死に掛けだと言うのに、その構えに一分の隙も無い。

 ()()弟子は進化した。まず間違いなく──縁壱の領域まで。

 

 先程の皮算用があっさりと崩れ落ちる。

 

「……」

 

 奥義だと……? 最早乾いた笑いすら零れそうだ。

 たった二か月かそこらで呼吸法を確立させ。更には奥義を開眼するなど……。

 

「……」

 

 ……ならばこちらも抜かねば──無作法というもの。

 

「月の呼吸 ()()──」

 

 あの時……縁壱との最後の邂逅の折、放つことが敵わなかった我が奥義の構え。

 

 弟子よ。我が奥義にてお前の奥義を──。

 

「……」

 

 そこで気づいた。

 弟子の痣の形。

 弟子の構え。

 それはまるで()()()()()()()()()()だった。

 

「──()()()()()()()()()()()』」

 

「──()()()()()()()()()()』」

 

 

 

 

 

 

 在りし日の事。

 私は我らの技術の継承の絶望的状況を憂い、縁壱と論議していた。

 

──後継をどうするつもりだ。

 

──我らに匹敵する実力者がいない。呼吸術の継承が絶望的だ。

 

──極めた技が途絶えてしまうぞ。

 

 そう問い詰めてみると、縁壱は信じられぬことを言いだした。

 

「兄上。私達はそれほど大そうなものではない。長い長い人の歴史のほんの一欠片」

 

「私達の才覚をしのぐ者が今この瞬間にも産声を上げている。彼らがまた同じ場所にたどり着く」

 

「何の心配もいらぬ。私達は何時でも安心して人生の幕を引けばいい」

 

「浮き立つような気持ちになりませんか──兄上」

 

「いつか。これから生まれてくる子供たちが──私達を超えて……更なる高みへと上り詰めていくんだ」

 

 お前は本当に楽しそうに、うっすらと笑みすら浮かべながら宣った。

 それは──私達の世代こそが特別だと信じて疑っていなかった私には、楽観視としか言いようのない言分だった。

 

 縁壱。()はお前がそう言って笑うたび、気色の悪さと苛立ちで吐き気がした。

 

「……」

 

 何が面白いと言うのだ。

 

 日の呼吸の使い手でも無いと言うのに、さも当然のように教えてすらない日の呼吸やそれに連なる呼吸を使い。

 

 その刃を赤く染め。

 

 一年程度しか鍛錬を積んでいない子供が──四百年の研鑽を積んだ俺に追いすがるなど──。

 

「……」

 

 血が舞い。意識が遠退く。忸怩たる思いで心があふれそうになる。

 足が折れ、血にひれ伏しそうになる。だが──まだだ。弟子の首元に刃を引っ込めた自身の刀を打ち付け、気絶させる。

 

「……」

 

 一歩、届かなかった。

 こいつの奥義は私の奥義よりも早く……私の首を斬り裂いた。綺麗な切り口だ。しかし鬼である私の体は醜くもその傷跡を治そうとする。

 

 だが……身体は崩壊を始めた。

 

 もう私は負けているのだ。

 

「……」

 

 いや……私は、()としてはずっと前から負けている。

 何百年も、醜い化け物になりながら生きあがき……挙句に怪しげな術を使い、それを技と言い張る。無辜の民を食べ、多くの罪のない人を殺し生き永らえる。

 

 生き恥。

 

 私がなりたかった侍の俺は、とっくに死んでいた。

 生き恥を晒し生き延びていたのは空虚な黒死牟(おれ)だ。

 

「……」

 

 身体が崩れ落ちる。こいつに今の私の姿は見せられない。初めて鬼を切らせた。どのようになるかなどこいつには分からぬはずだ。

 

 ……こいつの事だ。私が死ぬ瞬間など見せた日には躊躇せず腹を割るだろう。

 弟子に対して、そう言った方向性には全幅の信頼を置いている。

 

「……」

 

 崩れ落ちつつある手で、弟子の頭を撫でてみる。

 思えば……こいつの頭を撫でるのは初めてだ。

 

「……」

 

 すーすーと、死に掛けているというのに寝息を立てていた。

 何も言わねば案外かわいらしい所も有る。起きている時は何故か私に甘噛みしてくるような訳の分からぬ奴だが。

 

 そんな事を思いながら弟子の口に自身の髪を突っ込む。

 以前噛みつかれた時、酩酊したような状態になりながら、こいつは何かの声が聞こえるとのたまった。

 無惨様の声が聞こえたのだ。

 

 恐らく鬼喰いの素質も有るのだろう。鬼を食う者など……と思うが今は都合がいい。

 これでこいつは死なぬ。

 

「……弟子よ……」

 

 生きろ。

 お前は()()

 

 思えばずっとそうだった。

 技に憧れ、その剣技の冴え、美しさを自身のものとしたいと弟子入りする。

 お前は在りし日の私そのものだった。

 

 そして……お前は()()()()()

 

 私は縁壱にはなれなかった。何百年生きようと、その終着点にたどり着く事は出来なかった。

 だがお前は私になるどころか私を超え……縁壱すら成しえなかった事をやり遂げた。

 

 気付けば……俺は久方ぶりに笑顔を浮かべていた。

 死に掛けていると言うのに。今にも死ぬと言うのに。

 

 だというのに、俺の心は何時になく……浮き立っていた。

 

 ああ──そうか。

 

「……お前を残せて……良かった……」

 

 これが……お前が見ていた世界か。

 

 縁壱──。



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第十三話

「……」

 

 目が覚める。満月は姿を消し、何時もの曇天へと戻っていった。

 私は黒死牟先生を探してみるが……残っていたのは、袋包みに入った笛だけだった。

 

 その笛から、黒死牟先生の匂いがした。とてもとても悲しくて……それでいて晴れやかな匂いだった。

 

「……」

 

 私は泣いた。

 覚えている。先生の首を切り落とした事も……先生が、私の首を打って気絶させたことも。

 

「……」

 

 もう先生は居ない。その事実にただただ……泣いた。

 

 ◇

 

 私は先生の住処へ戻る。

 先生との死合いが始まった直後。先生の技により吹き飛ばされ、そこから怒涛の勢いで戦いの場を変えていった。

 故にこの住処はそこまで荒れていない。

 

 全身の傷は何故か癒えていた。しかし体力はもう殆どなかった。

 最後の技で本当に全てを出しきった。

 

「……」

 

 先生が座られていた場所まで重い体を引きずって進み、どさりと倒れ込む。

 先生。私は……空を掴めたのでしょうか。もし掴めたとしたのなら、何故私の心はこれほどまでに痛むのでしょうか。

 

 ほろりほろりと止まっていた涙がまた溢れ出す。

 寂しいです。先生。

 

「……?」

 

 と、私の鼻が先生の匂いをかぎ取った。どうにか体を動かし、その匂いの元までたどり着く。

 

「これは……」

 

 それは──先生の残した書置きだった。

 

 ◇

 

 この書置きを見ている頃には、恐らく私は死んでいるだろう。

 つまりお前は私に勝ち、生き残ったという事だ。

 もし私に多少の情を抱いているのであれば……これより先に記す事を絶対に守れ。

 

 ──私には縁壱という弟がいた。お前によく似た……強い男だ。

 

 私は弟になりたかった。その為に鬼となり人を食らった。私は死ねば、きっと地獄に行くだろう。

 そのことに対してお前が悲しむことは無い。お前は私を超え……自身の望むものを手に入れているのだ。

 

 私の人生は惨めなものだった。しかし後悔はない。だが……それでも、その道をお前に歩んで欲しくは無い。

 

 故に人の道を踏み外すな。

 お前は私になりたいというが、決して私の様にはなるな。

 お前自身が、お前の手に入れた綺麗なものを……絶対に穢すな。

 

 お前はこの国で一番の──侍なのだから。

 

 ◇

 

「先生……」

 

 達筆な字で、それだけが書かれた紙。

 だけど、先生が残した数少ないものだ。

 

 先生はモノを持たない人だった。この住処だって、私のために家具を一式そろえてくれたが、それまでは何も無い場所だった。

 

「……」

 

 私はその書置きを畳むと、笛と同じ袋に詰めて、抱え込んだ。

 

 分かりました。私は決して……人の道を踏み外しません。

 でも……。

 

「私は……貴方に憧れてるのです。貴方が……良いのです。それは今でも変わりません」

 

 そして今後の人生において、決して変わる事は無い。

 

「……」

 

 私の意識はそこが限界だった。うつらうつらとまどろみに落ちていく。

 

 ◇

 

 一晩がたった。

 黒死牟の反応が消えてから、一晩がたった。

 唐突な反応の消失に最初は何かの間違いかと思ったが、しかし何も間違いはなかった。

 黒死牟は死んだ。理由も分からず、死んだのだ。

 

「……」

 

 何が有ったと言うのだ。

 私が作り出した十二鬼月。その上弦の壱である黒死牟がそう簡単に死ぬはずがない。

 何故。

 

 私は事態究明のため、比較的近くに居た十二鬼月の下弦の鬼を向かわせた。

 黒死牟が死んだのか殺されたのか。どちらにせよ確認せねばならない。もし黒死牟が殺されたのであれば、その鬼は十中八九死ぬだろうが……所詮下弦の鬼だ。替えは幾らでも聞く。

 

 そして黒死牟の最後の反応が有った洞窟に作った拠点に下弦の鬼が入り込もうとし……。

 

「っ……」

 

 即座にその視界が暗転する。

 殺されたと言うのか? あの一瞬で。

 私は黒死牟の拠点に向かっていた鬼に何度も呼びかける。しかしその視界は光をともす事は無く、返事は帰ってこなかった。

 

 何が起こっているのだ。

 だが……これで間違いない。黒死牟は殺されたのだ。

 今向かわせたのは下弦の鬼の中でも戦闘能力に秀でた鬼だった筈。それを意にも介さずに殺すという事は相当の実力者……鬼狩りの柱相当の存在だろう。

 

「……」

 

 上弦の鬼を派遣させるか……? 

 いや。既に相手は上弦の壱を葬り去っている。そしてたった今十二鬼月の下弦が討たれた。

 これ以上十二鬼月が欠けるのは気に食わぬ。

 しかし、せめて何が居るのかは確認せねばならない。それにもし日の呼吸を受け継いだ者ならば確実に息の根を止めねばならない。

 

「……」

 

 全く忌々しい。

 私が動かねばならぬなど。

 

 べべんっという琵琶の音と共に、先ほどの下弦の鬼が死んだ場所まで飛んだ。

 

 ◇

 

 そこは満点の夜空がのぞく山だった。

 そしてその夜空の下。灰に帰りつつある下弦の鬼の死体が有った。

 だが、既に人の気配はない。もうどこかに消えたのか……? 

 

「そこか」

 

 いや、人の気配がする。この洞窟の先か。

 

「む……?」

 

 と、洞窟の横に立て札……いや、表札かこれは。

 この洞窟の持ち主は黒死牟だ。黒死牟が付けたのかこれは。

 あくまでも潜伏するための拠点に表札を置いているのか黒死牟(アイツ)は……。

 

 訳の分からぬ思考回路に引きながらも、その表札に目を向けてみる。

 

「うっ……!?」

 

 そこに書かれていたのは一切の理解が及ばぬものだった。

 

『黒死牟先生と弟子の愛の巣』

 

 どう言う事だ。

 黒死牟先生……? 弟子……? 愛の巣……? 軽い字体で書かれたそれに混乱する。

 何がどういう事なのだ。なぜこんな珍妙なものを軒先に……? 

 

 集中を惑わされる。単語の意味は分かっても理由は分からぬ。

 何が有ったと言うのだ黒死牟。

 と、その表札の下の所に何かが書かれていた。

 

『なお。不許可で侵入し、我々に危害を加える者は命を奪う事としています』

 

「……」

 

 まさか……あの下弦の鬼、これを無視したから殺されたのか……? 

 そんな馬鹿な事が有るものか。

 

 私はその表札を無視し、ずかずかと洞窟の中に入り込んでいく。

 

「……」

 

 するとすぐに人の気配と思わしき人物を見つけられた。

 

「また……お客様ですか?」

 

 ゆらりと私に背を向けていた少年がこちらを向いた。

 

 その少年の肌は病的なまでに白かった。そして逆に頬は風邪でも引いているかのように赤く、その両性的な見た目も相まってとても扇情的な見た目をしている。

 

 少年がほのかに赤みがかった瞳をこちらに向けた。

 

「ここは黒死牟先生と私の家です。勝手に土足で上がりこまないでください」

 

 そして口を開いたと思えば黒死牟の名が出てきた。

 

「……お前は……黒死牟を知っているのか?」

 

 まさかこの少年が黒死牟を殺したとでもいうのか。

 だが確かに、状況証拠だけで言えば──。

 

「ええ……。私の師匠です」

 

「……」

 

「貴方はどちら様ですか?」

 

「鬼舞辻無惨。お前の師の上司にあたる」

 

「まぁ……それはそれは……」

 

 この少年が黒死牟を殺した。

 しかしどうしてもそれを信じる事が出来なかった。この捉えどころのない表情と喋り方。覇気を一切感じられない。

 

「お前に聞きたい事が有る。黒死牟を殺したのはお前か?」

 

「ええ。黒死牟先生を殺したのは私です」

 

 事も無さげにそう宣う。嘘をついているようには思えない。

 本当に、この少年が黒死牟を──。

 

「……」

 

 そして何故か私は……この少年に奇妙な懐かしさを覚えていた。

 何だ。このとぼけたような態度の少年に、一体何を懐かしがって──。

 

「お話はそれくらいでよろしいでしょうか鬼舞辻さん」

 

「……何?」

 

「土足で踏み入るなと……言った筈です」

 

 空気が揺れる。思わず一歩後ろに下がってしまう。

 ……私が唯の子供に気圧される? 馬鹿な。あり得ぬ。

 

「まて。私の用事はすぐに終わる。少年、君の名前は何だね?」

 

「名前……? そんなもの有りません。私は黒死牟先生の弟子です」

 

 その少年に名前は無いという。気味の悪さを覚えつつも、会話を続ける。

 

「……まあいい。お前、鬼にならないか?」

 

「鬼、ですか」

 

 それは鬼への勧誘。

 この少年が本当に黒死牟を殺した者かどうかは疑わしいものだが、それも全てこいつを鬼にすればすべて解決するというもの。

 鬼は私に逆らえない。この少年が殺していようと無かろうと、鬼にして情報を洗いざらい喋ってもらう。

 

「ああ。お前の師、黒死牟も鬼だ。そして鬼の中でも頂点に近い強さを持つ鬼でもあった。お前は黒死牟の弟子だという。ならば、死んだ黒死牟の後を継がないか?」

 

「そうなのですね」

 

「ああ、だから──」

 

「残念ですが……それは人の道を外れる行為。私は鬼になりません」

 

「……そうか」

 

 即答。まぁいい。ならば無理やりに鬼にして──。

 

「っ!?」

 

 そう思った直後……あり得ぬものを見た。

 少年の額に痣が生まれていたのだ。

 痣……痣だと? まさか──。

 

「そして……私はこの国一番の侍です。鬼舞辻さん。貴方のように人を無理やり鬼に落とすような鬼畜を……見逃すつもりも有りません」

 

「………………」

 

「先程の方もそうでした。貴方同様こちらの話を聞かず、あまつさえ襲い掛かろうなど……不届き千万」

 

 私の心内を読んだかのように語る少年は、先ほどの掴みどころのない雰囲気のまま立ち上がり構えていた。

 その姿に、私は忌々しき過去を幻視した。

 

『何故奪う。何故命を踏みつけにする。何が楽しい? 何が面白い? 命を何だと思っているんだ』

 

 心の底に凍てついた空気が流れ込むような感覚に襲われる。

 

「なんだ……お前は……」

 

「私は黒死牟先生の弟子で……この国一番の侍です」

 

 直後、全ての細胞が警鐘を鳴らす。逃げろと叫び出す。

 不味い。不味い不味い──! 

 

「空の呼吸 拾ノ型──」

 

「っ!!!」

 

 私は一目散に少年に背を向け走り出す。

 何故。

 何故日の呼吸の使い手が……!? 殺した筈だ。何故また湧いて出る!? 

 

「『晴天天晴なり』」

 

「があああっ!?」

 

 首が刎ねる。傷が焼けるように痛い。

 

「ん?」

 

 しかしその程度では死なぬ。

 首を掴み、傷跡に押し付ける。

 

「首を斬られても死なない……?」

 

「がっ!?」

 

 少年が疑問を溢す間に刀を振るう。

 両足が断たれ、勢いそのままに体を地面に叩きつけられる。

 

 何故。何故こうなる! 私はただ確認しに来ただけだ! 

 

「ぐううっ……!」

 

「何故死なない……? 先程の方は首を斬られたら死んでいたのですが……」

 

「き、貴様──」

 

 血鬼術・黒血枳棘。

 辺り一面に舞った私の血を基に作りだした棘だ。掠っただけでも鬼と化す──! 

 

「空の呼吸 参ノ型 『逢魔陽光・無間』」

 

 しかし、少年が半端に折れた刀を構えたかと思えば、一瞬で血気術を全て斬り払った。

 馬鹿な。何も見えなかった。馬鹿な……馬鹿な馬鹿な──!? 

 

「……嫌な匂いだ。あの棘……良いものでは無いですね。俄然あなたを逃がすわけにはいかなくなりました」

 

 そんな馬鹿な事が有るか。またなのか。また──。

 

「っ、鳴女! 早く、早く私を送れぇぇぇ!!!」

 

 地面に障子が生まれ、それが開く。

 何でもいい。今は無限城に逃げれば──。

 

「おや……」

 

 あの黒死牟の弟子を語る少年はノーモーションでこちらに突っ込んで来た。

 

「来るなあアアア!!!」

 

 身体の体積を瞬時に膨れさせ、障子の枠を無理やりに埋める。

 

「ぐうッ!?」

 

 障子の向こうで当然のように私の体は切り刻まれる。

 

「鳴女ッ! 早く閉じろッ!!」

 

 私の声に応えるように、べべんという琵琶の音が聞こえる。

 そして障子が閉まりきる……その直前。

 

「絶対に追い詰めて首を斬りますので! また近いうちにそちらにお伺いします! 待っててくださいね!!」

 

 今までの捉えどころのない雰囲気から一転、底冷えするほど明るい声が聞こえてきた。

 

 私は完全に理解した。

 黒死牟を殺したのは……あの異常者だという事を。



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第十四話

「!?!?!?」

 

 な、なんだ? ここは……。

 あまりに唐突な視界の変化。四方八方に階段が伸び、しかしその配置に統一性はなく、空間が歪んでいるかのような錯覚に陥る。

 いや……これは実際に空間が歪んでいるのか?

 

 理解が追いつかずに思考は混乱する。

 その混乱を深めるように、べんっという琵琶の音が響く。その琵琶が鳴るごとに視界が飛び、続々と気配が増えていく。そして捻じ曲がるように空間が歪んでいく。

 

 飛んでいく視界の中、琵琶を鳴らす女の鬼の姿をみた。

 あの女の血気術か? あの女を中心に空間が歪んでいる。

 

「……」

 

 べべんっ、という音を最後に、気配が集結する。

 

「あれぇ……? 君達下弦の鬼だよねぇ? いや……猗窩座殿の気配もするなぁ……上弦も集められてるのかなぁ……?」

 

「!?」

 

 背後から声を掛けられる。軽薄そうでいて、何の感情も感じられない気味の悪い声。思わず振り返れば、疑問を抱いたように見せている男が一人。

 その両目には上弦の弐と刻まれていた。

 

 ま、まさかこいつ……上弦の鬼か!?

 急いで辺りに目を向ける。見れば、集められた鬼は()

 

 上弦の弐。

 上弦の参。

 上弦の肆。

 上弦の伍。

 上弦の陸。

 下弦の壱。

 下弦の弐。

 下弦の肆。

 下弦の伍。

 

 そして、下弦の陸である俺。

 

 十二鬼月が全て集められている……。

 こんな事は初めてだ。上弦の壱と下弦の参はまだ来ていない。

 

 べんっ、と。また琵琶の音が鳴る。

 移動した!! またあの女の血気術……!

 

「!?」

 

 そして移動した先には……()()()()がいらっしゃった。

 

 む、無惨様!!? 何故!? 混乱と困惑が同時に頭の思考を支配する。

 だから遅れた。上弦の鬼は既に平伏し這いつくばっている。

 

「首を垂れて這い蹲え。平伏せよ」

 

 しまった……! 無惨様のお手を煩わせてしまった!? 

 上弦に続き、下弦も這い蹲る。

 

「お前たちには失望した……お前たちの使えなさにだ」

 

「……?」

 

「上弦の壱、黒死牟が殺された。下弦の参もだ」

 

「!?!?」

 

 一瞬、無惨様が何を仰られているのか分からなかった。

 そして理解してからも分からなかった。

 殺された? 下弦の参はともかく……上弦の壱が? 十二鬼月の最上位に立つ鬼が?

 その情報は上弦の鬼たちにとっても衝撃だったらしく、上弦の鬼たちからも動揺した気配が伝わって来る。

 

「私が問いたいのはただ一つ。『何故に貴様ら十二鬼月は私の顔に泥を塗るのか』。私が心血と多大なる時間を注ぎ作り上げた十二鬼月。その最上位に立つ黒死牟は殺され……下弦の参に至ってはほんの瞬き一瞬のうちに殺される始末」

 

「……」

 

「貴様らは私の役に立つどころか私の顔に泥を塗りつけた。怒りで腸が煮えくり返りそうだ」

 

 確かに上弦の壱が殺されたのは非常事態だが……そんな事を俺達に言われても……。

  

「そんな事を俺達に言われても。何だ? 言ってみろ」

 

「!?」

 

 思考が……読めるのか?

 まずい……。

 

「何がまずい? 言ってみろ」

 

 

 忌々しい。全く持って忌々しい。

 

「お許しくださいませ!? 鬼舞辻様どうか! どうかお慈悲を!」

 

「黙れ。貴様は私に指図するつもりか?」

 

「っ……」

 

 目の前に座る下弦の陸は惨めに慟哭し、震えながら私に嘆願してくる。

 しかしそれを無視して、睨み付ける力を強める。

 

「っ!?」

 

 それに呼応するように下弦の陸は体を震わせ、そして全身から血を垂れ流し始める。

 

「あっ、がぁっ……ぁっ!?」

 

「……」

 

「……」

 

 こいつは今、全身の臓腑が捻じ曲げらえたかのような痛みを味わっている。

 私が、そうしているのだ。

 

 両隣に居る下弦の鬼たちは下弦の陸の血を浴び、震えている。

 

 全く持って忌々しい。何だこの質の低い鬼たちは。十二鬼月が何という体たらく。

 下弦の鬼でこの状況に動じていないのは下弦の伍の累と下弦の壱の魘夢のみ。

 

 どう言う事だ。半数以上が心に人間らしさを多く抱えている。十二鬼月も落ちたものだ。

 

「……」

 

 十二鬼月。

 私が作り出した強い鬼の軍団。

 十二鬼月は上弦と下弦に別れる。上弦と下弦の鬼はそれぞれ数字を持ち、壱から陸まである。

 一番強いのが上弦の壱で、弱いのが下弦の陸だ。

 

 私は姿が見える距離であれば、血を分けた存在の全ての思考を読み解ける。離れれば離れるほど鮮明に読み取れなくなるが位置は把握している。

 もっとも……位置が離れていようが、意識すれば鬼たちの視界や聴力を使う事が出来るが。

 

 下弦の壱と伍を除く者どもは駄目だ。この程度の折檻で怯えている。しかも自身が受けている訳でもないと言うのに。

 

「……」

 

 しかし上弦の鬼は違う。みな平然と下弦の陸が苦しむ姿を見ている。

 やはり鬼は人としての心を持たぬものが強くなる。

 

「……ぁっ……」

 

 下弦の陸がとうとう気をやって気絶した。

 情けない事この上ない。

 私は軽蔑の視線を無様を晒している下弦の陸に向ける。

 

 そして何より忌々しいのが……このような鬼でも使わなければならない状況だ。

 

「私は変化が嫌いだ。状況の変化。肉体の変化。感情の変化。あらゆる変化の殆どの場合は『劣化』だ。衰えだ。私が好きなものは『不変』。完璧な状態で永遠に変わらない事」

 

「……」

 

「百三年ぶりに上弦を……しかも黒死牟を殺されて私は不快の絶頂だ。これからはもっと死に物狂いになれ。これ以上私の顔に泥を塗るような真似をするな」

 

 私の激昂を受け、黙りこけた鬼どもに向け、黒死牟を殺したあの異常者の情報を伝える。

 

「中性的な見た目に上気した頬。赤みがかった瞳。黒死牟の弟子を騙る、折れた日輪刀を持つ者を見つけたら死ぬまで戦え。戦えばお前たちは確実に死ぬだろうが唯では死ぬな。私に奴の情報を最大限残してから死ね。そして無様に死なず、手傷を負わせろ」

 

 それだけ言うと鳴女に十二鬼月どもを元の場所まで送らせる。

 

 これで多少はあの異常者の情報を仕入れる事が出来る。

 ……可能性は低いが傷を負わせることも出来る可能性もある。期待はしないが。

 

「……」

 

 だが情報を仕入れ、分析すれば奴を殺せる。

 鬼は相手の身体の情報をある程度読み解くことが出来る。アイツの体からして……全盛期はまだまだ先。

 未成熟な今、殺すのだ。

 

 私はほのかに笑みを浮かべる。

 十二鬼月がどれだけ死のうが勝てなかろうが最終的に私が勝てればいい。

 

「……」

 

 もっとも……上弦の鬼は下弦の鬼とは違う。

 鬼殺隊。その最高戦力である『柱』を何人も葬ってきた。

 それはひとえに、奴らの持つ血鬼術の殺傷力の高さにある。例えあの異常者がどれだけ強かろうと……死んでも食らいつこうとする上弦の攻撃を受けて無傷ではいられまい。

 

 私は報告を待ちつつ、自身の体の研究を再開した。

 

 

 

 

 そして五年が経ち……状況が大きく変わった。

 

 下弦の伍・累

 黒死牟の弟子と那田蜘蛛山にて遭遇。奴が夜の十二時に山入りし、丑三つ時を迎えることなく那田蜘蛛山壊滅。

 使用された技……空の呼吸 参ノ型『逢魔陽光・無間』。

 

 下弦の陸・釜鵺(かまぬえ)

 黒死牟の弟子と会敵。戦闘開始から一秒経過後死亡。

 使用された技……技を出すまでもなく殺されたため不明。

 

 下弦の肆・零余子(むかご)

 黒死牟の弟子と会敵。戦闘開始から五秒経過後死亡

 使用された技……背を向けて逃げたため不明。

 

 下弦の弐・轆轤(ろくろ)

 黒死牟の弟子に不意打ち。一合だけ斬り合うも戦闘開始から三秒経過後死亡。

 使用された技……空の呼吸 伍ノ型『碧空炎天』。

 

 下弦の壱・魘夢

 黒死牟の弟子に不意打ち。血気術を食らわせるが瞬時に破られ、戦闘開始から十秒経過後死亡。

 使用された技……空の呼吸 漆ノ型『青天霹靂』。

 

 そして……。

 

 上弦の陸・堕姫(妓夫太郎)

 黒死牟の弟子から襲撃を受ける。堕姫が瞬時に首を跳ねられ、それを庇う様に妓夫太郎が戦う。ここで初めて戦いとなった。しかし十分経過後妓夫太郎が堕姫を庇い、共々に両断され死亡。

 使用された技……空の呼吸 参ノ型『逢魔陽光・無間』。空の呼吸 漆ノ型『青天霹靂』。空の呼吸 壱ノ型『早暁三文斬り』。

 

「……」

 

 五年。奴が現れてから五年。

 たったそれだけの時間で……十二鬼月が半壊した。どころか、またもや上弦の鬼を殺された。

 しかも奴は全くの無傷。あの()()()()ですらかすり傷一つ負わせることが出来なかった。

 

 何故だ。何故たった一人の子供に百数年に及ぶ安寧が崩される。

 何故こうなる。

 

「……があああああッッッ!!!」

 

 手に持っていた書物を叩きつけ、それを踏みつける。

 

「何故だ! あの異常者! 何をした!? 十二鬼月の半数以上を犠牲にして、何故たった一つの呼吸の……それもたった四つの型しか分からぬ!? 何故だ何故だ何故だぁァァァァ!!」

 

 無限城の床を破壊し、柱を破壊する。私の一撃ごとに城が揺れる。

 

『──無惨様』

 

「……なんだ! 猗窩座!」

 

 と、何時になく取り乱した私をいさめるように、『青い彼岸花』を探すべく走らせている上弦の参の鬼──猗窩座から連絡が入ってきた。

 一年中彼岸花が咲き乱れる孤島……彼岸島。

 

 特殊な気候によって青くなった変種が存在するやもしれぬと猗窩座を派遣したが……何か有ったか。

 

『──奴が居ました』

 

「!?」

 

 と。またもやあの異常者だ。

 何故だ。奴はまるで神通力でも使っているかのように強い鬼の位置を割り出してくる。

 

 五年間。私が増やした鬼はそのことごとくが殺された。それも……何故か強く育った鬼ばかりだ。

 奴の登場以降、鬼は減り続け決して増える事は無かった。

 

 何なのだ。奴は何を目印に鬼を探している。

 いまだにそれすら分からない。

 

「……猗窩座。可能な限り時間を稼げ。そちらに……半天狗と玉壺を送る」

 

 上弦の弐の血気術は温暖な気候の彼岸島では万全な状態で使えぬやもしれぬ。

 

 だが。

 上弦の伍・玉壺の呼吸潰しの血気術。

 上弦の肆・半天狗の多くの柱を葬ってきた体質。

 上弦の参・猗窩座の戦闘能力。

 

 上弦の弐などいなくても何ら問題ない。この三鬼が組めば黒死牟すら取れる可能性も有るのだ。

 

「上弦の鬼三体で嬲り殺しだ」

 

『御意に』

 

 そこで猗窩座との会話が途切れる。

 そして鳴女に、半天狗と玉壺の位置を急ぎ捕捉させる。

 

 そうだ。元より単独であの異常者に当たらせていたのが間違いだったのだ。

 最早容赦はしない。

 

 異常者め。今日が貴様の命日だ。

 



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第十五話

 先生と過ごした拠点を離れて……五年がたった。

 

 その間……国中を練り歩き、色々な人に出会った。

 善人に会い……悪人に会った。

 

 色々な経験をした。ものづくりなんてこともしてみた。

 私の人生は……子供を嬲り殺す異常者から先生に救われた所から色づいていった。

 

 だから言えることが有る。

 鬼舞辻さんは私の人生の中でも一番に邪悪で迷惑な人だという事を。

 

 悪い人がいたとしても彼ほど人を顧みない人はいなかった。彼ほど悲劇を生みだした人はいなかった。

 人を食い物としている取り立て屋がいた。いたずらに人に暴力を振るう暴漢がいた。

 だけど。誰だってあれ程すぐに人を殺そうとはしなかった。もし殺そうとしても……取り立て屋の間に入って話し合えば大抵は分かりあえたし、暴れん坊には痛い目を見せれば大人しくなった。

 

 彼は鬼だ。そういう生物だとかそういう事ではない。彼は心の底から鬼なのだ。

 

 そんな彼を。私は放ってはおけない。

 私はこの国で一番の侍。

 私が彼を放っておいて誰が彼を成敗するというのだ。

 

「……」

 

 だからこそ。彼の匂いを追って日本中の鬼を殺して回った。

 中には逃げ出したり、兄妹を庇ったり、命乞いをするような鬼もいた。

 とてもつらい、悲しい匂いのする鬼もいた。

 

 私は泣いた。

 君たちが鬼になってしまった運命に。人を食わねば生きていけぬ体に。

 可哀想でならなかった。一体どんな残酷な運命を辿って鬼に至ったのか。

 せめて次に生まれてくるときは……人として生まれてきてほしいと願って、泣いた。

 

 そして今。私は腹に響くほど濃い鬼舞辻さんの匂いを持つ鬼の元に来ている。

 

 一年中彼岸花が咲き乱れる孤島。彼岸島。

 この島には吸血鬼なる鬼が居るとのうわさを聞いて来た。

 しかし実際に居たのは鬼舞辻さんの所の鬼だった。

 

 十二鬼月。

 

 そう呼ばれる、鬼舞辻さんの鬼の中でも強い鬼の人たちが居る。

 黒死牟先生もその中の一人だったという。

 先生は上弦の壱。今、私が対面している方は……上弦の参。

 先生に近しい強さを持つ鬼。

 

「貴様が……黒死牟の弟子を騙る者か」

 

 その上弦の参さんが何やら失礼なことを言いだしてきた。

 

「騙ってないです。私はまさしく黒死牟先生の弟子です」

 

「戯けた事を言うな。あの黒死牟が貴様のような弱者を弟子にとるとは思えない」

 

 そして取り付く島もない。

 言い返してやろうと思い、口を開きかけた。

 しかし。

 

「……」

 

 私はあることに気付いて、黙った。彼は……今までに会った事のない感覚の鬼だ。

 

「貴様にはあのお方から討伐命令が出されている。だが俺はお前のような弱者とは戦いたくない。お前に素晴らしい提案をしよう」

 

「……」

 

「お前も鬼にならないか?」

 

 彼は私に延命を示唆してきた。

 鬼の方に悪意なくそんな事を言われたのは初めてだ。

 

 鬼の方々はまず殺そうとするというのに。この人は私を殺そうとしない……? 

 初めての反応に戸惑いつつ、私は言葉を発する。

 

「……残念ながら私は侍。鬼にはなれません」

 

「……そうか」

 

 しゅんとして見せるが、彼はすぐに構える。

 

「ならば……再起不能にするッ!」

 

 私も彼に倣うように日輪刀を構え……戦いが始まった。

 

 ◇

 

 戦いは一方的なものとなった。

 

「どうした! 上弦をも殺したのだろう!? もっと輝いて見せろ!!」

 

「っ……」

 

 弟子の防戦一方。猗窩座の怒涛の攻撃をいなすので、弟子は手一杯となっていた。

 

「先ほどの言葉を訂正しよう! お前は強い! やはり鬼となれ! そして俺と永遠に戦い続けよう!」

 

「ならない! むん!」

 

 弟子は呼吸を変える。痣が揺れ動く。そして猗窩座の拳に対して真正面から……技を行う。

 

空の呼吸 弐ノ型『蒼穹無欠』

 

 圧倒的速度の振り下ろし。折れた刀に猗窩座の拳が縦に切り裂かれる。

 

「!?」

 

 猗窩座は瞬時に後ろに飛び、弟子から距離を取る。

 

「……」

 

 見えなかった。恐るべき技の冴えだ。先ほどの攻撃を、本当にこの子供が……? 

 猗窩座の脳裏に思考が走る。徐々に猗窩座の中で黒死牟を殺したという与太話の信憑性が増していった。

 

 先ほどまでの弱い姿はまさか擬態か? いや……今にも死にそうな弱き者だった。ソレは間違いない。

 猗窩座は思考する。

 

 下弦の月が討たれた時の情報と上弦の陸が討たれた情報は共有されている。

 下弦とあの子供の邂逅はまるで戦いになっていなかった。殆どが一太刀で殺された。

 しかし上弦の陸との戦い。上弦との戦いでは十分も時間をかけている。

 

 何故か。その疑問に、戦闘技術においては上弦の壱に迫る猗窩座は一つの答えを出した。

 やはりこいつは……。

 

「スゥゥゥ……」

 

「っ!」

 

 呼吸が変わる。速度が──変わる! 

 

 猗窩座は理外の焦燥と共に血鬼術を発動した。

 

術式展開 『破壊殺・羅針』 

 

「空の呼吸 肆ノ型『夜天・宵の口』」

 

「ッ──!?」

 

 初めて使う技! なんという恐るべき速度! 

 見えなかった! 認識できなかった!! 首元に刃が突き刺さるまで!! 

 

「空の呼吸──」

 

「破壊殺・脚式──」

 

 密着した状態で互いに構える。

 

「『飛遊星千輪』!」

 

 猗窩座は首を斬られるよりも速く、技を打ち出し弟子を吹き飛ばす。

 しかしそれを悠々と受けたかと思うと、弟子は流れるように型を使ってきた。

 

「壱ノ型『早暁三文斬り』」

 

 猗窩座は反射的に腕を刀と首の間に入れる。

 腕が飛び、首筋に薄く血の筋が生まれる。

 

 またもや新しい技! これも速い……! 

 

「貴様……名を教えてくれ! お前は何という!」

 

「名前なんてない! 私は黒死牟先生の弟子だ!」

 

 問答を続けつつ技を出し続ける。

 その間も弟子の速度と攻撃力は上がっていく。

 猗窩座は確信した。

 

 やはりこいつ……出足が遅いが尻上がりに調子を上げてくる! 

 

 死にかけの子供のような闘気はなりをひそめ……今、黒死牟の弟子を騙る子供の闘気は鬼殺隊の『柱』に匹敵する! 

 よく練り上げられている……至高の領域に近い……いや、これは──。

 

 尻上がりに闘気が上がり続ける弟子に拳を合わせていく。

 しかし猗窩座は上がり続けるその速度に、次第に追いついていけなくなる。

 

「私こそ! 名前! 教えておくれ君の名を! 君の名前……君の名は!?」

 

「!!?」

 

空の呼吸 捌ノ型『天岩流星』

 

 弟子は叫び、飛び上がる。そして弟子の全体重と腕力を掛けた強烈な斬りかかり。

 猗窩座はその技に対抗し、技を放とうとして──気付く。

 

 まずい。これは──! 

 

 猗窩座は瞬時に技を変える。

 

 破壊殺・空式

 

 猗窩座は空を打ち、その衝撃を弟子へと放つ。

 

 あの技は不味い! 撃ち落とす……! 

 空気が爆発する。まともに食らえば一撃で胴が飛ぶ威力。

 しかし。

 

「むん!」

 

「!?」

 

 猗窩座は信じられぬものを見た。

 弟子が猗窩座の空式が当たる直前に何やら掛け声を出したかと思うと、特に防御態勢をとるでもなくそのまま直撃した。

 

 だが、服が多少はだけただけで弟子は全くの無傷だった。

 

 今の技を食らって全くの無傷だと!? 

 信じがたい……! 食らう直前に全身の筋肉を硬直させた? しかしそれで耐えられる代物ではない! 解せぬ……! 

 

 猗窩座の思考は一瞬止まってしまった。それに伴って体も。

 故に。

 

「ガアアアアッ!!」

 

「ゴッ!!!?」

 

 星が大地に降り注いだかのような衝撃が猗窩座の体を吹き飛ばし、猗窩座を上下に分けた。

 

 斬られた! 首は無事だが胴を割られた! 

 速く……回復を! 

 

 猗窩座は必死に全身の体の修復を始める。しかし間に合わない。既に弟子は次の構えに──。

 

「……?」

 

 移らなかった。ただ茫然と、そこに突っ立っていた。

 

 なんだこいつは。馬鹿にしているのか? 

 だがお陰で胴体は治った。これで──。

 

「教えて。君の名前」

 

「……なに?」

 

「もう喋れるよね? 教えておくれ。私、君に興味が湧いたのです」

 

「……」

 

 そう弟子に問いかけられた直後。猗窩座を襲ったのは気味の悪さだった。

 

 気色が悪い。なんだこの……雨のようにじとじとまとわりつく喋り方は。

 そして何より気味が悪いのは……上弦の弐のように一切考えを読み取れぬ掴みどころのない表情だった。

 ころころと表情を変える。しかし感情を一切感じ取れない。気味悪い気色が悪い。

 

 猗窩座は知らず知らずのうちに後ずさっていた。

 

「お前は何を──」

 

「初めてだよ。鬼に手加減されたのは。さっきのだって君が手加減してなければあんな危険な真似しなかったよ」

 

 そしてぎくりとした。恐らくは先程の空式の事だろう。

 

「……ッ」

 

 自身ですら気付いていなかった枷を一方的に見破られる感覚。度し難い不快感に猗窩座は顔を歪める。

 対照的に、弟子は上気した頬を更に赤めながら笑みを浮かべた。

 

「それにちゃんと相手の了承を得てから鬼にしようとするところも良い……」

 

「……」

 

「私……気になるなぁ……君の事が」

 

「……」

 

 おぞましい。猗窩座の心はその言葉で満たされた。

 

「──空の呼吸……」

 

「っ、ちぃ……!」

 

 引いては死ぬ! 奴を勢いづかせては駄目だ! 

 

 破壊殺・砕式『万葉閃柳』

 

 猗窩座は全力で飛び掛かり、拳を弟子へと振り下ろす。

 砕式。その名の通り受けたものは砕け散る。破壊殺の中でもトップクラスの威力を誇る技。

 しかし。

 

「ねねっ! 君のその全身の入れ墨! おしゃれなのかな!? おしゃべりしようよ!!」

 

「!?」

 

 弟子はその場から飛び去るでもなく。最低限の動きで砕式をよけ、土砂を浴びつつ猗窩座に近づいてくる。

 

 破壊殺・乱式

 

 視界一杯に拳を撃ちつける。

 猗窩座は破壊殺・羅針によって弟子の場所を常に探知してきた。

 位置。タイミング。全てが合致し確実にとらえた。

 

「──空の呼吸 参ノ型『逢魔陽光・無間』」

 

「っ!」

 

 しかし依然として奴は健在だった。

 何故だ。捉えたはず──!!? 

 

 遅れてやってきた痛みに気付き、手に目を向けた。

 

「っ!?」

 

 両の手がぐちゃぐちゃに切り裂かれている!? 

 まさか……攻撃を撃ち落とすだけでなく反撃まで加えていたというのか……!? 

 

「空の呼吸 玖ノ型──」

 

「っ!」

 

 不味い! 奴が使おうとしている技はまだ見たことがない! 

 ここまで調子を上げた奴の技をまともに食らうのは──。

 だが、ここで引くも悪手! ここは意地でも受け止める! 

 

「破壊殺・滅式!!」

 

「『颱風一過』」

 

 直後。弟子の技と猗窩座の破壊殺・滅式の真正面からの衝突が起こる。

 しかし。

 

「ガアアッ!!?」

 

 まるで台風の直撃を食らったかのような衝撃。猗窩座の滅式は真正面から押し負け、吹き飛ばされる。

 

「ちぃっ──!」

 

 押し負ける。しかし奴が何をしたのかは分かった。

 回転しながらの斬撃。それを伴った突進。行っていることは単純。しかし恐るべき威力! 奴が通った後の地面が抉れている! 

 

 両手を癒しながら地面に着地し、破壊殺・羅針で弟子の闘気を探る。

 

「──なっ!?」

 

 空のような青い色から赤く染まった日輪刀を構えている弟子が、そこに居た。

 

 その額に浮かんだ痣。

 それに……猗窩座は奇妙な既視感を覚えた。

 

 この……痣。この記憶は……無残様の──! 

 

 弟子の放つ闘気は絶頂を迎えていた。猗窩座が出会った誰よりも強く、猛々しい闘気だった。

 

「君! 聞きたいことが有るんだ!」

 

 闘気の上昇に合わせて弟子は酒に酔っ払ったかのように高揚していく。

 

 出会って当初は淑女の様に品よく大人しくしていたというのに……今ではその影も見て取れない。

 こちらが本性か? ……いや。どちらが本性という訳ではないのだろう。

 どちらもコイツの本性だ。

 

 猗窩座は思考する。

 

 こいつを一言で表すのならば……まさしく空だ。

 熱しづらく冷めづらい。どちらに転ぼうと人間には手に余る存在。

 

 今、こいつの闘気は絶頂を迎えている。

 可能な限り冷静に一手一手奴の手を詰めて──! 

 

「術式の紋様! 何が元なのかな!? 雪印かな? 凄く儚くて綺麗だね! 今にも消えそうだ!」

 

「……」

 

「一つ聞きたいんだけど! 君の技って多分、何かを守るための技だったと思うんだよ! もう君には守るものはなくなっちゃったかもしれないけど……その拳で人を殺めちゃ駄目だと思う!」

 

「……」

 

「君が守るべき拳で人を殺めてしまった過去は変える事は出来ない! でも今からは変えられるんだ! 全うに生きよう! 私は侍! 侍とは弱きを助ける剣士! それでいて私は親切だから言うね! 上弦の参さん! 貴方も剣士になろう!」

 

 弟子は猗窩座の事がとても好きになっていた。

 そして弟子は好きな相手には一直線に進む人だった。

 

「……」

 

「あれ……? どうしちゃったのかな!? 大丈夫? 風邪でも引いちゃった??」

 

 しかし悪手であった。弟子には一切の悪意はなかった。だが語った内容が悪かった。

 

 弟子が今しがた語ったことは、悉くが猗窩座の神経を逆なでするようなもので……それでいて、気分が高揚している弟子は猗窩座が嫌いな上弦の弐・童磨にとてもよく似ていた。

 

「お前……お前はもう……黙れ」

 

 猗窩座は理解した。

 自分が、弟子を生理的に受け付けないということを。

 

「え?」

 

「──お前に最後の機会をやろう。鬼になれ」

 

「やだ! 侍になろう上弦の参さん!」

 

「──鬼にならないのなら……」

 

 猗窩座は構える。交渉は決裂したのだ。

 

「潰す!」

 

 戦いが再開した──。

 



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第十六話

 黒死牟の弟子。

 奴の顔を見ていると腹の底から湧いてくるものがある。

 出会って当初は何も思う事はなかった。

 しかし。

 

「っ──!」

 

 奴の攻撃が首を掠るたび、剣戟の冴えが更に研ぎ澄まされるたび、頭に霞がかかる。

 

 こいつは──まだ強くなる。ひどい思い違いだった。奴の全盛はまだ──。

 

「はああああっ!」

 

「っ──ガアアアアッ!!」

 

 俺の拳と奴の刀が直撃し──俺の拳はあっけなく切り裂かれる。

 どういう理屈だ? 

 何故そんな半端な長さの刀で俺を……上弦の参を圧倒できる? 

 

「シッ──」

 

 戦闘が始まり……時が経つにつれ不自然なほどに黒死牟の弟子の闘気が静まっていく。

 ……だというのに何故! 技が、力が、気迫が! 一切衰えることがない! 

 

 一体どういう理屈で動いているのだこいつは! 

 

「空の呼吸──」

 

「……ッ!?」

 

 そこで気付いた。

 奴の痣の形がまた変化している事に。

 額上部に広がる炎のような痣。そして……その炎へと手を伸ばすように燃え上がる首筋から伸びる痣。

 

 その痣は黒死牟と瓜二つであった。

 

「拾壱ノ型──」

 

 その弟子の構えは──どこか黒死牟を彷彿とさせ。

 直後襲い掛かるのは濃厚な死の予感。

 

 死ぬ。

 

 死──。

 

「──オオオッッ!」

 

破壊殺・終式『青銀乱残光』

 

 その死の予感を遮るように、自身が持ちうる最大の技を放つ。

 青銀乱残光。全方位に打撃を放つ威力攻撃範囲共に最強の技。その打撃を──黒死牟の弟子がいる真正面のみに集中させる! 

 

「アアアアッッ!!」

 

 まだだ! まだ俺は──。

 

「──『天照す月の船』」

 

 すぐ後ろで黒死牟の弟子の声が聞こえた。

 

「な──」

 

 ぐらりと視界が揺らぐ。

 それが何を意味するのかに気付いた俺は、すぐに頭を支え傷跡に押し付ける。

 

 まだだ! まだ戦え──。

 

「ぁ……」

 

 俺は振り返り、黒死牟の弟子に対面する。

 そいつは……とても悲しそうな顔をしていた。

 

 俺は……何故か黒死牟の弟子のその表情に、酷く心を揺さぶられた。

 手から力が抜け、支えていた頭が落ちる。

 

 身体の崩壊が始まる。

 何故だ。

 俺と黒死牟の弟子は初対面だ。情報としてしか知らなかった。

 なのになぜ。

 

「……」

 

 俺は。

 

 俺はお前のその顔を……見た事が有る。

 

 ◇

 

 ──猗窩座。

 ──何をしている猗窩座。

 

 無くした筈の頭の内に声が響く。

 あの御方の声だ。

 

──猗窩座。

──もうすぐそちらに玉壺と半天狗が着く。

──お前はよくやった猗窩座。

──お陰で……奴の攻略法の()()()()を得る事が出来た。

 

 思考が定まらない。

 俺は今まで何をしていた? 

 ……猗窩座……? 違う。それは俺の名前ではない。

 

──……猗窩座? 

 

 俺は……俺は。

 

──猗窩座! 

 

 思わずハッとする。あの御方の……鬼舞辻無惨様の叱責の声が脳裏に響く。

 そうだ。俺は猗窩座だ。それ以外の何物でもない。

 脳裏の霞が取れていくような気がする。そうだ、奴だ。黒死牟の弟子を──。

 

 直後、思い返されるのは、黒死牟の弟子の顔。

 

 その顔……その表情……それに、どうしようもなく心が搔き乱される。

 猗窩座。違う。俺は猗窩座ではない。

 

──違う違う違う! お前は──! 

 

 俺は……そうだ、俺は……。

 

 俺は()()だ。

 

 ◇

 

 餓鬼の頃。俺は何時も奉行所のお世話になっていた。

 人のものを盗んだからだ。

 

 ()()()も、俺はモノを盗んだ。

 

 奉行所の人間は言って来る。なぜ人のモノを盗むのか。

 簡単だ。薬が高いからだ。

 

 俺の親父は厄介な病気にかかっていた。日毎に親父は痩せていき弱っていった。

 親父には栄養のある物を食べて欲しかった。俺がどうにかする。俺が守る。

 俺が──助ける。

 

 そうして人のモノを盗み、奉行所から帰った帰り。

 親父は首を吊って死んでいた。

 

『狛治へ。真っ当に生きろ。まだやり直せる。俺は人様から金品を奪ってまで生きながらえたくはない。迷惑をかけて申し訳なかった』

 

 残された遺書には、そんな事が書かれていた。

 何でだよ親父。何で首なんか吊ったんだよ。

 親父よりも死んでいい奴はいっぱい居たのに。

 俺は親父のためなら死んでも良かったのに。

 どんな罰だって耐えられたのに。

 

 なんで親父が死ななきゃならない。何で親父が死んで──こんなクズ共がのうのうと生きているんだよ。

 俺は盗みを繰り返した罰によって江戸を追い出された。そこで喧嘩を吹っ掛けられて、襲い掛かって来る大人共を返り討ちにしてやった。

 そうすると別に死んでも無いと言うのに、敵討ちが何だと言いだして関係ない奴までも俺に殴りかかって来る。

 

 何でこいつらは生きてるんだ? 何で親父は死んだ? 

 こんな現実……クソくらえだ。

 

『お前筋がいいなぁ。大人相手に武器を取らずに倒すなんてよ。気分のいい奴だなぁ……』

 

 だが。襲い掛かってきた大人共の中で……一人おかしな奴が居た。

 最期の一人を倒した後。そんな事を言いながらにこにこと朗らかな笑顔を浮かべながらそんな事を言ってきた奴が居た。

 

 ◇

 

 何だ……この記憶は。

 

「ヒョッ!? 猗窩座殿が死んでおられる!」

 

「ヒィィィィ……お、恐ろしい……恐ろしい!」

 

 頭がぼうっとする。頭が働かない。

 自身のすぐそばで、何かが喚きたてるような声が聞こえる。

 

「君たちは……上弦の……肆と伍……」

 

「おっと! ヒョッヒョッヒョッ! これは失礼いたしましたお嬢さん……! 私上弦の伍、玉壺と申します……」

 

「ヒィィィィ!!」

 

 うるさい。

 何も考えられない。ただでさえ働かない頭が余計に霞がかって動かなくなる。

 信じられない不快感だ。

 

「まずはお近づきの印として……私の作品をお見せしましょう!」

 

 不快感を伴う微睡が続く。

 そんな微睡を吹き飛ばす勢いの声が頭に響いてくる。

 

──猗窩座! 

──猗窩座! 

──お前は強くなるんじゃなかったのか? お前はそこで終わりなのか? 

──猗窩座! 

 

「……」

 

「どうです! ここに住んでいらっしゃった住民で作り上げた傑作! 名を『肝傘亡者』……!」

 

「ヒィィィィ!」

 

──猗窩座! 

 

「……」

 

「ここの島民は大抵、そろって傘を付けておりました! なので……敢えて! 敢えてこの傘を残す事でこの島独自の雰囲気を保つとともに! 頭を大量につなぎ、肝を飾り付け……一つの塊とする事で『地獄の亡者』を表現しました!」

 

「ああぁ……おぞましいおぞましいィィィィ」

 

──人間に勝つ。それは鬼として当然の事。

──お前はその当然のことも出来ないのか? お前はその程度なのか? 

──十二鬼月の名も落ちたものだ。

 

「……」

 

「どうですか!? 貴方を殺すよりも前に、是非ご感想をお聞かせ願いたい!」

 

「……色々と……言いたい事は有るが……その前に一つ……」

 

「ん? 何ですかな?」

 

──お前の首を斬った異常者はまだ健在だ! 

──猗窩座! 

──立ち上がれ! 

 

「君が……芸術というその『肝傘亡者』も……いたずらに死体を弄んでいるに過ぎない……芸術性の……欠片も……感じられない……ただの鬼畜の所業」

 

「……はぁ。残念だ。猿には芸術というものが分からな──」

 

「人が……お前の作品に……感動するとでも? それを見せられて……抱く感情は……嫌悪感だけだ……」

 

「脳まで筋肉で出来ているような猿に理解は──」

 

「もしかしてその壺も……お前が作ったのか? 歪んで見える……それとも安物を使っているのか……? 五銭くらいで投げ売りされてそうだ……」

 

──猗窩座! 

 

「それは貴様の目が腐ってるからだろうがァァァァ!!! さっきから黙って聞いてればァァァァ!!! それにぃぃ!! 私の壺は最低でも十円で売れる!!!!」

 

「私は以前……初めて壺を作った時……千円で売ってくれと……言われたよ……」

 

「!!!???」

 

「お前は何年……壺を作った? その結果が……それか? 人の良心や感性から外れた者が……芸術を理解できるわけも……ない……お前もそうは思わないか?」

 

「っ!? ぎ、ぎぃぃぃぃぃっぃ!! 貴様ぁぁァ!!」

 

「ヒィィィィッ!! 玉壺がぁぁぁ!! 図星を突かれているゥゥ……恐ろしい恐ろしい……」

 

──猗窩座!! 

──早く立ち上がり玉壺と半天狗達に加勢しろ! 

──猗窩座ァァァ! 

 

「……」

 

 頼む……静かに……。

 

 ◇

 

 俺に変な事を語り始めた男に、俺は襲い掛かった。

 どうせこいつも俺を殺そうとする。

 それよりも前に──。

 

『うむ! まずは生まれ変われ! 少年!』

 

 男の拳は俺に届き、一瞬で叩きのめされた。

 

『いや──頑丈な奴だ! あれだけ殴ったのに半刻もせずに目を覚ますとは!』

 

『俺は慶蔵。素流という素手で戦う武術の道場をやってるんだがな。門下生が一人も居なくてな。便利屋のような事をして日銭を稼いでるんだ』

 

『お前にまずやってもらいたいのは病身の娘の看病だ。俺は仕事が有るので任せたい』

 

『先日妻が看病疲れで入水自殺してしまってなぁ。大変なんだなぁこれが』

 

 大変な事をまるでなんて事でも無いように男は……慶蔵は言ってのけた。

 

『罪人の俺を娘と引き合わせて良いのか?』

 

 思わず、疑問に思った事を問いてみた。

 すると。

 

『罪人のお前はさっきボコボコにして退治した!』

 

 慶蔵は弾けるような笑顔でそんな事を宣った。

 

 そしてその部屋に辿り着く。

 

『おーい! 入るぞ■■!』

 

 慶蔵の声に何か違和感を覚える。

 誰かの名前が……聞こえなかった。

 

『こいつが娘の■■だ! 仲良くしてやってくれ!』

 

 扉が開き、慶蔵の娘と初めて対面する。

 ぼおっと赤く火照った頬。ほんのりと赤みがかった瞳。今にも消えてしまいそうな……そんな雰囲気をしている少女。

 

 心臓が脈打つ。

 

 俺は……そう俺は、この人を……■■を守るために──。

 

──違うだろう猗窩座。お前は何よりも強くなるんじゃなかったのか? 

 

 ◇

 

 世界が晴れる。

 思考は良好。

 身体の機能は完全に回復した。

 

「ヒョッヒョッ……私のこの完璧な真の姿を見せたのは貴様で三人目だ……」

 

「意外と……居るな……」

 

「黙れ! 口の減らないあばずれが!! 半天狗! 同時に仕掛けるぞ!!」

 

「黙れ玉壺。言うまでもなく仕掛ける。儂に命令するな」

 

 気を失っていたのはわずか数十秒にも満たない筈だ。

 だというのに。

 

 ここら一帯に有った木が全てなぎ倒され。地形はその姿を大きく変え。

 

 半天狗と玉壺の血の匂いが辺りに充満している。

 

 上弦二人がかりで……押されているというのか? 

 

血鬼術・陣殺魚鱗

血鬼術・無間業樹

 

 年若い子供のような姿になっている半天狗が龍を模した大樹を大量に展開。そしてその上を縦横無尽に駆けながら黒死牟の弟子へと迫る玉壺。

 しかし。

 

「ほォォ……」

 

 独特な呼吸音と共に、黒死牟の弟子が跳ねる。

 そして──。

 

「ッ!? き、斬られ」

 

 まず。玉壺がやられた。軌道を読み取りづらい動きに完璧に合わせられ──型を使うまでもなくあっさりと首を落とされた。

 

 黒死牟の弟子は返す刀でそのまま半天狗へと刃を向ける。

 

「っ、きさ──」

 

「お前じゃない。隠れてないで……出てこい」

 

 そして年若く変化した半天狗に対し、弟子は腰だめに刀を構え──。

 

「空の呼吸 参ノ型・改『逢魔陽光・阿鼻』」

 

「──」

 

 瞬間。幾つもの剣線が輝いたかと思うと……半天狗の体が崩壊していった。

 死んだ。半天狗も殺された。

 

「……猗窩座……」

 

 そして奴は……こちらを見つめていた。

 その雰囲気は、どこか黒死牟を彷彿とさせるものだった。

 奴のその表情に、心が、思考が乱される。

 

 みな殺された。奴の戦闘能力が絶頂に至った。

 

 ……いや違う……今ですら底は見えない。

 

 こいつは……神の使いか何かか? 俺達に罰を与えるための……。

 そんな妄想が脳裏を走るほどの規格外の強さだった。

 

「っ!!」

 

 歯が砕けんばかりに食いしばる。

 

 神の使いだと? この世に神などいない。俺は生まれてこのかた神など見たことがない。

 それが何故。何故今になって現れる!? 

 

 有り得ない。ふざけるな。

 

 何故今現れるんだ? 

 

 何故親父の時には現れなかった? 

 

 何故……慶蔵さんと……()()の時には──。

 二人が()()()()()時には現れなかった! 

 

「……」

 

 許せない。

 お前が神の使いだと言うのなら。

 俺はお前を──。

 

『狛治さん』

 

「黒死牟の弟子……! 俺は! お前を……!」

 

『狛治さんもうやめて!』

 

「っ!?」

 

 腕を引かれる。

 思いもしない感覚に目を向ける。

 

 するとそこには……()()が居た。

 

『狛治さん。もうやめにしましょう……一緒に向こうに行きましょう』

 

 何故。何故恋雪がここに──。

 

「猗窩座。君の名前は──猗窩座というんだね」

 

「っ!?」

 

 黒死牟の弟子!? 

 まずい……。気を取られていた! 

 恋雪に掴まれているのとは反対の手が、反射的に黒死牟の弟子の顔面へと──。

 

「……」

 

 直撃する寸前。俺は攻撃をやめていた。

 身体が──崩壊を始めていたのだ。

 

 ◇

 

 恋雪の看病は全く苦ではなかった。だというのに何故か、恋雪は何時も何時も謝って、申し訳なさそうにする。

 いつも不思議だった。何故病人は謝るのか。一番つらいのは……苦しいのは自分達だというのに。

 

 そして恋雪の体調は……何年か経つ頃には回復していった。

 

 そんな折。

 慶蔵さんから、こんな打診を受けた。

 

『お前、恋雪と結婚してこの道場を継いでくれないか?』

 

 俺はとても衝撃を受けた。

 道場を継ぐ。誰かと結婚する。

 罪人の俺には到底考えられなかった未来だった。

 慶蔵さんと恋雪は罪人の俺を受けれいてくれるどころか……俺を家族として受けれいてくれた。

 

 だけど。俺はそれに答えていいか分からなかった。

 俺は罪人だ。周りに一体何と言われるか──。

 

『私と、夫婦になってくれませんか』

 

『……』

 

『私はあなたがいいんです』

 

 花火大会の帰り道。恋雪はそう言った。

 恥ずかしそうに。だけど彼女は真っ直ぐ俺を見ていた。

 

 ああ……そうか。

 この人たちは、俺が悩んでいたことなんてまったく気にしていなかった。

 だから俺は……誓った。

 

『はい。俺は誰よりも強くなって、一生あなたを守ります』

 

 そうだ。

 守ると誓った。

 

 誓ったのに。

 

『誰かが井戸に毒を入れた! 慶蔵さんやお前とは直接やっても勝てないからって、あいつ等ひどい真似を!』

 

 親父の墓に、婚約の報告をした帰りだった。

 

『惨たらしい……あんまりだ!! 恋雪ちゃんまで殺された!!』

 

 素流の道場の隣には剣術道場があった。

 奴らは素流の道場をいつも羨ましがって、何時も嫌がらせをしてきた。

 

 

 また。

 

 まただ。

 俺は大事な人が危機に見舞われている時、何時も傍にいない。

 

 結局。口先ばかりで何一つ成し遂げられなかった。

 

 誓いを守れず。

 守るはずの拳で人を殺し。

 何年も無駄な殺戮を繰り返す。

 

 神に対しての怒り? 

 

 違う。

 こらえも効かず何もできない。

 怒りと虚無に身を任して人を殺め続ける弱者。

 

 俺は何よりも──自分が許せなかった。

 

「……」

 

 身体が崩れる。

 

 黒死牟の弟子は……まるで分かっていたかのように俺の拳をよけなかった。

 こいつは……。

 

「……」

 

 こいつの顔は……本当に恋雪に似ている。

 

 似ているだけの他人というのは分かっている。

 

 だが……。

 

「……」

 

 俺には……こいつを傷つけることなど出来なかった。

 

「……最後まで……貴方からは全く殺意を感じなかった」

 

「……」

 

()()が……私を守ってくれたんですね」

 

 黒死牟の弟子は、俺の拳を優しく包み込む。

 そして……。

 

「どうか安らかに……猗窩座さん」

 

 鬼は……静かに崩れ去った。

 



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第十七話

 無限城。

 鬼舞辻無惨の根城。

 

 そこで、鬼舞辻無惨は一人、震えていた。

 

「……よくやったぞ。猗窩座、半天狗、玉壺」

 

 その震えは徐々に増していき、次第に笑い声を含むようになっていった。

 

「くくくっ、はははははっ!! 見つけた! とうとう見つけたぞ奴の弱点!」

 

 全身の血管を脈動させ、一人舞い上がる。

 

「あの忌々しい日の呼吸の使い手! 奴とあの異常者は! 似ているようで全く違う! 確かに異常者の方が実力は上だが……その分弱点はあの異常者の方が多い!」

 

 鬼舞辻無惨は全身を震わせ、今までにない程の歓喜の表情を浮かべていた。

 

「所詮『十二鬼月』など、私がいれば幾らでも再建できる。ならば多少の犠牲を払ってでも、あの異常者を完全に葬り去る!」

 

 鳴女! と無惨は虚空に向かって叫ぶ。

 

「今存在している鬼を全て集めろ。そして……上弦の弐、童磨も召集しろ!」

 

 無惨の声に応えるよう、べんっ、という琵琶の音が鳴り響き、鬼が集められ始める。

 

「待っていろ異常者め……。私の顔に泥を塗ったことを後悔させてやる」

 

 鬼舞辻無惨。

 彼が生まれたのは平安時代の頃。

 彼は生まれつき体が弱く、二十歳になる前に死ぬと言われていた。

 そんな彼を少しでも生きながらえるように、善良な医者は鬼舞辻に様々な薬を投与した。

 無惨を思ってのことである。

 

 しかし改善されない病状に腹を立てた無惨は医者を殺害。

 けれども医者の薬が効いていたことに気付いたのは医者を殺して間もなくのことだった。

 一見、無惨は強靭な肉体を手に入れたかに思えた。しかし問題があった。

 

 日の光の下を歩けず、栄養となるのは人の肉だけであった。

 人の血肉を欲するのは無惨にとっては何の苦にもならなかったが、昼間の行動が制限されるのは無惨にとって屈辱であり怒りが募っていった。

 

 彼は強かった。少なくとも今まで自分を追い詰めてきた者は一人もいなかった。

 縁壱という例外を除いて。

 

 縁壱。神に愛された男。

 無惨は縁壱によって消えぬトラウマを植え付けられ、また多大な屈辱を味合わせられた。

 それは無惨にとって耐えがたき苦痛であった。

 二度と、斯様な事があってはならない。もし次の機会があるのであれば、必ずこの無念を晴らすのだと。

 

 無惨は心に決めたのだ。

 

 そして強い鬼を集め、十二鬼月を作り出した。もしまた縁壱のような例外が現れても良いようにと。

 この制度はあまり上手く機能しなかったが……今、当初の目的である例外への対処は最低限こなせている。

 無論無惨に苛立ちはあったが……弟子の弱点を見つけることができ、気分が良かった彼はそれを許した。

 

「鳴女! 状況はどうだ!」

 

「はい。既に鬼が約千体と、十二鬼月の童磨様がいらっしゃいました」

 

「そうか……では、その千体の鬼を私の元に呼べ。少々細工を施す」

 

「承りました」

 

 べべんっという琵琶の音が鳴る。

 無惨は何時になく猛っていた。

 

(待っていろ異常者……貴様は既に上弦の鬼との戦闘を経て、多少なりとも体力が削れている。つまり今が攻め時だ! 貴様は今日、ここで殺す!)

 

 唐突に集められた鬼達。

 そして目の前にいる興奮気味の無惨。

 いきなりの事に鬼たちは困惑していた。

 

「お前たち……お前たちは運がいい。今日の私は非常に気分がいいのでな……」

 

 そう言いつつ、無惨は大量の鬼たちに手を向けた。

 

「血をくれてやる。大量にな。お前たちは──この血の量に耐えられるかな?」

 

 ◇

 

 猗窩座さん……。

 

「結局……友達にはなれなかった」

 

 消えていった上弦の鬼。

 猗窩座。

 彼は不思議な人だった。戦っている時も、戦う前も。一度だって私に殺意を向けることが無かったのだから。

 本気の彼との戦いだったら、私も手傷を負っていたかもしれない。

 

「……よし! とりあえず、上弦の鬼の方々は多分これで殆ど倒した! 後は上弦の弐さんだけだな!」

 

 死んだ人は帰らない。

 死んでしまった人の意思を持っていけるのは生きている人だけなのだ。

 鬼舞辻無惨さん。

 まさかこれほど長い付き合いになるとは思わなかったけど……もう結構な所まで追い詰めた筈。

 

「頑張るぞ──!?」

 

 直後、足元に嫌な感触を覚えた。

 嫌な感触。そうとしか言いようのない感覚は敵の異常な攻撃を察知してくれたり、何時も私の事を助けてくれた。

 私は一も二もなくその場を離れ──日輪刀を構える。

 

 現れたのは障子だった。

 これは──。

 

「あ! 鬼舞辻さんと初めて会った時の!」

 

 じゃあこれって、鬼舞辻さんの所に繋がってるってことかな? 

 嫌なにおいがプンプンするけど、これはまたとない機会だ。

 

「突撃──!!」

 

 私は呼吸法を行い、急いで障子の中に突っ込む。もう時間がないのだ。

 急いで鬼舞辻さんを倒さないと。

 

 そして障子の中に突っ込み……直後私を襲ったのは濃厚な鬼舞辻さんの匂いだった。

 くさい! 申し訳ないけど凄い刺激臭!? 

 

 中は次元が捻じ曲がったかのような印象を受ける、城のような場所だった。以前もこんな感じの血鬼術を使う人と戦ったことが有る。

 

 でもここは前に戦った人の家よりも、そこら中から鬼舞辻さんの匂いがする。これじゃ鬼舞辻さんがどこにいるのか──。

 

「おっ、丁度いい所に居るじゃねぇか。こんなガキなら俺でも殺れるぜ」

 

「っ──!?」

 

 私は反射的に身を捻らせ、いきなり放たれた攻撃を避ける。

 

「!? 誰だ!」

 

「俺はお前を殺して出世したいんだよ。出世すりゃあ鬼舞辻様から支給される血も多くなるからな」

 

「……?」

 

「集められた鬼の殆どが鬼舞辻様から血を頂き、下弦並みの力を持たせられたが殆ど理性を失っちまってる。だが理性を失わず血に適応できた俺はさっさとお前を殺して上弦になるぜ」

 

 凄い説明してくる。

 誰なんだ彼は。

 

「あの!? 君は誰なんだい!?」

 

「俺は鬼舞辻様から名前までいただいた。名を──(さい)!」

 

「そうですか! 私は黒死牟先生の弟子だ!!」

 

「待て、抜け駆けするとはずるいぞ。俺も混ぜろ」

 

「え?」

 

 と、またもや誰かがこちらに歩いてきた。

 なんなんだ!? 

 頭に腕を生やしてるぞあの人!? 

 

「俺の名は愚理々羽(ぐりりば)。お前を殺す」

 

「そ、そうですか! 私は──」

 

「まて俺も混ぜろ。丁度いいくらいの女だ」

 

 また来た! 今度は三兄弟? 

 

「落ち着け俺よ。そいつ、本当に女か?」

 

「ギギギギギギ!!」

 

「まあいいか。そういう日もある。そうだ、お前も自分を殺す相手の名くらいは知りたいだろう。俺は──」

 

 な、なんか凄い集まってきてる! 

 しかもみんな名乗る気満々だ! 

 私は慄いた。

 これ全部名乗り返さなきゃいけないのか……? 

 

 ◇

 

 先ほどの彼らを倒した後、私は鬼を倒しながらこの城を駆け巡っていた。

 

「……」

 

 すると……一つ、異様な雰囲気を放つ部屋が有った。

 もしかしたら……鬼舞辻さんの部屋かもしれない。

 

「あれぇ? もう来たんだ」

 

 しかし。部屋に入って見れば、そこに居たのは鬼舞辻さんではなかった。

 だけど。

 

「ちょ、ちょっと待ってね! 今すぐこの子たち食べちゃうから!」

 

 そう言って、私の前で悠々と人の死体を食らいつくし……血まみれのままこちらを振り返った。

 

 今まで倒してきた急造の鬼とは格が違う存在が、そこに居た。

 彼の目に刻まれている数字は……弐。

 

 上弦の弐だ。

 

「やぁやぁ。俺は童磨。良い夜だねぇ」

 

「どうも! 黒死牟先生の弟子です!」

 

「ははは。元気が有ってかわいいね。そうだ! 俺とお茶でもしない?」

 

 なんだこの人。

 私は引いた。

 

 別にお茶云々は良い。ご一緒してもいいとは思う。

 でも、彼から何の感情の匂いも感じられなかった。しかし嘘の音も聞こえない。

 薄気味が悪い。この人が何を考えているのかが全く理解できない。

 

 彼は今までにない印象の鬼だった。

 鬼の人も大抵は感情を持っている。理性を無くしている人だって、飢えているから人を食べたいという感情はあった。

 でもこの人からは何も感じない。鬼の元は人だ。でもこの人は本当に人だったのかな。

 

「心にもない事を笑顔で言うんですね! 虚しくないですか!?」

 

「えっ!? 酷いこと言うなぁ~! 虚しくなんて無いよ!」

 

「何でそんな嘘を言うんですか!? 嘘を言わないでください! 何にも響いてないくせに!」

 

「えぇ~? 酷いなぁ……何で、そういうこと言うのかなぁ?」

 

 童磨さんは、手に持っていた扇を閉じたかと思うと、目を細めながらそう言った。

 しかし、それでも彼の感情は何ら揺らいでいない。

 

「ほらまた! 人の振りをしてる! 童磨さん! 何も感じてないし思ってもないのにそんなことしても意味ないですよ!」

 

「……俺、君の事嫌いになりそうだ。君みたいに酷い事を言う子は初めて……ん?」

 

 と、童磨さんは細めていた目を更に細めて、私の事を不躾にじろじろと見てきた。

 気色が悪い。彼には興味という感情だけはあるそうだ。

 

「あれ? あれれ? 君、なんかおかしくない? 女の子だと思ったけど……」

 

 不躾な視線を向けてきたかと思うと、いきなり彼は驚いた風にワッと言って見せた。

 

「わあ! 君性別が無いんだね!? 初めて見たよそんな人!」

 

「……」

 

「えぇ~!? こういう場合って、君はどっちの方が好きなのかな?」

 

 彼は失礼なことを言い出してきた。

 何を言っているんだこの人は。

 

「あ、でも! 自分の事私って言ってるくらいだし、男の人の方が好きなのかな!? わぁ! 君の事嫌いになっちゃったけど、興味が湧いてきた! 是非喰ってみたい!」

 

 彼のその、人の事など一切考えない物の言い様に……私は嫌悪感が湧いてきた。

 

「……なんでそんな失礼で不躾なことを言えるのかな。私が好きになるのは優しい人だけだよ。童磨さん。私、貴方とは初対面だけど既に嫌いだ」

 

「あはは! じゃあ俺達お揃いだ!」

 

 彼はそう言って、扇を開いた。

 

「……」

 

「……」

 

 そして互いに無言のまま、戦闘が始まった。

 



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第十八話

 童磨と弟子の戦いは──苛烈を極めた。

 

血鬼術・結晶ノ御子

 

空の呼吸 漆ノ型『青天霹靂』

 

 童磨の血鬼術、結晶ノ御子によって生み出される小さな童磨の形をした人形は、一つ一つが童磨本体と同等の力を持つ。

 それを童磨は一呼吸の間に十体ほど生み出し──弟子はそのほとんどを一太刀のもとに切り捨てる。

 

「ははは! 情報通りの凄い身体能力だ! 鬼以上じゃないか! 君は化物だよ!!」

 

「そちらこそ! さっきから辺りを舞ってる氷の礫がひんやりしてて気持ちいいですね!! どんな意味があるのかな!?」

 

 何より合間合間に放たれる舌戦は互いにノーガードでの戦いになっていた。

 

「普通それを吸い込んだら肺胞が壊死するはずなんだけど……おかしいねぇ……やっぱり君の体は化物だ!!」

 

「さっきから人を化物化物と……失礼だとは思わないんですか!? 多分ですけど友達いませんよね!? そんなんだから嫌われるんですよ!!」

 

「まさか! 俺は上弦の皆とは凄い仲が良かったんだぜ! 当然黒死牟殿とも!」

 

「貴方みたいな共感性の欠片もない人と先生が友達になるはずないじゃないですか! 人の心が分からないうえに頭も悪いとか致命的!!」

 

「君が殺したんだぜ! 黒死牟殿や俺の友達全員! 一番の友達だった猗窩座殿も君が殺した! 俺は泣いたよ!」

 

「すぐにばれる嘘が好きですね! 友達を殺されたというのに私に何の感情も抱いてないじゃないですか!」

 

 彼らは笑顔で斬り合いながら、互いに罵倒しあっている。

 もしこの状況を誰かが見たらこう思うだろう。

 狂っている、と。

 

 

「……」

 

 何やってるんだ……童磨……。

 私は童磨の視界を覗いてあの異常者との戦いを観察していたのだが……やはりこいつらは頭がおかしい。

 

 上弦の弐、童磨。

 私は奴が嫌いだ。

 奴は鬼になってから一度だって私に考えを読み解かせない。

 ……いや、正確には何の感情も抱いていないのだ。

 

 奴は本来人が抱くべき感情というものが欠如している。

 だから奴は例え笑顔を浮かべていようともその心のうちは一切喜んでなどいないし、表面上は怒って見せようと心の中はいたって平静のままなのだ。

 

 おぞましい。

 

「だが……良いぞ童磨。貴様はよくやっている。当初の作戦通り……そこで時間を稼げ」

 

 しかし今回ばかりは奴の実力の高さを評価してやる。

 私は奴が嫌いだ。しかし、ならばなぜ奴を上弦の弐などに置いているのか。

 それはひとえに、奴の実力の高さを評価してのことだ。

 

 あの異常者が戦闘を始めてそろそろ十分が過ぎようとしていた。

 そろそろだ。そろそろ奴の実力が……()()()()()()()

 

 そして私の推測の通りに、あの異常者はその速度を更に上げていった──。

 

 

 やはり……情報通り調()()()()()()()()

 猗窩座殿が言っていた通り()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして──。

 

「空の呼吸──」

 

 その手に持つ日輪刀も色を変える。赤い色に変化する。

 それが一体どういう意味を持つのかは分からないけど……大技が来るというのだけは分かる。

 

「血鬼術・結晶ノ御子」

 

 俺は大量に自身と同等の氷人形を作りだし……そいつらに命ずる。

 

血鬼術・粉凍り

血鬼術・蓮葉氷

血鬼術・蔓蓮華

血鬼術・霧氷・睡蓮菩薩

血鬼術・枯園垂り

血鬼術・凍て曇

血鬼術・寒烈の白姫

血鬼術・冬ざれ氷柱

血鬼術・散り蓮華

血鬼術・霧氷・睡蓮菩薩

血鬼術・霧氷・睡蓮菩薩

血鬼術────。

 

 大量の血鬼術の展開。

 直後、世界に幾つもの菩薩が舞い降り、粉雪、氷、氷柱が空間を埋め尽くす。

 単純な質量による圧殺すら可能とする大量展開。どう対処してくるかな?

 あの子供は──。

 

「参ノ型・改『逢魔陽光・無間煉獄』」

 

 一瞬のうちにすべてを切り捨てた。

 わあ。

 そんなことまで出来ちゃうのか。

 

 崩れ去る大量の氷。その隙間を縫って、あの子供はこちらに肉薄してくる。

 不味いなぁ。

 俺は猗窩座殿や無惨様とは違って、きっと……首を斬られたらあっさり死んでしまうからなぁ。

 

 彼……彼女? は感情が欠落した表情で刀をこちらに振ってくる。

 しかしそんな表情とは裏腹に……その攻撃全てに全身全霊を籠められている。

 

「……」

 

 なんで……なんで君は、そんなに必死なのかなぁ。

 

 

 俺は子供のころから優しかったし賢かった。

 だから可哀そうな人たちを何時だって助けて上げたし幸せにしてあげた。それが俺の使命だから。

 

「この子の瞳には虹がある。白椿の頭髪は無垢な証。この子は特別な子だ」

 

「きっと神の声が聞こえてるわ」

 

 俺の親の頭の鈍さは絶望的だった。

 そうでなければつまらない宗教なんて作れないだろうけど。

 

 俺は両親の事が本当に、本当に可哀想でならなかった。

 だから何時だって話を合わせてあげた。神の声など一度も聞いたことが無いけど。

 

 初めは、子供の俺によってたかってすがってくる大人たちに困惑した。

 頭は大丈夫かと問いたくなった。

 

 そして、決まって彼らは欠伸の出るような身の上話をした後、どうか極楽に導いてほしいと頭を下げるのだ。

 俺は泣いた。

 可哀そうに。極楽なんて存在しないんだよ。人間が妄想して創作したお釈迦話なんだ。

 

 そんな簡単なことが……彼らは何十年も生きていて気付かないんだ。

 気の毒な人たちを幸せにしてあげたい。助けてあげたい。そのために俺は生まれてきたんだ。

 

 ──でも、何故だろう。

 

 俺は今、死のうとしている。

 なのに全く、それに抵抗する気になれない。

 なんで? 俺が死んだら……これ以上人を救えなくなってしまう。ここで死んだら、俺が死んだ後に生まれた人たちはどうするというんだ? 彼らはきっと救われない。ずっと暗闇の中を生きることになる。

 なのに……。

 

 首筋に刀が当たる。

 

 なのになぜ。

 俺と……俺ととても良く似た、けれど全く逆の道を進んでいる『君』の攻撃を……よける気にはなれないんだ。

 

 首が刎ねられ……視界が転がる。

 

「……」

 

 そうだ。俺も無惨様や猗窩座殿みたいに……は、無理か。

 身体が崩れてきちゃったや。

 

「ねぇ」

 

「なに」

 

「なんで君は、そんなに必死なの? 君は俺と……同じように見えるのに」

 

 死に際。俺はどうしても気になって、そんなことを聞いてみた。

 

「……」

 

 しかし、君は口を開かなかった。

 そうか。まぁ答える義務なんて無いだろうし──。

 

「私には黒死牟先生と姉が居た」

 

 君はいきなり訳の分からないことを言い出した。

 なにそれ。

 

「?」

 

「とても大事な人。好きな人。貴方にはそういう人、いる?」

 

「……居ないかな」

 

「自分も?」

 

「……」

 

 自分……自分か。

 そう言われて初めて、ああ確かに、なんて思ってしまった。

 もうこれが致命的だ。俺は自分の事すらなんとも思っていなかった。

 

「成し遂げたい事は?」

 

「うーん……人を助けたいなぁ、くらいかな」

 

 そう言ってみると、君は至極納得したような顔をこちらに向けてきた。

 

「たぶん童磨さんは……何においても本気じゃないんだよ」

 

「……」

 

「貴方が成し遂げたいと思う人助けだって、結局本気じゃない。本気じゃないから必死になれない。結局それに尽きるよ」

 

 ちょっとムッとする。酷い言いがかりだぜ。

 

「……そう? 俺は結構、人助けに全力で当たったぜ?」

 

「貴方のそれは妥協でしょ?」

 

 ちょっとだけギクッとしたような気分になる。

 

「何も思わないから、とりあえず人を救ってみる。何も思わないから、何となくにしか物事に当たれない」

 

「……」

 

「……悲しい人だね」

 

「……」

 

 もう口まで崩れてしまっている。

 だから君の言い分に反論できない。

 俺は言い返してやりたい気持ちで一杯になるけど、無理だった。

 結局今のも本気じゃないから。

 

「……私もそうだった。心が欠けたように空と姉以外に感情を持てなかった。自分の事だってなんとも思っていなかった」

 

「……」

 

「でも……黒死牟先生と出会ってから、私は本当に変わった。欠けた心が満たされるように、憧れが湧いてきた」

 

「……」

 

「……だから童磨さん」

 

 もう既に視界の半分も消え去った。

 君は……嫌いと罵った筈の俺に、まるで天使のような慈愛の表情を向けて、こういった。

 

「次に生まれ変わったら……恋をしましょう。例え心が欠けていても……それを満たせるくらいの、大きな恋を」

 

「……」

 

 俺の親は本当に馬鹿だ。神や仏なんて居ないのに、俺が神の声を聴くことが出来ると信じて疑わなかった。

 気の毒で仕方がない人たちだ。

 

「……」

 

 でも──。

 

 俺も、天使が居ることだけは……信じてみたくなった。

 

「──早く逃げた方がいいぜ?」

 

「えっ!?」

 

「俺は君が嫌いだ。このまま一緒に死んで……一緒に極楽に行く羽目になるのは嫌だから、伝えるよ」

 

「……」

 

「俺が死んだら大量の爆薬に火が付くようになっている。早く逃げなよ俺が死ぬ前に」

 

「童磨さん……貴方は……」

 

 君はそこまで言いかけた所で、口をつぐむ。

 そして軽く一礼したかと思うと、すぐにこの部屋を出ていった。

 

「……」

 

 あーあ。敵を助けるとか何をしているんだろう。

 俺が嫌いな愚かな行動だ。

 まぁでも。

 

「……」

 

 不思議と心は、満たされていた。

 

 

「……何やってるんだ……童磨ァァァ!!!」

 

 思わず激昂する。

 あの馬鹿めが。何故最後の最後に奴を逃がすような真似を……!

 

「……ふん。まあいい。どうせまだ罠はある」

 

 奴の弱点……それはあの、定期的に調子を上げてくる独特な呼吸術にある。

 およそ()()()。それで一度、奴の戦闘能力は絶頂を迎える。

 太陽の様に奴の気性も荒くなる状態。

 

 そして更に()()()

 時間が経過していくと奴はまた別の側面を見せてくる。

 あの黒死牟の様に……月の様に奴は静かになる状態。

 

 この二つの状態が奴の実力の絶頂期。

 この二つの状態では……恐らく縁壱すら超えるだろう。

 

 つまりだ。

 それ以外の状態では奴の実力はぐっと低下する。

 

「……鳴女!」

 

 私は鳴女に指示を出し、奴を罠へといざなう。

 今の異常者は『太陽』の状態を超え、『月』へと至ろうとしている。

 その狭間がねらい目だ。

 

「私手ずから作り上げた罠の数々……とくと味わうがいい、異常者め」

 

 私が作り上げた罠は八つ。

 

 三百六十度全てから私の血が付与された刃が飛び出てくる部屋。

 下弦並みの力を持たせた鬼と、私の血に適応し上弦並みの力を持つに至った鬼たちが大量に詰められた部屋。

 三百六十度全てから熱された刃や、毒の霧が押し寄せてくる部屋。

 絶対に壊れない壁が押し寄せてくる部屋。

 入ったが最後、熱湯で満たされる部屋。

 入ったが最後、炎で満たされる部屋。

 廊下の前後を繋げ、延々とその場に拘束される道。

 

 童磨の部屋に仕掛けた爆弾は不発に終わってしまったが……まだ罠は七つもある。

 

「ふんっ、己のやった事を精々悔いるがいい」

 

 私までの道は、必ずその罠が有る部屋を通らねばならない。

 私は異常者討伐の伝令を待った。

 

 

 部屋の障子が開く。

 討伐の伝令か? そう思ったが……違った。

 

「……馬鹿な」

 

「お久しぶりです! 鬼舞辻さん!」

 

 奴は全身をずぶぬれにさせながら部屋の障子を開いた。

 

「……なぜ生きている? ここに来るには罠が有る部屋を超えねばならないというのに……!」

 

「凄い大変でしたが! 全部突破してきましたよ!!」

 

「ふざけるな! そんなことなどありえない……!」

 

「え、でも……」

 

「炎や水の部屋は……毒の霧の部屋はどうした! 人間は絶対に生きて帰れないよう設計した筈だ!!」

 

「この服は燃えづらい素材でできてますので燃えません!」

 

 は? そんなことは聞いていないのだが。

 

「顔は生身だろうが……!」

 

「炎も水も肺に入れなければ安泰です!」

 

 何を言っているんだこいつは。

 おかしい。全て能力が半減したような状態で突破できるはずがない。

 有り得ぬ。道理が通らぬ。本当に人間か?

 何故お前のような奴が現れる。頼むから生まれてこないでくれ。世界の理が崩れる。

 

「鬼舞辻さん! 遅くなりましたが、その首切らせてもらいます!」

 

「ま、まて……! 鳴女! 鳴女は……!」

 

「鳴女……? 彼女さんでしょうか。そうですね。最後に恋人に祈る事くらいは許します」

 

 なんて傲慢な事を言っているんだこいつは。

 それよりもだ。

 おかしい、鳴女からの反応が……!

 

「……お前、琵琶の女はどうした?」

 

「え……? あの人、鬼舞辻さんの恋人だったんですか……?」

 

 その反応で、既に鳴女がこの世に居ないことに気付いてしまった。

 

「……なんか、すみません。でもあの人からも凄い血の匂いがしていたので……あの世ですぐ会わせてあげますよ」

 

「っ……!?」

 

 私は。

 

「空の呼吸──」

 

 私は──!!

 

 



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最終話

 その人は、独特な匂いがする人だった。

 優しくて、強くて、血の匂いを漂わせた人。

 その気品ある佇まいは……俺とは違う身分の人なんだなと心から思わせるほどだった。

 きっと、昔の人はこういう人をお侍様と言っていたんだろうと思った。

 

「こんにちは」

 

 だから俺は、その人に話しかけられてひどく驚いた。

 さっきから見ているなとは思っていたけれど、それが俺だとは思わなかったから。

 

「え……あ! はい! こんにちは!」

 

 それが……俺とこの人との出会いだった。

 

 

 彼……彼女? どちらともいえない、何とも言えない匂いがするこの人は、話を聞く限り今晩の宿が無いそうだ。

 年若い女性にもとれるこの人を、こんな寒空の下に放っておく気にもなれなかった。

 何より……この人からは懐かしい匂いがした。死んじゃったおじいちゃんとおばあちゃんに似た匂いだ。何故そんな匂いがするのかは分からないけど。

 

「優しいんだねぇ……君、名前は何て言うの?」

 

「はい! 竈門炭治郎と言います!」

 

「そうなんだぁ……炭治郎……良い名前だねぇ。両親の愛情を感じるねぇ」

 

「そ、そうでしょうか!?」

 

「そちらが名乗ったのであれば……此方も名乗らぬは無作法というもの……って、言いたいんだけどねぇ。私、名前がないんだ。ごめんねぇ……」

 

 そう言って、この人はサラッと重い事を言ってきた。

 しかし悲しみの匂いはしない。

 

「あの……名前が無くて辛くないんですか?」

 

「辛くないよ。私には名前よりも大切なものが一杯あるから」

 

 そういって、彼女は俺の頭に手を置いた。

 

「私は路銀を持ち歩かないからねぇ。君の家に泊めてもらっても返せるものは少ないんだ。だから、せめて私の旅の話をさせておくれ。私の大切な物の話も。私の話は面白いって評判なんだ。きっと楽しいよ?」

 

 そう言って、彼女はお駄賃とばかりに語りだした。

 

 始まりはそう──彼女が生まれた時の話から。

 

 

「どうもお邪魔します……ご迷惑をおかけします……」

 

「いえいえ……そんな事気にしないでください。宿がないなんて大変だもの。今日は寒くなるから、何もないところだけど是非泊っていってください」

 

「……ありがとうございます」

 

 家に着いたら、彼女はまず一目散に母さんに挨拶に行った。

 その気品ある所作はとても普通の家の出の人には見えなかった。

 母さんもどこか、失礼のないような畏まった態度で話していた。

 

 だけど、彼女が家族のみんなと馴染むのは速かった。

 彼女の話は爆裂に面白かった。

 

 人食い鬼。その上位の存在である十二鬼月。そしてその十二鬼月の中でも一番強い上弦の壱。

 こくしぼうという人が彼女の師匠なのだという。

 

「ねーねー! こくしぼうさんって強かったのー?」

 

「それはもう! とんでもなく強いんだぁ」

 

「熊は!? 熊は倒せるの!?」

 

「熊くらいなら刀を振らなくても倒せるかなぁ」

 

「ええっ、刀を振らなくても!? どうやって倒すんですかそれは!」

 

 彼女の話は面白いが、時折よくわからないことを言い出すことが有る。俺も、聞き役に徹していたというのに思わず聞き返してしまった。

 

 なんでもこくしぼうという方は、刀を振らなくても刀を何回も振ったような攻撃が出来るのだという。

 

 正直何を言っているのかはよく分からなかったが、有無を言わせぬこくしぼうという御方の強さに俺達は目を輝かせた。

 

「あの! 『こくしぼう』という方はお坊さんか何かなのでしょうか!」

 

 そして俺は、彼女にそんなことを聞いてみた。

 こくしぼう。名前からしてお坊さんのような名前だ。それでも刀を振るうという事は、昔に居た僧兵のような御方なのだろうかと、俺は思った。

 

「違うよ」

 

「……」

 

 にべもなく否定されてしまったが。

 

「『黒死牟先生』はねぇ……この国一番のお侍様だったんだよ……」

 

 私も()として一人前になってきたし……そろそろ先生じゃなくて、もっとちゃんとした呼び方で呼びたいんだけどね。

 つい癖で先生と言ってしまう。

 

 まるで遠い昔を懐かしむように溢す彼女は……少し寂しそうだった。

 

 

 彼女はそれからもいろいろな話をしてくれた。

 『こくしぼう』先生が死んでしまい、先生の遺言に従いこの国一番の侍となるべく、鬼退治を始めた事。

 そして鬼と戦い、これを討ち取った事。

 さぁ、とうとう最後の鬼の頭、鬼舞辻無惨を追い詰めた!

 

 ……そこまで聞いたところで、母さんからもう寝なさいと言われてしまった。

 気づけば相当話し込んでいたようで、もうだいぶ夜も遅かった。

 

 少し惜しい気持ちになりながら、俺達は布団を引っ張って彼女の元に集まった。

 きっとこの人は、俺たちが寝るまで子守唄の様に話してくれるとみんなが思ったからだ。

 そしてそれは正しく、彼女は嫌な顔一つせず俺達が寝るまで話を続けてくれた。

 

「……」

 

 そして。

 

「……っ!?」

 

 夜。皆が寝静まったころ。

 俺は有り得ない悪夢を見た。

 

 俺以外の家族が皆殺されて……妹の禰豆子が鬼にされる夢。

 その夢は現実との違いを感じられない程よくできていた。

 

 夢の中で、俺は泣きそうになりながら禰豆子を担いで山を下りている。

 足を滑らせ、崖から落下する。

 

 そして体が動かない中、鬼となった禰豆子に噛みつかれそうになり──。

 

 俺は今まで嗅いだことがない程の血の匂いと……刺激臭に目が覚めた。

 

「──炭治郎」

 

 月明かりがのぞく部屋の中。彼女はなにか刀のようなものをもって立っていた。

 その表情は、今までのほわんほわんとしたものではなく、とても厳しいものとなっていた。

 

 俺が彼女のあまりの変化に絶句していると、しかし構わずに彼女は言葉を続けてきた。

 

()()()()

 

 鬼……鬼? 彼女が先ほど語っていた話の?

 あれは作り話じゃ……。

 

 そう思ったけど、彼女の匂いから嘘の匂いは一切感じ取れなかった。

 思えば、彼女は会ってから一度だって嘘の匂いを漂わせたことはなかった。

 じゃあ。

 

 じゃあ、つまり──。

 

()()()()()()()()

 

 彼女が寝る前に語ってくれたことも、また正しいのか──?

 

 

「っ……!!」

 

 彼女が、寝る前に語ってくれた、鬼退治の最終決戦。その顛末。

 それは……恐るべき逃走能力によって──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という話。

 そしてその鬼舞辻無惨が悪さをしないよう、今も彼女はその鬼舞辻無惨を追っているのだという話。

 

「……」

 

 それは……正しかったという事なのか?

 視線の先。

 

 居たのは、雪山にそぐわぬ洋風の服をまとった男。思ったよりも普通な見た目の男性だ。

 しかし。猫の様に縦に割れた瞳孔が、彼が人でないことを否応なしに説明してくる。

 

 そして──。

 

(なんて重い血の匂いなんだ……! さっきからしていた匂いの元はこの人か──!?)

 

「どうも鬼舞辻さん」

 

「……」

 

「おしゃべりしましょうよ。折角ここまで追い詰めたんですから。それとも、また私から逃げますか?」

 

「……」

 

 しかし鬼舞辻無惨は一切彼女の問いに答えることはなかった。

 軽く嘆息した彼女は、諦めたように折れた刀を構えて──。

 

「──空の呼吸」

 

「貴様は何時もそうやって直ぐに実力行使に出てくる。何故かわかるか? お前が異常者だからだ」

 

「なんだ。喋れるじゃないですか」

 

「黙れ。私は貴様と喋りたくない。見たくもない」

 

 鬼舞辻無惨は癇癪を起こしたようにそういうと、ぎろりとお弟子さんを睨みつけた。

 

 この人が……鬼舞辻無惨。もし、彼女の話が本当にあった事だというのなら……多くの悲劇を作り出した全ての元凶。

 その男が……今、気味の悪い笑顔を浮かべながらお弟子さんに向かってしゃべりだした。

 

「ようやく……ようやく貴様とお別れできると思っていたのだがな……!」

 

「……」

 

「ええ? そうだろうこの異常者め。なぜなら貴様は、貴様は──」

 

 鬼舞辻無惨は顔中に笑顔を浮かべながら……衝撃的な事を言い出した。

 

()()()寿()()()()()()()()()()()!!」

 

「……」

 

 ……え?

 

「貴様のような化け物が! 人間のまま長生きできるわけもない! 最近の貴様の焦りよう……! 私の推測は正しかったようだな! 今! 貴様の体を直に見たことで気付いた! 私が宣言してやろう、貴様は明日の日の出を迎えることなく死ぬ!」

 

「……」

 

 鬼舞辻無惨。彼から嘘を言っている匂いはしなかった。

 そして彼女は肯定も否定もしない。

 おそらくは……彼女は本当に明日の日の出を迎えることなく死ぬのだろう。

 

 そこではっとした。今日、彼女と初めて会った時に感じた匂い。

 

 それは……死期が近づいた老人の匂いだ。

 

「……お弟子さん……」

 

「炭治郎。君は何も心配しなくていいよ」

 

 彼女は──。

 

 彼女は、鬼舞辻無惨の言葉に何ら揺らがず、刀を構える。

 

「鬼舞辻さん。貴方は私が今日、ここで葬る」

 

「はっ! 出来るのか貴様に!? そう言って何度私を取り逃がした!?」

 

「貴方こそ……何年、人を食べずにいた? もう全盛はとっくに過ぎてるでしょう」

 

 彼女がそういえば、喜色満面だった鬼舞辻無惨の方が顔を怒りに歪めた。

 

「それは貴様が四六時中私を追い続けてきたからだろうがァァァァ!! 何なのだ貴様は!? 何故私の居場所が分かる!!」

 

「私……鼻が利くので」

 

「馬鹿な事を言うな!! お陰で、私はこの三年の間! 一切人を食らえなかった! 貴様のせいでぇぇぇ!!」

 

 その。

 

 怨嗟が混じった嘆きは……今、目の前にいる鬼が、お弟子さんが語った鬼舞辻無惨そのものであることに確信を持たせるモノであった。

 

 さも当たり前のように人を食らおうとする。そしてそれを当然の権利の様に振りかざし……邪魔するものは何者だろうと許さない。

 

 鬼だ。

 この人は……鬼舞辻無惨は鬼なんだ。

 

 俺の中で鬼という存在は確信に変わった。

 

 ──そして鬼舞辻無惨は激昂に身を任せたまま、会話に参加できないでいた俺の方を向いた。

 

「だが……貴様は丁度良く非常食を持ってきてくれたようだな。貴様が死んだ後に食らってやろう」

 

 鬼舞辻無惨は俺の方をじろりと見つめる。そのおぞましい視線に含まれるのは食欲。

 俺は自身を捕食対象としていることに気付いてしまった。

 

「やらせると思う?」

 

「はっ! 死んだ後にどうやってその子供を救うと──!?」

 

 鬼舞辻無惨はそう言って、俺から視線を彼女に戻そうとして──。

 

「!?!?!?!?!?!?」

 

 俺を二度見したかと思うと何故か後退った。

 え?

 

「……?」

 

 お弟子さんも訳が分からないとばかりに首を傾げている。

 鬼舞辻無惨のいきなりの奇行に困惑が走る。

 

「き、きさっ……そ、その耳飾り……!」

 

「え?」

 

「な、何故今!? なんで今ここにその耳飾りを付けた子供が?! どう言う巡り合わせだ!!」

 

「……あの」

 

「っ、貴様らなどには付き合ってられるか!!」

 

 あまりのうろたえように、お弟子さんが鬼舞辻無惨に声をかける。

 すると鬼舞辻無惨は捨て台詞を吐いたかと思うと、一目散に逃げだした。

 凄く速い! 

 

 何なんだあの人……。

 

「ごめん炭治郎! 急いで家に戻ろう」

 

「え、な、えぇ……?」

 

「鬼舞辻さんめ……最後の足掻きに入ったな!」

 

 そう呟くと、彼女は俺を担いで走り出した。

 

「あの人の逃げ足! あの脚力! 神々の寵愛を一身に受けているのか!? なんであんなに逃げ足だけは一級品なんだ!?」

 

 彼女はぐちりながらも、既にはるか先に居た筈の鬼舞辻無惨に追いすがっていく。

 この人もこの人で相当凄いと思うんだけど……。

 

「あ、あの……!」

 

 俺は色々と気になる事が有ったけど、とりあえず聞いてみることにした。

 今も俺を担ぎながらとんでもない速度で疾走する彼女に、声をかける。

 

「なんだいっ?」

 

「なんでっ、俺をっ、連れてきたんですかっ!?」

 

 そうだ。それが気になった。

 なんでわざわざ……邪魔になる俺を連れて鬼退治に来たというのだろう。

 俺なんて、彼女の邪魔になるだけだというのに──。

 

「君が分かっちゃう人だからっ」

 

「え?」

 

「君は目が覚めるまでずっと、怖い夢を見ていたよね。ずっと魘されていた。恐ろしい夢を見たんだと思う」

 

 まるで見透かすように朗々と語る彼女は、言葉を続ける。

 

「君は特別鼻が利く。だから鬼舞辻さんの匂いに感化されてそういう酷い夢を見てしまったんだ。そんな子を一人置いてはいけないよっ!」

 

 私はこの国一番の侍だからね。

 こともなさげにそう言って、彼女は更に加速する。猪よりもずっと早い。

 

「それに……()()()()()()()()()()()()

 

 それは確信の元、放たれた言葉だった。

 ある種の自信ともいえる。

 

「炭治郎! 速度を上げるよ!!」

 

「っ……!」

 

 と、言うか……。

 

 いや……あの……これは……。

 かなり早い。

 凄い。

 やばい怖い。

 早すぎる。

 

「あ、あのっ!」

 

「急がないと……君の家族に危害が加わる可能性も有る!」

 

「っ!?」

 

 ちょっと速度を落として……そう言おうとしたら、俺の言葉にかぶせるように彼女が言った。

 

「鬼舞辻さんの向かう先にあるのは君の家だ!!」

 

「!?」

 

 そうだ……確かにこの道を真っ直ぐ行くと俺の家だ!

 それに気づいたとたん、一気に血の気が引く思いがする。

 しかし。

 

「安心してくれ炭治郎!」

 

「え──」

 

「私は! この国一番の侍の弟子で……そして! この国一番の侍だ! 私の見ている前で! だれ一人だって殺させてやらないんだから!」

 

 初めて会った時のような、淑女然としたお弟子さんの姿は消え──。

 感情が高ぶり、自信満々なお弟子さんが現れた。

 その、心強い言葉に……俺は安心感が湧いてくる。

 

 ──そして家が見えてくる。

 

「……っ、禰豆子!?」

 

 俺の家の軒先で、鬼舞辻無惨は俺の妹……禰豆子の首に手を回し、そのこめかみに爪を突き立てていた。

 

「一歩もこちらに近づくな! 少しでも動いて見せろ……この娘を鬼にして残りの家族を食わさせる!」

 

「!?」

 

「お、お兄ちゃ──」

 

「おっと貴様も喋るな。貴様も運がいい。鬼にした暁に再建した十二鬼月の上弦に加えてやろう。これは貴様が一生涯をかけても得られぬ栄誉だ。ありがたく受け取れ」

 

 瞬間、俺はお弟子さんに抱えられながらも吠えた。

 

「っ、貴様ァァァァ!! 妹から手を放せぇぇ!!!!」

 

 そのあまりに自分勝手な物言いに激昂し、飛び出しそうになる。

 だが、お弟子さんが俺の首根っこを掴んだ。

 

「っ、お弟子さ──」

 

「安心して炭治郎。君の家族も皆無事だ」

 

「っ──」

 

「多分、禰豆子ちゃんは私たちが出かけたことに気付いて……家の外を見に来たんだと思う。そこで見つかってしまった」

 

「っ、でも!」

 

 俺の妹がっ。

 そう言おうとしたところで、お弟子さんが折れた刀を手に持ったまま鬼舞辻無惨へと向かい歩き出す。

 

「おいっ! 動くな!」

 

「炭治郎。見てて──この国で一番の侍の……()()()()()を」

 

 

 黒死牟先生。

 先生……先生は、『私の様にはなるな』とおっしゃられた。

 

 先生。私は鬼という生き物がどういう生態をしているのかも、知りました。

 きっと、私があずかり知らぬところで先生は多くの人を殺し、喰ったのでしょう。

 

 ……それは絶対に、許されることではありません。その罪は消えることはありません。

 

 でも。それでも。

 私は先生がいいんです。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 私が憧れたのは……先生だから。

 

 それこそが、私の心の声なのです。

 

「……」

 

 すらりと刀を構え、無惨に向ける。

 

 私は先生に、自分の事を蔑む様な事はしてほしくなかった。

 

 だから。

 私は全国を回り多くの人を助けた。

 人に仇なす鬼を退治した。

 先生はこんなに凄いものを残したんだと、誇れるほどに。

 

 先生が残した私は……先生が地獄で誇れるほどの人間だと証明し続けた。

 

「……」

 

 先生。これがきっと最後です。

 

 どうか……先生のお力をお貸しください。

 ()()()()()()()としての全ての力をもって。

 私のすべてを出し切って──悪鬼羅刹を討ち取ります。

 

()()()()()。貴様はこの国一の侍にして黒死牟先生の……いや、『()()()殿()()()()』である私が斬る」

 

「はっ! 朝も迎えられずに死を迎える貴様に何が出来る! 何もできまい! これ以上動いてみろ! 本当にこの娘を──」

 

 私は懐から……()()()殿()()()()()を取り出した。

 

「? なんだそれは──」

 

 先生は……物を持たない人だった。

 当然墨や筆など持っていない。

 

 この紙に使われているのは……()()()殿()()()だ。

 

 ……私は以前。黒死牟殿の肉体の一部を摂取したことが有る。その際……体に新たな感覚が現れたことが有った。

 その後も、鬼を狩る際に似たような感覚を覚えたことが有る。

 

 私は悟った。鬼の細胞を取り込むことで、鬼にならずとも私の肉体は新たなる領域に至れるという事を。

 

 黒死牟殿。

 お力……お借りします。

 

 私は置手紙を飲み込んだ。

 

 

「……」

 

 雰囲気が……変わった。

 いや。

 なんだこの感覚は。奴は今……何に変わった。

 鬼に近い感覚だ。

 しかし。見た目にも体質的にも何ら変化はみられなかった。

 

「……ふんっ。何をしたところで──!?」

 

 奴は自身の刀を……自身の手に突き刺した。

 寿命間際で気でも狂ったか? いや、奴は何時も狂っている。

 つまり何か考えがあっての事。何故だ。何故このタイミングで──。

 

「なっ」

 

 奴が突き刺した刀を引き抜く。

 すると……日輪刀の欠けていた部分に──刃が補填されていた。

 

「きさ──」

 

「空の呼吸 参ノ型『逢魔陽光・無間』」

 

「ッ!?!?」

 

 反応すら許さない連続攻撃。

 そして──。

 

「ギ、ギィィィ!!」

 

 ──や、焼けるように熱い!! この痛みはッ!?

 

 気付けば──私の両腕は落とされていた。

 不味い──早く再生を──!!?

 

「ッ……!?」

 

 さ、再生しない!

 何故だ!

 まるで日光に浴びたかのように……!

 

「空の呼吸 拾ノ型──」

 

「っ!」

 

 不味い。

 アレは不味い。

 私の本能が叫ぶ。あれは──。

 

「『晴天天晴なり』」

 

 アレは私の天敵──!!

 身体が切り裂かれ、捉えていた筈の娘が消える。

 

 ──いや! 今はそれよりも体の再生を──。

 

「ガ、ガアアアアッ!!?? な、何故──貴様のそれは──!!」

 

 身体が溶けていく。やはりだ! やはり再生できぬ!

 あの呼吸術! 何故か日の光を放っている!! どういう理屈だ? 何故そんなことが可能になる!

 っ、いやまて! 奴が変化する直前の事を思い出せ! 奴はなにかを飲み込んだ……いや、まさか──。

 

「きぃぃいさぁぁぁまぁあぁぁ!! 血鬼術をぉぉぉお!!」

 

 あの異常者! 何故かは知らないが鬼の細胞を隠し持っていた!

 何故、何故──!!

 

「──空の呼吸 ()()

 

「っ!!」

 

 不味い。今のこいつには一切の容赦がない。

 ここは逃げて……逃げて体制を……! そうだ、今奴から逃げきれれば、もう奴は死──。

 

「拾壱ノ型『天照す月の船』」

 

 月の光が……私の首を撫でた。

 

 視界がおぼつかなくなり……地面に転がる。

 

 最後に見えたのは……まるで私を病人か何かでも見るように……憐みの視線を向けてくる異常者の姿だった。

 

 

「……」

 

 鬼殺隊・水柱 冨岡義勇は……困惑していた。

 それは、鬼舞辻無惨と思われる者の首が刎ねられ、消滅したからだ。

 

 彼が駆けつけてきたときには……全てが。本当の意味で全てが終わっていたのである。

 本をただせば八年前。その八年前を境に鬼の出現量がグッと下がり……そして同時に十二鬼月もその姿を消した。

 当初鬼殺隊は鬼舞辻無惨の策略か何かだと思っていたが……それは違った。

 

 『この国一番の侍』。そう触れて回っている剣士が居るという噂が有った。

 彼はこの国一番の侍を謳い、鬼を倒すと言って回っていたらしい。

 

 その情報には……鬼殺隊でしか知り得ぬような情報もあった。

 十二鬼月と呼ばれる強い鬼たちの情報もまた彼は所持しており、更には討伐したという。

 

 その事に完全に気付いたのはおよそ三年前。それからはその侍とどうにか接触しようとしていた鬼殺隊であったが……。

 

「……」

 

 今、接触したと同時に鬼殺隊の本懐は果たされてしまった。

 

「……あれぇ? 君は誰かな」

 

「鬼殺隊、冨岡義勇です……」

 

「……?」

 

 冨岡義勇は、このやり取りで向こうがこちらの情報を持っていないという事を確信した。

 

「……貴方の様に、鬼と戦う剣士の隊。それが鬼殺隊。そしてその隊員が俺です」

 

「ああ……なるほどねぇ……」

 

「貴方は今……鬼舞辻無惨を?」

 

「うん……今、討伐したよ……」

 

 冨岡義勇はそれを聞いて、ああ、と天を仰いだ。

 

 複雑な気持ちはある。俺こそが仇を討つのだという思いもある。

 しかし。

 何より。

 

「鬼殺隊を代表して……感謝を。『この国一番の侍』殿」

 

 冨岡義勇の胸の内に有ったのは感謝であった。

 これで……これ以上鬼の被害にあう人々はいなくなるのだから。

 

「……うん。それじゃあさ。一つ……いや二つ……お願いしても……いいかな?」

 

「俺にできることであれば……なんなりと」

 

「じゃあまず一つ目……」

 

 『この国一番の侍』は、倒れた娘と、それに駆け寄る少年を指さした。

 

「私の不手際でね……巻き込んじゃったから……彼らを気にかけてあげてほしい」

 

「はい。それは鬼殺隊として当然の仕事です」

 

 鬼被害に遭われた方々への対応も鬼殺隊の仕事のうちだ。

 言われるまでもなく、彼らは鬼殺隊が保護する。

 

「では……二つ目は?」

 

 冨岡義勇は聞いた。二つ目の願い事というのを。

 

「……私は……これから死んじゃうから。私の物語を……そこの炭治郎という子に伝えてあるから……それをどうか……広めてほしいんだ」

 

「……」

 

 冨岡義勇は意図が読み取れぬという表情で『この国一番の侍』の目を見る。

 そしてそれに応えるように、『この国一番の侍』は、残り少ない命の灯を燃やして言葉を発する。

 

「……私の師は……上弦の壱……黒死牟殿だった……」

 

「……」

 

「彼が多くの人の命を奪った事は分かる……でも……それでも……黒死牟殿の名誉を回復したい。私の物語が知れれば……それだけ黒死牟殿の汚名はそそがれる」

 

「……」

 

「……だめかな?」

 

 それは鬼殺隊という組織の幹部である水柱には到底承服できない望みであった。そもそも鬼殺隊とは鬼に対して非常に重い憎しみを抱いている者が集まった組織。

 故に、鬼の……それも上弦の壱の名誉を回復することなど、例え出来ても行動に移すことなどない。

 それに物語を広める。個人で成しえるのは不可能に近いだろう。

 鬼殺隊の人脈を使えばその限りではないかもしれないが……それこそ皆やりたがることではない。

 水柱である冨岡義勇としても……鬼殺隊としても不可能な願いだ。

 

 ──だが。

 

「御意に」

 

 冨岡義勇は一も二もなく頷いた。

 

「鬼殺隊隊員の説得は困難を極めるでしょう。おそらく相当数の反対は出ると思われます」

 

「……そう、か」

 

「──もしこの約束を果たせなかった場合。私が腹を切ってお詫びいたします」

 

「……」

 

「……貴方の願いのために1人の命が掛けられました。これで足りるかはわかりませんが……それでも、どうかご安心を」

 

「……なら、安心……です」

 

 最後の最後。

 弟子は、少し惜しい気持ちになった。

 

(私もまだまだだなぁ。こんな人がいるなら……もっと早くに鬼殺隊の人と、会っておけばよかったなぁ……)

 

 だが……悔いはなかった。

 そして弟子は……静かに息を引き取った。

 

 

「……」

 

 いつか見た光景。どこかの世界。

 その空は……晴れ渡っていた。

 

「……や! 頑張ったわね」

 

 すると後ろから声をかけらえた。

 振り返れば……そこには、姉が居た。

 

「……姉」

 

「なーにしんみりしちゃってんの! 元気出しなさい!」

 

「いやあの……姉……私死んで──」

 

「元気出せって!」

 

「いたっ!? いたい! 痛いよ姉ぇ!」

 

 何故かバシバシと私の背中をたたき始めた姉。

 え、なんで。私なんでたたかれてるの?

 

「……」

 

「あ、姉? あの、そろそろ叩くのやめてくれるとありがたいんだけど……」

 

「……」

 

「あ、姉……」

 

 姉が無言になってしまった。

 ……振り返ってみれば、姉は泣いていた。両目から大粒の涙を流しながら泣いていた。

 

「……本当に、よく頑張ったわね」

 

「……うん」

 

「あんたのこと、ずっと見守ってた」

 

「知ってる」

 

 しばらく私たちは互いに抱き合い……そしていきなり姉が私から離れた。

 

「いや! そこはあんたもなけよ!」

 

「え、えぇ!?」

 

「私だけじゃん! 泣いてるの!」

 

「で、でも自分が死んだだけだし……」

 

「いや泣けよ! 私が悲しいだろぉ!!」

 

 姉はまた私に抱き着いて、おいおいと泣いている。

 困ったな。どうすればいいんだろう。

 というか……私ってどっち行くんだ……?

 

「……ぐすっ。もう、アンタなんて知らない! ほら! もう、()()も来てよ!」

 

 と、姉は誰かを呼んだ。

 直後、背後に気配を感じる。

 

 ……この、気配は……。

 

「……」

 

「……黒死牟、殿?」

 

「……」

 

 先生……? いや、目が六つじゃない。

 でも、私は確実に、このお侍様を黒死牟殿と認識している。

 という事は、つまり……人だったころの、黒死牟殿……?

 

「……弟子よ……」

 

「……」

 

「……よく……やっ」

 

「え、私って地獄行き……?」

 

 びしりと、姉と黒死牟殿が固まった。

 

「あ、あんた……思っても言ってはいけないことを……」

 

「えっ!? な、なんでここに黒死牟殿が!? えっ?」

 

「いや……あんためっちゃ巌勝さんの名誉回復推してたじゃん……国中回って人助けして、自分は黒死牟殿の弟子だーって。自分でしたことも忘れたの……?」

 

「え、でも、その程度で鬼の罪って許されるもの……? あ、もしかして黒死牟殿そんなに人殺せてない!?」

 

 びしりと、またも姉と黒死牟殿が固まる。

 

「……」

 

「……」

 

「あ、あれ……?」

 

「……あんたが凄い頑張って、巌勝さんも頑張ったの! なんでそう、人の心をえぐるような言葉選ぶかな!」

 

「ご、ごめん……私地獄に疎くって」

 

 そう思いつつ、先生にちらりと視線を向ける。

 

「……」

 

 目を伏せている。

 私は知っている。これは結構怒っているときの黒死牟殿だ。

 しかし、黒死牟殿ははぁ、と諦めたように息を吐くと、私の頭に手をのせて、なでた。

 

「よくやった。お前は俺の……自慢の弟子だ」

 

「……」

 

 初めて。初めてだった。頭を撫でられたのは。

 思わず笑みが浮かんできてしまう。

 

「……そりゃ、そうですよ! なんたって私は! この国一番の侍にして──」

 

 

 ──黒死牟殿の弟子だから。

 

 そして彼らは、光の中に消えていった。

 



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語り部義勇
叱られ義勇


こちら本編の後日談となります。いくらかのネタバレを含みますので、先に本編の方からお願いします。


 かつて、鬼が居た。

 人を殺し、食らう鬼が居た。

 彼らは多くの時を人を食らう事で生き永らえ……長きにわたり人を苦しめた。

 

 そしてその鬼の中でも一際人に仇なす鬼が居た。

 

 鬼舞辻無惨。

 何百年と生きながらえ、人を食らい、また人を鬼に変えていった……正真正銘の鬼。

 

 鬼舞辻無惨は思考をするよりも早く人を殺し、食らった。

 彼のせいで多くの人が殺され……また鬼へと変貌させられた。

 

 しかしその鬼は討伐された。鬼を討ったのは一人の侍だった。

 

 その侍は……黒死牟と呼ばれる鬼舞辻無惨の一番の腹心により、この国一番の侍として育てられた。

 

 鬼舞辻無惨に最も近しい配下である黒死牟が何故、自身の君主に弓を引くような真似をしたのか。

 そして、如何にしてその侍は鬼舞辻無惨を討ち果たしたのか。

 

 ──それがこれより語られる……侍の物語である。

 

 ◇

 

「それでェ? てめェのカス以下の要望はそれだけか?」

 

「無論。俺が最後に柱として望むものは……上弦の壱、黒死牟の名誉回復。それ唯一つのみ」

 

「──だからそれがクソだッて言ッてんだよォ! 分からねェ奴だなァ!」

 

「……」

 

 半年に一回行われる柱合会議という物が有る。

 

 鬼殺隊の中核をなす九名の幹部たち。その者たちの名を……『柱』という。

 他の鬼殺隊員は恐ろしい速度で鬼に殺されていったが彼らは違う。文字通り、鬼殺隊を支えていた柱であった者たちである。

 

 その彼らが一堂に会し、情報を共有しつつ今後の鬼殺隊についてを話し合う会議。それが柱合会議である。

 

 しかし今回は緊急に行われる柱合会議であった。

 

 ──そう緊急事態である。

 

 鬼殺隊とは読んで字のごとく、鬼を殺す者たちの事。そんな彼らが殺すべき相手である鬼が……絶滅したのだ。

 

 鬼殺隊はその存在意義を失ったのである。

 

 鬼の消滅に立ち会ったのは、水柱・冨岡義勇。

 鬼舞辻無惨の最後を見届けた男だ。

 彼は即座に鬼殺隊を運営する産屋敷耀哉の元まで走り、それらの情報を伝え……鬼の全滅を報告した。

 

 故にこその緊急柱合会議。

 

 それは、鬼殺隊解体による今後の立ち回りを決める物であった。

 その、会議にて。

 

「てめェ……お館様が態々俺らの願いを可能な限り叶えてくれるってのによォ……何故! その願いが! 鬼の! それもよりにもよって上弦の壱の名誉回復なんだァ!? 俺らを馬鹿にするのもいい加減にしやがれェッ!!」

 

 風柱を務めていた不死川実弥の怒号が鳴り響いていた。

 いや、それだけではない。

 

「冨岡……貴様……自分の言っている事の意味を理解しているのか? だとすればあまりにも哀れだ……鬼が滅された事で頭が変になったのか? ああ……哀れだ。早く腹を切って自害した方がいい……お前は鬼に囚われている……」

 

 じゃりじゃりと数珠をこするように合掌している大男。

 岩柱を務めていた悲鳴嶼行冥という男である。

 

 彼は本気で憐れんでいた。

 水柱、冨岡義勇の事を。

 

「俺は鬼に囚われていない」

 

「信用しない信用しない。そもそもお前は大嫌いだった。何時も黙ってばかりの癖に人を食った様な事は言う。そして今度は人食い鬼を擁護する。理解できない気味が悪い気色が悪い早く世のため人のため腹を切った方がいい」

 

 冨岡義勇は抗議するかのように声を上げるが、それに被せるようにめったくそに非難された。

 冨岡を非難した男は蛇柱を務めていた伊黒小芭内。

 蛇柱の名に恥じぬネチネチとした言い回しが目立つ男である。

 

「あの、冨岡くん? 流石に言葉が足りないと思うんだけど……」

 

「姉さん……これは言葉が足りないとかそういう段階の話ではないのでは?」

 

「う、うーん……そうなのかなぁ……」

 

 ちょっと傷ついたように顔を下に向けている冨岡に向かって声を掛けたのは、花柱を務めていた胡蝶カナエ。

 そしてその姉に言葉を投げかけたのは胡蝶カナエの妹であり、蟲柱を務めていた胡蝶しのぶである。

 冨岡はその両名の方を向くと、口を開く。

 

「言葉は足りている。これこそ俺の願いの全てだ」

 

「……」

 

「……」

 

 助け舟を出しても凄い勢いで拒否される。

 何故そこだけはそんなに頑ななの……? と思ったのは胡蝶カナエであった。

 

「冨岡! 流石にもうちょっと説明をしてくれ! 俺は君を嫌いたくない!」

 

「……」

 

「というか、さっきから地味に話がぐるぐると回ってるぞアホ。お前が鬼に囚われていないこと、その願いに至った理由。一から十とまではいかないがせめて一から五くらいまでは地味だろうと説明しろや」

 

「……」

 

 あまりにあんまりな冨岡の姿を憐れんでか、炎柱を務めていた煉獄杏寿郎と、音柱を務めていた宇随天元もまた助け船を出した。

 流石の冨岡も思う所が有ったのか、数瞬考えた後に口を開く。

 

「俺は今まで……鬼を滅してきた。それが鬼に囚われていない事の証明だ」

 

「……」

 

「……」

 

「……?」

 

 話はこれで終わりだな、という顔で煉獄と宇随の両名に目を向けた冨岡であったが、どうも二人の反応が芳しくない。

 そこで冨岡は、自分の説明が足りていないことに気付いた。

 

「そして俺は……約束したのだ。あの侍に。それが先の願いに至った理由だ」

 

「……」

 

「……」

 

 今度こそ話は終わりだな。そんな風にちょっぴり得意げな顔をしている冨岡義勇を見て、皆黙ってしまった。

 何故なら、彼の説明は何一つ説明できていないどころか、勘違いを助長させただけだったのだから。

 

 鬼殺隊の情報網は非常に優れている。一度情報を送れば凄まじい速度で共有される。

 

 上弦という鬼の最上位に位置する鬼たちの情報も……ほとんど存在していなかったが、実はある鬼だけは明確な目撃情報があった。

 

 およそ八年ほど前に、上弦の鬼に刀を奪われた隠が居た。

 

 隊員の刀を奪ったのは上弦の壱、黒死牟。

 まさに今、冨岡が名誉回復したいと言っている鬼である。

 

 ……そして上弦の壱と会敵して生還できた隊員の情報によると……なんでも、黒死牟という鬼は一昔前の侍のような姿をしているとか。

 

「……」

 

「……」

 

 一から五どころではなく、三と八だけを説明しているかのような話の飛びよう。そして致命的な言葉選び。

 

 悲しい事に……柱たちへ冨岡はもう一人の侍の事を報告していなかった。

 何故そのような事になっているのか。

 

 鬼殺隊の優れた情報伝達能力よりも早く緊急柱合会議が開かれた、冨岡が柱の皆ならお館様経由で当然知ってるだろうと勝手に思い込んでいた、等々理由は少なからずあるが……それらの組み合わせは最悪であったし、冨岡の説明も不足していた。

 

 鬼殺隊の柱の皆さんは、完全に沈黙してしまった。

 

「……姉さん。この人全然駄目だわ。言われてもちゃんと説明できない。というかこれで説明終わったんじゃないの?」

 

「ま、まぁまぁ……そんな事言わずに……」

 

 完全に孤立した冨岡を擁護する声が聞こえてきたが、それも尻つぼみに消えていく。

 

 ──今まで、冨岡義勇という男は嫌われ者だった。

 

 普段は不気味なほどに口を利かないというのに、ひとたび喋れば人の癪に障る様な事やズレた事を言いだす始末。

 

 だから嫌われていた。しかし鬼殺隊解体を控えた今日、一人を除いてその評価は変わった。

 

 ああ、この人は駄目なんだな、と。

 

 しかしそんな冨岡を見ても何ら評価を変えなかった猛者もまた存在していた。

 

(よく分からないことを言う冨岡さん……素敵!)

 

 彼女は恋柱を務めていた甘露寺蜜璃。素敵な殿方を見つけるために危険が多い鬼殺隊に入り、柱にまで上り詰めた強かすぎる女性である。

 

 ──彼らこそが鬼殺隊を支える……いや、支えていた柱たちだ。

 

 ◇

 

 鬼が居なくなり鬼殺隊の存在理由が無くなった今、鬼殺隊を運営してきた産屋敷耀哉は、今まで命がけで戦ってくれた隊員たちに恩給を出すことにした。

 

 そしてそれは当然、多くの鬼と戦った柱たちにも。

 

 産屋敷耀哉は、柱たちに叶えられる範囲であればどんな願いでも叶えると言った。

 その言葉が伝えられたのは、耀哉の妻であるあまねからであったが。

 

 そう。現在の柱合会議に産屋敷耀哉は出席していない。

 何故か。

 

 それは彼の体調に大きな変化が現れたからである。

 

 産屋敷。彼らはその昔、鬼舞辻無惨を一族から生み出した家である。

 そして鬼舞辻無惨という鬼を輩出して以降、彼らの家から生まれる男児はみな、若くして死んでいった。

 無論産屋敷家の人間は早死にの理由を探り、その理由が鬼舞辻無惨にある事を突き止めた。

 以降、彼らは鬼舞辻無惨という一族の汚点を拭い去るべく、鬼殺隊の運営に奔走する事となった。

 

 そして、鬼舞辻無惨の討伐はなされた。そして鬼舞辻無惨が討たれた直後より、現当主であった産屋敷耀哉の体は快調の兆しを見せ始めた。まさしく異常事態である。

 だが産屋敷耀哉は冨岡義勇から無惨討伐は聞いている。

 無惨討伐により彼の一族にかけられていた呪いが解かれたのだろう。

 

 とは言っても実際にすぐに体が回復する訳でもない。今は医者にかかっていて安静にしている。

 その間の代理として、産屋敷あまねは緊急柱合会議に出席していたのだが……。

 

「……」

 

 産屋敷あまねは困惑していた。これは、口をはさんでいいものかと。

 

 しかし彼女の言葉は産屋敷耀哉の言葉。如何に柱たちが耀哉の事を尊敬し、認めてくれているとしても……流石に鬼を全面的に擁護するような事は言えない。

 いや、この場に居る誰もが鬼の擁護などしていないのだが……そうとしか取れない発言ばかり冨岡がするものだから、ここであまねが助け船を出すことも出来ない状況になってしまった。

 

 何せ彼女の言葉はお館様の言葉。夫の格を落とすような真似は彼女に出来なかった。

 

「……皆さま。本日は少し……具合がよろしくないようですので、また三日後の解隊式の際に願いをお伺いしたします」

 

 故に彼女に出来たのは、ヒートアップしてしまった会議を一旦終わりにする事だった。

 しかしその効果は絶大で、彼女が言葉を発した瞬間柱に皆々が姿勢を正し、産屋敷あまねの方を向く。

 

「……ご迷惑をお掛けいたします」

 

 そして、悲鳴嶼行冥が代表するように謝罪の言葉を述べて、この会議は終了となった。

 あまねは、夫に緊急柱合会議の惨状をいち早く伝えるべく、この場を一目散に退室した。

 

 ◇

 

「あまね殿も退室されたので失礼する」

 

「おい待てェ失礼するんじゃねぇ。てめェみたいな危険思想を抱く奴を自由にさせるとでも思ったかァ?」

 

 俺が退出しようとすると、それを塞ぐように不死川が立ちふさがってきた。

 

 ……なんだ? 

 

「……」

 

「まただんまりかァ? 毎度毎度人をイラつかせるのが上手い奴だなァてめェはよぉ」

 

「それほどでもない」

 

「ああんッ!?」

 

 心外な事を言われたので言い返してみると、不死川が思いのほか憤った様子で俺の襟元を掴みかかってきた。

 

「てめぇ……分かってやっているのかァそれはよぉぉ……!」

 

「無論。手を離せ不死川」

 

「……」

 

 不死川が今にも怒鳴りそうな表情で口をパクパクとさせ始めた。

 ……何か、俺に言いたい事が有るのだろうか。

 

「何か言いたい事が有るのならはっきりと言え」

 

「それはこっちの台詞だ馬鹿垂れがァァァァ!!!」

 

 不死川は襟元を掴んだまま、俺を一本背負いの様に放り投げた。

 あまりにいきなりな暴力。

 

「……」

 

 しかし皆、不死川の暴走に何も言わない。

 なんで……? 

 俺への当たりが強い気がする。柱合会議が始まってからずっとこうだ。

 

 ……いや、不死川や伊黒あたりとはずっとこうだった。何時も俺への当たりがキツかった。

 

 そんな事を考えつつ、地面に衝突する直前に完璧な形で受け身を取り、そのまま不死川から距離を取った。

 

「やめろ不死川! 隊員同士での争いはご法度だ!」

 

「だから! てめぇに言われたくねえっつーの!!!」

 

 不死川は何を言っているんだ……? 俺は不死川と争った事は無い。

 

「俺とお前とでは戦闘にすらならない」

 

「は?」

 

 また言い返して見ても、不死川の青筋が増えるだけ。

 何故だ。

 

「冨岡……いい加減にしろ。我々だけで無くあまね殿にもご迷惑をお掛けするなど……」

 

「……」

 

 俺と不死川が睨み合っていると、悲鳴嶼さんがじゃりじゃりと数珠を鳴らしながら詰問してくる。

 それは俺にとっても申し訳が無いところでもあった。故に言葉に詰まる。

 

「……お前を拘束する」

 

「……?」

 

 しかし、悲鳴嶼さんの言っていることはよくわからなかった。

 拘束……? 俺を……? 口を開こうとした瞬間、腕を掴まれた。

 

「いい加減大人しくしろ冨岡」

 

 伊黒だった。まさかまた俺に何か言いがかりをするつもりか? 

 そう思ったが違った。俺が逃げないようにするためか、俺の周りを柱の皆々が囲い始めたのだ。

 

「冨岡くん? その、少しだけ大人しくしててね?」

 

「姉さん。この人にそんな気遣い要らないと思うわ」

 

「ま、少しおとなしくしてんだな」

 

「うむ!」

 

「……」

 

 皆、乗り気で俺を囲んだかと思うと、悲鳴嶼さんの鎖で俺の両手と両足を縛り付けた。

 皆手際が良かった。

 

「……拍子抜けするほどおとなしくなったな……」

 

「ね、ねぇ皆? 流石に縛るのはやり過ぎじゃ……」

 

「胡蝶……お前は少々甘すぎる……如何なる理由が有ろうと上弦の鬼は人食い鬼……それを擁護するなど言語道断。そのような異常思想を持った実力者を野放しには出来ないだろう……」

 

「……」

 

 上弦の鬼を擁護。確かにそう捉えられても仕方が無いが、しかしそれがこの国一番の侍の最後の願い。

 何が何でも通さねばならない。

 

「ですが……もう少しだけ本人の話を聞いてあげませんか? 私、今まで冨岡くんが上弦の鬼をどうこうしている、という話を聞いたことが無いんです。それがいきなりこの状態ですから……」

 

「……ふむ」

 

 悲鳴嶼さんが思案するようにじゃりじゃりと数珠を鳴らす。

 

「……もうそいつの話なんて聞かなくても良いだろうがよォ……こいつの処分は切腹で決まりだァ……」

 

「ああ決まりだすぐにやろう。鬼殺隊の最後の仕事が隊員の不始末の尻拭いというのは情けないが仕方ない」

 

「ちょ、ちょっと不死川くん!? 伊黒くんも!」

 

 やけに切腹を迫って来る不死川と伊黒の両名から俺を庇う様に声を上げる胡蝶。

 

「何でそう結論を急いじゃうの!? 私悲しいわ!」

 

「ちッ……じゃあ胡蝶さんよォ……処分が決まるまでの間、コイツの身柄はしっかりとあんたン所で預かってくれんのかァ?」

 

「……ん?」

 

「そうだぞ胡蝶。文句が有るのならばせめて対案は出せ」

 

「……分かりました。彼は私の家で──」

 

「ちょっと待って! 姉さん!」

 

 何か話が纏まりかけた所で、胡蝶妹の方が大声で抗議しだした。

 胡蝶は随分と俺の事を気にかけてくれる良い奴だ。けれど妹の方はどうも俺の事が嫌いらしい。

 

「確認なんだけどね? 姉さんの家で預かるって事は……私の家にコレを入れるって事……?」

 

「コレだ何て言い方酷いわ! 冨岡くんって呼ばないと可哀想よ!」

 

 それは暗に俺の事を受け入れるという返事でもあった。

 それを理解したのか、胡蝶妹は絶望した表情で崩れ落ちた。

 

「……」

 

 そこまで……嫌いなのか……。

 俺の心が傷ついた所で、この騒動はお開きとなった。

 

 ◇

 

「……」

 

 俺は今、月明かりが差し込む道場の真ん中に、鎖に繋がれた状態で放置されていた。

 考え事をするのには丁度いい時間だった。だからこそ、思い返されるのは今日の柱合会議での事だ。

 案の定、皆反対の意を示した。唯一優しく接してくれた胡蝶でさえ、説明をしてくれの一点張り。

 

「……」

 

 もう駄目なのかもしれない。俺が出来る限りの説明は尽くしたつもりだ。だと言うのにこの体たらく。

 不甲斐ない。

 結局、あの侍との約束は守れそうにない。

 

「……」

 

 俺にはこれ以上、彼らを説得できる気がしない。

 

 鬼舞辻無惨を討伐してくれたあの侍に報いる事が出来ない申し訳なさ、そして何より自身の不甲斐なさに目頭が熱くなる。

 

「……」

 

 やはり俺は……柱になるべき人間では無かった。

 きっと錆兎なら……もっと上手く皆に説明出来ていた筈だ。

 俺はあの時死ぬべきだった。

 

 そう、鬼殺隊の隊士となる最終選別のあの時……。

 

 自身の心に渦巻く感情のまま、俺は身体に巻き付いていた鎖を外す。

 

「……」

 

 日輪刀は取り上げられてしまったので何か変わりを探さねばならない。

 ……しかし胡蝶の屋敷に来たのは初めてなので勝手が分からない。厠の場所すら教えてもらえなかった。

 だが確か、世話をしてくれるという少女が居た筈。気配からして扉の外か。

 

「……少し良いか?」

 

「え?」

 

 扉を開けると、すぐ横に髪を三つ編みにした少女が居た。

 

「台所に連れていって欲しいのだが……」

 

「え……あ! 良いですよ!」

 

 少女は一瞬不思議そうな顔を浮かべていたが、すぐに気を取り直した。

 

「何か作るんですか? お腹が空いたんですか?」

 

「……違う。腹を空かせるのに必要なのだ」

 

「へぇー……?」

 

 またもや不思議そうな顔を浮かべた少女であったが、結局そのまま台所まで俺を案内してくれた。

 

「包丁は有るか?」

 

「ありますよ!」

 

 はいっ、とどこからか取り出した包丁を俺に見せてくる。

 俺がそれを借りても良いか聞くと、彼女は快く頷いてくれた。

 

「……部屋に戻る」

 

「? 包丁は使わないんですか?」

 

「部屋で使う」

 

「……?」

 

 彼女はまたしても不思議そうに首を傾げているが、特に説明は求められなかったので大丈夫と言う事だろう。

 そうしている内に部屋に着いた。

 

「……少し良いか?」

 

「はい? 何でしょうか」

 

「少しの時間で良いから……部屋で一人にしてくれないか?」

 

「良いですけど……何でですか?」

 

「切腹する」

 

「へぇ……」

 

「……」

 

「……」

 

「この手紙は遺書だ。どうかお館様に渡してほしい」

 

「……」

 

「では」

 

 柱の皆を説得できなかった時の……最悪の場合のために新たに書き直しておいた遺書。

 それを惚けた顔をしている少女に渡すと、俺は道場へと入っていった。

 

「……」

 

 以前不死川がお館様に暴言を吐いた際、何故か皆の遺書が似通っているとお館様は仰った。

 

 きっと、今の俺の遺書も同じだ。

 この国一番の侍……彼……いや彼女……の願いが叶う事。そして上弦の壱、黒死牟の名誉が回復される事。

 そんな未来を願っている。鬼殺隊として、それが輝かしいものとは決して言えないが、それでも恩義ある彼たっての願いなのだ。 

 絶対に叶えなければならない。

 

「……」

 

 まるで役に立たない俺が最後に出来る事。それはお館様への直訴だ。

 

 一応、名目上の柱として、力及ばずであるが力の限り……結果が伴ったかはともかくとして……それなりに尽くしてきた俺の最後の願いだ。お館様だってきっと許してくれる。

 

 俺は道場の中央に座り、腹の部分の服を開ける。

 

「……」

 

 錆兎……姉さん……今そっちに……。

 

「……何やってるんですか? 冨岡さん」

 

「……」

 

「聞いてますか?」

 

 俺はちらりと声の方向……胡蝶妹の方を見る。

 何故……? まさか見届けに来てくれたのだろうか。介錯をしてくれようと言うのか……? 

 

「……」

 

 しかしいらぬ気遣いだ。

 俺はそのまま、手に持つ包丁を腹へと突き立てようとした。

 しかし。

 

「無視しないでくれます?」

 

 何故か俺の手を胡蝶妹に掴まれてしまった。

 何故……? 

 

「……邪魔をするな……胡蝶妹」

 

「胡蝶妹……? もしかして今までそう呼んでたんですか? 気持ち悪い呼び方で呼ばないでくれます?」

 

 ではどう呼べと言うのだろう。胡蝶妹は胡蝶の妹だろうに。

 

「……」

 

「……」

 

 俺が手に力を入れようとすると、胡蝶……妹もまた力を入れて妨害してくる。昼間はあれだけ切腹に乗り気だったと言うのにどういう事だ……? 

 しかしどういった理由であれ、俺は切腹せねばならぬ理由が有る! 

 

「離せ……! 俺は腹を切らなければならない……! 危ないから離れていろ……!」

 

「ぐっ……! こ、この人本気で……!? ぐくっ……ふんっ……ぐううっ……!!」

 

 切腹したい俺。何故か阻止しようとする胡蝶の妹。

 柱同士での訓練以外での戦いが、ここに始まろうとしていた。

 

 渾身の力を籠めて胡蝶の妹を振り払う。

 しかし胡蝶の妹は呼吸を使い、更に両腕を使って俺の切腹を止めにかかってきた。

 

 膠着状態が続く事数分。

 いつしか互いに本気になっていった。

 

「オオオオオオオオ!!!」

 

「ああああああああ!!!」

 

 絶対に負けない。俺の腹を割るまでは!! 

 互いに唸り声を上げての攻防。

 しかし徐々に……徐々にでは有るが俺の方が押してきている。

 

「くっ……! だ、誰かー! 人をっ、人を呼んで―!!」

 

「ヒュゥゥゥゥ……!」

 

「こ、呼吸まで……! だ、誰かー!! 姉さーん!!」

 

 ◇

 

「冨岡くん。これはどういう事なのかな?」

 

「……切腹しようとした。それだけだ」

 

「どう見てもそれだけには思えないんだけどなぁ……」

 

 場所は道場。

 その中央で冨岡は、鎖で完全に身動きが取れないよう巻きつけられ、その上吊るされていた。

 

「姉さん……この人……駄目だわ……」

 

「……うん。何だかよく分からないけど、頑張ったねしのぶ」

 

 もう、本当に息も絶え絶えといった風にしているのは胡蝶しのぶ。そしてその横には得意げにポージングをしているムキムキとしたねずみが居た。

 

 彼女は制したのだ。冨岡とのギリギリの勝負を。

 

 勝因は御覧の通りムキムキねずみ。

 彼らは宇随天元の使いであり"忍獣"。一応付けとくか、という理由で宇随から派遣されていたネズミたちである。

 名前の通りムキムキなので、柱たちの戦いの中冨岡の横っ腹をくすぐる位は訳無いのである。

 

 ムキムキねずみたちの妨害により一瞬気を抜いた冨岡は、その隙を突かれて包丁を取り上げられてしまう。すぐに包丁を取り戻そうとしたが、しのぶの全力の妨害、唐突に現れたムキムキねずみの面妖さに気を取られ、気付けば縛り上げられ吊るされていた。

 

「……それでね? 冨岡くん。何で切腹しようとしたのかな」

 

「それは……あの侍に報いるためだ。俺は彼の……彼女との約束を守れそうにないから」

 

 どこか悲しい目をしてそう呟く冨岡であったが、胡蝶はその言葉に少し違和感を覚えた。

 

「……冨岡くんって、いつの間に上弦の壱と出会ったの?」

 

「上弦の壱? 何を言っている胡蝶」

 

「? でも、約束をしたんでしょう?」

 

「いや、上弦の壱とは特に何も無いが……」

 

「?」

 

「?」

 

 両者互いに首を傾げる。

 

「あの……冨岡くんが約束をした侍って……」

 

「何を言っているんだ? 『この国一番の侍』だ。お館様から捜索の命が出ていたのだから、知らぬはずが無いだろう」

 

「……」

 

「……」

 

「……え?」

 

 きょとんとした胡蝶の呟きが響く。

 その瞬間、場を制したのは完璧なる静寂だった。

 

「……もしかして、知らなかったのか?」

 

「え……っと。その侍の事は知ってたけど……でも、冨岡くんが最後に会ったって……」

 

「そうだ。『この国一番の侍』。彼が鬼舞辻無惨を滅した」

 

「……それは……知らなかったかなぁ」

 

 そう。胡蝶は今の今までそんな事知らなかった。どうやって鬼舞辻無惨が滅されたのかという重要な部分は、何故か冨岡が報告しなかったから。

 そんなあやふやな情報でも柱の皆が信じたのは、お館様が冨岡の言葉を信じたから。

 

 一応胡蝶自身は冨岡の言葉も信じてはいたが……まさかまだ語っていない事があったとは思いもしなかっただろう。

 まさしく寝耳に水。裏切られた気分だっただろう。

 

「……」

 

 故に。

 胡蝶カナエの中で、冨岡の意味不明な発言全てが結びつき、現状の自殺未遂の理由に思い至ったころには。

 

「……胡蝶?」

 

「……姉さん?」

 

 それはもう、キレていた。

 

 ◇

 

「冨岡くん。重ね重ね言うけど、私は──」

 

「聞いてますか? 私の話を。じゃあどうして私がこう思ったのか言ってみてください」

 

「全然違いますよ? 冨岡くん、それ本気で言ってるんですか?」

 

「何黙ってるんですか? もしかして黙ってたら話が終わるとか思ってませんか? 冨岡くんってそういう所あるけど、それって全然よく無いですよ」

 

 説教に次ぐ説教。心にじんわりと響く言葉の数々は、ボディーブローのように冨岡を苦しめていった。

 この瞬間冨岡は理解した。何時もは優しい人を怒らせると怖いという事を。

 そして何より、キレた胡蝶は非常に怖いという事を。

 

 説教は日の出を迎えるまで続き……その後、胡蝶が改めて柱の皆に事情を説明し、晴れて冨岡は自由の身となった。

 

 そして。

 

「──水柱、冨岡義勇殿の願いは……上弦の壱、黒死牟の名誉回復、でよろしかったでしょうか」

 

「──はい」

 

「了承しました。今後、産屋敷家はその総力を挙げて、黒死牟の名誉回復に努めます」

 

「──ありがとうございます」

 

 鬼殺隊が正式に解体される式の場において、朗々と声を上げるのは次期当主となるであろう産屋敷耀利哉。

 ここに鬼舞辻無惨討伐の功労者、黒死牟の弟子の最期の願いは結ばれようとしていた。

 

「それにつきまして……一つ、冨岡殿にお願いが有ります」

 

 しかし。

 

「……うん。これは僕の方から言おうかな。義勇、実は君に協力してほしいんだ」

 

 現当主であり、今もまだ全身に痣が残るが今まで以上に元気そうな産屋敷耀哉が口を開いた。

 

「……協力、ですか」

 

「うん。君の願いを聞いてね。叶えるのには何が一番かと思った時……物語として残していくのが一番だと思ったんだ」

 

「……」

 

 勿論、それ以外の方法が見つかればそれでもいいけれど。そう付け加えつつ、産屋敷は言葉を続ける。

 

「義勇。君にそれを一任したい。当然、私も全面的に支援するよ」

 

「……」

 

「これは、直にあの侍を見た事が有る君が適任だと思うんだ」

 

 冨岡は一瞬、迷った。つい先日、自身の口下手が災いして自殺一歩手前まで行ったのだから。

 そんな自分が物語など紡げるのだろうか。はっきり言って自信がなかった。

 しかし、元より全てをお館様に任せるつもりは無かった。

 何故なら彼の願いを聞いたのも、受けたのも自分なのだから。

 

「──御意」

 

 そうして、彼は一も二もなく頷いた。

 



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主演しのぶ

 解隊の式より数か月。

 

 木漏れ日が差し込む屋敷にて一人、冨岡義勇は声高らかに叫んだ。

 

「──オンカラキリソワカ!! ピンコロピンコロ!! ジャンボゥゲーー!! アピポロピョーーン!! ブビデ・バビデ・ブーーー!!」

 

「……何やってるんですか?」

 

「──む……胡蝶か」

 

 自身を不審者でも見るかのような目で見つめてくる少女に気付いた義勇は、持っていた本を閉じて少女……胡蝶しのぶの方を向いた。

 

「これは自由な発想によって編み出した発声練習だ。これを全て噛まずに言うのは中々難しい。胡蝶もやるか?」

 

「死んでもいやです」

 

「……そうか」

 

 自由にも限度という物が有るだろ、と。飯を食っていけそうなほどに整っている顔を顰めつつ、しのぶはいつになく厳しい口調できっぱり断った。

 

「それで……態々呼び出して何の用ですか? まさかさっきの変な言葉を聞かせるために呼んだ訳じゃないですよね?」

 

 しのぶは既にイライラし始めていた。

 こちらは心配していたと言うのに、呑気に発声練習だとか訳の分からない事をやっているこの男に。

 

 ──実をいうと、しのぶ達はここ数か月の間全く義勇と連絡が取れていなかった。鬼殺隊解体の式よりずっと。

 しのぶからしてみれば自殺未遂をしたばかりの男がいきなり連絡も取れなくなったのだ。全く連絡が取れない状況に、正直言ってもう死んでいるのではないかと覚悟した位だ。

 

 そんな時分に来た連絡だったから、態々家に来たと言うのにこの状況。

 拍子抜けというかなんというか。変に心配した自分が馬鹿だったと肩を落としそうになる。

 

「違う……が、これに関係ある事だ」

 

 そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、何となしに義勇はしのぶへと持っていた本を差し出した。

 イライラを隠さずにその本を受け取ったしのぶは、その本の表紙を見て更に苛立ちを強めた。

 

「……呪文目録? 何ですかこの洋書は」

 

「そっちではない。もう一つの方だ」

 

 本気で馬鹿にされてると思ったしのぶは強気だったが……流石にこれは違ったようだ。

 渡された本をよく見てみると、何やら間にもう一つ紙の束が挟まっている。

 

「……読んでみてくれ」

 

 渡してきた本人は普段と変わらぬ仏頂面でそう言って来る。

 呼び出したのはこの本絡みか? 

 読まなければ話が進まなそうなので取り敢えず読んでみる。

 どうも何かの物語の様だ。

 

 何故こんな物を? 一瞬そう思ったしのぶだったが、よくよく読み進んでみると徐々に気になる箇所が見えてきた。

 

「……黒死牟、の弟子……?」

 

 黒死牟。それは、上弦の壱の鬼の名称であり──ある侍の師匠となる人物の名前でもある。

 

「そうだ。後に彼は、この国一番の侍を名乗り、鬼を狩る旅を始める」

 

 義勇が捕捉を述べてくれたが、言われるまでもなくしのぶはこれが『この国一番の侍』の物語であることに気が付いた。

 

「冨岡さん。何故私にこの物語を?」

 

「簡単な事。それがある程度の形になったのがつい先日の事だからだ」

 

「……」

 

 いや、聞いてるのはそこじゃないんだけど? みたいな顔で義勇を見つめるしのぶであったが、どうも義勇からの反応は芳しくない。

 はぁ、と軽くため息を吐いたしのぶは、もう一度義勇に言葉を投げた。

 

「だから、何でこれを私に見せたんですか? 何故? どういう理由で? 感想でも聞きたかったんですか?」

 

 矢継ぎ早に質問を投げかける。すると彼は少し遠い目をしながら語り始めた。

 

「……あれは確か三ヶ月前……」

 

「そんな所から延々と話されても困りますよ。嫌がらせですか?」

 

「……」

 

 何時もならもう少し優しめの言い方をしてくれるしのぶでは有るが、元々彼女は沸点が低い方に分類される人間である。

 その強く鋭い言葉は容易く義勇の心を抉った。

 

 義勇はしばらくの間言葉を失ったように黙り込んでいたが、遂に意を決して口を開いた。

 

「……胡蝶、お前に頼みがある」

 

「なんでしょうか」

 

「お前に『黒死牟の弟子』になってもらいたい」

 

 ◇

 

 いつもいつも。

 そう、何時も訳の分からない事を言う人だと思っていた。

 最初から話せと言えば一体どこから話すのかという程遡るし。

 もっと短くしてくれと言えば、今度は短すぎて何も分からない。

 

「……」

 

 今もそうだ。

 この人は何を言っているんだ? 

 

 何か月も消息を絶っていたのにいきなり連絡を寄越したものだから、心配して急いで来てみれば謎の単語を大声で連呼しているし。

 とうとう本当に頭がおかしくなってしまったのかと本気で心配した。

 

 こいつは本当に、何でこう人に心配させるのが上手いのだろう。あの時自殺まがいの事をした時だって、なほが泣きじゃくりながら私の部屋に突撃してきたものだから本当に肝を冷やした。

 しかもこっちが呼吸まで使って全力で止めようとしているのに、呼吸も使わず対抗してくるのだから質が悪い。

 

 何で? なんでそう、いつもいつもこちらの考えを飛び越えてくるの? 

 

「……もう一度、もっと詳しく教えて貰って良いですか?」

 

「俺の知る女性の中でも胡蝶、特に美人なお前に『黒死牟の弟子』になってもらいたい」

 

「ああ、もう良いです。分かりました。私は失礼しますね。その話はまた別に人にしてください」

 

「待て。失礼するな」

 

 一体どこを詳しくしているのだ。その情報が今重要なのか? 

 彼の中では重要なのだろうか。

 付き合っていられないとばかりに彼の家から出ようとすると、結構強めに腕を掴まれた。

 

「……離してくれます?」

 

「頼む。お前が頼りなんだ」

 

「……」

 

 ……いつになく積極的だ。彼が鬼狩り以外でここまで自分から動いているのは始めて見る。

 どうやら私が美人云々という所は、彼の焦りっぷりからして重要そうだ。

 けれどそれが分かったところで全く話が見えてこない。

 

「いえ、ですからね冨岡さん。何が何だかさっぱり分からないんですが」

 

「……」

 

「……せめてもう少し詳しく教えてくれませんか?」

 

「……三ヶ月前の事だ……」

 

 ああ、そこから話すしかないんだ。

 もうしょうがないので、彼の三ヶ月の軌跡に付き合ってあげることにした。

 

 ◇

 

 三ヶ月前。俺は『この国一番の侍』との約束を果たすにはどうするのが一番かと考えていた。

 既に物語の草案そのものは完成していたのだが、一番の問題は物語をどう表現するのかだった。

 

 書籍として発表するのか、もしくはお館様のお力を借りておとぎ話のように流布してもらうか。

 しかしどれも確実性に欠けるように思えた。

 書籍として世に出したものが一体どれだけの人の目に触れるだろうか。そもそも字を読めない者だっているだろう。

 ではおとぎ話はどうだろうか。確かに多くの人が知れるだろう。だがそれでは人によって話が捻じ曲がって伝わってしまう可能性が有る。

 

 なので俺はその間をとった。

 

 まず自身が語り部となり、各地を周りながら彼の物語を広めようとしたのだ。俺も別に語りが上手い訳では無いが、お館様に喋り方を教わる等、それなりに頑張ったつもりだ。

 

 だが結果は失敗だった。俺の語りは面白くないらしい。道行く人の足を止める事は出来なかった。

 俺の周りは随分と静かだった。

 

 しばらくはそれでもと頑張ってみたが、結果は芳しくない。

 なのでこれ以上は無駄だと思い、俺は一度切り上げることにした。

 あくまでも実験的な行動とはいえ、俺としては理想的な落としどころだと思っていた。だからこの結果にはとても落ち込んだ。

 

 そんな時だ。

 失意の中今後の事を考えていると、静かだったはずの周りが俄に騒がしかった。

 ふと顔を上げると、どうも西洋曲馬の劇団が来ているらしかった。 

 そこで俺は気付いた。彼らの周りには俺とは違い、足を止めて見るどころか金を払ってまで見たがる者までいるという事に。

 

 俺は直感的に理解した。

 これだ、と。

 

 ◇

 

「はぁ……」

 

 これだ、とはどういう事だろう。

 西洋曲馬と私が黒死牟の弟子をやる事と何のつながりが有るのだろう。

 

「というか冨岡さん。まさか今まで連絡が取れなかったのって……」

 

「そうだ。北は北海道の方まで行ったのだが……結果は芳しくなかった」

 

 随分と遠くまで行ったものだ。

 しかしそう言う事をするのなら、行動に移す前に何か書置きくらいは残しておいて欲しい。

 

「──それで、だ。俺は思いついた。西洋曲馬のような派手な動きならば、人目を集める事が出来る、と」

 

「はぁ」

 

「胡蝶は元柱。曲芸まがいの動きなど造作も無いだろうし、何より美人だ。これ以上の適任者は居ないだろう」

 

「……」

 

 まぁ確かに、曲芸程度の動きであれば出来るだろう。

 そこでようやく彼が再三語っていた黒死牟の弟子になってくれ、という言葉の意味にも見当がつき始めた。

 

 ようは黒死牟の弟子役になれ、という事なのだろう。

 だけどそれってつまり──。

 

「胡蝶。俺は『この国一番の侍』の物語を演劇として広めようと思う」

 

 ……まぁ、そういう事だろう。やけに私の見た目の事を気にしてたのも、演者として舞台に立ってほしいという事なら理解できる。

 

「……頼めるか?」

 

「嫌です」

 

 ◇

 

「しのぶ? 冨岡くんがまた来てるけど……」

 

「……はぁ。今行くって伝えといて」

 

「う、うん」

 

 昨日、一昨日ときっぱり断ったと言うのに、これで三日連続で家に訪ねた事になる。

 何が彼にそこまでさせると言うのだろう。

 寝間着の上に軽く羽織ると、そのまま玄関に向かう。案の定、彼は仁王立ちで玄関に立っていた。

 

「なんですか朝っぱらから。また勧誘ですか? 何度言われても私はやりませんよ? いい加減迷惑なので──」

 

「……いや、分かっている。今日は違う用事で来た」

 

 どうせまた、黒死牟の弟子役になってくれと言われるものだと思っていたから少し拍子抜けだ。

 しかし彼から用事とは珍しい。

 

「……」

 

 ……最近、彼の行動が以前とは変わりつつあるように思える。基本黙り込んでばかりの不気味な以前と違って自分から物事に関わろうとしてきている。

 だから、鬼殺隊の隊服に袖を通している姿も、以前とは少し違って見えた。

 

「土産だ」

 

「土産……?」

 

「ああ。昨日と一昨日は忘れていたが、ここには以前世話になっていたので買っておいた」

 

「……」

 

 そう言って差し出してきたのは結構な量の菓子だった。

 それも各地の名物のものばかり。

 以前世話になった……とは、彼が鬼を賛美しているという疑いがかかった時の事だろうか。

 

「……いいんですか? 安いものでもないでしょうに」

 

「以前、気も進まないと言うのに俺を受け入れてくれた礼も兼ねてる。気にするな」

 

 確かに、彼を家に泊めるのをとても嫌がって見せたけど……。

 何だろうかこの違和感は。彼と……冨岡さんと会話が通じている? 

 

「……」

 

 ここまで彼と話が通じているという事が少し気持ち悪い。

 いや、本当に申し訳ないと思うけど気持ちが悪い。まるで別人と話しているようだ。

 これは少し変わり過ぎでは? まだ若干会話に違和感を覚える事も有るけど、以前よりもずっと会話が通じるように思える。

 

「日持ちする物ばかりだが、早めに食べたほうが良いだろう。今日はそれを渡しに来た」

 

「……ありがとうございます」

 

「いや……こちらこそ何日も押しかけて悪かった。胡蝶……姉の方から聞いたが、医者になるんだったな。医者になるのなら演劇などしてる暇も無いだろう。事情を知らなかったとはいえ迷惑を掛けた」

 

「……いえ」

 

「勧誘はもうしない。では」

 

 彼は言うだけ言うと、本当にさっさと帰ってしまった。

 

 ……最後に、少し悲しそうな表情を浮かべながら。

 

 本当に、今日はこれを渡しに来ただけだったのだろう。

 

「……」

 

 冨岡さんは、表面上は以前の彼と何の変りもない。しかしトボトボと気力無く家へと帰る彼の姿は、柱時代には見た事が無い姿だ。

 彼は何時も意味不明だったが、柱としてはとても頼りになる人だった。例え仲間が戦いで死のうと顔色一つ変える事もなく次の任務に向かうような人だった。

 

 そんな彼と……今の彼の行動と合わせて思う。

 

「……」

 

 彼は変わったな、と。

 

「……医者になる、ですか」

 

 それは果たして本当に……私がしたかった事なのか? 

 分からない。

 この先どうすればいいのかなんて私には分からなかった。

 

 いや。そもそも考えた事が無かった、先の事なんて。

 今ある幸せの道が壊れてしまわないように、まだ壊されていない誰かの幸福を守るために、ただそれだけに必死だった。

 

 けれど自分が果たすべきと思っていた使命は、違う誰かによって果たされた。

 

 この後すべき事なんて考えた事もないのに。

 

 もう終わったのに、私の中では終われていない。

 

 隊服に着替える必要もなくなり、こうやってぐっすりと朝まで寝られる世界になっても、私は進んでいない。

 

 今までと変わらない姿で、それでも変わりつつある彼を見ていると余計にそれを考えさせられる。

 

「あれ? しのぶ、冨岡くんは?」

 

 と、思いにふけっていると姉さんの声が後ろから聞こえて来た。

 

「……もう帰ったわ」

 

「え~!? 折角なら朝ごはん食べていけばいいのに!」

 

「──それはいや!」

 

 拒否の言葉は、もう殆ど反射で口から発せられていた。

 

「なんでまた彼を我が家の食卓に招かねばならないの!? 私は絶対に嫌!」

 

 以前彼が切腹未遂をした日の朝食がまるでお通夜みたいになったのを覚えていないの姉さん!? 

 

「もう! しのぶ! そんな事言わないの! 冨岡くんが可哀想だわ!」

 

「でも! 冨岡さんとご飯食べてると息が詰まりそうになるわきっと!」

 

「むぅ……今は違うわよ」

 

「……え?」

 

 意図を掴めない返答に思わず疑問の言葉がこぼれ出る。

 

「冨岡くんね、今演劇を成功させるんだって頑張ってるのよ? お館様や宇随さんに師事して喋る稽古までしてるんだから!」

 

「……」

 

 疑問に思っていた事の答えが思いのほか早く見つかった。

 確かに、一昨日の奇行も発声練習だとか言っていた。

 

 しかしまさか、同僚だった宇随さんはともかく、お館様にまで教えを請いているとは思いもしなかった……って。

 

「なんで姉さんがそんな事知っているの……?」

 

「昨日聞いたわ!」

 

 確かに昨日、冨岡さんの頼みを一蹴した後に妙に話し込んでいるなと思ったけど……まさかそんな事を話していたのね……。

 彼が努力している……というのは分かった。

 しかしそれとこれとは話は別だ。私はそもそも、彼の事がそこまで得意ではない。

 

 私の滲み出る嫌そうな態度を見てか、姉さんがどこか神妙な顔で声を掛けてきた。

 

「……ねぇ? 冨岡くんの事、そんなに嫌い?」

 

「……別に、嫌いという訳では……」

 

 ……嫌いでは無いけど、不気味な人だとは思っている。

 何が起ころうと誰が死のうと柱が欠けようと……顔色一つ変えずに頷くだけ。

 勘違いではあったが、人間味を感じさせないままに前ぶれなく鬼を賛美しようという姿ははっきり言って恐怖を覚えた。

 

 確かに、喋る鍛錬をしているという今はその人間味の無さは薄れてきてはいるが……それでも依然として無機質さを感じる。

 

「……冨岡くんは、しのぶが思っているほど悲しい人じゃないよ」

 

「え?」

 

 私のそんな考えを感じ取ってか、姉さんは諭すように──。

 

「じゃなきゃ、柱になるまで強くなんてなれないもの」

 

「……」

 

 それでいて突きつける様に、変わらぬ事実のように私に示してきた。

 

「冨岡くんは、私達の知らないところでずっと努力してる。表に出ている部分だけじゃ分からないけど、ずっと辛い思いを糧に戦ってる。そんな事をずっと続けるなんて、心が冷たい人には絶対に無理だわ」

 

「……」

 

「それに……。柱になるには並々ならない努力が必要だってこと、しのぶも分かるでしょう?」

 

「それ、は……」

 

 そうだ。柱になるという事がどれだけ辛く、困難の連続であるのかは当然知っている。

 

 だからこそ分からないのだ。

 それだけの困難が有っても顔色一つ変えなかったのに。

 

 何で今になって、そんなに簡単に悲しそうに出来るんだ。

 なぜ今になって──。

 

「……もしかしたらしのぶには、冨岡くんが変わったように見えるかもしれない」

 

「っ……」

 

 胸中の思いをぴたりと当てられたことに少し驚く。

 

「でも冨岡くんの心は前と変わってない。ただ少しだけ、自分の感情を表に出せるようになっただけ。それだって、鬼舞辻無惨を滅してくれた彼に報いるために、彼の最後の願いを叶えるために必要だから」

 

「……」

 

「……だから……そうやって頑張っている人を、そんなに嫌わないであげて欲しいの」

 

 そうして姉さんは最後に、願う様に締めくくった。

 

 ◇

 

「……何か用か? 胡蝶」

 

「……いえ。大したことでは無いです」

 

 冨岡さんは意外とすぐに見つかった。

 

「冨岡さん。一つだけ質問をして良いですか?」

 

「なんだ」

 

 二つ返事で帰って来た言葉は了承の意。

 私はゆっくりと口を開いた。

 

「彼の……この国一番の侍の最後の願いが叶えられたら、次は何をしますか?」

 

「……」

 

 彼は暫くの間、質問の意図が読めないとばかりに困惑した様子であったが、それでも考える様に目をつぶると、口を開いた。

 

「詰め将棋」

 

「……」

 

「最近やれてないからな」

 

「……」

 

「質問というのはそれだけか? ならば失礼する」

 

「待ってください。失礼しないでくれます?」

 

 誰よりも真剣な表情で、馬鹿みたいなことを彼は言いだす。

 

 ああ……そうか。

 

 冨岡さんって、天然なんだ。

 

 思いもしなかった答えは、一気に私が抱いていた彼への印象を覆していった。

 思わず、本気で帰ろうとしている彼の腕をつかむ。

 

「……」

 

「……なんだ?」

 

 ……覆った印象で彼を改めて見直すと、あれだけ未知数だった彼がいきなり頼りなく見えてくる。

 素で詰将棋とか言いだすんだから。お館様が付いているとはいえ、本当に大丈夫だろうか。

 彼の理屈で行くと一生詰め将棋が出来なくなりそうだ。

 

「……」

 

 ──そんな危なっかしい彼だから……どうも、私はこの人の事を放ってはおけなくなってしまったようだ。

 

「いえ。実は一つ、言っておきたい事が有りまして」

 

「……?」

 

 冨岡さんの腕を掴んだまま、最後に、とても重要な事を彼に伝える。

 

「あの発声練習だけは──死んでも嫌ですからね?」

 

 そうして私は、鬼殺隊に居た頃には考えた事もなかった未来へと進み始めた。

 



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演技指導炭治郎

 随分と暖かくなってきた。

 それもそうか。もう夏になる。

 

 俺は木を切り倒し、額の汗を拭いながらそんな事を考える。

 

「兄ちゃん! また鴉来てるよ!」

 

「──ん?」

 

 と、後ろから声を掛けられる。

 振り返れば、竹雄が年老いた鴉を抱きながら此方に駆けてきている。

 

「また義勇からだって!」

 

「ああ。ありがとう竹雄。ちょっと兄ちゃん、この手紙を読んでるから、出来る範囲で良いから木を斬っといてくれないか?」

 

「任せとけ!」

 

 竹雄は俺の手から斧をひったくって、木を斬り始めた。

 最近、竹雄も仕事を出来る様になってきて助かるなぁ。もう少し経てば、俺が居なくなっても家の仕事は大丈夫になるなぁ。

 

 そんな取り留めのない事を考えながら、俺は手紙を開いた。

 

 

 木漏れ日が差し込む冨岡家にて、男は一人朗々と語りだす。

 

「ルプスレクス……狼の王か。そうだな、狼とは群れるもの。私には出来ぬ生き方だ。ここまでのようだな。さらばだ、鉄華団……」

 

「……何をやっているんですか? 冨岡さん」

 

「──む……胡蝶か」

 

 どこか威圧感すら感じる口調から一転、何時も通りの何を考えているか分からない天然な冨岡へと戻っていった。

 そんな、どこか既視感を覚える光景にしのぶは微妙な表情を浮かべる。

 

 義勇はしのぶのその微妙な表情を見て何を思ったのか、何かを差し出してきた。

 既視感に苛まれつつ、しのぶは本を受け取る。

 

「……火星の王? あの、義勇さん。これは──」

 

 以前の謎の洋書のように、またどこかから仕入れた本なのだろうか。あまり聞いたことが無い題名に、思わず呟いたしのぶ。

 しかしそれは悪手。

 しのぶはすぐにしまったと思った。

 

「あれは確か三日前……そう、夏の訪れを感じさせる温かい風が吹く夜の事。俺が店に出向くと──」

 

「そんな所からまた延々と話すつもりですか?」

 

「……」

 

 危ない。また長々と先程の台詞に至った理由を語られるところだった。

 しのぶはここ数日義勇の大量の語りに付き合わされているという苦痛を思い出し顔を顰めそうになる。

 

 ──義勇は今、お館様と元柱の宇随から語りの修行を受けている。

 その最中にて、宇随からこんな事を言われていた。

 

『語りが下手とか上手いとかそういう次元の話じゃねぇ。とにかくお前は思っている事全部一から十まで喋るようにしろ』

 

 それは義勇が今の状態で足掻こうが、そもそも語るという次元にすら到達しないという師からの残酷な答えであった。

 

 しかし義勇はめげる事なくただひたむきに語り続ける。

 その様な経緯の中、義勇は事の始まりから今に至るまでの全てを語るようになったのだ。

 

「……」

 

 そしてその被害に見舞われてばかりなのが何を隠そうしのぶだった。

 

 そう。あの日、義勇が作る劇の主演をやると決めたあの日からずっと。

 しのぶは業務連絡、演技の練習、等々諸々の理由でずっと、義勇の延々と続く会話に付き合わされていたのだ。

 

 しのぶはジトッとした目で義勇を見つめる。

 流石に一つの事を聞くために毎度毎度聞いていないことまで全部話されては困るというもの。

 

 そんなしのぶの視線を知ってか知らずか、義勇はどこか物寂しそうな雰囲気で本を見つめていた。

 

「また発声練習ですか?」

 

「……いや、これは演技の練習だ。なかなかこの男の心情を表すのは難しい」

 

 この男、とは先ほどまで義勇が演じていたこの小説の登場人物だろう。

 

「……」

 

 しかし何故そんな意味深な表情で本を見つめるのだろう。

 そう言う態度を取られると先程まで彼が演じていた男の事が気になって来る。

 

 そう思うしのぶではあったが、しかしここでその事を聞こうものなら今日一日が冨岡義勇の『火星の王』朗読会で潰れてしまう。

 

 気にはなるので後で貸してもらおう。そう心に決めつつ、しのぶは義勇に話を促した。

 

「それで冨岡さん。態々家まで呼び出して何の用ですか?」

 

 聞いてみると、義勇はその表情を何時もの無表情なものに戻して語りだす。

 

「……胡蝶。お前に会って欲しい人がいる」

 

「……はぁ。ちなみにそれってどこまで行くつもりで? 一応言われた通りに旅の準備はしてきてありますけど」

 

 そう言ってしのぶは、手に持っていた着替え一式が入った鞄を掲げて見せた。

 義勇からの手紙には、旅の準備をして家まで来て欲しいとしか書かれていなかった。

 

 何故こう毎度毎度手紙には何も重要な事を書かないのだろう。

 今まで彼と文通などした事が無かった為知らなかったが、彼は手紙でも寡黙なのか?

 

 しのぶが言葉には出さず心の中で愚痴っていると、義勇は実に重々しく口を開いた。

 

「……『この国一番の侍』。彼の物語の全てを知る少年……竈門炭治郎君に会いに行く」

 

 

「……」

 

「……」

 

 道中、彼は何時にも増して黙り込んでいる。

 ……いや、違うか。最近はぺらぺらと喋る事が多いので、ここまで黙り込むのは珍しい。

 その彼の態度も合わせて、疑問に思った事が私の口をついて出た。

 

「……あの、冨岡さん?」

 

「……なんだ」

 

「竈門炭治郎くん……でしたか。私に会わせたい人というのは」

 

「そうだ」

 

「……」

 

「……」

 

 会話が終わってしまった。

 最近の冨岡さんならばここぞとばかりに語り始めると言うのに。

 今までとは違う冨岡さんに不信感を抱く。

 

 私には疑問があった。

 

 竈門炭治郎くん。彼とその家族は鬼による最後の被害者にして、無惨の最後と『あの侍』の最期を看取った、冨岡さん以外の唯一の存在。

 

 特に竈門炭治郎くんは彼以外の唯一の生き証人。故に、彼らの一家に対する諸々の説明や保護等は完了しているが、まだ産屋敷家は竈門家と交流を持っている。

 

 そして、冨岡さんもまた竈門家と交流を図っているという。しかしそれは当然のようにも思える。

 何故なら、冨岡さんを除いて唯一『この国一番の侍』と話したことが有る家なのだから。

 

 だから、冨岡さんが竈門家まで行くと言うのは分かる。

 しかし──。

 

「あの、それで何故私が冨岡さんに付いていかなければいけないんですか……?」

 

「──それは」

 

 そう言って冨岡さんが口を開こうとした、その時だった。

 

「あれ……? もしかして、冨岡さんですか……!?」

 

 前方から声を掛けられた。

 額に大きく痣が有るが、素朴な出で立ちの素直そうな少年だ。

 彼は──。

 

「久しぶりだ。炭治郎くん」

 

 

「すみません……。炭を一緒に売ってもらっちゃって」

 

「気にするな。炭治郎くんの仕事の方が優先だ」

 

「ありがとうございます! ……あの、それでこの人は……?」

 

「彼女は胡蝶……しのぶだ。手紙に書いておいた、黒死牟の弟子役だ」

 

「あ! ()()胡蝶さんなんですね! よろしくお願いします!」

 

「……初めまして。胡蝶しのぶです」

 

 何だろう。

 

「じゃあ家まで案内します! 何も無い所ですけど、ゆっくりしていってください!」

 

「ありがとう。世話になる」

 

「……」

 

 この違和感。

 

 いや違和感どころじゃない。

 あれ……? この人(冨岡さん)さっきまでが嘘のように話し始めたんだけど。

 何? この置いてけぼり感は……。話を聞く限り文通での事を言っているみたいだけど、何? ()()胡蝶さんって。彼は一体どういう説明を炭治郎くんにしたんだ? 

 

 さっきまでの無言は一体何だったんだ?

 何だろうこの釈然としない感じ。

 

「あの、冨岡さん? それで、何で私が付いてくる必要が有ったんですか?」

 

「ああ、そうだった。──胡蝶」

 

 痺れを切らして、もう一度聞いてみた。

 

「炭治郎くんに演技を見せて欲しい」

 

「演技……って、黒死牟の弟子の演技ですよね?」

 

「そうだ。炭治郎くんは俺よりも長い時間『この国一番の侍』と接していた。ずっと彼について詳しい」

 

「ああ……なるほど。要は演技指導のため、という事ですか」

 

「──そうなる」

 

 ようやく合点がいった。確かに炭治郎くん以上に、黒死牟の弟子役の演技指導が出来る人間は居ないだろう。

 しかし何でそんな話せばすぐに伝わる事を一々言わずにここまで引きずったんだ?

 

 私達の会話を耳にしてか、先導している炭治郎くんが心配そうな顔で振り返ってきた。

 

「あの……もしかして、まだ胡蝶さんには伝えてなかったんですか?」

 

「そうだ。ぶっつけ本番の方がより今の実力に近いものが出せると思ったからだ。しかし胡蝶は毎日練習をしていると聞いている。心配はしていない」

 

「……」

 

 そう言う問題?

 釈然としない思いを抱きつつ、彼と炭治郎くんの後ろを付いていった。

 

 

 家に付き、落ち着く間もなく演技は始まった。

 はっきり言ってまともな準備など出来なかっただろう。なにせ今の今まで、しのぶさんは何で自分がここに連れてこられたのかも知らなかったのだから。

 けれどその演技は、正しくお弟子さんそのものだった。

 

『黒死牟先生! その剣技、感服いたしました! 弟子にしてください!』

 

「…嫌です…」

 

 正確に言うのであれば、あの時の……お弟子さんの気持ちが高ぶった時そのものだ。

 俺ははっきり言って慄いていた。

 

 凄い! 冨岡さんが絶賛していた胡蝶さんは本当に凄い!

 そして胡蝶さんの相手として立っている冨岡さんの黒死牟役も中々様になっている。

 

 それに合間合間に挟まれる殺陣も今まで見た事が無い程洗練されていて、実際に鬼と戦った事が有るんじゃないかと思わせる程だ。

 というかしのぶさんは鬼殺隊だったらしいので、実際に戦っていたんだけど。

 

 ともかく。

 やって欲しかった演技はここまで。けれどこれは予想以上だった。

 冨岡さんが絶賛していた理由が分かった。これは確かにはまり役だ!

 

「……はい! 大丈夫です! 凄いですしのぶさん! まさにお弟子さん! って感じでした!」

 

「胡蝶……お前は凄い演者だ」

 

 俺に同調して冨岡さんも褒めちぎっている。冨岡さんからは、演技が上手くいったからか安心したかのような匂いがした。

 

「は、はぁ……」

 

 けれど、俺と冨岡さんの大絶賛を受けたしのぶさんの反応は妙に悪かった。

 どうしたんだろう。何か気を悪くさせる事を言ってしまったのだろうか。

 そう思っていたが、どうやら俺達に何か聞きたい事が有ったみたいだった。

 

「あの、ずっと聞きたかったんですけど、本当にこの役って『この国一番の侍』なんですか……?」

 

「え? はい! お弟子さんは黒死牟さんの前だとそんな感じになっちゃうそうです!」

 

「は、はぁ……」

 

 俺は記憶を探りながら答える。

 でも確かに、俺もお弟子さんが黒死牟さんを前にしたら実際どうなるのかはよく分からないな。

 お弟子さんはが言うには、黒死牟さんの前では冷静ではいられないらしいけど。

 鬼舞辻無惨と戦ってた時みたいな感じなのかなぁ。

 

 そうして思い返されるのは、感情が高ぶって自信満々なお弟子さんだ。

 しのぶさんの演技はその時のお弟子さんにそっくりだ。

 

「……炭治郎くん。どうだろうか。この胡蝶を主役に据えて劇団を立ち上げるつもりだが」

 

「はい! 大丈夫だと思います」

 

「そうか……分かった。ありがとう」

 

 そう言って冨岡さんは軽くお辞儀をした。良かった、これでお弟子さんの願いが叶う足がかりが出来るんだ。

 俺は少し感極まって少し涙が出そうになってしまう。

 冨岡さんも無表情なまま嬉しい匂いを漂わせていた。凄い器用な事している。

 

「……劇団?」

 

 しかしそんな俺達を傍目に、困惑した匂いを漂わせたしのぶさんが冨岡さんを見ていた。

 

「ああ。胡蝶には伝えていなかったな。俺はこの後劇団を立ちあげる。お館様にそうお願いして、人員も確保済みだ」

 

「……」

 

「……え? もしかしてそれもまだ伝えてなかったんですか……?」

 

「ああ」

 

「……」

 

「……」

 

 俺としのぶさんは黙り込んでしまった。

 

 えぇ……? 俺はもう、しのぶさんには伝えてあるものだと思い込んでいた。

 何故か当の本人というか……主役のしのぶさんがその事を知らされていなかった。

 

 

 ──俺と冨岡さんは、文通や実際に面会してお弟子さんの物語について話していた。

 それはお弟子さんに命を救われたものとして、お弟子さんの最後の願いを聞いたものとして、立場は違っても思っていた事は一緒だったから。

 

 そして冨岡さんはずっと真摯にお弟子さんの事を考えていてくれた。それに、何時も送られてくる手紙ではずっと俺達家族の事を気にかけてくれていた。こうして会って見ても、ずっと俺達の事を心配してくれている。そう言う匂いがしている。

 冨岡さんは信頼できる人だ。

 

「──それでこの君が送ってくれた台本なんだが」

 

「え、あ……な、何か不味い事でも……」

 

 その冨岡さんが、黙り込んでしまったしのぶさんを放置して懐から本を取り出した。俺が送った台本だ。俺がお弟子さんから聞いた事を一言一句違わずに認めた物だ。

 どうしたんだろう。何か問題でも有ったのだろうか。困惑の匂いとか、怒っている匂いとかは感じないから変な事では無いと思うけど。

 

 ……いやいや! 違うそうじゃない! 冨岡さん! しのぶさん! しのぶさんの事を──!

 

「俺は問題ないと思ってる。一応の最後の確認だ。この台本で問題はないんだな?」

 

「……は、はい! 大丈夫です」

 

「了解した。では今回はこれで失礼する。劇団の件は任せておけ」

 

 しかし冨岡さんはしのぶさんの事など全く気にしていない様子で、全てを締めくくってしまった。

 

 まって! まだ失礼しないで! しのぶさんに何か言ってあげた方が……!

 

 と、俺の焦りを知ってか知らずか……大事なやり取りをするから遠くで見てて? と言っておいた下の兄妹たちが、もう終わったのかとこちらに駆けてきた。

 ちょっ!?

 

「ぎゆー!」

 

「……」

 

「ねーあそんでー!!」

 

「……」

 

「わーいたかーい!」

 

「ちょ、ずるいぞ六太!?」

 

「わ、私も―!」

 

 と、冨岡さん!? 

 冨岡さんは顔色一つ変える事なく六太や花子、茂と遊んでくれている。

 あ、あれぇ?

 

「お、お前たち! 冨岡さんに失礼だって……!」

 

「俺の事は気にしなくていい」

 

「え、ええ……!?」

 

 しかも、どこか楽しそうな匂いを漂わせている。

 

 駄目だ。文通していた時よりも理解が追いつかない。

 この人やばい。

 どういう気持ちの顔これ。

 

「……はぁ」

 

 と、後ろからため息が聞こえてきた

 言うまでもなくしのぶさんだ。

 

「あ、あの……」

 

「……少し周りの景色でも見てきます」

 

「え……あ」

 

 言うが早いか、しのぶさんはさっと行ってしまった。

 ど、どうしよう。しのぶさん……絶対怒ってる。というか怒ってた! そう言う匂いがずっとしていた。家に来た時からずっと。

 

 もしかして……さっきみたいなことをずっとしていたのか冨岡さんは。

 だからずっと、しのぶさんは怒ってたのか……?

 

 ……冨岡さん……。

 

 良い人だと思うんだけど、なんていうかこう……配慮かな? 配慮が欠けているというか。

 

「……冨岡さん!」

 

 というかこのままだとしのぶさんが不憫だ。少しは本人の口で説明をしてもらった方がいい。

 俺は六太達と遊んでいた義勇さんの手を取った。

 

「どうした炭治郎くん」

 

「少しお話があります!」

 

 

 どうしたと言うのだろう。

 少し疎外感を覚えただけだと言うのに。

 

 思わず、またため息を吐いてしまう。

 そのため息と同時に燻っていた考えが思い起こされる。

 

 何故、炭治郎くんには諸々全てを教えていたのだろう。

 冨岡さんと炭治郎くんは文通をしていると聞いた。

 私も冨岡さんに手紙を貰った。けど、その内容は有って無いような物。

 

 何故? 何故そんな差が生まれるの? 同じ内容のものを私に送れば良いだけなのに。

 

 そのちょっとした差に心がささくれ立つのだ。

 

 そしてそこまで考えて、自分がちっぽけな事でいじけているという事に気付いてまた息を吐く。

 

「……何をしているんでしょうか。私は」

 

 崖の淵に座って、空を見上げる。

 綺麗な空だ。『この国一番の侍』もこうして空を見上げたのだろうか。綺麗だと思ったのだろうか。

 

「──おーい! しのぶさん!!」

 

「──ん?」

 

 と、空を見上げて考え耽っていると、後ろから声が聞こえてくる。

 果たして、振り返ればそこにいたのは炭治郎くんと……冨岡さんだった。

 炭治郎くんは私の姿を見て、どこか安心した風に息を吐いた。

 

「──良かった! あまり遠くには行って無かったんですね!」

 

「……ああ。すみません。気を遣わせてしまったみたいですね」

 

 そして語られた言葉からして、どうやら気を遣わせてしまったようだ。

 

「ほら、冨岡さん! ちゃんと説明しないと!」

 

「……ああ」

 

「……」

 

 そして何故か付いてきてる冨岡さん。

 ……いや。理由は分かる。炭治郎くんは、まだ会って間もないと言うのに私がいじけていた理由が分かったのだろう。

 

「……胡蝶」

 

「……」

 

 彼の言葉を待つ。

 

「炭治郎くんから聞いた。すまなかった、確かに説明が足りていなかった」

 

「……いえ、いいですから」

 

 そして反射的に出て来たのは、まるでいじけた娘のような言葉だった。

 そんな自分が恥ずかしい。私は何をしているのだろう。

 

「劇団の件は、演技の重しにしたくなかったからだ。主役ともなれば、身に感じる重圧も辛いだろう。余計な事を伝えて混乱させたくなかった」

 

「……ああ。そう言う事ですか」

 

 冨岡さんは……思いのほか優しい口調で、諭すように言って来る。

 冨岡さんの言う理屈は、分かる。思いのほか私の事を考えてくれていたんだなと思う。

 しかし。

 

「でも……ならば何故手紙に碌な事を書かないんですか? 今回だってそうです。私、炭治郎くんの所に行くなんて、今日初めて知りました」

 

 口を突いて出たのは冨岡さんへの不平不満だった。

 ああ、嫌だ。

 これじゃ本当に大人と子供──。

 

「……俺はお前と話したかった」

 

「……え?」

 

 自身の口の軽さに辟易していると、冨岡さんから返って来たのは今までとは比べ物にならない程子供っぽい言葉だった。

 

「手紙で語れることなど、自分の口で語ってみたかった。だがそれが駄目だった。俺は弁が立たないから、一から十を全部言わなければまともに伝わらない。だが、それでは聞く側のお前に負担ばかりかけていると……そう思ってた」

 

「……」

 

「事実お前は毎度うんざりした顔で俺の話を聞いていた。……申し訳ないと思って、先日から話すのを自粛していた」

 

「……」

 

「すまなかった。今度からは全てを話そう」

 

 けれど彼は子供ではない。しっかりと考えていた。

 ……なんだ。そう言う事だったのか。

 

 半分くらいは私が悪かったのか。

 

「冨岡さん」

 

「……」

 

「今度から、じゃなくて今から話してもらえます?」

 

「ああ。分かった」

 

 そう言って、冨岡さんは私のすぐ隣に立った。

 

「……立ったまま?」

 

「座って良いのか?」

 

「……別に良いですけど」

 

 そこまで言うと、ようやく彼は私の隣に腰かけた。

 

「……あれは確か三日前……そう、夏の訪れを感じさせる温かい風が吹く夜の事」

 

「……」

 

 やっぱりそこからか。まぁ、今度からはちゃんと聞いてあげよう。

 

「……?」

 

 そう言えば炭治郎くんは?

 振り返ると、炭治郎くんはいつの間にか姿を消していた。

 

 

 あれから二人は仲直りできたみたいで、暫くしたら家まで帰ってきた。

 

「今回は迷惑をかけてごめんなさい、炭治郎くん」

 

「い、いえいえ! 二人が仲直りできたなら俺も嬉しいです!」

 

「……仲直り……まぁ、頑張るわ……」

 

「……」

 

 しのぶさんだけ妙に疲れている感じなのが気になったけど……しのぶさんのさっきまでの怒った匂いは無くなっていたので、仲直りは出来たのだろう。

 

「……炭治郎くん」

 

「? どうしたんですか冨岡さん」

 

 と、冨岡さんが俺に話しかけてきた。

 どうしたんだろう。何時にも増して緊張した匂いがする。

 

「あの件の事、考えてくれているか?」

 

 だが緊張の理由は直ぐに分かった。

 

「……はい。一応、前向きに」

 

「分かった。準備が出来たら俺を呼んでくれ。では……」

 

 そう言って、冨岡さん達は帰っていった。

 

「……」

 

「お兄ちゃん? どうしたの?」

 

「ん? ああ、ちょっと考えごと」

 

 黙り込んだ俺を心配してくれたのか、禰豆子が声を掛けてきた。

 

 禰豆子。あの時、もしかしたら死んでしまっていたかもしれない……俺の妹だ。

 いや、禰豆子だけではない。俺達家族、全員お弟子さんが助けてくれた。

 

「……? お兄ちゃん?」

 

「……何でもないよ。さ、家に戻ろう」

 

 俺もそろそろ、皆に話さなくちゃいけないな。

 

 俺が冨岡さんの立ち上げる劇団に入るという事を。

 



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演出珠世

 夏の訪れを感じさせる温かい風が吹く夜の事。

 俺はその店を訪れた。

 

「あぁ~……もっとだ! もっと酒持ってこい!」

 

「あんた、ほどほどにしときなよ?」

 

「良いって良いって! 兄貴、俺ぁまだ飲めるぜ!」

 

「おうおう、飲め飲め!」

 

「もう! やっちゃんもあんたもしょうがないんだから……」

 

 既に店内は騒がしく、酔っぱらいたちが各々楽しそうに食事をしていた。

 当たり前の幸せを、当たり前の様に享受している光景だ。

 俺はそれが何より尊いものだと思っている。

 

「……」

 

 鬼が居なくなってからは余計に、そう思う事が増えた。

 

 だからこそだろう。

 俺はそんな、目の前に広がる当たり前の幸せに……どこか強烈な違和感を覚えたのだ。

 

 ◇

 

「痛っ……なんだてめぇ」

 

「……すみません」

 

「おい待てよ!」

 

 暗い路地裏。酔っぱらいが一人の女性に絡んでいた。

 

「すみません。急いでおりますので……」

 

「あんた俺に当たりに来てただろ……ムカつくぜ。青白い顔しやがってよお。今にも死にそうじゃねぇか」

 

「……」

 

 すれ違う時にどこかぶつかったのか、三人の酔っぱらいの内の一人が喚いている。

 その内容はあまりにも一方的で、無茶苦茶な理屈だった。

 酔っぱらっている故か、女性に絡んだ彼はとても気が強くなっているようだ。

 

 一瞬即発の空気が流れる。

 

「やめなよ」

 

「……ああん?」

 

 故に──俺が割って入った。

 

「んだてめぇ……って、何だその腰の刀! 侍でも気取ってんのか!」

 

 久しく感じる事の無かった戦闘の兆し。

 全集中の呼吸により開かれた感覚が鋭敏に情報を感じ取る。

 気配は……五つ。

 

「……」

 

「……何とか言えやゴラァ!!」

 

 男の連れ添いの男女二人組は、特に俺や女性に興味を向けることなく動向を見守っていた。

 できればそのままずっと見守ってくれているとありがたい。あまり刃を振るいたくはないから。

 

 俺は喚き散らす酔っぱらいの男を傍目に、腰に差してある刀を抜き放った。

 淡い空色をした刀。それは薄暗い路地裏に差し込む月の光を反射し、妖しく光った。

 

「……お、お前マジで刀を……? あ、頭おかしいんじゃねぇか!?」

 

 そして刃を見せた瞬間、酔っぱらいの態度が急変した。

 まさか本当に刀を持っているとは思わなかったのだろう。

 今まで動向を見守っていただけの男女二人組も、酔っぱらいの男を庇う様に前に出てきた。

 

「おい……てめぇ、頭おかしいのか? ただの喧嘩に刀持ち出すなんてよ」

 

「そうだそうだ!」

 

「お、おいあんた! こんなのと関わっちゃいけないよ! やっちゃんも!」

 

「……」

 

 そんなに何度も頭おかしいとか言われると流石に傷つく。

 何時の間にか俺の方が悪者のようになっていた。

 

「……早くここから出た方が良いよ」

 

「この期に及んで脅しまでするのかてめぇ! そこ動くんじゃねぇぞ! 直ぐに警官呼んでやる!」

 

 俺の言葉をどう受け取ったのか、彼らは今までの絡みっぷりはどこへやら。さっさと表通りへと逃げていった。

 警官を呼ばれるのは困るが……まぁしょうがないか。

 

「……」

 

「……」

 

 そして彼らが去った後。

 自然残されたのは、俺と先程まで絡まれていた女性だった。

 

「あの、ありがとうございます……」

 

「気にするな」

 

「……あの、それおもちゃですよね?」

 

 女性がおずおずと俺に話しかけて来たかと思うと、伺うように俺の刀の事を尋ねてくる。

 

 さて、彼らが本当に警官を呼んだとして……後どれ程で来るだろうか。

 酔っぱらいの証言を本気にするとも思えないが……しかし一応確認のために来る可能性はある。

 そんな事を考えながら……先程まで絡まれていた女性に目を向ける。

 

 妙齢のうら若き女性だ。

 

 だが……確かにあの酔っぱらいの言う通り、肌が病的に白い。

 そして何より目だ。目の瞳孔が猫のように縦長になっている。

 

 これらの身体的特徴は鬼の特徴に近い。

 

「……」

 

「……」

 

 風が凪ぎ、嫌な沈黙が辺りを包む。空気が張り詰める。

 彼ら三人の気配が消え去り……残る気配は二つ。

 

「やはり居るな。……そこか」

 

「!?」

 

 それは殆ど反射の領域だった。漠然と感じていた違和感をもとに腕を振るう。

 しかし刀には確かな感触が有り……何かを斬っていた。

 

「っ、珠世様!!」

 

 直後、何も無かった筈の空間から男が現れる。

 やはりいた。先ほどから感じていた気配は二つ。一つは女、もう一つは血鬼術で隠れていた。

 

 ああ、これで彼らが鬼である事が確定的になってしまった。

 

 ──お館様は鬼舞辻無惨が討たれれば、全ての鬼は滅されると予測された。

 そして事実、鬼が消滅した所を観測した鬼殺隊隊員も居る。けれど彼らは依然としてここに存在している。何故彼らは滅されていない。

 彼らを迎え撃つように、正面に構える。

 

「お前!」

 

 現れた男は女性を庇う様に立つ。彼も気配からして……鬼か? 変な感覚だ。

 消えていたのはあの女の鬼の血鬼術か? それとも男の方か? 

 

 いや、今は鬼の存在そのものを疑っている暇は無い。俺の背後には人通りの多い道が有る。ここで対処しなければ人に害が及ぶ。

 

「俺は……柱だ。二人がかりだろうと貴様たちを滅する位は訳無い」

 

「っ、珠世様……!」

 

 男の方の鬼は、牙を隠さずに俺を威嚇する。

 反応からして、俺の脅しは上手く機能しているようだ。

 

 今のところは順調だ。とは言いつつも……さて、どうしたものか……。

 

 考えを巡らしつつ、俺は()()()()()を握りしめたのだった。

 

 ◇

 

 兆候というものは、有ったと思う。

 およそ十年ほど前から私を探る目が減ったように思える。

 いや、最早減ったという話ではない。

 

 鬼の殆どが消え去った。

 

「珠世様。ご飯でも食べに行きませんか?」

 

「ご飯……ですか? ですが愈史郎、態々そんな人目につくような事は……」

 

「いえ! 最近の鬼舞辻無惨の動きを探るためにも必要だと思います! 決して珠世様とお食事がしたいという下心からでは有りません!」

 

「愈史郎? 最後のは別に言わなくても良かったのでは?」

 

 そういう風に言われても困ってしまう。彼が私に並々ならぬ感情を向けてくれているのは分かるけれど、私は一体どういう表情をすればいいのだろう。

 

 愈史郎……私が鬼にした青年。

 

 私は彼と一緒に、人を鬼に戻す研究をしている。

 

 ──私が鬼になったのはもうずっと昔の事。

 病により床に臥し、もう余命も幾ばくかと言ったころ……あの男は現れた。唯一、人を鬼にする事が出来る存在、鬼舞辻無惨。

 奴は私にこう言った。

 

『女。随分と苦しそうだ。明日にでも死んでしまいそうだ。名前は何という?』

 

『珠世か……良い名前だ。珠世、どうだ? 生き永らえたくないか?』

 

 それは、当時子供の将来を見守れないことに絶望していた私にとって、仏様が差し伸べてくれた救いの手に思えた。

 

『ああ……これは夫と……子供も食ってしまったのか。だが悔やむ事は無い、貴様は人を超えた存在に至ったのだ』

 

 しかし気付けば、私は見守る筈だった子供を食い散らかしていた。

 あの男は鬼になる事の副作用を黙っていた。私は食欲に抗えず、自身の子供と夫を食らっていたのだ。

 

 私は取り返しがつかない事をしてしまった。あのまま死んでいればよかった。

 

 差し伸べられた手は仏のものでは無く、まさしく鬼が差し伸べた手だった。

 

『何をそう怒る事が有る? 既に貴様の肉体は永遠となった。これ以上の喜びは有るまい』

 

 いけしゃあしゃあと宣うあの男に、気付けば私は逆らうことも出来なくなっていた。

 鬼舞辻無惨に逆らう事が出来なくなる。あの男が掛けた呪いだった。

 

 その後、私は我を失ったかのように人を食らった。

 何人も何人も、私は殺した。

 そうしていく内、私に血鬼術という超常の力が芽生えてくる。血を媒介として相手に幻術を見せる事が出来る血鬼術。応用の利く血鬼術に目を付けたあの男は、私を自身の側近として使うようになる。

 はっきり言って地獄の日々だった。考えは読み解かれ、逆らう事すらままならない現状。

 そんなあの男への恨みすら霞がかってきたころ。

 

『貴様……そうか、あの男の……だが、呼吸を使う剣士には()()()()()()()

 

 彼との初めての出会いは、神との対峙に近かった。

 

 彼は圧倒的な生命力に満ち溢れていた。

 太陽が発する光を彷彿とさせる青年だった。彼の放つ光が、鬼となり人を食らった私やあの男すら温かく包み込もうとしていた。

 

 そんな、鬼の天敵である太陽を彷彿とさせる彼に対して、あの男はあまりにも無防備に攻撃を開始した。

 鬼として……生命として、頂点に立つ実力を持つあの男が腕を振るう。まさしく必殺の一撃と言えるだろう。

 しかし彼はそれをゆるりと避けたかと思うと、瞬き一瞬の内にあの男を小間切れに斬り裂いていた。

 

 今までの鬼狩りの剣士などと、比べるまでもない実力だった。

 

 私は……私は何時になく高揚していた。

 常であればそれこそ一瞬の内に傷を癒している筈のあの男の傷が癒えない。

 あの男も自身に何が起こっているのか分からぬ様子で困惑していた。

 

 その異常事態が……もしやという気を高めさせた。

 

『何が楽しい? 何が面白い? 命を何だと思っているんだ』

 

『……』

 

 あの男はあの時、完全に敗北していた。

 陽の光を思わせるあの青年……縁壱さんに。

 

 後ほんの少しだった。

 あの男の命がもう終わろうとしたその時だ。

 アイツは……鬼舞辻無惨は全身の肉体を勢いよく弾けさせ、逃亡した。

 

 あまりの光景に呆然とした。

 どう言う事だ。頸を斬られたと言うのに。まさか……頸の弱点を克服していたと言うの? 

 

 縁壱さんは飛び散った肉片の殆どを斬り伏せたが、それでもあの男は逃げ延びた。

 私が死んでいないのがその証拠だった。

 

 私は慟哭し、倒れ込んだ。

 

『もう少し……もう少しだったのに……』

 

 怒りとあまりの喪失感から、私は禁忌を犯そうとしていた。

 

『死ねば良かったのに! 生き汚い男!! 鬼舞辻無惨……!!』

 

 鬼舞辻無惨が全ての鬼にかけた呪い。

 それは絶対服従以外にも存在する。あの男の名を口にしてはいけないのだ。口にしたが最後、鬼の細胞が暴走し、その鬼を殺すのだ。

 私はその禁忌を破った。

 しかし。

 

『……死なない……何故私は死なない?』

 

 何故か、私は死ぬことは無かった。

 どう言う事だ? 異常事態の連続に取り乱しそうになる。

 

『……落ち着いてほしい。一体何が有った?』

 

 そんな私を、当の縁壱さんが宥めてくれた。

 私は未だに混乱する頭で、ある一つの仮説にたどり着く。

 

『まさか……呪いが弱っている? 鬼舞辻無惨が死に掛けて衰弱しているから……』

 

 そうして体内を探って見ると、常とは違う感覚が有った。

 鬼の細胞の中でも特に酷く弱った細胞が有る。額の中心、脳の中央の細胞だった。

 これは……まさか、これが鬼の呪い? 

 この呪いの細胞が弱っている間は情報を漏らしても殺されないのか? 

 

 その事を確認するかのように、私は縁壱さんに鬼舞辻無惨についてのありとあらゆる情報を渡した。

 ……そして、恐らくあの男はもう、縁壱さんが死ぬまでは姿を現す事が無いであろうことも。

 

 あの男の本質は臆病者だ。常に付きまとう死の匂いから逃れる事しか考えていない。

 故に、死の間際まで追い詰められたあの男が縁壱さんの前に姿を現す事は決してない。

 

『……そうか』

 

 その事を伝えると、彼は能面の様な表情をピクリとも動かさずに私に協力を求めてきた。

 意外だった。私は今すぐにでも殺されるものだと思っていたから。

 

 けれど、それは願っても無い申し出だった。

 あの男に復讐する事が出来る。

 

 今回の事で私は鬼の呪いを解く方法の切っ掛けを掴むことが出来た。たとえ時間がかかろうと……絶対に呪いを解いていやる。

 

 そしてあの男を殺す。

 

 今まで霞がかっていたあの男への恨みが胸の内からあふれてくる。

 

 そうして彼と別れてからほどなくして、自身にかかった呪いを解除することに成功した。

 鬼の体を研究していく過程で、何度も自身の体を研究し改造し……結果として私は、人を食らわずに血のみで生きていけるようになった。

 そしてとうとう、人間を鬼にする事に成功した。

 それが愈史郎。

 彼もまた、人の血のみで生きていける鬼。

 

 私達は今、医者として生活している。貧しい人たちから少しずつ血を売ってもらいながら、鬼舞辻無惨を倒すため、鬼を人に戻す薬を開発している。

 鬼舞辻無惨に見つからないよう、場所を変え姿を隠して。

 

 ──けれどある時、ちくりとした違和感を覚えた。

 額の中央、鬼舞辻無惨の呪いが有った場所。

 

 本当に少しの違和感。けれどどこか覚えのある感覚に私は心が揺らいだ。

 鬼からの監視の目が全く無くなり。鬼狩りの方々の姿が、浅草という人が集まる街からすら消え去ったという現状。

 

「……そうね、愈史郎。少し外に出ましょうか」

 

「……! はい!!」

 

 愈史郎は聡い子だ。きっと彼も感づいている。

 鬼舞辻無惨が討たれた、という事に。

 

 そして今。

 

「珠世様……!」

 

 柱であるという青年に、私達の姿を捕捉されてしまった。

 

「……」

 

 柱……鬼狩りの中でも上位の実力を持つ剣士。

 私達はそれほど鬼狩りの方々を知らないけれど、彼らの存在は知っている。

 他の鬼狩りの剣士の多くは鬼に殺されて行くばかりであるが、柱の剣士は違う。下弦程度の力を持つ鬼であれば殆ど瞬殺できるほどの実力。

 

 私達が一番出会う事を避けていた剣士。

 

「……」

 

 彼は、今まで見てきた鬼狩りの剣士とは比べ物にならない重厚な様、威厳すらある。

 恐らくは相当な使い手。怖気が止まらない。体が戦闘を拒否している。

 

 本当に、一人だけで私たちを殺しつくしてしまいそうだ。

 

「お前たち……名は何という」

 

「! ……俺は……愈史郎。お前に教えてやる名前はそれだけだ」

 

「……まさか、愈史郎!?」

 

「……貴方は早く逃げてください。最初から……食事に誘った俺が悪かったのです」

 

「……そんな!」

 

 本気だ。本気で愈史郎は……。

 彼は懐から血鬼術の媒介となる札を取り出し、私に貼り付けようとしてくる。

 

「待ちなさい! 愈史郎!!」

 

「……待て。お前たちが逃げる前に聞きたい事が有る」

 

「あんな鬼狩りの言葉に耳を傾ける必要は有りません。さあ急いで──」

 

「お前たちは何故死なない……鬼舞辻無惨は既に死したと言うのに」

 

「!?」

 

 予想はしていた。けれど、鬼狩りの剣士の口からその言葉が出てくるという事は──。

 

「──そうか。やはり存在していたのか……鬼舞辻無惨の支配から逃れた鬼が」

 

「……え?」

 

 そして立て続け様に語られた内容は、私達の思考に幾ばくかの空白を生み出した。

 

「──!?」

 

 その空隙を穿つかのように、柱の剣士はこちらへと駆け出した。

 

「──愈史郎!」

 

「っ、はい!」

 

 私は愈史郎が差し出してきた札を受け取ると、それを体に取り付ける。

 逃げるつもりは無い。そもそも、あの剣士は愈史郎の血鬼術を初見で看破していた。

 ならば──。

 

惑血・視覚夢幻の香

 

「! これは──」

 

 柱の剣士をどれだけ足止めできるかは分からない。

 けれどこれで確実に隙は作れた。

 

「……男も消えた……」

 

 その間に愈史郎も消える事が出来た。

 このまま最大出力で血鬼術を使い、術の濃度を上げ幻術の強度を上げる。

 その隙に逃げる……! 

 

「……この特殊効果……初見だ。面白い……」

 

 私達がいざその場を離れようとした、その時だった。

 

水の呼吸 陸ノ型『ねじれ渦』

 

 柱の剣士は小さく跳ねたかと思うと、その場で異様な速度で回転しだした。

 その渦は風を産み、私の惑血を飲み込んでいった。

 

「な……!?」

 

 私が血鬼術を見せたことなど殆どない。つまりは完全なる初見の技。誰であろうと十秒は確実に稼げたはずなのに。

 なのに……あまりにも対応が速い。

 侮っていた訳では無い。けれどこれが柱の剣士……! 

 

「──そこか」

 

「あっ……」

 

 回転を終え着地した柱の剣士は、見えていない筈の私達の方を確実に向いていた。

 そして──。

 

「っ、逃げ──」

 

 彼の振るう刀は、まず愈史郎の札を斬り裂いた。

 愈史郎は姿が見えようと柱の剣士に組み付こうとするが、流れるような動きで足払いされ、地面に叩きつけられる。

 

「あっ……」

 

 そして、次の瞬間には私の額の札を斬り裂いていた。

 

 現代の鬼狩りの剣士がここまで実力を付けていたなんて。

 縁壱さんには遠く及ばないだろう。けれど、当時の柱を優に凌駕する実力だ。

 

 駄目だ。私の血鬼術や身体能力では決して太刀打ちできない。

 場が騒然としている場所であればどうとでも対処できただろうが……柱の剣士たちは五感が鋭い。真正面から消えた所で何の効果も得られない。

 

 駄目だ。詰み、だ。

 私はその瞬間、生き残る事は諦めていた。どうにかして愈史郎だけでも逃してあげたい。その一心だった。

 

「……」

 

「……?」

 

 けれど、柱の剣士は何故か私に止めを刺す事は無かった。

 ただ一言。彼は呟いた。

 

「その能力……壇上で生かしてみないか?」

 

「……え?」

 

 何を言っているのか、さっぱり分からなかった。

 

 ◇

 

「へいらっしゃい! ご注文は!?」

 

「……」

 

「……」

 

「鮭大根一つ」

 

「鮭大根一つね!!」

 

 俺は先程捕らえた鬼たちを連れ、先程の飯屋に戻っていた。

 

「おい! お前どういうつもりだ……!」

 

「どうもこうも無い。お前たちの血鬼術を是非舞台の上で使って欲しいのだ」

 

「だから! 何故そうなる!」

 

 席に着くなり、男の方……愈史郎と言ったか。彼がまくしたてる様に俺に問いかけた来た。

 

「簡単な事。お前たちに危険性が無いと判断したからだ」

 

「……お前、もしかして俺とこの御方を馬鹿にしているのか?」

 

「……先の言はお前が思っているような意味で言った訳では無い。すまない」

 

「……」

 

 やはり、意識していても人の神経を逆撫でるような言葉が出て来てしまう。

 俺はやはり、黙った方が良いのだろうか。

 最近は胡蝶もいつもうんざり顔で俺の話を聞いている。

 

「先の言葉の意味は単純明快。お前たちは人を襲わないと、そう判断したという意味だ」

 

「……なに?」

 

「『この国一番の侍』を、知っているか?」

 

「……何故いきなりそんな噂話を──」

 

「待ちなさい愈史郎。ここからは私が話します」

 

 と、彼の名前を口に出した瞬間、女の方の鬼の態度が変わった。

 

「っ、で、ですが……!」

 

「私を気遣ってくれてありがとう、愈史郎。でも大丈夫です」

 

「……はい」

 

 女の鬼の方がそう言うと、すぐに愈史郎は引っ込んだ。

 やはり鬼としては異質だ。鬼同士でここまで交流しているなど。

 

「……申し遅れました。私、珠世と申します」

 

「元鬼殺隊、冨岡義勇です……」

 

 そして何より、鬼と言うには理性的だ。

 やはり……鬼舞辻無惨の支配から脱して自己を確立した個体なのだろうか。

 

「冨岡さん。先ほどおっしゃっていた侍というのは……本当に存在していたのですか?」

 

「ああ。ちなみに、その噂というのはどこまで知っている?」

 

「……そう、ですね。私達が知っている範囲だと……鬼に育てられた少年が、鬼の遺言によって鬼狩りを始め、鬼達を追い詰めている、という話です」

 

「なるほど。概ねその認識で正しい。彼は上弦の壱、黒死牟に弟子入りし、その黒死牟が死した後に国中の鬼を狩り始めた」

 

「……」

 

 上弦の壱、という単語と黒死牟という名を聞いた瞬間、珠世の目が大きく見開いた。

 

「上弦の壱……黒死牟? あの剣士はそこまで至っていたの……?」

 

「? 何を言っている」

 

「……いえ。私は過去、黒死牟が鬼となった瞬間に立ち会っていましたので」

 

「何?」

 

「当時……何百年も前の事ですが、鬼舞辻無惨の側近として仕えさせられてましたから」

 

「なる……ほど」

 

「すみません。話の腰を折ってしまって。お話を続けてください」

 

 衝撃の事実だった。

 黒死牟が鬼となった時から鬼舞辻無惨に仕えていただと? 

 戦国時代からは生きているという訳か? 

 俺は言葉を失いつつも、話を続ける。

 

「……そして、彼は鬼を狩り続け……遂には成し遂げたのだ。鬼舞辻無惨の討伐を」

 

「……そう、ですか」

 

 珠世殿は、鬼舞辻無惨が斃されたと聞くと何とも言えない表情となった。

 

「……恨んでいたか? 鬼舞辻無惨を」

 

「……はい。とても。……殺したいくらいに」

 

「……」

 

 やはり、か。

 鬼舞辻無惨の支配から解き放たれると言うのは、やはり並大抵の事では無いのだろう。

 少なくとも鬼殺隊の方で前例を確認したことは無い。皆例外なく鬼舞辻の奴隷だ。

 

「お前もやはり、鬼舞辻を恨んでいたのか?」

 

「あ? 俺か? 何で貴様の質問に答えねばならない!」

 

「……」

 

「だがまぁ……珠世様の表情を曇らせ続けているという一点では果てしなく憎い。殺してやりたいくらいだ」

 

「……なる、ほど?」

 

 その何とも言えない理由に思わず首を傾げる。

 つまりは……珠世への愛の力で鬼舞辻の支配から逃れたという事か……? 

 凄いなそれは。

 

「ともかく、だ。珠世殿の危険性の無さは、その彼が教えてくれた」

 

「!? どう言う事ですか? 『この国一番の侍』と私が……会った事が有ると?」

 

「そうだ」

 

 そう言って、俺は書物を差し出す。

 これは彼の数少ない私物の一つ、対峙した鬼の特徴を書き留めた日記帳だ。

 

「これは……」

 

「これは日記帳だ。彼が出会った鬼の事を書き留めてある。それの最後のページを見て欲しい」

 

「……」

 

 珠世殿は、俺が渡した日記を開いた。

 

 ◇

 

 一人。私が出会った鬼の中でも特異な鬼が居た事を記しておく。

 私が何時も通り鬼の匂いを辿り、鬼を狩ろうとした時に彼女と出会った。

 彼女は医者として人の中に潜伏していた鬼だった。

 この様に人の職業を模して潜伏している鬼は非常に多かった。中でも医者という職業は人と密室で接触する機会が多いため、これもまた捕食に適している職業と言える。

 彼女もまたその様な鬼だと思い、私は怪我をしたふりをしてその院に潜入した。

 彼女と正面切って出会ってすぐに気づいた。彼女から鬼特有の匂いが薄いという事に。

 血の匂いもするが、それもまた薄い。違和感を覚える中、彼女の診察を受けているとまた一つ気付く。

 匂いが薄すぎて見落としてしまいそうになるほどの鬼の気配。彼女と、そのもう一体の鬼が診療所に居たのだ。

 しかし彼女達はあまりにも血の気を感じさせなかった。それこそ医者というのは血の匂いが付きまとう職であるが、彼女が漂わせる血の匂いは、そこから少々匂いが濃くなった程度。もう一人に限って言えば、診療所に入る瞬間まで一切気が付かない程度の鬼の匂い。

 大きな違和感を覚え、彼女を斬る前に、暫く彼女の下に通うことにした。

 そして何日か周辺の鬼を狩りながら彼女達の動向を探ってみたが、一向に人を襲う事は無く、至って普通の医者として生活を続けていた。

 更に何日か経ち、遊郭に居た上弦の陸を討伐した後も特に動きが無く、そろそろ彼女達を倒すかどうか決めなければならなくなってきた時。痺れを切らした私は直接彼女に接触することにした。

 方法は簡単だ。彼女の前に血まみれかつ刀も何も持たずに会うのだ。運が良い事に、上弦の陸戦で上空から叩き落とされそうになった時の傷が有るため、偽装をする必要は無かった。

 そして、彼女の前に立った。

 

 ◇

 

「! だ、大丈夫ですか……!?」

 

「……いたいです」

 

「すぐに応急処置をしなければ……まだ歩けますか? 無理なら背負っていきますから。私の診療所まで頑張って耐えてください」

 

 彼女は、一も二もなく私を助けようとした。

 私は鼻が利く。彼女の行動が善から来るものか、悪から来るものか、嘘をついているのかも分かる。

 彼女は……。

 

「愈史郎! いますか!?」

 

「──はい珠世様!! 俺はここに!」

 

「すぐに治療の準備を。急患です」

 

「はい!!」

 

 彼女からは、とても優しい匂いがした。

 優しくて……どこか姉に似た匂いがした。

 

 結局、傷だらけの私をそばにおいて一日経っても、私を食べようとする素振りなど一度だって見せなかった。

 普通の鬼であれば、一も二もなく食いつくと言うのに。

 

「……目が覚めたみたいですね。でも無理をしてはいけませんよ。酷い傷ばかりでしたから」

 

「……」

 

「……何か、酷い事が有ったの?」

 

「……」

 

「……辛いなら、幾らでもいてくれて大丈夫ですからね?」

 

 久々に入った布団の中は、とても暖かかった。

 

「……ちっ。早く傷を治してけよ。俺と珠世様の二人の時間が少なくなる」

 

 もう一人の、鬼の匂いがとても薄い彼は、文句を言いながらも決して私を追い出そうとはしなかった。

 裏も表もなく、私を介抱してくれた。

 彼女達は。

 

「今日はゆっくり、休んでくださいね?」

 

 彼女達は……鬼なんかじゃない。

 

 人間だった。

 

 ◇

 

「覚えているか? 彼の事を……」

 

「……」

 

 覚えている。

 確かに覚えている。一度目は普通に私の診療所を訪れて、暫くしたら傷だらけの血だらけで現れた()()の事は。

 怪我が治っていないと言うのに、明日の朝にはどこかに消えてしまっていた。

 お金と一緒に置かれていた手紙には、もう大丈夫だと書いてあったけれど、あの怪我で動けるわけがないからととても心配していた。

 

「あのいけ好かない女ですか。確かに居たなそんな奴」

 

「愈史郎!」

 

 何故彼はこう、酷い言い方をしてしまうのだろう。

 私は愈史郎をたしなめつつ、冨岡さんと話を続ける。

 

「……では、冨岡さんはこれを見て……」

 

「そうだ。彼が出会った者の中でも異例な存在だったため、特に記憶していた」

 

「……あの、少し良いですか?」

 

「なんだ」

 

「何故彼女の事を、彼と呼んでるんですか……?」

 

 そうだ。さっきから気になっていた。冨岡さんが彼、とばかり言うものだから、『この国一番の侍』は男性とばかり思っていた。

 本当にあの少女が『この国一番の侍』だと言うのなら、彼、ではなく彼女、と言わなければおかしい。

 

「……? いや、『この国一番の侍』は男だからそう言っているだけだが……」

 

「? いえ、私は彼女の体を診療しましたが、あの子は女性ですよ?」

 

「えっ」

 

 冨岡さんは本当に知らなかったとばかりに気の抜けた声を上げた。

 ……けど、それも仕方ないのかもしれない。

 

「確かに、彼女の体は……」

 

 そこまで言いかけた所で、はたと気付く。

 

「……いえ、何でも有りません」

 

 患者の体の事をおいそれと他人に漏らしてどうするというのだ。

 彼女は……彼女は、私の事を人間の医者と、認めてくれたと言うのに。

 医者失格だ、これでは。

 

「……そうか」

 

 冨岡さんも、私の重い雰囲気を察してか、それ以上追及してくることは無かった。

 

「話を戻そう。俺は彼……彼女の手記にその鬼についての記載を見つけた時、お館様に直ぐに尋ねに行った。するとお館様は、鬼舞辻無惨の支配を逃れた鬼ならば無惨が死んでも死なず、生きているかもしれぬとおっしゃった」

 

「……お館、様?」

 

「鬼殺隊を指揮していた御方だ。お館様の勘はよく当たる」

 

「……」

 

 冨岡さんは、しかし何より自信をもってそうおっしゃった。

 それは尊敬の念から来るもの。

 お館様……一体どのような方なのだろう。彼ほどの実力者にこれ程慕われているとは。

 

「今回、お前たちを確認した時より……彼女が言っていた人を食わぬ鬼の影がちらついていた。そして俺と戦う間も常に俺に殺意が向く事は無かった。故に、彼女が言っていた鬼だと断定した」

 

「……あの」

 

「鮭大根お待ち!」

 

「ああ、こっちです」

 

 繁盛しているからだろう。彼が頼んだ鮭大根が出てくるのは随分と遅かった。

 

「……それでも、危ないとは思わなかったのですか?」

 

 そうだ。

 この店は先程も、そして今も同じように繁盛している。

 

 今もすぐ後ろから楽しそうな声が聞こえてくる。

 

「くぅ~、やっぱ浅草はふぐが食えて良いなぁ!」

 

「天元様! あんまりふぐ食べてると毒当たっちゃう!」

 

「当たる! 良いじゃねぇか響きが派手だぜ! ド派手に当たろうぜ!!」

 

「いや、駄目ですって!?」

 

 ……いや、大丈夫なのだろうか。

 ちょっと耳を傾けた時に聞こえてきた言葉が医者として非常に不安だ。ふぐ毒は厄介だから。

 ともかく、ここは人であふれている。

 鬼狩りの剣士は民間人に危険が及ばないように戦うと聞いていたが……。

 

「俺が傍に付いている限りはその心配もない。血鬼術も殺傷能力は低い。保険も有る。万一が有れば斬るだけだ」

 

 斬る、という単語を聞いたとたん黙っていた愈史郎が反応するが、それを手で制する。

 

「では、もう一つ質問を良いですか?」

 

「ああ」

 

「何故舞台なんですか……?」

 

 今まで話を聞いていて、一切舞台の話が出てこなかった。

 何がどうなったら私の血鬼術を舞台に使うという話になるのだろう。

 

「……彼女の、最期の願いだからだ」

 

「……え?」

 

「彼女は鬼舞辻無惨を倒した直後、糸が切れる様に亡くなった。本人や鬼舞辻無惨の弁では寿命らしい」

 

「……まさ、か」

 

 そんな。寿命? 私が見た時にはそんな事には……。

 

「……彼女が亡くなる直前に、俺は立ち会えた。そして遺言として……彼女の師匠である黒死牟の名誉回復を任された」

 

「……名誉回復……」

 

「その方法として、彼女の物語を広めることにした。その方法として、劇をする事になった」

 

 あの少女が、黒死牟の名誉回復……。

 

「……」

 

 いたたまれない。

 黒死牟という男が何をしたのかちゃんと知っているのか? 

 上弦の壱だ。

 あの鬼舞辻無惨に一番評価されている男だ。

 その立場に上り詰める間にどれだけの殺戮が有った。

 

「……貴方は、それで良いのですか? 名誉回復の相手は、上弦の壱ですよ?」

 

「ああ。理解した上での行動だ」

 

「……」

 

「それに彼女も……その点きちんと理解した上で、その上で自分を救ってくれた黒死牟を救いたいと思っている」

 

「それは……」

 

「彼女の手記だ。もはや彼女の意思を知るにはそれしかないが……だが、彼女は確かに、最期の瞬間まで黒死牟を想っていた」

 

「……」

 

「俺は、その想いを汲んでやりたい」

 

 冨岡さんのその表情に一点の曇りもなかった。

 彼はどこまでも本気なのだろう。

 

 ……いや、鬼である私を、その劇のために引き込もうと言うのだ

 鬼殺隊の柱という最強の剣士まで上り詰めたこの青年が、そこまでしようと言うのだ。

 

「……分かりました」

 

「珠世様!?」

 

「良いのです愈史郎。そも、ここで断っても彼は私達を野放しにはしないでしょう。なら……鬼舞辻無惨を討ってくれた彼女に報いる為、動いたほうが良いでしょう」

 

「……です、が……」

 

「けれど冨岡さん。一つ良いでしょうか」

 

「なんだ」

 

「彼は……愈史郎だけは見逃してください」

 

 私は、冨岡さんに深く頭を下げた。

 

 ◇

 

「なッ、珠世様!?」

 

「彼は私が鬼にしました。少量の血を飲むだけで生きていけます。今まで人を食らった事は有りません。ですからどうか、彼は捕らえないでください」

 

「……」

 

 俺はちらりと愈史郎の方を見て、深く考える様に目を瞑った。

 

「……即答は出来ない。その話が本当かどうかも疑わしい。それにもし本当だった場合だろうと、柱相手でも戦える鬼をまるっきり野放しには出来ない」

 

「……そう、ですか」

 

「だが、お館様には進言しておく。上手く通れば、今まで通りの生活が出来るやも──」

 

「待て! 勝手に話を進めるな柱の剣士!」

 

「……」

 

「愈史郎……?」

 

 愈史郎。彼は出会って当初よりずっと気が強かったが、今の彼は今までよりもずっと息が荒い。

 激昂しかけている。

 

「珠世様! 俺は貴女と二人で過ごす時を邪魔する物が大嫌いだ!」

 

「愈史郎……」

 

「柱の剣士! その劇には俺も協力してやる! その代わりに約束しろ!! そして俺と珠世様の二人の時間を必ず取り戻すとな!!」

 

「……」

 

 俺は思わず目を見張った。その様な物を要求されるとは思わなかったから。

 けれど、愈史郎の今までの言動を見るに……余程珠世殿の事が大事なのだろう。

 自分よりも生きていて欲しいと思う相手が居る。俺はどこか、彼に共感を覚えていた。

 

「……分かった。俺の命を懸けてでも、その願いを叶えよう」

 

「ふん、本当だろうな」

 

「ああ。だが、少しやって欲しい事が出来た」

 

 そう言って俺は鮭大根をかきこんで、すぐに席を立ち上がる。

 

「俺はすぐに発つとする」

 

「……何?」

 

「予定が変わった。貴方達には……追って連絡を入れる」

 

「はぁ? お前何言ってるんだ?」

 

「愈史郎殿と珠世殿の二人の時間を作るため、その他諸々の処理をするため、必要な仕事が出来た」

 

「……」

 

「俺はこれから動くので、その間の連絡はこの鴉を使って行う」

 

 俺は外に待機させておいた鎹鴉を彼らに付ける。

 これで連絡もすぐに出来るし……何より、彼らが何か鬼としての動きを見せても即対応できる。

 そして極秘に、むきむきとしたねずみも少々。

 

「では、俺はこれで失礼する」

 

 そうして俺は店を出た。

 

 ◇

 

「その帰り際の書店で買った本が、この『火星の王』だ」

 

「……」

 

 懐から取り出した本を取り出しつつ話を続ける。

 しかしそれを聞くしのぶの視線は、極々シラーっとしたものだった。

 

「そして俺は彼らを舞台の演出として加える為、劇団を作る事になった」

 

「……」

 

「劇団を作る理由として一つ。規模を大きくするためだ。劇団として立ち上げればお館様も支援しやすいというのでな」

 

「はぁ……」

 

「また、彼らを劇団で監視する……という名目で柱の皆を引き込める。その為に三日後、柱の皆を集める手はずだ。上手い事皆引き込めれば凄い劇が出来る」

 

 むふふ、と口の端だけ微妙に吊り上げて笑うという器用な事をしながら、今までの長い話を締めくくった。

 

「これが劇団を作るに至った理由だ」

 

「……」

 

 しのぶは──。

 

「……はぁ」

 

 自分が彼の独特なノリに慣れて来てしまった事に、深く。深ーく、ため息を吐いた。

 



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劇団鬼殺隊

「お館様から話って何だァ? おいィ……伊黒は何か聞いてるか」

 

「俺は何も聞いていない。皆もそうだ」

 

「あァ……そうか」

 

 既に産屋敷家には九人の元柱が集結しているが……お館様はまだ姿を見せていない。

 解隊の時より何度か顔を合わせてはいたので、お館様の容態がもう随分よくなっている事は知っている。

 しかし態々元柱の人間だけを狙って集めるとは……何か緊急の事態でも起こっているのか?

 

「案ずるな。もうすぐ始まる」

 

「ああん? 何時てめぇに聞いた冨岡ァ……」

 

「……」

 

 何で俺の横に居るんだコイツ……。

 何時もは遠くに一人で居ると言うのに、どういう風の吹き回しだ?

 思わず反射的に言葉が出てきたが、よく見るとコイツ……何故か日輪刀を持っている。何故日輪刀を……?

 

「不死川くん……流石にそれは言い過ぎだよ?」

 

「……チッ」

 

 胡蝶に窘められ、口をつぐむ。

 冨岡の事は気に食わないが、自分でも今の言葉は言い過ぎだとは思う。

 

「お館様のお成りです!」

 

 と、そんな小さな揉め事は起こりつつも、とうとうお館様がいらっしゃった。

 

 

「今日は皆。今日はとてもいい天気だね。空も……綺麗だ」

 

 お館様はそう言って、誰の手も取らずに俺達が待つ縁側まで歩いてきた。

 

「久しぶりに皆の顔が見れた事。嬉しく思うよ」

 

 お館様は白みがかった紫色の瞳を細めながら、滔々と言葉を溢された。

 俺達柱は即座に膝を突き、お館様への敬意の念を示す。

 

「お館様におかれましてもご壮健で何よりです。益々のご多幸を切にお祈り申し上げます」

 

「ありがとう、義勇」

 

「……」

 

 糞ッ、冨岡の奴にお館様への挨拶を取られた……!

 思わず冨岡を睨みそうになるが、お館様の御前という事も有りどうにか抑える。

 

「今日、皆に集まってもらったのは他でもない。君たちにお願いしたいことが有るんだ」

 

 そうしている合間にもお館様の話は進んでいく。

 お館様から直接のお願い。その言葉が発せられた瞬間から、ざわりと空気が揺れ動く。

 なんだ? 鬼殺隊が解隊されてから初の事だ。元柱の力が必要になる問題が出来たのだろうか。

 口には出さずとも、柱の皆がお館様を案じているのが分かる。

 

 ──けれど妙な事に……。

 

「……」

 

 柱の内の何人かは……まるでお館様が何を仰られるのか理解しているとでも言うかのように、常の通りに平然としていた。

 

「お願いというのは他でもない。君たちに……とある鬼の監視を手伝ってもらいたいんだ」

 

 そして、お館様から発せられた言葉は正に天地がひっくり返る様なものだった。

 

「!?」

 

「鬼!?」

 

 何故ならそれは既に討伐された存在の名前。

 お館様がその様な冗談を言うとは思えない。……つまりは、まだ残党が居たという事か。

 だがそれにしては言い回しが妙だ。討伐ではなく……監視?

 

()()は自身を鬼にした鬼舞辻無惨を討つために、自らにかけられた呪いすら外し、彼と敵対していたそうなんだ」

 

「……」

 

「彼女の名前は珠世。浅草に潜伏していた所をつい先日義勇が発見してね。彼女の扱いを皆に聞きたいと思い、今日君たちを呼んだんだ」

 

 お館様の言葉に皆黙って耳を傾けていた。

 そしてお館様のその話を聞いた後も、その沈黙は続く。

 何故か。困惑しているからだ。

 

「……畏れながら申し上げますが……私には仰っている意味が分かりません。その珠世という鬼の処遇など、斬首で十分では無いでしょうか」

 

「同感です。何故すぐにその者の首を刎ねないのでしょうか。理解できません」

 

「私も彼らに賛同いたします! 斬首が妥当だと思いますが!!」

 

「わ、私は全てお館様の望むままに従います!」

 

「……」

 

 俺の他に伊黒、煉獄、甘露寺が自身の考えを述べた。

 しかし妙な事に他の柱は特に動きを見せなかった。

 冨岡など微動だにしていない。こいつは何時も意味不明だから不思議ではないが、音柱や悲鳴嶼さんが何も言わないと言うのは違和感を覚える。

 

「うん、そうだね。皆の疑問も尤もだ。それについて説明するね」

 

「……」

 

「皆は『この国一番の侍』の話を聞いているかな? 今義勇がその件について働いてくれている」

 

「はい。聞き及んではおりますが……その侍の件と、今の話が繋がるのでしょうか?」

 

「ああ。実は、彼の最期の願いである上弦の壱の名誉回復にあたって、これより劇団を作る事になったんだ」

 

「……」

 

 そこまで話が進んでいた、というのは初耳だ。しかしそれとこれと関係が有るのか?

 今一話が見えてこないが……俺達は黙ってお館様の話に耳を傾ける。

 

「その劇団にね。義勇が珠世殿を引き入れたいと申し出たんだ」

 

「……は?」

 

 思わず横に居る冨岡の顔を睨み付ける。

 

「まず、彼女は人を食べずとも生きていける様に自身の体を改造しており、危険性は低いと義勇は判断した。また彼女の血鬼術は幻術系のものらしく、演出としてこれ以上のものは無いと──」

 

「……お待ちください。まさか、私達にそれを了承しろと言うのですか?」

 

 そしてもう一度お館様の方を向き、お館様のご意向を確認する。

 話の流れからして、珠世という鬼の生存を認めるどころか利用するのを認めろと言っているようなものだ。

 それに人を食わずとも生きていける鬼? そんな存在が仮にいたとして、それを証明する手段がどこにある。

 

 何であれ、到底了承できるものでは──。

 

「ああ。私はそれでいいと思う。そして皆にも認めて欲しいと思っている」

 

「!!」

 

 違って欲しいという俺の願いはお館様の一言でバッサリと切り捨てられてしまった。

 

「信用しない信用しない。そもそも鬼は大嫌いだ」

 

「心より尊敬するお館様であるが理解できないお考えだ!! 全力で反対する!!」

 

「わ、私はお館様に従います!」

 

「鬼を滅殺してこその鬼殺隊。その珠世という鬼の処罰を願います」

 

 俺達は皆、畳みかける様に自身の考えを述べる。しかしそれを聞いてもお館様の顔色は少しも変わらず、あくまでも自然体のまま話を続けた。

 

「うん。君たちの考えもまた理解できる。それを証明しよう。……珠世殿、お入り頂いてよろしいでしょうか」

 

「!?」

 

 思わず身構える。お館様は何を仰られている!?

 混乱をよそに、襖が開き女性が現れる。確かに気配が人とは違う。あれが生き残りの鬼だと……?

 

「……皆様。今日は私のためにお集まりいただきありがとうございます」

 

「……」

 

 どこか緊張した様子では有るが、しかし自然体のまま俺達柱の前に現れた。

 思わず日の明かりの下に引きずり出しそうになるが、お館様が俺達を抑える様に話を続けた。

 

「皆。珠世殿が態々逃げ場のないこの場に来てくれたという事をよく理解してほしい」

 

「……」

 

「では、これより先は義勇に任せよう」

 

「はい」

 

 そう言って今まで微動だにしなかった義勇の奴が立ち上がった。

 こいつ、いきなり何を──。

 

「ここに稀血の入った瓶が有る。これを彼女の前で開封する」

 

「!? てめェ何を馬鹿な事を! お館様の御傍でその様な危険な真似を……!」

 

「安心しろ。最悪の場合の準備は出来ている」

 

 そう言って、冨岡は腰に掲げた日輪刀を鳴らしてみせる。

 こいつ……! 何故日輪刀を持っているのかと思っていたが……最初からこの流れを想定しての事か……!?

 

「てめェ……どこからが段取りだァこれはよォ……!」

 

「……」

 

 いや、思えば珠世とかいう鬼の延命はこいつがお館様に促したようなもの。

 冨岡は一応柱である。だがいつも信用ならない態度ばかりだ。コイツの持つ血は本当に稀血か? 

 今の今までが全てコイツの段取り通りというのであれば……稀血というのは珠世を延命させるための嘘である可能性が高い。

 

「お館様! 稀血であれば……()()()()()()()()()!」

 

「!?」

 

 懐から護身用の脇差を取り出す。

 その俺の姿を見て、冨岡の野郎があからさまに狼狽える。

 

「はッ! てめェの浅い考えなんて見え見えなんだよォ冨岡ァ!!」

 

 そして脇差で腕を斬りつけ、血を流れさせる。

 俺の声に合わせ、黙って聞いていた柱達が油断なく構える。

 あの鬼が俺に血に興奮し、お館様に襲い掛かるよりも早く取り押さえるために。

 

 俺の血は()()! その中でも特に希少な鬼を酩酊させる稀血!

 

「──」

 

 逃げ場のないこの場に来たからなんだと言うのだ。

 人を食わないで生きていける? それが何だと言うのだ!

 理性を持つ姿を見て鬼を理解した気になるなど笑止千万。

 結局は鬼! 稀血の前にはどんな鬼であろうと同じだ。

 これであの鬼の化けの皮が剥がれる──!

 

「……」

 

 腕に血を滲ませる。

 だと、言うのに。あの鬼は動かなかった。

 だと言うのに、どこか先ほどよりも落ち着いているようにも──。

 

「……不死川。日なたでは駄目だ。日陰に行かねば鬼は襲わない」

 

 ああ、そうだ。初歩的な事を忘れていた。

 

「──お館様。失礼、仕る」

 

 草履を脱ぎ、お館様の屋敷へと足を踏み入れる。

 ずんずんと鬼の下へと近づき、傷つけた腕を差し出す。

 

「俺を襲ってみろ鬼ィィ! お前の大好きな人間の血だァ!!」

 

「……」

 

 珠世という鬼は、逃げるでも襲うでもなく、揺れる事のない目で俺を見つめる。

 

「……」

 

「……」

 

 俺達の間に沈黙が生まれるも……何時になっても鬼が俺に襲い掛かる事は無い。

 そして鬼はどこか痛ましいものでも見るかの様に目を伏せると、懐から何かを取り出した。

 

「ッ!」

 

 油断なく構える俺に、鬼は──。

 

「……まず最初に謝っておきます。ごめんなさい。私が信用ならないが為に、貴方を傷つけてしまって」

 

「……」

 

「今はこれくらいしか有りませんが、止血にはなりますから」

 

 懐から取り出した包帯で俺の腕の止血を始めた。

 

「……」

 

 俺は何が起こっているのか分からなかった。

 この鬼は何をしている? 何故俺に襲い掛かってこない?

 

「……これで分かったのでは無いだろうか。彼女の危険性の低さを」

 

「ッ……」

 

 どぎまぎしている俺を見抜くように、冨岡の野郎が声を上げた。

 

「彼女は極々理性的だ。例え稀血を前にしようと襲い掛かる事が無い程に」

 

 そして滔々と……まるで台本でも読むかのように語り掛ける。

 

「しかし彼女はどこまで行こうと鬼。なので如何だろうか。皆には彼女を監視するため、今回作る劇団に入団して欲しいと思っている」

 

 そして、決まった道筋を辿るように──奴は堂々と俺達を勧誘した。

 

「つまり、皆に役者として劇団鬼殺隊に入団して欲しいと思っている」

 

 予想だにしていない展開。

 役者……? どう言う事だ。

 

「俺は良いぜ」

 

「!?」

 

 混乱が解けない内に、今までだんまりを決め込んでいた宇随が声を上げた。

 

「だが俺を勧誘するってんならド派手に団長の座も貰いたいね」

 

「良いだろう。では宇随には団長をしてもらおう」

 

 いや、宇随だけではない。

 

「私も参加します!」

 

「……はぁ。まぁ私達も良いです」

 

 胡蝶姉妹が。

 

「嗚呼……良いだろう。私も参加しよう」

 

 そして悲鳴嶼さんまでもが、冨岡の野郎に賛同した。

 

「……てめぇ……まさか」

 

「……」

 

 俺の意識は既に、珠世から冨岡の野郎に向いていた。

 

「他の皆はどうだ。是非参加して欲しい」

 

「え、ええっ!? わ、私は……!」

 

「当然ながら私も支援させていただくよ」

 

「私も参加します!!」

 

「なっ……!?」

 

 甘露寺の奴は困惑した様子で右往左往していたが、お館様の一声であっさりと陥落した。

 そして伊黒の奴も……甘露寺が向こう側に行った事で迷っている様に見える。

 

「むむ! これは……どうした事か!」

 

「煉獄。お前にも参加して欲しい」

 

「いや! しかしだな!!」

 

「……では、他に何かする事が有るのか?」

 

「!」

 

「幾らお館様からの呼びかけとはいえ……三日しか猶予が無い中で、良い歳をした大人が平日の昼間から集まれる程暇とは、些か不健康だとは思わないか?」

 

「……むぅ」

 

 煉獄の奴も冨岡の野郎に言い負かされている。

 これではアイツが陥落するのも時間の問題だ。

 

「てめェ……これは何処からが段取りだァ?」

 

「……」

 

 俺は……先程の言葉を、もう一度奴に問いた。

 

「そうだな。言うなれば──」

 

「……」

 

「最初からだ」

 



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