黒い少女は微笑んだ (エカ)
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黒い少女は微笑んだ

「来たね、修君」

 

 少女が振り向けば、眼鏡をかけた大人しそうな少年───三雲修がいた。その真剣な眼差しに、ここに来た理由を悟る。

 

「……覚悟決めたの?」

 

 三雲は冷や汗を流しながら、それでも目を逸らさずに答える。

 

「はい。あなたの力を貸してください」

「うん。いいよ」

 

 少女が軽く受けたのに対し、三雲は頭を下げた。

 

「……すいません。利用するような形になってしまって」

「構わないよ。遅いか早いかの違いだけだし」

「それは、そうなんですが」

「私が気にしてないって言うのに、修君は真面目だね」

 

 少女は楽しそうに笑いながら手を差し出した。

 その手に、三雲は自身の手を重ねた。

 

「かくして未来は動き出したって所かな。よろしくね、修君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三雲と少女の出会いはとある河川敷だった。

 

 今となっては相棒と呼べる仲の空閑遊真とも、その時は知り合って間もない頃。三雲は空閑に自身が気にかけている雨取千佳を紹介しようと思い、河川敷で待ち合わせをしていた。

 だけどいざ三雲が待ち合わせ場所に行くと、そこには知らない少女が一人と、誰も乗っていない自転車がぽつんと立っているだけで肝心の二人の姿はなかった。

 

「あいつ……なんでいないんだ!?」

 

 空閑のことはまだ知らないことが多いが、それでも約束を放棄するような人間ではないと信じている。それに彼にはお目付け役のレプリカという自律トリオン兵がついているため、約束を忘れるといったことも考えられない。

 また雨取に関しては既に来ていることは、電話をしたから知っている。それなのに姿が見えないのは明らかにおかしい。

 

 急いで携帯を取り出し、雨取に電話をかけるも出る気配がない。

 

(……まさか!?)

 

 ここに来る道すがらにも聞こえた先ほどの警報。あれはゲートが開き、近界民が現れたことを知らせるものだ。となると、警報を聞いた雨取がまた無茶をしているのではないか。その結論に辿り着いた三雲は慌てて駆けだそうとした。けれどもその直前に河川敷にいる少女なら何かを知っているかもしれないことに思い当たる。

 

「すいません!! 少しお聞きしたいことが!!」

 

 大声で呼びかけるも、少女はボーッと川を眺めていて反応を示さない。それでも三雲はめげずに声を上げた。

 

「すいません!! 大事なことなんです!」

「……うるさいなぁ」

 

 少女は気だるげに振り返る。そして三雲と目が合うと、目を見開いて固まった。それに気づかず、三雲は早速質問した。

 

「……えっ?」

「すいません! ここにこれくらいの身長の女の子か白髪の男の子を見ませんでしたか? ここで待ち合わせをしていたはずなんですが」

「……」

「……あの」

 

 早く二人を見つけたくて焦る三雲がつい催促してしまうと、少女はようやく動き出した。自転車を指差し、

 

「えっ、あ、うん。見たわよ。どっちともここにいて、さっきまでそれで自転車の練習をしてたわ」

「それで二人は今どこに行ったかわかりますか? 方向だけでもいいんです!」

「あっちよ」

 

 その先は近界民が現れるゲートの誘導地帯になっており、一般人の立ち入りが禁止されている場所になっている。雨取が無茶をしているのでは、という三雲の推測が当たっている可能性が高まった。

 礼を言うと、三雲はすぐさま走り出す。その後ろ姿を、少女はじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリオン兵をレプリカの指示で倒し、三雲はようやく空閑と雨取と合流した。幸いなことに二人(空閑は三雲の何倍も強いが)とも怪我をした様子はない。間に合ったことに、三雲は安堵する。

 

『それにしてもオサム、よくこちらにユーマたちがいるとわかったな』

「あれ? レプリカが呼んでくれたんじゃないの?」

『いやオサムは既にこちらへ来ていた。私がしたのは最後の誘導だけだ。おかげでユーマもトリガーを使わないで済んで助かった』

 

 白い髪が目立つ小柄な少年、空閑の疑問に答えながら、ふわふわと浮いている黒いボディのトリオン兵、レプリカが三雲を褒める。彼が豆サイズの自分の分身を作り出し、三雲を呼ぼうとしたときには、三雲は既にこちらに向かって来ていたのだ。

 

「ほぅ! それはそれは。またオサムに助けられたな。ありがとなオサム」

「いや別に礼を言われるようなことじゃない」

「いやいや! レプリカの言う通り、オレがトリガーを使ってたら面倒なことになってたぜ」

『ああ。ここでユーマが戦闘したらボーダーにばれるリスクが高かった。私からも礼を言いたい。ありがとう、オサム』

「いや自分だけでここにいるってわかったわけでも、トリオン兵を倒したわけでもないから。そんな感謝されるようなことじゃないんだよ、本当に」

「そうなの?」

 

 黒髪の小柄な少女、雨取がおずおずと尋ねた。彼女が危険区域に入ることはこれが初めてではない。それが理由で三雲がこちらに来たのだと思っていたのだ。

 

「ああ。確かに千佳がこっちへ来てるかもって思ったけど、あの待ち合わせ場所にいた女の子に二人がどこに行ったか知らないかって聞いて初めて確信したんだ」

 

 あの少女がいなくとも、三雲は恐らくこちらにいると予想しただろう。だけどその場合はいなかった場合を考えてしまっただろう。その不安が少なくなったのは彼女が二人の行き先の方角を知っていたおかげだ

 そういえば、と三雲は気づく。

 

「空閑が自転車の練習をしてたのを見たって言ってたな。何というか黒っぽい印象の女の子なんだが」

 

 三雲としてはここから「ああ、あの子か」といった形で会話が続くことを期待していた。

 だが。

 

「ん? オレはそんな人見なかったな」

「ごめん修君。私も気づかなかった」

「千佳もか」

「レプリカはどうだ?」

『すまない。私もそんな女の子がいたことには気づかなかった。ただ少なくとも二人の周囲には他には誰もいなかったはずだ』

「そ、そうか。だとすると遠くから見ていたのかな?」

『その可能性が高いだろう』

 

 この時はまだ、そんなこともあるだろうと思い、三雲も気にしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからも、三雲はちょくちょく少女と会っていた。お気に入りなのか、いつも黒いワイシャツに、黒と灰色のチェックのスカートを履いた姿をしている。話は会った時にするくらいだが、ボーダー本部でも見かけたことがあることから少女がボーダー関係者だと知った。そのことを三雲が尋ねると、

 

「うん。私もボーダーの一員だよ」

 

 とあっさりと少女は認めた。

 だけど少女は年上だということは明かしても、未だに自分の名前を言わず、頑なに自身のことは『クロちゃん』と呼ぶように言った。仕方ないので三雲は『クロ先輩』と呼んでいる。

 

「女の子はちょっと謎があるくらいがいいのよ」

 

 少女は楽しそうに嘯く。

 

「だから私について他の人に聞いちゃ駄目だよ。クロちゃんって誰って言われちゃうから」

「はぁ……」

「ふふ、でもそうね。もしも三雲君が聞くべきだと思った瞬間が訪れたら聞いていいよ」

 

 クロはいつもそう言って、微笑みと共に自分のことは誤魔化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 三雲がクロの異常性に気づいたのは、第二次大規模侵攻の最終局面だった。

 

 三雲は敵の近界民の一人の黒トリガーの能力がトリオン体にのみ効くことから、トリガーオフし、生身の体になっていた。しかし別の近界民の黒トリガーによって、体の数箇所を串刺しにされてしまった。激痛が走り、血が冗談みたいな量が流れていく。

 ただ串刺しにされるまでの僅かな隙のおかげで近づくことができた。そこから歯を食いしばって敵の遠征艇にレプリカを送り込むことに成功し、敵の艇に侵入したレプリカによって艇の帰還システムが起動。近界民たちは急いで艇に戻らざるを得なくなっていた。

 

「無茶し過ぎだよ」

 

 そんな状況の中、三雲の傍らでクロは彼を見下ろしていた。一体いつからそこにいたのだろうか。今になるまで三雲は彼女のことに気づいていなかった。

 顔を真っ青にして、クロは独り言のようにか細い声で罵倒する。

 

「敵の前でトリガーオフとかどんなメンタルなの? こんなことにならないように鬼怒田さんたちが頑張ってベイルアウトを開発したっていうのに、それに正面から喧嘩を売ってるみたいなものじゃない。どうしてそんなことが……」

 

 近界民たちの目の前で、クロは堂々と話し続けていた。だけど不思議なことに、近界民たちは隙だらけな彼女に一瞥することもなく、それどころか背を向けて遠征艇に戻ろうとしている。

 

「帰る前に止めを、ってタイプじゃないのね。だったら出てきたのは失敗だったかな。まぁ何も出来ないけど」

 

 まるでクロなんていないかのように。

 

「……ごぼっ……」

「ちょっ!?」

 

 クロにどういうことなのか問おうとするも、吐血してそれすら口に出せない。

 クロは慌てて三雲の体に触れようとし、躊躇するように引っ込めた。そして三雲の視線にをすぐさま理解すると、すっと近界民たちの遠征艇を指さした。

 

「何が気になるかはよくわかるけど、今はあっちの方が重要だよ」

「……!?」

 

 その言葉に、三雲は悲鳴を上げる体に鞭打って顔を上げた。

 そこでは、敵の黒トリガーによって開かれた遠征艇へと続くゲートが閉じようとしている。そして閉じていくゲートの先に、身動き出来ず、遠征艇に取り残されたレプリカの姿もあった。

 

『オサム』

 

 レプリカは自律トリオン兵だ。だけどオサムたちにとってはかけがえのない仲間であり、なにより空閑にとっては家族のような存在だ。今すぐ助けに行きたい。しかしもはや三雲にはそれだけの力は残されていなかった。

 彼に出来るのは、レプリカの最後の言葉を聞き届けることだけだった。

 

『お別れだ。ユーマを頼む』

 

 ゲートが閉じる。

 そしてそこにはもう、レプリカの姿はもう見えない。

 

「行っちゃったね、レプリカ先生」

 

 寂しそうにクロは呟いた。三雲も悔しそうに顔を歪め、はたと気づいた。

 これはおかしいではないか。三雲は一度として、クロにレプリカのことを話したことはないのだから。

 それがなぜなのか、三雲は考えようとするも、頭にもやがかかったかのように考えがまとまらない。氷水に落とされた後かのように体の芯から寒い。視界がぼやけていき、思考も白く染まっていく。

 

 必死に意識を繋ぎとめる。まだ気を失ってはいけない。敵の目を欺くために、トリオンキューブと化した雨取を隠したのだ。その場所を伝えるまでは。

 

「……クロ先輩」

「三雲君。今は喋らない方が」

「千佳……千佳は……」

 

 怪しいことがあると気づいたばかりだが、今この場には彼女しかいない。三雲はクロに雨取の場所を伝えようとする。しかしクロは悲しそうに言った。

 

「私に言っても駄目。ほら、米屋君たちが来てるからあっちに伝えて」

 

 クロの言う通り、誰かが駆け寄る音がする。だけど三雲にはどうして駄目なのかが全くわからなかった。けれどもクロはその答えを明かすことなく、名残惜しそうに、三雲から離れるように立ち上がった。

 

「さてと。かなりの重症だけど三雲君、死んじゃダメだよ」

 

 だけど三雲の目には、クロがふわりと空気に溶けるように消えていったように見えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 大規模侵攻後、三雲が重傷を負ったあの場に女の人がいたという話をすると、誰もが首を傾げた。彼女と入れ替わりになったはずの米屋と夏目さえも、そんな人はいなかったという始末だ。

 

「メガネ先輩、それってやばい奴じゃないですか!? こう、死の間際に見た幽霊的な!」

「……」

 

 夏目の言葉も否定できなかった。

 とはいえクロと初めて会った時も、その後に話した時も、三雲は死にかけていない。だから死にそうになったのが原因で見た幻覚だとかではないことは確かだ。

 ただ誰も見えていないものを見たということで、入院中の検査項目が増えてしまったことは誤算だった。

 

 空閑も心配そうに訊いてきた。

 

「ふむ。疑うわけではないんだが、オサムは本当にそのクロ先輩とやらを見たんだな?」

「ああ」

「参ったな。全然わからん」

 

 彼は嘘を見抜くサイドエフェクトを持っている。だからこそ誰も嘘をついていないことを一番理解していた。

 未来視のサイドエフェクトを持つ迅もまた、首をかしげていた。

 

「うーん。オレのサイドエフェクトでもよく見えないな」

「迅さんでもよく見えないってことは、迅さんが会ったことない人ってことですか? 彼女は自分はボーダー隊員だって言ってましたけど」

「それが本当かどうかもわからないからなぁ。そもそもオレのサイドエフェクトは見たいものを見るものじゃない。メガネ君がもしも話してる姿が見えていたとしても、見えない相手と話してるんだったら見落としてるかもしれない」

 

 一応三雲が話した特徴を元に探しているらしいが、それらしい人間は見つからなかった。

 

 だけど、

 

「三雲君、退院おめでとう!」

 

 クロは変わらず三雲の前に現れた。いつもと変わらない服装で微笑んでいる。

 玉狛支部への道中で、今は三雲しかこの場にいない。だから自分で対応するしかない。思えば、今までも彼女が現れたのはいつだって三雲が一人の時だった。

 

「クロ先輩、あなたはいったい?」

「やっぱり気づいた? まぁ、あの時ついつい出てきちゃったからね。仕方ないか。

 ふふ。でも前にも言ったでしょ? 秘密だってさ。でも混乱させてごめんね」

 

 ちろりと悪戯っぽく舌を出す。

 

「お気づきの通り、私のことは三雲君にしか見えていません。だけど三雲君が狂ってるわけじゃないから安心してね。これはどっちかというと私に原因があるから」

「……クロ先輩は幽霊なんですか?」

 

 意を決して三雲は仮設の一つを言った。クロは目を丸くし、ついで腹を抱えて笑い始めた。

 

「幽霊? 私が? ……ぷ、ふ……ふふ、あははははは! 何それ!? 面白いこというね! ふふ、そうだね。全くの見当違いではないよ。いい線いってる」

「……!?」

「うん。私のことはとりあえずそういうことにしとくといいよ。私のことを気にしてもしょうがないからね」

 

 冗談で言っているのか、それとも本気で幽霊に近い存在だと言っているのか。三雲には判別できなかった。ただ彼女はふと悲しそうな顔をすると、真剣な声で言った。

 

「三雲君。お願いがあるんだけど聞いてくれるかな?」

「それは……聞いてみないと何とも」

「それもそうだね。お願いって言うのはさ、もしも私のことについて何かの拍子に知ったとしても、すぐには皆には言わないで欲しいの」

 

 この願いに三雲は少し逡巡した。

 クロの存在が色々イレギュラーなのは既に感づいている。そんな彼女の正体を知ったならば、自分はきっとすぐに迅や林藤に相談するだろう。けれどもそれを戸惑うくらいには、クロの悲し気な顔は無視できるものではなかった。

 だから三雲は尋ねた。

 

「どうしてですか?」

「それはその時になったらわかると思う。でも……そうだね。もしも私の名前がわかったら、私に会った時にその名前で呼んで。その時は私も観念して話すよ。ただ一つだけ言わせてもらうとしたら、私はボーダーの、三雲君たちの敵じゃないよ」

 

 さてと、とクロは表情を一変させ、笑顔を浮かべた。ただしその笑みはどこか強張っており、無理をしているようだった。

 

「今日はこれくらいで。じゃあね」

 

 もはやバレてしまったからか。クロは堂々と三雲の前で優雅に一回転し、瞬きする間に姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからもクロは何度も三雲の前に姿を現し続けた。そしてその度に最近のことを話すのだ。

 

「三雲隊のあの服かっこいいね! とくに雨取ちゃんの太ももが眩しい! デザインしたのは宇佐美ちゃんかな? グッジョブと言わざるを得ない。あっ、それと初戦勝利おめでとう!」

 

「空閑君の発想力はすごいね。まさかスコーピオンでフィンを作るとは思わなかったよ。でも三雲君も堤防を壊す作戦は大胆でよかったと思うよ。ただ……かなり外道戦法だけど大丈夫?」

 

「エネドラッドの話は興味深かったね。もしかして地球にもマザートリガーがあるのかな?」

 

「二宮さんやばくない? 普通中継されてるのに雪だるまとか作れる? あれは図太いのか、それとも果てしない天然なのか」

 

「……今回はすごく迷った。み……修君たちの試合を見るか、防衛戦を見るか。それでね……ごめん! 防衛戦見に行きました! 桐絵ちゃんの活躍を見ていました! 映像は秘匿されてるかもだけど、修君も話だけでも聞いてみるといいよ。さすがは攻撃手トップ4人衆って感じの熱い戦いだったから。だからー、その、修君たちの新戦術見れませんでした。でもでもだよ? あとでちゃんと見るから!」

 

 クロは三雲の考えもしなかったことも、知らないはずのことも知っていた。だから三雲が生み出した妄想という線はなくなった。

 ただそれでも彼女の正体は未だに掴めなかった。

 

 そんな彼女の真実に一歩近づけたのは偶然だった。

 

 それは玉狛支部にしばらく泊まり込むことが決まり、部屋を用意していたときのことだった。その部屋の扉にはネームプレートがかかっており、そこには『城戸』と書かれていた。城戸といえばボーダーの指令のことだろうかと、不思議に思いながら部屋を整理していると、前の住人の荷物の中から一枚の写真を見つけたのだ。

 

 そこには数十人の男女が横二列に並んでいた。前列の人は膝をついたり、しゃがんだりなどしている。どうやら集合写真のようだった。

 見れば迅を始めとして、知ってる顔がちらほらとあることに気づく。そして写真の中の小さい頃の小南の前で膝をついて座り、カメラにピースサインを送っている少女を見つけた瞬間、心臓が早鐘を打つように響く。

 

 その少女こそ、クロだったのだ。

 

 三雲は写真を片手に部屋を飛び出した。リビングに行くと、林藤の姪であるゆりだけしかいなかった。彼女に写真を見せると、ゆりは目を細めた。

 

「あら懐かしい写真」

 

 写真は6年前のもので、写っているのは旧ボーダーのメンバーだった。ここ、玉狛はかつてボーダーの本部だったらしい。

 今の強面からは想像の出来ない笑顔を浮かべている城戸や、林藤にべったりな小南など。知らない一面を垣間見た気になる。

 

 けれども旧ボーダーだというには、知らない顔が多い。そのことに触れると、ゆりは寂しそうに教えてくれた。

 

 写真に写っているのは20人。そのうちの11人は近界民との戦闘で死亡したというのだ。

 

「それじゃあこの子は?」

 

 恐る恐る三雲が写真の中のクロを指差すと、

 

「清水美咲。彼女は最上さんと同じように、5年前の戦いで黒トリガーになったわ」

「……」

 

 清水美咲。それがクロの本当の名前。

 確かにクロちゃんでは絶対に通じないだろう。名前のどこにもクロなんてない。だけどどうしてクロと名乗ったのかは明白だった。

 

 黒トリガー。ここから取ったのだろう。

 

「それは今?」

「清水さんの黒トリガーは本部に保管されてるわ。誰も適合しなかったから」

「誰も……ですか?」

「ええ」

 

 じっと写真を見つめる。そこに写っている姿と、今の清水の容姿にはほとんど差異がないように思える。まるで彼女だけ時間が止まっていたかのようだ。

 

「清水さんがどうかした?」

 

 ゆりの問いに三雲は迷い、そして

 

「いいえ、ただ聞いてみただけです」

 

 嘘をついた。

 本当なら今すぐ彼女について言うべきだ。だけど清水の願いが三雲に待ったをかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女と初めて会った河川敷。そこに彼女はいた。あの時と同じように川を見つめ、佇んでいる。

 

「清水先輩」

 

 三雲から声をかけると、清水はふわりとほほ笑んだ。

 

「何かな修君。この清水先輩が話を聞いてあげるよ?」

「……清水先輩は」

 

 何から尋ねるべきか、どこから切り出すべきか。迷いながら言葉を紡ぐ。

 

「名前は清水美咲」

「そうだよ」

「旧ボーダーの一員だった」

「うん」

「そして……5年前に黒トリガーになった」

「大正解」

 

 清水は静かに三雲に近づき、そっとその頬に手を伸ばした。けれどもその手は三雲の頬をすり抜けた。

 清水は驚く三雲にこれ見よがしに手を見せつける。

 

「そして今は幽霊もどき」

「もどき、ですか?」

「……いやごめん。正直わからない部分もあるから幽霊だね。もどきとか見栄張ってごめん」

 

 あはは、と清水は誤魔化すように笑った。

 

「とにかく約束通り話すよ。まずは私の黒トリガーを誰も起動出来なかった話は知ってる?」

「はい。ゆりさんから聞きました」

「なら推測できるだろうけど、私のトリガーの能力は実は誰も知らないの。だけど私だけは自分のことだから知ってる。修君、私の黒トリガーの能力どんなのだと思う?」

 

 黒トリガーの能力はノーマルトリガーとは比べ物にならないほど強力だ。

 迅が使っていた『風刃』は遠隔斬撃を可能とし、空閑の黒トリガーはノーマルトリガーを解析してコピーできる。アフトクラトルには空間を繋げたり、トリオンから出来たものを問答無用にキューブ状に変えるものまであった。

 

 推測するには、黒トリガーの能力には幅がありすぎるのだ。それに三雲にはその手の知識が豊富だとは言えなかった。

 となると、黒トリガーになったはずの清水がここにいて三雲と話している。これを思考の材料にするしかない。

 

「それじゃあやっぱり清水先輩の今の姿と関係が?」

「もちろんあるよ」

 

 幽霊のような清水。それと関係のある黒トリガーの能力。三雲は自分なりに考え、ふと気づいた。

 

「……いや清水さんが今ここにいること。それこそが黒トリガーの能力なのでは?」

 

 清水は満足気に頷く。

 

「私の能力は『清水美咲を召喚する』こと。たぶん私が最期に『死にたくない』って思いながら黒トリガーを作ったのが原因だと思う」

「先輩を、召喚?」

 

 困惑する三雲に、清水は説明する。

 

「イメージとしてはトリオン兵が近いと思う。大規模侵攻でレプリカ先生がラービットを召喚していたでしょ? 私はあのラービット枠なの。勘違いしちゃいけないのは、私の体は完全に黒トリガーになっていて、空閑君みたいに保存されてるわけじゃないってことかな。

 私の場合はエネドラッドの方が近い。生体データを移したトリオン兵ってあたりがね」

 

 つまり、

 

「ここにいるのはあくまでも『清水美咲』を限りなく再現したトリオン兵ってこと。幽霊擬きってのもあながち間違ってないでしょ? 本人じゃない私に迷える魂はないんだから」

 

 自嘲気な笑み。

 傍から見れば彼女が紛い物には全く見えない。当たり前のように笑い、喜び、迷い、悲しむ。魂がないなんて信じられなかった。

 だからこそ三雲は口に出す。

 

「それは違うと思います」

「えっ?」

「僕にははっきりと清水先輩が『清水美咲』かどうかはわかりません」

 

 自分が自分であることの証明。それは誰だって難しい。

 デカルトは『吾思う、故に吾有り』と言った。結局最後は自分は自分だと信じるしかないのだ。

 ただ清水の場合、そこを強く疑う状況が出来上がっていた。その疑いを晴らすような論理も言葉も、三雲は持ち合わせていない。

 

「でもこれだけは言えます」

 

 それは理屈ではない。ただの三雲の思い。

 

「トリオン兵だとか、幽霊だとか、黒トリガーだとか関係ありません。先輩は先輩ですよ」

「……」

 

 清水がぴしりと固まる。

 やがてわなわなと体を震わせ、そして頬を染めた。

 

「ふふ。酷い殺し文句だね。久々にグッと来たよ」

 

 胸に手を当てる。

 

「心臓の音は聞こえない。だけど……確かに感情はあるって実感するね。今までは記憶の模倣だと思ってたけど、これは認識を改めないと」

 

 清水はふわりと微笑んだ。

 

「修君、ありがとう」

 

 今度は三雲がドキリとした。顔が熱くなるのを感じて、眼鏡の位置を直すふりをしながら顔を手で隠した。

 

「ぼ、僕はただ思ったことを口にしただけです。そんなたいしたことは」

「だから嬉しいの」

 

 沈黙が場を覆う。

 少女は嬉しそうに笑みを浮かべ、少年は川を一生懸命見つめていた。

 

 三雲が落ち着いたのを見計らい、清水は続きを話し始める。

 

「えっと話を戻すよ。こうして自由に行動しているのも能力の一端だからなの」

「それじゃあ僕にだけ見えるのは」

「それはたぶん修君と私の相性がいいからだね。きっと修君なら私の黒トリガーを起動できるよ」

「……」

 

 三雲は清水が黒トリガーになっていたことと、彼女を起動した人がいないということを聞いたときから、薄々感づいていた。自分なら、彼女のことをどうやら唯一認識できている自分なら起動できるのではないかと。

 それでもいざそう言われると、戸惑ってしまう。

 

「どうする? 私のことを報告すればS級になれるよ。手っ取り早くパワーアップできるよ」

 

 迅がかつて『パワーアップはできるときにしとかないといざって時に後悔するぞ』と言ったことを思い出す。そのときは彼のアドバイスに従い、C級からB級に上がった。

 けれども今回は話が変わってくるように思える。三雲はS級に上がるということが、三雲隊の解散を意味することを理解していた。

 

「いえ。自分は空閑や千佳、ヒュースたちと一緒に遠征を目指すと決めています」

「それでこそ修君だね! 応援してるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、三雲は清水のことを上層部に言わなかった。

 言わないことで出る不利益もあまり考えられなかったし、なにより彼女がそれを望んでいなかったからだ。

 

 秘密を抱えるにあたって、空閑と迅とはどう関わるべきかは清水があっさりと答えた。

 

「空閑君に聞かれたら正直に話せばいいよ。修君に誤魔化して関係拗れる方が困るし、あの子なら修君と私の事情くらいわかってくれるでしょ。何なら帰ってから早速話してもいいくらい。迅君は……今の段階で何もしてこないってことはそれが未来にいいか、そもそも読み逃してるかかな?」

「そんなことがあるんですか? あっ、でも確かに僕が清水先輩と話したとしても、そもそも先輩が見えないからわからないかもしれないって」

「それでも黒トリガーを手に取るところくらいは視えるはずだから、そもそも修君がS級になる確率は低いのかもね。

 とにかく迅君にも伝えるべきだろうね。伝えなかったせいで最悪の未来を回避出来ませんでしたとか言われても困るから。それに修君の独断で報告しなかったことになると組織的に処分されるかもしれない。迅君は巻き込んどいたほうがいいよ」

 

 個人的には話したくないけど仕方ない、と清水は伏し目がちに言った。

 

 玉狛支部に戻った三雲は、頃合いを見計らって空閑と迅を部屋に呼んだ。

 三雲から話を聞いた空閑は清水の予想通りの反応だった。

 

「オサムがそれで構わないって言うならオレからは何も言わないよ」

「助かる」

「それにしても黒トリガーなのに意識があるとは……今もここにいるの?」

 

 きょろきょろと探す素振りを見せる空閑。

 

「いやいない。本体から離れれば離れるほどトリオンを消費するらしくて、起動されていない状態だと玉狛までは来るのは厳しいらしい。でも一応二日くらい移動できないことを覚悟すればいけるらしい。

 ……迅さん」

「……」

 

 話を聞いてから迅はずっと黙っていた。

 もしかすると本部に報告した方がいいといわれるかもしれない、と脳裏をよぎる頃、ようやく迅が口を開いた。

 

「清水がそんなことになってるなんて知らなかったよ」

「迅さん……」

「5年間もオレたちは彼女を一人にしてたのかと思ったらさ、ちょっと衝撃が大きくて中々飲み込めないんだ」

 

 いつになく迅は気落ちしていた。

 

「ただ……未来がどうかはまだわからないけど、今は清水の意思を尊重して大丈夫だ。報告したら上は大騒ぎになるってオレのサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 迅はそれ以上のことを言わなかった。

 

 それからの日々は、別に清水がクロだったころと変わらなかった。

 時折清水の方から三雲に会いに来て、話をして、そして別れる。その頻度は三雲が玉狛に籠ることが多くなったことで減ってはいたが、清水は三雲と会うと嬉しそうに笑った。

 

 時は流れ、そして遠征選抜を兼ねたB級ランク戦が終わった。

 

 厳しい戦いだった。だけど三雲隊は見事に勝利した。遠征への切符を獲得したのだ。

 

 けれども。

 三雲は遠征メンバーから外されかけていた。

 

 チームで勝ち取った遠征への資格だが、それは別に個人の実力を問わないわけではないのだ。過去に二宮隊の鳩原が『人を撃てない』点を問題視されて遠征メンバーから外されたように、三雲への嫌がらせではない。

 

 遠征先は危険が一杯だ。

 そんな中、三雲には実力が明らかに足りていなかった。それだけでなく、数回に渡る隊務規定違反が問題視され、遠征先で勝手なことをする危惧をされてしまったのだ。

 

 一度はメンバーから外すことは決定されていた。

 しかしこれに雨取と空閑が抗議をしてくれたおかげで、現在は議論中だ。ただし迅が言うには分が悪いらしい。

 

 三雲隊の始まりは雨取の『兄と友達を探したい』という思いを手伝うことだった。空閑は遠征に行けるので、雨取のことを彼に任せるということは出来る。

 ただ三雲自身、自分の力で手助けしたいという思いがあった。

 

 雨取の兄、麟児に頼まれたのだ。千佳のそばにいてくれと。

 

 だから三雲は河川敷に向かった。きっとそこにいると思ったから。

 そしてやはり清水はそこにいた。

 

「来たね、修君」

 

 その目を見て、三雲は清水が事情を知っていることを悟った。ボーダー内を徘徊しているうちに知ったのだろう。

 

「……覚悟決めたの?」

 

 黒トリガーを手にする覚悟を。

 三雲は冷や汗を流しながら、それでも目を逸らさずに答えた。

 

「はい。あなたの力を貸してください」

「うん。いいよ」

 

 清水が軽く受けたのに対し、三雲は頭を下げた。

 

「……すいません。利用するような形になってしまって」

「構わないよ。遅いか早いかの違いだけだし」

「それは、そうなんですが」

「私が気にしてないって言うのに、修君は真面目だね」

 

 清水は楽しそうに手を差し出した。

 その手に触れることは出来ないことは互いにわかっている。それでも三雲は自身の手を上に重ねた。

 

「かくして未来は動き出したって所かな。よろしくね、修君」

 

 少女は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒トリガーになって、初めて見た光景は私の黒トリガーを囲んで泣く皆の姿だった。いや皆では正確ではないか。あの戦いでは私以外にも多くの仲間が死んだのだから。

 

 最初のうちはどうにかコンタクトをとろうとしていた。けれども何も触れることが出来ず、本体の黒トリガーからも遠くまでは離れられず、ただ見ることしか出来ないこの体では、すぐにどうしようもないと諦めるしかなかった。

 ただ誰かが私を起動してくれれば、そうすれば話は変わる。だからひたすらに待った。

 

 迅君がひたすら謝るのを傍らで見ていた。謝らなければいけないのは私なのに。

 

 桐絵ちゃんが号泣しているのに黙って見ていた。慰めることもこの透ける手では出来ない。

 

 辛い顔をするレイジさん、桐山さん、真都ちゃん、ゆりさんを何もできずに見ていた。その辛さを与えたのは私もなのに。

 

 城戸さん、忍田さん、林藤さんが悔しそうに目を伏せているのを、私はただ見つめることしか出来なかった。あの時ほど怒って欲しいと願ったことはなかった。

 

 待つしかなかった。

 誰かが起動してくれたその時、絶対に謝ろう。無茶をして、死にかけ、帰って来れずに黒トリガーになってしまったことを。

 それが『清水美咲』が残した贈り物の義務だ。そう思って、ひたすら待っていた。

 

 けれども私を起動する者は現れなかった。

 

 第一次大規模侵攻を機に、ボーダーは大きくなり、かつての小規模な組織ではなくなった。隊員もその分増えた。

 事実、最上さんの黒トリガーの風刃は多くの隊員が起動出来ている。だけどそれと正反対に、私を起動出来る者は一人としていなかった。

 

 やがて季節が何度も巡り、私の中の考えは変わっていた。

 もう誰も私を起動できなくていい、と。

 

 彼らの傷ついた心は、時間が癒してくれている。そんな中で私がかつての『清水美咲』と変わらない姿で現ればどうなるか。

 そんなの瘡蓋を引っぺがすよりも残酷なことではないか。

 

 だったらいっそのこと、このまま消えてしまえばいい。彼らが向き合うべきなのは、過去ではなく、未来なのだから。

 

 そしてあの日、私は修君に出会った。

 

 本当に驚いた。

 5年間一人も私のことなんて見えなかったのに、いきなり私に話しかけてくるのだから。久しぶりの会話だったからうまく話せなかった。とにかくあの衝撃は筆舌し難いものだった。

 

 それからの日々は色鮮やかだった。

 気づいていなかったが、人との交流に、私は飢えていたのだ。

 

 修君は私の異常性に気づいていないようだったので、彼が一人でいる時を見計らって話をした。少し話しただけでわかる彼の素直で真面目な性格に、ついついからかうことも多かった。

 

 私の幽霊みたいな体も、一応トリオンを消費している。このトリオンの消費量を抑えると、修君でさえ私の姿が見えなくなるのを発見してからは、彼に声をかけるタイミングを見計らうのが容易になっていった。

 

 異常を悟られたのは、第二次大規模侵攻の際だった。大怪我を負った修君を見て、ついつい姿を現してしまったせいだろう。今にして思うと、血まみれの彼を見て動揺していたのかもしれない。

 

 修君に自信の異常性を知られてからは、自重をいくらか捨てた。

 

 彼らしか知らないようなことでも堂々と知っていると公言するように話題にした。

 修君がどうも自分の正気を疑っているようだったので、敢えて三雲隊の試合ではなく、桐絵ちゃんたちの防衛戦を見に行った。もちろん三雲隊の戦いは、後で弓場隊のボーイッシュな女の子がリピート再生しているのに便乗して見たけど。

 

 そんな日々を過ごしていたら、ゆりさんのヒントもあって修君は遂に私の名前に辿り着いた。だから約束通り、自分の正体を明かした。

 

 自分で自分のことを擬きと口にするのは、思っていた以上に傷つくものだった。とっくの昔に、それこそ黒トリガーになったころから自分が『清水美咲』であるはずがないと結論を出し、認めているつもりだったのに、本当は自分が誰なのかわからなくて心で泣いていたのだろう。

 

 それだけ気にしていたことだけに、私という存在を認めさせてくれる『先輩は先輩です』という言葉が嬉しかった。救われたような気さえしたのだ。

 

 だから私も、修君の力になりたいと思った。

 

 そしてそのためには、乗り越えるべきものがある。

 

 私の黒トリガーが起動されれば、私は旧ボーダーの面々の前に現れることになる。昔の記憶を思い出させてしまうから起動されなくていいという考えに反する行いだ。

 

 けれどもこれは結局逃げてるだけだった。

 

 言い訳をして逃げることはせず、向き合おう。修君に覚悟が決まったかを訊いていたが、本当は私が覚悟を決めていたのだ。

 

 私はすぐそこまで来ているその時を待っていた。

 

 今、私がいるのはボーダー本部の会議室だ。ここには私だけでなく、城戸さんを始めとするボーダーの幹部たちに、三雲隊の四人、そして迅君もいる。

 話の内容は修君を遠征メンバーに入れるかどうか。修君が林藤さんを通してこの交渉の場を設けたのだ。

 

 話は修君の実力がやはり足りないことが問題視されていることから始まった。そもそも三雲隊で、戦闘における修君の主な役割はリーダーとして指示することと、トリガーの『スパイダー』を使ったエースが動きやすい環境作りだ。

 ただこの『スパイダー』を使った戦術が活きるのは、街や森などの糸を張ることの出来る場所だけだ。開けた場所では有効に使うことが出来ない。遠征先の環境が読めない以上、こういった状況はあり得るのだ。

 そして修君は残念ながら『スパイダー』を封じられてしまえば、援護力も低いはっきり言ってただの雑魚と化す。つまり遠征にお荷物になる可能性のある隊員を連れていく余裕がないという話だ。

 

 けれども逆に言えば、それを補う魅力があればいい。

 

「メガネくんのパワーアップにはこれがあるよ」

 

 迅君が前に出て、机上に黒いリングを置いた。間違いない。私の黒トリガーだ。

 瞬間、会議場に動揺が走る。

 

「それはまさか!?」

「どういうことだ、迅! お前がどうしてソレを持っている!!」

 

 根付さんが驚愕の声を上げ、鬼怒田さんが怒声を放つ。

 

「ソレは我々開発部が保管していたはずだぞ! いくらお前といえど取りに行けるはずがない!」

「迅に頼まれてオレが取りにいったんだ」

 

 林藤さんがしれっと言った。

 

「何!? だがパスワードは本部の限られた人間しか知らないはずだぞ!」

「あー、それは迅から聞いた」

 

 皆の視線を受けても、迅君は緊張する素振りを見せずにいつもの飄々とした姿を見せている。城戸さんが迅君を睨んだ。低い声で尋ねた。

 

「どういうことか、説明したまえ」

「オレも聞いただけですよ、城戸指令」

「誰からかね? これは機密を漏らしたことで処罰しなければならないほど、重大な違反だが」

「大丈夫だよ城戸指令。すぐにわかるし、そんな罰を受ける人はいないってオレのサイドエフェクトがそう言ってる」

「ほぅ」

 

 意図を探るように、目を細める城戸さん。

 

 ただパスワードを迅君に教えたのは修君だからそんな脅さないで上げて欲しい。冷や汗が酷いことになっている。それに修君にパスワードを教えたのは私だ。何回か開けるのを横で見ていたから覚えてしまっていたのだ。

 

 城戸さんに変わるように、忍田さんが口を開く。

 

「では一先ずそのことは置いておこう。それで君はようするにその黒トリガーを三雲君なら起動できると言いたいのかね?」

「ええ」

 

 迅君が頷くと、私の黒トリガーが誰にも起動出来なかったことを知る面々が目を見開く。

 それだけ信じられないことだったのだろう。ちょっと申し訳ない。

 

「ではやってみるがいい」

 

 城戸さんのゴーサインが出た。

 

「修君」

 

 名を呼び、修君と目を合わせ、サムズアップを送る。こっちの心の準備は出来ている。

 

 修君は黒トリガーを手に持ち、深呼吸をして、ゆっくりと告げた。

 

「トリガーオン」

 

 体に命令が送られ、電撃のような衝撃が駆け抜ける。

 バチバチという音と供に、光が私の体を一瞬で覆う。そして光が弾け、私の体が戦闘体へと変わると、多くの驚愕の視線が突き刺さった。

 

 中でも城戸さんは予想外過ぎたからか間抜けな顔になっている。その顔に5年前までの面影が垣間見え、笑みがこぼれる。

 

「修君、ありがとう」

「いえ」

 

 気をつかったのだろう。後ろに下がった修君に感謝を告げる。

 

 それにしても長かった。

 5年振りの再会になるのだろう。語りたいこと、謝りたいこと、したいことはたくさんある。

 

 けれどもまずは、

 

「お久しぶりです。『清水美咲』、ただいま戻りました」

 

 予め私のことを聞いていたはずの林藤さんが咥えていた煙草をぽとりと落とした。迅君はその横で嬉しそうに涙を堪えている。忍田さんは優しい笑みを浮かべ、城戸さんが震える声を隠さずに言ってくれた。

 

「ああ。おかえり」

 

 感情が溢れ出す。少女は涙とともに微笑んだ。




清水美咲の黒トリガー:
 隠密・偵察・陽動・戦闘・相談と何でもござれの黒トリガー。一度も起動されなかったため、『風刃』のような名前はまだない。
 能力は『清水美咲』のトリオン体を召喚すること。待機状態でも誤差程度のトリオンを生成し、トリオン幽霊のような形で行動可能。戦いにおいて召喚された『清水美咲』は、浮く・シューターのようにトリオンの弾丸を撃つ・シールドを張る、とシンプルなことしか出来ないがどれも高性能。それでも黒トリガー同士の戦いになったらほとんど負けると思われる。下手するとノーマルトリガーにも負ける。
 ノーマルトリガーを解析し、一つだけ登録することが出来、この黒トリガーの使用者も登録したトリガーで戦うことができる。つまり単純に戦力を一人分増やすことが出来るのがこのトリガーの強み。ただし黒トリガーで増えたトリオン量は基本的に召喚された『清水美咲』が使うため、使用者が自身で使うトリオン量は増えない。よって修が使っても、修自身が強くなるわけではない。
 『清水美咲』が倒されると、しばらく召喚出来ない。再召喚までの時間は使用者のトリオン量に左右され、修だと一日かかる。



黒っぽい幽霊少女:清水先輩
 5年前の同盟国での戦いで黒トリガーになり、気づいたら幽霊みたいになってた子。生きていれば19歳。初期プロットでは遠征落ちした修を密航に誘う悪魔のようなキャラだった。作者の力不足でわかり辛いが、所々にミステリアスを残してるのはその名残。5年振りに会話出来る相手ということで、かなりの修贔屓。こっそりと「三雲君」から「修君」に呼び方を変えるあざといキャラになりました。





この小説では、黒トリガーを使うとトリオンの数値が増えることに対し、黒トリガーがトリオンを生成してる説を採用してます。 


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