龍姫絶唱シンフォギアXDS (ディルオン)
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プロローグ

前々から書きたいと思っていた、シンフォギアと5D'sとのコラボです。
監督が(シンフォギア一期は違いますが)同じ小野氏であり、主人公の響と遊星には共通点が多いと思い、書きなぐった作品でした。シンフォギアも五期が始まり、熱が高まり続けています。
二つの世界観のコラボは、妙な改変を行わず、皆が楽しめる作品にしたいと思っていますが……ついてこられる奴だけついて来いっ!!


 ―おい、死ぬな!? 

 

 誰だ? 

 

 ―しっかりしろ! 

 

 誰かが、叫んでいる

 

 ―生きるのを諦めるな! 

 

 いや違う、叫んでいるのは俺の身体だ。

 俺の意思とは関係なく、聞いたことのなかった声が俺の身体を介して、目の前の少女に語り出されていた。

 

 ―………

 

 目の前には、まだ12、3程度と思われる少女が力なく瓦礫に倒れ込んでいる。

 動かない……身体が冷たくなっていく

 身体から流れ出ているのは……これは血か? 

 死ぬのか…彼女は? 

 

 ここは……

 

 その時に気付いた。

 自分の周りに地獄が広がっていることを。

 元々が多くの人で賑わっていたであろうその建造物は、見る影もなく破壊されて、辺りは瓦礫の山で覆われていた。建物や鉄塔、椅子の残骸があちこちに散在され、黒々とした炭の塊があちこちに散らばっていた。

 これだけでも総毛立つのに、俺が驚愕したのはその次に目に入った謎の物体だった。

 

 なんだこいつらは……

 

 自分の周りを虫や、魚、人型に至るまで多くの生物の形をした無機質な物体が囲っている。

 そいつ等はただ命令された機械のようにこちらを向き、ゆっくりと近づいてくる。胃の奥底で何かがせり上がってくるようだった。奴らは自分達とは根本的に何かが違う。感情も意思も、意識さえも明確にあるのかさえ分からない存在の集団。奴らが俺に牙を剥き、そしてこの惨状を引き起こしていたのだと、俺はこの時理解した。

 

 ―こんなに聞いてくれる観客がいるんだ

 

 だが自分は…俺の身体を使い喋っているこの人間は、怯むことなく敢然と立ち向かい、武器を力強く握りしめて何かを叫んでいた。

 

 ―Gatrandis babel ziggurat edenal

 

 何か聞こえる

 自分の身体が何かを喋っている。

 これは……歌だ

 何よりも心の奥底へ響く、それでいて悲しい、命全て燃やし尽くして、それでも尚煌々と光り輝く。

 俺は歌を歌っていた。

 

 ―奏…歌っては! 歌ってはダメえっ!! 

 

 何処からか叫び声が聞こえたが、俺は意に介さずに歌を続けた。

 

 ―Emustolronzen fine el baral zizzl

 

 褐色に空が染まる。

 日の光が虹を描いて宙には錆びた鉄や灰が舞い散る。辺り一面に人の気は無く、周りにあるのは、人の形をした何者か……あれは人形? あれは砂山? 

 視界に入るもの全てが見たことのない景色で覆われて、思考は追いつかずにただ現実はスローモーションで自身の肉を削ぎ、剥いで、血を地面に滴らせていく。初めて理解した。俺の身体が徐々に崩れ始めている。

 

 俺は…なんだ!? 

 これは…どうなっているんだ!? 

 

 慌てる俺の意識をよそに、声は依然として歌を奏で続け、身体全体を熱く、強く、激しく駆動させる。まるで自分自身の身体が核の融合炉とでもなったかのようだった。そしてその力に耐えきれず、肉体が崩壊していくことも。

 排出される空気。

 冷たくなっていく身体。

 限界まで高まった身体の熱を一気に放出するかのように、激しい力の奔流が自身を中心に巻き起こり、それはやがてこの周りの建物すべてを埋め尽くしていく。それに巻き込まれた謎の物体たちは次々と粉々に炭化して霧散し、消し飛んでいる。

 

 俺の身体のどこかに穴が開いていた。

 

 やがて目の前の異物たちはすべて消滅していた。

 あの恐ろしい奴等だけではない。建物の瓦礫や、椅子や、柱も全てだ。

 ただ自分の後ろに倒れていた、あの血を流す少女を除いて。

 

 ―奏! 奏、っ、しっかりして! 

 

 襲いかかっては遠ざかる痛みの波。

 ああ……理解した。

 俺は本当に死ぬのだと、身体が、五感が訴えかけてくる。

 何故こんな所にいるのか、どうして俺はこんな状態なのか、考えようとする気さえ起らなかった。

 ただこれが現実ならば、なんておぞましい、残酷な光景なんだろう。周囲を、運命を呪わずにはいられない。

 

 けれど…あの歌は……

 

 輝きを胸に、祈りのように、星に願いを届けるように、ただ純粋にひたすらに、己の渾身の想いを届ける歌

 身体が解けて消えていく。露や幻の様に崩れていく。

 砕けた身体の破片は日の光を浴びて尚も輝きを失わず、視界は黄金で埋め尽くされる。

 

 ―かなでっ! 

 ―かなでえええええっっ!! 

 

 灰を握りしめて叫んでいるのは、剣を携えた一人の少女

 彼女の悲鳴がこだまする中で、歌を届け終わった俺の身体は、夕闇の中に溶けて消えた

 

 俺は……

 

『……まだ、生きている』

 

 血を流したあの子の無事なのだと

 それだけを心の安らぎと支えにしながら、俺の意識は闇へと溶けた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……ぅ」

 

 朝の日差しが窓越しに差し込む。

 喉の奥から流れ込むような不快感を飲み込むようにして、俺はゆっくりと体を起こした。

 

「夢か…」

 

 それにしては、やけにリアルなものだった

 消えていく人々

 崩れる街並み

 そして、それを守ろうとして剣と槍を携えている少女と、そこから響き渡る歌声と…

 

(夢は夢だ…)

 

 早いうちに顔を洗って、急がなければ。

 やることが今日も目白押しだ。

 

 下宿しているゾラの倉庫を出てからDホイールを駆り、一路仕事場であるネオ童実野シティの開発局へと向かう。

 新システムフォーチュンを完成させたとは言え、まだ制御は不安定な箇所もある。それに、今日は別の問題について議論しなければいけなかった。

 街の中心にあるネオ童実野シティ開発局に到着すると、いち早く俺は最上階にある自分のオフィスへと足を運んだ。

 エレベーターを降りてドアの前まで来ると、見知った顔が一人俺を待っていた。

 

「お待ちしておりました、不動先生」

 

 慇懃に頭を下げた小柄な男はイエーガー。

 このネオ童実野シティの初代市長だ。

 以前は俺達と対立することもあったが、今では心を入れ替え、街の発展や市民の生活を第一に考える理想の施政者として、人気を集める好人物へと様変わりした。

 

「ギリギリになってすまない、イエーガー」

「いえいえ。まだまだ始業の1時間前ですよ、先生」

「先生はよしてくれ」

 

 イエーガーは俺の事を『先生』と呼ぶ。以前研究で、この街を統括し、世界中と直結させるシステム『フォーチュン』を開発中だった頃から、『博士』と常に敬語を絶やさなかった。俺はそんな柄じゃないと再三言うのだが、『自分が敬意を払わなければ下の者があなたについてこない』と譲らなかった。

 

「皆は?」

「あと三割程度…と言ったところでしょうか」

「そうか。皆早いな」

「仕方ありません。問題が問題ですからね。皆が緊張するのも無理なからぬこと」

「確かにな。この間のニュース以来、市民にも不安の声が上がっている」

 

 ニュースと言うのは、半年前に確認されたある現象についてだった。

 

「旧モーメントの様子はどうだ?」

「報告によれば、今は落ち着きを見せているとのこと。エネルギーの上昇も収まり、徐々にですが低下しているとのことです」

 

 俺の父親が開発した世界初のモーメントエンジン、旧サテライト地区の最奥にある旧モーメントは、ダークシグナーとの戦い以降、最重要危険区域として封鎖されている。

 

 しかし半年前、この旧モーメントが突然エネルギーの蓄積を開始した。炉心そのものは生きているとはいえ、今までまるで反応しなかった旧モーメントが稼働し始めた事に、人々は不安を覚えた。

 何しろゼロリバースを初めとして、ダークシグナーとの戦いや、ゾーンがアーククレイドルをこの街に落下させようとした時も常に渦中にいた存在である。また新たな災いの先触れではないのか。そう思う人も少なくない。市には事態の一刻も早い究明と対処を求める声が増えていった。

 

 そこで対策委員会が設置され、ありとあらゆる可能性を考慮した解決法が模索された。相手はただのエンジン機関では無い。このネオ童実野シティを一度は真っ二つにした恐るべき機械だ。慎重にならざるを得ない。何より急にエネルギーが溜まりだしたその原因さえも定かでない。

 俺自身もモーメントを視察に訪れたが、やはり原因は分からないまま、調査は難航していた。

 

 そして今日も、これからの対策を練るための会議と言うわけだ。

 

「皆の意見は?」

「今のところ、真っ二つに割れております。現状の危険性はないのだから放置しておくという意見と、万が一に備えて廃棄すべきだ、と言う意見。どちらも引かずに一進一退。正直私としても判断が付きにくい所ではあります、はい」

 

 うーんと眉間に皺を寄せるイエーガー。

 維持派も解体派も、共通しているのは街の危険を憂慮してのことである。双方、街の未来や市民の安全を考慮しながら最善策を提示しているつもりなのだ。

 だがそれ故に落とし所が難しい問題だった。

 

「申し訳ありません。先生からも、やはり専門家としての立場からお言葉を頂きたいと思いまして。お忙しい中お時間を取らせてしまいました」

「気にするな。モーメントの問題となれば放っては置けない。それに、街の安全にかかわることだからな」

 

 あの施設は俺にとって決して忘れてはいけない物だ。

 ネオ童実野シティの一連の事件の核心でもあり、今もなお人々の心に深い傷を残し続けている根源。そして俺が一番に向き合い続けなければならないもの。

 かつてこのモーメントの暴走事故により、ネオ童実野シティは2つに分断され、それから長い間差別と貧困が渦巻く別の環境を生み出してしまった。

 知らなかったこととは言え、それを生み出したのは他ならぬ俺の親父なのだ。僅かでも危険があるというのならば、俺は全力でこれに挑み、対処しなくてはいけない。それが科学者として、そして息子として、何よりこの街に生きる者としての俺の義務だ。

 オフィスのガラスの向こう側から差し込む強い太陽光を浴びながら、背中を押されるように俺は会議室へと足を運び入れたのだった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

「ですから、説明したように、旧モーメントは即刻廃棄。2度と利用されないように、処分すべきです」

 

 旧治安維持局本部があったネオ童実野シティ市役所内の会議室で、俺はイェーガーや他の研究員と共に議題について話し合っていた。

 

「しかし、旧モーメントの危険性はほぼ消滅しました。ここは無理に触らずとも危険はないのではないですか?」

「私も賛成だ。ここはシステム『フォーチュン』の改良と共に、街の発展を第一に考えるべきだ」

 

 とは言え、会議は平行線のままだった。

 

「フォーチュンがあれば十分だ。わざわざこれ以上は必要ない」

「我々は常に先を求めなければいけない。安定は下降への第一歩です」

「私はそういうことを言っているのではありません。災いの芽は早めに潰しとるべきだと申し上げているのです」

「君の言っていることはあくまで仮説だ!」

「だが!」

「皆さん、お静かにっ。議論は冷めた頭でやるものですよ」

 

 パン、とイェーガーが手を叩いて叱咤したことで、ようやく会議室は落ち着きを取り戻した。

 だが一向に結論を見出せずにいる。

 旧モーメントはこれまでも多くの人の手によって悪用されてきた。今では旧モーメントはこの街の負の遺産…忌むべき証とみられている。

 

「……」

「…不動先生。貴方はどうですか? フォーチュンの可能性と、旧モーメントの危険性。最も双方を熟知しているのは、この場では貴方ですが」

 

 イェーガーが俺を見て質問する。一斉に緊張が走り全員が俺を凝視する。

 俺は今まで自分の持つ影響力故にあまり意見を出さずにいた。イェーガーの言うように、この場でモーメントの構造を熟知し、暴走事故に巻き込まれて苦難を味わい、そしてそこから迫り来る悲劇と戦ったとされる俺が一言言えばそれで決着がつくからだ。

 だが、こうまで混みいっては日和見を決め込んでいると思われてしまう。それに俺自身がまず動かなければ、街の人たちは誰もが迷いを抱いてしまうだろう。それだけはいけない。

 

「…確かに、理論上は安全だ。旧モーメントも、すぐどうこうという状況ではないし、急いては事をし損じる」

「では…」

「だが、あくまで紙の上での話だ。旧モーメントも、完成する前は夢のクリーンエネルギー機関と言われ、アーククレイドルの落下前には、破滅の可能性など誰も考慮しなかった。俺の父のようにな」

「し、しかし、それは決して貴方のお父様の落ち度ではない。あれを予想するなど人間には不可能です」

「そうだ。俺たちは神じゃない、人間だ。だからこそ、最善の方法の上でも危険が伴うことを考え続けなければいけない」

 

 全員が俺を見た後で、俯いてしまう。

 いくらモーメント維持賛成派といっても、皆の中には未だにZ-ONEとの戦いの最中、ネオ童実野シティが壊滅寸前まで追い詰められたショックと、常識を覆す出来事の連続に衝撃を受けたトラウマが残っている。

 あんな厄災をまた招くくらいなら処分を…俺の意見で再び暴走事故の恐怖を呼び起こされた彼等は、そう考え始めた。

 

「では…やはり旧モーメントは処分を?」

「だがそうは言っても、処分には莫大な費用がかかる。それに内部では未だに高密度の遊星粒子が蓄積されている。下手に破壊するわけには…」

 

 ある科学者の言葉で、再び全員の眉間にシワがよる。

 これが問題だった。処分すると言っても簡単なことではない。対象はただの機械ではない。人の意思を読み取り、エネルギーを半永久的に生み出せる無限動力炉だ。開発者である俺の親父がいない今、迂闊に触れることはそれだけで危険を意味する。

 

「不動先生、何か案は無いでしょうか? 安全は勿論ですが、市民の不安をそのままにしておくわけにもいきません」

「…」

 

 俺は沈黙する。

 アイデアがないわけではない。

 ただやはり、俺が一言言ってそれで全てが解決してしまうのもあまりよくないと思っている。この街は皆の街だ。皆で話し合い、補い合って進まなければ……

 そう思った時だ。会議室の末席にいた一人の青年が手を上げた。

 

「それですが、私からも1つ」

 

 技師長を務めるヴィニードだった。この街の出身ではなく、外部から新たに雇い入れたスタッフの一人だ。

 アメリカの一流工科大学を首席卒業した逸材で、その腕はかなりのものだった。

 

「ヴィニード技師長。何か?」

 

 神妙な顔をして沈黙を破った彼にイェーガーは尋ねた。

 

「皆様の仰る通り、中は未だに莫大なエネルギーが蓄積された状態です。そこで、フォーチュンの機能を一時的にリンクさせれば、暴走の可能性を極力抑えることが可能です。これにより、安心して廃棄に移れます」

 

 予想外の意見に、俺は目を丸くした。

 考えなかったわけではない。

 むしろその逆だ。旧モーメントを敢えてフォーチュンと……事故の恐怖を覚えている街の人間には考えもしないアイデアだ。

 だが俺が今まさに言わんとしていた意見も、フォーチュンとの接続だったのだ。

 おずおずの行政局の中年の男性が尋ねる。

 

「それができれば正に理想的です。だが……素人質問かもしれないが、フォーチュンはこの街の要だ。繋げるのはそれこそ危険ではないのかね?」

「私の理論は完璧です。つきましては、皆様に資料をお配りします。これを見れば、私の言う事がご理解いただけるかと」

 

 鷹揚にヴィニードは頷くと、取り出したメモリーチップを自らの端末に繋げた。社内ネットワークを通じて各々のデスクの上にデータが表示される。専門用語で埋め尽くされ、この場の半分は理解できない内容だ。

 イエーガーが首を傾げながらこちらを見る。コイツもちんぷんかんぷんだろう。

 俺は全ての内容にざっと目を通した。

 

(俺の考えた方法とほぼ同じだ…まさか同じ発想を持つ奴がいるとは……)

 

 驚いていた。

 普段飄々として中身の読み取り辛い男だったが、こうしてみると改めて彼の頭の良さに舌を巻く。

 

「いかがでしょうか、不動先生?」

「……悪くない考えだ。もちろん、あとで精査させてもらうが、現状ベストな方法だと、俺は思う」

「ありがとうございます」

「おお」

「不動先生のお墨付きならば、安心だな」

 

 俺が頷くと、緊張の走った会議室に安堵のため息が次々と漏れ始めた。まだ解決の糸口が見えたにすぎないが、これが現実味を帯びてくれば、この街を脅かし続けた負の遺産から解放される。ようやく全員が納得できる形で現れたこの光明に、希望を抱き始めていた。

 俺はと言えば未だにこの提出された資料をじっと見降ろしていた。

 

「不動先生、いかがなさいましたか?」

「あ、いや…なんでもない」

 

 ふむ、とイエーガーは一瞬キョトンとしたものの、すぐに出席者全員を一瞥して話した。

 

「では皆さん。今日はこれで終了としましょう。皆様から寄せられた意見を、運営委員で吟味した後、最終案を行政局に提出。速やかに審査に移りたいと思います」

 

 イエーガーの言葉を締めとして、皆がうんうんと頷きながら会議室を去って行く。俺は俺で、彼の資料を再び一読する。

 その中で今回一番の功労者ともいえるヴィニードは俺をなんともいえない表情で一瞥すると、会議室を後にした。

 

(ヴィニード…大したヤツだ。あの若さでこれだけの理論を組み上げるとは…)

 

 彼には既に、いくつか仕事を任せてあるし、腕は本物だ。余所の土地から来た技術者という事で、最初は馴染めるのかどうか疑問の声もあったが、こうして彼のお陰で事態も好転しそうだ。

 あくまでさわりだが、理論的に穴は見当たらない。むしろモーメントの研究に一番携わってきた俺でさえ目を見張るほどの高度な理論とテクニックで構築された方法だ。

 その時、ほんの僅かな違和感を覚えたが、戻ってきた和やかな喧騒にかき消されてしまった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 会議の終わった後、俺はイエーガーに誘われ、カフェテラスで一服していた。市役所はフレックスタイムを導入していて、労働時間は支障の無い範囲で割り振れる。昼を過ぎても未だに賑わいを見せていた。

 

「なんと。ヴィニード技師長の提案は、不動先生が元々言おうとしていたアイデアだったのですか?」

「ああ。先を越されてしまったが、結果的に皆の意見をまとめることができた。これなら旧モーメントの制御もうまく行く」

「ううむ、皆を前にしてあのキレよう…見事ですな」

 

 イエーガーは安堵しながらうんうんと頷き、茶をすする。

 もっと行き詰るかと思っていた会議だったが、予想に反してすんなりと終えることができたのでほっとしているのだろう。

 

「全く他の若手も見習ってほしいものです。やれ残業は嫌だの、ハラスメントがどうのと…」

「彼らも生活がある。仕方ないさ」

「嘆かわしい。家庭のためにこそ身を粉にして働くべきです。私など、ゴドウィン長官の元にいた頃は、常にゴマを擦りまくるために行動を逐一チェックし、寝る間を惜しんで…は、し、失礼」

 

 慌てて手を振るイエーガーに俺は苦笑しつつ、構わないと手を振る。

 

「いや。お前もそれは家族のためだったんだろう。皆も一緒だ。大切な時間を作るために頑張ってる」

「む、むう…」

「イエーガーも、たまには帰ったらどうだ。息子さんも会いたがってるんじゃないのか」

「い、いや、私のことなどは。家に帰らないのはいつものことですし、それに息子は私に似て聡い子です。ちゃんとわかっていますとも。いまが大切な時期であると」

「分かっているのと、納得するのはまた別の話だ。寂しい気持ちを消せるワケじゃない。俺は親の気持ちはわからないが、子の気持ちくらいは分かる。お前だってそうだったんだろ」

 

 生まれが貧しいサーカス団の出であるイエーガーは、家族を養うためにこの街へ奉公として出て、下働きから副長官、果ては長官代理にまで出世した。もちろん人に言えない手段があったのは許されないが、俺も昔をとやかく言えるほど清廉な人間じゃない。家族第一に考えるその生き方は、家族がいない俺には真似できないものだった。

 だからこそ家族のいる彼のような人間には、その生活を大事にしてほしい。

 

「お前がいない間ぐらい、俺たちがなんとかするさ。それに上司が率先して休めば、みんなも気を遣わずに意見を言えるようになる」

「むむっ…そう言われると…」

「ここまで頑張ってこられたのは家族のおかげだと、前にそう言っていたじゃないか。俺もそう思う」

「……分かりました。あなたの仰る通りです。今回の案件が片付き次第、少し休暇を取るとしましょう。妻や息子を連れて、バカンスにでも行きましょうか」

「ああ、そうしろ。ちょうど今は世界トーナメントの真っ最中だしな」

「そうですねえ。おお、ではこうしましょう。不動先生、あなたもデュエル旅行はどうですか?」

「俺も?」

 

 急な申し出に俺は目を丸くした。

 

「何も一緒ではありませんよ。聞いたところでは、ジャック・アトラスやクロウも、それぞれの分野で活躍中とのこと。そこにあなたも加わり、チーム5D’sを再結成。そのままエキシビションとして海外リーグへ殴り込むのです。うん、これは受けますよ」

「…イエーガー」

「失礼、少し無茶が過ぎましたね。しかし冗談は置いておくとして、先生ご自身も休まれたほうがいいのでは?」

「俺が? 俺は別に構わない。どうせ一人だしな」

「不動先生、上が休まなければ下が気を遣うと仰ったのはあなた自身ですよ?」

「…」

 

 イエーガーが小さい体躯をぴしゃりと伸ばす。甲高い声なのにどこか妙に説得力があった。

 

「ワーカーホリックも結構ですが、それでは体を壊します。あなたは既に、このネオ童実野シティになくてはならない存在。それをお忘れなく」

 

 さっきと言ってることが180度違う。

 だが彼の申し出自体はありがたかったし、正論なのは事実だ。

 俺が休まないと周りも疲れる、とアキに怒られたこともある。

 ここは俺が折れるべきか

 

「…分かったよ。これが終わったら、俺も休むことにするさ」

「ええ、ええ。そうすべきです。マーサハウスに行かれるのもいいし、旅行するのも良し、かつての仲間と旧交を温めるのも良いでしょう。後はライディング・デュエルでしょうか。やはり貴方はカードを握っていた方が生き生きしてらっしゃる」

 

 ひっひっひ、といつもの笑い声を出しながら茶を飲み干すイエーガー。

 こいつなりに気を遣ってくれているのが分かった。

 彼の考えに心の中で感謝しつつ、しかし俺の心の中には引っかかるものがあった。

 

(休暇か……考えたことも無かったな)

 

 高層ビルの窓から見えるネオ童実野シティを一望する。

 晴天の空の陽の光を受け、銀色に眩しく光り輝くビル群と、下にはその隙間を縫うように車やバイク、そして人々が闊歩していく。その誰もが各々の目的を持って前へと歩いていく様子が、自分には嬉しく、そしてどこか取り残されたような寂しさを僅かに感じさせた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 家に帰ると、俺はいつの間にかデッキを組み始めていた。

 イエーガーに言われたこともあった。やはり仲間との絆の証でもあるこれに触れていると心が落ち着く。

 それに、俺自身の中にあるデュエリストとしての本能が、デュエルへの羨望を捨てきれない。

 別にデュエルそのものを捨てたわけではない。

 定期的に、デッキはチェックしているし、たまにイエーガーに頼まれて近くの学校やショップでデュエル講座の特別コーチを頼まれることもある。

 要は客寄せパンダだが、子供達の真剣なデュエルへの眼差しを見るのはとても刺激になった。

 だからこそ、あの時の興奮を思い出しては、俺は寝床に飾っている仲間との写真をいつも見てしまう。

 

(ジャック、クロウ、アキ、龍亞、龍可……)

 

 戦いを通じて出会い、赤き竜の運命によって導かれ、これまで多くの日々を駆け抜けてきた俺の青春の友。

 皆は今どうしているだろうか。

 イエーガーの言う通り、会いに行ってみるか……。

 いや、感傷か。

 今は大事な時期だ。ジャックやクロウはそれぞれのデュエルリーグが佳境だ。アキは医者になるための勉強中。龍亞もプロ入りを目指しているという話だし、龍可も向こうの生活で忙しいだろう。俺一人のワガママでどうこうするワケにはいかない。

 やはりメールや電話で十分だ。

 俺は俺で、休暇を楽しむとしよう。

 そう思った時、ふとパソコンから電子音が鳴った。

 俺のプライベート用の専用回線からだ。一瞬、首を傾げたが、画面には大きく『AKI』と表示されている。

 急いで俺はモニターまで近づき、コンソールを操作した。

 

『……遊星?』

 

 画面を操作した時、向こう側に現れたのは、さっき思い浮かべていたばかりの人のうちの1人。

 最初は敵としてぶつかり合い、仲間となった後は背中を預けあうまでになった大切な友人、十六夜アキだ。

 

「アキ、どうしたこんな時間に?」

『ごめんね、そっちはもう夜よね。今、大丈夫?』

「ああ、こっちは問題ない。今ひと段落ついたところだ」

 

 机の上にデッキを戻して、椅子に腰掛ける。

 

『そう。仕事の方は平気?』

「順調だ。アキの方はどうだ?」

『こっちも勉強づくしで、わからないことだらけだけど、なんとか頑張ってる』

「そうか」

 

 向こうに医者としての勉強をするために留学してから一年余り。元々大人びていた性格だったが、この頃更に大人っぽくなったようだった。

 それから俺たちは他愛ない話をいくつか続けたが、ふとアキが切り出した。

 

『それでね、遊星』

「ん?」

『実は、今度の連休…家に帰ることにしたの。パパが、たまには顔を見せなさいって』

「本当かっ?」

『ええ…それで、遊星の都合はどうかなって思って』

「…」

『忙しかった? 無理に合わせなくてもいいの。ごめんなさい、急に』

「いや、少し驚いていたんだ。俺もちょうど休みを取れと言われていたところだ」

『本当にっ?』

「ああ」

 

 返事を受けて、アキの顔がパッと明るくなる。

 俺にとってもこれは嬉しい誤算というやつだ。仲間たちがそれぞれの道を行くようになってからというもの、二人の休みが重なるのは滅多にない。

 そしてその報告には更に楽しみになる続きがあった。

 

『よかったっ。それでね、実は龍亞と龍可にも連絡をしてたのよ。2人も連休中に、こっちに遊びに来たいって』

「龍亞と龍可もか。それは嬉しいな」

『でしょう? それに遊星、ネットで見たんだけど、今度のランディング・デュエル。ジャックが帰国するらしいの。エキシビジョンマッチですって』

「ジャックが?」

 

 驚きを隠せなかった。

 龍亞と龍可だけでなく、ジャックまで戻ってくるとは…だがアキは更に先を話したくて仕方がないというようにまた身を乗り出した。

 

『ええ。それに相手は誰だと思う?』

「まさか…」

『そのまさかよ。今大活躍中のチーム、『ブラック・ソニック』のリーダー。クロウ・ホーガン』

「クロウも…」

 

 こんな偶然があるのか。

 イェーガーが休暇を取れと言ったのも今思えばいきなりだった。それに合わせてかつてのチームメイト全員が一斉に会う機会に恵まれるとは…

 驚きのあまりしばらく呆然としていたが、やがて嬉しさが心の奥から込み上げてきた。

 

『どうかしら? その日に合わせて皆で』

「ああ、もちろんだ! 色々と準備しておく!」

『良かった! じゃあみんなのスケジュールは私が調整するわね。追って連絡するわ』

「ああ、頼む」

 

 一人でどう休みを消化するのかそればかり考えていたのが、急展開だ。みんな全員が顔を合わせるのは、一年ぶりか…新しく変わった所を案内するか、或いはどこかへ出かけようか…

 

『……遊星。疲れてる?』

「え?」

『なんか、そんな気がして…』

 

 俺の余りに楽しむ顔が意外だとでも言うようにアキは心配そうにこちらを見る。

 俺は一瞬目を瞬かせたが、すぐに苦笑して答えた。

 

「別に、そんなことはないさ。確かに忙しいが、休みは定期的に取ってる」

『ホントに? WRGPの時も、そう言って何徹もしてたじゃない』

「流石にそれはないさ。イエーガーから厳しく言われているからな。俺が無理をすると現場の人間や仲間が気を遣うからと」

『……まあ、そういう風に私が口すっぱく言ったんだけど』

「ん?」

 

 最後の方は聞き取れなかったが、アキは慌てて手を振った。

 

『な、なんでもないわ。それじゃあまた連絡するから』

「ああ。アキ」

『え、なに?』

「……ありがとう」

『…うん』

 

 そうやって俺たちは通信を終える。

 静寂が戻ったガレージの中で、俺はふうっと息を深く吐いて自室に戻る。

 机の上に立て掛けてある写真を見て、俺は仲間達へと思いを馳せた。

 

「さてと」

 

 皆と会える。

 その事実だけで、1日働いて疲れた体に再び活力が漲ってきた。

 ジャックとクロウは世界の猛者達と戦い、更に腕を上げているだろう。

 龍亞と龍可も大きくなっているはずだ。

 それにアキも……

 俺はおもむろに、組み上げたデッキをDホイールのデバイスに収める。

 普段なら机の上に置いておくが、この時は昔を思い出したせいか、以前のようにそのままセットした。

 

 

 今思えば、これも運命だったのだろう。

 新たな世界へ旅立つ俺が、唯一持ち込めた武器。

 それがこのカードと、Dホイールだったのだから。

 




まずはプロローグでした。
このサイトで投稿するのは初めてなので、勝手が分かりませんが、これからどんどん投稿して行こうと思います。
次から、シンフォギアの登場人物も出していきます。


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プロローグ-2

続きです。
ここからシンフォギア次元の人物も登場します。
文章でカードゲームを表現する作家さんを偶にお見受けしますが、あの人たちすげーぜ……


 夢を見た。

 あの時の夢だ。

 二年前。

 私がツヴァイウイングのライブに出かけて、そこでノイズの大群に襲われた時。

 あちこちで悲鳴が聞こえる。

 ノイズに組み付かれ、押しつぶされ、あるいは鋭い槍状と化したノイズに貫かれ、目の前で消し炭になっていく人たち。大勢の人たちの混乱、焦り、惑い、死への恐怖が会場を支配する。

 悲鳴と怒号が交錯するその中で、私は一人その場に立ち尽くして動けずにいた。突然の事態に身体がすくんでいた。認定特異災害を初めて目にして、人が目の前で死んでいく様子を目の当たりにした。

 

 けどそれだけじゃない。

 

 遠くライブ会場の中心地、ステージの向こう側で、大勢のノイズに囲まれながら、悠然と武器を構え、襲い来る敵を目の当たりに、敢然と立ち向かう二人の女性の姿を見たからだ。

 

(奏さん…翼さん……)

 

 ツヴァイウイング…日本で圧倒的人気を誇るカリスマアーティストユニット。私はそのライブを見に、実家から離れたこの地に足を運んだ。

 そして今その二人……天羽奏さんと、風鳴翼さんが、迫るノイズをものともせず、腕に携えたその槍と剣を振るい、触れれば炭化するしか無いとされていたノイズを逆に次々と消し飛ばしている。目を疑った。ノイズに襲われれば、人は逃げるしか無いのだと小さな子どもでも知っている。それなのに彼女達は……軍隊でもないただキラキラした憧れの存在とだけしか思われていない二人が、まさかこんな風に、ノイズをやっつけちゃうなんて……

 

(歌が、聞こえる)

 

 彼女達は歌を歌っていた。

 綺麗な音色。空気を震わせ、恐怖を払い、未来を切り開いていくために命を燃やす。強く、熱く、そしてどこか儚い。そんな奏さんを体現したかのような魂の歌。何も知らない私でもそれが何となく伝わった。この人たちは歌で、この口ずさむ旋律で、戦っているのだと。

 

(ああ、でも…)

 

 私はこの先を知っている。

 この夢の続き。

 これは正夢でもあり、そして悪夢だ。今もなお私を苛まし続け、痛み、苦しみ、嘆く人を大勢生み出してしまったこの惨劇を、私はただ一人だけ間近に焼き付け、そして難を逃れたのだ。

 

(あ)

 

 と気づいた時には、もう私の胸は飛来した金属の塊に貫かれていた。ノイズの猛攻を防ぐ奏さんが、その折に槍を砕かれ、その破片が私の胸部ひ突き刺さったのだ。心臓のすぐ近くへめり込み、穿ち、あっという間に私の目の前は自らの血で真っ赤に染め上げられた。

 ああ、またこの瞬間だ。

 夢なのに痛い。苦しい。吐きそう。あの時は一瞬で意識が跳んで、痛みなんか全然無かったのに……これが夢だから? 

 夢は痛みなんかないって言ったけど、この2年でそれは嘘っぱちだったと思い知らされた。

 現実の痛みと夢での苦しみ。その二つを味わいながらも私はなんとか生き長らえることができた。

 

(それが出来たのは……)

 

 現実と違う世界が、この後に広がっているからだ。

 

『……響っ! 諦めるなっ!』

 

 胸を貫かれた私は、本当ならここで意識を失い、そして奏さんは私を守るために、再び歌を歌い始める。薄れゆく意識の中で見たのは、翼さんが奏さんをその腕で抱きかかえる姿。

 そして奏さんは塵となって消えた。私は翼さんが泣き叫ぶ姿を見ている事しかできなかった。

 けれど……今日は違った。

 

(あなたは……)

 

『それ』は運命の楔。

 私と言う存在と、彼方へと続くもう一人を結びつける、文字通り歯車となる証。

 

(赤い、空……)

 

 空が赤く染まる。

 夕暮れ時ってだけじゃない。空に眩しく光る逆光の太陽だけじゃない。

 突然、空が光輝いた。誰もが動かない、静止した時の中で、もう一つの巨大な熱い光があっという間に辺りを照らし始めたのだ。

 私を、周りを、会場全体を包んで、光へと溶かしていく。

 

(赤い、竜?)

 

 光の先から現れた……そうじゃない。光は徐々に一つの形を成していった。

 巨大な口と、長い蛇の様な胴体。八枚の輝く翼と、猛々しく鋭い爪と脚。

 突然私の目の前に出現したその赤い竜は、私や奏さん、翼さんやノイズを抱き込むみたいにしてその身体を大きく広げた。

 

(ああ、温かい……)

 

 もうノイズもいない。会場もない。死にそうだった私の怪我もない。

 いつの間にかあの惨状のライブ会場は消えて無くなり、ノイズやツヴァイウイングは勿論、周りにいた人々の逃げまどう姿、死体となった炭の塊も消えてなくなっていた。

 

(誰…?)

 

 いつしか私は、上も下も、前も後ろもないような不思議な空間に一人佇みながら、呆然と目の前を眺めていた。まるで宇宙か海の中を漂っているみたい。

 さっきまで起こっていた過去のシーンの再生は終わり、私は何もない、真っ暗な場所に放り出される。その中で私を照らし続けていたのは、さっき空を切り裂いて現れた赤い竜。

 私は目の前にいるその赤い竜に向き合った。

 貴方は誰? 

 どうして私を助けてくれたの? 

 心の中で私は声にならない言葉を描いて視線に託す。不思議ともう、あの残酷な事件のトラウマは…掘り起こされた痛みと記憶はどこかへ無くなっていた。

 

『響』

 

 赤い竜が、私の名を呼ぶ。

 凛々しく、けれど優しい声。夜の中でも私を見守り、そして導いてくれる声。

 貴方は誰? 

 私はもう一度、彼に向かって問いかけた。竜から聞こえた声は男の人のものだった。

 

『響。繋ぐんだ』

 

 赤い竜が、私にそう囁きかける。

 繋ぐ…? 

 いきなり投げかけられた言葉に戸惑いを隠せない私に対して、赤い竜は呼びかけ続ける。

 

『歌を繋ぐんだ、響。そしてカードを……最後の希望と、進化を……』

 

 途切れ途切れになってく竜の言葉。終わりが近いのだとこの時に私は思った。

 彼方へと溶けて消えていくようにぼやけていくその赤い竜。けれども私は、それを離すまいと手を伸ばした。

 

『歌い、繋ぎ、進め。それが……それこそが、俺達の』

 

 ふわふわと漂う、絡みつく空間を泳ぐように這いながら、私は赤い竜に触れた。

 必死だった。これだけは離しちゃいけないと思った。もうここで別れたら、会えないような気がしたから。

 それでも光は消えていく。薄まり、ぼやけ、溶けていく。

 触れた最後の一瞬だけ、赤い竜は私に向かってそう呼びかけた。

 

『俺達の、絆だ』

 

 やがて光が消えて消滅して行く時に見た赤い竜は……一人の、背の高い、男の人の姿をしていた。

 

 

 

「ん…」

「響、響起きて」

 

 ゆさゆさ身体が揺すられる。

 頭が二、三回シェイクされる感覚を覚えて、私は飛び上がるように顔を上げた。

 ぼやけた視界がクリアになっていく。オレンジ色の光が左側から差し込んで、それがまぶしく私の目を射抜く。

 

「響」

「んあ?」

 

 ぼーっとした状態のまま頭を持ち上げると、幼馴染でクラスメートの小日向未来が私の肩に手を置いて見下ろしている。

 ようやく私は隔離された夢の世界から解放されて現実に戻ったのだと自覚した。

 

「未来…?」

「もう…私がちょっと目を離したらぐっすりなんだから。もう四時過ぎてるよ」

「ああ、うん…ごめん」

 

 未だ半覚醒の頭を自分でも揺さぶって目を覚まそうとする。しょぼしょぼする目をこすり、うーんと伸びをしたところでようやく目が覚めてきた。

 そうだ。確か未来が職員室に用があると言って私は教室で待ってて、そしたらずいぶん眠くなっちゃって…

 

「どうしたの、響? 最近疲れてる?」

 

 未来が心配そうに私の顔を覗き込む。

 慌てて私は首を振った。

 

「ぜ、全然そんなことないよ! ちょっと最近寝不足っていうか」

「……もしかして、あの時の夢?」

「…」

 

 私の言葉は未来の問いかけで途切れてしまった。

 こういう時、未来は私の奥底を見透すように分かってしまう。

 いや…分かってくれるんだ。親友なんだから。

 

「うん…実はそう。よく分かったね」

「教室入ったら、少しうなされてた感じだったから」

「そっか…」

 

 未来がそっと、私の手を優しく包んでくれる。

 私の陽だまりの手。

 柔らかくて、ホッとする未来の手。

 それだけで、私は何もかもが満たされる。

 それに今日はもう、いつものように悪夢に苛まされたわけじゃなかった。

 

「具合、どう?」

「大丈夫。心配しないで。今日はちょっと、いつもと違ったんだ」

「違った?」

「うん」

 

 私はそう言って、さっき見た夢の出来事を未来に話した。不思議と心の中は暖かい気持ちで一杯だった。未来の手が包んでくれるのと、もう一つ。

 私を夢の中で救ってくれた、あの赤い竜のおかげで。

 

「赤い竜?」

「うん、そう。いきなり空から現れて、こうピカーって光ってね。ノイズも瓦礫もみんな消えちゃって」

「そう…」

「そのあと…」

「なに?」

「…何かあった気がするんだけど、忘れちゃった。はは」

「そういうとこ響らしい」

 

 未来は苦笑して、思わず私も笑った。

 

「でも、もしかしたら良いことがあるかもね」

「え?」

「確か竜が出てくる夢は、幸運の象徴なんだって。中国で王様になった人は、竜に会う夢を見たって話もあるのよ」

「へえ、そうなんだ」

「普段から「呪われてる」なんて言ってるけど、良いこと起こるといいね」

「そうだねっ。よし、じゃあ今日はお好み焼き食べに行こう! 幸運記念日だ!」

「もう…それどういう理屈?」

 

 呆れながらも未来は笑顔だ。私も笑ってる。

 私が元気になると、未来も笑ってくれる。それが私にとって、一番の喜び。

 

「じゃ、早速行こっか」

「うんっ」

 

 私は飛び上がるようにカバンを持って、未来と手を繋ぎながら教室の出口へと向かう。これから未来と一緒にご飯食べてお風呂入って寝て…そんな風に続く当たり前の毎日を夢に描きながら。

 でも…

 

「ん?」

「あ…」

 

 私の鞄から鳴り響く無骨な着信音。普段使う端末とは違う、もう1つ持たされている秘密用の通信機器。

 

「…響?」

 

 未来が怪訝そうに私を見つめる。

 私はゆっくりとその視線を浴びながら端末を取り出し、そして自分の顔に落胆の色が広がるのを感じた。

 

「ごめん…ちょっと、用事できちゃった」

 

 恐る恐る私はそう言った。

 さっき幸運が舞い込むって未来は言ったけど、やはり私は呪われてる。

 こんな些細な安らぎすら、手の端から溢れてくるのだから。

 

「また?」

「…うん。ごめんね、ほんとに」

「……ううん。いいよ。気にしてない」

 

 未来はそういうけど、その表情は普段とは程遠い。私だって気付いてる。未来が心配してくれるだけじゃない。私が隠し事をしているという事実を、未来はとっくに知っている。

 それでも私は隠さなければならなかった。親友を裏切ってでも、秘密にしなければ…そうでなければ、私は一番大切なものを失うかもしれない。

 

「じゃ、行ってくるね。なるべく早く帰るよ」

「うん。鍵は開けておくからね」

「ありがと」

 

 そう考えると、これは嘘つきの自分への、罰なのかもしれない。

 未来を教室へ置いて一人、先生達がいるもう1つの棟に向かいながら、私はそんな風に考えていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「すいません、遅くなりました!」

 

 教員塔の奥、秘密のパスを持つ人しか入れない地下深くに、その施設はあった。

 ノイズと戦う力を唯一持つ人が集まる秘密基地、特異災害対策機動部二課、その本部が。

 

「お、来たな」

「大丈夫よ、響ちゃん。時間ピッタリ」

 

 二課のリーダー。風鳴弦十郎さんと、顧問科学者の櫻井了子さんが私を迎え入れてくれた。

 右も左もわからない私を受け入れてくれる、とてもいい人達だ。

 お陰で素人の私もこんな政府の中でも一部しか知られてないすごい集団に入ってやって行ける。

 

「あ、ありがとうございます」

「すまないな。学業との両立は難しいだろうに」

「い、いえ全然平気です。さっきまで寝てたところですし…」

 

 そう言ったところで、私の後ろの扉が開く。

 

「すみません、遅くなりました」

 

 凛とした声が広い司令室に響き渡る。

 澄み切ったまるで妖精の歌のような声。こんな素敵な言葉を発せられる人を私は一人しか知らない。

 

「あ、つ、翼さん。お、お疲れ様です…っ」

 

 私の学校の先輩にして憧れの人。今や日本を代表するトップアーティストにして、二課の一員でもある風鳴翼さんだ。

 

「すみません司令。取材が立て込みまして…」

「いや、構わん。緒川もご苦労だったな」

「…」

「あ、あの…」

 

 翼さんは私を一瞥もせず、さっさと司令室の中央まで歩いていく。透き通った長い、キラキラしたガラス細工みたいな髪の毛が舞って私を通り過ぎた。

 

「響さんもお疲れ様です」

「あ、い、いえ…」

 

 二課の職員で、翼さんのマネージャーでもある緒川さんが丁寧に挨拶してくれる。

 私は恥ずかしくなって俯いた。

 翼さんはノイズと戦うだけじゃない。こうしてアーティストとして活躍して、両立させている。

 さっきまでうたた寝していた私とは雲泥の差だ。そう思うと情けなかった。

 

「はてさて。全員揃ったとこで、そろそろブリーフィングを始める? 弦十郎くん」

「ああ。まずはこれを見て欲しい」

 

 了子さんはそんな私の気持ちを気遣ってか、素早く本題に入った。

 オペレーターの友里さんが巨大なスクリーンに映像を映し出す。

 このリディアン音楽院を中心にした地図だった。

 

「つい先ごろ、街の郊外にある道路脇で、ある高エネルギー反応が検知された」

「それって、ノイズですか?」

「そうなら話は簡単だったんだけどねぇ。どうにも違うみたいなの」

「違う?」

「そう。これはむしろフォニックゲイン…シンフォギアの反応に酷似したものよ」

「シンフォギアにっ?」

 

 私は驚いた。シンフォギアは、ノイズと唯一戦うことのできる力のことだ。でもこの国でそれを使うことができる人は、この二課にしかいないと、私は了子さんから聞かされてた。

 

「失われた、第2号聖遺物や、『サクリストN』の可能性は?」

「それも無いわね。この波形パターンは全く未知のものよ。歌の振幅や固有振動によって広がるフォニックゲインと違って、これはその場で留まって回転しつつエネルギーを運用してる。私の櫻井理論とは全く別ベクトルの発想だわ」

 

 言ってることが全然分からない。

 ただ、分からないのは了子さんや周りの人も一緒だと言うのはなんとか感じ取れた。

 

「ノイズともシンフォギアとも違う新たなエネルギー反応…今は消失しているが、これが何を意味するのか。新たな脅威の前兆なのか。いずれにせよ、細心の注意を払って行動しなければならない」

「まぁ、厄介を押し付けられたとも言えますけどね」

 

 藤尭さんがぼやきながらコンソールを叩いている。時々このお兄さんは愚痴をこぼすのが癖だった。

 

「そう言うな。こう言う時にでも面倒事を聞いておかないと、それこそ後々面倒だ」

「それにもし万が一ノイズに関連する事なら、他に任せておくわけにも行きませんしね」

 

 苦笑しながら答えたのは友里さん。

 弦十郎さんが頷きながら私たちを見た。

 

「えっとつまり…その反応がどんなものか私達で調べるって事ですよね」

「そう言うことだ。これから了子くんが調査チームを編成し、現地へ向かう手はずになっている。翼にはその護衛を頼む」

「了解しました」

 

 背筋をピンと伸ばして翼さんが答える。

 

「わ、私は…」

「響君は、万が一の事態に備え、ここで待機していてくれ。別の場所でノイズが出現するとも限らないからな」

「わ、分かりました」

 

 留守番。つまりは足手まとい。

 いや、しょうがない。私はここの一員になってまだ日が浅い。一人だけならまだしも、了子さんたちを守って戦うなんてことはできない。

 そう自分をごまかそうとした時だった。

 

「っ!?」

 

 司令室全体に、なんども聞いたことのある甲高いアラート音が鳴り響いた。

 

「ノイズ反応を検知しました! 数およそ50!」

 

 藤尭さんが叫ぶ。

 飛び上がりそうになった私。

 慌ててモニターを見ると、そこには警戒を促す赤いマークが点灯してた。

 

「場所は?」

「E地区13、市街地の外の高速道路沿い…これは…!」

「どうした藤尭?」

「例の高エネルギー反応があった場所のすぐ近くです!」

「なにっ?」

 

 弦十郎さんも目を見開いていた。

 謎の反応があった場所にすぐノイズが現れた。その2つが無関係じゃ無いってことくらいは私も分かる。

 

「予定変更だ。第1種戦闘配備へ移行し、ノイズの殲滅を行う。本件をこちらで預かる事を一課に通達、付近の住民の保護が最優先だ」

「了解っ」

 

 友里さんが素早くコンソールを叩き出した。

 この一瞬のうちに、二課の人達は場の空気を変え、ノイズと戦うプロフェッショナルとなっていく。私はと言うとオロオロするばかりで、ただその場に立ち尽くすしかなかった。

 

「翼、行けるな?」

「無論です。いついかなる時も、この身は研ぎ澄ましています」

「うん。響君、いきなりですまないが、翼と共にノイズの殲滅に当たって欲しい。できるか?」

「え、あ、あ…は、はいっ!」

 

 私は慌てて答える。

 その姿を見て翼さんが鋭い視線で私を射抜いていたが、私はこの時自分のことだけで手一杯で、気付く余裕はなかった。

 

「司令、出動準備整いました」

「よし、二人とも頼むぞ」

「了解」

「りょ、了解しました!」

 

 私は駆け出していく翼さんの後を慌てて追う。

 広い廊下を駆けて行く私達。でもさっきまで仕事を続けていた翼さんは、寝て体力が余ってるはずの私よりもずっと早く、軽やかな足取りで前へと進んでいく。

 決して縮まらないその距離を、私は情けなさすら覚えられずにただただ付いて行くだけだった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 

「旧モーメント内遊星粒子、規定数値の20パーセント」

「システム『フォーチュン』、正常に稼働中」

「接続プログラム、オールクリア」

 

 ここは旧サテライト地区の最奥だ。かつてBADと呼ばれていた、ならず者たちだろうと滅多に近づかない危険個所である。

 この中心に、旧モーメントは設置されていた。

 以前のダークシグナーの暗躍などもあり、立ち入り禁止区域に指定されたが、環境汚染もほぼ収まりつつある。

 あとはネオ童実野シティを統括するメインシステム『フォーチュン』と接続すれば、このモーメントも安全かつ効率的に管理・運用されて、元の危険性は限りなくゼロに出来る。

 

「不動先生、準備整いました」

 

 モーメントの入り口付近に設置された仮設ブロック内で、俺達は実験の最終調整に入っていた。

 このブロックから伸びた無数のコードが、旧モーメントと接続され、こちらの用意したモーメントエンジンを経由し、『フォーチュン』と接続。成功すれば、メインフレームが異常を感知し、その都度修正できる、と言う具合だ。

 部下の言葉を受けて、俺はヘルメットを被り、ブロックの外に出た。

 出入り口のすぐ側では、幾多もの戦いを俺と共に潜り抜けてきた愛機であるDホイールが既にメンテナンスを終えてセットされている。

 俺も普段の仕事服ではなく、サテライトから愛用しているシャツと革ジャケットだ。

 

「よろしいのですか、先生。あなた自らがこのような実験を…」

「大丈夫だ、イエーガー」

 

 心配そうにこちらを見るイエーガーに対して、俺はヘルメットを被りながら言った。

 

「万が一旧モーメントが暴走しないとも限らないからな。それに、この中でDホイールを扱えるのは俺だけだ」

 

 旧モーメントのメインエンジンは既に切っている。安全にそれを接続し、運転させるためには一度外部からの回転運動によってフレームを稼働させたのち、フォーチュンと接続。その後に旧モーメントのエンジン部分を再点火させる必要がある。

 俺のDホイールはその為の言わば着火剤だ。

 

「申し訳ありません、不動博士。発案者の私が本来ならば乗るべきなのですが…」

「気にするな、ヴィニード。責任者は俺だ。俺は君達の安全を守る義務がある」

「すみません」

 

 ヴィニードは俺の言葉に頭を下げた。

 一度は皆を唸らせる意見を出したかと思えば、一方で慇懃に接する。今時珍しい若者だ。彼の様な助手がいれば、この街も正しい方向へと発展していけるだろう。

 

『では、実験を開始いたします』

「ああ、頼む」

 

 やがて仮設ブロックからの指示で、俺はDホイールを始動させ、アクセルを吹かす。エンジンが点火し、モーメントの出力を上昇させていく。そして徐々に旧モーメントと同期、フォーチュンと接続し、同調させる。

 

『Dホイール、出力上昇中。回転数安定。遊星粒子散布確認』

『アジャスター問題なし。旧モーメント、シリンダー内へエネルギー注入開始』

『フォーチュン、順調に稼働中。エネルギー伝導システム異常なし』

『プログラムチェックスタート。ウイルス侵入なし』

 

 実験は順調だった。

 各部共に問題がないことを知らせる仲間たちの声を受けて、俺もようやくほんの僅かに安堵が漏れそうになる瞬間があった。

 いや…油断は禁物だ。

 何が起こるのかが分からないのが科学の世界だ。ましてこれまで幾度となく俺達の障害となった旧モーメントだ。慎重に、慎重に事を運ばないと…。

 

「!? どうした!?」

 

 それを裏付けるように、突然側にいたヴィニードが叫んだ。

 

『旧モーメント回転を始めました。徐々に回転数が上昇中。45…48…50…依然として上昇中』

『エンジンの加圧ポンプに異常発生!』

『これは…』

「一体何が…」

「ヴィニード、中で様子を見てきてくれ」

「はい!」

 

 慌ててヴィニードが駆け出し、イエーガーもそれに続く。

 俺はDホイール越しに送られてくる情報を基に現状を整理しようとした。

 が、その時、通信機越しにヴィニードが俺に向かって叫んだ。

 

『不動先生! 大変です。フォーチュンからのエネルギーが、旧モーメントに逆流しています!』

「何だって!?」

 

 俺は驚愕した。まだスイッチを入れてもいないというのにまた旧モーメントが暴走したというのか…? 

 本来ならばあり得ない。あの建物は滅多なことでは利用できないよう、封印機構によって完全にロックをかけている。そして最後の鍵を外すために必要なカードは今俺が手にしているのだ。

 それなのにあたかも意志を持っているかのように活動を再開している。それも…これではまるで…! 

 

『駄目です、上昇が止まりません!』

「イエーガー、実験中止だ!」

 

 ヴィニードの言葉を受け、俺は真っ先に叫んだ。

 

『じ、実験中止、中止しなさい! 直ちにシステムをダウン!』

 

 イエーガーの指示を受け、慌てて作業員は異常現象を止めるべく奔走し始めた。俺もDホイルの横に設置されたパソコンで遠隔操作を試みる。

 だが依然として旧モーメントはエネルギーの上昇を続けていた。

 

『駄目です先生っ、止まりません!』

「緊急プロテクトを使う! イエーガー、承認を!」

『コード承認します! メインフレーム『フォーチュン』システム一時全カット!!』

 

 何故だ……システムに穴は無かった。俺もヴィニードも、他の専門家も何回も入念にチェックは入れたはずだ。

 俺達は神じゃない、人間だ。

 確かに俺はあの日会議で皆にそう言った。だが俺達は最善を尽くした。慎重に慎重を重ね、今日と言う日を迎えた……それでも防げなかったというのか……だが、もしこの事態が引き起こす理由が他にあるのだとしたら……

 

 

『遊星』

 

 

(…!?)

 

 突如、声が響いた。

 通信機器からのものではない。無論、今外に出ているのは俺一人だ。周りに人影はない。ではなんだ、今の声は…? 

 狼狽する俺の頭に、再びさっきと同じ声がこだまする。

 

 

『遊星』

 

 

(俺を……呼んでる?)

 

 

『星に、危機が迫っている』

 

 

 危機だと? 

 一体何を言っている? 

 

 

「お前は誰だ!? 何処に居る!?」

 

 

『戦うんだ。もう一度……手を……繋いで……』

 

 

「待…っ!?」

 

 

 次の瞬間、俺のDホイールは光に包まれた。昼間だというのに、太陽の光を全てかき消すがごとく溢れ出た光の奔流。顔を上げてから気付いた。

 目の前の旧モーメントが光輝き出していた。俺が感じたのはそこから漏れ出てモノだったのだ。

 

「こ、これは……う、ぐうううううっっ!!?」

 

 溢れだしたその光の渦は俺をも貫き、辺り一面全ての景色を飲み込んでいく。

 

『不動先生!?』

『いかん、総員退避だ!』

 

 イエーガーとヴィニードの声もおぼろげになっていく中で、俺の意識は光の渦に耐えきれずに、まるで周囲の空間と溶け合うように消えていき、全てが微睡の中に堕ちて行く。

 全身から力が抜け落ちていく。

 何処か、俺の本能のようなものが、一瞬のうちに俺に『あるもの』を告げて、全身を支配する。

 

 それは、死の予感……言葉にすればありきたりなそれは、全ての自由を俺から奪い、そして、意識は闇に消えた。

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 夕闇の中で落ちていく太陽。

 その最後の光が、細く鋭い一筋のナイフのように、俺の瞼をこじ開ける。

 

「……っ」

 

 意識が戻った時、俺はまず状況の理解もままならなかった。

 大の字になってまるで地面に張り付いたように俺は動けず、しばらく呻いていることしかできなかった。雨でも降ったのか湿った草原の感触が背中に不快感を与える。

 

(草の感触…? 俺は旧モーメントの近くにいたはずなのに…)

 

 徐々に戻ってきた身体の感覚を掴もうと、俺は指先を動かした。

 ここは…

 

(ここは…どこだ?)

 

 視界が安定しない。目の前は空だった。夕焼けがぐるぐる回っている。なんとか力を腕に込めて、上半身を起こす。

 

「うっ…!」

 

 頭を振って、意識をはっきりさせる。

 だがそうやって開けた視界からこの世界を見た時、俺は言葉が出なかった。

 

「………」

 

 冷たい空気が俺の頬を刺す。

 風が一瞬強く吹き、ザァザァと辺り一面の草花を揺らして音を立てた。

 辺りの景色が全く違った。

 

「どこだ…ここは……?」

 

 呆然と呟くも、言葉は宙に霧散するだけ。

 そのうち虫の音も鳴り出した。

 四方を見渡しても、同じような草原が辺りに広がるのみである。

 

「一体何が……みんなは…」

 

 何もない。

 旧モーメントも、仮設ブロックも、そこにいた研究員や仲間の姿さえもない。

 全てが消えてしまった。

 代わりに現れたのは、この広い草原。後ろの方には森が広がっているが…暗くてよく見えない。

 

「イエーガー! ヴィニード! みんな!」

 

 周辺に向かって叫ぶがやはり空に搔き消えるだけであった。

 そのうち太陽も完全に落ちきり、辺りには暗闇が立ち込めようとしている。

 と、その時前方で、何やら光を放っているものがあるのが分かった。

 急いで近づくと、そこには俺のDホイールが横たわっていた。

 

「Dホイール…」

 

 これで連絡が取れるかもしれない。

 機体を立ち上げる。幸いなことに損傷は殆ど無さそうだ。エンジンを始動させると、俺は内蔵された通信機に向かって呼びかけた。

 

「こちら不動遊星、応答してくれ。イェーガー、聞こえるか?」

 

 周波数をイェーガー達の通信機に向けるも、返事はまるで返ってこない。

 

「こちら不動遊星、応答せよっ。聞こえるか? 誰かっ…」

 

 チャンネルを切り替え、他の通信先にもアクセスしたが、結果は同じだった。

 

「ネオ童実野シティ、応答せよ! こちら不動遊星! 応答せよ!」

 

 必死に呼びかけるが反応はない。それだけではなく位置情報システムも、各種センサーも動かない。

 モーメント自体は稼働している様だが…

 これは一体どういうことだ? 

 いやそれ以前に…

 

「カードが…!?」

 

 セットするデバイスから、確かに嵌め込んだデッキが全て消失してしまっている。

 慌てて周囲を見渡したが、一枚も見つからない。

 愕然とした……なんと言うことだ。俺の…デュエリストにとって命と引き換えにしてもなお足りない、魂のデッキが…

 

「……」

 

 その後、俺はいくつか手段を試しては見たものの、通信はおろか、仲間の無事を知ることも叶わなかった。そもそも自分の置かれた立場がわからない。

 

(だめだ……何もかも分からない……それにデッキも…どうする。ここで救助を待つか…?)

 

 半時間に近い煩悶の末、留まっても事態が動かないと判断した俺は、場所を移すことにした。

 もしかしたらカードがここにまだ散らばっている可能性も考慮したが、そもそも景色すら変わっているこの事態に、ただ待っているだけではダメだと言う直感があった。

 自然に囲まれてはいるが、よく見ると標識や看板がいくつか見受けられる。全く未開拓な場所に送り込まれた訳ではない。

 なら何処かに人の気配があるはずだ。

『この先、高速道路』と書かれた看板を見て、俺はDホイールを押して歩き出した。

 

「見たことのない景色だ…こんな自然公園が、ネオ童実野シティにあったか…?」

 

 ついさっきまで、俺は旧サテライトに居たはずなのに…あの爆発で、俺は別の場所へと弾き飛ばされたのか? 

 いや、それなら俺もDホイールもただでは済まない。

 衣服にさえ傷がないのはおかしい。

 それに、俺の他に人はいないにもかかわらず、あの爆発は…

 

「道路に出たか…」

 

 やはりこのハイウェイもネオ童実野シティの交通様式とも違うものだ。

 だがさっきの看板は日本語だった。

 ネオ童実野シティの近郊か…? ならこの場所は…

 

(まさか…)

 

 俺は一瞬荒唐無稽な考えが浮かび、すぐさまかき消した。

 いや、いくらなんでもそんなものはあるはずないと。

 俺はハイウェイの道にDホイールを進ませ、スロットルを回そうとすると、鈍い音がして、排気口から黒い空気が漏れ出た。

 

「マズイな…」

 

 モニターにエラーが表示される。画面を操作して原因が分かった。

 トルクスプリットがイカれている。

 駆動機関にクラッチの指示を伝える部分だ。モーメントそのものや他の箇所は問題なさそうだが、このままでは走行に支障が出る。

 どうしたものか…修理しようにも、どこかで部品を調達しなければならない。それにこの暗がりでは…

 途方にくれていると、唸るようなエンジン音と共に、一筋のハイビームが飛んでくるのが分かった。

 振り返ると、向こうからクラクションを鳴らして大型のトラックが近付いていた。

 

「おおーい、大丈夫かアンタ?」

 

 運転席からヒゲを生やした大柄な男が顔を出してこちらを覗き込んできた。

 

「どうしたいこんなところで」

「あ、いや……」

 

 一瞬言葉に詰まってしまった。俺自身、状況が分からないのだから。

 しかしそれにしてもこの車…見たことのない型だ。それに、随分と古い形式の様だが…。

 

「どうしたい? それ、あんたのバイク? もしかして、壊れちまったかい?」

「……ええ、まあ…」

「そいつは災難だな。街までまだかなり距離あるぞ、どうするつもりだ?」

 

 運転手はあくまで好意で聞いてくれているようだ。

 ここでしどろもどろしていても不審に思われる。俺は正直に尋ねることにした。

 

「すみませんが、ここはどこでしょうか? ネオ童実野シティまで行きたいのですが」

「ネオ童実野シティ? 聞いたことねえ場所だな。ここは東京だよ。所沢辺りだな」

 

 ……なんだって? 

 ざわざわと嫌な予感が体を這い回る…

 ネオ童実野シティを知らない? 

 今や世界経済をけん引しているとまで言われている都市の名を知らないところがこの国にあるとは思えない。

 待てよ…この人は今なんと言った? 

 トコロザワ? 

 その町の名前は…確か俺の記憶が正しければ……

 

『ここで、午後6時をお伝えします。次のニュースです。アメリカのポーカー大統領が、先日未明、被災地を訪れました。これは1980年のヒクソン大統領以来…年ぶりとなる…』

 

 ……今、ラジオは何と言ったんだ? 

 1980年? 

 

「おい兄ちゃん、ホントに大丈夫かい?」

「…」

「ん?」

「今は、何年ですか?」

「今年? そりゃおめえ…」

 

 彼の言葉を聞いて、脱力した。

 確かにここはネオ童実野シティの近くだ。

 ただし、俺がいた世界から何十年も前……まだ『童実野町』と呼ばれていた頃の時代だった。

 

 

 




うーん、異世界に転移するまでで二万字以上使っている。
他の異世界転生ものだったらもうとっくに戦い始まってますな……


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プロローグ-3

これでプロローグは終了となり、本格的にシンフォギアの人物と遊星が交わっていきます。
まだ二話分しかアップしていないにも関わらず、感想を下さったり、お気に入り登録して下さる方々がいて、本当に嬉しいです。
読んで下さる方がいるというのが、心からの励みになります。これからもどうか、よろしくお願いします。



 考えなかったわけではない。

 寧ろその方が色々と納得いく。この車もモーメントでなくガソリンを使って走っているし、未だに金属板に塗装した標識を使っている。

 何より俺自身、かつて時を超えて同じような時代に飛ばされた経験がある。

 ならばこの事態も受け止めるしかないと言えよう。

 

「いや、災難だったねぇ。エンストだってか?」

「ええ…」

「通りかかったのが俺で良かったよ。これから帰るところだかんな」

 

 運転手の男は気さくに俺に話しかける。

 俺の素性は一切聞かず、Dホイールを荷台に乗せて人のいる所まで乗せてくれることとなった。

 ここにいてもどうにもならない俺は好意に甘えることにした。

 

「まぁ気ぃ落とすな、知り合いの工場まで連れてってやる。腕利きだし、俺が言えば格安で直してくれるぜ」

「ありがとうございます…」

「なぁに、困った時はお互い様ってな。俺はいつでもそうしてるし、実際そうした方が人生上手くいくってもんだ。俺はそう親父から教わって娘にも教えてる」

 

 見てくれこれが娘だカワイイだろ、と尋ねてもいないのに彼は俺に立て掛けてある写真を見せてきた。

 人懐っこそうな笑顔を浮かべた少女が、母親と二人で写っている。

 

「明日が誕生日だ。仕事仕事であんまりいてやれなかったが、なんとか間に合いそうだ」

「それは良かったですね」

 

 俺は心の底からそう言った。まだ状況は変わらず、事態の真相も掴めないが、彼のような人間に会えたのは僥倖だ。

 周辺の環境を見ても、この国の治安はかなり安定しているらしい。

 

「兄ちゃんは何やってんだ? バックパッカーか? 俺も昔は旅をしたもんだ」

「いえ…俺は一応、科学者です。街のモー…いや、ライフラインに関わる研究をしてます」

「ほお、するってえと、水道局とかガス会社とかかい?」

「それとは少し違うんですが…」

 

 はぐらかしながらも、俺はこの人との会話を続ける内に、どこか安らぎの感覚を覚え始めていた。

 やがて道路には他の車も見えるようになり、向こう側にはビルの光も瞬いているのが分かる。

 どうやらもうすぐ大きな街に着くらしい。

 

(まずはDホイールの修理だな。そして現状把握しなければ…)

 

 仮に、ここが過去の世界だと仮定しよう。

 もしかするとイェーガーたちも近くにいる可能性もゼロではない。

 それに考えてみれば、俺が実験の時に見た光も…

 

(そうだ。あの現象も解明しなくては……)

 

 と、そこまで考えて、俺は疑問を持った。

 ただのモーメントの出力の上昇であそこまでの光を発したのか。そして、ネオ童実野シティとは違う場所に転移したのか。その原因を……

 

(もう既に赤き竜は役割を終えて、俺たちの前から姿を消したと言うのに…それなのに、何がきっかけだったんだ……それに、頭に聞こえたあの声は…)

 

 

『戦うんだ、遊星』

 

 

「っ!?」

「どうしたい、兄ちゃん?」

 

 男性が声をかけた、その時だった。

 突然、道路の脇に設置されているスピーカーから、唸るような警報音が鳴り出した。

 次いで無機質な音声が流れてくる。

 

『日本政府、特異災害対策機動部よりお知らせします。先程、特別避難警報が発令されました。直ちに最寄りのシェルター、又は避難所に退避してください。繰り返します……』

 

 スピーカーからは警報音と共に声が流れ続ける。

 特異災害…? 一体なんのことだ? 

 が、俺が確認するまでもなく、さっきまで気さくに話していた運転手がその顔を真っ青にさせて、わなわなと体を震わせていた。

 

「どうしたんですかっ?」

「これは…まずい…ノイズだ!」

「ノイズ?」

 

 次の瞬間、前方で弾けるような轟音と共に、爆発音が鳴り響いた。その衝撃は遥か後方にある俺たちの乗るトラックにまで伝わる。

 空気が震え、大型トラックさえも揺れ動いていた。

 

「やべえ、渋滞で動けねえ…! 兄ちゃん、降りるぞ! 走って逃げるんだ!」

「ま、待ってください。一体何が…」

「ノイズが出たって言ってんだよ! 死にたくねえなら急げ! 早く来い!」

 

 そう言うと彼は俺の腕を掴み上げ、強引に引っ張るようにして助手席から引き摺り下ろした。

 訳が分からないままに車両から降ろされた俺は、そのまま腕を引かれて、道路を走り出した。

 状況の変化に追いつけないが、それでも一つ、目に飛び込んできた光景があった。周りの車からも人々が次々に降り立ち、元来た道を反対方向へと走っていた。あっという間に車と車の隙間は、乗っていた人たちで埋め尽くされてしまう。

 

『おい押すな!』

『詰まってるんだよ、無茶言うな!』

『お願いです、子どもだけでも!』

 

 あちこちから怒号と悲鳴がこだまする。

 その場に居る全員が恐怖と混乱に支配されている。

 俺は周囲の状況に圧倒され困惑した。

 

「い、一体何が…」

 

 その疑問の答えを告げるものはすぐ背後まで迫っていた。

 

 

『ぎゃああああ!』

 

 

 後方から、悲鳴が聞こえる。最初は小さくものだったが、やがて数を増し、その声をどんどん大きくしていく。

 冷たい風が後ろから吹いていく。

 背中を何かがはい回るような感触を覚えた。身体は走って熱くなっている。人の熱気で温度も上がっている筈なのに…この寒気と悪寒はなんだ。

 そして振り向いた時、『奴ら』はいた。

 

「っ!?」

 

 人と、人の隙間から見え隠れする無機物の塊。

 夜の街のネオンサインの様に明滅するそいつ等は、まるで子供の書いた落書きのような姿をしていた。

 歯を剥き出しにしたオタマジャクシ、角を生やした芋虫、手がハサミになっている頭のない人…色も姿も統一性のないそいつらは、這うように動き、またはロボットの様に歩いてこちらへと近づいてくる。

 

「な、なんだあれは…!」

 

 初めて見る物体だった。

 デュエルモンスターズのカードなどではなかった。それならこの悪寒の説明がつかない。奴らはもっと恐ろしく、そして醜くて邪悪な存在だ。理性よりも本能が告げた。あれは俺たち人類の理解の範疇を超えた『物』であると。

 辺りの熱気が、汗となって額から滴り落ちるのが分かる。

 本当の恐怖がここから始まった。

 

 

『助けて…助けてくれええええ!』

 

 

 その内の一体が、ある青年に組み付いた。

 次の瞬間。

 

『いゃだぁ!! 助けて! 死にたくない! 死にた…』

 

 青年の身体は組み付かれた部分から黒く絵具でも塗るかのように染まり始めた。

 見る見るうちに全身を黒く浸食された彼の身体は次の瞬間……

 

「あ、ああっ…!」

 

 俺の目の見える所で、バラバラになって霧散した。

 

「……っ…っ…」

 

 身体が固まる。

 声が出ない。

 今の青年はなにをされたんだ、どこへ消えたんだ。

 これで本当に死……

 

(死んだのか……人間が……あの妙な奴等に取り付かれて、それで……)

 

 ワナワナと身体が震える。

 脚も同様だった。俺は恐れていた。目の前のこの事実を。平然と人を死に追いやった、この奇妙な物体たちを。

 人の悲鳴が一際大きくなる。だが俺の耳には入らない。

 奴等は標的を俺達へと変えて、闊歩し始めた。

 

「兄ちゃんこっちだ!」

 

 運転手の彼が咄嗟に俺の手を引いて、高速道路のガードレールから外へと飛び出した。

 次の瞬間、そこにいた人たちは押し寄せる謎の物体の群れに襲われる羽目になってしまった。

 

「うぉっ!?」

「ぐぅっ!!?」

 

 慌てて飛び出したものの、間一髪で難を逃れた。

 だが、未だに高速道路に取り残された人たちは、車とお互いの身体で圧迫され身動きが取れない。

 俺達の後を追おうとガードレールから飛び出そうとした人たちも、間に合わずに襲われていく。

 

『ああああっっ……』

『ママ、ママァッ!!』

『ぐぎゃああっっ!』

 

 震える俺と悲鳴をよそに、運転手が必死に俺を起き上がらせて、先へ進ませた。強く握られ、腕に走る痛みが、皮肉にも俺に何とか理性を保たせていた。

 彼が居なければ呆然としたまま死んでいたかもしれない。

 

「クソどもが! 好き勝手やりやがって!!」

 

 苦悶の表情を浮かべて、彼は叫んでいる。怒りと恐怖が腕越しにも伝わった。

 

「一体…」

「ああっ!?」

「一体あれはなんなんだ……!? みんなはどうして…」

「どうしてってアンタ…ノイズぐらい知ってるだろうが! そこかしこに現れて、人を消し炭にしちまうバケモンだ!」

「なんだって…!」

 

 ノイズ。人を炭に変える怪物。

 そんなものは聞いたことがないと、正体と事実を突き止める前に、俺達はただ走って逃げることしかできなかった。

 辺りには何もない。俺がここに来た時と同じような草原が広がる。

 

『ひいいいい!』

 

 悲鳴がすぐ後ろから聞こえて、咄嗟に俺達は振り返る。

 

『いやだぁあああっ! 誰か、誰か助けてえええ!』

 

 何とかガードレールから這い出て走っていた一人の女性が、ノイズと呼ばれたその物体に追いつかれ、組み敷かれてしまっていた。

 不意に反転し、走り出そうとしたが、それを運転手に止められた。

 

「待て兄ちゃん! どうするつもりだ!」

「っ、だが、このままではあの人は…!」

「ダメだっ! ノイズに捕まっちゃ、もう逃げられねえ!」

 

『ああああ…っ!』

 

 断末魔の悲鳴もむなしく、僅か十数メートル先にいた人間だったソレは、バケモノと共に虚しく黒い炭の塊となり、崩れ落ちる。

 

「っ、こんな…こんなことが…!」

 

 なんだこれは……これが現実の出来事なのか…!? 

 腹の底から嘔吐感がせり上がってくる。

 見るもおぞましい光景だった。

 

「っうう…」

「気持ちはわかるぜ……だがこれは俺たちじゃどうしようもねえんだ…!!」

「…っ!」

 

 食いしばるように言葉を吐き出す彼に、俺も押し出そうとする怒りを留めることしかできなかった。

 しかし、感傷に浸る余裕さえも、ソレは許さない。

 

「うっ…!」

「や、奴ら俺たちに気付きやがった! 走れ兄ちゃん!」

「…っ!」

 

 心の中で消えて行った女性にわびつつ、俺達は走った。

 悲鳴が遠ざかっていく。いや、消えていくのだ。あの怪物に炭とされて。それでも俺達は走った。どれだけの距離かも分からないままに、ひたすら。

 ざぁざぁと風が吹いている。

 

「うわぁっ!!?」

 

 だが例え大の男でもこれだけ走り続ければ足に来る。まして彼は夜通しでトラックを運転していたのだ。無理もない。俺は急ぎ彼に駆け寄る。

 

「大丈夫ですか!?」

「ち、ちくしょぉ、こんなとこで死んでたまるか…!」

「掴まって下さい! 早く…!?」

 

 手を伸ばし、彼を起き上がらせようとする。

 だが……

 

「うぅ…!?」

「囲まれた…!」

 

 十数体のノイズが、俺達の周りをいつの間にかずらりと取り囲んでいた。

 不気味に全身を発光させて、ゆっくりと確実に俺達との距離を詰めてくる。狩りをする動物のようだった。確実に相手を仕留めるために、俺達を逃がさぬよう、逃げ道を塞いでいた。

 

「あ、兄ちゃん…俺に構わず逃げろ…!」

「な、何を言ってるんだ!」

「早くしろ…! 兄ちゃん1人なら、逃げられるかもしれねえ…!」

 

 反論として俺は、彼のズボンが赤く染まっているのが見えた。

 裾の部分から切り込みが入り、滴り落ちている。さっき転んだ時に何か鋭いものにぶつかったのだ。

 血の量からみてかなりの深手だ。これでは逃げることもおぼつかない。

 

「早く行け、兄ちゃん!」

「馬鹿を言うな! 恩人を置いていけるか!」

「バカヤロォ…! このままじゃ2人共お陀仏だぞ!」

「だとしてもだ!」

 

 見捨てるなんて選択肢すら思い浮かばなかった。必死に彼を起き上がらせ、肩に手を回す。彼の身体が重く俺にのしかかる。それは命の重さだった。一人では到底背負いきれるものでない人の……だがそれでも俺は、目の前の命が消えていくのを、もう見ていられなかった。

 何とか助けなければ、せめてこの人だけでも……! 

 

「っくっぅ…!!」

 

 そんな俺達をあざ笑うかのように、怪物連中は無機質に無雑作に、距離を詰めていく。まるで抵抗など無意味だと言わんばかりに。

 何か…何か手はないのか…!? こんなところで、訳もわからずに、いきなり現れた化け物たちに襲われて、俺は死ぬのか!? この人を巻き込んで…! 

 

「くそ…すまねえ、母ちゃん…」

「っ!」

 

 大切な人への、思いのこもった無念の言葉。それが、俺の胸の内を熱くした。

 終わってたまるか。

 こんな所で。

 この人には帰る場所があるんだ。

 

「こんなっ…! こんな所で……っ!!」

 

 そうだ、俺にだって……

 

(頼む…誰でも良い! この状況を救ってくれ! この人まで一緒に、死なせるわけにはいかないんだ!! こんな所で……)

 

 

「終わって…たまるかああああ!!」

 

 

 俺にだって、生きなければいけない理由がある! 

 だから命は、俺達に力を貸してくれる。

 再び現れた、この力を。時を超え、場所を超え、そして光をも飛び越えて、それは俺達の心を一つへと繋ぐ。

 そうだ、それこそが俺の心の揺るがない信念。決してあきらめない。前へ進むことを可能にする力の源。

 

『オオオオンッッ!!』

 

 それこそが絆。俺達を結びつけ、そして導いた、運命の証。

 

「…っ!」

 

 突如、空中が光輝きだした。それは落雷よりもなお鋭く、強く、輝きを放って一直線に、俺の元まで降り注いでくる。

 スポットライトを当てるように俺達を照らしていたそれは、やがて赤く染まり始めていく。呆然と空を見上げていた俺達は、その後で光の奥から降り立ってくる『彼』に釘付けになっていた。

 隣にいる者には異常現象だ。だが、俺は知っている。

 目の前にいるこれを。

 

「赤き、竜…?」

 

 古の地ナスカで神と崇め奉られ、俺を戦いの奔流に招き入れた導き手。そして幾度となく俺の命を救い、数々の奇跡を起こしてきた闇の化身たちと対を成す光の竜。

 かつてのゾーンとの戦いを最後に、赤き竜は俺達の目の前からその姿を消した。

 その赤き竜が……

 

「な、なんだこりゃあ…!?」

 

 呆然とする男をよそに、赤き竜は俺を見据え、その眼光で俺を包み込むように対峙している。

 

「どうしてここに………うっ!?」

 

 突如として走る鈍い痛み。

 疼きにも似たこの痛みを、俺は知っている。そうだ。俺達の運命がこの痛みとともに始まったのだ。

 咄嗟に右腕のグローブを外し、袖をまくる。そこにあったのは、全てが終わり仲間達と離れた時に消滅した、竜の痣だった。

 

「赤き竜の痣が…! ゾーンとの戦いで消えた筈なのに…!?」

 

 心臓が激しく高鳴っている。腕だけじゃ無い。身体中全体が熱い。さっきまで逃げ回っていた時の熱さじゃない。悪寒も消えている。あるのは、ただ身体の奥底から湧き上がるような力だ。

 これは心の、魂の……俺自身の昂りだっ! 

 

 

『オオオオンッッ!!』

 

 

 赤き竜が、咆えた。高らかに空間を引き裂くようにして。

 その叫びに呼応するかのように、俺達が走ってきた道から、唸りを上げて疾駆する一つの光があった。

 

「あれは…!」

「ありゃ、兄ちゃんのバイクじゃねえのか!?」

 

 そいつはエンジンを切っているにもかかわらず起動し、トラックの荷台から飛び出してきたのだ。あっという間にノイズの群れに向かって猛スピードで突進し、蹴散らし、一直線にこちら側へと向かって来る。

 あっという間にDホイールは俺達二人の目の前までたどり着き、急停車した。

 

『…遊星』

 

 しばらく呆気にとられた俺は、ただ己のマシンを見つめていた。近くにさっきまで人を殺していた怪物がいるというのにそれも一瞬忘れていた。だがその化け物たちも、突然の状況の変化についていけないのか、全身を止めて俺達や赤き竜を観察するように見まわしている。

 その時だ、俺の頭に、声が鳴り響いたのだ。

 

『戦うんだ遊星』

 

 今度はハッキリと、俺の頭に呼びかけてくる正体が分かった。

 あの時もそうだったのだ。赤き竜が、俺に呼びかけていたのだ。この時の為に。

 

『この星を守る為に。再びシグナーとして戦え。遊星』

 

 語りかける赤き竜。すると、その声に呼応するかのように、Dホイールは再びエンジンを稼働させ、指示を待つことなく、メインモニターに光が灯った。

 

『モーメントアウト』

 

 今度は赤き竜の声ではない。Dホイールから聞こえるガイダンスボイスだ。モーメントエンジンがフル稼働し、ディスク部分が機体と切り離され、せり上がる。スタンディングデュエルを行う時と同じだ。俺は導かれるように足を寄せ、そして左腕のデバイスをディスクにセットした。

 

『デュエルモードオン。スタンディングモード・スタンバイ』

 

 瞬間、赤き竜は最後に光の結晶となって凝縮するようにその身を変えていく。

 そして俺の掌に収まるほどの大きさになると、デュエルディスクの中へと収まっていった。

 光が止むと、いつの間にか俺の手に握られていたのは……

 

「っ!!」

 

 カード達だ! 

 10枚にも満たないが、それでも確かに、俺の意識が消えた後、どこかへ消えてしまっていたと思われた仲間達だ。

 それが、今再び俺の手に……という事は。

 

(迷ってる暇はない! 今はこいつと、再び現れた赤き竜に賭ける!)

 

 人殺す怪物。

 助けを求める人。

 現れた赤き竜

 そして舞い戻ったカード達。

 ならば俺の為すべきことは一つだけだ! 

 

 

「来い! スピード・ウォリアー!!」

 

 

 俺は戻ったカードのうち、一枚を選択。ディスクのモンスターゾーンに表向きにしてセットする。

 瞬間、俺の腕の痣、そしてモーメントが同時に光り輝くと、カードに描かれたそいつは、明確なヴィジョンとなって、本当に実体化していた。

 

『トォ!』

 

 俺達を守るように降り立ったのは、幾度となく俺のデッキの切り込み隊長として活躍し、幼い時から共に在った歴戦の勇士。

 風の如く疾駆するその者の名は……スピード・ウォリアー! 

 

「な、なんだこりゃ!?」

「いけ、スピード・ウォリアー!!」

『ハァッ!』

「ソニックエッジ!」

 

 俺の命令の元、スピードウォリアーは一直線に駆けだすと、背中のブースターを点火。ノイズと呼ばれた怪物の内一体に向けて突撃した。

 圧倒的な加速力で距離を詰め、勢いそのままに繰り出された回し蹴りは、鋭い刃の様にノイズの内一体を強襲、瞬く間に粉砕する。

 

「の、ノイズが…消えちまった!」

「スピード・ウォリアー、そのまま奴らを攻撃するんだ!」

『オオオッ!!』

 

 加速したスピード・ウォリアーの吶喊は終わらない。奴等に意思の様なものは感じられなかったが、それでも突然の事態の変化に追いついていないようだった。回避する間もなく、繰り出されるスピード・ウォリアーの攻撃によって粉砕、消滅していく。

 今度は奴らが炭となり霧散していく番だった。

 

(モンスターが本当に実体化して、あの怪物たちに立ち向かう事が出来ている……? これはまさか、赤き竜の力…!?)

 

 あくまで立体映像の延長でしかないデュエルモンスターズのカード達だが、俺はこの現象をかつて体験したことがある。

 サイコデュエリストと呼ばれる超能力者たちは、カードに眠る力をその潜在能力によって実体化させ、本当にダメージを相手に負わせることまで出来るのだ。他にもカードに宿る未知の力により酷似した現象を俺は何度も体験した。もし、赤き竜の力によってそれが再び起こったのだとすれば…

 

「う、うわぁ!?」

 

 一瞬、気を取られた時だ。

 後ろに回り込んでいたノイズたちが、歩けない男性に向かって襲い掛かろうとしていた。

 俺は咄嗟にもう一枚のカードをセットし、モンスターを召喚させる。

 

「っ! シールド・ウォリアーを召喚!!」

『ムンッ!』

「その人を守れ!」

『ハァ!』

 

 左腕に大型の盾を構えた戦士が一人、俺と怪物たちを阻む壁となって立ち塞がる。シールド・ウォリアーはその盾でもって敵の攻撃を防ぎ切り、そして返す刀で右手の槍を相手に突き出した。

 鋭い一撃に貫通された敵の身体はそのまま炭となって崩れ落ちる。

 

(行ける…行けるぞ…! このままモンスターたちの力を借りることができれば!)

 

 どうやらこのノイズと呼ばれる奴等は一体一体だけではそれほどの脅威ではないようだ。この炭と化してしまう攻撃にさえ注意していれば、カードの力で倒すことができる。

 これならば…! 

 

「う…!?」

 

 一瞬の安堵。だがその隙に、次なる脅威はすぐそこまで迫っていた。元々の夜の闇が深まる時間帯だったが、更に周囲の光を掻き消すように暗くなっていく。いや、何かの影が俺達と周囲を覆っていた。

 俺達が仰ぎ見ると、そこにはさっきまでのノイズとは比べ物にならないほどの大型がそびえ立っていた。

 まるで巨大な芋虫の様なそいつは、ゆっくりとこちらまで近づいていた。

 

「でかいっ!」

『ウッ!?』

 

 そいつは標的を俺達ではなく、数メートル先で敵を蹴散らしていたスピード・ウォリアーに定めていた。

 その巨体を捩じるようにして体当たりをする芋虫型。

 スピード・ウォリアーは負けじと立ち向かっていくが、質量が違い過ぎる。迫りくる巨体に耐えきれず、そのまま押し潰されてしまった。

 

『グウア!?』

「スピード・ウォリアー!?」

 

 何かが弾けるような音とともに、スピード・ウォリアーが光の粒子となって消滅する。瞬間、俺の身体に鈍い衝撃が走った。

 

「くぁっ!?」

 

 咄嗟にうずくまるように膝をつく。

 まさか、これの感触は……

 

「兄ちゃん、どうした!?」

 

 男の言葉で何とか立ちあがる。その際、Dディスクが、視界の隅に入った。

 

(ライフが減った…!? コイツの攻撃が、俺のライフポイントを削っているのか…!)

 

 直感で俺は察した。

 細かい理屈は分からないが、今の感触は俺のモンスターがやられた時のダメージだったのだ。モンスターが実体化するという事は、受けるダメージも現実になるという事に他ならない。

 

(だとすれば、俺のライフがゼロになった時、俺の身体は…!)

 

 いや、それ以前に、俺自身がこのノイズと接触してしまえば……

 

「…させるか!」

 

 俺は死ぬわけにはいかない。こんな訳も分からない怪物どもに! 

 俺は生きて帰ってみせる。この人と一緒に! 

 残っている手札を確認する。デッキ全てが戻って来ているわけではない。それどころか赤き竜が俺の元に持ってきてくれたのはわずか数枚に過ぎない。だが、それでも…! 

 

「…来てくれ、ロードランナー!」

『ピピィ!』

 

 ピンク色のヒヨコのような小さなモンスターが俺の指示を受けて実体化した。

 迫りくる大型芋虫に対峙するロードランナー。

 スピード・ウォリアーを倒した奴に、恐らくロードランナーでは太刀打ちできないだろう。

 だが……

 

『ピピピィ!!』

 

 ロードランナーはその小さな羽を広げると、俺達を背に防御の構えを取る。巨大芋虫は気にも留めずに踏みつぶそうとするが、奴の攻撃はロードランナーを包むようにして現れた防御膜によって防がれる。

 

『ピッ!』

 

 倒れない相手に、さすがの向こうも違和感を覚えたようだ。何度もロードランナーを踏み潰そうと、押しつぶそうとその巨体を捩じり、攻撃を加え続けるが、防御膜はビクともしない。

 

(よし、ロードランナーがいれば、あの巨大な怪物の攻撃は防げる!)

 

 ロードランナーは実際のデュエルモンスターズのルールでも、高い攻撃力を持つ敵との戦闘では破壊されない効果を持っている。奴が強ければ強いほど、この場では俺達を守る壁として役割を果たしてくれる筈だ。

 

「今の内に…!」

 

 見るとシールド・ウォリアーが後ろから迫っている敵をほぼ薙ぎ倒している。

 これで突破口は作られた。

 俺は横で呆然となっている男性の肩に再び手を貸し、起き上がらせようとした。

 

「立てますか?」

「あ、ああ……兄ちゃん、アンタ一体…?」

「話は後ですっ。さあ、今の内に逃げましょう!」

 

 急ぎ肩に手を回して起き上がらせようとする。

 その時だ。

 

『グッォ!?』

「っ!?」

 

 俺達を守っていたシールドウォリアーが悲鳴を上げながら消滅する。

 振り返ると、後ろに更に脅威が迫っていた。

 何処から現れたのか、無数のノイズが背後から襲い掛かり、数でもってシールド・ウォリアーを圧倒し、破壊してしまったのだ。

 

「ッ…し、しまったっ!」

 

 まずい、手が塞がっている。ロードランナーは前方の敵を防ぐので手いっぱいだ。

 このままでは……! 

 

 

 

 ―去りなさい! ―

 

 

 

 三度、空が光り輝いた瞬間だった。

 

「なっ!?」

「んだこりゃあ!?」

 

 俺達は同時に叫ぶ。

 それは正に流星の刃。天から舞い落ちる千の落涙とでもいうべき光の結晶だ。

 突如として降り注いでいくそれは、瞬く間に俺達を包み込む。

 そして周りにいたノイズに突き刺さり爆発、霧散した。

 

「一体何が……っ!?」

 

 その時、俺は見た。

 一人の少女が、天を舞っていた。

 見たこともない装束と鎧に身を包み、白銀に煌めく剣を二振り構えて、俺たちの前に降り立ったのである。

 彼女と、視線が合う。

 その時俺の脳裏に響く何かがあった。

 

(なんだ……この子を…俺は知ってる…!? いや…)

 

 幾ら記憶をたどっても、彼女には見覚えがない。向こうを見てもそれは明らかだ。

 しかし、彼女は俺の視線も意に介さず、返す刀で近づくノイズを一蹴し、そのまま再び天高く跳び上がる。

 そして現れる力。

 

 

 

 ―散華せよ! ―

 

 

 

(なんだこれは…歌を……歌っているのか? 歌いながら戦っている!?)

 

 

 

 彼女の歌が天高く高らかに響き渡る時、その歌声は力を高めて、空中に無数の光る刃を出現させた。それは雨あられと地上へと降り注いでいき、残るノイズたちをあっという間に蹴散らしていく。

 

 ―闇を裂け 酔狂の…―

 

 そして少女はふた振りの剣を重ね合せるように構えると、彼女の意思を受け取った剣はその形状を変え、彼女の身の丈を遥かに超える大刀へと変化させたのだ。それを羽のように軽々と振り上げると、巨大芋虫ノイズへと一直線に袈裟切りにした。

 

 ―…閃光の剣よ―

 

 朦々と立ち上る火柱が、煌々と俺達を照らしてくれている。

 呆然とする俺たちの前に、降り立った一つの影。

 

 ―……ー

 

 

 少女が歌い終わると同時に、辺りには静寂が立ち込めた。

 草木の燃焼も、既に収まりつつある。

 瞬く間に、俺達を取り囲んでいた脅威たちは、消し飛んだ。

 

「………」

 

 少女が振り返り、俺達を見る。

 透き通るような、美しい姿だった。

 正に戦乙女とでも呼ぶのが相応しい出で立ちと容姿は、死の縁にあってさえ、いや寧ろこのような状況だからこそ釘付けになるのだろう。

 だが俺が目を見張り、そして言葉が出なかったのは、彼女が原因ではなかった。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「っ…!?」

 

 少女の後ろからもう一人、別の声がする。見ると彼女とは違う色の装束を身に纏った、もう一人の女の子が俺たちの元へと駆け寄ってくる。

 

「あ、あの……っ!?」

「……!!」

 

 全てが繋がったような気がした。熱風と霧散した灰に紛れて、俺達以外には感じ取れない何かが、辺りを支配する。

 例えて言うなら、それは運命。陳腐な言葉に聞こえても、それ以外に形容できなかった。俺と言う歯車を以て、この物語は幕を開けたのだ。俺たちの前に降り立った少女たち……風鳴翼と、そして……

 

 

「君は……」

 

 

 立花響との、出会いによって。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 

 次回予告

 

 

 突如として現れた謎の少女たちと、そしてノイズと呼ばれる怪物。

 歌を操り、そしてノイズと戦う彼女達に連れられて、俺はこの世界の…次元を飛び越えた先にある真実を知る。

 ノイズとは…そしてシンフォギアとは…

 そして俺は……

 

 次回『雑音と不協和音と、旅の始まり』

 

 ……人が理不尽に死んでいくことを、俺は決して認めない

 





遊星の戦いが、これから始まります。そして二課と遊星はどう関わっていくのか。
温かく見守って頂ければと思います。それでは、次回をお楽しみに。


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第1話『雑音と不協和音と、旅の始まり』‐1


俺達は、どうやったってハーメルンの規約から逃れることはできない。
だったら、ここで満足するしかねえっ!
このサイトでも十分に楽しめるSSを書いて、満足しようぜっ


 ヘリで急行した私達は、ノイズが出現した場所までもう僅かと言う場所で降り立った。

 既にシンフォギアを装着した私達が辺りを見渡すと、高速道路には惨状が残されているだけだった。

 もう何度も見た、ノイズに襲われて、炭になってしまった人々の残骸。幾ら見ても慣れることのできない、理不尽の具現化。

 どうしてこんな事に……ノイズに襲われた人たちが何をしたって言うんだろう……さっきまで普通に生活していた筈なのに……

 だが、それを吹き飛ばす衝撃が、私の目の前に現れていた。

 

「あれは…」

「な、なんですか、あれ?」

 

 高速道路から少し離れた場所に広がる草原。

 そこである一点だけが大きく光り輝いていた。

 私達が目を凝らしても中心を感じ取ることができないくらいの大きな光。そしてそれは次第にある者の形を取っていく。

 

「赤い…竜…?」

 

 間違いない。

 つい数時間前に夢に出てきた、あの赤い竜だ! 

 どうしてこんな所に……

 そしてさらに、不可思議な現象は続いていく。

 光が止んだと思った次の瞬間、その中心に居る『誰か』が再び光ると、そこから白い鎧を着こんだ人型の何かが現れて、ノイズへと突っ込んでいく。私達が驚く暇もなく、それはノイズと組合い、そして瞬く間に倒してしまった! 

 

「なっ!? へ、変な白い人がノイズを…!」

『聞こえるか翼?』

「司令、これは一体…」

 

 さすがの翼さんも、目の前にある状況の変化についていけないようだった。ってことは、これは二課の人たちでも知らない事なんだ。

 でもなんで、ノイズは普通の手段はやっつけることは出来ないって、了子さんは言っていたのに……

 

『アウフヴァッヘン波形、感知しました!』

『何だとっ!?』

 

 弦十郎さんが通信機越しに叫ぶ。

 あ、あうふなんとかって…確かシンフォギアを使う時に出るエネルギーとか何とか……ってことは、あ、あれはシンフォギア…? 

 でも、歌だって歌ってないし、それに……

 

「違う…」

「え?」

「あれ、シンフォギアじゃありません……」

 

 私は何故か知らないけど突然呟いていた。

 知らないけど…何故か分かる。

 

「本部、あの鎧を着た人型の正体は…」

『……うわ、嘘でしょ…』

「櫻井女史?」

『ごめんなさい。私にもちょっと分からないわ、アレ。確かなのは、今までとは違う全く未知の物質で構成されたエネルギー体ってところかしら』

『だがノイズを倒している以上、味方と思いたいが…』

 

 翼さんが、弦十郎さんや了子さん達と話している最中にも、私は遠くの光景に釘付けになって居た。光の中心に居る人の周りにいた『それ』は、ノイズを倒している。分からない……分からないのに……これは、何なんだろう……

 

(どこか、懐かしいような気がするのに……)

 

『翼、とにかく現状を把握することを優先だ。まずは…』

「…! そうこう考える暇はないようです!」

「え?」

 

 翼さんが声を張る。

 見ると、遠目にも大きいと分かる巨大な芋虫型ノイズが現れていた。あの人達に向かって一直線に進んでいる。

 

「お、大きいっ!」

 

 大変だっ…! 

 私も目の前で見たことがある。

 大きいノイズはそれだけでも恐怖の対象だけど、小型のノイズを生み出すこともある。もしこれがもっと沢山のノイズを出したら……

 

『翼、目標を大型ノイズに変更! まずは周囲の安全を確保する!』

「承知しました!」

 

 翼さんは勢いよく飛び出し、一気に下へと直行する。私の顔面に鋭い突風が吹きこんできた。

 

「わ、わ、私も!」

 

 咄嗟に後を追おうと顔を外へと覗かせる私。

 けど次の瞬間、突風と風圧に顔がひしゃげるんじゃないかと思った。

 

「あぶっっ!!」

 

 咄嗟に足が出なかった。

 翼さんは駆け出したと思った次の瞬間、天高く舞い上がっていた。そのまま刀を引き抜くと、更に空中へと飛翔する。

 私は茫然とその様子を見上げていた。

 

『無理をするな。ノイズは翼に任せ、君は援護に回るんだ!』

「りょ、りょ、了解、しました…!!」

 

 慌てて弦十郎さんの言葉にうな垂れながらも、私はそれを承諾するしかなかった。

 ああ、情けない。ただでさえ、翼さんの足を引っ張ってばかりだというのに、今も尚あの人を眺めているだけだ。

 

(けど、それでも……!)

 

 このまま何もせずに指を咥えているなんてできない。

 私は呼吸を整えた。

 落ち着いて、自分に出来ることを考える。

 

(あそこにいる人たち、せめてあの人達を守らないと!)

 

『響君、そこから先に別の生体反応がある。恐らく逃げ遅れた民間人だ。直ちに保護してくれ!』

「りょ、了解です!」

 

 何の力にもなれないけど、ノイズに襲われている人の盾になることぐらいはできる。

 ヘリコプターはノイズから離れた場所に着陸する。私は軽くジャンプして飛び降りた。

 再び上昇するヘリを見送ると、私は急いで遠目にも見えるその人影に近付いた。

 その間にも、翼さんはノイズの群れをものともせずに斬り裂き、どんどん数を減らしていく。

 

「はぁっ!」

 

 跳び上がった翼さんは、エネルギーの刃を出すと、それを雨の様にノイズに浴びせかける。

 残るノイズたちをあっという間に蹴散らしていく翼さん。

 

(凄い…やっぱり強い人だ、翼さんは…)

 

 誰もが震えることしかできないノイズを相手にあんな風に立ち向かっているなんて…私は戦う力を持っているのに…ううん、だからこそ直接対峙して、ノイズと言うものの恐ろしさが余計に分かる。

 それを恐怖など知らないかのように……

 

『響君、残るノイズは大型のみだ。今の内に!』

「は、はい!!」

 

 私は我に返って再び走り出した。

 逃げ遅れた人の下まであと僅かだ。

 翼さんの攻撃で起こった土煙も消え、ようやく顔が見える所まで近づくことができた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 近付くと、弦十郎さんの言う通り、二人の人間がその場に伏しているのが分かった。

 もう既に翼さんは二人の所まで来ている。

 私も慌ててその人たちの元へと駆け寄った。

 

「……え」

 

 一人は、中年の男の人。トラックの運転手か、力仕事をしてる人なんだろうと何となく分かった。だけどもう一人は……

 

 

「え……」

「っ…!?」

 

 

 空気が、固まったような気がした。

 今思えば、これは運命の出会いだった。

 私をこの先導いてくれる、星の煌めき。かけがえのない仲間を結び付けてくれる人。つなぐ手と手を結びつけてくれる人。大切な、大切な……そう、絆の証とも呼べる人だったのだから。

 

 

 

 

 第1話  『雑音と不協和音と、旅の始まり』

 

 

 

 

(…あれから……丸一日は経過したか……)

 

 無機質な灰色の狭い部屋の中で、手錠をかけられたまま、俺は閉じ込められている。

 時計も窓もないこの状況では、自分の感覚のみが頼りだ。

 連れて行かれた先で、目隠しと手錠をかけられ、この部屋に押し込められてから、外部とは全てが遮断され、連絡はおろか自由な移動さえままならない。

 

(ここは一体どこだ? あいつらは…)

 

 だが推測するにも情報が少な過ぎる。

 奴らは日本政府と名乗っていたが、それさえも怪しいものだ。

 疑問は疑問を呼び、思考を一気に迷路へ誘う。

 

(突然無くなってしまったネオ童実野シティ……人を炭にする怪物……また現れた赤き竜と痣……ソリッドビジョンではない実体化したモンスター達……それに)

 

 歌いながら戦う少女……

 あれは一体、なんだったんだ…? 

 

(俺はこれから…)

 

 どうなってしまうのか。考えようにも手足の自由さえロクに聞かないのでは調べようもない。

 分かっているのは、俺はこれまで以上の不可思議な事態に身を投じていることくらい。

 唯一出来ることと言えば、俺の身に起こったことを整理することしかない。

 俺は目を瞑ると、あの日起こった出来事を反芻し始めた。情報を整理する上でも重要だったし、気持ちを落ち着けなければいけなかった。

 

『特異災害対策機動部二課の本部まで、ご同行願います』

 

 そうして思い出す、昨日のことを……

 

 

 

 ………………

 

 

 

 草原に光が奔っていた。赤き竜ではないもう一つの力だ。

 そして、響き渡る謎の少女の澄んだ歌声。

 

『…ノイズの殲滅を確認。増援反応ありません!』

『よしっ…よくやってくれた、翼』

「……」

 

 何処からか声がする。

 これは、通信音声か? 

 だとすれば、声の主は一体……

 いや、それ以前に…

 

(…俺達は…助かったのか…?)

 

 何より、この目の前にいる少女は……

 

「…あ、あの……」

 

 おどおどしたように、俺を見据える少女の一人。

 

「っ!?」

 

 俺は目が離せなかった。どうしたことだ。俺は彼女を知っている。会ったことはない筈だ。なのに俺の心が、魂が、理性や本能と言った言葉では説明できないもっと根源的な衝動が、この子を認めている。

 風も、遠くから近付くサイレンの音も、焦げた臭いも、全てが入らない。

 その緊張と静寂を破ったのは、一枚のカードだった。

 

 

『ピピイッ』

 

 

 敵を倒し、役割を終えたロードランナーが、俺の元へと駆け寄ってくる。そして鳴き声を一際大きく上げると、小さな雛鳥は再び光となって、俺のDディスクにセットされたカードまで戻っていった。

 その出来事で、俺は我に返る。

 

「ロードランナー……!」

 

 そうだ。

 まだ状況はまるで掴み切れていない。

 俺を助けてくれた運転手の男性が叫んだ『ノイズ』という言葉も、そして突如として現れた赤き竜や、実体化するモンスターたちも……

 無論、この少女たちもだ。

 だが、まず状況を整理する前に……

 

「う、うう…」

「大丈夫ですか!?」

「あ、ああ、なんとかな…!」

 

 男性を起き上がらせる。

 目の前の脅威が去ったことで、彼は全身の力が抜けたように脱力し、その場にうずくまってしまった。いけない。そう言えば彼は足を怪我したままだ。

 

「ひ、ひよこが光って、消えちゃった…!」

「頼む、手を貸してくれ! 怪我をしているんだ!」

「え!? あ…は、はい! 掴まって下さい!」

 

 後から来たもう一人の少女が、混乱しながらも手を差し伸べてくる。彼女はもう片方から手を肩に回すと、一気に男性を起き上がらせてくれた。

 重い足取りながら、何とか歩き出す。

 

「こちら風鳴。要救助者の確保、完了しました。うち1名は左脚を負傷している模様。救護班、願います」

『了解』

 

 もう一人の少女も、こちらを見て誰かと連絡を取っている。様子から察するに助けを呼んでくれているようだ。少なくとも彼にとって悪いことにはならないだろう。

 

「怪我は大丈夫ですか?」

「あ、ああ…なんとかな」

「もうすぐ高速道路まで戻ります。頑張って下さい」

「おう…そ、それよりも…兄ちゃん、あんた一体何モンだい…!?」

「え?」

「ノイズを倒しちまうなんてよ…」

 

 歩いている最中、彼はこんなことを俺に向かって尋ねてくる。

 一緒に歩いていた少女も、驚いたように俺を見ていた。

 

「え、の、ノイズを倒した…?」

「おお、この兄ちゃんがな…」

「あ、いや、俺は…」

 

 俺は戸惑いながらも遮った。

 状況がわからないのはこちらも同じだ。それにこの少女たちのことも…

 そんなことを考えているうちに、いつしか高速道路の端まで到着していた。

 見るとそこには何時の間にか、簡易テントが設営されていた。

 入り口付近に立っていた一人の黒服の青年が、俺たちの元へと歩み寄って来た。

 

「翼さん、響さん。お疲れ様です」

「あ、緒川さん。どうも」

「緒川さん、少し話が」

 

 長髪の少女が鋭い眼光を絶やすことなく、黒服の青年に喋りかける。

 彼は笑みを浮かべたまま、こくりと頷くと、俺たちを見て言った。

 

「お二人とも。我々は日本政府、特異災害対策機動部の者です。まずは命に別状がなくて何よりです」

「あ、ああ…」

 

 特異災害対策機動部? 

 聞いたことのない組織名だ。

 しかし彼は日本政府と名乗っていた…だとすると、この場所はやはり過去の…。

 

「あなた!」

「おとーさーん!」

 

 突然遠くから聞こえる声に、俺の思考は中断される。

 振り向くと、道路の向こう側から走ってくる人影が二人見える。

 一人は大人の女性、そして…

 

「おおっ! お前達無事だったか!?」

 

 そうだ。

 どこかで見たことがあると思ったが、トラックに乗っている時、彼が見せてくれた写真の、妻と子供だ。

 

「ああ、あなた良かった! 無事でいてくれて…!」

「おとーさん、大丈夫?」

「ああ、この通り元気だぞ!」

「……」

 

 娘を抱きしめる父親。

 その姿を見て、俺は表情が緩むのを感じた。

 ここに来て初めて、俺は心から安心できた気がする。

 

「兄ちゃん、あんたのおかげだ。本当に助かった。礼を言わせてくれ」

「いや…俺は何も」

「謙遜すんな。俺はこうして生きて、娘や嫁とも会えた。こんなに嬉しいことはねえ」

「ありがとう、おにーさん!」

 

 父親に組み付いたまま、娘も俺に礼を言う。

 俺はなにも返すことができず、ただ曖昧に微笑むだけだった。

 俺が…助けた? この人を? 

 ここに至るまで、多くの人が炭となり消えていったと言うのに、それでも救ったと言えるのだろうか…。

 

「…」

「あれ? お姉ちゃん、もしかしてあの時助けてくれた人?」

「え? あ、君は…」

「わぁ、また会えた! じゃあお姉ちゃんも一緒にお父さんを助けてくれたんだね!」

 

 俺と一緒に肩を貸していた少女が隣で目を丸くするも、その会話の内容が届く前に、青年が少女たちに向かって呼びかけた。

 

「お話中失礼します。ひとまず、怪我の治療をしましょう。響さん、彼をお願いします」

「あ、はいっ」

「え? お父さん、怪我したの?」

「だ、大丈夫だよ、中にちゃんとお医者さんがいるからね」

 

 そう言って少女が家族をテントの中へと誘導する。

 彼はもう一回俺に振り返ると、大きな声で「ありがとよ」と礼を言ってくれた。

 ……礼を言うのは俺の方だ。行き摩りの俺を見てすぐに手を差し伸べてくれたのだ。それがなければ俺はどうなっていたかわからない。

 

「…」

「あなたはこちらへ」

「……ああ」

 

 黒服の男に連れられ、俺はテントから離れた、同じように黒く塗られた車が集まる場所へと案内された。

 この男…

 悪い予感が背中をなぞるように浮かぶ。

 見れば先程の長い髪の少女もいつしか姿を消していた。

 

「……動揺なさらないのですね。ノイズに襲われたというのに」

 

 表情を崩すことなく彼は俺にそう問いかける。

 この感じ…どこかで覚えがある。俺を警戒し、一挙手一投足さえ見逃すまいとするこの視線…

 かつて俺が嫌という程味わった、セキュリティの…

 

「ノイズ…まるでアレが当たり前の物のように言うんだな」

「…まるで、ノイズをご存知ないように仰いますね」

「…あんた達に、聞きたいことがある」

「それは好都合です。我々も、このままあなたを帰すわけにはいきませんので」

「っ…!」

 

 判断が一瞬遅かった。あるいはこれまでの出来事の連続による疲労か。

 いつのまにか、俺は周囲を黒服の男達に囲まれてしまっていた。

 

「特異災害対策機動部二課の本部まで、ご同行願います」

「……」

「どうか抵抗などは考えませんように。僕としても不本意ですが、必要な措置ですので」

 

 青年は手を後ろで組んだまま、微笑してそう告げられる。だが目は決して笑っていなかった。

 謎の怪物に襲われたと思えば、今度は拘束か…

 既に感覚が麻痺したのだろうか…この程度では驚かなくなってしまった。

 ただ俺の心に影を落としていたのは、仲間との再会が叶うのは、どんなに安く見積もっても当分は先であると言うことだった。

 

 

 

 

 ………………

 

 

 

 

 そうして俺はなすがままに捕えられ、今に至る……と言うわけだ。

 正直、理不尽にも程がある展開だが、叫んだところでどうにもならないのは嫌と言うほど身に染みて分かっている。サテライトでの生活が免疫になっているのだから、世の中何がプラスになるか分からないものだ。

 

(今は脱出の機会を伺うほかはない)

 

 いずれにせよこのままにはできない。

 奴らが何者で、なにを考えているのか……その出方は不明だが、なんとしても帰らなければ。

 

(デッキとDホイールは奴らに捕られたままだ。だが、連中も俺をこのままにしておくつもりはないだろう)

 

 一つ疑問といえば、俺を捕らえた連中の態度である。

 …荒っぽいことは覚悟の上だったが…今も重たい感触を与える電子製の手錠さえ除けば、特に何もない。

 この部屋から出ることは無論できないが、警備員に言えばトイレには行かせてくれるし、食事もごく普通のものだ。

 精密検査と称して身体のあちこちを調べられたが、特に不審な点はない。健康診断の延長みたいだ。

 これまで二、三回、黒服の男達には取り調べを受けたが、圧迫感はまるで無かった。

 セキュリティに痛めつけられマーカーを刻印された時に比べれば遥かに厚遇されている。

 ……と言うより、ここは俺を圧迫したり罰したりする場所には見えなかった。

 むしろ戸惑い、迷っている印象を受ける。俺という存在、そしてあの怪物と戦った際に現れたモンスター達に。

 

「失礼します」

 

 そこまで黙考した時、重たい鉄製の扉のロックが電子音と共に開く。

 扉の向こうから現れたのは、俺を拘束したあの黒服の青年である。

 

「…あんたは」

「お久しぶりです。改めまして、緒川と申します」

「……何の用だ」

「はい。用件は二つあります。まずは…」

 

 俺は警戒する。

 そう歳が変わらないように見える緒川と名乗った青年は、そのまま近付いてくると、身構えた事を意に介さないように後ろに回って俺の手錠をあっさりと外したのだった。

 

「…どういうことだ?」

「あなたに脱走の意思がないと判断したためです。これまで不自由を強いてしまい、申し訳ありませんでした」

「……」

 

 そう言って手錠を脇の机の上に置く。

 他意があるようには思えない。手錠にも開け放たれたままの扉にも、妙な仕掛けは見られない。

 だが…

 

(この男、隙がない…)

 

 身体能力ならミゾグチと互角…いや、それ以上だ。

 簡単に手錠を外したのも、脱走しないからじゃない。してもこの男を出し抜くのは不可能だからだ。

 

「目的はなんだ?」

「我々の上司が、あなたにお会いしたいそうです」

 

 そう言って緒川はどうぞ、扉をくぐり、俺を手招きする。どうやらついてこいと言うことらしい。どのみち選択権のない俺は、事態を打開するためにも青年に従うことにした。

 部屋を出、まるで変化のない廊下を曲がりながら進む。恐らく侵入者対策に、わざと似通った作りにしているのだろう。

 ますますこの施設の正体が分からなくなった。

 

「こちらです」

 

 そう言って、一つの部屋にたどり着いた緒川は、俺を中へと案内する。

 俺が囚われていた部屋よりは倍ほどは大きい。それにソファや調度品も設えられ、応接間のようになっていた。

 …ところどころ急拵えの感がするのは否めないが。

 そこで一人の男性が俺を待ち受けていた。

 

「ようこそ。人類の砦、特異災害対策機動部二課へ」

「人類の砦?」

「まずは自己紹介からだな。俺は風鳴弦十郎。ここの指揮官だ」

 

 弦十郎と名乗る男は、赤いシャツに白ジャケットを着込み、ネクタイをきちんと締めた、一見すると礼儀正しい作法で俺を招き入れていた。

 

「君の名前は?」

「……不動遊星」

 

 まるで巌だ。

 これほどスーツとネクタイが不釣り合いな男もそうはいない。いい意味でも悪い意味でも。

 側に立つ緒川以上に隙のない、鍛え上げられた肉体に研ぎ澄まされた気配…格闘技に関しては素人に毛が生えた程度の俺でさえ、その凄みが伝播する。

 だが彼は俺に敵対する意思はまるで持たない様子だった。それは緒川も同じだ。

 

「まずは座ってくれ。話し合い用に急遽知り合いから譲ってもらったもんだ。座り心地はまあまあだが、あの部屋の硬いイスよりはマシだろう」

「……」

「不動君。さて早速だが、今までここで訊かれた時の答えを、もう一度君の口から聞かせて欲しい。君は何者なのか、何故あの場所にいたのか、そしてあの力はなんなのか」

 

 男は大して勿体ぶる様子も見せず、直截に尋ねる。ならば遠慮は無用、と俺も本音でぶつかることにした。

 

「いきなり人を捕らえておいて、また話を聞かせろと言うのか? それも、こちらの質問には何も答えずに」

「礼を欠いていることは承知している」

 

 風鳴弦十郎は鷹揚に頷きながら答える。

 

「だがこちらも、状況を把握出来ないうちに、君の全てを受け入れることは出来ない。何しろ、君の正体は全くの不明だ。戸籍、住所、市民登録、君が話してくれた情報を照会したが、当てはまるものは何一つなかった」

「何一つ…だと?」

 

 嫌な予感がまた這い出ていた。

 俺の予想通り、ここが過去の世界だとすれば、意味不明なワードはいくつも出てくるだろう。Dホイールのように。だが何も一切が通用しないと言うのは幾ら何でもおかしい。

 

「そうだ。そして君の乗っていた未確認のマシンと、ノイズを退けた謎の怪物達。そしてそれを従えている経歴不明の男……とくれば、この様な処置も致し方ないとは思わないか?」

「ノイズ、か…その緒川という奴にも言ったが、まるであんな物が当たり前のことのように言うんだな」

「…君は、ノイズの存在を本当に知らないのか? 見たことも、聞いたことさえない現象だと?」

「当たり前だっ」

 

 俺は無意識に声を張っていた。脳裏には今でも、炭となり消えていった人たちの叫びや苦悶の表情が焼き付いている。

 

「あんな風に人が…残酷に消えて無くなる光景が、普通であって良い筈がない…!」

「……その通りだ……至極真っ当な正論だ。四半世紀前には、あんな怪異は日常とはかけ離れた遠い存在だった。そして我々は人類の脅威に対抗するための手段を、日本で唯一所持している」

「あの歌を歌う女の子達のことか」

「大した観察眼だ。あの状況であれば、常人はパニックに陥るしかない」

 

 ギラリ、と風鳴弦十郎の目の奥が光る。この男は、俺の知らない事実を知っている。ならば聞き出さなくては。何もかもが始まらない。

 

「あのノイズと言う怪物達は一体何者なんだ? 一体ここで何が起こっているんだ?」

「……今一度聞こう。君は今日見た出来事が、全くの未知の体験だったと言うんだな。ノイズも、そしてこの街の景色も、あの日あの時に見聞きした経験全て」

「…何が言いたい?」

「君にとっては未知の出来事でも、我々にとっては常識だ。そしてそれは君にも同じことが言える。先程の取り調べに対して、君は我々には全く理解できない単語を並べ立てたが、それは君にとっては当たり前のことだった」

「あんた達の常識では、あれが当たり前だと……っ」

 

 そこまで言って、俺は息を呑む。

 まさか俺は思い違いをしていたのか。

 

「…どうやら、君も同じ考えに至ったようだな。囚われておきながらその冷静な判断力…驚嘆に値する」

「俺は、あんな怪物がいる事など、聞いたこともない」

「俺は、君の名前に全く覚えがない。戸籍も、住んでいる土地もデータには無い」

 

 そうだ。お互いに持つ情報や知識がかみ合わない。

 

「そしてあの怪物と戦う人間がいることも」

「そして君の操るあの機械の戦士や、赤い竜も」

 

 その原因を、俺は時代が違うからだと思い込んでいた。タイムスリップでもしたのだと。

 だが……俺の置かれた事態は、そんなことで説明はつけられない。

 

「歌を歌いながら異形の怪物と戦う…あんな兵器は」

「Dホイールと呼ばれるバイク…そしてカード。あの様なテクノロジーは」

 

「「……俺たちの世界には存在しない」」

 

 あの出来事で信じるしかなかった。

 俺は既に、全く異なる別次元の世界……パラレルワールドにまで足を踏み入れてしまったのだと言うことを。

 

「……ここは、俺のいた世界とは別の世界だと?」

 

 ゆっくりと、息を吐き出すようにして言った。

 他の人が聞けば冗談か頭がおかしくなったと笑うだろう。しかし目の前の男は嘘をついているとは思えない。

 そして俺自身も、現実を受け入れている。心の底で。

 

「今の段階では何とも言えん。だが……緒川」

「はい」

 

 風鳴の言葉を受け、緒川はどうぞ、と懐からあるものを取り出して俺の前へ置く。

 あの時赤き竜の力によって俺の元へと帰ってきたカード達だ。

 取り出して一枚一枚確認するが、破損もなく、乱暴に扱われた形跡もない。

 

「…どういうことだ?」

「君の言葉を、俺は信じたいと思っている。君は、何のためらいもなく市民を守る為に行動し、そして救ってくれた。その心意気に応えたい」

「言っていることが、さっきと矛盾しているぞ」

「俺は上に立つ人間としての義務がある。だが、その中で押し通すべきものも、確かにあると考えている」

 

 その言葉には裏表の無いようにも思えた。

 静寂の閉ざされた小さな部屋の中で、時計の針が進む音が聞こえる。

 その時、ようやくこの部屋に時間を知る術があると気付いた。

 それを見ようとした時だ。

 

「ハァイ、ご機嫌いかが?」

 

 ノックする音が聞こえ、全員が振り向く。扉を開けて一人の女性が中に入ってきた。

 白衣を着て、メガネをかけたその女性は、今までの雰囲気を破るように軽い足取りで俺たちの方まで歩み寄る。

 

「了子くん」

「おっと、こちらがさっきのロックなバイカーさんね」

「Dホイーラー、と言うそうだ。あのオートバイを駆る者を、彼の世界ではそう呼ぶらしい」

「彼の世界…やはり並行世界からの住人、という事ね」

「君も同じ結論に達していたか」

「ええ」

 

 了子と呼ばれた女性はまじまじと俺を見ながら言った。

 

「ごめんなさいね〜、君のバイク、ちょっと調べさせてもらったの。驚いたわぁ、現行のテクノロジーとは違う基礎理論で組み立てられてるし、オマケに高出力かつ極めてクリーンなエネルギー装置…モーメント理論を軸にして、全く未知の粒子を利用したハイパワーエンジン。悔しいけど、今の私達じゃお手上げだわ」

 

 俺は目を見張った。

 この女……俺が捕らえられてから短時間でDホイールの構造を把握したというのか? 

 これまで俺が会話した内容から察するに、未だにこの世界でモーメントは開発されておらず、恐らく遊星粒子も発見されていない。

 それに俺のDホイールはワンオフで独自の改良が施してあり、余程の技術者でなければ手もつけられない。

 彼女は一体…

 

「まぁ、その辺りはおいおい聞かせてもらうとして…ええっと」

「遊星だ。不動遊星」

「あらぁ、ご丁寧にどうも。私は櫻井了子。ここの開発主任にして、天才科学者兼考古学者です」

「不動君、改めて、俺と彼女に先程の話の続きをしてほしい。どうやら我々は、人類史の新たな一ページの、重要キャストに選ばれてしまったかもしれない」

「……分かった」

 

 カチリと、時計の短針が先へと進む音がした。

 

「ライディング・デュエル、モーメント、そして赤い竜の伝説に、未来からの侵略者……か」

「全て事実だ」

 

 俺は肚を決め、持ちうる情報を話すことにした。無論専門的な知識や詳細は伏せてはいるが、彼等からも情報を貰わないことにはどうしようもない。

 その為にも、ある程度は信頼を得なければ…

 

「デュエル……と言ったか。大人から子供まで誰もが熱狂し、世界経済を動かし、果ては未来の歴史にまで影響するエンターテイメント……本当にそんなものが実在するのか?」

「まるでお伽噺よねえ……私たち以外が聞いたら、だけど」

「確かに、ただのカードゲームから始まった物が、これほど発展したことには、疑問を唱える学者も少なくない。それ専門の研究者もいるくらいだからな。だが俺からしてみれば、この世界の方が明らかに異常だ」

 

 目を丸くして時々溜息を漏らしながらも、3人は俺の話を真面目に聴き入っていた。

 どうやら俺の正体や話す内容に関しては受け入れる用意がある、と言うことらしい。

 

「至極尤もな意見だ。それに出鱈目な作り話…と言うには、余りにも出来過ぎている」

「そうね。それにさっきあなたが話してくれた遊星粒子……科学者の私から聞いても理論的に矛盾は無かったわ。それに夢のクリーンエネルギーですって? そそられるわぁ」

「ん、んん!」

 

 一瞬怪しく目を光らせた櫻井は、風鳴の咳払いで我に返る。

 

「あら失礼。でも弦十郎くん、私は彼に俄然興味が出てきたわ。良い意味でね」

「ふむ…今言った不動君の言葉を、科学者として証明できるか?」

「カレ次第、ですわね」

 

 メガネをかけ直しながら櫻井は言う。

 

「どうだろう。俺達は君の力になりたい。だが君の身の潔白を証明するためには、少なくとも君の言っていることに嘘がないことを知らしめなくてはならない。その為に、少しばかり協力してもらえないだろうか?」

「…一つ条件がある」

「聞こう」

「あの歌を歌う少女達に会わせて欲しい」

 

 俺がこの世界に来た事に、何か意味があると言うなら、それは2人が握っている様な気がする。

 特に俺に手を貸してくれたあの女の子…あの子には、何か感じるものがあった。いや寧ろ……俺はどこかで、彼女と会っているのか? 

 確かヒビキと呼ばれていたか…? 

 

「それなら心配ないわ。元々呼ぶつもりだったから。ノイズについて話すなら、彼女たちの存在は無視できないし、あと……君に見せたいものがあるのよ」

「見せたい物?」

「そうと決まれば、早速行動あるのみだ。さあ、ついて来てくれ。ここの施設を案内しよう」

「行きましょ、行きましょ! あなたも興味があるでしょ、人類の叡智が揃った場所に」

 

 そう言って櫻井は俺を立ち上がらせると、外へと出るように促した。風鳴と緒川も乗り気だ。

 今までの警戒する空気は何処へやら、俺は言われるままに連れ出される。

 部屋を出る時、また時計の針の音が聞こえた。

 




設定とは言え、遊星のデッキを取り上げてしまった訳ですが、こうしてみると本当に彼のデッキは高レベルでまとまっているのが分かります。反面、ちょっとバランスが崩れるとロクに機能しなくなるという……っていうか拾ったカードでこんなデッキ組めるんかい


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第1話『雑音と不協和音と、旅の始まり』‐2

それにしても初期の翼さんの女性言葉が今や懐かしい。
今じゃすっかり芸人きしゲフンゲフン


 この基地はどうやら地下に潜るようにして作られた秘密基地のようだ。

 進んだ先にあるエレベーターに乗ると、壁にある棒に掴まるよう言われる。その途端にいきなりエレベーターはさらに地下深くまで潜行し始めた。

 唸りを上げるように風を切る音がする。

 

「ここは……」

「元々、機動二課とは、戦前に作られた諜報活動を主とした特務部隊だった。それを10年前、世界に先駆けてノイズ対策機関として再編成されたのさ」

「センゼン?」

「第二次世界大戦だ。知らないか?」

「いや……俺の世界では、もう相当前の話だ」

 

 自らは棒を掴まず仁王立ちしながら風鳴弦十郎がそう言うと、風の音色が変わる。

 俺はエレベーターの外側を見る。エレベーターはガラス張りになっていて、外の景色を見れるようになっていたのだ。

 俺はその時、エレベーターが広い空間に出たことに気付いた。直径数百メートルの穴が、そのまま地下深くへ続いており、エレベーターはその中心を下降していた。なおゴールまでつかないその様子は、まるで巨人の掘った落とし穴を自ら落下しているようだった。

 

「了子君が発掘した遺跡の出土品を、複製し移植したものだ。世界各地の伝承や歴史から、ノイズを研究することに役立つ」

「それで、壁をようく見て欲しいのよ」

「これは……」

 

 アリになった気分を体感しながら壁面を見て驚いた。壁には大きく絵が描かれ、そこにいたのは、まさしく俺が遭遇したノイズだった。

 

「あの時の怪物?」

「ノイズが国連で特異災害として認定されたのは13年前。だがその存在そのものは、遥か太古の昔から観測されていた。いわゆる世界各地の伝承…妖怪やモンスター、神隠しなどの超常現象は、このノイズ由来のものが多いのではないかと、我々は考えている」

「この壁画に描かれている模様は……確かにあの時見た怪物と似ている」

 

 こんな、子どもが描いた落書きの様なものが、実際に人を襲い、そして炭に変えるなどと、俺達の世界では誰が信じるだろうか。

 しかもこんな太古の昔から……この世界の歪さに、俺は底知れぬ『何か』を感じ取らずにはいられなかった。

 

「そして君に見せたかった物は……これだ」

 

 だが本当の衝撃はその後にやってくる。

 しばらく下降すると、別の壁画が見えてきて、俺は目を見張った。そこに描かれていたモノは……

 

「赤き竜っ!」

「およそ1万年前、マヤの遺跡から出土した物だ」

「珍しくはあるけれど、それほど価値がある物ではなかったわ。描かれているのは、四方を取り囲む怪異たちと、それに立ち向かうマヤの戦士。そして…」

「彼らを守るように羽を広げているこの竜……君の腕にある痣と同じ物だ」

 

 俺の動揺をよそに、二人は解説を続ける。

 

 咄嗟に腕に再び現れた痣を擦っていた。

 細部こそ違うものの、この絵柄は赤き竜の姿……かつて矢薙のジイサンやゴドウィンに見せてもらったものと同じだ。

 つまり、かつてノイズと戦い、この世界を守ってきたのは……俺と同じシグナー? 

 

「この世界にも、赤き竜が存在した……いや」

 

 もし並行世界の別の赤き竜がいたとするなら、わざわざ俺と言う存在を呼ぶのはどこかおかしい。この時代、この世界の人間をシグナーとして選ぶはずだ。

 ゴドウィンも言っていた。赤き竜とその化身たる力は、様々な形に姿を変えてシグナーへと宿るのだと。

 もしそうなら…

 

「……俺の世界で、役目を終えた赤き竜は、俺たちの前から姿を消したんだ。この右腕の痣と共に」

「ふむふむ……つまり、並行世界の赤き竜が君を呼んだのではなくて、戦いを終えた竜が、私達の世界の先史文明時代へジャンプしてきたってことかしらね。今度は別の世界の人類を守るために」

 

 俺と壁画を交互に見ながら櫻井が言う。

 

(あの時俺をこの世界に導いたのは、間違いなく赤き竜だった……どうして再び、俺の元へと姿を現したんだ? 俺に、あの怪物たちと戦えという事なのか? それとも、もっと別の何かが…)

 

 そこまで考えた時、ガラスの向こうは再び見えなくなる。どうやら広い空間を抜けて、施設の中へ再び入ったようだ。次第に落下速度が緩やかになっていくのを感じる。

 

「ま、その事はおっつけ話すとして……」

 

 そして僅かな衝撃と体に感じた重力の変化で、エレベーターが目的地まで到着したのを理解した。

 

「とうちゃ~く! ここはテックユニット。シンフォギアの調整、研究、その他諸々の機材を管理保管している所よ」

 

 一足先に出た櫻井は両手を大きく広げて、俺に施設を紹介した。

 先程の殺風景な部屋や廊下とは打って変わって、メカニカルな景色が広がっている。中央に位置する大型コンソールから伸びた太いケーブルがあちこちに張り巡らされ、宙にはなんらかの計測器による液晶画面が映し出されていた。

 保管所と言うよりは研究施設である。

 だが外部より遥かに科学技術が発達しているのは確かだ。

 

(確かこの世界の歴史は、21世紀初期辺り……俺たちの世界で言うなら、海馬コーポレーションが初めてソリッドビジョンを開発した頃か…)

 

 つまり立体映像を作り出すだけでも四苦八苦していたのが当時の俺達の世界である。

 だがそれに比べ、端末機材一つとっても、かなり小型化が進んでいる。テクノロジーの進化スピードは比べ物にならないようだ。

 

「どう、不動君? ここの感想は」

「……大したものだ」

「お、最大級の賛辞って奴ね? 良いわぁ、そう言うの。科学者冥利に尽きるってもんよっ!」

 

 そう言って櫻井は馴れ馴れしく俺の肩を叩く。どうやら同じ分野の人間として向こうは興味津々らしい。

 俺としても、こんな事態でなければ彼女の研究に関しては深く聞いていたかもしれないが、今はそれどころではない。

 

「すまない。用件を済ませる前に、俺のDホイールを一度見たいんだが」

「それなら安心してくれ。ここの奥に保管されている」

「カードは…?」

「カード?」

 

 櫻井が目を丸くして風鳴と緒川を見る。渡していなかったの? と視線で会話するのが見えた。

 

「君に手渡した物とは違うのか?」

「いや、あれだけでは足りないんだ。本来ならもっと多くの枚数がある筈なんだが、赤き竜が俺に手渡してくれたものはあれだけで、他のカード達の行方が分からない。アンタ達の方で、何か見つかってないか?」

 

 モンスターは勿論、魔法カードや罠カードも殆どが損失していた。そしてエクストラデッキも全て……俺達の絆の結晶とも言える切り札さえなくなっていた。

 弦十郎が緒川を見るも、彼はゆっくりと首を横に振るだけだった。

 

「悪いが、そう言ったものは確認されていないようだ」

「そうか……」

「無論、この状況では信じてもらうしかない訳だが……」

「信じるさ」

「え?」

 

 三人が一斉に俺を見る。

 だが俺は別に変なことを言ったつもりはない。

 俺は今拘束されている身だ。騙す必要性も無ければ、わざわざここまで案内する意味もない。

 それに……

 

「アンタ達は目が違う。それ位は俺も分かるつもりだ」

 

 使えない、ゴミ、クズ、と散々なじる者を、俺は…俺達は良く知ってる。そう言った薄汚れた場所で育つと、人間を見分ける目が自然と付いてくる。

 この世界に来て唯一幸運があったとすれば、汚い連中に出会っていない事だ。

 

「……緒川」

「はい。一課にそれらしいものを探すように要請します」

「良いのか?」

「信頼には信頼で応える。それが大人ってもんだ」

 

 目が肥えている、と言う意味では、向こうも同じなのかもしれないな。

 俺を拘束した時との態度の違いに、俺は戸惑いの様なものを感じていた。

 こうして三人と接していると、その人当たりに却って首を傾げそうになるくらいだった。あのトラックの運転手もそうだったし、彼を介抱してくれた女の子も……

 

 ああ、そうか……

 だからあの時、彼女は……

 

 

『生きるのを諦めるなっ!!』

 

 

「……不動君?」

 

 櫻井の言葉で我に返る。

 なんだ? 

 今俺は何をしていた? 

 

「どうかしたのか?」

 

 弦十郎が俺の顔を覗き込む。

 今…脳裏に浮かんだ女の顔は…夢の中で、必死に叫んでいたのは…誰に向けて…

 

「……!?」

 

 次の瞬間。

 施設内にけたたましいまでの警報音が鳴り響く。

 

「何があった!?」

 

 懐から通信端末を取り出し、マイクに向かって叫ぶ弦十郎。

 通信相手はしどろもどろになりながらも指揮官に事態を伝えていた。

 

『B3区画で高エネルギー反応を検知しました! 同時に、アウフヴァッヘン波形、周囲に展開を確認!』

「うそ!?」

 

 櫻井の鼻から眼鏡がずり落ちる。

 俺には分からない用語が並んでいたのだが、緊迫した雰囲気は嫌でも伝わる。

 何よりも、

 

「…!?」

(痣が…光っている!?)

 

 俺の腕の痣が、呼びかけている。

 この痣はシグナーとしての証であるとともに、様々な力を与えてくれる。

 闇の瘴気や不可思議な力に対抗できるだけではなく、仲間の意志が伝わったり、邪悪な気配を感じ取ることも間々あった。

 今もまた俺に何かを語りかけてくる。

 

(行けと言うのか…この先にか?)

 

 俺は駆け出した。実際声として響いたわけではない。しかし、確かに赤き竜の心が伝わる。

 誰かが俺を呼んでいる。

 

「っ!」

「おい、待つんだ!」

 

 弦十郎の制止も待たずに俺は走った。

 初めて見る景色だと言うのに、俺はまるで何度も通った場所のように突き進む。

 いつしか周りの機械や光る液晶も目に入らなくなっていた。

 それどころか、後ろから追いかける風鳴たちの足音や、機械の駆動音も、独特の金属の匂いも、全てを忘れて足を踏み出す。

 心臓の鼓動が早くなる。

 額には汗が滲んだ。

 何者の意図ともしれないこの奇妙な状況の中でもハッキリと確信出来るソレに背中を押され、どれほど走り続けただろうか。

 いつしか広い廊下のような空間に出た時だ。

 俺の痣が導いていた先がようやくわかった。

 

 

「えっ!? え、え、ええ!?」

「これは…!」

「な、なに、どうして…!?」

 

 

 目の前にいたのは、あの時の歌を歌う少女達だ。

 そして傍にあるのは、俺の相棒とも呼べるDホイール。

 

「力が勝手に……解放される!?」

「ど、どどうなっちゃうんですか!?」

 

 両者は目がくらむほどの光を発し、その光はDホイールごと包み込む様に二人を覆っている。

 いや、そうではない。両者共に、Dホイールまでもが光を放っていた。

 

「あれは…!」

 

 Dホイールが、起動している…いや、モーメントの過剰反応だ! 

 この現象は、俺がこの世界へダイブする時、旧モーメントが放出していたのと同種である。

 つまりは遊星粒子の暴走とも取れる。

 

「響君、翼、これは一体!?」

「わ、私、別に、何もしてないです! ただ、ちょこっと触っちゃっただけで!」

「なにぃ!?」

 

 ヒビキと呼ばれた女の子がしどろもどろに弁明する。

 だがその言葉の意味を考えるより前に、俺の体は光の中へと飛び込んでいた。

 

「どいてくれ!」

「わっ!?」

 

 少女を押し退け、Dホイールのモニターを叩く。やはりモーメントエンジンの出力が異常な数値を示している。

 俺はコンソールを操作して、なんとか押さえ込もうとしたが、エンジンはまるで意志を持ったかのように出力を上げ続けている。緊急停止信号も受け付けない。デュエルしているわけでもないのに……

 

「だめだ、このままでは…っ!」

 

 その中に、一人の少女が割って入る。狼狽していた子とは別の、剣を携えていた長髪の少女だ。

 

「おい、貴様なにをっ…!?」

 

 俺の肩を掴んでDホイールから引き剥がそうとしていた、次の瞬間…

 

『やっと……巡り合えた』

 

 周りの景色が、白く染まり始めた。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 光が拡散して視界が塞がったのかと思ったが、そうではなかった。

 俺と、この二人の少女だけが、別の空間に飛ばされた様に、今までいたテックユニットから切り離されたのだ。

 周りは白い霧の様なもので覆われ、向こう側は見渡せない。

 

(これは…!?)

 

 俺は声を出そうとしたが叶わなかった。

 夢うつつの中にいる様に、身体の上下左右も覚束ない。

 まるで辺りを彷徨う幽霊である。

 その中で一つ、赤と金色に光る何物かが、俺の意識をそちらへと向けさせた。

 

 

『遊星よ』

 

 

(お前は……)

 

 今度こそ間違いない。

 この視界全てを奪う景色も、目の前で俺に語りかける存在も、全てはヤツの手によるものだった。

 

(赤き竜!)

 

 幾度となく俺たち仲間の存在を繋ぎとめ、数え切れない奇跡を起こした赤き竜は、俺の……俺たちの前に再び姿を現した。

 

(はえっ!? わたし、どこ!? ここ、だれ!? 何がどうなっちゃってんの!?)

(え?)

 

 隣から聞こえてくる声につい間の抜けた声が出てしまう。

 ふと横を見ると、先程慌てふためいていた少女がふわふわと浮いていた。

 

(何…これは…私は、一体…!?)

(君達は…!)

 

 一人だけではない。

 あの戦場で剣を持っていた長髪の乙女も、同様に白い空間を漂っていた。

 

(う、うわわわわわっっ!? 私、浮いてるっ?)

 

 一人はいきなりの状況の変化についていけずに軽いパニックに陥っているらしい。

 確かにいきなりこんな目に遭えば誰でもそうなる。だが俺も冷静とは言い難かった。

 

(…おい君、大丈夫かっ?)

(へっ?)

(落ち着くんだ、しっかりしろっ)

 

 俺は短髪の少女に向け呼びかけた。

 赤き竜の仕業だとするなら、俺たちに危害を加える目的はないはずだ。奴は人類の命には直接干渉する力はない。人間と違い、彼等には肉体がないからだ。

 

『遊星よ……私の遺志を受け継ぎし、シグナー』

 

(うっ…!)

 

 軽い衝撃が走る。

 直接、頭の中に呼びかけてくる声があった。何者の声なのかはもはや言うまでもない。

 

(赤い、竜だと…?)

(え、ええ!? こ、これって、夢に出てきたあのドラゴン!?)

(…なにっ?)

 

 隣の少女が聞き捨てられない言葉を放っていた。

 赤き竜が、夢に出てきた? この子もまた、赤き竜との繋がりがあるというのか? 

 だがこの空間に俺と共に在る以上、それは…

 

『遊星よ。破滅が近付いている』

 

 赤き竜は、俺に向かい語りかけ続ける。

 彼女の肩を掴んでようやく安定させていた俺は、その呼びかけにハッとする。

 

『力を合わせるんだ。星を守るために』

 

 赤き竜の目が金に輝く。俺の腕にある痣も、同時に光を放っていた。

 

『戦…れ。遊星……ふたた…グナーとして……それが、君の…』

 

 瞬間、赤き竜の姿が透け始めた。霧の向こうの世界へ溶ける様にして薄れていく。頭に響く声も、途切れ途切れになっていった。

 

(待ってくれ! 破滅とは何だ!? 俺を呼んだのはやはりお前なのか!?)

 

 俺は必死に呼びかけた。

 これでは何も分からない。シグナーとして、俺に何を求めているんだ。

 あのノイズという怪物と戦えということなのか。

 ならどうして俺一人をここへ呼んだ!? 

 疑問が募り、俺自身の言葉さえ満足に出てこない。

 だが意識が赤き竜に届くこともなく、その姿は薄らいでいく。

 やがて景色全体が白く染まり始めた時。

 

『これは、逆転のカード……起死回生の為の救いの歌……戦うんだ、遊星……仲間達と、力を合わせて……そして、歌を……希望の、歌を……』

 

 歌という、希望の言葉。

 これから先、俺たちを幾度となく救ってくれた奇跡を託し、赤き竜は再び姿を消してしまった。

 

 

 

 ………………

 

 

 

「待てっ!!」

 

 男の人の叫びで、私は視界が開けた。

 

「響ちゃん、響ちゃん、大丈夫?」

「ふぇっ!?」

 

 私の肩が揺すられる。了子さんが私を起こそうとして頬をぺちぺち叩いてる。

 ようやく私は床に大の字になって倒れていたのが分かった。

 

「あぁ、良かった。気が付いたのね」

「了子さん!? どうしてたんですか!? さっきまでいなかったのに!?」

 

 私はガバリと飛び跳ねる様に身を起こして、了子さんを凝視する。

 さっきまで周りは白く覆われて、何も見えなくて、それでいてその真ん中には夢に出た赤い竜が…

 

「あれ? ここどこですか? さっきまでのトコは? あの光は? え? あれ?」

「ちょっと響ちゃん大丈夫? 頭打った? 意識ある? これ何本に見える?」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、了子さんは私の顔をマジマジと覗き込んだ。

 

「はーい、ちょっと深呼吸しましょ〜。吸って〜、吐いて〜」

「すぅーはぁーすぅーはぁー」

 

 了子さんに促されるままに呼吸を繰り返し、ようやく私は少しずつ落ち着きを取り戻していった。

 横では弦十郎さんが通信端末で誰かと話しているのが聞こえる。

 

「……こちらB3区画。そちらから見て、状況は?」

『各数値、正常に戻りました。アウフヴァッヘン波形も確認できません』

「引き続き、計測を行ってくれ。それと医療班を準備だ」

 

 弦十郎さんはそう言って私の下まで近付いてくる。

 

「響君、怪我はないか?」

「あ、はい。大丈夫です…」

 

 訝しげに弦十郎さんは隣の了子さんへと視線を送る。眼鏡白衣の美人なお姉さんは、神妙な顔のまま頷いた。

 多分、安心って意味かな? 

 

「ふむ。取り敢えずメディカルチェックを受けておいてくれ。翼、響君を…」

「……」

「…翼?」

 

 翼さんが、私を見下ろしていた。

 …違う。

 まるで気を失ったみたいにぼーっとしてその場に佇んでいる。

 ふとその身体が揺らいだ。

 

「……っ」

「つ、翼さん!?」

「翼!」

 

 翼さんがそのままバランスを崩し倒れそうになる。

 けど間一髪で腕を抱え込まれる。いつのまにか緒川さんがそのまま身体を支えててくれてた。

 

「…うっ…!」

「大丈夫ですか?」

「…お…緒川、さん…?」

 

 フラフラになりながら、翼さんはなんとか意識を保ってるみたいだった。

 私は茫然として、いきなりの事で声が出ない。

 当たり前だ。

 一緒に戦うことになったとはいえ、相手はトップアーティストで私の憧れの人。確かにお世辞にも仲は良くないけど、それでもこんな風になるのを見るのは初めてだった。

 

「う…」

「…司令、ひとまずは」

「ああ。翼、お前も医務室へ行け」

「へ、平気です…この程度……!」

「強がるな。明らかに平静ではない。それに二人とも、いきなり倒れたんだ。何かあれば事だ」

「えっ…私達倒れたんですか?」

 

 今度は私が目を丸くする番だった。

 起こされたまま、呆然と尋ねる。

 

「…覚えていないのか?」

「響ちゃん達、このバイクから出た光が強くなった瞬間、フラフラして倒れちゃったのよ」

「えっ…」

 

 私は…

 あ、そうだ。

 私は翼さんと一緒に、ここに来るように言われていた。

 あのノイズを倒していた男の人がいる、って言う連絡を受けて。

 そしてこの広い廊下で、あの人が使っていたという赤いバイクを見かけて、それで……

 

「あのバイクに触れたら、当然光って…」

 

 そこへ弦十郎さん達が通りかかった。

 その傍には、あの人もまた…

 

「…怪我は、ないか?」

「えっ…」

 

 そして目の前には、彼がいた。

 これから先何度も助けてくれる。

 私の人生の灯火が。

 

「…」

「あ…えっと…」

「ああ。二人はこの間の戦いの場で会ってたのよね。カレ、不動遊星くん。Dホイーラーですって」

 

 了子さんの言葉がうまく入らない。

 耳に聞こえてはいるけど、頭の中にまで染みない。私の中で、さっきまでの出来事が頭をぐるぐるよぎっている。

 

「不動くん、君も顔色が悪いようだが、大丈夫か?」

「あ、ああ…何とかな…」

「念の為、君も医務室へ行ってくれ。緒川、頼む」

「はい」

「い、いや、俺は…っ」

「もぉー、君まで無茶しないの。それじゃ会話もままならないでしょ?」

 

 

(夢…だったのかな?)

 

 

 違う。

 夢なんかじゃなかった……

 身体も心が、ハッキリと今の感覚を覚えてる。

 白く染まり始めた世界。

 語りかける赤い竜。

 破滅が近づいている……戦えと言う言葉……そして、希望の歌……

 

「今の……光景を」

「え…」

「君も……君達も、見たのか?」

 

 男の人が、私と、翼さんを見る。

 顔に鈍い光沢を持つ刺青が見えた。

 ふと視線を落とすと、そこにはさっき出てきたのと同じ、赤い竜の顔の痣。

 機械の駆動音が、ようやく私の耳に入ってきた。

 

 

 

 ………………

 

 

 

「ふうん……赤き竜が君に、世界を救えって?」

「ああ」

 

 ここは医務室。

 私は大丈夫といったけど、弦十郎さんが認めなかった。

 そのまましかめ面をした翼さんが無理やりに連れて行きそうだったから、私は慌てて医務室で精密検査を受けることになった。

 …翼さんは大丈夫なんじゃなかろうか。

 もちろん、赤いバイクの持ち主も一緒だった。

 

「…で、響ちゃんも、同じ映像と言葉を見聞きしたっていう訳ね」

「は、はい。『破滅を……』なんちゃらかんちゃらって。半分以上がちんぷんかんぷんですけど…」

「翼が見たという光景も、同じだというのか?」

「……はい」

 

 翼さんがいつになく鋭い眼光で答える。

 その視線の先には、顔に刺青を入れたその男の人が丸椅子に腰掛けていた。

 

「……」

 

 その人は翼さんの視線を気にしているのかいないのか、よく分からないけど、私達の会話を黙って聞いてたり、時々右腕を抑えたりしている……

 

(怖い感じとかはしないけど…)

 

 でもなんと言うか…独特の雰囲気だ。

 着ている服もそうだし、それ以外にも。ただその違和感は、私には言葉にできなかった。

 そんな私をよそに、皆さんは話を続けていく。

 

「不動君、先程起きた現象について、何か心当たりはないか?」

「いや…今までも、赤き竜が俺達に不可思議な現象を見せたことはあるが、あんな風になるのは初めてだ…ただ」

「ただ?」

「あのエンジンに使われる遊星粒子は、力と力を結び付ける特性がある。彼女達が持つ力と、なんらかの形でリンクした可能性は大きい」

「ふむふむ…君が話してくれたモーメント装置の原理と照らし合わせると…それぞれの聖遺物と触れ合ったことによる共鳴現象…ってところかしらね。三人が見たっていう赤き竜との関連性はまだ分からないケド」

「聖遺物?」

「彼女……風鳴翼さんが首から下げているものよ。彼女たちが纏っているシンフォギアの力を与えてくれる源になっているの」

「シンフォギア……彼女たちが戦っていた能力か」

「正解で~す! やっぱり君見どころがあるわねえ!」

 

 了子さんがパチパチと手を叩く。

 …え? もしかして、この人は了子さんのいうことわかるの? 

 私なんて初めて聞いた時はちっとも理解できなかった。

 とりあえず頭に記憶できたのは『このひとたちなんかすごい』で終わりだったのに。

 

「聖遺物…つまり、古代から伝わる神話や伝説の遺産…」

「そうそうそう言うコト! 私の提唱した櫻井理論なんだけどね、この聖遺物を…」

 

 了子さんの目が怪しく光る。

 どこか置いてけぼりにされているような空気に、私はいたたまれなくなってその場で縮こまりながらも、堪えきれずに口を挟んでしまった。

 

「あ、あのぉ…」

「ん?」

「その前に、この方はもしかして…」

「ああ、そうだったな。思えばお互い自己紹介もできていなかった」

 

 弦十郎さんの言葉で、了子さんも我に帰ったみたい。渇いた笑いをこぼしながら眼鏡をハンカチで拭いていた。

 

「さっきのことはまた改めて考えるとして……まずはここにいるメンバーの紹介と、不動君、君の今後を決めるためにも、現状を把握してもらわねばな」

「今後?」

「この男の処罰…という事ですか」

「…」

 

 翼さんの目が鋭く光を放つ。

 私は背筋がゾッとした。これは本気の時の目であるのを私は知っている。私も一度刃を向けられたのだから。

 私はつい立ち上がってしまった。

 

「え、ま、待ってください、処罰って…」

「大丈夫だ。手荒いことはしない。まずはお互いに歩み寄ることからだ。それに、大事な異世界からの来訪者、無碍には扱わんよ」

「異世界…?」

 

 聞きなれない単語に、私は固まった。

 翼さんの視線も困惑しているのがわかる。

 

「どうやら俺は、君達とは別の歴史を歩んできた世界からやってきた…らしい」

 

 そう言って真剣な眼差しで、男の人は私を見た。その右腕には、宿っている赤い竜の痣。

 周りには白い医務室と、無機質な天井。空調設備が、音を立てずに静かに動いていた……らしい。

 

 

 

 ………………

 

 

 医務室で精密検査を終えた私たちは、オペレータールームにまで場所を移動して、話の続きをすることにした。

 いつも作業しているオペレーターの藤尭さんや友里さんはいきなりの来訪者に緊張してたみたいだけど、流石にそこはプロフェッショナルってやつで、今は普通に別の作業をしてる。

 そこで世界を跨いでやってきたその男の人……不動遊星さんは、私達に自らの世界を語って聞かせた。

 

「……並行世界に、ライディング・デュエル……」

 

 …デュエル? モンスターズ? って言うのからして、私には想像の外だった。

 つまりはカードゲームらしいけど、この人の話ではそれはただの遊びじゃないらしい。

 曰く、そのカードゲームは世界中の人々を熱狂させるスポーツをも凌駕するエンターテイメント。

 そして世界中で大会やらコンテストやらが開かれ、優勝するのはとても名誉なこと。

 プロともなると、政界や財界で活躍する人と同じくらい社会的ステータスが高い職業とされ、それらは尊敬の念を込めて、決闘者…『デュエリスト』と呼ばれる……らしい。

 

「にわかには信じられないだろうがな」

 

 一通り語り終えると、遊星さんは呆然となってる私に向かってそう言った。

 あ、やばい。顔に出てた? 

 

 はい、すいません。言ってること全然分かりません。

 

「だが、状況を照らし合わせてみても、色々と辻褄が合うのは事実だ。それに響君も、彼のあの力を間近で見たんだろう?」

 

 弦十郎さんが私を見て真面目に言う。

 この人や了子さんは彼の言うことを受け入れているらしい。

 なら私も、イミワカンナイでそのままってわけにはいかない。何とか聞き取れる部分だけでも分かるようにしなくっちゃ。

 

「あ、はい。ノイズをバシバシ倒してましたし、それになんかもう、ここ最近でもうもう変な出来事百連発だったし、今更別世界とか魔法使いとかが現れても、『ああそういうこともあるのね』って納得するしかないっていうか!」

「うふふ、それもそうね」

 

 並行世界か…つまりファンタジーやSF映画の世界みたいなものだろうけど、そこから不動さんはやって来た。

 クラスメートの板場さんが好きそうな話題だった。もちろん口が裂けても言えないけど。

 

「翼はどう思う? 彼の話を」

「……私も、容易に受け入れられるとは言い難いですが、あの光景を見た後では、納得せざるを得ません」

「ふむ……不動君、君が別の世界からやってきたというのは、どうやらお伽話ではなくなりそうだな」

「信じてもらえるのか?」

「良い大人ってのは、まず相手を受け入れるものさ」

 

 笑いながら弦十郎さんはゆったりとした仕草でウンウンと頷く。翼さんも場を改めて話した事で、さっきみたいな危ない雰囲気はひとまず無くなっていた。

 そして弦十郎さんは話がひと段落するのを見計らって、組んだ腕を解くと改めて口を開いた。

 

「……さて、君に折り入って話がある。頼み、と言ってもいい」

「頼み?」

「その前に、君にもこの世界を説明しなくてはな。あの怪物と、そして翼や響君が一体どういう存在であるのかを」

 

 弦十郎さんは話し始める。ノイズという特異災害。人を容赦なく消してしまう恐ろしい怪物が私の生まれる前から現れていて、ここ十数年近く、私達がどんな生活を送っているのか。

 そしてそんな中で、唯一ノイズと戦える手段…シンフォギアを。

 

「歌でオーパーツの力を具現化するシステム……それがシンフォギアか」

「そう。聖遺物の欠片から元の力を歌によって引き出し、鎧や武具として再構築を可能にしたのが、この天才了子さんの提唱した櫻井理論というワケ! どう、ちょっとは興味出てきた?」

「だからと言って、なぜこんな年端もいかない子達が戦わなければならない? もっと他にノイズと戦う方法はないのか?」

 

 不動さんは硬い表情を崩さずに弦十郎さんに問い返した。

 そっか……この人のいる世界には、ノイズはいないんだ。

 不謹慎かもしれないけど、私はなんて良い世界があるんだろうと思って疑わなかった。

 

「尤もな疑問だ。だが……残念ながら、人類ではノイズには打ち勝てない。核爆弾や戦略兵器を用いて、ようやく倒せるかと言うレベルだ。当然、奴らが出るたびにそんなものを使うのは論外だ」

「ノイズが生体組織に触れた時、一瞬のうちに人体と同化、分解して、最後には共に炭化してしまうの。一度接触してしまえば、逃れる術は無いわ。そう言う意味では、生き残ったあなたは貴重な経験をしたワケなんだけどね」

「…」

 

 しんとその場が静まり返る。

 弦十郎さんが呆れた目で了子さんを見下ろしながら言った。

 

「了子君」

「あー、ごめんなさい。私ったらまたやっちゃった」

 

 どうも科学者というのは少し世間からズレた物の見方をする…らしいけど、流石に司令官の弦十郎さんに言われては思うところがあるみたい。

 改めて大真面目に了子さんは不動さんに対して言った。

 

「けど、これだけは分かって欲しいの。私達も生き残るために必死だと言う事を」

「現状、シンフォギアシステムを保持しているのは日本の…それもここだけだ。この秘密は誰にも知られるわけにはいかない。まして、その使い手が彼女達と言う事実もな」

「聖遺物の欠片に宿る力を引き出せるごく一部の人間を、我々は『適合者』と呼んでいるわ。彼女達は偶然その素質があることが判明して、こうして戦うことを承諾してくれたのよ」

「……」

 

 不動さんが私達を見る。

 うう、視線が痛い。私も横目でチラリと翼さんを見た。

 翼さんはいつも通り私には見向きもしない。そりゃそうだ。

 同じ『適合者』でも、私と翼さんじゃ、まるで違う。戦う理由もキッカケも……なにより実力も。

 

「とは言え、我々としても指を咥えてこの状況を見ていることはできない。もしシンフォギアに頼らずともノイズを倒す戦力があるならば、それに越したことはない。そして今回、君と言う人間が現れた」

 

(……まさか)

 

 私もここまできたら弦十郎さんが言おうとしてることは察せた。と言うよりもデジャブみたいな。私もこの人の言葉で、今こうして二課でノイズと戦っているから。

 

「不動遊星君。改めて、君に協力を依頼したい。ノイズの脅威から人々を守るために、共に戦ってはくれまいか?」

 

 やっぱり。

 弦十郎さんは…いや、二課の人達はこの為に不動さんをここまで連れてきたんだ。あのカードの力が、ノイズを倒すための戦力にできるから。

 

「……」

 

 こんなの、私なんかが口を挟むことじゃないかもしれない。それに不動さんが仲間になってくれれば、もっと多くの人が救われるかもしれない。

 けど…いいんだろうか。

 もしこの人が戦えば私は……

 

「……あ、あの」

「私は反対です」

 

 それに異を唱えたのは、意外にも翼さんだった。

 さっきまで黙っていた翼さんは、あの医務室の時に見せた冷たい凍るような鋭い視線を不動さんに突き刺す。

 

「……」

 

 弦十郎さんはそれを見ながら軽くため息を漏らす。けれど翼さんは強い口調で続けた。

 

「未だに我々は、この男の正体を全て知りません。信頼するには早計が過ぎます」

「よせ翼。俺たちはあくまでも依頼したに過ぎん。それに彼にしてみれば、いきなり別世界に放り込まれたんだ。まずこの世界の人間が受け入れなくてどうする」

「私も赤い竜を見たのは事実。彼の言葉を信じることは吝かではありません。ですが、よしんばそうだとしても、ノイズとの戦いは防人たる我々の務めです。余計な干渉をさせるべきではない」

 

 バッサリと言う翼さん。

 けど…言うことは分かる。心の奥底の考えは違うかもしれないけど。

 だって、この人はノイズのいない世界から来た全く無関係の人。その人を戦いに巻き込むなんて…なんかいきなりじゃないかな…

 

「……」

 

 不動さんはそんな翼さんを見切り返すも、二人の視線がぶつかり合うと、すぐに不動さんはふいと目を逸らし、宙を見つめる。まるで意に介さない、みたいな態度に、翼さんはますます眼光を強くした。場の空気は一瞬にして緊迫する。

 こ、怖い…この瞬間だけでも子供なら泣き出しちゃう。私も今すぐ回れ右したい。

 

「…っ」

 

 翼さんに、僅かに苛立ちみたいなものが浮かぶのが見えた。

 次の瞬間、

 

 

「48市街区にノイズ発生! 数は40。13市街地へ向けて進行中です」

 

 

 藤尭さんの叫びがオペレータールームにこだまする。

 映し出された地図が赤く光っていた。

 

 

 

 ………………

 

 

 

「ノイズとの戦いは防人たる我々の務めです。余計な干渉をさせるべきではない」

 

 風鳴翼の言葉が鋭く俺を射抜く。

 弦十郎や緒川と言った並大抵の実力ではない男達を目の当たりにしたが、この少女は中でも別格だ。

 もう一人のシンフォギアの使い手と紹介された、立花響とも違う。

 抜き身の真剣もかくやと言う威圧感。恐らく、俺たちとは何かが根本的に異なるのだ。この世界に於いても、彼女は次元が上の立ち位置にいるのは明白だった。

 

「……」

 

 だが…なんだ、この違和感は? 

 俺を警戒しているのならば分かる。しかしこの感触はあくまでも自分自身に向けられているようにも感じられた。

 

(…待てよ、この少女、どこかで……)

 

「…っ」

 

 目を逸らしたのを侮蔑と受け取ったのか、風鳴の視線がより一層鋭くなる。

 俺も場を殊更荒立てたいわけではない。元の世界に帰るにしても、彼等の力なしには難しいだろう。

 そう思っていた時、本部の警報がけたたましく鳴り響いた。

 

「48市街区にノイズ発生! 数は40。A13市街地へ向けて進行中です」

 

 オペレーターの青年の叫びが部屋中に伝わり、全員の視線が前方にある巨大なスクリーンに釘付けとなった。

 画面にはこの場所を示すと思われるポイントを起点にした地図が映し出され、東の方角には赤い点が無数に点滅していた。

 

「チッ、こんな時に…!」

 

 弦十郎が舌打ちをする。

 一瞬にして走る緊張。あの怪物達…ノイズがまた出現した事に疑いの余地はない。

 弦十郎は立ち上がると、素早くオペレーター達に指示を飛ばし始めた。その手際の良さは側から見ていてもプロフェッショナルであることが伺える。どうやらここがノイズと戦う最前線基地であるというのは間違いない。

 

「っ!」

「翼!」

 

 そうしているうち、制服に身を包んだ少女の一人は、素早く元来た道を走り、入り口まで真っ直ぐに進んでいく。

 

「ポイントへ向かいます。直ちに住民の避難をっ」

 

 それだけを言い残し、彼女は廊下の向こう側へと消えた。

 刹那、場の空白が生まれるも、続いて立ち上がったもう一人の少女の叫びで元に戻る。

 

「あ、わ、私も!」

 

 立花響は慌てた足取りで入り口に向かい、風鳴翼と同様に廊下へと走って消えていく。

 ……大丈夫だろうか。

 俺からしてみても彼女が戦いに向いていないのは明白だ。唯一戦える存在、とは言っても…

 

「……ったく、血気盛んなのは子供の特権だが…!」

「司令、一課への通達完了しました」

「市街地の避難状況70まで終了。ですが、ノイズの群れが間も無くアーケード街に接触します」

「A12のシェルターを全開放しろ。一人でも多く退避させるんだ」

 

 弦十郎の指示で、俺の意識は画面へと引き戻される。

 地図は無機質に赤い点の移動を示している。

 ゆっくりと、だが確実に人がいると思しき空間まで距離を詰めていく。

 先ほどのやり取りからまだ数時間も経っていない。今は夕暮れ時だ。買い物や仕事帰りの人間が多いだろう…なら、今この瞬間にも、その場にいる何の罪もない人々が…

 

「……っ!」

 

 脳裏に蘇る。

 苦悶の表情も露わに炭と化す人々。その恐怖、苦しみ…それら全てを平然と行う、意思など存在しないような化け物達…

 そして、それらを見送ることしかできなかった、無力な自分…

 

「翼と響君は?」

「ヘリの発進を確認。現着まであと15」

「パイロットに10にしろと伝えろっ」

「俺のDホイールはまだあそこにあるのか?」

 

 俺は立ち上がっていた。

 知らず知らずのうちに、拳を強く握りしめている。腕の痣の疼きが、身体に熱を灯す。怒りと悲しみが、俺を突き動かそうとしていた。

 

「不動君…あなたまさか」

「あるんだな?」

 

 櫻井の呆然と出た言葉を、俺は肯定と受け取った。

 

「この状況を黙って見過ごせるほど、俺は人が出来てない」

 

 アラート音が広い部屋に響き渡る。だが今の俺の耳には入らなかった。

 あの画面の向こうにあるであろう人々の悲鳴が、何故か聞こえるような気がして、そして頭から離れなかった。

 

 





遊星たちの絆パワーがどう混ざり合い、如何に世界を変えていくのか。
ご期待下さい。


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第1話『雑音と不協和音と、旅の始まり』‐3

お待たせしました。続きをアップいたします!

この話でバトルと同時に、Dホイールも活躍します。
しかし激走しながらバトルってのは中々描写が難しいですね…
BGM「不動遊星」を聞きながら書いて満足するしかねぇ!

※追記
先日、日間ランキング(加点式・透明)で、一位を獲得できました。(流石にもうシステム上入れ替わってますが…)
ルーキーランキングにも登録されてます。
こうした投稿サイトでランクインするのは初めてな体験なのでとても嬉しいです。
皆様の応援のおかげです、本当にありがとうございます。
無論、総合上位の諸先輩方には遠く及びませんが、これを励みに頑張りたいと思います。


 もう夕闇が終わろうとしている。

 夕方って、確か妖怪が出る時間帯って昔は言われてた……そんなのをテレビで見た気がする。人が少なくて不安な気持ちになるから、そう言う雰囲気になりやすいって、その番組では確か言ってた。

 けど…私にとってそれは本当だった。

 少なくとも、私は同じような時間帯に、この世の地獄を味わい、そして……一人だけ逃げ延びたのだから。

 

「間もなく、現場に到着します」

「了解」

「は、はいっ」

 

 緒川さんが言った。

 今私達がいるのは大型のヘリだ。ノイズが現れた地点まであともう少し。

 

「……っ…っ」

 

 心臓がバクバクいってる。

 恐い…

 身体が拒絶している。アレを見ることを。

 今一度、あの光景を目の当たりにすることを、頭では分かっているのだけれど、どうしても身体が拒んでしまう。

 

「…」

 

(翼さん…)

 

 翼さんは、私みたいに臆する様子なんかこれっぽっちも見せていない。

 きっと頭の中では、ただノイズをあの剣で斬っていく様子が出来上がっているに違いない。孤高の歌姫とは別のもう一つの顔…日本を守るために戦う防人《さきもり》、国家防衛の剣……。

 

(やっぱり、私なんかとは全然違うんだな…)

 

 でも……行かなきゃいけない。

 それが私に出来ることなら。私は戦わなきゃいけないんだ。

 だって、こうしている間にも、多くの人が犠牲になっているのかもしれないのだから。

 

「ポイントに到達しました!」

 

 ヘリのパイロットの人が叫んだ。

 瞬間、翼さんは勢いよくヘリのドアを一気に開き、眼下に広がる光景をその鋭く強い目で受け止めていた。

 私も横からこっそり隠れるように下を見る。

 幸い避難は終わっているようで、人影は見られない。

 代わりに広いアーケード街の中央に、パチパチと明滅している何かがあった。昆虫や小動物みたいにモゾモゾと這い回り、街の中心部へ向けてゆっくりと動いている。

 ノイズの群れだった。

 

「あ、あんなに沢山…」

 

 本部では40って言ってたけど、明らかにそれ以上いる。きっとノイズを生み出す種類の奴がいるんだ。

 

『大型の個体を確認した。翼、そこから見えるか?』

「はい」

 

 モニターから弦十郎さんの声が聞こえる。

 目を凝らしてみると、やっぱりその予想は当たっていた。ひと際大きな巨人みたいな緑色のノイズが、お腹から卵を産むようにしてノイズを吐き出している。

 という事は、あれを倒さない限り、ノイズは増え続けてしまう。

 

『先手必勝だ。空から急襲して大型ノイズを一気呵成に倒すっ。そこから各個撃破に当たれ』

「了解しました」

 

 な、なるほど、ようは親玉を先に倒せと……

 え、今空から急襲って言った? 

 ちょ、ちょっと、まさか、もしかしなくてもここから飛び降りろってことですか? 

 

『響君は、翼が大型を倒したのちに降下し、連携してノイズを…』

「必要ありませんっ!」

 

 私の不安げな顔は翼さんにも伝わっていた。

 彼女の叫びが私の耳を、心を貫く。ビクリと身体を震わせて翼さんを見ると、向こうは私を冷ややかな目で一瞥していた。

 

「……」

「あ…っ」

 

 多分、翼さんの優しさだったんだと思いたい。

 ……ううん、違う。それは私の甘えだ。だから翼さんは怒っていた。頼りない、情けない、弱い私を。

 

「翼さん、無理に突っ走らずとも…」

「……」

 

 鋭い視線を投げかけた後で聞こえた緒川さんの制止も振り切って、翼さんはヘリから跳躍した。

 勢い良く飛び出し、翼さんの身体が宙へ放り出される。けれどその前に、既にあの人は唱えていた。

 

 

 ―Imyuteus amenohabakiri tron―

 

 

 暗い空に響き渡る旋律。翼さんが紡いだその不思議な言葉は言葉を超えた呪文となって、あの人が胸から下げたペンダント、聖遺物の欠片が埋め込まれたコンバーターへと伝わる。瞬く間に翼さんが金色の光に包まれ、辺りを眩しく照らした。一瞬目が眩んだその合間に、翼さんはその身体をギアに身を包んだ戦士の肉体へと変身させていた。

 

「―……!」

 

 翼さんが歌を歌い始めた。

 その時、明滅していたノイズの姿が、私の目にも分かるようにその姿をはっきりと映し出す。了子さんの話によれば、この歌によってノイズは攻撃が通じるようになるらしい。

 

 

「―!」

 

 

 翼さんは刀を取り出すと、一気に巨大化させた。その大きいこと…戸建ての小さな家ぐらいあるような形にまで大きくなったその巨剣を翼さんは両手で放り投げる。持ち主から離れた剣がノイズの頭上に落下し始めるが、翼さんはその瞬間を狙って柄尻を一気に蹴りこんだ。加速した大剣が大型ノイズの脳天に激突し、そのまま一気に身体を真っ二つにする。ノイズに意思はないって了子さんは言ってたけど、多分あったとしても、あれじゃあ何が起こったのか理解できないだろう。一瞬のうちにノイズは爆発して細かい炭の粒なった。

 

「す、すごい……!」

 

 私は溜息をもらす。

 やっぱりすごい人だ、翼さんは。

 私なんて及びもつかない。もっと多くの戦いを経験してきただけじゃない。翼さんはきっと、私みたいな普通の女の子とは根っこから違うんだ。だからあんな風に恐れることなく立ち向かって。

 

(け、けど……けど、私だって…!)

 

 私は呼吸を整える。翼さんの剣は、私の中の恐怖心も払ってくれた。そうだ、私の命は翼さんと……奏さんに救ってもらった命なんだ。だから私は戦わなくちゃ。

 それが、私に出来るたった一つの……

 

 

 ―Balwisyall Nescell gungnir tron―

 

 

 胸の奥が熱くなる。この心の底から湧き上がってくる感情の高まり……それと共に不思議と浮かんでくる歌詞……聖遺物の欠片が私に訴えかける、心の形……了子さんはそれを、シンフォギアを身に纏う為の聖なる呪文…『聖詠』と呼んでいた。

 この呪文を唱えることで、私と、私の中の聖遺物を繋ぐ道ができる。そして体の中から湧き上がるエネルギーは、私の身体を戦士として生まれ変わらせた。

 

「響さん、大丈夫ですか?」

「は、はいっ、だいじょうぶです、行けます!」

 

 鎧を着た私に、緒川さんが心配そうに尋ねる。

 でも平気だ。ヘリもさっきより低い位置へ下がってくれている。

 ……大体リディアン校舎の四階ぐらいの高さかな? と、とにかくこれ位なら行ける! 

 

「い、行ってきます!」

 

 ええいままよ! 

 私は心で叫んで翼さんが剣を振るっている戦場へとダイブした。拳を振り上げ、声を張って恐怖心を何とか押し堪えながらヘリから出た。

 瞬間、突風が私の顔を直撃する。苦しい、息ができない。

 けど、それ以前に……

 

(目、目がっ!? 目が開けられないっ!!?)

 

 そう言えばこの日は春先で特に風の強い日だった。その中を更に滞空しているヘリから飛び降りたら、余計にその影響を受けちゃう。私はそんなことも考えなかった。

 

『響ちゃん!? 大丈夫!?』

「あ、あぶぶぶっ!!?」

『響君、落ち着け! 身体を丸めるようにして着地するんだ!!』

 

 弦十郎さん達が必死になって呼びかける。けど通信機越しの音は風よりも早く私の耳を通り過ぎるだけで終わってしまった。

 

(ひっ!? お、落ち、落ちる…!!)

 

 ギアを纏っているから死ぬことはない。頭では分かっている筈だったが、身体が言うことを聞いてくれず、パニックに陥る。強風を身体全体で受け止めてしまい、私は大の字になってそのまま為す術なく自由落下する。

 

『緒川急げっ!』

「響さんっ!!」

 

 緒川さんがヘリコプターから私に向かって呼びかける。

 ああ、やっぱり、駄目だ私は……

 もしかしなくても、やっぱり私は……

 

「呪われてるかも……」

 

 ポツリとつぶやく。その後にやって来る筈の激突の衝撃を少しでも和らげようとして、私は顔を何とか覆うことはできた。けどその後に襲ってくるノイズや、何より翼さんの冷ややかな目が怖くて、心まで一瞬反らしてしまいそうになったけど……

 

 

「っっっ………!!!」

 

 

 

 ガクン、と私の身体が跳ね揚げられる。

 

(ああ、激突したんだ、地面に……げきと……)

 

「……はれ?」

 

 私は素っ頓狂な声を上げる。

 え、こんなに衝撃は軽いのかな? 

 そりゃシンフォギアを纏ってるから、ちょっとやそっとの攻撃では痛くないって了子さんは言ってたけど、それでもこんなに軽いものだったかな……前にノイズと戦って壁に叩きつけられた方がよっぽど痛かった。それなのに私は軽く衝撃を受けただけで、今もなお空を舞って……空? 

 

「大丈夫か?」

 

 声が、私のすぐ近くで聞こえた。

 

(違う! 飛んでるんじゃない!?)

 

 私の身体が誰かに抱えられていることに気付いたのはその時だった。私の腰に手を回して、そのままグイと引き寄せられる。

 緒川さんじゃない。前に助けられた時よりも力強くて、がっしりしている腕の感触がある。

 それに同時に聞こえてくる、独特の金属音とエンジン音……

 

「怪我は無いみたいだが……立花?」

 

 私は顔を上げて、そして正体を知った。

 あの時、私の夢に出てきたのは、赤い竜だけじゃなかった。

 今再び助けてくれた男の人。

 不動遊星さんが、熱く、強く、バイクを駆って私の手を取ってくれた時、それを思い出したのだった。

 

 

 

 ……………………

 

 

 

 シンフォギアシステムのお陰で死ぬことはないのだとこの時俺は知らずに、落ちていく立花を見た瞬間、Dホイールを一気に加速し、この少女の落下するところへジャンプしていた。

 

「はっ……はあっ…!」

 

 俺は立花を片手で抱え込むと、クラッチを操作し勢いを殺しつつ、何とか地面へと着地することに成功した。

 

『ワォ、まるでティム・クルーズね! やるじゃないカレ!』

 

 櫻井の歓声が無線越しに響く。

 だが、こっちはそんな達成感に酔いしれている余裕はない。

 急いで立花の安否を確認する。

 

「おい……立花?」

「はえ…?」

 

 身体を揺すって問いかけると、数瞬の空白の後、彼女は虚ろに俺を見上げた。

 あの高さから落下して、軽い酸欠状態かもしれない。それに短時間に起きた出来事が処理しきれないのだ。

 

「おい、大丈夫か?」

「……」

「立花!」

「…っ、え」

 

 声を張って呼びかける。彼女はギョッとした顔になって身体を震わせた。

 

「は……はいっ!? あ、あれ、不動さん? な、何で、ここに…わ、私はっ!? え、あ、って、っていうか、私、あれ…!?」

 

 掴まれていることに驚き、身体をバタバタさせる立花。俺は落ち着けとハンドルから手を離して頭を軽く叩く。

 

「落ち着け。しっかりしろ」

「えっ…」

「俺のことが分かるか?」

「あ、あの、えっと……ふ、不動さん?」

 

 キョロキョロと周りと俺、そして自分自身を見回して、ようやくキャッチされたことに気が付いた立花。意識レベルは問題ない。少しずつだが正気に戻り始めている。軽いパニックになっていただけのようだ。

 俺は抱えていた手をゆっくりと離して、彼女の足を地に降ろさせた。

 

「痛む所はあるか?」

「え、えっと、ないですけど…」

「そうか。なら良かった」

「あ、あの、私……」

「俺が、さっきヘリから落ちてきた君をキャッチした」

「あ、ああ……はい…!」

 

 少女が慌てて頷く。どうやら状況は呑み込めたらしい。

 

『響君。大丈夫かっ!?』

『響ちゃーん、聞こえるーっ?』

「え、あ、はい、だ、大丈夫ですっ」

 

 遅れて聞こえてきた弦十郎と櫻井からの声に、立花はようやくはっきりと返事を返す。

 

『響ちゃん、ガングニール、共にコンディショングリーン。意識レベルクリア』

『そうか。怪我がなくて何よりだ』

『いやぁ、カッコ良かったわよ、不動君! ただ女の子の抱え方はもうちょっと勉強した方が良いわね』

「え…あ…!」

 

 頬を赤くする立花。

 あ…しまった。考えてみれば年頃の女の子を掴み上げるというのは配慮に欠ける行動だったかもしれない。

 アキをDホイールに乗せただけで彼女は顔を真っ赤にして激怒していた。だが止むを得なかったのは事実だが……ううん。

 

「すまない、非常事態だった」

「い、いえ! 私こそ、こんな貧相な身体をデスネ…!」

 

 そう言って俯く立花。

 参った…年頃の女の子の知り合いなんてアキぐらいしかいないから、俺には手に余る。

 だが、今はこんな事をしている場合ではない。

 彼女へのフォローは次に考えよう。

 

「とにかく、今はノイズを倒すのが先決だ」

「え……あっ!」

 

 俺が視線を上げると、立花もようやく気が付いた。

 そう。立花が落下し、俺が捕まえて着地していた地点は、ノイズが密集しているアーケード街中央だった。

 風鳴のある地点から随分離れている。風で煽られ、予想以上に違う地点へ飛んだのだ。風鳴自身、戦いながら遠くへと移動していたのも起因する。

 

『ノイズ多数確認。増殖は止まりましたが、装者と不動遊星を中心に約30。完全に囲まれましたっ』

 

 男性オペレーターが声を張る。

 それが示す通り、ハサミを持つ人型、尻尾を生やすカエル型やナメクジのような型まで、大小形入り乱れた個体が俺達を取り囲む。奴らの身体は様々な色で明滅し、唯一共通している液晶ディスプレイの様な部位がこちらを視認していた。

 

「っ……ぅ…」

 

 横で立花が息を飲みこむのが聞こえる。

 見ると彼女の顔は先程とは打って変わってすっかり青ざめてしまっていた。この場の雰囲気と恐怖に飲まれてしまっていることは明白だった。

 

「立花、大丈夫かっ?」

「ッ…は、はい…!」

『不動君、響君は本格的な戦闘はまだ無理だ』

 

 弦十郎の声が届くと同時に、Dホイールのモニターに地図が表示される。俺達を起点に、ノイズの反応、そして南方向に表示された緑の点がある。

 

『二人とも聞こえる? そこにある緑色の光点が翼ちゃんの反応よ』

『ここは彼女を引き連れ、何とか翼と合流してくれっ』

 

 二人の声を聞いて、俺は立花を見る。震える彼女の手を取ると、目を真っ直ぐに見て呼びかけた。

 

「ふえっ!?」

「立花、聞こえたな。まずはここを突破するぞ」

「え…あ、あの……でも…!」

 

 手を掴まれ、仰天する立花。

 まずい。確かにおどおどした印象はあったが、これでは本当に素人同然だ。

 何故こんな少女まで戦場に駆り出さなければいけないのか。俺はこの世界の無常さに苛立ちと怒りが沸いてくるのを何とか留めた。

 

「落ち着け立花。まずは生きることだけ考えるんだ」

「え…っ」

「お前は俺が守ってやる。だからパニックにはなるな。慌てないで呼吸を整えろ」

「ふ、不動さん……」

 

 必死に訴えかける俺の言葉に、立花もようやく落ち着きを取り戻しつつあった。

 

「俺もこの世界の事は知らない。だが、二人で力を合わせれば、きっと何とかなる」

「力を……合わせる…」

 

 その言葉に、徐々に生気を取り戻していった立花。

 目を閉じて深呼吸をすると幾ばくか落ち着いた様子で俺を見た。

 

「わ、分かりました……お願いしますっ」

「よし。なら行くぞ。俺のDホイールに乗れ。座り心地は余り良くないが、仕方ない」

「は…はいっ!」

 

 一瞬躊躇したが、立花は息を飲んで、俺のDホイールの後部に跨る。

 重心が乗ったことを機械越しに確認し、俺はペダルを踏み、アクセルを吹かした。

 

(やはり吹きが良くなっている…)

 

 俺が現場に行き、二人を助けに行くことを告げると、弦十郎はいち早く状況を飲み込み、現場に行くことを了承した。そして機動部二課と言う組織の人間は、統率された軍隊の様に俺のDホイールを地上まで運び入れ、あっという間に出撃準備を整えたのだ。

 その機敏さに俺は舌を巻いたが、更に驚いたのはDホイールだ。

 あの時破損していた筈のトルクスプリットが直っている。それだけでは無い。油圧シリンダーやパイロットスクリューにも幾らか手を加えた形跡があった。

 

(櫻井、か……)

 

 恐らく間違いない。

 モーメントの構造コンセプトを見抜いたことと言い、シンフォギアシステムと言い、只者ではない。

 

『不動君、Dホイールの調子はどう?』

「ああ。良い仕上がりだ」

『そりゃ上々だわ。けど、ありあわせのパーツで間に合わせただけだから、加速には気を付けてね』

 

 当の本人の声が聞こえた。

 ……これが間に合わせだと? 

 俺が組み上げた時より遥かに高精度に仕上がっている。恐らく科学者としての技術は俺を遥かに上回る。

 その事実がこの状況では頼もしさを与えてくれた。

 

「行くぞッ!」

「は、はいっ!」

 

 立花の叫びを受け、俺はクラッチを踏み込む。

 瞬間、堰を切ったようにDホイールは街道を爆走し始めた。

 一瞬立花の叫びが聞こえるが、何とか彼女は車体にしがみついていた。

 勢いをつけてジャンプすると、まずはノイズたちの群れを飛び越えることに成功した。

 空を切り、道路を縦断する。

 ノイズたちが追いかけるが、加速したDホイールの性能にはいかに怪物たちと言えどそう簡単には追いつけない。見る見るうちに突き放す。

 

(だが風鳴翼との距離はまだ相当ある……躱し切れるかっ?)

 

 デバイスにセットされたカードを見る。

 やはり俺のカードは総数より遥かに少ない。使えるカードはごく僅か。だが行くしかない。彼女を守るために。この世界の人を救うために、そして何より、俺自身が生きるために。

 

「スピード・ウォリアーを召喚!」

『トォッ!』

 

 白い鎧を身に纏った戦士、スピード・ウォリアーが召喚される。空間を歪めて現れた彼は、ブースターを点火させるとスケーターのように地面を滑りながら俺達と並走する。

 

「わっ! こ、これってあの時の…!」

『ムンッ!』

「あっ、ど、どうも、立花です。なにとぞよろしく」

『オウッ!』

 

 スピード・ウォリアーが拳を握りしめて立花の言葉に答える……ように見えた。

 コイツがこんな風に人の言葉に対して相槌を打つのを見たことがない。やはりこれはソリッド・ビジョンはおろか、ダメージが現実化した闇のデュエルとも異なる。本当にカードに宿る魂が肉体を得て実体化したのだ。

 

「まさかお前が会話する瞬間を見ることができるとはな」

『フンッ』

 

 私もです! と叫んでいるように聞こえた。

 ……こんな状況でなかったら、俺は手放しで喜んでいただろう。幼少の頃から俺と共にあり、そして数々の修羅場を潜り抜けてきた仲間たち。その中でもスピード・ウォリアーは昔から俺の側にいた最古参だった。

 その友が、今こうして未知の世界の中で、極限状況に追いやられている俺と共に戦ってくれている。こんなに頼もしいことはない。

 

「頼む、スピード・ウォリアー。この状況を打開するために、お前の力を貸してくれ」

『オオッ!』

 

 彼は拳を高々と振り上げた。

 前方には再びノイズの群れが待ち構えている。どうやら人影を追い求めて元来た道から移動していたようだ。十数体がこちらの姿を視認すると、液晶ディスプレイをこちらに向けて前進してきた。

 

(この数は…ジャンプするぐらいでは凌げないっ)

 

 いち早く俺はスピード・ウォリアーへと指示を飛ばした。

 

「スピード・ウォリアー! 奴らに向かって攻撃だ!」

『ハッ!』

 

 背中のブースターを点火させると、スピード・ウォリアーは奴らの群れに向かって突進する。

 

「あ、ああっ! あの人突っ込んじゃいましたよ!?」

「問題ないっ!」

「ええっ!?」

「食らわせろ、ソニックエッジ!!」

『トアァッ!!』

 

 開脚しながらの連続回転蹴り。独楽のように高速で地面を滑るスピード・ウォリアーにノイズたちはまるで反応できない。

 瞬く間にスピード・ウォリアーは3体ばかりのノイズを撃退した。

 

「や、やった…!」

「よし、よくやったぞスピード・ウォリアー!」

『ハッ!』

 

 攻撃を終えたスピード・ウォリアーは俺の元へと舞い戻る。奴らは虚を突かれ反応が遅れている。今の内だ。

 

「こっちだっ、迂回するぞ!」

 

 俺はハンドルを切って狭い路地へとカーブし、スピード・ウォリアーもそれに追随する。横殴りに掛かるGに対して、立花の悲鳴が聞こえたが、ここでスピードを落とせば後ろのノイズに追いつかれる。一瞬の油断も命取りだ。

 

「う、ううっ……!」

「キツイだろうが、我慢するんだ立花。風鳴と言う子がいる場所までもう少しだ」

「は、はい…!」

 

 必死に立花も返事をする。

 奴らと正面切って戦うのは得策ではない。弦十郎の言うようにまずは風鳴翼と合流することが先決だ。今は不意の一撃を食らわせただけで十分だ。

 

「スピード・ウォリアー、後方に注意していてくれ。奴らの攻撃を捌くことに専念するんだっ」

『オオッ』

 

 スピード・ウォリアーが了解したとばかりに頷く。

 その内に路地の出口が見えてきた。

 よし、ここを突っ切れば、あとは風鳴のいる場所まで一直線で……

 

「っ!?」

 

 同時にモニターの地図に、ノイズを表す赤い点が突如自分達を中心に表示された。

 馬鹿な、さっきまで反応は…それに目の前にも奴らは…

 

「ひゃあ、不動さん、上、上ぇえ!!」

 

 立花がひっくり返った声を出す。

 突然の出来事に俺は頭上を見ると、そこにはコウモリの翼を生やしたような小型のノイズが宙を滑空するようにして近付いていた。

 

「コイツは……!?」

「そ、空飛ぶノイズです! ノイズは空飛ぶ奴もいるんですぅ!!」

「チィッ!!」

 

 計算外だ! 

 幾らDホイールの性能が優れていたとして人間にとって天空は最大の死角となる。それこそ俺自身が空を飛ぶか、飛べるモンスターを召喚しなくては……

 

「来い、シールド・ウィング!」

 

 デバイスからカードを取り出して、ディスクへセットする。

 空間を捻じ曲げ、現れた翼竜型のモンスターが、上空からやってくるノイズの攻撃から俺達を守ってくれる盾へと……ならなかった。

 

「……っ、出ないっ!?」

 

 召喚されないだとっ!? 

 馬鹿な…これまでは普通に召喚できていた筈だ。何故今になって……!? 

 

「ゆ、遊星さん、来ますっ!!」

「……ぐっ!!」

 

 飛行型のノイズはその身を細い針状にまで変形させると、隼の如き勢いで直下降を始めた。狙いは言うまでもない。

 俺はバランスを犠牲にするのを承知の上でアクセルを最大まで吹かす! 

 

「掴まってろ!!」

「ふ、ひあああああっっ!?」

 

 三度聞こえた立花の悲鳴。道端に捨ててあるゴミ箱やスクラップを蹴散らしながら裏路地を抜ける。俺達が駆けた道を数瞬の差でノイズの身体が直撃して爆発するような轟音が響く。が、何とか狭い路地裏を抜けて直線の大通りへと突破した。

 

「ぐ……っ!!」

「は、はあ、はあっ……はっ!!」

「大丈夫か、立花…!?」

「は、はい、何とか…!」

 

 息も絶え絶えに体勢を立て直して車体に掴まる少女。何とか切り抜けたことに俺達は安堵した。

 だが何故だ…何故召喚できなかった? モーメントやDホイールの故障か? いや、モニターに表示されている情報では何も確認できない。

 しかし…

 

 ―SUMMON ERROR―

 

 故障の代わりに映し出された文字を見て、俺は肌が粟立つ感覚がした。何も問題がないのにモンスターを呼べない。もし原因があるとすれば……

 

「あ、あの、どうしたんですか…っ!?」

「…っ、まさかとは思うが」

「不動さん…?」

「すまん! モンスターを連続で召喚はできない!」

「え、ええっ!?」

 

 立花がまた悲鳴を上げた。

 俺のDホイールに表示された文字は、発動・召喚条件を満たしていないカードをセットした時に出る警告サインだ。

 つまり…

 

(この世界でモンスターを召喚するためには、何らかの条件がある……これでは闇雲にモンスターは呼べないっ!)

 

「ふ、不動さん、前にまたノイズが!」

「っく!」

 

 立花の悲鳴通り、大通りにはやはり十数体のノイズがひしめき合っていた。奴らは俺達を視認すると、やはり目標を定めてこちらへとやってくる。

 まずい、このままでは…っ! 

 

(考えろ…! あの時は二体以上モンスターを呼ぶことができた筈だ…あの時と違う条件は何だ…?)

 

 場所か? ノイズの数か? それともスタンディングではなくランディングであることか? 

 だが敵は思考の余裕を与えてはくれない。

 ノイズのうち数体がその身体を変形させて、弾丸のように突撃してきた。

 

「…っ!!」

「ひゃああっ!!」

 

(躱し切れないかっ! こうなれば…!)

 

 必死にカードに願いを託すと、俺はここに来る前、スリットに既にセットしていた『あのカード』の起動スイッチを叩きつけるように押した。

 

「トラップ発動! くず鉄のかかし!!」

 

 空間が捩じれ、俺達とノイズの間に、粗末な鉄屑で出来たかかしが出現する。それは文字通り盾となって、敵の攻撃を防いでくれた。飛んできたノイズはくず鉄のかかしに激突すると勢いそのままに跳ね返り、逆に仲間の群れの方へと横転しながら転がっていく。

 

「へっ、何これ、かかし?」

「今だ、スピード・ウォリアー!」

『ハァァーッ!!』

 

 一瞬何が起こったのか分からないと言った様子だったノイズは、くず鉄のかかしの横から滑るように現れ出たスピード・ウォリアーの強襲を防ぎきれない。彼の攻撃を受けて前に出ていた数体が消滅した。その間に出来た僅かな隙をついて、俺達はノイズの群れの隙間を縫い、突破することに成功した。

 

「何とか切り抜けたか…!」

「え、あ、はい……」

 

 突然の状況の変化についていけない立花。俺も無我夢中だったのだから当然だ。危なかった。もし一瞬でもくず鉄のかかしを発動させるのが遅れていれば、あるいは発動してくれなければ俺は死んでいたかもしれない。

 

「え、あ、あの、このかかしも、カードなんですか?」

 

 素っ頓狂な声で尋ねる立花。

 

「そうだ。くず鉄のかかしは、相手の攻撃を無効にし、発動後再びセットされる」

 

 大通りを駆け抜ける最中に、俺は取り敢えずの解説をする。

 俺の言葉通り、くず鉄のかかしは役割を終えると光の粒子となって分解し、カードの状態へと戻ると、裏向きへと反転し、伏せられた状態で消えた。

 

(だが、恐らくこのカードも連続で発動はできない)

 

 やはりこのカードも、使うためには何らかの条件を満たす必要があると思った方が良い。それを発見するまで、スピード・ウォリアーだけで凌げるか…そう思っていた次の瞬間だ。

 

『クッ…!』

「スピード・ウォリアー?」

『ムゥ…』

 

 脇を並走していた筈のスピード・ウォリアーの勢いが僅かに落ちる。

 

「どうした!?」

『ク、クゥッ』

 

 見るとスピード・ウォリアーを覆っていた光のオーラが弱まっている。刹那、俺のヘルメットに内蔵されているマウントディスプレイに数値が表示された。

 

(攻撃力が下がっている…?)

 

 見るとカードに記載される元々の攻撃力、900と言う数値が画面越しに伝わる。この変化に俺は見覚えがあった。今まで何度も目にした現象だ。

 

「そうか……そういうことか!」

「え、ええ、どうしたんですか?」

「カードを使う為の条件が見えた気がする」

「じょ、条件っ!?」

 

 しかし俺の予想が正しければ、これは死活問題だ。弱点なんてもんじゃない。今の俺のこのカード達だけでノイズと対抗はできない。

 

「な、何ですか、条件って…?」

「説明する暇はないようだ……っ!!」

「え……あっ!!」

 

 立花が息を飲む。再びノイズの群れが前方に待ち構える。その内の一体が飛び出し、スピード・ウォリアーを直撃した。弱まってしまったスピード・ウォリアーでは防ぐ術はなく、以前の戦闘同様に光の粒となって四散してしまう。

 

「くっ…!」

「ああ、や、やられちゃった…!?」

「罠カードオープン、『エンジェル・リフト』! 帰ってこい、スピード・ウォリアー!」

 

『ハアアアッ!!』

 

「…って、って思ってたら帰ってきたぁ!?」

 

 立花が後ろで混乱のあまり叫んでいるが、俺に振り返ったり返事をする余裕はない。

 エンジェル・リフトは万一に備えて伏せておいた奇襲の策だった。だが、その手はもう使えない。

 おまけにモニターの地図には、後方に赤い光点が続々と表示されている。これまで撒いてきたノイズが追ってきている証拠だ。これでは来た道を戻るという手もない。

 

(どうする……このままでは立花を逃がす前にジリ貧になる。まだ彼女と合流するには距離が……)

 

 

『不動遊星、そのまま突っ切りなさい!』

「…えっ?」

 

 

 突如、無線越しに伝わる音声。いや…音だけではない。この研ぎ澄まされた鋭い気迫と切れ味……烈風もかくやと言うほどの剣の如き威圧感……

 

(…まさか!?)

 

『死にたくなければ、そのまま加速して!』

「つ、翼さん、翼さんですかっ!?」

 

 立花の喚起と驚愕の声がする。

 その時だ。

 

 

 ―…―! ―

 

 

 天高く歌が響き渡ると同時に、空が光り輝いた。

 俺は上空を見上げて、そして正体に気が付いた。これは……あの草原の戦いの時に使われた、無数の光の刃だ……という事は! 

 

『響ちゃんと不動遊星のDホイール、翼さんと合流しました!』

『よし、計算より遥かに速いわっ!』

『翼、そのまま蹴散らせ!』

『承知ッ!!』

 

 オペレーターや弦十郎をはじめとし、数人の声が響く。

 考える間もなく、再びエンジンを最大まで吹かして加速させた。

 瞬間、頭上を滑空していたノイズは刃に貫かれ、または真っ二つに両断される。まさか連中もさらに上から攻撃を受けるとは予想だにしてなかったようだ。回避もままならず…いや、躱したとしても無数に降り注ぐ雨の如き線に及ぶ攻撃をかいくぐるなど不可能だ。攻撃を放った少女が敢えて俺達を避けでもしない限りは。

 

 ―はああああッッ!! ―

 

 俺は振り返って後ろを見た。

 光の雨…千の落涙と共に降り立った少女……風鳴翼は、力強く歌を奏で続けると同時に、剣を振り上げて突貫する。巨大化させた片刃の大剣を、真横に薙ぐと、そこから現れた光刃は後ろから迫っていたノイズの群れを蹴散らしていく。

 更に風鳴は衝撃が収まる前に次を放ち、連続で怪物たちを葬り去っていく。斬光一閃……放たれた一撃は瞬く間にノイズを瞬殺し、やがて爆炎と土煙が止む頃には、俺達の周りを埋め尽くしていたノイズを表す光点は、全て消滅していた。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 戦いが終わって、私と不動さんは駆けつけた現場処理の人達…所謂機動一課の仕事を横で眺めながら、危機を脱出することができた安堵感に浸っていた。

 あの翼さんの攻撃でノイズは全て消滅し、私達と合流するまでに遭遇していたノイズも、全て翼さんが倒したと言う話だった。

 

「お疲れ様です。この後の現場処理は…」

「……ええ。……了承しました。お願いします」

 

 翼さんはいたってクールに、横にいる緒川さんの報告か何かを受けてる。

 …やっぱりだめだ私は。さっきの戦いも足手まとい以前にそもそも戦えてない。土俵に上がってないってやつだ。

 あの人が怒って失望するのも無理はない。こんなんじゃダメなのになぁ…

 

「大丈夫、響ちゃん?」

「え…」

 

 いつの間にか俯いていた顔を上げると、そこにはオペレーターの友里さんが立っていた。そのまま手に持ったコーヒーカップを私に差し出してくれる。

 

「あったかいものどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

 おもむろにカップを手に取る。カップの温もりが私の手から体へとゆっくり伝わる。風に晒されて身体がすっかり冷えていたのだと私はこの時初めて気付いた。

 一口飲むと力が抜けていく。友里さんの優しさが癒してくれるみたいだった。

 

「不動さんも。あったかいものどうぞ」

「あ、ああ…あったかいものどうも」

 

 そう言って、私の横に立つ不動さんにも友里さんはカップを手渡した。

 

「…」

 

 彼は何も言わずに現場を見てその場に佇んでいる。

 凄いのはこの人もだ。

 あのモンスターを呼び出すカードもだけど、あんな大型のバイクをまるで手足のように操って。しかもあんな戦いを終えた後だって言うのに、まるで息を切らしていなかった。

 

「…本当に大丈夫か、立花?」

「えっ?」

「顔色が悪いように見えるが」

「え、だ、大丈夫ですよ、本当に!」

 

 慌てて私は返す。

 不動さんは戦いが終わった後も、こうして私を気に掛けてくれていた。戦いの最中だって、文字通り吹き飛ばされそうな私を鼓舞してくれて…

 

「……すいません」

「ん?」

「足引っ張ってばっかりで…」

 

 頭を自然と下げていた。本当なら、独り違う世界にやってきた不動さんには、それこそ弦十郎さんみたいにドンと構えて受け止めてあげなきゃいけないんだ。

 それなのにむしろ助けられてしまった。

 

「気にするな。あんな状況で、冷静でいられないのは当たり前だ」

「けど私…」

「それに立花も、ノイズが襲ってくるのを知らせてくれただろう。あれが無かったら怪我じゃ済まなかったかもしれない」

 

 だから気にするなと。

 頭に大きな手が乗せられた時、私は思わず嬉しくなってしまった。

 こんな時だけど。本当ならもっと反省しなきゃいけないけど。

 でも、こんな時だから。私はこの人の手の温もりを感じた。

 それが甘えだと分かっていながらも。

 やがて大きな後悔へと繋がることも分からずに。

 

「あ、えっと…」

「どうした?」

「あの…私もあなたと同じ景色を見たってことは、私も何かすることがあるんでしょうか? ノイズと戦うこと以外に…」

「……分からない」

「で、ですよね」

「だが、もしそうなら…真っ先に動き出さなければいけないのは、俺の方だ」

「え?」

 

 不動さんはさっきの戦いで見せたような雄叫びや熱い声を潜め、ただ、空を見上げている。

 街明かりのせいで、殆ど星は見えない。

 




スタダ「死んだり生き返ったり大変だね」
過労死組の走る方「さすがカードゲーム界屈指の過酷と名高い遊戯王現場だ…」
スタダ「僕も再放送で使い回されたよww」
過労s(ry「お前の場合、使い回しより黒薔薇とのSMプレイが…いや、何も言うまい」

そんなコマーシャルが一旦脳裏をよぎったらもう書かずにはいられないww
しかし歴代見てもスピードさんほどエースじゃ無いのに使い倒された奴いないんじゃないか…

ともあれ、次で一話は終わり、本格的にシンフォギアのストーリーに突入していくことになります。
どう進んでいくのか。おつきあいのほど、よろしくお願いします!


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第1話『雑音と不協和音と、旅の始まり』‐4


小説を書くにあたって、バディコンプレックスのOP、UNISONIAがこのSSのイメージソングと考えて聴いてます。


「俺たちの申し出を、受け入れてくれると?」

「ああ」

 

 戦いを終え帰還した俺は、機動部二課の『頼み』を聞き入れることにした。

 元の世界に帰るためには、彼らの協力は不可欠だ。そしてこの世界を襲う脅威を、このままにしておけない。

 それを伝えると、弦十郎…いや、風鳴司令は深々と頭を下げた。

 

「……協力に感謝する。不動君」

「遊星で構わない。権力というモノは好きじゃないが、あんた達は別だ。信頼することにする。それに、俺にはやらなければならない事があるようだからな」

「ありがとう。君の元の世界に帰る手段も、可能な限りこちらで調査する。それと、さっき君が話していたカードについてもな」

「頼む。俺にとっても、大切な仲間達だ」

「うん……と、言うわけで皆。今日からはこの遊星君も、二課の仲間として活動していく。どれだけの期間になるか分からんが、これを期に結束を深め、一丸となって特異災害と戦おう。力を貸してくれっ」

 

 力強い号令に、広い部屋の全員が合意する。いつの間にか下の名で呼ばれたが、不思議と不快には思わなかった。

 受け入れられたことは素直に嬉しく思った……厳密には一人を除いて、だが。

 

「……」

「翼」

 

 赤き竜のビジョンというならば、同じ光景をもう一人の装者である風鳴翼も見たはずだ。本来なら彼女とも色々話をしたいところだが…

 

「分かっています。私は意見を述べたに過ぎません。司令の決定ならば、剣は従うのみです」

 

 冷徹な態度を崩す事なく言う彼女に、俺は歩み寄る。

 

「よろしく頼む。色々と迷惑をかけるだろうが…」

「……いや」

 

 それだけ呟く様に言う風鳴。少なくとも、先ほどの様に敵対視することはなくなったらしい。それだけでも僥倖と見るべきか。

 

「響君」

「は、はいっ」

「恐らく今日のように、君と遊星君には共に活動してもらう事になるかもしれない。お互い不慣れなこともあるだろうが、頑張ってほしい」

「わ、分かりました!」

 

 弦十郎さんが彼女を手招きし、これからの活動を聞かせると、少女はピンと背筋を伸ばして俺に頭を下げた。

 

「ふ、不束者ですが、よ、よろしくお願いします。不動さん!」

「遊星でいい。俺の方が、ここでは後輩のようなものだからな」

「そ、そうですか? じ、じゃあ、遊星さんで」

「ああ。よろしくな」

「い、いゃあ、私が先輩だなんて…まだ入って一週間も経ってないのに、あはははっ」

 

 戦う理由としてはもう一つ。

 この子…立花響を放ってはおけなかった。

 彼女は戦いに向いていない。本能的に、身体の奥底で、敵と対峙することを拒んでいる。そんな印象を受けた。

 それに、赤き竜のビジョンが俺たちに告げた言葉…『破滅』そして『力を合わせろ』。

 その真意を突き止めるためにも、出来る限り彼女を助けなくては。

 

「取り敢えず、今日はお開きだ。指示があるまで二人は待機しておいてくれ」

「…了解」

「りょ、了解しましたっ」

「遊星君、君は俺と一緒に来てくれ。身の振り方を考えなくてはな」

 

 ともあれ、俺はこうして、彼らと共に戦うこととなった。

 その後、様々な場所を歩き回らされることとなった。

 なにせ俺にはDホイールと数枚のカード以外は何も持っていない。ここでの衣食住は勿論、戸籍やその他諸々を整えなければ話にならない。

 

 ただ、数日後に訪れる状況は、ある意味この世界に来て一番に予想外過ぎた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

「ビッキー、ヒナ」

「ん?」

 

 遊星さんが二課の一員として戦うことになった次の日。

 クラスメイトの安藤創世ちゃんが私と未来に話し掛けてきた。隣には、同じくクラスの板場弓美ちゃん、寺島詩織ちゃんも一緒にいる。入学当初から気があって、良くしてくれる人達だった。

 

「こないだ言ったお好み焼き屋、もう一回行こうってことになったんだけど、二人もどう?」

 

 まだ朝のHR前だけど気が早い。

 多分、前回の約束を反故してしまったからだと思う。

 何度も誘ってくれているのを断れない。

 

「…あー、うん。大丈夫…だと思う」

 

 ノイズさえ出なければ。と、心で思いながらしどろもどろに答えた。

 宙に目を泳がせる私に、弓美ちゃんが訝しげに聞いてくる。

 

「? なんか歯切れ悪いね」

「い、いやー、レポート遅れちゃってて…まぁ、何とかなるよ」

「ふーん」

「じゃあ邪魔しちゃ悪いし、ウチらだけで行く?」

「ええっ? そんな…」

「冗談冗談っ」

 

 あはは、と笑いながら創世ちゃんは私の肩を叩いた。

 女の子は誘いを断ると途端に関係が冷めることも多い。それでもまたこうして誘ってくれてる。素直に嬉しかった。

 

「しかし、最近忙しそうにしてますけれど、本当に大丈夫ですか?」

「まさか外でアニメみたいな展開してるんじゃないでしょうね? 謎のイケメンに出会うとか」

「あ、あはは、どうかな」

 

 はい実はそうなんです最近異世界から転移してきた謎のイケメン単車乗りさんと知り合ってしかもオマケに怪物と戦ってて仲間はトップアーティストです。

 なんて、言ったら私は保健室に連れて行かれること請け合いだ。私でも多分そーする。

 

「お、どうするヒナ? まさかの浮気展開かもよ?」

「響はすぐ顔にでるから、そういうのは取り敢えず無しかな」

「あはは、言われてるぞ」

「う、ううっ…」

 

 苦しげな顔をしている私を、皆はふざけてると受け取ってくれたらしい。何とか誤魔化せたみたい。私は心の中でホッとため息をついていた。

 ああ、けど…

 

(私、未来にまで嘘ついて…)

 

 チクリと胸の奥を刺す痛み。

 けど、それもすぐに収まる。

 教室に駆け込み気味に入ってきた女の子が、入るなり大声でクラス中に届く様な声で口を開いていた。

 

「ねえねえ。新しい先生が来るんだって」

「え、本当?」

「ホントホント。さっき先生達が言ってたよ」

 

 その新情報はあっという間にクラス全体に広がっていった。少なからず私たちのグループにも驚きが伝わる。

 

「へえー、どんな先生なのかな? 

「それがね…男の人だってさッ!」

「ウソ、どんな人っ?」

「あれ、もしかして朝見かけた白衣の人かな」

「え、見たの?」

 

 キャイキャイと黄色い声をあげながら会話は盛り上がっている。

 目をパチクリさせながら私達は話を聞いていた。

 

「…新しい先生?」

「あ、そう言えば、隣のクラスの子が話してた気がする」

「新学期が始まったばかりなのに、珍しいですね」

 

 確かに…。

 それに男の先生もこの学院には数えるほどしかいない。私が知ってるだけだと、3人くらいかな。

 

「おお、まさしくアニメ的展開。しかも男の人って言ってたよね。ね、ね、カッコいい人だったらどうする?」

「まさかそんな…」

 

 弓美ちゃんの楽しそうな言葉に創世ちゃんは苦笑した。確かにそれこそアニメみたいだよ。

 けど私は忘れてた。

 今まで私の身に起こった出来事自体、アニメだった。

 

「……あ、もうHRですね」

「んじゃ、また後で」

「ビッキー、ヒナ、放課後は教室に集合ってことで」

 

 チャイムが鳴り、私達は元の席に着いた。暫くしてドアが開き…いつもの担任の女性の先生が降りてくる、筈だったのだけど…

 

「今日から副担任として、このクラスの物理を担当する、不動遊星です。よろしく」

「ふぁえ!?」

「ひ、響!?」

「…」

 

 声が裏返る。

 そこには、白衣に身を包んだ謎のイケメンが立っていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・

 

 

 

 昼休み、俺たちは人がまばらになった校舎の廊下で出来るだけ冷静を装って話していた。

 

「どう言うことです? 遊星さんが私たちの先生って」

 

 立花が困惑気味に尋ねる。俺自身、置かれた状況に内心、緊張していた。

 

「君達の側にいた方が、何かと都合がいいからと、風鳴司令と話し合った結果だ」

 

 話し合ったと言うか、成り行きと言うか…

 通り過ぎていく人のほぼ全てが制服に身を包んだ女子、女子、女子…

 どうも居心地が良くない。心なしか、視線がチクチク身体を刺す錯覚にも襲われた。

 

「本来非常勤の講師が副担任と言うのも無いらしいんだが、特別措置だそうだ」

「は、はぁ…なんか唐突ですね」

「俺もそう思う」

 

 心の底から同意した。一昨日の弦十郎さん、そして了子さんとのやりとりが思い出される。

 

 

 

『遊星君は元の世界で何をしていたんだ? やはり、そのプロデュエリストとやらか?』

『いや、俺は科学者だ。それ以前は、街の修理屋をやっていた』

『修理屋?』

『Dホイールの改良には資金がいるからな。ある大会に出る時に、日払いの仕事で稼いでいたんだ』

『なるほどな』

『んー、けどここの人員はもう足りてるし、かと言って折角のお客様にそんなバイトみたいな仕事を振るのもねえ』

『俺は別に構わない。世話になる身だからな。雑用でも何でも、出来る限りはするつもりだ』

『そう言うわけにもいかん。何せ君の正体は誰にも知られる訳にはいかないからな。少なくとも、我々の目が届く所でなければ』

『他には何か無いの?』

『あとは、そうだな……仕事とは少し違うが、家庭教師みたいなものはやっていた』

『家庭教師?』

『仲間に、高校生や小学生がいたからな。算数や物理を教えたことがある』

『それよっ!!』

『『えっ?』』

 

 

 

 トントン拍子に話は進んだ。

 何しろ機動二課の本部基地はこの真下だ。

 ここの教師になれば、彼らとも連絡がつきやすく、何より学院の生徒である立花や風鳴ともすぐに連携が取れる。そして教師という立場を利用すれば少なくともこの学校ではかなり自由に立ち回れる。

 良いこと尽くめと諸手を挙げて了子さんは喜んでいたな。

 ……この若い女達の好奇の視線に晒されるのは堪ったものではないが。

 とは言え、贅沢は言っていられない。何でもすると言った以上、何とかしなければ。

 

「住まいも、ここの宿舎を使わせてもらうことになった」

「はぇ〜なるほどぉ」

「暫くは、俺は君のサポートに回ることになる。俺のDホイールとデッキも、まだ調整が必要だからな」

 

 とは言え、学園内で俺の正体を知っているのは二人のみ。その内の1人は普段から芸能界でアーティストとして活躍する一面も持っているらしい。

 となると迂闊にここで彼女達と接点は持つべきではないかもしれない。

 立花を守ることと、正体を隠すこと。二つを両立させるため、上手く立ち回る必要がある。

 

「調整…デッキって、あのカード達のことですよね?」

「ああ。本来なら全部で40枚以上ある筈なんだが…殆どなくなってしまっている。今のままでは、アイツらは本当の力を出せない」

 

 諜報員としても活動している緒川さんの調査でも、俺が目を覚ました草原には一枚も無いとのことだった。となれば、やはり異世界に転移した影響で違う場所に飛んだのか。

 いずれにせよ、手がかりのないこの状況では探すこともままならない。

 

「あの…遊星さんは、カード達を、生きてるみたいに言うんですね」

「ん?」

 

 キョトンとした顔で尋ねる響。

 そうか…この世界ではデュエルモンスターズはない。俺たちの感覚そのものが理解し辛いかもしれない。

 

「そうだな。どんな状況をもくぐり抜けてきた、かけがえのない仲間だ。それに、元の世界の知り合いもいない中で、唯一俺が持ち込めたものだからな」

 

 こうして俺が今生きているのも、彼らのおかげだ。デュエリストである以上、カードに魂を、命を賭ける。それにカード達は応える。仲間として。

 

(仲間…)

 

 ふと、彼らのことが思い出される。様々な物語を通じて知り合い、赤き竜の運命によって導かれ、そしてそれ以上の絆で結ばれた、掛け替えのない存在を。

 

(皆…今頃どうしているだろうな。ジャック、クロウ、アキ、龍亞、龍可…)

 

 こんな事さえ無ければ、今頃は皆で集まり、休暇を楽しんでいる筈だった。

 俺がいなくなり、どうしているだろうか。いなくなって騒然としているのか、俺を探してくれているか…それ以前に、ネオ童実野シティの安否も…

 

「だ、大丈夫ですよ」

「え?」

「そのカード達だって、ちゃんと帰ってきたんだから。へいきへっちゃらです」

 

 笑いながら俺に言う立花。手を握りしめている様子から、励まそうとしてくれているのがわかる。

 ただの気休めかもしれないが、この先にも俺は、彼女の言葉に何度も励まされることとなる。

 

「……そうだな」

 

 弱気になりそうになった気持ちを、もう一度立て直した。

 そうだ。あの日別れ別れになった旅立ちの時に、皆で誓い合った。

 

(俺たちの絆は、決して無くなりはしない。どんなに遠く離れていたとしても、例え世界と時間を飛び越えても)

 

 だからこそ、俺たちは一人で前に進むことが出来るのだと。

 あの戦闘の中で、何枚かのカード達は俺の呼ぶ声に応えて戻ってきてくれた。ならば他のカード達も、何処かで俺を待っている筈だ。

 必ず見つけ出してみせる。絆を信じて。

 

「ありがとう、立花」

「い、いえいえ、そんなお礼なんて…あはは」

 

 照れながら手を振る。

 彼女の陽気な明るさを感じながや、俺は一層立花を守らなければと決意を新たにした。

 

「俺も礼というわけじゃないが、全力で支援する。ノイズと戦うことになれば、学校での立ち振る舞いも難しくなるからな。その辺りもフォローしてくれと、風鳴さんから頼まれている」

 

 授業中にノイズでも現れれば早退せざるを得ないし、休みや遅刻も増えてしまう。出席日数や単位取得自体は裏で弦十郎さんが手を回してくれるらしいが、周りの目や学力そのものは誤魔化しようが無い。

 彼女にも将来がある。それを手助けしてほしい、と言うのが彼の要望だ。

 

「あ、ああ。それは助かります……ただでさえ勉強苦手なもんで…あはは…毎回先生の視線が痛くて痛くて……」

 

 その言葉に俺も苦笑する。確かに彼女の成績を確認したがお世辞にも良いとは言えない。

 と、立花はふと疑問を顔に浮かべて尋ねてきた。

 

「あれ? っていうか、遊星さんは先生なんて出来るんですか? 私とそんなに歳変わらないみたいだけど…」

「カリキュラムを見せてもらったが、俺の世界とそれほど内容は変わらないようだ。あの程度なら問題ない」

「……あ、あの程度ですか。ははは……さっきの小テストめちゃくちゃムズかったのに」

「そうだったのか? 出来るだけ良問を揃えたつもりだったが……」

 

 今日の授業では生徒全体の学力を確認するべく、軽い小テストをやった。

 成績を上げるには実践が一番だ。数字に残ることで上達の実感も得られる。そう思って用意したのだが…

 そう言えばクラスの女子たちは皆難しい顔をしていたような…

 

「俺は学校に通ったことがないからな。もし変なところがあれば教えてくれ」

「へっ? 学校に行ったことないの?」

「ああ」

「じゃあ、なんで先生なんて? 勉強は?」

「勉強なんて学校がなくても出来るさ。本人にその意思さえあればな」

「……あ、あはは。耳が痛い…」

 

 胸を押さえてうずくまる立花に俺は目を丸くした。

 

「大丈夫か? 保健室は…」

「そゆことじゃないです…」

 

 お気になさらず、と彼女は手を振った。

 ……やはり年頃の女の子を相手にするのは難しい。せめてアキが横にいてくくれば話は違うんだろうが…

 

(…いや、ダメな気がするな)

 

 何故か脳裏に顔を真っ赤にして頬を膨らませているアキの顔が浮かんだ。

 何をそんなに怒っているんだ? 

 

「響、ここにいたの?」

 

 と、その時だ。

 立花を呼ぶ声に、俺たちは二人して顔を上げる。見ると黒髪のセミロングの女生徒が俺たちの方へ歩いて来ていた。

 

「あ、未来」

 

 今まで曇っていた立花の表情が明るくなり、さっと立ち上がる。派手でさは無いが、落ち着いた優しい雰囲気の少女だった。

 確か彼女は…

 

「君は、小日向だったか」

「あ、はい、小日向未来です。あの…不動先生。響が、何か…?」

 

 丁寧に頭を下げた小日向は、不安げな表情で尋ねる。

 

「え、あ、えっとね。遊…先生が、この街に来てまだ日が浅いって言うから、私が案内してあげようかなって」

「ああ」

「はぁ…そうですか」

 

 しどろもどろに言う立花にすぐ同意する。

 小日向は一瞬訝しげに俺を見るが、直ぐにそれは消え、立花に向かって言った。

 

「響、案内するのは良いけど、レポート出さないとまずいんじゃ無いの?」

「えっ?」

「未提出、響だけよ。出してないの」

「あっ…」

 

 固まる立花。なるほど、フォローしてくれとはこう言うことか。

 

「…す、すいません、遊せ…いや、先生…あのぉ…」

「気にするな。回るのは俺一人でも何とかなる。立花は自分の事に集中しろ」

「あ、あはは、ありがとうございまーすっ」

 

 その時、午後の授業の予鈴がなる。生徒達も慌てて教室へと戻り始めていた。

 

「もうこんな時間か。二人も行った方がいいな。午後は教室は別だろう」

「うわっと、そうだったっ。じゃあ遊…先生、また今度。失礼しまーす! 未来、行こっ!」

「え、あ、うんっ」

 

 慌てて走り出す立花。

 小日向は少し戸惑うも、立花に直ぐ追いつくと、二人は並んで教室まで歩いていた。

 その後ろ姿を見ていれば二人が親しい仲なのが良く分かる。

 

(確か、小日向は立花のルームメイトだったか)

 

 渡された資料によれば、立花とは中学も一緒だったようだ。となれば友人の変化には気付きやすいだろう。急にいなくなったり部屋を出て行くとなれば、当然不審に思われてしまう。立花がつつがなく学園生活を送るには、彼女に悟られないようにするのが第一条件だ。

 

(友人を誤魔化すのは気が引けるだろうが…)

 

 何も知らない小日向が立花の正体を知ることは危険に足を踏み入れることと同義だ。それだけはあってはならない。

 …と、この時の俺は大きな勘違いをしていた。

 俺だけでは無い。立花も止むを得ないとは言え、偽りを重ねることがより大きな溝を掘る準備期間ということに気付かずにいたのだった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 次回予告

 

 機動二課と共に、戦い続ける俺達。

 だが、戦いを恐れる立花と、孤高であることに拘り続ける風鳴の溝は深く、互いの距離は離れていく。

 風鳴、俺たちと力を合わせろ。独りでは、人は決して戦えない。

 だが、月下の夜に現れた一つの影が、俺を、立花を、そして風鳴を追い詰める。

 

 

 次回、龍姫絶唱シンフォギアXDS 『すれ違う夜と、流星』

 

 

 ―胸の痛みはとうに捨てた…この身は剣なのだから…―




遊星の年齢ですが、本編最終話より一年後の設定なので、21歳です。マリアと同い年ですね。

次回は響と翼のギスギスに遊星が板挟みになったり、教師として慣れない仕事で人間関係に四苦八苦したり、響は響で右往左往したり早い話がもーくちゃくちゃだ


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第2話『すれ違う夜と、流星』-1

最高に高めたフォニックゲインで、最強のSSを書き上げてやるぜ!

皆さんも何卒応援、よろしくお願いします。


 朧月夜の怪しい夜に、流麗なる剣が弧を描く。

 水面を掬い上げ、そのまま磨き上げたかの如く美しき刃紋が宙を舞う。

 風鳴翼の振るう刀は、月影を写し取り、人気のない廃工場に煌めいた。

 その横の狭い路地から、隙を窺うように一体のノイズが躍り出る。

 

「っ!?」

「トラップ発動! くず鉄のかかし!!」

 

 俺が一瞬の差で発動したくず鉄のかかしによって、その攻撃は阻まれた。

 

「風鳴!」

「はあああっ!!」

 

 裂帛の気合いと共に一閃。

 放たれたエネルギーの塊は鋭い刃となってノイズを直撃する。回避も防御もままならず、敵は消えて無くなった。

 俺は横で残るノイズと戦いながらも、その風鳴の様子を観察していた。

 

(…強い)

 

 まさに圧巻の一言だ。

 この気迫と闘志。歴戦のデュエリストでもそうはいない。

 その理由が、シンフォギアという特別な力だけではないのは明白だった。

 

 

「ひゃああっっ!!」

 

 

 その時、甲高い悲鳴が廃工場にこだまする。

 金属のパイプや建物の壁に反響し、耳を劈いた。

 無論、風鳴のものではない。見るともう1人の装者が、息も絶え絶えにこちらへと走ってきていた。

 

「立花!」

「ゆ、ゆゆ、ゆうせーさーんっ!!」

 

 彼女の後ろではやはり十数体のノイズが後を追いかけている。殆どがヒューマノイド型だが、上空から羽を生やしたフライト型も追随している。

 

(まずい、このままだと袋叩きだ!)

 

 俺はアクセルを踏み込み、全速力で彼女の元へと駆け寄った。

 

『ピピピィィッ!』

 

 彼女の護衛につけたロードランナーがその後ろで必死に壁になろうとしているが、もう限界に近い。

 ロードランナーは強い攻撃力を持つ敵には破壊をしのぐ効果があるが、それ以外には一方的に倒されるしかない。このままフライト型の攻撃に晒されれば終わりだ。

 

「立花、そのまま走るんだ!」

「は、はぃいいいっ!!」

 

 半泣きになりながらも何とか俺の指示通りに駆ける立花。

 Dホイールと交差する直前、俺は手を伸ばす。

 しがみつくようにして俺の手を取ったのを確認すると、そのまま反転し、直角にターンして加速させた。

 

(よし…スピードカウンターが乗った!)

 

 もう『リチャージ』が完了した証拠だ。

 これなら…! 

 

「シールド・ウイングを召喚!」

 

 エメラルド色の翼竜が姿を現す。

 上空から急降下してきたノイズと俺達の間に割って入り、その大きな翼を盾に攻撃を阻んだ。

 

「わ、わわああああっっ!?」

「更に、≪Sp‐スピード・エナジー≫発動!!」

 

 手札にある緑色の枠のカードをスリットに差し込むと、上空にカードのビジョンが映し出される。スピード・スペルは、ライディングデュエル中にのみ使える魔法。そしてこのカードは、スピードカウンターに応じてモンスターの攻撃力を上昇させる。

 

「スピード・ウォリアーの攻撃力をアップさせる! 行けぇっ!!」

『トオオッッ!!』

 

 倍加されたスピード・ウォリアーの超音速の攻撃がノイズの群れを直撃する。勢いそのままに蹴散らしていくスピード・ウォリアー。

 それを見守りながら、俺は立花をゆっくりと地面へと降ろす。

 

「大丈夫か?」

「は、はい……ありがとうございます……」

 

 安堵のため息を漏らす立花。

 その様子を見て、俺も無事を嬉しく思いつつも、苦戦による動揺は拭えなかった。

 

(立花響……戦いに向かない子だとは思っていたが…)

 

 ヘルメットのマウントディスプレイに表示された数値が、俺に彼女の現在のステータスを伝えてくる。ここに来た際、了子さんの改良によって、シンフォギアの戦闘能力を概算だが算出できるように整えてあったのだが……

 示された数字を見て、息を漏らすのを何とか堪えていた。

 

≪GUNGNIR LEVEL 2 ATK 100 DEF 200≫

 

 元の世界への帰還の目途、立たず。

 ノイズとの有効戦闘手段、未発見。

 5月10日、漂流30日目。不動遊星。

 

 

 

 第2話『すれ違う夜と、流星』

 

 

 

 今日未明、ノイズが現れたのは、街の郊外にある廃工場だ。

 幸い、付近の住民も早く避難し、使われていない建物故に人的被害はなかった。

 現場で俺達は、事後処理をしている機動部一課の動いている傍らでひと時の休憩へ入っていた。

 巨大な吸入器を使い、ノイズの残骸である灰の塊を吸い込む様子を見送りながら、今日の戦いを思い返す。

 

『ひと月経っても噛み合わんか…』

 

 と言う弦十郎さんのため息が無線の向こう側で聞こえた。

 無理もない。

 今日は何とか退けることができたが、このペースではノイズを倒して世界を平和にするなど夢のまた夢だ。

 

『遊星君が居てくれて助かったわ。響ちゃんをよくサポートしてくれてるし』

 

 と、了子さんがフォローを入れるも、俺自身、お世辞にも戦えているとは言えない。近くに停めたDホイールからデッキを取り出し、確認する。

 

(俺の元にあるモンスターたちは5枚……)

 

 スピード・ウォリアー

 シールド・ウォリアー

 ボルト・ヘッジホッグ

 シールド・ウイング

 ロードランナー

 そして、くず鉄のかかしを含む罠カードと魔法カードが数枚。これが現状の俺の全戦力だった。

 

(このままでは…)

 

 未だにノイズとの戦いで俺のカードたちに宿る精霊の力が実体化するメカニズムは掴めていない。

 だがこれまで経たデータを検証し、分かってきたことも幾つかあった。

 まずモンスターの召喚には、モーメント内に蓄積されているエネルギーの放出が必要であること。

 一旦召喚した後、モーメントのリチャージが完了するまで、およそ1分。

 つまり1分間に一回のみ、俺は手札からモンスターを操ることができる。ただしそのエネルギーは、外側に存在する遊星粒子を掻き集めることで代用することも出来る。

 その力を持つカードが、いわゆる『特殊召喚』に相当する効果を持ったものだ。

 ただし、モンスターが戦闘を開始した場合、それはバトルフェイズとディスクに判定され、デュエル同様にその間の通常召喚はリチャージが終わっていたとしても行えない。

 更に罠カードも、セットしてすぐに発動できず、およそ30秒~1分間の待ち時間が発生する。

『くず鉄のかかし』も、一旦発動して再セットされてから、リカバリーに必要なタイムはほぼ同じ。

 つまりこの世界におけるノイズ戦闘では、デュエルの1ターンが1分に相当すると考えられる。

 だとすれば…この1分のタイムラグは致命的だ。

 敵は1分も待ってはくれない。Dホイールで回避し続けるにも限界がある。何より人々を守り続けながらの戦いでは、俺達が盾になることも必要だろう。

 

(スピード・スペルも、カウンターが乗るまでにはある程度の時間を要する……今のままではまずいな)

 

「あ、あの…遊星さん」

「ん……?」

 

 ふと、立花が俺の傍まで歩み寄ってきた。既にギアは解除されて、元のリディアン音楽院の制服姿に戻っている。

 

「あ、ありがとうございました…おかげで助かりました」

「いや、気にするな。それより、怪我は無いか?」

「は、はい。この通り、ピンピンです」

 

 おずおずと答える立花の様子を見て、取り敢えず安堵のため息を零す。

 今日の戦いも生き延びることは出来た。それが何よりだ。

 生きてさえいれば、明日に希望を繋げることはできる。

 

「あの、守ってもらいながら、こんなこと言うのもなんですけど……そのカードの精霊達って、大丈夫なんですか?」

「ん?」

「私を庇ってくれて……特にそのピンクのヒヨコみたいな仔、いつも私が襲われそうになったら、前に出てくれるんです……」

 

 そう言って立花はロードランナーのカードを指差した。

 確かに、彼女が危険に陥るとロードランナーは俺の指示を待たずに防御に回ってくれている。そのお陰で致命傷を免れたことも多い。

 

「気にするな。こいつが好きにやっている事だ」

「でも…」

「それにロードランナーも決してヤワじゃない。人の役に立つことを、むしろに誇りに思っている筈だ」

 

 ロードランナーを俺が拾ったのは、俺が10の時。使えないと散々なじられ、ゴミ溜めに捨てられていた内の一枚だった……

 

『僕は戦える。皆を守れるんだ。お願いだ、僕を捨てないで』

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 ただの感傷だったのかもしれないが、養母だったマーサは、拾った俺を褒めてくれた。

 

(だからこそ…)

 

 ロードランナーや、スピード・ウォリアー達だけに戦わせるわけにはいかない。

 他のカードを見つけ出し、力を合わせなければいけない。

 でなければ、この戦いには勝てず、元の世界にも帰れない。

 

「なら…いいんですけど」

 

 俯く立花の手は震えていた。

 力不足を嘆くのか、あるいは人外の敵への恐怖心か。いずれにせよ、これ以上立花を前線に立たせ続けるのは酷だと思った。

 早くカード達を集めなければ…そう思った時だ。

 

 

「はい。ではそのように」

 

 

 通信機に向かってしゃべる人影が、こちらへと近づいてくる。

 風鳴翼は通信を切ってポケットに端末をしまうと、俺たちの元へと歩いてきた。

 

「……あ」

「…」

「翼さん……あ、あの」

 

 響がしどろもどろに話しかけようとするも、歯牙にも掛けない態度で彼女は俺の方へ視線を向けた。

 分かったことと言えばもう一つ。

 翼と響…この二人のチームワークは最悪だった。

 

「帰還命令が出た。私達はこれから本部へ帰投後、ブリーフィングを行います」

「分かった」

「……それと、不動遊星」

「なんだ?」

「さっきの様な支援は、今後一切不要です。そのカードの力が無くても、私は一人で敵を倒せた」

「……」

 

 風鳴はそれだけを端的に言った。あの戦闘での事を言っているのか。確かに俺の支援は彼女には要らないのかもしれない。守られたという事がプライドを傷つけたのか、俺を信用していないのか、或いはその両方か。

 いずれにせよ、まだ彼女は俺に心を開いてはくれていなかった。

 

「あなたは、その子の面倒を見ていればいい。戦場を素人に引っ掻き回されるより、はるかに効率的だ」

「あ、あの、遊星さんは、翼さんの力になった方が良いと……それに、さっきは…」

「あなたは黙ってなさい」

「……すいません」

 

 一睨みされると、途端に立花は委縮する。けんもほろろとは、まさにこの事か。

 

「風鳴。俺もこの世界に来て日が浅い。だが、俺も命を懸けた戦いの空気を肌で感じたことはある。俺のカード達の力と、君の装者としての実力を合わせれば、もっと…」

「そんな弱いノイズしか倒せない力しか持たないで、私の力になるとは到底思えない。さっきの戦闘でもそう。その子を守るばかりで、大型のノイズには為す術なく一蹴される。今はあなたのとっさの判断で保っているようなもの…違う?」

「……」

 

 やはりこの少女、只者ではない。

 カードの能力の詳細は、敢えて皆には話していない。

 にも拘らず、彼女は俺の戦いぶりから、その特性を見抜いている。

 一体だけでは真の力を発揮することができないのが俺のデッキの弱点だ。現状では、実力の半分…いや、5分の1にも満たない。

 

「それだけです。失礼します」

「例え力がなくとも」

 

 そうだとしても。

 俺は戦うことを諦めるつもりはない。

 

「…」

「俺はカードの力と、彼等の想いに応えるだけだ。心を束ねたその時にこそ、勝利への道が見えてくることを、俺は知っている」

「心を束ねる?」

「例え一つの力は小さくとも、集めればより大きな力となる筈だ」

「……私に、そんな力必要ない」

「つ、翼さん、遊星さんは……」

「私は一人で十分だ。一人で戦う……」

 

 そう言って彼女は歩き出す。

 立花は苦しげな表情でそれを見送るしかできなかった。微風は狭い工場をすり抜けて、甲高い風切り音となって俺達の耳へと届いてくる。

 その背中には、強さとは裏腹の……強さ故の儚さが覗いて、そして消えていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 ブリーフィングと言っても、ぺーぺーの新米には、弦十郎さんや了子さんの話すことは殆ど理解できない。

 けど、だからって早退するわけにもいかないし、何かの役に立つかもしれない。

 それに別世界からやってきた遊星さんもいるんだから、少しは真面目な所を見せないと。

 

「さて、遊星君もここに来て一か月。そろそろ情報を整理する方が良いだろう」

 

 そう言えば私がここに来てからと言うもの、きちんと話す時間なんてなかった。

 弦十郎さんはちゃんと話し合う場を設けて、チームワークを深めようと考えてくれたのも知れない。

 

「ノイズ被害が国連での議題に上がったのは今から13年前だけど、発生報告自体はもっと昔からあったわ」

「以前に話した通り、『神隠し』や『妖怪』、都市伝説の類は、ノイズ由来のものが多いと我々は考えている」

「…ノイズに、意思は存在しないのか?」

「お、鋭いわ! さすが遊星君!」

「今のところ、ノイズとの意思疎通は不可能というのが結論だ。そもそも奴らには、知能に相当する部分がまるでない」

 

 遊星さんは元の世界でエネルギー機関に関わる仕事をしていたらしい。

 それだけでも凄いことなのに、どうもここに来て数週間で、この世界の知識は大体頭の中に入っちゃったらしい。

 トンデモナイ人揃いの二課にまた天才が増えた…としか、この時の私には映らなかった。

 

「だとすると、一つ解らないことがある。奴らの出現箇所は、この街に集中していた。と言うことは、何か原因がある筈だ」

「大せいかーいっ。やはり君見所あるわね」

 

 了子さんが拍手をする。

 私は表示されている大きな液晶画面のグラフィックを見た。この街の地図が出ていて、そこにポツポツ打たれている赤い点が、最近ノイズが出た所。

 …そう言えば、授業でやった事があるのを思い出した。

 

「ノイズの発生件数は決して多くはないの。響ちゃんは授業でやったかしら?」

「え、あ、はい。確か、通り魔に襲われる確率より低いって」

「そーそー。よく勉強してるわね」

「い、いやぁ、レポートで今調べてるところなもので…」

 

 あはは、と苦笑いを浮かべながら答える。何だか小学生になった気分だ。あれ、けど待てよ。本来そんなに出てこない筈のノイズがこんなに出るという事は……

 

「ここ数年のノイズの量は明らかに異常……そこに何らかの作為が働いていると考えるべきでしょうね」

「え……じゃ、これは、誰かの手によるものだって言うんですか?」

「補足すると、ノイズの出現中心点はここ、リディアン音楽院の近辺。つまりこの真上です。これは、敵の狙いがこの地下にある…『サクリストD』であることの証左となります」

 

 ソファに座ってコーヒーを飲んでいた翼さんが、その綺麗な唇で言った。聞きなれない単語に私は首を傾げる。横にいる遊星さんの眉もピクリと動く。

 

「さくりすとD?」

「ええ。ここより最深部、『アビス』と呼ばれる場所に保管され、日本政府の管理下にて我々が研究している、完全聖遺物…『デュランダル』のことよ」

「か、完全聖遺物?」

「あ、そっか。まだ説明してなかったわね」

 

 了子さんはくるりと振り向くと、モニターを操作して、別の画面を映し出す。何か古い埃を被ったような剣が映っていて、それをどこから取り出したのか教鞭で指しながら話し始めた。

 

「翼ちゃんや響ちゃんの持つそれみたいに、欠片のみでは無く、ほぼ完璧な状態で保存された聖遺物のことよ」

「完全聖遺物の出力は、欠片のそれとは比べものにならないほどに強力なんだ。加えて、天羽々斬やガングニールのように、歌でシンフォギアとして再構築させる必要もない。一度起動に成功さえすれば、誰にでも比較的簡単に扱えると言う研究結果も出ているんだ」

 

 と、補足してくれたのはオペレーターの藤尭さん。

 

「じゃ、じゃあそのデュランダルを…」

「第三者が欲しくなって狙ってたとしても、無理はないわね」

 

 私は背筋がぞっとした。

 つまり、この一連のノイズ騒ぎは……実は災害なんかじゃなくて、どこかの国の悪い人が、引き起こしたとでもいうのだろうか。

 あんなことを……人を消すことあっさりと…

 

「…あれから二年、今の翼の歌であればあるいは…」

「………」

「そもそも、起動実験に必要な許可って政府から降りるんですか?」

「それ以前の話だよ。安保を盾に、アメリカが再三デュランダル引き渡しを要求してるらしいじゃないか。下手を打ったら国際問題…実験どころの話じゃないよ」

「まさかこの事件…アメリカが糸を引いてるなんてことは…」

「調査部からの報告によると、ここ数ヶ月、本部メインコンピューターは、数万回に及ぶハッキングを受けた痕跡がある。無論、出所は不明だ。安易に米国の仕業とは言い切れんさ」

 

 弦十郎さん達が難しい話をしてる。けど私には分からない。

 アメリカだの、引き渡しだの、安保だの……まだ習ってない。

 違う。そうじゃない。

 だって…私に分からない様な難しい理屈があったら、人の命を簡単に奪うのが許されるって言うの? 

 いや、もっと前の……それこそ二年前のあの事件も、

 

「風鳴司令」

 

 私の心のモヤモヤは、緒川さんの声で中断された。

 

「ん? ああ、そうか。そろそろか」

 

 弦十郎さんが腕時計を見る。私も携帯を見ると、始まってからかなりの時間が経過していた。

 

「今晩は、アルバムの打ち合わせが入っています」

「打ち合わせ?」

「はい。表では、アーティスト風鳴翼のマネージャーをやっています」

 

 キョトンとする私に、緒川さんは眼鏡をかけながら答える。

 おお、なんか仕事ができる人って感じだ。ここの人たちは色々と不思議な感じがするけど、中でも緒川さんは何て言うか……『ザ・謎』って言葉がしっくり。

 そんな私の心情も見抜いてるのか、ニコニコしながら緒川さんは私に小さな紙を手渡してくれた。

 

「はい、これ名刺です」

「おおお、名刺なんてもらうの初めてですっ。こりゃまた結構なものをどうも」

「どうぞ、遊星さんも」

「…どうも」

 

 よく大人の人がやってるヤツだ。

 私はこういうドラマみたいな展開があると結構盛り上がるタイプだった。

 遊星さんも神妙な顔をして受け取る。

 

「それでは、失礼します」

「ああ、しっかりやって来い」

 

 そう言って翼さんの肩を叩く弦十郎さん。鷹揚に頷いて翼さんは緒川さんと一緒に部屋を出て行った。

 苗字でピンときてこっそり尋ねたことがあったけど、弦十郎さんのお兄さんが、翼さんのお父さんに当たる…つまり二人は叔父と姪っ子の関係だそうだ。

 弦十郎さんに対してだけは、翼さんの氷みたいな態度も柔らかくなるのを時々見た。私に対しては相変わらずだけど……

 

(…あ)

 

 いつの間にか、私のモヤモヤは晴れているのを感じた。もしかして、緒川さんが…いや、考え過ぎかな? 

 

「ま、とにかく二人は戦いに集中してちょうだい。敵の目的と正体は、私達で探すから」

「は、はい……」

「…」

 

 私が頷く横で、遊星さんは無言だった。

 

「そ、それにしても、私達が戦ってるのは、ノイズだけではないんですね…誰かがここを狙ってるだなんて、想像もできません」

「大丈夫よ。なんてったってここはテレビや雑誌で超有名な考古学者、櫻井了子が設計した人類守護の砦よ。異端・最先端のテクノロジーが、外敵なんて寄せ付けないんだから」

「よ、よろしくお願いします…」

「うんうん」

 

 笑顔で答える了子さん。

 確かにこんな学校の校舎の真下に秘密基地があるなんて展開、誰も思うまい。

 

 

「…弦十郎さん。俺のカードたちの行方は、まだ?」

 

 

 と、その時、遊星さんが弦十郎さんに尋ねる。

 手には私を何回も危機から救ってくれたカードが握られてた。

 

「調査局も全力で捜索中だが、未だにな」

「そうか…」

 

(あ……)

 

 そう言って視線を落とした遊星さんの顔は無表情だけど…私はそれに隠れたモノを知っている。

 肉親を失った様な、そんな痛みを胸に抱いてるのが。

 けど……私には何もできない。

 仲間とはぐれて、たった一人で来たのに、元の世界との繋がりは、カード数枚とバイクだけ。

 私だったら、きっと本当に死を選ぶかもしれない。未来もいないような世界で生きていくのは…

 

「やはり、全てのカードが必要なのか?」

「コイツらは全員が力を合わせることで、初めて本当の強さを発揮するからな」

「なるほど、興味深いわねぇ。デュエルモンスターズ? のルールはこの間軽く聞いたけど……要は麻雀やポーカーみたく、強力な札を使うためには制約がある。でも、キミは今その強いカード自体を殆ど失ってるってワケね」

「それだけじゃない。確かに強いモンスターはそれだけで強力な武器だ。だが、それだけでも勝てないのがデュエルだからな」

 

 そう言って遊星さんはカードを見つめていた。

 違う。そうじゃない。

 私は…どんな時も、真っ暗闇だった時も……私には陽だまりがいた。ずっと隣にいてくれて支え続けてくれる人が。

 けど、遊星さんは……本当に遊星さんが欲しいのは…

 

「ふーん。でも君に話を聞いてると、ちょっと疑問があるわね。どうしてわざわざそんな低レベルのカードを使ってるの?」

 

 了子さんがキョトンとして尋ねる。

 私も目を丸くして遊星さんを見た。

 

「生贄にするにしても、もうちょっと扱いやすくて強そうなモンスターが居てもおかしくないと思うけど?」

「ふむ、その点は俺も気になっていたな。君の戦いぶりをこの数週間観察していたが、遊星君、君は敢えて弱い力しか持たない僕を従えている。そう俺は感じ取った」

 

 弦十郎さんが深い目をして遊星さんを見た。弦十郎さんは翼さんの戦いの先生にも当たるらしい。その人が言うなら、多分本当なんだろう。

 そう言えば……あのロードランナーって言うヒヨコとか、一回しか見てないけど背中にネジを生やした何とかホッグって言うネズミさんとか、考えてみるとあまり強そうには見えなかった気がする…あんまり遊星さんのカッコいいイメージとは合わないような……

 

「……」

「あ、あらあら、ごめんなさい。気に障っちゃったかしら?」

「いや、その通りだ。こいつらは元々、俺の世界でも使い道がないと言われ、捨てられていたカードだからな」

「す、捨てられた…!?」

 

 私は唖然とした。遊星さんが話してくれた世界は、このカード達を本当に宝物のように扱う素敵な場所なんだって思ってた……。

 けどそれは、大きな勘違いだった。

 

「ハイレベルなレアカードは、それこそ青天井の価値を持つが、反対にノーマルカードや力の弱いカードは、徹底的に白い目で見られる。カードだけじゃない。これを持ってる奴は弱者と底辺の証……そんな風に蔑む見方は、今でも根強い。クズと罵ってな」

 

 そう言ってカードを見つめる遊星さんの目はとても強く、寂しく、そして悲しかった。

 私が住んでいるこの世界より、彼の世界はドス黒く、辛い傷を負っていたという事を知るのは、まだずっと先になるけれど……それでも……

 

 

 

 私にとって、もう決して彼らは、ただの遊び道具なんかじゃなかったのに……。

 

 

「……なんか」

 

 正直ゾッとした。

 

「ヤですね、そういうの」

 

『でゅえる』がどう言う存在なのか。

 正直まだピンと来ない。きっと私達にはない感覚なのかもしれない。

 

 けど……このカード達は何度も私を助けてくれた恩人だった。

 

「手に入れたのだって、最初はその人なのに……そんな風に見るなんて」

「……」

 

 自然と声が出た。不思議と画が頭に浮かんだ。

 平然と道端にカードを捨てる人が。

 それを見ても笑い飛ばすだけの人が。

 

(何で、世界は…)

 

 ヤなことばっかり。

 

「どうしてそう言う人達ばっかりなんでしょうね」

 

 私はつらつらと、何故か勝手に言葉にして出していた。痛みと苦しみと、嫌な思いを吐き出すように。

 

「どうして私達も……ノイズだけじゃなくて、人間同士で争ったりして……」

 

 助け合うことを忘れて、生きていけるわけなんかない。それでも世界が続いていたら、それはきっと『世界』じゃない。

 

「どうして世界から、争いとかが無くならないんでしょうね…」

 

 私は知ってる。

 人が残酷になれることを。

 いともあっさり、隣人に刃を向けることを。それまで当たり前だと思っていたこと全て、簡単に崩してしまう事を。

 

 けど、分からないのは……それが分かってるはずなのに、そうやって汚くなってしまう『人』と言う生き物が……なんでこんな風に捩れてしまったのか。そんなどうしようもない疑問だった。

 

「それはきっと……」

 

 二年前、私は落ちても上がっても這っても汚れても転がっても痛みに苦しんでも、一向にその答えは分らなかった。

 今こうしている時にも。

 

 

「人類が、呪われているからじゃないかしら?」

 

 

 了子さんが、私の耳たぶを食んだ時にも。

 

「……ひ、ぴゃああああああっっ!!!」

 

 私はソファから仰け反るように転がって床に倒れ込んだ。

 な、なな、何ですかっ!? 

 そんな言葉さえ出なかった。いきなり感じてしまった外部からの艶っぽい衝撃に私は戸惑うばかりだ。心臓がバクバクいってるのが聞こえる。顔を真っ赤にして体をこわばらせた。

 当の犯人である了子さんは、ふふふふふ、と怪しい笑みを浮かべて面白そうに見つめてくる。

 

「あら、おぼこいわねえ。誰かのになっちゃう前に私のモノにしちゃいたいかも。ウフフ」

 

 そう言って了子さんは目を細める。え、ええ、そ、そんな、『モノにする』って、な、な、何言っちゃってんですか、この人……い、いや、私、恋人だって居ないんですよ、そ、それなのに、そんな、いきなり女の人同士なんてハードル高すぎますっ! い、いや、別に変な目で見るわけじゃないけど、でも、そんな……え、って、っていうか、了子さんは、もしかしなくても、そう言う感じのアレなソレなコレなヤツで……

 

「了子くん」

「あらあらごめんなさい。カワイイ子見るとつい苛めたくなっちゃって」

 

 そう言って了子さんは私の頭を優しく撫でる。さっきみたいな妖しい感じは無くなっていた。

 うう、カラカワレタ……こっちはこっちで真面目に悩んでるのに……

 

「……っふ」

 

 ふと見ると、遊星さんが笑っていた。

 あ…もしかして了子さんは、遊星さんの為にわざわざ……さっき緒川さんが私にしてくれたみたいに……

 

「まあ、ともあれ遊星君。君は、そのカードの強弱に関係なく、あくまで彼らの力を信頼し、借り受けて戦っている。それは権力や圧力、他者を顧みない存在を許せない故…というわけだな」

「……ああ」

 

 遊星さんはそれだけ短く応えると、ただカード達を見つめた。何を考えているのか、私にはよく分からなかったけど……

 けど、さっきみたいな辛い表情は無くなっていた。

 

「だとしたら、なんとしても取り戻さないとね。あなたの大事な相棒たちは。ねえ弦十郎君?」

「当然だ。捜索範囲を広げるよう、関係各所に手を回しておこう。誰かに拾われている可能性もあるし、警視庁や自治体にも声をかけんとな」

 

 力強く頷く弦十郎さん。見ると、周りにいる藤尭さんや友里さん、この司令室にいる人たちみんなが、遊星さんを見て暖かな視線を送っている。

 弦十郎さんが、了子さんが、皆さんが協力しようとするその理由は一目瞭然だった。

 

「わ、私も探しますっ。クラスの子とかにも、それとなく聞いてみますからっ!」

 

 私も咄嗟に答えた。何も出来ない私だけど、それぐらいだったら何とかなる。

 何より、私も遊星さんの力になりたいと本気で願った。

 

「どうしてそこまで…」

 

 遊星さんは目を丸くする。弦十郎さんはハッハッと笑って胸を叩いた。

 

「我々の目的の為にも、それが一番いいと判断したまでだ。何より力なき者を見捨てないその心意気、大人として……いや、男として応えたい」

「よっ、さすが司令。ニクイわね、この色男!」

「はっは、おだてても何も出んぞ」

「……ありがとう」

 

 遊星さんは頭を下げる。

 私達はこの時に少し知ったことがあった。

 この人は、少し不器用なのかもしれないけど、それでも優しさと温かさを持った人。誰かが泥にまみれていても、その中で、汚れるのを躊躇わずにそっと手を伸ばしてくれる人。

 そうだ、私は知っている。

 どんなに苦しい世界でも、人の心の光だって、消えることはないんだって。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「はい、そこまで。ペンを置いて」

 

 けど、人類が呪われているという了子さんの言葉は当たっているかもしれない。

 

「それでは、この間のテストの答案を返却する。それぞれ苦手と思われる箇所に応じたアドバイスと、改善に使えそうな問題を添付している。分からないところがあれば聞きにくるように。では…」

 

 いや寧ろ、呪われているのは私だった。

 

(何で私だけこんなに山積みなの〜〜!?!?)

 

 ギャー、と言う悲鳴を上げそうになるのを私はすんでのところで抑える。目の前にはどっさりと積まれた課題の山、山、山……う、うう、私泣きそう……そりゃ私の勉強はお世辞にも出来てるとは言えないけど、何もこんなにしなくてもいいじゃないですか……ただでさえ他の教科のレポート提出伸びてるのに……

 

(ゆ、遊星さ~ん…)

 

 縋るような目で教卓に立つ人を見る。しかし虚しいかな私の必死のSOSを、不動先生は受け流し、そのまま前回のテスト問題の解説へと移ってしまった。

 

(そ、そんなぁ~!)

 

 確かに必要以上に接触しない方が良いとは言ってたけど、でもこれじゃあ幾ら何でも……

 

「ん……では、本日の授業はここまで。次回は25ページまでやる予定です。各自、予習と復習をしておくように。日直、号令を」

 

 チャイムと同時に不動先生は解説を中断し、日直の号令と共に教室から姿を消した。

 な、何とかこの場は凌げたけど……でも問題は私の目の前から全然消えてくれず、むしろ謎の威圧感を放ち続けている。

 これじゃあ翼さんに引っ叩かれた方がまだマシだ。

 

「響、大丈夫?」

 

 思わず突っ伏した私を、未来がそっと慰めてくれる。

 ああ、未来…やはりあなたは私の日だまりだよ。

 

「おーい、ビッキー大丈夫?」

「うわ、課題の量、ちょっと多すぎじゃない?」

 

 そう言って創世ちゃん達が私らの席まで来る。流石にここまで宿題が多いと、3人も呆れを通り越して心配してくれてるみたいだった。

 

「あ、あはは、私呪われてるかも…」

「あんたあの先生に目の敵にされてるよね。ちょっと酷いんじゃない?」

 

 こうして気にしてくれたり、時には課題を手伝ってくれてる。うう、皆もホントに良い人だよ……正に心のオアシス、もしくは映画のジャイアン。

 

「確かに。幾らビッキーの成績が壊滅的だって言ってもこれはちょっと」

「そこはフォローしてくれないのね…」

「でも、指摘や指導は的確ですよ。添えられた問題も、やれば弱点補強になるところばかりです」

 

 詩織ちゃんが私の課題の用紙を1枚めくって頷いている。そ、そりゃやればできるだろうけどさ……。

 

 

『どうだった?』

『難しいよねぇ…』

『いきなり来てテストの連続とか…』

『マジありえないんだけど』

 

 

 先生が居なくなったことで教室は喧騒が戻ってきている。

 と言っても半分はさっきの授業に対する愚痴みたいなものだった。

 遊星さん…いや、不動先生が学校に赴任して1か月弱。評判は芳しくない。それどころか最悪に近かった。

 最初は男の人で顔も悪くないと評判も上々だったんだけど、来る日も来る日もテストテストテスト。それに性格もあんな感じで、他の子たちとも距離を取ってるから、そりゃあ女の子の評価はダダ下がりだ。

 

『そんな勉強ばっかり出来るわけないし、他の科目だってあるし』

『なんか空気読めてないよね〜』

 

 と、こんなんである。

 リディアン音楽院は名前の通り、音楽に力を入れてるし、入学する人は皆その方面での進学、就職を考える。逆に言うと一般科目は余り…って人も少なくない。そうなると不動先生の授業は余計な手間をかける面倒なもの…そんな風に見られてた。

 

「あ、そう言えば隣のクラスの子が話してたんだけど……あの人、顔に変な入れ墨入れてるらしいよ」

「えっ…!!?」

 

 創世ちゃんの言葉に私は息を飲んだ。

 しまった……誰かに見られてたんだ……! 遊星さんは顔にタトゥーを彫っている。ファッションではなく、過去に罪を犯した正真正銘の入れ墨らしい。その事をあの人は隠すことなく打ち明けた。私達は警戒するより、むしろ進んで話してくれた遊星さんを信用するきっかけにもなったんだけど、事情を知らない人はそうはいかない。

 普段は了子さんお手製のパウダーで隠してるけど、何かの拍子にバレたんだ。

 

「え、まさか、あの人ってスジモンって奴?」

「…それ、本当なの?」

 

 未来までもが訝しげな表情を浮かべている。

 ま、まずい、このままだと…! 

 私は慌ててフォローした。

 

「い、いや、でも、割と私たちのこと考えてくれてるよ、うん」

「アニメみたいな扱い受けて、よくそんなこと言えるわね」

「そ、それはその、分かんないところ、ちょくちょく見てもらうんだけど、結構熱心っていうか丁寧だし」

「立花さんの場合は、放って置けないからでしょうか?」

「あはは、そうかもね」

 

 詩織ちゃんの言葉に苦笑しながら答えた。

 ……なんで私が遊星さんの弁護に回ってるんだろう。こんなに課題を貰っちゃって、これじゃあノイズどころじゃ……

 

 

「おい立花、少しいいか?」

 

(ちょっとおおおおおおおっっぅ!!!)

 

 

 心の中で私は叫んだ。

 こっちは必死に遊星さんのフォローをしてるってのに、その火元がやってきちゃったら余計ヘンな事になっちゃうよ~! 

 でも不動先生はこっちの気持ちを知ってか知らずか、廊下から無表情の顔を出したまま、私を手招きしている。

 

「え、ええーっと……!」

「すぐ終わる要件だ。ちょっと来てくれ」

「あ、は、はいっ。今行きまーすっ」

 

 とは言え先生の言葉を無視するわけにもいかない。

 私は慌てて席を立って廊下へと向かう。

 

(ま、まさか、成績の悪い私に対してのお叱り…!?)

 

 今から放課後まで特別授業とか? 

 書き取り1000枚終わるまで出られないとか? 

 例えば…

 

 

『今日中にこのテキストを終わらせるんだ』

『MA☆TTE!! それは無理です、他のレポートに取り掛かってて…!』

『この成績で満足出来るわけないだろ』

『これで満足するしかないじゃないですか!』

『まるで意味が分からんぞ』

 

 

 とか……

 悪い予感がどんどんエスカレートする。

 ここで言い訳でもしたらマズイんだろうなぁ…! 

 

 

『どうして真面目に勉強しないんだ?』

『す、すいません、実は友達と約束してて…』

『他のレポートも抱えながら友達と約束だと!? ふざけやがって!』

 

 

 とか…! 

 

「大丈夫でしょうか?」

「もしかして不動先生って、ああいうタイプが好みなのかな?」

「え、ええ?」

「やめなよ。ほら、ヒナも驚いてるじゃん」

 

 創世ちゃん達の視線と言葉が背中に突き刺さって痛かった。

 ああ、私、生きて帰れるのかな……! 

 続く。

 

 ……って私は誰に言ってるの!?




別世界だろうと異次元だろうと特にこっちで補正をかけずとも無双してくれる主人公、それが不動遊星
書いてて思ったけどやっぱチートだなコイツ。

さて、ここまでで出たルールをまとめると…

①シンフォギア次元では1ターンは1分とカウントする
②伏せカードを発動するまでに掛かる時間は1分である
③召喚などの制限は通常デュエルと同じ。つまり通常召喚を行えるのは基本1分間に1回だけ
④ただし特殊召喚や速攻魔法系はカードの発動条件さえ満たせばこの限りではない
⑤自分のターン・相手ターンの区別は無い。お互いに自身のターンが繰り返されていると考える(昔ヴァンダルハーツっていうゲームがあったんだけど、知ってるかな…?)ので、「自分ターンのみ」などの制約は無視できる
⑥モンスターが戦闘を開始してしまうと、バトルフェイズと見なされ、その間に通常召喚は行えない

取り敢えず現状で遊星が確認できるルールはここまでなので、また新しいカードが登場次第、明らかにしていきたいと思います。


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第2話『すれ違う夜と、流星』‐2

遊戯王現役時代はドラグニティでした。
例え一体だけでもそこから連鎖して高レベルシンクロ召喚に繋げられるのが、5D'sに通じるところがあって好きでした。

征竜とかいう連中に絆断ち切られたけどね
皆さんの使ってたカードカテゴリがありましたら、ぜひ教えてください。


 廊下を出た私は、不動先生の後ろをちょこちょこヒヨコの様についていく。

 な、何だろう……普通に考えれば任務の事だろうけど、でも今このタイミングで言うかなぁ? 

 

(やっぱり罰かなぁ…)

 

 そ、そんな…目の前が真っ白になりそうだ。

 あれだけ宿題を出されたんだ。ペナルティがあってもおかしくない。

 また悪いイメージが湧き出てきた。

 

(ま、マズい……今日だけは何としても凌がないと…っ!)

 

「……」

 

 不動先生は私の気持ちを知ってか知らずか、ズイズイ先へと進んでいく。

 いや、多分知らない…私の予定なんてこの国を守ったりすることに比べれば小さすぎる。

 こんな事で自分の予定を優先させろなんて、翼さんが聞いたら今度はビンタじゃ済まない

 

(分かってる…分かってるけど……でも、私にとって、これは……)

 

 胸が締め付けられた。明るい外の喧騒がやかましく聞こえた。無邪気にはしゃいでる他の生徒の声がますます私の気持ちを落としこませた。

 情けなさと不安と恐怖はどんどん膨らんでいく。

 

「ここならいいか」

 

 そう言って不動先生はある空き教室の中へと入った。

 私も入るのを確認すると、先生は誰も見ていないことを確認して扉を閉めた。

 傍から見たら怪しい関係に見られるだろうけど、私には周りを気にする余裕なんてない。

 

(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!)

 

 何度も頭の中で謝り続けても、この気持ちを捨てることなんてできなかった。

 だって……約束したんだもん。

 

「今回の授業の事なんだが…」

「あ、あのっ!」

「ん?」

 

 私は土下座する勢いで頭を下げた。

 

「お願いしますっ。遊せ…せ、先生の課題は明日には絶対、絶対に提出しますから。だから、少しだけ待ってください!」

 

 ただでさえレポートの提出期限を過ぎてるのに、この上あの量の宿題まで出されたら身動きが取れなくなってしまう。いつノイズの出動があるか分からない状況では、私の日常は完全に吹っ飛ぶ。

 人の命がかかっているんだ。そんなの関係ない、と言うかもしれない。けど、今日の約束だけ話が別だった。

 

「今日は大事な約束があるんです! 友達とずっと前から約束してて、その、そりゃ、宿題より大事かって言われたら何も言えないけど……!!」

 

 けど、私にとっては命と同じくらい大切な…ううん、大切な人との約束だった。

 例えあの宿題の量が倍になったとしても、今夜の予定だけは崩したくなかった。

 

(う、うう、怒られる…絶対怒られる…!)

 

 

『知らん。そんなことは俺の管轄外だ』

 

 

 とか言われるに違いない…! 

 ああ、神様…! 

 

「…立花。俺が添付した課題はあくまで自主的なものだ。別に俺に一々断りを入れる必要はない」

「ふえ?」

 

 しかし、不動先生が苦笑気味に言った言葉で、私は我に返る。キョトンとして上を向いた。

 

「ノイズとの戦いで学業との両立は大変だろうからな。本部に来る時間帯を利用して、俺も勉強は教える。そっちの方は気にするな」

「…へ?」

「言っただろう。学業面でもサポートすると。何かあったら、俺の課題を言い訳にしていい」

 

 そう言う遊星さんの顔は大真面目だ。

 つ、つまり、あの山積みにされた課題は……

 

「あ、あ~…そ、そういうことですか」

「だから今日は提出が延びてるレポートに集中して構わない。それだけを伝えに来た」

「あ、あはは…ど、どーも、ありがとうございます…」

 

 私は顔を真っ赤にして頷いた。

 遊星さんは私ができないことを見越して敢えてあの量を出したんだ。忙しさの言い訳に出来るし、ゆっくりでもこなせば学力アップにも繋がって、勉強に足を引っ張られることもなくなる、と。

 けどね……どうも手先が器用な人は、どっかが不器用になるみたいだ。

 

「あ、あの……」

「何かあったのか?」

「あ、い、いえ……」

 

 ごめんなさい、先生……伝わらないですその優しさ。

 

 真剣に私を心配してくれる不動先生の思いやりで、その一言だけはどうしても言い出せなかった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 放課後、授業と残りの業務を終えた俺は、機動部二課の地下本部へと足を伸ばした。

 

「ふぅーん、なるほど。これが遊星粒子…」

 

 地下施設で、俺はモーメントエンジンの構造を簡易的にだが了子さんに話すことにした。無論、口外しないことを絶対条件にしてだ。

 

 

「安心して。私も必要以上に聞くつもりはないわ。これでも科学者として一応プライドは持ってるつもりよ。他人から教えられた理論で有名になってもつまらないし、意味ないでしょ?」

 

 

 了子さんはニコニコしながらそう言った。遊星粒子の事を聞くのは、あくまで科学者の性故だから、という事らしい。

 科学者には二通りいる。自分の研究を世に知らしめ、栄誉を追う者。そして自分の研究のみに没入し、他には一切興味を示さずに学問に身を捧げるもの。

 了子さんはどちらかと言えば後者だった。

 この手の人間は手柄を横取りすることを良しとしない。それ自体が負けを意味するからだ。

 

「んー、にしても遊星粒子とフォニックゲインの結びつきが未だによく分からないのよねえ。そもそも運用の基礎理論からして別物だしねえ」

「確かにな……遊星粒子をモーメントの回転に合わせるのに対して、フォニックゲインは音の振幅を応用してる……だが実際にモンスターの精霊とシンフォギアは共鳴している」

「確かキミの話だと、このカードって言うのは、元々各地に伝わってる伝承や神話を元に作られたのよね」

「その説も曖昧だがな。源流は古代エジプトにあるとされているが…」

「という事は、元々二つは力の引き出し方こそ違うけど、同じ性質を持った兄弟なのかもしれないわね」

「そうかもな……どの道、この世界のテクノロジーでは、まだ使いこなすには至らないと思うが」

「そうねえ。まだ制御は難しいわね…少なくともあと四半世紀は見ないと」

「すまないな」

「いいのよ、いいのよ。興味深い発見だけど、君以外では手に負えそうにないしね。そ・れ・よ・り」

「?」

「私としては、君自身に興味があるんだけなぁ」

 

 了子さんはそう言って、しなだれかかるように俺の肩に手を置く。

 その行為の真意が読めず、目を丸くしていると、急に猫なで声になって彼女は口を開いた。

 

「ねえ。ちょおっとで良いから、ワタシのオネガイ、聞いてくれないかしら?」

「お願い?」

「そ。ここじゃないトコで、二人っきりで色々調べさせてほしいの」

 

 とろんとした、上目遣いの瞳で俺を写し取りながら了子さんは俺にもたれかかった。

 細くて白い指が俺の膝を這う。ぞわりとした冷たい感覚に襲われた。

 

「何処から来て、どんな秘密があって、そしてどんな生を歩んだのか……お姉さん、とっても気になっちゃて。夜も眠れなくて」

 

 彼女の一言が、まるで催眠術の様に蠱惑的に俺の脳へと響いてくる。とろりと蜂蜜のような甘い香りが鼻腔をくすぐった。彼女の身につけた香水の香りだろうか。了子さんは徐々に俺に身体をよせてくる。

 柔らかな肢体の肉の感触、女性独特のふくらみが俺の触覚を刺激する。

 余程の変人でなければ彼女のやろうとする事の察しはつくだろう。だが……

 

「ねえ、どうかしら…?」

「それだけカフェインをガブ飲みしてれば、不眠にもなる」

「…」

 

 経験が薄いとは言え、そんな手が通用するほど俺も子どものつもりはない。第一こんな色仕掛けで秘密を暴き出そうとするなど、それこそ彼女のプライドが許すはずがない。

 

「遊星粒子の事は教える。だが俺も、必要以上にこの世界に干渉したくはない。本来ない筈の知識を教えれば、それは歴史を乱すことと同じだ」

 

 ただ便利と言うだけで使い倒せば、それは世界の破滅を招く。それだけは阻止しなければいけない。それが、世界を託したもう一人の自分への……未来への誓いだ。

 

「それでも知識欲に負けるというなら、アンタはそれまでの人間という事だな」

「はぁ……そう言われちゃ、引き下がるしかないわね」

 

 いともあっさり、了子さんは俺からすぐにぱっと身を引いた。白衣やらメガネやらを着直している間に、俺はコンピューターの画面を切る。彼女自身も、こんな事で俺が靡くとも思っていないだろう。

 

「ごめんね~、キミみたいなイケメン見ると、つい試したくなっちゃって」

 

 アハハハ、と手を振る了子さん。

 俺は溜息をつく。どうにも食えない人だ。科学者と言うのは少なからず変人だ。俺も含めて。だがこの人は、そのどれとも違う『何か』がある。

 この言葉も、どこまでが本気なのやら……

 

(だが、ちょうどいい機会か…)

 

 話の流れで、ここで切り出そうかと思い出したことがあった。本人のいる前では言い辛かったが、今なら誰もいないし、彼女も嘘は言うまい。

 

「一つ、聞きたいことがある」

「あら何? 私の櫻井理論について? 良いわよぉ~、たっぷりじっくりねっとりしっぽりと教えてア・ゲ・ル」

「立花のことだ」

「…響ちゃん?」

 

 俺は鷹揚に頷く。了子さんは目をキラキラさせて身を乗り出した。

 

「あらやだ! 遊星君ったら、ああいう子が好みなのっ? 分かるわぁ~、なんて言うのかしらね、放っておけないタイプって言うの? 保護欲、庇護欲を増進させるわよねえー! あ、それとも逆かしら? 虐めちゃいたい感じ? どっちも良いわぁ~!」

「……」

「いずれにせよ、教師と教え子の関係を超えた禁断の愛の予感ね? それどころか時空を超えた奇跡のカップルッ、う~ん、私も恋愛百戦錬磨だけど、二人は見てて中々…」

「了子さん」

 

 ぐだぐだしてきた。

 早く本題に移らせろ。とばかりに軽く睨むと、テヘ、と舌を出して了子さんは椅子に座りなおした。

 

「ごめんごめん、バカやったお詫びに、私が知ってる限りでいいなら答えるわ。どうぞ?」

「……そもそも、どうして彼女は戦うことになったんだ?」

 

 ここに来た当初から、気になっていた疑問だった。

 

「…ふむ」

「適合者だという事は聞いた。だがそれはたまたま彼女に才能があったというだけだろう。どうして戦いと縁のない立花が巻き込まれた? 何がきっかけで立花はここに連れてこられて、この二課の一員になったんだ? それが知りたい」

「私達が偶然発見した…じゃ、説明にならないかしら」

「本当に偶然か? それにアームドギアも出せない少女が、どうして戦い続ける?」

 

 アームドギア。

 それはシンフォギアに装備されている固有の武器の事だ。聖遺物は本来、神々や英雄、成人、偉人が用いたとされる伝説の持ち物だ。それに由来した能力が装者には与えられ、その象徴が、使い手の心象風景を具現化した兵装…アームドギアである。

 了子さんによれば、彼女が望めば、ガングニールはその真の力を彼女に合わせた形に変換して与える。ガングニールとは、古代北欧の神『オーディン』が使ったとされる槍である。普通に考えれば、槍や、それに類する形の武器が出現する筈だった。

 俺はその事を了子さんから最初に教わったのだが……立花響には、アームドギアを出現させることがどうしてもできなかった。戦い続けて一か月、彼女にはその気配すら訪れない。

 

「確かに、アームドギアが出せない理由はよく分からないのよね。素質は確実にあるわけだし、かといって本心で戦いたくないのなら、そもそも聖遺物そのものが起動を拒む筈よ」

「あの子が…それでも戦わなければいけないと、無理矢理に思い込まされている事はないのか?」

 

 意思の無い者を無理矢理戦わせる力はシンフォギアには無い、という事だった。だとすれば、残る可能性は……

 

「私達が……あの子を脅迫したり、親類縁者を人質に取っている…ってことかしら?」

「いや。あんたや弦十郎さんが、そんな手段を取っているとは考えたくはない。だが…」

 

 もしそれが…俺達シグナーが巻き込まれたように、『運命』と呼ばれるような狂気と脅威によってもたらされた破滅への道であるならば。彼女を守らなければならない。彼女のような純粋な子どもを巻き込むような連中がいるならば、俺は許さない。

 俺がシグナーだからじゃない。

 不動遊星だからだ。

 

 

「んー……まあ、しょうがないか」

 

 

 了子さんが口を開いたその時だ。

 けたたましく緊急アラートが基地内に響き渡り、同時に照明に赤く明滅する。この音と灯り同時に訴えかけるシグナルが示すことはただ一つだ。

 

『遊星君、了子くん、取り込み中すまない。ノイズだっ』

「…っ」

 

 部屋の無線機能に音声が入り、弦十郎さんの声がする。俺は無意識に拳を握りしめていた。

 

「あらら。空気読めない連中ね。ま、そんな機能があいつ等にあったら苦労しないわね、ウチら」

「話は後で聞かせてもらう」

「ええ、待ってるわ」

 

 俺は白衣を脱ぎ捨て、代わりに椅子に掛けてあったジャケットを着こみ、Dホイールを待機させている格納庫へと急ぐ。

 

『遊星君。翼は今、レコーディングでここから離れたスタジオにいる。彼女が合流するまで、何とか響君と被害を食い止めてくれっ』

「了解したっ」

 

 そう言えば……立花は今日、大事な約束があると言っていたが……。

 いや、感傷だ。ノイズが現れたとなれば放っては置けない。それは立花も重々承知の筈だ。大丈夫だ、あとで俺もフォローすれば問題ない。今はノイズを片付けることが先決だ。

 そう思っていた。

 ここ数日で、ノイズと戦うことに慣れてしまっていた。それは油断と呼ぶにはあまりにも小さい揺らぎ。それが悲劇へと繋がることを、誰も知らずにいた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 先生のお助けのお陰で、何とか猶予を貰った私は、すぐさま教室に戻ってレポート作成を再開した。休み時間、自習時間、昼休み、放課後、許される時間を全てぶち込み、持てる全ての集中力を注ぎ込む。創世ちゃん達も協力してくれた。

 

「うりゃあああああっっ!!」

 

 ペンを握っている私に代わって、お弁当の中身を口に運んでくれる係だ。未来は呆れてたけど、私はマジも大マジ大真面目。皆がここまで応援してくれてるなら、なりふり構ってなんかいられない。

 

「ほああああああっっ!!」

 

 自慢じゃないけど、私は中学の時から勉強は遅れ気味だったし、こういう修羅場をこなした経験は一度や二度じゃない。対処法は心得ている。

 書きなぐる、書きなぐる、書きなぐる。

 消しゴム、消しゴム、消しゴム。

 言葉、言葉、言葉。

 

「乱れ撃ちだああああっっ!!」

 

 私はどちらかというとアナログ派なので、こういう時はペンで書いた方が圧倒的に早い。

 パソコンだと一々修正もメンドクサイし。

 

「ちゃんと書きなさい。再提出になっちゃうから」

「あ、はい、ごめんなさい」

 

 時々未来の注意を受けながら、私は加筆・補足・追記・修正を繰り返し、そしてついに……

 

「出来たぁっ!!」

 

 完成だっ! 

 先生に言われた箇所は全て書き込み、自分の意見も何とか沢山の文字数に変えて空欄を埋めた。改心の出来、とは言えないまでも、取り敢えず今自分に出来る全力である。

 バシッ、としなるぐらいの勢いでペンを叩きつけた私は、急いで他の分の資料と一緒に用紙をまとめた。

 

「お疲れ様、響っ」

「うんっ、未来たちのお陰だよっ!」

 

 隣では未来が我が事の様に喜んで手を叩いている。私も吊られて笑顔になって立ち上がった。だがまだ終わってはいない。最大の難所はこの後に控えているのだから。

 

「じゃあ、私これ出してくるねっ!」

「私も行くよ」

「ありがとっ」

 

 こうして私達は教員室へと急いだ。

 夕焼けの光が眩しく光る。

 既に放課後……夕日は傾きつつある。夜の帳って奴だ。ここで受け取ってもらえなければもうどん詰まりだよ…! 

 私は何とか体裁を整えたそれを持って、教員室までたどり着く。未来に待つように伝えると、扉を一気に開いて待ってくれていた担任の先生の机までダッシュする。

 

 

「先生! 失礼します!」

「立花さん、教員室では静かに」

「すいません! 遅くなりましたがレポートです!」

「話を聞きなさい!!」

 

 

 テンションがハイになった私に、先生の甲高い叱責が跳ぶ。もうこれで何度目なのか分からなくなってきた。

 しかし今日の私は構っていられない。急いでまとめたそれを突き出した。

 

「よろしくお願いしますっ!」

「……よくもまあ、これでレポートですと胸を張れたものですね。これがレポートなら子どもの落書きだって『新しい言語体系だ』って胸張って学会に提出できるでしょう」

「い、いやぁ、それほどでも…」

「褒めていません」

「……え」

 

 そこから数十分はお叱りタイムだった。

 

「そもそも時間を過ぎています。それを分かっていますね?」

「はい、すいませんでした…」

「内容もメチャクチャです。もっと整理しなさい。レポートのまとめ方ぐらい、今どき中学でも習う事です」

「おっしゃる通りです……」

「あと壮絶に文字が汚いですヒエログリフですかこれは」

「返す言葉もありません…」

 

 と。かなりお叱りを受けた。

 ただ、この人の良い所は、私を嬲ろうとして怒っているんじゃないってこと。ちゃんと次に繋がるように、私がキチンと卒業して一人前になれるように、心を込めて叱ってくれる。私には、それが嬉しかった。誠実に私と向き合って、受け入れてくれる人は……お母さんやおばあちゃん、それと……今も外で待ってくれている親友くらいしかいないと思っていたから。

 

「立花さん聞いていますかっ!」

「は、はいっ!」

「あなたはもう、本当にいつもいつも…!!」

 

 あ、やば……油断してるとすぐこれだ……

 ゴメン、未来……立ちっ放しは辛いだろうけど我慢して…私も頑張るからね…! 

 心の中で何に対する誓いなのかよく分からない決意をした後、私は再び先生のお説教に晒された。

 

「~~~!」

「~~~!!」

「~~~~~~~~~!!!」

 

 無限に続く時間なのかと思ったけれど、それでもチャイムが鳴ったので、何とか先生も時間と言う感覚を思い出してくれたらしい。

 私もようやく懇願して、受け取ってもらえることに成功した。次は期日を守るようにと何度も釘を刺された末、私は教員室を無事に脱出する。

 

 

 

「……あ、響」

「…ごめん、待った?」

「ううん。先生はなんて?」

「壮絶に字が汚いって。ヒエロなんちゃらみたいって言われた」

「そうじゃなくて、レポート受け取って貰えたの?」

 

 未来が私の顔を覗きこんだ。

 まるでお姉さんみたい。未来はこうやって、私の前から後ろから、いつも支えてくれていた。そして今も、こうして難所を乗り越えることができたわけだ。

 

「それがね…」

「……ごくり」

「……今回だけは特別だって!」

「ホントに!?」

「イエーイ!! おつかれちゃーん!!!」

 

 抑えきれない喜びを胸に、私は未来に報告をする。一瞬戸惑ったみくの顔が、ぱっとひまわりが咲いたように輝いた。

 それを見て私もつい嬉しくなって飛び跳ねる。

 そのままハイタッチをしようと手を出して……

 

 

『立花さんっ! 廊下で騒がないっ!!』

 

 

 先生の叱責が跳んできた。

 別の意味で飛び跳ねそうになった私は身を縮こませて未来を見る。いつもの苦笑を浮かべて、それでも私の親友は喜んでくれていた。

 

「ごめんごめん……でも、これで流れ星みられそうだねっ」

「うんっ」

 

 ボロボロになりながらも、私には徐々に喜びの光が差していた。

 未来とはこの間からずっと約束をしていたことがあった。今日見られる、こと座流星群を見る約束だ。ニュースを見てからずっと予定してた。

 このところ、ご飯もろくに一緒に取れない日々が続いていたから、余計に嬉しさも倍増している。

 

「響はここで待っててっ。教室から鞄取ってきてあげる」

 

 未来はそう言うが早いか、さっと身を翻して廊下を駆ける。私は慌てて飛びとめようとするが、既にみくは曲がり角まで走っていた。

 

「い、いいよー、そんなのーっ」

「響は頑張ったから、そのご褒美ー!」

 

 そう言ってニコニコしながら、未来は廊下も向こう側に消える。夕日に寺sれた横顔が一瞬見えて、とても綺麗だった。

 

(やっぱ未来は足早いな~。流石元陸上部っ)

 

 私も今すぐに飛び跳ねたいくらいだった。

 やった。これで行ける。流星群を見に。

 未来との約束、破らないで済む。

 ずっと前からしていた約束。

 ノイズが出てからこっち、忙しかったけど、遊星さんのお陰でレポートに集中できたし、今からなら夜には余裕で間に合う。

 温かくして行かなきゃ。

 飲み物も持って行こう。甘くてホッとするようなやつを。

 あと風除けにタオルケットも……

 

 

「………っ」

 

 

 シグナルが呼ぶ。

 私の携帯じゃない。逆側にいれてある、何時でも気付きやすいようにしている、二課から持たされた通信機。そしてこの機械が鳴るという事は、私の取るべき行動は一つしかあり得ない。

 情け容赦なく、私の日常は打ち砕かれた。

 

「……はい」

 

 私はゆっくりと、端末に手を伸ばす。頼む。何かの間違いであってくれ。機械の故障とか、或いは何のとりとめのない話とか。了子さんの冗談とか……そう、だ。ただのブリーフィングなら、何とか深夜の時間帯には間に合うかもしれない……そんな淡い期待を込めて、恐る恐る返事を待った。

 

 

『響君。ノイズの発生を検知した。すまないが、直ちに現場へ急行してくれ』

 

 

 そんな都合の良い世界なら、今私はこんな事をしていない。こうして私は、装者として戦ってなんかいないのに……

 

『響君、聞こえるか。響君?』

「……はい。聞こえてます」

『大丈夫か? 何処か、具合でも悪いのか?』

 

 ここで体調不良だと嘘をつけば、私は星を見られるのかな? 

 ……考えただけで恐ろしい。

 その間にも、何の罪もない人が炭に変えられてるかもしれないって言うのに……私は自分自身に嫌気が差した。

 

「い、いえ、大丈夫です。すぐに、向かいますからっ」

『そうか。翼と遊星君にも連絡している。翼は距離があるため、まずは遊星君と合流して、ノイズの拡散を抑えてくれ』

 

 弦十郎さんの緊迫した声が伝わる。

 それは拒否も回避も許さない、戦う者としての宿命が込められていた。いや…分かってるんだ、私の我儘なんだってことは。だって、戦うって決めたのも私だし、戦うことの意味をまるで知らずに生きてきたのも私だ。

 けど…だけど……こんなの……

 

(私が……やらなきゃいけないんだ…!)

 

 悲し過ぎるよ…! 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

『遊星君、響ちゃんは既に交戦に入っているわ。そのまま、直進して』

「了解した」

 

 友里さんの言葉を受け、一路、夕日が沈み始めた街道を突き進む。既に一帯には避難警報が発令されて、辺りには人影はいない。お陰で俺は全速力でDホイールを走らせることができた。

 

(だが、急がなければ…!)

 

 報告によれば、ノイズの数は20弱。

 これまで出現したのに比べれば少数だが、それでも彼女1人に任せるには心許ない。

 

(了子さんの話では、シンフォギアを纏っている以上、身体が炭素分解されることはなく、普通に触れることができるらしいが…)

 

 ノイズの脅威度はその特殊能力に依存する部分が大きく、炭にさえならなければ例え女学生の身体力程度でも遅れを取ることはない。

 が、それはあくまでも『大多数』がそうだと言うだけの話である。

 芋虫や巨人の形をしたギガノイズや、空中から急襲するフライト型の戦闘能力は侮れない。もし炭素分解に拠らない物理攻撃をまともに喰らえば怪我では済まない筈だ。

 

『反応、絞り込み修正完了。クロール型、ヒューマノイド型…っ、セルノイズの反応を確認っ!』

『ぬぅ…! 遊星君、聞こえたか? 急いでくれっ!』

「っ、ああ!」

 

 藤尭さんのオペレートに俺も弦十郎さんも苦虫を噛み潰した声が出る。

 悪い予感が的中した。セルノイズはパワーやスピードこそ他の型より弱く、その出現数も低いが、恐るべき能力を秘めている。

 

(何とか立花に連絡を取れれば…っ!)

 

 急いで通信を行う。

 彼女に連絡が取れる余裕があればいいのだが…! 

 

「立花、聞こえるか? できなければ返事はしなくていい。俺が行くまでその場で待機するんだ、無茶はするなよ」

 

 息も絶え絶えの、立花の悲鳴がまた聞こえてくることを予想していた。

 しかし次の瞬間聞こえてきた声は、俺の想像を越えたものだった。

 

『……分かってますから、大丈夫ですっ!』

「…なに?」

『私は、私に出来ることをやるだけですっ!』

「立花…」

 

 一瞬俺は言葉に詰まった。

 その間に、立花の叫びが俺の耳を貫く。

 

『だあああっ!』

 

 悲鳴にも似た怒号が、衝撃音と共に伝わる。同時にマップに表示されていたノイズの反応が一体消滅した。

 これは…あいつの力によるものか。

 

(まさか…立花1人で、あの数を相手にしているのか…)

 

 今までの彼女の様子からは考えられない。

 その時、通信機越しにか細いが、確かに胸に響いてくる、一筋の旋律があった。

 

『絶対に、離さない!』

 

 これは…

 

『こんなに、ほ…! ……だっ! 人の…温も…はっ!』

 

 立花の歌だ。

 シンフォギアの装者が歌うのは伊達や酔狂ではない。エネルギーを引き出し、固着させてプロテクターとした上で、更なる力を聖遺物から引き出す為だった。

 ただし欠片しか組み込まれていないシンフォギアでは、常に歌い続ける必要があり、逆に持続すれば出力は上昇し続ける。

 …だが、これまで俺は立花が歌ってる所を見たことがなかった。

 逃げ回るしかできない彼女にそんな余裕はなかったからだ。故に最低限の出力で戦わざるを得ず、苦戦を強いられた。

 

『ガングニールのフォニックゲイン、上昇中。ノイズの数は残り10にまで減少』

『あらら、どう言う心境の変化かしら…』

 

 了子さんが無線の向こうで戸惑いながら零す。

 確かに、つい数時間前に会った彼女の態度からは考えにくい。了子さんの話によれば、シンフォギアの力を引き出す決定力は力や体力に非ず、精神力が必要だ。

 それだけの心の強さを、短期間で獲得したと言うことか…? 

 

『難しい言葉なんて…いらないよっ!』

 

 叫びと共に風を切る音がする。

 瞬間、またノイズが一体減った。

 

『今……る…! 共鳴……ブレイブマインズ…!』

 

 …俺の思い過ごしだったのか。

 戦いには向かないと思っていたのは…

 

『……見たかった…』

 

(…え)

 

 途端に途切れる歌。

 この後に、俺は後悔することとなる。

 気付いてやるべきだったのだ。

 あの子の心は、既に限界まですり減っていたという事実に。

 

 

『セルノイズのエネルギー値増大します!』

『響君、危ない、躱せッ!!』

 

『……え?』

 

 弦十郎さんが叫ぶ。

 瞬間、無線越しに爆発音が轟き、俺の耳をつんざいた。

 

『……きゃああああっっ!!?』

「立花っ?」

 

 咄嗟にヘルメットに指を当てた。

 

『……』

 

 不安が俺の胸をよぎる。

 ジリジリと通信の向こうでは音が割れるだけだ。

 俺は血の気が引くのを感じた。

 今の悲鳴は……まさかっ! 

 

「立花、聞こえるか? 応答しろ、立花っ!」

 

 無線を限界まで感度を上げて、レーダーの索敵範囲を最大まで絞る。高速道路を切り裂く風も感じない。

 代わりに俺の額を冷や汗が流れる。通り過ぎる街路灯の明滅が鬱陶しかった

 

「くそっ…! 立花っ、返事をするんだ! 立花っ!!」

 

 返事は来ない。代わりに返って来るのはノイズ音のみ。

 モニターを叩きつけたい衝動を抑えて、俺はクラッチを踏み直し、速度を限界まで引き上げた。

 

『友里、響君の反応はっ!?』

『バイタルはイエローゾーンで止まっていますが…! 爆炎で感度が乱れていて…!』

『藤尭、ノイズの反応はどうなってる?』

『地下に潜って逃走を続けています。ですが、装者の周りに数体のクロール型。周囲を索敵している模様』

 

 司令部から悪い状況ばかりが伝わってくる。

 焦る心臓の鼓動を必死に抑えた。

 後悔が押し寄せ積み重なる。それを払いのけるようにして、無線に呼びかけ続ける。

 

「立花、聞こえるかっ。遊星だ。応答してくれっ!」

 

 何度呼びかけても、応答はない。

 弦十郎さん達の会話から、最悪の状況はない。だが、それなら何故返事がない……まさか、意識を失ったのか…? 

 

『遊星君、響君を急いで救助してくれっ。ギアが解除されれば、彼女は丸腰同然だ!』

「っ…分かってるっ!」

 

(やはり俺もついているべきだったんだ)

 

 怪しまれようが何だろうが、補習でも何でも名目を作って、彼女の傍にいてやるべきだった。

 脇道を縫い、闇夜を切り、路地を駆って駅までの道を急ぐ。一瞬のうちに数百メートルを移動している筈なのに、どうしてこんなに遅く感じるんだ…! 

 

(早くしなければ、立花は…っ!)

 

 

 その時だ。

 

『ううっ……っっうぅ、くっ……!!』

 

 向こう側で聞こえる声にならない叫び。

 これは……立花の声だ。

 意識があるのか? 俺は再び呼びかけた。

 

「立花、大丈夫か、立花っ!」

 

 一縷の希望をかけて、俺は問いかける。だが、代わりに返ってきたのは、むしろ逆の反応だった。やり場のない怒りと…強い悲しみだ。

 

『……ったかった』

「なにっ?」

『……っしょに……見たかったっ』

 

 瞬間、弾け飛ぶ音がした。

 ついで報告されたモニターからのデータは、彼女の復活を意味していた。ノイズが一体減っている。立花が攻撃を再開した証拠だ。

 

『バイタルデータ修正。響ちゃん、無事ですっ!』

 

 友里さんの歓喜にも似た報告が上がってくる。

 無事を知らせるその声に、俺は気付かない内に息を漏らしてした。

 だが…それは一瞬、安定に過ぎなかった。

 

 

『流れ星…一緒に見たかった!!』

 

 

 何かを叩きつける衝撃音。ノイズが一体消えた。

 

 




シンフォギアみてて思うのは本編での響は周りに恵まれてるなと言うのが一番思いますね。
このOTONAたちがシンフォギアの魅力の一つでしょうね。



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第2話『すれ違う夜と、流星』‐3

前回前書きに書いた皆様のデッキはなんですか?に中々にレスが多くて楽しいです。

このSSも日刊ランキングなどで名前入りするようになっていて、本当に嬉しいです。
これも皆様の応援のおかげと、感謝しております。これからもご愛読のほど、よろしくお願い致します


 ―響、どうしたの? 

 

 

 未来の声を思い出す。

 電話越しに、今日は流れ星を見られないことを告げる。

 未来は暫く黙ってて、それでも仕方ないよと、優しく受け入れてくれた。

 

 ―部屋のカギ開けておくから、あまり遅くならないで

 

 そう言って電話を切った未来の声。悲しそうな顔をしていた。私も泣きたい気分だった。

 

 ―ありがとう……ごめんね…

 

 そう言って謝ると、私は後ろを振り返る。

 

 そこは地下鉄の駅への入り口。地下ホームへと続く階段の途中から、敵はたむろしていた。

 不思議と、沢山のノイズが地下鉄駅の入り口に密集する光景を見ても、いつもみたいな恐怖は湧いてこなかった。

 それ以上に私の中にある燻りが、情けなさが、怒りが、私を前へと進ませた。

 

 

 ―Balwisyall Nescell gungnir tron―

 

 

 心に浮かぶ、聖詠を唱える。

 瞬間、光に包まれる私の体。

 身体を引き裂かれそうになる感触の後に、爆発する程の熱さを覚える。

 昂ぶり荒ぶる私の思いを白い蒸気となって吐き出すプロテクター。

 すぐに私の変身が完了した。

 

「……よしっ!」

 

 気持ちを、ノイズへと切り替えた。

 私の強い視線に応えるようにシンフォギアが力を発揮する。

 音の波が伝播するように一瞬空気が歪むと、それまで半透明に発光していたノイズはその輪郭をはっきりと露わにした。

 

「……っ」

 

 身体が震える。

 すぐに回れ右して逃げ出したい。

 けど、今日の私は違った。恐怖は恐怖でも、その中から湧き上がる感情があった。

 悔しさと悲しさと…約束をダメにされた怒りだった。

 

「……だぁっ!」

 

 勢いそのままに駆け下りて、やってきたノイズに拳を振り上げる。カエル型のノイズが千切れて四散した。

 前は、おぞましいと思って気持ちが悪くなった。けどそんなことは無い…ううん、気持ちそのものは消えてない。

 そんな弱い自分に対する意識まで、私は怒りへと変えていた。

 

「…っ! この…はぁっ!」

 

 私は知らず知らずのうちに歌を響かせる。

 今まで歌えたのは、初めてギアを纏ったあの日だけだったのに。あの時は無我夢中で、共に巻き込まれた女の子を助けるその一心だけだった。

 けどそんな生温い感情じゃ無い。身勝手で汚くて、弱々しくて、それでも振り切れない馬鹿みたいな気持ちだ。

 しっちゃかめっちゃかな気持ちのままに、私は歌を歌い、ノイズを叩き潰していく。

 

『立花、聞こえるか?』

 

 耳につけられたイヤーパッドマスクから、声がする。バイクの排気音がした。遊星さんだ。

 Dホイールを使ってここまで来てるに違いない。

 

『無理に答えなくて良い。俺が来るまで…』

 

 私は安心しそうになって…

 

「分かってますから、大丈夫ですっ!」

 

 それを振り切った。

 

『…!』

 

 向こう側で遊星さんはきっと驚いてる。

 けどもう私は自分でも感情がよく分からなくなっていた。

 

「私は、私にできる事をやるだけです!」

 

 そう言って再びノイズ達を蹴散らして、地下の駅奥深くまで進んでいく。

 ノイズもどんどん数が減っていって、私を危険だと認識したらしい。大勢のノイズが私に襲いかかった。

 

(…だからなんだっ!)

 

 なんでこんな奴に…と私は拳を振るう。

 

(こんなのがいなければ…!)

 

 どうして惨めな気持ちにさせられなきゃいないんだッ、って気持ちで溢れた。

 

(流れ星…見られたのにっ!!)

 

 こんな…気持ち悪い、バケモノなんかにメチャクチャにされて…それでも平然としてる顔の無い怪物が憎らしい。

 

(こいつらのせいで…!)

 

 こいつらのせいでこいつらのせいでこいつらのせいでこいつらのせいでこいつらのせいでこいつらのせいでこいつらのせいで!!!! 

 

 

『いかん! 響君避けろ!!』

 

「…えっ?」

 

 怒りは視界を歪ませる。だから冷静になれって、私はこのずっと後に教えてもらった。

 けどそんな事を考える余裕も、ブドウを頭に乗っけたような紫色のノイズの攻撃に気づくこともないままに。

 

「きゃあああああっっ!?」

 

 私は爆発と共に落下してきた天井の下敷きになった…。

 

『立花、聞こえるか? 応答しろ、立花っ!』

 

「…ッ…ぁ…か……ぅ…っ」

 

 身体中に走る激痛。

 歌が途切れた。

 シンフォギアの力が弱まるのを感じる。

 あのブドウノイズの仕業だった。

 

『立花、聞こえるかっ。遊星だ。応答してくれっ!』

 

 あの頭についてるブドウの実みたいな球が接触した瞬間、爆発が起こった。

 了子さんが言っていた。ノイズは普通に攻撃するだけじゃないから気を付けなさいって。

 

「……は…っか…ふっ…」

 

 コンクリートの重圧が私を苦しめる。抜け出そうにも身体の隙間に挟まったように天井の破片が積み重なり、もがくこともできない。

 

(…痛い……っ)

 

 火薬と焦げた異臭が鼻をつく。

 痛みの向こう側で、微かな光が見えた。

 あいつらだ。

 隙間の向こうから、あいつらがいた。

 私から何もかも奪った奴等が…

 それでいて平然としてる奴らが…

 私たちはこんなに苦しんでるのに、何も感じず何も考えない……そんな奴らが…! 

 

 

「見たかった」

 

 

 私はこんな奴らなんかの為に…! 

 

「いっしょに……見たかったっ」

 

 弾け飛ぶ音がした。

 私が弾いた。

 吹き飛ばしたんだ、瓦礫の山を。

 

「流れ星…一緒に見たかった!!」

 

 私は叫んだ。

 天井だったコンクリートの塊があちこちに飛び散る。取り囲んでいたノイズが次の瞬間、また襲い掛かる。

 私は感謝した。

 襲ってくる怪物に

 痛めつける敵に。

 だってそうすればするほど、

 

 

「あ、ああああっ……あああああっっ!!」

 

 

 私は、あいつらを倒す力が湧いてくるんだから。

 

「がぁっ!!」

 

 私はノイズを倒した。

 叩いて、蹴って、踏んで、潰して、

 あいつらがしてきたように炭の塊に変えていく。

 

「……っ!」

 

 私の視点は一つを見ていた。

 あれだ。

 ノイズの群れのリーダー。

 ブドウ頭の紫の怪物。

 放り投げた球体をなくしたソレは、戦う手段を失って一目散に地下へと逃げていく。

 

(逃すもんか……っ!)

 

 お前だけ逃げられると思うな…! 

 絶対にあいつだけは許さない! 

 私は階段を駆け下り、地下のホームへと進んでいく。

 

「お前たちガ…!」

 

 低くてくぐもった声がする。

 あれ、これ私の声? 

 

「誰かのヤクソクヲ犯し…!」

 

 私はゆっくりと階段を降りる。

 ぐしゃって音がした。

 壁が潰れてへこんでいた。

 あれ? 脆いなぁ、もう。

 

「争いノない世カイを…!」

 

 ブドウが駅のホームを走っている。

 行く手を阻むようにノイズが数体近付いた。

 ああ、邪魔だ邪魔だ邪魔だ!! 

 

「なんでもナイ日常ヲ…っ」

 

 消えろ、消えろ、消えろ! 

 いなくなれいなくなれいなくなれ!! 

 お前たちさえいなければ!! 

 

「略奪すると! 言うのナラッ!!」

 

 暗い夜道で吼える。

 吐き出す。絞り出す。奴等を押し潰して解放する。

 全てを。抑圧された全てを。

 

「ガッ、アアアウアアッッ!!」

 

 怒りのままに叫び上げて、ノイズの一体のツノを掴んだ。

 ここ千切ったらどうなるのかな? 

 

「ウアアッ!」

 

 なんだ、悲鳴上げないんだ。

 ノイズだから声出ないんだ。

 じゃあ良いよね? もっと痛めつけても

 もっと壊しても

 もっと潰しても

 だってこいつらだってそうしてきた

 なんでも無い日常を

 幸せを

 ありふれた日々を

 そんな気持ち悪い身体でみんなの幸せを潰して殺して炭にして泣かせて砕いて…

 

「ああああああああっっっ、!!」

 

 ああ、気持ちいい。

 そうだ、これだ。

 私はこれがしたかったんだ。

 私はこれが見たかったんだ。

 

 これが…これが…

 

「あ…あ…」

 

 

『流れ星、一緒に見ようね』

 

 

 違う

 違う

 私が見たかったのは、こんな汚いのじゃないのに……

 やだ、やだ…! 

 もっと、未来と、ずっと一緒に……! 

 

 

「立花っ!」

 

 

 その時遠くから声がして。

 同時に目の前にはあのノイズが再び球を放ってきて…

 私の意識は、爆発で溶けた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 俺はようやく駅構内の入り口まで到達する。

 ここから先にDホイールでは無理だ。

 スタンディングモードへとDディスクを移行させ、左腕のデバイスにセットさせる。

 

≪モーメントアウト≫

 

 ガイダンスボイスが流れると同時に、俺はデッキからカードを引き抜き、右手に構えた。

 そのまま駆け足で、地下へと向かう。

 

『響ちゃん、セルノイズを追って進行中です』

『彼女の体は大丈夫なのかっ?』

 

 弦十郎さんの緊迫した声が飛ぶ。

 俺の心臓の鼓動も早まるのを感じた。

 

『バイタルに異常なし。ですが脳波に乱れが生じています』

 

 そもそも俺は、この世界の表面しか見ていなかった。

 こんな世界で生きている人々が、まともな精神状態で生きていけるわけがなかったのだ。

 それは例えノイズに殺されない力を持っている立花も…いや、その力に晒され続けた彼女だからこそ、俺は気持ちを慮って、側にいてやるべきだった。

 

「っ…これは…!」

 

 天井が崩れ、コンクリートが粉々になってあたりに散らばっている。

 セルノイズの爆撃を受けたに違いない。

 

「立花、どこだ!?」

 

 必死になって叫ぶ。最悪の可能性を感じるのを押し留めた。

 

(落ち着け…本部であの子の生存は確認出来てるんだ今すぐにどうこうということは無いはずだ)

 

 だが気絶していた方が良かったのかもしれない。そうすれば俺が彼女を救出すればよかったのだ。

 空白の後に、轟音とともに大気が揺れ、身体は一瞬硬直した。

 

「……っ!?」

 

『あ、ああああっ……あああああっっ!!』

 

 続いて聞こえてくる叫び声。

 苦痛とも悲鳴とも取れるそれは、まるで暴風のように反響して地下鉄中を駆け巡る。

 

(これは……)

 

 俺の中に不安より先に浮かぶ思いがあった。身の危険ではなく、心を不安にさせるこの声は…

 

『お前……ガ…! 誰……ヤクソクヲ…し…!』

 

 くぐもって無線から声が上手く届かない。

 代わりに本部にいる人間からの緊迫が聞こえた。

 

『フォニックゲイン、上昇止まりません』

『アウフヴァッヘン波形、反転を確認! 響ちゃん暴走していますっ!!』

 

 同時に、俺の腕にある痣が鈍く発光する。

 瞬間、伝わってきた。

 彼女の叫びが、怒りが、悲しみが、苦痛が。

 

『遊星君聞こえるっ!?』

「了子さんかっ?」

『今すぐに彼女を止めて!』

「っ…何が起こってるんだっ?」

 

 了子さんはいつもの飄々とした態度は消え、余裕の無くなった声で俺に伝える。

 もう一方では、立花のものとは思えない叫び声がこだましている。

 

『争い………世カ…を…! なんでもナ…日常ヲ…』

 

『暴走現象よ、彼女の負の感情をシンフォギアが増幅させてるわ。このままだとバックファイアで、あの子怪我じゃ済まないっ!』

「何だとっ…!」

 

 瞬間、今度ははっきりと俺自身の耳が捉えた。

 

『略奪すると! 言うのナラッ!!」

 

 泣いているんだ、立花が。

 シンフォギアは精神状態が能力に影響する。

 強い想いがギアの能力を引き出すというのなら、つまりそれは『コントロールできない程の気持ち』は、『ギアをコントロールできない』状態へと直結するという事だ。

 そしてシンフォギアはあくまで物だ、有機物じゃない。それが人体へ及ぼす影響は計り知れない。

 

「っく…待ってろ、立花っ!」

 

 もう俺はノイズのことも一瞬忘れ、急いで階段を駆け下りた。

 戦闘の後と思しき炭の塊が散乱している。俺を踏み倒しながら、地下鉄の最奥であるホームへと辿り着いた。

 

 

「ガッ、アアアウアアッッ!!」

 

 

 そこに立っていたのは獣だった。

 あの小さく縮こまっていた少女の名残はその身体の輪郭にしか見出せない。

 目は血走り、歯を剥き出しにし、息を荒げて無人の地下鉄を闊歩する。

 

「立花…!」

「フアアッ!」

「立花っ!!」

 

 俺は叫んで彼女に駆け寄った。

 肌もドス黒く変色している彼女は俺の声を聞いても反応しなかった。代わりに組み敷いたノイズをその手で掴み上げ、引き千切り、蹂躙する。

 

(これが暴走…!?)

 

 こんな姿が、あの小さな少女だと言うのか? あの小さなペンダント一つに、ここまで人を変える力が…! 

 

「アアアアッ!」

 

 立花の叫びで俺は我に帰る。

 そうだ、このままではあの子の何もかもが危険だ。

 

(やるしかないのか…っ!)

 

 カードを構えて、俺は逡巡した。守るべき相手に刃を向ける。その行為が俺の腕の動きを鈍らせる。

 だが……必死に呼びかけても正気に戻らないなら、もう手段は選べない。

 

 

「シールド・ウォリアーを召喚!」

『ムゥン!』

「立花を止めろ!」

 

 俺の指示を受け、槍持ちの戦士はそのまま走り出すと、立花の下まで駆け寄っていく。

 

『ヌッ、ウゥッ!』

 

 そのまま後ろから彼女を羽交い締めにした。既にボロカスとなったノイズの破片が飛び散って宙を舞う。

 だが…

 

『ウッ!? ウオォ…!』

「っ、シールド・ウォリアー!」

 

 立花がシールド・ウォリアーの腕を掴み、そのまま無造作に逆方向にひねり揚げた。

 俺は戦慄する。シンフォギアを使ったとはいえ、デュエルモンスターズの精霊を直接力で圧倒している…それも力任せにだ。

 

(バカな…立花にあれほどの力は無かった筈だ…!)

 

 だが事実として彼女はモンスターを圧倒するほどの強さを使っている。

 立花は一際大きな叫びを放つと、まるで狼のように手の平でシールド・ウォリアーの鳩尾へと一撃を叩き込む。

 

『グアッ!?』

 

 シールド・ウォリアーはそのままもんどりうって転倒し、俺の足元にまで転がる。

 だが立花はそれでも飽き足らないように、こちらへと身体を、向け歩き出す。

 

「……ウゥッ」

「立花…っ!」

 

 俺は疼く右腕を抑えながら彼女を見据えた。

 

「があっ…あ、あああああああっっっ!!!」

「立花っ!!」

 

 我を忘れ、肉食獣のように飛び込んでくる彼女。間一髪でシールド・ウォリアーが間に合った。

 その左手に持つ大楯を突き出し、腕を捌いた隙に、俺は横から躍り出て彼女の身体を抱きとめる様に押さえつけた。

 

「ぐぅ……なんだ、この力は…!?」

「アアアアアアアッッ!」

「立花、もうやめろ!」

 

 耳元で叫んだ。

 彼女の喚きが逆に俺の耳をつんざき、切り裂かれそうだ。まるで内側から刃を突き立てられたような感触。

 その時だった。

 

 

『……ノイズのエネルギー収束…確認!』

『…聞こえな……のか!? 遊星君、響君! そこから逃げろ!!』

 

 

 無線が戦闘の影響で入りにくくなっていた。さらに竜の痣の力の解放と、シンフォギアとのリンク現象。

 本部からの声は全く届かなかったのに、俺は立花に気をとられるばかりで、弦十郎さんたちの声はおろか、この近くに潜伏している筈のセルノイズの影響さえ忘れていた。

 

「しまった!!」

 

 目の前にいつの間にか立っていたそいつは、葡萄の実を象ったような球体を数発こちらへと転がしてくる。

 立花を押さえ付けていた俺は身動きが取れない。

 まずい、このままではかわすどころか、カードも…! 

 

『ウオオオオッッ!!』

「っ!?」

 

 響を共に抑えていたシールド・ウォリアーが彼女を手放し、球体に向かって突撃する。

 大楯を構えて俺たちとの間の壁になるようにして。

 彼のやることが、手に取るように分かってしまう。そうあるべしとカードに命を吹き込んだのは、他ならぬ俺自身なのだから。

 

「ぐぅううっっ!!?」

『グアアアアアアッッ!』

「シールド・ウォリアー……っ!」

 

 無数の爆弾の直撃を受け、シールド・ウォリアーの盾が砕け、槍が粉々になる。

 咄嗟に俺は立花を庇うようにして床に押さえつけ、その場に伏した。

 爆炎の中で、光の粒子になって消滅していく戦士が見える。

 

「っく…!」

 

 声を出そうにも、余波と突風で視界もおぼろげになる。

 この爆風の中で、俺は歯噛みすることしかできなかった。完全に俺のミスだった。

 奴を警戒していれば、くず鉄のかかしを発動させることも、予めモンスターを召喚することだってできた筈だ。

 それをみすみす…! 

 

『セルノイズ、反応微弱。ですが、徐々にエネルギーが再収束されていきますっ』

 

 弦十郎さんの声で、前方を見た。

 煙の向こうで、薄紫のシルエットがぼんやりとだが確認できる。

 奴だ。この群れを率いていたボスのセルノイズ。

 だが向こうは一旦攻撃を仕掛けたにもかかわらず、ゆっくりとその姿を消し始めた。

 

『セルノイズ、後方へ移動を確認!』

『チィ、次の攻撃に備えて距離を取るか…!』

 

 爆風に紛れて逃げるつもりだ…っ! 

 奴はその身体に付いた房のような球体で爆撃を仕掛けられる種だ。

 だが一旦全ての球体を放出してしまうと、戦う手段を無くしてしまう。その為これまでの戦闘データから、攻撃後は姿を隠したがるという特徴が確認されていた。

 

(まずい、このままでは…!)

 

「……ぅ」

 

 その時、俺の腕の中で、微かに聞こえる息遣い。

 視線を落とすと、そこには元の姿に戻った立花がいた。

 

「……っっ…」

「立花、大丈夫かっ!?」

「…ゆ、遊星さん?」

 

 呆然と俺を見上げる立花。もうさっきの様な覇気も怒気もない。普通の女学生となった眼に俺が映っていた。

 

「わ、私、あれ? 遊星さん、何時の間にここに…私、何やってたんですか……?」

「え…?」

 

 俺が言葉を失ってしまう。

 

「まさか、覚えていないのか、今の事を…」

「え、え? 覚えてないって…?」

 

 動揺は立花にも伝わったらしいが、彼女自身、視界がおぼつかずに目を瞬かせていている。

 どういうことだ…? 暴走していたのが原因で……彼女は我を忘れるほどの感情の波に呑まれていたというのだろうか……

 だが、その疑問は了子さんと弦十郎さんの言葉で掻き消された。

 

『響ちゃん、大丈夫っ!?』

『無事ならば返事をしてくれっ!』

 

 大きなその声に意識は呼び戻された。そうだ、今は非常事態なんだ。

 

「了子さん、立花の状態はどうだ?」

『こっちで確認できるデータでは、身体に異常はないわ。暴走も収まってる』

 

 了子さんの言葉を受けた俺は立花を強く揺さぶり、起き上がらせようと試みる。

 

「おい、怪我は無いかっ?」

「え、は、はい、大丈夫ですけど…!」

「立てるか?」

「へ、平気です…!」

「よしっ…」

 

 多少ふらつきがあるものの、彼女は両の足で何とか立つことはできた。見ても目立った外傷はない。安堵しかけたが、今は奴を追わなければならない。

 

『センサーの反応復帰しました。セルノイズ、離脱していきます』

「立花、キツいかも知れないが、奴を追う。出来るか?」

「あ…」

「辛いなら、ここで待機していても構わない。どうだ?」

 

 俺は彼女の目を見据えてハッキリと問いかける。まだ意識がおぼつかないようなら連れて行くのは危険だ。それに元々、彼女は非力なのだから。

 

「……だ、大丈夫ですっ」

 

 だが彼女は俺の目をしっかりと見つめて返した。

 

「本当に行けるか?」

「は、はいっ。私も、戦いますっ!」

 

 力強く頷く立花。

 多少の戸惑いはあるものの、普段のパニックから見られる恐怖心などは見られない。あの暴走の影響も、了子さんの言う通り、これならば心配しなくても大丈夫か…? 

 

「……分かった。何かあればすぐに言うんだぞ」

「は、はいっ!」

「よし、行こう」

 

 俺達は二人で、破壊された駅のホームを走り出した。

 

『ノイズ反応、地下鉄を更に移動中』

 

 藤尭さんの中継通り、俺達の視界の端に奴はいた。

 

「見つけたぞッ!」

 

 既にセルノイズはかなりの距離を移動し、既にホームの端の部分まで移動している。

 奴の身体は再び攻撃の為の球体を作り出していた。

 

「チィ…!」

「わ、ま、またあれを……!」

「立花、俺がくず鉄のかかしで攻撃を防ぐ。その隙にスピード・ウォリアーと一緒に攻撃するんだ。出来るか?」

 

 奴の機動力そのものもかなりのものだ。モンスター一体だけでは躱される恐れもある。

 ここは奇襲を仕掛けるしかない。

 臆するかと思ったが、立花はしっかり頷いて答えた。

 

「は、はい、何とかやってみます!」

「…分かったっ、行くぞ」

 

 俺は一枚をスリットに差し込む。

 更に手札として持った左腕から、スピード・ウォリアーのカードを取り出し、構えた。

 くず鉄のかかしなら、どんな攻撃でも防ぐことが出来る。

 更にさっき破壊されたシールド・ウォリアーも、その力を使えば立花を守ってくれる筈だ。

 これならば…っ! 

 だが、奴は更に先手を打って奇襲を仕掛けてきた。

 

 

『ノイズ、エネルギーを増大させています』

「来るぞッ! 

「っ…!」

 

 

 構える俺達と、距離を詰められていくセルノイズ。だが奴は次の瞬間思いもよらない攻撃に出る。いや、攻撃ではない。その球体を天井に向けて発射したのだ。

 

「なにっ!?」

 

 驚愕した俺達をよそに、地下鉄の天井が崩れ始める。轟音と爆風をもたらしながら、俺達の視界はコンクリートの破片と再び起きた突風で埋め尽くされてしまう。立花を庇うようにしてその場に踏みとどまった。

 

「くううっ!」

 

 一瞬途切れてしまった視覚からの情報。俺はこの視界が紛れた瞬間を狙って再び攻撃してくる可能性を考慮したが、奴は更に球体を天井へと放出し、頭上を爆破し続けているのが音と崩落の反響から察知できていた。

 

(この動き…どういうことだ…まさかっ!?)

 

『地下鉄、地上部分に露出しました』

『ノイズ、さらに後退していきます』

 

 奴は元々戦うつもりはなかったのだ。例え知能に該当する部分がなくとも、敵が迫っていることをさっきの響の暴走で察知できていたのだ。炭化できず、爆破でも殺せない生体反応があれば、奴は当然別の目標に狙いを定めようとするだろう。

 このまま外へと離脱するつもりだ。

 

「あ、あれ、ノイズが…!?」

「立花、奴を追うぞ! あいつは街に逃げて別の人間を襲うつもりだ!」

「そ、そんなっ!」

「急ごう、このまま野放しにはできない!」

 

 俺の言葉と共に、再び走る。

 爆風もようやく完全に晴れて視界がクリアになったが。その眼の前には奴の姿がない。代わりに天井にポッカリと空いた穴が、俺達を待ち構えていた。穴の真下まで走りこんで上を見ると、セルノイズの姿を確認できた。

 

「あ、あ、逃げられるっ…!」

「くっ…!」

 

 ここで逃がす訳にはいかない。

 俺はカードを構え、スピード・ウォリアーを召喚しようと試みる。

 だが、次の瞬間だった。

 その必要がないことを思い知らされる。

 

「えっ……?」

 

 セルノイズは、既に穴の向こう側から外へ出ようとしていた。

 だが時刻は戦闘が始まってから既に15分以上経過していた。

 すなわち、装者との完全合流時間だ。

 

「あ…」

「立花…?」

「流れ…星だ……」

 

 俺は宙を見上げる。

 漆黒の夜を切り裂いて、白銀に煌めく閃光が尾を引いて宙を駆け抜けていた。

 流れ星…いや、ここからあんな風に流れ星が視認できるなどあり得ない。

 それにあれは寧ろ彗星クラスの推力……

 

 

 ―……! 

 

 

 瞬間、俺達のセンサーはハッキリと捉えた。

 この戦場において凛と煌めく美しき歌声。

 例え空が燃え尽きようとも見る人の心を魅了せずにはいられない、戦乙女の命の閃光と旋律を。

 

「翼さんっ!?」

 

 響が叫ぶ。シンフォギアで強化された彼女の視力ならば、捉えられても不思議はない。

 そうか、あの光は…! 

 俺が気付いた瞬間、更に彼女の歌声が輝きを増した。

 

 

 ―………!!!! 

 

 

 文字通り一閃。

 流星より解き放たれたエネルギーが弧月を描き、空を裂く。

 発射された『蒼の一閃』は大気を震わせ、土煙を散らし、跳ね付け、まるでそこに辿り着くのは必然。

 瞬間、俺達の視界の外側で大きく唸りを上げる爆風と、もう一つの風切音。

 

『セルノイズ、爆散を確認しました!』

 

 友里さんが歓声を上げた。

 そして、言葉を失ってその場で立ち尽くす俺たちの前に。

 

「……風鳴」

「…」

 

 風鳴翼は降り立つ。

 たった今、セルノイズを真っ二つに両断し、尚も輝きを失わない、その力強い言の葉を剣に宿して。

 俺達にもはっきりと伝わった。

 俺達があれ程苦戦していたセルノイズを、彼女は到着してからものの数秒で、打ち倒してしまったのだと。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 流れ星に見えた光の筋は翼さんだった。

 私が直感的に分かった時には、既にノイズは消し飛んでしまった後だった。私たちの前に降り立った翼さんは、ボンヤリそんな事を考えている私達を冷たく見る。

 

「………」

「……」

 

 遊星さんと翼さんは、無言で数秒見つめ合った。

 私は、いつもの通り横でそれをオロオロしながら見つめ……

 

(……何やってんだろ、私)

 

 られなかった。

 出来るわけがない。

 自分が弱いことは分かってる。

 意気地がないことも。戦いを知らないことも。だから翼さんに認めてもらえないんだってことも。

 アームドギアが出せないのだって、私が弱いからに違いない。だからシンフォギアが私に応えてくれないんだ。

 

『翼、よくやってくれた』

「いえ。これより、本部へ帰投します」

『遊星君と響君も、よく頑張ってくれた。君達も戻ってゆっくり休んでくれ』

「ああ」

 

 弦十郎さんの声が聞こえる。

 私には何も返せなかった。何もしていないのも同然なのだから。

 

「……立花」

「遊星さん……」

 

 遊星さんが、私の肩にポンと手を置く。その皮手袋には、ほんの僅かに血が滲んでいる。

 

「ゆ、遊星さん、それ…血が」

「ん? ああ、どこかで痛めたのかもな」

「だ、大丈夫ですか?」

「かすり傷だ、気にするな」

 

 そう言って、今度は血のついてない逆の手で私の肩にそっと触れる。

 

「よく頑張ったな。今日はもう帰ろう」

「……」

 

 微笑みながら優しい声で遊星さんは言ってくる。

 私は涙が出そうなのを何とか堪えた。

 

「…はい」

 

 いけない。

 泣いているのを悟られちゃいけない。自分が弱いのは分ってる。心まで情けない所を見せて慰められたら、この上一層惨めだ。

 

(私は……本当に必要なのかな)

 

 駅のホームを逆に戻りながら、私はうすぼんやりとそんな事を考える。私みたいな素人は、来ちゃいけないんだろうか。今日だって、そのせいで遊星さんを巻き込んだ。翼さんにも白い目で見られ続けてる。弦十郎さんや了子さんは何も言わないけど、きっと心の底で呆れているに違いない。

 

(このままじゃ……)

 

「……立花響」

「……え?」

 

 翼さんがふと口を開いたのは、駅の入り口を抜け、公園にまで差し掛かった時だった。

 

「あなた、何時までそうしてるつもり?」

 

 私に背を向けたままで、翼さんが言葉を投げかける。

 その時に気付いた。翼さんがシンフォギアを纏ったままだという事に。私もつられて身に着けたままだったけど、今になってそれが変だと分かった。

 

「……」

 

 背中越しなのに、翼さんの覇気が伝わる。

 瞬間、私はビクリと身体を震わせた。

 

「……つ、翼さん…?」

「その男の影に隠れて怯えるばかりで……自分は情けないと慰められるのを待ち続けて、殻に籠って………そんな中途半端な姿で人を憤懣させるのはいつまでだと聞いている」

「……っっ!」

 

 もっと早くに気付いておくべきだった。

 翼さんは、戦いでは私に興味がないと目を逸らしていたのは、私を本当に見るためだという事に。

 私はずっと、この人に見られていたんだという事実に。

 

「答えなさい」

 

 身を翻す翼さん。

 以前のように、剣を突き付けられたわけでも、睨み付けられたわけでもない。

 ただ防人の使命と言う意思が鋭い刃となって、私の胸を刺す。

 

「…わ、私は」

 

 苦しい。

 息ができない。

 お腹が締め付けられる。

 そんな事すらも自分で気付かないままに、ただ永遠に時間が過ぎるような感覚に襲われる。怖い。翼さんがじゃない。その後ろにあるもっと大きないものが、私を責め立てている。呼吸さえも困難になっていく中で、耳元から届いた無線が、割って入った。

 

『翼。響君も疲れてる。今は…』

「すみませんが司令。ここは以前の様には引けません。どうしても問うておかねばならぬものです」

『翼っ』

 

 弦十郎さんの語気が強まる。

 けど翼さんの視線は弱まるどころか、逆に強く私を射抜いた。

 

「弱かろうと、傷つこうと、それが本人の覚悟なら黙りましょう。ですが……」

 

 一歩、翼さんは踏み出す。無意識に私は後退していた。

 それが余計に、この人の眼光を鋭くした。

 

「……櫻井女史、お尋ねします」

『ん? 何かしら?』

 

 了子さんの声がする。何気なしに振る舞っているのが優しさだと私達は気付いていたけど、次の一言で、全員が凍りついた。

 

「彼女の適合係数が下がっているのではないですか」

「っえ…」

『…まあ……上昇はしてないわね』

 

 少し沈黙した後で、了子さんは答える。こんな口調で言う了子さんを私は初めて聞いた。それなのに私はただ怯えてばかりで苦しくて……

 

「このまま放置すれば、ギアの維持すらできなくなります。そうなる前に戦場より遠ざけるのが、せめてもの慈悲です」

 

 そう言って翼さんは私に向かって歩き出す。直感的に悟った。この人は私から無理矢理ガングニールを奪い取るつもりだ。どういう手段で私から取り上げるかは分からない。そもそも私の中に埋まっているこれを取り出すのはお医者さんでも無理だった。

 けど……もしかすると翼さんは、この時に私を全力で叩き潰して、戦意を失わせようとしたのかもしれない。

 

 

「………」

「ゆ、遊星、さん」

 

 

 だから、遊星さんは、私と翼さんの間に割って入った。仲間の絆を大切にすることの人だから。

 けど今の私は、そんな事なんて知らずに、ただ縋りたい衝動に駆られてしまう。

 

「まさか止めないわね」

「……」

 

 そんな甘えを。

 遊星さんの優しさを、強さと混同した私の弱さを見抜くかのようにして、翼さんは斬って捨てる。

 

「あなたがこうして庇っているから、彼女は戦えない。それどころか戦う意思すら奪っている。適合係数が下がっているのがその証拠だ」

 

 もう一度、私はその身体を震わせた。

 今度は勘違いじゃない。翼さんが私を睨み付けている。

 本能的に唇を舐めた。

 

「その子を鈍らせたのはあなた自身だ、不動遊星」

 

 ハッキリと翼さんが断言した。

 違う。

 私だ。

 間違いない。非難されているのは私だ。

 私のせいで、遊星さんまで……

 

「…それでも」

 

 遊星さんもそれは分っていたに違いない。

 私を守れば守るほど、弱い私はそれに縋ってしまうことを。影で怯えるばかりで、何も出来なくなることを。

 

「俺は彼女を見捨てる気はない」

「何故?」

 

 それでも彼は見捨てようとしなかった。

 それが不動遊星の強さだったから。

 

「仲間、だからだ」

 

 庇うようにして両手を広げる。

 目の錯覚なのか、遊星さんの右腕にある痣が見える気がした。あの時、一瞬見えただけだった、竜の顔を描いた不思議な赤い痣。

 その竜の眼が、私を射抜く。

 

「ならばそちらが構えるか」

 

 甲高い音がする。

 ふと顔を上げると、翼さんはギアの左足のスリットパーツから、細身の剣を抜き出し、遊星さんに突き付けた。

 

「馴れ合って慰め合うのが仲間の印と言うのなら、貴様もその子と同じ鈍らだ。そんな男と、私は戦場を駆けるつもりは微塵もない。それを否定するというのなら、貴方が代わりに覚悟を示しなさい」

 

 翼さんは本気だ。

 この人は冗談や脅しで剣を抜くような人じゃない。

 

「……ゆ、遊星さ」

 

 言葉が出ない。

 けど、それでも遊星さんも引かない。翼さんも一旦抜いた剣は簡単に納めない。

 

「え…あ……」

「下がってろ」

 

 だから、二人は向かい合うしかない。

 何の理由も目的もない。意味も、誠意もない。

 信念も正義だってあるもんか。

 

「…めてください」

 

 心臓が押しつぶされそうだった。

 何で? 

 どうして、この二人が戦わなくちゃいけないの? 

 この人たち、何も悪いことしてないじゃないか。

 遊星さんは他の世界から来て必死に元の世界へ帰ろうとしている。

 翼さんは、あの日、私を助けてくれた『あの日』から一人で戦い続けてきた。

 

(……違う…っ)

 

 バカだ私は。

 何をやってるんだ。

 ただこれは、私が弱くてしょうがないから……情けないから……

 私が悪いんじゃないか。

 私が惨めにこんな風だから、それで二人は向かい合ってる。そんな事も分からないのか大馬鹿者め! 

 私は自分で自分を引っ叩きたい衝動を情けなさで抑え込んだ。

 

「立花…」

「お願いですから止めてくださいっ!」

 

 必死に懇願した。

 逆に今度は私が二人の間に割って入り、両手を広げて。遊星さんを抑え付けるようにして叫んだ。

 分かってる。

 私がこんな事を言う資格がないんだってことぐらい。

 

「私が悪いんです、悪いのは私ですっ!」

 

 弱いのは私のせいだ。

 惨めなのは私のせいだ。

 それなのに遊星さんに甘えてたのも私のせいだ。

 

「お願いします。打つなら私を打ってください! 斬るなら斬って下さい! でも……っ!」

 

 ここで庇われたら、本当に私は卑怯者だ。

 そうしたら私は本当に誰とも顔を合わせられなくなる。二年前、私を助けてくれた『あの人』にも、誰とも口を利けなくなってしまう。

 だから……だからこそ……

 

 

「でも私にだって、守りたいものがあるんですっ!!」

 

 

 何もせずに退場するのだけは嫌だ。

 このまま私は終わりたくない。

 ここで下がってしまったら、私はもう、嘘つきと同じだ。そうしたら、私は……

 

 

 ―人殺し! 

 

 瞬間、脳裏に浮かんだのは、人々の怨嗟の声だった。

 

 ―死ね! 

 ―お前だけ助かりやがって! 

 ―なんであなただけ生きてるの? 

 ―お金貰えるんだって? 

 ―そっちが死ねばよかったのに! 

 

 

 記憶が蘇る。

 もう思い出したくない。開けたくない苦痛の蓋。

 あの頃に、戻りたくない……

 守られて、壊してしまうのは、もう嫌なんだっ! 

 

 

「っ……っ……」

 

「だから?」

 

 

 苦しい沈黙が、叫びたいのに叫べない時間が、永遠に続くかと思われた時だった。

 

 

「だから? で? どうすんだよ?」

 

 何時の間にか、その子は居た。

 

「………え」

 

 

 私達に何も気取られず、気配も見せずに。

 遊星さんや翼さんがいたというのに、誰もその子の存在に気が付かずにいた。

 朧月が雲の裂け目から姿を現すと同時に、彼女の姿は露わになった。

 

「……っ!?」

 

 ゾワリと、私の背中を何かが這った。

 身体中を刺々しい白銀の鱗みたいな鎧で覆われて、正体は見えない。けど、一目見た瞬間に、私はその存在に恐怖した。

 あれはノイズじゃない。けどそれ以上に危険なものなのだと、私には分かってしまう。

 いや……やはり分かってない。

 

「……こいつは…!?」

 

 この場でその恐怖を理解していたのは、他ならぬ、この中で最も鋭い剣を持っていた人だった。

 

「……い」

「え?」

 

 翼さんが呆然と立ち尽くす。

 遊星さんと私が呆気にとられて翼さんを見ても、向こうは全く反応せずに、真っ青になって突如現れたその存在を凝視していた。

 やがて月明かりが私たち全てを明るく照らした時に、翼さんは今度こそ、皆にも聞こえる声でハッキリとこう言った。

 

「……ネフシュタンの……鎧」

 

 月明かりが、私達を照らす。

 四月だというのに、やけに寒かった。

 それなのに、風は全く吹いていない。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・

 

 

 

 次回予告

 

 ―私の弱さが、遊星さんに、翼さんに、血を流させる

 ―俺の弱さが、風鳴を、立花を、孤独にさせる

 ―私は、どうしたらいいの? 

 ―俺は、何処へ向かえばいいんだ? 

 

「響には、響のままでいてほしいな」

 

 ―私は、私のままで、強くなりたい

 ―俺は……

 

「忘れるな、俺達の絆は永遠だ」

 

 

 次回、龍姫絶唱シンフォギアXDS『落涙と、覚醒の鼓動』

 

 

 ―俺の、為すべきことは……

 




みんなのヒロイン登場
テレビでは熱中症のニュースなども流れ始めました。皆さん、体調には十分ご注意下さいね。


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第3話『落涙と、覚醒の鼓動』-1

大変遅くなってしまったのですが、
ここまで感想書いてくださった方ももちろんですが、お気に入り登録してくださった方々や、評価を入れて下さった方々も、本当にありがとうございます。
また、誤字のご指摘を下さる方も、大変助かっております
この場で改めてお礼申し上げます。

これからもよろしくお願いします。


 闇に、白い影が一つ。

 雲の縫い目の隙間を通して、月明かりが周囲を照らす。

 その向こう側に、奴はいた。

 

「だから? で? どうすんだよ?」

 

 高い、少女の声だった。

 俺達は全員、突如として現れた乱入者に釘付けになっていた。

 

「……っ」

 

 隣で、立花が息を飲むのが聞こえる。

 俺もそうしていたかもしれない。乱戦に次ぐ対立、そして衝突へと向かう刹那。音も立てずにそびえ立つ謎の人影。

 

(なんだ、こいつは…この異様な気配…!)

 

 話には上がっていたことだ。

 ノイズの裏で何らかの悪意が働いているという事を。

 そしてそれが俺をこの世界に呼び寄せた根幹であることも。

 だが、目の前にいるのは……

 

(ノイズじゃない……人間…それも…っ!?)

 

 顔や細かい容姿は分からなかったが、やがて露わになったその姿から年恰好は推測がついた。

 まだ幼い少女の様ではないか…それこそ立花や風鳴とそう変わらない位だ。

 だが、俺たちの目を釘付けにしたのは、その異様な出で立ちだった。

 白く銀に光るうろこのような鎧で全身を覆い、肩からは突起と、茨を想起させるような鞭が垂れ下がる。

 

 瞬間、俺の右腕にある痣が光り始めた。

 それだけではない。

 

「くっ…何が起きて……ぐっ!?」

 

 禍々しい意匠に圧倒されたのか、俺は耐えきれずに膝をつく。だが竜の痣は俺の意思とは御構い無しに、容赦なく疼きと痛みを訴えかけている。

 

「ゆ、遊星さん?」

「…腕が、うっ、っ……!?」

 

 立花が心配そうに俺に駆け寄るが、俺の身体は全身が汗まみれになり、ロクに口を利ける状態ではなかった。

 夜の寒気も、無風の不気味さも関係ない、ただ痛みだけが、雄叫びを上げるかのように腕を……そして精神を刺していく。

 

(腕だけじゃない……あ、頭が割れそうだ……っ!?)

 

 それは俺に錯覚のようなものを与えていた。

 ここは夜の公園で、隣にいるのは立花の筈だった。

 だが…

 

 

 ―飛ぶぞ、翼! ―

 

 

(……なんだ、この声は…!? 頭に直接響いてくる…?)

 

 聴いたことのない声、見たことのない姿が俺の脳裏をよぎる。

 

 ―この場で槍と剣を携えているのは、アタシ達たちだけだ! ―

 

 これは、赤き竜が俺に見せているのか。この幻覚を。

 

「つ、翼さん! 遊星さんがっ!」

 

 響が俺の背をさすりながら、必死に風鳴に訴えかける。

 だが、彼女は今とても他人を気にかける余裕など存在しなかった。

 

 

「ネフシュタンの鎧……だと…っ!?」

 

 

 彼女の顔は青ざめ、さっきまでの一触即発の流れなど既に消え去っていた。

 肩は震え、指先には力が入らない。

 あれ程の剣気を宿していた少女が見る影もない。

 彼女だけではない。俺を含む全員が、他人に配慮などできるはずもなかった。

 

「へえ……あんた、この鎧の出自を知ってんだ?」

 

 突如現れた謎の人物は、まるで新しいオモチャを見せびらかすようにせせら笑う。

 ネフシュタンの鎧、とは……あの、鎧のことなのか? 

 

(どういうことだ……あの人間を、風鳴は知ってるのか…?)

 

 怪しく笑う突然の乱入者に対して、風鳴は完全に平静を失っていた。

 

「二年前……」

 

 ワナワナと身体を震わせ、風鳴は一歩踏み出す。

 その背中には、今まで見たことのない感情が宿っていた。

 

「私の不始末で……奪われた物を忘れるものか…」

 

 俺は彼女の一面しか見ていなかったのだ。

 

「何より…!」

 

 彼女は震えを怒りの感情へと転化し、さっきまで俺に向けていた剣を鎧の少女へ突き出す。

 

「私の不手際で奪われた命を、忘れるものかっ!!」

 

 否。

 既に怒りでさえなかったかもしれない。

 それは苦痛であり、悲しみであり、不安であり、恐怖だ。

 だがこの時の俺に、それが分かる筈もない。

 

「か、風鳴……うっ!」

 

 声をかけようとするも、再び俺に襲い来る幻覚と幻聴。

 

 

 ―翼……どこだ? 真っ暗で、お前の顔も見えやしない―

 

 

 夕闇が見える。

 醜悪で残酷で無残な……それでどこかが美しく感じる、歪な景色…。

 

(なんなんだ、さっきから、一体……!?)

 

 痛みと苦痛に顔が歪む。俺の意思とは関係なく、勝手に映像と声が流れ込んでくる。

 赤き竜が俺たちに見せた幻影とも違う。

 これは…むしろ、幻覚と言うより、本物の…! 

 

『照合完了。間違いありません。ネフシュタンです』

『馬鹿な……!』

 

 その時だ。

 無線から、弦十郎さんらの呆然とした声が聞こえてきたのは…

 俺は痛む腕を抑えながら、彼らに呼びかけた。

 

「弦十郎さん……あ、あれは一体…?」

 

『装着者は?』

『駄目です、ジャミングが掛けられてますっ』

『現場に急行する! 何としてもあれを確保するんだ!』

『了解!』

 

 こちらの問いかけなど一向に答える気配はなく、慌ただしい雰囲気だけが伝わってくる。オペレーターの藤尭さんや友里さん、更には弦十郎さんでさえ、心の奥底では狼狽しているであろうことが伝わってくる。

 

「おい、何の話をしているんだ!?」

 

 堪らずに俺はDディスク越しに叫ぶ。

 だがここでも逆に弦十郎さんの鋭い指示が飛び込んだ。

 

『事情は後だ! 遊星君、翼と協力して、あの鎧と装着者を確保してくれ! 俺も今からそちらへと向かうっ』

「何だって…っ?」

 

 指揮官が現場を離れるなど一番あってはならない事だ。

 それに特異災害への対応を司るこの組織で通信に応答する余裕もないなど、普通考えられない。

 それこそ、普通では考えられない何か……

 

 

 ―悪いな……もう一緒に歌えないみたいだ……―

 

 

 瞬間、襲ってくるのは脳裏をよぎる映像と音声。

 

「ぐっ!?」

 

(さっきから何だ……!!? 俺の頭に直接送り込まれてる…!)

 

 俺は必死に意識を集中させた。

 こんな訳の分からない出来事の連続の中でも、身体だけは全力で前へ向こうとしている。赤き竜の意思なのか……いやこれは……本能か? 

 

「つ、翼さん、遊星さんが…!」

「……」

「翼さんっ!」

 

 再三立花が風鳴に呼びかけるも、彼女は既に臨戦態勢へと入っていた。

 巨大化させた剣を上段に構え、相手に容赦なく剣気をぶつけて間合いを図る。それは他者を守る防人ではなかった。

 容赦なく敵の命を刈り取る…修羅だ。

 

 

「おーおー、良い調子じゃねえか。それなりにはな」

「貴様っ…!」

 

 これほどまでの威圧感を叩きつけられても、相手は意に介すどころか歯牙にもかけない。その傲慢さが風鳴の心を更に沸騰させる。

 

「か、風な…っううっ!!?」

 

 

 ―知ってるか、翼…? 思いっきり歌うとな……すっげえ腹減るみたいだぞ―

 

 

 再び衝撃が俺の脳と身体を刺す。

 次第に音と映像が当たる強さが増してきている。

 ダメだ、このままでは風鳴に加勢することも抑えることもできない。

 

「……っ…っ!!」

 

 最早二つの刃がぶつかり合うのは時間の問題だと思われたその時だ。

 

「翼さん、止めてくださいっ!」

「っ…!」

 

 立花だった。俺を飛び越えるように走り抜け、一直線に突き進むと、風鳴にしがみつくようにして動きを差し止める。

 

「な、何をするっ!? 離しなさいっ!」

「だ、駄目ですっ!!」

 

 普段ならそのまま引き剥がしてしまう風鳴だったが、相手に意識を集中させようとしていたことが裏目に出ていた。虚を突かれた形となり困惑している。

 

「相手は人ですっ! 同じ人間ですよっ!」

 

 尚もそう言って抑え付けようとする立花。

 だが彼女の立ち振る舞いを見れば動きが素人なことは誰もが想像がつく。そしてそんな少女が己の領分に踏み込むことは、逆鱗に触れるという事も。

 

 

「テメエ……」

 

 

 さっきまで余裕を見せていた鎧の少女は、思わぬ乱入者に憤慨していた。バイザーから僅かに覗く素顔から激情の言葉が飛ぶ。

 

「戦場を前に……」

「何を呑気な事をっ!」

 

 だがそれは風鳴も同じだった。

 鋭い切っ先を逸らすような要素を、そのままにしておける筈もない。暗闇の中、少女たちの怒号が立花を突き刺す。

 ビクリと身体を震わせる立花をよそに、少女たちは思わう同じ発言を飛ばした者同士を見て、微笑を浮かべる。

 

「……あなたとの方が、気が合いそうね?」

「へえ、そうかい? だったら……」

 

 冷たい風が吹いた。月明かりだけが二人に降り注ぐ。

 パキリ、と誰かが枝を踏み抜く。それが開戦の合図となった。

 

 

「だったら気が合う者同士、じゃれ合うかっ!!」

 

 

 鎧の少女が大地を蹴る。

 一瞬の差で、風鳴が立花を後方へと突き飛ばした。小さな悲鳴と共に立花はつんのめって坂を転がる。だがこの場合は正解だった。

 

「おぉらああっ!」

 

 エネルギーを纏った鞭がさっきまで風鳴の居た地点を抉り飛ばす。

 間一髪の差で横に跳躍して躱すも、次の瞬間には逆方向から抜き手が伸びていた。体を捻って捌きつつ、風鳴も蹴りを繰り出す。短い間合いまで一瞬で詰めてからの攻防。

 頭を襲う痛みと腕の疼きに耐えながらも、その光景は視界に飛び込んでいた。

 

「はああああっっ!」

「おおおおおっっ!!」

 

 両者の拳と足、そしてそれぞれの獲物が空を斬り、風を裂き、そして大気を震わせ土を抉る。

 共に譲らぬ激しい応酬。

 後方ではようやく立花が起き上がって、呆然とその様子を見上げていた。

 

「つ、翼さん…っ!」

 

 ついに始まった戦いに、立花はついていけない。恐らく目で追うだけでも精一杯だ。風鳴が彼女を突き飛ばしていなければ巻き込まれて怪我では済まない可能性さえある。

 俺は何とか身体を押して立ち上がり、彼女の元へと近づく。

 

「…くっ…!」

「ゆ、遊星さん…!」

「立花…っ!」

 

 慌てて彼女も立ち上がり、俺の方へと近づく。この突然の事態の変化についていけてないのは明らか。俺もそう。

 だが…この子の心は、俺達が見ていないものを見ていた。

 

「どうしよう……翼さん、あの人を…っ!」

 

 彼女は初めから止めようとしていた。この戦いを。

 彼女にとって、戦いとは迫りくる恐怖と脅威を払うためのものだ。決して憎い仇を打ち倒す者では無かった。まして氏素性も分からぬ相手と刃を交えるなど考えたくもなかったのだろう。それは彼女の過去に起因していたが、その時の俺は知る筈もない。

 

「遊星さん、翼さんを……翼さんを、止めないとっ!」

「っ…ああ…っっ!」

 

 無論、俺もこのままにしておくつもりなどない。

 

(風鳴もそうだが……

 

 腕の疼きと頭の衝撃は、何かを伝えようとしている筈なんだ。赤き竜はこれまでにも、俺に使命と運命を伝え、導こうとした。ならば、今この戦いに対して俺がやることは……

 

 

「ぐぅ…!?」

「風鳴っ!」

「翼さんっ!」

 

 

 意識を戦いへ切り替えようとした時、均衡が崩れた。

 大刀を鞭で受け止めた少女は、風鳴の勢いを利用してそのまま腕を振り似た。すんでのところで攻撃は頭上をかすめるが、次の瞬間には、敵の足は風鳴の鳩尾を捉えていた。

 

「あああっっ!!?」

 

 深々と食い込んだ脚は、一瞬の空白を置き、風鳴をはるか後方へと吹き飛ばす。俺達は唖然とした。

 あの子が……風鳴が、近接戦闘で後れを取っているだと…

 しかも間合いを詰めた状態では加速はつけられない。相手は地力と筋肉のバネのみで押し通したのだ。

 

 

「あっ……がっ…!?」

 

 

 突然襲った衝撃は風鳴の精神自体にもプレッシャーを与えていた。

 肺の空気を強制的に押し出され、咳き込みながらも立ち上がる。だがそこではいつもの覇気と冷静さは半減していた。

 

「これが……完全聖遺物の、ポテンシャル…っ!?」

 

 剣を持ち直しながらも、脚を僅かに後退させ、摺り足で相手との間合いを取り直す風鳴。

 …その光景もやはり信じられない。彼女が攻めあぐねている。

 そんな様子を見て、敵はますます調子づき、せせら笑う。

 

「おいおい、ネフシュタンの力だなんて思わないでくれよな。アタシのテッペンは、まだまだこんなもんじゃねえっ!」

「このぉおおっ!」

 

 歯牙にもかけない態度に、風鳴は激昂した。相手が再び、鞭をしならせて鋭い突起を風鳴にぶつける。だが風鳴は感情を爆発させ、それを鋭さに変えるかのようにして、再び上段に剣を振り上げ跳躍した。

 

「うおおおおおっっ!」

「翼さん!」

「風鳴!」

 

 猛然と敵に突っ込み、果敢に剣を振るう風鳴。

 だがいくら剣を振るっても、その刃は空を斬り、切っ先は操られたように何もない空間を横切るばかり。

 

「風鳴止めろっ! いったん距離を取れっ!」

 

 だが俺の言葉も通じず、風鳴はアームドギアを振るい続けた。

 

(駄目だ…! 完全に冷静さを失っている! このままでは…!)

 

 敵はパワーだけじゃない。スピードも互角かそれ以上だ。

 大振りの剣でそれを捉えるのは容易ではない。斧で飛ぶ蝿を叩き潰そうとするに等しい。いつもの風鳴ならばそれが分かっていない筈はないのだ。敵の挑発に安々と乗る少女ではないことも分かっている。

 

 だが……

 

「ぐぅっ…!?」

 

 再び敵の鞭が風鳴を捉え始めた。隙間を縫うようにして反撃の機会を窺い、アームドギアだけでなく、脚に装備された曲刀も用いて反撃する。だが全て躱されていた。紙一重で見切り、いなしている。

 

(どうしたって言うんだ風鳴……何があいつをここまで…!!)

 

 相手は素人ではない。

 あれはかなり専門的に訓練を積んでいる動きだ。

 激情した状態で挑める相手ではない。

 相手は既にここまでの戦いで、彼女の戦術を完全に見切っていた。

 しかもあのエネルギー量は、風鳴の持つ天羽々斬を遥かに凌駕している。

 

「翼さん、翼さんっ!」

 

 なおも必死に呼びかける立花。

 だがそれを嘲笑い、鎧の少女は俺たちにその鋭い眼光を向けた。

 

「ああ? お呼びじゃねえんだよ」

「っ!」

「こいつらでも相手してな」

 

 そう言って彼女が取り出したのは、小型の弓を思わせる形状の武器だった。

 質感は金属の様に見える。だがあれを見た時、俺の中に嫌な予感が這い回った。

 あれはただの武器じゃない。もっと禍々しい何か…! 

 

「ほらよっ!」

 

 少女は弓を番え、風鳴の剣を鞭で反らしながら俺たちに向けて何かを放った。一瞬攻撃かと警戒するも、放たれた光の筋は俺たちを素通りする。

 しかし瞬間、俺たちは凍りついた。

 

「なっ…!?」

「そんな…!」

 

『ノイズの発生を確認! ヒューマノイド型が2体!』

 

 光が着弾した地から、徐々に空間が歪む。そこから鎌首をもたげたのは、ついさっきまで俺たちを苦しめていた諸悪の根源。

 

「うそ……ノイズ…!?」

「そんなバカな!?」

 

 首長い鳥類を思わせるノイズは、ゆっくりとこちらを向くと、目標を俺たちと定めたのか、歩き出して距離を詰める。

 

「こ、こっちに来る…!」

「コイツら…!」

 

 間違いない。

 ノイズは一瞬、明らかに風鳴を見た後で、俺たちに狙いを定めた。

 奴等は生体反応を確認した相手を追跡するだけだ。見失うまで目標を変更する事は絶対にない。

 という事は…! 

 

「ゆ、遊星さん…!」

「立花、下がれ! 俺たちを狙ってる!」

「…っ!」

 

 あの武器の仕業か…! 

 あの弓状の武器。あれでノイズを呼び出したのだとすれば、意のままに操る力を持っていてもおかしくない。

 だとすれば、ここ一連の騒動の黒幕はやはり…! 

 

(いや、今は考えてる時間はない!)

 

 頭の衝撃は無理矢理に抑え込んだ。命の危機に、悠長に構えている余裕も隙もない。

 

「スピード・ウォリアーを召…」

 

 

「は? できると思ってんのか?」

 

 

「っ!?」

「おせえんだよっ!!」

「っが……うあああっっ!!」

 

 気が付いた時、俺の腹部には少女の膝が深くめり込んでいた。

 圧倒的だった。

 風鳴が距離を取り、攻守が入れ替わった一瞬の隙を突いて、奴は俺の目の前まで躍り掛かっていたのだ。

 

「遊星さんっ!!」

 

 立場の悲鳴が遠くへ聞こえる。

 蹴りの衝撃が鳩尾から全身へ広がる。苦悶に顔を歪めながら、地面を転がり跳ね、数十メートルは吹き飛ばされた。

 

「…っ…ぅ…が……はっ…!」

 

 吐きそうになる感覚を必死に抑え、意識を繋ぎ止める。

 

(いつの間にか、目の前に…これが……聖遺物の力だというのか…)

 

 実体化したモンスターの攻撃を食らった事はある。だが今受けた一撃の強さは、闇のデュエルと同等…いや、それ以上だ…。

 こんなものをまともに受けたら常人なら即死だ。赤き竜の加護を受けている状態でも、何度受けきれるか…! 

 

(…!?)

 

 その時、Dディスクから数値が覗き、俺の視界へと飛び込んでくる。

 表示された数値は1000…。

 

「へ、『アイツ』が言うからどんなもんかと思ってたら、この体たらくかよ。雑魚が」

「……っ…が…っ!」

 

 少女は吐き捨てる。

 鎧とバイザーに覆われ、その表情は読めない。

 だが、彼女はゆっくりと、俺たちへと歩を進める。その進む先には、ノイズに対してまるで無防備になっている立花の姿…! 

 

(しまった…このままでは…彼女が…!)

 

 データ通り、少女の鎧の強さをモンスターに換算すれば3000に相当する。

 最高レベルのモンスターに匹敵する強さだ。人間が出せるような領域の力でない。

 まして彼女の強さのデータは側にいた俺が一番把握しているのだ。

 

「あ、ああ…!」

「……たち、ばな…! 逃げろ…!」

 

 叫びたいのに、できない。

 乾いた空気が漏れただけだ。

 必死に全身に力を込めて立ち上がろうとするが、膝から力が抜けていく。

 

『遊星君、動けません!』

『響ちゃん! 早く逃げなさいっ! 響ちゃん!』

「っ!」

 

 友里さんの声が無線に響く。

 それがすんでのところで震えた彼女の体を叩き起こした。

 ノイズから距離を撮ろうと走り出す立花。

 

「……はぁ! はぁ!」

「逃げられると思うなよ!」

 

 …が戦うものとして、一番やってはいけない事。

 相手に背を向けてしまっていた。

 

「……ぁう!?」

「立花…っ!」

 

 呼吸がようやくできるようになった時にはすでに遅かった。

 鳥型のノイズが口から吐き出した粘性の液体が立花を直撃する。

 

「っ…!? う、動けない…うそ、なんで…!?」

 

 彼女の体が硬直する。液体そのものに攻撃性はなかった。だがその真意は、敵を捕縛することにあったのだ。

 まるで蜘蛛の糸のように彼女の体に絡みつくと、たちまち硬質化し、彼女を縛める鎖となる。

 

「う、な、なに……このっ、このぉ…!!」

 

 必死に脱出しようともがくが、動けば動くほど逆に液体は絡みついて硬くなり、ますます自由を奪っていく。

 

「……あのノイズは…この為の…っ…!」

 

 直感的に悟った。

 奴は俺たちの行動パターンを読んでいる。

 どう言う経緯かは不明だが、向こうは初めから立花がろくに戦えないことを知っていたのだ。

 

(駄目だ…今動けば立花が……!)

 

 モンスターを召喚しても、あの距離では立花が狙われる。そうなれば終わりだ。

 いくらシンフォギアでも、彼女ではあの攻撃の直撃を受ければ耐えられない。

 

「さてと、そこの雑魚は動けねえし…」

 

 俺を退け、立花の動きを封じたことで、向こうは悠々と歩き出している。

 だが少女が歩き出した瞬間、剣が翻り、閃光が散った。

 

 

「っ…っ!?」

「その子にかまけて、私を忘れたかっ!」

「くっ…!」

 

 戦意のない立花を見て、少女にも油断が生じたのか、その瞬間を見た風鳴の大剣がようやく目標を捉えた。

 一直線に突っ込んだ彼女の斬撃を、肩から垂れ下がるイバラの如き鞭で攻撃を受け止める。

 これまで回避のみで捌いていた相手が完全に防御に回っていた。

 鎧の少女が蹴りを即座に繰り出すが、風鳴も紙一重でかわしつつ、応戦する。

 両者の武器が火花を散らし、その度に暴風が舞う。

 だが……

 

「っ!?」

「お高く留まるなあっ!」

 

 回し蹴りが、まるで壁にぶち当たったように急速に止まる。鎧の少女の腕が、風鳴のつま先を掴み上げていた。勢いそのままに繰り出された彼女の秘技『逆羅刹』を無雑作に受け止めている。

 

「うおらあっ!!」

 

 そのまま持ち上げるようにして腕に力を込めると、逆方向へと足首をねじ上げる。風鳴の方丈が苦悶に歪むが、次の瞬間彼女の身体は遥か後方まで投げ飛ばされてしまう。

 

「…っ…ぐあああっ!?」

「まだ終わりじゃねえっ!」

 

 敵が風鳴を追撃する。

 吹っ飛ばされた彼女が地面を転がるその先に、圧倒的なスピードで先回りした少女は、浮いた風鳴の頭を踏みつけて、地面に叩き伏せた。

 

「……ぁっ…!」

「のぼせ上がるなよ人気者! 誰もかれもが構ってくれると思ってんじゃねえ!」

 

 見下していた相手に一瞬でも優位を取られた。それが彼女の逆鱗に触れたのだろうか。

 今までの余裕の笑みは消えて、感情を剥き出しにして禍々しい突起のついたその足で風鳴の頬を詰る。

 

「この場の主役と思ってるなら教えといてやる」

 

 そして次の瞬間、彼女は信じられない事を口にした。

 

 

「狙いは端からな、あの二人だよ」

 

「えっ…」

「なっ…!」

 

 俺も立花も凍りついた。

 今何と言った? 

 狙いは俺達だと…? 

 異世界から来た俺を狙っているという事なのか……

 いや、それならば立花も狙う理由の説明がつかない。

 だがこの状況はそれを裏付けていた。立花の動きを止めるだけで致命傷を与えに来ないのがその証拠だ。

 

「分かるか? アンタは初めから端役だ。最初から最後までな。鎧も仲間も、初めからあんたには過ぎてんじゃないか? そんな薄汚く転がってるのがその証拠なんだよ」

 

 更に風鳴の頬を踏みつけながら弄ぶ少女。バイザーの向こうから聞こえるその愉悦の声が、俺達三人の心を嬲る。

 しかし、それでも剣は折れてはいなかった。

 

「分かったらそこで大人しく伸びてろ。そしたら…」

「……繰り返すものかと……」

「あ?」

「繰り返すものかと、私は誓ったんだっ!」

「っ!?」

 

 瞬間、天が煌めいた。少女がいたぶっている隙間で、風鳴は剣の切っ先を掲げていた。エネルギーが上空で収束され、二人が縺れ合うその一点へと降り注ぐ。

 いち早く察知した相手はすぐに足を離してその場所より離脱する。

 風鳴もすぐさま起き上がって態勢を立て直し、追随した。

 

「小賢しいことしてくれるじゃねえかっ!!」

「うああああああっっ!!」

 

 そして再び始まる猛襲と反撃の連続。

 俺達はその様子をただ見守ることしかできなかった。

 

(…風鳴…!)

 

 腹部から衝撃がまだ消えない。

 実際に起きる痛みがこれほどとは……

 あの子は……風鳴はこんな痛みに耐えながら戦っているというのか…。

 いや、今だけじゃない、彼女は、これまで何度も戦場で戦い、傷つき、血を流していたのだ……

 だが、そうだというのに、今の俺では……! 

 

 

「そうだ…アームドギア…!」

 

 

 ノイズに縛られている立花が、閃いたように自らの腕を見る。

 

「立花…っ!」

「私が……アームドギアを出せれば…! 奏さんの代わりにだって…!」

 

 そう言って立花が全身に力を籠め始めた。

『奏さんの代わり』

 その言葉にどれほどの思いが込められているのかも分からずに、俺は茫然と少女を見る。

 

「出ろ、出て来い、アームドギア!」

 

 彼女は腕に力を込めて、叫びだす。

 彼女も、この状況を打開しようとしていた。

 悲痛な表情を浮かべて、誰もが己だけしか見られなくなった状況で、一心不乱に力になろうと腕を振るおうとする。

 

「……出ない……」

 

 だが、彼女の叫びは虚ろになって消えた。幾ら腕を振るっても、力を込めても叫んでも、彼女の身体からは何も起こらず、ギアの形状さえ変化の兆しは見られない。

 

「なんで……どうして出てくれないの…!?」

 

 目に涙を浮かべて、それでも天を貫く筈の撃槍は、彼女の呼びかけに応えようとはしなかった。

 

「なんでだよぉ……どうしたらいいのか、分かんないよぉ…!」

 

 その場に縛られるだけで何もできない自分に、情けなさを覚えて、それでも進めない立花。

『その子を鈍らせたのはあなた自身だ』

 風鳴の言葉が蘇る。

 そうだ……これは俺の責任だ。

 もっと初めから彼女に厳しく当たるべきだったのだ。そうすれば立花はもっと自分に自信を持てたかもしれないのだ。

 

「…っ…くっ…」

 

 だが、今はそんな事を考えている場合じゃない! 

 弱気な自分の考えを隅へと追いやった。勝てない相手だろうと、強敵だろうと、そんな事は理由にならない。俺は彼女達の助けになると誓ったのだ。

 

「遊星さん…!」

 

 旋風が巻き起こり、土煙が舞う。

 夜の帳が降りて無音の筈の公園なのに、そこでは痛々しい叫びと狂気の笑いが交錯する。

 こんなものは、俺の世界には無かった。

 確かに争いは続いていた。確執と負の連鎖は途切れなかった。だがこんなにも……辛い諍いを、野放しにしていい筈がない。

 

「はぁっ……はぁ…!」

「ゆ、遊星さん……!?」

 

 俺はゆっくりと起き上り、彼女たちが戦う箇所まで歩き出そうと試みた。ゆっくりとだが、僅かずつ距離が詰められる。

 

「立花……気をしっかり、持て…! ここから、逃げることを、考えろ…!」

「で、でも…っ!」

「お前は、俺が、守る…!!」

 

 分かっているんだ。これは俺の傲慢だということぐらい。

 だがそれでも、俺にはこれしか残されていないのだ。

 残っているカード達と力を合わせる。

 それしか方法はない。

 

 

「鎧に振り回されるわけじゃない……この強さは…!」

「ここでふんわり考え事とは度し難えっ!」

 

 

 俺が歩き出す間にも、両者は激しい激突を繰り返す。だが状況は既に鎧の少女の方へと傾いていた。全力を出しても尚届かない風鳴に対して、相手は明らかに余力を残していた。ギアの出力をパワーに直結させて振り下ろし、それでも鎖に阻まれて肌に触れることさえもできない。

 

「はあっ!」

「ふん、こんなもん」

 

 風鳴は懐から何時の間にか取り出した短刀を投げつける。

 恐るべき速度で繰り出され、虚を突いたかに見えた搦め手だったが、鎧の少女の隙をかいくぐるには足りなかった。

 彼女は指先でそれを軽くいなす。

 

「もらったっ!」

 

 風鳴が一旦距離を置いた、その時だ。

 鎧の少女が両腕を高々と構えた時、周囲の暴風はその一点を中心に加速し始めた。白い鎧が煌々と輝き、怪しげなオーラを纏い始める。

 やがて彼女の頭上には巨大な光球が出現していた。まさか……あれがエネルギーの塊だというのか。

 

「っ!?」

「吹き飛べっ!」

「ぐ、ぐううううっっ!!」

「翼さんっ!」

 

 一気呵成に、彼女はそれを鎖で持ち上げると、風鳴に向かって放り投げた。周囲の木々や大地をなぎ倒しながら、一直線へ彼女の元へと向かっていく。

 大刀で受け止めるも、質量そのものが桁違いだった。衝撃を押しきれず、逆に彼女の身体が僅かずつ後退する。必死に風鳴はギアの出力を上げようとしていたが、そもそも彼女の歌は、最初の攻防から既に途切れていた。

 歌えないシンフォギアでは、太刀打ちできない事は分っていた筈だったのに……! 

 

「風鳴ぃーっ!」

 

 俺の叫びがこだますると同時に、少女の身体はまるで木の葉のように宙を舞い、爆風と共に大木の幹を貫き通しながら遥か後方に吹き飛ばされた。

 土煙が晴れたころ、俺達の視界に飛び込んだのは、うつぶせに倒れ伏している風鳴の姿だった。

 

「……っ、くぅ……!」

 

 大地を振るわせる咆哮の様な一撃。

 

「風鳴……」

「………」

 

 動かない。

 その身を横たえ、腕や脚部のパーツが破損したギアから、排熱しきれない熱気が蒸気となって漏れ出る。つまりそれは、シンフォギアを制御できていない事の証……戦う力が、既に残っていないことを表していた。

 

「あ、ああ……っ!!」

「風鳴、起きろ、風鳴っ!!」

 

 立花の顔が蒼白に染まる。

 俺は必死に呼びかけた。

 まさか……いや、そんな筈はない。ギアはまだ装着されているんだ。意識はある筈だ…。

 だが、なら何故……彼女は起きないんだ…? 

 やはり死…! 

 

「ふん……」

 

 倒れてそのまま動かない風鳴を、鎧の少女は遠い目で見つめる。まるで初めからいなかったように。さっきまでの感情を置き去りにしたような空虚な顔を浮かべていた。

 が、それは一瞬。

 

「くっくくっ…あははははっ!」

 

 再び凶悪な笑みを零し、俺達に鋭い野獣の眼光を叩きつける。

 

「そんなクズ共で雁首揃えて、よくもまあ戦う気になったもんだな。そいつも、ここで倒れてる端役も!」

 

 そう言って、俺と、立花を睨み付けて奴は言った。

 ざあざあと草木が風に揺れる音がする。

 月光が、雲の切れ間に隠れて、姿をかき消す。

 俺は咄嗟にカードに指をかけた。

 

「おいおい、まさかアンタが相手になるとか言わねえよな。止めとけって、アタシのへそが茶を沸かすぜ。まるで出来損ないだ」

「っ…!」

「ゆ、遊星さん…!」

「ほら、お前等にはこれでも十分すぎるだろ?」

 

 そう言って、彼女は再び弓状の武器を取り出して、足元に光弾を撃ち込む。十数体のノイズが出現し、俺達に狙いを定めた。

 

「っ…!」

「知ってるぜ。その雑魚ども、一度に呼び出せないんだってな? いつまで持つのか見物しといてやる」

 

 怪しい笑みを浮かべて、少女は言う。

 分かっている……! 

 分かっているんだ。今の俺では、コイツには勝てない。

 冷静さを欠いていたとはいえ、風鳴でさえ太刀打ちできなかったやつに、絆を失っている俺のデッキで敵うわけもない。

 しかし、風鳴がここまで命を賭して戦って、それで背を向けられるか。

 

 

「確かに……」

 

 

 違った。

 大きな間違いだった。

 

 

「私は出来損ないだ…」

 

 

 風鳴翼と言う少女が命を賭すのは、ここからだった。

 

「あ?」

「この身を一振りの剣と鍛えてきたはずなのに……あの日、無様に生き残った……!」

 

(風鳴…っ!?)

 

 攻撃を何度も喰らい続けて。

 既に身体は限界を超えていた筈なのに。

 立ち上がるだけでも途轍もないことなのに。それでも尚、風鳴翼は戦意を失っていなかった。真っ直ぐに相手を見つめ、闘志と勇気を剣に変えて、持てるもの全て…魂さえも捧げて立ち向かう。

 それが防人、それが風鳴翼。

 

「出来損ないの剣とし……恥を晒してきた…!」

 

 ふらふらと身体が揺れる。

 剣を杖の様にして、揺らしながら立つその体には、もう攻撃する余力は残されていなかった。

 だが……

 

(……っ!?)

 

 何だ…? 

 俺の全身を悪寒が走る。

 

「だがそれも今日までの事だ…奪われたネフシュタンの鎧を取り戻して、汚名を雪がせてもらう」

 

 静かに、吹き荒ぶ風に散る程のか細い声で、彼女は謳う。

 既に力はない。

 否、力は確かにあった。

 全てを放出し、歌を用いても太刀打ちできないギアでも、残された手段はあった。

 

「そうかい。脱がせるもんなら脱がして……」

 

 相手は嘲笑い、そ蚊の鳴くような声の決意を一笑に付した。

 それが決定だとなる。

 彼女の本意にもっと早く気付けていれば、結末は違っていたかもしれない。

 だがその時、死神の鎌は首をもたげ、その刃を研いでいた。

 

「……なに?」

 

 鎧の少女が歩こうとした。

 俺は身構える。

 が、進まない。

 違和感を覚えたのは、俺だけではなかった。気のせいかと思った。しかし違う。

 実際に少女の身体は金縛りにあったように動かない。

 何かに引っかかったのか、そうではない。

 まるで何か、見えない糸が縛り付けたようだ。

 

「なっ!? なんだこれは…っ!?」

 

 僅かに動く首をひねり、周囲を見回す鎧の少女。

 その時だ。俺と立花、そして少女の3人が見付けたのは。

 

(あの時の…短刀か!?)

 

 寸前の攻防で風鳴が投げつけ不発に終わったかのように見えたクナイが鎧の少女の影に突き刺さっている。

 それを視界に収めた瞬間、更に彼女の動きが鈍った。

 

「う、動かねえ…くそっ!」

 

 曰く、影と言うものは陽があれば必ず存在し、本人の動きに追随する。

 それは場所、世界、時代を問わずに在るとされる魂の写し身であり、照応するもう一つの自分自身。

 生き物で在る以上、この心理は遥か太古から絶対的に刷り込まれたルールでもあった。

 逆に言えば、生き物は『自分の影が動かないと言う事は、自分も動いていない』と本能的に思考してしまう。

 この発想に応用を施し、他者の影に刃を突き立てた事で、相手に『縫われた』と言う心理的な楔を打ち込む。

 のちに聞かされた、現代に生きる忍が編み出した秘奥義……名付けて『影縫い』。

 

「ち、こんなもんでアタシの動きを…!」

 

 相手は何とか動きを取り戻そうと躍起になるが、身体は自由に動かず、むしろ短刀に視線を向けた事で一層自身を縛ってしまう。

 風鳴が施した暗示は表層意識を越えた深層心理にまで及ぶ。寧ろ意識が集中すればするほど敵は釘付けになってしまう。

 風鳴は月明かりの下にまであの少女が躍り出るタイミングをずっと図っていたのだ。

 

「チクショウ……死に損ないが……調子に乗るな!」

 

 少女は完全に動きを止められたが、それでも僅かに四肢を動かして束縛から逃れようとする。

 常人ならば恐らく指一本動かせないと言うのに…戦慄さえ覚えた。

 だが、確かに敵を封じたが、風鳴にももはや技を仕掛ける余裕は残っていない筈だ。

 あの鎧の防御力を突破して、打撃を与えるには…

 

「不動遊星」

「…え」

「その子を…守って」

 

 瞬間、唇が、美しく月影に映えて、俺に向けて呟いた。

 

「風鳴…っ?」

「月が覗いているうちに、決着を付けましょう」

 

 長髪の戦乙女の微笑みが、夜空の星の瞬きに呼応する。

 ギアと、彼女の肉体が、光を放ち始めた。

 

「防人の生き様……覚悟を見せてあげる!」

 

 虚空に、廃墟となった公園に、そしてこの場にいる全員に向けて、風鳴翼は凛として立つ。

 大切なもののために…大切だった人のために

 

「お前……まさか…」

 

 鎧の少女の顔が蒼白になった。

 今までの余裕も怒りも、ましてあの暴力的なまでに向けられた殺意さえもない。

 風鳴のある決意に満ちた瞳を見て、血の気が引いていく。

 

「翼さん…!?」

「あなたの胸に…焼きつけなさい!」

 

 それは宣誓の様でもあった。ゆっくりと、倒れそうになる体を押して、少女は歩き出す。

 

「やらせるかよっ! 好きに勝手に…!?」

 

 相手は彼女のこれからするであろう行いを察知し、何とか戒めを破ろうとするが上手く行かない。

 それでもなお、渾身の力を込めて影縫いを脱出しようとした時。

 それは起こった。

 

 

 ―Gatrandis babel ziggurat edenal

 

 

 何か聞こえる

 これは……歌だ

 何よりも心の奥底へ響く、それでいて悲しい、命全て燃やし尽くして、それでも尚煌々と光り輝く。

 彼女は歌を歌っていた。

 

 

 ―Emustolronzen fine el baral zizzl

 

 

 風鳴は歌を歌っていた。

 今までの、シンフォギアの使う力の歌じゃない。

 根源的に何かが違う。

 歌の旋律が耳に届く度に、鎧の少女の顔は引きつり、身体を震わせる。

 それは生命の危機に対する怯えだった。

 

(なんだ…この、歌は……)

 

 風鳴は周囲の変化を意に介さず、敵に向かってゆっくりと歩いていく。

 何だ、俺はこの歌を知っている……

 何処かで…見たことのない、どこかの場所で……

 

(あ、っ……ううっぅ…!)

 

 さっきまで忘れていたはずの腕の疼きと鈍痛が蘇る。

 同時に流れ込んでくる映像。

 フラッシュバックしていく光景が、目の前の風景と被る。

 

 

 ―奏…歌っては! 歌ってはダメえっ!! 

 

 

 体を突き刺す様な衝撃が走った。

 雪崩れ込んだ情景と叫びが俺に訴えかける。

 視界が歪む。

 眩しさについていけずに網膜も痛みを走らせた。

 だが…俺の頭を過ぎったのはそんな表層の苦痛ではない。

 

「やめろ……やめろ風鳴っ!! その歌を歌うなあああっっ!!」

 

 なぜ俺は忘れていたんだ! 

 あの時に俺が見た映像はこれだったのだ。

 何度も何度も繰り返して今まで呼びかけたのもこの為だったんだ。

 赤き竜は俺に…風鳴を止めるために…! 

 

 

 ―Gatrandis babel ziggurat edenal

 

 

 だが気付いた時には、もう手遅れだった。

 魂を砕き、精神を磨り潰し、肉体を枯れさせ、身も心もその歌声さえもを天に捧げて祈る歌。

 

 

 ―Emustolronzen fine el zizzl

 

 

 このままにしては置けない……予感なんて言葉では片付けられない。

 このままでは彼女は死ぬ。

 だが動けない…俺も立花も、その歌声に酔いしれていた。

 それは命を燃やして、天高く羽撃く剣の歌だったから

 

「ぅ…あ……」

 

 鎧の少女の元まで完全に歩み寄った時、その旋律は終わりを告げた。

 そして戦いも、

 何より

 一人の少女の、儚き命も。

 

「あ、あ、あああああああアッッッ!!?」

 

 鎧の少女の絶叫が周囲を包み込む。

 瞬間、襲い来るのは暴力と衝撃、突風と激痛、閃光と轟音、全てを破壊し尽くし、蹂躙する破滅だった。

 風鳴を中心に巻き起こったエネルギーの奔流は、相手はもちろん、周囲に展開していたノイズさえも飲み込んでいく。

 放射状に展開する力は留まるところを知らずに溢れ出し、まるで激流の様に周り全てを消滅させていく。

 回避するなど不可能。防ぐなど論外。

 空間さえも歪むほどの質量を持ったエネルギーを爆発的に噴出させるのだ。

 敵が完全聖遺物だろうと、それは容赦なく討ち亡ぼすのみ。

 

「うおああああああああっっ!!!」

 

 光の中で悲鳴をあげ、視界の向こうまで吹き飛ばされる少女の姿が見えた。

 だが…俺にできた事は…立花を守ることだけ…。

 いや、これで守れたと言えたのだろうか。

 彼女の心を、そのまま置き去りにしたのだから。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 視界が薄暗く歪んでいた。

 這い回る怖気を感じた。

 翼さんがこの時歌った歌。

 私はこれを知っていた。

 消え去り行く意識の中で、永遠の微睡みに沈んでいくと思ってたあの時に、私の生きる糧となり、希望となった歌。

 そして今もまた、私の命を救ってくれた。

 

 ……己の命を糧にして。

 

「……っ、ううっ……」

 

 薄ぼんやりとした景色が、やがて輪郭をはっきりさせて目に飛び込んでくる。

 そこには満点の星空と、宙を舞う土埃。

 そして、鼻をつく異臭。

 違和感を覚えて、私は立ち上がろうとする。

 

「あ、う、い、たた……!」

 

 痛みに刺される感覚に逆らいながら、私はゆっくりと身を起こした。

 その時に最初に目に飛び込んだのだ。

 私を守ってくれていたのは、翼さんだけではない事実が。

 

「えっ…」

『……』

 

 目の前に立っていたのは、何度も私を守ってくれたカードの精霊の背中。

 

「シールド、ウォリアー?」

『……』

 

 盾持ちの槍戦士は、私の問いかけには何も答えない。

 ただ、少しだけこっちを向いて無事なことを確認しただけ。

 それだけで、彼は虚空に消えて去った。

 

「あっ…!」

 

 後から知った。

 シールド・ウォリアーは死してこそ真の力を発揮するんだって。

 仲間のために散ったインディアンの魂が込められたこのカードは、仲間のカードが破壊されるのを一度だけ阻止することができる。

 それでも、たとえゲームのルールだったとしても…私の心を抉るには十分過ぎた。

 私は弱いままだった。

 私の過ちは、その事実から目を背けてたこと。

 

「立花……無事、か…?」

 

 後ろから声がする。

 私は慌てて振り返った。

 

「遊星…さん」

 

 私を何度も守ってくれた赤い竜の人。

 風がささやかに吹いて、私たちの体温を冷やす。

 

「怪我は、ないか?」

 

 何度も何度も訊いてくれたその言葉を、やっぱりこの時にも投げてくれる。

 ジャケットはボロボロになって、顔中擦り傷だらけだ。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「俺は平気だ……立てるか?」

「あっ…」

 

 私が心配して呼びかけても、彼は微笑を浮かべて私の手を取った。

 身体中が痺れたりずきずきするけど、何とか立ち上がることができた。

 

『おーい、響ちゃーん、遊星くーんっ!』

 

 その時に、後ろから車のエンジン音と、女の人の声が聞こえた。

 私たちが振り返ると、黒塗りの外国車がこっちに向かって走ってくる。

 シンフォギアのお陰で、運転してる了子さんと、隣に座る弦十郎さんの姿が見えた。

 

「了子さん!」

「あー、良かった。あなたは何もないみたいね。遊星君も…」

「……」

 

 了子さんが車から出てきて、私たちに駆け寄ってくる。

 私が安堵する傍らで、けれども遊星さんはそれに答えずに、反対を向く。

 

「……」

「……遊星さん?」

「風鳴…っ!」

「えっ?」

 

 私がそれに対して呆然とすると、助手席に座ってた弦十郎さんの叫びが耳を貫いた。

 

「翼っ!」

 

 そう言って、弦十郎さんは私たちには目もくれず、一直線に走っていく。

 

「っ…!」

 

 遊星さんも、同じ方向に向かってよろよろと歩き出していた。

 この時のあの人の声は、一生忘れられない。

 ううん、私はこの時の出来事を全部忘れない。

 音も、臭いも、何より見たものを。

 

「っう…えっ!?」

 

 声を聞いたその時に気づいた。

 私たちが立っていた地面は、まるで大爆発か隕石でも落下した様に、何もなくなっていた。

 焼け野原なんてもんじゃない。本当に何もない。ただ抉れた大地が辺り一帯に広がっているだけ。

 昼間見た時はあんなに美しかった草花も、大きな樹々も、虫の鳴き声も鳥もない。

 全てが消え去っていた。

 

 そしてその真ん中……爆発の中心に、あの人がいる。

 

「か、風鳴っ!」

「……」

「翼っ、大丈夫かっ!?」

 

 白と青の鎧に身を包んで、凛として立つその姿を見た時に、私の顔に笑顔が広がる。

 

(翼さん…っ! 翼さんだっ!)

 

 その時にわかった。この爆発の跡は翼さんの力だって。

 理屈はわからないけど、翼さんはあの時に歌った歌でノイズやあの人を撃退した。

 そうに違いないっ! 

 私も翼さんの元へと駆け寄った。

 這い回る嫌な予感に蓋をして、ただただあの人の元へと行きたかった。

 

「あ、響ちゃ…」

「つばささーんっ!」

 

 気ばかり急いて上手く走れず、窪んでいた小さな穴に足を引っ掛けて転んでしまった。

 その間にも、弦十郎さんが先に翼さんの元へと走っていく。

 遊星さんもたどたどしく歩いて、あの人の元へと…

 

「遊星君、君はここにいるんだっ!」

「……っ、風鳴っ、あの、歌は…」

「遊星君…!」

 

 弦十郎さんは途中で遊星さんを止めようとした。

 けど、その言葉は、彼には届かなかった。

 その前に、消えそうなロウソクの灯火みたいな声が、何もなくなったその場にか細く鳴いて、消える。

 

「…だい、じょうぶ、ですよ……」

「…翼…」

 

 戦慄の表情を浮かべて、弦十郎さんは立ち尽くす。

 遊星さんも、その場で為すすべ無く凍り付いていた。

 

「風……鳴…」

 

 その時に、翼さんの足に目が行った。

 何かが垂れている。びちゃびちゃと。汚い。

 ホースから溜まった水がぶちまけられるみたいに、翼さんの足元に広かった。

 視点をふと上に上げた。

 

「私とて、人類守護の務めを果たす防人……です」

 

 そこまでして立っていたのは…

 私が見たのは…

 

 

「こんな所で……折れる、剣、じゃ……ありま、せん…」

 

 

 目と、口と、鼻と、耳と、頭と…他にもたくさん…

 全身の穴という穴から血を吹き出して、それでも使命を胸に誇る、翼さんの笑顔だった。

 

「……」

 

 肺が逆流する。

 胃から何かがせり上がってきた。

 何かを言いたい筈なのに、何も出ない。

 

「……っ……ひ……はっ………は…あ…っ」

 

 乾いた空気が口から漏れる。

 なにこれ? 

 私の声じゃない。

 だって、違うよ…こんなの嘘だ。

 だって翼さんは強くてカッコよくて、私の憧れなんだ

 どんな時でも凛として、鮮やかで、私を守ってくれる

 

 そんなの…こんな…

 

「あ、ああ、あ、うぁ……!」

 

 記憶が蘇る。

 蓋をした痛み。

 湧き上がる恐怖。

 消したくても消えないから目を背けていた、私を縛る鎖が。

 

 

 ―出し惜しみなしで行く……とっておきのをくれてやる―

 

 

「いやああああああっっ! 翼さああああああんっっ!!」

 

 私達は、その日、夜にすれ違った。

 すれ違い、傷を負って、後には何もない。

 月はもう、雲に隠れて見えない。

 

 




IKIHAJIを晒した翼さん。しばらく休憩。
次回、遊星たちが過去に触れます。


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第3話『落涙と、覚醒の鼓動』-2

私が一番好きなのはクリスちゃんとマリアさんです。

おっぱいは正義


『風鳴は、今日も休みのようだな』

『あ、はい。今は公演でスタジアムの方まで行ってます』

『公演?』

『あれ? 聞いてないですか? 翼さんって、今話題沸騰中の大人気アーティストなんですよ!』

 

 授業の合間に、そんな他愛もない話を立花と交わしていた。

 

『歌手をやっていると言うのは、弦十郎さんから聞いたが…学校を休んでまで行っているのか?』

『はい、ここは音楽学校ですから、それ系の活動は公欠扱いになるんです。それに翼さんはここに入る前からずっと注目されてたんですよ』

『…そこまで人気が出るものか…』

 

 聞けば風鳴の歌は新曲が出る度にヒットチャートの上位に食い込み、去年のランキングでも新人賞をはじめとする多くの音楽賞を受賞。

 もはやこの日本で彼女を知らない人間はいないと言ってもいいらしい。

 

『噂なんですけど、海外進出もするかもって言われてます』

『海外? だが、そうすれば二課の活動は…』

『あ、はい…多分、やらないんじゃないかって、友里さん達が話してました。でも……』

 

 そう言って、彼女が歌っているであろう会場の方を眺めながら、立花は年相応の無邪気な笑顔ではにかんでいた。

 

『私は翼さんの歌……もっと沢山の人に聴いてもらいたいなぁ』

 

 その時の立花の横顔は、憧れと、感謝と、そしてほんの少しの痛みを宿していた。

 気付けば良かった……

 その時の彼女にほんの少しでも、その表情に僅かに翳る泥を、見つけることができたなら。

 

 こんなことには、ならずに済んだのかもしれないのに。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・

 

 

 

 暗い病院の廊下の中で、夜間照明だけが俺達の足元と、顔を僅かに照らしていた。

 

「……」

 

 響は喋らない。

 ずっと、うな垂れたままだ。

 

(……)

 

 俺は彼女に声をかけようとして…やめた。

 言葉が見つからないのだ。

 俺自身、衝撃から抜け出せていない。

 

(……風鳴)

 

 奥にある緊急治療室では、今でも多くの医師が、彼女の為に治療を施している真っ最中だった。

 あの全てを吹き飛ばす歌を放った風鳴は、急ぎ病院へと運ばれたが、彼女の身体は重体と言う言葉でさえ説明できない。生きているのが奇跡だった。

 全身から出血し、内臓は破裂して無事な個所を探すことさえ難しい。身体中の神経は全てズタズタとなり、骨はねじれ曲がるように折れ、一部はそのまま肺に喰い込んでいた。

 それでも何とか生死の境を彷徨うに留まっているのは、弦十郎さんが先に手を回していたからだ。

 まるで、あの子がそうなることを知っていたように…

 

(…弦十郎さん達は、風鳴がああなることを分かってたとでもいうのか…?)

 

 それを承知の上で、止めなかったのか? 

 シンフォギアと言うのは、あんな破壊力を人に持たせる武器…いや、兵器だというのか。

 初めてここに来た時以上の不安と焦燥感が、俺の脳裏を埋め尽くす。

 

「……翼さん」

 

 立花は小さく、零れるような声を漏らす。

 俺の黙考は中断された。

 彼女の傍まで歩いて、手を取る。

 

「立花……」

「……」

「……きっと、無事だ」

 

 それだけを、彼女に残す。

 気休めにもならないのは分かっている。それでも俺にはこうするしかないのだ。彼女の弱々しい姿を、せめて側にいて和らげることくらいしか。

 

「……」

 

 震える彼女の唇が、何かを訴えかけようとする。

 俺はそれを聞こうとして。

 

「遊星君、響君」

 

 俺達を呼び止める声がする。

 振り返ると、そこには弦十郎さんと、緒川さんが立っていた。彼等だけではなく、他にも黒服黒ネクタイをした、武骨な男たちが数名、並んで彼をガードするように歩いてくる。

 俺を捉えた時にもいた、二課所属のエージェント達だ。

 

「弦十郎さん……」

 

 弦十郎さんはいつものラフな赤シャツ姿ではなく、ネクタイを締め直し、ベージュのジャケットを着こんでいる。初めて俺に会った時の同じ装いだ。

 風鳴を診るために、この服装になったのか。

 

「遊星君…」

「……」

「怪我はどうだ?」

「……俺は何ともない」

 

 本当は鎧の少女から受けた攻撃で、肋骨にヒビが入っていたが、その程度で怪我と言いたくなかった。

 寧ろその程度で収まっていたのが不思議なくらいだ。恐らく、赤き竜の力だろう。デュエルのダメージと同様に、ライフポイントと言う形で俺の命を守る盾となったのかもしれない。

 

「そうか……響君にも、怪我がなくてよかった。君と、カードの精霊のお陰だ」

 

 彼は俺の側に近付くと、肩を叩いて、それだけを小さく言った。

 それに対して、俺は返す言葉がない。

 

「……」

 

 いや、何を言うべきなのかが分からなかった。

 鎧の少女のことか、ノイズのことか、風鳴のあの姿のことなのか……ただ立ち尽くすことしかできない俺の背中で、扉の開く音がする。

 立花がハッとなって向こうを見た。

 

「先生っ」

 

 弦十郎さんが、俺を通り過ぎて、施術用の服を着た医師の元へと駆け寄る。それを俺達は遠くから見ていた。

 

「辛うじて一命は取り留めました。ですが容体が安定するまで絶対安静は勿論……予断を許されない状態です」

 

 最悪の事態は回避しつつも、手放しで喜べないその知らせに立花も、表情を苦痛にゆがめる。

 廊下が暗く重い雰囲気に包まれる中で、弦十郎さんはそれでも、医師に向かって深々と頭を下げた。

 

「何卒……よろしくお願いします」

 

 エージェント達もお辞儀をすると、彼等は次の瞬間、統率された兵の様に機敏に背筋を伸ばし、ボスの次の指示を待った。

 ゆっくりと頭を上げた二課の司令官は、そのまま振り返り、黒服を見まわして、静かに令を発する。

 

「俺達は、鎧の少女の行方を追う。どんな小さな手がかりでも見落とすな。翼の命懸けの行動に、なんとしても報いるんだ、良いなっ」

『はっ』

 

 一斉に敬礼をすると、彼等は踵を返して、廊下を歩いていく。

 普段ならば、一枚岩のこの組織の結束力に舌を巻くところだろう。

 しかし、それならこの小さくうな垂れている少女には、どうして何もしてやれないのか……

 頭では分かっていても、それが小さな痛みを訴え続けていた。

 

「二人とも、襲撃者の追跡は俺達で行う。二人は休んで……」

「…弦十郎さん」

 

 だから、弦十郎さんが俺たちの元へと言葉をかけた時、俺は真っ先に立ちあがって、問いかけることにした。

 

「聞きたいことがある」

「……」

 

 彼はすぐには答えない。

 分かっている。

 これは感傷だと。任務を優先すべきだからこそ、彼は動いている。

 だがそれでも。

 聞かなければならないのだ。俺がこの世界にて、知らないことを先延ばしにしてきた。今日はそのツケを払わされた。

 そのままでいられる訳が無い。

 

「……お前たちは、引き続き捜査を続行してくれ。俺は後で合流する」

「はっ」

「緒川、後は頼む」

 

 側にいた緒川さんが小さく頷くと、弦十郎さんは無言でこちらを見て、黒服が行った先とは別の道へと案内した。

 着いて来い、という事らしい。俺はそれに従った。

 

「……遊星さん」

 

 小さく俺を呼んだ立花の言葉は、俺の耳には入らなかった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

「……遊星君、怪我はもういいの?」

「ああ…」

 

 発令室まで入った俺達を、了子さんが出迎えた。

 いつもは飄々としてマイペースだった彼女も、流石には気を失っているのが分かった。彼女だけではない。この場に居る全員が、悲痛な思いに囚われている。

 だというのに、この時の俺は……

 

「弦十郎君、翼ちゃんは?」

「…一命はとりとめたよ。何とかな」

「遊星君の応急処置も良かったのね。弦十郎君と二人で、ずっと声を掛け続けてくれたし、あれがなかったら危なかったかもね」

「…」

 

 了子さんからなけなしの励ましを貰うも、俺の心根が晴れる筈もない。

 俺はそのまま、弦十郎さんを見る。彼もそれを分かっていて、そのまま部屋の中央まで歩いた。

 

「…取り敢えず、座ってくれ。立ったままでは身体に毒だ」

「俺のことはいい」

 

 低く、素っ気ない声が出た。

 この場で腰を落ち着ける気分になどなれない。

 弦十郎さんは立ったまま、無言で頷いた。

 

「君の言わんとすることは分かっている。あの歌のことだな」

「……あれは、何だ?」

 

 全員が黙す中で、俺の声だけが発令室に小さく浮かんで消える。

 

「あんな危険な技があるなんて俺は聞いていない。いや、あれはそもそも技ですら無いだろう」

「……」

 

 弦十郎さんは沈黙していた。

 単に言葉を探しているだけだったのかもしれない。

 だがそれは、目を背けているようにも俺には見えた。

 

「どうしてあんな風になった…? アンタ達は、ああなるのを知ってて、風鳴にあれを使わせていたのか?」

「……」

「頼む話してくれ……あんな姿を見て、このままにはしておけない…!」

 

 痛みと虚無感が、苛立ちへと変わっていくのを抑えきれなかった。

 身勝手な話だ。

 子供じみていることは分かっていた。匿われるだけでなく、様々な助力を受けていながら、彼等に一方的に怒りを押し付けている事が。

 だがそれでも、血を流しながら笑った風鳴の顔が、姿が頭から離れらない。

 

「…許してほしい、とは言わない。何もかも俺達の力不足が招いたことだ。だが翼も、戦士として覚悟の上で『アレ』を使った」

「っ…謝罪が欲しいなんて言ってないっ!」

 

 自分でも信じられない声が出た。

 全体が振動するかと思えるほどの葛藤の爆発と、感情の発露。

 一度出た言葉を、無しにすることはできない。それでも俺は、平静を失っていた。

 言ってはいけない言葉。

 それはこの世界に生きる者を、意志を否定するものだった。

 

「いいから答えてくれ弦十郎さん! 彼女や立花をあんな姿にさせるのが、アンタ達の言う『戦い』なのかっ!?」

「やめてくれ遊星君!」

「藤尭君っ!」

「俺達も……俺達だってやりたくてやってんじゃ無いんだ!」

 

 その言葉に、奥にいた藤尭さんが咄嗟に立ちあがって叫ぶ。

 友里さんが肩を掴んで止めるも、制止を振り切って彼は言い続けた。

 

「俺だって情けないさ…! ロクに外も出歩けない日々で、おまけに、子どもに頼らなきゃいけない……代わってやりたいって、何度思ったか分からないよ……!! けど俺達は…!」

「よせ藤尭」

 

 想い、それでいて強い弦十郎さんの言葉だった。それは二課の人間全員の命を受け止めなければいけない指揮官としての言葉だった。

 

「この場で一度でもそう思わない者など、一人もいやしないんだ」

「…っ!」

「それは遊星君も同じだ。だから彼は戦ってくれているんだ。そして今も、翼の為に怒っている」

 

 その言葉を聞き、藤尭さんは我に返り、椅子に脱力して座り込む。

 情けないことだった。

 彼らのやりとりを聞いて、ようやく俺は自分のしてしまった事に気付いたのだから。

 

「…すまない。悪かった……」

 

 それだけを、絞り出すしかできない。

 知っていた筈じゃないか。

 この人たちが、優しい人達だという事を。だから俺達は守りたいと思った事を。

 その心を一瞬でも疑ってしまった事を、俺は恥じた。

 

「…ま、取り敢えず、遊星君の疑問は解消しておきましょうか」

 

 パン、と軽く手を叩いて空気を変えようと、了子さんは敢えて明るさを装って話題を切り替えた。

 

「あのノイズを一瞬で破壊した歌……あれもシンフォギアの力よ。それを引き出す歌という意味では今まで使うのと変わりないわ。ただし威力がケタ違いだけどね」

「…聖遺物の力を限界まで引き出す歌、ということか」

「正解。やっぱり君は凄いわ、あんな状況でもマトモなんだから」

「了子君」

「ごめんごめん」

 

 自分で頭を叩いて、了子さんは話を続ける。

 …彼女なりの思いやりだということぐらいは、分かるつもりだ。

 

「で、多分予想してると思うけど、聖遺物の力は人間にとって到底扱いきれない。普段2人が使うのはごく一部だけ。けれども限界まで引き出す歌を歌うことで、ほんの一瞬だけシンフォギアのポテンシャルをフルに発揮できる。それこそが彼女達に与えられた最終武器……『絶唱』よ」

「絶唱…」

 

 元々、聖遺物と人間の力には大きな隔たりがある。それは了子さんから聞いていた。だからこそ、適合できる人間は限られている。

 使う力が大きければ大きいほど、その負荷は強まる。

 あの風鳴の重傷は、その力の負荷に耐えきれずに起こったものだったのだ。

 

「言い訳になるけど……翼ちゃんも、高い適合率を持ってたから、何とか使えたとも言えるわね。本来なら重傷どころじゃ済まないから」

「…立花にも、同じ力はあるのか?」

 

 聞かずにはいられなかった。

 もしこの先、風鳴の傷が言えず、立花一人で戦いを強いられるのだとすれば、同じ状況に陥った時彼女は……

 そして、もしそうなった時、自分は……

 

「理論上は使える筈よ。今は力の扱い方も分かってないような状態だけどね。ただ……あの子の場合は色々特殊すぎるし、正直どうなるのかは分からないの」

「特殊だと?」

「遊星君、出撃する前に私に聞いたわよね。『どうして彼女が戦っているのか』って。あれはそういうことなの。彼女の中に力があるって分かったのは最近だったのよ」

「…何が言いたい?」

 

 要領を得ないその言葉に、顔をしかめる。

 俺の問いかけに、了子さんは黙考していたが、やがて弦十郎さんを見て言った。

 

「……弦十郎君」

「…」

「極秘事項だし、彼女のプライバシーにも関わることだけど…ここまで来たら一緒に戦う以上、知る権利はあるわ」

「分かっている。話そう……遊星君」

 

 ここへ来て、ようやく機動部二課の指揮官は、重い腰を上げた。それは自らの罪への懺悔でもあった。

 そして俺の心にも、少なからず衝撃を与える物語だった。

 

「彼女が何故、この二課で戦うことになったのか……それは、2年前の、ある事件に起因する」

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 遊星さんが弦十郎さんと一緒にいなくなった後、私は茫然と座っている事しかできなかった。

 この時、遊星さんが何を話して居るのかも、それも想像できないままに、疲労と翼さんの衝撃が頭から離れないで、ただ目の前の小さなテーブルを眺めている。

 廊下の自販機から、電子音がした。

 

「あなたが気に病む必要はありません」

「え…」

「翼さんが自ら望み、歌ったのですから」

 

 私に自販機のコーヒーを差し出してくれた緒川さんが、優しくそう言った。

 カップを受け取った私の手に、温もりが伝わる。

 

「ご存じとは思いますが、翼さんは、かつて二人組のユニットを組んで活動していました」

 

 そう言って緒川さんは話した。

 あの日……私にとっての全ての始まりの日に、何が起こったのか、その真相を。

 

「ツヴァイ、ウイング……」

「はい。そして、その時のパートナーが『天羽奏』さんです。今はあなたの胸に宿る、ガングニールのシンフォギア装者でした」

 

 知っている。

 あの人のお陰で、今私はこうしてこの場でいることができるのだから。

 二年前のあの日……私は未来に誘われて、ツヴァイウイングのライブへ出かけることとなった。

 けれど、直前で未来は親戚の用事で地方へ出なければならなくなり、急遽一人でそのライブ会場へ向かった。

 それで始まった一人きりのライブ体験……私は胸が躍った。音楽ってこういうものなのかと、はしゃいで跳び上がりたくなった。人生で初の、そして今までで一番の感動があった。けれどそれは……次の瞬間、絶望へと変わった。

 

「ノイズに襲撃されたライブの被害を最小限に食い止めるために、奏さんは『絶唱』を解き放ちました」

「絶唱…」

 

 いきなり、ライブ会場をノイズの大群が襲い始めたのだ。何が起こったのか分からないままに、会場は大パニックに陥った。当時中学生になったばかりの私も、いきなりの事に混乱して、訳が分からなかった。

 悲鳴と絶叫が支配する会場の中で、私は必死に走った。

 

「奏者への負荷を厭わずに限界以上に力を使う絶唱は……ノイズの大群を一瞬のうちに殲滅せしめましたが……」

 

 緒川さんの声が低くなる。

 そうだ。私は逃げまどう中で見た。

 恐ろしい怪物たちが暴れ回る中で、果敢に立ち向かい、そして斬り伏せていく二つの影。それが翼さんと……そして奏さんだった。

 ツヴァイウイングとは世を忍ぶ仮の姿だった。その実態は、特異災害に対抗するために作られた、世界で唯一の対ノイズ部隊だ。

 

「奏さんの命も、その時に燃やし尽くしました」

 

 私の意識は、その時に途切れていた。

 後からお医者さんに聞いた。私は怪我でこん睡状態だったのだと。だが意識が途切れる瞬間に飛び込んできたのは……塵となって消えていく奏さんの姿だった。

 そして辿り着いた答えは…あの時に翼さんが歌った歌。

 

「……それ、は」

 

 私は恐る恐る尋ねる。

 ついに誰にも聞けなかった問いだ。

 あの日、私を救ってくれたのが、間違いなく翼さんと奏さんだった。けど、あの時に何が起こっていたのか。どうしてノイズはいなくなったのか、それは長い間ずっとわからなかった。

 それを聞こうとしても、質問するのは憚られた。奏さんが事故で死んだと、新聞で知ったからだ。

 

「……私を救う為ですか?」

「………」

 

 緒川さんは何も答えずに、カップのコーヒーを一口飲んだ。それは言うまでもない、肯定だった。

 

「……奏さんは殉職し、ツヴァイウイングが消滅しました。一人になった翼さんはがむしゃらに戦い続けました」

 

 ぽつぽつと、やがて緒川さんは話を続ける。

 今思えば、この人だって、どれだけ痛みを押し殺していただろう。

 この人もまた、翼さんと奏さんを、陰でずっと支え続けてきたのに……その片翼を、永遠に失ってしまったのだ。

 それでも、緒川さんは翼さんの為に立ち続けていた。

 一番、大切で、辛い思いをしているあの人を、支えるために。

 

「同じ世代の女の子たちが知ってしかるべき恋愛や遊びも覚えなくて……自分を殺して、一振りの剣として生きてました。そして今日も……その使命を果たすために、死を覚悟して絶唱を放ちました」

「……」

 

 ああ、私は……

 何て事を……

 

「不器用ですよね……でも、それが風鳴翼の生き方なんです…」

 

 どうして聞けなかったんだ、あの日のことを。

 知らなきゃいけなかった。

 自分がどうやって生きてきたのか。あの日、もう一度目覚めることができたのはどうしてかを。

 鳥がはばたく音がした。

 

「……そんなの……酷過ぎます……」

 

 飛べなくなってしまった翼さんは……それでも必死にもがいていたというのに……

 

「それでわた…っ、私、は……翼さんの事、何も……っ、何も、知らないで……い、一緒に、戦い、たいなんて……」

 

 涙があふれ出て止まらなかった。

 本当に戦うなら、戦えばよかったんだ。

 ならどうして逃げたの? 

 何で怖がってたの? 

 奏さんの痛みも覚悟も知らずに、知ろうともせずに力があると、私はそれだけにしがみついたままで。

 逃げたければ逃げたらよかったんだ。

 

「奏さんの代わりに……なる、だなんて…っ!」

 

 ただ私は、助けられたことが嬉しくて、いつかお礼が言いたいと…そして戦うことで、少しでも奏さんに近付きたい。ただそれだけだった。

 馬鹿だ私は……! 

 

「……僕も、あなたに奏さんの代わりになって欲しいなんて思いません。そんな事、誰も望んではいません」

 

 けれど、皆は優しかった。

 世界は辛く残酷でも、緒川さんは…二課の皆は知っていた。

 奏さんが守ってくれた私と言う小さな火を消させまいとしたのは、そうすることでしか悲しみは乗り越えられないから。

 それを、翼さんにも知って欲しくて……

 

「ねえ響さん。僕からのお願い、聞いてもらえますか?」

 

 私の目を見て、緒川さんはゆっくりと口を開く。

 

「翼さんを……嫌いにならないで下さい。あの人を、世界に一人ぼっちになんて、させないで下さい」

 

 優しく、それでいて悲しい微笑みで、風鳴翼の守り人はそう言った。

 嫌いにならない。

 なるわけない。

 あれ程に強くて優しい人を……今も痛みに戦うあの人から、目を離せるわけない。

 私に許されるなら……せめて、それだけは…

 

「…っ…」

 

 朝焼けの光が窓から差し込んでいた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 その光景は地獄だった。

 

 

『うわあああああっっ!!?』

『助けてくれっ! 助けてええええッ!』

 

 

 それは屋外のライブ会場で起きていた。

 俺が巻き込まれた事件を遥かに上回る人数と規模で、多くのノイズに人々が襲われ、死んでいく。

 過去に起きたその現場を、俺は目の当たりにしていた。

 

「これが、二年前に起こった事件だ……響君は、この事故で唯一の生存者だ。天羽奏と言う、かけがえのない犠牲を払うことで、彼女だけが……生き延びることができた」

 

 発令室で、弦十郎さんは淡々と語る。

 何故立花響と言う少女が戦うのか。

 どうして風鳴翼が、血を流してまで剣を振るうのかを。その訳を。

 そして……

 

「了子君、もういい。消してくれ」

「はーい……ほいっ、と」

 

 了子さんがコンソールを操作した。

 巨大なスクリーンに移された映像が消滅する。

 あとには静寂が残った。その場で映像を見ていた友里さんも藤尭さんも、皆言葉もない。

 

 

「……ううっ……ひっく…っ!!」

 

 

 オペレーターの一人が、突然嗚咽を漏らしながら、席を離れて、外へと飛び出していく。

 友里さんが咄嗟に立ちあがると、弦十郎さんを見た。

 彼が無言で頷くのを見て、友里さんは出て行った女性を追いかけて退出していく。

 

「……悪く思わんでくれ。彼女は、この事件で同期の職員を失ったんだ。とても仲が良い、親友だった。結婚を次の年に控えていてな」

「っ……っ…!」

 

 嘔吐感がせり上がった。

 あの日見た悪夢の光景がフラッシュバックする。沸き上がるノイズ。

 背に血を流している立花。

 灰になった人々。

 沈む夕日。

 命の黄昏。

 廃墟になったライブ会場……

 そしてその中で歌いながら血を流す少女と…泣き崩れている風鳴……そうか、あの時に聞いたもう一人の声が……

 

「天羽、奏…」

 

 風鳴がいたユニット、ツヴァイウイング。

 

 話を聞いてハッキリと、俺が夢で見た映像と、そして戦いの中で見せつけられた光景が全て繋がった。

 何故忘れていたんだ。あの時の夢…歌を歌い散っていった少女こそが、先代ガングニールの装者だったのだ。

 

(俺が転移する前日に見た夢は……あの時、血を流して倒れていた少女は……)

 

「…遊星君、大丈夫?」

「俺の事は……いい。気にするな」

 

 一番痛みを抱えているのは、立花と……そして、風鳴だ。

 そしてもちろん、ここにいる人たちも。

 

「話を、続けてくれ」

 

 湧き上がる痛みを抑え込んだ。感傷だと冷徹に自分に言い聞かせた。

 こんなものはただの薄っぺらい同情だ。それで何が変わる。何が分かる。今自分のするべきは、真実を知ることだけだ。

 

「了子君、あれを」

「ん……これは事件の後に撮った、彼女のレントゲン写真よ。ノイズとの戦いの余波で、飛んできた破片が彼女の胸部を直撃し、あの子は意識不明の重体になったの。病院に運び込まれた彼女は何とか一命を取り留めたんだけど、心臓付近に金属片が散らばって、これは手術でも除去不可能なのよ」

 

 痛々しい写真がモニターに映された。

 確かに彼女の言う通り、細かな白い影が胸の中心部に散らばっているのが分かる。

 今の彼女の中に、これは存在しているのか……

 いや、待て…さっき了子さんは何と言った? 

 

『彼女の中に力がある』

 

 まさか……

 

「立花の身体の破片と言うのは…」

「そうだ……この破片こそが、我々が保持していた第二号聖遺物、ガングニールの一部だ」

 

 愕然とした。

 何と言う……残酷という言葉では到底言い尽くせない。

 彼女は、命を救われたその力で、生死を彷徨い、また身を削って歌う宿命を背負わされたのだ。

 

「その事件から2年後……君が異世界からやって来る、ちょうど一週間前のことだ。ノイズに襲われていた響君は偶然、歌によってその胸に宿るガングニールを再起動させ、その場で適合者となることに成功したんだ」

 

 シンフォギアを発動させたその日、俺と同じように彼女は二課に身柄を拘束された。

 そして身体検査を受けたことで、その事実が発覚した。

 

「あの子は……風鳴のように、ペンダントを持っていなかった。戦う時も、聖詠を口にしている時も……見えないところに隠しているのかと思ったが……」

「正直、コンバーターもない状態なのに、どうやって聖遺物が彼女の歌に反応しているのか、まだ分からないの。聖遺物そのものが、彼女の身体と一体化して融合状態にあるから…って言うのが、一応の仮説だけどね」

 

 そう言うと、了子さんはモニターを消した。

 聖遺物との融合状態…立花の身体はそれで大丈夫なのだろうか。

 そんな体になってまで戦い続けて、異常があればどうなるのか。

 そんな疑問が頭をよぎった。

 

「響ちゃんの身体は、私が責任もって監督してるわ。今すぐにどうこうってことはない筈よ」

 

 敢えてぼかした言い方だった。

 シンフォギア自体と一体化する現象など、彼女にとっても予想し難かったのだろう。

 恐らくこの先何が起こるかって言うのは、了子さんにも分からない。

 

「了子さんは、それを立花に教えたのか?」

「勿論、融合状態にあるって言うのは真っ先に教えたわ。でも……あの子は二つ返事で戦うことを決めたのよ」

 

 遠い目をして彼女は言う。

 それは、立花響と言う少女が持つ、歪さを見ての言葉だった。

 

「あの子は…命令されたのではなくて…」

「……俺達は、強制に近いことだと理解していた。それでも頼むしかなかった。だが……響君は、躇いも迷いもなく、君と同じように……」

 

 違う。

 俺と同じではない。

 俺は自分の世界で戦ってきた。

 様々な敵と。そしてそれが出来たのは、…決して俺一人の力ではなかった。だが、立花は……

 

「ついこの間まで日常に身を置いていた少女が…誰かの為にと言う理由だけで、恐怖の中にまで飛び込んで行く……あの子もまた、俺達と同じ種類の人間なのかもしれない」

「戦えるものが、彼女達だけしかいないから…奏ちゃんが守ってくれた恩返しだから…自分だけ生き残った罪滅ぼしか……全部当てはまる様な気がするし、どれも違う気がする……結局、あの子自身も分かってないのかもね」

「……」

 

 堅い、コンクリートの無機質な床が視界に入っていた。

 ただ、誰にも目を合わせられずに、彼女の翻弄された人生を想う。

 身を斬るような痛みだった。

 風鳴だけじゃなかった。立花もまた、戦っていたのだ。

 恐らく、ノイズに襲われた人間全てが……あれさえなければ。あの事故さえなければと……

 

「目を背けていたのは、俺の方か……」

 

 どうしてだ……

 どうしてわかってやれなかった。

 

 ―『運命』と呼ぶ『狂気』のせいで、狂わされた多くの人生があることをっ! ―

 

 お前も痛みを知っていたんじゃないのか、不動遊星……

 失う痛みを……全てを巻き込んで、それでもなお生き残り、仲間がいることの大切さを……

 

 ―残された人間が、どれほど辛い目に遭ってきたのかをっ! ―

 

 かつてそう叫んだのは、誰だ!? 

 お前だっ! 

 俺自身が、ゼロリバースと言う名の破滅から生まれた筈なのに……! 

 

 

「……私が悪いんです」

 

 

 その場に居る全員が入口を向き、そして息を呑んだ。

 この沈痛な思いの中で、慮る余裕を見失ってしまった。

 

「響君……聞いていたのか」

 

 いつの間に入ったのか、立花響は、その小さな体を震わせながら、入口付近で立ち尽くしていた。

 透明な雫が、ぽたりぽたりと床に落ちている。照明を受けて反射した、白光が、俺達の胸を刺す。

 なんということだろう。彼女が近付いていることに、そして部屋に入って会話を聞いていたことにさえ、誰ひとり気付かなかったのだ。

 

「遊星さん……」

「立花…」

「ごめんなさい………ごめんなさい……」

 

 俺の所まで歩み寄って、彼女はそう言った。弱々しく震える声で、何度も何度も。それに対して、俺は何も言えなかった。

 

「響君」

「二年前も、今日のことも……私がいつまでも未熟だったから…翼さんが……」

「それは違う。無茶を頼み込んだのは俺たちだ。君が何かを背負うことはない」

 

 弦十郎さんの掛けた言葉に、けれど立花はふるふると首を振った。

 

「翼さん、泣いてました」

 

 それは彼女の懺悔だった。

 

「…翼さんは強いから戦い続けてたんじゃありません……ずっと、泣きながらそれ、隠してたんです……」

 

 ぽろぽろぽろぽろ

 涙があふれ出て止まらない。

 それでも気持ちを吐露し続けるその姿に、掛けられる言葉などあろうはずもない。

 ましてや……よそ者の、俺などに。

 

「……悔しい涙も、覚悟の涙も……どんなに苦しくたって、辛くても、強い剣で、在り続けるために……ずっと一人で……っっ!」

 

 もういい。

 もう止めてくれ。

 どうして君が泣かなきゃいけなんだ

 これ以上責めないでくれ。

 君も戦っていたじゃないか。

 弱くても天羽奏さんの想いを受け継いで、その身を削りながら…

 それがどれほどの痛みだったというのか……

 

「でも…っ」

 

 赤き竜よ。

 何故だ。

 どうして俺を、その惨劇の場に呼び出してはくれなかったのだ。

 せめてもう一人、あと一人だけでも、救ってやることはできなかったのか。

 彼女の痛みにせめて寄り添う事が出来たのなら……

 

 

「私だって……私だって守りたいものがあるんです! だから…!」

 

 

 その先は、もう言葉にならなかった。

 

「……っ、っ……っっ!!」

 

 しゃくりながら、彼女はそれだけを言うと、ごめんなさい、ともう一度呟いて、その場を走って去って行く。

 オートで閉じられた扉が、俺たちの前に冷たく機械の音を響かせる。彼女との隔たりを越えていく勇気は、今の俺には無かった。

 

「……緒川、俺だ」

 

 弦十郎さんは、端末を取り出すと、今もなお風鳴の側にいるであろう緒川さんを呼び出していた。

 

「ああ……頼む。それと、一課にも協力を要請してくれ……すまないな」

 

 短く用件だけ伝えると、端末を仕舞いこみながら、弦十郎さんは深い、それでいて強い目で、俺を見て言った。

 

「遊星君……こんな事を言うのは卑怯だと重々承知している。だが……響君の事だけは、気に掛けてはもらえないだろうか」

「……」

 

 背中に掛けられたその言葉に、俺は何も応えられず、そのまま基地を後にする。

 機械の鼓動が鬱陶しい。

 人工の明かりも、清浄された空気も、俺自身も足音さえも。

 

「……っ!」

 

 痛む拳を握りしめる。傷がまた広がっても、別に構わない。

 俺の血がどれだけ流れようと、あの日亡くなった多くの人間には、血さえ残らなかったのだから。

 




……次回、響が一皮むけます。
そして遊星も……ご期待ください。


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第3話『落涙と、覚醒の鼓動』-3

続き、アップします。
明日にも続きをアップする予定です




 翼さんが入院した次の日、

 

「……」

 

 昼間に私は一人で、屋上のベンチに佇んでいる。

 天気は快晴だ。そよ風が吹いてる。

 病棟が見えた。翼さんが入院している場所。

 全身から力を振り絞って血を吐きながら立ち続けた結果の、あの白い個室が…

 

(私に……奏さんの代わりなんて……)

 

 情けない。

 死にたいなんて言葉を今の私が軽々しく使っちゃいけないことは分かってる。けどそれでも、私には今のこのグチャグチャした何かを、どうしようもなかったのだ。

 

(………私に、何ができるんだろう……)

 

 今日、遊星さんは学校へは来なかった。

 違う先生が代わりに来て、不動先生は体調不良でお休みです、とそれだけを告げた。

 一瞬、まさかあの時に怪我をしたのかも、と思ったけど、連絡が何もないという事は、多分無事なんだろう。

 最初に教室はざわざわしたが、すぐにクスクスと笑い声が聞こえた。

 

『どうしたんだろうね?』

『ストレスとか? 難しい顔してるし』

『それはアタシたちもじゃーん。いっつもテストやらされてさ』

『それなー。まあ、休んでくれてラッキー? みたいな』

 

 代わりにと出された課題プリントの山に辟易していたけど、どうせ自習時間だしと、皆目もくれずに他愛無い会話に興じている。

 殆どの人が、興味がないのだ……それはそうだ。あの人が人知れずノイズと戦うためにやってきたなんて、誰が信じるだろう。

 そして昨日も、大切な仲間が一人血を流して倒れて、それは過労で倒れて長期入院と報道されたトップアーティストだなんて、誰が結び付けるだろうか。

 

『ビッキー、目が虚ろになってるよ』

 

 そう言って、隣の席まで創世ちゃんが来てそう言った。

 隣には詩織ちゃんと弓美ちゃんもいる。

 けど三人とも……私には目に映らなかった。

 

『顔色悪いですけど、大丈夫ですか?』

『課題の山に頭痛くなったとか?』

 

『ごめん……具合悪くて……ちょっと外の空気吸って来るね』

 

『えっ?』

『響?』

 

 そう言ってキョトンとしている三人を尻目に、私は席を立った。

 未来が後ろから呼びかけたけど、それにも聞こえないふりをして。

 ……一人になりたかった。モヤモヤを何とかしたくて、考える時間と場所が欲しかった。

 何も出来ない私に許されるのは、それ位だった。

 

 ―人助けは私の趣味なんだよーっ―

 

 入学初日、私は未来にそう言った事がある。

 樹の枝に引っかかって、降りられない子猫を助けたのだ。

 けど私に出来たのはそこまでだった。

 結局私は、あの日から何一つ変われていない。

 困ってる人を助けたいと…助けないとと、がむしゃらに何かをやってきたつもりだった。

 

(分かってたんだ……自分には何もできないって)

 

 もし助けたいなら、必死に勉強すれば良かった。

 何でもいい、介護だって、医者になるんだって、ボランティアだって福祉だって、人に役に立つことなんて何でもあったんだ。でも私は怪我を治すことだけしかできなくて……ただ自分が生きていくことしか、出来なかった。私の力なんて最初からその程度しかなかったんだ。

 自分に目を背けてただけなのに……ようやく見つけたと思った力に、ただ振り回されてるだけで、怖くてその先へと踏み込むことさえできなくて……

 

(私……甘えてる)

 

 奏さんの影に、力に、使命に。

 私にも何かがあるんだって、信じられるような気がした。

 だから翼さんに、血を流させた。

 そして遊星さんにも……

 

 

『その子を鈍らせたのはあなた自身だ。不動遊星』

 

 

(遊星さん……)

 

 それでもと。

 見捨てないと、遊星さんは言った。

 仲間なんだって。

 

(違うよ……翼さん)

 

 私が甘えていたんです……

 私がもっと、恐怖と戦うことができていれば……

 ノイズを見て、前へ出る勇気があれば……

 こんな事に……

 

 

「えい」

 

 

 冷たい感覚が、頬に当たった。

 

「ひゃああっ!?」

 

 突拍子もない声が弾けるように出て、私は跳び上がる。

 勢いよく振り向くと、そこにいたのは私をいつも支えてくれていた親友だった。

 

「み、未来…?」

「はい、あげる」

「ふえ…?」

 

 そう言ってみくは私にどこから買ってきたのか、自販機のジュースを差し出してくれた。

 いつも私が飲んでいる奴だった。

 キョトンとして、私は未来を見る。

 未来の手にも同じのが握られていて、未来は無造作に私の隣へ座った。

 

「未来……」

「最近、一人でいること多くなったんじゃない?」

「え…」

 

 缶を開けて口に運ぶ未来。

 私は慌てて誤魔化した。

 

「そ、そうでもないよっ」

 

 未来にだけは、知られちゃいけない。

 どんなに落ち込んでも、それだけは譲れなかった。

 

「私一人じゃ何にもできないし、ほら、この学校だって未来が進学するから私も、って決めたわけだし…」

 

 ぺらぺらと、軽い言葉を並び立てる。

 未来は無言でそれを聞いてくれていた。

 

「ほら、ここって学費がバカみたいに安いし、お母さんとおばあちゃんにも、負担かけずに済むかなあって、あははははっ」

 

 嘘は言ってない。

 家族に迷惑をこれ以上掛けたくなかったのは本当だった。未来がいなければ、あの時の私は生きていられなかったかもしれない。未来の側にはどうしてもいたかった。それは嘘偽りない私の気持ちだ。

 けどそれは、私は今こうしている理由とは何も関係なくて。

 

「……」

「あ……」

 

 だから小日向未来は、私に手をそっと添えてくれる。

 どんな時でも、私の側にいてくれる、私の日だまり。私がいつでも帰ってきたいと思える場所。温かくて、優しくて、大切な大切な未来の手。この子の為なら、私は何でも出来ると、そう思わせてくれる人。

 

「……未来には、隠し事できないね」

「だって響、無理してるもの」

「うん……ごめん」

 

 けど謝るしかできなかった。

 未来に私の秘密を話せば、それは危険に巻き込まれることを意味すると、弦十郎さんは口を酸っぱくして言っていた。

 スパイ映画みたいに、私や二課を言いなりにするために、悪い人が未来を人質にするなんてことが、日常茶飯事で起きている。だから絶対に言ってはいけないと、二課に入る時に改めて念を押されたのだ。

 

「でも、もう少し、一人で考えさせて……」

 

 それだけじゃない。

 例え未来が知っていたとしても、これは私が答えを出さなければいけないこと。

 誰かに言われたことに従うだけじゃ、駄目だ。それ位は分かる。それじゃ今までと何も変わらない。私に出来ること。私がしなきゃいけないこと。それは、私自身が見つけて納得して、行動するしかない。

 

「……分かった」

 

 未来はそう言って、重ねた手をそっと放す。

 それに少しの後悔と心細さを覚えながら、私は頷いた。

 

「ごめんね……未来」

「………あのねっ」

 

 それでも、未来は私の側にいてくれた。

 これからもずっとそうだった。

 そしてこれからも。

 私がどんなつらい目に遭ったとしても、彼女だけは。

 

「響、どんなに悩んで苦しんで、出した答えで前進したとしても」

 

 私を、明るく照らしてくれる。

 

「響は響のままでいてね」

「私の、まま?」

「うん」

 

 未来は大空を見上げたまま、そう言った。

 

「響がそのままでいてくれるなら、私は応援する。だって響の代わりは、どこにもいないんだもの」

 

 私の曇りを、その言葉は晴らしてくれた。

 

「……」

 

 どうして、忘れてしまっていたんだろう。

 失ったものは帰らない。あの事故で多くの人が死んでしまった。それは誰にも埋められない。代わりは誰にもできないから。だから私は、今でもご飯を食べられるこの現実を、幸せに感じることができた。それを少しだけ、他の人よりも知ることができたから。そうだ、私はいつの間にか忘れていたんだ。私がいる、その意味も。

 

「変わって欲しくないな」

「……私、私のままで、いいのかな?」

 

 この世界は、それだけでかけがえのない物だってことを。

 

「響は、響じゃなきゃ嫌だよ」

 

 屈託ない、明るい笑顔で、未来はそう言ってくれた。

 私の……私が、大切にしたいもの。

 私が守れる……守りたいものなんて、何でもない約束とか、何でもない日常位なのかもしれないけど……

 

(翼さん……)

 

 翼さんが、全てを賭したあの人が眠る病室が、もう一度視界に飛び込む。

 私に訴えかけてくる。あの鋭い目が。白く輝く鋭い切っ先が、私の覚悟を問うてくる。

 お前はどうする? 逃げるのか? 

 

(……逃げてたまるか)

 

 約束したんだ。

 大切な約束を。

 それを守ることだけが、今は私を支えてくれるたった一つの……私の温もり。

 壊したくない。

 壊させない。決して。

 

「ありがと、未来」

 

 振り返って、私に未来に、笑顔で答えることができた。

 

「私、なんとか私のまま歩いて行けそうな気がするっ」

 

 そうだ。

 私に代わりができないなら。

 何も出来ないというのなら。

 私ができることを、じゃない。

 私がしたいことをするんだ。

 胸に嘘をつくんじゃない、言われたことをするんじゃない。

 せめて、守りたいものを、守れるように。

 

(私は私のままで……)

 

 ああ、そうだよ。

 胸のガングニールだって、教えてくれたじゃないか。

 人の作る温もりが、こんなに、温かいんだということを

 

「あ、そうだ。こと座流星群見る?」

「え? 見れるの?」

「うん、携帯で動画撮っといたんだ」

「ええっ! ほんと!」

 

 こうして、何時でも私の側にいてくれる人がいるから、私はそれを信じられる。

 

「あれ? 何も見えないよ?」

「うん、光量不足だって」

「ダメじゃんっ!」

 

 差し出された真っ暗な画面に思いっきり突っ込みをしてから、未来を見て。

 真顔で見返してくる未来の顔がおかしくて。

 私は…私達は大笑いしてしまった。

 

「……っぷ」

「あははははっ!!」

 

 おかしいよ。

 おかし過ぎて、涙が出ちゃうよ。

 何でこんなに簡単なことで……人は笑顔になれるんだろう。

 私は子供だからわからないけど……もしかしたら、それが、一番貴重だからかもしれない。

 

「今度こそは……一緒に見ようねっ」

「うん、約束。今度こそ、約束だからね」

「うんっ!」

 

 奏さん、見ていてくれていますか? 

 あなたの後輩は、こんな半チクですっ。

 今は何も出来ないけど……でも、だからこそ、今を生き抜くための力を……歌を、私は歌います。

 

「あれ?」

 

 その時、私の携帯が鳴る。

 ちょっとごめんね、と断ってから、私は電源を入れた。

 無雑作に取ったのは失敗だった。

 いつもの私用携帯じゃなくて、それは二課から渡された、緊急通信機だった。

 

 

『俺だ。ノイズが現れた。遊星君が襲われているっ』

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 気が付くと、俺は、Dホイールを走らせていた。

 

「………」

 

 どこにも行けないのが分かっていながらも、俺は風の中にいることで、安らぎを求めようとしていた。愚かなことだ。友が見れば、一喝されているだろう。スピードは、逃げる者には情けなどない。

 どこまで行っても、この世界に逃げ場所など存在しなかった。

 

 

(何をやっているんだ、俺は……)

 

 

 真っ青な空の中に一人、上を見上げる。

 例え世界を渡り歩いてもその風景は平等に人々の目に降り注ぐ。

 しかし人を取り巻く状況は決して平和でも公平でもなく、その身を蝕み痛めつける。

 

 

『ねえ、今日どこ行く?』

『新作の映画観るのはどう?』

『あ、それいい。その後はさ…』

 

 クラスの女子たちがそんな話をしている夕暮れ時に、たまたま廊下で立花と会った。

 最初は他愛無い話をしていた。

 

『立花は、どうしてこの学校に入ったんだ?』

『え?』

『戦うようになったのは、この学校に入った後だろう? 何か理由でもあるのかと思ってな』

『あ、え、ええっと…』

 

 少しでも親密になろうと思っての言葉だった。

 

『と、特にこれって理由はないんですけど……ま、まあ翼さんがいたりとか…』

 

 彼女はしどろもどろに話し始めた。

 未来が入ったから私も…とか。

 学費が安くて親に迷惑かけないから……とか。

 この時俺は、彼女がどう生きて来たかまでは知らされてないかったから。

 

『あ、あとは……都会に憧れてたし、それに進路とか進学率とか、色々…』

『そうか』

 

 俺は真顔で頷いていた。

 自分は学校に行ってないから、そういう所に興味があったのもか知れない。

 しかし立花は話題を逸らしたくて別の事を俺に尋ねた。

 

『あ…あの』

『ん?』

『遊星さんは、どうして科学者になったんですか? そのデュエリストの世界って、強かったらお金貰えるんですよね?』

『まあ、一応はな』

『何か理由とか……あ…えっと、言い辛いですよね、ごめんなさい』

 

 何を言っているんだろうと、彼女は頭を掻く。

 恥ずかしがる立花を前に、微笑しながら答えた。

 

『……俺の、夢のため…かもしれないな』

『夢?』

 

 確かにプロの道も、色々と考えてはいた。

 今でも憧れはある。かつての仲間は、今もプロリーグで活躍しているし、俺自身も世界の強者と戦ってみたいと何度も思った。

 

(けれど俺を動かしたのは……)

 

 街を守りたいという、俺の信念。

 未来へ向かうための道を、俺自身が守りたかったからだ。

 それなのに……

 

 

「……何が、守るだっ…」

 

 

 俺は、Dホイールを叩きつけた。

 気が付けば場所は代わり、目の前には原っぱや木々が広がっていた。

 覚えのある風景だ。

 ここは……そうだ、俺が最初に来た、高速道路の横にある草原地帯だ。

 道路自体はノイズのせいで壊されたため、このルートは閉鎖されている。

 無我夢中で走って、こんな所まで来ていたのか……

 

(いや……)

 

 俺が無意識に逃げたかったのかもしれない。

 目の前にいる人間さえ救えず、傷つけて、それで俺は何を目指していたのだろう。

 そんな問いにさえ答えを見つけられずに、救いを求めて。

 

(俺が……俺が、作りたかったのは……!)

 

 皆が明るく、普通の生活を幸せに思える未来、そんな街だっだ。それを阻む者いるというのなら、俺は戦った。全てを賭けて。

 だが……理想を胸に街を発展させようとする者が、今この場所から目を背けて、自分に胸を張っていられるわけがない。

 

(俺は……)

 

 どうしたらいい。

 教えて欲しい。進むべき答えを。

 いや……そうじゃなかった。

 俺も、立花も、勇気が出なかった。

 答えはいつだって単純なのに、人はいつだってそれを見失う。

 

 

『遊星』

 

 

 世界が、俺達を孤独にする

 それが戦う力を奪う

 それでも人は生きようとする

 

 

『おい、遊星』

 

 

 そうでなければ、生きていけないから。

 

 

『遊星』

 

 故にその影、けして色褪せることなく

 

『遊星、どうした?』

「……え」

 

 寂しさも苦しさも、過ちも呑み込んで、なおも道を行くのは、それが己の理想のために。

 それが、孤高の王者を経て、真の覇者へと至った男の、胸に秘めた熱き信念。

 瓦礫から這い、全てを捨てても、消して捨てられない、彼は消えない思いを胸に抱いた。

 

 

 

『何をそんなところで腑抜けている。立て』

 

 

 

 だから彼は立つ。どんな敵にも負けないように。

 それが強いからじゃない。

 それが強さだから。

 背中に背負う、守るべきものがあるのだから。

 

 

『どうした遊星、らしくないぜ?』

「…っ…」

 

 

 全てを失っても、残るモノ

 それを見つけられずに彷徨う俺に、何か応えてくれたのか

 分かる筈も、術もなく

 今、ただ目の前に現れた友を目に、思いがけない再会に、ひたすらに目を奪われる。

 

 

「ジャック……クロウ…?」

 

 

 そこにかつての友はいた

 姿を見失って、誰もいない世界に来た筈なのに

 昔と変わらぬ風体で、ジャック・アトラスと、クロウ・ホーガンが、立ちすくむ俺に、悠然と向かって立っている。

 

 

『遊星。自信を持って。貴方なら出来るわ』

 

 

 同じだ。

 最後に会った時と同じ。

 変わらぬ思いを、胸に秘めた、あの力強い言葉を、俺に向かって投げる。

 その時だ。

 二人の間に、光が灯る。それは人の形を成して、俺の前へと現れた。

 

 

「アキ…?」

 

 

 なんだ、これは……

 これは…夢か? 

 どうして、目の前に皆が……

 

 

『大丈夫だよ、遊星。遊星は俺の憧れなんだぜ』

『そうよ。だから元気出して遊星』

 

 

 優しい声に後ろでも、光が再び灯る。

 アキたちの、その向こう側にいて、歩いてきたのは、双子の笑顔。

 

 

「龍亞…龍可…」

 

 

 無邪気な龍亞の笑顔

 純真な龍可の言葉

 二人の言葉が温もりとなって、俺の元へと届けられる

 

(どうして、皆がここに……)

 

 灯火が、仲間を覆う光が、蛍の様に明滅し、そして散っていく。

 俺の言葉は、宙を舞おうとして、しかし出なかった。

 

 

『何をそんなに思いつめているのか知らんが、しばらく見ない間に随分と情けないツラになったな』

 

『俺たちが知ってるチーム5D’sのリーダー、不動遊星は、そんなヤワな男じゃない筈だぜ』

 

 

 見下ろすジャックと、不敵に笑うクロウ。

 龍可が、寂しく問いかける

 

 

『遊星……カード、無くしちゃったの?』

 

 

 気持ちがあふれ出た。

 会いたいと。

 願っても止まずに叫び続けたくて、それでも抑え込んでおいた俺の心。

 皆に会いたい。

 会って、手を取り合いたかった。

 どんなに少しでも良い。小さな言葉でも構わない。

 それでも……彼らと再会を夢見て、ただひたすらに思いを込めて、それをここの奥底にまで押し込めた気持ちが、不意に流れ出ようとする。

 

 

「みんな……」

 

 ―私にだって、守りたいものがあるんです―

 

 

「……俺には、力がないんだ」

 

 

 それでも、眼の前に居なくちゃいけない人を。

 一人放ってここにまで来たあの泣き顔が浮かび上がって、失意の言葉となって流れ出た。

 

 

「目の前の人間も救えず、守らなければいけない人の心まで傷つけた」

 

 

 すまない……

 すまない、立花……

 俺が……こんな姿が、俺の精一杯なんだ……

 泣いている君の、側にもいてあげられずに……

 

 

『ばか』

 

 

 アキの手が、そっと、俺の頬を包む。

 幻なんかじゃなかった。

 想いが……俺達を結び付けたそれが、俺に触れていた。

 

 

『私達が、1人じゃ何もできないなんてこと、よく分かってた筈じゃない』

「…えっ」

『でも貴方は諦めなかった。どんな時でも前に進むことを』

 

 

 アキの笑顔が、温もりをとおして、俺に伝わる。

 俺が何度も励まされた気持ち……心の底で、皆を大切に思う優しさ。

 だから俺は出発の日に告げた。お前の笑顔が、皆を幸せにするんだと。

 

 

『そうだよ。遊星が頑張ってるから、俺も最後まで頑張って戦えたんだよ』

『そして今だって、私達は戦ってる』

 

 

 龍亞と龍可が、俺の手を取った。

 明るさと、清らかさと、命の輝き……

 初めて会った時、二人は俺の大切なものを、忘れかけたものを、揺り動かした。

 

 

『思い出せよ遊星。困った時、辛い時、苦しい時に俺たちはどうしてたのか』

 

 

 クロウが、拳を握って突き出す。

 何度も共に戦い、そして走り抜いた親友は、今も走り続けてる。

 どうしてだ……

 分かってる。

 彼は……大切な……

 

 

「……仲間」

 

 

 ああ、そうだ…俺は、何故今まで……

 

 

「そうだ…俺は…いつでも…」

 

 

 忘れてしまっていたんだろう。

 俺達を結び付けていたものを

 例え離れていても、決して傷つかない、人と人とを結びつける、俺達が長い旅路の果てに、ようやく見つけ出して一つの答えを……

 

 

『忘れるな。俺たちの絆は永遠だ』

 

『どんな時でも、例え世界を飛び越えてたとしてもな』

 

『私達は、いつだって側にいるわ』

 

『だから遊星、もう一回頑張ってよ』

 

『遊星にできること、きっとまだある筈よ』

 

 

 皆が、俺の手を取る。

 右手が、重なる。

 彼らの腕には、かつてそうしてきたように。

 竜の痣が、集まる。

 

『如何なる場所でどんな困難に逢おうと、お前には立ち向かう力がある。だから目を背けるな』

 

 ジャックが俺に、力を与えてくれた。

 クロウが、前に向かう意志を

 アキが、優しさを

 龍亞は、勇気を

 龍可が、真っ直ぐな想いを

 今までも、そしてこれからも。

 俺の帰るべき場所から。

 時空を隔てたとしても……

 

 そして……

 

 

『そうだ、遊星。決して忘れないでくれ』

 

 

 それが例え、もう光の届かない、遠い所だったとしても……

 

 

『君はいつだって、一人なんかじゃないってことを』

 

「お前は…っ」

 

 彼もまた、俺達とともに走り続けた、一つの光だったのだから。

 

 

「ブルー…っ!」

 

 

 未来への希望を託した友は、同じ光を瞳に宿し、そして、虚空へと消えて行った。

 

 

 

 

「…………今のは……」

 

 俺は茫然と自身の手を見る。

 何もない。

 俺は立ち上がって、周囲を見渡す。

 そこには、当たり前の様に、さっきまで居た草原が広がっていた。

 

(今のは……なんだったんだ…?)

 

 夢か? 

 俺はいつの間にか眠りこけてしまったのだろうか……

 しかし、さっきまで俺はDホールに乗って……

 

「あっ……」

 

 ふと見ると、前方に俺のDホイールが横たわっていた。

 数メートル近い距離が開いているところを見ると、本当に俺は寝てしまっていたのだろうか。それで夢を見ている内に、Dホイールから落ちてここまで……

 

(疲れてるのか……)

 

 昨日から寝ずの番だったから仕方がない。

 だが、これまでも徹夜は何度もして、ここまで寝相が悪いことなどなかったが……

 

「……皆」

 

 感傷的になったのか。

 それで記憶の中から、俺が皆を思い起こして……

 

「情けないことだな……」

 

 立花が苦しみ、風鳴は生死の境を彷徨っている時に、俺一人がかつての友の残滓に縋っていた。

 これでは、俺は何の為に戦うのか分かったものじゃない。

 

(何の為に、か……)

 

 ふと、袖をまくり腕の痣を見る。

 赤き竜の頭を模した痣……ドラゴンヘッドが、俺を見つめ返した。

 全てを束ねる役割を持つドラゴンヘッドは、元々俺の痣ではなかった。

 俺の世界を破滅へ導くダークシグナーの一人だった男、ルドガー・ゴドウィンが生まれついて持っていたものだ。

 悪神にも見初められるという数奇な運命に翻弄されて、ルドガーは結局、赤き竜の痣を手放す決心をした。

 だが最後には、ルドガーも思い出してくれたのだ。暗く絶望の未来が待って居たとしても、絆を束ねて重ねることが、立ち向かう力を与えてくれるのだと。その事を思い出させてくれたのは……俺じゃない。

 

「ジャック……クロウ……アキ……龍亞…龍可…」

 

 一瞬だけでも姿を見たのは、赤き竜の力だったのだろうか。

 傷心した俺を励ます為に。

 いや……そんな事はない。あくまで、俺達の道は、俺達が切り開いた。それは神の信頼の証でもあったのだ。

 

(なら、あの幻は……あの光景の意味は……)

 

 俺の為すべきことは……

 

 その答えに、一瞬手が届きそうになった、その時だった。

 

 

「っ!!?」

 

 

 瞬間、一斉に鳥たちが猛烈な勢いで飛び立っていったのが見えた。

 周囲の木々が全て揺れている。

 その数は尋常ではなかった。まるでこの一帯にいる生き物全員がこの場を離れようとでもしているみたいだった。

 

「…っ…な、なんだ…っ!?」

 

 怖気が走る。

 まさか、と。考えたくもない恐怖がはい回る。

 だが、この本能に訴えかけるような恐怖を、俺は他に知らない。

 その予感に背を向ければ、今度こそ命はないのだと、俺はこの世界に来て最初に叩き込まれたのだ。

 

「……ノイズだとっ!?」

 

 揺れていた木々が、薙ぎ倒されていく。

 いや、そうではない。

 灰になって消滅したのだ。

 巨木の向こう側からでも視認できる、複数の巨大なノイズの集団の手によって。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

『俺だ。ノイズが現れた。遊星君が襲われているっ』

「えっ…!」

 

 後ろに未来がいることを思い出して、何とか声が出るのを抑えた。

 

「ちょ、ちょっとごめんね」

「え、うん…」

 

 キョトンとする未来を置いて、私は少し離れた位置で弦十郎さんの話を受けた。

 

「ご、ごめんなさいっ、そ、それで、遊星さんが襲われてるって…!?」

『ノイズの大群の出現を検知したところ、遊星君のDホイールの反応と一致した。彼が今いる場所に、いきなりノイズが現れたんだ』

 

 緊迫した声が私の胸を貫いた。

 嫌な予感がする。

 昨日会ったあの鎧の女の子が襲ってきてから、次の日にまたなんて……幾ら何でも急過ぎる。私が戦い始めてからも、そこまで連続でノイズが襲ってくることは無かった。

 それに遊星さんがいる所に現れたってことは……

 

『明らかに作為的な動きだ。奴らは遊星君を狙っていると見て間違いないっ』

 

 ハッとした。

 あの女の子も言っていた。

『狙いは端から私達』だって。

 そうだ。

 私が学校にいるなら、一人でいた遊星さんを先に狙ってもおかしくない。

 

「……遊星さんは、一人で戦っているんですか?」

『そうだ。何とか持ちこたえてはいるが、数が多い上に、巨人型の個体も複数体確認された』

 

 背筋が凍った。

 私も遊星さんと一緒に何度もいたのだ。どれくらいの強さ位かは知っていたし、遊星さん自身もこのままでは戦えないと言っていた。

 あの人は少ないカードを何とか持ち前の頭脳で切り回していた。

 けどそれは…翼さんって言う存在があったからだ。

 

『急いで救援に向かってくれっ。このままでは遊星君が危ない』

 

 ぞわぞわと、悪い想像が働く。

 カードを使い切り、精霊も何もいなくなって、それでも戦おうとした遊星さんが、ノイズたちに組み敷かれて、灰となる姿……

 

「っ……!」

 

 恐い。

 ノイズの群れが。

 牙を剥く怪物が。

 命をなんとも思わない物が、私達の生活を侵食する。

 

(遊星さん…!)

 

 怯える私を、いつも守ってくれた遊星さん。

 あの人が今、一人で、誰の助けもなく、それでも戦ってる。

 

(あの人が……)

 

 私なんかよりも全然…ううん、もしかしたら翼さんよりも凄い、壮大な物語を背負って、歩いてきて、それでもなお歩こうとしている別の世界の渡り人。

 もっと相応しい人がいたら……それこそ、翼さんみたいな人がいてくれたらと……

 

 

「分かりました。今すぐ行きます」

『頼む。無理はせず、あくまで二人で逃げることを考えてくれ』

「いいえっ!」

 

 

 そんなの、考えてる暇なんてあるわけないじゃないかっ!! 

 私は叫んだ。

 後ろにいる未来が、突然の叫びに震えるのを感じる。

 けど私は気にせずに続けた。

 

「私も……私も戦いますっ!」

『響君…?』

「私にだって……戦う理由がありますっ! 遊星さんを、一人になんかさせません!」

 

 そう言って、私は走る。

 未来の元まで一直線に駆け寄って、その手を握りしめた。

 

「未来っ」

「え、な、なに?」

「ごめん、ちょっと急用が出来ちゃったの。授業抜けるから、体調不良って言っといて!」

「え、ちょ、響っ!?」

 

 混乱している未来を置いて、私は屋上を後にした。

 階段を駆け抜け、廊下を走り、先生や他の生徒とすれ違いながら、私はどんどん走る。校庭をすり抜けて、裏庭を通り、門を無理矢理に飛び越えた。

 

 

『響君、無理をしてはいかん! 緒川と合流して…』

「無理はしないですっ!」

『……!』

 

 繋ぎっぱなしにしていた通信機から声がする。

 弦十郎さんも流石に困惑していた。

 ごめんなさい、弦十郎さん。訳は後で話します。

 

 

「私は私のままで…っ!」

 

 

 強くなりたい。

 出来ることなんてないかもしれない。

 けど……せめて、この胸に灯った火だけは……

 

「できることを! 頑張りますっ!」

 

 ごめんなさい、翼さん、奏さん。

 私は、二人の代わりはできません。

 でも、あなた達が守ってくれた、私の命と、何より私の世界が……生きたいって願っているんです。

 戦わせてください。

 走れ、走れ、立花響。胸の歌を輝かせろ。

 強くなるんだっ! 

 私のままで、強くなるっ! 

 

 

「遊星さん、待っててくださいっ!」

 

 ―Balwisyall Nescell gungnir tron―

 

 

 胸の歌が、熱く響く。

 もっと、もっと輝け、私の胸のガングニール。

 せめて勇気を。

 私の中で、大切な世界を守れるだけの勇気を、私にちょうだい! 

 道路を走り、コンクリートを蹴る。

 街並みが遠くへと過ぎ去っていく。

 喧騒は遥か遠くへ、ビルの群れは過ぎ去って、

 目指すところは一つだけ。

 私を導いてくれた、この先もずっと背中を押してくれる、あの星の元へ。

 

 

 

 

 

 





次でラストとなります。ついに前半の山場となります。ご期待ください。
ついに、ここから怒涛反撃が始まる……予定です。


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第3話『落涙と、覚醒の鼓動』-4

お待たせしました。続きです。
大事なことなのでもう一回言います。
お待たせしました


 焦げた異臭が鼻を突いた。

 炭と化した周辺の草花が飛び散り、俺の視界を覆う。

 その隙間を縫うようにして上空から急降下したフライトノイズが、奮戦していたスピード・ウォリアーを真っ二つに切り裂いた。

 

「っ! スピード・ウォリアー!?」

『ウオオオッ!?』

 

 死角からの攻撃に為す術なく、白鎧の戦士は爆散し光の粒子化して消えていく。

 

『スピード・ウォリアー、消滅しました!』

『救援を向かわせろっ! 何としても助けるっ!』

 

 通信機から送られる情報と支援を元に、俺は防衛戦に徹していた。

 だが圧倒的に敵と、火力が違い過ぎる。

 いきなりの急襲によってDホイールは車輪をやられ、逃げることもおぼつかない。

 何とか間一髪でDディスクを取り出すことには成功したものの、おびただしい数のノイズに攻め立てられ、圧倒される。

 

『遊星君、何とか持ちこたえろ!』

 

「くっ……!」

 

 切り込み隊長とも言えるスピード・ウォリアーを失ったことで、もう俺は守勢に回るしかなかった。

 そして奴らはそれを見逃すはずはない。

 ヒューマノイド型のノイズが一斉にこちらに突撃してくる。

 俺を守るように待機していたモンスターたちが果敢に挑みかかるも、彼等では太刀打ちできない。

 

『ピピィっ!?』

『チチッ!?』

 

「ロードランナー……ボルトヘッジホッグ…!」

 

 敵を一体だけでも倒してくれたのは僥倖だった。

 だがそこまでだった。クロールノイズに押しつぶされてボルトヘッジホッグは消滅し、続くフライトノイズの攻撃を受け止めたロードランナーも、ヒューマノイド型の集団攻撃によって敢え無く散っていく。

 

(仲間が……俺の、カード達が…!)

 

 目を覆いたかった。

 あれほど俺を慕い、支え続けてくれたカード達が消えていく。

 あざ笑うかのように奴らが消していく。

 人の儚さと虚しいと切り捨てていくように…。

 

「!? しまった…っ!」

 

 一瞬でも動揺を許してしまったのがいけなかった。

 後ろから一体のヒューマノイドが忍び寄っていることに気付かなかった。

 

 

「ぐうううああっ!」

 

 

 背部に走る衝撃、咄嗟に身体を横っ飛びに飛ばし、攻撃を回避する。そのまま走り込み、距離を取った。

 赤き竜の加護がある限り、ライフポイントが俺とノイズを阻む最後の壁として機能する。

 だがそれも4000と言う数値の範囲内でしかない。

 そしてまだ、このノイズたちの戦闘力をどうやって換算できるのか、それもまだ分かっていないのだ。

 

(っ…直撃か……! 残りライフは……)

 

 ディスクに表示された数値を見る。

 既に俺の生命線は残り1000を切っていた…! 

 壁となるモンスターも存在しない。

 

 俺の盾となるのはもう…! 

 

「くず鉄のかかしっ!」

 

 鉄製のかかしが出現し、突撃してきたノイズの動きを封じて弾き飛ばす。

 しかしここまでだった。

 

「っ!」

 

 二撃、三撃と繰り出されるノイズの攻撃。

 やがて効果時間は終了し、くず鉄のかかしは再び俺のディスクに伏せた状態でセットし直されてしまう。

 これであと一分間は攻撃を防げなくなる。

 そしてその一分を耐えきれる手札が……今の俺にはない。

 

「…こんなところで……!」

 

 このタイミングで俺 1人しかいない平野に現れるなどおかしい。

 一連の事件に人間の影があるとするなら、やはり俺を狙っているのか……

 だがそんな思考をしている余裕もない。

 

(考えろ……何か、方法がある筈だ…!)

 

『遊星君、頼む、死なないでくれ!』

 

 その時だ。

 藤尭さんが、俺に向かって叫んでいた、

 

『こんなところで、俺は終わりたくない! 君とロクに話をしないまま終わるなんて絶対に嫌だっ!』

 

 彼の誠意と覚悟と優しさが伝わる。

 俺を……異邦人である俺を、彼等を分かってやれずに、それでも歩み寄る心を俺に向けてくれた。

 そしてそれは一人じゃない。

 

『あなたが来た意味も、私も、皆も、まだ見つけ出せてないのよっ! だから私も諦めたくないわ!』

 

 友里さんも叫ぶ。

 胸が震える。

 俺も終わりたくない。

 

 

 ―何をそんなところで腑抜けている。立て―

 

 

 理不尽な世界でも輝き続ける光がある。

 俺がここに来たのは、無為に死ぬためじゃない。

 風鳴に血を流させるためじゃない。

 立花に、涙を流させるためじゃないんだ。

 

 俺の進むべき道を見つけられないままに、このまま終わらせない。

 

 何より……

 

「俺は、諦めないっ!!」

 

 

 絆を、結ばないままでは…いられないんだっ! 

 

 

「うわああああああっっ!!」

 

 

 前方より襲うノイズに完全に虚を突かれた時、いきなり横から飛んできた影がノイズへ直撃する。

 いきなりの衝撃に耐えきれずに、そのヒューマノイド型は霧散消滅した。

 唐突な乱入者に困惑する俺をよそに、地面を転がった影はすぐに起き上がって、俺の元へと駆け寄った。

 

「……た、立花!?」

『響ちゃん、合流に成功しました!』

「はあっ! はあっ! はぁっ!!」

 

 息を切らし、全身を汗まみれにし、身体を泥だらけにして、立花響が俺の前に立っていた。

 

「立花……」

 

 どうしてここに…

 そんな疑問を一瞬浮かべた俺をよそに、立花はよろよろと近づき、両腕を掴んだ。

 

「遊星さん、怪我、ないですかっ!?」

「……ああ」

「……っあ…っっ……良かった……無事で、生きてて……良かったです……」

 

 呆然と応える俺に、けれど立花は俺を見て泣きそうなりながらも、微笑みを浮かべた。

 彼女に助けられたのは、これが初めてだった。

 学校から、ここまで走ってきたのだろうか。ギアを纏っても、彼女の身体能力ではここまではまだかなり時間を要する筈だった。

 だが考えに耽る間もなく、再び轟音が俺達の身体を震わせる。

 

「……!」

 

『巨大ノイズ、三体を確認! 装者と不動遊星に向かって進行していますっ!』

『ノイズの増殖止まりませんっ! 数およそ60まで!!』

 

 大地がうねって軋みを上げるその元凶は、遠くより俺達を視認し、徐々に距離を詰めてくる。

 巨人型を先頭にし、更に要塞型が追随する。後方ではギガノイズが次々と小型のノイズを吐き出しながら、着々と攻撃準備を整えていた。

 

「くっ…!」

 

 更に状況は悪化している。

 このままでは立花を逃がすことも覚束なくなってしまう。

 何とか彼女だけでも…

 

「立花、下がれ……! 隙を見て俺が…」

「いやですっ!」

 

 しかし俺の言葉を、彼女は撥ねつけた。

 一瞬戸惑う俺に対して、立花は猛然と前に出た。

 

「私も……私だって、戦いますっ!」

 

 あの日、風鳴と俺との衝突を阻んだ時とは違う。

 盾となって、俺を守るために。

 

「何を言ってるんだ! いいから逃げろ! お前の力じゃ…!」

「それでも、もう目を背けたくありませんっ!」

 

 そう言って立花が走り出した。俺の手を引いて。

 

「ごめんなさい……私逃げてましたっ!」

 

 泣きそうになる恐怖を殺して。

 

「自分の中にあるモノから逃げたくて、それで必死で、周りをちゃんと見なくてっ!」

 

 今までの自分自身を見つめて。

 

「それで、怖くて震えちゃってましたっ!」

 

 それでも受け止めたいと願って。

 

「はぁ……はぁ……! ひぃ…ふぅ…!」

「立花……」

 

 攻撃が次々と迫る中で、立花は俺の手を引きながら間一髪のところで躱していく。

 今まで逃げるだけだった彼女は、奴らの行動パターンを無意識に刷り込んでいた。

 

(今までの、立花とは、違う……?)

 

 変わったのか? 

 いや、立花は立花のままだ。

 変わっていない。弱くて、怖がりで、それでも気持ちを捨てない少女だ。

 

(むしろ……)

 

 

「私の理由、なんて、大したことないですけど……!」

 

 

 そうして立花は、ポツリポツリと喋りはじめた。

 それは俺が初めて聞く、偽りない本音だった。

 

「私……友達のおかげで、本当に救われたって思う時があって……それだけで私、最高に幸せって思ったんです。それまであんまり深く考えなかったし…全然つまらないって言うかもしれない………でも」

 

 拳を握り俯く立花。

 その小さい身体に、どれほどの痛みと嘆きと、そして決意があったのか…ただ幸せを生きる、それさえ叶えられずに…

 だが彼女は、もう泣いているばかりの子どもではなかった。決然と顔を俺に向けて、力強く言い放った。

 

「それでも、私にとっては、大切で、守りたいものなんですっ。だから私の、この気持ちは……この気持ちだけは…何があっても絶対に捨てませんっ!!」

 

 何かが変わっていたのではない。

 戻ったのだ。

 今まで殻を被っていた自分を脱ぎ捨てて。

 これは立花響と言う、一人の少女の強さだった。

 

 

「だから、こんなものに、負けたくない! 私の気持ちにだけは、嘘はつかない!」

 

 

 己の気持ちに向き合うこと。

 それは理想としても、辿り着けない人の業。

 

『如何なる場所でどんな困難に逢おうと、お前には立ち向かう力がある。だから目を背けるな』

 

 けれど、あるんだ。

 こんなにも近くに。

 力はここにある。

 俺達の間に。

 

「っ……ぅ…っ!!」

 

 ノイズが、更に迫る。

 更に数を増やし、視界はノイズで埋め尽くされようとしている。

 立花が震えている。

 

「……この世界に」

「えっ」

「不必要な物なんてない」

 

 ……安心しろ、もう大丈夫だ。

 やっと……やっと思い出せたよ。俺も。

 

「どんな小さな何かにだって、必ず存在する意味がある。立花が守りたいと思うものにもある、絶対に」

 

 ゴミ溜めの中にあって正しく手を繋ぐことを忘れない人達が、俺の心を支えてくれた。

 その人達の為にも、俺はネオ童実野シティを美しい街にしていきたい。

 だが、偶然にも訪れたこの世界で、今何の罪もない人々が、突然の怪異に襲われ、命を落とし、平和が脅かされ続けている。

 

 

「……逃げていたのは、俺も同じだ」

 

 

 一人で見知らぬ世界に飛ばされ、

 周りを見ることが、信じて一歩を踏み出す勇気を持てずにいた。

 それを思いださせてくれたのは、友の記憶と……

 

「俺一人と…絆を失いかけたカード達だけで、戦うことはできないんだ」

 

 ああ、そうだとも。

 答えは既に、俺の目の前にあったんだ。

 

「だから、俺も一緒に戦いたい…一緒に戦わせてくれ」

 

 俺はチャレンジャーだ。

 この世界に入り込んだ異物、漂流者、ストレンジャー…

 だが、だからこそ、このか細くても力強く一歩を踏み出そうとしている少女と共に、歩み出さなければいけない。

 その果てに未来があると信じて。

 

「……俺と一緒に走ってくれないか。守りたいもののために」

 

 弱気とも取れるその言葉。

 だが彼女の…立花響の瞳は、最早何も迷わない。

 

「私なんかでも……いいですか……?」

「お前の力が、必要だ」

 

 俺がやらなければいけないこと。

 それは彼女を助けることじゃない。

 

 

「響」

 

 

 立花の……響の手を繋ぐことだったんだ。

 

「……はいっ!!」

 

 この少女と共に戦うこと。それが俺の為すべきことだ! 

 

「っ!?」

「なにっ…!?」

「わ、わわっ、なにこれ!?」

 

 繋いだ手が、熱く光る。

 心に訴えかけられる。強く強く、更に熱く。

 鼓動が高まる。心臓の音が聞こえる。

 これは俺達二人の鼓動。掌から発した光が辺りを照らしていく。

 まるで、初めてこの世界で赤き竜が助けてくれたように。

 

「俺の腕の痣が……」

「ガングニールが……光ってる…!」

 

 他者を束ねるドラゴンヘッド。

 そしてこの時には明かされていなかった、響の持つアームドギアの特性。

 その二つが重なり合うことで初めて発揮される奇跡。

 

 

「え…?」

 

 

 光は収束し、最初にそうだったように俺の手へと降り立っていく。重なる俺と響の手に、『それ』は姿を現した。

 ゆっくりと、俺たちは重ねた手を開いて見た。

 

「これ……もしかして……」

「どうしてここに…あれだけ探しても見つからなかった一枚が…」

 

 だが、間違いない。

 これは俺のカードだ。

 光沢は失われず、新品同様に光を灯し、破損や劣化はまるで見受けられない。

 いつまでも力を貸してくれていた、あの時のように。

 

 

『力を、合わせて』

 

 

 声が聞こえた気がした。

 これは、赤き竜なのか? 

 

 

『今こそ、歌と我らの力を一つに。我がマスターよ』

 

 違う。これはこのカードの声だ。

 カードの精霊が呼びかけて、俺に力を貸してくれる。

 

「歌…力を、合わせる…」

 

 その時だ。Dディスクが再び起動を始めた。

 初めて響や風鳴と出会った日のように、モーメントの回転数が上昇し、すさまじい勢いで出力を上昇させていく。

 中空に、ディスプレイが表示された。

 

 

≪SYNCHRO SUMMON STAND BY≫

 

 

 文字が視界に入りこむ。

 まさか……

 

『元々二つは力の引き出し方こそ違うけど、同じ性質を持った兄弟なのかもしれないわね』

 

 了子さんの言葉が蘇る。

 同じ性質。

 つまりそれは、モンスターの効果や魔法の力を共有できるという事……

 

「…そういう…ことだったのか……っ!!」

 

 今、全てが繋がる。

 赤き竜が俺を呼び寄せたのは、この世界の人間を選ばなかったのは、俺と言うデュエリストこそが……いや、俺と響と言う存在が、起死回生の力となり得るからだった。

 

「ゆ、遊星さん?」

「響、アレをやるぞ」

「あ、あれですか!?」

 

 一瞬キョトンとする響だが、言ってることが分からずにすぐ問い返す。

 

「……って何でしたっけ!?」

「俺のカードの力を、お前の持つシンフォギアに上乗せする。合体技だ」

「合体技!?」

 

 そんなのあったの、と叫ぶ響。

 ああ、俺も今まで知らなかった。

 だが、今ならできる。

 

「信じろ、ここまで来た自分自身と、その可能性を。そうすれば、お前の中に眠るガングニールは、絶対に応えてくれる筈だ!」

「……信じる…?」

「響に力があるのは、絶対に無駄なことなんかじゃ無いんだっ! 全てに意味がある!」

 

 そうだ。彼女がアームドギアを出せない理由。

 それは力と言う概念を、彼女が心の底で違う意味で捉えたからに他ならない。彼女にとって戦いとは、敵を倒す事ではない。

 つまり響にとって武器というのは、敵に向ける必要がないものなのだ。

 

 どんな人にでも手を差し伸べる心の強さ、それこそが……

 

「お前の力、俺に預けてくれっ!」

「……っはいっ!」

 

 Dディスクのモーメント回転数は更に唸りを上げて上昇。

 同時に蓄積されていた遊星粒子を、周囲に散布する。

 俺の手に握られたカードを、スリットに縦置きでセットする。

 

 来てくれ、俺の……俺達の逆転の一手よっ! 

 

 

「チューナー・モンスター、ジャンク・シンクロンを召喚!」

 

 

 瞬間、空間が歪み、そこから現れ出でる、キーカード。

 茶のアーマーに身を包んだ、二頭身の技師を思わせる姿を持ったモンスターが、フィールドに出現した。

 

「こ、これが新しいカード?」

 

 戸惑う響をよそに、俺はジャンク・シンクロンに指示を飛ばす。

 チューナーモンスターと呼ばれる彼の力を使うことができれば、カード達はお互いを補い合い、さらなる高みへと進化できる。

 

「ジャンク・シンクロンの効果発動っ、このカードが召喚に成功した時、墓地のレベル2以下のモンスターを、特殊召喚できる!」

 

 墓地へと送られたカードが一枚、俺の元へと戻る。

 そして、同時に墓地に眠るカードの効果を更に発動させた。

 

「そしてチューナーが存在する時、このカードも蘇生できる!」

 

 これが俺のデッキに秘められた力。一体一体は弱くとも、その力を束ねて重ね合せることで、召喚の制約を振り切って、呼び集まることができる。

 そして俺は畳みかけるようにセットしてあったカードも起動させる。

 

「更にリバースカード・オープン、エンジェル・リフト!」

 

 戦いの隙を見てセットしていた、墓地からレベル2以下のモンスターを特殊召喚できるカード。

 この力で、いなくなった仲間の力を再び借り受ける。

 

 

「甦れ、スピード・ウォリアー! ボルト・ヘッジホッグ! ロードランナー!」

 

『ハアアッ!』

『チチチッ!』

『ピピィー!』

 

 

 胸の叫びを力と変えて、消滅した三体の仲間は、俺の元へと舞い戻る。

 力は、永遠に失われない。

 俺と言う命が尽きるまで、彼等は戦うのだ。

 戦う意志と、絆がある限り。

 

 そして、再び仲間を見つけた。

 彼女の……響のお陰で、掴み取った! 

 

 

『1分間の召喚条件を無視して、一度に三体の精霊召喚…!』

『ですが、数が多すぎます…! それに彼のモンスターでは火力が…』

 

 

 友里さんと藤尭さんの声が届く。

 そうだ。このままでは巨大ノイズ一体にさえ及ばない。

 響の力と並べても、この場を突破できない。

 

「…なら見せてやるさ」

 

 

『並べて』も駄目ならば『繋げる』のみ。

 

 ―そんなクズ共で雁首揃えて、よくもまあ戦う気になったもんだな―

 

 あの時、鎧の少女は俺に向けてそう言った。

 あれ程の力を持つ者ならば、俺達の力は蟻に等しい。俺だけじゃない。人類すべてが弱いのだ。その体も心も。

 だが、だから前へと進めるんだ。

 

「クズと罵られた力が、どれ程の力を産むのかを! 絆が作り出す力をっ!」

 

 忘れかけていた絆の力を、思い出させてくれた人がいるのなら。

 俺達は幾らでも強くなれる! 

 

「行くぞ響!」

「うああああああっっ!!」

 

 響の絶叫がこだまする。

 溢れ出る力の奔流。やはり予測は当たっていた。シンフォギアとカードの精霊は似た性質を持っている。ただその放出理論が違うだけ。

 ならば出来る筈だ。

 信じるんだ、俺達の可能性を。

 不可能などと、そんなルールは……誰も決めてはいないのだから! 

 

 

「レベル2の撃槍ガングニールに、レベル3のジャンク・シンクロンを、フォニック・チューニング!」

 

 

 指示を飛ばすと同時に、Dディスクを操作した。

 ジャンク・シンクロンが腰部のリコイルスターターを掴み勢いそのままに引っ張り上げる。

 同時に背面のエンジン部分が音を立てて振動し、激しく明滅する。

 光がやがてジャンク・シンクロンの全身を包み込み、最高潮へと達した時、それは推力に輝く光の輪となって響の全身を取り囲んだ。

 

 

『フォニック・チューニング…だとっ!?』

『モーメント、回転速度上昇します。現在150%を突破。リアクター内、出力上昇! アウフヴァッヘン波形を感知しました!』

『ガングニールと精霊種の両方から確認されています。波形パターン照合、該当ありません。いえ、これは…』

『変化してるっていうの? 新しい型に……いえ、むしろこれは……進化…っ!?』

 

 

 了子さんの唖然とした声が聞こえる。

 チューナーモンスターの真の力。

 それはフィールドに存在するカードと、チューナーを一体、揃えて墓地に送ることにより、その条件に見合うモンスターを、エクストラデッキと呼ばれる第二のカード群から呼び出すことができる。

 俺のデッキには、未だエクストラ枠は存在しない。

 だが俺の狙いは、ジャンク・シンクロンによるシンクロ・モンスター『ジャンク・ウォリアー』の召喚ではない。

 

 

「集いし星よ! 新たな歌を響かせて、此処に光差す道となれ!」

 

 

 胸に灯る微かな鼓動。

 これは俺と、そして響の熱い想い。

 そうか……俺も理解したぞ。

 これは聖詠だ。

 俺達がシンクロ召喚を行う時に、胸の奥から湧き出でる勝利への叫び。

 それは、カードに魂を吹き込み、その想いを伝えるための、命の歌だった。

 

「フォニック・シンクロ!」

 

 響の身体を、ジャンク・シンクロンの光の輪が包み、再構築する。

 プロテクターを、紫を基調とするアーマーに武装させて装備。

 そして風を味方につけ、力へと転化させるマフラー。

 肩部のブースターと右腕のガントレットが輝く。

 

 

「出でよ! ジャンク・ガングニール!」

 

 

 光を一瞬で放出し、新たなギアを出現させる。

 俺達の希望を載せた力。

 その名は、ジャンク・ガングニール! 

 

「え、うええっ! なにこれ! ギアが、ち、違う色になってる!? それに形も変わってるし…!?」

「そうだ。これが俺と、俺の仲間、そして響の力を一つに束ねた力…」

 

 響は最初戸惑っていたが、ゆっくりと自分の姿と内に宿る力を把握していく。

 シンクロ召喚と、シンフォギアの合わせ技。

 それがこの新しい召喚に成功した。

 いや、召喚ではない。聖遺物をチューナーの力によって装者と新たに繋ぎ合わせて誕生した、いわば……

 

「絆の証、シンクロ・シンフォギアだ!」

「シンクロ・シンフォギア…!」

「行くぞ響、俺たちの力で、この街を守るっ!」

「…うんっ!」

 

 響は拳を握りしめた。

 彼女も分からないことだらけだろう。けれど通じ合うものもある。

 それは……

 

「受けた借りは…」

「百倍にして返してやるぞっ!」

「うりゃあああああっ!!」

 

 こんな怪物を野放しにしておけないという事だっ!! 

 

「行くぞ皆っ!」

 

 さあ、もう雌伏の時は終わりだ。

 あいつ等に見せつけてやろう。俺達の力を。

 この世界を蹂躙する奴らに、人の心が描く奇跡と進化を! 

 この世界に生きる人々の願いを集めて! 

 

「せええええええええ―」

 

 一瞬にして距離を詰める。

 響の拳が、正面にいたヒューマノイドの顔面を直撃した。

 いきなりの奇襲に回避できず、当然粉々に爆散する。

 だが、彼女の攻撃は留まらない。

 

「っっえええええええっっ!!!」

 

 振り抜いた拳は衝撃となって周囲へと伝播し、瞬く間に暴風となって辺り一帯のノイズへと拡散する。

 彼女のエネルギーはノイズの位相差障壁を諸共に貫通し、実体化したノイズを蹴散らした。

 一撃。拳を突き出したのみで、倒した数は12体! 

 

「……へ?」

 

 尤も、それに驚いているのは立花だった。

 …俺も衝撃を隠せない。

 これが……これがシンクロの力を重ねたシンフォギアの力か…! 

 

「……なに、今の…! 軽く振っただけだったのに…!?」

 

 だが俺は構わず拳を握りしめる。

 行ける…これならば俺達は戦える! 

 

「ジャンク・ガングニールは、俺のカード『ジャンク・ウォリアー』の効果を継承している」

「じゃんくうぉりあー?」

「ああ」

 

 かつて俺と共にあって、幾多の難敵を退けてきたその効果は、フィールド場に存在するレベル2以下のモンスターの攻撃力分、自身の攻撃力を上昇させる。

 そして今、俺たちの場には、スピード・ウォリアーとボルト・ヘッジホッグ、そしてロードランナーがいる。

 

「俺のカード達が、お前に力を与えている。今のガングニールの出力は、一時的だが数十倍近くまで上がっている筈だっ」

「みんなの、力……」

 

 俺の仲間が、響を取り囲む。

 力強く、彼女を支える。

 彼女に呼びかけた。

 

『ムンッ!』

『ピピッ』

『チーッ!』

 

 俺達がついてるぞ。

 君は一人じゃないんだ。

 負けるな、頑張れっ! 

 

 そう語りかけている気がする。

 

「皆が、力を貸してくれるんだね…」

「そうだ、俺と、俺の仲間達が、お前の力になる!」

 

 この世界に、必要ないものなんて無い。

 どんな物にだって、生まれてきた意味がある。

 全ての出来事に意味がある。

 風鳴の血も、響の涙も、そして、ノイズに散らされた儚い命にも。

 それらを繋ぎあわせて託した、天羽奏と言う一人の少女の命にも。

 

「よし、行くよみんな!」

 

『オオッ!』

 

 響の号令と共に、一斉にモンスターたちが散開し、攻撃を開始した。

 俺もそのまま見ているつもりはない。

 

「響を中心にフォーメーションを組め! ロードランナーは巨大ノイズの攻撃に注意するんだ!」

『ピピッ!』

 

 ノイズたちはいきなりの攻撃に戸惑うも、すぐさま隊列を組み直した。

 縦横無尽に襲い来るノイズたち。

 だが、奴らは一つミスを犯した。

 今までと違い、やはり敵は統率された動きを見せている。

 誰かにコントロールされているという証拠に他ならない。

 

「響、右だっ!」

「だりゃああっ!」

「スピード・ウォリアー! フライト型が来るっ、回避しろ!」

『オオッ!』

 

 つまり無雑作に動くのではなく、効率を重視して頭を使っているという事だ。

 その事実を俺と言うデュエリストに知らせたのが敗因となる。

 即ち、知的生命体同士ならば、同じ盤面での将棋が行える。相手の行動を予測して、先手を打てば、地力で勝るこちらは必ず勝てる! 

 

『遊星君、左よりクロール型だ!』

「くず鉄のかかしを発動!」

 

 弦十郎さんの指示で、俺自身を攻撃しようとするノイズを阻む。

 瞬間、響が踵を返してノイズを掴み上げ、そのまま前方の群れに向かって投げ飛ばした。

 

「てええええっ!」

 

 もんどりうって転倒したノイズがボウリングのピンの様に散らばると、そのままエネルギーの余波を受けて爆散し消滅する。

 巨大ノイズが近づこうとするが、そちらはロードランナーが壁となって抑え込んだ。

 

『敵ノイズ、残存数10にまで減少っ』

 

 友里さんが現状を報告する。

 俺が発令室からの情報を受け取り、敵の戦略を分析、そしてそれに見合った作戦行動を響に伝え、仲間の支援を受けた響が突貫する。

 響が殴り、スピード・ウォリアーが蹴散らし、ロードランナーは防ぎ、ボルト・ヘッジホッグが攪乱していく。

 幾重にも重なる仲間の声。

 矢継ぎ早に飛ばされる指示と命令。それぞれが全力を尽くして戦う中で、ついに藤尭さんが叫んだ。

 

 

『目標残り3! 巨大個体を残して消滅しました!』

 

 

 俺たちの前には、そびえ立つ巨大ノイズが三体。

 巨人型と芋虫型、そして要塞型。

 だがここまでの戦闘で、俺は奴らの攻撃力を概算だがおおよそ見抜いた。

 仲間の力を借り受ける『パワーオブフェローズ』を使った響の力ならば、倒すのは容易。

 相手もその事を分かっている……ならば次の戦略は……! 

 

『遊星君、奇襲だ! 奴らの度肝を抜いてやれ!』

「!」

 

 弦十郎さんの一喝。

 俺の戦略を読んでいたか。

 流石だ。俺にはまだ、あのカードが残ってる! 

 

「響、奥のギガノイズに攻撃だ!」

「えっ?」

「奴がノイズを増やしている。増殖される前に片付ける!」

「わ、わかりましたっ!」

 

 ギガノイズとは、一番奥にいる芋虫の型をしたノイズだ。奴がいる限り決着はつかない。

 響は俺の指示のもと、背面のブースターを点火させノイズに向けて突撃した。

 大地を蹴り、着火されたブースターから炎が吠え猛り、彼女を一直線に目標まで突き進ませる。

 

「うおおおおおっ!」

「叩き込めっ! スクラップ……!」

 

 そしてナックルガードを装着したガングニールの拳で、勢いそのままに叩きつけた! 

 

『フィストオオオオオオォっ!!』

 

 芋虫型は正にこれからノイズを放出するところだった。後方に控えていた奴を最初に攻撃するとは思っていなかったのだろう。

 敵は呆気にとられたまま、響を見送るしかない。

 口元から体内に潜り込み、そのまま中を貫通してブチぬく。真っ二つに分断されたノイズの全身をエネルギーの渦が駆け巡った。

 ブチブチと気持ち悪い音を立てて敵が崩れていく。

 

『ギガノイズ沈黙!』

『し、しかし、残りノイズ、不動遊星に向かって進行していきます! このままでは…!』

 

「……読めていたさ」

 

 響は、俺を信頼して、疑問に思うことなく真っ直ぐに最短距離を突き進んだ。

 故に敵は向こう側にいる響に目もくれずに俺を狙うという策に出る。

 そんな事は百も承知だ。

 だからこそ、俺はこのカードを発動させていたのだ。

 

「永続魔法『ドミノ』の効果発動!」

 

 響が攻撃を行う直前、俺は既にこのカードを装填していた。

 自分のモンスターが戦闘で相手を破壊した時、フィールドの自分カード一枚を墓地に送るごとに、敵をその枚数分破壊できる、このカードを。

 

「スピード・ウォリアーと、ロードランナーを墓地へ送り、残りの巨大ノイズを破壊する!」

『トオオッ!』

『ピイイっ!』

「いけえええええっっ!!」

 

 二体のモンスターは俺の指示を受け取り、その身体を粒子へと変換させて出現したカードへと集まる。

 ドミノのカードから光の縄が出現した。それは崩れていくギガノイズを拘束しつつ、俺の元へと引っ張りよせる。

 正にカードの名前が示す通り、ドミノ倒しのようにして倒れ込んだギガノイズは、要塞型ノイズと縺れ合って転倒し、そのまま巨人型をも呑み込んで大地へと崩れ落ちさせた。

 

「………っ!!」

 

 振動する大気。

 轟音が俺達の耳を貫く。

 続いて聞こえる静寂……死闘の残滓。

 響はいつの間にか俺の元へと駆け寄って、態勢を整えていた。

 その果てに……何分間にも、何時間にも続くかと思われた、その時に友里さんの声が伝わった。

 

 

『敵の全滅を確認。増援反応、ありません』

 

 

 心臓の鼓動がやけにうるさく感じた。

 だが、その後にやってきた静寂が、俺達の身体に汗を流させた。戦いが終わった、その緊張の解放の証拠として。

 

「……私達………」

「……響」

「遊……星…さん」

 

 振り返る響。

 俺を見上げて、呆然と立ち尽くす。

 夕焼けの光が、彼女の頬を照らしている。その顔を、俺は絶対に忘れない。

 勝利の女神となって、俺を導いてくれた、手を繋ぐ光を。

 

 くしゃりと、頭を撫でた。

 

「勝ったぞ、響」

「……うん」

「俺達は生きてる。勝って、生き残ったんだっ」

「……うん!」

 

 生きて、希望を明日に繋げた。

 この日、俺は彼女の心からの笑顔を、初めて見たのだった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「ん~~~~~!」

 

 戦いが終わって、現場検証に訪れた了子さんは、俺の身体を舐め回すように観察していた。

 

「んねえ、遊星くぅ~ん」

 

 猫なで声で俺達にすり寄ろうとするも、ひょいと躱した。

 

「ああん」

「悪いが、調べるのは後にしてくれるか?」

「いけずぅ。それじゃ、女の子に嫌われるZE☆」

 

 キャラが分からなかった。

 恐らく深夜まで起きていてテンションがおかしいのだろう。

 いや……彼女なりの、労いなのだと、俺は信じることにした。

 

「まあでも、あとで身体はちゃんと検査させてもらうわよ」

 

 真面目な顔に戻った了子さんは俺を見て言う。

 

「私の櫻井理論を一つも二つも上回ったさっきの力、解明しなくてはね。君達の健康の為にも」

「……ああ」

「それにしてもさっきの力は凄かったわねえ。チューナー…だったかしら? あれが君の言っていた、本来の力だったのね」

「…まだ、あれだけじゃないさ。チューナーは一体だけじゃない。他にも揃っていない奴等がいる」

「あれより、もっと強くなるんですか?」

 

 そう言って側に来たのは、オペレーターの友里さんだ。

 最早恒例になったコーヒーカップを、俺達に差し出してくれる。

 

「友里さん」

「はい、お疲れ様。あったいものどうぞ」

「サンキュー」

「ああ。あったかいものどうも」

 

 微笑して、俺はカップを受け取った。

 

「だとすると、カードは何としても回収しなくちゃね。けど……どうしてあの場所にカードがあったのかしら?」

「いや……」

「ん?」

 

 二人が俺を見る。

 考えを口にしようとして、止めた。

 今は推論に過ぎない。憶測でものを言うべき時ではない。

 

「……立花は?」

「奥の車で休んでるわ。さすがに疲れたみたい」

「そうか…」

 

 ただ、立花のことは心配だ。

 彼女がどうして、あれ程までに立ち直ったのかは分からないが、それでもシンフォギアにカードの精霊の力を重ねるのが、負担になっているのは間違いないだろう。ただでさえ聖遺物と言う人外の領域に足を踏みこんでいるのだから。

 

「それがねえ…」

「ん?」

「響ちゃんの身体、いたって健康体なのよ。今は休んでるけど、ありゃただの過労ね」

「何だって…?」

「融合症例だからかもしれないけど……その辺りも含めて、今後君のカードの力の解析は必須でしょうね」

 

 了子さんの眼鏡が光る。その眼は冗談ではなかった。

 俺の心配をよそに、少女は今も道路沿いの向こうに泊めてある二課の黒い車で休んでいる筈だ。

 

「取り敢えず、遊星君」

「? なんだ?」

「これ、響ちゃんに持ってってあげて」

 

 そう言って、友里さんはもう一つのカップを俺に差し出した。

 聞けば、コーヒーはインスタントではなく、焙煎からこだわった彼女のお手製らしい。ジャックが聞けば喜ぶかもしれないな。

 

「……ああ、ありがとう」

「いいえ。今日はお疲れ様」

 

 そのまま俺は彼女のいる方向まで歩いていく。

 焼けた草原を踏みしめて、夜の帳が下りた広い空間を歩く。

 余所風は肌に当たって、火照った体を冷やしてくれた。

 

「響、俺だ。友里さんがコーヒーを淹れてくれたぞ」

「……」

「響?」

「……んぅ…」

 

 後部座席のシートに腰かけて。

 彼女は穏やかな寝息を立てていた。

 昨日から色々なことが重なって、そう言えば彼女もろくに寝ていなかった筈だ。

 

「無理もないか…」

「……なる」

「…響?」

「強く、なる、から……」

 

 寝息を立てて、再び無邪気な寝顔を俺に見せる響。

 自然と俺は、頬が緩んでいた。あれ程までに強さを見せてくれた戦士が、今ではどこにでもいる女の子だ。

 いや…普通だからこそ、なのかもしれない。

 彼女は風鳴とは違う。だから、俺と歩幅を合わせて、一緒に走っていける。

 

「……ああ、一緒に強くなろう。響」

 

 トランクから毛布を借り受け、扉を開けると、彼女にそっとかけてやった。

 響の分のコーヒーは、後で改めて届けてやるとするか。

 そう思い、自分の分のカップを一口啜った。

 

 

(ジャック、クロウ、アキ、龍亞、龍可……皆…)

 

 

 未だに、俺がここへ来た理由は不明のままだ。

 一つだけ分かっていることがあるとすれば……皆の絆は、俺を救ってくれた。

 そして今、新たな絆が結ばれた。

 

 

(ありがとう。そして……すまない)

 

 

 元の世界に帰るまでには、まだ少し時間がかかるだろう。

 だが……約束する。

 絶対に俺は皆の所へ戻ってみせる。

 この世界の危機を救ってから…必ず。

 

 星屑がきらりと、夜空に煌めいて、そして消えていく。

 

 

 

 第3話『落涙と、覚醒の鼓動』

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 次回予告

 

「弦十郎さんに、戦いの特訓を受けているんだってな」

 

「はい、今日もこれから修行です!」

 

「俺のやり方は……厳しいぞ!」

 

 弦十郎さんの元、真の強さを追い求めて邁進する響。

 そして俺も、少女に遅れないように、走り続ける。それが俺達の、新たな力を切り開いていく。

 そして告げられる任務。

 それは完全聖遺物、『デュランダル』の護送だった。

 

 次回、龍姫絶唱シンフォギアXDS『力と希望は、なお暗き深淵の底から』

 

「ところで、二人はアクション映画を嗜むか?」

「「……はい?」」

 




魔法カード『ドミノ』の効果はアニメ準拠という事でご容赦ください。
『発動していた』ってなんだよ。
遊戯王ではよくある事なので密に、密に。
ルールを守って楽しくデュエル!

因みに今回の話を書くにあたり、遊星バトルや遊星テーマを聴き続けながらテンション上げましたが、皆さんは5D'sBGMはどれがイチオシですか?


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第4話『力と希望は、なお暗き深淵の底から』-1

このSSを読んで下さる方々の中には、
『響と遊星はどうなの?くっつくの?え、やめて』
と言う人がいるかもですが、朗報です。

響と遊星をくっつけるつもりはありません。
ひびみくはジャスティス、これ基本な。

決して未来とアキ姉ちゃんにダブルで怒られるのが怖いワケではありまおっと誰か来たようだ





 あの日から……翼さんが倒れ、私達が始めてチームとして動き始めてから、数日が経った晴れた日の朝のこと。

 

「……うん、ここだ」

 

 私は日曜日を利用し、学園の外にあるお屋敷を訪ねていた。和風建築の立派な造り。

 きっと築何十年とか、そんな奴だと思う。

 玄関の前にある門には、叩きつけるような字で書かれた『風鳴』と言う表札が掛けてあった。

 もちろん、翼さんの家じゃない。

 二課の司令官の弦十郎さんの家。

 

(私はもっと強くならなくちゃいけない。その為には…!)

 

 了子さんに相談して、ここの家を聞き出し、早速出掛けた目的はただ一つ。

 

(いつまでも遊星さんに頼ってられない。私自身がもっと戦えるようにならなくちゃ! ようやく筋肉痛も治ったし!)

 

 あの戦い…遊星さんと力を合わせて生まれた必殺技、シンクロ・シンフォギアは、とんでもないパワーを秘めていた。

 ただし私はその後、全身筋肉痛でロクに動けず、翌日の授業内容も頭に入らなかった。

 

『ただの過労ね。取り敢えず、湿布貼っとけば治るわ』

 

 何とか了子さんお手製の湿布薬(え、中身は内緒? なんで!?)を貼りまくり、その日の夜には痛みは引いた。身体中薬臭くて堪らない中で、私はより一層の決意を固めた。

 

 ―強くならなきゃ! 湿布にまみれた臭さマシマシのヒーローなんて聞いたことないし! ―

 

 戦う度にこんなになってたら身がもたない。

 その時に頭の中に浮かんだのが弦十郎さんだ。

 シンフォギアに頼らずに強くなる方法があるとすれば、それはこの人に聞く以外にありえない。

 そう思い、わざわざここまで来たのだった。

 

(よしっ!)

 

 強くなる為には何でもするのだ。

 そう決めた。

 翼さんの想いに報いる為にも。

 

 

「……立派な屋敷だな」

 

 

 と、大きな家の門を見上げて呟いたのは、私の隣に立つ異世界からの旅人さん。

 不動遊星さん、21歳。

 ちなみに独身。

 

「ここに1人で住んでるのか?」

「はい。休日は家で鍛錬に励んでるらしいです。了子さんも言ってました」

「鍛錬か…成る程、只者ではないと思ってたが、それなら戦い方を教えてもらえそうだな」

「はいっ」

 

 私は拳を握って答えた。

 私が二課の基地で特訓したい旨を伝えた時に、偶然来ていた遊星さんも、突然一緒に行くと言った。

 いきなりの申し出に対して私は目を丸くしたけど、遊星さんは大真面目だった。

 

『遊星さんも? そりゃ私としては、一緒にやれるのは嬉しいけど…』

『俺も自分を高めたいと思ってな』

『え?』

『……協力すると言いつつ、俺は心のどこかで、お前たちと一線を引いていたのかもしれない。だが、風鳴が血を流してまで皆を守ろうとしたり、立花が今奮い立っている姿を見て、俺も応えたいと思ったんだ』

『遊星さん……』

『俺も一から戦いを学ぶ必要がある。頼む。一緒に走らせてくれ』

 

 

 遊星さんの凄いところ。

 きっと、どこまでも自分の気持ちに素直になれるところなんだと思う。

 本当に戦おうとしてくれている。きっと、それは私達のためだけじゃない。自分自身のためなんだ。

 

 

『はい! こちらこそ、よろしくお願いします!』

 

 

 なら私も、素直にならなきゃ! 

 この人の隣で、真っ直ぐに走る為にも! 

 そう決意した私達は、こうして2人で文字通り門を叩くことにしたのだった。

 

「けど…これどうやって開くんだろ?」

「チャイムを鳴らせば良いんじゃないか?」

「あ、普通にあった。えい」

 

 インターホンを押して、一瞬の緊張。

 ややあって、低い声が聞こえてきた。

 

『風鳴だ』

「あ、あの! 響です!」

『響君? どうした?』

「お休みの日にすみませんっ。お願いがあって来ました!」

 

 私は声を張って答える。

 弦十郎さんは沈黙の後、『今行く』とだけ言って通信を切った。

 

「あの人は、何か武芸を収めてるのか?」

「私も詳しくは知らないですけど、でも、相当強いのは間違いないです。実際に見ましたから」

「そうなのか?」

「はいっ。ギアを使った翼さんの必殺技を一瞬にして止めて見せたことがあるんです。素手で」

「………」

 

 遊星さんは目を細めて私を見る。

 あ…信じてない、これ。

 うぅ…だ、だって、そりゃ、私もにわかには信じられなかったけど、目の前で見せられたら信じるしかないじゃないですかっ。

 

「……それは幾ら何でも言い過ぎじゃないか? シンフォギアを無手で止められたら、それは装者より強いことになる」

「い、いや、ほんとですよぉ!」

「それと」

 

 私は慌てて誤解を解こうとした時、

 遊星さんは私の目を見て苦笑しながら言った。

 

「また敬語になってるぞ」

「あ…」

「ここは学校じゃ無いんだし、今日は休みだ。普通でいい」

 

 そうだった。

 私は慌てて俯く。

 特訓を受けに行くと決めた時、私と遊星さんはある決め事を二人で交わした。

 一つは、これから困難が待ち受けている筈だけど、二人で協力して乗り切ること。

 そしてもう一つ……

 

「そ、そうだったね、遊星」

 

 戦いの時や、二課の本部でいる時には、敬語を使わない事。

 私はこういう年上の人や先輩への礼儀みたいなのは当たり前だと思ってたし、周りもそうしてたからいきなり言われて戸惑った。

 けど……彼の言葉を聞いて、私はそれを受け入れることにした。

 

「前にも言ったが、俺達はチームだ。余計な上下関係はない方が良いと思う。気を遣って肝心な時に遠慮し合ってたら、いざという時に連携が取れないからな」

「う、うん…」

「それに、俺も敬語を使われるのは性に合わなくてな」

 

 そう言って遊星さん……ううん、遊星は笑った。

 年上の…それも男の人をそんな風に言うのは逆に緊張しちゃうような気もしたけど、妙な気遣いは取っ払った方が良いというのは私も同感だったし、何よりそう言って遊星の方から歩み寄ってくれたという事の方が嬉しかった。

 

「お、おすっ、じゃあ、改めてよろしくね、ゆ……遊星っ」

「ああ。こちらこそだ。響」

 

 何時の間にか、遊星も私のことは『立花』じゃなくて名前で呼んでいたことに気付いたのは、初めてそう呼んでくれたあの日の戦いの数日後だった。

 

「あ、はははっ。な、なんか照れるなぁ。男の人を名前で呼ぶなんて、そんなの初めてだから」

「そうなのか?」

「う、うん。リディアンは女子高だし、私もそんなに男の子と話す方じゃなかったし」

「そうか…」

「ゆ、遊星は……その、そういうのは気にしないの?」

「特にはな。まあ、俺はそういう上下関係に拘る環境にいなかったからな。仲間達とも、普通に話してた」

「そうなんだ…」

 

 こうして話すようになったとはいっても、私はこの人のことを、未だに知らない。

 異世界から来て、科学者をやっていたって言う事くらい。

 だけどどこにいて、何を見て、何を聞いて、誰と一緒に生きてきたのか。そんな事は全然知らなかった。

 聞きたいとは思うけど……けど、余り聞く気にはなれなかった。

 だって、遊星は今こうして私を助けてくれるけど、元は仲間とはぐれて一人、いきなり赤き竜によってこの場所に連れてこられた。それなのにあんまり根掘り葉掘り聞いたら、それは辛い思いをさせちゃうんじゃないかって、そう思うとどうしても憚られた。

 

「ん? どうかしたか?」

 

 でも、聞かないでおくのはそれこそ変な遠慮なのかもしれない。

 もちろん変に詮索するつもりはないけど……

 

 

「おう、待たせたな……っと、遊星君も一緒か?」

 

 

 私が遊星に何かを訊こうとしたその時、重たい門が開き、中から作務衣姿の弦十郎さんが姿を現す。

 いつもながら身体中から精気が漲っている雰囲気がする。あと作務衣姿が異常なほどに良く似合ってる。多分世界一かも。

 

「こんなに朝早くからどうしたんだ?」

 

 ぼんやりそんな事を考えてた私は、すぐに気を引き締めた。

 色々と頼み方を考えて試行錯誤をしていたんだけど、私はこういう時の礼儀作法なんて知らない。ここは思い切ってストレートに頼み込むのが一番という結論に達した。

 

「たのもー!」

「な、なんだいきなり…!?」

「響、それは相手が出てくる前に言う言葉だ。頼みに来る時の挨拶じゃない」

「え? あ、あ、そっか…」

「頼み?」

 

 顔を赤くしてると、弦十郎さんが目を丸くする。

 遊星が横から補足してくれた。

 

「俺達は、訓練を申し出に来たんだ」

「訓練?」

「はい。私達に、戦いを教えてください!」

 

 そう言って私達は頭を下げる。

 要領を得ないと言った風で話を聞いてきたので、ここに至るまでの経緯を説明した。

 

「なるほどな……この俺が、君達にか」

「はい。弦十郎さんなら、きっと凄い武術とか知ってるんじゃないかって」

「俺からも頼む、弦十郎さん」

「……」

 

 しばらく、弦十郎さんは腕を組み、黙って目を瞑ってしばらく考え込んでいた。

 …やっぱり、何か変なことだったんだろうか。私みたいな素人が急にこんなすごい人の所まで頼みに来るのは……けど、私には何もない。何もないなら何でもやる。それが私の結論だった。それに一人でガムシャラにやるより、相手に見てもらった方が絶対に良いに決まってる。

 それに何より……私達には時間が無かった。

 

(今も翼さんは病院で戦ってる……一刻も早く強くならないとっ)

 

 この間みたいにシンクロ・シンフォギアで何時までも勝てるなんて保証はどこにもない。それに私の隣にいる異世界の出身者は、いつもとの世界に帰るのか分からないんだ。たとえ一人でも戦いぬける力を身に着けないと……もう無力な自分ではいられない。

 

 

「……一つ言っておく」

「え?」

「俺のやり方は、厳しいぞ」

 

 

 やがて眼を開いて、弦十郎さんは、静かに私達二人に向かってそう言った。

 今度は私が驚いて一瞬目を丸くする番だった。けど、強くなれるという希望だった。その事実を噛み締めて、グッと拳を握りしめた私は、力強く返事をした。

 

「はいっ! よろしくお願いしますっ!!」

「よろしく頼む、弦十郎さん」

 

 こうして、この日から私達の特訓の日々が始まる。

 しかし、弦十郎さん……いや、師匠の修業は、確かにハッキリ言って生半可なものではなかった。

 厳しさ、キツさ、激しさは勿論だけど、何より……

 

「時に響君」

「はいっ!」

「そして…遊星君。聞いておくことがある」

「…なんだ?」

「君達は、アクション映画とか嗜む方か?」

「「……はい?」」

 

 初っ端から言ってること全然分かりませんでした。

 

 

 

 第4話  『力と希望は、なお暗き深淵の底から』

 

 

 

 取り敢えず上がりなさい、と言われた私達は、奥にある立派な部屋に通された。やはり和風の家だけあって畳部屋だった。

 私はこういう家にあまりお邪魔したことがないから逆に新鮮だった。ただ一つ、違和感を放っていたのが、私達が凝視している、超巨大テレビ。

 4Kぐらいじゃなさそうなのは確かだけど、いきなりここに連れてこられた私達は、取り敢えず見ておくようにと言われた映像をじっと見ていることになった。

 

「何をするんだろう…?」

「分からん」

 

 でも修行に来て、いきなりこれを見せるのには多分何かある筈だ。あの人は無駄なことをやるような人じゃないし、これもきっと修行の一部なのかもしれない。

 

『沖田ァ! へばるにはまだ早いぞッ! 素振り一万本だ!』

『は、はい土方さん! この最強無敵の沖田さんにお任せです!』

『いいか! 俺がいる限り、ここが新撰組だァ!!』

『こふっ!』

 

 画面の向こうでは、桜色の着物を着た女の子が、厳しい鬼のような顔をした上司にしごかれているところだった。

 少女は血を吐きながらも素振りを続けて、また血を吐いて、を繰り返してる。

 ううん、大丈夫かな、この子……っていうか、なんかどっかで聞いた声がするけど……まあ、多分気のせいだ。

 

「だが、何故アクション映画なんて…?」

「さぁ…。この映画みたいな修行をするとか…?」

『最高に高めたフォニックゲインで! 最強の力を手に入れてやるぜ!!』

「……多分違うと思うが…」

 

 今度は主人公の男の子が何かヤバい表情で馬に乗って走ってる。

 まさか、こんな事をするんだろうか……

 

「どうしよう、私、馬なんて乗った事ないよぅ……!」

「だが、俺もお前に戦士としての戦い方を教えることは出来ない…弦十郎さんの指導は生き残る為には必須だ」

 

 遊星が真顔で頷いている。ま、マジすか…マジでやるんですか…? 

 けど……私達が見ているこの映画のように…人の命がかかっているんだ。

 私は思い出した。

 この状況では、手取り足取りなんて悠長に構えてはいられない。

 

『ふふふ、六合大槍の妙技…とくと味わうが良い!』

『むむっ! これが中国四千年の秘技っ!? ですが負けません! 喰らえ、無双三段斬り!!』

 

 どんな力だって、どんな特訓だって耐えてみせる。

 皆を守るために。それに何より、未来との約束を守るためにも。

 

 

「観終わったか?」

「ああ」

「ばっちりです!」

 

 

 やがて師匠が風呂敷包みを持って部屋に入って来る。丁度テレビではエンディングのスタッフロールが流れているところだった。

 

「よし、では次のステップに行くぞ。響君はこれを着たまえ」

「おお、これは…!」

「?」

 

 師匠が風呂敷から取り出したのは、さっき映画で主人公たちが使っていたトレーニングウェアだった。

 ホンモノとそっくりだけど、ちゃんと私のサイズに合わせてある。

 けどなんでわざわざ同じ服を用意したんだろう? 

 私達が疑問に思っていると、師匠は腕を組みながらそれに答えてくれた。

 

「二人には、それぞれ別のメニューを用意した。響君は、まず敵に対する恐怖心を克服するところから始めなければいけない。それには強い精神力と、『自分はできる』と言う肯定力の充実が必須だ」

「つまり……自信をつけるってことですか?」

「その通りだ」

 

 鷹揚に頷く師匠。

 そして私の横で、手渡された服をまじまじと見ている遊星を見て言った。

 

「対して遊星君は、既に強いメンタルと頭脳を持ち合わせている。あとは実践で覚えるしかない。君自身が、前線で戦う意識とイメージを身につけた時、響君と同じ視点を持つことができる」

「……より、響の立場で物事を考えられるようになる、という事か」

「うむ。結果的に、これは結束力を高める修行とも言える」

 

 そっか。

 何となく分かった。

 要するに、遊星が幾ら腕っぷしを強くしても、遊星自身が戦うわけじゃないから、私と同じ修行をしても意味がない。

 むしろそれより必要なのは、私達がより一層、意思疎通ができるようにコンビネーションを高めることなんだ。

 

「な、なるほど! 頑張ります!」

「俺も全力を尽くそう」

「一緒に頑張ろうね、遊星!」

「ああ、よろしくな、響」

「…ん?」

 

 師匠がキョトンとして見てくる。

 あれ? 私達ヘンな事言ったかな? 

 首を傾げていた私達だけど、敬語を止めて話していることに違和感を持ったんだって気付いた。

 

「学校の外では、敬語を使うのは止めにしようと、俺から提案したんだ。建前の関係性なんて、此処では意味はないからな」

「わ、私は何だかやり辛いんですけどね……」

「それに俺も、上にいるような柄じゃない」

「ってことに……なったんですけど…」

 

 しどろもどろに言う私と、あくまで真顔で答える遊星。

 

「君達の好きにすると良い」

 

 弦十郎さんはニヤリと笑って頷いた。

 後で聞くところによると、元々弦十郎さんも、下手な敬語は止める方が良いとアドバイスするつもりだったらしい。

 それに先手を取った私達は、コンビとしては悪くないんじゃないだろうか。この時には、ぼんやりとそんな事を考えてた。

 

「はいっ!」

「ああ」

 

 ところで、と遊星は渡された服を広げながら言った。

 

「……これは、何の服だ?」

「俺の好きなギャングアクション映画に出てくるストリートチームの服だ。君の中に隠された野性を、これで引き出すんだ」

 

 え? 野生? 何の話? 

 

「……気に入ったようだな」

「ああ。昔、デュエルギャングと戦ってた時のことを思い出す」

「え、でゅえるぎゃんぐ?」

 

 微笑して頷く遊星。

 ……やっぱりこの人もよく分かんない。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 晴れた日の朝。

 風鳴弦十郎宅の庭内には、立派な巨木がある。

 その枝に吊るされた巨大サンドバッグを、響は一心不乱に叩いていた。

 

「たぁ! たぁ! はぁっ!」

 

 響と共に弟子入りし、修行を開始して2週間が経過した。

 響と俺は必ずしも同じ環境で訓練を行うわけではなく、主に響の場合はフィジカルトレーニングを重点的に行っている。

 

「ふんっ! ふんふんっ!!」

 

 今やっているのは、基礎的な筋力トレーニングや持久力アップの為の走り込みと言った、俺の世界の人間が見れば前時代ともとれる手法。

 が、実は理に適った特訓だ。

 

(シンフォギアは、心の強さが性能を引き出す。響はまず、何より心を強くしなければいけない)

 

 身体能力もそうだが、前のめりにチャレンジをし、それを乗り越えることで精神性を養う。根性を鍛えるだけならば、寧ろこうした昔ながらの古臭い訓練の方がプラスにもなる。もちろん、身体を壊さないように休息時間、筋力の超回復など、現代の医療知識も取り入れている。

 更に弦十郎さんの上手い所は、響の現在の身体からどの程度までできるのか、何が最善なのかを逐一観察し、メニューを柔軟に変更している点だった。

 

(やはり只者ではないな)

 

 指揮官としてのみならず、指導者としても一流だ。

 日本の防衛を担う機関の長と言う肩書は伊達ではないという事か。

 

 

「そうじゃない! 雷を掴み、イナズマを食らうようにして打つべし!」

「言ってること全然分かりません!」

「考えるな、感じるんだ!」

「取り敢えずやってみます!」

「『やってみる』のではない! 『やる』んだ!」

「はい師匠!!」

 

(それでいいのか…)

 

 

 まあ、俺には理解できないノリが多数展開されるのだが、響はそれを受け入れているのだから何も言う必要はない。

 むしろ、直観と勢いで乗り切る響には合っていると言えなくもない。

 

 

「はあぁぁぁ……っっ」

 

 

 弦十郎さんのアドバイス? を受け、響は一歩下がると、サンドバッグを見据えて、意識を集中し始めた。ピリピリとひりつく様な空気が辺りを支配し始める。

 恐らく響の中には昨日見たアクション映画の映像が流れ込んでいるだろう。

 技のイメージと創造力を働かせるためには、映画はうってつけだ。特に響のような形から入るタイプには。

 

「っ、でやぁ!!」

 

 そして響がグローブをはめた拳を突き出した次の瞬間! 

 吊るしていた枝が勢いを殺しきれずに引き千切れ、サンドバッグは遥か後方にまで吹き飛び、盛大な音を立てて池にまで落下した。

 

「…!」

「や、やった!」

「うむ、いいぞ!」

 

 ……見事だ。

 いや、想像以上である。

 幾ら響がトレーニングを積んだと言っても、この数週間でここまでの筋力とスタミナを獲得するのは尋常ではない。

 恐らく響がガングニールそのものと融合しているのことが原因だろう。彼女の元々持つ精神力と相まって、ある程度まで肉体を強化しているに違いない。

 

(響は、あの日以来何かが変わった…)

 

 つまりそれは、彼女の心境の変化が起因している。戦うための決意、覚悟だけではない。

 根本的に、人と向き合う目…心の何かに変化が起きたのだ。

 それがあの日の、シンクロ・シンフォギアの進化へと繋がった。

 

「こちらも、スイッチを入れるとするか」

「オス! お願いします!」

 

 これは俺も負けてはいられない。

 自分の中に熱いものが感じられる。

 WRGPに出ていた時と同じ感覚を再び味わうとは思わなかった。それも、こんな年端もいかない少女相手に、だ。

 遅れは取れない。俺も全力でぶつからなければ。

 

「その前にサンドバックを戻すぞ」

「あ、ごめんなさい! 遊…先生」

「気にするな。それと、ここは学校じゃないんだ。遊星で構わないぞ」

「あ、そ、そうでしたね…いや、うん。ありがとう、遊星っ!」

 

 響も、この頃は俺に対してはフランクに話しかけるようになってくれた。敬語を使わない事にも戸惑いは無くなりつつある。

 仲が深まった証と思いつつ腕をまくって、落ちたサンドバッグを両手で掴んだ、その時だ。

 

「……?」

 

 池の金魚がバチャンと音を立てて跳ねる。

 その拍子に立った水飛沫が光を当てて反射され、俺の視界に飛び込んだ。

 いや……違う。

 これは、太陽光の反射じゃない。

 水の奥から……何かが光っている。それが内側から水に透けていたのだ。

 俺はサンドバッグを引き上げ、改めてゆっくりと、透明な液体の中に手を通す。

 

「ん? どうした?」

「遊星?」

「……」

 

 二人の言葉も入らず、ただ静かに、水の隙間に指をくぐらせた。

 光っている水の奥……池の底で淡い光を発し続けている、手のひら大の『それ』をゆっくりと掴んで、引き揚げた。

 薄い虹色の膜に守られたその一枚は、引き揚げられた瞬間、光を放出し、正体を露わにする。

 俺は目を見張った。

 

「…これはっ…!」

 

 どういうことだ? 

 どうしてここに……!? 

 

「ど、どうしたの?」

 

 慌てて響が俺の元へと駆け寄ってくる。

 俺は立ち上がると、その手の中に納まっている物を見えるように差し出した。

 

「カードだ。俺のデッキの…」

「ええっ!?」

 

 響がその場で跳び上がって驚いた。俺も心の内では彼女と同じだ。

 

「それって、遊星が無くしちゃった一枚……ってことだよね…?」

「ああ……」

「ううむ…俺の池はついこの間掃除したばかりだ。こんなものはなかった筈だが…」

「えっ」

 

 目を丸くした響が、弦十郎さんを見る。

 流石の彼も、この事実には驚きを隠せない様子だった。

 飛び散ったカードの行方は、未だ掴めていない。

 無論、緒川さんをはじめとする調査部が全力で捜査中だが、痕跡すら見つからない。

 先の戦いで戻ってきたジャンク・シンクロンで、ようやく一枚目だ。

 が…

 

「それじゃ、どうして…」

「……」

 

 カードに、破損はない。

 今まで水中にあったにも関わらず、新品同様に光沢を放っている。

 俺を幼少期から支え続けた、相棒とも言える一枚は、無言のままこちらを見ている。

 再会できた喜びか、はたまた、とんでもないところに放置された怒りか…いずれにせよ、身体は稲妻に打たれたように、その場に固まってしまった。

 

「…よかったな」

 

 弦十郎さんが俺の肩に手を置く。彼は笑って言った。

 

「弦十郎さん…」

「大事なものなんだろう? 君を見ていればわかる。経緯はどうあれ、それが何よりだ」

「本当に良かったね! 遊星っ!」

 

 響も、カードと俺を交互に見ながら力強く言う。

 自然と、俺も微笑して二人に答えていた。

 

「ああ……ありがとう」

 

 そうだ。

 まだ全て揃わないし、理由も不明。

 が、それでももう一枚、再び俺の元へと帰ってきてくれた。

 それだけで今は十分だ。

 

「よく帰ってきてくれた……ニトロ・シンクロン」

 

 ―当たり前ですよ。いつでも共にいる、貴方の仲間なのですから―

 

 新たに戻ったチューナー・モンスターの精霊が、そう囁きかけた気がした。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 私の修業は順調に進み、それだけじゃなく、遊星の元にも強力な仲間が戻った! 

 

 チューナー・モンスターと呼ばれるカードの力を使いこなせば、戦術は一気に幅を広げる……と言うのは、遊星の受け売りだった。

 

 

『え、じゃあ、このカードを使えば、私のガングニールもあの時みたいにパワーアップできるってこと?』

『ああ、恐らく可能だ。了子さんも言っていたが、カードの精霊とシンフォギアは似た性質と力を持っている。となれば、このカードを使えば、新しいシンクロ・シンフォギアを生み出せる』

 

 

 遊星によれば、チューナーと言うのは、より強い力を生み出すためのカギとなるモンスターらしい。

 例え弱い力しか持たないカードでも、彼等の力を借り受けることで、新しい次元へと進化できる。

 

『ほうほう、興味深いわねえ。精霊とシンフォギアを合わせて、新しい形へと変化させるフォニック・シンクロ……ギアの固有波形を調律し直すことで、更に装者の深層意識や心象と言った心の力と噛み合わせて、強く昇華させるってとこかしら……正に『チューナー』ねっ』

『ああ。このシンクロ召喚を使うことで発生するある種のエネルギーが、俺達の時代の発展の元になっている』

『モーメントの? それってつまり、カードの精霊やデュエリストの進化へ向ける意識を、遊星粒子が汲み取ってるってこと? ますます惹かれるわぁっ!!』

 

 と、了子さんが話へ割り込んできたところで、私の意識は途切れた。

 ごめんなさい、言ってること全然分かりません。

 まあ、つまり、もっと強くなれるってことですよね。

 

『とは言え……今の響には扱い辛いかもしれないな』

『え?』

『こいつをキーにして呼び出すモンスターは、強い火力を秘めている。瞬間的な爆発力だけなら、ジャンク・ウォリアーよりも遥かに上だ』

『あ、あれより!?』

 

 私は一瞬耳を疑った。

 あの時フォニック・シンクロを使った時に出したジャンク・ガングニールだって相当な強さだ。

 師匠も言ってたけど、多分、単純な腕っぷしの強さは翼さんの必殺技より強力だった。

 

『響自身へかかる負担も考慮しないと、今度は筋肉痛じゃ済まないかもしれない』

『そうねえ。カードの実体化に関しても、まだまだ研究不足だし、安定した戦力にするためには、もうちょっと時間が必要かもね』

 

 と、了子さんも頷いていた。

 つまり、遊星は私の身体を心配してくれていたのだ。

 私も、それにはゾッとしたけど、二人の言うことには従うことにした。私が倒れたら、皆に迷惑が掛かってしまう。

 何より私だって望んで怪我をしたいわけじゃない。

 

 

『よし。響君は、メンタル面のトレーニングと並行して、体力作りを強化しておこう。規則正しい生活と、毎日の食事だ。これを続けるだけで違うっ』

 

 

 そう師匠は力強く言った。

 了子さんも、カードの力の研究をより進めると言ってくれている。

 

『新たな力を使いこなす事が出来れば、それはより多くの人を救うことに繋がる筈だ』

『よ、よろしくお願いしますっ!』

 

 私は恵まれている。

 皆が私の為に身体を張って、毎日頑張ってくれている。

 なら、私はそれに報いなきゃいけない。

 この人達の温かい心は、きっと、奏さんが私に託してくれたものの一つだから。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 そして私は、背を押されるように、更に自分を奮い立たせた! 

 

 

(取り敢えず腹が減っては戦は出来ぬ!)

 

 

「ご飯&たんすいかぶーつ!」

「…」

 

 その日の放課後。

 運良く身体の空いた私は、久しぶりに未来や創世ちゃん達と一緒に食事に出かけることになった。

 行き先は『ふらわー』と言う、近所にある商店街の中のお好み焼き屋さんだった。

 おばちゃんが一人で切り盛りしている店で、その味は控えめに言って70億万点。

 何度食べても飽きがこない、この味わいは一言じゃ語り尽くせなかった。

 

 

「はぐっ! ばくばくっ! もぐもぐっ!!」

 

 

 まず店から漂う香ばしい匂い……お財布や体重を気にして、守備表示になっている私の心に対して、貫通効果を持っている。

 ここでライフを大きく削られた私は、もう抵抗する術を持たないで店の中に入るしかない。

 

「おかわりっ!」

「はいよっ」

 

 そして焼いている時のジューと言う音が、食欲にダイレクトアタック! 

 ついでに言うと、この効果は無効に出来ない! 

 っていうか、するつもりもない! 

 

(この待ってる間が辛いんだよねえ…!)

 

 まさにデス・ゲームッッ! 

 

「はい、どうぞ」

「わーいっ! いただきまーすっ! あぐあぐっ! むしゃむしゃ!」

 

 ほわっと、広がるジューシーな食感と、お肉の焦げた風味、それがおばちゃん自家製ソースとまじりあって……ああ、もう。

 口が噛んで喉を通り、胃袋を過ぎても幸福感を送り届けてくれる。

 正に人類の文化の極みっ!! 

 もう止めて! とっくに私のライフはゼロよっ! 

 

 

「立花さん、今日もたくさん食べますねぇ」

 

 

 詩織ちゃんが呆気にとられて私を見つめる。このお店を見つけて教えてくれた彼女には感謝の言葉もありません。

 

「そんなに食べて大丈夫?」

「ひぃやひぃやふぇいきふぇいき(いやいや平気平気)。ふぁいひんほはんひふらはへへもふとふぁひぁい(最近ご飯いくら食べてても太らない)」

「いや言ってること全然分からんって」

 

 もぐもぐしながら答えた私に、呆れながら弓美ちゃんが言った。

 言ってる意味を唯一理解してくれている未来が、私の手元に水の入ったコップを差し出してくれた。

 

「平気じゃないでしょ。そんなに急いで食べたらお腹壊すよ。はい、お水」

「ふぁりかと(ありがと)、みふ(みく)……んぐ、んぐ……ぷはー! いやー、相変わらずおばちゃんのお好み焼きは絶品だなぁ!」

「ありがと。そうやって頬張ってくれると、作り甲斐があるってもんだよ」

「お代わり!」

「え、また!?」

 

 空になった皿を差し出した私に、創世ちゃんが目を丸くした。

 

「ビッキー、最近なんか変だよ? カラオケでとんでもなく熱唱したり、朝からグラウンドでめちゃくちゃ走ったり」

「急に熱血スポ根アニメに影響されたとか?」

 

 呆れながら言う弓美ちゃん。

 確かに一ヵ月前からの私なら考えられない事だった。

 でも、無理をしているわけじゃない。

 師匠の言うように、体力トレーニングを続けていると、自然とそれまで入らなかった筈の大量の食事がするりと喉を通るのだ。

 しかもこの後でトレーニングを行うと、あっという間にまたお腹が空いてきてしまう。

 もう、私が入学する前に決めた一か月の食事代はあっという間にすっからかんになってしまった。

 幸い、トレーニングの為の食事は装者の必須要素だ、と言って師匠が掛け合って、食費に関しては心配しなくてもよくなった。

 後で領収書を、こっそり貰うのが少し大変だったけど。

 

「い、いや、そう言うんじゃないけどね。取り敢えず、目の前のことを全力で取り組みたいと言いますか」

「響……」

「ほら、ヒナも心配してるよ?」

「え、あ…」

 

 ぎくりと、未来を見て私は目を逸らしてしまう。

 創世ちゃんの言うように、心配と……あと、訝しげの視線が目に入ってしまった。

 

「…う、ううん。別に心配してないよ。あとで食べ過ぎたー、って言うなぁって思っただけだから」

「くすっ、見破られてますね」

「あ、あはは、大丈夫、大丈夫、その辺りは計算してるし…」

 

 それに未来が苦笑して答える。

 私の心がチクリと痛んだ。

 食事に向かっていた私の気持ちが引き戻された。

 そう……この数週間で、私が気にしている唯一のこと。

 私は未来を騙していた。

 必要なことなんだ。私は何度も未来に話そうとした。朝早くや、夜遅くに出かける意味を。元気がなかった理由も、今頑張ってる理由も。

 

(分かってる……話したらいけないって…)

 

 未来を巻き込みたくはない。

 もし知られたら、誰かが容赦なく未来を襲う。

 そんなのは嫌だ。

 そうだ、必要なんだ。私が、こんな思いをするくらいで未来を守れるなら……

 

「立花さん?」

「響、どうしたの?」

「やっぱりお腹痛くなった、ビッキー?」

「あ、ううん、違うよ、そうじゃなくて…」

 

 私が慌てて話題を変えようとしたその時。

 

 

「いらっしゃーい」

 

 

「あ…」

「…不動先生?」

「ええっ!?」

 

 驚いて振り返る。

 入口の所には、つい昼間まで授業をしていた筈の遊星が立っていた。

 向こうも少し驚いたみたいで、キョトンとしている。

 

「立花か。あと……小日向と、安藤と板場と寺島も一緒か」

『…こんにちは』

 

 全員、何となく頭を下げる。

 微妙な空気に豚玉を焼いている最中のおばちゃんが声を掛けた。

 

「あら、みんな知り合いかい?」

「え、えとぉ…」

「学校の先生です。私達のクラスの副担任で、研修でいらしたんです」

 

 詩織ちゃんが解説してくれる。

 

「へぇ、そう。じゃ、そちらへどうぞ」

「どうも」

「………」

 

 五人座っていたカウンターの隣に座る遊星。自然と、端にいた私の横に来る形になった。

 ……さっきまでそれなりに楽しかった雰囲気が一気に固くなってしまう。

 別に遊星が悪いわけじゃないんだけど……。

 

(ど、どうしよう…!)

 

 未だに遊星とウチの生徒の関係はあまり良いとは言えなかった。

 授業のやり方や遊星の性格もそうだけど、つい最近明らかになってしまったある事件も、更に追い打ちになってしまった。

 

(ねえ、不動先生って、腕にも入れ墨あるってホント?)

(え、そうなの?)

(い、いや、違うよっ。あれって、生まれつきのものなんだって、私聞いたしっ)

 

 創世ちゃんと弓美ちゃんが話すのを、私は慌てて止めた。

 竜の頭を模した痣は、何も知らない子からすればヤクザのタトゥーと変わらない。一度それを先生に見咎められて、呼び出されたことがあったのだ。

 

(何とか師匠が色々やって止めてくれたけど……)

 

 けど、生徒の噂まではどうしようもない。このままだと、根も葉もない憶測が立ちかねない。

 ただ、急にこの世界に来て手さぐりで先生をやっている遊星に、そんな立ち回りを演じるのも可哀想だった。

 私に出来ることと言ったら、行く先々で余計な誤解を生まないように説明するしかなかった。

 

(……よし、ここは私が何とか皆との仲を取り持てば……!)

 

 私のお節介がまた発動した。

 遊星の為にも、少しでも関係性を良くしたい。

 何より……私をあんなにも助けてくれるこの人が、悪い目で見られているというのが、とても嫌だった。

 

「あ、あのっ」

「ん?」

「遊……先生、どうしてここに来たんですか?」

「いや、仕事帰りだったんだが、ここから良い匂いがしてな。この手の店は初めてなんだが…色々とあるな」

「あ、それだったら、最初は豚玉がオススメですよ。あとイカ玉と、トマトチーズと、シーフード盛りと、焼きそば乗っけたのも! あとはね…」

「…立花さん、いつの間に不動先生と親しくなったんですか?」

「え?」

 

 詩織ちゃんが怪訝そうに私を見てくる。

 慌てて誤魔化した。

 

「あ、じゅ、授業で分かりにくい所があったから。色々と教えてもらってて……」

「…あんたそんなキャラだったっけ?」

「い、いやほら、先生の授業は面白いし、興味が湧いてくるから、つい気になっちゃって。ほ、ほらほら、先生早く頼んだ方が良いですよ」

「そうだな。じゃあ…」

 

 そう言って遊星はメニューから一つ選んで注文する。

 おばちゃんが焼いている最中、やっぱりぎこちない雰囲気は続いた。さっきまであんなに食欲を刺激してきた香ばしい匂いも、今は余り感じられない。

 う~、どうしよう……! 何か、何かないかなぁ! 遊星と皆が親しくなれる方法とか……授業の話……んな事をJKが学校の外で出来るわけない! ええっと、皆が興味ある話題は……恋バナ? 

 いやいや、そんなこと聞けない。遊星に恋人…が、いるかどうかは置いといて、それどころか、誰も知り合いがいない場所まで放り出されたのに、そんな人間関係なんて答えようがない。

 

「立花、難しい顔をしてるが、どうしたんだ?」

 

 遊星のせいだよ……とは言えない。

 私が心の中で悶々してると、詩織ちゃんがふと沈黙を破って話しかけた。

 

「あのー、先生って何処からいらしたんですか?」

「ん?」

 

(ぬあー、一番答えにくいところーっ!)

 

 彼女もこのまま関係性が微妙なのは嫌だったに違いない。

 けれどその気遣いが逆に混乱を招いた。

 主に私の頭の中に。

 ど、どうしよう、遊星……!? 

 

「え、ええっと、それはねえ…」

「なんでビッキーが答えようとしてんの?」

「あ、あはは、そ、それは、あの……!」

「………仕事で色々な所を回ったからな。何処か、と言うと答えにくいな」

「そうなんですか?」

 

 私の混乱をよそに、遊星は表情を崩さずに答える。

 

「前は技術者とか修理屋をやっていたからな。仕事上、何箇所も回るんだ」

「何箇所もって…そんな前から働いてたんですか?」

「ああ。18の時から、になるのか。それ以前からも幾つかな」

 

 さらりと流すその仕草はとても大人だ。

 けど…18歳? 

 そんな前から遊星は科学者をやっていたんだろうか? この場の嘘かもしれないけど……

 

「え、もしかして先生、メチャクチャエリート? 高学歴で飛び級とか? アニメみたいな…」

「いや、俺は学校には…」

「あぁーーっっ!」

「うわ、何よもう!?」

 

 弓美ちゃんの質問に答えようとした遊星を差し止めるべく、急いで外に止めてある遊星のDホイールを指差しながら叫んだ。

 

「あのバイク先生の? い、いやー、かっこいいなぁー!」

「あ、ホントだ…あれ、先生のなんですか?」

「ああ、まぁ一応な」

 

 遊星自身もキョトンとして私を見る。

 何をいきなり言っているんだ? いつも見てるじゃないか? とでも言いたげだ。

 やっぱり……遊星は私が必死に庇ってることに気付いてない。

 何となく、薄々勘付いてたけど、間違いない。

 彼は所々が天然だった。

 

「でも、見たことない形ですね。外国のメーカーですか?」

「作ったんだ」

「作ったって…え、あれ自作!?」

「そんなに大したものじゃない。厳密にはスクラップ置き場に有ったものを作り直しただけだからな」

「い、いや、十分凄いんですけど…」

 

 へー、と感心したように皆が遊星を見る。

 うーん、良いんだろうか、そんなこと言っちゃって……確かに凄い人って言うのは分かって貰えたかもしれないけど、余計に謎感が深まっちゃってないかな…

 言い出したの私だけど……

 

 

「はい、おまちどうさま」

「おーい、おばちゃーん、テレビまた調子悪いみたいだよ」

 

 

 と、その時。

 奥のお座敷に座ってた、中年のおじさん達が声を張っておばちゃんに話しかけてきた。

 

「ありゃりゃ、本当に?」

 

 丁度出来上がったお好み焼きを遊星に差し出したおばちゃんは、カウンターを出て、座敷へと歩いていく。

 私たちも気になって、その様子を何となく眺めていた。

 

「もう寿命かもねえ」

「結構前から置いてあるしな。型も古いし、そろそろ買い換えたらどうだい?」

「そうしたい所だけどねぇ…」

「そういや、このテレビ随分昔からあるよなぁ?」

「ああ。店開けた時からなんだよ。なんかここまで来ると、この子も相方みたいな気がしてさ。なかなか捨てられないのよ」

 

 そんな会話が聞こえてくる。

 座敷の向こう側に鎮座している旧式のテレビは、所々傷もあって、明らかに年代ものだった。でもその古臭い感じがお店にあっているような気もする。

 私も子供の頃から使ってる持ち物は中々捨てられないタイプだし、おばちゃんも気持ちも何となく分かる。

 

 

「…よかったら、見ましょうか?」

「え?」

「ええーーーっ!!?」

「ひ、響が何でそんなに驚くの…っ?」

 

 

 未来が隣で仰天するのも気付かず、私は跳び上がってしまう。

 何でここでそういうことやっちゃうかなこの人わっ!? 

 

「……そんなの出来るのかい?」

「電化製品の修理は昔からよくやってましたから。見たところ、どこか断線しかかってるだけみたいですし」

「見ただけでわかんのかい。そりゃ凄い。じゃあお言葉に甘えようかねえ」

「ええ」

 

 遊星はそう言って席を立つと、お座敷の方まで歩いていく。

 創世ちゃん達も興味を持ったのか、ついその様子を眺めていた。

 私は慌てて席を立つと、遊星の後ろまで近づいていく。

 

「ゆ、遊星、大丈夫なの?」

 

 既に遊星は手袋をはめ直して、テレビをあちこち触って中を確認していた。

 私は皆に気付かれないようにコッソリ話しかける。

 

「ん?」

「い、いや、そんな風にしても…」

「ああ、大丈夫だ。やはりコンデンサだけだ。あとはセンサー部分に汚れが溜まってたな。今は応急処置で、あとでちゃんとした部品に交換すればいい」

 

 そゆことじゃなくてー! 

 

「そ、そうじゃなくてさ…あんまり目立っちゃうと…」

「……俺も古いものに愛着がある気持ちは分かるからな」

「え?」

 

 そう言ってどこか懐かしそうに、配線を手直ししたり、カバーを外す遊星の顔は、とても優しかった。

 私は今まで見たことのない表情。それはこの人の、隠れた愛情だった。

 

「いや、手馴れてるなぁ。お兄さん工場にでも務めてたのかい?」

「いえ、育ちが貧しいものですから。こうやって修理できるものは可能な限り使い回してました。どんな物にだって、そこにある以上意味があると俺は思います」

「……」

 

 どんな物にも意味がある。

 それは、あの時にも言われた。私を救ってくれた信念。

 私を支えているちっぽけな正義を認めて、背中を押してくれた遊星の言葉。あの時のことを、私は一生忘れない。

 

「いゃぁ、偉い! 感動したぜお兄ちゃん! 今時そんな立派なこと言うヤツ滅多にいねえよ。よし、俺も手伝ってやるか」

「いえ、これくらい…」

「気にすんなって。もっと広いとこのがいいだろ? おばちゃん、そっちのスペース使わせてくれるか?」

「ああ、もちろん」

「…ありがとうございます」

「あ、じゃあ僕は新聞紙とか取ってくるよ。下に敷くのが必要だろうし」

「それなら、儂のを使いなさい。もう読み終わったから」

 

 周りの大人たちは、そう言って遊星の所へと一人、また一人と集まっていく。やがて誰かが手を貸すと、それを見た周りも次々と面白そうに見始めていた。

 私はその光景を、胸がジンとなって、ふわふわと温かくなる。

 誰とでも分け隔てなく、優しい気持ちで接する遊星。

 それが周りの人間を動かして、いつの間にか大勢の人で囲まれていく。

 

「遊…先生」

「ん?」

「私も手伝いますっ!」

 

 何時の間にか、私は笑顔でそう申し出ていた。

 この輪の中に私も入りたくて。

 

「ちょ、ちょっと響っ?」

「そうか。助かる。じゃあすまないが、俺のバイクのシートの下に工具箱が入ってるんだ。取って来てもらえるか?」

「はいっ!」

「ひ、響ってばっ、待ってよっ」

 

 未来の制止を振り切って、私は外へと飛び出す。

 

「……不動先生って、一体何者?」

「さぁ…?」

 

 後ろで創世ちゃん達が首を傾げてたけど、もう私は気にしなかった。急いでDホイールのシートの下にある工具箱を持って、遊星の所まで運んでいく。

 遊星はそれを受け取ると、すぐにドライバーやレンチを使って作業し始めた。

 

「…慣れてるんだね」

「子どもの頃から、ガラクタをいじってばかりだったから、いつの間にかな」

「へぇー」

「よし、できた」

「はやっ!?」

 

 テキパキと修理を進める遊星。

 私が何をやっているのかも分からない内に作業は終了した。そのまま電源を差し込んでスイッチを入れると、多少画質は荒いものの、ついさっきまでやっていた野球中継の映像が飛び込んできた。

 

「お、映った!」

「凄えなお兄ちゃん!」

 

 おお! と歓声が沸く。

 何時の間にか店の外からも何人かが集まってきて興味深そうにこっちを見ていた。

 

「いえ、取り敢えず繋いだだけですから。後日、また改めてパーツの替えを持って伺います」

「え、そんなことまでしてくれるのかい?」

「そのつもりでしたが…ご迷惑ですか?」

「いやいや、そんなことないよ。でもお客様にそこまでねえ」

「気にしないでください。俺が好きでやってることですから」

 

 そう言って笑顔で答える遊星に、おばちゃんは戸惑ったけど、裏表のない遊星の言葉に、やがて納得してくれた。

 その様子を、私は横で眺めていた。

 

(私……変に気にし過ぎたのかな)

 

 この人は、決して孤独にはならない人だ。

 例え別世界に来たとしても、何時だって遊星は誰かに手を差し伸べる。それは、大きく広がっていて、いつの間にか輪になっている。その中心に、何時も遊星がいたんだ。

 この人みたいになりたい……こんな風に誰かを助けたい。

 私は心の底から思った。

 

 

「………」

 

 

 ただ、気付かないといけないのは……

 

「んん? 未来、どうしたの?」

「あ、ううん……何でも、ないよ」

 

 未来の翳った顔を、あまり見られなかった事だった。

 




チート主人公遊星パート2
何が凄いって別に異世界転移して神様からスキル貰ってないのに無双するんですよね。
流行ガン無視ですよコイツ


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第4話『力と希望は、なお暗き深淵の底から』-2

お待たせしました。
ホントはもっと早くアップする予定だったんですが……すみません、喉の調子を壊し、そこから疲れが爆発したのか、夏バテみたいな状況が続いておりました。

もしかすると、この次が少し遅くなるかもしれません。
長い目で見ていただければと思います。
よろしくお願いします。


 

「ぶふぁーっ! つ、疲れたぁーっ!」

 

 今日も訓練をひとしきり終えた私は、本部発令室の真ん中にあるソファに思いっきりダイブした。

 ジャージ姿で寝転がるなんて女子力を完全に無視した振る舞いだけど、仕方がない。師匠の修業の前でそんな見栄や建前を気にしていたら強くなる意味がない。

 

「あ、朝からハード過ぎますぅ〜…」

「頼んだぞ、明日のチャンピオン」

「お疲れ様、響ちゃん」

「ありがとう、ございます。うんぐ、んぐ……っぷはー!」

 

 友里さんが、いつものように私に飲み物を手渡してくれる。流石にコーヒーじゃなくてボトルに入ってるスポーツドリンクだけど。

 

「やってるな、響」

「あ、遊星! お疲れ様」

 

 その時、遊星が扉の向こうから入ってきた。

 

「Dホイールの調子はどうだ?」

「問題ない。了子さんのお陰で、以前よりも出力が上がってる」

「それは何よりだ」

 

 師匠が頷く。

 遊星はこの日は別メニューだった。

 シミュレータールームという、本物そっくりの映像を使っての、Dホイールのテスト走行だ。

 もちろん、師匠の渡してくれたあの修行服を着て。

 

(あれ着ると何故か性格変わるんだよね…?)

 

 ギザギザハートというか、師匠の言う通り、本当に野性に目覚めた感じに目がギラつくんだ。

 今はもう着替えてるけど…ううん、謎だ。

 ちなみに翼さんはやらなかったそうだ。映画を見た次の日に『キュアサキモリ!』とか叫んだのを見て師匠が止めた…らしい。

 

「藤尭さん、シミュレーションのデータは?」

「とっくにまとめてあるよ。取り敢えず言われた通り、加速度と平均速度、それとスピードカウンターの上昇比率だ。後はお節介かもしれないけど、移動速度に応じた各ノイズの反応パターンも記録してある」

「ありがとう」

 

 遊星はデータチップをポケットから取り出し、藤尭さんに手渡す。

 

「すまないな、他の仕事もあるって言うのに」

「気にしなくてもいいよ。こういうのが俺達の仕事だからさ。それにこうでもしないと、君に出番奪われるし」

「え?」

「響ちゃんに聞いたわ。お好み焼き屋のテレビ、あっという間に直したんですって?」

「テレビ?」

 

 師匠の言葉にうんうん、と私は頷く。

 

「はい。凄かったんですよ、あっという間にパパーッて」

 

 あの一件はお店の常連さんの間で広まって、ちょっとした話題になっていた。

 まだ学校では遊星への誤解は続いているけど、少しでも助けになれたらと、私は師匠達にその一件を伝えた。

 

「別に大したことじゃないんだがな」

「謙遜しないでいいさ。全くこっちは自信無くすよ。あれ程のマシンを自作して、おまけに手足みたいに操ってさ」

 

 そう言って、苦笑しながら藤尭さんはコンソールを叩いている。

 

「戦士としてもメカニックとしても優秀。おまけに情報処理速度も一流ときてるんだ。君が正式に二課の所属になったら、俺はお役御免だね」

「そっちこそ謙遜はよせ、藤尭さん」

 

 ニヤリと笑いながら、遊星は藤尭さんをジッと見つめる。隠したものを見つけ出したような目だった。

 

「現場に一回も訪れることなく、リアルタイムでの分析と先読みをあそこまで出来るのは、現状、アンタを於いて他にはいない」

 

 そう言って、遊星は藤尭さんの手元を見る。私も釣られて視線を追うと、そこでオペレーターのお兄さんはさっきから休むことなくコンソールを叩き続けていた。

 

「この本部の人間は誰しもが超一流だ。視野の広さ、柔軟に対応する戦術眼…そして何より冷静さが求められる。俺の世界にも、これほどの人材が揃った所はない」

「だといいんだけどね」

 

「……おぉ」

 

 私は二人の会話につい聞き惚れた。

 何と言うか、まさにプロフェッショナルってイメージがぴったりだ。

 一流は一流を知る、と師匠に教わったばっかりだけど、あれはこう言うことを指していたんだ。

 

「どうした、響?」

「い、いやぁ、なんか…凄い大人の会話だなって思って」

 

 私は苦笑しながら頭を掻いて答えた。

 私が腕っ節を強くしたとしても、この人達がいないと戦えない。

 分かってたことだけど、私は皆に…

 

「ほら、色々と、他の人に支えられてばかりだから。そういう風には出来ないし…」

「………」

「ふわぁっ!?」

 

 突然、遊星が私の側まで歩いてくると、優しい手つきで私の頭をそっと撫でた。

 いきなりのことにドギマギしながら、驚いてしまう。

 

「な、何、いきなりっ!?」

「いや、何でもない」

 

 遊星は微笑しながら藤尭さんに預けたチップを受け取っている。

 混乱する私に、今度は友里さんが肩に手をおきながら言った。

 

「…支えられる人にも、仕事はあるってことよ」

「えっ、ど、どう言うことですか?」

「いつか後輩が出来たら分かるわ」

「ええ~っ?」

 

 うぅ…なんか、はぐらかされた…! 

 そりゃまぁ、私は未熟だし、子供だけど…後輩ができたら分かるって、何が? 

 って言うか、そもそも…

 

「師匠……私に後輩って出来るんですか?」

「ん?」

「いえ、その。自分で戦うって言っておいて何なんですけど、こんなうら若き女子高生とかに頼らなくても、他のシンフォギアを作るとか、他の武器を作るとか、ないんですか?」

「公式にはないな。日本だって、シンフォギアの存在は最重要機密として完全非公開だ」

「ですよねー」

 

 シンフォギアを作るには色々と足りないものが多いらしい。了子さんが言っていた。

 私に後輩が出来るのは当分先らしい。

 あ、そうだ。了子さんといえば…

 

「あの、了子さんは何処に行ってるんですか?」

「ん? ああ、永田町だ」

「永田町?」

「政府のお偉いさんに呼び出されてな」

「政府?」

「本部の安全性や防衛システムに対して、関係閣僚に説明義務を果たしに行っているんだ」

 

 師匠はとても面倒くさそうに眉をしかめる。

 こんな風に顔に出るのは珍しかった。

 

「はぁ……なんか、よく分からないけど、大事なことなんですね…?」

「政府の役人や省庁は、俺たちを目の敵にしてるからね。ご機嫌取っといたり、ちゃんと仕事してるアピールしないと、何を言われるかわからないのさ。『トッキブツ』なんて、ふざけたアダ名を付けたりとかね」

「トッキブツ?」

「そう」

 

 藤尭さんがコンソールの手を止めて、私達を振り返って見る。

 

「『特異災害対策機動部二課』を略して、『トッキブツ』…ステキな名前だろ?」

「はぁ…」

 

 なんてネーミングセンスだろう。

 口には出せなかったけど…この国の偉い人達が二課を悪くみていると言うのは嫌という程に伝わった。

 

「何で嫌われてるんですか…? 皆、頑張ってノイズと戦おうとしてるのに…」

「情報封鎖の為に、時々無茶を通すからね」

 

 情報封鎖…シンフォギアの秘密を知られないようにする為の裏工作って事らしい。

 

(それってつまり…私が色々とやらかした後始末ってことだよね…っ)

 

 罪悪感と情けなさが浮かんできた。

 考えてみれば、私が周りを気にせず戦えるのも、普通に生活できているのも、二課の人達のおかげだった。

 

「ごめんなさい……私……あんまり気にしないで結構派手にやらかしてますけど…」

「響ちゃんは気にすることないわ。大体、情報の秘匿だってその上が決めたことなんだから。やり切れないわよね…」

「いずれ、シンフォギアを外交カードにしようとか企んでるんだろうな」

「ええ。EUや米国は、いつでも回天の機会を窺ってるはず……現行のテクノロジーより全く別系統の技術だから、なおさら欲しいんでしょう」

 

 友里さんは難しい顔で藤尭さんと話している。

 ここまで来ると、私には既にちんぷんかんぷんの領域に入ってしまっている。

 

(要はシンフォギアの事をバレないように無茶な事を繰り返すから政府の人達は怒ってて、何でバレちゃダメかと言うと、外国相手にシンフォギアを利用しようとしてて、何でそんな事をするかと言うと、外国やEUや米国が回転してて…?)

 

 あ、もうダメだ、おやすみ…。

 

「この世界では、欧米の経済力はそこまで落ちているんだな」

「遊星君の世界は、そうじゃないのかい?」

「ああ。デュエルモンスターズの経済効果で、未だに米国は一大国家だ」

「ふーん…前にも思ったけど、そんなにカードゲームが世界を左右するのか?」

「デュエル自体もそうだが、何よりデュエルにまつわる最新関連技術が、世界経済に影響を及ぼす部分がかなり大きい……」

「なるほど。ソリッドビジョンや、モーメントエンジンも、悪用すればそれだけで勢力図を一変しかねない……だから遊星君の世界では、日本が技術を独占してるのね」

「ああ。海馬コーポレーションの、3代目社長の海馬瀬戸と言う男が、軍事利用を徹底的に差し止めさせたからな。実質的に、軍事介入をある程度抑制しているという見方も……」

 

 遊星の言葉を子守唄に、私は眠りに落ちようとしていた。

 ただでさえ政治・経済の成績はぶっちぎりのトップなのに……もちろん、下の方で。

 こんな会話、分かるはずない。

 

「こっちは経済破綻が数年前から連続して起こってね。特に欧州は『暗黒大陸』と言われるほどさ」

「なるほど」

「お、おぅ……」

「響、どうした?」

「い……いやぁ、なんか、凄い大人の会話だなって思って……こふっ…!」

「響ちゃんには、まだ難しかったかしらね」

「経済の勉強も、大人になるには必須だよ」

「あー! やめてとめてやめてとめてやめてぇー!」

 

 私はソファでゴロゴロとのたうち回った。

 なんで体使った後でこんな頭まで使う修行までやらなきゃいけないのか。こんなのはカリキュラムにはありません! 

 

「だが、確かに本来なら、響君にこんな血生臭い話を聞かせる必要はないんだがな…」

 

 と、師匠は低い声で言う。

 私はその横顔を、頭痛にうなされながら何となく見た。

 それはさっきの私と同じ、情けなさと罪悪感みたいなものが、垣間見えた気がした。

 

「異世界から来た遊星君にとっても、こんな話は、全く関係ないというのに」

「いや…俺の世界も変わらないさ。紛争が続く国や地域も沢山ある……ノイズがいない分、遥かにマシだとは思うが、それでも、実質に変化はないのかもしれないな……」

 

 そして、その時の遊星の目は…

 悲しい顔をしていた。

 

(遊星は…)

 

 何処から来て、何処へ行こうとしていたんだろう。

 ふと、そんな事を思い浮かべた時だ。

 

「司令、緒川さんより通信です」

「……繋いでくれ」

 

 発令室に高いコール音が鳴り響く。

 師匠の言葉で、友里さんがコンソールを操作すると、巨大なディスプレイに『Sound Only』の文字が表示された。

 

『司令、お忙しいところ、失礼します』

 

 何度も聞いた緒川さんの声が伝わる。

 けど……気のせいかな。

 ぱっと聞いた感じ、そんな変な風には思えない。

 それなのにどこか、普段の緒川さんにはない硬さがあったような気がした。

 

「構わん、どうした?」

『そうですね。良いニュースと悪いニュース、どちらにしますか?』

「…取り敢えず、苦手なもんは早めに片付ける主義だ」

『そうですか……では』

 

 そう言って、ひと間置いて緒川さんは話し出す。

 

『広木防衛大臣が、暗殺されました』

 

 私がうなされていた話題は、決して遠い世界の出来事ではなかった。

 目の前にあるモノだけを見るのは、とても怖いことなのだと、この時に私は初めて知った。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 俺の世界と、この世界の大きな違いは二つ。

 一つは当然、ノイズの有無。

 そしてもう一つが、デュエルモンスターズの存在だ。

 

 デュエルモンスターズを生み出したインダストリアル・イリュージョン社のある米国、そしてモーメントやソリッドビジョンをはじめとするテクノロジーのノウハウを熟知している海馬コーポレーションを擁する日本。

 この二つが、俺達の世界での二大大国だ。

 

 

「いや…俺の世界も変わらないさ。紛争が続く国や地域も沢山ある……」

 

 

 海馬瀬戸と言う奸雄の活躍で、日本の経済はトップを独走する結果となった。

 だが、それは彼の築いた功績によるものだ。人類全てが醜いエゴを捨て去らない限り、世界から争いは無くならない。

 だからこそ、俺達の未来は、一度破滅へ向かって進んだ。

 

(……Z-ONE…)

 

 かつて、対立した男を思い出す。

 あの男は、ネオ童実野シティを消滅させることで、破滅の未来を救おうとした。だがこの世界に来て、彼の選択はやはり誤りだと悟ってしまった。

 人自体が変わらなければ、世界は混沌としたままなのだ。

 

『広木防衛大臣が、暗殺されました』

 

 緒川さんから、もたらされたこの一報が、その証拠だ。

 

「…え」

「……」

「そんな…っ!!」

「嘘だろ…!?」

 

 一瞬にして、さっきの和やかな雰囲気は吹き飛んでしまう。

 この場に居て、状況も分からずに戸惑っていたのは、俺と響だけだ。

 だが、暗殺と言う尋常ならざる単語が出てきたことで、暗澹な空気が蔓延するのは伝わってしまう。

 

「広木防衛大臣……と言うのは?」

 

 俺はゆっくりと言葉を選んで、弦十郎さんに問いかけた。

 振り返ると、彼は重い口を開いて返答する。

 

「……二課の活動を陰ながら支援してくれていた、最大の理解者の一人だ。さっき言った、己の保身ばかり気にするような連中ではない、数少ない人物だった…っ」

「俺達が何とかやってこられたのも、あの人の後ろ盾があったからだってのに…!」

 

 藤尭さんが戦慄した表情で溢していた。

 同時に俺達の心も、安穏とした日常から、荒々しい戦場へと強制的に呼び戻された。

 彼らの話していた国際状況、そして日本を取り巻く諸国の圧力……分かっていた筈だった。

 だが俺自身……何処か他人事のように感じていたのは、彼等に守られていたからに他ならない。

 

「それで、犯人は?」

『分かりません。既に多数のテロリストや武装勢力から、犯行声明が出されています。永田町を出て、再開発の跡地を走行中に……我々としても迂闊でした…』

 

 無論、暗殺された側も馬鹿ではない。何らかの対策手段は講じていただろう。

 その隙間を縫って一国の要人を暗殺するというのは恐らく……

 

「司令…」

「ああ。ただのテロ屋の集団にこんな真似は出来ん。明らかに計画的に練られた犯行だ」

 

 弦十郎さんが歯噛みする。

 ここは決して平和な世界じゃない。

 ノイズという化物の存在など、その実、可愛いモノだ。

 サテライト以上に人の強欲と暴力が渦巻いている。今はまだ、この国には表面化していないだけなのだ。

 

「……」

「響、大丈夫か?」

「え……あ、うん。ごめん…なんか、実感湧かないって言うか…」

「…確かにな」

 

 響は俺の横で呆然としたまま、ただ緒川の話を聞いていた。

 無理もない。こんな話、普通の学生には重過ぎる。

 彼女は世界の残酷さを知るには余りに幼い。戦う覚悟を決めたとはいっても、まだ子どもなのだ。

 

 

「……了子さんは?」

 

 

 だが…次の瞬間、彼女はハッとなって弦十郎さんに詰め寄った。

 

「了子さん、永田町に行ったって…」

 

 彼女の言うように、了子さんが狙われても不思議はない。

 シンフォギアの開発者であり、如何に豊富な人材が揃っているとはいえ、彼女こそ唯一替えの利かない人物。この二課の要と言ってもいい存在だ。

 

(装者を狙って返り討ちにするより、遥かに確率が高い…!)

 

「緒川」

『……依然として、連絡が付きません」

「…そんな」

 

 響の顔が青ざめている。

 たった今、人が人の手で殺されたという事もそうだが、恐らく衝撃を与えたのは、その魔の手が身近な人間に迫っているという事実だ。

 

「響、落ち着け。まだ何かあったと決まった訳じゃない」

「け、けど…!」

 

 手を取り、揺さぶるように言って聞かせた。気休めにしかならないとは分かっている。

 俺自身、心の底から這い出でようとする暗い予感を払拭出来ずにいる。

 考えたくはない……考えたくはないが…! 

 やはり、そうなのか。

 この中に…! 

 

 

「直ちに了子君の行方を…!」

「やっほーい! ただいまー! やー、キツかったわー、首都高速メチャ混みでさぁー!」

 

 

 プシューという音と共に、後ろのドアが開き、同時に気の抜けた素っ頓狂な声。

 俺達が全員、油の切れたゼンマイ人形の様にゆっくりと振り返る。

 

『……』

「あれ? どうしたの?」

 

 そこには、さっきまで全員の脳裏に、最悪の状況として死体として横たわっていた筈の女性が悠々と笑いながら立っていた。

 

「……」

「了子さん!? え、い、生きてるんですか!?」

「ヒドっ!? 幾ら遅刻したからってあんまりじゃない、それ?」

 

 明らかに不機嫌そうな顔をして顔をしかめる了子さん。

 どうやら本当に無事なようだ。

 僅かに安堵が戻った二課の面々を見て、了子さんは目を瞬かせている。

 

「…なに、一体どうしたの?」

 

 戸惑う了子さんに、弦十郎さんが今あったことをゆっくりと聞かせる。

 

「……うっそ…広木さんがっ!?」

 

 流石の彼女も、この報告は予想外だったらしい。

 驚きを通り越して、言葉もないようだった。

 話によれば、つい数時間前に本部基地の重要性について話して聞かせた相手が、正にその広木防衛大臣だったというのだから。

 

「了子さんに連絡がつかないから、みんな心配してたんですっ!」

「……」

「了子さん?」

「あー…ごめん。壊れてたわ。アハハハ…」

「……」

 

 苦笑いで誤魔化す了子さん。俺達は言葉もなかった。

 科学者が自分の持つ電子機器の故障にも気付かないなど、笑いを通して呆れる所だ。

 しかしこの場合は却って良かったのかもしれない。

 

(通信機のGPS機能を逆探知すれば、居場所を知られる要因になりかねない。この人がそこいらのクラッカーに後れを取る筈はないが……)

 

「でも心配してくれてありがと。けど、私は大丈夫よ。何より」

 

 そう言って、了子さんは持っていたアタッシュケースを空に置き、ロックを解除すると、中身を取り出す。

 入っていたのは、小さなデータチップだった。

 そう言えば、彼女の役割は官僚への説明だと言っていたが……

 

「政府から受領した、機密データも、この通り無事よ」

「何ですか、それ?」

「実は了子君には、もう一つ任務があった。政府からの移送命令を受諾することだ。結果的に、広木防衛大臣が了子君を守ってくれた形となったが……」

 

 どうやら俺達の聞いていない所で、別の話が進行していたようだ。

 今までならば、俺の与り知らぬところで話を進めるのは、不信感を抱く要因になっていたところだったが……この場合は仕方がない。

 

(……この基地周辺に出るノイズ、鎧の少女の突然の襲撃に、本部へのクラッキング……そして今回は後ろ盾の暗殺か)

 

 幾ら何でも出来過ぎている。

 俺の中で、もう一つの予感は確信へと変わった。

 

「移送命令って、なんですか…?」

「うん、ここまで来たら、響君と遊星君にも話さなければならないが…」

 

 と、弦十郎さんが口を開いたその時。

 通信画面を開きっぱなしにしていたのを、俺も響もつい忘れてしまっていたが、緒川さんの声が割って入った。

 

『司令』

「ああ、そうだったな。良いニュースの方が残ってたか」

「あら? 緒川くん、外にいたの?」

『その話し方だと、了子さんは無事、という事でいいんでしょうか?』

「……もしかして、私のこと探してくれてたりする?」

『僕だって一応、心配しているつもりですけど?』

「あ、あはは、ごめんね~」

 

 了子さんもバツが悪い顔をしている。

 知り合いの、しかも一国の大臣が暗殺されたとなれば、仕方のないことかもしれないが。

 しかし、緒川さんが大事な会話を中断するというのは、それに匹敵する報告があったという事だ。

 

 

「それで、報告と言うのは…」

『ええ。先程、翼さんの意識が回復したと、連絡が入りました』

「えっ……」

『依然、絶対安静の状態だそうですが、それでも、命の危機は脱したそうです』

 

 

 そしてそれは、俺達に僅かに希望を残してくれた。

 

「ほ、ホントですか…?」

 

 響は食い入るように、緒川さんに向かって問いかけた。

 

「本当に、翼さん……」

『はい。間違いありません』

「っ…っぅ…」

「響君…」

「よ、よかった……っ! 翼さん、無事で…っ!」

 

 その場に謝編みこんで、目じりに涙を浮かべていた。

 俺達が抑えようとして、心の底で振り切れずにいた不安要素だった。

 彼女の身に万一のことがあればと、それでも言葉にしても意味はないと、ただただ祈るだけしかできないことだったが、この日、初めて心から胸を撫で下ろせる出来事だった。

 

「……ほらほら、可愛い顔が台無しよ。そんな顔したら、翼ちゃんにまた怒られちゃうぞ。そしたらあの子、血圧上がってまた入院…なんてね」

「しゅ、しゅみましぇん…!」

 

 了子さんがハンカチを手渡す。

 涙を拭う響の肩に手を置くその姿に、俺も少なからず、心を癒されていた。

 弦十郎さんが言ったように、響も本来、こんな裏事情とは関わらせるべきではなかった。純粋な彼女の涙がその証拠だった。

 

「広木大臣の弔いの為にも、翼ちゃんの為にも、任務を完遂させないとね、弦十郎君」

「勿論だ。これより、緊急作戦会議を行う。関係各員に通達してくれ」

「了解っ!」

 

 俺には分かる。

 数年前の俺なら信じずに拒絶しただろう。

 だが、俺は既に見たのだ。人の心が進化を踏み外した挙げ句の未来を。絶望の末に起きた破滅を。

 それでも……

 

 

「まだ希望はある」

 

 

 俺は自然と声に出していた。

 ここには確かに、平和を願い、命懸けで戦おうとする人々がまだ大勢残っている。

 彼等と共に力を合わせることが、平和への架け橋となる。

 

(そうだな、Z-ONE…!)

 

 未来を託して散ったもう一人の自分に、俺は誓いを新たにした。

 

 

 

 

 





次回、バトルパートへと続きます。


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第4話『力と希望は、なお暗き深淵の底から』-3

私星座占いなども好きでして。
遊星(蟹座)と響(乙女座)は相性がかなり良いのです。
ついでに言うと、蟹座と最も良い組み合わせは蠍座らしいです。
シンフォギアで蠍座と言うと……ヒェッ


 その後、開かれた作戦会議で、私達は翌朝に、永田町へ向けて出発することになった。

 何でそんな朝っぱらからって? 

 それは、私達が運ぼうとしている、『ある物』が関係してる。

 

「……デュランダル、かぁ…」

 

 この基地の地下深くにある、『デュランダル』と言う完全聖遺物。

 了子さんの話によれば、このデュランダルがある限り、ノイズはずっと現れる。だったら、もっと安全な別の場所に移してしまおう、そう言う作戦らしい。

 永田町の『ある場所』に、今からそれを護送するのが、私達の役目だった。

 

『どの道、俺達が木っ端役人である以上、お上には逆らえんさ』

 

 師匠はそう言って苦笑してた。

 私には難しい理屈は分からないけど……でも、これで街に出るノイズの数が減るんだったら、その方が良いんだろうか……けど、それじゃあ、永田町にいる国の偉い人が危険に晒されないのかな……

 

『俺も、確かに疑問は残る。だがここは、弦十郎さん達を信じよう』

 

 迷ってたけど、遊星の言葉で、何とか吹っ切った。

 私は急ぎ、学生寮にある自分の部屋まで戻った。

 

『響ちゃんは、一旦部屋に戻って休んでなさい。特訓で疲れてるでしょうし、あなたの出番はこれからなんだから』

 

 と言う了子さんの言葉で、私は身支度を整えることに専念する。

 考えてみれば、修行の最中だったからジャージ姿で、何より少し汗臭いし……いや、任務なんだから、私は気にはしないけど…ほら、周りに人がいるしね、それに、最低限身体の埃を落としとかないと、うん。

 

『よ、ようは、デュランダルを守っていけば良いんだよね…!』

 

 と、思って部屋へと戻ったんだけど……

 

 

 

 

「はああぁぁぁぁ~~~~~っっっっ……」

 

 

 

 二課の基地へと戻った私は、すっご~く、深い溜め息をついて、廊下のソファでうずくまっていた。

 それも、部屋に戻った時のやり取りが原因だった。

 

「絶対に…未来を怒らせたよねぇ~…」

 

 戻った私を待っていたのは、ルームメイトで幼馴染の膨れっ面だった。

 

 

『朝からどこ行ってたのっ!? いきなり修行とか言われても訳わかんないよ!』

 

 

 私が朝に勝手に残したメモ書き……『修行に行くから学校休み』…それだけを見ても、そりゃ未来には何が何だか分からないし、帰ってきてまた出かける準備を始めるんだから、不審に思わない方が無理だった。

 おまけに、「ちゃんと説明して!」と迫る未来に、誤魔化しながら逃げるように私は部屋を飛び出した。

 

「うぅっ~~ごめん、未来ぅ……」

 

 呟いても、未来がそっぽを向くビジョンは消えてくれない。

 未来は優しいけど、その分怒ると滅茶苦茶怖い。

 

「あ~う~…こんな気持ちじゃ寝られないよーぅ……」

 

 時間はもう10時を回ってる。作戦開始まで、あと7時間。

 何とか眠って体調を整えなくちゃと思うんだけど、不安が多すぎて逆に目が冴えてしまう。

 嫌な考えばかりが過ぎる薄暗い室内で一人……と言うのが昔からイヤだった。

 

(そういう時、いつも未来が……)

 

 側にいてくれたのにね。

 

『……心配もさせてもらえないの?』

 

 扉を閉める直前、未来がポツリと呟いた言葉が、耳に残って離れてくれなかった。

 ……必要なんだよ。

 未来を守るためにもね……だから……

 

(ああ、だめだ、だめっ!)

 

 いつまでもくよくよしないで、気が紛れる方法でも考えよう。

 

「んっ?」

 

 ふと視線を落とすと、テーブルの下のラックに何か引っ掛かってるのが見える。手に取ってみると、スポーツ新聞だった。

 

(こういうのでも見れば、気が紛れるかなぁ…)

 

 普段こういうのはあんまり読まないけど、何もしないよりはいいかな。

 そう軽い気持ちで私はぺラッとページをめくって…

 

「きゃあああっ!!?」

 

 飛び込んだ見開きのグラビアで、急いで閉じた

 

「なにこれっ!」

 

 叩きつけた。テーブルに。顔が真っ赤になって心臓がバクバクいってる。

 

「うぅ…男の人って、こう言うのとかスケベ本とか好きだよね…! もうっ…」

 

 はだけた下着姿の女性が妖艶な顔でこっちを見つめてくる写真が飛び込んできたもんだから、つい……

 

「もう、フケツだよぉ…誰こんな所にこんなモン置いといたの…」

 

 こっちは花の女子高生ですよ……それも不純異性交遊禁止ってデカデカと生徒手帳に書かれてるようなお堅いトコの……その真下で、こ、こ、こんな、い、いやらしい写真見てるなんて、もう……ホント、男の人ってもう……

 

「……」

『○○、史上最強ヌード♡』

「………」

 

 ……私、興味ないもん! 

 べ、べべべ、別に、男の子が、ど、どど、どういうものに興味あるとか? 

 あと、どんな女の子が、こ、ここ、好みとか? 

 別に、ベ、ぜ、ぜ、ぜんぜん気にしませんっ! 

 ええ、気にしませんとも……

 

 

「きょ、きょうみ、ないけど、べつに……そのぉ……」

「響」

「わあああああああっ!!!??」

 

 

 突然横から掛けられた言葉に、私はひっくり返りそうになった。

 のけ反った身体を何とか戻して、顔を上げる。

 

「ど、どうした?」

「あ、ゆ、遊星…!」

「何かあったのか?」

 

 と、そこに立っていたのは遊星だった。

 ジャケットを脱いで、黒のシャツ一枚の姿になっている。

 

「顔が赤いが、具合でも悪いのか?」

「い、いや、ううん、別に何でもないよ、なんでも…!」

「本当か、無理をしてるなら…?」

「ホ、ホントに大丈夫だから…!」

 

 そう言って、私は視線をずらす。

 と、そこに飛び込んできたのはさっきの新聞だギャー!? 

 ま、まさか、これ仕込んだのは遊星…なんて考えは一瞬で捨て去って、私は慌てて取って後ろに隠した。

 あ、あれ? なんで隠しちゃったの私…? これじゃ私がそんな……

 

「……本当に大丈夫か?」

「う、うん! 大丈夫! あ、ゆ、遊星こそ、そんなカッコでどうしたの…?」

「ん? ああ、俺はDホイールの整備だ。作戦に向けて、少しでも精度を上げておきたくてな」

「そ、そうなんだぁ…」

 

 見ると、手や頬に黒いシミや汚れが付いてる。

 作戦会議の直前まで、Dホイールの走行テストをやってたばかりなのに、今も整備をやってるなんて……

 相変わらず人並み外れた体力だけど、この時の私はそんな事を考える余裕はなかった。

 何故ならば…

 

「ん、新聞か?」

「えっ!?」

「その手に持ってるのだ」

「え、あ、ああ、うん。ちょっと、暇つぶしに……あ、あは、あはは」

 

 遊星の視線が、私の手の中のソレに集中し始めたから。

 

「響も、そういうのを読むのか。少し意外だな」

「え? そ、そう? こ、こんなの、別に、普通だよ、普通、あ、あははは…」

「ちょうど良かった。読み終わった部分があったらくれないか? 俺も使いたい」

「ぶふぉおおっ!?」

 

 肺の空気が全部外へ押し出された。

 そのまま跳び上がって天井突き破るんじゃないかってぐらいに、心臓がバクバク言い出した! 

 

「つ、つつ、つ、使うって、何を!? ど、どんな風に!?」

 

 え、え、ええ、な、何でいきなりそんな……

 ま、まさか、使うってのはホントに……

 う、ウソだよ、遊星がそんな……気、けど、でも、遊星だって、男の人だし、男の人は女の子のこういうのをアレして何してどうするって言うのはしょうがないって誰かが言ってたの聞いたこと有るような無いようなでも私これでも15歳の乙女だしいきなりそんな眼前で欲しいとか使うとか言われちゃっても反応に困るっていうか……あ、わ、あああああ……

 

「………ぅっ…ぁぅ……」

「? いや、Dホイールのメンテ用だ。チェーンオイルとか、余分な油をそれで拭くんだ。古新聞が一番吸ってくれるからな」

「……え」

 

 ……え? 

 

「後はシリコンオイルを取るのにも使えるな。まあ、今はカウルを塗るわけじゃないが」

 

 私が硬直したのにも気付かないのか、遊星は淡々と説明してくる。

 つまり……これを使うのは別に……あ、あの、夜だから必要とかじゃなくて、その……

 あぁ~、そ、そゆことですか……。

 

「読み終わったらで構わな…どうした?」

「ううん……」

 

 理不尽なのは分かってるけど、それでも遊星の脛辺りを蹴っ飛ばしたくなった。

 

「……私、汚れてるなぁって…」

「そんな風には見えないが…むしろ俺の方が、さっきまで作業してた分」

「そうじゃなくてね…」

 

 ゆーせーのばかー。

 これじゃ、私がなんかイヤらしい女の子みたいだよぅ。

 

「……大丈夫か?」

「え?」

「なにか……悩んでいるみたいに見えたが」

 

 そう言って、遊星は私の目をじっと見つめる。

 心の底にあるものを、確かめるようにして。

 もしかして遊星……

 

 

「お二人とも、お疲れ様です」

 

 

 と、その時、後方から私達に呼びかける声がした。

 私達が声のする方を振り返ると、歩いてきたのは、黒いスーツを着た若くてかっこいい男の人だった。

 

「ん?」

「緒川さん」

「どうも」

 

 翼さんのマネージャーで、ボディーガードの緒川さん。

 さっき通信は声だけだったけど、もう戻って来てたんだ。

 

「遊星さんは、Dホイールの整備ですか?」

「ああ、それほど大したものじゃないが」

「そうですか。響さんは…」

「あ、わ、わ、私は、気分転換に読書ですっ! あははっ!」

 

 そう言って新聞の一面を見せた。

 もちろん、例のエッチな部分を一瞬の隙をついてコッソリ抜き取ったのは言うまでもない。

 まさか、こんな所で高速貫手の修業の成果が活きるとは……ううん、人生って何が起こるか分かんないね。

 

「ああ。それでしたら、響さんも、少し手伝って頂けますか?」

「え?」

「『それ』に関するとこです」

 

 言われて、私は広げた部分を見返した。

 そこにはデカデカと、『風鳴翼、過労で入院』と言う文字が、翼さんの大きなライブの時の写真と一緒に踊っていた。

 

「これ…翼さんの」

「情報操作も、僕の役目でして」

 

 ニコリと笑って、緒川さんは隣に腰かけながら言った。

 そうか、世間ではそう言う風に発表されてたんだっけ。

 

「風鳴の様子はどうだ?」

「命の危機は脱しましたが……意識が戻ったと言っても、まだ面会謝絶の状態です。月末に予定のライブも中止ですね」

 

 緒川さんは冗談交じりに言う。

 私も翼さんの事を考えると、心細くなるけど、翼さんだって今も頑張ってる。

 

「それで、ファンの皆さんにどう謝るのか……お二人も、考えてくれませんか?」

 

 …そうだ。

 翼さんの歌を楽しみにしていた人たちの想い……私の未熟さは、それさえも裏切ってしまったんだ。沢山の人の願いも受けて、剣として戦っていたんだ、翼さんは…防人としてだけじゃない、歌姫としても戦って……

 

「あ、す、すみません、そんなつもりは…」

「……え?」

 

 一瞬暗く沈みこんだ気持ちを、緒川さんが声を掛けて引き戻してくれた。

 

「ごめんなさい……責めるつもりはありませんでした。申し訳ありません…この通りです」

 

 そう言って、緒川さんは頭を下げる。

 こんな風に慌てる緒川さんを初めて見る。いつもクールで微笑みを絶やさずに、静かに翼さんの側に立っている風景しか見えてなかったから、なんだかおかしかった。

 

「……クスッ」

 

 それがおかしくて、何だか私はつい笑ってしまった。

 

「すいません……どうも僕は心配症が過ぎるようで」

 

 そう言って、頭を掻く緒川さん。

 私はいいえ、と言って首を振った。

 この人が私を気に掛けて心配してくれることぐらいは知ってる。その言葉に何回だって助けられたんだから。

 

「遊星さんも…お気を悪くなさらないで下さい」

「いや…元は俺達の、力不足が招いた事態だ。気にしないでくれ」

 

 ふと隣の遊星の顔が見えた。いつの間にか暗い面持ちだったけど、頭を振って遊星がそう答えた時、表情は元に戻っていた。私もこんな風に同じ顔をしていたのだと、この時に気付いた。

 周りから見たら変な光景だったのかもしれないけど。

 でも、こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、私は、緒川さんの気遣いは、とても嬉しかった。

 

「伝えたかったのは、そうですね……何事も、沢山の人間が、少しずつ色んなところでバックアップしているということだったんです」

「沢山の人間が…」

「はい。だから響さんも、もっと肩の力を抜いて大丈夫じゃないでしょうか?」

 

 笑顔で言う緒川さんを見て、私は何となく分かった。

 緒川さんは私を気にかけてくれている。

 だから今もこうして役割を与えることで、私に自信を持たせようとしてくれたんだ。

 私一人が悩むより、前を向くべきだから。

 

「……と、フォローするつもりだったんですが、空回っちゃいましたね」

「い、いえ、そんな事ないですっ」

 

 私は真顔で立ち上がると、緒川さんを見て言った。

 

「緒川さんの優しい所に、私、何回も助けてもらいました。今だって」

 

 私の中で気負いはなかった。

 遊星のお陰かもしれない。

 ううん。

 緒川さんの言う通り、皆の応援が、私に前を向く勇気をくれたんだ。

 

「……買い被りです。僕は臆病者なだけですから。本当に優しい人は別にいますよ」

「大丈夫ですっ」

 

 私の口から、自分でも思わなかったほどに強い勢いの言葉が出た。

 

「翼さんだって、緒川さんを優しい人だって、きっと知ってます。私なんかよりもずっとっ」

 

 緒川さんは不思議な人だ。

 けど、私でも分かることが一個だけあった。

 翼さんがこの人を心の底で頼りにしているということ。

 だけど頼れなかったんだ。自分は剣じゃなきゃいけなかったから。

 

「だから翼さんが戻ってくるまで、私も頑張れますっ」

 

 私には、きっとそんな風に強く振る舞えない。

 けど、あの瞳……私の決意を訴えかけてきた強い目。あの瞳の意志に、問いかけに、今度こそ、私は応えたい。

 私の隣にいる、隣で走ろうと言ってくれた人が、いてくれるならば。

 

「……ありがとうございます」

「いえ、私も気が楽になりました」

 

 そう言って、私は立ち上がったまま、踵を返して仮眠室の方向まで歩くことにした。

 何だか体が軽くなった気がしたからだった。

 

「私、安心して休んでますねっ」

 

 そう言ってお辞儀をする。今なら、やな感覚もない。今なら、少し寝ることが出来そうだった。

 

「はい。おやすみなさい」

「遊星、じゃあ後でね」

「………ああ」

 

 私を見送る遊星を背にして、私は軽やかに廊下を駆け出す。

 作戦開始まで、あと数時間。

 機械の駆動音が、廊下から力強く伝わってくる。

 振り返る前に見えた遊星の微笑みが、いつの間にか私の背を押してくれる気がした。

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

「ありがとう…」

「え?」

 

 作戦時刻の直前。

 メンバーは学園校舎裏の、人気のない駐車場にて集合している。

 夜間照明だけが足元を照らす裏手で、皆が息を潜めて作戦の開始時刻を待ち構える中、俺は緒川さんに頭を下げていた。

 

「響の心が不安定なのを察して、わざわざ来てくれたんだろう」

「…買い被りです。先程言ったように、僕はただの臆病者ですから」

「自分の弱さを知っている人間が、一番良い仕事をするものだからな」

「…」

「何かに悩んでいる様子だったんだ……多分、戦いとは別のモノかもしれない」

 

 偶然、さっきの廊下を通りがかった時、何か不安げな表情をしていた。

 俺が近づいた時に顔を真っ赤にしていたのは……まあ、それはますます持ってよく分からないが。

 とかく、戦いへの恐怖、と言うだけでは説明できない何かがあった。

 

「尋ねようとしていたんだが、緒川さんが上手く解消してくれた」

 

 響との関係性は、良くなってはいると思う。

 ただ、彼女の繊細な感情の揺らぎを察しても、なかなか上手くフォローはできない。

 

「……流石、お察しでしたか」

 

 不意に、緒川さんは神妙な顔つきをして、向こう側を見る。

 その視線の向こうには、俺達が話題にしている少女がいる。

 

「どうも、ご友人との関係に悩んでいる様子でしたので」

「友人と言うと……クラスの」

「ええ」

 

 お好み焼き屋での雰囲気から、余りそう言った様子は見られなかったのだが……いや、まだ思春期の高校生だ。俺から見れらない所で、人間関係に悩むことは多々あると言うことだったのかもしれない。

 

「やはり響さんの変化に、周りは敏感なようです。今はまだ、少し戸惑うくらいでしょうけど」

「そうか……」

 

 俺は再び、緒川さんに頭を下げた。

 

「…すまない。俺はそういうことには疎くてな…」

「お気になさらないで下さい。僕も、具体的に何かを出来るわけではありません。ああやって、たまに声を掛ける程度です」

「それでも、皆の心根が、響の力になってくれる筈だ。さっき言ってたように、皆のバックアップがあれば、俺達は戦える」

 

 そう。さっき、彼自身が言っていたように。

 彼女を支えるのは一人一人の力。平和を願い、愛する気持ちだ。

 それが彼女の元へと集い、前へと進ませている。

 その時だ。

 

「何故…」

「え?」

「あなたは、そこまでして響さんを気遣って下さるんですか?」

 

 静かに、緒川さんが俺に尋ねていた。

 

「どういうことだ?」

「あなたは、あれほどの技術と力を持ちながら、他者との繋がりを重んじています。決して、並大抵のことで身に付くものではありません」

 

 もし俺が響や二課に害を為すなら、それを影から抑え、阻止するのが緒川さんの役目だ。

 ある程度の信頼を築けたつもりではいた。ただ、彼はその役割上、どうしても俺を全面的に受け入れられない……そういうことなのか。

 異世界からやってくる俺と言う人間を、或いは定められずにいるのだろうか。

 

「……」

 

 いや、そうではない。

 その眼は、いつものように穏やかな物でも、隙あらば射ぬかんとするエージェントの物でもない。ただ真摯に、俺の本質を見極めようとしていた。

 

「俺はスラムの生まれだった」

 

 だから俺も、本気で向き合う。

 彼等と共に戦うために、俺が全てをさらけ出さなければいけないんだ。

 

「ある災害がキッカケで、都市が二つに分断され、差別と貧困が渦巻く街になってしまったんだ。そのゴミ溜めに囲まれた中で、俺は生まれ育った」

 

 今でも思い出す。

 サテライトはシティと繋がっても、未だに多くの人の心の奥に爪痕を残している。人を嬲ること、他者を利用すること、そんな奴等を憎み蔑むこと……負の感情は連鎖し、やがて人々の心は絶望に堕ちた。

 それでも希望は残っていた。

 

「その中で、俺の心の支えだったのは、仲間との絆だ。彼等がいてくれたおかげで、こうやって今も生きていることができる。それを思い出さぜてくれたのが、響だった」

 

 俺の視線の向こうで、響は作戦の最終確認を弦十郎さんから受けているところだった。

 デュランダルの入った長く、大きな特殊アタッシュケースを手に、彼女の眼は決意に溢れていた。

 それも、響が多くの人間から受け取り、育てた勇気だ。

 

「俺がこの世界に来た理由は分からないが、それより俺は一人の人間として、響と一緒に戦いたい」

 

 それが、赤き竜の運命と重なるのだと、俺は信じている。

 

「……あなたは、信念に生きる人なのですね。そして……それが最善だと知っている」

 

 緒川さんは静かに俺の言葉を聞いていたが、やあてふっと口元をゆるませると、俺に向かって微笑みかけた。

 その眼は先程、響と話した時と同じ。

 他者を重んじて、誰かを生かすことに従事する、風鳴と同じく防人としての決意の証だった。

 

「ありがとうございました。貴方と言う人間が、少し分かったような気がします」

「そんな大層な事を、話したつもりはないんだがな」

「いえ、十分です。少なくとも、我々が共に戦うためには」

 

 ギラリと、目の奥が光る。

 やはり、エージェントとして、俺を見極めていたのだろうか。

 なら、試験は合格という事か。品定めされるのは好きじゃないが、不思議と嫌な思いはしなかった。

 今あるのは、ただ彼等と力を合わせたいという願いのみ。

 

「…響さんをお願いします」

「ああ。全力を尽くす」

 

 彼の影響なのか、俺も何時の間にか口元をゆるませ、微笑しつつ、握手を交わしていた。

 線の細い印象に似合わず、握る力は強かった。

 

「では後程」

 

 そう言うと、彼は踵を返して本部の方まで歩いていく。

 今回緒川さんは後方にて待機し、万が一に備えての応援部隊の指揮を執る手筈となっていた。

 

(……やろう)

 

 今の俺にとっては、ここが戦場だ。

 そして彼等と……新たな仲間と力を合わせて、危機に立ち向かおう。

 

「遊星、緒川さんと何話してたの?」

「ちょっとな」

 

 Dホイールの場所まで歩いていた時、響が近づいてきて問いかける。

 俺は敢えてさっきの内容は伏せていた。

 ようやく集中している響のモチベーションを下げることもない。

 今はデュランダルだ。

 

 

「よし。では改めて、作戦を説明するぞ」

 

 

 全員が配置に着き、司令である弦十郎さんを見る。

 ここから二課の面々でさえ対応したことのない、電撃作戦の開始だ。

 地下1300メートルの最深部…『アビス』に保管されていたデュランダルは、今こうして俺達の手の中にある。

 そいつを護送する。

 

「と言っても事は単純だ。ここから永田町にある電算室、『記憶の遺跡』のある場所まで、車で一気に駆け抜ける。それだけだ」

「名付けて、『天下の往来独り占め作戦』!」

 

 隣に立つ了子さんが揚々と手を振り上げて言った。

 そのままのネーミングだが、この状況ではむしろ気晴らしになるだろう。

 

「デュランダルを載せた本命の車には、響君に同乗してもらう」

「は、はいっ」

 

 響がアタッシュケースを握りしめて答えた。

 この作戦の肝は二つ。

 一つは当然、デュランダルを守り抜くこと。

 そしてもう一つは、敵を欺き、炙り出すことだ。

 

「本命には護送車4台を配置し、デュランダルをガードする。そして前方には…」

「俺がDホイールで先導する…だったな」

「うむ」

 

 そもそもこの作戦、普通に考えれば上手く行かない筈がない。

 作戦を知る者自体が、二課の面々を含めてごく少数だ。

 そして、広木防衛大臣が了子さんに作戦内容とルートを記したデータチップを渡し、それ以外の情報は全て彼の死と同時に破棄され、最早詳細を知る者は俺達しか存在しない。

 そう、この時間に俺達が永田町に向かうことは誰も知らない。

 だが……もし、その行動を察知し、襲う者がいるとすれば………

 

「万が一の敵襲があれば、二人には負担を強いてしまう事となる。特に、遊星君」

「……ああ」

 

 通常の兵器…まして護送車程度では、ノイズには対抗できない。

 俺が矢面に立ち、危険を承知で敵を引きつける必要がある。

 

「遊星……」

「心配するな。まだ直接ノイズが出ると決まった訳じゃない」

 

 俺はメットを被り、バイザーを下げる。

 響が心配そうに俺を見上げていた。

 

「でも…もしノイズが出てきたら」

「そうなったら、なおさら俺の出番だからな」

 

 デュランダルを守るのに一人、必ず人員を配置する必要がある。となれば、前方を守る露払いができるのは俺しかいないのだ。

 それだけでは無い。

 

「高速での移動中に戦闘になれば、車両に乗ったままの響では対応が効かない」

 

 響がどれほどノイズと戦えるのは未知数だ。

 弦十郎さんとも話したが、響にこの先戦える自信を付けさせるためには、がっぷり四つに組んだ状態にまで持ち込むことが必須だ。

 となれば、敵の奇襲に対しては俺が経験でカバーするのが上策となる。

 

「……」

「俺を信じろ。緒川さんも言っていただろう。俺達は一人で戦っているわけじゃないんだ」

 

 肩に手を置いて、彼女と目を合わせながら言った。

 

「もし敵が後方から追い打ちを仕掛けてくることがあれば、俺一人では防ぎきれない。そうなったら響、お前の出番だ」

 

 飛び道具を持たない響は必然的に守りに徹しざるを得ない。

 危うい、綱渡りのような作戦だった。

 

「なあに、心配するな」

「師匠…」

「俺も今回はヘリで同行する。いざとなれば、全員抱えてそこから脱出するさ」

 

 はっはっは、と大声を出して笑う弦十郎さん。

 冗談で言っているのだろうが、響には十分、説得力があったようだ。

 

「わ、分かりましたっ。私も、出来ることをやります」

「うん、その意気だ!」

「はいっ!」

 

 響は力強く頷く。

 その眼に怯えや不安、迷いは一切ない。自分の本分に徹する眼だ。こうなった時の響は強い。あとは実践になった時、どれだけそれを維持できるかだが……

 

(俺は響を信じる)

 

 力を合わせるとは、決して肩を寄せ合って心を慰め合うことではない。

 それぞれが各々の分野で、力を発揮することこそが重要なのだ。例え、その過程で一人に重責が偏ったとしても。

 だからこそ、支え合って生きているという意識を忘れてはいけないのだ。

 

「司令、間もなく作戦開始時刻です」

「分かった。総員配置に着け!」

 

 弦十郎さんの号令と共に、確認が速やかにポジションを確保する。黒服の諜報部が、それぞれ黒塗りの車に乗り込む。

 中央に停めてあるピンクの乗用車には……

 

「しかし、了子さん、大丈夫か? 自ら運転なんて…」

『ダイジョウブ、ダイジョウブ! 私のドラテクはそこいらのSP顔負けよ』

 

 無線越しに、了子さんのあっけらかんとした声が届いた。

 そう。

 デュランダルを載せた車の運転を、なんと了子さんが自ら買って出たのだ。

 

『それに、私としても、デュランダルの研究をしてきた意地があるわ。最後まで責任もって送り届けたいの』

 

 と言って、俺達全員が全員、仰天して飛び上がりそうになったのを今でも覚えている。

 弦十郎さんでさえ、呆れて目を丸くしていたほどだ。

 無論全員で止めたのだが、了子さんは頑として聞かなかった。

『ああなったら了子くんは俺でも動かせん』、という弦十郎さんの一言が決定打となり、了子さんの運転手任命は反対多数で可決された。

 

『大体私が作った防衛システムを無視して他人任せにしようって考えが甘いのよね。引き渡しの時に一言言ってやらないと気が済まないわ』

「分かった……だが、無理はしないでくれ」

『ありがとう。そっちもね』

「響、了子さんを頼む」

『うんっ、分かった!』

 

 俺は無線を切る。

 科学者としての責任とメンツみたいなものだろう。俺にも分からなくはない。どの道、デュランダルの扱いは彼女にしか出来ない。

 この作戦を完遂させるには了子さんの力は欠かせないのだ。

 それに…

 

(戦力をこちらに集中させている間に、本部が狙われるとも限らない)

 

 了子さんを狙う輩はそれこそ星の数ほどいるだろう。

 俺はDホイールのモーメントエンジンを起動させた。回転数を上昇させ、出力を上げていく。

 

『作戦開始まで、あと10秒』

 

 モニターからコールが届く。

 緊張は伝播し、あたりを包み込む。

 しかし、それに気圧されるほど、彼等も、俺も、そうヤワじゃない。

 

 

『作戦開始!』

「行くぞッ!」

 

 

 東から日が昇り、同時に車輪を回す。

 喧騒はおろか、未だ眠る街を置き去りに、俺達は目的地へと一気に走り出したのだった。

 




ビッキーはえっちだなぁ

翼は48の現代忍法を緒川さんから伝授されてますが、
これに52の古代忍法を組み合わせて、
100の奥義を持つのが真のNINJAらしいです

それにしてもビッキーはえっちだなぁ


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第4話『力と希望は、なお暗き深淵の底から』-4

バトルシーンが長くなってしまいました。今回で終わるかと思いきや、すみません、次回に続きます。
次で第4話は終わりとなります。

第5話は少し短くなるかなと。



『響君と遊星君が力を合わせたフォニック・シンクロは、敵にとっても予想外の驚異のはずだ』

 

 加速しながら街の道路を横断していく俺たち護送部隊。

 その間、俺は作戦直前に弦十郎さんと交わした会話を思い出していた。

 

『一瞬の出力のみならば、絶唱に匹敵するほどの威力。向こうがネフシュタンを擁していても、そう簡単には突破できん。となれば敵の打つ手は…』

『俺たちを分断すること…』

『うむ』

 

 弦十郎さんは鷹揚に頷いていた。

 発令室ではなく、あくまでプライベートのこじんまりとした空間で敢えて話していたのは、理由がある。

 

『そして最初に狙われるのは…恐らく遊星君、君だ』

『俺を?』

『前回も、敵は君にノイズをけしかけた。君が孤立していたのもあるが……恐らく、敵は君の力が本調子でないことと、仲間のとの結束力を断ち切られるのが弱点だと知っていたのだ』

『……それはつまり』

『これは響君には内密だが、君の予測通りだ。この二課に、内通者がいる』

 

 彼の言葉が重く、鉛のように俺にのしかかる。

 

『広木大臣暗殺の件もそうだが、情報が筒抜けになり過ぎている。まず間違いない』

 

 あまり考えたくはなかった。しかし、そうでなければ説明がつかない。

 内部の情報を敵の黒幕に密告した人物がいるのだ。二課の中でも相当内部事情にまで精通している者が。

 

『内通者は調査部が全力で探す。遊星君、ここは奴らの策に敢えて乗ろうと考えている』

『何か考えがあるのか?』

『天下の公道で、それも白昼堂々と一国の大臣を射殺する連中だ。どんな卑怯な手でも使うだろう。ならばこちらは逆にそれを利用してやるまでだ』

 

 彼の目は、ギラつく戦士のそれとなっていた。

 相手がこちらを欺こうとしている時こそ、こちらの勝機である。

 弦十郎さんはその戦術に則った奇襲を考えついていた。

 

 

 

(……弦十郎さんの渡してくれた『策』は、できれば使いたくないが…)

 

 

 

 これで何も起こらなければ、彼の言っていたスパイ疑惑は、ただの杞憂ということになる。

 しかし、これまでの状況で、この推測はほぼ確実に当たりだ。

 

(あのネフシュタンの鎧の少女は、狙いは『二人』…俺と響だと言っていた…)

 

 俺たちを狙うのが、響が融合症例だからか、俺が異世界から来た人間故なのかは不明だ。

 だが、個人を特定し、そいつを狙うと言う行為自体が、情報がダダ漏れしていることに他ならない。

 

(昨日も言っていたように、シンフォギアや二課に関する情報は完全に非公開だ。それにクラッキングで盗まれた形跡もない)

 

 ならば、敵は必ずこのタイミングで仕掛けてくるはずだ。

 響が乗車して攻撃できず、更にこちらは相手の最終目標と思しき完全聖遺物をも運んでいる。動かない筈がない。

 問題はどうやって攻撃してくるか、だ…

 

 

『まもなく環状線に入ります。予定通り、護送車の他に反応なし』

 

 

 友里さんの声が定期的に連絡を入れる。

 ほぼ同時に都心へと続く、鉄橋へと進入した。

 およそ全体の行程の三分の一程度…環状線を通過し、市街地に入った時点で、敵は狙いを付けにくくなり、俺たちを出し抜くのはほぼ不可能になる。

 

「こちら不動遊星。周囲に敵影なし」

『了解』

 

 緊迫感が徐々に押し寄せる。

 俺たちは固唾を飲み、身構えた。

 カードはデバイスからすぐに引き抜けるよう、最新の注意を払い、響はいつでもギアを纏い、了子さんとデュランダルを抱えて飛び出す用意を整えている筈だ。

 

 

『ノイズの反応、感知せず。到着予定時刻まであと36分』

 

 

 市街地に入るまで、あと数百メートル。

 ここさえ耐え抜ければ、俺たちの勝ちだ。

 だが…

 

『いや……反応検知…っ!?』

 

 ノイズの存在を表すアラートがけたたましく鳴り響く。

 瞬間、藤尭さんが叫んだ。

 

「どうした!?」

『遊星君、地下だ! パイプラインを移動してる!!』

「っ!?」

 

 完全にやられた! 

 敵はこの瞬間を待っていたのだ。

 ギリギリになって緊張感が解けるか解けないかと言う僅かな隙間を。

 

「来いっ! シールド・ウイング!!」

 

 続報を聞く前に、急ぎデバイスからカードを引き抜き、ディスクにセットした。

 空間が捩じれ、猛スピードで出現した翼竜が俺の前へと踊り出る。

 

『クエエッ!!』

「総員、スピード落とせっ!」

『くっ!』

 

 俺の指示を受け、全員が一斉に減速し、通り過ぎていく風景が一瞬だが停止する。

 その時だ。

 足元から轟音が響き、同時に俺達の目の前に在った橋の左部が巨大な衝突音と共に一気に崩れ落ちた。

 

「っ!」

 

 一気にハンドルを切って躱す。

 了子さんら他の車も追随するようにして一気に車体を右へとずらす。

 だが幾ら減速したとはいえ、不意に発生した事態についていけない者も存在する。

 後方で控えていた一台は、視界がおぼつかずに僅かにハンドルを切り損ねていた。

 

『うわあああっ!?』

「シールド・ウイング!」

『クゥオオッ!』

 

 崩れた橋の破片が車体に入り込み、衝撃でスリップする護送車の一台。あわやガードレールに衝突するかと思われたが、間一髪でシールド・ウイングが間に合っていた。

 巨大な翼を目一杯広げることで、車体の激突を防ぐ壁となり、衝撃を殺しつつ減速させる。ドライバーもその場でブレーキを踏んだために、急停止した車はその場に留まることに成功した。

 

『B-1! 無事か!?』

『は、はい…っ!』

 

 弦十郎さんの言葉に、何とか応答を返すエージェント。

 何とか橋からの落下と言う事態は防げたか…っ! 

 

「B-1はこのまま離脱してくれっ! 後は俺達が何とかするっ」

『す、すまない…!』

 

 車体を破損させ、更にタイヤもやられているらしい。

 走行不能となった彼に、任務続行は無理だ。

 歯噛みしながら、このまま彼を置き去りにしつつ、俺達は橋を走行し続けた。

 

(地下からの奇襲をしてくるとは……完全に後手に回ったっ!)

 

 地下水道を走る金属製のパイプラインは、ある種の電磁波をシャットダウンする合金によって造られている。センサーの周波数が乱れ、解析を潜り抜ける一瞬を狙って、ポンプによって一気に距離を詰めたのだ。

 

『藤尭っ! 地下の図面をDホイールに回せ!』

『やってますっ! あと五秒!』

 

 無線の向こうで二人の叫びが響く。

 俺は必死に残りのカードをデバイスから引き抜き、急ぎ伏せていく。

 

(まずい…召喚をこのタイミングで使ってしまった…! 伏せた罠カードが使用出来るまでにも時間が掛かる…!)

 

 リチャージが完了するまで、シールド・ウイングだけで防ぎきれるか…!? 

 しかし、そんな俺の焦りを読むように、敵は次の攻撃を繰り出してくる。

 

『各機、環状線を通過、市街地へ入りましたっ!』

 

 高速道路の関門を通過し、俺達はビルが立ち並ぶ市街地へ入ることに成功した。

 ここまで来れば、本来敵の攻撃は防げる。

 遮蔽物が多いこの街中で、高速移動する物体への攻撃は非常に困難だからだ。

 だが……

 

『地下からのエネルギー反応、来ますっ!』

「チィっ!」

 

 そのタイミングで、藤尭さんの送ったデータがDホイールのモニターに表示された。

 地下のライフラインマップに表示された赤い光点……かなりの数である。一瞬で視認しただけでも、かなりの数だった。

 オマケに光点が一つ、俺の真下に存在している! 

 

「マンホールだっ! マンホールを避けて移動しろっ!」

 

 咄嗟の一言により、全員が俺を避けるようにして左右へとハンドルを再び切った。瞬間、俺が通過した位置にあるマンホールの蓋が跳ね上がり、宙を舞う。

 放物線を描いた蓋は猛スピードで落下し、後方を走っていた護衛の車のボンネットを直撃した。

 

『うおっ!?』

『B-3、車体損壊。走行不能ですっ!』

『ああん、もうっ! 弦十郎君、この襲撃、予想してたより早いわよっ!』

 

 了子さんの叫びが耳を貫かんばかりに響く。

 護衛をまた一台失い、残る壁は俺を含めて三つのみ…! 

 

『ノイズの攻撃、続きます!』

「B-2、B-4、両翼に付いてくれ! 俺は前方を死守する!」

『了解!』

 

 エージェントたちの声が聞こえるが、状況は最悪に近い。

 敵がパイプラインを移動し、常にこちらを欺こうと画策している。

 しかもノイズに通常の物理法則など通用しないのだ。

 

『ノイズ、一体が離れました! 後方のB-2とB-4を指向していますっ!』

『一時離脱だ、急げっ!』

 

 弦十郎さんが藤尭さんの声を受け叫ぶ。だが遅かった。

 突如として地面から這い出るように出現したノイズが二台の車体の下に潜り込んでいた。

 有機物ではない車に接触しても、炭素分解はしない。しかし車のバランスを崩してしまうのには十分だ。

 

『うわあああっ!?』

「くっ! シールド・ウイング!」

 

 二台の車はそれぞれ横転し、うち一台が駒のように回転しつつ宙に浮いた。

 とっさに命令を出したシールド・ウイングが飛び出してドアから放り出された黒服の男たちを翼に乗せて滑空する。

 

『お前ら、無事かっ!?』

『は、はいっ、なんとか…!』

 

 無線越しに、彼等の安全をつける声。

 何とか一台は助けられたか…! 

 

「友里さん、B-2に乗っていた彼らは…!」

『車体は動けないけど、脱出を確認したわ! すぐに救護班を出しますっ』

 

 …ここまでで人死がないのが不幸中の幸い。

 だが、これで周りを守る盾は全て消滅したに等しい。

 

『クアアアッ!』

 

 乗員を降ろしたシールド・ウイングが再び俺の元へと舞い戻る。

 もうこうなれば一刻の猶予もない。

 相手の見方を読みつつ先手を取るという、当初の予定は完全に封殺されてしまった。

『あの手段』を使うしかない。

 

 

「弦十郎さんっ!」

『分かっているっ! 作戦をプランBへ変更!』

 

 

 弦十郎さんの指示に、全員が驚く。

 了子さんでさえそうだった。

 

『え、プランB? 聞いてないわよ、そんなのっ!?』

『敵を騙すにはまず味方からだっ!』

 

 この作戦は、俺を含めて3人にしか知らされていない奥の手である。敵が万一の事態に対応してきた時に備えた策だった。

 デュランダルを運んでいる了子さんと響にも知らされていない。

 

『え、ゆ、遊星、どういうこと!?』

「俺が囮になって奴を引きつける!」

『ええっ!?』

 

 響が大声を上げて反応する。

 当然だろう。これは一種の賭けだった。敵がどこで見ているか分からない以上、響にも伝えるのは憚られてしまった。

 敵のスパイは相当二課の奥深くにまで侵入していると考えられた。となると、彼女を逐一観察している可能性が高い。

 彼女はとにかく顔に出る。響から情報を奪取したり、予測される事態だけは避けたかった。

 

『ちょっとちょっと! 確かにこのままじゃ私らもお陀仏だけど…!?』

 

 流石の了子さんも狼狽して無線越しに叫んでくる。

 だが、敵の狙いがデュランダルなら、これで正解の筈だ。

 

「安心しろ、俺がやられて巻き添えを食うよりも、この方が安全だっ」

『けどっ!』

『了子君とDホイールはそのまま直進っ!』

 

 了子さんの反論も意に介さず、弦十郎さんは指示を飛ばす。

 今度は響がそれに跳び上がった。

 

『し、師匠! この先って確か…!』

『その通り、化学工場だ!』

 

 自信たっぷりな司令の声。

 本来ならば正気を疑う場面だろう。

 しかし敵が地下から襲う以上、地表でガードしても意味はないのだ。こうなると市街地のビルや他の建物はむしろ邪魔となってしまう。移動を遮るものは極力削らなければならない。

 

『ちょっと、それマズいんじゃない? 薬品工場で爆発でも起きたら、私達諸共にデュランダルが…!』

『いや、それはないっ!』

 

 了子さんの低い声が聞こえた。

 しかし弦十郎さんは懸念を一喝して吹き飛ばしてくれる。

 

『さっきから護衛車ばかりを狙い撃ちにしていたのは、デュランダルを損壊させないように、確保する為と考えられるっ!』

 

 そう、これこそが彼の奇策。

 敢えて危険な場に誘い入れれば、どうしてもデュランダルを手に入れたい敵は、逆に攻撃の手を緩めざるを得ない。

 

『ならば化学工場に敢えて誘い込んで、攻め手を封じようって算段だ』

『勝算は?』

『思いつきを数字で語れるものかよっ!』

『…っ!』

 

 絶句する了子さん。

 気持ちは痛いほどわかる。

 数時間前、俺も同じやり取りを交わして、溜息をつくのをやっとの思いで堪えた程なのだから。しかし、ここまで先手を取られ続ければ、多少の無茶は覚悟の上でやるしかない。少なくとも、これで人的被害は最小限に抑えられたはずだ。

 足を止めなければ、了子さんと響が直接襲われる心配はない。

 

『空中よりフライト型の接近を感知!』

 

 続けて藤尭さんの一報。

 同時にセンサーに表示された地下の反応と、ヘルメットのマウントディスプレイに映し出される敵の表示警告。

 

「シールド・ウイング、防御に回れ!」

『クアアアッ!!』

 

 上空より5体余りのフライト型が飛翔し、うち数体が上空からミサイルの様に急降下してくる。

 指示を受けてシールド・ウイングが舞い上がり、俺とフライド型を守る盾となって阻んだ。

 

『グ、ク、クアアアッ!?』

 

 だが……数が多過ぎた。

 シールド・ウイングは相手モンスターの攻撃を二度まで防ぎきる効果があるが、それを失ってしまえば、守備力は無に等しくなってしまう。

 三撃目を防ぐことはできずに、胴体を貫かれたシールド・ウイングが、そのまま光の粒子となって消滅してしまう。

 

『っ、シールド・ウイング、消滅しました!』

『遊星君、リチャージが終わった! モンスターを呼べるぞ!』

「スピード・ウォリアーを召喚っ!」

 

 叩きつけるようにセットされたカードから、白いアーマーの戦士が空間を裂いて出現し、襲い来るノイズを迎撃する。

 

『トオッ!!』

 

 ブースターを点火し、フライト型を蹴り砕いた。

 猛スピードで落下してきたノイズたちは、いきなりのカウンターには対応できない。俺のモンスターの攻撃をそのまま喰らい、爆散した。

 

(間一髪か…!)

 

 予想通りとはいえ、本当に綱渡りの作戦になって来た…! 

 

『遊星っ!』

「心配するな! 俺はまだ大丈夫だっ」

『いやいや大丈夫じゃないでしょ!』

 

 響の叫びに気勢を張って答える。

 その時、了子さんの焦りの声が続いてきた。

 

『君に攻撃が集中するのよ! 響ちゃん抜きで捌けるのっ?』

 

 彼女の言う通りだ。

 もうこの道を抜ければ、あとは化学工場まで一直線だ。

 そうなれば地下からの攻撃は無くなる。

 敵はそうなる前に何としても俺を潰しにくる筈だ。

 

『遊星、やっぱり私も出て戦うよっ!』

「ダメだっ!」

 

 響の言葉は勇気あるモノとして賞賛すべきだったが、俺は断固として拒否しなければならない。

 

「足を止めれば、奴らは数で制圧してくるっ。そうなったら守りきれない!」

『…遊星…っ!』

 

 俺の返答に、響も言葉がない。

 警戒しなければいけないのは、通路そのものをノイズの壁で塞がれて、足を止められる事だ。

 多数のノイズが出現すれば、そいつらは真っ先に了子さんを狙う。

 守りながらの戦いでは、如何にシンクロ・シンフォギアでも対抗しきれない。

 

「工場まであと少しだ、そこを抜ければ政府の地下シェルターまで避難できる!」

 

 そこまで逃げおおせれば俺達が勝つ。

 ノイズが人間によって指揮された物だとするならば、逆に人の視界が及ばない場所まで外れれば、相手は追跡できない。

 政府の管轄である地下シェルターは一切のセンサーやレーダーも通さないと聞いている。そうなればノイズを操っていると思しきネフシュタンの少女は直接俺たちの前に現れる筈だ。

 そうなればまだ響がいる。俺のカードの力を合わせ、切り抜けることは可能だ。

 

『ノイズ、地下より追随!』

 

 だが敵もさるものだ。

 やはり次の策を打ってこない訳はなかったのだ。

 

『これは……ノイズ、Dホイールを指向していますっ!』

「くっ…!」

『遊星君、躱せ!』

 

 急ブレーキをかけ、ハンドルを右に切る。

 後方の車は視界が開ける。

 その瞬間。

 

「了子さん、加速しろっ!」

『ああ、もう! 分かったわよ!』

 

 俺の指示を受け、了子さんの車が俺を追い抜いた瞬間だった。

 ピンクの車とDホイールの車間距離が広まった刹那、後方のコンクリートが弾け飛ぶように砕けた。

 同時に穴からオタマジャクシの様な形のノイズが十数体、溢れ出して出現した。

 

『Dホイール、速度低下! デュランダル保管車との距離、開きますっ!』

『クロール型地表へ露出! 数は15!』

 

 俺と了子さんを追随する形になって出現したノイズは、車を見ることなく、明らかに一斉に俺を視認した。

 

「やはり俺を狙って来るか…!」

 

 了子さん達は速度を上げて這い出たノイズから逃げる。

 だが、敵はあくまで俺との距離を詰めていた。

 俺はハンドルを握り直し、悟られないように速度を落としてノイズと対峙する。

 

「了子さん、今の内に工場へ抜けるんだ!」

『ったく……男の子ってのは、無茶するものだけど…!』

 

 苦々しくも、了子さんは案を引き受けてくれたようだった。

 この状況ではどの道ノイズは俺が引き受けるしかない。

 

『遊星…』

「響、了子さんを頼むっ」

『……っ…わ、分かったっ!』

 

 息を飲んだ響は、やがて意を決したように力強く応答した。

 これで彼女は自分の役割に専念できる筈だ。

 

『保管車、ノイズとの距離70、80、85……!』

 

 ここまで距離を稼げば、敵もそう易々と了子さんの乗る車を狙い撃ちにはしないだろう。

 ならば俺のやることは一つだ。

 

「来いノイズ! お前たちの相手は俺だ!」

 

 俺はハンドルを握り直し、モーメントの出力をアップさせる。意思をくみ取る遊星粒子は、二課と俺、全員の意志を吸収し、Dホイールに力を与えてくれる。

 

 ここから先へは……一歩も行かせない! 

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

「遊星…!」

「ほら、シャキッとしましょ。男の子が頑張ってんだから、応えなきゃ女が廃るってもんよ」

「は、はい…っ!」

 

 私は遊星の力になれない事に情けなさを覚えながら、それでも了子さんの言葉に励まされた。

 

(私しかいないんだ…!)

 

 前を向いた。

 私しかいないんだ。

 私しかデュランダルを守れない。

 なら、やるしかない。

 出来るのかな……? 

 私一人で、もし多くのノイズが現れたら、守りながら…

 

(違う! 出来るかどうかじゃないんだっ)

 

 師匠も言ってた。

 考えるな、感じろ。

『やってみる』のではない。『やる』んだ。

 いざとなったら、私だって……

 

「絶唱でも何でも…」

「え?」

「とか考えたらダメよ」

 

 私の心を見透かしたように、了子さんは運転を続けながら言った。

 

「そうやって捨て身で最初から考えたら、何もかもうまく行かないわよ」

「了子さん…」

「あなたはこれ以上ない位に大事な存在なの。私達にとってね。だから、両方大切にしていきましょ? デュランダルも、あなたも、もちろん私もね?」

 

 そう言って、チラッと私を見た了子さんは笑って居た。

 メガネが光で反射して、その瞳の奥を見通すことはできなかったけど。それでも私は、この時の了子さんの言葉で、身体が軽くなったような気がした。

 

「は、はいっ。ありがとうございます」

「うふふ、良いわよ、お礼はついてから聞かせてもらうわ。それにほら、ここまで来ちゃったら、弦十郎君の言う通り、もう安全かもだし」

「あ…」

 

 了子さんの言ったように、私達の車は既に市街地を抜けて、薬品工場まで突入していた。

 朝早くだからか、それとも師匠が色々やってくれていたからか、此処にも人気は全くない。

 誰もいない開けた工場の敷地内を、私達は悠々と通過して行った。

 

「ホントだ、狙い通りっ!」

「いやー、司令の野生のカンも馬鹿にならないわー。もう勝利確定かしら」

 

 と、了子さんが僅かにハンドルを握る力を緩めた時。

 ふと、私の脳裏によぎる光景があった。

 クラスメートの弓美ちゃんが言ってた言葉。

 

 

 ―勝った! とか言った瞬間って、大体アニメとかだと反撃にあってやられるわよねー。お約束のフラグ? みたいな―

 

 

「……あ」

 

 もう気付いた時には遅かった。

 ガクンっ! と、私達の身体が上下左右に揺さぶられる。

 

「っっぐ!?」

「ひゃああっ!?」

 

 違う。

 車体が突然バウンドしたんだ。

 フロントガラスの向こう側、工場の排煙塔に、太陽で隠されながらも、一瞬だけ見えた。

 白い、鱗みたいな金属で覆われた人の影。両手からダラリと垂れ下がり、茨みたいな棘のある長い紐状の物体。

 あれは…! まさか!? 

 

『波形パターンを照合! ネフシュタンですっ!!』

 

 無線から、友里さんの声が響いた。

 朝焼けの太陽が、ガラスに反射する。

 ゾワリと、私の背中を寒いものが走る。

 音は殆どなかった。ただエンジンの音に紛れて、ヒュ、と風を切る音が通過した瞬間。

 

 

「わあああああっっ!?」

 

 

 車が再び跳ね上がったかと思うと、もうその時、私達の身体が上下反転し、背中を思い切りシートに叩きつけられていた。

 

「うぁあうっ!」

 

 突然変化する視界に私はついていけなかった。隣で了子さんが必死にハンドルを切っていたのが見えたような気がしたけど、私は咄嗟に頭を両手で抱え込むようにしてガードするだけで手一杯だった。

 ガクガクと揺れる体に、叩きつけられる衝撃、車体が地面と擦れて、耳をつんざく金切音は、何時までも続くんじゃないかと思った。

 けど突然、バンと弾けるように一際大きな音が私の耳を辛いた時、ふと音は止んだ。

 

「ぅっ…っっ……!?」

 

 もう何秒経ったんだろ? 

 止まったの? 

 どうなっちゃったの? 私たち、無事なの? 了子さんは? 

 目を瞑ってじっと耐える私だったけど、その時聞こえた了子さんの言葉で、ハッとなって我に返った。

 

「響ちゃん! 響ちゃん!」

「え…?」

「え、じゃないわよ! 早く出るわよ!」

 

 了子さんが隣の運転席で必死になってシートベルトを外している。

 私は慌てて自分も同じ様にシートベルトを外していた。

 落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせて、何とか外すことに成功して、外へと這うようにして飛び出す。

 

「はぁ…はぁ…はっ…!」

 

 ようやく車から脱出できた私。

 車体がひっくり返っているというのを、私は這い出る時に初めてちゃんと理解した。

 何とか立ち上がって見ると、了子さんも無事に車から出ることができたらしい。

 

「了子さん、大丈夫ですか…!?」

「私は大丈夫だけどね……あちらさんは大丈夫じゃないみたい」

「えっ……あっ!」

 

 私は急いで振り返る。

 そこには大量のノイズが発生していた。

 こうしている間にもどんどん数を増やして行く。

 

(そっか、私達が止まったから…)

 

 遊星が囮になっても、あくまで狙いはデュランダルなんだ。

 薬品工場にいくら潜り込んでも、それは車ごと爆発したら危ないから手を出さないだけで…! 

 

「了子さん、デュランダル…!」

 

 私は咄嗟に後部座席の割れた窓ガラスから顔を出していたデュランダルのアタッシュケースをつかんで引っ張り出す。

 さっき持った時はそうでもないように感じたのに、こんな非常時だからなのか、異様なまでに重かった。

 

「こ、これ、なに…すごく重い…!」

「んー、じゃいっそのこと、そこにデュランダル置いてって、私達は逃げちゃう?」

「そんなのダメですっ!」

「そりゃそうよね。テヘ」

 

 苦笑する了子さん。

 こんな時になにを言ってるの…! 

 けどそんなこと突っ込む余裕を与えてなんてくれないのがノイズだった。

 

「っ!?」

「走って!」

 

 

 間一髪、ノイズが身体を細く伸ばして突っ込んでいた時、私達は比較的開けた左脇へ走り出していた。

 さっきまでいた場所をノイズが通過して、了子さんの車ごと貫通する。

 バチッという音が鳴った時、爆音を立ててピンクの乗用車は粉々に爆発してしまう。

 背中越しに伝わる熱を感じながら、一瞬体が引き寄せられたかと思うと、次の瞬間にはもう私達は衝撃で吹き飛ばされていまう。

 

「わああああっっ!?」

 

 叩きつけられるからだ。

 コンクリートに正面からぶつかって、その場にうつ伏せになって倒れ臥す。

 視界がぐるぐると暗転していく。

 あ、ダメだ…早く立たないと…!! 

 すぐにノイズが迫ってきちゃう…そうしたらデュランダルが…! 

 

(そうしないとやられちゃう…! 私がやられたら…!)

 

 視界にノイズの群れが映った。

 まだ数を増やして、私の側まで…デュランダルの入ったケースを狙ってくる。

 立ちたいのに、力が入らない…! 

 

(ごめん、遊星…!)

 

 ノイズが、また身体を針のように変えて突っ込んでくる。

 心の中で不甲斐なさを呪いながら、私は力の入らない身体を叱咤した。

 なんでこんな時に動いてくれないの、私は!? 

 

 

「…あーあ、もう、しょうがないわね」

 

 

 爆炎と煙が辺りに立ち込めている中で、了子さんの冷ややかで、それでいて優しくて、柔らかな声が聞こえていた。

 

「……!?」

 

 その時、私は目を疑った。

 信じられない光景が目の前にあった。

 

「……」

「…了子……さん?」

 

 了子さんは私を守るように立って右手を前へかざしている。

 飛び込んできたノイズが、了子さんにぶち当たろうとした時だった。

 その手に遮られるようにして、突然ノイズが弾かれて反対側へと転がっていった。

 その後も次々とノイズが私達に襲いかかろうとしても、了子さんはまるで見えない壁に守られているかのように攻撃を防ぎ続けている。

 

「……そんな、どうして…」

 

 ノイズに襲われたら、防ぐ方法なんてない。シンフォギアだけしか戦う方法はないって、了子さん言ってたじゃないですか。

 それなのに…どうして……? 

 

「なにしてるの響ちゃん?」

 

 あまりの唐突さに呆然となっている私に、了子さんは目線だけを向けて微笑んだ。

 

「……え?」

「え、じゃないでしょ? そんなトコで惚けてないで」

「け、けど……」

「響ちゃん、守りたいものあるんでしょ?」

 

 ニコリ、と余裕をもって私に語りかける人。

 その笑顔は私にとって問いかけじゃなく。

 

「あなたはあなたのやりたい事、精一杯やりなさい」

 

 背中を押してくれる事だった。

 ジンと、心が熱くなる。

 私のやりたいことは。

 守りたいものを守ること。

 デュランダルが、

 了子さんが、

 そして、遊星との約束が! 

 

「……私」

 

 今なにが起こってるのか、正直分からない。

 なんで了子さんが、あんなこと出来るのかなんて今でも頭こんがらがりそうだけど。

 それでも。

 やりたいことは、分かってる! 

 

「歌いますっ!」

 

 身体の中に、熱が一つ。

 想いを起爆剤にして。

 熱は歌へと姿を変えた。

 

 ―Balwisyall Nescell gungnir tron

 

 聖詠を唱えた瞬間、私の体は光に包まれる。

 身体を焦がすような激しさと熱さを感じて、それでも強さを掴み取る。

 前を向く私の意思が、身体からもう一つの私を作り出す。

 

「だあああああっ!」

 

 ギアプロテクターを装着して、私は変身を終えた。

 待ち構えたように、増えたノイズが私達へと迫っていく。

 急いで了子さんをかばうようにして前へと立った。

 

「了子さん、下がってて!」

「うふふ、やっと火が着いたわね。じゃ、あとはお言葉に甘えちゃいまーす」

 

 そう言って了子さんは後ろへ駆け出すと、デュランダルの入ったケースを持って行く。

 これで了子さんは大丈夫。

 あのヘンテコなバリアみたいなのはよく分からなかったし、聞きそびれちゃったけど、それでも襲われないなら、私は戦える! 

 

「……行きますっ!」

 

 ネフシュタンの鎧を着た、あの女の子はまた見えない。

 どこかで見てるのかな? 

 でも今は……後回しですっ! 

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

『デュランダル、戦線より離脱!』

『友里、了子くん達のオペレートを継続! 藤尭は遊星君のサポートに回れ!』

『了解!』

 

 弦十郎さんの指示で、二人は即座に情報を整理し始めた。

 俺もハンドルを操作し、ターンバックして奴らと正面から向き合う。

 

『敵ノイズ、Dホイールと接敵』

「先手必勝だ、スピード・ウォリアー!」

『ウォオオッ!』

 

 指示を受け、スピード・ウォリアーは一目散にノイズへと突貫する。

 加速した彼の攻撃を受けて、ノイズが数体、灰となって砕け散った。その後もスピード・ウォリアーは次々と敵を撃破していく。

 

『スピード・ウォリアーの攻撃力減少まで、残り30秒!』

「了解!」

 

 スピード・ウォリアーはターンの経過…即ちこの世界の戦闘に置いて一分後、攻撃力は元の数値までダウンする。

 その瞬間を縫って、敵は一気に攻め立てるだろう。

 

(俺のフィールドには、くず鉄のかかし、そしてエンジェル・リフトが伏せられている……)

 

 くず鉄のかかしで攻撃を防ぎ、更にエンジェル・リフトを使えば蘇生が可能だ。

 そして手札にあるスピード・スペル、『スピード・エナジー』を使えば、攻撃力をアップさせ、相手を返り討ちにすることも出来る。

 

(あとは薬品工場までの時間を稼げば、敵も追撃を緩める筈…!)

 

 ……などと、気を緩めてしまったのは俺の失策だった。

 未知のポテンシャルを秘めた敵を相手にするならば、いかなる状況でも油断してはならないのだ。かつて龍亞に俺は似た言葉を忠告した筈だった。それを一瞬でも忘れてしまった時、奴らは次の手を打ってきていたのだ。

 

『残存ノイズ、密集陣形を取っています!』

「…なにっ!?」

 

 クロール型ノイズが、俺やモンスターへの攻撃を止め、道路の中央へとその身体を寄せ始めたのだ。

 前方へと移動しながらだが、そんな事をすれば当然速度は落ちて距離を稼がされるというのに。

 だが奴らは戦法を変えたわけではなかった。

 攻撃を集中させれば、火力で劣る俺は対抗できない。連中が響と俺を分断させた時点で、こうなることは分かっていたのだ。

 

『遊星君! そいつらは集合型だっ!』

 

 藤尭さんが叫ぶ。

 ノイズは一定の間隔で卵を産むように増殖するタイプがある。だが、非常に珍しい個体で、幾多のノイズを取り込み、一つの巨大な個体として能力を増強させる方があったのだ。そしてそれは実際に集合するまでには、他のクロール型との判別がつかないという非常に厄介な特性をも兼ね備えている。

 この土壇場で繰り出してきたのがそれだったのだっ。

 

『クロール型、合体しますっ!』

「ダメだ、間に合わないっ!」

 

 やがて一体化した巨大クロールノイズが、音にならない気勢を上げて、俺達へと接近してくる。

 これだけデカ物になれば通常は速度が落ちる。

 だが通常とは異なる次元領域に存在するノイズに、物理法則は通用しない。これだけの質量を持っていても、敵は速度を緩ませることなく追跡するのだ。

 

『スピード・ウォリアー、間もなくエネルギー低下しますっ!』

『ウウッ…!』

 

 藤尭さんのカウントは正確だった。ゼロになると同時に、スピード・ウォリアーを覆っていたオーラが途切れ、速度が緩やかになっていく。

 敵が攻撃を仕掛けなかったのは、この時間を計るためでもあったのだ。

 瞬間、敵は反撃に転じる。周囲の物体を透過しながら距離を詰めて、その前足を大きく振りかぶって俺のモンスターへと叩きつけた。

 

『オオッ!?』

「スピード・ウォリアー!?」

『駄目です、受け切れませんっ!』

 

 このままでは巨大クロールノイズの攻撃を受けて、スピード・ウォリアーが消滅してしまう。

 同時に俺の身体に襲い来る衝撃……ダメージは幾つになるのか、まだ敵の攻撃力が分からない状態で受け切るのは危険すぎる! 

 

「罠カード発動! くず鉄のかかしっ!」

 

 敵の攻撃と巨大ノイズの間を阻むように出現したかかしが、前足を弾き返す。

 鉄製のかかしはそのままフィールドに再セットされて、中空へと姿を消した。

 

『何とか防いだか…!』

 

 弦十郎さんの安堵の声。

 だが、緊迫は解けていない。再び攻撃が来るのは時間の問題だ。

 

(どうする…敵の攻撃力が分からない以上、迂闊に攻撃はできない…!)

 

 一か八か、≪Sp・スピード・エナジー≫で強化させたスピード・ウォリアーをけしかけるか……? 

 いや、それこそ下手な博打だ。

 もし失敗すれば俺には敵をかいくぐる手段がなくなってしまう。

 響が車から離れられない今、俺だけでこの窮地を何とかしなくては……! 

 

(考えろ…時間を稼ぐか、あるいは俺とカード達だけで切り抜ける方法…!)

 

 

『遊星さんっ!』

 

 

 その時だ。『彼』の声が届いたのは。

 

『勝機を見落さないようにっ! あなたは一人で戦っているわけではありませんっ!』

 

 その一言は、俺の頭の霧を晴らした。

 そうだ。また見落とそうとしてしまっていた。

 俺は、力を……絆を手に入れた筈だ。

 仲間とカードと、そして、この世界で出会った新たな友。それが俺に力を貸してくれている。

 それこそ、困難に立ち向かう、唯一無二の武器なのだ。

 

 

『この声は…もしかしてっ!?』

 

 

 藤尭さんが驚く。

 俺も怯んだその時だ。猛スピードで接近してくるもう一つの影が映りこんできたのだ。

 見る見るうちに俺やノイズとの距離を詰めていくその車は、さっき横転して動けなくなったはずの護衛の一台だった。

 いや……さっきとナンバーが違う。これは、二課から新たにやってきた別働隊だ。そしてそれを運転しているのは……

 

 

「まさか……緒川さんかっ!?」

 

 

 まさかの援軍。

 それはついさっき、学院の入り口で別れた筈の緒川慎二その人だったのだ。

 ノイズが周囲の建物をすり抜けているとは言え、ここまでの戦闘の影響で道路はかなり破壊されてしまっている。それを見事なドライブテクニックで交わし、障害物を避け続けて俺たちの元へと近づていく。

 

『巨大ノイズ、後方の車を視認しましたっ!』

『お、緒川さんっ!』

 

 友里さんの報告に響が叫ぶ。

 咄嗟に俺はハンドルを捻り、もう一度ノイズの方へとターンバックして向かい合った。

 

「危ないっ! 逃げるんだっ!」

 

 その叫びも虚しく、巨大ノイズは突如現れた援軍を捻り潰そうと、その後ろ脚で車体を弾き飛ばし……

 

『……っ!』

「え……っ」

『……へ』

 

 た、と思ったところで、宙を飛ぶ車が、一瞬にして掻き消えた。

 俺達が唖然としていると、その時には既に、緒川さんの乗った一台が俺たちの横で悠々とハンドルを切って並走していたのである。

 

『いやいや、間一髪でした』

 

 違う。

 並走していたのは一台だけではない。

 

「く、車が増えただとっ!?」

 

 横にも複数台、何故同じ形、同じ色、同じナンバーさえ持っている同様の車が囲むようにして走り続けている。

 響も、俺も、呆然とした。

 言葉もない。

 

(えっ…ちょっと待て…!? 何だこれは、どういうことだ…っ?)

 

 俺は確かにノイズに攻撃され、吹き飛ばされた車を目撃していた筈だ。あれは絶対に目の錯覚などではなかった。

 だが現実として緒川さんは俺達の横に……

 そして次の瞬間だ。脇を走っていた車達はその姿を統合させると、元の一台に戻って再び並走を始めたのである。

 

『く、車が、消え……え、何なんだ、あれ?』

『これぞっ! 緒川家に代々伝わる48の必殺忍法の一つ、その名も『車分身』だッ!』

『くるまぶんしんっ!!?』

 

 もはや余りの展開の壮絶さに錯乱直前となっている藤尭さんに、弦十郎さんが解説をいれた。

 それが解説になっているのかどうかは不明だったが、とにかくこの謎の援軍と作戦によって、緒川さんは俺たちの元へと馳せることができたのである。

 

『遊星さん、これをっ!』

 

 緒川さんは俺との距離を詰めると、車のドアウインドウを開け、俺へと真っ直ぐに手を伸ばす。

 それを見た時、三度俺は驚愕させられてしまった。

 彼の伸ばした手の先に握られている物が視界に入ったからである。

 咄嗟にDホイールをターンバックから元に戻し、緒川さんの手に収まっている『二枚』の『ソレ』を受け取ると、恐る恐る見た。

 

 

「これは…っ!」

『それでこの状況、切り抜けられますか?』

 

 

 思わず顔を上げて、緒川さんを見る。

 それは、さっき別れた時と同じだった。

 真実を見極めようとする瞳。風鳴や、響や、大切な人を守るため、心を内に秘めながら、その身を鋭き刃と研ぎ澄ます防人……いや、忍の眼光だ。

 その揺るぎない信念を受けた時、俺の魂の日が、再び燃え上がる。

 この状況で心動かない者は、デュエリストではない! 

 

 

「ああ、任せてくれっ!」

 

 

 受け取ったそれを……あの日失い、そして再び舞い戻ったカード達を掴み、デバイスへと……そしてディスクへとセットする! 

 

「ゼロ・ガードナーを召喚!」

 

 音叉を象ったカードの精霊は、瞬時に空間を捻じ曲げて、俺の元へと姿を現す。

 何度も俺の危機を凌いでくれたモンスター、ゼロ・ガードナーだ。

 

『新たなカード……だとっ!?』

 

 弦十郎さんが突如現れた援軍に大声を上げる。

 こんな場合でなければ、俺も叫んでいたかもしれない。

 だが、今は敵を片付ける方が先決だ。幸い、敵も緒川さんと言う新たな敵の出現に戸惑っているようだった。車が目の前に分裂したのだから無理もないだろう。様子を窺い攻めあぐねている。

 俺が召喚したゼロ・ガードナーの存在もある。

 ならばここで攻めるのみ! 

 

「ゼロ・ガードナーの効果発動! このカードをリリースする!」

 

 指示を飛ばすと同時に、俺はセメタリーゾーンへとゼロ・ガードナーを送り込む。

 同時に召喚されたばかりのゼロ・ガードナーはその身を光の粒子へと変換させて消滅した。

 

「ゼロ・ガードナーをリリースしたことで、俺のモンスターは一分間の間、戦闘で破壊されず、ダメージはゼロとなる」

 

 これで敵が高い攻撃力を持っていようと、害を被ることは無くなる。

 そして、もう一枚。

 緒川さんが手渡してくれたもう一つのカードこそ、逆転の一手となる! 

 

「そしてこのカードは、モンスターが召喚されたターンに、手札から特殊召喚できる!」

 

 行くぞ……力を貸してくれ、ラリー! 

 

「ワンショット・ブースターを召喚!」

 

 ディスクに装填したカードから、実体化されたモンスターが姿を現す。ロケットエンジンを模した小さなモンスター。子供向けのアニメにでも出てきそうな黄色いデフォルメされたデザイン。

 かつて俺が友から預かり、託してくれたカードだ。

 

『こ、これは……エネルギー値、ゼロ!?』

 

 藤尭さんの素っ頓狂な声が聞こえる。

 やはりそうだろう。このモンスターの攻撃力はデュエルの世界に置いて0。

 ならば攻撃するエネルギーそのものが観測できなくともおかしくはない。

 

『遊星君、そんなカードじゃ太刀打ちは…!』

「……物理で殴るだけがデュエルじゃないってことさ」

『は?』

「スピード・ウォリアー! 集合型ノイズに攻撃せよ!」

 

 俺はスピード・ウォリアーに攻撃を指示し、宣言する。

 スピードウォリアーは俺の意志を受け取ったかの様にブースターを再点火させ、唸りながら突撃した。

 

『オオオッ!』

「そしてワンショット・ブースターの効果発動! このカードをリリースすることで、戦闘した相手モンスター一体を指定し、破壊する!」

 

 これがワンショット・ブースターの効果。如何な高い攻撃力を備えようとも、仲間と力を合わせて敵を問答無用で粉砕する、エースキラーとなり得る破壊能力。

 かつて戦いが終わった後、俺は元の持ち主である仲間…ラリーにこのカードを返しに訪れた。

 が、ラリーは首を振って俺にこのカードを託した。

 

 

 ―それ、預かっておいてよ。いつかまた、遊星を助けてくれるって、俺は信じてる―

 

 

 彼の言葉が蘇る。

 

(ありがとよ、ラリー! お前のお陰で、勝機が見えた!)

 

『ハアアアッ!』

 

 スピード・ウォリアーの駿足の蹴りが、ノイズを直撃した。

 予想通り、この攻撃で敵を破壊はできず、見えない壁にハジかれた様にスピード・ウォリアーは跳ね返されて俺の元へと戻ってくる。だが…既に突破口は見えていた。

 俺はさっきのゼロ・ガードナーと同様、ワンショット・ブースターをセメタリーゾーンへと送り、能力を発揮させる。

 

「ワンショット・ブースターをリリース!」

 

 同時にワンショット・ブースターがその翼を展開させて、噴射口を赤く燃え上がらせる。その名の通り、増大した出力がブースターを点火させて、流星のように集合体に突撃した。

 

「行けえええええっっ!」

 

 咆えるように轟音を上げてぶち当たるワンショット・ブースター。

 攻撃を潜り抜けて猛スピードで接近する相手を止める術はなく、集合したクロールノイズは胴体に大きな風穴を開ける。一瞬その動きを停止した敵は、次の瞬間粉々に砕け散った後に炭化して消滅していく。

 

『巨大ノイズ、消滅しましたっ!』

 

 撃破の方に歓喜する発令室の面々と弦十郎さん。

 俺もホッと胸を撫で下ろした。

 

(何とか倒すことができたか…)

 

 それを持ってきてくれたのは……

 

(緒川さん…)

 

 彼は俺の隣で並走しながら、悠々と車を走らせる。

 一体、彼は何者なんだ…? 

 俺がそれを問いかけようとしたその瞬間である。

 

 

『護送車、間もなく薬品工場を通過……っ!? これは!』

『どうした!?』

『波形パターンを照合! ネフシュタンですっ!』

 

 

 三度、俺たちの身体を戦慄が貫いた。

 

 




ニトロ・ガングニールが出ると言ったな。
あれは嘘だ。


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第4話『力と希望は、なお暗き深淵の底から』-5

緒川さんもついにXDに参戦。
そしてやはり忍ぶ気配ゼロ。



 

 

 

 ヒールが邪魔だっ! 

 そう思った私は、思い切り踵を地面に叩きつけた。

 黒く覆われたブーツの踵部分が外れて、白いスーツ部分が露出する。

 

「………ふぅー…はぁー…」

 

 不思議だった。

 こんなに大勢のノイズに囲まれているのに、身体も、呼吸も、私を取り巻いている空気だって軽く感じる。

 あんまりの状況なんで、ついていけなくなっちゃった? 

 違う。

 そうじゃない。

 

(………く、来る!)

 

 一体、ノイズがこっちへと向かってきていた。

 人型が手を振り上げつつ、前進して向かっている。

 私はちょっと体を捻って躱した。

 

 ―次、後ろ! ―

 

 左肘を咄嗟に後ろへ突き出す。

 飛んできた人型ノイズの胸元に直撃した。

 相手は吹き飛びながら炭になって砕けていく。

 

 ―右―

 

 今度はカエルが突進してきた。

 しゃがんでやり過ごす。

 もう一匹、覆い被さるように上から降ってきた。

 重心が前かがみだ。

 足をつかめ! 

 

「でぇやぁ!」

 

 小さな後ろ足が出てたのを見逃さずに両手で握り込むと、私はそのまま起き上がった勢いで投げた。

 途中、突っ込んできたもう一体にぶつかりながら、ノイズの群れに回転しながら衝突した。

 

 ―次は右と左から両方! その後で正面! ―

 

 頭で考えてなかった。

 そんな余裕、あるわけない。

 考えるな、感じろと言った師匠の言葉を、まさに私は感じ取っていた。

 今その場で起きたことを考えたって意味がないんだ。

 今まで動いてきた身体を…生活と、修業で得て染み付いた感触を噛み締めて、心で動くんだ。

 だからガングニールは、今も私に応える。

 

「とめどなくっ! 溢れていくっ!」

 

 空からノイズが降ってくる。

 歌を歌いながら、私は周りの空気を、風を、音を、全身で読み取って動く。

 人型ノイズが今度はフックみたいな爪を出す。

 懐に入りながら凌いで、肩を突き刺すように押し出した。

 

「開放全開!」

 

 叩きつけろ。

 思いをぶつけろ。

 目を開け。

 

「ハートの全部で!」

 

 ここから先に行かせてなるものか。

 遊星との約束は、絶対に守ってみせる。

 

「未来の、っ先へぇえええっっー!!」

 

 殴り込んできたダチョウみたいなノイズの首を掴み上げた。

 そのままブンブンと振り回しながら砲丸投げみたいにぶっ飛ばした。キリモミしながら飛んでいくノイズが砕ける。

 

(大丈夫…まだ歌える!)

 

 私は戦えてる。

 頑張れる! 

 一人でも今は…! 

 

 

「………調子のんな」

「―え?」

 

 

 油断なんてしてなかった。

 もしかしたら、敵を倒したことに浮かれてた…心の底で。

 そう言われたら、ハイそうです、としか言えないけど…

 

 けど、それでも今は出来る事を出来るだけ頑張ってた。

 多分、やれてたんだと思う。

 だからこれは、もっと単純。

 

「ちょせえんだよぉ!」

 

 私が、まだ弱かった。

 

 

「え、な、ああああっ!?」

 

 

 いつの間にか脚に巻きついた鞭が、私の体を持ち上げる。

 虚を突かれた攻撃に、私は反応できない。

 身体が逆さまになったと気付いた時、

 

「うあああああっ!?」

 

 近くの鉄塔に叩き付けられていた。

 そのまま地面まで自由落下し、私の肺から空気が一気に抜ける。

 

「っ…は…かふっ…」

 

 必死に呼吸を整える。

 出て行った酸素を必死に取り戻そうとする。

 ガクガクと足が震えていた。

 視界が一瞬ぐるぐる回る。

 あ、ヤバい。

 これ、ダメなやつだ。

 師匠が言ってた……このままにしといたら絶対に……

 

「とどめだぁ!」

 

 どうなってしまうのか、師匠は懇切丁寧に説明してくれたはずだけど、私は思い起こす作業を途中で中断した。

 結果が見える前に、あの鎧の女の子が上から降ってくるのが見えたからだ。

 

「っ!?」

 

 本能的に、私は身体を捻って躱す。

 さっきまでいた場所が、深々と穴を開けて陥没した。

 

「へ、あの異邦人がいなきゃこんなもんかよ!!」

「っ! ぐぅ!?」

 

(異邦人…って言った…今…!?)

 

 一瞬、耳を貫いた言葉。

 けど次々とその場で繰り出されていく攻撃が、私に考えるのを許さなかった。

 急いで起き上がって、相手を見定める。

 向こうは鞭をしならせ、大きく振りかぶっている。

 あれが直撃して、地面や巨木は砂糖菓子みたいに場っきり抉られていた。捕まったらその時点で終わりだ。

 

(駄目だ……まだシンフォギアを使いこなせてない!)

 

「オラァっ!」

 

 鞭よりも数瞬だけ早く動く。

 それで何とか正解だった。

 

「ほら、どうしたどうした!?」

 

 それでも相手は伸びていく鞭を途中でグイと引っ張り寄せる。まるで生きた蛇みたいに私を追跡してくる凶器。

 

(どうしたら……どうしたらアームドギアが…!?)

 

 翼さんがやられたあの時も、訓練でも、今でもアームドギアが出ない。

 私が弱いからだ! 

 だからアームドギアが出てくれないの……!? 

 

(違う……そうじゃない…!)

 

 師匠や了子さんは言ってた。シンフォギアを扱うのに必要なのは精神力だって。

 奏さんだって、日々訓練はしてたけど、それでも体や腕っぷしなら私とそう変わりないって。

 私の中に『何か』があるんだ。それが、心の中を、そして身体も縛ってる。

 

「逃げるだけか! あのヨソ者がいなきゃ何も出来ねえか!?」

 

 高笑いと、どこか怒りを含んだような大声を上げて、女の子は私を狙ってどんどん攻撃を繰り出してくる。

 今度こそ私は聞き逃さなかった。

『異邦人』に、『ヨソ者』。

 幾ら私の頭が悪いって言っても、こうまで言われたら想像がつく。

 

 

(この子……遊星が別の世界から来たって知ってるっ!)

 

 

 けど……それでも分からない。

 何で、こんな事をするのか。

 私は鞭から逃げ惑いながら、必死にその女の子に呼びかけた。

 

「待ってっ! 待ってよ!」

「っ…!」

 

 鎧の女の子と、一瞬だけ目が合った気がした。

 私は咄嗟に自分も足を止めて叫ぶ。

 

「どうしてこんな事するの!?」

 

 私と同じくらいの女の子。

 それが自分や、何の罪もない人を手に掛けている姿。

 見たくなかった。

 気持ち悪かった。

 内臓を抉られるような、そんな感触。

 古傷が、抉られえていく。

 

「ああ…?」

 

 ピタリと。

 女の子の足が止まった。

 ちょっとだけ過る、淡い期待。話を聞いてくれるのならと。そんな儚い希望に縋った。

 それが傲慢なんだって、自分の気持ちに向き合えなかった私には気付く余裕なんてなかった。

 

「ちゃんと……ちゃんと訳を…っ!」

「眠てえこと言ってんじゃねえぞ」

「っう!?」

 

 風が私の頬を切る。

 少女の腕は、私の腕を鷲掴んでいた。

 

「のぼせんな…のぼせんなああああっっ!」

「うああっ!?」

 

 そのまま力任せにねじられる。

 瞬間、地面を蹴って私は自分の身体を同じ向きに捻った。関節を外されることだけは防いだけど、もうその時に私の身体は地面に思い切り叩きつけられてた。

 

「ああうっ!」

「力もねえくせにむず痒いこと抜かしやがって! 」

「がっ!」

 

 鳩尾の部分を、強く踏まれる。

 胃が逆流するかと思った。

 呼吸を整えなきゃ…! この、ままじゃ…! 

 

「やらせるかよ……っ!」

「っっ……?」

「反吐が出んだよ、てめえぇっっ!!」

「…ぐっ……!」

 

 踏み抜かれた穴が開くんじゃないかと思った。

 けど、何とか留まった。

 この子の……仮面で隠された、口元しか見えない女の子の顔を一瞬だけでも覗くことができたから。

 

(なんで……そんな風に…っ)

 

 人を、壊そうとできるの? 

 違う、そうじゃない。

 知ってる、私は。

 人は簡単に、何かを、誰かを壊せるから。

 その為に酷い人にだってなれる。傷つけることをなんにも思わない奴にだって平然と変身できる。

 でも、この子はそうじゃない! 

 

 

「行かせない……っ!」

 

 

 足を、掴んだ。

 

「なっ…!?」

 

 ジリジリと、足をどけさせる。

 ブーツに包まれた足の、多分小指があるだろう場所を押すようにして、ちょっとずつ浮き上がらせていく。

 

「こ、このっ…!」

 

 向こうも足に力を込めていく。

 手に握った鞭を使えばいいのに、そうしないのは、多分怒ってるから。

 直感的に分かった。この子は、どんなに悪いことをしようとしても、多分、そこから目を背けようとはしない人なんだ。

 だから今だって、私を正面から倒そうとしている。

 

「う…っ…くっぅ……!!」

「て、テメエえええっっ!」

「うああああああっっ!!」

 

 なら、応えなきゃ。

 応えて、ちゃんと話を聞かなきゃ。

 この子は、誰かを意味もなく傷つける人じゃない。

 絶対に、何か理由があるんだ。

 なら、聞き出さないといけないんだ。

 

「であああああっっ!」

「ぐっ!?」

 

 渾身の力が、私の手に強く灯った瞬間。

 私は一気に身体に乗っている足を弾いて押し退けた。一瞬だけ身体をぐらつかせた相手の隙を逃すまいと、私は一気に勢いをつけた状態のままに起き上がった。

 

「チィ……!?」

「はあっ!」

 

 距離を取っちゃ駄目だ! 

 私はまだ、アームドギアを使えない。

 なら私に使えるのは、この拳だけ。

 相手と離されないように……そして、話す為に! 

 

 

(相手の動きを利用する……見て感じろ……考えるな。肌で動くんだっ!)

 

 

 向こうとの間が徐々に縮まっていく。

 もう少し……もう少しだけ近づかないと! 

 

「テメエっ!」

「シャツを捨てる!」

「っ!?」

 

 下へと押し出した両掌が、同じように下から襲ってきた鞭を弾いて地面へと叩き落とした。

 

「このっ!」

「シャツを拾う!」

「…なっ!」

 

 再び鞭が襲ってくる前に、私はそれを両手で掴み上げて持ち上げた。

 相手の力を逆に利用するんだ。

 私が力不足でもいい。

 向こうが強いなら、それを上手く利用して、逆に跳ね返せば…! 

 

「テメエっ!!」

「そのまま羽織って!」

 

 ぐるりと、鞭を掴んだ手を、円を描くように回転させる。

 あの映画の動きだっ! 

 日常の動きをカンフーに取り入れたあの構えを思い出せっ! 

 

「このっ…っ?!」

「脱いで! 枝に! 引っ掛ける!!」

 

 今度は逆回転だ。

 鞭を掴んだまま、私はコマに紐を巻きつける様にしてグルグルと腕を回し続けた。

 接近させられて相手は戸惑っていた。しかも鞭の軌道はしっちゃかめっちゃかに絡み続けた。

 師匠の言葉が蘇る。

 

 

『鞭は少し力を入れるだけで方向を変え、威力を増す恐ろしい武器だ。だがそれだけに、扱うには指先一つまでこだわる繊細な力加減が要求される』

 

 

 その通りだった。

 こっちが少し握り返して力を与えてやるだけで、もうこの武器はまるで暴れ回る子供のように言うことを聞かず、ただ無暗に地面や取り巻きのノイズにぶつかっていくだけだった。

 

「このやっろおおおおおっ!!」

 

 女の子は私の急な動きについていけない。

 だけどついに痺れを切らした。

 力づくで鞭を引っ張り、私ごと手元へ武器を引き戻そうとする。

 

 

 それで……それでいいっ! それでいいんだっ!! 

 

 

『相手に良いようにやられると、敵は焦ってますます前のめりになる。そうなればもうこっちのもんだ。その力を更に利用して、打撃を叩き込めっ!』

 

 

「くっ!?」

「だあああああっっ!!」

「しまっ…!?」

 

 渾身の打撃だった。

 引っ張られる力を利用してもっと相手に近付いて、その勢いそのままに突っ込む。相手はその勢いを殺しきれずに、私に隙を見せた。

 だからその瞬間に、肩をぶつけて相手を弾き飛ばした。

 

 

「……っ!?」

「………あ」

 

 

 筈、だった……

 私の全力だった筈の攻撃が、ネフシュタンの鎧に阻まれて止まっていた。

 相手まで衝撃が届いてない…! 

 気付いた時には、手遅れだった。

 

 

「……っ!!」

「響ちゃん!」

「威力が、足りな……っ!?」

「うらあっっ!!」

「ぐっあっ!?」

「舐めんな…舐めんなあああっ!!」

 

 強烈な頭突きだった。

 ぐらぐらと回転する視界。もう一回、意識が飛びそうになる。だけど、今度はそんな余裕さえ与えてくれなかった。

 肩を掴まれた。

 鳩尾に深々と食い込む相手の膝。

 

「…がっ…!」

 

 血と胃液が逆流する。

 二撃、三撃、私に相手の膝が突き刺さる。

 朦朧とする意識。

 皮肉にも私に何度も突き刺さる痛みが、気絶を押しとどめた。

 

(……このままじゃ…!)

 

 死ぬ。

 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ。

 ダメだ……このままじゃ、もう……

 やだ…絶対に、やだ……

 こんな所で……今場所で……

 何もできずに……終わるなんてこと……

 

「うああああっ!!」

 

 私は叫んだ。

 痛みとは裏腹にあふれ出てくる感情の迸りを止められなくて。

 何時の間にか私は、その堰き止められない気持ちのままに『敵』を掴み上げる。

 

「くっ……!?」

「ううう…っ!」

「この…離しやがれっ!」

 

 向こうも突然の私の変化に戸惑いながら、もう隙を見せようとはしなかった。

 あくまで私を引き剥がして、動きを止めようとしている。

 その時だった。

 

 

「うそ……っ!?」

 

 

 どうして、それに気付いたのかも分からなかったけど。

 後ろの方から、悲鳴が聞こえた。

 さっきまで視界の隅に入れていて、けど戦いの中でそんな余裕は無くなって。

 今もう一回視野に入れた『それ』は、いつの間にか変化を遂げていた。

 

 

「…デュランダルが…!?」

 

 

 後ろで、了子さんが呆然として宙を見上げている。

 上から何か、眩しい光を放っているのが分かった。

 

「何…だと…っ?」

 

 同時に、私への追撃が止んだ。

 ネフシュタンの鎧の女の子も、たった今起こっている変化に目を奪われていた。

 

「あ、れ…は…?」

 

 脚はフラフラしているけど、それなのに、ハッキリ上を見た瞬間に分かった。

 了子さんの足元に、さっきまで私が持っていた筈のアタッシュケースが開いて転がっている。

 それが意味するのは一つだ。

 了子さんの真上…遥か上空で、身の丈もあるくらいの大きな剣のような塊が一本、煌々と輝いていた。

 

「デュランダル…っ!!」

 

 信じられない事だった。

 戦いの最中だったから、どれだけおかしなことが起きているのか、私にはよく分からなかった。

 けど、確かだったのは……

 

 

「そいつは……貰ったあああっ!!」

 

 

 デュランダルが、もうすぐ敵の手に堕ちようとしているという事実だけ。

 女の子が、私を放り出す様にして押し飛ばし、自身がデュランダルに向かって飛び出していく。

 ダメだ。

 あれを渡しちゃいけない。

 約束したんだもん。

 デュランダルは絶対に守るんだって。

 

「ぐぅうう…!」

 

 もう一度だけ……もう一度だけ、あとちょっとだけ! 

 私に力を! ガングニール!! 

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 相手の注意が一瞬だけ私から逸れたのが幸いした。私は急いで追いかけると、あの子の鞭を今度は自分から掴みにいった。

 そしてそのまま自分に引き寄せながら引っ張ると、自然と位置が入れ替わって逆転する。

 

「渡して…やるもんかああああっっ!!」

 

 隙を見せたらいけない。

 相手が動揺したこの一瞬しかチャンスはない。

 私はもう一度、飛ぶようにして地面を蹴った。

 本来ありえない、空中を蹴るという動き。それをいつの間にか、私は成功させていた。

 

「くそおおっ!」

 

 向こうも私を行かせまいと、逆の手の鞭をもう一回伸ばしてくる。

 だけど、間一髪、私の手の方が早かった。

 何とかデュランダルの柄を右手で掴み上げることに成功して……

 

 

「……え?」

 

 私の意識が、黒く塗りつぶされた。

 

「……あ、あ、あ、あ、あ」

 

 

 黒い、冷たい、それでいて熱い、何かが私の中に、潜り込んでくる。私の全身を覆って、喰らい尽くしている。

 これ……何? 

 ただ、触っただけだったのに…どうして? 

 私は叫ぼうとして、気付いた。

 私はもう、とっくにデュランダルに支配されちゃってたんだ。

 

 

「あああ…ぐが、があ、あああああああっっっっううああああっ!!」

 

 

 叫んだ。

 黒くて、汚くて、醜くて、熱くて。

 それなのにどこか気持ち良くて、吐きそうなのに、もっと味わいたい。

 この衝動に抗いたいのにそれが出来なくて冷たいジメジメした感触が頭から下へとどんどん押し寄せていった、あ、ダメだ見てられないでも見えてきちゃう、声がする、私に、私に、私に、私に、私に、わたしに、わたしに、ワタしニ……

 

 

 

「そんな力……見せびらかすなああっっっ!!」

 

「ガアアアアアアァァァッッッッッ!!!」

 

 

 

 視界が、黒く塗りつぶされる時に、

 あの子の姿が見えた。

 けど、私はどうでもよかった。

 むしろ……ありがとうって、感謝した。

 敵意を向けてくる、目を血走らせたあの子が、堪らなく憎かったから。

 それを晴らせる喜びに。

 思いっ切り、感謝した。

 

 

「っ…な、あ、あ…」

「アアアアアアアhaaaaaaaaaaa!」

 

 

 デュランダルを思い切り、あの子に振り下ろしたところで…

 私の記憶は、途切れた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 

『ガングニール、交戦続いていますっ!』

『Dホイール、装者との合流まで残り70!』

 

 藤尭さんと友里さんの声を聞きながら、アクセルを吹かす。

 ノイズを片付けた直後、後処理を緒川さんに任せた俺は、急ぎDホイールを駆り、響たちがいるであろう薬品工場へと向かっていた。

 冷静さを欠いていた訳じゃなかった。

 響は、訓練を可能な限り詰んできた。デュランダルを無抵抗に奪われるという事はないと、確信さえあった。

 しかし、激昂していたとはいえ、翼でさえ手玉に取ったネフシュタンが相手では、どれだけ持ちこたえられるか分からない。対抗するためには、どうしてもフォニック・シンクロの力が必要になる。

 

(…なんだ、この、嫌な予感は……)

 

 ネフシュタンの反応を検知した後で、響や了子さんの通信は途切れてしまった。

 通信機器の故障か何かだろう。

 それに彼女が相手では、響も余裕はない筈だ。

 だが……違和感を覚えた。

 本当に強敵がいるだけなのだろうか……

 

『遊星君、響ちゃんとの合流まで、残り50!』

「了解っ!」

 

 友里さんとの交信を継続しつつ、心の底に残った嫌な予感を払拭し続けた。

 今はただ、彼女との合流を最優先に考えるんだ。推論や計算は後でも出来る。

 今はできることを全力でやるしかない。

 その考え自体は間違ってはいなかった。

 ただ、タイミングが遅かっただけだった。

 

『こ、これは……!?』

「藤尭さん、どうした…?」

『…励起を確認、おまけに……フォニックゲインまで観測……嘘だろ…デュランダルが起動してる!?』

「なにっ!?」

 

 叫ぶのを抑えきれなかった。

 まさか、この土壇場で、完全聖遺物が起動したというのか……? 

 完全聖遺物の軌道には、他の聖遺物を起動させるのとは比較にならない程の膨大なフォニックゲインを必要とする。了子さん曰く、風鳴の全力でも成功の可能性は低い。

 それが、此処まで来て起動した…

 

(まさか……響が…)

 

 その答えに行きついた時だ。

 突如、前方で空が輝いていた。

 

「っ!? 何なんだ、一体!!?」

『藤尭っ! 何があった!?』

『分かりませんっ、観測及び計測が不能!! 全部の機器が死んでますっ!』

『なん…だとっ!?』

 

 絶句する弦十郎さん。

 次の瞬間。

 地面が轟き、揺れあた。

 

「う、うああああっっ…!!」

 

 まるで巨大な地震でも起きた様な衝撃が、地面を伝わって俺の身体とDホイールを揺らす。

 奈同様に衝撃は周囲にも伝わり、辺り一帯の建造物や辺りに停まっている車や自転車さえも揺らして、時には薙ぎ倒していく。

 

「……っっ!」

 

 ハンドルを何度も切って、その揺れと衝撃を捌きながらも、一際輝いている前方を凝視する。

 上空の光は尚も輝きを増していき、それと共に衝撃もまた強くなっていく。これはまさか……デュランダルの力なのか……? 

 いや、藤尭さんがデュランダルの軌道を確認したと同時に起きたこの現象……そうとした考えられない。

 

 更に……シグナーの痣が、衝撃をキッカケにしたかのように浮かぶ上がり、煌々と光を放ち始めていた。

 

 

 

「っ!? 腕の、痣が…!?」

 

 

 瞬間、俺達の耳を貫いたのは、これ迄の戦闘でさえ聞いたことが無かった爆音だった。まるで怪物の叫び声にも似たその轟音は、周囲を叩き伏せ、蹴散らすように響き渡る。

 

「あの爆発は……!?」

 

 火か…違う、巨大な光の柱だった。

 そして、俺の胸のザワツキを助長するかのようなこの疼き……俺に、危機を知らせているというのか。

 

 

「くそ……っ!」

 

 

 その瞬間にフラッシュバックしたのは、風鳴の血を流して倒れた時の姿だった。

 

 

「響! ひびきぃーーッッ!」

 

 俺は叫んでいた。

 何が起こっているのか分からない中で、決死の覚悟で俺はDホイールを加速させた。

 彼女の身に何かがあった事だけは、紛れもない事実だ。

 それは赤き竜が俺に伝えてくる感触。

 仲間に迫る窮地だった。

 

(頼む! Dホイールよ! もっと速く、速く走ってくれっ!)

 

 モーメントは、人の意志を読み取って力に換えるエンジン。

 だが、幾ら俺が速く走れと願っても、すぐにフィードバックはできない。

 何故なら他の回路やプログラムが人の手によって編まれた物である以上、限界が存在するからだ。

 その限界を超える術は、カード達を失ってしまった今の俺では発現できないでいる。

 

『友里、遊星君の合流は?』

『残りあと20!』

 

 今ここでノイズに襲われれば一巻の終わりだっただろう。

 それさえも忘れ、今俺は全力で響の元へとDホイールを走らせていた。1時間にも2時間にも思えるような長い長い時間の感覚。

 最悪の事態が脳裏をよぎっては無理矢理にかき消す。そんな行為を何回繰り返した事だろうか。

 

『っ…センサー各種、正常に戻りました。フォニックゲイン、観測できません』

 

 しかし、俺達の意志に関わらず、物事は動いていくものだ。

 やがて衝撃や轟音が去り、さっきまでの激動は嘘のように消えて静寂が辺りに立ち込める。

 藤尭さんが急ぎ、周囲の状況を索敵し直す。

 だが俺の焦りは拭えないままに、Dホイールの加速を緩ませず進み続けた。

 やがて、薬品工場が見えたことで、その不安は更に加速した。

 

 

「何だ……この惨状はっ…!?」

 

 

 それは、最早廃墟だった。

 

(風鳴が放った絶唱と同等の威力……いや、もしかすれば、それ以上の……!!)

 

 あちこちから黒い煙がもうもうと立ち込め、建物は無事なものを探すのが逆に難しい。

 そこかしこから流れ出ている薬品の異臭が鼻を突く。

 先程の発せられた光と衝撃が、工場内の化学物質の爆発を引き起こしたのだろうか。

 

「あれは……っ!?」

 

 その時だ、前方でこちらに向かって手を振っている姿が見えた。

 比較的、爆発の影響がない箇所だ。

 俺は一直線にDホイールを走らせる。

 やがて人影は大きくなり、それは俺の良く知る人間だと気が付いた。

 

 

「おーい、遊星くーんっ!」

「了子さん!」

 

 

 さっきまで共にいた仲間の声に、俺は僅かながら安堵した。

 彼女に外傷はまるでない。

 声の様子から判断しても、恐らく平気だろう。

 

(無事だったか…っ)

 

 俺はDホイールを止めて、しゃがみ込んでいる了子さんの元まで歩み寄る。

 しかし、次の瞬間、凍りついてしまった。

 

「響っ!?」

 

 了子さんは視線を下に降ろす。

 彼女がしゃがんでいたのは、響を介抱していたからだった。

 ギアが解除されて、元のリディアンの制服姿に戻ってしまっている。

 僅かに苦悶の表情を見せているその姿に、慌てて駆け寄ろうとした。

 

「大丈夫よ。多分、一時的な脳震盪だから、すぐに目を覚ますわ」

「脳震盪…?」

「デュランダルを起動させたことによる、反動ね」

「起動だって…!?」

「ええ」

 

 そう言って、了子さんは周囲に目をやる。

 そこには、最早施設としては機能できない程に破壊されてしまった工場が広がっている。

 

「これが……起動した完全聖遺物…『デュランダル』の力よ」

 

 俺は戦慄した。

 実体化したデュエルでも、これほどまでの被害を出したことは殆どなかった。

 しかも、こちらで計測されたエネルギーの展開は一度きりだった。

 つまり……たったの一撃で、この工場をここまで完膚なきまでに破壊したというのだろうか…

 これは、本当に悪魔や神の領域だ。

 それを……

 

「………」

「響……」

 

 この少女が、一人で引き起こした。

 古の力を借りたとはいえ……

 

「……デュランダル」

 

 圧倒的な破壊をもたらした伝説の剣は、金色の光を取り戻し、太陽の光を受けて輝いている。

 それは復活したことの歓喜なのか。あるいは俺の感傷か。

 それでも、力を宿したその一振りは、ただ沈黙を守るのみだ。

 

 追いついた緒川さん達の車のエンジン音と排気音が、周囲にこだましていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 

 次回予告

 

「私は、ゴールで立ち止まっちゃ駄目なんだ!」

 

 デュランダルの暴走に責任を感じた響は、更なる力を求めて邁進する。

 だが、それは新たな崩壊への始まりだった。

 繋がる心と、薄れゆく絆の形。

 その傍らで、俺は見守ることしかできないのだろうか

 いや、そんな事はない。

 俺はこの世界、そして……君の力になると誓ったのだから。

 

 力を貸してくれっ! ニトロ・シンクロン!! 

 

 次回 龍姫絶唱シンフォギアXDS『兆しの行方は、集いし想いの果てに』

 

「か、風鳴の病室が……一体、何があったんだ!?」

「遊星は見ちゃダメえええっ!!」

 




今回響はシャツを拾ったり書けたりする動きを見せていますが、これは勿論、カンフーの名役者であるあの方の作品に出てくる技術です。


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第5話『兆しの行方は、集いし想いの果てに』-1

XV面白かった〜
まさにシンフォギアの集大成でしたね

これを機にまだまだシンフォギア熱はオーバーヒートします。



 デュランダル護送任務は、結論のみを簡素に言えば、失敗に終わった。

 ただし、俺達は不利益を被った訳でもなく、寧ろその意味では成功とも言える。

 デュランダルは、元より機動部二課の管轄だった。それを政府が横やりを入れる形で自らの手元に置きたがっていた。

 しかし、この計画を後押ししていた広木防衛大臣が暗殺されたことによって、デュランダルの管理責任が曖昧となってしまい、話は混沌とした。

 

 

(結局、元の鞘に納めて、二課に保管と保護を任せると言う形に戻ったはいいが……)

 

 

 ……ややこしい話になるが、要は己の保身しか考えない連中が、厄介ごとの種を俺達に押し付けただけなのだ。

 永田町でデュランダルをそのまま守っていれば、そこに出入りする役人たちも狙われかねない。命の危機に晒されるくらいなら、と彼等は俺達に大任を押し付けた訳だ。

 

 

(……どこの世界でも、他人を利用し、蔑むという性は変わらないという事か……)

 

 

 分かってはいた事だ。

 俺達の世界も、Z-ONEが危機を知らせなければ破滅へと突き進んでいた。

 しかし、人がいがみ合い、紛争や内乱が起こったりする規模と頻度は、俺達の世界と比べても、多いとさえ感じられる。

 

 

(この不和の根源は、どこから……)

 

「ねえ、不動先生」

「……え?」

 

 

 ふと、そんな事を考え込んでいた時だ。

 正面の中年の男性に声を掛けられ、思考は中断された。

 

「街のお好み焼き屋のテレビ直したんだって?」

「ええ、まぁ……」

 

 今、話しかけてきたのは、リディアン音楽院の、食堂の調理主任だ。

 政府が管理・運営している国立学校だけのことはあり、施設や人員は最高のものが揃えられている。この広い食堂もその一つで、出される食事も学校設備とは思えないほどに美味い。

 俺も非常勤講師ではあるが、ここで教鞭をとる以上、その恩恵にあずかることができるのだ。

 

「どうしてそれを?」

「あそこのおばちゃんとは古い仲でね。それで、どうだろう? ここの厨房の換気扇も、なんか調子悪くてさ。業者も立て込んでて、修理遅れちゃうって言うし、よかったらなんだが…」

「良いですよ、俺でよかったら見ます」

「本当に? いやぁ、助かるよ!」

 

 豪快に笑う調理主任。闊達な人柄で、生徒たちにも受けがいい。女子ばかりが通うこの学校では、これくらいがちょうどいいのかもしれない。

 

「おじさーん、こんにちはー」

「おう、おはよう。Aランチでいいかな?」

「はい!」

「………」

「あ……お、おはようございます」

「……ああ、おはよう」

 

 俺はと言えば、あまり生徒との関係は良好とは言えない。

 最初は仕方ないと思っていたが、距離を置かれ過ぎても居心地が悪い。

 何よりこの間の様に妙な噂が立っては、弦十郎さん達に迷惑をかけることとなる。

 

(不動先生って暴走族だったんでしょ?)

(え、そうなの?)

(なんかゴツいバイク乗り回してるの見た子がいるんだって)

(えー、ホント?)

(それで竜のイレズミってマジヤバいじゃん)

 

「……」 

 

 あながち嘘ではない。ギャングの真似事をしていたのは事実だ。

 尤も、あの頃の俺達がやっていたのは、閉鎖された世界に押し込められた中の、遊びの延長みたいなものだ。

 別にあそこまで不安を煽られる様なモノでもないとは思うんだが……致し方ないか。

 

「先生、どうしたんだい?」

「あ、いえ…何でもありません」

 

 心が引き摺られないかと言えば、それは嘘だ。

 もう少し、教師として、彼女達と距離を狭められればとは思うが……

 

 

「あ、おじさーん。Bランチくださーい!」

「ん?」

 

 

 その時、ふと後ろから快活な少女の声が耳に飛び込む。

 思わず振り向くと、そこにはよく見知った顔が一人、カウンターまで駆けこんでくるところだった。

 

「あ、遊……じゃない、先生! おはようございます」

「ああ。おはよう、立花」

 

 立花響。

 俺がこの世界で絆を深められた少女であり、恐らく学園内で最も信頼している子だろう。

 デュランダル護送の時には、完全聖遺物であるデュランダルを土壇場で起動させ、ネフシュタンの少女を退けることができた。

 その反動で、しばらくは疲労困憊となり動けずにいたが、すぐに復帰して、今では早朝のランニングもこなせるほどまで回復している。

 

(驚異的なまでの回復力だな。やはり、聖遺物であるガングニールと融合状態にあるお陰なのか……)

 

 

「響、幾らお腹空いてるからって、はしゃぎ過ぎ」

「ごめーん、もうお腹と背中がくっ付きそうで」

「もう…あ」

 

 

 と、ぼんやり考えている時、響の後を追いかけるようにして、黒髪の少女が一人、食堂の入り口から姿を現した。

 

 

「おはよう、小日向」

「お、おはようございます……」

 

 

 しどろもどろに返事を返す少女。

 彼女…小日向未来は、響の小学校以来からの友人らしい。どんな時でも側にいて、お互いに大親友だと言える間柄だと、響は満面の笑みで語っていた。

 とは言え、突如この学校に来た正体不明の教師には、未だに心を許せるほどではないのだろう。

 お互いに気まずい雰囲気があるのを、何となく察してしまう。

 

「……」

「あ、そうだっ、遊……先生」

 

 そんな時だ。知ってか知らずか、響が俺に声を掛けたのは。

 

「もし良かったら、朝ごはん一緒に食べませんか?」

「え?」

 

 突然の申し出に俺は目を丸くする。隣ではやはり小日向が驚いたように響を見ていた。

 

「……俺は別に構わないが」

「じゃあ、私先に席取っときます。未来ごめん、私の分貰っといて」

「ちょ、ちょっと響っ」

 

 自分の分のトレイを小日向に押し付けると、響はあっという間に食堂の隅の方まで走り出してしまう。俺達はキョトンとしながらその様子を見つめていた。

 これは……もしかしなくても、俺が浮いているのを案じているのだろうか。

 

「……」

 

 そう思った時、ふと小日向と目が合った。

 

「……良いのか?」

「あ……べ、別に私は、大丈夫です」

「そうか。すまないな。気を遣ってくれて」

「いえ……」

 

 やはり戸惑いがちに、小日向は視線を外すと、料理長から出来上がったランチメニューを二人分受け取っている。

 その表情からは、何を慮っているのか、上手く読み取れない。仕方のない出来事と言えば、その通りなのだろう。

 しかし、俺は彼女と響との関係と言うものを、この時にはまだ知らなかった。

 いや……甘く見ていたのだろう。

 

 響と、小日向。

 

 この二人の繋がりは、まさしく『絆』であり……響にとっては、世界の全てだった

 

 

 

 第5話  『兆しの行方は、集いし想いの果てに』

 

 

 

「どう…?」

「コンビレンチを取ってくれるか?」

「あ、はい」

 

 私は言われた通り、遊星の工具箱の中から柄に穴の開いたスパナを取り出して手渡す。

 学園の食堂の奥……厨房の中、脚立に乗って換気扇を除いている遊星は、それを握りしめると、再び奥でカチャカチャと部品をいじくり始めた。

 

「……ああ、ここか」

「?」

「ペンルーターを」

「あ、はいっ」

 

 放課後、食堂の修理をするという遊星に、ついつい手伝いをする、と意気込んでついてきてしまったけど、案の定何をやってるんだかサッパリ分からない。

 私に出来ることと言えば……

 

「いや、悪いねえ。生徒にまで手伝わせちゃって」

「いいえ、気にしないで下さい。好きでやってるんですから」

 

 遊星が修理している間、換気扇のパーツの油汚れを取ることぐらいだった。

 流石に長い間付けっぱなしだと、かなり汚れが酷い。

 けど、こういうのを掃除するのはテクニックより寧ろ根気だ。この手の作業なら私は自信がある。

 

「よし……響、ストリッパーを頼む」

「す、すとりっ…!?」

「? そこのハサミみたいな奴だ」

「あ、ああ、これね…はい」

 

 時折脱線しながらも、作業は順調に進んだ。

 小一時間経つ頃には、換気扇は元通り、綺麗に直っていた。

 汚れもかなり落ちて、新品みたいにピカピカなのを見ると、ちょっぴり私も誇らしくなる。

 

「おお、直ってるよ! ありがとう!」

「長年使用して、大分ゴミが溜まってたみたいですね。それと軸が歪んでいて、配線に影響していたみたいです」

「あらら、そうだったのか…どうりで変な音がすると思った」

「他の部分も錆びて脆くなった箇所が幾つかありますから、それはまた改めて直します」

「そうかい? いやぁ、不動先生がいてくれて助かったよ。ありがとね」

「いえ、この位は」

「立花さんもありがとうね。わざわざこんな時間まで付き合ってくれて」

「いえ。元通りになってよかったです」

 

 満面の笑顔でお礼を言うおじさんに、私もつられて笑顔になって返す。

 こうやって誰かの役に立てることを実感できる瞬間って言うのが、私にとって何よりも幸せな一時だった。

 恨んだり憎んだり、そんなのが一切無い空間。ここでは皆が幸せな雰囲気に浸っていられる。世界中がこういう空気に包まれれば…なんて、私は性懲りもなく思う。

 

 

「お礼に、おじさん秘蔵のデザート、コッソリ二人にご馳走しようかな」

「え、いいんですかっ? あ、でも、別に何もそこまで…」

「いやいや、大したことじゃないからさ。これ位はさせてくれよ。ね?」

 

 

 そう言っておじさんは、いそいそと大きな冷蔵庫へと向かっていく。

 何とも言えず気まずそうな雰囲気の遊星だったけど……

 

「…いいんだろうか?」

「う~ん…おじさんもああ言ってくれてるし、折角の好意なんだし、いいんじゃないかな?」

 

 確かにお礼が欲しくて人助けをしたいわけじゃない。

 けど、でも、折角美味しいデザートをくれるって言うなら、それはそれで欲しいよね。

 決してデザートと言うワードに心惹かれたわけではないのです、ハイ。

 

「助けられてばっかりじゃ、相手だって心苦しくなっちゃうよっ」

「……そういうものか」

「そうだよ! …って、もしかして、遊星甘いモノ苦手?」

「いや。糖分は頭に良いからな。それなりに食べる」

 

 へえー、と私は意外そうに頷いた。

 遊星にもそう言う可愛い所があるんだ。

 学校の皆も、その辺りを知ってくれたら、好感度上がるんじゃないかなぁ…

 

「どうした?」

「ううん、何でもない」

「そうか…疲れてるなら言ってくれ。無理につき合わせてしまったからな」

「そんな事ないよっ。それより、遊星の方が疲れたでしょ? 脚立に乗って作業しっぱなしだったんだから」

「俺は問題ないさ。思ったより換気扇も壊れてなかったからな。あれ位なら、少しの部品交換で何とかなる。それより…」

 

 

 そう言うと、遊星は厨房に置いてある道具を色々な角度からじっくりと見まわしていた。何をしているんだろうと私が首を傾げると、フライパンを一つ持ち上げて、うんうんと頷いていた。

 

 

「やっぱり、調理器具も幾つか痛んでるな」

「え…そうなの?」

「ああ。今度来た時にでも修理することにしよう」

「……」

 

 目を丸くしていた。

 手先が器用なだけでも凄いのに、遊星は私よりもずっと視野が広かった。

 それだけじゃない。知識や技術を持っている事だけじゃない。

 それを余すところなく、誰かの為に躊躇わずに使えることだった。私はいつだって空回るけど、遊星はそれが一番大切なことだって解ってるから。

 例え、世界に一人で放り出されたとしても。

 

「遊星は凄いね。色々な事を知ってて、それで人助けができるんだもん」

 

 ポツリと、いつの間にか私は呟いた。

 

「響?」

「私も……遊星みたいに頑張らないとなぁ」

 

 そう。私は、何もかも足りない。

 遊星みたいなメカニックの腕前も無ければ、強さだって翼さんや師匠に遠く及ばない。身体も、技も、力も、まだまだだ。もっと強くならないと、沢山の人を守れない。

 

「響は頑張ってるさ。十分すぎるほどにな」

「それじゃ、駄目なんだよ」

 

 私は拳を握りしめながら言った。

 

「私、もっともっと強くならなきゃ」

 

 出ないと、また『あの時』みたいなことが続いちゃう。

 

「……護送任務のことを気にしてたのか?」

 

 遊星は静かに言う。

 心の奥を、言い当てられた気がした。

 私は頷いた。

 

「うん……きっと、そうだったのかな」

 

 だからわざわざ、放課後に遊星についてってまで、人助けに拘ったんだと思う。

 

「私がデュランダルに触れたせいで、あんな事になっちゃって……」

 

 あの護送任務のあった日のことを思い出した。

 私と、あのネフシュタンの鎧を着た女の子との戦いで、私はピンチに陥ってた。

 その時、ふとした拍子に起動してしまったデュランダル。必死に捕られまいと掴んだその手は、次の瞬間、大勢の人を消し飛ばす破壊の凶器へと変貌した。

 

「それは響、お前のせいじゃない。了子さんも言ってただろう。完全聖遺物の力は未知数なんだ。起動したデュランダルがどういう性質を持つのか、あの時は誰にも分からなかった。お前の気に病むことじゃない」

「それでも、だよ……」

 

 しょうがないじゃ、済まされなかった。

 デュラダンルを掴んだ時、私の中の意識は黒く塗りつぶされた。

 曖昧な言い方でしか表現できないけど、了子さんが言うには、危機意識や恐怖をデュランダルが増幅してしまった。

 破壊衝動に支配された私の身体は、真っ先に襲い掛かってきたあの子にデュランダルを振り抜いた。

 

「怖いのは、支配されちゃったことじゃないんだ。それで、躊躇いなく、あの子の剣を向けちゃったこと……」

 

 デュランダルの一撃は、あの工場を跡形もなく消し飛ばしてしまった。

 もうあの場所は使い物にならないと、後で聞かされた。

 師匠や了子さんは気にしなくていいと言ってくれたけど……あとちょっとで、その了子さんさえ巻き込んでしまうところだったんだ。

 

「負けないだけじゃ、相手に勝つだけじゃ、何にも意味がないんだって、思い知らされた……私は、ゴールで終わっちゃダメなんだよ」

「……」

 

 強くならなくちゃ。

 師匠や遊星が言ってくれる所よりも、もっと先へ進まないといけない。

 皆を守れるように。約束を守れるように。

 その為に、私は装者になったんだから。

 

「………分かった」

 

 黙っていた遊星は、真面目な面持ちで、ゆっくりと頷いてくれた。

 きっと、私のやりたいことは、ワガママなのかもしれない。遊星や師匠、了子さん達が協力してくれるおかげで、私は頑張れてる。

 だから、それなら尚更、頑張らないと。

 

「ただ、無理だけはするなよ」

「うん。大丈夫、師匠にもちゃんと相談するし、睡眠もしっかりとってるから」

「それだけじゃない。一人だけで危険を冒そうとしないでくれ」

 

 そんな私を、遊星は見守ってくれる。

 見てくれた上で、一緒に走ろうと言ってくれる。

 

「俺達はチームだ。一緒に強くなって、一緒に戦うんだ」

 

 そうだった。

 力だけに溺れた人間がどういう末路を辿るのか、師匠の見せてくれた映画で嫌と言うほどに勉強した私には、遊星の言っている意味が分かる。

 それに遊星も、一人だけでは戦えない。皆で戦って、皆で勝たないと、意味がないんだ。

 

「俺のカードも、一枚だけでは強くなれない。皆との絆があって、初めて意味を成す。それには響、お前の力が必要だ」

 

 そう言った遊星の目は、とても暖かい。

 こんな私でも…色んなものを壊してしまった私にも、意味があると言ってくれる。

 

「……うん。ありがとう」

 

 それが、私にとって一番の救いだった。

 この時までそう思ってた。

 一番大切なものがすっぽ抜けてたのに。

 

 

「おーい、二人とも待たせたね」

 

 

 けど、おじさんがお皿を持って戻ってきたから、私の考えは中断された。

 

「うわぁ! 美味しそう!」

「はっはっは、そうだろう」

「……確かに旨そうだ」

「『旨そう』じゃなくて、ホントに旨いぞ、これは」

 

 アッハッハ、と豪気に笑うおじさん。

 と、更に続けておじさんの言った言葉に、私はもうさっきまでの考えを再開することも忘れてしまった。

 

「ああ、そうだ先生。さっきトレイの間に挟まってたんだけど、これ何だか分かるかい?」

「え?」

「誰か生徒が落としたのかな…?」

 

 ぼんやりそんな事を考えた時、おじさんは手に持つ落つ『それ』をひょいと差し出して見せる。

 視界に入った瞬間、私は仰天して「あっ!」と叫ぶのをなんとか堪えた。

 

「…どうしてここに」

「あれ? もしかして、これ先生の持ち物かい?」

 

 遊星は落ち着いているように見えたけどそうじゃなかった。

 驚きの余り声が出なかったんだ。

 当たり前だった。

 あれ程に探して見つからなかった遊星のカードがまた一枚、こんなふとした日常の合間に見つかったんだから。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 食堂でお菓子をご馳走になった後、私達は人の少なくなった校舎を、中庭へ向かって歩いていた。

 話題はもちろん、さっき料理長のおじさんから受け取ったカードである。

 

「……『カード・フリッパー』」

 

 今まで見た様なモンスターカードとは違う、緑色に縁取られたそれをジィーッと見つめながら呟く。

 

「今までのカード達と種類が違うんだよね?」

「ああ。デュエルモンスターズで使うのは基本的に3種類ある。モンスターカード、魔法カード、そして罠カードだ」

 

 私は遊星からちゃんと『でゅえる』のルールは教わらなかった。

 戦い始めた時に、余計な知識をつけさせるのも混乱させてしまうと考えてのことだった。

 ただ、私達のコンビネーションの為に、一応は知っておいた方がいいかもしれない。

 

「直接、敵と戦う力を持つのがモンスターカードだ。それに対して、プレイヤー…つまり俺が直接使う魔術の力が込められたカードを魔法カードと言う」

「ふーん…この前使ってた『ドミノ』もそれだよね?」

「そうだ。そして罠カードが、この赤色のカード達だ。文字通り相手を罠に掛けたり、奇襲をかける時に使われる」

「む、難しい…」

「本当なら、もっと細かく分類される。速攻魔法、永続罠にカウンター罠…」

「あーやめて止めてやめて止めてやめて止めてぇー」

 

 ごめんなさい、ナマ言いました…! 

 私が文字通り頭を抱えたので、遊星も中断する。

 うぅ、私こういうゲームとかの解説は余計苦手なんだよねぇ…! 

 

「そうだ、カードって言えば…」

 

 何とか話題を切り替えようと思った時。

 ふと気付いて顔を上げた。

 

「遊星のカード達、その前に戻ってきたんだよね? それも二枚も」

 

 それはデュランダル護送任務の際、窮地に陥った遊星に届けられたカードだった。

 遊星は胸ポケットからそれを取り出すと、私に見せる。

 

「ああ、これだ」

 

『ゼロ・ガードナー』…そして『ワンショット・ブースター』と書かれたカード達。

 

「緒川さんが届けてくれたんだよね?」

「ああ」

「凄いね、私達が戦っている間に、ちゃんとカードを探してきてくれたんだから」

「……」

 

 私の言葉に、遊星は黙ってしまう。

 実は私のいうことは、この時は少し間違っていた。

 

「遊星?」

「どうも、緒川さんが外から探してきたわけではないらしい」

「え?」

「新聞紙に挟まっていたそうだ」

「しんぶんしっ…?」

 

 すっとんきょうな声が出た。

 つまりそれは……もしかしなくても…

 

「って、まさか、私が読んでたあの」

「翼の記事の載っていたスポーツ紙だ」

 

 こくんと頷く遊星。

 あの時に私が気分転換にと広げていたあの新聞…その隙間に挟まってたらしい。

 私は唖然とした。

 

「全然気付かなかった…」

「いや…幾らなんでも二枚も挟まっていて気付かないのはおかしい」

 

 遊星の言う通りだった。

 私だけならただのドジで済む話かもしれない。

 けど緒川さんまでいてその場で気付かないはずが無かった。

 それに今まで見つかったカードも、変な見つかり方だった。

 

「つまり……どういうことだろ?」

「分からない…だが、単純に探せば見つかる、という事でもないようだ」

「うーん…?」

 

 どうしようもないと思いつつ、またしは首を傾げる。

 要は、普通の探し物みたく落としちゃったとか、どこかへ飛ばされたとか、そういうことじゃないらしい。

 そもそも……カード達は遊星がこの世界へ来た時、どうやっていなくなってしまったんだろうか。

 初め、遊星は異世界へワープした衝撃で飛ばされたって言ってた。けど、そう言う単純な話じゃあ多分なくて……

 

「もしかすると…考え方が違うのかもしれないな」

「考え方?」

 

 私はおうむ返しに尋ねると、遊星は頷きながら口を開いた。

 

「つまり、カードを俺達が探し当てたのではなく……」

 

 と、その時。

 私のポケットからアラームが鳴る。

 二課から渡されてる非常用端末。

 一瞬、私達に緊張が走る。これが鳴るのは、いつもノイズが出現した時だった。

 けど、それなら遊星の持ってる端末も鳴るはずなんだけど…。

 

「……もしもし?」

『響さん? 緒川です。今、少しよろしいですか?』

 

 緊迫した雰囲気の中、端末から聞こえてきたのは予感していた師匠の声ではなく、さっきも話題になった遊星のカードを届けてくれた人。

 

「緒川さん? 何かあったんですか?」

『いえ、急を要する類ではありません。あとで、遊星さんにも伝えて頂きたいのですが…』

「遊星なら今、隣にいますけど…」

『そうですかっ。それはありがたいです。お二人に、是非お願いしたいことがありまして』

「…え?」

 

 どうもよく分かんない。

 話し方からして、多分ノイズが出たとかじゃないみたいだけど…。

 

『実は、翼さんの容態がこの頃はかなり安定してまして。松葉杖を使って歩く程には回復できました』

「ホントですかっ?」

『ええ』

 

 緒川さんのその連絡は何よりも嬉しかった。

 まだ万全じゃないけど、生きているだけで何よりだ。

 それに最初は無事な箇所を見つけるのが難しいくらいの超重傷だったんだから、もう起きて歩けるなんて凄いよ。

 

「じゃあもしかして、もうすぐ退院とか…」

『ええ。このまま行けば、なんですが…』

「え?」

 

 緒川さんの言葉は妙に含みがあるように聞こえる。

 

『実はですね、ここまで回復が早いのは、医者も舌を巻くほどの翼さんの精神力のお陰なんですが…』

「何か、まずいんですか?」

『まずいというか、何というか……やり過ぎちゃうんですよ。順調過ぎる位なのに、本人はまだ足りない、もっと早く復帰しないと…と考えちゃうんです』

 

 つまり、幾らなんでも頑張り過ぎは身体に毒だ、と言うことらしい。

 今朝も看護師さんに見咎められて無理やりに近い形で病室に戻されたんだって。

 

「そんな事して大丈夫なんですか?」

『勿論、他の人ならアウトですけど。翼さんの場合、それで怪我がどんどん治っていくのが凄い所でして…』

「……」

 

 絶句する、と言うのは多分こういう感覚なんだな。

 私も、二年前の怪我でかなりリハビリをやったけど、今思えばよく耐えられたと思う。

 身体中が痛かったし、辛くて何度も泣いた。もう投げ出したくなったことも一度や二度じゃない。

 けど励ましてくれる未来の為、家族の為、私を助けてくれたツヴァイウイングの為に、何とかやり遂げることが出来た。

 けど翼さんは、それよりももっと酷い重傷から、もう立ち直ろうとしている。

 戦士の…防人としての心構えの…想いの差に、私は軽いショックを受けていた。

 

『響さん?』

「あ、ごめんなさい。何でもないです」

『けど、流石に病院の目を盗んで動き回るのはいけません。なので、しばらく安静に、と僕の方から釘を刺しておいたんですよ』

「釘を刺すって……まさか、物理的にじゃないですよね? あの影にナイフを突いて動けなくなる…」

『……』

「お、緒川さん?」

『さて、それでお願いと言うのはですね』

「は、はいっ」

『翼さんの様子を見てきて欲しいのです。また妙な事をしていないかどうか』

 

 私は電話越しに目を瞬かせた。

 要は翼さんがまた無理をしていないかを確認して欲しい、という事だろうけど。

 それってつまり……

 

「お見舞いってことですか?」

『端的に言うとそうなりますね。僕以外にお見舞いに来てくれる人がいれば、きっと翼さんにとっても励みになりますから』

「僕以外にって……」

 

 他の人はいないんですか? 

 そう訊こうとして、咄嗟に口を噤む。

 

(そうだ……翼さんは、学校でも一人だったって言ってたっけ…)

 

 防人しての使命でもあるし、アーティストとしても、友達を作る余裕なんてない。

 家族だって、叔父さんにあたる師匠は二課の司令としての仕事があるし、確か今日も亡くなった広木防衛大臣の繰り上げ法要とかで出掛けてる。

 

(他の家族の人は……お母さんとかお父さんは……)

 

 訊けない。

 緒川さんがわざわざこんな風に言うってことは、きっと事情があるんだ。

 けど、一つ分かったのは、翼さんはきっと寂しいという事。

 血の涙を流して…今もなお、奏さんを想うあの人なんだから。

 

「……私なんかが行って、大丈夫ですか?」

『響さんだから、行ってほしいんです。きっと、翼さんも喜びます』

 

 そう言う緒川さんの言葉は、どこか力強かった。

 決して気遣ってるんじゃない。もしそうだったらわざわざ連絡しないだろうし。

 それに……

 

『もし可能ならば、遊星さんにも行って頂ければと思います。お忙しいようでしたら、また後日にでも…』

 

 私は遊星を見る。今迄の会話は遊星の端末にも届いている筈だ。

 そう言えば放課後は、食堂の空調を治す予定だった筈だけど……

 彼は微笑しながら、ゆっくり頷いた。

 

「大丈夫みたいです。是非、二人で行ってきますっ」

『ありがとうございます。急な連絡で申し訳ありません』

「いえっ。私も、翼さんと一度、きちんとお話したかったんです」

 

 そうだ。

 私が戦うというのは、自分の中の怖さと向き合うことでもあった。

 それは、翼さんの防人としての生き様とも向き合わなきゃいけない。

 そう思えば、その機会を作ってくれた緒川さんに寧ろ感謝しなきゃ。

 

『それでは、別件があるので一度失礼します。病室の番号等は後ほど送らせていただきますね』

「はい、ありがとうございます」

 

 そう言って緒川さんとの連絡を切ると、私は遊星と向き合った。

 

「ごめん、遊星。別の都合あったのに…」

「気にするな」

 

 私が謝るも、遊星の表情は晴れ晴れしていた。

 

「料理長には、日取りを伸ばしてもらうさ。俺も、彼女の元気な姿を見たいからな」

「そっか……ありがとう」

「いいさ。俺がやりたくてやってる事だ」

 

 臆面もなく、遊星はそう言った。彼の良い所は、こうやって自分の気持ちを素直に言えることだと思う。

 普段は無口だから誤解されがちなんだけど……

 う~ん、こういう長所を、もっと沢山の人に知ってもらえればなぁ~…そうすれば遊星も変な目で学校の人たちに見られずに済むのに。

 

「ただ」

「え?」

「俺が見舞いに行くのは、知られない方が良いかもな。風鳴は有名人みたいだし、俺みたいな新参者が急に見舞いに行ったら、怪しまれるだろう」

「そ、そんな事ないよ。学校の先生なんだから、お見舞いぐらいは行ったって」

 

 私は慌てて否定した。

 けど…本音を言えば、確かに否定できなかった。

 相変わらず遊星の評判は良くない。

 私も必死にフォローをしていたけど、やれ暴走族だの、反社会集団にいただのと、根も葉もない事を言う人までいた。

 唯一の救いは、食堂のおばちゃんや、ここの料理長のおじさんみたく、少しでも分かってくれる人が増えたことだった。

 

「大丈夫だよ。きっと、遊星のこと皆分かってくれるから」

 

 けど私は信じたい。私みたいに、きっとこれから遊星のことを知って、信じてくれる人が絶対に増えていく筈だから。私は、その手助けをしたい。

 

「そうだな……俺が危険なのはその通りだが、それでも、妙に警戒されるのだけは避けないと」

「そうじゃなくてっ」

「?」

「遊星も、自分の気持ちを分かって貰えるように頑張らなきゃ。だって私そのままは嫌だもん。遊星が悪い人みたいに見られてるの」

「……気持ちはありがたいが」

 

 遊星はきっと、心のどっかで、自分が変な目で見られるのはしょうがないって思ってる。

 けど私はそうは思わない。

 こんな良い人が誤解されたままで良いわけが無い。

 

「……よし分かった。遊星には特別に、私の宝物を貸してあげる」

「宝物?」

「えっへっへ、これは私の秘蔵の品なんだぁ。敵を知り、己を知れば百戦危うからずって、師匠が言ってたし、間違いないっ」

「?」

「実はね、私…」

 

 私が言いかけたその時だった。

 

 

「響」

 

「…え? あ……」

 

 

 親友の小日向未来が、階段の上から私たちを見下ろしていた。

 




次回、未来が浮気現場を……ヒェッ

皆さんも是非応援、よろしくお願いします。


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第5話『兆しの行方は、集いし想いの果てに』-2

世界規模で大変な事態ですが、だからこそ頑張りたいと思います。
これからゆっくりとかもしれないですが、書き続けたいと思います。
何卒よろしくお願いします。


 小日向未来は、私の1番の、親友だ。

 どんな時も側にいてくれて、

 私が帰ってこられる、たった一つの『ひだまり』

 どんなに世界が広くったって、

 どんなに大勢の人がいたって、

 彼女の代わりはどこにもいない

 そう、未来は……

 

 未来だけは……。

 

 

『あの…この力を、誰にも話しちゃダメなんでしょうか…』

 

 

 シンフォギアの力の説明を、了子さんから受けた時、私はそう尋ねた。

 未来を裏切りたくない。

 彼女にだけは、せめて本当のことを話したくて。

 

 けれど、何も知らなかった私のそんな甘い気持ちは一蹴されてしまった。

 

『俺達が守りたいのは、人の命だ。それを、分かってはくれまいか?』

 

 師匠はあの時、そう言って私を宥めた。

 なにも知らない子どもに言い聞かせるみたいに。

 ううん、『みたい』じゃなかった。

 

 私はなにも知らなかった。

 あの時も、今も……

 力を持つということ、

 力を知るということ、

 そして…

 

『力』は、とても恐ろしいということを。

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

『今後、出来る限り響君の側にいてやって欲しい。君自身もそうだが、敵はいつ、どんな手段で響君を略取するか分からん。こちらでも護衛は付けるが…』

 

 

 弦十郎さんから言われた言葉が蘇る。

 敵がどんな理由で俺や響を狙っているのかは不明だが、奴等の牙は想像以上に俺達の身近にまで喰い込んでいる。

 いつ何時、どんな強硬策に出るか分かったものではない。

 

「……響」

「え…? あ、未来」

 

 周囲を警戒するのは当然ながらも、何より注意すべきは情報の漏れだ。

 敵のスパイがどこに潜んでいるか分からない以上、俺たちの正体は誰にも知られるわけにはいかない。

 

「……」

 

 例えそれが、響と心を唯一許し合った最大の友であっても。

 

「その…何か、あったの? 不動先生と一緒で…」

「あ、ううん。何でもないよ」

「もしかして…また補習とか?」

「いや、そうじゃないよ、うんっ」

 

 響は慌てて誤魔化した。

 小日向はどこか物憂いような視線で、俺と響を交互に見ていた。

 不審というより、不安に感じているようだった。

 

(良くない噂が立っている俺と共にいれば当然か)

 

 響の耳にも入っている筈だが、それでも彼女は何かと気を遣ってくれている。

 本当なら彼女にも変な噂が立ちかねない。距離をおくべきなのかもしれないが、1人のところを狙われるとも限らない。

 

「実はね、遊せ…先生が、翼さんの歌に興味あるって言うから、私のCDを貸そうかなって思って」

「…ああ」

 

 しどろもどろに答える響に、俺も頷いた。

 じっと…その様子を窺いながらも、小日向は「そう」とだけ言い、それ以降は追求しなかった。

 

「あ、未来の方は何かあったの?」

「あ、うん…これから買い物行こうかなって思ってたんだけど、一緒に行かない? それで、この間のお好み焼きの約束…」

「…あ」

 

 気まずさが流れる。

 小日向と食事をする約束をしていたらしい。ノイズの急襲を恐れて、日取りを決めなかったが、裏目に出た。

 

「……」

「ご、ごめん、たった今用事が入っちゃって」

「あ…そうなんだ」

 

 恐る恐るいう響。

 だが小日向は微かに眉を上げた程度で、あまり驚いたりしていない様子だった。

 

「あ、あはは…せっかく未来が誘ってくれたのに……私、呪われてるかも」

「気にしないで」

 

 本当に残念そうに、響は言う。そんな彼女に対して、親友である少女は優しかった。

 

「ご飯は、また食べに行けばいいし。私も今日は別の用事入れることにする」

「うん…ありがとう」

「それじゃあね。失礼します、先生」

「ああ」

「……」

「あの」

「?」

「先生、CDよく聴くんですか?」

「いや、普段は余り聴かないな。ただ、こう言う学校だから、俺もCDくらいは嗜もうと思ってな…」

「……そうなんですか」

「どこか変だろうか?」

「いえ、ちょっと面白いなって思って…それじゃ響、またね」

「あ、うん…」

 

 この時、俺は致命的なミスを犯してしまったことに気付かなかった。

 結果的に最悪の事態は免れたとは言え、思い出してもついゾッとしてしまう。

 

「大丈夫か?」

「え? あ、うん。平気だよ。未来の言う通り、約束はまた別の機会にすればいいし。今は翼さんのことも心配だから」

「……そうか」

 

 しかし、この時は響のことを心配するあまり、頭の片隅から、小日向とのやりとりはすぐに消えてしまったのだった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 数十分後、

 私たちは、まるで時代劇で仇打ちを狙う侍みたいに病室の前に立っていた。

 多分お見舞いするのに、こんな肩力入ってるのは私くらいなもんだと思う。

 けど、だってしょうがないよ…うう、ドキドキする……! 

 

「すぅーはぁーすぅーはぁー」

「大丈夫か? さっきから同じ呼吸をしてるが…」

「い、いや…な、なんか落ち着かなくて…! フッ、フッ、フゥー! フッ、フッ、フゥー!」

「何だその呼吸は?」

「て、テレビでやってた呼吸法。これやると痛みとか緊張が和らぐんだって」

「…響、それは出産の時の呼吸法だ。ラマーズ法と言う」

「……」

 

 息が止まって、途端に心臓が高鳴るのを自覚しちゃった。

 遊星はホントに大丈夫かみたいな目で見下ろしてくる。

 

「だ、大丈夫っ。何もノイズと戦うわけじゃないしっ」

 

 私は拳を握りしめた。

 そう。別に戦いに行くんじゃない。

 ただ会う人がノイズよりも強くて最後にあった時に凄く怒られただけだった。

 

「安心しろ。今の響はよくやっている」

 

 そう言って、遊星は私の頭にポンと手を乗せてくれた。

 革手袋越しに、暖かくて柔らかい気持ちが伝わるような気がした。

 

「そ、そうかな…」

「ああ。側にいた俺がよく知っている」

 

 それに、と遊星は続けた。

 

「ちゃんと彼女と向き合うんだろう?」

 

 その言葉に、私は勇気付けられた。

 違う。自分で自分を何とか奮い立たせようとした。

 そうだよ。私はいつまでも翼さんや、奏さんの陰に怯えていたら始まらないんだ。

 まずは自分の気持ちを伝えるんだ。それで足りなかったら、もっと走る。

 今はそれしか無い。

 

「……う、うんっ、頑張るっ」

 

 私はグッと拳を握り締めた。

 その気持ちが消えない内に、私はドアの横に付いているテンキーに、緒川さんから教えてもらった暗証番号を打ち込んだ。

 認証が終わると、ドアが開く。

 

「し、失礼しまぁーす……」

 

 何を話そうかな…

 お花、翼さん気に入ってくれるといいな…

 この時まで、そんな淡い想像を膨らませていた。

 けれど次の瞬間、私達はその場に凍りついて立ち尽くした。

 

 

「……っっ!?」

「な…なにっ!?」

 

 

 絶句した。

 部屋はまるでゴミ捨て場みたいに物が散乱して、メチャクチャに荒らされていた。

 紙類やトイレットペーパーやタオル、衣類、飲みかけのペットボトル、翼さんが飲んでいたであろう飲み薬や錠剤…そこら中に物が散らばって、足の踏み場もなかった。

 酷い…こんな風に部屋が汚くなるなんてこと、普通あるはず無い。

 

「ゆ、遊星…!」

「これは一体……何があったというんだっ!?」

 

 私が隣を仰ぎ見ると、遊星は急いで部屋に乗り込んでいた。

 私も慌てて中に入る。

 

「翼さん!」

 

 思わず私は叫んだ。

 もう今までの心配ことなんて頭から吹き飛んでいた。

 翼さんの無事な姿を見られればそれで良かった。

 けれどもベッドで横になっている筈のその人は、部屋中いくら探しても見つからない。

 

「遊星っ! 翼さん、どこにも…!」

「しまった…っ!」

 

 遊星の顔も真っ青になっていた。

 いつも冷静なこの人の、こんなに取り乱した様子を私は見た事がなかった。

 

「もうこんな所にまで敵の手が伸びていたのか…!」

「え…っ!」

「敵が何処かのテロリストなら、風鳴を拉致しようと企んでも不思議はなかった…っ」

 

 どうして考えなかったんだろう…! 

 私や遊星が狙われたからって、それで翼さんが襲われない保証なんてどこにも無い。

 ううん、寧ろロクに動けない翼さんの方が危険だったんだ。

 

「ゆ、遊星、どうしよう、私…!」

 

 翼さんとの仲なんて考えている場合じゃなかった…! 

 もっと大切なことを気付けなかった私を呪いたかった。

 神様、お願いです。どうか翼さんを返してください。

 その為なら何回叩かれたって構いません。その後で幾らでも叱られます。

 だからどうか…! 

 

「落ち着くんだ。俺は周囲を探す。響は弦十郎さんに連絡を…!」

 

 遊星が必死に私の肩を揺さぶりながら言う。

 私は何とか平静を取り戻そうとして……

 

 

「何をしているの?」

 

 

 すぐ神様が取り戻してくれたその人のしかめ面に対面した。

 

「風鳴…?!」

「だ、大丈夫ですか!? 本当に無事なんですか!?」

 

 あんぐりと口を開けたのも束の間、ホッとする間も無く、掴みかかるくらいの勢いで、入り口に立っている翼さんに駆け寄った。

 翼さんは以前見たような厳しそうな面持ちで私たちを見ている。

 

「入院患者に無事を聞くってどういうこと?」

「だって…!」

「風鳴、無事だったのか!?」

 

 遊星も私達の元へと駆け寄る。

 ようやく私達は少し落ち着きを取り戻せた。

 

「あ、貴方まで何を…」

「これ!」

「あ……」

「翼さんが誘拐されたんじゃないかと思って…!」

 

 慌てて物が散乱した部屋を指差して叫んだ。

 相変わらず部屋は病室とは思えない…ううん、人が居る為の空間とは思えない程にグチャグチャだった。

 

「……」

「翼さん、大丈夫ですか? どこか、怪我とかして無いですか…」

「……」

 

 翼さんは俯いて何も言わない。

 あ、しまった……私がこんなに混乱したら翼さんだって…! 

 

「響、風鳴も今は安心させてやろう。まずはここを離れるんだ。敵が戻ってくるかもしれない」

「て、敵って…!?」

「司令から聞いたことがある。彼女は『風鳴家』の…この日本の防衛を一手に担ってきた一族の後継者だ…それを攫うのには大きな意味がある…!」

「そ、そうか…!」

 

 あの鎧の女の子は、『翼さんに興味はない』って言ってたけど、それもウソかもしれない。

 じゃあ、今この病院にもしかしたら…! 

 

「酷い…!」

「……」

「酷いよ! こんな風に部屋をメチャクチャにして! こんな汚い…ゴミ屋敷みたいに…!」

「……」

「ああ、恐らく最低な連中だ…! こんな乱暴なことをする連中がいるとはな…!」

「……ぅぅ」

「翼さん、どうしたんですか?」

「ショックだろうな……無理もない。自分の部屋をこんな無残に荒らされたら、堪える筈だ」

「そ、そうだよね…!」

「……っっ」

 

 私は動揺と焦りを抑え込もうとした。

 そして何とか翼さんを守り抜こうと言う使命感に燃えた。

 私は喧嘩や戦いは好きじゃない。

 けど、そんなこと言ってられない。

 

(女の子の部屋をこんな風に荒らすなんて許せない! それも翼さんみたいな人気者の部屋に昼間から! いくら私だって怒るよ!)

 

 私にだって守りたいものがあるんだ! 

 

「遊星、急いでここから…!」

「落ち着くんだ。罠が仕掛けられてる可能性もある」

「え、ええ!?」

「読めたぞ。奴らは風鳴を捕まえる為にここに潜入したが、席を外していたことに気付き、更に俺達が来たことで、慌てて逃げ出したんだ」

「な、なるほど!」

「この手の連中は必ず置き土産を残していく。証拠隠滅の為に、爆発物の一つや二つはあってもおかしくない!」

「そ、そんな!」

 

 もう緊急事態だって事は私にもわかった。

 機密保持とかなりふり構ってられない! 

 

「はやく緒川さんに連ら…くを…!?」

「………」

 

 犯人への怒りへ燃えていた私のスカートの裾を、くいくいと引っ張る感触。

 見ると、点滴を打たれた腕で私を引き留めようとしている翼さんの顔が飛び込んできた。

 

「……」

 

 見ると顔が真っ赤になっている。

 これは…疲れてるとか、スリルのショックとか、サスペンスへの怒りとか、そんなのじゃないような…

 

「……っ…っ」

 

 細々と、ボソボソと、綺麗で細い唇が動いている。

 

「えっ?」

 

 上手く聞き取れない。

 なんて? え? なに? 

 

「っ…の……が…」

「な、なんですか?」

「だから……の…が……その……」

「ええっと…?」

 

 恐る恐る、何度めかの緊張を抑え込みながら、耳をそば立てる。

 そうして……翼さんは、真実を語り始めた。

 

「えー…あー……えーっと…ああ…」

 

 ふんふん、

 えっと? 

 緒川さんに連絡をしたいことがあって? 

 けど通信端末が見当たらなくて? 

 仕方ないから連絡先をメモした手帳を探して? 

 けどそれも見つからなくて? 

 部屋をとにかく探しまくっても……ふんふん、荷物をひっくり返したのに分からなくて……え? 

 

 え? ちょっと待って? え? 

 

 つまり、この部屋の惨状は……つまり……

 

「……」

 

 耳まで真っ赤になった翼さんを見て、私は一気に頭に上った血が降りていくのを感じる。

 ……うん、まぁ、よくあるよ。うん。

 私だって、未来によく怒られるし。うん。

 

『響、またこんなに散らかしてっ』みたいな。

 

 ただ、私も、ここまで部屋を散らかしたことはないかな。

 まぁ、でも、しょうがないよ。

 これは事故なんだよ、うん。

 

 と、取り敢えず……そのぉ…

 

「……ご、ごめんなさい」

「……いえ」

 

 かくして、風鳴翼誘拐未遂事件は終わった。

 悲しくも虚しい事件だった。

 私はもう、こんな出来事が起きないことを心から願った。

 

「あ、あのー、遊星、多分、これ、私達の勘違い……」

 

 まあ、当面の問題としては……

 早く誤解を……解かな…いと…

 

「響、風鳴を避難させるんだ。俺はここで危険がないか…」

 

 次の瞬間! 

 

「あ、あああぁーっ!」

「どうした!?」

「わ、わ! わあああっー!」

 

 もう私は恥も外聞も宇宙の彼方まで放り出して叫んだ。

 今までのことなんてこれから起こってしまう事件に比べたら全然なんてことない! 

 だってアレが! 

 部屋に翼さんの…し、した、した! 下…ぎが…!! 

 

「どうした、部屋に何かあったのか!?」

「み、見ちゃダメ! 遊星は見ちゃダメええええっっ!!」

 

 急いで私は遊星に飛びかかった。

 

 ええ、あの時の私の反応速度は翼さんはもちろん、恐らく師匠さえ上回ってました……

 

 女の子の大切なものを守る為なら、限界なんて幾らでも突破出来るのです。

 

「な、何だ、どうして目を隠す!? 危ないから離すんだっ」

「それ以上に危ないからっ! 翼さんの大事な物が見えちゃってるから!」

「大事な物だと!? まさかシンフォギアのペンダントか!? 俺に見せろ、確認しなければ…!」

「ダメダメダメっっ! 遊星がしょっ引かれたり翼さんの大切なものが無くなっちゃうから!」

「何だ、やはり何か罠かっ!?」

「ち、違うけど、そうじゃないけど駄目だから! 男の人は出てかないと駄目だからぁあああっっ!!」

「まるで意味が分からないぞッ!」

「いいから外に出てええええっっ!!」

 

 結局、翼さんの口から直接遊星に真実が語られるまで、十数分かかってしまいましたとさ。

 ……私達、なにしにきたんだっけ? 

 





改めてシンフォギア見直してみると翼さんの散らかり方やべーな。


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第5話『兆しの行方は、集いし想いの果てに』-3

いつも感想、メッセージ、誤字脱字報告など、本当にありがとうございます。
これからも是非皆さんの応援、よろしくお願いします。


 あの惨劇から30分後。

 

「よし」

 

 終わりが見えてきた。

 果てしない激闘だった。

 感無量……正に感無量だ。

 

「……そんなのいいから」

 

 いやいや。

 これは誰かがやらなくちゃダメなヤツです。

 

「私、緒川さんからお見舞い頼まれたんです。だからお片付けさせて下さいね」

 

 私は洗濯物を畳みながら言った。

 

「……ぅ」

 

 翼さんは顔を赤くして俯く。

 ……緒川さんが私を派遣した理由が分かった気がする。

 とにかく洗濯物を畳み、ゴミを集めて捨てて、紙の資料は分かる範囲で整えた。

 ちなみに、翼さんが探しても探しても見つからなかったって言う携帯端末は、ちゃんとベッドに備え付けてある引き出しに入ってました。

 

「わ、私……その、こういう所に気が回らなくて…」

「いえ、そんな気にしないで下さい」

 

 考えてみれば、私だって疲れて帰ってきた日はそのまま荷物を放り出すこともある。

 私よりずっとハードなスケジュールをこなした翼さんに部屋の片づけまで丁寧に、なんて酷だ。

 これ位なら私も役に立てる。

 とは言え……

 

「でも、ちょっと意外でした。翼さんは何でも出来るイメージがありましたから」

 

 畳んだ洗濯物をタンスの中に閉まって、片付けは完了した。

 達成感で胸が一杯になった私は、ちょっと嬉しそうに言う。

 普通のファンが知ったらガッカリする人もいるかもしれないけど、こういう部分もあるって知って寧ろ嬉しかった。

 

「…真実は逆ね……私は戦うことしか知らないのよ………」

 

「よし、お終いですっ! え? 何か言いましたか?」

「い、いえ。何でもないわっ。それより、済まないわね。こんな事までさせて…」

「いえいえ」

「いつもは、緒川さんが良くやってくれてるんだけど……」

「……え」

 

 い、今、とんでもない爆弾発言、出しませんでした? 

 

「ええっ!?」

「?」

「お、おお、男の人を、へ、へへへ、部屋に!?」

「ええ……あ」

 

 翼さんも自分の行ったことに気付いて、顔を赤くする。

 ま、まさか…緒川さんと翼さんは…その、そう言うご関係だったんですか…!? 

 

「た、確かにっ、か、考えてみれば、色々、問題ありそうだけど…!」

 

 とんでもないスキャンダルだ! 

 いや、でも緒川さんは表向きは翼さんのマネージャーだし…有名人とかアイドルはよくそう言う人と結婚するって聞いたことある…

 

「そ、その、散らかしっぱなしなのは良くないから、つい……子どもの頃から…」

「え、子どもの頃?」

「緒川さんは……私が、小さい時から面倒を見てくれていて……歳の離れた、お兄さんみたいな人で」

「え? そうなんですか?」

「緒川さんの家は、昔から風鳴家と繋がりがあるから。その縁で…」

「あー、なるほど…」

 

 確かに、二人はアイドルとマネージャーっていうか…お姫様と従者ってイメージがする。

 

 おお、それはそれでロマンスが……なんか、こう…うん、あれだ……

 

 ダメだ、私じゃイメージが追いつかない。

 

 

『響、俺だ。入っても構わないか?』

 

 

 その時だった。

 聞き慣れた声が部屋の外から聞こえる。

 

「あ、遊星。うん、どーぞ」

 

 私が答えると同時に、部屋のドアが開いて、ペットボトルを抱えた遊星が中へと入って来た。

 

「……綺麗になったな」

「でしょでしょっ。あ、通信機もちゃんと見つかったよ」

「そうか」

 

 感心したように病室を見渡す遊星。

 と、その時、ベッドに腰掛ける翼さんと目が合った。

 

「あ…」

「…」

 

 あかーん。

 私はハッとなってつい遊星に呼びかけた。

 

「ゆ、遊星っ、飲み物、買ってきてくれた?」

「あ、ああ。下の売店にあった物だが…」

「ありがとー。翼さんも頂きましょ? ね?」

「え、ええ……」

 

 遊星からビニール袋を受け取って、その中から一本、スポーツドリンクを翼さんへと手渡した。

 

 どうにか遊星に事の次第を伝えたら、何とも言えない顔をして、遊星は外は、出て行った。

 うーん、何だか悪いことしちゃったなぁ……。

 いやいや、変に溝を掘るよりこうするしかなかったんですよ、私は……

 

「……」

「……」

 

 けど、元々ある溝を埋めるには力不足でした。

 

(うう……気まずい…)

 

 考えてみたら、遊星は最後、翼さんと一騎打ちをするかもしれない状況だった。

 それも私が未熟なばっかりに……ある意味、私よりも複雑な関係だ。

 

(私の責任だ。私が何とかしなくちゃ!)

 

 きっと緒川さんは、遊星と翼さんの仲を良くする目的もあったに違いない。

 ここは私が二人の仲を取り持たなければ…! 

 

「あ、あのぉ……!」

「ん?」

「なに?」

「……」

 

 ……どーしよっかな……

 

「……お二人の御趣味は?」

 

 お見合いかっ! 私は仲人さんなのかっ! 

 目を丸くした二人を見て、私は思わず天井を仰いだ。

 ああ、助けて未来! 

 さっき約束を破ったばかりなのに、私は親友を求めずにいられなかった。

 板場さんなら『アニメだとこういう展開』みたいな作戦を思いついてくれるのにぃー…! 

 

「……趣味か」

「趣味…」

 

 けど二人の根が真面目なのが幸いした。

 真剣に考えてくれている。

 そして、意外にもこれが正解だった。

 

「…バイク」

 

 ぽろっと出た、その単語に、今度はこっちが目を丸くした。

 ふと見ると、遊星も少し驚いた様子で翼さんを見る。

 

「風鳴もバイクに乗るのか?」

「まぁ……一応は。休日はツーリングにも…」

「し、知らなかった」

 

 なんということだ。

 風鳴翼ファンを自称しておきながら、その隠れた趣味も今まで聞いたことがないなんて…。

 トップアーティスト、国家防衛の剣、どの側面にも当てはまらない趣味だった。

 

「どういう奴に乗ってるんだ?」

「画像くらいなら…あれ? 端末、さっきまでここに…」

「これですか?」

「あ、ありがとう…」

 

 数分前まで手元にあったのに、もう場所が分からなくなってる……

 こりゃ確かに緒川さんも大変だ。

 そんな事をぼんやり考えてると、画像を映して私達に見せてくれた。

 

「スポーツ系のハーフカウルか。良いデザインじゃないか」

「格好いいですっ! この赤い塗装とか!」

「そ、そう? そう言ってもらえると……一応、外装周りは自分でやったから」

「翼が一人でか? それは凄いな」

「いえ、先生ほどでは」

 

 ん? 

 今、翼さん、遊星のことを…。

 

「楽しいよな。マシンに乗って走るのは」

「まあ…高速で走り抜けるあの感覚には、得難いものがあります」

「風を切ってスピードに乗ると、世界が変わって見える」

「うん。それは同感です」

 

 確かに、と頷く翼さん。

 …なんか会話が噛み合ってる。

 と、言うものの、私は覚えた違和感にキョトンとしたままだった。

 

「しかし、ツーリングというと、この辺りにサーキットか何かがあるのか?」

「え? ああ、国が保有している試験場を使わせてもらって……あとは大体、街を走ったりとか」

「そうか…そういう場所があったのか。俺は、Dホイールの性能を公にはできないからな。外ではあまり全力で走れない」

「それだと、感触など掴みにくい部分もあるのでは?」

「確かにそうだな。二課のシミュレーターを借りてはいるが」

 

 とはいえ、この光景は素直に嬉しかった。

 話題が盛り上がって行くのを感じるっ。

 おお、やったぞ、私。

 

「確かに、私も実際にやってみると、どうもハンドリングに難がある時がある……最近は触ってないので、今度点検しようかと思っていて…」

「なるほどな…ハンドリングということは、ベアホイールか、フロントフォークか…タイヤはどうだ?」

「一応、メンテナンスはしています。この間、交換したばかり」

「そうか。となるとステアリングのボールレース部分が…」

 

 …あ…やめて止めてやめて止めてぇ〜…

 私に、その手の専門用語は、眠気を誘う絶好のお薬に…

 

(あ、でも…)

 

 これをキッカケにフレンドリーに話せれば、遊星と翼さんの中も縮まるかもしれない。

 それに遊星と共通の趣味が見つかったのも、嬉しい誤算ってやつだね。

 なんか『とにかく思いっ切り振ったバットがボールに当たってホームランだった』みたいな気分だ。

 

(うんうん、よかったよかった…)

 

 そして私の意識は、私の中に生まれた二人のツーリングの光景に溶けて消えていくのだった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 風鳴とのバイク談義に、俺はいつの間にか熱が入っているのを感じた。

 この世界に来て初めての感覚だ。

 やはり、同じモノを共有できる人と言うのは、一緒にいて楽しいものだ。

 

 それに、俺も彼女に近付けると言うのが嬉しかったのかもしれない。

 

「なるほど。そうすれば、車体を安定させつつ、コーナーで振り切ることができると…」

「ああ。少しクラッチのタイミングをずらす必要があるが、そこはマシンとの呼吸だ」

「呼吸か…」

 

 ふむふむと、アゴに手を当てて答える風鳴。

 

 無論、Dホイールは両輪駆動な上、モーメントによる出力制御が可能だから、ガソリンエンジンを使うこの世界のマシンに出来ない技も多い。

 だが、彼女のライティングテクニックは話を聞くに中々のものだ。

 これなら、上手くマシンを調整すれば、再現可能な技も増えるだろう。

 

「何回か試してみると良い。風鳴なら、コツさえ掴めればきっと上手くいく筈だ。後はそうだな…スケートはどうだ?」

「スケート?」

「体幹を鍛えるのにうってつけだ。周りへ意識を配るのにも役立つ」

「スケートか……あまり行ったことが……いや、一度もない」

 

 俺は目を丸くする。

 

「そうなのか?」

「その、こういう生活をしていると、あまり世間の遊びには疎くて…」

 

 意外に思われるかもしれないけど…、と言う風鳴。

 俺は少し驚いた。彼女みたいなアーティストとのギャップ……というだけではない。

 

 同じ事を、同じ様な表情で言った少女を、俺は一人知っている。

 

「いや……少し、仲間のことを思い出した」

「仲間?」

「そいつも、スケートには行ったことがないって言っていたからな」

 

 そう言えば…

 

『あ、あの遊星っ。今日のことは、皆には言わないでね。二人でスケートに行ったとか、そういうの、絶対に禁止だからっ! 分かった!?』

 

 アキは顔を真っ赤にして俺に何度も口止めをしていたな。

 別に言い触らす必要もないから、頷いてそのままだったが……

 

『いい、龍亞と龍可もだからねっ。絶対に内緒よ!』

『ええー? なんで? 二人ともいいムードむごっ!?』

『わ、分かったわっ! 誰にも言わないから! いいわね、龍亞?』

『モ、モガモガ…っ!』

 

 そう言って龍亞を抑え付けていた龍可の何とも言えない表情は忘れられない。

 帰り道、俺と龍亞が二人で首を傾げていると、龍可は終始呆れた顔をしていた。

 あれは何だったんだろうか…? 

 

「先生?」

「いや、な、なんでもない。秘密にしろと言われていたんだ。うん、忘れてくれ」

「…はあ」

 

 首を傾げる風鳴を尻目に、俺は頭の中でアキを必死に宥める。

 無論、彼女がここでの出来事を知る由もないのだが……だからと言ってバラすのは不誠実だ。

 

「ただまあ、確かに少し驚いたな。風鳴は有名アーティストと聞いていたからな。むしろそういうのには敏感と思っていた」

 

 俺は話題を変えるべく、彼女自身のことへと言葉を掛ける。

 それに対して、今度は風鳴が目を丸くする番だった。

 

「いや……私はただ……」

 

 彼女は、そこで言葉に詰まる。

 しまった…つい、深入りしすぎたか。

 ここに来て思い掛けずに話が弾んだせいか。余りプライベートに関わる質問をするべきではなかった。

 しかし、風鳴はまた思わぬ言葉を俺に投げかけた。

 

「先生は…」

「ん?」

「あ、いや…貴方自身の話を聞いたことが無かったから。そう言う、仲間がいるという事も」

「確かに、話す機会はなかったな」

「仲間とは、どういう人達だったの?」

 

 風鳴が俺に興味を示すというのは、それこそ意外だった。

 だが、俺としても彼女に自分を知ってもらう、良い機会かもしれない。

 

「仲間と言っても、生い立ちは色々だったな。昔からの知り合いもいたし、初めは敵対した奴も多かった。すれ違って、ぶつかることしか出来なかった奴も大勢いた。ただ……俺達は、居場所を求めていた」

「居場所?」

「皆、孤独を埋めるように戦っていた。その理由はそれぞれだったが……一人一人が、自分は何者なのか、そしてどう生きるべきなのかを探していた」

 

 考えてみれば、自分の生い立ちは響にさえ話していない。

 前回、作戦前に緒川さんに俺自身の出自を少し語ったが、仲間の情報を初めて晒す相手が彼女…と言うのは、存外奇妙な感覚だが、悪いとは思わなかった。

 

「その内に一人…また一人と、運命に導かれるようにして集まっていった。この痣が、その印だ」

「竜の痣…確か、シグナーと言う…」

「ああ。この痣を持つ者が俺の他に5人…それが俺の、かつて戦った仲間達だ」

「その人達と別れて独りでいるというのは、どういう気持ち?」

「え?」

 

 思いがけない問いかけに、俺は彼女の顔を見る。

 

「誰もいない世界に独りでやってきて……どうして戦うの?」

「それは……」

 

 風鳴はそれまで淡々と質問を重ねているだけだったが、それまでとは違う、熱の篭もった言葉に、つい俺は驚いたような顔をする。

 

「…ごめんなさい、変な事を言ったわね」

 

 ハッとなって、風鳴は顔を伏せた。

 

「元に世界に帰るために、貴方は戦っているのだから…当たり前のことか」

 

 苦笑する風鳴。

 だが彼女の言葉はその通りだ。

 俺は帰りたい。一刻も早く。仲間たちの元へと帰って、皆を安心させてやりたい。

 

 だが、それでも。

 いや、だからこそだ。

 

「……俺は独りじゃないさ」

「え?」

「例え時空を隔てていたとしても、俺達は繋がっている」

 

 目を閉じて、右腕の竜の痣を撫でる。

 シグナーの証からは、何も伝わらない。これが元の世界ならば、仲間達の鼓動を感じることができた。何か危機が迫っていれば知らせてくれることも……しかし、今それはない。

 

 ないけれど、伝わるんだ。

 

「絆は、確かにここにある」

 

 俺はここで戦う。その意味もまた、俺達を結び付けてくれるもの故だ。

 

「響は、そんな俺の想いに応えてくれた。だから俺は戦うんだ」

 

 こんなものは抽象的で、答えにもならないかもしれない。

 ただ…詰まるところ、単純な理由もある。

 

「うーん、むにゃむにゃ…」

「…」

「おお、翼さん、そこでターンバックです……わー生きてるって感じ……ええ、なんで合体しないんですか…!?」

「……」

 

 要はこの少女を、放っておけないのだ。色々な意味で。

 共に戦うと言いつつ、目下それが最大の理由かもしれない。

 

「みくー、どこぉ? え、地球のなか…? ならだいじょーぶ…オゾンより下なら…うん…」

「何の夢を見てるの…?」

「……またコーヒーでも買ってくるか」

「……どうも」

 

 何故か深々と首を垂れる風鳴。

 どうも彼女の様子を見るに、以前みたく響に対して当たりの強い様子ではない。

 二人きりにさせても、離れすぎなければ問題ないだろう。

 

「……不動…先生」

「ん?」

「その……よければ、私のバイクも、今度見てほしい」

「ああ、何なら今見てくるか?」

「それは……」

 

 逡巡していた様子だったが、意を決したようにまたお辞儀をする。

 俺はゆっくり頷き返すと、響を起こさないよう病室から外へ出る。

 

 夕闇へと近付いていく太陽は、1日の作業を終えて、その荷を下ろそうとしている。

 次の仕事に備えて、力を蓄える。

 

 俺達も力を貯めておこう。

 できることならば、今も刃を研がんとする、この少女と共に。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

『さあ、風鳴翼と不動遊星、同時にコーナーへ入った。ここを先に抜けた方がチェッカーフラッグの栄光を掴みとることができるのです』

 

 行け遊星! 頑張れ翼さん! 

 

『フハハハ、ちょせえ!』

『おーっと、ここで乱入者だぁ! えらいハリキリガールがやってきたぜぇ!』

 

 ああ、あれはネフシュタンの女の子…!? 

 どうしてここに? 

 いけない、何とか止めないと…! 

 

『緊急改札機で止めるんだっ』

『なにぃ!』

『キップヲイレテクダサイ』

『何故通れない!?』 

 

 あ、翼さんも止まった。

 そっか、モノレール乗ったことないんだ、翼さん

 

『インチキ効果もいい加減にしろ!』

『貴様それでもデュエリストか!』

『リアリストだ。そして俺はレアだぜ』

 

 キリッとした顔で遊星が笑う。

 そんな、遊星がこんな卑怯な事するなんて…! 

 

 

「ちょっと」

 

 

 肩を揺さぶられて私はハッとなった。

 

「あ、あれ? 翼さんっ!? 改札機は?」

「……随分お疲れみたいね?」

「へ……は、はひっ! す、すいませんっ」

 

 しまった……いつの間にかうたた寝をしてしまったんだ。

 慌ててヨダレを吹く。ああ、なんて情けない…ついつい、椅子にもたれかかったままで。

 

 うぅ、サイアクだ。私、呪われてるかも。

 

 翼さんには前にもご飯粒付けながら話し掛けて、恥ずかしい思いをしたことがあった。

 

「いえ、こちらこそ片付けをさせてしまったから。少し休んでなさい」

「……はぁ、ごめんなさい」

 

 ポリポリと頭を描きながら顔が赤くなるのを感じた。

 遊星も起こしてくれればよかったのに…! 

 ん? あれ? 

 

「あのぉ、遊星は?」

「駐車場」

「え?」

「私のバイクが停めてあるから…様子を見ると言ってね」

「そうなんですか?」

「それと、貴女の飲み物を買ってくると言っていたわ。眠気覚ましに」

「そうなんですか……」

 

 ありがとうございます先生。

 でも、もうちょっと分かりやすい気遣いが欲しいです。

 どちらかと言うと乙女心に特化した…いや、贅沢は言わない方がいいよね。

 

「貴女は」

「え、はい?」

「彼を…呼び捨てで呼んでいるのね?」

「え、ああ、遊星ですか? そうです。学校以外では、敬語はなしにしようって。ノイズと戦うのに、そう言うの意味ないからって。最初は戸惑ったんですけど、実際にノイズと戦う時には、気兼ねなくできるって言うか…」

 

 あはは、と苦笑しながら説明する。

 そう言えば…さっきのやり取りで私も気付いた事がある。

 

「翼さんは、遊星を『先生』って言うんですね?」

「あ、ああ……まぁ」

 

 今度は少し翼さんが苦笑する番だった。

 倒れる直前まで、ただ「不動遊星」としか言ってなかったのに…

 

「その…知らなかったから……リディアンで、教師をしていたのね? 私も、生徒の一人だから、任務外では、敬語をと思って」

 

 モジモジしながら話す翼さん。

 ちょっと、カワイイじゃないですかやだー。

 なんて心の底で思った事は黙っておいて……

 

「そう言えば、翼さん、遊星が来てから、ずっとツアーとかコンサートとかで、学校は殆どお休みでしたもんね」

「ええ…ここに運ばれてから、報告書越しに初めて知って…」

「え、報告書?」

「読めるようになったのは最近だけれど……その……貴女のことも聞いているわ」

「わ、私ですか?」

「ええ…私が抜けた穴を、貴女が埋めてくれているとね」

 

 そう言って、気まずそうに翼さんは私を見る。

 これは…もしかして、私のことを……

 

「…い、いえ、まだまだです。遊星とか、師匠とか、二課の皆さんに助けてもらってばっかりで…」

 

 私は翼さんを見てなかった。

 完璧な歌姫。天才。みんなの憧れ。

 そんな周りからのレッテルだけに惹かれて、本当の翼さんの素敵な所を見られなかった。

 また私は、本当の翼さんを知らない。

 またこの人との間には、大きな河が横たわっている。

 それは装者としての実力だったり、心構えだったり、単純にお互いを知らなかったり……理由は色々だけど…

 

「……貴方は」

「え?」

「どうして戦うの? 聞かせてほしい。貴女が戦う理由を」

 

 翼さんも、私を初めて本当に見てくれているのかもしれないと、私は勝手に思った。

 

「ノイズとの戦いは遊びではない。それは今まで死線を超えてきた貴女が分かっている筈」

「あ……」

 

 そう言って私を見つめる翼さんの目は、今まで見たことのないものだった。

 怒りでもなければ、まして私を評価しようとするものでもなかった。

 奏さんの後継者として……違う。

 ただ、私を、本当の意味で知りたいんだ。

 

「……よく分かりません」

「え?」

「私、人助けが趣味みたいなものだから……それで…」

 

 だから、私も本気で答えようとした。

 こんな答えしかできないのが情けなかったけれど、でも、それはずっと私の中で燻り続けている言い様のない想い。

 

「それで? それだけ?」

「だって…だって、人助けは競争しなくてもいいじゃないですか。私には人に誇れるような特技とかないから、せめて、自分に出来ることで皆の役に立てればなーって……あ、あはは」

 

 嘘はついてない。

 けど…きっと、本心でもない。

 子どもの頃から、誰かに何かをしたいと言う想いはずっとあったけど……多分、そのままだったら、私はこの学園にも入ってないかもしれないし、もっと別の夢を見つけてるかもしれない。

 そうならなかったのはきっと…

 

「キッカケは…」

「……」

「…キッカケはやっぱり、あの事件かもしれません」

 

 それは私にとって、世界の終わりを告げた日で、新しい世界を生きる始まり。

 

「奏さんだけじゃなくて、あの日……沢山の人が亡くなりました……でも私は、生き残って…今も笑って元気にご飯を食べることができます」

 

 多分あんなことがなければ、私は一生命の大切や健康のありがたみなんて知ることはなかっただろう。

 私だけじゃない。

 人が人らしく生きるためにある沢山のものを、人は知らずに生きている。

 

 私の中で、もし他より優れている部分があるなら、少しだけそれを知っていることだけ。

 それしか私にはできない。

 何もなかった私にできたのは、せめて今を生き抜くくらい。

 

「だから私は…せめて誰かの役に立ちたいんです」

 

 私が生き残った事には、きっと意味がある。

 ううん、意味を見出さなきゃいけない。

 そうじゃなきゃ、いなくなった人達の想いはどこへ行けばいいのか……

 

 そして私は……

 

「明日もまた、笑ったり、ご飯を食べたりしたいから…だから、人助けをしたいんです」

 

 当たり前じゃないか。

 困ってる人を助けるなんて。

 

 そして私に力があるなら、

 それが私を助けてくれた人の力だというのなら、

 私は私に恥じない生き方をしたい。

 

 きっとそれが、奏さんに報いる方法だから。

 

「…貴女らしい、ポジティブな考え方ね」

「そ、そうですか?」

「でも……それは前向きな自殺衝動なのかもしれない」

「え? じ、じさつしょうどうっ?」

 

 翼さんは苦笑しながら言った。

 私の思考は中断された。

 

「誰かの為に自分を犠牲にして、古傷の痛みから救われたいという、自己断罪の表れなのかも」

 

 あまり私にはピンとこなかった。

 ただ他人事の様に、フィルター越しの画面を覗き込むみたいな違和感を覚えながら、私は翼さんの言葉を心で反芻していた。

 けど、私の心と翼さんの言葉の食い違いは、どうしても拭えなかった。

 

「私、何か変なことを言ったんでしょうか?」

「……」

「……あ、あははは」

 

 つい、笑って誤魔化した。

 そうなんだろうか。

 自分の根っこに自殺願望が……って言われたら、混乱したり、悲しんだり、図星なら動揺したりするかもしれない。

 けど、私は自分でも驚くほど冷静だった。

 

「は、はは……」

「…はぁ」

 

 また苦笑して溜息をついた翼さん。

 うっ、と私は息を飲んだ。

 また幻滅させてしまったんだろうか。

 気持ちが中途半端で、戦う覚悟の無いままと見られてしまうのは、流石に情けない。

 

 けど、翼さんの胸中を、私が推し量ることはできなかった。

 

「す、すみません……やっぱり変でしょうか?」

「……変かどうかは、私が決めることじゃないわ。貴女が自分で考え、自分で決めることね」

「私、が」

 

 当たり前だった。

 翼さんと、私は違うから。

 私達は似ているようで、違うものを見ていた。

 この時には、まだ気が付かなかったけど。

 

 でも、それはもっと後の話だ。

 風鳴翼と言う剣を携えて、縦横無尽に振るう王様が現れるまで……まだかなり時間がある。

 

 この時に私の中に生まれたのは、ある疑問だった。

 

「あの…一つ聞いていいでしょうか」

「なに?」

「私、やっぱりアームドギアが出ないんです」

 

 ふと、胸の内を明かしていた。

 

「それで?」

「そ、それで、ですね……何か、アドバイスを頂けたらと…」

「……貴女、私の話を聞いてた?」

 

 あっけらかんとした質問に、逆に翼さんは呆れた様子だった。

 

「アームドギアは心の有りよう。貴女が自分で強く想わない限り、アームドギアは現れない」

「そ、そこなんですっ」

 

 つい、強く聞いた。

 

 自分で決める。

 つまり、私の心のあり方や、戦う理由を…

 私は何のために…

 助けてくれた奏さんや翼さんのため? 

 困ってる人を助けるため? 

 ノイズを許せないから? 

 あの日、亡くなった人達への罪滅ぼし? 

 ……どれも正解な気もするし、どれも間違ってる。

 

 うん、多分これじゃない。

 私が戦う理由は、きっとこれじゃない。

 

 じゃあ何だろう? 

 この胸の中にあるモヤモヤは…

 

「考えても考えても分からないことだらけなんです」

 

 もっと私は強くなりたい。

 誰も傷つけさせない力が欲しい。

 

「私のアームドギアが出せないのは、私の心が変だからでしょうか? 見つからないからでしょうか?」

 

 ガムシャラに走ろうとする私を、遊星は止めた。

 

『俺たちはチームだ。2人で強くなるんだ』

 

 遊星は強い。

 その力で、私を引っ張り上げてくれる。

 けど…それなら私には何ができるんだろう。

 このままじゃ、私はまた頼り切りになる。

 それが怖かった。

 

 もっと強い自分が欲しい…だけど、私の心が決まらないのなら……

 

「デュランダルを掴んだ時、心がめちゃくちゃになって……暗闇に呑まれかけました。それで、気が付いたら…人に向かってあの力を……」

 

 もしかして…私のアームドギアを出せないのは、多分、私の心が決まってないからなのかな? 

 翼さんも言っていた。『アームドギアは常在戦場の覚悟の現れ』だって。

 覚悟があっても武器が出ないのは、心の底がモヤモヤしてるからなのかな? 

 

「私がもっと…アームドギアを上手く扱えていたら、あんな事にもならずに済んだのに……」

 

 やりたい事は分かっている。

 その根っこが分からなくても、私が進みたいと思う道は、きっと間違ってないと信じてる。

 だって、その先にはきっと、大切な人が……

 

「戦う覚悟はあるのに…なんでアームドギアは……」

「本当に?」

「え?」

「力の使い方を知るという事は、すなわち戦士になるという事。それだけ、人としての生き方から遠ざかるという事よ。あなたにその覚悟はあるのかしら?」

 

 今度こそ、

 

 翼さんは、私を正面から見据えて問うてきた。

 違う。今までの問いとは。

 これは、あの時の続きだ。

 私達がすれ違った夜と。

 ただ違うのは、翼さんは本気だという事。

 刀を抜くという意味じゃない。

 本当に曇りない心で、私を真っ直ぐに見てくれる。

 

「……守りたいものがあるんです」

 

 だから私は答える。その背中に追いつきたいから。

 

「それは何でもない、大切な日常だったりするかもしれないけど……それを大切にしたいって、強く想っているんです」

 

 それはあの日にようやく気付けた真実。

 私の中の世界。

 私を形作っているモノたち。

 それら全てを、守りたい。

 もう喪いたくない。

 自分が弱いせいで、壊して無くしてしまうのだけは、絶対に嫌だ。

 

「けど……」

 

 想いだけで、空回りしている自分。

 そんな私から、変わりたい。

 もっと強い自分になりたい。

 

「強くなりたいです。遊星と一緒に走れるように……」

「戦の中、あなたが心に思い浮かべていることは?」

「ノイズに襲われている人がいるなら、一秒でも早く救いたいです。最短で、最速で、まっすぐに、一直線に駆けつけたいっ!」

 

 即答した。

 

 私にはそれしかできないから。そして、いくら考えても、それ以外の理由が見当たらなかったから。

 私の中にはそれしかないから。

 

「相手がノイズ以外なら?」

「それは…!」

「……」

「もし……本当に、ノイズ以外なら…どうしても戦わなきゃいけない理由があるのなら、『どうして?』っていう、胸の内を、真っ直ぐに届けたいって…そう思ってますっ」

 

 そう。

 これが、答えへ至る道だった。

 

「あなたが今言った言葉を、出来るだけ強く、ハッキリと思い描きなさい。それがアナタの……立花響のアームドギアに他ならないわ」

 

 私は強くなる方法ばかり考えていた。

 それが違うと分かるまで、あと数十時間もない。

 

 幾ら探しても、分からないのは当たり前だった。

 私の戦う理由は……私の内側には無かったのだから。

 




未来さんがとうとう浮気現場を目撃……ひぇ!?
しかし遊星との仲を誤解されるとなるとマジでシャレになんねえな。


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第5話『兆しの行方は、集いし想いの果てに』-4

感想、メッセージ、誤字脱字報告などなど本当にいつもありがとうございます。
このSSが、遊星や響の活躍が、皆様の心の活力に少しでもなってくれたらなと思います。



「よし、これでエンジン回りは…」

 

 タイヤ部分は、乗り手の相性やコースなども考慮しないと何ともしがたい。

 退院したら、風鳴本人に乗ってもらいながら、その都度改良していくのが良いだろう。

 少なくとも、出来る限りのことはやった。

 

 表の駐車場で、道具を広げながら風鳴のバイクを見る。

 

(良い出来だ)

 

 一目見て、彼女のこだわりが感じられた。

 決して至高の逸品と言うわけではない。無論、市販品とは比べようもない高性能だが、それ以上にパーツ一つ一つに至るまで、とても丁寧に扱われているのが伝わった。

 

(もう少し穏やかな出会いが出来ていれば、風鳴との関係も少しマシになったかもしれないな…)

 

 今更考えても仕方がない。

 斬り合い寸前まで言った事を思えば、バイクを他人に預けようという気になってくれただけでも御の字だ。

 いや…寧ろ…

 

(愛機をいきなり預ける…と言うのは、少し信用され過ぎな気もする……)

 

 俺の中で、ある可能性が浮かび上がった。

 こうして俺に好き勝手させているのも、俺の行動を把握し、怪しい所がないか炙り出す為ではないだろうか…と。

 風鳴も、会話している時は一見穏やかに見えていたが、俺に対して警戒を全く解いてない風ではなかった。

 

(俺を試しているのか)

 

 だとしても。

 

 限られた環境で最善を尽くす他はない。

 そう思った俺は、再びバイクのカバーを外すと、自身のDホイールから予備パーツを出し、繋ぎ直す作業に取り掛かった。

 時代と場所は違っても、二輪走行の構造上、共通するパーツは幾つかある。今から行うのは、それを取り換える、というものだ。

 

(良い顔をされないかもしれない……だが…)

 

 おこがましいと言われればそれまでだ。

 

 ただ……このマシンを見た時、その仕上がりの良さと裏腹に、彼女自身の心の膿を垣間見た気がした。

 マシンは乗り手を映す鏡だ。見ればどんな性格か、何を求めているのか、何を考えているのかが自ずと読み取れる。

 その辺りはデュエルに通じるモノがある。

 

 

『遊星も、自分の気持ちを分かって貰えるように頑張らなきゃ』

 

 

 響が言ってくれた言葉が思い出される。

 俺自身も、壁を殊更作りたいわけじゃない。むしろ逆だ。これが吉と出るか凶と出るかは不明だが……

 

 

「先生」

 

 

 その時、遠くから俺を呼ぶ声がする。

 振り返ると、一人の女生徒が、駐車場の入り口に見えた。

 

「……小日向」

 

 少し前に、後者で別れた筈の少女が、鞄を持って俺の前へと立ちはだかるように、ゆっくりと歩いてくる。

 

「こ、こんにちは、先生」

「あ、ああ」

 

 先程別れた時と、少し様子が違って見えた。

 直前までは、俺や響を疑念の目で見ていたのがありありと感じとれたが、今は少し違う。

 微笑を浮かべ、人当たりの良い性格が浮き出ているようにも思えた。

 

「どうした、こんな所に?」

 

 ゆっくりと、慎重に尋ねる。

 

「どこか、具合でも悪いのか?」

「先生こそ、どうしたんですか?」

 

 張り付いたような微笑のままで、小日向は問い返す。

 

「それ、先生のバイクじゃないですよね?」

「ああ、これは……知り合いのだ。調子を見てくれと頼まれてな」

「風鳴翼さんのものですか?」

 

 息がほんの一瞬止まった。

 俺の動揺を見抜いたのかは分からないが、小日向は続けて言った。

 

「あの…ごめんなさい。さっき、図書室の向こう側から見えたから。翼さんの病室で先生と……響が、一緒にいるのを」

 

 なんということだ。

 まさか見られていたとは。

 確かにこの建物はリディアンと併設されており、学園の校舎には幾つか病室を覗けるスペースがある。だが注意は怠らなかった…

 

(あの時に見られたか…っ!)

 

 いや、一瞬だけ…風鳴の部屋が荒らされたと勘違いしてしまったあの数分間のみ、流石に俺も焦って外へ注意を払う余裕が無かった。

 

 修羅場はくぐっているものの、俺の危機管理能力や仕事はあくまで素人だ。緒川さんの様な訓練を積んだ動きではない。

 その僅かな綻びがこの状況を生んだのだ。

 

「用事って……翼さんのお見舞いだったんですか?」

「……ああ」

 

 まずい。

 実際に知られるかどうか、とは別だ。彼女に疑いの目を向けられること自体避けなければいけなかった。

 ここで響との繋がりを勘繰られるわけにはいかない。俺がいる時はまだしも、響自身、秘密を隠すということに長けてない。ルームメイトの小日向相手では必ずどこかにボロが出る。

 

「風鳴とは、あまり顔を合わせる前に入院してしまってな。見舞いも兼ねて、色々と話をしたかったんだ。だが…こういうのは不精でな」

 

 表情を変えないように努め、何とか言い訳を繋ぎ合わせていく。

 

「立花に話したら、相談に乗ってくれてな。今も一緒に付き添いで来てくれたんだ」

「そう…ですか」

 

 無理の無い範囲で取り繕う。

 嘘は言っていない。誰かの見舞いなんて殆ど行ったことがないし、彼女とのコミュニケーションで悩んでいたのも事実だ。

 真実を誤魔化すには真実を混ぜて話す方が容易だと云う。

 ただ、この数か月、彼女を見て思ったが、勘の鋭いところがある。これで納得してくれるかどうか……

 

 

「分かりました」

 

 

 予想に反して、小日向は納得した様子で頷いていた。

 

「私、先に寮に帰って待ってますから。あまり遅くならないようにって、先生からも言ってもらって良いですか? 私が言っても聞いてくれなくて」

「あ、ああ…」

 

 そう言って、彼女はお辞儀をした。

 逆に面喰ってしまった。

 もう少し食い下がって来るかと思っていたが……

 

「じゃあ、これで失礼します」

「小日向…っ」

 

 だが、俺が口にするより早く、彼女は頭を上げて、そのまま走り去ってしまった。

 慌てて追いかけようとするが、そう言う訳にはいかなかった。

 運命というものは皮肉だ。

 よりにもよってこんなタイミングで、小日向は俺と響が風鳴と共にいるのを見てしまい、そして今も、すれ違いを生むキッカケとなってしまった。

 

 

「おーい、遊せーいっ!」

 

 

 小日向の姿が見えなくなってから数瞬。

 俺の後ろから別の声がする。聞き間違える筈も無かった。

 振り向くと、さっきまで話題の渦中にあった少女が、病院の入り口側からこちらへと走ってくる。

 

「響っ」

 

 俺は振り返って彼女を見る。

 

「やっぱり駐車場にいた。翼さんが、バイクの様子を見てくれてるって言ってたから。いや~ごめん、さっきはつい寝ちゃって……遊星?」

 

 俺は急いで小日向の走り去った方向を見る。

 人の気配はない。

 どうやら本当に帰ってしまったようだ。

 

「何かあったの?」

「あ…いや」

 

 躊躇った。

 さっきの出来事を話してもいいものか。

 本来なら言うべきだ。もしこの後、不意に小日向から追及されれば狼狽するのは目に見えている。何らかの対策を打つべきだ。

 だがこの時、気持ちは少し後ろ向き……いや、ある種の後ろめたさを感じていたのかもしれない。

 

「……響は、何かあったのか?」

「ううん。ちょっと買い物に出ようかなって思って。それで、遊星はどうしてるかなって」

「買い物?」

「うん。おばちゃんの」

 

 ぐぅう~、と鳴る深く低い音。静かに彼女の顔へ視線を移すと、顔を赤くして頭を掻いていた。

 

「……お好み焼きを、はい。お腹が空きまして」

「そ、そうか」

「い、いやっ。でもね! おばちゃんも言ってたんだけど! お腹が空くと良い考えも浮かばないっていうか、悪いことばかり考えちゃうんだよ!」

 

 真顔で頷くと、慌てて響は捲し立てた。けだし名言だよね! と親指をぐっと立てて全力で笑うが、すぐに真顔に戻って本音を話した。

 

「…翼さんにアームドギアを扱うコツを聴こうとしたんだけど…イマイチぴんと来なくて」

 

 響なりに、明確な戦う手段。俺やチューナー抜きでも戦える必殺武器を研究するつもりだった。翼とそこまで話し合えるようになったことに俺は安心していたが、それでも響が言うにはあまり理解の範疇には無かったらしい。

 

「おばちゃんのお好み焼き、持ち帰りも出来るからさ。翼さんの分も一緒に買って、皆で食べようかなって。美味しいもの食べてお腹いっぱいになれば、きっといい考えも浮かぶよね!」

「……」

 

 俺のデュエリスト生命を賭けてもいいが、絶対に響は満腹になったところで眠りに落ち、良い考えは生まれないだろう。

 何故こんな風に自信を持って言い切れるかというと、過去に同じ様な発言をして散財し家計を圧迫した挙句、結局は成功に結びつかなかった男を一人知っているからである。

 

 しかしここで否定してもそれこそ良い結果にはならないし、俺達にも食事は必要だ。

 

「…ダ、ダメですかね?」

「いや。そうだな、やってみてもいいかもしれないな」

「だ、だよね!」

 

 やはり、小日向のことは話しておいた方が良いだろう。

 その後で、緒川さんや了子さんに相談すれば、上手い話の逸らし方を彼女に教えてくれるかもしれない。

 

(小日向も、完全に響を疑ってるわけじゃなさそうだ。あまりこちらから警戒し過ぎても、良い結果にはならないかもしれない)

 

「待っててくれ。今、片付ける」

「あ、いいよ。ちょっと走ればすぐだから」

「俺もあの店に用があってな。機械の様子を見ようと思ってる」

 

 なるほど、と響は納得して頷いた。無論、嘘ではないが、これは彼女と共に行動する方便だ。

 未だに俺達がネフシュタンの鎧の少女や、彼女を擁する黒幕…あるいは、二課の内部にいるスパイに狙われているのは変わらない。

 今は二人一組で行動する方が賢明だ。

 

「あ、それ翼さんのバイク?」

「ああ。丁度一区切りついたところだからな」

「え、もう? 凄いなぁ、さすが遊星!」

「少しパーツを取り換えただけだ。風鳴が気に入ってくれるといいんだが」

「ふうん…そう言えば、さっき見た画像とあまり見た目は変わらないね」

「ああ」

「どう違うの?」

 

 かいつまんで響に説明をすると、分かったような分からないような顔をしている。

 

「まあ…あとは本人のフィーリングだが…」

「大丈夫だよ。遊星が改良したんだもん。きっと翼さんも気持ちよく走れるよ」

 

 そういう響の目はお世辞でもない、純粋に信頼に溢れていた。

 それ自体は素直に嬉しかった。

 

「そうだな」

 

 短く応えると、俺は荷物をまとめてDホイールに収め、響と一緒に病院の裏手の方から商店街へと続く道へと歩き始めた。

 

「あれ? 遊星、そっちじゃないよ」

「いや…今、そっちに行くとマズい」

「え?」

 

 お好み焼き屋『ふらわー』は、学園から学生寮へと続く並木道を通り過ぎ、そこから坂道を下って行けばすぐに市街地へたどり着ける。

 だが…このまま行くと、万が一、小日向とバッティングする可能性がある。

 

 

「実はな……響が来る直前に」

 

 

 本当に運命は皮肉屋だ。

 いや…この後のことを考えれば、寧ろ彼女達の問題を解決するタイミングはここが限度だったのだろう。

 もう先延ばしにするわけにはいかなかった。

 小日向未来と立花響は、俺が知っている以上に硬く強い絆で結ばれていたのだ。

 

 それを誤魔化していれば……亀裂が入るのは自明の理だった。

 

 ――――! 

 

「っ!?」

「これは…!」

 

 けたたましく鳴る警告音。

 俺と響、お互いのポケットから鳴り響いている。

 間違いない、二課からの緊急通信だ。

 急ぎ取り出すと、弦十郎さんの声は双方に同時に響いた。

 

 

『俺だ! ネフシュタンの鎧の少女が現れた!』

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

『お腹空いたまま考え込むとね、嫌な考えばかり浮かんでくるもんだよ』

 

 お好み焼き屋『ふらわー』のおばちゃんが、前にそう言ってくれたことがあった。

 確かにその通りだった。

 腹が減っては戦は出来ぬ。そう思えば、まずは美味しいものを食べないとね。

 

 

 そう考えた……私はバカだった。

 

 

 どれだけお腹が満たされても、心にぽっかり空いた穴だけは、塞がらない。

 それを嫌と言うほどに、私は分かっていた筈なのに。

 

 

『ネフシュタンの鎧の少女が現れた!』

「あの子が…!」

 

 忘れもしない。

 この時の私の頭は、扱いきれないアームドギアと……そして、あの子のことで一杯だった。

 私と遊星を狙い、ノイズを操って、そして翼さんに重傷を負わせた女の子。

 

『この基地にまで、一直線に向かっている。狙いは恐らく、デュランダルだ』

 

 師匠の緊迫した声。

 デュランダルは移送作戦に失敗して、またリディアンの地下にある二課の基地に保管し直されている。了子さんが基地を改造して、誰にも取られないようにするって言ってた。

 けど、二課の基地の場所は誰にも知られてない筈なのに……

 

「遊星…!」

「…弦十郎さん、二課の場所がバレたのか?」

『その可能性は低いだろう。これだけの高エネルギーを発しながら近づけば、俺達に警戒されるのは明白だ。恐らくこれは敵の陽動……いや、挑発と考えられる』

「挑発…!?」

 

 私は息を呑んだ。

 

「狙いは俺達か」

『恐らく間違いあるまい。奴さん、とうとう痺れを切らしたようだ』

 

 そうか。私達が狙いなのも変わらないんだ。なら遊星か私の、どっちかが先に狙われてもおかしくない。

 

『既に周辺地区に避難警報は発令した。奴は東方面から、リディアンに向けて高速で移動している。二人は直ちに、こちらまで戻って来てくれ。住民のいない区域で、彼女を迎え撃つんだ』

「了解ですっ。すぐ向かい……遊星?」

「東方面…っ!?」

 

 けど、私より先に愕然とした声が出たのは遊星だった。

 

『どうした遊星君?』

「弦十郎さん、ネフシュタンの少女の進行方向に、生体反応はあるか?」

『なんだって? どういうことだ?』

「知り合いがその方向に走っていった。このままだと鉢合わせになる!」

 

 師匠の愕然とした声。

 此処から東ってことは……丁度、学生寮に帰る並木道がある。

 けどこの時間帯、人通りは殆どない。警報が鳴ったら、なおさら人は寄り付かない筈なのに……

 

『藤尭っ』

『とっくにやってますよ!』

 

 藤尭さんの声がする。そして次の瞬間、私は凍りついた。

 

『衛星からの映像、確認しました。女学生が一人、リディアンの生徒です!』

「響、急ぐぞ! このままだと、小日向が危ない!!」

「え…」

 

 嘘であってほしかった。

 けど私が言葉を発するより先に、遊星は翼さんのバイクの隣に停めてあるDホイールに跨ると、予備のヘルメットを私に手渡した。

 

「早くするんだ!」

「わ、分かった!」

 

 話を聞くより先に身体が動いた。

 ヘルメットを大急ぎで被ると、遊星の座るシートの後ろに跨るように乗った。

 キィイイイン! と独特のエンジンが回転する音が聞こえる。

 同時に液晶画面が起動して、Dディスク部分が虹色に光り始めた。

 僅かな振動と一緒に、遊星はクラッチを踏み、手元のボタンを操作する。

 

 瞬間、私達は風になって一直線に加速した。

 大道理を出ると、そのまま並木道へと向かう路地裏へと入る。

 思わず私は遊星に尋ねた。

 

「遊星、小日向って…!」

「……俺のミスだ」

「えっ…!?」

「響が来る直前に、小日向と話していたんだ。病室で、俺と響が一緒にいるのが校舎から見えたらしい」

 

 絶句した。

 そうだ…未来は、前から図書室で、借りたい本があるって言ってた。

 あの図書室の窓からは、病室が見えるんだ。

 何で考えなかったんだろう……未来が私達を見ている可能性だってあったのに! 

 

「遊星…!」

「今は彼女を助けるぞ。まだ遠くへは行ってない筈だ!」

「う、うんっ!」

 

 師匠からの連絡はない。

 ノイズが出てないなら、まだ大丈夫かもしれない。

 あの子だって、無闇やたらに人は襲わない……そう信じたい。

 ううん、信じるしかなかった。

 あの子が残酷で、人をいたぶる事をなんとも思わない人なら……

 

(お願い……お願い、未来…無事でいてね!)

 

 戦う相手を信じるなんて、バカなことを…翼さんなら、そう言って怒るかもしれない。

 けど怒られて未来が助かるなら、私は何回だって怒られる。

 そうじゃないと私は……! 

 

『ネフシュタンの反応、Dホイールとの距離を詰めています。距離およそ6キロ、接触まであと150!』

「掴まれ! 一気に加速するぞ!」

「…っ!」

 

 私が遊星の腰にしがみつくと同時に、彼がクラッチを踏む。

 一気に加速されたDホイールは、音を置き去りにする勢いで小道を駆け抜けた。二課の人が送ってくれるデータを元にして、最短距離を突っ走る。

 強風がヘルメット越しでも感じられる。

 その中でモニターに表示された二つの光点……私達とネフシュタンの鎧の反応は確実に近づいていた。

 

(戦う……あの子と戦う…!)

 

 いや、その前に未来を助けなくちゃ……! 

 こうなったら、もう隠してられない。此処から離れてなんて言いようがない。

 無理矢理にでも連れ出して、安全な所まで移動するしかない。

 

(ごめんね、未来……でも!)

 

 私、未来を守らなくちゃ! 

 そして、あの子と向き合わなきゃいけないの! 

 私は心の不安を振り払いながら強く想った。

 …その果てにあるモノを知らないで。

 

 

「いたぞ! 小日向だ!」

「未来っ!!」

 

 人影が見えた。

 まだ小さいけど、小さいころから知っているあの姿を間違える筈ない。

 未来だっ! 

 同時に、遊星がスピードを緩める。

 私は急いで横っ飛びに跳ねるようにしてDホイールから降りて着地した。

 

「響っ!」

 

 未来がいるのに、遊星は私を下の名前で呼んだ。多分、走行中のバイクから飛び降りるなんて無茶をしたんだろう。でも私は危ないとかそんなこと考える余裕はなかった。

 何故なら……

 

『ネフシュタン、接触しました!』

 

 友里さんの声が、もう後ろにあったDホイールから聞こえる。

 そこから遅れて

 

 

 ―――………見つけたぞ! 

 

 

 声が、した。

 並木道の方角。夕焼けを背に浴びて、逆光でシルエットしか分からなかったけど、確かにそこからの声を私は捉えた。

 禍々しい茨の鞭と、魚の鱗に覆われたような白い鎧。仮面に隠れてよく見えないけど、確かなのは、私とそう変わらない歳の女の子が、その正体を隠していること。

 

「ネフシュタンの…っ!」

 

 遊星が歯噛みする。

 その間に、最悪の形だった。私達が同時に同じ場所で出会うなんて……

 しかももっと酷かったのは、

 

 

「あ、響っ! おーいっ」

 

 

 未来が、全く状況を分かっていなかった! 

 

「未来、こっちに来ないでっ!!」

「えっ…?」

 

 向こうが私に向かって笑顔で走ってこようとする。

 瞬間、私と未来の間に亀裂が入った。

 

 

「お前が……お前がアアアアアアッッ!!!」

 

 

 叫び声がする。鎧の女の子が、その鞭を飛ばして私を攻撃した。

 けど、私が呼び止めたせいで、照準が狂ったのか、鞭は大きく逸れながら地面を抉る。

 コンクリートが地響きを立てて砕けていく。

 

 

「きゃあああああっっ!!?」

「未来っ!」

 

 飛ばされそうになる程の爆風と衝撃の中で、私は未来を必死に探す。

 

「っしまった!? 他の人間がいたのかっ!!?」

 

 鎧の女の子の叫びがした。

 向こうも未来がいることが分からなかった。夕焼けのせいなのか、それとも木陰で丁度隠れて見えなかったのか。

 けど、私の意識はあの子に向いていなかった。

 だって……

 

「マズい! 車が……小日向、逃げろっ!!」

 

 遊星が叫ぶ。近くに止めてあった車が、攻撃の反動でオモチャみたいに軽く宙へ跳ね上がり、そして……狙いを未来へと定めて落下していた。

 

 

「っ…っ…う、っ…げほ、げほ…な、なに……いったい…?」

「未来ぅっ!!」

 

 私は必死に走った。

 土煙の中で僅かに見えたシルエット。煙に巻かれて、その場にうずくまっている未来目掛けて私は走る。時間は止まっていた。

 その中で、全部が見えていた。師匠の声がする。その後で友里さんの声が、藤尭さんの声が。

 後ろでは遊星が、カードを引き抜いてDディスクにセットしようとしているのも分かる。

 けど、足が遅い。

 私の身体が前へ進んでくれない。

 全てがお伽噺みたいにゆっくりと穏やかに進む錯覚の中で、私の心臓はドンドンと身体を打ち鳴らしていく。

 

「………ぇ」

 

 ああ、未来が……未来がしんじゃう……!! 

 いや、いや! いや!! 

 こんなのいやだいやだ助けて助けて助けないと助けないと助けないとっ!!! 

 

「うわああああああああああっっっっ!!!!」

 

 Balwisyall Nescell gungnir tron―

 

 その叫びは、私の心を呼び覚ます。

 新しい力。心臓の奥深くから聞こえるもう一つの鼓動が、私の身体を組み替える。

 歌声が閃くのと同時に、私は叫んでいた。

 

「ああああああああっっっっ!!!!」

 

 気が付くと私は聖詠を唱え終えて、ギアのプロテクターを装着していた。

 そのまま拳を握りしめて、未来を庇うようにして立ちはだかると、落下してくる乗用車を狙って一気に右腕を振り上げた。

 

「だああっ!」

 

 一瞬だけバキンと言う重くて鈍い金属音と、腕に感じる衝撃と重さ。けど何も動じなかった。何も考えられなかった。

 私は勢いそのままに拳を振り抜く。

 気付いた時、車はキリモミ回転をしながら遥か後ろへと吹き飛んで行った。

 例えギアを装着してても、こんなパワーを出せたことは一度だってなかった。親友の危機が、私の力を引き出してくれていた。

 

「はぁ……はぁっ…はあっ…!」

 

 真っ白になった頭で、必至に呼吸を整える。

 ネフシュタンの女の子は、無関係の子を巻き込んだことに動揺していたから、こんな隙だらけの私を見るだけだった。

 私も、突然の出来事に意識が追いつかない。

 けど……それはほんの少しで、飛んでいた意識は、後ろから聞こえるか細い声で引き戻された。

 

 

「……ひびき?」

 

 

 小さな声。

 けど確かに聞こえる。

 驚きと、悲しみと……それと、恐怖と……

 

 ―――力の使い方を知るという事は、すなわち戦士になるという事。それだけ、人としての生き方から遠ざかるという事よ―――

 

 翼さんの言葉が蘇る。

 ああ、そうか……

 あの人が言っていたのは……こういうことだったんだ。

 

「ごめん」

 

 胸の痛みを押し殺して、私は引き絞るようにして、それだけを言った。

 ごめんね、未来。

 でもね、しょうがないんだよ。

 未来を、守るためだったんだよ。

 けど、だから……だからね……絶対に守るからねっ! 

 

 

「小日向、無事かっ!?」

「せ、せんせい…?」

「遊星! お願い、未来を安全な所へ! 私があの子を引きつけるから!!」

 

 思わず私は叫んだ。

 未来を巻き込んじゃいけない! 

 そうしないと、もう……こんな姿を、戦いを、未来に見せちゃいけない! 

 

「響も無理はするな!」

「大丈夫っ!」

 

 そう叫んで、私は飛び出した。

 

 

 ――ねえ、どうして? 広い世界の中で――

 

 

 それは、翼さんのアドバイスが響いたからなのか。

 未来を傷つけられたからなのか

 それとも、私が未来を守りたいと願ったからなのか

 或いは全部かな? 

 とにかく、私は新しい歌を、その身に響かせる。

 

「へっ! 鈍くせえのが……一丁前に挑発するつもりかよっ!!」

 

 鎧の女の子に、その姿を見せつけるようにして。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 もう、間に合わないとさえ思った。

 車が吹き飛び、落下地点に小日向がいると判断してから、咄嗟にカードを引き抜いたが、それでも到底彼女を救い出すには時間が足りなかった。

 

 響の驚異的とも言える判断と、尋常ではないそのスピードに、俺は暫くの間圧倒されていた。

 速い……速すぎる! 

 俺でさえ、彼女の変身してからのスピードをもう追い切れていなかった。あの一瞬で響は小日向の元へと駆け寄り、車を一撃で吹き飛ばしたのだ。

 シンフォギアを操るのは、心の強さ。彼女の親友への危機意識が、力を引き出した。

 しかし……これはとても…! 

 

「遊星!」

 

 その時、響の叫びで、俺の意識は引き戻された。

 

「お願い、未来を安全な所へ! 私があの子を引きつけるから!!」

 

 ハッと我に返る。

 そうだ、今はとにかく小日向の安全を確保するのが最優先だ。

 

「響も無理はするな!」

 

 俺はDホイールを吹かすと、小日向の方まで一直線に走る。一瞬だけスピードを弱めつつ、彼女の方まで向かい、そのままハンドルから手を話すと、小日向を掬い上げるようにして抱え込む。

 

 

「すまん、小日向っ!!」

「え…きゃあああっ!!?」

 

 彼女の身体を抱きかかえるようにして掴み上げ、一気にクラッチペダルを踏み込む。高速へとギアチェンジしたDホイールは、加速して響やネフシュタンの少女との距離をグングン稼いでいく。

 

「な、なにっ!? 何ですか、これっ!? せ、先生っ!!?」

 

 抱えられた中で、必死にもがいて叫ぶ小日向を、力ずくで抑え込む。了子さんから女の子の扱いは気を付けろと言われていたが、正直そんな余裕はなかった。

 響がどの程度持ち堪えられるかどうかわからない。

 今はとにかく、彼女を安全な所まで運ばなければ……

 

「せ、先生っ! 離してください! 響がっ! 響があそこにいるんですっ! 先生っ!」

 

 尚も必死に呼びかける小日向。

 この状況で親友のことだけが飛び出るその勢いに、本来なら感心するところだったが、今はこの際、足かせになってしまう。

 

「いいから黙ってろっ! 死ぬぞっ!」

「っ…っ!」

 

 つい声を荒げてしまう。

 俺の気迫に小日向も流石に押し黙った。

 しかし罪悪感に浸る間もない。

 俺の後方。さっきまで響たちがいた場所よりもさらに奥で、鈍い轟音が起こるのが伝わる。

 

「っっ…!?」

 

 小日向がビクリと体を震わせた。

 流石にもう叫びだすことはしなかったが、無理もない。親友がいた場所で破壊が起こり、しかもその渦中にありながら、自らがその混乱へと飛び込んでいく。まるでフィクションの世界のように。

 

 

『遊星さん!』

 

 

 その時、Dディスクの通信機能から、声が流れてきた。

 別任務に就いていた筈の、緒川さんだ。

 同時に、クラクションが鳴り響いた。

 並木道の反対方向から、黒塗りの乗用車が一台、こちらへと向かってきている。二課の用意した特殊車両だ。それにあのナンバーはいつも彼が使っているモノである。

 

「緒川さんかっ!?」

 

 俺は急いでブレーキを踏み、Dホイールを停止させる。同時に向こうもドリフト気味に車体を横に滑らせて急停止した。

 遮光ガラスが開き、緒川さんが運転席から顔を覗かせる。

 

「状況は把握しています。彼女は我々で保護します」

「頼む!」

 

 短く応えると、俺は小日向をDホイールから降ろす。

 未だ混乱の最中にある彼女に、俺は努めて冷静に呼びかけた。

 

「小日向、この人と一緒にいるんだ。そうすれば安全だ」

「せ、先生……な、何なんですかっ? 一体、何が、どうなってるんですか…!? 響は…響は、どうしちゃったんですかっ!?」

 

 袖を掴んで、俺を見上げながら胸の内をぶつけてくる少女。

 こんな事態に遭遇しながらも、彼女の心は親友である響に向けられている。だが、それに応えてやることは今の俺にはできないのだ。

 

「…すまない、今答えてやることはできない」

「っ…!」

「緒川さん、彼女を頼む! 俺は響の援護に向かう」

「お気を付けてっ!」

「ま、待ってください! 先生っ、先生っ!!」

 

 彼女の想いと言葉を置き去りにして、再びDホイールに火を灯す。

 一気に回転数を上げたモーメントエンジンは、彼女への未練を振り切るようにして甲高く唸りを上げ、機体を熱くさせた。

 

「さぁ、あなたはこちらへ!」

 

 緒川さんが小日向へそう言ったのが、聞こえた最後の言葉だった。

 次の瞬間、二人の姿ははるか遠くにあり、俺は元来た道を一直線に戻り始めた。

 

(既に戦いは始まってるか……耐えてくれっ、響!)

 

 今は響のことだけを考えなくては! 

 そう思い、瞬時に思考を戦いの場へと切り替えた。

 その時、Dホイールに通信が届いた。

 

 

『響ちゃん、交戦に入りました! 現在、市街地を避けて移動中!』

『聞こえるか、遊星君。響君は被害を抑えるために、人気のない所まで移動している。こちらの誘導に従って、彼女と合流してくれっ!』

「了解したっ」

 

 

 短く応えると、改めてデバイスにカードをセットし直す。

 同時にモニター画面にはマップが表示された。緑色の光点が響を指示している。最短経路を予測し、俺はハンドルを切りなおした。

 

(この距離なら、あと数分で着く…問題は)

 

 響は持ち堪えてくれるだろう。後は、どう彼女を無力化するかだ。

 敵は恐らく俺達を再び分断するか、或いはノイズを使って物量で圧倒する可能性も……。

 

 …いや、待てよ? 

 

「藤尭さん、ノイズの反応はあるか?」

『いや、こちらからは確認できない。響ちゃんの所でも同様だ。ネフシュタンの反応だけが、彼女と接敵している』

「どういうことだ?」

 

 敵は明らかに今回、手を変えてきている。

 こちらにも分かる、あからさまな出現。そしてノイズは現れない。

 何かの罠か? 

 いや、それなら今こうして俺達が分断されている時にこそ、ノイズを出現させればいい。

 それをさせないという事は…

 

(敵に何らかのアクシデント……いや、楽観視はできない。なら、俺達をまとめて撃破するための策か?)

 

 敵が俺達の予想も出来ない手段を講じてくるのだとすれば、勝利のカギとなり得るのは、向こうも知らない戦術をこちらも整えることだ。

 

(ならばっ!)

 

『遊星君、そこの並木道をくぐれば、響ちゃん達の所へはあと少しよ!』

「分かったっ!」

 

 友里さんの指示を受けると、俺は急いでDホイールを急停車させた。

 そして腰にあるカードケースから、数枚のカードを抜き取ると、Dディスクのデッキを取り出して、組み替える。

 

『遊星君、何をするつもり?』

「スタンディングに切り替える」

『けどそれじゃ、機動力が』

『構わん、遊星君に任せるんだ』

『司令…!』

 

 友里さんを制しながら、弦十郎さんの声が届く。

 

『遊星君、十分に注意してくれっ。どうやら相手は、ノイズを発生させる例の聖遺物を所持していないようだ。だとすれば何らかの罠か、伏兵も考えられる』

 

 流石は二課の指令だ。俺と同じ結論に至っていた。

 デッキの組み換えを終えると、急いでデバイスをDディスクへとセットする。

 ガイダンスボイスが設定終了を告げると共に、急斜面を降りて、反応のある場所へと駆け出す。

 

『モーメントアウト』

 

「今いくぞ、響っ!」

 

 もうこの時には、俺の中から小日向未来と言う少女のことは、殆ど抜け落ちてしまっていたのだった。

 その時だ。

 再び轟音が辺りに飛び交い、木々がメキメキと音を立てて崩れていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 私の数センチ横を、鞭がしなって掠めた。

 

「っ!!?」

 

 もう一回、横っ飛びに跳ねる。

 そのまま側転を数回繰り返していると、さっきまで私がいた場所の地面が砕けて、生い茂る気がバキバキへし折れた。

 

(足を止めちゃ駄目だ!)

 

 足裏に力を込めて、地面を這うようにして、私は森の中を駆けた。

 あの子の鞭が今度はこっちの足を狙ってくる。水平の薙いでくるそれを、ジャンプして躱す。すると今度はもう片方の鞭が盾に伸びて私の顔面を目掛けて打ち下ろされた。

 

 空中に飛んだ私は逃げようがない。けど…! 

 

「っああああっ!!」

 

 横に生えている大きな樹の幹を思い切り蹴り上げる。

 反動で真横にダイブした私の側面を、縦に襲う鞭が通過して行った。

 

(あ、危なかった…!)

 

 未来が襲われて、相手に何の恨みも無かったのかと言われてら、多分ウソだ。

 けど、この状況でそんなものは何処かへ行ってしまった。

 そんな感情に突き動かされたら、絶対に今頃叩きのめされて地面に転がっていたに違いない。

 

(やっぱり強い……強過ぎる!)

 

 翼さんだって敵わなかった相手なんだ。

 まだ私の及ぶ相手じゃない。分かってたつもりだったけど、それでもいざ面と向かうと、勢いに圧倒される。

 

 

「オラッ! オラっ!! どうした、逃げるだけかっ!!」

 

 

 距離を取っちゃいけない。私にはあの子や遊星、翼さんみたいな飛び道具がない。

 そう思っても、何度も何度も繰り返し出される攻撃。

 反撃しようとしても体勢を立て直す暇も無かった。

 

「いい加減にしやがれ! チョコマカチョコマカとぉっ!!」

 

 避け続ける相手に痺れを切らしたあの子。

 私に向かって叫び声を上げながら更に攻撃は激しくなっていく。

 

(ダメだ…どうしたらっ!)

 

 この状況を切り抜けなくちゃ…! 

 でも、どうしよう…! 

 前みたいに相手の鞭を掴みとることはできない。向こうも警戒して……

 

(前みたいに…)

 

 そうだ。

 私は思い出す。

 この間、工場で戦った時、私はあの子に何をしようとしたか。

 

(前みたいにしちゃいけない! あんな……力で壊してちゃ駄目なんだっ!!)

 

「うぉらああっ!!」

 

 正面から襲い掛かってくる鞭。咄嗟に両腕でガードする。高い音と一緒に、衝撃が全身に広がる。勢いを殺しきれずに、数メートル後ろまで吹き飛ばされたけど、何とか踏みとどまった。

 

「へっ、ドンくせえのがやってくれるなっ!」

「私は『ドン・くさい』なんて名前じゃない!!」

「はっ?」

「私は立花響、15歳!」

 

 負けちゃいけない! 

 力じゃない。強さじゃない! 

 胸の中にある子の想いだけは、ヘシ折られるわけにはいかない! 

 

 ――戦の中、あなたが心に思い浮かべていることは? 

 

 あの時、翼さんの問いかけが蘇る。

 イメージするんだ。私の中にある気持ちを。出来るだけ具体的に、出来るだけ強く! 

 

「誕生日は9月13日で、血液型はO型! 身長は、この間の測定では157センチ! 体重は……もうちょっと仲良くなってから教えてあげるっ!」

 

 私は必死になって捲し立てる。

 こんな戦場で戦う女の子の気持ちを、最初から理解はできない。なら、せめて私のことを知ってもらうんだ。

 私に戦う気持ちがないってことを、まずは伝えるんだ! 

 

「趣味は人助けで、好きなものはご飯&ご飯! あとは……」

「……な、なにトチ狂ってやがる、オマエ…!?」

「彼氏いない歴は年齢と同じです!」

「人の話聞いてんのかコラァ!!」

 

 女の子は叫ぶ。

 けど私は構わず捲し立てた。

 乙女の秘密を暴露するなんていう暴挙が、どこまで意味があるのかなんて分からないけど、それでもやるんだ。

 

「だって私達は、ノイズと違って言葉が通じるんだから、ちゃんと話し合いたい!」

 

 戦いたくない。

 分かり合いたい。

 どうしてあなたは戦うの? 

 どうしてそんなに怒っているの? 

 何を求めてるの? 

 何をそんなに……

 

「なに悠長なこと言ってやがる! この期に及んでぇ!!」

 

 哀しい眼をしてるの? 

 

「ふんっ! はっ!」

「なっ!?」

「ほっ! はっ! ふああっ!!」

 

 相手は私目掛けて再び鞭をしならせて攻撃してくる。私は相手を見据えて、攻撃を回避することに集中した。

 

「ちくしょうがああっ!」

 

 めまぐるしい攻撃。けど、さっきより躱しやすくなってた。

 向こうが攻撃を緩めたのか、それとも私の目が慣れたかは分からない。

 

 けど、その中で私の想いはどんどん強くなっていった。

 

 やっぱり私、この子と話し合いたい。

 根拠なんてない。

 やっぱり彼女は悪者で、誰かを傷つけることに理由なんてないのかもしれない。

 

 でも……

 

「話し合おうよ! 私達は戦っちゃ駄目なんだよっ!!」

 

 避けながら必死に叫ぶ。

 その声を聴いたら分かるよ。

 そんな風に、辛い叫びをしているのを聞いたら、私は戦えない。

 

「だって言葉が通じていたら人間は!」

 

 人間はきっと分かり合える。

 こんな事を、私みたいな人間が言うのはおこがましいって分かってる! 

 けど、それでも私は、私達は生きてるんだ。それはきっと争う為じゃない。そんな事しても、何の意味もないんだから! 

 

「ねえ、お願い、話を」

「うるせえ、黙れえええっ!!」

「っ!!?」

「……に…ねぇ…」

 

 私の叫びを初めは聞いていた鎧の女の子は、攻撃を一旦やめると、だらんと鞭をその場に垂らして、ぼそぼそと何かを呟き始めた。

 

「え…」

「気に入らねえ……気に入らねえ、気に入らねえ!」

 

 それは私に向けられた怒りと、憎しみと、悲しみの籠った、血の叫びだった。

 

「分かり合えるものかよ…人間が……人間がそんな風に出来ているモノかよ……!」

 

 僅かに俯いて、バイザーに隠されて、表情は分からない。けど私は、思わず歯を食いしばっていた。

 

「気に入らねえ気に入らねえ、気に入らねえ気に入らねえ気に入らねえっ!!!! お前が! お前があ! ムカつくんだよっ!! てめええっ! 分かったことを! 知ったような口いてるテメエが! それでベラベラ喋ってるテメエがアアアアアアアッッ!!!」

 

 何度も何度も、怒り狂った彼女は私に向かって気持ちを叩き続ける。びりびりと空気が振動する。本当に、あの子の叫びで、空気が揺れていた。

 

 

「お前を引きずって来いと言われたが……もうそんなのどうでもいいっ!!」

 

 相手が拳を握り締めながら叫ぶ。

 

「お前をこの手で叩き潰す! 今度こそ! お前の全てを踏みにじってやる!!」

 

 この気持ち……悲しみと、痛みと……そしてどこか申し訳ない気持ちで、私の胸は一杯だった。どうして私は、この子に罪深さを覚えてしまったんだろうか? 

 

「ぐおおおおおっっ!!」

 

 唸り声をあげて、向こうが宙にジャンプする。

 そして鞭を高々と掲げると、あの子の頭上では、光の玉が出来始めていた。

 それは周囲に防風をまき散らして、徐々に大きくなっていく。

 

「っ…!」

 

 息を呑んだ。バチバチと白黒に明滅しながら、どんどん光の玉は大きさを増していく。

 

(あれは……)

 

 

 前に見たことがあった。翼さんと戦っていた時に出した。あれをまともに受けて、翼さんは倒れてしまった。まともに受けたら、防ぎきれない。避け……ダメだ! 避けちゃ駄目だ! あの子と分かり合いたいと願うなら! あんなものくらいで下がっちゃいけない! 

 

「私だって……私だって、やられるわけにはいかないんだ!!」

「黙れええええええっっ!!!!」

 

 受け止めてみせる! あれがあの子の怒りだっていうのなら! 

 

「ぐっぅ……うぅううううううっっっ!!」

 

 発射された球体を私は真正面から受け止めた。

 ジリジリと熱い、まるで太陽を受け止めてるみたいだ。おまけにダンプカーに正面衝突されたみたいに衝撃が私の顔面に襲い掛かってくる。鼻が潰れそうになるような感覚に襲われながら、私は必死に願った。

 

 どうか力! 力を! 力を! 

 相手を壊す為じゃない。悲しむためじゃない! 

 この子に胸の内を伝えられるだけの力を! 

 

「コンちくしょうめがああああっっ!!」

「っ!!?」

「持ってけダブルだあああああァ!!」

 

 二発目っ!!? 

 そんな気持ちを封じ込めるようにして、向こうは更に叫び続ける。

 私が守りに入っている間に、あの子は更に大きな球をもう一つ作り出していた。まるで、全ての言葉に蓋をするようにして。

 

「う、ううっ、うあああああっっ…!」

 

 私は戦えない。

 戦いたくない。

 身体中の骨がへし折られそうだ。

 

『俺達はチームだ』

 

 瞬時に蘇る、今度は遊星の言葉。

 今私が倒れたら、今度は遊星が一人で戦わなきゃいけない。

 そうだ、私が戦うのは、私だけの為じゃない。

 例え一人で戦えなくても! 

 

「ぬうううあああああああっっ!!」

 

 ゆっくりと、ゆっくりとだけと、徐々に体が軽くなる。

 光球の勢いが、少しずつ弱くなってきている。違う。私は無意識のうちに、力のコントロールを覚え始めていた。

 即ち、私のアームドギアを! 

 

「なにっ!?」

「あああああっ!!」

 

 掴みとったエネルギーを、そのままおむすびでも握るみたく、ぎゅっと両手で抑え込もうとする。そうだ。相手にエネルギーがあるなら、それを利用して、私の物にして、受け止める。

 それを、武器としての形にすれば…!! 

 

「……うわっ!!?」

 

 けど、集まってきたエネルギーは、私が『ある形』を思い浮かべた瞬間、弾け飛ぶようにして霧散した。そのまま光の粒になって、エネルギーは何処かへ飛んで行ってしまう。

 

「え、エネルギーが……!?」

 

 形に成らない!? 

 確かに翼さんの言葉を思い浮かべた。

 覚悟だってあった。

 強い想いを常に持ち続けた。

 けど、記憶の中にある奏さんの構えた槍をイメージした瞬間、私の手に封じ込めたエネルギーは消えてしまった。

 

 

「チョコザイが過ぎんだよおおおっっ!!」

 

 

 トドメとばかりに放たれる三度目の光球。

 しまった…! 

 さっきの勢いで受けた衝撃が抜けきってなかった。

 私の目の前に迫る光の玉。脚が動かない。腕も痺れて、ガードに回す余裕がない。

 

「っ!!?」

 

 咆える私の寸前で、光球は爆発した。

 瞬間、私は爆風を利用して後ろへと飛ぶ。

 その時、私は理解した。

 

 彼女が放った、ネフシュタンのエネルギーを。その身体に握りしめた時に、横から割り込んできた『ソレ』が、光球を弾き飛ばしたのだ。

 

「コイツは……!?」

「『くず鉄のかかし』…!?」

 

 私と光球の間に飛び込むようにして生えてきた、ボロをまとった鉄屑の案山子が、私を守る盾になってくれていた。

 今まで何度も私を助けてくれた『能無し人間』―――けど、今は彼が世界一勇敢な助っ人だった。

 

 

「待たせたな、響っ!」

「遊星っ!」

 

 

 よろめいた私の身体を、遊星が受け止めていた。

 一瞬脱力しそうになった。ううん、事実、遊星が来て、本当に少しの間だけど、気が抜けてしまった。

 それだけ、目の前にいるあの子の力は驚異的だった。

 

「『くず鉄のかかし』を、フィールドに再セットするッ」

 

 遊星の声で、かかしは赤く縁どられたカードに吸い込まれるように戻っていく。

 

「ありがとう、助けてくれて」

「いや、良く持ち堪えたぞ」

 

 そう言って、遊星は私の頭に手を置いた。

 うん、と私は強くうなずく。

 遊星がいてくれるなら、私は……私達はまだ戦える! 

 

「きやがったな、異邦人…!」

 

 遊星が来てくれたはずなのに、それでも向こうの意志は途切れない。

 ギリリ、と歯噛みをしながら、鎧の女の子が私達を睨み付けた。

 

「舐め合って馴れ合って吸い付きやがって…!!」

 

 寧ろ、より強い怒りを、私達にぶつけてるみたいだった。

 鎧の女の子が咆えた瞬間、周囲の岩や木々はまるで紙切れみたいに衝撃で吹き飛ぶ。まるで怒りを食べて巨大化する怪物だ。

 

「好都合だ。そこのクソバカ女と合わせて、テメエも夏のバッタみたいに引き千切ってやる!」

「っ…!」

「響」

「遊星……」

「フォニック・シンクロだ。それしかこの場を切り抜ける方法はない」

 

 遊星は静かに言った。

 その指は、音を立てることなく、カードに添えられている。

 ジャンク・シンクロン。

 あの時に私を救ってくれたチューナー・モンスター。

 

 確かにあの時の力を出すことが出来れば……皆の力を借りたら、あの子を追い払ったり、やっつけることはできるかもしれない。

 でも……

 

 

「響?」

「待って」

 

 それじゃ、前と同じだ! 

 

「私……あの子に伝えたいっ!」

「だが…っ」

「私の気持ち……今はまだ、モヤモヤでワヤクチャで、何言ったらいいのか分かんないけど、でも……私、あの子と戦いたくなんてないよっ!」

 

 遊星の右手を掴んで止める。

 私の手は震えていた。

 怖い。

 今更、戦うのは怖いってことを思い出した。

 それだけじゃない。

 

『上手くいかなかったら、私の気持ちはどこへ行くの?』

 

 その不安が心を支配しようとしている。

 けど、止められない。

 だって……

 

「しかし、このままじゃ、俺もお前も倒れるだけだぞっ」

「なら、私は、この気持ちごとぶつかりたい!」

「……」

「相手に気持ちを伝えられないままなのは、もっと嫌だからっ!」

 

 どくん、どくん

 

 心臓の鼓動が聞こえる。

 それは私の中のたった一つの想い

 

 目は背けない。

 

 それだけは絶対に譲れない、私だけの誓い。

 その決意は、力を引き出す。

 私と遊星の繋がりを、より深くして、力へと換える。

 

 

『ニンッ!』

 

 

「え?」

 

 その時、カードは光を放った。

 

 ジャンク・シンクロンじゃない。その隣にある、遊星が持っていたカードのうち、もう一枚だ。

 乾電池みたいな胴体に、機械の手を生やした、漫画のキャラクターみたいな姿。

 これって、確か……

 

「ニトロ・シンクロン…!」

 

 そうだ! 私が師匠と特訓をしていた時、庭の池から見つかったあのカード! 

 

『ンムッ!!』

 

 実体化されてないのに、カードは私達に何かを伝えたがっている。その証拠に、この精霊の叫びは、確かに私達の頭へと、心へ届いていた。

 

「これって…!」

「力を使えと言うのか?」

『…』

「……分かった、頼むぞ」

『ニニゥ!』

「…遊星?」

「響、俺が時間を稼ぐ」

 

 静かに、ポーカーフェイスのままで、遊星は頷いて言った。

 

「お前は自分の想いを高めることに集中しろ」

 

 じっと私の目を見据えて。

 

「俺の想いも載せて、奴に直接届けるんだ」

 

 直接届ける。

 その言葉は、私の曇りを晴らしてくれた。

 

「……あ」

 

 そうか。

 何を勘違いしてたんだ、私。

 奏さんみたいにはなれないって、分かってた筈なのに。

 

(そうだ…エネルギーはあるんだ! アームドギアで形成されないのなら…!)

 

「なにゴチャゴチャ話してんだ……?」

 

 その時だ。痺れを切らした、鎧の女の子が、大地を踏みしめて、こちらへと近づいてくる。

 

「ほら、こいよ。この間の妙な変身を使うんだろ? やってみろよ。その隙があったらな」

 

 生唾を呑んだ。ツゥ…と、汗が額から落ちてくる。

 

「俺を信じろ、響」

 

 それでも。

 遊星は、届かせると言ってくれた。

 ならこの人は、必ずやってくれる。

 私を導いてくれた、暗い夜空で輝く光り星。

 この人が、向かうべき道を指示してくれるというのなら……

 

「うん。分かった」

 

 星に願いを。

 私に力を。

 

 

「……テメエ」

 

 

 鎧の女の子が、静かに、怒りに打ち震えながら拳を握りしめた。

 

 うん、あなたは、何かが許せないんだね。

 ごめんね。

 私はこうするしかできない。

 

 でも……だからこそ、あなたを止めるね。

 

 それが私の選んだ道だから。

 あなたを止めなくちゃ、私が、あなたが、もっと辛くなるような気がするから。

 だから私は歌うんだ。

 

 

「行こうっ、遊星!」

 

 

 誰もが、青臭いと断じるだろう。

 戦うより先に分かり合いたいと願うのは。

 けど私は……私達が巡り合った、この意味は、その青臭さだ! 

 私はそう信じてる! 

 

「させるかよおおおおっっ!」

 

 女の子が、地面を蹴って、飛び出そうとする。

 けど、それよりも一瞬素早く、遊星の右手は動いていた! 

 

「手札一枚を墓地へ送り、『カード・フリッパー』発動!」

 

 そうだ。フォニック・シンクロをする為には、遊星がモンスターを呼び出すまで待たないといけない。

 それに、私が戦っている間は召喚やフォニック・シンクロが使えない…! 

 けど相手の攻撃を止められる『くず鉄のかかし』はもう使っちゃった。あれはあと一分近く待たないとダメだ。

 それを見越して、遊星は動いていた。

 

「なっ!? があっ!!?」

 

 私がガードをしようとした時だった。

 彼女の動きが止まる。

 それだけじゃない。

 攻撃をしようとしていたその腕が、まるで操り人形みたいに勝手に動いている。あの子の意志じゃないのは私にも分かった。

 

「な、んだ、これ……!!? くそっ…か、身体が、勝手に……!!?」

 

 まるで自分を庇うようにして、向こうは腕を構えて、顔を覆う。

 師匠が見せてくれたプロボクサーのガードの構えだった。

 そうだ。あの子は防御の姿勢を取っている。

 

「て、めえぇ……な、に、しやがったァ!?」

「カード・フリッパーは、モンスターの表示形式を入れ替えるカードだ。お前は一分の間、守備態勢を取らざるを得なくなる」

「ん、だと…!?」

 

 遊星が使ったのは、あの時食堂のおじさんから受け取った魔法カード。

 手札を一枚捨てないといけないけど、その代わりに攻撃している者は防御を、逆に守りの構えを取っている相手は、自動的に攻撃の姿勢へと強制的に変えられてしまう。

 それが、このカード…『カード・フリッパー』の力! 

 

「更に、ジャンク・シンクロンを召喚!」

 

 これなら、一分の間、私達は自由に行動できる。

 畳みかけるようにして、遊星は次のカードをセットしていた。

 遊星の指示を受けて、モンスターが現れた。

 それは、山吹色の鎧を身に着けた、機械みたいな二頭身のモンスター。

 あの時私たちの前に現れて助けてくれた精霊。

 

「ジャンク・シンクロンの効果発動! 墓地のレベル2以下のモンスター一体を、特殊召喚する!」

 

 そうだ。

 ジャンク・シンクロンは、失った仲間を一度だけ呼び戻すことができる。

 あの時に呼んだのはスピード・ウォリアーだった。

 けど今回は違う。

 鍵になるのは、私達の熱い思いを体現してくれる、あのカードだ! 

 

「行くぞ響、このカードの力が、お前の道を切り開くッ!」

「はいっ!」

「戻って来い! ニトロ・シンクロン!!」

 

『ニニニニィーイッ!』

 

 さっき捨てたカード。

 それこそが、遊星と私に語りかけてきたニトロ・シンクロンだった。

 ジャンク・シンクロンの力を使えば、カードを一旦捨ててもこうしてまた戻って来てくれる。そのことまで計算して、遊星は『カード・フリッパー』を使っていた! 

 

 

「レベル2撃槍ガングニールに、レベル3ジャンク・シンクロンをフォニック・チューニング!」

「はああああああああっ!!」

「集いし星よ、新たな歌を響かせて、此処に光射す道となれ! フォニック・シンクロ!」

 

 

 力が流れ込んでくる。

 あの時と同じ。

 遊星の力と、私の力が一つになる感触。二つの力が混ざり合って、溶けあう。胸の内から込み上がる力。それが私のギアの形を新しいモノへと変えてくれる。紫色の鎧と、白いマフラー。

 そして右腕の巨大な手甲。

 

「出でよ、ジャンク・ガングニール!」

 

 私と遊星の力を繋いだガングニール……ジャンク・ガングニール。

 

(けど…これじゃあ、多分、あの子に気持ちは伝えられない…!)

 

 何となく直感で分かった。

 このガングニールは、私と仲間の力を集めてくれる『繋がり』のカード。

 けど私達の力を繋ぐだけじゃ。あの子には届かない。

 なら……遊星の『力』だけじゃないなら! 

 

「続けて、レベル5のジャンク・ガングニールに、レベル2のニトロ・シンクロンをフォニック・チューニング!」

 

 立て続けに遊星が叫ぶ。

 ニトロ・シンクロンがドルドルドルと、エンジンが唸るような低音を鳴り響かせる。横に立つニトロ・シンクロンの頭のてっぺんにあるメーターが、一気に針を進ませる。

 瞬間、私の中の血液がいきなり目まぐるしく全身を駆け巡った。

 

「ぐっ、うううううっっぅ!!!」

 

 熱い! 

 沸騰するみたいに熱い! 

 身体が内側から火傷しそうだった。

 これは私の力じゃない。

 ニトロ・シンクロンの力が私に流れ込んできているんだ。パワーはそんなに強くない筈なのに、その力は私を支配しようとする。

 

 まるでデュランダルの時のように……

 

(違う!)

 

 同じじゃない。

 デュランダルは怒りや憎しみで私を支配しようとしていた。けどこれは、あくまで純粋な思い。熱い、強い、どうしようもない程に激しい感情の波だった。

 

(遊星の…遊星の、気持ちだ!)

 

 初めて知った。

 あのいつも冷静な遊星の心には、こんなに昂るような気持ちが渦巻いていたなんて…! 

 心臓が高鳴る…ドキドキする……私の中に入ってくる…何…これは……この想いは…!? 

 

 

「集いし想いよ! 新たな力を歌に込め、此処に光射す道となれ!」

 

 ―――私が決めることじゃないわ。貴女が自分で考え、自分で決めることね―――

 

 

 何もない! 

 遊星はただ、自分の強い気持ちを分け与えてくれただけだ。

 それをどう名付けるのかは…どういう風に使うのかは……どうやって向き合うかは、私が決めるんだ!! 

 

 

「フォニック・シンクロ!」

「燃え…っ…あっがれぇえええええええっっ!!!」

「ニトロ・ガングニールッ!!」

 

 

 次の瞬間、私は周囲を吹き飛ばした。

 私を駆け巡る熱い思いは、いつしか私の身体を、ガングニールを、もう一段階次のステップへと進化させていた。緑色のプロテクターと、両腕についたジャンク・ガングニールよりも遥かに大きいアームジョイント。

 背中と腰に付いたのは、多分熱を逃がすための空気穴だ。

 

「はあっ…はぁっ……はぁ…はあ…!!」

 

 深く吸って、息を吐く。それだけで、白く熱を灯した空気が辺りに充満した。

 強い……強いエネルギーだ。

 気を張ってないと、今にも倒れてしまいそうな強い迸りを、私は全身に感じていた。

 

(気を抜くな! 相手を見るんだ! 私の想いを伝えるんだ!)

 

 それを……私は、想いを、預かった! 

 なら私は、それを高めて、あの子にもう一度……渡すだけだ!! 

 

「あとは任せるぞ! 響! 一撃で決めろっ!!」

「はいっっ!!」

 

 

 ―――その場しのぎの笑顔で 傍観してるより

 

 

 私の胸に、熱い思いが宿る。

 それは私の中だけで形を成していき、やがて言葉となって紡がれる。

 

 

 ―――本当の気持ちで 向かい合う自分でいたいよ

 

 

「こいつ……また新しい姿を……しかも、これは……この瞬間に、アームドギアまで!?」

 

 

 ―――きっとどこまでも行ける 見えない未来へも飛べる

 

 

 あの子の動きが元に戻る。

 

「させるかよォ!」

「!!」

 

 この歌は、いつの日にか、忘れ去られて居た、ガングニールのもう一つの魂の叫び。

 自分がここにいる意味と、あなたとこうして交わる意味を問う物語。

 私は諦めないよ。何度だって問いかけてやる。その果てに、きっと大切な意味を掴みとれると信じて! 

 

 

 ―――この気持ちと、君の気持ち……重なればきっと

 

 

「なっ!?」

 

 

 ―――We are one 一緒にいるから 

 ―――Hold your hand 心はいつでも

 

 

 鞭が交錯して、私を穿とうとするその瞬間を、私は見逃さなかった。駆け巡る熱いエネルギーは、私の身体の動きと力を、何倍にも引き上げてくれる。

 鞭は掴んだ。

 それだけじゃない。

 

 

 ―――今を生き抜く為に! 

 

 

 遊星が教えてくれた、このカード……ガングニールに想いを載せてくれた、本当は遊星が持っていたカード、『ニトロ・ウォリアー』の、その真の力。

 

「ニトロ・ガングニール、効果発動!」

 

 

 ―――私たちは 出会ったのかも しれない

 

 

 魔法カードを使った後、一撃だけ、私の力は更に上昇できるッ!! 

 

 そう! 

 その勢いは! 

 雷を握りつぶすように! 

 ネフシュタンの鎧であろうと、貫き通す槍になれ! 

 

「食らわせろッ、響ッ!!」

 

 

 ―――私ト云ウ 音響キ ソノ先ニ

 

 

 最速で! 

 最短で! 

 真っ直ぐに! 

 一直線に! 

 胸の響きを! 

 この想いを! 

 伝えるためぇにいいいいっっっ!!!! 

 

「ぐっ…! あああああああっっ!!?」

 

 ―――微笑みを―――

 

「シングアウィズアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」

「があああああっっ!!??」

 

 めり込む拳、瞬間、放たれたのは、爆音と衝撃。

 私が念じたこの時に、手甲に蓄積されたエネルギーはハンマーを伝ってリボルバーへ。そして拳へ、そしてネフシュタンの鎧へ。そして、それを身に纏う、あの子まで。

 一直線に繋がった想いは、確かに、あの子へと届けられていた。

 

 この一撃が、相手を傷つけてしまうこの拳が、どんな結末になるかは分からない。

 けれど、これを私は、私に出来る全力だと、信じて走る。

 

 

 ――響…? どうして…? どうしてなの響…? ――

 

 ――約束…したのに…――

 

 

 向こう側で、私の日だまりが、涙を流してても、

 私の熱が、それに気付く前に、蒸発させてしまっていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 次回予告

 

 ついに姿を現したネフシュタンの鎧の少女

 そして明らかになる、黒幕の正体

 俺がこの世界に来たの原因は、コイツに…!? 

 

 だが、その疑念の裏側で、一人の少女の涙が、日常へ亀裂を走らせる

 

「私……もう、響の友達でいられない」

 

 崩れていく響の世界

 どれだけ人々を守ろうと

 幾多の命が守られようと

 それだけは、ただそれだけはと、それだけを望んだはずなのに

 運命は残酷に、そして不気味に音を立てずに忍び寄り、世界を壊す

 

「やだ……いやだよぉ…こんなの……未来…!」

 

 どれだけ強い力でも……胸の痛みは癒せない

 

 次回 龍姫絶唱シンフォギアXDS『撃ちてし止まぬ運命のもとに、羽撃たく剣在りて』

 

「不動遊星、私に力を! 闇を祓う刃を与えてくれ!」




次回、いよいよ修羅場です
翼さんも活躍の予定。


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第6話『撃ちてし止まぬ運命のもとに、羽撃く翼在りて』-1

感想、メッセージ、誤字脱字報告、いつも本当にありがとうございます。
身体に気をつけて、お互い頑張りましょう。







「ぐ、ぅう…ああああああああああっっ!!!?」

 

 喀血の叫びが、黄昏の森にこだまする。

 否、最早そこは森とは呼べなかった。

 衝撃と、装者が交わし続けた攻撃の余波、そして今まさに放たれた想像を絶する一撃。

 

 もとより緑化の為…平和と友好の証として植えられた木々が、耐えられる道理などなかった。

 

「だああああああっっ!!」

 

 響の勢いは止まらない。

 たった一撃。しかし全霊を込め、決死の覚悟で高めて、届けると信じた想いの結晶。

 それは確かにネフシュタンの鎧を貫通し、彼女に甚大なダメージを与える。

 いや…与え過ぎた。

 

「響…っ!」

 

 爆風で一瞬視界が眩む。

 勢いよくブースターを点火させた飛び込んだ響は、その加速をも味方にして鎧の少女に一撃を加えた。

 だがそこでも響は止まらなかった。ブースターから立ち上る焔は翳ることなく、尚も勢いを増して相手諸共に直進し続けた。その間に、多くの木々や岩肌を薙ぎ払い、砕きながら。

 

(強い! 強すぎる…!!)

 

 異常だ。

 確かに、ニトロ・ウォリアーの攻撃力はジャンク・ウォリアーを遥かに上回る。更に魔法カードを使った事で、更に攻撃力はプラスされているだろう。しかし、ここまでの出力は想定したものを遥かに上回っている。これは精霊の力だけではない。

 

 まさか、響の…

 

「おい、大丈夫かっ!?」

 

 ボロボロになった地面に足を取られぬように、徐々に歩を進ませた。

 土煙と爆風に視界も覚束ない中、必死に彼女に呼びかける。

 あの一撃は確実に鎧の少女を捉えていた。問題は、その衝撃と力の反動に響自身が耐えられるかどうかだ。

 

(無事でいてくれ…!)

 

 やはり時期尚早だったのかっ…!? 

 彼女の力の限界を見極めず、ニトロ・シンクロンの力を使ったのは誤算だったのか。

 己の判断に対する重圧と不審が、焦燥となって燃え上がろうとする時だ。

 

 その土煙の中で、シルエットが浮かび上がる。

 間違いない。

 あの姿は…! 

 

「響っ!」

「ゆ、遊星……っ…げほっ! げほっ!」

 

 俺を見て僅かに安心したのか、思わず急き込んでしまう響。だが、息を荒げながらも、彼女はしっかり両の足でその場に踏ん張っていた。

 急いで響の所にまで駆け寄る。

 

「大丈夫かっ!?」

「う、うんっ…私は平気!」

 

 響は土煙に遮られた前方を見やる。あの奥にはネフシュタンの鎧の少女がいる筈だ……無事ならばの話だが。

 

「あの鎧の少女は!?」

「大丈夫、だと思う…!」

「なに?」

「一撃、入ったけど……まだ、完全に止まってなかったっ」

 

 そういうが早いか、土煙は晴れ、林を抜けた土手に激突している少女の姿がおぼろげながら見えてきていた。

 ボロボロと崩れるコンクリートを押し退けながらも、何とか立ち上がろうとしているのが見て取れた。

 やがて視界も晴れて、苦悶に口元を歪めているのも確認できた。

 

 

「ぐっ……くあ……く、くそぉ…げほっ…!」

 

 

「『ダイナマイト・ナックル』をマトモに受けて…まだ動けるのかっ…!?」

「ううん、まともに入ってなかった」

「え?」

「私が拳を入れる瞬間に…!」

 

 響の言葉を追うように、両腕から垂れ下がる鞭が彼女の手元へと収まっていく。

 

「一瞬の判断で後ろへ…!」

 

 響は鞭を掴みとり、自ら引き寄せることで動きを封じた。だがインパクトの瞬間に僅かに意識が逸れ、手放した。その刹那、鞭を後方へと発射して身体を逸らし、エネルギーを減衰させたのだ。

 

(何と言うヤツだ…! 明らかに激昂した状態で、そこまでの判断を…)

 

「ぐっ……ううっ…!」

 

(だが…明らかにダメージは与えられている)

 

 あの一撃…恐らくは風鳴の絶唱にも匹敵する威力だった。捌ききれる筈も無い。

 

「響…ここは」

「…」

「響…!?」

「……お願い、遊星」

 

 見上げてくる響。

 

 何を考えているのか。それは分かった。何よりも血で汚れることを嫌う彼女が、俺に何を求めているのか。

 誰であれ、一笑に付すだろう。

 しかし……

 

「……分かった」

 

 もし、この世界で戦える者が俺一人になってしまったら、戦い以外の選択肢は選べなかったかもしれない。

 だが仲間がいる。仲間がいれば、選択肢は増える。そしてできることならば仲間を増やし、未来への選択肢を増やす。それが、俺達の選んだ道だ。

 

「うん。ありがとう」

「気にするな。お前が選んだことだ。全力でぶつかってみろ」

「うんっ」

「テメエら……何をガチャゴチャ………っ!?」

「………」

「な、何をしてやがる!?」

 

 鎧の少女が、立ち上がり、反撃の機会を窺おうとしていた時だ。

 その声色は動揺と驚愕に代わった。

 無理もない。一撃を与え、有利に立っているこの状況で、突然響は攻撃の構えを解き、両手を開いて、その身をゆっくりと近付けさせたのだ。

 

 

「お前……おちょくるのも大概にしてやがれ!」

 

 

 困惑は防げない。少女は怒号を浴びせかける。

 しかし響は止まらない。無防備な状態で目をつぶり、少女に敵意がないことを伝え続ける。

 さっきの一撃で、響自身の覚悟は示した。ならば、あとは想いを如何に伝えられるかだ。

 

 キレイごとを信じたからこそ、今こうして俺は彼女と共に走っている。

 力で全てを解決してしまっては、俺が否定してきたモノたちと同じ道を辿ることになってしまう。

 

(俺は彼女を信じる)

 

「……答えろ! バカにしてんのかっ!? このアタシを…」

「……」

 

「雪音クリスを…っ!」

 

 それが功を奏したのか、確かに俺達の関係性は少しだけ前に進むことができた。

 

「そっか…っ…クリスちゃんって言うんだねっ! 名前ッ!!」

「な、なにぃ…!?」

 

 まるで宝物でも見つけたかのように無邪気に喜ぶ響。相手は……自ら『雪音クリス』と名乗った少女は、その様子に呆気にとられている。

 

『何をしてるんだ、響ちゃん…!?』

『まさか、敵と交渉しようって腹積もり…?』

 

「ねえ、クリスちゃん」

 

 友里さんと藤尭さんが、同時に驚愕する声が聞こえる。しかし構わず、響は続けた。

 

「こんな戦い、もう止めようよ。ノイズと違って、私達は会話ができる。ちゃんと話をすればきっと、分かり合える筈だよ!」

 

 想いを届かせんと、必死に響は叫ぶ。

 

「だって私たち、同じ人間なんだよ!」

「…っ!」

「……雪音クリス」

 

 一歩後ろに下がっていた俺も、響の言葉を受けて、前へと進んでいた。

 

「お前…っ!」

「不動遊星だ。すぐに俺達を信じろとは言わない。だが、これ以上の戦いは無意味だ」

 

 俺は不器用な人間だという自覚はある。

 

 心を通わせられる術は余りに拙い。カムフラージュとは言え、教師の役一つ満足にこなせない。

 しかし、そんな俺でも彼女を観察して分かった事はある。

 

「お前……お前も脳ミソがぱーぱーになったのかよっ。戯れてんじゃ…!」

「君の真の目的は、デュランダルじゃないな」

「っ…!?」

「え…?」

「君は残酷かもしれないが、卑怯じゃない。手段は幾らあっても、一々己に問いかけて実行している」

 

 それは、彼女が感情の動きに基づいていることの証明だ。

 彼女は、テロリスト思想ではない。

 奴らはこの少女のように、激情に身を任せない。

 何かを欲している……それは決して消えない想いだ。

 

 そして……この言の葉の数々。

 彼女から見え隠れする感情は……孤独と、絶望、そして哀しみ。

 

「もう……止めてくれ、そんなことは」

「っ…!」

「その爪と牙で……お前が望むモノは、絶対に手に入らないんだ」

 

 何故、分かるのか? 

 簡単だ。

 俺達がそうだったから。

 

「世界を変える為に、今あるモノを壊す。それを負の感情に任せて成し遂げても、あとには何も残らない。絶望が支配して、それで終わりなんだ」

 

 チーム・サティスファクションは、居場所を求めていた。

 その先にある光を。幸せを。

 だが残らなかった。何もかも。

 窓の外の景色に憧れながら、その向こう側を見ようともしなかったんだ。

 

 ジャックは失望、

 クロウは拒絶、

 鬼柳は壊れ、

 そして俺は…一度、空っぽになった。

 

「……れ」

「本当は……君も分かっているんじゃないのか?」

「……まれよ…」

「君は、このままでは決して」

 

「黙れええええええっっ!!!」

 

 稲妻の如き咆哮。

 

 

「……くせえんだよ……」

「っ…!?」

「嘘くせえ……青くせええっ!」

 

 周囲は振動し、まるで猛獣のいななきのように…。感情の暴風雨は、俺達の言葉を阻む壁となる。

 

「テメエが……テメエみてえな大人が……あ、…がっううっ!!?」

 

 再び俺達へと歩みを向けようとしたその時だ。

 突如、少女の口元が苦悶に歪む。

 其の場でうな垂れると、腹部を抑えながら、その場にうずくまり始めた。

 

「な、なんだ…!?」

「く、クリスちゃんっ!?」

「あ……ああ……ち、ちくしょう…こんな、時に……!」

 

 腹を抑え込みながらも、苦痛の色は隠し切れていない。先の戦闘ダメージによるものではなかった。痛みの堪え方が普通ではない。

 見れば、雪音クリスの腹部は、響の攻撃で鎧が破損し、肌が露わになっている。だが目を引いたのは、その向こう側だ。

 

「くっっ……グゥ……こ、こんなんで………ヤロォ……!?」

「な、何あれ…っ?」

「鎧が……食っている…!?」

 

 その表現しかできなかった。鎧の断面から伸びた神経が血管の様な細い何かが、彼女の身体を這う様に伸びている。

 

『遊星君、そのまま彼女を拘束するんだ』

「しかし弦十郎さん…!」

『分かっている。だが、このままでは彼女も危ない』

『ネフシュタン、エネルギー再蓄積を開始しました。同時に破損個所、復元していきますっ!』

「なに…っ!」

 

 友里さんのオペレート。瞬時に俺も司令官たる男の『直感』を理解した。

 

「まさか…ネフシュタンの鎧とは……!」

「え…?」

「再生の蛇…そうか、あの鎧は、周りを食いながら諸共に再生しようとしているんだっ」

「そんなっ…!」

 

 ネフシュタンとは、古代ヘブライにある蛇の名前である。

 脱皮からくる『再生』の象徴として描かれる蛇は、神と同一視されることもある。

 その権能をあの鎧が文字通り受け継いでいるのだとすれば……

 

(このままでは危険だ!)

 

 人体も負傷した際、傷内に破片等が残ると、それを取り込んだまま細胞は再生してしまう。取りこんでしまった異物によっては命に関わることもある。

 響は慌てて、雪音クリスの元まで走った。

 

「クリスちゃん!」

「響っ!」

「ぐっ……っ……!!?」

「大丈夫、クリスちゃん、しっかり!」

「て、めえ……は…っ!」

 

 俺も急ぎ、彼女の元まで駆け寄ろうとした。

 だが……雪音クリスの闘争本能は、まだ潰えてなかった。

 寧ろ、響の優しさは着火剤となってしまう。

 怒りは吐き出せば終わりだ。

 しかし悲しみは、傷を癒すまで、幾らでも燃料を肉体に供給せしめる。例えその宿主の生き物が、内側から食い破られようとしても。

 

 

「クリス…」

「…ふっとべ」

「え?」

「響、離れろっ!!」

「アーマーパージだぁあああっ!!」

「っぐっっっっああっ!!?」

 

 

 瞬間、少女の身体は光に包まれ、同時に響の身体はジェット噴射のような勢いで吹き飛ばされた。それは真後ろにいた俺も纏めて、怒涛の如く流されていく。

 

「ぐううっ!」

「きゃああああっ!!」

 

 もんどりうって地面を転がり、激しく地面に打ち付けられる。

 頭が飛びそうになるのを堪えながら、俺は受け止めた響を確認する。

 

「だ、大丈夫、遊星…!?」

「あ、ああ…! だが…!」

 

 二人とも、目立った外傷はない。俺自身は服がボロボロになったが、受け身を取ったお陰でそれほどのダメージではなかった。

 響のシンフォギアも、目立った損傷個所はない。

 

(なんてヤツだ……外装を無理矢理に剥がして浸食を止め、更にそれを攻撃に転化した……!)

 

 残ったエネルギーで、ああして鎧ごと弾き飛ばせば、鎧の再生に巻き込まれることはない。更に至近距離でいた響はその衝撃をまともに受けてしまう。

 我流のようでいて、その実、したたかな戦術眼だった。

 

(だが、これでは彼女も戦う手段は…!?)

 

 そう考えた俺は甘かった。

『したたか』と評していながら、年頃の少女と甘んじていたのか。この時、響の手を取って逃げるべきだったか。いや、初めからその選択肢はなかった。彼女自身、保険が無ければ、戦場に来る筈はなかった。

 

 

 ―――Killter Ichaival tron

 

 

「…………え」

 

「見せてやるよ。『イチイバル』の力をな」

 

 

 何故ノイズを出さないのか。

 彼女のプライド? 

 信念? 

 罠? 

 

 違う。もっと単純な理由を見落としていた。

 

 

「まさか……これって」

 

「はああああああああっっ!!!」

 

「聖詠……!?」

 

 

 それは力比べでも負けないという、純粋な『自信』だった! 

 

『イチイバル、だとォっ!!?』

『アウフヴァッヘン波形、検知!』

『過去のデータとの照合完了! 間違いありません、コード『イチイバル』ですっ!』

 

 管制室からの悲鳴。それが俺達にプレッシャーと畏怖を植え付けた。

 

「イチイバル…ッ!?」

『遊星君、響君! 今すぐそこから離れろっ!』

「っ、しかし…!」

『早くするんだっ! もしそれが失われた第二号聖遺物だとすれば、今の君達では勝てないッ!』

「第二号聖遺物……じゃあ、あれは…!」

「シン、フォギア……!?」

 

 先のアーマーパージで塞がれた視界。その土煙が晴れた時、既に向こうは戦闘準備を終了していた。

 

「……歌わせたな」

「……ッ」

「クリス、ちゃん…!」

 

 現れたのは、今度こそ、雪音クリスの素顔だった。

 ヘッドギアを付けてはいるが、ネフシュタンの様に顔をバイザーで覆われていない。端正で、まだあどけなさを残す少女の表情は、憎しみに歪んでいた。

 そして、赤と白に縁どられたインナーと、腰から伸びた炎を思わせる紅のユニットパーツ。

 その質感、意匠……そしてさっき聞こえたあの呪文……間違いない。

 

 

「アタシに! 歌をッ! 歌わせたなアアァッッ!!」

 

 

 咆える雪音。

 瞬間、彼女の両腕の鉄鋼が、その叫びを受けるかのごとく、形状を変えていく。やがて『ソレ』は彼女の両腕へと収まり、その先端を俺達へと向けて、握る指先を絞る。

 この伸びた形状…左右に広がる弧月状のフォルムと、そして『イチイバル』と言う名前……! 

 

「ボウガンッ!!?」

「響、離れろっ! 奴は…!」

「教えてやるよ……アタシは歌が、大嫌いだッ!」

 

 二律背反する歌への想い。

 この時は知りえなかった愛憎渦巻く彼女の本心。

 それは皮肉にも、翼と並ぶだけのシンフォギア適合率と、イチイバルのポテンシャルを獲得することに成功していた。

 

 

 ――― 疑問…? 愚問! 衝動インスパイア! 六感フルで感じてみな! 

 

 

「っ!?」

「これは…歌かっ!」

 

 彼女の歌が響き渡る。

 その一声だけで、彼女の歌い手としての力は遥かに洗練されていた事は素人の俺でさえも分かった。

 音楽は幼少時よりの教育によって才能を伸ばされるという。

 

 なんということだ……彼女のその比類なき歌声を……誰かを傷つけ、破壊することにのみ使い、そしてその想いはシンフォギアとなって具現化している。

 

 ――― 絶ッッ! Understand? コンマ3秒も 背を向けたらDie! 

 

「遊星っ!」

「ぐっ!」

 

 咄嗟に響は俺の手を引いて走り出す。

 瞬間、発射されたボウガンの光の矢が、先程俺のいた場所を正確に射抜く。深々と空いた穴を確認する間もなく、響は俺の腕を掴んで、必死に後方へと走り出した。

 

「はあ! はあ! はあ!」

「ちょせええええッッ!」

 

 爆音が暴力となり降り注ぐ。

 

 続けざまに発射されるレーザーショットの様な矢は、俺達を確実に追いやっていった。

 ただ連射しているのではなかった。残ったもう一丁のボウガンを使い、辺りの木々を薙ぎ倒し、破壊することで、移動を困難なものへと変えていく。これでは響のフットワークは生かせない。

 まして、俺を抱えた状態では……! 

 

「シールド・ウイングを召喚ッ!!」

 

 咄嗟にカードを引き抜いてセットする。

 シールド・ウイングはその場で大翼を畳み、盾となって俺と彼女の間に立ち塞がる。

 が……

 

 

 ――― 心情! 炎上! 強情マトリクス 沸点ピークでくだけ散れ

 

 

「もっともっともっともっともっとオオオオッ!!」

 

『カ、カカ、アアアアアアアッッ!!?』

 

 

 ーーーBreak!! Outsider! 

 

 

 立て続けの攻撃に耐えきれず、シールド・ウイングは霧散して消滅する。

 こんなことが…! 足止めにすらならない、だとっ!? 

 確かにシールド・ウイングが止められる攻撃は1分間に2回のみ。しかし俺達もモンスターも移動しながら攻撃を捌いている。

 その隙間を縫ってピンポイントで攻撃を当てたというのか…!? 

 

(ダメだ、相性が悪すぎる…! 加えてこちらはもう……!)

 

 一人による、多方向からの多重攻撃を行い、一斉制圧。

 力任せの戦法だが、だからこそ、正面切って攻略するためには手札が足りな過ぎる…! 

 

 

 ―――傷ごとエグれば忘れられるってコトだろ? 

 

 

「えっ!?」

「マズい! 響っ!」

 

 俺は咄嗟に彼女の手を振り払った。

 瞬間、銃撃の煙で見えなくなっていた彼女が……雪音クリスが、その足で俺の腹部を蹴り上げてくる。

 

「ごっ……!」

 

 ネフシュタンほどではないにせよ、シンフォギアで強化された一撃が深々と鳩尾を抉りこむ。肺の空気がカラになり、俺の視界は真っ白になった。瞬間、気が付くと身体は真横に吹き飛ばされて、巨木の幹に激突させられる。

 

 

 ーーーイイ子ちゃんな正義なんて剥がしてやろうか!? 

 

「っ……っかはっ……!?」

「遊星っ! 遊星っ!!」

 

 

 響が叫ぶのが聞こえる。

 ダメージを確認する余裕もない。

 朦朧とした意識の中で、ガクガク震える足を支えにしようとする。しかし、上手くいかない。身体が言うことを聞いてくれない。

 

 ――― HaHa!! さあIt's show time! 

 

 俺を封じた雪音は、さらに攻撃を苛烈にする。

 両手のボウガンは更に大きさを増して、細い円筒を束ねた形状へと……そして腰部の白いパーツが左右に展開する。あれは……あのパーツに収まっている円筒は……まさ、か…!? 

 

「遊星、大丈夫!?」

「……げろ……に、げろ……ひび、き…ッ!」

 

 必死に酸素を取り込んで、それだけを伝える。

 だが既に、相手は攻撃の準備を完了していた。

 

 

 ―――火山のよう殺伐Rain! 

 

 

 イチイバル―――それは、北欧に伝わる狩人の女神『ウル』が使ったとされる、必中の弓。矢は相手を仕留めるまで追従し、更に持ち手に栄光の加護を与えると言う。

 本来なら、持ち手に勝利をもたらす槍『ガングニール』と性能は互角……だが、接近戦しかできない響に、この弾幕は凶悪過ぎた。

 

 

 ―――さあ お前らの全部全部全部全部ッッ! 

 

 

 やがて発射される、多弾頭ミサイルと、そして両腕に構えたガトリングガンの一斉掃射。

 イチイバルの矢が、俺達の視界を覆い尽くした。

 

「………あ」

「……」

「遊星っ!」

 

 言葉が出ない。

 響が俺に覆いかぶさるのを感じた。

 俺だけでも守ろうというのか? 

 止めろ! そう叫びたかったが、余力がなかった。

 

 

 ―――否定してやる

 ーーーそう否定してやる! 

 

 

 少女の歌は、咆哮は、魂の悲鳴だった。

 これだけの想いを歌に乗せられるだけの技量と誇りを持っていながら、彼女は誰かを傷つける。

 

 

(…ここまで、なのか……!?)

 

 

 無力感よりも、俺の中で怒りと悔しさが一瞬にして迸り出た。

 こんな……こんな辛い歌を、年端もいかない少女に歌わせ、そのくせ何もできない自分への怒りだった。

 

 こんな苦しみがあっていいものか! 

 何故だ! 何故彼女がこんな事をしなくてはならんのだ! 

 

 俺のやり場のない怒りは、しかし伝える術もない。その感情の正体は、俺が後から自覚したものだった。

 ただの焦燥としか、この時の俺には映らず……

 

 爆音が、轟き、辺り一面を焼き尽くした。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「はあっ! はあっ! はあっ!」

 

 

 あの子の叫びが聞こえる。

 心の膿を吐き出すために、歌を歌って、吐き散らしている。そんなの………哀し過ぎる。

 

 けど、私達は余りに無力だ。

 私……また間違えたのかな……? 

 

 私に、『壊す』以外の選択肢は初めからなかったのかな……遊星の言う通り、初めから戦っていれば、こんな事にはならなかったのかな……だから私は……また、遊星まで傷つけて……

 

(でも、こんなの……)

 

 あの時、病室で伝えた私の決意……

 

(人助けがしたい……)

 

 誰かを助けたい。

 困っている人の、心からの笑顔が見たい。

 例え相手が、誰であろうと、私は……

 だって、私が助けられたから

 あの日貰った命を、誰かに繋げたくて……

 

 

「………え」

「……な、んだと……っ!?」

 

 

 そうだ。

 私はまだ生きている。

 まだ、私の想いは、悩みは、悔しさは、まだ止まっていない。

 だって生きているから。

 生きてさえいれば、人は幾らだって悩めるから。

 

「ゆ、遊星……」

 

 私は驚き、慌てて遊星を見る。

 遊星じゃなかった。

 彼自身も、突如の事態に驚きを隠せない。

 

「私たち……無事、なのかな…っ?」

「あ、ああ……っ」

 

 ついさっき……私はクリスちゃんの使うシンフォギア……イチイバルの力に圧倒されていた。

 もうここまでだと思って、追い詰められて……咄嗟に遊星だけでも庇おうとして……でも、あの子が発射したミサイル野獣は、私達の身体に全く当たっていない。爆音と剛音が鳴り響いて、それだけ。

 

 その答えは、目の前に在った。

 

「これは……?」

「壁か…いや……っ」

 

 私達の目の前に、巨大な壁が出現していた。

 白くて、私達の顔が映りこむくらいに磨き上げられたピカピカの壁。

 夕焼けに反射して、まるで大理石でできた高級マンションの壁面みたいだ。リディアンの校舎だって、幾らピカピカに磨いてもこうならない。

 

「ま、まさか……!」

 

 そうだ。

 シンフォギアに対抗できるのは、シンフォギアだけ。

 クリスちゃんの攻撃を阻めるモノがあるとすれば、それはこの地球でたった一つしかない。

 私達を護ってくれたもの。

 この目の前の壁を作った人……

 

 

「盾…かよっ!?」

「違う」

「なにっ!?」

 

 

 そう、違う。これは……あの人の…! 

 

「剣だッ!」

 

 曰く、

 

 その速さは風の如し、

 その静けさは林の如し

 その激しさは火の如し

 その佇まいは山の如し、

 

 その凛とした立ち姿、まさしく剣の如し! 

 

「待たせたな、不動……そして、立花ッ」

「っ、翼さんっ!」

 

 私達を救った巨大な一振りの剣……その柄の頂に、あの日、私を救ってくれた奏さんのように、逆光を浴びて、翼さんは立っていた。

 美しい、歌姫の再来に、私の顔は、いつしか輝いてる。

 

 

 

 第6話『撃ちてし止まぬ運命のもとに、羽撃く翼在りて』

 

 

 




次回でバトルパートは終了します。
今週末にでもアップできれば嬉しいですが…頑張ります。


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第6話『撃ちてし止まぬ運命のもとに、羽撃く翼在りて』-2

いつもありがとうございます。
皆さんが見やすい時間帯はどこの辺りでしょうか。
土日はもちろんとして、時間としては夕方や夜でしょうか?
取り敢えず今回は18時からの投稿にしてみましたが、
もし希望やお勧めがあれば教えて下さい。






 手を、届かせたかった。

 そこからどうしようとか、だからこうなる、とか…結局私には分からなかった。けど、それでも諦めたくなくて、手を伸ばしたのに……

 

『アタシに! 歌をっ! 歌わせたな!』

 

 あの子が、クリスちゃんが叫んでた。

 分かるものかよ。分かるものかよ。そうやって叫びながら。

 

(分からないよ)

 

 私……正しいことをしようとしたんじゃありません。

 ただ、こうなりたい、っていうことを、やりたかったんです。嫌だったんです。何も知らずに終わってしまうのが、分かり合えずに壊しちゃうのが。

 私は間違ってたんでしょうか? 

 そんなにバカな、ヘンなことを言ってたんでしょうか? 

 

『自分で考えて、自分で決めることね』

 

 ……はい、分かってます

 でも、それでも……それでも、私…私……は…

 

「待たせたな、不動……そして、立花ッ」

 

 ミサイルと弾丸で、辺り一面は火の海になっている。空気が、とても乾いてた。喉はとっくにカラカラで、ヒリついている。

 花や木や、草が泣いてるみたいだった。

 でもその中で、一人巨大な剣の上に立つ翼さんが、輝きを放って立っている。

 

 それは私達に勇気を与えてくれた。

 

「翼さんっ!」

 

 そびえ立つ巨大な剣。それが私達の命を救ってくれていた。

 依然、翼さんが私に向けて放った必殺技……『天の逆鱗』が、私とミサイルの雨を阻んでくれていたんだ。

 

「か、風鳴っ…!」

 

 私の隣で、うめくような声。

 見ると遊星がよろよろと起き上ろうとしている。私は咄嗟に遊星の肩を取って支えた。

 

「だ、大丈夫、遊星?」

「ああ……」

「そっちも無事ね、不動」

 

 翼さんが、剣の柄尻から私達を見下ろして言う。

 

「すまない、助かった…っ!」

 

 その時…ふと気付いた。

 私達の傍らに、なにか大きくて赤い塊が倒れているのを。

 

「これ…翼さんのバイク!」

 

 間違いない。

 駐車場で遊星と合流した時、直前まで遊星がチューンナップしていた翼さんの愛機。

 まさか、翼さんはこれに乗って…! 

 

「感謝を。不動遊星」

「え?」

「貴方の施した仕掛けが無かったら、間に合わなかった」

「仕掛け?」

 

 私はもう一回、倒れたバイクを見た。素人の私には、良く分からない。

 けど…ただうっすらと夕焼けを浴びて、赤い塗装が煌めいている。それがとても誇り高い、カッコいい姿に見えたのはきっと気のせいじゃなかった。

 

「……」

 

 遊星は何も言わない。

 ただ翼さんを見上げて、どこか安心したような表情でいる。

 それがどうしてか…私は嬉しかった。

 

 

「死に体でオネンネと聞いてたがな」

 

 

 その時だ。

 

「わざわざお仲間庇いに現れたってか?」

 

 巨大剣越しに見えた、クリスちゃんの不敵な笑顔。

 その歪んだ表情で、そのまま手の機銃を翼さんへと向ける。

 翼さんが助けに来てくれたのは、クリスちゃんにとっても意外だったみたいだ。けど、すぐに向こうは余裕を取り戻した。

 どうしてだろう……と、私は一瞬思う。

 けど、その答えはすぐに分かった。

 

「もう何も……何も失うものかと、そう決めたのだッ」

 

 翼さんが、クリスちゃんを見て言う。その表情は、後ろにいた私には分からなかった。

 けど、違う。何かが違った。あの私達がすれ違ってしまった夜に、同じセリフを翼さんは言った筈だった。

 だけど……そこに込められた意志が、想いが、『何か』が根本的に違う。

 

『翼、聞こえてるな』

「はい」

 

 その時、私達にも分かる、通信機越しの声が届いた。

 師匠の声だ。二課の人たちも、きっとこの状況は伝わっているんだ。私達がピンチなことと、そして翼さんが駆けつけてきてくれたこと。

 そして……

 

『無理はするな』

 

 この人は、とてもじゃないけど戦える身体じゃないってことを。

 

「……分かっています」

「ッ…!」

 

 シンフォギアで強化されると、身体の頑丈さもだけど、視力もいつもよりとんでもないモノになる。だから普段は分からない変化も分かった。

 風で揺れる翼さんの綺麗な長い髪の毛。その隙間から見える首筋や肩から、汗が流れている……その時ようやく思い出した。

 

(翼さん、まだ傷が…!)

 

 まだ来たばかりなのに、汗の量は尋常じゃなかった。

 当たり前だった。癒えない身体を引き摺ってここまで来て、おまけに私達を助けるために大技を使った。どこまで戦えるか分からない。ううん、もしかしたらもう、翼さんは立っている事さえやっとなんじゃ……

 

「そうだ」

 

 私の心を読みとるように、翼さんは、私に向かって言った。

 

「私も、十全とは言い難い」

 

 なら下がって。

 そんな風に私は云えなかった。

 私達が、そんな事を言える状態じゃなかったし。何よりも、

 

「翼さん…」

「だからこそ」

「えっ?」

「力を貸してほしい」

 

 あの人の心が、防人の誇りが、翼さんを前へと進ませようとしている。この言葉は、私達に勇気をくれた。

 

「響…!」

「遊星?」

「まだ…動けるか…?」

「……」

 

 遊星の目が、私を真っ直ぐに射抜く。

 そうだ、まだだ。私は何を弱気になってたんだろう。まだ終わりじゃないんだ。

 一度失敗しても、またやり直せばいいんだ。あの子と……キチンと話をするまで、何度だって。私も、遊星も、翼さんも、まだ立ってる。誰ひとり、いなくなっていないんだ。

 

「うんっ!」

 

 私は力強く頷いた。それに答えるようにして、胸のガングニールがうずく。同時に、腕と背中と、腰部の排熱口から、蒸気が噴射する。それはきっと、私の身に宿ったニトロ・シンクロン。

 

「二人は態勢を整えろっ!」

「好きに勝手に…!」

 

 瞬間。

 

「やらせねえっつってんだろーがっ!」

 

 向こう側で、赤い獅子が咆える。

 バサバサと、遠くで鳥たちが一斉に飛び立つ音がした。それが開戦のゴングだった。

 クリスちゃんが翼さん目掛けて、機銃を一斉に発射した。けたたましい音が鳴る中、翼さんは柄尻に足をかけて高く舞い上がって、地上目掛けて一気に躍り出る。

 

「見えてんだよっ!」

 

 当然向こうは躱すのを分かっていた。こいから出たミサイルが、再び装填されて、翼さん目掛けて襲い掛かる! 

 発射の反動で巻き起こる強風。私達の元にも僅かに土煙が舞う。

 

「なっ!?」

 

 だけど翼さんには、弾丸は当たらない。

 まるでその名の通り、羽毛の様に、あの人の身体はひらりひらりと宙を舞い、ミサイルや機銃の網を潜り抜けていく。

 

「クソっ!」

 

 立て続けに発射されるガトリングガン。けれど幾ら撃っても、寧ろそれを利用するかのように、翼さんは躱し続けた。それを見た私は圧倒されるばかりだった。

 

(凄い……あれだけの弾を、どうやって…!?)

「ぐっ!?」

「はあっ!」

 

 地面に着地した翼さんは一気にクリスちゃんに向かって駆け出した。構えた刀を横に薙ぐ。それを紙一重で交わしたクリスちゃんは、ガトリングで迎え撃とうとするけど、それよりも、翼さんが左手に構えたもう一振りの方が遥かに速かった! 

 

「チィっ!?」

 

 たまらず距離取ろうと下がるクリスちゃんを、翼さんの刀が妨害する。真一文字に斬りかかられて、そのまま胴体ががら空きになった。たまらずもう一本のガトリングで応戦しようとしても、その瞬間には逆に翼さんがその身を翻して、クリスちゃんの真後ろへと踊り出ていた。

 

「ヤロォッ!!」

「……っ!」

 

 たまらず振り払おうとしてガトリングで直接横に薙ぐ。瞬間、刀の柄尻が機銃を真上にかち上げた。腰のミサイルで応戦しようとアーマーを展開しようにも、目標が定まらない。捻るように回転しつつ更に後ろへと回りこんだ翼さんは、そのまま刀を背中越しにクリスちゃんの首元へと付きつけた! 

 

「うっ…!」

「……」

「な、んだと…っ!?」

 

 ツゥ…と、汗が流れたのは、今度はクリスちゃんの方だった。

 凄い……私も、思わず冷や汗が出そうだった。強いのは知ってる。これ位速いのも分かってた。ううん、分かったつもりでいた。

 

「動きがまるで違うな」

 

 そう言ったのは、私が肩を貸している遊星だった。

 

「俺ではもう、目で追いきれない」

 

 そうか。もう二人の動きは、遊星の動体視力じゃ追いきれないんだ。けど、私も…うん、師匠に教わった今の私だから分かる。私は甘かった。心のどこかで、翼さんに少しは追いついた気持ちでいた。だけど、百戦錬磨のこの人の動きは……桁違いだった。

 

「ンだよ、コレ……以前とは、まるで動きが……!?」

「……」

「少し前までベッドでインだったろうがっ!」

「ええ。けど頭の中で、貴女と話す時間はあったわ」

「ンだとっ!?」

「『倒せない』までも、『倒れない』までなら、今の私でも出来る」

 

 カチリと、金属音がする。クリスちゃんの頭のバイザーに、刃が当たっていた。それは多分、死の予感だった。少しでも動けば、白銀の刀は容赦なくクリスちゃんを襲う。

 

「貴女、そのギアを使わなくなって、かなりの時間が経ってるわね」

「っ!?」

「図星?」

「だからなんだっ!」

「立花や不動との戦いで平静を失い、相手へ向ける怒りの視線を隠そうともしない。ならば満身創痍の私の身体が、弾丸を見切って躱すことに、何の難さもない」

 

(……ああ、そっか)

 

 初めて、ネフシュタンの鎧を着たクリスちゃんに出会った時。

 翼さんは、私や遊星に憤りを向けていた。そして、詳しい事情は聞いてないけど、あの鎧は翼さんにとって忘れられない因縁みたいなのがあったとおもう。あの時の冷静さがない状態じゃ、普段の力の半分も出せてなかったんだ。

 けど今は違う。

 倒す為じゃなく、私達を助ける為。そして負けない為。その為に全てを注げば、相手の攻撃を躱し尽くすことも不可能じゃない。そしてその為に翼さんは、ここに来るまで必死にイメージを積み重ねていたんだ。

 

「ぐっ…!」

「動くな」

「翼さんっ!」

 

 静かに、相手に向かって言い放つ。凛とした声が、森に響き渡るようだった。私は思わずゾクリとする。咄嗟に叫んでいた。

 

「その子は…っ!」

「分かっている」

 

 微笑みながら、翼さんが私に向かってそう言う。

 良かった。クリスちゃんをすぐに倒すつもりはない。きっと心根は私と一緒……

 そう思った時だっ! 

 

「ッッラアアアッ!!」

「むっ!?」

 

 ほんの僅かに一瞬出来た隙を見て、クリスちゃんは地面を踏みつけた。反動で腕の機銃を持ち上げて翼さんの刀の胸を打ち上げると、そのまま地面をもう一回蹴って身体を捻り、翼さんから離れて向き合う。

 

「はあ! はあ! はあ!」

 

 銃口を向けて牽制する。翼さんも負けじと刀を構えた。

 私は前へ出ようとした身体を咄嗟に抑えて、ゴクリと唾を飲む。ザアザアと、横から風が吹いて、灰になった草木を吹き飛ばしていく。二人の長い髪が揺らめいていく中で、睨み合う。お互いにジリジリと距離を図っていた。

 

「余計なおしゃべりが仇ったな? ええ?」

「そう思うなら、貴女が周りを見ていないのね」

「チッ」

 

 舌打ちをするクリスちゃん。その時、ふと私の身体は軽くなった。横を見ると、遊星が私の肩から離れた。まだ息は荒いけど、先より幾らか血色も良くなったように感じる。それに息も整えられていた。

 

「遊星、大丈夫?」

「ああ。彼女が時間を稼いでくれたおかげだ」

「不動、私から仕掛ける。貴方は援護を。初撃さえ凌げれば、勝機は自ずと見えてくる筈」

 

 こっちを振り向かずに、翼さんは言った。隣の遊星を見る。私を見て、ゆっくりと頷きながら、Dディスクに指をかけていた。

 その時、師匠の声が通信機越しに響いた。

 

『響君、以前教えた映画にあった筈だ』

「…師匠?」

『銃は簡単に相手の命を奪える。だがその扱いは複雑だ』

 

 ハッと私は思い出した。

 師匠の授けてくれたマニュアル――つまりアクション映画、コミック、小説、その他諸々――によれば、銃で相手を正確に狙う場合、『抜く』『構える』『撃つ』の三動作を一気に行わなければいけない。おまけに撃った弾が正確に相手に飛んで行くとも限らない。その点、刃や拳なら『切る』『殴る』の一回のみ。

 

『翼の抜刀や君の拳は、引き金を引く速度より速い。問題は、如何にその間合いまで持ち込むかだ』

「はい…っ!」

 

 遊星のカードはまだ伏せられたまま。敵の攻撃を一回は必ず弾き飛ばせる『くず鉄のかかし』がある。

 向こうが火力を出し切る前に、私か翼さんが前に出れば……クリスちゃんは抑え込める。

 本当はこんな事、やりたくなんてない。けど翼さんの援軍は、折れかけた心をもう一度立て直してくれていた。本当に会話をする為に、私達は戦うんだ。

 

「響、行けるか?」

「うん、大丈夫…私、まだ終わりたくない……ッ!!」

 

 戦う心は問題ない。問題はタイミングと、それともう一つだ。

 

「やってみろよ……つい最近まで仲違いしてたよなあ、アンタ等」

 

 冷たいクリスちゃんの声。距離を置いたせいなのか、クリスちゃんは落ち着きを取り戻したみたいだった。

 

「急拵えトリオで、アタシを捉えられれるかッ」

 

 その通りだった。遊星とのコンビネーションだけでも、シミュレーションが殆どだった。翼さんも私も遊星もボロボロ。この状態でどこまで掻い潜れるか分からない。けれど……どうしてだろう。今私の中で、恐怖は殆ど無かった。

 

(やるんだ)

 

 やってみるのではない。やるんだ。師匠の言葉に、胸の内を熱くする。きっと出来る。これで全てが終わる、なんてことにならないのは分かってる。けど、私達は今こうして同じ場所にいる。なら、いつかきっと、こんな悲しいことは終われる。

 そんな淡い予感があった。

 そうだ。恐怖は殆ど無い。

 なのに……

 

(やるんだ。やってみるんじゃない。やる……)

 

 なのに、どうして胸の内がザワザワするんだろう? 熱くなってドキドキするんじゃない。無駄に呼吸が乱れてる。変に息を整えようとしている自分がいる。クリスちゃんの言うことが当たってるから? 失敗するかもしれなくて焦ってるから? 

 

(ち……違う…なんで……私は…こんなにも、ぐらぐらしてるの? この不安は何?)

 

 違う。忘れてるんじゃない。不安でもなかった。

 思えばいつもそうだった。

 ノイズに襲われた時。翼さんが倒れた時。遊星が一人で襲われた時。『私、呪われてるかも』なんて言うけど、実際に何かに襲われたり、ピンチになったり、心を抉られるような出来事の前は、絶対に一息つく間があった。

 

「……っっ」

 

 つまり。その一息が、痛かった。

 私の身体は、もうとっくに限界を超えてた。

 

『ノイズの反応を検知! フライト型多数!』

 

「っ!?」

「なにッ!?」

 

 藤尭さんの声が私たち全員に緊張を走らせた。

 慌てて一斉に頭上を見る。

 夕焼けの空から、黒い点みたいのが幾つか見える。それは猛烈な勢いで大きさを増して、その正体をハッキリとさせていく。

 鳥の形をした空飛ぶノイズが、その身体を細くドリルみたいに回転させて、頭上から迫って来ていた。

 

『バカなっ!? いつの間に!』

『着弾まであと2秒!』

 

 身体の強張りが抜けない。

 誰かが叫んだ気がする。

 私自身の息が止まったのが分かった。

 頭の中が真っ白になる。同じタイミングでヒュウウゥ…って、甲高い風を切る音が響いた。続けて、森の木の枝が突然しなって、バキンと折れた。

 

「二人とも躱せ!」

「くっ!」

 

 遊星がカードに手を伸ばそうとする。翼さんも刀を上段に構えた。

 だけど、それよりも私の身体は前へと動いていた。

 どうしてかって? 

 だって、見えてたから。

 突然急襲したノイズが、私達を狙っていないのが。

 そう。

 

「ぐあっ!?」

「なっ!?」

「クリスちゃんッ!」

 

 突如現れたノイズは、私達を狙ってたんじゃなかった。

 理由は分からない。

 けど考えるより先に、私はクリスちゃんのいる方向へ必死に走る。

 フライト型のノイズが一直線に急降下して、クリスちゃんのガトリングを両方とも粉々に砕いていた。

 地面に落ちた勢いと、中にぶつかった衝撃でノイズが弾け飛ぶ。土煙が飛んだ。欠片が私の口の中に入る。煙でクリスちゃんの姿を一瞬見失った。

 

「やあああっ!!」

 

 咄嗟に身体を固くして、さっきまで見えていたクリスちゃん目掛けて、体当たりした。私の勘があっていれば、これで……! 

 

「っ、ぐうっ!!?」

 

 正解だった。

 私の身体に走る鈍い衝撃。ガクン、と体がブレると同時に、軋む感触。

 クリスちゃんの脳天目掛けて落下するもう一つのフライト型を肩で弾き飛ばしていた。けど、無理に身体を引き摺るように突撃した私に、この一撃は重過ぎた。

 

「立花っ!」

「響っ!」

 

 私と激突したノイズは、そのまま炭になって消えた。翼さんと遊星が、私の所へ走ってくるのが分かる。視界がグラグラ揺れる。世界が回って見える。茶駆使したつもりだったのに、まるで足が溶けてしまったかのよう。そのまま体の姿勢を保てないままに、私は身体を傾ける。

 その先にあったのは……

 

「お、お前、何やってやがるっ!?」

 

 温かくて、柔らかい感触がする。クリスちゃんが、私のことを受け止めてくれた。

 煙と、土の匂いに紛れて、甘くて、お花みたいな香りが鼻に飛び込んでくる。ああ、やっぱりだ……私が痛みに顔を歪ませても、どこか安心していた。

 

「ご、ごめん……く、クリス、ちゃんが……」

「響、しっかりしろ!」

「おい、ふざけんな! 何やってんだよ!?」

「クリスちゃんに……当たりそう、だったから……つい…」

 

 それだけを必死に絞り出した。

 でも……よかった。

 クリスちゃんに、怪我がなかった。

 それだけじゃない。私は察した。

 

「……バカにしてっ……余計なおせっかいだっ!」

 

 そうやって叫ぶ女の子。

 けど、その身体は温かかった。

 そうだよ。やっぱり私は変じゃなかった。クリスちゃんは、こんな風に戦えるような女の子なんかじゃない。きっと……きっと私よりも優しい子なんだ。

 

 遊星! 翼さん! クリスちゃんは悪い人なんかじゃないよ! きっと、何か理由が……! 

 

 ダメだ……声が出ない。やっぱり、さっきの突撃が最後に一回だったらしい。

 ごめんなさい、翼さん、遊星。

 逃げて……二人とも…クリスちゃんを連れてって……! 

 目を閉じても頭がグルグル回る感触。痛みと気持ち悪さと、ほんの少しの安堵を胸に、私の意識は闇に消えた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「立花っ!」

「響っ!」

 

 フライト型の郷愁を受けた俺達。その中で、響は瞬間的に飛び出し、一体のノイズを撃破する。だが、それは攻撃でもなければ防御でもない。俺達の目の前に立つ、雪音クリスと言う少女を守るための動きだった。

 

「お、お前、何やってやがるっ!?」

「ご、ごめん……く、クリス、ちゃんが……」

 

 俺と風鳴が同時に飛び出す。倒れた彼女を、雪音クリスが咄嗟に受け止めていた。その行動にも驚くところだが、突然の襲撃者では、それどころではない。風鳴は俺達を護るようにして立ち、剣を上空へと構える。

 

「響、しっかりしろ!」

「おい、ふざけんな! 何やってんだよ!?」

「クリスちゃんに……当たりそう、だったから……つい…」

 

 響は息も絶え絶えの状態で呟いた。

 振り向いて彼女の顔を見る。もの凄い汗だった。ニトロ・シンクロンの力を使ったガングニール……その廃熱口から蒸気が噴き出ている。エネルギーを処理しきれていない証拠だ。

 

「ゆ……せ……つば……ん…」

 

 最後の方は何も聞き取れない。

 やがて最後の蒸気が噴き出ると同時に、彼女はぐったりとその身を雪音に預けるようにして横たわってしまう。

 

「響っ!」

 

 咄嗟に彼女に近付き、額に手を当てて脈を取った。

 呼吸は安定している。脈も正常だ。気を失っただけらしい。

 だが、息をつこうとする間もない。この状況で失神とあってはただ事ではない。

 

「不動、立花は」

「気を失ってるだけだッ。恐らく、シンクロ・シンフォギアの反動だと思うが…!」

 

 やはりニトロ・シンクロンの力は響には重過ぎた。あの一発は恐らく、響の全出力を採算度外視で撃ち出したに違いない。ネフシュタンの鎧を貫通せしめるほどの一撃を放った時点で、彼女はグロッキーだったのだ。風鳴が援軍に来たことで気力は持ち直したが、同時に辛うじて彼女を支えていた集中力が途切れるキッカケにもなってしまった。

 

「喪心程度で済んだのは僥倖だが、ここで敵の増援か…っ」

 

 風鳴が苦虫を噛み潰すように言う。確かに状況は最悪だ。

 ノイズの奇襲と言う本来あるべき敵の行動を予測できなかった。

 だが……むしろ分からない点は、いっそ一つだ。

 

 

「……バカにしてっ……余計なおせっかいだっ!」

 

 

 そう言って響を睨み付けながら叫ぶ雪音クリス。

 その顔に出ているのは、動揺と、焦り。そして、戸惑いと、僅かな恐れ。

 明らかだ。彼女がノイズを呼び寄せていないのは。

 そもそも、さっきのフライト型は明らかに俺達では無く彼女を狙っていた。

 

「さっきのノイズは、君の仲間じゃないのか?」

「んなワケあるか! 誰が自分を攻撃させるかよ!」

 

 問いかけてみるが、返って来るのは当然の反応。

 やはり彼女はノイズ襲撃と無関係……ノイズを操る第三者が居たのか…? 

 それとも二課の内通者? 

 

(いや……まさか)

 

 俺の中で、嫌な予感が這い回る。

 サテライトで育った泥水と廃棄物とヘドロを混ぜ合わせたような、不快で気持ち悪い感触が心へ浸食していく。

 

(まさか、この子は…この少女は……!)

 

 

「命じたことも出来ないなんて」

 

 

 俺の直感を裏打ちするように、

 

 

「貴女はどこまで私を失望させれば気が済むのかしら?」

 

 

 ソイツは声を響かせた。

 

「っ!? 何奴!」

 

 翼が刀を構え直すと、一方を睨み付けた。それは雪音や俺達の更に後方。森を抜けた先にある海を見渡せる高台に、『ソレ』は立っていた。

 ゾクリと、肌が粟立った。

 いや…そんな生温いモノじゃない。

 胃の腑を捩じり、掴まれるような衝撃と、ドス黒い感覚。

 

 凶悪,殺気、冷徹、残忍、畏怖、支配、傲慢、憎悪……

 

 違う。どれでもない。この相手を表す言葉じゃない。

 

「っうっ…!?」

 

 瞬間、俺の腕に熱い何かが走る。

 この感触は以前にも何度も体感した。

 まさか……! 

 

「腕の、痣が……!?」

 

 熱い。赤く輝くのは、間違いなくシグナーの証であるドラゴンヘッドだ。しかし、この反応は、今まで輝きとはどれとも違っていた。

 

 

「赤き竜の御使い」

「っ!?」

「こんにちは。あるいはこんばんは」

 

 

 そう言って、奴は俺達を見る。

 いや、俺の痣を。

 

「お前は……お前は、何者だっ!?」

 

 叫ぶ。

 皆が緊迫して動けない中で、俺だけが右腕を抑えつつ、そう言い放った。情けないことに、風鳴が俺とそいつとの間に立ちはだかって、壁となってくれているが故に。

 

 視線の向こう側にいたのは、金髪の、漆黒のドレスに身を包んだ女性だった。

 黒い帽子を目深に被り、サングラスをかけているせいで、顔は分からない。

 

 しかし、誰しもが確信していた。

 コイツだ。

 こいつが全ての元凶だと。

 ノイズを使役し、雪音クリスを操り、そして俺と言う存在を異世界から呼び起こすキッカケとなった張本人。

 それが彼女……

 

「フィーネっ!」

 

 そう叫んで、追い縋るような目線を投げかけたのは、雪音だった。俺の隣で、彼女はフィーネと呼ばれた女性に対して、呼びかける。

 

「どういうことだよ! どうしてアンタがっ!」

 

 フィーネは、何も応えない。ただ俺の腕から雪音へと、少しだけ視線を外す。まるで用の無くなったオモチャでも見るかのようにして。

 

「……」

 

 使い切った電池や、絞りかすでも見るような目で、すぐに視線を戻した。

 

(何なんだ、この反応……一体、この二人は、どういう…?)

 

「っ……!」

 

 俺達の困惑をよそに、その態度が、少女の怒りの琴線に触れたのか。

 

「こんな奴いなくてもッ!!」

「ぅ…っ!」

「響っ!」

 

 抱えていた響を突き飛ばすように手放して、雪音はフィーネの元へと駆け出す。思わず俺が受け止めるが、それにも気付かない。さっきまで自分を庇ってくれた響には目もくれずに、ひたすらにフィーネに向かい、訴え続ける。

 

「こんな奴いなくたって! アタシ一人でやってやる! 戦争の火種を消せばアンタの言うように争いが消えるんだろ!?」

 

 風が一陣、吹いていた。

 その冷たい空気がフィーネの帽子を僅かに持ち上げる。サングラスに覆われた彼女の目の奥で、何が揺れ動いたのかは分からない。

 だが……

 

「なあ! 答えてくれよっ! そうすれば世界は元に戻るんだろ!? 呪いから解放されて、バラバラな世界が元の平和な世界にっ!」

 

 あることだけは確信できる。その眼の向こう側にある、平然と子どもを使い捨てるあの仕草だけは……

 

「答えろよ、フィーネっ!」

「……ふぅ」

 

 どれだけ時代や世界を駆け巡ろうとも、変わるものじゃないからだッ。

 

「もう、貴女に用ないわ」

「……ぇ」

 

(…!)

 

 瞬間的に、血液が沸騰する。

 これは赤き竜の発する信号じゃない。俺自身の怒りだった。

 雪音クリスがどうしてあれだけの怒りを俺達に向けていたのか。どうして響に固執するのか。叫び続けながらも戦いにこだわるのか。凄惨な世界に身を投じていながらも、汚い言葉の中でなおも響は対話を続けようとしたのか…! 

 

(あの女…まさかっ!)

 

 かつてサテライトで何度も見た。親を亡くし、兄弟を亡くし、或いは見捨てられた小さい者。それを操り、いたぶり、野良犬のように扱った連中。奴らがやるのはいつも決まった手口だ。

 

(あの女は雪音を…!)

 

「不動、落ち着いて」

 

 瞬間、肩に手を置かれる。

 凛とした静けさと共に、風鳴翼の声が俺の心にすとんと一滴を投じた。

 

「風鳴…!」

「私とて無知じゃない、概ねは察した。あれが黒幕だというのも、この少女が夷狄の常套手段に絡め取られたのも。だが…!」

 

 僅かに、風鳴の指先に力が籠もる。

 彼女とて、同じ怒りを持っている。この状況で察したもので、あのフィーネに怒りを覚えない者などいやしないのだ。

 

「……さようなら、シグナー。いずれまた会いましょう。『次』があれば」

「っ…待てっ!」

「逃がすと思うたかっ!」

 

 身体を翻すフィーネに向かって、翼が一閃して斬撃を飛ばす。一直線に飛んだその一撃は間違いなく敵を捉えていた。だが、彼女は微動だにせず、右手に構えていたそれを翳しただけだった。

 

「なにっ!?」

 

 俺達の横をすり抜けて放たれた光の剣閃は、突如として出現したノイズによって阻まれる。そのままフライトノイズに直撃した斬撃は、灰となったノイズ諸共に消滅した。

 驚愕する。だがノイズが阻む間に、フィーネと名乗る女は魔術でも使ったようにその身を宙へと舞わせて、森を抜けた向こう側……海の水平線のはるか遠くへと姿を小さくさせていく。

 

 

「はい、お土産。生き残れたら、アメを上げるわ」

 

 

 そう言い放つと、彼女は手に持っている『ソレ』をヒュンと振り上げ、魔法の杖の様にかざしてして光を放つ。それは俺達の横をすり抜けて、地面へと着弾する。光が止むとその地面からはまるで雨後の筍のように、何かが生えてくる。

 

「これは…っ!」

「まさか……っ!?」

 

 違う。

 生えて来たのではない。これは、以前雪音が俺達を攻めてきた時と同じだ。

 ノイズだった。大小様々なノイズが入り乱れるようにして出現してくる。

 あの女が握っていたのは、間違いなく、ノイズを操っていたあの武器だった。やはりあれはノイズを取り出し、コントロールする装置だったのだ。

 

『ノイズの発生を更に検知……う、嘘だろ……なんだ、この数!?』

 

 藤尭さんが呻く。

 その筈だ。奴らは量が尋常ではなかった。

 出てきたノイズはさっきと比べ物にならない。

 大量のクロール型。人型。それにフライトに、巨人型も……10,20……いや、そんな数ではきかないっ! 

 

『遊星君! 翼! 今すぐ響君を連れて脱出するんだ!』

「っ、だが…っ!」

 

 弦十郎さんが撤退を指示するも、俺の頭はすぐに切り替わらない。

 状況は悪くなっているのは理解できる。だが急激な変化に思考が追いつかない。

 

「フィーネっ!」

「あ、おい、待て…っ!」

「フィーネっ! フィーネっ!」

 

 そして俺達が増援に驚いている間に、止める間もなく。

 子どもに見捨てられた親のように。

 怒りと悲しみを声に変えて。何度も何度も、雪音クリスは叫びながら、フィーネの後を追って走って行った。

 

『駄目です、信号が遮断されています! 追跡不能!』

『座標位置、特定できません。120……150…!』

 

 俺達など、もう何処にも映っていない様子だった。夕焼けの日差しに目が眩む。彼女の姿も、やがて溶けて消えた。

 

『……イチイバル装者。及び、フィーネと名乗るアンノウン……反応ロスト』

 

 歯を食いしばりながら報告する藤尭さんの声。敵がいなくなり……俺達の間に静寂が訪れる。ようやく自然が一息を入れるようにして、ざあざあと風を吹き込ませる。

 

「くそっ…!」

 

 最悪だ。

 雪音クリスとの対話の機会が失われたばかりか、響は気を失い、しかもフィーネを名乗る謎の女の出現。

 そして更に……

 

『遊星君、落ち着くんだっ!』

「……弦十郎さん」

『君の気持ちは理解できる。だが、今はここを切り抜けることを考えるんだッ』

 

 彼の言葉に、俺は思わず息を呑む。

 それは、司令官としての叱責。幾らデュエリストとして視線を潜り抜けても、非日常の戦いに関して、俺はまだ経験不足だ。それを彼が埋めてくれた。

 

「不動、ここは」

「……すまない、少し血が上っていた」

「いいえ、責めはしない。けれど今は戦うわよ」

「ああ……」

 

 風鳴が静かに言った。

 あの時と、状況は逆だった。焦る俺に、諭す風鳴。残った体力とエネルギーを頭に回して、冷静さを取り戻すことが出来た。傷だらけの身体を押してきたことが、逆に風鳴に無駄な行動はできないと、心に一線を引かせていた。それが俺達のセーフティラインとなっていた。

 

(だが……この状況は…!)

 

『ノイズ、数およそ40。うち一体が増殖型。装者二名とシグナー、完全に包囲されています』

「っ…!」

 

 どうする。

 この大量のノイズを相手に、響を庇いながら戦うのは至難の業だ。

 風鳴も負傷もまだ完治してはいない。彼女を頼りにもできない。

 緒川さんの救援が来るまで持ち堪えるか……いや駄目だ。

 そうなれば、このノイズは野放しになる。一定時間を駆ければノイズは己の肉体を維持できずに自壊するが、その間に人を襲わないという根拠はない。

 

(このままでは…っ!)

 

 故に、俺の……俺達の取るべき道は、端から一つ。

 

 

「不動遊星!」

 

 

 風鳴が叫ぶと同時に、俺の下へと影が飛ぶ。

 一瞬、彼女の投げた小刀なのかと錯覚した。しかし違う。

 刃の如き鋭さを持って俺の顔面へと一直線に飛来したそれを、紙一重で掴みとる。

 指と指の間に綺麗に収まったそれは、淡い光を放っていた。

 

「…これは……!」

 

 見間違える筈も無い。

 これまで何度も目にした光景だ。

 この世界で俺が、俺達が戦い抜くために必要な光。仲間の危機、心が死ぬ間際に起こす奇跡。

 それが今、彼女から俺へと手渡された。

 

「その力を私に! 闇を祓う刃を与えてくれ!」

 

 そのメカニズムは分からない。

 だが今は……信じるしかない。俺と彼女の間にも、確かに信じられる繋がりが生まれたのだと。

 

「……了解した」

 

 彼女が放った『ソレ』を……俺の下へと舞い戻ったカードを、俺は手札に加える。そのまま、抱えていた響を、近くの折れずに残っていた巨木に添えるようにして寝かせた。

 

 

「すまない、響。もう少し我慢していてくれ」

 

 

 それだけを小さく言った。

 すぐに医務室に連れて行ってやる。

 だからあと少しだけの辛抱だ。

 心でそれを念じると、風鳴が与えてくれた一枚目のカードを、ディスクのモンスターゾーンへとセットした。

 

「チューナー・モンスター、『ライティ・ドライバー』を召喚!」

『ハァッ!』

 

 瞬間、俺の目の前に金属製のプラスドライバーを携えた機械妖精が現れた。

 青く長い髪を風に靡かせて、ドライバーを剣のように構えて立つ。

 

『これは……新しいチューナーか!』

 

 藤尭さんが叫ぶ。

 確かに偶然にしては出来過ぎてる。色々疑問は残るが、ここは風鳴の持ってきてくれたこのカードに逆転の一手が頼りだ。

 

「ライティ・ドライバーの効果発動。召喚に成功した時、手札からこのカードを特殊召喚できる!」

 

 風鳴のもたらしてくれたカード、その二枚目をディスクにセットした。

 ライティ・ドライバーは能力値こそ低いが、その特殊能力により、もう一体の相方とも言える存在を、手札・デッキ・墓地を問わずに呼び寄せることができる。

 そして召喚できるのが、このカードだ。

 

 

「行くぞ、レフティ・ドライバー!」

『ヤアッ!!』

 

 

 ライティ・ドライバーの横に、もう一体、同じ大きさの機械妖精が召喚された。

 彼女とは対照的に、黄色いボディと短髪、そして手に持っている彼女の身の丈を超えるマイナスドライバーが特徴だ。

 これが、ライティ・ドライバーの妹分、レフティ・ドライバー。

 

(このカードが戻って来てくれるとは…!)

 

 今迄手札に戻ってきたカードは、いずれも俺が幼少時より使っていた相棒たちだ。しかしこのカードは、Z-ONEとの戦いを経た俺が、独自に研究を続けてデッキに組み上げた新戦力だ。

 研究者として生きてはいるが、デュエリストとしての戦いを忘れたわけではない。最新のカード群や、デュエル理論の研究は欠かさなかった。

 そして、いつか再会した仲間達とライディングデュエルすることを夢見ていた俺は、この世界へと旅立つ直前に、何枚かの新しいカード達をデッキに組み込んでいたのである。その内の二枚が、このモンスター達だ。

 

「風鳴…!」

 

 俺は彼女をじっと見る。

 響がいる前ではおくびにも出さなかったが、その首筋や額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 本来なら、ここで彼女ほどの手練れが息を切らす筈も無い。

 恐らく限界が近い。

 しかし、それでも俺達の心は、今は一つとなっていた。

 

「大丈夫……言ったでしょう」

 

 ここで終わるつもりはない。今は生き抜くために戦う。

 

「風鳴翼は……こんな所で、折れる道理はない。だから……」

「…」

「私と言う、剣を……再び鍛え直せ、不動遊星!」

 

 俺達はまだ、お互いのことを、何も知らないのだから。何より彼女の歌を聞いていないのだから。

 

「レベル2のレフティ・ドライバーと、レベル4の天羽々斬に、レベル1ライティ・ドライバーを、フォニック・チューニング!」

『ハッ!』

『テヤッ!』

 

 俺の言葉を受けると、二体のモンスターは飛び跳ねるように舞い、光に包まれた。レフティ・ドライバーは風鳴の下へと飛び、その身を小さな光点に、そしてライティ・ドライバーは翠緑の輪となって、風鳴を包み込む。

 

 

「集いし風よ! 輝き羽撃たく翼を呼び、此処に光差す道となれ!」

 

 

 彼女の天羽々斬が、カードの精霊の力を受け、新たな姿へと生まれ変わる。丁度、彼女のバイクを、俺がメンテナンスした時のように。

 あの時、既に風鳴は心の一部を俺に預けていた。俺を試すために。ならば、それにそれ達は応えよう。

 

 この力と共に! 

 

「フォニック・シンクロ! 光を切り裂け、七星絶刀・天羽々斬!!」

「はあッッ!!」

 

 蘇りし刃。

 蒼金の研ぎ澄まされた刀を携えて、星の煌めきを宿した、新戦士……太陽よりも熱く、そして風より鋭く速い、剣戟の極みへ至らんとする高速の剣。

 その名は、七星絶刀・天羽々斬! 

 

「これが、フォニック・シンクロ…!」

 

 金色に縁どられたプロテクターを見渡して、翼は驚嘆していた。

 これが風鳴の力と融合した、新たなシンクロ・シンフォギアか…! 

 本来ならばどの程度の出力なのか、能力は果たして俺の予想通りなのか、逐一検証しなければいけないが、今は一か八か…! 

 

「やるぞ、翼。君の力を貸してくれっ!」

「承知っ!」

 

 両刃に生まれ変わり、鋭さを増した大剣を二本、その両手で構える。彼女の身の丈ほどもある巨大な獲物を、まるで棒切れでも扱う様に軽々と掲げた。純粋な筋力だけでも、相当なものだ。

 だが、彼女の能力はそれだけにとどまらない。その真骨頂は…

 

「装備魔法『ジャンク・アタック』を、七星絶刀・天羽々斬に装備する!」

 

 手札から、もう一枚のカードを選び取り、魔法・罠のゾーンに表向きでセットする。このシンクロ・シンフォギアが、俺の考えるモンスターと同じ能力を継承しているのだとすれば……! 

 

「装備魔法…?」

「ああ。装備魔法は、モンスターに力を直接与えられるカードだ」

 

 つまり、シンクロモンスターの力を使うシンフォギアにも同様の効果が与えられると見ていいだろう。

 瞬間、緑色に縁どられたカードが出現し、そこから放たれた光は、装者の身体を取り巻いて、包み込んでいく。彼女のプロテクターの煌めきは、それを受けて更に強さを増していく。

 

「これは…!」

 

 剣を握る力に一層の熱が籠もる。

 

「敵を滅する力ではない……寧ろ、その奥底にある本丸に矢を放つ類の…!」

「その通りだ。『ジャンク・アタック』は、本来モンスターを撃破した際、使役する術者本人にダメージを与えるカードなんだ」

 

 流石だ。

 彼女も、戦士としての経験則で、カードの力を本質的に察したらしい。以前にも、俺のカードの攻撃力や戦法を見抜いていた事と言い、戦いの技量やセンスなら俺は遠く及ばないだろう。

『ジャンク・アタック』はプレイヤーに効果ダメージを与えるカードである。だがプレイヤーと言う概念が存在しないノイズの群れ相手に、恐らくこの効果は意味を為さない。

 ここにノイズを召喚したあのフィーネと言う女がいるのならば話は別だが、もう追跡不能のエリアに逃亡している今、影響はないかもしれない。

 

「奥に隠れし牙城を穿つ……けれど、貴方の意図はそこにはない。と言うことね」

「ああ。君のシンクロ・シンフォギア…そのもう一つの効果を発動してこそ、意味を為すカードだ」

 

 攻撃力をアップさせられる装備カードがあればよかったが……今は手持ちの戦力を使うしかないのだ。

 そして、それでこそ輝くモノもある。

 

「七星絶刀・天羽々斬は、俺の持っていたシンクロモンスター、『セブンソード・ウォリアー』の能力が与えられている筈だ」

 

 恐らく戦闘が始まってしまえば、その間はバトルフェイズと見なされ、装備魔法カードは使えなくなる。そしてセブンソード・ウォリアーの効果が使えるのもバトルフェイズ前となる。

 ならば、このタイミングで仕掛ける。先手必勝だ。

 

「すまない、詳しく説明している時間はないが…」

「いや、悪くない。私も直観で理解したぞ。つまり、狙うはただ一つ!」

 

 ギラリと、彼女の眼光が鋭く目標を射抜く。

 そう。

 俺が狙っているのは、増殖をさせられるギガノイズ。奥にいるあのデカブツだ。

 

 

「ならば、いざ尋常に……推して参るっ!!」

 

 

 両刀を構えて、他のノイズには目もくれずに間合いを見切る。

 瞬間、空気が止まった。

 森のざわめきも、動物の鳴き声も。

 今この瞬間飲み、世界の誰もが彼女を注視する。

 世界の果てまでも貫きそうなその裂帛の気合が、天羽々斬の出力を更に一点に集約させる。

 

「はああああっっ……!」

 

 空間が歪む。

 周囲に空気とエネルギーが圧縮される。それは力場がある場所を起点にし、集中が過ぎるために起こる一種のオーバーロード。

 風は暴風となり、暴風は嵐を呼ぶ。それは魔を砕き、光をも断つ。

 

 

「『七星絶刀・天羽々斬』の効果発動! 装備カードを一枚墓地に送ることで、相手モンスターを一体破壊する!」

「おおおおおおおッッ!」

「砕け! イクイップ・ショット!」

 

 

 瞬間、放たれたのは銛投げの様に投擲された大刀は一直線にギガノイズの脳天を直撃する。

 

『!!? !? !』

 

 恐らくノイズは何が起こったのかも分からないだろう。

 瞬きを一回する間に、猛烈なスピードで発射された蒼金の剣は、ギガノイズを貫通し、深々と大穴を開けていた。

 そのまま防御も再生も、為す術も無く。ギガノイズが一瞬にして衝撃を全体へと伝播させて、消滅していく。

 

『ギ…ギガノイズ、爆散! 消滅を確認!』

 

 歓声と驚愕が管制室から聞こえる。

 眼前で見ていた俺もまだ信じられない。

 確かにセブンソード・ウォリアーには、装備カードと引き換えに相手を一体破壊できる効果が備わっている。

 だが、ここまでの破壊力を有するとは…! 

 

「不動!」

「ッ!」

「呆けてないで! 次の指示を!」

「あ…ああっ!」

 

 だが間もなく、翼は残りの一本の剣を握りしめていた。

 俺も目の前を見て、すぐにハッとなった。文字通り司令塔となるギガノイズを潰されて、ノイズはすぐに目標を俺達へと切り替えている。フライト型やクロール型、そして人型のノイズが、俺達との距離を詰めていた。

 

 そうだ。終わってはいない。まだ敵は残っている。

 奴等を殲滅しなくては……! 

 

『翼、良くやった! 残りを殲滅できるか!』

「了解っ!」

 

 

 弦十郎さんからの指示を受けて、彼女は再び両の足で大地を蹴り、ノイズの群れへ通しかかった。

 

 ―――去りなさい! 無想に猛る炎

 

 圧倒的なスピードだ。

 瞬く間に敵の一団との距離を詰めると、一刀で真っ向から袈裟切りにした。勢いそのままに身体を独楽のように回転させ、迫り来るノイズの群れを蹴散らしていく。

 

 

 ―――神楽の風に滅し 散華せよ! 

 

 

 俺の眼前にノイズが迫る。数はおよそ5体余り。

 別働隊がいたらしい。しかし防人の目は逃さなかった。

 既に増殖をする為の厄介なノイズは蹴散らした。後は残存部隊を制圧するのみ! 

 

 剣を俺に一番近かった人型ノイズの後頭部目掛け投げつける。脳天に突き刺さった刃をそのまま駆け寄って引き抜き、返す刀で横に薙いで残りを蹴散らす。

 

 彼女の歌が聞こえる。

 シンクロ・シンフォギアはそれだけでも強力な武器だ。だが装者の歌と重ねあわせることで、更なる強さを発揮することができる。

 

 ―――闇を裂け 酔狂のいろは唄よ

 

 正面の敵を蹴散らすと、続けて倒れた樹木を利用して高く舞い上がる。頭上から奇襲を仕掛けようとしたフライト型よりも更に上空を制した翼は、斬撃を飛ばす『蒼の一閃』を繰り出して、次々と粉砕していった。

 

 ―――凛と愛を翳して いざ往かん! 

 

 唄は止まらない。

 空中戦を終えて、着地しながらも加速し、なお敵を切り裂き、貫き、蹴散らしていく。

 

 ―――心に満ちた決意 真なる勇気胸に問いて

 

『フォニック・ゲイン、尚も上昇中。これならイケます!』

 

 ―――嗚呼絆に全てを賭した 閃光の剣よ

 

 友里さんの声がする。

 

(何かが……彼女の中で変わったのだろうか。それは……)

 

 正直、俺にはよく分からない。

 

 必死に歌を歌いながら身を削り、戦い続ける彼女の中に、俺が入り込める隙間など本当はなかったのかもしれない。

 けれども、それでも、傍らで共に立ち、理解し続けたいと願う。その末に彼女の守りたいものが見えてくるのだとするならば。

 

『ノイズ、残存1! これでラストです!』

『決めろ、翼ァ!』

 

 

 ―――四の五の言わずに否、―――

 

「世の、飛沫とっ! 果てよオオオッ!!」

 

 

 頭上から振り下ろされる最後の一閃が、人型を真っ二つにする。

 それで終わりだった。

 ノイズの爆発する音。

 その横で、バキバキと、戦闘の余波で木々が崩れていく。

 やがてそれも周囲の沈黙と同化して辺りは静寂に包まれた。

 

「………!」

『……ノイズ、残存数ゼロ……増援、ありません』

『よくやった……二人とも。現時刻を以って、戦闘を終了とするッ』

 

 司令官の声が、高らかに響く。大仰で、しかも安直に言うならば、それは勝利のファンファーレだ。

 

「はあっ……はあっ…はぁっ…!」

 

 緊張の糸が切れたのか。

 片膝をついて……剣を杖にするようにしてようやく体を支える少女。

 そのまま振り返って、俺を見た。

 

「翼っ!」

「中々に……消耗するようだな……これは…!」

「……すまない」

 

 彼女に駆け寄ると、それだけを絞り出した。

 君がこんなにも戦っているというのに、未だに俺は戦う術を持たない。君の背中を押すことしか許されないのだ。

 

 だが、それでも。

 だとしても。

 

「謝らないで」

 

 夕焼けが沈む。

 その直前、その日一番の輝きを放つ。

 照り返しを受けて、歌姫の笑顔は、宝石になった。

 

「私達は生きてる。生きて……明日を迎えられる」

 

 何物をも失うまいと誓った決意は、揺らぐことなく咲き続ける。

 その一助にでもなることができたというのなら。こんなにも嬉しいことはない。

 遠くからクラクションの音がする。緒川さん達の救援だ。

 防人の少女に、肩を貸した。

 

「ああ、そうだったな…!」

「ああ……そうだとも……ね……だから……後は……おね、がい…」

 

 夕焼けが終わる。

 一日が終わろうとしている。

 羽撃たく剣も、今は翼を休める時だ。

 俺の腕を支えとして、意識が失われる少女を背負い、俺は緒川さんの待つ車に向かって、歩き出した。

 




次回はいよいよ、皆さんお待ちかねなシーンですね


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第6話『撃ちてし止まぬ運命のもとに、羽撃く翼在りて』-3

続きを投稿します。

感想を下さっている方々。いつもいつも返信が遅れて申し訳ありません。
必ず目を通して、次回へのモチベーションとさせて頂いております。


 

「これで、検査は終了です。目立った外傷もありませんでしたし、一先ず問題はないでしょう」

「ありがとう」

 

 ノイズとの戦闘終了後から、数時間後。

 事後処理などを一課に任せて、俺達は直ちに地下の地下基地へと移動した。雪音クリス…そう名乗った少女、そして『フィーネ』を名乗る謎の女……一連の事件の裏にいると思しき存在がおぼろげながら見えてきた。それらの情報整理や、これからの方向性を練らねばいけない。

 とは言え……あまり事態は進展していない様子だった。

 

「司令が、検査が終わり次第、発令室に来るようにと。向こうには、私の方から連絡をしておきます」

「すまないな。よろしく頼む」

「いえ、ご無事で何よりでした」

 

 ジャケットの袖に腕を通す。

 腹部に深々と蹴りを入れられたが、やはりと言うか、赤き竜の加護によって、俺の肉体はもう殆ど治癒している。ライフポイントがゼロにならない限り、致命的な外傷は負わずに済むようだ。

 とは言え、衝撃全てや精神ダメージがカットできるわけではない。無傷で終われるに越したことはない。

 

 

「お疲れ様~、遊星君」

「了子さんか」

 

 

 医務室の扉が開き、中へと入ってきたのは、さっきまで影も形もなかった、主任科学者の櫻井了子である。

 ここ数日、俺は彼女の姿を見ていなかったが、それには訳がある。

 

「聞いたわよォ。私が地下に籠ってる間に、色々と大変だったみたいね」

 

 前回の任務で、二課で引き続き管理をされることになったデュランダルは、アビスと呼ばれるこの基地の最深部で保管されている。了子さんは未だ姿の見えぬ敵に備え、防衛システムや本部自体の強化を一手に引き受けていて、その作業の真っ最中だったのだ。

 

「ごめんなさい、肝心な時に力になれなくて」

「気にしないでくれ。取り敢えず、切り抜けることはできた。それに了子さんも忙しかったろうからな。お互い様だ」

「うぅん、ホント君ってばいい子ねぇ~。バックヤードの苦労を知らない分からんチンには、私達が遊んでるように見えるみたいでさ。今回だって、上からの承認が下りるのホント苦労したんだからっ」

 

 そう言って肩に手を回そうとして来る彼女の手をひらりと躱す。

 元々、敵の侵入に備え、限定解除案は織り込み済みだったらしい。許可が下りればすぐさま手を付けられるようにと、前々から準備を怠らなかったそうだ。しかし国のお偉方連中からの反対で、先送りになっていたようだ。

 

 ……気持ちは分からんでもないが、この人の愚痴に付き合うと日が暮れてしまう。

 

「もー、いけず」

「徹夜明けで疲れてるんだろう? 無理はしない方がいい」

「……お気遣いどーも。あー、遊星君の彼女になる人は大変ねぇ~」

「…どういう意味だ?」

「しーりません」

 

 ニヤニヤと俺を見てくる了子さん。

 ……どうもこの女性のこういう所は苦手だった。

 聞いても難なく躱される未来だけしか見えないので、俺は追及を止めた。

 了子さんもそれ以上からかわず、話題を切り替える。

 

「あー、そうそう。また新しいカードが現れたんですって? それも二枚も。ん? 三枚だったっけ?」

「その辺りは、おいおい話す。それより響たちは?」

「ああ、それね。ここじゃなんだし、司令室に行きながら話しましょうか」

 

 俺達は医務室を出て、歩き出した。

 響達は、それぞれ精密検査を受ける為に、別室へ搬送されている。戦いによる負傷は両者とも殆ど無かったが、問題はシンフォギアの反動だ。フォニック・シンクロによるダメージがどれだけ及んでいるか分からない。

 特に彼女は、重傷を押して出てきたのだから……

 

「限界と採算を考えずに使ったエネルギー運用による……まあ、ぶっちゃけ過労よ」

 

 しかし了子さんのあっけらかんとした言葉には、少し驚いた。

 

「過労…」

「ちょっと時間を置けば、すぐに元通りよ」

「本当か?」

「私もちょっと意外だったんだけどねえ。最初のフォニック・シンクロを行った時もバックファイアは殆ど無かったし…」

 

 その報自体には、俺は胸を撫で下ろすところだったが、疑問は残る。

 了子さんの仮説では、聖遺物とシンフォギアは似た性質を持っている。ならば、シンフォギア同様、カードの精霊の力を分け与えることは負担を強いると考えたが……

 

「前に言ってたけど、デュエルモンスターズの起源は古代エジプトになるんだっけ?」

「ああ。エジプトの遺跡から発掘した、古代の石板をカードに複写したのが始まりだ。デュエルを生み出したI2社の社史に書いてあるだけだが……」

 

 正直、デュエルモンスターズのカードについては俺の世界でも分かっていないことだらけだ。

 赤き竜にまつわることだけじゃない。

 俺が生まれる以前から、デュエルによって不可思議な現象は数多く発生していた。デュエルの生みの親であるペガサス・J・クロフォードも、色々と曰くつきの人物である。

 

「ふうむふむ……とすると、シンフォギアとの違いはそこかも」

「どういうことだ?」

「つまりね」

 

 了子さんは考古学者としての側面も持っている。俺の話に思うところがあったのかもしれない。

 話の続きを聞きのがすまいと集中した俺の耳。

 が、その時、通路の横から飛び込むように司会に移りこんだ影に、俺の意識は逸れた。

 

 

「遊星ッ!」

 

 

 驚いて目を丸くしていた俺の目の前で飛び跳ねるようにして現れたのは、さっき話題の中にあった少女、立花響その人だ。

 

「大丈夫だった? 身体、何ともない?」

「ああ、俺は平気だ…」

 

 会うなりいきなり他人の心配をする当たり、この少女の人柄が窺えるが、それはこっちの台詞である。

 

「響こそ、身体はもういいのか? お前の方が大変だったんだぞ」

「うん、この通り、へいきへっ……ぁぅ…」

「お、おい、響っ」

 

 腕をぶんぶん振り回した次の瞬間、ヨタヨタと足取りをふらつかせたところを、了子さんが肩を支える。

 

「だーかーら、絶対に安静って言ったでしょ?」

「す、すみません」

「ちゃんと休めば元に戻るんだから、無理しないの。ね?」

「はい……」

 

 肩を揺すりながら中止する了子さん。それに対してしどろもどろに謝る響。

 まるで二人は教師と生徒の様子だった。

 

「復唱。『神の御名に於いて、今日はぐっすりベッドで寝ることを誓います』。サン、ハイ」

「かみみょみみゃ…、み、みなにおいて、ねるのをち、誓います」

 

 ……噛んだ。

 

「ま、いいでしょ」

「………本当に大丈夫なのか?」

「だ、大丈夫だよ、ごめんね、心配かけて…」

 

 あはは、と苦笑する響をよそに、俺は了子さんを見る。

 彼女も呆れた様な笑いを浮かべていたので、確かに当面の問題は無いらしい。

 となると、残る装者の方だが……

 

「翼ちゃんも、すぐに司令室に戻って来るでしょうから。そこで改めて状況整理としましょう」

「翼さん、大丈夫なんですか…?」

「大丈夫、大丈夫。伊達に何度も修羅場はくぐってないわ。それにあの子は弦十郎君の姪っ子だもん。あの血筋はそうそう大事には至らないわ。大岩に頭から突っ込んで掠り傷で済む様な人種だから」

「よかった…」

 

 ホッと胸を撫で下ろす響。それに付け加えて、了子さんは言った。

 

「友達の子も、情報秘匿の為の説明を受ければ、すぐに解放されるから。響ちゃんが戻る頃には寮に帰ってる筈よ」

「あっ……」 

 

 その言葉を聞くと、さっきまで安堵していた響の表情が一気に翳る。

 …無理もない。

 響はずっと親友に黙って戦っていることに罪悪感を持っている様子だった。それでも各自続けていたのは、危険に巻き込ませまいとする一心だけだ。しかし、ついに敵の魔の手は彼女のすぐ傍を紙一重ですり抜けていた。

 もし気付くのが少しでも遅れていたら…あるいは、敵が陽動の為に近くにノイズを放っていたら……小日向が物言わぬ肉塊や、炭と化していたかもしれない。

 

「響……」

「……よかった」

「え?」

「未来が無事で……今は、それだけで十分だよ……」

 

 そう言って微笑を浮かべる響。

 どんな言葉でも、親しい人を危険に巻き込んだ恐怖は拭いきれないかもしれない。

 それでも、友情と覚悟の板挟みになる彼女に、寄り添うことはできる。

 

「ダイジョーブ。しばらく彼女には、情報秘匿の為に監視が付いちゃうけど…それも、ボディーガード代わりだと思えば考えモンよ。ねえ?」

「…ああ、そうだな」

 

 正直、了子さんの意見はキワモノじみていたが、彼女を何とか元気にさせてやりたかった。

 それが伝わったおかげか、徐々に響も元の笑顔を取り戻していった。

 

「うん…ありがとう」

「ああ」

「さて、それじゃあ司令室行きましょうか。今頃弦十郎君が首を長くして待ってるわよ?」

 

 俺達は頷くと、司令室に向けて歩き出した。

 装者達が健在なのは喜ばしいが、問題は山積みだ。

 弦十郎さんは、雪音クリスの用いた『イチイバル』なるシンフォギアを、『失われた第二号聖遺物』と呼んでいた。

 つまり元々、あれは二課の保有物だった。それを奪われたという事は、ネフシュタンのみならず、シンフォギアの技術すら敵の手に渡っているという事だ。

 姿の見えない敵に立ち向かうのに、アドバンテージは殆ど失われたも同然。

 

(一刻も早く、残りのカードも見つけ出さなければ……)

 

 必定、カギを握るのは俺達の絆……魂とも言えるカードデッキに他ならない。

 何とかしなければ……そうこう考えているうちに、司令室の前に辿り着いた。

 

「やっほー。みんなお疲れカツカレー!」

 

 オペレーターや司令が、皆厳しい面持ちで俺達を出迎えるのは予想できていたのだが、プシューとドアが開いて最初に目にしたものは、ギラリと目を鋭く光らせてソファーから立ち上がった大男だった。

 

 

「……おう、戻ったか」

「し、師匠…?」

 

 

 まるで仁王立ちをしながら門番をする大鬼である。

 そのまま無言で立ちはだかる弦十郎さん。流石に俺も、一瞬たじろがずにはいられない。了子さんだけは日ごろの付き合いからか微動だにしなかったが、響に至ってはその場でへたり込まなかっただけでも上出来だろう。

 

「……翼は?」

「え、ええと、ま、まだ医務室だと思います…」

 

 響が恐る恐る言うと、途端に神妙な顔をして彼は頷いた。

 常に山のようにどっしりと構えるその佇まいを見てこそ、部下も信頼して後を付いてきているというものだ。

 

「そうか。了子君、三人の具合はどうだ?」

「モーマンタイ。装者・シグナー共に健在よ」

 

 指で丸を囲いながら言う了子さん。

 それを受けると、二課の指令ははぁーっと深い溜め息をついた。

 俺達の間に何とも言えない雰囲気が漂う。

 

 ……咄嗟に俺と響は互いに顔を見合わせた。

 

(……もしかして、勝手に無茶したから怒ってるのかな?)

(かもしれないな)

 

 響はポツリと耳打ちした。俺も同意するしかない。

 敵に向かって丸腰で呼びかけるなど、響のそれは交渉にもなっていない行動だった。

 だが、俺も響も自分の心に恥じ入るような事はしたくなかった。それは偽らざる本音だ。

 

(弦十郎さんの立場も分かるが、ここは……)

 

 咄嗟に口をついて言葉が出た。

 

「いや、響君も遊星君も、無事で何よりだった。よく帰ってきてくれた」

「すまない、俺が無理を強いてしまったんだ。責任は俺にある」

「す、すみません、私も、無理と言うか……我儘を」

「…ん?」

 

 慌てて響も頭を下げる。すると弦十郎さんは途端にポカンと目を丸くして、まじまじと俺達を見た。

 

「何を言っているんだ、君達は?」

「え?」

「師匠…私達が勝手にクリスちゃんとお話したから、それで怒ってるんじゃないんですか?」

「ぶほっ!」

 

 すると横で了子さんが勢いよく噴き出していた。

 

「ご、ごめっ…でも、ちょ……ぎこちなく謝ってるのとか……ぶふぅ!!」

「了子君……」

「ごめんごめんって。でも君がそんなイカツイ顔してたら誰だって怖がるわよ?」

「む……」

 

 主任科学者がバシバシと司令の肩を叩く。珍妙な図だ。だが、ようやく弦十郎さんも事態を飲み込めたのか、ごほんごほんと咳払いしながら仕切り直した。

 

「別に俺は、君達の独断行動を追求するつもりも、責めるつもりもない」

 

 きっぱりと、弦十郎さんは言った。その言葉は重く、いつもの様にドッシリと構える巌のそれである。

 

「……現場で君達は、凡そ最も合理的な判断を下している。今回もその判断力があってこそだ。お陰で、敵の情報をかなり得ることができた」

「じゃあ……」

「確かに無茶をやらかしたのは事実だが、現場でしか分からないことも多くある。余程のことがない限り、俺はその意見を尊重するのを信条としている」

 

 そう言って、彼は俺達の肩をがっしりと掴んだ。響とまた目が合うが、お互いに顔を見合わせてふっと微笑した。

 俺達のトップがこういう人間であることに感謝したのは一度や二度ではない。今更ながら、この男が味方で良かったと思う。

 ……しかし、そうすると、さっきの表情はどういうことだ? 

 

「あの……でも、さっきとても怒ってるように見えましたけど?」

「いや、それは…」

「翼ちゃんが心配だったんでしょ?」

「え?」

「……」

「んもう、弦十郎君。翼ちゃんだって頑張ったんだから、そんなに責めちゃ駄目よ」

「その件に関しましては、護衛でもある僕の責任でもあります。まさかあの身体で出撃するとは思いませんでしたから……」

 

 そう言って司令の後ろからスッと音もなく表れたのは、風鳴翼のマネージャーでもある緒川さんだった。小日向の護衛を引き継ぎ、司令室で合流したらしい。

 ……さっきまで影も形も気配も無かった気がするが。

 

「それは分かっている……しかし、あいつは、奏の分まで生きねばならない。二度も死に急ぐような真似を、許すわけにはいかん」

「でも、だからこそ、翼ちゃんも頑張れたのよ。痛みをその身で受けたからこそ、彼女は成長して今に繋がったの。ね? 遊星君もそう思うでしょ?」

「え…」

「……」

「ああ……そう、かもな」

 

 咄嗟に了子さんの言葉に返したものの。

 

「ほらね?」

 

 別に彼女は間違ったことは言っていない。

 天羽奏と言う女性の死……それは風鳴翼を追い詰めこそしたが、彼女の生きる糧になったのだろう。そして一人で苦悩し、戦い続けた痛みは、彼女を更に成長させるきっかけになったに違いない。

 しかし……何故だろうか。

 俺の中には、言いようのない違和感がこびりつくような感触があった。

 

「君の言う通りかもしれない。俺には、あいつの成長を見守ってやることしか出来ん……だが、半死に体で出てきたことを、そのままにはしておけん」

 

 丸太のような太い二の腕を汲んで、広く大きな天井を見つめる弦十郎さん。

 この時、俺も響も、風鳴家と言う大きな、しかし狭苦しい世界で生きる者たちの苦悩と戦い、そして痛みを全て知っているわけではなかった。

 だから彼が何に迷い、そして姪に何を告げたいと思っているのか、正直掴み切れない。もしかしたら、それは自信でも分かっていないのかもしれない。

 

 だが……

 

「失礼します」

 

 再び司令室と長い廊下を繋ぐ扉が開く。

 俺達が全員振り返ると、そこには正に話の渦中にいた少女、風鳴翼が立っていた。

 リディアンの制服を身にまとい、直前までの戦いで限界を知り減らして居た様子とは思えない。打って変わって、血色も良く、表情も凛とした佇まいだ。

 とても数時間前までベッドで伏せっていた女子高生の出で立ちではない。

 

 

「つ、翼さん…大丈夫なんですか?」

「……ああ」

「翼ちゃんっ! 全く馬鹿な真似をしてっ!! 検査で異常なしと出たからよかったものの、もし何かあれば一大事だったのよッ、もう!」

「了子さんさっきと言ってること180度違いますよ!?」

「……って、さっきから弦十郎君がお冠よ?」

 

 

 響からのツッコミも軽く流し、了子さんはニコニコして第一号装者の肩を押して司令官の前へ突き出していく。

 とは言え、こんな風に差し出されては、如何に厳格な弦十郎さんと言えども強く言える筈も無い。

 ツカツカと歩み寄ったものの、結局は安堵の表情と態度で、彼女を労うに留まった。

 

「はぁ……翼」

「はい」

「……無茶をしでかしやがって……」

「……申し訳ありません」

 

 そう言って深々と頭を下げる。

 考えてみれば、彼女自身、譲れぬ想いがあるからこそ戦場へと赴き、そして俺達を救ってくれたのだ。一番付き合いの深いこの人が理解しない筈も無い。

 そして自身が戒めているとしているのならば、彼が言うことはもうないのだろう。

 

「ですが仲間の危機に伏せってなどいられませんでした」

 

 それを裏付けるようにして、彼女は俺達の方を見た。

 瞳は真っ直ぐに俺達を見つめている。真摯に、正面から受け止める決意があった。

 

「彼等は戦士です。立花も未熟でこそありますが、心意気は防人のそれに相違ないと私は判断しました」

「……翼さん」

「私は確かめたかった。二人が本当の戦士なのか……そして、貴方達の強さは何なのか」

 

 言って、一歩前へと進み出る。

 

「……今は、正直全てを受け入れられないかもしれない」

「…え」

「私のバイクも……本当は、あとで自分で調べるつもりでいた。余計な細工がないかどうか」

「……そうか」

 

 分かってはいた。

 この組織は、余りにも俺を無条件に受け入れ過ぎていた。それには裏があったのだ。

 俺に監視がついていたことは分かっていたが、恐らく彼女自身も、俺を探っていたのだろう。病室で俺について根掘り葉掘り聞いていたことも、多分それに起因することだ。

 俺に不審な所がないのか、探っていたと考えれば辻褄は会う。やり方はかなり不器用だったが。

 しかし今更、お互いの気持ちを偽っても意味はないことだ。

 

「翼さん、遊星はそんな事…」

「いいんだ」

「でも…」

「今はそれでいい」

 

 前に出ようとする響を、俺は制した。

 かつて俺達もそうだった。

 赤き竜の痣はキッカケに過ぎない。そこに意味は本来ないのかもしれない。ならば真実は自分達で掴みとるべきだ。

 

「……まだ、全て受け入れることは出来ないけれど、私達が出会った事には、必ず意味がある。今はそう思っている。だから…」

 

 全てを信じられなくてもいい。

 時にはぶつかってもいい。

 ただ、受け止める覚悟と。

 前に進みたいと、変わりたいと、そう願う心があるのならば。

 

「確かめさせて。貴方達の、『絆』を」

 

 ギラリと、眼光が鋭く俺を射抜く。

 響がその場で息を呑んだ。

 けれど、それは一瞬のことで。

 

「翼さん、それはちょっと違います」

 

 しんと静まり返った。

 彼女が……響が、俺の手を取る。

 華奢な細腕からは考えられない程に、その手は熱く、強い。

 

「『貴方達』じゃなくて」

 

 そう言って今度は、俺の手を取る。

 三人の掌が重なる。

 かつて俺が響の手を取ったように。今度は響が、俺と翼の手を繋いだ。

 

「『私達』ですよ」

 

 温かい。

 それぞれ異なる体温を共有する。

 血の色は同じでも、目に見えない者が違うだけで簡単に人はすれ違う。

 ただ、異なるものでも結べれば、同じ世界は見えてくるかもしれない。

 

「…ね?」

「……ああ」

「…そうね」

「翼、君が俺に力を預けてくれたように、俺は命を預ける。それでいいか?」

「身命を賭して…承った」

 

 互いに笑みを見せあう。

 この日、俺達はようやくチームになることが出来たのだ。

 立花響と言う、一人の少女を楔にすることで、互いに近付く道を、見付け出すことができた。

 

「んうんうん。雨降って地固まるね? 降ったのは翼ちゃんの血の雨だったわけだけど」

「了子君」

「はーい、ごめんなさーい」

 

 後ろで了子さんが茶化したところで、俺達は苦笑しながら手を放した。

 事態は重苦しいだろう。

 だが、恐れることはない筈だ。

 俺達は戦える。この絆を強くしていけば。

 

「了子君、翼の全快までの期間は?」

「んー、今回の戦闘で治癒力もかなり戻って来てるから……概算だけど3~4週間ね」

「では翼。傷が癒えるまで、お前は二人のサポートに回れ。いいな」

「了解しました」

「うむ」

 

 弦十郎さんは俺達を一回り見ると、今日はここで解散する旨を告げた。

 俺はまだしも、二人は疲労もまだ取れていないと判断してのことだた。後日、改めて情報や調査部で情報を整理し、今後の作戦目的を決めるらしい。

 

「改めて、今日は三人ともよく頑張ってくれた。まずはゆっくりと休んでくれ」

 

 俺達は鷹揚に頷く。

 と、その時だ。

 傍らで事の成り行きを見守っていた緒川さんが、懐から端末を取り出す。

 

「はい、僕です。ええ……ええ、了解しました」

 

 そのまま二言三言話すと、そのまま端末を仕舞いこんで、俺達に……と言うよりも、響に向き直った。

 

「司令、それと響さん。ご友人……小日向さんですが、先程寮の部屋へ戻られたと連絡がありました」

「あ……」

 

 その言葉に、響の表情が僅かだが曇る。

 さっき俺と了子さんでフォローしたものの、やはり実際問題そうそう簡単に割り切れる問題ではないのだろう。直接顔を合わせた時に、何を言えばいいのか……二人の中を知らない俺では、アドバイスにも困ってしまうが……

 

「響君、大丈夫か?」

「は、はい、平気です……」

 

 汚れの無い鏡のように顔が映るタイルを見つめていた響に、どうにか声を掛けようとしたら……

 

「えい」

「ぴにゃあああっ!」

 

 了子さんが先に動いていた。

 特に指先が。

 

「うんうん、感度良好。善き哉善き哉」

「なにしてるんですかあッ!!!」

 

 そのままツンツンと、響の……とある部分を、触ってはにんまりとした顔をする了子さん。

 響は突然の事態に顔を真っ赤にして叫ぶと、そのまま後ろを向く。

 呆然としていた俺や弦十郎さんだったが、不意に横の冷たい視線を感じて跳び上がりそうになった。

 

「……なにしてるんですか?」

「いや」

「別に」

「何も」

「全く」

 

 翼が俺達を睨んでいる。

 ……なんという冷徹な目だ。親の仇より、なお汚らしい者を見下す眼だ。

 その威光に俺、弦十郎さん、緒川さん、そして何事かと身を乗り出した藤尭さんがそそくさとそっぽを向くのはほぼ同時だった。

 

「おじ様や緒川さんや不動も、殿方だったのですね。失念していました」

「待て何の話だ」

「いえ別に」

 

「え、俺は?」と藤尭さんが愕然とした表情で身を乗り出そうとしたが、友里さんの筆舌し難い表情による一睨みですぐ引っ込む。

 そのまま小動物なら殲滅せしめそうな程に強力な眼力を発し続けていた翼だったが、やがて『はぁ』とタメ息を短くつくと、そのまま響の手を取って出口まで歩き出す。

 

「立花、今日はもう帰りましょう。ほら早くして、さあ風よりも早くして」

「え、は、はい」

「理不尽が超加速してる…」

 

 藤尭さんのボヤきが聞こえた気がしたが、あまり掘り下げるべきではない。どんな手練れのデュエリストも、女の言うことに逆らうべきじゃない。

 マーサが言っていた。『女が怒った時は理由を察せられるような男にならなければ駄目だ』と。『ましてその理由を直接聞くのは野暮とバカの極みである』……らしい。

 

「あれ?」

「ん?」

「了子さん、手首どうしたんですか?」

「ああ、これ? ちょっと機械の操作ミスっちゃって」

「え、だ、大丈夫ですかっ?」

「軽い擦り傷みたいなもんだから気にしないで」

「はぁ…」

 

 ……少女たちが出て行く際に、そんな会話を女性陣がしていたが、風鳴の怒りを探るばかりで、正直あまり耳には入ってこなかった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 カツン カツン カツン

 門限をとうに過ぎて、消灯時間され薄暗くなった廊下に、

 靴音が二つ。

 一つは私。

 こんな状況じゃなかったら、こっそりと息を殺しながら帰ってるかもしれない。

 けど、もう一つの靴音がある。

 

「………」

 

 私の隣を歩く、美少女が一人。

 学園のアイドル。

 孤高の歌姫。

 その名は翼さん。

 私と一緒にこの人が歩いている姿なんて誰が想像するだろう。

 

「……」

 

 私達は基地を出てからずっと、互いに話すこともなく寮への道を進んでいた。

 何でも翼さんは、普段は師匠の家で暮らしているらしい。今は病み上がりなこともあるから、この寮の特別室を借りてそこで寝るんだって。

 病院や二課の設備も近いし、その方が良いよね。

 

 ……本当は、こんな状況じゃなかったら、私は諸手を上げて喜んでいるところだった。何も話せなくてもウキウキして跳び上がりそうな筈だ。

 けど今私を悩ませているのは、翼さんとの間が気まずいからじゃない。

 

 

『ご飯食べて、ぐっすり寝ればオッケーよ』

 

 そう了子さんは言った。

 私の中の力は、前よりも強くなってる。

 だから何の心配もいらないと。

 

(なら……きっと大丈夫だ)

 

 うん…大丈夫。私は平気だ……

 心配なんてしない。

 心配なんてさせない。

 

(そうだよ。また、あったかい場所で寝られれば……)

 

 私は生きていける。

 私は幸せだ。

 今もこうして、元気でいられるのだから。

 私を元気にさせてくれる存在が、無事でいてくれるのだから。

 

(そうだよ……だから)

 

 ……あれ? 

 ふと気づく。

 私は何を不安がってたんだっけ? 

 身体のこと? 

 ノイズのこと? 

 正体のわからない敵のこと? 

 

 ……違う。違う違う違う。

 バカか私は。

 そんな事じゃないだろう、立花響。

 お前が気にしなきゃいけないのは……

 

 本当に、心配しなきゃいけないのは……

 

「立花」

 

「え?」

 

 黙考は、中断させられる。

 いつの間にか目の前に、横を歩いていた筈の翼さんが立っていた。

 

「つ、翼さん?」

「……」

「あ、あの」

「ここだろう? 立花の部屋は」

「…へ」

 

 言われて気が付く。

 今まで壁代わりにしか見ていなかったドアの連なりは、実は寮生たちが暮らす部屋のナンバーが掛かれていて。

 そして、目の前に在る部屋の号室と掛けられているネームプレートには、間違いなく私と……もう一人のルームメイトの名前があった。

 

「まさか、自分の部屋と名前も一致しない、なんてことはないだろう?」

「……あ」

「櫻井女史に診てもらうか?」

「い、いえっ。メッソウもないっ」

 

 慌ててブンブンと手を振って答える。

 顔が真っ赤になった。

 あ、あぶなー……危うくまた駄目な子扱いされるところだった……

 ただでさえ、翼さんと会った時(初めて見たのはライブの日だけど、あれを『会う』とは多分言わない)に、ご飯粒をホッペにつけて、ヘンな子A級認定を受けているんだから、下手なことしたらまたガッカリされちゃう……

 

「……」

「あ、あの、じゃあ、ここで……」

 

 翼さんはじっと私を見つめる。

 早く切り上げよう。そう思って、頭を下げて言った。

 

「送って頂いて、わざわざありがとうございました」

「……」

「そ、それじゃあ、失礼し…」

「立花」

 

 振り返って、部屋の扉を開けようとした、その時。

 

「……は、はい?」

 

 翼さんが不意に私を呼び止めた。

 いきなりの呼びかけに私は驚いて、そのままギイィとブリキ人形みたいに振り返る。

 更に少し驚いた。

 翼さんがさっきとは変わって、戸惑いがちに私を見ながら言ったのだ。

 

「件の生徒は……」

 

 そのままゆっくりと、翼さんは丁寧に、私に向かって問いかける。

 

「貴女の、幼馴染と聞いたけれど…そうなのか?」

「……え」

 

 突然の問いかけ。

 私は呆然とした。この人からこんな質問が来るとは思ってもみなかったからだ。

 けれど素直に、自分でも思ってもみなかったほどに、するりと言葉は出ていた。

 

「あ、はい……そうです」

 

 水が流れるようにして、言葉は紡がれて、唇から静謐な廊下に響く。

 

「一番の……大切な、親友です」

 

 胸の奥が、一瞬だけきゅんとした。

 そこに、どんな意味を籠めたのか、私は知ろうとしなかった。

 知りたくなかった。

 だってそれを深く考えれば考えるほど。

 私の心は深く闇に沈むのだから。

 

「……そう」

 

 翼さんはそれ以上追及するようなことはせずに、ただ手をゆっくりと挙げた。

 一瞬、どきりと身体が強張る。

 けれど翼さんの掌は柔らかく、まるでお姉さんのそれみたく、私の頭に添えられた。

 

 ……いや、お兄さんかな? 

 

 だって、ちょっと指先が固めで、強張ってるのが伝わっちゃったから。

 

「……つ、翼、さん?」

「……何も」

 

 そのまま固まる私に、翼さんはゆっくりと告げる。

 何も怖がらなくてもいいと。

 そのままは言えなくて。

 きっと。

 だから、不器用だけど優しいその人は、代わりに丁寧に一言ずつじっくり言った。

 

「何も……私には、言えないかもしれない……けど……けれど、まずは、元気な顔を見せることだ」

「あ……」

「きっと……きっと相手も……それを望んでいると思うから」

 

 そう言って、翼さんは静かに手を離す。

 後には静寂と、額に残る温かさのみ。

 廊下の夜間照明だけが、私達を優しく照らしてくれている。

 胸がドキドキと、それでいて、温かくなり始めていた。

 

「……そ、それだけ。それじゃあね」

 

 そう言って、足早に翼さんはその身を翻して、元来た道を歩き始めた。

 私の足は考えるより早く、二三歩前へと出る。

 そのまま翼さんを呼び止めて、思わず大きな声で叫んでしまった。

 

「あ、ありがとうございますッ」

「……」

 

 シィー、と指を口元で当てて注意する。

 私は慌てて口を両手で塞いだ。

 その様子が可笑しかったのか……

 

「……変な立花」

 

 そう言って、孤高の歌姫は、にやりと笑ったのだ。

 

「じゃあ、お休み」

「……~~~」

 

 私が男の子だったら、

 それか、翼さんが男子なら、

 一瞬で、私は恋に落ちるかもしれない。

 それ位に今日の翼さんは眩しくて、カッコ良くて、

 

「は、はい。お休みなさいっ」

 

 ……ううん。

 ずっと前から、私の憧れだった。

 

「はぁ~……」

 

 翼さんの後姿が見えなくなるまで、私はずっとそれを見ていた。

 ただ忘れたくなくて。この光景を、ずっと目に焼き付けておきたいと。

 そう願った。

 

「……よし」

 

 顔を上げて、拳をぎゅっと握りしめた。

 いつしか勇気が湧いてきた。

 沈み込んでいた私の気持ち。それを、翼さんは引き戻してくれた。

 

(ありがとうございます、翼さん)

 

 心でもう一度お礼を言って。

 ふと笑顔になっている自分に気付く。

 

「ふん、ふんっ」

 

 ぴしゃりぴしゃりと、頬を手で張って活気を入れると、私は自室のドアの前に立った。

 すぅーはぁーと、深呼吸する。

 

「……謝らないと」

 

 黙っててごめんね。

 危険な目に遭わせてごめんね。

 けど私……未来のこと……

 

 

「……ただいま」

 

 

 決意を新たにして、私はゆっくりとドアを開けた。

 暗い玄関。

 下足スペースに靴が一足。

 間違いない、未来は帰って来てる。

 私はゆっくりと靴を脱いで、まるで泥棒が侵入するみたいに様子を窺いながら中へと入っていく。

 

(まず…謝ろう……)

 

 心で考えたセリフを反芻しながら、リビングへと続くキッチンを進む。

 短い廊下な筈だ。

 師匠の教えてくれた縮地法を使えば1秒と待たずにドアを開けられる筈。

 なのに……なのに、この重苦しさは何だろう。

 

(大丈夫…大丈夫……)

 

 翼さんの勇気付けが無かったら、こんな風に歩けなかったかもしれない。

 けれどあの温もりを忘れないようにして、私はリビングへと進んだ。

 

「……」

 

 やがて無限にも思える時間が過ぎて。

 私の手は、リビングとキッチンを仕切るパーテーションに掛かった。

 そのまま、ゆっくりと開く。

 

「……」

「……」

 

 そこに、確かにいた。

 

「未来……」

 

 私の、ひだまりが。

 

「……未来」

「……」

「あの……」

 

 正直、ほっとしていた。

 未来がそのままの姿でいることに。

 けれど身体が、それに反して中々動いてくれなかった。

 

「……」

「あの……あのね、未来…」

「……」

 

 未来は喋らない。

 リビングに備え付けられた共同机のソファーに腰かけて。

 お気に入りの、雑誌を読んでいる。

 ……嘘だ。

 読んでない

 未来は本を読む時、あんな風な仕草をしない。

 きっと、意識は私に向いている。

 

 向いている、筈なんだ。

 

(そうだよね…?)

 

「……なんていうか……つまり、その……」

「おかえり」

 

 静寂に、小石一つ。

 未来は私にただそれだけを言う。

 

「あ、うん……ただいま」

「……」

「あの……入っても、その……いい、かな?」

「どうぞ」

 

 端的に、未来は返した。

 

「あなたの部屋でもあるんだから」

「あ、うん……」

 

 ぎこちなく私の身体は、『許しを得られて入れるようになった私の部屋』に足を踏み入れた。その間、未来はずっと動かなかったけど、

 私が近づいた途端、雑誌を机に置いて、そそくさと立ち上がった。

 その仕草に、ズキンと心が痛む。

 

「…」

「あ、あのね。未来……今日のこと……」

「だから、何?」

 

 未来は顔を合わせない。

 ただ、窓の向こうを見てるだけ。

 日が暮れて、山や校舎や…キレイな街並みが眼下に広がっている。

 胸を締め付けられそうになりながら、私は必死に足を踏み出した。

 

「ごめんね、未来っ!」

 

 私は叫んだ。

 懸命に、縋るようにして、ただただ未来に向かって祈るような気持ちで頭を下げた。

 

「黙っててごめんねっ! 勝手に…勝手なことしてごめんね! 嘘付いててごめんね! とにかく全部……全部全部ッ! ごめんなさい、未来っ!」

 

 絞る様に、私のありったけの想いを未来にぶつける。

 まず元気な顔を見せろと翼さんに言われたのに一瞬で忘れた。

 だって、無理だった。

 未来のこんな……こんな…

 顔も見られないのに、笑顔になんてなれない。

 なれるわけない。

 

「……ねえ、響」

「え?」

 

 どれだけ時間が経ったのか。

 ふと未来が、私に向かって尋ねてきた。

 顔を合わせずに、そのままで。

 

「……なに?」

「……」

「……未来?」

 

 しばらく黙ってた未来は、

 やがて、その問いを口にする。

 それは聞いてはいけない質問だった。

 

「不動先生って、どんな人なの?」

「……え」

「おかしいよね」

 

 そう言って、未来は初めて私を振り返る。

 怒っていた。

 目を吊り上げて、キッと私を睨み付けて。今までにない形相で、私のことを注視する。

 ビクリとした。

 こんな目をした未来を、私は見たことが無かった。

 ……多分、未来自身、知らないと思う。

 こんな顔をしたことなんて…きっとなかったんだ。私が、させてしまったんだ。

 

「え?」

「……」

「え、ええっと……な、なにが」

「なにが、じゃなくて」

 

 私の出す問いを遮って未来は質問を続けた。

 

「今時、CDなんて買う人殆どいないよね」

「え」

「あの先生、音楽は殆ど聴かないって言ってたよね?」

「う、うん……」

「おかしいじゃない。音楽に馴染みのない人が、いきなりCD聴くなんて」

「あ……」

 

 初めて。

 初めて私は、とんでもなく馬鹿な真似をしでかした事に気が付いた。

 そうだ。

 何をやってたんだろう。

 遊星が、あの人が本当に私達の世界の住人なら、こんな事を口にする筈ない。

 

「それに響が、嘘をついてまであのCDを自分から貸すなんて」

「あ、あの……そ、それは…」

「ねえ、どうして? どうしてそんな嘘ついたの?」

「え、えっと…」

 

 言葉が上手く繋がらない。

 慌てふためく私の心を、未来は見透かしたようにして追い討ちする。

 

「先生……どうしてわざわざCD聴くなんて言ってたの?」

「あ……」

「あの黒服の人たちに聞いても、そこは答えてくれなかったから。ねえ、どうして? どうして、いつも響のいる所にあの人がいるの?」

「…ぁ…ぅ…」

 

 言葉が詰まる。

 どうしよう。

 なんて答えたらいいの? 

 どうしたらこの場合は正解なの? 

 ど、どうしたら……

 

「そ、それ、は……」

 

 言わなかった。

 言えなかった。

 それは二課の人たちが秘密にしてたってことだから。つまり、遊星の秘密を。

 それを言うのは、咄嗟に憚られた。

 あの人がここからじゃない、別世界から来た住人だってことを。

 

(もし……それを言って…そうしたら未来は……)

 

 信じられなかった。

 未来を。

 私が知らなかった。

 未来の気持ちを。

 だからこれは、私の責任なんだ。

 

「言えないんだ?」

「…」

 

 一瞬だけの、判断の鈍り。

 それだけが。

 私達の友情にヒビを入れた。

 たった一言だけでいい、私が何を発していれば。

 この結末は変わったのかもしれないと。

 

 そんな甘い期待を、抱かずにはいられないのだ。

 

「うそつき」

 

 ひくんっ

 

 そんな風に、喉の奥で息がつっかえた。

 そんな私をうらめしげに、一番の強い眼で射抜き通して。

 小日向未来は、私を怒鳴った。

 

「隠しごとしないって! そう言ったクセに!」

 

 何もない空白が、私達の部屋を埋める。

 心に空いたポッカリの穴。

 あまりに空虚になってしまった。

 繋がりを断ち切られた私の心は、余りにも脆い。

 この時の私には、そうとしか映らず。

 

 そうではないのに、心の涙は、雨や血よりもなお、私の中を曇らせる。

 




…完全に浮気問い詰める嫁じゃねーか。


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第6話『撃ちてし止まぬ運命のもとに、羽撃く翼在りて』-4

モブに厳しいアニメと評判ですが、メンタル的には寧ろレギュラーにさえ妥協しないのがシンフォギア。

皆さま、どうぞ体調にお気を付けてお過ごしください。




「全くもうっ!」

「どうかしましたか?」

「いえ、ウチのクラスなのですが……どうも集中力に欠けた子がいまして」

 

 翌日。

 教員室の片隅で資料をまとめていると、横からそんな話し声が聞こえた。

 俺は聞き耳を立てていると、セミロングの女性教師は捲し立てるように、同僚の男性教員に言って聞かせている。

 

「いつもレポートの提出が遅れるし、授業中も上の空で……私が何度注意しても一向に治る気配がなくて……」

「まあ一年ですしね。色々とあるでしょう」

「今日もボーっとしていて、ますます酷くなる有様なんです。このままじゃ定期考査はどうなることやら……」

「それは大変ですな」

 

 彼女は響のクラスの担任だ。若いが、責任感のある人で、好感が持てる人物だった。

 そしてあの先生が受け持つクラスで『いつもレポートの提出が遅れる』『集中力に欠けた』生徒は、俺の知る限り一人しかいない。

 

「…あの」

 

 立ち上がって近付き、会話に割って入った。

 

「その生徒とは、ひ…立花のことですか?」

「ええまあ」

 

 眉間にしわを寄せて、彼女は頷いた。

 

「どんな様子でした?」

「どんな様子と言われても……ソワソワして落ち着きがないというか……この調子じゃ、進級も危ういというのに…それを分かっているんでしょうか、あの子は……」

「……」

 

 こめかみに指を当てながら頭が痛いとうな垂れている。彼女も響を嫌っているわけではない。むしろ心配しているからこそ、親身になって指導しようとし、殊更真剣に叱ってくれているのだ。こういう人間こそ教育者の模範とするべきだろう。

 とは言え感心してばかりいられない。

 それに、さっきの会話で気になることがあった。

 

「ハッ、し、失礼しました。愚痴を長々と…」

「いえ」

 

 彼女は響の様子を見て、『ソワソワして落ち着きがない』と言った。響は例え集中力が切れてもそういう仕草はしない。

 むしろすぐ寝る。

 それさえできないほどに動揺する出来事があったという事だ。

 

(…やはり、何かあったんだ)

 

 昨日の響の様子を思い出す。

 明らかに不安を抑え込んでいる様子だった。

 その原因が、戦いに巻き込んだ友人であるのもハッキリしている。

 今日の混乱も、そのせいだとすると……

 

「小日向未来はどうですか? 立花の隣に座っている」

「ああ、彼女は優秀ですよ。小テストやレポートも丁寧ですし、よく気が利くし…あ、でも」

「どうかしましたか?」

「…今日は少し様子が違って見えました。上手く説明できないんですが…」

 

 良い教師は、人間観察にも長けている。

 その意味でも彼女はプロフェッショナルだ。この人が言うなら、多分その通りだろう。

 響と小日向との間に何かあった…そう考えるのが自然だと思う。

 

(嫌な予感がするな…)

 

 俺自身、友との亀裂をそのまま見過ごせない。

 それに友人との不和は、響のメンタルに影響を及ぼしかねない。そう言った面に関してあの子は繊細だ。

 何があったのか、聞いておこう。

 そう思い、目の前の先生に詳しい状況を訊こうとすると…

 

「不動先生も、新任でああいう生徒がいるのは大変かもしれませんが…何事も勉強です。こういう時に必要なのは根気。根気ですよっ」

「え」

「とにかく粘り強く働きかけることです。頑張って下さい」

「はぁ…」

「私も赴任したばかりの頃はそうでした。一生懸命やってるのに報われない。生徒に気持ちが届かない。何処が悪いんだろう、何をすれば生徒が笑ってくれるんだろうと夜も眠れませんでした…しかし、気付いたのです。大切なのは、例え一時憎まれようと、本当に生徒の血となり肉となるべく勉学に励み、将来の役に立つことを学ばせる、その姿勢を養うことだと。だからね、不動先生も決して『自分が悪いんだろう』なんて思っては駄目よ」

「あの」

「そりゃ確かに教師も日々勉強ですし、至らない個所は多々あるでしょう。しかしそれを常に反省し、適宜授業を切り替えてブラッシュアップさせていけば、いつか先生の気持ちはきっと生徒に届く筈です。間違いありません。先生の一途な思いは我々が一番よく分かっておりますとも、ええ、はい」

「ええ、はい」

「そもそも教師とは……」

「もしもし」

「なかんずく昨今の混乱する世界情勢を……」

 

 雄弁に立て板に水を流すように喋りまくる女教師。最初に隣で愚痴を聞いていたベテラン教員は、いつの間にか姿を消していた。

 何と言う理不尽だ。

 どうも彼女は、俺が生徒達に敬遠されている日頃を知り、何とかできないものかと心を痛めていたらしい。同僚や後輩にまで行き届いた、その心配りには尊敬の念を抱いたが、それは後でその事情を実際に聞くまでの話で、この時は一刻も早く解放されたいとそれだけを願った。

 

「ですから、我々はなおのこと、音楽が持つ素晴らしさ、尊さを広める為……」

 

『おい、デュエルしろよ』と、一声かければ話を中断できる俺達の世界の理を一番欲した瞬間だったかもしれない。

 結局、チャイムが鳴るまで、彼女の教師論は留まるところを知らなかった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「前回説明したように、物体に働く力は『重力』と『接触力』の二つがある。この図の場合……」

 

 

 友人に秘密がバレてしまったという事で、大体、どんなトラブルだったのかは予想がつく。

 俺だって、無垢と思っていた友達が無茶をしでかし、死地に赴いていると分ったら動揺するし、それこそ衝突もあり得るだろう。

 

 しかし、立花響と小日向未来の間に生まれた溝は、それでは説明がきかなかった。

 

「物体Aが、より大きな物体Bに乗っている。二つの物体は静止している状態なので、力のつりあいの式を……」

 

 公式を板書しながら、それとなく二人の様子を窺って見る。

 やはりと言うか、響の視線はこちらへ全く向いていなかった。

 

「……」

 

 心ここに在らずと言った様で、手をもじもじさせたり、身体を揺すったり…

 さっきからペンは一度もノートの上を走っていない。恐らく白紙のままだ。つい直前まで担任の先生から注意されたばかりなのに。

 流石にここまで動揺していれば、誰もが不審に思うのも無理はない。

 

(板場達も、何度か視線を送っているが……しかし、それにも気付かないとは)

 

 響と親しいクラスメートも、何人かは彼女の変化を感じ取っていた。板場や安藤、寺島などは休み時間に話している所を何度も見るし、俺以上に気付く点も多いだろう。

 何より……

 

「……」

(やはり、上手くいっていないのか)

 

 小日向は、彼女は授業が始まってから、殆ど俺を見ていた。

 それは凝視するとか、話を聞き逃さないとか、そんな優しい説明では到底納得できる類ではなかった。

 響の様子には目もくれず、手だけは勝手に動いて板書を書き写すことに腐心している。

 それだけではない。解説をしている場面では食い入るように俺を見つめたり、逆に書くのを止めると目線を外して教科書をひたすら読んだり。

 

 その仕草に、俺には覚えがあった。

 他者を観察・洞察する動きである。

 

「……」

「重力は質量と同じになる為、物体Aは4gで物体Bは10g。すると……」

 

 一旦言葉を切り、小日向を見た。

 向こうは不意に視線をずらして、教科書の元来たページを手繰っている。

 間違いなく、彼女は俺のことを探っていた。

 

(……俺が何者なのかを調べようとしているのか)

 

 二課から俺が異世界から転移してきたことは伏せられている筈だ。

 恐らく響も言えないだろう。

 俺の正体はシンフォギア以上に隠さなければならなかった。異世界の存在、カードの精霊、そしてモーメントを初めとする最先端テクノロジーの数々。

 これらが何かの拍子に敵の手に渡れば、それは世界のバランスが崩壊することを意味する。何があっても隠し通さねばならない秘密だった。

 

「では重力加速度を9.8とした場合、物体Bが受ける垂直抗力はどうなるか。この問題を……小日向、分かるか?」

「えっと…49です」

「うん、正解だ」

 

 俺が質問すると、彼女は難なく答える。しかし、こちらへの鋭い視線は止まらなかった。

 

(参ったな…何とかしたいと思ってたんだが)

 

 この分だと、今後も俺の行動を逐一観察するだろう。

 そうなると響に接触し辛くなる。二課の基地や指導室に呼び出す手もあるが、小日向はより一層、警戒を強めるかもしれない。

 ひょっとすると、彼女は俺を二課のエージェントか何かと勘違いしている可能性もある。

 

 そして、それが他ならぬ、響との不和の原因だとすれば。

 

(俺が近づくことで、逆に仲違いが加速するかもしれない)

 

 それに、正体を隠さなければいけない中で、つい先日バレてしまったばかりだ。今、表面上で接している機会が多いと、他者に勘繰られる可能性も大きい。

 しかし彼女達を放っておけないのも事実だ。

 

(何か手は無いか……まずは二人の様子をそれとなく…)

 

「ねえ」

「ん?」

 

 どうしたものか、思案している時だ。

 ふと、話し声が聞こえた。

 最初は小さい声だったのが、徐々に大きくなる。板書を中断して振り返ると、ちょうど真ん中の席辺りで、ある女生徒が前の座席の子の肩を叩いていた。

 

「ねえ、ねえってばっ」

 

 板場だった。

 彼女はさっきまで肘をついて適当な様子で授業を受けていたのだが、後ろにいたクラスメートの、安藤創世に必死に肩を叩かれていた。

 

「ユミ、ユミっ」

「え、え? なに?」

 

 ようやく気付く板場。

 ぶっきらぼうに振り返りながら安藤を見るが、安藤は慌てた様子で板場を捲し立てていた。

 

「ちょっと、鳴ってるってば」

「え、うそ、やば…!?」

 

 小柄なツインテールが印象的な少女は、その時に気付いた。

 俺自身、ようやく察した程度だ。

 彼女らの話し声とは別に、もう一つの音が聞こえてくるのだ。

 肉声ではない、これは電子音…

 

「わ、わ、な、なんで? 電源切ったのに…!?」

 

 彼女の携帯端末がけたたましく鳴り響いている。どうやら電源を切り忘れていたようだ。

 

「あ、わわ、ちょ、ちょっ…!」

 

 慌てて取り出して音を消そうとするも、彼女の手は震えて上手く取り出すのも覚束ない。

 何とかスカートのポケットから引っ張り出した板場。が、そのまま操作しようとしても、周りの目を気にした状態での冷静な判断は難しい。

 指は端末を押そうとして滑り……

 

「あっ……!」

 

 ツルリと滑ると、カンと硬い音を立てて床に落ちた。そのままカン、カン、カンと二、三回バウンドしながらも、止まらないで転がり続ける。

 

「え、ちょ、ちょっと…っ! 待っ…!」

 

 板場は席を立つと、必死に後を追いかけていく。

 まるで逃げる犬を追いかけている様子だったが、追走劇も長くは続かない。端末は床を滑りながら回転し、ある人物の靴に当たることでようやく停止した。

 

「……」

「……げ」

 

 他ならぬ、俺の足に。

 

「あ、あの~…」

 

 立ち上がって、俺を見上げる板場。

 おどおどした様子で、こちらの足と顔を交互に眺めている。

 しばらく俺もじぃーっと転がってきた端末を見下ろしていたが、他と様子が少々違うので、ヒョイと拾い上げた。

 

「あ……」

 

 板場が息を呑む。

 だが、それは特に気にせず、板場の端末の液晶画面をなぞって答えた。

 

「…これ」

「……」

「割れてるじゃないか」

「え?」

 

 真顔で言った。板場は何のことか分からない、みたいな様子でキョトンとしている。

 

「液晶、最初から割れてたのか?」

「え…」

「今落として割れたんじゃないだろう、コレ?」

 

 そう言って端末を指しながら尋ねる。

 板場の端末はガラス液晶がひび割れて、酷い有様だった。よく見ると、周りのフレームも塗装が剥げていたり、悪いのになると内部のパーツも露出している。

 幾ら何でも壊れ過ぎだ。

 たった一回落としただけでここまで破損しない。

 

「何かあったのか?」

「え?」

「修理には出さないのか?」

「ああ、えっと……もうすぐ変える予定だから、そのままになってて…」

 

 なるほど、そういうことか。

 合点した。

 直すとその分、費用が掛かる。わざわざ手間をかける必要はないという事か。

 しかし……少々勿体ない気もする。

 

(これ自体は良いモデルだ。もし軽く調整すれば……)

 

 幸い、液晶が割れているだけで、他に破損はないようだ。

 これなら、空いている時間で修理できる。

 ……ん? 

 修理、空いている時間……

 

(そうだ)

 

 ふとアイデアが閃いた。

 何も彼女と親しくしている人間は小日向だけではない。

 今、響を放っておくことはできないが、だからと言って困ってる生徒をこのままにもしておけない。

 

(上手くいけば一石二鳥だ)

 

 タイミングよくリディアン独特のチャイムが鳴った。

 よし、この作戦で行こう。

 決心した俺は、板場に向かって言った。

 

「あの~……先生、そろそろ…」

「板場、あとでちょっと来い。話がある」

「あ、ええ、え? ええっ!?」

「今日の授業はここまで。次回のこの問題の続きから行います。では」

「あ、ちょっ!? 待ってくださいよ、先生っ! せんせーっ!」

 

 終わりを告げ、早々に授業を切り上げた俺は、テキストを閉じノートをしまう。

 何やらクラス中がザワついていたが、気に取られるわけにもいかない。

 善は急げ、だ。

 ……無垢な女子高生を使ってスパイの様な真似事は好まないが、そうも言ってられない。

 

(彼女達を辿れば、それとなく探ることはできる筈だ)

 

 しかし、俺も少々強引と言うか…余り彼女達のことを考えてやれなかったのは考えが足りなかった。

 今回、俺はつくづく周りに恵まれていた事を痛感した。

 俺自身、言葉足らずで、人付き合いが不器用な自覚はあったが……それを補ってくれていたのも仲間だったのだ。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 昼の日差しが差し込む。

 リディアンの食堂は壁一面がガラス張りになっていて、外の景観がとても良い。山の傾斜から海まで見渡せて、学園の魅力の一つになってる。

 けど……とても外の雰囲気を味わう気持ちにはなれない。

 

「……」

「……」

 

 じっと、対面に座って黙々とご飯を食べている二人がいる。

 …私と未来。

 ここだけ昼休みの喧騒から切り離された感覚を、私は座ってからずっと覚えていた。

 それもその筈だ。

 

「……あの、未来」

「…」

 

 下を向いたまま、未来は黙ってご飯を口に運んでいる。何かを問いかけても、結局答えずにそのままだった。

 私もいたたまれなくなって、何度か料理を口に運ぶけど、その都度なにか言おうとして結局言えず仕舞い……を、十回以上は繰り返していた。

 

 

『うそつき』

『隠しごとしないって言ったクセに』

 

 

 言葉の代わりに聞こえるのは、昨日の晩に未来が言い放った叫びだ。

 

(あの後……ベッドに入っちゃって、ロクに話も出来なかった……)

 

 怒鳴られたショックからしばらく呆然としていた私は、どうにかして未来と話をしようと試みた。けど未来は応えずベッドから一歩も出ない。とうとう私も諦めて……気付いたら朝だった。

 

 その後も一向に返事をせずに、黙々と朝の支度を整えて、ただ学校へ向かうだけ。

 

「………」

 

 会話の糸口を探そうとしたけど、やっぱり何も起こせず、そのまま昼休みにまでなってしまった。

 どうしよう……どうしたら、未来は話してくれるんだろうか。

 必死にそれだけ考える。

 どうしたら以前の様にして……笑ってくれるのかな? 

 お願い、教えて未来。

 

「……」

 

 言えない。

 言えるわけない、そんな事。

 分かりきってるもん。

 未来が何を怒っているのかなんて。

 でも。

 

(どうしよう……)

 

 思い浮かばない。

 どうしたら未来は許してくれるだろうか。

 何度も考えても、良い答えは浮かばなかった。

 ……これも全部が私のせいだ。

 

 授業が終わって、何も言わずにそそくさ出て行って。

 さっきだけじゃなかった。

 もう今日が始まってから、私は一回も口を利いてない。

 こんな事、今まで無かった。

 喧嘩したこと位はある。むしろ数えきれない位だ。けど…こんな風に長く続かなかったし、何より……

 

(昨日、遊星の事を話せなかったから……)

 

 そう。分かってる。キッカケはあの言葉。今日も授業があったあの人の事を、私は言えずにいた。

 …それを言えば、許してくれるのかな? 

 

「み、未来…?」

「……なに」

 

 不意に、未来が口を開いた。

 それだけで私は跳び上がりそうだった。

 けど同時に、浅はかな考えを持ってしまった自分に愕然とした。

 私は今、何を考えた? 

『遊星の秘密をバラせば、ずっと未来と一緒にいられるんじゃないか?』

 ……なんという、なんということを。ああ、怖い。思い出すだけでゾワゾワする。一瞬でも考えたことを恥じた。

 

「……」

「あ、ご、ごめん…」

「……だから、なにが?」

 

 未来が目線を合わせることなく言う。

 私もとても顔を見られなくなって目を伏せた。

 どうしよう……どうしよう、どうしよう、どうしよう……

 段々、思考が暗くなる。

 駄目だ、今のままじゃ駄目だ。

 何とかしないと、何とか……未来を……

 

 

「あーもう、マジ意味分かんないんだけどッ!!」

 

 

 ビクンと飛び跳ねた。今度は物理的に。

 

「てかホントなんなの、あの先生ッ!? 一回鳴っただけで呼び出しとかッ!」

 

 食堂中に大きく響く叫び声。もう音の振動でビリビリ来そうだった。流石にこれは未来も何事かと動揺したみたいで、一緒になって声の方向を見た。

 後ろからの大声に、慌てて振り返ると、そこにいたのはクラスメートの板場さんだった。

 

「幾らなんでも、やり過ぎだね。ちょっと一回着信あった位で呼び出しとか」

「確かにちょっと行き過ぎた感は否めませんね…」

「授業も終わる直前だったんだし、あれ位大目に見て欲しいよね?」

 

 安藤さんと寺島さんも一緒にいる。いつもの三人組だ。見るからにお冠な板場さんを、両隣で宥めていた。

 そのままこっちにまで歩いてくると、向こうも私達に気付いたようだった。

 

「……あ」

「あぁ。おっすー」

「ごきげんよう」

「お疲れ様です」

「う、うん」

 

 私が何とか会釈すると、三人はそれだけで私達の様子に気付いたらしい。皆がじぃーっと私達を見つめている。

 

「どしたの?」

「あ……えと」

「元気ないじゃん?」

「何だか、いつもと雰囲気が違うのですが?」

 

 寺島さんが真摯にこっちを見つめる。二人もつられて見る。私は慌てて手を振った。

 

「あ、な、何でもないよ。あははは……」

「ウソつけッ」

 

 板場さんが私を指差して言った。

 

「前々から言おうと思ってたけど。響、アンタは嘘に向いてないぞ」

「え…」

「確かに、根の素直さが余計に滲み出ますからね」

「ビッキーは顔に出るしね。『騙してゴメンなさい』って感じで」

 

 うっ、と言葉に詰まる。気付かなかった。そんな私の顔を、未来がじっと見ていることに。多分、私を心配してくれているんだと思う。今日も授業中に先生にちょくちょく怒られている私を見ているから。

 

「もっと素直な方が良いわよ。『きゃー心配してくれてアリガトー、うれしぃ』みたいな」

「ユミはそう言ってほしいわけ?」

「ううん、多分イラッとする。これはアニメだから許される行為」

「そうですね、私も多分ブッ飛ばします」

「「えっ」」

「冗談です」

 

 寺島さんのゾッとする笑顔。けど、一瞬あって二人が笑う。

 それを見て私はすぐにここから立ち去りたい衝動に駆られた。

 

「……」

「で? ビッキーの悩みは何?」

「また例によって先生のお叱りか、レポートでしょうか?」

「あー、提出してないの、アンタだけだってね」

「う、うん……」

 

 頭がぐらぐらする。必死に言葉を繕った。

 

「い、いや…今は、ちょっと違うかな」

「ホントに?」

「う、うんっ」

「フーン……ま、そうだとしても」

 

 ポン、と安藤さんが私の肩に手を置いて事もなげに言う。

 

「出来るコトなんて無いけどね」

 

 かちゃん、と小さくて高い音。

 未来の持つ手が震えてた。

 小さな体を震わせて、手に持つ箸が食器にカンと当たっている。

 

「そりゃそうだ」

「友達でも加勢できる事と、できない事がありますから」

「え、あ……」

「だって、ビッキーの為にならないし」

「アタシは陰ながら応援するしかできないね……ゴメンね~、友達甲斐がなくてさ。アハハ」

「………は、は」

 

 乾いた笑いが、しかしそれでも漏れ出てしまう言の葉が。

 言の『刃』となって、私を……

 ううん、違う。

 隣に座る人を傷つける。

 

 ……大切……

 そう、

 大切、だったのに。

 

「ま、心配してないけどね。アニメじゃこういう時、特に何事もなく解決するから」

「……」

「ヒナ?」

 

 ようやく、終始無言だった未来の様子に、安藤さんが気付いた。

 

「どうしたの?」

「べ、別に」

「小日向さんも、何かあったんですか?」

「……ははあ」

 

 渋る未来の態度に、板場さんが勘付いた。

 

「アンタ達、さては喧嘩したな?」

「まあ…」

 

 え、そうなの? と安藤さんが私達を交互に見た。うっ…とまた言葉に詰まる。それは言いようのない、肯定になってしまった。ああ、そういうことか、と納得した様子で皆が頷く。もしただの喧嘩なら、どれだけ良かっただろうか。

 

「あー、こりゃビッキーが悪いに違いない」

 

 あはは、と笑って。安藤さんが私の肩に手を置いた。もう一方の手を未来の肩に添えて。

 

「ごめんね、この子バカだから許してあげてよ」

 

 と、やっぱり笑う。

 

「そうそう。いつもみたいに謝っちゃいなよ。それで解決、『愛してるばんざーい』ってね」

 

 そう。ただ、それだけで済めば良かった。

 何に怒ってるのか、私の何がいけなかったのか、そういうのを未来は言ってくれた。だから私も、すぐに「ごめんね」って謝って、それで未来は許してくれる。そうしたら仲直りに美味しいモノでも食べて、前よりももっと仲良しになる。

 

 そうやってずっと続いてきた未来との友情。

 きっと、出会った時から私達の中は運命で。

 ずっと、これからも、そうやって生きていくんだなって。勝手にそう思い込んでいた。

 

 そうだ。私は勝手だ。

 

 それで世界が回っているのだと、思い込んでいた。

 

 何度も、何度も、思い知らされたはずなのに。

 

 世界が私を生かしているんじゃない。

 

 私が世界に生きているんじゃない。

 

 私は……私は……

 

「まあまあ。お二人だけしか分からないことも在るでしょうから」

「二人だけに? 何、隠し事か?」

「こっそりバイトでもしてるとか?」

 

「……っっ!!」

 

 ガタンッ! と勢いよく椅子が倒れる音がして、周りがギョッとしてこっちを見る。

 未来が添えられた手を弾きながら、急に立ち上がった。

 突然の出来事にビックリしながら目を丸くする三人。けれどその向こう側で……私だけには見えていた。

 

「……あ」

 

 未来が、大粒の涙を浮かべてて、それを必死に堪えていたのを。

 そして涙に耐えていたのは、ずっと、ずっと前からだったのに……

 それなのに私は……

 

「未来、待ってっ!!」

 

 私は叫んだ時、未来はもう既に走り出していた。

 追いかけた。急いで。

 その前に、未来は何も言わずに俯いたまま、向こうへと行ってしまう。

 小さくなりそうな影を必死に捉えて離すまいとして、私は未来を追いかける。人混みに足が撮られて、中々前へと進んでくれない。未来も同じだった筈なのに、何故か私にだけ人がぶつかる様な気がした。

 

「未来っ! 未来っ!!」

 

 実際に、そうだったのかもしれない。私は未来を見るばかりで……ううん、きっと誰も見ていなかった。

 だって気付かなかったから。

 一番近くにいてくれた大切な人の気持ちにさえ気付かないで、他の人の心が分かるわけがない。

 

(わたしのせいだっ!)

 

 わたしのせいだった。

 

(わたしが未来を追い詰めたんだ!)

 

 ばかだった。わたしはばかだった。

 

(もっと未来を見なきゃいけなかったのに!)

 

 もっと未来を、守らなきゃいけなかったのに。

 

(未来を追い詰めてっ!)

 

 未来の気持ちを分かって無くて。

 

(それなのに私は、未来に甘えててっ!)

 

 何処で間違えた? 何処でおかしくなっちゃったんだろう? 

 頭の中でグルグルとかってに回ってしまう矛盾した考え。

 そうじゃない。

 そうじゃないだろう、立花響。

 お前は何を勘違いしていたんだ。

 

 誰かの為? 未来の為? 違う、お前の為だっ! 

 

(未来はいつも私の為に……私の為に、いつでも隣にいてくれたのに…!)

 

 

 ―――響には、二度と隠し事したくないな―――

 

 

 あの言葉を……あんな、あんな一言だけを言うために、どれだけ未来は勇気を振り絞っただろう。

 誰も……誰もが私からいなくなった中で、隣にいてくれることが、どれだけ勇敢なことだったろうか。

 あんなに優しかったのに……あんなに綺麗だったのに……それを私は捨てた! 捨てちゃった! 捨てちゃったんだっ!! 

 私の全部を犠牲にしたって、二度と手に入りはしないのに!! 

 

 

「未来っ!!」

 

 

 走って、走って、走りまくって。

 未来の足音を辿って、後姿を追いかけて。二度と離したくないと願った筈の背中を、ただひたすらに追いかけて。

 

 ……ようやく、未来の足が止まる。

 

 気が付くと、私達の屋上に来ていた。あの日、未来が励ましてくれた場所へ、汗を垂らして、息を切らせながらバンって、急いで扉を開ける。

 その向こう側で、未来はいた。

 

「………」

「……未来」

 

 背を向けて立っていた。

 何も言わずに、ただ立ち尽くしている。

 私はもう、彼女に背中に掛ける言葉なんてないかもしれないと、そんな恐ろしい感覚に襲われた。

 お願い、嘘でいて。

 そんな予想、外れて。

 

「……ごめんなさい、未来」

 

 昨日の晩、何度も繰り返して言った言葉を、もう一度口にする。

 未来は振り返らないままに、少しだけ返した。

 

「どうして」

 

 ひゅうひゅうと風が吹いている。何もかも飛んでしまいそうな風の中で、けれど未来の言葉だけが重く圧し掛かる。

 

「どうして、響が謝るの?」

 

 そう言う未来の肩は、震えていた。

 見えない後ろ側の表情がどんな風なのか…知っている。私は未来の気持ちと表情の中身を知っている。

 そうだ……分かってた筈なのに。

 どうして私は……

 

「……未来は私に……隠し事しないって言ってくれてたのに……」

 

 未来との繋がりだけは、なくちゃいけなかったのに。

 

「あの時から……ずっと未来が隣りにいてくれたのに……」

 

 どうしてだ? 

 どうして言葉が出ない? 

 言わなきゃダメだ、立花響。

 

「それなのに、私、未来を裏切っちゃった……! 未来に、隠し事しちゃった…!」

 

 そんな事したらどうなるか、分かってるだろう。

 たった一人でも側にいてくれた人にさえ、騙して、裏切って、傷つけたりなんかしたら。

 日だまりさえも傷付けたら。

 

「それなのに」

「……やめて」

 

 私はもう、私でいられなくなるから。

 

「もう、なにも言わないで」

 

 未来が、振り返る。

 ざくりと、胸にナイフが突き刺さった。

 ぼろぼろ、涙が出ていた。未来の頬を、透明な雫が滴り落ちていく。

 でも私はそれを近付いて拭うこともできない。

 

「……み」

「私、もう」

 

 近付いて、一言。

 

「響の、友達でいられない」

 

 それでおしまい。私の世界は、それで崩れた。

 

「…………え」

「……」

 

 固い音。

 地面を蹴る音。

 未来が行ってしまう音。

 遠くへ、二度と届かない遠くへ、いなくなる音。

 カツン、カツン、カツン

 振り返っても、歩き出せない私の足。

 世界が歪む。

 視界が曇って、校舎も入口も空も見えない。

 

「………やだぁ」

 

 ポタリ、ポタリ、と、涙が落ちる。

 ふるふる震える。動けない。

 息が詰まる。呼吸が定まらない。

 

 フラフラと、足が、急に、このまま、あれ、私、何を、立って、追いかけなくちゃ、だって、未来、いっちゃう、遠く……遠く……

 

「やだょぅ……こんなの……」

 

 お願い、動いて、動いて下さい、私の身体。

 動かして、今すぐ未来のもとへ……早く、急いで、一直線に。

 なんで、なんで、動かないの? 

 私は今まで何をしていたの? 

 何のために私……私は……

 

「響っ!」

 

 ゆっくりと、柔らかくて暖かい、遊星の声。

 え、と顔を上げる。

 何時の間にか、その人が前にいて。

 

「どうしたんだ!?」

 

 遊星は、いきなり私の肩を掴んで揺さぶる。

 必死な顔をして。

 

「……ぁぇ」

 

 それもそうだった。私の顔はどうしようもない程に歪んでいて。

 

「……ゅ、ぇ」

 

 声も出ない程に、枯れていた。

 

「……ぁ、ぁ」

 

 ひくひくと小刻みに痙攣する、私の喉。

 奥で痞えて出ない、心。

 もう遊星の顔さえも、私は見えていなかった。

 

「一体、何があった? 小日向は?」

「ゆ……せ……」

「響? 響、どうした? しっかりしろッ」

「あ・・…ああ……ああ、ひ、あ、う、あああ………あああああああっっぅ………」

 

 もう声にもならない。

 音が漏れ出るだけの機械になった私を、遊星の手だけが、支えになる。

 いつしか私は遊星にもたれ掛かって泣いていた。

 あの日、全てを無くして以来の涙を、遊星が受け止める。

 

「……響」

 

 遊星は何も言わなくなった。

 ただ私を……呪われた私の肩を抱いたまま、ずっと側にいてくれた。

 

 ……この呪いは、罰なんだ。

 

 だって、そうだよ。ひだまりを見捨てて……私だけが、勝手に、傷付いているんだから。

 

 風の音も聞こえない。日差しの温かさも。もう…何もない。

 お願いだ、お願いだ、ただ時間を戻して欲しい、と言う心の狂おしい叫びだけが、私の中で響いてる。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 次回予告

 

 

「未来……このままなんて、絶対に嫌だよ」

 

 傷心の響を前にして、親友である陽だまりは姿を見せなくなってしまう

 戸惑う俺達の前に、運命は徐々に交錯し始めている。

 このまま為す術もなく、翻弄されるばかりなのだろうか。

 

「私は灯火となるべく向き合いたい」

 

 いや…そんな事はない。

 絆は決して失われない。

 人と繋がりたいと、願う気持ちがある限り。

 

「俺は信じている。君達の絆を」

 

 

 次回 龍姫絶唱シンフォギアXDS『集いし絆と、陽だまりに翳りなく』

 

 

「これが……これが、私達の新しい力ッ!」

 




デュエルでぶつかって満足できたらいいんですけど、そんな都合のいいアイテムは存在しません。
次回、遊星が己自身に問いかけます。


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第7話『集いし絆と、陽だまりに翳りなし』-1

続きです。
いつも感想、メッセージ、誤字脱字報告ありがとうございます。
これからも是非よろしくお願いします


 リディアンの校舎から雲の切れ目より差し込む日差しの欠片を発見する。

 俺は溜息をついて教員室の自分の机へと戻った。

 

 昨日の夜から降り続いていた土砂降りの雨は、今朝になってようやく沈静化の兆しを見せ始めている。

 天気予報でも午後は晴れマークが広がっていたし。この分なら、昼には止むだろう。

 

 しかし気持ちは全く晴れない。

 昨日の出来事が、俺の心に明確な影を落としている。

 起きた事件そのものではない。それに対して、何もできない自分への失望だった。

 

(響…なんとか元気になってくれたらいいが…)

 

 昨日のことを思い出す。

 

 駆けつけた時の響は泣きじゃくり、とても話が聴ける様子ではなかった。

 なんとか宥め、落ち着かせて、保健室で休ませた。そこに板場や安藤、寺島が駈け付けた。一先ず彼女達に響を任せたのだが…。

 

(あの後、連絡も取れていない)

 

 ノイズが出ないのは幸いだった。襲撃から昨日の今日で攻めてくるとは考え辛かったが、シンフォギアは精神状態が大きく作用する武器である以上、もしそうなれば戦いにすらならなかったのは明白だ。

 

(小日向の方も気になる……どうにかして、二人の様子を)

 

 その時。

 

「……失礼します」

 

 ガラッ…と向こうで扉が開く音がした。

 

「あのぉ~…不動先生は?」

 

 ん? と自分の名前が出て思わず入口を見る。

 扉で様子を窺っていたのは、俺もよく知る生徒だった。

 

「……」

「…ねえ、ホントにウチらも行くの?」

「外で待ってましょうか?」

「見捨てないでよッ、ここまで来たのに…」

 

 よく見ると、来たのは三人だ。

 件のクラスメート、板場弓美、安藤創世、寺島詩織。

 昨日も響の面倒を見てくれた子たちだ。

 

「……おはよう、ございます」

「ああ、おはよう」

「……どうも」

 

 こっちに気付き、一直線に歩いてくる三人。

 が、足取りは何処か重たい。

 お互いに目配せしながら、俺の様子を窺っている。

 

(…響達の事で何かあったのか?)

 

「……」

 

 伏し目がちに、不安そうな目をする板場。俺はすぐさま尋ねることにした。「何があった? 立花の事か?」と。ただ、そうなる前に向こうから口を開いたのは少々意外だった。

 

「あのっ」

 

 背中を安藤に押されて、しかし複雑な表情をしている板場。その横で意を決したように口を開いたのは、大人しそうに見える寺島だった。

 

「ん?」

「不動先生、ちょっとやり過ぎじゃないでしょうか…?」

「……ん?」

「そりゃ悪いのはヒナだって解ってますけど、それにしたって、あんな言い方しなくたって」

 

 安藤が続ける。

 一瞬、訳が分からなかった。

 だが良く見ると……彼女らは怒っているようにも見える。

 

「本人も反省してますし、余り度の過ぎた指導は…」

「……何の話だ?」

「え?」

「マズいことでもあったか? 正直、思い当たらないんだが……」

 

 俺の生徒からの評判はお世辞にも良くない。が、こんな早朝から抗議に来るほど酷い授業もしていないつもりだ。とは言え、教師としては半人前…と言うより本来免許も無い人間だ。

 気付かずに変な事をやらかしている可能性は大いにある。

 

「君達を不快にさせたのなら謝るが……何に納得がいかないのか、見当がつかなくてな」

「え…いや」

 

 向こうは絶句した様子だった。

 そんなに酷い事をしたのだろうか俺は……だとすれば、それに気付かないのは大問題だ。教師として……いや、人間として如何なものか。

 

「すまないが…君達がそんなに怒っているとは思わなくてな」

「え、あ、いや……そんな風に言われると、その」

「それで、何が原因なんだ?」

「えー……」

 

 困ったような顔をして、板場が両隣の二人を仰ぎ見ている。

 安藤たちも複雑な顔をしていた。心底、どうしていいか分からない、と言う表情だ。

 

(…これは相当マズい事をしてしまったか……)

 

 途方に暮れた。

 

『女ってのはデリカシーに欠けると駄目なんだとさ。マーサからこっ酷く叱られたぜ』

 

 と、以前クロウは愚痴を零していた。

 直接に女性の悩みを訊くのはナンセンスだ。とは言え……ううん、どうしよう。

 つくづく、女の子と言うのは謎だ。

 これなら『詰デュエル100選~これで君もただ一人のキングだ~』の方が余程カンタンである。

 

「……」

「えーっと、端末です」

「端末?」

「はい」

 

 腕を組んで悩む俺に、困った顔をした寺島が打ち明けてくれた。

 

「先生、昨日の授業で板場さんが端末を落として…それで呼び出したんですよね?」

「…あ」

「幾ら何でも、それはやり過ぎだと思って、私達も一緒にその……デモと言いましょうか、その」

 

 言葉に詰まる寺島。しかし漸く合点がいった。

 

「ああっ、あの時の事か」

 

 正直すっかり忘れていた。

 泣きじゃくった響や、小日向の事を考える余り、そんな事があったのは頭からすっぽ抜けていたのである。

 厳密には頭の片隅に留めてはいたのだが、ノイズ関連の事やDホイールのメンテを夜中にやっていると、どうしても細かな出来事を後回しにしてしまう。だから彼女達が怒っていても、端末とは結びつかなかった。

 

「あ、あの、先生。アタシ、普段はちゃんと電源切ってますッ。あの時はたまたまでッ」

 

 そこまで考えた時、板場が口を開いた。

 

「もうしないですから、その…」

「いいから、出してみろ」

 

 しどろもどろに言う彼女に対して、俺は構わず続ける。

 

「えっ…そんな」

「先生あんまりですッ」

「壊れてるんだろ? 簡単な故障なら直せるから」

「…は?」

 

 差し出した俺の手を、マジマジと見つめる三人。

 その様子に、また俺がキョトンとする。

 

「どうした?」

「え、いや…その…」

「何かマズいか?」

「や、そうじゃなくて」

「?」

「……直すって?」

「……端末を、だ」

 

 慎重に、言葉を選んだ。また妙な誤解を生みたくはない。

 

「昨日チラッと見たが、あの位なら簡単な修理で済む。わざわざ店に頼むのも面倒だろう。俺で良ければ直せるが、どうだ?」

「……」

「安心してくれ、中身は見ない。プライバシーに関わる事だからな」

「…それだけ?」

「ん?」

 

 交互に俺の顔と掌を見回す板場。ポカンとする少女たちに、俺は再び動揺した。また何か失敗をしてしまったか? 

 なら何とか、こちらに悪意がない事を伝えなければ。

 

「無理強いはしない。あくまで応急修理だし、すぐに買い替える予定なら今まで通りでも」

「じゃ、じゃなくて」

「どうした?」

「あ、あの、没収とかじゃ…」

「なんだって?」

 

 言われた意味が良く分からなかった。

 

「ヒナの携帯を取り上げるつもりじゃなかったんですか?」

「いや、そんな事をするつもりはないが。どうしてだ?」

「だから…音鳴らして」

「……ある訳ないだろ、そんなこと」

 

 呆気にとられたまま返事をした。

 冗談じゃない。何故、他人の私物をそんなこじつけで無理矢理に奪わなければいけないのか。

 そんなのは俺が一番嫌っている行動である。憎んでいると言ってもいい。

 

「別に音が鳴ったくらいで取り上げる必要はないだろう? セキュリ…いや、警察じゃあるまいしな」

「……」

「この学校に、そんな規則があったか?」

「まあ、あると言えばありますが…」

 

 寺島が言葉を濁す。

 後で聞くところに拠れば、教師というのは教室の秩序を守るため時に横暴とも呼べる権力の行使をする存在らしい。

 

 曰く、

 少しの雑談で部屋の隅や廊下に立たせる。

 授業中は水を飲むな。

 地毛なのに黒く染めろ。

 長距離の通学にも拘らず徒歩以外は禁止。等々……

 

 リディアンはそこまで厳しくはないが、やはり彼女達の経験上、そう言った行き過ぎた指導に晒された子どもは少なくないとか。

 

(……どこの世界も一緒か)

 

 俺は何回、元の世界との良くない共通点を見つけては溜息が出るのを堪えただろうか。

 デュエル・アカデミアでも、ある教師の偏見と行き過ぎた指導を見かねて問い質した事がある。

 

「別に授業に支障がなければ問題ないさ。要は君達が一生懸命勉強に取り組めるかどうかだ」

「まあ…そうですね」

「そうだろ?」

 

 逆に他の教師が無理矢理そんな風に生徒を圧迫しようものなら、俺自身抑えきれる自信がない。

 揉め事を起こさないようにするべきだと分ってはいるが、サテライト時代の記憶が尾を引いて、その手の事は考えるより先に身体が動いてしまう。

 

「板場も次から気を付けると言ってくれたんだ。なら俺が何か言う必要は無い」

「あ、ありがとうございます……」

 

 そう言って頭を下げる板場。…別にお礼を言われることはしていないが。寧ろ、誤解が解けてホッとしているのは俺の方である。その返礼も兼ねて、やはり彼女の端末は直してやりたいと思った。

 

「それで、板場の端末だが」

「え、ああ。はい」

「やはり、そのままだと色々不便だろう。それに破片が刺さる可能性もある」

「はあ……」

「今日の放課後までには直ると思う。誓って妙なことはしない。安心してくれ」

「……ど、どうも」

 

 初めは渋っていた様子だったが、三人で目配せをすると、モノを預けてくれた。受け取って改めて見るが、やはりこの位ならすぐ直せそうだ。パーツも余りで何とかできる。

 いっそ破損に強い部品に交換すると言ったら、また目を丸くして慌てた様子で了承してくれた。

 

「じゃあ、今日HRが終わったら取りに来てくれるか?」

「わ…分かりました」

「ああ、それと」

「は、はい?」

 

 教室を出ようとして、背を向けた三人に対して、俺は呼び止めて言った。

 端末を直すこと自体は俺自身の意志だが、実はもう一つ目的がある。

 

「立花の様子はどうだ?」

「あ……」

 

 別の意味で三人は言葉を濁した。

 これは俺にも理解できる。友達の事は話し辛いだろうし、彼女達自身も真相は知らないからだ。

 

「なんか、とても話できる状態じゃなかったんで……帰りました。アタシ達が見送って」

「そうか」

「あの……何かあったんですか? 未来…小日向さんも、なんか先生のこと睨んでるっぽかったし」

「いや、俺もよく分からなくてな。君達なら何か…と思ったんだが」

 

 こればかりは嘘だ。理由は彼女達より知っているし、それこそ教師の立場で介入も出来る。

 だが、それでは何の解決にもならない。

 

(昨日の響の様子は只事じゃなかった………)

 

 まずはその原因を知らなくては。

 だが、俺は小日向に昨日から警戒されている。彼女から悟られないよう、情報を集めようと思った。同じ女の子同士で、俺には気付かない事にも聡いだろう。

 

「いえ、ウチらも何がなんだか分かんなくて」

「もし良かったら、それとなく様子を見てくれるか? 俺はまだここに来て日が浅いからな」

「まあ…いいですけど」

「ありがとう」

 

 その時だ。

 チャイムが鳴ると同時に、今度は俺の携帯端末が鳴る。二課からの通信信号だ。始業間近のこの時間帯に連絡という事は、急を擁することに違いない。

 俺は立ち上がって、彼女たちに言った。

 

「すまない。ちょっと席を外す、君達も教室に戻った方が良い。わざわざ呼び寄せて悪かったな」

 

 言葉早にそう言って、教員室を出ようとする。出入り口まで歩いて行った時、三人に呼び止められ振り返った。

 

「……あの、先生」

「ん?」

「あ、ありがとう、ございました」

「いや、気にするな、これ位」

 

 寧ろ謝らなければいけない。彼女達に不安を与えてしまっていたのだから。この先何度も壁に当たる問題だが、どうにも生徒との付き合い方は難易度が高かった。

 響や小日向に関してもそうかもしれないが、なるべく彼女達に寄り添った方法を模索するべきかもしれないな。

 そう思い、誰もいない廊下へと、ひっそりと歩み始めた。

 

 

 

 第七話 『集いし絆と、陽だまりに翳りなし』

 

 

 

「……例の少女が?」

『ああ』

 

 弦十郎さんの声が重く響く。やはり連絡は急務だった。

 この近辺でノイズが発生したのだ。場所は市街地で、ここからも近い商店街の裏路地である。

 ただ何故、俺達に出動要請が来なかったのか……それは、必要性が急に消失したことを意味する。

 

『ノイズの反応を検知したすぐ直後だ。全てのノイズは奇麗さっぱりロストした』

「ロストだって?」

『ああ。そしてノイズと共に、第二号聖遺物『イチイバル』のパターンも検知されている』

「では…」

『うむ。雪音クリス……あの少女がノイズを殲滅したものと考えられる』

「街の住人達は無事なのか?」

『ああ。早朝で人通りが少ない場所なのも幸いした』

 

 その報を聞いて一先ず安心することができた。だが、幾つか問題が残っている。

 第一に、イチイバルの反応だ。

 そして第二に、ノイズの消失。

 

「つまり……雪音クリスは、敵の首謀者から狙われているのか?」

『その可能性はある』

 

 ゆっくりと彼は言った。

 

『この間の戦闘でも、フィーネなる人物と仲違いしているようにも見えた。現場付近でも、似た様な容姿をした少女の目撃情報が幾つかある……即ち』

「彼女は……逃げ回っている」

『……そうなるな』

 

 弦十郎さんの言葉は重苦しかった。

 これまでの情報から推測するに彼女……雪音クリスは、フィーネと言う存在に利用されている。そして何らかの理由で用済みとなった雪音は、口封じの為に狙われる羽目になった。

 少なくとも、両者の人間関係に亀裂が入ったのは間違いない。

 

「今朝のノイズは、『フィーネ』とやらが差し向けた追手……そう考えれば、確かに辻褄は合う」

『俺達の推測通りなら、彼女は単独で行動し続けている。となれば、居場所を見つけ出すことも出来るだろう』

「……」

『俺達は、現場の状況も合わせて引き続き捜索を行う。遊星君は、引き続き待機していて欲しい』

「待ってくれ…」

『どうした?』

「あの子を…雪音を、一体どうするつもりなんだ?」

 

 逸る気持ちを抑え付けながら尋ねた。

 恐らく現場ではこれから大規模な捜索隊が動き出すだろう。

 幾らシンフォギアを持っていても、年端もいかない、何の支援も受けていない子供が逃げおおせられるものではない。いずれ尻尾を掴まれる。

 

「確かに、彼女は許されない行いをしたのかもしれない。だが……帰る場所も無い、孤独な子どもを……」

『君の言わんとすることは分かる』

「全てを赦せとは言わない。ただ、俺は……」

 

 窓の向こうで、鳥が一斉に羽ばたいた。

 

 喀血の叫びが聞こえる。

 喉の奥から絞り上げ、周りを呪い尽くして尚止まない怨嗟の悲鳴。

 あの子の破壊の為の歌は、彼女の心の嘆きではないだろうか。

 

「たった一つだけでいい……彼女の本心を知りたい。あの子の歌を……あんな事に使わせちゃいけない……そう、思う」

 

 もしこの世界の人間が、彼女に情け容赦なく襲い掛かるというのであれば……

 

『遊星君、俺が初めて君に会った時に言ったことを覚えているか?』

「初めて会った時?」

『俺には、上に立つ人間としての義務がある』

「だが弦十郎さんッ」

『その中で押し通すべきものも、確かにある。俺はそう信じている』

「………」

『とにかく、遊星君は、しばらく待機しておいてくれ』

 

 勝手に腕に力が籠もる。誰もいない筈のカラの廊下を、人知れずに睨み付ける。

 今は信じるしかない…そう言うことか。

 俺は黙って飲み込むしかないのだろうか。

 だが、少なくともこの男は頭ごなしに否定することや、ないがしろにはしない。彼の行動が、少女を救う一助になることを願うしかないのか。

 

『……無闇に彼女を傷つけることはしない。それだけは約束する』

「……分かった」

『すまないな』

「いや」

 

 ここで問答をしても始まらない。まずは彼女の所在を突き止めなくては。

 それに、雪音クリスだけに意識を割くわけにもいかなかった。

 

『それと、響君のことだが』

「ああ」

『学校を早退したそうだな?』

「……ああ」

『メディカルチェックでは、特に異状なしとのことだったが』

 

 熱の籠った弦十郎さんの声。

 そうだ。響をこのままにしておくことも出来ない。俺は昨日の出来事を彼に話すことにした。

 事のあらましを初めは黙って聞いていたが、話が進むにつれ、沈痛な面持ちがまるで見えるように、相槌や返答がとても重苦しく変わっていく。

 

『響君の友達が、事態のカギになっているようだな』

「それは俺にも分かるが…あの時の響の様子は只事じゃなかった」

『分かった。こちらでも、何か対応策を考えてみよう。君は、響君をそれとなく気遣ってあげて欲しい。あの子は君を慕っているからな』

「……ああ」

 

 その後、今後の活動方針に関して、幾つか確認を終える。丁度、HRを終えるタイミングになった。

 向こうも誰かが報告を入れていたらしく、俺達の通信は終了することとなった。

 通信を終えると、俺は端末をポケットにしまう。

 

「……」

 

 空を窓から見上げると、いつの間にか晴れ間が広がっている。

 にも関わらず、この暗澹たる気持ちは拭いようがない。何故だろうか。あの子の…響の様子が気がかりだからだろうか? それとも、雪音クリスか? 

 

(……そうじゃない。そうじゃないんだ……)

 

 じくじくと、内臓を締め付けられるような不快感。

 胃の腑が落ち着かない。そればかりか、何処かドス黒い怨念めいた物が俺を狙っている……そんな風にさえ思える。

 

(だが、俺には一体……何が…)

 

 言いようのない不安が心を淀ませる。

 俺まで呑まれてどうする? そう思っても、心と言うのはままならない物だ。どうして俺が響にここまで揺り動かされてしまうのか。

 

 その答えは、『風』が持ってきていた。

 

 

「不動。少し、いいだろうか?」

 

 

 進むべき道は『風』と『スピード』の中。かつて、そう信じて突き進んだ。

 これはその再演なのか。もしくは、名を連ねるものとして運命めいた物が働いたのか。

 

「……翼?」

 

 いずれにせよ、この先にも、彼女は俺に幾つもの助言を与えてくれる事になる。それが俺にとって、どれだけの救いになったか分からない。

 今もまた、彼女の言葉は俺の……俺の道標になっていたのだ。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「怪我の具合はどうだ?」

「この程度、何ともないわ」

 

 HRの後、俺は彼女からの呼び出しを受けて、屋上へと呼び出された。ベンチに座った後、取り敢えず彼女の怪我について尋ねてみた。

 翼は今日から復学していているが、大事を取って授業は午前中のみ。体育などは欠席…と言う扱いだ。身体に不調を感じたら休んでも構わない…とお達しで、今も授業中にもかかわらず、俺と話ができるわけだ。

 無論、単位などには影響しない。特待生として保障や、陰で二課の面々が動いてくれている賜物である。

 

「…と言いたいところだけど。やはり万全には程遠い……良くて三分程度、と言ったところかな」

 

 思わず溜息が出た。それだけで十分な数値だ。

 松葉杖をついて歩いているものの、身体の動きや顔色から察するに、日常生活自体は殆ど問題ないのではないか。

 やはりカードの精霊の力を一時的に融合させたことが、翼に何らかの影響を与えている…そう考えるべきか。

 とは言え、油断は禁物だ。

 

「余り無理はするな。今は静養に専念した方が良い」

「そうね……何事も無ければ、そうしたいのだけれど」

 

 と、翼は俺に向き直り、改めて真っ向から見つめた。

 この様子、覚えがある。病院の時もそうだが、弦十郎さんや緒川さんが、真摯に事の次第を訪ねる時の癖だ。

 

「立花は大丈夫かな?」

「響?」

「……その、この間、ずいぶんと具合が悪いように見えて。体調と言うよりもむしろ精神的な……多分、学友の事だと思う」

 

 てっきり雪音クリスや『フィーネ』に関わる内容の事かと思っていた。ほんの一瞬呆気にとられたが、考えてみれば、その辺りは歳の近い女の子同士、しかも装者という共通点もある翼の方が色々と気付くことも多いだろう。

 寧ろ事情を深く知る分、相談するにはうってつけの相手だ。何故もっと早く気付かなかったのか。

 

「昨日、話そうとしたのだけれど…姿が見えなくて」

「……実は、早退したんだ」

「早退? 立花が?」

「昨日、ここで突然泣き崩れてな。とてもじゃないが、平静じゃなかった」

 

 俺は昨日あった出来事を全て打ち明けることにした。

 朝の授業中から雰囲気がおかしかったこと。小日向も響にだけでなく、俺に対して何かしらの感情を持ち、様子を窺っていること。そうして屋上で、響は泣きじゃくるばかりで何も言えなかったことを。

 

 

「立花には、そのことを尋ねたりは?」

「いや、出来なかった。そんな状態じゃなかったし、それに……俺が屋上に来る直前、小日向とすれ違った。恐らく、その時何かあったんだ」

「じゃあ……やはり、その子がキッカケで」

「いや、もしかすると不仲の原因は俺かもしれない」

「え?」

「響が黙っていたのは、小日向を守るためだったんだ。小日向自身が、それを理解できないとは思えない」

 

 この一ヵ月強で、響を中心とした人間関係を観察していた。その中でも小日向未来は、とても友情に篤く、また本当の意味で思いやりを持った女の子だった。

 それに、あの病院の駐車場での出来事だ。彼女は深く追及しなかった。それも多分、響との絆ゆえだ。

 

「それなのに、響がああまで動揺する出来事があったなら……」

「……貴方を疑っているから?」

「ああ」

 

『どうして響を戦わせるんだ』『親友が死にそうなのに、周りの大人はそれを止めさせるどころか推奨している』

 

 ……と、響に裏切られた怒りではなく、響に戦いを強いている周りの大人に対する憤りを募らせた。

 そう考えた方が余程辻褄があう。

 

「俺のせいで響が戦っているのは、ある意味で事実だ。俺にもっと力が…カード達が戻っていれば、あの子にあんな思いをさせずに済んだかもしれない」

 

 響は俺を庇ってくれるだろう。『私だって守りたいものがある』。そう言って決意したのは彼女自身なんだ。

 けれど……その末に、響自身の絆を失わせてしまうなら……

 

(俺は響の側にいられるのか…?)

 

 俺という存在に不信感を抱くのは当然だ。

 だが……響は、俺が周囲に溶け込めるように腐心していた。それで小日向が疑いの目の嵩が増してしまったのなら……

 

「……もしそうなら」

 

 湧き上がる自身への疑念。

 それを凛とした声が打ち消した。

 

「不動のせいじゃない」

「え?」

「……いいえ、そもそも、誰かが悪いわけじゃない」

 

 僅かに残る曇は、風に流れていつしか消え去る。

 一瞬、目を奪われた。だが、それはほんの僅かな間で、翼は顔を落として目を瞑る。

 が、やがて悲哀に満ちた眼差しで顔を上げた。

 

「………立花は……孤立していたかもしれない」

 

 太陽が雲の切れ間に隠れて、一瞬だけ見えない。

 翼の表情も、光を失ったように寂しく映る。

 

「孤立?」

「ええ」

 

 ゆっくりと翼は起き上がって、歩き始める。眼下には街が見渡せる。そしてその向こう側で翼が見ていた先には、本来なら何もない筈の場所。

 いいや、違う。

 翼が見ているモノは過去に在った。

 

「二年前の……ツヴァイウイングのライブの事件は聞いた?」

「……ああ」

「そうか」

 

 振り返り、俺を見て頷く。そのまま前を見た。

 

「ノイズが大量発生したあの二年前の事件で……立花は死に掛けた」

 

 ああ。と、乾いた返事が漏れる。

 誰の前で言うのも憚られるだろう。彼女にとっても救いようのない、心を痛め続ける事件なのだ。

 瀕死の重傷を負って、生死の境を彷徨い……天羽奏の力で一命を取り留めはしたが……大切な人が大勢失われたのは、彼女だけではない。

 響だって、苦悩の中で生きてきたはずだ。かけがえのない人々が死した中、自分だけ生き残ったなら。

 

 ……と、思っていた。

 

「けど……辛かったのは、その先にあった……と思う」

 

 俺は甘かった。

 この世界は残酷だ。

 不条理の塀に囲まれて出来ていた。

 ……知っていた筈なのに。

『のたうち回ったのは、お前だけじゃない』と……何度も、何度も、自分に言い聞かせていた筈なのに。

 

「……なにが、あった」

「……貴方は失望するだろうけど」

 

 翼の長髪が揺れた。強風が吹いていた。

 

「この国では、ノイズ被害者本人や、遺族に対して見舞金が支払われるの。立花の家にも、かなりの額が支給された筈。だけど…」

「……」

「例のライブ会場での死傷者…1万人規模と言われているけど……実際には、ノイズにより死亡した数は全体の半数以下だった」

「つまり、それは…」

「犠牲者の多くは、瓦礫に押し潰されり……逃げようとパニックになった観客達が将棋倒しになって圧死したり、窒息死したり…が、殆どだった」

「……そう、か」

 

 正直……分かっていた。

 ノイズが大量発生したとは言っても、あの映像を見る限り、せいぜい数は千数程度だ。あのライブ会場の観客全員を炭化させるにはどう考えても計算が合わない。

 

(あの時もそうだった……)

 

 自分は知らない。物心つく前の事で、後に資料で知った。

 直接に失われた命よりも、災害後の救助が行き届かず、暴徒と化した民衆の抗争によって亡くなられた人数の方が遥かに多いと。

 悲劇の引き金となるのは…その裏にある二次災害だ。

 

「その情報と重なったことで、周囲は生存者である立花を……」

 

 助かるかもしれない命が、他ならぬ人間の手によって散らされた事実。そうなれば、その犠牲者の怒りと悲しみは何処に行けばいいのか。

 それは……生き残った者に向けられてしまった。

 

 

「『他者を押し退けて、見殺しにしてまで生き延びた者』…たまたま目に映った芸能誌に……それが書いてあった……」

 

 

 ザクリと、喉に刃物を突き立てられたようだった。

 

 胃が、逆流する感覚。

 あの時と同じだった。

 ライブ会場での悲劇を、映像として見せられた時と。

 あれは、ほんの始まりに過ぎなかった。

 あの時がどん底ではなかったのだ。悲劇は、むしろここから始まっていた。

 

「私も目を逸らしていた……何処かで、喪った奏への痛みを、彼女にぶつけていたかもしれない……」

 

 本来なら、死ぬはずだった。

 幼き頃、生まれ落ちた数日後に。

 だが生きた。

 生き残ってしまった。

 他ならぬ、父の手によって。

 

「……情けないな。奏に後を託されて……生き恥晒して、この体たらくだ」

 

 死んでもおかしくはなかった。その後も恥知らずと罵られてもおかしくはなかった。俺自身が、何度自分を醜く罵ったのか分からない。

 だが甘えだったのか。

 こうして今自分の目の前には、悲劇の焦点として晒され続け、醜いエゴに翻弄されてしまった少女のなれの果てがある。

 

「……腹を掻っ捌きたい気持ちだ…」

「もう…いい」

「……すまない」

「いや、俺に、君達を責める資格はない」

 

 俺も一歩間違えれば、響の様になっていたのだ。

 人殺しの息子と。お前一人が、むざむざ生き残ったのだと。いつその呪いを受けるのかと、俺は毎日を、心の奥底で怯えながら過ごしていた。

 だから響はこだわった。他人を助けることに。どうやっても取り戻せない、あの日々を想い求めるかのように。

 

 その兆しと一縷の望みが、小日向未来と言う少女との繋がりだったのだ。

 

「きっと立花は……そういう中で晒されて。だからこそ、大切にしたはずだ。小日向という少女のことを、きっと」

「……そうだな」

 

 彼女を孤独にして、心を傷つかせたこの世界に、人に、憤りを感じないかと言われれば嘘になる。

 だが皆、心のどこかに傷を負ったのだ。その捌け口が彼女だった。誰も責められない。

 

(もしそうなら響……俺は……お前に何を……)

 

 罰を受けずにここまで来た人間。

 それが謂れのない憎しみと悲しみに晒され続けた響に、掛けてやれる言葉を持ちうるのだろうか。

 まして、心の支えを…唯一の拠り所にしていた絆まで経ち切られてしまった今となっては……

 

「……不動、すまないが、一つ頼まれて欲しい」

「何をだ?」

「もう一度、立花の友人を…引き合わせたい」

 

 自分で、滲んだ涙を引き取りながら、翼は言った。

 かつての己への誓い。それと訣別の意志を込めて。

 

「私は、立花のところへ行く。もう一方を頼めないだろうか?」

「……いいのか?」

「いいも何も、私がやらなければいけない事だから」

 

 ハッキリと強い意志で彼女は言う。

 

「以前病室で、立花の戦う理由を聞いた。二年前に大勢の人が無くなったことが、戦うキッカケだと、あの子は言った。それを私は『自己断罪の現れ』と評した……私自身がそうだったから」

 

 それは違う! そう言おうとして、飲みこんだ。彼女の言葉で自覚することができたからだ。

 俺も避けていた、その事実を。

 

「奏を失ったことからも、自分自身の弱さからも。それを認めたくない一心で、心の底に蓋をして……だから私は、もう逃げるわけにはいかないの」

「翼……」

「そして今、奏の力を受け継いだ者が道を彷徨うならば、私は灯火となるべく向き合いたい。それが防人の……いえ」

 

 初めて会った時の……いや、それすらも乗り越えた曇りなき眼が、俺を射抜く。

 

「ツヴァイウイングの片翼としての使命だから」

 

 俺は愚かだった。

 何時の間にか、彼女……小日向との誤解を解こうと、臆病になってしまっていた。それは俺自身、心に揺らぎがあったからだ。

 繋がりの無い世界に来たからこそ、再び一人になることを恐れた。響や小日向が、自分達だけの間柄の痛みとして抱え込んだことで……俺は何処か、寂しさを感じていた。力になれない、その情けなさを隠すようにして。

 だが、そうじゃない。

 俺が大切にしなきゃいけないのは、誰かと誰かを繋ぐ…その絆をこそ断ち切られることだ。なら俺がやるべきなのは一つだ。

 

「分かった。任せてくれ」

「助かる。正直、途方に暮れていた」

「礼を言うのは俺の方だ」

「え?」

 

 キョトンとする翼に、俺は笑いかけた。

 

「翼のお陰で、俺も自分のやるべきことが見えた気がする」

 

 そうだ。絆が失われることを恐れるなら、俺が怯んではいけない。

 例えこの身がどうなろうと、覚悟を決めることだ。最後まで足掻くことだ。そうすればきっと、新しい道が切り拓けるはずだ。

 そうして俺達はチームに、仲間になれた。それぞれ思う描く未来へと向かったんだ。

 

「小日向を、必ずもう一度、響と向き合わせてみせる」

 

 それは自分への宣誓だった。昔の自分への。

 空は青く、晴れ間が広がっている。

 そして授業を終え、次の科目へと移るための鐘が鳴った。

 




今月からのルール改訂で、シンクロや融合はエクストラゾーンの制限無くなったんですね。
リンク召喚とはなんだったのか…


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第7話『集いし絆と、陽だまりに翳りなく』-2

テックヴァラヌスでは、響はクラスメート三人組のことを名前ではなく苗字読みでした。
このSSを書いた時には既に名前で呼ばせていて、矛盾になってしまいました。
苗字読みに直そうとも考えましたが……響の性格から『ちゃん付け』の方が良いかなって思い、そのままにしてあります。


昼休み。

冷たくて味の感じなくなったご飯をモソモソと口に運ぶ。チャイムの五分前、休みの時間いっぱい使ってようやく食べ終えた私は、お水で何とか流し込んだ。

そのまま、ゆっくりと教室へと向かう。

 

(…一人でのごはんなんて、いつ振りかな)

 

修行とかノイズ関連で忙しい時には、確かに未来に黙ってご飯を食べる時はあったけど、その時は大体、師匠や遊星が一緒にいた。

なにも無いのに一人で…っていうのは、滅多にない。

当たり前だ。

未来がそうしてくれたからだった。寂しがり屋の私が一人で泣かなくて済むようにして、一緒に時間を作ってくれていた。

 

(未来……)

 

どうしようもない。

それなのにグルグル思考が空回りする。

晴れた天気は程よい日差しを教室に送り込んでくれる。もうすぐ六月になって、夏服を出さなきゃいけない季節になる。

そう言えば、夏になったらどこへ行こうか…なんて未来と相談してたっけ。

 

(…どこへ行っちゃったの?)

 

昨日の昼……私は泣き崩れた後、気が付いたら自分の部屋に戻っていた。弓美ちゃんや皆が心配してくれて、自室まで送ってくれたみたいだった。

そのまま何も考える気力がなくて、ベッドで寝ていたら夜になり、そのまま朝になって……起きると、未来がいなくなってた。

 

「あー、たるいね」

「この後、物理だっけ?」

「何かやりにくいよねー」

「また自習になんないかな?」

 

戻ってない…って訳じゃなかった。

部屋のテーブルに鍵が置いてあった。基本、寮のカギは一つしかなくて、後に出る人が閉める決まりだ。という事は未来は一旦戻って来たことになる。何も言わずに帰ってきて、また出た。

それもイヤだったけど、何とか気力を奮い起こして登校したら、なんと未来は教室にもいなかった。

端末にかけても繋がらず、メッセージを送っても返信は来なかった。

午前の授業が終わっても姿を現さない。

 

(今まで何も言わずに学校を休むなんて…なかったのに)

 

今年は無かったことだらけの毎日だけど、私にとってコレはトドメだった。未来が無断欠席なんて普通なら絶対にありえない。

もしかすると……ううん、絶対に昨日の事が原因。

私が未来を怒らせて、傷付けて……それが未来を追い詰めたんだ。

分かってる。

全部分かってる。

私のせいだ。私の……

 

「立花さん」

「…え?」

 

いつの間にか、教室のドアの真ん前に立っていた私に、寺島詩織ちゃんが話し掛けていた。

 

「……大丈夫?」

「あ、うん、ごめん。平気」

 

ハッとなって教室に入った。

…やはり、机を見ても未来の姿は無かった。鞄を置いている様子もない。学校には来ていないらしい。

 

「小日向さん、やっぱりお休みですか?」

「うん……そうみたい」

「…そうですか」

 

敢えてボカした言い方。詩織ちゃんは何も言わない。何があったか、話せないのは分かっているから。

それが彼女の優しさなのだと、少し申し訳ない気持ちになった。

 

「あ、ビッキー」

 

後ろから声がして、振り返る。ショートヘアで長身の女の子。クラスでも頼りにされてる安藤創世ちゃんがいた。

微かに残る感覚が確かなら、多分、寮まで直接私を送ってくれたのは彼女だと思う。

 

「創世ちゃん…」

「ヒナ、まだ来てない?」

「うん…メールも返事なくて」

「そっか」

「うん……」

「ごめん、この間はッ」

「え?」

「何も知らずにヘンに茶化しちゃってさ…」

 

そう言って創世ちゃんは私の手を握る。

温かかった。創世ちゃんはバスケとかが上手くて、たまに助っ人に駆り出される。でも変にゴツゴツしないで、柔らかい感触だった。

 

「ホントにごめん…これでも、反省してんだ」

「う、ううん…そんな事、全然ッ。気にしないでいいよ」

「気にするってば。当たり前だよ」

 

心配そうな顔をして、創世ちゃんは言う。隣でも詩織ちゃんが頷いた。

 

「…ありがとう」

 

未来以外で、私を心配してくれた人なんて本当に久しぶりだった。

師匠や遊星はずっと味方だけど、師匠は事情を深く知っているし、遊星は文字通り住む世界が違う。二人とも気兼ねなく相談できる相手……けど、それでも近しい存在が親身になってくれたのは嬉しい。

全てを知っているわけではないにせよ。

 

「……おっつー」

「あ、お疲れユミ。随分と遅かったね」

「あーうん」

 

その時、教室のドアがもう一回開く。

予想通りというか、立っていたのは、仲良し三人組の最後の一人だった。

 

「あれ、どうしたんですか、そのプリント?」

「いやー、不動先生んとこ行ったら、これ渡されてさ。今日は自習だって」

「え、また?」

「うん。悪いんだけど、ちょっと持ってくんない? 結構重いわ」

「ハイハイ」

「あ、私も手伝う」

 

咄嗟に手を出して、板場弓美ちゃんが持ってきた大量のプリントを幾らか請け負った。見ると物理のテスト形式で出された問題がびっしりと綴られていた。

うえぇ…と息が出るのを堪える。いくら心が弱ってても、こんなの見せられたら平静でいられない。

 

(遊星、ちょっと酷い……)

 

どうしてここに関しては妥協してくれないんだろうか。

……ううん、それ以前に。

 

「あんがと。ふー肩凝った」

「あの…」

「ん?」

「遊……不動先生、今日休み?」

「ううん、何か用事って言ってたけど」

「そっか…」

 

何かは分からないけど、連絡がないってことはノイズじゃないと思う。

後で聞いてみよう。

そう思った時、創世ちゃんが弓美ちゃんに訊いた。

 

「あ、そう言えば。端末どうだった?」

「ああ、それね。うん…普通に直ってた」

「まじ?」

「マジマジ。ほらちょっと見てよ」

「えー、ちょっと新品みたいじゃん」

「本当にフレームも強いのに変えてくれたらしくてさ。何か野球ボールぶつかっても平気だと思うって」

 

そう言って弓美ちゃんが取り出したのは、彼女が使う可愛らしい……かどうかは分からない、アニメのシールやらカラーリングが施された端末。確かに今までは画面も割れてて酷い様子だったのに、ほぼ元通りだ。

 

「それって、不動先生が直してくれたの?」

「そーそー。怒られるかと思ったんだけどね、全然そんな事なくて」

「今朝預けて、もう直ってたんですか?」

「うん。用事が出来たから、ちょっと前倒しにしてくれた」

 

そう言う弓美ちゃんの顔は戸惑っていたけど、嬉しそうだった。遊星だったら携帯端末の修理なんて朝飯前―この場合は昼休みに終わってたから昼飯前だね―でもおかしくない。ちょっとほっこりした。これを期に、遊星のことを皆が見直してくれたら言うことなしだ。

 

「あ、そうだ。アンタの事も心配してたよ?」

「え?」

 

キョトンと、私は弓美ちゃんを見る。向こうは苦笑しながら、ポンと肩を叩いた。

 

「未来と喧嘩してたんでしょ? よく理由は知らないけど…」

「丁度その事で今話してたんですよ」

「ああ、そっか。本人は……やっぱ、いないよねぇ」

「うん…今まで、こんな事なかったんだけど」

「そっかぁ……むー、こんな時アニメならどうするかな」

「ちょっと。真面目に考えて」

「考えてるよ。アニメはこういう時に馬鹿に出来ないんだぞ」

 

腕を組んで、ムムムと唸るように知恵を絞ろうとする弓美ちゃん。私が言えた義理じゃないけど、多分考え事に関しては向かない方なのに。それでも、皆は私達の為に考えてくれている。

弓美ちゃん達だけじゃない。

 

(遊星も……心配してくれてる)

 

考えてみれば当たり前だった。

私が屋上で泣いていた時に、うっすらと見えた遊星の腕。彼は落ち着くまでずっと側にいてくれた。

今までもそうだった。今回も私のことを気に掛けてくれてる。

 

(あとでメール送ろう…)

 

心配してくれるのは嬉しい。けど甘えちゃいけない。

ほんの少しだけ、私の中で活力が戻った気がした。

その時、三人が話した内容が伝わる。

 

「けど何者なんだろね、不動先生って?」

「ん? まー、悪い人じゃないとは思うけど……わざわざ生徒の私物まで直すかね、普通」

「今日も突然に自習ですし」

 

うーんと首を傾げる三人。と、その時弓美ちゃんがポツリと言い放った。

 

「あ、分かった」

「なに?」

「あの人、異世界から来た魔法使いだよ」

「ぶっ!?」

「どうかした?」

「え、う、ううん、なんでもない」

 

思いっ切り咳き込むのを堪えきれなかった。そのまま机に手をついて耐える。陰でケホケホしながら呼吸を整えようとするけど、その間にも彼女は次々と遊星の正体について言及し始める。

 

「異世界からって……突っ込むのもバカバカしいんだけど」

「いやいや、あの溢れ出る謎臭。おまけに度々起こってる急な自習…もうこれは決まりっしょ」

「アニメの観すぎですよ」

「いやそうだって。きっと元の世界じゃ英雄とか勇者ポジだったんだよ。もしかしたら2、3回くらい地球救ってるかも。それがバイクに轢かれたとかで私達の世界にワープしたんだって。間違いない」

 

凄い、殆ど合ってる!!?

『バイクに轢かれた』んじゃなく『バイクを引いてきた』ところさえ修正したらほぼ全部当たりだ!

 

「となると、機械に強いのは神様から貰ったスキルかな。一個だけ特殊能力貰えんのよ。回復魔法とか、逆に魔法を無効化とか」

「……先生、家電直してるだけじゃん。微妙すぎない?」

「敢えて最近はそうするんだって。あからさまにチートじゃないけど無双できる系の」

「してないじゃん無双」

 

なんてこった……。

正直、頭脳労働は私の次に苦手という大変失礼な思い込みをしていたけど、それは大いなる勘違いだった。

確かに私も隠し事は苦手だし、遊星はワザとじゃないかって位に敢えて目立っちゃうけど、この観察力は尋常じゃない。

どうしよう……未来に続いて弓美ちゃん達にまで……

 

「立花さん?」

 

私が後ろを向いてあれやこれや思案していると、詩織ちゃんが不思議そうに尋ねてくる。

ギクリと肩を震わせた。

恐る恐る振り返ると、怪訝そうな……いや、不安そうな顔をしている三人が私を見ている。

 

「大丈夫ですか?」

「あ、うん…」

「ほらユミが変なこと言うから。ビッキーも呆れてるよ」

「ヘンな事とは何だ。アタシは真面目にだね…」

「い、いやいや、そんな事ないから。へ、平気だよ、ごめんね…私」

「あ、ちょっと元気出た」

「え?」

 

取り繕うとする私。

けど弓美ちゃんはニッカリ笑いながら私の頬っぺたを軽く抓る。全然痛くないどころか、ヒンヤリした創世ちゃんと正反対の掌の感触が、咳き込んで熱くなった私の顔を覚ましてくれた。

 

「ほら、女の子は笑ってないと駄目だって。特に響はさ」

 

そう言って笑う弓美ちゃん。横では創世ちゃんと詩織ちゃんが苦笑しつつも、その様子を見守っている。

……ああ、そっか。

一見、話を外れたように見えても、三人は私を励まそうとしてくれているんだ。

 

「ダイジョーブ。二人なら仲直りできるよ。今時アニメでも見ない位にラブラブだからね、アンタ等」

「ラブラブって…」

「ホントだって。二人なら世界中に向けて愛を叫んだり、月に相合傘書いちゃうくらいになれるよ」

「適当なこと言って。本当に悩んでるんだからね、ビッキーは」

「アタシも本気だってえのッ」

「まあまあ」

 

また喧嘩が始まろうとする二人を宥めている。

……少し、涙が出そうになった。

 

「…ありがと」

 

正直、怖い。

昔の事を知ったら、この三人はどうなってしまうんだろう。今までみたいに、いなくなってしまうのかな。それとも、私を……

 

「まあ、悩みならいつでも聞くからさ」

「独りでいたら気が滅入るしね」

「小日向さんには負けますけど、私達も一応友達のつもりですよ?」

「……うん」

 

それでも、この温かい気持ちがある内は、私は人を信じたい。

いや、そうじゃない。きっと、ずっと前からそうだった。

未来だけじゃない、私は大勢に支えられて生きている。

 

(未来……やっぱり、このまま終わるなんて私やだよ)

 

どうすれば未来と元に戻れるのか、全然分からない。けれど納得できない。したくない。最後まで行動しなきゃダメだ。

だってそれが、誰であろう、未来が私に教えてくれたことなんだもん。人と人との間に『陽だまり』があるんだって。

 

 

「あ」

「ん? どうした?」

「ごめん、ちょっと通話出るね」

「電源切っとかないと、アタシみたいになるぞ~」

「そしたらビッキーも修理してもらえばいいじゃん」

「もう…怒られますよ」

 

アハハハ、と談笑する三人をよそに、私はコッソリと端末を開く。

二課から渡されている方だ。遊星がいなくなったこともあって、私はまたノイズが出たんじゃないかと警戒した。

もしかしたらあの子……クリスちゃんの事で、何かあったのかもしれない。

そう思い、画面を起動させる。

 

すると、そこにあったのは思いもよらない文章だった。

 

『今から屋上まで来られたし。風鳴翼』

 

え……は、果たし状?

 

 

 

・・・・・・・・・・

 

 

 

「ああ、先生」

 

リディアンの校舎よりDホイールを走らせること十数分。

俺は街の商店街にある、ある店を訪れようとしていた。

何故、今のタイミングで、急な自習を設えてまでこの場所に来るかというと、ある理由の為だ。

商店街へ入ると、昼時という事もあって、人通りも増えてきた。俺はDホイールを降り、ゆっくりと押しながら目的の場所まで歩いて行った。

 

お好み焼き屋『ふらわー』の店主は、俺の姿を見ると、すぐに手を振って迎え入れてくれた。店の外で、『おやすみ中』という掛札を付けようとしている所だった。

 

「こっち、こっち。よく来てくれたねえ。学校の方は大丈夫かい?」

「ええ。向こうには連絡してあるので。こっちこそすみません、忙しい中で…」

「いいんだよ。こっちも丁度お昼時が終わったところだからね」

 

そう言ってDホイールを脇の駐輪スペースまで置いた。今は昼時が終わって、夜までは仕込み時間だ。アイドルタイムというヤツらしい。

しかし彼女からの連絡があったのは不幸中の幸いと言うか、僥倖だった。

 

「しかし、わざわざ連絡してくれてありがとうございます。お陰で助かりました」

「なに、気にしないどくれ。こっちも先生に頼みたいことあったからさ」

 

そう言って、店の扉を開ける。

来る前にも感じていたが、暖簾をくぐって中へ入ると、香ばしい小麦粉の焼けた匂いや、ソースの芳香が漂ってくる。あまり食事には気を使わない方だが、こうして改めて来ると、とても良い雰囲気の店だ。

本来だったら、心行くまで味を堪能したいが、そうも言ってられない。

そもそもここへ来たのは、店主のおばちゃんから、ある連絡を貰っていたためだ。

 

「いやぁ、何が役に立つか分からないねえ。先生がリディアンに勤めてるのは知ってたけどさ。あそこの料理長のおじちゃんが連絡先知ってるっていうもんだから」

「ああ。前に食堂の換気扇を直した事があったんです」

「そうらしいねえ。向こうもそう言ってたよ、新品同様だって。ウチのテレビも、あれから一回も壊れなくてねえ」

「それは良かったです。ところで、おばちゃん…」

 

と、俺は改めて店の中に入って、事のあらましを確認することにした。

 

「小日向が来てると言うのは……」

「ああ、今は奥にいるよ」

 

翼と屋上での会話を終えた直後のことだ。

ふらわーの店主である彼女から電話があった。突然の外線で何事かと思ったが、俺がついさっきまで考えの最中にいた少女…小日向未来が、今その店に来ているという事だった。

 

「何か訳ありみたいだったから、特には聞いてないけど」

「ありがとうございます。その…色々とありまして。上手く説明は出来ないんですが」

「ああ、いいってそんなの。これでも客商売やってる身だからね。お客さんの事情には立ち入らないよ。ただ、誰にも連絡してないみたいだし、万が一ってこともあるだろう? 先生だったらクチも堅いだろうし、おばちゃんも安心して連絡できるってもんさ」

 

そう言って手を振るおばちゃん。アハハハ、と笑う様子を見て、俺も安心できた。が、次の瞬間、少し心配そうに奥を見て言う。

 

「未来ちゃん…一昨日もうな垂れて、一人でウチに来たんだよ」

「一昨日……」

「結構、思い詰めてた様子だったよ。どうも前から何かあったみたいでね。今朝も一人で商店街の方を歩いてて…」

 

只事ではないと、彼女も感じ取ったのだろう。そのまま学校に連絡せずに、学園の関係者である俺をコッソリ呼び出したのだ。

正直、小日向が学校へ来ていないと知ったのと、彼女から連絡を貰うのはほぼ同時だったから運が良かった。何しろ彼女はシンフォギアの秘密を知る者として二課に認知されている。姿が見えなくなったと知られれば、どう転ぶか分からない。

 

「……小日向に会って少し話したいんですが、どんな様子ですか?」

「それなんだけどね……ちょっといいかい?」

 

と、声を潜めて店の隅の方へと俺を案内する。余り大きな店ではないから、あくまで気分だろう。

移動すると、この事は誰にも言わないでほしいと言われた。もちろん、と俺も念を押すと、ようやく重い口を開けてくれた。

彼女も最初に学園に連絡しようと思っていたらしいが……小日向の様子を見て、思いとどまったらしい。

 

 

「行き倒れの女の子?」

「うん。今は奥で、あの子が看病してるんだけどね」

 

 

事の始まりは今朝だった。

いつもの様に開店準備をしていると、小日向がいきなり店へ飛び込んできた。それもびしょ濡れで。

驚いて中へ入れようとするも、なんと来たのは小日向だけではなかったという。一人の少女を担いで、「熱があるんです!部屋を貸してください!」と必死に懇願したそうだ。

 

「……どんな子ですか?」

「どんな子って…随分かわいい子だよ。この変じゃちょっと見ないねえ。髪が長くて、小柄で…ああ、髪の色が銀色がかってたし…ハーフかもね。あと…首から赤いペンダントを下げてたよ」

「……」

「先生心当たりがあるのかい?」

「……いや」

 

咄嗟に誤魔化した。

しかし、心臓が一気に早まるのを感じるが、ポーカーフェイスで誤魔化した。

 

(……雪音クリスか)

 

外見もそうだが、行き倒れてたという状況も見て、まず間違いない。

 

「それで、小日向はその子を連れてここへ?」

「私も初めは驚いちゃったんだけどね。取り敢えず様子を見ようと思って」

「そうだったのか……」

 

雪音クリスの行方は現在、杳として知れない。今朝ノイズが現れたとされる場所を中心に調べているが、未だに連絡はなかった。

 

(いや、寧ろ…そうか、それで見つからなかったんだ)

 

恐らく今朝弦十郎さんの連絡にあったように、雪音クリスは『フィーネ』という女から執拗に追撃を受け、疲弊していた筈だ。行き倒れ、本来なら狙い撃ちされるか二課に発見されるところを、小日向が偶然に見つけた。

無論、小日向にもシンフォギアの正体を知られたから、マークはついている。しかし、二課の情報部と調査部は雪音クリスの居所を探るために身動きが取れない。その隙間を縫ったように対象者の二人がイレギュラーな行動を起こしたことによって、一時的にだが存在を見失ったのだ。

 

「先生?」

「すまない…俺からは何とも」

「…そうかい」

「それで、その子は今は?」

「ぐっすり寝てるよ。でも、身体中傷だらけでね…未来ちゃんが診てくれたけど、背中拭いた時に痣もあったんだって」

「痣…」

 

少なくとも戦闘によるダメージではないだろう。ノイズとの戦いでもそんな風に背中に痣が出来るとは考えにくい。

とすると……

 

「もしかしたら、虐待か何かじゃないかって思って……警察に届けようかとも思ったんだけど、まずはあの子が落ち着かないと、って思ってね」

「……」

 

予想は当たらずとも遠からず、かもしれない。

俺の推測通りなら、雪音クリスは思想的な洗脳を受けていた可能性がある。そして子供を洗脳するのに暴力を用いるのは、反吐が出るほどに使い古された手段だった。

 

「おばちゃん、頼みがあるんですが……」

「なんだい?」

「俺がいるというのは、その子には黙っていて欲しいんです。もし虐待の疑いがあるなら、大人の男がいると怖がるかもしれない。警察にも、暫くは黙ってて欲しいんです」

「まあ…先生が言うなら、そうしておくけれど」

「ありがとう」

 

俺がここにいることを、雪音クリスに知れるのだけは避けねばいけない。彼女は手負いの獣だ。下手に刺激して、此処が戦場になれば目も当てられない。

それに小日向は、自分が介抱した少女が友人と敵対している存在と知ったら……間違いなく悲しむ。

 

「先生も悩んでるのかい?」

「え?」

「あまり多くは聞かないけどね。そうやって眉間にシワ寄せてちゃ、幸せが逃げるよ」

「……そうかもしれませんね」

「だろ?昔から人の顔見るのは得意でね」

 

おばちゃんがポンと、俺の肩を叩く。自然と、俺の口元は緩んでいた。

 

「ありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして」

 

俺は頭を下げた。

彼女の人柄からするに、黙って警察や病院に言うことはないだろう。取り敢えずは安心だ。

 

(……もうこれ以上、響や小日向に辛い思いはさせない。雪音クリスにも)

 

解決策はない。

雪音クリスの事を誰にも言わず、黙って彼女が回復するのを待つのか。その間に二課の人間や、『フィーネ』がここを嗅ぎ付けたらどうするのか。それ以前に、小日向と響の問題もある。

だが……動けなくなった彼女達の想いを少しでも尊重してやること。これだけは譲れない。絶対に。

 

(きっとある筈だ。あの子たちが笑っていられる場所を作る方法が)

 

自然と拳を握りしめていた。

 

「すみません、取り敢えず…」

 

「おばちゃん、タオルありがとうございました。あの子、今また眠っちゃってて……」

 

その時だ。

トタトタと、母屋の方から足音がする。

軽い足取りだった。こっちへと近づいてくる。その声の正体に被いて、店の奥へと続く扉を見た。すると、台所の方からひょっこりと姿を見せたのは……

 

「……あ」

「小日向…」

「ふ、不動、先生……」

 

響の親友が、唖然とした表情で俺を見ていた。

 

 

 

・・・・・・・・・・

 

 

 

屋上。

 

「……」

「……」

 

朝の天気が嘘のように、午後は快晴だった。風が程よく吹いて、それが頬に当たって気持ちいい。

空いてる時間はたまにここでバドミントンとかやってる女の子の姿がチラホラ見えたりする。とは言え今は授業中なので、みんな大体は教室にいる。

今この場所にいるのは……。

 

「……」

「……」

 

翼さんと、私だけ。

 

「……」

「……」

 

私は翼さんの連絡を受けて、すぐに屋上までやってきた。幸い、こっちは自習時間だから私が席を離れても咎める人はまずいない。そのまま見つからないように屋上までやってくると、翼さんは既にベンチに座って待っていた。

 

「……あの」

「ん?」

「お身体、大丈夫ですか?」

「……平気よ。ありがとう」

「い、いえいえ……」

 

翼さんが腰かけるベンチの肘掛けには、松葉杖が一本、立てかけてある。見た時私はギョッとしたけど、本人曰くあくまで念の為の保険らしい。何でも了子さん曰く、シンクロ・シンフォギアを使ったことで、自己治癒力が一時的にアップしてるんだそうだ。それに加えて翼さんの元々持つ強靭な体力と重なって、この頃は更に回復してるとか。

 

「あ、あの。辛かったら言って下さいね。あ、飲み物とかいりますか?」

「平気よ。ありがとう」

「い、いえいえ」

 

似たやり取りを繰り返すこと10分近く。

…翼さんからは何のアクションもない。そもそも何のために呼び出されたんだろう。遊星のこと。クリスちゃんのこと。

あるいは……未来のこと。

 

(もしかして……私へのお叱り……とか)

 

もとより未熟者の私。お説教の種は尽きない。まして昨日の未来とのこととか、そもそもバレてしまったこと…不可抗力とは思うけど…でも防人として誇りを持ってる翼さんにとっては許しがたいかもしれない。認めてくれても半人前であることには変わりないんだから…ここ数日の私に怒っても仕方がない。

 

「……立花」

「は、はいッ」

 

不意に呼び止められる。

私は顔を引き締め、翼さんを見た。翼さんは何とも言えない複雑そうな顔をして下を見ている。一見すると怒ってるようには見えない。けど、もし何か私にあるなら……

 

「その……」

「は、はい……」

「……どうかな?」

「……はい?」

 

ヒュウ~と風が吹いた。

翼さんは私を見ることなく、膝の上で拳をギュッと握ったまま。

私は固まった。え? 何が……でしょうか?

 

「あの…」

「だ、だから……最近、どう?」

「……」

 

息子が反抗期のお父さんかな?と、頭が無礼千万で失礼全開なことを考える。すぐにその発想は打ち消そうとするけれど、時すでに遅し。

 

「……何か失礼なこと思ってない?」

「す、すいません!」

「謝るという事は肯定か?」

「ち、違いますぅ!」

 

慌てて手を振って否定した。世紀の歌姫、風鳴翼に父性を感じたとか口が裂けても言えません。

とは言え私も答えようがない。接し方に困っているというか、話の切り出し方に苦心してると言うか……

 

「……こ、これでも、心配してるのに」

「え?」

 

キョトンとした。翼さんはようやく私を見る。その顔は何処か……恥ずかしそうだった。こんな顔をしたのは、病室で散らかった状態を見た時以来だった。それに…翼さんは、私を『心配』って……。

 

「明らかに様子が違うでしょう……それに彼女…立花と、いつも一緒にいる子と」

「あ…」

「何かあったのではないかと思って……この数日で大きな変化と言えば、私にはそれ位しか思いつかないから」

「……」

 

情けない。

落ち込むと私は自分に寄せられる好意に疎くなる。

と言うより……何処か、怖いんだと思う。優しくされた後で、それが無くなってしまう事に、心底怯えていた。

さっきだってそう。弓美ちゃん達が私の過去を知ったらと思うと不安になる。

 

「いえ、当たりです」

「…そう」

「すぐ顔に出ちゃいますよね、私」

 

あはは、と乾いた笑いが出た。

もしかして…未来が怒ったのは、私のそういう所なのかな。未来は私を想ってくれているのに、それを知っていた筈なのに、目を背けてた私を見て悲しくなったんだとしたら…結局、悪いのは私だ。

 

「私なりに、覚悟を決めて来たつもりだったのに…」

「……」

「ごめんなさい……本当だったら、こんな風に気を遣わせちゃったらいけないのに」

 

きっと翼さんなら、甘ったれるなと一喝するだろうなぁ……。

多分……ううん、他の人が考えれば、それが正しい。だから『ふざけるな』って怒鳴ってくれた方がいっそスッキリしたかもしれない。

 

「小さなことに気をとられちゃって……ダメですね」

 

戦うために、シンフォギアの戦士になるんだって決めた。

ノイズに襲われたら人は死ぬ。

なら、それを守るために私は何があっても戦いを一番にしなきゃいけない。頭で考えればよく分かる。

けれど、私の心はいとも簡単に動いた。他の人が見たら小さい『しこり』を、消せなかった。

 

「何にも手に付かないです……変わらなきゃいけない筈なのに」

 

翼さんだって言ってたじゃないか。

戦うためには、戦士になるには、人としての生き方から遠ざかってしまうんだって。貴女にその覚悟があるのか、って。

なのに私は良く分かって無くて……気持ちばかりが大きくて。挙句の果てに友達の心を壊して…溜息ばかりが出てきてしまう。

これだって、私の単なる感傷なのかもしれないのに。

 

 

「……いいんじゃないかな」

「え?」

「今のままで」

 

 

儚げな顔をして。

まるで、夜に月が照らしてくれているように。

翼さんの掌が、私の頬に触れた。

 

「つ、翼さんっ?」

「その小さいものが、立花にとって本当に守りたいものだとしたら」

「え…」

「変わらなくたって良い」

 

優しいのかな。

それとも、悲しいのかな。

翼さんの目は、なにも語らず、動かずに、ただ私の目をじっと捉えて離さない。

これは……この気持ち、何だろう。

少しひんやり冷たくて。だけどほんのり、温かい。柔らかくて…少し涙が出そうになる。

これって、きっと……

 

「…けど……私、弱いままです」

「立花の強さは、何処にあると思う?」

「……わ、わかりません」

 

少し沈黙して、素直な言葉を口にした。

迷いばかりの私の顔を、翼さんは少しも責めない。

けれどただ、そこにある。

前に翼さんの眠る病室で、同じ声を聞いた気がした。

 

『大丈夫』

『心を落ち着けて』

『ゆっくりと向き合いなさい』

 

あなたの瞳が、囁きかける。

 

「上手く言えないけど……その『小さい』ことが、立花にとっては大切だから悩むんじゃないかな」

「…あ」

「なら、捨てちゃいけない」

 

躓いたその身体を、この人は立たせた。

 

「立花はきっと、立花のまま強くなれる。私は……そう思う」

 

『この先は、貴女が歩いて』

 

背中を押しながら、そう励まして。

思い出した。

この気持ちは、そうだ。

辛い時、何度も何度もやり直せる元気と勇気を貰った。この安らぎと、湧き上がる思いは……。

 

「すまない。やはり私は奏みたいはなれないな」

 

パッと、手を離して翼さんはもう一度顔を伏せた。

恥ずかしそうに、顔を真っ赤にしている。

 

「奏はこういうのが得意だったから。他者の気持ちを良く分かってて。元気付けて、自分もいつも前向きで」

「いえ、そんなことないです。ありがとうございます」

 

頬が緩んでいた。

さっき、弓美ちゃん達に励まされた時とはまた違う。温かい気持ちがこみ上げてくる。他人の優しさに触れた喜びだけじゃない。

あなたのその、心の底にある筈の純粋な思いに触れたから。

 

「前にここで、親友に同じ様な言葉で励まされたんです。それでも私また落ち込んじゃって……ダメですよねぇ」

 

苦笑した。

 

「あー、ダメだダメだ。私はダメだッ」

 

私自身をそう言ってバカにしたいような。けど本当は……ちょっと嬉しさと恥ずかしさがこみあげて、ごちゃ混ぜになって……上手く言葉にできないだけ。

 

「ありがとうございます、翼さん」

「別に…何もしてないわ」

「いいえッ。また励まされました」

「え?」

 

キョトンとする翼さんに、私は立ち上がって言った。

 

「私、ずっと翼さんのファンでした」

 

告白する。

ずっと、言えなかった気持ちだ。

 

「初めてライブを見た時から憧れで。怪我をしても、ライブの時の想いを忘れないで生きてきました。痛かった時も苦しかった時も、翼さんの歌が、私を支えてくれたんです」

 

あの日、私の人生が崩壊した。

ゆっくりと、壊れた積み木を組み直す作業だった。それだけで、私は2年以上を費やした。誰かに労って欲しいわけじゃなかったけど、それでも、褒められなくても。ただ私が頑張りきることができたのは、誰であろう、この人の歌声があったからだ。

 

「リハビリ大変だったけど、それでも乗り越えられたのは、翼さんの歌があったからです」

 

初めて音楽を好きになれた。この人の絶唱、それが私の覚悟を決めた。私の人生の岐路には、いつもこの人がいる。

 

「聴く人に元気をくれるんです。翼さんの歌」

 

今までも、これからも。風鳴翼の歌は、私にとっての月明かり。

 

「大好きです、翼さんの歌。だから、ありがとうございます」

 

私は幸せだ。

呪われてなんかいない。

翼さんっていう、見守ってくれる月がある。

遊星っていう、支え、励ましてくれる星灯りがある。

そして……私の帰る陽だまりが。

 

「何だか、私が励まされるみたいね」

「え、あ、す、すいません、私、勝手なこと…」

 

慌てて頭を下げる。

考えてみると、私今、ものすごく恥ずかしいというか、おこがましい事を言ったかなぁ……?

 

「いいわ、別に」

「え?」

「立花は、それでいい」

 

そう言って、翼さんは微笑む。

この笑顔の真意は分からないままだったけど。けれど変わらずこの人は、その歌声で、凛とした魂で、人の心を動かし続けるんだろうなぁ。

そんな私の考えを、晴れた空が裏付けてくれた気がした。

 

 

 




次回、未来と遊星とのシーンに続きます。


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第7話『集いし絆と、陽だまりに翳りなく』-3

感想、メッセージ、誤字脱字報告、いつもいつも、大変ありがたいです。
本当にありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。


 しんと静まり返った店内。

 外の喧騒も、ここまでには届かない。

 一瞬、緊迫した雰囲気の中で、小日向は身体を硬直させながら、俺を見ていた。

 

「せ、先生……」

 

 手に持っていたタオルを取り落してしまう小日向。その眼は俺を警戒するものだった。

 無理もない。

 その時、おばちゃんが口を開いた。

 

「ど、どうして、ここに……?」

「ごめんね、未来ちゃん」

「え?」

「おばちゃんが、勝手に先生に連絡しちゃったんだよ。けど、誰か頼れる人がいた方が良いって思ってね」

「おばちゃんが……」

「大丈夫よ。この人は、未来ちゃんを裏切ったりしないから。ね?」

 

 そう言って、俺を見て尋ねてくる。人として、信頼を問うてくる目だった。『彼女達を悲しませないか』と? 

『もちろんだ』。心の中で、俺は確信を持って言った。

 

「小日向」

「……」

「大体のことは、この人から聞いた。倒れてる子を、介抱してたんだってな」

「……すいませんでした……」

「いや、無事ならいいんだ。それで」

 

 肩に手を掛けようとした。監視の為に現れたのかと思っているのかもしれない。小日向を探して雪音に行きついたのは偶然だが、俺と雪音クリスとの関係まで知られるのは駄目だ。

 その時だ。

 

 

「……あ」

 

 

 この時の出来事を、なんと言い表せばいいのか。

 凶運、悪運、あるいは皮肉か、運命か。

 いずれにせよ、俺と『彼女』が、お互いに言葉に詰まってしまったのは言うまでもない。

 

 雪音クリスが、そこに立っていた。

 

「ああ、ごめんね、起こしちゃったかい? あのね、この人は未来ちゃんの学校の先生なの。しっかりしてる人だから、安心して」

「……ッ!」

 

 おばちゃんが近づこうとした瞬間。

 明らかに敵意を剥き出しにして俺を睨み付ける。

 まずい。ここで戦闘を起こされては…! 

 

 この距離ならギアを纏う前に俺が飛び付いて無効化は可能だ。純粋な体術だけなら恐らくこっちに分がある。

 だが──『()()()()()()()』──その言葉が重く圧し掛かる。

 

「お前っ…!」

 

 雪音の手が、胸元から下げてあるペンダントにまで伸びた。例え俺が望むまいと、彼女が心のそこで戦いを拒絶しようと、俺が彼女の目に敵と映ってしまえば、戦いは避けられないのか? 

 悔しさと情けなさが、頭の中で暴発しようとする。だが運命が、皮肉屋を、また連れてきた。

 

 

『失礼します、警察です』

 

 

「っ!?」

『すみません、どなたか、いらっしゃいませんか?』

「け、警察…?」

 

 全員が一瞬気を取られた中で、小日向が呆然と呟いた。

 俺も雪音も驚き、扉を注視する。向こうでは青年と思しき声と、シルエットが窺えた。

 

(どういう事だ…?)

 

 このタイミングで警察が来るなんてありえない。

 雪音の探索か? いや、嗅ぎつけられるのが早すぎる。もし見つかったなら、その前兆はあった筈だ。ともあれ今は、寧ろこの状況をどうするかだ。

 ここで警官まで入ってくれば、雪音は間違いなく己の身を守るために逃げ出すか、最悪の場合……

 

「先生、その子たち連れて奥に行ってて」

「え?」

「いいから。ここはおばちゃんに任せて」

 

 混乱して思考がまとまらない俺達の前に、壁となるようにしておばちゃんが立ちはだかる。彼女は俺に向かって、店の奥を指差した。この人が住まう母屋だろう。雪音や小日向もそこから来ていた。

 瞬間、俺は小日向と雪音の方へと駆け足で向かった。

 

「……すまない、頼むッ」

「せ、せんせいっ?」

「な、何しやがる…っ!?」

「二人とも、隠れるんだ」

 

 そのまま手を引き、ずんずんと奥へと進む。二人を無理矢理に母屋の入り口の中へと押し込み、俺自身も入ると、急いで戸を閉めた。

 

「何も喋るなよ」

「……っ」

 

 二人を覆うように俺も壁となって、二人を庇いながら、壁に耳を押しやって中の様子を確かめる。入ったのをキッカケにして、店主は『はいはい』と、にこやかな声を出して扉を開けた。

 

 

『すいませんねえ、お待たせしました』

『お仕事中に申し訳ありません』

『いいえ、構いませんよ。それで、警察って仰いましたけど?』

『失礼、私は署の防災係の者です。今朝がた未明に、向こうの通りでノイズが発生しまして』

 

 警察と言う単語が聞こえた瞬間、俺に触れている雪音の肩がビクリと震えた。

 

「っ!?」

「大丈夫だ、そのまま動かないでくれ」

「……っっ…」

「小日向も、じっとしてるんだ」

「は、はい……」

 

 流石にこの状況で俺に敵意を向ける余裕はない。俺の囁きに、黙って頷く。小日向も、俺の言葉に逆らいはしなかった。

 緊張が続く俺達をよそに、おばちゃんは何食わぬ顔で警官とやらに応対する。

 

『そうだってねえ。町内放送で聞きましたよ』

『ええ。それで街に異常がないかどうか、市民に何か起こってないか、こうして見回ってるんです』

『それはそれは、ご苦労様です。でも、こっちは大丈夫ですよ。お昼もお客さんが一杯で』

 

 これには俺も舌を巻いた。役者顔負けの演技である。俺も潜入捜査の真似事はしたが、彼女の方が余程向いてるんじゃないか? 

 と、警官の気配がこちらへと近付いた。

 

『おや? そちらに、誰かいらっしゃるみたいですが?』

『ああ、電気屋さんよ。ご覧のとおり古い店だからねえ。あちこちガタが来てんのさ」

『ほう…』

 

 ツゥ…と、首元に汗が滲んだ。

 雪音だけじゃない。学生の小日向も、見つかれば警官が補導する理由になる。それ以前に、この扉の向こうにいる男が果たして警察官なのかどうかも疑わしい。

 奴がこちらまで来れば……後はもう、一か八かだ。

 

 だが、腕に力を籠めかけた時。

 

『……そうでしたか、失礼しました。では、私はこれで』

『どうもお世話さまで』

『何かあればご連絡を下さい』

 

 男の言葉が聞こえると、次に扉がガラガラと響く音がする。それからあとも十数秒ほど、俺達はじっと扉の前で息を殺していたが、やがて気配が完全に消えるのを察した。

 それからコンコン、とノックをする音。

 俺はゆっくりと、扉を開ける。そこには満面の笑みを浮かべたおばちゃんが立っていた。

 

「先生、もう大丈夫だよ」

「……助かりました」

「気にしなさんなって」

 

 そう言って、おばちゃんはサッと母屋側に入って、扉を閉める。この人が味方で本当に幸運である。彼女でなかったら、こう上手くいかなかったかもしれない。

 

「ごめんね、突然。事情は知らないけど、あんまり人に知られたくないんだって思ってね」

「いや……ありがと」

 

 そう言って、頭を下げたのは雪音の方だった。

 警官をやり過ごしたお陰で、彼女も緊張の糸が切れたのか、俺に対する意識も少し弱まっていた。

 ここまで来れば、手荒な真似はしないだろう。

 

(それにしても……)

 

 奇妙な縁と取り合わせだった。

 

「……」

 

 俺は、事情を知っているが、話せない。

 雪音クリスは、俺を知っているが、小日向を恐らく知らない。

 小日向は、雪音クリスに対して何か勘付いたかもしれないが、俺との関係は知らない。

 三者三様、お互いの想いが複雑で、上手く動けない状況を作っていた。

 

「……」

「……」

「……」

 

 沈黙が続く。

 このまま居ても状況は変わらない。

 小日向がいれば、雪音クリスも強い行動は起こさない。が、俺に対して警戒を解いたわけじゃない。俺も何もできない。これでは千日手だ。かと言って……

 

「……あ」

 

 その時、低く、唸るような音。出処を探っていくと、やがてそれは少女の腹から鳴っていることに気付いた。

 

「っ……」

 

 真っ赤な顔をする雪音クリス。どうやら彼女の腹の虫だ。そう言えば、もう時刻は昼休みをとうに過ぎている。俺は空腹には慣れてるが、雪音や小日向はそういかない。

 と、なると……

 

「ちょっと待っててね」

「ん?」

 

 おばちゃんはそう言って、再び店へと通じる扉を開けた。

 

「うん、誰もいないね」

 

 そう言うと、彼女はチョイチョイと手招きをして、店の奥へと入って行った。

 

「……」

 

 俺達はしばらく呆然と佇むが、ゆっくりと店内へと入った。

 と、入った筈のおばちゃんがいない? 

 ポカンとすると、台所の方から何かを抱えて、おばちゃんが戻ってきた。

 

「三人とも、はいこれ」

「「「え?」」」

 

 目を丸くして返事をする三人。おばちゃんは悠々と手に持った『それ』を抱え、俺達に手渡した。

 

「……何だコレ?」

「お好み焼きの材料だよ」

「はっ?」

 

 雪音クリスの口が、空いたまま塞がらない。

 

「お腹空いてると、良い考え出ないよ。まずは何か腹に入れな。ほらほら、奥の座敷行った行った」

「え、あの、でもお店は? そろそろ午後の…」

「臨時休業だよ。肩が凝ってたから丁度いいさね」

「あ…え」

「お、おばちゃん、ちょっと待ってくれ…」

「男がおろおろするんじゃないよ、みっともないッ」

 

 何が何だか分からず、唖然とする俺を、彼女は一喝した。カチンと、一瞬身体が硬直する。

 

「私は布団干して畳んでくるから。それじゃあね先生もしっかりね。あ、調味料とか奥にあるから。何か足りないのあったら適当に持ってってね」

「え、ちょっとおばちゃ…」

 

 引き留めようとする小日向。だが、おばちゃんはあっという間に俺達をその場に残し、自分は母屋の奥の方まで立ち去ってしまった。後には、残されたという想いしかない三人だけだ。

 

「……」

「……」

「……」

 

 この状況は俺でも流石に予想できなかった。途方に暮れて、つい少女たちを見下ろすが、彼女達も戸惑っている。

 

「え、えっと……」

「……どうすんだよ、これ」

 

 俺を見て睨む雪音クリス。まるで、この状況は俺に責任がある……みたいな目線だ。

 

「……混ぜて、焼くんじゃないか?」

「作り方は訊いてねえ! この状況どうすんだって言ってんだよ!」

「その通りだ」

 

 つい頷いてしまう。我ながら馬鹿な質問をしたもんだ。

 

「お前バカにして……あっ」

 

 食って掛かろうとする雪音だが、次の瞬間に聞こえたのは、先より大きなお腹の音だ。

 

「~~~~~」

 

 こうも自分の空腹に邪魔されては、彼女も何も言えない。ぐうの音も出ない、とは正にこの事か。いや、出たんだが。

 

「…食べるか、奥の座敷が開いてるんだったな」

「はっ?」

「だ、大丈夫ですか?」

「人の気配はない。心配ない筈だ」

 

 小日向の不安に、俺は頷いて答えた。この手の人間が二度同じ場所を訪ねることはない。セキュリティから逃げる時のクセで、対処法は身に染みていた。

 

「わ、分かりました」

「ちょ、ちょっと待てよ、お前…!」

「…食べよっか、ね?」

 

 小日向が、雪音に向かって言う。微かな笑みを浮かべた様子は、彼女を心配しているみたいだ。

 そして再三と鳴る、腹の虫。彼女もどうやら限界だったらしい。渋々と頷いた。

 

「……分かったよ。で…どうすんだ?」

「俺も詳しく知らないんだ。数回して来てないからな」

「…た、多分、まず鉄板を温めるんだと思うけど…」

「確か……その前に、油とか必要なんじゃないか?」

「あ」

 

 ハッとする小日向。彼女も、普段あまり座敷の方は使わないらしい。

 

「奥に色々あると言ってたな…そこにあるか」

「わ、私取ってきます」

「ああ、悪い……あと、足りなそうなのがあったら、持ってきてもらえるか?」

「分かりました……あの、ちょっと待っててね」

「……ああ、分かった」

 

 不安げに、雪音を見る。向こうもゆっくりと頷いたので、小日向は少し不安そうにしつつも、台所の方へ向かって行った。

 

「……俺達も座敷に行くか」

「……ああ」

 

 残されたのは、俺と、雪音クリスの二人。ボウルを持ち、奥にある座敷へと移動した。以前、修理したことがあるテレビも置いてあった。畳張りの床に対角線上となって座り、お互いのスペースを確保する。

 最初は台所を見ていたが、俺を視界に収めると、それまで抑え込んでいた殺意を一気に噴出させた。

 

「……何のつもりだ?」

 

 細い指が、首元へ這う。ゆるやかに添えられた手には、赤い結晶が付いたペンダントが握られている。戦えば殺す、と言うのだ。

 実際シンフォギアを使えば、Dディスクの無いこちらに対抗策は無い。死ぬだけだ。

 

(戦わないのは、小日向がいるからか……あとは…)

 

 こっちが何をするのか、それが読めない為だ。彼女は俺の能力を把握してない。

 

(応援を呼ばれたら困るのは向こうだ……だが)

 

 とは言え。

 

「アタシは……!」

「しっ」

「えっ…」

 

 この方法はフェアじゃない。

 

『そのまま声を出すな』

 

 端末で文字を打ち込み、雪音に見せて制する。俺は座敷の中を探った。テーブルの中や壁周り。果てはコンセントケーブル。疑える箇所は虱潰しに探した。雪音も、こちらに害意が無いと分かると、ただ見つめるのみだ。

 

 ……やがて。

 

(ここに在ったか)

 

 目的の物が見つかった。

 

(年端も往かない子ども相手に、こんな真似を…!)

 

 黒っぽい、数センチ程度の金属片だ。知らない人間が見れば、ただのゴミにしか映らない。だが、この手の小細工に慣れてる俺には通用しない。そもそも、テーブルの裏にゴミをわざわざ貼り付ける奴はいない。

 

「…」

「……」

 

『もう少し待ってくれ』

 

 雪音にそれを伝えると、急いで作業に取り掛かった。小日向が戻るまでに作業を終わらせないといけない。

 バキン、と叩き折りたかったが、破損したことが設置した犯人にバレる。音を立てずにケースを開けると、電波を受信する形式だった。これなら何とかなる。すぐに作業を終えると、持っていた絶縁テープでグルグル巻きにした。

 

「……よし、声を出していいぞ」

「な、何だよ、それ…?」

「盗聴器だ」

「……えっ」

「さっきの奴も警察じゃない。嗅ぎ付けられるのが早過ぎる」

 

 盗聴器はラジオの電波を基準とする古い型だった。俺の世界では骨董品だが、サテライトではよく部品が転がっていたので、改造してラジオの代わりにしたことがある。今は音を聴きとり辛くしただけだが、客もいない状況なら、この方が不自然じゃない。むしろ壊したり完全に遮断すると、向こう側に警戒される。

 

(これをやったのは誰だ?)

 

 二課の連中が貼り付けた……とは思えない。弦十郎さんがこんな真似は容認しないだろう。そもそも、誰を探る目的だったのだろうか。

 

(俺か、響か、小日向か……少なくとも雪音じゃない)

 

 となると、二課にいる内通者の可能性が高い。一先ず弦十郎さんに報告したいところだが、この状況ではそうもいかない。

 

「盗聴器って、どういうことだ?」

「君を狙っての物じゃない筈だ。俺か……あるいは、小日向かもしれないな」

「なんだよそれ……アイツが、何かしたのかよッ」

「…何もしていない。戦闘に巻き込まれて、響の…シンフォギアの秘密を知ってしまったんだ。その、監視の為だろうな」

 

 シンフォギアの秘密を知っている者だけが対象とは限らない。近しい者を人質にして、取引を強要するかもしれない。だからこそ、弦十郎さんは秘密を決して漏らさぬよう、響に再三と言い聞かせていた。

 だが内通者が存在する以上、何処から秘密が漏れているのか、それさえも不明だ。

 

「……ざけんな」

 

 微かに漏れ出た、全てを引き裂きそうな呪いの声。それは恨みの塊だった。自分を虐げてきた者に対する軽蔑と怨念が、声になって噴き出している。

 様子からすると、彼女も知らなかったに違いない。

 

「汚えよ…ッ! 子どもの気持ち、考えたことねえだろ、コイツら……何も知らねえ奴の居場所嗅ぎまわってコソコソして……それで平気な顔しやがって…ッ」

 

 子どもの傷口から入り込み、自分が絶対だと信じ込ませる。そうして一度信頼した子供は、受け入れられた安心と、再び見捨てられる恐怖から逆らえなくなる。

 

「……なんなんだよ……何なんだよ、大人って奴等は…!」

「意味なんてない」

 

 断言した。尖兵とした子どもに、重要な機密を持たせる必要は無い。手駒として見ていた連中に激しい怒りを覚えた。

 

「権力が勝手に作った理屈に、子どもを従わせてるだけだ。そこに意味なんて無い」

「…随分、慣れた顔してやがるな。こういうのはお得意ってか? お前だって…そいつらの仲間なんだろ? 腐った大人たちの」

「違う」

 

 確かに、この国の人々の為に戦う決意はした。しかし、それは俺自身の意思だ。飼い犬になった覚えはない。

 俺にも譲れないモノがある。

 

「……俺が別の世界から来たのは知ってるな?」

「だからなんだよ?」

「コレの意味は分かるか?」

 

 そう言って、顔の右側……目尻から下あごにかけて、指でゆっくりとなぞるようにして『ソレ』を外し、雪音に見せる。了子さんの特殊シール―以前のパウダーが剥がれたので改良した―を取り、覆っていた黄色のマーカーが浮かび上がっていた。

 

「いや………なんだ、それ? 隠してたのか?」

「マーカーと言ってな。罪を犯した人間に刻印される。俺はこいつを18の時に付けられた」

「……何やったんだ?」

「ゴミの島から勝手に出た。それだけだ」

 

 勿論、マーカーを付けられた連中にならず者も少なくないが、シティからの押し付けで無理矢理に焼き付けられた者も多い。確かに俺は法を破り、秩序を乱した。しかし、あの環境を是とすることはどうしてもできない。それでは、この少女に手を差し伸べられない。

 

「俺の世界も、大人は周りを見下すばかりで、ロクに力もない者たちを平気で蔑んで、痛めつけた。こいつもそうだ」

「……」

「今でも俺は権力が嫌いだ。こんな事を平然とする連中にも吐き気がする。だから盗聴器も潰した。端末も今は電源を切ってる」

 

 そう言ってマーカーを指差した後で、俺は通信端末を取り出すと、机の上に置いた。それを信頼の証として差し出す。

 

「君を売る真似はしない。絶対にだ」

「……妙なコトすんなよ」

「ああ」

 

 ゆっくり頷いた。雪音は端末を掴みとると、自分の側へと引き寄せる。これで良い。彼女の信用を得る為だ。俺達は、決して国の利益のために戦っているんじゃない。

 その時、ようやく目的の胡麻油やら何やらを探し出した小日向が、自分の分のボウルと一緒に持ってきた。

 

「……お待たせしました。中々見つからなくて」

「ああ、悪かったな」

「いえ……ゴメンね、待たせちゃって」

「いや、気にすんな…それで、どうすんだよ、これ」

「あ、うん。まずコンロを点けて、で……油引いてって」

 

 小日向が座ると、テーブルの端にあるツマミを回す。カチリと音がして、鉄板に熱が灯り始めた。次に胡麻油を引いて、大きな銀色のコテを使い、まんべんなく染みこませるように敷いていく。多少ぎこちない手つきだが、少なくとも俺よりは上手い。

 胡麻油の香ばしい匂いが次第に広がってきた。

 

「これで、その間にかき混ぜて、それで焼けば……い、いいと思う」

「おう」

「なるほど」

 

 指示を受け、俺達は材料を混ぜ始めた。料理を作るというのは久々の感覚だった。モーメントを使わない調理器具と言うのも、レトロな雰囲気で面白い。三人が三人とも、カチャカチャとボウルをかき混ぜていく中で、ふと場は沈黙する。

 

「……」

「……先生」

「ん?」

 

 しばらくして、小日向が視線を合わせず口を開く。

 

「すいませんでした」

「……私が勝手にいなくなったりして、それで…」

「いいんだ、気にするな」

「……響…どうしてしますか?」

「…」

 

 一瞬、言葉に詰まる。白い煙が徐々に鉄板から昇り始めていた。

 

「……ごめんなさい。私のせいですよね…」

「板場達がついてる」

「え?」

「小日向のことも心配していた。それに…新しい仲間もついてる」

「……そうですか」

 

 カツンと音がした。ふと向かいを見ると、雪音クリスが同様にボウルをじっと見つめたままポツリと言った。

 

「友達か?」

「え?」

「さっき言ってたろ? 喧嘩したって。そいつのことか?」

「……どうだろ」

 

 薄い笑いを浮かべながら小日向は答える。

 

「もう友達って思われる資格、ないから」

「友に資格はいらない」

「え」

 

 自然と出た言葉だった。俺は手を止めて、小日向を見る。

 

「二人は、お互いを必要としている存在だ。それを拒んだって、お互いが傷つくだけじゃないか」

 

 ここへ来て、俺の確信は深まっていた。誰が見ても、強い絆で結ばれているのは明らかだ。離れていても、相手を今でも思いやっている。

 

「……無理です」

 

 ボウルを置いた小日向。その手は僅かに震えていた。

 

「だって……私……」

 

 表情は見えずとも、辛い気持ちを抑え込んでいるのは俺でも分かる。小日向は、響を追い込んでしまったことを後悔していた。そしてそれでも、自分は彼女に言えない気持ちがある……そのジレンマが小日向を苦しめている。

 

「だから、ぶっ飛ばせよ」

「え?」

「さっきも話したろ。ソイツぶっ飛ばしちまえって」

 

 目を細めて会話を聞いていた雪音が、言い放った。

 

「ムカついてんだったら一発殴って、頭に来てること全部ぶつけちまえって。それで勝った方が正しいってことにすればいいだろ? 後腐れなくていいだろ?」

「……」

「で、できないよ、そんなの……」

「何でだよ? 分かりやすいだろ」

 

 雪音は不服そうだった。多分、争いや戦いの中に居たことで出た発想だろう。俺にも覚えがある……と言うより、サテライトでの上下関係はほぼそれで決まると言って良い。だからこそデュエルが存在する。みだりに法を犯しても共倒れになるが、デュエルで決まれば敗者は従うという不文律は昔からあった。ただし、それは俺達の世界の決め事だ。

 

「……」

「……分からねえな…アタシにはそう言うの」

「友達とか、いないの?」

「ずっと一人だよ、子どもの頃からな」

「…そう」

「ああ」

 

 未だに答えを出せない少女に、雪音はフンと鼻を鳴らしてまたボウルをかき混ぜ始めた。その様子を見て、小日向は顔を上げて尋ねたが、短く答える雪音に、それ以上小日向もかける言葉は無かった。

 

 と思った時。

 

「……ありがと」

「え?」

「さっきも、今も、気遣ってくれて」

 

 困ったように微笑して、小日向が言う。ポカンと口を開けて、雪音もまじまじと相手を見返した。

 

「いや……別に」

「先生も…すみません」

「ああ、気にするな」

「……も、もういいかな、焼いても」

 

 唐突な返事。

 

「これで、流して焼けばいいのか?」

「はい」

「こうか?」

「うん、そうそう」

 

 小日向も、何故雪音をここまで気に掛けるのか、正直俺には掴みきれない所もある。この二人の間には、俺の知らない繋がりがあるように思えた。

 

「で、確かひっくり返せばいいだったな?」

「はい、そうです。端っこが固くなってきたら合図……だったかな」

「何か変な食べモンだな、これ」

「そう? 美味しいよ?」

「確かに、材料も安価だし栄養も摂れるからな。良い調理法だと思う」

「それはちょっと違うかもですけど……」

 

 それから、淡々と会話を続けながらも、俺達はお好み焼きを作り続け……数分後。

 

「これで……うん、いい感じだと思う。完成ですっ」

「良い匂いだな」

「……ゴクリ」

 

 出来上がったお好み焼きをそれぞれ皿の上に乗せる。続けて青のりとソースをまぶしていく。焼けた小麦粉の匂いと、香ばしいソースや青のりが漂い、食欲をそそる。

 

「頂きます」

「頂きます」

「……い、いただきます」

 

 小日向と手を合わせると、慌てて雪音も深々とお辞儀をしていた。その様子が少しおかしかったが、笑うとまた怒られそうだから止めておいた。

 

「うん、美味しいじゃないか」

「あ、ありがとうございます。おばちゃんの作ったのよりは劣るけど」

「……いや、うん。良いと思うぜ。ウマいよ」

「そう? 良かった」

 

 小日向はあまり料理はしないらしいが、それでも俺には上手に思えた。雪音も逃亡生活で殆ど食事をしていないんだろう。最初は俺や周りを警戒していたが、この時にはすっかり無我夢中でお好み焼きを食べ続けていた。

 

「んっ…もぐっ……はむっ…!」

「あ、あ、そんなに掻き込んだらダメよ。ほら、こっち向いて」

「なっ、おぃ……む、むぐ……」

「……」

 

 お世辞にも行儀がいいとは言えなかった。すっかり口の周りにソースやら青のりが付いてしまっている。よく見ると服にも零れていた。小日向が困り顔でハンカチを取り出すと、口周りを拭いていく。

 

 その様子につい、じいっと見入ってしまっていた。

 

「はい、いいよ」

「わ、悪い…って」

「……」

「なっ、なに、ジロジロ見てんだ…ッ」

「ん?」

 

 赤らめた顔で抗議する雪音。横で小日向がジッとこちらを見据えていた。

 

「……先生、女の子が食べてるのをジロジロ見るの、余り良くないと思いますけど……」

「あっ、すまない」

「……」

「……」

「わ、悪かった。つい…な」

 

 慌てて顔を逸らそうとするが、心なしか向こうは目を細めて、怒っているようにも見える。どうも居心地が悪い。いや、確かに俺の方が不作法だった。

 とは言え、仕方がなかった。

 温かい気持ちに触れたのが…遠い記憶を掘り返したからかもしれない。

 

「前は、たまにそうやって子ども達の顔を拭いていたからな。つい…昔を思い出してたんだ」

「え?」

「と言っても、大分小さい子が大勢だったけどな。今みたいに、そうやって面倒見の良い奴が、よく世話をしてたんだ」

「近所の子ども達、ってことですか?」

「……少し違う」

 

 と、その時に雪音と目が合う。一瞬の迷いはあったが、自然と口が動いていた。言うなら、今しかない。そう直感が告げていた。

 

「行く当てもなくなった……君みたいな子どもが殆どだった」

「え」

「あの時は、まだ多くてな」

 

 もう今では考えられないが、マーサハウスは捨てられた子ども達が行きつく最後の場所だった。ロクに物が手に入らない中で、マーサは朝から晩まで子供の面倒を見ていた。昼間は働きに出てたから、年上は年下の面倒を見るのが役目だった。自身は、余り得意じゃなかったし、その手の仕事はクロウの方が余程上手だった。何度か世話を買って出たが、結局はクロウの方がまとめて解決してしまう事も珍しくなかった。

 

「今の小日向みたいに料理を作ってやることもあった。俺は得意じゃなかったが…」

「……ご、ごめんなさい」

「ん?」

「あ、いえ…その」

 

 小日向はまた下を向く。雪音も、どう言ったらいいのか分からない表情だった。今まで別の環境に身を置いていた三人だ。お互いに掛けられる言葉など、余りに少ない。

 けれど、確かなものもある。

 

「…小日向」

 

 箸を置いた。

 

「響が不幸だと思うか?」

「え?」

「あの子が受けた痛みや苦しみは……本当に『呪い』だと思うか?」

「……」

 

 最初は戸惑った小日向が、無言となった。残酷な問いかけをしている。多分、小日向の脳裏には一人の少女が浮かんでいるのだろう。あの子は良く『呪われているかもしれない』と口にする。だが俺には分かる。例え自身が呪われていたとしても……

 

「……分からないです」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって……決めるのは、響だから」

 

 小日向は本当に聡い少女だった。知らない周りは不幸と言うだろうが、それを決めつけるのは傲慢であり、不幸を決めるのは本人の意志だ。

 そして、その意識を形作るのは。

 

「もし響が『不幸じゃない』と言えるなら、それは絆があるからだ。響と君との間に」

「……そんなの」

「例え君が否定しても、俺は何度でも言う」

 

 本音が溢れた。

 

「私なんかに」

 

 小日向に、涙がうっすら滲んでいた。

 

「私なんかに、何ができるっていうんですかッ」

「小日向はどうしたい?」

 

 この言葉に、ようやく小日向は顔を上げた。

 

「それ、は」

「出来る事じゃない。やりたいことを探すんだ。何がやりたい事なのか……誰かに後ろ指差されようとも。だからこそ、小日向は響の側にずっといたんじゃないのか?」

「……分かり、ません」

「ああ。今は、それでいい」

「良いわけ、ないです……だって私……私は、響を……」

「大丈夫だ」

 

 証拠なんてない。けど、俺の魂が叫んでいる。

 

「響と小日向なら、きっとまた仲良くなれる。俺は信じてる」

「……ふざけんな」

 

 拳を握りしめて、ワナワナと震えるのは、隣で聞いていた雪音だった。

 

「じゃあ、なんでアタシは一人なんだよ」

「……」

「答えろよ」

「…本当に一人か?」

「え?」

「孤独だと言うなら、どうして君は今ここにいるんだ?」

 

 世界や人を否定しようと思えば、そこら辺に幾らでも材料は転がってる。だから、人は『そうだ』と信じるんだ。

 

「俺の独りよがりな錯覚なのかもしれない。強がりかもしれない」

 

 かつて破壊から生まれた男の、他愛のない罪悪感と反発心がごちゃ混ぜになった気持ち。それが俺をここまで連れてきたのか。翼は響に病室で言った。『自己断罪の表れ』だと。それはもしかすると、俺のことかもしれない。

 だとしても。

 

「それでも俺は、君達みたいな子が傷ついて悲しんでいくのを、黙って見ていることはできない」

 

 その為なら、この身の全てを尽くして戦えと。俺の身体自身が叫んでいる。誰よりも強く…熱く生きろと。そしてそんな俺の背中を押してくれた人が、俺の心の中で息づいている。それこそ絆の証だと、俺は信じている。

 

 

「……」

「…クリス」

 

 

 ビクリと、雪音の身体が跳ねるように震える。いつの間にか、小日向の掌が、彼女のそれに優しく添えられていた。

 

「あのね……クリスにどう思われるか分からないけど……私に、そんな資格ないかもしれないけど……でもね」

 

 キュッ、と真一文字に結ばれた唇から、彼女の気持ちが言葉になる。

 

「クリスが良いなら……友達に、なりたいな」

「……っ」

「私じゃ、ダメかな?」

 

 雪音はそれに対する言葉を持たなかった。比喩ではなく、本当に今は無いのだ。傷を負った心が、いつしか小日向のような真っ直ぐな想いを受け止めるだけの気持ちを置き去りにせざるを得なかった。

 だけど、いつかきっと思い出せる。

 

「っ、アタシは……」

「うん」

「……っ!!」

 

 バン、と堰を切ったようにして、いきなり雪音は立ち上がった。戸惑う小日向を置き去りにして、俺が呼び止める間もなく、テーブルをまたいで座敷の扉を開けた。

 

「クリスッ!」

「もう分かんねえよ全部ッ!」

「クリス待って!」

 

 小日向が叫ぶも、クリスは勢いよく座敷を飛び出す。そのまま扉まで一直線に走り抜くと、勢いそのままに入口の扉をあけ放って、まだ人通りの多い商店街の向こうへと飛び出してしまった。

 今まで閉めきっていた店内へ、一気に街中の喧騒がなだれ込んでくる。クラクションは人々の話し声、電子音。その中で、雪音クリスの気配だけが遠ざかる。

 

「クリスッ!」

「待て、小日向」

「でも先生!」

「小日向はここにいろ」

 

 立ち上がろうとする小日向を、俺は制して呼び止める。ひと際大きなクラクションが聞こえた。

 

「俺を信じてくれ。頼む」

 

 小日向は、雪音に歩み寄ってくれた。今のこの子に出来る事をしてくれた。ならば、後は俺の…俺達の仕事だ。小日向には、自分自身と向き合う時間が必要なのだ。

 

「分かり…ました」

「ああ」

「お願いします…先生」

 

 頭を下げる小日向。その小さな頭に手を添えて、誓いの印とした。

 

「しばらく待っててくれッ」

 

 そう言うと俺は、店の外へと飛び出す。

 辺りを見渡しても、やはり人影は見当たらない。だが、わざわざ彼女が人の波に乗って逃げるとは考え辛かった。あの子は今、人との関わりを信じられなくなっている。なら、人通りの少ない方に行くのではないか。

 そう推理した俺は駐輪スペースまで戻り、Dホイールに跨ると、街の郊外へと走り始めたのだった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「えっ!?」

「むっ!?」

 

 次の瞬間。私達の持つ端末が一斉に鳴り響いた。私も翼さんも急いで取り出し、耳に当てる。聞こえてきたのは二課本部にいる師匠からの声だった

 

「はい、私です」

『翼か? 今どこにいる?』

「学園の屋上です。立花も一緒に」

 

 そう言うと、翼さんは端末を操作して私にも声を拾えるようにする。私も慌てて画面に現れた承認ボタンを押した。これで通話は双方向に切り替わるらしい。

 

『ノイズが現れたっ!』

「ノイズ…ッ!?」

 

 こんな間を置かずに? 私は驚いたけど、もっと驚くような事態はその後の報告だった。

 

『かなりの大軍だ。そっちにデータを送る』

「っ…これは…!」

「うそ…っ」

 

 市街地の中心点から徐々に、ノイズを表す光点がまるで植物が生えるみたいに次々と現れていく。こんな数より多いのを私は今まで見たことは一回しかない。あの時…ツヴァイウイングのライブで私が巻き込まれた事件くらい。

 あの時ほどじゃないかもしれないけど……でも、ノイズの数は私が目で数えきれないほどに増していた。

 

「何でこんなに…?」

「…司令、狙いはデュランダルでしょうか?」

『いや、それにしては出現地帯がまばら過ぎる』

「じゃ、じゃあ、何かの罠、とか…?」

『確かにあり得なくはないが、俺が敵の指揮官なら、戦力をある程度集約させて、装者をおびき寄せる。ここまで広く分散させてしまえば、響君たちが何処へ向かうのかを逆に絞りきれなくなる』

「では……」

『狙っているというより、寧ろこれは何かを『探す』動きだ』

 

 師匠の言葉はずっしりと重かった。つまり……狙いはデュランダルじゃなくて、私達でもない。じゃあ狙われてるのは誰だろう。そう思った時、私は背中に冷たいものが走った。今誰よりも非力で、狙いやすくて、しかも逃げられにくい相手。それは一人しかいない。

 

『恐らく、今朝のノイズの出現に関連がある筈だ』

「まさか……クリスちゃん…?」

『その可能性が一番高い』

 

 師匠は断言した。

 私も、今朝師匠から連絡を受けていた。朝にノイズが出現したけど、被害者は無く、代わりにノイズの残骸と一緒に、シンフォギアの…イチイバルの反応が出たんだって。つまりクリスちゃんがノイズと戦っていた。それはこの間の戦いの後で、あの子が一人になって帰るところがなく、誰かに追い詰められているということだった。

 

「雪音クリスを見失い、炙り出す為に大量のノイズを出したと……そういう事ですか」

『……ああ』

 

 翼さんの問いかけに、師匠は低く答える。じゃあ……このノイズを操ってるのは、クリスちゃんをおびき出すため…? たった、それだけの理由で、こんなに沢山の街の人を巻き込もうとしてるの? クリスちゃんの命を狙うために、こんな事まで…!? 

 

「……司令、私も出ます」

『ダメだ。メディカルチェックを終えてない者を、出すわけにはいかん』

「申し訳ありませんが、聞けません」

『翼っ』

 

 師匠が声色を強くして翼さんを止める。けれど、翼さんは止まらなかった。それ以上に強い感情が突き動かしていた。袖をまくり、残っていた包帯を毟り取るように外しながら放り捨てる。

 

「この様にノイズを展開させれば、市中はパニックになります。雪音クリスが外道なら、その隙を縫って逃げ出すでしょう……ですが敢えて敵は布陣を敷いたッ」

『だがそれは推測だ…!』

「いいえ、事実です。ここまで執拗なまでに裏をかく程の相手が、ぬるま湯のような策は講じえない! 奴はッ、『フィーネ』なる女は! 雪音クリスの性分を見切った上でやったのです!」

「翼さん…」

 

 側にいた私でさえ、圧倒される様な、それは翼さんの激しい怒りだった。

 

「『お前のせいで人が死んだ』と! それを見せつけることで誘い出すこと、それが敵の目的です! 司令はそんな人の皮を被った悪鬼羅刹に手をこまねけと言うのですかっ!?」

『……だとしてもだ。半死のお前が出れば、今度こそ命に関わるんだぞ』

「叔父様! 叔父様も、風鳴の血が流れているのならば、私の憤りを知らぬ存ぜぬとは言いますまい!」

 

 風が強く吹いた。

 私の中にも、熱い気持ちが灯ろうとしている。未来を失って、陽だまりが無くなった私に、もう帰る場所は無くなるのかもしれない。でも、目の前で苦しむ人を嘆く翼さんの気持ちは、確かに私の心に火を点けた。

 

「翼さん」

「立花…」

「その気持ち、私に預けて下さい」

「え?」

「そうしたら翼さんは、皆を守って欲しいんです」

 

 にっこりと、笑って言った。このために、シンフォギア装者は二人いるんだ。私はこの時の為に、きっと奏さんから力を継いだんだと、今はそう思える気がする。

 

「お願いします。それなら、私は前だけ向いてられます」

「……」

『翼』

 

 しばらく答えを失う翼さんに、師匠は静かに言った。

 

『お前は援護に回れ。万が一のことがあれば、撤退を前提として、戦線への復帰を命じる』

 

 それは確かに、師匠が翼さんの熱意を受け入れた瞬間だ。

 

『これ以上は許可できない。司令官としても、お前の家族としてもな』

「……了解しました」

 

 拳を握りしめる翼さん。血が滲み出るんじゃないかとさえ思うくらいの、強い力。誰かの痛みへの嘆きと、歯がゆさ。

 もう、そんな思いさせるものか。私が…私達が受け継いだ想いは、こんな理不尽なんかに屈しちゃいけない。

 

「翼さん、私行きますっ!」

「……ああ、頼んだ」

 

 真っ直ぐに見る翼さんの目。その瞬間、この人は後悔や情けなさを置き去りにしていた。もう迷いは感じられずに、ただ私の目を一直線に見据えている。そのまま肩に手を置いて、強く言い放った。

 

「立花」

「はい?」

「動けるか?」

 

 今、未来はいない。

 私が陽だまりを、つないだ手を離してしまった。

 でも今は……ううん、だからこそ、自分のこの気持ちに、嘘をつくことなんて出来ないから。

 

「……はいッ!」

 

 空高くに、私の宣誓は響く。

 陽の光が強く、私達を照らし出していた。





次回、決着します。
応援、是非是非よろしくお願いします


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第7話『集いし絆と、陽だまりに翳りなく』-4

今回、二つ一気に投稿します。
途中で載せることも出来たのですが、これ以上引っ張り続けるのも微妙と思い、纏めました。


 人通りを避けて移動するだろうという読みはピタリだった。

 街を二分する大きな川がある自然公園。その端部分に、彼女はいた。皮肉にもそこは、俺達が初めて出会った、月下の夜に翼と死闘を繰り広げた、あの公園の入り口だ。

 

「雪音」

 

 Dホイールを降りて路肩に停める。そのまま入口で立ちすくんでいる彼女に呼びかけた。

 

「……」

「…大丈夫か?」

 

 彼女は答えず、入口付近で動かずにいた。近付こうとすると、彼女の肩が強く揺れた。向こうは気配で俺が歩み寄ろうとするのを察していた。これ以上は近付けない。そう思った時、彼女の小さな背中越しから、憮然とした声がした。

 

「来るんじゃねえ…」

「……分かった」

 

 冷静に努めて言った。街中は午後の喧騒で、一際賑やかだったが、ここまで来ると人通りも少なくなってくる。緑化された自然公園の芝と、舗装された道路のコンクリートが、俺達二人を分ける境界線だった。

 

「来るなって言ってんだよ……」

「放っとけないと言っただろう。大丈夫だ、ここから先へは行かない」

「屁理屈言うな……どうせ捕まえる為なんだろ」

「そうじゃない」

 

 首を振って否定した。それならとっくに応援を呼んでいる。彼女もそれを分かっている。それなのに俺達が互いに距離を詰められないのは、彼女の心が恐れているからだった。繋がりが断ち切られること…裏切りを。

 

「じゃあ何しに来たんだ」

「君がこのまま何もしないというなら、俺も何もしない。ここから動かずにいるだけだ」

「ふざけんじゃねえ」

「ふざけてなんてない。俺なりに、覚悟を決めて来たつもりだ」

 

 ギリッ、と雪音の拳が握られた。振り返って飛びかかられるのを一瞬想像したが、彼女は静かにその場で佇んでいる。彼女の心と体にこびりついた記憶と痛みが、頭の中を支配している。その生涯に何があったのか、今の俺では知る術はない。

 

「何なんだよ、お前」

 

 振り返って、俺を凝視する。握りしめた拳から、僅かに血が滲む。自己を傷つけなければならない程に、彼女の葛藤は深く、溜めこまれた膿は大きい。

 

「怒りもしねえ、わめきもしねえ、怒鳴りも、泣きも、口も利かねえで……なんでだよ……もう、意味分かんねえ……」

 

 以前にも何度も見た。響に向けられた、やり場のない憎しみと怒りと悲しみの目。

 

「何か言うなら言えよ。あいつみたいに説教かますならかませよ……腹で笑ってんなら、腹抱えて笑えよ……鏡みたいに居られたって…ッ」

「雪音」

「っ、なんだよ…」

「さっき店で言ったのが、俺の答えだ」

 

 ビクリと、雪音の身体が再び震えた。

『何がしたいのか』……雪音にも届いて欲しいと願ったことだった。何の為に生きるのか。それさえ見失わずに生きることができれば、やり直すことは決して不可能ではない。俺の身の周りには、そうして人生を切り拓いた者たちが大勢いる。

 

「でもそれは、君が答えを出さないと、意味がないんだ」

 

 鏡……そうかもしれない、と俺自身も彼女の言葉に何処か納得していた。俺は彼女の鏡であるべきなのかもしれない。喀血の咆哮…それは俺が立ち入れない心の領域だ。どんなに消したとしても、油断すればすぐにまた顔を出してくる。心の闇は、最後は自分自身で打ち克つしか方法は無い。だがその為には、その闇の根を全て吐き出さないといけない。

 

「君がやりたいことを、君は自分で探すべきなんだ」

「アタシは……」

「……」

「アタシは、お前らに酷いコトしたんだぞ…」

「ああ…そうだな」

 

 鏡、と言うのは的を射ていた。彼女はノイズを使役し、何の罪もない人々を襲った。それは事実だ。幾らキレイゴトを並べ立てても、それは消えない。響の涙も、痛みも、小日向の苦悩も。だがそれは、彼女の痛みだって消えていないという事だ。だから、彼女だけがこの場で動けないなんてことは、本当ならあっちゃいけない。

 

「でもそれと、君の想いは関係ない」

 

 また壊すならば俺が立ち塞ぐ。壊されそうになるなら俺が守る。それ以外の答えを見つけて、彼女の手が届かないこともあるだろう。俺はその為に戦おう。そして俺は一人ではないのだ。響がいる。小日向がいる。そして、翼も。

 

「関係あるだろ……だって……」

「……」

「こんな、バカみたいな夢見るから……だから」

 

 地面を蹴り、一直線に雪音は俺に向かって飛びかかった。街路と天然芝の境に俺たちは立って向かい合う。そして雪音の拳が開け放たれ、俺の服をおもむろに掴み上げた。

 

「そんなんだから! だからパパとママは死んだんじゃねえかッッ!!」

 

 血走った目で俺を睨む。滲んだ涙を爆発させて、とめどなく溢れる想いを言葉にして、俺へと叩きつけた。奔る悲鳴はこだまとなって、虚しく空を引き裂きそうなほどに激しく、狂おしかった。本当に何もかも引き裂けるのならここで引き裂きたいだろう。狂いたいなら狂いたいだろう。だがそれでも変われない。誰もかれも、世界さえもが、彼女にとっては残酷で。

 そしてそれは、正真正銘の真実だった。

 

 

『日本政府、特異災害対策機動部よりお知らせします。ノイズが、発生しました』

 

 

 背中が総毛立つ感覚。街に備え付けの白いスピーカーから流れる無機質な声のアナウンスは、かつて俺が味わった恐怖を蘇らせた。

 

「えっ…」

「なっ…」

 

 俺と雪音クリスは同時に凍りついた。まるで狙い澄まされたような一瞬だった。俺達の思考がまとまらずに混乱と言う怪物に陣取られそうになる時を狙って、この怪物は現れた。もし偶然ならば、この采配は悪魔によるものだ。

 

『繰り返し、お伝えします。先程、特別避難警報が発令されました。直ちに最寄りのシェルター、又は避難所に退避してください。繰り返します……』

 

 続けざまに響き渡る街の警戒警報。同時に、街の喧騒は徐々に変わり始めていた。

 

「きゃあああああっっっ!!」

「ノイズが来るぞッ!」

「逃げろ! みんな逃げろー!」

 

 気怠げな昼は一気に恐怖とパニックに包まれた。あちこちから悲鳴や怒号が聞こえ始め、それに呼応するように無数の振動やサイレン、果ては何かが落ちる音や鈍い轟音さえも遠くから発せられた。同時に停めてあるDホイールからけたたましく鳴り響くアラーム。俺は戦慄した。

 

『遊星君! 遊星君聞こえるか!? 応答してくれ!』

 

 Dホイールの警報音から音声に切り替わり、そこから弦十郎さんの声が聞こえてくる。急いで愛機の元まで駆け戻って、スイッチを押した。

 

「俺だッ」

『遊星君、大丈夫か!? さっきから何度も通信を入れてたんだぞ!』

 

 俺は歯噛みした。端末の電源を切っていたことが、こんな所で裏目に出た。無論覚悟の上の行動だった。そうしなければ雪音クリスに歩み寄ることは無理だった。だが弁明している時間もそもそも説明している余裕もない。

 

『今どこにいる? 君はリディアンじゃないのか?』

「すまない、事情は後で話す。それよりこの警報は?」

『ノイズが出現した。市街地を取り囲むようにして、中心に向かって侵攻中だ』

「なんだってっ!?」

 

 非常事態故に、弦十郎さんは俺に多くを聴かなかった。しかし次にもたらされた情報を裏付けるかのように、街の方から聞こえる悲鳴は徐々に大きさを増していく。

 

『恐らく、雪音クリスを炙り出す為の大量投入かもしれん』

「雪音、クリスを…っ?」

『人的被害こそ出ていないが、このままじゃ避難が間に合わんッ。最悪の事態も覚悟する必要がある』

 

 緊迫した司令官の声。俺はコンソールを操作してマップ画面に切り替えた。同時にセンサーを二課本部と同期させると、ノイズのマーカーが多数、出現した。彼の言うように都市部をぐるりと取り囲んで赤色の光点が点在していた。

 

(彼女一人を探す為にこれだけのノイズを…!)

 

 つまり街にどれだけ被害が出ようと敵はお構いなしと言う事だ。怒りと共に恐怖を感じた。あのフィーネと言う女が、うすら笑いさえ浮かべながらこの強攻を行っているように思える。

 

『遊星君、急いで響君と合流してくれッ。翼も今は前線には…』

 

「アタシ…を…?」

 

 隣でザリッと、砂利を踏む音。見るとそこには、顔を真っ青にさせてこちらを見ている雪音の姿があった。

 

「…雪音」

「ノイズが……アタシを狙ってんのか?」

「っ、それは…」

「これ…全部、ノイズかよ…あいつが……フィーネが、アタシを…」

 

『遊星君? 近くに誰かいるのか?』

 

 ガクガクと足を震わせて、彼女が俺を見る。俺を睨み付けた怒りと悲しみの涙は、今は全く違うものへと変わり始めていた。しかし俺は彼女の肩を掴み、揺さぶりながら呼びかけた。

 

「雪音、しっかりするんだッ」

「アタシのせいで……アタシを狙って、関係ない奴らまで…!」

「違う! 君のせいじゃない!」

 

 咄嗟に叫んだ。この子の罪と今のノイズは関係ない。だが状況がそうはさせてくれなかった。弦十郎さんの冷静なオペレートが、逆に事実に裏がないことを明白にさせた。さっきまであった雪音の中の怒りは消滅し、代わりに溢れてくるのは焦りと恐れ、そして罪悪感だった。

 

「シェルターまで急ぐんだ!」

「早くしろ殺されるぞ!」

「わあああんっっ! どこぉ!? お母さん! お母さぁん!」

 

 怖気と寒気を増幅させる大声。

 人々の嘆きが、雪音の心へと突き刺さる。止めろ、止めてくれ…! 俺は心で必死に叫んだ。時を止められる魔法カードでもあればどれだけいいかと俺は嘆きたかった。だがそれ以上に傷付いているのは、この子の方だった。

 

「何でだよ…どうして、こんな……」

「しっかりするんだ。それより今は」

「アタシは…アタシは、ただ…」

「雪音!」

 

 ふっと身体中から力が抜けて雪音はその場に座り込む。必死に起こそうとするが、彼女の絶望は俺が考えるよりも深かった。鉛のように固く重くなる雪音の身体と心。しかし敵はそれを待ってはくれない。何故なら、この瞬間を敵は待ちわびていたからだ。

 

「っ!?」

「しまったっ…!?」

『遊星君、どうした!?』

「ノイズだ!」

 

 再び鳴り響く警報音。急ぎ振り返ると、ヒューマノイド型が4つ、街角や建物の隙間から這うように出現し、こちらを視認していた。俺は急ぎDディスクを起動しようとする。しかし奴らは俺達の姿を確認するや、一直線に向かってきた。

 

「雪音、急いで逃げろ! 奴らはお前を狙ってる!」

「……アタシ、を…」

 

『デュエルモードオン マニュアルモード・スタンバイ』

 

「早くするんだっ!」

 

 腕のデバイスを差し込み、画面を切り替える。その瞬間も奴らは距離を詰めて接近してきた。起動が完了するまで僅かに時間が掛かってしまう。しかしこの距離ではノイズが俺達に攻撃を仕掛ける方が速い。

 その時、雪音がふらりと体を起き上がらせていた。

 

「ふざけんじゃねえ……!」

 

 いつしか、彼女の震えは止み、代わりに新たな怒りが身体中から迸っているのを感じる。ノイズたちを睨み付けながら、雪音は叫んだ。

 

「アタシが狙いなら、アタシを狙えよ!」

 

 無機質な殺人兵器に向かって、雪音は感情をぶちまけた。奴らは意に介さず進んでくる。だが最早雪音の心は激しい炎が渦巻いていた。

 

「来いよ…来いよ! アタシはここだぞ! ぶち殺せるなら殺してみろよ!」

 

 そう雪音が咆えた瞬間。

 

「っ!?」

「雪音!」

 

 雪音が大通りまで走り始めた。次の瞬間、ノイズ達が一斉に彼女へと直進した。そのまま形状を細く槍のように硬質化させて、矢のように飛び込んでいく。その狙いは正確で、確実に雪音の胸元まで突き進んだ。

 

「雪音ッ! 躱せっ!」

 

 無論、雪音は構えて敵を迎え撃とうとしている。だが不可能だ。聖詠を唱え終わるまでに、ノイズが向かってくるスピードの方が遥かに早い。彼女もそれは分かっていた。ペンダントを構え、シンフォギアを身に纏おうとするが、それよりノイズは確実に彼女との距離を詰めていく。

 

「雪音ッ!」

 

 這いよる死の予感。今まで在ったどの敵よりも、いつの瞬間よりも鮮明で確実と思われたそれは、俺の思考を一瞬真っ白にしてしまった。悔しさと情けなさが噴き出して駆け巡る。こんな所で……どうしてこんな中途半端で終わらなければいけないのかと、頭では分かっていても口に出せない。もどかしさが口から吐き出る前に、ノイズは直撃を……

 

 

『「遊星君、伏せろ!」』

「なっ!?」

「おおおオオオオオオッッ!!!!」

 

 

 しなかった。

 

「せいやああああっっ!!」

 

 咄嗟にしゃがみ込んだ俺の脇を稲妻がすり抜けた。風よりも速く、砲弾よりも重い。現れた『それ』は、あっという間に雪音クリスへと近づくと、彼女を守るように眼前へと立ち塞がった。そうして獣の雄叫びと共に、巨大な拳が唸りを上げた。

 

「弦十郎さんっ!?」

「でやああああっ!!」

 

 裂帛の気合と共に、突如現れた機動部二課の司令官は、丸太の様に太い腕を地面に突き刺す。瞬間、周囲のアスファルト舗装の道路が、まるで砂場で子供が作ったお城のように、弾け飛ぶ。

 

「なにっ!?」

「むうんっ!」

 

 驚愕する俺をよそに、弦十郎さんは続けざまに、その腕よりも巨大な両足で地面を踏みつける。響との修行でも見た、『震脚』と言う中国拳法の動きだ。しかし彼の操る技は響とは比べ物にならなかった。

 

「喝ッ!!」

 

 踏みつけられた地面は、畳返しの様にめくれあがって、彼や雪音クリスとノイズを阻む壁となって機能する。次の瞬間、硬質化したノイズが次々とアスファルトに直撃して。塵芥のように削れ、弾けたように散っていく。雪音に襲い掛かろうとしたノイズの一陣が霧散した。

 

「……これは…!」

「今だっ!」

 

 目の前の出来事に圧倒されていた俺だったが、弦十郎さんの叫びを受けて我に返る。彼の前に、はじ弾かれたノイズはすぐに地面から起き上がると、形状を人型に戻し、突撃しようとしている。その時、俺のDディスクも起動完了を告げるモーメントの回転音が響いた。

 

『モーメント・アウト』

 

「スピード・ウォリアーを召喚!」

『ハアアッ!!』

「行けっ! ソニックエッジ!」

 

 カードを叩きつけるようにセットする。遊星粒子が輝き、他の物質と結び付けて俺のモンスターを実体化させる。出現したスピード・ウォリアーは、一目散に前方の敵ノイズへと突撃する。

 

『トアアッ!』

 

 駿足の蹴りを繰り出し、今まさに攻撃しようとしていたヒューマノイド型は対応できない。たちまち回し蹴りが胴体に直撃し、ノイズは一気に炭の塊と化していた。その後も瞬く間に敵に高速連撃を繰り出し、4体はあっという間に蹴散らされていった。

 

「弦十郎さん! 雪音!」

 

 襲ってきたノイズが全て消滅したことで、幾ばくか余裕が生まれる。僅かに安堵した俺は、二人の元まで駆け寄った。アスファルトがめくれあがりボロボロになった道路で歩き辛かったが、何とかなる。

 

「雪音っ! 無事かっ!?」

「……う、うん」

 

 彼女の肩を掴んで確認した。埃が服についているが、外傷はない。雪音も俺の行動には何も言わなかった。目の前の出来事に目を奪われている様子だ。俺も改めて周囲を確認し、そして唖然とする。そのすぐ隣で、この攻防を制した男が一人、山のようにそびえ立って俺達を見下ろしている。

 

「間一髪だったな」

「弦十郎さん…」

「無事で何よりだ、二人とも」

 

 顎髭を生やした強面の大男は、何も言わずに今まで通りの厳格な面持ちで俺達の無事を確認している。未だに警戒警報が鳴り響く中で、いつの間にか人々の悲鳴は下火になっていた。

 戸惑いを抑えきれなかったが、どうにか弦十郎さんと周囲を見渡し、そして現状を認識することに成功する。

 

(これを、この男がやったのか)

 

 唖然とする。この世界に来て、一番の衝撃だ。

 

『翼さんの必殺技を一瞬にして止めて見せたことがあるんです。素手で』

 

 あの時、響に言われたことを俺は信じがたいと一蹴してた。しかし、現実に見せつけられては信じるしかない。

 

(これほどの手練れとは……)

 

 不可能ではない。人体も鍛えれば物理現象を応用し、大地に大穴を開けることが可能だという。そして普通の人間でありながらノイズにダメージを与える……この行為が如何に神懸かっている事か。

 ノイズに攻撃が通用しないのは、奴らが『位相差空間』という端的に言えば異次元空間に跨って存在しているからだ。出現時のノイズが幽霊のように半透明で明滅しているのは現実の空間に於いて存在が不確かなためだった。奴らは攻撃をする瞬間にのみ、現実世界に出現する。故にこちらから攻撃を仕掛けてもすり抜けるか、当たっても殆ど損害がない。

 しかしその攻撃の瞬間を見切り、ほぼ同時に衝撃を与えることができれば、物理ダメージは100%相手に伝導し、破壊することができる。

 しかしそんな芸当は正に机上の空論だ。だからこそシンフォギア以外に対抗手段は無いとされ、デュエルモンスターズの精霊の存在は彼等にとって衝撃的だったのだ。

 

(言葉がない)

 

 賞賛すべきか、驚愕すべきか、あるいはこんな事態でなければ追求すべきなのか。いずれにせよ言葉を失っている時点で、俺はまだ混乱から抜け切れていないのかもしれない。

 

「遊星君ッ」

「あ、ああ…!」

「大丈夫か? 何処か負傷を…」

「い、いや大丈夫だ。問題ない」

 

 詰め寄られて、慌てて俺は首を振った。いけない。今はこの状況を何とかしなくてはいけない。急いで思考を切り替えた。

 

「なら良かった。友里、俺だ。遊星君の無事を確認した。直ちに響君との連絡を取ってくれ」

『了解』

「藤尭は、避難誘導と一課への連携を頼む」

『今進めてますよッ』

 

 弦十郎さんが二課のオペレーター二人に指示を飛ばしている。この現場の混乱の中にあっても、指揮を一々入念に飛ばすあたり、指揮官としての有能さがずば抜けていることが窺えた。

 その時、視界の端に、雪音クリスの姿が映る。

 

「……」

「雪音…」

 

 彼女は茫然と今の出来事を見送っていたが、それでも俺と同様に時間が経つにつれ、事態を把握しつつある。俺は振り返って弦十郎さんを仰ぎ見た。

 

「雪音クリス、だな…」

「アンタは……」

「俺は風鳴弦十郎。二課の司令官で、君を探していた」

「なっ…!」

 

 瞬間、雪音の眼光が鋭くなる。自分から正体を明かすとは…! 俺も一瞬驚愕したが、この状況では却って伏せておくよりも雪音は安心できるかもしれない。今はともかく彼女のと争っている場合じゃないからだ。

 

「弦十郎さん、今は…」

「分かっている。まずはこの場を切り抜けよう。遊星君、あとで話を聞かせて欲しい」

「……すまない。俺は…」

「気にするな。言っただろう、『押し通すべきものも、確かにある』と」

 

 巌の如き男が、俺の肩を掴む。そのままニカッと笑った。俺の中で、熱い闘志が沸いてくる気がした。

 すると弦十郎さんは、今度は雪音クリスへと向き直り、ゆっくりと彼女へ一歩近づく。雪音も最初は怯むものの、彼の怒気も殺気もない雰囲気に、強引な行動はとらなかった。

 

「雪音クリス君。見ての通りだ。今街中がノイズで溢れかえっている」

「……」

「ノイズは市街地の外縁部に出現し、徐々に輪を狭めるようにして移動している。このままでは被害は増える一方だ」

「やっぱり……アタシのせいなんだな」

 

 再び湧き上がる、自分が招き入れたのかと言う恐怖。罪の意識が取り巻く前に、俺は雪音を再び揺さぶって打ち消そうとする。ここまで来ると、敵は雪音の想いを敢えて逆手に取ったのではないかと言う気さえしてくる。彼女の純粋な想いも利用したのだとすれば、余りに狡猾だ。

 だがそれを検証する間もない。敵は次の手を打っていた。

 

「…どうやら話は後回しになりそうだッ」

「っ…っ!?」

 

 Dディスクから聞こえる甲高い警告音。ノイズを感知するセンサーだ。振り返ると、元来た商店街のビル群の隙間や、マンホールの内側、果ては上空。大小様々な形が入り乱れて、影は出現してくる。次々と新しいノイズが出現して、俺達を取り巻いていった。かなりの大群だ。

 

「まだ出てくるのか…!」

「どうやら狙いを俺達に絞り始めたようだな」

「チクショウ…」

 

 拳を握りしめる司令官。敵は何らかの手段で俺達を突き止め、目標と認識しているようだ。しかしノイズにそんな機能は確認されていない。どこかに操り手がいるというのか。弦十郎さんをちらりと見るが、彼も首を僅かに横に振る。この辺りに怪しい気配は無いらしい。

 

「遊星君、雪音クリスを連れ、郊外までDホイールを走らせてくれないか」

「えっ?」

「…どういうことだ?」

「敵は何らかの手段で、雪音クリスを特定して狙い撃とうとしている。それを逆手に取り、奴をおびき出して一気に殲滅する」

 

 ノイズを睨み見つけたまま、弦十郎さんは作戦を淡々と伝えた。確かに敵の数が多い以上、それが最も効果的だろう。しかし……俺はDディスクに表示されたマップを見た。未だに敵は広範囲に点在している。徐々にこちらに集結しつつあるが、まだ避難も完了していない。それでは逃げ遅れた人間の対処ができない。

 

「響君にもすぐに連絡する。あとはフォニック・シンクロで勝負をつけてくれ」

「だがそれでは、逃げ遅れた人々が」

「心配するな。緒川達が動いている。未だにシェルターまでいけない人間は俺が対処する」

「弦十郎さんが…」

「大丈夫だ、十人くらいなら抱えて跳んでみせるさ」

 

 この男が言うと本当にやりかねない。先程の戦闘を見て思う。しかしだ。それでも危険は付きまとう。もしノイズを捌ききれずに一瞬でもノイズと接触してしまえば彼と言えども対抗手段はない。

 

「それは危険すぎるッ」

「だが、他に手段は無い」

「しかし…」

 

 食い下がろうとする、その時だ。

 

「おい」

 

 ジャリ、と砕けたアスファルトを踏みしめる音。

 

「アタシを無視すんな」

 

 雪音クリスが、俺達を押し退けるように進み、ノイズの前に立つ。小さな身体を震わせながら。

 

「雪音…」

「コイツらはアタシがやる」

 

 冷徹に言い放った。先程流していた悲しみの涙で、目が真っ赤に充血している。その赤色を怒りの炎を彷彿とさせる怒りの業火へと変えながら、彼女は前へと進んだ。この時、この子の中では何かが変わりつつあったのだ。

 

 

 ―Killter Ichaival tron

 

 

 瞬間、開け放たれるのは、人の域を超えた神へと至る階段。無理矢理にこじ開ける素質を持った者は、その胸に宿る歌を口ずさむことで、太古から受け継がれる未知の力を呼び覚まし、借り受けることができる。

 それが聖詠。それがシンフォギア。

 

「コイツらはアタシの獲物だ。テメエらはとっとと消えろ」

「雪音、まさか戦う気か?」

「アタシを狙ってんだろ。だったら望みどおりにしてやるよ。そっちはそっちで勝手に動きな。ただし邪魔したら撃ってやる」

「止せ、君は怪我をしている筈だッ」

「うっせえッ」

 

 こちらを振り返ることなく、雪音は答えた。そのまま両腕の手甲が変形し、真紅のボウガンとなって両手に装備された。武器を眼前のノイズへと構えながら、雪音は俺達へと言い放つ。

 

「余計な心配してる場合かよ。まだノイズが残ってんだ、四の五の言わずに行きやがれ」

「……」

「また『放っとけない』とか言ったら許さないからな」

「……遊星君」

 

 戸惑う俺の肩に、弦十郎さんの手が載せられた。

 

「ここは彼女に任せよう」

「だが…」

「君は響君と合流し、ノイズを撃破してくれ。彼女は俺が付いてる」

 

 腕に力が籠められた。それは世界の違いや上下関係を越えた男の言葉だった。子の強者の言葉を今は信じるほかは無い。この混乱の状況の中、少しでも生き残るには、仲間を信じること。そして、自分に出来る事を尽くすことだけだ。

 

「…分かった。ここは任せる」

「ああ」

「雪音、この人は信用できる。この場は…」

「邪魔しねえなら何も言わねえ……んだよッ!!」

 

 間髪入れずに雪音はボウガンを引き絞った。放たれた光の矢は一直線に近づいたノイズの数体を撃ち抜いた。続けて腰部のアーマーを変形させて多弾頭ミサイルを解放。そのまま全弾を一気に発射する。

 爆音が乱れ飛び、辺りは土煙が立ち込め始めた。

 

「いいから早く行け!」

「遊星君、今だっ!」

「すまない、弦十郎さん! ……無理はするなよ、雪音」

「さっきの、美味かったよ」

「え?」

「オコノミヤキ……あいつが作った奴」

 

 もうもうと硝煙と吠えるようなガトリングの響いている中で、雪音の澄んだ声が耳に届いた。雪音は引かない。こちらをひり向きもしない。ただ一言を俺に発し、それ以降は無言でノイズと撃ち合っている。 

 

「……頼んだ」

 

 その言葉が、俺を前へと突き動かす。ノイズが砕け散り、正面が開けた。俺はその隙間を縫って走った。空中から出現したノイズは雪音の放ったミサイルによって撃ち落され、横っ腹から急襲するノイズを、先程のように弦十郎さんがアスファルトを裏返して凌ぐ。この時間稼ぎの間に、俺はDディスクをDホイールにセットし直した。

 

『モーメントイン』

 

 ガイダンスボイスが流れ、遊星粒子が回転を始めた。即座にエンジンは連動を初めて、エネルギーが各部へ伝達される。メットを被ると、バイザーを下げ、クラッチペダルを踏んだ。

 

「響君はリディアンから向かっている。まずは彼女と合流してくれ!」

「分かった!」

 

 マシンを加速させて、二人がいる方向とは真逆へと走る。激突するノイズの大群と雪音。弾丸の発射音と炸裂音は、マシンの音を掻き消してくれていた。時刻はいつしか4時を回ろうとしている。

 俺は急ぎ、Dホイールのコンソールを叩き、画面を操作した。

 

 

「こちら遊星だ。響、聞こえるか?」

 

 

 すぐに響と通信を繋ぐべく、連絡の画面を連動させ起動させる。そこから彼女を呼び出して、方針を共有させようと思った。

 しかし……

 

「響? おい、響、聞こえないのか?」

『……』

「響! 響!」

 

 何も聞こえない。それどころか、通信が全くつながらない。電源をオフにされているか、あるいは通信そのものを妨害されているかもしれない。それの背中に冷たいモノが再び走る。何度も呼びかけても、返ってくるのは沈黙だけだ。

 街の怒号と悲鳴はいつしか完全に止み、俺がノイズを振り切る頃には、恐ろしい程に静かとなっていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 

「はあ! はあ! はあ!」

 

 気付けば、時計はもう4時を過ぎていた。誰もいなくなった街中を、私は走る。走る。走る。人のいない街並みは、まるで不気味な箱の中だった。時折風が吹いて、落ちている空き缶やペットボトルなんかが、看板や乗り捨てられた自転車に当たって固い音を立てる。その度にビクリと肩を震わせるけど、ノイズがいない事を確認して、また走り出す。

 

(落ち着け…落ち着け…!)

 

 深呼吸して、辺りを見渡す。

 商店街の外れの方向まで辿り着いた。ここまで来ると、もう丘を越えて山へと向かう坂道へと続く。見たところ、ノイズで人が炭化した様子でもない。私はここに目的が無いことを悟って安心した。

 

「…未来」

 

 ぎゅうっと胸が押しつぶされそうになる感覚を抑え込みながら、私は辺りを見渡しながら走り続ける。

 大丈夫、未来が街にいるって決まった訳じゃない。今、悪い方に考えたって何にもならない。

 

(未来……待っててね!)

 

 私、話したい事があるから。その誓いを胸の奥にしまいこんで、もう一度前を向こうとする。

 その時だ。

 

『響ちゃん、聞こえる?』

 

 私が待ち望んだもう一つの声が、端末から耳に届いた。

 

「友里さんですかっ?」

『今、司令が遊星君と連絡を取ってくれてるわ』

「本当ですかっ!?」

 

 私は思わず叫んだ。

 

「遊星、無事なんですか?」

『ええ、大丈夫みたい。商店街を抜けた、大通り辺りよ。端末の電源を切ってたみたい』

「よかったぁ…!」

 

 自然と私の声は大きくなった。すぐに遊星と合流して、ノイズを倒しにいく筈だったんだけど、何故か遊星と連絡が取れなかった。

 

「け、けど、端末切ってたって、どういうことですか…?」

『その辺りは本人からゆっくり聞いてちょうだい。今はまず彼と合流して、ノイズを殲滅しましょう』

「は、はいっ! 分かりました!」

 

 端末を取り落しそうになったけど、すぐに立て直す。

 そうだ、今は細かいことを気にしている場合じゃない。私は気を引き締め直して、前を向いた。とにかく、遊星と合流しないといけない。

 

『そこから直進すれば、Dホイールの反応とは目と鼻の先よ。二人で集まったら、移動先を指示するわ』

「お願いします!」

 

 力強く応えて、前を向いて私は再び前進する。

 西日が強く光った。もうすぐ夕焼けになろうとしている。いつの間にか、風は止んで、街の姿は見る影も無く静かだった。

 

 

 ──―ゃぁっ! 

 

 

 思わず立ち止まる。一瞬喉が詰まって、その後一気に空気が流れ込んだ。僅かに上がった自分の息を整えながら、私は右を向く。

 

「……今の」

 

 ゆっくりと辺りを警戒しながら、通りに並んだ解体工事中のビルに近付いた。ビル自体かなり古くて、鉄筋が剥き出しになっている。

 

(まさか)

 

 私の背筋を冷たいものが走った。気持ち悪い……お腹の中身をごっそりと抜かれていく感じがする。

 

『響ちゃん、どうしたの?』

「……ごめんなさい、ちょっと切ります」

『え、ちょっ』

 

 しまったと思った。慌てて切ったけど、事情を説明するんだった。今からでも繋ぎ直して、調べてもらおうか。

 ……でも、どうして友里さんは何も言わなかったんだろう? ノイズがいるなら教えてくれる筈なのに……

 不安と疑問を残して、私はそのままビルの中に入った。なんと言うか、ここで通信をしちゃいけない気がした。

 

「……」

 

 ビルの中は冷たい空気が流れていた。

 地下にまで階があった建物は、解体で中身をごっそりと真ん中まで全てくり抜かれてる。

 入った瞬間、階下に大きな穴が開いていたのが見えた。もう殆ど解体が終わってて、空が見えるくらいだった。作業用に残してある階段を伝って私は下に降りる。

 

「……誰かッ」

 

 思わず、咄嗟に声を張った。

 けれど聞こえてくるのは私の声の反響だけ。

 

「誰か! 誰かいませんかぁーっ!」

 

 もう一回、声を張り上げて尋ねる。

 私の間違いだったんだろうか。でもさっきの悲鳴は何だったんだろう? 

 

(ひょっとして、ノイズがここにいた人を襲って……)

 

 それならノイズも一緒に炭になるから、友里さんにも反応は分からなくなるし、悲鳴の元になった人も返事は出来ない。そう思った時、僅かな振動で私の足元がぐらついた。咄嗟に上を向いた。

 

「……ぁっ!!?」

 

 叫び声を必死に抑え込んだ。

 

(ノイズ!?)

 

 金縛りにあったみたいに一瞬全身が硬直する。

 人型じゃない。タコやイカみたく何本もの足を生やした型だった。ウネウネと触手を伸ばしてボロボロになったビルの壁に張り付いている。私の身体は完全に不意打ち状態だった。

 

(こんなのが真上に…いけない! このままじゃ…!)

 

 息を吸い込んで、聖詠を唱えようとする……前に、私は正面へ飛んだ。次の瞬間、足元が崩れる。

 宙で身体を捻って受け身を取ろうとした時、さっきまで居た足場がボロボロになって砕ける様子が視界の隅に映ってゾッとした。もしシンフォギアを纏おうとしたら間に合わずに身体に穴が開いてたかもしれない。

 私の身体はそのまま自由落下してく。ビルに開けられた地下への穴は深く、そのまま5メートル近く下がっていく。地面に叩きつけられる直前に、私は思い切り床を横に蹴った。勢いを殺しながら転がるようにして何とか着地する。

 

(痛っ…!)

 

 とんでもない鈍痛が足の裏から全身に一瞬で伝わった。けど、思ったよりダメージは無かったように感じた。

 

「……」

 

 と、言うより感じる暇が無かった。

 

(早く! 早くシンフォギアを……ぅっ!?)

 

 上を向き、改めて聖詠を唱えようとした時。私の口元はいきなり横から伸びてきた何かによって遮られてしまった。

 

(だ、だれっ!?)

 

 頭が真っ白になる。

 次の一瞬で浮かんだのは、後で映像越しにちゃんと姿を見た『フィーネ』という金髪の女の人。

 

(まさか、まさか、これって…!?)

 

 罠かも。

 

(さっきの悲鳴って、まさかおびき出す為に!? 早く遊星を呼ばないと! でももし罠だったら遊星まで巻き込んだら…!?)

 

 色々な動揺が私の頭を一瞬で駆け巡っていく中で、私を抑え込んでいた手はグイと私の肩を掴んで、相手の方へと引き寄せられた。

 

(ゆっ…!?)

 

 鉄砲でも持った恐ろしい人たちが、私の頭に銃口を擦りつける様を想像して、身体中の力が抜けそうになった。

 

「……」

「……」

 

 いや、実際脱力してしまったのはホントだ。未来が、そこにいたんだから。

 

「……」

「っぃ…ぅ!?」

 

 名前を叫ぼうとすると、未来は鬼気迫る形相でこちらを睨んできて、私の口をもう一回塞いだ。ビクリと私の肩が震える。

 そのまま未来はシィー、と人差し指を唇にあてる。

 

「……ぇ?」

「……」

(声を、出すな?)

 

 その目はかつてない程に真剣だった。こくん、と頷くと、未来はゆっくりともう片方の手を私から離す。

 すると端末を取り出して、私に画面を見せた。

 

 

『静かに。あれは大きな音に反応するみたい』

(音?)

 

 口パクで尋ねる。こくりと、今度は未来が頷く。そのまま首で向こう側を指し示すから、私はゆっくりと振り返る。

 

(……あれ、動かない?)

 

 さっき私を狙ってきた巨大なタコかイカ型…みたいなノイズが、ビルの剥き出しになってる内側の鉄筋に絡みついている。けれど、それだけだった。じいっと動かないで、こっちを見ている様子もない。

 まるで何か探してるみたい……

 

(探す……そうか、クリスちゃん!)

 

 頭の悪い私だから気付けたのかもしれない。ノイズに考える頭は無いらしい。だったら音の探す方へ進めって言った方が単純で済むんだ。もしかすると、ノイズの反応が無かったのも、それに関係してるかもしれない。

 酷い…こんなの酷過ぎる…! 

 翼さんの言葉がようやく全部分かった。これを仕掛けた人は街の人間がどうなるとか、もう考えていない。

 

『端末の電波切って。着信鳴ったら気付かれちゃう』

 

 心をモヤモヤが支配しそうになったけど、未来の言葉で我に返った。言われて私は慌てて電波を切る。

 

『ここにいるの、私だけじゃないの』

(え?)

『あっち見て。アレに追いかけられて、ふらわーのおばちゃんとここに逃げ込んだの』

 

 端末に表示された文字。指示された手の指の先を見てギョッとした。

 確かにふらわーのおばちゃんだった。横たわったまま、動かない。気を失っているみたいだった。

 意識がない表情でも苦しそうなのが伝わる。

 

『私を庇ってくれたの。その時に、身体を強く打ったみたい』

 

 ノイズの特徴に気付いた未来は、助けが来るのを待つしかなかった。ううん、助けが来ても襲われるだけだから、それも出来ずに、一人で……。

 

(助けなきゃ……でも、どうしよう)

 

 下唇を噛んだ。

 

(シンフォギアを使うなら歌わないといけない。でも、歌ったら気付かれちゃう……)

 

 私が外まで出て、声を出しておびき寄せる? 駄目だ、この建物で迂闊に動いたらそれだけで大きな音が出る。周りにいる未来やおばちゃんが巻き込まれる。

 

(何とかしなきゃ……シンフォギアを使えて、未来たちを巻き込まないで倒せる方法…!)

 

 焦るばかりで時間がどんどん過ぎていく。

 

(こんな時に遊星がいてくれたら…!)

 

 電話でここを教えようにも、端末の電源を切ってる。師匠や二課の知ってる人にメッセージを送る? でもそれじゃあ、幾ら時間が掛かるか分からない。その間、何の音も出さずに隠れていられる? 

 

『響』

 

 とんとん。

 私の肩を細い指が叩く。焦るばかりで不安に取り込まれそうになった私を、未来が真剣な顔で覗き込んでた。

 

「……」

 

 未来は暫くじっと私を見つめて、けれど決心したように何かを端末に打ち込んだ。

 そしてそれを見せる。

 

 

『私が囮になってノイズの気を引くから、その間におばちゃんを助けて』

 

 

 私の顔は凍りついた。

 最初、言った事が分からなかった。

 けど未来の顔を見て、これが嘘偽りじゃない事を知った。

 

『そうしたら戻って来て欲しいの』

「…っ」

『駄目だよ。そんなのさせられない』

 

 急いで自分の端末に打ち込んで伝える。

 

『助けが来るまで待とう? 遊星が来るから、それまで待ってて』

『でもそれじゃあ、いつになるか分からない』

 

 その未来の返事に私は何も打てなかった。それでも、私はこれを『ハイそうしましょう』って呑み込む勇気が到底無かった。

 

『やっぱり駄目だよ。そんなの危険すぎる』

『分かってる。でもこれが一番いいと思うの』

『良くない!』

『元陸上部の逃げ足だから何とかなるよ』

『何ともならないよ!』

 

 飛び付きたい衝動を堪えた。

 でも未来は決して折れない。目は揺るぎない。全部を知って、それで呑み込んだ目だった。こういう顔をした未来は、何があっても、絶対に曲がらない。

 

『お願いだから止めて』

 

 こみ上げる想いを抑えて必死に伝えた。

 

『未来がいなくなるの、もうイヤだよ』

「……」

 

 そんな想いを込めた文字に、未来は暫く返事を躊躇う。分かってくれたと思った時だった。

 

『じゃあ響が何とかして』

(え?)

『危険なのは分かってるよ。だから響にお願いするの。私の全部を預けられるの、響だけだから』

 

 文字を見た。

 心臓が止まりそうだった。

 どうして、そんなこと言うの? 

 

『不動先生がね、言ってたの』

 

 目に涙が浮かんだ。

 私じゃない。

 未来が、身体をカタカタ震わせて。恐怖で動けなくなりそうになっても、それでも私の『陽だまり』は、怖さを勇気で押しのけて、足に力を込める。

 

『『小日向はどうしたい?』って。ずっとそれ考えたんだ』

 

 未来が微笑を浮かべ。

 

『響と一緒にいたい』

 

 心を明け渡した。

 

『だからこれ、先生に渡して』

 

 勇気と、絆を織り交ぜて、丁寧に言葉で封した、それは誰にも言えない隠し事の気持ち。

 

『これ、前に言ってたよね。先生の失くしもの』

 

 コレ、は……

 

『大事な物なんだね。何となく分かるよ。だから響が渡してあげて』

 

 やめて。まるで最後みたいだから。

 

「……」

 

 ぎゅっ。と、手を握った。

 最後のワガママだった。そんなもので止まらないと分っていても、それでもせずにはいられなかった。

 

「私……ね」

 

 ぽつり。と、未来が囁いた。

 私の耳に、悲しくて優しい声がする。

 

「響に酷いことしちゃった」

 

 握った手が熱くなる。未来が握り返してた。

 

「許してもらおうなんて思わないよ……でもね」

 

 もう未来は恐がってなかった。

 それでようやく思い出した。

 

「それでも一緒にいたいの」

 

 前にも未来が微笑んだのは、私の隣に居ると言ってくれた時だった。

 

「私だって戦いたい」

「ダメだよ……」

「やりたいことをやりたいから」

「ダメ…未来…」

「響一人に背負わせたくないから」

 

 それだけを親友が告げた。そして追い縋ろうとする気持ちが出る前に、もう未来はスタートラインに立っていた。

 

「私……!」

「みっ…」

「私! もう迷わないからッ!!」

 

 未来が端末を放り投げた。それが合図となった。

 カァンと甲高い音を立てて、反響音が散らばる。ノイズの足が一斉に辺りを調べ始めた。

 瞬間に未来はスタートを切る。投げた方向と逆に向かって走り出した。地下にはもう一方の出口があって、私が来たのと逆方向の通りに面している。そこへ向かって走り込んだ。

 

「…っ!」

 

 叫ぼうとして、止まった。今私が叫んだら、未来が走った意味が無駄になる。

 

「こっちよっ!!」

 

 出口付近に近づいたところで、未来は思い切り叫ぶ。

 最初の反響音で足音を掻き消されて、目標を見失ったノイズは、ようやく気付いた。追いかけようとするけど、未来はもう出口を抜けていた。

 

「はあ! はあ! はあ!」

 

 未来が出口にいたままと勘違いしたノイズは実体化したまま体当たりした。轟音を立てて入口が抉れる。手ごたえが無いと判断したノイズは、そのまま建物の外まで消えていく。

 

「み、未来……っ!」

 

 ドクン、ドクンと、心臓の音が今になって激しく脈打つ。

 

 

「……え」

 

 

 迷わない。彼女はそう言った。その思いに応えて、カードが目を覚ます。

 

『歌うんだ』

「カードが…」

『俺は信じてる。君達の絆を』

 

 頭に直接伝わる、この声は…

 幻じゃない。

 いつか夜の草原で聞いた、あの声。遊星の叫びと私の気持ちに答えてくれた、精霊の呼び声だ。

 

「………ターボ、シンクロン?」

『そうだ。俺をマスターの元へ連れていってくれ』

「遊星の…」

『俺が力を貸す。だから君は歌うんだ』

「っ!!」

 

 カードが光り輝いた。指に力が籠もる。光は私を取り巻いて、温かさを灯してくれた。そうだ。これは……絆だ! 

 未来が渡してくれた、ずっと守ってくれていた、私の想いだ! 

 

 

 ―Balwisyall Nescell gungnir tron―

 

 

 胸の中に、灯った熱は炎になる。

 死なせない。守ってみせる。決してもう、失うものか。

 この熱き想いよ、歌となれ。そして私と皆を、どうか繋いで欲しい。もし繋がったら、私は二度と離さないと誓うから。

 

「だああああああああっっ!!!」

 

 おばちゃんを抱え込んだ私は、地面を強く蹴り出した。

 衝撃が建物全体に伝わる。耐え切れなくなって崩れそうになるけど、それよりも早く、私の身体はおばちゃんを抱えたまま、吹き抜けた天井よりも高く跳んでいた。

 

「っ! あれは…!」

 

 上空まで抜けた私の下。道路に面した歩道に、黒い服を着た男に人が立っている。

 緒川さんだ! 

 私は腰に力を込める。後ろに装備された大きな口から火が噴き出て、ブースターの代わりになった。一気に私は地面まで着地する。

 

「響さん!? いきなり何故…!」

「緒川さん! おばちゃんをお願いします!」

 

 言葉足らずに、私はおばちゃんを緒川さんに託した。流石の緒川さんも、最初は驚きを隠せなかったみたいだけど、それでも私の顔を見て力強く頷いた。

 私は再び、飛び出した。

 

「響さん! 遊星さんはここから東に居ます!」

「っ、はい!」

 

 緒川さんの決死の叫びが届いた。

 夕焼けが、一日の最後に私を強く照らしている。

 

 

 

 




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第7話『集いし絆と、陽だまりに翳りなく』-5

『グウウッ!?』

 

 眼前に迫り来るノイズ。呼び出したスピード・ウォリアーは、人型ノイズの群れに囲まれ、逃げ場所を失っていた。それまで何とか敵の攻撃をかいくぐっていたが、もう限界だ。

 

『ウッ!』

「スピード・ウォリアー!?」

『グオオッ…!?』

 

 振り上げたハサミを真っ向から受け、スピード・ウォリアーそのまま光の粒子になって四散してしまう。

 

「くそっ…!」

 

 歯噛みしながら、Dホイールを旋回する。さっきまで俺のいた場所を、カエル状のクロールノイズが突進して通過した。

 壁に衝突して風穴を開ける様子に戦慄しながら、俺は必死に奴らの攻撃をかいくぐる。

 

(駄目だ、このままでは押し切られる…!)

 

 フィールドには伏せた『エンジェル・リフト』、そして手札には《sp-スピード・エナジー》がある。これで復活したスピード・ウォリアーの攻撃力をアップさせれば、蹴散らすことは出来る。

 だが……

 

「はあ…はぁ…はぁ!」

 

 大通りの中央付近……丁度街のど真ん中に当たる箇所で、周囲を索敵する。状況は全く好転しない。

 

(どういうことだ……どうしてノイズがここまで集中的に…!?)

 

 雪音クリスではなく、俺を狙っているのか? 

 だが、それだとマップに表示されているもう一つの緑の光点……今もイチイバルを身に纏ってノイズを蹴散らしている、雪音の説明がつかない。

 俺を狙うならば、こんな回りくどいやり方ではなく、もっと数で圧倒すればいい。しかし雪音を狙って数を分散させては中途半端だ。

 まだ敵の狙いがあるのか? それとも、俺の見落としている何かが……

 

「く…っ!?」

 

 ターンバックして人型の攻撃をすり抜けた。その後も何とか凌ごうとするも、徐々に奴等は輪を作って包囲網を狭めつつある。

 こっちも躱し続けるのは限界だ。

 

(使うしかないか!)

 

 既に走り始めてからスピード・カウンターは10以上乗っている。これなら加算される攻撃力はデュエルならば1000。下級モンスターなら撃破できる数値だ。

 俺は覚悟を決めた。

 手札から一枚カードを取り出して構える。

 そうして、ディスク部分のスイッチの起動画面に手を伸ばそうとした時だった。

 

「罠カード、発…ッ!?」

 

 

 ──―……ぅせええええええええっっ!!! 

 

 

 その時だ。

 Dホイールのモニターがもう一つ、更に緑色のモニターを探知した。俺は凝視する。間違いなく、アウフヴァッヘン波形である。しかもこの反応は、俺のすぐ近くまで来ている。無線越しに掛かってくる声と合わせて、俺は正体を知った。

 

「まさか…っ!?」

「ゆうせええええええええっっ!!!」

 

 黄昏の空を切り裂いて、一筋の閃光が俺の元へと一直線に向かってくる。空を仰ぎ見ると、ソレはまるで箒星だった。

 

「響!!」

「だぁっ!」

 

 咆えながら空を疾駆して、弾丸のように加速したまま、響は俺の隣へと降り立つ。

 地震かと思うほどの地響きが俺の内臓ごと揺らした。

 

「でええええいっ!!」

 

 着地したまま、駒のように身体を回しての上段蹴り。周囲に展開していたノイズは今まさに飛び掛かろうとする直前だった。

 向かってきたノイズは、その勢いを利用されカウンターとなり、マトモにダメージを受けてしまう。

 あっという間に、襲ってきたノイズは粉々に砕け散った。

 

「はぁー! ふぅー!」

「響、無事だったか!」

 

 息を整える響。思わず息を呑んでいた。正直、強くなっても、ここまで攻防一体の立ち回りを見せたのは初めてだったからだ。

 

「遊星、良かった会えて!」

「響、一体どうしたんだっ? 何があった!?」

「未来が…っ!」

「え?」

「未来が! 私とおばちゃんを逃がしてくれたの! ノイズの囮になって!」

「何だって!?」

 

 驚愕に顔が染まる。

 次の瞬間、同時に俺達の耳に爆音がつんざいた。見ると、商店街を抜けて山へと続く一体から、土煙が立ち上っている。

 

(小日向……シェルターまで逃げられなかったのか…!)

 

 ここに来る道中、お好み焼き屋付近を見たが、二人の姿が無かった。逃げたものと推測したが、確認する余裕が無かった。

 息が止まりそうになる。しかし響の目は揺らぐことなく俺を向いた。

 

「遊星、お願い手伝って!」

「響…!」

「未来を早く助けなきゃ! もう時間がないんだッ!!」

 

 俺は目を見開いた。気圧される。驚いたのは響の身にまとう雰囲気だった。言葉では言い表せない。尋常ならざる威圧感を纏っている。それは怒気などでもない、強い意志を秘めた眼だ。

 困惑する俺をよそに、腕を響が掴んでいた。

 

「私、もう手を離したくない!」

「……分かったッ」

 

 彼女が手を繋ぎたいと言うのなら。道を切り開くのが、俺の役目だ。差し出されたカードを、俺はデバイスにセットし直した。同時に出力を最大限にまで切り替え、クラッチを踏み直す。

 

「走るぞ、乗れ!」

「はいっ!」

 

 響がいつか初めて共に戦った時のように、Dホイールの後ろに飛び乗る。エンジンを再始動させて、モーメントをフル回転させた。高い回転音が、街中に響く。

 彼女の『陽だまり』を救うべく、俺達は走り出した。

 

「小日向の場所は分かるか!?」

「多分、あっちの方! さっきの大きな音がしたトコ!」

「山野に向かう傾斜道か!」

「うん、それに他のノイズもいるかもしれない! あのノイズは音に反応してるみたいなの!」

「音…そういう事か!」

 

 全て合点が言った。だから俺のエンジン音に寄せられたのか! 

 ハンドルを切りかえして、響の誘導に従う。その最中、再び巨大な轟音が響くと共に、土煙が舞う。それは彼女がさっき言った傾斜道の途中だった。

 もう一刻の猶予もない。

 

「…未来……お願い、間に合って…っ!」

 

 肩を掴む響の手が堅くなる。

 後から聞いた話だが……この時、小日向は必死になって、ノイズの手から逃れていた。

 しかしそんな俺達をあざ笑うかのように、俺達の上空からノイズが飛来してきた。

 

「っくそ…フライト型か!?」

「こんなの…構ってる暇ないのに!」

 

 フライト型が三体。明らかに、こちらを視認してくる。これでは奴らを躱しつつ小日向の元まで向かわなければならないが、それでは間に合わない。

 逆にコイツらを殲滅してからでは手間を取られてしまう。

 

(俺が囮になるしか…!)

 

「そうだ…あのカードっ!」

「カード?」

「遊星、これ!」

「これは…っ!」

「未来が渡してくれたの!」

 

 言葉短く告げて、彼女は俺にあるモノを手渡す。それが逆転への布石だった。

 その意味は俺にも伝わった。これは二人の、小日向と響の絆が繋がり、俺の元へと辿り着いたカード。

 

「これで、どうにかできないかな!?」

 

 必死に俺に懇願するように叫ぶ響。その時、全ての布陣は整っていた。

 刹那、俺の右腕が熱く輝く。シグナーの痣が、強く光っていた。俺の想いと、赤き竜の意志が一つになったかのように。強く強く心の奥底が叫ぶ。

 捨てるな、足掻け、諦めるなと。

 力は、既に俺達の元にあるのだからと。

 

「……よく持ってきてくれたッ!」

 

 可能だ。彼女の持ってきてくれた……いいや、小日向との絆が作り出した奇跡が、文字通りの光射す道となる。

 

「やるぞ響、フォニック・シンクロだ!」

「遊星…!」

「俺のスピードをお前に預ける! 奴らを蹴散らして進め!」

「……はいっ!!」

「行くぞ! 来い、『ターボ・シンクロン』!!」

『タァッ!』

 

 加速する俺達。

 受け取ったカードをモンスターゾーンにセット。遊星粒子が凝縮されカードの形を為すと、そこから出現したエネルギーの奔流は、光となって再構築され、緑色のメットを被った二頭身のモンスターが出現した。

 続けて、さっきまで伏せていたもう一枚のカードを展開させる。

 

「更にリバースカード・オープン! 『エンジェル・リフト』! 戻って来い、スピード・ウォリアーッ!」

『ウオオッ!』

 

 セメタリーゾーンから戻って来たカードをフィールドにセット。高速で移動する戦士が、再び俺の傍らで疾駆する。

 

(よし、これでクリアする条件はあと一つ……!)

 

 この状況の打開策。

 それには奴等を速攻で潰しつつ、小日向の元まで全力で駆け抜けて救出するしかない。必要なのは、揺るぎない速度だ。今の俺のカードで、それを可能に出来る方法があるとすれば一つだけ。

 

(……今の響のレベルをモンスターに換算すると2相当だ。なら、『アレ』をすぐにでも呼び出すには…!)

 

「これしかない!」

「ターボ・シンクロン! フライトノイズに攻撃しろ!」

「えっ!?」

『ダァ!』

 

 ターボ・シンクロンがヘルメットのバイザーを降ろし、上空へとジャンプした。そのまま空中にいた敵に体当たりするが、ノイズは破壊できない。メット部分がひび割れて、ターボ・シンクロンは転がりながら俺の元へと戻ってくる。

 

「ぐぅ…!?」

 

 マシンがふらつく。当然だ。

 ターボ・シンクロンの攻撃力は小型ノイズより遥かに低い。これでは破壊はおろか、却ってダメージを受けるだけ。

 

「ゆ、遊星、何を…」

「大丈夫だ、ターボ・シンクロンが奴を守勢に回らせる…っ! 衝撃が俺にくるだけだ!」

「でも…!」

「お前達の想いに俺が応える番なんだっ!」

「えっ…!?」

 

 それでも俺は笑う。

 ダメージを受けても、ライフは残っている。相当に無茶をやらかしたようだが、それでもここまで来れば俺達の勝ちだ。

 

「俺を信じろ! 必ず、お前を送り届ける……最短で最速で真っ直ぐに一直線に! お前の想いを、守るために!」

 

 絆を忘れない二人だから俺の心も救われた。

 仲間はこうだと思いださせてくれた。この絆が、ターボ・シンクロンをここまで連れてきてくれたのだ。ならば俺は俺として、必ず引き合わせてみせる。命を懸けて。

 

「ターボ・シンクロンの効果発動! 受けたダメージ分以下の攻撃力を持つモンスターを、手札から特殊召喚できる! 走れ、ロードランナー!」

『ピィ!!』

「ロードランナー…!」

「そいつに乗れ、響! 後は振り返るな!」

 

 画面に反射して、一瞬だけ映る響の顔を見た。

 戸惑い、少しの恐れ、そして……その不安全てを乗り越えようとする勇気が、夕焼けの光と共に輝いている。

 

「……分かった! お願い、ロードランナー!」

『ピピィ!』

 

 響は俺の肩に力を込め、隣を並走するロードランナーに飛び乗る。女の子一人を軽く支える力はあるロード・ランナーは、勢いを少しも落とすことなく響を載せて走り出した。彼女はいつも、響を守ってくれる。そしてこいつも、俺達の為に戦ってくれる。

 

『ウオオオッ!』

 

 響の前に、スピード・ウォリアーが付いた。彼女を守るようにして。

 行くぞ。

 全ての準備は整った。

 さあ、見せてやろう。

 この地獄を生み出したあいつ等に、そして何より、助けを求める彼女に向けて。

 絆が紡ぎ出す奇跡の力をッ! 

 

「罠カード、オープン! 『緊急同調』!」

 

『エンジェル・リフト』と共に、予め伏せてあったもう一枚のカード。響の救援時に、すぐフォニック・シンクロを行えるようにと持っていた罠カード。

 その効果は、バトルフェイズ中にシンクロ召喚を行える。

 

 即ち! 

 

 

「レベル1『ロードランナー』! レベル2『スピード・ウォリアー』! そしてレベル2の『撃槍ガングニール』に、レベル1『ターボ・シンクロン』を、フォニック・チューニングッ!!」

「いっくぞぉおおおおおおおっっ!!!」

「集いし絆よ! 更なる旋律を紡ぎ出し、此処に光差す道となれ!」

 

 戦闘中の制約を無視して、フォニック・シンクロができる! 

 

 響の周りを、緑色の光点となったターボ・シンクロンが取り巻いていく。それはロードランナーとスピード・ウォリアーを巻き込んで包み、新しくシンフォギアへと再構成する。

 腰部に取り付けられたホイールが回転する。

 全身を縁取る真紅のボディと、両肩に装備された銀の大型イグニッションコイルが光る。手甲の代わりに装備されたのは、追う者全てを切り裂く、無双の爪。

 

「フォニック・シンクロ!」

「轟ッけぇえええええっ!」

「ターボ・ガングニール!!」

 

 

 力のニトロ・ウォリアーと対を為す、数多の景色を置き去りにする速度の超戦士。

 それが、ターボ・ウォリアーの力を受け継いだ、この姿! 

 

「これが……これが、私達の新しい力!」

「頼んだぞ、響!」

「うん!」

 

 拳を握りしめると、響は一直線に上空へと飛翔した。足裏に装備された巨大バーニアが、響のジャンプ力を倍以上に引き上げている。

 

「はああっ!!」

 

 襲い来るフライト型を蹴散らしながら、響は勢いそのままに突撃していく。

 狙うはただ一つだけ。今も轟音が聞こえてくる、あの斜面まで。距離は未だに遠い。だが行けると信じるしかない。

 

(どうか届いてくれ……響!)

 

 俺の願いを受けたターボ・ガングニールの鎧は、一瞬にして夕闇に溶けて消えた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 音に反応してノイズは狙って来る。

 だから私が大きな音を出せば、残ったノイズを引き寄せられるかもしれない! 

 私は胸に大きく空気を吸い込む。熱い思いが、私の胸に歌詞となって頭へと流れ込んでくる。

 意識するよりも早く、私の口は旋律を奏でていく。

 

 ──―何故どうして? 広い世界の中で

 

 鼓動が早くなる。それでも、今までの戦いよりも、より滑らかに私は歌を奏でていた。

 空を私の身体は駆け抜ける。

 まるで羽が生えたように私の一歩は力強く、目的地へと導いてくれた。

 

 ──―運命は、この場所に 私を導いたの? 

 

 歌が私自身に問いかける、私の人生。

 壊してばかりの生が私だった。これは呪いか、生き残った罰だと、私はあの日からずっと自分の心を虐め続けた。

 

 ──―繋ぐ手と手 戸惑う私の為

 

 心の痛みから逃れる余り、私は人助けにますます拘った。

 それしか私を保つ術がないと、心のどこかで蓋をして。

 怯える毎日をいつの間にか自覚しないままで過ごした。

 

 ──―受け取った優しさ きっと忘れない

 

 ガングニールが目覚めた時、戦う怖さよりも、私は安堵した。これで皆を笑顔に出来る。本当の意味でも人助けができる。

 その輪の中に自分がいないのを、すっかり忘れてた。

 

 ──―その場しのぎの笑顔で、傍観してるより

 

 そう。未来が思い出させてくれた。

 私の想いを。

 何がしたいのかを。

 ホントの私が置き去りにしてきた願いごとが。

 

 ──―本当の気持ちで 

 

 私はもっと欲張りだ。『自分は良いから他人の幸せだけ』なんて、そんな良い人じゃない。

 自分も、皆と一緒に笑いたいって思ってる。

 

 ──―向かい合う自分でいたいよ

 

 そうだ、私は人と繋がりたい。

 人の温もりを信じたい。

 もう一度、誰かと手を取り合う将来を夢見てる。

 そしてそれを捨てさせずにいてくれた、大好きな人がいる。

 

 

「だああああっ!!」

 

 

 ビルを蹴り、電柱に飛び乗り、木々をすり抜けながら、私は未来を探した。

 何処!? 

 何処にいるの、未来!? 

 必死に目を凝らす。フォニック・シンクロは私の視力を更に上昇させてくれた。

 

 そうして見つけた、たった一人の大切な人。

 

(いた! あそこ!)

 

 未来がいた。

 遊星に言った通り、やっぱり山へ続く斜面を登っている。

 

 ──―…はぁ! はあ! はあ!! ──―

 

 けどもう、それも限界だった。

 息も絶え絶えに走り続けている。未来が走り始めてからもう十分以上経過してる。あそこまで体力を維持できているのが奇跡だった。

 私は未来目掛けて突撃する。一旦着地と同時に、力を全て足裏に込めて一直線に大地を蹴った。

 

「未来っ! 今行くからッッ!!」

 

 走れ! もっと走れ! 

 歌え! 絶え間なく歌え! 

 間に合え、間に合って! 

 私はもう、一人じゃ生きていけないから! 

 

(……未来っ!?)

 

 街道を抜けて、私も斜面へ入った! ここを私も昇ればあと少し! 

 その時、私の視界が捉えた。

 未来の足が止まってる。その先に、あの大型ノイズが迫る。

 

「ぅぅううううううぁあああああああっ!!!」

 

 叫んだ。

 心の全てを力に換えて。

 お願い、どうか力を! 

 大切な人を救える歌を! 

 

 ──―きっと! どこまでも行ける! 見えない翼でも飛べる! 

 

 駆け抜ける私の目の前に、ノイズの群れが押し寄せる。

 私の歌を聴きつけたんだ。

 でも! いいから、こんなのなんかに……! 

 

 ──―この気持ちと君の気持ち! 重なればきっと! 

 

 負けなんてられないんだッ! 

 

「どっけええええええっっっっ!!!!」

 

 ダチョウ型のノイズが、私の動きを止めようとして、以前の蜘蛛の糸みたいな白い液体を大量にぶちまける。

 負けない! 

 こんなものに! 私と未来の絆は断ち切らせない! 

 

 ──―We are one 一緒にいるから

 

『そのまま進め!』

 

 遊星の叫びが聞こえる。それに従って、構わずに拳を振り下ろした。

 私の身体が、同時に糸をすり抜けていく。

 これがターボ・ガングニールの力。弱い力のノイズだったら、どんな特殊な力を持ってても、私には効かなくなる。

 

 ──―Hold your hand 心は

「いつでもおぁっ!!」

 

 ノイズが後ろで爆発してた。気にも留めずに走り続ける。

 もう、でもその間に。

 巨大なノイズは未来の眼前まで迫っている。

 

「っっっっっ!!!!」

 

 あと一瞬。

 あと一歩だけ間に合わない。

 お願い、未来、もうちょっとだけ頑張って! 

 あとちょっとで行くから! 絶対に助けるから! 

 

 ──―今を生き抜くために……

 

(そうだよ…私達は…まだ『一緒に、流れ星を見て』ないんだ!!)

 

 それは、あの日誓った約束。

 きっと忘れない。絶対に果たしてみせると、言葉にしなくても心で通じ合った約束。

 

 ──―私達は、出会ったのかもしれない

 

 私の想いを全て歌に変えた時、奇跡が起きた。

 

「……ぁ」

 

 未来が、もう一度前を向いて走り出した。

 ノイズは巨体を利用して未来を押し潰そうとしたけど、そのせいでちょっと狙いが逸れる。斜面が削るように地面を砕かれた。

 そのまま未来はバランスを崩して、道路を踏み外して山肌に沿って落下していく。

 

 ──―私ト云ウ 音響キ ソノ先ニ

 

「………微笑みは」

 

 今だ。勝機を零すな。

 掴みとれ。永遠の友情ッ。

 

「シィングゥアゥィザアアアアアアアアッッッ!!!」

 

 両腕の大爪が二本、私の歌で更に巨大化した。エネルギーを凝縮させて、私はもう一度宙を舞う。咆えた私は止まらない。猛追してノイズとの距離を一気に詰める。未来目掛けて、私は山肌を駆け下りる。間に立ち塞がるように自由落下する巨大ノイズは、ここでようやく私に気付いた。その足を一斉に私に向けて伸ばす。

 けれど……

 

「―ッッァアクセルッ!!」

 

 そんなもので防げると思うな!! 

 私の想いは、私一人のモノじゃない! 

 だからあの時、奏さんは私に『生きるのを諦めるな』と言ったんだから。

 

「スラアアッシュッッッ!!!!」

 

 ノイズの足と私の爪が衝突する。

 一瞬の均衡。だけど砕くのは私の力。ターボ・ガングニールは、より強い相手と戦う時には、相手の力を半分にできる。

 より一層巨大化した爪の勢いが、ノイズを刺し貫いて、そのまま私の身体がぶち抜いていく。

 

「響っ!」

「未来っ!!」

 

 もうこれで遮るものが無くなった。私は叫ぶ。最後の力を振り絞って、足裏のバーニアが噴射した。グングンと距離を詰める。未来の背後には地面が迫っていた。もう十メートルもない。間に合え、間に合えと、心で叫びながら手を伸ばす。

 未来も手を伸ばした。そのまま私達の指先が近づく。一瞬が永遠とも思えそうな攻防。それでも私達は互いを求めた。

 お互いが必要だから、いなくちゃ、生きていけないから。想いが繋がるのは、私達の指先が触れ合うのと同時だった。

 

「きゃああああっ!!」

「でえぃ!!」

 

 指が触れあい、未来が私の手を掴んだ。私は一気に自分の方へと引き寄せて、胸元へと抱き留める。そのまま身体をぐるりと反転させて、自分の背中を下にした。バキバキと背中に何かがぶち当たって折れる音がする。

 それを突き破って、根元まで落下したら、今度は地面に着地できずに私達は土の上を転がる。

 

「「っっっっ!!!!????」」

 

 頭の中をかき回されて、ミキサーでシェイクされるみたいだ。声にならない悲鳴を上げながら、私と未来は地面に打ち付けられ、転がり続ける。未来だけは傷つけまいとして体をぎゅうと抱きしめたまま、私はいつ終わるかも分からない衝撃にずっと耐え続けていた。

 

 と、その時。

 

「「………ぇ」」

 

 唐突に、ソレが終わる。

 一瞬だけ未来と目が合う。

 向こうも同じことを考えてたらしい。

 ポカンとした顔のままで、私達は水面に打ち付けられた。

 

「「がボぼっ!!?」」

 

 鼻に水が入った。

 苦しい、何これ? もう意味分かんない! と叫びたかったけど、混乱してバタバタともがくばかりで叫ぶことも出来ない。

 水の中だったから当たり前だ。私は何とか体勢を整えようと足を突こうとして……

 

「「………ふえ?」」

 

 水面から顔を出した。

 私達の転がって飛び込んだ川は、最初から浅瀬だったらしい。

 

 

「……」

「……」

 

 

 呆然として、お互いに顔を見た。

 びしょ濡れになりながらも、川岸で、私達は向かい合う。

 本当に、久しぶりに、私は未来の顔を正面から見た。一日だけしか経ってない筈なのに、全然そんな気がしない。

 

「……ひ、ひびき」

「み、く」

 

 零れ出る言葉。

 どうしよう。何を言えばいいの? この時の私は、ただ未来の顔をじいと見つめるばかりで、何も出来なかった。太陽の明かりが眩しく横から光っている。周りの音は掻き消されて聞こえず、ただちょろちょろと流れる浅い川の水音だけが囁いてた。

 

「……あは」

「…は、はは」

 

 ふと声が漏れ出て。

 

「あは、はははははははっ!」

「ひふ、ふふはははははっ!」

 

 私達は、お互いの顔を見て笑い出した。泥だらけで、涙と汗でぐしゃぐちゃになった顔を見合って笑い合いながら、その様子がまたおかしかった。

 

「ご、ごめ、ごめんね、でも…なんだか……へん」

「み、未来だって……あははははっ」

「ふふふふ……って、痛っ、腰痛い……」

「痛っ! わ、私も痛い……あー、カッコよく着地すれば良かったよぉ……」

「いいよぉ……いったた……でも、あー、痛い…けど、生きてるって実感できるから……」

 

 そうだね…と、私は未来の顔を改めて見る。

 本当に、泥だらけの身体以外、怪我はなさそうだった。未来の表情も、本当にホッとしてる様子だ。

 

「……ありがと」

「え?」

「響なら、助けに来てくれるって信じてた」

「…うん。私もありがと……未来なら、諦めないでいてくれるって信じてた」

「……っ」

「だって私の友達だもん」

「響ッ!」

「わっ」

 

 先に動いてくれたのは未来だった。

 目にじわっと涙を貯めて、次の瞬間、再び私の首根っこを掴んで……いや、私の首に抱きついた。一瞬のことでオロオロするばかりだったけど、未来の次の一言で目が覚める。

 

「怖かった……怖かったよぅ……響ぃ……響…!!」

 

 未来の柔らかくて、甘い匂い。私の身体の中に吸い込まれていく。とめどなく涙があふれた。ああ、幻なんかじゃない。本物だよ。そうだよね? だって、こんなに温かいんだもん……絶対に、嘘なんかじゃない。

 

「……ょか、た」

 

 息が喉に引っ付いて、声が出ない。

 あれ、おかしいな。何で、何も言えないの? 

 だって、親友が死なずに……

 

「わ、わ、たし、も……こ、わ…こわかった……ょぉ…!」

 

 ぎゅうと、力を込めた。未来を抱きしめ返していた。

 良かった。本当に、いなくならないでくれた。私の元に、居続けてくれた。

 ボロボロボロボロ、悲しくなんか無い筈なのに、喉がしゃくれて声が出なくて、涙がどんどん溢れ出てくる。

 

「わ、わたし……わたし、ね」

 

 未来が泣きじゃくりながら、必死に言葉を絞り出す。

 

「響が、隠し事してたから、怒ってたんじゃ、ないの」

「え」

「だって、人助けをする響は、いつもの、いつも、の、響……で、でも。でもねっ…!」

 

 未来はしゃくりあげながら続けた。

 

「辛いのも痛いのも、全部背負おうとしてるの……それを見るのが、堪らなく……い、イヤだった、の…!」

 

 私のガングニールで、困ってる人を助けたい。

 けど思い上がってた。

 

「また、いつか…っ…いつか、響が大きな怪我するんじゃないかって……し、心配して……でも、力になれないのが、それも、嫌で……我儘なのに……ただの! 私のワガママなのにッ!!」

「……うん」

 

 未来の手が、ぎゅうと私の強く抱きしめる。ボロボロと私の涙は拭っても止まらない。

 

「『響を失いたくない我儘なんだ』って……そう思ったら、今までと同じみたいになんて……で、で、出来なかったんだ…」

「うん、うん……」

 

 本当の人助けは、1人の力じゃできない。そんな当たり前のことを、私は知らずにいた。

 私を助けてくれる人、私が助けたい人、そして私が助けた人、全員が私を支えてくれる。

 戦ってるのは私だけじゃない。生きている人全てが一生懸命だった。

 

「だから……だから、先生のせいにして……先生のせいにして逃げる私が、もっと嫌いだったのに…!」

「…っ、未来…」

「ごめんなさい……ごめんなさい、響……ごめんなさい……!」

「……それでもね」

 

 この気持ちを、未来が思い出させてくれた。

 だからきっと、あのカードは……ターボ・シンクロンは、未来の所へ引き寄せられたんだよ。

 未来の髪をそっと撫でる。温もりがまた伝わる。

 

「……小日向未来は、私の『陽だまり』だよ」

 

 私がいつでも安心して、帰って来られる場所だから。

 もう二度と、見失わない。

 繋ぎ合わせて、照らしてくれた星があるから。

 

「だからね、未来」

「え?」

「一緒に、いてくれる?」

「……っ、うん。いるよ、一緒に。ずっと…ずっとずっと! 一緒にいるよ!」

「……うんっ!」

 

 私の誰かを助けたい気持ちは、生き残った負い目なんかじゃない

 奏さんから託された、私が受け取った気持ちなんだ。

 未来との絆を、失いたくない。

 遊星が渡してくれたターボ・ガングニールが、その証だった。

 

「……あ」

「なに?」

「い、や、ゃ、ね。ふ、ふひ、ふは、あはははは…み、未来、ど、泥だらけだよ、顔……あははははっ」

「な、何よっ、そんなに笑わなくたって……! っていうか、響だって同じだよ!」

「え、うそ!? 鏡ある!?」

「え? あ、端末で撮れば……」

 

 その後で、端末で私達の写真を撮って、それを見て、私達はまた喧嘩して笑い合った。

 何時の間にか、夕日が沈もうとしている。また明日に向かって歩き出してる。

 

 ねえ、遊星、聞こえてる? 私、守れたよ。

 翼さん、届いてますか? 私の歌、親友を救えました。

 奏さん、ありがとう。これが貴女が、皆が、教えてくれた…

 

「…私ノ奏デル、ソノ先ノ音色」

「え?」

「ううん、なんでもない」

 

 首を振った時、Dホイールのエンジン音が聞こえてきた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「つまり、また戦う姿を見られた上に、小日向未来君の目の前で、多くの秘密を晒してしまったわけだな?」

「ハイ……ソウデス」

「違うんです。私が勝手に首を突っ込んだんです!」

「待ってくれ。責任は俺にある」

 

 今回の事件、なんと避難時に怪我をした二次災害者を除けば、死傷者はゼロだった。これだけの大群を相手にしながら、奇跡と言っても良い数字である。

 ただ、俺達が戦う際に無茶をやらかしたのは、前回と同様……いやそれ以上だった。

 

「小日向を焚き付けたのは俺だ。俺に原因があることなんだ」

「いえ、師匠私が!」

「違います私が!」

「俺が」

「分かった分かった。麗しい友情を見せつけるのは家でやってくれ」

 

 頭を掻きながら弦十郎さんは苦笑して答える。

 

「人命救助の立役者にうるさい小言など似合わん」

「え、じゃあ……」

「以前にも言っただろう? 現場の判断を尊重するのが俺の流儀だ」

「……や、やったあ!」

 

 実質的なお咎めなしという言葉。響と小日向は顔を花のように明るくさせて、お互いに手を取り合っていた。

 俺も心の底から安堵する。

 

「お話し中失礼します」

 

 すると横からいつもの様に音もなく近付いた緒川さんが、俺達を呼び止めた。

 見ると彼の手には、リディアンの指定通学カバンが握られている。

 

「響さん。あの女性ですが、比較的軽症です。数日後には退院できますよ」

「本当ですか!?」

「ええ。それと未来さん、こちらはお店から回収しました。どうぞ」

「あ、ありがとうございます!」

「それと、遊星さんの端末です」

「ああ、ありがとう」

 

 俺はゆっくりと端末を受け取る。

 見ると、表面にかなり細かい傷がついていた。本体に影響はないだろうが、どうしたのだろう。

 もしや小日向たちが逃げ出す際に、落ちてしまったんだろうか。しかしそれにしてはこの壊れ方は少し不自然だ。

 

「それにしても遊星さん、何故あんな場所に?」

「あんな場所?」

「未来さん達が逃げ込んだ廃ビルです。あそこに転がってました」

「なんだって?」

「あの、不動先生……すみません、その」

 

 小日向が、不意に頭を下げる。

 

「それ……私が持ってきたんです。お店から逃げる時、咄嗟に…」

「小日向が?」

「あの、それで…ノイズの気を引くために、思いっ切り投げちゃって……」

 

 ああ、なるほど。

 妙に細かい傷がついてるのはそういう事か。しかしそれで小日向の命が救われたのなら安いものだった。寧ろ音に反応するノイズに対して、最大限できる貢献を果たしてくれたと言えるだろう。

 

「すみませんでした」

「気にするな。この位すぐに直せる」

「それだけじゃなくてッ」

「……」

「あの、今までのこと……私、先生が、怖い人じゃないかって疑ってて、それで…」

 

 ふと、隣にいる緒川さんと目が合う。彼は何とも言えない微笑みを浮かべて、俺と小日向を交互に見る。それで俺も、少し心が和らいだ。

 なんとも、この人には適わないな。

 ポンと、小日向の頭に手を置いた。

 

「俺の方こそ、先生として未熟だったからな。二人のことを、上手く分かってやれなかった…すまない」

「でも…」

「響にも言ったけどな……俺も、二人の絆に救われたよ。これが証拠だ」

 

 ポケットから一枚カードを取り出す。

 今回、一番の功労者であるターボ・シンクロンは、今までのカードと同様に破損も汚れも一切ない。夜の街灯を受けて反射している。

 

「それは…」

「小日向の命を救ったのは、お互いを大事に思う、二人の絆だ。だからターボ・シンクロンは応えて、俺の元へ帰ってきてくれた」

「…あの、どういうことですか?」

 

 小日向は要領を得ずにポカンとしている。彼女もまだカードの秘密は知らない。これを期に教えるべきかもしれない。

 それに、俺自身も今回の戦いでほぼ確信に近いものを得た気がする。

 

「君達の絆が、俺にとっても力になる。そういう事だ」

「私達が……」

「このカードが、その証だ。だから小日向、響をこれからも支えて欲しい。響には、小日向の力が必要だ」

「……」

 

 曖昧な言葉だったが、それでも胸に手を当てて、小日向は俺の言ったことを内側で反芻している様子だった。

 けれど、答えはきっと彼女の中で出ている。命をかけて戦ったのだから。きっと小日向の中には、『どうすればいいか』ではなく『何がしたいのか』が、もう分かっている筈だ。

 

「……はい、ありがとうございます。私、もう迷いません」

 

 微笑んで、小日向未来は、俺にそう告げた。

 

「私、響とずっと一緒にいますから」

 

 これからも、二人の間には困難が多く待ち受けている。それはとても言葉では言い表せないような、修羅の道かもしれない。

 けれど、何も恐れることはない。

 今日のように絆を思い出して、信じていけば乗り越えられる筈だ。

 

「えへへ! やっぱり未来は私のオアシスだね!」

「きゃ! ちょ、ちょっと響、いきなりくっつかないで、びっくりするでしょ!」

「ええ、いいでしょ~?」

「よくないっ、っていうか重い!」

「酷い! これでも体重気にしてるのに!」

「こらこら君達。そう言うのは家でやりたまえ」

 

 弦十郎さんがまた苦笑して二人を宥める。

 家ならいいのだろうか…と俺はぼんやりと思った。

 丁度その頃、通りの向こうから乗用車やトレーラーが数台こちらへと向かってきている。現場処理の為に訪れた後続チームだ。了子さんも間もなく来るだろう。

 

「よし、響君たちは帰宅を命じる。後は頼りがいのある大人に任せて、ゆっくり休んで、疲れを癒すと良い」

「ハイ了解です、師匠ッ!」

「うん、言い返事だ」

 

 鷹揚に頷く司令官の言葉に、響はえへへと笑って、小日向と手を繋ぐ。

 そうして歩き出そうとするが、俺はその場を動かない。

 キョトンと、響は振り返った。

 

「遊星、帰らないの?」

「ああ。俺は現場処理を手伝ってから行く。二人で先に帰っててくれ」

「えっ? でも、遊星だって戦って疲れてるのに…」

「俺は殆ど動いてないからな。まだ大丈夫だ。それより、響の方が反動で疲労が来ている筈だ。早く休んでくれ」

「……うん、分かった」

 

 響は少ししっくりこない感じだったが、「響、行こう」と呼びかけた小日向の言葉で納得した。帰り際、彼女がこちらを一瞬振り向くも、澄んだ目で頷いたので、救われた気持ちになれた。

 

「………」

 

 勿論、帰らなかったのは手伝いだけじゃない。

 

(………雪音)

 

 イチイバルの反応は、あの後すぐにロストした。弦十郎さんが何も言わないという事は、恐らく姿を消したんだろう。

 後で詳しく話を聞かねばならない。俺も事情を聴かれるだろうが……正直先行きは不明だ。俺も匿ったと見做され処罰されるか、あるいは雪音も捜索は厳しくなり、辛い枷を嵌めるか。

 

 だが、だとしても。

 

「遊星ッ!」

 

 遠くから声がする。もう一度振り返って、響がこっちへ向かって叫んでいた。

 

「ありがとう、遊星! 未来と仲直りできたの、遊星のお陰だよっ!!」

 

 手を振って明るい笑顔を向ける少女。それだけで、俺のしてきたことは間違いじゃないと信じられた。

 

 

「俺は何もしてないぞ」

「でも、遊星は私の『お星さま』だからっ! 忘れないでねっ!!」

 

 

 それだけを告げて、響は小日向と手を繋ぎ、寮へ向かって帰って行った。

 ……礼を言うのは俺の方だぞ。

 何度も言おうとして言えずにいる言葉を、苦笑して仕舞った。

 

「君には、不思議な力があるな」

「俺が?」

「人と人とを結びつける役割。君を軸にして、誰かが必ず影響し合い、絆を育んでいく。君にはそんな力がある」

「…だから俺は何もしちゃいない」

 

 弦十郎さんの笑みを浮かべて出た言葉を、俺は敢えて振り払う。

 

(これで戻って来たカードは七枚)

 

 そして、今回のターボ・シンクロン。

 ここまで来れば、そして今まで俺が数々の難敵に立ち向かってきた道のりを顧みれば、行きつく結論は一つだ。

 手を繋ぐ力を持っているのは、響…間違えなくお前だ。だから俺はお前の力になってみせる。この世界を救う為にも、必ず。

 

「……ん」

 

 端末の電源が再び入ると、すぐに着信が来た。

 小日向からのメッセージだ。開封すると、短く一言質問が書かれていた。

 

『今日はありがとうございました。それで、お昼のあの子は無事でしょうか?』

「……」

 

 雪音クリス、という言葉を敢えて出さなかった。

 やはり小日向は聡い少女だ。彼女が訳ありで、隠し事をしているのを察知したのだろう。一先ず言うのを憚ったに違いない。

 

『シェルターに避難するのを見た。被害も確認されてないし、大丈夫だ』

 

 それだけを返信して、端末をポケットへしまう。それと同時に、弦十郎さんが、俺を鋭く見ていた。

 もう隠すのは不可能だ。

 ならば、寧ろ正面からぶつかるべきだ。

 

「弦十郎さん、あとで話がある」

「…ああ」

 

 短く、彼は答えた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 次回予告

 

 わーい! 未来も秘密を共有して、晴れて二課の一員だ! 

 これでもう何事も万事解決バンザーイ! 

 

 ……じゃないよねえ。

 心配だなあ遊星。クラスにも溶け込め切れてないし……

 何とか、出来ないかな? 

 

 え、翼さん明日お休みですか? 

 じゃあ、一緒に私とデートに行きましょうよ! 

 ね? ね? 遊星も一緒に行くよね? 

 ……え、師匠とお出掛け? マジっすか!? 

 

 次回 龍姫絶唱シンフォギアXDS 『防人の歌と、夢の守り人と』

 

「どころで響、デートの相手はどんな男なんだ?」

「…どういうこと響?」

「うわーんっ! ゆーせーのばかー!!」

 




読んでいただき、ありがとうございました。

改めましてですが、お気に入りや評価、感想を送って下さっている皆さん、本当にありがとうございます。
これを続けられるのはこういう応援あってこそです。
是非これからも応援、どうぞよろしくお願いします。


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第8話『防人の歌と、夢の守り人と』‐1

いつも感想、メッセージ、誤字脱字報告ありがとうございます。
本当に励みになります。これからもどうかよろしくお願いします。

皆さん、体調にはくれぐれもお気をつけ下さいませ。


 

 

 

「るんたった。るんたった」

 

 青い空! 

 照りつける太陽! 

 そして白い砂浜は……ない! 

 でも! 

 私はとてもハッピーな気分なのでした! 

 

「響、ご機嫌だね」

「えっへっへ、だってさだってさ」

 

 隣を歩く未来が困ったように笑って言う。周りから見たら変な人扱いされるけど、でも私は気にしない。

 何故なら今日は、嬉しい出来事が三つもあったから。

 

 

「あ、おはよう、遊…先生!」

「おはようございます、先生」

「ああ、おはよう二人とも」

 

 目の前の教員室の扉が開いて、出てきたのは遊星だった。もうすっかりお馴染みになった学校内での格好で、灰色のシャツに白衣姿だ。

 

「わっ、プリント沢山あるね」

「ああ、これから教室に持っていくんだ」

「先生、それ半分持ちます」

「あ、私も持つよ」

「そうか、助かる」

 

 私と未来は紙束を分けて持ち、教室へ歩いた。途中で、遊星がプリントを眺めてしみじみ言った。

 

「紙とデータを上手く使い分けるのは良い発想だな。向こうだと、殆どデータ化してるから、こういう感覚が無い」

「……先生って、本当に別世界から来たんですね」

「ああ、俄かには信じられないだろうが」

「いいえ。実際にこの目で見ましたし」

 

 未来はにっこり笑う。

 私の親友を助けた次の日に、遊星は何もかもを打ち明けることにした。Dホイールにカードを乗せて、精霊の姿を見せると、未来も信じるしかなかった。目を丸くしてクリパクパクさせたのはちょっと笑っちゃったけど。

 そして未来に怒られたけど。

 

「無くなったカード探しも、私で良かったらお手伝いしますから」

「ありがとう。これからも、よろしく頼む、未来」

「はい」

 

 頷く遊星。

 あの一件以来、遊星は未来を名前で呼ぶようになった。遊星にとっての親しさの目安なのかもしれない。けど、その様子に私は笑顔が止まらなかった。

 

「どうかしたか?」

「ううん、なんでもない」

 

 未来は遊星を信頼してくれて、私達の中はぐっと深まった。

 それだけじゃない。師匠は特別に、未来を二課の協力員として、地下基地に入ることも許可してくれた。私と同じ場所になら入っても大丈夫ってコトになるらしい。

『大したことじゃない。未来君の存在は、響君のメンタルケアに役立つ。特異災害に有益と判断したまでのことさ』

 と師匠は笑って言ってくれた。私達も笑顔が止まらなかった。

 それがイイコトの1個目。

 

「ところで遊星、これ何?」

「ああ、定期考査が終わったからな。弱点克服の為のプリントだ。響の分も用意してある」

「………え」

「どうかしたか?」

「……これ?」

「ああ」

「やらないとだめ?」

「やればやるほど為になる」

「……」

 

 顔を引き攣るのを我慢しながら、私は笑顔で頷いた。

 断じてこれがイイコトの2個目ではありません。ええ違いますとも。

 

「響、週末までには終わらせてよ? 予定開けてるんだから」

「は、はぁーい」

「週末? 何かあるのか?」

「あ、うん。実はねぇ」

 

 目の前の問題を棚上げして、私は顔が綻ぶ。課題は課題だけど、これに比べたら全く問題じゃない。

 

「えへへ、明日デートなんだよぉ!」

「…デート」

「うん!」

 

 私は頷いた。

 何を隠しましょう、3日後の日曜日、私は未来と街へお出掛けする予定なのです。二人で出かけるなんて、すれ違ってばかりの私達は殆どできなかったから、この日は今までの鬱憤を晴らすつもりで取り組むんだ。

 それだけじゃない。この日はスペシャルなゲストがいる。

 

「……以前、戦いの時に恋人がいないと言っていたが……そうか、そう言う奴がいたのか」

「え?」

 

 遊星が目を大きくかっぴらいて私を凝視する。まるで信じられない物を見るような目つきで。

 

「いや、言いたくなければいいんだが…少し、意外だったからな……それで響、デートの相手はどんな男なんだ?」

「え」

「…どういうこと響?」

「ち、違うよ! 冗談冗談! っていうか未来、目が怖い!」

「え、あ、ごめん、私ってばつい」

「もー…」

 

 私は顔を真っ赤にして、目を虚ろにさせた未来を宥める。

 全くもう、遊星が変なこと言うから……いや、言ったのは私だけどさ。

 でもね、遊星ももっとこう…デリカシーと言いますか。女の子に『彼氏は?』なんて言うのは聞いたら駄目だよ。もし他の子にやったらセクハラだよ。私は別にいないからいいけど……あ、なんか悲しくなってきた。

 

「ぐすん…」

「ど、どうしたんだ?」

「先生、気にしなくていいです」

 

 未来が誤魔化してる隙に、私はそっと涙をふきふき。

 

「えっと遊星、そうじゃなくてね。翼さんと未来と3人で出掛けるの」

「翼と?  この世界では、女の子同士が3人で出掛けるのをデートって言うのか?」

「先生、響の言葉は真に受けないでいいですから…」

「え?」

「怪我も癒えて、仕事も再開するっていうし、その前に思い出作りっていうか、完治記念みたいな」

 

 そう、これがイイコトの2つ目と3つ目。

 この間のメディカルチェックで、翼さんは絶唱による怪我が完全に治り、晴れて二課の仕事に復帰が決まったのです。

 当然、これまでお休みだった芸能活動も再開を発表。いやー……あの時の記者会見で私はもう、涙が止まらなかったよ……

 

「ほら響、涙拭いて」

「ありがと、さくら…じゃなかった、未来」

 

 師匠から借りた映画に出てくるフーテンさんみたく、私は鼻をすする。

 

「なるほど、そういうことか。いいんじゃないか? そういう楽しみは多く経験したほうがいい」

「だよねっ!」

 

 もし芸能活動も本格化すれば、装者との活動の両立で学校に来る日もまばらになってしまう。そこで親睦を深める為に、未来とのデートに翼さんも誘ったら、なんとオーケーを貰った。

 これはファンとして喜ばずにはいられません。その時私は本当に空を飛びそうになりました。いや、本当に嬉しさのあまり昇天してしまいそうだったのを未来に呼び戻されちゃった。

 本来なら、もう一人誘いたかったトコロなんだけど……

 

「あ、もし良かったら、遊星も一緒に行かない? 映画とか、ウインドウショッピングとか、ゲームセンターとかカラオケ行こうとか計画してるんだっ」

「……すまないが、その日は予定が入っていてな」

「え、そうなの?」

「ああ、誘ってくれるのは嬉しいんだが」

「……」

 

 私達は今、全てが回っているように思えた。

 私の周りに在った問題が全て上手く行ってるようにも感じられたけど…もちろん、そんな都合の良いことは無い。ノイズは相変わらず出現しているし、世界中には戦争や紛争のニュースがひっきりなしに続いている。

 そういうのに比べたら全く小さい問題かもしれないけど、私にも放っておけない問題が残っていた。

 

「ううん、そういう事ならしょうがないよね」

「悪いな。皆で楽しんできてくれ」

「うんっお土産買って来るね」

 

 例えば、遊星の学園内での噂とか。

 

「……」

「未来、どうかした?」

「ううん、何でもない」

 

 私は頭を振って、遊星たちと教室に入る。

 一瞬だけ、中のザワザワが消えた気がした。ううん、本当に聞こえなくなった。

 弓美ちゃんの端末の一件で、ちょっとは印象が良くなったとは思うけど……『悪い人かも』から『不気味だけど悪くは無い人』に変わったくらいだった。

 遊星は無暗にデマも流れずに済むならこれ位が良い…って言うけど、私は心の中で未練があった。

 

 もうちょっと……遊星が皆と仲良くなれたらなあ。

 

「おはようビッキー、ヒナ」

「あ、おはよう」

「なんだなんだあ? 二人仲良く登校とか、見せつけてくれちゃって、このこの」

「えへへ、それほどでもあるよ」

「もう、ヘンな事言わないでよ…」

「小日向さん、顔赤いですよ」

「え、そ、そんなことないよっ」

 

 プリントを遊星に一旦預けて、私達は席に座る途中、クラスメートの三人と話した。

 

「そう言えば二人とも、さっき不動先生と一緒だったね」

「え、うん」

「……お二人の仲直りは嬉しい限りですが、先生との仲も深まったようで」

「むむっ、これはアニメの王道……学園ラブコメの匂いがするっ」

「匂いって…」

 

 アハハハ、と苦笑しながら私は席に着いた。窓の外は、昨日と変わらずに晴れていて、そよ風が樹々と葉っぱを揺らしている。

 

 

 

 第8話  『防人の歌と、夢の守り人と』

 

 

 

 翼が体調を完全に取り戻した日の週末。

 俺は商店街に赴いていた。

 生活の必需品の購入は、二課の職員がその都度必要な物を入れてくれるため、俺自身は欲しいモノを買いに行く必要は無い。

 この日は買い物ではない、別の用事だった。

 

「これで完成です。水回りは問題ないと思います」

「ありがと、先生。おやまあ、ピカピカだね」

「すみません、これ位しか出来なくて」

 

 台所のシンク下……水道管周りに突っ込んでいた顔を出して、俺は言った。

 

「いや充分過ぎるよ。ようやくこれでお店も開けられるってもんだよ」

「良かった。おばちゃんも、怪我が無くて何よりです」

 

 鷹揚に頷く。

 今俺がいるのは、この頃すっかり常連となったお好み焼き屋『ふらわー』の店内だ。

 先日のノイズ騒ぎの中、音を探知するノイズの襲撃で、この店の店主である彼女は逃げ出す際に負傷をしてしまった。

 未来を庇った際に負ったものだったが、幸い命に別状はなく、その後の精密検査でも異常は見当たらなかった。

 

「はっはっは、頑丈なのが取り柄だからね。まあ、気を失ってた時のことは覚えてないんだけどね。未来ちゃんも怪我がなくてよかったよ」

「そうですね。彼女も、今は元気にしてます」

「この間も、響ちゃんと一緒にお好み焼き食べに来てね。仲直りできたみたいだよ」

 

 アハハハ、と彼女は快活に笑う。

 この人も内心、未来達を相当心配していたに違いない。何の事情も知らずに、雪音を匿ったりしてくれたのだから。

 

「先生のお陰みたいだね。やっぱり、おばちゃんの目に狂いは無かったよ」

「買い被りです。俺は何もしてませんよ」

「謙遜しなさんな。ああ、それと…」

 

 おばちゃんは声を低くして言った。

 

「あの子は、どうだった? 避難のドサクサでいなくなっちゃったけど……」

「……」

 

 あの子、とは当然、雪音クリスのことだ。

 その後、彼女の足取りは杳として知れない。弦十郎さんらが必死に追跡しているものの、手がかりはゼロだった。

 だが、如何にシンフォギア装者とは言え、女の子一人を取り逃がすほど、この国の治安組織が無能とは思えない。

 恐らく、そう近くない内に……

 

「先生?」

「…学校関係者を当たったんですが、それらしい子はいない様です」

「そう…」

「ただ、新聞でも死者数はゼロと報道されていましたから、何処かにいると思います」

 

 俺は頷いて言った。今はともかく、弦十郎さん達の調査結果を待つしかない。

 

「それなら、まずは一安心だね……」

「ええ…」

「あの子には、結局私の作ったお好み焼きを食べてもらえなかったからねえ。何ができるとも思えないけど、せめて美味しいものを腹一杯食べさせてあげたいよ」

 

 腕を組んで彼女は言った。

 確かに、どんなに罪深い十字架を背負うことになったとしても、あの子に、それ位の幸せは与えられて然るべきだ。

 

「あはは、ごめんね、辛気臭い話になっちゃって」

「いえ、俺の方でも手掛かりを探してますから」

「あ、そうだそうだ。忘れる所だった。これ、先生に会ったら渡そうと思ってたんだよ」

「ん?」

「いやね、今朝掃除してたら見つかったのよ。お客さんのかなと思ったんだけど、店は閉めてたからそんな訳ないし、もしかしたら先生のかなって」

「………」

 

 おばちゃんが手渡してくれたものをそっと受け取る。なんという事だ……また一枚、いともあっさりと見つかった。

 俺は表にこそ出さなかったが、心の奥では震えそうになるのをやっとの思いで堪えていたところだった。

 

「おや、やっぱり先生のかい?」

「え、ええ……確かに、俺のです。ありがとうございました」

「ああ、そうかい。良かったよかった。なんだろうね、それ? 昔に流行った野球カードかなにか? おばちゃんの同級生も、良くそういうの集めてたよ」

「まあ…似た様なものです」

「へぇー、先生も案外子どもみたいなところがあるんだね。いや、別に恥ずかしい事じゃないさ。男の子ってのはそれぐらいな方がモテるもんだよ。あははは」

 

 肩をバシバシ叩きながら、おばちゃんは特に俺の持ち物ということに疑問を持たない様子だった。あるいは客に必要以上に深入りしないという商売人の矜持だろうか。

 

 ともあれ、戻ったもう一枚のカード……『シンクロ・ストライカー・ユニット』をポケットにしまいながら、俺はこの幸運に感謝するしかなかった。

 

「ああ、それとこれ。つまらないモンだけど」

「え?」

「商品券。ここの商店街のもの、なんでも買えるよ。現物支給みたいで申し訳ないんだけどね」

 

 俺は断ろうとしたが、おばちゃんが強引にポケットに入れようとする。

 

「別に大したものじゃないから。それに、タダで修理をさせちまったからね。お礼にもならないけど、何かの足しに使っとくれよ」

 

 そう言っては断れない。

 元々、ここへ来たのはおばちゃんの様子を見る為と、雪音のことを出来る限り話して安心させてやりたいという気持ち。それと、迷惑を掛けたお詫びにと、店の備品のメンテナンスをする為だった。

『もらってくれないと気持ち悪い』とまで言ってくれるので、ありがたく頂戴することにした。

 

「……ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ」

 

 店を後にして、Dホイールを走らせながら、俺はここ数日で考えていた仮説の可能性を更に深めた。カードが戻ってきてくるメカニズム…そのカラクリが見えてきた気がする。

 

 今日は快晴で、街は人々で賑わっている。

 この様相の中で、雪音クリスは何をしているのだろうか……大通りを走りながら、ふとそんな事を考えていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 今日は日曜日、約束していた翼さんとのデートの日。外は晴れ晴れとしていて、風も穏やか。雲一つない。絶好の休日日和だ。

 

「あ、いた! 翼さーん!」

 

 私と未来は全力で約束の場所までダッシュしていた。

 何故、走ってるのか。

 その理由は簡単です。

 

 遅刻しているからです! 

 

「……遅い」

 

 待ち合わせ場所の、街の真ん中にある自然公園。そこにある池の広場の端の前で、翼さんはやってきた私達をジロリと睨んだ。

 

「ごめんなさいっ。いつもの響の寝坊が原因でして……」

 

 未来が頭を下げる。私も慌てて謝った。

 

「誘っておきながら遅れるってどういうこと?」

「ごめんなさいっ! あのう、そのぉ……」

「昨日、目的地をあちこち調べてたら、夜になっちゃってて……もう寝ようって何度も言ったんですけど……」

「……」

 

 未来が私の罪状を並び立てる。

 多分、翼さんがいなかったら、私は未来からお説教を食らってただろう。

 昨日、嬉しくて嬉しくて、万が一も無いようにと、私はデートプランを練りに練っていた。何度も確認したし、未来も見ていたから大丈夫だとは思ってたけど、それでもまた夢中になって地図やパンフレットを読み返していた。

 

 そして気付いたら、待ち合わせの30分前になっていた。

 

「……行きましょう。時間が勿体ないわ」

「は、はいっ」

 

 翼さんは溜息をつくと、それ以上追及はしなかった。そのまま踵を返して歩き出す。

 私達も慌てて後を追おうとするが、その時ふと未来と目が合う。私は親友と一緒になって、翼さんの後姿をまじまじと眺めた。

 

「……キレイだね、翼さん」

「うん……」

「メチャクチャ気合入ってるね、服」

「そうね…」

 

 未来が頷く。

 翼さんの私服姿はとても綺麗だった。美人だから何を着ても似合うのは当たり前だけど、それでも今日の翼さんは学園やライブで見るのとまた違う雰囲気があった。

 

 白のブラウスと青い半袖ジャケット。それにベージュのショートパンツ。オシャレを意識しつつも、軽やかさを出していて、翼さんの普段の物静かなイメージとは真逆。

 確かに、動きやすい方が良いかなとは思ってたけど……これはまた……

 

「何をコソコソ話してるの?」

「い、いえ、別に…とても気合が入った服装だなって」

「………言っておくが、誘われたから来たというだけで、私は別に来なくても良かったの。怒ってるのも、時間を無駄にしたくないだけ」

「は、はぁ…」

「これも! 緒川さんが用意してくれただけだから! 私は、もっと簡単なので良いと言ったんだ!」

 

 こっちを見て顔を近づける翼さん。けれど、その顔は紅潮していて、何故か分かってしまった。

 翼さんが、今日をとても楽しみにしていたということに。

 

「だから気合いをいれてコーディネートはしていない、断じて! 今日も待ち合わせに2時間近く前に着いたということもないから!」

「……」

「な、なによ?」

「すみません、そんなに楽しみにしてくれてたのに……」

「だから楽しみじゃない!」

 

 翼さんは良くも悪くも嘘はつけない性格らしい。怒られてると言うのに、顔がニヤけそうになるのを堪えてしまっていた。

 

 その後、翼さんが怒って本気で帰りかけそうになるので、私と未来は慌てて引き留めた。

 ここまで来て本命が居なくなってしまったらデートどころじゃない。私が今日行くと決めた場所は全て翼さんに合わせてセッティングしたものだ。

 何とか宥めることに成功した私達は、改めて出発することにした。

 

「で、では、気を取り直して、まずはショッピングモール行きましょう! その後映画観て、ご飯食べましょう!」

「映画がチケット完売とか言うオチは無いだろうか……」

「そ、それは大丈夫です。私も確認しましたからっ」

 

 未来が横でそっとフォローを入れてくれた。

 と、並んで歩いている時に、ふと翼さんが思い出したように私達に言った。

 

「そう言えば」

「どうしました?」

「不動は、やはり来ないのか?」

「あ、はい…そうみたいです。なんか予定があったみたいで…」

「そうか」

 

 私の答えに、翼さんは少し気落ちした様子だった。

 

「翼さん?」

「あ、いや」

「もしかして、遊星に何か用事だったんですか?」

「い、いえ、そうじゃないの。話と言っても、別に大したことじゃないし……」

「そうですか? 良かったら、私から話しますよ?」

「大丈夫、気にしないで。折を見て、私から言うわ」

「はあ……」

 

 翼さんの様子は、上手く言い表せない感じだった。というより寧ろ……翼さん自身が、上手く言いたい内容を言葉に出来ないって言うのかな。けれど、それ以上追及することも出来ずに、私と未来は首を傾げた。

 

「まあ不動も、これを期に羽を伸ばせる機会があった方が良い…と思ったのもあるのだけれど…」

「あ…」

 

 翼さんはそう言って、遠くを見る。

 そこにはリディアン音楽院が……二課の基地がある方角だった。普段なら、遊星は平日も休みもそこにいる。学校の先生として、或いは二課の協力者として、授業をしているかDホイールのメンテナンス。たまに空いた時間ができると、それを利用して街へパトロールに出て行ったりもしていた。

 

「そうですよね。私も遊星に休んでほしかったんです」

 

 正直……私が遊星を誘ったのも、翼さんが言ったように少しは休んだ方が良いんじゃないかと思ってのことだった。

 出会ってから三か月が経とうとしているけど、ハッキリ言って遊星が休んでいるのを見たことが無い。

 

 と言うか……

 

「なんというか先生って、生活感が無いんです」

「生活感とは?」

「私達が見てると、大体何かの作業をしてるんです。Dホイールの整備とか、学校のテストの採点とか」

「ふむ…」

 

 未来の言葉に、翼さんが頷く。

 

「そうそう。あと、食べたりとか寝たりとか、買い物したりとか、そういうのも無いし………あ、あとあんまり寝てない、とか」

「寝てない?」

「私が二課にいると、了子さんと徹夜で作業してたりとか普通で…」

「それでは身体が持たないだろう」

「私もそう言うんですけど……」

 

 余りに心配になって私が言うと、遊星はケロッとした顔で答えたのだった。

 

「『大丈夫だ、さっきたっぷり30分寝たから』って」

「……」

「それ、寝たって言わないよね」

「だよね! もー、私心配でさー! たまにお夜食持ってくんだけど、それでも遊星、私の目の前で食べようとしないんだもんッ」

 

 遊星は、作業がひと段落する前に食べると気持ちが悪いって言う。一応、お皿はキレイに平らげてあるから食べてないってことは無いらしい。

 でも、こっちはこっちで心配になってしまう。

 

「それでこの間、なんとしても食べて寝てもらおう、って思ったら……」

「響が先に寝ちゃったのよね」

「はい、そうです……」

「……」

 

 翼さんが何とも言えない眼で私を見る。

 だってしょうがないじゃないですか。こっちは成長期なんですから……でも目が覚めて、ちゃんと私の肩にタオルケットが掛かってたのには、遊星の優しさを感じました。

『逆にお世話されてどうするのよ』って言った未来の、呆れた表情は忘れようもない。

 

「でも私心配ですよ。あのままじゃ遊星、いつか倒れちゃいそうで……もうちょっと自分のこと気遣ってもいいと思うんですけど…」

「……響」

「あれ?」

 

 じぃーっと、ジト目で未来が私を見ている。私、何か悪い事言ったのかな? 

 戸惑う私に向かって、翼さんがポツリと言った。

 

「なんというか」

「え?」

「二人は、仲の良い兄妹のようだな」

「え、え? 私と、遊星が?」

「もしや自覚がないの?」

 

 驚いた様子の翼さんに、私は目を丸くする。すると未来も、納得した様子で頷いていた。

 

「私もそう思います。ホント二人ってそっくりっていうか……多分、気付いてないのは本人だけだと思いますけど」

「ええ、未来まで?」

 

 そんな事、全然考えたことなかった。

 別に悪い気はしない……むしろ、あんなお兄さんがいてくれたらなって。けど私と遊星は真逆だと思ってた。遊星はクールで頭も良くて、運動神経も腕っぷしも強い。優しいし、気配りだってできる。

 

 それに比べて私は、こうと決めたら周りが見えず、成績は連続ドベ、体力こそついてきたけど素の身体能力は比べ物にならない。おまけに人助けをしたいと言いつつ、大体私のガンバリは空回りが多い。

 

「私、そんなに遊星に似てるかな? 頭良くないし、周り見えないし…」

「そこは似せる努力をした方が良いと思うけど」

「そこはフォローしてくれないのね……」

「でも」

 

 未来は微笑しながら私を見た。

 

「二人は、何だかずっと前からの知り合いみたいな、そんな風に見えるかな」

 

 ポカンと、私は未来を呆然と見つめ返す。この言葉の意味を、私はずっと先に思い返すことになった。

 似てないようで近い、けれども遠い、私達の出会いの意味の本当の意味は、まだ誰も知らない。

 

 私は遊星の抱える闇を、まだ知らない。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

(……ここにもいないか)

 

 お好み焼き屋を出た後、俺は街を一通り回っていた。弦十郎さん達とは別に、独自で雪音の居所を探ろうと考えていたのだ。

 しかし、訪れた場所はことごとく空振りに終わった。

 

 こうして力不足を痛感していると、雑賀の有能さが分かる。元の世界で知り合った何でも屋の男は、手がかり一つから探し物を見つけたり、必要な物を調達してくれるスペシャリストだった。

 彼がいてくれれば……

 

(つくづく、俺は周りに恵まれていたな)

 

 本当なら弦十郎さんの調査報告を待つべきだ。

 しかしそれを良しとしないのは、未だに見つからない内通者の存在である。これが、俺の心に影を落としていた。

 

(店で見つかった盗聴器は、内通者が仕掛けた物で間違いない)

 

 あの後、見つかった盗聴器を分析したところ、出処はこの世界のアメリカ……それも軍部でよく使われている物と判明した。

 入手ルートも不明だし、犯人の特定には結びつけられないが、それでも内通者の存在は徐々に明らかになりつつあった。

 

「急がないといけない」

 

 信号が赤になった。Dホイールを止めると俺は呟いた。

 

(内通者と『フィーネ』との繋がりが、何処まで二課の中に忍び寄っているか分からない。いざという時の為に、俺も可能な限り、情報を集めなくては……)

 

 恐らく『フィーネ』との決着がつく時も、そう遠くない。そんな予感がしていた。そうなる前に、敵の正体や、何より俺のデッキを取り戻さなくてはいけない。

 

 そしてそれは、俺が元の世界に戻る手がかりにもなる筈だった。

 奴は俺がシグナーであることや、別世界の住民であることも掴んでいる。無論、内通者の存在はあるだろうが、以前遭った時のあの様子からするに…ただの情報としてではなく、もっと俺の世界の事を深く知っているような雰囲気にも取れた。

 

 もしかすると『フィーネ』が、俺をこの世界に呼び寄せた張本人ではないだろうか。そんな予感さえするのだ。

 

 

「ちょっと離してよ!」

 

(ん?)

 

 

 悲鳴が聞こえたのは、通りを抜け、繁華街の入り口に差し掛かった時だった。繁華街の入り口に面した大通りの路肩にDホイールを停めると、繁華街とは逆方面の路地裏の奥から大声が聞こえた。

 

 

「大声出すなよ」

「手触っただけだろ」

 

 その声が聞きとれたのは、一際大きかったのと、滅多に人が寄り付かないであろう空間だったということ。それと、もう一つ。

 

「ぶつかったのはそっちだろ、なあ」

「だから…それ謝ったじゃないですか」

「誠意見せてよ誠意」

 

 声の主が見知った顔だったからだ。

 

 

(寺島と……板場と、安藤?)

 

 ほぼ毎日、教室で顔を合わせている三人だ。中間考査のテスト用紙を返却し、その後の課題の紙を渡したら、板場が思いきりしかめ面を最後にしたのが印象的だった。

 しかし、遠くから見た彼女らの表情は、到底不機嫌程度で済ませられるものではなかった。

 

 タンクトップやシャツを着ていた少年らが、彼女達三人を囲っている。板場達と同じく三人組だが、お世辞にも柄が良い様には見えない。

 

「金貸してくんね? 困ってんだよ」

「何でそうなるんですか」

「あのさ、あっち行こうよ。あっちで話そ」

「や、止めてください、離してっ」

「いいからいいから、行こ」

「や、やめてってばっ」

「……うるせえな、殺すぞ!」

 

 最初抵抗していた三人だったが、囲んでいる連中で一際体格の大きな男が、安藤の肩を掴み上げる。それまで何とか強い口調だった安藤も、ビクリと、身体が震えてしまう。

 その瞬間、俺はDホイールを止めて彼女達の元へ駆け寄って行った。

 

「騒いでんじゃねえよ」

「あっ……!」

「黙ってりゃ何もしねえからさ」

「おい、行こうぜ早く」

「や、やだ、ちょ…」

「ユ、ユミ…!」

 

「おい」

 

 連中は、彼女達の肩や腕を掴んで更に路地裏の奥へと引っ張ろうとしていた。その内の一人の肩を俺は掴み上げる。

 

「ああ?」

「俺の教え子に何してる」

 

 掴んだ相手を無理矢理にこちら側へ振り向かせる。その時、板場達が俺の姿に気付いた。

 

「え、うそ…」

「せ、先生」

 

 彼女達も当然だが私服姿だった。疎い俺でもオシャレをしているのが分かる。休日を楽しむつもりだったのだろう。近道しようとしたか何かで、ここを通ったのかもしれない。

 向こうはすぐに俺の手を払いのけようとするが、上手く振りほどけない。くちゃくちゃとガムを噛んでいる仲間の一人が俺に近付いてきた。

 

「誰だテメエ? センセイ?」

「誰でもいい。早くその子たちを離すんだ」

「は? ナニお前?」

「嫌がってるだろ。何があったか知らないが、その辺にしておくんだな」

「何なの、コイツ? 意味分かんねえんだけど?」

 

 奥で板場を掴んでいる少年はニヤニヤしながらこっちを見て言った。お茶の誘いで彼女達に声を掛けたわけじゃないのは明白だった。不快感が俺の中で首をもたげる。同時にサテライト時代の冷たい感覚が蘇ってきていた。

 

 俺はもう片方の手をポケットに突っ込む。中には『ふらわー』の器具を修理した時に交換したネジが入っている。

 折れたソイツをポケットから取り出すと、ゆっくりと指で挟む。

 

「お兄さんジャマだからさあ、どっか消えてくんない?」

「そうそう、痛い目見たくないでしょ」

「……その耳は飾りみたいだな」

「ああん?」

 

 僅かに力を込めて弾くと、ネジは綺麗に直線を引いて男の伸びた鼻の下を直撃した。

 

「いでぇ!」

「代わりにぶら下げとけ。ひん曲がってるが、お前らにはお似合いだ」

「テメエ何すんだ殺すぞコラァ!」

 

 目の前の男は鼻を抑えていたが、すぐに俺の胸ぐらを掴み上げる。

 …俺が凄んで逃げる位の連中なら良かったんだが。

 とは言え、ノイズの影響さえ除けば、この国は実に平和だ。この程度で不良や悪ガキの肩書きがつくのだから。

 

「…へっ」

 

 俺を掴んで前のめりになった重心。

 軽く足を小突いてやれば、簡単にその場にすっ転ぶ羽目になる。そのまま横っ腹に投げてやると、男は壁に激突した。

 

「あだっ!?」

「こいつ!」

 

 残りの2人が腕を振り上げた。

 本当なら痛めつけても殆ど良心は傷まないが、仮住まいとはいえ、俺が授業をした生徒の前であまり生々しいのも見せたくない。右の1人の腹を懐に入って蹴り上げ、背負い投げの要領でもう一人を後ろまで向かって放ってやる。

 

「うげぇ!?」

 

 表通りにまで転げ出て、もつれて地面に転倒した2人。そこへ向かって、最初に壁に当たってうずくまる男の首根っこを掴んで投げてやった。縺れ合う三人に向かって、俺は冷ややかに見下ろす。

 

「うっ…!」

「…運がいいなお前ら」

「はえ…っ!?」

「とっとと行け」

「う、うわぁっ」

 

 心の底で呆れながら、しっしっと手を振る。

 ようやく自分たちの置かれた状況が飲み込めたらしい。

 彼らは這々の体で逃げていった。

 

(やれやれ)

 

 ジャックやクロウがいれば、こんなもんじゃ済まないぞ。腕の二、三本は覚悟しないといけないからな。

 そう思いつつ、不良達が角を曲がるのを見てから、俺はようやく板場達のいる方へ振り返った。

 

「大丈夫か?」

「あ、は、はいっ。ありがとう、ございます…」

 

 寺島が率先して頭を下げた。後ろでは安藤が板場の手を握って支えつつ、こっちへ歩いてくる。

 

「板場も安藤も、災難だったな。怪我はしてないか?」

「は、はい……」

「大丈夫です…」

「そうか、良かった」

 

 表通りに出てきてキョロキョロ周囲を見渡す三人。やがて、安藤が俺をじいっと見上げながら尋ねてきた。

 

「先生、どうしてここへ…?」

「俺はただの通りすがりだ。ちょっと、探し物があってな。皆は買い物か?」

「はい、そうです……」

 

 取り敢えずは安心した様子だったが、まだどこか不安げだ。周囲の喧騒で、このやり取りを見ている者は殆どいない。

 

「あの、本当にありがとうございました」

「気にするな。だが、これからは行く道は選んだ方がいいな。こういう路地裏には、ああいう手合いが必ずいる」

「はい…」

 

 その時に、板場が震える声で言った。

 

「ごめん二人とも……アタシが近道しようなんて言ったから」

「ユミのせいじゃないよ」

「そうですよ。私達だって了承したんですから」

 

 二人が慰めるが、板場は無言で首を振る。

 無理もない。ああいった連中―サテライトのならず者とは比べ物にならないが―の相手は俺にとって日常茶飯事だったが、彼女たちは豊かなこの国の中でも、比較的富裕層と思われる家の出だろう。

 あんな奴らは話に聞くだけで、実際に見たことはないのかもしれない。龍亞や龍可もそうだった。

 とは言え、楽しい気分をこんなことでブチ壊されては可哀想だ。ちょっとこっちに来いと手を振って、俺は止めたDホイールの近くまで三人を引き連れた。

 収納スペースから、おばちゃんにもらった券を取り出す。

 

「嫌な思いをしただろう。良かったら、これでも使ってくれ」

「え、これって」

「商品券だそうだ。何か美味いものでも食べるといい」

「え、いや、そんな。助けてもらったのに、こんなの受け取れませんって」

「気にするな。貰い物だし、俺も特に使い道は思い当たらなくてな。こういうのはパッと使ったほうがいいだろう」

 

 安藤が首を振る。しかし俺も譲らなかった。自身がおばちゃんにされた時のように、半ば強引に彼女の手にそれを握らせた。

 

「あ、あのっ」

「じゃあな。楽しんでけよ」

 

 Dホイールに跨り、ヘルメットを被る。

 三人の呼び止める声を敢えて無視し、青信号になって走り出した車の群れの中へと突っ込んで行った。

 




ヒューっと、その活躍を見て口笛を吹きたくなる男、それが不動遊星です。
ハードボイルド男は良い文明。


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第8話『防人の歌と、夢の守り人と』‐2

暖かくなってきたと思ったら、冷たい日も続きます。
コロナもそうですが、天気に左右される人も多いと思います。
お気をつけ下さい



 俺は走っていた。脇目も振らずに、ただひたすら、一直線に。目的地に向かって。

 

「………!」

 

 周囲の目など気にしている余裕は無かった。

 響達がいるであろうショッピングモールへとDホイールを走らせる。

 

「無事でいてくれ、皆!」

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 ……キッカケは通信だった。

 板場達と別れてから一時間余りたった頃だろうか。

 街を一通り探索し終えても成果が得られず、今日は切り上げようと思った時だ。

 

(そう言えば…響達は大丈夫か)

 

 ゴロツキどもを伸した事で、ふとそんな考えが頭をよぎった。あんな連中に絡まれたことは無いだろうか、と。

 

 もちろん、響や翼はあの程度の連中に後れを取ることは無いだろうが、万が一ということもある。休みで気が緩んだり、或いは未来を狙う輩が現れないとも限らない。

 人混みに紛れ、敵の手が伸びてくる可能性も捨てきれない。

 

 途端に響達のことが不安になってきた。念の為にと思い、連絡を取ることにした。

 

(あくまで用心だ)

 

 と、考えていたが。

 

(? 出ない)

 

 響の端末にかけても繋がらない。

 単純に気付かないだけとか、或いは電源を切っているか。今日は映画なども見に行くと言っていたし、普通に考えれば、何か不都合があったと考えるのが自然だろう。

 

 しかし、どこか心にしこりが残る。

 改めて未来の端末にかけ直した。

 すると………

 

『………もしもし』

「ああ、未来か。俺だ。今大丈夫か?」

『は、はい…』

「休みの日にすまない。さっき響に連絡したんだが…」

『や、止めて!』

「っ!?」

 

 瞬時に、身体に緊張が走る。

 

「おい、どうしたんだ」

『ひ、響、落ち着いて! 翼さんも!』

「響と翼がどうした? 何があったんだ?」

『え、だ、大丈夫ですっ、別にそんな……ああっ!?』

 

 裏返った未来の悲鳴。

 大丈夫でないのは明白だった。俺は平静に努めて、何とか未来に事情を確かめようと呼びかけ続ける。

 

「未来、一体どうした!?」

『あ、いえ、先生、大丈夫ですから気にしないで……ひ、響! 落ち着いてよ!』

『キョエエエッッ!!』

「!!?」

 

 機械越しにも届く奇声じみた音。しかし俺にはこの声の正体が分かってしまう。

 

 これは響の掛け声だ。

 

 弦十郎さんの修行の一環としてカンフー映画などを見て、それを参考にして得た闘争本能を高める呼吸法だった。

 争いごとを嫌う響が、この闘法を使うということは尋常ではない。

 

「未来、落ち着けっ。響に何かあったのか!?」

『い、いえ、本当に大丈夫です…先生は気にしないで……ああ、ちょ、ちょっと待って! 響!』

『ハイヤ──ッ!』

『ご、ごめんなさい、ごめんなさい! すぐに辞めさせますから…ああっ!』

『ぎゃああっ!?』

「響!? おい、響!」

 

 未来の悲鳴と、それに続いて聞こえる響の雄叫びと悲鳴。身体から冷や汗が出るのを抑えることは出来なかった。恐ろしい予感が脳裏を這いずった。こんな白昼堂々と、それも響が我を忘れ、未来が怯えるような様子で連絡も出来ない程の事態とは……

 

「未来、一体何があった?」

『え、ええっと、その、なんて言うんでしょうか、その……』

「落ち着くんだ。今、何処にいる?」

『え、今ですか? ええっと、ショッピングモールのゲームセンターですけど……』

「分かった、今からそっちへ行く。それまで何とか持ちこたえろ!」

『え、あ、あの先生ちょ』

 

 戸惑い、混乱しているのが声だけで伝わる。俺は即座に端末を切った。その直前、また響の悲鳴や叫びが聞こえた気がする。

 そして何より、翼の声は全く聞こえなかった。

 俺は逸る心を抑えながら、ヘルメットをかぶり直して、エンジンを入れた。

 

「くっ!」

 

 すぐさまDホイールを回転させ、来た道を逆戻りする。

 詳しい状況は聞き出せなかったが、敵がいたのは間違いない。そして未来の言葉から察するに……

 

(敵の不意打ちだ! そして未来が人質に取られている!)

 

 そうとしか考えられない。

 それで響は我を忘れて暴走し、未来はそれを止めようと必死になっていたのだ。外部に連絡も取れないために、俺との通信を切ろうとしたに違いない。

 

 俺は自らの不甲斐なさを呪った。

 やはり誘いを断るべきではなかったのだ。影ながら警護に就くべきだった。もし三人に何かあれば、俺は緒川さんや弦十郎さん達に顔向けができない。

 

(ここかッ……三人とも無事でいろよ!)

 

 目的地にはすぐについた。

 急ぎDホイールを止めて、入口名から内部の様子を観察しようとする。

 すると……入口からは中の様子は殆ど分からない。

 

 が、まるで争い事など無いかようだ。

 

「……んん?」

 

 中は複雑だから、まだ表にまで知られていないのかもしれない。しかし、ここまで反応が普通通りだと、流石に違和感がある。

 不審に思って、もう一度端末を取り上げ、響達に通信しようと試みると、その前にメッセージが一件届いていた。

 

 中身は未来からだった。

 

『先生は気にしないで下さい。本当に大丈夫ですから』

 

 それだけが綴られている。

 額面通りに受け取るなら、このまま帰ってもいいことになる。

 しかし、万が一ということもあった。これが仮に敵が打った。あるいは強制的に打たされた文面だとするなら、敵は周囲にそれさえも気取られずに響達を略取したことになる。

 

(……念の為だ)

 

 Dディスクを携帯用のデイバッグに詰め、周囲に悟られぬよう、ゆっくりと掻き分けて中を進む。ゲームセンターのエリアは中央付近に位置していた。

 

 次第に人混みも多くなり、喧騒も賑わってくる。

 

 不意に視界が開ける。ゲームセンターの入り口だ。俺は意を決して飛び込む。

 そこには、信じられない光景が待っていた。

 

 

「むきーっ! なんで取れないのー!!」

「ひ、響、もうやめようよっ」

「立花……もういいから。その気持ちだけで充分…」

「いいえ、ダメです! ここまで来て引けません! 私にだって取りたい物が有るんですっ!」

 

 

 響達は遊んでいた。普通に。

 

 

「………」

「くそおー。気合が足りなかったかっ……もういっちょ、キエエエエエッッ!!」

「だ、だから変な声出さないでって言ってるでしょ!」

「立花、止せ。冷静さを失っては、取れるものも取れずに……」

 

 奇声を発しながらゲームセンターの筐体にかじりついている響と、それを横から見守る未来と翼。

 

 どう考えても、非常事態には見えなかった。

 

「……」

 

 目を瞬かせながら、一応……ほんの一縷の期待で、周囲を警戒しつつ、三人の元まで近付いていく。

 その間、響達は俺のことに全く気付いていないようだった。

 

「おい、みんな」

「……不動」

「あれ、せ、先生ッ?」

「なんだ、これ?」

「あ、えっと…」

 

 響以外の二人……特に未来はとてもバツの悪い顔をしていたが、後ろでなおも絶唱……もとい、絶叫している響を見て、観念したのか深いため息をついた。

 

「もしかして先生、心配して来てくれたんですか?」

「ああ。敵に襲われたんじゃないかと思ったんだが……」

「……ごめんなさい」

 

 深々と頭を下げる未来。横でも翼が苦い表情で頬を掻いている。

 その態度で何となく察しはしたが、取り敢えずは事情を聴いておかないといけない。

 

「響は、何をやってるんだ?」

「その、私達、映画見た後でここに来たんですけど……その」

「すまない。私の責任だ」

「ぐきゃあああああっ!」

 

 翼が頭を下げた直後、再び響の悲鳴が聞こえた。ここまで来ると、周囲も何かあったのかとジロジロ遠巻きに見ている。

 思わず俺も響の方へ視線を寄せると、響がさっきから何に気を取られているのかがようやく分かった。

 

「また落ちたー! なになになんなのもーこれはぁぁぁぁぁっ!!」

「その…私が、あれを見て可愛らしいなと言ったので、立花が…」

「もう止めようって何度も言ったんですけど…」

「お、よーしよしよし、こいこい、こぃっ!」

「……」

 

 響が今興じている……と言うか、熱中し過ぎているのは、いわゆるクレーンゲームだ。ネオ童実野シティでもデュエル以外の遊戯は存在する。

 俺はあまりやったことは無いが、以前に仲間達にせがまれて一緒に遊んだことがあった。

 

『ねえ遊星、あれとってよ。ブルーアイズ・ホワイトドラゴンぬいぐるみ。龍可が欲しいんだってさ』

『別に欲しいなんて言ってないもん。っていうか、どうせなら龍亞が取ってよ』

『い、いやほら、俺はデュエル専門だから、ああいうの苦手なんだよね』

 

 その後、ジャックが『そういう事なら、この俺に任せろ』と言い、相当な額を費やして、クロウと一悶着起こしたのは苦い記憶だった。

 以来、皆でゲームセンターに行くことは暗黙の禁止となっていた。

 

 今の響はその時と同じ状況だ。

 目的の景品が取れず、引くに引けない。

 

「いけ、おい、そこ、そこったら、あっ、ああ、ちょ、あ、あーっ!」

 

 響の雄叫びが施設内にこだまする。

 周りの人たちも、流石に迷惑そうに視線を送って来るが、響には見えていない。

 

 店員らしき青年が寄ってきて声を掛けた。

 

「あの、お客様、他の方のご迷惑になりますので……」

「す、すみませんっ、今すぐどきますからッ」

 

 未来が慌てて店員に頭を下げて詫びている。その後振り返って響の肩を揺すって呼びかけた。

 

「響、いい加減やめないと…! もう何千円も使ってるよ」

「大丈夫! 『課金は家賃まで』って偉い人も言ってたから!」

「誰が言ったのそれッ! ほら店員さんも見てるから…」

「だーもうー、こうなったらシンフォギア使って満足するしかない!」

「だからバカなこと言わないで。って言うか声のボリューム落としてっ」

 

 親友の言葉も届かない。完全に暴走していた。響にギャンブルの類はやらせない方が良い。恐らく一日で破産する。

 何故かキングと呼ばれた俺の友の姿が脳裏に浮かんだのだが、今はどうでもいい。

 

「すまない…私が無理に見たがったばかりに……本当にすまない」

「翼さんのせいじゃないですよっ。ほら、響…!」

「……はぁ、分かった」

 

 取り敢えず何とかしてやらないと、二人が可哀想だ。店側や他の客にも迷惑だし、何より響がいたたまれなくてしょうがない。

 

「先生?」

「少し待ってろ」

 

 俺は未来にデイバッグを預けると、響の所まで歩み寄った。熱中している響の肩を強めに叩く。

 

「響」

「うえー!? もうなんで…あれ? 遊星? どうしてここに?」

「あれが欲しいんだな?」

「えっ?」

「ちょっと下がってろ」

 

 初め響はポカンと口を開けて立ち尽くしていたが、俺の有無を言わさぬ態度にそのまま場所を譲った。

 彼女のいた場所に立ち、端末を操作して支払モードに切り替えると、筐体の読み込み画面へと置く。

 

「………」

 

 動き始めるクレーン。アーム本体や、関節部分の微妙な動きを観察して、俺は数回、レバーを操作する。

 

「え、まさか先生…」

 

 未来がポツリと呟いた。

 瞬間、俺の操るアームがぬいぐるみの商品タグに引っかかる。引っ張られたぬいぐるみは、そのまま山積みされていた他のぬいぐるみ達を巻き込み、芋づる式に連鎖して動き始める。

 

「……あっ」

 

 軽い音を立てて、下部の穴へと一気に落下していくぬいぐるみの数々。操作時間をたっぷり使ってギリギリだったが、何とか目的は達成できた。

 

「よし、こんなもんだな」

「……」

「取ってやったから、もう騒ぐな」

 

 端末を仕舞い、筐体下にある受け取り口から、景品を取り出す。かなりの数になったが、その内、翼が欲しいと言っていた黄色ぬいぐるみを一つ、選んで本人に手渡す。

 

「翼、欲しいのはこれだったか?」

「え、あ、はい」

「そうか、良かった」

「……」

 

 目を丸くして頷く翼。俺もホッとした。

 取り敢えず、これで騒ぎの元は無くなった。響もむやみやたらに浪費することもなくなるだろう。

 とは言え、ここまで大声を出してしまっては、周囲にも迷惑だ。

 

「……」

「響、あれ位なら、いつでも取ってやるから。もうあんな事はするなよ」

「……なんで?」

「え?」

 

 放心した様子で俺を見上げる響。心なしか、妙に身体が震えているような気がする。

 

「どうした?」

「……なんで取ったの?」

「ああ。あの手のアームはランダムで挟み込む強さが変動するからな。移動する時の動きや振動でそれを読み取って、あとは引きの強さに応じてポジションを変えるんだ」

 

 実を言うと、ネオ童実野シティで修理屋をやっていた時、ゲームマシンの筐体の修理を請け負ったことがあった。それでこの手の機械の内容は熟知していたのだ。

 成功するかどうかは微妙だったが、今回は運が良かった。

 

「俺もあまり得意じゃないんだがな。位置取りも良かった。響がぬいぐるみを動かしてくれたお陰だ」

「……え」

「ある程度山を崩してくれていたからな。あれなら、一回引っ掛ければ後は簡単に取れるようになる」

「………」

「どうした?」

 

 響の震えが大きくなった。下を向き、ワナワナと拳を握りしめていた。

 心なしか、まだ周りもジロジロと見ている気がする。

 

 この時、俺は気付いていなかったが、翼は帽子を目深にかぶって溜息をこらえ、未来は眉間にしわを寄せて頭を振っていた。

 

「あ、すまない。気付かなかった。響も欲しかったんだな。ほら…」

「……う」

「う?」

 

「うわーんっ! ゆーせーのばかぁあああー!!」

「あ、た、立花! 待てっ!」

 

 しかし響が泣きながら走ってゲームセンターを出て行くと、ハッとなって翼は後を追いかけた。

 後には、呆然と大量のぬいぐるみを持った俺と、デイバッグを持った未来が残された。

 

「これじゃないのが欲しかったのか。言ってくれれば…」

「いいから出ましょう先生……これ以上はもう……恥ずかしいですから……」

 

 顔を真っ赤にした未来が、俺の服を引っ張りながら言った。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 時刻は5時を回っていた。

 夕日に濡れて、丘の山肌や、コンリクートの道路や階段がオレンジ色に染まっていく時間帯。

 私達は、ショッピングモールを後にして、山沿いにある丘の上の広場を目指していた。コンクリートで出来た階段を二段飛ばしで上がっていく。

 

「翼さん、早く早く」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、立花。小日向もっ」

「急がないとーっ」

 

 私は翼さんを急かしつつ、目的地まで急ぐ。

 今回のデートの最終目標。そして、一番大切な部分だ。

 これを失敗してしまっては、今日の意味がない。

 

「だから待ってくれっ」

「珍しいな、翼がそうやって息を切らすなんて」

「不動はそう言うけど、こっちは一日歩いてヘトヘトなの…」

 

 ゲームセンターの後も心配だからと付いてきた遊星の言葉に、翼さんは溜息をついて答えていた。

 

「慣れない事をすると、疲れるものね…」

「そうだな。さっきの騒ぎで、大分気疲れしたんじゃないか?」

「それは、まあ……楽しかったけど」

 

 翼さんと遊星が見合って苦笑している。

 

 結局、ぬいぐるみの山は店員さんに返したらしい。

 その方が良いような気がする。

 遊星がくれた、このワンちゃんぬいぐるみも、きっと数日間は私の胸を締め付け続けるだろうから。

 

「響、そもそも響が無駄に時間使ったからなんだからね」

「あ…ソウデスネ」

「もう止めてって何度も言ったのに……」

「ごめんなさい」

 

 丘を登る途中、隣に立つ未来に深々と頭を下げながら言った。

 

「そう言ってやるな。響も、反省してるんだから」

「先生は響を甘やかし過ぎです。いつもいつも響が何か人助けやろうとすると私がフォローする羽目になって…」

「はい、すいませんでしたッ」

 

 私の暴走に、未来はオカンムリだった。遊星や翼さんが横から助け舟を出してくれて、ようやく機嫌は持ち直したけど、それでもこうしてチクチクと私の胸を刺す。

 

「次やったら怒るからね」

「はい」

「い、いやしかし、こんな風に友人と遊びに行くなんて初めての経験だった」

 

 未来の機嫌を損ねないよう目的地を目指す道中、翼さんが私のフォローをしてくれた。

 

「特にカラオケは楽しかった。ああいう場所は行ったことがないものだから」

「それは面白そうだな」

「う、うん。今度は是非、不動も一緒に行こう」

「そのうちな」

 

 遊星が短く答える。私を見て、二人は苦笑していた。

 …ま、まあ、よかった、かな? 

 翼さんの表情を見て、私はホッとした。

 また私の悪い癖で、翼さんをガッカリさせたのかなと思ったけど、少なくとも楽しませることには成功したみたい。

 

「それで…結局どこへ行くの? さっきから教えてもらえないけど」

「もうすぐですっ」

 

 そう言った直後、階段が終わって、私達は視界の開けた場所に出る。

 

「到着しました。こっち来てください」

「先生もどうぞ」

「俺も?」

 

 私と未来は、二人を手招きしながら顔を見やった。

 

 この場所は私のアイデアだった。未来もこれに関しては手放しで喜んでくれたから、ちょっと嬉しい。

 

 広場を入り口から進んでいくと、高台に出る。そこからは街の景色が一望できる、ちょっとした観光スポットになっていた。私達はそこで、翼さんにこの街の全容を見て欲しいと思っていた。

 

「どうですか? 良い眺めでしょ?」

「………」

 

 手すりの向こう側を見て、翼さんは目を見開いて、しばらく呆然としていた。

 

「凄い」

 

 ポツリと、翼さんの唇から感想が出る。

 

「こんな景色があったなんて……」

 

 夕日が照って、翼さんの横顔を照らす。淡くて綺麗な長い髪が、そよ風に揺れた。耳を澄ませると、葉っぱの揺れる音に紛れて、虫の音が聞こえ始めている。もうすぐ梅雨が来て、その後で本格的な夏になる。

 

 もうすぐ終わりそうになる春の景色…沈もうとする夕日が、その最後の輝きに思えた。

 

「良い場所だな。こんな風に街の全てが見られるのは」

 

 と、遊星が言った。

 

「そうでしょ? 私達のお気に入りなんだ」

「ああ。俺の故郷にも似た場所があった」

「遊星の?」

 

 少し驚いた。日常で、こんな風に遊星が自分の世界を私に話すのは珍しかった。

 

「何か悩みがあったり、行き詰った時には、そこへ行ってたよ」

「……へえ」

「俺の心の内を、受け入れてくれるような気がしてな」

「そうなんだ」

 

 遊星の心の内側…それを私は知らない。

 ドクン、と私の心臓が一瞬高鳴った。

 

『ねえ遊星。昔に何があったの?』もしここで……そう私が訊いたら答えてくれる? 

 

 答えてくれないんじゃない。私が訊かなかっただけ。

 どうしてか、理由は分からない。ただ少しだけ、怖い気がしたから。

 

「ねえ、不動」

 

 だから翼さんがこう言ってくれて、私は助かったのかもしれない。

 

「知らない人間でも、この景色は受け入れてくれるかな」

「え?」

「もし街に意志があるとして……見ず知らずの私を見て、何を言うのかな」

 

 キョトンと、私達は翼を見る。翼さんが、街と夕焼けを眺めながら尋ねていた。

 夕焼けの光が、一際輝く。

 目が眩んで、翼さんが影になって見えなくなる。

 

「翼さん?」

「ごめん……ただの感傷」

 

 私達は、ただ翼さんの横顔を見ていた。

 翼さんは何でもないという。けれど、そんな顔を見たら、何でもないなんて思えない。

 

「翼、どうかしたのか?」

 

 遊星が尋ねる。

 

「……どうだろう。何かあったかもしれないし、何でも無いかもしれない」

 

 翼さんは首を振って笑った。その微笑みは、意味があるようで、無いようにも見えた。

 

「街を回っても、買い物をしても、映画を見ても……私の知らない世界だらけだ。そう思うと……なんだか、情けなくて。きっと、奏が見たら笑うわ」

 

 あ。今度の笑いは、少し分かった。

 奏さんのことを思い出してるからだと、私は思った。

 

「……防人として戦って、戦場で散る。それしか考えてなかったから」

 

 悲しんでるでもなく、責めてるでもなく、淡々と翼さんは言う。

 翼さんは、私より強くて、そして私よりも繊細で。

 例え悩みがあっても、私はバカだから、きっと翼さんの心を分かってあげられない。

 

 季節外れの鈴虫が、凛と鳴いた。

 

「そんなこと言わないで下さい」

 

 知らぬ間に私は翼さんの手を取る。きっと、私達の道を照らしてくれるのは、今も昔もキチンとそこにある。

 

「え?」

「ちょっと、こっちを見てください」

「た、立花?」

 

 戸惑う翼さんを引っ張って、私達は高台の手すりを少し移動する。

 途中、未来と遊星が微笑んでいるのが見えた。きっと、私がやろうとしていることが分かってるんだ。それは私にとって幸福だった。

 

「あそこが、待ち合わせた公園です。で、向こうが最初に行ったモールで、あっちが映画館です」

「う、うん…」

「それで、あれがカラオケで……」

 

 私は翼さんの隣に立つ。そうして、街のある方向を指差した。

 一つ一つ、私は街を紹介していく。

 本当は、こんな事をしているのは少しおかしいんだけど。けどこれが、翼さんの悩みに、少しでも近づけるのなら……私はそう思った。

 

「で、あれはスカイタワーです」

「それは知っているけど…」

「ほら、知ってるじゃないですか」

 

 私はいたずらっぽく笑う。今度は翼さんがキョトンとする番だった。

 

「あれも、あれも。それと、あれも。今日見て回った場所も、回ってない所も、ずっと翼さんが守ってきた場所です」

 

 そう言って私は翼さんの手握った。

 

「だから知らない訳ないですよ。ちょっと忘れてるかもですけど、きっと知ってます」

 

 翼さんの中にも、あると思う。

 翼さんの言う、知らない景色は、きっと翼さんの中にある。

 それを知らずに歌っていたなんて、私にはもう思えない。

 

「昨日まで翼さんが戦って守ったから、今にも繋がってます」

 

 私を見てくれたじゃないですか。目を上げて、真っ直ぐに見なさいって、あの時に私に言ってくれた。

 だから翼さんの目には、ちゃんと映っている。

 大切な人、守らなきゃいけない人、今そこで生きていて、明日へ向かう人。

 

「翼………偶には、来た道を振り返ってもいいんじゃないか?」

「自分が来た、道?」

「ああ。違う景色が見えるかもしれない」

 

 遊星が微笑を浮かべて、私の隣で言った。

 アドバイスになるのか、私達の勘違いなのか…それとも、そうであって欲しいっていうワガママなのか。正直分かんない。

 きっと一つだけ言えるのは。

 

「違う景色か……ああ、そうだな」

 

 あなたの心が、歌が、私達とずっと一緒にあったということ。

 昔も、今も、私にとっての癒しであり、勇気であり、そしてささやかな憧れだった、あなた。

 それは紛れもなく、真実です。

 

「立花」

「え、あ、ごめんなさい…訳わかんないですよね。今の無し、無しです。聞かなかった事に」

「ありがとう」

「そうですか、ありがとうですか、やっぱりそうで……ええ?」

 

 ポン、と手を置かれる私の頭。

 顔を少し上げると、夕日に照らされた翼さんの微笑みが、一直線に私に向けられていた。それは以前、私を動かしてくれた日のようで。

 

 けど少し違っていた。

 

「……そうか、それが奏の見ていた景色」

 

 翼さんが会話を切って、再び街の風景を眺めていた。優しい顔をしていたけど、どこか寂しかったその眼が、徐々に光と一緒に輝いていく。

 夕日はより一層輝いていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 翌日の昼。翼が、俺達を呼び出した。

 いきなりの呼び出しだったので、俺達は戸惑ったが、屋上へ行くと翼は晴れ晴れとした様子で俺達を待っていた。

 

「立花、不動、それに小日向」

「え、はい」

「昨日はありがとう。本当に楽しかった」

「あ。いえいえ、そんな」

「お礼と言っては何だが、これを受け取って欲しい」

 

 そう言って、翼は俺達に一枚ずつ、細長い紙を手渡した。

 これは……

 

「これってもしかして」

「今度やるステージのチケットだ」

「え…ええ、え、ええっ──っ!!?」

 

 響は跳び上がって渡されたチケットを凝視する。

 そんなバカな、とまるで信じられない物を見る様子で、今度は翼本人とチケットを交互に見ていた。

 

「ちょっと響、響ってば」

「はっ! す、すいません、つい……嬉しくて」

「大袈裟な…」

「そんなことありません! うわぁ、良いんですか? 私、これ欲しかったんです! ありがとうございます!!」

 

 ぴょんぴょん飛び跳ねる響は、まるで子供みたいだった。

 その様子に苦笑するも、俺と未来も翼に改めてお礼を言った。

 

「復帰おめでとう、翼。俺も是非観に行かせてもらう」

「おめでとうごございます。私も観に行きますね」

「ありがとう。立花もだが、特に二人は慣れない事ばかり続いているから。少しでも楽しんで頂ければ幸いだ」

 

 その様子を見て、俺は翼がどこか、この間の休日から変わっているのを感じた。見た目や行動ではない。もっと奥底の方で、彼女は新たな一面を開花させようとしている風に思えた。

 

 その後、当日はこれを受け付けに渡しておくことや、当日の会場への経路、混雑が予想されるので早めに来ると良い等、基本事項を丁寧に説明してくれた。

 

「ちなみに遊星、ペンライトを持って応援する時は、こうやって振るんだよ」

「こうか?」

「そうそうっ」

「響、変なこと教えないで」

 

 棒を左右に激しく振るモーションをとる響を見て、未来は閉口していたが……そう言えば、イベントでジャック目当てのファンがそういうのを持っていた気がする。

 確か、シュウ酸と過酸化水素を使った比較的簡単な混合液だった筈だ。

 後で作ってやるか。

 

「すまないな。本当なら、もっと早くに知らせるべきだったんだが……」

「いえ、大丈夫です。この間の中間考査も割とよかったので、アハハ」

 

 と響が苦笑する。

 確かに、響はここ最近補習をやったこともあって、全体的に成績が伸びていた。最初から見ていると格段の進歩だ。

 事情を知った未来もサポートに回ってくれたことも大きい。

 

「…本当にギリギリだったけどね」

「あ、あはは、まあまあ、不動先生の教えが良いということでね?」

「教えが良くて、あれ?」

「…ま、まあまあ」

 

 ……あくまで最初と比べて、だった。

 

「あ、そうだ遊星!」

 

 焦っていた響だが、俺を見て思いついたように顔を明るくさせる。

 

「聞いたよ〜、大活躍だったんだって?」

「? 何の話だ?」

「またまた。弓美ちゃん達から聞いたよ、絡まれてたのを助けてくれたって」

「ああ。その話なら私も耳にしたな。クラスの女子が話していた気がする」

 

 翼も鷹揚に頷く。

 漸く合点が行った。

 

「そんなに大層な事をした訳じゃないんだが…」

「いやいや大したことだよ! 良かったね。これで不動先生の株も上昇間違いなしだよ」

「そんな簡単に行くとは思えないが…」

「でも、先生のこと見直す子も出てくると思います」

 

 未来もそう言って喜んでいる様子だった。

 確かに彼女達を助けて胸がすいたのは事実だ。しかしそれだけで上手く事が運ぶだろうか。人間の心が移ろいやすいのというのは、身に染みて分かっている。

 悪い方向へ傾いた評価が変わるのは並大抵ではない。

 

 とは言え、この時はまだ俺達の一助になればいい…その位にしか考えていなかったが。

 この時の出来事は、終局へ向けての大きな切り札になり得る、奇跡への一歩だった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「あの、先生」

「ん? ああ、板場たちか」

 

 教員室に向かう途中、ふと呼び止められる。

 振り返ると、板場、安藤、それに寺島が三人で並んでいた。おずおずと最初は戸惑いがちだったが、そのうち安藤が進んで頭を下げて言った。

 

「昨日は、本当にありがとうございました」

「ああ、気にするな。あの後、ちゃんと楽しめたか?」

「はい……」

 

 訊くと、三人はあの後はトラブルに巻き込まれることもなく、休日を満喫できたようだ。商品券を使って、甘いモノを好きなだけ食べられる店に赴いたらしい。

 

 なら良かった、と俺は頷いた。

 普段街を見まわっている限り、あの手の不良はそれほど多いわけでもなさそうだ。気を付けていれば、今後は大丈夫だろう。

 

「あの。ごめんなさい、先生」

「ん?」

「私達、今まで先生の事、誤解してたっていうか…」

 

 すると唐突に、安藤が謝った。

 

「あんまり喋らないし、怖い人なのかなって…だから、あんまり授業も乗り気じゃ無かったっていうか」

「でも、おばちゃんのテレビ直したり、私の端末直してくれたし、昨日も……」

「私も……いつの間にか、心のどこかで線引きをしてしまっていました……申し訳ありません」

 

 残る二人も、続けて頭を下げる。

 最初、キョトンと話を聞いていた俺だったが、彼女達の素直な気持ちが嬉しく、自然と微笑を浮かべていた。

 

「気にするな。壁を作っていたのは俺の方だ。もっと認められる努力しないといけなかったよ」

「いえ、そんな…」

「これからは、俺ももっと皆との会話を大事にするよう心掛ける」

 

 正直、俺自身は嫌われた方が良いとさえ何処かで思ってしまっていた。危険から遠ざける為にはそれが確実だったからだ。

 しかし、響や未来が真摯に俺の為に行動をしてくれているのに、それに応えないわけにはいかない。そして、彼女達もこうして自分から思いを打ち明けてくれている。

 

「授業も、もう少し分かりやすいように工夫してみる。未熟だが、今後ともよろしく頼む」

 

 そうして俺も頭を下げた。

 初め三人は俺の対応を意外に思っていたのか、少しの間無言だったのだが、やがて『はいっ!』と快活な返事を送ってくれた。

 

 どうやら響達の見立ては当たっていたらしい。小さな積み重ねを一歩ずつ続けているのが大切のようだ。

 そんな事を片隅で考えていた時だった。

 

「あ、先生。ビッキー…立花さん達から聞いたんですけど」

「カード集めが趣味なんですか?」

 

 ピクリと、俺の片眉が動いた。

 平静に、三人を見下ろして尋ねる。

 

「…何の話だ?」

「こういうのを見たら、先生の落とし物かもしれないから、教えて欲しいって」

「……」

 

 どういうことだろうか、これは。

 

「どこでこれを?」

「あ、やっぱり先生のだったんだ!」

「校庭の裏庭で見つけたんです。いつも昼食をとるところなんですけど。そこにある木の枝に引っかかってたんですよ」

 

 俺はここに来て教師として赴任して、真っ先にこの校舎の全域を調べた。

 もちろんカードが落ちてそうな場所も徹底的に探したし、今でも定期的に観察している。しかしカードは一枚も見つからなかった。

 

(エフェクト・ヴェーラー、ターレット・ウォリアー……それに、これはジャンク・フォワード)

 

 ここに来て、俺の窮地を幾度となく救ってくれた三枚のカードが戻った。

 これは偶然か? 

 いや、偶然なんかじゃない。

 キッカケがあって、このカード達は彼女たちの元へと引き寄せられたに違いない。

 

「…先生?」

「あ、いや、すまない。確かに俺の物だ」

「よかったぁ!」

「ありがとう三人とも、助かったよ」

「いえ、昨日のことに比べたらこれ位」

 

 俺は三人がそれぞれ差し出したカードを受け取って、改めて礼を言った。

 今になって、三枚も取り戻すことに成功するとは…。

 

(ここまで来れば、ほぼ間違いない)

 

 何故、消えたカードは戻って来たのか。どうして探しても見つからず、ふとした拍子に再び俺の手に収まったのか。

 その共通点を今まで俺は探していたが、ようやく確信を得るに至った。

 

 その時、端末が俺のポケットに鳴り響く。

 

「すまない、ちょっと外す。また教室でな」

「あ、はい」

「失礼します」

「先生、じゃあね」

 

 そう言って去る板場達の気配が消えたのを確かめると、俺は端末を開いた。

 

『白雪姫が見つかった。毒リンゴはまだ食べていない』

 

 二課の司令、風鳴弦十郎から、それだけが綴られていた。

 

 




カッコいいけど空気の読めない男、それが不動遊星。
女心なんて読めない方がモテるらしいです

童実野町は海馬がデュエルによる統治をしてました。
ゲーム使ってゆすりやたかりしてる連中が跋扈してますから、
まずはまともなデッキ作らせて住民登録させるという海馬方式は理にかなっています(大嘘


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第8話『防人の歌と、夢の守り人と』‐3

昨日は久しぶりに日間ランキングにこの作品が載りました
皆さまの応援のお陰です。
この場を借りて、お礼を述べさせていただきます。
本当にありがとうございます。

これからも、応援よろしくお願いします。


「またカードが戻ったの? それも3枚!?」

「ああ」

 

 地下本部のラボの中、了子さんの研究室の一角で、言葉短く俺は答えた。

 

「これで11枚……最初に来たカードと合わせて、22枚だ」

「半分を切ったわね。凄いじゃない」

 

 手を叩いて顔を輝かせる了子さん。

 確かに戦力はかなり強化された。特に今回戻った三枚があれば、響や翼に頼らずともノイズと戦う手段が増える。

 

「それだけじゃないみたいね?」

「え?」

「顔見たら分かるわよ。何か良いことあった? 察するに、女の子が絡んでると見たわ」

 

 ニヤニヤしながら俺の顔を覗きこむ。

 これには俺も思わず苦笑してしまう。どうやら人生の機微に関しては彼女の方が遥かに上手らしい。

 

「敵わないな、了子さんには」

「ふははは、もっと褒めなさい」

「実は、クラスの女の子達が拾ってきてくれてな。以前みたいに警戒されなくなったし、距離も縮まったと思う」

「良かったわね、響ちゃんも心配してたから」

「え?」

 

 了子さんが告げる。それまで鷹揚に頷いていた俺は、思わずメンテナンス中のDホイールから手を離して顔を上げた。

 

「ここ数日、何か良い手は無いですかって、相談に来てたのよ」

「そうだったのか…」

 

 そこまで心配してくれていたとは……正直、ここまで鈍感だと少し情けなかった。

 真面目な話、俺自身だけでは持て余していた問題と言うのもある。もっと早く、この人に相談すればあるいはちがっていたかもしれない。こればかりは反省するしかない。

 

「しかし、学園の中庭ねえ。真っ先に見つかりそうな場所だけど、なんで今になって」

「一つ、仮説があるんだ」

 

 俺は手を止めると、機材を横に置き、了子さんと向き合う。彼女の方もキョトンと俺を見返した。

 これから俺が言うのは、傍から見たら理論とさえ呼べない、お粗末なものかもしれない。

 

「これまでカードが見つかった時には、共通点がある」

「なにそれ?」

「絆だ」

「え?」

「この世界の人間との絆が出来上がった時に、カード達は俺の元に帰って来てくれた。俺はそう考えている」

 

 間違いないと思う。

 初めて戻って来たジャンク・シンクロンは、響と共に戦う決意をした時。

 ニトロ・シンクロンが戻ってくる時、弦十郎さんとの修行に打ち込んでいた。

 

 そして翼が俺を受け入れ、一緒に戦場に立った時。未来が響とのわだかまりを乗り越え、俺を信じてくれた時。

 

 リディアンの料理長、『ふらわー』のおばちゃん、それに板場達。

 様々な絆が出来上がり、紡がれた時に、カードは引き寄せられ、呼び寄せられて戻っていた。

 それは赤き竜の奇跡なのか、あるいはカードに宿る精霊の意志か、遊星粒子の可能性か。

 

 いずれにせよ、俺はこの破天荒な理屈を打ち立てていた。

 

「……」

「荒唐無稽に思うかもしれないが、俺にはそうとしか思えないんだ。だからこそ、ここぞという時にカードが戻って来た」

「………」

 

 ハトが豆鉄砲を食らうとはこの事か。

 了子さんは俺の話を最初黙って聞いていた。余りにも反応がなく、凍りついたような顔つきだった。

 こんなもの、確かに俺の世界でも信じられる話じゃない。

 

 しかし……

 

「……ぷ」

「ん?」

「あーっはっはっははっ!! ひ、ひひ、ご、ごめ、ごめんね、なんか、なんかおかしくなっちゃってアハハハハハハ」

「……」

「あーごめ、ごめんて、ヒィ、ごめ……あはははははっ!! あともうちょっと待っててアハハハハハハ!!」

 

 了子さんは笑った。

 盛大に、今まで栓をしていたビンが溢れ出すようにして、ゲラゲラとその場に膝をついて噴き出していた。こぢんまりとしたラボに女性の笑いがこだまする。正直俺でも品が無いと思ったほどだった。

 

「あー笑っちゃった笑っちゃった。ごめんごめん……ぶふぅ」

「……」

「あー、違うの。別にバカにしてないわ。寧ろ……いいんじゃない、それで」

「否定しないのか?」

 

 心が作用するなど、この世界の科学者にしてみれば滑稽の極みだ。了子さんほどの頭脳の持ち主なら、その反応もより顕著だと思っていた。

 しかし、彼女はまるで少女のように俺を見てキラキラと目を輝かせている。

 

「いえいえ、今までだったら笑い飛ばして終わりでしょうね。あ、さっきの笑いはナシね。あれは真顔で言う遊星君がカッコ良すぎちゃって」

「……」

「ごめん。もー、そんな顔しないでよ」

 

 バシバシと肩を叩く了子さん。

 ここまで来ると、どこまで本気なのか分からなくなってくる。

 

「アタシは賛成かな、その説。人は良くも悪くも関わらずにはいられない生き物でしょ。君が苦心して関係性を作った、その痛みを乗り越えた証として、カードが戻った……遊星粒子が反応する理由としてピッタリじゃない」

 

 と、彼女は眼鏡をかけ直し、俺を改めて見ながら言った。

 その言葉に、何処か救われた気になる。気が付くと、俺自身の口元も微笑を浮かべていたのだ。

 

「ありがとう」

「いえいえ。別にアタシは何もしてないわよ」

「いや、俺はこの場所に来て助けられた。響や翼だけじゃない。了子さんにもな」

「……」

「皆がいなかったら、どう転んでいたか分からない。ここへ来て、俺自身が変わった気がするんだ」

 

 そう。

 俺はこの世界へ来て、確かに変わった。上手く表現することは出来ない。だが、それは俺の中では『強さ』だった。

 腕っぷしや見てくれではない、確かな『強さ』が、俺の中に宿っている気がする。

 

「……そう。変わったのか……あるいは、変えさせられたのかもね。誰かさんみたいに」

「誰かさん?」

「……さて、誰でしょうね?」

 

 了子さんは、手元のカップを取り、一口すする。

 湯気でメガネが曇ったこともあって、俺にはその感情をうかがい知ることが出来なかった。楽しんでいるみたいだったが……あれは、今思えば、悲しみでもあったのだろうか。

 

「翼ちゃんかな?」

「翼? どういうことだ?」

「あれ、もしかして聞いてない?」

 

 キョトンとして、了子さんはカップを置き、説明し始めた。

 

「翼ちゃん、海外進出も視野に入れてるっぽいわよ?」

「以前、その話は響から聞いたが、装者として戦うとなると…」

「それがね。その時に声を掛けたトニー・グレイザーっていう、音楽プロデューサーがまたコンタクトしたらしいの。見込まれた若手が例外なくスターになったって言われてる、音楽界の超大物よ」

 

 熱を入れた話し振りだった。

 元々、翼が歌手として活動するのは、フォニックゲインを高めるため、防人の使命に役立つとして認められた、いわば副業だ。

 芸能活動で己の本分を狭めるのを、翼は良しとしないと思っていた。

 

(いや……)

 

 この間の出来事が蘇る。

 

『私の知らない世界だらけだ』『奏が見たら笑う』

 

 あれは、自分への自嘲だったのか。戦う戦士としての使命のみしか知らなかった己に対する。

 

「翼は、どうするつもりなんだ?」

「さあねえ。今日の復帰ライブの成果如何とは思うけど……ま、今の翼ちゃんなら大丈夫でしょ」

「随分と軽いんだな」

「そんな重く考えることじゃないわ。乙女のカンよ」

「……」

 

 学校で、翼はわざわざチケットを用意してまで、歌を聴いて欲しいと言っていた。

 あの夕焼けの高台で、俺達に見せてくれた晴れやかな笑顔が、焼き付いて離れない。

 了子さんの言う通りだ。

 俺達は信じて待とう、翼の決断を。

 

 

「ん?」

 

 と、思った時。

 端末が鳴る。

 丁度Dホイールのメンテが終了した。

 

「すまない、ちょっと出てくる」

「おいコラ私の顔を見ろ」

「いや、ちょっと呼び出しがあってな。ライブまでには戻るようにする」

「……あら、そう。まあまだ時間があるけど、気を付けてね」

「ああ」

 

 目を瞬かせる了子さんを尻目に、俺はDホイールをラボから持ち出し、表へと移動する格納ハンガーへと赴いた。

 静かに、機械の音が鈍く轟く。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「弦十郎さん」

「おう、来たか」

 

 俺は、Dホイールを停め、人気のない路地へと押し込んだ。その奥の向こう側で待っていたのは、いつものような赤シャツ姿をした弦十郎さんの姿だ。

 

 手に握られているのは、コンビニのロゴの入ったビニール袋と、そしてもう一つ、黒い布製の袋。

 

「映画の返却期限切れててな」

 

 と、事もなげに彼は笑う。

 今日、本来ならば彼は休暇を取っている名目だ。それがこうして俺を呼び出し、映画のレンタルショップから離れた場所に来ると言うことは、目的は一つ。

 

「雪音クリスは?」

「あのアパートの空き部屋だ。間違いない」

 

 そう言って弦十郎さんは、路地から見えた高層ビルの片隅にある、寂れたアパートを指差した。かなり年期の入っている古い建物だ。遠目からでも手入れが行き届いていないのが分かる。

 

「どうする? このまま踏み込むのか?」

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、さ。気配を殺しつつ、回り道をして行こう」

「他の職員はいないのか?」

「俺と君だけだ」

 

 その言葉で、俺は弦十郎さんをじっと見る。

 

「警戒しているのか?」

「いや」

 

 彼が並はずれた力の持ち主なのは、前の戦いで理解した。

 恐らくこの男一人でも雪音クリスにさえ遅れは取らないだろう。

 しかし、彼自身が前線に出る。それも一人の護衛もなしに。

 

 それは、特別な事情の証明だ。

 

「言わんとすることは分かる。俺が君の立場でも、不審に思うだろうな」

「なぜ、アンタがそこまで彼女に拘るんだ? 二課の司令としてではなく、個人として」

「……道すがら話そう」

 

 そう言うと彼は歩き出した。俺も無言で後を付いて行く。

 カードは持ち出したが、Dディスクは置いていくことにした。彼の実力を知るのもあったが、この方が雪音クリスと対話をするのにはいいと思った。

 

「元々、俺は公安の御用牙でね」

「コウアン?」

「ああ、そうか。遊星君の世界ではないのか……平たく言えば、テロリストや、国全体を脅かす問題を片付けるチームだ。それだけに危険も多い」

 

 世界大戦前に作られた『風鳴機関』を母体にした機動二課の初代リーダーは、彼の父であり、翼の祖父でもある風鳴訃堂。その流れを汲むように、国家防衛に尽くす彼の前職は必然だったのかもしれない。

 

 即座に雪音の隠れ家を発見した手腕も、その仕事のネットワークの賜物に違いない。

 

「彼女の事は、前々から知っていたのさ……その生い立ち故にな」

「生い立ち?」

「……後は、彼女の前で話そう」

 

 俺達は階段を登り、空き部屋の一室の前に立つ。

 ここに来るまで、一人もすれ違う人間がいなかった。恐らく彼が手を回したんだろう。

 

 このまま人数を以って包囲すれば、雪音と言えども逃げるのは難しい。が、恐らくそれもいない。

 人気のないのも、雪音を包囲する為ではなく、安全の確保の為……そして、誰にも邪魔されることなく会話をする為だ。

 

「行くぞ」

「……」

 

 頷く。

 ゆっくりと扉を開けて、中へと踏み込んだ。

 

 ……いる。

 確かに、中に人の気配がする。

 サテライトの時の感覚を思い出し、研ぎ澄ました。

 その時だ。

 

 

「お前ら…!」

 

 

 バンと地面を蹴る音と共に、居間に入ろうとした俺たちの前へと踊り出る影。

 小柄な体に、透き通る様な長い髪と、褐色がかった瞳。

 雪音クリスが、俺たちの前に立っていた。

 

「…雪音」

「くっ…!」

「応援は無い。俺達だけだ」

 

 雪音は即座に俺達と距離を取り、胸元のペンダントに手をかざす。

 シンフォギアを使う気か…! と思った時、すぐ弦十郎さんが右手を突き出し、雪音の動きを制した。

 無論、彼なら瞬きする間もなく、雪音を無力化することは出来るだろう。

 

 彼女にもそれは伝わった。

 

「…どういうつもりだ」

「君を助ける者が、もう俺だけだからだ。彼は見学だ」

「……」

 

 そう言って俺を一瞥する弦十郎さん。おもむろに、彼は持ってきた袋を雪音に差し出した。

 

「ほらよ、差し入れだ」

 

 そう言って袋の中から、アンパンやら牛乳パックやら、コンビニで売られているであろう食料品を目の前で並べる。

 

 その時…ふと彼女の足元に目がいった。空になったペットボトルや包装紙の数々……それは正規の手段で入手したものでないのは明白だった。

 猛然と怒りが沸いてきた。こんな子どもに、こんな生活を強いている元凶をとことんまで知りたくなった。

 

「弦十郎さん、訊かせてもらうぞ。この事件の根本を」

「ああ」

 

 短く言うと、彼は畳張りの床に腰かけ、パンの一つの袋を開いた。それを一口齧ると、雪音に差し出す。

 

「まずは腹ごしらえだな」

「……っ」

 

 素早くそれを奪い取った雪音は、ひたすらにそれを貪る。

『ふらわー』でも感じたことだったが、彼女は歪な存在だった。

 

 食べ方や言葉遣いから、見た者に粗暴な印象を与える。それなのに、着ている物やその整った容姿、そして透き通った歌声は天性の素質以外にも、どこか品の良さを漂わせている。

 

 不思議な少女だった。

 想えば、シンフォギアにまつわる少女はどれも異質な人生を歩んでいた。俺達シグナーが、数奇な運命を経てそれぞれ集ったように。

 

「まず確認だ。君はバルベルデで捕えられていた少女に相違ないな」

「……ああ」

 

 戦慄が走る。

 この子は…そんなところに身を置いていたのか。

 

「南米にあるバルベルデ共和国か?」

「知っているのか?」

「今は下火になってるが、以前テロや内戦が長期化してた。俺達の世界で、地獄と呼ばれる場所の一つだ」

 

 何を隠そう、俺の仲間の十六夜アキ……彼女のサイコデュエリストとしての力を悪用しようとしていた男、ディヴァインが少年少女を送り込もうとしていた紛争地域が、そのバルベルデだった。

 

 ディヴァインは素質のある少年少女の心の傷に目を付けて籠絡し、徐々に洗脳していった。そうして自分の支配下に置き、中には苛烈な訓練の果てに帰らぬ人となった子も大勢いる。

 

「君の認識で、ほぼ間違いない。こちらと変わらん」

 

 弦十郎さんが頷く。

 

「この子の両親は、NGO活動や恵まれない子どもへの支援を積極的に行っていた。8年前に悲劇が起きた時も、バルベルデ共和国にて、支援活動を行っている真っ最中だったんだ」

 

 ようやく彼女の生い立ちが掴めた気がする。

 

「雪音夫妻は、支援団体を狙った報復テロで命を落としたんだ。その後、雪音クリスは消息がつかめず、6年が経過した……一時、生存は絶望視された」

「……」

 

 パンをあっという間に食べ終えたクリス。黙々と口に入れながら、彼女は弦十郎さんの言葉をじっと聞いていた。

 開けた牛乳パックを差し出されると、さっきと同様に無言で掴みとり、そのまま口に入れる。

 

(この子はずっとテロリストに…)

 

 何があったのか、俺には想像も出来ず、聞くつもりもない。

 分かっている。

 赤き竜は人を助けない。ただ絆を結ぶだけ。だがそれでも……せめて助けてやりたかった。

 

(しかしそうすると…)

 

 テロ屋に巻き込まれたのが8年前と言ったが、その後6年が経過……その空白の2年は何を表しているのか……

 

「国連軍がバルベルデの内戦に介入してな。その時に発見・保護された雪音クリスは、日本へ移送されることとなった。俺達が身元引受人となってな」

「……」

「女衒だろ」

「なに?」

「アタシらを迎えに来たとかいう連中な……目が同じだったよ……」

 

 初めて、雪音が口を開く。

 

「人をねめつける様な……舌でアタシの中身を舐めずる目……あの時に分かった。何処へ居たってアタシは同じだってな」

「……」

「シンフォギアの適性があるからか?」

「あくまでも可能性としてだ」

 

 俺の問いかけに、弦十郎さんが無表情で答える。

 

「ギアの候補者になりうる存在をリストアップしている最中に、彼女の名前が浮かんだ。彼女の両親……雪音雅律と、ソネット・M・雪音は、業界では知らぬ者はいない高名な音楽家で、二課はそう言ったサラブレッドに注目していたんだ」

「彼女を戦士にするつもりだったのか?」

「……俺達を軽蔑するか?」

「……」

 

 答えられるわけもない。

 世界は、無数の意志が複雑に絡み合い、一つの歯車を形成している。それは人の心を汲み取る遊星粒子の名づけ元となった、遊星歯車と同じだ。

 ここで彼等を殴って何になるだろう。

 

(昔の俺なら、雪音を連れて逃げていたかもしれないな……)

 

 こんな腐った世界に彼女を置いておける筈も無い。

 牛尾が言ったように、俺達は『大人』になったのだろうか。それは仕方がないと諦めて、目を瞑ることだろうか? 

 

「そして君は日本に付いた途端、行方をくらました。当時俺の古巣だった公安警察や、二課からも相当数の捜査官を派遣したが、見つからなかった。俺を除いた全員が死亡か行方不明になってな」

「…女衒はもううんざりだ」

「そうだ。だが現実として、君はまだ子どもだ」

「だからなんだ? 大人の言う事聞きなさいってか?」

「君が大人になればいい」

 

 断固とした表情で、弦十郎さんは言った。

 

「ついでに言うとな、君の見てきた連中は、『大人』とは呼ばん。年食って図体デカくなっただけの子どもの延長だ」

「……っ」

 

 そう、違う。

 俺達は『大人』になった訳じゃない。何が正しいのかを、常に追い求め続けている。それを止めたら人は未来を失う。

 今なら分かる。

 俺には力が無かった。だからせめて反逆の意を示すことでしか、抗う術を持たなかった。

 

 そうじゃない。

 未来を見据える者。それだけが、今を変えられる。

 だから雪音は、前を見ないといけないんだ。

 

「俺の願いは、君を助け出すことだ。君の身柄も、心も、自由にする。それで考えるんだ」

「……あんたもセンセイみたいなこと言いやがるな」

「先生?」

「センセイなんだろ。そっちの」

「…」

「アイツがこの間言ってたからな。『フドーセンセイ』ってよ」

 

 俺を見て、せせら笑う雪音。未来と共にいた、お好み焼き屋の出来事を言っているのか。人を導く役目を負った大人……ある意味、雪音が一番信用できない人種と職かもな。

 

 人に強いられることを拒んだ俺が、人に教え諭すことを仮とは言え仕事にする……滑稽な話だ。

 ジャックやクロウが見たら笑い飛ばすだろう。

 

 だとしても、だ。

 

「……雪音。歌は嫌いと言ったな」

「ああ、大嫌いが爆破炎上して、まだ燻ってやがる」

「なら聴きに来い」

「は?」

 

 俺は懐からチケットを1枚取り出して、雪音に放った。それを空中でキャッチした雪音は、カッと目を見開いた。

 激しい憤怒と憎しみが、彼女の中で吹き上がり、俺を凝視する。これには弦十郎さんも一瞬、驚き、俺をまじまじと見た。

 

「火に油かよ?」

「……」

「答えろ!」

「お前の中で燻っているもの……その正体を探すんだ」

 

 その視線に真っ向から向き合って、俺は言う。

『ふらわー』で、俺は雪音と直接語ることを避けた。未来のことを第一に考えたし、それに俺は彼女を知らずにいた。

 だがもう、そんな事は言っていられない。

 

「そのチケットは、雪音の様に道に迷っていた者が、答えを出した末に決意した、その証だ」

「……」

「雪音はどうする? ここで燻ったまま終わるか? それとも、もう一度燃えた炎が身を焦がすのを覚悟で、飛び込むか?」

 

 刺されるのを覚悟で言う。当たり前だ。

 もし俺に教師の言う名が相応しいのであれば、他人の人生に責任を負わなければならない。彼女の生きる道に踏み込むというのであれば、俺自身の生を懸けるべきだ。

 

「……」

 

 荒々しく、ロクに研いでいない感情が、俺を刺し続ける。

 これが雪音だ。

 これが彼女の歩んできた道のりの傷なんだ。

 拒むな、耐えろ。受け入れるんだ。

 そうでなければ、俺は彼女の前に立つ資格は無い。

 

 その時だ。

 

「俺だ」

 

 高鳴る通信音で、俺達の対決は持ち越しとなった。弦十郎さんが、自身の端末を持ち出し、耳にあてる。

 端々からしか聞き取れないが、その内容は凡そ俺にも伝わった。

 

「……ノイズか」

「ああ」

「…えっ…!?」

 

 頷く二課の司令。その内、情報が連結されて、俺の端末にも同様の内容が送信されてくる。

 ノイズの大量発生……ポイントは市街地から外れた港部分だ。マップから推察するに、倉庫が並んでいる埠頭周りだろう。

 

「遊星君、俺はこれから戻らねばならん」

「分かった。俺も現場へ行く」

「すまないな…翼の復帰ステージだというのに」

 

 そう言って弦十郎さんは端末を仕舞う。

 俺も無言で頷いた。俺達は立ち上がり、雪音を見下ろす。

 弱々しく、華奢な体で、それでも俺を睨み続ける雪音。その姿に弦十郎さんは優しく言い掛けた。

 

「今日はここまでだ」

「なに?」

「もう一度、君を迎えに行く。遊星君との答え合わせは、その時にしよう」

「アタシを連れていくんじゃないのかよ…」

「自分で自分の道を決めない者に首輪をつけて、何の意味がある」

 

 真顔で言う彼の言葉に、雪音は返す答えを持たなかった。元々、彼女を保護したい一心でここに来たのだろう。だがそれでは過去の繰り返しになってしまう。

 

 それは彼自身のケジメだ。雪音が従う必要は無い。

 本当ならば、俺も彼女に競ってやりたいと思っていた。

 しかし……

 

「遊星君、すぐに翼、それと響君と合流してくれ」

「待ってくれ。翼はもうステージが始まるッ」

 

 さっき雪音に差し出したチケット。それは翼の復帰ステージのものだった。雪音をそれを見て欲しい。

 彼女が防人としての使命に疎外されるのだけは避けなくてはいけない。なんとしても、この少女達を向き合わせなければならなかった。

 己自身の夢に向かうために。

 

「……気持ちは分かる。だが……」

「おい」

 

 それでも苦渋の決断をする弦十郎さんに対して、雪音クリスは言った。

 

「アタシをノイズのところまで連れてけ」

 

 それは贖罪なのか。

 それとも、別の、彼女の中に燻るそれが向き合わせるのか。

 この瞬間に、確かに雪音は歩き始めた。止まっていた時が、微かな鼓動と吐息を混ぜて、動き出す。

 

「試してやる。本当に大嫌いな歌が、アタシをどこへ連れて行くのか……それが地獄なら、アタシは許さない。それを見極めてやる」

「雪音…」

 

 その眼は、初めて対立した時の、夜の公園のそれではなかった。イチイバルを纏った時の、怨嗟の声でもなかった。

 雪音クリスの、自分自身に対する問いかけ。

 俺は頷き、弦十郎さんを見る。

 

「弦十郎さん、翼はライブに集中させてやってくれ。ノイズは俺達が引き受ける」

「……やれやれ。兄妹弟子揃って、無茶を言う」

「ん?」

 

 反対するかと思いきや、苦笑しながら彼は言った。

 

「さっき、響君から連絡が入ったそうだ。君と同じことを言っていた」

「……そうか」

 

 兄妹か、あるいは教え子と言うべきなのか……それとも、元々響とは通じ合う何かがあったのか。

 いずれにせよ、その報告は俺の中に、確かな熱を灯した。

 

「雪音クリス。一緒に走ってくれるか」

「そっちが振り落とされなきゃな」

 

 そう言って、不敵に笑う雪音。

 曇り空は溶けて、いつしか月が見えていた。

 

 

 

 

 




いつも応援ありがとうございます。
次回より、一期終盤に向けて動き出します。


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第8話『防人の歌と、夢の守り人と』‐4

いつも応援ありがとうございます。
これからもどうか応援していただければ幸いです。

もしよろしければ、もう一つの作品もご覧いただければと思います。
皆さん、まだまだ油断できない状況が続いておりますが、お体にはお気を付け下さいませ。


 人の少なくなった街並みを、私は走る。

 ネオンサインが後ろまで駆け抜けていく。

 

 立花響は、一直線に、ノイズが出現した地域まで走っていた。

 

『響ちゃん。もうすぐ目的に着くわ』

 

 オペレーターの友里さんの声がした。

 

「はいっ!」

『遊星君も、真っ直ぐにそっちへと向かっているからね』

「わかりましたっ!」

『それと…』

 

 一瞬、言い淀んだ友里さん。

 だけど毅然とした態度で私に告げた。

 

『今響ちゃんが通過したポイントが、最終防衛ラインとします。そこをノイズが突破したら、もう二人では抑えきれないわ。その時は翼ちゃんのステージを中断して、彼女に援護してもらう他ありません』

「……」

 

 ゴクリと唾を飲む。

 周りのビル群を見渡した。

 殆どの人はシェルターへと避難していて、ここは一先ずは安全地帯だ。

 

 けど、ここより後ろはもう後がない。

 

『そうなったら、諦めて頂戴』

「分かりました。でも、大丈夫です」

 

 強く返事をする。

 

「きっと私と遊星で、翼さんの夢を守って見せます!」

 

 私には夢は無い。

 けど、翼さんは確実に一歩を踏み出そうとしている。だから屋上でチケットを私達に手渡してくれたんだ。自分を見届けて欲しいという願いを込めて。それは出来なくなったけど、今度は私が、翼さんを守ってみせる。

 

『了解。私達もサポートします。ノイズをここより先には進めないように』

「お願いしますっ!」

 

 友里さんの声は少し笑っていた。

 きっと私と同じ……ううん、私より、気持ちは大きい筈だ。だって、誰よりも近くで、翼さんを見守ってきた人たちだから。

 

『そのまま直進して。ノイズは、その先の埠頭から進行中よ』

「はいっ!」

 

 私は叫ぶ。

 その時だ。

 後ろからもう何度も聞いた、Dホイールのエンジン音が耳を貫く。独特の排気音を鳴らしながら近付いてくる人は、世界に一人だけ。

 

 

「響っ!」

「遊星っ!」

 

 

 不動遊星が、無人の大通りを駆け抜けて、こっちまで全速力で走っていた。

 Dホイールは私の目の前で止まると、急停車する。

 バイザー付きの赤いヘルメットを取って、遊星は私を見た。

 

「遅れてすまない」

「ううん、大丈夫だよ。私も今来たところだから」

 

 頬が緩むのを感じた。

 やっぱり一人で戦うのは心細い。けど、遊星がいてくれれば、ノイズを一匹も通さないで頑張るのだって不可能じゃない。

 

「何だ、その台詞……デートの待ち合わせか?」

「え?」

「呑気だな」

 

 確かに私は呑気だったかもしれない。

 Dホイールに跨って、いつも私が遊星と一緒に現場へ行くポジションに、他の女の子が座っているのに気付かなかった。

 遊星の予備のヘルメットを取ったその子は、私を睨めつけながら言った。

 

「そのまま爆発しろ」

「クリスちゃん!?」

「おう」

 

 言葉短く応えると、ヘルメットを遊星に向かって放り投げる。目を丸くするしかできない私に向かって、クリスちゃんはツカツカと歩み寄った。

 そしてそのまま指を私に向けると、思い切りデコピンする。

 

「痛っ!?」

「何だ、その顔は。相変わらず反吐が出そうだ」

「な、なんでクリスちゃんがここに…?」

「借りを返す」

 

 それだけを言って、クリスちゃんは前を向いた。

 

「メシの借りだ。アンパンとオコノミヤキのな」

「え?」

「いいから行くぞ」

 

 私がポカンとしている間に、クリスちゃんは今度はずいと顔を寄せた。

 呆然とする。

 だって、今までのクリスちゃんと、何かが違っていたから。

 一瞬、その後ろにいる遊星が見えた。

 

「遊星……」

「……そういう事だ」

 

 それだけを、遊星は言った。

 私は遊星をみた。

 きっと、それは言葉では言い表せない事なんだって、何となく察した。けど……それでも良い。私は今、嬉しくてたまらない。

 

「クリスちゃん!」

「飛び付くんじゃねえ! ぶんなぐるぞ!」

 

 抱きつこうとする私の頭を掌で抑え込みながら叫ぶクリスちゃん。

 その様子を見て、遊星が微笑みながら言った。

 

「仲がいいな」

「お前今すぐ目医者行け! 手術受けろ!」

「ノイズを片付けてからだ」

 

 そう言って遊星は前を見る。

 私とクリスちゃんも同じ方向へと視線を向けて……そして息を呑んだ。

 

「あれは……!」

「予想以上の大群だな」

 

 遊星の言う通り、ここから反応のある埠頭まで距離があるにもかかわらず、煙が立ち上っているのが見えた。

 ノイズは人を炭化させるけど、物を壊したり破壊できる種類は多くなかった。

 

 でも、向こう側からは煙と……夜なのに光る、橙色の灯りが見える。

 あれはネオンや街の街灯じゃない。

 

「手当たり次第に破壊しながら進んでいるな。倉庫の中身に引火して、爆発が起こっている」

「早く止めないと!」

「分かっている。クリス……」

「……」

 

 遊星はクリスちゃんを見た。

 その時、私は今までにないクリスちゃんの顔を見た。

 

「っ……」

「クリスちゃん……」

 

 見覚えが無い筈なのに、知っている顔。

 それは私の……昔の表情だった。

 それを見た私は、思わず手をぎゅっと握る。

 

「な、何しやがるっ?」

「手伝って」

「え…」

「クリスちゃん」

 

 もしかすると、私はクリスちゃんに自分を重ねていたのかもしれない。

 もちろん、後で聞いたクリスちゃんの過去は、私が歩んだものとは比べ物にならない位に辛く、悲しいものだった。

 

 でも……それをほんの少しでも理解して、分け合えるのなら。

 私は、クリスちゃんと一緒に歩きたい。

 

「流れ弾に当たっても……アタシは知らねえ」

「クリスちゃんが外すわけない。私は知ってる」

 

 本気だった。

 クリスちゃんは顔を引き攣らせて私を見る。

 でも私だって譲りたくない。

 

「お前……バカだな」

「うん、よく言われる」

「……いいぜ、一回だけは言う事を聞いてやる」

 

 クリスちゃんはそういって、私から顔を背ける。

 

「借りを返すだけだ。お前やセンセイには一回助けられたからな」

「センセイ?」

「そっちだよ。センセイなんだろ?」

「……」

 

 遊星をちょっとだけ見やって、クリスちゃんが言った。

 

 やっぱり、クリスちゃんは私や遊星を真っ直ぐには見ていない。

 

 きっと今日、この子は私に微笑んではくれないかもしれない。

 でも、隣にいる事が出来た。

 次には、真っ直ぐ私を見てくれるかもしれない。

 そしていつかは、笑ったクリスちゃんが見たい。

 

「二人とも、行くぞ」

「うんっ!」

「……ああ」

 

 私たちは、風になって、埠頭へと走り出した。

 ネオンが再び、後ろへと流れていく。夜の風が、熱くなった体の火照りを少し覚ましてくれた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 Dホイールに三人は流石にキツかったが、距離がそう遠くなかったので何とかなった。

 俺達は大通りを抜けて、埠頭へと向かう横道を何度も抜けて、最短距離で目的地まで到着した。

 

「いたっ!」

 

 響が叫ぶ。

 

 埠頭の倉庫が立ち並ぶエリア。

 その誰もいない暗がりの中、明滅しながら周囲を破壊しているノイズは、ハッキリ言って不気味以外の何物でもなかった。

 一体誰がこんな兵器を作り出したのかと、何度も思う。

 

 だが、今は気圧されている場合じゃない。

 

「数が多いな……」

「ど、どれくらい?」

「今サーチ出来ただけで、200近い」

 

 響が横で息を呑んだ。

 目の前には、その背景さえ見えない程に、ノイズの軍団が押し寄せていた。

 

 人型、クロール型、フライト型。そしてそれらを統括するように巨人型や、ノイズを生み出すギガノイズ。

 そして防御力に特化した要塞型ノイズまで、大小様々なノイズが入り乱れている。

 

 これまで現れたノイズを遥かに上回る数だ。

 敵も本腰を入れてきたということなのだろうか。

 

「何だ、ビビってんのか?」

「こ、怖くないよッ」

 

 せせら笑って雪音は響を小突く。

 慌てて響は訂正していた。

 

「良い子はそこでネンネしてな。アタシが全部潰してやるからよ」

 

 言うが早いか、クリスはDホイールから降り立ち、ノイズを真正面から見据える。

 だが響も負けじと、前に立った。

 

「わ…私だってッ」

「じゃあ付いてきな」

「うんっ!」

 

 そう言うと、響は雪音を見る。

 二人はまるで、幾度となく視線を潜り抜けた戦友のようだった。

 

 その姿を見て、俺の鼓動が早くなる。

 負けるわけにはいかない。

 この二人に、遅れは取れない。

 子供じみた感情だが、それでも湧き上がる闘志を、そのままに出来なかった。

 

「なら俺が時間を稼ぐ」

「え?」

「遊星が?」

「二人はその間に、シンフォギアを纏うんだ」

 

 聖詠を唱える間は無防備になるのが欠点だ。

 敵の強襲への備えは、俺の役割だ。

 

 

「ジャンク・フォワードを特殊召喚!」

 

 俺は手札からカードを一枚、Dディスクにセットする。

 現れたのは、ベージュ色の鎧を着た、SF映画にでも出てきそうな機械の兵士だった。

 響は目を瞬かせる。

 

「これ……確か、弓美ちゃん達が持ってきてくれた」

「ああ、その一枚だ」

 

 さっき降ってきたカードではない。

 何故使わないのか……と、疑問を頭に浮かべて響が俺を見る。

 クリスも俺を睨み付けるような顔で言った。

 

「……そいつで、あのデカ物どもを倒せんのか?」

「いや、ジャンク・フォワードだけじゃパワーが足りない」

「じゃあ、さっさとやってくれよ。どうせ奥の手があるんだろ?」

 

 俺や響と戦ったことで、クリスも何となくカードのことは分かってきたらしい。

 しかし、切り札を使うのはまだ先である。

 俺は表情を変えず、クリスと響を見た。

 

「なら、見せようか」

 

 つい、口角が上がる。

 俺は瞬時にもう一枚のカードを構えて、ジャンク・フォワードと入れ替えるようにDディスクにセットした。

 

「ジャンク・フォワードをリリースし、ターレット・ウォリアーを特殊召喚!」

 

 瞬時にジャンク・フォワードは虹色の光に包まれた。

 そしてその光から卵を割るようにして、新たに表れたのは、岩鉄でできた要塞型の巨人だった。

 中世の城壁を思わせる岩肌の頑強な巨躯。そして両肩に装備された計四つの機銃が光る。

 

『ウオオォォォンッッ』

 

「お、おっきーい! これが戻って来た二枚目のカード?」

「ああ、そうだ」

 

 響が叫ぶ。

 俺は頷き、ターレット・ウォリアーに指示を飛ばす。

 

「ターレット・ウォリアー、ノイズの群れに攻撃せよ!」

『オオオッ!!』

「リボルビング・ショット!」

 

 瞬時に意志を汲み取ったターレット・ウォリアーが、肩の機銃をノイズに向けて一斉に掃射した。

 位相差障壁をかいくぐり、弾丸を浴びたノイズたちが一斉に爆散、消滅していく。

 

 

『ノイズ、30の減少を確認しました。残り176』

 

 

 藤尭さんがオペレートで状況を分析し、伝えてくれる。

 よし、まずは一撃を食らわせる事には成功した。

 

「す、すごい……っ。これが、ターレット・ウォリアー? 今までのカードより、パワーが……」

「ああ。ターレット・ウォリアーは、俺のカードの力を、そのまま自分の力へと変換する力を持っている」

「じゃあ、そのカードがあれば……」

「俺も、響達と共に戦える」

 

 俺は頷きながら答える。

 フォニック・シンクロに頼らずとも、リリースした戦士族モンスターの攻撃力を自身の力に上乗せするターレット・ウォリアーの存在は大きかった。

 これなら、響達のサポートをしつつ、俺自身も積極的に戦闘に参加できるからだ。

 

「さあ、敵が怯んだ。今の内だっ」

「うんっ!」

 

 幸先のいいスタート切ったことで、響の闘志にも更に火が付いたらしい。

 

「行こう、クリスちゃん」

「だからお前から来やがれっ!」

 

 クリスは憎まれ口を言いながらも、残るノイズの軍団を見据えている。

 その瞳は怒りに満ちていた。

 

「行くぞ!」

「了解!」

 

 少女が咆える。

 人の営みを壊さんと迫る悪魔を睨み付け、怒りに震える。

 共に立つ響もまた、守るべきものの為に魂を輝かせる。

 

 それが二人の、心の鼓動を呼び覚ます。

 音楽という形を成して。

 

 

 Balwisyall Nescell gungnir tron―

 Killter Ichaival tron―

 

 

 奏でられる聖詠。

 アウフヴァッヘン波形が、世界の理を一度崩して再構成させる。

 それは、遥か彼方より伝わる、装者たちの命の叫び。

 

 一瞬で二人はシンフォギアを身に纏った。

 

「さあ、花火パーティだっ!」

 

 雪音が指を鳴らしながらノイズの大群を見やった。

 しかし、なお戦況は俺達に不利である。

 何しろ数が多い。

 憎まれ口を叩いて、腕の手甲をアームドギアであるボウガンへと変形させる。

 

「クリスちゃん、待って。まずは……」

「うるせえな。お前らはそこにいてチンマリやってろっ!」

「あ、ちょっと待っ…!」

 

 そう言うと、クリスは一人突撃し、ノイズに向かって銃を乱射する。

 ノイズも向かってきたクリスに反撃を開始し、大乱戦が始まった。

 

「遊星、クリスちゃんがっ!」

「分かっている」

 

 俺は頷いて答えた。

 大体、こんな様子になるであろうことは予想できた。

 そもそも俺達はまだ和解さえできていないのだから。

 

「助けようっ! 私達で、クリスちゃんを援護しないと!」

「……」

 

 一にも二にもなく飛び出した、少女の言葉。

 その言葉を聞いて、胸が温かくなった。

 響はこんな事態にも動揺せず、ただ雪音の事だけを考えている。

 

 なら、俺も答えないといけない。

 

「分かっている。俺達でサポートしよう。響は雪音の壁になって、近付くノイズを食い止めてくれ」

「うんっ!」

 

 素直に頷き、前を見据える響。

 急ごしらえで組んだタッグなのは否めない。俺に出来る事は、二人を上手く繋ぎ、コンビネーションのサポートをする事だ。

 

「来い、ジャンク・シンクロン!」

『トオッ!』

 

 機械技師を模した、二頭身の精霊が、今回もまた、響の前に降り立ってくれる。

 

「よし、じゃあこれでジャンク・ガングニールに……!」

「いや、ジャンク・ガングニールは使わない。アレで行くぞ」

「えっ……」

「響の言うように、今回は雪音の援護に回るべきだ。響の雪音を守りたい想い……その気持ちが、あいつの心を溶かしてやれるかもしれない」

「アレって……もしかして」

 

 響を真っ直ぐ見据えて言った。

 俺の直感が正しければ、響の力こそが、雪音を元に戻してやれる切り札となる筈だ。

 

「響、雪音に伝えてやろう。この世界は、案外悪くないってな」

「……うんっ!」

 

 響にも、その想いは伝わった。

 自然と笑顔になって、俺に応える。俺も笑っているのを感じた。

 

「行くぞッ」

「はいっ!」

「モンスターの召喚に成功した時、このカードも特殊召喚できる。ワンショット・ブースターを召喚!」

 

『フンッ!』

 

 昔馴染みが託してくれたカード。

 黄色いバーニアを吹かしながら、ワンショット・ブースターは俺の前に降り立つ。

 そしてDディスクを操作し、準備は整った。

 

「レベル2の撃槍ガングニールと、レベル1のワンショット・ブースターに、レベル3のジャンク・シンクロンをフォニック・チューニング!」

「フゥゥゥゥゥ……!!」

 

 響が呼吸を整える。

 同時に、身体は光り輝き、推力の光点となったジャンク・シンクロンに、ワンショット・ブースターと共に包まれていく。

 

「疾風の使者よ! 今こそ鋼の願いを集め、此処に鉄壁の盾を成せ!!」 

 

 ジャンク・シンクロンは、響を、ガングニールを変えていく。

 緑を基調とした、全身を覆う強固な新プロテクター。背部の排熱棒と、その身を覆うほどに巨大なフルメタルガントレット。

 

「フォニック・シンクロ! 出でよ!」

「はああっっ!」

「ジャンク・ガード・ガングニール!」

 

 これが、ジャンクのもう一つの進化の形。

 敵を打ち倒す為ではなく、絆を守るためにその力を集めた、鉄壁の守護神。

 それが、このジャンク・ガード・ガングニール!

 

「響、行けるか?」

「うんっ問題なし! 修行の成果が出てる!」

「よしっ!」

 

 力強い返事。

 ジャンク・ガード・ガングニールは、ジャンク・シンクロンを取り戻した際、シミュレーション訓練で試したフォニック・シンクロだった。

 

 ジャンク・シンクロンをチューナーとするシンクロモンスターは幾つか存在し、その内の一つが、ジャンク・ガードナーである。

 

 しかし守りを主体とするこのカードの力は、俺と響だけで戦わなければならなかった時、あまり攻撃には向かないとして、選択肢としては除外していた。

 

 しかし、今ならば出来る。

 雪音クリスと言う弓が、先陣を切っている今ならば、この力を存分に震える。

 

「俺も後方から援護する。雪音の背中は任せた!」

「うんっ、遊星も、私の背中はお願い!」

 

 言うが早いか、響は飛び出した。

 

 一方で、俺は雪音の方を見た。

 混戦の中、ノイズの攻撃をかいくぐりながら蹴散らしていく雪音。

 しかし、徐々にノイズは雪音を追い詰めはじめていた。

 

 

「くっ……ぅ!?」

 

 

 雪音を取り囲むようにノイズは包囲網を展開していた。雪音は手数で圧倒して何とか抜け出そうとするが、相手は縦横無尽に湧き出て、徐々にその輪を縮めている。

 雪音の顔にも焦りが出始めていた。

 

「こんのぉっ!!」

 

 堪らず、ノイズの群れを一層せんと、背部に巨大なミサイルを修験させる。だが、それは奴らの反撃の呼び水だった。

 雪音も、大技を使うとなれば、その分『溜め』が大きくなる。

 その瞬間を見計らい、フライトノイズが上空から飛来した。

 

「ぐっ!? しまっ…!?」

 

 ボウガンを構えて反撃しようとするも間に合わない。

 叩き落されて、雪音は小回りのきく武器を失ってしまう。

 

 瞬間、ノイズの群れが割れて、奥から緑色の巨人型ノイズが、押し追いかかった。

 

「っ…!?」

 

 巨大な腕を振りかぶり、叩きつける。

 雪音は反撃手段がない。ミサイルのチャージが終わらず、躱そうにもその巨大なアームドギアが足枷となってしまう。

 

「ちくしょっ……!」

 

「であああああっっ!!!」

 

 残った一丁のボウガンを構えて、抵抗しようとした時だ。

 響が間一髪で走り込み、雪音と巨人型の間に割って入った。

 

「と、ま、れ、えええええええええっっ!!」

 

 敵の眼前に立った響は、手を組み巨大な手甲を合わせると、それを突き出す。

 ノイズの剛腕はそれに押しとどめられて、雪音への攻撃を防いだ。

 それだけではない。

 

「はあああああっっ!!!」

「っ……ノイズが……」

 

 目を見開く雪音。

 ノイズは、弾き飛ばされて、よろよろと後退する。

 すると次の瞬間、攻撃の意志を無くしたかのように、その場にうずくまって沈黙した。

 

 俺は叫んだ。

 

「雪音今だ!」

「っ……! おらああああああっっ!!」

 

 瞬間、雪音は再びアームドギアを変形させ、ガトリングを連射。同時に腰部のミサイルを一気に放出して弾幕を張る。

 その間にミサイルを巨大化させて方に背負い、巨人型目掛けて発射する。

 

 超大型質量による火力殲滅……『MEGA・DEATH・FUGA』を受けて、巨人ノイズが音を立て、崩れていく。

 

「はぁ…はぁ……はぁ…!」

「クリスちゃん、大丈夫!?」

「あ、当たり前だ、こんなん……」

 

 紙一重。何とか間に合った。

 俺は胸を撫で下ろした。

 

 だが、安心してばかりもいられない。

 

「い、今お前、何やったんだ?」

「遊星がくれた、クリスちゃんを守る力だよ」

「は?」

「俺のカード、『ジャンク・ガードナー』の力を、響に上乗せしたんだ」

 

 俺はDホイールで雪音と響の後ろにまで駆けつけて、説明した。

 

「響のアームドギアの出力を全て防御に回したフォームだ。一定時間に一度、相手を強制的に守りの構えに変更できる」

「……相変わらず何でもアリかよ」

 

 呆れたような目で、雪音は俺を見る。

 しかし、防御を気兼ねすることなく攻撃に移れるという事実は、雪音の心身の負担を軽くしたのは事実だった。

 

「相変わらず搦め手が好きなこって」

 

 そう言うと、クリスは再び俺達に背を向けた。

 いや……俺達に、背中を預けたのだ。

 

「雪音」

「分かってる。アタシが出てくる奴をひたすらブッ叩けばいいんだろ?」

「大丈夫、クリスちゃん?」

「へっ……アタシを」

 

 クリスが次の瞬間、ガトリングを再び構え、咆えた。

 

「誰だと思ってやがる!!」

 

 巨人型の爆発は、足元にいた数十のノイズを巻き込んだ。

 

 敵は包囲網を徐々に再構築しつつあった。

 しかしこちらも負けてはいない。

 ターレット・ウォリアーが壁となる人型やクロール型を次々に排除し、その隙間を縫って、中型・大型のノイズを雪音が撃破していく。

 

『敵残存数、60まで低下!』

『装者の攻撃速度、敵の増殖数を上回っています!』

 

 藤尭さんと友里さんの声。

 司令部からの情報伝達を元に、俺達は次々とノイズを破壊していく。

 

(強い……!)

 

 俺はその光景の真ん中に居ながら、一瞬充足感を覚えると同時に、空恐ろしくなった。

 

(俺のカードの力を装者に合わせると、これほどまでの強さを発揮するのか……!?)

 

 これまで、敵に立ち向かうことに精一杯で、自分達の力を顧みる余裕は無かった。しかし、いまカードの力を取り戻しつつある今になって実感した。

 

 この力は強すぎる。

 

 フォニック・シンクロだけではないシンフォギアの力を引き出し、更に自在にコントロールできるデュエルモンスターズのカード達。

 それと音楽を力に帰る聖遺物とのかけ合わせが、これほどの戦力となる。一個人が持つべき範囲を超えていると言ってもいい。

 

 ふと考えた。

 

(赤き竜は俺に……いや、俺達にこれほどの力を持たせたかったのか?)

 

 下手をすれば、小国さえも滅ぼしかねない程の力。

 ノイズと立ち向かうために必要だから、俺はこの世界に来たのだろうか。

 

(それとも……俺が立ち向かうべき敵は……)

 

 いや、そうではないのだ。

 

(真の敵は、どれほどの強さだというんだ……!?)

 

 このノイズを操っている黒幕……恐らく『フィーネ』か。

 もしくは、それさえも上回るほどの大きな闇が、この世界を飲み込もうとしているのか。

 ゾクリと、全身が震える。

 

 その時だ。

 

「遊星っ!」

 

 響が俺に叫んだ。

 瞬間、響の前で爆音が響いた。

 

「何やってんだよ、センセイ! ボサッとすんな!」

 

 クリスが俺の前に来て叫んだ。

 

(しまった…!)

 

「すまない……考え事をしていた」

「はぁっ? 随分余裕だな、オイ」

 

 怒りを通り越して、呆れた顔でクリスは俺を睨む。

 俺は首を振って雑念を振り払う。

 

(今は余計なことは考えるな……まずは今を切り抜けるんだ! 敵がどれだけ強大だったとしても、俺達に出来るのは、元より一つだけだ)

 

 俺は響と雪音を見やって、状況を確認することにした。

 

「ノイズの数は……!」

「さっき友里さんから、あと『30くらい』って…」

「よし…あともうひと踏ん張りだ」

 

 響の言葉に、俺は力強く頷く。

 クリスもにやりと笑って、向こう側で接近してくるノイズに銃口を向ける。

 

「へっ、余裕だろ。あんな程度なら、もうアタシ一人で……!」

 

 ガトリングを構える。

 だがその時だ。

 

「っ、クリスちゃん!!?」

 

 響が叫ぶ。

 同時に彼女が前に出て、手甲のガード部分を上に向かって翳した。

 瞬間、上から降ってくるのは、驟雨のような砲弾の嵐。

 

「ぐっ…!?」

 

 咄嗟に上体を伏せて、俺はDホイールの車体を捻る。

 同時に雪音の腕を掴んで、こちら側へと引き寄せた。

 

 同時に、前方にいたノイズが隙を見て突撃してきた。

 このままでは、上空からの攻撃を防いでいる響が晒し者になる。

 

「罠発動! 『くず鉄のかかし!』

 

 鉄製の案山子が響を守るように出現し、ガードに専念している響への攻撃を防いだ。

 同時にジャンク・ガード・ガングニールの能力が発動し、上空の攻撃も止む。

 

「響、大丈夫かっ!?」

「う、うん、平気……遊星もありがと……!」

 

 肩で息をしながら、俺を見て微笑する響。俺もひとまず胸を撫で下ろす。

 その時、俺が腕を掴んでいた雪音が、咄嗟に上空を見て叫ぶ。

 

「おいおい……なんてもん出しやがる……!」

「え…クリスちゃん?」

「あんな奴まで持ち出してきやがった…!!」

 

 空を睨み付けて、雪音が苦々しく言った。

 俺達も上を見て、そして戦慄した。

 

「あれ……もしかして」

「空母型か!」

 

 咄嗟に叫ぶ。

 その時、友里さんからのコールが届いた。

 

『こちら司令部。空母型の出現を確認しました』

「ああ、こちらでも視認できる」

『すみません、センサーが上手く感知できませんでした……今まで、こんなことなかったのに』

 

 苦々しい友里さんの声。

 確かに、さっき攻撃を受け取るまで、俺のセンサーやレーダーにも反応は見受けられなかった。ノイズの新しい装備だとでもいうのだろうか。

 しかし、それを今考える余裕は無かった。

 

「友里さん、空母型は一体だけか?」

『ええ、それは間違いないわ。でも、早く潰さないと、際限なく……!』

「分かってる」

 

 俺達が会話している間にも、空母型は次の手を打ち出そうとしていた。

 

「遊星、あのノイズって確か……!」

「ああ、増殖系だ! フライト型を落としてくるぞ!」

 

 空母型はその胴体からまるで艦載機のようにフライト型を生み出していた。

 これが奴の厄介な能力。多数の飛行型ノイズを搭載し、それを繰り出して来る。爆弾のように落とすことも、手下として使役することも出来る。まさに広域戦略兵器だ。今まで奴が姿を現すことは殆ど無かったが、それだけに出現されると厄介である。

 

「ちくしょう!」

 

 雪音が上空に向かってガトリングを斉射する。

 しかし距離が遠い。如何にシンフォギアでも攻撃の射程距離は存在する。弾丸が届く前にエネルギーが減衰し、消滅してしまう。

 数発届いたところで焼け石に水だ。

 

「降りて来いクソ野郎!」

「止せ雪音。言って降りてくる奴じゃない」

「うるせえ、女には言わなきゃいけない時があるんだよ!」

 

 怒鳴りつける雪音。

 だが愚痴の一つも零したくなる。これでは攻める手段がない。奴も直接攻撃は出来ないが、フライト型による爆撃がある。

 

 大してこちらは近付かなければ……

 

「遊星っ」

「ん?」

「アレ。前に見せてくれた、おばちゃんから貰ったカード」

 

 響は俺を真っ直ぐに見て言った。

 

「『シンクロ・ストライカー・ユニット』か? だがアレは……」

「クリスちゃんと遊星の力を合わせて、私があのノイズに接近できれば!」

「……おい、まさか」

 

 横にいた雪音が唖然とする。何となく、俺も彼女の考えは読み取った。

 

(相変わらず、ど外れた発想をする……)

 

 しかし、やってやれないことは無いかもしれない。

 要は空母型に近付きさえすれば、攻略する手立てはある。

 だが、シンフォギア最大の弱点である上空の死角を補うためには、雪音の力が必要となる。

 

 つまり、この場合求められるのはコンビネーションだ。

 

「雪音、行けるか?」

「……」

「クリスちゃん」

「……ま、一回は言うこと聞くって約束だからな」

「じゃあ……」

 

 響の顔が明るくなる。

 同時にクリスが、上空を見て武器を構えた。

 

「けどその前に……」

「あっ…!」

「あの連中を黙らせねえとな!」

 

 言ってクリスが、再び上空にガトリングを斉射する。

 空母型が、またもフライトノイズを落とし始めたのだ。奴自身はジャンク・ガード・ガングニールの効果で攻撃態勢を取れないが、手下となるフライトノイズを生み出す能力までは止められない。

 

「このっ! 好き勝手にボンボコ落としやがって!」

「ターレット・ウォリアー! 地上のノイズを抑えてくれ!」

『オオッ!』

「響、右三十度! 降りて来るぞ!」

「でえあああああっ!!」

 

 一体が起動を変え、キリモミ回転をしながら、雪音の横っ腹に突っ込んでくる。

 響は側面に躍り出てガントレットを構えて叩き潰した。

 しかし、雨は一向に止まない。次から次へと投下されて、俺達を封殺してくる。

 

「おいセンセイ! このままじゃジリ貧乏カラ欠だぞ!」

 

 クリスが叫んだ。

 確かに、このままでは徐々に俺達が追い詰められていく。奴の攻撃が止むのを待っている余裕はない。

 

「雪音、俺が攻撃を止める! その隙を縫って、響を連れて行ってくれ!」

「出来んのかよ!?」

「任せろ!」

 

 俺は叫ぶと、再び響に向き直った。

 

「響、奴の爆撃を一瞬だけ停止させる。勝機を零さず、掴み取れ」

「遊星……」

「やれるか?」

「……うんっ!」

 

 響が力強く頷く。

 彼女は信じてくれている。俺が必ず、敵の攻撃を止めると。

 ならば、その信頼に応えるまでだ。

 

「なら……行くぞッ!」

 

 応えるように、次のカードを取り上げる。

 その時の俺の顔は、いたずらっぽく笑っていたらしい

 響が、初めて見た瞬間だった。

 

「力を貸してくれ、エフェクト・ヴェーラー」

 

『仰せのままに、マスター』

 

 響やクリスにも聞こえた、透き通る様な澄んだ声。

 手札を一枚墓地へと送る。

 次の瞬間、その穴から飛び出した光が、上空へと舞い上がり空母ノイズを包み込む。

 帯状になった光は、巨大なノイズに巻きついていく。

 すると、その時だ。

 

「爆撃が……止まった、だと?」

 

 雪音が唖然とする。その視線の先──確かにノイズは動かない。ただ沈黙するのみである。

 

 シミュレート通りだ。

 これが、エフェクト・ヴェーラーの力。

 

「遊星、どういうこと?」

「エフェクト・ヴェーラーは、相手の持つ特殊能力を封じる効果がある」

「……ってことは」

「カードの効果が持続している一分間は、増援は出ない」

 

 つまり、あの光の帯が縛っている間は、ノイズは出てこない。未知の力を持つノイズのとの戦いにおいて、このカードの存在はかなり大きい。

 

 今の内に態勢を整えることが可能となった。

 

「……フン」

 

 雪音が悪態をつくも、彼女の目は笑っている。

 

 地上の敵がターレット・ウォリアーで抑えられ、

 そして今、上空の攻撃を食い止めた。

 

 準備は整ったのだ。

 

「行くぞこのバカっ!!」

「了解っ!!」

 

 雪音と響の視線が重なり、二人の息も合わさる。

 瞬間、雪音は蓄積されたシンフォギアのエネルギーを一気に解放した。

 

 ──傷ごと抉れば、忘れられるってコトだろ

 

 雪音の歌が響き渡る。

 更なる力を与えられたギアは、背中に大型のミサイルを再び出現させた。二門のミサイルは、上空にいるノイズを指向し、正確に視認する。

 

 ──だったら涙なんて、邪魔なだけなのにィイッッ!!

 

 雪音の叫びが夜の埠頭にこだまする時、ミサイルが放たれた。

 一直線に上昇したミサイルは、空母型の胴体目掛けて風穴を開けようとする。

 

 ──HAHA! さあ、It’s show time!

 

 しかし、ここでジャンク・ガード・ガングニールの効果が切れる。守備態勢から攻撃が可能となった空母型は、フライト型を投下するのではなく、自らの身体の一部を切り離し、ミサイルにぶつけた。

 

 ──火山のような殺伐Rain!!

 

 あとわずかと言う距離にまで迫ったミサイルだったが、奴の文字通り捨て身の攻撃に敢え無く撃沈……

 

 ──さあお前らの全部全部全部全部ゼンブッッ!!

 

「今だ響!」

「おおおおおおおっっ!!!」

 

 していない。

 

 雪音のミサイルは、あくまで響を連れて行くための手段にすぎない。もとより空母型の分厚い走行を貫くためには、雪音の攻撃だけでは火力が足りない。二発のミサイルのうち、次段として発射した分に響を載せ、ノイズの眼前まで近付いていた。

 

「遊星お願いッ!!」

「トラップ発動! 『シンクロ・ストライカー・ユニット』!!」

 

 予め伏せておいた罠カードを、起動させる。赤く縁どりされたカードから紫色のエネルギーが、奔流となって上昇する。それは響を包み込み、その攻撃力を更に倍加させた。

 

 ジャンク・ガード・ガングニールは、攻撃力自体は高くない。

 だが、この罠カードはシンクロモンスターの攻撃力を上昇させる効果を持っている。

 この力を使えば……

 

 ──否定してやるッ

 

「いっっけえええええええっっっ!!!」

 

 ──そう否定してやるッ!!

 

 雪音の歌と、響の拳が重なり合う時。

 空母型ノイズの胴体を貫く。

 完膚なきまでに、敵の切り札は空中で爆破炎上したのだった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 空母型ノイズを撃沈させてから、さらに十数分くらい経った後。

 

『敵、増援反応ありません。お疲れ様でした』

「了解」

『処理班が間もなく到着します。お二人はそれまで待機していてください』

「ああ、ありがとう」

 

 私達は、残ったノイズを倒して、ようやく危機を回避できた。

 

 遊星は今、無線で友里さんに連絡を入れている。

 私は横でそれを聞きながら、辺りを見渡した。

 

 あれほどたくさんのノイズが現れて、戦場となっていた埠頭は、今は真っ暗で静寂が訪れていた。

 戦闘の後で、あちこちボロボロだけど、それでも人が死なずに済んだのが一番だって、私は思いたい。

 

「……じゃあな」

「あ……」

 

 冷たい夜の潮風が当たった時、クリスちゃんが私の前に立って言った。

 

「ま、待ってっ」

 

 私はつい、クリスちゃんの手を取ろうとする。

 けどクリスちゃんは、それをひらりと躱した。

 

「クリスちゃん……」

「ここでお縄を貰う気はねえ」

「でも……」

「聞くのは一回だけって言ったよな?」

「……」

 

 私は何も言えなかった。掛けられる言葉なんて、今の私は持っていない。

 でも、私はようやく掴みかけたこの子の手を、もう一度伸ばしたいと思った。

 

「雪音」

「遊星…?」

 

 その時だ。

 連絡を終えた遊星が、クリスちゃんを呼び止める。

 

「……んだよ? もう約束は果たしただろ」

「もう一つの約束が残ってる」

「え?」

「それだ」

 

 そう言って遊星は、クリスちゃんの腰のポケットを指差した。紅色のワンピースから言われて取り出したのは、私が持っているある物と同じ。

 

「……」

「それ……翼さんのチケット」

「俺よりも、聞くべきなのは彼女だと思ってな」

 

 そう言うと遊星は、無線を取り出して、再び友里さんへと連絡を取る。そして、ここからの遊星の取った行動は、私でも驚く物だった。

 

「こちら遊星、本部応答してくれ」

『こちら本部。どうかしたの?』

「どうにも無線の連絡が上手くいかなくてな。しばらく連絡が取れなくなるかもしれない。以上だ」

『え? ちょっとどういう……』

「本当にすまない。弦十郎さんに謝っておいてくれ」

『遊星く……』

 

 あまりに唐突な遊星の言葉。

 私もクリスちゃんも、何事かと思ってじっと見る。

 けど遊星は飄々とした顔でさっさと通信を切ってしまった。

 

「ゆ、遊星……?」

「響、悪いが今から俺がすることを黙っておいてくれるか?」

「ええ?」

 

 私は目を丸くする。

 訳が分からなかった。

 けれど遊星はそんな私を尻目に、Dホイールをこっちまで転がしてきて、画面を操作している。

 

「遊星、何やってるの?」

「ハッキングだ」

「あ、そうなんだ、ハッキン……ええっ!!?」

 

 跳び上がりそうになった。

 慌てて口を塞ぐ。

 けど、心臓がバクバク言っていた。

 機械オンチな私だけど、流石に遊星が今口には言えない行為をしているくらいは分かる。

 

「ゆ、遊星、は、ハッキングって……そ、そんなことして良いの?」

「元々、ノイズの襲撃と重なる可能性は考慮していたからな。準備しておいた」

「じゅ、準備?」

「俺も、こんな事をすべきじゃないのは分かるが、チケットは貰ってる身だ。大目に見てもらうさ」

 

 そう言うと、遊星が捜査し終えた画面が、映像を映し出す。

 すると、大きい音声も同時に流れ出してきた。

 思わず耳をつんざくほどの熱狂的な感性と、黄色い悲鳴。

 

 薄暗い映像だったけど、星が輝くみたいに、周りでは色とりどりの光が明滅している。

 

「これ、もしかして……」

「翼のライブ映像だ」

「えっ!?もしかして、これ、中継動画!?」

「ああ、衛星の電波を少し拝借してな」

 

 翼さんのステージは、ライブビューイングで全国に配信されている。

 映画館とか、地方の野外ステージで中継されて、あちこちのファンを楽しめるようにしたみたい。

 もちろん、それを見るのにだってチケットは必要。

 

 けど遊星は衛星放送の電波をジャックして、Dホイールに繋げた……らしい。

 

「……うひゃあ」

 

 溜息が出て、空いた口が塞がらなくなった。

 バイクを運転して、機械の修理が出来て、ケンカも強くて、ハードボイルドで、頭も良いし、おまけにクレーンゲームとハッキングも得意……

 もう宇宙まで生身で飛んでっても私は驚かないと思う。

 

 

 

『皆、ありがとう!』

 

 

 ステージの中央では、一曲歌い終えた翼さんが、観客から物凄い拍手を貰っていた。笑顔でファンの皆に手を振る翼さん。私は時間を見る。もうライブは半分を過ぎている。観客の熱も最高潮に達している時だった。

 

(うう……ど、どうしよう……多分これ、やっちゃいけない事だよね。でも……正直凄く見たい)

 

 遊星が本部との通信を切ったのも理解できる。こんなの捕まってもおかしくない。

 私もファンの端くれとして、こういう違法鑑賞は許せないけど……

 

「さあ、雪音」

「え……」

「聞いていくんだ。これが、お前の道しるべになるかもしれない」

 

 一歩離れた位置で、呆然とその様子を見てたクリスちゃん。遊星の手招きで、おずおずと、Dホイールに近付いた。

 

(……もしかして、遊星がクリスちゃんと一緒に来たのって)

 

 遊星は元々、クリスちゃんに翼さんの歌を届けたかったのかもしれない。もしクリスちゃんの戦う理由や、それを知っても手を取り合う手段があるとするなら、それは歌以外にはないと思って。

 遊星も、戦う以外の方法を探してくれていたんだ。

 

「クリスちゃん、聞いてって」

「お前……」

「翼さんの歌、とっても素敵なんだよ」

 

 私は手招きして、クリスちゃんを画面が一番よく見える位置へと案内する。

 黙っていたクリスちゃんは、そのままゆっくりとライブ画面を注視した。

 

 

『本当にありがとう。今日は思いっ切り、久しぶりに歌を謳えて、気持ち良かった。それを皆に聞いてもらえて、心から嬉しい!』

 

 

 翼さんのMCが続いている。

 観客は全員、その声の虜になっていた。私もあの場所に居たら、絶対に同じ反応をしているの違いない。

 きっと未来も、会場でその様子を見守っている筈だった。

 

『こんな思いは……久しぶりで、久しく忘れていた。私は、こんなにも歌が好きだったんだって』

 

 声援がひと段落して、再び翼さんは語りだした。

 

『聞いてくれる皆の前で歌うことが、大好きなんだ』

 

 その言葉に、会場は再び沸いた。

 けれど、その次の言葉で、観客はもう一度沈黙することになった。

 

『もう知っているかもしれないけれど……海の向こうで、歌ってみないかっていうオファーが来ている』

 

 それを聞いて私は固まった。

 

『何の為に歌うのか……ずっと迷ってた。けど、今の私は、もっとたくさんの人たちに歌を聞いて欲しいって思ってる。言葉が通じなくても、歌で伝えられる者があるなら……私の歌を、世界中の人に届けたいの』

 

 翼さんの告白。

 ずっと前から、海外デビューをするんじゃないかって言う話は噂されていた。これだけの実力を持つ人はもっと世界中で活躍すべきだって言う意見も沢山あった。話に聞いただけだけど、凄い大物からオファーが来たなんて記事もあったくらい。

 

 シンフォギアのことを知り、私が翼さんの正体を知って、結局は噂だけだったんだって思った時もあったけど、でも今、翼さんはそれを現実にしようとしている。

 

『私の歌が誰かの助けになるって、そう信じて今まで歌い続けてきた。けど……これからは、その中に自分も加えて……自分自身のために歌っていきたい。私は、歌が大好きだから!』

 

 笑顔で、翼さんは宣言した。

 それは、あの人の新しい一歩。

 今までの自分から、新しい自分へと変わっていく。その名前が指し示すような、未来への大きな羽ばたき。

 

『たった一度の我儘だけど……出来る事なら、認めて欲しい……許して欲しい』

 

 翼さんは、ずっと自分を殺して生きた。

 それが自分の運命だからって。

 生まれも、育ちも、奏さんを失った後の人生も。全てひっくるめて、それが相応しいんだって。でも、そんな筈はない。だって、皆が願ってる。そして、あんな素敵な歌を、翼さん自身が楽しめないなんて、そんな悲しいことがあるもんか

 

 

 ──ああ、そうだ

 

「……え?」

 

 ──許すさ。当たり前だろ

 

 

「奏さん?」

「ん?」

 

 遊星が、一瞬だけ私を見る。

 けれど、すぐに画面に引き戻された。

 

 

 ──────ッッッァアアアアアッッッ!!!!

 

 

 それは、未来への扉が開いた音。

 

 日本中の……ううん、世界中が待っていた、風に乗って飛んで行くあの人へ向けられた、祝福の拍手。

 

『翼ちゃーん! ガンバレー!』

『いいぞー! みんな応援してるー!』

『翼さんサイコーだーッ!!』

『海の向こうへ行っても、私達ずっとファンだからー!』

『でもたまには戻って歌ってきてくれー!』

 

 一人の拍手と応援から始まった声の波は、たちまち全体へと伝わった。皆が拍手し、叫び、声援を送る。

 

 嬉しい

 ありがとう

 頑張って

 応援してる

 

 きっと、中継先で見ている人たちも、この光景を見て、応援しない人なんて一人もいないと思う。

 だって、思いが一つになってるから。

 私は知っている。歌は、心を一つに出来る魔法なんだってことを。

 

 

『つ・ば・さ! つ・ば・さ! つ・ば・さ!』

 

 

 会場のコールは止まらない。

 皆が一斉にペンライトを振って、翼さんを応援している。それは、まるで翼さんが外へと羽ばたくための道を、皆が照らしているみたいで。

 

 

『……ありがとう……ありがとうッ……みんな……!』

 

 

 大粒の涙を流しながら、翼さんは何度も何度もお礼を言った。

 自分の声を聴いてくれる人。自分に元気をくれる人たちに向けて。私も、目に涙が浮かんだ。言葉が出ない。きっと口に出したら泣いちゃう。きっとこの瞬間を、ファンの人たちはずっと待ち焦がれていたから。

 

 ……ううん、そうじゃない。これを待ってたのは……

 

「響?」

「あ、ごめ……ちょっと、感動しちゃって」

「……そうか」

 

 遊星は何も言わずに、私にハンカチを差し出した。

 私はそれを受け取る。

 きっと、遊星は気付かないかもしれない。

 

 この涙は、私のものじゃない。

 胸に宿る歌が……喜びと、お祝いの言葉を、涙に変えているんだ。

 そうですよね、奏さん。

 

 

「……」

 

 

 それを、じっと側にいて見つめる人がいる。

 

「……クリスちゃん?」

「……」

 

 クリスちゃんは画面を見ながら、ただひたすらに翼さんの言葉を噛み締めていた。

 睨むでも怒るでもなくて、ただ一心不乱に。

 けれど、翼さんが再び歌を歌い始めた時。

 

「……じゃあな」

「え」

「これ以上は聴きたくねえ」

「クリスちゃん!」

 

 クリスちゃんは、背を向ける。

 そう言ってゆっくりと建物の影に消えようとする。

 私は必死に呼び止めた。

 

 一瞬だけ見えた悲しそうな眼と、クリスちゃんの小さな背中。

 やっぱり私は、声が出ない。

 

 だから、一言だけ。

 

「私、待ってるから!」

「……」

 

 クリスちゃんは、何も応えない。

 再び歩き出して、夜の闇に紛れて消えて行く。

 私はそれを、ずっと追いかけ続けていた。

 

 寂しそうな背中から、私は微かに感じ取った。

 

 きっとクリスちゃんは戦っている。

 昔私がやっていたように。

 自分の答えを出す為に。

 

「……響」

「遊星……」

「大丈夫だ。お前の気持ちは伝わってる。もちろん、翼の歌もな」

「……うん」

 

 遊星が優しく、私の肩に手を添える。

 私は、もう一回翼さんの映る画面を見た。

 

 その透き通った、煌めきと華やかさと、凛とした強さが伝わる、翼さんの歌。

 私の大好きな、そして皆にも……クリスちゃんにも好きになってもらいたい歌。

 

 夜の埠頭に風が吹く。

 静かな夜の中で、私達はずっと、翼さんの歌に酔いしれる。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 次回予告

 

 

 己の道に迷い、彷徨う雪音クリス。

 そんな中俺達は、ついに『フィーネ』のアジトを突き止め、急襲する。

 だが、そこで待っていたのは思いもよらない光景だった。

 

 そして明かされる敵の目的──『カディンギル』とは何なのか。

 街を襲うノイズ達に、今、装者のシグナーの力は一つになる。

 

「行くぞ皆、俺達の本当の力を見せてやろう!」

 

 

 次回 龍姫絶唱シンフォギアXDS 『星々と、繋いだ手だけが紡ぐもの』

 

 

「射抜いてみせる……例え相手がなんであろうと!」

 

 




次回、物語も収束へと動き出します。


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第9話『星々と、繋いだ手だけが紡ぐもの』‐1

大変お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。
仕事などで手が付かない状況が続き、ここまで来てしまいました。
非力な私を許してくれ
コツコツ、更新していきたいと思いますので、よろしくお願いします。


 

 

「ねえ聞いた? 不動先生の噂」

「聞いた聞いた!」

「街で不良に絡まれた娘を助けたんでしょでしょ?」

「そうそう!」

「しかもあの人バイク乗るんでしょ? 私見たことある」

「なんであの先生、物理の教師とかやってんだろうね?」

「頭もいいんじゃない? 手先が器用だし、食堂の壊れた空調とか、教員室のパソコンとかも直してくれてるんだって~」

「初めはどんな人かなって、ちょっと警戒してたけど…」

「無口でクールで喧嘩強いって、ヤバくない?」

「いやもうマジあり得ない位ハイスペックじゃん」

「よく見ると顔も結構カッコいいし。髪型変だけど」

 

 ………

 

 人間というのは単純なもので、一つキッカケがあれば、アッサリと変わるみたい。

 

 ここ最近、学園中は不動先生の噂でもちきりだった。

 もちろん、遊星への心変わりは嬉しいんだけど、ここまで手の平返しになるとちょっと複雑な気持ちだった。

 

 けど、遊星がどんどん信頼されてく様子を見るのは、やっぱりとても嬉しかった。

 弓美ちゃんの端末を直したこと、不良を追っ払ったことが知れると、徐々に遊星へ話し掛ける人数も増えていった。

 

 

「パソコン修理と……映画部のカメラと、あとは放送委員会のマイクだって」

「そうか、分かった」

 

 翼さんのライブの日から一週間くらいが経った頃だった。

 放課後、私が隣を歩く遊星に、手帳に書かれたメモを読み上げている時。

 

「……あの先生」

 

 ちょっと後ろから付いてきてる未来が呼び止めた。

 

「ん?どうした?」

「どうしたの未来?」

 

 私達は振り返って未来の方を見る。

 未来は眉間に皺を寄せて、こめかみに指を当てて、なんだかなんでか複雑な表情を浮かべている。

 

「…ちょっと、働き過ぎじゃないですか?」

「別にそんなつもりは無いんだが…」

「最近、放課後も遅くまで残ってますよね」

「ああ。修理とか改造の依頼が立て込んでてな」

「すごいよ~! もう予約待ちの子が5人いるんだから」

 

「気付いて下さい! もうこれ学校教員の仕事じゃないです!」

「「……」」

 

 未来はぷくーっと頬を膨らませている。

 私と遊星は目を丸くしてお互いを見て、そして未来を見直した。

 

「確かにそうだが……」

「これじゃまるで『街の便利屋さん』じゃないですか…」

「あ、いいねそれ。『ご近所さんのお悩み事を即座解決! 頼れるアナタの不動遊星!』みたいな…」

「いいわけないでしょ!」

 

 その一喝に、私と遊星は震えた。

 私達は気まずい雰囲気で目を見合わせる。

 

 未来が深いため息を吐きながら言った。

 

「響まで一緒になって……何やってるのよ、もう……」

「いや…だってさ、私のところにまで依頼が来るんだもん。この間、未来も頼まれてたでしょ?」

「そ、それはそうだけど……」

 

 そう。

 

 このところ、遊星の手先の腕を見込んで、機械とか器具とかの相談を持ち込む人が増え始めていた。

 その中には本当に便利屋扱いして来る人もいるかもしれない。

 けど、私が実際にあった人には、『不動先生にお近づきになりたい』っていう雰囲気を醸し出してるのも少なくなかった。

 

『不動先生、相談なんですけど……』

『ああ、いいぞ』

 

 二つ返事って言うのはこういうことなんだろうね。

 

 実際、遊星は壊れものの修理、機械のアドバイス、勉強の悩み……色々なコトを即座に片付けてしまう。

 これが学園中に広まって、ますます遊星への人気は高まった。

 

 

『ねえ、立花さんって、不動先生と仲良いよね?』

『不動先生って、何でも修理してくれるってホント?』

『実はお願いが…』

 

 ただ、今もとっつき難いと感じる人や、接点の無い子も多いから、直接頼みに来るのはハードルが高いって人もいる。

 

 そこへ行くと私や未来は、いつも遊星と一緒にいるし、仲がいいって見られてる。

 だから直接会うのを躊躇う子は、吸い寄せられるように私のところにやってきた。

 

『うんいいよ。遊…先生に訊いてみるねっ』

 

 懇願してくる人たちを邪険には扱えなかった。

 口を利くだけなら、と言って相談事を持っていくと、遊星はこれまた気軽に引き受けてしまう。

 

『ああ、いいぞ』

『え、ほんと?』

『別に断る理由は無いからな。それに困っているなら、助けるのが教師の仕事だろう』

 

 遊星に依頼を持ち込む人はここのとこ、更に増え始めていた。

 仲介をした私も、手伝いを買ってでた。遊星が認められる事が嬉しいのもそうだったし、私も彼の人助けに協力したかったから。

 

 ……と、そこまでは良かったんだけど。

 

 流石に未来が言うように、ちょっとやり過ぎちゃったみたいだった。

 というより、もう私だけじゃ捌けないレベルだった。

 

「いいんですか? 先生への注目が高まって、それで正体がバレちゃったら…」

「その辺りは上手くやるさ。それに、この方が上手く溶け込めている筈だ」

 

 心配する未来をよそに、遊星はあっけらかんとした様子で答える。

 それは私も同意だった。

 

「そうそう。今の方が寧ろ自然だよ」

 

 実際、奇異の目で遊星を遠巻きに見る人が減った分、疑いや勘繰りの視線が減ったのを感じていた。

 私自身、そういう目で晒されたことがあるから、人より敏感な自覚がある。

 未来も私の側で敵意の視線をよく知っていたから、寧ろ私より分かっている。

 

 それならこの方がずっと安全じゃないか、と私達は思った。

 なにより、困った人を助けたいっていう遊星の想いを尊重したいからだった。

 

「だから私達もサポートしなきゃ。ね?」

「……はぁ。分かったわ。二人がそう言うんだったら、協力する」

 

 未来も不動先生への取り次ぎを断らないのは、それが一番だって解っているから。

 私の人助けを知っている未来は、遊星の気持ちも理解してくれる。

 

「やったぁ! さすが未来っ、私を長年支えてくれてるだけあるねー!」

「響が暴走しそうで心配だからね」

「うんうん、頼りにしてるよ」

 

「あの、先生」

「ん?」

 

 眉間のシワは取れたけど、それでも未来が苦笑しながら遊星に言った。

 

「響、こんなですけど、よろしくお願いします」

「……ああ、分かってる」

「え、え、何の話?」

「ナイショ。それより」

「え?」

 

 私そっちのけで話している遊星と未来に食い下がろうとしたら、未来は私達を並ばせて言った。

 

「頼まれごとを引き受けるのは良いけど、受けすぎない事。ノイズが出た時、すぐに動けるようにしなきゃダメでしょ?」

「あ、うん。そうだね。大丈夫、それは分かってる」

「なら響の方から『困ってることありませんか~?』とか宣伝に行くの禁止ね」

「……あ、はい」

「…ホントにやってたの?」

 

 未来は唖然として私を睨む。

 

 い、いや、ほらだって、折角遊星が皆と仲良くなれるチャンスなんだなって思ったら、私も居ても立ってもいられなくなったって言うか……

 

 それに、やっぱり気の弱かったり恥ずかしがり屋な子は、話し掛けづらいとかあるし、そういうのも私が助けられたらなと……

 

「ご、ごめん遊星、勝手なことして……でも、皆が困ってたら助けないとって……」

「大丈夫だ。気にするな。むしろ響がそうやって気付いてくれた方が、俺にとってもありがたいからな」

「え、ホント?」

「ああ、だからこれからも……」

「だから響を甘やかさないで下さい!」

「あ、はい」

 

 未来の一喝に、直立する遊星。

 未来は時々お母さんみたいだった。

 

「……分かりました。これから頼まれ事は私が管理しますから。二人とも何かあったら私に言って下さい。いいですね?」

『はい、分かりました』

 

 こうして、遊星―私―未来、の繋がりで結成された三人は、この後も何かと人数が増えて、皆のお願い事を聞いていくお手伝い部隊になってく。

 

 けど、それはちょっとあとの話。

 

 

「ああ、ちょっとすまない」

「え?うん」

 

 

 通信端末の着信が入って、遊星は一旦止まる。

 そこから、全ての始まり。

 終わりへの、カウントダウンが始まった。

 

 

『遊星君、俺だ』

 

 

 

 第9話『星々と、繋いだ手だけが紡ぐもの』

 

 

 

 歌、というものに、殆ど関心は無かった。

 というより余裕が無かったかもしれない。

 

 子どもの頃から生きていくため、

 強大な敵と戦うため、

 或いは、俺達自身が活きる目的を見つけるため、

 

 響たちと出会うことで、初めて俺は音楽を正面から検証する機会を得た。

 

 人類にとって、音楽は単なる一文化ではない。

 デュエルに匹敵する……いや、それさえも超えた『なにか』。

 

 ならば『なにか』とは何だ?

 

 何故シンフォギアを纏うのに歌が必要なんだ?

 何故歌によってノイズを倒せるのか?

 そもそもノイズとは何なんだ?

 それを裏で操る『フィーネ』は何者だ?

 

 様々に湧き上がる疑問に回答を出せず、ただひたすらに目の前の脅威に対処するだけだった日々。

 しかしそれは終わりに向かおうとしている。

 

 

『遊星君、俺だ』

 

 

 二課の司令・風鳴弦十郎の呼び声に、俺は目を細める。

 隣では、響と未来がこちらを見上げて、キョトンとしていた。

 

『今出られるか?』

「ああ……すまない、二人とも。ちょっと外す」

「う、うん」

 

 響たちから離れ、廊下の角を曲がったところで、人の気配がないことを確認しつつ、彼の言葉を待った。

 

「もう大丈夫だ」

『すまないな、仕事中だというのに』

「いや、気にしないでくれ。それよりも……」

 

 彼の言葉には、かつてないほどの重みが感じられた。

 そしてこのタイミングでの急な連絡。

 身体の奥底がざわつくのを感じた。

 

 

『奴のアジトを突き止めた』

「奴?」

『……フィーネ』

 

 その一言に、目を見開いた。

 

『雪音クリスの足取りを調査したところ、街外れにある山奥の洋館。そこへ複数回に渡って出入りしていることが明らかになった』

「なら彼女も今そこに?」

『いや。雪音クリス自身はその後、二課のマークを振り切って、未だ足取りが掴めていない』

「……」

 

 フィーネ。

 この事件の黒幕と目され、恐らく俺がこの世界にやってきた原因を司る存在。

 

 ノイズを操り、ネフシュタンの鎧を強奪したのも、恐らく彼女だ。

 つまり、奴が翼の相棒であった天羽奏を死なせ、響をこの戦いへと巻き込んだ張本人でもある。

 

 そして雪音クリスを唆し、尖兵へと仕立てあげた……

 

『安心しろ。彼女を捕えるつもりは無い』

 

 俺の心根を読んだのか、弦十郎さんがやや穏やかな口調で言った。

 

『これまでの行動からして、雪音クリスが俺達と事を構えるつもりがないのは明らかだ。変に拗れさせて、また敵に回すのは下策だ』

「……弦十郎さん」

 

 彼女は罪を犯した。

 だがやり直して欲しい。

 いや、そうするべきだ。

 

 それは俺だけではなく、響や他の皆の願いでもある。

 

『寧ろ、雪音クリスが動いていない今が好機だ。ここ数日、フィーネも動きを見せていない。奴等が新手を打つ前にカチコミだ』

 

 力強く、彼は言い放った。

 彼の言う通り、雪音が敵対行動をとっていないと言うことは、フィーネは有能な右腕を失っていることを意味する。

 

 フィーネを倒す…あるいは拘束することができれば、一連の事件も恐らく収束へと向かうだろう。

 そうなれば、雪音もこちらの説得に応じてくれる可能性が高い。

 

 後は弦十郎さんが、如何に有利な条件を司法から引き出してくれるかだ。

 

「いつだ?」

『明朝。俺を含めた調査部の数名を引き連れて向かう。万一に備え、君もついて来て欲しい』

「……分かった」

 

 正直、この国の人間をどこまで信じるべきなのか……俺はまだ測りかねている部分も大きい。

 だが、この世界に来たことで得られた絆を、俺は信じたい。

 

『よろしく頼む』

「ああ」

 

 通信を終え、端末をしまう。

 すると、タイミングを見計らったように響が過度の向こうからひょこっと顔を出していた。

 

 

「遊星?」

 

 

 響がキョトンとして近付いた。

 

「すまない、ちょっと話していた」

「ひょっとして師匠?」

「……ああ」

 

 このタイミングで、二課からの通信と言うことは、呼びかける人物はそう多くない。

 弦十郎さんからの呼び出しというのは、彼女も予想がつくだろう。

 

 だが……

 

「基地の装備のメンテナンスを手伝ってほしい、と言われてな。すまないが、明日は自習になる」

 

 本当の事は言わなかった。

 

 ノイズが現れる場所に、装者ではない俺を連れていく。

 雪音と刃を交える可能性があるにもかかわらず、響には教えていない。

 

 恐らく、彼女には今回の件、言えない何かがあるのだろう。

 それは雪音のことなのか、別のことかは分からない。

 だが、彼の判断を信じることにした。

 

「随分、急なんだね?」

「ノイズの襲撃に備える為かもしれないな。敵もいつ来るか分からない」

「……うん」

 

 響はじっと俺を見る。

 曲がりなりにも、俺達はここまで二人でやってきた。

 それが急に事情を詳しく説明しないとなれば、勘付くところもあるだろう。

 

 一瞬、どうやって説得するか迷ったが……

 

「じゃあ、響はその間、きっちり勉強しないとね。こういう機会でもないと、どんどん成績下がっちゃうよ」

「うっ……」

「先生、響は私がちゃんと面倒見ますから、安心して下さい」

「ああああぁ~、やめてとめてやめてとめてやめてぇええ~~~!」

 

 未来が笑顔で、響の横に割って入るようにして話題を切り替えてくれた。

 ふと、彼女と目が合う。

 

「……」

「……」

 

『よろしくお願いします』

 

 さっき言われた言葉が、再び彼女の目を通じて飛び込んできたような気がした。

 未来は察しているのだろうか。俺が呼び出された理由に、雪音が関わっていることを。

 

 そうだとしても。

 

「ああ、そっちも、響をよろしくな」

「はい」

 

 俺は絆を信じて、突き進むだけだ。

 

 窓の向こうから音楽が聞こえてくる。

 リディアン音楽院の校歌だ。

 ここへ来て、まだ二ヵ月に過ぎないというのに、その歌は心地よく、まるで幼い頃から聞いていた子守歌のように、俺達の中へと染み入っていた。

 




大分時間を開けてしまい、読者の皆さんも「これはもう終わりですね」「遊びさ本気で見るわけないじゃん」「おわったビングだ、これ」みたいな風に思われてるかもしれませんが「うおーっ、更新されてるよよっしゃー!」「あのときのワクワクを思い出すんだ!」「俺達の満足はこれからだ!」って思って下さる方が一ミリでも居続ける限り掻き続けたいと思います。

なにとぞ、応援よろしくお願いします。


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第9話『星々と、繋いだ手だけが紡ぐもの』‐2

前書きでクドクドいうのはマイナスだと気付いたので、多くを語らないようにします。
言いたいのは一言だけ。

感想、メッチャ嬉しいです。
全裸になりたいです。
これからもどうかよろしくです。


 翌日の早朝。

 Dホイールのエンジン音は、静かに回転している。

 

 山道は険しく、相当な悪路だが、二課の特殊車両やDホイールの性能をもってすればそう難しくない。

 日は高く、微風。

 こんな状況でもなければ、もしかすると響などはハイキングだ何だと、未来と一緒に出掛けるかもしれない。

 

 逆にその穏やかな風景が、俺の心をざわつかせた。

 

(フィーネ……奴はそこにいるのか……)

 

 あの女とは、今度こそ決着を着けねばならない。

 半分以上のカードを取り戻した今の俺のデッキならば、一人でもノイズと渡り合うことは可能だ。

 それに調査部の手練れ、何より守護の要とも言える、文字通りの主柱である風鳴弦十郎。

 この布陣ならば、余程の事態でも後れは取らない。

 

 しかし、奴の実力は未知数だ。

 沈黙を守っていたフィーネの居城に、何が待ち受けているというのか……

 

『遊星君、一つ頼みがある』

「なんだ?」

『もし、仮に戦闘になったとしても、ノイズが出しゃばらない限り、今回は俺に任せて欲しい』

 

 ガタガタと揺られながら、荒れ地を走る最中だった。

 弦十郎さんは無線越しに俺に告げた。

 

『俺は今度こそ、責任を果たさなきゃならん』

「責任…」

『彼女だけのことじゃない。翼のこと……響君のこと……そして、奏のことも、俺は守ってやれなかった』

 

 彼女……と言う言葉が誰を指すのか、それを聞くのは憚られた。

 

 ふと横を見る。

 運転席でハンドルを握る彼の表情は動かず、また山道を行く先を見据えているだけに思える。

 

『結局、俺は逃げてるだけかもしれん。理解者のフリをして立ち回っているだけの卑怯者……そう言われれば、俺には言葉が無い』

 

 その胸の内に隠された想いを、俺は知る由もない。

 先代の二課の長にして、翼の祖父……つまり彼の父でもある風鳴訃堂から、トップの座を引き継ぐ前から、この因縁は始まっていた。

 

『しかし、だからと言って背を向けて見て見ぬだけならば、俺は大人どうこう以前に、人として失格だ』

 

 これは風鳴弦十郎という男の、ある種意地のようなものかもしれない。

 だとすれば、今回の件を響や翼に告げなかった本当の理由は……他の誰でもない、彼自身の中にあるのだ。

 

 ならば俺は……

 

「分かった」

『……恩に着るぞ』

 

 短く、弦十郎さんは答える。

 

 出来るのは、仲間との縁を信じること。

 彼の中の信念を、俺は尊重する。

 だがもし、彼が危機に晒されているならば、俺は全身全霊をかけて戦わなければならない。

 

 静かに俺はデッキに手を添えていた。

 

(これが最後になるかもしれない……皆の力を貸してくれ…!)

 

 

『指令、間もなく到着します』

 

 

 別の車から届いた無線で、俺達は視線を上げた。

 

 木々の隙間から、翠緑色の屋根が視界に飛び込んでくる。

 更に進むと、森林域から抜け、全容が明らかになった。

 ここに来る前に渡された資料に在った、孤高の洋館。

 

 

「………ここか」

 

 

 ブレーキを絞り、Dホイールを停める。

 二課の黒塗りの車群も、俺の後に続いた。

 最後に、弦十郎さんの載る大型の装甲車が止まると、中から赤いシャツを着た大柄の男が這い出るように扉から現れた。

 

「各自、装備を点検。屋敷を包囲しつつ、中へ侵入する。フィーネ、及び雪音クリスを発見した場合、速やかに俺と遊星君に知らせるんだ。鼠一匹逃すなよッ」

『了解!』

 

 指示を受けると、多数の車から、勢いよく中から黒服の男たちが飛び出した。

 一件丸腰に見えるが、防弾チョッキは勿論、小型の手榴弾や高性能の銃を隠し持っている。いずれも弦十郎さんが選び抜いた二課の精鋭だ。

 

 俺もデッキを確認すると、ディスクをDホイールから外し、スタンディング状態でセットする。

 

『モーメントアウト』

 

 AIのガイダンスボイスを聞きながら、デッキをセットする。

 俺は洋館を見上げた。

 

(以前、シェリーに招かれた別荘地に皆で行った事があったが……)

 

 Z-ONEとの戦いの後、一度だけシェリーの別宅に招待され、チームの皆で行った事があった。

 此処からでも見える目的の家は、それによく似ていた。

 二重勾配になっている屋根や、細身のアーチ窓、バルコニーやポーチは、まるで昔のフランス貴族の屋敷だ。

 

 尤も、ここで待ち受けている者は、彼女の様な清廉なデュエリストとは程遠いのは間違いない。

 その裏で米国が糸を引いていたことも明らかだ。

 

「……」

 

 二課の面々が周囲を索敵している間、俺は辺りを見渡す。

 

 向かって左手には湖畔、逆方向には崖と丘陵地。そして後方には森。

 

 優雅でのどかな光景だった。

 庭や設置されている噴水にも、妙な仕掛けは見当たらない。

 とても今回の事件を引き起こした張本人の居城とは思えない。

 

「司令ッ」

「どうした」

「アレを見てください」

 

 全員が準備を整え、いざ踏み込もうとしたその時だ。

 エージェントの一人が、手を振って俺達を手招きしていた。

 

 近付くと、崖に面したバルコニーの一角が見えてくる。

 そこから見えたのは、割れた細身の窓ガラス。

 それも一枚ではない。

 

「むぅ…」

 

 近付くと、周辺の地面には複数人と思われる足跡も見つかった。

 更にバルコニーにはワイヤーフックらしきものが引っ掛けられた跡がある。

 

「これは…」

 

 米国と通じていることと言い、二課の内通者と言い、フィーネは実に狡猾な女である。

 その彼女が、あまりにも無防備にアジトを晒している。おまけに明らかにキナ臭い連中の痕跡がそのまま……

 

「司令、周辺に罠や仕掛けらしきものは見当たりません」

「こっちも同様です」

「ノイズの反応、及び聖遺物の波長も感知せず」

 

 他のエージェントからの報告も同様だった。

 

「弦十郎さん、コイツは……」

「どうやら、シンデレラを先に迎えに来た連中がいるようだ」

「……」

 

 巨躯に似つかわしくないセリフ。

 しかし弦十郎さんは、拳を握りしめると、黒服の男たち全員に通達した。

 

「踏み込むぞっ、乱戦を覚悟しておけ」

『ハッ!』

「遊星君、俺が打って出る。援護を頼む」

「分かった」

 

 この男が先陣を切る以上、細やかな戦術は意味を為さない。

 フォーメーションを度外視し、エージェント達は全員が後方を固める役割に徹した。

 俺は彼等と二課司令との間に立ち、いつでもモンスターを召喚できるよう、カードを右手に持つ。

 

「行くぞッ!」

 

 号令のもと、俺達は一気に駆けだした。

 正面の大きな扉を開け放つと、広すぎるほどの玄関口へと出る。

 

 そのまま一気に走り込み、奥の扉へと近付いていく。

 

 ……筈だった。

 

 

「何っ!?」

 

 

 俺は息を呑んだ。

 目の前に広がっていたのは、絢爛な屋敷には似つかわしくない、『破壊』だった。

 玄関ホールはこそ無事だったが、奥の大広間へと続く扉が粉々に砕かれている。

 急ぎ俺達はホールを抜けて広間へ近付く。

 

 が……

 

「司令……」

「遅かったか…っ!」

 

 エージェントの問いかけに、苦虫を噛み潰す表情で答える弦十郎さん。

 

 19世紀前後の雰囲気を残した豪奢な大広間は、見るも無残な有様だ。

 中央にあるテーブルは真っ二つに割れ、周りのには燭台などの調度品が散乱している。

 周囲には銃痕もあったが、それ以上に獣の爪痕の様な壁の抉れ、壁面全体に至るまでの亀裂の方が遥かに大きい。

 

 しかし、それ以上に俺達の視界へと飛び込んだのは……

 

「……なんだ、これは」

 

 広間の奥でゴミの様に散らばっている人間の数々だった。

 

 五、六人程度だろうか。

 いずれも同じ格好で地面に倒れ伏し、おびただしい量の血を流して微動だにしない。

 入口から見ても、明らかに絶命しているのが分かる。

 

 そして……

 

「あれは……」

「……」

「雪音ッ!」

 

 

 その死体に囲まれるように、雪音クリスが背を向けて、広間の中央に立っていた。

 

「……え」

 

 雪音は茫然とした表情で振り返る。

 思わず、俺は彼女の元へと駆けだしていた。

 

 近付く俺を見て、少女がビクリと体を震わせる。

 

「ち、ちがうッ! アタシじゃないっ…アタシじゃ……うあっ!?」

 

 雪音が後ずさりながら叫んだ。

 その時カツンと、彼女の足が『何か』にぶつかり、雪音はバランスを崩し、身体がぐらりと傾く。

 

「ぐっ……!?」

 

 尻餅をつく雪音。

 彼女は咄嗟に手を付いたが、それがさっきぶつかった『なにか』に当たる。

 

「……っ!?」

 

 雪音は絶句していた。

 

 彼女が足を引っかけたもの……それは恐らく、つい数時間前まで生きていたであろう、人間の痕跡だ。

 黒いサバイバルベストを着込んだ大柄の男の死体が、雪音の目の前に転がっていた。

 

「雪音っ…!」

「……」

「雪音、しっかりしろッ!」

「……あっ」

 

 彼女の元まで走り寄り、震える肩を掴んで揺さぶった。

 呆然とした表情のまま、雪音は俺を見る。

 

「……」

「……俺の方を見ろ。大丈夫だ」

「っ……っ…!」

「大丈夫か?」

 

 かつて敵同士だったというのに、思わず俺は彼女を慮った。

 今までなら、雪音もその手を振り払っただろうが、この状況で、事を構える余裕は無かったらしい。

 

 無言で俺に向かって頷き、そのまま立ち上がった。

 

「怪我は無いか?」

「あ、ああ……」

「一体、何があったんだ…?」

 

 俺は辺りを見渡した。

 

 幼い頃から、お世辞にも恵まれた環境にはいなかった。

 人の死を間近に見たことも、一度や二度ではない。

 しかし、ここまで凄惨な有様は殆ど経験が無い。

 

「ア、アタシは何も知らないっ…! ただ、ここに戻った時には、もう……」

 

 叫ぶ雪音の肩は震えていた。

 

 俺はそこかしこに転がる死体に目線を移す。

 夥しい量の出血だが、死体そのものはいずれも腹部や心臓以外に外傷は殆どなかった。

 

 雪音の使うイチイバルの痕跡ではない。何か、鋭利な刃物のようなモノで刺し貫かれたようだ。

 

 何より……

 

「雪音クリス」

「…っ!」

 

 弦十郎さんが、俺や雪音の前へと歩を進める。

 雪音は彼を目の前にして身構えたが、弦十郎さんはそのまま彼女の頭に優しく手を置いた。

 

「安心しろ。傷つける気は毛頭無い」

「えっ…」

「誰も君がやったなんて思っちゃいないさ」

 

 その面持ちは厳しくとも、頭を撫でる無骨な手は優しかった。

 

 彼の言う通りだった。

 殺害現場にわざわざ居残るバカはいない。

 何より、雪音が今更こんな無慈悲で残酷な人殺しに手を染めるとは到底思えない。

 

 だが、だとするとこの惨状は一体なんなんだ…? 

 

「弦十郎さん、そもそもコイツらは一体…」

「米国の連中だろう。フィーネは奴等と裏で繋がっていて、俺達の情報を横流ししていた。基地の情報は勿論、シンフォギアや装者の素性……君のことに関してもな」

 

 見れば死体の顔は全員日本人の顔立ちではなかった。それに身体つきや身に付けた装備品はテロリストとも違う。

 

「こいつらは以前、広木防衛大臣を暗殺した連中と同じなのか?」

「ああ。全ては彼女の仕業だったんだ。俺や君の傍にいながら、良いように操っていた」

 

 鷹揚に頷くと、彼は雪音を見下ろす。

 もう一つの手が、ギリッとしなりをあげて握り込まれる。

 

 だが彼の言葉を聞き、俺は戦慄した。

 

「つまりフィーネは……内通者を潜り込ませていたのではなく……」

「彼女自身が潜入していたんだ。米国側に対して、忠実な尖兵の仮面を被り、その実ずっと漁夫の利を狙ってたってわけだ」

「……」

 

 身体がヒリつくのを感じる。

 この口調…彼は恐らく気づいている。

 その諸悪の根源の名前を。

 

 その内通者の本性……いや、正体を。

 

「それで、響を呼ばなかったのか。知っている人間を目の前に、あの子の拳が鈍るのを承知で……」

「……」

「教えてくれ、フィーネが誰になりすましていたのかを」

 

 弦十郎さんは沈黙していた。

 口を開けば戻れない。それがわかっているからだ。

 彼にとって、二課のメンバーは全てが大切な部下であり、守るべき仲間だった。

 

 フィーネが内部の情報を熟知していたことからも、彼自身とは長い付き合いだったのだろう。

 個人的にも親しいのかもしれない。

 

 しかし遅かれ早かれ露わになる現実だ。

 彼はゆっくりと口を開き……

 

「風鳴司令、これを見て下さいッ」

「ん?」

 

 エージェントの1人が離れた位置から声を掛けた。

 不意に、俺も雪音もそちらを見てしまう。

 横たわる死体のうちの一つに、何かが貼り付けてあったのだ。

 

 俺達は雪音を連れ近づく。

 

「なんだコレ…?」

「『I love you.SAYONARA』……ふざけてるのか」

 

 黒服達がしかめ面でそれを見下ろしていた。

 A4サイズ程度の、白紙に、赤い文字で綴られていた。恐らくコイツらの血で書き込んだものだろう。

 

「フィーネの文字だ……」

「なに?」

 

 雪音は震える声で言った。

 

「アタシは……やっぱり、捨てられたのか……?」

 

 雪音は下唇を噛む。

 やはり、この惨劇を引き起こしたのはフィーネに違いない。

 なら、このメッセージは雪音に向けられたものだったのだろうか。

 彼女を駒のように扱いながら、この置き土産は余りに無慈悲だ。

 

「取り敢えず、回収するか」

「ああ」

 

 エージェント達が、無造作に手を伸ばす。

 と、その時俺の体が硬直した。

 直観の知らせ……と言ってもいい。

 

 

『もう、貴女に用ないわ』

 

 

 あの時、フィーネは雪音にそう告げた。

 俺は間違いなく奴の本性だ。

 

 それが、今更メッセージを残す? 

 

 なら、なぜ死体をそのままにした? 

 奴の手には、ノイズがある。

 ノイズを使えば始末は容易だ。しかも死体は炭となり、痕跡も残りにくい。

 雪音と袂を分かった今、俺達がここに踏み込むのも時間の問題だった筈だ。

 

 ならば……この『SAYONARA』は……まさか…! 

 

「止せ!」

 

 俺が叫んだ時、エージェントは紙をおもむろに手に取る。

 瞬間、甲高い金属音が聞こえた。

 それが紙に括り付けられた細身のワイヤーだと気づいた時には遅かった。

 

「…っ!?」

「総員伏せろ!!」

 

 弦十郎さんの怒号が広間中に響いた時。

 ワイヤーは天井裏や壁面に埋め込まれたダイナマイトに連動し、安全弁を引き千切る。

 

 刹那、爆音が一帯に轟いていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……?」

 

 リディアン音楽院の校舎の中にある自習室で、私は唐突に窓の向こうを見た。

 

「響?」

 

 未来が私に声を掛ける。

 耳に届いてはいたけど、でも心の中には入ってない。

 

(なんだろう…?)

 

 窓から広がる街が見える。

 

 鳴ったわけでもない。

 見えたわけでもない。

 何故かわからないけど、一瞬、胸が締め付けられたような錯覚に襲われていた。

 

 窓の向こうには、ただ校庭と、その向こう側にある建物と、丘を越えた先には森があるだけ……

 

(そういえば、前にクリスちゃんと戦ったのはあの辺り……)

 

「立花」

「えっ……あっ!」

 

 慌てて窓から目を逸らす。

 心臓がバクバク急に言い始めた。

 そんな私の目の前に立っていたのは、未来ではなくて……

 

「何をボーッとしてるの」

 

 むすっとした顔の翼さん。

 

「す、すいません!」

 

 急いで頭を下げた。

 背中あたりがすーっと冷えていくのを感じる。

 けど、やってしまったのは取り返しがつかない。

 

「見てほしいと言ったのは立花なのに……」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 

 ただ平謝りするしかなかった。

 横ではピアノを弾いていた未来が呆れた顔をしている。

 

「しっかりしてよ。折角翼さんが教えるって言ってくれたんだよ?」

「う、うんっ」

「まあ、気持ちは分かるけど……」

 

 勢いよく頷く私。

 

 急いで意識を元に戻そうとした。

 頭の中でさっき感じた違和感は拭えなかったけど、目の前に翼さんに圧倒されていた。

 

 あそこに誰があるかなんて知る由もなかった。

 

「それじゃあ、もう一回最初から。小日向、お願い」

「はい」

 

 翼さんはじっと私を見てたけど、そのうち気持ちを切り替えて、すぐにレッスンを再開してくれた。

 

 指示を受けた未来が、鍵盤を弾き始める。

 ピアノから流れてくるのは、私達が通うリディアンの校歌。

 

 

「あーおぎみーよ、たいよーをー」

 

 

 

 私たちは今、自主トレの真っ最中だった。

 

 ここは音楽学校だから、声楽用の自習室はたくさん用意されてる。

 許可を取れば自主練にも使うことができる。

 

 この間の中間テストは何とか乗り切ったけど、この後すぐに期末テストが控えてる。

 学科は遊星や未来のお陰で何とかなったんだけど、実技だけはそうも言ってられない。

 

 先生曰く、『一日練習をサボると三日分の後退になる』……らしい。

 だから空いた時間はこうやって未来が自主練に付き合ってくれていた。

 

「よろずのあーいーをー」

「ストップ」

 

 で、そんな時に、偶然通りかかった翼さんがその事情を知った。

 翼さんは修行や任務で忙しい合間に練習するのは大変だろうと、指導を買って出てくれた。

 

 今朝、未来と一緒に見た星座占いで、乙女座が一位だったのはこういうことだったみたい。

 

 世界進出も表明した翼さんは、今やスーパースター。

 その人直々にレッスンをしてくれるなんて、ホントなら私みたいな女の子が逆立ちしたって叶いっこない。

 

 だから凄い嬉しい……筈なんだけど……

 

「身体に無駄な力が入ってるわ」

「は、はいっ」

「一度深呼吸しろ、立花」

「は、はいっ」

 

 翼さん! 超! 近いっ! 

 あわあわあわわ…! 

 

「姿勢を正して。脚は開き過ぎない方がいいわ」

「は、はい」

「……どうしたの?」

「いえ、その……」

「響っ、響っ!」

「はっ!?」

 

 未来が、私に呼びかけてくれて、一瞬で我に返る。

 目の前では翼さんがジト目でこっちを見つめていた。

 

 ま、またやっちゃったぁ……! 

 

「真面目にやる気があるの?」

「も、もちろんですっ、はいっ」

「あの、翼さん……響、緊張してるんだと思います」

「緊張?」

 

 未来が助け舟を出してくれる。

 目を丸くする翼さんに、コクコクと慌てて頷いた。

 

「もっと肩の力を抜いていい。別に本番でもライブでもないのだから」

「い、いえ、そうじゃなくて……」

 

 この数カ月で分かったけど……

 翼さん、自分自身にとにかく無頓着なんだよね。

 

 自分がどれだけ人気者なのか……と言うより、そもそも人気者っていう概念を分かってないような気がする。

 

 だってほら……

 

 

『ねえねえ、あれ見てみ』

『え、中にいる人って、翼さん?』

 

 

 学園の歌姫がこんな所に居て、目に付かない筈ないのに。

 

『誰、あの子?』

『一期生の襟章だよね』

『翼さんの知り合い?』

『でもあんな子見たことないけど…』

 

 あっという間に、自習室の周りは私達……と言うよりも、翼さんを見に来た女の子たちで埋め尽くされていた。

 そりゃそうだよね。

 

 翼さんは文字通り高嶺の花。

 お近づきになりたいなんて子は数知れず。

 

 同じ学校にいるだけ持ち前の幸運の半分は使い切り、残りの半分を使うことでようやく同じクラスになれる。

 

 お話が出来て仲良くなるなんて、それこそ前世で世界を救ってるか、来世の幸せを悪魔に切り売りしないとできない……と、言うのが弓美ちゃんから聞いた噂……

 

 それでも日々のライブ、レッスン、取材、その他諸々の仕事で学校にいる日も少ない。

 顔を合わせることさえ稀なのに、そこへ来て何食わぬ顔で直接声楽の指導を受けている私。

 

 

『あれだよほら、あの不動先生といつも一緒にいる』

『ああ、一年生の』

『あの翼さんに直接指導してもらってるなんて……』

『羨ましいなぁ……!』

 

 

 部屋の外からでも聞こえてくる女の子たちの黄色いヒソヒソ話。

 うぅ、視線が痛いよぉ……

 私、やっぱり呪われてるかも……

 でも翼さんに教えてもらえるのは運がいいし……どっちなんだろ。

 

「……」

 

 そんな風に思っていると、不意に翼さんが入口の方へ向かってツカツカと歩いていった。

 そして扉を開け放つと、前にたむろしていた子達を一斉に見る。

 

「あなた達」

「ひゃあっ!?」

「そんな所に突っ立ってないで、用があるならハッキリと言えば良い」

「い、いえ、あの……」

 

 翼さんの鶴の一声。

 女子たちは為す術もなく固まった。

 でも翼さんは下がることなく、むしろ野次馬の先頭の子に向かって、更に顔を近づけてた。

 

「それとも、貴女も指導して欲しいのかしら?」

「きゃいっ!?」

「そんな顔をしないで。素直に言いなさい。それとも……」

 

 仮にも『姫』と呼ばれる人に。

 

「力尽くに訊きだされたいの?」

「……っ!?」

 

 鼻先まで近寄られて、こんなセリフを言われて耐えられる思春期女子がいるだろうか。

 まぁ、たぶん、無理ですね。はい。

 

「……きゅぅ…」

 

 余りの破壊力に耐えきれなかったみたい。

 顔を一瞬にして真っ赤にさせたその子は、そのまま固まって卒倒する。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫!?」

「んほぉ……ふ、ふふ、ふヒヒ……つ、翼さまに、ち、力尽くなんて……ん、んヒヒ……」

 

 ガクガク痙攣して白目剥いて、おまけに鼻血も出して恍惚の笑みを浮かべていた。

 だ、だめだあの人、早く病院に連れて行かないと……! 

 

「…どうした?」

「い、いえ、何でもありませんっ!」

「し、しつれいしまーすっ!」

「あ、ちょっと…っ」

 

 その子の友達らしき人達が、大慌てで担いで廊下の奥へと走って行く。

 その様子を見た他の生徒たちも、急いであちこちへと逃げるように去って行ってしまった。

 

 うーん、蜘蛛の子を散らす、って多分こういうのを言うのかな……いや、ちょっと違うのかな。

 

「……一体、なんだったんだアレは?」

「あー……えっと、その」

「翼さん…恐ろしい人……!」

 

 私と未来は顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。

 それを見た翼さんは、はぁ、とため息を吐く。

 

「……なんだか……上手くいかないな」

「はい?」

「その…私とて、このままでいいとは思っていない。もうちょっと、皆と距離を深めたいとは思う」

「え?」

 

 そう言う翼さんの面持ちは、暗く、残念そうだった。

 私は突然の表情にポカンと口を開ける。

 

「不動……先生は、来て数ヶ月で信頼を集めているのに、私はまだこの体たらくだ」

「……」

 

 どうも翼さんは追い払うつもりじゃなくて、本当に好意で言っていたらしい。

 うーん、分からなくはないけど、ほぼ初対面の人にアレは攻撃力が大きすぎるんじゃないかな……

 

「いや、分かってはいる。こんな風に詰め寄られて、いきなり『指導させてくれ』なんて、恥知らずと言われても仕方ない」

 

 そうじゃないんだけどなぁ。

 むしろ恥ずかしがってるのは向こうなんだけどなぁ。

 

「奏みたいにはいかないものね。奏はファンの皆に同じようなことをしても、寧ろ喜んでもらえてたんだけれど…」

「それはファンの人も堪らないですよね」

「そうね。私がやったら堪ったものではない」

 

 だめだ、誤解がアクセルを踏み続けてる…! 

 

 翼さんだって、私とそう歳も変わらない女の子だったんだ。

 前のデートで、そういうところは見つけた筈なんだ。

 

 こんな戦いさえなかったら、もうちょっと友達も多くて、皆と笑って過ごす時間もあったかもしれない。

 

 ただ翼さんは、私や遊星とは違う。

 何かキッカケさえ……ううん、もっと翼さんからアプローチしていけば、もっと上手く行くと思うんだけどなぁ。

 

「如何ともし難い壁は認識してるんだけど…」

「いやー…あれは遊星とはまた別の話と言いますか」

「どういうこと?」

「い、いえ、何でもありませんっ! だ、大丈夫ですよっ、そのうちきっと、翼さんも仲の良い人が沢山できますって!」

 

 もの凄く生意気だ、と言ってから気がついた。

 また私は慌てて直立してしまう。

 けど、翼さんは無言で私をじっと見つめると、やがてクスクスと笑い出した。

 

「……そうだな。立花が言うと、本当にそう思えるから不思議だ」

「え?」

「いや、何でもない」

「??」

 

 この人の言葉にまたキョトンとしたけど、翼さんは分かっているのかいないのか、何も言わずに未来の方を見る。

 

「さぁ、続けよう。小日向、また最初からお願いできる?」

「……はいっ」

 

 未来は何も言わずに、再び鍵盤を叩く。

 心なしか、さっきよりもメロディが軽快な気がする。

 未来は私の方を見ると、一瞬だけど微笑んでいた。

 

「ほら響、続けるよ」

「あ、あっ、うんっ」

 

 ……よく分からないけど、なんか解決したってことでいいのかな? 

 

「あーおぎみーよ、たいようをー」

 

 とにかく2人の好意を無にできないことだけは分かっていた私は、もう一度歌に集中することにした。

 さっき窓の向こうで感じていたザワつきは、もう無くなっていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 殴られたように迷走する意識をなんとか繋ぎ止めようと藻搔いた。

 

 硝煙と火薬と、舞い飛び散るコンクリートや土煙が、目鼻に飛び込む。

 咄嗟に伏せてやり過ごしたものの、襲いくる衝撃そのものは殺しようがない。

 

「……っ……っ!!?」

 

 むせ返る程の風の暴行だ。

 刹那、俺は死を覚悟したかもしれない。

 次の瞬間にはすぐさま手の中のカードをディスクへとセットしようと試みていた。

 

 しかし、それは徒労に終わった。

 不意に横っ腹から飛び出した閃光の如き影が、真上に向かって『何か』を振り上げていたのだ。

 上昇気流を起こしつつ突き上げられた旋風は、いともあっさり硬く分厚いコンクリートを貫き、砕き、一掃する。

 

 あっという間に、俺達を襲った脅威は逆方向へと吹っ飛ばされた。

 

 

「……い、今のは……?」

 

 

 暫く、呆然と事態を見守る。

 ……特に何かが起こる気配は無い。

 カラコロと、コンクリートの破片や、広間に隅にあった機械のパーツが崩れ落ちるだけ。

 

 だが、何もない。

 俺達自身に、全く異変は無い。

 

 

「………皆、無事か?」

 

 

 先程の衝撃の中央に立っていた者。

 まさしく人類の守護者と呼んで差支えない実力者。

 

「弦十郎さん…!?」

「おう、遊星君、大丈夫か?」

 

 俺はその人物の元へと歩み寄る。

 

 風鳴弦十郎は、丸太の様に太い腕を天空へと突き上げて、微動だにせずに立っていた。

 その傍らにいた雪音クリスをその身に抱きかかえたまま。

 

「今のは……アンタが?」

「ああ」

 

 本人や雪音には傷一つない。それどころか衣服にも埃一つない。

 周りを見渡すと、一人二人に瓦礫の破片が当たった程度で、こちらの被害は皆無と言って良い。

 

 しかし、目の前の事態は認めざるを得ない。

 

(何という男だ……まさか拳一つであの衝撃を相殺するとは……!)

 

 俺のカードだけでは、事態は防ぎきれなかっただろう。

 人死は出なくとも、重傷者を出してしまった筈だ。

 それを彼自身のパワーとスピード、そして地面からの反発力を利用して、爆発のエネルギーを文字通り『押し出した』のだ。

 

 

「……何だってんだよ……!」

 

 

 抱えられたままの雪音が、呆然と呟く。

 多分、彼女も何が起こったのか把握できていない。

 俺達は暫く、ただ起きた出来事を整理するための時間を置くことを強いられた。

 

「……」

 

 しばし呼吸を整えると、俺は雪音を覗き込むようにして言った。

 

「雪音、大丈夫か?」

「……」

「雪音…?」

「雪音クリス、どうした?」

 

 俺の問いにも、弦十郎さんの言葉にも、彼女は答えない。

 呆然と、破壊された広間と、辺りに散らばる残骸を見下ろしているだけだ。

 屋外の風が吹き込んでくる。

 瓦礫の破片が、パラパラと転がっていく。

 

 

「……へっ」

「なに?」

「へ、へへっ、ふははは……」

 

 

 雪音の肩が震え、微笑が漏れ出してくる。

 弦十郎さんの腕に抱えられたまま、彼女は突然、笑い始めていた。

 

「あははは……ハハ…っ、こんな……」

 

 苦悩にその顔を歪ませながら。

 

「満足したのか?」

「雪音?」

「これで満足かよッ!」

「むっ!?」

 

 不意に、雪音は身体をよじらせた。

 そのまま暴れて弦十郎さんの腕から抜け出し、飛ぶようにして俺達と距離を取る。

 

「雪音っ!」

「遊星君、下がれっ」

 

 一歩出ようとした俺を、弦十郎さんが制した。

 彼は厳しい面持ちで、雪音を見つめている。

『任せて欲しい』と、移動中に聞いた言葉が蘇る。

 

 しかし、少女は咆えた。

 

「チッとはマシになったって言うのかよこれがッ!」

「雪音っ、落ち着くんだっ!」

「ふざけんなっ!」

 

 そう言うと雪音は、足元に転がっていた瓦礫を蹴り飛ばす。

 破片が弦十郎さんの元へと飛ぶ。

 彼は微動だにせず、破片がその肉体に当たって逆に砕けた。

 

「アタシがバカだったんだ……」

 

 身構えながら後退する雪音。

 俺達に牙を剥け、彼女は叫び続けた。

 

「ノコノコ大人のガイドに従ったアタシが愚かだった……聞いた結果がコレだよっ!」

 

 彼女の眼下に広がるのは、破壊された屋敷、そして、もう原型さえ留めなくなった骸の破片。

 

「アタシは捨てられたんだよッ、見りゃ分かんだろ! そんな事も分からない程、アタシの脳ミソはツヤツヤじゃねえ!」

 

 歩み寄ろうとしていた俺の足が止まった。

 俺には言葉が無かった。

 

 雪音の言う通りだったからだ。

 

 あの死体に張り付けられたメッセージは、俺達に向けられたものではなかった。

 フィーネの正体を二課が見破った以上、この屋敷を突き止められたことは察知しようがない。

 つまり、俺達の強襲は如何にフィーネと言えど読み切れない。

 

 狙いは、この屋敷に必然的に飛び込んでくることが見えていた存在……

 

「ケジメをつけようって、おいそれ戻ってきたらこの様だっ!」

 

『I love you』で、彼女の未練を引き寄せて…『SAYONARA』で一瞬の気持ちの空白を作る。

 聖詠を唱える間もなく、雪音は瓦礫の下敷きになる。

 

 それが狙いだったのだ。

 

「分かったかよっ! これが全部だよっ! これが真実だっ! ナマあったかくて安い湯を被って、却って冷えて風邪を引くっ! これがアタシの全てだっ! 世界の現実だっ!」

「雪音っ!」

 

 喉を嗄らして叫ぶ雪音。

 歩み寄ろうとするが、彼女が首から下げたペンダントに手をかけるのを見て、再びそれは止められてしまう。

 

「もういい……! もう、何も信じないっ……!」

 

 目を血走らせ、全身を震わせる。

 餓えた獣の様に。

 

「止せ雪音っ!」

「壊す……皆壊すっ! 世界が全部アタシの的だっ! 大人も、将来は大人になっちまう子どももっ! 子どもが湧き出るこの世界も全部ッ! 全部全部全部ゼンブッ!!」

 

 もう一つの腕からは血を流しながら、少女が叫び続けた。

 

「頼むっ、もう止めるんだっ!」

 

 理不尽によりもたらされた痛みと悲しみと怨み辛み。

 幾らもがいて爪を立てようと、それが崩れることも減ることもないのに。

 

「そんな事をしても、お前は決して幸せにならないっ。お前自身が変わらなければ、何も…!」

「お前までもがアタシに責任転嫁かっ!? 両手広げて世迷言吐けば、閻魔さまの代わりができるとでもっ!? 調子に乗ってんじゃ…ねえ…っ! やっぱりお前も同じだっ! 腐った大人は皆同じだっ!」

「雪音っ!」

 

 最早衝突は避けられないのか。

 響のように、俺では彼女の心を開け放てないのか。

 彼女の心の膿が俺の元へ浸食を始めようとした時だ。

 

 

「止めるんだ二人ともッ!!」

 

 

 漢が一人、身体を張った。

 

「………」

「……」

 

 その一喝に、俺達は微動だに出来ない。二人の人間を前にして、この男は…いや、最早獣だ。

 だが、それは牙を露わにすることなく、まるで何かを慈しむように、一瞬だけ俺に目をやった。

 

「頼む」

「……!」

 

 それは誓約だった。

 道中聞かされた言葉は、仕事の責任、などと言う次元では無かった。

 文字通り、この男は命を張る覚悟だったのだ。

 

「………」

 

 俺はカードをデッキに戻し、そのままモーメントのスイッチを切る。

 そうだ。彼を信じる。

 それが俺の結論だった筈だ。

 

「ありがとう、すまない」

 

 再びの侘びと、感謝の言葉。

 弦十郎さんが、ゆっくりと、雪音に向かって歩き始めた。

 

「っ、来るなっ!」

「そうはいかない。前も言った筈だ。俺には、君を助ける義務がある」

 

 雪音の威嚇にも、彼は動ずることなく近付く。

 彼には気迫も殺気もない。無駄に暴力を振るう気は一切ないのが俺でも分かる。

 

 雪音にもそれは伝わっている筈だが、彼女は寧ろ後ずさるばかりだ。

 

「義務、だと…っ!?」

「そうだ」

「どうしてだ……どうしてアタシを守ろうとするんだ。さっきだって……」

「衝撃は発頸で…」

「方法を聞いてんじゃねえよッ!」

 

 歯を剥き出しにして、雪音はペンダントを再び握りしめた。

 弦十郎さんが何かしようものならば、即座に聖詠を唱え、武器を構えるつもりだろう。

 

 尤も、彼相手ではそれでも危い。彼女が引き金を弾く前に、既にこの男は間合いに入っている筈だ。

 しかし、装者すら圧倒せしめるほどの実力者は、その力を出す真似はしなかった。

 

「何でギアも使えねえ奴が……勝手な事するなっ!」

「ギアの有るとか無いとかじゃない。君よりも、少しばかり大人だから……年上で、力を持つ者の、それが役目だからな」

 

 そう言って、両手を広げる。

 まるでそれが当たり前だというように。

 

 いや、実際その通りだ。

 子どもを育てて、守るのが大人。

 誰しもが生まれて育つ中で、それは変わらない筈なんだ。だが、雪音の周りにいる存在が、それを許さなかった。

 

「ふざけるなっ!」

 

 後ずさっていた雪音の足が止まる。同時に叫んだ。

 

「アタシは大人が嫌いだっ! 死んだパパとママも大嫌いだ!」

 

 身体を再び震わせて、きっと彼女の脳裏に、かつての地獄が駆け巡っている。

 

「とんだ夢想家で! 臆病者で! 『戦地で歌を歌って、難民救済』だとか! ふざけたこと抜かして死んだ!」

 

 それが、少女の強がりなのは誰の目に見ても明らかだった。

 

 俺だけじゃない。

 二課のエージェントは、もう誰しも彼女に武器を向ける様な真似はしなかった。

 この子に凶器を差し向けるなんてことが、仮にも平和を愛する者にできる訳が無かった。

 

「大人のクセに夢見てるんじゃねえよ! だから死んだんだ! だから利用されたんだ!!」

 

 どうしてこんな子が歪まなければいけなかったのか。

 どうしてやればいいのか。

 苦悩と痛みが全員に伝播する中で、風鳴弦十郎は、それを一心に受け止める。

 

「戦争を無くすなら、武器を持った連中を片っ端から殺せばそれでいいっ! それが一番合理的で手っ取り早い方法だろうがっ!」

「……それで、お前は戦争を無くせたか?」

「っ…!」

 

 雪音は言葉に詰まった。

 

 未来を変える近道など存在しない。

 そのことを、俺はかつて『神』と呼ばれた男との戦いで身を以って知った。

 人が変わらなければ、世界は変わらないのだと。

 

「何も、変えられない……誰も救えなかった筈だ」

「だ、黙っ…」

「なにより」

 

 心の痛みを、脳の中で『力』という文字に書き換え、感情を塗り替える。

 だから雪音にしなければいけない事は、それを止めてやることだった。

 

 もっと、大きな、強い愛情で、雪音を包んでやること。

 それこそが、彼女を救う唯一の方法だったのだ。

 

 

「助からなきゃいかんのはお前だ」

「……え」

 

 

 その大きな巨躯で。

 風鳴弦十郎は、雪音クリスを抱きしめる。

 幼子をあやすように、優しく。

 

「……なに、してんだ……」

「……」

「なにしてんだよ……」

「こうして、受け止められる者がいれば、こんな事にならずに済んだ」

「……!」

 

 雪音の身体が硬直する。

 手負いの獣の殺気が行き場を失う。

 途方もない筈の気持ちが、何も出来ず空を切る。

 

「君を、もっと早くこうしてやればよかった」

「やめろよ……」

「『大人のクセに夢を見るな』と言ったな……二つ誤解してる」

 

 優しく背中を叩いて、諭すように言った。

 

「大人だから夢を見るんだよ」

「大人……だから…?」

「大人になればデカくなる。力も強くなって、財布の中身も重くなる。夢だった理想も、叶えられるようになる」

 

 それは、世界を知り、残酷さを知りながらも、踏ん張り続けた男の重みがあった。

 そしてきっと、雪音の両親も。

 

「お前の両親は、進んで地獄へ飛び込んだんだ。歌で世界を救う夢の為に、理想の為に、そして何より、君の為に」

「アタシの、ため……」

「だから連れて行ったんだ。『夢は叶う』という現実を見せたかったんだ」

 

 なんという夢物語だ。

 

 そうやって……他者は蔑んで笑うかもしれない。

 だが、間違ってなどいやしないんだ。

 己の信じたものに殉じた。

 

 これは悲劇だ。報われなかった者達の。

 

 そうやって……誰かが勝手に憐れむかもしれない。

 けれどそんな事は無い。

 彼等は知っていた。

 夢は受け継がれる。

 

「それが…一つ目だ」

「ふざけるなよ……だから死んだんだろうが……死んだら終わりじゃねえかよっ…!」

「終わりじゃない」

 

 沸々と煮えたぎる、雪音の苦しみ。

 しかし二課の司令は揺るがない。

 決して引こうとはしなかった。

 

 引いたら、もう雪音は誰も信じられなくなるから。

 

「最初に無くすべきなのは戦争じゃない。君の中にある、苦しみだ」

「……」

「それがある限り、ずっと君の中で、それは暴れ続ける。だからそれを、どこかで『愛情』に変えなきゃいかん。絶望を希望に変えるんだ」

 

 空気が僅かに変わった。

 変わらないとさえ思っていた彼女の中で、あの日の燻りが揺らめく。

 

「それが……それが、二つ目…か?」

「いいや。もっと、単純なことだ。お前さんが、一番初めに思い出さなきゃいかんことだ」

「……なんだよ、それ」

 

「……本当に、分からないのか?」

 

 思わず、声が出た。

 雪音に向かって、歩を進める。

 

 この少女に、刃を用いることなどできない。

 

「雪音」

「……何がだよ」

「……」

「何を、忘れてるっていうんだ」

「大好きなんだろう。パパとママが」

「………っ!!」

 

 そんな当たり前のことも忘れてしまった子に、できる訳がない。

 

「違う……」

「……」

「そんなこと……違うっ! 違うっ! 違うっ!! 違う違う違う違う違うっ!! 大っ嫌いだっ! パパなんて! ママなんて! 大っ嫌いだっ! みんな嫌いだっ! もう全部、全部がっ! 何もかも嫌いなんだっ!」

 

「ならやれ」

 

「…え?」

「思い切り殴るんだ。さあ」

 

 弦十郎さんが、雪音を僅かに離し、自らは仁王立ちして、身体を広げる。

 その身で、全てをなげうつのを覚悟で。

 

「……」

「パパとママが死んだのはお前のせいだと罵れ。何で助けてくれなかったんだと叫べ」

「な、なに言ってんだ…?」

「悪いのは俺だ。何も出来なかった俺のせいだ」

「う、うるせえよ……っ、黙れ…っ」

「泣いて、苦しくて、それでも誰も何もしてくれなかったんだと喚き散らせ」

「ふざけんなやめろっつってんだろっ!」

「やるんだっ!」

「黙れよ黙れよ黙れよ黙れよっ!」

 

 瞬間、雪音が駆け出して。

 

 拳を振り上げた。

 一瞬、緊張が走った。

 だが、雪音は聖詠を唱えなければ、殴りかかろうともしなかった。

 

 できなかった。

 

「……」

「黙れよ……もう止めろ……やめてくれよ……」

 

 ぽろぽろと。

 

 大粒の涙がこぼれる。

 それは、どこかの日で止まってしまった、雪音の真心だ。

 

「止めるものか。君が泣いても俺は止めん。君の中の憎しみが晴れるまで、俺が立ちはだかってやる。幾ら嘆こうが咬みつこうが、どれだけのものを抱え込んでたとしても、俺は決して倒れない」

 

 それを隠した憎しみを、心の垢を、全て取り除くのが、彼のここへ来た目的だった。

 

 

「全部吐き出すんだ、雪音クリスッ」

 

 

 芯の根を大地に突き刺す大木のようだった。

 どんなに暴風が襲おうと、激しい稲妻に貫かれようとも決して折れず、時に優しく人々をその木々と葉で覆い守る巨大な樹。

 

「…ぁ」

 

 震える雪音。

 振り上げた手が、力なく垂れ下がる。

 堰を切った感情は止まらない。

 ただ心という水の流れが、彼女の中の時間を進ませていく。

 

「ぁ…ぁうぅ、あ、ぇ……」

 

 焼け焦げた地面に、涙が零れる。

 何処かの地で、雪音は涙を流していた。

 今のような愛情の雫を、もっと早くに流させてやるべきだったのに。

 

「……もう一つ、言わなきゃいかん」

 

 大人の漢が、もう一度、雪音を抱き寄せる。

 震える頭を撫でて、慰めた。

 

「お前の両親は、お前を愛していてた。それだけは、俺にも分かる」

「……ん、で……」

「その歌が、愛の結晶だからだ。パパとママの遺してくれた、な」

「…っ!」

 

 それは、皆が分かっていながらも、誰も口に出せなかった真実。

 シンフォギアを動かすだけの歌。

 それは誰にだってできる訳じゃない。

 

 胸の中に、確かな力と想いが無ければ、出来る事じゃない。

 それはきっと、人が『愛』と呼ぶものなんだろう。

 

 

「……っざけんなよぉ」

 

 

 ぽすんと。

 力なく握られた手が、弦十郎さんの胸を打った。

 

「じゃ、ぁ……なんで……んで、死んじゃったんだよぉ……っ、ア、タシ…ぐ……っ…もっと、も、っと……パパと、ママ…い、一緒に、い、いたかっ…でも…でも、ぃない…で……」

 

 何度も、何度も、何度も。

 雪音は力なく叩き続ける。

 

「……辛かったな」

「っぁアぁああああッッ──────……」

 

 その言葉を。

 きっと彼女は、ずっと待っていた。

 

「もっ、っと……っと、そわり、たかったっ…!! パパに、たくさん……!! ママにだってぇっ! もっと! もっと沢山うだっ! ぎぃで、ほじかっだのにぃいッ! っっぁ、あっ、あああああああっっ!!」

「すまんっ、すまん……俺のせいだっ。君のパパとママは、俺のせいで殺されたっ」

「────―っぁああああっっ、わああああっああああああ────!!」

 

 泣きじゃくる雪音の叫びが、壊れた屋敷に響き渡る。

 やがて雪音は激しく弦十郎さんの胸を叩き始めた。

 

 何度も、何度も、何度も。

 

 全て彼は受け止めた。

 8年分の痛みだった。

 

「返してよぉ…! 返せよぉっ……パパとママ、返して……返してくれよぉおおっっ!!」

 

 青空に、虚しくて痛い、悲喜の叫びと涙。

 雪音の痛みと傷は、これからも決して消えないだろう。

 

 ならせめて。彼女が立ち向かえるその日まで……! 

 

 少女の泣き叫ぶ中で、誓いを新たに、俺は拳を握りしめた。

 

 

 




HAKKEIは裏切らない。

次回、クリスちゃんデレ初めるです。
どこかで新録カードだしたいなぁ……


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第9話『星々と、繋いだ手だけが紡ぐもの』‐3

感想、メッセージ、誤字脱字報告等々、本当にありがとうございます。
何卒、これからもよろしくお願いします。


 

「何もするな」

 

 

 突然、二課のエージェントの一人が俺に向かって言い放った。

 当然、俺は抗しようと口を開くが、エージェントは手を突き出して制した。

 

「君が仕事を始めると我々の分が無くなるんだ」

「しかし……」

「君は装者と同様、切り札だ。切り札は温存しておくものだ」

 

「ここの調査は我々に任せたまえ。君は司令と共に、あの子に付いていてくれ」

「……」

 

 そう言って、白い歯を出して笑うサングラスの男。

 廃墟となったフィーネの屋敷の広間で、俺は深々と彼等に頭を下げた。

 

「すまない。よろしく頼む」

「ああ」

 

 短く応えるや、彼等はすぐにプロフェッショナルとしての顔に戻り、屋敷の調査へと戻っていく。

 彼女の残した情報を余すところなく回収するため、調査部の面々は屋敷をくまなく捜索しているのだ。

 

「……雪音」

 

 確かに彼女を放っておけないのは事実だった。

 

 俺は屋敷の広間を後にすると、玄関口を通って、外の庭まで出る。

 湖畔に面した小さな桟橋に、彼等は居た。

 静かに近づいて、話し掛ける。

 

 

「弦十郎さん」

「……遊星君か」

 

 

 風鳴弦十郎は、桟橋の真ん中に陣取ったまま、じっと座り込んでいた。

 

「向こうはどうだ?」

「一先ずはトラップもなさそうだ。俺も休めと言われて、追い出された」

「そうか……確かに、君は働き過ぎだからな。彼等の言う通りにした方がいいかもしれん」

「良ければ、どうだ?」

「ん?」

 

 俺はジャケットのポケットから缶コーヒーを二つ、取り出して一つを渡す。

 おもむろに受け取った弦十郎さんは、目を丸くして俺を見た。

 

「意外だな……こういうのは持ち歩かないように見えるが」

「今朝ここに来る前に、響が渡してくれた」

「響君が?」

「ああ」

 

 

『自販機で買おうとしたら、間違えちゃって……よかったら休憩の時とかに飲んで』

 

 

 そう言って今朝、わざわざ二課の基地にある俺のガレージまで届けてきてくれたものだった。

 弦十郎さんは、それを見て苦笑しつつ、受け取る。

 

「朝にわざわざ自販機の有る場所まで行ったのか?」

「そうらしい」

「……あの子にも、随分気を遣わせるな」

「多分、響はそうは思ってないさ」

 

 所謂、『いつもの人助け』だ。

 

「ありがたく、頂こう」

 

 彼がプルタブを開ける。静かな湖畔に高い音が響いた。

 

 

「……」

「……」

 

 

 ここに来るまでで冷めてたが、それでも緊張し昂った身体と心を落ち着けるには十分だ。

 コーヒーを啜る彼に、俺は尋ねた。

 

「雪音は?」

「あの車の中だ。しばらく休ませてやろう」

「……そうだな」

 

 雪音が思いのたけをブチまけながら泣き腫らし、その後、突然電池の切れた人形のように意識を失った。

 ここに至るまでの精神的疲労もかなり溜まっていたのだろう。

 

 弦十郎さんは彼女を介抱しつつ、車中で休ませてやっていたのだ。

 

「……」

 

 俺は後ろに控えている特殊車両を振り返る。

 最期に見た少女の顔は、瞼の周りが痛々しく、赤く腫れぼったかった。

 

 せめて今だけは、幸せな夢を見ていることを願う。

 瞼の向こう側まで、醜い世界で覆われるなんてことは考えたくない。

 

 それでも、雪音には近い未来、厳しい現実が待っている。

 

「分かっているさ」

 

 不意に、弦十郎さんが口を開いた。

 

「こんな事をしても、所詮は自己満足だ。彼女の両親は帰ってこないし、この子のやってきたことが消せるわけじゃない」

「……だとしても」

 

 このままフィーネの件が片付いたとしても、それに加担した彼女は裁きを受ける運命だ。

 汚い世界に翻弄され、また弄ばれようとしている。

 だが、そんな権利を誰が持っているというのか。

 

「この子が、幸せな夢を見る権利はある。アンタはそれを見せようとした」

「……果たして、俺にできたんだろうか。彼女と向き合うことが」

「最善を尽くすことが、何かに向き合うことなんだと、俺は思う」

 

 力なき者が蹂躙される世界なんて、俺は決して認めない。

 例え相手がどれだけ強大でも、立ち向かってみせる。

 

 それがあの日……破壊から生まれた俺の揺るぎない意志だ。

 

「後ろを向く暇があるなら、その分歩かにゃならん……か」

 

 弦十郎さんは前をじっと見つめていた。

 湖畔に太陽が反射して煌めき、視界を一瞬白く覆う。一切の虚飾の無い世界を見て、彼も誓いを新たにしたようだった。

 

 ぐいっ、とカップの残りを一気に流し込む。

 相当苦みが濃い筈だが、彼は難なく飲み干した。

 

「すまなかったな。いい大人がグチグチと」

「いいさ。俺では、この子の本音を引き出すことはできなかった」

「響君や君が、何度もぶつかってくれたおかげだ」

 

 ニカッと笑う司令。

 彼とて一人の人間だ。迷いもするし、痛みも感じる。

 だが彼の強さはそれに耐えることではなかった。

 

 辛い現実を知る分、他者への思いへと転化すること。

 それが、風鳴弦十郎が機動部二課の長たる所以だった。

 

 

「……」

 

 

 俺達の笑い声か。

 或いはコーヒーの匂いが原因か。

 

 ふと、後ろに気配を感じて振り返る。

 すると、いつの間に目覚めたのか。

 

「……」

「……ん?」

「……」

「雪音、目が覚めたのか」

「……ぁぁ」

 

 雪音は車から何時の間にか降りて、桟橋の前に立っていた。

 

「気分はどうだ?」

「……まぁまぁ」

「そうか」

 

 直接顔を合わせようとはせず、頬を赤くして離れて立っていた雪音。

 まだ目の周りが赤い。

 弦十郎さんの問いかけにも、俯いて答えるだけだった。

 

「良かったら飲むか?」

「え?」

「あと一本ある」

「わっ、と、とと」

 

 もう一本、たった今開けようとした缶コーヒーを雪音に放り投げる。

 辿々しくも、キャッチする雪音。

 

「響が持たせてくれたモノだ。お前が飲めば、きっと喜ぶ」

「あのバカが……?」

「……どうした?」

「いいよ。そっちが飲めばいいだろ」

「コーヒーは嫌いか?」

 

 突っ返そうとするも、俺はその手をそのまま返した。

 

「別にそうじゃねえ」

「ミルクでも奢ろうか?」

「だからそうじゃねえっ!」

 

 顔を赤くして雪音は声を張り上げた。

 

「いきなり同じ杯とか……そんな、仲良しこよしできる訳ねえだろっ……っ、て、敵だったんだぞッ」

「そんな事に意味がないことは、雪音自身が良く分かってる筈だ」

「……だからって……」

「雪音」

 

 もう一度、コーヒー缶を雪音の手のひらに握らせた。

 とうに温くなった筈なのに、どこか温かい。

 

「信じてみろ。お前の中にある絆を」

「…なんだって?」

「そいつが、お前自身に、進むべき道を教えてくれる筈だ」

「なんだよそれ……」

 

 雪音は嫌悪した……

 というより、理解できない、という雰囲気だった。

 本当に雪音は忘れてしまっているのだ。強烈なトラウマやフィーネの言葉で上書きされて。

 

「大の男が、恥ずかしくねえのかよ…そんな青臭えの、どうして言えるってんだ」

「俺が今ここにいるからだ。それこそが、絆の証だ」

 

 断言した。

 

 世界を隔てても、何もかも失ったとしても。

 自身が、ここにいる。

 それは絆が結ばれたからに他ならない。

 

 それは、この少女も一緒の筈だ。

 

「……でも…」

「素直じゃない奴だ」

 

 苦笑しながらも、弦十郎さんが近づく。

 

「ほれ、俺からはこいつだ」

「……通信機?」

「通信機能だけじゃなくて、限度額まで買い物も出来る。しばらくはソイツで過ごせ」

 

 手渡された無骨な掌サイズの機械を、雪音は戸惑いつつもそっと撫でる。

 

「右下がプライベートコールになっている。その気になったら、いつでも連絡寄越していい」

「なんでこんなモン……」

「遊星君の言うように、お前は自分で思ってるほど孤独じゃない」

 

 俺達や通信機の間で視線を泳がせる。

 だがきっと、後は踏み出す勇気だけだ。

 

「まずはお前自身が歩け。そこから色々考えろ」

「……」

「風鳴司令」

 

 俯く雪音をよそに、黒服の1人が駆け寄ってきた。

 現場検証のメドがついた、とのことだった。

 

「しかし、やはりもぬけの殻です……」

「そうか」

 

 やはり、敵もわざわざ証拠を残すほど甘くは無い。

 こうなると、この建物に拘るのも危険かもしれない。

 

 恐らく、手がかりと呼べるものは殆どないだろう。

 そうなれば、フィーネはその間に姿を眩ませる。

 

 これではフリダシだ。

 俺達が途方に暮れかけた時。

 

 雪音が突然口を開いた。

 

「っ、フィーネが!」

「ん?」

「フィーネが、言ってた事がある……『カディンギル』がどうとか、って」

「カディンギル?」

「うん……『カディンギルは完成した』とか、何とか言ってた……どういう意味なのか、分かんないけど」

 

 喋った自分自身にも戸惑いながら、雪音は俺達に話した。

 俺はこの少女の言葉を頭で反芻する。

 

 確かその名前は……

 

「遊星君、分かるか?」

「……メソポタミアの都、『バビロニア』の語源だったと思うが……」

 

 正式には『カ・ディンギル・ラ』。

 

『神の門』を意味する古代シュメル語だ。

 これをアッカドの言葉に直し、更にギリシャ語で発音すると『バベル』……即ち、旧約聖書にある天まで届くとされる塔を意味する。

 

「天まで届く、高き塔?」

「ああ」

 

 何故俺がこんな事を知るかと言えば、デュエルモンスターズの起源とされる古代エジプト……その王の墓であるピラミッドこそが、所謂『バベルの塔』という説がある。

 

 デュエルの歴史を研究する男から聞いた覚えがあったのだ。

 

「『神の門』……『高き塔』……」

 

 瞬間、脳裏によぎったのは、かつて俺たちが最後の戦いとして赴いた、神の住む居城アーククレイドル。

 

「……」

「どうした?」

「いや、何でもない」

 

 考え過ぎだ。

 フィーネとZ-ONEを結びつけるのには無理があり過ぎる。

 そもそも、この世界と俺の世界では歴史がかなり食い違っている。

 

 やはり餅は餅屋だ。

 

「寧ろ、良子さんに聞いた方がいいかもしれない。考古学者でもある彼女の方が的確に考察できると思う」

「……」

「弦十郎さん?」

「あ、ああ。そうだな」

 

 彼自身、何か思うところがあったんだろう。

 すぐに気を取り直し、端末を取り出した。

 

「一度本部と連絡を取る。翼と響君にも情報共有しておこう。少し待っててくれ」

「ああ」

 

 この時、俺は二課司令のこの逡巡に対し、もっと問い詰めるべきだった。

 そうなれば、悲劇はもっと迅速に防げたのかもしれない。

 

 けれど、今は雪音の今後を心配するだけだった。

 

「雪音」

「……」

「街まで送るか?」

「……いい」

 

 雪音は端末を握りしめたまま、俺から背を向ける。

 

「……」

「……分かった」

「コーヒー……ごちそうさま」

 

 この子には、考えるだけの時間が必要だ。

 そしてもう一つ……彼女が自分の意思で歩き、そして本当の優しい心を表に出す為に大切なのは、俺でもなければ弦十郎さんでもない。

 

 彼女の……

 

「遊星君、俺は先に本部へ戻る。君はどうする」

「俺は学園の方へ行く。いざという時に、響たちと連携が取れた方が……」

 

 1人の少女の笑顔を頭に浮かべた時だ。

 

『司令、こちら本部!』

「どうした!?」

『超大型ノイズを観測! 数3……いえ、4機!』

 

 最終決戦……その第一幕のゴングが鳴った。

 

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 

「あーおぎみーよー、たいよー…」

「待って」

「え」

 

 翼さんの指導を受けながら校歌を斉唱した何回目か。

 私は決定的な間違いを犯していたと気付かされてしまった。

 

「そうか……立花はおじ様──司令に手ほどきを受けているんだったな」

「は、はい」

「そのせいで発声にクセが出てる」

「……え?」

「戦場での所作の影響で、腹筋に無駄に力が入っている。もっと腹の力を抜いた方がいい」

 

 ポカンとして私は翼さんを見た。

 

「お腹の力、抜くんですか?」

「そう」

「え、えー…?」

 

 歌う為に腹筋を鍛えてる人も沢山いるのに……

 

「でも、よく言うじゃないですか。『もっと腹から声出せー』とか、『お腹から声出すように』とか」

「それは間違った指導法の典型」

「……はい?」

「そもそも腹に口が付いてるわけでもなし、そんな事できる訳ないじゃない」

「そ、そりゃあ、まあ…」

「そもそも」

 

 半分呆れ顔をしつつ、歌姫は私を見返しながら言った。

 

「立花、普段呼吸をする時に、身体のどこを使っている?」

「え……ふ、腹筋?」

「違う」

「背筋?」

「もっと違う」

「……」

 

 固まってしまった。

 え、え、あれ? 

 そういえば私って、体のどこを使って歌ってるんだっけ? 

 

 えっと、声帯の振動は肺からの空気で、その間に……えっと、あれ? 

 なんかどっかで聞いた気がするんだけど……あ、あれ? なんだっけ? 

 

「呼気筋と吸気筋」

 

 横から、ジト目の未来が助け舟を出してくれた。

 

「え、そうなの?」

「もっと言うと、この筋肉群は自分で意識できないから、肋骨の動きと、それに連動する横隔膜の張り方で認識するの」

「正解だ、小日向」

 

 翼さんはゆっくりと頷く。

 

 あー、そうだ。

 思い出した。

 肺に筋肉はついてないから、その周りの筋肉が肺を動かしてるんだ。

 だから正しい発声をする為には、まず呼吸筋をコントロールしないといけないって……

 

 え、あれ。ってことは、ちょっと待って。

 

 中学時代に習った音楽の授業とか、リディアンを受験する為に色々独学で勉強してたのって、全部間違いだったってこと…!? 

 

「この間の授業でやったばっかりなのに……」

「ぅぐ……」

 

 言われて思い出した。

 

『これは絶対に覚えるように』

『大きく出遅れるだけじゃない。皆さんの音楽家の寿命がこれで10年は確実に変わる』

 

 先生にそう言われてたんだった…。

 

「立花。防人の使命と勉学の両立が辛いのは私とて同じ。けど、立花は曲がりなりにも、音楽で身を立てたいと思ったからここへ来た筈」

「……えと」

 

 翼さんの言葉に、私は詰まってしまう。

 元々、ここへは未来と一緒にいたいが為に受けたようなものだ。

 歌手とか音楽家とか、本当になりたいかと言われると正直微妙……

 

 で、でも今更そんなこと言えないしなぁ。

 

「歌を本当に修めたいと思うなら、その緊張も気持ちの底上げに使えるようになること」

「気持ちの底上げ?」

「『何のために歌うのか』『誰に聞いて欲しいのか』……それを一番に心で想いなさい」

「何のため……誰に…」

 

 私みたいな単純な子にとっては、そっちの方がありがたい。

 自分が何をしたいのか。

 それを考えた方が、色々とごちゃごちゃ考えるより上手くいく。

 

(……)

 

 何の為に歌うのか。シンフォギアで人助けをする為? 

 誰の為に歌うのか。未来に聞いて欲しいから? 

 

 それもある。大事な理由。

 

 でも、本当に私が大切に感じる目的は。

 きっと今すぐには出てこない。

 長い長い道のりと、今よりもっと多くの仲間達に囲まれる中で、ようやく掴み取れる一雫。

 

 けれど。

 

「あれ…師匠からだ」

「オープンチャンネル……はい、こちら翼」

 

 世の中ってのは、上手くいかないようにできてるもんだ。

 手に取ろうとしても、掬い上げようとしても、必ずっていうくらいに誰かが邪魔するみたいに。

 

 兎角、私は自分で自分を知らないままに、この先もずっと拳を振るい続ける羽目になる。

 

『2人とも聞いているな』

「「はい」」

『これから話す事をよく聞いてくれ』

 

 端末から聞こえる師匠の声は、かつてないほど緊迫したものだった。

 ノイズが出たわけじゃないのに、こんな雰囲気の師匠は見たことがない。

 

「かでぃんぎる?」

「それが、敵の本丸より得た、奴の切り札…」

『そうだ。狙いは、そのカディンギルによるものと考えられる』

 

 掻い摘んで師匠は説明してくれた。

 朝からいなかったのは、あのフィーネって人のアジトを調べていたからということ。

 分かったのが、『カディンギル』というものを作ったということ。

 

 でもその『カディンギル』がどういうものなのか…それが分からない。

 

『遊星君にも、詳しいことはわからなかった。どうやら彼のいた世界とは関連のないもののようだ』

「櫻井女史は? 彼女の見解は何と?」

『……』

「師匠?」

 

 了子さんは有名な考古学者でもある。

 その手の話は詳しそうなんだけど、師匠は言い淀んでた。

 

『いや、先程連絡があったんだが、彼女も一辺倒の伝承しか分からない、とのことだ』

「……そうですか」

 

 師匠の言葉を聞き、翼さんは何かを感じ取ったようにも思えたけど、次の師匠の言葉で、私の意識はすぐに別の方向を向いた。

 

『逆に言えば、『カディンギル』とはそのものを指すのではなく、何らかの暗号や符号を意味する可能性がある。俺達はこれからそれを探る。君たちは、いつでも動けるように待機しておいてくれ』

「はい」

「分かりましたっ」

『いずれにせよ、フィーネとの決戦は近い。各自、気を引き締めてかかれっ!』

「「了解!」」

 

 私と翼さんが元気に返したところで、通信は終わった。

 端末を切ってしまうと、私達の間には微妙な沈黙が流れる。

 

「……」

「……」

「……えーと」

「どうする? 練習続ける?」

「あ、いやー、この空気でってのも…うーん」

 

 チラッと翼さんを見る。

 向こうも何か考えることがあるのだろうか。

 じっと腕を組んだまま、窓の向こうを覗いている。

 

 私と未来は顔を合わせて首を傾げた。

 

「それにしても、『カディンギル』……なんのこっちゃだねぇ」

「うん…調べてもゲームの攻略サイトばっかりしか出ないよ」

 

 未来が端末をネットに繋げてポチポチと弄るも、芳しくない。

 そりゃそうだ。

 女子高生が調べてすぐバレるような作戦を立てるテロリストなんて聞いたこともない。

 

「今は私達が詮索するべきではない。いずれ本部が明らかにしてくれる筈。それまでは、ただ荒ぶる身を研ぎ澄ますことに専心するといい」

「そ、そうですねっ」

 

 翼さんの言葉で、私は考えるのをやめることにした。

 確かに、案ずるより生むが特売という言葉もあることだし、皆に頼った方がいい。

 

 なにせ遊星と了子さんがいるんだから。

 

「……」

「翼さん、何か心配事ですか?」

「……いや」

 

 ところが翼さん本人は、やはりどこかうかないかおをしている。

 未来が尋ねてると、再び窓の向こうを見る翼さん。

 

「櫻井女史は無事だろうかと思って。倉木防衛大臣の一件もある。カードの精霊を使う不動はともかく、……何の訓練も受けてない櫻井女史に、襲われた時対抗しうる手段があるとは思えん」

「あ……」

 

 確かに。

 二課の人が『カディンギル』を探るなら、それを防ぐ為、了子さんや遊星を狙ってもおかしくない。

 

 けど、私はと言えば、お気楽なものだった。

 

「了子さんなら大丈夫ですよ。私を助けてくれた時みたいにババーンとやっつけてくれます」

「ん?」

「え?」

 

 聞き慣れない英単語を耳にしたような翼さんの顔。思わず、私もキョトンとした。

 

「立花……流石にその考えは浅薄が過ぎる。生身でノイズに打ち勝てる人間がいないのは、貴女がよく知ってるでしょう」

「へ……だって二課の人達って、皆師匠とか了子さんみたいにすんごい力持ってるんじゃないんですか?」

「さっきから何を…」

「ん? んん?」

 

 あれ? 

 さっきからどうも話が噛み合ってないような……。

 と、私はこの時に思いついて、そして次の瞬間に忘れてた。

 

 あとちょっとだけ。

 

 警報のアラームがあとちょっとでも遅く鳴ってたら。

 ノイズの出現が1分でも遅れてくれたら。

 そうしたら、もっと何かできたのかもしれない。

 

 そうやって、今になっても、私は思い出すことがある。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『アタシも乗せやがれ!』

 

 

 そう叫んだ雪音を俺はDホイールに乗せ、一目散に市街地へと向かっていた。

 

『アタシのせいでノイズが出たんだぞ! 尻をへっぴりさせてる暇ねえだろ!』

 

 その彼女の顔に未練や気後れは無かった。

 己を奮い立たせていた。

 

 彼女が向き合うべきこと。

 戦わなければならないもの。

 それがあることに疑いの余地はなかった。

 

 しかし………

 

 

「おいまだ着かねえのかよ!」

「いたぞ! 見えたっ!」

 

 

 現場は既に暗澹たる有様だった。

 2ヶ月余りも過ごした街並みが壊され、汚れ、失われていく。

 その様は何度も目にしながら決して慣れることはない。

 

「くそっ…! 好きに勝手にのさばりやがって……!!」

 

 雪音が歯噛みする。

 街の遠くから徐々に、その姿は大きくなる。

 

 前回と同様、空母型ノイズは上空にて円を描くように旋回しながら小型ノイズを次々投下していた。

 それだけではなく、郊外に出現したと思われるノイズも、街の中心部へと足を踏み入れようとしているのがレーダーで探知できる。

 

 俺達は逆方向の洋館から一路駆けていたが、街中に差し掛かった時には既に、人々はパニックになっていた。

 

 

『うわあああっ!』

『ノイズだ、ノイズが出たぞっ!』

『おい押すなっ!』

『早く、早くシェルターにっ!』

『止めろよ、潰れるだろうがッ!!』

『急げってのが聞こえないのか!』

 

 

 本能が理性を破壊し尽くす音が聞こえる。

 人の持つ根源的な恐怖は、いとも容易く繋がりを踏みにじっていく。

 阿鼻叫喚の叫びがこだまする中で、俺達は彼等を守るため、それを無視するしかない。

 

「……」

「雪音」

「分かってるよッ!」

 

 俺たちは人垣を縫う様にして逆方向へと走る。

 

 一瞬だけ後ろを振り向いた彼女だったが、俺の呼びかけですぐに意識を切り替えた。

 罪の重さを、奴等への怒りへ変える為に。

 

「ここまでくれば、避難は完了しているか……だがっ…!」

 

 既に人気のなくなった中心部へと、俺たちは足を踏み入れた。

 前方の空を見上げれば、前回より二回りも大きい空母型が数機、旋回しながら周囲へノイズを落としている。

 

 ノイズのみならず、自らの身体を小型爆弾の様に落として、周辺のビルや建物を砕いていた。

 

「ぐっ…!」

「ちっくしょう、あの時のデケエ奴! あの時の一戦で味を占めやがったな!」

「広い範囲での爆撃……俺たちを街ごと消すつもりか…っ!」

「くそったれ!」

 

 悪態をつく雪音。

 徐々に空母型はその旋回の範囲を狭めていた。

 その間も、奴等は数を増やしていく。

 

「どういうつもりだよフィーネっ! アタシを狙うならここにいるだろっ! 七つも八つもメンドくせえんだよっ!」

「……?」

 

 雪音の言葉に、俺は思考を走らせる。

 

 確かに、奴の狙いは、本当に雪音なのか? 

 それとも、俺や響? 

 違う。

 以前に街を攻撃したように雪音を探しているわけでもない。

 

 ただ純粋に破壊を繰り返すだけに見える。

 この侵略に、敵の意図が見えない。

 

 だがもし、目的を挙げるとするならば……俺達や、街を大きく破壊することそのものに、何か意味がある? 

 

「何かある…!」

「え?」

「今このタイミングで、多くのノイズを出したことに何か……」

「何か、って……何だ?」

「……」

 

 俺達にアジトを強襲されたからか? 

 逃げる為の時間稼ぎなのか? 

 違う…奴は狡猾で、あらゆる下準備を施している。今更……

 

 

 ──……ぁ……まぁ…────

 

 

「っ!?」

「雪音?」

「おい、止めろっ!」

「どうしたっ…?」

「早く止めろってのっ!」

 

 その時だった。

 突然雪音が叫び、俺の肩を強く握り込む。

 慌ててブレーキを踏むが、スピードが緩んだと見た雪音は一気にDホイールから飛び降りる。

 

「雪音っ!?」

「ちょっと待ってろっ!」

「おい、どこへ行くんだっ!? 雪音っ!」

 

 そのまま真っ直ぐに元来た道を走り出す雪音が一気に小さくなった。

 

「雪音!」

 

 ストップしたDホイールから急ぎ駆け降りて、雪音を追いかける。

 幸い、止めた位置からさほど離れてない場所に、彼女は蹲っていた。

 

「雪音…!」

「……」

 

 ようやく追いついた雪音の背中。

 足を止め、彼女に問いかけようとするが、その先の行動に移れずに、俺は固まった。

 

 

「っ、ううっ、っ…」

 

 

 蹲っていたのではない。

 彼女よりももっと小さく、か細い女の子を守る様に抱え込んでいた。

 

「オイ、大丈夫か?」

「…っ」

 

 5、6歳程度だろうか。

 雪音がその子の肩を掴んで揺さぶっている。

 

「雪音、この子は…」

「知らねえっ。ただ走ってる最中に横目に映ったんだ,チラッと」

「……」

 

 うずくまって瓦礫の影に隠れていて、俺では判別できなかった。

 だから混沌とする喧騒に紛れ、逃げ惑う大人たちも気付かなかった。

 

 しかし、ノイズの群れに敵意を向けている最中に、雪音には分かったのか? 

 高速で移動するDホイールに乗りながら…

 

「おい、アタシの声聞こえてるか?」

「……っ」

 

 ビクリと体を震わせる少女。

 

「ぱぱぁ……ままぁ…!!」

 

 瞬間、少女は堰を切ったように泣き出した。

 

「……っ、ふ、ふぇ……うえええぇーんっ! あっー! パパァ、ママァーッ!」

 

 限界ぎりぎりの状況で、俺達が来たことで僅かに保たれていた緊張の糸が切れたのだ。

 雪音が身体を揺さぶって、気を奮い立たせようとするも、逆効果だった。

 

「お、おい、泣くなよ……っ!」

「ああああっ、どこにいるのぉっ! パパ、ママぁ、助けてえっ! ああぁー、うわあああーんあああっー!」

「君、しっかりするんだ。今は…!」

 

 俺もその子を宥めようとするが、溢れる涙をどうしようもない。

 

「あああああっー! ふぇああああっ!」

 

 衝動が止まらない。

 崩れ落ちる街並み。燃え上がる眼前。叫び惑う人々の悲鳴。

 それらが混ざりぶちまけられた無秩序と恐怖は、理解できない子どもの心を焼いていく。

 

「……」

 

 どうすればいい……っ。

 この場から俺たち自身がシェルターに移動はできない。その分、ノイズが進軍してしまう。

 しかし、この子が自力で動けないとなると……っ! 

 

 

 ──―傷だらけでも

 

「え?」

 

 ──―このてのひらに

 

 歌が、聞こえた。

 

 ──―決して消えない星がある

 

 ゆっくりと、敢えてテンポを落としたその曲が、少女と、俺の心に伝わってくる。

 

 ──―流れて堕ちた光は今も

 

 心臓の鼓動は、遠くへと置きさり。

 雪音の口から、全身から、心から紡がれる歌声。

 これが本当の、彼女の歌声だった。

 

「雪音…?」

 

 呆然と、俺は雪音の旋律を聞いている。

 少女に向けて歌うその雪音は、今まで俺が見たことも聞いたこともない姿だった。

 

 ──―あの場所を遠く照らしてる

 

 美しかった。

 歌を知って間もない俺でさえ、その場で動けずに心動かされる他ない。

 

 ──―何度でも手を伸ばそう

 

「……」

 

 ──―信じることが強さに変わる

 

 いつしか、泣き叫んでいた女の子も、涙が止まり、その歌声に聴き入っている。

 

 ──―輝いてよ Shooting STAR……

 

 そして……歌が終わった時、雪音が再び、その子の髪を梳くようにして、優しく撫でた。

 今まで見せたことのないような、優しく穏やかな微笑みを見せていた。

 

「……」

「元気出たか?」

「……ふぇ」

「歌聞くと、幸せになれるんだぞ。ママとパパが、アタシに教えてくれた魔法なんだ。ほら」

 

 そう言うと、雪音は少女を起き上がらせる。

 さっきまでうずくまっていたのに、その子はすんなりと、雪音に手を引かれるままに立った。

 

「ほら、立てたじゃねえか。痛いところないか?」

「……うん」

「よーし、お前強いな」

 

 雪音は少女の頭を優しく撫でる。

 それは正に、つい数時間前に、雪音が大人にされた行為。

 

 優しく、受け入れて、前に進ませるための気持ち。

 

 

「おーいっ!」

 

 

 不意に、俺達の耳に飛び込むのは、元来た道から走ってくる影。

 

「あれは……」

「パパッ! ママッ!」

 

 少女が顔を綻ばせて叫ぶ。

 次にはさっきまでの泣き顔は何処へ行ったのかと思うくらいの勢いで走り出していた。

 

 彼女を追いかけて、戻り、探していた両親の元へと。

 

 

「パパーっ! ママーっ!」

「ああ、よかった!」

「無事だったか!」

 

 

 女の子の父と母と思しきその2人も向こうから娘の姿が見えるとより一層足を早め、そして我が子を抱きしめた。

 

「……っ!」

 

 その姿を見て、雪音の表情が硬く強張った。

 

「あのね、お姉ちゃんたち助けてくれた」

「ありがとう! 本当にありがとう!」

「君は恩人だ!」

 

 涙を浮かべて、クリスに駆け寄る両親。

 手を握り、何度も頭を下げる。

 ありがとう、ありがとう。

 繰り返されるその言葉に、雪音は固まって動けなかった。

 

「なんとお礼を言って良いか…!」

「この子がいなくなったら、生きていけなかったわっ…本当に、ありっ、ありがとう…っ!」

「あ…の……っ」

 

 その言葉が、受け入れられなかった。

 でも、拒むことも出来なかった。

 

 雪音にとって、その言葉は自分への罰なのかもしれない。

 その禍を作ったのは、自分自身と自らを責めているのだから。

 

「……ここは危険だ。アンタらは早く逃げろ……」

「え?」

「急いでくれよ。早く……ノイズが押し寄せてくるから」

 

 握り込む拳から、血が滲む。

 耐え難いせめぎ合いに、俺は負担を軽くしようと思った。

 

「この子の言う通りだ。早くシェルターに避難してくれ」

「あ。ああ。しかし、君達は」

「俺達は他に人がいないから確かめる。大丈夫だ、足はある」

 

 そう言ってDホイールを指差す。

 父親はまだ戸惑いながら俺や雪音を見ていたが、段々と近づいて来る攻撃の音に、その場を離れざるを得なくなる。

 

「じゃあ、僕たちはこれで……君たちも早く逃げるんだぞ!」

「ああ」

「……なぁ」

 

 その時。

 雪音が、走り出そうとする親子を呟くような声で呼び止めた。

 

「その手もう…絶対、離さないでくれよな」

 

 その願いを、彼らは受け止め、微笑んで返した。

 

「あっ、ああ、ありがとう!」

「あなた達も気をつけてね…!」

「バイバイお姉ちゃん!」

 

 父親に抱えられた少女が、シェルターへ向けて走り出す時、その父親の肩越しに手を振る。

 

「………ああ。バイバイ」

 

 雪音は泣きそうな顔をなんとか隠しながら、手を振って親子を見送った。

 

 どんどん小さくなるその3人の背中が見えなくなるまで、雪音はずっと見つめていた。

 

 やがて家族が豆粒ほどになった時、雪音からスッと一筋、涙が頬を伝う。

 

「どうすりゃいいんだろうな……なぁ?」

「……」

「あの親子……この惨状の原因がアタシだと知ったら、あんな笑顔にならなかったよな」

 

 そう言って俺を見る雪音。

 叫ぶことも、当たり散らすこともない。

 

 ただ、痛みに耐えていた。

 

 憎しみを捨てても、自分に対する嫌悪は拭いようがない。

 雪音が本来の優しい姿を取り戻すたびに、その激痛は彼女を苛ませる。

 

 償いにすら、彼女は傷付かなければならない。

 

「分かってるよ。こんなのただの八つ当たりだよ。アタシ自身に対する……でも」

 

 その時。

 

 

「遊星っ!!」

「不動ッ!!」

 

 

 上空から風を切る音と同時に旋回するプロペラの音がけたたましく鳴り響く。

 俺たちが同時に上を向くと、その時には既に、二課が用意したと思われるヘリコプターが目前まで迫っていた。

 

「響! 翼!」

 

 そこから見える二人の姿。

 ガングニールと天羽々斬を纏った響と翼が、降り立とうとしていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 

「遊星ッ!!」

「不動っ!」

 

 ヘリで現場へと急行した私達。

 

 ノイズは二課の基地から連絡された通り、空母型という空を飛ぶ巨大なノイズ、そして小型のノイズが大勢、街へと押し寄せている最中だった。

 

 まずは遊星と合流するために、ヘリはDホイールの信号を追って街を進んだ。

 

 二課の人や警察官が、街の人を避難させている間にも、私達は街の中心部へと向かう。

 そして、その最初の目標までたどり着いた時、私は目を丸くした。

 

「アレは……」

「クリスちゃんだっ!」

 

 目的の遊星の姿を確認した時に、私はホッとした。

 でもそれ以上に、ヘリから着地した時に、私は叫んで笑顔になった。

 

(クリスちゃん、やっぱり来てくれたんだっ!)

 

 どうして遊星と一緒にいるのかは分からない。

 この間も、遊星とクリスちゃんは二人で駆けつけてくれたけど、その時も遊星は理由を言わなかった。

 何かあると思って私はそれ以上尋ねなかったけど、それは二人を信じていたから。

 

「遊星っ! クリスちゃん!」

 

 何度もぶつかって、何度も会話して、その度に繋がりたい気持ちを大きくした女の子。素敵な歌声と、優しい心を持ってる筈のイチイバルの装者。

 

 クリスちゃんが遊星と一緒にいたんだから。

 

「響、翼、間に合ったかっ!」

 

 遊星が私達の所まで駆け寄って、声を掛ける。

 

「遊星、無事でよかった…っ!」

「そっちも、急いで助かった。お陰で、力を合わせて正面からでも戦える」

「うん、師匠がヘリを用意してくれたんだっ!」

「そうか…っ!」

 

 遊星はホッとした様子だった。

 確かに、ヘリが無ければ私達はもっと遅れていた。その間、遊星一人でノイズを相手にしなきゃいけないから、もっと大変なことになっていた筈だ。

 

 でも、その心配はもう大丈夫。

 

 私も居る。

 翼さんだって。

 

 何より……

 

「クリスちゃん!」

「……」

 

 私の目の前には、あれ程会いたがっていた女の子の姿があった。私はもう嬉しくて、飛び跳ねたい気持ちだった。

 

「やっぱり来てくれたんだ!」

「……」

 

 理由は知らない。

 でも、真実は分かる。

 きっとクリスちゃんは助けに来てくれたんだ。

 街の人達や、遊星や、私達を。

 

 私は走り出して、そしてクリスちゃんに飛び付いた。

 

「クリスちゃんっ!」

「うわっ!?」

「分かり合えるって信じてたよ、クリスちゃんッ!」

「触んな…!」

「えっ」

 

 って思ってたけど。

 ちょっと違う。

 本当に助けを求めてたのは、クリスちゃんだった。

 

「離せ…っ!」

「痛っ!」

「立花!」

「……あっ」

 

 弾かれる私の手。

 クリスちゃんは身体を硬直させて後ずさった。

 思わず、間に翼さんが割って入った。

 

「何をしている……立花は、そちらの身を案じたのに…それも分からないのッ」

 

 覇気を発して、翼さんはクリスちゃんと対峙した。

 クリスちゃんは、私を睨んだその視線を一度地面に落として……。

 

「……やんのか?」

「なに?」

「そうだよ。そっちの反応の方が普通だよな……」

 

 どうしても踏み出せない、その心の一線を引いてしまう。

 

「ほら……そこのバカにも言ってやれよ。ノイズに殺されかけたのも、それで辛い目に遭ってきたのもアタシのせいだって。アンタも、テメエの相方ノイズにぶっ殺されて、アタシが憎いんだろ」

「っ!!」

 

 下を向いたままのクリスちゃん。

 

「ノイズの群れも……それで死んだのも……アタシがソロモンの杖を目覚めさせたからだって。人が沢山死んだのはアタシのせいだって……そいつに言ってやれよ…っ」

 

 翼さんの目がカッと見開かれる。

 奏さんのことを触れられて、翼さんが平常心でいられるわけがない。

 一瞬、ピリピリとした空気が辺り一帯を支配した。あの夜の公園の再来かと不安が過ぎる。

 

 けれど……

 

「……どうしてこんなことをする……?」

 

 翼さんは踏みとどまっていた。

 荒々しい気持ちを抑え付けながら、クリスちゃんを凝視する。

 

「もう我々に、相対す義理も義務もない筈だ」

「ああ……そうだな。確かにアタシらが敵対する理由なんてねえよ………でもさ」

 

 クリスちゃんは無表情だった。

 でも、拳をぐっと握りしめて、翼さんに対して突き出す。

 

 この先に来たら殴りあいだと、そう言いたいように。

 

「それで何不自由なく簡単に動いたら、自分自身と取っ組み合いなんてとっくに辞めてんだよ……だから皆戦ってんだろ」

「……」

 

 でも説得力がなかった。

 だって、こんな震える声と手で話されても。

 私は嫌いになんてなれない。

 

「……」

 

(……遊星?)

 

 その時だ。

 遊星が、私の目をじっと見つめているのに気が付いた。

 不思議だ。

 遊星の言いたいことが伝わる。

 

『お前が握ってやるんだ』と。

 

 ああ、そうだったね。

 

 私が言い始めたんだから。

 手を、繋ぎたいって。

 戦いたくないって。

 

 だから私が、終わらせなきゃ。

 そして始めなきゃ。

 

 

「できるよ」

 

 

 私達の『今』を。

 繋いだ手だけが紡ぐ、その先を。

 

「な…っ」

「立花…?」

「簡単じゃないかもしれないよ。でも、難しく考えなくて良いんだよ」

 

 私はクリスちゃんの手を握る。

 右手で掴んで、左手を重ねて包んだ。

 

「ほら、こうすれば、戦わなくても大丈夫」

 

 クリスちゃんの手から、温もりが伝わる。

 その肌は優しく、すべすべしてて、戦いなんてちっとも向いてなかった。

 

 当たり前だった。

 本当は、私はずっと気付いていた。

 

 クリスちゃんに、戦いなんて絶対に似合わない。

 

 

「……どうして」

「『憎くないのか?』……だよね」

 

 

 私は戦いが嫌いだ。

 争うのも、それを見るのも嫌だ。

 それで傷つきたくないし、誰かが傷つくのを見るのも嫌だ

 

 この気持ちを、なんて言うんだろう。

 

「多分……多分ね、心の中の大切なものが、壊れないようにしてるんだと思う」

「は…?」

「辛い気持ちとか、嫌な思いとか、ずっとあったよ。今でもある」

 

 全てを奪ったノイズ。

 私や家族に向けられた、怪物じみた負の感情。

 それに晒され続けたら、どっかで歪んだ私の願い。

 

「だから手を伸ばすんだよ。それ以上に嬉しい気持ちでいる為に」

 

 打ち克つんじゃない。

 ねじ伏せるんじゃない。

 それは負けない為。

 ただただ、全てと手を繋ぐために。

 

 

「だから私に、アームドギアは無くても良い。半人前は嫌だななんて、もう私は思わない」

 

 

 私にとっての戦いは、相手を倒す者じゃない。

 だからきっと、私にはアームドギアが無かったんだ。

 私の心と向き合う為にくれた翼さんの言葉は、正しかった。

 

 未来がくれた気持ち。

 翼さんが奮い立たせてくれた言葉。

 

 そして、遊星が絆してくれた想い。

 

「ね?」

「……そうだな」

 

 私の言葉を受けて。

 翼さんが、刀に手を掛けたその右手を、ゆっくりとクリスちゃんに伸ばす。

 

 人を救うための翼さんの指が、私とクリスちゃんの掌に、重なる。

 

「あっ…っ!」

「剣を振るうしか能のないこの手に、優しく暖かなものがあると思い出させてくれた。それは今も、私にこの手を取らせた」

「……や、やめ」

「迷いも惑いもしても良い。迷惑とは決して思わない」

「……」

 

 一瞬、クリスちゃんの手に力が入る。

 でも、翼さんの優しい顔に、それはすぐに無くなった。

 

 翼さんの手だって、刀を握るためだけのものじゃない。

 マイクを握って、応援してくれる人に手を振って、輝いた笑顔と歌声で、みんなを幸せに出来る。

 そんな人だから、私に生きる勇気をくれたんだ。

 

 だから翼さんが、その愛情をクリスちゃんに向けたなら……。

 

「雪音」

「えっ…」

「あとはお前だけだ」

「……」

 

 遊星が、私達に歩み寄る。

 

 初めて公園で出会った時、私達四人はバラバラで。

 長い道のりで、ようやくここまでたどり着いた。

 

「それでも……私が手を繋ごうとしなかったら、どうすんだ?」

「手を伸ばすさ。何度だってな」

 

 遊星がそう言って。

 更に、翼さんの掌に、自分の腕を伸ばす。

 私達の手を、上と、下で、二つの手で包み込むようにして。

 

 未来は、私と遊星を兄妹みたいって言ったけど、こうしてみると、何だか本当に家族みたいだった。

 

「『手の繋がれ方』は、もう覚えただろ?」

「……」

「お前の心の弾倉に、もう憎しみは籠めさせない。何があっても絶対に」

 

 ぎゅっ、って。

 遊星が、私達の手を包むその腕に力を込めた。

 

 そうだ。

 遊星の力は、カードだけなんかじゃない。

 絆を信じるその心が、この人を、私を、もっと大勢を繋いでくれる。

 

 

「……さっき」

「え?」

 

 

 クリスちゃんが口を開いた。

 私に向けてじゃなかった。

 

 遊星に、その眼差しを向けて。

 

「子ども助けた時に思ったんだ……何度か……」

 

 その顔は、どこか明るい。

 クリスちゃんの明るい顔を、私は初めて見た。

 

 心に思い描いていたその微笑みは、私の思った通り……ううん、それ以上に綺麗で眩しい。

 

「何度かあったよ。こういう気持ち。どこか苦しかったのに、あったけえ……むずむずする気持ち」

 

 もうクリスちゃんに、後ろを向く目は無かった。

 

「『苦しみ』を『愛情』に変えるって、こういうことかな」

「ああ。きっとそうだ」

「……そっか」

 

 遊星が頷く。

 

 わずかに口元を緩ませて、

 クリスちゃんがそっと瞳を閉じた。

 

 私はこの、一瞬の奇跡を消して忘れない。

 

 ようやく答えを得たクリスちゃんの、ふとした微笑みが。

 私達の、光差す道となる。

 

 

「………ん?」

 

 

 それはまるで流れ星。

 夜明けよりも輝いて。

 日の出よりもなお煌めいて。

 

「な、なんだよ!? これ……空が…!」

「光ってる…!?」

 

 釣られて、見上げる私。

 遊星も、翼さんも、思わず目を奪われた。

 

 一つ。

 また一つ。

 

 輝き出した空から、星々が集う。

 人々の願いを受けて、繋いだ手へと降り注ぐ。

 

 その光は束ねられて、一つの形を成していく。

 重なり、織合わさったそれが一際輝いた時、

 

 それが、重なった私達の手に……力が宿る。

 

「これは……」

 

 ゆっくりと、私達は手を解いていく。

 遊星が左手、翼さんの左手、私の左手、クリスちゃんの右手、私の左手、翼さんの右手と……。

 

 そして最後に残った、遊星の右手には……

 

「カードが……しかし!」

「凄い沢山ッ!!」

 

 私は顔を綻ばせる。

 

 遊星のことが大好きで、共に戦って、遊星を今まで支えてた仲間たちだった。

 

 一人、また一人と育まれた絆によって、一枚、また一枚と舞い戻ったカード達。

 だが今回はそれどころじゃない。

 

「……18枚」

「え?」

「18枚だ」

「そ、そんなにっ!?」

「ではまさか」

「ああ」

 

 今まで戻って来たカードが22枚。

 そして今、私達と手を繋ぐことによって、紡がれた絆がもたらしたカードの数を合わせれば、その合計は……

 

「皆のお陰だ」

 

 喜びや、愛おしさや、それら全て内包した想いが駆け巡る。

 全て遊星の…ううん、それだけじゃないっ! 

 

 遊星がこの世界に来てから、私がシンフォギアを纏ってから、私や遊星を支えてくれた全ての人々。

 その想いが、皆をここまで導いてくれた。

 その証が、このカード達。

 

 絆に導かれて再び終結した、掛け替えのない仲間。

 

 

「全て揃ったぞ」

 

 




エクストラデッキ以外はこれで揃いました。

負ける要素が微塵も見当たらない。
これで枕を高くして寝られますね


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