矢澤にこ生誕祭2019 (『シュウヤ』)
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矢澤にこ生誕祭2019

「はぁ……今日も暑いわね……」

絶好調とばかりに輝く太陽を窓から見上げ、にこは目を細める。

洗濯物はよく乾くが、節電にとクーラーはつけていないので窓際は特に暑い。額の汗を拭ったにこは、扇風機の前へ避難する。

──ピンポーン、と。

「ん……?」

突然鳴ったインターホンに、にこは首を傾げる。来客の予定はない。μ'sのメンバーが簡単なパーティーを開いてくれるらしいが、それも夕方からだ。まだお昼も回っていない。

「何かの勧誘……かしらね」

居留守も使おうかと考えたが、生活音は聞こえている。それなら追い返した方が早いだろうとにこは立ち上がった。

 

 

「──あの、すみませんけど帰ってもらえますか──」

「こんにちは、にこ」

「こんにちは」

「は──?」

つっけんどんな態度でドアを開けたにこは、何故そこに立っているのか分からない珍客を見て中途半端に口を開いて止まった。

「絵里……と、海未? 何でここに……?」

「にこ、お誕生日おめでとう」

「え、ああ、ありがと……。──アンタ、意外と話聞かないわよね……」

「私は、いい天気だったので散歩していたんです。そしたら、偶然絵里と出会いまして。場所も近かったので、一足先にお誕生日を祝おうという事になったんです」

作詞担当の淡々とした説明に、

「散歩って、このクッソ暑い中を……? 物好きねぇ……」

にこは珍獣を見るような視線を送る。

「猛暑だからと言って、だれて引きこもってばかりではいけませんから」

「……あっそ。絵里もそうなの?」

涼しそうな暑苦しい後輩から、同級生へ視線を移す。

「暑かったからアイスを買いに行こうと思ったのよ」

「だれてるのが横にいるじゃないのよ……」

にこは心の底から呆れた顔をすると、

「……まあ、せっかく来たんだし入りなさいよ」

ドアを大きく開けて二人を向かい入れる。

「お邪魔するわ」

「お邪魔しますね」

「あ、クーラーは効いてないわよ?」

 

 

 

 

矢澤家は、静寂に包まれていた。

「こころちゃん達は?」

「小学校の解放プールに行ってるわ」

「にこは行かなかったの?」

「アンタね……」

何も考えず訊いた絵里に、にこは眉間を押さえる。

「ところで、にこは今何を?」

すかさず海未のフォロー。

「洗濯物畳みよ。チビ達がいない今のうちにやっておかないとね」

寝室にもなる畳の部屋には、首が固定された扇風機。そして、大量に散乱する洗濯物。

「どうせ夕方までは何も予定ないんだし、誕生日だからってあんまり特別感出してもしょーがないでしょ」

にこは麦茶を注いだグラスを二つテーブルに置くと、洗濯物へ向かう。

「さっさと終わらせるから、そこで待ってなさい」

「「…………」」

絵里と海未は顔を見合わせると、クスッと笑う。

「相変わらず、素敵なお姉ちゃんね」

「ええ、こころ達は幸せですね」

「な、何よ急に……」

「手伝うわ」

「三人でやった方が、早く終わるでしょう」

にこが何かを言う前に、二人は洗濯物の山の前にしゃがむ。

 

 

だが、

「あ〜もう! そんな畳み方じゃシワ寄っちゃうじゃないのよ! 海未も! シャツは裏向きで柄が見えるように畳むのよ!」

「ご、ごめんなさい」

「そんな畳み方があったんですね……」

すぐににこからの叱咤が飛んだ。

加えてペースも比べ物にならず、

「アンタ達遅すぎるわよ! そんなんじゃいつまで経っても終わらないわ! こころ達帰ってきちゃうでしょ!」

テキパキと洗濯物を仕分けていくにこに、二人は殆ど手を出せずにいた。

 

 

 

 

──カラン、と。グラスの氷が崩れて音が鳴る。

「……ごめんなさいにこ。全然役に立てなくて……」

「まさか、あそこまで手際がいいとは思ってませんでした……」

椅子に座って小さくなる絵里と海未に、

「気にしてないわよ。元々一人でやる予定だったんだし」

真面目よねぇ、とにこは小さく息を吐く。

「ま、気持ち早めに終わって、こうして一息つけたし助かったわ」

「……やはりにこは凄いですね」

「はぁ? 何よいきなり」

「こうして家事をこなして、妹さん達にも慕われて、立派なアイドル像を持って。にこが私達の部長で良かったと思います」

「ホントよ。私にも亜里沙がいるから何となく分かるけど、姉って大変なのよね。にこは凄いと思うわ」

「急に何なのよアンタ達……」

唐突な褒め殺しに、にこは逆に訝しむ。

「おや、せっかくの誕生日なんですから。今日くらい部長を持ち上げてもいいでしょう?」

「そうよ。素直に受け取ってちょうだい?」

「そういうのは普段からお願いしたいわね」

「それはそれ、ですね」

「今日だけの特別よ」

「ぬぁんでよ!」

身を乗り出してツッコミを入れたにこは、フ、と肩の力を抜いた。

「……ま、気持ちは伝わったわ。アンタ達、良くも悪くも嘘はつけないしね。──ありがと」

最後の言葉は、そっぽを向いて小さく放たれたものだったが、二人には聞こえた。

「「…………」」

やれやれと目を合わせ笑うと、

「さて、そんな我々の部長の為に、もう一仕事するとしましょう」

「さあにこ、何でも言ってちょうだい。手伝うわ!」

勢いよく立ち上がる。

あっけに取られたにこは、

「……ふん、あんな生温い洗濯畳みで私の手伝いとは大きく出たわね。──いいわ、それじゃあ容赦なくこき使ってやるから覚悟しなさい! 分かったわね!」

横柄な口調。そんな言葉を発したにこの表情は、ライブ中と遜色ない、最高の笑顔だった。



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