探偵風谷千香の挑戦 (麝香百合)
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探偵風谷千香の挑戦

 女子高生探偵、風谷千香。浮気調査から嫌がらせの犯人探しまで、日々様々な依頼をこなす名探偵として校内ではかなり有名だ。

 俺、浮島水はしがない厚生委員だが、そんな女子高生探偵様の助手としての地位を確立している。今では仲良くやっていっているが、実は最初の最初はそうではなかった。

 俺と風谷が出会ったのは2年に上がってクラスが一緒になったのがきっかけで……風谷に対する第一印象は最悪だったのだから。

 

「あ、氷菓じゃん」

 進級して数日、まだクラスのほとんどの女子の顔と名前が一致していない頃。朝早く来て時間をもて余していた俺は、一人教室で本を読んでいた。

「そうですけど……好きなんですか?」

 ”健康で文化的な最高の生活を営む”が信条の俺は、広く浅い人間関係を保っていた。勿論人助けは好きで積極的にしたいが、それはあくまで”健康で文化的な”生活を送るため。友達と悪ふざけなんかをするのはモットーに反するので、清く正しいお付き合いを心がけている。

 だから、風谷千香に対して敬語を使うのは当たり前のことだった。

「めっちゃ好きだよ。自己紹介で言ったんだけどな。そういう浮島も好きなん? ウケる」

 ウケない。

 風谷千香はなんていうかこう、ギャルっぽい。唇は赤いし、明らかにまつ毛も盛っている。黒目が大きいので多分カラコンもしてる。ファンデーションに関しては分からないが……性格を考えると怪しい。あと髪色も明るい。

 そんな”校則違反の権化”と俺は親しくなる訳にはいかなかった。

「てかさ、敬語やめてよ。同級生だよ?」

 親しくなる訳には、いかない。

「アタシのことは千香って呼んでよ。アンタは何て呼んで欲しい? 水?」

 親しく、なる、訳には……

 そう思っていても、風谷千香の何か期待するような目が輝いているのが気になってしまう。そういうのに俺は弱い。たとえ風谷千香であろうと、俺がないがしろにして良い訳がないだろう、という思いがふつふつと沸き上がってくる。

「……浮島で良い、風谷」

「あ、名字派だった? まー無理しなくても良いよ」

 風谷が屈託のない笑顔を見せる。元々顔が整っているのだ、笑うと可愛らしさが際立った。

「それにしても、風谷がミステリを読むのは意外だったな」

 俺が今読んでいる小説「氷菓」は米澤穂信の書いた青春ミステリだ。「古典部シリーズ」と名付けられたシリーズの第1作目で、米澤穂信の代表作品にもなっている。「古典部シリーズ」は2作目が「愚者のエンドロール」、3作目が「クドリャフカの順番」、4作目が「遠回りする雛」、5作目が「ふたりの距離の概算」、最新作が「いまさら翼と言われても」と続く。途中出版社の関係で色々あったシリーズだが、今でも青春ミステリの代名詞として人気を誇っているはずだ。

 俺はミステリ自体はあまり好きではなく、主人公の生き方に興味があるから読んでいるだけなのだが。

「んー、ミステリっていうか……本自体全く読まないけど?」

「は?」

 風谷がさらっと言いのける。

「氷菓も小説は読んだことないんだよね。前映画やってたじゃん? それで好きになった」

 映画……そういえば、そんなニュースを見たことがある。確かに何年か前に実写映画化していた。

 しかし、映画から入って好きになるというなら分かるが、映画だけでその作品を好きと公言するのはどうだろうか。

「……原作を読もうとか思わないのか?」

 俺は訝しみながら尋ねる。好きになった映画なら、原作もチェックするのが普通だと思っていたからだ。

「うーん。アタシ縦書きの文章ってダルくて読む気にならないんだよね」

 高校生として、どうなんだそれは。

 

 そんないきさつで風谷と初めて喋ったのが先週の金曜日。

 少しだけその人となりが気になって土曜にTwitterを見てみたが(インスタはやってないからパス)、どこにでもいるごく普通の女子高生という感じだった。アイコンは怖いくらいに顔が盛られたプリクラで、ヘッダーはよくわからない空の写真。ツイートも俺には縁のないキラキラしたものばかり。プロフィールの「TWICE」や「欅」の文字列の間に「氷菓」が混じっているのが浮いているように見えた。

 もう特に関わることはないだろうとフォローのボタンを押さずにTwitterを閉じて、スマホを放り投げた土曜の夜。それから二晩明けて月曜、俺はいつも通り朝1番早く教室へ来て本を読んでいた。

 初めの30分くらいはほとんど人がいなかったが、8時台になると徐々に教室はかしましくなっていく。それでもまだまだ空席の多い8時15分頃、1人の女子が何やら騒ぎ始めた。

「これ、誰か置いた?」

 他でもない、風谷だった。

 風谷が手に持っているのは市販されている菓子。一つずつ分けられているタイプのものだ。

「えー私じゃない」

「間違えたんじゃない?」

 いつも風谷と一緒にいる女子には心当たりがないらしい。どうするのかと眺めていると、何故かその菓子を手に持ったまま俺に近づいてきた。

「浮島、朝来るの早いっしょ? 置いた人見てない?」

 まさか俺に聞いてくるとは思わなかった。少し驚きはしたものの、平然を装い答える。

「俺本読んでたから」

「あ、まだ氷菓読んでんの?」

 風谷は自然な動作で俺の前の席のやつの椅子に後ろ向きで座る。背もたれを両足で挟む、あの座り方だ。話続ける気なのか。

「悪いか」

「いや、別に」

 笑って包みを開け、口の中に菓子を放り込む。誰のものなのかわからないのに食った。

「……なんで食うんだよ」

「好きなんだよね、ラングドシャ。誰が置いたのか知らないけど、間違えた方が悪いじゃん」

「ラングドシャ?」

 思わず聞き返す。

「そうだよ」

「ラング、ドシャ?」

「ラングドシャ」

 楽しくなったのか、にこにこ笑いながら口に出す風谷。それに俺はどぎまぎしてしまった。

 ラングドシャ、なのか。横文字は難しい。

 

 火曜、朝。俺はまた氷菓を読んでいた。

「ねえ浮島、マジで誰が置いたのか見てないの?」

 今度の風谷は手に犬の顔を模した饅頭を持っていた。さすがにこれは、間違えて置きはしないだろう。誰かそんなお土産を配っている人というのも見ていない。

 間違えたのでなければ、意図的に風谷のところに置いたということ。つまり……

「見てないけど、誰かからのプレゼントじゃないか?」

「えーだって、おかしいじゃん。こんな風に置かれてたら、なんか気持ち悪い」

 気持ち悪い。確かにそうだ。女子の机に誰が置いたのかわからないお菓子が置いてあるシチュエーション。謎だ。

 それでも風谷はそれを口に入れた。

「美味しい」

「……危ないから食わない方が良いんじゃないか?」

 例えば風谷に好意を持つ人物がいたとして、その菓子が綺麗なものとは限らない。そういうことはあまり考えたくないが、饅頭の中に……何か、入っていたら。

「大丈夫。アタシお腹強いから」

 そういう問題じゃない気がする。

「一応女子なんだし、そういうの気にした方が良いぞ」

「一応って何さ、アタシどっからどう見てもJKでしょ」

「JKは落ちてるもの拾い食いしない」

「落ちてなかった! 置いてあった!」

 風谷はむすっとしたような笑っているような、複雑な表情でまた俺の前の席に座る。なんとなく何人かの視線を感じて嫌だ。俺と風谷、本来なら互いに関わろうとしないタイプの人間なのだ。

「まだ氷菓読んでんだ」

「まだっていうか、これ何周もしてるぞ」

「え、なんで? 1回読んだ本何回も読むの?」

「まあ、古典部シリーズは特に気に入ってるしな」

 古典部シリーズ、という言葉に風谷はきょとんとする。どうやら氷菓が古典部シリーズというシリーズものであることすら知らないらしい。

「なんでそんな気に入ってんの? えるちゃん好きなの?」

 えるちゃん……古典部シリーズのヒロインの名前だ。別に嫌いではないけれど、える目当てに読んでいる訳でもない。

「折木の信条はさ、『やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に』だろ? それって俺の信条と真逆なんだ」

 折木は古典部シリーズの主人公。省エネ主義を掲げる探偵役だ。

「浮島の信条って?」

「『健康で文化的な最高の生活を営む。そのためならなんでもする』」

 言った途端、うわ、と引かれた。

「なんか、変なの」

 俺からしたら氷菓好きだというのに原作を読んでないお前の方が変だ、と言ってやりたかった。言わなかった。

「でもさ、浮島って折木と真逆ではなくね?」

 思わぬところで否定され、顔を上げる。風谷はいたって真剣な表情でこちらを見ていた。

「だって、どっちもやるべきことはやってるじゃん」

「ああ……」

 俺は「そうかもな」なんて答えつつ、頭では違うことを考えていた。

 俺は……やるべきことをやっているのだろうか、と。

 

 水曜。俺は珍しく遅く教室に入った。

「あれ!? 浮島遅いね! 休みかと思った」

 友達より先に風谷が反応してくる。休みかと思った、ということは俺が来ていないことに気づいていたということだ。

 多分他の女子は俺が休んだって気づかないまま過ごすだろう。少し恥ずかしいような、嬉しいような複雑な思いが心をぐるぐる回った。

「今日はね、ひなあられだった」

「食べたのか?」

「1個机にぼんって置かれてたから、さすがに。袋ごとくれたって良いのにね」

 ひなあられ。今の季節に売っているはずがない。ひな祭りは1ヶ月以上前に終わった。どのように準備したにせよ、食べないに越したことはないだろう。

「なあ風谷、犯人探ししないのか?」

 俺は昨日から気になっていたことを尋ねる。普通こういうの、誰がやっているのか探すものじゃないか。

「うーん、まあ、お菓子くれてるわけじゃん? 別に良いかなって」

「相手が誰でも?」

「相手が誰でも」

 ……度しがたいやつだ。

 

 木曜、俺はいつも通りどこも寄らず教室へ行った。

 氷菓を読んでいると時間があっという間に過ぎる。気づけば風谷が登校してくる時間になっていた。

「これさ、なんか高そうじゃない? ほんとに食べていいのかな」

 風谷が手に持っているのは丸い缶に入った「二人静」。和菓子だ。ここ数日和菓子が続いている。

「何に怖じ気づいてるんだよ。今まで食べてたんだから食べれば良いだろ」

「じゃあはい、浮島にもあげる」

 それ、俺を共犯にしようとしてないか? そう思ったが、受け取らない訳にも行かなかった。

 二人静は和三盆糖を使用した干菓子で、紅白の半球が合わさったような形をしている。口に入れるとほんのりとした甘さ広がって……

「……うまいな」

 思わず、呟いた。

「美味しいね」

「……おう」

 それで2人とも黙ってしまい、周りの話し声だけが耳に入ってくる。なんだこの時間。俺は沈黙に耐えられなくなり、リュックからある紙を取り出した。

「風谷、お前犯人探しする気ないみたいだから、俺が怪しい人を書き出してみたんだけど」

「マジ!? さんきゅー!」

 怪しい人、といっても大したことはない。ただ、朝来るのが早いやつの名前を並べただけだ。

 俺は風谷と一緒に紙を覗き込む。

 最初に書いたのは「森沢田」。親戚の家なんかで家庭教師の真似事をしているらしく、あだ名は「先生」。先生は超がつくほどの優男で、もし犯人なら心からの善意で菓子を置いた、ということになるだろう。

 次に書いたのは「レア」。学年唯一の外国人。といっても生まれも育ちも日本で、和菓子の知識があってもおかしくはない。ただ、レアがこんな回りくどいやり方をするとも思えず、レアが犯人の可能性は低いと思われる。

 その次は「七色」。女バス部員で、底抜けの明るさが特徴のやつ。悪意で何かをするとは思えないが、イタズラで余計なことをするとは十分考えられる。

 最後に「紅」。怪しむとしたらここだろうか。祖父母の家が和菓子屋で、紅自身も相当和菓子に詳しい。この前もこなしと練りきりの違いを延々と語っていた。和菓子には特別な意味が込められていることも多いというし、紅の犯行さとしたら動機がはっきりしていそうだ。

「なるほどね……紅さんも早いんだ」

 やはり風谷は紅に疑惑を向ける。

 俺は心に罪悪感が蠢くのを感じた。俺だって、こいつらの名前をこんな風に使うのに良心の呵責は覚えている。風谷のためと言いつつ、本当は俺のエゴなのかもしれない。

 もし本当に俺の信条が氷菓の主人公と真逆のものなのだとすると……俺はやるべきことをやらず、やらなくて良いことを長々やっている、ということだろうか。

 

 金曜。氷菓を読んでいたところへ、当然のように風谷がやってきた。

「見てこれ」

 風谷が手に持つ菓子の包装には「つばさかりん」と書いてある。かりんとう風のお菓子だ。

「もうアタシさ、分かんないよ。誰が何のためにやってるわけ?」

 そう言いつつ、風谷はつばさかりんを口に含む。今日は1つしかないから俺の分はない。

「てかさ、浮島も、見張ってくれたって良くない? いや、今の失礼か。うーんと」

「でも、犯行現場見ちゃったらつまんないだろ?」

「つまんないって……まあ確かに、もうお菓子くれなくなっちゃうかもだしね」

「無粋だと思うんだよな。別に害があるわけでもないんだし、犯人探しに焦ってるわけでもないだろ?」

 俺は普通の意見を述べたつもりだったが、風谷は少しむすっとしてしまった。

「……浮島が犯人探ししないのかって言ったんじゃん」

 拗ねるような声。俺はその声色に、少しどきっとした。

 ……そうだよな、風谷だって、犯人探ししたいんだよな……

 俺に言われてそうする気になったというのが何ていうか、釈然としないが。風谷も犯人を見つけたいという気持ちを持ったらしい。

 なら俺も、ちゃんと向き合わないと。

「……見つけような、犯人」

 そっと声をかけると、「うん」と風谷がはにかんだ。そういえば今日は唇の色があまり濃くない。

 自然で、可愛い。

 

「千香、次日本史だよ?」

「え、知って……あれ? なんで机の上に古典乗ってんの?」

 昼休みが終わる直前。風谷が何やら騒ぎだした。

「廊下行く前なんも乗っけてなかったのに!」

「誰のやつ?」

 友達に聞かれて古典の教科書の名前を確認した風谷は、首を傾げる。

「アタシのだ」

「間違えたんでしょ?」

「違うって、だって今トイレ行って、その帰りに日本史取ってきたんだよ? 間違えるわけなくない?」

「でも乗ってるじゃん。絶対間違えたんだって」

 風谷の友達はそう言うが、風谷はしっかり日本史の資料集と教科書とファイルを持ってきている。その上4時間目は数Bだったし、昼休みに風谷の机を使ったのは風谷自身だ。本人としては謎でしかないだろう。

 俺はこっそり風谷に近づき、あまり周りに気づかれないように囁く。

「菓子の犯人じゃないか?」

「あっ……!」

 風谷ははっとして古典の教科書を見る。そして俺に何かを言いかけたが……

 始業のチャイムが鳴り、その声は届かなかった。

 

 放課後、廊下で風谷に話しかけられた。

「浮島、図書室の利用カード持ってる?」

 うちの高校の図書室を利用するには、3年間で1度しか配られない図書室利用カードが必要だ。普段本を読まない風谷は、恐らく1年の段階で無くしていることだろう。

「あるけど」

「貸して! ……ください」

 とってつけたような丁寧語に思わず吹き出すと、顔を真っ赤にして「お願いしてるでしょ!」と怒られた。

 俺は生徒手帳から図書室利用カードを取り出し風谷に渡す。

「返すの、月曜で良いから」

「ありがとっ」

 風谷は受け取ってすぐに手を振り走り出す。図書室で調べることができたんだろうな。

 俺はほっこりとした気分になりつつも……心のどこかで、犯人が見つかって俺と風谷の関わりがなくなるのを恐れた。

 

 月曜。俺はいつも通り教室に入り、机の上に何かが乗っているのに目をとめた。

 風谷の机ではない。俺の机だ。俺の机に、図書室利用カードとカップのアイスが置かれている。

「お礼……ではないよな」

 窓際に立っている風谷に声をかけると、風谷はおもむろにこちらを振り返った。

「犯人は、浮島でしょ」

 責めているような声ではない。どこか誇らしげな表情で俺を見ている。

「どうしてだ?」

「まず、置いてあったお菓子の意味を理解するのに時間かかったよ。でも、古典の教科書のヒントで分かった。あれは〈古典部〉シリーズを表してたんでしょ。

水曜のひなあられは『遠回りする雛』から、木曜の二人静は『ふたりの距離の概算』から、そして金曜のつばさかりんは『いまさら翼と言われても』から。この3つは分かりやすかったね」

 分かりやすかった、といっても古典部シリーズについて一切知らなかった風谷としては難題だっただろう。だからこそ古典の教科書のヒントが必要だった。

「火曜の犬の饅頭は……ちょっとひねってあったね。『クドリャフカの順番』から取ったんだってことになかなか気づけなかった。クドリャフカ……宇宙に連れていかれた可哀想な犬のことだったんだね。だから犬の饅頭」

 クドリャフカはソ連の宇宙船に乗せられ、地球軌道を最初に周回した動物となった犬だ。残酷な運命を辿ったが、そこは今回の件に関係がない。

「月曜のラングドシャは1番迷ったけど……順番的に『愚者のエンドロール』から取られてることを考えれば、1つの可能性に至ったよ。”もしかしたら犯人はラングドシャをランドグシャだと思っていたのかも”ってね。そういえば浮島、ラングドシャの話をした時やたら聞き返してきたなあって」

 そうだ。俺は風谷の言う通り、ラン「グド」シャをラン「ドグ」シャだと思っていた。だから月曜の菓子はそれにしたというのに、風谷に真実を教えられ焦ったものだ。初日からこれでは流石にアンフェアではないかと。

 しかし、風谷はたどり着いた。

「まさかそれだけで俺が犯人だと?」

「いや、他にもいくつか。まず浮島は朝学校に来るのが早い」

「でも水曜はお前より遅かったぞ?」

「教室に来てお菓子置いてから、トイレに行けばイケるっしょ? てか、それをしっかり覚えてるのが何より怪しいと思うよ」

 ご明察。俺は水曜、1日くらい俺がいない状況で見つけた方が良いだろうとトイレで30分以上を過ごした。

「それと……浮島は氷菓が大好きっぽいから」

 風谷は少しだけ切なさをその声色に乗せて語った。

「氷菓好きとか言っといて映画しか見てないアタシに怒ったんでしょ? だから”にわかのお前にはこんなの分かんないだろ”ってお菓子事件を起こした。そうでしょ?」

 そこまで言うと風谷はさっと表情を切り替える。

「でもアタシは解けた。グーグル先生に頼んないで、図書室で本借りて、『いまさら翼と言われても』は図書室になかったから本屋で買った。土日で全部読んだよ。で、解答として浮島の机に『氷菓』を置いた。ちゃんと成分表示に氷菓って書いてあるやつ選んだんだよ」

 真剣な表情で、風谷は俺を見つめる。大きな黒い瞳が鋭い眼光を放っている。それでも俺は目を逸らさない。向き合うって、決めたから。

「アタシの勝ちでしょ、浮島」

 芯のある声だ。俺は最初、風谷を軽いやつだと思っていた。健康で文化的な最高の生活とは縁のない、やるべきこともやらない人間。しかし実際はどうだ。こんなにも風谷は努力して……俺に立ち向かってくれた。

 負けだ。そう思う。

 ……心の中では。

「いや、俺の勝ちだ」

「は!? なんで!? なんか間違ってた!?」

「ああ。せいぜい40点だな。風谷は1番大事なところを間違ってる。フーダニットだけじゃミステリは通用しない。ホワイダニットも重要なんだよ」

 俺だってミステリはよく知らないから、これはかっこつけだ。フーダニットは「Who done it?」の略で「誰がその事件を起こしたか?」という謎のこと。ホワイダニットは要するに犯人の動機の部分だ。

 風谷の考えた動機は間違っている。

「俺はただ、お前に古典部シリーズの面白さを知ってもらいたかっただけだ。つまり……お前が古典部シリーズを全部読んだ時点で、俺の目的は達成されてる」

 だから、俺の勝ち。

 そう言うと、風谷は笑った。今まで見た中で1番大きな笑いだ。

「やられた」

 腹を抑える風谷に俺も釣られてしまう。風谷は笑うと……本当に可愛い。

 そう考えている自分は、やっぱり負けだな。そうも思った。

 

 俺の心配は杞憂に終わった。

 むしろ、事件が解決してから風谷との関わりが増えた。

「浮島、古典部作ろうよ!」

「部員は?」

「浮島とアタシ」

「同好会にすらならないぞそれ」

「えー、じゃあ古典クラブ! 勝手に作ろ!」

「俺は古典部シリーズは好きだけど別に古典は好きじゃない」

「じゃあ何だったら良いわけ?」

「ボランティア部」

「絶対やだ!!」

 周りからは、少し変な目で見られている。けれど、それで良い。

 風谷と過ごす時間は……健康で文化的な最高の時間だと思うから。



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