秘封倶楽部と御用人 (鬼如月)
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 どの時代、どの世界であっても、人は常に悩み、願いを胸に秘めているものだ。

 その願いも大小様々であり、ある者は金が欲しい、彼女が欲しいなどの自分のことを願ったり、またあるものは五穀豊穣、子孫繁栄など、他人のことを願う。それはいつの時代でもあるものであり、科学技術が発展している現代でさえ願いが絶える事が無い。そして日本ではその願いの受け皿となっているものとして言えるものが、仏閣、ひいては神社なのであり、そこに祭られている仏、神々なのである。

 

 だが古事記や日本書紀、その他の歴史書を読めば、神様といえど息子を海に流し捨てたり、侵略した側とされた側の二柱の神が一つの国を一緒に切り盛りしていたり、案外人間と変わりないようなそうでないような、そんな奇妙な逸話が多く残されている。

 

『神は人の敬いによって威を増し、人は神の徳によって運を添う』

 

 という御成敗式目にある言葉の通り、元来人と神の関わりは、互いに支えあっていくものだったのだ。

 

 が、現代。その天秤は容易く崩れ去り、神は人間から一方的に願いを訴えられているという状況になっている。その結果、信仰が薄れ、多くの神々の力が衰退していき、高天原へ帰る神や、存在が保てずに自然へと還る神が現れ始めた。かろうじて地上に残った神々も信仰集めに必死になり、それもできないものは満足に自らの用事すら済ますことのできなくなっていることを人々は知っているだろうか―――――。

 

 さて、と。こうつらつらと語っているが、これから私が話すのは、そんな現代に生まれて、現代の生活を謳歌している―――いや、謳歌していた(・・・・)一人の人の子。そして現代では消滅の危機に陥っている神々やそれに類するもの、所謂"幻想"と呼ばれるものを視て、暴く、二人の人の子で構成される倶楽部の話だ。

 

 神である私にとって、人というものは、地に這い蹲ってノロノロと蠢いている蛇であったり、天狗の髪を揺らす程度の微風であったり、そんな存在ではあるが、私の永い記憶の中に、一際大きな輝きを見せた彼らを戯れに語ってやろう。

 

 いつの日か、私の体が消えて、乾に散る頃まで――――――

 

  この物語が受け継がれ、人の子の明日を紡ぐのならば――――――

   

   それもまた、夢現の世の一興である――――――――――――――――――

 

 

 

 

 これは、かの神様の御用人を勤めるという男、萩原良彦と、

良彦と共に御用聞きに赴く狐神、黄金。

 それに加え、秘封倶楽部に所属する京都大学の学生、宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーン。

 

 彼ら三人と一匹が御用聞きに奔走する話である。

 

 

 

 







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