こころの狭間 少女と竜の物語 (Senritsu)
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第1話 夜の昔語り

 人と竜が心通わせることなど、あるはずがない。
 否、あってはならない。
 自身がハンターになる道を選んだ時に、そう強く心に刻んだ。
 そうしないと、狩人としては生きられなかったから。
 でも、もしも、それが本当に思い込みに過ぎないものであったなら。

 ――私は、どうするんだろう。



「――むかしむかし、この村ができるよりもずっと前のお話、人がこの地に初めて足を踏み入れたころ……」

 

 

 新月であるからか、星明かりが美しい夜だった。

 村の広場でかがり火が焚かれている。そのぱちぱちという音を縫うように、老婆は話し出した。

 まわりには村のこどもたち数人が座って、真剣に耳を傾けている。私はその少し後ろに立って彼女の話を聞いていた。

 

 

「……今も昔も変わらず、生命に満ち溢れていたこの地の森は、とても大きくて強い雄の竜に全て独り占めされていました。

 生まれてからずっとこの地で育った彼にとっては、この森は庭のようなものでした。

 空や海を渡って、いろんな竜が彼の持つ森を狙って勝負を挑んできましたが、一匹とて彼を退けた者はいませんでした。

 

 彼は自身の持つ力を使って空の竜を打ち落とし、陸の竜を地に伏させ、海の竜を沈めました。

 どんな理由があれど、自分の縄張りである森を荒らすものには決して容赦しませんでした。

 ときには遠出をして、他の竜の住処を奪って縄張りを広げることもしました。抵抗する者は残さずその牙にかけられたのです。

 

 繰り返す戦いで彼の体は傷だらけでしたが、強い敵と戦ううちに鱗は固く、武器はより強力なものに変わっていきました。

 火竜の吐息をものともしない鱗、雷狼竜の突進をも防ぐ体躯は、多くの存在を恐怖させました。

 

 逆に、彼は自分より弱い存在は無視しました。気まぐれに他の命を奪うことがあっても、自身が気に入ったこの土地を自らが壊すのはよしとせず、長い間豊かな暮らしを続けることを選んだのです。

 

 そんな彼は、切り立った崖に出来た入り江のひとつを寝床としていました。

 一方に行けば海の入り口、もう一方に行けば森に辿りつくその場所は、夕日が見えることも含めて彼のお気に入りでした。

 

 ――そこでいつも一匹で眠るのは、ほんの、ほんの少し寂しかったのですが……」

 

 

 暖かい風が、老婆の話を紡いでいく。

 ここは、狩場の一つである「孤島」にごく近い海に浮かぶ村、「モガ村」だ。

 一年を通して暖かく、降水量も豊富なこの地域は、モンスターの宝庫とも言える生態系が成り立っている。

 モガ村の人々は、その自然に深く結びつきつつ、ひっそりと暮らしているのだ。

 

 そんな村の専属ハンターとして私が派遣されたのは、つい二年前のこと。

 村の人よりも線が細く、身に合わなさそうな大剣を身にまとっていたそのころの私は、女性だったからでもあったのか、本当にハンターなのか?と疑われたものだった。

 

 今では白かった肌もすっかり日に焼けて、村独特のなまりも方言もすっかりお手の物となってしまっている。

 最近問題になっていた「あの事件」も解決できて、やっと認められたんじゃないかな、と思う。

 

 そんな生活の一コマ、しかし久しぶりの物語の読み聞かせに私もわくわくしていた。

 

 

「月日は過ぎ去って、いつしか彼は森の暴れん坊からこの地の王としてますます畏れられるようになりました。

 その頃の彼は、畏怖の対象になるだけの巨体を持ち、数えきれない戦いで身に付けた賢さは森の王としてふさわしいものでした。

 竜のこころは人には分かりません。しかしその頃の彼は、自分より強い者はいないと信じていたのでしょう。

 

 ある日のことです。遠い西の空から古の龍が彼の森に降り立ちました。その日光を跳ね返す白い体の色は、彼のそれによく似ていました。

 そして一緒やってきた嵐は桁違いの強さを誇り、豪雨と暴風で森も海もめちゃくちゃになってしまいました。

 絶対的な力を持つ古の龍と荒れ狂う自然の猛威に、森にすむ全ての生き物は身を隠しました。しかし、自分の縄張りが好き勝手に荒られていることに激怒した彼は、我を忘れて龍に勝負を仕掛けてしまったのです。

  

 強力な力をふるう古の龍に対して、彼はたくさんの傷を作られながらも戦いました。

 ただでさえ叩きつけるような雨が視界を塞いでいて、その中を自在に泳ぐ古の龍は分が悪すぎます。

 そんな状況でも彼は、長い闘いの末に彼古の龍の片方の角を折って、大きな痛手を負わせることに成功しました。

 

 ところが角を折られたことで誇りも傷つけられたのか、大いに怒った古の龍は体の色を変え、本気を出して暴れまわりました。

 森の王としていばれる立派な彼の体も、世界が創られた時より生きる龍の怒りを防ぐことはできませんでした。彼は胸を深く裂かれる大怪我を負わされてしまいます。

 

 古の龍から命からがら寝床まで逃げ帰って、しかし怪我がひどすぎてもう動くことができません、自分が死にかけていることを悟って、彼は小さな入り江でじっとその時が来るのを待ちました」

 

 あれ、と私は思った。このままだとここで話が終わりそうだ。

 しかし、語り口から推測するにこれはまだ序章であるようだ。かの竜の種族名がなんなのかもいまいち分からないし、ここで終わることはないだろう。

 

 子どもたちの方を見てみると、膝をしっかり抱え込んでおしゃべりもせずに話の続きを待っている。

 久しぶりの夜の読み聞かせに、並々ならぬ期待を寄せているのがその目と姿勢から伝わってきて、思わず笑みがこぼれる。

 かがり火に新たな薪がくべられた。

 

  

「遠くで古の龍の咆哮をぼんやりと聞き、彼は自分が未だに生きていることに驚いて目を開きました。

 眠りにつく前の状態を思い起こすと、自分が死んでいないことが信じられません。あの龍から受けた傷は明らかに致命傷だったはずなのです。

 

 しかし今こうやって意識が保たれている。体に力を入れてみても、ところどころで走る痛み以外は目立った問題はなさそうでした。

 そこまで確認してから、竜は改めて周囲に目を向けました。

 入り江はまだ薄暗いですが、白み始めている空が朝であることを告げていました。

 

 自分の体を見ると何か草のようなものが怪我をした部分に刷り込まれていて、流れ出す血を止めてます。

 どうやらこれのおかげで出血が抑えられ、傷口がそれ以上悪化するのも防がれたようでした。

 

 しかし自分がこんなことをした記憶は無く、この草のようなものもいつから付いていたのかわかりません。

 不思議に思ってあたりを見回していると、がさがさという音と共に、一匹の動物が草むらから何かを持って出てきました。

 

 白と茶色の体色をした、二本足で立っている小さな動物でした。

 

 その動物は竜がまだ寝ていると思っていたのか、こちらを無視して何かをしているようです。

 しかし、ふとした拍子に竜の方へ視線を向けて、弾かれたかのように顔をこちらに向けました。

  

 動物と竜の目が、ゆっくりと合います。

 ……とたんにその動物は怯えたようにへたりこみ、動かなくなってしまいました。

  

 彼からすれば動かない餌にも見えた気がしますが、彼はこの動物を知っていました。

 体を守る鱗や牙、毒を持たないこと、森から離れて生きる種であることも、……食べてもほとんど腹の足しにならないことも。

 

 お腹は減っていましたが、今は首さえ満足に動かせそうにありません。

 少し不満でしたが、今はあれを見逃してもっと動けるようになってから餌を探そう、そう思って彼は頭を下ろして再び目を閉じました。

 

 それからまた少し経って、物音が聞こえました。先ほどの動物がようやく逃げようと動き出したのだろうと彼は気にもしませんでした。

 しかしその音は少しずつ大きくなっています。またも不思議に思って目だけを開くと……

 

 なんと動物がこちらに近づいてきているではありませんか。

 

 これはどういうことだろう。竜は困惑してそれを見つめていました。何故、逃げようとしないのだろうか。

 あれらががどう頑張っても自分に傷ひとつ負わせることなどできないだろうし、逆に自分が軽く動くだけであれらは死んでしまうというのに。

 

 そうこう考えている内に、その動物は彼と触れられるところまで来てしまいました。

 さすがの彼も警戒して鋭く威嚇の声を上げました。これ以上近づけば容赦しないぞ、という警告を込めて。

 

 動物はその声にびくりと身を震わせて、それでもこちらの目を見つめながらなお近づいてきました。

 彼は、ますます困惑して身を守ることも忘れ、その姿をながめていました。

 

 彼の頭と動物の顔が目と鼻の先ほどになったとき、動物が口を開きました。

 なにか声を上げているようですが、当然彼には理解できるはずもありません。

 

 口を閉じた動物は、彼の腹の傷口に向かって歩き出しました。

 何故かそれを喰らう気も起きなかった彼は、何か諦めたかのようにうなり声を上げ、目だけで姿を追いました。

 

 傷口のすぐそばまで来た動物は、もう一度彼と目を合わせて、

 ゆっくりとした動作で傷に顔を近づけ、ぺろり、とその傷を舐めました。

 

 彼らは血をも糧にするのか、ならばすぐに殺してしまわなければならない。そう思って彼はすうっと目を細めました。

 しかし彼はまたも拍子抜けしてしまいます。動物は持っている草を口に含んで、丁寧に塗りつけていたのです。

 草が塗りつけられた部分は、傷になるどころか出血が治まっていました。

 

 それを見た彼は、分からないことが多すぎてもう何をする気も起きませんでした。

 少なくとも害意はないのだろう、そう判断した彼は一旦考えることを止めることにしました。

 何をするにも体力の回復が最優先です。彼はまた深い眠りにつきました。

 

  

 眠るまでの間も、動物はずっと傷の手当てを続けていました。

 

 

 彼はふと母親のことを思い出して「グウゥ」と小さく鳴きました。

 すると動物は少しその手を止め、くすっという声をあげてまた傷の手当てをはじめました」

 

 

 老婆はここで一度話を切った。――子供たちに菓子を与えているようだ。

 

 さて、やっとおとぎ話らしい話になってきた。せっかく盛り上がってきたのだから、現実とは切り離して楽しもう。

 それにしても未だに竜の名が分からない。私の知る上では、特徴がうまく一致するモンスターが浮かばないのだ。仮想の竜なのだろうか?

 

 ただ、話の「彼」は、大怪我をしていても冷静に対処したり、空腹よりも治療を優先するあたり本当に賢いのだろう。

 現実にもこんなに頭の切れる竜はいるだろうか。古龍の例もあるから確率は零ではないかもしれない。

 

 竜のことはともかく、あの無謀な動物は十中八九人間だろう。その割には行動が人間離れしすぎている感じはするが……。

 これが他の生き物ならこんなことはまず起こりえない。アイルーという線もあるが、彼らはまだ本能に忠実だ。傷ついた竜には近寄る事さえしないはずである。

 

 人の理性の一部が外れるとこういうこともするかもしれない。

 ――逆に言えば、欲求や恐怖という本能にある程度抗えるのもまた人間なのだ。

 

 それか、もしかしたらその人物はまだ幼いのではないだろうか。

 傷の癒えていない竜の恐ろしさを教わっていないとするなら、こんな行為に及ぶことも考えられる。

 

「……ターさん、ハンターさん!」

 

 こちらを呼ぶ声にはっとして下を見ると、ひとりの子どもがこちらを見上げて棒状の焼き菓子を数本差し出してきている。香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

 

「どうしたの? いらないなら食べちゃってもいい?」

 

「うーん、少し考え事してたんだ。ありがたく貰っておくね。」

 

 そう言って焼き菓子を受け取ると、私はそのうちの一本を口に放り込んだ。とたんにさくさくとした歯ごたえと共に砂糖の甘味が口の中に広がる。

 この村では、砂糖は輸入できるとはいえ比較的高価なものである。そのため普段はなかなか甘いものにはありつくことができない。

 

 私は久しぶりの甘味を大事に味わいながら、再び老婆が語り出すのを待った。

 皆が話を聞く準備を整えたことを確認して、彼女は火中の炭などの位置を調整してから話し出した。

 

「……太陽が大分傾いた頃に彼は再び目を覚ましました。そろそろ餌を探さなければなりません。

 今まで彼はこの入り江で息を潜めていたのですから、餌になる草食竜は逃げていないはずでした。

 

 自分の武器がしっかり操れるか確かめ、傷が癒えていることを確認して……傷の手当てをしていた動物の姿がないことに気付いて、ぐるりとあたりを見回しました。

 別にいなくなっていても、それこそ当り前だろうと思っていたので特に気にするつもりもなかったのです。

 入り江の隅で動物の姿を捉えて、しかもそれが寝ているらしきことが分かったとき、彼はその無防備さに心底呆れました。

 

 この入り江はあの動物の寝床なのだろうか。それにしては広すぎる気がするが自分が居座る分には丁度よさそうだ。

 腹ごしらえにもならないが、あの動物を喰らってこの場所を手に入れてから動くとしよう。

 

 そう考えているときの彼の眼は、森を統べる王のものでした。

 そこに、この動物がしてくれたことなど考える余地もなかったのです。

 

 これからどうするかを決めた彼は、眠っている動物の近くまでいくと、逃げられることがないようにその体で動物を囲い始めました。

 彼が動いている間に動物は目を覚ましたようでした。慌てて、身を起しています。

 しかし、自身に何が起こっているのか分からないのか、恐怖ですくみあがってしまったのか、膝をついた体勢で動かなくなってしまいました。

 

 こんなことをするまでもなかったか、彼はそう思いながら動物に思い切り食らいつきました」

 

 

「――え?」

 

声を上げたのは、菓子を食べながら話を聞いていた子どものひとりだった。

 ほかの子どもたちも訳が分からないといったような顔をしている。

 

 彼らの気持ちはよく分かる。その動物は「彼」を一生懸命看病してあげていたというのに、その「彼」はその動物を襲ったのだから。

 恩を仇で返すどころの話ではない。それは純粋な彼らは理解しがたく、信じられないことなのだろう。

 

 しかし、それも仕方のないことだ。ハンターをしている私にとっては、むしろそれが道理である。

 

 人と竜とは決して相容れない。集団で協力し合って生きてきた人間と、弱肉強食の真っただ中の世界を生きる竜では、意識の根幹から進む道を分けている。

 「彼」はこの世界を生きる竜として至極正しいことをしたまでなのだ。彼らもうしばらくすれば分かってくれるはず。

 

「ねえ、なんで――」

 

「これこれ、まだ話は終わらんよ。こういう物語は先を急いだらだめなのさ」

 

 老婆は、疑問を投げかけようとしたこどもたちをそう言ってなだめた。

 そう、この話はまだ終わらない。大きな転機を迎えたばかりなのだ。

 

 

 




 初めまして。作者のSenritsuと言うものです。
 あらすじでも述べましたが、この作品は私が初めて書いた作品となります。
 なんだか一風変わったスタートを切ったみたいですが、この昔語りはもうしばらく続く予定です。

 拙い部分もあるかとは思いますが、もう少し夜の語らいにお付き合いいただけると嬉しいです。

 追記:本編では全く描写されていませんが、主人公の設定についてここで説明しておきます。

 名前:(後半登場)     性別:女性     年齢:18歳
 髪の色:黒銀     髪型:全体的にショートカットで切り揃えず流している
 瞳の色:黒銀     身長:167cm
 体格:大剣を扱うにしては細めですが、腹筋は割れてます。
 顔:二重瞼、アイシャ曰く、真面目っぽいとのこと。



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第2話 妖精の足跡

 

 

 

「かみつかれる寸前に身を引いていたのか、彼の鋭い牙が捉えたのは動物の片方の腕だけでした。

 噴き出した鮮血が、もともと彼の血によって淡く染められた砂浜を真っ赤な朱色に染め上げました。

 

 どうせ逃げられないのだから一息に食われてしまえばよかったのに。彼はそんなことを思いながら食いちぎった腕を噛み砕きました。

 そして相手が最初から抵抗らしき動きをしていないことに気付いて、様子を確かめました。

 

 腕を肩近くから食われたその動物は、何かを諦めたかのような、笑っているような表情を浮かべていましたが、足をどうにかして立たせようとしているようでした。

 

 がたがた震えながらもどうにか立ち上がったその動物は、立て続けに彼の度肝を抜く行動に出ました。

  

 片方の腕でかみつかれた方の腕を押えながら、彼の方へと歩み寄ってきたのです。

 

 一歩足を踏み出すたびに耐えがたい痛みが走るのか、大きくふらつきます。

 それでも歯を食いしばりながら、しっかりとこちらに向けて歩を進めていました。

  

 彼はあまりの驚きでうなることも出来ずに動きを止めています。

 そんな彼の眼を、動物は血と涙でぐしゃぐしゃになった目でしっかりと見つめていました。

 

 いちど倒れこんでは懸命に立ち上がり、とても長い時間を掛けて彼の近くまで辿り着いたその動物は、半ば倒れこむようにして彼の頭にもたれかかりました。

 それによってやっと我に返った彼は恐れを感じて牙を剥きました。

  

 その牙に動物のもう片方の腕が回されます。

 恐怖におののく子どもをあやすように彼を抱きしめた動物--幼い人の雌は、無理矢理笑顔を作るかのように顔を歪ませました。

 そして一瞬だけ彼の眼を見たあと、目を閉じて、

 

 ――――彼の口元にある傷をぺろりと舐めました。

 

 ……それは今日の朝に少女が彼にしていたこととなにも変わらない行為でした。

 彼は今まで目の前の存在を殺そうとしていたことまで忘れて、感覚を集中させて朝の記憶を呼び覚ましていました。

 

 一人と一頭の不思議なふれあいはしばらく続きました。

 いつしか辺りは夕方になっているようでした。

 夕日が真っ赤に海を染め上げています。しかし森にはいつからか雨が降り始めていました。

 ざああ、と降り続ける雨は少女の顔を洗いました。夕日の光が雨に反射して散りばめられた宝石のような光となって彼らを覆いました。

 あの古の龍が帰ったのだろうか、もう二度と訪れてほしくないものだ。彼は落ち着きを取り戻し始めた頭で思います。

 

 少しずつ剥かれていた牙が収まり、息づかいも落ち着いてきているのを彼女は感じたようです。またもくすっという声を上げて……

 

 とさりと倒れました。

 

 頭にかかっていた重みが急に軽くなったことを感じた彼は、地面に倒れこんだ少女の様子を窺いました。

 その腕から流れ出る血を見て、彼は彼女が血を失いすぎていることを悟りました。

 少女は荒い息をしながら立ち上がろうとし、ふとこちらを見て泣き笑いのような顔を浮かべると、自然な動きでその身を彼にさらしました。

 まるで彼に食べられることを望んでいるかのような彼女の姿を、彼は感情を窺わせない瞳でじっと見つめました。

 

 彼は目の前の少女に母親の姿を重ねていました。

 母は、彼が幼いころから絶えることのなかった生傷や、体についた汚れを熱心に舐めてくれたものでした。

 そのときの安心感を忘れることはありません。一人立ちしたてのころは、母のいない寂しさで、今では考えられないくらいおどおどしながら過ごしていたのでした。

 

 今でも、たまに遠い記憶になったそれをぼんやりと思い出します。この地の王となり、守られることなどない彼にはこれからも味わうことのできない感覚になるはずでした。

 

 もう思い出すことなどないはずだった感情を再び呼び起こされた彼は、この不思議な少女を特別な存在として扱うことにしました。

 

 自らが生きゆく上で役に立つ行為をしてくれたのならば、今は殺しはしないでおこう、と。

 

 それはこの世界での「共生」とよばれる判断の仕方でした。

 あくまでも相手を餌として食べない程度の緩い認識でしたが、少女は殺されずにすんだのです。」

 

 ここで老婆は再び話を切った。焚き火の灰をかき出している。

 なんとなく、この物語の山場を越えたんだ、と思った。

 

 うたた寝することもせず真剣に話を聞いていた子どもたちは、総じてほっとした表情を浮かべている。ちらほらと「……よかったぁ」などという声も聞こえる。

 

 私は考えすぎなのか職業柄か、彼らのように手放しで喜ぶことはできない。

 今まで見聞きした人と竜の物語はどれもが恋に関係する物語だった。結末は幸福なまま終るか悲劇かのどちらかで、人間よりの視点で話が進む。

 

 その点今聞いている話は他とは違った印象を受ける。

 獣の視点で展開される語り口、先読むことのできない少女の言動など、経験したことのない要素が多いのだ。

 何より、モンスターの世界の現実を痛切に表している描写がある。言うまでもなく少女が腕を喰われる場面だ。モンスターにとって人間は所詮獲物でしかないことを思い知らされる。

 

 ……それにしては安易に殺さない辺り、非現実を組み込んでるよね。

 そう思って嘆息する。一応は読み聞かせようであるということか。

 しかし、ならば「共生」という言葉が気になる。簡単に心を開くはずもないが、やっぱり現実よりの物語だ。理想と現実、なかなか微妙な関係を綴っている。

 子どもたちに自然の脅威を教ようとしているのかと思えばそうではなく、だからといって架空の物語としてはいささか融通の効かない設定である。

 

 なんだかなあ、と思っていると……ふいに、ある仮説が頭に浮かんだ。

 

 それは深い思考の中で瞬く間に筋道立っていき、ひとつの答えに結び付く。

 ……すなわち、この物語の根幹に迫るものだ。

 寒いわけでもないのに、ざわりと鳥肌が立った。

 

 ――いや、まさかそんなはずはない。考えが飛躍しすぎている。

 

 頭ごなしに自分の考えを否定する。

 しかし、一度覚えた感覚は消えることはなかった。

 

 「いつまでたっても訪れない最後の瞬間に疑問を抱いた少女は、身をよじろうとしましたがなかなか体を捻ることができません。

 顔だけ動かすとすぐそこには少し前に自分の腕を食べた竜の顔がありました。そのまま少女を食べるわけでもなく、その舌で無い方の腕の先を押さえていました。

 そういえば、さっきまで言葉にできないほどの痛みが支配していたはずの腕の感覚が、今は麻痺してしまったかのようになくなっています。……出血も収まっているようです。

 

 まさかこれはさっきまで私がしていたことをし返してくれているのか。

 にわかには信じられない話でしたが、現に竜は少女が死なないようにしているとしか思えない行動をしています。

 

 目の前で起こっている奇跡に、自分はここで死ぬのだとばかり思っていた少女は嗚咽を漏らしました。……既に涙は枯れ果てて流れていませんでしたが。

 

 「ぁぁ、神様、有り難うございます」

 

 そう言った少女は、腕の痛みが収まって緊張が途切れてしまったのか、既に血を失いすぎてしまっていたのか、気を失ってしまいました。

その後しばらくの間も、竜は熱心に自らが少女に負わせた傷の止血に努めていました。

 雨は相変わらず降り続けています。夕日はしかっり沈み、月明かりが彼らを照らしていました。」

 

 老婆はかがり火の灰をかき出しながら話を続ける。

 火の勢いも、もう大分弱まってきた。

 

「朝になって彼女は目を覚ましました。

 入り江に差し込む朝日の光と所々溶けたような腕の傷が、昨夜の出来事が夢ではないことを雄弁に物語っています。

 

 体を起こすと途端に目眩がして、再び倒れこんでしまいそうになりました。昨日の怪我で、血が足りていないようです。頭がぼんやりしています。

 ふらふらしながらもどうにか意識を覚醒させると、何故か香ばしい匂いが漂ってきました。

 

 後ろを振り返ってみると、彼の竜が海で捕らえたと思われる草食竜に食らいついていました。

 

 少女は血飛沫が飛ぶ光景を想像して身構えましたが、不思議なことに彼の口は全く血に濡れることはありませんでした。

 よくよく観察してみると、竜は相手の肉を前もって焼き焦がしてから食べているようでした。先程の香ばしい香りはこれだったようです。

 

 しばし竜の食事風景を眺めて、さて自分も木の実と魚を採集しに行こうかとした少女でしたが、ふと視線を感じて振り返ると、竜と目が合いました。

 その金色の瞳は相変わらず無機質なものでしたが、少女はしっかりと目を合わせました。

 

 しばらくの間見つめあっていた一人と一頭でしたが、ほどなくして竜が視線をそらし、今まで自らが食べていた肉の一部を少女によこしました。

 

 その肉はご丁寧にしっかりと焼かれています。

 少女は少し躊躇しましたが、思い切ってそれを口にしました。ここで食べないで貧血で倒れるよりはましだと考えたのです。

 

 その肉はお世辞にも美味しいとは言えず、どきどきバチバチッと何かが弾けるような不可思議な音をたてていましたが、焼き目は肉の中まで通っていました。

 昨日から何も食べていなかった少女にとって、それは何よりも嬉しいごちそうへと昇華しました。

 竜の方もこの動物が貧弱で、生肉を食べないことまで知っていたので焼いた肉を渡したのです。それを抜きにしても生肉を焼いてから食べることを彼は好んでいました。

 

 少女が夢中になって肉を食べているのを、彼は感情の読めない瞳で見つめていました。しかしやがて興味を失ったかのようにそっぽを向くと、食べ終わった草食竜の骨を器用にくわえて海へ潜っていきました。

 

 戻ってきてみると、少女が枯れたはずの涙をぽろぽろと流しながら言い寄ってきてまた困惑するはめになったのですが……」

 

 「その日から、彼の竜と少女は同じ寝床で生活するようになりました。

 

 昼の間、竜は海や森に出て狩りを行い、少女は入り江から出て採集をしていました。

 彼女は彼が狩った獲物の皮と、彼から剥がれ落ちた鱗を繋いで作った服を常に身に纏っていました。

 剥がれてもなお衰えない覇気を持つその鱗は、彼女を立派に守ったのです。

 

 日が落ちると竜と少女は一緒に眠りました。

 

 時たま彼が傷だらけで帰ってきたときには、少女が夜通し傷の手当てに当たり、逆に少女が傷だらけになって戻ってくると、彼が少女が眠るまで起きて傍に寄り添いました。

 彼女は竜の側で寝ることで安全を手に入れ、竜は誰かと一緒に眠る暖かさを共有する。彼らの関係はそれ以上でも以下でもありませんでした。

 

 互いの生活、想いが相容れることなど無いことを分かっていて、それでも一緒にいようとするその姿は、はたからみるとすれ違っているようです。

  

 しかし、少女と竜の絆は強く、固く、夫婦のように思いやりに溢れていました。

 

 ……その後の彼らがどうなったのかは誰も知りません。

 しかし、この出来事のあとから、モガの森では白と蒼の外套に身を包んだ妖精が見られるようになったのでした」

 

「――これで、お話はおしまい。みんな、よく眠らずに聞いてくれたね。偉い子たちだ」

 

 そう言って老婆は締めくくった。誰かが「ほうっ」とため息をつき、途端に厳かな雰囲気が和んでいく。

 結局最後まで話を聞いていた子供たちは、少々眠そうにしながらも思い思いの感想などを話している。

 私もいろいろと思うことがあるが、もう夜も遅い。まずは子どもたちを家に帰らせないといけない。

 

 「みんなー、ヨシおばあちゃんのお話も終わったことだから家に戻らないとね。

 質問したいこともたくさんあると思うけどまた明日にしよう。もう遅いから家族の人が心配してるかもしれないよ」

 

 そう言って子供たちをそれぞれの家まで帰らせる。もう夜も遅く子供たちだけで帰らせるのは少し危ないので、私も付き添うことにした。

 質問攻めをしてくる子供たちに付き合いながら、家の近くまで案内していく。 

 家が遠い子たちを近くまで送り届けて戻ってきたとき、老婆――ヨシはかがり火の片付けをしていた。

 

「手伝うよ。残った炭はどうすれば良いの?」

 

「おぉ、ありがとなぁ。おいの家の近くに薪置き場があっから持ってくれるかい?」

 

「了解」

 

 そう言って、ヨシと二人で夜道を歩く。月が出ていないので辺りは暗いが、水平線まで散らばる星たちはなかなか幻想的だった。

 

「今日のお話はどうだったかい? 大人のアンタに楽しんでもらえてたら嬉しいんだけどねぇ」

 

「……正直ちょっと不思議な感じだよ。今まで経験したことのない作風っていうか……不意討ちを食らったみたい」

 

「彩鳥さんが初めて子守唄を歌ったときみたいな感じかね?」

 

「あー、似てるかも。あれは最初びっくりしたなあ……ってどうしてそのこと知っているの!?」

 

「アンタ自分で話してたじゃないかい。そんときのアンタは狐につままれたような顔してたからよく覚えてるよ」

 

「う、恥ずかしいなあ……忘れてよそんなこと」

 

 そんな他愛もない会話を続けながら歩き続けていると、ヨシの家が見えてきた。

 

「そういえば、ヨシおばあちゃんの語り口にも結構驚いたりしたよ。まさかあんなに口調が変わるとはねー」

 

「そうだねぇ。でもあのお話はちょっと難しくて固い感じで話した方が良いのさ。適当に誤魔化したら森の神様に失礼やけぇしな」

 

「ああ、やっぱり教訓っぽいのも混じってたか。ただのおとぎ話にしては重いもの持ってるなと思ったよ」

 

 そう私が言うと、ヨシは不思議そうにこちらを見て言った。

 

「何言ってんだい。あれはほっとんど本当のお話さ」

 

 

 




やっと主人公が出てきました。
お婆さんターンを長くしすぎた……


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第3話 おとぎ話への潜入

「何言ってんだい。あれはほっとんど本当のお話さ」

 

「……え?」

 

「だから、本当にあった話を元に作ってあるのさ。少しばかり弄ってあるがねえ」

 

 まさか、あの話が実話だとでも言うのか。

 ここから少し離れただけの森で起こったという出来事が?

 

「そう、だったら……白い体の色の竜とか、白と蒼の外套を着た妖精って……?」

 

「あぁ、全部本当にいたのさ。知らなかったのかい?しかも、妖精は片腕しかなかったとも言われとる」

 

「――――っ」

 

 再び、ざわりと鳥肌が立った。

 私が少し前に忘れようとした答えが本当に正しかったらしい。

 

 あれはおとぎ話などではなかったんだ。竜と人が一緒に暮らした事実があったんだ!

 

「そういやそうか、アンタは知らないかもしれん。お話に出てきた竜は海竜の亜種さ。白海竜なんて呼ばれてるね」

 

「ラギアクルスの、亜種……」

 

「昔の村長が挑んだ相手でもあってねえ、まあ別の個体だったろうが、陸の上での戦いが上手かったらしい。双界の覇者とも言われるだけのこたぁある」

 

「……まさか、そんな竜が実在してたなんてね……」

 

 パズルのピースがどんどん当てはまっていくような感覚だった。

 初耳だったので未だに信じられないが、確かにその雷竜の亜種が存在するとしたら辻褄が合う。

 苦手なはずの空の竜を撃ち落せたことも、肉を焼き焦がせたことも。……森の王者になれることも、だ。

 

 だが、ラスト数ピース、どうしてもなくてはならない欠片が抜けている。

 それを埋めるべく、ヨシに尋ねた。

 

「ねえ、ヨシおばあちゃん、その人たちが寝床にしてた入り江って今もあるのかな?本当にあった事を話してるんだからさ、あってもおかしくないはずだよね」

 

「…………」

 

ここでヨシは初めて口をつぐんだ。しかしその沈黙が意味するものは「肯定」なのだろう。

 

「――やっぱりあるんだね。その……できれば場所を教えてくれないかな?もし絶対に行っちゃいけないとかだったら構わないんだけど……」

 

 私のお願いに、しばらく佇んで悩んでいるようだったヨシは、はあっとため息をついた。

 

「本当は教えちゃいけない場所なんだ。アンタがここにやってくるずっと前にも、この話を聞いて同じことを頼み込んだハンターがいたんだが……見に行ったきり帰ってこなくなっちまってねぇ」

 

「そんなことが……その人の装備はどんな感じだったか覚えてる?」

 

「さあねぇ、どうだったか――ああ、でも今のアンタよりは経験が少ないハンターやった。青熊獣の甲殻を加工した防具を着ておったな」

 

 つまり、アオアシラを倒す実力をもってしても防ぎきれない脅威があったことになる。

 その入り江に強大なモンスターが住みついていた可能性が大きい。まさか、「彼」なのだろうか?

 

「あそこをモンスターが寝床にしていたとしても、お話に出てくる竜ではなかろうよ。

 なにせ、おいが童だった頃からあったお話さ。いくらなんでもそんなに永い間その入り江に留まるはずはないだろ。

 しかも、そんな竜がいたらアンタはとっくに討伐に行っているだろ?」

 

 私の心を見透かしたかのようにヨシは話した。――不思議なおばあさんだ。

 そして、その理屈も的を射ている。もし「彼」が本当にいたとしたらその体の色でとても目立つはず。

 ただでさえ恐ろしい海の竜の亜種なのだ。私は村の専属ハンターとしてそれを狩りに行くだろう。

 

 勝てるかどうかはまた別のお話だ。

 

 しかし、「彼」でなくとも危険な存在がいる可能性は捨てきれない。今の森は火竜の番の縄張りに入っていて、彼ら以外の大型モンスターはいないはずだが……

 

「なら、私が今持ってる一番の装備をしていくなら教えてくれる?出来る限りの警戒もするよ」

 

「――アンタどうしてそこまでして行きたいんだい? ただの何もない入り江でしかないよ?」

 

 ヨシの言葉で、私は自分がしつこいくらいその場所に執着していることに気付いた。普段の私なら諦めている。

 その理由まで行きつくのにあまり時間はかからなかった。しかし、それを言うのは少し……いや、かなり恥ずかしい。

 

「もしそこを寝床にしてるモンスターがいたらって話だよ。ラギアクルスが入れるくらい広いんだから場所くらい把握しとかないと、いろいろと危ないと思うんだよね」

 

 とりあえず、理由としては尤もなことを挙げてみた。これならヨシも納得してくれるはずだ。

 そんな私の予想どおりに、ヨシはしばらく考え込んだ後にその場所を教えてくれた。

 

「アンタも真面目というか心配性だねぇ。わざわざこんなところまで調査しに行くなんてギルドだってしないよ」

 

 私にそう言ってヨシは苦笑した。そうかな、と私もつられて笑みをこぼした。

 そのやり取りに少し申し訳なさを覚えてしまう。

 

 なんだか騙しているみたいだけど、どうしても本心は話す気になれない。未踏の地の調査は決してマイナスにはならないはず。

 自分を無理やり納得させながら、私は探索の準備について思考を巡らすのであった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 翌日の夜、私は孤島の奥地にある谷に足を踏み入れていた。

 

 身に着けている防具はラギアクルスのもの。鮮やかな蒼色は控えめにとっている。

 鋼のような防御力を犠牲にする代わりに立ち回りのしやすさを重視した装備だと言える。

 

 今こそ黙々と探索に励んでいるが、ここに入る前は流石に躊躇した。

 確かに、普段の私なら絶対に立ち入らない場所だ。モンスターだって入れなさそうな森が目の前に広がっていた。

 鬱蒼と生い茂る草木と、そびえ立つ岩壁を前にしては、ここから入り江につながるなど想像もできなかっただろう。

 

 ――と言うか、今でもちょっと入口の存在を怪しんでいる自分がいる。

 既に探索を始めてから数時間が経過していた。話を疑い始めてしまうのも仕方ないと思う。

 

「うーん、でもヨシおばあちゃんは大まじめに話してたし……作り話には思えないんだよなー」

 

 そんなことを呟きながら探索を続ける。

 そして、森に入る前には遥か遠くに見えた岩壁に辿り着こうとしたそのときだった。

 急に現れた段差に足を取られ危うくこけそうになり、慌てて態勢を整える。

 

「わっ、と……これは……」

 

 段差の方に足を取られなかったことに安堵した。

 壁に走った大きな一本の裂け目、昔は水が流れていたであろうその亀裂の下には、洞窟のように大きな穴が広がっていたのだ。

 もし不用意に落ちていれば、最悪命を落としていたかもしれない。

 そう思うと冷や汗が流れるが、その穴をよくよく観察してみると――

 

「当たり……かな?」

 

 草木が覆っている部分を含めると、かなりの規模のトンネルであることが窺える。

 この辺りを流れていた川が、永い年月をかけて岩壁を穿ってできたのだろう。

 また、その大きさに反して近くまで寄らないと気付けないくらい、まわりの景色に溶け込んでいる。

 

 話に聞いた「彼」が好みそうな条件が十分に揃っているではないか。

 どうしようもなく、胸が高鳴っていくのを覚えた。

 

 しかし、この地はかつて新人のハンターも侵入し、命を落としたかもしれない土地でもある。

 

「――よしっ」

 

 緩みかける心を逆に引き締めながら、私は松明に火をつけて、慎重にトンネルへと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 トンネルはそこまで長くは続いていないようだ。少しだけだが、風が通っているのも確認できる。

 トンネルは私が十分に立てる高さと、ある程度立ち回れる広さを保っていた。

 時折、洞窟には付き物のギィギが飛びかかってくることもあったが、松明を振り回すことで噛みつかれる前に撃退していた。

 

 どうやら大分進んできたみたいだ。もうほとんど日の光は入り込まなくなり、一本道が続くのみとなっている。

 

「この調子だとジャギィなんかと鉢合わせちゃうんじゃないかな……」

 

 できるだけ戦闘は避けて静かに行動したいところだが、こんな場所で松明を手放すわけにはいかない。

 もし出会ったなら相手を一撃で殺せるように、サブの武器である片手剣をいつでも抜刀できる状態で慎重に歩を進めていった。

 もしこの先に入り江があって、そこを寝床としているモンスターと鉢合わせてしまったら……そのときは、そのときだ。

 

 

 

 

 ――しかし、そんな心配は杞憂に終わる。そして、新たな緊張が全身を駆け巡った。

 

 唐突に少し広い空間に出たと思うと、その横面から淡い光が差し込んでいるのが見えたのだ。

 地面に伏せて耳を澄ますと、風の音に混じって微かに波の音が聞こえる。

 

「あそこに入り江があるんだね……」

 

 ここからは、本当に何があるか分からない。

 

 だが、そこに何かがいる、という確信もあった。

 生物としての本能か、ハンターをしていて研ぎ澄まされた第六感か。

 

 自分のメインの武器である大剣「炎剣リオレウス」に自然に手が伸びそうになるのを、ぐっとこらえた。

 近くに生き物の気配がないことをあらゆる感覚で確認してから、松明の火を消す。

 そして、足音を立てないように極めてゆっくりと歩みを進めていった。

 

 月の光が差し込む場所に近づくにつれて、鼓動が速く、大きくなっていく。

 その理由が待ち受けているかもしれないモンスターに対するものだけではないことも、自分では分かっていた。

 

 ――「彼」に会えるかもしれない。

 ――「彼女」に会えるかもしれない。

 

 ――「相容れることのない二つの存在」が「一緒に生きていた」瞬間を知ることができるかもしれない。

 

 そんな期待が、今の私の心の中にある。

 幼いころの私が抱いていた願い。

 ハンターになってからはありえないことだと割り切っていた想いが、私を急かしていた。

 

 思わず早足になりそうになる。だが、

 

「……それでも」

 

 気持ちをあえて呟くことで、自分自身を律した。私がよくやる落ち着き法のひとつだ。

 武器の感覚を確かめて、深呼吸をする。重心を低く下げて、浮ついた身体を引き締める。

 

 ――今の私は『狩人』だから

 

 そう、狩人である私に雑念はいらない。五感を総動員させて敵の気配を探り、限りなく気配を消す隠密行動に、邪魔な思想が入る余地などない。

 入り江に何が潜んでいたとしても対応ができるような、万全の状態を維持しながら、さらに近づいていく。

 

 出口付近に差し掛かると、個人的な想いは鳴りを潜め、好戦的な高揚感が体全体を満たすのみとなった。

 

 ――この感覚は嫌いじゃない。

 

 ここから頭を出せば、敵のテリトリー内かもしれない。既に捕捉されて待ち伏せされている、なんてことがないとは限らない。

 一歩先がどうなっているかを知るのは自分のみだ。 

 

 すぐさま大剣を抜刀できるような態勢を取って、壁にピタリと背中をつける。そして、

 

 素早く身をひるがえして半身だけ入口に出した。

 瞬時に入り江の全体像を把握する。

 そこには――

 

「――わぁ……」

 

 自然と声が漏れて、極度の緊張に置かれていた身体が少しほぐれた。

 結論から言うと、その入り江にモンスターはいなかった。

 

 その代わり入り江には、途方もなく大きな竜の、白骨化した遺骸が鎮座していたのだ。



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第4話 つながる世界

 

 結論から言うと、その入り江にモンスターはいなかった。

 

 その代わり入り江には、途方もなく大きな竜の、白骨化した遺骸が鎮座していたのだ。

 風格が漂うその姿は、月明かりに照らされて、入り江と共に幻想的な雰囲気さえ作り出していた。

 

 直感で、「彼」だ、と思った。

 

 あの物語が実話をもとにしているというヨシの言葉も、もう疑わなかった。

 決定的な証拠が、今、目の前にあるのだから。

 

 しばらくの間、私は入り江の入口に突っ立って呆然としていた。

 その壮大な光景に見惚れていた、というのもあったのかもしれない。

 

 はっとしたときには、何分が経過していただろうか。

 長い間、無防備な状態になっていたことに気付き、すっと肝が冷える。

 だが、そのことでやっと幾分か落ち着きを取り戻すことができた。

 小さく深呼吸をした私は、入り江に足を踏み入れ、改めてその骸を観察した。

 

 

 真っ先に目を引くのはその大きさである。

 海竜種の骨格は特徴的な部分が多いので(ラギア種とアグナ種しかいない)すぐにそれだとわかるのだが……

 

「金冠サイズとかの比じゃないよねこれ……」

 

 遠くから見れば、縮尺を疑ってしまうかもしてない。

 私が狩猟した同種の個体よりも、二回り以上は大きいだろう。

 こんな大きさのラギアクルスが今も存在していたら、と思うと、小さく身震いしてしまった。

 

 

 ここまできて、遠くから全体像を見ているばかりだということに気付く。

 見物ばかりしていてはらちがあかない。現物を触ってみようと踏み出した。

 

 

 しかし、その足が不意に止まる。

 いつの間にか息も詰まっていた。

 

 ――気圧されてる。

 

 この強烈なプレッシャーはまさしく、「生態系の頂点に立つ者」であり、「孤島の覇者」のもの。

 その圧倒的な存在感に、漂わせる風格に、生き死にの境目などないのか。

 すぐさまその身を翻して駆け出してしまいたくなる衝動が、私の身を襲った。

 

「……でもね、ここまで来たら後には引けないんだ」

 

 そう呟いて、怖れを抱く本能に抗いながら一歩一歩進んでいく。

 私にだってハンターの矜持というものはあるのだ。見かけの圧力になどに屈しはしない。

 砕けて言ってしまえば、「死人に口なし」に近い考え方なのだが。

 

 

 ようやく遺体の元までついたときには、冷や汗でぐっしょりになっていた。

 別に初めての感覚ではない。眠っている大型モンスターに近づくときは、このような緊張を伴う。

 

「でも、それをまさかここでも味わうことになるとはね……」

 

 予想外の出来事に、神経がごっそり持っていかれた気分だった。

 

 いろいろあったが、ようやくこれを詳しく調べることができる。

 その骨を手で触ってみると、まだ硬質な感じが残っている。風化するほど長い年月外気に晒されていないのだろう。

 

「ってことは、死んでから10年くらいしかたってないのかな?」

 

 この入り江は風雨から遺体を守っているため、多少はは持ちがよくなったと考えると、それくらいが妥当なところか。

 これは、素材としてはかなり上質なものなのではないだろうか?

 モガ村で鍛冶屋を営んでいるアシェルダが見れば、目を輝かせて喜びそうだ。

 

 ところが、保存状態などを考慮しても不可解な点が一つ。

 

 ――どうして全身の骨格まで完璧に残っているのか?

 

 この理由を先ほどから考えているのだが、全く分からない。

 あの超大型古龍のものならともかく、普通なら死体の骨というものは一年もするとバラバラになってしまうものだ。

 いくらこれが規格外に大きいとしても、頭から尻尾の先まで骨が残っているなんて到底信じられない。

 

 逆に考えれば、白骨化した遺体に触れるものが一切いなかったことになる。

 

 モンスターの死骸が残らないのは、その肉を喰らうモンスターが噛み砕いたり、踏み潰たりするのが理由だ。

 ある程度まで砕けてしまった骨は、分解されて土に還る。

 このサイクルを繰り返すうちに、大型モンスターの遺骸さえ数か月後には跡形もなくなってしまう。

 

 そんな自然の摂理を堂々と破られては、混乱するというものだ。

 

「これの元が「彼」だったからかなあ……なんて、そんなわけないじゃん……」

 

 頭の方もだいぶ参ってきているようだ。

 無理もないよね、とため息をついた。狩猟のときよりも気を使っている気がする。

 

 いったん村まで帰って、休息をとった方がいいのかもしれない。

 

 そんな考えは、疲れた体にはとても魅力的でとても抗いきれるものではなかった。

 来た道を戻ろうと、視線を入り江の入口の方へと向けようと――

 ――そのときだった。

 

 

 竜の遺骸の首の方で、きらり と何かが光った。

 

 星の光の反射にしては、やけに明るすぎた。それだけなら気にしないで帰ってしまっていただろうとは思う。

 だが、私はその光に既視感を覚えた。

 それがいつのものであったかを考える前に、私は光った方へと歩いていった。

 

 

 そして、首の骨に、何かが吊り下がっているのに気付く。

 

「これは……?」 

 

 手に取ってみると、なかなかの重さがあった。

 擦り切れかかった紐で支えられているそれは、吸い込まれそうなほど深い藍色をしている。

 粗削りだが紐を通す穴まで開いており、星の光を跳ね返すくらい綺麗に磨かれていた。

 

 それは、まるで……

 

「誰かが作ったとしか、思えな――――!?」

 

 手に持っていたその「首飾り」が落ちる。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

   何がどうしたと私は言った?

 

    ――これを「作った」と私は言った。

 

 

   じゃあ、何がこれを「作った」?

 

    ――人か、アイルー。

 

 

   どうして、そんなものが竜の首にかかっている?

 

    ――……竜を愛していたからだ。

 

 

   こんなことが出来たのは、誰だ?

 

    ――……決まっている。ただ、一人だけ。

 

 

「――『妖精さん』だ……」

 

 

 

 相容れずも、確かな絆で結ばれていた、少女と竜のお話。

 

 物語と現実、ふたつの世界がつながった。

 

 頭の中で、いろんな想いがいっしょくたになって、溢れてくる。

 

 それは、戸惑いであるとか、懐疑心であるとか。

 

 そんななかで、唯一私が形にできたものは――――

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 今になって思えば、なんて姿を晒していたんだろう、と恥ずかしくなる。

 そんなことを考えている余裕がなかった、と言ってしまえば、まあ仕方ないとは思う。しかし、私はそれより前から、決定的なことをいくつも見落としていた。

 

 何故、遺骸には全身の骨「だけ」しか残っていなかったのか。

 

 切れかけていたとはいえ、あの首飾りが首に架けられたままの状態だった、ということは何を意味するのか。

 

 

 骨と同じく分解されにくい鱗などが、あの場所には一枚も落ちていなかった。

 これが意味するのはどういうことか。

 

 また、竜が首飾りをかけたまま死んだとしたら、外気に当てられ続けた紐は、とっくに切れていたはずである。

 それが今でも首に架かっているということから、思い浮かぶのは何か。

 

 

 この二つのどちらかにさえ気付いていれば、行き着いていたであろう事実。

 

 でも、私はそれでよかったと思っているのだ。

 

 もしあのときどちらかにでも気付いていれば、今の私はなかっただろうから。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ざりっ、という音を耳にしたときには、もう遅かった。

 

「――――っ、あぅっ!?」

 

 ダツッという音と共に、右肩の辺りに鋭い痛みが走る。――防具の繋ぎの部分に撃ち込まれた!

 

 一瞬で身に迫ってきた危機に、一気に頭が覚醒する。

 

 動揺を刹那のうちにしまい込む。そして、大剣を抜刀しながら、右肩に刺さったままの何かを引き抜こうとして――

 

 とさっ、と膝から崩れ落ちた。

 

 ――手足に、力が入らない。

 

 急速に体の自由が失われ、視界がぼやけていく。

 普通は痛むはずの肩の傷は、痺れるような感覚以外が失われてしまっている。

 取りこぼした大剣が大きな音を立てて地面に倒れるが、それさえ遠くの出来事のように聞こえた。

 

「ねむ、り……どく?」

 

 してやられた。そう思う間にも、思考はどんどん鈍っていった。

 

  ――眠り毒を使うモンスターがいたのか?

 

  ――いつの間に後ろを取られていた?

 

 命の危機にあるというのに、頭が全くついてきてくれない。

 焦りさえも、形をもって表れる前に、塗りつぶされていく。

 

 せめて、攻撃してきた相手の姿だけでも確認しよう。

 僅かに残された力で振り返った。

 

 

 

 

   それから先に見聞きしたことは、夢だと言われれば信じていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「――キミは、誰ダ?」

 

 



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第5話 限られた時の中で

 

 

「キミは、誰ダ?」

 

 

 入り江に響く、明確な敵意を持った人の声。

 聞き取りにくいが、人間の言葉だということは分かる。

 

「トウさん二、何をシていタ?」

 

 振り返ろうとしていた方から発されている、その声の主は――

 

 

 革で作ったような履物を身に着けていた。

 

 その脚は細く、たくましさを漂わせるが、どこか儚げだ。

 

 膝から上は、白地に蒼の外套で隠されている。

 

 左手には、金属質な光を放つ短剣。私の肩に刺さっているのと同じものか。

 

 垣間見える地肌は、私とは逆に驚くほど白かった。

 

 外套をつけていても分かる胸の膨らみは、目の前に立つ人が女性であることを、如実に物語っていた。

 

 背の大きさは、私よりもひとまわり小さいくらいか。

 

 そして、あるはずの右手は外套の中にあるのか、()()()()()()()()()のか。

 

 

 霞んでいく視界のなかでも、彼女の容姿は、私の心に鮮烈な印象を刻み込んだ。

 星明かりの照らす入り江という幻想的な空間で、私だけを見つめているであろう彼女が、隙なく佇んでいる。

 

 その凛々しい姿を、私は決して忘れないと思う。

 

 

 ひどく場違いな思想をしている自分に、焦りと同時におかしさを覚える。

 今この瞬間、今までの経験でも最も危ない状況に立たされているというのに。

 しかし、焦ったところでもう既に私は詰んでいるのだ。

 

 ならば、もっと大切なものに残された時間を使うべきだ。

 それがなにかも分かっていないけれど、何をしたいかは漠然と掴んでいた。

 

 

「ドコから来タ?」

 

 女性がまた言葉を紡ぐ。

 その質問の意味はしっかりと伝わるのだ。できることなら答えたい。

 

  ――モガの村、この森の隅にある集落から来たのだ、と。

 

 しかし、眠り毒がそれを許さなかった。口にしようとした言葉が、声にならずに滑り落ちていく。

 伝えたいことが、伝えられない。

 それが、たまらなく悔しかった。

 

 返事が出来なくても、目線だけでも合わせよう。そう思って顔を上げる。

 

 

 その顔は、私よりも少し幼めな少女のものだった。

 

 

 整った顔立ちと、肩に届くまで伸びた髪。その色は明るい白銀色をしている。

 

 いつもは二重瞼なのであろうその目は、今はやや細められていた。

 

 その瞳の色は、深い暗緑色。しかし、よく見るとその瞳には、困惑を湛えていた。

 

 いったい何がおかしいのだろう。

 私は、彼女の住処であろう場所に勝手に入った「敵」なのに。

 

 目の前の少女がまた口を開くが、その口調もどこか戸惑いがあった。

 

 

 「どう、しテ……泣いてイル?」

 

 

 ――言われてから、初めて、自分が涙を零していることに気が付いた。

 今も、その頬を伝う雫は止まることを知らない。

 

 目の前が滲んで見えていたのは、眠気のためだけではなかったようだ。

 

 ――こんなことにも判別がつかなくなっていたとなると、いよいよ、危なくなってきたか。

 

 そう思ったことが、引き金になってしまった。

 

 

 世界が、一気にぐらつく。

 

 片膝立ちしていた体勢が崩れて、地面に手をついてしまう。

 どうにか保たせていた自我も、急速に失われていくのが分かった。

 

 ――こんなところで、意識を失うわけにはいかないのに……!

 

 心はそう強く叫んでいるが、抗いようもない眠気が自分自身を奪っていく。

 このまま、地面に倒れ伏せたら楽になれる。

 

 もう、どうしようもない、みたいだ。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――薄れゆく意識の中で、脈略のない記憶が浮かび上がっては消えていく。

 

 

   夜の静けさに包まれたモガの村。

 

               村の広場に集まる人々。

 

     焚き木の炎の揺らめきを見つめる子供たち。

 

  物語を紡いでいくヨシの穏やかな顔。

 

             人と、竜の、不思議なお話。

 

                手渡された焼き菓子の香ばしい香り。

 

    暖簾をくぐって暖かく出迎えてくれた、ある子供の両親。

 

           ふと見上げた星空。

 

   朝早くから出航する漁船の汽笛。

 

     村を出発するときに手を振ってくれたギルドの受付嬢の姿。

 

          孤島を吹き抜ける清涼な風。

 

   生い茂る前人未踏の森。

 

              いつの間にか沈みかけていた夕陽。

 

        岩壁にぽっかり口を開けるトンネル。

 

      星明りに照らされた入り江。

 

  目の前に悠然と鎮座する竜の骨。

 

            首に架かっていた藍い首飾り。

 

                    背後に響く人の声。

 

         そこに佇んでいたのは――――

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――ここで終わらせてたまるか。

 

 

 

 ここに来て、まだ何もできていない。

 

 私は、何も彼女に伝えてはいないのだ。

 

 もう一度、手に力を込める。

 閉じかけた目を無理やり開く。

 そして、顔を上げるのだ。目の前の少女を見ろ、私!

 

 かくして、私は少女と、再度の邂逅を果たす。

 

 もう一度目を合わせた。少女の顔には、驚愕が浮かんでいた。

 もう倒れこむと、思っていたのだろう。あいにく、ハンターはしぶといのだ。

 

 それとも、私が笑っているからか。ちゃんと笑えて、いるだろうか。

 

 さあ、口を開こう。

 伝えるつもりの言葉は、ちゃんと紡がれるだろうか。

 

 でも、言わなければ、この気持ちを。

 ハンターとして、ではなく、ひとりの、「夢見ていた人」として。

 

 

 

()()』を伝えろ。

 

 

「――あいた、かった。あえ、て……うれし……かっ、た。」

 

 

()()』を込めろ。

 

 

「あり……がとう。よう、せい……さ…………」

 

 

 どさっ、という音が、耳に響く。

 地面の、冷たい感触が、私を、包み込んだ。

 もう、体は、動かない。何も、感じられない。

 

 どうやら、限界、みたいだ。

 

 ――でも、言いたいことは、伝えきった、はず。

 

 世界が、闇へと、堕ちていく。

 

 細切れになった、意識の中で、感じられたのは、

 

 

 小刻みな足音と、

 

 

 伝う涙の感触だけ。

 

 

 

 ――――あれ? わたし、は、なんで、泣いて……いたんだっ、け……?

 

 

 

 




今回はかなり短くなってしまいました。
これ以降のお話も、小分けになっていくと思われますが、ご了承ください。


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第6話 夢か真か

「――ん……」

 

 

 暖かい陽光が、私の意識を闇から引き戻した。

 随分と長い間寝ていた気がする。空気は涼しく、さわやかだ。

 だが、そんな穏やかな空気とは裏腹に私の心は何故かざわめいていた。

 

 

 ――生きている?

 

 おぼつかない思考の中で、くっきりと形を持った感覚はそれだけだった。

 まるでそれが、とても不思議なものであるかのように。

 

 なにか、とても大きな出来事があった気がする。

 でも、それが思い出せない。しかもなぜか、思い出せないことそのものが、とても甘美なものに思えて仕方なかった。

 体を横たえている場所も、固い床などではなく、柔らかさをもっている。

 このまま、もう一度眠ってしまいたくなるような心地よさに、しばらく身をゆだねていた。

 

 

 ――だが、このまま目を閉じていたところでは、何も分からない。

 そんなことを言い出すのは、私の意識のどこかの部分。

 

 「狩人」の私が、更なる情報を求めている。

 

 

 まずは、状況確認からしていこう。

 もっとまどろんでいたいという気持ちを引きはがして、私はゆっくりと目を開ける。

 

 その後しばらくの間、私はあおむけの状態のまま固まってしまっていた。呆けていたといった方が適切かもしれない。

 

 目に飛び込んできたのは、見慣れた支柱と簡易なつくりの革でできた屋根。

 そして、人ひとりが寝転がるには広すぎるスペースのあるベット。

 狩人なら、ここを知らない者はいない。

 

 

 私は、キャンプエリアに設置されたテントに寝かされているのだった。

 

 だが、どうしてここに私がいるのか分からない。

 今の私は半分、夢見心地にひたっていた。

 

 視覚情報が入ってきたことで、ぼやけていた頭がだんだんと覚醒していく。

 キャンプから見える太陽は赤く輝いている。その方向は東の空。

 どうやら、朝のようである。

 

 

 なんにせよ、まずは体を起こさなければ思考もままならないではないか。

 そう思った私は、むくりと起き上がろうとして――

 

「――いたっ!」

 

 いきなり走った痛みに顔をしかめた。

 痛みの感じた部分は、右肩の背中の部分から。

 しかし、起き上がれないほどの痛みではなく、腕の動きの阻害もそこまでないようだ。

 痛みを庇うようにして、ゆっくりと身を起してベットに座る。

 

 

 はて、私はこんな怪我をした覚えがないのだが……?

 

 しかも、何故キャンプにいたのかが思い出せな――――

 

 

 

 ――思い出した。

 

 ここにきて、ようやっと昨日と今日の記憶が連結しだした。

 当然のことながら、昨晩あったことも薄ぼんやりと覚えている。

 深い森の中で切り立つ崖の奥、ひっそりと広がっていた入り江と、竜の遺骸。

 

 

 一番の印象に残っているのは、あの少女の佇む姿だ。

 

 まるで幻想を見ているようだった。いや、あれらは夢だったのだろうか?

 いや、そんなはずはない。この記憶が真実であることは、右肩の鋭い痛みが証明している。

 

 

 そう、そうだ。あれは本当にあったことなんだ。

 私が出逢った少女は、決して夢などではなかった。

 

 そう思うと、なんだかこの痛みが愛おしくさえ思えてくる。

 

 こんなようでは、私はどこかの街にいる夢見る令嬢のようではないか。

 でも、悪くない気分だ。むしろ、清々しくさえある。

 

 何故こんなにも明るい気持ちになれるかというと、理由のひとつは今、生きているから。

 そして、私がここにいるということから考えられることはただ一つ。

 

 

 ――彼女が私をここまで連れてきてくれたんだ……。

 

 それだけで、胸がいっぱいになった。

 

 でも、今はゆっくり感慨に浸っている状況ではないし、ここはそんな場所でもない。

 さて、と一息に起き上がった私は、ようやっと自分の姿を確認した。

 

 

 予想はしていたが、やっぱりインナー姿だった。

 

 と、いうことは……おそるおそる辺りを見渡す。

 最悪の場合、ここから村まで戻るのが凄まじくきつくなるのだが……

 

 

 日の光を反射して、きらりと輝く蒼い甲冑を見つけたときには、心底ほっとした。

 同時に、同じくらい驚いた。

 今の私がインナー姿ということは、ベットに寝かせるためにわざわざ防具を外してくれたということ。

 それについてはとても嬉しく思う。しかし、しかしだ。

 

 

「あの妖精さん、随分と力持ちだね……。」

 

 

 実は私以上に筋力があるのではないだろうか?

 防具ごと、私を背負おうとなると結構な重さになる。

 装備を外されて運ばれたとしてもおかしくないと思っていた。

 

 なんだか彼女に申し訳なく思えてきた。

 きっと彼女も星明りがあるとはいえ、あの暗い森を抜けていくのはとても大変だっただろう。

 今現在ここは火竜の縄張りの中にあり、肉食獣の活動は抑制されているとはいえ、ジャギィなどと鉢合わせてもおかしくない。

 寝床にぬけぬけと侵入して、大事なものに手を出してしまった私なんかに、どうしてこんなにも親切にしてくれるのだろうか?

 

 そんなことを考えながら防具を身に着けていると、ふとあることに気が付いた。

 

 

 「肩の傷が膿んでない?」

 

 

 見えないのにそんなことが分かったのは、肩を動かしても傷口の化膿による焼けつくような激痛が来なかったから。

 患部に手を当ててみると、薄い布のようなものが巻かれていた。

 僅かに湿っているそれは、的確に傷を保護しているようだ。

 はっとしてアイテムポーチを漁ってみると、案の定回復薬の量が減っていた。

 きっと、彼女が手当てをしてくれたのだろう。

 

 

「どうして、こんなことまでしてくれたんだろう……?」

 

 

 私は、殺されてもおかしくないと思って意識を手放したのに。

 その後の彼女は、私に危害を与えることもせず。怪我の手当てまでしたうえで、私をここで寝かせてくれた。

 そんなことまでされては、まるで私は

 

 

 

 ――赦されているみたいじゃないか――。

 

 

 

 肩に手を添えたまま、呆然と立ち尽くした。

 

 ああ、もしそうだったらどんなに有難いことか。

 

 

 彼女との出会いを悔いのないものにしてもいいんだ――。

 

 

 もう一度、逢いたい。話ができるのなら、今度はしっかりと向かい合って話してみたい。

 でも、それが私に赦されているだろうか?

 

 

 答えは、否だ。

 

 

 この親切な介護は、きっと穏やかな拒絶の表れなのだと思う。

 

 私のしたことは赦されたのだろうけど、私と彼女では、生きる世界が違う。

 この世界、竜と人では決して相容れることがないのと同じで。

 

 過酷な自然な中に身を置いた彼女と、村で暮らす私では、互いを傷つけあうだけだ。

 だから、思い出としてしまっておくために私をここまで連れてきた。

 

 

「なんて、そう思うのは私の独りよがりなんだけどね?」

 

 でも、きっとその方がお互いのためだと思う。

 そっと肩に添えていた手を放して、私は自らの相棒である大剣を手に取ろうとした。

 

 

「――あれっ?」

 

 そして、「炎剣リオレウス」が手元にないことに気付いた。

 

 二度の撤退と三度の突撃を繰り返し、二日間にも渡る激闘の末に倒した空の王者リオレウス。

 その骨髄や牙をふんだんに用いた、荒々しい紅の大剣だった。

 

 慌てて周囲を見回してみても、それらしきものは見当たらない。

 と、いうことはつまり、

 

 

「あの入り江にまだ置かれたまま――?」

 

 いや、考えてみれば仕方のないことだろう。

 あの大剣は、へたをすればあの少女の身の丈以上もある。

 そして、その大きさに違わず、かなりの重さをもっているのだ。

 流石に私とあれを一緒に運んでいくことは出来ないと思う。

 

 しかも、私にはまだ頼もしい愛剣がある。

 

 大剣の立ち回りに幅を広げるために所持している近接戦闘武器。

 

 砂漠色に染まった片手剣「サーブルスパイク」は今も腰防具にしっかりと固定されている。

 砂原に住む竜巻の主、ベリオロス亜種の素材からできた、切れ味鋭い両刃剣だ。

 

 

 「炎剣リオレウス」が手元から無くなってしまったのは大変だが、私は片手剣でも何とかやっていける自信がある。

 普段の私は、大剣をメインとして間を縫うように片手剣を使う。

 太刀筋と打点攻撃力なら、メインで片手剣を使っている人にも負けない自信があった。

 「サーブルスパイク」なら、戦闘の主体に立ち替わっても十分に力を奮ってくれる。

 

 

そして多分、あの剣は遠からず戻ってくるだろう。

 

こうして私を運んできてくれたということは、あの剣だってきっと例外じゃない。

無責任な言い方かもしれないけど、返ってくるのを待っていた方が、自ら取りに行くよりよっぽどいいと思う。

 

 

 そんなことよりも、村の人たちに「炎剣リオレウス」のことをどう説明するかが問題だ。

 うまく隠し通せるか分からないけど、この間に難しいクエストが入ってこないことを祈るばかりだ。

 

 

「――ん?、村と言えば……って私森に入って何日目!?」

 

 

 考え事をしていたせいで、時間のことをすっかり失念していた。

 

 村を出てから換算すると、一日以上が経過していることになる。

 これはまずい。森が荒れているとき以外は、基本私は一日以内に戻ってくる。

 村の人たちが心配しているかもしれない。早く帰らなければ!

 

 手早く荷物の準備を済ませ、軽いストレッチをする。

 全身をほどよく伸ばした後に、防具の可動域を確認。

 最後に大きく深呼吸をして、意識も「狩人」のものへ移行する。

 

 

 そして、一息にキャンプから飛び出した。

 いろいろと考えないといけないこともあるけど、今は後に置いておく。

 

 なんだか村に戻るのが久しぶりな気がする。いろんなことがありすぎたからだろうか?

 一日しか経っていないのに、一週間近くかけて遠くの地域でのクエストをこなしてきた帰りのような気分だ。

 

 

 こんな風に思えるのも、彼女が私と出逢ってくれたから。

 

 そういえば、あのときの「ありがとう」は伝わっているだろうか?

 

 

 ――伝わってたら、いいな。

 

 

「よしっ」

 

 じゃあ、一歩を踏み出すのだ。

 絶対に起こりうるはずのなかった幻想を、この目で見たものとして胸を張って。

 

 

 ――その後姿に、誇るように携えていた紅い大剣はない。

 

 




主人公の女の子はなかなかにドジですね。
主に私の文章力のせいなのですが。


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第7話 第二の故郷

 

 木漏れ日の差し込む森の昼下がり。

 いつもなら鳥や獣に泣き声で溢れているその森は、今は鳴りを潜めている。

 代わりに、深い森には似つかわしくない激しい音が、その場を支配していた。

 大きな咆哮が木々に木霊する。その場所を中心にして木々の折れる音もあった。

 

 一般の人間が聞けば即座に退散するであろう、明らかな戦闘音である。

 

 騒ぎを引き起こしているのは、ここ周辺の森の番人「アオアシラ」、別名「青熊獣」。

 大型種ほどではないが、確かな殺傷能力を持ったモンスターだ。

 その自慢の腕で木々をなぎ倒しながら、何かを執拗に攻撃している。

 

 そして、そのすぐそばで凶暴な獣相手に立ち回る一人の人間の姿もあった。

 身に着けている蒼い鎧と、短く結われた髪、背中に携えられている大きな剣を見れば、誰もがそれがハンターの女性ということが分かるだろう。

 その女性以外に人の姿はなく、今この場を支配しているのは一人と一匹だけだった。

 

 この戦いが始まってから半時間が経過している。

 既にその「狩猟」は終わりを迎えようとしていた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 軽く伏せながら一歩身を引き、頭上から襲い掛かる屈強な一撃を避ける。

 その爪が空気を裂いていく音を聞くと、後ろに傾いた姿勢を利用して地面を蹴り、一気に距離を取った。

 

 対象を捉えきれなかった相手は腕の勢いを殺しきれず、バランスを崩したようだ。

 その姿も見て、私はほんの少しだけ体を緩め、張りつめて浅くなった呼吸を整える。

 追撃はしかけない。今ここで無理をするよりも、狩猟全体の流れを見据えて気持ちを静めることの方が大事だと思った。

 本当に僅かなレストタイム。軽視してしまいがちなこれは、ソロの狩猟のときには絶対に必要な時間だ。

 

 だが、相手だってそう甘い相手ではない。すぐさま態勢を立て直し、確かな殺意を持った目でこちらを見据えてきた。

 再び張りつめた空気が敷き詰められ、様子見という名の均衡状態が始まる。

 

 狩猟そのものの流れは、私の方にあると思う。

 私の方は、特に大きな怪我もなく、いくつかの打撲のみで済んでいる。装備品も問題はない。

 対してアオアシラの方は、いくつもの切傷を体に刻まれ、止血が間に合っていないところもいくつか見受けられる。消耗も大きいようだ。

 安定した「狩り」はできているが、まだまだ油断は禁物だ。

 相手はまだ、こうやって強い意志をもってこちらを見てきているのだから。

 

 

 目線と目線のぶつけ合いになった。負ける気はさらさらない。

 しかし、相手はモンスター。私自身の精神的な消耗が大きくなってしまう。そして、戦闘を長引かせるのは得策ではない。

 初動は、私から切り込もう。

 

「――みんなに会いたいな。」

 

 小さく唄うように呟いた。

 と、同時に身をかがめ、細い木々を縫うようにして突貫する。

 柔らかい腐葉土にしっかりと足を踏み込み、強く蹴りだして加速度を得る。

 

 さっきの独り言は、相手を欺く布石だ。

 予想道理、どんな動作も見逃すまいと私を見ていたアオアシラは、口元に意識を集中させていたせいでとっさの反応が遅れた。

 見出した、わずかな隙。この瞬間を待っていた。

 ここでは、スピードが命。

 この一瞬で、アオアシラとの距離を詰めるのだ。

 

 モンスターの正面に向い合って正々堂々と戦うなんてことは、どんなに屈強なハンターでもできはしない。

 人間の武器は、その軽いフットワークと巧緻な策略、手にしている多彩な武器である。

 これらの「技術」で相手を翻弄させることで、ハンターは勝利を手に入れる。

 

 不意を突かれた生物が取る行動は、モンスターでも人間でも同じだ。

 それはすなわち、反射反応と呼ばれるものである。

 これによって繰り出される反撃はなかなかに厄介で、こちらを的確に捕捉してくる。

 

 が、その単純さが反射の弱点だ。

 反撃が来ることを予知していて、かつ太刀筋が読めていれば、避けることは造作もない。

 たとえ、突進のスピードを保ったままであっても、だ。

 

 風になったかのように移り変わる視界の中で、巨体が手を振り上げたのを捉えた。

 とっさに、重心を右斜め前にずらす。

 

 私の上半身を掴みとるように振られた右手の一撃を、右方向に体を反らしながら左手をつき、スピードはそのままに前転回避して避けた。

 私の僅か数十センチ横で、野太い風切り音が響いた。それを聞くと同時に、素早く体を切り返す。

 突進の速度を殺さず、二撃目が来る前に至近距離に駆け込み、腰に掛けた片手剣を抜刀。

 半ば勢いに任せるようにして、その巨体を通り過ぎながらその刀身を閃かせた。

 

 振り切ったその手に沿うようにして、血飛沫が飛ぶ。

 

 片手剣「サーブルスパイク」はその切れ味も優秀だが、その一撃の殺傷力を上げるためにいくつかの返し刃がついている。

 一撃の重さはそこにはないが、確かな痛手を与えられるその形状、何より重量よりも剣閃の速さに重きを置いた設計に、私は惚れ込んだのだ。

 

 そして、そんな信頼のおける剣の一撃は、深く相手の肉を切り裂いていた。

 青熊獣がくぐもった苦悶の声を上げる。

 

 しかし、それは致命傷には至らない。

 アオアシラは大きくたたらを踏んだものの、怖気づくより、むしろ憤怒の気配を漂わせていた。

 猛然とした咆哮を上げ、私が通り過ぎた方向へと振り返る。

 ()()()()()()()()方向へと振り返る。

 

 

 片手剣を振り切った刹那の後に、私は思い切り体をひねって、再度アオアシラの方向に体を向けた。

 止まらない突進の勢いのベクトルを抑え込み、制御することに、全身の意識を傾ける。

 進行方向とは逆の向きに足を踏み込み、突っ張り棒にする。その強い圧力に、土が足首までめり込んだ。

 体が持っていかれないように、腹筋を使って踏み込んだ脚と体の軸を合わせる。

 結果、斜め向きにばねのように力をためる形で、アオアシラの背後の位置を取った。

 ここまでにかけた時間は、一秒あるかないか。

 

 かなり強引なやり口で、かかる負荷も相当なものだが、勢いに任せれば、案外うまくいく立ち回りだ。

 たとえ失敗してバランスを崩してしまったとしても、すぐに相手の懐から離れることだってできる。

 そして今のように制御できれば、その不自然にためられたエネルギーを解放して、いつもの私以上の一撃を繰り出せる。

 

 アオアシラが体勢を立て直したようだ。瞬きもしないうちにこちらに振り返るだろう。

 だが、その一瞬が私の最大の攻撃チャンスだ。

 捻りのために、弧を描くように回した左手を、私の本命の武器の柄へと握らせた。

 姿勢制御と同時に片手剣の血糊を振り払っていた右手も、片手剣の納刀後、滑らかに左手に沿わせる。

 

 アオアシラがこちらに向き直る寸前、脚と丹田に込められた力を一気に開放し、爆発的な推力を生み出す。

 そして、楔を外すように、背中に携えられた()()に輝く大剣を抜刀、その重量を生かすため、全力で()()()()()()

 

 

 ざぐん、という音と共に飛んできたのは、大量の血飛沫。同時に、アオアシラの断末魔のような咆哮も聞こえた。

 その勢いのままに地面に突き刺さった大剣を素早く抜き取る。

 血をかぶってしまわないように、そして、反撃を避けるために、斜め前方向に抜刀したまま前転回避した。

 

 しかし、その必要性はもうなかったようだ。

 パニックに陥ったアオアシラは闇雲に逃げようとしたものの、その肩口に新たに刻まれた、腕を切り落とすほどに深い裂傷が致命傷だった。

 暫く立った後、どさりと地面に伏し、しばらくもがいた後に悲痛な声を上げながら動かなくなった。

 

 クエスト「青熊獣を狩れ」完了である。

 

 

「――ふぅ……」

 

 小さく息を吐いた。これで、依頼は達成したことになる。

 ただ、この戦闘音や血の匂いに誘われて、モンスターが現れないとは限らない。油断は禁物だ。

 気を抜いて背後から迅竜に襲われたりしたら目も当てられない。

 

 とりあえず、倒した青熊獣の解体作業から始めなくては。自然分解の早い肉はともかく、甲殻や剛毛など有用な素材は早く切り出さないといけない。

 解体して手に入れた素材は、その場のどこか目立たないところに置いておき、あとでアイルーたちに運ばせるのが普通だ。

 肉食モンスターたちは骨や甲殻になど目にもくれないので、綺麗にしておけば取られることもない。

 

 さて、と呟いて、両刃の大剣についた血糊を振り払う。

 それは、長年の私の相棒「炎剣リオレウス」ではない。まだ、返ってきてはいなかった。

 

 そのかわりに使っているのは、かの古龍の角を削り出して作られた、新しい私の一振り「海王剣アンカリウス」だ。

 炎剣に負けない切れ味と、屈指の耐久力を誇る、世界にただ一つしかない剣である。

 この大剣を身に着けたまま街を歩くと、珍しいものを見るような目で見られるので恥ずかしいのだが、実用性は確かなもので、私の立ち回りにも合っている。

 

 そんな頼もしい新人を納刀して、片手剣をいつでも抜刀できるように周囲を警戒しながら解体を始める。

 今は昼過ぎなので、明日の朝になれば漁船に乗って村まで帰ってこれるだろう。

 ここは孤島近くのギルド管轄地になっている森の区域だ。

 

 「いつ戻ってくるんだろう……もう返してくれないのかな?」

 

 甲殻の隙間に剥ぎ取りナイフをすべり込ませながらそんなことを呟く。

 そろそろあの剣もメンテナンスが必要になってきていると思うのだ。

 

 既にあの出来事が起こってから二カ月。

 あの場所へもう一度踏み込む勇気も、そんな暇もなかった。

 しかし、この狩猟が終われば、久しぶりの休日に入ることが出来る。

 

 炎剣さえ返ってきていればこんなに思い悩むこともなかったとは思うが……

 

 悶々としながらも、静かに手を動かし続けるのであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 昨日ささやかに願っていたことが叶ったのか、手早く帰る手続きを済ませることが出来た私は、その日のうちに漁船に乗ることが出来た。

 水平線から除く朝日が、空を真っ赤に染めている。

 もともと潮風は好きだった。波に合わせるように大きく揺れる船の上でも、すっかり慣れてしまってくつろげている。

 ふと甲板の方を見てみると、漁船の主人が縄をたたむ作業をしていた。

 と、相手の方もこちらに気付いたようで、笑顔を浮かべてこちらに声をかけてきた。

 

「やーハンターさんよい、いい朝ですなあ!」

 

「おかげさまでー! 波が荒れてなくて助かりました!」

 

 海上での会話なので、お互いに声を張り上げる。

 

「今回はほんとにあんがとな―! 狩り以外でも漁の手伝いまでしてくれて!」

 

「いえいえ、気にしないでくださいねー! でも、あんなに大漁になるなんてすごいですね!モガだったらお祭り騒ぎですよきっと!」

 

「がはは、経験じゃ負けるつもりはないです!」

 

 今回クエストの依頼をしたのはこの人の父だという。

 彼のいる村には専属ハンターがいないため、ときどきこうやって依頼が回ってくるのだった。

 こうした、いくつもの極小規模の村々が集まって、「孤島及びその周辺区域」という狩場は成り立っている。

 モガ村は、その中でも比較的規模の大きな村である。

 

 現在、そのモガ村の村付きハンターも私しかいない状況だ。

 そのため、緊急時に私がいないと、港町タンジアからのハンターの派遣を待つほかなくなってしまう。

 そうなってしまっては、狩場に近い村そのものが被害を受けてしまう可能性だってあるのだ。それだけは避けたい。

 

 ロックラックの教習所で訓練を受けてモガ村へとやってきた私だが、あそこは、もう第二の故郷と言っても差支えないくらいだ。

 私は、温和な人柄である村の人たちが大好きだった。狩りから戻ってくるたびに、帰ってきたことを実感させてくれるあの広場も好きだ。

 また、どんな災厄にも屈することなく、むしろ立ち向う強かさを持っている。

 そして、人間と「海の民」が手を取り合って生きているのが、たまらなく嬉しかった。

 

 人間は、大陸から移住してきた人種だ。対して海の民はもともとそこに住み着き、水中での狩りを行ったりする人種で、手に水かきなどがついている。

 現に、今のモガ村の村長が海の民だ。鋭い洞察力と、思い切りの良い指揮で村をまとめている豪胆な人である。

 

 

 二か月前のあの出来事のときには、自分自身軽率な行動をしてしまったと深く反省している。

 いくら混乱していたとはいえ、命を危険にさらすことが狩猟以外にあってはいけない。

 今でもあのことは誰にも話していないが、もう二度と無防備な姿を晒すことはしないと心に決めた。

 心残りなのは、あの愛剣の行方だけだ。

 

 

 漁師との雑談をしているうちに、モガ村が近づいてきた。

 モガ村は一見すると海に浮かんでいるように見えるが、冗談ではなく本当に海の上に浮かんだ村なのだ。

 沖まで長く長く続く桟橋が、もう近くにあった。

 

「もう少しでつきますよ! 用意しましたかー!」

 

「大丈夫! です!」

 

 さて、帰ってくるのは二日ぶりだ。まずは、ご飯をお腹いっぱい食べようと思う。

 

「お腹がすきましたねー! 早くご飯にありつきたいです!」

 

「はははっ! ハンターさんは女なのに大飯くらいか! 悪くない! そうでなくっちゃな!」

 

 

 今日は子供たちにどんな土産話をしてやろうか――。

 そんなことを考えながら、私は船から身を乗り出して朝焼けに輝くモガ村を見ていた。

 

 

 




主人公の女性はソロの上位ハンターです。
狩れるハンターの方が少ないラギアクルスの防具を身に纏い、見たこともない大剣を携えていれば、街中で注目されてしまっても仕方ないですね。
それは多分羨望の目線だと思うのですが……本人は気付いていないようです。

さて、今回感想のリクエストに答えまして戦闘描写を組み込んでみました。
やっぱり苦戦しましたが、書いていてとても楽しかったです。
おかげで本編の方が全く進んでいませんが……(汗)
小出しにして出しているので、完結後にまとめるつもりです。

不自然な描写やよくわからない展開等あれば、感想やメッセージで指摘してくださると助かります。
それでは、また。


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第8話 狩人と受付嬢

 村が見えてから数分で、漁船は桟橋に到着した。

 

 ととん、と甲板から桟橋へ飛び降りた私は、漁師と共に荷物の積み下ろしを済ませる。いくつかのアオアシラの素材と私の手荷物だけだったので、作業はすぐに終わった。

 彼は、すぐに自分たちの村まで戻らなければならないようで、手早く出航準備を済ませて戻っていった。

 

「それじゃあな、ハンターさん! またよろしく頼む!」

 

「ええ、貴方こそお気をつけて! 『海の民の守護のあらんことを(エク - エンクン - サラシェ)』!」

 

 最後に私が言った言葉は、この辺りに伝わる、海へ出る男たちへ女性が贈る古くからの祈りの挨拶だ。どうやらしっかり聞こえていたみたいで、笑顔で手を振りながら、彼は再び沖へと向かっていった。

 暫くその姿を見送っていると、入れ替わるように別の漁船が現れ、力強い汽笛を響かせる。先日から漁に出てきた船が戻ってきたようだ。

 この汽笛の音が聞こえると、村人はいつもより早く起床する。水揚げされた魚は傷みやすいので、近場に住む村娘が総出で捌いて塩漬けにするのだ。

 

 さて、私も村に戻ってクエストの達成報告をしなければならない。

 戦利品の入った革袋を持ち上げて、私は目覚める直前のモガ村へと歩き出した。

 

 

 住宅が近づいてくると、やはり汽笛の音で、周辺の村人はいつもより早く起きだしたようだった。そのうちの一人が桟橋を歩いてくる私に気が付き、少し驚いたかのように声をかけてきた。。

 

「まあ、お帰りなさい、ハンターさん。今の汽笛はハンターさんが帰ってきた船のものなのかしら?」

 

「ううん、私が乗ってきた漁船はもう引き返しちゃった。入れ替わりで戻ってきてる船があるよ。多分グラゼルさんだと思うんだけど……」

 

「あらっ、本当? 今回は戻ってくるのが早かったわねえ。グラゼルのならもっと人手を呼ばないと!」

 

 そう言って、女性は駆け足で村まで戻っていく。今日の朝の広場は賑やかになりそうだ。

 彼女の後姿を追いかけながら階段を登り、広場まで辿りつくと、たくさんの村人たちが私に声をかけてきた。

 

「よう嬢ちゃん! 狩りはうまくいったか?」

 

「おかえり、アイシャが首を長くして待ってるわよ? 早く行ってあげなさいな」

 

「お疲れさん。今日はゆっくり休んでくれよ」

 

 そんな朝から明るい人たちに、笑って返事をしながらある場所を目指す。そこは、ギルドハウスという少し大きめな建物だ。

 モガの村は狩場に近い位置に存在するため、タンジアやロックラックから来たハンターたちがここで手続きを行うことも多い。そのため、個別にギルドの支部が置かれている。

 ここの支部はかなり簡易的なつくりをしていて、晴れの日は外からでもカウンター越しに手続きをすることが出来た。

 そこに常駐して働いている職員はただ一人だけなのだが、当人はこちらに気が付いたらしく、大きく手を振っている。

 

「あ、おかえりなさーい! ハンターさん! 二日ぶりですね~!」

 

 その職員というのは、私の親友であり、ギルドの受付嬢でもあるアイシャなのだった。他の村人より早起きして仕事をしていたようだ。

 年齢は私と同じくらいで、赤い色をしたハンターズギルド受付嬢の制服を身に着けている。褐色の肌と短く切って流した黒髪、ぱっちりと開いた目がはつらつとした印象を与える少女だ。

 

 実はこの若さで受付嬢になるための厳しい試験を突破した才女なのだが、そのことを全く感じさせない明るい性格と、本当にギルド職員か疑われる属性がある。それは何かというと……

 

「さて、知る人ぞ知るハンターさんのことですから、今回のクエストも成功でしょう!」

 

「いや、私そこまで有名じゃないと思うんだけど……まあいっか。はい、アオアシラの素材だよ」

 

 そう言って、革袋の中から青熊獣の腕甲を取り出した。密度の高いずんとした重さのあるそれをカウンターに置く。早速アイシャは鑑定を始めた。

 

「――――はい! 間違いなく討伐したアオアシラのものですね! お疲れ様でした!」

 

 そう言ってにっこり笑った彼女は、クエスト依頼紙へ私にサインして、報奨金の入った小袋を手渡した。これでクエスト完了である。

 後は事後報告となる。メモに羽ペンをさらさらと走らせながら、アイシャは私に尋ねた。

 

「今回の狩りはどうでした? 特に問題はなかったでしょうか?」

 

「うん、イレギュラーもなくて、狩場も安定していたみたい。ちょっとファンゴが多かったから適当に何匹か間引いてきたよ」

 

「ほいっ、了解です。……ファンゴ数頭討伐っと」

 

「そういえば、上位のアオアシラにしては強かった気がした。なんだかすごいタフだったし」

 

「んんっ? やっぱりでしたか」

 

 はて、やっぱり、というのは何か事情を知っているのだろうか。彼女の方を見てみると、しまった、という顔をしている。まさかとは思うが……

 私はずいっとカウンター越しの彼女に迫り、疑いの視線を放ちながら言った。

 

「何か、隠してるでしょ」

 

「い、いやーそんなことないです。私は何も知らないしがない受付嬢なのですよ。…………ですからっ、そんなに怖い目で見ないでさい~~!」

 

 勘弁してください、と言ったように身を縮こまらせているアイシャ。ちょっと可愛いと思ってしまったけれど、ここで妥協はしない。

 

「……ハンターズギルド基本条例その六、『ギルドとハンターは常に互いに信頼のおける関係を維持しなければならない』」

 

「そ、そんなことまで覚えているなんて、モガ村のハンターさんは博識ですね~」

 

「話をはぐらかさないっ!」

 

「――うぅ、そのぉ、あのですね。実はあのアオアシラ、以前にも二人の上位ハンターさんたちが狩猟に臨んでいたみたいなんです。ですが、あっさり返り討ちにあってしまったらしく……一人が重傷を負っています。本人は自分たちの油断だと言っているようですが、もしかしたら、G級だったのかもしれませんね~」

 

 G級と上位ではクエストの危険度も希少性もG級の方がよっぽど高くなる。普通G級のモンスターにソロでは挑まない。

 今回のアオアシラは、予想以上にタフだった。それが蓋を開けてみれば、ギルドの監視がつくくらいの個体だったという話。確かにG級なら考えられる話だ。しかし。

 

「……それ、いつの話?」

 

「えっと、ギルドからこの報告が来たのが三日前でしたから……ハンターさんがこのクエストを受注するちょっと前……です……」

 

「じゃあなんで私にそのこと伝えなかったの!?」

 

「ご、ごめんなさい!届いた書類を開けるのが億劫で確認してませんでしたー!」

 

 私の剣幕に圧されたのか、両手を合わせて「ごめんなさい」のポーズをとるアイシャ。

 

 そう、彼女はドジというかなんというか、すごく天然なところがあるのだった。

 私が初見のモンスターを何とか捕獲して戻ってきた後に、そのモンスターの特徴を伝えたり、タンジアで開かれる会議に遅刻したり。

 挙句の果てには、こうやってクエストの内容さえ間違ってしまう。大都市ロックラックのギルド受付でこんなことをやらかしたら、首が飛びそうな気がする。

 

「――――は~、まったく……今回は相手がアオアシラだったからまだいいけど、狩猟環境不安定なんてこともあるんだからね? そんなときにミスしたら凄く危ないんだよ?」

 

「……はい、反省してますです……」

 

「次からは気を付けるようにっ」

 

「分かりました。以後留意します!」

 

 さっきまで小さくなっていたのに、今はちゃっかり敬礼までしている。……本当に分かったのだろうか?

 こういった切り替えの早さもまた、彼女の特長の一つだ。だけど、私個人としてはもっと反省してほしかった。

 

 まあ、何があろうとクエストは達成したのだ。ここに長居するよりも水揚げの手伝いに行かなければ。少しの間雑談をした後、私が自室に戻ろうとすると、アイシャが私を引き留めた。

 

「ちょっと待ってください、ハンターさん。――お昼過ぎから、時間ありますか?」

 

「え? えーと……空けようと思えば空けられるかな」 

 

 午後からは農場に顔を出そうかと思っていたのだが、少しぐらい遅れても問題ない。だだ、アイシャから直々のお誘いとなると……その内容がとても気になるところだ。

 何か個人的な用事でもあるのか、もしかして、「少々」訳ありのクエストでも押し付けられるのだろうか……。

 狩猟から戻ってきた直後に、休む間もなく新しい依頼を受けさせられた過去の記憶が蘇った。

 

「いや、そんなに身構えないで下さいよ。私ってそんなに信用ないんですか……?」

 

 アイシャがショックを受けた表情でこちらを見ている。

 

「うん、その内容が信用できないのであってアイシャは信じてるから大丈夫だよ」

 

「それって結局私が信用ないってことになるのでは……? ああもう、この話は置いておいてですね、久しぶりにハンターさんとお話ししたいなーと」

 

 無理やり話題をそらせながらも、アイシャはそんな提案をしてきた。確かに、最近談笑することもそんなになかった気がする。

 

「なんだ、そういうことだったら大丈夫。なんならお昼も一緒に食べようか?」

 

 アイシャは私と同い年で、その職業柄私と話す回数が自然と多かったことから、私がこの村にやってきてすぐに話し相手になってくれた。今となっては、相談事をしたり一緒に街に行ってみたりと、かけがえのない存在になっている。

 そんな彼女だが、今の私の提案がとても嬉しかったようだ。目を輝かせてカウンターから身を乗り出てきた。

 

「そうですね、そうしましょう! グッドアイデアですよ! ――まさかおごってくれたりします?」

 

 その剣幕に、私はちょっと引き気味になりながらも、頷いて答える。

 

「う、うん。『シー=タンジニャ』程度なら大丈夫だと思うけど……」

 

「シー=タンジニャ」は、ギルド支部に隣接している小さなレストランだ。

 そこのコック長はアイルーが勤めていて、料理の値段は少し高めだが、文句なしに美味しいことで有名な食事処である。

 私の返事を聞いて、彼女は両手を上げて盛大に嬉しがった。

 

「~~~~っ、やった~~! ハンターさん太っ腹! 久しぶりにあのお店のちゃんとした料理を食べられます……!」

 

 そういえば、以前アイシャは「私は食事はいつも『シー=タンジニャ』のまかない飯なんですよ。あと100ゼニー給料がアップすれば、そんな生活から抜け出せるんですが……」と言っていた。

 あの店のコック猫の腕前は相当なものだから、まかない飯でも十分においしいと思うのだが、食いしん坊のアイシャには物足りないようだ。

 

「じゃあ、お昼前にもう一回こっちに来るから。仕事の方は大丈夫?」

 

「はいっ! 俄然やる気が出てきました! いつもより五割増しペースで頑張るので気にしないでください!」

 

 そう言って彼女は腕まくりをすると、猛然と羽ペンを動かし始めた。恐らく「月刊 狩りに生きる」の執筆だと思うのだが、あの調子ならきっと大丈夫だろう。

 あのアイシャが、大陸全土のハンターに読まれている月刊誌の記事を書いていることを知ったときには、本人に確認を取りに行くぐらい信じられなかったのだが。

 そしてアイシャの記事を読んだハンターも、まさか彼女がお昼ご飯の値段に一喜一憂しているとは思うまい。

 

 ご飯の話をしていたら、今の私はすごく空腹だったのを思い出した。この時間はまだ酒場などは空いていないから、自宅に帰って何か作ろう。

 アイシャに別れを告げてから、報酬金の入った袋をポーチに入れて自宅へと戻った。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「ぷは~っ、お腹いっぱいです。流石にちゃんとした料理となると味が引き立ちますね!」

 

「うーん、私はまかないを食べたことないからよく分かんないけど……」

 

 でも、文句なしに美味しいことは確かだと思う。タンジアにある本家のレストランと比べても全く遜色がない。モガ村の食材だけでこのレベルのものが作れるとは本当に恐れ入る。

 

 「いや、でもまさか『お食事券』を使っていただけるとは思いませんでした! いろいろと大判振る舞いさせてもらって恐縮です」

 

 「別に気にしなくていいよ。他のハンターと狩りに行く前くらいにしか使わないから余りがちだし、一人だともったいないしね」

 

 私たちは今、食事処「シー=タンジニャ」の端の方のテーブルに腰かけている。

 先ほどアイシャと一緒にお食事券(無料券)を提示した時には、「これじゃあ元が取れないニャ」とコック猫に泣き言を言われた。私たちが二人そろって大食いなのは認めるが、それでもちょっと失礼だと思う。

 モガ村は食料資源に関してはとても恵まれているのだから、ここで楽しまなければ損をする。

 

 なにはともあれ、久しぶりのご馳走に満足した私たちは、椅子に腰かけたまましばらく談笑していた。

 村の子供たちが村長の息子に悪戯をして大目玉をくらったことや、若い海女が見つけてきた特大の紅サンゴの話など……私が狩りに行っている間にも村ではいろんな出来事がある。アイシャは職場に寝泊まりしているので、そういうことをよく知っているのだった。

 

「――それでですね、その紅サンゴは貿易船の船長を介して希少特産品として出すことにしたみたいなんですが、その女の子、サンゴの一部分だけ削ってもらって綺麗に磨いてですね……ある男の人にプロポ-ズしたみたいなんです!」

 

「ええっ!? す、すごく活動的だねその女の子……普通だったら逆じゃない?」

 

 正直なところ、その男の人は幸せ者だと思う。断言してもいいが、モガ村の娘に「外れ」はいない。性格、容姿両方を見てみても、だ。

 

「そうでしょうか? 押しが強い方が勝つんですよ結局! ともかく、なんだかんだでお二人は結婚することになったのですが……結婚の儀式に行ってみます?」

 

 それでいいのか青年よ、と思わなくもなかったが、純粋に祝いに行くのなら時間が許す限り行ってみたいところだ。

 だがしかし、アイシャは違う、顔に出ている。

 

「――おいしいものが食べたいだけでしょ」

 

「てへへ、ばれちゃいましたか」

 

 食べることしか考えていない。

 よくもまあこんなんであの羨ましい限りの体型を維持できるのか。ちなみに、私は筋肉がついてしまっているため、それについてはとうに諦めている。

 

 もう、と二重の意味でため息をした後、今の時間を確認すると、まだ随分と余裕があるのが分かった。もう少しここにいても問題なさそうだ。

 そう思ってアイシャの方に視線を戻すと、ふと彼女が真面目な表情をしているのが見えた。ちょっと珍しい。

 

「アイシャ、どうしたの? 心配事とか?」

 

「え、あ、いえっ! ちょっと考え事を……心配事といいますかなんというか、別に気にすることでもないと思うんですが……」

 

「うん? まあ気になったことなら言ってみなよ。アイシャらしくないよ?」

 

 そう声をかけると、彼女はなんとなく迷うそぶりを見せた。本当は結構気になっていて、でも言いにくい、といった感じか。

 黙り込む彼女を見ることなんて実に稀なので、根気よく待っているとようやく口を開いた。

 

「……ぅーん、えっとですね。最近のハンターさんを見てて思ったことなんですけど……」

 

「え、私? なんかしたかな。それで?」

 

 最近の私と言えば、特に体調が悪くなったわけでもなく、目立った行動もしていないのだが……。

 

 いや、確かにひと月前、ちょっとでは済まされない出会いをしてしまったわけだが。

 あの邂逅の瞬間が、ふと蘇った。少しだけ、心臓がはねる。

 その動揺が顔に現れないように慌てて真面目な顔を取り繕って、アイシャの発言を待つ。

 

 でも、アイシャの次の言葉には、返す言葉もないくらい焦った。

 

 

「ええと、単刀直入に言いますと……ハンターさんの持ってた赤色の大剣はなくなってしまったのでしょうか?」

 

 




この作品の趣向からは外れていきましたが、一番書きたかったキャラが出せたのでほっとしています。
今まで出会ってきたモンハンの世界に住んでいる人々の中では一番好きかもしれないです。
あの娘にあんなお願いされたら(ネタバレ)モチベーション振り切ってしまいますね!
次点でコノハさんとかでしょうか。
皆さんはどんなNPCがお気に入りですか?

何としても今期中には完結させたいので今のままのペースで頑張ります。
それでは、また。


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第9話 その瞳には

「ええと、単刀直入に言いますと……ハンターさんの持ってた赤色の大剣はなくなってしまったのでしょうか?」

 

「――ん、というと? どうしてなくなったなんて思ったの?」

 

 どうにか心の動揺を悟られないようにしながら、はぐらかすかのように少し的を外した質問返しをした。自分自身いつかは訊かれるであろう質問だと思っていたから、切り替えし方は考えている。

 アイシャは、その返しの意図に気付いているのかいないのか、それとなく私を見つめながら戸惑うように言った。

 

「いや、ただ単純に最近あの大剣を背負っているハンターさんを見てないなーと思って。でも結構前の話ですけど、ハンターさん言っていたじゃないですか。「これから作ってもらうやつは両刃剣だから、今使ってる大剣と使い分けが出来る」って。工房のアシェルダさんも「炎剣に負けない一振りだ」と言っていたので、片方ばかり使っているのはなんだかおかしいと思ったんです」

 

 そういえば、ふた月ほど前にそんな会話をしていた気がする。日常の何気ない雑談だったのにしっかりと覚えられていてはたまらない。

 ここで沈黙してしまうのは、炎剣が手元にないことをほぼ認めてしまっているも同然なのだ。しかし、ここまで察されるともうそんな心配も無意味に思えてきた。

 アイシャは口を閉ざしてしまった私を気遣うようにして、笑顔を浮かべながらおどけるように言った。

 

「結局、一番の理由はハンターさんがあんなに大事にしていたリオレウスの大剣を手放す、というのがどうしても想像できなかったからなんですけどね!…………で、実際のところはどうなんですか?」

 

 これは無理だ。どうやっても隠し通すことなんてできない。私はため息をついて両手を上げた。

 

「降参。アイシャの言う通り私の『炎剣リオレウス』は今手元にないよ。――いつから気付いてたの?」

 

「――えっ、ほんとですか!? あの大剣なくしちゃったんですか!? てっきり呆れられると思ってたのに!」

 

 

 ……察してなんかなかった。そういう女の子だった……。

 

 彼女は心底驚いたような顔を浮かべて口を手で覆っていたが、やがて少し怒ったような口調でまくしたててきた。

 

「もうっ、なんで隠してたんですか! いつからって、丁度ひと月ぐらい前からですよ。別に気にすることでもないのかなーなんて思ってでもやっぱり気になって尋ねてみたら案の定ですか!」

 

「ご、ごめん。ちょっと言い出せなくて……」

 

「謝ってるハンターさんに免じて赦しますけど、武器の紛失ってちゃんとギルドに報告しないといけないんですよ? 村の人たちだって不思議がってましたし、せめて私に言ってくださいよ……」

 

 アイシャのもっともな言い分に、私は身をすくめた。さっきとは全く逆の構図が出来上がっている。

 しかし、やがてアイシャは心配そうにこちらを覗き込んできて、困ったように声をかけた。

 

「それで、どうして話せないんですか? もう見つけられないとか……それでもアシェルダさんに言わないとだめですよ?」

 

「いや、そんなわけでもないんだけど、ね」

 

「あれ、場所は分かってはいるんですか? てっきり崖とかに落としてしまったのかと」

 

「うん、だから失くしたってアシェルダさんには言えない」

 

 武器をなくす、というのはハンターにとってかなりの痛手と羞恥を受けるものだ。そう簡単に紛失してしまっては、金銭的にも信用的にもハンターとしてやっていけなくなってしまう。

 それでも、アイシャの挙げた理由で武器を失くしてしまうことは極々まれにあることだった。

 しかし私の場合、炎剣がどこにあるかの予想はついている。それを取りに行く勇気がなくてずるずる引きずっているだけだ。

 

「多分そこにあるんだろうな、っていうのは分かってるんだけどなかなか行き出せなくて」

 

「ああ、取りに行くのに時間がかかるということですか。確かにハンターさん最近忙しかったですからねー。……まさか海の中ではないですよね?」

 

「それは流石にない…………と思う」

 

 そういえば、あの少女が炎剣を捨てていることだってあり得る……いや、それだけはないだろう。

 なんて考えている間にうっかり答えるのに間をあけてしまった。後悔してからではもう遅い。アイシャが訝しむようにこちらを見ている気がして、目線を合わせることが出来なかった。

 

 海中に武器を長く浸していると、劣化がとても早くなる。炎剣ともなると元になった素材的に尚更だ。彼女もそれを分かっているのだろう。

 でも、こんなふうに話を進めれば有耶無耶になる気がする。そんな淡い期待を抱いていた私だったが、アイシャはそれを許してはくれなかった。

 

「でしたら、このクエストのない間に取りに行けますね! モガの森のどこかなんでしょう? きっと見つけ出せますよ!」

 

 疑いの気配が全く消え去っていないその声に、私は天を仰いだ。いつのまにか場所まで推測されている。これは逃げられなさそうだ。

 もうどうやって言い逃れすれば分からなくなってきて、私は現状を説明するしかなかった。

 

「ごめん、それはちょっと無理……いろいろあって取りに行けない……」

 

「……さっきアシェルダさんに言い出せないって言ってましたけど、取りに行ける場所にあるからなんですよね?」

 

「……うん」

 

「――なんだか取りに行きたくない、みたいに聞こえるんですが」

 

 だめだ、これ以上深く聞きこまれたら、決定的なぼろが出てきてしまう。本気で心配しているからこそ、責めるような口調になってしまっているのであろうアイシャに対しても、本当のことを話す勇気は出なかった。

 私はテーブルに向けて、絞り出すように言葉を紡いだ。

 

「いや、そうじゃなくて……ううん、正直に言うとそうなる。でも、いつか絶対に取り戻すから……お願い、このことは誰にも言わないで……!」

 

 俯いて縋るように言った私に、アイシャはしばらく何も言わなかったが、やがて深い深いため息をついた後に「…………分かりました」と言った。

 私はここでようやくほっと一息つくことが出来た。これ以上の追及はしないみたいだ。でも、アイシャにも隠し事をしてしまったのが、とても苦しかった。

 

 その後少しの間、お互いに無言のまま時が流れた。食事処特有の、かちゃかちゃという皿を洗う音以外は何も聞こえない。

 なんにも言ってこないアイシャが少し怖くなって、怒らせてしまったかと恐る恐る顔を上げると、そこには、

 

 

 ちょっと涙目になりながら、頬を思いっきり膨らませて私を見ている親友の顔があった。

 私と目が合うと、待ちわびたかのように口を開く。

 

「……普通の人なら、ここで「もう貴方のことなんて知らないからっ」とか「辛かったらいつでも相談してね」なんて言って、とりあえず席を立つんでしょうね。私だってそうしたい気分です」

 

「…………」

 

「――で、私が実際にそうすると思いますか?」

 

「……え?」

 

「そうですね、私がもっと大人だったらそうすると思いますけど…………まだまだ自分若者ですから! 血の盛んなお年頃ですから!」

 

「いや、その……」

 

 狼狽している間に、がしっと腕を掴まれた。アイシャはそのまま席を立つ。

 

「え、え?」

 

「さて、お腹いっぱい食べたことですし、風当たりのいい場所で少しゆっくりしましょう! いいですか? いいですねっ! さあ、行きますよ!」

 

 私がつられて立ち上げると、彼女はそう言ってぐいぐいと腕を引いて出口に向かって歩き出した。

 離れた席に座っていた客が、不思議なものでも見るような目でこちらを見ている。

 

「ちょ、ちょっとまっ」

 

「コック猫さんご馳走様でしたーー! まかないもあんなかんじで作ってくれると嬉しいです~~!」

 

 アイシャはそう言って店から出て、私の右腕を掴んだままずんずんと歩いていく。店の方で「無理言うんじゃないニャーー!」という声が聞こえた。

 私は彼女が怒っているのか何なのか全く把握できなくて、その腕を振り払うこともできずに困惑したまま彼女に付いて行った。

 

「ま、待ってアイシャ! 私たちどこに行くの!?」

 

 そう尋ねると、アイシャは少し歩くペースを緩めた。どうやらそこまで考えていなかったようだ。

 

「そうですねーー。人気が無くて清々しい場所と言ってらどこでしょうか? ……そっか、桟橋に行けばいいんですよ! 沖の方に行けばそうそう人も来ませんし!」

 

 ほっとしたのもつかの間、目的の場所を即決した彼女はまた強く私の腕を引いて歩き出す。

 この時間帯にもなれば、広場を行きかう人の数も多い。アイシャはその中を強引に進んでいくため、私は何度も人とぶつかりそうになった。

 そのたびに私は会釈だけして謝っていたが、村の人たちは怒るよりも怪訝な表情をしながら、心配そうに道を空けて私たちを見送っていた。絶対に緊急のクエストか何かと勘違いしている。

 

「どうしたお二人さん! 急ぎの依頼でもあったのかい?」

 

 途中でそう言って事情を尋ねてくる人もいたが、アイシャは「はい! そうなんです!」などと言いながらわき目も振らずに通りすぎていく。

 しかし、その行先はギルド支部とは全くの逆方向だ。はたからみれば言動が不可解すぎる。村人たちが訝しむのも当然だった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 そんなこんなで、広場を突っ切るという恥ずかしい思いをしながらも、アイシャは数分もたたずに桟橋の沖の方にある屋根付きの休憩場へ辿りついた。

 彼女にとってはここまで走り抜けるのは結構な運動量だったらしく、私の腕を離してぜえぜえと息を吐いている。しばらくそうしていた後に、彼女は周囲に人気がないことを確認し、ふぅ、と一息ついて残橋の縁に腰かけた。

 そして、おもむろに口を開く。

 

「ハンターさん、隣に座ってくれますか?」

 

「う、うん……」

 

「今日はちょっと風がありますけど、思ったより波は高くないみたいですねー」

 

「確かに、もっと白波が立っててもおかしくないかも」

 

 言われるがままに、私はアイシャの隣に腰かけて、話を合わせた。そのまま、しばらく波と風の音だけがが過ぎ去っていく。海が日の光を反射して光り輝いていた。

 モガ村からは少し距離があって、喧騒はほとんど届かない。

 

「ここまでくれば、私以外の人に話が聞こえることはないですね」

 

「……そうだね」

 

「…………もともと、ちょっと訳ありな感じなんだろうなって思ってたんですよ」

 

「――え?」

 

 唐突に話し出した彼女の言葉を理解するのに、少しの時間を要した。

 ちらりと彼女を見てみると、受付嬢の帽子を脱いで髪を風に流しながらも、真面目な表情で海を見つめていた。

 

「だってハンターさん、モガの森からから帰ってきてから、二日経ってアシェルダさんが新しい大剣を手渡した日まで自宅に籠りっきりだったじゃないですか。いつものハンターさんなら広場でみんなのお手伝いしているはずなのに……」

 

「――うん」

 

「それから初めて私と顔を合わせた日には、もうあの大剣は背負ってなくて、ちょっと目にくまもできてました」

 

 ……そのことについて問われることは、なんとなく予想できていた。

 ときどき、アイシャはその優れた記憶力を覗かせることがある。普通に会話しているときでも、私なら気にも留めなかったであろう話題を挙げたりする。それらは大抵、後日になって噂になるものだったりするのだ。今だって、私がまた広場に顔を出すようになってしまえば忘れてしまうような些細な出来事だと思う。

 

 何をどこまで読まれているか分からない。その緊張からか、アイシャ言ったことの意図は掴んでいるのに、私は上手く言葉を紡ぐことが出来なかった。

 しかし、彼女は私の返事がないことを気にも留めなかった。海の方に視線を向けたまま、彼女は再び口を開く。

 

「それからはいつものハンターさんのままで、依頼も入ってきていたので顔を合わせることは少なくなっちゃってましたけど……」

 

 言いながら、彼女は少し俯いた。私は、その横顔を見つめることしかできない。

 

「……どうしても、どうしても気になることがあったんです」

 

 ここで初めて、アイシャはこちらの方を見てきた。その顔は、何か確信に満ちていて有無を言わせないという気迫と、今にも泣いてしまいそうな儚さが一緒になっているように見えた。

 その深い褐色の瞳に見つめられ、私は目をそらすことさえできずに、次の言葉を待つ他なかった。

 アイシャは僅かに迷うそぶりを見せた。しかし、すぐに意を決したようにして私に向けて言った。

 

 

「――モガの森から帰ってきたハンターさんは、右肩を深く傷つけていましたね? それだけならまだしも、その傷を人に診てもらうこともせず庇ったまま狩猟に出て……。見送った後で、やっぱり引き留めておけばよかったって本当に後悔したんです」

 

 右肩の刺傷は、私の精いっぱいの虚勢は、容易く見破られていて。

 

「――――っ」

 

「……教えてください。ハンターさん。――いえ、()()()()()()

 

 その類い稀な観察眼をもって、一気に核心へと。

 

 

「あの日、あのとき。モガの森で何があって、何と出会ったんですか……?」

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 さざ波の音も風の音も、どこか遠くにあるかのように聞こえた。

 まるで、私とアイシャの間だけゆっくりとした時間が流れているようだ。

 麻痺しかかってた私の心も、時間が経つにつれてだんだんと融解していく。

 

 私はなんて意固地になっていたんだろう。痛切にそう思った。不器用で、隠し事なんて全部お見通しで、心配されていることに気付きもしないで。

 全然、自己完結なんてできてなかった。

 

「……ごめんね、アイシャ。隠し事なんてしてごめん」

 

 アイシャの天然で、元気いっぱいの仕草の裏には、心から人を気遣う健気さがある。正直私にはもったいないくらいなのではないだろうか。

 彼女になら、あの出来事について語っても信じてくれることに、どうして気付けなかったのか。 

 

「話し出したら、すっごく長くなっちゃうんだけど大丈夫かな?」

 

 ここまで来たのなら、もう彼女にも背負ってもらおう。

 とりあえず確認を取ってみると、彼女は真剣な眼差しで私を見て、言った。

 

「……はい。正直原稿の締め切りが明日で、まだ書ききってなかったりするんですけど、気にしないことにします」

 

「そこは気にしないといけないことだと思うから、適当に端折って語ることにする」

 

 思わずため息が零れた。今までの空気が台無しになってしまった気がする。

 

「そんなっ!? なんだか超大長編になりそうな予感だったのに! それを端折るなんて、それじゃあただのつまんない報告書じゃないですかっ!」

 

 アイシャが信じられない、といった顔で訴えてくる。さらっととんでもないことを言ってのけたのはどこの誰なのか。本当に締切に間に合わせられるのか心配だ。

 まあ、私が知ったことではないけれど。どうせアイシャのことだから、口語で書いたりしてでも間に合わせるだろう。

 

「なんだか今、図星を突かれた気が……」

 

「――アイシャはさ、モガの村で育ったんだよね?」

 

「え、あ、はい。そうですけど。あれ、もしかして物語は始まってたりしてます?」

 

 突然話し出した私に戸惑うようにしながらも、ほんの少しだけ顔を引き締めた彼女に、思わず笑みがこぼれそうになった。それを覆い隠すように、おどけたような声で言葉を紡ぎ続ける。

 

「じゃあ、海竜の王様と妖精の昔話もきいたことあるかな?」

 

「……あぁ、あのヨシおばあちゃんの話してくれた昔話ですか。もちろんです。私あの話好きなんですよねー」

 

「よかった。それならこれから語るお話もちょっとは面白いかもね? あんまりそういうのは得意じゃないけど……」

 

「おー、なんだか期待できそうですね。なんだか全く先が読めないんですけど!」

 

「いやいや、これが事の始まりだったんだよ」

 

 そう、あのとき私があの場にいなかったら、ヨシと一緒に帰っていなかったら、すべては起こりえなかったのだ。あの夢のような出来事は。

 

 

「私がね、あの昔話が終わった後にヨシさんと話してたんだけど――」

 

 

 これは、誰もが何の夢物語だと笑うような、本当にあったお話。

 ひとりのしがない村付きハンターと幻想の物語だ。

 

 

「あのお話に出てくる妖精はね。……物語だけの存在じゃなかったんだ――――」

 

 




 やっと主人公の名前が出てきました。命名は、とある大好きな小説のヒロインから。
 展開は遅いくせに、一話一話の内容の薄さがどうしても拭えないのが悩みですが、慣れしかなさそうですね……

 ある友人に、主人公の容姿をもっと詳しく説明して、と指摘されました。
 改めて確認してみれば、驚くくらい何も書かれてないですね。脳内完結していた私が恥ずかしいです。
 大変遅くなってしまいましたが、ここで彼女の容姿を説明しておきます。

 名前:ソナタ     性別:女性     年齢:18歳
 髪の色:黒銀     髪型:全体的にショートカットで切り揃えず流している
 瞳の色:黒銀     身長:167cm
 体格:大剣を扱うにしては細めだが、腹筋は割れてます。
 顔:二重瞼、アイシャ曰く、真面目そうとのこと。

 結構アバウトですが、こんな感じでしょうか。
 そういえば、お気に入り件数が10件を超えました。ありがとうございます。


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第10話 昼下がりの語らい(上)

 ――これは、おとぎ話のような本当のお話。

 

 ひとりの夢見がちな狩人の女性が、村に伝わる伝承に聞き入ったことから始まる。

 

 それは、まだこの地に村が出来るずっと前に、とある小さな入り江で起こった、

 

 海竜と少女の不思議な不思議な出会いの物語。

 

 その伝承に興味が湧いた狩人は、語り部の老婆に物語の出来た経緯について尋ねて、

 

 そこで、驚きの事実を告げられる。

 

 

 

 おとぎ話の痕跡を探して、深い森の中へ――。

 

 一日中ずっと歩き回って、長く暗い洞窟を抜けて、

 

 とっくに夜も更けたそのとき、とうとう目的の場所にたどり着いた。

 

 

 そこには、伝承が真実だったことを示す、立派な海竜の遺骸があった。

 

 その貫禄は、長い年月を経た今も失われることはなく、

 

 ただただ目の前の存在を圧倒するその姿は、瞬く間に狩人を惹き込こんだ。

 

 

 ふと、その首筋に光るもの、

 

 吊り下げられていたのは、星明りを反射して美しい光を放つ藍色の首飾り。

 

 ――人が作ったものだった。

 

 

 

 そのとき、呆然としていた彼女の背後から衝撃が突き抜ける。

 

 彼女はとっさに振り向こうとしたが、力が抜け、剣を取り落して膝をついてしまう。

 

 撃ち込まれた眠り毒は、彼女から瞬く間に意識を奪っていった。

 

 

 薄れ行く視界の中で、顔を上げた彼女が見たものは、

 

 

 

 

 

 

 簡素な服を着て、儚げに佇む一人の少女だった。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「あのあと、私がどうしたかは、いまいち覚えてないんだ。あの子の声もあんまり覚えてないし……ちゃんと話せてたかは分からない。

  もうダメだって倒れこんで、次の日の朝までずっと眠ってた。目が覚めた時にはキャンプのベットの上で、どうやら運んできてくれたみたいなんだよね。

  ――って、おーい。話について行けてますかー?」

 

 アイシャの方を見てみると、俯いてじっとしていた。眠っているんじゃないかと思って顔を覗き込むと、目を瞑ってはいるが寝息は立てていないようだった。、

 少し真剣みを帯びたその横顔に、私は話しかけるのを少し躊躇したが、とりあえず肩を軽く揺さぶってみた。

 

「……はっ!? ご、ごめんなさい! ちょっと自分の世界に入ってました」

 

 慌てて、こちらの方に向き直るアイシャ。最後まで話を聞いていたのか不安だ。

 

「いえ、ソナタの話はちゃんと聞いていたので大丈夫です。――――ちょっと待ってもらっていいですか?」

 

 アイシャはそういうと、また思案顔になって遠くを見つめた。

 まあ、無理もないと思う。私は大まじめに話したけど、こんな話を巷で語ればとんだ笑い種だ。子供はともかく、大人は「どこの夢物語だ」と気にも留めないだろう。

 人とモンスターは決して相容れないということ。

 これを人間は、子供の時に学び、生活していく中で自然と自覚し、本能の部分にまで刻み込んでいる。

 

 その考えを今、私は根本から覆すようなことを言った。これからも否定し続けると思う。

 だって、真実を見てしまったのだからしょうがない。人と竜が一緒に暮らしていた事実を、この目で確かめてしまったのだから。

 

「うん、全然大丈夫。ちゃんと頭の中で整理してからでいいから、さ」

 

 私が話している間、アイシャは興味深そうに何度も相槌を打ち、こちらのペースに合わせてくれた。そして今も、じっと瞑目して真剣に何かを考えている。

 それだけでも、彼女が私の話を受け入れようと努力しているのが窺えて、とても胸が温かくなった。

 アイシャはギルド職員でもあるから、今の話をむやみに全てを信じるわけにはいかないのだろう。それぐらい突拍子ないことを私は話していたのだった。

 

 

 一分程経った後に、彼女は思考の海から戻ってきた。ふー、と息を吐いた彼女は「待たせちゃいました」と言って苦笑いしながら顔を上げる。

 そして、私に向かって申し訳なさそうに言った。

 

「うーん、ごめんなさい。職業柄と言いますか……ちょっと信じられない話だったので付いて行けなくなっちゃって」

 

「あっ……うん、こちらこそごめんね? 一息に話しちゃってアイシャを全然見てなかった。――それで、私のお話はどうだったでしょう、か?」

 

 私は少し緊張気味な声で尋ねた。こんな風に人に話すのは初めてだったから、大分ぎこちない話し方になってしまった気がする。

 でも、一番不安だったのはやっぱり、今の話が信じてもらえたかどうか。どうせ信じてくれる人はいない、と思って自分の胸の中にしまっていたその出来事を、私は自ら晒し出した。もしそれが否定されたり拒絶されたりしても、私は何も言えないのだ。

 それを否定されてしまうのは、仕方のないことだと思う反面、とてもつらい気持ちになる。だって、それをこの目で見てきたのは他でもない私自身なのだから。

 

 アイシャは海の方に目線を向けたまま、なかなか話し出してくれなかった。

 そんな姿を見ていると、もどかしくて、やっぱり笑い話にされてしまうのかな、夢だって言われてしまうのかな、といった不安がじわじわと私を追い詰めていく。

 ふと、こちらの方を見たアイシャは「ふふっ」と笑ってどこか可笑しそうに言った。

 

「そんなに心配そうな顔されたら、意地悪できないじゃないですか。 大丈夫、今の話をしてくれたのは他ならぬソナタなんですから、私が疑うはずないじゃないですか!」

 

「アイシャ……でも、本当に信じてくれるの……?」

 

「もう、そんなに不安がらなくていいんですって。 信じる信じないというよりも、ソナタがそんなに真剣そうに話してくれたことを疑うなんて……どうやったって私にはできないです」

 

 アイシャは花のような笑顔で言い切った。

 少しの恥ずかしさを押し隠したように赤くなっている頬と、風になびく黒髪が、その笑顔を引き立てていた。

 心の中で渦巻いていた不安が、瞬く間に拭い去られていく。かわりに彼女の暖かい心と、安心感が胸を満たしていて、胸のわだかまりがすうっと消えた。

 

「……あーあ、だめだ。 アイシャには本当に敵わないよ」

 

 大分日の傾いた空を見上げて、私はゆっくりと呟いた。

 今までの自分を叱ってやりたい気分だった。ひとりで殻に閉じこもっていたのは他ならぬ私だ。掛け値なしで信じてくれる人はこんなにも身近にいたというのに。

 

「えへへ、なんだか褒められたみたいです。日頃はソナタに守られてばっかりですからね、こんな相談くらいどんと来い!ですよ!」

 

「どうかな、私は今までもずっとアイシャに助けられてると思うよ?」

 

「おっ、嬉しいこと言ってくれますね~。 まあ、そんなこと抜きにしても私はいつでもソナタの相談相手ですから! 誰にだって譲れない大役なのです!」

 

 そう言って、腰に手を当てて胸を張るアイシャ。それが可笑しくて、私は少し笑ってしまった。

 

「ふふっ…………ああ、そうだよ。少し話題がそれてる。この話を聞いて、アイシャがどう思ったのか知りたいんだ」

 

「おっと、そうでしたね。今さっき考え事をしていたのはそれについてだったのですが……」

 

 何から話しましょうか、とアイシャは思案顔だ。

 彼女も、いや、アイシャだからこそ、今の話で疑問に思うことはいくつもあるのだろう。私だって、今でもあの光景が夢のように思えてくる。

 私があの一連の記憶を思い出しているときには、なんだか悲しいような、苦しいような、そんな複雑でもやもやした気持ちになってしまうのだが、今は不思議とそんな感覚が起こらない。

 それがどうしてかは分からないけど、悪い気分はしなかったのでそのままにしてアイシャの言葉を待った。

 

「――うん、えっと……その入り江で出会った女の子の話なんですけど……大丈夫、ですか?」

 

「え? ううん、別に全然気にしなくていいよ。あの思い出は悪いものじゃないから。ちょっと人に話すのが怖かっただけ」

 

 遠慮がちに尋ねるアイシャに、私は気兼ねなく答える。

 内心は少しどきっとしたけれど、アイシャのためなら私はどんなことだって答えようと思った。

 

「では、改めて。 その女の子ですが、あのおとぎ話に出てくる女の子で間違いないですか?」

 

「――たぶん、ね。直感だけなら全然信用ないと思うけど、あの子、恐らく右腕が……」

 

「――なかった、と」

 

「うん。あの子ね、ちゃんと外套を羽織ってて、そこから左腕は見えてたんだけど……多分、右の方は袖さえつけてなかったと思う」

 

 記憶はおぼろげだが、儚げな少女の立ち姿に違和感を与えていた部分ははっきりと覚えていた。

 

「それなら、確かに昔話のあの女の子で間違いないみたいですね。――――しかし、肩から食われた、っていうのは本当だったんですか……」

 

 アイシャは、つ、と顔を歪めながら言った。――そうか、そういう顔をするのも当たり前だ。

 彼女は、負傷したハンターを間近で見たことが何回もあるのだ。ギルドの受付嬢として、そういったハンターたちの経過を任されることは多い。

 そんな中ではもちろん、手足を欠損してしまったり下半身不随になってしまう人も少なからずいる。そんな人たちのその後の苦しみを知っているからこその、苦々しい顔だった。

 

「まあ、そんなことより、その本題なのですが…………ソナタだって困ってることだと思うんですよ」

 

「……まあ、そうだろうね。私は考えるのを諦めちゃったけど」

 

 お互いに苦笑いを浮かべて、私は重々しく口を開いた。

 この話題で最終的に行き着くのは、今から言う一つだけだと思う。

 

「――――あの子、いったい何歳なの?」

 

「そこなんですよねー。話を聞いてて一瞬幽霊か何かを疑っちゃいました。

 私が考えうる限り一番有力なのは、その子は竜人族なんじゃないか、っていう考え方なんですが……」

 

「あれはモガ村が出来るよりずっと前のお話なんでしょ? だとしたらもう百年以上前のお話になるよ。

 でも、さっき話したように私があの子と出会ったときは、その顔立ちは私より幼い感じがしたの。…………たとえ竜人族でも百年も同じ顔立ちしてるかな?」

 

「……流石にそこまでは考えにくいです。しかも、聞いた話によれば竜人族の人の容姿が変わらなくなり出すのは、成人してからだって言います。それにしては、ちょっと幼すぎる気がするんですよねー」

 

 少女はいったい何歳で、何者なのか。何故、物語の時と姿が変わらないのか。その後もアイシャと二人で議論を重ねたが、その謎は深まるばかりだった。

 頭上にあった太陽は既に大分傾いており、かなり長い間ここに座っているんだな、ということを思い出させてくれる。

 私とアイシャの語り合いは、まだまだ続くのだった。

 

 

 




アイシャとの会話が本編になってます……ああ、終わらない(泣)
アイシャが勝手に動くので困ったものです。


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第11話 昼下がりの語らい(下)

 少女はいったい何歳で、何者なのか。何故、物語の時と姿が変わらないのか。その後もアイシャと二人で議論を重ねたが、その謎は深まるばかりだった。

 頭上にあった太陽は既に大分傾いており、かなり長い間ここに座っているんだな、ということを思い出させてくれる。

 結局答えは出ないまま、アイシャが別の話題を振ってきた。

 

「それじゃあもう一つの質問ですが……こっちの方が答えにくいと思います。でも、訊かないと気が済まなくて」

 

「――うん、それもなんとなく分かってる。進めて」

 

 意気込んで言うアイシャに、やんわりと先を促す。

 彼女のことだから、内容をしっかりと吟味したうえで、訊かないといけないことは、たとえ私が触れたくないことでも訊いてくるのだろうな、と思った。

 そしてそれは、絶対に私にとって悪い記憶にならないのが、彼女の凄いところなのだ。

 

「……ソナタが持っていた大剣の行方についてです」

 

「…………だよね、やっぱり聞かれると思ってた」

 

 アイシャの質問は、私の予想道理のものだった。今までの間私を悩ませていた原因であり、いやおうなく暗い表情になってしまう。

 そんな私の表情を見て、アイシャも辛そうな顔をした。そういえば、クエストを失敗して戻ってきたときにもこんな雰囲気になったなあ、と思う。

 

「大剣は、その入り江で落としてしまったんですよね?」

 

 頷く私を見て、アイシャは言葉を続ける。

 

「そしてそれが、二カ月経った今も戻ってこない、と……あれ? 他のものは大丈夫だったんですか?」

 

「うん。キャンプで起きたとき私はインナーだけだったけど、ポーチとか防具は戻ってきてた。炎剣だけが、戻ってこなかったんだ」

 

「……その子に何かあったとかは考えないんですか?……いや、ソナタのことですから女の子がまだいる理由があるんですよね」

 

 アイシャのその言葉に、私はしっかりと頷いた。

 

「そういうこと。あのさ、ときどきモガ森のあちらこちらに置いてある松明がさ、いつの間にかなくなってることがあるじゃない?」

 

「ああ、はい。――って、もしかして!」

 

「そうだよ、あの子の仕業だったみたい。キャンプから出ていくときに、いくつかなくなってるのを見つけたんだ。この前試しにキャンプの入口近くに松明を置いておいたら、次の日にはなくなってたからね」

 

 松明は、森や洞窟の中などの暗い場所で、明かりを確保する使い方以外にも、ジャギィやギィギなどといったモンスターを撃退するときなどに用いる重要な道具だ。

 村人が森に出ているときに切れてしまわないように、ここ一帯の数か所に纏めて置いてあった。

 

「でも、アイルーとかメラルーとかの仕業かもしれませんよ?」

 

「それはないかな。だって、松明ってあの子らが盗まないように、あの子たちの嫌う匂いの草を混ぜてるから、まず盗まれることはないんだよ」

 

「……初めて知りました」

 

 私だって、その少女から一カ月近くも音沙汰が無かったら、流石に確認しに行くぐらいのことはする。ただ、あの子が生きていることが明白なので、あと一歩がどうしても踏み出せないのが現状だった。

 私の受け答えに、へえぇ、と納得顔のアイシャ。しかし、すぐに訝しむような顔をして言ってきた。

 

「じゃあ、もう取りに行くしかないじゃないですか。ソナタのなんですから、取り戻さないといけないと思います」

 

 そう言われることが分かっていたので、私は顔を背けて「それは……」と口ごもる。明白に嫌だ、とは言えないのに、ずるずると引きずってしまっている現状を話すのは、あまり気が進まなかった。

 でも、アイシャは納得していないようだった。別に口には出していないが、その顔を見れば一発で分かる。

 いわゆる、ふくれっ面というやつだ。

 そんな顔をされると、いつも根負けしてしまうのが私なのだった。私が甘いとかそんなわけではなく、こうなったアイシャが強情なだけだと強く言いたい。

 

「……はああ、恥ずかしいから話したくなかったんだけどなあ……」

 

 そう呟いた後に、私は入り江に行けない理由を語った。

 

 それは、私がキャンプで目覚めた後の回想を交えながらのもので、先ほどの話の続きでもあった。

 しばらくの間、再び私の一人語りが続く。

 アイシャは少し波が出てきた海を見つめながら、口出しせずに最後まで話を聞いていた。

 

「――その後も、あの子は私の前に姿を現さなかったし、炎剣が戻ってくることもなかった。だから、もう割り切って欲しいって伝えられてると思うんだよ。だから、もうあそこには行ったらいけない気がするし、また会いに行くのはあの子もいい思いをしないと思うんだ。」

 

 最後はそう締めくくった。これで、話したいことは話したと思う。

 

 しかし、当のアイシャはなかなか返事をしてくれなかった。相変わらずのふくれっ面のままだ。

 そんな様子に私は少し落ち着かなくなって、足を揺らしながらアイシャの反応を待っていた。

 

 しばらくして、アイシャは盛大にため息をついた。そして、呆れたような声で言う。

 

「もう、うちのハンターさんは真面目というか何というか……頭が固いです」

 

「ひどい……」

 

 いきなり苦言を言われると、とてもへこむ。しかし、アイシャはそんな私など意にも介さず言葉を続けた。

 

「だってそうですよ。考え方が一方的なんですもん。今の話を聞いた限りだと、私はどうして会いに行ってあげないのか不思議なくらいです」

 

「えっ……なんで?」

 

「ときにハンターさん、貴方はその女の子にもう一度会いたいですか?」

 

 質問をそのまま返されて、ちょっと面食らう。一言文句を言いたかったが、アイシャの声が有無を言わせない雰囲気だったので、正直に答えることにした。

 

「いや、さっきも言ったけど、私としてはもう満足――」

 

「そういうわけじゃなくて、ソナタの個人的な願いとしてもう一度会いたいかって、そういう意味です」

 

 私の言葉を遮ったアイシャは、やんわりと質問の趣向を変えてきた。その顔は相変わらず不満げなままだ。

 私はとっさに「どういう意味?」と言いかけたが、すんでのところでその言葉を飲み込んで、投げかけられた問いをもう一度頭の中で反芻する。

 

 そして、その真意は私の本心を聞いているんだな、ということに気付いた。

 「ソナタ個人としての願い」というのは、けじめやそれまでの過程とかを取り払って、私が純粋にどう想っているのかを表しているんだ、と。

 そこまで行き着くのに少し時間がかかったが、その本心は割と簡単に口に出来た。

 

「そりゃあ、まあ……また会いたいとは思うけどさ」

 

 あの少女とまた出会いたい、今度は言葉を交わしてみたい、といった焦がれるような想いは、今でも心の奥底にあって、私に呼びかけてくる。

 そうでもなければ、今までのようにもやもやとした気持にはならないはずだ。

 

 零れるような私の呟きに、アイシャはうんうん、と頷いて、明るい声で言ってきた。

 

「じゃあ、会いに行っちゃえばいいんですよ。お土産でも持っていけばなお良いと思いますよ?」

 

「お、お土産?」

 

「そう、お土産です。 そしたら、その女の子も少しくらいは打ち解けてくれるんじゃないですか?」

 

 いきなり飛んできた意見に、私は目を白黒させる。

 会おうと思えば会えるのだから、会いに行ってしまえばいい。アイシャの持論は噛み砕けばそんな感じなのだろう。私も、この二カ月で何度も同じことを考えた。

 

「……でも、あの子はここまできっちりけじめをつけてる。だから、それは出来ないよ」

 

 口をついて出てきたのは、そんな苦しげな声だった。自然と、手を強く握りしめてしまう。

 あのとき、私が鎧もなんにもないままでキャンプに運ばれていたら、入り江で目覚めていたとしたら、迷いを振り切ってもう一度あそこに行けたのに。

 人間がそれだけではあまりにも弱いことを知っているから、あの子は律儀に防具まで置いていったのだ。

 

 そんな私の様子に、アイシャはうんうん、と頷いた。そして、ふと目の前の海に目線を向けて、少し間をおいてから口を開く。

 

「そのことは否定しません。確かにもう顔を合わせたくないんだろうな、というのは伝わってます。――ただ、その女の子、迷ってるんだと思いますよ。大剣が戻ってこないのも、そのせいかと」

 

 どこか間延びのしていて、それでいて一言一句をしっかりと刻み込むような、そんな口調だった。

 

 はっ、と私の意識が切り替わる。目に映る世界の色が変わった――と、そんな程でもないが、明らかに先ほどより意識が鮮明なものになった。

 そのことに驚きの色を浮かべている私の顔を見て、アイシャはくすっと笑って、私の返事を待たずに言葉を続ける。

 

「あのですね、ソナタが諦めちゃっているからだと思うんですが、普通防具も道具も返して、傷の手当てまでしてくれたのに武器だけ返さないって、おかしすぎませんか?」

 

「まあ……確かにね」

 

「何らかの理由で返したくなかった、返せなかったとしても、何かしらのコンタクトをとってくるはずですよね」

 

「……うん」

 

 「それじゃあ……」と言って言葉を切ったアイシャは、こちらにずいっと身を寄せて、確かめるように言う。

 

「そのことを逆説的に考えると、どうして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のでしょうか?」

 

 返せないでも、返したくないわけでもなく、返したいのに返せない、と。

 

「え? それは……。――――あっ」

 

 すなわち、()()()()()()

 

 

「もう、だから真面目すぎるんですよ、ソナタ。あの子は、ソナタとまた会うべきか迷っているところがあって、武器は使わざるをえない状況にあるんです」

 

 

 ふいに、ひゅうっと強い風が吹き抜けた。私とアイシャの髪も、一際激しく波打つ。

 

 ――ああ。

 ――新しい風が吹き込まれる感覚ってこんな感じだったなあ。

 

 どこか客観的に自分の心を見つめながら、私は何故か懐かしさを覚えていた。最近、あまり味わうことのなかった感覚だったからだろうか。

 

「……そっか、ありがとう。本当に助かったよアイシャ。なんだか吹っ切れた」

 

「ふっふっふ、私に相談して正解だったでしょう!」

 

「まったくもって、ね」

 

 誇らしげに胸を反らすアイシャ。普段はこんなに子供っぽいのに、その実、人一倍の観察力と行動力を持った変わった……ギャップの大きい人物だ。

 「ん? なんか失礼なことを考えてませんでした?」という声を意図的に流して、立ち上がって伸びをする。

 

「とりあえず、アイシャの予想通りなら早く行ってみないと……」

 

 彼女の言った事を考えると、できるだけ早くの内にあの入り江に赴いた方がよさそうだ。もたもたしていると、また依頼に追われる日々が始まってしまう。

 もしあの子に会えなくても、入り江の確認くらいはしておきたい。

 

 「そうですね。私もその方が良いと思います。……ちょっと待ってください。私も村に戻ります」

 

 今にも駆け出そうとしていた私を、同じように立って伸びをしていたアイシャが引き留める。そして、少しだけ瞑目した後、口を開いた。

 

「ギルドでは探索クエストとして手続しておきます。期間は三日間ほど。防具も道具もできるだけ万全な状態で行くべきかと」

 

 「――うん。分かった」

 

 今回は、彼女の手助けもある。のこのこ帰ってくるわけにはいかない。せめて、剣の行方だけでもはっきりさせて、取り戻してこようと決心した。

 私と共に上位まで上り詰めた、あの大剣を。

 

「それと、もう一つ」 そう言って、彼女はもう一言付け加えた。

 

「……ソナタ、私ですね、まだまだこのお話で質問したいことがいっぱいあるんです。女の子がどこから来たのとか、竜の王様についてだとか。

 だから……今度はその子とたくさんお話して帰ってきてくださいね! 楽しみに待ってますから!」

 

 そう言ったアイシャの顔は、さっきと負けないくらい晴れ晴れとした笑顔だった。

 

「――了解!」

 

 そんな彼女に、負けじと私も精いっぱいの笑顔で返す。

 そして、淡く赤く染まった夕陽を背に、二人そろって駆け出した。

 




こんにちは。作者のSenritsuです。
まずは、読者の皆様に謝罪を。

アイシャとソナタの描写が必要以上に長くなってしまい、物語の展開が滞ってしまったことを、ここでお詫びします。
小説の完結後、第8話と9話、第10話と11話をまとめ、いくつか添削を行うことで、調整を行っていこうと思います。

そして、原作でモガ村とアイシャが登場するのはMH3とMH3Gのみであり、それ以外の方には分かりにくいネタがあることに気付いていませんでした。
伏線が弱いことも含めて、全て作者の認識の甘さによるものです。
対処として、これから必要な設定を後書きに公開していき、完結後に資料集として纏めていくことにします。

次話より、やっと次の場面に移る予定です。
読者の皆様を長く待たせてしまい、申し訳ありませんでした。
迷走を続けていますが、もうしばらくこの物語にお付き合いいただけると嬉しいです。


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第12話 再び森へ

 力強く照りつける昼間の太陽の光も、鬱蒼と生い茂る木々の中では届くことがない。

 そのかわりに、かなり湿った空気が身を撫でてくるが、私はもう慣れてしまっていた。腰の丈ほどの草木をかき分けながらどんどん歩みを進めていく。

 一度行ったことのある場所だったから、だいたいどこら辺にあるかは覚えていた。

 

 アイシャと桟橋で話をしてから二日後のこと、私は再びあの入り江へと向かっている。

 

「さて、と。この辺りだと思うんだけど……」

 

 つい二カ月前に探索した森に、また足を踏み入れてから数時間が経っていた。

 すぐ目の前には岩壁が立ち塞がっていて、とてもではないがこの近くに洞窟が広がっているなんて思えないだろう。

 入口は草木に隠れてしまっているのに、かなりの落差があったから、落ちたら無事では済まない。これから先は注意深く探索を続ける必要がある。

 

 そう気を引き締めて洞窟の入り口を探す私だったが、前回来た時と違って昼の太陽の光があったおかげで、割とあっさりと見つけることが出来た。

 周りに注意を払いながら、その穴を覗き込む。やはり、かなりの深さがある。

 そういえば、あの妖精さんはどうやってここから出るんだろう、と思ってよくよく観察してみると、丁度右端の壁に当たる部分だけ壁が削れていて、なだらかな傾斜になっているのが分かった。ちょうど、大人一人くらいが通れるくらいの幅だ。

 

 図々しいかもしれないけれど、無駄な時間と体力の消費は控えておきたい。ここを通った方がいいだろう。

 「お邪魔します」と小さく呟いて、私はその通路へと足を踏み入れた。

 

 

 

 外の陽気に関係なくひんやりとしている洞窟の中は、日の光も届くことがなく、相変わらず真っ暗だ。松明の光を頼りに、この先にある場所を目指す。

 以前は私自身がこの話を半信半疑で聞いていたこともあって、モンスターの警戒ばかりしていたが、今回はまた別に気をつけなくてはいけないことがある。

 

 あの妖精さんが、いつまた現れるか分からないのだ。また背後から攻撃をもらうのはぞっとしない。

 できればもうあんなことはしてこないと信じたい。ただ、その可能性は十分にあり得るし、またも満足に話せないまま終わるなんていうのは二度とごめんだ。

 だから私は、今まで以上に自分以外の気配がしないか気を払いながら歩いていた。

 

 私の装備は、前回来たときと変わらないラギアクルスの蒼い鎧だ。一応、狩猟用の道具も一揃い持ってきている。

 ただ、大剣は担いできていなかった。片手剣であるサーブルスパイクのみ、腰の部分に提げている。

 もし炎剣があったとしたら、それを担いで帰還する必要がある。だから、いつものように持っていくことはできなかったのだ。おかげで、ずいぶんと背中に寂しさを感じてしまう。

 

 洞窟は狭くはないけど、奥行きが深い。歩きながら、私は先日のアイシャとの会話を思い出していた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

『……ソナタ、私ですね、まだまだこのお話で質問したいことがいっぱいあるんです。女の子がどこから来たのとか、竜の王様についてだとか。

 だから……今度はその子とたくさんお話して帰ってきてくださいね! 楽しみに待ってますから!』

 

 あの会話の最後に、アイシャはそう言って私を送り出した。

 ギルド直轄の受付嬢なのに、なかなか夢見がちな少女だ。自分が言えた話じゃないけど、彼女のおかげで私は今ここにいる。

 

 話がしたいのは私も同じだった。あの少女は人の言葉を話すことができる。

 前回は、私が油断をしていて、不審なことをしていたから攻撃手段に打って出たのだと思う。もっと私が注意深くしていれば、あんなことにはならなかった。

 

 そして、倒れこんだ私を介抱したのは他ならぬ彼女だ。入り江からの排除だけが目的だったのなら、殺して海にでも投げ捨てればよかったのに。

 入り江で手当てしたわけでもなく、わざわざ防具ごとキャンプに運んだうえでベットに寝かせてくれた。そして、なぜか大剣だけが戻ってこない。

 そこには、必ずなにかしらの理由があるはずだ。

 それを聞きださない限りは、私も胸のわだかまりが取れそうになかった

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 おそらく、モンスターはこの入り江の存在を知らないのだと思う。この洞窟の入り口を見つけることが出来ないのだ。

 前回と同じように、何とも遭遇することもないまま、私は入り江の光が差し込む横穴が見える場所まで辿りついていた。

 

 明るい光が暗い洞窟の周囲を照らす。そんな場所で私は軽く深呼吸をして、呼吸を整える。

 そして、静かに松明の火を消して、右腕でそっと片手剣の柄を握った。同時に、意識を索敵から戦闘へと持っていく。呼吸ひとつで済ませられるくらいには何度も繰り返して、手練れた行為だ。

 

 ゆっくりと歩き出す。

 

 わざと、自身の気配は消さないようにする。警戒するのは周囲の気配だけで、足音もあえて響かせるようにした。隠密行動を取る必要はない。逆に、いきなり現れて少女を驚かしてしまっては、前回の二の舞を踏んでしまう。

 さくり、ざくり、という足音が横穴に近づくたびに、心臓の鼓動が速くなっていく。

 

 少女は、私を赦してくれている。ただ、再び逢うことをはたして望んでいるだろうか?

 いや、今になってそんなことを考えていても仕方がない。後戻りできないところまで来てしまったのだから、自分の意志だけでも貫きとおしてみせる。

 長年使ってきた愛剣の、その行方を。

 

 もう入り江の入り口は目の前だ。歩く速さは緩めない。

 出来れば、この片手剣を引き抜くことにはなりませんように、と心の片隅でそう願いながら。

 

 

 

 だから、極度の緊張を迎える身体とは裏腹に、心ではどこかほっとしていたのだ。

 

 あのときと同じように、入り江に鎮座する巨大な竜の遺骸と――

 

「こんにちは? ……でいいのかな」

 

「マた、きタノか」

 

 その吸い込まれるような深い緑色の双眸を向けながら、やはりあのときと同じ姿で静かに佇む少女の姿を見たときは。

 割とあっさりと再会できてしまったことに拍子抜けしてしまいそうなところだが、今はお互いにそんな余裕はなさそうだった。

 

「うん、だいぶ遅くなっちゃったけどね」

 

 幼さの残るその顔は少し強張っていて、若干の緊張を湛えているように見えた。

 

「…………」

 

「でも……やっぱり会いたかったから、さ。……伝えたいこともある」

 

 切り出しで、声が震えなかった自分を褒めてあげたい。前回の轍を踏まないようにするには、最初のコンタクトはとても大切だと思っていた。

 しかし、目の前の少女は最初の応答から言葉を発していない。静寂が入り江を支配した。

 

 少女は、私の顔をじっと見たままだ。

 自分の心臓の脈打つ音がいやに大きく思えて、どうしようもなく緊張しているのを意識させてくる。

 時間がとてもゆっくりになっているかのような感覚があった。一分が一時間くらいに思えてくるような、そんな感覚。

 また私から話しかけるしかないか、と、若干諦めかけたそのとき、

 

「――――ワタしもダ」

 

 長い長い静寂の後に、少女はそう言って小剣から手を放した。

 その言葉を聞いて、私もほっと胸をなでおろす。少女の方もまた、顔の強張りが僅かばかり解けた気がする。お互いに取りたくない選択肢だったのだろう。

 ここで武器を打ち合うことになってしまっては、せっかくここに来た意味がない。

 少なくとも、相手に敵意がないことが確認できた。それが、どれだけ私を救ってくれるか、彼女には分からないだろう。

 

「じゃあ、お邪魔しても……ああいや、入ってもいいかな? この場所に。嫌なら、ここで話しても気にはしないよ」

 

「入ルダけナら」

 

「分かった。ありがとう」

 

 そう言って微笑みを返す。そして、入り江に足を踏み入れた。

 さく、と細かい砂を踏みしめる音が響く。砂利が混じっていないからこその、柔らかい感触。

 以前は目の前の巨大な骨格にただただ圧倒されるばかりだったが、改めて辺りを見回してみると、きちんと手入れが行き届いているのが分かる。彼女がどれだけここを大事にしているかが窺えた。

 

「……好きなんだね、ここが」

 

 自然と、そんな言葉が口をついて出てきた。

 まさにここは、彼女にとっての大切な「家」なんだろうな、と思わせる暖かさが、そこにはあった。

 

「……うン、わたシハここガすきダ」

 

 彼女もまた、口元に柔らかい笑みを浮かべて竜の遺骸を見つめる。

 その瞳は、慈愛に満ちた光を湛えていた。いや、強者に捧ぐ敬愛のそれであったかもしれない。

 やはり、彼女はあの遺骸の主に深い関わりを持っているのだ。

 

「――あの、この前はごめんなさい。貴方の大事なものに勝手に触れちゃったりして……」

 

 最初に言うべきなのは、このことだろうと思った。

 今の彼女の佇まいを見れば尚更だ。以前私に短剣を投げたのも頷ける。

 心の拠り所としていた場所に勝手に押し入り、心から大切にしていたものに無断で触れている人がいれば、誰だってそれを守ろうとするだろう。彼女の行為は、なんらおかしくはないのだ。

 それがとても申し訳なくて、謝らないわけにはいかなかった。

 

「ソノ、ことなラ……もシ、とうサんのもノをキズつけタり、もっテイこうとしテいるノがみエタら、コろしテた」

 

 しかし、その言葉の内容とは裏腹に、声色はそんな気配を全く含んでいなかった。

 

「キミは、ナにモしてナかった。だかラ、コろさナカった。ソレだけ」

 

 今まで私に向けていた顔をそっぽにむけて、手を背後に回し、居心地悪そうに話している。

 迷惑をかけてしまった人に、正直なことを話せない子供のような雰囲気だ。

 

 そんな光景を見て、私は不覚にも目の前の少女にある印象を抱いてしまった。

 

 ――最初会ったときより、いや、これはもとから……

 

「優しいけど恥ずかしがりなだけ?」

 

「…………」

 

 聞こえてしまっていたようだった。

 

 




更新がしばらく途絶えてしまい、申し訳ありませんでした……。
自分ルールで更新は二週間以内と決めていたのですが、まさか自分で破ってしまうとは。

次回は、一週間以内に挙げます。残りタイムリミット的にも、頑張ります。


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第13話 少女ふたり

「優しいけど恥ずかしがりなだけ?」

 

「…………」

 

 思わず本音が漏れてしまった。

 

「あ……ご、ごめんなさい!つい……」

 

「……キにしナイ」

 

 少女はそう短く呟くと、ふいっとそっぽを向いてしまう。どうやら気にしているみたいだ。

 同時に、私と同じラギアクルスの鱗を用いているのであろう蒼い外套が、ふわりと広がる。

 その仕草がごく普通の子供たちのそれに似ていて、私は親近感を覚えた。以前会ったときの言動から、私は間違った印象を彼女に対して抱いてしまっていたようだった。

 

「そっか。ありがとね」

 

「…………」

 

 その後、私がしばらく黙ったままだったので、少女はちら、とこちらを窺い見た。何かもの言いたげな目をしている。

 彼女にとって、自ら声をかけることというのは、こちらの言葉に応対する以上に難しいことなのだろう。私は自然体で楽に構えることにした。実際の心の内はあまり余裕のある状態とは言えなかったけど(嬉しさなどのせいで落ち着かないのだ)これくらいならやってのけられる。

 

 ここまで考えて、はて、と疑問に浮かぶことがあった。

 今、あまりにもあっさりと会話が出来ているけれど、これはおかしいことではないかな、と。口調は片言になってしまっているけど、聞き取れないほどのものではなかった。

 おとぎ話によれば、目の前の少女は私よりずっと年上で、尚且つヒトという種族と話すのは途方もないくらい久々なことなのでは?

 言葉を使う必要のある機会が、目の前の少女に果してあったのだろうか。

 

 そんなとりとめのない考えは、たどたどしい少女の言葉によって打ち止められた。

 

「――あやマッテ、オれいヲいワないトいけナイ」

 

 それは彼女の口から飛び出した、予想だにしない一言だった。

 

「え、えっと……お礼を言われるようなこと、私したかな?」

 

 少し面喰いながらも率直な疑問を投げかけると、少女は僅かに目を伏せて答える。

 

 

「…………ウミのカミさまヲ、ヤっつけテくレタから」

 

「――――」

 

 

 つ、と息が詰まった。胸のあたりをとんっ、と叩かれたかのような感覚。

 まさか、あのとき……

 

「――見てたの? 半年前の、あれを」

 

「……たタカいがおワって、さっテいくトころダケ」

 

「…………そっか。まあ当たり前だよね」

 

 確かに、あのときの私はたったひとりで、とてつもない古龍種と戦っていたのだ。海も森もさぞ荒れたことだろう。

 少女が感づいて、見に行くのは容易に想像できた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 深海に住まう古龍種ナバルデウス。別名、大海龍(たいかいりゅう)

 その大きさは、かの砂の海の主ジエン・モーランに匹敵し、圧倒的なまでの生命力をもつ。

 ラギアクルスを優に超える巨体から放たれる攻撃の数々は強力無比の一言で、特に水のブレスは深海から海面までその渦を軽々と届かせるほどだ。

 比類なき力を持っていながら、それまでその姿を目撃されることさえ絶無だった伝説上の存在だった。

 

 そんな龍がある日を境に、モガ村の近くの海底遺跡に居座ってしまった。同時に、モガの森周辺では地震が頻発するようになる。

 モガ村に何度も被害をもたらしたその地震は、ナバルデウスが異常に発達した片角を遺跡に何度もぶつけていたのが原因だった。

 当時、モガ村にはギルド本部から避難勧告が発令され、壊滅は必至とされた。

 

 それを、私たちで阻止したのだ。ナバルデウスの撃退という方法で。

 実際に戦いに赴いたのは私だけだけど、村人たちが決死の覚悟で整備した海中バリスタと撃龍槍(げきりゅうそう)がなかったら、私は死んでいたと思う。

 アイシャなど、ギルドの命令を無視するという重大違反を犯しておきながら、私を海底遺跡に向かわせたのだ。本当は私を止めて、避難を誘導する立場にあったのに。

 村の願いを一身に背負った私は、みじめに負けて帰ってくるわけにはいかなかった。

 

 戦いは二日間に渡って続いた。撃龍槍を発射した回数は実に三回にもなる。三十発以上あったバリスタの弾も打ち尽くしていて、ギリギリの状態での決着だった。

 陸に上がってナバルデウスが離れていくのを確認した後、その場で私は気を失ってしまい、丸一日目を覚まさなかった。

 再び意識が戻ったとき、そこは既に自室のベットの上で、看病をしてくれていたアイシャが泣きながら抱きしめてきたのが印象に残っている。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「…………ん?」

 

 まってまって、とあのときの自身の状態を思い出す。去り際だけ見てたとするのなら……もしかして?

 

「あのとき倒れてた私を運んでくれたのって……?」

 

「わタシだケど」

 

「…………うわー……」

 

 思わず呻き声をあげてしまった。どうりであんな辺鄙な場所から私を見つけることができたのだ。彼女に背負われたのは、前回のあれが初めてではないということ。しかも意識がないのだからたちが悪い。

 なんだか彼女にお世話になりっぱなしな気がして、とても恥ずかしかった。

 そんな私の苦悶を知ってか知らずか、少女はやんわりと微笑んで言った。

 

「あレのせイで、トウさんがこわレテしまいソウだっタ。ダかラ、アりがトウ」

 

「ど、どういたしまして……」

 

 父さんとは確認するまでもなく、彼女の背後に鎮座する遺骸のことだろう。おとぎ話の「彼」であろうものだ。

 私が大海龍を退けたことで、彼女にとってかけがえのない大切な存在を守り抜くことが出来たのだ。それはとてもうれしい誤算だった。

 気恥ずかしさのせいでどもってしまったけど、私はどうにか返答することができた。

 

 その後、彼女は言葉を発しなかった。こちらの言葉を待っているような雰囲気だ。

 いきなり本題に切り込もうとはあまり思えなかった。もっとこの時間を共有しておきたいという気持ちの方が大きい。

 私は、他に気になっていた質問を重ねることにした。

 

「幾つか話したいことがあるんだけど、大丈夫?」

 

「あア、カまわナイ」

 

「それじゃあ一つ目。貴方は竜人族なのかな?」

 

 おとぎ話の事実を確かめるための質問の一つだ。

 人間か竜人族かの判定は耳を見ることが一般的だが、彼女の場合は長い銀髪に隠れて判別することができなかった。

 

 私の言葉を反芻していた彼女は、しばらくしてからその意味を理解して答えた。

 

「タしかニ、わたシはリュウじんゾクなのダろウ」

 

 そう言って、左手で髪をかき分ける。そこには、尖った形状をしている耳があった。竜人族に代表される特徴の一つだ。

 かの種族は、その成長の仕方、寿命も人間と比べて遥かに長く、数百年生きている人物も少なくないという。

 だとしたら、おとぎ話との年月の差異もクリアできたと見ていいのだろうか。

 

「ホかに、ナにカ?」

 

「うん、もうひとつ」

 

 これさえはっきりとすれば、彼女はおとぎ話の少女で間違いないことがほぼ確信できる。

 ただ、少女がそれを意図的に隠しているとしたら、嫌な思いをさせてしまうかもしれなかった。少し、言葉を濁す。

 

「あなたのその右手は……」

 

「アあ、これカ」

 

 しかし、そんな私の憂慮とは裏腹に、少女はあっさりと私の質問の意味を理解して、答えた。

 

「わたシハ、カたほウノうでガないんダ」

 

 そして、外套をめくって隠れていた右腕部分を露わにする。

 そこには――――

 

「デも、コレがアルからコまルことハなイ」

 

 肩から先から、無骨な形をした木の義手が取りつけられていた。

 彼女にとっては、もう当たり前のことなのだろう。だから、別に私に隠す必要もなかったということか。悪い展開にならずに済んで、私は内心ほっとしていた。

 

「そっか……」

 

 そして、分かったことがもう一つ。

 巨大な竜の全身骨と、そこに住む片腕の竜人族の少女。

 

 彼女は、おとぎ話の少女と同一人物だ。

 私は既に確信していたので別段驚くこともないが、否定しようのない事実が分かったのは大きいように思えた。

 

 それにしても、あの義手は彼女が自らの手で作ったのだろうか。だとしたら、手先がとても器用なのだろう。

 よく見ると一本の棒ではなく、しっかりと関節部分で曲がるようになっているようだ。他にも所々に細工が仕組まれているように見える。

 

 いったいどのような仕組みになっているのだろうかとじっと見つめていると、その沈黙を彼女は質問が終わったと解釈したようだった。

 

「とキどき、あナタをコノもりデみテた」

 

 最初よりは気楽な様子で、私に話しかけてくる。

 そしてその内容は、また私が知りもしなかった割と衝撃的な事実だった。

 

「え、本当? 全然気付かなかったよ……」

 

「トおクからミテたかラ」

 

 少し考えてみれば、当たり前のことなのだろう。

 私はモガの森にはもう何度も足を踏み入れていたから、この周辺を庭のように走れるであろう彼女が私を見る機会は多かったはずだ。

 

「ソラのオウさまモ、ワたシはタオせなカッた。けど、アなたガたおシテくれタ」

 

「うん」

 

 空の王様とは、リオレウスのことだろう。

 

「だカラ――」

 

 ここで、少女の目に僅かに迷いの色が混じったように見えた。小さく開きかけた口を一度閉じて、言うべき言葉を選んでいるようにも見える。

 少し不思議に思ったけど、気にしないことにして黙することで先を促した。

 彼女はしばらく逡巡していたが、やがて意を決したように口を開いた。

 

「ダかラ、ケンをカエせなカった」

 

「――――え?」

 

 いきなり本題に切り込まれて、私は動揺した。今までの展開と今の言葉の、つながりが見えない。

 

「こコにキたのハ、アのケンをトリもどスためダトおもウ」

 

「え、えっと……うん。そうだよ。私は、あの剣を返してもらうために、ここに来たんだ」

 

「アノけんハ、ココにある」

 

「……でも、返せないっていうのは……?」

 

「いイヤ、カエせるケド…………」

 

 困惑する私に向けて、彼女もまた辛そうな顔を浮かべて、言葉を続ける。

 

 

「ダけど……デキれバワたしタチをタスけてクれナイか」

 

「あ、あのっ!」

 

 

 どうしてそんなに苦しげな顔をするのか、何を助けてほしいのか。

 いきなり投げかけられた思いもよらない一言に驚きの声を漏らしたあと、それらのことを確かめようとした、その時だった。

 

 

 

 

 

 海につながる道の方から、鋭い汽笛のような咆哮があがった。

 

 

 

 ざわり、と全身が総毛立つ。

 そして、目の前の少女の顔が、一瞬にして強張った。

 

 

 同時に、私は瞬時に事態を把握した。今の咆哮は……ルドロスのものだ。数は分からないけど、恐らくこの入り江に侵入してきている!

 

 海獣ルドロス、その名の通り、海に生息する獰猛な肉食獣だ。黄色いトカゲのような姿、体長は2メートル程で、群れを作って行動している。

 どういった経緯でこの場所を知るに至ったのかは分からないけど、この入り江は彼らが住処にするには最適な環境だった。

 

 そして、今更になってアイシャの言葉が蘇る。

 

 

『防具も道具も戻ってきて、武器だけが戻ってこない。そのことを逆説的に考えると、どうして返すに返せない状況に陥ってしまっているのでしょうか?』

 

 

 ――つまり、()()()()()()だ。現在の状態がまさに、それ。

 

 

 少女がこちらに振り返るよりも早く、私は彼女の横を駆け抜けていた。少女が、驚いた顔を浮かべる。

 

「大剣はあっちだよね!?」

 

「え、あ、ウん。ダケド……」

 

「私が使う! この入り江を、お父さんを、守るんでしょ!?」

 

「ワ、わかっタ」

 

 頷いた彼女は、懐から短剣を取り出してその左手にしっかりと握らせてから、私の後を追う。

 

「貴方も行くの!?」

 

「わタシだっテ、たタカえル!」

 

 私の問いに即答して、彼女は外套を翻した。さっき見た義手を露わにする。

 口を真一文字に結んだ彼女の顔は凛々しく、こんな状況の中でも冷静であることが分かる。戦闘に慣れているのが窺えた。

 

 

 ――当たり前か。

 彼女はもう何度もここを守ってきたのだろうから。

 

 

 恐らく炎剣は、ルドロスたちの侵入を拒むために砂浜に置かれているのだろう。そこに彼らが群れてしまっては回収が難しくなってしまう。

 そして、この入り江に彼らが侵入してしまうと、あの遺骸を守りきるのがとたんに難しくなる。

 

 少女は、剣を返しに行きたかった。でも、()()()()()()()()()()()()

 あの獣たちを撃退するには、私の剣を使って牽制するしかなくて、私に剣を返しに行っている間に彼らが侵入してきたら、そのときこそ終わりだ。

 

 なんという思い違い。

 

 私の前に姿を現さなかったのは、拒絶ではなく、救援を求める無言のメッセージだった。

 

 一カ月という時間が、重い悔悟となって私に押し寄せてくる。

 

 (あと少し)

 

 しかし、ぎりっと歯を食いしばって、後悔を置き去りにして、砂を蹴って走った。

 腰に提げた片手剣の留め具を外して、いつでも抜刀できる体制に持っていく。

 

 私は狩人だ。だから、出来ることを今やってみせる。

 

 彼女の願いを守るためにも。

 

 

 (間に合え――!)

 

 

 私は、砂浜に向けて全力で疾走していた。

 

 




そういえば、このお話に奇面族の彼ら(チャチャとカヤンバ)は出てきません。
ストーリーの展開上、ソナタと彼らを出会わせるとあっさり問題が解決しそうな予感がしたので、あえて出場させませんでした。期待していた方には申し訳ないです。
……いや、初期プロットで存在を綺麗に忘れてたとかそんなわけではないですよ。


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第14話 乱戦

 普段は生き物の影さえない物静かな砂浜に、突如として響き渡る鋭い汽笛。それは、外海からの招かれざる者の来訪を声高に告げていた。

 

 咆哮の主は、海の肉食獣ルドロスだ。彼らがこの場所を知ることとなったのはつい最近のことだった。

 彼らにとって、偶然見つけたこの場所は住処にするのに最適な環境だった。程よい広さがあり、奥行きもある。洞窟状なので風雨をしのぐことができるのも大きい。

 

 しかし、やはりというか先客が既にいたようだった。先日斥候で侵入した仲間がそのまま帰ってこないのだ。

 厄介な存在が居座っているのだろうということは、彼らにも分かった。強大な敵には立ち向かわずに逃げるのが彼らの生き方だ。

 

 ただ、この場所を手放すにはあまりにも惜しい、それだけの価値が、この入り江にはあるのだった。

 一匹一匹の力が及ばないなら、物量で責めて無理やり追い出すのみ。

 砂浜に上陸したルドロスの数は、実に十匹を下るまい。それでもなお、新しい個体が海から飛び出してきている。

 海中の岩陰から、黄色い影が次々と姿を現し始めていた。

 

 

 上陸した彼らは、獣の感性に従って奥につながるであろう通路を目指す。

 この場所だけでは飽き足らない。この奥には何かがあると彼らは気付いていた。

 

 砂浜の中心に突き刺さっていた紅い剣を忌み嫌うように避けながらルドロスたちは進む。

 しかし、群れの先頭がその通路に差し掛かろうとしたそのとき――

 

 ――ざあっ、と。

 蒼い疾風が、彼らの身を撫でていった。

 

 

 一瞬、群れの動きが凍り付く。

 

 そのすぐ後に、盛大に血飛沫と断末魔を挙げながら先頭のルドロスが倒れ伏した。

 彼らがそれを認識したときには、もう既に二体目の犠牲者がその命を赤い血と共に散らしている。

 

 

 群れは、一瞬にしてパニックに陥った。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 出会い頭、その頭に一撃。

 

 繰り出した刺突が深く肉を穿っていったことを感じながら、疾走のスピードを緩めずに次の一撃を新たなルドロスに叩き込んだ。

 

 真っ赤な血が、白い砂浜を染め上げていく。

 

 二頭の悲鳴が群れの仲間の怒号と一緒に挙がる。サーブルスパイクを片手に持った私はその剣に付いた血を払いながら、素早くその砂浜を見渡した。

 

 さっきの入り江よりも、少し大きいくらいの広さだ。やはり周りは岩壁で覆われている。

 そんな小ぢんまりとした場所に、ぱっと見るだけでは正確に数を捉えきれないほどのルドロスがひしめいていた。

 

「多い……!?」

 

 彼らを見て私が零したのは、そんな苦々しい呟きだった。

 これは、群れが一挙に押し寄せてきたのかもしれない。相手も本気でここを狙ってきているのどろう。

 

 ルドロスの軍勢は、口々に咆哮を挙げながら私を取り囲むようにして円陣を作った。

 

 (しまった、あの流れでもう一体くらい狩っておけば……!)

 

 相手側を恐慌に陥らせて、後退させることができたのに。取り囲みは相手に狙いを定めさせないための常套手段だ。

 しかし、後悔している暇はない。均衡状態を招いてしまったらこちらの方がどんどん不利になってしまう。

 

 剣の柄を握りしめて、再び肉薄しようと地を蹴ろうとしたそのときだった。

 

 

 

 カシャン、という耳慣れない機械じみた音が咆哮に混じって聞こえた。

 

 (なに……?)

 

 音のした方向へと振り返ってみると、一頭のルドロスが背から血を噴き出しながら倒れ伏そうとしている。

 

「え……!?」

 

 苦悶の声を上げるルドロスの後ろから姿を現したのは――私に続いて飛び込んできていた竜人族の少女だ。

 しかし、その姿は先程と大きく変わっていた。

 

 首から下をすっぽりと覆っていた外套には、袖を通す部分があったようだ。

 また、腰のあたりを紐で縛ってワンピースのようにしている。

 

 露わになった義手は、ひじの辺りの部分から中折れして鋭い光沢をもつ刃を覗かせていた。

 

 (あれがさっきの……義手の中身だったんだね)

 

 少女は止まらない。片手に持った小剣と義手を双剣のように縦横無尽に振り回して、辺り一帯に血の花を咲かせる。

 

 義手の装着部分に負担がかからないように身体全体を用いた、他に類を見ない動きだった。

 群れの意識は、当然少女の方に引っ張られていく。おかげで、私を囲んでいた円陣が崩れようとしていた。

 

 (――上手い!)

 

 私は舌を巻いた。明らかに場馴れした動きだ。無駄がなく、剣閃ひとつひとつがぶれることなく対象を切り裂いている。それでいて、顔に返り血を浴びないように立ち回っていた。

 モンスターが跋扈する自然の真っただ中で生きているだけのことはある、ということか。

 

「私も負けてられないね……!」

 

 意識を少女に向けているせいで、彼らは隙だらけになっていた。

 小さく呟いた私は、姿勢を低くして音を立てることなく疾駆する。そして、逆手に掴んだ片手剣をがら空きの背中に突き立てた。

 剣を突き刺された相手の口から発される絶叫。その声に怖気ついた他のルドロスは、またバラバラになって統率を失った。その隙を見逃さないように、息を整えながら冷静に追撃を与えていく。

 

 

 戦いは、始まったばかりだ。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 体当たりを受け流し、飛んでくる水球を躱し、反撃の一閃を決める。もう何度目かも分からない繰り返しだ。

 

 もう数頭は倒したはずなのに、群れの勢いは止まる気配がなかった。

 もしこの場に私がいなかったらと思うとぞっとする。これは一人で捌ききれる数じゃない。

 飛びかかってきたルドロスの腹を切り裂きながら、私は一歩足を引いて少女に向かって大声で言った。

 

「私の剣は!?」

 

 この砂浜のどこかにあるはずの大剣。ゆっくりと見つけている暇など全くなかった。

 

「アそこ二つきサシてあル!」

 

 少女が一瞬だけ義手で差した方向を見やると、ここから目測で50歩ほどの場所に、紅い剣が斜めに突き立っている。

 あれはまさしく――

 

「炎剣リオレウスだ……!」

 

 私の愛剣。久しぶりにその姿を見た。

 

 あれさえ手に出来れば、今の一進一退の戦況は大きく変わる。何せ、私の獲物なのだから。

 サーブルスパイクの切れ味には全幅の信頼を置いているが、決定打に欠けてしまうのが難点だった。

 

 少女の方も二本の剣で数多くの斬撃を繰り返しているが、相手を戦闘不能まで陥らせることができずに一進一退を繰り返していた。

 というか、同時に三頭近くを相手して踏みとどまっているのは十分称賛に値する。

 しかし、このままではじり貧に陥ってしまうのは時間の問題だろう。

 

「私あそこまで行ってくる! あなたは!?」

 

「ココにノこル!」

 

「大丈夫なの!?」

 

「スコシだけなラ! ハやク!」

 

 群れを相手取っているとき、こちら側はある程度固まっておく必要がある。それぞれが離れてしまうと、一人当たりの敵の数が増えてしまうからだ。

 今ここで少女を置いて剣を取りにいくのは、私が相手していたルドロスまで彼女の方に向かうということと同義だった。

 

 それを耐えてみせると宣言した彼女は、自分がこれからおかれるであろう状況を理解している。

 その覚悟を、無碍にするわけにはいかなかった。

 

「……分かった! 気を付けて!」

 

 私は少女にそう声をかけると、傍で噛みつこうとしていた二頭のルドロスを片手剣で薙ぎ払い、追撃でそれぞれの腹と頭を裂いて絶命させる。

 少女への負担を少しでも軽くするために、出来るだけ短い時間で炎剣を回収して戻ってきて、道中の敵だけでも全て殺しておく必要があった。

 

 炎剣の突き刺さっている所へ向けて、疾走を始める。目標までに立ち塞がるルドロスの数は、およそ七頭。

 

 一体目。私のいきなりの接近に対応できていなかった。群れの先頭を率いていた個体と同じように、頭に剣を刺して一瞬で沈める。

 

 二体目。順手に持ち替えた片手剣を、下から上に一閃。首を的確に捉えたそれは、しかしなお相手の命を削りきるには敵わず、三撃目の切り落としで倒した。

 

 三体目から五体目は、三匹同時に飛びかかってきた。どうやらここからは一筋縄ではいかないらしい。

 

「――っ、でも、立ち止まるわけにはっ、いかない!」

 

 多少無理をしてでも……迎え撃つ。

 

 衝突する直前に半身をしならせ、右腕を振り上げて片手剣の柄の先を頭部に叩きつける。たまらずバランスを崩すルドロスの間を縫って、丁度すれ違う形で切り抜けた。

 そして、砂地のクッションを利用して反復横跳びし、背後から再度追撃に移る。

 浅く続けていた呼吸を止めて、無酸素運動に切り替えた。疲れるけど、少しの間大きな力を得ることができる。ここで足止めされるつもりはなかった。

 

 先程叩き落としたルドロスを踏み台にして、まずは向かって右の個体に肉薄する。慌てて後ろを振り返ろうとするが、もう遅い。

 素早く手を切り返して、三連撃をお見舞いした。至近距離から繰り出したそれは、無防備な背中に綺麗に吸い込まれていく。

 

 苦しげな悲鳴を漏らすルドロスを尻目に、手を大きく振って剣に付いた血を飛ばした私は反対側の一頭へと切りかかった。

 そのルドロスは、私にどうにか一撃を与えようと大きな口を開けて噛みつこうとしてきた。私は咄嗟に左手を突き出し、()()()()()()()()()()()

 

 

 

 やっと私を捕まえることができたそのルドロスは、しめたとばかりにその腕を食いちぎろうとして、しかし噛みついた人間のあまりの硬さに驚愕している。

 当たり前だ。私が噛みつかせたのは腕を覆う籠手だった。海の王ラギアクルスの素材を使った鎧は生半可な牙など通さない。

 

「かかったね……!」

 

 腕を引っ張られる痛みに顔をしかめながら、私はその首を縦方向に切り裂いた。筋肉繊維の方向に沿って刻まれた斬撃は、深く頸動脈まで達したようで、大量の血をまき散らしながらそのルドロスは力尽きた。

 残すは、あと一体だ。

 

 (よし、この調子で――)

 

 いけるはず、と五頭目のルドロスにとどめを刺そうとした、瞬間。

 

 

「さケテっ!!」

 

 という遠くからの切迫した少女の声に従って、反射的に無理矢理後ろに跳んだ。急な制動を駆けられた足腰が悲鳴を上げる。

 

 それと同時に、ザァンッという大きな音を立てて今までとは比べ物にならないほどに大きな水球が今まで私がいた場所に着弾した。

 砂を深く抉り取ったそれは、弾けた後もしばらくその場でごぼごぼと泡を残す。

 

「――っ!?」

 

 さぁっと血の気が引き、冷や汗が私の背中を駆け抜けた。少女の警告が無かったら、今のは確実にもらっていただろう。

 無防備に食らっていたら危なかった。意識していない方向からの打撃というのは、心身共に甚大なダメージを与えてくる。

 

「あ、ありがとう……! 助かった!」

 

 少し震え声で、少女に心からの感謝を伝えた。自分も戦っているのに、私に迫っている危機をよく把握できたものだ。

 少し見やってみると、相変わらず三頭を相手に留まり続けている。しかし、散らばる屍の数は着々と増えているように見えた。

 しかし、返事が返ってくる様子がない。余裕がなくなってきているのだろう。もともと体力に自信があるようには見えない外見をしているから、早く応援に駆け付けてあげたい。

 

 だが、そんな焦る気持ちとは裏腹に状況は悪い方へと動いているようだった。

 

 生き残っているルドロスが、歓声を挙げながら海の方へ盛んに呼びかけをしている。

 群れの規模のことを考えてみれば、かのモンスターがいるであろうことは必然的に考えられた。

 

 (だけどまさか、よりによって今なんて!)

 

 あんな物量と威力を誇れる水球を放てる存在は、一つしかいない。海の方を向いた私は、憎々しげにその名前を呟く。

 私やルドロスを優に上回る体躯に、大きく発達した前脚。なにより、水をしたたせながらも立派に膨らんだエリマキを持つそのモンスターは――

 

「ロアルドロス……!」

 

 水獣を束ねる群れの長が、大きな地響きと共に上陸し私と大剣の間に割り込んでいた。

 

 




隻腕で義手つけてて双剣と同じ立ち回り……
ある方の作品の主人公と自分でも驚くくらいに設定が被ってしまいました。
上木さん、本当に申し訳ないです……

次回もなるべく早く上げます。
前半部分の主人公の心理描写に分かりずらい部分があるので、改稿を加えていくつもりです。


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第15話 欺く光の攻防

ロアルドロス → 水獣
ルドロス → 海獣     という扱いです


「ロアルドロス……!」

 

 苦々しい私の呟きは、一際大きく響き渡る咆哮にかき消されていった。

 その形相には、憤怒の色がありありと浮かんでいる。群れの一員であるルドロスたちが多く倒されていることに、怒り狂っているようだ。

 統率を失っていたルドロスの群れも、リーダーの出現に従って士気を取り戻し始めていた。

 

 私は条件反射のように背にかけた大剣に右手を伸ばそうとした。

 しかし、その手は虚しく空を切る。苦々しい顔で私は右手を引っ込めた。

 

 (そうだ、今の私は……)

 

 そんな私の葛藤など意にも介さず、ロアルドロスは間髪おかずに私に向かって突進してきた。そのスピードは砂地でも衰えることがない。

 

「くっ!」

 

 一瞬だけ反応が遅れてしまった私は、慌ててその身を突進の進路外へ投げ出した。その横を、ロアルドロスが猛スピードで駆け抜けていく。

 ほっとしたのもつかの間、恐ろしい考えが頭に浮かんだ。

 

 私に攻撃を避けられたロアルドロスはその後に何を見るのか、私と真向かいに突進した延長線上にあるものは……

 

 あの少女だ。

 

 ざわっと全身が総毛だった。それだけは絶対に避けないといけない。

 弾かれるようにロアルドロスの方を向いてみれば、既に少女の方にも気付いてしまったようだ。その周りに散乱する死体を見てさらに怒りが増したようで、鼻息荒く再度突進しようとしていた。

 その目標なのであろう少女の方は、水獣の気配には気付いているようだ。しかし目の前のルドロスの相手に手いっぱいで避けられそうになく、苦しげな顔で剣を振り回し続けている。

 

 (まずい!)

 

 あれを、止めなければ。

 私は咄嗟に片手剣を投擲していた。手持ちの大剣もない状態で唯一の武器を手放すなど論外なことだが、剥ぎ取りナイフを持ち出す暇さえなかったのだ。

 

 投げナイフのように一直線に飛んでいったサーブルスパイクは、運よくそのスポンジ状のタテガミに突き刺さった。

 小さく苦悶の声を漏らすロアルドロス。大したダメージにはなっていないようだ。しかし注意を引きつけるには十分だったようで、再び私の方へと向き直る。

 

「お前の相手は……私だ!」

 

 張り合うように大きな声で言った私は、じりじりとロアルドロスに接近していく。

 対して相手の方は息を吸い込むように首を上に向け、さっきと同じ水球を三連続で放ってきた。

 もろに食らうと非常に厄介な状態になってしまうこの水のブレスだが、今のようにしっかりと意識していれば避けるのは造作もない。大きさと方向を見極め、ひらりひらりとステップを踏むように躱す。

 

 攻撃を全て避けられたロアルドロスは、このままではらちがあかないと判断したのか水ブレスを吐くのを止めた。

 そのかわりに、地面をしっかりと踏みしめるような仕草のあと今度は思いきり飛びかかってくる。

 

 (よし、かかった!)

 

 私は少し安堵しながらも、大きくバックステップした。とりあえず誘い込みには成功。少女から引き離すことができた。

 次は手持ちの武器をどう取り戻すか、だが――

 

 (……寄ってきたか)

 

 私の周りにも、生き残りのルドロスが集まりつつあった。リーダーを筆頭として、数で押し切るつもりのようだ。

 冷や汗が私の背を伝う。

 彼らは今までの私に警戒して慎重になっているようだが、今の私は丸腰同然で攻撃手段を持っていない。襲い掛かられたら打つ手がないのだ。

 

 (――いや、これを使えば)

 

 しかし、そんな状況をひっくり返す策をハンターは持っている。

 要は武器さえ取り戻せば戦える。だとしたら、この策が一番有効だろう。

 

 ゆっくりと左腕を動かして腰のベルトに装着しているポーチから、こぶし大の大きさの物体を取り出しその手に握らせた。

 同様に、右腕の方は剥ぎ取りナイフへと向かわせる。

 状況をリセットするための狩人の秘密道具。ただ、敵が十分近くにいてかつその物体に注目していないと効果を発揮しない。一斉に飛びかかられるギリギリのタイミングを見極める必要があった。

 

 (まだ、もう少し引きつけて)

 

 呼吸を落ち着けて、手に掴んだそれを持ち上げていく。急な動きをしては相手もすぐに飛びかかってくるので焦りは禁物だ。

 私の手にある見慣れない何かに、ルドロスは否応なくその視線を集めることになる。

 

 (3……2……1……)

 

 じりじりと、ルドロスたちが探るように距離を詰めてくる。

 少女が戦っている喧騒もどこか遠くへ置いていき、動き出すのは私か、ルドロスたちか――。

 

 そのとき、私は声を張り上げた。

 

 

「目を()()()!!」

 

 戦闘中の少女がしっかりと聞こえるように。

 瞬間、私は右手に持っていた物体を手放す。と、同時に左腕で顔を覆い、

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今まさに飛びかからんとしていたルドロスたちは、私の不可解な行動に半数が身構え、半数が足に力を込めた。

 だが、それらはもう遅い。

 

 ナイフがその物体を切り裂いた瞬間、暴力的なまでに明るい光が彼らを襲った。

 

 腕越しでも、漏れ出す光だけで閉じているはずの視界が真っ白に染まる。

 とたんに溢れる、怒号と絶叫の嵐。

 

 凄まじい光でモンスターの動きを止める道具「閃光玉」を私は使ったのだ。

 

 目を開けてみると、凄惨たる光景が広がっていた。

 悲鳴を挙げながら転げまわっている者、夢遊病者のようにふらふらとあちこちをさまよう者、全て、今の光によって目を焼かれたルドロスたちだ。

 かのロアルドロスでさえ、たたらを踏んで何かを振り払うかのように首を振っている。

 

 (そうだ、あの子は!?)

 

 被害を受けていないだろうか。人がもろに食らってしまえば暫くの間何も見えなくなってしまう。

 焦りを感じて見やってみると、辛そうにしながらも再び剣を構えようとしているのが見えた。どうやら影響は少なかったらしい。

 目をつむれ、と言わなくてよかった。あの光は瞼など軽々と貫通してくる。目をつむる程度は到底防げるものではない。

 しかし、向こうのルドロスたちにも効果は届かなかったらしく、中断された戦闘が再び始まろうとしていた。

 

 (大丈夫そうかな……って、ゆっくり見てる暇なんてない!)

 

 今のはサーブルスパイクを取り戻すための一手だ。

 私は出来る限り音を立てないように、ロアルドロスの側面へと回り込む。視界が閉ざされた今、相手が自分たちを感知するには音と匂いしかない。

 幸い今は周りのルドロスたちも口々に悲鳴を上げているため、音だけで私の居場所を特定することは出来ないだろう。

 

 明後日の方向を向いているロアルドロスに対して、私はそのタテガミに浅く突き刺さっているサーブルスパイクを抜き取った。噴き出た血が、黄色のスポンジを朱色に染めていく。

 同時に私は、壁蹴りの要領でロアルドロスの体を蹴って距離を取った。

 

 苦しげな声を漏らし、忌々しげにこちらに向き直すロアルドロス。出血の痛みを振り払うように爪を払ってくる。既にその場から離れていた私は、その闇雲な攻撃から逃れていた。

 続いてポーチから手のひら程度の容器を取り出し、栓を取ってその中身を一気に呷る。

 決して甘いとは言えない。しかしそれなりの清涼感のあるゼリー状の回復薬が、私の喉を潤していった。

 

 (次は……)

 

 閃光玉の有効時間を経験則で判断すれば、まだ時間の余裕はありそうだった。周囲のルドロスは依然ふらふらとしている。

 その間に出来ることは、周りのルドロスを攻撃しておくか、炎剣を回収しに行くかの二択だ。

 

 (……状況をよくするにはやっぱり炎剣を取りに行った方がいいね)

 

 一瞬だけ逡巡した私は、後者を選択した。ルドロスの数を減らすのも大切だが、片手剣だけで戦うのにも限界がある。

 そして、この限られた時間を無駄にしないためにも地を蹴ろうとして――

 

 丸太のように太い何かに強かに背後から打ち据えられた。

 

「か、はっ――」

 

 視界がぶれる。

 それに気付いたころには即座に地面に叩きつけられていた。受け身を取ることもできない。その強い衝撃に、臓腑が押しつぶされるような重圧が加わった。

 

「ぐ……!」

 

 腰から方にかけて、焼けるような痛みが走り抜けていく。思わず悲鳴を上げそうになったが、歯を食いしばってそれを耐えた。

 手足には反射的に力が入り、一刻も早く立ち上がろうとしている。

 

 (今のは……尻尾?)

 

 動転しかける意識をどうにか押さえて、痛みに支配されないようにそれ以外のことを必死に考えた。

 ロアルドロスの薙ぎ払った尻尾に当たってしまったのだろう。砂浜を満たすルドロスの悲鳴のせいで、風切り音さえ聞こえなかった。

 暴れてくるとは運が悪い。いや、あるいは――

 

 ふらふらと立ち上がって、手放さなかった剣をしっかりと握りしめた私は、尻尾が飛んできた方向へ振り返る。

 結局追撃が来なかったことを不思議に思いながら。

 

「嘘、でしょ……」

 

 そして、愕然とした。

 一瞬見間違いなのかと思ったが、そんな甘い幻想は現実の前に無力だった。

 

 剣を構えなおす私の顔はさぞひどいことになっているのだろう。受け入れるしかなくても、信じることは出来なかったのだ。

 

「いくらなんでも、立て直すの早すぎるよ……!」

 

 ロアルドロスが憤怒を湛えた双眸で、こちらを確かに見ていることが。

 怒りに満ちた咆哮が、砂浜に響き渡った。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ルドロスの何倍もの大きさを誇る巨体が、私を押しつぶそうと突っ込んでくる。

 右斜め前に大きく前転することでそれを避けた私は、起き上がりざまにその後ろ脚を水平に切り裂く。幾ばくかの出血と共に、新たな赤い線が刻まれた。

 そのまま二撃目へとつなげようとしたが、直感で剣を引いてサイドステップ。距離を取った。

 

 すると、その一瞬後に水球が今まで私がいた場所に着弾する。二撃目を決めるために踏み込んでいたら被弾していただろう。

 大きさはそれほどでもなく、ルドロスのものであることが分かる。しかし、当たると厄介な状態になってしまう点は相変わらずで、決して無視できない攻撃だ。

 

 ほっとするのもつかの間、またも背後から迫るさっきとは別のルドロスと、振り上げられたロアルドロスの尻尾が挟み撃ちのように私を襲ってきた。

 

「――――っ!」

 

 僅かに息を吐いて、その尻尾から背を向けた。ルドロスの方に向き直って剣を構える。

 そのまま駆け出し、目の前までルドロスが迫ったところで跳躍。鎧の重さのせいであまり高くジャンプすることは出来ないが、上手く突進を躱すことができた。

 左右ではなく、真上に避けられたのは予想外だったらしく慌てて振り返ろうとするが、その側面からは統領の尻尾が風切り音と共に迫っている。

 

 尻尾に見事に打ち据えられたルドロスは、私のすぐそばまで吹き飛ばされて甲高い悲鳴を上げる。

 私はその首筋に素早く剣を閃かせた。今度は致命傷だったようで、血を吐きながらそのルドロスは絶命した。

 

 (――息が詰まるな……)

 

 囲い込もうとするルドロスたちをけん制しながら、焦燥にも似た気持ちで呟く。

 あのままロアルドロスと攻防を繰り返し、立ち直ったルドロスたちと再び戦線を開いてしまってから数分が経過している。事態は泥沼化しつつあった。

 砂浜は既に十頭を超したであろうルドロスの死体と血で彩られており、心なしか空気も淀んできているような気がする。

 ただ、今になってそのルドロスの討伐数も一気に減った。理由は明白。あのリーダーが現れたからだ。

 

 彼の支持は的確だった。主に動くのは自分で、部下には遊撃を任せる。消耗戦に持ち込んで、私たちのスタミナ切れを狙う気なのだろう。

 私はそんな状況下でも戦える自信があるが、少女の方が心配だった。

 私は大きく息を吸い込み、大声で呼びかけた。

 

「そっちは大丈夫!? きつくない!?」

 

「――――ダイじょうブ、だっ!」

 

 少しの間をおいて、返事が返ってくる。だが、その内容とは裏腹に、声は息切れを必死に押し隠しているようだった。

 これは、いよいよまずいのかもしれない。捌ききれず、被弾し始めている可能性もあった。

 

 ぎりっと歯噛みする。――なんて、情けない。

 

 あの子に負荷ばかりかけているくせに自分は戻ってこず、大剣さえ回収できていない。

 ロアルドロスのころがり攻撃とルドロスの噛みつきを同時にいなしながら、私は悔しげな表情で呟いた。

 

「一撃の重さが、全然足りないよ……!」

 

 そう、火力不足。これに尽きるのだ。

 私の片手剣は手数を重視するから、重量は軽めに作られている。

 片手剣を主力に用いるハンターはもっと剣先を重くして殺傷力を上げるが、剣筋がずれやすくなる。私にはそれを制御できるだけの繊細さを持ち合わせていなかった。

 さっきまで順調に敵を殺せたのは、一撃に力を籠められる状況であったからで、乱戦になった今はその軽さが逆にネックになってしまっている。

 

 (やっぱり、大剣を取りに行くしかない)

 

 この状況を打開するには、周囲一帯を薙ぎ払えるくらいの広範囲かつ重い打撃を与えられる武器が必要だ。

 それができるのは、あそこに突き刺さっている炎剣のみ。目測で二十歩ほどのところにある。

 しかしロアルドロスは私のそんな思考を読んでいるのか、あの剣の恐ろしさを知っているのか、決して私をそこに近づけようとしない。賢い統率者だった。

 今も私と大剣の間に立ってボディプレスを仕掛けてくる。いつもならガードしてやり過ごすが、今は周りのルドロスの動向を見ながら後ろに飛び退くしかなかった。

 

 (どうする……いや、まだこれが一つだけ残ってる)

 

 砂に膝と手をついて受け身を取りながら、ポーチにあと一つだけ残っているのであろう閃光玉の感触を確かめた。

 もう一度これを使って隙を作れば、その脇をすり抜けて大剣を回収できるかもしれない。

 

 しかし、この道具にはある欠点があった。これを使うたびに、モンスターはその光に慣れて効果が薄れていってしまうのだ。一回目に比べて、立ち直るのがぐっと早くなるはず。

 取りに行っているうちに背後から水球でも食らったら目も当てられないことになる。

 

 (しかもあいつ……たぶん閃光玉のことを知ってる)

 

 ハンターとの交戦経験がある個体なのだろう。そこで閃光玉を使われ、その仕組みを学習した。

 そうでもないと、あの復帰の早さは説明できない。

 

 「だったら、なおさら近くで炸裂させる! ――閃光玉もう一発、使うときに合図するから!」

 

 私はそう彼女に向けて言って、今度は自ら突貫する。

 取り巻きのルドロスたちは、私がロアルドロスに肉薄している間は積極的な攻撃をしてこないようだ。巻き込まれる可能性があるからだろうか。

 ただ、こちらの動向には常に神経をとがらせて見ているようで、閃光玉を使う方としてはまさに願ったり叶ったりだ。

 

 後は、この厄介なロアルドロスにどのタイミングで使うか、だ。

 それについては、先程からある策が浮かんでいた。振り払われる左手を避けて、懐の中へと入りこむ。

 どうせ、どんなに近くで光を浴びせたところであのモンスターはすぐに立ち直ってしまうだろう。

 だとしたら、その短い間に何をするかが重要になってくる。当然、何もしないで愚直に大剣を取りに行くわけにはいかない。

 

 薄くタテガミを裂いて意識をそらさせてから、右後ろ脚まで駆け抜け、尻尾の付け根辺りに陣取る。

 そして、さっきつくった傷跡に重ねるようにして二連撃を加えた。先程よりも確かに深い手ごたえが私の手から伝わってきた。

 ロアルドロスは尻尾を振り上げ、執拗に攻撃する私を薙ぎ払おうとする。

 

 私は剣をしまわずに右手でロアルドロスの背中に手をついた。そのまま屈伸し、跳躍。垣根を飛び越えるような形で、左後ろ脚のそばに着地した。

 当然、尻尾の一撃は不発となっている。攻撃のために踏ん張り、隙だらけになった後ろ脚に剣閃を叩き込んでいく。

 ひとつひとつの攻撃は丁寧に、力を込めて、筋に沿わせること。

 片手剣の基本的な教えに沿った斬撃は、余裕がなかった時と比べ明らかに深い傷を刻んでいた。

 

 (これくらいにしといて、と)

 

 僅かに怯むロアルドロスを尻目に、私は早々に今自分が経っている場所に見切りをつけた。そして再びタテガミの下、彼にとっての死角部分へとその身をすべり込ませる。

 いくら取り巻きが攻撃しづらいとはいえ、同じ場所に居座り続けていては何かしらの攻撃を加えてくるだろう。敵を翻弄させたいとき、停滞は禁物なのだ。

 

 巨体の影に隠れ、正座立ちになって目の前の立派な厚皮を切り裂こうとした私だったが、不意にその影が消え去った。ロアルドロスが大きく首をもたげたのだ。どうやら移動した時点で捕捉されていたらしい。

 

「――やばっ」

 (しかも、ボディプレスじゃないとか!)

 

 焦りのせいか読み違いが連発し、うめき声を漏らす。バックステップだけでは避けられそうもない。

 せめて装甲のしっかりした部分で衝撃に備えようと、後退し背を向けた瞬間に、私に向かって右の方へロアルドロスは転がった。

 その重厚な肉壁に引っかけられて、私は盛大に吹き飛ばされた。急速に加速度を加えられ、体中が軋むような悲鳴を挙げる。自分の体が宙を舞うという状況は、強烈な違和感と恐怖を刻み込んでくる。

 

 ただ、それくらいの衝撃で正気を手放さないくらいには、私もハンターを続けてきたのだ。さっきのように予想と対策ができていなかった場合は話が別だが。

 

 目まぐるしく移り変わる視界の中で地面がどこにあるかを探し、姿勢を安定させるためにお腹の底に力を込める。

 地面を捉え次第そこに向けて膝頭を向け、吹き飛ばされている方向とは逆向きになるように手足をひねって折り曲げる。

 そして着地。ひっくり返らないように前傾姿勢を保ったまま膝から下の足で速度を殺し、手をついて上半身を制御した。この時点でロアルドロスの方に顔を向けることが出来るようになる。

 結果、片膝立ちで手をついたような格好で静止した。

 

 受けたダメージは最初の衝撃分くらいしかない。

 吹っ飛ばされている間にここまでのことをすべてやるのだ。既に反射に近い反応なのかもしれなかった。

 

 (――――あっ……)

 

 衝撃の余韻はともかく、着地の時点で動けるようになっていた私は、しかしその場から動こうとしなかった。

 ある考えが閃いたのだ。いつ突破口が開けるのかと焦りばかりが募る中で、それはまさに名案と言えた。

 

 (これなら、いけるかもしれない。あいつを……欺けるかも)

 

 そのためには、このまま項垂れておくことが大切だった。取り巻きのルドロスに、そしてそのリーダーに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が。

 たくさんの目線が私に突き刺さっているのが、ひしひしと伝わってくる。

 

 遠くから、少女が声をかけているのが聞こえた。ただ、その声はこちらの身を案ずるものではない。こちらが見えているのなら、おそらく気付いているのだろう。

 私の今の体勢は、手負っていては決してできないであろうことに。そしてその手にある片手剣がわざとらしく地面に突き立てられていることにも。

 どちらかというと、少女の声に濃い疲労が混じってきていることの方が心配だった。肩で息をしているかのような声だ。

 

 (待ってて。もうすぐ、もうすぐで助けに行けるから!)

 

 心の中でそう叫びながら、私は唇をぐっと噛みしめた。




今度はかなり長くなってしまうという。ばらつきが大きいですね。
次回までは早い間隔で上げられると思います。


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第16話 血溜まりに咲く花

竜の遺骸がある入り江の広さが30メートル四方ほど
現在戦闘中の砂浜が50メートル四方ほどとなります。

砂浜は海に面していて、ルドロスたちはそこから侵入してきたかたちです。


 あの少女を守りたい。殺させたりなんて、しない。

 

 (待ってて。もうすぐ、もうすぐで助けに行けるから!)

 

 心の中だけでそう叫び、しかし身体は片膝立ちの状態のまま力なく項垂れる。

 もちろん、これは演技だ。弱っているように見せかけることは、ハンターたちの間でも割と知られている手段だった。

 呼吸の回数を増やし、浅くする。丹田以外の筋肉をできる限り弛緩させ、伸ばしていた手を折り曲げる。腹部の辺りをおさえて、先程吹き飛ばされたときに手痛いダメージを負ったかのように振る舞った。

 

 ロアルドロスを含む取り巻きたちは、そんな私に疑念と殺意のこもった目線を送り続けていた。

 幾度となく不意打ちのような攻撃を受け続けていたからだろうか、かなり用心深く見守っている。だが、私も折れるわけにはいかない。周囲に再び緊張の静寂が訪れた。

 

 この作戦で一番危ないのは、相手が私にとどめを刺そうとせずに放置した場合だ。注意引きつけ役の意味が全くなくなってしまう。

 これで彼らがもし私に興味を失って少女の方に向かおうとするなら、私はすぐに立ち上がって阻止しに行かなければならない。

 

 そのまま何秒が経過しただろうか。

 なかなか行動を起こさない彼らに、私が焦りを感じ始めたそのとき、

 

 ばしゃん、とすぐそばで水球がはじけた。――これは、ルドロスのものだ。

 咄嗟に身をぐらりと傾かせ、すんでのところで手をついて踏ん張れなかったような仕草をする。それを見て疑いが晴れたのか、殺意のこもった咆哮があちこちで挙がりはじめた。

 しかし、私がその口元ではにやりと笑みを浮かべていることに、彼らは気付かないだろう。

 

 (かかった……!)

 

 僅かに顔をも上げて、上目づかいにロアルドロスの顔を窺う。すると予想通り、水球を放とうと首をもたげていた。相手との距離は、目測で七歩分程か。

 音もなく立ち上がり、疾駆する。

 そのすぐ後に、いくつもの水球が今まで私がいた場所を埋め尽くしていた。

 

 ルドロスの声の質が変わったことに、ロアルドロスは気付かない。そのまま、水球を目標めがけて打ち出す。

 そしてその目標がいなくなっていることと、周囲の部下が悲鳴にも似た鳴き声をこちら見向けてあげていることに気付いたのか、唸り声をあげて後退した。

 結果、それが仇になるとも知らずに。

 

「目を守れーー!!」

 

 私はそう声を張り上げながら、前のめりに倒れこんだ。

 その不可解な行動に、ロアルドロスを含めた全てのルドロスの注目が集まる。やはり手傷を負っていたのかと、安堵しているのだろうか。

 

 

 一秒後、私の三歩程後ろで、光の爆弾が弾けた。

 

 

 再び絶叫が響き渡る。

 

 

 狩人と戦っているとき、賢いモンスターは道具を見るとかなり警戒するらしい。あれで手痛い目に陥りやすいことを学習しているのだろう。

 あのロアルドロスは、閃光玉を使われる直前に瞼をしっかりと閉じていたのだ。恐らく意図的に。

 私がそれをつかう仕草を少しでも見せたら、目をつむるつもりだったのだろう。

 

 その習性を逆に利用したのだ。ロアルドロスが私を目視する前に閃光玉の安全ピンを抜いて地面に落とし、私はその場に倒れて閃光をやり過ごした。

 そして、顔を上げてみれば……先程と同じような光景が再び広がっているわけだ。

 ロアルドロスの方はというと、さっきよりも明らかに狼狽した様子で頭をふらふらとさせている。目論見は、どうやら成功だったらしい。

 

 (今だっ!)

 

 私は、ロアルドロスから大きく迂回して走り出した。脇をすり抜けていくのは危険な気がしたからだ。

 すると案の定、彼はその場で闇雲に暴れはじめた。まるで、自分の身に何か纏わりついているものを払うかのように。

 それは、私に肉薄されるのが嫌だからか、先程よりもひどく蠢く暗闇から逃げ惑おうとしているのか。――――それとも、背後にある大剣が私の手に渡るのを恐れているのか。

 

 (……賢いリーダーだよ。まったく)

 

 そんな悪あがきに構っている暇はない。同じくふらふらとしているルドロスたちをすり抜けて、私は一目散にその先を目指す。

 ただひたすらに、炎剣の方へ向けて駆けた。

 

 途中、閃光玉の被害を受けなかったルドロスがこちらへ向かってきていたが、剣も抜かずに走り去る。少女がいる方向とは逆方向だから、気にかけることもなかった。

 ときにその体を飛び越え、包囲を掻い潜って、しかし速度は緩めない。

 思えば、片手剣しか背負っていないからこそできる芸当だった。残念ながら、私に合ってるとは言えないけれど。

 

 そんなことを思いながら、わき目も振らず、最短距離を最速で疾走する。

 

 目測五十歩の距離が、ぐんぐんと狭まっていく。

 

 三十……二十……十……

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 そこに辿りついたのは、走り始めてから十数秒近くたった後だった。やはり砂の上は走りにくさが半端じゃない。

 

 ただ、ここまで来るのに苦労した時間を考えれば、実にあっけない気もした。

 

 目の前に突き刺さる、炎剣リオレウス。

 その柄を、しっかりと握りしめる。

 

 

 そしてそのまま、ありったけの力でそれを引き抜いた。

 

 

 砂が舞い、その全身が露わになる。

 

 真紅の甲殻に彩られた荒々しいデザインの峰と、堅牢な骨に鉱石を塗布した鋭利な煌めきを放つ刀身。

 細かな砂を滴らせながら、紅い翼が、二カ月ぶりにその姿を見せた。

 

 私にとってはもっと長い間だった気がする。

 

 (これじゃあまるで、恋人みたいだね。――――おかえり、私の相棒)

 

 今度は両手で、万感の思いを込めて柄全体を握りしめた。その腕を、背後へと移していく。

 

「でも、今はゆっくりしてられないんだ。……ごめん、力を貸してね。――助けたい、女の子がいるんだ」

 

 昔々のおとぎ話に出てくる、優しくて、恥ずかしがりやで、とても強かな女の子だ。

 

 私は炎剣に、そう小さく、悼むように声をかける。

 そして優しく、しかし素早くその刀身を背負い、もと来た道を戻るために駆け出した。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 足を踏み込んだときの砂の沈み具合が、さっきより確実に大きいはずなのに妙に心地よく感じる。

 背中でずしりとその存在を主張する炎剣の重さに、幾年来会っていなかったかのような懐かしさも覚えた。

 やはり、長年お世話になってきた愛剣なだけのことはあるということか。行きよりも帰りの方が、足取りが軽い気がする。

 

 (これは重傷だなあ……)

 

 こんなに炎剣に愛着を注いでしまっていては、海王剣が浮かばれない。私は少しだけ苦笑を浮かべた。

 しかし、そんな感慨にも似た気分とは不釣合いなほどのスピードで私は駆ける。

 

 その先にはロアルドロスがいた。混乱が落ち着いたのか、忌々しげに首を振って閃光玉の呪縛から解き放たれようとしている。

 

 (ちょっと間に合わない……かな)

 

 今の自分の速度から到達時間を割り出して推測する。まあ、不意打ちが効かなくなるだけだからそこまで気にすることもない。

 彼らは私に対して相当な怒りを覚えているはずだ。あえてそういう風に立ち回ったのだから、間違っても少女の方には向かわないだろう。

 

 そう判断して、私は改めて砂浜全体を俯瞰した。改めて状況を確認する。

 ロアルドロスの後ろには、同じく混乱が鎮まりつつあるルドロスたちの姿がある。

 

 さらに奥の方では、少女が入口を死守するために立ち塞がって――――いなかった。群がっていたルドロスさえいなくなっている。

 

「――っ!?」

 

 一瞬、最悪の予想が頭をよぎった。しかし、周辺を見ても少女の倒れ伏している姿などどこにも見えない。

 続いて浮かんできたのは、通路を突破されてしまったのではないかということ。あれだけ海竜の遺骸を大事に思っていたのだから、その後を追っていってもおかしくはない。

 だとしたら、ますます救出が難しくなってしまう。無視できないモンスターの群れを前に、苦い顔をしながらもこれからの展望を描こうとした。

 

 

 しかし、そんな思考が目の前で打ち砕かれる。

 ロアルドロスが突如として大きく怯み、もんどりうってこちら側に背を向けるようにして転倒したのだ。風圧で砂が盛大に吹き飛び、一際大きな悲鳴が響き渡る。

 

「――えっ!?」

 

 いったい何が起こったのか、状況に頭が追い付かない。

 

 目を白黒させる私を置いて、事態はどんどん進行していく。閃光玉による拘束から立ち直ったのだろうルドロスたちは、リーダーの危機に浮き足立ち、統率を失っていた。

 ロアルドロスはどうにか起き上がろうと必死のように見えるが、未だに視界が閉ざされたままなのだろうか、バランスがとれずに足掻いている。

 

 (いったい何が――――)

 

 それでも走る速さは緩めなかったので、現場はどんどん近づいていた。

 私は困惑しながらも、ギリギリまで現状の観察を続けようと目を凝らす。

 

 そのとき、ロアルドロスの顔から血飛沫と共に小さな影が飛びだした。

 私の目が、驚きに見開かれる。

 

 

 ところどころ血に塗れながらも輝きを失わない銀髪に、動きに合わせて舞うワンピース。

 何より、その袖から延びる細い腕と無骨な刀身が、その存在をより一層際立たせていた。

 垣間見える幼げな顔は、相変わらず全く返り血を浴びていない。疲労の色を滲ませながらも、表情は凛々しく引き締められ、荒い息づかいさえ様になっている。

 

 何人も寄せ付けないような鋭い気迫に、入り込む余地はない。

 

 血塗れた女剣士とは、この子のことを指すのだろう。そう思えるくらい美しく、鮮烈さを刻み付ける姿だった。

 

 

 言葉を失う私を前に、しかし彼女は私の足音に気付いたのだろう。

 

 その顔をこちらへと向けて――――ふっと、頼もしげに微笑んだ。

 

「タのんダ!」

 

 その声が、呆然としていた私を引き戻す。

 少女はすぐにその笑顔を引っ込めて、私の目を見て頷いた。

 

 ここは任せる、全力で決めてほしい。と、その瞳が雄弁に語っていた。

 私も、それに応えるように頷き返す。

 

 

 同時に、抑えがたい衝動が私の身を駆り立てた。

 猛る感情に従って、大剣の柄に右手をかける。それに沿う形で、左手も柄を握った。

 

 ――ここであの子の期待に応えなければ、この二カ月のすれ違いの意味さえなくなるような気がして。

 

 力を籠めはじめる私の体が、やっといつもの感覚を取り戻したと歓喜の声を挙げている。片手剣のみでの戦闘は、やはり性に合わないようだ。

 目標は、ロアルドロスの背中部分。前脚の辺りと決めた。

 

 ――この一撃が、最初の出会いを意味あるものだと証明できると信じて。

 

 体重と速度を乗せるために、体を前傾させる。砂に沈み込む足を、強引に前へと進めていく。

 

 ――大剣を持った私は強い、ということをあの子に示すために。

 

 抜刀。限界まで引き絞った腕を大きく振りかぶり、遠心力を味方につける。

 

 

 ――おとぎ話を終わらせないためにも。

 

 (任せて!!)

「――らあああぁぁぁっ!」

 

 心の中で力強く返事をして、腹の底から雄叫びをあげて。

 

 

 ――決まれ!!

 

 

 全身全霊の斬撃を、まっすぐに叩き落とした。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 真紅の炎が、その剣に迸ったように見えた。

 陽炎のような空気の揺らめきが、美しい半円状の軌跡を描く。

 

 切っ先を熱で染め上げる剣閃は、そのままロアルドロスに振り落とされ――――

 

 

 爆炎が、その剣を覆い尽くした。

 

 

 その斬撃の邪魔をするものはなにもない、炎を纏った刃は骨さえも荒々しく焼き切っていく。

 炭化した肉が切った跡を黒く染め上げ、その後に血を吹き流すことさえ許さない。

 もはやそれは、切断というより溶断に近いものだった。

 

 結果、あっさりと剣はその身を地面へと委ね、煙と火の粉を噴き出ながら斬撃の余韻を残し、

 

 脊髄を断ち切られたロアルドロスは、くぐもった断末魔を挙げてあっけなくその命を散らした。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 いったい何が起こったのか、少女には分からなった。

 地面に刺さる大剣を、呆然としながら見つめる。

 

 彼女の見通しでは、ロアルドロスはそう簡単に倒れるはずがなかった。

 ソナタという女性の抜刀切りで手痛い傷を負わせ、あとは二人で押し切るつもりだったのだ。

 

 ただ、剣から溢れ出す爆炎は少女の適応力を遥かに上回るものだった。

 刀身を包み込む紅蓮の炎。

 切っ先の触れた端から全て燃やし尽くしていくそれは、少女の目には幻のように映った。

 

 ふたを開けてみれば、一撃。たった一回の斬撃でルドロスたちのリーダーは息絶えていた。今までソナタを苦しめていたモンスターは、もう起き上がることはない。

 

 取り巻きのルドロスたちも事態を把握できていないのか、ざわざわと様子を窺っている。

 ここにいる皆が、目の前で起こった出来事を信じることができていなかったのだ。

 

 しかし、そんな懐疑にまみれた雰囲気は、ソナタによって切り払われることとなる。今まで、時間がひどくゆっくりになったかのように感じていた気がした。

 

「――よい、しょっ……と」

 

 ソナタは別段変わったことなどしていないかのように、大剣をゆっくりと持ち上げた。砂に埋もれた刃が引っ張り出され、真っ黒に焦げた肉がぼろぼろと零れ落ちていく。

 鉄錆の匂いで充満している砂浜に、肉を焼いたときの薫香がいやに現実味を帯びて漂ってきた。

 再び大剣を手に取り立ち上がったソナタは、その場でくるっと振り返り、少女の顔を見て苦笑を浮かべて言った。

 

「あー……、思い切りやりすぎたかな?」

 

 自分は信じられないものを見たような顔をしていたのだろう。少女はソナタの表情を見て悟った。でも、立ち直るにはもう少し時間が欲しかった。

 ソナタは少女を一瞥したあとルドロスの方に向き直り、すうっと息を吸い込む。

 

 そして、大剣を思い切り地面に突き立てた。ざん、という重い音が木霊し、その刀身には、僅かながらも再び火が走る。

 火花と火の粉が弾けるように剣の周りを舞っていた。

 静まり返るルドロスたちの群れを見回して、ソナタはゆっくりと口を開いた。

 

「さて……君たちさ、死にたくないなら逃げてね?」

 

 その声は、つい先程私に話しかけたソナタの声とは思えないほどに冷たく、しかし何かを抑えているかのように震えていた。

 少女は弾かれるようにソナタの方を向く。

 

 彼女の表情は、餌を見つけた飢狼のそれだった。

 

 その蒼い鎧は返り血に染まり、全く血塗れていない大剣と相成ってその存在をより一層際立たせていた。

 

 何人も寄せ付けないような鋭い気迫に、入り込む余地はない。

 

 

 孤高の女剣士とは、彼女のことを指すのだろう。

 ソナタの隣で剣を構えながら、少女はふと、そう思った。

 

 




次回より、更新ペースが一気に落ちてしまうと思います。
ただ、二週間一回更新は守っていきますので、もうしばらくお付き合いください。


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第17話 代償を背負って

ソナタと少女が再開するまでの期間を一カ月から二カ月に、また、少女の海竜の遺骸に対する台詞を変更しています。
相次ぐ設定の後付けで読者の方々を混乱させてしまい、申し訳ないです。



 その後は、一方的な展開となった。

 

 群れの長の死に浮き足立っていたルドロスたちは、私の威迫によって敗北を悟ったようだ。

 悲鳴のような鳴き声を次々と上げながら、一目散に海の方へ逃げていこうとする。

 

 その後列を、私と少女は次々に薙ぎ倒していった。

 

 双剣が荒れ狂う嵐のように相手の背後を切り刻み、その出血によって動きが鈍ったところを私が炎剣で仕留めていく。

 まさに、阿鼻叫喚の光景だろう。

 

 しかし、手加減するべきではない、ということは少女も気付いているようだった。

 ここで彼らが逃げ去っていくのをむざむざ見逃してしまっては、それだけこちら側も消耗していると錯覚されるかもしれないのだ。

 ルドロスたちは群れのリーダーが死亡すると、他の群れに合流するか縄張りを持たない単独のロアルドロスの元へと居つく。

 そうすることで所持者のいなくなった縄張りを素早く取り戻し、再び繁栄するための環境を確保していくのだ。

 

 そして、再びここへと攻め込んでくるだろう。今回よりさらに多くの仲間を連れて。

 

 それを未然に防ぐためには、ルドロスたちに圧倒的な敗北を認識させてかつ、とても強い恐怖を植え付ける必要がある。

 この場所に居座る敵には近づいてはいけない、と本能に刻み込ませるのだ。

 

 ルドロスたちは私たちの怒涛の挟撃に追い立てられて、パニックに陥っていた。

 もはや連携どころか反撃のために立ち塞がる個体もいない。我先へと海を目指すばかりだ。

 

 (それにしても……本当に、凄い子だね)

 

 炎剣でルドロスを薙ぎ払いながらも、私は驚嘆の思いで目の前を駆け回る少女を見ていた。

 

 さっきどうしてロアルドロスの近くまで行けたのだろうと砂浜の入り口辺りを見てみると、そこにはルドロスたちの亡骸が積み重なるようにして転がっていた。

 簡易的なバリケードのようなものを作ったのだろうと思うが、確かにルドロスたちにはとても有効な策だろう。

 

 彼らはその体格上、隙間を縫うことなどには優れている代わりに壁のような障害物は苦手とする傾向がある。

 ジャンプするなり踏み越えるなりといった方法で乗り越えることはできるだろうが、好き好んで行う手段でもない。

 よって、そんな障害物の多い場所は自然と興味を示さないようになるのだ。

 

 恐らく少女はそれに気付いたうえであのバリケードを作ったのだ。そうしないと入り江に向かわれる不安を残したままこちらに来ることはありえない。

 しかも、ルドロスは人間の大人くらいの大きさがあるため、自ら運ぼうとはせずに、上手く相手を誘導して近くで倒すみたいなことをしていたのだと思う。

 思わず唸ってしまうほどの冷静な判断だった。

 

 そんな彼女は表情から見て取れるほどに消耗しており、肩で息をしている。

 しかし、振るう腕だけは気合で保っているのか速度を落としておらず、剣閃も正確さもまったく鈍っていない。

 その手にはどれだけの執念が込められているのだろう。窺い知ることのできない気迫を、私は感じ取っていた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 もともとこの空間はあまり広くない。

 ルドロスたちが撤退しきるまでにそれほど時間はかからなかった。

 私たちの刃から逃れたルドロスは次々と海へと飛び込んでいく。その脚や腹は踏みしめた仲間の血に濡れていて、海の色を淀んだ赤色に染めていった。

 

 逃げ遅れたルドロスを私と少女で挟み撃ちにして倒し、他に陸上に残っている個体がいないか確かめるために辺りを見回す。

 

 すると、波打ち際を見やってみると最後の一頭が海に向かっているのが見えた。

 少女がそれに気付いて駆け出すよりも早く、私はそのルドロスへと接近していた。

 

 これで決めたい。絶対に決めてみせる。

 

 泥沼化していたこの戦いの最後を決定づける一撃だ。今まで出し惜しみしてきた分も含めて、けじめをつけられるような終わらせ方にしたい。

 また、海が近いために多量に出血させるのは控えたいところだった。

 

「――――そのための礎になってもらうよ……!」

 

 必死で逃げようとするルドロスに、私はそう宣言した。見逃す心算など全く持ち合わせてはいない。

 

 追いつく直前に、私は担いでいる炎剣の峰から突き出している突起の一部を左手で軽く引っ張って固定する。

 

 その直後に抜刀。

 

 ルドロスたちを相手取っていたときより明らかに大きな空気抵抗が刀身にかかり、剣そのものが重くなった。

 同時に、ごうっという音を立ててロアルドロスを焼き殺した火が再び蘇る。いつ見ても心を震わせる鮮やかな紅色の炎だ。

 剣の生み出す炎によって髪の毛が舞い上がり、強い熱量に首筋がちりちりと痛みを訴えている。

 

「これで――」

 

 足を踏ん張り、剣の重さで体が後傾しないように全力を注ぐ。

 

「終わりだ……!」

 

 振り下ろした腕の先、私の目の前を鮮やかな真紅の燐光が駆け抜けていった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ロアルドロスに対して放った一撃と同じくらいの爆炎がルドロスを包み込む。

 私は膨大な熱から顔を守るために深く俯き、息を止めて火の粉を吸い込んでしまわないようにしていた。

 

 数秒後、再び顔を上げたとき私が目にしたものは、その身を黒く焦がして煙を上げながら横たわるルドロスの姿だった。傷跡は全て焼かれて、その血を晒すことはない。

 他の個体は既にここから脱出したのだろう。砂浜は静寂を取り戻し、炎剣がぱちぱちっと火の粉を飛ばすだけとなっている。

 

 防衛線は、終わったのだ。

 

「――――ふぅ……」

 

 私は大きくため息をついて、地面に刺さっていた炎剣を引き抜いた。

 と、ふらりと体がぐらつき、慌てて体勢を立て直そうとする。が、うまく足に力が入らない。咄嗟に剣を杖代わりにして、なんとか倒れるのを防ぐことができた。

 

 私自身もかなり消耗していたようだ。緊張がほぐれて一気に疲労が襲ってきたのだろう。

 大きな負傷はしていないが、やはり序盤の苦戦が疲労の原因だと思う。慣れないスタイルで戦うのは、負荷が大きかったようだ。

 

 さっきと同じように、炭化した繊維が砂と一緒にさらさらと落ちていく。血糊まで燃やし尽くしたのか、刀身は無骨な白色を取り戻していた。

 つくづく私にはもったいない一振りな気がしてくる。二カ月ぶりに使ったというのに、その炎は衰えることを知らない。

 

 (いや、あの子もこの剣をしっかりと手入れしてくれたんだね)

 

 炎剣は溶かした鉱石をモンスターの骨に塗布することで錆びにくくなってはいる。しかし、二カ月も放置すれば流石に傷んでしまうだろう。

 少女が何かしらの手入れをしてくれたからこそ、私はその力を存分に振るえたのだ。

 砂を払って納刀しながら、私は少女へ向けて感謝と労いの言葉をかけようとして振り返る。

 

「ありがと――」

 

 その先には、身体をぐらりとふらつかせて今まさに倒れようとしている少女の姿があった。手を使って受け身を取ろうともしていない。

 

「――っ!?」

 

 背負おうとしていた剣から手を放し、少女を支えようと走り出す。

 だが、既に少女は限界だったらしく、とさっという音を立ててうつぶせに倒れこんでしまった。その場で死んだルドロスの血が跳ね返り、彼女の顔を赤く染める。

 そしてそのまま、動こうとしなかった。

 

 氷のように冷たい恐怖が、私の身を襲った。

 何が起こったのか把握できないまま混乱しそうになる思考をなだめて、少女のもとへと駆け寄る。

 

 (あんなに頑張って戦ってたのに……ううん、だからこそだ……!)

 

 無理をしすぎた結果なのかもしれない。臓腑と血に塗れた義手が、そのことをいやに印象付けていた。

 私は急いで彼女の体を横たわらせて、顔色と意識の有無を確認しながら声をかける。

 

 

「大丈夫!? どこか痛かったり、目が見えなくなったりしてない!? 私の声、聞こえてる!?」

 

 私に頭を抱え上げられた少女は、しかし私の声掛けにも応じないまま、苦しげに短い呼吸を繰り返している。美しい銀髪は乱れ、清淑な顔には玉のような汗がいくつも浮かんでいた。

 焦りと不安がどんどん大きくなっていく。応えがないというのはこんなにも恐怖を駆り立てるものなのか。

 しかし、少女の体に目立った出血は見られない。外套越しからでも、そのことだけは確認できた。返り血も多いが、それと鮮血との区別は容易だ。

 だとしたら、体の内部、内臓などにダメージがあるのかもしれない。

 

 私は少女の軽く肩を揺さぶってみた。手足はだらりと弛緩していて、なすがままになっている。どこか痛みがあれば、そこに向けて腕が動くはずだ。

 

 しかし、それ以上手が動くことはない。怪我の痛みによる失神というわけではなさそうだった。

 

 血の気は引いていて顔色も悪いが、とりあえず命に別状はない。私はほっと胸を撫で下ろした。

 

 でも、意識は朦朧としているのだろう。私の問いかけに反応を示さないのが何よりの証拠だ。

 私は急いで右手の籠手を外し、少女の左腕の手首を持って脈を図る。

 

 (……早い! 全力の出しすぎだよ……!)

 

 どっどっどっ、と休む間もなく少女の心臓が早鐘を打っているのが伝わってきた。

 少女の脈拍は尋常でないほどに早く、そして浅かった。これは絶対に苦しい。立っていられないのも頷ける。

 

 彼女は息を継ぐ間もなく、長い間戦い続けてきたのではないだろうか。私でさえ、息が上がりだす前に僅かな休憩時間を設けていたというのに。

 戦闘の間は適度に息抜き時間を作らないと、いくら頑丈な狩人であろうとすぐに消耗してしまう。ずっと気を張り巡らしておくのは、肉体的にも精神的にも凄まじい負荷がかかるのだ。

 それを無理やり抑えて、戦い続けた結果が、今の少女の姿だった。

 

「……落ち着いて。息を心臓の音と合わせて。苦しいと思うけど焦らないで。大きく、大きく息を吸って――」

 

 今の私には、そうやって声をかけながら呼吸のしやすいように膝枕をして、手を添えることしかできない。

 どこかで筋肉がひきつけを起こしたのか、つ、と少女の顔が歪む。少し身をよじって痛みを振り払うような仕草をした。

 

「頑張って、今は耐えて。じっとしておかないと……そう、いい子だね。ゆっくりで良いんだ。

 大丈夫、私たちはルドロスたちを追い払ったんだよ。安心して――」

 

 それは半分、私自身に対してのかけ声でもあった。

 今ここで焦って少女をどうにかしようとしても、彼女が混乱してしまってもっと酷い状態に陥ってしまう。

 私はソロで戦ってきたことの方が多いため、負傷者に対する心構えは全くと言っていい程に持っていなかった。そのため、どうしても不安が募ってしまうのだ。

 

 だからせめて声掛けをすることでそれを紛らわそうとしたのだが、しばらくしてその必要はなくなった。

 

 また身体のどこかでひきつけが起こったのか、少女が眉間にしわを寄せる。手の指が反射するようにぴくっと動いた。

 それが引き金となったのか、少女はそのまま薄目を開けて、ぼんやりとしたまま私の顔をその瞳の中に写したのだ。

 

 思わず、その双眸をまじまじと見つめてしまう。

 深い暗緑色をした少女の目は、確かに私の目を捉えていた。そしてそのまま、荒い吐息と重ねるようにして言葉を紡ぐ。

 

「……あいツラは、オいはラッたのか……?」

 

 「うん、うん。そうだよ。ルドロスたちはもう戻ってきてない。私たちは、守り切ったんだよ……」

 

 私はひどくゆっくりと、順番に少女の耳に入っていくように話した。

 今は安心させることが、何よりの回復術だ。気が楽になれば、呼吸も少しは落ち着いてくれるだろう。

 そして私の予想通り、少女の顔には少しばかりの余裕が見られるようになった。僅かながら口元を緩ませ、微笑みを浮かべたのだ。

 

「ソウ……か。……ヨかっタ」

 

 安堵の吐息を織り交ぜながら、少女は言葉を続ける。

 

「――すこシまえト、オナじだケド、ぎゃクだ」

 

「……うん? それってどういう……?」

 

 少女の言葉の意図が読み取れず、私は首を傾げた。同じだけど逆、というのはどういう意味だろうか? よく分からない。

 そんな私を見て少女は笑おうとしたが、息が詰まったのかけほけほとせき込んだ。慌てて背中をさすろうとする私を「だイじょうブだ」と言って制し、目だけで笑って言う。

 

「アナタが、ウミのカミさまヲおいハラったトキ……ワたシはコウしてたケド、オぼエテない?」

 

 その言葉に、はっとあのときの光景が蘇った。

 

 (そういえば――)

 

 私がナバルデウスとの戦いのあとに倒れたのは、今の少女と全く同じ理由によるものだ。緊張の糸が切れたと同時に、その場で崩れ落ちてしまった。

 自分が疲れている感覚すらなく意識が落ちたので、あれはもう余程消耗していたのだろう。

 そんな私を介抱してくれたのは、他ならぬ目の前の少女であったことは先程聞かされたばかりだ。

 

 ただ、あのとき、何かに支えられ、声をかけられなかったか?

 意識を失ってしまっていたからそのあたりをほとんど思い出せないのが心苦しいが、彼女もまた、私をこうやって膝枕していたのだろう。

 気付けば、私も笑みを零していた。

 

「ふふ、そうだったかも。だったら今は、私がお返しする番だね」

 

 そう私が言うと少女は小さく笑って、しかしふと真面目な顔になると不安そうに言った。

 

「コこ、チガたくサンなガレてる。ダイじょうブ……?」

 

「あっ……」

 

 少女に言われて、初めて気が付いた。ここは今、とても危うい環境だ。

 ルドロスたちの臓腑と血が辺り一面に広がり、海にも流れ出している。また、ロアルドロスが広げたのであろう穴から、拡散していっているはずだ。

 現在近隣に大型モンスターはロアルドロスしかいなかったはずだが、ガノトトスなどの魚竜が紛れ込まないとも限らない。早く手を打たなければならなかった。

 

 (とりあえず、消臭だけでも……)

 

 私はベルトに付いたホルダーの中から、小さなボールのようなものをいくつか取り出した。

 

「そうだね。まずは匂いを消さないと。ちょっと煙が出るけど、我慢して」

 

 そう少女に伝えて、そのボールをすぐそばの地面に叩きつける。

 すると、ポキュッという音と共に清涼な香りを含んだ粉が舞い上がり、こびり付いた鉄錆の匂いを消していった。

 少しだけ驚きの表情を浮かべている少女に、私は新たにボールを手に取って言った。

 

「これは消臭玉っていうんだ。血とかの匂いを消すのに使うんだよ」

 

 簡単な説明だが、用途はこれだけしかないシンプルなものだ。

 これをいくつか撒いておけば、いくらかはましになると思う。

 

 私は少女を抱き上げて、血に汚れていない砂浜に寝かせた。彼女は相変わらず体が自由に動かないのか、もどかしそうにしている。

 

「今は私に任せて。これを撒いてくるだけですぐに戻ってくるから。じっとしといてね、妖精さん?」

 

 私がそう言うと、少女は静かに頷いた。

 それを見た私は、消臭玉をどの範囲で何個使うべきかを考えながら立ち上がる。

 

 (まずは、流血が多いところを優先して……)

 

 とりあえずの目星をつけ、身を翻して歩き出そうとしたそのときだった。

 

「…………アストレア」

 

 少女の呟きに、足が止まる。振り返ると、少女が不満そうな顔をこちらに向けていた。

 

「わたシノなまエだ。ヨうセイさん、じゃナイ」

 

 どこか困ったような色合いも含んだ声。私は数瞬後に、その意味を悟った。

 ――名前を教えてくれたのだ。

 少女の言葉を口の中で噛みしめる。

 

「アストレア……」

 

 彼女の雰囲気に、なんとなくしっくりくるような名前だ。むしろぴったりと言えるかもしれない。

 

「うん、分かった。アストレア、良い名前だと思う。これからはそう呼ぶけど、いいかな?」

 

 私の問いかけに、少女は当たり前だ、とでもいうような表情で頷いた。

 思わず笑みを浮かべてしまう。それを見た彼女は訝しげな顔をして何かを言おうとしていたが。私がそれを遮った。

 

「じゃあ、私も名前を教えないとね。これからは私の名前もそう呼んでほしいな」

 

 そして、未だに息の荒い彼女にも聞こえるようにしっかりと、微笑みながら言った。

 

「私の名前は、ソナタ=ネレイス。ソナタでいいよ。よろしくね。アストレア」

 

 

 




消臭玉の効果を一部変更しているのでご了承ください。


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第18話 森閑たる凱旋

 砂浜をぐるっと一周するようにして歩きながら消臭玉を使っていくと、先程までのむせ返るような血の匂いが幾分か治まった。

 とりあえず、衛生環境は改善されてきていると考えても良いだろう。

 

 また、この球はある特定の現象を活発にさせる成分を含んでいる。

 それは死体の自然消滅――死肉を食べる小さな生き物や、モンスターが持つ死亡後の身体の自然分解などだ。

 もともとモンスターの死骸は一日も経てば跡形もなくなってしまう。骨などは残ったままになることがあるが、大抵は分解されて地に還る。

 それを促進させているのだから、数時間もすればこの惨状もいくらかましになると思う。

 

 ただこの道具をもってしても、海中に流れ込んだり、砂浜に滲みこんでいった血液はどうにもならない。

 その刺激的な匂いに連れられて、肉食モンスターが来るかもしれないのだ。

 

 また、消臭玉を大量に使った後は息が苦しくなることがあるらしい。

 文献によると、目には見えないが死肉を食べている小さな生き物たちも呼吸をしているので、彼らが活発に活動すればその分その場の空気を奪ってしまうのだそうだ。

 今、砂浜は彼ら分解者たちにとっては天国のような場所のように映るだろう。なにせ、餌が大量にあるのだから、どうなるかは容易に想像がつく。

 出来るだけ早く、竜の遺骸のある入り江への方へと戻っておきたかった。

 

 

 小走りで少女の元へと戻ると、彼女は地面に手をつきながらも自ら身を起して座っていた。その様子に、私は軽く驚いて声をかける。

 

「あれっ? もう大丈夫なの?」

 

「あア……もうスコしでタてルとオモう」

 

「そっか」

 

 意外だった。あんなに消耗していたはずなのにもう立ち上がることができるのか。常人なら今は手足を動かすことすら億劫なはずだ。

 しかし、よく見てみればさっきまで血の気の引いていた顔は大分生気が戻ってきており、息こそまだ荒いが先程より落ち着いてきている様子が窺えた。

 目の前で義手に付いた血を拭っている少女――アストレアの回復力には目を見張るものがある。ポーチから水の入った革袋を取り出しながら、私は内心で舌を巻いていた。

 

「なら、もう水が飲めそうだね。出来ればたくさん飲んでおいた方が良いよ」

 

 そう言いながら革袋を差し出した。「アりがとウ」と言ってそれを受け取った彼女は、こくこくと美味しそうに水を飲んでいく。余程喉が渇いていたのだろう。

 

 なにはともあれ、大事にならなくてよかった。これだけ回復していれば、もう私の手助けは必要ないかもしれない。

 何度も息継ぎしながら革袋を呷る少女の姿を見ながら、私はそんなことをぼんやりと考えていた。

 

 

 水分を取ったことでますます疲労回復が進んだのか、しばらくすると少女は私の手を借りながらも立ち上り、歩けるようにまでなった。

 自分の思い通りに足が動かないことに彼女は不満そうにしていたが、座ることすら難しいだろうと考えていた私は拍子抜けした気分だ。

 

 そしてちょうどそのころ、モンスターたちの死骸の分解が始まったようだった。

 曝け出された肉や臓腑が、ゆっくりと変色していく。これ以上ここにいると息が苦しくなって危ないかもしれない。

 

「そろそろここから出たほうがいいかも。さ、抱き上げるよ」

 

 彼女にそう声をかけてしゃがみこむ。しかし、少女はなかなか私の元へ来ようとしなかった。不安そうに私の背中を見ている。

 ――はて、私に抱っこされることについて不都合なことがあっただろうか?

 

 一瞬だけ逡巡した私は、しかしすぐにその理由へとたどり着いた。

 

「そっか、私が剣を背負ってるから? 大丈夫。火はもう出ないから安心して! まだまだ余裕もあるしね」

 

 炎剣が先客になっているのをすっかり失念していた。あんな派手な斬撃を見たら、しり込みしてしまうのは当たり前のことだろう。

 ただ、今私が言ったように炎は絶対に出ることはないし、いくら疲れているとは言っても、年端もいかない(私より年上だろうが)少女を抱っこしたところでどうにかなるほど私は軟じゃない。

 

 私の申し出をアストレアは断ろうとしていたが、入り江に戻るまでの通路にルドロスの死体のバリケードが築かれているのを思い出したのだろう。観念するように私に体を預けてきた。

 そんな様子に苦笑しながら、私は「よい……しょっ」と立ち上がる。

 

「うん、それで私の首の方に手を回して。あ、剣の刃の部分に生身で触れないように気を付けてね。君の服なら大丈夫だとは思うけど」

 

「わかっタ」 

 

 少女は素直に頷き、おずおずと私の肩に手を回してくる。その顔は少しだけ強張っていた。

 まるで、自分以外の生物に久しく生身で触れあっていなかったかのような、そんな振る舞い方だった。

 

「それじゃあ、行こっか」

 

 右肩から左腰かけて大剣を構え、両手で少女を抱き上げながら、私は通路に向かって歩き出した。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ざく、ざく、と私が土を踏みしめる音が通路に響き渡っていた。

 砂浜などと違って光源が一切ないはずなのに、その通路は最低限の明るさを持っており、その幻想的な雰囲気に肩入れしている。

 

 そんな道を、少女はゆっくりと歩く。

 その背には先程この場を通った時にはなかった大振りの剣が担がれており、両手で小さな女の子を抱きかかえている。

 

 足取りは決して意気揚々としたものではなかったが、彼女たちにとってそれは明らかに勝利の帰還だった。

 静かな、静かな凱旋だった。

 

 そこに互いへのねぎらいの言葉もないのは、今までの激戦の疲労によるものなのだろうか。

 

 ――――それとも、何か予感めいたものをお互いに感じているからだろうか。

 

 まるでそのことを口にするのを避けているかのように。

 

 

 彼女たちのすぐ目の前にはもう、明るい光が差し込んできていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「――――よし、この辺りでいいかな。立てる?」

 

「うン」

 

 海に面している砂浜と、竜の遺骸のある入り江はそんなに離れているわけではない。

 あの竜が通ったのであろうこともあって、通路はひとつの空間と見間違えるほどに広く、平坦だった。(入り口も巨大だったのだろうが、たくさんの石と枝で狭められていた)

 さっきここを駆け抜けた時には砂浜が途方もなく遠くに感じたものだったが、もう一度通ってみれば拍子抜けするほどに入り江と砂浜は近かった。

 

 先程私と彼女が出逢った辺りで、私はアストレアを地面に降ろす。

 彼女はそっぽを向いて「ありがとウ」と小さく呟いた。随分と子供らしい仕草だ。

 今まで生きてきた環境的に、お礼などの類は言い慣れていないのかもしれない。私はくすぐったくなって少しだけ笑った。

 

 そんな私の様子に訝しげな表情を向けていた彼女だったが、やがてふらふらとおぼつかない足取りで歩き出す。

 目指す先には、海竜の遺骸。

 

 

「……特に被害はなかったみたいだね」

 

 今まで私たちが戦ってきたことを忘れてしまう程に、それは何も変わっていなかった。

 少しばかり苔むした背骨や、一部が地面と同化した尻尾が、かの竜がここにいた年月を物語っている。

 

 気付けば、私も少女を追いかけて歩き初めていた。

 なんだか、そうせずにはいられなくなったのだ。何かしらの使命感のようなものが、私の足を動かしていた。

 

 私の足音を気にした様子もなく、ざく、ざく、と一歩一歩をしんどそうに進めていた少女は、しばらくしてやっと竜の元へたどり着く。

 そのすぐ後ろから私は彼女の傍へと歩み寄ったが、今度は何も声をかけることはなく、視線をちら、と向けるのみだった。

 

 改めて竜の方へと向き直った彼女は、不意に表情をふっと緩めて、竜の鼻の先をそっと撫でた。触れれば傷ついてしまうかのような、繊細で優しい撫で方だ。

 顔は地についているのに、その鼻の高さでさえ少女が少し背伸びをしなければならない。改めて、目の前の存在が規格外に大きいことを覚えさせられる。

 その後少女は、とん、と軽く手を置いて、少しだけ体を竜の方へと預けた。

 

「…………」

 

 竜の鼻に手を置いたまま、自分がここに生きて戻ってきていることを再認識するかのように身を預けていた彼女だったが、しばらくしてゆっくりと話し出した。

 

「……よかっタ。だれモここにハきていなイ」

 

 まるで見てきたかのように話す。それは事実なのだが、なんとなくそれとは別の観点からの言葉のような気がした。

 首をかしげる私に、しかし気付くことなく少女は言葉を続ける。

 

「ここまデこられルわけにハ、いかなかっタから」

 

 積年の友と話しているかのような、親しげで、安心感を滲ませた話し方だった。

 先程の激戦を思い浮かべているのだろうか。その顔は笑っていたが、苦々しさも混じっている。

 

 私は口をはさまずに、ゆったりと構えて沈黙を貫くことにした。

 竜の遺骸にアストレアが話しかけている光景が、とても自然に映ったからだ。そのことに違和感を覚えないことに対して違和感を抱くほどに。

 

 人が植物や動物に話しかけるそれとは、一線を画している。

 目の前に人がいて、言葉を交わすことなど当たり前のことのように。

 

 それに割り込むことはしなかった、と言うより、できなかった、というのが正しいのかもしれない。

 

「わたシ、がんばれタ?」

 

 今度は疑問形で、少女は物言わぬ竜に話しかける。

 その顔のも期待の色が表れており、なにかを成し遂げて褒められるのを待っている子供のようだった。

 当然返事はかえってこない。しかしそのことは気にも留めずに、ずっと立っていることに疲れたのか少女はその場にぺたんと座り込む。

 

 そのすぐ後に、少し顔を赤らめて俯いた。

 

「……うン。……ありがト……」

 

 えへへ、と恥ずかしそうにしながらも満足げな顔で笑顔を浮かべている少女に、私は驚きを隠せなかった。

 

 (会話……してる、よね)

 

 アストレアの方だけ見れば、誰だってそうだと答えるだろう。

 どうやら褒められたらしいことも、彼女の外見相応の笑顔を見れば分かる。

 

 (う、うーん。これはどういうことだろう?)

 

 おとぎ話世界(アストレアには失礼だが)では私の常識がどんどん覆されていくようだ。

 まさかとは思うが、本当に幽霊のようなものがあの遺骸に宿っていたりするのだろうか?

 

 (……ああでも、だったらあの威圧感の理由もつくのかな?)

 

 あれには得体のしれない何かを感じた。もっとも、今は雄大さは感じても圧倒されるものでもないが。

 混乱気味の私を置き去りにして、彼女は一人でどんどん話を続けていた。

 

 そして唐突に、私の名前が呼ばれたのだ。

 

「……え? そっチのひト? ああ、えっト、ソナタ、だよ。わたしヲ、たすけテくれタ」

 

「……はい?」

 

 急に話題を振らたため、思考が停止してしまった。

 しかし少女はそんな私の様子に気付くことなく、竜に私のことを紹介していく。

 

「そなたハ、すごクつよイ。わたしよリ、ずっと、ずっト」

 

「……っ」

 

「あんな二たくさんいタうみノあばれもノを、せんぶおいはらっタ」

 

「え、あ……、と」

 

 さっきとは見違えるほどに饒舌な彼女に対して、私はそれを制止することさえできない。

 急な話に戸惑っていたのもあるが、アストレアがあまりにも誇らしげに私のことを話していたから、意識がそちら側に割かれてしまったのだ。

 

 それだけ心を許してくれたとすれば嬉しい限りなのだが、どちらかというと話して伝えることに慣れてきたといった感じだろうか。

 独特な口調も大分なめらかなものになってきていて、より人の話し方に近くなったきていた。

 

 (って今はそんなこと考えてる暇ないっ)

 

 別の方向へ行こうとする思考をどうにか追い払って、置いて行かれつつある会話に追いつこうと口を開く。

 

「あ、あのっ!」

 

「ん? どうしタ?」

 

 思わず大きくなってしまった私の声に驚いたのか、アストレアは振り向いて不思議そうに私の目を見てくる。

 その深い緑色の瞳に浮かぶ疑問の瞬きに急かされるようにして、私はたどたどしく言った。

 

「ええと、その目の前にいる竜の名前とかいろいろ知らなかったからさ、できれば紹介してくれたらなって……」

 

 それで、私の困り具合に気付いたのだろう。アストレアはそういえば、といった顔をして、申し訳なさそうに言葉を返す。

 

「そう、だっタな。ソナタは、とうさんのことを知らなイ」

 

 そして、ふむ、と思案顔になって目線を落とす。どう私に説明したものか考えているのだろう。

 なんだかこのまま立ちっぱなしで待っているのもどうかと思い、私は背中の大剣の留め具を外して座り込んだ。

 

「はなセば、ながくなル」

 

「全然大丈夫。まだあの場所に入れるようになるまでは時間がかかりそうだからね」

 

「……わかっタ。そレなら」

 

 私の間髪ない返答を聞いて決心の付いたらしいアストレアは、小さく深呼吸をすると自身の言葉を確かめるかのようにゆっくりと話し出した。

 

「とうさんは、わたしをたすけてくれタひとダ」

 

 そして私は、再び驚愕をもって彼女の生い立ちを聞くこととなる。

 

「――――わたしガ、このうでをなクしてから10ねんくらイがタつ」

 

 おとぎ話の年代設定を根本から覆す一言が、彼女の口から飛び出した。

 

 

 




こんにちは。お久しぶりです。

まずは謝罪から。
更新が大幅に遅れてしまい申し訳ありませんでした!

言い訳ばかり言っても、一カ月以上も音沙汰なかったことは事実です。
長らく読者の皆さんを待たせてしまったことを、ここで謝罪します。

これからの更新も遅れ気味になってしまうと思いますが、流石に今回のような真似はしないです。
物語の完結まで、もうしばらくお付き合いください。


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第19話 少女が夢見たもの

 

「――――わたしガ、このうでをなクしてから10ねんくらイがタつ」

 

 特に感慨もなく、アストレアの口から語られた真実。

 それを聞いたとき、少しの間をおいて私の心に飛来したのは驚きと困惑、そして納得だった。

 

「……そう、なんだ。今はもう痛くないの?」

 

 落ち着いて、取り乱すことなく感情を悟られないように問いかける。

 

「ああ、だいじょうぶダ」

 

 少女はそう言って、ひょいと義手を持ち上げた。

 先程まで臓腑と血に濡れていた隠し刀は、僅かにその痕を残すのみで鈍い鉛色の色彩を取り戻している。強い耐久性を持っているようで、なかなかの業物なのだろう。

 

「まあさっきのあれですごく手に馴染んでるのはいやでも分かったよ。でも今まで大変だったんじゃない?」

 

「もうなれタし、こうなっテからのほうガながイ」

 

「そうなんだ。ってことはここに住む前からそうだったの?」

 

「あア」

 

 会話が何気なく交わされる。アストレアは大分コミュニケーション能力を取り戻し始めたようだ。

 簡単な言葉の言い回しもしっかりと理解していることから、ここに来る以前はそれなりの教育を受けていたのであろう。

 

 ただ、そのことについては今は触れないことにした。

 決して軽い雰囲気では話せない事柄であろうことは察せられたからだ。それを今の少女の口から説明するのは辛いはずだった。

 

 そのことよりも、これらの応答で私は勘違いをしていたことを悟った。

 

 先日聞いた物語の語り部、ヨシの話と照らし合わせれば、この少女が腕を失くすのは10年よりももっともっと前なのだ。

 あの物語が多少の脚色を交えていたとしても、当時猛威をふるっていたのであろう海竜と、モガの森で目撃された片腕の女の子が話の起点になっていることは変わらない。

 しかし、目の前の少女が嘘を言っているようには見えないし、事情を知らないはずの私相手にそんなことをする必要もないだろう。

 

 すなわち、アストレアは物語で出てくる少女とは別人物。

 どちらも少女でかつ片腕がないという偶然とは言い難い相似点を持ってはいるが、それだけは確定している。

 

 そして何があろうと、少女の後ろに鎮座する遺骸は昔のこの森の王のものだ。

 割と最近まで生きていたのであろうことは驚きだが、それはここに私が来る前のことだから当時のことはよく分からない。

 

「そっか。うんうん、やっぱりね」

 

「……?」

 

 一人で勝手に頷いている私にアストレアが訝しげな目線を送っている。

 確かに今の私は大分不気味に映るであろうことは自分でも分かった。

 ただ、少し前までの自分なら混乱していただろうが、今は現実がいやにしっくりと収まってくる。そしてそれが何故なのかはなんとなく分かっていた。

 

「あっと、ごめんね。少し気になったことがあって」

 

 そう言って謝りながら先を促す。

 アストレアは気にしてもしょうがないと思ったのか、小さくため息をついて膝ほどの大きさの石に腰かけた。私もそれに倣って適当な大きさの石に座る。

 

「わたしガここでしななかったノは、とうさんノおかげダ」

 

 再び語りだした少女の表情からは、どこか懐かしむような雰囲気が見て取れた。

 

「ここ二まよいこんだとキ、とうさんハまだいきていタ。わたしハいきることガいやだったかラ、たべられてもいいトおもってわざとここ二きた」

 

「……この森までは海から?」

 

 私の問いに、少女はこくりと頷く。肯定だ。

 

「でも、とうさんハとくべつダった。おなカがすいているの二、わたしをたべなかっタ。ほかノいきものはワたしをたべるだけなノに、とうさんハちがっタ。

 ソレよりも、いきたくナかったわたしガしぬのヲ、ゆるしテくれなかった。

 わたしヲおいかけてクるいきものハ、ここにはやってこなかっタ。わたしだケ、はいるノをゆるしてもらエた。

 たべものヲくれた。のめルみずガあるとこまであんないしテくれた。いっしょにねむってクれた……」

 

 一昔前の大事な思い出を一つひとつ思い出しているのだろう。アストレアは目を閉じてゆっくりと言葉を紡ぐ。

 ここまでの長文を話すことは久しぶりなのだろう。言い終えた後に小さく嘆息が混じった。

 しかし、ふと目を開けて私の方を見たとき、少女は憮然とした表情になった。

 

「これハすごいコト。わかル?」

 

 まるで悪戯をした子を諭すような物言いで、彼女は私に問いかけてくる。

 はたからみると子供が大人に向かって言っているように見えるが、実年齢は変わりない程度だからだろうか。妙に迫力がある。

 しかし、今の私にとってみれば気に掛けることではなかった。

 

「大丈夫。ちゃんとわかってるよ。だって狩人だからね」

 

「……なんだかわかっていルのかわからなイかおしテいる……」

 

「そんなことないよ」

 

 (実はそんなことあるんだけどね)

 私は頭の中で呟いた。恐らく私が微笑むというか、若干嬉しそうにしていたからだろう。さっきから勝手に納得したり嬉しがったりと、おおよそ話を真面目に聞いているようには見えないと自分自身が思う。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()な反応だ。

 それをアストレアは私が分かっているのか釈然としないと言った。もしかしたら人の感情を読み取る才能は、私より彼女のほうに軍配が上がるかもしれない。

 

「きっと、その剣のもう片方はここでもらったものなんでしょう?」

 

 そう尋ねると、少女は驚いて身を乗り出した。

 

「……どうしテわかった?」

 

「うーん。アストレアの話を聞いてたらなんとなく、かな。ほら、しっかりと話を聞いていたでしょ?」

 

 少女は少し不満そうにしながらもこくこくと頷く。

 ほとんど脈略もなく事実を言い当てられたことから、納得しざる得ないと判断したのだろう。

 

 そしてまたひとつ。明らかになったこと。

 おとぎ話に出てくる少女もまた、実在する人物だったということだ。

 再び笑みが浮かんでしまいそうになるが、アストレアがいよいよ怒り出しそうなので頑張って堪える。

 

 私は目線を遺骸の方へと向けて言った。

 

「そのお父さんっていうのが、あれなんだね」

 

「そう。いまモ、わたしをまもっテくれる」

 

 アストレアは、微笑みを深めて答えた。

 その様子はどこか誇らしげで、家族のことを褒められたときのそれに近いものを感じた。

 

「今も、っていうのは?」

 

「わたしガさみしくならないのハ、よる二あんしんしてねむれるノは、とうさんノおかげ」

 

「それに、あっちノほうから、どうぶつハはいってコない」

 

 少女はそう言って、私がはじめに入ってきた方の洞窟を指差す。

 

「あー、確かに。私がここに来る時もなんとなく何かがありそうな感覚はあったなあ」

 

 モンスターたちはそんな気配に敏感なのだろう。アストレアの後ろに鎮座する遺骸の放つプレッシャーのようなものについては、もう何度も味わっているし、今も変わらない。

 先程のルドロスたちは高い興奮状態にあったからあの場所でも気付かなかったのだろうが、この場に入るまでは果たしてできるだろうか。

 

 陸上に住むモンスターなど、本能的にここを避けていくはずだ。場所を隠ぺいするよりも、ある意味余程安全な寝床だと言えよう。

 

 (これはもう、敵わないな……)

 

 私は内心で驚嘆、そして畏怖を覚えていた。

 すなわち、死して尚、かの竜は少女を守り続けていたのだ。この森での己の立場を使って、ここをある種の禁忌とした。

 

 全ては、アストレアが安心して暮らせるように。

 頭蓋骨から尻尾の先まで欠けることなく残った骨から、決して朽ちないという気迫が伝わってくるようだった。

 

 

 (しかも――)「――アストレアはさ、そのお父さん声がまだ聞こえるんだよね」

 

「……ソナタにはきこえなイ?」

 

 私の問いかけに対して、アストレアは不思議そうな顔をして首をかしげる。

 

「うん、だめみたいだ」

 

 そんな少女に私は苦笑いを返す。

 さっき彼女と遺骸の間で会話のようなものが成り立っていたのには戸惑ったが、今となってはあまり違和感を感じない。

 

 (幽霊とかいうよりも、魂、みたいななにかかな)

 

 アストレアが過去の竜の姿を重ねているのかもしれないが、それにしてはさっきの会話があまりにも自然すぎる。

 一昔前の私なら魂の概念など頭ごなしに否定していただろう。そんなはっきりとしないものがこの世界にあるはずがない、と。

 しかしこのおとぎ話をめぐる一連の出来事を通して、私の考えは変わっていた。

 

 再び遺骸の方へと意識を向ける。

 これまで感じ取ってきた威圧感のなかに、今は必死に少女を守ろうとする優しさが感じ取れる気がする。

 それらの源泉たる「心」は果たして遺骸に宿っているのだろうか。それを知りうる術を私は持っていない。

 

 彼と話せるらしいアストレアが、少しだけ羨ましかった。

 

 

「なら、ふれテみるトいい」

 

 その一声が、私の思案顔を少女の元へと立ち返らせた。

 

「え、いいの?」

 

「まえはソナタのことをしらナかったから。いまハ、はなしをしたラいいとおもウ」

 

 そういうと少女は立ち上がって、私の手を取って遺骸の元へと引っ張っていった。その足取に乱れはなく、調子を取り戻しているのが分かる。

 

「わ、ちょっと待ってっ」

 

 その回復力に感嘆しながらも、私は引っ張られるがままに後を追った。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「――こコ、てをおいてみテ」

 

 竜の鼻の先へと私を連れてきたアストレアは、見本を見せるかのように、とん、と頭蓋骨に手を置いた。

 

「…………」

 

 私は少し躊躇いを覚えて少女の方を見る。

 アストレアは私の方をじっと見つめていたらしく、しばらく互いの目線が交わった。

 

 (その瞳は、反則……)

 

 暗緑色の、少女の気持ちを忠実に投影する瞳には、きっと大丈夫だという信頼の光があった。それだけしかなかった。

 しかし、おかげで決心はついた。

 たとえ何も感じられなくても、何かを掴みとれる気がした。

 

 

 装着していたグローブを外し、遺骸へと手を伸ばす。

 そして、アストレアの左手の隣に、私の右手が直に触れた。

 

 

 

 (――――――――)

 

 

 それは骨特有のざらりとした手触りで、しかし脆さを感じさせない不思議な感触だった。

 風化した骨に見られる真っ白な部分は見られず、中身がしっかりと籠っているかのような重みのある白色をしている。

 なるほど、確かに崩れ落ちないのも頷けるだろう。

 

 普通は軽いはずの骨から、重厚な重みすら感じ取れる。

 実質的な質量が、あの壮大な気迫と自然との違和感のなさに一役買っていたのは確かなようだ。

 

 

 

 ――しかし、それだけだった。

 そこにあるはずの、アストレアが感じ取っているのであろう「なにか」は分からない。

 その中にあるのであろう気迫の原点は、触れただけでは見透かせないのか。

 

 そんなことを考えていると、急にその気配に対する畏怖が私の心を焦らしていく。

 威圧感に押され、無意識に手を放そうとした。

 そのとき。

 

 

「めをとじテ、おちついて。つたわらなイはずがない。ソナタはそんなによわくなイ。わたしトここをまもったソナタなら、とうさんもぜったい二はなしてくれル」

 

 隣の銀髪の少女の声が、私の手をその場に留めた。

 幾多のルドロスたちからここを救ってくれたのだから、きっと竜は応えてくれる。気持ちが届かないはずがない。

 ソナタはそんなに弱くない。その一言が、手放そうとする私を赦さない。

 

 そんなアストレアも、きっと人一倍強い芯の持ち主だ。

 

「――うん。分かった」

 

 小さく深呼吸をして、乱れた呼吸を整える。

 そして少女に言われたとおりに、目を閉じて意識を集中しようとして、

 

 (いや、逆か)

 

 ふと、思いついた。

 

 (自分の心を曝け出さないといけないんだ)

 

 自分が感じ取ろうと、掴み取ろうとするあまり、主体的な守りにはいっていたとするならば。

 あえて自分の心を晒し、相手が押し入る余地を創り出してしまえばいい。

 

 先程とは逆に、意識を委ねるようにして遺骸の発する気配に歩み寄った。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 掌から伝わるのは、相変わらずの堅牢な骨の感覚。

 そして全身に伝わるのは、圧倒的でかつ優しい、竜の王の気迫。

 

 

 (……私は知りたい)

 

 自分をここまで駆り立てた理由は知っている。何を夢見ていたのかは、アイシャが教えてくれた。

 

 私は確かめたい。それがどんな形であろうと。いっそのこと我儘に。

 

 あの限られた時の中で、薄れゆく意識の中で、必死に形にしようとした何かを。

 

 おとぎ話の竜はここで何と出会って、何を想い、何かを見出したのか。

 

 

 アストレアが迫りくるルドロスたちから一歩も引かずに、自分を顧みることもせず守り抜いた入り江に。彼がその体を失くしてからも護り通そうとしているこの場所に。

 

 

 私がアストレアと出会い、傷つき、共に戦ったこの地に。

 

 

 おとぎ話で竜が気まぐれに助けた少女が育んだ、形のない「なにか」を。

 

 

 

 

 人と竜のこころの狭間には、何が――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――ぁ」

 

 

 




次回よりクライマックス
一話とは限りません


更新が停滞気味ですごめんなさい……


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第20話 心の狭間で

 ――閉じられた視界の、どこか遠くの方から。

 

 小さな光が瞬いているような気がした。

 

 その光は儚げで、ゆらゆらとまるで私を誘うかのように揺れている。

 色は白いが、鮮やかさはない。周りの闇に溶けだしてしまいそうな、薄い線引きがされている程度だ。

 

 ただ、それは確かにそこにあるし、私はそれに暖かさを感じた。

 

 やがて注意を向けている私に気が付いたのか、光は此方の方へすうっと近づいてきた。いや。私が喚ばれているのか。

 

 (あれは…………)

 

 だんだんと近づく光に対して、私はそれをひどくゆったりと待ち構えていた。

 

 

 

 分かっている。これは意識の中の光景だ。頭の中で浮かべている情景に過ぎない。

 左手から伝わるひんやりとした感覚が、柔らかな砂の地面の質感が、今も途切れることなくそれを物語っている。

 瞼を開けば、隣にアストレアがいて、目の前の彼の遺骸に一緒に向き合っている自分の姿が映るだろう。

 

 

 

 しかし、そうだとしても、だ。

 

 これは決して夢ではない。実感できるものがなくても、感覚的に察することはできる。

 

 そのことを私が確信をもって言えるのには、二つの理由があった。

 

 ひとつは、この場所は私の想像だけで創り出したものではないということ。

 

 今の光景が全て私の空想の産物なのだとするのなら、今ここでそれらを俯瞰している「私」は「私」ではなくなってしまう。

 これが、ここが虚構の風景でないことの理由のひとつだ。

 

 

 そしてもう一つ、決定的な理由がある。

 「あの光」が私には「思い浮かべること」のできない存在であること。

 その光に私のものではない「意志」のようなものを感じ取ったことだった。

 

 

 

 閉じた私の世界で展開する、私のものではない闇とそこに漂う暖かな光。そしてそれを眺めているもうひとりの私。

 では、ここは何処だというのか。

 

 その答えは、意識していなかった左手にふと訪れた感覚からやってきた。

 

 

 不意に、何かが現実世界の左手に触れる。

 何かと思えば、それは人の手のひらの感覚だった。

 

 (アストレア?)

 

 彼女が遺骸から手を放して、私と手を繋ごうとしているのだろうか。

 浮ついた意識の中で考える。気付けば、もう自らの意志で目を開けることができなくなっていた。

 

 されるがままにしていると、彼女は私と指を絡ませてそっと手を握りしめた。まるで、私を元気付けるかのように。

 

 (――――あったかい。応援してくれてるのかな)

 

 アストレアの繊麗な姿には不釣合いな、固い肌触りが伝わってくる。彼女がこの自然の中で逞しく生きてきた証だ。

 そして、何よりもそこから感じるアストレアの体温が、私にあることを気付かせるきっかけとなった。

 

 私の知らない場所と、今も私を誘う光、そして左手から伝わる少女の意志。

 そしてそれを受け入れようとしている私。

 

 

 (――そうか、ここは……)

 

 

  心の、狭間だ。

 

 

 

 相手のことをもっと知りたい。話をしてみたい。こちらの気持ちを伝えたい。

 そんな私と竜の「意識」が、相容れないはずの溝を少しだけ埋めた。

 互いの情景が混じり合ってできた、空想世界の深層部。

 ここは、そんな場所なのだ。

 

 そして、あの光こそ、私が今まで感じてきた威圧感の主。

 遺骸の主、竜王を私なりに視覚した存在なのだろう。

 

 最初は遠くでひっそりと瞬いていただけのその光も、いよいよ私の目前に迫ろうとしている。

 近づくにしたがって明るさの増すそれは、しっかりとした実体を持っているようだ。

 

 光は、広がる闇を覆い尽くすほど私に接近したところで止まった。

 目の前の輝きに思わず目を細める。目の前には暖かく、しかし壮大さを感じさせる大きな光の奔流が広がっていた。

 後は私が歩み寄ればいいらしい。

 

 最早、ここが夢の中なのか現実なのかすらはっきりしない。

 いや、夢の中なのは確かなのだろうが、現実の体に意志が効かない。まるで金縛りにあってしまったかのようだ。

 だが、この場ではそんなしがらみもない。私はここで動いていないが、開放的に動き回れる気がした。

 きっとこのまま光から目を背けてこの場から立ち去れば、すぐに生身の体に命令が通じるようになるだろう。そして、現実を取り戻せるのだろう。

 

 しかし、私はその案を気にも留めなかった。

 

 ここに飛び込めば帰ってこれないだとか、どこかに迷い込むなんてことは起こりえない。

 なぜなら、帰り道は後ろを振り返るだけで勝手にできるのだから。

 あくまでも思考は頭の中だ。現実の私と意識下の私が少し離れているだけで、感覚は失っていない。覚めようと思えば覚める夢だ。

 

 そして、左手に伝わる私のものでない熱が、早く行こうと私を引っ張るのだ。

 繋いだ手から感じられる、アストレアの意志。さながら、仲買人と言ったところか。

 大丈夫、何も怖がることはない。と銀髪の少女は年相応に笑いながら私の手を引く。

 

 

 私に迷う要素は何処にもなかった。

 

 

「よし、じゃあ行こうか」

 

「わかっタ。わたシはソナタについていク」

 

 

 私たちは足並みをそろえて、一歩、その足を踏み出した。

 

 その場を、光が覆い尽くした。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 外の様子とは打って変わって、私たちが降り立ったのは何処までも透明な碧色が広がる場所だった。

 下を見れば薄暗く、時々泡のようなものが浮き上がってくる。

 上昇していく泡につられて見上げてみれば、明るい光が差し込んできていた。

 

「うわ、あ……」

 

 似たような光景は何度も見たことがあるが、それに勝るとも劣らない。

 一面に広がる景色に、感嘆のため息が漏れた。

 

「ここハ……うみのなか、カ?」

 

 と、隣でアストレアが呟く。

 彼女は現実と変わらぬ姿でその場に漂っていた。

 

 彼女の言葉の通り、ここは果てのない海中を模しているのだろう。頭上遠くには水面があって、そこから光が差し込んできている。

 現実の海の中なら相手の言葉は聞こえないはずだが、ここではどうやら意思疎通が可能なようだ。

 紡がれる言葉に合わせて、コポコポと泡が口から吐き出される。

 

「そうみたいだね。アストレアは、ここに来たことないの?」

 

「とうさんトはよくあうケド、こんなにきれいナばしょは、はじめてダ……」

 

 どうやら彼女も、ここへ来たことはないらしい。

 彼女もまたここの景色に魅入っているようだが、その表情にはなぜか不安を映しているようにも見えた。

 先程までは意気揚々と私をリードしていたというのにどうしたのだろうか。

 

「……? アストレア、なにか――」

 

 気がかりなことでもあるの。と繋げようとした私の言葉が、不意に途切れる。

 遠くの方で、小さな影が映ったように見えた。

 

「どうシた?」

 

「あそこに、なにかいる」

 

 私はその影を指差した。アストレアが私が指差す方向へと目を凝らす。

 しばらくして、それを捉えたのだろう少女は、今までの不安そうな顔を一瞬で吹き飛ばして嬉しそうに言った。

 

「とうさんダ!」

 

「――え!? あ、あれが!?」

 

「もうこっち二きづいてル。わたしとソナタにあいにくる!」

 

「ほんとに!?」

 

 アストレアの確信のこもった言葉に、私は慌てて視線をその影へと移す、と。

 

「――ラギアクルス……しかも、速いっ!?」

 

 もうその体格がはっきりと見て取れるほどにそれは迫ってきていた。

 しかも私たちの方に向けて、突っ込まんばかりの速度で泳いできている。

 狩人としての本能からか、反射的に回避しようとする体をどうにか押し留め、私は少女の手を取って言った。

 

「アストレアっ。ぶつかるかもしれない!」

 

「そんなコトありえない! ほラ、みてみテ!」

 

 アストレアはその迫力満載の突進に臆することなく、逆に私を引き寄せた。

 もう回避は間に合わない。アストレアが言った事を信るしかない。私は覚悟を決めて閉じようとする目を何とか開き、しかとその竜の姿を見つめた。

 

 

 

「――――――」

 

「――――ほラ、だいじょうブだった!」

 

 

 

 アストレアの言う通り、予想していた衝撃は来ることはなかった。

 私たちの眼前で、そのラギアクルスは突進を止めたのだ。

 

 そのかわり、私は再び言葉を失ってしまっていた。

 

 

 (……()())

 

 そして、美しい。

 

 遺骸よりもまたひとまわり近く大きいその巨体の迫力は言わずもがな。

 穢れを知らぬかのような白色の甲殻に、鮮やかな蒼色の背電殻。

 「双界の覇者」の異名を持つ絶対強者、ラギアクルス亜種の容姿は、通常種のそれとまた一線を画した荘厳さがあった。

 

 そんな幻の存在が、私とアストレアをじっと見つめている。

 思えば彼の意識下でまた彼と出会うというのも不思議なものだが、そのときの私はただその姿に魅入っていた。

 

「とうさン!」

 

 隣で佇んでいたアストレアが我慢せずという風に竜の元へと駆け寄る。そして、彼の頭の方に抱きついた。

 人の体ほどもある鼻の先に、小さな腕が回される。

 

 対して竜の方は、頭を下げて少女のなすがままにしていた。目は少し細められ、はにかんでいるように見える。

 それはまるで、親しい人間同士の触れ合いのようだ。

 

 (――す、ごい。これって)

 

 私が夢見ていた光景そのままではないか。

 一時は諦めて狩人としての道を選び、モガの村で暮らすうちに知らず知らず再び芽生えていた願いが、ここで叶うことになろうとは思いもしなかった。

 驚きと感動の連続で、私の口は開かれっぱなしだった。

 

「とうサン。ソナタがはなしたいことガあるみタい!」

 

 しかし、そんな感慨をまたも少女が打ち破る。アストレアが竜の目線を、こちらへと促したのだ。

 アストレアへ言い返す間もなく、私と竜の目が合う。彼の瞳は透き通るような真紅の色をしていた。

 

 その眼光に怖れを抱いてしまい、なかなか言葉が出てこない。まるで全てを見透かされているような感覚に、声が突っかかってしまう。

 竜の方もそれっきりで特に何もしようとしないのが、逆に不安になった。

 

 私の緊張を感じ取ったのか、アストレアは竜から離れて私の元へ再び駆け寄ってきた。そして、私の手を取り笑顔で言う。

 

「とうさんハ、やさしイ。だかラ、ソナタのことばをまってル。こたえてあげテ。ソナタ」

 

「……そうなんだ」

 

 私が声をかけるのを待っている。アストレアがそう言うのなら、その通りなのだろう。

 

 私の方へと歩み寄ってくれた光に対して、私はただそれに飛び込んだだけ。

 今度は私が行動する番だ。

 

 

「……えっと、その、こんにちは。モガの村のハンターのソナタ、です。よ、よろしくお願いしますっ!」

 

 

 言い淀んだ挙句、結局初対面の人に対してかける挨拶のように締めくくってしまった。しかも、最後ににお辞儀付きで。

 我ながら、なんとも情けない歩み寄りからだろうと少し悲しくなった。

 アストレアは相変わらず私の手を取ったまま、私に声をかけることなくその場に佇んでいる。

 

 もっとなにか言うべきことがあうのだろう。もう一回チャレンジしてみようと下げた頭を持ち上げる。

 

 

 

 

 目と鼻の先に、彼の顔があった。

 

 

「――――!!」

 

 驚愕。

 飛び出しかけた悲鳴をなんとか喉もとで抑えて、その場から後ずさることなくとどまった自身の勇気に、私は称賛を送った。

 これも日頃の鍛錬の賜物だろうか。

 

 (でも、いきなり目の前に竜が! なんて……。寿命縮まるって!)

 

 そして、跳ね上がった心拍数は、現在も持続している。

 目の前に巨大な竜がいる状況に変わりはないからだ。

 しかも、彼の真紅の瞳に捉えられて目をそらすことができない。

 

 (な、何を考えてるんだろう? 怒ってるわけじゃなさそうだけど分からないし読めないし……!!)

 

 深く考えることもできずに混乱してしまい、私は強く目を閉じてしまった。

 捕食者に見竦められた小動物のように縮こまり、これから起こることが分からない不安に耐えようと強く少女の手を握って――――

 

 

 

 こつん、という頭への衝撃に拍子抜けして。再び目を開いた。

 

 そこには、相変わらず彼の頭がある。どうやら私の頭を叩いたのは彼であるらしい。

 そして不意に、私でもアストレアのものでもない低い声が、私の耳に届いた。

 

 

『コノ森ノ小サキ強者』

 

 

 その厳かな声の主は、まさしく――――

 

『ネグラヲアストレアト守ッタコト、感謝スル』

 

 ――()()のそれだった。

 

 

 

 




当初の予定なんて言葉ほど、あてにならないことを知りました。

書きたい事書いてたらモンハン世界から逸脱し始めたんですなんでだろう←
評価をいただけると嬉しいです。よろしくお願いしますm(_ _)m


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第21話 彼が願ったこと

 

 

 ――――人の言葉を喋った?

 

 

 あまりの衝撃に、おもわず呆然としてしまった。

 

 まさか、と思う。モンスターは人語を解することは出来ても、人の言葉を話すことはできないはず。

 しかし私の耳が捉えたのは、無機質ではあるが明らかに人間の話す言葉だった。

 

「――ど、どういたしまして。私も、アストレアにはとても助けられました」

 

 頭の中ではそんな戸惑いが浮かんでいたが、竜に対する返事は思いがけなくすらすらと口から出ていた。自身の思うままに浮かんだ言葉を形にしていく。

 

「本当に……ここが守り切れてよかった」

 

 改めて、この入り江とアストレアの無事を噛みしめる。私がここに来るのがもう少しでも遅かったら、アストレアが一人だけで立ち向かうことになっていたかもしれないのだ。

 私自身としてもこの場所に漂う神秘的ともいえる静穏を保っていて欲しかったし、何よりアストレアのここを守り抜くという強い願いを叶えることができてよかったと心から思った。

 

 不思議なことで、ついさっきまでしり込みしていた自分はすっかり鳴りを潜めている。最初のしどろもどろしていた時とは大違いだ。

 今は人と話す程度の感覚でいることができていた。

 

 (たぶん、並びたてられた千の言葉よりってやつかな)

 

 それはおそらく、今のやり取りで私と彼の間に共通の感情を見つけたから。

 竜から投げかけられた言葉から、「感謝」や「安心感」といった感情が私の中に流れ込んで来ていたからだ。

 むしろその与えられた気持ちに対して、私は応えたのだと言ってもいい。もともと初対面の人物とはあまり馴染めない私にとって、その心情が溢れる表現方法はとても新鮮なもので、効果は抜群だった。

 

 しかし、やっぱり竜が『話した』ことに対する疑問は隠しきれなかったらしい。

 隣の少女がさっきまでの私の戸惑いを察したのか、ふわりと微笑んで言った。

 

「とうさんハくちではなしテるわけじゃなイ。でもひとノことばはわかルから、きもちをのせてソナタにとどけてル」

 

「気持ちをのせる……。ああ、そっか。ここはそういう場所だもんね」

 

「きっととうさん二しかできない」

 

「――うん、そうだね。この場所も、今の伝え方も。きっとアストレアのお父さんにしかできないんだろうなあ……」

 

 自分はやっぱりとんでもないところにいるんだな、としみじみと思って、ほう、と言葉にため息が混じる。

 

 人と触れ合い、共に生きることを選び、種族間の隔たりを超えた愛情を知り、心象世界とでもいうべきこの特殊な場所を作れるまでの確固たる意識を持った海の王者。

 そんな彼にしか「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」などという型破りもいいところの表現方法は使えまい。

 それを、死しても保っている。いったいどれだけ隣の少女に対する慈みを持っていれば、そんな芸当ができるのだろうか。ただの狩人でしかない私には想像もつかなかった。

 

 ――だから、今になって気付いてしまう。

 果たしてそれは、()()()()()()()()()()()()()と。

 アストレアさえ知らない場所へと私を案内した本当の意味は何なのだろうと。

 

 改めて、竜の方へと意識を向ける。もう畏れは感じなかった。向けられる気迫が、優しさに包まれていることを知った。

 

 目の前の白い竜は、王者であってかつあまりにも優しい。

 

「そしてきっと貴方は、誰よりも強い」

 

 躊躇することなく歩み寄る私を、竜はただじっとその真紅の瞳でみつめるだけだ。

 

「アストレアがここにやってきたのは、きっと偶然なんかじゃなくて……」

 

 辿りついたのは、少女がいつも飛び込んでいる頭の先。

 そして私は初めて、自分の意志で彼に心からの抱擁をした。

 

 (――――)

 

「必然、だったんだね」

 

 かくして、私の予感は当たる。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 全ては、竜王の掌の上に。

 

 

「……貴方はアストレアが来ることを知っていたから。アストレアが安心して寝る場所を守るために、その姿を見るためだけに生きて、生きて、生き抜いて。出逢った。

  アストレアは最初生きることを諦めてしまっていたみたい。でも、貴方はそれを絶対に許さなかった。立ち上がる気力を蘇らせることに、貴方は全力を注いだんだよね。そして、アストレアが自分を取り戻すまで見届けてから、眠りについた」

 

 自然と口からあふれ出す言葉は、留まることを知らない。

 私は自分の気持ちを彼に伝えなければならない。彼もそれを望んでいるのだと思う。

 

「そして今も見守っている。体は朽ちてしまっていても、その心だけは失ってない。

  ――ときに竜王。さっきのアストレアを見ましたか? まるで、猛々しい疾風のようだった。立ち回りに迷いはなくて、一身に私と貴方の事だけ考えていた。私が見ても……強いよ。身体も、心も」

 

 アストレアを見て思ったことを、正直に告げる。

 そこまで言ったときに私の心にどっと流れ込んできたのは「安心感」と「安堵」だった。

 

「――ナラバ、良シ」

 

 竜王はそんな一言を響かせた。その言葉には万感の思いが詰め込まれている。

 やはり、彼は彼女の戦っている姿を見ることが叶わなかったのだ。だから私の証言によって、少女の成長を実感したのだろう。

 どこまでいっても、彼は少女の親であり師範であろうとしているのだ。

 

 (……それなのに、なあ)

 回した腕から感じとってしまった。今の彼は。

 なんで、こんなにも悲しいのか。胸が締めつけられるのか。

 

 紡がれる言葉の裏で、私は竜にいくつもの質問を重ねていた。

 

 返答は全て、肯定だった。

 

 

 

「私は貴方の、その気概を、生涯を。心から尊びます。――私の心にしっかりと刻み込むことを約束します。

 ――絶対の、絶対に! 忘れない、からっ……!」

 

「ソ、ソナタ? なにヲいっテ……?」

 

 どうしようもなく、声に嗚咽が混じる。なんて、情けない。でも自分の意志を超えて涙はぽろぽろと零れ落ちていく。

 アストレアは、そんな私の袖を引っ張って戸惑った声を投げかけてきた。

 

 (――いいですか?)

 

 その声に対して、私は精神を総動員して感情の発露を抑える。

 そして、彼に対して確認を取った。私が説明すべきか、彼が直接伝えるべきかを。

 ただ、聡い彼女のことだからいくらかの察しはもうついているのかもしれなかった。思えば、ここに来た時のあの不安そうな顔はそのことを心のどこかで案じていたからではないだろうか。

 

「――オ前ガ言ウベキダロウ」

 

 彼はそう私に告げた。それは自身からは言い出せないというより、私を試すような物言いのように聞こえた。

 ならば、私はそれに従うべきなのだった。当たってしまった自分の予想を、少女にも告げなくてはならない。

 

「……アストレア。これから貴方に伝えることは……とても辛いことだと思う。でも、私はそのことを言わなくちゃいけないし、あなたはそれに向き合わないといけない」

 

 その一言で、アストレアはその表情を歪めた。今にも泣きそうな顔で、私を見つめてくる。

 やはり、ある程度悟っていたところがあったのだろう。でなければ、ここまで辛そうにはしない。

 

「わかっタ。わたしは、にげなイ」

 

 しかし、それでも彼女は逃げる選択をしなかった。私の押しつけともいえる言いつけを守ると告げた。

 今逃げ出してしまったら、ずっと後悔することになるだろうことが、初めから分かっているかのように。

 

「うん、アストレアがそういうなら、私も逃げない。――いいかな」

 

 これから私が言うことは、少女にとってとても酷で、私にとっても重要な関わりを持つ、ひとつの物語。

 

 

「――あなたの父さんとは、たぶん、もう会えない……」

 

 

 一匹の竜が成し遂げた、私と少女を巡る出来事の真実だ。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 竜は感じていたのです。『自己』を維持することが難しくなっていることを。

 彼は分かっていたのです。死後も見守り続けていたかの少女を見届けることは出来ないことを。

 

 人の暦で、十年間弱。

 

 月日を重ねるごとに、まるで抗うことのできない川の流れのように彼の意志を緩く解いて行ってしまいます。

 どうしようもない力が、彼を骸から追い立てようとしていました。

 

 彼は知っていたのです。自分の保ってきた仮初の結界が弱まっていることを。

 竜は気付いていたのです。いずれここは襲われてしまうであろうということを。

 

 とうの昔に死んでしまった彼には、最早考える力はあまり残っていませんでした。なにせ、存在すら揺らぎ始めていたのですから。それを食い止めることに精いっぱいだったのです。

 『自己』が不確かになりかかっているために、今まで寝床まで近づこうとしてくる輩を追い出していた意志の力さえ、薄弱になって失われかけていました。

 

 このままでは、この場所が襲われてしまいます。しかも、そう遠くない未来に。

 そして、そのときに彼が骨ばかりになってしまった後も寄り添って生きてくれた少女を自らの手で守ることは、もうできないのです。

 

 その少女は気高く、逞しい気概を持っていました。竜の王と共にあることを誇りにして、自分の身が彼に守られていることに感謝しながら、一生懸命生きていました。

 だからこそ、そのときになって少女は立ち向かってしまうのです。この場所を守るために。

 

 彼は生前、少女に愛おしさすら覚えていました。彼女とはたった幾年間一緒に過ごしただけでしたが、彼は確かに大切な何かを少女から受け取っていたのです。

 だから、もうあんな思いは二度としたくなかったのでした。

 

 できれば少女には近いうちにここから出て行ってほしい。彼はそう思うようになりました。ここはもう安全な場所とは言えなくなっていたのですから。

 しかし、毎日笑顔でこちらに接してくる彼女にそのことを告げるのは、なかなかできませんでした。

 

 この入り江から、彼から離れたとして、彼女はどうやってこの先生きて行けばいいのか。

 森の王たる彼は、それが皆目見当もつきませんでした。生きてきた中であまり不自由のなかった彼だからこそ、外界に対しての興味はあっても経験はしていませんでした。

 そんな中で、種族としてはひ弱なはずの彼女をここから追い出すのはとても酷なことのように思えたのです。

 

 しかも、そんな提案をしたところで少女が素直に頷くとも思えませんでした。

 幼いころからこの場所で生きてきた彼女は、この森以外の場所を知らないのです。生きていく価値をこの場でしか見出せていないことが、日々のやり取りで伝わってきていました。

 

 この入り江はいずれ獣たちの襲撃を受けてしまう。自分はそれで淘汰されていっても構わない。

 しかしに少女はなんとしても生きてほしい。この先の未来を歩いていってほしい。ここでその命が終わってしまうのは、とても惜しい。

 ただ、そうして彼女をここから追い出すのには、あまりにも彼女の知る世界が小さすぎる。

 

 この場所に並々ならぬ想いを抱いている少女に、少女をそうさせてしまった竜の王。

 漂う意識の中で困り果てていた彼に、しかしとうとう恐れていたことが起こりました。

 

 彼の張っていた気迫の壁を乗り越えて、一人の人間が入り江に訪れたのです。

 

 彼はやってきた人間がどんな生き方をしてるかを、おぼろげながらに知っていました。

 狩人。自分より遥かに強大な存在に立ち向かう者。

 彼の生きていた頃から、その姿はこの森でも度々見かけていました。彼自身は何故か彼らと相見えることはなかったのですが、彼らが空の王を地へ堕としたのを見たとき、これは油断できない相手だと気を引き締めた記憶がありました。

 そのため、彼はここに来たのが狩人だと分かったとき、最大限の警戒をもってそれに応対しました。

 

 結果、彼の思惑は上手くいきました。あらかじめ気配に気付いて世闇に溶け込んでいた少女が視覚から投げた短剣は、防具に弾かれることなく狩人の肩にしっかりと突き刺さりました。そしてその短剣に付いていた眠り毒に、なすすべもなく崩れ落ちたのです。彼が狩人の注意を引きつけていたため、少女の狙いが外れることはありませんでした。

 問題は、その人間が完全に眠りにつくまでに取った行動でした。

 

 突然の襲撃に慄き、慌てふためくわけでもなく。

 急速に薄れていく意識に、怨嗟の声を混ぜるわけでもなく。

 

 ただただ、少女に向かって涙を流しながら笑いかけたというのです。

 

 彼は少女と共に暮らしていましたが、人間という種族は信用していませんでした。

 自分の縄張りに勝手に入り込んでは富を自分たちの縄張りへと持ち去っていく迷惑な存在で、目の前の狩人もそれは変わらないだろうと思っていたのです。

 

 しかし、その狩人が彼に近づいてきたとき、彼が感じ取った感情は彼の予想していたものではありませんでした。

 そこにはただ、純粋な畏敬と感動だけがあったのです。

 彼は意識だけの存在でありながら不思議の念に囚われました。かの人物が武装さえしていなかったら、とてもではありませんが狩人だとは思えませんでした。

 

 そして続いて少女から告げられた事実に、彼はさっきよりも大きな衝撃を受けました。

 

 少女は、その人物を知っていると言うのです。

 

 詳しく聞いてみると、驚くべきことに彼の死後大きな脅威になっていた大海龍がここらの海から退いたのも、そこにいる狩人のおかげだということでした。

 龍と言えば、彼が生涯で一度だけ勝負を挑み、完膚なきまでに叩きのめされた経験のある規格外の強さを持つ存在です。

 大海龍もその例に漏れず、かの龍が近海に居座っていた時に感じた存在感には圧倒的なものがありました。

 

 目の前の狩人はそんな存在にたった一人で挑み、この場所を守り切ったのだと少女はいいました。

 少女と同じ女性で、年もあまり変わらないらしいのに、その身に秘めた力には彼でさえ信じられないものがありました。

 

 少女もまた、困惑しているようでした。

 襲撃したのは此方なのに、敵意を向けられるどころか何故か感謝の気持ちを伝えられたのです。しかも、それを倒れ伏す直前まで。

 少女は最初殺すつもりでいたのに、もうどうしたらいいかわからないといった様子でした。

 

 肩の短剣が刺さっている部分から流れ出す血を止めなければ、そのまま彼女は死んでしまうでしょう。

 少女はしばらく葛藤した挙句、少女の着ている鎧を脱がして傷の手当てを始めました。

 

 そんな様子を見ていた彼に、そのとき、ある考えが浮かんだのです。

 

 その考えは最早賭けという他なく、狩人に頼るところが大きいという不確定さも持っていました。

 しかし、時間のない彼にとってそれは十分に価値のあるものでした。

 

 

 手当てを終えて今後彼女をどうするかについて少女が語り掛けてきたとき、彼はこう告げました。

 「海から脅威が迫ってきている」と。

 そして、それについてどう対処したらいいかも教えたのです。

 「狩人の持っている大剣を、砂浜に置いておこう」奴らは火を嫌うから、狩人の持っているその紅い大剣が彼らを押しとどめてくれるかもしれない、と。

 前半はともかく、後半に言った事は本当に効果があるとは言えず、彼の賭けはこれより始まるのでした。

 

 彼の提案に少女は心を引き締めて頷き、ひとまず狩人を人間たちの拠点まで運びにいきました。

 

 そして、彼は薄れていた自我をむしろ開放するかのように強い意識を張りました。少女が返ってきてからしばらくは、ここに近寄る輩が現れないように。

 無論、これは彼の最後のあがきに等しいものでした。そう長くはもたないし、気を抜けば彼の意識は今度こそ消え去ってしまうでしょう。

 

 

 狩人の持っていた大剣は、とても使い込まれているようだと少女は申し訳なさそうにしていました。

 だからこそ、狩人が剣を取り戻しに、もう一度この場に訪れるまで。

 

 

 そして、少女の心の琴線に触れただけの気持ちの強さを信じて。

 たった一人で大海龍を退けたという、その狩人としての強さを信じて。

 

 あわよくば自分のせいで生きる場所を縛りつけてしまった少女を、解き放ってくれないかと。

 

 

 彼の存在意義を賭けた、その戦いは――――

 

 

 

 ――『こんにちは?……でいいのかな』

 

 

 ――『さて、……君たちさ、死にたくないなら逃げてね?』

 

 

 ――『本当に……ここが守り切れてよかった』

 

 

 どうやら、彼に軍配が上がったようでした。

 

 

 

「どうして、私にそんな大事なことを託してくれたんだろう。――ううん、託してくれてありがとう。……私は貴方の願いに見合うだけの人だったでしょうか……?」

 

 

 





上手く伏線が回収できたかは分かりませんが、これが僕がこの作品で書きたかった真実の一つです。

如何でしたでしょうか?



追記
前話で言っていた活動報告の件ですが、アストレアが決定的なことを言っていたので削除することにしました。
読者の皆様方に度重なる迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。


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第22話 双界の覇者

今話はオリジナル的な要素がかなり強く、かつ痛い描写が多いのでご注意ください。





 

 

 私とアストレアが再び出会えたのは、目の前で静かに漂う白き竜のおかげだった。

 そしてその理由を明かしてみれば、一縷の望みに賭けてそれを信じ、全力を注いだ彼の覚悟が伝わってきた。

 

 終わりゆく己の身を鑑みない、あまりにも危うく、だからこそ切実な賭け。

 それを見事に勝ち取った彼に、残された道がもう決まってしまっているのは、どうしようもない事実だった。

 

「……だから、アストレアのお父さんとはもう会えない。この場所が、最後なんだ」

 

「……じゃア、とうさんハ……」

 

「――うん。今はまだ頑張ってるみたいだけど……もう時間はあまりないかも」

 

 その場であまり動かず、自分から話しかけることをしないのも、今まさに自分が消えゆこうとしているのを必死に防いでいるからなのかもしれない。

 そして、私の言葉を聞いていた彼が返したのは、重々しい肯定だった。すなわち、自分に残された時間がほとんどないことを自覚しているのだ。

 

「――っ、とうサン!」

 

 そのことに大きく顔を歪めたアストレアは、泣きそうな表情のまま彼の鼻先に顔を埋めた。

 

「どうしテ……どうしてだまっテた!? どうしてそんなコトをした! わたシはもっと、たくサん! いっしょにいたかっタのに……!」

 

 投げかけられるのは、今まであえて自身に悟られないように振る舞った彼を非難する言葉と、もう遅い後悔と彼への思いがないまぜになった悲痛な声だ。

 それは今まで彼と幾年もの間過ごしてきたアストレアにとって、どれだけ酷な事実なのかを痛切に伝えてきた。

 

「オ前ガソレヲ知レバ、一人デ彼ラ二立チ向カッタダロウ。……ココハ、安全ナ場所デハナクナル」

 

「――っ、わたシは、ここかラでていかないトいけないノか? もう、とうサンがいたばしょ二かえれないのか?」

 

「ソウダ。オ前ヲ殺ス訳ニハイカナイ」

 

 少女はぐっと口をつぐんだ。

 そこに別れを拒む台詞がないのは、彼女がとても聡いからなのだろう。今はそれが仇となって、あまりにも唐突な別れに対して彼女を強引に向き合わせているのだ。

 しかし、ここで現実を拒んでもっと悲惨なことになるよりは余程いいと私は思っていた。

 彼から告げられた残り時間は、本当に残り僅かだった。消えゆく寸前と言ってもいい。

 その時間がもう伸ばしようのないものなら、その間に出来る限り彼と話して、気持ちを交換し合うべきだ。

 私はそっと竜から手を放して、二人を見守ることにした。

 

「とうさんガいなくなっタら……わたしはどうすれバいい? もうひとリにはなれナイ。なりたクない。とうさんガいないここは、きっト、とてもさみしイよ……」

 

「アストレア。オマエハ強クナッタ」

 

「ううん、ちガう。わたしはとうさんのためナラつよくなれた。とうさんガほめてくレるからがんばれタ。わたしハ、とうさんガいないとつよくなレない……」

 

「……オマエハ」

 

 アストレアの言葉を、しかし彼は途中で切り上げた。

 

「――ッ、ハイ。とうさん」

 

「オマエハ、強イ。我二会エナクテモ生キテイケル」

 

「――でも!」

 

「ナゼナラ、コノ王ノ子ダカラダ」

 

 今後のことに不安を駆られているのだろう、涙声で反論しようとする少女に対して、彼はそう断言した。

 その声には有無を言わせない響きがあり、少女の口をぐっと結ばせる。

 

「我ハ、コノ森ノ王ダ。ソシテ、我ノ娘ハ既二一人デ森二住ム者二立チ向イ、勝利シタ」

 

「――アストレア。勝利ヲ誇レ。我ガ娘デアルコトヲ誇レ。我ノ子ハ誰ニモ屈シナイ。己ノ意志ヲ折ラヌ者二ノミ、我ガ名ハ与エラレル」

 

「とうさんノ……なまえ……?」

 

「我ハ、我トシカ言エヌ。――ソナタ」

 

「――ん、私?」

 

「人ハ、我ヲ何ト呼ブカ」

 

 問われたのは、私たち狩人が彼を何と呼んでいるかだった。

 我は、我としか言えぬ、というのは言葉の通りなのだろう。王であると同時に孤独者でもあった彼に、名前というものは生涯不必要なものだったのだ。だから、アストレアにも父さん、と代名詞で呼ばせている。

 しかし、彼らの一族の名前をこの海域で知らぬ者は誰一人としていない。

 

「ラギアクルス。貴方はその中でも希少な亜種と呼ばれてる存在みたい。二つ名は『双界の覇者』。海と陸を統べるもの、という意味であなたに相応しいと私は思うな」

 

 この二つ名はまさに彼のためだけにあるのではないかと私は思っていた。

 物理的な強さはともかく、賢さも他の竜とは比較にならないほどのものがあるのだ。海中はもちろんのこと、陸上でさえ彼に私が勝てるとは思えなかった。

 そんな私の感慨深げな言葉に、彼はふと考え込んでから言った。

 

「ナラバ、人間ガ我二与エタソノ名ヲ、オ前二託ス。――ラギア=アストレア」

 

 海竜の名を引き継ぐもの。

 

 無骨な名だ。しかしその言葉には、少女に対する万感の思いに溢れていた。

 今の一言に隠された想いの深さを、私はとても与り知ることはできないだろう。

 

 ラギア、と少女は口の中でその言葉を転がした。彼から授かったそれを心に刻み込むように目をつむる。

 そして、自分に取りついている弱気を取り払うかのように首を振って、思いつめたような表情で再び彼に向き合った。

 

「わたしハ、とうさんノこども……。それを、なまえにしてモいい?」

 

「当然ノコト」

 

 揺るがない彼のその意志に、アストレアは感じ入るものがあったようだった。

 少しだけ瞑目し、大きく息を吐く。そして、再び目を開けたとき、その瞳には光が戻ってきていた。

 

「わかっタ。とうサンのくれたなまエはたいせつにする。――でも、わたしハこれからドウしたらいい?」

 

 その一言に、私はさわっと肌が僅かに騒めくのを感じた。

 さっきまでの彼女と、今目の前にいる彼女を雰囲気的に上手くつなげることができなかったのだ。

 

 ――速い。状況の理解と把握。そして、決心が。どうしようもなく。

 この精神的にも人並み外れた適応力というか、割り切る心というのも、自然の中で彼が教えたことの一つなのだろうか。

 

「わたしハとうさんのこどもダ。とうさんガわたしにいきてテほしいなら、わたしハがんばっていきル。

 ……デモ、あんしんしテねられるばしょがここいがい二わからなイ……」

 

 落ち着いて眠れる場所が欲しいと、少女はそう言った。

 

 その問いに対して、彼はその言葉を待っていたかのように唸って、私の方を見た。

 少しの間の視線の交錯を経て、私もまた、彼に向けて頷き返す。

 それを見てアストレアははっという顔をして、私と彼に落ち着きなく目を向けた。――どうやら勘付いたようだ。

 

「ソナタが――?」

 

「うん。君の信頼に適うかは分からないけど……いろいろと凄い竜のお願いだし、どうだろう?」

 

 先程の話の裏で、私は竜にあるお願いを受けていた。

 

 『我ガ消エタ後モアストレアガ孤独二ナラナイヨウニ見守ッテモラエナイカ』と。

 

 それはお願いというよりむしろ遺言の類いのものであったが、そのことについて考えると悲しくなってしまうので内容だけを摘み取るようにしている。私はソナタほどに、心を強く持てる自信がなかった。

 

 私のその言葉に、少女は少しだけ俯き、しばらくして落ち着かなさげに竜を見た。

 しかし、その向けられた戸惑いの浮かぶ青い瞳に竜は応えを返さない。決断は自分でしろ。ということなのだろうか。

 アストレアは今まで十年近く意思疎通のできる相手が彼だけだったのだ。正直、私と話すのも最初は恐れすら抱いていたのでないかと思う。

 彼以外の人に信頼を預けるのは、まだ難しいのだろう。でも、私自身はやっぱり肯定の言葉を待っていた。

 

「――ソナタは、わたしをたすけテくれた。ソレも、このことをしっテいたからか?」

 

「いや、あのときはまだ何も知らなかった。ただ、貴方とこの場所を守らないといけないなって。それだけだったよ」

 

「……わたしハそなたノがわからない。けんをとりもどシにきただけだト、そうおもっテた。どうして、わたシをてつだってクれた?」

 

 しばらく言葉を選ぶように口をもごもごさせていた彼女が口にしたのは、そんな質問だった。

 わたしもそのことはいつか聞かれるだろうと思っていた。そして、返す答えも既に決まっている。

 

「アストレアがさ、初めて会ったとき、私を助けてくれたよね?」

 

「デも、それはわたしガそなたをキズつけてしまったかラ……」

 

「ううん、それでも、あなたはやっぱり私を助けてくれたよ。あのときの言葉に耳を傾けてもらってなかったら、私は死んでしまっていたんだ。

 ここに剣を取り戻しに来たのは間違いじゃない。でもさ、わたしはまたここに来てから最初にあなたと話したかったって言ったよね

 ――そのときあなたは、私もだって言ってくれた」

 

「……」

 

「アストレアを助けた理由はそれかな。もっとも、私はそれよりも前からあなたが気になってたから自分勝手に助けに行ったと思うけどね?」

 

 アストレアは私が恨みや怒りの感情を持ってここに訪れると思っていたのだろう。でも、そう判断しきるには最初に出会ったときの別れ方があまりにも不可解すぎたのだと思う。

 つまりその時点で、私とアストレアには通じ合う部分があったんじゃないかな、というのは私の勝手な願望だ。

 

「…………わたしハまだ、ソナタのことがわからナイ」

 

 私の言葉の後、アストレアは黙考を重ねた後にようやく口を開いた。

 私の方をしっかりと見つめているその目には、悲しみの涙を湛えた光と決意の光が舞っている。

 

「でも、わたしはソナタにたすけラレて、そのつよさモしった。――ソナタといっしょなラ、ソナタがいっしょでいいトいってくれるなら、わたしはここをでテいける

 とうさん。とうさんトここでおわかれなラ、わたしハそうしたい」

 

 

 彼が示した、私と共に歩むことを選ぶと。

 まだまだ拙い人の言葉だが、一語一語はっきりと。少女は自分のこれから生きる道を宣言した。

 

 

 彼の願いはここで叶った。

 骸になってなお幾年も抱えてきた苦悩を、ここでやっと降ろすことができたのだ。

 少女の言葉に、竜は相変わらずの無表情だが満足げな感情を伝えてきていた。

 

 私も、このときは純粋に嬉しいと思った。彼にその役目を頼まれたとはいえ、内心ではやっぱり目の前の銀髪の少女とこれからも一緒にいたいという気持ちの方が大きかったから。

 きっとこのさきいろいろ、本当にたくさんの事が起こると、そんな考えに浸ってしまいそうになっていた。

 

 

 しかし、その後に竜がとった行動の変化に、すぅっと身体の芯が冷めた。

 竜がふいに私たちから意識を外したのだ。なんも前触れもなく、彼から伝わる感情の波が一気に弱まった。

 少女もそのことに気付いたらしく、「とうさん……!」と竜に向かって呼びかける。しかし彼はそれに応えることなく、やんわりと少女を振り払った。

 

 (……ああ、そうか)

 

 今まで散々聞かされてきた、彼の意識がもう持たないという時間制限。

 それは、彼の最後の希望が繋がれた瞬間に切れてしまうほど、切羽詰まったものだったらしい。

 

 同時に、周りの幻想的な光景も泡のように霧散していく。蒼い色彩はあやふやになり、深海の方へと溶けていった。

 そして頭上から差し込んできた光が奔流となって彼方へと消えていったとき、私とアストレアは最初に飛び込んだ闇の中に再び佇んでいた。

 ただ、彼は光の塊にはならず、その身を闇に喰わせながらもそのままその場に留まっていた。

 

『ソナタ、アストレア。ココニイルカ』

 

 そして、最初と変わらぬ荘厳な声でそう呟いた。

 ここに、とアストレアが声をかけるが、それすらも聞こえていないらしい。こちらへと振り向くことはなかった。

 

『我ハココカラ去ル。オ前タチハ、共二去レ』

 

 それは本当の意味での遺言だった。これが、最後なのだ。

 アストレアが嗚咽をあげる。今度はそれを隠すこともしない。

 

『アストレア。泣クナ。我ノ凱旋二悲シミハ要ラヌ』

 

 それを察していたのか、彼はそう言った。ただ、今はその言葉もあまり意味をなさないようだった。

 

 

『我ハコノ身ヲ離レ、オ前ヲ守ルコトハデキナクナル。会ウコトモデキナイ。

 ダガ、消エル訳デハナイ――我ハ、()()二会イニ行ク』

 

 

 そして、彼のその言葉で、わたしはまた一つの真実を見つけた。

 おとぎ話は、事実だという確かな真実を。

 

 

 彼が言う、ヒノという人物。

 恐らく、彼の心の根幹に根付いている少女だ。それはもしかしたら、彼とアストレアの繋がりよりも強いものだったのかもしれない。

 そのヒノという人に出会ったおかげで、今の彼はいるのだろう。

 彼女こそが彼に人の感情と人の言葉を教え、彼に種族を超えた慈しみまで与えたのだ。

 

 私はそれを知っているが、アストレアはそのことを知らないのかもしれない。いや、恐らく知らないはずだ。

 

 

『我ト別レテモ、強ク生キヨ。アストレア。我ノ子デアルコトヲ誇レ』

 

 既に、竜の声は遠い。

 彼の体は闇に紛れ、その姿は刻々と見えなくなっている。

 それは、私たちもまた現実の世界へ引き戻されようとしていることを表していた。

 

『我ノ子ヲ頼ム。ソナタ。オ前ハ我二匹敵スルソノ強サヲ誇レ』

 

 アストレアは目から大粒の涙を零しながらも俯かずにしっかりと前を見つめている。

 別れ際にみっともない姿を見せるなという彼の言いつけを健気に守っていた。

 

 

『――――――――』

 

 

 そして最後に彼が口にした言葉は、闇に飲まれ聞くことは叶わなかった。

 

 意識だけの世界から現実の身体へと感覚が引き戻されていく。自分が「自分」を取り戻す。

 背後から暖かい光が包み込み、世界を覆っていく中で。

 

 

「ううん、私は絶対にあなたには敵わないよ……」

 

 

 私の頬にも、一筋の涙が伝っていた。

 

 

 





次回最終回……のはず(説得力皆無)
今回は特に回収した伏線はないですね。


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最終話 物話の歩む道

 

 ――ふつ、と。私の身体が私の意識を取り戻す。

 

 さざ波の音が少しづつ耳に届き始め、僅かに香る潮の匂いがここが砂浜の上だということを思い出させた。

 

 大きく深呼吸をひとつ。そしてゆっくりと瞼を開く。

 その先に広がっていたのは不思議な闇色の空間ではなくて、しっかりとした質感のある色彩を持った光景だった。

 目の前に伸ばした私の腕を、温かな夕方の陽光が染めていた。どうやら、あの出来事からあまり時間は経っていないようだ。

 

(――夢、だったのかな)

 

 そんな想いが私の頭をよぎった。

 

 きっとそれは願望のようなもので、でも手放すのには惜しいくらいだ。

 だって、あれは本当に夢の中にいたかのように神秘的で、幻想的な……あまりにも切ない終わり方だったから。

 しかし私のその想いが、所詮叶わない願い事でしかないことは私自身が一番分かっていることかもしれなかった。

 

 とさ、と隣で何かが音を立てる。

 目を向けてみれば、そこには白と蒼の服に身を包んだ少女が膝をついて項垂れていた。

 

「……っ……ぅ」

 

 抑えた声が、それでもはっきりと私の耳にも届く。

 

 そのしだれがかるように伸ばされた手と、その手に触れているモノが。

 何よりも、乾いた砂浜にぽたぽたと落ちていく雫が。

 

(アストレア……)

 

 彼女のどんな感情も、今の私には表現できない。彼女にかける言葉も見つからず、それに伴うどんな行為も今は空虚なものにしか思えなかった。

 

「……ぁっ……ぁぁ……!」

 

 ただただ痛切に現実を表し、突きつけてくる彼女の静かな慟哭。

 私はそれを、ただ黙って見守ることしかできなかった。

 

 アストレアと同じように置かれた私の手の先からは、硬質でざらざらとした骨特有の感触が伝わってくる。しかし、それだけだ。

 その頭蓋骨の主、海竜の遺骸から与えられる情報に、それ以上のものはない。今まで私が感じていた気迫のようなものは消え去って、なんだか抜け殻のような印象を与えさせた。

 

 そして、私の頬にははっきりと伝った涙の感触が残っている。

 

 これらの事から言えることが一つしかないことは、もう明らかなことだったのだ。

 

「――潔いのか、不器用だったのか……最後まで、よく分からなかったなあ……」

 

 

 彼はもう、ここにはいない。その骸から流れ込む波動を感じることはもうできない。

 

 その存在があるべきところに戻ったとするなら、それはやはり空の上にあるのだろうか。

 ならきっと、ヒノという人もそこに。

 

 そう思って上を向くと、岩陰から茜色にそまった空が覗いていた。夕焼けの空の中旅立ちなんて、なんとも雰囲気のある最後じゃないか。

 

 文字通りの「お別れ」はとてもあっけないもので。

 

「さよなら……」

 

 

 そう呟いた私の頬を、またひとつ涙が伝って落ちた。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「ソナタはとうサンがいっていた、ヒノというヒトをしっているノか?」

 

 日が落ちて空に星が瞬き始めたころに、薄暗くなった入り江をさくさくとせわしなく動き回りながら、アストレアは私にそんな質問を投げかけてきた。

 

 これからソナタにお世話になる、だから私も準備しないといけない。

 そう言ったアストレアが、身の回りのものを整理してこれから持っていくものを決めているのだ。

 私はその間に火薬草を摘んできて、入り江に備蓄されていた薪を使って火を起こそうとしていた。

 

「うん。会ったことはないけど、聞いたことならあるかもしれない」

 

「むかしノひとか。ソナタもひとからきいたノか?」

 

 火薬草を何枚かにちぎって、いくつかの木炭と一緒に薪の囲いの中に放り込む。

 そして適当な枝を炎剣の刃に当てて、ざあっと滑らせればその擦過部分が赤熱し、枝に火をつけた。

 おお、と興味深そうに見守るアストレアを尻目に、私はその枝を焚き木に投げ入れる。すると瞬く間に火薬草が発火して高温を生み出し、中の木炭が熱せられて真っ赤になっていった。

 

「うん、そんな感じ。多分ヒノさんなんだろうな、とは思うけど」

 

「わたしよリもまえ二、とうさんトいっしょにここにすんでいタひとがいルというのをハジめてしった……」

 

「でも、アストレアが来る前にここに人がいたのはなんとなく気付いてたんじゃない?」

 

「……それは、たしか二」

 

 そう答えたあと、ふむ、と考え込むような仕草を見せた彼女が、不意にその右手を持ち上げた。

 

「わたしノこのうでも、ここにあっタものだ」

 

 鉛色の鈍い光沢を放つそれが、ただの義手などではなく隠し刃付きのモンスターとの戦闘にも耐えうる精巧な機工であることは、先程のロアルドロスとの戦いで存分に思い知らされた。

 誰が作ったのかも分からないが、それがもとからそこにあったということは。

 

「確か、そのヒノさんも女の人でアストレアと同じで右腕がなかった、って聞くよ」

 

 おとぎ話の設定に齟齬がないことが分かる。

 ヒノと、アストレア。そして白海竜。おとぎ話に生じていた時系列の疑問は、この二人と一頭の関係が明らかになったことで収束するのだろう。

 

「ソナタ、けっこうくわしイ」

 

「村の子供たちの間ではちょっと有名な人だもんね。もしかしたらアストレア間違えられちゃうかもよ?」

 

「……それは、こまル……」

 

 私の冗談にアストレアが深刻そうな顔をして考え込むので、私は慌ててそれを取り繕うことになった。

 だけど、あながち冗談では済まないかもしれない。アストレアとおとぎ話に出てくる少女、二人の接点は思いがけなく多いのだ。

 

「ふふっ、そのときには一緒に嘘をつこうか!」

 

 私の答えに少女はむう、と唸ってふてくされるようにまた荷造りに戻っていく。

 たき火は既に周りの薪を巻き込んでぱちぱちと燃え上がり、薄暗い入り江をぼんやりと優しく照らしていた。

 

 

 

 彼が此処から去り、私たちが戻ってきてしばらくのこと。

 膝をつき、項垂れていたアストレアはおもむろに立ち上がって私に向かってこう言った。

 

「ソナタのすんでいルところにいく。とうさんノいっていたよう二、ここはあぶないカら」

 

 そのときの彼女は、驚いたことに笑顔まで浮かべていた。

 顔には涙の痕が残っていて、まだ目も赤いままだったが、それでも無理をしている様子のないすっきりとした微笑みだった。

 

 どうして、と呟いた私に彼女ははっきりと告げた。

 

「いまもかなしイ。ふあんモある。とうさんガどうしてわたし二なにもいわなかったノかもわからナい。

 でも、とうさんガいままでわたしのことをずっトおもっていてくれたコト。わすれなイためにわたしはいきないトいけない」

 

「――だかラ、わたしハとうさんのいたこのばしょかラ、ひとりだちスルんだ」

 

 そう言った彼女の暗緑色の瞳の奥には、強い決意の光が揺れていた。

 その眼光は、人並みを超えている。狩人である私ですら思わず竦んでしまいそうなほどの力をもった眼差しだった。

 竜王のそれが他の生き物たちを震え上がらせ、立ち尽くさせる引力を持ったものだとするならば、彼女のそれは気持ちを乗せて、相手に訴えかける斥力を持ったものだ。

 

 この眼光は、きっとここで養われたものなのだろう。いつの間にか、自身の纏う雰囲気さえ彼女は変えてみせていた。

 こんなにも短い間に親との別れに向き合い、乗り越えたというのならそれは私には到底信じ難いことだ。

 まさしく、森の王の子どもに相応しいと言ったところか。

 

「……うん、分かった。アストレアがそう言うなら、私はそれに付き合うよ」

 

 それが彼の私に対するお願いであり、私の望みでもあるから。アストレアの申し出を断る理由など、私にはどこにも見つからなかった。

 

 

 

「よし、ソナタ。じゅんびできタ」

 

 アストレアがそう言いながらうつらうつらしていた私のもとに駆け寄ってきたころには、もう夜も大分更けてきていた。

 

「ふあ……わかった。もう大丈夫?」

 

「あア」

 

 私の確認に、少女は小さく頷き返す。しかし、その背にかけられているのであろう荷物の入った袋は、予想以上に小さいものだった。

 

「え、それだけでいいの? 別に私が持ってもいいのに……」

 

「けんトふくとひをツけるどうぐさエあればいきていけルし、ソナタのいえにそんなにどうぐハもっていけない」

 

 立ち上がって炎剣を担いで固定しようとしていた私は、アストレアのその言葉に剣を取り落しかけた。

 

「どうしタ?」

 

「えっと、アストレアがあまりにもあっさりしてたから驚いて……私の家に来るのは決まってることなんだ」

 

「とうさんにソナタといっしょ二いきろっていわれてタから、おなじばしょにネるんだとおもっていたガ、ちがうのカ?」

 

 不思議そうに小首を傾げるアストレアの顔には、悪びれというものがない。それが当たり前のものだと思っているようだ。

 別に私もアストレアは自分の家に連れてくるつもりだったので、特に気にすることでもないが。

 

「もちろん、じゃま二ならないようにがんばルけど。……もしかしてソナタ、いえガないのカ?」

 

「いやいや。流石にちゃんとあるよ! その心配はしなくても大丈夫だから!」

 

 そんな会話をしている間にサーブルスパイクと炎剣もしっかり固定され、私の出発準備も整った。

 

「なにか気になることはない?」

 

「――――、すこしまっテくレないか」

 

 確認のために声をかけると、アストレアはふと何かを思い出したのか小走りで遺骸の方へと向かっていく。

 なにか形見に持っていくのだろうかと思っていたら、ソナタも来て、と声をかけられた。

 

「どうしたの?」

 

 私が追いついて尋ねると、ソナタは竜の首元に吊り下げられているペンダントのようなものを手に取った。

 深く透き通る藍色をしたそれは、以前私が此処に訪れたときに手に取ったものだ。

 

「これモ、わたしガくるまえかラここにあったものダ」

 

「あ、そうなんだ。ということは、これもヒノさんが……」

 

 私がそう呟くと、少女はこくりと頷いた。そしておもむろに手を伸ばし、そのペンダントを竜の首から外す。

 

「こレは、ソナタがもらっテ」

 

「え……、いいの? 君の父さんにとっても大事な物だと思うんだけど……」

 

「それなラもっとソナタがもつべきダ。とうさんノだいじにしていタものは、わたしとソナタにあげるっテとうさんガいってたかラ」

 

 そう言って、アストレアはそのペンダントをひょい、と私の首にかけた。

 小さいが中身のあるそれは、防具の胸部装甲に当たってこつんと音を立てる。かけてみればあまり気にならない重さで、紐もしっかりとしたつくりのようだ。

 これも、ヒノという人物が身に着けていたのかもしれない。

 

「――うん、アストレアがそう言うならもらっていくよ。大切にする」

 

 私のその答えに少女は満足そうな顔をして、再び竜の遺骸と向き合った。

 

「このからだにモ、おれいをいわないト」

 

 そうして目を閉じて、そのざらりと表面を愛おしげに撫でる。

 

「……いままデ、とうさんをひキとめてくれテありがとウ。とうさんモ、ありがとうトいっていルと思う。

 ――おつかれさま」

 

「そうだね。私からも、お疲れさま。アストレアの父さんを守ってくれてありがとう」

 

 少女と私の言葉に対して、彼のいなくなった骸は何も返すことはない。

 しかし、それでもその形状を保ったまま十年以上もの時を過ごしてきたというのは、私も感嘆しか出てこなかった。

 

 

 

「――もうだいじょうぶダ。いこウ」

 

 腰元に携えた剣をかちんと鳴らしながら、アストレアは言った。

 

「分かった。――よし、行こっか」

 

 一拍置いて返事をした私は、入り江からの出口の方へ足を向ける。

 少女はそんな私の横に並び立って、私と同じ歩調で歩き始めた。

 

「ソナタのすんでいルところに、ひとハなんにんいルんだ?」

 

「うーんと、二百人くらいかな?」

 

「……そんな二いるのカ……」

 

「あはは、大丈夫。村長も村のみんなも優しいから! ゆっくり慣れていけばいいよ」

 

「そう、ダな」

 

 入り江から陸へ続く洞窟へ立ち入る直前に、アストレアはふと後ろを振り返った。

 しかしその歩みを緩めることはなく、再び前を向いて歩を進める。

 

「まずハ、このはなしかタをなおさないトか」

 

「そうかな。私は結構違和感なく感じるようにはなったんだけど、――――」

 

 

 松明の光が地面を照らす。目指す先には、ぼんやりながらも月明かりが差し込んでいた。

 

 私と少女が振り返ることは、もうなかった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 人と竜が心通わせることなど、あるはずがない。

 否、あってはならない。

 

 昔の私が抱いていたこの想いは、私の願望を封じ込めたものだった。

 どうせ夢物語でしかないと、そう深く胸に刻み込んでしまっていたから。

 

 でもある竜と少女との出会いが、そんな私を変えてくれた。

 まるで架空の話のような、でも本当にあった人と竜との絆の物語。

 

 だから今の私は、心の中で胸を張ってこう言うのだ。

 

 それは、その話はもしかしたら本当にあったことなのかもよ と。

 

 

 






こんばんは。作者のSenritsuです。

さて、これにて完結となります。長らくお待たせしました。
三万字で終わらすとか四月に終わらすとか言っていましたが、引っ張り続けて既に八月、文字数は十万字を超えてしまいました。見切り発車もいいとこです。
正直自分でもよく終らせられたなあとほっと一息ついているところですね。

そして、今になって書いた話を振り返ってみると、文体がやや崩れかかっていたりストーリーに支障が出ていたりと半年の月日を感じさせる変化が出てきていました。しばらくは、それの修正作業となりそうです。
でも言いたいことはちゃんと言えたかな。最後のシーンだけは明確だったのでそこを目指して行けたのがよかったのかもしれません。
あと一話だけ余談みたいな話がついてくると思うので、どうぞお楽しみに!←

……最後、自分でも続きそうな終わり方だなあと思っていたのですが、もし続きを読みたいという人がいましたら感想等でよろしくお願いします。
ネタはあるんですけどね。新しい二次とかオリジナルとかにも興味があるので……。

それでは、この作品をここまで読んでくださった全ての皆様に感謝を。
本当にありがとうございました。


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閑話  物語を繋いだ者たち

時系列は三話辺り。
ちょっと新しい試みをしています。分かりにくかったらご報告ください。

実を言うと、割と狙っていた大きな伏線です。回収しきれているかな?




 

「――これで、よかったんかねえ」

 

 薄く弧を描く月が、夜の集落をぼんやりと照らす。

 明かりがついてる家はもうあまり見られない。水平線の遥か遠方で瞬くちいさな光は、今日出航した漁船なのだろうか。

 そんな風景を窓際から眺めながら、昔語りを終えて家に帰りついた老婆――ヨシは小さく呟いた。

 

 自分は今独り身である。長年連れ添ってきた夫は数年前にこの世を去った。大往生であった。

 ヨシもまた、自分の残された時間がそう長くないことを悟っていた。それについて思うことはあまりない。

 むしろ、夫婦そろって天寿を全うできるとはなんとも幸運なことだと穏やかな気持ちでいた。

 

 ただ、今日の語りはそんな彼女にとってとても感慨深いものとなった。それ自体はもう何度も、幾年も語り続けたことだというのに。

 まるで薄れかかっていた記憶が鮮明さを取り戻したかのような、経験したことのない不思議な感覚をヨシは感じていた。

 

 敷物のそばにあった椅子をよっこらせと持って、窓の近くに置く。後は窓際に冷えた水の入ったカップを置けば、即席の観覧席の完成だ。

 ヨシは椅子に腰かけて、物思いに耽りながら窓越しの風景を眺める。ガラスなどはついていないので、海上特有の生ぬるい風がそのまま彼女の髪を撫でていく。

 今日は空が白み始めるまでこうしていようか、とヨシは思った。どうせ今日はあまり眠れそうにない。だったらこうやって月明かりでも見ていた方がよっぽどいいだろう。

 

(ソナタは多分行くんだろうね、あの場所に)

 

 思い起こされるのは、真実を告げたときの彼女の顔だ。

 子どもたちの後ろでじっとヨシの話を聞いていた、若い狩人の女性。モガ村の専属ハンターである彼女は、あの話に興味を持ったようだった。

 帰りがけの夜道でいろいろ話をしたがやはりあの話の構成に違和感を覚えたらしく、ただヨシに何と言えばいいかが分からずに困っていた。

 だから、何でもない風を装って彼女に本当のことを伝えてみたのだ。恐らくヨシ以外に知ってる人はいないであろう事実を。

 

 

『何言ってんだい。あれはほっとんど本当のお話さ』

 

 

 そう、あれは実話をもとにしているということ。

 村長や村の皆は、近隣の村の伝承を言い伝えているのだろうと思っているようだが、あのおとぎ話を伝え始めたのは紛れもなくヨシが最初だった。

 そしてこの話を最初にヨシに語った人物こそ、それの創作者であるのだ。

 

「なあ、ヒノさんよ」

 

 ヨシは、恐らくこの世にはもういないであろう人にむけて呟いた。

 まだ幼かったヨシに、自分の大切なものを託していった少女。

 彼女が過去に予想した未来が、一人の狩人の手によって今明らかになろうとしている。

 

「ワタシとアンタの願いを、ソナタが叶えてくれるかもしれないよ」

 

 その呟きは、ひゅうと吹いたぬるい海風に乗って、空へと広がっていった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「そ、そこにいるのは誰……?」

 

「!」

 

「村のひと? それとも泥棒のひと?」

 

「――ふう、見つかっちゃったか! 折角隠れていたのになあ」

 

「隠れていたの? だったら泥棒のひとだね……」

 

「む、酷いなあ泥棒なんて。僕を捕まえるつもりかな」

 

「……近くにはワタシしかいない。皆帰っちゃった」

 

「だから、捕まえるつもりはないってこと?」

 

「うん。……だから、隠れてないで出てきてください」

 

「うーむ、どうしたものかな。このまま僕は逃げた方がいいと思うんだけど」

 

「夜に森に入るのは危ないよ……。ワタシは、怖くないよ」

 

「僕が出てきたら、今までのことを村の人には黙っててくれる?」

 

「うん、約束する」

 

「――そうだなあ……。じゃあ、しかたないか。――よっ、と」

 

「……!」

 

「ほんとに誰もいないよね? 悪いことしたつもりはないけど、捕まったら大変なことになっちゃうんだ」

 

「……うん」

 

「ならよかった。――じゃあ、初めまして! 僕の名前はヒノ。君は?」

 

「え? あ……ヨシ、です」

 

「ヨシちゃんね。よろしく!」

 

「よ、よろしくお願いします……」

 

「? どうかしたの? 僕の顔に何かついてる?」

 

「あ、その、女の子だったからびっくりして……自分のこと、僕って言うんだ」

 

「わあ、よく僕のことが女の子だって分かったね! こんなに髪も短く切ってるのに」

 

「……でも、男の子よりは長いし……きれい」

 

「ふふ、ほめてくれてありがとう! ヨシのもきれいだと思うよ!」

 

 

 

「ごめんね。焚き木までしてもらっちゃって」

 

「……いいの。ワタシは、ここの近くに住んでるから」

 

「そうなんだ。村から遠いんだね」

 

「うん。ヒノは?」

 

「僕も遠いよー。ここよりもっと遠いかも」

 

「そんなに遠くなんだ……もしかして、迷ったの?」

 

「うん。さすがに冒険しすぎちゃった!」

 

「……なんだか、そんなに気にしてないように見えるけど……大丈夫?」

 

「大丈夫だよ。帰り道は分かったから帰ろうとしてたところなんだ。――でも、帰ったらお父さんに怒られちゃうだろうなあ……」

 

「一日家に帰ってないんでしょう? ……もう。怒られるよそれ」

 

「うう、しかたないかあ。……って、君は? 僕と一緒にこんなところにいたらそれこそお父さんとかに怒られちゃうんじゃ……。もしかして、気を遣ってくれてるのかな?」

 

「ううん。そうじゃない。ワタシは一人暮らしだから気にしなくていいの」

 

「――え? その、歳で?」

 

「……ワタシ、これでも10歳すぎてる」

 

「……そっか。でも、ヨシは偉いなあ。僕も同じくらいの年なのに一人で生活できるなんて」

 

「偉い、のかな。ワタシにはよく分からない」

 

「普段は何をしてるの?」

 

「畑のお手伝いと、皆の履物の修理。今までずっとそうだったし、これからもそう、だよ」

 

「けっこう器用なんだねヨシって。僕はそういうの苦手なんだ」

 

「そうなの? ……そういえば、ヒノはどうしてここに?」

 

「僕? 僕はねー。森のいろんな場所を冒険してるんだ。そこで野草とかキノコとか取ったりモンスターに追いかけられたりしてる」

 

「最後凄いね……。それで、こんなところまで来ちゃったんだ」

 

「ほんとにやっちゃったよー。料理も作れないからお腹もすいちゃって困ってたんだ」

 

「……はい」

 

「くれるの!? ありがとう! ヨシは優しいね!」

 

「ずっと欲しそうな目で見てたから……」

 

「えへへ、ばれてたかー。って、わわっ、持ちにくいねこれ」

 

「……両手で持てばいい」

 

「ん? あー、それがね。僕のもう片方の手これだからさ。物を掴むとか苦手なんだ」

 

「! やっぱりそれ……作られた腕?」

 

「そうだね。腕がないのは大変だったからさ。たくさん集めたマタタビを渡して猫さんたちにこの腕を作ってもらったんだ」

 

「痛くない?」

 

「最初は痛かったけど今は全然痛くないよ! 今はすごく助かってる」

 

「そう……なんだ。……ほら」

 

「え、いいの? 頑張れば片手でも――」

 

「だめ。ワタシはもう食べ終わったから気にしないで。もう片方はワタシが持つ」

 

「――やっぱりヨシは優しいよ」

 

 

 

「……ヒノは」

 

「んー?」

 

「その腕、モンスターに食べられたの?」

 

「うん、そうだね!」

 

「! こ、怖くないの?」

 

「今は怖くないよ。あのときは痛すぎて気を失っちゃったけど……。僕の腕を食べたの、お父さんだし」

 

「――!?」

 

「あっ、そうか! 僕のお父さんについてのお話をしてなかったね」

 

「ひ、ヒノのお父さんってもしかして……」

 

「ヨシの予想通りだと思うなあ。モンスターだよ?」

 

「……ほんと?」

 

「本当だよ。僕のお父さんは人じゃない。でも、すごく優しいんだから!」

 

「そう、なんだ」

 

「あ、その目は疑ってるなー? ――じゃあ、今までのお礼。特別にお父さんのこと教えてあげるよ」

 

「……うん、聞きたい」

 

「村の人に言ったらだめだよ? 僕たちの家は見つかったらいけないから。 秘密にしてくれる?」

 

「……はい」

 

「約束だからね。絶対だよ? それじゃあね――――」

 

 

 

「――と、言うわけで僕はお父さんにたくさん助けてもらって、今まで生きてこれたんだ」

 

「…………」

 

「あれ? ヨシー。どうしたの? もしかして僕の話、つまらなかったかな?」

 

「……ううん。何でもない。……でも、ヒノの話はおもしろかった」

 

「お、嬉しいなあ。これで僕のお父さんのこと分かってくれたかな?」

 

「……ヒノのお父さんは、すごく優しいんだね」

 

「うんうん! それが分かってくれただけで嬉しいよ! でも、村の人に話しちゃいけない理由も分かったかな?」

 

「うん。ワタシだけの秘密にする。絶対に、誰にも言わない」

 

「それなら安心だね! ――っと、もう朝みたいだね。僕はそろそろ行かなきゃ」

 

「……もっと、お話したかった」

 

「――そっか。でもごめんね? 今日はこれでお別れかな。家に帰らないといけないし」

 

「また、会える?」

 

「そうだねえ。――うん! また会いに行くよ。 でもそれも夜になっちゃうけど……大丈夫?」

 

「大丈夫。ヒノが来てくれるなら。……寝てたらおこして」

 

「ふふっ、じゃあ、約束だよ! いつかまた会おうね!」

 

「うん。――ヒノ」

 

「どうしたの?」

 

「――ワタシ、今日のこと忘れないから。その腕のお話も、ヒノのお父さんのことも、ヒノのことも忘れない。大事にして、待ってる」

 

「ヨシ……」

 

「気を付けて。……もうすぐ、畑に村の人たちが来る」

 

「うん、ありがとうヨシ。――僕も、君のこと忘れないから。お仕事頑張って! じゃあね!」

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 思えば、なんとも稀有な出会いだったとヨシは思う。 あのとき互いがちょっとでもすれ違っていたら、今のヨシが昔語りをすることはなかったのだから。

 

 ヒノはそれから何回かヨシを訪ねてきた。

 それは大抵数カ月から一年もの間を開けていたので、二人はその貴重な時間を無駄にはしまいと、いろんなことを話し、食べ、遊びあった。

 あのときのヨシは次ヒノがやってくるのはいつだろうとそれだけを楽しみに日々を送っていた。

 両親を亡くし、一人で行く当てもなかったヨシは小さいころから働かなければならなかった。そんな中で唯一の友達がヒノだったのだ。

 ヒノはヨシの知らない森ことをたくさん知っていてヨシを夢中にさせ、ヒノはヨシが村から持ってくる松明やペンダントなどに興味深々だった。

 

 しかし、その関係に別れを告げなくてはならなくなったのはヨシの方だった。

 畑仕事を頑張っていることを村に認められ、集落に寝床を持つことを許されたのだ。

 これでヨシが村に溶け込めるようになるとヒノは喜んでいたが、それの意味することを知っていたヨシは、しかし村民の親切を断れなかった。

 

 村に居場所を移すということは、もうヒノに隠れて会いに行くこともできない。

 もう会うことができないと、ヨシはヒノの胸でわんわん泣いた。そうやって人前で泣くのも、ヒノが初めてだった。

 ヒノはそんなヨシの背中を優しく撫でながら、自分も静かに泣いていた。

 

「僕がヨシに最初に会ったときにしたお話を覚えてる?」

 

 ヨシがどうにか心に折り合いをつけ、いよいよお別れとなる直前、ヒノはこれまでになく真摯な顔でヨシにそう尋ねた。

 

「僕はお父さんより長く生きれない。お父さんは人よりずっと長生きだから」

 

 自分はこのときどんな顔をしてヒノの話を聞いていたかをヨシは上手く思い出せない。

 ただ、ヒノがヨシに大事な話をしているということだけが頭を巡っていて、それに集中していたことは覚えている。

 

「でも、僕がいなくなった後も、お父さんはお父さんであり続けるような、そんな気がするんだ。

 それがどういうことなのかは僕も上手く説明ができない。ただ、そのことだけは自信をもって言えるんだよ。

 だからヨシ、君に僕の家の場所を教える。一人でそこに辿りつけて、信頼のできる人だけにその場所を教えてあげて。

 そして君がもし長生きしてお婆ちゃんになるまで生きたら、あのときに僕がした話を、村の子供たちに教えてくれないかな」

 

 願わくば、彼女の予感の正体を誰かの目で確かめてもらいたいから。

 

 ヨシはそのお願いに戸惑うことなく頷き、同時にそれを深く心に刻み込んだ。どんなときでもそのことを忘れないように。

 

 その後、ヒノはヨシに「それじゃあ、元気で」と言って森へと帰って行った。

 

 

 その後、ヒノとヨシが出会うことは二度となかった。

 

 

 それから永い時が過ぎ去って、今に至る。

 

 ヨシは今でも、あの少し背の高い銀髪の少女の姿は鮮明に思い出すことができる。ヒノとの思い出は胸の中で大切にしまってある。

 そして彼女の願いを叶えるべく、昔語りとして子どもたちに彼女のお話を聞かせている。

 子どもたちの反応はいつも良好だった。ヨシの話し方が上手いのもあるが、何よりヒノの話がとても物語に適しているのだ。

 

 ただ、その真相に気付いた子どもは今まで一人もいなかった。でも、それも当たり前だろう。ヨシがその存在をかなりぼやかしているからだ。

 ヒノのことを知っているのはヨシと彼女のお父さんの二人だけだ。ヨシは彼女のことを夫にも話さなかった。そして、これからも真相を知った人以外に話すつもりはない。

 

 ただ、その秘密が今解き明かされるかもしれない。一人の狩人の手によって。

 

(まさか私が生きているうちに機会が巡ってくるとはねえ)

 

 子どもたちが大人になって、今の話を彼らの子どもたちに語って聞かせるようになってくれればいいとさえヨシは思っていた。

 しかしモガ村の専属ハンターのソナタはその垣根を一気に飛び越えて、その物語の裏に潜む何かに感づいた。

 そして、彼女はその場所に行きつくだけの狩人としての実力を十分に持ち合わせている。

 

 なんとなく、運命というものをヨシは感じてしまうのだ。

 まるでそれが必然となるべく起こったかのような、何かの意志がはたらいている気がする。

 

 時を駆けた約束を守るために。物語を終わらせるわけにはいかないと。

 

「ソナタは、何を掴んでくることやら」

 

 それが空虚なものではないことをヨシは祈った。

 

 気付けば、夜が白み始めている。人々が起き出し、朝一に帰ってきた漁船が汽笛を鳴らし、村が静かに目覚めだした。

 そして、その中に人々と挨拶を交わしながら体操をする若い女性の姿もあった。

 言うまでもなくソナタである。昨夜言った通り森の探索に向かうのだろう。お昼前に出たとして、目標の場所に付くのは夜頃だろうかとヨシは思った。

 

「楽しみだねえ。頑張ってきなよソナタ」

 

 願わくば、ヒノが予感したものは何だったのかを見せてほしいものだ。

 ヨシは静かに笑って、朝焼けに輝く空を見上げた。少し強い風が吹く。

 

 風に乗って、懐かしい少女の声が聞こえた気がした。

 

 




どうしても回収できない伏線が一つあって、その辺りの話を改変しています。
気になった方はご確認を。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

閑話はもう一つ出すかもしれません。


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閑話  悠久の誓約

番外編ラストです


 これは、ある日のモガの森での一場面を綴った、ささやかな物語。

 悠長の時を経て多様な変化を遂げてきた森が、その日のことを印象付けて表すとするならば。

 

 ――そう。それは寒冷期の真っ只中でも珍しい、霜が降りるほどの寒い日のことだった。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ふふっ……。白い息なんて見たの、初めてだ」

 

 口に出した言葉も、吐き出す空気と共に靄となって空気に溶けだしていく。

 それを手で掴もうとするかのように細い腕が伸びるが、そのときにはもう消え去ってしまっていた。

 ふぅ、と付いたため息がまた空気を白く染めるが、彼女がそれに向けて再び手を伸ばすことはなかった。

 名残惜しそうに下ろした手が触れるのは、柔らかい砂の地面。適度に均された砂の大地は、少女を優しく抱き留めてくれる。

 

 森の奥深くにある静かな入り江に少女は横たわっていた。

 白い簡素なワンピースを身に纏い、長く伸ばした銀色の髪をさらりと腰の方へと流している。

 

 少女はふと自分の手が冷え切ってしまっていることに気付いた。

 普段は過ごしやすい黄昏時の森の空気が、今日ばかりは冷たい刃となって彼女に牙をむく。

 毎晩彼女が用意するはずのたき木さえ火を灯しておらず、顔を出し始めた月だけがぼんやりと彼女を映し出していた。

 

「不思議。なんでか、全然寒くないや……指はこんなに冷たいのに」

 

 またぽつりと少女は呟く。その声はまるでうわごとのように弱々しくかすれていた。

 言い切ったあと、少女は激しく咳き込む。少しだけ体が反って、胸が苦しげに上下する。

 咳が落ち着いた後も、彼女の喉からはヒューヒューという音が漏れていた。

 

 彼女は病魔に侵され衰弱していた。最早自分の身で立ち上がることさえ難しい。

 手足の感覚は軽い痺れ程度にしか感じられず、今も身体の芯から響く疼痛に苛まれている。

 

 絶え間ない苦痛に少女は苦しそうにしていた。しかし遠くから響く重厚な足音を耳にしたとき、その表情がふっと和らぐ。

 

「お父さん……」

 

 そのとき、入り江の入り口から巨大な海竜が表れた。

 光をよく弾く純白の身体。威風堂々としたその出で立ちはまさに王の風格を漂わせていた。

 

 口に竹のようなものを咥えてきた彼は、その根元をばきっと折って少女のもとに器用に立てて置く。

 

「そんなに慌てなくても、いいのに」

 

 おぼつかない手つきでそれを手に取った彼女は、口先にその端を傾けた。その中は空洞になっていて真水が入っている。

 こくこくと美味しそうに水を飲んだ少女は、竜に向けてふっと微笑んだ。

 

「ありがとう。……大分話しやすくなったよ」

 

 彼はそんな少女の姿をじっと見つめ続ける。いつもなら小さく唸って返事をするが、それもしない。

 

 彼は無力感に襲われていた。

 少女が病気の兆候を見せだしたのはひと月程前の事だ。普段なら彼女でも数日で治すそれが、今回はもうずっと彼女を苦しめ続けている。

 まだ動けるうちに猫人に診てもらいに言ったりしたものの、いつもなら効くはずの薬が全く効かない。

 

 竜である彼の目で見ても、彼女の容体が日に日に悪化しているのが分かった。

 その間、彼は彼女の身の回りの世話と果物や水を持ってくることくらいしかできなかった。猫人もときどきやってきては看病を続けていたが状況が好転することはなかった。

 そして数日前から、とうとう彼女は立ち上がることすらできなくなっていた。

 

「そんな顔しないで……。お父さんは、悪くない」

 

 悲しそうに笑う今の彼女は、もう存在を示す気配が希薄だ。その命は吹けば散ってしまいそうなほどに儚い。

 

 何よりも、彼女がそれを受け入れてしまっている。今まで病気に立ち向かっていた気概が感じられない。

 彼はそれがたまらなく悲しかった。

 

「悪いのは僕だよ。……コホッ、皆の想いに……応えられない」

 

 彼女の意志を止めることはできない。止める言葉を彼は持たない。彼女が何を言っているのかもぼんやりとしか分からない。

 種族の違いというものはここに来てあまりにも大きな壁となって彼らの前に立ち塞がっていた。

 

 悲しみを宿した彼の目を見て、少女がさらに言葉を紡ごうとしたそのときだった。

 

「だから――がはっ!? ごほっ! こほっ――」

 

 再び激しい咳に見舞われる。それだけなら見守ることくらいしかできない。しかし彼は少女の口元を見て大きく目を見開いた。

 

 咳に朱が混じったかと思えば、続いて大量の血を吐き出したのだ。口からどろりと赤い血が流れ出す。

 

 彼は慌てて少女を鼻の先で転がしてうつぶせにし、地面へと血を吐き出させた。

 少女はそれからしばらくの間血の混じった咳が止まらず、白い砂浜を自らの血で真っ赤に染めた。

 

 彼女の身体の内に住まう生き物が彼女自身を食い荒らしている。彼には血を吐き続ける少女の姿がそう見えた。

 

 だとするならこれはあまりにもむごい。彼と関係のない生き物がこうしていたとしても今の彼はそれを憐れんだことだろう。

 少女に人というものを教えてもらった彼は、今の彼女の様子を見てそれでも生き続けろとは言えなかった。

 むしろもう早く眠らせてやってくれと。彼自身でも知らない感情――何かに懸命に訴えかける気持ちに心が囚われていた。

 

 やがて少女は状態を落ち着かせ、ぜいぜいと荒い息をつきながら彼にあおむけにしてくれるように頼んだ。

 彼が少女がこれ以上血で汚れることのないように少女を移動させる。ただ、少女の顔は既に血に濡れていた。

 最早半身を動かす体力すら使い果たしたらしい少女は、疲れと苦痛を滲ませながら彼に向けて微笑む。

 

「あはは……すっかり……血だらけだね」

 

 その声はかすれきっており、聞き取ることはほとんどできない。しかし彼女はそのことに気付いていないようだった。

 凄まじい苦痛がその身を襲っているだろうに、少女は健気に彼を安心させようとする。

 彼はもう少女のそんな笑顔を見たくはなかった。その表情を隠すように顔についている血を舐めとっていく。

 

「ん……ありがとう。少し、休むね」

 

 少女はそんな竜の気持ちをくみ取ったのか、ふっと息を吐いて目を閉じた。

 彼は少女のさっきよりは落ち着いた様子を見て少しだけほっとし、彼女の吐く息の白さにやっと気付いた。

 そういえば、今日はいつもより空気が冷たい。彼女は寒がるそぶりを見せてはいないが、この寒さは応えるのではないか。

 

 なにかを温めるなど初めてのことだ。どうしたものかと逡巡した彼は、ふとある考えを思いついた。

 彼はできるだけ静かに動いて、少女を中心にして丸まった。少女の周りを彼の身体がすっぽりと包み込む。

 

「ふふ……あったかい」

 

 目を閉じながら、彼女は小さく呟く。そしてそのまま静かに寝息をたてはじめた。

 ともすればそれは、そのまま呼吸が止まってしまうのではないかと思うほど小さく浅い息であったが、彼はもうそれでもいいと思っていた。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 少女の容体が急変したのは、その日の夜遅くの事だった。

 

 激しい咳によって再び目を覚ましたあと、夕方のときよりもさらに多量の血を吐いた。

 その後糸が切れたようにその場で意識を失い、それでもなお体を蝕む苦痛にうなされ続けた。

 彼はただ、彼女の近くにいてやることしかできなかった。

 

 再び少女が意識を取り戻したとき、その顔はやつれ、深い色合いをしていた瞳は白く濁り光を宿していなかった。

 

「あ、れ……? お父さん、どこ……?」

 

 少女は竜の姿を探して目を彷徨わせ、うわごとのように呼びかける。その目の前にいた竜はもう彼女が視力さえ失ってしまっていることを悟った。

 その顔をぺろ、と舐めて小さく唸ってみれば、彼女はやっと彼を認識したようだった。

 

「あ……よかっ、たあ……」

 

 心からほっとしたような表情で彼女は呟く。そして、また悲しそうに笑った。

 

「だ、めだ。耳も、聞こえない……」

 

 こんな状態でも彼女が意識を保っていて、壮絶なはずの苦しみに抗っているのが彼には信じられなかった。

 血に染まった衣を身に纏い、口から血を流すやつれた少女の姿はとても痛々しい。

 その笑顔を見ていると、彼は自分自身が締めつけられるような苦しさを覚えた。

 

「ね、え。……おとう、さん」

 

 その声になっているかどうかすら定かでない彼女の呼びかけを、彼は聞き逃さなかった。

 小さく吠えて応え返すも、少女はそれに気付かなかった。どうやら、聴覚まで奪われてしまったらしい。

 彼はまた、その顔をぺろ、と舐めた。

 

「おね、がいが……あるんだ」

 

 途切れ途切れの言葉を何とか咀嚼して、彼はその意味を理解する。彼女はなにかお願いがあるらしい。

 ならばそれは絶対に聞き漏らしてはならない。もしかすると、彼女の言葉を聞けるのはこれが最後かもしれないから。

 

「ぼく、は……たぶん、しぬ……んだと、おもう」

 

 力を振り絞って、必死に言葉を紡いでいるのが伝わってくる。

 

「だか、ら……その、まえに……これ、を」

 

 そう言って、彼女は歯を食いしばった。硬直していた左手が徐々に持ち上がる。

 その手はそのままゆっくりと少女の首元に伸びて、ある紐のようなものを指に引っかけた。

 そして頭を僅かに持ち上げて、首に巻かれていたらしきそれを取ってその手を彼に向けた。

 

「これを……もらっ、て。ぼく、を……わすれて、ほしくない……から」

 

 それは、深い藍色をした首飾りだった。

 少女が海で拾ってきたものを、猫人に教えてもらいながら自分で削ったものだ。彼女はいつもそれを首に提げていた。

 

 彼はそれをやんわりと咥えると、ぐい、と首を伸ばして壁の突起にその首飾りをかけた。月明かりがそれを照らし、きらりと光を反射させる。

 そして彼は、その少女の小さな贈り物を絶対に守り抜くと誓った。

 

「うん。それで……いい」

 

 彼が首飾りを咥えた瞬間に、脱力して荒い息をついていた少女は、ほっとした顔をして呟いた。

 それが彼にとってどんなふうに受け取られたかは分からない。ただの枷にしかならないかもしれない。

 それでも彼女はこの首飾りを受け取って欲しかった。彼女の行けない海の深い場所の色をしたそれは、少女がとても大事にしていたものだったから。

 

「これで……もう――――!?」

 

 そのとき、また少女の内に潜む病が暴れ出す。

 先程体を動かすという無理をしたせいだろうか。今度は咳や吐血などはなかった。

 代わりに抑えることのできない引きつけが彼女の自由を奪う。彼は咄嗟に彼女の身体を頭で抑えた。

 

 彼女の顔が、ひときわ苦しげに歪む。彼は、少女の頬を血ではない何かがつう、と伝っていくのを見た。

 

 

 それは、涙だった。

 かすれきった嗚咽がその喉から漏れる。

 

 

「うあ、ぁぁあ……! っ、ああぁぁぁ……!」

 

 彼と出会って以降、決して泣くことのなかった少女が見せる涙。

 

 それは、悲痛な慟哭だった。

 

「ごめん、なさい……! おとうさん、また……ひとりにっ……!」

 

 少女のその叫びを理解しきることができないのが、これ以上ないほどに口惜しい。

 その言葉の一つ一つが、少女の命を削って出てきているのだとしたら、それはあまりにも重たいのだ。

 

「もっと……もっと、いきたかった……! いっしょに、いたかった……」

 

 痛みと悲しみとなにもかもがごちゃごちゃになって、少女はただただ涙を流し続ける。

 

「まだ、はなして、ない……ことも、ある……!」

 

 自分の身体をやんわりと抑えている存在が、少女にとってどれだけ大きかったことか。

 

「もっと、ありが、とうって……いいた、かった……のに……」

 

 

 その望みは、もう叶わないことなのに。

 

 

 

 引きつけは長くは続かなかった。

 

 しかし、その後も彼は彼女の身体に自分の頭を置いていた。目を閉じて、じっとしている。

 

 落ち着きを取り戻し、静かに涙を流し続ける少女。

 

 その左手は、彼の口元にそっと置かれていた。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 恥ずかしいこと、しちゃったなあ。

 あのときもう絶対に泣かないって決めてたのにね。

 

 でも、これで踏ん切りがついた。

 

 お父さんは、この手の先にいる。

 だったら、最後のわがままを言っても、聞いてくれるんじゃないかな。

 

「ね。……おとう、さん」

 

 もうその言葉は、声になっているかすらも分からないけれど。

 

「これ、からも……ここを、まもっ、て?」

 

 ここは、まだお父さんがいないといけない気がするんだ。

 

「ぼ、くと……おとう、さんの……おも、いで」

 

 それが、なんなのかは結局分からなかったけど。

 

「まだ……おわ、らない……か、ら」

 

 お父さんなら、きっと見つけられるはずだから。

 あの子も助けてくれる。何も心配なんかいらないよ。

 

「……お、ねが……い」

 

 この場所が他の生き物のものになるのがいやだっていうのは、嫉妬かな?

 

 あ、最後にもう一つ。伝えとかないと。

 

「お……とう、さ……ん」

 

 聞こえてるかな。聞こえてると、いいな。

 

「あえ……て、よ……かっ、た」

 

 私は、お父さんに会うためにここに迷い込んだんだよ。

 

 それ以外の自分なんて、想像もできない。

 

 

 だから――

 

 

「――あり、が……とう。……ずっ、と……すき……で、した」

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 空がだんだんと白みはじめ、高い場所にある雲が明るく浮かび上がる。

 その日、モガの森では僅かに霜が降りた。薄い霧がただよっている。

 

 入り江もその例に漏れず、冷たく静謐な空気に満ちている。

 白い息を吐きながら、彼はただ、その場に佇んでいた。

 

 その足元には、美しい銀髪の少女が眠っている。その顔は穏やかな微笑みを浮かべていた。

 もう、目を覚ますことはない。

 

 

 ぽた、ぱたた

 

 そのとき、雫が地面に落ちる音が入り江に響いた。

 それ以外の音の一切しない入り江の中で、それは止むことなく響き続ける。

 

 

 音の主は、彼しかいなかった。

 目から溢れる雫が、鱗を伝って地面へと落ちる。

 

 彼はそれが何なのか全く分からなかった。

 悲しいような、寂しいような。空っぽになったような感情を持て余していたら、急に溢れだしてきたのだ。

 

 

 このときだけは、彼は森の王ではなく一匹の追悼者だった。

 

 

 だが、こうしてばかりもいられないことは彼にも分かっていた。

 縄張りの見張り、食料の確保、外敵排除などしなければならないことは山ほどあるのだ。

 たとえ彼にとって大切なものがなくなってしまったとしても、それは変わらない。

 

 彼は無理やりその涙を引っ込め、踵を返した。

 そして横たわる少女だったものを口に咥え、壁にかけられた首飾りをちらりと見やった後、ゆっくりと入り江から立ち去っていく。

 

 

 ただこのとき、確かに。

 

 彼は自身の「心」を知った。

 

 

 




これにて、「こころの狭間」は本当の意味での完結を迎えました。
番外編の二話は、隠された重要人物、ヒノについて追いかけた話となりましたね。
ちょっと、いやかなり王道的な展開になってしまいましたが、如何だったでしょうか?

これが第一章となるかこのまま短編で終わるかは、僕でも分かりません。
でも書くことは止めないと思うので、またなにか活動をするとは思います。

それでは、ここまで読んでくださった全ての方々に心からの感謝を。
本当にありがとうございました!


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