アイシア (ユーカリの木)
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善悪の波浪
序章:Intro


 八代弓鶴(やしろゆづる)が魔法使いに助けられたのは、四年前の高校二年生の冬だ。学校で行われた魔法適正検査で陽性になった彼は、魔法使いになるのが嫌でひとり学校を抜け出した。でなければ国際機関の職員に捕まって魔法使いになることを説得させられるからだ。

 

 弓鶴は冷たくなってきた風に身を震わせながら、埼玉県大宮市の街をとぼとぼ歩く。時刻はまだ正午前で駅前の人通りはまばらだった。いつもの癖で持ってきてしまった竹刀袋で肩を叩きながら当てもなく彷徨う。

 

 職員は既に撒いていた。家に帰ると母親に怒られるだろうから、適当にマンガ喫茶で時間を潰そうと思った。それとも、友人の見舞いに病院に行くのも良いか。

 

 父親を魔法使いによって殺された弓鶴にとって、魔法使いは悪で、悪は罰せられるべき存在だ。そんな者になどなるかと憤っていた。だが、同時に高揚も感じていた。

 

 約三十年前、世界は魔法が存在することを知った。《連合》と名乗っていた魔法集団が、当時の技術ではできない立体映像を全世界各国の空中に映し出したからだ。これによって、世界は魔法の存在を知り、瞬く間に世界を覆った。

 

 しかし、魔法を使えるのは神に愛された人間だけだった。なろうと思ってなれるものではなく、完全に才能がものをいう存在だった。だから、弓鶴にとっても魔法は憧れだった。

 

 きっかけがあればいいと弓鶴は思った。魔法使いは嫌いだ。だが、悪いのは魔法使いではなく罪を犯す魔法使いだ。

 

 そんなことを考えていたからかもしれない。

 

 人通りが完全に掃けた裏通りを歩いていると、突然目の前に黒いバンが突っ込んできた。絶妙なドライビングテクニックで横付けされる。弓鶴が驚いて身を固まらせると、バンのドアが開いて全身黒づくめの男たちが現れた。全員が目元と口元だけが開いた強盗たちが使うマスクを被っていた。

 

 弓鶴は咄嗟に持っていた竹刀を両手で握った。これでも剣道には自信があった。小さい頃からやっているのだ。

 

 すぐさま正眼に構え振りかぶる。コンマ一秒後に振り下ろされる軌跡は、確実に眼前の男を捉えていた。

 

 寸前、腹部に鈍い衝撃。回り込んでいた男に横腹を殴られたのだ。文字通り脇が甘かった。

 

 弓鶴は息が詰まってその場でうずくまる。男たちが弓鶴の口元をガムテープで塞ぎ、両手両足を紐で縛ってバンに放り込んだ。完全にプロの手口だった。

 

「捕獲完了。出せ」

 

 男の一人が運転手に声を投げると、すぐにバンは発進した。一瞬の出来事だった。剣道など何の役にも立たなかった。

 

 芋虫状態になった弓鶴は、なんとかしようと両手両足を使って暴れる。今度は腹部に鈍痛。胃液が鼻から零れた。後部座席の男に殴られたのだ。

 

「大人しくしていろ。死にたくなければな」

 

 首筋に冷えた感触。弓鶴の脳裏に嫌な理解が訪れる。ナイフを首筋に突き付けられているのだ。暴れれば頸動脈を切られ殺される。

 

 急に恐ろしくなって弓鶴の身体が固まった。

 

 悔しかった。あまりの情けなさに涙が滲んで頬を伝った。

 

 弓鶴は今朝学校で聞いたことを思い出す。魔法使い候補者は、犯罪組織に狙われることがあるため注意する必要があると、国際機関の職員が言っていた。CMでもよく流れていることだ。

 

 つまり、弓鶴はその犯罪組織とやらに捕まったのだ。毎日メディアニュースで、更に今朝も言われたのに、全然危機感がなかったのだ。

 

 そして、そんな阿呆に待っているのは、どこかの国で魔法使いとして奴隷と同じように酷使される未来だ。束の間の希望が一気に絶望に入れ替わる。やっぱり魔法使いなんて最悪だと心の底から呪った。

 

 ――そんなときだ。彼女が助けてくれたのは。

 

 不意に、路地裏を走っていた車が急ブレーキを掛けた。慣性に従って後部座席の中を転がる。運転席の後部に顔面をしたたかに打つ。脳が揺さぶられて頭がふらふらした。

 

「どうした⁉」

 

 後部座席の男が叫ぶ。運転手が即座に怒声で返した。 

 

「ASUだ‼」

 

 男たちの動きは素早かった。即座にバンのドアを開けて外に躍り出たのだ。中にいる弓鶴には何が起きているのか分からなかった。そして空気が破裂したような破壊音が耳朶を叩く。視界に紫電が撒き散らされているのが見えて、雷でも落ちたのかと思った。次々と人が倒れる音が聞こえた。

 

 突如、騒音が凪に支配された。

 

 足音。

 

 誰かバンにが近づいてくる。

 

「対象を無力化完了。候補者は命に別状なし」

 

 弓鶴の耳に声が届いた。耳を撫でるような柔らかい少女の声だ。

 

 視界に少女が映った。歳の頃は弓鶴と同じくらいか。目を惹いたのはショートボブに切られた銀糸の髪。陽光に輝く銀糸には、ブラウンのメッシュが入っていた。その下にある顔は精巧にできたフランス人形のようで、一輪の花のように可憐な表情だった。まるで有名な絵画から現実世界に抜け出したかのような、現実味のない美しい容姿だった。

 

 少女は派手な深紅のローブに身を包んでいる。よく見れば、学校で見た国際機関の職員のひとりだった。

 

 少女が優しく微笑む。見る者の心を穏やかにする、睡蓮の笑みだ。

 

「もう大丈夫だよ」

 

 少女が弓鶴に手を差し伸べる。

 

「ようこそ、魔法使いの世界へ」

 

 きっかけはこれだと思った。弓鶴の目の前にいま、正義の魔法使いがいた。自分がなるべきものはこれだと思った。

 

 声も出せず身動きできない中で、弓鶴は彼女と同じ職場で働くと心に誓った。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 その日、十一歳になる更科那美(さらしななみ)は地獄の淵にいた。

 

 埼玉県川口市にある児童養護施設の一室。施設長室の隣にある古風の畳部屋には、一組の布団が敷かれていた。夜だというのに明かりは灯されておらず、開けられた障子から窓越しに舞い落ちる月光のみが唯一の光源だった。

 

 毛布が剥ぎ取られた布団の上には、巨漢の中年男が胡坐をかいていた。中年男は興奮した目をギラギラと光らせて、宵闇の中を真っ直ぐに見つめている。

 

 そこから約畳一畳分ほど離れた位置に那美はいた。絹のような輝く長い髪に、濡れた瞳、血色の良い艶やかな唇は十一歳とは思えぬほどの妖艶さを醸し出していた。体つきは細いが女を感じさせる丸みを帯びており肉感的で、その手の趣味の持ち主には心をざわつかせる何かを持つ、そんな少女だった。

 

「来なさい」

 

 中年男が声を上ずらせて言った。その口元はひたひたと這うように笑っていた。那美は中年男――施設長が恐ろしく、己の身体を抱きしめて後ずさる。その様をじっくり眺めた施設長は、ゆっくりと立ち上がると躊躇のない足取りで那美に近づいてきた。那美はそれが大鬼が襲い掛かってくるように感じ、より一層怯えを強めた。

 

 那美は知っていた。施設長は、たびたび気に入った幼女をこの部屋に連れ込んでは、何かいやらしいことをしているのだ。被害者は脅されているのか誰ひとり口を割らず、何かに怯えるように身体を震わせるようになった。不信に思った那美は消灯時間の過ぎた施設内を徘徊し、この場所を突き止め、中で何が行われているのかを知った。

 

 大鬼に組み敷かれた友人は、口元を縛られて声を出せないようにされ、裸に剥かれて大鬼の身体を打ち付けられていた。

 

 地獄だと思った。

 

 その後、怖くなった那美はすぐにその場を去って自室に戻り、布団を被って朝まで怯えて過ごした。誰にも言えなかった。誰も信じてくれないと思った。施設長は人気者で、誰からも愛される人で、那美とて施設長のことが好きだったからだ。まさか中身が鬼であるなど思いもしなかった。

 

 そして今日、那美はその地獄に連れ込まれた。教育係の人に来週の勉強について呼ばれ、消灯直前に部屋を出た途端に意識を失い、気づけばここにいたのだ。それが偶然なのか計画的であったのかは那美には分からない。だが、そんな彼女にもひとつだけ理解できることはある。

 

 地獄はすぐそこにあった。

 

 施設長が下品な笑みを浮かべてやって来る。那美もじりじりと下がるも、その動きが止まる。背中はもう壁だった。那美がそれに気づいたときには、施設長に腕を掴まれていた。反射的に引いた手を無理やり引っ張られ、強引に抱きしめられる。かつて温かく父性を感じたふくよかなお腹が、今や気持ちの悪い肉塊に思えた。じっとりとした汗が絡みついてきて思わず叫んだ。

 

「やめ――っはっ……」

 

 那美の声が聞こえるや否や、施設長が腕に満身の力を込めた。必然的に、腕の内側にいる那美の身体が締め付けられる。背骨が折れるほどの力で圧迫された那美は息を詰まらせ叫びを止める。

 

「黙っていなさい。女の子はこうやってみな女になるんだ。那美もその日が訪れたということだ。怖いことはない。黙って受け入れなさい」

 

 施設長の優しい声。だが、その裏に秘めた欲望が隠されていることに那美は直感的に気づいた。

 

 施設長は、なにか自分を徹底的に破壊することをしようとしている。逃げろ。早く、早く!

 

 訴えかけてきた本能に従って暴れようとするも、大人の力には敵わなかった。

 

「暴れるんじゃない。暴れる子はこうだぞ」

 

 ひときわ激しく身体を締め付けられる。強烈な圧迫感と息ができない苦痛が全身に駆け巡った。動物のような鳴き声が漏れた。身体が潰れてしまうかと思って恐怖感で絶望しそうになった。そんな中でも、冷静な部分が掃除のときによく使う雑巾が絞られたときはこんな気分だろうかと思った。

 

 施設長がくつくつと喉の奥で笑みを転がす。地獄の窯の底に存在する鬼の笑みだ。

 

「声を出してはいけない。出したらもう一度同じことをするぞ。分かったら二回頷きなさい」

 

 あと一度だってあんな体験はしたくなくて、那美は必死で二度首肯した。満足そうに大きく頷いた施設長が、那美の背に這わせていた両手を柔い肩に置く。一瞬逃げられるかと思ったが、指が肩に食い込むのではないかと思うほどの力で掴まれて、痛くて身体が竦んで動けなかった。

 

 施設長が唾を啜る気色悪い音を鳴らす。

 

「さあ、大人になる時間だぞ。那美」

 

 あっという間に身体を持ち上げられると、那美はそのまま布団の上に組み敷かれた。怖くて声が出なかった。その様を眺めていた施設長は愉しそうに頷き、那美の寝間着に手を掛ける。下半身が急激が重くなる。施設長が那美を逃がさないように鬼の尻を乗せていた。

 

 本能が大音量で警鐘を鳴らす。逃げろ! 早く! 今すぐに逃げろ!

 

 なのに身体が動かなかった。ただ怖かった。圧倒的な恐怖が那美の身体を縛り付けていた。指先ひとつ満足に動かせなかった。

 

 施設長がボタンをひとつひとつ外していく。歳不相応に成長した胸部が外気にさらされる。施設長の興奮が高まる。那美はただ涙を目じりに溜めることしかできなかった。

 

 施設長が那美の頬を撫でる。気持ち悪い。施設長が那美のズボンに手を伸ばす。吐き気がする。施設長の荒い鼻息が近づいてくる。嫌だ。施設長の舌が那美の頬を這う。逃げたい。鼻で息を鳴らした施設長が上半身を上げて那美を舐め回すように見下ろす。誰か助けて。こんなのは嫌だ。怖い。誰か。誰か。誰か……!

 

 那美は縋るように視線を飛ばす。

 

 鎧があった。

 

 床の間に飾られたそれは、施設長が大切にしているという、日本の昔の鎧だった。手入れを欠かさずにしているからか汚れひとつなく、月光に照らされて美しく輝いていた。肉の欲望が支配するこの場には似つかわしくない、あまりにも鮮烈な姿だった。

 

 思わず那美は口の中で叫ぶ。

 

 ――助けて!

 

 そのとき、鎧の目が翡翠色に光ったように見えた。

 

 那美は錯覚だと思った。

 

 錯覚ではなかった。鎧は緩慢な動作で動き出すと、飾られていた日本刀を持って右で抜き放ち、一瞬にして施設長の傍まで跳んで刀を振り抜いた。

 

 斬閃。

 

 ごとり、と施設長の両腕が転がる。切断された腕から鮮血がほとばしった。生臭い血が那美の顔に振りかかる。

 

 鬼の絶叫。

 

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」

 

 腹の底を絞って出したような凄絶な叫び。その場に仰向けに倒れた施設長が、芋虫のようにのたうち回る。

 

 むっとするような血の泉の中で、那美は放心状態で鎧を見ていた。翡翠色の淡い光に包まれた鎧は、施設長をじっと見下ろしていた。そして、命令を待つ忠犬さながらに那美の様子を伺っているようにも見えた。

 

「……わたしを、助けてくれたの?」

 

 施設長の叫びに混じって消えそうな那美の声。だが、鎧は確かに聞き取った。鎧が那美の言葉に呼応するように頷いたのだ。

 

 急に心に力強さが宿った気がして、那美は腕に力を入れて上半身を起こす。施設長を見ると、喉を潰しながらもまだ畳の上で転がっていた。

 

 ふと、施設長がこんなにも叫んでいるのに誰も来ないことに思い至った。誰かが来たらまずいことになる。那美の脳裏にそんな言葉が過った。

 

 しかし、その不安を鎧が打ち砕いた。鎧が握った刀で四方を指した。その先を追っていくと、この部屋を覆うように翡翠色の光が煌めいているのが見えた。鱗粉のように淡い光をまき散らすそれは、血なまぐさい現場にあっても幻想的だった。これが外へ声を漏らさないようにしているのだと那美は感覚で理解した。

 

「わたしは、魔法使いになったの?」

 

 鎧が再び頷く。

 

 こんな場面なのに、その事実が那美の心を躍らせた。

 

 魔法が欲しかった。なにもかもを覆す魔法があれば、両親を交通事故で失った自分も幸せになれるかもしれない。そんな藁にも縋る思いが通じたと思った。

 

「たす……たすけ、て……」

 

 いつの間にか、叫ぶことを止めた施設長が那美の下へ這ってきていた。先刻まで虐げる側だった鬼は、いまこの瞬間助けを乞う弱者に堕ちた。

 

 気持ち悪い。吐き気がする。いっそ死ねばいいのに。わたしを、わたしの友達を壊そうとした奴は、死んで消えてしまえばいいのにと、那美は強く思った。

 

 そして、鎧が動いた。

 

 鎧が日本刀を横に薙いだ。空気すら切裂かんとする速度で持って放たれた斬撃は、施設長の首を容易に切断した。

 

 紅の雨が吹き荒れる。命の灯よ散れというように。血の飛沫が花弁となって降る。降る。ここは地獄とばかりに。

 

 紅い雨滴、血の匂い、ねっとりとした感触、すべてが那美には非現実的に感じられた。まるでこの瞬間が嘘のようで、物語の中にでもいるように現実感が曖昧で、とても刺激的で高揚感に支配される。

 

 施設長の首。血の海の中をごろりごろりと転がっていく。

 

 全身で血を浴びた那美は、鮮烈な姿となって月光に照らされていた。血化粧に彩られた十一の少女の黒い瞳が鈍く光る。

 

 気づけば那美は口元を吊り上げて笑っていた。

 

 それは、先ほどまで嫌悪していた施設長と同じ、狂気の笑みだった。

 

 

 

 



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第一章:ASU警備部警護課 1

 埼玉県大宮市にある大病院の一室、ベージュを基調とした落ち着いた個室には、プラチナブロンドが眩しい少女がベッドに腰かけていた。十二月に入り季節はもう冬だというのに、額に汗を浮かばせた少女は、長い髪を振り乱し、両手をわさわさと上下に動かしていた。話しかけている相手の青年がうんともすんとも言わないから怒っているのだ。

 

「……づる、弓鶴! ちゃんと私の話を聞いてる⁉」

 

 ぼうっとしていた弓鶴の耳元で、突然大砲が鳴った。そんな風に感じるほどの声量で訴えかけてきたのは、少女ホーリー・ローウェルだった。

 

 弓鶴は思わず顔をしかめた。

 

「聞いてる。だから病室で騒ぐな。隣の部屋にまで聞こえるぞ」

 

 密やかに、けれど訴えるよう弓鶴は言う。

 

「だからここからが面白いのよ! 恵子(けいこ)ったら、いつも通り私がベッドにいないって思ったんでしょうね。ため息しながら、きっと丸まった何かが入っているであろう布団をがばって引っぺがしたのよ! そしたらびっくり。中に居たのはいるはずのない私ってわけ! そして同時に私が「キャー変態!」って大声で叫んだもんだから、あっちこっちから色んな人が来て大騒ぎよ! ホント笑っちゃったわ」

 

 わっはっは、と大口を開けたホーリーが快活に笑った。対する弓鶴は頭が痛くてたまらない。

 

 また病院の先生からどやされる。この天真爛漫娘は、病気だというのに体力の底がないのか、次々と新しい悪戯を考えては、病院の先生や看護師を罠に嵌めて悦に浸るはた迷惑な患者だ。そして、恵子というのは、病院が抱えるこの疫病神を専門とする哀れな生贄看護師だ。

 

 ホーリーとはただの友人関係である弓鶴であったが、両親が他界している彼女にとって、唯一の関係者だ。だからこそ、専属看護師である恵子へまた迷惑を掛けたのかと思うと心が痛い。

 

「ホーリー、頼むから病院では安静にしていてくれ。できれば、他の患者や先生らの心臓を穏やかに保つために、四六時中眠っていてくれると助かる」

 

 あら、とホーリーが心外だといわんばかりに目を見張る。

 

「弓鶴は私に死ねっていうの? 酷い! 三年もほったらかしにして、言うに事欠いて死ねっていうの! 三年もしたらポイ捨てってわけね⁉ なんて酷い男!」

 

 無関係の人間が聞けば誤解を招きそうなことを、歌うような暢気な表情なのに、よく通る大きな声で言う。勘弁してほしい、と思いながら弓鶴は訴え続ける。

 

「三年間ほったらかしにしたのは謝る。というかその話をまだ引っ張るか。今年の四月には戻ってきただろうが。それに俺とお前は男女の関係じゃないだろ」

 

「まったくね。こんな面倒な男とお付き合いするなんて天地がひっくり返ってもあり得ないわ」

 

 ふん、とあっけらかんと言ったホーリーは、ころっと表情を変えて再び悪戯のことを話し出す。

 

 ホーリーと出会ったのはいつのことだったか。弓鶴は彼女の話を聞きながらも昔を思い出す。

 

 そう、確か父親が魔法使いの事件に巻き込まれて重傷を負ったときだ。

 

 父親の下へ毎日この病院へ通っていた弓鶴に、隣の病室にいたホーリーと出会ったことがきっかけだった。確か最初の言葉は「辛気臭い顔してんじゃないわよ」だったか。仮にも意識不明の重体で生死の境を彷徨っていた父親を見舞いに来た弓鶴への言葉がそれである。弓鶴も何か言い返したことは覚えているが、なんと言ったのかまでは覚えていない。

 

 そこから、父親へ見舞いに行くたびにホーリーと話すようになった。それは父親が亡くなってからも続き、いまではこんな有様だ。

 

「つまりよ弓鶴。私も魔法使いになりたいわ! だから魔法を教えて!」

 

 いつの間にか話題は悪戯から魔法に変わっていたらしい。弓鶴はため息する。この話題になるとホーリーは、決まって無茶苦茶なことを言い出すからだ。

 

「あれは才能の一種だ。なりたいからってなれるもんじゃない」

 

「弓鶴も使えるじゃない」

 

「俺には才能があったみたいだな」

 

 皮肉を込めて弓鶴が言うと、ホーリーがこれ見よがしにむくれてみせた。

 

「あんたが使えて私が使えないのって不公平だと思うの。毎日元気に外を飛び回ってるあんたと病室に閉じ込められた哀れな私。どちらに魔法が必要かなんて一目瞭然じゃない。神様って私のことをちゃんと見てるのかしら」

 

「見てるだろ。だから少しは落ち着けよってことで魔法をくれなかったんじゃないのか?」

 

「理不尽ね!」

 

 うがー、と唸ったホーリーが枕を叩きつけてくる。この行動の方が理不尽だという自覚は彼女にはないのだろう。だがそれもすぐに飽きたか、枕を抱きしめて話始める。

 

「それにしてもまさか弓鶴がASUに入るなんてね。まったく想像もしなかったわ」

 

 弓鶴が魔法統括連合(ASU:The Association of Sorcery Unification)に入ったのは、いまから今年の四月だ。魔法適正検査で陽性となった弓鶴は、国際魔法機構(ISIA:The International Sorcery Intelligence Agency)の職員に勧められるままに魔法社会に身を投じた。

 

 それから約三年。ASUの空中都市にある魔法使い育成機関で徹底的に魔法運用を叩きこまれた弓鶴は、ASUの職員として日本の関東支部に配属された。それが今年の春のことだ。つまり、弓鶴は一年目のぺーぺーという訳だ。

 

 ところで、とホーリーが話を振ってくる。

 

「魔法ってなんなわけ? 世界は便利になったみたいだけれど、私にとってはこの病院だけが世界だからあまり実感が湧かないのよね」

 

 二〇一五年に世界で魔法が観測されてから、魔法は瞬く間に社会に侵食した。あらゆる技術が等比級数的に高度な産物になり、SF小説さながら世界はより便利に、より快適になった。

 

「世界の新たな法則だな。物理法則とは別の魔法的な法則が出来たと思えばいい」

 

「その説明で分かると思ってるならあんたは絶望的に人にものを教えるのが下手だわ」

 

 ホーリーはいつだって的確に本質を突いてくる。だから弓鶴は彼女に頭が上がらない。

 

「例えば、外国に行くのに以前は何時間もかけて飛行機に乗って空を飛ぶ必要があった。いまじゃ転送装置を使って一瞬だ。手続きに多少時間は掛かるけどな。空を飛ぶ車も出来たし、《第七天国》なんていう時間の流れが遅く流れる仮想空間なんてものも出来たくらいだ。とにかく、科学技術じゃ到達するのに何百年と掛かるものが三十年足らずで実用化して運用に乗ってるってことだな」

 

「つまり便利になったってことね。あたしは全然実感ないんだけど!」

 

「病院にだって魔法は組み込まれてる。外傷だったらどんなに大怪我をしてもすぐに治るようになったし、病気だって今までもよりも格段に治癒期間が短くなった」

 

「あたしずっと入院してるんですけど⁉」

 

「かなりの重病ってことだ。だから大人しく寝てろ」

 

 ぶーぶーと唇を突き出したホーリーが不貞腐れる。

 

 ホーリーは、医者曰く心臓に疾患を抱えているそうだ。定期的に投薬をして経過を観察しなければならない程度には重篤な病に罹っているはずなのだが、彼女を見ると医師の診断が嘘に思えてくるから困る。

 

「あんたの魔法で治せないの?」

 

 ふと浮かんだのであろうホーリーの疑問に俺は首を振って答える。

 

「俺の魔法体系じゃ無理だな。俺はどちらかというと、資材とか建築とか、そっち向きの魔法体系だからな」

 

 魔法は万能ではない。全十二体系存在する魔法だが、弓鶴が扱う魔法は治療関係とは絶望的に相性が悪い。

 

「ならなんでわざわざ悪と戦う魔法使いなんてものになるのよ」

 

「ASUの警備部だ。正義の味方みたいに言うなよ。恥ずかしい」

 

「ISIA日本事務局関東支部ASU警備部警護課だっけ? 肩書が長ったらしいのよ。こんなの言ってたら噛むわよ。あとASUとISIAって何が違うのよ。わけわかんないわ」

 

 ASUは魔法使いの中でもとりわけ実力に特化したエリート集団だ。大まかに役割はふたつで、独自に行われる魔法研究、そして犯罪魔導師を取り締まることだ。

 

 ISIAは、魔法使いの全人事権を一極集中させた国際機関だ。各国の要望や世界情勢から必要数を算出し、それに応じた魔法使いを送り込むことが主な役割である。だからASUに所属する魔法使いはISIAの職員でもある。つまりはお役所的な肩書というわけだ。

 

「このまえ説明しただろ。それで我慢してくれ」

 

「あんたの説明は下手くそなのよ。分かりづらいったらありゃしないわ」

 

 ふん、と荒く鼻息を鳴らしたホーリーがテレビをつける。丁度海外のニュースをやっているようで、フランスで震度六弱の大地震が発生したことをキャスターが読み上げていた。

 

「最近世界的に地震が多くなったわよね」

 

「この前は確かロシアだったか? あまり地震が起きるイメージが無いところで発生してるな。専門家も頭を悩ませてるらしいが」

 

「やんなっちゃうわよ。入院中に大地震が起きないことを祈るわ」

 

 そのとき、弓鶴の端末が鳴った。反射的にズボンのポケットから端末を取り出し応答すると、耳に直接若い女性の鋭い声が届く。

 

「弓鶴。招集だよ。五分以内に来て」

 

「了解」

 

 やり取りはこれだけだ。同時に端末にメールの着信。今回の招集理由である事件概要が添付されていた。弓鶴はそれに一度目を落とし、眉間に皺を寄せるとホーリーに向き直った。

 

「悪い。事件だ。すぐに行かなきゃいけない」

 

「分かってるわよ。ほら行った行った。善良な市民を守ってちょうだい」

 

 しっし、と手を振って不貞腐れているが、それがホーリーなりの激励だということは分かっていた。行ってくる、と答えて弓鶴は病室を出ると、出口に向かって足早に歩きながら端末を操作する。右目だけにメール画像を転写させて再度内容を確認する。

 

 昨夜未明、埼玉県川口市にある児童養護施設光の森で殺人事件が発生。職員四名が斬殺され遺棄されているのを同施設の子どもが発見。本日午前六時四六分に警察へ連絡をした。事件当時子どもたちが犯行に気づかなかった点や、殺害方法が特殊な方法で用いられたと推察されることから魔法使い事案の可能性が考えられるため、警察はASU警備部に緊急要請。本局はこれを受諾。

 

 ここまで読んで、弓鶴はあまりの血なまぐささに吐き気がしそうになった。魔法は世の中を便利にしたが、個人に巨大な力を与えるようになった。それこそ、ひとりで小国となら戦える程度にだ。今回もその延長だと思うとやるせない気分になった。

 

 病院を出ると同時、弓鶴は肩に抱えていたバッグから深紅の靴を取り出す。それは、明らかに通常の靴とは違う前衛的なデザインをしたものだった。金属でできたかのように表面が光沢に覆われ、燕の翼さながら側面に四枚の羽根があしらわれており、「飛燕・紅」と白文字で描かれている。靴底には丸い穴が開いており、紫色の結晶がはめ込まれていた。

 

 弓鶴はその靴に履き替えると、端末で連絡を取る。

 

「本部、こちらASU警備部警護課の八代弓鶴だ。AWS起動許可をくれ」

 

「要請受諾。確認しました。使用を許可します」

 

 端末から応答。それを受けて弓鶴はAWSを起動した。

 

 AWS:Air Wave ShoesのSルータが仮想空間へ魔法接続を開始。魔法情報がマテリアルを介して現実世界へ干渉。波動体系の魔法が発現し、AWSが波動を捉える。

 

 魔法とは、現実に十二存在する魔法世界の定義で世界を記述した結果だ。AWSは波動世界の法則を使用することで、誰でも手軽に空を飛ぶことができる靴になるのだ。

 

 弓鶴の身体が浮く。その場で足元を蹴ると、一気に身体が上昇した。大宮の街並みが眼下に広がっていく。身体全体で大気の流れを感じながら空中で膝を曲げて伸ばす。大気の流れによって生み出された波を捕まえたAWSが、弓鶴を一直線に前方へ飛ばした。時速百キロを超えた弓鶴は、すぐに目的地に到達する。

 

 タワーマンション型ビルの一階に降り立つと、その足で駆けて中に入る。エントランスを通り抜けて目的の転送室まで走った。転送室のドア上部のランプが緑であることを確認し、部屋の前まで行くと自動ドアが開く。その僅かな時間すら惜しく感じながら転送室に駆け込んだ。

 

 約二メートル四方の小さな部屋の中央には、人ひとりがすっぽり入るほどの大きさの円柱状の機械が中央に置かれている。装置の中に入ると、体内に埋め込まれた生体IDが弓鶴の身分を明かし、転送装置が認証する。

 

「ASU警備部警護課に繋いでくれ」

 

「承認します」

 

 弓鶴が告げると機械の音声が応答し、目の前が白く染まる。視界が戻った頃には、まったく同じ転送室に弓鶴は立っていた。転送装置から降りて自動ドアが開くと、そこはマンション内部ではなくではなくASU警備部警護課に続く廊下だった。

 

 明るく照らされた廊下には、ISIAからの出向社員や同じ警備部の魔導師が足早に歩く姿が見て取れた。弓鶴も人の流れに沿って廊下を進む。警備部のフロアに入り、いつもの会議室へ向かった。六人掛けの円卓テーブルには、既に弓鶴を除く四名が揃っていた。

 

「早かったね。休みのところ申し訳ないけど、割と緊急事態だよ」

 

 最初に声を掛けてきたのはショートボブの女性。銀糸に茶色のメッシュが入った変わった髪色を持つアイシアだ。フランス人形を大人にしたような愛らしい彼女が、弓鶴が所属する班の長である。要するに上司だ。

 

「やあ弓鶴。災難だったね。久しぶりの魔法使いが絡んだ大量殺人事件だ。担当は刑事課なんだけど警護課も駆り出されることになったよ」

 

 次に発言したのは、緑髪に小学生程の小柄な身長をした、一見すると少年にしか見えないブリジットだ。実年齢は二十八歳であり、魔法で肉体を幼くしている変わり種だ。

 

 パンパン、とアイシアが両手を叩いて注目を集める。

 

「はいはい、おしゃべりは止めて。早速会議をするよ」

 

 アイシアが端末を操作する。円卓テーブルの中央に置かれた映像機器が、立体映像を映し出す。

 

 映像の中身は児童養護施設内部だ。最初は和室が表示される。異常なのは呆れるほどに血が飛び散っていることだ。そして部屋の中央には布団。そしてそこに寝転ぶように中年男と思わしき首なし死体があった。首はそこから二メートルほど離れた場所に転がっている。人間パズルでもやっていたかのように右腕と左腕も離れた場所に落ちていた。

 

 画面が切り替わる。男子便所。切り替わる。多目的室。切り替わる。事務室。

 

 すべてが血に塗れ、被害者は首を斬られて殺害されている。あまりにも鮮烈な殺し方だった。

 

「メールに記した通り、埼玉県警から情報と共に協力要請があり、本部はこれを受領した。つまりは警察との共同戦線だね。ASUはこれを魔導師犯罪と認定。即時犯人の身柄確保に動くことが決定した」

 

 ここまでに何か質問は、というアイシアの問いにブリジットが答える。

 

「魔法使いが関与した根拠は?」

 

「事件当時同じ施設内にいる子供たちに被害がなかったこと、また犯行に気づかなかったこと。後者は恐らく観念結界でも張って防音でも付与してたんじゃないかな。それから、床の間に飾ってあったっていう鎧と刀が一式無くなっている。たぶん元型魔導師の仕業だね」

 

「外部犯か?」弓鶴が問いを重ねる。

 

「その線もあるし警察もあらゆる可能性を探っているけど、ASU本部は内部犯と考えてるね」

 

「というと?」

 

「保護した児童の中に、一名行方不明の女の子がいる。誘拐か、はたまた彼女が犯人なのかは分からないけれど、状況から後者が濃厚かな」

 

 相変わらずASUの即断即決具合には頭が下がる。ASUは魔法使いが犯罪を犯したと分かった途端、即時殺害を選ぶほど過激な組織だ。ISIAが無ければ犯罪魔導師の死体で山ができるだろう。

 

 なんにせよ、女子児童による大量殺人という訳だ。朝から頭が痛くなるような事件だった。

 

 アイシアが自身を抱きしめて続ける。

 

「日本では自己申告でない限り魔法適正検査は毎年高校二年の冬に行われる。だから、推測になるけどその子はISIAが関知していないところで魔法に目覚めたってことになるね」

 

「なるほど、警護課が引っ張り出されるのも納得だ。捕まえて保護しろってことかい?」

 

 ブリジットの問いにアイシアが頷く。警護課は、魔法適正検査で陽性となった魔法使いの卵をISIAへ引き渡すまで警護することが主任務だ。今回の相手が新たに生まれた魔法使いであるならば、警護課が出張る理由も納得できる。

 

「そういうことになるね。捕まえた後はいつも通り身柄を警察に引き渡して状況終了かな」

 

 今まで黙っていた金髪を撫でつけたポニーテールの青年、オットーが口を開く。

 

「動機は何でしょう?」

 

「さあ、それは警察の仕事。私たちは警察からの情報を元に対策を立てて犯人を捕まえる。なるべく穏便にね」

 

 ブリジットが茶化す。

 

「それは無理だろうなあ。相手は幼女と言えど魔法で男性職員を全員殺した犯人だよ? とても話し合いができるような精神状態じゃないだろうけどなあ」

 

「魔法犯罪は基本的に生死を問わない。分かっているだろうけれど、変に情を入れて見逃すなんてしないように」

 

 アイシアの注意に全員が頷く。対魔法使いの戦いでは、ほんの一瞬隙を見せただけで殺される。魔法使い同士の戦いにおいて、命など飴玉ひとつの価値すら存在しない。

 

 そこで、いままで黙っていた白金髪の美女ラファエルが、ぼそりと口を開いた。

 

「……顔写真は?」

 

「各端末に転送するよ」

 

 アイシアが端末上で指を滑らせる。瞬時に端末にメールが着信する。画像を開くと、十一歳とは思えぬ大人びた少女の姿がそこにはあった。どこか浮世離れした雰囲気の少女で、早くも身体は女として成長していて丸みを帯びている。メールを見ていくと、現時点での最重要容疑者の名が記されていた。

 

 更科那美。二年前に両親が交通事故に合い、身寄りもなく児童養護施設に引き取られたのだという。年齢不相応に利発で全国小学生模試では常に上位をキープしているようだ。

 

 経歴を見るとこの女子児童の未来が暗澹としているように弓鶴は感じた。もし犯人であるならば魔法犯罪である限り極刑は免れず、誘拐されているのならばすぐに助けなければならない。唯一の救いは、被害者であった場合、身柄はISIAへ移され魔法教育を受けられ、社会に復帰できるということだ。その可能性も、現段階では低いだろうが。

 

「魔法に狂ったか、あるいは何か引き金を引くことでもあったのか、単純に狙われたか。なんにせよ救いがないね」

 

 メール文書を一瞥したブリジットが笑いながら言った。アイシアが眉を顰める。

 

「鎧を操作しての殺人、防音結界を張る行為、年齢にしては扱う魔法が高度過ぎますね。これはあれですか、いわゆる天才という奴では?」

 

 オットーがポニーテールを弄りながら疑問を口にする。この場の長であるアイシアが注意を入れた。

 

「オットー。一応まだ犯人は確定してないよ。あまり事前に推測し過ぎると、土壇場で間違っていたときに死ぬよ?」

 

「これは失敬」

 

 オットーが肩をすくめた。

 

 ここまでのやり取りを見れば分かるが、どいつもこいつも曲者揃いだ。ブリジットはにたにたと笑っているし、オットーはふざけている。ラファエルに至っては興味がないのか欠伸をしていた。ここら辺の非常識さ具合が、魔法使いが魔法使いたる所以だ。

 

 魔法使いは頭のネジが数本外れているような人格破綻者が非常に多い。それは偏に魔法が使えるからというだけでなく、知覚の半分を魔法世界に置いているから、価値観が現代人と異なるのだ。

 

 魔法使いは、常にふたつの視点を持って生きている。ひとつは一般人と同じ物理法則に支配された世界。もうひとつは、自身が持つ魔法体系の世界だ。魔法体系の世界は、それぞれ現実とは法則が全く異なる。

 

 例えば、弓鶴の錬金体系は、ありとあらゆる現象が物質であるように見え、万物の元となる原初の物質がゆるやかに流れている世界だ。手を伸ばせば簡単に触れられ、イメージを作って握れば、力量に比例するもののあらゆる物質を具現化できる。

 

 つまり、魔法使いと一般人では見ている世界が違う。これはそのまま、人生観であったり価値観であったり、思考体系の違いに影響する。端的に述べるのであれば、一般人と魔法使いは、姿かたちこそ同じであれ、その考え方はまったく異なる宇宙人だ。

 

「……県警と合同会議するんじゃないんです? 早くこれ終わらません?」

 

 眠そうな顔でラファエルが言った。より正確に言葉をなぞるのであれば、どうせ同じことを話すのだから面倒だしさっさと終わらせろということだ。さすがのアイシアもため息していた。

 

「エル、私たちとしても共通認識を持っておきたいの。だからこの時間は無駄じゃないよ」

 

「……そう」

 

 早速意見を引っ込めたラファエルはやはり欠伸をしていた。ぼそっと、「お昼はカルボナーラが食べたい」と言っていたのは聞かなかったことにする。彼ら彼女らの発言や態度にいちいち反応していては埒が開かない。この数か月で弓鶴はそれを良く学んだ。

 

 生まれてすぐに魔法が使えるような生粋の魔法使いはクズばかりだ。そう思えば心にさざ波を立てなくて済む。

 

「じゃあこれから埼玉県警に行くよ。ASU刑事課の魔法使いも一緒になるから、無駄に衝突しないようにね」

 

 アイシアが声を張る。彼女も同じ生粋の魔法使いだが、従軍経験があるからかいくらかはまともだ。

 

「刑事課の連中って我らのことすぐ見下すんだよなあ。魔法使いの保護なんて赤ちゃんの仕事だろうとか言うんだよね。向こうが頭を床に擦り付けて謝罪するなら少しはマシな対応をしてあげるよ」ブリジットが口端を吊り上げて言った。

 

「相変わらず私のことを間諜扱いしてきますからねあの連中。神罰でも下ることを切に祈ります」オットーが恨み事を口にする。

 

「さっさと行ってお昼食べたい……」ラファエルの頭の中はもはや昼食のことしかないらしい。

 

 ぞろぞろと会議室を出て行った三人を見やってから、弓鶴も立ち上がる。アイシアは頭痛でもするのか頭を押さえていた。

 

「弓鶴……君だけが頼りだよ」

 

「俺にあの連中をしつけるのは無理だ」

 

「四年前に君に目を掛けた理由がいまなら分かるでしょ?」

 

 弓鶴は四年前に魔法使いだと発覚した際、アイシアに警護された過去がある。そのとき、彼女に同じ部署で働かないかと誘われたのだ。それがこんな変人な巣窟だと知っていたら進路は変わっていたかもしれないと思うと、少しはアイシアに恨みはある。

 

「なら四年前に事情を説明してくれ。それなら来なかった」

 

 アイシアが苦笑する。

 

「だから言わなかったんだよ。君は魔法使いにしてはまともだからね」

 

 もっとも、たとえ知っていたとしても来ただろう。弓鶴はアイシアの強さと正義の魔法使いぶりに憧れたのだ。だからこれはただの憎まれ口だ。

 

 アイシアが会議室の入口を見やって肩をすくめる。

 

「それじゃあ行こうか。引率者がいないとあの三人が何をするか分からないからね」

 

 

 

 



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第一章:ASU警備部警護課 2

 埼玉県警に設置された捜査本部で開示された情報は、要点を絞れば六つだ。

 

 一:昨夜二十一時頃に日本刀のようなもので児童養護施設の男性職員全四名が殺害された。そのすべてが首を一撃で切断された首切り死体だった。

 

 二:女性職員や施設に居た子ども全員が気づかなかったことから、魔法使いによる隠密での殺害の可能性が濃厚。

 

 三:死体に争った痕跡がなく、かつ犯人の足取りに迷いがないことから、内部犯の可能性が高い。

 

 四:施設長が大事にしていたという日本の鎧が消えている。

 

 五:当時付近で怪しい人物の目撃情報は無し。

 

 六:現時点において施設関係者で身元不明な人物は十一歳の女児、更科那美のみ。

 

 埼玉県警は殺人及び死体遺棄、並びに誘拐の可能性も見て捜査を開始する方針となった。当然ASUの面々もこの方針には従うが、ASUはこの時点をもって更科那美を第一容疑者候補とした。

 

 捜査会議を終えたその足で、弓鶴とアイシアは埼玉県川口市にある児童養護施設光の森へ赴いた。施設の前には制服を着た警官たちがロープを張り、いまだ増え続ける野次馬たちを必死に抑えていた。既にマスコミも集まっており現場は怒号が飛び交うなど騒然としていた。

 

 アイシアに続いて弓鶴はロープをくぐる。警官に睨まれるが、ふたりが着ている服装を見て目礼した。弓鶴たちの制服である深紅のローブは、ASUに所属する魔法使いが着る専用の服装だ。

 

 施設内に入ると、もはや乾いているにも関わらずむっとするような血の匂いがした。玄関ホールには犯人が逃亡するときに通ったと思わしき場所に点々と血が滴っている。いたるところに血痕が飛び散っており、鑑識によってマークされた場所がロビー内を埋め尽くしていた。

 

「入口でこれだと嫌になるね。中はたぶん想像を絶するよ」

 

 渋い顔をしたアイシアが言った。その声を聞いて弓鶴たちに気づいた警官たちが顔をしかめる。警察とASUは現在では協力体制こそ敷いているが、それまでに紆余曲折があったため現在でも仲が悪い。また、かつて魔法使いの事件で多くの殉職者を出した警察は、本能的に魔法使いを恐れてもいるのだ。

 

 警官たちに目礼しつつ先へ進む。廊下を進んで突き当りを右に曲がり、二階へと続く階段を昇る。その間も血痕が足跡のように続いている。二階に上がり職員室に入ると、途端に血の匂いが濃くなった。

 

 子どもの目を気にしてか綺麗に整頓された室内は、血化粧を施されていた。机も壁も天井も床も何もかもがペンキをぶちまけたかのように真っ赤になっていた。地獄だった。これを見ただけで、この場所を作り出した犯人に怒りが浮かぶほどの酷さだ。

 

「人って首を切られると結構血が飛ぶんだよね。幸いすっぱり首を落とすことも落とされたこともなかったけど、人ひとりでこれくらいの量の血は散るね」

 

 アイシアが淡々と言う。少女時代に魔法兵士として不正規戦に参加していた経験のあるアイシアの言葉は重い。だが、さすがに場所を選んで言ってほしかった。

 

「目の前の光景を眺めながらそういうことを言うな」

 

 苦虫を潰したような顔の弓鶴に対し、アイシアは肩をすくめてみせた。

 

「これくらいは慣れて。魔法使い同士の戦いなんて、爆殺とか四肢断裂とか焼死とか、死に方にはバリエーションに溢れてるからね」

 

 アイシアが冷たく言い放つ。弓鶴はまだ二十一歳で、ASUに入って一年目の新人だ。対するアイシアは同じ二十一でも幼少時から魔法教育を受けてASUに入った超エリート。心構えと経験が段違いなのだ。

 

「君はこの事件と同じようにこれからいくつも斬殺死体を作ることになる。だからこれは丁度いい予行演習だと思って。これと同じ現場があと三か所あるからね」

 

 そしてこれだ。どんなに悲惨な現場であろうと、アイシアは弓鶴のための訓練装置としての役割くらいにしか考えていない。被害者に馳せる想いや犯罪者に対する怒りは欠片もない。表情は凪いだ水面と同じ無。つまり、一見するとまともなアイシアも魔法使いということだ。

 

「それで、現場に出て何か分かることがあるのか? こういうのは警察に任せるって研修のときに教わったんだが」

 

 弓鶴の疑問にアイシアが即答する。

 

「ないね」

 

 凄惨な現場にも関わらず脱力しかけた。

 

「ならなんで来たんだ?」

 

「君、こういうのに怒れるタイプでしょ? だから怒ってもらおうと思って」

 

「は?」

 

 思わずアイシアを見つめるが、彼女の顔は真剣そのものだった。

 

「私たち魔法使いは昔から基本的に命が軽い。争いになれば個人同士のいざこざ程度で人が死ぬ。ASUが出来てからはそういうことは無くなったみたいだけれど、根本のところは変わらない。自分が生きていれば他が死んでも構わない。そういう血も涙もない種族なんだよ。だけど君は違う。ある程度成長してから魔法を使えるようになった魔法使いは、人としての価値観を持っている。それを大事にしてほしい」

 

 つまり、とアイシアが続ける。

 

「人の立場にある警察と連携を上手く取るには、ASU側にも人の価値観を持つ魔法使いが必要ってこと。彼らと同じ怒りを共有する仲間がね。それは私たちみたいな純粋な魔法使いじゃ無理だから」

 

 ほら、私たちって頭おかしいでしょ、とアイシアが苦笑してみせた。

 

「まあトチ狂ってるのは否定できないな」

 

「ひどい言いようだ」

 

 くすくすとアイシアが笑む。フランス人形のような容姿をしているから、ひとたび笑えば急に可憐さが現れる。事件現場とアイシアの雰囲気の落差に落ち着かない気分になって、弓鶴は言葉を吐き出す。

 

「で、本当に意味はそれだけか? せめて正確な魔法体系と使用した魔法くらいは知っておきたいだろ」

 

「魔法は元型体系。使用した魔法は《元型投影》に《深層干渉》」

 

 アイシアは即座に答えてみせた。

 

「会議の時も言ってたな。理由は?」

 

「斬殺現場を作り出す魔法体系ですぐに思いつくのがひとつ。君と同じ錬金体系。でも錬金魔導師は基本的に刀剣類の扱いが下手なんだよ。逆に得意なのは、刀剣類を生み出してひたすらに飛ばす運用法。でも現場を見てごらん?」

 

 アイシアがさっと手を動かし、死体があった場所の周辺へと指を向ける。確かに資料は散逸しているが、特に室内のものや壁に傷らしきものは見当たらなかった。

 

「現場を見る限り錬金魔導師の常套手段じゃないってことか」

 

「そういうこと。まあ、君みたいな変わり種もいるからあてにはならないけどね」

 

「なら使用魔法は?」

 

「少し復習しようか。元型魔法は“諸存在が持つ精神は世界を記述する”という観点から世界を記述する魔法。精神の操作や、諸存在に精神を吹き込むことによって擬似生命体を作り出すことができる。命を作り出す天命体系とは違って自律する生命体は作れない。さて、この魔法でどうやってこの現場は作られたかな?」

 

 弓鶴は魔法学校時代の教育を思い出す。

 

 ――《元型投影》は、精神を諸存在へ吹き込み擬似生命体を作る、元型魔法の基本魔法だ。作られた擬似生命体は遠隔で操作ができる。魔法使いの技量にもよるが視覚や聴覚などを共有しており、擬似生命体が見聞きした情報を得ることができる。

 

 ――《深層干渉》は、諸存在の精神の方向性を操作する魔法。統一魔法規格で禁止魔法指定されているが、人の精神を直接操作することも可能だ。

 

「《元型投影》で鎧を操作し、日本刀を使って対象を殺害。同時に、《深層干渉》で殺害現場が周囲にバレないよう、現場へ向く目を無理やり逸らす人払いもしくは防音結界のようなものを張っていた。そんなところか?」

 

「正解」

 

 満足げに頷いたアイシアが周囲を見やる。

 

「大体予想通りだね。現場に来て核心に変わったよ」

 

「複数犯の可能性は?」

 

「もちろんあるね。魔法は割となんでもありだから、他の魔法体系が関わっていたかもしれない。でも現場の情報じゃ分からないね」

 

 さあ次へ行こうか、とアイシアが踵を返す。男子便所、多目的室、和室を回るも、すべてが同じような現場だった。血に塗れ、周囲にそれ以外の痕跡がない。人間がやったとは思えないほど鮮やかな殺人現場。

 

 すべてを見終えた弓鶴たちは児童養護施設を出て外の空気を吸う。十二月の北風は凍えるが、血の匂いが纏っていたからか清涼剤に思えた。アイシアが、んっ、と軽く伸びをする。

 

「やっぱり血の匂いは嫌な気分になるね」

 

「いい気分になる奴は殺人鬼くらいだろうさ」

 

「私たちが相手にするのはその殺人鬼だよ」

 

「戦いは避けられないのか?」

 

「無理だね。散々今年で仕事して分かったでしょ。魔法使いと対峙して会話なんて通じると思う?」

 

 一年目で弓鶴はいくつかの事件に遭遇し、何人かの敵を排除――即ち殺してきた。そこには説得が入り込む余地など微塵もなく、相手は常に即座に殺しにかかってきた。

 

 過去を回想していた弓鶴の顔を見たアイシアが苦笑する。

 

「話し合いで解決できればそれがいい。相手が素直に逮捕されてくれれば楽だからね。でも、そうじゃないから私たちASU警備部が存在する。だから弓鶴も入ったんでしょう?」

 

 そうだ。弓鶴の父親は魔法使い同士の事件に巻き込まれ重傷を負い、医師の治療も空しく命を散らした。それが理不尽だと思ったのだ。魔法で世界は便利になった。だが、我が物顔で世を席捲する魔法使いが蛮族では、世界に暮らす一般人は堪らない。そんな理不尽を無くそうと願い、奇跡的にも魔法を使えることが判明したから弓鶴はASUの門を叩いた。

 

 悪い魔法使いから市民を守る。恥ずかしくて早々口にはできないが、それが弓鶴の持つこの職に対する信念だった。

 

 弓鶴の闘志が燃えたことを見て取ったアイシアが口元を緩めた。弟子を見る目で彼を眺めた彼女が端末を取り出して操作する。

 

 登録されている弓鶴の右目網膜にアイシアの端末から映像が写し込まれる。埼玉県警の捜査本部を指揮する本部長である稲垣泰三(いながきたいぞう)が現れる。五十代半ばの明らかに武闘派と思われる精悍な体つきをした男性だ。真剣を絵に描いたその表情にある瞳には、怒りと憐憫が宿っていた。

 

「こちらASU警護課のアイシア。捜査本部応答願います」

 

「こちら捜査本部。報告を」

 

「現場を確認したところ、やはり魔法使いの犯行の可能性が濃厚。魔法体系は元型体系。使用魔法は《元型投影》および《深層干渉》。操作対象は床の間に飾っていたという鎧でしょう」

 

「断定はできないか?」

 

「ASUでもこれが限界と思っていただければ。衛星映像からは何か判明しましたか?」

 

「犯行時刻過ぎに更科那美と思わしき女児が鎧武者と共に児童養護施設を抜け出した姿を確認している」

 

「その後の足跡は?」

 

「地下に潜ったな。衛星映像も監視カメラからも逃れている」

 

 稲垣とアイシアの表情が険しくなる。

 

「いますね、これ」

 

「ASU刑事課の連中と同じ見解だな。いる線で捜査に当たってくれ。全捜査員にはこれから伝える」

 

 一瞬、稲垣の視線が弓鶴に移った。同志を得たような笑みを浮かべるとすぐに表情を元に戻す。

 

「了解しました。ブリジット達と合流します。通信終了」

 

 アイシアが通信を切って一呼吸つく。風向きが変わる。アイシアが弓鶴を見た。いつもの試す視線だ。

 

「分かった?」

 

「犯人は複数。実行犯は更科那美の可能性が高く、バックに協力者がいるってところか?」

 

「正解」

 

「いくらなんでもいまの社会で子どもが警察の監視網から抜けられるはずがない。元型体系の《深層干渉》じゃ機械的な目は誤魔化せない。元型魔法の魔法転移はさすがに使えるはずがない。つまり、他に協力者がいる。おそらくは元型魔導師以外のな」

 

「その通り。随分頼もしくなったね」

 

 アイシアが睡蓮を思わせる微笑みを浮かべる。

 

 捜査に新たな道筋ができた。協力者の存在。警察との合同の本格的な捜査は初めてだから、徐々にだが進展していくことに不謹慎ながらも弓鶴は興奮を覚えていた。

 

 端末を操作していたアイシアが呼び掛けてくる。

 

「じゃあ、ブリジット達のところへ行こうか。場所は……イタリアンのお店かな。お昼食べてるね」

 

 時刻は昼食の時間帯を過ぎようとしているところだった。店選びは確実にラファエルの希望だろう。カルボナーラを食べているに違いない。

 

「捜査はこっちに任せてあいつらは飯か……」

 

「まあ、ちゃんとご飯は食べないとね。魔法使いも身体が資本だから」

 

 行こうか、とアイシアがAWSを起動し宙に浮く。弓鶴も同じくAWSを使用して波に乗って飛び上がった。

 

 

 

 



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第一章:ASU警備部警護課 3

 大宮にあるイタリアンの店は、インターネットの飲食系サイトでよく話題に上がる有名店だった。ラファエルのカルボナーラに対する執念が垣間見える店のチョイスだった。

 

 弓鶴たちが店内に入ると、六人掛けの席にひと際目立つ三人組がいた。全員が一般日本人ではあり得ない髪色をし、ASUの深紅ローブを着た奇妙な集団だ。他の客があからさまに遠巻きに見ており、早く帰ってくれという無言の空気を醸し出していた。眉をひそめて仲間たちを見る前に原因が分かる。ブリジットがうるさいのだ。

 

「分かるかいオットー。我にとって男の価値とは、女性にナンパされるか否かで決まるんだ。決して男がナンパをするんじゃない。される側なのさ」

 

 緑髪に童顔で綺麗な顔立ちは、確かに美少年に見えるが中身は二十八歳の青年だ。以前、なぜ身体を子どもの姿にしているのかと訊いたことがあるが、理由がひどかった。「おっぱいの大きい女性にナンパされるためさ」というのがブリジットの答えだった。頭が痛かった。

 

 ともかく、現在進行形でその女性客から引かれていることにすぐにでも気づいてほしいと弓鶴は切に願った。

 

 対するオットーはブリジットの談にうんうんと頷いている。どこら辺に納得できる要素があったのか是非教えてほしかった。

 

 ラファエルはというと、ひとり黙々とカルボナーラ祭りを繰り広げている。置かれた皿はもう五皿目か。こいつはひとり大食い選手権でも目指しているのかという食べっぷりだ。しかも食べ方ひとつとっても上品なところが腹立たしい。そのマナーを対人関係にも生かしてほしい。切に。

 

 入口付近で立ち止まっていたアイシアを見やる。彼女はまたも頭痛がひどいのか、頭を片手で抑えていた。

 

「おい、あれ部下だろ。なんとかしろ」

 

「言ったよね。魔法使いは大体頭がおかしいって」

 

「あれと一括りにされるのは結構堪えるな」

 

「君がいくら否定しようが実際に異なろうが、大衆から見れば君も魔法使いという変人だよ」

 

「いい迷惑だ……」

 

 完全に入口で止まっていると、不審顔の店員がやって来る。同類と思われると嫌だなと弓鶴は思った。

 

「あちらのお客様のお連れ様でしょうか?」

 

「うん、一応ね。あそこでいいよ」アイシアが渋々と言った様子で応える。

 

「かしこまりました。メニューをすぐにお持ち致します」

 

 店員が去っていき、弓鶴とアイシアはブリジット達のいる席へ向かう。

 

「同類に思われたね。こういうのは割とショックなんだけど」

 

「ASUの弊害だな。どいつもこいつも魔法使いは曲者ぞろいだから、まともな俺はとばっちりを食らう」

 

「そこに私が入っていないのはなぜかな?」

 

「自覚してるだろ」

 

「まあね」

 

 既に気分を切り替えたのか、飄々とした表情で言うアイシアがブリジット達に声を掛ける。

 

「お疲れ様。何か進展はあった?」

 

 アイシア達に気づいたブリジットとオットーが手を上げる。

 

「やあ、我の活躍を訊きたいかい? いいとも、教えてあげよう」ブリジットが傲岸不遜な態度で言う。

 

「なにもしてませんけどねえ」オットーがそんなブリジットの言葉に早速水を差した。

 

「カルボナーラ食べてた」ラファエルは食事を摂る動作を止めもしなかった。

 

「俺たちが現場見に言っている間にやってたことは昼食を食べてただけか……」

 

 アイシアと一緒に席に着いた弓鶴の恨み言に反応したのはブリジットだ。

 

「まあまあ弓鶴、そう目くじらを立てないことだ。皺になるよ? ほら、警察との合同捜査なんて、結局ASU側でやることなんて捕まえるときにしかないからさ、こうして有意義な時間を過ごしているんだよ」

 

「そこは働けよ。やる事くらい色々あるだろ」

 

「ないんだなあそれが」

 

 ブリジットがペペロンチーノをフォークでくるくると弄びながら苦笑する。

 

「監視衛星に監視カメラの確認、人海戦術を利用した聞き込み、科学捜査、それらから導き出される捜査方針の策定、どれもASU警護課じゃできないことだ。つまり、やることがなくて暇ってことだねえ」

 

 アイシアを見やると、遺憾といった渋い表情でブリジットの科白に頷いていた。

 

「いまASUの捜査班が魔法捜査を行っているから、彼女の所在が分かるまで暇というのは間違いないね」

 

 まさかこれほどの重大事件でやることが無いと思っていなかった弓鶴は唖然とする。その顔を見たアイシアが苦笑した。

 

「弓鶴は警察との合同捜査は初めてだっけ。いつも大体こんなものだよ。魔法的見地からの助言は刑事課がしてくれるし、そもそも警護課は魔法使いの護衛に特化しているのであって捜査にはてんで向かないんだよ」

 

 そう言って、アイシアはメニューに目を落とす。なにがいいかな、と呟いているところにオットーが水を向けた。

 

「そういえばそろそろ魔法適正検査が始まりますね。そちらの人員は問題ないのですか?」

 

「うん? そうだね、警護課もそこそこ今回の事件に組み込まれてるから、今年はちょっと厳しいかな。他支部から応援が必要かも」メニューから視線を上げたアイシアが答える。

 

「毎年この時期は修羅場だからねえ。今年もそうなるかと思うと気が重いよ」ブリジットがげんなりしていた。

 

「そんなに大変なのか?」新人だからこそ出る弓鶴の質問。

 

 答えたのはブリジットだ。

 

「そりゃ大変だよ。関東全域で魔法適正検査が行われる。多少日程はずらすけどね。当然毎年何人かは陽性になる生徒が出るから、ISIA職員と一緒に家に赴いて進路を訊いて警護に回る。で、大体どこからか嗅ぎつけた魔導師密売組織の連中とやり合うことになる。あれ絶対教師と繋がってるよね。たしか弓鶴の時もそうだったんじゃなかったっけ?」

 

 あまり思い出したくないことを言われ弓鶴は渋面を作る。彼も教師に情報を流されたことで密売組織に誘拐されかけたのだ。それを助けてくれたのがアイシアだった。まあ、彼にも悪い点がかなりあったのだ。

 

「あんなのが日常茶飯事なのか?」

 

 まさか、とブリジットが笑う。

 

「あの程度可愛いものだよ。発展途上国だと学校ぐるみで魔法使いを囲ってるよ。魔法使いの派遣人数はISIAが握ってるから、たとえ日本で生まれた魔法使いだろうがISIA直轄の人員になる。そうなると派遣先がどこになるかはISIA次第さ」

 

「……それが嫌だから国は秘密裏に密売組織から魔法使いを買ってるって噂。あくまで都市伝説レベルですけど」ラファエルが口の中のものを咀嚼し終えてから続けた。

 

「人身売買か……」

 

 吐き捨てた弓鶴にアイシアが話を加える。

 

「結局、魔法使いを握った国が覇権国家になるからね。どこも必死だよ。元々フランスに拠点を持っていた《連合》――現在のASUがフランスに一極支配されることを嫌った先進国が、ISIAを作って魔法人材を一極集中させて分配することに合意したんだけど、いまじゃそれも各国から非難されてるね。本当に調子がいいよね」

 

 アイシアの口調には棘があった。彼女なりに思うところがあるのだろう。

 

「うん、やっぱり私はナポリタンにしようかな。弓鶴はどうする?」

 

「同じのでいい。パスタはなんでもいける」

 

「食に興味が無いのは良くないよ?」

 

 好き嫌いがないんだよ、といって弓鶴は店員を呼んだ。一瞬嫌そうな顔をした店員が急に愛想をひっ捕まえてやってくる。気が滅入る瞬間だ。店員にナポリタンをふたつ頼んで一息ついた。

 

 今一度アイシア班のメンバーを見渡す。

 

 アイシア・ラロ。

 

 銀糸に茶色のメッシュが入った変わった髪を持ち、フランス人形のような整った容姿の女性。魔法界でも珍しい因果魔法と精霊魔法の二体系を扱う二重魔法の持ち主。ASUで最高位である第九階梯の最高位魔導師を両親に持つサラブレッド。かつて軍に所属していた経歴を持ち、魔法戦闘のエキスパート。ASUが示す魔導師位階は第七階梯。

 

 ブリジット・マクローリン。

 

 一見すると緑髪の小柄な美少年だが、実際は二十八歳の青年だ。主にアイシア班では索敵を担当するが戦闘もこなせるだけの実力を持つ。使用魔法は元型魔法。ASUが示す魔導師位階は第八階梯。実力主義のASUでは本来ならばアイシアよりもブリジットが班長になるべきだが、面倒だという理由でこれを拒否している。

 

 オットー・リーノ

 

 撫でつけた金髪をポニーテールにし、目鼻立ちがはっきりした彫の深い西洋らしい顔つきの青年。《連合》時代から現代まで対立している、イタリアのローマに拠点を置く《異端審問機関》に所属していた経歴を持つ変わり種。現代社会に適応できずにいる同機関に嫌気がさし逃亡。ISIAを介してASUへ所属することとなる。使用魔法は秘跡魔法。ASUの魔導師位階は第六階梯。

 

 ラファエル・ラメ

 

 氷の彫像とも思える美貌の持ち主で、白金のストレートヘアの女性。超遠距離からの狙撃を得意としており、こと狙撃に関してはISIA日本事務局随一の実力を持つ。最長記録は魔法を併用しているとは言え、スポッター有りで一万メートルを超える。使用魔法は因果魔法。ASUの魔導師位階は第六階梯。

 

 性格さえ除けば高階梯の高位魔導師ばかりが集うエリート集団だ。

 

 なんだかアイシアのように頭が痛くなってきているところで、ブリジットが心の深淵でも除くかのような目で弓鶴を見ていた。

 

 高位の元型魔導師は人の心を読むというが、ブリジットの眼力には確かにそんな力が宿っているかのように感じた。弓鶴の頬に冷や汗が垂れる。

 

「そんなに我を見つめてどうした? まさか……惚れたのか?」

 

「アホか」

 

 一瞬で呆れた。ブリジットに期待した自分が馬鹿だと弓鶴は深く反省した。

 

「なに、弓鶴って男好きなんです?」

 

 ラファエルがどうでもよさそうに弓鶴に訊く。興味がないならいちいち訊かなくても良い。

 

「そんな訳ないだろ」

 

「アイシアとよく一緒にいるのにそういう様子を出さないから、女嫌いだと思ってました」

 

 頬が引きつる。とんだ勘違いをされている。普段ろくに会話をしないからか、ラファエルには裏で変に思われていたようだ。

 

「そんな理由で決めつけるな。仕事中に男だの女だの考えないだろ普通」

 

「我は考えてるぞ。むしろ考えていない時がない」ブリジットが胸を張って答える。

 

「私も考えてますね」オットーも同意。

 

「二対一で弓鶴の負けです。弓鶴は男好きってことで」ラファエルがカルボナーラの最後の一口を食べ終えて言った。

 

「早くこの班から出たい……」アイシアは早くも頭を抱えていた。

 

「抜けるなら必ず俺を連れて行ってくれ。さすがにひとりでこれはキツイ」弓鶴が本心で懇願する。

 

 アイシアが頭を押さえていた手を下ろして苦笑した。

 

「善処するよ」

 

「あれ、やっぱり仲いいです。弓鶴は実は女好き?」

 

 首を傾げるラファエルのその首を折りたくなった。

 

「お前の頭はそれしかないのか」

 

「はい、結婚したいです」

 

 いきなり結婚願望を出されても弓鶴としても困る。そんな彼の心などどこ吹く風といった様子で、ラファエルが己が願望を続ける。

 

「働かないで家で料理をしていたいです。毎日カルボナーラを作ります」

 

「エルの夫になる男は苦労しそうだな……」

 

 ラファエルと結婚すると漏れなく毎日がカルボナーラ祭りになるらしい。地獄だ。

 

「さすがの我もそれは嫌だ……」ブリジットも呆れ顔だ。

 

「私は構いませんよ。結婚を前提にお付き合いしませんか?」オットーは少し興味がありそうだった。

 

「嫌」ラファエルが即答で斬る。

 

「ふられました。責任を取ってください弓鶴さん!」

 

 オットーが理不尽な怒りを発露すると身を乗り出して弓鶴に迫る。無駄に周囲の視線を集めているからすぐにでも帰りたかった。

 

 弓鶴はアイシアに首を向ける。

 

「アイシア、帰っていいか?」

 

「お願いだからここに居て。被害者が多い方が苦労は少ないから」

 

 やはりアイシアも良い性格をしている。

 

「アイシアを生贄にして帰りたいんだが」

 

「今度なにか奢るからお願いだからひとりにしないで」

 

 眉をハの字にしたアイシアが、割と本気の目で訴えかけていた。彼女は弓鶴が来るまでひとりでこの三人をまとめていたらしい。その苦労は想像を絶するだろう。それを考えるとさすがに可哀そうになった。

 

「ここの勘定を持ってくれ」

 

「分かった。奢るよ」

 

 ほっとした様子でアイシアが頷いた。なんだか彼女と同じ苦労を共有して絆が深まったように弓鶴は感じた。

 

「うわー、女に奢らせてる。弓鶴は悪い男なんですね」

 

 それをラファエルが台無しにする。ここはなんだ。なにをどうしようが酷いことになる頭痛の根源か。

 

「あー、エル。これはそういうのじゃなくて……」

 

 反論しようとしたアイシアの口が止まる。何かを考えるようにその視線が虚空を泳ぎ、

 

「まあ、いっか。弓鶴は悪い男だね」

 

 アイシアが弓鶴を売った。まさか即座に裏切られるとは思わなかった。

 

 もやは不信感を隠そうともしない店員がナポリタンを持ってくる。ラファエルはついでとばかりにカルボナーラを追加注文していた。

 

 アイシアは罪悪感の欠片もない様子でナポリタンに手を付け始める。これだから魔法使いは信用できない。フォークを手に取りながら、弓鶴は魔法社会の理不尽さをこの上なく強く実感した。

 

 

 

 



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第一章:ASU警備部警護課 4

 弓鶴達がいるイタリアン店の近くのビジネスホテルに更科那美はいた。もちろん手続きなど子どもの身でできるはずがないから、無断で一部屋拝借している状態だ。

 

 児童養護施設での事件後、那美は鎧に従ってすぐに施設を出た。街の至る所に警察の監視網があり、それから逃れるために鎧に促されるまま監視網の死角をついて魔法転移を使い、ホテルまで辿りついた。鎧がいなかったら確実に捕まっていただろう。それが理解できるほどに彼女は利発だった。

 

 部屋はさして広くもなく、ベッドとテレビ、そして壁に備え付けられたテーブルのみがあった。那美は白のワンピース姿に着替えてベッドに腰かけていた。鎧は入口で待機しており、室内は誰もこの室内を認識できないように元型体系の観念結界が貼られている。これで従業員が掃除で入ったりすることもないし、万が一客が来ても部屋自体を認識できず入ってくることはない。もちろん、那美はそこまでは完全には理解できていない。魔法についてはてんで素人だからだ。

 

「これからどうしようか?」

 

 那美は足をぷらぷらさせながら言った。話し相手は鎧だった。

 

『まだ悪人がいる。斬るべき相手は無数にいるぞ』

 

 男とも女とも分からない潰れた声が鎧から零れ落ちる。那美はこれを鎧がしゃべっていると理解していた。鎧はこうして彼女の話し相手になってくれ、導いてくれていたのだ。ひとりぼっちではないことが彼女にとっては心強かった。

 

「じゃあその人たちも殺そう。悪い大人はいなくなった方がいい。でないと、わたしの友達みたいな被害者が無くならない」

 

『その通りだ。だが今は休んで夜に行動を起こす。そろそろ食事にしよう。窓を開けてくれ。魔法で食事を持ってきた』

 

 那美が窓を見る。鎧の言う通り、窓の外には魔法でできた無数の鳥がビニール袋を足に引っ提げていた。心浮き立つ光景に彼女は目を輝かせると、すぐに窓をようとした。開け方が分からず時間が掛かる。ようやく窓を開くと、限りなく透明に近く目を凝らさなければ気づかないほどの翡翠色をした小鳥が、ばっと音を立てて部屋に入ってきた。

 

「この子たちは?」

 

 くちばしをパクパクとさせている小鳥たちを触りつつ那美が訊いた。

 

『お前が作った魔法の鳥だ』

 

「魔法ってこんなこともできるんだ」

 

『魔法はお前が思っているほど万能ではないが、科学を超越する程度には有用だ』

 

「魔法のことを教えてくれる?」

 

『仕事が終わってからにしよう。まだ殺す相手は山ほどいる』

 

「大変だ。がんばらないと」

 

『小鳥たちと戯れるのもいいが、早く食べて休め。あれから一睡もしていないだろう』

 

 鎧に叱られて那美はしゅんとする。確かに事件以降那美は寝ていなかった。興奮して鎧と話してばかりいたからだ。

 

 魔法の効果が切れたのか小鳥たちがいなくなる。那美は仕方なくビニール袋を開く。中にはコンビニのおにぎりや総菜パン、飲み物が入っていた。

 

「鎧さんは食べないの?」

 

『私は魔法で作られた疑似生命体だ。食事は必要としない』

 

 そっか、と答えて那美はひとりで食べることにした。本当は一緒に食べたかった。誰かと食べる食事は、ひとりで食べるよりも美味しくなる最上の調味料だからだ。だが、それでもひとりでないことが那美の心を穏やかにしていた。

 

 鎧とならうまくやっていける。根拠のない自信が那美の心に根付き始めていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 苦痛しか感じない食事を終えた弓鶴は、アイシアと共に児童養護施設の関係者の話を訊くことになった。ASU側でも話を訊いておいて欲しいとの稲垣本部長の意向だった。

 

 AWSを使用して埼玉県警へ向かうと、担当警官に取調室へ連れていかれる。そこに居たのは、少し痛んだ髪を後ろで一括りした二十代後半の女性だった。表情には疲労感が滲んでおり、眠れていないのか目元には隈が浮かんでいた。

 

 担当警官から齎されていた情報では、彼女の名前は白鷺小百合(しらさぎさゆり)。児童養護施設の女性従業員だった。事件当時は休憩室におり難を逃れたという。

 

 机を挟んだ対面には中年警官が座っていた。部屋に入ってきた弓鶴たちを一瞥すると、柔和な笑みを浮かべて息を吐き出した。

 

「ASUさんも来てくれたのか。魔法使い視点でも話を訊いてくれると助かるよ」

 

「ええ、我々もそのつもりで来ました」

 

 中年警官の斜め横に陣取ったアイシアが答える。弓鶴もその横に並ぶ。中年警官が白鷺に向き直る。

 

「白鷺さん、面倒でしょうけどもう一度お答え下さい。事件当時はどこでなにをしていましたか?」

 

「就寝室で本を読んでいました」

 

「なにか物音とかは聞こえませんでしたか?」

 

「特には。ですが、中にはやんちゃな子どももいますので、時折子どもたちの声は聞こえました」

 

「本を読んだあとはどうしましたか?」

 

「そのまま寝ました」

 

「まだ九時過ぎですよね? 随分と早い就寝ですね」

 

「子ども相手の仕事は疲れますので。勤務が続いていまして、男性職員が残務を片付けてくれることになっていたので先に休ませてもらいました」

 

 白鷺の回答は二回目だからなのか淀みなかった。アイシアは無表情で彼女を見つめている。

 

 中年警官が続けて質問をする。

 

「本を読んでそのまま寝たわけですね? トイレに行ったり飲み物を飲んだりは?」

 

「気づいたら寝てしまっていたので特には」

 

「アリバイを証明してくれる人はいますか?」

 

「ひとりでしたのでいません」

 

「施設に泊まることはよくあるんですか?」

 

「家が遠いのでたまに泊まらせてもらっていました」

 

「行方が分からなくなった更科那美さんはどんなお子さんでしたか?」

 

「年齢にそぐわない聡明な子でした。頭の回転が早いというか、ちゃんとした考えを持っているというか、とにかく普通の子どもよりも大人びた子でした。それから、魔法に憧れを抱いていました。魔法使いになりたいというのが彼女の口癖でした」

 

 アイシアの眉が上がる。中年警官が質問を続ける。

 

「魔法使いの兆候らしきものは見受けられましたか? 例えば……」

 

 言葉を切った中年警官がアイシアを見る。彼女が頷いて言葉を引き継ぐ。

 

「例えば、翡翠色の光が那美ちゃんの周りで見えたりだとか、時折人の心を読んでいるように思えるとか、那美ちゃんがいないところで那美ちゃんの声が聞こえたり、見えない遠くの場所の出来事が見えたりだとか、そういったことはありましたか?」

 

 白鷺がこくんと喉を鳴らした。記憶を辿っているのか、視線はアイシアへ向けたまま目が細くなる。

 

「……これといったものは。ただ、確かに人の心を読んでいるんじゃないかっていう発言をするときはありました。単にそれは聡明だからだと思っていたのですが」

 

「白鷺さんは魔法使いですか?」

 

 アイシアのこの問いに、白鷺は目を瞬かせた。

 

「いえ、一般人です」

 

 中年警官が続きを引き受ける。

 

「殺された四名が殺害された理由に心当たりはありますか?」

 

「……いえ、ありません。みな良い方でした」

 

「噂程度でも良いんですが、なにかありませんか?」

 

「いいえ、なにもありません」

 

「犯人に心当たりは?」

 

「ありません」

 

 中年警官がアイシアに視線を投げる。彼女は首を振りかけ、弓鶴を見た。彼も確認したいことはひとつだけあった。

 

「那美さんが職員を殺す動機はありますか?」

 

 白鷺は息を呑んだ。

 

「いえ、なにもありません」

 

 言った白鷺の表情は硬く、弓鶴の目から見ても何かを隠しているように見えた。

 

 任意の事情聴取のため白鷺は解放されることとなった。弓鶴たちは捜査本部へ行き報告すると、稲垣本部長がASU側の印象を尋ねてきた。

 

「更科那美が魔法使いである可能性は高いですが、客観的な情報がなければ断定できません」

 

 アイシアが答えた。

 

「魔法適正検査をしなければ駄目か?」

 

「そうですね。ただし、魔法適正検査は視力や聴覚検査等と同様に検査対象が正確に答えていない場合誤審する可能性があります。捜査で使用するには証拠能力が不十分ですね」

 

「ああ、そうだった。弓鶴君は何か印象に残ったことはあるか?」

 

 稲垣本部長の眼光が弓鶴を射抜く。心拍数が一瞬上がったが、すぐに冷静になって弓鶴は答える。

 

「白鷺小百合は何かを隠している、そう感じました。あの施設には何かがあるんじゃないですか? 少なくとも、更科那美が被害者を殺害する動機の心当たりはあるみたいです。子どもが大人を実際に殺すほどの殺意を抱くなんて相当だと思いますけど」

 

 稲垣本部長がアイシアと中年警官を見る。ふたりとも頷いていた。稲垣本部長がふっと表情を緩める。

 

「分かった。引き続きよろしく頼む。気になることがあったらどんどん調べてくれて構わない」

 

 分かりました、と返事をして弓鶴たちは捜査本部を出た。県警の廊下で立ち止まってアイシアに問う。

 

「このあとはどうするんだ?」

 

「まあ、ASU警護課としては自由だね」

 

「魔法観点でいうとやる事がないな」

 

「そうだね。聞き込みとかは警察の仕事かな。捜索も別の班が担当してるし、本格的にうちの班でやるのは逮捕時の付き添いくらいかな。でも折角だし色々やってみようか。なにかしたいことある?」

 

「死体の状態って見られるのか?」

 

 こてん、とアイシアが首を傾げる。

 

「うん? 切創が見たいの?」

 

「ああ、切断面を見たい。四人も刀で首を刎ねられるものか? 刀で人を斬ると普通は二人か三人で使い物にならなくなるんだが。そもそも本物の刀なのか?」

 

「模造刀でも魔法で強化していれば斬れるね。元型魔法でも可能だよ。周囲の空気を鋭利にして刀に纏わせるとかね。ただ、かなり面倒な魔法であることは確かだと思うよ」

 

「ブリジットならできるか?」

 

「ブリジットクラスじゃないとできない、と言えるね」

 

 ブリジットはASU指定で第八階梯の魔法使いである。魔導師位階は最高位が九だから、上から数えて二番目の高位魔導師だ。

 

「更科那美はとんでもなく天才ってことか?」

 

「犯人だったら危険だね。ちょっとコツを掴んだらすぐに第九になるよ。そうすれば手に負えなくなる」

 

 稀にいるんだよ、そういう子が。アイシアが悲しそうな目をして言った。

 

 弓鶴は暗澹たる気分だった。血が滲む経験をし、《第七天国》で時間を百倍速にしてまで長期間訓練して辿り着いた階梯が六だ。それを僅か十一歳、しかも魔法が使えるようになってすぐの女児が軽々と超えていった。嫉妬もそうだが、世の理不尽を嘆きたくなるような実感が胃の底に圧し掛かる。

 

「弓鶴、魔法のほとんどは確かに才能だよ。でも、努力が無ければ開花はしない。あまりそういうことは考えない方がいいよ」

 

 ぽん、と弓鶴の肩に手を置いたアイシアが言った。続けて、そもそも、と苦い笑みを浮かべる。

 

「私の方が弓鶴の倍以上魔法に触れているのに、階梯の差が一しかないっていうのは結構焦るんだよ? 安心して。弓鶴はすごい魔法使いだよ」

 

「戦闘に特化してるだけだけどな」

 

 ASUでは、魔法技能を位階で区別する魔導師位階制度を制定している。魔導師位階には、戦闘能力で測定する無制限戦闘規格、分野ごとの技術力で測定する魔法技術規格の二種類がある。弓鶴は無制限戦闘技能規格で第六階梯だ。つまり、民間では役立たずの魔法使いということだ。

 

 アイシアがくすくすと笑う。

 

「私もそうだよ。繊細さがないから民間には行けないね」

 

 さて、とアイシアが話を打ち切る。

 

「遺体安置所にでも行こうか。まだ司法解剖はされていないはずだから」

 

 近場の警官を捕まえて安置所まで案内してもらう。安置所に行くと、四体の遺体に遺体袋に入っていた。担当警官に承諾を得ると、手を合わせてからひとりひとりの切創を確認していく。魔法使いでありながら剣術家でもある弓鶴の目から見ても、見事なまでに綺麗に両断された断面だった。卓越した技術を持つ剣術家でなければできない芸当だ。現時点までの情報から総合するに、一般人による犯行ではない。間違いなく魔法使いの仕業だ。

 

「どう?」

 

 アイシアの問いに弓鶴は遺体袋を綴じて顔を上げた。長い間見つめていたせいで目が疲労していた。

 

「この犯行は俺じゃ無理だな。切断面が綺麗すぎる。魔法を使ってかろうじてできるかどうかってところだ。そう考えると一般人じゃないな」

 

「やっぱり魔法使いの仕業ってことだね」

 

「元型魔法は疑似生命体を作り出す魔法だよな。その動きは魔法使いに委ねられるんだろ? これ、十一歳の子どもに可能なのか?」

 

 弓鶴の見立てでは、師範級の技量の持ち主が行った仕業だ。それを十一の女児が魔法でとはいえ再現できるとは思えなかった。

 

「元型魔法による疑似生命体の遠隔操作は想像力と技量にもよるけど、かなり最適化されるんだよ。例えば細かい作業では人は手が震えたりするけど疑似生命体を介せばそれを無くせるし、力だって人力を越えることも可能。つまり、魔法使いの理想通りに動かせるんだよ。だから可能か不可能かという問いなら、想像力と技量によっては可能という回答になるね」

 

「設計図を見て理解すれば、錬金魔法で精巧な部品が作れるのと同じ理屈か」

 

「まあそんな理解で合ってるよ」

 

「となると、更科那美でも犯行は可能か」

 

「そうなるね」

 

 相手の技量が明確になっていく度に気が滅入ってくる。これは相当に難儀な仕事になりそうだと弓鶴は思った。

 

「逮捕時は覚悟しないといけなさそうだな」

 

「そうだね。ひとまず警察とASUの包囲網がその子を捉えてくれるのを待つしかないね」

 

 これ以上はいまできることがないとした二人は、ISIA関東支部に戻ることにした。ASU側の捜査状況を知るためと、ブリジット達との合流のためだ。もっとも、合流したところで何ができるわけではないのだからあまり意味はないが。

 

 警護課のオフィスで案の定だらだらしていた三人を引き連れ、刑事課のオフィスへ向かう。道中、ブリジットが嫌そうな声で言う。

 

「わざわざ刑事課に行く必要があるかい? どうせまた難癖付けられるんだろうなあ」

 

 アイシアが諭すようにブリジットに声を投げる。

 

「一応警察とASU刑事課、警護課の合同捜査だからね。あっちの見解も聞いておきたいんだよ」

 

「それ報告書で良くない? どうせ後で展開されるでしょ」

 

「弓鶴の教育のためだよ。初めてだから色々やらせてみたくてね。だから君たちはそのお付き合い。たまには先輩らしいことしたら?」

 

 アイシアの挑発にブリジットがむっとした。

 

「我、そんなに先輩らしくない?」

 

「君がそう思うのならそうなんじゃないかな?」

 

 んがー、と唸り声をあげたブリジットが頭を掻きむしる。どうやらそれなりに自覚はあり、先輩らしさを発揮したいらしい。いまのところそんな姿を見かけたことは皆無に近いのだが。

 

 ばっと顔を上げたブリジットがオットーとラファエルを見る。普段の気怠さややる気のなさ、軽薄さといったものが微塵も感じられない真剣な表情だった。いつもそういう顔をしていてほしかった。切実に。

 

「よし、久しぶりに本気を出そうじゃないか。オットーにエルも、後輩に良いところを見せようか」

 

「面倒ですね」即座に断るオットー。

 

「美味しいカルボナーラ奢ってくれたら考えます」ラファエルは相変わらずブレない。

 

「ふたりとも……我のやる気を返して……」

 

 ブリジットが勝手に落ち込み始めるも、一度首を振ってもう一度二人に訴えかける。

 

「いいのかいふたりとも? このままだと弓鶴に馬鹿にされるんだぞ? オットーはいつも女の尻ばかり追いかけているアホの背教者、エルはコミュニケーション能力ゼロのカルボナーラ狂いとか思われるんだぞ?」

 

 ふたりの歩みが止まる。ふたりの表情には焦りが浮かんでいた。その感情が理解できない弓鶴は内心で首を傾げる。その様子を見ていたアイシアがそっと耳打ちした。

 

「魔法使いは結構プライドが高いんだよ」

 

「これはプライドの問題なのか?」

 

「まあ、彼らの中ではそうなんだろうね」

 

 意味が分からない。日頃の行いの結果だろうと弓鶴は呆れた。ふたりがそんなやり取りをしている間もブリジットの説得が続く。

 

「我は嫌だ! 弓鶴は我の後輩だ! 後輩に馬鹿にされるのは絶対に嫌だ! 心底嫌だ! 弓鶴は我のペットだ! そうだろうふたりとも!」

 

 ペットとはなんだ。いつからこいつの愛玩動物になったんだと弓鶴は抗議しそうになったが、アイシアに止められる。

 

 そうですね、とオットーが頷く。聖職者の額には汗が輝いていた。

 

「確かにこのままでは舐められるのかもしれません。私も先輩であるということを弓鶴さんに思い知らせる必要があると思います。でなければ世の女性がみな弓鶴さんに靡いてしまいます」

 

 言っている意味がよく分からない。

 

「弓鶴ごときに馬鹿にされるのは嫌です。それに私はコミュ障ではありません。もしそういう目で見るなら弓鶴を狙撃で殺します。絶対に殺します」

 

 ラファエルに至っては殺意すら漂わせている。いつも眠そうな顔をしているのに、いまや氷柱がごとき鋭利な目つきで弓鶴を睨みつけていた。

 

 もはや本格的にこの三人の思考回路が理解できなかった。

 

 諦観が浮かび始めていた弓鶴の隣で、アイシアがパンと手を叩いた。

 

「うん、みんなもやる気になったことだし刑事課に行こうか」

 

 アイシアが踵を返して廊下を進む。完全に弓鶴を目の敵にした三人が彼女に倣って歩き出す。ひとり遅れて足を踏み出した弓鶴は、様々な負の感情が宿った息を漏らした。

 

 アイシアは弓鶴を贄にすることで三人のやる気を無理やり引き出したのだ。やはり一番厄介なのは彼女ではないだろうか。

 

 この班で本当に犯人が捕まえられるのか、弓鶴は心配でならなかった。

 

 

 

 



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第一章:ASU警備部警護課 5

「おやおや、赤ん坊のお守りが刑事課になんの御用だね?」

 

 刑事課のオフィスに入った途端、金髪の男性魔導師が弓鶴達に向けてひと際大きな声を投げつけてきた。刑事課の中でもとりわけ警護課への当たりが強い魔導師、ランベール・ディディエだ。必然的にアイシア班全員の眉が上がる。刑事課のオフィスを見渡すと、皆こちらに目をやりながらくすくすと嫌な笑みを口元に滲ませていた。

 

「やあディディエ。児童養護施設殺人事件について、刑事課の見解を訊きたくて来たんだ」

 

 やれやれといった様子でやってきたランベールにアイシアが微笑みを作って声を掛ける。しかし、ランベールは彼女を無視してブリジットに顔を向けた。

 

「なにしに来たのかねブリジット。ここはお守りが来る場所ではない」

 

「我も君の面を拝むのは勘弁願いたいんだけどね、先輩風を吹かせるためだ、仕方なく来てやったんだ。光栄に思え」

 

 いつも通りなブリジットの不遜な物言いだが、刑事課相手では有難く感じる。見事にスルーされたアイシアは笑顔が引きつっていた。

 

 はっ、とランベールが鼻で笑った。

 

「先輩風か。低階位の者に対してそんなことをしなければ舐められるのかお前は。情けないものだ。真の魔法使いは己が威容と行動で低階位の者を威圧するものだよ」

 

「考えが古いねえ。だから同じ歳なのにそんな爺さんみたいな口調なんじゃないかい? それとも次元回廊でも食らって本当に歳食ったのかい? キミ、老け顔だもんな」

 

 ランベールの眉間に皺が寄った。明らかに怒っていた。

 

「あのような出の遅い魔法を私が食らうとでも?」

 

「冗談だよ。真面目に受け取らないでほしいな。刑事課はジョークも通じないのかい? まったくノリが悪いねえ。ここにはつまらない奴しかいないのかい? モテないよ?」

 

「魔法使いにジョークなど必要ない」

 

「キミはアホなの? それとも生粋のバカなのか? ジョークのひとつも飛ばせずどうやって女の子を口説くのさ。まさか、魔法理論とか自分の魔法技量の凄さを滔々と語る気かい? はは、誰もそんな話なんて聞きたくないよ。うちのアイシアだってそんな男はお断りだろうね」

 

 無理やり話題に上げられたアイシアの表情にひびが入る。たぶん、表情を元に戻せないほど怒っているのだろうな、と弓鶴はぼんやりと考えた。

 

 ブリジットの言葉を受け、ランベールの表情に気づきが生まれる。

 

「アイシア? ああ、そこにいたのか。気づかなかった。低階位の者の姿は注意しないと目に入らなくてね。気分を害したのなら謝ろう。それより今夜食事でもどうかね? 精霊体系で新たな理論が生まれたので話したくてね」

 

 弓鶴は思わず吹き出しそうになった。ブリジットが言ったことを早速実践して見せてくれるとは思わなかったからだ。素で煽っているのに食事に誘うその浅慮さが笑いを誘う。もっとも、誘われた当人は堪らないだろうが。

 

「お誘いは有難いけど、事件中だからやめておくよ」

 

 アイシアは気合で笑顔を作ったのか、時折頬がぴくぴくと痙攣していた。ランベールは残念そうに首を振った。

 

「確かに、事件中は慎むとしよう。それより、何しに来たのだねアイシア」

 

 いまやブリジットすら眼中に無いのか、ランベールは完全にアイシアへ視線のすべてを注いでいる。いまなら実力で劣る弓鶴でも勝てるのではと思うほどに隙だらけだ。

 

 アイシアが来た理由を棒読みで伝えている間、弓鶴はランベールをじっと見つめる。

 

 ランベール・ディディエ。刑事課の班長。魔法体系は精霊体系。魔導師位階は第八階梯。年齢はブリジットと同じ二十八だから、超がつくほどのエリートだ。そして、刑事課でもASUの魔法使いらしい魔法使いとして有名な人物でもある。

 

 ある魔法使い曰く、ランベールを見ればASU魔導師の大体の傾向は分かるとのことだ。まこと至言である。

 

 ASUの魔法使いは、位階制度に基づいた縦社会に生きている。第八階梯という高位魔導師のランベールから見れば、ブリジット以外のアイシア班のメンバーは無視して然るべきありんこ程度の存在でしかない。

 

 そして、刑事課の魔法使いは大抵がこの類だ。更に、刑事課は犯罪魔導師と直接対峙して事件を解決することが主な仕事であるから、魔法使いの警護を仕事とする警護課を非常に軽視している。

 

 だからこそランベールの最初の科白があれだ。つまり、魔法使いというものは非常にプライドが高く面倒な性格で、かつ刑事課と警護課は仲がすこぶる悪いということだ。

 

 アイシアがわざわざブリジットを連れてきたのは、自身がいなければまともに話ができないが、彼もいなければ自身の存在すら認知されないという意味が分からない状況になるからだ。あらゆる意味で魔法使いはめんどくさい。

 

 アイシアからの説明を訊き終えたランベールが顎に手を添える。

 

「なるほど、こちらから提示できる情報は、犯人は第八か第九階梯級の元型魔導師。使用魔法はアイシアの推測通りだ」

 

「なんだ、刑事課も役に立たないな」

 

 ブリジットが苛立たし気に煽った。

 

「思いのほかアイシアが優秀だということだ。我々が無能という訳ではない。警護課で腐らせるには惜しい人材だ。是非刑事課に異動してもらいたいところだ」

 

 アイシアの口元がひくつく。褒めているのか馬鹿にしているのか分からないランベールの物言いに言い返そうか迷っているのだろう。

 

 そんなアイシアの様子も見ずにランベールが続ける。

 

「更科那美の捜索はこちらでも行っているが、まだ網に掛かっていない。どこかで潜伏している可能性があるだろう」

 

「要はなにも分かっていないってことか。本当に役立たずだ。天下の刑事課様が聞いて呆れるね」

 

 ブリジットはもう帰りたそうにしていた。正直な話、アイシア班全員が彼と同じ気持ちだった。

 

 ランベールの眉間に皺が寄る。プライドをいたく傷つけたようだ。

 

「高位の元型魔導師にとっては、元型魔法は潜伏が得意な魔法体系だ。姿を擬態化すればすぐには判断がつかない。ブリジット、趣味の悪いお前のようにな」

 

 ブリジットは完全に警護課に戻ることにしたようで、ランベールの挑発には乗らなかった。

 

「はいはい、とりあえず我らは戻るよ。邪魔したね。お疲れ様」

 

 ひらひらと手を振ったブリジットが刑事課のオフィスを出る。弓鶴たちもそれに続いてオフィスを出た。

 

「……久しぶりにどっと疲れたよ」

 

 アイシアが酷く憔悴した表情でため息した。今回の一番の被害者はアイシアだろう。弓鶴にオットー、ラファエルは完全に無視されていたから被害は軽度だ。

 

「あいつ、本当にアイシアに惚れてるのか? それにしては誘い方が斜め下の方向な気がするんだが」

 

 弓鶴の質問に答えたのはブリジットだ。

 

「アレは頭がおかしいのさ。というか、魔法使いは大体あんな感じなのは知ってるだろ? 女の子の誘い方すらまともじゃないのさ。相対的に我らはまだマシな部類ということさ」

 

 ふふん、とブリジットが胸を張るが、どちらにしても頭がおかしいことに変わりはない。

 

「あんなのに好かれてアイシアは可哀そうですね。まだ弓鶴の方がましです」

 

 ラファエルが憐みの視線をアイシアへ向けていた。いきなり火種を飛ばされた弓鶴としては気分がよくない。

 

「それは褒められてるのか?」

 

「褒めています。弓鶴は良い男です。だからカルボナーラ奢ってくれますよね?」

 

 期待の混じった視線を上目遣いに向けられる。元が綺麗なだけに一瞬靡きそうになるが、中身は毎日カルボナーラ祭りの頭のおかしい女だ。一瞬で冷静になる。

 

「奢らないからな……」

 

「弓鶴は悪い男です……」

 

 ぷいっと顔を逸らしたラファエルが頬を膨らませた。軽い女なのか面倒な女なのかよく分からない。

 

「ともかく、今回は被害がこちらにこなくて良かったですね。生贄を担って下さったアイシアさんには感謝します」

 

 オットーが空気を読まないことを平気で言う。アイシアの疲労感が更に増したように見えた。弓鶴としては、つい先ほど生贄にされたばかりなのでいい気味だと思った。

 

 警備課に戻った五人は本格的にやる事がなくなり、時間も勤務終了時刻が近づいていることもあり各々自由に過ごすことになった。

 

 埼玉県警や刑事課、警護課の他の班から報告メールが次々と飛んでくる。すべてに目を通すが、これといった目ぼしい情報はなかった。犯人と思わしき女児は現在も逃亡中。被害者および施設関係者への聞き込みは目下警察が実施中。

 

 まだ捜査開始初日にも関わらず、弓鶴はなにか複雑な迷路にでも迷い込んでいるような奇妙な気分になっていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 関東の冬は風こそあまりないが、夜になると足元がじんじんとするほど底冷えする。それはビジネスホテルの室内でも同じで、暖房を焚いても床下周辺には冷たい空気が滞留していた。

 

 だから更科那美は、ベッドの上に座って着替えをしていた。大人物の黒のワンピースに白い厚手のコート。足元は寒さ対策のため黒のストッキングを履いた。

 

 着替えを終えて姿見を見れば、そこには十一歳とは到底思えない大人の美女が映し出されていた。背は伸びていつもより数段高く、誰もが振り向く美人な顔つき。胸は視覚の暴力と言わんばかりに服を押し上げ、しかし腰はきゅっと括れている。足も無駄な肉が無くすらりと長かった。

 

 見慣れている姿と違う自分を見て、那美は思わずにこりと笑った。大人の女性が持つ妖艶な笑みだった。

 

「魔法ってすごいね。変身までできるんだ」

 

「高位の元型魔導師が使える魔法だ。周囲の大気へ精神を吹き込み、疑似生命体を作り出して身体を覆い、形を変化させている。普段と感覚が変わるから気をつけろ」

 

 男性の声が那美の言葉に反応した。鎧だった。否、鎧ではなかった。

 

 元型魔法によって姿を変えた鎧は、いまや二十代前半の男性の姿になっていた。那美はその姿を見て驚愕を露わにした。

 

「鎧さんも変身したんだ。カッコいいね」

 

「高位の元型魔導師にとって見た目はあまり意味がない。いくらでも変えられるからだ」

 

 那美にとって、魔法使いは奇跡の使い手だった。いまこのとき、自分もその仲間入りをしている事実を改めて実感し、歓喜に心が震えた。やっぱり魔法はなんでもできるんだという万能感が彼女を支配していた。

 

「次の悪い人はどこにいるの?」

 

「東京だ。あそこは業の深い人間が多い。女子児童を食い物にしている下種を殺しに行く」

 

「やっぱり、わたしの友達みたな目に合ってる子がたくさんいるんだね」

 

「いる。世界中にだ」

 

「なら殺さないと。殺して殺して殺し尽くして、世界を健全に作り替えないといけない」

 

 人殺しは悪だ。那美もそれは理解していた。だが、人と鬼は違う。施設長たちのような鬼をこれ以上世にのさばらせておくわけにはいかない。世界はもっと平和でなければならない。そして、それを為すための力を自分は手に入れた。ならば退治しなければならない。

 

 いまや、那美は自分のことを正義の魔法使いだと思い込んでいた。

 

 鎧――青年がが無造作に那美へ手を差し出した。

 

「行くぞ那美。奴らを地獄に落とす。二度と浮かばぬようにな」

 

 うん、と頷いて那美がその手を取る。

 

「行こう。みんながわたしたちの助けを待ってる」

 

 

 

 



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第一章:ASU警備部警護課 6

 新たな首切り死体が発見されたのは、児童養護施設殺人事件の発覚の翌朝のことだった。場所は東京都赤坂にあるウィークリーマンションの一室。被害者は四十代の男性ふたり、三十代の男性ひとり、二十代の男性ひとりの計四人で、川口市児童養護施設で発生した事件と同一手口と思われる犯行だった。防犯カメラには二十代の男女と思わしき二人がウィークリーマンションに入っていく姿を捉えていた。これを受けて警視庁は埼玉県警との合同捜査本部を設置することに決定した。

 

 たった二日で、児童養護施設での男性職員四名殺害、東京都赤坂でも同じく男性を四名殺害した連続大量殺人事件ということで、マスコミは大いに賑わった。犯人は世間に不満を持っている若者だの、はたまた精神異常者だのと、コメンテーターが好き勝手にわめき散らしていた。その矛先は当然のように警察へも向かい、やれ無能だの給料泥棒などとネット上でも叩かれる事態となっていた。

 

 そんな世間が騒いでいる中でも、ASU警備部警護課アイシア班の面々はいつも通りの時間に出勤し、いつも通りの適当な表情で円卓を囲んでいた。もちろん、弓鶴を除いてだ。

 

 ひとり立っていたアイシアがパンと手を叩く。

 

「はい、大事件になったね。ISIAから突き上げが来てるよ。さっさと解決しなさいって。珍しく課長がぼやいていたよ」

 

 今回の事件は魔法使い事案だ。まだ警察から正式な発表がされていないためまだ世間には公表されていないが、これが明るみになれば確実に魔法使いの評判が地に落ちる。

 

 ISIAは魔法使い人材を統括する国際機関だ。当然、新しく生まれた魔法使いの勧誘活動も行っているから、魔法使いへの評判が落ちることをひどく気にしているのだ。残念ながら、生粋の魔法使いたちの集団であるASUはそんなことは微塵も考えていないが。

 

「あーあ、面倒だねぇ。で、犯人の追跡は?」ブリジットが長いため息を吐く。

 

「目下のところ捜索中らしいね。警察はおろかASUの監視網も抜けてるね。元型魔法の応用で見た目を変えてるみたい。ブリジットと同じだね」アイシアが淡々と答える。

 

「被害者の共通点は? 八人も殺されてるんだぞ。しかもわざわざ東京にまで出張ってるんだ。適当に殺してる訳じゃないだろ」弓鶴は腹の底に煮えたぎる怒りと憤りを綯交ぜにした声を出す。

 

「警察待ちだね。いま被害者関係者を虱潰しにしてるらしいよ」

 

 アイシアの態度は変わらない。それが弓鶴には苛立った。人が死んでいるのだ。なのになんだこの適当さはと。怒りに拳が震えた。反射的に円卓を叩いて立ち上がって吠える。

 

「分かってるのか? 人が死んでるんだぞ? 八人もだ! もっとなんかないのかよ‼」

 

 アイシア班の面々を見渡すも、全員が涼しい顔で弓鶴を見ていた。それが余計に弓鶴の頭を沸騰させた。

 

 握った拳を弓鶴がもう一度円卓へ叩きつけようとしたところで、アイシアが凍てついた声を出す。

 

「弓鶴。黙って」

 

 思わぬ冷たい声に弓鶴はその場で固まった。アイシアが全身から威圧感を放っていた。それは雰囲気などではない。物理的に室内の温度が下がっていた。彼女は魔法を使っているのだ。

 

「怒りで解決すると思ってるほど君は短絡的なバカなの? それとも癇癪を起す程度の無能? 違うよね? 君は私が選んだ私のパートナーだよ。なら知恵を絞って。そして怒りは捜査へ向けて。それくらい、できるよね?」

 

 言い返せなかった。アイシアの言うことが真っ当だからだ。弓鶴は奥歯を噛みしめて椅子に腰を落とす。

 

 アイシアは口元に笑みを浮かべて魔法を解いた。部屋の温度が元に戻る。

 

「まあ、弓鶴の怒りも分からないことはない。要は、我らは犯人に舐められてるわけだ。お前らごときじゃ捕まえられないんだろう? だからまだまだ殺すぞ。……とね」

 

 ブリジットが語る感情は正直見当違いだが、魔法使いの高いプライドに火をつけた。それはある共通の感情を引き出した。怒りだ。

 

「確かに、舐められるのは気に食わないですね。アイシアさん、私も捜索班に加わっても?」

 

 オットーの名乗りにアイシアが頷く。

 

「では私は捜索班に加わります。東京都の一区程度なら、秘跡魔法が秩序体系の結界で覆ってみせましょう」

 

「お願いだから観念結界だけは張らないでね? 日本が死ぬから」

 

 アイシアの懇願にオットーが力強く頷いた。

 

「当たり前です。私もそこまで馬鹿じゃありませんし、そもそも使用できないように別の結界が張られていますよ」

 

「我も行こう」

 

 続いて名乗りを上げたのはブリジットだ。

 

「索敵は元型体系の十八番だからね。奴ら、今回の事件じゃ失点続きだ。そろそろ喝を入れてあげようじゃないか」

 

 いいだろう? という問いにアイシアは苦笑いしつつ首肯した。

 

 そしてラファエルは――

 

「私は……因果魔法だからやる事がない……です」

 

 ものすごく落ち込んでいた。

 

 因果魔法は、"理そのものが世界を記述するのであるならば、理が内包する因果にこそ世界は存在する"という観点から世界を記述する魔法だ。つまり、望んだ結果を生み出すために"結果に導くのに必要な原因を無理やり作り出す"魔法である。因果魔法は自身に関わる索敵ならば可能だが、広域での索敵行為が苦手なのだ。

 

 見かねたアイシアがラファエルの肩をぽんぽんと叩く。

 

「エルは私たちと一緒に動こうか。索敵はあの二人に任せよう?」

 

「私にできること、カルボナーラを作ることですか?」

 

「それ以外でお願いしたいかなあ……」

 

「分かりました。なるべくがんばります」

 

 ラファエルがゆっくりと拳を握った。

 

 あっという間にまとまった班員を弓鶴はしばしぽかんと見ていたら、ブリジットと視線が合った。彼がさり気なくウィンクした。どうやらフォローのつもりらしい。少しは先輩らしく思えてくるのだからたちが悪い。

 

 アイシアが立ち上がっていつものように手を叩く。

 

「さて、やる事は決まったね。ブリジットとオットーは捜索班へ、私と弓鶴、それにエルは捜査本部、それから現場にも行こう。捜査本部で直接情報を集めようか。もしかしたらASU側なら見つけられる手掛かりが落ちてるかもしれない」

 

「了解」と全員が声を出して立ち上がる。ASUのアイシア班に入って約半年だが、ここまでちゃんと纏まったのは初めてだろう。にわかに弓鶴は興奮してくる。

 

 会議室へ出てブリジット達と別れる。アイシアらと共にISIA関東支部を出てAWSで警視庁へ向かう。

 

 警視庁へ入ると、中は警官が入り乱れて騒然としていた。当然だ。今朝がた捜査本部を設置したばかりなのだ。今回の件を受けていよいよ隠し切れなくなったのか、警察側は魔法使い事案であることを発表するらしい。既に更科那美の行栄不明情報は報道されているが、今回の発表でどうなるかは想像に難くない。間違いなく魔法使いバッシングが酷くなるだろう。

 

 捜査本部が設置された会議室へ行くと、まだ準備が完全には終わっていなく、人の出入りが激しかった。早速、埼玉県警の稲垣泰三の姿を見つける。わざわざこちらまで出向くとはご苦労なことである。武闘派刑事が弓鶴たちに気づく。

 

「君たちも来たか」

 

 稲垣の問いにアイシアが代表して答えた。

 

「はい、警察が掴んだ情報でASU側でなら気づけるものがあるかもしれませんので一応」

 

「助かる。あれから何点か情報が増えている。報告書にまとめる前に聞いてもらえるとこちらとしても助かる。それにしても、目の色が変わったな」

 

「優秀な後輩が発破を掛けてくれましてね」

 

 アイシアがちらりと俺に視線をくれる。稲垣の口元に獰猛な笑みが浮かんだ。彼女が話題を戻す。

 

「ところで、情報を訊いても?」

 

 稲垣が声を潜める。

 

「まだ断定できないが、弓鶴君の言っていた通りあの児童養護施設には何かがある。被害者関係者の中で明らかに口を噤む者が何名かいる。被害者の交友関係から漁るのは正解だっただろう」

 

「警察側の見解は?」

 

「子どもが大人に殺意を抱くなどそうあるものではない。癇癪を起して発する言葉とは訳が違うからな。それに相当利発な子どもだったらしい。そうなれば、恐らくは虐待関連か」

 

「他の子どもたちからの聴取状況は?」

 

「芳しくないな。事件の影響が激しいのか精神的に参っている子が多く聴取出来ていないのが現状だ」

 

「白鷺小百合はなんと?」

 

「相変わらず知らぬ存ぜぬだ。相当に口が重い。任意の事情聴取だからか、そう長く拘束しておけないのも要因のひとつだろう」

 

「赤坂での捜査状況は?」

 

「赤坂での事件は不審点が多い。だが捜査は始まったばかりだ。情報が集まるまでは時間が掛かるだろう」

 

 アイシアがしばし黙考する。顔を上げて稲垣に更に質問を投げる。

 

「稲垣本部長は川口の事件と赤坂の事件をどう考えていますか?」

 

「被害者に共通点が見つからない以上、なんとも言えない。だが、現時点ではもしもという言い方しかできないが、更科那美が犯人であった場合、何かしらの協力者がいるということは確実だろう。でなければ子どもには長期間の潜伏に被害者選定、更に殺害までできまい。であれば、なにか目的があって事件を起こしていることになる。魔法で更科那美が洗脳されているという可能性はあるか?」

 

「あります。が、魔法での洗脳はすぐにできるものではありません。ある程度時間を掛けなければならないですし、魔法使いが相手ともなればその有用性は更に下がります」

 

「可能性としては低いと考えておいた方がよいか」

 

「可能性のひとつとして模索するのはありかと思います」

 

 なるほど、と稲垣が呟く。

 

「君たちはこれからどうするつもりだ?」

 

「一度現場に行ってみようと思います。なにか魔法的な証拠を残しているかもしれませんので」

 

「分かった。なにか分かった場合は報告してくれ」

 

「了解しました」

 

 礼をしてから捜査本部を出る。警視庁の廊下を歩きながらアイシアがぼやく。

 

「まずいね。警察側の捜査が事件に追い付いていない。たぶんすぐにでも事件は起きる」

 

「そうなると更科那美の身柄を押さえる方を優先した方がいいか?」弓鶴の問い。

 

「そうなんだけど、目的が分かれば先回りできる。悩ましいね」

 

 エル、とアイシアが呼び掛ける。

 

「こういうとき因果魔導師の勘とか働かない? 結構いま藁にも縋る気分なんだけど」

 

 ラファエルは申し訳なさそうに首を振った。

 

「……さすがにこの状況では無理です」

 

「そっか、私も全然働かない。因果体系の《時間観測》は便利なようで捜査には不向きだよね」

 

 因果魔法の時間観測は、時間軸を瞬間の連続ではなく過去・現在・未来に伸びる線として捉える魔法だ。理論的に因果魔導師は時間軸で起きたすべての出来事を観測できる。しかし、実際は自身の危機に対しては敏感な程度で、その他の事象について過去視や未来視が出来るわけではない。魔法も万能ではないのだ。

 

 こうなってくると、弓鶴は錬金魔導師で今のところ魔法で何の役に立っていないことが悔しく感じてくる。それが滲んでいたのか、アイシアに肩を叩かれた。

 

「焦るのは分かるけど、じっくり行こう。捜索班はあのブリジット達も参加したし、こっちも少しずつだけど進展はしている。現場に行こうか」

 

 アイシアの方針に頷き、弓鶴たちは警視庁を出て現場へと向かう。せめて一欠けらの情報が落ちていることを願いながら。

 

 

 

 



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第一章:ASU警備部警護課 7

 東京都赤坂のウィークリーマンションの一室。2LDKの部屋は、どこもかしこも血に濡れていた。川口の児童養護施設とまったく同じだ。死の匂いがひたひたと這う嫌な場所だった。

 

「ひどいな……」

 

 思わず呟いた弓鶴の一言に、弓鶴たちを警戒していた現場の若手警官が反応した。

 

「ASUの方ですよね。お疲れ様です」

 

「お疲れ様です。なにか分かったことはありますか?」

 

「川口のときと同じですね。現場の状況は、大量の血痕以外は綺麗なものです。ただ、死体の首に引っ掻いた跡が残っていました。恐らく自分でやったと思われますが」

 

 アイシアがそれに反応する。

 

「……窒息させたねそれ」

 

「窒息?」

 

 若手警官の疑問にアイシアが答える。

 

「元型魔法は疑似生命体を圧縮空気で作ることが多い。だから密室で疑似生命体を大量に作ると酸素濃度が落ちて窒息するんだよ。元型魔導師の暗殺常套手段のひとつだね。もっとも今回は窒息で動きを止めてから首を刎ねたみたいだけれど」

 

 なるほど、と若手警官が納得する。弓鶴は質問を続ける。

 

「死亡推定時刻は分かりましたか?」

 

「昨夜の二二時から二三時の間です」

 

「監視カメラの映像を見れますか?」

 

「端末でよろしければこの場でお見せできますよ」

 

「お願いします」

 

 若手警官が端末を取り出して立体映像を表示させる。映像は、丁度犯人の男女が入ってくる直前から始まった。見た目は二十代の男女。上からの映像のため詳細は分からないが、明らかに更科那美と鎧ではない。女性の方は何も持っていないが、青年の方は雨でもないのに黒い傘を持っている。

 

「聞いてはいたけど、これが更科那美と操作した鎧なら本当に姿を変えてるね。しかも彼女と鎧のふたつ……」

 

 アイシアの声が陰る。

 

「これはかなり不味いよ。第九の可能性がある。ブリジットでも無理だよこんなの」

 

「そもそも協力者がいる可能性が高いんだろ。この男が協力者じゃないのか?」

 

 見て、とアイシアが映像を指差す。

 

「この男は傘を持ってるでしょ? これがたぶん刀だよ。魔法で見た目を変えてる。恐らくこれが鎧だよ」

 

「この女が更科那美ではない可能性は?」

 

「分からない。元型魔法の見た目の変化は熟練者がやると本当に分からないんだよ」

 

「なら模倣犯もしくは全くの別の事件の可能性は?」

 

 弓鶴の質問に映像を止めていた若手警官が答える。

 

「あり得ません。そもそも事件情報の詳細はまだマスコミに流れてません。精々が児童養護施設で殺人事件が発生したくらいしか報道されていないでしょう。埼玉県警から訊いている死体の状況と今回の死体は似すぎています。現場も状況も」

 

 ようやくアイシアの焦りが実感できてきた。

 

「アイシア、もしこのふたりが更科那美と操作した鎧であった場合、実力はどれくらいだ?」

 

「最低でも第八の上位、最悪最高位の第九階梯だね」

 

「元型体系の第九階梯魔導師の実力ってのはどれくらいだ?」

 

「うちの班全員で戦っても無策なら全員死ぬね」

 

 ぞっとした。僅か十一歳の女児が魔法使いというだけでそれほど強大な力を扱うことができるのだ。力を扱うには責任が必要だ。だが、それを理解できていない人物が扱えばいつ爆発するか分からない火薬庫と同じだ。

 

「……仮にふたりが更科那美と鎧でも、別人だとしても構いません。狙撃で頭を抜きます」

 

 ラファエルが鋭利な目つきで言った。魔法使いの犯罪は日本であっても生死を問われないことが多い。最悪の場合。即座に処刑しても法律上問題視されない。ある意味、犯罪魔導師の人権は塵に等しいのだ。

 

「動機解明が急務だな。放っておいたら被害がもっと増える」

 

 弓鶴の科白にアイシアが頷く。

 

「でも、それは警察側の進展を待つしかないね」

 

 若手警官が気まずそうに頭を下げる。

 

「全力で捜査に当たっています」

 

「うん、よろしくお願いね」

 

 アイシアが微笑む。その表情を見て若手警官が一瞬頬を緩ませた。彼女は“見た目”は良いから惚れる男は多い。

 

「さて、そろそろ警視庁の会見が開かれるんだっけ?」

 

 弓鶴は左手に巻いている腕時計に目を落とす。時刻は十二時を回ろうとしているところだった。

 

「十二時開始だったな。見るのか?」

 

「世間の反応をわざわざ見る必要はないよ。目下の課題は事件解決だから」

 

 吐き捨てたアイシアの端末が鳴る。顔をしかめた彼女が立体映像を映すと、ブリジットが珍しく焦った姿が見えた。

 

「三人とも、すぐにニュースを見ろ! どこの局でもいい! 更科那美が全マスコミに犯行声明を流した!」

 

 若手警官が端末でメディアチャンネルを呼び出す。空中に映し出された映像は大手テレビ局のニュースだった。

 

 ちょうどニュースキャスターが沈鬱な面持ちで原稿を読んでいるところだった。画面の端には、「連続殺人事件の犯人からの犯行声明‼」とテロップが打たれている。

 

「それでは、犯人と名乗る更科那美さんからの映像をご覧ください」

 

 映像が切り替わる。

 

 場所はどこにでもあるようなホテルの一室だ。画面の中心で少女が椅子に腰かけている。以前顔写真で見たままの更科那美だった。

 

 現場で作業をしていた警官たちも手を止めて映像に見入る。

 

 更科那美が血色の良い唇を開く。

 

「こんにちは。それともこんばんは? もしくはおはようなのかな? ねえ、これっていつ流されるのかな。まあいいか」

 

 そこでくすくすと笑う。女児とは思えないほど色香を宿した、蠱惑的な笑みだった。

 

「初めまして。わたしの名前は更科那美。十一歳の小学五年生です」

 

 弓鶴は喉を鳴らした。この子が何をやろうとしているか理解できない。アイシアもラファエルも固唾をのんで映像を見つめている。

 

「一昨日は埼玉県川口市で、昨日は東京都赤坂で殺人事件があったのは知ってますよね? 全部で八人が首を落とされて殺された悲惨な殺人事件」

 

 言葉を一度区切った那美が、口端を吊り上げる。

 

「犯人はわたしです」

 

 絶句する。犯人と警察関係者しか知り得ない“首を落とされた”という単語が、更科那美の発言をより確かなものにしている。

 

「どうして事件を起こしたのか。どうして映像をマスコミに送ったのか。色々疑問はあるかもしれないけれど、ひとつずつお伝えしていきます。

 

 わたしがいた養護施設では日常的に性的虐待が行われていました。わたしが直接見たのは施設長だけでしたが、あの日殺した男性職員全員が関与していました。施設では友達が苦しんでいました。いつも暗い顔をして、身体を震わせて何かに怯えているようでした。

 

 あの日、わたしは施設長に犯されそうになりました。そのとき魔法に目覚めたんです。そして殺しました。わたしはわたしを守るために殺しました。そして、友達を傷つけた鬼を懲らしめるために他の男性職員も殺しました」

 

 頬が引きつる。最悪の動機だ。アイシアとラファエルを除くこの場の全員が動揺していた。白鷺小百合が口を閉ざした理由が恐らくこれだ。

 

「それからわたしは魔法を使ってホテルに逃げて考えました。まだまだわたしみたいな被害者が存在するんじゃないか。もしそうなら助けなきゃいけないと。そして魔法で調べてすぐに見つかりました。赤坂の事件の殺された人がそうです。彼らは児童買春を行っていたグループでした。そこでわたしは顧客リストを手に入れました。

 

 ではこれから予告します。顧客リストにある男性のみなさん。いまからわたしはあなた達を殺しに行きます。鎧さんと一緒に必ず殺します。どこに逃げても構いません。必ず追いかけて殺します。邪魔する人はそいつらの味方だと判断して殺します。

 

 警察のみなさん。よく考えてみて下さい。子どもを買う大人が果たして存在していていいのか。彼らは悪じゃないのか。あなた方が裁けないのならわたしが裁きます。

 

 そして対象の男性のみなさん。是非怯えてください。部屋の隅でガタガタと震えてひとりで命乞いでもして下さい。わたしは必ずあなたを殺します。容赦なくその首を落とします。精々それまでの生を贖罪の期間として大事にして下さい。

 

 これが、わたしがマスコミに映像を送ってまで姿を現した理由です。いままで食い物にしていた子どもから死の宣告をされた気分はいかがですか?

 

 最後に紹介します。わたしの理解者であり、わたしが魔法で作り出した疑似生命体です」

 

 画面上に青年が現れる。監視カメラの映像に移っていた男だ。男が那美の隣に立つと、身体の表面が翡翠色に発光し、身体が剥がれた。光の粒が舞い散る。中から現れたのは鎧だった。

 

 那美が鎧を愛おしそうに見つめて言った。

 

「この鎧があなたを殺します。さあ、鬼退治の開始です」

 

 映像が消える。画面がニュースキャスターへと戻るが、キャスターも二の句を告げないのか唇を震わせていた。

 

「……以上が当局に送られてきた映像です。他の局にも同じものが送られているようです」

 

 ニュースキャスターがなんとか言葉を紡いでいく。これ以上は見る価値が無いとして弓鶴は映像から視線を逸らした。若手警官が端末を操作してメディアニュースを閉じる。

 

 現場の全員が狼狽していた。

 

 怪物だ。社会の闇が更科那美という自らの正義に溺れた怪物を作り出してしまった。

 

「どんな犯罪者も司法で裁かれるべきだ。個人の判断で勝手に裁いて良いはずがない」

 

 勝手について出た弓鶴の言葉が虚しく響く。

 

 弓鶴も分かっていた。正義論など事件後にいくらでも論じればいい。いま問題なのは、第九階梯の最高位魔導師と思わしき魔法使いが、顧客リストに載っている人物を殺して回るということだ。

 

 すぐにでも動かなければならない。

 

 だけど、なにを、どうすればいい?

 

 

 

 



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第二章:殺人鬼の正義 1

 日本中が、更科那美が投下した爆弾によって混乱していた。全てのニュースが少女の動画を報じ、事件の犯人とその動機を知ってしまった。児童買春問題が提起され、特番が開かれることになったテレビ局もあるようだ。ネット上では彼女を擁護する意見が出たかと思えばその行動を称えるものすら現れ、もはや収集がつかなくなっている。

 

 あれから急遽関東支部に呼び戻された弓鶴たちは、ISIA日本事務局関東支部長直々に事件解決を命じられた。とはいえ、逮捕の実働部隊であるアイシア班は、ブリジットとオットー以外にできることがなく、かつマスコミが押しかけたことで外へ出るのも苦労する状況となってしまい支部内に待機することになった。ラファエルは仕方なしといった様子で、遅めの昼食を取りにひとり食堂へ向かった。

 

「警察とASUは無能の巣窟だってさ。言ってくれるなあ。参ったねホント」

 

 警護課のオフィス。アイシア班の席に腰かけたアイシアが、端末に目を落としていた目を上げて困った表情を作って言った。

 

 参ったどころの話ではない。警視庁の記者会見は、予定していた内容を急遽変更する必要に迫られ対応に苦心していた。なにしろ十一歳の女児が犯人としてマスコミに名乗りを上げ、あまつさえこれから罪を犯した男どもを殺して回るというのだ。混乱しないほうがどうかしている。

 

「捜索班の様子は芳しくなさそうか?」

 

 弓鶴の問いを受けてアイシアが再び端末に目を落とす。

 

「いま警察が動画に映っていたホテルを特定したから、そこから辿っていくしかないね」

 

「どうしても後手に回るな」

 

「姿を変えられると追跡が困難になるからね。警察の顔認証追跡でも無理だよ。ブリジットが放った妖精の内一体でも更科那美を補足できれば追い付けるんだけど……」

 

「難しいのか?」

 

「相手がどこのだれを狙っているか分からないからね。そもそも、警察が補足していない犯罪者グループをどうやって見つけ出したのかな?」

 

 アイシアの疑問の解はおそらくはこうだ。

 

 協力者が更科那美に情報を流している。

 

 動画内では魔法で見つけたと言っていたが、そんなことは元型体系では無理だ。まして、いくら魔法が使えると言っても潜伏中の衣食住はどうやって調達するのか。どうしたって資金は必要だ。十一歳の女児がそんな金を持っているはずがない。

 

 アイシアの視線が虚空を泳ぐ。

 

「協力者は更科那美に信頼されている人物。もしくは信頼させられるだけのコミュニケーション能力に長けた人物。児童買春グループの情報を持ち、かつ、子どもを匿えるだけの資金を持っている」

 

「今ごろ警察が躍起になって探してるだろうな」

 

 アイシアの目が弓鶴で止まる。

 

「だね。私たちが考えても意味はない。それよりも更科那美の人物像をもう少し深く知りたいかな。洗脳の可能性も無くはないからね」

 

「白鷺小百合に会ってみるか?」

 

「さすがにあの動画の後なら口を割ってくれそうだけど、別の視点も欲しいな。他には職員っていたかな……」

 

 端末でアイシアが資料を漁り出す。

 

「あったあった。ひとり女性職員がいるね。というか、いま気づいたけど夜に職員が五人もいるなんて変だね」

 

「確かにな。そういう目的だったんだろ」

 

 弓鶴が吐き捨てる。考えるだけで吐き気がするような催しが定期的にされていたに違いない。

 

「稲垣本部長はたぶん勘づいてたんだろうね」

 

「いまは本部が変わったから本部長じゃないだろ」

 

 些細なことはどうでもいいよ、と言ってアイシアが警視庁に映像で連絡を入れる。幾度か事務的なやり取りをした後、警察側の担当者が立体映像で浮かび上がる。話題に上がった稲垣だった。

 

「埼玉県警の稲垣だ。私の方がそちらへの通りが良いだろうから出させてもらった」

 

「助かります。ASUのアイシアです。お忙しいでしょうし端的に。児童養護施設の職員へお話を伺いたいのですが、警官を一名お借りできませんか?」

 

 ASUにももちろん捜査権はあるが、事情聴取をする場合は警察官と一緒に行うことが多い。警察官を前に出した方が、話がスムーズに行くからだ。

 

「白鷺小百合と桜井芽衣(さくらいめい)のことか? 報告書として既に上がっているはずだが、なにか理由がありそうだな」

 

「いえ、単純に更科那美の人物像が知りたくて、白鷺小百合にももう一度面会はしたいのですが、白鷺とは別視点で話を伺いたいんです」

 

 稲垣が黙考する。

 

「逮捕時のためということか」

 

「そうです。相手は最高位級の魔法使いの可能性が高いので、こちらとしても詳細な情報を掴んでおきたいんです」

 

「いいだろう。埼玉県警から一名そちらに寄越す」

 

「ありがとうございます」

 

「なに、こちらからも二三質問があるのだが、刑事課とはまともに連携が取れなくてな。困っていたところだから警備課から連絡があって助かった」

 

 弓鶴は思わず苦笑する。あの連中が一般人と馬が合うわけがない。

 

 魔法使いは一般人を見下している。魔法が使えることがより上位の種であると自認しているのだ。特に生まれてからすぐに魔法使いになった生粋の魔導師はその傾向が特に強い。

 

「刑事課は魔法使いらしい魔法使いの筆頭ですからね」

 

 アイシアも苦笑を隠さなかった。

 

 そのようだな、と稲垣も皮肉気味に笑ったところで話を戻した。

 

「更科那美が洗脳されている可能性はあの動画からは分からないか?」

 

「可能性はあります。それを確認する意味でも彼女の人物像が知りたいんです」

 

「アイシア君の見解ではどうだね?」

 

「私個人の見解では洗脳はされていないですね」

 

「根拠は?」

 

「元型魔法で洗脳された場合、洗脳した側の精神が色濃く反映されることが多いんです。更科那美の動画を見る限りではその様子が見受けられなかったので、洗脳されていないと考えています」

 

「ならあの動画で発した言葉は更科那美自身の言葉だと?」

 

「それはなんとも。台本があるかもしれないし、ないかもしれない。本心かどうかまではASUの本分ではありませんね」

 

「確かに、警察側の仕事だな」

 

「ところで、白鷺小百合は例の件を供述しましたか?」

 

「あの放送の後すぐに任意で事情聴取をかけたら自供した。取り調べの動画があるが見るかね?」

 

「お願いします」

 

 稲垣が端末を取り出し操作をすると映像が切り替わる。画面上に、取り調べ室の中にいる中年警官と白鷺小百合の姿が表示された。

 

 中年警官が取り調べを始める。

 

「急にご足労頂き申し訳ございません。気になる点がありましたので再度お呼びさせて頂きました。ご協力いただき感謝します」

 

「いえ、例の報道の件ですよね」

 

 答える白鷺の顔色は悪い。状況を考えれば当然だろう。

 

「児童養護施設光の森で性的虐待が行われていたことは事実ですか?」

 

「……はい、事実です」

 

「あなたはそれを知っていたわけですね。いつからですか?」

 

「私が知ったのは一か月前くらいからです」

 

「というと、もっと以前から行われていたと?」

 

「おそらくは……」

 

「警察に届け出は出さなかったんですか?」

 

「……脅されていたんです」

 

 中年警官が目を細める。

 

「どう脅されていましたか?」

 

「警察に話したら殺すと。俺たちのバックには大物が付いていると言っていました」

 

「それは東京都の事件と関係があるか分かりますか?」

 

「いえ、分かりません」

 

「では、事件当時も性的虐待が行われていることをあなたは知っていましたね?」

 

 白鷺の口が固まる。中年警官がその背を言葉で押す。

 

「知っていたんですね?」

 

「……はい。私が那美ちゃんを連れだすことに協力しました」

 

「連れ出す……つまり、彼らに協力していたということですか?」

 

「協力させられていたんです!」

 

 白鷺が悲痛の声を上げる。

 

「脅されて、協力しないと殺すぞって……。私、怖くて、逆らえなくて……」

 

 急に白鷺が怯えだすと震える自身の身体を抱きしめた。中年警官が額を手で抑える。

 

「つまり、あの児童養護施設は男たちにとって性的虐待をする場であったということですか?」

 

「……はい。その手の人たちに売ってるという話も盗み訊いたことがあります」

 

 ここで点と点とが繋がった。東京都の被害者グループは、児童養護施設で女児を調達していた可能性が高い。男の下種な欲望に満ちた最悪の繋がりだ。死で償えという気分になってくる。思わず弓鶴は頭を振った。思考が更科那美と似てきている。善悪の判断はASUの領分ではない。

 

「更科那美が動画で言っていた顧客リストなるものに心当たりはありますか?」

 

「いいえ、分かりません」

 

「更科那美についてですが、もう一度どんな子か教えてください」

 

「……前も話しましたが聡明な子です。雰囲気も子どもよりも大人に近くて、色気みたいなものを感じるときがあります。こういう仕事をしているとたまにそういう子はいると先輩から教わったことがありますが……」

 

 そこでアイシアが、んっ、と吐息を漏らした。

 

 映像の中の中年警官は質問を続けていく。

 

「他には?」

 

「誰とでも仲良くなれる子でした。施設には色んな子がいますが、全員と仲良くしゃべったり遊んでいたりしました」

 

「つまり人気者ということですか?」

 

「はい、そうです」

 

「魔法使いの兆候はありませんでしたか?」

 

 沈黙。思考しているのか白鷺の目が泳ぐ。

 

「……いえ、ありません」

 

「もう一度よく思い出してください。どんな些細なことでも構いません。更科那美の周囲で変な光が見えたとか、彼女がいない場所で彼女の声が聞こえたとか、見えない場所が見えているような様子だったとか、心を読んでいるようだったとか。なんでもいいです。なにかありませんか?」

 

 再度沈黙するも、白鷺の答えは同じだった。

 

「……ありません」

 

 映像が途切れて画面が稲垣の姿に切り替わる。

 

「なにか分かったかね?」

 

 なにか考え込んでいたアイシアが一本指を立てた。

 

「ひとつあるかもしれない可能性を。更科那美が元々魔法使いで、姿を変化させていたかもしれません」

 

 稲垣の表情には疑問。だがすぐに氷解する。

 

「魔法で子どもの姿になっているということか?」

 

「あくまで可能性です。高位の元型魔導師ならば可能なことです。現にうちのブリジットが行っていますから」

 

「動画で青年が鎧武者に戻った光景を見せられたら信じるしかあるまい」

 

 魔法は奥深いものだな、と稲垣が一人ごちる。

 

「こちらは更科那美の戸籍を洗ってみよう。桜井芽衣の聴取は見るかね?」

 

「いえ、直接訊きに行きます。住所を伺っても?」

 

「既に報告書として捜査クラウドに上がっている。そちらを確認するといい」

 

「分かりました」

 

 通信が切れると同時に、アイシアが端末を操作して資料を呼び出す。弓鶴にも見られるよう画像を空中へ映した。

 

「パートで働いてる人みたいだね。年齢は四五歳。家は赤羽だね」

 

「それなら関東支部からの方が近いな。このままAWSで行くか」

 

「その前に」

 

 立ち上がった弓鶴を止めたアイシアが軽くお腹をさする。

 

「お昼食べようか。もう午後三時だよ。さすがにお腹すいちゃった」

 

 弓鶴は苦笑いした。急いている心境を見抜かれたのだ。一度落ち着けということだろう。強張っていた身体をほぐすように軽く伸びをする。

 

「ならエルと合流するか。どうせまだ食堂で一人カルボナーラ祭りでもしてるだろ」

 

 

 

 案の定カルボナーラ祭りを繰り広げていたラファエルと合流して昼食を取った後、弓鶴たちは赤羽にある桜井宅へ向かった。

 

 一軒家の前には、丁度着いたところなのか車両の傍に私服警官と思わしき男性が立っていた。ASUを示す深紅のローブを見て眉をひそめる。いつもの反応だ。すぐに表情を戻した警官が敬礼する。アイシアが手を上げて挨拶を交わし、早速桜井宅のインターホンを押した。

 

 家の中から出てきたのは、穏やかそうなふくよかな女性だった。女性は弓鶴たちを見て首を傾げた。

 

「あら、えーっと……」

 

「ASUのアイシアです。桜井芽衣さんですね?」

 

「はい、そうですけど。ASU? ああ、魔法使いの方ですか」

 

「はい。児童養護施設殺人事件の件についてお話を伺いに来ました。こちらの方は埼玉県警の方です。一応警察官がいた方がお話しやすいと思いましてお呼びしました」

 

 桜井の表情が暗くなる。

 

「那美ちゃんの件ですね……」

 

「そうです。中に入らせていただいてもよろしいですか?」

 

 どうぞ、と桜井が家の中へ招く。弓鶴達はアイシアを先頭にして桜井宅へと入った。リビングに入りテーブル席に案内される。全員が座りしばらくすると桜井がお茶を運んでくる。桜井がそれを置いて腰を落ち着かせると、深い息を吐き出した。

 

「あの、テレビで那美ちゃんの動画が流れていましたけど、あれは本当なんですか? とても信じられなくて……」

 

「那美さん本人かどうかも含めて現在確認中になります」男性警官が答える。

 

「そうですか……。あの子は人を殺すような子じゃないです。いい子なんです」

 

 アイシアが口を挟む。

 

「それについてお伺いしたいんですが、更科那美さんは桜井さんから見てどんなお子さんでしたか?」

 

 桜井が少し考え込む。

 

「頭の良い子でした。本が好きなようで、よく読んでいました。ファンタジーが好きだったように思います。年齢の割には少し大人びていて、とても落ち着いていました。誰とでも仲良くなれる明るい子です」

 

 白鷺の話と変わらない。アイシアが更に突っ込む。

 

「他には何かありませんか? 例えば、子どもらしいエピソードとか」

 

「そうですね……。いつもはにこにこしている那美ちゃんですけど、なんかの拍子にボールがぶつかって、その子が謝らなかったんですよ。そしたらカンカンに怒ってつかみ合いの喧嘩になりました。いつもは落ち着いてたので、やっぱり歳相応なんだなって思いましたよ。あとは新しい本を与えたときはとても喜んではしゃいでいました。その日からしばらくはずっと夢中になって本を読んでいて、お昼になっても部屋から出てこないことがありました。食事の度に部屋から連れ出すのにとても苦労しました」

 

 話をする桜井の表情が和らぐ。聡明やら大人びているやら動画のことやらで、那美の印象は子どもからはズレていたが、こうして訊く限りはどこにでもいる普通の少女にも思えてくる。とても魔法で子どもに擬態しているようには思えない。

 

 アイシアが話を戻す。

 

「虐待の件については何か知っていましたか?」

 

「いいえまったく……」

 

 桜井が沈鬱な面持ちになる。本当に知らなかったようだ。

 

「まさかあんなことがあったなんて……。確かに、他の子たちは少しふさぎ込んでいる節があって、職員の間で気にしていたのですがまさか……」

 

 私がちゃんと気づけていれば良かったのに。桜井が両手で顔を覆って泣き出した。これにはアイシアも困ってしまったようで弓鶴を見た。

 

「あの子は、あの子は……死刑になるんですか……?」

 

 桜井の問いは重い。さすがのアイシアも口を噤む。弓鶴は腹を括った。

 

 弓鶴は慎重に口を開く。

 

「魔法使いの殺人は罪が重いのが現状です。逮捕時に抵抗した場合、処断することも十分あり得ます。でなければこちらの身も危ういのです」

 

「そんな……!」

 

 弓鶴の言葉に顔を上げた桜井は悲壮感が漂っていた。胸が痛かった。魔法犯罪は血なまぐさい結果になることが多い。それだけの力を持っているから、罪に対する罰が重いのだ。それだけ世界が、そして政府が魔法使いを恐れている証拠でもあった。

 

「あの子は悪くないじゃないですか! 悪いのは殺された側じゃないですか! 子どもたちを買って! 傷ついているのはあの子の方じゃないですか!」

 

 反論の言葉が無かった。まったくその通りだと思ったからだ。だが、それを認めれば弓鶴はASUの人間ではいられなくなる。悪い魔法使いを捕まえる。彼の本分がそれだからだ。

 

 だから敢えて弓鶴は言った。

 

「これが魔法使いのルールです」

 

 桜井の顔に怒り。

 

「そんなルール間違ってる!」

 

「……どんな理由があれ、人を殺して良い理由にはならない。それが人の理ですよね?」

 

 いままで黙っていたラファエルが口を開いた。桜井が口ごもる。

 

「そ、それは……」

 

「子どもだから、未来があるからとそれを覆しては人のルールに反する」

 

 それは魔法使いのルールだ。そこに感情はない。未来の希望はない。愛情がない。無機質な掟があるだけで、それに則って裁いているに過ぎない。そんなもの、人の理と呼べるのか。

 

 この仕事をしていると、時折自分がおかしいのではないかと弓鶴は感じることがある。人と魔法使いの価値観は致命的なまでに異なる場合があって、こうした場面でそれは顔を出し、何が正解なのか分からなくするのだ。

 

「エル、それ以上はやめなさい」

 

 アイシアが、更に続けようとしていたラファエルを止めた。ラファエルは息を吐いて口を噤む。

 

「うちのものが失礼しました」

 

 アイシアが頭を下げる。呆然としていた桜井が首を振った。

 

「いえ、こちらも取り乱してしまい申し訳ありません」

 

 結局、これ以上の成果は得られず弓鶴たちは桜井宅を出た。警官と別れた頃には、赤羽の街が黄昏に沈んでいた。

 

 少し休憩しよう、と提案したアイシアの言に従って赤羽駅前にあるカフェに入った。店内に入った瞬間視線が集中するのを感じたが無視した。いつものことだからだ。注文が届くまでの間、三人は無言だった。

 

「悪い。口が過ぎた……」

 

 弓鶴が後悔しながら言った。あの場で言うべきことではなかったと思ったからだ。アイシアが首を振る。

 

「いいよ。間違ったことは言ってないから」

 

 弓鶴は自分の両手を見下ろした。この手で更科那美が止められるのか分からなくなったのだ。この手をあの子の血で染めることが果たして可能なのか、それが正しいのか。

 

 弓鶴、とアイシアに呼ばれる。顔を上げると、彼女は優しく微笑んでいた。

 

「あまり考え過ぎないように。今回の私たちの仕事は犯罪魔導師を捕まえること。それ以上でもそれ以下でもない。だから……」

 

 そこで区切ったアイシアの目つきが鋭くなる。背筋がぞっとするような、魔法使いの目だった。

 

「それ以上考えるのはやめなさい。死ぬよ」

 

 こくん、と弓鶴は喉を鳴らす。無駄な思考を回せばすぐに死ぬ。自分はそういう立場にいるのだ。魔法使いと戦うとはそういうことだ。

 

「……分かった」

 

 一度落ち着くために珈琲を飲む。理解している。これ以上の思考は泥沼だ。それでも考えずにいられないのは、人であったときが長かったからなのだろうか。魔法使いでなく人の部分が考えろと叫ぶのだ。そうでなくば、弓鶴はただの殺戮兵器になり果てる。

 

 それが、弓鶴にはたまらなく怖かった。

 

 

 

 



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第二章:殺人鬼の正義 2

 そこは、翡翠色の光に溢れていた。おびただしい数の翡翠色の妖精が、虚ろな眼窩を見せながら宙に浮かんでいる。

 

 宣言をした日の夜。六本木にあるタワーマンションの一室。家主が高給取りと思わせる高価な調度品に飾られたリビングに、更科那美は老女の姿でソファーに腰かけていた。傍に立つ鎧は老人に変化していた。家主の隣の部屋に住む老夫婦の姿だ。

 

 那美は、鎧から訊いた情報を元に家主を油断させるべくこの姿になったのだ。顧客リストにある男性を殺すために。

 

 室内にはもう一人男性がいた。床に転がりながら首を掻きむしり、そろそろ窒息死せんとばかりに目を見開きよだれを垂らしている。男性には妻とふたりの子どもがいるが、既に寝室に引っ込んでいてリビングに来る様子はない。元型体系によってリビングに来ないよう精神誘導を施した観念結界が張られているからだ。

 

 魔法は便利だと那美は思った。子どもの身であってもこんなに簡単に人を殺す用意ができる。

 

 タワーマンションのセキュリティは顔認証システムが使われている。高位の元型魔導師にとってはざるも同然だった。

 

 宣言が放送されている最中、那美たちは既に動いていた。鎧が半日掛けただけで隣の住人の顔を確認し、変身するだけの情報を取りそろえた。後は夜を待つだけだった。魔法があるだけでこんなにも簡単な仕事になる。

 

「そろそろ殺すか」

 

 老人姿の鎧が潰れた声で言った。

 

「うん、そうだね。もういいよ、妖精さん」

 

 妖精が姿を消す。酸素濃度が極限まで低下していた室内に、生きるために必要な空気が戻る。男性がむさぼるように息を吸った。

 

 鎧が右で刀を抜いた。左手で男性の胸倉を捕まえて無理やり立たせる。混濁していた男性が意識を捕まえ、ようやく自分の立場がいかに危ういかを知った。

 

「や、やめてくれ! 命だけは、命だけは頼む……!」

 

 男性の命乞いを那美は一笑に付した。

 

「そういう懇願をあなたは無視して子どもを買った。当然の報いだよ。さようなら、おじさん」

 

 鎧が刀を一閃させた。男性の首が飛び、血が勢いよく吹き出す。血を被った那美は、凄絶な笑みを浮かべる。

 

 転がった男性の首を一瞥し、那美は言った。

 

「まずは一人目」

 

 そのとき、鎧が鋭い声を上げた。

 

「ASUに察知された! 逃げるぞ!」

 

 那美は咄嗟に窓の外を見る。そこには、元型魔法で作られた妖精がこちらを覗いていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 関東支部に泊まり込みをしていたアイシア班の面々の端末が鳴る。ブリジットからだ。

 

「更科那美の居場所が特定できた! リアルタイムの場所を転送するからすぐに向かってくれ!」

 

 アイシアの判断は早かった。

 

「了解。ブリジットはそのまま追跡を続けて。オットーはこっちに寄越して、四人で捕まえるよ」

 

 合流したオットーと共に、四人で関東支部を出てAWSで夜の空を疾走する。那美は六本木のタワーマンションから移動しているところだった。相対速度を考えるにこれならばすぐに追いつける。飛行中、アイシアは警視庁へ更科那美の所在が分かった旨とこれから逮捕へ向かうことを伝えていた。警官とASU刑事課を待つよう進言されたが、遅いと一喝していた。次にISIA本部へ連絡し、戦闘魔法の使用許可を要請。どうやら受諾されたようだ。

 

 すぐに六本木の煌びやかな街が眼下に広がる。那美と鎧が向かっているのは進路からみて六本木一丁目駅だ。裏道を使ってブリジットの要請を撒こうとしているが難儀しているようだった。 

 

 ふたりに追い付く。ラファエルは離れたところで狙撃ライフルを持って待機。アイシアと弓鶴が前衛、中衛にオットーを置いて那美と鎧の前に降り立った。

 

 女児の姿になっていた那美が、弓鶴たちを見て首を傾げる。

 

「ASUの人? わたしを捕まえにきたの?」

 

 アイシアが一歩前に出て答える。

 

「川口市と赤坂の連続殺人事件の最重要参考人として身柄を拘束しにきました。無駄な抵抗はお勧めしません」

 

「ASUは犯罪魔導師に容赦がないんだよね。殺されちゃうのかな?」

 

 弓鶴は眉を顰める。十一歳の子どもが知っている情報ではない。

 

 那美が笑う。子どものものではない、大人の妖艶な笑みだった。

 

「まだ鬼退治は終わっていない。だから、ここで捕まるわけにはいかない。鎧さん!」

 

『承知した』

 

 鎧が刀を抜き、切っ先を前方に向けた八双の構えを取る。弓鶴も持ってきていた同田貫を鞘に入れたまま構えた。アイシアもローブの内から拳銃を二丁取り出して銃口を鎧へ向けた。

 

 一触即発の緊張感。

 

 アイシアによる最後の通告。

 

「もう一度訊くけど。抵抗せずに捕まってくれないかな?」

 

「動画で言ったよねお姉さん。邪魔する人も殺すって」

 

「仕方ないか……。弓鶴!」

 

 既に弓鶴は動いていた。足元で指向性の爆発が発生。錬金魔法によって足元に生み出した金属を急激に気化爆発させたのだ。その爆風を利用して彼は鎧との距離を一気に詰める。同時、アイシアは精霊魔法による《電磁結合》により、紫電を纏って反射神経と速度を上げて鎧の背後に回っていた。

 

 そしてオットーは那美を囲うように秘跡魔法が《歪曲体系》により周囲の空間を歪めて逃げ道を塞ぐ。完璧な詰み手だ。

 

 銃声。ラファエルの狙撃だ。因果体系の《時流制御》によって、通常の四倍速で放たれた狙撃弾が那美の足首へ一直線に向かう。直撃する寸前、鎧が刀でそれを弾いた。驚異的な反射神経だ。

 

 その一拍の隙に弓鶴が一歩右足で踏み込む。腰のひねりと体重移動を加えて抜刀。一閃。神速を超えた居合の一刀が鎧を寸断――……する寸前に刀で受け止められる。だがこれは想定内。背後からアイシアが肘打ちを食らわせる。同時、精霊体系が《電磁結合》で精神を焦がすほどの電流が流される。その効力圏から逃れるために弓鶴は一歩引いた。鎧の全身に凶悪な雷が流れる。が、

 

『ぬるい!』

 

 鎧がコンクリートの地面に刀を刺す。すると、地面から円錐型のコンクリートが伸びて弓鶴とアイシアを狙う。元型体系で精神を吹き込まれた地面が疑似生命体化し、己が身を伸ばしたのだ。予想外の攻撃方法に弓鶴の動きがわずかに止まる。その隙が致命的だった。彼の身体を射抜かんと伸ばされた円錐は、しかして、オットーによって張られた秘跡魔法の結界によって阻まれた。

 

「助かったオットー」

 

「いいから態勢を立て直す!」

 

 《電磁結合》による強制動作によって逃れていたアイシアの檄が飛ぶ。彼女は近接戦を不利と見たか、一度距離を取ると術者である那美を狙って連続発砲。路地裏に薬莢の澄んだ音が響く。これでどうだと言わんばかりのアイシアの顔に驚愕。元型魔法によって生み出された妖精によって銃弾が宙に縫い止められていた。音速を超える銃弾をすべて受け止めるなど化物か。

 

 弓鶴もぐっと腹に力を込めて那美本人を狙うべく足を踏み出すが、直後極大な悪寒がして頭を下げた。鎧によって放たれた横凪が完全に首を捉えていたのだ。もう少し反応が遅れていたら首を落とされていた。

 

「弓鶴は鎧をお願い!」

 

 アイシアが指示を出す。だが、鎧の方が一手早かった。

 

『ASUは厄介だな。悪いが引かせてもらおう』

 

 鎧が刀を地面に滑らせ振り上げる。摩擦熱で火花が生まれる。首筋を狙った一刀を弓鶴は避けるが、火花が急に巨大化する。危険度が未知数で弓鶴は大幅に距離を取る。

 

 いまや火花は炎の塊となり、姿形を変態させる。炎は巨大な鳥になっていた。まるで荘厳の不死鳥の威容。強烈な熱波が周囲を灼熱に変える。弓鶴は錬金魔法で耐熱防壁を目の前に築き輻射熱から身を守る。

 

『燃え尽きろ』

 

 火炎鳥が大きく羽ばたいた。それだけで火災旋風が発生。炎が大気を取り込み回転しながら上昇し、巨大な竜巻となる。弓鶴は全滅を覚悟した。だが、オットーが即座に全員分の防御結界を展開。人ひとりを軽々と炭化させる炎の渦から身を守る。

 

 一分ほど耐え忍んで火災旋風が消えたときには、そこには那美と鎧の姿は消えていた。撤退の判断が早すぎる。

 

「ブリジット!」

 

 アイシアが端末に叫ぶ。

 

「……すまない。あの一瞬で的確に我の妖精に炎弾で狙ってきた。すべて焼かれたよ。いま探してる」ブリジットの悔しそうな声。

 

「エル!」

 

「……すみません、こっちもバレてたみたいです。治療をお願いします……。肩に被弾しました」ラファエルの荒い息遣い。

 

 アイシアの瞳に逡巡。すぐに指示を発する。

 

「ブリジットはそのまま那美の捜索! オットーも加わって! 弓鶴は私と一緒にエルと合流!」

 

 全員が返事を終える前にアイシアがAWSを起動して飛び上がっていた。弓鶴もこれに追従する。狙撃ポイントにて左手で肩を押さえていたラファエルの下へ降りる。

 

 ラファエルの肩はローブを貫通して炭化していた。アイシアが精霊魔法の《生態結合》で治療を開始する。

 

「参った。ちょっとあれは強すぎる。普通はあんなぽんぽん多種多様の疑似生命体は作れないよ」

 

 アイシアが焦りの混じった声で言う。

 

「あれブリジットより強いぞ。確実に第九だろ」

 

「だね。鎧を押さえてから那美の身柄を確保する予定だったけど、あれじゃ無理だね。生きたまま捕まえるのは無理だと思った方がいい」

 

 反論できなかった。実際弓鶴も、オットーがいなければ二回は死んでいたのだ。更科那美を止めるには殺す以外の方法がない。そして、そんな強大な力を魔法使いが己が正義を身勝手に奮っている。

 

「最悪だ。本当に最高位級の魔導師が顧客リストを元に殺しまわってる訳か」

 

「最悪どころじゃなくて悪夢だね。ASUの精鋭部隊が必要な案件かもしれない」

 

 一度言葉を止めたアイシアがブリジットを呼ぶ。

 

「見つかった?」

 

「すまない、完全に撒かれた」

 

「今回は完全にこっちの失態だね……」

 

「あっちが真面目に戦っていたら全員殺されていた。リストの消化を目的として逃げたのだろう。結果として最高位相手によく生き残った。上出来の部類さ」

 

 珍しくブリジットがアイシア達を労わる言葉を放った。

 

 ようやくいまになって、弓鶴は身震いした。第九階梯の魔導師があれほどの力を持つなど知らなかったのだ。恐らく、あれでも実力の一端しか見せていないだろう。それほどまでに最高位魔導師の実力は群を抜いている。

 

 元型魔法は本来戦闘には向いていない魔法体系だ。それなのに最高位魔導師が魔法を扱えばこうなるのだ。彼我の実力差に思わず笑いたくなるほどだった。

 

 治療を終えたアイシアが立ち上がる。

 

「ブリジットとオットーは引き続き更科那美を追って。私たちは……戻ろうか」

 

 その美しい横顔は悔しさが滲んでいた。

 

 

 

 関東支部に戻った弓鶴たちを待っていたのは、ASU支部長直々の叱責だ。曰く、なぜ刑事課を待たなかったのか、雑魚が粋がったのか、無能者、糞にも劣る畜生、弱者は死ね、などといった晴れ晴れするような罵倒だ。無駄な悪罵を一時間程度聞いた彼らはぐったりとした気分で警護課のオフィスへ戻った。

 

「支部長って思ったほど語彙が少ないんだね。罵倒内容の陳腐さに思わず笑いそうになったよ」

 

 アイシアが暢気に笑う。だが、雰囲気のどこかに悔しさが混じっているようにも見えた。当然だろう。魔法使いはプライドが高いのだ。いかに内容が陳腐だろうが、あれだけ馬鹿にされて腹が立たないわけがない。

 

「……あの男、絶対殺す。必ず殺す。隙を見せたら狙撃して殺してやります……」

 

 ラファエルはライフルを抱えながら暗い顔でぶつぶつと呟いている。よほど腹に据えかねたのだろう。

 

「さて、これからどうしようか。事件が終わるまで帰るなってお達しだし。まったく、いつの時代のブラック企業なんだろうね」

 

 アイシアが椅子の背もたれにだらしなく寄りかかってぼやく。

 

 長時間労働が問題になり働き方改革が世界的に広がって久しいが、残念ながら公務員には適用されていない。そういう意味ではISIA直下のASUも同様だ。

 

「警察側なんか初日からそうだろ」

 

「そうなんだけどね」

 

 アイシアは珍しく不満そうだ。思い返せば、彼女が残業をする姿をあまり見たことがなかった。

 

「そんなに帰りたいのか? 普段何やってるんだよ」

 

「うん? ゲームだね」

 

 回答が斜め過ぎて驚いた。ゲームをやっているアイシアなど想像がつかなかったからだ。

 

「グレートマザー社が出してるアイシア・スフィアズって知らない?」

 

「ああ、結構有名な奴だな」

 

 弓鶴の記憶では《第七天国》上で運用されている仮想ネットワークゲームのはずだ。

 

《第七天国》とは、電気・ガス・水道・インターネットに次ぐ第五のインフラだ。集合的無意識上に存在し、現実と全く同じ物理法則や魔法法則で構築されている疑似的な空間だ。Iotの魔法版であるSot:Sorcerynet of Thingsはインターネットの代わりに《第七天国》を使用している。AWSも《第七天国》にある魔法クラウドサーバから魔法を引き出すことで空飛ぶ靴となるのだ。

 

「確かそれって魔法を使って遊ぶ奴だろ。魔法使いがやってどうするんだ?」

 

「訓練になるからだよ」

 

 更に回答が斜め下になって弓鶴は呆れる。

 

「……それ遊んでるのか?」

 

「遊びではやってないかな。主に魔法訓練の一環だね」

 

「普通にASUの本部から《第七天国》に繋いで訓練すればいいだろ」

 

「自分が扱える魔法体系以外の魔法を使えるんだよ。傾向と対策を練ることができるから便利なんだよね」

 

 自慢げにアイシアが言うが、問題はそこではない。

 

 とりあえずアイシアの趣味が魔法であることはよく分かった。やはり彼女も魔法使いということだ。年頃の女性がそれでいいのかと少し不憫に感じた。

 

 残念な目で見ていると、今度はアイシアが弓鶴に質問を投げる。

 

「そういうキミは休みの日はどうしてるの? どうせ訓練でしょ?」

 

「……病院に見舞いに行ってるな」

 

「うん? 近親者に入院してる人っていたっけ?」

 

「いや、知人だ」

 

「女の人ですか?」いきなりラファエルが会話に加わってくる。

 

「あれ、弓鶴って彼女いたの?」アイシアがこてんと首を傾けた。

 

 完全に雑談の空気になっていた。日本中を揺るがす大事件なのに何をやっているのかと一瞬自問自答したくなるが、いまできることは何もないから流れに身を任せることにした。

 

「女だけど彼女じゃない。昔馴染みみたいなもんだよ」

 

「弓鶴……その歳で彼女いないんですか。残念ですね」ラファエルが鼻で笑った。

 

「いないとは言ってないだろ。確かにいないけど」

 

「弓鶴は生意気ですけど優良物件です。高給取りの魔法使い。養ってください」

 

「毎日カルボナーラ祭りは勘弁してくれ」

 

「離婚ですね。破局です」

 

 ラファエルと会話をしていると明後日の方向に話題が進むからまともな話にならない。彼女の頭の中にはカルボナーラのことと、結婚して主婦になる夢しかないのではないかと疑いたくなる。

 

「それだけ?」とアイシアが疑問を再び投げる。

 

「なにがだ?」

 

「うん、病院に行ってるだけ? いつも?」

 

 弓鶴は記憶を辿るも、確かに休みの日はいつも病院に行っていた。行かないとホーリーがうるさいのだ。口喧嘩では必ず負けるから休みの日はなるべく病院に通うようにしていた。

 

「いつも行ってるな」

 

「それ彼女じゃないの?」

 

「それだけは認めたくないな」

 

 あの女を彼女としてだけは認めたくなかった。あれは友人関係が精一杯だ。それ以上の関係にはなれそうにない。アイシアは意味不明と言わんばかりに首を振った。

 

「そういう相手の見舞いに行くキミの感情が理解できないよ。もっと他にやることあるでしょ。魔法を学ぶとか、運用方法を訓練するとか」

 

「アイシアはそればっかりです……」ラファエルがうんざりしたように耳を塞いだ。

 

「休みの日くらい魔法から離れろよ……」

 

 弓鶴の心からのつっこみだった。せめて休みの日は仕事である魔法からは離れた方がいいだろう。アイシアには女子力が決定的に欠けている。それはラファエルにも言えることなのだが……。

 

「生き残るためには強くならないとだからね。両親より先に逝くのはごめんだよ」

 

 アイシアが笑って言った。それを言われると何も反論できない。

 

 魔法使いの人生観は過酷で苛烈だ。競争社会の中を生きていて、己が魔法の技量がそのまま評価に繋がる。怠ければそれだけ自身の首を絞めることになる。特にASUで前線に立つ魔法使いにとっては生死に関わることだ。

 

「少しは女らしくしたらどうだ?」

 

 なんとなく弓鶴は言ってみる。ふたりとも見た目だけは抜群に良いのだから、中身を磨けばもっと良くなるだろうという男の願望もあった。だが、アイシアはそれを斬って捨てる。

 

「それで生きられるのならそうするよ。無理だけどね」

 

 アイシアは生粋の魔法使いだ。だから命の次に魔法が重い。

 

 こんな軽い雑談でも生粋の魔法使いとの間には価値観の違いが現れる。これでは一般人と魔法使いがちゃんとした形で理解し合うなど不可能ではないかと思わずにはいられない。

 

「更科那美を捕まえられなかった無能はここかね?」

 

 ふいに、不遜な声が投げつけられた。刑事課のランベール・ディディエだ。表情は嫌味ったらしくにたにたと笑っている。わざわざ煽りに来たのだろう。アイシアとラファエルの表情に厄介な奴がきたと書かれていそうだ。弓鶴もたぶん似たようなものだろう。

 

 アイシアが嫌そうな顔を隠そうともせず言った。

 

「ディディエ。何しに来たの? 暇なの?」

 

「もちろん暇ではないとも。僅かな時間の間を縫ってここに来たに過ぎない」

 

 今回はブリジットがいないからアイシアを無視する選択はとらなかったらしい。いい加減な判断基準だ。そしてやっぱり相当暇なのではないかと弓鶴は思った。

 

「我々を待たずに更科那美と対峙し、逃がしたそうだな。滑稽ではないか。低階梯の者らしい愚鈍な仕事ぶりだ。是非現場で見たかったものだ」

 

 もう話したくないとアイシアの顔に出ていた。しかたなく弓鶴が後を引き取る。

 

「相手は第九階梯級の魔導師だ。お前らが相手したって似たようなもんだろ」

 

「おや、君は……誰かね?」

 

 不遜な者言いをしてランベールが首を傾げる。男がその仕草をしていると殴りたくなる。やっているのが刑事課の人間なら尚更だ。

 

「警備課の八代弓鶴だ」

 

「ああ、確か、あー……第六階梯だったかね? すまないな、低階梯の者はあまり覚えられなくてね」

 

「記憶力が無いんじゃないか? 大丈夫か? 痴呆症が始まってるんじゃないのか?」

 

 こちらとしても言いたい放題言われるのは癪だから、弓鶴は敢えてブリジットのように煽ってみせた。ランベールの眉間に皺が寄る。

 

「極まった魔法使いに老いなど関係ない。忘れたのかね?」

 

「たかが第八階梯が粋がるなよ。そういうことは第九になってから言え」

 

 ランベールの口端がぴくつく。どうも彼は煽り耐性が無いらしい。

 

「たかが第六階梯が言うではないか。私はもうすぐ第九階梯になる。次の魔導師位階検定では最高位になっていることだろう」

 

「夢はいくらでも見られるからな。なれるといいな。ところで、アイシアがお前の顔を見て嫌がってるぞ。嫌われたんじゃないか? さっさと巣に帰れ」

 

 はっとランベールが笑った。

 

「馬鹿なのかね? 魔法使いが上位階梯の者を嫌うはずがないだろう」

 

「そう思ってるのはお前だけだ。いつの時代に生きてるんだ? 中世か? 中世の人間だって心の中じゃ上位者の横暴さに嫌気がさしてたに決まってるだろ。お前頭悪いんじゃないのか? 本当に第八階梯か? 実は第三階梯くらいじゃないのか?」

 

 だんだん面倒になった弓鶴の口から煽り文句が次々と出てくる。ランベールが顔を真っ赤にしていた。どうも逆鱗に触れまくったらしい。いい気味だ。

 

「よかろう。私の実力を知りたいということだな。ならば決闘だ。《第七天国》に来たまえ」

 

「いや、帰れよ。事件中に何考えてるんだよ。それと、いま二十一世紀だぞ? 何時代に生きてるんだお前は。いいからさっさと帰れ。こっちはアイシアとエルが本気でお前のことゲテモノを見る目で見てるんだよ。空気が悪くなってることのに気づかないのか? 第八階梯のお偉いさんなら空気くらい読んでくれ」

 

「怖気づいたということかね? 良かろう、ならば私の勝利ということで帰らせてもらおう」

 

「ああもうそれでいいから帰ってくれ」

 

 失礼する、と言ったランベールが警護課のオフィスを出ていく。全身に疲労感と虚しさがどっと圧し掛かった気がした。無駄過ぎる時間だった。

 

 弓鶴、とラファエルが彼に顔を向けた。まるで稀代の彫刻家による渾身の作品を思わせる、見る者すべてを魅了する微笑みを浮かべていた。

 

「……口悪いですね」

 

 言ってきた内容は最悪だった。弓鶴は脱力する。

 

「追い払ってやったのにその言い方はあんまりだろ……」

 

 アイシアが楽しそうにけたけたと笑っていた。

 

 

 

 



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第二章:殺人鬼の正義 3

 日を追うごとに死体が増えていく。闇に隠された悪が暴かれ処刑されていく。

 

 更科那美の犯行は宣言から三日間続いた。被害者は十二人に増えており、世界中が注目する連続殺人事件になっていた。

 

 いよいよ本当に顧客リストに載る悪人を裁いていると世間が気づいた頃になると、警視庁に児童買春をしたと名乗りを上げて保護を求めてくる男性が現れ始めた。その誰も彼もが大企業の高給取りであることに警視庁は頭を抱えた。警察側でも予想していたが、顧客リスト自体が相当な爆薬だったのだ。このまま政治家や官僚、経済界の重鎮、警察官などが那美の対象になった場合、下手をすれば日本がひっくり返る。警察内部でも、他国の工作活動ではないかという話が出てくるくらいだ。公安が動くという噂も流れているのだから、事件の規模が果てしなく広がっていく雰囲気が蔓延していた。

 

 ASUの面々にも疲労と焦燥が表情に現れていた。ブリジットは終始イライラし、オットーは無言のまま携帯端末でグラビア動画を漁っており、ラファエルは無言でぶすっとしている。アイシアは普段通りの振る舞いをしているが、その顔には焦りが見えた。

 

 警察もASUも完全に更科那美に弄ばれていた。超高位魔導師が潜伏し暗殺に回ると治安維持機関が何もできなくなることが世間に露呈した。いまやマスコミやネット上では警察とASUの悪口を聞かない日はないくらいだ。誰もが自然と世間の情報媒体に目をやることがなくなっていった。

 

 雲間から舞い降ちた朝の日差しが、ISIA日本事務局関東支部のビルを煌びやかに照らしている。冬特有の強い北風が裸になった街路樹を揺らしていた。

 

 ひとり休憩室で珈琲を飲んでいた弓鶴は、窓から眼下をのぞき込んでうんざりとした気分になった。反魔法団体が、「魔法使いは日本から出ていけ!」というプラカードを掲げて抗議活動を行っている姿が目に入ったからだ。

 

 魔法によって確かに世界は便利になった。だが、魔法の到来は、技術の進歩で不要となる職業を一世紀分は先取りして捨てた。時間を掛けて淘汰されるべきものが一瞬でごみになれば、屑篭に放り込まれた者は憎悪を燃やすしかない。そうして生まれた数多の火種が炎になるまで成長すれば、魔法を憎む集団ができあがる。そして表に出てくるのはいま関東支部に押しかけている連中だ。これでもまだマシな部類なのだから、魔法使いが暮らす世は暗い。

 

「ここにいたんだ、弓鶴」

 

 声を掛けられ視線を戻すと、アイシアが休憩室に入ってくるところだった。

 

「何見てたの?」

 

「外の連中だ」

 

「ああ、あれね」

 

 アイシアの表情に苦笑が刻まれる。最近の彼女は苦笑いが多すぎてそれ以外の表情がすぐに思い出せないくらいだ。

 

「あれくらいで気にしてたら堪らないよ。考えるだけ無駄だよ」

 

「分かってる。もっと厄介な連中もいるしな」

 

 そういって再度街に目をやる。反魔法団体とは別に、更科那美を信仰する変人達の集団も集っていた。曰く、「正義の使徒である更科那美を捕まえるな」とのことだ。頭の悪さに正気を疑いたくなる。

 

 更科那美は、ネット上ではある種のアイドルになっていた。まとめサイトまでできるくらいの人気ぶりだ。行動動機もそうだが、その容姿が一部の人たちの胸に刺さったのだ。世の中どいつもこいつも狂っていると思った。

 

「十二人も死体を転がしてる女の子をアイドルとして崇拝するなんて、さすがに理解できないよ」

 

「普通の感覚でもそうだ。俺もよく分からん」

 

「お祭り感覚なんだろうね。戦後から今までこんな大事件は日本じゃなかったみたいだし。当事者からするとたまったものじゃないけど」

 

 気が滅入ってきて弓鶴は話題を変えた。

 

「魔法適正検査時の警護の件はどうだ?」

 

 アイシアがため息する。こっちもこっちで頭の痛い問題なのだ。

 

「どうしようか。課長が頭を抱えてるよ。人手がとてもじゃないけど足りない」

 

「ASUも更科那美の事件でかなりの数が割かれてるからな」

 

「とはいえ、来週からは埼玉県で魔法適正検査が開始されるよ。このまま事件解決できないと、世間の流れから言ってもまずいね」

 

「案外それが目的だったりしてな。裏にいるのは魔導師密売組織じゃないのか?」

 

「だったら最悪だね」

 

 笑い話にもならない冗談だ。何の話題を出しても結局はどん詰まりに行きつく。袋小路に追い込まれている現在の心境がそうさせるのだろう。

 

「そういえば、更科那美の戸籍はどうだったんだ? 稲垣さんから回答はあったか?」

 

 紙コップの珈琲を買ったアイシアが弓鶴の隣に並ぶ。

 

「うん、戸籍上は実在する十一歳の少女みたいだね。二年前に交通事故で両親を亡くして施設に入ったらしいよ」

 

 あまりにもやるせない。交通事故で両親を亡くし、更に友人は性的虐待の被害にあい、自身も犯されかけた。そしていまは復讐の鬼と化した。たったひとつでも大人の手が届いていればこんな事件は起こらなかっただろう。桜井芽衣の嘆きがよく分かる。

 

「これで更科那美が変身した魔法使いの線は消えたか」

 

「本人を殺して入れ替わってるって線はあるけどね」

 

 アイシアが珈琲を口に含みながら言った。発想がえぐい。だがそれが可能なのが魔法だ。魔法があるだけで犯罪の質はどんどん悪くなっている気がした。

 

「警察もいまは色々と対応に追われてるし、ASUはISIAからの突き上げがうるさいし、どこも大変だね」

 

「暢気に言うなよ。突き上げを食らってる末端は俺らだぞ」

 

「分かってるよ。でも正直な話、情報戦で勝ってくれないと私たちの出番がないんだよね」

 

「前回は負け戦だったけどな」

 

「お願いだから掘り返さないで。結構落ち込んだんだから」

 

 アイシアが長息する。あの経験はアイシア班全員が辛酸を舐められたのだ。忘れられるはずがない。

 

「次戦うとして、どうやり合うつもりだ?」

 

「まず、前提を第九階梯の元型魔導師として設定する。元型魔法は飽和攻撃が得意だから、一対多の利点があまり生かせない。防御力が低いのが弱点だけど、一点突破のエルの狙撃は鎧に防がれる。なら近接火力の高い弓鶴を正面、遠距離火力の出せる私が遠距離担当かな。エルは狙撃で更科那美を狙ってもらって、ブリジットもできれば中衛か後衛に欲しいな。オットーは基本防御を担当してもらって適宜《歪曲体系》で攻撃かな。あれ魔法防御突破するから」

 

「更科那美の処理能力は高すぎる。俺とアイシアが前後を取り囲んだタイミングで撃ったエルの狙撃に反応したぞ」

 

「それを防ぐには更科那美と鎧を引き離す必要があるね。とはいえ、元型魔導師にとって疑似生命体はなにが材料でもすぐ作れるから、下手にこっちが分散すると各個撃破されるよ」

 

「意外と厄介だな元型魔法は」

 

「超高位魔導師はどの魔法体系でも厄介だよ」

 

 その超高位魔導師と戦わなければならないのだ。刑事課との連携は無理だと考えていいから、アイシア班の五人で対処する方法を考えなければならない。

 

「元型魔法についてちゃんと覚えてる?」

 

「元型体系には四魔法存在する。疑似生命体を作り出す《元型投影》。精神を力場に変化する《観念力動》。他者の精神を操る《深層干渉》。対象諸存在を魔導師が想像した生物へと変態させる《生命創造》」

 

 その通り、とアイシアが微笑む。

 

「前回は《元型投影》だけでやられたからね。他三種も対応できないと死ぬよ」

 

「火の鳥は《生命創造》じゃないのか?」

 

「あれは《元型投影》レベルだよ。火に精神を投影させて鳥の形に変化、その炎で周囲を攻撃しただけだから。まあ、それでも規模が大きかったけどね。《生命創造》は、例えばビルを人食い花にするとか、水を龍にするとか、なんていうかな……実体を持った存在にするんだよ。ある程度自律可能な魔法生命体を作るって思ってもらえればいいかな」

 

「想像できないな……」

 

「《生命創造》なんて名打っているけど、結局のところ元型体系は意識を持った生命体は作ることができないんだよ。ある程度自律させることが限界。《生命創造》の肝はそこかな。それだけは覚えておいた方がいいよ」

 

 つまり、魔導師の意思を介さず自律行動する疑似生命体を作る魔法ということだろう。

 

 そこでふと疑問が生まれた。

 

「元型魔法の疑似生命体って術者と五感で繋がってるんだよな。どうやって処理してるんだ? 頭おかしくなるだろ」

 

「実際に負荷が掛かり過ぎて廃人になった人もいるね。だから扱える疑似生命体の数が多ければ多いほど高位の魔導師って訳だね」

 

 ブリジットは平気で百以上の疑似生命体を作るが、それだけ力量が凄まじいということだろう。

 

「元型魔導師は、疑似生命体を通して五感で遠くを感知できる以外にも、疑似生命体を介して魔法を使うことができる超遠距離魔法が可能なんだよ。これも覚えておいて」

 

 それは嫌な情報だった。魔法を通して魔法が使えるということは、遠くの敵に魔法で攻撃することができるということだ。

 

「つまり、射程は事実上無限か?」

 

「そうなるね。当然直接魔法を使うよりも減衰するけどね。だから、更科那美がこの発想に至ったら世界中どこにいてもリストの人間は狙われるね」

 

 それは、どこに隠れようが額に銃口を向けられている感覚に近い。対象者にとってはまさに死神だ。

 

「最悪な魔法体系だな……」

 

 アイシアがくすりと笑う。弓鶴に魔法を語るとき、彼女はいつだって教師のように振る舞う。紙コップを掲げた彼女が人差し指を立てた。

 

「極めればどんな魔法体系も厄介になる。要は使い方次第ってわけだね」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 更科那美は、お台場の公園に金髪の美女姿で青年とふたりでベンチに座って海を眺めていた。この行動に特別な理由はなく、単にお台場に行って海が見たかったからだ。当然鎧は反対したが、昼間外に出ず夜間での暗殺を繰り返してきた彼女にとって、外に出てのんびりとすることは最低限の精神ケアのために必要なことだった。三日後には大仕事が待っているのだ。少しくらいは普通の生活に浸りたかった。

 

 世間では児童買春犯連続殺人事件で騒ぎになっていても、平日だからかお台場の公園はまるで普段通りだと言わんばかりに静かだった。聞こえるのは車の通る音と風、そしてさざ波の音くらいで、ここが東京だいうことを忘れそうになるくらいだ。

 

 それでも、人殺しの魔法使いになった那美に安息の地などない。人に害為す犯罪魔導師は、他の魔法使いが世を生きるために邪魔な存在だ。魔法が世に出るまで日の目を浴びることのなかった魔法使いにとって、いまの世界はひとつの理想だ。だからASUは、これを守るために犯罪魔導師を徹底的に追い詰めて殺す。

 

「更科那美だな?」

 

 深紅のローブを着た男性が那美の前に立っていた。ランベール・ディディエだ。隣には彼の部下のひとりである若い魔導師がいた。

 

 那美は目をぱちくりさせる。

 

「よく分かったね?」

 

「波動観測で追わせてもらった。うちの波動魔導師が苦労して見つけたのだよ」

 

 こてん、と那美が首を傾ける。ランベールが言っている意味が分からないのだ。

 

 波動魔法とは、“世界は波動によって成り立っている”という観点から世界を記述する魔法だ。波動魔導師にとって世界に存在するあらゆるものは、指紋や静脈と同じように特有の波動――すなわち固有波長を放っていだ。だから、これを追跡する術があれば原理的には那美を見つけることは可能だ。もっとも、固有波長を観測することはできても追跡までは本分ではないから、波動魔導師にとってそれは苦労どころではない神業になのだが。

 

 ランベールが両手を広げて宣言した。

 

「魔法の不正使用による一般人十二名の殺害容疑で抹殺させてもらう」

 

「容疑なのに殺すの?」

 

「ASUにとってお前の存在はもはや邪魔以外の何物でもない」

 

 ランベールの言葉が戦闘の合図だった。そして、目を焼き尽くさんばかりの閃光と衝撃破が荒れ狂った。

 

 精霊魔法の火系分離魔法で、ランベールが爆発を引き起こしたのだ。いつの間にか誰もいなくなっていた公園には精霊体系による結界が張られている。那美にとってここは鳥籠の中だ。

 

 爆心地の中心、芝生が抉れてできた穴の中に、本来の姿に戻った那美が立っていた。先の爆発では那美の防御魔法を突破できなかったのだ。

 

 ランベールが心の内で警戒レベルを一段上げる。

 

「うわあ……! やっぱり他の魔法も凄いんだ。まえ戦ったときはあまり派手な魔法が見られなかったけど、今回はたくさん見られそう!」

 

 明らかに殺されようとしているのに那美は無邪気に声を弾ませていた。ランベールはこれを挑発と受け取った。

 

「良かろう。魔法の神髄、存分に観て死ぬがいい!」

 

 吠えたランベールの周囲に、数えるのも億劫になるほどの礫が生まれる。白銀に輝くそれは、土系分離魔法によって生み出された石英だ。礫が横殴りの雨がごとく打ち出される。

 

 青年の姿を解いていた鎧が那美の前に立ちはだかる。刀を抜き放った鎧が、彼女に直撃する礫だけを器用に刀で弾いていく。

 

「パスカル!」

 

「はいはい、分かりましたよっと」

 

 パスカルと呼ばれた青年魔導師――パスカル・ヴェイユが地面を蹴って宙に浮いた。波を捉えることのできる波動魔導師にとって、AWSがなくとも宙を跳ぶなど造作もない。

 

 パスカルが光を二十程度生み出す。あらゆるものを波動として知覚する波動体系にとって、光は手ごろに扱える波のひとつだ。太陽光を束ね増幅した光は、鉄筋すら楽に貫通するほどの威力を持つ槍と化す。

 

「悪いね。魔法使いの未来のためにここで死んでくれ」

 

 暗い顔になったパスカルが光槍を放つ。鎧は礫を弾いており、那美は光の槍をぼうっと眺めているだけだった。光速度で動く槍を防げるはずもなく、彼女にとっては完璧な詰み手だった。

 

 第九階梯魔導師でさえなければだ。

 

『その光、頂こう』

 

 動き出す寸前、光槍が脈動した。パスカルの表情に驚愕。光槍に精神を吹き込まれ、支配されていた。パスカルの魔法が元型魔法で上書きされたのだ。魔法使いにとってこれほど実力差を痛感させられることはない。

 

 光槍の矛先がパスカルへ向く。

 

「ちっ、ふざけんなっ!」

 

 舌打ちしながら即座にパスカルがその場を離脱。直後、光槍が直前まで彼がいた空間を貫いた。空中に逃れたパスカルが更に光槍を三十生み出す。

 

「愚か者!」

 

 叫んだランベールが魔法を繰り出す。いまの攻防で生半可な魔法では捕まえられると悟ったのだ。

 

 光槍が再び支配されると同時、ランベールの魔法が完成する。那美の周囲三六○度を石英の礫が包囲していた。物量で元型魔法の魔法支配量を突破するためだった。

 

 礫が一斉に那美へ殺到。寸前、鎧が刀を横に薙ぐ。

 

 突如那美と鎧を守るように竜巻が生まれた。烈風に巻き込まれた礫が宙に散る。

 

 鎧が刀を振ることで生み出した風を支配し、一瞬にして竜巻にまで成長させたのだ。神を想起させる呆れるほどの魔法力だった。

 

 竜巻に巻き込まれ宙を舞ったランベールを高速移動してきたパスカルが受け止める。

 

「班長! これ無理っすよ!」

 

 暴風の音の中、パスカルが叫ぶ。ランベールの眉間には濃い皺が刻まれていた。たった二手でここまで追い込まれたのだ。二人で相手をするにはあまりにも分が悪かった。

 

「一度体制を立て直すぞ! 苦渋だが配下の者を呼ぶ!」

 

 そのとき、風が凍てついた。

 

『仲間を呼ばれるのは困るな』

 

 鎧の言葉がふたりの耳に届くと同時、竜巻内部の大気の動きが止まった。風が凪ぐなどという話ではない。完全に止まったのだ。必然、大気を押し出すことで動く人間の動きも止まる。呼吸もできず、指先ひとつすら動かせず、ふたりが空中に結い止められる。

 

『精霊体系でも似た魔法があったな。悪いが使わせてもらおう』

 

 音の消えた世界に鎧の言葉だけが響く。

 

 ランベールの脳裏にある魔法が浮かぶ。風の結界とも呼べる無風にする魔法だ。完全に大気の流れを止めることで敵を無力化する高度な風系分離魔法だった。そして、必然的に窒息させることも可能だ。

 

 あと数十秒足らずの意識の中でランベールが口の中でつぶやく。

 

 ――そういうことだったのか……。

 

 ランベールの中で点と点が繋がったとき、ふたりは意識を失った。

 

 無風の魔法が解かれ、深紅の魔導師たちが足から地面に落ちる。芝生に叩きつけられた魔導師たちは、足を不自然な方向に折り曲げて倒れた。完全に骨折していた。命があっただけまだ幸運だろう。

 

 鎧が刀を鞘に納めた。穴の中から様子を伺っていた那美は、興奮で顔を真っ赤にしていた。

 

「すごい! こんなの初めて見た!」

 

『行くぞ那美。すぐに応援が来る』

 

「うん、分かった」

 

 那美はわがままを言わずに頷き、鎧と一緒に公園を出る。既に園内を囲っていた結界は消えていた。

 

 殺人鬼は止まらない。再び殺意に溢れた無邪気な少女が世に解き放たれる。

 

 

 

 



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第二章:殺人鬼の正義 4

「お台場でディディエが更科那美を取り逃したそうだよ」

 

 その一報が飛び込んできたのは、丁度昼食を取りにオフィスから食堂へ行こうとしたところだった。アイシアが端末に上がった報告を弓鶴とラファエルに読み上げる。

 

「お台場の公園でディディエとヴェイユが更科那美を見つけたみたいだね。そのまま戦闘に入って五分と経たずにやられたそうだよ。命に別状はないけど両足が骨折。まあ、魔法で治療すればすぐ治るから心配する義理はないね」

 

 偶然見つけたのか追跡していたのか。警護課に連絡が無かったのは、刑事課だけで仕事を全うできるという魔法使いらしい考え故だろう。

 

「どうやってやられた?」

 

「要点はふたつ、ひとつめは波動魔法の光槍を元型魔法で捕まえられたこと」

 

 化物だ。刑事課のパスカル・ヴェイユは確か今期第八階梯になった凄腕だ。高位魔導師が扱う魔法を奪うなどあまりにも常識外れの制御力だ。

 

「ふたつめは無風結界で窒息させられたことかな」

 

「無風結界?」

 

 聞きなれない単語に弓鶴は思わず問い返す。

 

「精霊魔法の技なんだけどね。大気の流れを完全に止めることで対象を閉じ込める結界だよ。元型魔法でそれを再現したらしいね」

 

 精霊魔法とは、“四大元素によって世界はできている”という観点から世界を記述する魔法だ。火・水・風・土のクオリアから現象を引き出すことができる。また、各種クオリアを結合することで、以前アイシアが使用した《電磁結合》のように、電撃や磁力を操ることも可能だ。魔法の中でも、もっともゲーム的な魔法とも言える。無風結界は恐らく風系分離魔法による技だろう。

 

「またASUが黒星。負け続きです……」

 

 ラファエルの言葉にランベールに対する嘲りはない。それどころではないのだ。二度も捕獲に失敗するなど前代未聞に近い。それが更科那美の有能さを示すのか、あるいはASUの無能を晒しているのか。できれば前者であることを願いたいが……。

 

「第八階梯のディディエとヴェイユがやられたのは重大な事態だよ。ちゃんと策を練らないとあの子は止められない」

 

 第八階梯は、ASU魔導師位階制度では上から数えて二番目だ。その二人が対峙してやられたのだから、とんでもない相手であることが再確認できる。

 

 ランベールたちが殺されなかったのは、リスト以外の人間はそもそも殺すつもりがないのか、ただの気まぐれなのか。どちらにせよこれでASUにとっての更科那美の緊急度は跳ね上がった。

 

 端末を見ていたアイシアが息を呑んだ。

 

「ASUから極秘命令だよ。関東支部に更科那美の抹殺指令が出た。最優先事項としてね」

 

 ASUはもう細かい事情など抜きにして完全に更科那美を殺すことにしたようだ。

 

 これで更科那美は未来永劫ASUから付け狙われることになる。彼女の未来は血塗られた道しかない。十一歳の幼い少女がだ。もはや何が正義か分からなくなる判断だった。

 

「……俺たちとランベールがやられたからか?」

 

「だろうね。それから、相当ISIAから突き上げが来てるんだと思う」

 

 反魔法団体が存在するように、世間から見た魔法使いへの心象はあまり良くない。今回の件は被害者が犯罪者という特別な事件ではあるが、それでも魔法使いの恐怖は世間に蔓延し始めている。

 

 ISIAにとって魔法使いはひとつの資源だ。その資源の評判が落ちるのは死活問題である。国際機関ですら魔法使いに対してはその程度の認識なのだ。魔法使いの基本的人権を守ると謳うISIA憲章はどこに行ったと弓鶴は憤る。

 

「魔法適正検査はどうするつもりだ? もうすぐだぞ」

 

 正確には三日後だ。そこで埼玉県の高校で魔法適正検査が行われる。警護課はそこで検査に立ち合い、適正者が現れた場合は警護をするのだ。

 

 ははっ、とアイシアが笑った。現実の無情さを嘆く笑いだった。

 

「同時にやれって。頭おかしいんじゃないかなASU本部って」

 

 理不尽だ。ただでさえ忙しいという魔法適正検査警護に加え、いまや世界中の関心事になりつつある連続殺人事件の対応もしなければならない。普通の企業ならトップの判断能力を疑う。

 

 だが、これがASUだ。振られた仕事は責任をもって最後まで続ける。任が解かれるのは仕事を終えたときか死んだときだ。魔法使いの人生観が苛烈なのは間違いなくASUの過激な方針のせいだ。

 

 魔法使いは誰も助けてくれない。自分で己が身を守るしかない。これは二十一世紀になってすら当たり前になっている魔法使いの常識だ。犯罪魔導師は、この過酷な魔法使い競争レースから外れた者がなる場合が多い。是非とも人権団体あたりに頑張ってもらってこの常識を変えてもらいたい。そうでなくば、犯罪魔導師は減るどころか増える一方だ。

 

「……お昼行きたいです。カルボナーラ食べにいきましょう」

 

 ラファエルがうんざりしたように言った。アイシアと弓鶴もこれには頷いた。

 

「だけどエル、そろそろ他のも食べよう? 栄養偏っちゃうよ?」

 

「いまは優秀なサプリメントがあります。必要ありません」

 

 ラファエルのカルボナーラ好きは筋金入りだ。まさかサプリメントまで取って他の栄養を補給しているとは思わなかった。

 

「それでも太るよ? 太ったらお嫁さんになれなくなるかもしれないけど、いいの?」

 

 アイシアの攻撃にラファエルの顔面が強張る。ラファエルの結婚願望はそれほどまでに強い。

 

「……それは困ります。私、結婚したいです」

 

「うん、なら今日は他のにしようか。私が選んであげるよ」

 

 それでも我慢ができないのか、ラファエルがおずおずと進言する。

 

「なら、なら、クリーム系がいいです」

 

「クリームは一旦忘れようか。太るよ? 結婚できなくなるよ?」

 

 ラファエルが絶句する。縋るように弓鶴を見る。そんな目で見つめられても困るが、少し可哀そうになった。仕方なくフォローをする。

 

「男としては、ちょっと肉がついてる子の方がいいと良いと思うぞ」

 

 ラファエルがぱあっと笑顔になる。

 

「ホントですか? 分かりました。今日はカルボナーラにします! 少し弓鶴のことが好きになりました!」

 

 つまりその回答は太っても構わないということなのだが、ラファエルは本当に理解しているのだろうか。鼻歌を歌う彼女を疑いの目で見ていると、アイシアが脇腹を突いてきた。

 

「なんで邪魔するかな」

 

「色々参ってるんだ。いまくらい好きにさせてやれよ」

 

「あの子、見た目はいいのに性格とアレのせいで男性が近寄らないんだよ。私としては心配してるんだけど」

 

 どの口でそれを言うのだ。

 

 思わず口に出そうになって、弓鶴は慌てて唇を噛んで言葉をせき止めた。アイシアも見目麗しいが、腹黒い性格と魔法に対してストイック過ぎて一般男性からしたら非常に絡みづらい。もっとも、魔法使い受けはいいのかもしれないが……。

 

「その目は何かな?」

 

 ジト目でアイシアに見られていた。背筋が凍る。彼女の視線を逃れるために弓鶴はそっぽを向いた。

 

「さてな。とりあえず昼食にするか。ブリジット達も呼ぼう」

 

 

 

「そうか、ランベールがやられたか……」

 

 色濃い疲労を滲ませていた表情をしていたブリジットが、アイシアの報告を受けて突然真顔になった。かと思うと、いきなり大声で笑いだした。

 

「あはは! あのバカ! 我らが五人掛かりで捕まえられなかったのに二人で捕まえられるわけないだろうに! まーた真の魔法使いは~とか考えちゃったのか。本当のアホだ! しかも最高位魔導師を相手にしたのに、結果が窒息させられて意識失って空から落下しての骨折? しょぼ! 爆笑ものだね!」

 

 げらげらと笑うブリジットが腹を抱える。食堂にいるISIA職員は彼を一瞥するも、「ああ、またあいつか」という表情をしてすぐに視線を外した。

 

「いやあ、聞いて爽快ですねえ。捜索で疲れた身体が癒えるようです。ですが、いっそのこと再起不能になるまでやられれば良かったんですがねえ。神もそこまではしてくれませんか。至極残念です」

 

 オットーがカレーをスプーンで掬いながら酷いことを言う。この手の憎まれ口はASU魔導師の中では日常茶飯事だ。

 

「笑いごとじゃないよふたりとも。あの二人をそこまで追い込んだ最高位魔導師を相手にするのは私たちも同じなんだから」

 

 アイシアが注意するも、ブリジットの笑いは止まらない。

 

「まあまあアイシア。それは分かるけどさ、正直どうだい? すっきりしたろう? いい加減言い寄られるのも面倒そうだったじゃないか」

 

 アイシアの視線があからさまに泳ぐ。真面目な顔を装っているが、口元には笑みが滲んでいることに弓鶴は気づいていた。

 

「……ま、まあ少しは」

 

 ブリジットの声が引きつった。

 

「ひゃはは! やっぱりアイシアも同じ穴の狢じゃないか!」

 

「うるさいですブリジット」

 

 ラファエルが不機嫌な声を上げた。一心不乱にカルボナーラに向かっている彼女は、耳が痛いのか眉をひそめていた。

 

「私がカルボナーラを食べているときは静かにしてください。あとランベールは死んでも構いません。なんなら私が狙撃して殺します」

 

 ふんす、と鼻を鳴らしたラファエルが追加でカルボナーラを頼もうとする。既にテーブルには三皿が開けられている。次の注文で四皿目だ。

 

「ランベールはどうでもいいけど、そろそろやめとけ。太るぞ」

 

 見ていられなくて弓鶴が口を挟むと、ラファエルは疑問顔で彼を見た。

 

「少し太っても男の人は大丈夫って弓鶴がさっき言ってました」

 

「限度ってものを知らんのか。エルの場合は食べ過ぎだ」

 

「これ以上は駄目ですか?」

 

「駄目だな」

 

「……弓鶴のことが嫌いになりました」

 

 あからさまに落ち込んだラファエルがテーブルに突っ伏した。その姿だけ見ると憂鬱げな美女でいかにも絵になりそうだが、実態はカルボナーラを食べられず不貞腐れる女だ。駄目女過ぎた。アイシアが心配するのも分かる。

 

「エルはもう少し太っても素敵ですよ」

 

 オットーがいらんことを言ったが、ラファエルは顔を上げて彼を睨んだ。

 

「オットーの言うことは当てになりません」

 

「弓鶴さんと私の信頼度が違いすぎませんか⁉」

 

 オットーが大仰に天井を仰いで嘆いた。

 

「女好きのオットーは誰でもいいに決まってます。ブリジット程度の信頼度しかありません」

 

「我にまで飛び火した⁉」

 

 いまだにけらけらと笑っていたブリジットの口端が引きつる。

 

「ナンパされ好きのブリジットとグラビア好きのオットーは女の敵です。死んでください」

 

 ラファエルの科白にアイシアもうんうんと頷いている。確かにこの男どもは女の敵であるとは弓鶴も思っていた。ブリジットは新しい女性職員が来ると必ず声を掛けるし、オットーは女性職員を薄目で見て裸を想像するような残念な頭の持ち主だ。とてもまともな男ではない。

 

「弓鶴、分かる? 女を磨いてもこの二人が近くにいたんじゃ気が休まらないんだよ」

 

 アイシアが呆れ顔で語る。弓鶴は思わず同意してしまった。

 

「つまりあれか、アイシアとエルが残念なのはこいつらが原因か」

 

 アイシアとラファエルの表情に亀裂が走る。

 

「……そんな風に思ってたんだね」

 

「弓鶴最低です……。超嫌いになりました」

 

 女性陣が弓鶴へ投げる視線が一段と暗くなった。それを見ていたブリジットが再びげらげらと笑う。

 

「弓鶴も我らの仲間入りだな! ようこそ!」

 

「死んでも入りたくねえ……」

 

 あれか、本当に自分は女心が分かっていない残念男なのかと弓鶴はちょっと真剣に悩む。ホーリーにもろくな言われ方をしていないから、身に覚えがないのにそんな気分になってくるのだ。

 

 ブルーになっていると、いきなり背後から肩を叩かれた。いつの間にか席を立ったオットーだった。彼は聖職者らしい慈愛の籠った微笑みを湛えていた。

 

「迷える子羊よ。いざ行かん、女好きの道へ!」

 

「お前はとりあえず死んどけ」

 

 アイシア班にはろくな魔法使いがいない。だが、その中に入っているうちに自分もまともな魔法使いの道から外れているのかもしれない。弓鶴は真剣に危機感を抱いた。

 

 

 

 



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第三章:善悪の天秤 1

 死体は転がり続け、ついに犠牲者は十六名に上った。報道は水を得た魚どころではない騒ぎ方を始めた。児童買春をしていたという被害者にもバッシングをしだしたのだ。被害者遺族への執拗な報道もされているという。ネットでは那美擁護派と否定派で真っ二つに分かれて互いに罵り合っていた。至る所で正義を論じていて、何が正しくて何が間違っているのか分からなくなりそうだった。

 

 そして、ASUと警察の評判は崖っぷちだった。治安維持組織としての威厳が失墜しかけていた。

 

 弓鶴たちの泊まり込みも一週間が過ぎていた。全員が段々疲労を隠せないくなっていた。更科那美を見つけることのできない徒労感、見つけても返り討ちにあう屈辱、すべてが全員の精神をむしばんでいた。

 

 さらに最悪なことに、魔法適正検査が今日だ。これから地獄の日々が開始される。アイシア班は一端殺人事件の担当から外れて警護課側の仕事を振られることになった。もっとも、殺人事件で進展があれば即座に呼び戻されるのだからあまり意味のない采配だ。この命令の裏を読むのであれば、さっさと事件を解決しろこの無能ども、といったところだろう。

 

 ASUは弱者が生きづらい実力主義の世界だ。弓鶴も疲れていた。警護課はろくにやることがないのに拘束だけはされているから、善悪について考えてしまい精神的に参っていた。

 

 関東支部のビルに朝日が昇る。時刻はもう七時になろうとしていた。休憩室で珈琲を啜りながら弓鶴は端末でニュース動画を見ていた。動画内では、六本木の被害者家族にマスコミが押しかけてコメントを求めていた。

 

「旦那さんが児童買春をしていたことについて何か知っていましたか?」

 

 マスコミがマイクを向けて女性に問いかける。女性は顔を手で隠しており、その隣には子どものぽかんとした表情が映っている。

 

 被害者の妻と思われる女性が大声を出す。

 

「なにも知りません! 夫はそんなことしてません! ただ理不尽に殺されただけです!」

 

「しかし、更科那美さんは児童買春の顧客リストを基に殺人を起こしています。本当に知らないんですか? ならいまどんなお気持ちでしょうか?」

 

「やめてください! そんな犯罪者の言うことを真に受けるんですか⁉ 悲しいに決まってるでしょう! そんなことすらマスコミは分からないんですか!」

 

「ならお子さんはどうですか? いまどんな気持ち? 犯人である更科那美に一言お願いできるかな?」マスコミが子どもにマイクを向ける。子どもは怯えて母親にしがみついていた。

 

 子どもを背に庇った妻が怒鳴った。

 

「ふざけないで! 子どもにそんなこと訊かないで下さい! 頭おかしいんじゃないですか⁉ 警察を呼びますよ!」

 

 見ているだけで胸糞悪くなる映像だった。いつの世も過激なマスコミは被害者家族を食い物にする。自分だけが真実の信奉者と過信したマスコミは腐るほどいるのだ。マスコミは報道の仕方で簡単に人を殺せる。ある意味、魔法使いと同レベルで自制心を持たなければならない存在だ。見ていられなくなって弓鶴はメディアニュースを切った。 

 

 アイシアが休憩室に顔を出した。

 

「弓鶴、そろそろ準備するよ」

 

「……分かった」

 

「疲れてるだろうけど、頑張ろうか」

 

「そうだな。大変なのは今日からだもんな」

 

 紙コップを捨てて、アイシアと一緒に休憩室を出る。オフィスに戻ると全員が席の周りに集合していた。

 

 アイシアが手を叩いて注目を集める。

 

「わたしたちの今日の仕事は、埼玉の南鳩ヶ谷高校で行われる魔法適正検査の見守りと魔法使い候補の保護だよ。いつも通り、検査自体はISIA職員がやるから私たちは魔法使いが見つかり次第警護開始。ISIAが順次お宅を回って家族と話すところまでやるから、人数によってはやっぱり一日で終わらないね。なにか質問は?」

 

「魔導師密売組織の情報はなにかあるかい?」ブリジットの問い。

 

「ISIAの情報部から水面下で動きがあるような話は出てるね」

 

「ま、当然だろうね。彼らにとってもいまが書き入れ時だ」

 

 魔導師密売組織とは、その名の通り魔法使いを攫って市場に流す闇組織だ。ISIAが各国への魔法人材を統括しているが、当然これに反発する国も出てくる。自国で生まれた魔法使いは自国で雇用するのが当然の権利だというのが各国の理屈である。だが、アルザス条約で決められている以上、批准している国はこれを守らなければならない。

 

 そこで出てくるのが魔法使いの闇市場だ。魔導師密売組織は、各国から攫ってきた魔法使いを高値で売りさばいているのだ。国や企業はこうした市場から裏で魔法使いを買っている。現代社会の闇のひとつだ。

 

 だからこそ、ISIAに所属していない魔法使いは警護しなければならない。これを担当するのがASU警備部警護課だ。仮に警護しなければ、魔法使いは存在がバレた途端に攫われる。なりたての魔法使いや無自覚の魔法使いは、自衛などできないから恰好の的なのだ。

 

「《カルテット・ナイト》とかはどうです? あとは《ベルベット》とかは?」オットーの疑問。

 

「話には上がってないね。前者は魔法使い候補を狙う話も聞いてないし、後者は本部管轄だから大丈夫でしょ」

 

 そもそも《カルテット・ナイト》はASUでも名前くらいしか分かってないからなあ、とアイシアがぼやく。

 

「更科那美が発見されたらどうするんです?」ラファエルが重たい問いを投げる。

 

 アイシアがため息した。

 

「両方対処しろというのがASU本部のお達しだから、班を分散するしかないね。状況に応じて臨機応変に分けるつもりだけど、基本は私と弓鶴の二人、ブリジット、オットー、エルの三人、この分担で行くよ」

 

「その分け方だと我が前衛になるのだが……」ブリジットが嫌そうな顔をする。

 

「第八階梯の元型魔導師が何言ってるの。前衛くらいできるでしょ」

 

「できるけど、ほら……面倒――」

 

「その続きを口にするなら、焦げてみる?」

 

 アイシアの指先で空気が破裂した。電流を生み出したのだ。ブリジットの顔が真っ青になる。

 

「分かった、やる。やるからその魔法を引っ込めてくれ! 叔母の恐怖が蘇る!」

 

「うん、いい子だね」

 

 アイシアが微笑んで魔法を消した。ブリジットがほっと息をついた。

 

 元型魔法はその性質上、電撃が苦手だ。疑似生命体を介して電気の感覚が伝わるため、視覚と聴覚だけにしていても奇妙な感覚に襲われるらしい。精神的なパスを電子が流れているというのが有力な説だが、いまだに理由は分かっていない。高位の魔導師であれば問題ないが、それでもブリジットにとってはトラウマものらしい。実は昔、悪さをするたびに叔母から元型魔法で電気を大量に流されたことがあるようだ。その話を聞いたとき弓鶴は、魔法使いは悪戯をするのにも命がけなんだなと、かなりどうでもいい感想を抱いたことを覚えている。

 

「他に何か質問は? 特に弓鶴は警護が初めてじゃないけど魔法適正検査のは初めてでしょ? 不安点とかあったら言ってね」

 

「四年前ので流れは分かってる。俺みたいに逃げ出す奴がいてもブリジットが追跡してるんだろ?」

 

 ふふん、とブリジットが自慢げに笑う。

 

「あのときは我がちゃんと視ていたからね。感謝してくれよ」

 

「散々言ってきてまだ言うか……感謝が薄れるんだが」

 

 ブリジットはくつくつと喉の奥で笑っている。オットーもニヤニヤしていた。ラファエルはぼけーっとしているから、恐らくカルボナーラのことでも考えているのだろう。弓鶴が魔導師密売組織に誘拐されかけたときに助けたのはアイシア班なのだ。

 

 はいはい、とアイシアが手を叩く。

 

「じゃあ各々準備して。八時半には現地に着くようにするよ」

 

 弓鶴は自分の席に置いていた日本刀――同田貫を手に取る。ASUに採用された祝いとしてアイシアから贈られた珠玉の一振りだ。ASUは武器の携帯を許可されているが、外を出歩くときはかなり目立つ。一般人から怯えられたり警官に職質をされるのはざらなのだ。だから仕事以外では持ち歩けない。

 

 同田貫を眺めているとアイシアが横に立っていた。彼女は手を後ろに組んで弓鶴の手元を覗き込む。

 

「結局それずっと使ってるね。錬金魔導師なんだから新しく作ればいいのに」

 

「持ってるならわざわざ別のものを作る必要もないだろ」

 

 弓鶴の返答にアイシアが、確かに、と首を縦に振った。

 

「そうだね。私もお父さんからもらった拳銃をずっと使ってるから気持ちは分かるよ」

 

 アイシアは父親から譲り受けた拳銃であるチェコスロバキア製CZと、軍属時に使用していたというオーストリア製グロッグを使っていた。

 

 武器の話になったからか、ライフルバッグを持ったラファエルが近づいてくる。

 

「私は支給品です」

 

 ラファエルの狙撃銃はドイツ製のセミオートライフルH&K PSGだ。因果魔導師にとってライフル自体の命中精度や威力、飛距離などは魔法で向上させられるから最悪拳銃でも良い。因果魔導師の元祖狙撃手と呼ばれているアイシアの父は、実際狙撃銃ではなく拳銃で狙撃をしていたらしい。

 

 弓鶴たちの下へ、自信に裏打ちされた低い声が届く。

 

「魔法使いが武器を使うとは嘆かわしい。魔法使いなら己が魔法のみで戦わなくてはな」

 

 ブリジットだった。眉間に皺を作って難しい顔をしていた彼は、すぐに表情をにやつかせた。

 

「いまの我の科白、ちゃんとランベールに似てた?」

 

「うっとうしいくらいに似てた。二度とやるな」

 

 新しいネタが出来た、とブリジットが喜ぶ。こんなモノマネは誰も喜ばないだろう。

 

「アイシアさん。私は今日も防御担当ですか? そろそろ最高位魔導師をぎゃふんと言わせたいんですが」

 

 唐突にオットーも会話に参加してくる。アイシアが大体準備を終えているから、他のメンバーは特に準備が必要なくて結局暇なのだ。やはりアイシア班は彼女がいないと回らない残念魔導師の集まりだ。

 

「んー。それって更科那美と戦いたいってこと?」

 

「はい、辛酸を舐めさせられていますからね。私としても弓鶴に秘跡魔法の神髄を見せてやりたいのです」

 

 アイシアが困った顔をする。

 

「できれば防御を担当してほしいかなあ。全員で攻撃に掛かるとか完全に逃げ場がなくて追い詰められてるときくらいだから、オットーが攻撃に加わるのは最悪の場合だけだよ」

 

「なら追い詰められましょう!」

 

 やはりオットーは馬鹿だ。弓鶴にいい顔をしたいという理由だけでピンチになりたいらしい。アイシアがこれ見よがしにため息した。

 

「それは嫌だから素直に防御を担当してて。あと黙ってて」

 

「扱いが酷い! 待遇の改善を希望します!」

 

「面倒だから黙って。お願いだから」

 

「……はい」

 

 アイシアのきつめの命令によってオットーが黙る。

 

「そろそろ準備はできた? できてるよね? じゃあ行こうか」

 

 笑顔で威圧感を放つアイシアが全員を見る。いつも私にばかり準備させているのはどうしてかな? という副音声が聞こえた気がしたが、弓鶴は気が付かなかったことにした。

 

 書類の入ったショルダーバッグを肩にかけたアイシアがオフィスを出る。弓鶴たちはその後に続いた。

 

 

 

 南鳩ヶ谷高校の体育館には仕切りがいくつも立てられ、簡易的な個室が五つできていた。ISIAの職員がここで二年生全員の魔法検査を一日かけて行うのだ。それぞれに振り分けられた生徒たちが行列を作って自分の番をいまかいまかと待っていた。生徒たちの表情には期待と不安があった。自分のときもそんな感じだったな、と体育館の入口に立っていた弓鶴は思った。

 

 ASUの制服を着ているからか、ちらちらとこちらに目をやる生徒もたくさんいた。近しい者とこそこそ話をしているものもいる。物珍しいのだろう。

 

「こちらアイシア、控室は問題なし」

 

 弓鶴の肩に止まっていたブリジットの妖精からアイシアの声が聞こえた。定期報告だ。

 

「こちら弓鶴。体育館内部は問題なし」

 

「こちらラファエル。校舎屋上からは特に敵影見えず」

 

「こちらオットー。学校入口は問題なし。結界内にも学校関係者しかいませんね」

 

「こちらブリジット。妖精を出し過ぎて疲れた。交代を求む」

 

「いいから報告して。電撃食らわせるよ」アイシアの厳しい声が飛ぶ。

 

「……全体的に問題なし。引き続き頑張る」ブリジットの声は怯えていた。

 

 ブリジットのやる気のなさはいつも通りで、特に問題はなさそうだった。ISIA職員も順調に生徒たちを捌いている。やんちゃな生徒たちは教師たちが対応しているし、このまま平穏に終わればいいと願った。

 

 更に時間が過ぎ、定期に報告もすべて問題なし。行列の長さも減ってきており、昼食時になるまでには終わりそうだった。

 

 既に魔法適正検査で陽性になった魔法使い候補者は控室へ行き、アイシアが直接護衛している。

 

その中には男子生徒もいたから、今ごろ熱い視線を向けられて困っているだろう。当時の担当は体育館内部だったと記憶しているが、そのときも男子生徒たちの視線の的だったのだ。もっとも、いまの弓鶴なら男子生徒どもに、そいつだけはやめておいた方がいいと忠告できるのだが。

 

 そのとき、端末が鳴った。ASUの一斉緊急指令だ。すぐに取り出すと音声が直接耳に叩きこまれる。

 

「更科那美が東京国際展示場を占拠した。担当ASU職員は即時現場に向かうべし。繰り返す。更科那美が東京国際展示場を占拠した。担当ASU職員は即時現場に向かうべし」

 

 総毛だった。

 

 すぐにアイシアの鋭い声が届く。

 

「弓鶴! 私と現場へ急行! ブリジット、エル、オットーはここで対応! エルは《時間観測》を併用開始! オットーは体育館内部へ向かって引き続き警戒をお願い! ブリジット、控室に回って直接警護を! あと私たちにつけた妖精はそのままにして!」

 

 全員が了解と返事を返す。

 

「行くよ弓鶴!」

 

「了解だ!」

 

 同田貫の感触を確認しつつ弓鶴は体育館を出てAWSを起動した。既に今日中のAWS起動と魔法使用許可はISIA本部から許諾されている。

 

 AWSが波動を捕まえて一気に上昇。眼下に南鳩ヶ谷高校が見えた頃に、アイシアが追い付いてきた。

 

「緊急事態だよ。最大速度で東京国際展示場まで行くよ!」

 

「了解!」

 

 空中を蹴って一直線に東京国際展示場のある方角へ飛翔する。

 

 条件反射で返事はできたが、弓鶴の頭は混乱していた。ASU本部は更科那美が国際展示場を占拠したと言っていた。一体なぜか。あの子は一体なにを考えているのか。顧客リストに載る児童買春犯罪者裁きと今回の件はどう関係するのか。

 

 疑問は尽きることがないが、無駄な思考を回していては死ぬ。頭を切り替えて現場に最速で向かうことだけを考える。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ASUから弓鶴たちに連絡が入る時刻から少しばかり遡った頃、更科那美は成長した美女の姿で東京国際展示場内を歩いていた。当然隣には青年姿となった鎧もいた。国際展示場では一般開放されている国際Sot展が催されており、スーツ姿の人や見物客で溢れかえっていた。

 

 二人は人込みの波間を縫って会場へ向かう。特にどこの棟で実施するか決めていなかったが、広いところが良いと那美は思っていた。出来ればマスコミもたくさん呼びたかったから事前に予告をしようと思っていたが、それは鎧に止められた。結局、宣言するのは実際に占拠してからにすることになった。

 

 警察による警備網を当然のように抜けて西棟に入った。会場では多様なSot機器が並べられており、各企業が見学者に熱心に内容を売り込んでいた。那美の視線の先には、AWSで世界シェアナンバー一であるスワロー社が最新作のセラフィムモデルが展示されていた。熾天使をモデルにした燃えるようでいて天使らしい繊細なフォルムをしたAWSに彼女は思わず夢中になるが、鎧にたしなめられ先を進んだ。

 

 会場の中央まで進んだところで、二人は足を止めた。ふたりとも変身を解き、百を超える妖精を解き放った。

 

「みなさんこんにちは。更科那美です」

 

 那美の声を拾った妖精がスピーカーとなって会場に声を響かせる。会場にいる一般人の視線が付近を飛んでいる妖精に注がれた。遅れて驚愕の声が上がった。

 

「はい、もうご存じかと思いますが、いま話題の更科那美です。みなさんは人質になってもらいます。だから、ちゃんと静かにして下さいね?」

 

 鎧が刀を抜いて床に滑らせ火花を散らす。元型魔法で捕らえられた火花が巨大な炎に成長し、全長十メートルの火の鳥となって会場の宙で羽ばたいた。人質を焦がさないために熱波は魔法で火の鳥に周囲に留めておくことを忘れなかった。

 

 人質となった者たちは突然魔法が発生したことに驚き、そして自分たちの身が危ういことに気づいた。

 

 会場内を恐慌が支配した。

 

 悲鳴を上げるもの、その場で立ち尽くすもの、逃げようとするものといったように、多様な行動を取った。それを那美と鎧が強制的に止める。

 

「はい、言うことを聞かない人は窒息させるよ」

 

 会場内を翡翠の光が覆った。元型魔法で会場を完全密封状態にしたのだ。そして妖精が大気を取り込みながらその身を大きくする。会場内の酸素濃度が急激に下がり、人質たちがその場に立ち止まって口をパクパクしながら崩れ落ちる。

 

「ちゃんと聞いてね? 次は残念だけど邪魔だから殺すよ。いまから魔法を解くけど静かにしてね?」

 

 全員の表情には恐怖が張り付いていた。那美が妖精の巨大化を解き、酸素濃度が戻る。全員が空気を貪った。

 

 再度声。

 

「ちゃんと言うこと聞いてくれたらみんなは無事に外に出られるから、少しの間だけ辛抱していてね。あ、逃げなければ端末とかは自由に使ってくれて構わないから、暇な人は適当に過ごしててね。でも騒いじゃ駄目だよ?」

 

 さて、と那美が一度話を区切った。鎧の左手には端末が握られていた。既に映像が動画投稿サイトにリアルタイムでアップロードされているのだ。SNSで拡散されたのか、視聴者数は十万人を超えていた。動画上にはコメントが溢れかえっている。

 

「そろそろ警察やASUのみなさんも気づいた頃かな? それともまだかな? こっちは気長にやるつもりだから、気づいたらちゃんと教えてね。

 

 では一度目の宣言をします。

 

 顧客リストに載っているみなさん。そろそろひとりひとり殺しにいくのが面倒になったので、東京国際展示場まで来てください。時間は……そうだね、二時間以内に設定しようかな。来ない場合はネットに顧客リストをアップするから、早く来た方がいいと思うよ。

 

 それから警察とASUのみなさん。ご覧の通り西棟の会場の人は人質になってるから、邪魔したら殺すよ。あと、顧客リスト全員が来たら人質はちゃんと解放するから安心してね。来なかった場合は残念だけどやっぱり殺すから。あ、交渉とかはASUの人としたいから、警察の人は西棟に入ってきたら駄目だよ。魔法で監視してるからすぐわかるからね。

 

 マスコミのみなさんはこの動画をバンバン報道してね。ちゃんと場所と時間も顧客リスト対象者に教えてあげて呼びかけてね。

 

 それじゃあ児童買春犯のみなさん、待ってるからちゃんと来てね?」

 

 

 

 



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第三章:善悪の天秤 2

 現場は警官やマスコミ、そして野次馬が集まって酷い喧騒が散らばっていた。空ではマスコミのヘリコプターまで飛んでいる始末だ。各種報道機関が集まっていて、この事件は完全生中継で日本だけでなく全世界に放映されている。

 

 宣言からしばらくして辿り着いた弓鶴たちは、警察が緊急配備されている付近へ走り寄った。野次馬とマスコミをかき分けて第二次警備線まで辿りつくと、警官へ声を張り上げる。

 

「ASUの八代弓鶴とアイシア・ラロだ! 本部からの要請で来た! 通るぞ!」

 

 両手を広げて人込みを押さえている警官が弓鶴の姿を見て目礼して答える。

 

「東棟に対策本部が設置されています! ASUの方はそちらへ!」

 

「助かる!」

 

 マスコミにカメラを向けられるが無視して進む。エントランスを抜けて東棟に入る。東第一ホールには警官が言っていた通り対策本部の設置が急がれていた。警官やASU魔導師が入り乱れている。

 

「弓鶴君にアイシア君か。来てくれたのか」

 

 埼玉県警の稲垣がこちらに気づいて声を掛けてきた。無念そうな表情を顔面に貼り付けて近づいてくる。

 

「話ができる魔法使いが来てくれて助かる。いまいる奴らでは連携が取れない」

 

 稲垣が声を潜めて言った。弓鶴は苦い思いがした。その背後ではASU魔導師と口論する警官の声が聞こえたからだ。

 

「本件はASU主導で進めさせていただく。警察は警備線だけ張っていてくれればいい」

 

「人質がいるんだぞ? 国際機関だかなんだか知らないが日本の東京で起きている事件だ! 警察主導で対応させていただく!」

 

「魔法の使えぬ一般人が吠えるな。最高位魔導師相手では貴様らなど羽虫以下の存在でしかない」

 

「二度も取り逃しておいて粋がるなよ魔導師が!」

 

 こんなやり取りがずっと続いているのだと、稲垣が疲労の宿るため息を漏らす。仕方ないがASU代表として弓鶴が答える。

 

「魔法使いは一般人を見下しています。元々魔法で一般人六十四億人を殺して世界を牛耳ろうとしていた連中です。土壇場になれば連携が取れなくなるのは当然でしょう」

 

「君らは違うと期待して良いかね?」

 

「少なくとも警護課のアイシア班は大丈夫かと」

 

 そこで弓鶴はアイシアを見る。彼女は小さく頷いて答える。

 

「変人ばかりですが一般人を見下すクズはいません。そして腕も保証します」

 

「一度失敗したことはどう説明する?」

 

「敵戦力を甘く見積もっていました。今回は魔法適正検査と並行しているのでこちらの戦力は下がりましたが、対策は講じられます。刑事課を使う必要がありますが、手数を増やしたいだけなので連携は期待していません。なので問題ありません」

 

 アイシアの意思が宿った瞳を稲垣が真剣な顔で見つめる。やがて、彼はゆっくりと首を縦に振った。

 

「分かった、期待しよう」

 

「ありがとうございます」

 

 稲垣が一度考え込んで問いを投げる。

 

「実際警察側で対処できる相手か?」

 

「無理です」アイシアが即答した。「相手は第九階梯魔導師です。自衛隊が出動しなければ話にならないレベルです」

 

 稲垣が絶句する。当然だ。一般人にとって、個人単体が自衛隊を呼び出さなければ止められないというのは冗談にしか聞こえないだろう。

 

「それは比喩ではなくか?」

 

「実際に武器の話をしましょう。拳銃はもちろんスナイパーライフル、サブマシンガンも第九階梯の元型魔導師には通じません。まず確実に防御結界で防がれます。閃光弾や催涙弾、音響兵器等の非殺傷武器も無駄です」

 

「機動隊でも駄目か……?」

 

「第九階梯魔導師はひとりで小国の軍隊程度なら落とせます。機動隊では確実に全滅します」

 

 アイシアが語る絶望の説明に稲垣が納得の顔をした。

 

「火力が足りないということか」

 

 アイシアが首肯する。

 

「そうです。防御結界を突破し、かつ元型魔法で捕まえられない火力のある攻撃を行うことが更科那美を止める最低条件です」

 

「その方法が君たちにはあると?」

 

「私と弓鶴の両名にあります。初見ならまず間違いなく障壁を突破し、元型魔法によって支配されることはないでしょう」

 

 アイシアは直接的な表現をしなかった。“あの魔法”を使うということは、更科那美を殺すということだ。少なくとも、アイシアの魔法が当たれば確実にあの子は死ぬ。弓鶴の魔法であっても致命傷は確実だ。生け捕りはほぼ不可能。

 

 もはや更科那美はそんな怪物になってしまったのだ。

 

 稲垣の顔はいまや苦渋の色が濃くなっていた。

 

「……管理官へ話すこととしよう。案内する」

 

 稲垣に従って部屋を進んでいくと、最奥部の席に髪を短く刈り上げた四十代の男性が座っていた。瞑想するようにじっと目を閉じ、思考を回しているように見えた。彼がこの捜査本部を指揮する管理官なのだろう。

 

「重倉(しげくら)管理官。こちらASU警護課のアイシア・ラロさんと八代弓鶴さんです」

 

 重倉管理官が目を開いて弓鶴たちを見る。

 

「警察庁の重倉智久(しげくらともひさ)だ。君らは話ができる魔法使いか?」

 

 どうやら警察庁でも魔法使いとは話ができないことが普通らしい。頭が痛くなるような認識だが、それが間違っていないのだから困る。

 

 アイシアが一歩前に出た。

 

「少なくとも、そこにいる連中よりも話ができると自負しております」

 

 重倉管理官が稲垣を見る。稲垣が訴えかけるように頷いた。

 

「よし、結構。ASUの見解を教えてくれ」

 

「時間もないのではっきり申し上げます。現状警察組織では更科那美を止める術がありません。交渉の窓口もない以上、ASUが対応するしかないのが事実です」

 

「機動隊にSATは役に立たないと?」

 

「稲垣さんにも話しましたが、使用する武器はすべて魔法防御で防がれます。また、下手に攻撃すれば全滅するでしょう。相手は魔法使いの中でも最高位の魔導師です。相手をするには自衛隊か高位魔導師しか選択肢がありません」

 

「それはASUの見解ととらえて構わないか」

 

「構いません」

 

 ぎょっとした。アイシアは堂々とASUの言葉として捜査本部の責任者に言い放ったのだ。なにかあれば確実に責任問題になる。だが、彼女は涼しい顔をしていた。

 

「我々には更科那美の魔法防御を突破できる強力な魔法があります。刑事課と対応にあたる必要がありますが、手数が必要なだけで連中との連携は不要です。つまり、我々が警察と連携して強制的に主導権を握ります」

 

 重倉管理官の瞳には疑念。

 

「まだ若い君がか?」

 

「魔法使いは完全な実力主義です。上役になるほど性格が捻じ曲がっているのが現状です。特に刑事課は一般人を見下していますから、警察には御しきれません。そして私はこれでも軍属経験があります。ご期待に添えるかと」

 

「ひとまず更科那美の具体的な戦力を教えてくれ」

 

「元型魔法についてご存じですか?」

 

「資料で目を通している。理解はしているつもりだ」

 

「分かりました。では想定戦力をお話しします。更科那美の防御結界は元型魔法で作られた疑似生命体です。原理は大気に精神を吹き込んで半球状に覆って物理的な壁としています。これは警察組織が採用している武器では貫けません」

 

「第九階梯とやらはそれほどの防御力を誇るか……」

 

「はい。次に攻撃ですが。種類は多岐に渡ります。鎧操作はもちろんのこと、火花から巨大な炎の鳥を生み出し使役、大気の流れを疑似生命化しての竜巻、疑似生命体を大量に発生させ酸素を奪っての窒息攻撃が実際に使用された魔法です。また、あらゆる存在が操作対象になるので、生半可な量の攻撃では確実に魔法で支配されて逆に利用されます。これがたった一種類の魔法で行われます」

 

「まだあるのか?」

 

「人の精神を操る魔法、精神を衝撃波にする魔法もあります。衝撃破の威力は、最高位ならこの建物くらいなら全壊させるでしょう」

 

 重倉管理官の表情が強張る。警察にも最高位魔導師の情報は入っていたはずだが、実際に魔法使いの口から訊いたことでより現実味が増したのだろう。

 

「魔法を使用した遠距離からの攻撃による無力化は可能か?」

 

「不可能です。彼女が放っている翡翠色の妖精は、五感を本人と共有しています。魔法的監視網が構築されている現在、確実に察知されるでしょう」

 

「非殺傷兵器によっての攪乱も無意味か?」

 

「無駄です。すぐに対処されます」

 

「十一歳の少女だぞ? いままで一般人だった子どもがそんな対処もできるのか?」

 

「彼女は魔法に愛された天才です。そういう存在は、魔法を使うたびに驚異的に成長していきます。我々が手足を自在に操るように、彼女は魔法を扱います。いまでは呼吸するほど自然に魔法を使用しているはずです。そういう魔法使いは無意識に自動展開型防御魔法を仕込んでいる場合があるので、本人が混乱しようが魔法で対処してきます。相手を子どもと見て侮ってはいけません。最高位の魔導師が敵となった場合、一個の軍隊を相手にする認識をして下さい」

 

「なるほど、我々警察側の意識も甘かったわけか……」

 

 息を吐き出した重倉管理官が両手を組んでその上に顎を乗せた。彼は警察庁の官僚だ、当然頭は回る。アイシアの説明でどれほど危険な相手か改めて認識しなおしたのだろう。

 

「その強力な魔法使いを相手にしてもなお私の前に立っているということは、君らには対処できるということだな?」

 

「対応できます」

 

「訊こう」

 

「まず人質がいない前提で話します。基本は魔法を連打で叩きこむことで相手の魔法掌握能力の飽和を目指します。また、元型魔法は全十二体系ある魔法の中でも防御が苦手な魔法体系のひとつです。強力な魔法で叩けばそれだけ相手は防御に力を割かなければなりません。その間に詰めて元型魔法では防御不可能な攻撃を叩き込みます」

 

「手数が必要といったのはそういうことか。なら、防御を突破する手段は君らにあるのか?」

 

「我々ふたりにはあります。最高位の元型魔導師でも初見ならば虚をつき防御結界を突破できます。魔法で掌握されることもありません」

 

 ここまで情報を提供すれば、警察側も難点が分かるはずだ。

 

「では問題は人質の救出と更科那美との交渉ということだな。救出は可能か?」

 

「いいえ、我々ではその対応ができません」

 

「更科那美の注意を一時的に逸らすことは可能か?」

 

「外部から一撃を叩き込み建物に穴を開け、そこから飽和攻撃をすることは刑事課側で可能でしょう。直前に人質側に結界を張れば被害は免れます」

 

「警察はそこに救出へ向かえば良いと?」

 

「はい、その間は更科那美も戦闘で手一杯になるはずです」

 

「結界は君らができるのかね?」

 

「いいえ、我々ではできませんが、遠隔でできる者がいます。ブリジット、いまの話聞いてたよね?」

 

 突如アイシアのローブの内に隠れていた翡翠色の妖精が飛び出す。

 

「もちろんだ。我に仕事を振り過ぎだが、緊急事態だし仕方ない。なんとか対応する」

 

 アイシアが満足そうに微笑む。

 

「重倉管理官。この妖精は我々の仲間であるブリジット・マクローリンが放っている元型魔法による妖精です。ブリジットはこの妖精を通して魔法を使うことができますので、彼に防御結界を担当してもらいます」

 

 妖精がくるりと宙を舞って重倉管理官の前で静止する。

 

「初めまして重倉管理官。ASU警備部警護課のブリジット・マクローリンだ。現在魔法適正検査対応中なので遠隔にて失礼する。我はこれでも第八階梯の魔法使いだからね、ちゃんと対応させてもらうよ」

 

 警察官僚相手でもブリジットは敬語ひとつ使おうとしないが、当の重倉は嫌な顔ひとつせず、まともに話せる魔法使いが増えたことを喜んでいる様子だった。

 

「助かる。私は重倉智久だ。ブリジット君、協力頼む」

 

「了解だ。刑事課の連中が迷惑を掛けているだろうからね。精一杯働かせてもらうよ」

 

 重倉がアイシアへ視線を戻す。

 

「では最後の問題点は交渉だ。更科那美は警察との交渉はせずASUと交渉すると言っている。だが刑事課の連中はあの有様だ。前に立たせたら即座に戦闘しかねない。可能であれば君らに任せたいが可能か?」

 

「なんとかやってみます、という回答しかできませんが、よろしいですか?」

 

「君は話ができる魔法使いだ。あの連中より百倍はマシだろう」

 

 くすくすとアイシアが笑う。来た当初こそ焦っていたようだが、説明をしている内に徐々に調子を取り戻していっているようだ。

 

「なら任されました。なるべく注意をひきつけましょう」

 

「やはり戦闘は回避不可能か?」

 

「魔法使いは基本的にわがままです。特に更科那美は天才肌ですので、いまは自信に溢れなんでもできると思っている節があります。確実に要求は通そうとするでしょう。つまり、交渉での人質交換は顧客リスト対象者をすべて引き渡すしかありません」

 

「それは無理だな。容疑者であろうと司法で裁かれるべきだ。殺されると分かっていて人質交換など出来るわけがない」

 

「では戦闘は避けられませんね」

 

「よろしい。では要点を纏めよう。まず更科那美との戦闘は回避不可能。君ら主導でASUが担当する。流れとしては、君らが交渉を実施。その隙をついてASU刑事課による遠距離からの攻撃で更科那美の注意をそちらへ向ける。同時に魔法結界で人質を守り、警察が救出へ向かう。その後の戦闘は完全にASUへ任せる。これで合っているかね?」

 

「相違ありません。あとは警察側で検討して頂く他ありません。こちらも刑事課とは最低限の連携はやはり必要になりそうなので、上から強制的に話を通します」

 

 重倉の目に興味の色が宿る。

 

「ほう、君は政治ができるか」

 

「上にコネがあるんですよ。強力なね」

 

 悪戯っぽくアイシアがウィンクした。重倉が呵々と笑う。

 

「よろしい、結構だ。警察側は私から話を通そう。ASU側は頼む」

 

「了解しました」

 

 そこで重倉たちと別れ、弓鶴たちは一度第一ホールから出て人の少ないエリアへ向かった。第七ホールに入ってアイシアが息を付いた。

 

「あー疲れた。官僚相手に説明するのは緊張するね」

 

「そうか? 余裕で話してただろ」

 

 んーん、とアイシアが首を振る、

 

「あれ、たぶん稲垣さんから事前に話が行ってたんだよ。いくらまともに会話ができるっていっても、警視正以上にもなると大抵最初は警戒されるからね。弓鶴のお陰だよ」

 

 アイシアに褒められるも身に覚えがなかった。

 

「なにもしてないんだが……」

 

 ふふ、とアイシアが口元を緩める。

 

「稲垣さん、弓鶴のこと気に入ってるみたいだよ。その流れで私のことも一応信用してくれてるんだろうね」

 

 そういえばと、以前アイシアが言っていたことを思い出す。人の立場に立つ警察と上手く連携するには、ASU側にも人と同じ価値観を持つ魔導師が必要だと。自分がそれを担っているかは分からないが、役に立てたのなら幸いだと弓鶴は思った。

 

 面映ゆい気分になって話を変える。

 

「それで、コネってのはなんなんだ? 刑事課の連中を動かすのは面倒だぞ」

 

 アイシアがにこりと微笑む。

 

「当然私のお父さん。弓鶴も知っての通りASU本部の精鋭部隊にいるんだよ。刑事課にも貸しがあるだろうから、今回はコネを使わせてもらうよ。こういうのは有効に使わないとね」

 

 アイシアの手には既に端末が握られており、通信が繋がっている様子だった。彼女が端末を操作して立体映像を表示させる。

 

 現れたのは、深紅のローブに身を包みオフィスにいる魔導師だ。実年齢は五十代だというのに二十代前半の若々しい姿を保った男性で、髪色は彼女のメッシュ色の元でもあるブラウンだった。目つきは鋭く銃弾のような眼光をしているが、纏う空気は穏やかだ。第九階梯魔導師らしくその存在感はどこか幻のようで、異世界を衣にして羽織っている妙な印象を覚える。これが真の超高位魔導師の威容だ。

 

 アイシアの父、ラファラン・ラロは、アイシアを見て渋い顔をしていた。

 

「ということでお父さん、関東支部の刑事課に頼んでもらえる?」

 

「……アイシア、俺をそういうことに使うな。まあ、今回は緊急みたいだからいいが」

 

「そう言わないでよ。今回は結構苦労してるんだから」

 

「仕方ないな。弓鶴もうちの娘が悪いな。誰に似たんだか分からないが腹黒いだろ?」

 

 弓鶴は苦笑する。ラファランとはISIA本部で教育を受けていた時代に何度も話をしたことがあるのだ。

 

「まあ、それなりに被害にはあってますよ」

 

「ホント悪いな。また時間が合えば《第七天国》で訓練でもしよう。そのときはアリーシャも呼ぶか」

 

 アリーシャとはアイシアの母親のことだ。ラロ家の夫婦はとても仲が良く、その様子を弓鶴は何度も見たことがあった。

 

 アイシアがしょっぱい顔をする。

 

「それ私も参加したい……」

 

「来ればいいだろうが。あと、お前はさっさと第九階梯になってこっちに来い。そしたら弓鶴も引っ張ってくればいい。第八階梯にはなっていてもらいたいが、あとは俺がどうにかしてねじ込む。お前の班は変な意味で曲者ぞろいで弓鶴が心配なんだよ。シャーロットの甥っ子ブリジットもいるだろ。あいつ相当捻くれてるしな」

 

 さすがの言い方にアイシアが憤慨した。

 

「ひどい! ブリジットはどうでもいいけど、私を曲者扱いしないでよ。今度会ったとき銃弾ぶち込むよ!」

 

 一応我も聞いてるんだけどなあ、と妖精を介してブリジットが小さくぼやいた。弓鶴は無視する。

 

 ラファランが頭を抱える。

 

「そういうところを直せって言ってるんだよ。なんで人に向けて銃ぶっ放そうとしてんだ。お前は少し魔法に浸り過ぎだ。人の価値観を学べよ。普通は人に撃ったら死ぬんだよ。あと部下をどうでもいいとか言うなよ。まったく、昔も気づいたら軍隊に入りやがって、あれは焦ったぞ?」

 

 急所を突かれたアイシアがあはは、と乾いた笑いをこぼした。

 

「あれは、ほら……。お父さんに憧れて悪い魔法使いをやっつけようとね……」

 

「それでいきなり軍隊行くアホがいるか。書置きだけ残して失踪したから世界中探しまわったぞ。気づいたらフランスの外人部隊にいやがって……。ていうか普通いくら魔法使いだからって中学生の子の入隊に許可出すか? あいつらも頭おかしいだろ。お前も昔から無駄に行動力があるし俺とアリーシャの権威を無茶苦茶使うし、少しは控えろこのバカ娘。重犯罪魔導師対策室室長の肩書はパスポートじゃないぞ。ていうかその髪なおせ。なんだそのメッシュは。折角綺麗な銀糸なんだから勿体ないだろ。変なところで親子愛を見せるなよ。恥ずかしいだろ」

 

 叱責の言葉をラファランにまくし立てられて、アイシアは遂に両手を上げて降参の意を示した。

 

「はーいはいはいはい。もうお説教は勘弁してよ。一応部下の前なんだから」

 

「アホ。だから言ってるんだよ。人前で言わないとお前は直さないだろうが」

 

 そうは言っているが、実のところは対面で会うとラファランは娘を可愛がってしまうのだ。だからこうした通信では敢えて叱っているのだと、以前弓鶴は聞いたことがあった。

 

「ったく、こっちも《ベルベット》とか《レメゲトン》がらみの対応で忙しいんだ。話は通してやるから切るぞ」

 

「うん、忙しい中ありがとう。大好き」

 

 ラファランの頬が緩む。やはり娘には相当甘いようだ。

 

「まったく、ちゃんと無事に戻ってくるんだぞ。弓鶴も気を付けてな。それじゃあな」

 

 通信が切れる。弓鶴を見たアイシアがバツの悪そうな表情で曖昧に笑った。

 

「あはは、まあ、これで万事OKだね」

 

「アイシアがOKじゃないだろうが……」

 

 弓鶴はそう返すと、アイシアの笑いが乾いたものになる。ブリジットもなんだかんだいって良いものを視たと思ったのか、妖精がくるくると宙を舞っていた。

 

 アイシアの父が動くとしても、状況は苦境に立たされていると言っていい。相手は第九階梯の最高位魔導師だ。ひとつでもミスをすれば、いや、しなくとも、弓鶴の命など軽く消し飛ぶ戦場となる。そして、更科那美の命を奪わなければならない。

 

 状況に身を任せ考えてこなかったが、やはり子どもを殺すのにはいまも躊躇が残っている。

 

 あの子は、環境さえ違えば弓鶴と共にASUで戦っていたかもしれない存在なのだ。善悪など二十一の若造には語れないし決めることもできない。一般論ならまだしも、そこに魔法が加わるだけで世論や組織、国際機関すら急に過激になるからだ。

 

 つまり、事態がどう転ぼうが更科那美は抹殺される。生き残るには追っ手をすべて殺すしかない。それはあまりにも血塗られた業の深い道だ。そんな場所に十一歳の子を放り込んだ現実には腹が立つ。神はいないのかと秘跡魔導師に怒鳴りたくなるほどだ。

 

 だから、せめて心の内だけでもと、更科那美の未来に想いを馳せるのは間違っているのだろうか。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 埼玉県にある廃墟となった倉庫街の一角。魔法による薄い明かりが照らす倉庫内に彼らはいた。数は二十名程度か、全員が黒ずくめの恰好をしており、頭には目元と口回りだけに穴が開いた黒いマスクを被っていた。

 

 その中のひとりが、なにやら端末を操作して情報を待っているようだった。それ以外の全員がその男の指示をじっと待っていた。

 

 男が端末から目線を上げて仲間を見た。

 

「そろそろ頃合いだ。ASUの戦力が国際展示場に割かれた。計画通り推移している」

 

 黒ずくめの男立ちがにわかに活気に溢れた。互いを見合い、計画が問題なく進んでいることにほっとした様子と、これからの行動への緊張が綯交ぜになった空気を滲みだしていた。

 

 彼らは社会の裏で暗躍する魔導師密売組織の魔導師調達班だ。毎年この時期になると、ASUや警察組織と熾烈な魔導師争奪戦が繰り広げているのだ。昨今は治安維持組織側が対策を講じてきているため、供給側が追い付いていなかった。

 

 彼らは焦っていた。彼らの中には犯罪魔導師も多い。一度道を踏み外した魔法使いの末路は死だ。魔法使いの現実は、一般人が思い描く夢の魔法使いとは全然違う過激で厳しい世界だ。使えなければ容赦なく切られ、しかし魔法から逃れることも出来ずに腐っていくしかない。そうなればまともに働くこともできず犯罪に走るしかなくなる。犯罪魔導師になればASUによって殺される。

 

 犯罪魔導師にとってこの世は地獄だ。

 

 だから、食い扶持である魔導師密売組織は彼らにとっての生命線だ。たとえそれが同じ魔法使いであろうとも、自らを生かすためであれば他者は容赦なく切り捨てる。魔法使いはかくもわがままで思考が苛烈だ。

 

「今回は《ベルベット》肝入りの作戦だ。失敗は許されない」

 

 男の言葉に全員がじっと聞き入る。

 

「我々は魔法使いだ。だが、魔法使いにとってこの世界は弱肉強食だ。ならば弱いものから食われるのは仕方がないことだ。我々は強者ではない。しかし、それでも我々は食われる側ではなく食う側に回る。では行くぞ。ひとりでも多くの魔法使いを捕まえろ!」

 

「応!」

 

 そして、黒の犯罪集団が倉庫街から解き放たれる。

 

 

 

 



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第三章:善悪の天秤 3

 弓鶴とアイシアは、ブリジットの妖精と共に東棟へと向かっていた。刑事課に警護課、そして警察は既に配置に付いていた。

 

 ラファランの説得という名の圧力により、刑事課は思いのほか簡単にアイシアの指示に従うことになった。やはりASUでの最高位魔導師の権威は強い。ただし、全員が苦虫を噛み潰して更にくさやでも口に放り込んだような顔をしていたが……。第七階梯のアイシアの言うことを訊くのが相当に屈辱なのだろう。

 

 アイシア班以外の警護課は刑事課と共に第二射以降の魔法射撃を行うことが決定していた。

 

 警察側でも話はまとまったようで、アイシアの作戦で行く方針になっていた。まさかここまでの大事件に発展し、あまつさえ最終的には事態の中心に立つことになるとは弓鶴は思いもよらなかった。

 

 弓鶴たちの仕事は更科那美との交渉と、並行して行われる刑事課からの攻撃の防御、そしてその後の戦闘だ。全体を通して一番仕事が多く責任が重い重要な役回りだ。

 

 だが、一番の問題は交渉云々よりも更科那美との戦闘だ。心理的な面はどうとでもなるにせよ、最高位魔導師と直接やり合うのはさすがに緊張した。彼らは指先ひとつ動かさず視界内の敵を秒で殺せる正真正銘の怪物だ。第六階梯の弓鶴では正直力不足だ。

 

「弓鶴」

 

 隣を歩くアイシアに名を呼ばれた。

 

「なんだ?」

 

「緊張でもしてるの?」

 

 直接心の底を見られたようで弓鶴は内心で狼狽するが、なんとか表情に出さないようにした。

 

「まあ、相手が最高位魔導師だからな。足を引っ張らないか心配なんだよ」

 

 くすりとアイシアが微笑む。それは、見る者を安心させる睡蓮の笑みだった。

 

「大丈夫。忘れたの? キミは私が選んだ私のパートナーだよ? そもそも実力不足なら連れてきてないよ。安心して。キミはちゃんと強いよ」

 

 身体の芯に染みわたる言葉だった。アイシアが言うならすべてが問題ないと思えるようだ。これが実戦経験の差かと弓鶴は感じた。

 

「分かった。やるだけやってみるさ。折角最高位魔導師が相手になってくれるんだ。精々最後まであがくさ」

 

「うん、がんばろう」

 

 これは人質二百人超と顧客リストに載る推定犯罪者の命を賭けた大勝負だ。だが、それを考えれば一般感覚がまだ残っている弓鶴の身体は固まる。二十一歳の若造が負うにはあまりにもひどい重圧だ。だから彼はそれを忘れることにした。やることだけに集中して他の一切を思考から排除する。刀と魔法の冴え、そして仲間との連携にすべてを注ぐ。

 

 エントランスホールを抜けて西棟の入口に辿り着く。元型魔法によって張られた結界の前には、更科那美の妖精が浮かんでいた。

 

「あ、ASUのお姉さんとお兄さんだ! また会えたね!」

 

 妖精から光が溢れて立体映像を作り出す。更科那美と鎧の姿が現れた。元型魔法で作られた疑似生命体を介して通信映像を繋いでいるのだ。超高位魔導師は己が魔法のみで簡単に現代科学に迫る。

 

「こんにちは、那美ちゃん。今回は話に来たよ。ちゃんと会って話したいから、中に入ってもいい?」

 

 アイシアの科白に那美が喜んで頷く。まるで大好きな姉に接する妹のようだ。

 

「うんうん、入って入って! 誰も来なくてずっと退屈だったんだよ!」

 

 結界が解かれる。弓鶴とアイシアは中へ進んでいく。この時点で警察は入口付近に待機することになる。

 

 西棟展示場には最新鋭のSot機器が展示されていた。会場の隅には人質たちが集まっていた。誰も彼もが不安そうな顔をして怯えていた。

 

「ようこそ、ASUのお姉さんにお兄さん」

 

 更科那美本人が鎧を引き連れてやってくる。二十メートル程度離れた位置で立ち止まった。傍までこちら側に来ようとする彼女を鎧が引き留めたのだ。ふと、違和感が弓鶴を襲った。すぐに頭から消し去る。無駄な思考はすべきではない。

 

「うん、久しぶりだね。元気してた?」

 

 アイシアが微笑を湛えて挨拶を返す。那美が嬉しそうに頷いた。

 

「元気だよ! 魔法が使えるとこんなにも世界が変わるんだね。便利過ぎて驚いちゃったよ」

 

「魔法は色々できるからね。実際魔法使いになった人はびっくりすることが多いみたいだよ」

 

 そうなんだ、と那美は心底感心したのか目を丸くすると、ふと思いついたようにポンと胸の前で手を叩いた。

 

「そうそう、お姉さんとお兄さんの名前を教えて」

 

「私はアイシア。アイシア・ラロだよ」アイシアが名乗る。

 

「俺は八代弓鶴だ」アイシアにならって弓鶴も名を告げた。

 

 那美は噛みしめるようにうんうんと頷く。こうしてみるとただの十一歳の子どもそのものだ。

 

「アイシアお姉さんと弓鶴お兄さんだね。ちゃんと覚えたよ」

 

「ありがとう。ところで那美ちゃんは何してたの?」

 

「うん、やることがなくてずっと退屈してたの。端末でメディアニュースを見てもどれも同じ内容ばっかりだから」

 

 那美がぷくーっと頬を膨らませる。そのニュースとやらは確実に国際展示場立て籠り事件のことだろう。彼女は自分がやったことを理解していないのか、それとも理解していてなお退屈だと言えるだけ常識が狂ってしまったのか。

 

 魔法を覚えたての魔導師は万能感に酔いしれる。弓鶴とてそうだった。だが、ISIAの教育で魔法の恐ろしさと魔法使いの現実を徹底的に叩きこまれる。実際に魔法を使用した模擬戦で叩きのめされる。そこでどれだけ自分が自惚れていたかを思い知るのだ。

 

 那美はそうした経験が皆無だ。追っ手をことごとく追い払い、目的である殺人を容易にこなしている。魔法を得てからいままで、挫折を経験してこなかったのだ。そこに付け入ることができる可能性がある。

 

「ねえねえ、アイシアお姉さんたちに訊きたいことがあったの。いいかなあ?」

 

「いいよ、なんでも訊いて?」

 

「ありがとう! ASUって普段何してるの?」

 

 んー、とアイシアが考え込む。

 

「私たちの場合は魔法使い候補者を守ることが仕事かな。いまはほら、魔法適正検査をやる時期だから、実は忙しいんだよ?」

 

「そうなんだ! そんなときに来てくれてありがとう!」

 

 どういたしまして、とアイシアは微笑んだ。

 

 異常だと弓鶴は思った。

 

 こんなことをしでかしておいてどうしてここまで平然としていられるのか。魔法に愛された天才はこうまで精神構造が変わってしまうのかと思うと空恐ろしくなるくらいだ。

 

 弓鶴、とブリジットに小さく呼ばれた。

 

「警戒される。動揺を出すな」

 

 すまん、と弓鶴は仕草だけでブリジットに謝る。

 

 那美がアイシアへと更に質問をぶつける。訊きたいことがたくさんあるようだ。

 

「ねえアイシアお姉さんはどんな魔法を使うの? 魔法っていっぱいあるんだよね」

 

「うん、全部で十二体系あるよ。私は精霊魔法を使うんだけど聞いたことある?」

 

 嘘だ。アイシアは精霊魔法だけでなく因果魔法も扱う、ASUでも珍しい二重の魔法体系を操る魔導師だ。既に戦闘は始まっている。いまこの戦場は情報戦が繰り広げられているのだ。

 

「聞いたことない! どんな魔法?」

 

「風とか土とか出せるんだよ。ゲームみたいでしょ?」

 

「すごい! 私の魔法でも操れるけど、操作元がないと使えないみたいなんだ。やっぱり自分で出せた方が便利だよね」

 

「元型魔法も便利だよ。疑似生命体で遠くの人とお話しできるから端末がいらないよね」

 

「うん、すっごく便利。やっぱり元型魔法もいいよね」

 

「すごく良い魔法だと思うよ。なにかできるようになったことは増えた?」

 

 さり気なくアイシアが探りを入れる。那美は真正直に答えた。

 

「うん、なんか見えない攻撃ができるようになったよ。精神波っていうのかな、念じるとすごい力が出るんだよ。すごく強いみたいだから、危ないしなかなか使えないんだけどね」

 

 困ったように那美が笑う。

 

 これで《観念力動》が使えることが発覚した。危険度が一気に跳ね上がる。

 

 アイシアが更に深堀りをしようと言葉を重ねる。

 

「すごいね。まだ他になにかできるようになった?」

 

「ねえ、アイシアお姉さん」

 

 那美が微笑む。ぞっとした。急に大人びた表情をしたのだ。

 

「お腹の探り合いはやめようよ」

 

 アイシアの表情がわずかに強張る。見た目と態度で忘れていた。彼女は周囲の人間曰く、聡明な子どもだ。魔法だけでなくこちらの考えを読んでいる恐れがある。

 

 那美が口端を吊り上げる。

 

「ねえお姉さん。私ってこれからどうなるのかな? やっぱり殺されちゃうの?」

 

「どうかなあ。人質を解放して大人しく捕まってくれたら大丈夫だと思うんだけどな」

 

「嘘」

 

 那美の笑みが深まる。

 

「どうせASUじゃ抹殺指令が出てるんでしょ? なら、どうしたって私は殺されるよね」

 

 なぜそれが分かる。言いしれない不安感が襲ってくる。十一歳の女児がそんなことを知っているはずがない。

 

 やはり、更科那美の裏には誰かがいる。共犯者の存在は警察やASUも追っていた。しかし、彼女の行動ばかりが目立っていてその姿の片鱗すら見つかっていない。状況証拠では確実にいるはずなのに、あまりにも存在が虚ろなのだ。

 

「なら、どうしたい?」

 

 アイシアが警戒感を出さずに表情を普段のものに戻して問う。那美は微笑んだまま答えた。

 

「うん、顧客リストに載っている犯罪者を殺したいかな。まだ来ないの?」

 

 痛いところだ。警察側でも顧客リストの調査をしているが、まだ情報が集まっていなかった。当然、明らかに殺されるとわかっている死地へ来るような酔狂な人間はいない。既に警察に保護という名の逮捕されている者を含め、顧客リストに載っているであろう者は誰一人として国際展示場には来ていなかった。

 

「さすがに殺されると分かってるんだし警察が止めてるよ。もうちょっと穏便に事を済ませられないかな? ほら、ひとりひとりカメラの前で謝罪させるとかさ。もしくは去勢とかいいんじゃない?」

 

 アイシアもかなり無茶苦茶なことを言っていた。その方法は完全に社会的に抹殺させる気満々だ。去勢という科白の部分は弓鶴も寒気を覚えた。男ならばその言葉はできれば聞きたくない。

 

 那美が首を傾げてアイシアの提案を切り捨てる。

 

「駄目だよお姉さん。生ぬるい。児童買春するような外道は殺さなきゃ。生きてる価値、ないでしょ?」

 

 その発想は至極まともに思えるから困る。確かにそんな野蛮な存在は死滅すべきだ。それは弓鶴も納得する。だが、それを行えば犯罪者は皆殺さなければならなくなる。その先にあるのは、更生の余地などない過酷な世の中だ。それが正しいのかは彼には分からなかった。

 

「うーん、犯罪者を処罰するのは賛成だけど、全部を殺すのは反対かなあ。そうしたら結構殺伐とした世界になっちゃうよ?」

 

「そうかな? 犯罪者がいなくなるんだよ? 平和な世の中になるに決まってるよ。弓鶴お兄さんはどう思う?」

 

 那美の視線が弓鶴に向けられる。ここで迂闊なことを言えばすぐに戦闘が始まる。そんな緊張感が会場を支配していた。思わずこくんと喉を鳴らした。

 

「俺も反対だな。だけど気持ちは分かる。そういう奴らは一掃した方がいい。一生檻に繋いでおくとかな。ほら、そっちの方が結構残酷な仕打ちだと思うぞ?」

 

「あ、確かに!」

 

 それは盲点だったと言わんばかりに那美が手を叩いてはしゃいだ。

 

「ずっと閉じ込められるってつらいよね! 死ぬよりきついよそれ! 弓鶴お兄さん天才! よし、方針変更だ!」

 

 ほっとした。流れが急に変わったのだ。いくら聡明で天才魔導師であろうと、まだ子どもの部分が残っていたのだ。

 

 那美が告げる。

 

「全員両手両足ちょん切って鎖で繋ぐことにするよ」

 

 発想が過激を通り越して残忍過ぎた。場の空気が一気に殺伐とする。那美が纏う空気が新たな殺意に湧き始めていた。さすがのアイシアも咄嗟に何も言えないようだ。

 

 だが、これが好奇だった。

 

「いまだ」

 

 ブリジットの号令がかかる。

 

 刑事課が放った魔法砲撃が国際展示場西棟の壁をぶち抜いた。寸前、ブリジットが妖精を介して防御結界を展開。人質たちを魔法と衝撃と瓦礫の破片から守る。

 

 轟音と共に会場が白い閃光に溢れた。衝撃が荒れ狂って会場全体が突き上げられたような揺れが走る。人質たちの悲鳴があちこちで響いた。

 

 警官たちがなだれ込んでくる。作戦通り人質を助けに駆けつけてきたのだ。

 

「警察です! 助けに来ました! 我々の指示に従って外に出てください!」

 

 警官が拡声器を使って人質たちに呼び掛ける。

 

「ブリジット! あとは結界頼んだよ!」

 

「了解だ! 武運を祈る!」

 

 アイシアと共に弓鶴は前にでる。会場はまだ初撃と同じ光に溢れている。明らかにおかしい。砲撃は一度だけのはずであとは刑事課が個々に攻撃を加える算段だ。

 

「無駄だよ。気づいてたから」

 

 那美の声が不自然に響く。よく見れば光は壁状に展開されて、魔法砲撃が発射された方向の壁を覆っていた。元型魔法で砲撃を捕まえて新たな結界としたのだ。あまりにも馬鹿げた反応速度と魔法支配速度だ。人知を超えている。

 

 弓鶴は端末を操作して即座に両目に遮光機能を付与する。一気に視界が開く。更科那美と鎧は、先ほどから一歩も動いていない。首だけを極光に向けていた。

 

「砲撃以降の刑事課と警護課側の攻撃が通ってない!」

 

 ブリジットが叫んだ。

 

「ディディエ! なに使ったの⁉」

 

 アイシアが妖精を通じてランベールに怒鳴る。以前返り討ちにあった彼も、魔法で治療して現場に戻ってきていたのだ。そして、返ってきたのは動揺した声だ。

 

「まさか荷電粒子砲を防がれるとはな」

 

 砲撃内容の選択にぞっとした。

 

 荷電粒子砲とは、電子や陽子、重イオンなどの荷電粒子を亜光速まで加速して発射する砲撃だ。誰が見ても威力が高すぎる。刑事課の連中は弓鶴たちを巻き込んででも初撃で決着を付ける気だったのだ。那美が魔法で捕獲しなければこの場の全員が殺されていた。

 

「バカなの⁉ 私たちごと殺す気⁉」

 

「結果として止められたのだから問題なかろう」

 

 アイシアの怒りにランベールが調子を取り戻した声で答えた。

 

「いいからそっちはさっさとなんとかして! 無能じゃないところを私たちに見せて! でなきゃ一生無能のそしりを受けるよ‼」

 

 挑発したアイシアがそのまま魔法を展開する。まだ背後では警官たちが人質を誘導している最中だ。ここで更科那美を防御で手一杯にしなければ人質たちの命が危うい。

 

 アイシアが精霊魔法で土系分離魔法を発動。四大元素を内包した精霊世界から、土のクオリアが切り離され現実に染み出していく。彼女の周囲に精製が用意な鋭利な石英が無数に出現する。即座に螺旋円錐に変化した石英が回転を始める。

 

「弓鶴! 側面から飽和攻撃開始!」

 

 弓鶴も既に移動して魔法を展開していた。彼が扱う錬金体系は、“世界は物質で出来ているのなら、物質の中にこそ世界を記述するものがある”という観点で世界を記述する魔法である。主に金属精製を得意とする魔法体系だ。

 

 弓鶴は己が精製可能な限界量の金属片を作成。刀の形に変化させる時間も惜しく、そのまま一気に那美へと側面から射出した。

 

 完全に視界外からの攻撃なのに、那美がすぐに反応した。散らしていた妖精での観測で気づかれているのだ。

 

 極光の結界から光の弾が放たれる。アイシアと弓鶴両名の飽和攻撃が一瞬にして蒸発した。

 

「続けて弓鶴!」

 

「分かってる!」

 

 弓鶴が次弾を展開しようとしたところで鎧が動いた。一瞬にして距離を詰めてきた鎧が彼へ目がけ横凪に抜刀。空間すら斬り裂かんとする速度で刀が彼の胴へ向かう。

 

 弓鶴は鞘に納刀したままの刀でぎりぎり受け止める。鞘が砕け同田貫の刀身が露わになる。剣道での経験で反射的に動けていた。真面目に稽古を積んでいなかったら今の一撃で死んでいた。

 

「弓鶴!」

 

「こっちはなんとかする! アイシアは攻撃を続けろ!」

 

 鎧の居合を捌いて弓鶴はその場から下がる。間合いを開けようとした彼の意図を汲んだか、鎧が刀の切っ先を真上へ向けた八双の構えを取って一歩踏み出す。

 

 鎧による袈裟斬り。一撃が重いと判断。弓鶴は身体を捻って斬撃を避ける。その場で反転して両足を床に付けた瞬間に新たに魔法を発動。足元に鉄板を仕込み、更にその下に金属を精製し、一瞬にして気化させ一気に膨張させる。沸点にまで達した金属が爆発。鉄板が彼と共に天井高く飛び上がらせた。

 

 錬金魔法が《物質精製》と《四態変換》の組み合わせにより、高速でその場を離脱したのだ。宙に浮かんだ弓鶴はそのままAWSを起動。三次元立体機動を行わなければ死ぬと勘が言っていたのだ。

 

 そのときだった。極光の結界から再び光の弾が襲い掛かってきた。空中を蹴って横に避ける。荷電粒子砲の残滓が天井の一部を蒸発させる。

 

 魔法戦闘は選択の連続だ。一度でも選択を誤れば即座に死に繋がる。それはまるで死神と一緒にダンスでも踊っているかのような酔狂な地獄だ。

 

 弓鶴は空中で会場の様子を伺う。那美はアイシアの攻撃を、その場で捕まえた荷電粒子砲で撃ち落としていた。逆に攻撃を仕掛けている始末だ。アイシア側へ加勢しないともうじき詰む。

 

 警察はなんとか順調に避難誘導ができている。人質たちも三分の一近くが会場の外に逃れていた。

 

 絶望的な悪寒。

 

 咄嗟に蹴って急降下する。一瞬前まで弓鶴の首があった場所に鎧が刀を振っていた。鎧が両足にそれぞ妖精を踏んで宙に浮かんでいるのだ。あまりの光景に唖然とした。最高位魔導師はなんでもありか。

 

 鎧が刀を構える。刀の周囲がにわかに揺らいだように見えた。何か魔法を使っている。理解できない攻撃は絶対に受けない。アイシアやラファランから徹底的に教え込まれたことだ。ここは逃げの一手を打つ。

 

 鎧が何もない空中で刀を振る。不可視の衝撃波が無数に解き放たれる。錬金世界の視点でかろうじて拾えたのは、斬閃をかたどった三日月状のなにかが、猛烈な速度で弓鶴へ疾駆している姿だ。

 

 人質側とは反対方向へと必死に避けながら記憶を検索。解明。元型魔法の《観念力動》――すなわちサイコキネシスだ。威力のほとんどを切断に特化させた三日月が会場の壁や床を無慈悲に切断していく。避け方を失敗すればブリジットの防御を貫通して警官や人質を殺してしまう。

 

 鎧が刀を振り続ける。三日月が次々と発射される。弓鶴は細心の注意を払って全力で逃げるしかない。防戦一方だ。このままだとこちらもすぐに詰む。彼が死ねば攻撃がアイシアに集中する。そうすれば彼女も瞬殺される。手数が欲しかった。

 

「刑事課は何をやっているんだ……!」

 

「呼んだかね?」

 

 ローブに仕込んだブリジットの妖精から声が聞こえた。刑事課のランベール・ディディエだ。

 

「結界を突破した。砲撃を開始するぞ。そちらは適当に避けるがいい」

 

「遅い! 無駄な口上はいいからさっさとしろ!」

 

「口に気を付けたまえ。第六階梯の魔導師ごときが――」

 

「いいから早く打て! お前は戦闘中に敵前で喋るアホか!」

 

 ランベールとの会話に気を取られ過ぎて三日月が弓鶴の首筋を掠めた。頸動脈が逝った。熱い感触と共に血しぶきが飛ぶ。致命傷だ。即座に錬金魔法を使用。金属膜で傷口を覆う。多少出血したがまだ戦える。

 

 二度目の衝撃が会場を揺らした。極光結界を完全に消した刑事課と警護課による一斉魔法射撃だ。あらゆる魔法体系による攻撃が更科那美へ殺到して爆発を引き起こしていた。爆炎と煙が一気に広がる。弓鶴は即座にブリジットの結界内に入った。

 

 ブリジットは器用に弓鶴とアイシアだけを通り抜けられるように複雑な結界を組んでくれていたのだ。

 

 ブリジットの結界が刑事課の攻撃による衝撃と熱波を受け止める。結界内に戻らなければ焼死していた。

 

「そちらは大丈夫か!」

 

 傍にいた警官がASUを心配してくれて声を張り上げた。

 

「こっちはなんとかする! 警察は引き続き人質救出を頼む!」

 

「分かった! 死ぬな!」

 

「了解!」

 

 応えて弓鶴は刀を握りなおす。隣には息を荒くしたアイシアがいた。

 

「しんどいね。さすが最高位魔導師。刑事課側が一秒遅かったら死んでたよ。生きてるのが不思議なくらい」

 

「こっちは頸動脈をやられた。今のうちに治療を頼む」

 

 アイシアが弓鶴の首筋に触れる。激痛が走っていた傷口に温かい感触が生まれた。精霊魔法が《生態結合》による治癒だ。即座に傷口が塞がる。金属膜を乱暴に剥がした。

 

 軽く背後を振り返る。まだ人質は三分の一ほど残っていた。戦闘を開始して何分経ったのか分からない。一時間以上戦っている気になるほど緊迫した戦いだった。

 

 そして、いまも死と隣り合わせの戦場が弓鶴たちを待っている。嫌気が差すほど命の価値が軽くなる仕事だ。

 

「弓鶴、まだ行けるよね?」

 

 弱腰になりかけていた弓鶴の背をアイシアの声がはたく。同年齢の女上司に後れを取るわけにはいかない。なにより彼は彼女のパートナーなのだ。情けない姿を見せるわけにはいかない。

 

「当然だ」

 

 弓鶴は強気に答えて深呼吸する。

 

 そこで、ブリジットが狼狽した声で叫んだ。

 

「襲撃だ! こっちに魔導師密売組織が来た!」

 

 最悪のタイミングだ。狙っていたとしか思えない。

 

 アイシアが即応する。

 

「ブリジット、状況報告!」

 

「こちらは検査を終えて候補者たちと学校から出ようとしているところだ! 三名全員が候補者たちと固まっている。クソッ! 警察が構築した警備網を突破された! 奴ら魔法使いをかなり動員しているぞ!」

 

 ブリジットの声は焦燥の他に自戒も含まれていた。恐らく魔法処理能力に多大な負荷が掛かって敵の接近察知が遅れたのだ。今回はあまりに彼の負担が大きい。

 

「ブリジットはそちらを第一優先! 前衛を担当して! それからそっちの指揮権を渡すよ! オットーは防御に回って、必要なら適宜攻撃も加えて! エルは基本的に狙撃で敵を近づけないで! あとはブリジットの指示に従って! 以上!」

 

 オットーが喜びの声を出す。

 

「ようやく面目躍如の機会です。精々暴れてみせましょう!」

 

「……頑張ります」ラファエルのやる気があるのかないのか分からない声。

 

「我はここからは適正検査側に注力する。そちら側の人質救出が終わったと同時に結界を解くぞ! 死ぬなよふたりとも!」

 

 唯一全体を把握しているブリジットだけが真剣な声で言う。彼は普段適当だが一度仕事に取り掛かると真面目になるのだ。

 

 ブリジットの結界が無くなるのは痛いが、あちら側の心配は無くなる。ああ見えても第八階梯の高位魔導師なのだ。単純な戦力で言えば弓鶴はもちろんアイシアをも超えている。

 

 高位魔導師の頼もしさを感じた。

 

 アイシアを見る。彼女も弓鶴を見ていた。互いに頷く。

 

 爆炎と煙が唐突に晴れる。那美が大気を元型魔法で支配して周囲を無理やり正常化したのだ。超高位魔導師らしい強引な力業だ。

 

 開けた視界では、既にASU魔導師が那美へ向けて外部から飽和攻撃を加えているところだった。すべて防御結界で防がれているが、やはりかなり支配力を使っているようだ。周囲に散っていた妖精が消えていることがその証拠だった。

 

 これなら殺れる。

 

 弓鶴はアイシアと共に結界外へと足を踏み出した。

 

 

 

 



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第三章:善悪の天秤 4

 ブリジット達は一度南鳩ヶ谷高校の校舎屋上に移動していた。ここからなら高所から一方的に魔法を叩き込めるからだ。全校生徒は教師やISIA職員の指示に従って体育館に避難を始めていた。

 

 魔導師密売組織の集団は、堂々と校門へ大量のバンを突っ込ませ、無理やり警察の警備網を突破していた。バンから降りてきたのは黒いマスクで顔を隠した全身黒ずくめの集団だ。全部で二十を超えている。

 

 その様子を見ていたブリジットが、くつくつと喉の奥で笑った。彼の身体の表面がにわかに光だしひびが入る。突如眩い閃光が走ったかと思うと、中から緑髪の男性が現れた。

 

 全力を出すためにブリジットが変身を解いたのだ。魔法使い候補者たちがわっと驚く。

 

「我に喧嘩を売って眼前に立ち続けた者はいない。さて、やるか」

 

 ブリジットが凶悪な笑みを浮かべ、すぐに指示を出す。

 

「オットーは結界を維持。魔法使い候補者を死んでも守れ! エルは狙撃開始。ぼさっとするなさっさと撃て!」

 

 セミオートスナイパーライフルH&K PSGを構えて貯水タンクの上に寝そべっていたラファエルが、魔法を発動しながら引き金を引く。

 

 因果魔法は“理そのものが世界を記述するのであるならば、理が内包する因果にこそ世界は存在する”とする魔法体系だ。因果魔導師にとって、時間流の操作は手軽に扱えるもののひとつである。

 

 ラファエルは《時流操作》により己の時間軸を現実世界の系から切り離し、四倍速に設定する。現実から見て相対的に四倍速で動けるようになった彼女が更に魔法を追加で発動。

 

 《因果収束》により銃弾の行き先の因果が設定される。目標は黒い集団の先頭を走る男だ。偏差を読み終点を設定。

 

 ライフルの銃口から銃弾が打ち出される。《時流操作》によって切り離された時間軸と現実の時間軸の面を通過。その瞬間、彼女が作り出した時間軸の流れに引っ張られ、銃弾の初速が四倍に跳ね上がる。運動エネルギーにして十六倍まで引き上げられた銃弾が、《因果収束》で設定された狙点へと一気に進む。

 

 狙い違わず進んだ銃弾が、男の右足を太ももから一気に吹き飛ばした。鮮血と肉片が撒き散らされる。男の悲鳴。

 

 ラファエルは更に《因果収束》で狙点を設定し直し引き金を引く。二人目の足が破裂する。引き金を引く。三人目も破砕。

 

 無慈悲な狙撃。遠距離から一方的に、そして狙いが絶対に外れない狙撃は、敵にとっては恐怖の象徴だ。ラファエルがアイシアの父ラファランに次ぐ二代目《魔弾》と呼ばれる由縁だ。

 

 そこでようやく襲撃者たちが魔法で応戦してくる。多種多様な魔法が屋上目がけて飛んでくるが、屋上全体を覆う薄青色の結界によってすべて阻まれる。

 

 秘跡魔法による防御結界だ。

 

 秘跡魔法は“神によって世界は作られた”という観点で世界を記述する魔法体系だ。秘跡魔法の《歪曲体系》は、“実際に神が存在する”聖域を現実世界の外周に見出し、これを現実空間に侵食させることによって変化をもたらす。これを結界に応用すると、現実世界と神がおわす聖域を繋げ、攻撃を聖域へと逸らす防御壁を作ることができる。攻撃を受けるたびに魔法が歪む欠陥があるものの、物理防御の中でも最高峰に位置し、かつ秘跡魔導師ならば誰でも手軽に扱える超強度の結界だ。

 

 オットーが不敵な笑みを浮かべる。

 

「私の結界を貫きたくば、第九階梯魔導師でも連れて来なさい」

 

 すべて結界に阻まれながらも、襲撃者たちはなおも移動しながら攻撃を続ける。それを見下ろすブリジットが、小さく息を吸った。

 

「さて、我も行くか。ここは頼んだぞオットー」

 

 任されました、とオットーが返事をするが、あ、と声を上げた。

 

「私のために少しは残してもらえると助かるんですが」

 

「アホ。仕事中だ。控えろ」

 

 ブリジットは呆れ顔をオットーへ向けながらその場で跳躍。人間業ではあり得ないほどの高さに到達し、そのまま地面へと自由落下を開始。

 

 甲高いブリジットの哄笑が天に響く。

 

「ハハハハハ! 我の名はブリジット・マクローリン! せめてこの名を刻んでから眠れ!」

 

 台詞とは裏腹にブリジットの着地は穏やかだった。《観念力動》によって自身の落下速度を操作し、地面に衝突する寸前に速度を〇にしたのだ。だが、彼の周囲に浮かぶ妖精の数は膨大だった。百を超える妖精が目を洞のようにして襲撃者たちを見つめている。すべてが圧縮大気によって作られた疑似生命体だ。

 

 妖精が一斉に襲撃者たちへ飛翔する。集団の前方にいた男たちの腹と両腕、そして両足に妖精が追突する。骨が盛大に砕ける音が鳴り響く。すぐに悲鳴が上がった。

 

 大気とはいえ圧縮すれば強度が増す。例えるなら岩石が高速でぶつかってきたようなものだ。まともに受ければ魔法使いでも堪らない。

 

 数瞬遅れて魔法による結界が張られ妖精たちが阻まれる。襲撃者たちが安堵の息を漏らす。襲撃者らは既に十人にまで減っていた。誰も死んではいないが、一分と経たず半分以上が無力化されたのだ。

 

 ブリジットの口元にはいまだ変わらず凄絶な笑み。

 

 突如、結界が音を立てて破壊された。ブリジットは指ひとつ動かしていないにも関わらずだ。結界を担当していた男が目を剥く。

 

 ブリジットは元型魔法の《観念力動》による不可視の衝撃波で、無理やり結界を破壊したのだ。

 

「その程度の魔法でASUに、我に挑んだのか?」

 

 妖精たちが襲撃者らを取り囲む。襲撃者らの目には、強者に対する畏れと絶対的な恐怖が滲んでいた。高位魔導師の前ではちんけな犯罪魔導師程度などすぐに殺される。それほどまでの絶対的な実力がASU魔導師にはあるのだ。

 

「堕ちた魔法使いが……恥を知れ!」

 

 ブリジットが妖精を介して襲撃者ら周辺の大気一帯を掌握する。急に彼らの動きが止まる。指先ひとつはおろか呼吸による胸部の膨張と収縮すらだ。

 

 元型魔法の《元型投影》により、精神が吹き込まれた大気がブリジットの意思通り流動を静止させたのだ。分子や原子レベルで止まれば、必然的に大気を押し出す形で動いている人間は身動きが取れない。

 

 更科那美がランベールとの戦闘で使用した無風結界だ。

 

 魔法で無理やり制止させられた襲撃者らが次々に目を剥いた。血中の二酸化炭素濃度が急激に高まり意識が喪失したのだ。

 

 ブリジットが魔法を解く。窒息により意識を失った襲撃者たちの身体が、糸を切った人形のようにばたばたと崩れ落ちた。

 

 ブリジットがそれを冷めた眼差しで見下ろしていると端末が鳴った。ISIA側の緊急連絡の音だった。彼は目を細めて端末を操作する。

 

「――急連絡。緊急連絡。埼玉全高校にて魔導師密売組織の襲撃を受けている。繰り返す。埼玉全高校にて魔導師密売組織の襲撃を受けている。制圧した班は即時連絡を送られたし」

 

「こちらASU警護課アイシア班ブリジット。南鳩ヶ谷高校は制圧した」

 

「こちらISIA本部。南鳩ヶ谷高校は問題ないむね了解。他高校の応援に行けるか?」

 

「こちらもまだ警護任務中だ。既に国際展示場へ二名割かれている。これ以上の戦力分散は避けたい」

 

「戦力分散も止む無しと考えてくれ。関東支部の警護課の手が足りていない。一名でも構わない。付近の高校へ応援に行ってほしい」

 

 ブリジットがこめかみを指で揉む。アイシア班の負担が尋常ではないからだ。

 

 既に国際展示場へ二名割かれ、しかも相手は最高位魔導師かつ最前線でとどめ担当。挙句に更に一名を動かせと言うのだ。他の班は通常六名で一名しか国際展示場へ割り振られていない。さすがにこれはブリジットも頭が痛かった。

 

 弓鶴はまだ理解していないだろうが、アイシア班は本当に優秀な魔導師が集まっているエリート集団だ。個々の実力もそうだが、集団としてもその戦力は日本警護課の中で五指に入る。更に言えば、魔法使いの中でも“まともな人格者”の集まりでもある。つまり、使い勝手の良い駒だからいいように振り回されているのだ。

 

「了解。一名こちらから戦力を提供する。制圧していない高校でどこが一番近い?」

 

 埼玉県だけでも高校の数は三百を超える。だからISIAとASU警護課は埼玉県の市をエリアで区切って一週間で対応するのだ。

 

「川口高校だ」

 

 すぐ隣である。相変わらず使い捨てとばかりに人員を揃えてきた魔導師密売組織には頭が下がる思いだった。

 

「了解。援軍を送る。アイシア班は二名で護衛を継続。ISIAへ引き渡す」

 

「助かる。武運を」

 

 通信を切ってブリジットがため息する。

 

「オットー、聞いてたな? 暴れたがってたろう? 結界は我が対応するから行け」

 

「分かりました。本当にようやく面目躍如ですね」

 

 妖精越しにオットーが答える。その声には愉悦が滲んでいた。相変わらずやる気になると見た目にそぐわぬ戦闘狂になる。

 

「いいからさっさと行ってこい」

 

「了解」

 

 屋上へ振り返る間もなくオットーがAWSで川口高校へ向かう。ブリジットは《観念力動》を使用して身体を宙へ浮かばせて屋上へ降り立つ。魔法使い候補者たちは羨望と恐怖の眼差しで彼へ視線を注いだ。それを無視して結界を張り、エルへ声を投げる。

 

「エル、ここからは二名体制で行く。近接戦闘も覚悟しておけ」

 

「……本気のブリジットはやっぱり怖いです」

 

「我だってこんなの面倒だ。だが仕事なんだから仕方ないだろう」

 

 弓鶴が聞いたら驚くような科白をブリジットが言い放つ。ブリジットがここまで本気を出さなければならないような場面はこの一年無かったのだ。特に、国際展示場で展開している結界魔法がかなり負担を増やしていた。

 

「こういうのが疲れるから班長をアイシアに渡したのに、結局またやることになるとは……。人生ままならないね」

 

 また女の子にナンパされに行こうかな、とブリジットが空に向かってぼやいた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 国際展示場西棟は、もはや倒壊寸前だった。高位魔導師と超高位魔導師が互いに魔法をぶつけあえば、建物などすぐに消し飛ぶ。ここまで持ったことが逆に奇跡だった。

 

 人質救出まであと僅か。時間との勝負だった。

 

 壁のあちこちが穴だらけになった会場を弓鶴とアイシアが側面に回り込みながら走る。すぐに鎧が反応。その場で刀を振るい《観念力動》による三日月の衝撃波を無数に放ってくる。

 

 弓鶴の身体が急激に浮く。アイシアが精霊魔法による《電磁結合》を使用し彼に磁力を付与させ、上に引っ張り上げてくれたのだ。足元を三日月が通り過ぎ、一瞬にして壁を無数の瓦礫片に変える。

 

 弓鶴とアイシアは同時にAWSを起動。機動力が無いことはこの戦闘では死を意味する。

 

「まず邪魔な鎧を破壊優先!」

 

 アイシアの指示が飛ぶ。鎧と分断されたことによって全滅しかけた先ほどの経験を生かしての作戦だった。那美は刑事課側の攻撃防御に手一杯。いま攻撃に回れるのは鎧だけだ。ふたりで鎧を破壊することが状況をひっくり返す一手だった。

 

 アイシアの姿が掻き消える。一瞬後には、鎧の背後に回っていた。因果魔法による《時流操作》で己の時間軸を四倍まで引き上げていた。加えて、精霊魔法の《電磁結合》による磁力付与によって加速。もはや人の目ではとらえられないほどの速度で移動したのだ。

 

 アイシアが鎧のがら空きの背中へ向けて掌底を放つ。空気を破壊する稲妻の音と紫電が鎧にぶち込まれる。通常ならばこれで敵は無力化されるが、やはり鎧は強かった。即座に反応した鎧が振り向きながら横凪一閃。彼女はこれを磁力で無理やり身体を引かせることで回避した。

 

 AWSの速度にものを言わせて弓鶴が上空から斬りかかる。これにも鎧は後ろ手に回した刀で受け止めた。金属同士が澄んだ音を響かせる。

 

 弓鶴が錬金魔法を発動。鎧の足元から円錐状の金属を五つ伸ばす。鎧は彼の刀を捌いてその場から飛びのいて魔法攻撃範囲から逃れる。

 

 側面に踊ったアイシアの両手には拳銃。愛用のCZとグロッグが火を吹いた。時間軸の断面に接触して弾速が四倍まで跳ね上がる。

 

 鎧の身体にようやく銃弾が叩きこまれた。しかし、当たる直前に身体を捻ったため、破壊できたのは左腕だけだった。ここまで追い詰められてなお音速を遥かに超過する銃弾に反応するのは、さすが超高位魔導師としか言いようがない。

 

『うっとうしい!』

 

 そのとき、鎧が喋った。那美のものではない不自然に低い声だ。そういえば初めて対峙したときも鎧は喋っていたではないか……。強烈な違和感を覚えて一瞬身体が固まる。

 

 それが致命的だった。

 

 不可視の衝撃波が鎧から全方位へ放射状に放たれる。一瞬の逡巡。避ける術がない。

 

 衝撃。もろに衝撃波を受けた弓鶴が吹き飛ばされ、会場の壁面に叩きつけられた。全身がバラバラになったような痛みで息が漏れた。そのまま床に転がらされる。立ち上がろうとするがすぐには力が入らない。

 

 焦燥。

 

 それでも身体の状態を確認。左腕が骨折。壁へ衝突する寸前に反射的に魔法を使用して防御したから、背骨は無事。結論、すぐに身体が言うことを聞かない状態ではあるが戦える。

 

 弓鶴に影が差す。鎧が肉薄していた。ぞっとして無理やり床を蹴って右へ転がる。鎧の袈裟斬りが左腕を切断。焼けるような痛みが脳を貫くが無視。訓練通り即時左腕の断面を金属膜で覆って出血を強引に押さえる。

 

 更に、弓鶴の背中へと鎧が斬り上げを繰り出す。浅く脇腹を斬り裂かれるもなんとか前転して退避。それでも次の攻撃で確実詰む。

 

 首だけで振り返った弓鶴の眼前には、鎧が既に刀を振り降ろさんとしている姿が映った。

 

 絶体絶命の一瞬。

 

 しかし、弓鶴は信じていた。

 

 突如鎧の右足が爆散した。アイシアが死角から魔法で砲撃を加えたのだ。その正体は、《電磁結合》で無理やり通電した石英を磁力で射出する一種の電磁投射だ。

 

「距離を取る!」

 

 アイシアの号令通り、弓鶴は地面を蹴って宙を跳ぶ。AWSが波を捕まえて彼の身体を一気に安全圏まで運ぶ。

 

「被害報告!」

 

 アイシアが銃弾をしこたま鎧へ発射しながら叫ぶ。鎧は片足だけで器用に転がりながら銃弾を避けている。

 

「左腕喪失! 左脇腹出血少量! まだ動ける!」

 

 弓鶴も叫び返した。

 

「上等! 一気に畳みかけるよ!」

 

 弓鶴も腹を括った。白金が美しい同田貫の刀身が白く発光する。錬金魔法の《四態変換》は、物質の構造を変化させることで位相を自在に操る。無理やり熱量を加えられた刀身が一気に蒸発し、摂氏三千度を超える気化金属の刀と化す。大切な刀を犠牲にしてでも確実に鎧への攻撃を届かせるための必殺魔法だった。

 

 当然、高位魔法のため集中力を極限近くまで消費する。この後の超高位魔法のために気力を温存しておきたかったが、そんな場合ではない。

 

 今やらなければ状況が覆る可能性がある。那美と刑事課側の立場が逆転し始めていたのだ。刑事課側の攻撃が徐々に掌握され始めていた。すぐに鎧を突破して那美へ攻撃を加えないと刑事課が詰む。

 

 鎧が銃弾を避けながらも刀を振る。大量の三日月がアイシアへ殺到。彼女も魔法とAWSを併用して飛びながら避けるが、魔法の乱用し過ぎか制御が甘かった。右足首と脇腹が裂かれる。大量の血液が宙に散った。

 

「アイシア!」

 

「なんとかするから殺って!」

 

 大気を蹴って弓鶴が疾走。もはや後のことなど気にせず全力で鎧へ斬りかかる。やはり鎧が反応して刀を盾とするが甘い。

 

 気化金属による刀が、鎧の刀ごと右腕を切断。地面に着地すると同時、両足に多大な負荷が掛かるが気合で意識外へ飛ばす。鎧の背後からそのまま横凪へ。鎧の胴体が真っ二つになる。加えて上段から振り下ろし、鎧を左右に分断した。

 

 細切れになった鎧が遂に魔法を切らしたか、破片が音を立てて床に散らばった。弓鶴は止めていた息を吐き出して床に右手を着く。足がほとんどいかれていた。捻挫か脱臼か、下手をすれば軸足にしていた右足首が折れている。

 

 それでも痛みをこらえて立ち上がった。

 

「弓鶴! 動ける⁉」

 

「なんとかする! そっちは!」

 

「ごめん、回復で手一杯! 久しぶりに腸が零れ落ちたよ」

 

 平然と酷い有様を言ってくれる。だが、彼女は応急処置程度の治癒魔法ならば扱える。死ぬことはない。

 

 那美が遂に刑事課側の魔法を完全掌握した。時間がない。警察側は人質救出を終えている。ブリジットの結界は消失してしまった。

 

 いまや那美を止められるのはこの瞬間、弓鶴しかいなかった。

 

 錬金魔法を発動。先にやった錬金魔法の高速移動術で、一気に那美へと肉薄する。両足が悲鳴を上げるが歯を食いしばって堪える。

 

 更に錬金魔法を追加発動。事前に準備していた極大魔法が、ついに産声を上げる。

 

 白く発光した同田貫の切っ先に、黒の極点が生まれた。それは、あらゆる“物質”を分解する断罪の光。

 

 錬金魔導師は、あらゆるすべてを物質として知覚する。超高位錬金魔法《断罪の輪》は、《物質還元》によって弓鶴が知覚し得るすべてを塵へと葬る黒点だ。それが魔法であろうが大気であろうが目に見えない概念であろうが、彼が物質と知覚すればすべてが分解されこの世から存在が放逐される。当然、元型魔法で掌握するなど不可能だ。掌握行為自体を“物質”として分解するからだ。

 

 本来第八階梯以上が扱える魔法ゆえ一瞬しか発動できないが、その刹那で十分だった。

 

 寸前、那美が弓鶴の接近に気づく。その目には余裕の光。

 

 一瞬にして元型魔法によって十重二十重と結界が展開される。

 

 無意味。

 

 錬金魔法《断罪の輪》によって生み出された黒点はすべてを砕く。光すら分解するから黒点なのだ。魔法防御ごときで防げるはずがない。

 

 元型魔法の結界が黒点によってすべて分解される。

 

 そして、更科那美の胸に弓鶴の刀が突き刺された。血の一滴すら零れなかった。気化金属が傷口を焼いて塞いだからだ。

 

 限界が来て弓鶴は魔法を解く。刀身が無くなった同田貫が転がり、彼もその場に崩れ落ちる。那美は意識を失なったのか背中から倒れた。

 

 一瞬の気の緩み。

 

 今日最大の悪寒が背筋を這う。

 

 首だけで振り向くと鎧の腕だけが刀を握って弓鶴の頭部を狙い一直線で飛翔していた。

 

 あり得ない。魔法使いが意識を消失すれば魔法は消える。明らかに不自然な光景。いや、そんなことはどうでもいい。いくら治癒魔法でも脳を破壊されたら治せない。

 

 完全な死だった。

 

 だが、刀は弓鶴へと届かなかった。

 

「さすがにパートナーは殺させないよ」

 

 弓鶴と刀の間に透明な壁が出来ていた。アイシアの《土系分離》による石英で作った壁だった。

 

 鎧の腕はまだ動いていた。那美が倒れたというのにだ。もはや疑念は確証に変わる。

 

 “更科那美は魔法使いではない”。

 

「アイシア! 那美を助けろ! 魔法使いじゃない!」

 

「分かってる! こっちは応急処置が済んだから那美ちゃんを助ける!」

 

 深紅のローブを血で汚したアイシアが那美へと駆け寄り治癒を開始する。

 

 弓鶴は柄だけになった同田貫を拾い、錬金魔法で刀身を生み出す。アイシアの壁が消えた瞬間、動く鎧の腕を斬り捨て刀を叩き折った。

 

 いま、すべてが繋がった。

 

 更科那美は魔法使いではない。よく考えれば最初からおかしかったのだ。初めて戦った時、鎧は那美ではない声で話していた。そして会話すらしていた。

 

 これはあり得ない。

 

 元型魔法で疑似生命体を介して声を届ける場合、当然本人の声だ。そして、疑似生命体は決して命を持った生命体ではない。魔法使いが操作して動かす疑似的な生命体だ。勝手にしゃべるなどあるはずがない。弓鶴たちは那美が子どもであることから一人遊びだと勘違いしていたのだ。

 

 そして、唯一可能性が考えられる自律する疑似生命体を作る《生命創造》でも術者が意識を失えば当然消える。刑事課パスカルが窒息で意識を失い、彼を浮かせていた波動魔法が消えて落下したようにだ。

 

 こうなれば考えられる可能性はひとつ。

 

 鎧や他の魔法を操っていた別の魔法使いがいるのだ。更科那美は、ていよく利用されて表舞台に引きずり出された被害者に過ぎない。子どもの純真さが、自分は魔法が使えると思い込んでしまっただけだった。単に、他の魔法使いが上手く誘導していただけだというのに。

 

 弓鶴たちはまんまと騙されたのだ。

 

 弓鶴は捨てていた思考を取り戻す。最初の犯行を思い出す。外部犯はやはりあり得ない。普通に考えて超高位魔導師が外部から妖精を飛ばしてたまたま那美が犯されそうになる現場にいるなど皆無だし、助けるほどの人格者が覗き行為などするはずがない。

 

 なら内部犯ならどうだ。

 

 いる。

 

 最初の犯行を行える人物がたったひとりだけいる。児童養護施設にいておかしくない人物で、かつ当時殺人現場におり、那美のことも施設で行われていた事態も知っていた唯一の人物。殺人事件の生き残り。殺害対象が限定されていて、更にアリバイがないというのにすべての視点が更科那美へ向かっていたため盲点となった人物。

 

「ああ、遂にバレましたか……」

 

 国際展示場の女性の声が響く。いつの間にか刑事課と警護課たちが倒れていた。真犯人である声の主に一瞬で昏倒させられたのだろう。

 

 怒りと緊張で背筋に汗が流れた。

 

 壁に開いた穴からひとりの女性がやってくる。その姿に見覚えがあり、弓鶴は戦慄した。

 

 現れたのは、児童養護施設光の森の従業員、白鷺小百合だった。

 

 

 

 



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第三章:善悪の天秤 5

 辿り着いた思考と目の前の光景が信じられなかった。よりにもよって児童養護施設の女性従業員が真犯人だとは夢にも思わなかったからだ。あまつさえ、本来守り育てるべき少女を騙して身代わりに立てるなどどうかしている。

 

「嘘ついてたんだ。見抜けなかったなあ」

 

 こんなときでもアイシアの声は平然としていた。

 

「あのとき魔法使いかどうかって訊いたのに。やっぱり超高位魔導師は嘘も得意なのかな?」

 

 眉をハの字にした白鷺小百合が答える。

 

「これには理由があるんです」

 

「へえ、訊こうか?」

 

 どうぞ、とアイシアが話を促す。彼女が治療している那美は意識を失ったままだ。その姿を見て、弓鶴は自らのやるせなさと情けなさ、そして浅慮さを痛感する。もっと早くに気づいていたら、子どもを傷つけてしまうことなどなかったかもしれないのに。罪悪感のあまり胸を掻きむしりたくなる。

 

「あの男たちが憎かったんです。私も幼い頃に男に犯されて……。ずっとそれが傷に残っていたんです。今度は子どもを守ろうって思って養護施設に入りました。そしたら、その施設が子どもたちを犯して、あまつさえ売ってたんです! もう、そんな男たちが存在することが許せなかったんです!」

 

 嗚咽を零し両手で顔を覆った白鷺小百合が訴える。

 

 ははっと、アイシアが笑った。嘲笑だった。

 

「昔のことは事実だと仮定しようか。で、子どもを守ろうってところも一応事実としておくよ。それで、なぜ自分で直接やらなかったの? あなた、第九階梯級の超高位魔導師なのにどうして自分で殺さなかったの? 那美ちゃん騙したのはなぜ? さすがに言ってることが支離滅裂すぎるよ」

 

「夢を叶えてもらいたかったんです。魔法使いになりたいっていつも言っていたので」

 

「だから魔法が使えるように見せかけて児童買春犯を殺してまわった? そして国際展示場を占拠したの?」

 

 くつくつとアイシアが喉の奥で笑う。声が掠れていた。よく見れば、彼女の頬は引きつっていた。

 

 そして、アイシアが大喝した。

 

「ふざけないで! なにもかもでたらめでしょ⁉ 本当のことを言いなさい‼」

 

 アイシアがここまで感情を表に出すのを弓鶴は初めて見た。そして、自分もまた怒っていることに気づいた。腹の底にマグマが溜まっているのではないかと勘違いするほど、心の底から怒りが湧き上がってくる。

 

 泣いていた白鷺小百合が手を下ろす。表情には困惑があった。アイシアがどうして怒っているのか分からないと言ったように狼狽えだす。

 

「違うんです、私は本当に――……」

 

「その女の言っていることは間違っている」

 

 突如声が割り込んだ。埼玉県警の稲垣泰三だった。弓鶴は驚愕する。警察側は戦闘が始まったら退避することになっていたからだ。こんないつ魔法が飛んでくるかも分からない前線に一般人が来たことが信じられない。

 

 当然、そんな危険など稲垣は分かっていたのだろう。表情には決死の覚悟が見られた。

 

 稲垣が白鷺小百合を指差す。

 

「そいつは白鷺小百合ではない!」

 

 弓鶴は目を剥く。そしてすぐに思い出す。

 

 高位の元型魔導師は姿形など意味をなさない。なぜなら容易に変身でき、それを見破る術などないからだ。

 

 稲垣が続ける。

 

「私の独断で白鷺小百合を徹底的に調べた。戸籍上、白鷺小百合は確かに存在した。だが、更に洗ったところ、白鷺小百合が二名存在する可能性が浮上した。戸籍上ひとりしか存在しないはずなのにだ。部下が先ほど白鷺小百合本人を確認した。彼女はいま静岡県にいる」

 

 裏社会に堕ちた高位の元型魔導師がよく使う手だ。実在する人物に成りすませば早々バレることはない。あとは各種書類と情報を揃えれば事足りる。この手法を使う元型魔導師は、変身用に多くの身分情報を所有していることが多いのだ。実際、法整備がされていない頃はこれを乱用されて多くの誤認逮捕が発生した。だから、変身魔法はISIAへ提出した姿でなければ実施してはならない国際法が存在する。違反すれば即座に死刑だ。

 

 白鷺小百合、否、超高位魔導師から表情が消えた。

 

「……さすがに一度疑われたら覆すのは無理か」

 

 声が変わる。男とも女とも分からない潰れた声。鎧から発せらた声と同じだった。

 

 急に超高位魔導師が纏う空気が変わった。そこにいるのにどこかずれているような、住む世界が違うというような奇妙な感覚だ。ただ、油断をすれば瞬間後に殺されているという心臓が縮むような緊張感が漂っていることだけは確かだった。

 

「どうだ? 元型魔法は便利であろう?」さらに声が変わる。今度は青年のハスキーな声だ。口調すら変化している。「声帯を変化させるだけで声も変えられる。意外と知られてない技術であるゆえ、今後の捜査の参考にするがよい」

 

「お前は……誰だ?」

 

 弓鶴は声を震わせて問う。いま目の前に真の超高位魔導師がいる。アイシアの父と同じ、小国の軍とすら対等に渡り合える実力を個人単体で持つ人外の怪物。そして、ひとりなのに中に幾人もの人間が内包されているかのように感じる狂人。

 

 魔導師が答える。

 

「仲間内からはアーキと呼ばれている。そなたらなら知っていよう?」

 

 その瞬間、アイシアと弓鶴は同時に驚愕した。

 

「……《ベルベット》のアーキか」

 

 ASUが見つけ次第即時抹殺せよと指定している、全員が第九階梯の超高位魔導師である犯罪魔同集団。それが《ベルベット》だ。呼び名と扱う魔法体系くらいしか分かっていない謎の集団で、目的も「魔法使いの殲滅」を謳っているくらいでよく分からず、あちこちで破壊をまき散らす災厄だ。昨今の魔法使いへの心象が悪いのは彼らが原因の一端を担っている。

 

「こたびは私の独断ゆえ作戦が甘かったか。知略を巡らせるのは私の本分ではないゆえ致し方ないが、こうまで作戦がうまくゆかないのも締まらない」

 

「お前の目的はなんだ?」

 

 弓鶴の問いかけは全員の疑問だった。アーキが世の理を伝えるかのように口を開く。

 

「知れたこと。私は人を愛する。《愛を謳う人》ゆえに魔法使いを滅ぼす。此度はたまさか子どもに変身した際、男どもに嬲られかけたゆえ、児童買春なるものを主導した者を殺し、買ったものを殺そうと思っただけのこと。本来の一手は手薄になった魔法候補者を纏めて抹殺せんとの考えだったが、やはり浅慮だったか。多少は時間を掛けたのだが、まあ良いだろう。それも世界の定めた運命ゆえ」

 

 警察の調査が確かなら、多少どころの話ではない。記録上、白鷺小百合が児童養護施設の従業員になったのが一年前だ。この計画に一年は掛けている。それを失敗しても運命として受け入れることが理解不能だ。

 

 頭がいいのか悪いのか、要領がいいのか悪いのか、諦めがいいのか悪いのか、すべてがごちゃごちゃに感じる。あまりにも言動が人間離れしていて人物像が掴めない。

 

 ただただ正しく狂っている。話しているだけで頭が混乱してきそうな魔法使いだ。

 

「なぜ更科那美を利用した?」

 

「あの子がそれを望んでいただけのこと。魔法使いになりたかったのだろう? だから魔法使いにしてやった。それがたとえ幻だろうと、当人が信じるならばそれは真実だ。そして、魔法使いならば利用することに私がなんの痛痒を感じようか。分かるだろう?」

 

 分かるわけがない。一片たりとも理解できない。なにをどうすればこれだけ思考がねじれるのか。人の精神の枠からずれてしまっている。

 

「さて、せっかく姿を現したのだ。やはり《ベルベット》らしく魔法使いを殺そうか」

 

 なあ、とアーキが微笑む。人形が無理やり笑ったような、気味の悪い笑み。

 

「そなたらもそう思うであろう?」

 

 殺意が膨れ上がった。

 

 白鷺小百合の姿のアーキが弱者に差し伸べるように手を動かした。ただそれだけで死んだと思うほどの圧倒的な恐怖が背筋を襲った。

 

「稲垣さんを!」

 

 アイシアの言葉で身体が動く。未だ痛む左足で地面を蹴りAWSを起動。最大加速で稲垣へと到達し捕まえて上昇。天井に開けられた穴から外へと脱出。その判断が命を救った。

 

 背後から猛烈な衝撃と轟音。

 

 西棟が内側から爆発したのだ。元が西棟だった瓦礫が半球状に空を舞う。瓦礫が隣接する棟群に衝突し更に被害を増やしていく。海へと落ちた瓦礫が大きな水しぶきを上げる。これによって起きた津波で、ターミナルに付けていた水上バスが転覆した。

 

 弓鶴は稲垣を唯一無事な右腕で抱えて上昇を続けたまま言葉を失った。ただの一撃でこれだ。直撃していたら肉片ひとつ残らなかっただろう。

 

 捕まえた際の衝撃で気を失っていた稲垣が目を覚ます。

 

「なんだこれは……」

 

 地上を見て稲垣が驚愕の声を漏らす。

 

「これが、最高位魔導師か……」

 

 稲垣の声には魔法使いへの畏れがあった。

 

 爆発の正体は単純だ。元型魔法の《観念力動》で衝撃波を発生させただけだ。だが、ただそれだけで倒壊寸前とはいえ建造物を爆破させたのだ。威力の桁が違い過ぎた。那美と戦っていたときに使用していた魔法など、これに比べれば児戯に等しい。被害のことなど想像もしたくない。集った刑事課と警護課は文字通り消滅しているだろう。

 

 これはもはや弓鶴たちの力では対抗できない。本当に国家が総力を挙げて戦うべき敵だった。

 

「まだ生きているか。さすがASU魔導師はしぶとい」

 

 頭上からアーキの感情なき声。

 

 反射的に顔を上げると、弓鶴の遥か頭上にアーキが悠然と浮いていた。元型魔法の《観念力動》には、魔法転移と呼ばれる技術が存在する。己の精神を移動させることで結果として肉体を転移させるそれは、視界内や己の疑似生命体がある場所ならば一瞬で転移できる強力な魔法だ。

 

 相手は超高位魔導師だというのに、弓鶴は思わず叫んだ。

 

「なに考えてんだ! いまの一撃で一般人まで確実に巻き込んだぞ! 人を愛してるんじゃなかったのか!」

 

 アーキの返答に疑問が孕む。

 

「なぜと問うか。知れたこと。魔法使いを殺すには犠牲が必要だ。人類はいまや百億以上もいるのだぞ? 少しくらい減ったところで些細な問題であろう? 誤差の範囲である」

 

 無茶苦茶な言い分だ。頭のネジが一本どころかすべて飛んでいる。極まった魔導師はここまで常識外へ両足を突っ込んでいるのかと頭を抱えたくなる。

 

 ともかく、状況は最悪を通りこして絶望的だった。アーキの言い分を信じるのであれば、弓鶴が抱えている一般人の稲垣は容赦なく殺される。

 

 戦力は弓鶴と恐らく生存しているアイシアのふたり。互いに人を抱え、更に重傷を負っている。勝てる見込みが塵ひとつない。

 

 援軍が必要だった。生半可な腕ではない、アーキと同じ超高位魔導師の援軍が。

 

 突如、地上から放たれた極大のレーザーがアーキを直撃した。衝撃で弓鶴たちの身体が翻弄される。

 

「な、なんだいまのは⁉」

 

 稲垣の狼狽。

 

 弓鶴はようやく緊張が解ける思いがした。あのレーザーは見覚えがある。精霊魔法が《電磁結合》による荷電粒子砲だ。ランベールが使用したものよりも遥かに極太で強力な、まさしく超高位魔導師が放った一撃だった。

 

 まさに待ち望んでいた援軍が来たのだ。

 

「弓鶴さん! アイシア! 無事ですか!」

 

 鈴を転がしたような澄んだ声。そして声の主が眼前に現れる。

 

 絶世の美女がいた。見た目年齢は二十代前半か。稀代の彫刻家が一生を費やし創り出した最高傑作かと疑うほどの、各パーツが完璧なまでに美の位置に収まった女性。瞳は人工的なカラーコンタクトで染められた深い青。腰まで伸びた銀糸の髪が風にあおられ広がる様は、まるで天使の翼のよう。

 

 アイシアの母、アリーシャ・ラロだった。

 

「アリーシャさん、俺は無事だ!」

 

「私もなんとかね。来るのが遅いよお母さん。今日三回くらい死にかけたんだけど」

 

 アイシアの非難めいた声。姿は見えなかったが、やはり彼女も生きていたのだ。

 

 更に、もうひとりの魔導師が魔法転移をしてくる。深紅のローブを風にはためかせて現れたのは、アイシアの父ラファランだった。

 

「すまん、転移許可を得るのに手間取った。あと下の連中は無事だ。仲間が魔法で救護してる」

 

 ラファランとアリーシャが散開してアーキを囲む。

 

 アーキは超高位魔法の直撃を受けても無事だった。

 

 極まった元型魔導師は、自身の精神の状態を固定化することであらゆる攻撃を防ぐ鉄壁の防御を持つ。元型魔法は精神が世界を形作っていると説くから、そんな常識を超えた防御方法も存在するのだ。少しでも動揺すれば解けてしまう脆弱さと、絶対防御の強固さを兼ね備えたその魔法は、全元型魔導師の中でも完全に扱えるものが数人いるかいないかの希少魔法だ。

 

 すなわち、超高位魔導師二人を相手にしているのに、アーキの精神は微塵も揺れていない。

 

「ASU本部重犯罪魔導師対策室か。浮遊都市からわざわざ来たのか。ご苦労なことよ」

 

 アーキの科白にラファランが反応する。

 

「お前は派手にやり過ぎだ。ASU警護課の連中が魔導師密売組織を締め上げたときに《ベルベット》の名前が出たから慌てて駆けつけたらこれだ。来た瞬間《観念力動》を食らって死ぬかと思ったぞ。少しは加減ってものを知らないのかお前らは」

 

「魔法使いを殺すためゆえ、無駄な加減など必要ないであろう?」

 

 目的と手段がまるで噛み合っていない。話している理屈がさっきから常識外なのだ。当然ラファランが突っ込む。

 

「人を愛するとか言う口でそれか。お前、言ってることがおかしい自覚あるか?」

 

「大事の前の小事だ。多少の犠牲はやむなし」

 

「お前みたいな魔法使いがいるから普通の魔法使いが苦労するんだよ。少しは反省して《次元回廊》を食らうかさっさと死んでくれ」

 

「無理である。私には魔法使いを抹殺する責務があるゆえ、死ぬことも《次元回廊》で無為に時間を過ごすこともできない」

 

「なんで超高位魔導師はいちいち言い方が大仰なんだよ。お前何歳だよ。俺より年上か? 旧《連合》時代の元型魔導師だったら下手すれば百超えてるな。どうでもいいけど話していて苛々する」

 

 ラファランが心底嫌そうな顔をして吐き捨てた。アーキは精神の水面が平坦なように無表情のままだ。

 

「歳など数えることはなくなった。極まった魔導師に歳など関係なかろう?」

 

「そこまで言えるなら相当歳食ってるだろ。少しは落ち着けよ。ガキじゃないんだからそこかしこで破壊をまき散らすな。あといいからその姿やめろ。姿と声があってなくて気持ち悪い」

 

「すべて理由があってのこと。魔法使いは絶滅すべし」

 

「自己矛盾すぎるだろ」

 

 超高位魔導師たちが放つ圧力が増す。その場にいるだけで粉微塵になりそうな濃厚な殺意。弱者ならばこの場にいるだけで泡を吹き気絶する緊張感。

 

「だったらお前が先に死ね」

 

 ラファランの言葉と共に、超高位魔導師らの戦端が開かれた。

 

 

 

 



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第三章:善悪の天秤 6

 第九階梯同士の戦闘は、一瞬で終わるか長引くかの二択だ。互いが防御で固めれば時間がかかるし、全力で攻撃を打ち合えばすぐに決着が着くことが多い。それだけ最高位魔導師の攻撃力は桁違いだ。それはまさに、戦略級核兵器を撃ち合うに等しい。

 

 まず動いたのはラファランだ。攻撃よりも先に守勢に回った。弓鶴ら四名を魔法転移させたのだ。彼らにとって四人はただの足手まといだ。即時撤退させなければ防御に回らざるを得ずじり貧になるしかない。

 

 その隙を補うように動いたのが妻アリーシャだった。彼女の身体を紫電が覆い、原型がぶれる。

 

 精霊魔法の《電磁結合》で自らを雷に変換したのだ。そして周囲には呆れるほどの量の荷電粒子の塊が出現する。原子核と電子を一対に、それぞれ球状に回転させたそれが、一気に混在して電気的に中性になる。直径二メートルを超える中性粒子レーザーが百条、アーキに向かって放たれた。

 

 すべてアーキに着弾。これで決着がついたかに見えた。

 

 しかして、アーキは何事もなかったかのように空に静止していた。極まった元型魔導師は精神が揺れない限りあらゆる物理的攻撃を無効化する。ほとんどが物理攻撃ばかりの精霊魔法は、元型魔法のこの防壁に対して相性が悪い。

 

 だから、これはただの目くらましだった。一都市すら軽く葬れる威力の攻撃がだ。

 

 無数の魔法的極点が生まれる。目に見えない極点へ向け、それぞれ周囲五十メートルの空間が波立つ。

 

 因果魔法の《時流制御》には、空間は時間の連続によって成り立っているという観測の元、空間操作を行う時空魔法が存在する。

 

 この時空魔法によって、ラファランは超重力による一種のブラックホールを無数に生み出したのだ。元型魔法による特殊防壁も空間を操られれば成す術がない。これにはたまらずアーキは《観念力動》でもって即時退避を始める。

 

 ラファランがそれを逃すはずがなく、範囲内の空間が一気に極点へと収束し、あらゆるすべてを圧搾する。寸前、アーキの姿が魔法転移で掻き消えた。

 

 ラファランの圧倒的経験値が警鐘を鳴らしていた。

 

「回避!」

 

 空気の破壊音と共にアリーシャが雷の姿で更に上空へと雷速で退避。ラファランも因果魔法による転移魔法で彼女と同じく回避した。

 

 直後、不可視の衝撃波が、ふたりが直前までいた場所を殴った。衝撃波はそのまま海へと堕ち、巨大な水しぶきを上げる。更に元型魔法が展開。海面の一部が急激にせりあがる。直径五十メートルほどの円柱状に海面がぐんぐんと上へと伸びていく。当然、容積を減らした海面が猛烈な勢いで下がっていく。

 

 アーキは元型魔法の《元型投影》で海水に精神を吹き込み疑似生命体化している。否、いまや円柱は形を変え、ラファランらがいる高度の遥か上空、全長一キロメートルを超える東洋の龍の姿になって上空を泳ぎ始めた。

 

 元型魔法の極地、《生命創造》によってアーキは自律する海龍を創り出したのだ。海龍は術者の意思を離れ、組み込まれた魔法組成式の通り目につく敵を殺す破壊神となった。

 

 正直言ってこれは詰み手に近かった。アーキを殺したら元型魔法が解ける。そうすれば海龍が落ちる。重さは直径の二乗×高さ×〇.八×比重。つまり、二千万トン以上の海水が塊となって一気に地上に落ちるということだ。仮に上空一キロから落ちたと仮定した場合、TNT換算にして四十七メガトン。かつてソ連が開発した世界最強の威力を誇る水素爆弾ツァーリ・ボンバは、約五十メガトンとされるため、ほぼ互角だ。少なくともお台場から半径二十キロは壊滅的な被害を受けるだろう。そうなれば日本の都市機能そのものが潰れる。すなわち、事実上日本が死ぬ。

 

 当然、アーキを倒さなければ海龍はすぐにでも暴れ出し、せっかく被害を食い止めた地上に想像を絶する災厄をまき散らす。

 

 ただひとりの超高位魔導師が本気を出すだけで、一国の存亡が決定する一大事が発生するのだ。

 

 海龍が声無き雄たけびを上げた。それだけで大量の水しぶきがもはや高速の水弾となって飛び散る。被弾すれば即死だ。射程圏内にいたラファランとアリーシャが回避行動に移る。その間隙を縫って、雷化したアリーシャに衝撃波が直撃した。半径五百メートルに渡って雷が大気を吐き出しながら周囲に撒き散らされていく。

 

「まずはひとり」

 

 ラファランの耳にどこからともなくアーキの声が届く。《元型投影》によって生み出された大量の妖精が、周囲一キロメートルを埋めていた。 

 

 妻を撃墜されたラファランは、しかし、慌ててはいなかった。アーキの姿を捉えた彼は、数瞬後にそこが猛烈な光に包まれる様を見た。圧倒的光量を受けて端末が自動的に眼球へ遮光を付与する。

 

 それは太陽だった。

 

 精霊魔法の《電磁結合》によって生み出された極光は、核融合によって生み出された神話の焔。摂氏一億度を超える圧倒的エネルギーが、なにもかもを飲み込み一瞬で蒸発させていく。その熱量により大気ですらプラズマ化するほどだ。この魔法の直撃を受けて耐えられる存在などこの世にはない。

 

 そう、この魔法の主はラファランの妻であるアリーシャだ。彼女は無傷だった。

 

 精霊魔法によって雷化した彼女には物理攻撃が通用しない。なぜなら雷そのものになったからだ。

 

 精霊魔法における《電磁結合》の法則で自らを規定すると、肉体が根本から雷と同一になる。雷を物理的に攻撃しようが衝撃波で爆散させようが、雷そのものは破壊できない。それと同様、雷と化したアリーシャに《観念力動》による攻撃など通用しない。彼女を殺すのならば、雷そのものを殺すしかないのだ。

 

 アリーシャが雷化を解く。全精神力を魔法制御に注いでいるのだ。核融合から放たれるエネルギーを解き放てば東京を飲み込み大災害となるからだ。

 

「ラファラン!」

 

 アリーシャが叫ぶ。彼女の表情には余裕がなかった。

 

 アーキは核融合魔法の直撃を食らってなお耐え、更に掌握しようとしているのだ。超高位魔導師の魔法を捕まえるなど常軌を逸している。

 

 ラファランは即座に現戦力ではアーキを殺しきれないと判断。準備していた魔法を発動する。

 

 アーキを食らっている核融合魔法ごと、空間が球状に揺れ動く。

 

 因果魔法には、時間軸を歪曲し始端と終端を結ぶことで対象を時間の檻に閉じ込める《次元回廊》という超高位魔法が存在する。《時間制御》による独自時間軸を作成、《因果収束》によって時間軸を歪曲し、《因果改竄》により原因と結果を結び、円環を形作ることで生み出される。この《次元回廊》に閉じ込められた者は、始まりと終わりの無い時間軸を永遠に繰り返すことになるのだ。

 

 抹殺が不可能な魔人にのみ使用されるその魔法は、ラファランがアーキを災厄級と判断している証だ。

 

 しかし、一見して強力に見えても、どんな魔法にだって弱点はある。《次元回廊》はその複雑さゆえ、発動から展開までに時間が掛かる。

 

 この魔法の開発者である超高位魔導師のラファランとて、その枷からは逃れられない。そして、その隙を待ってくれるほどアーキの魔法は甘くない。

 

 自律する疑似生命体である海龍がラファランへ水弾を射出する。その数は優に千を超える。

 

 アリーシャは核融合魔法の、ラファランは《次元回廊》の制御で手一杯だ。しかし、アーキも妖精を消して核融合の掌握へ全力を尽くしている。あと一手が足りなかった。

 

「なんとかしろジャンヌ!」

 

「任された!」

 

 叫ぶラファランに応えたのは、突然戦場に飛び込んできた赤髪ショートカットの女性魔導師だ。正義の光を瞳に宿し、ジャンヌ・トゥールーズが世の法を操る魔法を発動する。

 

 律法魔法とは“すべては法により作られている”という観点で世界を記述する魔法体系だ。彼らはあらゆる物理法則を法として知覚することで法則を歪め得る特異点を生み出す。全十二体系の中でも最強格と目される概念魔法に次ぐ強力な魔法体系だ。

 

 ラファランへ直撃寸前の水弾をジャンヌの律法魔法が捕らえる。一瞬にして速度を〇に変更された水弾がその場に静止した。そして更に律法魔法を重ねる。全長一キロ全重量二千万トンの水龍が律法魔法に補足された。のたうつ海龍が静止し、形が崩れて巨大な球体になる。元型魔法で敷かれた法則を律法魔法で捕らえ、強制的にその魔法法則をなかったことにしたのだ。

 

 律法魔法だから可能な強力な魔法無効化だった。

 

 ジャンヌが完全に掌握した水球をゆっくりと海へと落としていく。

 

「ラファラン、こちらは私が対応する! アーキを仕留めろ!」

 

 ラファランの口元に笑み。

 

 核融合魔法の掌握まであと刹那。これが元型魔法によって支配されれば全滅は必死。三人が死ねば日本の首都機能が停止する。だが、その僅かな時間で十分だった。

 

 遂に《次元回廊》が発動。時間の始点と終点が繋がる。魔法に飲み込まれた空間は、あらゆるすべてが永遠に円環の理に回り続ける世界となる。核融合魔法の光ごと、アーキが《次元回廊》の円環に飲み込まれていく。極光が渦巻きながら中心の黒点へと消えていく。やがてそれは、光すら出さない空間が黒い球体となった。

 

 人ひとりを簡単に塵にする魔法が飛び交う戦場が、遂に凪になった。

 

 ジャンヌが水球を完全に海へと沈める。

 

 全力を出し尽くしたラファランが、荒い息を吐いて眼下を見下ろした。そこには、破壊しつくされたはずの国際展示場の無事な姿があった。常人ならばあり得ないと叫ぶ光景を見ても、彼は平然としていた。なぜならこんなことができる超高位魔導師が仲間にいるからだ。

 

「あれ直したのか。さすが律法体系。だけど来るのが遅いだろ……」

 

 ラファランのぼやきにジャンヌが呆れた声を返す。

 

「それくらい耐えてくれ。被害者を一人も出さなかったことを褒めてほしいくらいだ」

 

「俺もASUの連中を転移させてからこっちに来たんだ。超高位魔導師ならなんとかしろよ」

 

「君は昔からいつも無茶ばかりするが、最近はその無茶がこちらにまで来るようになったな。勘弁してくれ」

 

 まあまあ、と若干険悪ムードになったふたりをとりなしたのは妻アリーシャだ。

 

「なんとか《ベルベット》の一角を封印できたのですから良しとしましょう。それより、アイシアと弓鶴さんが心配です。弓鶴さんなんか左腕が無くなっていましたよ。すぐに治療しにいかなくては」

 

「そうだな。とりあえず危機は去った。戻るか」

 

 妻の言葉にラファランは矛を収める。彼は愛妻家なのだ。基本的に妻の言葉には従う。その姿を見てジャンヌの呆れ具合が増したのはいつものことだった。

 

 

 

 



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終章:すべては時流の彼方へ

 空で行われていた戦闘が終わっていた。まさしく怪物同士の戦いともいえる大規模戦闘だ。

 

 弓鶴その間、律法魔法によって修復された国際展示場の東棟で更科那美の治癒を見守っていた。人の掃けた静かな会場で、幼子の治療にアイシアが全力で当たっている。

 

 傷口は腹部の刺し傷のみ。しかし、それは心臓を直撃していた。外傷は既に治っているが、アイシアの表情には焦りがあった。

 

「たぶん治った。けどこれは応急処置だから、すぐにでも魔法医に見せた方がいいよ。万が一があるから」

 

「ならASUに連絡を!」

 

 そう言って端末を取り出そうとして、弓鶴の動きが激痛で止まる。戦闘の緊張が解けて左腕と両足が悲鳴を上げていた。

 

「キミも重症なんだから大人しくしてて!」

 

 アイシアが弓鶴へ治癒魔法と鎮痛魔法をかけ始める。鎮痛魔法により痛覚が麻痺し、痛みが一気に引く。

 

「骨折と脱臼はなんとかなるけど左腕は私じゃ無理。キミも専門医に行って。まだ止血は保てそう?」

 

「なんとかな」

 

 強張っていた身体がほぐれる。ようやく現状を正しく認識し始めたようだった。

 

 更科那美は魔法使いではなかった。背後にいた白鷺小百合に変身した《ベルベット》のアーキが真犯人だった。すべては彼の気まぐれと魔法使い抹殺を目的とした行動。そんな下らないもののために全員が振り回され、日本の首都は滅亡の危機一歩手前にまで陥れられた。

 

 そしていま、更科那美は生死の境を彷徨っている。人殺しではない無実の少女がだ。弓鶴がぼんくらだったから、彼女が魔法使いではない考えに至らず刺したのだ。浅慮にもほどがあった。あまりにも愚かで、自分で自分を殺したかった。

 

 治療を続けているアイシアが弓鶴を呼ぶ。その額には魔法の連続使用で疲弊しているのか汗が光っていた。

 

「自分を責めちゃだめ。私も騙された。警察も、ASUも世界中すべてが騙された。あんなの分かりっこない」

 

「ヒントはあった。分かってやるべきだった。気づいてあげるべきだった。なんでだ? なんで更科那美ばかりこんな悲惨な目に合うんだ?」

 

 それは現実に対する怒りと悲痛だ。

 

 両親を事故で無くし、友人が犯され、自らも犯されかけ、魔法使いになったと勘違いして間近で人を死ぬ姿を見続け、マスコミに顔と名前を晒し自らを犯人と名乗らされ、国際展示場占拠事件のまで起こして、挙句がASUに殺されかけた。なんだこれは。すべてが更科那美をこの世から放逐しようとしているようではないか。

 

 たった一人、誰かが気づいてやれればこんなことにはならなかった。それは弓鶴だってそうなのだ。気づけるチャンスはいくらでもあった。だが、思考を止めたことで正解に至らなかった。それは彼の怠慢だ。

 

 更科那美の生きる道は暗い。全世界に名前が知られ、犯人だと思われてしまったからだ。事実、殺人幇助として罪に問われるのかもしれない。こんな結末は間違っていると思った。

 

 アイシアは何も言わなかった。彼女も言うべき言葉が見つからないようだった。

 

 世間において、更科那美は悪だった。被害者が容疑者とはいえ殺して回っていたからだ。だが、それは本人がそう思い込んでいただけで実際に犯行を行っていたのは別人だった。つまり、善悪が逆転したのだ。まるで波が上下に揺れるように。警察もASUも犯人ではない子どもを追い、あまつさえ殺し掛け、そしていま無様に結末を憂いている。なにもかもめちゃくちゃだ。こんな馬鹿げたことがあっていいのか。

 

 すぐ傍で男が起きる声がした。気を失っていた稲垣だった。高位魔導師の魔法で連れまわされれば当然だ。はっとして起き上がった彼は、状況を確認し絶望の顔をした。

 

「全員無事か⁉ どうなった⁉」

 

「俺とアイシアは重症だけど生きてます。更科那美もなんとか命を繋いでいる状況。すぐにでも魔法医に見せた方がいいです。アーキはアイシアの両親が戦っていて、たぶんもう戦闘は終わってます」

 

「すぐにISIAへ魔法医の手配をする」

 

 稲垣が端末を操作して魔法医を呼ぶようISIAへ指示をする。連絡を終えた彼が長い息を吐き出した。

 

「更科那美は魔法使いではない。これは確かだな?」

 

 アイシアが答える。

 

「間違いありません」

 

「なぜ気づけなかった」

 

 その問いに言うべき答えが見つからない。稲垣が顔を覆った。

 

「いや、責めているわけではない。君らは命を賭してよくやってくれた。それは分かっている。あらゆる証拠が更科那美を犯人だと言っていた。超高位魔導師とやらが背後にいるなど想像すらできなかった」

 

 弓鶴が首を振る。違う、違うのだ。

 

「俺たちが怠慢だったんです。もっとよく考えるべきだった。最初から白鷺小百合は怪しかった。なのに更科那美ばかりが目立ってそちらに目が向いて、本来考えるべき点を見失っていた。元型魔法じゃ鎧が那美と喋るなんてありえない。その時点で那美は鎧を使役してなかった。そんな簡単なことすら気づかなかった俺たちはただの馬鹿だ」

 

 これは懺悔だ。いっそ稲垣に責めてほしかった。お前たちは無能で、お前たちのせいでこんな悲劇が起きたのだと罵倒してほしかった。

 

 それでも、稲垣は弓鶴たちを責めはしなかった。

 

「君たちは本来担当外だったと聞いている。事件解決の専門ではない。犯人逮捕時に手を貸してもらうことだけが担当だったのだ。私たち警察とASU刑事課が真相に至るべきだった。互いに歩み寄ることすらできず、君たちを間に入れざるを得なかったのは我々の怠慢だ。責めを負うべきは我々警察とASU刑事課だ」

 

 稲垣の声には悔しさと後悔が滲んでいた。国家と国際機関の治安維持組織が超高位魔導師ひとりにいいように弄ばれたのだ。

 

 三人が黙したそのとき、急に不遜な声を投げられた。

 

「更科那美の身柄を頂こうか」

 

 ASU刑事課ランベール・ディディエだった。彼は面倒そうな表情をしつつこちらに歩いてやってくる。反応したのはアイシアだ。

 

「更科那美は魔法使いじゃない。彼女は魔法犯罪者じゃない。ここから先は警察の管轄だよ。キミは出ていって」

 

 はて、とランベールが首を傾げる。

 

「更科那美は魔法使いだ。そして即時抹殺命令が出ている。ならば殺す必要があるだろう?」

 

 唖然とした。ランベールが何を言っているのか弓鶴は一瞬理解できなかった。

 

「なに言ってんだ? 更科那美は超高位魔導師に誘導されてただけだ。実際に人を殺しちゃいないし魔法だって当然使ってない。ASUが出る案件じゃないだろ」

 

「それが事実だとして、なにか関係あるかね? 更科那美は殺すべきだ」

 

「はあ?」

 

 言っている意味が分からない。が、はたと弓鶴は気づく。真相解明の時、彼ら刑事課は意識を失っていた。ランベールは“更科那美が魔法使いではないという事実を知っているはずがない”。つまり……。

 

「お前、気づいていたな?」

 

「なにがかね?」

 

 弓鶴が激昂した。

 

「気づいてたんだろ! 更科那美が操られてるだけだって知ってたな⁉ なぜ言わなかった‼」

 

 弓鶴の怒声に顔をしかめたランベールが涼し気に言う。

 

「抹殺指令が出た以上殺す。どんな相手であろうがだ。違うかね?」

 

 ランベールの物言いに、最悪な展開が弓鶴の脳裏に浮かんだ。ASUらしい最悪なやり方が。

 

「お前……まさか、更科那美が魔法使いだって事実を公表せずにこの子にすべての罪を被せる気か……?」

 

「魔法使いを魔法使いとして認定する客観的証拠は存在しない。あるのは当人の自覚と外から見た魔法を使う姿だけだ」

 

 魔法適正検査の欠陥のひとつをランベールが言った。魔法適正検査は視覚や聴覚検査のように、自身が感じたものを答えてそれを基に決める。本人が言っている言葉が嘘であれば事実は簡単に捻じ曲げられる。だから更科那美も現時点では魔法使いだと彼は言っているのだ。

 

「アーキが自供した! 更科那美は魔法使いじゃない! 客観的証拠が存在する!」

 

「《ベルベット》の言うことを信用しろと?」

 

 魔法使いは過激だ。犯罪魔導師だと判断すれば情状酌量の余地なく殺す。ISIAが止めなければASUは処罰し続ける。そして、世論はそれを是とする。狂っていると思った。

 

「ふざけるな! だったら本人の意識が戻ってからまた検査すればいい!」

 

「超高位魔導師だったらどうする? 簡単に逃げられるぞ? また刑事課を動員して事に当たれということかね?」

 

「そんな理由で無実の人間を殺すのか? なんだそれは! お前ら狂ってやがる!」

 

 弓鶴の物言いにランベールが眉をひそめた。

 

「刺したのはキミではないか。狂っている? なにを言っている。キミの考えこそ頭がどうかしている。犯罪魔導師は即座に殺す。これが魔法使いのルールだ」

 

「犯罪魔導師っていう前提が覆されたんだぞ⁉」

 

「それは状況証拠に過ぎない。我々は更科那美が魔法を使う姿を見ているのだ。これ以上明確な証拠が必要かね?」

 

「検証が必要だって言ってるんだよ! アーキに操られていた一般人だぞ? 更科那美から話を聞く必要があるだろ!」

 

「必要ない。更科那美は《ベルベット》アーキと共に大量殺人と国際展示場占拠事件を起こした。あまつさえ日本の首都上空で強力な魔法戦闘までする始末だ。ASUの精鋭部隊が来なければ危うく日本の首都が壊滅するところだった。これだけの事件を引き起こしておいて、即時抹殺以外に一体どんな処置がある?」

 

 完全に話が平行線だった。ASUはどうしても更科那美を殺したいのだ。なぜか。一般人に翻弄されていたなど醜聞だからだ。だから超高位魔導師ならば仕方がないと納得したいために殺す。下らない魔法使いのプライドが更科那美を殺すのだ。相変わらず魔法使いの思考回路はイカれている。

 

「お前らは、一体なんだ⁉ 根本的に価値観が違い過ぎるだろ‼」

 

 弓鶴の問いの答えは簡単だった。ランベールが何を言っているのだというように答える。

 

「魔法使いに決まっているだろう。キミもそうではないか」

 

「お前らみたいなクソ野郎と一緒にするな‼」

 

 弓鶴の心からの叫びだった。魔法使いはどいつもこいつも狂っている。扱う魔法体系の魔法世界を知覚しながら生きているから、一般人とは根本的に価値観が異なる。だからといって、二十一世紀にもなって疑わしいから殺すなど、常軌を逸している。

 

 稲垣は呆れて言うべき言葉が見つからないのか、魔法使いの理論に唖然としていた。アイシアもなにも言えないのか黙っている。

 

 折角事件が解決しようとしていたのに、ランベールが現れただけで事態が狂いだした。いや、最初から狂っていたのかもしれない。魔法使いが世に現れたときから。そしてASUに弓鶴が入ったときから。嫌というほど見せつけられたではないか。魔法使いは頭がおかしいと。その極地がこれだ。

 

 十一歳の女児の生死をこの場にいるものが決めようとしている。そこに人類が敷いた法などどこにもない。ただの私刑だ。

 

 一体正義はどこにある?

 

 弓鶴は、かつて魔法使いが憎かった。魔法使いによって父親を殺されたからだ。だが、魔法を使えると知って、アイシアに助けられて、正義の魔法使いに憧れた。魔法で人々を救うんだと心に誓った。そして悪い魔法使いをやっつけてきた。

 

 それがなんだ。十一歳の魔法使いではない一般人を己の刀で刺し、魔法使いからはそいつを殺すから身柄を寄越せと言われている。これが目指した正義の魔法使いか?

 

 怒りと憤りと失望で頭が沸騰していた。

 

「こんな、こんなのが魔法使いなのか? 俺たちがやってることは一体なんなんだ?」

 

 弓鶴の声は震えていた。自身の言葉が制御できなかった。感情が爆発した。

 

「これが魔法使いのルールだっていうなら、魔法使いなんて滅んじまえ!」

 

「同感だな弓鶴」

 

 そのとき、魔法使いが転移してきた。重犯罪魔導師対策室のラファランとアリーシャ、そしてジャンヌだった。

 

「魔法使いは狂ってる。滅べばいい。かつて俺が抱いた怒りだ。同じ想いを持ってくれて嬉しくおもうぞ」

 

 ラファランが弓鶴を見て笑った。弓鶴にとって、ラファランは憧れの魔導師だった。その魔法使いに肯定されたことが嬉しかった。

 

「弓鶴さん、すぐに治療を!」

 

 アリーシャがアイシアから治療を引き継ぐ。超高位魔導師の治癒は一瞬だ。瞬く間に左腕が生え、両足の痛みが無くなり完治した。並行で治癒していた更科那美を見たアリーシャがアイシアを見る。子どもの成長を誇る母親の表情だった。

 

「よくやりましたねアイシア。この子も無事です。応急処置が適切でした」

 

 アイシアが頬を掻いて照れてみせる。

 

「そりゃあお母さんにしごかれたからね。ちゃんとやったよ」

 

 場の雰囲気が変わる。急に空気が弛緩したのだ。そして、慌てたのはランベールだった。なぜなら、突如乱入したこの三人は、第九階梯の超高位魔導師だ。縦社会に生きる魔導師にとって、上位階梯の言葉は神の言葉そのものだ。つまり、この場で一番階梯が高かったランベールだが、いきなり上位の者が現れたから彼らに従うしかないのだ。

 

「超高位魔導師の皆さま。ご足労頂き感謝いたします」

 

「心にも思ってないことを言わなくていい。刑事課を連れてさっさと消えろ。ここは俺たちが持つ」

 

 ラファランが冷たく言い放つ。ランベールの顔が歪んだ。

 

「ラファラン様、しかしこの娘、更科那美は魔法使いの可能性があります。起こした事件を考えればASUとしては抹殺が適当かと具申致します」

 

「俺が持つって言っただろ。魔法使いならこの言葉の意味が分かるだろ? お前がよく言う低階梯はさっさと消えろって言ってるんだ」

 

 ランベールが奥歯を噛む。彼は魔導師階梯で上から二番目の第八階梯だ。第九階梯魔導師など数えるほどしかいないから、命令される経験が少ないのだ。

 

「承知しました。撤収します」

 

 頭を下げたランベールが踵を返して去っていく。その後ろ姿を憎らし気に見つめていた弓鶴は、彼がいなくなったことを確認するとほっと息を吐き出した。

 

「助かりました。本当に更科那美を殺されるところでした」

 

 気にするな、とラファランが肩をすくめた。

 

「こっちも大体状況は把握してる。ブリジットが妖精で教えてくれたからな。あいつ、仕事になると急に真面目になるよな。そういうところはシャーロットと似てるよなあ」

 

 シャーロットとはブリジットの叔母だ。旧《連合》時代のラファランの同僚らしかった。

 

「とにかく、超高位魔導師相手によく戦ったな。俺たちが来るまで耐えてくれて助かった」

 

 ラファランが弓鶴の肩を叩く。浮かべた表情はどこか誇らしげだった。

 

「いえ……結局、俺たちは見当違いな相手に刃を向けていました。最後もラファランさんたちに助けてもらっただけです」

 

 うなだれる弓鶴にラファランが温かい声を掛ける。

 

「なに、適材適所って言葉があるだろ。今回弓鶴たちは専門外の仕事なのによくやったよ。ああいう規格外の化物を相手にするのが俺たち重犯罪魔導師対策室なんだ。気にするな。どうせすぐに弓鶴も強くなる」

 

「えーっと、私は?」

 

 弓鶴ばかりが褒められていることにアイシアが拗ねていた。

 

「お前もよくやったよ」

 

 ラファランが苦笑して娘の頭に手を置いた。髪の毛をくしゃくしゃにされながらも、アイシアの顔は嬉しそうに綻んでいた。

 

 そこで稲垣がラファランへ向く。

 

「埼玉県警の稲垣と申します。更科那美の身柄は警察で引き受けたいのですが、構いませんか?」

 

「ああ、挨拶が遅れました。ASUのラファラン・ラロです。うちの者が大変失礼しました。更科那美の件ですが、まずは念のため魔法適正検査を行っていただけませんか? もし本当に魔法使いだった場合、警察に被害が及ぶ可能性がありますので。検査には我々が立ち会うのでご安心を。その後、魔法使いではないと判明した場合は警察へ正式に身柄を渡します」

 

「分かりました。それでお願い致します」

 

 稲垣が安心したように息を漏らした。いままで弓鶴とアイシア以外にまともな魔法使いと話してこなかったのだろう。ラファランへ親近感を向けていた。

 

 ようやくこれで事件は収束した。反省点も多く、更科那美の未来のこともあるが、それでも一応の幕は引かれたのだ。

 

 

 

 事件後、意識を取り戻した更科那美の魔法適正検査が行われた。結果は陰性だった。やはり彼女は魔法使いではなかったのだ。本人は急に魔法が使えなかったことに驚き狼狽えていたため、一度警察病院に送還されることになった。落ち着くまでしばらく様子を見るという警察側の配慮だった。

 

 今回の件は超高位魔導師が誘導していたとはいえ、殺人幇助にあたる可能性があるらしい。国が国選弁護士を立てて慎重に事を進めることとなった。

 

 警察が開いた記者会見によって事件の全容が公表された。警察もASUも大バッシングを受けた。無実の十一歳の少女を追い回していたのだから、当然の報いだった。だが、これによって世間が抱く魔法使いへの心象が更に悪くなった。ISIAは完全に頭を抱えることになった。

 

 児童買春顧客リストに載っていた容疑者たちは全員逮捕された。総勢五十名を超えるそのリストの中には、政財界や大企業の幹部など、数少ない大物が名を連ねていた。これもまた大問題になり、マスコミがこぞって児童買春について論じることとなった。

 

 そして、弓鶴たちは翌日からすぐに現場に復帰した。まだ魔法適正検査の警護が終わっていなかったからだ。地獄を潜り抜ける忙しさを過ぎた頃には、もう年が明ける寸前だった。

 

 カレンダーの日付は十二月三十一日大晦日になっていた。

 

「あー疲れた。我、もうしばらく仕事したくない……」

 

 刑事課のオフィスで椅子に寝そべったブリジットのぼやきは、アイシア班全員が共有する思いだった。なにせ最後の警護が先ほど終わって帰ってきたばかりなのだ。休日もなく、クリスマスですら警護していたくらいだ。だが、班長であるアイシアはそんな連中の手綱を締める長だ。

 

「まだ終わったのは埼玉だけだよ。来年からはすぐに群馬、栃木、千葉、東京、神奈川が始まるよ。ぼさっとしてられないからね」

 

「地獄です……」

 

 ラファエルが嘆きながら自席に突っ伏す。弓鶴も同じ気分だった。これがあと四県一都あると思うと気が重かった。

 

「折角活躍したのに弓鶴さんに見てもらえませんでしたよ。これでは私の威厳が保てないのでは……?」

 

 オットーは相変わらず意味不明なことを言っていた。初日の魔法適正検査のとき、彼は他校へ応援に行ってそれはそれは大活躍をしたらしい。らしいというのは、当然アイシア班の誰もその姿を見ていないからだ。他の班の魔法使いは、他班に助けられたなど大声で言えるはずがないから、すべて彼が自分で語った内容だ。普段の言動や行動のせいで全然信じてもらえていないのだが……。

 

 だらだらしていたら時刻は午後三時になっていた。今日はもう仕事が終わりだから帰宅しても問題ない。

 

 弓鶴は重くなった身体を起こして立ち上がる。それにアイシアが気づいた。

 

「ん、帰るの?」

 

「ああ、疲れたから帰る」

 

「今日は忘年会開くけど来るよね?」

 

「行くよ。ちょっと病院に寄ってくるだけだ」

 

「ああ、噂の彼女だね」

 

「違うっての」

 

 くすくすと笑うアイシアの笑顔を見ながら弓鶴はため息する。どうやら本格的に誤解を解かなければならないらしい。それもいまは時間があまりないから今度にしなければならない。色々と課題は山積みだった。

 

 挨拶をしてオフィスを出た弓鶴は、転送室から大宮へ転移。その足で病院へ向かう。

 

 あれから弓鶴は一度だけ更科那美に会った。警察病院の病室にいた彼女は、なにか無理をしているかのように微笑んで迎えてくれた。危害を加えたことを謝罪したのだが、返ってきた言葉は「止めてくれてありがとう」だった。聡明な彼女は正気に戻っていた。自身が犯した罪の大きさに慄き、夜中になると泣き叫ぶこともあるのだと担当者が言っていた。あまりにも不憫でならなかった。

 

 なんの罪もない子どもが魔法使いに利用されても、世の中は魔法インフラを基盤になりたっている。魔法を憎み拒絶しようが、便利になった世の中に人は慣れてしまった。この慣れから逃れることはできない。魔法使いが魔法から逃れることができないように。

 

 世界は矛盾に満ち溢れている。そんな世の中でも、守らなければならないものはある。せめて、弓鶴は悪い魔法使いをやっつける正義の魔法使いになりたかった。

 

 病室に入ると、ベッドで寝転んでいたホーリーがテレビを見ているところだった。プラチナブロンドの髪がシーツの上に乱れ散っている。彼女は誰も見ていないときは、いや、見ているときでも大分だらしない。

 

「よう、久しぶりだな」

 

「んー弓鶴? 久しぶりー」

 

 ひらひらと手を振るホーリーへと近寄り、弓鶴は近場の椅子を取って腰かけた。彼女は上半身を起こして彼に向き合う。

 

「お疲れ。なんか色々大変だったみたいじゃない」

 

「大変どころの話じゃない。まるで悪夢だった」

 

「国際展示場占拠事件のときテレビに映ってたわよ。まあ、中に入るときだけだったけどね」

 

「ああ、あのときか」

 

 そういえばと、マスコミにカメラやマイクを向けられていたことを思い出す。

 

「で、二週間以上もほったらかしにした言い訳はなにかあるの?」

 

 はっとしてホーリーを見る。彼女は微笑んでいた。なのに、後ろに般若の姿が幻視できるのはなぜなのだろうか。

 

「すーっごく暇だったんだからね! おかげで恵子に遊び相手になってもらうしかなかったじゃない!」

 

 うわあ、と弓鶴が頭を抱える。またこの疫病神を専門とする哀れな生贄看護師が被害にあったのだ。壮絶な戦いが繰り広げられたのは想像に難くない。今度は菓子折りを持って行かないとな、と弓鶴は真剣に考える。

 

 すぐに反応を返さない弓鶴にホーリーが怒って枕で叩きつけてくる。

 

 それを復活した左腕で受けながらも、弓鶴はこんな平和がいつまでも続けばいいと思った。

 

 かつて、弓鶴は魔法使いを憎んでいた。それでも、アイシアに憧れて正義の魔法使いになろうと誓ったのだ。

 

 いまの自分は正義の魔法使いになれているのだろうか。

 

 それは、一生自らに問い続けなければならない、永遠の課題だった。

 

 

 

 




一部完結
あとがきは活動報告にて


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時代に放逐されし者
序章:Intro


 杉下弘樹(すぎしたひろき)にとって、魔法使いは家を潰し、父を殺した悪魔だった。

 

 幼い頃の弘樹の家は東京の下町で小さな町工場を経営していた。それでも、世界でも最先端の部品を作っていたのだ。この工場でしか作れないと絶賛され、大手ITベンダー企業へ大量に輸出していた。

 

 弘樹にとって、工場を経営し至高の部品を作る父が誇りだった。作業着や顔が汚れまみれになっていても、それは神の手によって生み出された部品を作る過程でできた勲章だと思い、格好良く思ったものだ。

 

 それが急に変化したのは、三十五年前の二〇一五年のことだった。後に特異点とも呼ばれるその年は、旧《連合》(現ASU)が魔法世界を現実に具現化した時代だった。

 

 かつて、魔法は世界に拒絶されていた。魔法とは、世界を物理法則以外の見地で見たときに現れる異なる法則を引き出し、現実世界に生み出した結果だ。例えるなら、サイコロの表面が物理法則、それ以外の側面や裏面が魔法法則だ。

 

 だが、物理法則が支配する世界において、魔法は異質な存在であり、生物が持つ身体の均衡を保つ恒常性のように、世界は魔法が使用されるたびに放逐していたのだ。

 

 その時代の魔法使いは、魔法を使っても一般人には認知されず、むやみやたらに使えば発動した瞬間に消え去るという屈辱を味わっていた。彼らにとって現実は生きている価値すらない地獄だった。

 

 だから魔法使いは、物理法則に縛られない魔法世界を欲した。彼らは魔法を使って堂々と世の中で暮らしたかったのだ。

 

 そして、その執念が遂に結晶となり、全十二個の魔法世界が誕生した。

 

 魔法が世界の法則に組み込まれたのだ。

 

 それが、いまから三十五年前の二○一五年のことだった。

 

 魔法が生まれたことによって、世界は一気に激動の時代に入った。魔法が既存の物理法則を簡単に飛び越えることを知った世界各国は、魔法人材の獲得に躍起になった。当時魔法使いの集団であった《連合》はフランスに拠点を構えていた。各国はフランスが魔法使いを独り占めしているとして一斉に非難した。

 

 全世界の諜報機関が動き出し、水面下で壮絶な争いが起きた。あわや第三次世界大戦が勃発するかというところで、国際連合がようやく仕事をした。

 

 魔法使いたちと公式会談を実現させ、魔法使い人材の一切を新たに設立する国際機関に一任することで合意したのだ。

 

 そのとき各国は、フランスが独り勝ちするくらいならばマシだとして一旦手を引いた。誰もが三度目の世界大戦を恐れてもいたのだ。

 

 魔法人材を統括する国際機関ISIAが設立し、同時に《連合》は魔法統括連合ASUと名を変え、ISIAに組み込まれた。

 

 そして、世界に魔法使いが次々と派遣された。

 

 魔法使いの活躍は目覚ましかった。まず資源が無限になったのだ。エネルギー資源や鉱物資源、食料などが魔法で出せることになったのだ。これによって、資源輸出に依存していた国は早急な経済政策の転換に迫られた。

 

 技術革新も一気に進んだ。例えば一個の部品を作るにあたり、現実では資材調達から設計図の作成、そして試行錯誤の末に作り出すという工程を踏む。だが、魔法使いがいるだけで資源調達と試行錯誤で作り出すとという工程が吹き飛んだのだ。設計図さえあれば、魔法使いはその通りに作成できる。機械では難しく、職人の手によってマイクロ単位で成形されるものですら、魔法使いは一瞬で生み出す。

 

 あらゆる業界、あらゆる仕事の工程が一気に短縮された。

 

 それは巨大な激震となって世界中を襲った。魔法使いがいるだけで従業員の大半がいらなくなったのだ。

 

 更に、ASUが公開した《第七天国》が凄まじかった。

 

 《第七天国》とは、集合的無意識――つまりは夢の中に存在する仮想世界だ。ASUはそこへ自由に出入りできる技術の一部を開放し、世界中の優秀な研究者がその世界に出入りできるようになった。

 

 これが衝撃的だった。その仮想世界は、現実と同じ物理法則を持ち、最高で現実空間の百倍の速度で時間が流れるのだ。つまり、《第七天国》で作業をすれば現実時間の百分の一で仕事が終わる。あらゆる技術者がこぞって入り、技術力が等比級数的に飛躍した。人工知能が実用に載った頃になると、もはや進歩は人の手を超えて勝手に動き出していた。

 

 そのとき、著名人が言った。

 

「あのとき、人類は歓喜と共に恐怖した。人類進化の担い手が、いつの間にか人類の手から得体の知れない魔法使いへとすり替わってしまったからだ」

 

 ある量子力学者もこう述べた。

 

「彼らの言う《第七天国》は、彼らと組み合わさることで人類知能を超えた、もはや一個の超知能だ。あの瞬間、我々は技術的特異点(シンギュラリティ)を突破したのだ」

 

 世界中の学者が恐れるほどの変革が津波となって世界を襲った。

 

 まずあおりを受けたのは中小企業だ。町工場の仕事は魔法使いによって簡単に自動化された。大企業が次々と部品作成を自動化し、中小企業との取引を切った。無慈悲と言うなかれ。そうしなくば、大企業とて生き残れないほどの超競争社会になっていたのだ。

 

 こうして、杉下弘樹の家は倒産した。多数の従業員は行き場を失い、再就職も難しい最悪の就職氷河期となっていた。弘樹の父は責任感の強い男だった。従業員の再就職斡旋に熱心に動いた。誰であろうと頭を地面に擦り付け、部下たちの就職先を見つけていった。

 

 やがて、すべての従業員が就職にありつけたところで、弘樹の父は気力を使い果たしてしまった。未来の展望が急に見えなくなり、孤独にひとり首を吊って自殺した。

 

 第一発見者は弘樹だった。丁度高校生になっていた弘樹は、天井から伸びたロープにぶらぶらと揺れる父の姿を見てしまった。

 

 そのとき、すべての感情が憎悪に燃えた。仕事人であり職人、誰からも愛される人格者で、従業員のためならば命すら削る男気溢れる父親が死んだ。魔法使いに殺されたのだ。許せなかった。

 

 だから弘樹は、魔法使いを殺すとそのとき誓った。

 

 いまから三十年前、夕日が街を血色に染める地獄の日だった。

 

 

 

 



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第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 1

 四月の温暖な日差しが埼玉県大宮市に降り注いでいる。肌を撫でるような春風がそよぎ、桜の花弁をゆらゆらと散らしている。

 

 季節は冬を追い出し、春を歓迎していた。 

 

 そんな心穏やかになる陽気が日本を取り巻く中で、埼玉県大宮市にある大病院の一室では、変な熱で籠っていた。

 

 ベージュの室内には殺気が溢れていた。ふたりの女がベッドを挟み、互いに己が得物持って対峙しているのだ。片方はプラチナブロンドの少女、もう片方は看護師姿の女性だ。

 

 睨み合いは一分以上続いていた。両者ともに腰を落とし、隙あらば得物で相手を殺さんとばかりに動きを読み合っている。

 

「さあ、あなたの暴挙もこれが最後よ」

 

 看護師が口端を吊り上げて言った。その声には根拠のない自信で満ち溢れていた。

 

「あら、恵子(けいこ)ごときにやられる私じゃないわ。返り討ちよ」

 

 少女が看護師の浅慮をあざ笑った。看護師である恵子の眉間に大量の皺が生まれる。

 

 更に少女の笑みが深くなる。

 

「私のような若人が、恵子みたいなおばさんにやられるわけないじゃない!」

 

 少女の科白は、恵子の逆鱗に触れた。世の中、分かっていても言ってはならない言葉がある。今年三十路になった恵子にとって、年齢の話題は非常にセンシティブな問題だった。三十歳独身彼氏無しという現状が、彼女の心に重い影を落としていたのだ。

 

「この……ッ、この……!」

 

 恵子が口をパクパクさせながら何かを言おうとするが、言葉にならない。なぜなら何を言っても確実に言い負かされるからだ。

 

 そして、それが決定的な隙となった。

 

 とうっ、と掛け声を発した少女が、ベッドを軽々と飛び越えて恵子の頭上に箒を落とした。ばすん、と情けない音と衝撃によって、恵子が一瞬白目を剥く。その様を「ざまあ」と嘲った少女、ホーリー・ローウェルが高笑いを上げた。

 

「アハハハハハハ! 恵子ったら今日も負けてしまったのね! ああ嘆かわしいわ! アハハハハハ――! 歳は取りたくないものね――! 反応が鈍ってあーんな簡単な攻撃すらチリトリで受け止められないんだもの! ああ、若いって罪だわ――!」

 

 そう、恵子が右手に握っていたのはチリトリだった。彼女たちは掃除道具で戦っていたのだ。仮にも看護師と病人がである。

 

 そして、その様を入口で唖然とした様子で見ていたのは八代弓鶴(やしろゆづる)だった。ホーリーの友人である。いま、その証を丸めてゴミ箱に投げ捨てたくなったのは、きっと気のせいではないだろう。

 

 ようやく状況を理解した弓鶴が、いや、分かっていても理解したくなかっただけだが、室内におずおずと声を投げた。

 

「お前ら、何やってんだ……?」

 

 弓鶴の声に「げっ」とホーリーが驚き、恵子は神でも降臨したかのような慈悲を請う表情を浮かべた。

 

「弓鶴くん! お願い助けて! これじゃあ婚期が遠のいちゃうわ!」

 

 恵子の悲痛の訴えに、弓鶴は申し訳なさで胸がいっぱいになった。こんなことを彼女は毎日やっているのだ。ストレスで退職したら確実にホーリーの所為だ。

 

 弓鶴はせめてもと深々と頭を下げた。

 

「毎度毎度ホントすみません。でも婚期は俺じゃどうにもならないので自分で頑張って下さい。大丈夫です。絶対に結婚できますから」

 

 返ってきたのは無言だ。ホーリーも「あーあ」と変な声を出している。

 

 訳が分からなくて弓鶴が顔を上げると、恵子が完全に固まっていた。彼は自分が見事に地雷を踏みぬいたことに気づいていないのだ。

 

「あんたはなんで女の人の弱点を突くのが得意なのかしらね。主に悪い意味で」

 

 ホーリーが呆れた声を弓鶴に投げつけてくる。思い切り打ち返してやりたかったが、いまは恵子の方が優先だった。

 

「恵子さん、本当に大丈夫ですから! 恵子さんは美人だから引く手あまたですよ!」

 

 必死になって弓鶴が声を掛けると、恵子の表情に希望が宿った。

 

「わたし、キレイ?」

 

 それが大分昔に流行った口裂け女の科白だということを、この場の誰も知らなかった。

 

「綺麗です。大丈夫です」

 

 ともかく、弓鶴は必死だ。彼とて恵子に辞めてもらったらホーリーの相手を今以上しないといけないから困るのだ。こういう微妙に腹黒い点でアイシアに似てきていることに彼は気づいていない。

 

 恵子の表情に笑みが生まれた。弓鶴の言葉で自らの心を鼓舞したのだ。

 

「そうよね! 私まだ若いもんね! 看護師だったら男の人だって気になってくれるもんね!」

 

「でも三十路よ」

 

 ホーリーの言葉で、折角元気になった恵子がその場に崩れ落ちた。弓鶴は頭を抱えたくなった。

 

「なんでお前はいちいち相手の急所を抉るんだよ! アホか!」

 

 弓鶴はホーリーに訴えるも、当の彼女はその科白を受けて更に呆れを増した。

 

「あんたも抉ってることに気づきなさいよ……」

 

 はっとした弓鶴は己の科白を思い出す。いま、確実に自分は恵子の傷口に塩を塗り込んだのだ。

 

 弓鶴は慌てて恵子に視線を投げるが、既に彼女の意識はなかった。ふたりの口撃によって撃沈したのだ。微妙な年頃の女性に年齢のことをズケズケと言えば当然こうなる。

 

 青春を魔法で塗りつぶしてきた弓鶴の人生の弊害に見事、恵子が犠牲になったのだった。

 

 ふと、点灯したままだったテレビが、地震を知らせるテロップを表示させた。震源地は日本の静岡だった。マグニチュード八クラスの巨大地震だ。

 

 気づいたホーリーが眉をひそめた。

 

「やだ、日本でも地震起きたの?」

 

「まあ地震大国だしな。それでも波動魔法で直接地震動を相殺してるから、実際揺れはそうでもないだろ」

 

 地震大国である日本は、世界でも特に魔法での対地震に対する技術力が高い。各地の地面深くに埋められたSot機器が地震波を捉えた瞬間、同周波数の振動をぶつけて無理やり相殺させるのだ。これによって、日本は地震による被害が比較的軽微になった。

 

 テロップを見ると、マグニチュードの割に震度は二や三程度だ。もっとも、この技術が無ければいまの地震で東海地方が全滅した可能性があるのだから笑えない。魔法さまさまである。

 

 それよりも、と弓鶴は恵子へ目を向ける。彼女はまだ死んでいた。この看護師を仕事の時間までにどうやって復活させるのかが、彼にとっての目下の課題だった。

 

 

 

 



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第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 2

 魔法適正検査警護が終わったとはいえ、警護課はそこまで暇ではない。常時生まれる魔法使いを各地に散らばったISIAのエージェントが見つけてくるからだ。 

 

 今日も、神奈川県で生まれた魔法使いを警護しに、弓鶴たちは関東支部からAWSで空を飛翔していた。季節も変わり、AWSで飛翔しても寒さを感じない今は絶好の飛翔日和だ。仕事でもなければのんびりと空の旅を楽しみたいところだった。もっとも、AWSは規制が厳しく一般使用は特定地域でしか可能ではない。最近できたSot機器だから道交法が整備されていないのだ。

 

 つまり、こうして仕事中でも飛べるのはASUの特権のひとつだ。

 

「なーんか我ら良いように使われている気がするんだよなあ。これだって他の班に任せればいいだろうに」

 

 暢気な気分でいた弓鶴の耳に飛び込んできたのはブリジットの声だ。高速飛行中にも関わらず声が聞こえるのは、端末を介して直接耳に声を届けているからだ。この時代の端末は旧時代のスマートフォンと比べても機能が多彩で非常に便利な代物に変化している。もはや端末が無ければ日本で生活できないくらいだ。

 

 ブリジットのぼやきに答えたのはオットーだ。

 

「それは周りが残念な魔法使いだからですよ。我々は常識人ですからね。魔法使い候補者やその家族からのウケがいいんですよ」

 

 胸を張って嬉しそうに言うオットーだったが、彼もその残念な魔法使いであることになぜ気づかないのか弓鶴は疑問に思った。

 

 ああ、とブリジットが何かを思い出したように言う。

 

「そういえば、ISIAが広告塔を立てるとかなんとか言ってたなあ。アーキの件で魔法使いの評判が落ちてるから、かなり本気らしい」

 

 そのとき、アイシアの表情が固まった。それをブリジットは目ざとく拾う。

 

「おや、どうしたんだいアイシア? まさか広告塔に抜擢でもされたのかい?」

 

「え? なに? なんのこと? 弓鶴なら生きてるよ?」

 

 アイシアにしては話の逸らし方が雑だ。そして内容が地味に酷い。

 

「勝手に殺そうとするな」

 

 弓鶴が反論するが、まあまあとブリジットが間を取り持つ。

 

「それでどうなんだいアイシア。まさか本当に命令が下ったのかい?」

 

 しらーっとアイシアが視線を逃がす。これは確実に命令を受けた顔だった。ブリジットが爆笑する。

 

「アイシアが広告塔! アハハ! こりゃ傑作だ! 見た目だけはいいもんな! そりゃ世の男どもの心は鷲掴みだ! 是非とも魔法使いへの心象を良くしてくれよ! あ、でも腹黒いところは見せないようにな!」

 

 アイシアの顔が苦いものになる。そこでラファエルが会話に参加してきた。

 

「私も話に上がりました。でも課長が速攻で断ったみたいです……。なんででしょう?」

 

 ブリジットの笑い声が止まった。弓鶴もなんとも言えない気分になって口を噤む。あのオットーですら素知らぬ顔で前方を見つめているだけだ。ラファエルが首を捻った。

 

「わたし、見た目は良いですよ?」

 

 それには同意できる。できるのだが、ラファエルはカルボナーラ狂いで仕事嫌いの結婚願望が強すぎる残念女だ。そんな人物を表に出せば魔法使いがアホだと世界中に宣伝するようなものだ。課長の判断は的確だ。

 

 たぶん、ラファエルを除くアイシア班の全員がそう思ったのだろう。

 

 ラファエルが憂いを瞳に湛える。その姿だけを見れば見目麗しい絶世の美女だ。だが、口に出した科白が酷かった。

 

「メディアに出て未来の旦那さんを見つけたかった……。養ってほしいです。毎日カルボナーラを作って過ごしたいです……」

 

 そんな考えをしている時点で広告塔など務まるはずがない。あと、いい加減カルボナーラを止めないと本当に結婚できそうにない。

 

 ラファエルのことはどうでもいいが、アイシアのことは気になった弓鶴は問う。

 

「で、結局本当にやるのか?」

 

 見た目で選ぶなら確かにアイシアとラファエルは的確だ。そして広告塔のように表に出る仕事となればアイシア一択だろう。彼女は自身の腹黒さを隠すだけのコミュニケーション能力を持っている稀有な魔法使いだ。

 

 アイシアがため息した。

 

「断ったよ。やるわけないよ。そんなことをするためにASUに入ったんじゃないんだから」

 

「じゃあブリジットの勘違いか」

 

 ふっふっふ、とブリジットがいやらしい笑いを浮かべた。

 

「甘いな弓鶴。ASUという組織のことをなにも分かっていない。ASUにおいて上から下された命令は絶対だ。つまり、アイシアには断る権利はないのさ」

 

 アイシアの顔面が強張る。明らかに図星を刺された顔だった。つまり、そういうことだ。

 

「……断り切れなかったのか」

 

 弓鶴の追撃に遂になにかが切れたのか、アイシアがくわっと顔を近づけてきた。飛行中に無駄に近づくと危ないのでやめてほしい。

 

「だってしょうがないでしょ! お父さんとお母さんにまで根回しされてたんだよ⁉ お母さんは喜んでたし、お父さんなんか『これでアイシアがまともになるかもしれない』とか酷いこと言ってたんだよ? 私ちょっと泣きかけたよ!」

 

 弓鶴はアイシアの両親を思い出す。母アリーシャは確かに性格柄喜びそうだし、父ラファランは娘が一般人の価値観を持つことに好意的だ。つまりは、諸手を上げて歓迎しているということだ。

 

 なんだか哀れに思えてきた弓鶴は、右手を伸ばしてぽんぽんとアイシアの肩を叩いた。

 

「まあ、なんだ、頑張れ」

 

「他人事だと思ってるよね、絶対……」

 

 アイシアがジト目で弓鶴を見る。まさしくその通りだったから彼は話題を変えた。

 

「アイシアが広告塔になるなら、アイシア班はどうするんだ? しばらく四人でやるのか?」

 

 そこでアイシアが意趣返しとばかりに不敵に笑う。嫌な予感がして背後を見ると、ブリジットの表情が一気に暗くなっていた。

 

「我が代理班長になる……。面倒だ」

 

「おい、ふざけるな! 班が壊滅するぞ⁉」

 

「弓鶴ひどくない⁉」

 

 弓鶴の心からの叫びにブリジットが嘆いた。

 

「これでも我はアイシアに渡すまではこの班の長だったんだぞ。弓鶴はいま一度、我を崇め奉るべきだと思うのだが」

 

「毎日少年の恰好をして、挨拶の一言目が『弓鶴、ナンパされに行こう!』じゃなきゃ尊敬くらいはしてる」

 

 ブリジットが悲痛の表情で訴える。

 

「だって弓鶴と行くと逆ナン率が上がるんだよ! 是非とも次の休みに渋谷にでも行こうじゃないか! おっぱいが大きいギャルにナンパされたい!」

 

 かつて、弓鶴はしつこくブリジットに誘われて仕方なく逆ナンをされに休日を潰した。そのときなぜか女性たちが言い寄ってきたのだ。特に見た目に関して自信を持っているわけでもない彼にとって、それは非常に謎の現象だった。後になってホーリーに聞いたところ、どうやらテレビに映ったASU魔導師ということで少し有名になっていたらしい。いい迷惑だ。

 

 今度はブリジットが迫ってくる。本当に追突しそうになって危ないから切実にやめてほしい。

 

「だから弓鶴、今度の休みに渋谷に行こう!」

 

「こんな班長は嫌だ……」

 

 心底魔法使いは狂ってる。いままで毎日感じてきたことだが、ASUに入って一年経っても慣れそうにない。

 

 弓鶴がいくら魔法使いとの価値観の差に悩んでいようと、仕事の時間はやって来る。神奈川県厚木市にある魔法使い候補者の邸宅に辿り着いた彼らは、既に警護に入っていたISIAエージェントと挨拶を交わす。

 

 世界にはISIAのエージェントが多数散らばっており、魔法使い候補者を見つけることを主任務としている。彼らは候補者を見つけるとISIA本部へ通達すると同時に、独自に警護を始める。そして襲撃があれば、魔法を使えない一般人でありながら即座に対応するだけの実力者たちだ。

 

「警護ご苦労様。既に話は通してるんだよね?」

 

 アイシアの問いにISIAエージェントが答える。

 

「既にISIAから職員が派遣されています。現在説明中です」

 

「現時点で不審者は?」

 

「いえ、問題ありません」

 

「了解。ありがとう」

 

 礼を述べたアイシアが玄関のインターホンを鳴らす。扉を開いて母親らしき人物が出てくる。

 

「ASUの方ですか? お待ちしておりました」

 

 丁寧に挨拶する夫人は、見てすぐにわかるブランド物の服に身を包んでいた。家も大きいことから、かなりの資産家であることが推測できた。

 

「ASU警護課のアイシアと申します。円珠庵(えんじゅいおり)さんの件で伺いました」

 

「はい、ISIA職員の方から話は伺っております。どうぞ」

 

 夫人に促されて中に入ると、明らかに高級品と分かる装飾が視界のあちこちに飛び込んできた。旧時代に流行ったシャンデリアに動物の剥製。猟銃も飾ってあることから、夫は銃が趣味なのかもしれない。分厚いカーペットの上を歩きリビングへ通される。

 

 リビングには既にISIAの女性職員と高校生と思わしき少女が対面でソファーに腰かけていた。

 

「ああ、アイシアさん、来てくれましたか」

 

 振り向いたISIA職員がアイシアを見て微笑む。

 

「そういえば担当はクラリッサさんだったね」

 

 軽く挨拶を交わした二人はすぐに少女へと向き直る。弓鶴たちはリビングの隅っこで待機だ。こういうときはアイシアを全面に出すのがこの班のしきたりだった。理由は考えるまでもないだろう。

 

 失礼します、と言ってアイシアがクラリッサの隣に座る。弓鶴の隣でラファエルが、「いいなああのソファー。欲しいです」とか言っていたのは無視した。どうやら彼女はインテリアにも興味があるらしい。たぶん、高そうだからというしょうもない理由だろうが。

 

 夫人が少女側に座ったのを機に、クラリッサが口を開く。

 

「こちらASUのアイシア・ラロさんです。そして、こちらが魔法使い候補者の円珠庵さん」

 

 アイシアと円珠が軽く頭を下げる。

 

 そこでようやく弓鶴は円珠庵をしっかりと視界に捉えた。

 

 名前からしてそうだが、纏う雰囲気も古風というのがぴったりな少女だ。目鼻顔立ちは日本美人のそれで、前髪ともみあげは綺麗に横一線に切られている。俗にいう姫カットだったか。玲瓏たる瞳はまっすぐとアイシアを射抜いている。魔法使い候補者にしては珍しく落ち着いた様子だった。

 

 基本的に、魔法使い候補者は浮かれていることが多い。弓鶴がそうだったようにだ。当然だ。突然神に愛された者しか使えない魔法が使えると知れば、誰だって心が浮き立つ。だが、この少女にはそういった浮ついた雰囲気は見えなかった。

 

「クラリッサさん。判明した魔法体系は?」

 

「説話体系です」

 

 ASUの面々に微妙な空気が流れる。気持ちとしては、「ああ、あの説話体系か」といったところだ。

 

 説話魔法とは、“世界は数多の物語によって作られている”という観点から世界を記述する魔法体系だ。物語に数多と存在する超常的存在を操ることができる。だが、現代社会において需要は少ない。なぜなら、昨今の技術で代用できることが多いのだ。《第七天国》でのゲームはもちろん、VR技術が発展した現在では、説話魔法によって超常的存在を呼び出しても驚かれない。いまやサーカス団すら絶滅寸前なのだ。

 

 そんな理由で、説話魔導師の未来はあまり明るくない。

 

「よりにもよって説話体系……泣ける」

 

 とかなんとかブリジットが小声で言っているが弓鶴は無視した。

 

 そんな扱いの説話体系だが、当然有名な魔導師も存在する。かつてASU本部の特殊魔法犯罪課の課長をしていたフェリクスは、説話体系の超高位魔導師としていまでも尊敬を集めている数少ない人格者だ。特にASU警備部では有用視されているが、眼前の少女が戦う姿がこれっぽっちも想像できない。

 

「説話体系というのは、あまり良い魔法体系ではないのですか?」

 

 ブリジットの言が聞かれていたらしい。円珠が彼を見ながら手を頬にあてる、たおやかな仕草で言った。

 

 珍しくブリジットが慌てた。

 

「いやいや、説話体系は便利だぞ。ほら、本を通じてリアルタイムで遠方とやりとりできるからな!」

 

 それ端末でいいだろ、という科白を弓鶴はなんとか飲み込んだ。空気が冷え込む。ブリジットがなんとか言葉を連ねる。

 

「あと、書物から登場人物を出せるからな。子どもたちから大人気になれるぞ!」

 

 確かに、その方面での需要はある。着ぐるみなどではなく、いわば本物のキャラクターが出せるのだ。現場でのエンターテイメント方面ではまだ需要はある。全然魔法使いらしくないことは置いておくとしてもだ。

 

「でもそれもいまやARやホログラム技術でなんとかなりますからねえ……」

 

 やはりこういうときに空気を読まないのがオットーだ。ちょっと温まりかけていた空気が急降下した。最悪だ。なぜ勧誘側が勧誘される魔法使いの士気をそぐようなことをするのだろうか。よく見ればアイシアの頬がピクピクと痙攣していた。あれは怒っているな、と弓鶴は他人事のように思った。

 

 円珠が悲しそうに眉をハの字にする。

 

「では、魔法使いにならないほうが良いのでしょうか……」

 

 そこで身を乗り出したのはISIA職員のクラリッサだ。

 

「いえ、是非とも魔法使いになってください。といいますのも、既にCM等で広報しているように、ISIAに所属していない魔法使いはその身柄を狙われる恐れが高いです。ISIAでは万全な警護体制で魔法使いを守っています。安心して働ける環境を提供できますので、どうか前向きに考えて頂けないでしょうか?」

 

 どの口でそれを言うのか、という反論も弓鶴は口の中で殺した。魔法使いの社会は競争社会だ。いくら命を守られようが、使えなければ即座に切られる。ISIAから派遣される魔法使いは高給取りだから、無能な魔法使いを雇う余裕はどこの企業や国にも無いのだ。

 

 円珠の表情に悩みが浮かぶ。

 

「すぐにはなんとも言えないですね」

 

 クラリッサが頷く。

 

「そうですよね。今後の身の振り方をすぐには決められないでしょう。警護の者を付けますので、今日はお暇致します。また伺いますので、ゆっくりと考えて頂けますようお願い致します」

 

 一応既に色々と話していたのか、あっさりと引いたクラリッサが立ち上がる。

 

「ASUのアイシアさんとラファエルさんを警護に付けます。同じ女性同士なので、魔法使いについて色々と聞いてみて下さい。それでは失礼しました」

 

 頭を下げたクラリッサが一瞬、ブリジットとオットーへ視線を投げた。分かってるよなお前ら、という言葉が彼女の背景に見えた気がした。

 

 夫人に見送られながら弓鶴たちは円珠宅を出る。外にはもうISIAエージェントはいなかった。弓鶴たちが来たから別の現場へ向かったのだ。

 

 しばらく無言で歩いていたクラリッサが、不意にブリジットとオットーへ怒りの視線を向ける。

 

「ねえ、あなたたちはバカなの? 魔法使いが頭狂っているのは知っていたけれど、普通勧誘のときにあんなこと言う? 他の班よりまともだからアイシア班を呼んだのに、これじゃあ意味ないじゃない」

 

 ブリジットが苦い顔をした。

 

「いやあ、ちょっと本音が出ちゃって。すまないね」

 

「大人ならその本音を隠しなさいよ」

 

「ほら、我っていつまでも童心を持っているからさ」

 

「二十八歳がそんなこと言うな! 気持ち悪い」

 

 その一言が突き刺さったのか、ブリジットがその場に崩れ落ちた。「我、気持ち悪いの?」とか泣き言を言っているが自業自得だから弓鶴は放っておいた。

 

「それとオットーさん。あなた空気読めないの? 元聖職者でしょ? 迷える子羊を導くんじゃないの? 迷わせてどうするのよ」

 

 オットーもさすがに悪いと思ったのか、頭を掻いて苦笑する。

 

「いえ、私はこれでもまだ聖職者のつもりなんですが……」

 

「毎日女体で興奮している聖職者がいるものですか。気持ち悪い」

 

 がくん、とオットーの膝が地面に落ちた。結構な音がしたからあれは痛そうだ。四つん這いになった彼がブリジットと同じように「私、気持ち悪いんですか……?」とかぶつぶつ言っていた。いまの状態が非常に気持ち悪いことにいますぐ気づいてほしい。

 

「それから弓鶴さん!」

 

 なぜかクラリッサの攻撃がこちらにまで向く。身に覚えがなさ過ぎて弓鶴は慌てた。

 

「クラリッサさん、俺は何もしてないぞ!」

 

「それが問題なの! 問題児が多い魔法使いの中で弓鶴さんは珍しくまともな魔法使いなんだから。そんなあなたが手綱を締めないでどうするの? こいつら猛獣よ? 猛獣使いらしくちゃんと首輪でもつけておきなさい!」

 

 なかなか無茶苦茶な理論に聞こえるが、ISIAでは割と常識的な理論だ。魔法使いは目を離すと何をするか分からないから、必ず言うことを聞かせられるまともな魔法使いと組ませるのだ。アイシア班ではアイシアと弓鶴がそれだ。

 

 つまり、弓鶴は職務怠慢だと怒られているというわけだ。なんのために魔法使いになったのか分からないレベルの怒られ方だった。

 

「わ、分かった。努力はする。でも努力した結果がこれだ。少しは俺の苦労も理解してくれ」

 

「それは躾の仕方が甘いの。こいつらはバカでアホなんだから、身体に覚え込ませないと無理に決まっているでしょ」

 

 魔法使い候補者には絶対に聞かせられない科白だ。ISIA職員の魔法使いへの認識がこれである。

 

「一応俺は新人でこいつらの方が先輩なんだが……」

 

「弓鶴さん、あなたも知っているでしょう? 魔法使いはクズの集まりよ。だったら遠慮してはダメよ。最悪腕ちょんぎるくらいだったら見逃すから、おいたをしたら躊躇なく半殺しにしなさい」

 

 魔法使いではない一般人の割にクラリッサの言葉は過激だ。ISIA職員は、魔法使いとやり取りをすることが多いからどうしても物言いが影響されるのだ。

 

「いや、実力的にむしろ半殺しにされるのは俺なんだが……」

 

「さっさと階梯を上げなさい!」

 

 ぷりぷりと怒ったクラリッサがふん、と踵を返す。ISIA職員は魔法使いに対して鬱憤が相当溜まっている。今回は見事その地雷を踏んでしまったのだ。

 

 クラリッサが道端で無人タクシーを捕まえる。いまの時代、自動車はすべてAIに集中管理された無人車だ。挨拶もせずそのまま社内に乗った彼女は、どこかへ行ってしまった。恐らく関東支部へ戻るのだろう。

 

 弓鶴はぼけーっとその様子を見送ったのちに足元を見やった。そこには、地面に沈んだアホ魔導師がふたりもいた。これからどうすればいいのか彼はリアルに頭を抱えた。

 

 

 



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第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 3

 毎年行われる魔法適正検査以外で見つかった魔法使い候補者の場合、一週間という期限が区切られているが、原則進路を決定するまでASU警護課が警護にあたる。当然、二十四時間体制だ。つまり、円珠庵をたった五人で魔法使いを狙うあらゆる輩から守らなければならない。しかも、最悪なことにアイシアは明日から一時的に班を抜ける。

 

 一旦、付近のカフェに入った弓鶴たちは、今後の割り振りの相談をすることになった。とはいえ、アイシアが抜ければ四人だ。二人組の十二時間交代で対応するしかない。これが他の班ならば六人いるから三交代で対応できるのだから羨ましい限りである。

 

「とりあえず、我と弓鶴、エルとオットーの組み合わせしかないな」

 

 子どもの姿でホットケーキを頬張るブリジットが言った。見た目だけは美少年で可愛らしいが、中身はナンパされたくて仕方がない二十八歳の残念男だ。

 

「ブリジットとふたりとか過酷だな」

 

 うんざりだとばかりに弓鶴が漏らすと、ブリジットが悲しそうに眉を下げた。

 

「最近弓鶴の当たりが強い……。我、そんなに先輩らしくないだろうか……」

 

「きっと調子に乗っているのでしょう。ここは私たちの実力を見せるときでは?」オットーがパフェを食べながら愉しそうに言った。

 

「つまり?」ブリジットが訊く。

 

 オットーが立ち上がる。ただでさえASU指定の深紅のローブを着ているので非常に目立つのに、これ以上注目を集めないで欲しかった。

 

「ピンチになりましょう!」

 

「一度死ね」

 

 弓鶴とブリジットが同時に吐き捨てた。オットーがその場で崩れ落ちる。周囲からの視線が無駄に集まる。そのすべてが残念な男を見る目だった。ASUの評判が音を立てて崩れ落ちる音がした気がした。

 

 ブリジットが息を吐いて場の雰囲気を戻すように言った。

 

「まあ僅か一週間だ。本人と保護者の承認があればASU本部預かりにもできる。あそこは魔法使いにとっては世界一安全な場所だからね」

 

「ASUの浮遊都市か」

 

 弓鶴の返答に、そうそう、とブリジットが頷く。

 

 ASU本部は通称浮遊都市と呼ばれている。その名称の通り、魔法によって生み出された浮遊する都市だ。光学迷彩は基本として、あらゆる観測波を寄せ付けないためグリーンランドの領空にあるが具体的な空域は不明である。各種魔法結界が張られており、世界一安全な場所としても有名だ。

 

 なんにせよ、本人の希望が無ければASU本部へ連れていくことも不可能だ。

 

「あの子が受けると思うか?」

 

 弓鶴の問いにブリジットがホットケーキにナイフを入れながら涼しい顔で答えた。

 

「さて、本人の進路を思うのであれば止めた方が良いだろうね。命の保証はしかねるが」

 

「ブリジットでもそう思うのか?」

 

「当然さ。魔法使いの大半は民間に行く。ASUに入れるのはほんの一握りの第六階梯以上の高位魔導師のみなのさ。なら、民間で生きていく可能性を模索するほかない。説話体系は就職先が少ないから、魔法使いになったと喜んだ者たちにとっては厳しい現実を突きつけられるだろうね」

 

「高位魔導師になったらどうだ?」

 

 更なる問いにブリジットは教師のようにナイフを立てた。

 

「ASUに入れば道は開ける。とはいえ、結局は実力の問題さ。どの魔法体系だろうがASUに入れば安泰といったところだね」

 

 まあその点、とブリジットが続けながらナイフを弓鶴へ向ける。

 

「多数の業界で引く手あまたの錬金魔導師の君がASU警備部に入ったのは意外だけど」

 

 動機が動機だから、弓鶴は顔を背けた。彼は当時、正義の魔法使いに見えたアイシアに憧れてASUに入ることを目指したのだ。

 

 ふっとブリジットが微笑む。珍しく自然な笑みだ。切り分けたホットケーキをフォークで刺す。

 

「まあ、魔法使いが何になろうが我の知ったことではない。魔法使いは一人で世界と対峙する超越者だ。なろうと思えば何にでもなれる。当然、得た力は律する必要があるがね」

 

 弓鶴はちょっと関心した。ブリジットが最後だけ至極まともなことを言ったのだ。これは天変地異の前触れかと怖くなった。

 

「ブリジットさんがまともに先輩をしていますね」

 

 そんな時にいつでも空気をぶち壊しにするのがオットーだ。いつの間にか復活していた彼は、席に戻ってパフェをぱくつきながらニタニタと笑っていた。ブリジットの眉間に皺が生まれる。

 

「オットー。キミもちょっと最近調子乗ってるんじゃないかい? 我、先輩だよ?」

 

 まさか、とオットーが大仰に肩をすくめる。

 

「尊敬していますよ。少年になってまで女性にナンパされたがっている浅ましいところとか、普段やる気がないのに仕事になったら真面目になって、そのギャップを生かして新人魔法使いたちを虜にしようとか呟いていたところとか、そりゃもう憧れていますとも!」

 

 言えば言うほどブリジットの底が浅かった。とてつもなく底の浅い男だ。せっかく感心したのにすぐに失望できるところが彼の残念なところだ。そもそも一人称が「我」なところで頭がおかしい。

 

 そして、オットーの空気の読めなさ具合もひどい。どうしたらここまで空気を壊せるのか頭を切開して脳を覗きたいくらいである。

 

 結局アイシア班でまともなのはアイシアと弓鶴だけなのだ。クラリッサの言う通り、本当に腕をちょんぎってやろうかと彼は物騒なことを考える。

 

 ブリジットが頬をひくつかせながら咳払いをする。どうやら代理班長として真面目な表情を取り繕っているらしい。

 

「とにかくだ、我の指示にはちゃんと従うこと。でないと我らが死ぬだけならまだしも魔法使い候補者が連れ去られかねない」

 

「さすがにそれは最悪なパターンですね。過去に何回かありましたが」

 

 オットーが嫌なことを言う。

 

「そのときはどうなったんだ?」

 

 弓鶴の疑問にパフェを食べ終えたオットーが答える。

 

「結局見つからずじまいですよ。どこかに売られたのでしょうね。そうなった魔法使いは一生飼い殺しですよ。使えなくなったらポイ。まさしく使い捨てです」

 

 ぞっとした。弓鶴も四年前にそうなりかけたのだ。

 

 改めて警護課の仕事の重要性を認識する。ミスで自分が死ぬのならまだいい。しかし、それだけでは済まないのだ。守るべき魔法使い候補者の未来を閉ざし、生き地獄へ突き落すことになる。

 

 魔法使い候補者といっても、ASUで然るべき訓練を行わなければ成長しない。候補者という中途半端な状態で連れ去られれば、必要な技術だけ無理やり覚えさせられてあとは与えられた仕事をこなすだけ。魔法で逃げ出すこともできない。低階梯の魔導師は拳銃程度の攻撃はすら防御することができないのだ。

 

 二十一世紀になろうと魔法使いが絡むと人身売買や奴隷など裏では多く行われているのだ。

 

「円珠庵は守るぞ」

 

 決意を新たに弓鶴は拳を握った。この手に彼女の未来が掛かっているのだ。その様を見たブリジット口端を吊り上げて笑う。

 

「弓鶴はすぐにやる気になるなあ。やっぱりASU警護課が合ってるのかもな。民間だったら腐ってたかもしれない」

 

「ずっと図面と睨めっことか正気の沙汰じゃない」

 

 元々弓鶴は身体を動かす方が得意なのだ。ちみちみとした作業は性に合わない。だからこそ、まともな人格者がアイシア班に増えたというのに、班の事務処理はすべてアイシアがやっている。結局のところ彼も違った意味で使えない魔法使いだ。

 

「さて、交代まではしばらく暇だ」

 

 ブリジットが時計に目をやったかと思うと、嬉々とした表情で弓鶴に迫った。嫌な予感しかしなかった。

 

「弓鶴、ナンパされに渋谷に行こう!」

 

「私もナンパされに行きたいです! 是非連れてってください!」

 

 オットーまで加わる始末だ。やはり魔法使いはアホである。

 

 

 

 



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第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 4

 円珠庵の警護開始から一日が経った。彼女はいまだに悩んでいるらしい。こちらとしては早く進路を決めて欲しいところだが、こればっかりは当人の意思次第だ。警護課としての仕事をしっかりとこなすしかない。

 

 アイシアは東京都内にあるスタジオの控室で、端末へ送られる連絡に目を落とす。警護は順調に進んでいるとブリジットから報告が上がる。

 

 警備の方は問題なしと判断。ひとまず目の前の出来事に向かい合うしかない。

 

「顔を動かさないで下さい」

 

 男性スタイリストがアイシアをたしなめた。適当に返事をしてため息する。いつもは髪をとかすだけの髪型が、スタイリストの手によって毛先を遊ばせふんわりとした印象になる。ナチュラルメイク程度しかしない化粧もしっかりと施され、自分でも可愛い系の大人になったのではないかと思うほどの変身を遂げていた。ラファエルではないが、客観的に見てもいまの自分はかなり美人だ。当然中身については言及できないが……。

 

「さすがアイシアさんは美人ですね。私としてもやりがいがありましたよ」

 

 さあ終わりです、と言ってスタイリストがにっこりと微笑んだ。

 

 思わず出そうになったため息をかみ殺して、アイシアはスタイリストに礼を述べる。彼は笑みを深くしてから控室を出た。

 

 ひとりになったアイシアはもう我慢できないとばかりに深い息を吐き出した。

 

「なんでこんなことになったかなあ……」

 

 ISIAの広告塔を否応なく引き受けさせられることになったアイシアは、今日、嫌な面持ちでISIA日本事務局関東支部へ出勤した。警護課のオフィスで腐っていたところで、彼女の出勤を聞きつけたISIA広報部に連れ去られ、気づけばここにいたのだ。

 

 アイシアは生粋の魔法使いであり、従軍経験もある血なまぐさい魔法戦闘のスペシャリストだ。そんな自分がISIAの広告塔をやるなどどうかしている。ASU上層部の意図は透けている。見た目が良く、使い勝手がいい魔法使いだからとりあえずアイシアにしとけばいいだろ、という適当な考えだ。さらに付け足せば、ISIAは読み方によっては“アイシア”になるから丁度いいだろうというアホらしい意味もあった。あまりの馬鹿々々さに泣きそうだった。

 

 それよりも深刻なのはISIAだった。先日のアーキの事件で世論が魔法使いに対してより厳しい目を向けるようになった。魔法使いを統括しているISIAの責任問題にまで進展する始末だ。早急に世論を誘導する必要があるのだ。

 

 だから“まともな人格の持ち主で見た目が良くウケも良さそうな魔法使い”を求めていたところに、ASUが適当に指名した人材がアイシアだった。世論の状況とASUの適当さが彼女をここに追い立てたのだ。

 

「私はこんなことをするためにASUに入った訳じゃないんだけどなあ……」

 

 どうにも諦めきれないアイシアはひとりぼやく。父ラファラン曰く、「これを機に少しは人間社会の価値観を学んでこい」とのことだが、広告活動でどう学べばいいのかまったく想像がつかなかった。むしろ弓鶴が心配で気が気ではないのだ。あの曲者ぞろいの中でひとり常識人の彼は、今ごろ苦労していることだろう。その方面の気苦労をもらってくれるのは有難いが、それでもパートナーを自称しているこちらとしては気が重い。

 

 そんな感じで、アイシアのため息は様々な感情が混ざっていてとても重い。それでも、時間は誰の下にも平等に降り注ぐ。仕事の時間だった。

 

 ISIA職員が控室に入ってきた。

 

「アイシアさん、時間です。スタジオに入ってください」

 

「分かりました」

 

 無理やり笑顔を作り、ASUの深紅のローブを羽織って控室から出る。スタジオに入ると既にカメラマンがスタンバイしていた。

 

 今回は広告用とCMを撮影するらしい。いまからアイシアは、グリーンの背景の前に立ってカメラの先にある民衆に媚を売るのだ。これも仕事だと思って我慢をするが、とてもではないが性に合わなかった。

 

 スタッフたちが笑顔で接してくるため、アイシアも表面上は微笑んで対応する。内心は早く帰りたいの一言に尽きた。

 

 監督と挨拶をかわし、遂に撮影が始まった。まずは写真撮影だ。ここで撮られた写真は各種スクリーンに表示されるのだ。

 

 十機のドローンが飛び立ちアイシアの周りを旋回し始める。これによって三百六十度全方位から彼女を撮影して立体映像を作るのだ。とりあえず制服がスカートじゃなくて良かったと、彼女は現実逃避をするために適当なことを考える。

 

「ではアイシアさん、ポーズを取ってください」

 

 そんなことを言われても困る。せめて誰を殺すためにどう構えるとか言って欲しい。当然そんなことは言えず、アイシアは雑誌で見たことがあるモデルのようなポーズを取ることにする。左手を腰にあて、右足を少し曲げて右手で虚空を掴む。モデルはこんなことをやっていたはずだ。きっと、たぶん、恐らく……。

 

 微妙な心中のアイシアをよそに、カメラマンは「いいねえ、最高だよアイシアさん!」とか言いながらドローンで撮影を続けている。

 

「アイシアさん、次は後ろに振り返る感じで!」

 

 振り返って拳銃でぶち抜けばいいのか。絶対に違うと分かっていながらもアイシアの発想は結局それだ。すべてが戦闘に塗りつぶされているから、動きのひとつひとつにどうしても殺意を宿らせてしまう。それを押さえるのに必死だ。

 

 言われた通り、アイシアは一度グリーンの壁を向いてから左足を一歩引き、左手を腰において右手で頭を押さえながら振り返る。これもどこかで見たことがあるポーズだ。きっと間違っていない。どうにも隙だらけだが、戦っているわけではないのだから問題ないのだ。この瞬間に私なら十回は殺せる、とか思ってはいけない。絶対に。

 

 だんだんとアイシアの頭の中がひっちゃかめっちゃかになっていく。

 

「次は胸の前で何か魔法を使ってみて下さい。見た目が綺麗なやつを!」

 

 ようやく魔法の出番だ。とりあえずプラズマでも生み出してやろうかと思うが、摂氏千度を優に超えるそんなものを出せば下手をすれば大惨事だ。

 

 必死に自分を抑え込んでアイシアは、胸の前に両手をもっていき、《水系分離》と《土系分離》魔法の組み合わせでで氷の結晶を生み出す。ついでに《風系分離》を追加してダイヤモンドダストを起こせばいいだろう。あとは営業用の笑顔だ。困ったら笑えとブリジットと弓鶴が口を酸っぱくして言っていたことを思い出す。いつか仕返しをしてやらないといけないな、と彼女は微笑みながら物騒なことを考えた。

 

 スタジオがわっと湧いた。

 

「素晴らしい! あなたは逸材だ!」

 

 監督が興奮しているが、そんなことを言われようがアイシアは一片も嬉しくない。なにせ中身が生粋の魔法使いであり、命など軽く吹き飛ばされる過酷な現場で働いているからだ。容姿を褒められてもあまり嬉しくはない。

 

「もっと、もっと派手なのはありませんか⁉」

 

 監督はもう鼻血が出そうなくらいのめり込んでいた。とりあえず怖いので石英でもぶつけてやりたかったが我慢。

 

 アイシアは《電磁結合》を使用。全身に紫電を纏わせる。

 

 スタジオが喝采に包まれる。普通のモデルならば、場を支配していることに満足するのだろうが、生憎とアイシアは普通ではない。とりあえずこの電気を手中に集めて誰かに投げつけてやりたいとか考える頭のおかしい魔法使いだ。目の前にブリジットがいれば確実にそうしただろう。現にさっきから周囲を衛星のように飛び続けるドローンがうっとうしくて仕方がないのだ。できることなら撃ち落としたかった。

 

「次は優雅に歩きながら風を操るとかできますか⁉」

 

 徐々に要求がエスカレートしてきている。アイシアは仕方なく記憶にあるモデルウォークをしながら、指先を立てて《風系分離》で小型竜巻を生み出す。それだけでは見栄えが悪いのでダイヤモンドダストでも作っておく。どうだこれで満足かと言わんばかりに睨みつけようとし、すぐにふたりの言葉を思い出してアルカイックな笑み。単純にもう早速疲れてしまい、満面の笑みとか言われても無理なだけだったのだが。

 

「アンビリーバボー! あなたは女神だ‼ 次は火を――」

 

「監督! それはさすがに火事になるから止めてください!」

 

 監督の暴走にスタッフが止めに掛かる。アイシアとしては派手に燃やしてもいい気分だった。そうすれば爽快だろう。ついでに自分を広告塔にしたことをISIAに後悔させられればなお良しだ。

 

 そこから撮影は一時間にも渡って続いた。要求されるポーズや魔法に律義に答えたアイシアは、体力はともかく気分的には倒れる寸前だった。

 

 ASUに採用される魔法使いは特にプライドが高い。そんなアイシアが民衆に媚を売るような真似をすれば疲労するのは当然だ。しかも彼女の双肩にかかっているISIAの威信は比較的どうでもいい。ISIAは魔法使いの人権を守ると高らかに謳いつつも、国際機関だから土壇場になれば魔法使いを裏切り人類に味方をする。

 

 一体自分は何をやっているのだろうかと、パイプ椅子に座りながらアイシアは人知れずため息する。

 

 撮影はまだ終わっていない。これからCMの撮影に入るのだ。今度はポーズだけでなく科白まである始末だ。いつから自分は女優になったのだと、アイシアはできることならこの場で頭を抱えて嘆きたかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 三十年前、魔法使いを殺すと誓った彼は、二十八年を経て東京に戻ってきた。久しぶりに東京の地を踏んだ彼は、風景ががらりと変わっていることに驚いた。

 

 黄昏に濡れるビル群は更に密度を増し、高さも随分と上がっていた。見上げても頂上が見えないほどだ。昔はなかった立体スクリーンがビルだけでなく道端のあちこちにホログラムを作り、銀糸とブラウンのメッシュという変わっていながらもある種完璧な色合いともいえる髪色をした美女を映し出す。

 

 車はもはや自動運転になっており、運転席を見てもハンドルなど見当たらない。首都高は跡形もなく消え去り、どこにいったのかと思えば、宙に引かれたホログラムの道路上を車が飛翔しているではないか。

 

 どこもかしこも三十年前とは大違いだった。

 

 彼は少し困惑しながら歩を進めた。どこもかしこも最新鋭のSot機器だらけだ。つまり、この街は《第七天国》から引き出された魔法に溢れているということだ。景色は次第に視界から消え去り、魔法使いに対する茫漠とした怒りだけが浮かんでいた。

 

 魔法使いを殺すには魔法使いのことを知らねばならない。だから彼は、十八歳になるとフランスへ飛び、比較的入隊が容易な外人部隊へ志願した。契約満了後、その足でアフリカへ飛び民間軍事会社へ就職した。政情不安定な地域では、ISIAへ通していない魔法使いが平然と戦争に加わっている。そんな魔法使いを彼は雑草を鎌で刈るように殺していった。

 

 そして、彼はもはや噴火寸前の火山さながら、魔法使いへの怒りを心の内に秘めたまま日本へ戻ってきた。祖国日本でのアーキ事件が彼にとって衝撃的だったのだ。

 

 ISIAとASUを恐怖に陥れる。それがいまの彼の原動力だった。

 

 大事なのは計画だった。ISIAもASUも国際機関だ。そして、特にASUは魔法使いの中でもエリートが集められ、魔法戦闘に特化した魔導師もいる。

 

 ならばどうするか。最初の一手は既に決めていた。

 

 彼の視線は街頭で衆目にさらされた美女のホログラムに注がれていた。ASU警備部に所属するアイシア・ラロ。魔導師階梯は第七階梯。

 

 そう、ISIAが依頼したスタッフの仕事は早かった。今の時代、撮影した翌日はおろか当日に公開されるなどざらだ。AIによる動画編集が優秀なのだ。更に現代は情報のスピードが速く、作ってすぐに公開しないと流行に乗り遅れるのだ。そして、ISIAは早期に世論を誘導したがっていたから、相当に突き上げたのだろう。

 

 撮影した当日の午後には、日本全国にアイシアの姿が街のいたるところにあるスクリーンに映し出され、CMまで流れていた。

 

 キャッチフレーズは、「魔法使いのあなたと一緒に働きたい」だ。

 

 クソくらえだ、と彼は心の中で唾棄する。

 

 お前たちのせいで家が潰れた。父が死んだ。魔法などこの世から消えてしまえばいい。

 

 だが、彼も理解していた。世界は魔法を取り込み過ぎた。もはや、魔法無しでは存続できないほどに。そして人は、一度便利さを覚えたら元の不便な環境には戻れない。これが続けば、いま以上に取り返しがつかないほど世界を魔法使いが支配していく。人よりもひどい弱肉強食世界に生きる魔法使いがだ。このままでは世界はより過酷に、原始的になっていく。

 

 彼はあのとき弱者だった。だからいま、この怒りをただの理不尽に使うのではなく、弱者のために使いたかった。その程度に彼は大人になり、現実を知ってしまった。

 

 怒りを瞳に湛えた彼――杉下弘樹は、無人タクシーに乗ってビル群の街から抜け出した。

 

 

 

 



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第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 5

 魔法使い候補者の護衛は、原則的にそのお宅の中に配置させてもらうことになっている。深紅のローブを着た魔導師がいれば、ここに魔法使い候補者がいると喧伝しているようなものだからだ。

 

 弓鶴とブリジットは、円珠家の客間を利用させてもらっていた。夫人の好意で夕食までご馳走になってしまい、弓鶴は恐縮しっぱなしだった。ブリジットは単純に喜んでいたが。

 

 豪華なソファーに身を沈めた弓鶴は、それでも神経を尖らせていた。いつ何時、例えばいま眼前に敵が現れようが一刀に伏せるだけの緊張感を保っていた。ブリジットも既に邸宅内部に結界を張り、両親の許可の下、妖精を散らしている。

 

 同じく対面のソファーに座っていたブリジットが苦笑する。

 

「少しは肩の力を抜くと良い。夜は長い。そんなことでは持たないぞ?」

 

 そう言われてしまえば、弓鶴としては確かにと思わざるを得ない。先日聞いたオットーの話が衝撃的だったのだ。

 

「悪い。少し過敏になってるみたいだ」

 

「まあこんなときはアイシアが出てる動画でも見るといいさ。爆笑ものだぞ?」

 

 そう言ってブリジットは端末を取り出し、くだんのCMを見始める。途端、彼は腹を抱えて笑い出した。

 

「アハハ! アイシアが! あのアイシアが「魔法使いのあなたと一緒に働きたい」とか! そんな科白絶対言わないよね!」

 

「確かに言わないだろうが、笑い過ぎだ。本人にバレたら電撃の刑を食らうぞ?」

 

 ブリジットがにやりと笑う。

 

「バレやしないさ。アイシアはいまも東京で撮影中だろう? 弓鶴が言わなきゃバレっこないさ」

 

「言ってもいいんだぞ?」

 

「我の扱い酷くない⁉」

 

 ブリジットが己の先輩具合について悩んでいたところで、客間のドアがノックされた。一瞬、自作した同田貫を抜きかけるも、ブリジットが目で制した。円珠家の誰かが来たのだろう。

 

「どうぞ」

 

 ブリジットが答えると、ドアが開いて円珠庵が入ってきた。その手にはお盆に乗せた湯のみが三つあった。淡い紫のワンピースを着た彼女が微笑んで軽く頭を下げる。

 

「夜分にすみません。少し魔法使いのことを訊きたいと思いまして」

 

 円珠がテーブルに湯飲みを置くと、ふたりを見られる位置のソファーへ優雅に腰を落とす。仕草ひとつとってもどこかの令嬢のようだ。ある意味、魔法の才能を見出されたことが不憫で仕方がない。

 

 円珠が弓鶴に目をやり微笑む。哀れんでいたことが知られたように感じ、背筋がぞわぞわした。

 

 円珠はどうにも高校生には似つかわしくない落ち着いた雰囲気を纏っている。教育の賜物だろうか。昔の自分と比べると、自分がいかに子どもだったかを思い知らされるので、弓鶴は少しだけ気分が落ち込んだ。

 

 ブリジットが湯飲みに口を付けて会話を始める。

 

「それで、何が訊きたいんだい?」

 

 円珠の視線がブリジットへ向かう。

 

「はい、説話体系について詳しく教えて頂きたいんです」

 

 ふむ、とブリジットが顎に手を添える。

 

「説話体系は“世界は数多の物語によって作られている”という観点から世界を記述する魔法だ。

 

書物を基盤にして魔法を引き出すのさ。分かりやすく言えば、例えば書物から登場人物や伝説な武器を取り出したりできる。書物で起きた現象とかも当然範疇に入る。書物の内容の範囲という制約に縛られるが、色々なことができる魔法体系だね」

 

 円珠が頬に手を当てる。

 

「確かに、その内容では民間ではあまり必要とされなさそうですね」

 

 どうやらブリジットとオットーの言葉がかなり響いていたようだ。確実にふたりのせいで円珠は悩んでいる。

 

 睨んでやると、ブリジットはあはは、と苦笑いを浮かべていた。

 

「民間ではエンターテイメント方面に特化しているとも言える。逆に、ASUに入ることができれば魔法研究部や警備部とか活躍の場は広がると思ってもらっていい」

 

「それは第六階梯、いわゆるエリートにならなければならないということですよね?」

 

「そうなるね」

 

「一般的な魔法使いは、その第六階梯になるのにどれくらいの時間が掛かりますか?」

 

 嫌な質問だ。ブリジットは営業用の笑みを浮かべたまま答える。

 

「才能と努力による。例えばそこの弓鶴は、努力によって僅か三年で第六階梯にまで駆け上がった」

 

 円珠の視線が弓鶴に注がれる。彼としては少し居心地が悪い。

 

 弓鶴が第六階梯になれたのは、魔導師位階制度の中でも戦闘に特化した無制限戦闘規格だからだ。当然、この規格で第六階梯になりASUに入れば、待っているのは魔法使いとの戦いだ。とても勧められるものではない。

 

 逆に、ASUでも魔法研究部は魔法技術規格での採用を行っている。こちらは魔法に対する深い理解が必要であり、生半可な知識と技術では第六階梯にまでは上がれない。三年で第六階梯など努力でも無理だ。

 

 つまり、ブリジットは意図的に第六階梯になるのは努力によっては可能だとミスリードしているのだ。

 

「魔法使いの位階制度は、どういったものですか?」

 

 そして、ブリジットの論法はここを突かれると痛い。彼の頬が僅かだが固まったのを弓鶴は見て取った。墓穴を掘るとはこのことか。

 

 仕方なく弓鶴が引き取る。

 

「魔導師位階制度は全九段階に分けられた、魔法の実力を示す資格みたいなものだ。一番下が第一階梯、最高位が第九階梯だな。第六階梯以上を俗に高位魔導師と呼んでいる」

 

「種類とかはあるのですか?」

 

 濁したにも関わらず痛い腹を突かれる。どうしたものかと弓鶴はブリジットと目を見合わせる。

 

 基本的に説明義務があるのはISIAだからASUの弓鶴らは知らぬ存ぜぬを通しても良い。しかし、円珠にとって初めて会った魔法使いである彼らが嘘をつけば、確実に魔法使いへの心象は悪化する。そうなれば魔法使いへの道を選ばなくなるかもしれず、先に待っている未来が一気に暗くなる。魔導師密売組織に狙われることがあるように、魔法使い候補者がISIAの加護を受けず自力で生き残るのはそれほどに大変なのだ。

 

 もはや話を逸らすのは限界と判断したか、ブリジットが答える。

 

「無制限戦闘規格と魔法技術規格の二種類がある。前者はその名前の通り魔法戦闘技術を位階で区別するもの。後者は魔法技術を位階で定めるものになっている。弓鶴は前者だな」

 

「民間に行く人はどちらを取るんでしょう? やはり魔法技術規格でしょうか?」

 

「そうなるね」

 

 ブリジットが頷く。もうすべて説明することにしたようだ。

 

「無制限戦闘規格を取るのは、ASU警備部に入る魔法使いくらいだ。あとは軍の魔導師部隊への配属を希望する者。一般的には魔法技術規格を取ることを推奨されている」

 

「魔法技術規格で第六階梯になるのは難しいですか?」

 

「難しいね。あれは知識もそうだが高度な魔法運用を要求される。ISIAの魔法教育が三年あるが、卒業時の平均階梯が第二階梯だ。第三階梯あれば高い方だね」

 

「つまり、第六階梯になるのは夢のまた夢、ということですね?」

 

「残念ながらそうなる。だが、一度民間へ行って魔法技術を磨き、年に一度ある試験に挑み階梯を上げていくという方法もある。主にそちらの方が一般的だな」

 

「説話体系ではそれは難しいのですか?」

 

 円珠の質問は先ほどから探られたくない懐ばかりを突き刺してくる。ブリジットの表情がどんどん苦いものになっていく。

 

「言葉は悪くなるがキミの将来のためにあえて言わせてもらおう。説話魔導師は民間では使い物にならない。どの魔法体系でも低階位は使えないというのは当然だが、説話体系はそのハードルが他の魔法体系よりも数段高い。魔法の性質上、民間で必要とされていない方面に特化しているからね」

 

 円珠の表情が暗くなる。当然だ。お前の未来は絶望的だと言われているも同然だからだ。そして、魔法使いになるのを拒否すれば、魔法使いであることがバレた途端魔導師密売組織から狙われることになる。つまり、彼女の未来は魔法使いになったことで逆に詰んだのだ。

 

 真面目な表情をしたブリジットが二本指を立てた。

 

「我から提示できる選択肢はふたつ。ひとつ、ASU警備部を目指せ。無制限戦闘規格ならば弓鶴のように第六階梯になるのは努力次第で三年でも可能だ。魔法使いと戦い命を懸ける仕事だが、人を守る大事な仕事だ。やりがいはある。説話体系は特に警備部では重宝される。ふたつ、いっそ魔法を諦めて一般人として暮らすこと。ただし、魔法使いであることは絶対にバレないようにしなければならない。バレたらすぐにでも密売組織が来るぞ」

 

「民間では使えないのに密売組織が来るんですか?」

 

「奴らの取引先は何もアジアだけじゃない。世界中に顧客がいる。政情不安定な地域なら特に魔法使いは重宝される。そういうところに行く自分を想像してみるといい」

 

 円珠の表情が真っ青になった。ろくでもない想像をしてしまったのだろう。

 

「民間へ入るという選択肢はない、ということですか?」

 

「ないことはない。だが、理想と現実の差に絶望する者が多い。全十二ある魔法体系の中でも、犯罪魔導師になる率が多いのは説話体系だ」

 

 円珠はもう縋るような目でブリジットを見ていた。

 

「ISIAは魔法使いを守ってくれるんですよね?」

 

「人権は守ると言っているが、雇用を守るとは言っていない。使えないと判断されれば容赦なく切られる。国際機関を謳っているが、人材会社のようなものだからね。無駄な人材に資金を投入するほど余裕がないのさ」

 

「じゃあ、私の未来は……」

 

 円珠が顔を覆って俯く。そこへブリジットは容赦なく言葉を投げ捨てる。

 

「暗いな。絶望的だと言っていい」

 

 さすがにこれは看過できなかった。

 

「おい、ブリジット。さすがに言い過ぎだ」

 

「黙れ弓鶴」

 

 ブリジットが鋭い視線を弓鶴へ注ぐ。その表情にはいつもの嘲りやニヤつきなど微塵も見受けられない。まさしく魔法使いの未来を考える真剣な表情だった。

 

「夢を騙ることは容易だ。だが、その先に待っているのは地獄だ。そんなところに彼女を放り込むことは、さすがに我としても頂けない。ISIAはいつも意図的にそこを隠している。ならば、我らが現実を教えるしかないだろう」

 

 ブリジットが視線を円珠に戻す。

 

「円珠、覚えておくといい。魔法使いは実力社会だ。一般人の社会とは比べ物にならないほどの弱肉強食社会といってもいい。弱いものから順に淘汰される。魔法社会で生きたければ己を鍛えろ。あらゆる障害を跳ね除けるんだ。そうしてやっと世界が開ける」

 

 円珠が顔を上げた。頬には涙が滴っていた。

 

「私、本が好きなんです。その本に関係する魔法使いになれたと知って、嬉しかったんです。これを手放すことなどできません」

 

 魔法使いは一生魔法に縛られる。知覚の半分が魔法世界に置かれているから、どうしても魔法に目が行ってしまうのだ。魔法使いになったが最後、魔法を使わずにはいられない。もはやそれは麻薬に近い。

 

「ならばどうする? そうなれば選択肢はひとつしかない。警備部を目指すか? 言っておくが、殉職率は高いぞ? 四肢が吹き飛ばされるなど日常茶飯事の暴力的な現場の最前線だ。魔法使いの戦いにおいて、命など飴玉ひとつの価値すら存在しない。そんな過酷な戦場に飛び込む覚悟はあるのか?」

 

「分かりません……すぐには答えが出ません……」

 

「そうだろうね。まだ時間はある。ゆっくりと考えるがいい。相談にならばいつでも乗る。今日はつらい現実を叩きつけて悪かったね」

 

 ブリジットが軽く頭を下げて謝罪した。感心した。魔法使いは滅多に頭を下げない。特に高位魔導師ともなればそれが顕著だ。プライドが高いからだ。これにはさしもの弓鶴も尊敬の念を覚えずにはいられなかった。

 

 いま、ブリジットが先輩魔導師をしているのだ。

 

 円珠が曖昧に微笑む。暗い未来をどうすればいいのか考えているのだろう。

 

「折角だ、警備部の話でも訊いていくかい? そこの弓鶴は二年目のぺーぺーだ。もしかしたら参考になるかもしれない」

 

 ぎょっとして弓鶴はブリジットを見る。ブリジットは嫌な笑みを浮かべてこちらを見ていた。嫌な役回りをしたから後は任せる、という目だった。

 

 まったく、仕方がないな、と思いつつ弓鶴はこの一年の出来事を円珠に語って聞かせることにした。

 

 

 

 



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第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 6

 その夜、自室に戻った円珠庵は、机の引き出しに仕舞ってある一通の便せんを手に取った。いまどき珍しい紙製の手紙だった。それは、魔法使いになったと気づき、ISIA職員が来た翌日の今日に届けられたものだった。いまの彼女にとって、その手紙が何よりも大事なものになっていた。

 

 円珠庵の将来は暗い。ブリジットが語ったことは、彼女の心に暗い影を差していた。現実を教えてくれたことには感謝をしている。だが、知りたかった現実ではなかった。

 

 円珠は本が好きだった。本を読んでいる最中は、厳しい世の中から逃れ、素敵な物語の世界に没頭できた。そして、授かった魔法が本に関係するのだと知って喜んだ。神が与えてくれた祝福だと思った。

 

 だが、現実はそうではなかった。現代社会では魔法使いですら不要と認識されれば切り捨てられる。警護にコストが掛かる分、一般人よりも厳しい競争社会だ。

 

 多くの人たちは誤解している。魔法使いはすべてが特権階級だと。魔法さえ使えればなんでもできるのだと。現実は全く異なる。魔法使いこそ、競争という過酷な地獄を駆け抜けているのだ。だから、彼らの人生観は過激だ。そうでなくば生き残れないし、そういう風に世の中が仕組み作られてしまったからだ。

 

 円珠庵の未来は暗い。だが、一筋の明かりはあった。いまの彼女にとっては、それは眼前にたらされた蜘蛛の糸だ。そして彼女は、それを掴もうとしていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 東京都天王洲にあるかつて殺風景だった倉庫街は、二〇一〇代中期から一気に様変わりした。倉庫の壁面には絵画が描かれ、お洒落な店が軒を連ねるようになっていた。いまや催しも多く開かれるようになり人通りも多い。

 

 そんな倉庫街の一角。まだ倉庫としての機能を保持している庫内に二十人を超す魔導師達が集まっていた。天井灯が彼らの姿を照らす。誰もが紐で括った複数の書物を持っていた。ひとりを除き、全員が説話魔導師だった。

 

 そして、彼らの視線の先には、同じように書物を持った男が立っていた。鷹のように鋭い燐光を嵌め込んだ瞳を持つ男が、背に棒を刺しているかのように背筋をぴんと伸ばし、部屋に集う魔法使い達を見渡していた。彼の威厳に満ちた佇まいに、魔法使いたちも自然と姿勢を正していく。

 

「みなの衆、よくぞ集ってくれた。これまで彼の組織に身をやつし、醜聞に耐えてきた我ら説話体系が立ち上がるときが来た」

 

 一本の杭のように硬く力強い声が、鷹の男から発せられる。

 

「かつて、我らが祖先は彼の組織と正面から戦を挑み、敗れた。ひとつの都市を消した責任を負わされ、我らが叡智を奪い、従属させた。偉大なる祖先たちは確かに間違っていた。超えてはならぬ一線を確かに踏んだ。総括せねばならなかった。そしていまや、説話魔導師は時代に取り残された。社会に、お前たち説話魔導師などいらぬと絶縁状を叩きつけられた。魔法世界を創り、ようやく日の目を浴びることのできた我らに対する仕打ちがこれか? いまも説話の同胞が犯罪魔導師へと身を落としている様を見るのことはもはや耐え難い」

 

 説話魔導師たちが力強く頷く。鷹の男も、歴戦を物語る傷だらけの顔を縦に振った。

 

「かつて、魔法使いは野蛮だった。力にものを言わせ、犯罪魔導師達を処罰してきた。そして三十五年前、人間社会と併合した。弱肉強食の野蛮さが消えると期待した。だが、現状を見よ。その本質は全く変わっていない。弱者に手を伸ばす慈悲すら持たぬ。野蛮な肉食動物だ。

 

 諸君、我らは立ち上がらねばならぬ。同胞らが未来のため、いまの魔法社会を覆す」

 

 部屋を揺るがす喝采があがった。書物を握る拳を天上へ突き上げ、説話魔導師たちが鷹の男の英断を讃える。

 

 それは、一考すればただの絵空事だと分かる内容だ。たかだか二十数名で世界を変えるなど、誰が考えても一顧だにしないだろう。しかし、彼らにはそれができるだけのものがあった。

 

 鷹の男の書物の束から一冊の本が勝手に動き、宙に浮いた。鷹の男を惑星とし、衛星軌道でも取るように本が宙を回る。本が勝手に開かれ、中から三枚の頁が切り離された。三頁にはそれぞれ悪魔が描かれていた。名をそれぞれ、パイモン、クローセル、レライエという。

 

 説話魔導師たちがにわかに騒ぎ出す。

 

「諸君、見ての通り既に叡智の三枚は我が手中にある。奴らが来る。奴らが来るぞ。ASU重犯罪魔導師対策室。そして《ベルベット》。相手にとって不足無し。こやつらと戦えるのは天上の語り草となろうぞ」

 

 再びの喝采。日の目を浴びぬ説話魔導師にとって、表舞台に上がるだけでも喜ばしいのだ。それほどまでに、世間は説話魔導師を冷遇している。

 

「社会の圧力によって我らを捨てるのならば、我らは武力を持って社会を覆す。我らが世界の真の役者となるのだ」

 

 喝采はもはや怒号となり、倉庫内を反響して隅々にまで響き渡る。

 

 鷹の男の眼光が、魔導師達の最前列に立つ三人の男性へ向けられる。

 

「二コラ、エルヴィン、カスパール。お前たちには辛い役目を押し付ける。無理ならば言ってくれて良い。どうだ、頼めるか?」

 

 三人が片膝を落とし、頭を垂れて書物を握った拳を床につける。

 

「もったいなきお言葉。フェリクス殿の頼みとあらば、いかな悪魔にでも魂を売りましょう」カスパールが意思を告げた。

 

「フェリクス殿の命、必ずや完遂する所存」ニコラの宣言。

 

「この世の地獄、覆せるのならばこの命などいりませぬ」エルヴィンの燃えるような意思。

 

 鷹の男――フェリクスが頷いた。

 

「皆の衆。勇敢なる三名に敬礼を」

 

 フェリクスが号令をかけると、全員が本を右手に胸へと抱える。説話魔導師に伝わる最上級の敬礼だ。風鳴りの音が次々と鳴り、この場に集うすべての魔法使いたちが三名へ尊敬の念と共に敬礼を捧ぐ。

 

 敬礼を解いたフェリクスが告げる。

 

「いまこのとき、我らは魔法社会に弓を引く。水泡と消えゆく満願成就を掴みにいくぞ」

 

 説話魔導師たちの怒号が響く。

 

 フェリクスが獰猛な笑みを浮かべ、説話魔導師達の背後へ目をやる。そこには、真剣な眼差しで彼らを見つめる杉下弘樹の姿があった。

 

 フェリクスが弘樹を見て頷く。弘樹もまたフェリクスの求めに首肯した。

 

 彼らは、魔法使いと一般人でありながら手を組んだのだ。彼らは、魔法が社会にもたらした激動ゆえに弾き出された社会的弱者だ。そして、一点において、彼らは共通するものを持っていた。それは、いつの時代も他国と交流する際に必要なもの。

 

 利害だ。

 

 

 

 



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第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 7

 撮影翌日、アイシアはお台場にあるテレビ局に連れ去られていた。情報番組で生出演することが決定していたのだ。あまりの速さに彼女は驚きを通りこして呆れた。ISIAは、腰が重いはずの国際機関なのにフットワークが軽すぎる。

 

 局員たちとの会議が終わり、本番出演まであと三十分だった。

 

 当然スタイリングはばっちしで、今回はASU指定のローブではなくグレーのスーツ姿だ。伝え訊いたところによると、ASUらしさではなく親しみやすさを全面に押し出したいらしい。どんどんASUの仕事の範疇から外れていることに危機感を覚えた。

 

「スカートとか最近履いてないから動きにくいな。奇襲されたらどうするんだろ」

 

 アイシアは、タイトスカートに引っ張られる太ももを苛立たし気に叩く。発想が完全に前線兵士のそれだ。

 

 どうにもやる事が無くて、無意識のうちに胸元を探る。愛銃が無いことに気づいて、急に不安になった。ISIAの業務に武器は不要だとして、日本事務局に置くよう厳命されているのだ。武器がないと落ち着かないアイシアにとっては苦渋の決断だった。

 

「やめたい。いますぐに帰りたい……」

 

 アイシアの嘆きは深く重い。

 

 初日に撮影スタジオを支配し、翌日には生放送番組に出演するなど、一般人からしたらスター街道をひた走っているように思える。だが、当人であるアイシアの頭の中にあるのは、「さっさと片付けて元の仕事に戻りたい」だ。

 

 かつて、魔法使いは日の目を浴びたいという願望を持ってはいたが、なにも衆目にさらされることを望んでいたわけではない。アイシアもその類の魔法使いであり、しかも戦闘に特化した武闘派だ。大勢の人間に顔を晒すなど正気の沙汰ではないと考えてしまうのも仕方がなかった。

 

 腐っている内に時間は経ち、もはやマネージャーと化したISIA職員に連れられスタジオ入りする。アイシアはCMを挟んで途中から出演することになっていた。議題はかねてより問題を指摘されているISIAの広告についてだ。

 

 どうでもいいからすぐにでも解放してほしかったが、ぐっとこらえて無理やり笑顔を作る。さり気なく前にかざされた鏡に映っているのは、いかにもできる美人魔導師といった容貌の自身の顔だった。少なくとも、心の内が顔に現れていることはなかった。

 

 ほっと安心したころでISIA職員に促される。そろそろCMが明け、キャスターがアイシアのことを呼ぶのだ。

 

「では、ISIA日本事務局関東支部ASU警備部警護課のアイシア・ラロさんに登場して頂きます」

 

 アイシアが抱いた第一印象は、よく噛まなかったな、というひどくどうでもいいことだった。さっさと行け、と背中を叩かれて彼女は仕方なくカメラが映す画面内に入っていく。

 

 いまの時代、キャスター側も視聴者数やコメントなどをリアルタイムで見ることができる。画面入りしたアイシアにもそれが見えた。猛烈に視聴者数とコメントが増加していた。中身は怖かったので見ることを放棄した。どうせろくなことが書かれていないに違いない。

 

 営業用の笑顔を作ってアイシアが挨拶する。

 

「初めまして、ご紹介に預かりましたASU警備部警護課のアイシア・ラロと申します」

 

 直後、裏にいたISIA職員がしかめっ面を向けてきた。正式な肩書を名乗らなかったことに怒っているのだろう。アイシアとしては、絶対に噛むし長ったらしいから言いたくなかったの一言に尽きる。

 

 どうぞお掛け下さい、とキャスターに促されるままアイシアは席に着く。一斉にカメラが彼女の顔をズームする。四の五の言わずに帰りたかった。切実に。

 

「早速ですがアイシアさん。昨日公開された動画ですが、ものすごい反響のようです。現時点で既に五百万再生を記録しています」

 

 ぎょっとした。寝ている間にものすごい再生回数が増えている。人類はみな暇なのか。アイシアが内心で嘆いているところをよそに、キャスターが続ける。

 

「いまの気持ちを率直にお聞きしてもよろしいですか?」

 

 帰りたいんだけど。言ってもいいの? という言葉をアイシアは寸でのところで飲み込んだ。

 

 アイシアは淡い微笑みを作る。

 

「予想外の反響に驚いています。これも世間の皆様のISIAに対する関心度の高さであると考えております」

 

 想定通りの受け答えだ。間違えないようにカンペまで出されている。つまり、アイシアは愛想をふり撒きそれを読み上げればいい。いつもに比べれば楽な仕事だ、と彼女は自分を鼓舞した。

 

 そうですか、とキャスターが笑む。

 

「では本題に入らせて頂きます。現在、ISIAが魔法使いを独占しているとする世間の声についてISIAはどうお考えですか?」

 

「普段から申し上げています通り、そのご意見は誤解です。我々は魔法使いという人材を統括しているのであって、独占しているのでは決してありません。なぜ我々がこのようなことを行っているかと申しますと、世界が平等に魔法の恩恵に享受できるようにするためであり、魔法使いの基本的人権を守るためでもあるのです。私腹を肥やすためでは決してありません」

 

 アイシアの返しにキャスターが頷く。ついでにISIA職員も満足げだ。

 

「では、ISIAがいわゆる魔法使い候補者に対する洗脳とも言える魔法界への勧誘に関して、ISIAはどうお考えですか?」

 

「洗脳を行っている事実は断じてありません。我々は魔法使いないし未来の魔法使いの人権と安全を守る義務があります。確かに、一辺において魔法界へ加入することによる安全面の向上が認められ、我々がそれを推奨していることは間違いではありません。広報も行っております。ですがそれは一重に魔法使いないし未来の魔法使いの人権と安全を守ることが目的であって、一部世論でおっしゃられているコスト削減を目的とした洗脳ではありません」

 

「ですが、その広報の仕方が、まるで魔法界へ参入しなければ魔法使い候補者の安全が守られないと言っているように聞こえてならないという声も確かに上がっています。その方々からすれば、ISIAの広報が魔法使い候補者やその親族を不当に恐怖に陥れ、魔法界の参入へと意図的な誘導を行われているように思われても仕方ないとは思いませんか?」

 

「誠に残念ですが、一部世論ではそういったお声が挙がっている事実はISIA内部でも認識されており、より良く健全な広報を執り行うべく議論を重ねております。ですが、これを恣意的に行っているとされることが誤解であることについては、この場をお借りして述べさせて頂きます」

 

 もういいだろう。頑張った。いますぐ私を帰して!

 

 内容が内容だけに、アイシアの精神的疲労度は限界寸前だった。

 

「つまり、魔法使い候補者を恣意的にISIAへと誘導しているのではなく、安全のために案内しているという従来の主張通りであるということですね?」

 

「はい、その通りです」

 

 これで終わりだ。今回はアーキの事件については言及されない。あれは主にASU側の話だ。いま、アイシアはISIAからASUに派遣され、ISIAへ出向しているASU職員というよく分からない立場だ。だから、本来はASU職員でありながらASU職員ではないという理屈が成り立つ。つまり、ASUの見解について述べるだけの権限を持たないのだ。

 

 そして、ISIAはこのテレビ局にかなりの投資をしている、いわば臨時スポンサーだ。自分たちの臨時収入源であるスポンサーの痛い腹を探ることをテレビ局は良しとしない。テレビ局は富を得て、ISIAは広告で世論の印象を操作する。呆れるくらい下らない、人類社会でよく行われている世論操作だ。

 

 アイシアは営業用の微笑みを湛えながら、何をやっているのかと己に問うた。彼女は、悪い魔法使いをやっつける正義の魔法使いを体現する父に憧れこの職に就いた。だが、いまやっているのは魔法使いの信頼が傷つき、困っているISIAを助けるために世論をそそのかす旗頭として立っている。

 

 これがやりたかったことなのか。

 

 絶対に違う。

 

 それでも、本当の正義の魔法使いになるには、人の価値観を学ばなければならない。その点において、アイシアは未熟だ。目指す先が父である以上、人の価値観を取り入れていかなければ、巨大な力を持った何を考えているか分からない魔法使いになってしまう。その成れの果てが《ベルベット》だ。それだけは絶対に嫌だった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「アイシアさんが営業用の笑顔でISIAの意見を述べていますよ。いやあ、本性を知っていると不自然ですねえ」

 

 午前の日差しが舞い込んだ円珠宅の客間。そのソファに座るオットーが、端末で表示させた立体映像を眺めながら笑った。それを横目で見ていたラファエルは、「確かに」と微かに頷く。彼女たちのリーダーであるアイシアは、見た目は良いが中身は腹黒い。現在ネット上では新たな女神降臨だの、理想の女性が現れただの、あんな綺麗な女性になりたいだのと、色々と好印象ばかりが散見しているが、完全に彼女に騙されている。

 

 さすがにこういう真似は自分では無理だな、とラファエルは思った。アイシアのような演技などできないことは自覚していた。

 

 魔法使いは一見すると狂っていて頭が悪いと思われがちだが、実際はその逆だ。価値観がずれているから狂って見え、高階梯のものほど頭は良い。でなければ、魔導師位階制度で高階梯の資格など取れるはずがない。ラファエルも高位魔導師らしく頭の巡りは良いが、単純にカルボナーラと結婚願望で脳内が占められているだけなのだ。もっとも、それもそれで致命的ではあるのだが……。

 

 ともかく、弓鶴たちと交代したふたりは、円珠庵の回答待ちとその間の護衛のためにいるのだが、動画を見る程度には暇だった。警護課が暇というのは、魔法使い候補者が安全であるということだ。それは大変結構なことである。

 

 ソファーから立ち上がったオットーが軽く伸びをする。

 

「暇ですね。どうにも前線気分が抜けないので困ります」

 

 オットーがかつて所属していた《異端審問機関》は、《連合》時代の魔法使い集団から抜け出した秘跡魔導師達だ。そして、《異端審問機関》は“実在する神”を崇めているから、神の奇跡を扱う魔法使いたちと対峙していた。それは時代が変わり、《連合》がASUになってからも今なお水面下で行われている。彼は、裏で行われているASUと《異端審問機関》の戦いの最前線にいたのだ。

 

 だからオットーは、平時は空気の読めない道化をしているが、中身は戦闘狂だ。

 

「……オットーは戦いたがりです」

 

「そういうエルさんも、よく気に入らない相手を狙撃したいと言っているじゃありませんか。お互い様ですよ」

 

 ラファエルはオットーを睨みつける。当人は涼しい顔で窓の外を覗いていた。

 

「さすがに結界を外部にまで広げればバレますし、索敵が因果魔法の《時間観測》だけでは不安ですね」

 

 オットーの物言いにラファエルの美しい眉間に皺が寄る。

 

「私の魔法に不服?」

 

 いえ、とオットーが首を振る。

 

「そういうことではなく、単純に索敵範囲が落ちるということです。どちらにせよ、索敵では元型魔法や波動魔法に軍配が上がります。私たちの班ではブリジットさん以外は索敵では無能ですよ」

 

 因果魔導師は、時間軸を瞬間の連続ではなく過去・現在・未来に伸びる線として捉える。《時間観測》は、理論上は時間軸で起きたすべての出来事を観測できる。しかしそれは、使用者当人のみに限定されることが多く、護衛では不向きな観測魔法だ。

 

 確かに、と再び頷いたラファエルは表情を戻す。因果魔法は、説話魔法とは逆で戦闘職においては無能とされている。なぜならば、高位魔導師でなければろくな攻撃魔法がないからだ。だから魔法を銃器と併用して運用することで攻撃力の低さを補っている。

 

 魔法社会は実力主義だ。低階梯の頃、ラファエルは因果魔法が戦闘に使えないということで腐っていた時期がある。そんなときは、同じ魔法体系でありながら最前線で活躍するアイシアの父ラファランの背を見て自らを鼓舞してきた。

 

 どんな魔法使いもつらい時期は必ずある。それは誰しもが通る道だが、進みたい未来がことごとく絶望に染まっていれば、迷いもするし立ち止まりもするだろう。

 

 そうした意味で、ラファエルは円珠庵に同情心を抱いていた。

 

 もっとも、ラファエルならば嬉々として戦いの道を選ぶだろう。なぜなら強い男が好きだからだ。彼女の結婚願望は、そうしたところからも来ている。要は守ってもらいたいのだ。そのためにわざわざ戦いの最前線に突っ込むところがおかしいことに、彼女は当然気づいていない。

 

 オットーが壁に掛けられたアンティーク時計に目をやる。時刻は午前九時半になろうとしているところだった。

 

 警護を開始して三日目になる。円珠庵は家に籠ったままだ。当然、これはISIAの勧めによるものだ。学校は適当な理由をつけて休んでいるのだ。警護する者にとっては楽な状況ではあるが、学校に行けないことが逆に周囲に疑念を抱かせている要因ではないかと、ASU警護課では考えられている。戦闘が発生すれば危険手当がつくから、それを渋っているのではないかとすら言われていた。

 

 ASUの収入源は、主にISIAからの警護や事件解決の報酬、《第七天国》の使用料、魔法開発によって生み出された技術を利用した利益の三本柱で成り立っている。

 

 対するISIA側は、魔法使いを派遣することによって企業や国から資金を得ている。

 

 組織構図上、内部部局であるASUはISIAと同列か格下の立場にある。しかし、当の魔法技術を握っているのはASUだ。だから実際はISIAよりASUの方が立場は強い。依頼料を止めればASUは即座にISIAを裏切り、魔法使いたちを集めて勝手に独立するだろう。

 

 個人でも集団でも、一般人と魔法使いの間には埋められない溝がある。そこに利益が加わればなおさらだ。そして、被害を受けるのはいつだって末端の弱者だ。

 

 円珠庵が魔法使いになったことで人生の逆境に立たされたのは、ISIAとASU、そして現代社会がいまの構図を作り出したからだ。

 

 これは一週間丸々使う長い仕事になりそうだとラファエルは思った。

 

 だが、魔法使いを取り巻く社会はそんな生ぬるい考えを許さない。

 

「エルさん! 敵影多数! 戦闘態勢を!」

 

 窓の外を覗いていたオットーが鋭い声を投げた。即座にラファエルはライフルではなく拳銃を取り出し部屋を出た。直接、円珠庵の警護に回るためだ。

 

 円珠の部屋へとノックをせず入る。彼女は手紙を手に持っていた。いまではなかなか使われることのない代物だ。ラファエルはすぐに視線を外し、窓の外を覗き込みながら口を開く。

 

「円珠庵、敵が来ました……」

 

 絶対に聞きたくない情報のはずなのに、それを受けた円珠は慌てた様子を見せなかった。不審に思ったラファエルが彼女に一瞬だけ注意を向ける。

 

 円珠が持つ手紙が淡い燐光を浮かばせていた。魔法の光だ。

 

「円珠庵、なにをしてます?」

 

 目を細めたラファエルが問う。円珠が曖昧に笑って言った。

 

「すみません。私にはもう、この道しかないみたいなんです」

 

 そのとき、室内に書物の頁が撒き散らされた。まるで桜の花びらが風にのって渦を巻いているかのように、頁が室内に荒れ狂う。

 

 説話体系の魔法転移の前兆だ。敵は直接室内に転移して来ようとしているのだ。

 

「オットー!」

 

 ラファエルが叫んで銃を構えた瞬間にはオットーが部屋に突入していた。彼は即座に円珠を結界で覆う。

 

 頁の渦が消える。そこには、亜麻色髪の男性が立っていた。右手には紐で括った書物の束。説話魔導師だ。そして、その顔にラファエルは見覚えがあった。

 

「おやおや、特殊魔法犯罪課のエルヴィンさん。なにしに来たのですか? 家の周りにいる輩も、どうやら全員説話魔導師のようですし、説話魔導師で催し物でもするおつもりですか?」

 

 オットーは暢気に言いながらも臨戦態勢を取っていた。

 

 特殊魔法犯罪課は、刑事課では対処できないような魔法犯罪を専門に扱う部署だ。普通に考えて、魔法使い候補者を警護している現場に来るはずがない。

 

 オットーがなにより警戒しているのは、“秘跡魔法による結界を張っていたにも関わらず、魔法でこの部屋へと直接転移してきたこと”だ。秘跡魔法による結界は、神がおわすとされる聖域を展開することで攻撃を逸らす防御魔法だ。結界外と内側は世界自体をずらした壁を隔てているも同然だから、通常の魔法転移では入ることができない。

 

 亜麻色髪の男、エルヴィンが優雅に微笑んだ。

 

「すまないが警護課にはお引き取り願う。円珠庵さんは特殊魔法犯罪課が引き受けるよ」

 

 嘘だ。

 

「理由は……?」

 

 銃を構えたままラファエルが問う。

 

 笑みを深くしたエルヴィンの右手が動く。ラファエルは躊躇なく引き金を引いた。円珠が悲鳴を上げてしゃがみ込む。九ミリパラベラム弾が彼の心臓に直撃――しなかった。銃弾が虚空から伸びた鎖によって受け止められていたのだ。

 

 その事実に驚く間も惜しくオットーが魔法を発動していた。エルヴィンの背後に青い燐光が宿り、円錐形に伸びる。秘跡魔法の《歪曲体系》によって生み出されたあらゆる防壁を貫く円錐だ。

 

 原理はこうだ。世界の外周にあるとされる聖域を世界に無理やり引っ張り込む。そうすると、風船を外側から指で押すように、空間が捻じれて凹みができる。

 

 空間を歪めて作った円錐は、物理防御を完全に無効化する凶悪な攻撃だ。だが、それすらエルヴィンの背に刺さることはなかった。虚空から鎖が生み出されたように、円錐もその先端が姿を消していた。

 

 エルヴィンの右手には閉じたままの書が二冊、淡い光を帯びていた。それどんな本であるのか、早急に探らなければならない。ラファエルとオットーの警戒度は最大限まで上がる。

 

 エルヴィン、本名エルヴィン・レーヴラインは第八階梯の説話魔導師だ。一階梯でも違うと、その実力は天地の差が開く。第六階梯のラファエルとオットーの二名という人数差は、第八階梯の魔導師の前では意味がないのだ。更に、外には彼以外の説話魔導師が待機している。既にブリジットへ連絡を入れているとはいえ、この状況はもはや詰みに近かった。

 

「相変わらずASUは手が早い。そんなことでは野蛮だとして二十一世紀の世に捨てられるよ?」

 

 エルヴィンは、敵意を向けた魔法使い二人に前後を囲まれようと毛ほども気にしていない。そして、視線はふたりではなく円珠へ注がれていた。

 

「円珠庵さん、我々の下へ来るということでいいかな?」

 

 エルヴィンが腰を抜かしていた円珠に手を伸ばす。二人は動かない。否、動けない。足を踏み出そうとした二人が気づく。二人は鎖に足首を捕らわれていた。先ほど出現した鎖が無数に伸び、二人の両足に巻き付いていたのだ。

 

 高位魔導師である二人に悟られない早業だった。

 

 だが、足を封じられようが魔法使いは止められない。ラファエルは《時流制御》により自己の時間軸を四倍へと設定。そのまま拳銃の引き金に力を込める。オットーも《歪曲体系》による円錐を三つ生み出していた。

 

 しかし、それらが完全に動き出すよりエルヴィンの初動の方が遥かに早かった。

 

 二人の両手と首筋に鎖がまとわりつく。一気に喉元を縛り上げられた二人の魔法制御が途切れる。魔法は現実に引き出されることなく、拳銃も引き金すら引けずに床に落ちる。

 

 高位魔導師は魔法を手足のように扱う。そして、第八階梯ともなれば、第六階梯魔導師との技量には圧倒的な差が生まれる。

 

 両手両足に首まで鎖で捕らわれ、二人は気絶寸前だった。そんな二人を眺めたエルヴィンが、ふっと皮肉気に笑んだ。

 

「しばらく寝るといいよ。キミらはよく働いた。ボクを前にこうして生きているだけで十分過ぎるほどね」

 

 気絶まであと五秒。ラファエルが気力を振り絞っているところで、エルヴィンが最後だとばかりに声を投げてくる。

 

「キミらは殺さないよ。同胞である彼女を守ってくれていたからね」

 

 それが、ラファエルが聞いた最後の音だった。

 

 

 

 



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第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 8

 緊急連絡を受けた弓鶴とブリジットは、近場のホテルからAWSで円珠家へ向かった。通信は繋がりっぱなしであったため、状況は理解していた。ラファエルとオットーがやられたのだ。そして相手は第八階梯魔導師のエルヴィン・レーヴライン。ASU警備部特殊犯罪課きっての凄腕の臨戦魔導師だ。

 

 つまり、今回の敵は身内だ。理解ができない。弓鶴は即座に無駄な思考を放棄。

 

 円珠家を眼下に見下ろす。全員が書物を持った説話魔導師と思われる魔法使いたちが円珠家を取り囲んでいた。数は五人。エルヴィンを含めれば総勢六名だ。

 

「弓鶴、突入するぞ!」

 

 ブリジットは既に魔法による変身を解いて本来の姿に戻っている。彼も本気ということだ。

 

 空中を足で叩いて弓鶴たちが急降下。説話魔導師達がすぐさま気づく。全員がそれぞれ持つ書物から燐光が溢れる。

 

「遅いわ!」

 

 ブリジットが叫んだ直後、説話魔導師達が勢いよく地に伏した。元型魔法の《観念力動》で真上から衝撃波を放ったのだ。

 

 第八階梯になるブリジットの魔法発動速度は圧倒的だ。弓鶴でも初動が見えない。

 

 地面に降り立った弓鶴が、苦痛でくぐもった声を出すひとりを取り押さえ、錬金魔法で手錠を作って両手両足を拘束する。これを全員分行おうかというところで、声がした。

 

「援軍が早いね。やっぱりASUは優秀だ」

 

 振り返ると、円珠家の玄関から堂々と出てきたエルヴィンと、脇に抱えられた円珠庵が立っていた。彼女は申し訳なさそうな表情を弓鶴たちへ向けていた。

 

「エルヴィン・レーヴライン、魔法使い候補者を連れ去ろうなど一体何のつもりだ。犯罪者に身を堕とすつもりか?」

 

 ブリジットがエルヴィンに問う。エルヴィンは優雅に微笑んだ。

 

「この世の地獄をボクらの楽園へと変える。そのために説話魔導師を保護して回っているだけだよ」

 

 その意味にぞっとした。ブリジットの顔色が変わる。

 

「まさか、ASUに反旗を翻すつもりか⁉」

 

「かつてもそうだった。世は説話体系を冷遇し過ぎたんだ。なら、こうなるのはもう自明の理だろう?」

 

 ふいに、周囲がにわかに騒ぎ出した。ここは住宅街だ。隣接する家に住む人々が顔を出して覗き始めたのだ。

 

「全員逃げろ! 戦場になるぞ!」

 

 弓鶴が叫ぶと、野次馬たちが騒然となる。野次馬たちは、弓鶴が着ている深紅のローブで魔法使いだと気づいたのだ。そして、魔法使い同士の戦いがどれだけ激しいものか、去年のアーキ事件で知れ渡っている。全員がパニック状態となった。

 

 その様を眺めていたエルヴィンがくすくすと笑う。

 

「悪の魔法使いを狩り、一般人を守る正義の味方は大変だね」

 

 思わず弓鶴は怒鳴る。

 

「お前もそうだったはずだろうが!」

 

 エルヴィンの表情は変わらない。第八階梯の威圧感を放ったまま微笑んでいる。

 

「言っただろう? 裏切ったのはASUであり、この社会だ。ボクらは必死に尽くしてきたのに、返ってきたのが絶縁状じゃあ堪らない。なら、革命でも起こすしかないよね?」

 

「そんな世迷言はどうでもよい。さっさとその子を渡せ」

 

 ブリジットの怒りの声。エルヴィンが肩を竦めて円珠を見た。

 

「と、ASUは言っているがどうする?」

 

 問いかけられた円珠が首を振った。目を疑った。

 

「私はこの人たちに付いて行きます。あの手紙をもらい、そしてあなた方から現実を教えて頂いたときに決心したんです。この世界は私たちには厳しすぎる」

 

 ブリジットの顔面が蒼白となった。つまり、円珠の行動は彼が後押ししてしまったのだ。彼女のための言葉が逆に彼女を追い込んだ。

 

 世の中、知りたくない現実など山ほど存在する。それが理解しておかねばならぬことであっても、目を逸らしたいという人はたくさんいるのだ。彼女は、彼が期待するほど強くはなかった。強くあれなかった。これが、生粋の魔法使いと魔法使い候補者の価値観の違いだ。それが今回浮き彫りになった。悲しいほどすれ違っていたのだ。

 

 ブリジットがわなわなと震える。

 

「オットーの結界内にどうやって侵入した? あれは説話体系の魔法転移でもそう簡単には抜けられ……」

 

 そこで、ブリジットの言葉が止まった。遅れて弓鶴も気づいた。

 

 説話体系による魔法転移は、《説話筆記》と呼ばれる手法で二種類存在する。ひとつは、書に転移先を記して移動する方法。これは異空間を挟んだ秘跡魔法の結界を突破できない。であればもうひとつ。二つの書に自らが転移することを記して書の間を移動する方法だ。これは書の物語の世界を繋げて転移するから、オットーの空間を歪めて作る結界すら突破する。円珠はさっき手紙と言った。エルヴィンは、それを媒介にしてオットーの結界内へ魔法転移したのだ。

 

 すなわち、弓鶴たちは守るべき魔法使い候補者から裏切られたのだ。

 

 ブリジットの表情が失意と後悔に濡れた。

 

「円珠、我らはキミを守っていたんだぞ?」

 

 ブリジットの声は悲痛が混じっていた。だが、円珠も泣きそうになりながら言い返した。

 

「ブリジットさんが言っていたじゃないですか。私の未来は絶望的だって。なら、魔法使いらしくあらゆる障害を跳ね除けて、世界を切り開くしかないじゃないですか」

 

 投げた言葉がそっくり返ってきた。まるで因果が巡って応報となって、罪人に舞い戻るように。

 

 この世はままらないことばかりだ。魔法で便利になったというのに苦労ばかりで、競争がより過激になって生きづらくなった。その動乱の時代に翻弄される弱者の声が、いま弾けたのだ。

 

 ASUは高位魔導師の集団だ。つまり、超エリートであり人生における勝ち組だ。そして、眼前にいるのは、言い方を選ばないのであれば負け組だ。絶対に分かり合うことのない二者が対面してしまえば、もはやぶつかり合うしかない。

 

 最悪だ。魔法使い候補者が自ら犯罪集団に身を堕とした。これがどういう意味か、円珠庵はたぶん理解していない。

 

 弓鶴は慎重に口を開く。せめて、彼女に一番近い立場の自分が声を掛けるべきだと思った。

 

「円珠、そいつの手を取るのだけは駄目だ。そいつはもう犯罪魔導師だ。ASUは犯罪魔導師を絶対に許さない。先に待っているのはASUに追われる未来だけだぞ。それでいいのか」

 

「ならどうすればいいんですか!」

 

 円珠が叫んだ。それは、魂の慟哭だった。

 

「私の未来はどうすればいいんですか! 結局戦わなきゃいけないなら、同じ苦しみを共有できる人と戦いたい! こんな、こんなことになるくらいなら……魔法使いになんてなりたくなかった‼」

 

 ひとりの未来ある若者が、己の未来に絶望して嘆いている。導くはずの大人が、そして社会が、こぞってお前なんていらないと、ひどい言葉を投げつけたからだ。だが、ブリジットが言うように、希望だけを持たせて後になって絶望するのも悲劇だ。魔法世界に進んでも、いずれ社会は円珠庵を弾き出す。この結末は遅かれ早かれ訪れるものだったのだ。

 

「円珠、一言だけだ」

 

 唐突にブリジットが口を開いた。円珠が彼を睨みつける。

 

「一言こう言え、助けてくれと。それだけでいい。我らに向けて言ってくれ」

 

 円珠の瞳に疑問。だが、現実に押しつぶされそうになっている彼女にとって、救いを求める相手などもはやなんだっていい。

 

「助けて下さい。私をこの理不尽な世界から助けて下さい!」

 

 ブリジットが笑う。口端を吊り上げた、魔法使いらしい邪悪な笑みだ。

 

「よろしい、結構だ! 言質を取ったぞ! 弓鶴、いまこの瞬間、円珠庵は説話魔導師に捕らわれた被害者だ! 存分にやれ!」

 

 弓鶴は思わず笑みを浮かべながら同田貫を抜いた。ブリジットは、円珠の口から助けを求める声を無理やり引き出すことで、犯罪魔導師から被害者へと立場をすり替えたのだ。

 

 場は、制圧された者が一名。残り四名は昏倒状態。敵は眼前にいるエルヴィンのみ。相手が第八階梯魔導師であろうと、同階梯のブリジットと第六階梯の弓鶴の二名で詰めれば倒せる。

 

 錬金魔法による爆破移動法を発動。足元に鉄板を仕込み、更にその下に精製した金属を即時気化。位相転移による急激な膨張で爆発した気化金属がエネルギーを放出。それを移動速度に変換し、弓鶴は一気に直進。

 

 弓鶴の袈裟斬りは完全にエルヴィンの左肩を捉えていた。

 

 そのとき、弓鶴の全身に怖気が走った。まるでこの世の地獄を見てしまったかのような、猛烈な悪寒。反射的に攻撃を取りやめ、爆破移動魔法を駆使してすぐさま飛びのく。直後、一瞬前まで弓鶴がいた位置に、巨大な犬が口を勢いよく閉じた。

 

 エルヴィンの周囲の空間が赤黒く歪んでいる。赤茶色の体毛に覆われた巨大な犬が、その空間から首だけを出していた。目算で頭だけでも二メートル近い。想像すると、全長で十メートルを超すのではないか。閉じられた猛犬の口にずらりと並んで見えるのは、凶悪な牙の群。引かなければ確実に頭から食われていた。

 

「ああ怖い。さすがこの世の地獄だ。なら、ボクも地獄をもってお相手しよう」

 

 エルヴィンの胸の前には、いつの間にか書が宙に浮かんでいた。書がひとりでに開き、猛烈な勢いで頁を捲り始める。

 

 ブリジットが怒鳴った。

 

「引け! 《新曲》のケルベロスが出るぞ!」

 

 命令通り弓鶴は更に距離を取る。

 

 そのとき、世界が軋んだ。

 

 ――汝、この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ。

 

 人のものとは思えぬ、魂を死の恐怖へ突き落とす声。唐突に巨大な門が現れた。それは、この世と地獄を繋ぐ門。決して開けてはならない災厄を内包せしもの。実体はなく、影のように滲み出した門は、見ているだけで心臓を鷲掴みにされているかの恐怖で弓鶴の身体を縛る。

 

 門が開く。

 

 中から現れたのは、先刻、首だけを出した赤茶色の猛犬。異様さはその巨大さだけではない。胴体から伸びる首が三つあったのだ。そのどれもが、獰猛な二対の瞳を嵌めこんでおり、金剛石すら砕くと思わせる太く長い牙からは、大量の粘液が滴り落ちていた。威嚇するように喉を鳴らした三頭犬が、弓鶴たちを見下ろす。

 

 《神曲》という本がある。イタリアのダンテ・アリギエーリが十三世紀~十四世紀に執筆した叙事詩だ。このケルベロスは、《神曲》の時獄篇に登場する怪物である。エルヴィンは、説話体系の《幻想召喚》によって、ケルベロスを書から現実に引きずり出したのだ。

 

「住宅街でA級魔導書を使うなど正気か⁉」

 

 ブリジットの声には驚愕が含まれている。

 

 説話魔法は魔法の基盤が本だ。だから本を魔導書と呼ぶ。この魔導書は、時を経るごとに、そして多くの人に読まれるごとに力を増す。規格外である神話等の超高位魔導書を除き、その力をA~Dの等級で分けているのだ。当然、上位になるほど危険度が増し、制御力が甘いと暴走する可能性がある。

 

 ダンテの《神曲》は最上位のA級だ。少しでも常識を持っている魔法使いなら、街中で使用することなどあり得ない。

 

 だが、ブリジットへ返されたエルヴィンの声は苛立ちが篭っていた。

 

「ボクがこの魔導書を制御できないとでも? 舐めてくれるねブリジット」

 

 魔法使いはプライドが高い。高位になるほどそれは顕著になる。ブリジットの科白は、エルヴィンの高いプライドに火を付けたのだ。

 

 三頭犬が口を開く。三頭の口に巨大な炎の玉が溢れ出る。それは現実の炎ではない。まるで粘性でも持っているマグマのように滴る地獄の炎だ。放たれれば最期、弓鶴たちを燃やしても止まらず住宅街を焼き尽くす威力だ。

 

「バカが! この一角を消し炭にするつもりか⁉」

 

 ブリジットが元型魔法による結界を展開。同時に、エルヴィンの左手に二冊目の書が開かれる。淡い燐光。

 

「侮るなよブリジット! 消し済になるのはお前だけだ‼」

 

 三頭犬が咆哮と共に三発の火炎弾を放出。ブリジットへ目がけて一直線に疾走。火炎弾が結界に着弾。そのまま爆発するかと思いきや、球形を維持したまま結界を削り始める。

 

 ブリジットの口元が歪んだ。結界の背後に更に結界を追加。直後、第一結界が破壊された。そのまま第二結界へと接触。明らかに物理法則を反した動きをしている。二冊目の魔導書によって何かしらの効果を付与されたのだ。

 

 ブリジットの顔に焦燥。第三結界の展開が間に合わない。上空に逃げれば直撃は避けられるが、住宅街への被害は甚大だ。絶対に止める必要があった。

 

 第二結界が破ける寸前、弓鶴が動いていた。

 

 爆破移動魔法によって瞬時に火炎弾へと肉薄した弓鶴は、同田貫を突き出す。切っ先には光すら分解する黒点。

 

 あらゆる存在を“物質”として知覚し強制分解する《断罪の輪》が、火炎弾を殺していく。火花ひとつ残さず三つを消し去り、弓鶴が地面に足を滑らせ爆破移動魔法を発動。一気にエルヴィンの首を取りに行く。

 

 三頭犬が首を伸ばす。三つの凶悪な口腔が、弓鶴の身体を食い散らかさんと狙いを定めていた。だが、三つの首がいきなり右に吹っ飛ばされる。ブリジットが《観念力動》による衝撃波で横合いから殴りつけたのだ。

 

 弓鶴はケルベロスを無視してエルヴィンを狙う。

 

 直感。

 

 条件反射で足を叩く。爆破移動魔法で上空に飛び上がった。虚空から生まれた鎖が寸前まで弓鶴がいた場所を囲んでいた。眼下に夜よりもなお昏い光が生まれる。その周囲には、赤黒い空間が滲んでいた。《神曲》からまた何か怪物を呼び出したのだ。

 

 天を引き裂くほどの咆哮が住宅街を迸る。闇からぬるりと這い出てきたのは、巨大な白い何かだ。それは人型をしていた。顔はのっぺりとして鼻が存在せず、粘土細工のようにこしらえられた穴が目と口の代わりをしていた。磔刑を体現するように人型が宙で両手を伸ばし、手首と足首らしき部分には無数の鎖が結ばれていた。その先端は未だ渦巻く赤黒い世界に繋がっていた。元々は高貴な色であったであろう人型の白は、ところどころが赤と黒に汚れている。そして背には、それがどんな存在であったのかを示すように一対の穢れた翼が伸びていた。

 

 堕ちた天使だ。

 

 穿たれた穴の口から極光が走った。狙いは弓鶴だ。予想外の事態に空白ができた彼は絶好の的だった。

 

 直感で死ぬと悟った。

 

 横殴りの衝撃。極光が弓鶴の目と鼻の先で天へと昇り、雲を突き破った。

 

 弓鶴は空中で何とか態勢を立て直す。ブリジットが《観念力動》で彼を吹き飛ばしたのだ。そうでなければいまの一撃で死んでいた。

 

「なに……これ……?」

 

 一撃で命を刈り取る魔法使いの戦場で、ひとりの少女の声が響く。それは、円珠庵の慟哭にも似た呟きだった。

 

 そして現実を罵る叫び。

 

「なんなんですかこれは⁉」

 

 誰もが答える余裕などない。そんな隙を見せれば殺される。エルヴィンは本気で住宅街ごと弓鶴たちを殺しに来ているのだ。

 

 唐突に銃声。

 

 ただ一発のライフル弾が三頭犬の一頭をぶち抜き、虚空を泳いでいた鎖を微塵に砕き、わずかに弾道が逸れて、エルヴィンの左太ももから先を吹き飛ばした。鮮血と共に肉片が飛び散る。彼の表情に驚き。円珠の悲鳴。

 

「遅れました……!」

 

 消えゆくような透明な女性の声。ラファエルだ。因果魔法の《時流制御》によって加速し、ライフルで狙撃したのだ。

 

「我ら秘跡魔導師以外が、堕ちたとはいえ神の御使いを操りますか。無礼者が! その罪科は万死に値する!」

 

 オットーの声と共に、円珠家から薄青い燐光の領域が一気に広がった。半径百メートルまで広げられたその領域は、神の威光によって塗りつぶされる。

 

 人は潜在的に神を畏れている。それゆえ、人は神を感じた瞬間その場から立ち去る。それが創られし者の定めであるかのように。

 

 秘跡魔法による《秩序体系》は、神への畏れによる行動を人々に強制させる。高位の魔導師には効かなくとも、一般人はその畏れから領域外へ無意識に逃げていく。乱心していた円珠ですら無表情となり、のろのろと後ずさりしていく。

 

 この瞬間をもって、この場から一般人が完全に退避を始めた。ここは神の威光が降り注ぐ聖域であり、魔法使いだけの戦場となった。

 

 オットーによる魔法が場を支配したのだ。

 

「虫けら風情が、随分と調子に乗ったな! 神の威光の前にこうべを垂れよ!」

 

 円珠の周囲に更に濃い青の燐光。オットーが結界を張っていた。

 

 そして、左足を失ったエルヴィンへ、三人の攻撃が斉射される。弓鶴の錬金魔法によって精製された十本の刀が、ラファエルの因果魔法で超加速したライフル弾が、ブリジットの元型魔法による不可視の衝撃波が、たったひとりの魔導師へ向けて殺到した。

 

 突如、魔法の軍隊が消え去った。音を立ててオットーの《秩序体系》が壊れる。聖域が人の領域に堕ちる。

 

 頁。

 

 桜の花びらのように、頁が舞う、舞う。偉大なる超高位魔導師を讃えるようにはらはらと。渦を描き膨れ上がる。

 

 そして、頁の群から一人の大男が足を踏み出した。鷹の瞳が鋭い光を湛える精悍な顔には、激戦を潜り抜けてきたことを彷彿とさせる無数の傷跡が走っていた。太陽がごとき威容を背に背負った超高位魔導師が、自らを知らしめんと高らかに名乗りを上げた。

 

「我はフェリクス・デュラックなり。こたびの戦はここで終いだ」

 

 弓鶴は絶句した。フェリクス・デュラックとは、彼でも知っている有名な説話体系の超高位魔導師だ。かつてエルヴィンと同じ部署の課長を務めあげ、数多くの凶悪な犯罪魔導師達を処罰してきた英雄。A級魔導書はおろか神話級の魔導書すら軽々と制御し、神話の武器を扱うその様はまさしく英雄の一言に尽きる。説話体系で最も偉大な魔導師は誰かと問われれば、大抵の魔法使いは彼を指す。つまり、生ける伝説だ。

 

 数年前に突如ASUを辞め、世界各地を放浪していると噂で聞いていたが、まさかいきなりここに現れるとは思わなかった。

 

 だが、感心できたのはほんの一時だ。フェリクスは明らかにエルヴィンを庇うように立っているのだ。そしてそれは、この場においては敵対を意味する。すなわち、超高位魔導師であり英雄、生きた伝説が敵に回ったのだ。脅威を通り越して絶望的ですらあった。

 

 あのブリジットすら慄いている。

 

「フェリクス殿……今回の背後にいたのはあなたですか!」

 

 ブリジットの敬語など弓鶴は久しぶりに聞いた。フェリクスはそれほどの兵なのだ。

 

 フェリクスが口を開く。ただそれだけで殺されるのではないかと恐怖が全身を襲う。

 

「我ら説話魔導師はISIAとASUに弓を引く。こたびはその幕開けだ。同胞を警護した汝らよ、我の顔に免じてここは引け。かような平穏な地で無用な被害を出す必要もなかろうて」

 

 フェリクスは常識的な魔法使いだったと弓鶴は聞いている。よりにもよってその彼が、説話魔導師を率いてISIAとASUに宣戦布告をしたのだ。なにが起きたのだと問わずにはいられない。

 

「なぜあなたのような偉大な魔法使いがこのようなことをするのですか!」

 

 ブリジットの声には動揺があった。

 

 鷹の瞳がブリジットへ向く。それだけで彼は背筋を震わせた。

 

「知れたこと。世にはもはや説話が生きられる場所などない。ならば、我ら自身が世界を作り出すしかないではないか」

 

「あなたは最前線で活躍しておられたではないですか! 犯罪魔導師を狩り続けたあなたが犯罪魔導師に身を堕とすのですか!」

 

「己だけがその立場に甘んじ胡坐を掻けと? 冗談ではない。同胞らが苦しんでいる姿を見続け、なにもできぬこの凡愚。せめて命を散らすのであれば、一花咲かせるべきであろうて。こたびの戦は強敵揃いよ。それを打ち砕き、我らは念願を叶える」

 

 理性的に狂っている。そう、フェリクスは敢えて狂うことも厭わずに自ら足を踏み出したのだ。絶対的な信念のもとに動く彼を、もはや言葉で止めることなど不可能だ。

 

 いよいよ事態が深刻化してきた。アーキ事件以来の、否、それよりも深刻な災厄がこれから始まるのだ。

 

 ブリジットが一歩足を踏み出し懇願する。

 

「フェリクス殿、ともかくその子、円珠庵の身柄をこちらに渡してください。彼女は魔法使い候補者です」

 

「ならぬ。説話の同胞を地獄へ送るなど、どうしてできようか。この娘は責任を持って我らが預かる。ASUは引け」

 

「引けません。その子を守るのが我々の仕事です」

 

「説話の同胞を守るのが我が使命だ」

 

 お互いに一歩も引かない。互いが互いに信念を持っているからだ。

 

 肝心の本人である円珠は完全に腰が引けていた。いきなり魔法使いの戦場に飛び込めば誰だってそうなる。平和な世界に安穏と生きてきた魔法使い候補者は、攻撃魔法が飛び交う戦場を前にして同じ価値観を持っていられなくなる。どれほど己の命が軽いかを知るのだ。生半可な覚悟で飛び込める世界ではない。

 

 頁が吹きすさぶ。フェリクスが転移魔法を展開し始めたのだ。説話魔導師らと円珠庵の身体が淡い燐光に包まれる。

 

「フェリクス殿!」ブリジットの叫び声。

 

「こたびはこちらが引こう。次、我らが相まみえるとき、真の死闘を繰り広げることになろう。覚悟せよ。我らが引いた弓は、なまなかな矢ではないぞ?」

 

 フェリクスが口元に笑みを浮かべた途端、魔法転移が発動。全員の姿が掻き消えた。取り残されたのはアイシア班の四名だけだった。

 

 

 

 



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第二章:日向と日影が交わるとき 1

 弓鶴たちはその場ですぐさまASU関東支部へ、フェリクスを筆頭とした一部の説話魔導師が反旗を翻したことと、魔法使い候補者が連れ去られた旨を報告した。報告を担当した代理班長ブリジットは、映像越しに怒鳴り散らされていた。相手が超高位魔導師であろうが神であろうが、ASUは仕事を失敗した間抜けの評価はすぐ落とす。十二月の更科那美の件と合わせて二回目の失点だ。そもそも、この短期間に超高位魔導師と二度も対峙して生きていることがまず奇跡だ。

 

 その後、戻ってきた円珠家の人間にも情報を連携。夫人は見ているこちらが耐えがたいほど動揺していた。娘を守れなかった間抜けに文句ひとつ言わず、ただ娘を助けてほしいと懇願された。それが一番弓鶴には堪えた。いっそ罵ってほしかった。

 

 ともかく、警護課としては円珠庵を探すしかない。だが、超高位魔導師の魔法転移先を見つけるなど容易ではなかった。

 

 仕方なく一度関東支部へ戻ることとなり、弓鶴たちはAWSで飛び上がった。飛行中、端末を眺めていたブリジットが突然笑った。哄笑だ。

 

「みんな、メールを見るといいよ。民間の説話魔導師の連中、一斉に失踪したようだ。当然だ。あのフェリクス殿が旗頭になったんだ。誰だって希望を持つ」

 

 弓鶴も端末を見ると、一通のメールがASUとISIAの担当者へ一斉送信されていた。中身を開く。そこには、ブリジットの言った通り、民間の説話魔導師が突如失踪したことが記載されていた。そして、事態を重く見た《二十四法院》はフェリクス討伐を警備部へ命じていた。

 

「いまの説話体系の《二十四法院》は確かクレドール爺さんだったかな。《穏健派》がかなり動いたんだろうね。普通なら説話魔導師全員の討伐案件だよ」

 

 ブリジットが思い出すようにぼやく。

 

 ASUには意思決定機関である《二十四法院》という委員会がある。魔法世界が誕生していない十二体系をも含む、全二十四体系ある魔法体系の長たちだ。ASUは実力主義であるから、事実上各魔法体系最強の魔導師集団である。

 

 確か、フェリクスは次期《二十四法院》と目されていた超高位魔導師だ。当の《二十四法院》が出てくるのは自明だろう。

 

 魔法体系の構図があまり理解できていない弓鶴のために、ブリジットが解説する。

 

「《二十四法院》は《連合》時代からある意思決定機関だ。当然派閥はある。概念体系ルーベンソン殿を筆頭とした《穏健派》、精霊体系ルドリュ殿を筆頭とする《過激派》、元型体系セシリア殿の《中立派》の三派だ。説話体系はこの《穏健派》になる。主に魔法使いらしい魔法使いの考えをしているのは《過激派》の連中だね。つまり、今回の決定は《穏健派》が主導権を握ったってことさ」

 

 弓鶴にとって、仕事に以外の政治要因は範疇外だ。聞いたことはあるが深堀りしたことはなかった。

 

「とりあえずその派閥が何を指しているのかが分からないんだが」

 

 ブリジットの呆れ顔。

 

「キミも魔法使いなんだから、魔法使いの力学を覚えておきたまえよ。《穏健派》は一般社会への適合を主導している。つまり人類と仲良くってことだね。《過激派》はその逆、全人類を抹殺……とまではさすがにもういなかいけれど、魔法で人類を支配することを考えている。《中立派》は、まあのらりくらりかな」

 

「それでどうして《過激派》の連中が負けたことになるんだ?」

 

 ブリジットの説明では、三派の違いは結局人類に対するアプローチの違いでしかない。魔法使いの扱いについては触れていないから弓鶴にはよく分からないのだ。

 

 ここで珍しくラファエルが口を挟んできた。

 

「ASUの過激な体制を敷いたのが《過激派》です。魔法に傾倒するあまりに走った完全実力主義。魔法使いの世界をここまで生きづらくしたのはあいつらです……」

 

 どうやら個人的になにか恨みでもあるのだろう。ラファエルの声にはやるせない怒りが孕んでいた。

 

 つまりだ、《過激派》は魔法使いに対しても厳しいということだ。そう考えれば《穏健派》が勝ったという言にも納得できる。

 

「錬金体系はどっちなんだ?」

 

 これにはオットーが答える。

 

「《穏健派》ですね。因果体系もそうです。ちなみに《二十四法院》を謳っておきながら秘跡体系の魔法使いはいません。まあ、これも歴史の流れですね」

 

 《連合》を裏切ったのにも関わらず魔法世界を作り、現在の十二体系に名を連ねている秘跡体系は、当然ASUから蛇蝎のごとく嫌われている。ある意味、説話体系よりも秘跡体系の方が生きづらい。

 

 とりあえず弓鶴は、魔法世界の人間関係は複雑だな、とだけ思うことにした。いまは目の前のことに集中したかった。

 

「どうやって円珠庵の居場所を特定するんだ?」

 

 弓鶴の問いは重い。一度魔法転移をした魔法使いを探すのは骨が折れる。なにせ現代科学でも経路を追うことができないからだ。

 

 転移魔法は、使える魔法使いなら不法入国が放題だ。だから、統一魔法規格で不正使用を禁じられている魔法である。そして通常、どの国も転移封じの魔法を展開し、国外から国内、更に首都圏内への魔法転移を封じている。

 

 前述のアーキ事件で転移をした魔法使いたちは、それすら軽々と乗り越える超高位魔導師だから転移魔法が使えたという訳だ。アイシアの父ラファランらは、ISIAを介して日本国政府に要請し、許可を得たうえで転移してきたのだ。結局、超高位魔導師の前では転移封じすら意味がない。

 

 つまり現時点で分かるのは、円珠庵はこの地球のどこかにいるということくらいだ。捜索するうえでは情報が無さ過ぎて絶望的な状況だった。

 

 だが、ブリジットは弓鶴の問いに否と説く。

 

「いや、その点は考えなくていい。円珠庵の身柄は安全だと言っていいからね。なにせあのフェリクス殿が保護を約束しているんだ。むしろ問題点は、今後説話体系を戦うことになる点だ」

 

「円珠庵さんを助けるために必ず説話魔導師が出てくるでしょう。高位の説話魔導師は一対多の戦いが得意です。今回は不意を付けましたが、真正面から戦えばあのエルヴィンとて勝つのは至難です」

 

 オットーの言葉に弓鶴は思わず息を呑む。今回の戦闘で既に二回は死にかけたのだ。相手が高位魔導師であれば危険度は断然に跳ね上がる。

 

 ブリジットが続ける。

 

「今回の説話魔導師の動きからするに、ISIAとASUに対して何かしらの攻撃を仕掛けるはず。恐らくは説話魔導師の総力戦になる。円珠庵の救出はそこを突くしかない」

 

「といってもどうせ魔法転移で来るだろ。結局場所が分からなきゃ意味がないんじゃないか?」

 

 いや、とブリジットが急に暗い顔をした。本気で嫌そうで心底恐怖に震える表情だった。

 

「ひとり当てがある。転移時の精神の流れを辿れる超高位魔導師がいる。ひっじょーに頼りたくないが……今回は頼るしかないね。ああ……我、精神的に殺されるかも……」

 

 なんとなく理解できた。ブリジットがここまで恐れる魔法使いはひとりしかいない。

 

 

 

「あら、私の可愛い可愛い甥っ子ブリジット。間抜けを晒してわざわざ私に連絡してくるなんて、感激のあまり殺したくなるわ。ねえブリジット、随分とマクローリン家の名に傷をつけてくれたじゃない。ねえ、どうしてほしいかしら? 私としては、是非あなたの飴色の鳴き声を聞きたいのだけれど」

 

 関東支部に戻った後、ブリジットが端末を通してある魔法使いへの通信面会を請うた。相手は元型体系の超高位魔導師シャーロット・マクローリン。ブリジットの叔母である。そして、通信面会が許諾され、立体映像が表示された途端の開口一番がこれだ。

 

 眼前に映し出された女性は、一言でいうなら奇怪な美人だった。栗色の髪はセミロングで、飴色の瞳はまるで琥珀のよう。赤ワインを垂らし込んだような唇は濡れて艶があった。二十代前半の若々しい肢体は非常に肉感的で色気があった。そして、なぜか平時だというのに黒のパーティドレスを着ている。当然彼女がいる場所は執務室であり勤務中だ。まったく理解ができなかった。

 

 高位魔導師は頭がおかしいことが普通だと言われているが、シャーロットも例に漏れず頭のネジが飛んでいる魔法使いの一人だ。そもそも、科白の内容がひどい。初対面ではあったが、弓鶴はこの女性についてアイシアの父ラファランから話を聞いたことがあった。

 

 曰く、常に人を見下さないと生きていられない女。人の不幸を蜜とする最低の女。好かれたら最期、死ぬまで付きまとってくる迷惑女。叶うことなら絶対に会ってはいけない女ナンバーワン。

 

 とまあ、ひどい内容のオンパレードだ。アイシアの母、現代の聖女ともいえる慈母の優しさを持つアリーシャも、シャーロットのことを嫌っているのだ。どれだけ危険人物かは、それだけで推して知るべしだ。

 

「叔母上、とりあえず土下座するから許してくれないかな? 一応ほら、部下の前だから穏便にね……」

 

 早速、恥も外聞も投げ捨てたブリジットが、日本流最上位謝罪の土下座を繰り出す。だが、シャーロットの目は既に彼へは向けられてはいなかった。哀れである。

 

「あら、アイシアはいないの? 折角連絡するのだったらアイシアを出しなさいな。あの子の奇天烈な髪を愛でたいのに」

 

 シャーロットの声は飴が滴るように甘い。だが、その声の裏に潜んでいるのは人を痛めつけて喜ぶ嗜虐心だ。

 

「叔母上、そんなこと言うからアイシアが逃げるんだよ……」

 

 ブリジットの言葉を受け、シャーロットがこてん、と首を傾げる。仕草ひとつとっても美しいが、彼女が動作取るだけで背筋が凍る。本能が逃げろと訴えかけているのだ。

 

「あら、ブリジットいたの? ごめんなさい。あまりの存在感のなさに忘れていたわ。もう死んでいいわよ。ついでに死んでいいわよ」

 

「二回も言う⁉ 我まだ生きたいよ⁉」

 

「黙りなさいな。無能はマクローリン家に不要よ。精々豚と交尾でもしてなさいな」

 

「叔母上! 口、口が悪すぎる!」

 

「ブリジット、よくお聞きなさい。少年姿になっているあなたの方が億倍兆倍京倍も存在が邪悪だわ。気持ち悪くて吐き気がしそう。とりあえず死になさいな」

 

 ひとまず、シャーロットの口癖は「死ね」というのは理解できた。あとは口が悪い。すこぶる悪い。弓鶴はすぐにでも逃げ出したかったが、サディストというのはそういう者を見つけるのが得意である。すぐに彼女の視線に射抜かれた。冗談抜きで身体が震えた。

 

「あら、あなた。初めて見る顔ね。新人かしら?」

 

「叔母上、このものは八代弓鶴という我の後輩、いまは部下だ。是非とも寛大な処置を頼むよ……」

 

 シャーロットはブリジットの言葉など聞き流しているようにじっと弓鶴を見つめる。そもそも処置ってなんだ。彼はもはや嫌な予感しかしなかった。

 

 シャーロットがひとつ頷く。恐怖で弓鶴が身体を竦めそうになる。

 

「あなた、名前は?」

 

 どうやら本当にブリジットの声は届いていなかったらしい。「いま我言ったよ? ねえ聞いてた?」という彼の声は聞かなかったことにする。この場においてはシャーロットが法だ。黙して従うしかあるまい。

 

「八代弓鶴。錬金魔導師です」

 

「歳は?」

 

「二十一です」

 

 シャーロットの笑みが深くなる。人間のものではない、魔女の邪悪な笑みだ。やはり血が繋がっているのか、ブリジットと少し似ていた。

 

「あら、アイシアと同じね。お似合いだわ……ええ、とっても……」

 

 んふふ、とシャーロットが笑う。嗜虐心を忍ばせた魔女の声だ。

 

「あなた、魔法使いは好き? 嫌い?」

 

「嫌いです」

 

 思わず本音が出てしまった。まずかったか、と弓鶴は思うがシャーロットは微笑んだままだ。

 

「理由を訊いても?」

 

「魔法使いはクズばっかりですから」

 

 いっそどうにでもなれと開き直った弓鶴は本心のままに言った。すると、シャーロットが目を見開き、口元を押さえて心底愉しそうによろこび笑った。

 

「あなた、彼と同じね。魔法使いのことが嫌いで悪い魔法使いを狩る仕事をしているのに、自分も結局魔法使いで、どうしようもないドツボに嵌っているところがそっくりだわ。特に目が似ているわ。鋭くて迷いがないように見えるのに、どうしても思考の泥沼に両足を突っ込んでいそうな目」

 

 それは褒められているのだろうか。非常にけなされている気がした。

 

「気に入ったわ弓鶴」

 

 処刑宣告だ。今日死ぬのかな、と弓鶴は恐怖に震えながら思った。

 

「今日はなんの用があって私に連絡してきたのかしら?」

 

 ここぞとばかりにブリジットが口を挟む。

 

「お、伯母上、それはだね――……」

 

 ふいに、シャーロットから殺意が溢れた。超高位魔導師が一度殺意を放てば、下位階梯の者など動けるはずがない。全員が蛇に睨まれた蛙状態になる。そもそも、オットーもラファエルも、彼女と通信してから微動だにしていない。存在を知覚されることを恐れているのだ。

 

「ブリジット……そろそろ黙りなさい。私は弓鶴に訊いているの。次、私と弓鶴の会話を邪魔したら――殺すわよ?」

 

「わ、わかった。黙る。我はいますぐ黙る!」

 

 シャーロットの前ではブリジットは役立たずだ。他の班員も身動きひとつ取る気配すら出さない。完全に背景と同化しようとしていた。弓鶴が答えるしかなかった。

 

「今回の不手際で我々が警護しそこねた少女の居場所を見つけて欲しいんです」

 

「無理ね」

 

 シャーロットは即答した。でも、と続ける。

 

「そういうことではないのでしょう?」

 

「ええ、説話魔導師らは必ずISIAとASUに総力戦を挑みます。その際の転移反応から探して欲しいんです」

 

 くすくすとシャーロットが笑う。

 

「なかなか無茶を言うわね。でもいいわ。やってあげる。感謝なさい」

 

 弓鶴は深く頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

「いいわ、気に入っている子の頼みのひとつくらいは訊いてあげるわ」

 

 ほっとして弓鶴は顔を上げる。シャーロットは微笑んだままだ。心底安堵した。どうやら彼女は話ができる魔法使いのようだ。アーキに比べればまだ全然マシだと思ったところで、彼女が口を開いた。

 

「ブリジット。そろそろ死ぬ覚悟はできた?」

 

「いまの話の流れで我の生死って関係ある⁉」

 

 ブリジットの嘆き。シャーロットの目が細くなっていく。それに伴い、じりじりと場の雰囲気が重くなっていく。

 

「ブリジット、元型魔導師に距離は関係ない。分かっているわよね?」

 

「待って伯母上! 分かった、我が悪かった! 謝る! 謝るからあれだけは! あれだけは許して!」

 

 シャーロットが蕩ける笑みでひとつ頷いた。ブリジットの瞳に希望の光。だが、それが一気に堕ちる。

 

「死になさい」

 

 シャーロットの指に雷が走った。次の瞬間、ブリジットの変身魔法が強制的に解かれて普段の姿に戻ったかと思うと、背を弓ぞりにして目を剥いて口をあんぐりと開け始めた。声すら出ないのか、ひゅーひゅーとした吐息だけが室内に響く。ようやく弓鶴は気づく。遠隔で電撃を流しているのだ。

 

 嗜虐心に満ち溢れた哄笑が立体映像から溢れた。

 

「あは、あははは! アハハハハハハハ! いいわぁその顔。素敵だわブリジット。百回じゃ物足りない。千回は殺してあげる!」

 

 嫌な理解が訪れる。電撃を流し心肺停止、そして更に強制的に流し込んでの蘇生。それを永遠と繰り返しているのだ。ぞっとした。これは確かにトラウマになる。

 

「さあさあ、もっと鳴いてちょうだい! あなたの心の嘆きをもっと教えて! ああ、あなたの心が伝わってくるわぁ。そんなに怖いのね。そんなに私に怯えているのね! いい恐怖だわ! もっと怯えなさい! もっと苦しみなさい! もっと! もっと! もっと‼」

 

 室内に紫電が暴れ始める。ブリジットの身体ががくがくと震える。彼の口からは沸騰した唾液が泡を吹いていた。

 

「ああ、飴色のようだわ……!」

 

 シャーロットの恍惚な笑み。

 

 撤回だ。こいつは狂っている。アーキとは別の方面に振り切っている。ヤバさ加減で言えば過去最悪だ。

 

 弓鶴、とラファエルの小さい声。

 

「いまのうちに逃げます」

 

 ラファエルが弓鶴を掴んで会議室から出る。オットーもちゃっかりそれに続いていた。背後からシャーロットの笑い声だけが永遠と響いていた。

 

 

 

 



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第二章:日向と日影が交わるとき 2

 アイシアが事件を知ったのは、秋葉原へ向かう移動バスの中だった。なぜか弓鶴から上がった簡易報告書を眺めて、彼女は総毛だった。円珠庵が捕らえられ、しかもフェリクスを筆頭とする説話魔導師が反旗を翻したのだ。フェリクスを知る人物ならば誰だって驚愕する。すぐさまISIA職員へ声を掛ける。

 

「すみません。緊急事態です。私をASUに戻してください」

 

 アイシアの心からの懇願だったが、返ってきたのは否定だ。

 

「アイシアさんは現在ISIAと契約中の身です。期間中は我々の業務に従事する義務が発生しています」

 

「そのISIAの危機かもしれないんですよ!」

 

 アイシアは声を少し荒げるが、ISIA職員の返答は凪のように事務的だ。

 

「対応はASUが行うと連絡が来ています。アイシアさんは安心して広報活動をして下さい。いえ、こんな時だからこそ広報に力をいれる必要があるんです」

 

 そこを突かれるとアイシアとしては痛い。だが、彼女は一刻も早く仲間の下へ戻らなければならないと気が急いていた。

 

 仕方なくアイシアは、体内に埋め込まれたマイクロチップを介して、あまり使わない体内通信で父ラファランへ連絡を取る。通信はしばらくしてからようやく繋がった。

 

「なんだアイシア。いま忙しいんだが」

 

「お父さん、私をASUへ戻して!」

 

「なんだ? もう嫌になったのか?」

 

「そんなことじゃない。緊急事態なんだよ⁉」

 

 ああそのことか、とラファランが呟く。

 

「そっちについてはブリジットが代理班長をやってるんだろ。任せておけよ」

 

 アイシアはこの胸の内に燻る焦燥感が、父に伝わっていないように思えてじれったさが募る。

 

「相手は高位の説話魔導師なんだよ! ひとりでも手数は欲しいでしょ!」

 

 アイシア、とラファランは諭すように言う。

 

「お前はいま自分がどこにいるかちゃんと理解しているか? ASUじゃない、ISIAだぞ?」

 

「広報活動のために逆出向してるだけでしょ!」

 

「だけじゃない。ISIAから仕事を受注し契約し、ASU代表として仕事をしている。分かるか? お前はそこで広報活動をする契約義務がある。これは口約束とかそんな生ぬるいものじゃない。ちゃんとした人間社会の契約だ。分かるか?」

 

「分からない!」

 

 癇癪を起すアイシアにラファランは辛抱強く答える。

 

「いいか? 人間社会じゃ契約が重視される。それを簡単に反故にしてみろ。すぐに信用を失うぞ。お前はいま一度自分がなんの仕事をしているか思い出せ。責任を持って自分の仕事を全うしろ。いまお前が言っているのはただの我儘だぞ?」

 

「身内の危機なんだよ⁉」

 

「お前が心配してるのは弓鶴だろ。感情が表に出過ぎだ。気持ちは分かるが、お互いちゃんとした仕事だ。それに、お前もあいつもプロだ。プロならプロらしく受けた仕事を全うしろ」

 

「お父さんは弓鶴が心配じゃないの⁉」

 

「アイシア、こういう論議に感情論を持ち込むな。人間社会じゃ感情で動くときもあるが、感情でそうほいほい反故にしてたら本当に居場所がなくなるぞ? 理性的になれアイシア。お前ももう二十一だ。ちゃんと社会のルールに従え」

 

 ここまで言われれば、さすがにアイシアも自分が間違っているのだと気づかざるを得ない。彼女はそもそも感情論で動く人間ではない。

 

「……分かった。ごめん」

 

「いい。確かに動揺する事態ではあるからな。今回は《二十四法院》も動いてる。まあ、こっちはなんとかするから、アイシアも心配しないで自分の仕事をちゃんとやれ。広報活動で色々と学べることも多いと思うしな」

 

「それはまだ分かんない」

 

 ラファランが苦笑する。

 

「普通に考えてみろ。芸能業界に例えたらいきなり大スターになったんだ。一般の女性からすれば憧れの的だぞ?」

 

「そういうの興味ない」

 

「お前、本当に魔法一辺倒で生きてきたからなあ。これから色々ちやほやされ始めるだろ。少しそういうのを楽しめ。まあ、あまりそれで天狗になられても困るけどな」

 

「お父さんの背を追ってるのに天狗になれるはずないでしょ」

 

「そう言ってくれるのは父冥利に尽きるけどな。まあ、しばらくそっちの仕事を頑張ってみな。そろそろ切るぞ」

 

「うん、ごめん。ありがとう」

 

 体内通信を切ったアイシアはほっと息をつく。気が動転していたことを気づかされて、少し恥ずかしい気持ちになった。

 

 それでも、心配なものは心配なのだ。折角まともな魔法使いと組めたのだ。そう簡単に死んでもらっては困る。そうでなくば、自分より変人なあの魔法使いたちを一人で率いなくてはならない。それは御免だ。

 

「アイシアさん、着きましたよ」

 

 ISIA職員から声を掛けられる。場所は秋葉原の中央通りだ。ここでイベントをやるらしい。事前に警視庁に根回しをしている辺り用意周到だ。既にインターネットで告知をしており、歩行者天国にしている始末だ。本当にいまのISIAはフットワークが無駄に軽い。それだけ危機感が強いということでもある。

 

 いまのアイシアはASUの服装ではなく、桜の花弁が散った白のワンピースに桃色のジャケット姿だ。まるでどこぞのアイドルのような服装である。だんだん見た目が魔法使いから遠のいている。

 

 私、いつの間にかアイドルにされてる気がするなあ……。

 

 アイシアの心の中のつぶやきは、表に出ることはない。必死に表情を笑顔にして、彼女は職員に促されるままにバスの外に出る。

 

 瞬間、周囲が歓声に包まれた。噂を聞きつけた人々が大量に集まっていたのだ。当然マスコミも来ている。動物園のパンダはこんな気分なのだろうか、とアイシアは他人事のように思った。そうしないと、すぐにでも逃げてしまいそうになるからだ。

 

 アイシアは集った人々へ手を振りながら愛想をふり撒く。これは大切な仕事だと自分に言い聞かせる。

 

 歩行者天国に設置された簡易ステージに案内される。背後には「ISIAアイシア生出演」と立体映像が表示されていた。その両脇にはモデル撮影時の映像が流れている。恥ずかしかった。本当に自分はどこに向かおうとしているのかと、アイシアは本気で怖くなった。

 

 ステージに立つと、歩行者天国となった中央通りは人で埋め尽くされていた。一目でもアイシアを見ようとした人々が集まっているのだ。誰もが端末を高く掲げて彼女を撮影している。一瞬顔が引きつりかけたが、なんとかして笑顔を保つ。

 

 笑顔笑顔、と念仏のようにアイシアは心の中で唱えた。

 

 マイクを持った司会者がやってくる。

 

「さあみなさん、忙しい中ISIAのアイシアさんがやってきて下さいました!」

 

 そこで一気に歓声が上がった。アイシアの頭上に、いまこの瞬間の彼女の巨大映像が出現したからだ。

 

「さあアイシアさん。まずは一言お願いします!」

 

 いきなりマイクを向けられアイシアは困惑するが、それでも笑顔を保つ。もはや職人芸だった。

 

「みなさんこんにちは。ISIAのアイシアです」

 

 地鳴りのような歓声。

 

 ちらりと控えにいるISIA職員に目をやると、うんうんと満足げに頷いていた。面倒くさくて省いた名乗りは一応合格のようだ。

 

 マイクが司会者に戻される。

 

「見て下さいアイシアさん。みなさんはアイシアさんを一目見たくて集まってきて下さった方々です。もはやアイシアさんのファンと言ってもいいでしょう!」

 

 困るからファンはやめてほしい。いますぐやめてほしい。切実に。

 

 そんな気持ちなど欠片も出さずにアイシアは笑みを深くする。専用のマイクを渡されたので口元に持っていく。とりあえず宙に投げて爆発させてやりたい気持ちは気合で押し込めた。

 

「ありがとうございます。ですが、私はいちISIA職員です。これを機に、みなさんにISIAの業務と魔法使いのことを知って頂けたら喜ばしい限りです」

 

 三度の歓声が上がる。そして、「アイシアちゃーん」とどこからか聞こえる絶叫。早速帰りたくなった。

 

 とりあえずアイシアは誰に向けるでもなく手を振った。それだけで観衆はどよめく。あまりいい気分ではなかった。これは父が言うような天狗になるなど一生あり得ないな、と思った。

 

「いやあ、アイシアさんは謙虚ですね。ところでアイシアさん。みなさんが訊きたがっていることをひとつ訊いてもよろしいですか?」

 

「なんでしょう?」

 

「実はいま、アイシアファンの女性の中で、アイシアさんの髪型と髪色を真似するのが流行っているんですよ。綺麗な銀髪にブラウンのメッシュ、その髪色には何か理由があるのでしょうか?」

 

 アイシアは内心ぎくりとした。髪色を戻すことを完全に忘れていたのだ。そもそもこれ流行っているのかと、正直呆れたくらいだ。よく見れば、確かに観衆の中に自分と同じ髪色をした女性の姿がいくつもあった。

 

「えーっと、私は元々、母譲りの銀髪ですが、父がブラウンでして。父の色も取り入れたいなと思ってこの髪色にしています」

 

 これは本心だ。父親からは家族愛を見せるな恥ずかしいと言われるが、アイシアとしては気に入っている。だが、他人が真似をするのはちょっとやめてほしかった。

 

 なるほど、と司会者が大きく頷く。観衆もなぜか頷いていた。アイシアにはよく分からないが、無駄な一体感が場を支配していた。

 

「アイシアさんは家族想いなんですね」

 

「はい、両親共に尊敬できる人物です」

 

 なぜだろうか。完全に話題がISIAからアイシア当人のことになっていた。そもそもISIAの業務に触れてすらいない。

 

「そんな家族想いのアイシアさんへ質問です。ずばり、恋人はいらっしゃいますか?」

 

「いえ、いません」

 

 この瞬間、会場が爆発した。否、単に民衆が一斉に騒いだだけだが、そう勘違いするほどの絶叫が響き渡ったのだ。

 

 一体なにが起きたのかと臨戦態勢を取ろうとするアイシアへ、司会者が問いを投げる。

 

「アイシアさん! それは本当でしょうか⁉」

 

「え? なにがですか?」

 

 いるはずがない敵へと注意が向かっているところへの問いだったから、アイシアは間の抜けた声を出した。その様を見た司会者と観衆が笑う。

 

「いやいや、アイシアさんに彼氏がいないことですよ。本当なんですか?」

 

 とりあえず敵影は見つからないとして、というかそもそも敵などいないとアイシアはようやく理解し、無理やり微笑みながら答える。

 

「いません。彼氏ってどうやって作るのでしょうね? 魔法一筋でしたので、恋人はいたことがなくて」

 

 それは、何気ない科白だった。真実、アイシアは恋人がいた過去がない。当然だ。青春時代の大半をフランス外人部隊で過ごし、すぐにASU警備部警護課に入って仕事に人生を注いできたのだ。恋をする暇などない。その大半が、というか全部が本人の意思なのだが……。

 

 もちろん、民衆はそんな過去を知らない。ISIAもこんな経歴を表に出すわけにはいかないから、アイシアの個人情報は公開していない。

 

 だから、民衆がいま空想しているアイシア像はこうだ。

 

 業務に真面目で少し天然が入っており、男の影など微塵もない超絶美人な女性。当然、民衆は歓喜に湧く。アイシアの意思など度返しにして。

 

「みなさん、聞きましたか? アイシアさんには恋人がいません!」

 

 いまや歓声は怒号となっていた。近所迷惑だから声量さげてくれないかな、とアイシアは思った。

 

「えーっと、私の恋人の有無はなにか今回の趣旨に関係があるのでしょうか?」

 

「みなさんの関心事のひとつです! 大いに関係があります!」

 

 絶対に嘘だ。

 

 アイシアはちらりとISIA職員を見る。職員は間違っていないとばかりに頷いていた。要は、民衆の心を掴むためならなんでもしろ、ということだろう。精神的疲労度が一気に増した。

 

「そうですか。ともかく、私には恋人がいたこともないですし、いまもいません。フリーというやつですね」

 

 もうどうにでもなれとばかりに、アイシアが言う。観衆の興奮が一気に増す。これほど主役と観衆の想いがずれるイベントはそうないだろう。

 

「では、これから素敵な男性が現れたらお付き合いするという可能性はありますか?」

 

 あり得ないだろ、と弓鶴なら突っ込んだだろう。残念ながら彼はここにはいない。

 

 この場にいるのは、アイシアの本性など知りもしない観衆と主催者、そしてどんな方法でもいいから支持を高めたいISIAだ。

 

 いまや世間のアイシア像は、本性とはかけ離れた成層圏あたりに飛んでいた。これも彼女の表向きの面が良いからだ。確かに、ASUの指名は間違ってはいなかった。本人の意向を無視すれば、だが。

 

 司会者の質問にアイシアは少し困ったように見せて答える。

 

「そうですね……。私に付き合って下さるようなそんな素敵な方がいるのなら、お付き合いしたいとは思います」

 

 再び爆発した。さすがに二度目とあってか、アイシアも臨戦態勢は取らなかった。少しだけ周囲を警戒したくらいだ。

 

 ちなみに、アイシアの科白の意味を要約するとこうだ。

 

 私の魔法訓練に最後まで付き合ってくれる奇特な男性がいたら付き合いたい。この世に十人いればマシな部類だろう。もちろん、そんな裏の意味を観衆らは知る由もない。

 

 見事な詐欺っぷりである。もっとも、与えているものは優しい嘘、受け取っているものはISIAへの支持だが……。

 

 いよいよ本性が出せなくなってきていた。完全にアイシアは追い詰められていた。精神的疲労も最高潮だ。

 

 そして――……。

 

 アイシアは、己が頭を撃ち抜かれる様を幻視した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 秋葉原ビル群に昼の日差しが落ちる。都心の街は、壁面を反射する煌びやかな光に溢れていた。だが、秋葉原UDXビル屋上に立つふたりの男は、一見平穏に見える現実に染み出す悪意のようだった。

 

 狙撃銃を仕舞ったケースを携えた男――杉下弘樹が、眼下を見下ろす。濁った瞳には黒く燃える復讐者の色があった。

 

「アイシア・ラロ。ISIAの広告塔……若いな」

 

 秋葉原の中央通りは、すし詰め状態に近いレベルで人が集まっていた。ISIAの広告塔であるアイシアが現れたからだ。

 

 彼らは今日、ISIAの公告塔であるアイシアを暗殺する。至近で狙えば魔法で返り討ちにされることがわかっているから、彼らは魔法使いに対して最適な遠距離からの狙撃を選んだ。

 

 弘樹の横では、双眼鏡で対象を捉えている観測主がいた。彼は弘樹の仲間で、反魔法勢力のひとりだ。

 

 アーキ事件から約四か月、弘樹は何もせずこの場に来たのではない。ISIAとASUを直接叩くための説話魔導師、そして反魔法勢力。この二つの組織を取り持っていた。四か月の時間を掛け、魔法使いと魔法嫌いの一般人という集団に手を組ませたのだ。

 

 弘樹のつぶやきに観測主が答える。

 

「広告塔はいまISIAの弱点のひとつだ。センセーショナルなデビューを果たした彼女が無残に暗殺されれば、世論は必ず傾く」

 

 ISIAは、魔法使い候補者を勧誘するために全世界で広報活動を行っている。だが、その内容には賛否があった。魔法世界に参入しなければ、魔法使いを狙う犯罪集団に狙われる危険性があると強く指摘しているからだ。少なくない世論はこれを一種の脅迫と受け取った。世論の追い風を受けたメディアは、ISIAの広報への批判を投げかけ、魔法人材管理に対しての是非を問い掛けている。

 

 この情勢下でISIAの広告塔が暗殺されれば、次は我が身であると恐怖によって世論は傾く。元々、ISIAが魔法人材を一括管理していることが広報問題の発端であるから、火種を作れば爆発させるのは簡単だと彼らは踏んでいた。ISIAを主導とした現体制を崩せれば、魔法使いの管理は必然的に国家が行うことになる。魔法使いの話が世界から国家になれば、今までよりも容易に魔法使いに対する制限が行えるようになる。それは、一般人の雇用を国がより容易に守れるようになることを意味する。現時代の反魔法勢力にとっての“落しどころ”がこれだ。

 

 僅かな時間で、いまの社会は魔法無しでは存続できないほど魔法に食い込まれた。仮に、魔法を世界から排除できたとして、今度は世界の関節が外れてしまうだろう。反魔法勢力も時流に従い落しどころ決めなければ、目的を果たした後の世界が想像できないのだ。

 

「とはいえ、対象はASUのエージェントでもある。階梯は七だったか。飛び抜けすぎるほどに優秀だな」

 

 弘樹のつぶやきに観測主が淡々と言った。

 

「問題ない。臨戦状態にない魔法使いは狙撃に反応できない。当たれば死ぬ。当てるのはお前の仕事だ」

 

 ふたりはそれ以上言葉を交わすことをやめた。

 

 弘樹はケースから狙撃銃を取り出した。いまから彼が照準するのは、銀糸が眩しい女性アイシアだ。彼女はいまや流星のごとく現れたアイドルだ。彼女を観衆の目前で殺せば確実に世論は変わる。そして、ISIAとASUには説話魔導師が総力戦を仕掛ける。魔法使いの危険性が世論に証明される。

 

 弘樹が立ったままライフルを構えて拡大鏡を覗く。彼にとって、この距離ならば本来は観測主などいらない。観測主がいるのは、反魔法勢力に魔法使いが殺される様を見せるためだ。

 

 弘樹は息をたっぷり吸って呼吸を整え、吐き出して止める。春風に重力による弾道降下、コリオリ力はすべて計算済だ。

 

 一般人にとってはいくら超常的に見えても、魔法は万能ではなく、魔法使いも人間だ。臨戦態勢に無い魔法使いは、魔法的自動索敵が及ばない遠距離からの狙撃に対して無力だ。

 

 狙いが定まる。いま、アイシア・ラロの命は弘樹の指先に掛かっていた。

 

 相手が何者であるかを弘樹は頭から締め出した。自分を一個の精密機器として、あらゆるすべてが敵を殺す部品であると感覚した。筋肉が弛緩し、無駄な力をそぎ落とす。

 

 すべての準備が整う。

 

 そして、弘樹が引き金を引いた。

 

 

 

 



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第二章:日向と日影が交わるとき 3

 ライフル弾が簡易ステージの床をぶち抜いた。歓声に溢れた中、突然現れた銃痕には誰一人気づかない。アイシアを除いて。

 

 紙一重だった。因果魔法における《時間観測》により、一秒後にライフル弾で頭を射抜かれる様を白昼夢のように幻視し、すぐさま頭を後ろに振ったのだ。それがなければいまの一発で文字通り頭を破裂させられて死んでいた。

 

 すぐさまステージを下りISIA職員へ声を投げる。

 

「狙撃された! すぐに犯人を追う!」

 

「え、狙撃って、どういうことですか⁉」

 

 こういうとき、現場慣れしていないISIA職員の動きは遅い。相手は狙撃手だ。弾痕の場所から推定して、狙撃地点は秋葉原UDXビルだ。アイシアならば今すぐ動けば追いつける。

 

「私が狙われたんだよ! そうなることくらいISIAなら分かってたでしょ!」

 

 怒鳴りつつアイシアは端末でISIA本部へ連絡を取る。広告塔は、現状の世論を見れば分かる通りISIAの急所だ。彼女が殺されれば簡単に世論は傾く。どこの誰かまでは分からないが、それを目論んだ敵がいるのだ。

 

「本部、こちら現在ISIA広報部へ出向中のアイシア・ラロ。秋葉原にて狙撃された。魔法使用の許可を」

 

「こちら本部。魔法使い自衛目的の魔法使用として許可します」

 

 観衆はアイシアの突然の行動に驚いている。司会者も同様だ。だが、彼女はそんなことに構っていられなかった。狙撃手は、狙撃に失敗し目標にバレた以上、第二射は恐らく撃たない。だが、それは目標が彼女だけの場合だ。これがテロ目的で別に目標がいる場合、次の狙いはその人物になる。すぐさま阻止しなければならない。そして、この場においてそれができるのはアイシアだけだ。

 

 AWSを履いてきていないため精霊魔法の《電磁結合》を発動。併用して因果魔法の《時流制御》を四倍に設定。磁力を付与した身体を一気に飛び上がらせる。どよめく民衆が、目の前で魔法を使ったアイシアに歓声を上げるが無視。

 

 上空に飛び上がったアイシアはそのまま魔法力にものを言わせ、一気に秋葉原UDXビルへ飛翔した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 狙撃の瞬間、頭を後ろに逸らしたアイシアの姿を拡大鏡越しに見た弘樹は瞠目した。第七階梯の魔導師が狙撃に気づくはずがないからだ。

 

 それは、弘樹にとっては致命的な間だった。絶対に当てられると過信し過ぎたがゆえ、三十秒以上も棒立ちしてしまったのだ。

 

 背後で空気が音を立てて壊れた。遅れて靴音が届く。

 

「狙撃なら私を殺せると思った?」

 

 銀糸ををビル風になびかせた標的が、アイスブルーの冷めた目で見下ろしていた。

 

 死を感じた。弘樹は本能に従って振り向こうとし、指先すらまともに動かせないことに気付いた。身体中が痺れていた。そばに居るはずの観測主の荒い息が聞こえる。彼も動けないのだ。訳が分からず叫びそうになるのに、口もまともに動かない。恐怖が臓腑から這い出してくるようだった。

 

「的になると分かっていて、警戒しない無能だと侮られていたのかな? 君たちは魔法使いを舐め過ぎだよ」

 

 底冷えするような、震えひとつない氷の声でアイシアが告げる。

 

 真の高位魔導師と相対した過去がない弘樹は知らない。自分が狙われることを自覚している魔法使いは、どんな形であれ狙撃を警戒している。高位の魔導師は、一定圏内に自分を狙う攻撃が進入した際、自動で守る防壁を築く魔法を仕込んでいることが多い。だが、アイシアは第七階梯の魔導師だ。この階梯ではこうした自動展開型の魔法を扱う技量がない。だから狙撃の選択は正解だ。相手が因果魔導師でなければだ。

 

 因果体系には《時間観測》と呼ばれる未来を予知する魔法が存在する。因果魔導師は、特に自身の命に関わることの予知能力がずば抜けているため、狙撃は予知し易い部類となる。アイシアは、これにより狙撃を予知して回避したのだ。

 

 いまアイシアを生きながらえさせ、こうして二人を見下ろさせているのは、魔法という奇跡だ。そして、彼らは怖れていながらも心の底では魔法を侮ったから、こんなにも死が近い。

 

 アイシアが虚空から拳銃を出現させた。因果魔法による《因果改竄》だ。これは、過去に起こった“原因”を改竄することで、今起こっている“事象”を変質させる高位魔法である。つまり、彼女は拳銃を置いてきたという過去を改竄することで、手元に拳銃を呼び出したのだ。

 

 いまの時代、魔法使いも武器を使う。一般人は魔法を使えないのに、魔法使いは魔法だけでなく人類が築き上げた科学技術まで扱う。不公平だと思った。

 

 弘樹の額に照準が合う。

 

「なぜ私を狙うのか、訊いてもいい?」

 

 死を告げるアイシアが無表情に問いかけた。

 

 突然、口が動くようになった。アイシアが魔法の手を緩めたのだ。ろくに呼吸もできていなかったから、弘樹は貪るように酸素を取り込んだ。

 

「お前たちが現れてから、この世界は滅茶苦茶だ。多くの人が職を失った。お前たちが俺たちの社会を乗っ取ったからだ。便利になれば人がみなお前たちになびくとでも思ったのか!」

 

 魔法が現れ浸透していく激動の時代の中で、多くの人が職を失った。魔法は、これから緩やかに淘汰されていくであろう職を、一世紀分は先取りして一気に屑籠に放り込んだ。

 

「お前たちのせいで、俺の人生は狂っちまったんだ!」

 

 言葉にするほど、弘樹の魔法に対する憎しみは、燃料を投下され続ける炎のように急速に燃え上がる。なのに、その矛先を向けられているアイシアの表情があまりにも冷たいから、その温度差で頭がどうにかなってしまいそうだった。

 

「魔法を求めたのは君たち社会だよ。だからこんなにも魔法は世界を覆った。君たちが魔法を求めさえしなければ、魔法世界はこの世に現れることもなく、魔法も人目に入ることもなかった。過去の選択による過ちを嘆くなら、求めた相手ではなく自分に対して向けるべきでじゃない?」

 

 やりきれない感情を吐き出したのに、返ってくる言葉は理屈だ。さっきまで民衆に愛想をふり撒いていた女性が、拳銃をつきつけお前が悪いのだと言っている。その内容は正当なのに、武器と魔法を掲げた魔法使いに言われると、例えようのない苛立ちで身体が砕けるほど痛くてたまらない。

 

 経済社会において、弱者は強者に搾取されるか潰されるかでしかない。その一点においてアイシアの言葉は正論ではあるが、人間味はどこにもない。弘樹が求めているものと、彼女の言葉は悲しいほど焦点が異なるのだ。だからこの怒りは消える兆候など見つからず、彼女へと向けられたままだ。

 

「お前たち侵略者が、強者がそんなこと言うなよ。持てる者が持たない者をそんな風に見下してたら、持たない者が怒りを覚えるのは当然だろ!」

 

「だから武器を携え強者を叩くの?」

 

「そうだ!」

 

 弘樹は叫んだ。

 

 アイシアはふっと息を吐く。血の通っていない、冷たい息だ。

 

「私たちと君たちの違いは、何に進化を委託しているかの違いだよ。私たちは魔法へ託し、君たちは科学へ託した。それぞれ別の世界で運用していた“道具”が重なれば、いままでの常識が通用しなくなるのは当然だよね? 君たちには魔法が優遇されているように見えているかもしれないけれど、私たちも社会で役に立たない技術は淘汰されている。人が残した競争原理に私たち魔法使いが乗っかっただけだよ。“こんな有様になったのは”お互い様なんだよ」

 

 つまり、アイシアは弘樹の父親の仕事は、役立たずだから社会に捨てられて当然だと言っている。この期に及んで感情を無視し続ける彼女が、人間には思えなかった。思考の違いをまざまざと見せ付けられて、彼は怒りを通り越して呆れてしまった。

 

「お前たちは、みんなそんななのか? 魔法が使える人間だと思っていたのに、こうして話していると異次元の種族と話している気分になる」

 

 そのとき、弘樹は初めてアイシアの瞳に感情が走ったように見えた。

 

 魔法使いにとって、世界はひとつではない。アイシアたちの生きる世界は、この物理法則に支配された世界だけでなく、半身は魔法世界に縛られている。だから、魔法使いの感覚野には物理世界と魔法世界が交じり合って存在する。人の性質が環境で変わるように、たとえ同じ空間で生活していようと、人と魔法使いは根本的に思考形態が異なる。

 

 生まれてすぐに魔法使いとして生きてきたアイシアは、これが顕著なのだ。

 

「それはさすがに、デリカシーのない質問だよ」

 

 アイシアの口元が歪む。泣くような微笑だった。

 

 アイシアが引き金にかけた指を絞る。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 秋葉原UDXビル屋上に、無数の鎖が舞った。宙を泳ぐ蛇となった鎖が、その矛先をアイシアへ向けている。《時間観測》によって早くも察知した彼女は、すぐさまその場を離脱するため《電磁結合》を使用。磁力の反発で急上昇。それを追うように蛇の群が追っていく。

 

 最悪だ。

 

 ビルの屋上など一般人がそう簡単に入れる場所ではない。魔法転移で送迎した高位魔導師がいるに決まっている。アイシアの頭からそれが抜けていた。だから、阿呆にも高位魔導師が張った罠に引っかかった。

 

 真下からの狙撃。

 

 ライフル弾がアイシアの横腹を掠める。《時間観測》が鎖に対する処理で飽和状態になっていて避けきれなかった。

 

「魔法使いが反魔法団体と通じてるなんて聞いてない!」

 

 アイシアは、それが決定的に隙になるとしても叫ばずにはいられなかった。《電磁結合》による磁力と《時流制御》の加速で、立体戦闘機動を取る。本気にならなければ一秒後には死ぬ。そして、AWSがないから魔法のすべてを三次元立体機動に注がなければならない。武器は右手に握った拳銃CZだけだ。

 

 絶望的だった。

 

「これ死ぬかも」

 

 脇腹が痛い。掠っただけとはいえ、ワンピースには血が滲んでいた。対刃、防弾、防火効果を持つASUのローブを着てこなかったことが致命的だった。的になると頭の片隅で考えてはいても、まさか本当に的になるとはアイシアも考えていなかったのだ。

 

 やはりお洒落など魔法戦闘では足枷でしかない。

 

 連打される狙撃と鎖の群から逃げながら、アイシアは次の行動を思考する。本能は逃げろと叫んでいた。だが、魔法転移ができる高位魔導師の狙いが彼女から外れたとき、秋葉原がどうなるのか想像がつかない。

 

 正義の魔法使いであるアイシアは、犯罪魔導師から逃げるという選択肢がないのだ。だからここで倒すしかない。この圧倒的不利な状況下でだ。

 

 いまは逃げながら思考を回すしかない。でなければもうじき詰む。あの人間狙撃手の力量が尋常ではないのだ。戦闘機動を取っているアイシアの速度偏差を読み始めているのだ。確実に戦争か紛争で魔法使いを相手にしたことがある手合いだ。

 

 乱数機動を取る。鎖はまだ伸びる。せめて狙撃範囲外に逃げなければ死ぬ。それでも、正義の魔法使いとしてのアイシアがこの場に留まり続ける選択をする。

 

 体内通信でISIA本部へ呼びかける。

 

「本部、応答せよ! こちらアイシア!」

 

「こちら本部、どうした?」

 

「説話魔導師一名および反魔法団体の二名と戦闘中! 二名のうちひとりは凄腕の狙撃手。繰り返す。二名のうちひとりは凄腕の狙撃手! 至急刑事課を応援に寄越されたし!」

 

「説話魔導師と反魔法団体がだと? どういうことだ?」

 

 説明している状況ではない。だが、しなければ先に進まない。足元を狙撃銃弾が抜ける。死神がすぐ傍まで近づいている。

 

「おそらく組んでる! こちらは丸腰状態! 至急応援を求む!」

 

「本部了解! もう少し耐えろ!」

 

 身体を貫くほどの怖気。

 

 眼下で昏い光が放たれる。弓鶴からの報告で上がっていた堕ちた天使が、この世に召喚されていた。犠牲を出してでもアイシアを仕留める気なのだ。

 

 これではアイシアを殺しても説話魔導師の評判が落ちるだけだ。そんな簡単なことになぜ気づかない。フェリクスの手筋にしては粗すぎだ。

 

 いや、とアイシアは心中で否定する。これは狼煙だ。ISIA広告塔を殺すことで、ISIAとASUに対する宣戦布告とするのだ。そう考えればフェリクスらしい。彼は常識的でありながらも昔ながらの魔法使いだ。戦いの中に華を見いだす英雄。

 

「ふざけないで! 花火にされるなんて御免だよ!」

 

 脇腹が痛む。出血がひどい。乱数機動を取るのがしんどい。治癒したいができない。暇がない。魔法を三重展開し続けているせいで精神力がガリガリと削られる。しかし、動きを止めれば最後、鎖に絡めとられ狙撃の直撃を受けて死ぬ。

 

 狙撃が頭蓋を掠める。血が流れて右目が使えなくなる。堕ちた天使の咆哮。《時間観測》が極大の異変を察知。極光のレーザーを紙一重で避ける。迫りくる鎖の動きを銃撃で逸らす。その隙間を縫って左肩を狙撃弾が直撃した。激痛。うめき声を噛み殺す。

 

 早く、増援を早く……!

 

 体内通信に反応。

 

「――こちら本部、応答せよアイシア!」

 

 一時緊急離脱を選択。急上昇。

 

「こちらアイシア! 増援は⁉」

 

「ASUからの回答だ。アイシア一名で対応せよ。繰り返す。アイシア一名で対応せよ」

 

 ふざけるな!

 

「こっちは丸腰ってちゃんと伝えた⁉」

 

「伝えた! ASUは現在関東支部にて戦闘中だ! こちらも説得したが警備部の戦力は割けないとの回答だ!」

 

 ISIA本部職員の声には苦渋が満ちていた。だが、いまのアイシアはそんなものが欲しいんじゃない。欲しいのは増援だ。でなければあと一分以内に死ぬ。

 

 絶叫しそうになるがなんとか堪える。狼狽えれば死ぬ。奥歯を噛む。救援はない。たった一人で第八階梯の高位魔導師と反魔法集団の二人を相手にしなければならない。

 

 この上なく絶望を感じた。

 

 一拍の隙。

 

 両手両足が動かなくなる。いきなり勢いを殺されて両手両足首に激痛が走る。がちゃりという金属が擦れる音。鎖で捕まえられていた。

 

 視界がぶれる。

 

 高度二千まで上昇していたアイシアの身体を鎖が一気に引きずり落とす。翼を失った鳥のように地へ堕ちる。視界が狭くなる。地上が近づいてくる。魔法防御が脳裏に掠める。無理だ。扱える防御魔法の中に迫る来る衝撃に耐え得るものが無い。死まであと三秒。

 

 弓鶴……!

 

 

 

 



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第二章:日向と日影が交わるとき 4

 ISIA日本事務局関東支部のオフィスでテレビを見ていた弓鶴は、そのときビルの非常警報が鳴るのを初めて聞いた。臓腑から恐怖を呼び起こすその音は、瞬く間に全員の意識を強制的に戦闘態勢に入れ替えた。

 

 そして、弓鶴にとっての分水嶺も同時に発生した。

 

 館内放送が響く。

 

「緊急連絡。緊急連絡。説話魔導師が関東支部周囲に魔法転移しました。繰り返す。説話魔導師が関東支部周囲に魔法転移しました。戦闘員は直ちに迎撃へ向かってください」

 

 続いてシャーロットから連絡が入る。端末から鼓膜へ直接声が届けられる。

 

「場所は天王洲の使用されていない倉庫。詳細な位置は端末へ転送するわ」

 

 一瞬にして状況が動いた。

 

 傍にいたブリジットが端末に目を落としながら立ち上がる。彼は既にシャーロットの無限電撃から復活していた。回復まで叔母に面倒を見てもらったとはいえ、普通なら精神が崩壊している拷問だ。それを受けてさほど時間が経っていないというのにも関わらず平然としているのだから、高位の元型魔導師らしい強靭な精神力だった。

 

「行くぞ!」

 

 オットーとラファエルも立ち上がり、今すぐにでも天王洲へ行かんと行動を始める。

 

 だが、弓鶴にとってはそれでは困るのだ。

 

「待て、待ってくれ!」

 

 弓鶴が三人に待ったをかけた。ブリジットがふり返る。

 

「待つ暇はないぞ弓鶴。円珠庵を救出しに天王洲へ向かうぞ」

 

「アイシアはどうなる⁉」

 

 そう、いままさにアイシアが狙撃される様をテレビが中継していたのだ。なんとか凶弾を逃れた彼女だが、その正義感から犯人を追った。そしていま、関東支部に説話魔導師が現れた。あまりにもタイミングが良すぎる。

 

 弓鶴を一瞥したブリジットが、何を言っているのだというように目を細める。

 

「アイシアは狙撃主ごときにやられる手合いではないぞ?」

 

「よく考えろブリジット! アイシアが狙撃された直後に説話魔導師が来たんだぞ? 普通に考えてあり得ないだろ! 説話魔導師のターゲットにアイシアが含まれてるんじゃないのか⁉」

 

「だからなんだ?」

 

 一瞬、頭が空白になった。ブリジットの反応が理解できなかったからだ。

 

「だからなんだ弓鶴。アイシアを助けに行く? アホか? 我らの仕事はなんだ? ピンチに陥った仲間を助けることか? 違う。魔法使い候補者を警護することだ」

 

 分かっている。弓鶴も十分に分かっている。救うべきは警護対象の円珠庵だ。だが、彼の頭は現状を冷静に分析していた。理由は明白だ。自身の憧れている魔法使いを助けたいからだ。

 

 アイシアを狙撃したのは、恐らく反魔法団体だ。広報問題はかねてから叫ばれていたISIAの懸念事項だ。その弱点を突くのであれば、広告塔であるアイシアは立派な的だ。だが、あまりにも説話魔導師の攻撃とのタイミングが良すぎる。まるで呼吸でも合わせているようではないか。

 

 あり得ない。魔法使いと反魔法集団は相容れない水と油だ。片や奇跡の主で、片やその奇跡の結果を憎む人々だからだ。それでも、ISIAとASUを打倒するという利害だけを考えれば目的は一致する。

 

 広告塔アイシアへの狙撃。関東支部への襲撃。これらはどちらか一方でも成功すればISIAは失墜する。敵にしてみればどちらも囮でどちらも本命だ。

 

 なにより、円珠庵は捕まってはいるものの、彼女自身が説話魔導師である以上、大切に扱われる。現状での危機を天秤に乗せれば必然的にアイシアへと傾く。

 

 だが、問題がひとつ。

 

 ブリジットたちを説得する術がないのだ。魔法使いの生き方は苛烈だ。仲間が死んでもそれは魔法が未熟だからと吐き捨てられるくらいだ。情などそこには微塵も介在しない。そんなものよりも仕事を優先する。その方が自身にとって得だからだ。

 

 弓鶴も魔法使いだ。しかし、一般人の価値観をいまだ抱き続ける稀有な魔法使いだ。そんな簡単に仲間の命を捨てる判断などできない。

 

 だから弓鶴は説得を諦め、同田貫を掴んで走った。

 

「待て弓鶴! 命令に従え!」

 

 ブリジットの命令は無視した。

 

 弓鶴は非情になりきれない甘ちゃんだ。魔法使いではそれは死を意味する。それでも、仲間を助けずにはいられない。アイシアを失えば、彼は目標をひとつ失うのだ。この過酷な魔法使いの世でそれは、耐えることなどできない苦痛だ。

 

 廊下を駆けた弓鶴はそのままエレベータで飛行場まで行く。階数が切り替わる表示ディスプレイをじれったい思いで見つめる。ようやく飛行場へ着く。そこは、AWSで外へ飛翔できるように設けられた専用の出入り口だ。

 

 履いていたAWSを起動して弓鶴は関東支部のビルを抜けた。時間が惜しかった。端末に連絡が掛かってきているがすべて無視。体内通信も切った。

 

 冷静な部分は、間違っていると言っていた。すぐに引き返せと怒鳴り散らしていた。それすら無視して弓鶴は秋葉原へ向かう。

 

 そして、幻想の出現を見た。秋葉原UDXビル屋上に、《神曲》から現世へ引きずり出された堕天使が現れたのだ。第八階梯の説話魔導師エルヴィンがいる。

 

 アイシアを探す。見つかる。彼女は宙を飛翔し無数の鎖から逃れていた。距離はまだある。堕天使が放った極光のレーザーが天を貫く。

 

 狙撃音。

 

 宙に血の花が咲く。アイシアが肩に被弾した。重傷だ。焦燥に燃える。落ち着けと己に言い聞かせる。

 

 アイシアが急上昇。鎖がのたうちながらそれを追う。

 

 あと少しのところで、アイシアの動きが僅かに固まった。鎖が彼女の身体に巻き付く。彼女が蒼白の顔を晒す。視界から彼女が消える。狼狽。すぐに理解し眼下を見る。鎖が彼女を大地へ叩きつけようとしていた。

 

 弓鶴は大気を蹴って急降下。爆破移動魔法をこれでもかと駆使して加速する。足首が悲鳴を上げるが痛覚を無理やり締め出す。地面との衝突まで目測であと三秒。

 

「アイシア!」

 

 抜いた同田貫を《四態変換》で一気に気化。白く発光した同田貫を振う。アイシアを捕えていた鎖をすべて切断。魔法を解除し同田貫の刀身を消す。呪縛から解き放たれた彼女の腰と膝裏を抱え、地面衝突ぎりぎりで宙を蹴る。

 

 アイシアを抱いたまま弓鶴は道路と水平に高速移動。腕の中にいる彼女は呆然としていた。

 

「さっさと回復しろ!」

 

「わ、分かった!」

 

 精霊魔法による治癒の光が視界の下に灯ると同時、弓鶴は急上昇。このまま離脱したいが、敵を放置するわけにはいかない。

 

 なぜなら弓鶴は正義の魔法使いだからだ。《神曲》を出してきた以上、敵はなりふり構っていない。逃げればそれだけ被害が広がる可能性があった。

 

 円珠庵のことはブリジット達に任せることにした。それが職務放棄であったとしても、自身が持つ正義の魔法使い像はきっといまの自分だ。間違っていない。これが理想に溺れただけではないと、腕の中で生きているアイシアが証明してくれていると信じた。

 

「なんで、助けに来たの?」

 

 アイシアの泣きそう声。こんな弱気な彼女は初めてみた。

 

 実践と剣道で培ってきた直感が逃げろと怒鳴る。

 

 すぐさま上昇から乱数機動へと移行。鎖が腕を掠め、狙撃弾が頬のすぐ傍を抜ける。

 

 秋葉原UDXビルを再度視認。確認できるだけで、相手は第八階梯の魔導師エルヴィン、そして狙撃手と観測主の三名。狙撃手とエルヴィンがあまりにも厄介だ。ひとりで戦うにはあまりに絶望的な相手だったろう。

 

 だから弓鶴は叫んだ。全部塗り替えられればいいと思った。

 

「仲間だろ! 助けるのは当然だ!」

 

「関東支部は⁉」

 

「それは他の連中の仕事だ! 円珠の救出はブリジット達に任せた!」

 

 空中を踊りながら攻撃を避ける。アイシアの回復はまだ終わらない。彼女がAWSを履いていない以上、機動力は弓鶴が担当するしかない。

 

 アイシアが喚く。

 

「仕事を放棄したの⁉」

 

「うるさい黙れ! いいからさっさと

 

「なんで来たの! そんな風に教えてない!」

 

 アイシアは黙ってくれない。治癒をしながら叱るという器用なことをやっている。普段の彼女なら、こんな状況で説教をしたりしない。彼女も動転しているのだ。

 

 弓鶴も攻撃を避けながら会話をしている。神経をヤスリで削るような作業は長くはもたない。

 

 面倒だから弓鶴は一言で叫び返した。

 

「お前の方が大事だ‼」

 

 アイシアが静かになった。これ幸いとばかりに会話を打ち切る。彼女の状態を一瞥。左肩回復。両手両足首はまだ傷があるが戦闘に支障なし。脇腹の傷も塞がっている。顔が赤いが言い合いで心拍数が上がっているだけだと判断。

 

 結論、戦える。

 

「攻撃任せた! 戦闘機動はこっちでやる!」

 

「了解!」

 

 どうやら腹を括ったアイシアが叫び返し、両手を弓鶴の首に回した。そろそろ手が痺れてきていたから助かった。

 

 静止の間はない。鎖も光の砲撃も狙撃も、さっきからひっきりなしに飛び交っているのだ。動きを止めた瞬間に死ぬ。避け方を失敗しても死。ここは、あらゆる場所に死がたゆたい弓鶴たちを招いている地獄だ。

 

 それでも、ふたりなら何とかなると思った。アーキ事件も解決したのだ。今回もきっと上手く行く。根拠はないが、そう信じられた。

 

 

 

 



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第二章:日向と日影が交わるとき 5

「……電源切っちゃったよ。まったく、どうするかなあ」

 

 刑事課のオフィスで、端末から弓鶴に連絡を掛けていたブリジットがぼやいた。ASUにおいて、命令違反は即死罪だ。高位魔導師は見方を変えれば大量破壊兵器である。裏切れば何が起きるか分からないから、命令違反は厳格に対処されるのだ。

 

 つまりこの場合、弓鶴を即刻殺す必要がある。

 

 だが、当の命令主であるブリジットは暢気に首を回してストレッチをしていた。その様子を見ていたラファエルが呆れたように言った。

 

「ブリジット、わざと焚きつけましたね?」

 

 んー、とブリジットがラファエルへ首だけ向けると、にやりと笑った。

 

「そりゃもう、当然」

 

「普通に行かせれば良かったのに……」

 

「一応上司の面目は保たないとね。ま、裏から手を回すさ。あの二人は死なすには惜しいからね」

 

 それに、とブリジットが続ける。

 

「我は部下を死なせないのさ」

 

 いまやオフィスには彼らしか残っていない。既に、オフィスにいた警護課の他班は迎撃に動いているのだ。本来なら、こんな風に暢気に会話をしている暇などない。だが、彼らは魔法使いだ。そして、彼らの任務は安全な場所で匿われている円珠庵の救出だから、こんなにも適当だ。

 

 くつくつとオットーが笑った。

 

「恰好いいですね。いまの科白を録音して弓鶴さんとアイシアさんに聞かせたいものです」

 

 オットーの科白に、ブリジットがそれは名案だとばかりに飛びついた。

 

「む、是非そうしてくれ! 我は我の威厳を取り戻したい!」

 

「そう言っている内は無理です……。ブリジットの威厳は地の底です。大暴落です」ラファエルが蔑んだ視線をブリジットへ注いだ。

 

「そこまで言う⁉」

 

 頭を抱えたブリジットが嘆く。最近の我の威厳が、とかなんとか呟く彼を置いて、ラファエルとオットーがオフィスを出てエレベータへ向かう。慌てて彼は二人を追いかける。

 

「伯母上のときに我を見捨てたこともそうだけど、二人とも最近の我の扱い酷くない?」

 

「いつものブリジットです。扱いに特に変更はありません」

 

 ラファエルの答えにブリジットはなるほど、とひとり納得する。だがすぐに、いやいやいや、と首を振る。

 

「我、いま代理だけど班長だよ? もうちょっとほら、なんかあるでしょ?」

 

「ブリジットはブリジットです。残念な男であることに変わりはありません。ついでに言えば女の敵、クソ野郎です」

 

「我ってクソ野郎なんだ……」

 

 落ち込むブリジットの肩をオットーが優しく手を置いた。

 

「頑張ってくださいブリジットさん! 私は応援しています!」

 

 ブリジットがオットーに元気づけられたように口元を緩める。残念な男同士の熱い友情だった。必然、ラファエルがそれを砕く。

 

「オットーはもっとクソ野郎です。一度死んでから出直してください」

 

 ラファエルの発言にオットーも沈んだ。大事な仕事の直前だというのに、男二名が使い物にならなくなった。

 

 ため息をついたラファエルが、ローブの内から端末を取り出し操作、画面上にある画像を表示させる。

 

「ここにお風呂上りのアイシアの写真があります。頑張ったらこれあげます」

 

 それは、バスタオルで火照った肢体を隠したアイシアの写真だった。いつもは完全に隠している肩や太ももを惜しげもなく晒している。

 

 これは飴だ。並みの男ならば元気になるだろう。いまや数多く存在するアイシアファンならば垂涎ものだ。だが、生憎とブリジットもオットーもアイシアの本性を知っている。

 

「いらない」

 

「いりません」

 

 ふたりが同時に吐き捨てた。

 

 ラファエルはそっと端末を仕舞う。この場にいもしないアイシアが少しだけ可哀そうになった。

 

 のろのろと身体を起こしたブリジットが端末でASU本部へ連絡を入れる。オットーはなんだかんだいっても、アイシアの写真が気になるようだ。ラファエルに「もう一度見せてもらえませんか?」と未練がましく迫っている。

 

 さて、とブリジットが場の雰囲気を切り替える。

 

「そろそろ仕事の時間だ。行くぞ」

 

 彼らは一度仕事モードに切り替えると行動が早い。即座に歩みを走りに変えた三人はエレベータへ搭乗、飛行場まで上がり、AWSで天王洲へ向かった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 赤坂にあるISIA日本事務局関東支部ビル前は、完全に一般人が捌けていた。ASUの秘跡魔導師が、神の畏れをこの世に降ろす《秩序体系》によって人払いをしたのだ。通常、都市部での《秩序体系》の使用は重罪だ。なぜなら、その間の経済活動の一切が止まるからだ。だが、今回は特例として日本政府からの使用許可が認められた。つまり、説話魔導師の行動は、国レベルで脅威と捉えられているのだ。これは昨年のアーキ事件で首都壊滅危機寸前に陥ったことによる恐怖が根源にある。

 

 一般人は、そして国家は、もう既に犯罪魔導師に言いしれない恐怖を感じているというなによりの証拠であった。

 

 人通りはおろか、車通りすら完全に失せた静寂が支配する空間には、深紅のローブが目立つASU警備部魔導師らと、黒いローブに身を包んだ説話魔導師の集団が対峙していた。警備部魔導師側の先頭には、あのランベール・ディディエが代表として立っていた。アーキ事件では失敗をした彼だが、それでも第八階梯の数少ない高位魔導師だ。関東支部に在籍する魔導師の中では一番の実力者だったため、現場責任者として表に立たされているのだ。

 

「さて、説話の諸君。こたびは何しに来たのかね? 魔法転移は禁止されているはずなのだが、説明を求めようか」

 

 ランベールの問いに答えたのは、いまや説話魔導師側に立つ元ASU魔法開発部のニコラ・ロワイエだった。彼もまた、ランベールと同じ第八階梯の高位魔導師だ。歳の頃は四十代半ばで線の細い体つき。右目にはモノクルを付け、説話体系が好んで着る黒いローブを羽織っていた。いかにも古い魔法使いだった。

 

「我ら説話はASUに弓を引く。こたびはその先駆け」

 

「相変わらず説話は愚かだな。勝てぬと分かっていてなお戦いを挑むか。過去の経験を忘れたのかね?」

 

 ランベールらは笑った。ニコラを舐めているのだ。前線に来た魔法使いが、最も警戒していたフェリクスやそれに次ぐエルヴィンやカスパールではなく、一番弱いと睨んでいたニコラだったからだ。元を含め前者三人は警備部だ。対してニコラは魔法開発部だから、戦闘に不慣れだと踏んでいるのだ。

 

「生きて屈辱を重ねる限り、我々は何度でも繰り返すだろう。フェリクス殿が示す希望の先陣を担えるのならばこの命、いくらでも差し出そう」

 

「ならば早速差し出してもらおう」ランベールが右腕を上げる。「ASUへの裏切りの代償は決まっている。死で償うがいい」

 

 ランベールが腕を振り下ろす。瞬間、彼の背後から幾重もの魔法が説話魔導師の集団へ斉射された。片道二車線の道路を二十メートルに渡って軽々と抉った。黒煙とコンクリート片が宙を舞う。

 

 説話魔導師らを包んでいた黒煙が一気に晴れる。彼らは無傷だった。ローブに煤ひとつすら付いていない。ランベールの瞳に怪訝が宿る。よく見れば、説話魔導師ら一人一人の姿が揺らめいて見えた。そして、いつの間に現れたのか、目に映るほどの濃密な大気を従えた中性的な妖精が宙に浮いていた。

 

「フェリクス殿のエアリアルだ!」

 

 ASU魔導師の一人が叫んだ。

 

 エアリアルとは、中世ヨーロッパの伝承上に存在する大気の精霊だ。有名どころであれば、シェークスピアの《テンペスト》に登場する。つまり、説話体系の魔導書位階に照らせばA級魔導書から出現した幻想だ。

 

 説話魔導師ニコラが無表情に告げる。

 

「我らにはエアリアル様の加護がある。なまなかな魔法では殺せぬと知れ」

 

 ニコラの傍に浮きだした書物から燐光が溢れ出す。説話魔法が発動する前兆だ。ASU魔導師は即座に第二射へ移っていた。しかし、すべてが妖精エアリアルの風の結界に阻まれる。ただひとつの幻想が、ASU警備部の魔法斉射を防いでいるのだ。ASU魔導師にとっては悪夢だった。

 

「浮遊都市への扉。我らが貰い受ける。悔い改めよ」

 

 ニコラの魔導書が産声を上げた。現れたのは危険の匂いしかしない黒い濃霧だ。霧の中に一際濃い影が浮かび上がる。影がどんどん濃密になっていき、腕と足らしきものが生えていく。頭部と思わしき部分には二本の角が伸びていた。閉じられたまぶたが開き、血色の眼光が鈍い輝きを湛えた。

 

 悪魔だ。

 

 全長二メートルを超す悪魔が右手を伸ばす。その手には黒い霧でできたマスケット銃が握られていた。

 

 その間、ASU警備部は何もやっていなかったわけではない。魔法を斉射し続けていた。だが、エアリアルが展開した結界を突破できないのだ。超高位魔導師の幻想の力はそれほどに強い。

 

「森と岩がどよめき我々を包み込むとき、杯は自由と喜びに鳴り響くのだ!」

 

 ニコラが歌うように叫ぶ。

 

「魔法防御展開! 引け!」

 

 ランベールが焦燥の孕む号令をかける。各人がそれぞれ魔法防御、もしくはAWSを使用しての撤退を試みた。ランベール自身もAWSでの離脱を実施。

 

 悪魔が撃鉄を鳴らし、引き金を絞った。発射された弾丸は一発。

 

 最初に犠牲になったのは、前方に魔法防御を展開していたASU魔導師だ。弾丸は、まるで意思を持っているかのように魔法防御壁を迂回すると、魔法使いの側頭部に突き刺さった。銃弾の直撃を受けた魔法使いは目を剥いて倒れる。頭蓋からは血の一滴も漏れていない。物理的衝撃を伴わない魔法的衝撃で、強制的に気絶状態にさせられたのだ。

 

 そして、倒れた魔法使いを撃ち抜いた弾丸は止まることを知らなかった。次に狙われた魔法使いも魔法防御を展開していた。意思を持った弾丸が防御壁を避けて魔法使いを撃ち抜く。二人目の気絶。

 

 三人目、四人目、五人目と次々に魔弾に撃ち抜かれていく。

 

 そこで、ようやくASU魔導師達は単純な魔法防壁では意味がないことに気づいた。

 

 弾丸の正体は、まさしく魔弾だ。ニコラが呼び出したのは、かの有名なカール・マリア・フォン・ウェーバーが作曲したオペラ、《魔弾の射手》に登場する悪魔ザミエルだ。

 

 A級魔導書から呼び出された幻想は、極大魔法に勝るとも劣らぬ力を持つ。説話魔導師がASU警備部で重宝される理由がこれだ。高位の魔導書を扱うものほど、単純な火力や物量はもちろん、現実の魔法ですら再現が難しい、物語に登場する摩訶不思議な現象を扱うことができるからだ。

 

 そして、他の魔導書と組み合わせることで、本来ひとつの書物だけでは引き起こせない現象すら具現する。殺さず強制的に気絶させるこの魔弾がいい例だ。

 

 つまり、ニコラはわざわざ一手間踏んでまで殺傷武器を非殺傷武器へ変化させたのだ。でなければ、いまの魔弾だけで既に五人は死んでいる。

 

 すぐさま理解したランベールの目に憤怒が宿る。敵対者に手加減されることは、魔法使いにとってプライドをひどく傷つけられているも同然だ。当然頭に血が上る。

 

「我らASUを舐めるか説話!」

 

 ランベールが頭上に光を球形状に展開させる。それは、精霊魔法が《電磁結合》によって生み出された、荷電粒子を亜光速にまで加速した奇跡の光。あらゆる物質をことごとく破壊する荷電粒子砲が、いま放たれる。

 

 その一撃は、幻想すら砕くと思われた。

 

 だが、どんな魔法も発動しなければ意味などない。

 

 突然、笛が鳴った。なんの変哲もないただの笛の音だ。それだけでランベールの魔法が突如消失した。あり得ない、と彼が目を剥く。

 

 ニコラの周囲に浮かぶ書は、遂に三冊目となっていた。

 

 説話魔導師において、一冊の本だけを運用するのが常識だ。二冊で高位魔導師。三冊以上ともなれば超高位魔導師に匹敵する。第八階梯の身でありながら三冊も開いているのは、魔法開発部に在籍し、高度魔法を研究し続けた精緻な魔法運用技術の結晶だった。

 

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの傑作、《魔笛》から呼び出された魔法の笛は、夜の女王がタミーノへ渡した“都合よく物事を進める”魔法の道具だ。

 

 そんな馬鹿なと思うなかれ。荒唐無稽な現象を引き出すことこそが説話魔法の神髄である。そして、読み手の解釈次第でどんな内容にでも変化する。説話魔法は、その不可思議さゆえに民間では扱いきれず、それでも戦闘では圧倒的な力を持つ魔法体系だ。

 

 それを今、ランベールらASU魔導師は体験しているのだ。

 

 ニコラの手には銀の鈴。《魔笛》においてパパゲーノに渡された鈴だ。彼が鈴をふる。ちりんちりん、と銀の響き。

 

 その音がASU魔導師全員の聴覚を刺激したとき、彼らは動きを止めて突然踊り出した。いきなりASU魔導師によるショーが始まったのだ。AWSを駆使して回転するものまで出る始末だ。しかも、踊り方が陳腐すぎて見るに堪えない有様だった。

 

 はたからみればまったく意味が分からないだろう。当人たちですらなぜ踊っているのかすら理解していないはずだ。

 

 《魔笛》は荒唐無稽なオペラである。起こる事象に理などない。そして、説話魔導師は、そんな無茶苦茶な事象すら現実に具現する。世の理など笑って蹴とばし、物語の世界へと観客を誘うのだ。

 

 理不尽の体現者。物語の主。敵に回すにこれほど厄介な相手などおるまい。

 

 説話魔導師の一人が書を開こうとする。その動きをニコラが制した。

 

「我らは無用な殺生はせぬ。血を流すのはもう十分だ」

 

「ですが……!」

 

「ならん! 我らは律さなければならぬ。我らが耐え忍んだ怒り、向ける矛先は《二十四法院》でいいだろう。これ以上、この極東の地を不安定にしてはならぬ」

 

 ニコラは魔法開発部、つまりは技術畑出身だ。なによりも魔法での争いを嫌う。今回の件とて、フェリクスが先導しなければ彼は傍観に徹しただろう。

 

 ASU時代、犯罪魔導師と対峙し、その中にいる同胞らすら斬って棄てねばならなかったフェリクスが立ち上がったのだ。同じ同胞であるニコラも立ち上がらないわけにはいかなかった。それでも、やはり無用な殺生を嫌う。残忍な物語は書の中だけで十分だった。だからこそ敢えて危険な前線に立ったのだ。

 

 命を賭して革命を成し、命を賭して敵の命すら守る。これがいまのニコラの信条だった。魔法使いの常識に照らせば、あまりにも甘く現実味を欠いた選択だ。常識を持つ一般人ですら同じ思いを浮かべるであろう。

 

 当然反発する者も出てくると思われた。だが、予想に反して説話魔導師らは何も言わなかった。ニコラも尊敬を集める魔法使いだからだ。

 

 ニコラはひとつ頷いて前を向いた。

 

 ASU魔導師は当然、いまも踊り続ける魔法使い達だけではない。世界中の支部に散っているのだ。ここを突破されればASU本部へ直接乗り込めると分かっている以上、日本事務局関東支部に世界中から続々と集まってくるだろう。

 

 ここは、世界中の魔法使いが集う戦場となる。日本の首都である東京がだ。

 

「許せよ日本人。しかしてこれも我らが悲願。説話の世界にて再び……」

 

 重い言葉を紡ぎながら、説話魔導師らを引き連れニコラが歩む。

 

 

 

 



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第二章:日向と日影が交わるとき 6

 円珠庵は、天王洲の空き倉庫に置かれたソファーに腰かけていた。その対面には、鷹の瞳で古い装丁の書物を眺めるフェリクスがいた。その他には誰もいなかった。

 

 連れ去る際にフェリクスが述べた通り、説話魔導師らは円珠に対して害することはなかった。むしろ新たな同胞として彼女を温かく迎え入れた。そして、そんな彼らは先ほど魔法転移でどこかへ行ってしまった。唯一残ったのが眼前にいる鷹の男だった。

 

 発する圧は人間のものではなく研ぎ澄まされた野生のそれ。纏う空気は人外でどこか虚ろのよう。超高位魔導師へ抱く畏敬にも似た念を、既に円珠はフェリクスに感じていた。

 

 おずおずと円珠はフェリクスへ声を掛ける。

 

「あなたは、行かないんですか?」

 

 傷跡だらけの顔を上げたフェリクスが笑む。

 

「なに、俺としても行きたいところなのだがな。ニコラめが先陣を切りたいと言う。ならば長として任せるまでよ。花道はあやつらが用意してくれる。だが、ただ待つ身は焦れるのでな、こうして書から眺めている」

 

「心配じゃないんですか?」

 

 円珠の問いにフェリクスは当然の摂理のごとくに答える。

 

「我らは既に死んだ身。なれば何を臆することがあろうか。未来の説話のために我らは死の道を逝く。そなたが説話に新たな芽吹きを齎すのだ」

 

「私に、何をしろっていうんですか?」

 

「なに、我らが説話の未来を作る。お前は心配せずとも良い」

 

「失敗したらどうするんですか」

 

「知れたこと。お前に罪などない。こたびの戦にそなたは無関係なのだからな」

 

 円珠はぞっとした。フェリクスの考えが彼女には理解できなかった。

 

 無関係だが無関係ではない。円珠庵は説話魔導師だ。そして、この事件で説話魔導師は生きるか死ぬかの革命を起こした。それは生死の問題だけでなく、未来での社会的生死すら決まる。負ければ生き延びても社会的には死ぬのだ。直前まで一般人だった彼女にとって、それは死よりもつらい運命だ。

 

 円珠にとって、もはや先に見える未来は絶望しかないように思えた。説話魔導師が勝てる未来が想像できなかった。

 

 たった二十数名あまりで、世界に戦いを挑む馬鹿がどこにいる?

 

「こんな、こんなことになるなら魔法使いになんかなりたくなかった!」

 

 円珠は顔を覆って嘆いた。こんなはずじゃなかったと絶望に身を堕とす。フェリクスはそれを眺めると、そっと本を閉じて口を開く。

 

「俺は以前弟子を何度か持っていたのだが、どいつもこいつも小生意気な小童どもよ。お前のようにか弱い娘は初めてでな、どう導いて良いのか分からん。俺は戦いしか知らぬ凡愚ゆえ、お前の不安など拭ってやれるだけの甲斐性がない」

 

 鷹の男が困ったように笑った。フェリクスは《連合》時代から戦い続けた男だ。見た目こそ四十代だが、実年齢は七十を超える。ふたりの関係は、例えるなら祖父と孫だ。元々違う価値観に歴史が重なれば、より大きなすれ違いを生む。

 

「少し昔話でもしよう」

 

 フェリクスが新たな書を取り出した。書が淡い燐光に包まれるとひとりでに浮いて開き、頁がまくられる。頁はまっさらだった。だが、猛烈な勢いで文字が書かれていく。魔法で記憶を書に書き写しているのだ。

 

 指の隙間からその様を見た円珠が目を見開く。ようやく人を傷つけない説話魔法を見ているのだ。それを行っているフェリクスは、まるで息でもするかのような当たり前のごとき自然体だった。これが超高位魔導師の魔法だ。

 

 超高位魔導師は、手足を動かすように魔法を使う。

 

「どれ、このくらいか。あまり見られても恥ずかしいのでな」

 

 頁が巻き戻る。一頁目に戻った書から、放射状に光が溢れた。燐光が世界を作り出す。直径四十センチメートルほどの半球状に展開された世界は、西洋の景色を作り出していた。そこには、かつてのフェリクスとひとりの少年がいた。少年の歳の頃は十代前半か、茶髪の前髪から覗く瞳には力強い光が宿っていた。

 

「これは何年前だったか。因果体系の少年を教えていたときの景色よ。場所はアルザスのストラスブール」

 

 くつくつとフェリクスが笑う。

 

「こやつめ、魔法で己が家族から捨てられてな。魔法を憎んでいた。だというのに、魔法で人々を幸せにするのだと息巻いておった。おかしな奴だろう? 俺の他にも師はいたゆえ、あまり教える機会はなかったが、命の息吹を感じる良い眼をする童だった」

 

 場面が変わる。どこかの射撃場だろうか。遠方にある円状の的に、少年が拳銃を構えて引き金を引いていた。奇妙な光景だと円珠は思った。魔法使いが武器を使っているからだ。彼女の表情を読んだフェリクスが呵呵と笑う。

 

「やはりお前も不思議に思うか? こやつ、魔法使いで初めて銃器を使ったのだ。こやつのもうひとりの師が変わり種でな? 二十一世紀だというのに刀一本と魔法で戦う、まことにおかしな奴だった。そやつが考案したのだ」

 

「刀、ですか? 二十一世紀ですよね?」

 

「おうよ。たかだか三十数年前の話よ。当時は魔法も古の産物ではあったが、刀もそうであった。折角だ、教えよう。その師というのは、オーバン・ラロという。この童を拾ったのがオーバンだな」

 

 場面にひとりの男が現れる。サングラスをかけた大男だ。恰好は黒い革のジャケットにジーパン姿。確かに、ベルトに日本刀を挿していた。明らかに恰好からして浮いている。

 

「笑え笑え。こやつめ、刀に取りつかれた阿呆でな。生まれる時代を間違えた愚か者よ」

 

 見れば見るほど変な光景だ。片や魔法使いなのに拳銃を撃ち続ける少年。片や刀を持って少年を眺める大男。それが二十一世紀にあった光景なのだから、色々とちぐはぐだ。

 

「それでこの童だが、結局魔法の道へ進みおった。当時因果体系は不遇でな。使えない魔法体系だと揶揄されておった。あまつさえ、拳銃を使って戦うのだから、他の魔法使いからは邪道扱いされておったよ」

 

 フェリクスの瞳には懐かしさがあった。己自身でも回想するようにまぶたを閉じる。

 

「その子は、どうなったんですか?」

 

 円珠の問いにフェリクスは目を開き、口端を吊り上げた。

 

「驚け。いまでは第九にまで駆け上がり、ASUの精鋭部隊、重犯罪魔導師対策室の室長をしている。名はラファラン・ラロという」

 

 円珠はかすかにだが聞いたことがあった。

 

 魔法世界が具現する以前の魔法社会は、いまよりも更に過酷だった。フランス国家と裏で繋がり、世界の恒常性をかいくぐって作った僅かな資源、そして血がにじむ努力で生み出した技術を提供し、資金を得ていた。そして、いまよりなお魔法使い同士で争い、血で血を洗う毎日だったと。そんな時代に、自分よりも歳の若い子どもが、そして同じく不遇とされる魔法体系でありながら、愚直に魔法使いの道を進んだのだ。驚かないわけがない。

 

「俺は今日、そやつと戦うかもしれん。かつての弟子に討たれるやもな。さすがに俺にこいつは殺せん。こいつはいまのASUにおいて、真っ当な人間の価値観を持つ数少ない魔法使いよ」

 

「なら、なぜ戦うんですか? かつての弟子と戦うかもしれないと分かっていて、なぜ……?」

 

「なにもせぬ凡愚より、せめて動く凡愚でありたい。それだけのことよ」

 

 フェリクスが書を閉じる。魔法で作った世界が消えた。

 

「俺はもう説話が堕ちる様など見たくはない。同胞が未来を絶望し、犯罪者となっていく様を見るのは耐えがたいのだ。魔法は神秘の力だ。ならばせめて、万人の未来を明るく照らす奇跡となってほしかった。だが、そうはならなかった。そうはあれなかった。それは我ら《連合》時代の魔法使いの責任よ。なれば、せめて俺だけでも、未来の説話らに証を残したい。たとえ討たれようと、希望を残せるのであれば、俺にとってはなによりも代えがたい死出の花道となるだろう」

 

 フェリクスが立ち上がる。

 

「なに、俺の我儘だ。なんの正当性もありはしない。いまの世を生きる魔法使いたちには悪いとは思っている」

 

「なら、説話の者たちを止めては下さいませんか?」

 

 突然、第三者の声が庫内に響いた。ブリジットだ。いつの間にか翡翠色をした妖精がふたりの前に飛んでいた。声はそこから発せられているのだ。

 

「シャーロットの甥っ子か。随分と早いな」

 

「その伯母上から場所を教えてもらったのです」

 

 フェリクスが愉しそうに笑った。

 

「そうか、シャーロットが動いたか。その不幸な贄はお前の配下か?」

 

「午前に会っていますよフェリクス殿。刀を使う錬金魔導師。八代弓鶴といいます」

 

 ほぉ、とフェリクスが感嘆を露わにする。

 

「確かにいたな。オーバンの再来か。そういえば、目はどことなくラファランに似ていたな。そやつは来ていないようだが、どうした?」

 

 フェリクスが開いた書に目を落としながら言った。説話魔導師は、自身の周囲に起こっている出来事を書に記すことで視ることができる。簡易的な千里眼だ。

 

 倉庫の扉が開かれる。春の香りが庫内に舞い込む。中に入ってきたのは、ASUの三人の魔法使いだった。円珠を警護していたブリジット、ラファエル、オットーだ。

 

 子どもではなく大人姿となったブリジットが、一歩足を踏み出し部下の前に立つ。

 

「弓鶴はアイシアの救出へ向かいましたよ」

 

「ほぅ、仕事を棄てたか」

 

「ええ、どうやら仲間を守りたいようでして」

 

「なるほど。そこまで魔法使いのあり様から逸脱しているか」

 

 そう言ったフェリクスは嬉しそうだった。彼は一般的な価値観を持つ魔法使いがいることを喜んでいるのだ。

 

「エルヴィンめ、存外に苦戦することになりそうよ。だが、これでラファランを呼び出すきっかけがひとつ減ったな」

 

 ブリジットの瞳に怪訝の色。

 

「あなたは、ラファラン殿に討たれたいのですか?」

 

 フェリクスが肩をすくめる。

 

「まさか。そこまで死に急いてはおらぬ。だが死ぬ前に会話のひとつでもしたいと思ってな」

 

 ブリジットが眉をひそめる。

 

「フェリクス殿。あなたは言っていることが滅茶苦茶だ。本当は一体なにがしたいのです? 説話の未来のためといいながら自ら首を絞めることをやっている。まるで説話と心中でもするかのようだ」

 

「無論、説話の未来を切り開くためだ」

 

「フェリクス殿、はっきり言わせて頂く。これは自殺行為だ。負ければフェリクス殿は討たれ、説話魔導師の未来は本当に閉ざされる。そんな簡単なことが分からないあなたではないだろう」

 

「何をかいわんや、負けねばいいだけの話」

 

 フェリクスの科白にブリジットが目を剥いた。戦力差を理解していないはずがないフェリクスの言葉とは思えなかったからだ。

 

 過ちの道を突き進むフェリクスへブリジットが叫ぶ。

 

「あなたは絶対に負ける。《二十四法院》すら敵に回した。ASUは全力であなたを、そして説話を叩く。そこには滅びしかない!」

 

「おうおう吠えるな童よ。ASUの全力とな? 結構ではないか。この俺をそこまでの敵と認識したか。これほど魂を震わせることはあるまいて」

 

 フェリクスの言葉には説話への未来など感じられない。ただただ華々しく命を散らすことを切望する武人だ。時代が時代ならばそれも良いだろう。だが、この二十一世紀の世で受け入れられる価値観ではない。

 

「あなたは、狂ってしまったのか……?」

 

「狂っている? なにを今さら。我ら魔法使いは狂っている。そんな常識すら忘れたかブリジット。俺は正しく狂っている。俺も、お前も、ASUもだ」

 

 さて、とフェリクスが両手を広げる。まるでもう、話し合いなど終わりとばかりに。三人が即座に臨戦態勢になる。

 

 フェリクスが獰猛な笑みを浮かべた。それは、人間のものではない野生の笑みだ。

 

「前座だ。遊んでやろう。胸を借りるつもりでかかるがいい」

 

 

 

 



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第二章:日向と日影が交わるとき 7

 秋葉原の上空はいまや魔法が飛び交う戦場となっていた。UDXビル屋上からは、堕天使による極光レーザーとケルベロスによる火炎弾がひっきりなしに撃ち出されている。それらをAWSの機動力ものを言わせて弓鶴たちは避ける。避ける。

 

 当然やられているばかりではない。反撃しなければ集中力が切れて死ぬのだ。アイシアが《土系分離》によって生み出した石英の礫を雨がごとく降らせる。そのすべてがエルヴィンによる鎖によって弾かれる。それらが地面に落ちる前にアイシアが魔法を消す。そうしなくば被害が甚大になるからだ。

 

 戦場が都市部である以上、アイシアはわざわざ威力の低い魔法を使わざるを得ない。

 

「なんとか接近して! これじゃあ有効打が放てない!」

 

 アイシアが腕の中で叫ぶ。理解はできるが、弓鶴にも限界はある。なにせまだ二年目になったばかりの新人なのだ。第八階梯魔導師を相手にしていまも生きていることが奇跡だ。

 

「無茶いうな! 俺は三次元立体機動が苦手なんだよ!」

 

「さっきカッコよく登場しといて今さら泣き言⁉」

 

「お前喧嘩売ってんのか⁉」

 

「そう思うなら格好いいところを私に見せて!」

 

 弓鶴は内心で舌打ちする。無茶ばかりを言ってくれる上司に物申したいが、そんな状況でもない。確かに近づかなければ彼も無力だ。

 

「頭下げて!」

 

 アイシアの警告。言われた通り頭を落とすと、頭上で狙撃弾が抜けた。一瞬でも気を緩めれば死だ。

 

 堕天使からの極光レーザーは、いまや同時に十条展開されている。ケルベロスによる火炎弾はその倍以上だ。それをかわしている弓鶴は、第六階梯かつ二年目のASU魔導師にしては優秀過ぎる成果を上げている。逃げ足だけで言えばだ。

 

「どうすりゃいい⁉」

 

「私の魔法を全部機動力に注ぐ! 呼吸を合わせて!」

 

 アイシアが精霊体系の《電磁結合》、因果魔法の《時流制御》を同時展開。二人が現実時間軸の系から外れ、独自の時間軸を形成する。

 

「八倍に設定するよ! 《時間観測》が途切れるけど、信じてるから!」

 

 一気に視界内の速度が遅くなる。これが《時流制御》を扱う魔導師の視界なのだ。相対的に八倍の速度となった弓鶴は上昇。アイシアの《電磁結合》による磁力がそれを後押しする。

 

 高度三千まで駆け上がった弓鶴がその場に留まる。一呼吸置きたかったのだ。

 

 抱かれたアイシアが弓鶴の顔を見つめる。まつ毛一本一本が鮮明に見える距離感。彼女の吐息が頬に触れる。アイスブルーの瞳には信頼の光があった。

 

「いい? これから一気に接近するよ。失敗したら死ぬけど、全部託すから」

 

 信頼が重すぎた。だが、やらねば死ぬのだ。ならばやるしかない。弓鶴も腹を括った。

 

「死にたくないからなんとかする」

 

 うん、とアイシアが睡蓮の笑み。

 

「行くよ!」

 

「了解!」

 

 弓鶴が空中を蹴る。AWSが大気の波を捕えて一瞬で超加速。二人は天から落ちる流星となる。攻撃範囲に入った二人目がけ、堕天使とケルベロス、狙撃主からの攻撃が一斉に放たれる。

 

 ひとつでも直撃すれば死。それでも、弓鶴はアイシアに呼吸を合わせることだけを考えた。彼女が頬をすり寄せる。直感に自分たちの運命を託した。

 

 墜落しながらの乱数機動。紙一重でかわす。恐怖は頭から締め出す。AWS、《電磁結合》、《時流制御》、直感、すべてを回避に注ぐ。目標を視界に捉える。

 

「ぜんぶ消して!」

 

 アイシアが発すると同時、弓鶴は同田貫の刀身を生み出し、切っ先に極大魔法を展開する。

 

 弓鶴にとっての切り札。あらゆるすべてを“物質”と知覚し強制分解する黒点。《断罪の輪》が産声を上げる。制御は上々。展開時間こそまだ短いが、それでもアーキ事件の頃よりも伸びた。この修練の結晶をいまこそ見せつけるとき。

 

 ビル屋上に突っ込む。衝突寸前、あと二十メートルというところでアイシアを手放す。《時流制御》が消える。だが、彼女が《電磁結合》で直接背中を叩いてくれた。

 

 まずは一刀。堕ちた天使を袈裟に斬りつける。この世に具現している現象ごと“物質”と知覚して分解。堕ちた天使を地獄へ叩き戻す。そのまま移動爆破魔法で鋭角飛行。

 

 二刀目。ケルベロスのひとつの首が弓鶴に反応。凶悪な口を開き、頭を噛み砕かんとする。一瞬の逡巡。だが、信じた。

 

 紫電が走りケルベロスが仰け反る。アイシアが《電磁結合》で生み出した電撃をケルベロスに流し込んだのだ。一直線にケルベロスに肉薄した弓鶴が同田貫を突き出す。黒点がケルベロスに触れ、幻想を現実から追い出す。断末の咆哮を響かせケルベロスが現実から退場する。

 

 無数の鎖が弓鶴を狙う。左足を床に叩き付け、腰を捻って右足を大きく踏み出す。

 

 三刀目。袈裟斬り。一本の鎖を黒点で斬り捨てる。すると、空間を覆いつくさんばかりに宙を泳いでいた鎖がいっぺんに消えた。鎖を生み出す“説話魔法”ごと分解したのだ。

 

 黒点が消える。展開時間の限界だ。

 

「ASU!」

 

 エルヴィンが烈火のごとき憤怒の表情で吠えた。書が燐光を生む。

 

「魔法使いは死ね!」

 

 狙撃手もライフルを弓鶴に向けた。

 

 弓鶴はどちらも相手にせず、爆破移動魔法で一気に飛び上がった。

 

 眼下で紫電の嵐が起きた。狙撃手の身体が大きく弓なりになる。アイシアが全身から凶悪な電流をまき散らしたのだ。荒れ狂う蛇となった電撃が大気を破壊し、コンクリートを砕く。電撃の蛇から逃れるため、エルヴィンが瞬時にビルから飛び降りる。

 

「弓鶴!」

 

 叫んだアイシアも、エルヴィンを追うべく躊躇なくビルから落ちる。弓鶴もそれを追って宙を舞う。

 

 エルヴィンがAWSを起動し反転。上空へと駆けあがる。アイシアもそれを受けて磁力で己を反発させ急制動。飛び上がった彼女の身体を弓鶴が受け止めそのままエルヴィンを追う。

 

 アイシアが《時流制御》を展開。見かけ上の周囲の速度が落ちる。彼女が腕を突き出し更に追加で魔法を発動。

 

 アイシアの手のひらを通じ、水のクオリアが現実世界に膨大な水を生み出し超高速で射出。音速を超え、かつ出口を絞られた水は、閃光となってエルヴィンへと迫る。

 

 精霊魔法の《水系分離》で作ったウォータージェットだった。陽光に煌めく水の糸には、威力を高めるために《土系分離》で生み出した研磨剤を混ぜている。その威力は鉄板すら切り裂く。当然、人体など簡単に切断する悪魔の糸だ。

 

 エルヴィンが旋回。水の糸もそれを追う。あと一手が欲しい。弓鶴の専門は近接戦だ。遠距離魔法はアイシアに任せるしかない。だが、真下は人口六万人を超す秋葉原だ。下手な魔法を使用すれば被害が出る。空中戦は分が悪かった。

 

 アイシアが奥歯を噛む。水の魔法を解いた彼女が叫ぶ。

 

「一分ちょうだい!」

 

「なんとかする!」

 

 集中するためかアイシアがまぶたを閉じる。弓鶴は空中を蹴って加速。視界に淡い光。説話の書が再び開いたのだ。

 

 堕天使が三度誕生する。いくら倒そうが、基盤となる魔導書がある限り、幻想は何度でも蘇る。

 

 弓鶴は舌打ち。虚空を蹴って急上昇。エルヴィンに頭上を取られているのだ。極光のレーザーを撃ち込まれたら秋葉原の街に直撃する。それだけは避けなければならない事態だ。

 

 エルヴィンを超え頭上を取る。視界には鎖が縦横無尽に走りだす。鎖まで生み出したのだ。高位魔導師の魔法発動の速さには頭が下がる。

 

 乱数機動を取りながら鎖を潜り抜ける。極光レーザーが同時に十条、放射状に発射される。

 

 弓鶴は意識を極限まで研ぎ澄ます。乱数機動を取りつつ上昇。すぐ傍を極光レーザーが通り抜ける。そこかしこに死が充満している。一分が果てしなく長い。《断罪の輪》は準備しているが、使用タイミングを誤れば隙ができて死ぬ。

 

 鎖が足首を掠める。痛覚が集中を邪魔しにかかる。なんとか無視。極光レーザーが取り囲むように展開される。さらに逃げ場を封じるように鎖がぐるぐると螺旋を描く。完璧な詰み手だ。頭上しか逃げ場がない。

 

 悪寒。一瞬だけ眼下を一瞥。赤黒い空間から首だけを出したケルベロスが、火炎弾を放っていた。二秒後に被弾する。直撃すれば焼死。それをどうにかしても極光レーザーが閉じられて死ぬ。避けても鎖に捕らえられ追撃を食らって死。

 

 死、死、死。

 

 左腕だけでアイシアを抱きかかえる。ここしかないと、右手に握った同田貫の柄から刀を生み出し切っ先に《断罪の輪》を発動。

 

 急旋回して下から迫る火炎弾へ横凪。炎が断末魔を上げる間もなく強制分解。十条の極光レーザーが周囲三六〇度から迫る。腰を捻り、大気の波を蹴ってその場で横回転。裂ぱくの横凪。弓鶴自身でも驚くほどの渾身のタイミングで放たれた剣閃が、十条の極光レーザーを纏めてこの世から放逐。今度は鎖が踊る。斬り返しによる斬り上げ。同田貫が鎖を斬り飛ばす。同時、《断罪の輪》が鎖すべてを抹殺する。

 

 これで敵の詰み手を一時的に凌いだ。だが、弓鶴の《断罪の輪》もこれが限界だった。刀身ごと錬金魔法が消える。高位魔法はそう何度も使えない。

 

 エルヴィンは再び同じ手を使うだろう。今度こそ逃げ場がない。もう一分。あとはアイシアに任せるしかない。

 

「ありがと、信じてた」

 

 アイシアの柔らかい声が弓鶴の耳朶を撫でる。

 

 突如、周囲の空間の温度が下がった。アイシアが両手をエルヴィンへと突き出す。

 

 エルヴィンが異常を察知。すぐさまAWSで逃亡を図るが、既に遅かった。彼の動きが不自然に止まる。

 

 精霊魔法によって《水系分離》と《土系分離》を同時発動し、エルヴィンを中心とした周囲二十メートルに濃霧が発生。大気の温度が、滝が落下するがごとくに落ちる。それは、水を操る《水系分離》と物質の固体化性質を宿す《土系分離》を組み合わせた絶技。

 

 精霊魔導師にとって、あらゆる諸存在は四大元素によって成り立っている。これを起点とすると、あらゆる要素はすべて四種に区分できるということである。《精霊遷移》は、指定した諸存在の要素を切り取り、性質を変化させたり切り出した要素を更に強めることを可能にする。

 

 アイシアは大気の気体という性質を固体化、つまり温度を摂氏マイナス二七三.一五度――絶対零度の領域にまで落としたのだ。

 

 猛烈な速さで大気が凝固していく。堕天使とケルベロスの首ごと、エルヴィンの身体が絶対零度の領域に捕らわれ生きたまま凍てつく。

 

 人間は、絶対零度の領域で生きることなどできない。しかもただの絶対零度ではない。大気に直接固体化の性質を付与しているのだ。熱で温度を上げることすら不可能。熱は分子運動だ。その運動すら動きを止められるのだ。

 

「あらゆる動きを完全に止める、この氷の監獄から逃れることができるなら逃れてみなさい!」

 

 アイシアが吠えた。完全に負け戦の状態から逆転したことに興奮しているのだろう。弓鶴とてそうだ。

 

 間違いなく勝った。

 

 突如、エルヴィンの身体から黒い光が溢れた。絶対零度の氷が跡形もなく砕け散る。

 

 強烈な怖気。

 

 死だ。いま目の前に死がある。《神曲》の地獄の門すら軽く凌駕する濃密な死が、いま現実に這い出そうとしている。眼前のなにかに対する恐怖が弓鶴を襲う。腕の中のアイシアも震えていた。

 

 どこからともなく頁が溢れ出す。魔法転移の前兆だ。黒い光を囲うように頁が舞う。

 

 そして、頁が淡い燐光を残して、黒い光ごと消え去った。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 銀の鈴を鳴らす。ただそれだけでASU魔導師たちが踊り狂う。

 

 ASUと説話魔導師の存亡をかけた戦いだというのに、ISIA日本事務局関東支部内では、滑稽なショーが繰り広げられていた。

 

 ニコラが三冊の書と説話魔導師を従え、ISIA日本事務局のエントランスを進んでいく。彼らの目的は、ASUの浮遊都市へ直接殴り込みに行くことだ。そのためには、ISIA支部にある転送室から直接転送するしかない。それ以外の方法ではまともにASU本部には行けないからだ。

 

 当然、ASUとてそんなことは理解している。水際で阻止しようとエレベータから、ニコラ達を捕縛するべく魔法使いたちがやってくる。

 

 魔法使いたちの姿を視界に捉えたニコラが銀の鈴を鳴らす。魔法使いたちが唖然とした表情で踊り出す。生半可な魔法使いではこの銀の鈴から逃れることはできない。ただひとつの幻想で超エリートの魔法使いたちが無力化されていく。

 

 ニコラを止めるには超高位魔導師が必要だった。そしてASUは必ず超高位魔導師を動員してくる。

 

 ふいに、物理法則が乱れるような錯覚をニコラは覚えた。全身が粟立つほどの威圧感。

 

 そして、ひとりの女性が現れた。ASUの深紅のローブに身を包んだ、赤毛のショートカットの女性。グレーの瞳には己の正義を宿したまばゆい輝き。法を支配する律法体系の超高位魔導師。

 

「ジャンヌ・トゥールーズだ。ニコラ・ロワイエ、貴殿をASUへの反逆行為で捕縛する」

 

「遂に重犯罪魔導師対策室のジャンヌ殿が現れたか」

 

 ニコラは感嘆を吐き出しながら銀の鈴を鳴らす。聞く者を踊りへと誘う幻想の響き。だが、ジャンヌはそれを一瞥しただけで砕いた。ジャンヌの肉体は、物理法則から外れた超常現象を無効化する法則を適用されているのだ。

 

「貴殿の《魔笛》は知っている。論文を読んだことがあってね。血を流さず敵を無力化する素晴らしい魔法だと思う」

 

 ニコラの背後にいた説話魔導師達が書を開く。燐光と共に幻想が現実に召喚。怪物や妖精、炎や電撃といった超常現象がジャンヌへ一斉に注がれる。彼女は眉ひとつ動かさなかった。彼女に触れる前に幻想が霧散する。

 

 律法体系の《法策定》は、現実の基盤となるあらゆる法則に新たな法則を追加する高位魔法だ。ジャンヌは、物理法則のみをこの空間に適用しているのだ。魔法で生み出された物理法則を超える存在はことごとく消滅する。物理法則を超越することが神髄とされる説話魔法を完全に封殺する魔法だった。

 

 つまり、この場において、書から奇跡を引き出す説話魔導師は無力だ。

 

「貴殿らの魔法は私には届かない。もう勝敗は決した。そろそろ白旗を上げてはくれないか?」

 

 ジャンヌが手を差し出して言う。彼女は魔法使いの中でも常識的な価値観を持つ希少人物だ。ASUで正義と言えば彼女を指す。ニコラもそれはよく知っている。それでも、その手を掴むわけにはいかなかった。

 

「たとえこの身を堕とそうと、私は誓ったのだ。いまさら退けぬよ」

 

「貴殿は戦を嫌う真っ当な魔法使いではないか。なのにまだ戦うのか?」

 

「同胞が立ち上がり、フェリクス殿が旗頭となった。私にとってはそれ以上に勝る意味はない」

 

 ニコラがすべての書を閉じ、新たに書を開く。

 

「ジャンヌ殿、退かれよ。我々の敵はあなたではない。ASUの《二十四法院》。あやつらを殺れば、すべては変わろう」

 

「《過激派》の長どもを狩るつもりなのか?」

 

「然り」

 

「貴殿らの目的は《二十四法院》の《過激派》を一掃し、魔法使いの力学を変えることか」

 

「少なくとも、私はそう聞いている」

 

 ジャンヌの瞳に怪訝。

 

「話し合いはできないか? 我々は貴殿らの最終目標が分からないんだ。いまならまだ話し合う余地はある」

 

 ニコラが笑む。この期に及んで話し合いを提案するジャンヌを馬鹿にしているのではない。殺し殺されが普通の魔法使いにおいて、一般社会において当たり前の提案ができる彼女の存在が嬉しいのだ。

 

「ジャンヌ殿に危害は加えたくはない」

 

「そう思うのならこの手を取ってくれ」

 

「あなたが《二十四法院》になれば、何かが変わったのかも知れぬな」

 

 ニコラが残念そうに首を振る。開いた書からは昏い光が滲み出ていた。生ある光を食らう濃密な闇だ。ジャンヌの表情に焦り。

 

 頁が舞い、ニコラを覆いつくす。

 

「ゆえにさらば。さらば。さらば。私はこの瞬間、悪魔に命を差し出す」

 

 ジャンヌが遂に気づく。

 

「まさか――それは《レメゲトン》か⁉」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 天王洲の倉庫は静かだった。ただ一人だけが悠然と立ち、その姿を呆然と眺める少女。そして、床に倒れる三人の魔法使いの姿があった。

 

 フェリクスがブリジット達を見下ろし、声を放り投げる。

 

「どうした? 俺を止め、円珠庵を助けるのではなかったのか?」

 

 ブリジットが顔を歪め、手をついて立ち上がる。

 

 三人がかりでフェリクスと対峙し、一瞬でやられたのだ。なにがどうなったのかすら理解できない早業だった。

 

「さすが最高位魔導師。三人がかりでも止められないか」

 

「なに、まだ本気は出してない。お前たちが生きているのがその証拠よ」

 

 だろうね、ともはや敬語を棄てたブリジットが曖昧に笑う。通常なら、初撃で三人とも死んでいるはずだった。それだけの力量がフェリクスにはあるのだ。いま呼吸し会話をしていることは奇跡だった。

 

「いまのはエアリアルかい?」

 

 ブリジットの問いにフェリクスは当然だとばかりに笑う。

 

「あれは俺が使役する中でも風に長けた奴でな。敵の無力化には重宝する。いまは前線に従わせているゆえ、あれが扱う風のみ拝借したがな」

 

 さて、とフェリクスが話題を変える。

 

「これで俺の半分の一端だ。まだやるか? 警護課と敵対するつもりはないのだがな」

 

 ブリジットが笑う。そんな馬鹿はいないとばかりに。

 

「もちろん、引かせてもらう。さすがに勝てない相手には挑まないさ」

 

「ほぅ。仕事を放棄するか?」

 

 いや、とブリジットの口元にシャーロットを彷彿とさせる悪魔の笑み。背後のラファエルとオットーも立ち上がる。

 

「あなたの相手がもう来るよ」

 

 ふいに、フェリクスを取り囲むように空間が歪んだ。時間の始点と終点を結ぶその円環は、捕らえた相手を永遠に繰り返す時間の檻に閉じ込める魔法の監獄。因果体系における《時間制御》、《因果収束》、《因果改竄》の三種の魔法を組み合わせた超高位魔法。

 

 フェリクスの鷹の目に懐かしさが蘇る。

 

「《次元回廊》……ラファランか」

 

「伯母上の情報から、フェリクス殿が転移していないのは分かっていたからね。当然呼んでいたよ」

 

 ふたりの魔法使いが魔法転移で現れる。ASUの深紅のローブ姿のラファラン・ラロと、銀糸が眩しいアリーシャ・ラロだ。

 

 ラファランが、フェリクスを細い目で眺める。

 

「終わりだフェリクス。振り上げた拳を下ろせ」

 

「俺の性格は知っていよう? この身朽ち果てるまで突き進むのみ」

 

「《次元回廊》からは逃れられない。いまだかつて誰一人として破った者もいない」

 

 フェリクスの口元には、弟子を湛える師の笑みがあった。

 

「お前の執念が生み出した魔法だな」

 

「そうだ。葬れない魔法使いは永遠を生きてもらう」

 

「お前の全力の一端、俺の魂に響いたぞ。できれば直接やり合いたかったものだが、そろそろ頃合いだ。ニコラもエルヴィンもどうやら逝ったようだ。なれば俺は行かねばならぬ」

 

 そのとき、フェリクスの姿がぶれた。身体が淡い燐光を放つ。中から現れたのは、三十代半ばの金髪の男性。そして、彼の胸の前に一冊の書が開かれていた。書からは漆黒の光が内側から《次元回廊》を侵食していた。

 

「カスパール・ルフェーヴル……だと?」

 

 ブリジットが驚愕の声を漏らす。先刻まで眼前にいたフェリクスは、カスパールが変身した姿だったのだ。

 

 原理はこうだ。フェリクスが《説話筆記》で自伝を作成。その魔導書を使い、カスパールが《幻想召喚》で“フェリクス”をその身に降ろしたのだ。超高位魔導師と高位魔導師が揃うことで可能な身代わりだった。

 

 カスパールの視線がラファランへ注がれる。

 

「ラファラン殿。フェリクス殿より言伝です。俺を止めたくばグリーンランドへ来いと」

 

 ブリジットは戦慄した。日本事務局関東支部への攻撃は囮。当のフェリクスはASU本部があるグリーンランドにいたのだ。エルヴィン、ニコラ、カスパールは捨て石となったのだ。

 

 ラファランが奥歯を噛み、わなわなと身体を震わせる。沈黙を守るアリーシャは瞠目していた。

 

「お前らは、何を呼び出したのか分かっているのか……?」

 

 カスパールが笑う。

 

「もちろん。説話の叡智です」

 

 《次元回廊》が砕けた。頁が溢れる。大量の頁が、カスパールと漆黒、そして円珠庵を包み込み宙へと消えた。

 

 

 

 



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第三章:氷の園に這い出る悪魔 1

 かつて、広大な氷の大地で覆われていたグリーンランドは、開発に開発を重ね、世界でも有数の都市に変貌していた。ASUを領空に置く代わりに、巨額の資金と魔法資産を融通してもらったのだ。これにより、グリーンランドはデンマークから完全なる独立を果たし、一挙に先進国の仲間入りを果たした。

 

 いまではビルが立ち並ぶ立派な先進都市だ。都市内部に入れば、Sot機器による防寒結界によって温度が一定に保たれており、極寒の地とは思えないほど快適だ。そのせいか草木は青々と茂っていた。

 

 グリーンランドの首都ヌーク郊外に邸宅があった。その一室、広大なリビングのソファーにフェリクスはゆったりと座っていた。

 

 室内はその広さ反して、さして家具は多くはない。あってもどれも質素なものだ。ASU魔導師は高給取りだ。そして多くの魔法使いはプライドが高く見栄っ張りだから、調度品も高価なものを揃えることが少なくない。フェリクスはその資金を贅でなく、不動産につぎ込んだ。すべてはいずれ必要となるであろう説話魔導師のためだった。

 

 フェリクスが立ち上がる。彼の周囲には三冊の書が、この世のなによりも昏い輝きを放っていた。

 

「エルヴィン、ニコラ、カスパールよ。お前たちの命、確かに預かった」

 

 フェリクスは己が命を散らした配下たちへと黙祷を捧げる。A級を超える最高位の魔導書の中には、人の命を差し出すことでようやく幻想を召喚することができる危険な代物がある。彼が使用しようとしているのは、まさしく命を消費することで使える正真正銘のグリモワールだ。

 

 目を開いたフェリクスが顔だけを背後へ向ける。そこには魔法転移されてきた円珠庵の姿があった。彼女は何が起きたのか分からないのか、おろおろと視線をあちこちへ飛ばしていた。

 

「もはや時間がないゆえ、多くの説明はできん。これから俺はASUを直接叩く。この《レメゲトン》を使ってな」

 

「なにが、どうなってるんですか……?」

 

「お前はASUの名目上は攫われた被害者だ。ゆえに、連れてきた。世話人を用意している。ASU警備部が来るまではゆるりと過ごすが良い」

 

 フェリクスはそれだけ言うと、邸宅を後にした。玄関を出ると外は真夜中だった。日本とは時差が十一時間あるのだ。いまは宵闇が支配しているが、一か月後には太陽が沈まぬ白夜になるだろう。逆に、二か月前までは太陽が一切昇らない極夜だった。

 

 街灯に照らされた邸宅の前には、説話魔導師達が集まっていた。彼を慕って、民間企業から抜け出した世界中の説話魔導師らだった。その数は五十名を超える。当然ここにいる者たちがすべてではない。グリーンランドに来られなかった説話魔導師もいる。彼らは世界中でこの状況を見守っているだろう。

 

 そして、集う説話魔導師の中にひとりだけ一般人が混じっていた。

 

 杉下弘樹だ。アイシアによって感電させられ気絶していた彼も、フェリクスの魔法転移でグリーンランドへ移動していたのだ。

 

 弘樹は全身の服を焦がしながらも、説話魔導師に治癒されて無事だった。瞳にはもう憎悪以外の光が見えないほどだった。その様を見たフェリクスが問いを投げる。

 

「人間よ、まだ憎悪は晴れんか?」

 

「当たり前だ。俺はまだ戦う。お前と同じように、死ぬまでASU、そしてISIAと戦う」

 

「目的は果たしたのではないのか? 先の東京の一件でもISIAに対しては十分な打撃を与えたろうに」

 

「まだだ。まだ足りない。奴らを潰す。完膚なきまでに。あいつらは俺たち人間とは一生分かり合えない」

 

「我らもその魔法使いだぞ?」

 

「分かってる。だからこれはただの利害関係だ」

 

「ひとりで何ができる? 武器もラファランの娘に壊されたのだろう?」

 

「俺の命を使え。魔導書とやらの中には、命を使うやつもあるんだろ?」

 

「既に犠牲は事足りている。我ら同胞が三名命を捧げた」

 

 弘樹が顔を真っ赤にして怒鳴る。

 

「なら俺はどうすればいい⁉」

 

「見届けろ。その目でしかと真実を見ろ。お前たち人間社会にも光と闇が存在するように、魔法使いにも光と闇がある。片方だけを眺めていては何も変わらぬぞ?」

 

「なら、なぜ俺たちと手を組んだ⁉ お前たちだけでも全部できただろうが!」

 

「同胞らと同じ目をしていたからだ。すべてを憎む目だ。俺はその目の闇を晴らしたかった。こんな方法しか取れぬのは俺が凡愚ゆえ。戦い以外に道があれば、それも良かっただろう」

 

「後悔しているっていうのか⁉」

 

「まさか。戦こそが俺の花道よ。それに悔いはない。だが、人生はそれだけではなかろう。このような修羅の道、同胞らに歩ませることに後悔はある」

 

「なにを言いますかフェリクス殿!」

 

 いままで黙していた説話魔導師のひとりが声を上げた。

 

「あなたは我らの希望です! 希望があるからこそ生きられたのです! フェリクス殿が立ち上がったとき、我らは歓喜したのです! たとえそれが死の谷の影を歩むことになろうと、フェリクス殿がおられるのならば我々は万の勇気を得たも同然です!」

 

 フェリクスが笑む。

 

「聖書の詩編か。説話らしい言い回しをする。良かろう、結構だ! これより我らはASU本部に弓を引く! 死出の花道よ。精々楽しもうではないか!」

 

 説話魔導師らが怒号を上げる。

 

 フェリクスが風を纏う。傍には風の妖精エアリアルの姿があった。彼の周囲を魔導書が燐光を放ちながら回っている。

 

「行くぞ同胞らよ!」

 

 フェリクスの身体が急激に上昇した。説話魔導師らもAWSを使用して彼の後ろ姿を追う。

 

「さあ、世界に数多と散る茶番。そのひとつくらいは片付けてみせようぞ!」

 

 グリーンランドの宵闇に、フェリクスの決意がしたたかに響いた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 秋葉原の手近なビル屋上に降りた弓鶴は、抱いたままのアイシアを離した。彼女は端末でどこかとやり取りしている。恐らくASUかISIAだろう。対エルヴィン戦でかなりの気力を消耗したせいで頭がふらふらしていた。

 

 しばらくして、連絡を終えたアイシアが弓鶴に声を掛けた。

 

「大丈夫? ISIAとASUに連絡を入れておいたよ。警察も呼ぶように言ってあるから、反魔法勢力は捕まえられると思う」

 

「で、状況はどうなってるんだ? 結局エルヴィンは倒せたのか?」

 

「端的に情報を伝えるよ。関東支部、天王洲側の戦闘は終結。戦線はグリーンランドに移った」

 

「はあ?」

 

 いきなり場所が飛び過ぎだ。突拍子が無さ過ぎて理解するのに時間が掛かる。アイシアが説明を続ける。

 

「フェリクスは直接ASU本部を叩く気だったみたいだね。こっちは完全に陽動」

 

「円珠の身柄は?」

 

「連れ去られたまま。たぶんグリーンランドにいるね」

 

「こういう場合はどうするんだ? グリーンランドの警護課に依頼するのか?」

 

「通常はね。ただ、今回はそれどころじゃない。ASUの主戦力の大半が日本に集結してるところに戦線の移動だから、現場がかなり混乱してる。グリーンランド側は当然ASU本部を守るから、警護課も総動員だと思うよ」

 

「つまり、動けるのは俺たちだけか」

 

 アイシアが頷き、深刻な顔をする。

 

「そこで問題。転送室がいま完全にパンク状態」

 

 嫌な理解が訪れた。転送室が使えないということは、つまり、グリーンランドに行けないということだ。暢気に飛行機で行くわけにもいかない。フェリクスの策に完全にしてやられたという訳だ。

 

 ふっとアイシアが微笑む。

 

「大丈夫、お父さんに話を通した。どっちにしろ重犯罪魔導師対策室が動く案件だから、一緒に連れてってもらおう。いまISIAを通して日本とグリーンランド両政府に転移許可を取ってる最中みたい」

 

 そこまで言って、アイシアが音も無く銃を握る右手を上げた。銃口が弓鶴の額に照準される。

 

「もう、弓鶴には関係がないけどね」

 

 一瞬、なにをされているのか分からなかった。

 

 アイシアの人差し指が引き金に触れる。彼女が引き金を引けば弓鶴は額を撃ち抜かれて死ぬ。彼女が悲しそうな瞳で彼を見つめていた。

 

「弓鶴、君は自分がやったことをちゃんと理解してる?」

 

 ああ、と弓鶴の胸の内に重い理解が落ちた。

 

 ASUにおいて、命令違反を犯した者は即座に処刑だ。つまり、ブリジットの命令を無視したから、代わりにアイシアが弓鶴を裁こうというのだ。さすがに助けたつもりの相手に命を握られるのはいい気分ではなかった。

 

「理解はしてる。だが間違ったことだとは思ってない」

 

「君、感情で動き過ぎだよ」

 

「人ってのは感情で動いてるんだ。緊急時はどうしたってそうなる」

 

「そうならないように、どこも緊急時用のマニュアルがあるんじゃない?」

 

「マニュアルに従って人が死ぬのを黙って見ているくらいなら、俺はそんなマニュアルは破り捨てる」

 

「それで自分が死ぬとしても?」

 

「できれば死にたくないけどな」

 

 アイシアが魔法を解いて拳銃を消し、泣き笑いを浮かべた。そして、そのまま弓鶴を抱き寄せた。急な彼女の行動に困惑する。ただ、女性らしい柔らかさと温かさだけ全身に灯る。

 

 頬を寄せたアイシアが弓鶴の耳元で柔らかく囁く。

 

「ありがとう。助かったよ。ホントは処刑だけど、聞かなかったことにしてあげる」

 

 弓鶴は思わず苦笑した。厳格なアイシアらしくない対応だ。

 

「どっちにしろブリジットに殺されるだろ」

 

「班長命令で処刑を取りやめるように言うよ」

 

「お前、出向中だろうが」

 

「まあね。でもなんとかする。パートナーだからね」

 

「なら頼む。まだ死にたくはない」

 

 うん、とアイシアが頷く。

 

「これから私はISIAに戻らないといけない。今回の私の戦場はここじゃなくてメディアだからね」

 

「そっちも大変そうだな。大人気だしファンもかなりいるだろ」

 

 アイシアの苦い笑い。

 

「それは勘弁してほしいなあ。知らない人に好意を向けられるのはあんまり好きじゃないから」

 

 弓鶴の背に回されたアイシアの腕に力が篭った。ようやく抱きしめられている異常さに理解が追い付く。心拍数があがる。こんな姿を彼女のファンに見られたら殺されるんじゃないかと変な方向に思考が回った。

 

「ひとつ、言っておくよ」

 

「なんだ?」

 

「たぶん、弓鶴のことが好きになったよ」

 

 瞠目する。言葉の意味を咀嚼して再び驚く。身体がびくんと動いたせいか、アイシアが楽しそうにころころと笑った。

 

「うん、正確には違うかな。やっぱりずっと前から好きだったのかな。初めてだからよく分からないや」

 

「あやふやな告白だな」

 

「魔法使いだからね。告白の仕方もきっとおかしいんだよ」

 

「そう言われれば納得するしかないな」

 

「うん。自覚できたからとりあえず言ってみた」

 

 そういえばと弓鶴は思い出す。アイシアは突発的に行動を起こした過去がある。中学生でありながら、父に憧れ突如家出をしてフランスの外人部隊へ入隊したことがあるのだ。彼女は思い立ったら即行動する性質がある。今回の告白もたぶんその類だ。

 

 とはいえ、これから大規模な戦場となるグリーンランドへ向かおうというのに、急に色恋沙汰の話になって完全に頭が切り替わらない。

 

「悪いがすぐには答えが出ないぞ?」

 

「分かってる。お互い忙しい身だからね。でも、弓鶴はまだ私のことが分かってないね」

 

「どういうことだ?」

 

 アイシアが回した手を弓鶴の肩に持っていき、顔を離して目を合わせた。彼女と見つめ合うことになって、かっと顔が赤くなった。彼は色恋沙汰に縁がなかったから、女性とこんな距離感で話すことは初めてだ。だからどういう顔をしたらいいか分からなかった。

 

 とろりとアイシアの瞳が蕩け、弓鶴に顔を近づける。彼女の端正な顔から目が吸い寄せられて離せなかった。

 

「弓鶴、私はね、欲しいものは自分で取りに行くんだよ」

 

 唇に温かい感触。全身に電流が走ったような衝撃。背筋がぞわぞわして弓鶴は思わず目を見開く。顔を離したアイシアがふわりと笑った。

 

「うん、こんな感じなんだ。もうちょっと早く知りたかったかな」

 

 弓鶴を離したアイシアが一歩離れる。

 

「そろそろお父さんが来る頃だね」

 

 アイシアが口に出したところで、ラファランとアリーシャが転移してきた。

 

 ラファランが弓鶴を見て目を細めた。顔を真っ赤にして放心している男が突っ立っていれば気にもなるだろう。

 

「なにかあったのか?」

 

 ラファランの問いにアイシアが首を振る。

 

「なんでもないよ」

 

 そうか、と返したラファランがアイシアへ視線を向ける。父親の目ではなく、ASU超高位魔導師としての強い光を宿した目だった。

 

「これから俺たちはグリーンランドへ飛ぶ。ブリジットたちはジャンヌが連れていく手はずだ。お前はISIAへ向かって世論の風向きを変えるんだ」

 

「分かってるよ。白昼堂々騒動起こしちゃったからね。なんとかする」

 

 アイシア、とアリーシャが頬に触れる。

 

「無事でよかった。まずは着替えて下さい。そんな姿で表に出ては駄目ですよ」

 

 はっとしたアイシアが自分の身体を見下ろす。服が血に塗れているのだ。こんな姿を観衆にさらせば確実に魔法使いのイメージは落ちる。

 

「広報はイメージが大事です。こんなこともあろうかと服を持ってきたので、後でちゃんと着替えて下さいね」

 

「お母さんが選ぶ服って紺色のものばっかりだからなあ」

 

 ぶつくさと文句を言いながらも、アイシアはアリーシャが差し出した紙袋を受け取る。そういえばと、ようやく現実復帰した弓鶴は思い出す。いまはASUのローブ姿のアリーシャだが、私生活では基本的に紺のワンピースを愛用しているのだ。むしろそれ以外の姿を見たことがなかった。

 

 紙袋の中を覗いたアイシアが目を剥いた。

 

「これお母さんのセンスじゃない」

 

「アイシア、お母さんはセンス悪くないですよ? 単に昔の癖が抜けないだけです」

 

 呆然と呟くアイシアに、アリーシャは微笑みながらも怒りの孕んだ声を投げる。

 

 こほん、とラファランが咳払いをした。さっさと行くから無駄に時間を使うな、ということだろう。

 

「じゃあ行くか。弓鶴もいいか?」

 

「はい、頼みます」

 

 ラファランが魔法を展開する。因果魔法による魔法転移は、《因果改竄》により“ある地点に自分がいるはずだ”という結果を無理やり世界に押し付け、現在位置の因果関係を改竄することで結果として瞬間的に地点移動をする。相対距離と方向さえ分かっていれば、どこであろうと転移できる便利な魔法だ。

 

 視界が入れ替わる瞬間、アイシアが弓鶴に微笑んだ。

 

「必ず帰ってきてね」

 

 

 



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第三章:氷の園に這い出る悪魔 2

 ASU本部の浮遊都市はグリーンランド上空に存在する。

 

 旧時代の魔法使い組織である《連合》が人類社会と併合するとき、《連合》は独自の都市を作ることを人類社会へ求めた。これが人類社会へ魔法を提供する条件だった。このとき、国際連合は各国家で応募を募った。これに諸手を上げて歓迎したのがグリーンランドだ。北極圏の支配を目論む米国、中国、ロシアといった超大国家から身を守るには、魔法が必要だと時の首相が判断したのだ。デンマーク政府も、新たな技術の恩恵を得られるならばとこれを後押しした。

 

 かねてより問題視されていた米軍基地を追い出し、魔法使いと共に発展し、自国利益と軍事的防衛を同時に得る賭けに出たのだ。

 

 《連合》はグリーンランドの広大な土地と自由にできる領空の広さに目を付けた。先進国相手では魔法使いが主導権を握られるという考えもあり、様々な条件をクリアしたのがグリーンランドだった。そして浮遊都市の構想を打ち立て、グリーンランド政府と条約を結んだ。グリーンランドを介してデンマークとも条約を結んだ。

 

 いまのASUにおいて最も取引が活発なのがこの二か国なのだ。米国、ロシア、中国、日本、EUといった先進国ではない。いまやグリーンランドとデンマークが魔法で最先端を進んでいるのだ。だからこそ、魔法とモノを繋ぐサービスであるSotに多くの国は注力を始めた。魔法を握ったものが世界の覇者となるからだ。

 

 現状、魔法人材、そして魔法インフラである《第七天国》は国際機関ISIAが、魔法技術はASUおよびデンマーク並びにグリーンランドがそれぞれ握っている。《第七天国》と現実を繋ぐインフラは米国にスウェーデン、フィンランドが。Sotは米国と日本、そして中国が覇権を狙って競い合っている状態だ。

 

 いまの時代、魔法さえあれば資源は無限だ。資源に頼る国は死ぬ。いまや魔法を巡って各地で経済戦争が起きている激動の時代なのだ。

 

 そして、すべての発端となったASU浮遊城から約十キロメートル離れた上空に、長髪の黒髪を三つ編にした男性がいた。ASUの深紅のローブをはためかせ、鋭い目で眼下を見下ろしている。

 

 重犯罪魔導師対策室のリューシエンだ。対極体系の超高位魔導師である彼は、ラファランの命を受けていち早くASU本部がある空域の防衛に回っていた。

 

 同じ空域には白髪の老人の姿もあった。錬金魔導師の最高点たる《二十四法院》の一角、超高位魔導師ステファン・メローだ。《不動老子》の異名を取る彼は、《二十四法院》の中でも武闘派だ。その背後には、ASU警備部の魔導師達がずらりと並んでいた。

 

 超高位魔導師二名を動員した、計百名を超える魔法使いの軍勢だ。これだけの高位魔導師を揃えれば、小国ならば確実に滅ぼせるだけの戦力となる。ASUの頭脳である《二十四法院》がそれだけフェリクスを警戒している証拠でもあった。

 

「フェリクス殿は一体何が目的なんでしょう?」

 

 凍てついた風をものともしせず、神妙な口調でリューシエンが問いを投げた。ゆったりとしたASUのローブを風にはためかせ、まるで中国の武人のように胸の前で両手を合わせたステファンが答える。

 

「《過激派》であることは間違いなかろうて。だが、それだけではあるまい。あれは戦に取りつかれた戦鬼だが、力を振うだけの馬鹿ではない。説話の次期《二十四法院》の名は伊達ではない。油断するでないぞ?」

 

「《連合》時代からの魔法使い相手に油断はしませんよ。未だにラファラン殿らには勝てる気がしません」

 

 リューシエンは、エリートの中でも更に選ばれた実力者しか入る事の許されない、重犯罪魔導師対策室に最年少で入った天才だ。ASU時代になってから生まれた超高位魔導師である。いわば期待の星だ。そんな彼ですら、ラファランを室長とする他の面々に比べれば実力は大きく見劣りする。それほどまでに、《連合》時代を戦い抜いた魔法使いは強い。

 

「お前さんの戦力分析は的確よの。他の若い連中にも見習ってもらいたいものだ」

 

「フェリクス殿は強いですか?」

 

 リューシエンの問いは重い。超高位魔導師とは、扱う規模の差はあるにせよ、属する魔法世界すべての法則を操る者の称号だ。現実世界で例えるならば、物理法則を自在に操る者と同義だ。そんな人間がいれば国など簡単に滅ぶ。超高位魔導師の名は酔狂ではない。

 

「強い。あやつを相手にするということは、人類が作り上げたすべての神話と戦うに等しい。主神級の幻想を腐るほど出してくるぞ。想像するだけで気が滅入るの」

 

「早急にジャンヌ殿を呼び寄せる必要がありますね。説話の弱点を突ける律法体系なら戦いようがあるでしょう」

 

「その法を敷いた神が出てくる。律法の枠を超えた神を下ろされたらジャンヌでも対応しかねるだろう」

 

「ではどうすれば……?」

 

 ステファンが口端を吊り上げ皺を濃くした。老獪さが滲む、したたかな笑みだ。

 

「わしが《不動老子》と呼ばれる意味、見せてやろうて」

 

 そのとき、魔法索敵をしていたASU魔導師が声を上げた。

 

「説話が急速接近! 数は五十四! 速度二百! 距離五千!」

 

 端末がそれを拾い上げ、戦闘配備された魔導師の端末に届けられる。

 

 さて、とステファンが両手を下ろした。完全な戦闘態勢に入ったのだ。

 

「作戦通り頼むぞリュー」

 

 声を発すると同時、ステファンが魔法を発動した。

 

 

 

 空を駆けるフェリクスたちは、一瞬で魔法によって全身を絡めとられたことを感知した。身体を動かせはする。だが、動かした傍から動作が止まるのだ。明らかに魔法で攻撃を受けていた。

 

 説話魔導師全員が宙に浮いたまま動作が固まる。こんな神がかった魔法を扱う魔法使いは一人しかない。

 

「ステファン老を前線に出してきたか。奴らもなかなかどうして、本気ではないか」

 

 錬金魔導師はあらゆる諸存在を“物質”として知覚する。彼らにとって、時間や空間、概念といった物質ならざる存在であろうと“物質”なのだ。

 

 弓鶴が扱う《断罪の輪》は、“物質”が内包する崩壊へ向かうという性質を強制的に呼び起こすことで“物質”を分解する。そして、極まった錬金魔導師にとって、“人が動く”という行為すら“物質”だ。それを分解すれば、必然的に壊された者は動けなくなる。

 

 ステファンが《不動老子》と呼ばれるのは、彼を相手にした者がみな動けなくなるがゆえだ。

 

 この《概念殺し》の魔法に捕らわれたフェリクスが獰猛に笑う。眼前には白い極光が迫っていた。対極体系による超高位魔法砲撃だ。ステファンが足止めし、リューシエンが攻撃する単純な手筋。ASUは初手で説話魔導師を殲滅する気なのだ。

 

「いいだろう。なればこちらも最初から全力で相手をするしかあるまいて」

 

 漆黒を放つ三冊の書の内、一冊が更なる昏い輝きを放つ。

 

「さあ、始めようか!」

 

 大気が震える。書から闇が広がり、空間を縦に引き裂いていく。強烈な異音が轟く。それはまるで地獄の底から聞こえるかのような、おぞましい声の合唱。

 

 亀裂の中からまず手が這い出た。頭、身体、足と続き、異形の者がその姿を現実世界にさらす。

 

 それは、一見すると新緑の狩人だった。全身を緑に染め、その上から灰のローブを羽織っている。顔はフードで隠され伺いしれない。ローブから伸びる手には木でできた弓があった。

 

 新緑の狩人が先頭にいるフェリクスの前に移動する。直後、極光が狩人へ直撃する寸前に消えた。フェリクスたちに掛けられた《概念殺し》もいつの間にかなくなっている。

 

「レライエに遠距離攻撃は効かぬぞASU。近接戦ができる魔導師は俺以外に誰が残っている?」

 

 レライエを先頭し、フェリクスらが再び空を駆ける。対極魔法《両義》による極光、更に錬金魔法の《断罪の輪》も連続で放たれる。ふたつとも一撃で大都市を吹き飛ばすほどの威力を持つ規模で放たれた超高位魔法だ。そのすべてが狩人に触れる直前で存在を失う。まるで蝋燭の火を息で吹き消すように。

 

 フェリクスは笑みを堪えるのが我慢できなかった。ASUの混乱ぶりが手に取るように分かるからだ。今ごろステファンは笑い、リューシエンは真っ青な顔でもしているだろう。

 

 やつらは《レメゲトン》から生み出された悪魔について何も知らない。知らなさすぎる。なぜなら概念体系の筆頭であるルーベンソンがずっと封印してきたからだ。

 

 

 

 



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第三章:氷の園に這い出る悪魔 3

「これは参った。魔法が効かんとは。一体何の書を使っているのか。いやはや、物語には疎くて分からん」

 

 ステファンが暢気に笑って魔法を放ちながら言った。逆に、リューシエンは完全に焦っていた。頼みのステファンの魔法すらかき消されるのは完全に想定外だったのだ。

 

「《レメゲトン》ですステファン老!」

 

「ソロモンのなんちゃらだろう?」

 

「《レメゲトン》第一章ゴエティアに記された、ソロモン王が使役した七十二の悪魔です!」

 

 リューシエンが詳しいのは、重犯罪魔導師対策室の仕事のひとつに、散逸した《レメゲトン》の頁を集める業務があるからだ。更に、因縁の相手でもある《ベルベット》も《レメゲトン》の収集を目論んでいる節がある。戦闘が長引けば《レメゲトン》の存在に《ベルベット》は気づく。つまり、いま最大級の危機が起きているのだ。

 

「いやあ、聞いてはいたが、普通あそこまでとは分からんだろう。一応あれを使って動けた相手はおりゃあせんのだがなあ。ルーベンソンの秘密主義には参ったものよ」

 

 いまやステファンは呵々と笑っていた。絶望したのではない。想定外の魔法に沸き立っているのだ。《連合》時代から戦場にいた魔法使いは、基本的に好戦的な性格の持ち主が多い。彼もそのひとりだ。

 

「さて、あちらさんも来るぞ? 一度守勢に回るかの。ほれリュー。さっさと《両義》を使えい。全滅するぞ?」

 

 言われる前に、リューシエンは《両義》を展開していた。

 

 対極体系は、“対極の属性によって世界は作られた”という観点から世界を記述する魔法だ。

 

対極魔導師にとって、世界は陰と陽のふたつの属性から成り立っているため、これを基盤にして魔法を引き出す。

 

 《両義》とは、敵の攻撃に反応し対極のモノを生み出す空間を作り出す超高位魔法だ。防御に使用した場合のその力は、秘跡魔導師の《聖域》を超え、事実上物質、観念、概念を問わず魔法使いに害するあらゆるものが結界に触れた瞬間対極の存在によって消滅させられる。いわば最強の矛であり最強の盾だ。

 

 新緑の狩人レライエが弓を構え、弦を引く。すると、光が収束し矢が形成される。光の矢が放たれる。同時、幾十もの矢に分かれた。

 

 超高位魔導師であるリューシエンは、新緑の狩人が撃った矢の力を分析していた。一本一本に込められた威力は、恐らくは先に彼らが放った極大魔法と同等かそれ以上。ただの光の矢ごときが内包していい破壊力ではない。まさに悪魔。

 

 矢の大群が《両義》に接触。一瞬にして霧散。しかし、《両義》も消え去る。

 

 《両義》は事実上最強格の結界と目されるてはいるが、どんな強力な魔法にも弱点はある。一度対消滅反応をした《両義》は消えるのだ。持続するには《両義》を連続して展開しなければならない。つまり、飽和攻撃に弱い。

 

「散開せよ!」

 

 ステファンの号令によりASU魔導師が散る。直後、レライエによる矢が放たれた。再び無数に分かれた矢が、分散したASU魔導師へと正確無比に襲い掛かる。

 

 矢の射線に入ったASU魔導師らが即座に魔法で迎撃に掛かる。

 

 その危険性に気づいたリューシエンが叫ぶ。

 

「無駄だ! 避けろ!」

 

 魔法で矢を撃った瞬間、極光が弾けた。猛烈な光量を放ちながら一瞬にして広がらんとしたその輝きを、ステファンが《概念殺し》で括ってことごとく殺した。リューシエンは、その神業もさることながら、敵の攻撃の威力に慄いた。目算で半径一キロメートルを薙ぎ払うだけの威力を持っていたのだ。たかが一本一本の矢がだ。

 

 レライエが三発目の矢をつがえる。

 

「あの悪魔はわしがやる! リューはフェリクスをやれ!」

 

 リューシエンは指示に従い照準をフェリクスへ合わせる。直後、爆発でもしたかのように、彼の周囲からフェリクス目がけ白線が一気に引かれた。

 

 対極体系とは、“対極の属性によって世界は作られた”という観点から世界を記述する魔法だ。対極魔導師にとって、世界は陰と陽のふたつの属性から成り立っているため、これを基盤にして魔法を引き出す。この白線は対極線と呼ばれ、陰と陽を示し反転させるための媒体だ。これは始点の性質を反転させ、それに対応した性質を終点に押し付ける。

 

 起点である大気から“気体”という性質を引き出した白線が、急激に黒色に塗り替えられる。フェリクスの周囲に繋がった黒線が、対極性質を発現。“気体”の対極である“固体”へ反転された大気が瞬間的に凍り、直径百メートル規模の巨大な氷を無数に生み出す。

 

 大気の主成分は窒素だ。窒素の凝固点である摂氏マイナス二一〇度以下まで瞬時に冷却されたのだ。

 

 当然、フェリクスは旋回してそれを避けた。対極魔法は、魔法の起点と終点を線で結ぶ必要があるため、どうしても一手遅れる。つまり、相手からすれば確実に発動する場所が分かるため遠距離攻撃が苦手なのだ。

 

 それでも、飽和攻撃を得意とする対極魔法の物量はあまりに多い。リューシエンが生み出した白線の数は千を超える。フェリクスの機動を読んで逃げ場を塞ぐように白線で空間を埋めていく。巨大な氷が極寒の空域を狭めていく。

 

 しかし、フェリクスの表情に焦りはない。大気の精霊エアリアルを用いた超高速三次元機動で、対極魔法を悠々と避けていく。

 

 魔法使いの戦闘では、基本的に上位の魔法使いを先頭に立て、相手を薙ぎ払う単純な戦術が取られることが多い。それが超高位魔導師ともなれば、放つ魔法の威力が現代兵器でいう核兵器と同等かそれ以上にもなる。ただひとり存在するだけで戦局が左右されるのだ。こざかしい戦術など超高位魔導師がひとりいるだけで無意味となる。

 

 現在の戦線の構図は、リューシエン対フェリクス、ステファン対レライエ、ASU魔導師対説話魔導師だ。魔導師らのどちらかが崩れれば大勢は変わる。そして、超高位魔導師の一角が落ちれば即終わりだ。だからこそ、本来ならばフェリクスを確実に討つべきだ。だが、召喚された悪魔レライエは、魔法を触れただけでかき消し、ただの一発の矢で大群を相手に出来るほどの凶悪さだ。魔法使いの尺度で言えば、最低でも超高位魔導師の殲滅力に匹敵する。

 

 フェリクスは現状二冊の書を開いている。ひとつはシェークスピア《テンペスト》。もうひとつは作者不明の《レメゲトン》。ASU時代、彼は五冊は扱うとASUの情報には載っている。だから、まだ三種類以上の物語が彼から飛び出してくる。早期に決着を付けなければすぐに守勢に回って詰む。

 

 フェリクスに付き従うエアリアルの目が怪しく光り、両腕を突き出す。大気の流れが変わる。

 

 巨大な嵐が生まれた。猛烈な横殴りの風がリューシエンを襲う。なんとかAWSで態勢を整えようとするも、風速が強すぎて制御しきれない。

 

 リューシエンは視線を素早く周囲に走らせる。ASU魔導師らも嵐によって動きが鈍くなっている。対する説話魔導師らは、エアリアルの加護があるからなのか風などものともせずに直進している。ASU魔導師と説話魔導師らの戦線がそろそろ交わる。フェリクスは一手でASU側の機動力を削いだのだ。

 

 この隙をフェリクスが逃すはずがない。確実に最高位級の魔導書を発動してくる。

 

 そのとき、嵐が吹きすさぶ大気が慄いた。新たに誕生する幻想を恐れるように、世界が悲鳴を上げて、次元が縦に引き裂かれる。地上を呪う慟哭の合唱が響く。

 

 現れたのは一見すると天使だった。雄々しく美しい顔立ちをした金髪の天使が、白と黒の法衣を強風にはためかせている。その頭上には光輪が神々しく輝いていた。ケルト十字を模した杖を両手で持ち、背には一対の翼。

 

 リューシエンはその姿に見覚えがあった。重犯罪魔導師対策室の《レメゲトン》の資料で見たことがあるのだ。

 

 最悪だった。あれは、かつては能天使の位にあったとされる堕ちた天使クローセルだ。

 

 フェリクスは《レメゲトン》から二体目の悪魔を呼び出したのだ。

 

 リューシエンは絶望しそうになるのをなんとか堪えた。

 

「ラファラン殿、早く来てください……」

 

 これで説話魔導師側の戦力に超高位魔導師級の悪魔が一体加わった。単純戦力で言えばASUが負けている。

 

 クローセルが動き出す。杖を振り上げると、いきなり巨大な雷雲が生まれる。稲妻が大気を破壊する。滝の様な豪雨が降った。天候を支配しているのだ。魔法使いの尺度からしても規格外だ。

 

 クローセルが杖を振り下ろす。

 

 リューシエンの背に例えようのない悪寒。次の瞬間、目を疑った。

 

 雷雲から生まれる雨一粒一粒がすべて鋭利な氷になったのだ。それが半径二キロメートルに渡って降り注ぎ始める。そのすべてがライフル弾級の威力を持つ氷の礫だ。単純な攻撃だが、その数はあまりに多い。

 

 リューシエンが雨粒を起点として千を超える対極線を氷塊へ放つ。《易経対立》により水の性質を起点とした対極線の終点に炎が生まれた。

 

 《易経対立》は始点の性質を対極に変換し、終点で反転した性質を発生させる対極魔法だ。通常の対極魔導師ならば、雨粒と同じくらいの小さな炎しか生み出すことはできない。基本的に同規模の事象しか発動できないのだ。

 

 しかし、超高位魔導師であるリューシエンの《易経対立》はそんな程度では済まない。摂氏二千度を超す巨大な炎が生み出されたのだ。ひとつの雨粒からひとつの炎だ。これが千を超えれば規格外な灼熱領域となる。

 

 帯状に展開された対極線が生み出した炎の領域が、クローセルの氷塊を一瞬にして融解、蒸発させていく。破裂音が大量に響く。

 

 灼熱地帯が消える。

 

 クローセルが再び杖を振り上げる。リューシエンの表情に焦燥が滲む。堕天使に完全に足止めされていた。いま、フェリクスを相手するASU側魔導師がいない。

 

 頭上高く迫っていたフェリクスが、流星となってリューシエン目がけ落ちてくる。手に握る白金の剣は神話の輝きを帯びている。クローセルが再び氷塊の豪雨を降らせた。

 

 対処できるのはどちらか片方。

 

 ステファンの注意は完全にレライエへ向いている。ASU魔導師らは説話魔導師らと接触し、激戦を繰り広げ始めていた。

 

 詰み手だ。

 

 

 

 



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第三章:氷の園に這い出る悪魔 4

 ASU浮遊城内の中心にある建物は、丸く太い円盤を縦に重ねた積層構造になっている。人類初のいわゆる積層都市だった。人口増加に伴い、都市を積層構造にすることによって土地面積を広げることに成功したのだ。この技術を利用して、人口爆発が起きている地域では、ASUと同じく積層都市を作り上げている場所も多い。

 

 弓鶴は浮遊都市の第一層、噴水が置かれた中央広場に転移してきた。ラファランらはすぐに再度転移し戦場へ向かった。

 

 夜であっても、積層都市はビルの明かりに溢れていてちっとも夜に感じない。ぐるりと広場を見渡すと、ブリジット達の姿があった。弓鶴を見つけてにやにやと嫌な笑いを浮かべていた。

 

「やあ、命令違反者の弓鶴じゃないか。活躍は聞いてるぞ」

 

 口元に笑みを浮かべたままブリジットがやって来る。弓鶴としてはばつが悪い。

 

「悪かったよ……」

 

「まあ、アイシアに散々言われただろうからね。我から言うのはやめておくよ。それに、どうせ弓鶴のことだ。ちっとも反省してないだろう?」

 

 見事に言い当てられてはぐうの音も出ない。

 

「まあな。たぶん同じ状況ならまたやる」

 

「なんにせよ、今回はなかったことにするさ。ちゃんと勝ってきたようだし。我としてもふたりを失うと困るからね」

 

 そう言って、ブリジットがウィンクする。それに、と少し身体を震わせた彼が続けて言った。

 

「弓鶴を殺したらどんな方法を使ってでも我を殺すって、アイシアが脅しをかけてきたよ……。一体何があったんだい?」

 

 どうやらアイシアは、説得ではなく脅迫をしたらしい。魔法使いらしい方法に、弓鶴は思わず笑う。その様子にブリジットは不思議顔だ。

 

「……早く円珠を見つけて帰りたいです。カルボナーラが食べたい……」

 

 ライフルを抱えたラファエルがぼそっと呟いた。

 

「円珠はグリーンランドにいるっていうが、結局そのどこにいるんだ? ただでさえ広いここを虱潰しに探すわけにはいかないだろ」

 

 弓鶴の問いにブリジットが答える。

 

「当てはないわけじゃない。ただし、その当てが戦場にあるんだよなあ……」

 

 ものすごく気乗りしなさそうにブリジットを見て、弓鶴は嫌な予感がした。大抵こういうときの予感は当たるのだ。

 

「つまり、フェリクスに訊くしかないね」

 

「戦場のど真ん中ですね!」

 

 オットーだけがひとり喜んでいた。

 

 円珠庵を助けにはるばる日本からやってきたというのに、結局居場所が分からず拉致した当人の訊くしかない。とんだ間抜けだ。

 

 蔑んだ視線で見やると、ブリジットが慌てたように言った。

 

「待て弓鶴! 一応ちゃんと訳がある! さすがに伯母上の精神追跡も無理だし、グリーンランド側の情報網も全部説話魔導師側に注力されてる! つまりだ、円珠を助けるには我らしか動けないということだ。そして、その我らには情報がない」

 

「で、それで結局フェリクスに訊くわけか……。ASUってアホなのか……?」

 

 弓鶴が呆れていると、ブリジットが仕方ないというように肩をすくめた。

 

「それだけの危機だということだよ。フェリクスはどうやらあの《レメゲトン》を出してきたみたいだ。《二十四法院》の慌てっぷりはひどいだろうね」

 

 そこで、ブリジット以外の三人が頭上に疑問符を浮かべた。どうやらラファエルやオットーも知らないみたいだ。

 

「たまにその単語を聞くんだが、《レメゲトン》ってなんだ?」

 

 三人の視線がブリジットに集中する。彼が人差し指を立てて説明を始めた。

 

「説話魔導師がかつての《連合》に戦いを挑んだ話は知っているだろう? そのときに使用された魔導書が《レメゲトン》さ。当時の《二十四法院》だった最高位魔導師が作ったとされる魔導書。ソロモン王が使役した七十二の悪魔がそれぞれ頁ごとに封じられているとされ、その力は悪魔一体で超高位魔導師を超えるとされている。正真正銘のグリモワールだね」

 

 ぞっとした。超高位魔導師を超える存在が七十二体も現れれば現代社会は終わる。

 

「その力はあまりに凄まじく、魔法が現実に適用されず恒常性によって消される時代ですら、一都市を滅ぼした。だから《連合》は戦いが終結した後、《レメゲトン》を封じた。頁ごと一枚一枚、偏執的とまで言われるほど多重に封印処理を施した。それを行ったのが《二十四法院》穏健派筆頭、概念魔導師ルーベンソン殿さ」

 

「その封印されている書をなぜフェリクスが持っているのです?」

 

 オットーの問いにブリジットが返す。

 

「《連合》からASUへ変わる際に散逸したのさ。処理が甘かったのか、誰かが関わっていたのかは不明だけどね。だから重犯罪魔導師対策室が秘密裏に回収して回ってるのさ」

 

 最悪の想像が弓鶴の脳裏に浮かぶ。

 

「つまりなんだ? フェリクスはその物騒な七十二体の悪魔を召喚できるってことか?」

 

 いや、とブリジットが首を振る。

 

「状況から推察するに、おそらく持っているのは三頁だけさ。世界を放浪している間に探し出して見つけたんだろうね」

 

「それでも超高位魔導師三人分……帰りたくなってきました……」

 

 ラファエルがげんなりした表情で言った。弓鶴としても同じ気分だ。超高位魔導師と関わるとろくなことが無い。そもそも力量差がアリとゾウ以上に離れているのだ。勝てるはずがない。

 

 それでも、警護対象を救うためには動くしかない。

 

「まあ、腹を括るか。円珠を救出してISIAへ引き渡すまでが俺たちの仕事だ」

 

「まさか命令違反者の弓鶴に言われるとはねえ」

 

 ブリジットが再びにたにたと笑うが、すぐに真面目な表情に戻る。

 

「とはいえ、事実として弓鶴の言う通りだ。仕方ないけど戦場に行こうか」

 

「ならさっき一緒に転移してもらえば良かったのでは?」

 

 オットーが当然のことを言った。目的地が一緒ならば転移魔法で連れて行ってもらった方が遥かに早い。だが、ブリジットがそれを否定した。

 

「ラファラン殿は甘いからね、危険だってことで確実に止められるさ。むしろ我らなんて足手まといだろうし。だけどまあ、我らもASUだからねえ……」

 

 ブリジットが続けようとした言葉を珍しくラファエルが引き取る。

 

「ASUの服務規程に撤退の二文字はないです……。超高位魔導師に、それに準ずる悪魔三体、そして説話魔導師の大群……。帰りたいです……。でも未来の旦那さんを見つけるためには頑張ります」

 

 戦場で見つけるのは難しいんじゃないだろうか、という科白を弓鶴は飲み込んだ。なかなかやる気を出さないラファエルが少しは乗り気なのだ。ブリジットはおろか、オットーですら口を挟まない。

 

「では行こうか。幸い戦場はここからさして離れてないみたいだ。ヒーローは遅れてやってくる、というのを地で行こうじゃないか」

 

 ブリジットが茶化して言う。だが、その額には汗があった。超高位魔導師らの戦いに行けば生き残れる確率などたかが知れている。ほぼ確実に死ぬだろう。それでも、いままでこのメンバーでなんとかなってきたのだ。アイシアがいないのが悔やまれるが、それも仕方あるまい。

 

 ブリジットの号令に従ってAWSを起動する。弓鶴たちは壮絶な覚悟の下、人外の戦場へ向かった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 フェリクスの邸宅前で説話魔導師らを憎らし気に見送った杉下弘樹は、なにをやれるのかと己に問うていた。考えても考えても出来ることが見つからず、心がどんどん腐っていくのを感じた。

 

 いっそやけになってこのヌークで暴れてやろうかと思った。そんなことに何の意味があるのかと、冷静な部分が指摘する。

 

 もう諦めるときだった。ISIAはどんな形であれ支持を失う。それでいいではないかと、心の甘い部分が耳で囁く。

 

 これで父の無念が晴れるのだろうか。弘樹にとって、魔法使いへの憎しみの原動力は父の死だ。だが、改めて考えると、あの父がこんな方法を取ることを良しとするとは思えなかった。急に、羅針盤を失った船のように目的地が分からなくなった。

 

 ふらふらと吸い寄せられるようにフェリクスの邸宅へ入った。中にはフェリクスが拉致した説話魔導師の候補者である円珠庵がいる。話を聞いてみたいと思った。

 

 邸宅のリビングへ入ると、円珠がソファに腰かけ端末に目を落としていた。弘樹に気づいて顔を上げた彼女が、怪訝な顔をした。

 

「あなたは……?」

 

「杉下弘樹、日本人だ」

 

 円珠の警戒心が無くなったのを見て、やはり日本人は平和ボケしているなと弘樹は思った。彼は、同じ民族同士で争う姿を何度も見てきたのだ。だが、もとより危害を加えるつもりはない。彼は魔法使いを殺すことを目的のひとつとしているが、魔法使い候補者は対象外だ。候補者の未来も一様に明るくないことを知ってしまったから、どう対応していいのか自分の中で整理がついていなかった。

 

「魔法使いになった気分はどうだ?」

 

 何気ない弘樹の質問に、円珠は表情を暗くした。

 

「分かりません。少なくとも、良かったとは思えません」

 

「だろうな」

 

 その説話の現状と未来を憂いたフェリクスが立ち上がり、今まさにASUと戦っているのだ。良かったと思えるのならそいつはただの阿呆だ。

 

 円珠が弘樹を見る。

 

「魔法使いってなんですか?」

 

「隣人であり、理解できない人種だ。あれの思考回路を理解することは到底できないだろうな」

 

「同じ人間じゃないですか」

 

「人間同士でどれだけ争ってきたと思っている? 文化の違い、宗教の違い、思想の違い、それがなんであろうが争いの種になる。人類皆兄弟という科白を聞いたことがあるが、そんなものはバカが抱いた理想論だ。現実は違う」

 

「話し合いじゃ解決できないんですか?」

 

「日本人の悪い癖だな。お前らは話し合えばなんとかなると本気で思っている。それは幻想だ。話し合うにはまずお互いを脅かす武力がいる。それを背景にしてようやく対等な立場で話し合いができる。なんの武力も持たず、ただ話し合おうだなんていうのは、自分を殺してくれと言っているも同然だ。そして魔法使いは、ひとりで群衆を簡単に殺せるだけの武力を持った個人だ。しかもその思考体系が人類と違う。単純に話し合うなど到底無理だ」

 

「私は人間です!」

 

 円珠が叫んだ。一般人が語る魔法使いは生粋の魔法使いであることが多い。そして、事実生粋の魔法使いは頭のネジが二三本は外れている。魔法使い候補者にとって、生粋の魔法使いと並べられ、暴言を吐かれることは己すべてを否定されるに等しい暴挙だ。

 

 弘樹もさすがに口が過ぎたと思い、言葉を選ぶ。相手は候補者になったばかりの高校生だ。子ども相手に何をやっているんだと思った。

 

「そうだな。魔法使い候補者は人だ。だが、見えているんだろ? 俺たちが見ている世界とは別の説話の世界とやらを。いずれお前もそれに引っ張られる。そうなれば人の価値観と魔法使いの価値観の板挟みになる。説話の未来を考えれば、地獄だな」

 

 円珠が立ち上がる。表情には怒りが生まれていた。涙を流し、大きく息を吸った彼女が怒鳴った。

 

「なんなんですか! 私はどうしたらいいんですか! 誰も彼も説話は使えない、未来がないって言って! 私はただ本の魔法が使えるようになるって嬉しかったのに! なんでみんな知りもしない私の未来を馬鹿にするんですか! 私の未来は私だけのものです! 素敵な未来が待っているかもしれないじゃないですか! 他の誰にも馬鹿になんてして欲しくない!」

 

 円珠の悲痛の訴えを受けた弘樹は、どうしたらいいかも分からず頭を掻いた。大人は、円珠の言う素敵な未来ばかりではないことを知っている。だから、お節介だとは思っても言ってしまう。最悪の道を歩んでしまう前に、真っ当な未来へと進んでもらいたくて。それは大人の親切心でもあり、エゴでもある。

 

 現実を知ることはとても大事なことだ。だが、知る必要のない現実を知り、未来を絶望させることは果たして正しいことなのだろうか。

 

 なんだこれは、と弘樹は思った。魔法使いを殺そうと日本にやってきて、アイシアに言い負かされ戦いでも負け、あげくグリーンランドに来て魔法使い候補者と言い合っている。やっていることがちぐはぐだ。まるで、最初に選択した道が誤っていたから、いまになってその結果が連続して突き付けられているようだ。

 

 弘樹は現実を知り、魔法使いに対して怒った。選んだ道は復讐だった。彼に誰かを導くことなどできない。彼が歩んできた道は、誰も幸せにすることなどない、血塗られた道だからだ。それは本人がよく知っている。発展途上国で紛争に参加し、魔法使いを狩り続けてきた彼に残っているのは、怒りと人を殺す技術だけだ。

 

 ふいに、とてつもない後悔に襲われた。それは巨大な津波となって弘樹の心を大きく揺さぶった。

 

 もし、あのとき怒りを抱きながらも、社会人となって人々の雇用を生み出すような仕事を目指すことができたのなら。もしあのとき、魔法使いなんて見返してやると別の方向にやる気を見いだしていたとしたら、いま自分が立つこの場所は、なにか変化していたのだろうか。

 

 後悔など馬鹿げている。そんなものは当の昔に済ませた。なのに、考えずにはいられない。人は後悔をする生き物だからだ。簡単に逃げられるほど、後悔という名の死神の足は遅くはない。

 

 円珠が持つ端末から、わっと民衆が騒ぐ声が響いた。

 

 円珠が弘樹から目を離して端末へ視線を落とす。

 

「……アイシアさん」

 

 その声を聞いた弘樹も端末を開く。ニュースメディアに再びアイシアが現れていた。場所は先と同じ秋葉原だった。紺のジャケットに白のインナー、そして青いスカートを履いた彼女が、民衆の前で口を開く。

 

 

 

 



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第三章:氷の園に這い出る悪魔 5

「申し訳ありません。お騒がせしました」

 

 ステージに立ったアイシアは、頭を下げて民衆に謝った。正直、いまの自分になにができるかは分からない。口だって達者ではなく、いまも何を言えば良いのか整理もついていない。

 

 民衆が歓声を上げてアイシアへ視線を注いでいる。さっきまで戦闘が行われていたというのに、それがまるで予定されていたショーだったかのような暢気さだ。スタッフはおろか司会者ですら笑みを浮かべている。

 

 気味が悪かった。

 

 いま、説話魔導師が、ASUが、己の威信と未来を賭けて戦っている。だというのに、ここに集う民衆はそんなことなど欠片も知らない。眼前で戦いが起きていたというのにも関わらず、こうしてアイドルを見る目でステージ上のアイシアへ声や視線を投げかけているのだ。

 

 アイシアは、観衆をじっくりと眺めて口を開く。

 

「いま、ASUは戦っています」

 

 急に水を打ったように静かになった。アイシアの声を一言も聞き漏らさんと黙っているのだ。彼女は丁度いいとばかりに言葉を放る。

 

「私の仲間が戦っています。戦いの理由は単純です。一部の魔法使いに未来がないからです。だから、そんな魔法使いのために立ち上がった人がいました。その人たちとASUは、いま戦っています」

 

 ISIA職員が慌てている姿を目の端に捉える。無視した。

 

「みなさん。魔法使いになれば幸せだと思いますか? 魔法が使えれば、なんだってできると思っていますか? はっきりと申し上げます。それは勘違いです」

 

 会場に動揺が走る。それすらなかったことにしてアイシアは続ける。

 

「魔法が世界に生まれて三十五年が経ちました。魔法によって世界は激変しました。より豊かに、より自由に、より高度に発展しました。その代わり、この変化で多くの人の未来も捨てられました。魔法が職を奪いました、そして、時代と魔法使いの方針が、魔法使いからも職を取り上げました。みなさん、知っていますか? 魔法使いも、役立たずだと判断されたら職にあぶれるんですよ?」

 

 そこでようやくISIA職員が動いた。アイシアの腕を取って、その場から退去しようとし始めたのだ。それを振り切って彼女は声を張った。演説を中断させようとしたISIA職員が、観客からブーイングされる。

 

「魔法使いも人と同じです。魔法を嫌う人達は知ってください。魔法使いも、現代社会と併合して逆に貧しくなった者もいるのです」

 

 スタッフたちがISIA職員を押さえる。

 

「魔法使いは人と価値観が違います。知覚の半分を魔法世界に置いているからです。私たちは人であると同時に、魔法使いという別の生き物なのです。それは理解してください。そのうえでお願いします。魔法使いを理解してください。私たちもあなたがたを理解します。きっと、まだ本当の意味でお互いのことを理解していないのだと思います」

 

 民衆がアイシアの言葉に聞き入る。きっと脈絡のない、言いたい事だけを連ねた不格好な言葉だ。それでも聞いてくれるのならば、言葉を重ねたかった。

 

「魔法使い候補者のみなさん。魔法に過度な期待はしないで下さい。魔法にもできることできないことがあります。向き不向きのようなものだと思ってください。努力しなければいらない者扱いされます。だから魔法使い候補者のみなさんは努力してください。そうやって成功した魔法使いを私は知っています」

 

 きっとどこかで聞いている円珠庵に向けて言う。

 

「魔法使いになったら、きっとたくさん苦労します。不遇な魔法体系だってあります。でも、決して腐らないで下さい。魔法は才能の世界です。それは認めます。ですが、努力しなければその才能も開花しません。魔法使いは皆どんな形であれ努力しています。だからみなさんもがんばって下さい。そしていつか、誰もが安心して暮らせる未来を作りましょう。人も、魔法使いも、この世を謳歌する権利を持っているのですから」

 

 言っていることは単純だ。腐るな。努力しろ。頑張れ。ただそれだけだ。美辞麗句でそれを飾っているに過ぎない。誰もが心の底では思っている言葉を代弁しただけだ。

 

 今の世は、嫌な社会だ。競争が激化し、他人を蹴落としてでも上に登らなければ食い詰める。そうやって経済を回し、進歩していく。それが資本主義だからだ。

 

 アイシアもこのすべてが間違っているとは思わない。努力のしない者、なにもしない者、そんな者たちが落ちていく様を何度も見てきた。それを惰弱だと心の中で吐き捨てた。自分で自分の首を絞めておきながら、それを社会のせいにすることが理解できなかった。なぜもっと向上心を持たない、なぜもっと努力しない、なぜ、なぜ、なぜ?

 

 それにはきっと理由がある。向上心を持つのも才能だ。努力をするのも、頑張ることだってある種の才能だ。やる気を出すことだって、あるいはそうかもしれない。

 

 世界には色々な人がいる。アイシアのような価値観で生きている人たちだけではない。

 

 今日はそれに助けられた。己の命を賭けて助けてくれた人がいた。馬鹿だと思った。ちゃんと仕事をしろと思った。そんなこと教えてないと嘆いた。

 

 でも、嬉しかったのだ。心を動かされた。生粋の魔法使いと新たに生まれた魔法使いという溝が、少しだけ埋まった気がした。もっと歩み寄れるのではないかと期待できた。

 

 ならば、人と魔法使いだってきっと理解し合える。そんな風に思えた。

 

「だからどうかみなさん、対話をして下さい。魔法使いも、いつまでも人を見下してなんかいないで対等に話してください。我々は、この地に住まう隣人同士なのですから」

 

 この演説が良かったのか分からない。途中からは変に熱が篭ってしまった。それでも、拍手が起きた。万雷の拍手がアイシアを称えていた。それが、どうしてか妙に嬉しかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 リューシエンの視界にフェリクスが迫る。獰猛な肉食獣の笑みを浮かべた鷹の男が、白金の剣を振りかぶる。

 

 突如、ふたりの間に深紅のローブが割って入った。ぬらりと、暗黒の壁がリューシエンとフェリクスの間を隔てる。それは、因果魔法による防御結界。《時流制御》により時間の流れを〇にすると、光すら逃さない時間が停滞した空間を生み出すことができる。

 

 フェリクスが鋭角機動で時間の壁から逃れた。触れればそれだけで動きを止められるからだ。

 

「ラファラン殿!」

 

 リューシエンの歓喜の叫びにラファランは答えず、クローセルへと視線を投げる。悪魔がいままさに氷の豪雨を振らさんとしているところだった。

 

 そこに、太陽が生まれた。摂氏一億度を超える天の炎が、氷など一瞬で蒸発させ、大気をプラズマ化しながら燃やし尽くしていく。精霊体系の《電磁結合》によって生み出された核融合の炎が、絶妙な制御でクローセルを飲み込んだ。

 

 太陽の遥か上空には、アリーシャが雷の女王となって核融合を支配していた。

 

「リュー! アリーシャを援護しろ! なんとしてでもクローセルを倒せ!」

 

 ラファランが叫び、肉薄してきたフェリクスに向き直った。両手にはチェコ製の拳銃CZが握られていた。

 

 ラファランが《時流制御》を展開。その速度はアイシアを優に超える百倍だ。更に魔法的照準を《因果収束》でフェリクスへ定める。拳銃を連続発砲しつつ超高速機動を開始。実に一万倍のエネルギーを宿した銃弾がフェリクスへ放たれる。

 

 フェリクスが銃弾を避けるべく即座に右に高速旋回。しかし、百倍速の弾丸も軌道を変えて彼を追尾する。鷹の男の口元に愉し気な笑み。

 

 通常、《因果収束》で設定できる的は、使用者からの距離と方向による相対的なものだ。だから的が動けば当たらない。

 

 しかし、ラファラン級の因果魔導師になると、《因果収束》によって照準した的は、どこへ逃げようが的であり続ける。つまり、《魔弾の射手》と同じように、狙った的に必中する魔弾を実現することができる。

 

 九ミリパラベラム弾であろうと、百倍の速度かつ空気抵抗など無視して速度が下がらない魔弾は、超高位魔導師であるフェリクスにとっても脅威の攻撃だ。当然、エアリアルを使って防御に回る。

 

 説話魔導師を有利にしていた嵐が消えた。エアリアルが全力を防御に注ぎ始めたのだ。

 

「いかん! レライエとやらが動いた! アリーシャへ向かっておるぞ!」

 

 端末を通して、ステファンの声がラファランの耳に届く。視線をアリーシャへ向ける。彼女はまだ核融合魔法を展開している。リューシエンが《易経連鎖》と《道(たお)》を駆使して核融合の火力を増大させているが、《レメゲトン》の悪魔クローセルはまだ消滅していないようだ。

 

 ラファランは即座に指示を出す。

 

「ジャンヌ、レライエを何とかしろ!」

 

「無理だ! こいつ、魔法が効かない!」

 

 既にジャンヌは高速飛翔するレライエへ律法魔法を重ね掛けしていた。そのすべてが無効化されているのだ。

 

 逡巡。すぐに結論を出す。

 

「交代だジャンヌ! フェリクスを対応しろ! ステファン老もフェリクスを頼みます!」

 

「了解」ジャンヌがすぐさまフェリクスへ向かう。

 

「あれの相手はしんどかったからのお。フェリクスで憂さ晴らしするか」ステファンも魔法を展開し始める。

 

 ラファランは宙を蹴って移動を開始。レライエの速度が速い。アリーシャとリューシエンはクローセルへの攻撃で手一杯だ。百倍速でも間に合わない。

 

 すぐさま魔法転移でレライエの眼前に踊り出る。拳銃を棄てて腰に差した小太刀を抜き放つ。美しい波紋を露わにした刀身を光らせ、横凪一閃。

 

 このとき、この戦いで初めてレライエが防御に動いた。弓を使って小太刀の横凪を捌いたのだ。

 

 その隙をついて左手をレライエの胸に打ち付け、魔法を発動。《時流制御》の応用による《空間操作》がレライエを中心として圧搾を開始。

 

 悪寒。

 

 《時間観測》によって自らが死ぬ様を幻視したラファランは、即座に魔法転移で距離を取る。寸前までいた場所に、光の剣が伸びていた。よく見れば、レライエの周囲には光の球体が無数に浮いている。光の剣は、その球体のひとつが伸びてできたものだった。

 

 レライエが弓を引く。収束した光が矢を形成。ラファランへ向けて放たれる。時間の壁でそれを防いだラファランがぼやく。

 

「おい、突破口が見つかったと思ったら近接戦までできるのかよ。どんな悪魔だ。参った、弓鶴を連れてくれば良かった……!」

 

 ラファランらの登場によって戦力的にASU側に傾いたと思われたが、実際はまだ劣勢状態だ。レライエが厄介だった。この悪魔には魔法が効かないのではない。遠距離攻撃が効かないのだ。

 

 つまり、近接戦を挑むしかない。だが、その近接戦を専門とする魔法使いがこの場にいない。そもそも、世界中どこを探してもそんな酔狂な魔法使いはほぼ皆無だ。

 

 当然だ。

 

 魔法使いが近接戦をするなど常軌を逸している。その例外がフェリクスと弓鶴、そしてアリーシャと天命体形の《二十四法院》カルラだった。フェリクスは敵に回り、弓鶴はこの場にいない。アリーシャはクローセルを相手にしている。カルラに至っては戦場に来ることなどないだろう。《二十四法院》は死を恐れて動こうとしない魔法使いが多すぎる。

 

 すなわち、いまこの瞬間、レライエを攻略する手立てがない。

 

「呪うぞフェリクス。これほどオーバンが死んだことを後悔した日はない」

 

 レライエを倒すには、放たれる矢を退け、近づいてあの光の剣を掻いくぐって叩くしかない。ラファランひとりでは無理だ。

 

 だが、アリーシャがここに加われば状況は動く。クローセルを倒せるかどうかがこの勝負の分かれ目だった。

 

 そんなときだ。三度世界が悲鳴を上げた。

 

 

 

 



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第三章:氷の園に這い出る悪魔 6

 現れたのは、ヒトコブラクダに乗った天使だ。光の王冠を戴き、プラチナブロンドの髪が夜空に瞬く。女性と見まごう美しい顔立ちには、優雅な笑み湛えられていた。身に纏うローブはどこまでも中庸な灰。これほど美しい白と黒の中間色などあったのかと感嘆せずにはいられない灰色。

 

 ソロモン王が使役した七十二柱が一柱、堕天使パイモンが透き通った唇を開いた。

 

 おそらく、それは声だった。だが、美しい容姿とは反比例する穢れた野獣のような声だ。

 

 衝撃が走った。

 

 突如、アリーシャが吹き飛ばされた。彼女の表情には驚愕。

 

 全身を雷に変換していたため難を逃れたが、そうでなくばいまの一撃で殺されていた。それほどの破壊力を持った不可視の咆哮。ただの声が、超高位魔導師を葬るだけの力を持っているのだ。

 

 パイモンが左に握った剣を抜き放つ。

 

「ジャンヌ! いま召喚されたパイモンをやれ!」

 

 レライエの無数に分かれる矢を受け止めながら、ラファランが端末に叫ぶ。彼は焦っていた。完全に状況が深刻な劣勢に崩れ落ちたからだ。敵はフェリクス、レライエ、クローセル、パイモン、説話魔導師らの五勢力。対するこちらはラファラン、ステファン、アリーシャ、リューシエン、ジャンヌ、ASU魔導師らの六勢力。だが、完全に独立した五面の戦線が出来てしまった。超高位魔導師を二人投入してもクローセルを倒せていないことが事態を逼迫させていた。

 

「アリーシャにリュー、まだか⁉」

 

「全力投入していますが、想像以上に硬いです……! クローセル周囲の温度が急速冷却されて熱が届いてません!」

 

 アリーシャによる荒い息遣いの嘆き。核融合爆発の熱量は、リューシエンを投入したことで今や摂氏二億度を超えているだろう。それすら耐え得るなどさすが悪魔としか言いようがない。

 

 ラファランはここで相性が悪いと判断。

 

「ステファン老! クローセルをやれますか⁉」

 

「おう、わしもそっちの方が相性はよさそうじゃ。フェリクスは速くて捕えきれん」

 

「戦線を入れ替える! アリーシャ、ステファン老、二秒後にこっちで転移させる! リューはステファン老の援護に回れ!」

 

 接近してきたレライエが、光の剣を五つ振う。ラファランはそれを魔法転移で避けつつ一瞬だけ距離を稼ぐ。

 

「時間だ!」

 

 ラファランが《時間観測》で全員の座標を確認、把握。アリーシャとステファンの位置を一瞬で入れ替える。

 

 核融合魔法が消え、極光に照らされた夜が戻る。クローセルが甲高い叫び声を吐き出しながら杖を振おうとし、動きが止まる。ステファンが《概念殺し》によってクローセルの自由を封殺したのだ。

 

「よしよし、こいつには効くぞ。こいつはわしとリューがもつ。一分で処理する!」

 

 ステファンの報告が届くと同時、アリーシャが両手に鉄パイプもかくやという極大の釘を両手に生み出す。彼女が近接戦闘をするときに使用する専用武器だ。

 

 アリーシャが紫電と共に轟音をまき散らし、音を置き去りにした。一瞬後には、五つの書を旋回させるフェリクスの背後で巨大な釘を振りかぶっていた。それを読んでいたフェリクスは、悠々と白金の剣で受け止める。金属同士がぶつかる澄んだ音。

 

「フェリクス、お覚悟を」

 

「ラファランの嫁か。近接戦ができる奴を寄越すとは、奴も分かっている。いざ勝負! ここからが第一幕よ!」

 

 エアリアルの風を纏い、フェリクスが漆黒の夜空を駆ける。アリーシャもそれを雷となって彼を追う。それは、人類にとっては速すぎる戦いだ。お互いに音速を軽く飛び越えているのだ。

 

 そこに救援を求む声が上がる。

 

「ラファラン! こいつは私ひとりじゃ無理だ!」

 

 パイモンを相手にしているジャンヌだった。パイモンは雄叫びを上げながら彼女へ剣で斬りかかっていた。声すら武器にする悪魔に彼女は完全に防戦一方だ。

 

 恐らく、律法魔法による魔法無効化も、パイモンの攻撃には通じない。そもそも、パイモンは最高位魔導書から召喚された悪魔だ。高位悪魔は物理法則の枠外にいる。彼らには法を適用させることすら難しいのだ。

 

 更に、律法体系の弱点が浮き彫りになっていた。

 

 律法魔法は魔法発動に必ず計算が必要となる。現実の法たる物理法則を操作することで多くの現象を引き起こすが、そのすべては法則の数式を弄らなければならない。必然的に、魔法発動に時間が掛かる。超高位魔導師同士の戦いで、しかも近接戦を仕掛けられるとどうしても後手に回るしかないのだ。

 

「何分もつ⁉」

 

 ラファランは叫びつつ、接近してきたレライエの剣の乱舞を掻いくぐる。離れれば矢、近づけば無数の剣。破壊力満載の矢を防御し損ねれば、戦線のどこで被害が発生するか分からない。この悪魔も大概面倒な相手だ。

 

「五分はなんとかする! それ以上は無理だ!」

 

 手が足りなかった。クローセル攻略が鍵だ。あの堕天使を倒せば大局が変わる。

 

 いまクローセルは、ステファンに動きを止められながら、リューシエンの《両義》を連続で撃ち込まれていた。それをすべて膨大な氷の礫で防いでいる。《両義》の弱点である飽和攻撃で捌ききっているのだ。

 

 ステファンを攻撃に加わらせたいが、下手にクローセルを動かすと何が起こるか分からない。《概念殺し》で動きを殺してなお、クローセルは防御行動を取れているのだ。

 

 逡巡に次ぐ逡巡。そして、考えてばかりもいられない。ラファランの眼前にもレライエがいるのだ。気を抜けば一瞬で殺される。

 

 パイモンもしくはレライエを相手にできる近接戦の専門家が必要だった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 グリーンランド上空は極寒だ。飛んでいるだけで肌を突き刺すような痛い寒さだ。なにせ首都ヌークの四月の平均気温は摂氏マイナス三度前後だ。空ならば更に下がる。それをブリジットが元型魔法による結界で覆うことによって防いでくれていた。

 

「我は便利な防寒具じゃないんだけどなあ」

 

 ブリジットのぼやきに、ラファエルがほんわかした声で返す。

 

「ブリジット最高です。ぬくぬくです。今だけは尊敬します」

 

 がくん、とブリジットがうなだれる。

 

「エルは現金だ……」

 

「まあまあ、それがエルさんの良いところです。ついでにいまは私もブリジットさんを尊敬します。非常に温かいです」

 

 オットーもブリジットの心を無駄に引き裂いていく。ブリジットが頭を抱えて喚いていた。

 

 全員がのほほんとしているように見えるものの、向かっている先は超高位魔導師同士が争う地獄の戦場だ。流れ弾が掠っただけで簡単に死ぬ。しかも、目的が敵の大将であるフェリクスから円珠庵の居場所を訊くことだから、戦場の中心に行かなければならない。完全に警護課の本分からは逸脱していた。

 

 やがて、弓鶴の目に無数の魔法の光が飛び込んできた。遂に戦場に辿り着いたのだ。

 

「全員ここで止まれ!」

 

 ブリジットの号令がかかり、空中に静止する。

 

「状況は?」

 

 弓鶴の問いに、元型魔法で妖精を散らしていたブリジットが顔をしかめる。

 

「《レメゲトン》から三体悪魔が召喚されてるね。ASU側がどうやら劣勢状態のようだ」

 

「我々はどうします?」

 

 オットーがいつもの笑みを消して訊く。

 

「まずは状況を正確に確認する。下手に参加すれば即全滅だ。基本は我と弓鶴が前に出る。オットーとエルはこの距離を保ったまま援護に回ってくれ」

 

「分かりました」

 

 ラファエルとオットーが素直に頷く。

 

「弓鶴、覚悟はできてるだろうね?」

 

「自分から言ったんだ。当然だろ」

 

 ブリジットがにやりと笑う。

 

「その意気や良しだね。もう少し様子を見たら行くぞ」

 

「了解」

 

 ブリジットが新たに妖精を生み出す。妖精が全員の前まで飛ぶと、眼前に映像を映し出した。それは、彼が散らした妖精が得た視覚情報だ。

 

 ブリジットが映像を見ながら分析する。

 

「フェリクス殿とアイシア殿、他四名は悪魔とやりやっているようだ。ASU警備部は説話魔導師の集団と戦っている。超高位魔導師側の一角でも倒せれば対局は変わる。我は基本近距離での情報統制と援護に回るから、弓鶴が一番やりやすい敵は……」

 

 ブリジットが映像を切り替える。そこにはラファランと灰のフードを被った緑色の狩人が映っていた。ラファランは悪魔に対し、魔法ではなく小太刀での近接戦を挑んでは距離を取る繰り返している。

 

「ここだ! ラファラン殿の援護へ向かうぞ!」

 

 ブリジットが空を蹴って一気に直進する。弓鶴も遅れてそれを追いかける。

 

「どういうことだ⁉」

 

「ラファラン殿は遠中近距離すべて戦える魔法使いだが、基本的に銃器を利用した遠距離専門型だ。そのラファラン殿が近接戦を挑んでいるからには、当然理由があるはず。なら弓鶴を活かせる戦場はそこだ!」

 

 班長はブリジットだ。彼の命令に対し、弓鶴は無駄に異を唱えるつもりはない。

 

 AWSの機動力にものを言わせ、すぐに戦線に辿り着く。

 

 そこは、まさに極大魔法が飛び交う地獄の戦場だった。音速を遥かに超える速度で飛び交うフェリクスにアリーシャ。王冠の悪魔の剣舞と咆哮を避け続けるジャンヌ。リューシエンとステファンは堕天使へ総攻撃を仕掛けている。

 

 そして、ラファランが弓鶴たちの存在に気づく。

 

「なんで来た⁉」

 

 新緑の狩人レライエが放つ矢をすべて時間の壁で受け止めたラファランが続ける。

 

「……と言いたいが正直助かる! こいつは遠距離攻撃が通じない特殊な観念結界を張っている! 近接戦を頼みたい!」

 

 ブリジットが頷き、号令をかける。

 

「行け、弓鶴!」

 

「了解!」

 

 宙を蹴ってレライエへ肉薄。弓鶴に気づいた悪魔の周囲に浮かぶ光が反応。光が剣となって振われる。その数、実に四。頭上からの斬り落とし。左右からの横薙ぎ。右上からの袈裟斬り。

 

 受ければ刀ごと持っていかれると判断。即座に爆破移動魔法で後ろに下がる。振り抜かれた剣の隙間を縫って直進、まずは袈裟に一刀。浅いがレライエの肩を抉る。さすがに悪魔は硬い。

 

 斬り上げと共に魔法を発動。錬金魔法による《四態変換》が同田貫の刀身を気化して発光。そのまま一気に振り抜く。

 

 まだ浅い。気化金属の刀でも致命傷を与えられない。

 

 光の剣が動く。弓鶴は死に体。レライエの背後からラファランが小太刀を握って突っ込む。悪魔の瞳に一瞬の懊悩。

 

 その刹那で弓鶴にとっては十分だった。即座に態勢を立て直し、AWSを使って上昇。光の剣がラファランへ向くが、空を切る。ラファランが魔法転移で後退していた。

 

 近接圏内に敵がいなくなったレライエが弓を引く。狙いは弓鶴。一撃一撃が都市を半壊させるだけの威力を持つ裂する矢が放たれれば、第六階梯程度の弓鶴に防御する術などない。

 

 無数の妖精がレライエの視界に溢れる。妖精が弓鶴の映像を空中に次々と生み出す。レライエの瞳に迷い。

 

 ブリジットが妖精を使って弓鶴の幻影を生み出し、レライエを攪乱しているのだ。

 

 弓鶴が反転。同田貫の切っ先に現れるは宵闇すら食らう黒点。《断罪の輪》だ。接近を察知したレライエが光の剣を作る。遅い。

 

 レライエの左首筋に袈裟に斬りかかる。《断罪の輪》がレライエの魔法を捉えようとするが、弓鶴の実力では“物質”として知覚できない。幻想としての格が高すぎるのだ。

 

 それでも一刀で致命傷を与える。斬り返しの横凪。レライエが回避に動くが、ラファランが回り込み掌底。悪魔の動きが僅かだが止まる。その隙で十分だった。左から胴体を一気に水平に分割。

 

 レライエの声無き絶叫。だが、悪魔はまだ動く。身体を上下に分かたれようが生きている。光の剣がすべて弓鶴へ襲い掛かる。完全な死に体となった弓鶴には避けられない。

 

 上下左右からの光の剣閃。

 

 死。

 

 だが、殺戮領域から弓鶴の身体が一気に引っ張り出された。ブリジットが《観念力動》で弓鶴の身体を無理やり動かしたのだ。光の剣が鼻先を掠める。

 

 そして、ラファランの魔法が発動した。《空間操作》によって焦点を定められ場所へ向かい、空間が一気に捻じ曲がる。レライエの腕がひしゃげ、胴体が微塵に砕け散り、頭がぐしゃりと小さな肉塊にまで圧縮された。

 

 

 

 



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第三章:氷の園に這い出る悪魔 7

「対話……だと? 隣人同士だと?」

 

 アイシアの演説を聞いて弘樹の心に生まれたのは怒りだった。彼の家は、魔法世界併合に伴う世界の激変によって滅茶苦茶にされた。魔法によって殺された。それは違えようのない事実だ。

 

 そして、当のアイシアと対話し、決定的に価値観が違うことを示された。決して分かり合うことがないと突き付けられたのだ。それを今になって対話だの隣人だのと言われることが我慢ならなかった。

 

「綺麗事を……。対話をすれば俺たちが矛を引くとで思ったか……!」

 

 端末を忌々しく見つめる。流れるコメントには、アイシアの発言を絶賛する声が並ぶ。掲示板を見ても、彼女の発言前後で世論の流れが急激に変わっていた。ISIAの理想の体現者だと、彼女を賛美するものまで現れる始末だ。

 

 悔しかった。こんな上っ面の言葉程度で覆されるものなのか。いままで歩んできた道が間違っていると、全世界から非難を食らっている気分になった。

 

 確かに、いまの弘樹は何もできていない。グリーンランドに来て魔法使い候補者と会話をしているだけだ。決死の覚悟で日本に来たというのに負け続きで、振り上げた拳を向ける矛先が見つからない。

 

 世界だってそうだ。魔法使いに敗北し続けている。いまこの瞬間とてそうだ。人類社会に魔法が浸透している。人類は、もはや魔法無しでは生活できない。多くの犠牲の果てにできた社会が、魔法廃絶を許さない。

 

 そんなことは弘樹とて分かっている。それでも、怒りが止められないから立ち上がったのだ。理不尽を許せないから拳を振り上げたのだ。いまさら引けるはずがない。引くべき場所などこの世界にはどこにもないのだ。

 

「ふざけるな! 自分たちが侵略しておきながら、いまさら隣人面か! 厚かましいにもほどがあるだろう!」

 

 誰にでもなく、世の理不尽に対して弘樹は怒鳴った。

 

 人類にとって、魔法使いは侵略者だ。社会基盤を根底からひっくり返し、魔法の恩恵で豊かにしたと錯覚させている詐欺師だ。事実、社会は潤っただろう。それは一部の勝ち組だけだ。弘樹のように負け組になったものだって多い。

 

 後悔はある。激変した社会で生き残る術は他にあった。適合する道も確かにあった。それでも、魔法使いが対話を求め、隣人面をすることだけは我慢ならなかった。

 

 たぶんこれは、弘樹が引き返せない場所まで来てしまったからだ。全身を血で染めた復讐者に言葉など意味がない。だから彼は銃を携えいままで戦い続け、ここまでやってきたのだ。

 

 いま何ができるのかと弘樹は己に問うた。

 

 フェリクスは説話の戦いを見ろと言った。

 

 アイシアは対話し理解し合おうと言った。

 

 弘樹には怒りしか残っていなかった。この怒りを全世界に発信するしかないと思った。世論はアイシアの言葉に揺れた。なら、それを更に揺らすしかない。

 

 懐からサバイバルナイフを抜く。端末を見る円珠庵の背後に回り、首筋にナイフを突きつけた。

 

「悪いが、人質になってもらう」

 

 凶器を向けられてに円珠は冷静だった。色々なことが一日で起き過ぎて、危機感が麻痺しているのだろう。

 

 円珠が静かに問う。

 

「私が人質になって何が変わりますか?」

 

「変わらないかもしれない。だが、何もやらないより何かをやる方が遥かにマシだ」

 

「あなたは、反魔法主義団体の人ですね?」

 

「そうだ」

 

「魔法によって職を奪われたと主張する人たちでしたね」

 

「そうだ!」

 

「なら、私はなんですか? 私も魔法によって未来を奪われました。この私を人質にして何を訴えるっていうんですか?」

 

 何も言い返せなかった。杉下弘樹の底の浅さが浮き彫りになるかのようだった。

 

 弘樹は怒りを糧に暴力の世界に飛び込んだ。敵は、暴力という名の銃で撃ち落としてきた。だから、人々に訴えかける言葉を持たない。

 

 魔法が悪い。魔法が社会をこんな風にした。それしか言えない。

 

 決して捨ててはならなかった思考を放棄し、魔法を排斥することのみに人生を歩いてきた彼には、人々の芯に響く言葉がないのだ。あるのは暴徒を立ち上がらせる言葉くらいだ。一体、世の中のどれだけがそれになびくだろう。

 

 このとき、弘樹は決定的に道を間違えたのだと気づいた。

 

「俺が、俺がやってきたことは……なんなんだ?」

 

「反魔法主義の言っていることは単純です。魔法が世界の秩序を乱した。言い換えれば、魔法が生んだ機会に乗り遅れた人の怨嗟です。つまり、負け犬の遠吠えでしょうね」

 

 女子高校生に負け犬と呼ばれ、頭に血が上った。

 

「ふざけるな! 誰も彼もが勝てる世の中じゃない! そういう世の中に魔法がしちまったんだ!」

 

「そうです。誰も彼もが勝てるわけじゃない。アイシアさんが言っていたじゃないですか。魔法使いだって貧しくなった人がいるって」

 

 そこを突かれると弘樹は何も言えない。魔法使いにも立場が弱い者がいる。それを利用したのが今回の事件だからだ。

 

 円珠が諦めの声で言う。

 

「誰でも勝てて、誰でも負ける可能性がある。努力しなければ蹴落とされる。運が悪くたって転がり落ちる。それ、魔法が誕生する以前と何が違うんですか?」

 

 違う。そう言いたかった。だが、口が動かなかった。

 

 円珠が掠れた声で笑う。

 

「私たちは負け犬です。境遇がそうしました。私たちの意思なんて関係なく、私たちを負け犬の立場に突き落としたんです」

 

「……そうだ」

 

「でも、できることはあるはずです」

 

「どうしろっていうんだ」

 

「上を向いて登ることはできます。努力することはできます。私たちは人間です。私たちは進化を科学技術と魔法に託しました。そうやってここまで進歩してきました。なら私たちもそうすればいい」

 

「できない人はどうする」

 

「知りませんよ。社会福祉にでも助けてもらってください。すべてを救ってもらおうなんて、そんなのさすがに甘いですよ」

 

「それは暴論だ」

 

「あなた達だって暴論を振りかざしているじゃないですか。魔法のせいで職にあぶれた? 雇用が失われた? どうして他の仕事をしなかったんですか。できることならあったはずじゃないですか。嘆くだけで何かが変わるとでも? バカじゃありませんか?」

 

 それは、弘樹の父を愚弄する言葉だ。許せるものではなかった。だが、高校生に言われたことで背筋がさっと寒くなった。

 

 セーフティーネットは確かに存在した。いまも、昔もだ。死を選んだのは、選んでしまったのは父の過失であり、父の選択だ。決して弘樹のものではない。

 

 弘樹がやっていることは、他者の死を利用して怒りを振りかざしているにすぎない。それが正当なのか不当なのか、もはやいまの彼には判別がつかなかった。

 

 わなわなと足が震えた。土台が崩れ去ったような気分だった。

 

「なら……一体なにが正義だ……?」

 

「知りません。分からないから色々なものが変化していきます。法律だってそうでしょう? 誰も正しいことなんて知らない。誰も、全知全能の神じゃありませんから」

 

「どうしてそこまで達観できる……? お前だって当事者だったはずだ」

 

 ナイフを離して、弘樹は円珠に問う。彼女は恥ずかしそうに笑って言った。

 

「だって、私の未来のために戦ってくれる人がいるんですよ? 私の選択を嘆いてくれる人だっていました。私のためにメディアから声を向けてくれる人がいました。そんな世界で、いつまでも泣いてばかりいられないじゃないですか。落ち込んでばかりいたら、あの人たちに申し訳が立たないじゃないですか」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「ほぅ、あのレライエを倒したか」

 

 アリーシャの釘による攻撃の連打を白金の剣で捌きながら、フェリクスが愉しそうに呟く。

 

 フェリクスの周りに旋回している書は五冊。《テンペスト》、《ニーベルングの指環》、そして《レメゲトン》の頁を一枚ずつ収めた空の書が三冊だ。

 

「見事なり。しかし、説話の力をまだ知らぬと見える」

 

 レライエを召喚した書はまだ開いている。一度開いた書は、説話魔導師が止めるか意識を失うまで閉じることはない。つまり、フェリクスがその気になればレライエは何度でも蘇る。

 

「させませんよ!」

 

 雷の女王となったアリーシャが無数の釘を生み出し射出。《電磁結合》により通電された釘は、フレミング右手の法則によって磁力で超加速する。音速など薄紙のごとく貫く速度で放たれた釘をフェリクスは空中を疾走しながら避ける、避ける、避ける。アリーシャがフェリクスを追う。

 

 その戦いはまるで現代の戦闘機同士の戦いだった。

 

 後ろに付かれたフェリクスが大笑する。

 

「三次元戦闘で点の攻撃はそうそう当たらん。重犯罪魔導師対策室の割に攻撃が雑だぞ?」

 

 無言のまま、アリーシャが超加速した荷電粒子を展開。その数、実に百二十八条。

 

「飽和攻撃で俺の行動を回避に専念させるつもりか。あまり失望させてくれるなよ?」

 

 アリーシャの荷電粒子砲が放たれる。光の洪水がフェリクスを襲う。

 

 エアリアルが濃密な風でフェリクスを覆う。速度が更に加速する。放射状に展開された荷電粒子砲の隙間を掻いくぐる。そこに先の攻撃で散っていった釘が疾走してくる。荷電粒子砲の隙間を埋めるべく、飛散した釘を磁力で操ってフェリクスへ殺到させているのだ。

 

 フェリクスが超高速でふたつの攻撃をかわす。釘の一本が腕を掠める。初めて彼に傷を負わせることに成功した。

 

 フェリクスの唇に野獣の笑み。

 

「さすが重犯罪魔導師対策室。この妙技は驚かされたぞ!」

 

 戦闘中においてもフェリクスは口を開く。敵が素晴らしければそれを称える。これが彼にとっての戦いなのだ。

 

 鷹の男が吠える。

 

「もっと来い! 核融合魔法はどうした? もう撃てぬのか? それとも機を見ているのか? さあ、もっと俺を楽しませてみせろ!」

 

 戦闘はアリーシャが優勢に見える。だが、戦場をコントロールしているのはフェリクスだ。説話魔導師以外の戦線をひとりで維持しているのだ。むしろ、その状況下でアリーシャの攻撃を避け続けていること事態がおかしい。

 

 現在、レライエが倒されたことでフェリクス側の情勢が悪くなっている。しかし、アリーシャが攻撃を続けなければ悪魔は再び蘇る。

 

 エアリアルを使役するフェリクスを未だ完全に捉えることができていない。雷を支配するASU最速と謳われるアリーシャですら、エアリアルという幻想に速度で負けているのだ。

 

 フェリクスが上昇を始める。荷電粒子砲を再び展開しつつアリーシャも続く。

 

「さあ、早く来い! こたびの戦場は混沌よ! あやつらが来るには良い具合に煮え切っている! 早く! 早く! 早く! 我らが悲願のために!」

 

 

 

 



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第三章:氷の園に這い出る悪魔 8

「面白そうなことやってるね。ボクも混ぜてよ」

 

 ふいに、無邪気な声が戦線に響いた。明らかに魔法で響かせた声だ。

 

 ラファランの脳裏に最大級の警報が鳴る。

 

 遂に奴らが来たのだ。

 

 誰よりも天高い位置にそれはいた。十代中盤にも見える小柄な少年。長い髪は老人のように真っ白で、蛇がのたうつように風の中を舞っている。表情は楽しそうな満面な笑みだというのに、纏う空気は暗く虚ろ。生と死という相反する雰囲気を同時に纏っているかのような、奇妙な少年だ。

 

「我が名はアイナル! 今宵ここに破壊を齎す者なり!」

 

 アイナルと名乗った少年の周囲に光が一気に収束。その数、実に千は軽く超える。それは、熱の波動を生み出し増幅させ、白く発光するまで熱量を上げた単純なものだ。だが、ひとつひとつの破壊力は想像もしたくない。

 

「悔い改めろ! 母なる世界に仇成す者らよ! 微塵となって死ぬがいい!」

 

 熱線のレーザーが流星群もかくやと降り注ぐ。

 

 アイナルの哄笑。

 

「アハハ、アハ、アハハハハ、アーハハハハハハハハハハハハ! 死ね死ね死ね! 魔法使いはみんな死んでしまえ! この世に魔法使いはいらない! 必要なのは人間だけだ! さあ死ね! すぐ死ね! さっさと死んで灰になれ! お前たちはみーんないらない子だ!」

 

 直撃の寸前、流星群をステファンが《概念殺し》によって掌握、破壊。紙一重の神業だ。しかし、これによりクローセルが自由になる。

 

 アイナルの攻撃が、笑いが止まらない。再び生み出した光を連続発射。

 

 ASU対フェリクスの構図に、《ベルベット》アイナルが加わった。まさに魔法使い戦場の地獄だ。戦場は完全に混乱するかと思われた。が、ステファンの次に動いたのがフェリクスだった。

 

「待っていたぞ《ベルベット》! わざわざ始末されに来るとは愚かな! 茶番ばかり撒き散らす災厄よ! 俺の花道の轍となるがいい!」

 

 フェリクスが使役する悪魔が、いまや彼の意思に従ってアイナルへ向かって一斉に攻撃を始めた。眼前にいるASUらを無視してだ。他の説話魔導師らもアイナルへ焦点を変える。急な行動にASU魔導師らが動揺していた。

 

 そこで、ラファランはフェリクスの意図がようやく読めた。

 

「最初から言ってくれ……。ASUを巻き込むにしてもやり方は他にあるだろうが……」

 

 つまり、フェリクスの最終目的はASUではない。《ベルベット》だ。一連の事件は、すべて《ベルベット》を誘き出すためだけに起こされた陽動だ。

 

 おそらく、《ベルベット》の始末に説話魔導師が貢献したとラファランに言わせたいのだろう。

 

 やり方が滅茶苦茶だ。全責任を自分で負い、世界に散る説話魔導師達の立場を少しでも上げんと、フェリクスは文字通り人生最期の賭けに出たのだ。

 

 《ベルベット》は、超高位魔導師の中でも最上位級の実力者の集まりだ。超エリートである重犯罪魔導師対策室でも手に余るのが現状だ。去年アーキを《次元回廊》で封印するしかなかったのもそれが原因だった。

 

 要は、強すぎて殺せないのだ。ならば、悪魔すら動員して殺すべしというのがフェリクスの理論なのだろう。

 

「目標変更! 《ベルベット》を第一優先目標としろ! フェリクスの援護に回れ!」

 

 そこに膨大な頁が舞い散る。フェリクスや説話魔導師らのものではない。新たな参戦者が現れたのだ。

 

 その人物は、奇妙な恰好をしていた。左右と上下が白と黒に塗り分けられた、道化師のようでいて聖職者にも見える不可思議な服装。頭には同じく、左右を白と黒色に染まる、二股に分かれ先にボンボンが付いている道化師の帽子。面貌は男とも女とも知れぬ中性。一抱え程もある大量の書が、その人物の周囲を輪となって浮いている。

 

「せっかくの《レメゲトン》収集の機会。悪魔どもを消滅されては適わん」

 

 中性の美貌の唇に微笑みが生まれる。それは、あまりにも人間離れしていて、夜に見る人形のような怖さがあった。

 

「そういう訳だ、ASU諸君。余も混ぜろ」

 

 最悪だ。ラファランは心の中で罵る。《ベルベット》で参謀役とされるフーリィンまで出てきたのだ。

 

「なに、安心せよ。悪魔どもを収集したら皆殺しにするゆえ、ゆるりとアイナルと遊んでいるといい」

 

 フーリィンの尊大な科白にフェリクスが大笑する。

 

「災厄風情がよくぞ言った! 説話の頂上決戦といこうではないか!」

 

 フェリクスが白金の剣を消し、新たな書を開く。

 

 その瞬間、世界が揺らいだ。

 

 フェリクスの手元に槍が降りる。神の威容を放つその槍は、《北欧神話》に登場する主神オーディンが持つ伝説の武器。あまりに有名過ぎるゆえ、説話魔導師でも扱えるのは彼のみとされる究極の幻想。必ず的へ当たるとされる槍。神槍グングニルだ。

 

 その様を一瞥したフーリィンの瞳に嘲りの色が宿る。輪となった書の内の一冊が燐光を放つ。

 

「人の叡智を借りている分際で粋がるか。どれ、余が真の説話を見せようか――」

 

 そこに、レーザーの群が撃ち込まれた。アリーシャの荷電粒子砲だ。百条を超すレーザーがフーリィンを飲み込む。さすがのラファランも唖然とした。

 

 アリーシャは、フーリィンが長々と口上を垂れている隙に多重に魔法を展開し、横合いから魔法で殴りつけたのだ。登場した瞬間に攻撃されるのは、敵であるにしても哀れに思えた。

 

 しかし、これくらいで倒せるならば《ベルベット》は災厄などと呼ばれない。

 

 フーリィンは無傷だった。彼を覆っていた極光が消える。書はまだ開いてすらいない。

 

「ああ、本当に愛らしいなお前らは。その程度の攻撃で余を殺せると思ったか。その愚鈍さは涙を誘うよ。あまりにも可愛らしい」

 

 フーリィンは対極体系の《両義》でアリーシャの攻撃を防いだのだ。彼は説話体系と対極体系の二体系を操る稀有な魔法使いだった。

 

「だからこそ、余が死を与えよう。これが余の送る最大の慈悲と知れ」

 

 書が開く。纏燐光は煌びやかに、フーリィンが《説話筆記》により生み出した自らの幻想を記した書がベールを脱がんとす。

 

 それに恐怖を抱き、誰よりも先に動いたのはジャンヌだった。律法魔法による《法策定》により、物理法則だけを適用した空間を作成。それをフーリィンへと押し付ける。

 

 書の燐光が止まらない。ジャンヌの正義の瞳に焦燥。フーリィンの目には相も変わらず侮蔑が光る。

 

「律法体系は確かに強い。万物を支配する法を操るのだからな。だが知っているか? 律法魔法が括れる事象には限界がある。汝が操る法を超える存在には無力なのだ」

 

 律法体系において、世界のすべては法の下でできている。だからどんなものも操作できるし、法を作り替えて物事を変化させることすらできる。ならば、律法魔法は法のすべてを操ることができるのか。

 

 答えは否。

 

 錬金魔法で括れる“物質”が、弓鶴とステファンでは異なるように、個々の力量で変化する。つまり、ジャンヌではフーリィンを律法魔法で捉えられない。

 

 すなわち、フーリィンはそれほどまでに人の領域を外れた魔法使いなのだ。

 

 魔法使いとは、魔法世界を知覚し、その法則を扱う者だ。ならば、極まれば全身を魔法世界へ置くことで、現実世界の物理法則を完全に超越することが可能となる。

 

 ジャンヌは超高位魔導師だ。現実に存在する法ならば大抵操れる。だが、他の魔法体系の世界には手が出せない。そこは律法魔法の法則によって作られているわけではないからだ。

 

 フーリィンは現実世界にいながら魔法世界に生きている。ここにいるのは、いわば魔法世界から滲み出た影だ。そこに生じる法則は現実世界の物理法則ではなく、説話体系と対極体系の法則だ。現実の法則では括れない。

 

 フーリィンは書を開いたまま、未だ幻想を召喚していない。横殴りの豪雨のごとくに叩きつけられる荷電粒子砲を、いまや対極魔法の《両義》すら使わずに防いでいる。

 

 説話魔法の媒体である魔導書は、物語の世界と現実世界を繋げる一種の扉だ。その扉が開いているとき、その空間は物語の世界へと通じている。それを利用すれば、あらゆる攻撃を物語の世界へ逸らすことが可能だ。

 

 エルヴィンが得意としたこの防御方法は、扱える者が希少な超技術だ。基本的に、書は開けば幻想を召喚し扉はすぐに閉じる。それが説話魔法の法則だからだ。エルヴィンですら二秒程度開き続けるのが限界だ。それを捻じ曲げてまで扉を開き続けているフーリィンはあまりに異常だった。

 

「分かるか? これが格の違いだ。そろそろ悟れ、精霊魔導師よ。いくら雑多な攻撃を投げようが、余には当たらん。路傍の石ころと変わらんよ」

 

 ステファン、リューシエン、クローセル、そして再び召喚されたレライエはアイナルを。その他全員の戦意がフーリィンへ向く。

 

 フーリィンの書から幻想が解き放たれる。

 

 それは道化師だった。黄と赤の縦縞模様のだぼだぼな服に身を包み、顔には真っ白な化粧を施したピエロだ。世を儚むように、左目の下には涙のマークがあった。両手には宵闇に光る銀の輝き、シャムシール。

 

 音も無くピエロが消えた。

 

 女のうめき声。

 

 ジャンヌの脇腹をピエロのシャムシールが薙いでいた。血が迸る。

 

 ピエロは律法魔法による防御結界ごと斬り払ったのだ。常識を超えた強さだ。ジャンヌが脇腹を押さえてピエロへ魔法を発動させようとし、動きが止まる。既にピエロは消えて彼女の背後を取っていた。彼女の右首筋が血を吹き出す。

 

 速い。目にも留まらぬ速さとはこのことか。

 

 フーリィンが目を細めて笑う。

 

「余が作り出した殺人ピエロだ。魔法に頼り過ぎの汝らでは相手にならんよ」

 

 ラファランは内心で舌打ちしつつ、ジャンヌをアリーシャの下へ転移させる。即座に意味に至ったアリーシャがジャンヌの治療を始めた。

 

 神の槍を携えたフェリクスが動く。

 

「うるおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼」

 

 聞く者の臓腑を委縮させる、野獣の雄叫びが響く。フェリクスが槍投げの態勢を取る。グングニルが神々しい輝きを纏う。

 

 殺人ピエロが動く。瞬きひとつの間すらなく、フェリクスの傍に移動しシャムシールを振う。それを転移したラファランが短刀で受け止め――きれない。重すぎる。すぐに受け流す。

 

 ピエロの瞳が怪しく光る。ラファランの背筋に悪寒。一度間合いを開けたピエロが斬りかかってくる。《因果改竄》で左手に短刀を呼び出し、両手でシャムシールの斬閃を逸らす。

 

「早く投げろフェリクス!」

 

「応とも!」

 

 グングニルが放たれ、閃光となってグリーンランドの夜空を駆け抜ける。

 

 ラファランはそれを一瞬だけ横目で見て、連続で舞うピエロの攻撃を流し続ける。受けきれなかった斬撃が肩や腕を斬り裂く。

 

 交差したシャムシールが首を取りに来る。転移して避ける。背後を取ったラファランがピエロの背に短刀を振り下ろす。が、文字通りピエロが消えた。

 

 ピエロは死角となった真上に移動していた。逆さになったピエロがラファランの首を狙う。

 

 それを新たに現れた白金の剣がシャムシールを弾いた。

 

 フェリクスだ。

 

 ピエロが再び間合いを取る。互いに隙の読み合いに入る。

 

「獲ったか?」

 

 ラファランの問いに、剣を構えなおしたフェリクスが苦い声で答える。

 

「渾身を込めたつもりだが、奴の防御結界に阻まれている。あとは天に運を任せるのみよ」

 

 視線はフーリィンに飛ばせない。僅かでも目を離せば、次の瞬間にはピエロに首を落とされる。

 

 伝承では、グングニルは決して的を損なうことはなく、敵を貫いた後は持ち主の元に戻る。かの槍が戻ってきていない以上、いまも槍はフーリィンの防御結界を削り続けているはずだった。

 

「久方ぶりに六冊開かされた。そう長くはもたん」

 

 フェリクスは、魔導書を五冊同時に開く超高位魔導師だが、極限まで集中力と気力を動員すれば六冊開ける。当然、長時間の展開には向かない。

 

 災厄をすべて詰め込んだような面倒な状況に、ラファランは苦笑しかなかった。

 

「自分で呼んだ奴らだろ。ひとりでなんとかしてくれ」

 

「そう言うな。無い知恵を絞りここまで駒を進めたのだ。最後まで付き合うのは弟子の甲斐性だろう?」

 

「仮にも師を名乗るならもう少しまともな巻き込み方をしてくれ。はっきり言って迷惑だ」

 

「《二十四法院》を動員するにはこれしかあるまい。現に、ここまでして出てきたのがステファン老だけだ。さすがに連中の臆病具合には呆れるわ」

 

「それは同感だがな。頼むから事前に話を通してくれ。やりようは他にあるだろ」

 

「言っただろう、無い知恵を絞ったと。俺は不器用でな」

 

「いまこの状況でその言い訳を聞くと本気で腹が立つな」

 

 で、とフェリクスが目を細める。

 

「時間稼ぎはこれで良いか?」

 

 ふっとラファランが微笑む。視界の端に目的の人物が飛び込んでくる姿が見えたのだ。

 

「ああ。あとは頼む、弓鶴」

 

 

 

 



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