艦娘荘へようこそ (あーふぁ)
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始まりゆく時間をマックスと一緒に

 新しい高校へ通うため、遠い場所にあるアパートへと住むために早起きした俺は熱烈に抱きしめてくる母さんに別れを告げ、電車を2回乗り換えては2時間ほど揺られ、バスで20分かけてやってきた。

 目的地へ着き、バスから降りると後ろでドアが閉まる音と走り去っていく音を聞く。

 その音は今までいた世界から新しい世界へと移り変わろうとする音に聞こえた。

 ちょっと緊張した精神を落ち着かせるために深呼吸をしてから腕時計を見ると、時刻は午前10時を少し過ぎている。

 予定通りの時間に着いたことを確認した俺はあたりを見回す。

 ここは今まで住んでいたいた都会から離れていて、太平洋の海が近い田舎町だ。目で見える範囲にはビルや大型スーパーの建物はなく、昔ながらの商店があるだけ。コンビニは1店舗が遠くの方にあったはずだ。

 そもそも建物はほとんどが2階までで、時々3階までのがあるぐらいだ。高層ビルやマンションといったものは見当たらない。

 道路は片側一車線という狭さで、路面はちょっとひび割れている。そんな道路をバスが走り出した後は他に走る車もなく風の音が聞こえるほど静かだ。

 遠くからは波の音と穏やかな風が辺りの木々を撫でる音が聞こえる。

 そんな静かな場所。ここが初めて日本本土で攻撃された場所と言われても変な感じだ。

 植物が生えないほどの毒で汚染されていたとはいえ、長い時間が経っているから戦争の傷跡はもうわからないだろうけど。

 人類が深海棲艦と25年続いた戦争が終わり、今年で戦後70年。

 戦争が終わってから、深海棲艦によって汚染された土地の毒を除去し、復興したと聞いていたけど想像していたよりも田舎だなぁと思いながら、民家と畑に囲まれたバス停から俺は背中に荷物をたくさん詰めたリュックサックを背負いなおして歩き出す。

 3月後半の空は少し肌寒く、厚い灰色の雲が空を覆いつくして太陽の光は差し込んでこない。

 青空だと気分がよくなったんだが。

 小さなため息をつき、耳にかかる程度な長さの髪を風で揺らし、まだ15歳という若い体で移動の疲れを抑えて目的地を探しながら行く。

 ここの平野部の土地は山から少し離れているものの、山と海に挟まれている狭い場所だ。

 あたりを興味深く見ながらも、頭の中は今日これからやっていくことになるアパートの管理人としてやっていくのには少しばかりの緊張がある。

 両親が亡くなり、1人になったばかりの俺を5歳の時に養子として今まで育ててくれた由良さんのためにもうまくやっていかないといけない。

 と、意気込んではいるけれど来月の4月からは高校1年生となり、学業とうまく兼ね合いを取ってやっていきたい。

 ポケットから地図を出し、目的となるアパートへと向かう。

 途中、自販機で飲みものを買い、たどり着いた場所はバス停あたりよりも人気がない海岸のそば。

 森があるせいで海は見えないけれど、潮の匂いと小さな波の音が聞こえる。

 入り口には木でできたボロボロの看板で、書いているはずのアパート名はかすんでいて読みづらくなっている。

 その看板の奥、今いる狭い道路から見えるのは杉や雑木林で作られた厚い森の中にある砂利道だ。

 砂利道の両側は背が高く枝打ちされていない伸び放題の木々に囲まれ、圧迫感を感じる。

 薄暗く、30mかそれぐらいある距離の向こう側にアパートは見えない。ちょうど木々に隠れてしまっているんだろう。

 頭ではわかっていても空も道も暗いと、自分は受け入れられていないんじゃないかと思ってしまう。

 ……しっかりしろ、桜庭祐一。

 今日から新しい生活を始めるんだ。希望がある高校生活という明るい未来のために。だから悪いことの考え過ぎはよくないことだ。

 少し落ち込みながらも前向きに行こうと思ったときに、軽い足音が聞こえてきた方向を向くと小さな女の子が俺に向かって歩いてくる。

 中学生のような顔立ちで背は170㎝ある俺と比べて、140cmちょいぐらいに見える。

 Z3と印字されている紺色の水兵帽をかぶり、ショートボブで色鮮やかな赤毛の髪。

 明るく茶色なキツい目でじっと見つめてくる。

 服は帽子と同じ紺色でセーラー服と膝上までのプリーツスカートを履き、手にはOLが使うような通勤バッグを持って俺の前へとやってくる。

 その時に雲の隙間から太陽の日差しが現れ、その子へと陽が当たる。それを目にした俺は、その光景がなんだか神々しくて言葉を失ってしまった。

 呆然としている俺に、女の子は不思議そうに首を小さく傾げ、すぐに元へと戻った。

 

「あなた、この先に用があるの?」

「ああ。今日からここに住むんだ」

「なのに立ち止まって何を見ていたの。ここには見るべきものなんてないと思うけど」

「この入り口を見ていると、俺が来たのは望まれていないんじゃないかって雰囲気を感じて」

「だけど、あなたが行く先はこの向こう側。たとえ望まれていなくても目的があるなら行くべきだと思う」

「……君の言っているとおりだ。ここにいたって見ていることしかできないし」

「そう。じゃあ、行くわよ」

 

 俺を見上げてきた女の子は、俺が持つリュックサックを見たあとに背を向けて薄暗い道を歩いてくる。

 空を見上げると灰色の雲は割れていき、空には青空が見える。そして彼女が歩いていた後には太陽の光が降り注ぎ、それは幸先のいい何かの予兆を感じた。

 女の子の後ろを歩いていくと、この子は何者なんだろうかと思う。アパートの住人は家族で暮らしている人はいなく、どの部屋も1人ずつしか住んでいないと聞いたのに。

 単にこのあたりに住む子で親切な子……ではなくて住人なんだろうか。迷いなく歩いているからそうなんだろう。

 その小さな女の子の後ろを歩き、木々に囲まれた道を歩いていくと開けた場所に出た。

 そこは今までの狭い道から、一気に広くなった空間がそこにあった。

 目的地であるアパートも見えるけれど、まず目に入ったのは庭だ。西洋式の庭がテニスコート2面ほどあり、そこには芝生とチューリップを始めとした様々な種類の花と木がある。

 その綺麗な庭につい見入ってしまい、何十秒か見ていると視線を感じる。

 その方向へ振り向くと、少し先にいる女の子が足を止めて俺を待っていた。

 早足でその子のところへと行き、一緒に歩いてたどりついたのはアパートだ。木造2階建てで6部屋。ベージュ色の外壁で階段は建物の外側向きに1つある。

 女の子は101号室、つまりは今日から俺が住む部屋である扉の前に立つ。

 

「鍵は持ってきている?」

 

 そう言われ、ポケットの中にある財布から鍵を取り出して扉の鍵を開け、開いたことに今日から住めるんだと安心する。

 安心したところで後ろへと振り向き、忘れていた自己紹介を小さい女の子へとする。

 

「今日からアパートの管理人となった桜庭祐一だ。迷惑をかけることもあるだろうけど、これからよろしく」

「私は隣に住んでいる艦娘のマックス。あなた宛ての荷物が届いているから持っていくわ。部屋の中で待っていて」

 

 俺の発言に何の感情も揺らさず返事をされるとの、てっきり中学生だと思っていた子が艦娘だと知り、呆然としてしまう。そう、艦娘なら小さい子だってありえる。母親の由良さんを基準にしていたから、艦娘はある程度成長していると思い込みがあった。

 自分の意識が固まっていたことに嘆いているあいだ、そのあいだにマックス……マックスさんは部屋へと入っていった。

 艦娘は戦争中の間に生まれた存在であり、戦争の間だけ現れていた妖精と呼ばれる小さな生き物によって作られたとも言われている。

 その詳細はいまだわからず、機密扱いの部分が多い。わかっていることのひとつは、艦娘は戦争が終わったあと数が増えていなく、段々と珍しい存在になっていく。そのために艦娘を知る人はとても減り、もうこの世界にはいないんじゃないかと憶測を立てる人もいる。

 そんな珍しい存在である艦娘のマックスさんは中学生のような外見でありながら、戦争が終わって70年が経つからそれ以上の年齢だ。

 見た目どおりの幼い少女ではない。

 ……今まで気安く接していたけれど、目上のだから敬意をもって接しないといけない。

 そう考えてから自分の部屋となる101号室へとドアを開けっ放しにしたまま入っていく。

 靴を脱いで中へ入ると、ちょっとよどんだ空気と薄くホコリが積もった床板が見える。靴下を履いた足で上がるのを少し戸惑うが、引越しは汚れるものだろうと考えてからあがっていく。

 上がってすぐにキッチンの場所がある。それに隣接するのは風呂場とトイレ。その奥は小さな部屋は洋室で11畳。

 話に聞いていたとおりの1Kな間取りだ。今まで母さんと暮らしていた一軒家より狭いが、1人で暮らしていくならこんなものだろう。

 キッチンの場所から奥にある唯部屋の中は綺麗で木の独特な匂いがかすかにする。

 南向きにある窓を開けると、そこには土を固めて作られた駐車場が見えるも今は1台も止まっていない。

 建物の裏側も表と同じように花が植えられているが場所が狭いだけに規模は小さい。そして窓から見える景色の奥はぐるりと木々に囲まれている。

 自然に囲まれている、と言えば聞こえはいいけど夏にはセミの声、普段からは鳥の鳴き声が聞こえてうるさそうに思える。

 都会の人が言う、鳥のさえずりで目を覚ますという理想はすぐにできてしまいそうだ。

 これからの寝起きを想像していると入り口から重い荷物が置かれる音が聞こえて振り向く。

 そこには段ボール3つを縦に積み重ねたのが玄関へと置かれ、マックスさんの後ろ姿だけが見えた。

 窓を網戸にして閉めると慌てて玄関に向かい、背負っているリュックサックを隅っこに置く。そうしてから服に食器や本が入っている段ボール箱を1つずつ部屋の中へと入れていく。

 俺は体力に自信があった。中学の時はソフトテニス部で運動し、中学を卒業してからはランニングや筋トレ、ストレッチで筋肉が衰えないようにしていた。

 だけれど、マックスさんは汗をかかずに次々と持ってくるのに対して、俺は1つずつしか運べない。

 運んでいるうちに息も荒くなり、汗も結構出てきてしまう。

 段ボール以外にも棚や掃除機、自転車や勉強机なども部屋に運ばれていく。

 途中から玄関へ全部の荷物を置き終えたマックスさんが入り口に立っては俺が荷物を入れていく姿を見ていた。

 玄関に置いてあった荷物を部屋の中へ運び終わると、マックスさんは部屋に入ってきてスカートのポケットからハンカチを取り出す。

 刺繍が入った白いハンカチを差し出されるて使っていいか戸惑うも、好意をありがたく受け取り汗を拭き取っていく。

 

「おつかれさま。ハンカチはこっちで洗うから」

「はい、ありがとうございます」

「……出会ったときは敬語なんてなかったと思ったけど」

 

 汗を拭き取ったハンカチと渡すと、最初とは違う敬語を使った言い方にマックスさんは眉をしかめ、ハンカチをしまっては不機嫌な声を出してくる。

 見た目は俺より幼く見えても年上であり、艦娘という世界を救った功労者の1人だ。世の中には神として崇める人もいるが、俺はそこまでせずとも敬意の念はあるつもりだ。

 だが、本当に嫌ならその艦娘の言うことに従えという由良さんの教えもある。

 艦娘は人とほとんど同じであり、簡単に言うなら不老で身体能力が高い人だとも言われた。艦娘にも敬われたい人、普通の人と同じように扱われたい個人がある。

 

「最初のほうがいいですか」

「ええ、そうして。このままだったら私はあなたといい関係を築ける気がしない」

「わかった。母さんから艦娘と出会ったときは敬意を払いなさいって言われていたから」

 

 冷たい言葉と冷たい表情をしていたマックスは俺の言葉を聞くと、小さく頷く。

 

「一部の艦娘はそうしないと怒る子がいるのは事実ね。あなたのお母さんは正しい。私が理由も聞かずに不満を持ったのは悪かったわ。ごめんなさい」

「いや、気にしてないよ。それにわざわざ手伝ってくれるからマックスがいい人なのはわかっている。ありがとう」

 

 心から感謝をするとマックスは俺の顔を見て驚いたように一瞬だけ目を見開くが、少し視線をそらしてから落ち着いた様子に戻った。

 

「さて段ボールの数もあっているし、これで運ぶのはおしまいだ」

「荷ほどきも手伝う?」

 

 疲れた頭にこのまま手伝ってもらおうと言葉が口から出かけ、何か悪い予感がして口を閉じる。

 少し考えるも何かがわからないため、断ることにする。

 

「大丈夫。1人で大丈夫だから」

「……ああ、そっか。幼いとはいえ、あなたも男の子だものね。女である私には見せられないものがあるということに気づけなかった」

 

 そういうマックスの口元は微笑みながら少し残念そうに言ってくる。

 きっとアダルトな物を見つけてからかってくる気があったのが実にわかる。

 だが、そうされても問題はない。きっとマックスが見つけたとしても意外性はないものしか見つからない。

 若い男らしく俺だってアダルト系な写真集はある。それらは母親である由良さんにチェックされた健全な物しかない! 金髪や銀髪といった外国系、巨乳系以外ならいいという許可をもらったものだから!!

 こっそりと友人からアダルトな本をもらっても次の日には勉強机に置かれているというショックにはもう慣れた。

 だから同じ艦娘であるマックスに見つけられてもそれほど変な目で見られないはずに違いない!!!

 …………いくら大事な母親である由良さんと言えども、これからは男にもふれられたくない部分があるとしてチェックは断ることにしよう。

 

「そこのところはあまり気にしないでくれるとありがたい。ここまで手伝ってくれてありがとう、マックス」

「別に礼はいらないわ。それじゃあ頑張ってね」

 

 そう言ってスカートを揺らしながら扉を閉めて部屋から出ていくマックスを見送り、俺は恥ずかしさを感じながら深いため息をついてしまう。別にえっちな本が見つかったわけではないけれど、こう、会ったばかりの人に言われると恥ずかしいものだ。

 でも頬を軽く叩くとすぐに気分を変え、荷ほどきを始めていく。今日はひとまず食事と寝れることできるのを目指してやっていこう。

 部屋へと無造作に置いた段ボール箱。まずはその表面に書かれてある文字ごとに物を分けていく。

 そのあとは丸く小さなちゃぶ台を部屋の真ん中に置き、その次は食器棚の梱包を解き台所側へ。そのあとは食器類をちゃぶ台へと広げ、それぞれ目的別に分けては食器棚へ。

 それらを終えたあと、忘れていた電気やガス、水道の確認をする。

 電気や水道は使える状態で、ガス台の設置は後回しなために未確認だ。まぁ今日の夜になるまでにやってしまえばいいだろう。

 お腹が減ったのを感じて腕時計を見ると12時ちょいを過ぎたころ。このままでは空腹で作業を進めるのはとても辛いため、どこかで買ってくるか食べに行かないといけない。

 ここへと来る途中に会った店に寄……寄れるところがあっただろうか。商店はあったけれど、何を売っているか店の中までは確認していない。外食できるような場所も。

 自販機はあったけれど、売ってたのはジュースだけだ。町の中を探せば食べるところぐらいはあるだろうけれど、今から探すのは実に面倒。

 大きなため息をつくが、腹を満たすために動かなければいけない。

 部屋の隅に置いてあるリュックサックから財布を取り出して探しに行こうとしたとき、ノックの音が響く。

 言い忘れでもあったのかと思い、扉を開くとそこにはポットとカップラーメン2つと割りばしを持ったマックスの姿があった。

 

「この近くに食べれるお店がないから。迷惑?」

「いや、嬉しいよ。食べれるものは持ってきてなかったし」

 

 マックスを部屋にあげるが、まだ座布団やクッションは準備できていない。

 そのことを謝るもマックスは気にするでもなく、ダンボールが積まれている中でちゃぶ台だけが部屋のまんなかにある部屋へと入る。

 すぐにちゃぶ台にポットを置くと、カップ麺を渡してくる。

 俺とマックスはちゃぶ台越しで向き合うように床へ座ると、カップ麺を開けてお湯を注ぐ。

 

「できるのを待っているあいだ、聞きたいことがあるんだけどいいか?」

「私のスリーサイズを聞いてもつまらないと思うんだけど」

「そこから離れてくれ……離れてください」

 

 からかいながら楽しそうに言ってくるマックスに、頭を下げてからかうのをやめてもらってから俺はここに住んでいる人たちのことを聞く。

 全部で6部屋あるアパートは今日で満員となり、他4部屋に住んでいる人たちも全員が艦娘とのことだ。全員がここに住んで10年以上が経つため、もう遠慮がない仲だと言う。

 その住んでいる人たちの名前はリシュリュー、ガングート、磯風、熊野の4人だ。

 そのうちの1人、リシュリューは海外旅行中で他の3人は仕事中とのことだ。

 マックスも今日は仕事だったが業務指示だけをし、俺の面倒を見てくれるために帰ってきてくれた。

 そういう時間が取れるマックスは雑貨や食品などの輸入をしている貿易会社の社長をしている。

 見た目が中学生でも艦娘のマックスは70歳以上の年齢で大人なのだから仕事をしていることぐらい当たり前のことだ。でも社長なのにこういう小さなアパートに暮らしている理由はわからないけれど。

 聞いた感じでは会社の規模が大きいみたいだし、単にお金がないというわけでもない。あえてここに住むのは何か理由があるみたいだが、何も言わないのだから俺が聞く必要もない。

 

「ありがとう、マックス。おかげで色々知れたよ。他の人たちと会う時には失礼がないようにしないと」

「他の子たちは私より心が広いから失敗しても大丈夫。……それで次は私の艦娘としての戦歴も聞きたい?」

 

 途中からカップ麺をお互いに食べながら続けた会話だったけれど、ふとマックスが食べる手を止め、まっすぐな目で俺を見つめてきた。

 その目は今までの雑談ではないという空気を感じる。自然と俺も食べる手を止め、緊張してくるがさっき言った自分の言葉を思い出して言ったとおりのことを言う。

 

「興味あるけど今はいいや。マックスが言いたくなったら聞かせてもらうよ」

「わかったわ。じゃあ、次の話だけど私は85歳よ」

「聞かないって言ったんだけど」

「これは戦歴の話じゃないもの。で、今のを聞いてどう思う?」

 

 どう思うと言われても返事に困る。不老である艦娘と人間では年齢の意味が違うし、母親である由良さんは艦娘で94歳だ。そんな歳なのに見た目は高校1年生ぐらい。

 小学校での授業参観では親として来ているのに、同級生の子たちからは『お姉ちゃんが綺麗だね』とそういうことを多く言われた。

 中学校に上がると今度は年上の恋人疑惑が。

 戦後70年と戦争が終わってからが長く、誰が艦娘か知る人も少なくなった。また艦娘と知った人からは気にせず接する人と気持ち悪がられることも。戦後すぐは艦娘への差別、深海棲艦に向けられた暴力的な力が向けられると恐れた人がたくさんいたらしい。

 人は自分が理解できない、したくないものを嫌い、嫌がらせや悪口を言いたくなるもの。

 だが、それがいったいなんだ。由良さんは俺にとってただ1人の母親だ。本当の両親はお互いに不倫をしたあげく、殺し合いをして同時に死んでしまった。親族はそんな俺を引き取らず、亡くなった曾祖父と縁のあった由良さんだけが俺を大事にし、育ててくれた。

 艦娘がどうとか、年齢、兵器扱い、戦争中毒などと言われても気にしない。たとえそれが原因となって俺まで罵倒されようとも。俺を愛してくれたのは艦娘だけだったから。

 だから人よりも艦娘のほうを俺は信じている。ただ、艦娘は由良さんのことしか知らないけれど。

 こうして話をしているマックスは由良さん以外で初めて会う艦娘だ。

 そのマックスは俺がこうして返事を考えているあいだ、今までの冷静な様子や表情が変わっていなかったのに今だけは落ち着きを感じられない。

 

「戦争しているあいだ、死なずに生きてきたんだなぁって」

「それだけ? 艦娘に好意的な人でも他にあるはずだけど」

「ない。俺は母さんを知っ―――あぁ、母親は艦娘の由良さんなんだ。5歳の時から育ててくれて、今だって俺の行きたい高校へ通うためにここへと住ませてくれた。それと昔から艦娘についてのことを多くを教えてくれたよ。戦争をやっていたときに嬉しかったことや悲しかったこと。戦友が死んだ話は俺も涙を流し、俺の曾祖父である妻帯者の提督へ片想いの初恋をしたときの話なんて砂糖を吐きそうだなんていう表現になりかけた」

 

 母さんのことを思い出すと、自然に笑みが出てくる。まるで本当の息子みたく大事にしてくれた。

 行きたい高校を我慢したときにはお金なんか気にしなくていいと言ってくれ、それでも気にした俺にこのアパートを管理してと任せてくれた。

 いつか高校を卒業し、就職か進学かはわからないけど恩返しがしたい。具体的に何をするかはまだ決まってないけど。

 

「……あなたにそんな顔をさせる由良のことを―――あぁ、敬称をつけないのは許して。由良とは終戦までずっと戦ってきた戦友なの。……だからこそ、人を避けて生きてきた私と違ってうらやましく思うわ」

「うらやましい?」

「ええ。知っていると思うけど、私たち艦娘は子供を産むことができない体だから息子や娘が欲しいと思う時があるの。……戦争が終わって戦後すぐに世界旅行へ行ってくると言っていた由良と会うことはなかったけど幸せな生活をしているのね」

 

 マックスは小さなため息をつき、憂鬱そうに窓の外を見た。

 艦娘は人と同じながらも違う部分のひとつが、子供を産めないということ。

 女性という形で生み出されながら、女性としての部分を削った彼女たちが戦争の道具にされるのはなぜかということの意味を下がる議論が戦争中、戦後少しのあいだ過熱していたそうだ。

 今では当時の艦娘を知る人は少なく、艦娘自体への興味が減ったために近頃はそういうのがない。

 寂しそうな横顔に俺は彼女に対して何かをしてあげたいと強く思う。

 中学生である子供の俺ができること。金銭面は無理だし、車でドライブなんてこともできない。できることは1人暮らしのためにと母さんから教わった料理だけだ。

 

「マックスはいつもご飯を作っているの?」

 

 俺は伸びたカップ麺を食べ始め、重い話をなんでもないことのようにして話を始める。

 

「いいえ、作ってないわ。包丁やナイフとった刃物が怖くて握りたくないの。戦争では剣を使っての格闘戦もしたほどなのに、今となっては見るのも嫌」

 

 今までの淡々とした喋り。けれどもその言葉には本当に嫌がっているのと恐怖、後悔といった感情が伝わってくる。

 そんな心の中を覗いた罪悪感を感じ、俺はある提案をする。

 

「今回の手伝ってくれたお礼として、ご飯を作らせてくれないかな」

「……ご飯?」

 

 その言葉を聞いたマックスは俺に目を合わせてくれ、落ち込んでいた表情は不思議そうに疑問を浮かべている。

 

「どうしてもお礼がしたくて」

「そう、どうしてもしたいなら仕方がないわね」

 

 その嬉しそうな微笑み。それを見せてくれたことはとても嬉しい。

 そんな顔をしてくれるのなら、いくらでもご飯を作ってあげたいと思ってしまう。

 

「今日明日は無理だから予定として―――」

「お弁当がいい」

 

 俺の言葉にかぶせ、力強い言葉で言ってくる。

「弁当?」

「そう、お弁当。男の子の手作り弁当なんて今まで食べたことないわ。それに外食や出前ばかりでもう飽きたから。人の気持ちがこもった、売る目的でない手作り弁当がいいの。言うなれば、少女漫画みたいなことを体験してみた―――」

 

 弁当という言葉を聞いてから力強く言い始めたマックスは恥ずかしかったのか、俺から目をそらす。そうして10秒ほど経った頃に元の落ち着いた表情になる。

 

「……職場で持っていって食べたいのよ。普段の私は忙しく、あなたと一緒に食べる時間が合いそうにないから」

 

 俺はさっきのことを何も聞かなかったことにする優しさを発揮し、マックスとの会話を続ける。マックスにも少女漫画に憧れる可愛い部分があるんだなぁと穏やかな気持ちになりながら。

 

「母さんの弁当を作ったことは結構あるから、お礼は弁当でも大丈夫だ」

「嬉しいわ。あとで苦手な食べ物のリストを作って持ってくるから」

 

 俺が後日マックスの弁当を作ることが決まると、俺たちは麺が伸びきったカップ麺を食べていく。

 食べ終わったあとはマックスがゴミとポットを持ち、立ち上がって帰ろうとする。

 俺はそれを見送るために玄関へと行く。

 

「荷物の運び込みやご飯ありがとう、これからも色々世話になるかもしれない」

「別に構わない。私もそういうことがあると思うから」

 

 そう静かな、さきほどまでの興奮した様子はすっかりなくなり落ち着いた様子で靴を履き、扉を開ける。

 でも外へ出ていくとき、マックスは微笑みを俺へと向けてくれた。

 

「艦娘荘へようこそ、祐一。私はあなたを歓迎するわ」

 

 そう言って扉が閉まったあとも俺はぼぅっと立ったままでいてしまう。

 最後に見た笑顔はかわいらしく、ああいう笑顔を見せてくれたのは嬉しい。そして、また素敵な笑顔を見たいと思った。




連載の1話目として書いていた話。
予定していた、明るくて爽やかな話ではなくなったために中断。


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安心できる場所とガングート

 笑顔を残し、部屋から出ていったマックスと別れた俺は、床に寝転がって一休みしたあとに片付けを再開した。

 段ボールの箱にしまわれている荷物の梱包を解き、中身を棚や床へと並べたりして集中しながらもやりすぎないように時間を気にする。

 そうしてひと段落ついたとき、ここへ来るときに見かけた商店に夕食と翌日に食べる物の買い物へと行く。

 いくつかの商店を巡り、食料品を手に入れてからは家へと戻ってまた作業を再開する。

 梱包を開いて整理する作業が終わり、料理を作る元気がなかったためにカップ麺で夕ご飯を終えたあとは母さんへ引越し完了の電話だ。

 今日の朝に会ったばかりだというのに、声を聞くとちょっとだけ寂しくなってしまう。5歳の頃から一緒に暮らし、これからは別々に暮らすということが段々と実感していく。

 母さんは電話越しに俺のことをとても心配し、住んでいる艦娘にいじめられたらすぐに呼ぶのよ、なんてことを入念に言ってくるのだから。

 電話を終えたあと、引っ越ししたんだなぁと感じながら、寝転がってぼぅっとしていると挨拶をしに艦娘たちがやってきた。

 その艦娘たちはマックスが言っていた、ガングート、磯風、熊野の3人だ

 3人とも美人で、だけど2人ほどは怖そうだ。でも熊野という女性が優しそうな雰囲気なのに一安心する。3人からはマックスと同じような名前呼びや話しかたでやっていこうと言われたことで、敬語をあまり使わずにフレンドリー、でも敬意を忘れないように気を付けないといけない。

 そうして緊張しながら、それぞれの艦娘と挨拶を終えたあと、今までどんな人かと軽く緊張していた気持ちは落ち着き、新しい日を終えることができた。

 翌日はカーテン越しに明るい太陽の光を感じながら朝9時という遅い時間に起きると、誰もいなくて静かな艦娘荘での1日が始まる。

 寝間着からチノパンとシャツに着替えをし、昨夜に引き続きカップ麺の朝ごはんを食べると部屋の細かい片付けをする。そのあとは艦娘荘の建物がどういう状態かを見て回る。

 素人目ではあるけれど、激しく痛んでいるところがないと確認してからは、立派な庭へと歩いていく。

 庭には昨日見て心奪われた立派な西洋芝が植えられていて、ずいぶんと手がかけられた木々や庭は見ているだけで愛情を感じられた。

 ただ美しく剪定をして形を整えただけでなく、木ごとにやり方が違っている。風や日差しが入るように、または細い枝を丁寧に切っている木が。

 そして芝生は端っこのほうまで綺麗に刈られている。芝生の手入れはあまり詳しくないけれど、芝刈り機だけでは綺麗にできず、機械ではできない部分を鎌で刈るという作業が必要だったような気がした。

 この綺麗な庭の維持は誰がやっているかわからないけれど、よければ俺も一緒にやってみたいなんて思ってしまう。

 それは維持が大変だと思う気持ちと、自分の手でやれば愛着と満足感、美しさを味わえると思って。

 そんな芝生や木々をぼぅっと5分ほど眺めたあとは駐車場がある裏手へと回る。

 裏手には窓から見えた、地面を固めただけの駐車場があった。そのそばには小さな畑が。

 俺が住んでいる部屋ひとつぶんほどの広さしかない小さな畑には、白いプラスチックのネームプレートが突き刺されていて、それぞれにバジルやオレガノといったハーブの名前が書いてあった。

 3月の末だからか、プレートがある名前の植物はまだ何も生えてはいない。種を蒔いたばかりなんだろう。

 その畑のそばには、木で作られた物置があった。その物置は学校にある掃除ロッカーを横にふたつ並べた幅で奥行きも同じくふたつをくっつけたような感じだ。

 扉を開けると、錆びた蝶番から耳障りな甲高い音が鳴る。

 物置の中にはガーデニングや畑仕事で使う様々な道具があった。その道具のひとつひとつの正しい名称はわからないけれど、どれもが手入れをされていて刃はサビもあまりなく研がれているように見える。

 ……管理人として来たけれど、俺の仕事はあまりないんじゃないんだろうか。と、そんなことを思ってしまう。管理というのは水道管が凍結した、壁に穴を開けてしまったと相談をされた時に対処をすることや、敷地内の手入れをすることだと思っていた。

 でもこのままだとあまり仕事もなく、平和に高校生活を送ってしまいそうだ。

 それが悪いわけではないけど、何かしたい。そう思って敷地内をぐるぐる歩いていると、仕事になる部分があることに気づく。

 周囲の森には枝が折れた枝や葉っぱが溜まっていて、片付けをしないと見栄えが悪い。悪いといってもそのままでも問題ないだろうし、わざわざ気にする人もいないだろうけど少し気にはなった。

 他にはアスファルトの道路からこちら側にある砂利道には道の脇や真ん中あたりに雑草が生えていて邪魔に思える。

 やることはないと思っていたが、注意して見てみると少しはあるものだ。見栄えに影響する草取りをさっそく今日から始めないと。

 やることを決めたあとは部屋に戻って出かける用意をし、自転車で出かける。

 目的は町の把握に食料と雑草取りに使う軍手を買うことだ。

 町をぐるりと巡り、10隻ほどしか漁船がいない小さな漁港から高さが100m程度はありそうな山のふもとまで。といってもそれほど距離はなく20分ほどでたどり着く。

 町の様子がおおまかに分かったあとは、途中で見つけた店で買い物をする。

 自分の部屋へと帰った俺はで軽く飯を作ったあと、午後は引越し後の手続きをやっていく。昨日のうちに電気や水道の確認をしてあり、あとは業者の人と一緒にガスの開栓手続きだ。

 それが終われば、もう手続きは全部終了となる。役所関係なんかは母さんが全部やってくれたから。

 あとは高校の入学式を待ちながら暮らしていくだけだ。

 そんなだからこそ考えてしまう。早く大人になって、自分でできることは自分でやって母さんの手間をなくしたいと。

 引き取ってもらってから、多くの時間と愛情とお金をかけてくれた。そんな母さんに早く恩返しをしたいと思う気持ちがあるのはあたりまえのことだ。

 

「大人は遠いな……」

 

 ひどく静かな部屋でぽつりとつぶやいてしまう。

 小さくため息をついたあとは、今できることをやっていこうと決心し、買ってきた軍手を身に着けて雑草取りへと行く。物置によって、取った雑草を入れるバケツを持ってくるのも忘れず。

 昨日と今日で1度ずつ通った砂利道。そこにしゃがみこむと、名前もわからない草たちを次々に抜いていく。

 穏やかな風に木々が揺れ、葉っぱ同士がこすれる賑やかな音。まぶしくも暖かな日差しを頭と背中に感じながら穏やかな気分で作業を続ける。

 途中、腰が痛くなりながらも休憩しつつやっていると、ふとエンジン音と砂利道を踏んでゆっくりと走る車の音が聞こえた。

 顔をあげると、そこには外国の軍用車っぽい大きな車を運転し、暗い赤色の半袖シャツを着たガングートが左の運転席にいるのが見える。

 昨日あったガングートは月明かりがよく似合いそうな綺麗な銀色の髪色で、腰あたりの長さまでの癖っ毛がちょっとあるロングヘアーだ。

 20歳ほどに見える顔、琥珀色の瞳に白い肌に目を奪われる大きくて形のいい胸。ツリ目な目元の下にある左頬のまっすぐな傷跡があって少し怖く感じる。

 だが、頭のてっぺんにはアホ毛と呼ばれる癖っ毛があり、そのために全体の怖さが抑えられている。

 

「自主的に雑草取りをするなんて素晴らしいな」

 

 運転席の窓を開け、身を乗り出しては感心したふうに俺へと声をかけてくれる。

 声をかけてくれたことに嬉しく感じながら俺は立ち上がると、邪魔にならないように道の隅っこへと移動した。

 

「おかえり、ガングート……さん」

「マックスと同じように呼び捨てでいいと言っただろう。仲良くなるにはそっちのほうがいいからな」

 

 そう言ってにんまりと笑みを浮かべてから窓を閉めて走り出すが、すぐに車は止まってしまう。

 何か変なことでもしただろうかと不思議に思っていると、ガングートはルームミラー越しに俺を少しのあいだだけ見つめてから走り出した。

 その車の姿が艦娘荘の裏側に行くまで見送ったあと、また雑草取りの作業を再開する。

 でもそれはすぐに砂利道を踏む音が聞こえたことによって中断された。

 顔をあげると、さっきは運転中だったために見えなかったガングートの黒い長ズボンが赤いシャツとの色合いのバランスがよく、とても似合っている服装だ。

 

「おい、祐一。お前はさっき私になんと言ったか」

 

 その少し怒ったような声を聞いて立ち上がった俺の前に、俺よりちょっとだけ背の低いガングートがやってくる。

 背が小さくても筋肉が充分についている体格で鬼気迫るほどの表情をするのはなかなか怖い。

 なにか変なことを言ったかなと怖いガングートを前にして考え、最初に言った言葉かなと思い当たる。

 

「……おかえり?」

「それだ、それ。今のをもう1度、さっき会ったときのように言ってくれ」

 

 ガングートは何度か頷いたあと、俺から距離を取って穏やかで落ち着いた表情で言葉を促してくる。

 俺は深呼吸をし、1度視線を空に向けてから言う。

 

「おかえり、ガングート」

 

 それはさっき言ったときのように、嬉しさと優しさの感情を込めた挨拶の言葉だ。

 この言葉を聞いたガングートは硬直したように固まったあと、恥ずかしそうに両手を顔に当てては俺へと背を向けた。

 

「ガングート?」

「待て、少し待て。……………よし。誰かにおかえりと言ってもらうのはずいぶん久しぶりだ」

 

 なんともなかったかのように振り向いたガングートは明るい笑みを浮かべた。

 恥ずかしかった瞬間を隠したがっているらしいから、そのことに何も言わず、おかえりの挨拶についての話をしていく。

 

「そんなに?」

「ここに住んでいる奴らとはそんなことを言わないからな。戦争中は出撃から帰ってきたあとに、よく言って言われたものだ」

 

 遠い目をして空を見上げるガングートに釣られ、俺も空を見上げる。

 高くて遠い、ライトブルーの色をして透き通るほどの青空を。

 

「祐一、明日は早朝から釣りに行かないか?」

「釣り?」

「仲を良くするなら釣りだろ? 私の好きな映画でも、平社員と社長の人が釣りを通じて物凄く仲良くなったのを私は知っている」

「まぁ明日の予定は空いているからいいけど。でも釣り具はないし、未経験だ」

「なに、心配するな。竿も仕掛けも餌も腹が減ったときのメシも全部私に任せておけ。場所は近くの漁港で堤防からのウキ釣りだ。お前は暖かい恰好をしていれば、それでいい」

「そこまで言ってくれるなら甘えるけど」

「ああ、存分に甘えろ。今日の夜にまた連絡するからな!」

 

 そう言ってガングートは気分良さげに自分の部屋へと帰っていった。

 釣りはやったことがなく、初めてやることを楽しみにしながら雑草取りの作業を再開した。

 

 ◇

 

 翌朝の午前5時半にガングートが部屋にやってくると30分前に起きていた俺は長袖長ズボンの服の上にジャンバーを着て、ズボンに白いコートを羽織っているガングートと一緒に車で漁港へと向かう。

 ごく短い時間だけ車に揺られて目的地に着くと、俺とガングートは車を降りて釣りに使う道具や荷物をそれぞれふたりに持って防波堤の上を歩いていく。

 とこどころ雲がある夜明けの空に太陽が昇り始めた時間帯。小さな湾内には漁で漁船がいなく、波と風の音しかしないほどに静かだ。

 海特有の湿った風と磯の匂い。それらがむせそうなほどに強く、けれども早朝のために冷えた空気は新鮮さを感じて歩く足を止めて2度深呼吸をしてしまう。

 吸い込んだ空気は冷たく、寒さで顔がこわばり、手をすりあわせて暖める。昼間とは違う空気にどことなく現実感がない。

 先に歩いていたガングートは立ち止まって俺に気づいて振り返ると、小さな笑みを浮かべて楽しそうに見つめてくる。

 その小さな子供を見るような、実際中学生である俺は子供には違いないのだが、それが恥ずかしくて早足で歩きだして隣へと並ぶ。

 俺が来たのに合わせ、ガングートは再び歩き出す。

 

「今日の海は風も穏やかで空も悪くない。釣りをするにはいい天気だな!」

「……俺には寒いんだけど」

「その格好をしていれば問題ないから気を強く持て! 男の子だろ!」

 

 精神論を言われながら、少し痛い程度の力で肩を叩かれてしまう。顔で嫌そうにするも、ガングートは気にせずに防波堤に向かって歩いていく。

 湾の外側には波を打ち消すテトラポッドが防波堤沿いに置かれてあり、それに打ち付ける波しぶきの音とガングートの元気な声を聞き、防波堤の先端部分あたりの場所に荷物を置く。

 置いたものはクーラーボックスに、釣りの仕掛けが入っているプラスチックの箱と大きめな布の袋。釣り糸を出したり巻いたりするのに使いやすいスピニングリールとセットで着いている、やや短めの竿が2本だ。

 

「準備しておくから、祐一はそのへんをぶらぶらしていていいぞ。あぁ、海に落ちたときは叫んでくれよ?」

「落ちないように努力するよ」

 

 釣りの仕掛けを準備しながら、からかうように言ってくるガングートに対して適当な返事をして俺は堤防から1歩足を出し、重なって置かれているテトラポッドの上に乗る。

 そして人生初めてのテトラポッドに乗ったのはなんでもないことなのに、なんだか感動してしまう。海に近づくことさえ珍しいから、こんな気持ちを持ったのかもしれない。

 昔から海に行く機会はなかった。母さんと一緒に出掛けたときは、俺が海へ近づかないようにとうるさいほどに注意をされてきた。

 別に海を嫌っているようではなかったけれど、俺が近づくのを極端に嫌がっていたのが今でもわからない。

 テトラポッドの上から見る海は遠くから見るのと違い、視界いっぱいに広がる景色は言葉にできないほどの壮大さだ。

 それでもこの気持ちを言葉にするのなら、すごいという単純な感想の言葉が真っ先に浮かぶ。どんな遠くを見ても海しかない。これが水平線というものだろうか。

 視界に映る景色は深く暗い青色の海と、まぶしい朝日の色と青のグラデーションがある空。

 そんな海を近くで見たくなった俺はテトラポッドを伝って下に降りていき、別なテトラポッドへ移る。そこは波しぶきがかかりそうなほど近く、波がテトラポッドへぶつかる音も大きい。

 下を見るとテトラポッドが積みかなさっている所は太陽の光が届かなく、影になっている。でもその影は木々や建物の影とは違い、つい吸い込まれそうなほどの魅力を感じる。

 それをじぃっと眺め込んでいると、上からガングートの「準備ができたぞ、あがってこい!」と声がかかり、海の底に沈んでしまいそうな意識が浮き上がる。

 堤防の上に戻ると、ガングートがあぐらをかいて座っていて、その隣には用意された竿が2本置かれている。

 俺は簡単な釣り竿の説明を聞いたあと、俺はそれをじっと見つめる。

 竿の先から伸びる糸には棒ウキと餌がついた針があり、その針にはミミズに足をつけたような気持ち悪い生き物が短く切断されてつけられていた。

 

「……ガングート、それは?」

「これか? これは釣り餌だ。アオイソメを切った奴でな。釣りをやったことがないなら見るのは初めてか。これはアオイソメという名前の虫で、釣りではごく一般的な餌だ。さわってみるか?」

 

 そう言って俺へと差し出してくる透明なパックに入っていたのは、言葉にするのもおぞましい虫がたくさん詰められていた。

 それはまるでホラー映画を連想する光景。そんなモノを魚が食べていると知ってしまった今、しばらくのあいだ魚を食べたくないという気持ちでいっぱいになってしまう。

 

「あー……気持ち悪かったか。すまん。戦争中の時にも駆逐の奴らに見せたら同じ反応をされたな。……男のお前なら大丈夫だと思ったが、これは私が悪かったな」

 

 顔を少しうつむけ、ひどく寂しげな顔をしたガングートは置いてあった竿を持って湾内側の海へと糸を垂らし始めた。

 それはとても悪いことをした気持ちになってしまい、親切でしてくれた想いを踏みにじってしまったのではと強い後悔の気持ちを抱く。

 俺は深呼吸をしたあと、置いてあったもうひとつの竿を持つとガングートの隣に座る。

 

「これはどう使えばいい?」

「ん、あぁ、それはだな、リールについている―――」

 

 そうして竿やリール、魚が餌に食いついたときのウキの沈み具合。時間帯による海流の流れ、この時期に釣れるメバルやアイナメといった魚の話。

 俺が知らない色々なことを、ガングートはとても楽しそうにしながら分かりやすく説明してくれた。

 知りたいこと、知るべきことをひととおり聞いたあとはお互いに海面を見つめながら静かに魚が釣り針へとかかるのを待つ。

 時々ウキが海中へと沈み込み、竿を上げては糸を巻き上げ釣りあげた。

 それをガングートが3回、俺が1回。4匹を釣りあげながら雑談をしつつ静かな時間を過ごしていた。

 

「そろそろ、腹が減っただろう。これを食え。うまいぞ」

 

 あまりにも平穏な時間を過ごし、釣りが飽きてきたころ、ガングートはその言葉と共にラップに包まれたサンドウィッチと水筒を布の袋から取り出した。

 

「ありがとう。手作りだとは思っていなかったよ」

「メシは任せておけと言っただろう? 菓子パンや総菜パンを買うより私のほうが断然うまいぞ」

 

 ガングートから渡されたサンドウィッチは黒パンで、ラップを外して食べ始めると中身はトマトにベーコンとチーズが入っていた。それらが挟められ、焼き上げられたサンドウィッチはおいしいという感想がまっさきにやってくる。

 できてから時間は経っているものの、黒パンの酸味、トマトの甘味、チーズのまろやかさにベーコンの油具合が混ざり合ってとてもいい。

 

「すごいうまい。ガングートは料理ができるんだね」

 

 頭の中で昨日カップ麺を持ってきたマックスを思い出しながら、そんなことを言ってしまう。

 

「そりゃあ家でも仕事でも作っているからな」

「仕事先でも料理か。どんな職業か聞いても?」

「メイドだ」

 

 そう言ったガングートの再び視線は海に浮かんでいるウキへと向けられた。

 恥ずかしそうにするでもなく、自慢げなわけでもない。ただ静かにメイドと言葉を発した。

 そう、メイドだ。金持ちの家で掃除などをするメイドという職業の言葉に俺は固まってしまう。

 仕事は何をしているの、と聞いてまさかメイドという言葉が出るとは思わなかった。

 それほどにメイドというのは衝撃的で、体格がよくて男勝りで男装が似合いそうなほど美人でかっこいいガングートがメイドというのは想像がつかない。

 ふりふりひらひらの可愛いメイド服を着るガングートっていったいどんな姿なんだろう。

 あまりにも黙っていたためか、ガングートは俺へ顔を向け、視線を空へと1度動かしたあとに説明を始める。

 

「別にメイドと言ってもただのメイド喫茶で働いているだけだ」

「メイド喫茶!?」

 

 それはミニスカな服で、オムライスにケチャップで文字を書いたりする、あのメイド?

 誰かの家で掃除や何かをして働くと思っていたら、別方向なメイドさんだった!?

 

「いや、メイド喫茶といってもロシアンメイドの本格的な奴だぞ?」

 

 俺のあまりにも驚く表情に、困惑したガングートは追加で言ってくるがロシアンメイドと言われて理解の先を越えた。

 ロシアンメイド。それは単にメイドというより言葉のインパクトが強い。

 

「メシはきちんと店で作るし、店員はロシアかロシア語圏の人を使っている。私が経営しているんだから、紅茶の淹れ方や仕草なんかはしっかり教育している」

 

 メイドから始まった衝撃的な言葉に、頭の中はまだ混乱したままだ。

 話を聞き続けてもガングートがメイド服を着る姿は想像できないし、おしとやかな仕草や喋りができんだろうか。そもそもロシアンメイドってどんな服を着るんだ? そして、そんなロシアンメイドな店を経営しているって戦争後にいったい何があったんだ!?

 もう好奇心がぐるんぐるんと頭の中をぐるぐると巡り、考えるのを途中でやめた。

 ガングートはメイド喫茶で働き、料理上手だということを覚えておけばいいんだ。

 

「……祐一、お前、何を考えているんだ」

「え、いや、意外だなと思って」

「まぁそうだろうな。いまだに私もそう思う。元々店をやるつもりはなかったんだが、日本で生きていくなら他にはない何か変わったことをやりたかったんだ」

「それがメイドなんだ」

「ああ。それにな、ロシアと違って日本は高い賃金をあげられるんだ。祖国の……祐一には私がロシア出身の艦娘と言ったか?」

 

 俺はその言葉に対して、首を横に振ることで返事をする。

 ガングートは持っていた竿を足で抑え、コートのポケット中から紙巻のタバコを取って口にくわえたが、俺の視線を受けてか気まずそうにタバコを戻していく。

 

「吸いたかったら吸ってもいいけど」

「そんなことできるか。子供であるお前の体に悪いだろ。気を遣わなくていい」

 

 気にしてもらえるのは嬉しく思うけど、もうすぐ高校生になるというのに子供扱いをされるのは少しだけムッとしてしまう。

 高校生でも子供に違いはないんだけど。

 

「日本に留学や移住した子たちのために働きやすく、それでいて儲かるような仕事を作りたかったんだ」

「それが理由なんだ」

「メイド喫茶にしたのは私でもロシアンメイドならやっていけるだろうという甘い考えだったがな。メイド喫茶に関する資格取得や勉強もしっかりした。起業なんかで多くの人に助けてもらった、はじめての店で成功したのは運がよかった」

「かっこいいね。自分でやりたいことを選んで、やりたい仕事でうまくいくっていうのは」

 

 素直に思ったことを言うと、ガングートは顔を少し歪ませて褒められるのは嫌だという雰囲気を出した。

 その表情を見て、俺は色々なことを考える。

 そんな顔をしてしまうガングートはなんで戦争が終わっても日本にいるんだろう。せっかく戦争が終わったんだから、故郷のロシアでも仕事をしてもよさそうなのに。

 不安で考え込む俺の様子に気がついたガングートはガシガシと頭を乱暴に撫でまわしてくる。

 

「お前は変に考え過ぎるな。……艦娘である私を、海を奪われたロシアを捨てて、艦娘が多い日本で戦った裏切り者だと思う人がいるというだけだ」

 

 はじめは笑顔で。でも次第に寂しげな顔になっていくのを俺はなんとかしたかった。こんな顔はガングートには似合わないと強く感じたから。

 

「俺はガングートがいて嬉しいよ。こうして初めての釣りもできて、サンドウィッチはうまいし。戦争のことはあまりわからないけど、ガングートは今まで頑張ったと思う。だってこうして静かに釣りができるぐらいに平和なんだから」

 

 自分で言っていることに恥ずかしくなっていると、ガングートはぽかんとした様子で口と目を開き、俺を見続けてくる。

 

「お前はいい男の子だな。困ったことがあったら相談してくれ。91年の人生経験を生かして悩みを解決してやろうではないか! なんなら今すぐでもいいぞ?」

「今の悩みといったら高校生活が不安というだけだから大丈夫。これからの目標だって、大学に行って就職して母さんを安心させてやりたいというのがはっきりしているし」

「それが本当にお前のやりたいことなら、私の出る幕はないか。そもそも私は自分のやりたいことを見つけるのに47年かかったからな。あまり偉いことは言えないか」

「メイド喫茶のこと?」

「いいや、戦争が終わったあとの私が生きる目標さ。もう少しで達成できるかもしれない奴だ」

 

 ため息をついてそう言うが、ふと俺の顔や体を見つめてから、また乱暴にでも優しい目つきで何度も頭を撫でられた。

 ぼさぼさになった髪の毛を手で直しながら言葉の続きを待っていたけど、ガングートは何も言わずに釣り竿を手に持ってウキを見つめ始める。

 その時の横顔はしんみりとしているように見えた。

 そして風によって長く綺麗な銀髪が揺らめき、朝日が当たると豪快な雰囲気ではなく幻想的な女性に見える。

 

「どうした?」

「え、あぁ、釣った魚はどうやって食べるかなって」

「小さいメバルだから、まるごとのから揚げでいいんじゃないか。できたら祐一のところにも持っていこう」

「それは楽しみだ」

 

 見惚れていたことを誤魔化すように言った俺は持っている竿に集中し、でも餌がなくなったんじゃないかと思って巻き上げると餌はついていなかった。

 釣り針にアオイソメを付けようと挑戦するも、うねうねする気色悪い動きにさわれず、ガングートに付けてもらった。

 こうやって仲良く一緒に静かな時間を過ごす。今の気持ちを表現するなら―――。

 

「お父さん、かな」

「ん、なんだ急に」

「いや、父親がいたらこんなふうに釣りをしたのかなって」

「……がさつなのは理解しているが、女の私に向かってお父さんか」

 

 嫌そうな顔をしていたが、時間が経つにつれて嬉しさと困惑が入り混じった様子になり、最後には苦笑いを浮かべていた。

 

「艦娘の私が父と呼ばれ、子持ちになるのは変な感じだな」

「別に悪気があったわけじゃなくて。俺は5歳の頃から母さんと一緒にふたりで生きてきたから。だから、父親はどういうものかわからなくて。だから父親がいたらガングートみたいな感じかなって思ったんだ」

 

 母さんは俺のことを大事にしてくれたけれど、時々寂しく思っていた。父親がいたらケンカをして家出やバカなことをして仲良くなったり。そんなことをするんだろうなと。

 あまり考えないようにしていた父親のことを考えると、気分が落ち込んでしまう。

 少し大きなため息をつくと、ガングートは空を見上げたあとに糸を巻き上げる。そして釣り針についていたアオイソメを外して海に放り投げたあと、竿についていた仕掛けを外した。

 そうしたあとにプラスチックの箱から取り出したウェットティッシュで手を拭いたあと、俺にも手渡してくる。俺はリールを巻き上げて竿を堤防の上に置いてから手を拭き始めるが、そのあいだガングートは口元に手をあてて思案顔でじっと見つめてくる。

 

「祐一、そのままじっとしていろ」

 

 そう言うと膝立ちで俺へと近づき、片膝をついた状態で両手を肩や頭の後ろに回して抱きしめてくる。

 それは大きな胸で俺の顔を抱きしめられるということだ。白いコート越しでもわかる胸の大きさと少しだけわかる柔らかさ。

 突然のことに俺はどうしていいかわからなく、ただ思うことは母さんよりも大きいなと比べてしまった。

 思春期の少年である自分としては女性に抱きしめられることは喜ぶべきなのだけど、そんな気持ちよりも不思議と安心な気持ちが強い。

 母さんもよく抱きしめてくれるけど、それとは違う種類の安心感だ。力強い父親のような。

 

「父親ってのは不安になった子供をこうやって抱きしめるんだろう? ドラマの真似だが、どんな感じだ?」

「……なんだか安心する」

Это было хорошо(それはよかった)。……別に店でこういうことをやっているわけじゃないからな? 抱きしめ慣れていると思われちゃかなわん。それに男を抱きしめるのは初めてだが―――」

 

 ガングートは安心したため息をつくと、わからない言葉のあとに日本語で言葉を続けたあとに途中で止めると、俺の頭を優しく撫でてくる。

 

「お前が可愛いからか、なんだか不思議と満たされてくる気持ちだ」

 

 そんな言葉を満足げに温かく言うのはずるい。そう言われるとときめいてしまう。恋愛的意味ではなく、家族的というか、こんな人が父親だったらよかったのにと思う感情が。

 

「男に可愛いって言葉は嬉しくない」

「おっと、それは悪かった」

 

 そんなときめいた心を隠したいために俺は不機嫌そうに言うと、悪げがまったくなさそうなガングートは抱きしめる手を放して立ち上がる。

 それが寂しく感じたのと同時に、抱きしめられていたということに対して急に恥ずかしさがこみ上げてくる。

 うまく言葉にできないけど、普通は男が女を抱きしめるのじゃないかとか。

 

「さて、今日はもう帰ろうか。帰ったらひと眠りしなきゃな! 祐一がよければまた私と、いや、父さんと釣りに行こうじゃないか」

 

 恥ずかしそうに、けれども爽やかな笑みを向けてくるガングートに、俺は竿を渡しながら頷く。そうして他のも片付けをしていき、クーラーボックスを俺へと手渡して帰り支度が完了する。

 

「疲れたけど楽しかったよ。今日はありがとう、ガングート」

「喜んでくれたなら私は嬉しい。いつも1人で釣りだったものだから、2人なのは嬉しかったよ。また行こうな、祐一」

 

 お互いに今日の釣りで楽しかったことを言いあいながら車へと乗り込み、艦娘荘へと戻る。

 戻るってから車から降りると、道具を濡れ雑巾で一緒に磨いていき、そうしているときに車に乗って出社していく磯風、熊野たちに対して「いってらっしゃい」と俺は挨拶をする。歩いていくマックスにももちろん同じことを。

 3人とも声をかけた時は一瞬驚いたらしくて動きが止まっていたけれど、すぐに笑みを浮かべて手を振ってくれたのは嬉しかった。

 ここに来て3日目。5日後にある高校の入学式までには結構馴染んでいける気がした。



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