外殻 (adbn)
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外殻

 日本号が本丸に来てから、はじめての夏だった。燦々と降る陽光は屋外にいるものらを平等に、遠火で炙るように焼いていく。それは練度上限に至って久しく、このところ内番ばかりを任されている日本号も同じことだった。

 

「痛ぇ……」

 思わずといった風に顔を顰めて背中の上部、首の付け根あたりを押さえたのは、癖の強い黒髪肩のあたりまで伸ばした身の丈六尺半の大男で、名を日本号といった。日に焼けた背の痛みを嘆く様は到底そうと見えないが、彼は日本一と謳われる大身の槍の付喪である。

 

 胡座をかいて支給品のタブレット端末(日本号は真面目な顔をして見ているが、画面に映っているのは娯楽小説である)を眺める彼の独り言を聞きとがめて、文机に向かっていた栃色の髪の、これまた六尺を優に超える大男が振り向く。机に広げた極修行の報告書(現地で書く所謂“手紙”とは別物である)の、十数年の出来事を書面で纏めるという終わりの見えない作業を中断する機会にこれ幸いと飛びついた……のかは定かではないが、机を離れて日本号の元へ向かった。

 

「だから薬塗れって言っただろー」

 初年の、打刀の一振りが火傷一歩手前というレベルになるまで我慢した挙句に手入部屋沙汰になった事件以来、この本丸では夏場になると強めの日焼け止めが全振りに支給されるようになった。御手杵も去年一昨年と何度か日焼け止めを塗り忘れて痛い目に遭っているので、この随分遅れて来た同室の槍にも日焼け止めは塗り忘れるなと何度も言った。

 

 といっても、日本号が日焼け止めを塗り忘れた日があるわけではない。内番着に完全に覆われる下半身はともかくとして、顔や、タンクトップから覗く腕や胸のあたりは焼けていないとは言えないものの、少なくとも背中よりはずっと軽い症状を示していた。

「腕には塗ったんだけどな……」

「その腕も大概な有様だけど?」

 つついていいか、と伸ばされた指を叩き落とす。御手杵の言う通り、首回りに比べればましとはいえ、両腕も常の状態を知らずともかなり赤くなっていることが分かるほど焼けている。

「汗で流れたんじゃねえの」

 なんでもないように御手杵は言う。自分の方は今年の夏いっぱいどころか暫くずっと出陣漬けになる予定で、本丸の景趣による日焼けはまるきり他人事だからと気楽なものだ。それを聞くと日本号は嘆息して頭を抱えた。

「どうしろってんだよ……」

 

 そうでない本丸もあるようだが、ここの刀剣は皆日に焼ける。それも褐色に色づくだけでなく一番表の皮が一枚、ぺろりと剥けてしまう。それは間違いなく審神者の影響だと言えた。

 日本号の哀れな背中もそんな調子で、御手杵が手で払ってやるとぽろぽろと乾いた皮膚がこぼれて落ちる。はじめは止めていた日本号だが、振り払うのが四回目になったあたりで諦めた。それなりに痛むのを承知しているのだから他の男士にはしないと思うが、鯰尾あたりが面白がったらその限りではないだろう。刀に、それも脇差になにを嫉妬じみたことを感じないでもないが、その光景を思うとなんとなく面白くなかったので好きにさせることにしたのだった。

 

「なんだこれ」

 御手杵が畳に散った細かい、何かきらきらした物をつまみ上げる。

「ん?あー、皮か?後でまとめて片付けるからほっといてくれ」

「いや、皮じゃない、と思う」

 ほら、と差し出した指先に乗った薄い膜のようなものの、ゆるやかな輝きは少なくとも、人の皮膚にはあり得ない色をしている。

「これ、螺鈿か」

 よくよく見ればそれはなるほど、貝殻の内側と同じ色にも思えた。御手杵がそれを連想したのは、このところ連隊戦で嫌になるほど貝を集めているのが一役買っていたが、偶然にもそれは本質を捉えていた。

 

 掻き集めてみれば、剥がれた薄皮は貝の真珠層のようなものだけでなく漆だろう黒褐色の物も含まれていた。

「まあ、血とか内臓が鉄片になるんだから剥がれた皮が拵えを反映してもおかしくない、のか?他のやつでもこういうことあんのかな」

「俺が知るかよ。聞いて回ったらどうだ」

「それであんただけだったら変な目で見られるだろ。嫌だよ」

「んじゃ、とりあえずのところは俺らの秘密か?」

 そう言って二振(ふたり)して笑う。ああそうだ、と日本号が訊く。日焼けなり肌荒れ(刀剣男士の肌が荒れることなど滅多にないはずだが、この本丸の刀剣は審神者の性質を継いだか総じて皮膚が弱い)なりが酷い時のためにと医務室から貰ってきた軟膏があったはずだ。

「手杵、軟膏どこやった」

 何が原因だったのかは知らないが、二週間ほど前に御手杵が使っているのを見かけて、それ以降は使っていない。ざっと見回した範囲には見当たらないから、おそらく仕舞われているのだとは思う。

「さあ」

「さあ、じゃなくて」

「えー。知らねえよ。薬研のとこで貰ってくればいいだろ」

 共用なんて横着するからだ、と自分もしょっちゅう櫛だのタオルだの借りていくのを棚に上げて御手杵は笑い、けれどすぐに立ち上がった。

「探すか」

 この部屋の外に持ち出した憶えはないから、出しっ放しになっていなければありそうな場所は高々三カ所と言ったところだ。

 

「あ、あった。塗ってやろうか?」

「お、頼むわ」

 

 



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