全身無職に改造されたが、今は何とか時計屋やってる (ひょっとこハム太郎)
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プロローグ

 

 

 

 

「現時点で最高純度の輝き! つまりは私の最高傑作なワケだ!」

「呪詛の解除に始まったラピスの研究が、やっと誰かのために……」

「本音言うと、局長にぶち込みたい未練はあるけどね」

 

 

 戦いがあった。

 互いに譲れぬ正義を握り締めたまま、振り上げた拳を振り下ろす。或いは、狙い定めた銃の引金を絞る。そんな戦いが。

 幾度となく傷つけ、幾度となく傷つけられ。愛を詠う戦姫達と支配からの脱却を目指す錬金術師達との戦いがあった。

 

 これまで払ってきた犠牲と生贄のためにこそ、後には引けない。理想成就のためにこそ錬金術師は不退転の決意で戦いに臨み。

 あらゆる犠牲と理不尽に真正面から異を唱えるべく、後には引けない。だとしても、と血を吐くように叫び、戦姫達もまた不撓不屈の意思で手を伸ばし続けた。

 

 両者の戦いは、決して無意味ではなかった。

 例えそれが「人でなし」の身勝手な願いが起点であったとしても。例え、多くの犠牲と無念が積み重ねられた果てであったとしても。

 罪の所在が何処にあり、如何なる罰が与えられるべきなのか明確でなかったとしても。

 

 両者の手は交差し、確かに握り締められようとしたのだから。

 

 

「…………サンジェルマンさん」

 

 

 朦朧とした意識の中、戦姫の一人が手を伸ばし続けた相手の名を呼ぶ。

 彼女の胸にあるのは、己の選んだ道が決して間違いではなかったという喜び。そして、手を取り合えた筈の彼女が、これから手の届かぬ遠い場所に消えてしまうという確信と寂寞だけ。

 

 ――嗚呼、空を見よ。其処に広がる審判の日の如き光景を。

 

 曇天の空を焼き尽くす炎が燃えている。今でこそ錬金術師の研鑽の成果によって押し止められているが、それも何時まで保つか。

 それこそは神秘に満ちた時代より人類を解放し、新世界の秩序を構築するべく発射された「神殺し」。人が手にした先端技術の到達点。

 されど、払われる犠牲の大きさは計り知れない。この「神殺し」は神をも殺すもの。神よりも脆弱な人に耐えられる筈もなく。

 審判の炎と破滅の炎は同じもの。人類は神殺しに手を掛けたと同時に、自らの同族全てを焼き尽くすだけの炎を手に入れたのだ。

 

 大地は焦土と化すばかりではなく、深刻な汚染を招き、今後百年は人の住めぬ土地となる。

 

 皮肉であったのはこれが神を殺し、人類を解放するという御題目で放たれながらも、その実、大国の思惑と威信、そして支配を掛けた一撃であったことか。

 

 

「でも驚いた。何時の間にあの娘達と手を取り合ったの?」

「…………取り合ってなどいないわ」

 

 

 これに異を唱えぬ錬金術師ではなかった。

 元より、彼女達は支配からの脱却を目指した者。神殺しという人の業だけならばいざ知らず、その後の支配が見え透いた思惑など認められる筈もない。

 何よりも――――戦姫に名を呼ばれた錬金術師は嘘偽りなく、掛け値なしに、支配という人の欲望を憎み、同時に心の底から人を愛していた。

 

 

「あの娘達と手を取り合ってなどいない……取り合えるものか……」

 

 

 それもまた錬金術師の本心であった。

 理想を理由に重ねてきた罪の重さ。血で汚れきった己の両手。これまでの犠牲と生贄の数。

 どう取り繕ったところで言い訳など出来ず、またするつもりもない。故に、差し伸ばされた手を拒絶はせずとも、掴まない。

 

 彼女の胸に去来するのは、とうの昔に失っていた筈の死の恐怖。地獄へと道連れにする仲間と、だとしてもと手を伸ばし続けた戦姫への申し訳無さ。そして、何よりも強い使命感。

 けれど、彼女の胸の内を軽くするかの如く、仲間は穏やかに微笑んだ。これ以上ないほどの満足げな笑み。事実として、未練はあれども不満はない。嘘偽りに塗り固められ、或いは怠惰と享楽に沈んだ人生に理想という光を齎したのは、間違いなく彼女であったからだ。であれば、完全で全美となった身体と命を燃やし尽くそうとも構わない。

 

 仲間の献身に、最大の感謝と全幅の信頼を向け、今まさに最後の一射を放とうとした瞬間――――

 

 

『覚悟を踏み躙るようで悪いが、待ってくれ』

 

 

 ――――構えられた銃身に手を添え、邪魔をする何者かが現れた。

 

 

「貴様は……!」

「あーら、ほんと最悪のタイミング。出待ちでもしてたのかしら……!」

「今の今まで影も形もなかったのに、此処で来るワケだ!」

『邪魔をしに来たのは事実だけどね。そう邪険にされてもな。アンタ等に死なれるのは、こっちが困る』

 

 

 まるで鉄と鉄とを擦り合わせるような錆びついた声。若いのか、年老いているのかすら判然としない。唯一拾える情報は、男のものらしいということだけ。

 

 その声も異常であれば、その姿もまた異様にして威容という他なかった。

 全身を覆う黒鉄の鎧は、まるで肋骨を幾重にも重ねたかのような有機物を連想させながらも、無機物特有の硬質さと無機質さを帯びている。

 頭部を覆う兜は、まるで眼窩のない頭蓋骨のようで、剥き出しの歯並びは肉食獣の如き凶悪さ。

 両肩の先には接続されないまま追従するように浮遊する二枚の歯車があり、背中には歯車を分解したかのような歪な翼が生えていた。

 

 人型でありながら人から掛け離れた、まるで天使とも悪魔とも取れるその姿に、錬金術師達は見覚えがあった。

 ルナ・アタック、フロンティア事変、魔法少女事変と呼ばれる世界が崩壊寸前にまで陥った事件の影で、目的も正体も不明なまま暗躍したアンノウン。

 世界の救済を望んでいる訳でも、世界の崩壊を望んでいるとも思えず、誰の味方なのかも誰の敵なのかも分からないアンノウンは、何時しか誰かがこう呼んだ――――“機械仕掛けの魔人”と。

 

 

『まだ、アンタ達には救える命が――――いや、アンタ達にしか救えない命があるんだ』

「……何?」

「ちょっと、勝手に話進めないで貰えるかしら」

「そういうワケだ。此方が乗る理由は――――」

『悪いが答えは後にしてくれ。反応兵器(アレ)はオレが何とかする』

 

 

 掴んでいた銃身を離し、錬金術師を庇うように前に出る。元より、彼女達の言い分など聞くつもりはないらしい。

 その様は傲慢そのもの――――と呼ぶには遠い。錆びついた声故なのか、はたまた悲壮ですらある必死さ故なのか、余りにも痛々しい。まるで全身に傷を負い、血を吐きながら走り続けているかのようだ。

 

 

『一部限定解除。機能の拡大解釈、開始――――』

 

 

 挑むものが神殺しであるのなら、相対する魔人の力もまた神を越えるに足るものでなければならない。

 

 

『仮想術式“ティプラー・シリンダー”始動。各設定域よりフォニックゲイン抽出。疑似砲身展開、回転開始――――――――装填完了』

 

 

 まさに埒外の光景であった。

 人は無限を認識できず、またこの世が有限である以上、真実の無限など存在しない。

 その常識、その当然、その限界を悉く踏破するかの如く、目を焼く無尽光が十字を形成する。それは、かつて旧支配者が至ったとされる埒外の領域。

 

 魔人の前方に、人類には決して描けない精緻巧妙さでありながら何処か時計の文字盤を模したかのような魔法陣が十重二十重に展開される。

 魔法陣の長針・短針・秒針が逆しまに回転する。それは無限に至るフォニックゲインの充填を意味していたのか。或いは、これから起こる現象を示していたのか。

 

 

『さあ、虚無へ帰れ……!』

 

 

 無尽光が放たれる。

 あらゆる物理法則を凌駕し、空間も時間すらも飛び越えて、音もなく一直線へ神殺しの炎に飛び込んでいた。

 

 事の顛末を見守っていたあらゆる目があり得ざる現実を目撃し、あらゆる計器があり得ざる事象を観測する。埒外の頂点を。

 

 神殺しは爆発的な勢いで膨れ上がり、暴力的な熱と汚染を撒き散らさんと牙を向いていた。にも拘わらず、光を受けた瞬間からその牙を収め、爆発的な勢いで萎れていく。

 

 

「馬鹿な……!」

「冗談きついでしょ……」

()()()()()ッ!? そんなこと、あり得るワケが!」

 

 

 目で見るだけでは理解できぬ一撃であったはずだが、錬金術師は直感だけで理解した。否応なしに()()()()()()()。起きてしまった事象を拒絶し、これから起こる悲劇を否定し、現実を歪め放たれる時逆巻く一撃を。

 

 まるで虚空に飲み込まれるように。まるで始めから存在していなかったかのように。神殺しは何の比喩もなしに虚無へと帰った。

 後に残るものは未だ晴れぬ曇天の空と埒外の光景を見守っていた人間達の驚愕のみ。

 

 

「ド・マリニーの時計か、あれはぁ! あんなものが、今更……!」

 

 

 そして、事の推移を見守っていた“人でなし”の悲鳴じみた呟きは誰の耳に届く事なく、風と共に消えていった。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 用語

 

 

 ド・マリニーの時計

 

 完全聖遺物。とある神の慈悲と慈愛によって造られながら、愛憎によって歪められたもの。狂った時計。

 聖遺物としての機能・特性は現時点では不明。“機械仕掛けの魔人”によって機能を限定された状態で運用されながら、時間と空間の操作を可能としている。

 

 この聖遺物は完全な暴走状態であり、行使には代償が求められる。

 同じく代償が必要となる聖遺物は他にも無数に存在している。例えば、一度抜き放たれれば血を啜らねば鞘に収まらない魔剣ダインスレイフが最たるものだろう。

 それらはどちらかと言えば『過ぎたる力は身を滅ぼす』という、聖遺物を作り出した神、或いはフィーネのような神に選ばれ、聖遺物の作成に携わった人間からの警句にして訓示であると推察される。

 しかし、ド・マリニーの時計の求める代償に関しては全く別の呪いそのもの。使用者をただひたすらに苛み、あらゆる救いを奪い、永劫の苦しみを与えるためのものに過ぎない。

 

 この時計は全てを呪っている。

 本来の形から歪められ、生み出された目的と機能を果たせぬ事実に怒り狂い、誰彼構わず呪いを撒き散らす聖遺物とは名ばかりの呪物。

 呪いの悍ましさと使用者の救いのない末路は、あの人でなし――――アダム・ヴァイスハウプトですら恐怖と嫌悪を覚えるほどであるようだ。

 

 

 

 機械仕掛けの魔人

 

 国連から指定された暗号名(コードネーム)は『無貌(ノー・フェイス)』。

 錬金術師の鋳造したオートスコアラーなのか、或いはアダムと同様の人でなしであるのか、人間であるのかすら分からない。正体不明、目的不詳の人型存在。

 以前から世界各地で目撃されていたものの、よくある都市伝説(フォークロア)と認知される程度であったが、6年前にF.I.Sで行われた聖遺物『ネフィリム』の起動実験の際し、米国政府にその存在を明確に認識される。

 米国政府は彼の存在を確認しながらも、F.I.Sで行われていた非人道的な実験が明るみに出る事を恐れ、国連や他国へ情報を流さなかった。

 その後、「Project:N」。アイドルユニット・ツヴァイウィングのライブの裏で行われた『ネフシュタンの鎧』の起動実験と櫻井 了子――フィーネの引き起こした惨劇に介入し、ようやく世界に存在を認知される事となった。

 

 ネフィリム暴走事件、ライブ会場の惨劇、ルナ・アタック、フロンティア事変、魔法少女事変のいずれにおいても、彼の行動の多くは誰かを救うためのものであったと推察されているが、その度に事態へ関わった聖遺物の欠片を回収し続けている。

 国連直轄の超常災害対策起動部タスクフォース“S.O.N.G”は勿論の事、世界各国が彼の正体を追っているが、何の成果も挙げられていないのが現状である。

 

 今回、彼が行使した術式は、現在とは異なる過去や未来といった時間軸、別の平行世界線から極々微量のフォニックゲインを抽出。その作業を無限回繰り返す事で無限に等しいエネルギーを獲得。更には超高速回転させてカー・ブラックホールタイプの特異点を作り出し、対象に撃ち出して誕生以前まで時間を遡行させる。あらゆる防御が意味を成さない、全てを無に帰す一撃。

 ジョン・タイターやティプラー・フランクのタイムトラベル理論を応用しているようであるが、いずれにせよ人類の終末までに到れるかも分からない地平へと到達していることが伺える。

 

 これを受け、世界中が彼の持つ技術や能力を確保するべく、動き出すと目される。

 フィーネが完全に消滅した現在、異端技術にこの世で最も肉薄する人物。時間操作は元より、その前段階の無限のエネルギー抽出でさえ、世界が危惧しているエネルギー資源の枯渇問題を一気に解決可能なのだ。

 

 

 以下、現在確認されている彼の行動と推移である。

 

 

 20☓☓年。F.I.Sにて行われたネフィリムの起動実験に介入。ネフィリムの暴走による施設崩壊時、保管されていた聖遺物の欠片を奪取。その後、絶唱によって瀕死状態であったセレナ・カデンツァヴナ・イヴを救出し、そのまま身柄を確保。

 

 20☓☓年。フィーネと取引を行い、日本の医療施設にセレナを匿ったものと思われる。なお、当時は絶唱の影響によってセレナの視力は失われていたため、魔人の正体は不明のままであり、状況とセレナからの証言による推測に過ぎない。

 

 20☓△年。ネフシュタンの鎧の起動実験及びフィーネの呼び出したノイズによる惨劇に介入。会場に持ち込まれていたネフシュタンの鎧以外の聖遺物の欠片を奪取。その後、風鳴 翼・天羽 奏の両名を救出。逃亡。

 

 20☓□年。再びフィーネと接触。互いの目的に相互不干渉の契約を交わす。これは当時、フィーネと共に生活していた雪音 クリスの証言によって明らかになった。

 

 20☓○年。ルナ・アタック。最終局面にてカ・ディンギル内部の聖遺物を奪取。フィーネが死亡した後に、立花 響、天羽 奏、風鳴 翼、雪音 クリスと共に月の欠片落下阻止に協力後、逃亡。

 

 20☓▲年。フロンティア事変。最終局面にて身柄を確保していたセレナと首謀者の一人であるマリア・カデンツァヴナ・イヴを引き合わせ、月に射出されたナスターシャ・セルゲイヴナ・トルスタヤを救助。その際にフロンティア、月の遺跡、ネフィリムの一部を奪取している。

 

 20☓■年。魔法少女事変。最終局面にて、キャロル・マールス・ディーンハイムの保有・使用していた聖遺物の欠片を奪取。その後、キャロル、エルフナインに何らかの処置を施し、生きながらえさせる。

 

 20☓●年。パヴァリア光明結社事変。またしても最終局面に介入。反応兵器を消滅させる。

 



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少し前
「一夏の思い出・壱」


 

 

 

 チク・タク、チク・タク。

 秒針が狂ったような正確さで軋むように時を刻む。

 

 チク・タク、チク・タク。

 胸で脈打つ鼓動のように、歯車の音が響く。

 

 

 

 

 

 季節は夏。日本特有の湿度の高い蒸し暑さが頂点に達する時期。

 ルナ・アタック、フロンティア事変を越え、魔法少女事変と呼ばれる異端技術絡みの世界を揺るがす大事件を終えたばかりの日本。

 街の片隅にある他に比べればいくらか活気に満ちた商店街に、小さな時計店があった。

 洋風の店構えに、扉の横にある大きな窓ガラスからは、来客用の丸テーブルと無数の時計が覗き込めた。

 

 店の奥には無数の時計に囲まれながら、一人の男が依頼された時計の解体作業に没頭する。

 壁に掛けられた掛け時計。棚や机に置かれた置き時計。柱と見紛う大きさの振り子時計。絡繰り仕掛けの鳩時計。ショーケースに並べられた腕時計や懐中時計。

 アンティークから最新式、デジタルからアナログ、クォーツ式から機械式、手巻きから自動巻きまで。素人目にはこの世に存在するありとあらゆる種類の時計が存在するのでは、と錯覚してしまう。

 

 此処は昭和の時代から続く個人経営の時計店。

 彼は店を引き継いだ二代目。先代はCWM――Certified Master Watchmaker、公認上級時計師――1954年から現在までで合格者僅か800名前後しかいない超難関を突破した天才であったが、生憎と彼は同じ域にありながら機会に恵まれずにいた。

 この時代、目を引く資格もない状態では個人経営の専門店など立ちいかない。日常使いの時計などそこいらのホームセンターやデパート、雑貨屋で格安で売っている。少々値の張る時計であるのなら、アウトレットなり各ブランドの専門店で買った方が安心・確実である。

 それでもこの店が成り立っていたのは、先代が無意識ながらも地域密着型の経営戦略を選んできたからこその人の情と和、そして先代にはなかった才能が二代目である彼にあったからだ。

 

 

「こんにちはー!」

「んっ……?」

 

 

 秒針と歯車、そして時計を構成する小さな螺子と歯車を分解していく規則的な音色で満たされていた店内に、来客を知らせるベルの音と共に、店の雰囲気には似つかわしくない元気溌剌、天真爛漫な声が響く。

 

 通常の作業台よりも平板の位置が高い時計修理用の作業台に向かっていた二代目がアイルーペを付けたまま顔を上げて来訪者へと視線を向ける。

 店に入ってきたのはその声同様に、明るさと前向きさを形にしたかのような笑みを浮かべた少女が立っていた。

 

 

「あれー? 立花じゃん、それに小日向も。どったの? また何か壊した?」

「あはは。響だって、何時も何か壊してる訳じゃないですよ。こんにちは、優斗さん」

「え? ちょっと待って? 未来と優斗さんの中じゃ、私ってそんな感じなの?」

「そんな感じでしょ。目覚まし時計とか壊し過ぎ」

「響は乱暴じゃないけど、物の扱いが雑だからなぁ」

「ガーン、そんなー」

 

 

 これまで少女――立花 響が涙目で持ち込んできた様々な品を思い出して青年は呆れ顔で、響と共に店に入ってきた少女はからかうような笑みでそう言う。

 途端、響の表情はしょぼくれ、某ポケモンのようにしわしわになっていった。

 

 隣に寄り添うように立っている少女は小日向 未来。

 響の笑みを花に例えるのなら、未来の笑みは暖かな春の日差しに例えられるだろう。

 

 二人は学友であり、幼馴染であり、無二の親友でもある。

 余人には預かり知らぬ話であるが、様々な不和や困難を越え、今も手を取り合って引き裂かれる事なく友情を育んでいた。

 

 しかし、そうなると二人の少女と青年の関係性は如何なるものなのか。

 青年の歳はどれだけ少なく見積もっても二十代の半ば。少女達の歳はどれだけ多く見積もっても二十代に手を掛けてすらいない。顔立ちからして血縁ではないと一目で分かる。かと言って、ただの店主と客の関係にしては親しげだ。

 下手をすれば青少年保護条例に抵触しそうなものであったが、それでも通報されていないのは青年の――――飯塚 優斗の人柄故なのか。

 

 身長は180cmオーバー、線の細さを感じさせない以上は体重もそれに見合ったものだろう。顔付きも男らしいが人懐っこい笑みが刻まれており、不思議と厳つさとは無縁でフレンドリー。仕草や雰囲気も相まって、多くの人間が一目見ただけで「善人」「根明」と判断するであろう人の良さが滲み出ていた。

 

 

「そんで? 今日は――――」

「おいすー。邪魔するぜー」

「こんにちはデース!」

「お邪魔します」

「おっ。おいすー。今度は雪音に、暁と月読かー。今日はなんか千客万来だな」

 

 

 彼女達の目的が掴めなかった優斗は謎を明らかにすべく問いを投げかけようとしたが、タイミング悪く新たな来客が現れた。

 

 入ってきたのは響や未来に勝るとも劣らない美少女達であり、同時に二人の仲間でもあった。

 

 日本人離れした顔立ちと銀髪からハーフだと分かり、男勝りな口調が特徴的な少女、雪音 クリス。

 クリスと同じくハーフらしき顔立ちに金髪、バッテンの髪飾りと独特の喋り方が目を引く少女、暁 切歌。

 先の二人とは異なり東洋系の顔立ちに黒髪、控えめで物静かな大和撫子風の少女、月読 調。

 

 此方もそれぞれ優斗とは気心が知れた仲であるらしく、歳の差を感じさせない気安さを見せていた。

 

 

「優斗さん優斗さん! へい! へいへーい!」

「へーい!」

「あ、私も私も!」

「「「イエーイ!」」」

 

 

 切歌がテンション高めに片手を上げると、意図を察した優斗は同じく片手を上げてハイタッチをする。但し、何故ハイタッチをしたのかは理解していない。

 見ているだけで楽しくなったのか、響も参戦を要求する。暫く、三人の間でハイタッチのみならず、ハンドシェイクの応酬が繰り返される。

 

 

「お前らホント仲良いな。お気楽同士波長が合うのかね?」

「ふふ、それが響の良い所だから」

「そう、それが切ちゃんの良い所」

 

 

 生粋の陽キャ達のやり取りをクリスは呆れ返りながら、未来と調は微笑ましげに見守っていた。

 陰キャという訳ではないが、このハイテンションには流石について行けないようであった。

 

 

「ハロハロ。あら? 私達で最後みたいね……」

「こんにちは。ごめんなさい、待たせちゃいましたか?」

「失礼します」

「ちーっす! おっ、相変わらずやってんなぁ」

「こ、こんにちわ」

「ちーっす! 今度はマリアにセレナ。翼に天羽、それに新顔のエルフナインもか、ほんとどうした? 何これ? 今日なんかあったっけ?」

 

 

 ここ数年から数ヶ月の間に知り合い、そして仲良くなった少女達がぞくぞくと店に集まってきた事実に、さしもの優斗も目を丸くして困惑気味であった。

 

 ピンクブロンドの長髪に、キリリとした表情が印象的な少女、マリア・カデンツァヴナ・イヴ。

 マリアと同じ髪色によく似た相貌でありながら、性格の違いをそのまま表情に表したかのような少女、セレナ・カデンツァヴナ・イブ。

 刃の如き鋭い視線を持ちながらも、良家のお嬢様らしい立ち居振る舞いと雰囲気を醸して口元を緩ませている少女、風鳴 翼。

 鳥の羽毛を連想させるふわふわとした赤毛の長髪を揺らし笑う、見るからに姉御肌といった感じの少女、天羽 奏。

 小柄な者が多い中一際小柄ながらも、ある意味で誰よりも大人びて見える金髪碧眼の少女、エルフナイン。

 

 一体、如何なる集まりなのか。何も知らない人間には理解できまい。

 学校の繋がり、というには上と下で年齢が離れすぎている。そもそも国籍すらも違う。同じ学校に通っているという線は考えにくい。

 共通点らしい共通点の見出だせない集団であったが、目には見えない肩書きを知れば、ある組織に属している、或いはある組織の保護対象という共通点が見えてくる。もっとも優斗に関しては全くの部外者である。何の因果か運命か。全員にとって共通の知人、友人というだけであった。

 

 彼女達の属する組織はSquad of Nexus Guardians、通称S.O.N.G。

 国連直轄組織であり、超常災害に対抗するために編成されたスペシャルタスクフォース。

 職員はそれぞれが卓越した能力を有しており、その中でも更に特殊な才能を秘めた彼女達は、才能の性質に因んで装者と呼ばれてた。

 

 

「いやいやいや、分かってやってますよね、優斗さん」

「はい? …………はは~ん? OK、分かった。みなまで言うな。この謎を解いて見せろと言うんだな。フッ、任せとけ」

「……どういうことだよ。反応おかしくねーか、コイツ」

 

 

 響のそういう冗談はいいですから、と言わんばかりであったが、優斗の思考は少女達とは明後日の方向に飛んでいく。

 彼は全く気付いてはいないようだが、少女達の胸に不安が過り、代表するようにクリスが言葉として漏らした。

 

 

「普段よりも動きやすく結構な薄着。全員が持つ手荷物。日除けの傘や帽子。IQ53万を誇る我が脳内CPUが導き出した答えは…………プール?」

「いえ、海デスけど……」

「海かーっ!! 迷探偵優斗のトンチキ推理、次回に御期待下さい!」

「というか、優斗さんも一緒に行くじゃないですか。響さんから連絡が……」

「………………え? 何それ聞いてない」

『えぇっ!?』

 

 

 自身の推測にボケを交えながら詳らかにするも、生憎のハズレ。

 それだけでなく、明らかに困っている切歌と調の発言に、キョトンとした表情で返すばかりであった。

 そう彼女達は本日、優斗を連れて海へと遊びに行く予定だったのである。

 政府保有のビーチで周囲に気兼ねる事なく遊び倒しつつ、普段から世話になっている優斗に恩返しのつもりで誘ったのだったが、どうやらかなり最初の段階で手違いが発生していたようだ。

 

 

「立花、まさかとは思うが……」

「え、えぇ!? 私っ!? 私ですか!? いや、ちゃんとLINEしましたよ! 記憶、記憶にちゃんとありますもん!」

「いや、来てねーけど。ほれ、オレのLINE」

「あぁっ! 響、私に連絡してくれた時、似たような内容が二回来てたけど、もしかして……」

「え? え? 嘘、嘘だよね。そ、そんな筈は――――――――あっ」

『あぁ~~~~~~~~~』

 

 

 差し出された優斗と未来のスマホを確認し、自らのスマホに目を落とした響の呟きに、少女達は一斉に天を仰ぐ。

 

 優斗は主役でこそなかったが、重大な役割を担っていたのだ。これで計画は破綻したも同然だ。無理もない。

 またしても響はしわしわくちゃくちゃの表情を見せる。明るい少女だと言うのに、曇った表情も似合っているのは気のせいだろうか。

 

 

「だ、だとしても……」

「いや、響。お前のその諦めない心は、先輩として嬉しいけどな。うん、今回ばかりは無理があるだろ」

「だとしてもぉぉぉぉぉ――――!!! 優斗さん!!!」

「はい」

「海に、行きませんか!!」

「とうじつにそんなこといわれてもこまります」

「ですよねーーーーー!!!!」

「当たり前だ、このぬけさく!!」

 

 

 一瞬は凛々しい表情を見せた響であったが、当然の返答に天へと向かって叫びを上げる。

 まるで高校最後の試合に敗れた球児のようであるが、実力不足やら天運によってではなく、ポカミスでやらかしている以上、同情のしようもない。

 優斗が学生であれば、首を縦に振っていた可能性もあるが、自営業とは言え社会人。学生よりも自由になる時間は圧倒的に少ない以上、無理もなかった。

 

 

「あー、ちなみに、場所は……?」

「茨城よ。其処に政府所有のビーチがあってね。以前に行ったけれど、その、仕事が入ってしまって中途半端になったから……」

「はえー、国連の組織だとそんなところも借りられるのか、すげー。つーか、地味に遠いな」

「ど、どどどど、どうするデスか! もしかして、計画は全部ぱあデスか?!」

「切ちゃん、落ち着いて。こういう時は冷静になって諦める」

「いえ、そこは落ち着くだけにしましょう、調ちゃん」

「どうすっかなー。そうなると移動はレンタカーか、電車とバスを乗り継ぐか、かねぇ」

「そうだな。我々の中で運転できるのはマリアだけ。余り負担を掛けるのは流石に気が引ける」

「じゃあ、ルートと時間を確認しますね」

 

 

 秒針が時を刻む音だけが響いていた店内は、今やてんやわんやの大騒ぎ。

 響はしょぼくれながらクリスと未来に説教され、分かりやすく慌てふためく切歌と冷静に混乱している調をセレナが諌め、残った奏、翼、エルフナインは電車とバスの時刻表をスマホで検索していた。

 

 マリアの説明を聞きながら、優斗は茫と天井を眺めた。

 ここ数年、海に遊びなど行っていない。高校を中退せざるを得なくなり、色々あってこの時計屋を継ぐ事になったが、決して楽な道程などではなかった。

 元々、手先は人よりも器用ではあったが、時計の修理には知識の方が重要だ。どれだけ手先指先が常人よりも繊細精緻に動かせようとも、内部の機構や構造の知識がなければ修理など不可能だ。

 今でこそやっていけているが先代の教え、彼自身の才能と努力があっても、時間を掛けねばならない場面や躓く事など腐るほどあった。気が付けば20も半ば。遊んでいた記憶を探れば、学生時代にまで溯ってしまう。なら、たまには思い出を作るのも、悪くはないだろう。

 

 

「海……海かー……よし、行くかぁ!」

「えっ? い、いいのかよ?」

「よくはねーけど、折角誘って貰ったからさ」

「でも、お仕事が……」

「勿論、ある。あるにはあるが………………あ、もしもし、鷲崎時計店です。突然すみません、今お時間よろしいですか? はい、ありがとうございます。先日、依頼のあったオーバーホールとパーツ交換の件なんですが――――」

「お、おぉ、おぉぉ…………」

 

 

 もう決めた、とばかり声を張り上げて宣言する優斗に、説教を続けていたクリスと未来が目を丸くして振り返る。

 仕事を後回しにして付き合ってくれるなどと思っていなかったのだろう。響が連絡をミスした以上、責任があるのは少女達の側であり、責任のある側の都合に付き合わせるのは余りにも忍びなかった。

 

 けれど、そんな胸中を知った上で無視しているらしく、スマホを操作して何処かへ電話を掛け始めた。

 畏まった仕事用の口調で相手と喋りながらも、少女達に静かにするよう口の前で人差し指を立てるジェスチャーを見せて笑みを浮かべる。

 その姿に、店の床に直接正座させられていた響は、涙すら滲ませて声にならない歓びを漏らしてしまっていた。

 

 依頼主との話も終わり、通話が終了する。僅か数分程度の会話であれば、相手方には快く納得して貰えたようだ。

 

 

「――――だがもうなくなった!」

「ヒューッ! ありがとうございます! 優斗さ゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ッ!!!」

「こっちとしちゃありがたいけどよ、嘘ついていいのか、社会人」

「人聞きが悪いな、天羽。嘘はついてないよ。実際、メーカーに依頼したパーツが遅くなりそうだったから、連絡入れようと思ってたんだ」

「ですが、他の仕事もあるのでは……」

「まああるけど、どうとでもなる。一日二日遊ぶくらい何とかなるし、何とかしてみせるさ」

「でも、もし何かあったら、優斗さんに悪いですよ」

「その時は――――笑ってごまかすさあ!」

「「ヒューッ!!」」

「なんだ、このノリ……」

 

 

 皆が口々に仕事や生活を心配する中、優斗は笑いながら軽口を叩くと、響と切歌は感嘆の言葉を漏らす。

 クリスは自分では理解できないノリに呆れ帰り、未来は親友の様子に苦笑いを顔に刻んだ。どうやら、もう説教をする気も失せたらしい。

 

 翼やエルフナインは仕事の進捗が止まってしまう事を憂いていたが、実際のところ、それほど問題があるわけではない。

 自営業も様々あるが、この店――鷲崎時計店に関して言えば、比較的時間の余裕があった。忙しい時は目も回るほどではあるが、今に限定すればそれほどでもなく、根を詰めればすぐにでも取り戻せるレベル。ならば、思い出造りに一役買うのも悪くない、と考えたようだ。

 

 

「そうと決まれば、仕事してる場合じゃねぇ! ちょっと着替えてくる!」

 

 

 そう言うと業務用の紺色の作業着を脱ぎ捨て、店の奥にある階段から住居である二階へと駆け上がっていく。

 昭和に建てられた故か、優斗の体重故になのか、階段を登る度にギシギシと家全体が鳴る。

 

 

「どうよ。褒めろ」

 

 

 それから数分と立たない内に、優斗は夏と海を満喫すべく決めたファッションを身に纏って階下に現れた。

 長袖の白い無地のTシャツの上から赤いアロハシャツを羽織り、下はベージュのハーフパンツに、黒いスポーツサンダル。頭の上には麦わら帽。更にはラウンド型の丸いサングラス。

 派手な効果音が付きそうなポーズまで取り、これでもかというほどはしゃいでいるのが嫌でも分かる。

 

 

「うーん、普通!」

「かっこいいとは、ちょっと違うかなぁ」

「赤とか私やおっさんと被ってるじゃねえか」

「いいんじゃないデスか?」

「もっと年相応の落ち着きを持った方がいいと思う」

「問題はないけど、センスも感じないわね」

「私、えっと、男の人のファッションはよく分からなくて……」

「もっといい着こなしがあるのでは……?」

「ハシャいでる年上見ると微妙な気分になるよな」

「ボクは、そこまで変じゃないと思いますけど……」

「やめろ貶すな罵るな。褒めろよ。褒めろって言ったじゃん。褒めてって言ったじゃん!」

 

 

 それぞれがそれぞれの胸に抱いた感想を率直に述べた。

 概ね不評でこそないが、好評でもない。寧ろ、服装それ自体よりも優斗の性格やハシャぎようを酷評している。

 

 当然と言えば当然の、無慈悲と言えば無慈悲な少女達の評価に、優斗はその場に膝から崩れ落ちて喚き散らす。

 本人としてはバチッと決めたつもりだったのだろう。彼の悲しみと悔しさの大きさを物語っているようだ。

 

 

「まあいいや。道案内できるヤツいる?」

「相変わらず切り替え早ぇな」

「案内なら私がするわ」

「じゃあ表に車回してくるからマリアは助手席乗って。天羽は念の為後ろでスマホで地図見てて。取り敢えず、首都高から東関道下ってきゃいいか。出発前にトイレ済ませとけよ~」

『はーい!』

 

 

 まるで引率の教師のような口振りであったが、少女達はにっこりと微笑みながら返事をする。好き放題に評価してはいたが、こうして共に出掛ける事は楽しみであったようだ。

 何の因果か因縁か。何者かの意思が介在したとしか思えない出会いの中で知り合った少女達の笑みを横目に、優斗は同じく笑みを溢しながら店の壁に掛けられていた車の鍵を手に取り、裏口へと回る。

 店の配達用の車は10人乗りのハイエース。これだけの人数であっても、問題なく全員を目的地まで運ぶ事が出来る。

 

 彼は少女達が如何なる使命を帯びて国連直轄の組織に身を置いているのかは聞いていない。

 興味がない、というよりも、相手が語らない以上は踏み込むべきではないと考えているからだろう。人との距離感が近い男ではあるが、決定的な一線や踏み込まれたくない領域には足を踏み入れないように気を遣っているようだ。これもまた、少女達が彼を慕う理由なのでもあった。

 

 何はともあれ、こうして一人の青年と少女達による一夏の思い出造りが始まった。

 

 

「――――はてさて、どうなることやら」

 

 

 その始まりを、道を挟んだ向かいのカフェテラスから見守っていた男が一人。

 癖のある長く白い髪に線の細い身体付き。最高気温が35度にも達しようかという時期にオーダーメイドと思しき黒いスーツを身に纏っていた。

 すらりとした長身と余りにも整いすぎた顔立ちは、一目見た者が男であれ女であれ、一生涯忘れられないほどの美形。男なら嫉妬するのも馬鹿馬鹿しくなり、女ならば見惚れてしまうような、所謂イケメンであった。

 

 しかし、その顔に刻まれた笑みは余りにも胡散臭い。喜楽によって浮かべているのかすら分からず、思考というものが全く読めない。人によっては警戒心を懐き、薄気味悪さすら覚えるだろう。折角の美形も、これでは台無しだ。

 

 彼の手には一つの懐中時計が握られていた。

 だが、それを時計と呼んで良いものか。時を知らせるはずの針が4()()も存在しており、これではどれが何を指し示しているのか分かったものではない。

 

 

「アイスコーヒー、お待たせしました」

「ああ、ありがとう」

「……珍しい時計? ですね?」

「そうかい? ……そうだろうね。だが、壊されてしまってね。困ったものだ」

 

 

 男が時計に視線を落としていると、グラスに注がれて氷の浮いたアイスコーヒーを持ってきた店員の女性は男と時計に興味を惹かれたのか、声を掛けた。

 女性の視線を避けるように、男は言葉通りの笑みを浮かべながら奇怪な懐中時計を胸元にしまい、テーブルに置かれたコーヒーにミルクもガムシロップも入れず口を付ける。

 深みのある苦味を感じさせながらも優しい口当たりと鼻を抜けていく心地よい香りに満足したのか、うんと微笑んで頷き、二度三度とゆっくりと味わいながらグラスを傾けた。

 

 思わず見惚れてしまうほど様になっている所作であったが、自らの仕事を思い出して女性店員は首を振る。

 

 

「でしたら、向かいの鷲崎時計店に修理の依頼を――――あら、あらら?」

「残念。今日は店仕舞のようだね。随分と可愛らしい店員さんも居たものだ。そんなに腕がいいのかい?」

「ええ。二代目――優斗さんと言うんですけど、時計だけじゃなくて、何でも直してくれますよ」

「ほう? 時計屋なのに?」

「先代は凄い資格を持っていたらしいけど、自分は持ってないからって言って。店の空調を直してくれたりもしましたよ。この前は、車の修理をしているのも見たかなぁ」

 

 

 同じ商店街のよしみだったのだろうか。それとも仕事と称しながら男とお近付きになりたかったのだろうか。女性店員は向かいの鷲崎時計店に手を向ける。

 だが、店の中から現れた響がCLOSEと書かれた立て看板を置いてしまう。これでは勧めた意味がない。

 

 しかし、男は興味を抱いたのか、会話が続く。内心ガッツポーズをした女性店員であったが、男の美貌を考えれば誰も彼女を責められまい。

 

 彼女の言葉に嘘偽りはない。

 今現在の鷲崎時計店は、時計屋とは名ばかりの修理屋と化していた。

 先代のように公認上級時計師の資格でもあれば、噂や人の伝手だけでも経営が成り立ったかもしれないが、生憎と二代目の優斗は未だ資格を習得してはいない。であれば、先代にはなかった彼なりのウリがなければ成り立たないと考えた結果が、時計に囚われない修理・修繕稼業であった。

 時計は勿論の事、最新式の家電製品、昔ながらの歯車仕掛け。絡繰り仕掛けの人形なんて珍品まで何でもござれ。先代の作った伝手と商店街の人の和によって仕事には事欠かず、目論見は功を奏して現在に至っている。

 

 

「そうか。またの機会に頼むとしよう――――ところで親切なお嬢さん。仕事終わりは何時だい?」

「え? えっ? 夕方には終わりますけど……」

「色々と耳寄りな情報を聞けたからね。お礼をしたい。仕事終わりに、食事でも」

 

(きゃーーーーーーーーーーーっ!! 嘘うそウソっ! こんなイケメンに、私が食事に誘われてるッッ!?)

 

「どうかな?」

「も、もももも、勿論、行きます! 行かせて下さい!!」

「では決まりだ。連絡先は?」

 

 

 そっと手を取り、少々不安げに見上げてくる男に、女性店員はどもりながらも全力で誘いを受けた。

 今までの胡散臭い笑みは何処へ行ったのか。今度は花が咲くような安堵の笑みを浮かべる。それだけ昏倒してしまいそうな衝撃であった。

 そこから彼女は何をしたか覚えていない。夢心地で連絡先を交換し、夢心地で店内に戻り、男の笑みを思い起こしてうっとりとし、同僚からの嫉妬の視線と店長からの苦言によって戻ってくるまで仕事が手に付かない有り様だった。

 

 

「さて、ボクは此処に何をしに来たのだったか――――――まあいいか。女性を愛でる事に比べれば、全て些事だからね」

 

 

 すっかりと自身の目的を忘れて、ナンパに精を出していたというのに、この発言であった。反省というものが見られない。事実として反省などしていないし、口にした事も全て彼にとっては真実なのだろう。

 

 

 

 

 

 チク・タク、チク・タク。

 狂った時計が時を刻む。その針で定められた生を切り刻み、その歯車で決められた運命を轢き潰しながら。

 

 チク・タク、チク・タク。

 胸の内に秘められた怒りに呼応して。脈打つ鼓動のように呪いを撒き散らして。

 

 

 

 

 



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「一夏の思い出・弐」

 

 

 

 

 

「えー、それでは皆様。ご唱和下さい」

 

 

 恐らくは何らかの密談を交わすため造られたであろう政府保有のプライベートビーチで、優斗は鹿爪らしい表情で宣言した。

 砂浜を区切るように左右には壁が、正面には白い砂浜と青い海が広がり、反対には海を一望できるよう一面ガラス張りの白い別荘が建てられている。

 

 真夏の太陽が照り付ける中、別荘から伸びる木製のテラスの上に、青年と少女達は横一列に手を繋いで立っていた。

 

 

『海だーーーーーー!!!』

 

 

 或る者は満面の笑みを浮かべながら両足を折り曲げて飛び。或る者は呆れながらも、付き合いだからと小さくジャンプ。或る者は偶にはこういう馬鹿騒ぎも悪くないと続く。

 一者一葉の反応を見せながらも、全員が両手を繋いだまま腕を振り上げ、海へとやってきた喜びを叫びつつテラスから砂浜に向けて飛び降りる。

 

 これが海にやってきた者の日本の作法と優斗が宣った結果である。

 日本の文化に疎いか、或いは日本での生活が短い者はあっさりと信じ込んでしまった。なお、生粋の日本人であるはずの響と翼も根が真面目故、二人同時に“なんとぉ!?”とありもしない作法に驚愕し、相方に突っ込まれる始末であった。

 

 

「海だーーーーーーーーー!!!!」

「え!? ちょ、ちょっと、優斗さん!? うわわ、あわわわわっ!! 高いです! 視点が高くて怖いっ!!」

「海だーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

 

 

 既にテンションが壊れてしまっている優斗は背後からエルフナインの脇に手を差し込んで持ち上げると肩の上に乗せる。

 所謂、肩車の体勢を取ると砂浜を猛然と走り始めた。上がったテンション故の特に意味のない爆走であった。

 

 エルフナインの頭が上下左右に揺れ動き、振り落とされぬように必死になって頭にしがみついている。ちょっとしたジェットコースター状態だ。

 

 

「ほんとハシャいでやがんな……それでいいのかよ、二十五歳」

「まあ、いいではないか。誘った甲斐があったというものだ」

「そりゃそうなんだろうが、アレはちょっと…………エルフナイン涙目じゃねえか」

「あー……あーあー……飯塚さん、その辺りで。でないとマリアが」

 

 

 クリスはテラスに腰を下ろし、頬杖を付いて砂浜を走り回る優斗(バカ)と目を回しているエルフナイン(被害者)を眺めている。

 年上の癖に妙に子供っぽい優斗に、辟易としながらも決して嫌いとは口にもしないし、考える事もない。

 それは彼もまた彼女にとっては恩人であり、響とよく似たバカだったからでもあったのだろう。

 

 その隣に立った翼は諦めの境地であった。一応、言葉では止めようとしてはいるが、意気というものが決定的に欠けている。

 過去、味わってきた数々の出来事を思い出していた。脳裏に過るのは、ニンマリ笑う奏と一緒になって無邪気に笑う優斗。思い出すだけで頭が痛くなるような悪ノリに晒されてきたが、不思議と不快感だけはない。

 そういった年相応な青春とは無縁だったからだ。憧れてなどいなかったし、自身の選択が間違っていたなどと思ってもいないが、味わってみれば存外に悪いものでもなかった。

 

 

「いい加減にしなさい!!」

 

「ひぶぅ……!?」

 

「遅かったか……!」

 

「ふっはっ! 笑っちゃ悪いが笑っちまうな。あぁ~あ、バカみてぇ」

 

 既に青い顔をしていたエルフナインを救出するべく、狙い澄ましたビンタを喰らわせるマリアの姿に、翼は思わず片手で顔を覆う。

 そして、ビンタを喰らった優斗の顔が面白可笑しく変形する様に、クリスは思わず吹き出すのであった。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

「ふぅーっ、こんなもんかなぁ」

 

 

 額の汗を拭い、短い髪を掻き上げる。

 片手にはハンマーが握られており、今し方まで砂地専用のサンドペグを打ち込んでいた。

 彼の目の前には、少女達ならば全員が入れるほどのタープが張られており、その他にも三基のビーチパラソルが突き立てられ、その下には同じ数のビーチチェアが並んでいる。

 

 全て彼が一人で建てたものだ。

 炎天下の中では手伝いもなければ、悪態の一つも吐きそうなものであるが、快適に遊ぶための準備も彼にとっては楽しみの一つであるようだ。

 

 ちょうどその時、別荘から着替えを終えた少女達がやってきた。

 

 

「優斗さ~ん! どうですか? 褒めて!」

「いいね! 特に色がいいよな! 向日葵みたいな立花には似合ってる! フリルもなんか花びらみてぇ! 最高!」

「いやぁ、それほどでもぉ~~~、あるんですけどね!」

「いいよいいよ! もっと自信持って! 立花はカワイイ!」

「……あぅ」

 

 

 いの一番に声を掛けてきたのは、砂浜に走ってきた響であった。

 優斗が振り返れば、目に飛び込んできたのは眩しい黄色のビキニであった。

 上にも下にも可愛らしいフリルが付いており、元気が一番と言った具合の彼女には精一杯の乙女らしさを演出しているかのようだ。

 

 男特有のいやらしい視線を一切飛ばさず、ニコニコと笑いながらストレートに褒めちぎる。

 似合っているという言葉だけではなく、花に例えられたのが嬉しかったのか、頬を掻きながら照れ隠しに胸を張ってみせたが、更なる追い打ちに頬を染める結果となってしまった。

 

 

「ふふ、響ったら照れちゃって」

「小日向もいいよ! シンプルイズベストってのはこの事だな! 控えめな性格が出てる感じ、甲乙付けがたいね!」

「……うっ、男の人に褒められるの、ちょっと恥ずかしいかも」

「恥ずかしがらないでいいんだ! 小日向の良い所を全面に押し出してこ!」

 

 

 響の後にゆっくりと現れたのは、白いワンピースタイプの水着を来た未来。

 華美な装飾はなく柄もないシンプルさであったが、その分だけ本人の清楚さや慎ましさが表しているかのよう。

 

 余り派手な柄を着る勇気がなかっただけなのだが、それを逆に褒められて、やや赤面してしまう。

 

 

「ったく、チョロい連中だな」

「何だよ、おい。お前も可愛いかよ。ハイビスカスの髪飾りなんかしやがって。似合ってんな。お前も可愛いかよ」

「………………やっぱ、あたしもチョロかったわ」

 

 

 自分はこの二人とは違うと言わんばかりの表情でやってきながら、即落ち二コマを見せたのは響と同じく赤いビキニのクリス。

 但し、布の面積がやや広い。小柄な身体に似合わず、出る所が大きく出ている故、致し方ない。

 とは言え、コンプレックスではないにせよ、その肢体に男の視線を常に感じる彼女には、買ったばかりの髪飾りに目を付けられたのがツボに入ったらしく、辛うじて顔を片手で覆い隠したが、真っ赤になった耳が見えているので余り意味がない。

 

 

「私は私は!」

「えぇい、あたしの肩を掴んで跳ねるな!」

「ちょっと背伸びした感はあるが、いいぞいいぞぉ。流石は元気っ子だな。色合いの似合っている。来なさい、撫でてやろう」

「えへへ~」

 

 

 クリスの後ろでぴょんぴょんと跳ねながらアピールしていたのは、これまた緑のビキニを切歌。腰の横についたリボンが愛らしい。

 年齢よりもずっと幼い反応を見せるが、跳ねる度にぽよんぽよんと双丘が揺れている。

 しかし、優斗はそんなところには視線すら向けず、変わらぬ元気さが何よりも良いと頭を撫でる。まるで年の離れた兄妹のようだ。

 

 

「……どうですか?」

「いきなり来たなぁ。でも、ちょっと嬉しそうだな。月読も実は結構テンション上がってんな。愛い奴め」

「…………ぶい」

 

 

 切歌の隣に静かに控えていた調は、桃色のオフショルダーワンピース。

 表情筋に中々変化が見られず、感情が希薄と勘違いされがちだが、どちらかと言えば激情型の彼女。

 その些細な表情の変化にも、身内以外に気付いて貰えるのは珍しいのか。はにかんだような表情でVサインをしてみせる。

 

 

「さあ、真打ち登場よ」

「はぇ~、そういう水着もあるんだな。可愛いよりも寧ろカッコいいわ」

「ふっ、まあとうぜ――――」

「いややっぱ可愛いわ。マリア可愛いよかわいいよマリア。結構無理してるの隠してるのが可愛いよ」

「うっ、狼狽えるなっ! 狼狽えるなっ!!」

 

 

 サングラスを目元から頭の上に移動させながらやってきたマリアは、やや珍しい白いワンショルダービキニに、同色のパレオを合わせていた。

 今は国連のエージェントであるが、昔とった杵柄でチャリティーライブも開催している彼女の事、褒められ慣れている。程度の低い褒め言葉など一蹴する。

 かに思われたが、それが仮面に過ぎないとあっさり見破られてあっさりと轟沈。素の彼女は寧ろ弱々しさある女性なのだ。狼狽えても仕方がない。

 

 

「ふふ、姉さんもハシャいでる」

「はぁ~~~~~~~~~~~~…………無理。しんどい。天使かよ」

「分かる。分かるわよ、優斗。セレナは地上に舞い降りた天使よ。いえ、切歌も調も天使だったわね。…………ハッ!? 私達、もう既に天国にいるのではないかしら……?」

「それな」

「そうやって、姉さんも優斗さんもからかうんだから……!」

「「はぁ~~~~~~~~~~~………………大天使かよ」」

「んもぅ……!」 

 

 

 普段、自己主張の少ない野に咲く花のようなセレナには、少しばかり不釣り合いな白いビキニであったが、上から羽織ったパーカーのお蔭で上品さが損なわれていない。

 マリアの妹だけあって、たわわかつ立派に成長しているが、生来の天真爛漫さや純粋さは微塵も失われていない。天使の天使たる所以だろうか。

 マリアは半ば本気で、優斗は半分以上冗談で涙を堪えるように目元を押さえるが、更にからかわれていると思ったのか、頬を膨らませてそっぽを向いた。これでは二人の反応も無理はない。

 

 

「相変わらずの姉バカぶりだな、マリアは」

「はい、そんな翼には不意打ちのパシャー」

「急に何をするのですか」

「いや、八紘さんにちょっとLINEをね。流石に撮られ慣れてるだけあって完璧ですね、これは。あなたの娘はこんなに成長しましたよっ、と」

「ちょ、え? 何処でお父様のLINEなど!?」

「いや、この前、親子で時計直しに来てくれたじゃん。なんかあったらアフターサービスするからって言ったら快く教えてくれたけど?」

「わ、私も知らないのに……いや、そうじゃない。や、やめ、止めて下さいっ! やめてぇぇぇええッ!!」

「やだなにこの翼さん、可愛すぎ」

 

 

 現役アイドルの翼は、最も布面積の少ない三角ビキニ。下半身の角度もかなり際どい。

 写真集も発売されているのでは羞恥を感じないのも無理はない。と言うよりも、自身の剣と鍛えた肉体に恥じる部分など何もないのだろう。

 不意打ち気味に写真を取られても、バッチリと決め顔で取られていて隙がない――――ように見えたが、最近関係が良好と改善されてきた父親に水着姿の写真を送られるのは流石に嫌だったらしい。涙目になりながらアワアワし出す可愛い剣であった。

 

 

「いやぁ、翼をおちょくるのが上手いよなぁ、ホント」

「ポニテ、だとぉっ!?」

「おっ、何だ? どうした? 好みか、好みなのか?」

「やめろよぉ! そういうのホントやめてぇ! 普段と違う髪型を水着に合わせるとかさぁ! 男心がきゅんきゅんすんだろうが!!」

「んー? そんなにぃ? そんなにかぁ? 仕方ねぇなぁ。ほぉれ、セクシーポーズゥ♡」

「はぁ、そういう露骨なのはいらねぇんだよなぁ。千年の恋も冷めたわ」

「急に冷静になんなよ、腹立つ!!」

「いってぇっ!!」

 

 

 同じく現役アイドルの奏は、ホルターネックの黒いビキニ。

 露出は翼ほどではないが、マリアに勝るほど豊満な肢体は正に視覚への暴力であったが、優斗がきゃーと叫んでへたりこみながらも褒め称えたのは、普段とは違う髪を上げたポニーテールの方であった。

 これまで少女達に見せてきたものとは全く違う反応気を良くした彼女は、両手を膝に宛てがい二の腕で胸を強調するポーズを取ったが、そういうのは優斗のツボではなかったのか、すくっと立ち上がる。今にも唾を吐きそうな表情だ。

 流石にこれには頭にきたらしく、奏は痛烈なローキックを見舞うが、彼も叫んではいるが足を上げて防御している辺り、予定調和であったようだ。

 

 

「うーん、ちょっとひらひらが多かったかなぁ……」

「おっ……んー、新品かな?」

「はい、前回は皆さんに選んで貰ったので、今回は自分で選んでみました! って、アレ? どうして新品だと?」

「いや、値札付いてるし」

「あうぅ。や、やってしまいましたぁ。恥ずかしい……!」

「うーん、でも初めて買うにしてはセンスいいんじゃねーかなぁ? ほら、取ってやるよ」

「お願いしますぅ……」

 

 最後のエルフナインは、あちこちにフリルがついた蒼い女児水着。

 知識量は兎も角として、身体つきも実年齢も低い彼女にはこれで十分であっただろう。

 指摘されたうっかりに頭を抱えて蹲る。どれだけ知識があっても経験がないアンバランスな精神が発露しただけではあるが、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

 

「で、優斗さんは」

「なぁんでウェットスーツなんだよ? ここじゃ、サーフィンなんて出来ねーぞ」

「いや、これドライスーツだから。ちょっと違う」

 

 

 見目麗しい彼女達に反して、優斗はガッチガチに固めた黒いドライスーツ姿であった。手首足首と首から上しか肌色が見えていない。

 それでも身体の線が浮き出るので、肉体の屈強さは見て取れる。尤も、少女達はこれよりも遥かに逞しい肉体を日常的に目にしているので、特に感想はない。寧ろ、ドライスーツという異質さばかりが目に映る。

 これでダイビングでもするのなら兎も角、砂浜ではそぐわないにも程がある。ウェットスーツとは異なり、ドライスーツは水を通さない。利点は他にもあるが、この炎天下では相当に熱いはずだ。

 

 サーフィンという可能性もあったが、クリスが言ったように此処は遠浅で波も穏やか。とてもサーフィンなど出来はしない。

 

 

「皆には一度言った事があるが……いや、エルフナインにはまだだったな。オレには秘密があるんだよ」

「ひ、秘密……ドライスーツとどんな関係が……!」

 

 

 神妙な面持ちで訥々と語りだ出した優斗に、ごくりと生唾を飲み込んで次の言葉を待つエルフナイン。

 しかし、そんな二人の様子とは裏腹に、他の少女達は、またか、と言った感じの表情をしている。

 

 

「オレは昔、全身を無職に改造されてしまってな」

「ぜ、全身を無職に……! そ、そんな! …………あれ? …………無職は改造されてなるものではないですよね???」

 

 

 一瞬、衝撃を受けたようにエルフナインの背後で雷が落ちるようなイメージが降って湧いたが、冷静に咀嚼してみれば、彼の言い分は何から何までおかしかった。

 大量のハテナマークを飛ばされるが当の本人は、ふっ、とニヒルに笑うばかり。エルフナインの困惑はどんどん増していく。

 

 その時、優斗の頭を軽く(はた)きながら、マリアが助けに入った。

 

 

「その通りよ。優斗が言ってるのは、大病を患って手術を受けたというだけ」

「高校入った途端に病気になって、手術受けて治ったけど高校中退せざるを得なくて路頭に迷ったから、全身無職に改造されたのと同義なのでは???」

「……ああ、そういう。なら、間違ってはいない……のかなぁ?」

「いやいやいや、エルフナインちゃん。間違ってる、間違ってるよ」

「お前のそのネタ面白くねぇんだよ。笑うに笑えねぇっての。温度差で風邪引くわ」

 

 

 マリアが語った言葉こそ、全身無職に改造された、の意味であるようだ。

 今でこそ時計屋として生計を立てているが、中々に壮絶な過去である。尤も、この場にいる少女の大半は遥かに壮絶な過去を背負っているのだが。

 

 面白いかはどうかは兎も角として、そうした過去をネタに出来る強さを持っていると見るべきか、はたまたTPOを弁えない愚か者と見るべきか。

 響や奏の反応を見る限り、この場においては後者であるようだ。

 

 

「ま、兎も角な。その時の後遺症で日常生活には問題ないんだが、オレの身体、皮膚が罅割れたみたいになってんだわ」

「魚鱗癬の一種でしょうか?」

「そんな感じだったかねぇ。他にも頭と内臓と骨を同時に別の病気を併発しましてね」

「ほぼ全身じゃないですか!?」

「割とマジで死を覚悟したわ。そういう訳で、風呂に入っただけで染みるのに、海なんて入ったらオレは痛みで死んでしまいます」

『ええええええええっ!?!?!』

「ははは。ナイスリアクション!」

 

 

 流石に詳しい病名や後遺症は聞いていなかったのか、優斗を除いた全員が絶叫を上げる。

 それはそうである。アレだけハシャいでいたというのに、これでは海に誘った意味がないも同然だ。

 海に入れない人間を海に誘うなぞ、最早イジメも同然だ。その上、足として車まで出して貰っている。とてもではないが、善良かつ正義感の強い彼女達には耐えられない。

 

 

「ど、どうして言ってくれなかったのですか!?」

「いや、だって折角、誘ってくれたし」

「そういう事情なら誘わねぇよ! あたしら最低じゃねぇか!」

「気にすんなよぅ。そのために、来る途中で水着買うって言ってドライスーツ買ったんじゃん」

「男の人の水着にしては、妙に大きい袋だと思ってましたけど、そういう……」

「あー、もう! 他に隠してる事はないデスか! ないデスね!?」

「隠し事はあるさ。親や嫁さんでもねーのに何でもかんでも語るワケねーだろ。だが、此処では関係ないから安心安心。さあ、海を楽しむぞ!!」

『安心よりも不安の方が大きい!』

 

 

 海を満喫する気満々の優斗に、少女達は再び絶叫した。上へ下へと散々振り回されているのだ、無理もない。

 

 何はともあれ、こうして砂浜での思い出作りが始まった。

 九人の少女と一人の青年という奇妙な組み合わせであったが、この一時に奇跡はない。

 後に残るものは有り触れた夏の記憶。いずれは薄れていくばかりでありながら、だからこそ美しく輝かしい、生涯の宝となる思い出だけだった。

 

 

 

 

 

 



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出会い・響の場合
「向日葵の少女と時計屋さん・壱」


 

 

「あー、あっつ。流石に、ちょっと無理したかなぁ」

 

 

 ビーチパラソルの下に置いたサマーベッドに身体を投げ出しながら、優斗は誰にも聞こえぬ声で呟いた。

 ようやく始まった海での一時。泳ぎ、ビーチバレーをしてひとしきり遊んだ後、僅かばかりに目眩を覚えて今はこうして休憩を取っている。

 

 一緒にやってきた少女達は思い思いの楽しみ方で海を満喫していた。

 クリスは一人でぷかぷかと波に揺られ、未来とエルフナイン、切歌と調は力作の砂の城を作り、奏と翼、カデンツヴァナ姉妹が白熱するビーチボールの応酬を繰り返している。

 彼女達の顔に浮かぶ心からの笑みに、彼もまた笑みを浮かべて見守る。やや疲れ気味、体調も芳しくないが年長者としての責任から、眠るような真似だけはしない。

 いくら遠浅の海と言えども、危険がないわけではない。もし、彼女達に何かがあれば、真っ先に動く意気は必要。例え、人の助けなど必要としない、普段は人を助ける側に回る少女達であったとしてもだ。

 

 

「ゆ・う・と・さん♪」

「おーう。どうした、立花? お前は遊ばねーの?」

「もう、優斗さんを心配して来てあげたんじゃないですかー」

「心配する必要なんてねーよ。ハシャいじゃいるが、体調管理が出来ないほどガキじゃない。ほら、遊んできなよ」

「まあまあまあまあ。はい、麦茶」

「…………気が利くねぇ。ありがとな」

 

 

 真夏にドライスーツで遊ぶなどバカも良い所であるが、熱中症で倒れるほどバカでもない。

 言外にそう言いながら自分の時間に戻るように促すも、響はやんわりと断りながら、手にしていたチタン製のマグカップの内、一つを差し出した。紙コップではゴミが出るから、と優斗が気を利かせて人数分持ってきたものだ。

 中に注がれた琥珀色の液体は、汗を掻いた身体には砂漠でオアシスを見つけたように魅力的。素直に観念し、礼とともに受け取った。

 

 

「んぐっ、んぐっ……かー、美味い」

「うーん、染みますねぇ」

 

 

 マグカップの中身を優斗は一息に呷り、響は両手で握って少しずつ消費していく。

 僅かな苦味と香ばしい香りのする冷えた液体は、熱の籠もった身体を冷ますように喉を通り、するりと胃の中へと収まった。

 

 喉の乾きも改善され人心地ついたが、砂浜に両足を開いてお尻を落として座った響のチラチラと覗き見るような視線に気付き、笑みを溢す。

 

 

「大丈夫、気にしてない。オレが言ってなかっただけだ。だから、立花は気にしなくていい」

「うぅ、だってぇ……」

「誘ってくれて嬉しかったし、ちゃんと今も楽しんでる」

 

 

 空になったマグカップを砂浜に深く置き、そのまま空いた右手を響の頭に持っていく。慰めるような、励ますような撫で方だ。

 

 優斗が海に入れない。

 その事実を初めて知った少女達の衝撃は大きかったが、中でも一入(ひとしお)だったのは響において他にはいない。

 

 今回の計画の発案者は彼女だった。

 魔法少女事変の最中、訓練と称しながらも息抜きのつもりでこの砂浜へとやってきた少女達であったが、錬金術師の自動人形(オートスコアラー)の襲撃、更には失踪して情けなく変わり果てた父との再会もあり、響にとって決していい思い出だったとは言い切れない。

 其処で、今度は皆の予定を合わせて完全なプライベートでの小旅行を考えた。

 

 思い立ったが吉日、とはよく言ったもので、其処からの行動は迅速の一言であったのが彼女らしい。

 このビーチを利用できるように師匠――風鳴 弦十郎に頭を下げ、掛け替えのない陽だまりや仲間に声をかけて、皆と一緒に計画を立てたが、その時に頭を過ぎったのは、共通の友人である優斗の姿。

 

 普段から彼の店を待ち合わせ場所にしたり、溜まり場にしたり、勉強をしたり、ただお茶を飲ませて貰ったりと返すべき恩義を上げればキリがない。

 其処で日頃の感謝を込めて、彼も誘ってみてはどうか、と口にしたのも彼女である。少女達は快く快諾してくれた。女所帯で申し訳なく、水着姿を見られるのは気恥ずかしかったが、誰が言い出したのか、車を出して貰えばいいという話まで上がって、あれよあれよという間に全てが決定した。

 

 だが、蓋を開けてみればこれだ。

 病気の後遺症で海に入れない人間を海に誘うという、見方や受け取り方によっては酷いイジメでしかない行為になってしまっている。いくら相手が笑っていても、誘った側は気が気ではない。

 何よりも、響自身が知っている。リハビリの苦しみや快癒しても祝福されない辛さを。何気ない一言が人間関係を拗れさせ、己の行動が大切な誰かを苦しめる結果になってしまう事を。

 

 

「ありがとうな」

「え、えへへ」

 

 

 けれど、そんな暗澹たる思いも、頭を撫でられている内に霧散していく。

 響にとって未来が陽だまりとするならば、優斗は日陰であり逃げ場だった。

 自分の選んだ道を歩くのに疲れてしまった時、座り込んで思い切り弱音を吐ける。そして、休んでいる内に気がつけば、疲れも弱音も吹き飛んで、また歩こうという気になっている。

 

 こうして彼に頭を撫でられるのが好きだった。

 とても時計の修理のような繊細な動きが出来るとは思えない、体格に見合った無骨で大きい掌。

 かつて父や母に撫でられた時の心持ちとは違う。誇らしさや喜びよりも、もっとずっと熱い気持ちが胸の内に湧いていく。彼女は、それをなんと名付けるのか決めておらず、何と呼ぶのかをまだ知らない。

 

 その時、ふと優斗と目があった。

 何か驚いたような、何か新たな発見でも目にしたような、そんな顔。

 

 

「立花、ちょっと立ってみ」

「え? あ、はい……」

 

 

 彼が何を考えているのか分からず、促されるままに砂浜に立ち、続いて優斗もサマーベッドからのっそりと立ち上がる。

 見上げるような身長差ではあるが、恐怖や緊張は感じない。感じる必要のない人物である以前に、彼の発している何かがひたすらに優しかったから。

 

 顎に手を当て首を傾げながら、響の足先から頭の天辺までをしげしげと眺める。

 品定めとは違う不快感のない視線に、響は何となしに気恥ずかしさを覚えて、視線をあちこちへと彷徨わせた。

 

 

「ふーむ……」

「あのー、優斗さん、これはどんな意味がー……」

「いや、成長したもんだなぁ、と思ってさ」

「初めてあったのは私が中学の時ですよ。そりゃ、成長しますよ、もう」

「そういう意味だけじゃないよ。うりゃうりゃ」

「うーわー、やーめーてー」

 

 

 彼の言葉にどんな意味や意図が込められているのか正確に把握できなかった響は、単に身長の話だと思い込んだ。

 

 優斗はその単純さと実直さこそが、好ましいとばかりに両手で頭を掴んで揉みくちゃにする。

 彼女は口ではやめてと訴えるものの、ケラケラと笑っていた。 

 

 彼等の頭に浮かんでいるのは、出会いの日。

 夕日の沈む公園で、たまたま目についた光景が二人の始まりだった。

 

 両者の関係は何と表現したら良いものか。

 手を差し伸べた者と差し伸べられた者。だが、救いとは必ずしも手を差し伸べられた側にのみ与えられるものではない。他者に手を伸ばしたからこそ救われる事もある。

 優斗は手を差し伸べ、響は手を差し伸べられた。ならば、救われたのはどちらであったのか。

 

 ともあれ、彼女は差し伸べられた手を掴み、忘れていた何かを思い出した。

 ともあれ、彼は差し伸べた手を捕まれ、立ち上がる姿に何かを見い出した。

 

 

 

 

 

 チク・タク、チク・タク。

 狂った時計は全てを視ている。無論、二人の出会いすらも。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 ――数年前。

 

 

「………………」

 

 

 日が沈む街並みの中、飯塚 優斗は買い物袋を片手に帰路へとついていた。

 周囲は住宅街。すぐ右手側には塀や生け垣が並び、その向こうから夕飯を作る匂いが漂い、子供の笑い声が聞こえる。

 何処にでも有り触れた街並み、何処にでも有り触れた営みを感じながらも、優斗の表情は何処までも無表情であった。

 つい先程まではスーパーの店員やたまたま出会った商店街の知り合いに、人のいい笑顔で接して世間話を弾ませていたと言うのにだ。

 

 此処までの道程で、何かあった訳ではない。不幸があった訳でも、悲劇に行き当たった訳でもない。何も変わらない日常の一コマ。

 ならば、人間性そのものを失ってしまったかのような能面の如き無表情は何なのか。もし、彼を知る人物が今の彼を視ても、同一人物とは認識できないに違いない。

 何処までも善性を思い起こさせる笑顔と何処までも唯一つの感情に支配された無表情。一体、どちらが本当の彼なのか。もしかしたら、彼自身にも答えようがないかもしれない。

 

 

「…………?」

 

 

 その時、彼は何かに気付き、見たくもない光景が飛び込んできた。

 住宅街の直ぐ側。近くに住む子供達が車道で遊ばないよう設けられた遊具もなく、申し訳程度のベンチと植え込みのある公園に、有り触れた地獄は展開されていた。

 

 幾人もの少女が、たった一人の少女を囲み、罵声を浴びせ、髪を引っ張り、身体を突き飛ばし、嘲笑う。

 本気で一人の少女を憎んでいる訳ではない。数多の無関心と大多数(マジョリティ)の声によって生み出される正しさなき正義。いじめと呼ばれる、本来なら忌避して然るべき行為。

 

 けれど、大半の人間は有り触れていると受け入れる。そして、自分は何もしなくていいと決め付ける。

 いじめは千差万別。ましてやいじめられている者にとっては唯一無二の地獄だが、無関係な人間、無関心な人間にしてみれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考える。これほどまでに、両者の間には海よりも広く、谷よりも深い認識の差があり、だから決して分かり合えない。

 

 面倒事は御免被る、関係がないのなら関わりたくない、という人間の悪癖にして生態機能。

 

 ――それでもなお優斗は足を止めて、その光景から目を逸らさなかった。

 

 一人の少女は歯を食いしばり、今にも泣き出してしまいそうなのに、やめてと叫び続ける。

 余りにも細やかな抵抗。だが、彼女はそれでも暴力は振るわない。痛みと怒り、悲しみに耐えるように拳を握り絞めるだけ。

 

 その姿が、どうしようもなくかつての自分と重なった。

 どうしようもない現実に、解決策も見つけられずに彷徨うだけ。苦しみも吐き出せず、ただただ辛いだけの現実に押し潰されそうになる毎日。

 

 歩を進める毎に、自問自答が重なっていく。

 こんな事をした所で何になる。一時的に手を貸した所で己の目の届かない範囲ではイジメなど何時までも続く。無意味で無価値で無駄な行為だ。

 子供は大人が思っているよりもずっと賢しく悪どいものだ。彼女達が痴漢だなんだと騒ぎ立てれば、悪者になるのは己の方。無関係で無関心でいる事の方が利口と言えよう。

 

 だが――――

 

 

『何時までだって居りゃええわ。同居人がこんな老耄(おいぼれ)で悪いがな』

 

 

 ――――脳裏に、そんな風に笑って手を貸してくれた老人の顔が浮かんでいた。

 

 老人は決して大人物ではなかった。

 特殊な才能は持っていたが、人間性で言えば至極まともで平均的。善人ではないが、同時に悪人でもない。世の中には掃いて捨てるほど居る普通人。

 人並みに臍も曲げれば、悪態も吐く。癇癪も起こせば、ものに当たる事もある。

 けれど、間違いや失敗を認めて謝り、傷ついた誰かが居れば心配になって声を掛ける。どんな状況であっても、ちっぽけな良心を決して捨てない人間だった。

 

 善人でも悪人でもない有り触れた人間の、ちっぽけな良心に救われた。ならば、己もまた自らの良心に従うべきだ。

 

 

(それでも、どうしたもんか。手を上げたら犯罪者、恫喝しても犯罪者、声を掛けても犯罪者…………本当にどうしようこれ、詰んでない?)

 

 

 ようやく人間らしい表情を取り戻した優斗であったが、刻まれるのは懊悩ばかり。しかし、次の瞬間には何かを閃いたように手を打った。

 

 買い物袋を公園のベンチに置き、おもむろにストレッチを開始する。

 両手を組んで掌を前方に押し出して腕周りや肩の筋肉を解し、屈伸によって膝の稼働を確かめ、片足を折り曲げてもう一方の足を後方に伸ばしてアキレス腱を伸ばす。最後に首をぐるぐると回して準備完了。よし、声を出して、何を考えたのかその場でブリッジをする。

 

 彼の頭にあるのは、何処かで見た気がするホラー映画の一幕である。

 

 

「ギィ、ぎぃいいいいぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいっっっ!!!!!!」

 

 

 奇声を発して手足をガサガサと動かしながら、高速で移動する。

 ブリッジ状態で走るなど、とても人間業ではなかった。左へ右へとジグザグ走行するさまはゴキブリのようだ。これならまだ四足獣の方が人間に近い。その上白目を向いて、涎が流れるのも構わずに舌まで出している始末。

 

 こんな姿を知人にでも見られれば、間違いなく精神病院へ放り込まれること請け合い。

 正に捨て身の行動であるが、一度は社会から爪弾きにされ、路頭に迷った男である、恐れるものなど何もない。

 

 

「なにあれ、アレ何よ!?」

「ぎゃーーーーーっ!!!」

「キモイキモイキモイッ!」

 

 

 夕暮れの公園で謎の生物――もとい、己の良心に従った男と遭遇した名前もなければ主体性もない少女達は、口々に悲鳴を上げて一目散に逃げていく。

 それはそうである。ホラー映画から出てきた怪物、もとい怪物のマネをした男に出逢えば、誰とて逃げるだろう。

 

 

「ははは、根性のないガキ共め。イジメなんて下らない真似をするから、こういう目に遭う」

 

 

 自分達が見たものが頭の可笑しい人間であると思ったのか。はたまた都市伝説的な何かだとでも思ったのか。

 いずれにせよ、優斗の目論見は成功を収めた。あれだけ迫真の演技である。今夜、彼女達が見る悪夢を考えただけで、胸が空く思いであろう。

 

 蜘蛛の子を散らすように消えていったイジメっ子達のブリッジしたままで眺め、満足げに笑う。

 やっていること自体は人間的であるのだが、ブリッジ状態のまま笑っている姿は正に奇人変人狂人の類であった。

 

 

「よいしょ、っと。大丈夫か?」

「…………っ!」

 

 

 流石に何時までもブリッジ状態でいるのは疲れたらしく、人間らしい二足直立の体勢に移行する。

 その姿に、イジメられていた少女はビクリと肩を震わせた。人間であったことに驚いているかのようだ。

 

 

「怪我をしてるな。待ってろ、手当してやるからな」

 

 

 彼を象徴する人の良い善人そのものの笑みを浮かべ、座り込んだままの少女の前に股を開いて座り込み、目線を合わせる。

 手足には大したことはないものの、無数の擦り傷が見て取れた。怪我そのものではなく、怪我を負った理由が余りにも痛々しい。

 

 助けた以上は、そのまま放り出すのも忍びない。せめて、怪我の手当くらいはしてやらないと。そんな善意だけで構築された言葉であったが――――

 

 

「いえ、結構です」

 

 

 ――――助けられた喜びも、望外の幸運に見舞われた呆然でもなく、変な人に出会ってしまったという迫真の表情を見せ、立花 響は震え声のままドン引きしているのであった。

 

 

 

 

 




響、渾身のお断り宣言――――!


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「向日葵の少女と時計屋さん・弐」

 

 

 

 

「…………はぁ~」

 

 

 少女の出会いから数日後。

 引き継いだ時計店の中で優斗は笑顔でも無表情でもなく、後悔と共に溜息を吐いていた。

 

 あの後、怪我の手当てをしようとしたものの、肝心の少女は大丈夫ですから! 大丈夫ですから! と必死に連呼しながら逃げるように去っていった。

 

 彼にとっては些か以上に酷い反応であったが、少女にしてみれば当然の反応であったのだろう。

 相手の反応や行動よりも、自分の冷静さに欠いた行動の方が余程恥ずかしく、問題だらけであった。何とかしなくては、という責任感ばかりが先に立ち、思わず動いてしまったが、もっとスマートに事を収める方法もあったのではないか、と思う。

 

 

「……ヤバいよな、これ。新しい都市伝説が生まれるくらいならまだしも、完全に声掛け案件で収まってないよな。ただの変態ですよ……警察、来そうなんだけど」

 

 

 『怪奇! ブリッジ高速移動男!』という都市伝説のフレーズが頭の中に思い浮かぶも、それ以上に国家権力の動きが恐ろしくて仕方がない。

 まだ予想や妄想の域に過ぎないが、最悪の想定をしてしまうのが人間というもの。頭に思い浮かぶのは、赤いパトランプの輝きが商店街を埋め尽くし、手錠を掛けられて連行される己の姿。ニュースのインタビューでは周囲の人々が「いつかやると思っていた」と呟き、取り壊される店のリアルな情景。

 鮮明に見えた光景に、溜息どころか頭を抱える。己を信じて店を継がせた老人に申し訳ない。そもそも老人の家族にすら世話になっているのだ。恩を仇で返すどころの騒ぎではない。

 

 唯一の希望は、未だ見えない少女達の行動か。

 幽霊や化け物などの人智の及ばない超常の存在と勘違いしてくれていれば、都市伝説が広がるだけで済む。それ以外の場合はアウトである。

 

 

「まあ、いいか。何もかんも失うのにはなれてるし。爺さん達には素直に頭を下げてごめんなさいしよう」

 

 

 出来ることがない以上、悩んだところで意味がない。なるようにしかならない、と先日あった依頼に戻ろうとする。

 下手をすれば、自分の社会的地位を全て喪失するというのに、これだ。前向きと言ってしまえばそれまでだが、悪く言えば能天気ですらある。

 路頭に迷うという彼の経験は、社会に対する信頼を喪失させたのだろう。どれだけ苦しんでいようが、どれだけ助けを求めようが、社会は個人を救済するものではなく、あくまでもより多くが円滑に生活するための無慈悲な機構(システム)に過ぎない、と割り切っている。同時に、社会がなくとも個人で生きていく分には問題ないとも知っていた。

 

 捨て鉢と前向きさが混じった独特の思考のまま、雑念を振り払うべく工具を握ったが――――その時、来客を知らせるベルの音が鳴る。

 

 

「はーい、いらっしゃ――――」

「こ、こんにちは……」

 

 

 来客の姿を見た瞬間、優斗はビシリと固まった。

 それもその筈、来客者は未だ名前も知らぬ少女――――立花 響その人だったのだから。

 

 時間は平日の日中。学生は学校へと行っていなければならない時間帯。

 どう考えても、こんな場所に居るのはおかしい。そもそも、どうやってこの時計店にまで辿り着いたと言うのか。

 

 響の考えが読めず、困惑から挙動不審の様子を見せる。

 響ではなく、彼女の背後に視線を飛ばし、親の姿がないのかを確認。店の窓の外をチラチラと眺め、国家権力が待機していないかを汗を掻きながら視線を飛ばす。それでいて、これまでとは別の方法でイジめられているのか、とも自分だけでなく相手の心配もしている辺り人が良い。

 

 しかし、彼一人で答えなどである筈もない。

 疑問と苦悩の果て、優斗の選択は―――― 

 

 

「あの……」

「これで勘弁して下さい!」

「ふぇ? なんでお金…………ち、違いますよ! 今日はお礼に来ただけ!」

 

 

 ――――店のレジから万札を取り出し、両手で差し出しながら通報だけは勘弁してくれという、大人として余りにもみっともないものだった。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

「ほい、紅茶でよかった?」

「あ、は、はい。ありがとうございます」

 

 

 鷲崎時計店の中には来客者を饗すスペースがある。

 扉から向かって左。店内を覗き込める窓の直ぐ側に置かれたアンティーク調の丸テーブルと椅子。決して派手さはないが洋風の店構えと店内に合わせた調度は、買い揃えた先代のセンスが現れているかのようだ。

 この場で相手の依頼や思いを親身に聞き、或いは一刻も早く修理を終えた時計を受け取りたい客に待って貰い、或いは常連客との世間話をするために用意した、と優斗は伝え聞いている。

 

 先日のお礼礼の品を持ってきた……否、()()()()()()()響を座らせ、淹れたばかりの紅茶が入ったカップを差し出す。緊張した面持ちのまま座って礼を言う姿に、苦笑を漏らさざるを得ない。

 

 

「しかし、立花さんのとこのお孫さんとはなぁ。世間は狭いな」

「あ、あはは」

 

 

 当初は勘違いしていた優斗であったが、響が誤解を解くべく語って聞かせた経緯に、ようやく諦観の境地から開放された。

 

 響の祖母は、この店の常連の一人であった。

 先代の時代には、誕生日に夫から貰った時計の修理やオーバーホールで訪れており、代替りしても『時計以外も修理できるなんて便利ねぇ。時代かしら?』などと言って常連で在り続けてくれている一人。

 ここ最近は姿を見掛けていなかった。修理の必要なものがない、ということかと思ったが、どうやら事実は違っていた。

 

 兎にも角にも響は数日前の出来事を家族に語っていた。

 その時の特徴から祖母が優斗の存在に思い至り、礼をしてくるようにという流れになったようだ。

 

 

「ほら、立花も食えよ。これ美味いぞ」

「でも、お礼の品ですし……」

「いいって。オレ一人じゃ食い切れないし。貰った側が勧めてるんだから、ほら」

「はぁ、どうも……」

 

 

 お礼の品は焼き菓子の詰め合わせだった。

 クッキー、マドレーヌ、フィナンシェ、バームクーヘン。オーソドックスな洋菓子の数々が綺麗に包装されて箱詰めされている。

 有名店のものではないが、御中元などにはよく使われる類だ。決して安くはないだろう。

 

 その内の一つを二口でもふもふと平らげ、折角だからと渡してきた本人に差し出す。

 こういうの、受け取っていいものなのかな、と困惑しながらも響は空きっ腹に負けて受け取ってしまう。

 

 本日、この時計店に出向くという話になったのは、朝食の最中であった。

 優斗を知っていた祖母、祖母から話を聞いた母からお金を渡され、学校へ行く予定だったのにも関わらず、半ば追い出されるような形で家から此処へと向かわされている。

 お蔭様で朝食も満足行く量を食べられず、不安と不満を抱えたままで表情に出ていないか心配であったが、彼女にとって変な人にカテゴライズされている青年は頬杖を付いて微笑むばかり。心配は杞憂に終わりそうでほっとした。

 

 

「……ん、おいし」

「だろ? 一緒にあったかいもの、どうぞ」

「あったかいもの、どうも」

 

 

 テーブルに置かれた紅茶を手で示され、焼き菓子の影響で乾いた口の中を潤すように熱い液体を口に含む。

 砂糖の入っていないストレートティーは甘めの焼き菓子とは相性が抜群であった。口に含んだ瞬間、芳醇な香りが心地よく鼻を抜けていく。紅茶について詳しくはないが、相当に良い茶葉を使っていると素人でも分かるほどだ。

 

 優斗もお茶やコーヒーに詳しくはない。来客用の飲み物は全て、向かいの喫茶店の店長に頼んで用意してもらったものである。

 少々値は張るものの、概ね客には好評で滞在時間も自然と長くなっていく。そのため、テーブルには喫茶店のメニューまで用意してある。客が望めば、優斗が向かいの喫茶店に注文を出して持ってきて貰うのだ。

 こうした提携はこの商店街で珍しくない。大手スーパーや複合商業施設に対抗するために商店街全ての経営戦略として取り入れたものである。

 

 

「暫くゆっくりしていきな」

「でも、学校が……」

「このまま家に帰って制服に着替えて向かっても、午後だぜ? 今日はこのままサボっちまえよ――――とぉっ、悪い、電話だ。ちょっと出てくる」

 

 

 ジリリリ、と電話の着信を知らせるけたたましい音が鳴る。今時珍しい黒電話の着信音。古臭くはあるが、この店の雰囲気には合っていた。

 

 優斗はまるで不良学生のような言い分で、折角来たんだから学校なんてサボって話そうぜと言わんばかりに笑いながら席を立つ。

 彼は“良い奴”ではあったかもしれないが、決して“良い子”ではない。社会のルールは社会の一員として遵守すべきという考えはあっても、人の思いや感情を踏み躙ってまで守るつもりはない。そして何よりも、彼女の祖母や母が礼だけを意図して送り込んできた訳ではないことを察していた。

 

 半ば無理矢理、礼に赴くように差し向けられたのだろうが、先日の怪我は丁寧に手当されていた。服も綺麗に洗濯されていて、髪も整い、血色も良い。翻って、それらは母と祖母がどれだけ彼女を愛しているのかを示している。

 優斗は二人が一人娘・孫のイジメに気付いており、だからこそ今日此処へ向かわせたのだろうと推察していた。そう判断できるだけの材料は既に揃っている。かつて何かの修理をした時に顔を合わせた時に、孫がツヴァイウイングのライブ会場で大怪我を負い、今もリハビリに励んでいる姿が不憫でならない、と聞いていた。

 

 日本史に残る特異災害にして()()()()()。それが、響の巻き込まれた地獄であった。

 この世には、ノイズと呼ばれる人を炭素転換させて黒い砂塵へと変換する怪物が存在する。彼らは何の前触れもなく現れ、ただひたすらに人を殺す。

 その時、ノイズの標的となったのがツヴァイウイングのライブ会場であり、ノイズの出現によって惨劇の幕が開き、死者・行方不明者の総数が12874人に上る大災禍となった。

 

 しかし、生存者にとっての本当の地獄は其処から。

 ノイズによって亡くなった被災者は全体の1/3ほど。残りは混乱による将棋倒し、避難経路を確保するために争った末の傷害致死であることが週刊誌によって報じられると、世論は一気に傾いた。

 生存者への同情は生存者へのバッシングへと変わり、ただ生き残ったからという理由で誹謗中傷に晒された。或る者は耐えられずに自殺し、或る者は全てを捨てて逃げ出し、或る者は声を出さずに怯えながら暮らし、或る者は救いを求めて蹲る。

 

 詳しい内容は聞いていない。だが、状況から察せられる立花家の現状は控えめに見ても地獄だろう。

 本来は家族を守るための家や、若者を健全に育成する学び舎も、今や響を責め苛む拷問部屋に等しいに違いない。だから、そうした現実を忘れさせるために、全く別の場所へと送り出したのだ。

 

 その一件に関して、優斗自身は特段の感情は抱いていない。

 祖母に対しても御孫さんが生きていてよかった、としか伝えておらず、後の世論によるバッシングにも迎合しなかった。する必要性も感じていない。

 今を生きるのに必死な彼には、顔も知らないどうでもいい誰かを罵り、憎み、正義ですらないない正義を執行する時間など存在していない。そして、それを止める術も持っていない。

 無関係な人間らしい、無責任で無情な結論であったが――――それでも大事な上客が大事な孫を、大事な一人娘の未来を案じて送り出した。ならば、応えるのが人情であり人道であるとも結論付けていた。

 

 故に、まずは拷問部屋から解放してやることにした。

 いずれ生存者へのバッシングは終わる。関係のない人間が向ける理由もなく、偽りに過ぎない憎しみなど長く続かない。嵐が過ぎ去るように、ある瞬間を境に爪痕こそ残すがパッと止む。

 それまでの間、壊れかけている響が決定的な一線を越えぬように、逃げ場になってやるだけだ。それくらいのことしかできないが、と己の不甲斐なさに笑いながら。

 

 

「もしもし、鷲崎時計店です」

 

 

 優斗の内心や家族の思惑に気付いていない響は、電話を取る姿に拒絶と不和の様子がないことにホッと息をついた。

 ここ最近、人と顔を合わせることが億劫で、何処か恐ろしい。聞こえてくる陰口、謂れのない誹謗中傷、時折襲ってくる暴力。その度に、心も身体も傷ついていくのが分かった。

 それでも逃げ出さずにいれたのは、親友のお陰だ。彼女が居たからこそ、人と人の間には確かな陽だまりがあると信じることが出来ていた。

 

 しかし、不意に涙が流れそうになる時もある。今が、その時だった。

 この時計店が余りにも優しい雰囲気だからだろうか。それとも時を刻む音が響くお陰で、世界から切り離されたようだからだろうか。はたまた、肉親や親友以外にも受け入れてくれる人間が居てくれた事実からだろうか。

 ぐっ、と口唇を噛み締めて、鼻の奥がツンと痛むのを堪える。リハビリを終えて待っていたのは暖かな祝福ではなく、人の心の暗部だった。それ以来、涙を堪えるのが随分と上手くなったように思う。それが良いことなのかは別として。

 

 

「あー、悪ぃ悪ぃ。お待たせ」

「お仕事の、電話ですか」

「んー、そんな感じ。今度、コンプレッサーの修理してくれってさ」

「へー…………え? 時計屋さんなのに?」

「時計屋さんなのになぁ」

 

 

 暗い気持ちを振り切るように、電話を終えて戻ってきた優斗に話し掛ける。

 短い時間であったが、何となしに悪い人ではないと察せられた。その分、自分の境遇を知った時の反応が怖かったが、今は胸に渦巻く黒々とした感情を振り払いたかった。

 

 それから長い時間、ひたすらに世間話を繰り返した。

 最近の流行、親友の趣味、好きな食べ物、飲み物。逆に彼の仕事や時計について。話題は尽きなかった。

 流石に店主をやっているだけあって、優斗のコミュニケーション能力は高い。聞き上手の話し上手だ。

 響の踏み込まれたくない部分には決して踏み込まず、それでいてギリギリのラインに踏み込んでいく。話が途切れそうになると別の話題に切り替え、或いは話題を深く掘り下げる。話に耳を傾ける時は必ず頷き、自分の知らない内容は大げさに驚いてみたり、笑ってみたり、目を輝かせたり。内容自体は何の変哲もなかったとしても、彼のリアクションは一々面白い。

 少なかった口数は次第に増していき、響自身も気付かぬ内に、何処か固く無理をして浮かべていた笑みは、彼女本来のものへと変化していた。

 

 気が付けば日は傾いて、青かった空が薄紅に染まり始めようとしていた。

 

 

「………………そろそろ、帰らないと」

「そうだなぁ。残念、仕事をサボるにゃ、ちょうど良かったんだが」

「駄目ですよぅ。仕事と学校はちゃんとしないと。まあ、私も行ってないんですけど」

「偶にはいいだろう? 他の連中が真面目に勉強してる中、自由気侭に遊ぶってのも」

 

 

 新たな出会いとやり取りが終わってしまうことを名残惜しみながらも、響は椅子から立ち上がろうとする。

 正直、まだこの店に居たかった。家に帰っても待っているのは辛い現実と己の所為で苦しんでいる母親と祖母だけ。

 それでも帰らなければならない。大切な家族に心配をかけたくはなかったし、何よりも自分の帰る場所なのだ。

 

 苦しみに耐えながらも、苦しみに立ち向かおうとする少女の姿に笑みを浮かべながら口にする。

 

 

「――――また何時でもおいで。嫌じゃなかったらな」

「…………で、でも」

「いいよいいよ、オレも結構楽しかったし」

「………………ッ」

 

 

 その笑みと声色が余りにも優しすぎて、また涙が零れそうになった。

 既のところで堪えたが、もう決壊を堪えきれそうにない。人の優しさには触れてきた。けれど、それは見知った人間からだけだった。特に、こんな境遇に陥ってからは。

 共有したのは楽だけ。艱難辛苦は分かち合えない。きっと優斗さんには私の辛さは分からない、とも思う。でも、その一言は、自分の存在全てを肯定してくれているようで。

 

 

「……ぐっ……ふぁ」

「学校なんて行かなくてもいいんじゃねー? 所詮、学校なんざ小さい水槽だしなぁ。海に出るのもいいし、他の水槽を探してもいいよ。逃げるのは悪いことじゃねぇって。逃げ続けさえしなけりゃさ。気持ちの切り替えって重要だぜ? オレ、仕事始めて分かったわ」

「め、迷惑かけちゃうかも、しれないし……」

「いいって。楽しいことだけ共有できりゃいいけど、そういうわけには行かないからさ。何なら、暫くバイトでもしてみるか? 大変だけど楽しいぞ」

「うぅ、うぅぅぅ、うぁ―――――っ!!」

 

 

 一度崩壊したダムが誰の手によっても止められぬように、響自身にも、優斗にも流れ始めた涙を止める術はない。

 悲しみも喜びも一緒くたになって滂沱の涙として流れ出る。ありとあらゆる感情が泣き声となって喉から迸る。

 

 それらは全て生きてこその反応であり営み。

 川の流れが滞り水が淀むように、人の感情も吐き出さねば、底に溜まり拗れてしまう。

 

 今まで響が泣かなかったのは、家族や親友を心配させまいとしてであり、泣いてしまえば生き残ってしまったこと自体が間違いであると認めてしまうと思っていたからだ。

 彼女達くらいの年頃は何事も重く難しく受け止めすぎる、と優斗は考える。そんなことをしていたら、身が持たない。真面目さは必要だが、同時に同じだけの緩さも必要なのだと。

 

 泣いて崩れ、涙と鼻水、涎まで垂らして()のままの感情を露わにする響から視線を外す。その程度のデリカシーがない男ではない。

 少女の泣き声をBGMを聞きながら、見慣れた窓の外の光景を眺める。その表情は驚くほど穏やかで、まるで懐かしいものでも眺めているかのよう。

 

 子の手を引きながら買い物へと向かう親の姿。

 自転車に乗って何処かへと向かう年配の男の姿。

 何故か、必死な表情で掛けていく女学生の姿。

 

 何一つ変わらない日常の一幕。何処までも理不尽な目に合ってきた少女の泣き声すら冷徹に、或いは逆にそれすらも包み込むように日常は過ぎていく。時計の針は止められても、時の流れ自体は止められぬように。

 

 

「――――ん?」

 

 

 その時、過ぎ去った筈の女学生が凄まじい勢いで戻ってくると、凄まじい眼光で店の中を覗き込み、続いて優斗を睨みつける。

 

 瞬間、彼の表情は引き攣った。

 睨みつけてくる少女の表情の恐ろしさよ。肩で息をしているにも関わらず、釣り上がった眼尻と血走った目はまるで鬼女のようだ。

 

 全く知らない少女から凄まじい敵意を感じ取れば、さしもの優斗も冷静ではいられないようだ。

 

 

「あ゛ー、未゛来゛だぁ゛ぁ゛、う゛わ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛ん゛ん゛ッッ」

「あっ」

「もしもし、警察ですか?」

「ち、ちがうんですよ」

 

 

 響の言葉で全てを察した優斗の顔が蒼褪める。

 世間話の中であった彼女の陽だまり、親友が今、この光景を見ればどう思うか。初手通報の行動を見れば、考えるまでもないだろう。

 

 思わず敬語になった優斗であったが、最早全ては手遅れである。

 

 

 

 ――――この後、滅茶苦茶弁解した。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

「色々、ありましたねぇ」

「色々、あったなぁ」

 

 

 タープの下の日陰へと揃って移動した二人は、横に並びながら遠い地平線を眺めて出会いに思いを馳せていた。

 

 響は後ろで手を組み、優斗は腕を組んで互いにうんうんと頷いている。

 

 

「あの後、修羅と化した未来と通報でやってきたお巡りさんに物凄い勢いで弁解して」

「お前は泣きっぱなしだったから、何の意味もなかったけどなぁ……」

「結局、早とちりしたお巡りさんに現行犯誤認逮捕とかいうウルトラCを決めて」

「お前の泣きが、あ゛ーーーーーーーーーーーッ!!!! とか加速するし」

「だって、優斗さん何も悪くないし、涙も止まらないし……そのまま交番まで連れてかれたんでしたよね」

「その後、お前のお袋さんと婆ちゃんがやってきて、二人に袋叩きにされるし」

「信じてた所を盛大に裏切られたと思ったんでしょうね」

「結局、お前が泣き止んで説明してくれたから事なきを得たけどな」

「次の日、未来もお母さんもお婆ちゃんも三人揃って土下座でしたけど……」

 

 

 当時の混沌を思い出すと頭が痛くなってくるのか、二人してどんどん瞳から光が失われていく。しかし――――

 

 

「「あはははははははははっ!!!」」

 

 

 次の瞬間には二人揃って吹き出し、腹を抱えて笑い始めた。

 当時の苦労の余りに壊れてしまったのではなく、純粋に当時の出来事を笑い話と受け取っているのだ。 

 

 

「あ、ありえねー! お、オレ、オレなんも悪いことしてないのに! してないのに!」

「大人の男の人って隣で現役JCが泣いてるだけで犯罪者扱いとか酷すぎる!」

「いやいや待て待て待ちなさい! その後も酷かった! 酷かったぞ! お前が学校行くの嫌になったから一日バイトさせただけなのに、一緒に配達してただけで職質されたぞオレェ! 小日向も交えて遊び行った時も!」

「だって親子にも兄弟にも見えないですもん、私達! お巡りさんも職質しなきゃ職務怠慢ですもん!」

「アレェ!? オレ、お前等と一緒にされてる時、毎回職質されてる気がするんだけどぉ!?」

「「あっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」」

 

 

 笑い過ぎて膝に力が入らなくなったのか、二人は涙目になりながらその場に蹲る。腹筋大激痛である。

 ひーひー言いながら息を整えるものの、同時に脳裏へと思い浮かんだ別の光景に一瞬、真顔となった。

 

 

『またお前か』

『そりゃこっちの台詞ですよお巡りさん。事情は知ってるでしょ。いい加減、勘弁してくれませんかねぇ』

『こっちも仕事なんだよ。ったく、毎度毎度美少女侍らせやがって、羨ま――――けしからん』

『おい、聞いたか立花ァ! 小日向ァ! オレよりもこのお巡りさんの発言のがヤバくねぇ!?』

『はい、未成年者略取及び名誉毀損と公務執行妨害で逮捕ー』

『えっ――――マジで手錠しやがったよ、このポリ公ッ!!』

『……んん! んふふっ、げほっ、こほぉっ!』

『ぶふーーーーーーーーーーーーっっ!!』

 

 

 最近流行りのタピオカミルクティーを飲みに行こうとなった折、すっかり顔馴染みになった警察官とのやり取りは実にコント地味たやり取りが思い浮かぶ。

 優斗は驚きの余りに悲鳴を上げ、それを見ていた未来はタピオカが変な所に入って咳き込み、響は盛大に吹き出したのは記憶に新しい。

 

 

「お、面白すぎるでしょ、優斗さん……」

「オレは笑わすつもりがないのに、何か毎回面白い方向に転がってくんだよ……」

 

 

 笑い過ぎて虫の息となった砂浜に寝そべってピクピクと肩を震わせている。一度、ツボに入ると中々戻ってこれない質のようだ。

 暫くの間、揃って踏まれた蟻のように砂浜で藻掻いていたが、深呼吸を繰り返す事でようやく戻ってくることが出来た。

 

 響は膝を抱えて座り直し、優斗は胡坐をかく。

 其処から二人の間に沈黙が降り、細波の音と少し離れた位置で遊んでいる仲間達の笑い声だけで満たされる。

 

 

「なあ、立花」

「どうかしました?」

「今、楽しいか?」

「――――はいッ!」

 

 

 不意に出た言葉であった。

 それが如何なる胸中から放たれたものなのかを、響は知る由もない。

 

 抱え膝に頬を預け、白い歯を覗かせながら花が咲くような笑みを浮かべる。

 親友である未来は響をお日様そのものと捉えているようだが、優斗はどちらかと言えば向日葵ようだと認識している。

 何時までも、何処までも、傷つけられても、諦めずに光に向かって進む姿は、太陽を追いかける向日葵の性質に似ていた。尤も、向日葵が太陽を追いかけるのは、成長しきっていない蕾の頃合いだけであるが。

 

 ともあれ、その笑みも、その姿も優斗には眩しく映る。そして、そんな彼女に僅かばかりに力添え出来た事実は、彼にとっても誇らしく輝かしい思い出である。

 

 

「よぉし! んじゃ、次のイベントに行きますかぁ!」

「な、何ですとぉ! 今日誘われたのに、まだ隠し玉が!?」

「あるに決まってるだろう。遊ぶなら全力で遊ぶのがオレだぞ! やるだろ、海に来て、これだけ人数がいるならアレを!」

「ま、まさか……!」

「――――BBQの時間じゃあああああああ!!!」

「BBQ、だとぉ――!? こ、この私の目を持ってしても、このサプライズを見抜けなかった!」

 

 

 そして、今もまた輝かしい思い出は積み重なっていく。

 

 

 

 

 

 チク・タク、チク・タク。

 重なる思い出は何の為か。時計が見るのは更なる輝きか、はたまた――――

 

 

 

 

 




今は笑おう。何時か暗い過去を、笑い飛ばせてしまえるように――――



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少し前
「一夏の思い出・参」


 

 

 

「――――ふ、提案者であるオレを崇めろ。今後はBBQ将軍と呼べ」

「「ハッ、BBQ将軍様ッ!!」」

「何だコイツら……つーか、その称号は名誉なもんなのか?」

 

 

 太陽が最も高い位置に移動した正午。

 砂浜で優越感たっぷりの表情で両腕を組んで仁王立ちした優斗の前に、響と切歌が恭しく片膝を付いて頭を垂れていた。

 その光景に当然のツッコミを入れるクリス。辟易とした表情は、おちゃらけた知人と仲間に対するツッコみ疲れが見て取れる。特徴的な語彙力は兎も角、感性自体は常識的な彼女には突っ込まずにはいられないようだ。 

 

 砂浜には丸形と長方形のグリルが並び、金網の下では炭が静かに燃えている。準備は万端であるようだが、茶番はまだ続く。

 

 

「そして、金を出してくださったBBQ女王の方々だ。全員、礼!」

『ありがとうございまーす!』

「ふッ、苦しゅうないわ」

「畏まらずともよいよい。楽にせよ」

「マリアも奏も、何なんだそのキャラ付けは……しかもBBQ女王とは一体……」

 

 

 BBQ将軍が指し示したのは、壮観たるBBQ女王の面々。

 水着姿のままサングラスを掛け、サマーベッドの上に寝そべるマリアと奏が渾身のドヤ顔を決めている。その左右では何処で拾ってきたのか、巨大な葉を扇代わりに二人を仰ぐ調とエルフナインがいた。正に女王らしい姿である。

 しかし、生真面目な翼だけが二人の悪ノリについて行けず、若干引き気味に眺めていた。BBQ女王という称号もお気に召さないようだ。当然である。

 

 

「さて、女王様とかいう金を出すしか能がない役立たずどもは放っておいて」

「…………ぐっ、BBQでは防人の業の数々も、確かに何の役に立たない!」

「おい。おい。なんで持ち上げた? なんで持ち上げて地面に叩きつけた?」

「聞き捨てならないわね。私達が役立たずだなんて」

「上げて落とすのは基本! えっ!? ていうかお前等、料理に自信とかあった!?」

 

 

 上げて落としてきた優斗の素朴な疑問。

 アイドルなんてやってる奴等にそもそも自活能力があるのか、という些か以上に偏見に満ち満ちた視線と言葉だった。

 

 その視線に釣られるように、他の者達も一斉に視線を向ける。

 如何に仲間、友人と言えども機会がなければ私生活を微に入り細に入り知ることなどない。ある程度、窺い知れはしても見えてこないものもある。言葉にせずとも興味を持つのも無理はない。

 

 

「わ、私は防人なので、おさんどん的な何やかやは、ひ、必要ありませんから……」

「待て待て待て待て待ちなさい! 生憎だったわね! 私は偏食なマムや幼い調や切歌に食べさせるために学んできたのよ!」

「でも、姉さん。最近、作ってないわよね? 私や調ちゃんに任せきりだし」

「仕事が忙しいから仕方ないけど、マリアがズボラになってきた」

「マリアは私と同じになってきたデス」

「ちょッ!? 三人とも!?」

「料理とか作りたい奴が作ればいいんじゃねえの?」

「ちょっと君達???」

 

 

 まずいの一番に言い訳に走ったのは護国の防人・風鳴 翼。

 自他ともに認める片付けられない女である上に、日本の権力中枢に喰い込む風鳴家の令嬢である彼女には、そのようなスキルは必要としない人生だった。

 しかし、屈辱を感じてはいる。女子力の何たるかは理解していないTURUGIであるが、防人を理由にしてしまい返って大きい敗北感が生まれて表情を歪めていた。

 

 続き、言い訳ではなくドヤ顔を見せたマリア。

 不遇の幼少期、苦労と苦痛の多い少女期を過ごしてきた彼女は家事に自信をあった。ドヤ顔も頷ける。だが、まさかの身内からのインターセプトに、顔が真っ赤になる。

 チャリティーライブにS.O.N.Gのエージェントとしての過重労働で帰ってきては家事に力が入らないのも無理はないが、その様は疲れ切ったOLといった感じ。日に日に衰えていくマリアの女子力に三人が心配するのも無理はなかった。

 

 そして、泰然自若としたままの大物・奏。

 女子力? なにそれ美味しいの? と言わんばかりの態度で恥すら感じていないようである。流石に最強の装者だけはある。メンタルも最強だ。

 彼女は彼女で仕方がない。過酷な運命に立ち向かって来た彼女の周囲には彼女を助ける大人が居た。そうした者達は生活も助けてきた故に、自分が持つ必要性を一切感じていなかった。

 

 他、幾人かに流れ弾が当たっている。掃除と洗濯を辛うじてこなせるクリス、家事は一通り出来るものの同部屋の未来に任せきりの響、セレナと調に頼りっぱなしの切歌。全員が目を必死に逸していた。酷いもんである。

 

 一人暮らしの長い優斗は信じられないものを見る目で見ていたが、食事も簡単に手に入り、掃除洗濯も最悪は金を払うなりすればどうとでもなってしまう時代だ。彼の考え方が古臭いと言えなくもないが、それはそれとして女子力は壊滅状態だ。

 

 

「えー、このまま楽しいBBQに洒落込もうと思っていましたが、急遽予定を変更して女子力向上BBQ大会に切り替えていこうと思います。どうですか、女子力高めの皆さん?」

「異議なし。私とセレナばっかりは流石にちょっと疲れるから」

「同じく。家事を分担した方がいいと思います。皆でやると楽しいから」

「私も。響もクリスも女の子としてどうかと思うし」

『ぐっ…………分かりました』

 

 

 調、セレナ、未来による強い威圧感に、他の者は首を縦に振らざるを得ない。

 これまで家事を担ってきた彼女達は家事が生活の基本根幹であることを重々承知している。生活を豊かにするも乏しくするも家事次第。理不尽を強いているのではなく、純粋に女子力低めの皆の明日を憂いての発言だ。

 

 しかし、そんな中――――

 

 

「それよりも酒飲みたい。ビールは?」

「天羽。お前、女子力云々以前におっさん過ぎない?」

「海にBBQと来たらビールだろビールゥッ! 誰がおっさんだぁ!?」

「そういうところだぞ」

 

 

 成人を迎えてすっかり酒の味を覚えた奏だけは、話を聞いておらずに酒を探している。

 数ヶ月前、成人式を迎えた彼女は仲間や大人に祝福され、はにかんだように微笑んでいたのにこれである。

 その時、彼女の保護者である弦十郎、彼女と翼を公私ともに支えてきた緒川、過酷な人生を歩む少女を一人の大人として見守ってきた藤尭や友里も涙を浮かべたが、今は別の意味で涙を流すだろうこと請け合いであった。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

「よいしょ、よいしょ……ふぅ、どうでしょうか?」

「上手い上手い。エルフナイン、ホントに包丁握ったの初めて? 実は隠れて練習してたんじゃない?」

「してませんよぅ。え、えへへ」

 

 

 タープの下に組み立てられたアウトドアテーブルに台に乗って向かい合い、エルフナインはナスやズッキーニ、ピーマン、パプリカ、ミニトマトをカットしていた。

 その横で怪我をしないように見守っていた優斗が手放しに称賛していた。あくまでも慣れていないだけで、危なっかしさは皆無である。初めてでは十分すぎるほどに上出来であった。それぞれの均一さがなかったものの、ご愛嬌というものだ。

 

 異端技術の一つである錬金術。

 統一言語を失った人類が、歌によって再び手を取り合おうとした末に生み出されたものであるが、同時に黎明期には台所の片隅で台所用品を使って細々と行われてきたとも言われている。

 その関連性や信憑性は兎も角として、錬金術に深く精通しているエルフナインには存外に相性が良いのかもしれない。

 

 

「この程度のこと、今更……!」

「うわぁ、包丁握ったの久し振りかも。でも、結構覚えてるもんですねー」

「そうね。だが、馬鹿にされたままで終われるものか!」

「二人共、ちゃんと切れてないよ。繋がっちゃってる」

「「あれぇっ!?」」

 

 

 エルフナインよりも上手の包丁捌きを見せるのはマリアと響。

 自転車の乗り方と同じで、包丁の使い方も一度覚えてしまえば中々忘れるものではない――――かに思われたが、監督していた未来に繋がったままのピーマンとパプリカを持ち上げられて、同時に目を丸くして驚きの声を上げていた。

 残念ながら自転車の乗り方とは微妙に違う。切るという作業は多くの人間が考えているよりもずっと難しい。残念ながら二人のスキルは長きに渡る怠慢と惰性によって錆びついてしまっているようだ。

 

 

「へっ、こんなもんどうってこたぁ……!」

「ちょっと待って! クリス、なにその包丁の握り方!?」

「言え! 何で包丁逆手に握ったのぉ!?」

「いや、こう突き刺してぐりぐりやれば切れるだろ? そういうもんじゃねえのか?」

「違う! 少しも全くこれっぽちもそういうもんじゃないからね!?」

「それ確実に息の根を止めるヤツぅっ!!」

「マジか。どーにも刃物ってもんは性に合わねえなぁ」

「「性に合う合わない以前の問題ィッ!」」

 

 

 クリスのとても包丁を扱うとは思えない握り方に、未来と優斗はちょちょちょちょちょちょちょちょ、と両手を前に突き出して慌てて止める。

 その上、これから切ろうとしていた肉の塊を握るように固定している。危ない所の騒ぎではない。確実に怪我をするパターンにしか思えない。監督する側の二人が慌てるのも当たり前だ。

 

 彼女は常識的な感性の持ち主であるが、常識そのものや全うな知識が欠落している節がある。

 それもその筈。かつて海外へと出向いた先で両親を失い、そのまま日本に戻れもせずにゴミを漁り、泥水を啜って生き延びたのだ。まともな包丁の使い方など知る筈もなかったのだが、これは酷い。

 

 

「クリス先輩もかなりのスクリューボール……」

「はっはっはっ。雪音も可愛らしいところがあるではないか」

「本当デスよ! やっぱり私達の中で一番の常識人は私デスね!」

「ところで月読。私達は何時までこうしていれば……?」

「調、調。足が、足が痺れてジリジリと焼けていくのを肌で感じるデスよ」

「駄目。翼さんと切ちゃんがきちんと反省するまでそのまま」

 

 

 調はタープから少し離れた砂浜で日傘にサングラスという紫外線対策がバッチリの状態で、どうにも上手く進まない思惑を眺めている。

 同じく翼と切歌も眺めていたのだが、立っている調に対して、二人は正座である。その上、頭にはタンコブが出来ている。炎天下の砂浜でこれはきつい。火傷はしないが、かなり熱いはずだ。

 正座に慣れている翼は砂の熱さにもぞもぞと足を動かし、照り付ける日光に玉の汗を浮かべていた。正座に慣れていない切歌は、足の痺れとも戦っている。

 

 由緒正しい反省を促す姿勢である。二人が一体何をしたというのか。それは数分前に遡る。

 

 

『風鳴 翼、いざ参る――!』

『私もやってやるデスよ!』

『うふふ、二人とも気合いじゅうぶ…………』

『いやいや……え? お前等、何? そういう冗談いらな――――』

『…………………………』

 

 

 セレナ、優斗、調が見守る中、二人は十分な気合と意気込みで切るべき野菜の前に立ち、刃を握っていた。

 

 ――――両手で。頭上に掲げて。

 

 これにはセレナの微笑みは戦慄に変わり、優斗は止める以前に二人が本気だとは思わず、調はただただ絶句した。

 

 

『きえええええええええええいッ!!!!』

『デェェェェェェェェェェェスッ!!!!』

『…………ひえっ』

『ぶっぼはぁっ?! 何考えてんの君等ぁッ!?』

『……………………はふぅ』

『セレナァァァァァァァァッ!?!?!』

 

 

 裂帛の気合で振り下ろされる刃、もとい包丁。続いてダァンと凄まじい音を立てて、まな板に叩きつけられる包丁。

 

 調は翼の振り下ろした包丁と斬撃の切れ味に小さく悲鳴を上げた。まな板まで真っ二つになっていた。

 優斗は切歌の振り下ろした包丁が吹き飛ばした玉葱が顔面に直撃。

 セレナは目の前の現実が許容を越えてしまい、意識を手放してフラリと身体が崩れ、過保護なマリアの絶叫が迸る。

 

 この阿鼻叫喚を前にして、当の本人達はきょとんとした表情。何も分かっていないのは誰の目からも明らかだった。

 

 

(やいば)両手(もろて)にて扱わねば危険故』

『そうデスよ。これが刃物の正しい使い方デス』

『あーーーーーッ! 分かったお前等バカだわ! ヴァーカ! ヴァーーーーーーカ!!』

『な、何をぅ……!』

『あたしが非常識(バカ)デスとぉッ!?』

 

 

 キリリとした表情のまま防人語で語る翼。何を言ってるんだお前は、と言わんばかりの表情をする切歌。

 この二人、装者として振るう得物は刀と大鎌。確かに、両方とも刃物であるし、両手で握らねば危険という言い分も分からなくもない。だが、それを包丁にまで適応させるのは如何なものか。

 

 そんな二人を目にした優斗は、恐怖と驚きの余りに語彙力の低下した状態で罵倒の言葉を連呼する。

 常識だの普通だのが通用しない、二人の思考の異次元さにそれくらいしか出来ないのだ。

 

 

『おい、優斗。翼と切歌に包丁握らせるのやめよう』

『当たり前だろ、天羽ッ! こんなのナントカに刃物だよ!!』

『そ、そんな、何でなの奏ッ!?』

『何でデスか、優斗さぁんっ!?』

『駄目だコイツラ』

『にどとほうちょうにぎらせねぇ』

 

 

 普段は常に翼の味方である奏だが今回ばかりは見過ごせないのか、真顔で非情の決断を下し、優斗も涙目で賛同していた。

 あのような包丁の使い方、周りも危険だが何よりも翼自身が怪我をする。とてもではないが見ていられない。真面目が過ぎて馬鹿になったり非常識になったりする部分は知っていたが、これは流石に予想外過ぎた。

 

 しかし、その思いは伝わらないらしく、二人は悲鳴のような声を上げる。

 その後、オカンマリアによるげんこつが炸裂して、仲良く熱々砂浜正座の刑に処されるのであった。

 

 

「…………優斗さん優斗さん、奏さんが」

「セレナ、それ凄く可愛くて天使っぽいんだけど、翼然り、暁然り、雪音の刃物の使い方が可愛く見える惨状はもう見たくないんですよ。相方である天羽も似たようなもんだろうから怖いんですよ見たくないんですよ」

「でも、でもほら――!」

 

 

 正座させられている防人と自称常識人の二人を他所に、皆が和気藹々、きゃっきゃうふふと楽しく女子力向上に勤しんでいる中、セレナがドライスーツの袖を摘んで優斗の名を呼んだ。

 視線の先には、きっと奏がいるのだろう。だが、セレナ以外は一切視線を向けていない。もう見るのも怖いのだ。

 翼の相方である奏はどちらかと言えば一般人よりの思考回路である。だが戦闘になれば苛烈、誰よりも強く恐ろしい戦士と化す。つまり、防人たる翼とよく似ている。よく似ているということは、先程のような惨状を展開している可能性が非常に高い。

 皆、恐ろしくて視線を向けられない。幸い、大きい音は聞こえないものの、セレナの反応を見るに予想外が展開しているのは間違いない。

 

 そんな中、姉なるものが声を上げた。

 

 

「優斗、セレナの声をお断りするとか許さないわよ?」

「クソ、この姉バカも怖い。でも、そっちも汗掻いて声震えてますよね? ますよね?」

「狼狽えるなッ! 私と一緒に覚悟を決めろッ! 付き合ってぇ! お願いしますッ!」

「マリアも狼狽えてるじゃん、覚悟できてないじゃんっ! だが、付き合わない訳には、行かないなぁッ!!」

 

 

 セレナの呼び声は無視できない、と勇ましく立ち上がったのは最近豆腐メンタルが改善されて安定してきたマリア。

 行動そのものの勇ましさに反して、その表情は蒼褪めて玉の汗を浮かべており、歌姫の名に相応しい声量を張っているもののどうしようもなく震えていた。マリアにだって怖いものもある。包丁を両手で握って全力で振り下ろすような人間は誰だって怖い。

 マッシュルームを薄切りにしながら、セレナの声に応えさせるべく、自分も一緒に見るからと叱咤激励する。なお、最後の方はもう完全に懇願だ。彼女の胸中も察せようというもの。妹への愛と現実を見つめなければならない恐怖で揺れていた。

 

 彼女の思い切りがいいのか、ただヤケクソになっているのか分からない行動と表情と声に優斗は悲鳴を上げた。

 視線を彼方此方(あちこち)に泳がせながらも、涙目ですらあるマリアを見た瞬間に一瞬で覚悟を決める。そも今この状況を提案したのは己自身、現状を確認も出来ずに何が男か。そんな心意気で精一杯格好を付けて。

 

 寸分違わぬ正確さで、僅かなズレもなく、二人は同時に奏の居る方向を決死の表情で振り向いた。

 

 

「…………あら?」

「…………んん?」

「~~~~~~♪」

 

 

 其処には自身のヒット曲『逆光のフリューゲル』を口笛で吹きながら、巧みな包丁捌きを見せる奏の姿がある。

 思わず我が目を疑う二人であったが、夢ではない。均一に切られた食材の数々、輪切り、千切り、みじん切りも完璧の一言。今は、まるまる一尾を買ったイサキの鱗を取り除き終えて、腹を開いて内蔵を取り出していた。

 手慣れているどころか明らかに未来、セレナレベルの腕前を察せられる動きだ。洗礼されていて無駄が少ない。流石に飲食店とはいかないまでも、一般家庭では十分に驚かれるであろう域に達している。

 

 

「奏さん、料理できたんですね……」

「んー? まあな~、これでも一人暮らししてんだぜ?」

「いや、だって、貴女さっき……」

「やりたい奴がやればいいとは言ったが、あたしが出来ないとは一言も言ってないだろ?」

「「た、確かに!」」

 

 

 驚きを隠せないでいるカデンツァヴナ姉妹であったが、奏はにひひと笑うばかり。

 優斗からはおっさん臭いと言われていたが、その実女子力はトップクラスの奏なのであった。

 

 家族を失い、その後は弦十郎や緒川達の協力の下で生活をしていたものの、日本の一機関からS.O.N.Gへと再編される折、折角だからと誰の手も借りない生活を初めてみるかと思い立つ。

 S.O.N.Gの大人達は、年下の仲間にも気を揉まねばならない。ならば先達として少し早く大人の手を離れ、自らも大人の仲間入りを果たそうという発起は、遅すぎるような気もすると同時に何処か気恥ずかしくもあったと記憶している。

 彼女の決意と発起に確かな成長を見た弦十郎は涙ぐみ、緒川は何時でも頼ってくださいねと背中を押し、藤尭や友里は応援していると祝福してくれた。

 

 そうして始まった自活の日々は、一筋縄では行かなかった。

 戦うことは出来ても、自分の生活一つ自分でどうにかできない現実に何度となく打ちのめされたが、負けん気が強く諦めの悪い奏は一歩一歩着実に前へと進んでいる。

 始めの内は手に切り傷や火傷を負って悪態をついていた料理もこれこの通り。見事ですらあった。

 

 

「この食材だ、とぉ、ホイルでアクアパッツァでも作んのか? BBQでシャレオツなもん選んだな」

「へー、分かるんだ。やるじゃん、お前のこと舐めてたわ」

「だろ? だから謝れ。あたしの傷ついたプライドを癒すために謝れ」

「ふっ――――天羽様の女子力をべろんべろんに舐め腐ってました。申し訳ございません」

「分かりゃあいいんだよ、分かりゃあ」

「こ、これがジャパニーズDOGEZA……!」

「そんな簡単にするものじゃないと思いますけど……」

 

 

 何を作るつもりなのかを見抜かれた優斗は一瞬、ニヒルに笑ったものの、直後に全力の土下座へと移行する。完全に自分の非を認めていた。

 

 別段、それほどプライドは傷ついてはいなかったものの、舐められていた現状を覆せて、奏は腰に手を当てて満足気に笑ってみせる。

 隣でその様子を見ていたマリアは美しさすら感じる日本の究極の謝罪・土下座に慄き、セレナは思わず苦笑い。

 

 

「そんなに腕があるなら今度何か食わしてよ」

「…………そ、そりゃ、お前んちに通い妻してか? それともあたしん家か?」

「どっちでもいいけど…………あー、でも世界の歌姫に男の影とか、どっちもマズいか」

「そんなもん今更だろ! すっぱ抜かれても緒川さんが何とかするから!」

「えっ!? 確かに緒川さんなら何とかしそうだけども! 何でそんなに喰い付いてくるの?!」

 

 

 もしかしたら美味い物が食べられるかもしれないとしか考えていない発言に、奏はらしくない熱に浮かされたかの如き表情を見せた。ニヤつく顔を必死で抑え込むような、望外の幸運に驚くような、或いは――――

 

 だが、普段は全く意識していない立場の違い(余計なこと)を不意に思い出した優斗は、調子に乗りすぎだなと反省しつつも、鬼気迫る表情の奏に喰い付かれビビリ散らしていた。

 人との距離感が近い優斗にしてみれば、会話の延長線上にあるだけのちょっとした願望を発露、或いは変わらぬ日常に刺激を与える思いつきに過ぎないが、受け取る側にとっては意味合いが変わっていたのは相互理解を阻むバラルの呪詛故であろうか。

 

 

「いやいや待て待て待ちなさい!」

「ま、マリア! 流石は頼れるお姉さん! 助けてェ!?」

「私とセレナも料理にはちょっとした自信があるわよ! 私と! セレナも!」

「ちょっと???」

「わ、私の料理、姉さんだけじゃなく、調ちゃんや切歌ちゃんにも、評判です!」

「君達、人の話聞こ???」

 

 

 困惑する優斗を助けるべく救いの手を差し伸べたのは皆の頼れるお姉さん――――かに思われたが、どういう訳だか自分とセレナをアピールしていく()()()、もとい()()()()()()()()()()()。差し伸べられたのは救いの手ではなく、更なる混乱の種であった。

 

 自分の発言が自分では分からないところで自分には関係なく意図しない方向へと進んでいく。妙に気合の入ってるカデンツァヴナ姉妹には目が点になっていた。

 気分は大海原で突然の嵐に翻弄される蟹工船の搭乗員か。現代社会の闇、ブラック企業すらも超え、温厚な人間を鬼に変えるほど過酷な労働環境に放り込まれた挙げ句に嵐という不幸と理不尽に巻き込まれてしまったかのような状況である。

 

 話を聞いて貰えず、困惑は増すばかり。

 

 

「え? 優斗さんの家で料理作るんですか? 奏さんとマリアさんとセレナちゃんが? じゃあいっそのこと皆でやりましょうよ。未来もいれて」

「…………響ぃ、其処は私も通い妻しましょうか、だよぅ」

「うぇ!? だ、だって、私の腕じゃ、奏さんにもマリアさんにも敵いそうにないし、皆でやった方が楽しいしぃ……?」

「はあ、自覚あるんだかないんだか、今から響の将来が心配だよ。そんなだから響は響なんだよ?」

「わ、私が私であることがそんなに悪いことなのぉ!?」

「悪くはねぇけど心配になるのは確かだけどな。あたしも料理の勉強ちったぁやるかぁ……」

「ふふふ、やってくれたなぁ、マリア」

「おほほ、正々堂々と勝負と行こうじゃない」

「うーん、何を作ろうかなぁ。やっぱり得意なものがいいよね」

「マリアもやる。これで優斗さん私達のお兄ちゃん化計画が進む」

「や、矢弾尽き果て、散るも悲しき……ガクッ」

「し、調、あの時のおてがみは、ちゃんと処分しておいて欲しいデス……ぐへぇ」

 

 

 女三人寄れば姦しいと言うが、八人も集まれば状況も混沌としようというもの。

 更に言えば、彼女達は我も強く、背負った罪も胸に秘める悩みと想いも人一倍に重い少女達。優斗が無意識に形成する何でも話せる空間は肩の力を抜くにはまたとない機会。やりたい放題ハッチャケてしまうのも詮無きことだ。

 

 

「はぁ、空はこんなに蒼いのに……」

「優斗さん優斗さん。ボク、コツを掴めてきた気がします。次はどうすればいいでしょう?」

「エルフナインは可愛いなぁ。よーし、じゃあ次はなぁ――――」

 

 

 喧騒から抜け出し、どうにもならない現実を忘れるように青い空を見上げる。

 分かりきっているが空模様は海に来た時から何も変わらぬ雲一つない快晴。空が彼の複雑な心境など表すはずもない。

 

 そして、空と同じく彼の心境を全く理解していないエルフナインが、むふーと鼻を鳴らしながら次の指示を求めてやってきた。どうやら料理が楽しくなってきたらしい。何かにのめり込むと周りが見えなくなるタイプでもあるようで、周りの騒がしさに一切気付いていない。

 早く早くとせがむような様子に、見た目よりもずっと成熟した精神の持ち主である彼女が年相応の姿を見せるのは微笑ましい。

 取り敢えず、現実逃避の一環としてエルフナインを防人や自称常識人とは同じ魔道に落ちぬよう、BBQの準備に戻っていくのであった。

 

 

 ――――この時、彼はまだ知らなかった。

 

 

 後に鷲崎時計店で開催される大惨事料理大戦において、我が家の台所が恐るべき防人の業前と自称常識人の常識によって無残な姿に変わり果ててしまうことを……!

 

 

 

 

 





聞こえてくる(台所の)破滅の足音――!!



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かなり前
「ネフィリム暴走事件」


 

 

 

 

 

 チク・タク、チクタク。

 時は遡る。狂った時計は怒りと共に見守った悲劇の記録を夢のように垣間見る。

 

 

 

 

 

『………………』

 

 

 アメリカは内陸部。

 海も湖も川も見つける事の出来ない何処までも続くような広大な乾いた荒野の中に、その施設はあった。

 

 米国連邦聖遺物研究機関――――Federal Institutes of Sacrist。通称F.I.Sの研究施設。

 人類が多くの犠牲と積み重ねによって得た先端技術とは全く系統を異にする異端技術(ブラックアート)を研究する機関である。

 異端技術は先史文明時代に端を発すると言われ、現代の技術では到底理解の及ばない魔法じみた結果を引き起こす。

 その際たるものが聖遺物。世界各地の神話伝承に登場し、超常の性能を秘めた武具や道具を総称してそう呼ぶ。

 

 それらに目を付け、これまでに様々な研究が行われてきたが、正確な記録は残されていない。

 数少ない残された記録の中で最も古いのは、第二次世界大戦時のナチス・ドイツによるものと比較的に新しい。あくまでも記録として残っているもの中の話である。実際にはもっと多くの者が夢を見て、欲望を満たすために聖遺物に手を伸ばしているに違いない。

 記録が残されていないのは、手を伸ばした者が危険過ぎると隠蔽を選んだか、己ならば出来るという思い上がりから破滅したからなのか。ともあれ、人の手に余る力を手にした所で幸せな結末などあり得ない。

 

 それはF.I.Sであっても変わらない。

 終わりの名を持つ女、この世で最も異端技術の深奥と真髄に肉薄している者の思惑と米国政府の薄汚れた欲望が始まりであったとしても。

 

 施設は緊急事態と生命の危険を伝えるべく赤い回転灯の光で満たされ、けたたましい警報音で満ちていた。

 あちこちでは火の手が上がり、自らの命を守ろうと逃げ惑う者、自らの研究だけは死守しようとする者、罪で薄汚れながらも人の尊厳を守ろうとする者達の怒号と悲鳴で溢れ返っている。

 

 

 ――――地獄の様相を呈している施設に、異形の影が闊歩していた。

 

 

 眼窩と鼻腔の存在しない頭蓋骨を模したかのような兜。

 肋骨を幾重にも重ねたかの如き一部の隙もない黒鉄の鎧。

 20世紀に入ってから積極的に研究が重ねられている強化外骨格とも明らかに異なる、人型でこそあるが見た者に本能的な畏怖を与えるフォルム。

 

 異形は遠くで聞こえる悲鳴にも意に介さず、明確な目的意識だけは感じ取れる足取りで進んでいる。

 

 

「なっ、何者だ!」

 

 

 混乱に乗じて誰にも悟られることなく施設への侵入を果たした異形であったが、長く続く廊下が交わる地点で、施設の人間にかち合った。

 出会ったのは米国軍人と思しき五名。迷彩柄の戦闘服に同色のヘルメット。その上から防弾チョッキを纏い、手には様々なアタッチメントが取り付けられたアサルトカービン、M4が握られている。

 

 F.I.Sはその研究が非人道的な内容をも含むため、各国どころか米国内部でも存在を知るものは極一部、と存在の秘匿が徹底されている。

 故に、彼等は陸海空軍の特殊部隊から施設防衛のために選出されたより選りすぐり。国に殺人も許可され、彼等自身も任務のためならば殺人も躊躇わない。

 正体不明の異形を前にして即座に引金を引かなかったのは、施設が現在の惨状に至ったある聖遺物の起動実験を知っていたからか、或いは天地万物がひっくり返ったとしても勝てない相手であると本能的に悟ったからなのか。

 

 

「止まれ、動くな!」

『………………』

「チィッ、構わん撃て、射殺しろ――!」

 

 それでもなお、彼等は自らに与えられた任務を全うする。

 それぞれの射線が被らないように位置取りし、銃口を正体不明の異形にポイントした。

 

 一度切りの警告を無視し、異形は恐れもせず足も止めない。

 その様子に、数々の修羅場を経験してきた分隊長と思しき男はこれ以上の問答は無駄かつ無意味と決断し、部下と共に引金を絞る。

 

 

『………………』

「クソがッ!! 少しは痛がれ!!」

 

 

 無数の弾丸に晒されながら、異形の歩みは止まるどころか緩みもしない。

 確かに其処に存在しているのは弾丸の直撃に際して発生している火花によって明らかであったが、纏った鎧の堅牢さ故なのか、痛みを感じている様子すらなかった。

 大きさからして鎧の厚みなど数cmもないだろうに、内部へ衝撃が通っていない。防弾チョッキが弾丸を防ぎながらも衝撃までは吸収しきれない事実を考えれば、異形の鎧の頑強さはこの世の如何なる金属と比較しても遥かに越えている。

 

 余りにも危険過ぎる存在にして、目的も定かではない正体不明の存在。

 何としても此処で止めねばならない、と判断した小隊長は更なる重火器の使用を命じようとしたが――――

 

 

「――何、だと?」

「消えた……?」

 

 

 ――――異形は忽然と姿を消した。

 

 

 まるで夢が覚めるように。まるで視覚映像が編集されて切り取られてしまったかのように。

 

 兵士達の目の前で起きた現象は、彼等の想像と理解の範疇を大きく越えていた。

 異形が存在したことは間違いない。消費された弾倉、壁や床に残された弾痕、拉げて潰れた弾丸が夢や幻覚の類ではなく、存在していたことを確約している。

 

 

「司令部に連絡! 起動した聖遺物の存在を確認しろ! 逃亡していなければ、アンノウンは別口だ! 情報を全隊に通達させろ! 何らかの聖遺物を行使している可能性が高いともな!」

 

 

 隊員達が動揺を見せる中、分隊長は動揺を掻き消すように怒号を飛ばす。

 

 これが後に“機械仕掛けの魔人”、或いは暗号名(コードネーム)無貌(ノー・フェイス)』と呼ばれる人型存在と米国との初遭遇の記録。

 その正体と力を求め、米国政府は血眼になって追い掛ける切欠となった事件である。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

『……この先か』

 

 

 異形の魔人は混乱の極致にある施設の最下層に移動していた。

 最下層は天井も壁も床も分厚い金属で出来ている故に空気が重く、広大な空間ですらあるにも関わらず嫌な圧迫感すらある。

 上層の混乱によって電気系統にすら障害が発生しているらしく、喧しかった警報もなければ自家発電機から供給される電力で最低限の明かりだけが保たれている。

 

 静謐ですらある最下層を変わらぬ歩調で奥へ奥へ。

 彼が自らの指針とするのはかつて空間に残っていた聖遺物の残り香。彼独自の技術によるものか、彼が手にした聖遺物の力によるものなのか

 そして、辿り着いた最奥に在ったのは巨大で堅牢な扉。核シェルターをそっくりそのまま最重要秘匿物の保管庫へと変えたものであった。

 

 F.I.Sにとっての最重要秘匿物は言わずもがな発掘された数々の聖遺物。そして、魔人の目的でもあった。

 

 

『一部限定解除。機能の拡大解釈、開始――――仮想術式“アルクビエレ・ドライブ”始動。疑似刀身形成。空間切断、開始』

 

 

 見上げるほど巨大な鉄扉の前に立った異形の足元に、人の手では到底描けない描けない時計盤の魔法陣が現出する。

 異形の言葉に合わせ時計盤の4つの針が回転し、全ての針が重なった瞬間、異形がパチンと指を鳴らす。

 

 瞬間、核攻撃にすら耐える筈の分厚い鉄扉は何の抵抗もなく寸断された。

 音もなく光もない。事前に察知するという前提が通用せず、空間そのものを斬り裂くことで物質の特性にされず、エネルギーや流体であっても問題なく切断する。防御という選択肢が一切通用しない斬撃の極致。

 誰が見ても驚嘆に値するほどの力であっても、彼にとっては当たり前の事柄なのか、腹の底まで響く重苦しい轟音と共に崩れていく鉄扉だった鉄塊を何の感慨もなく眺めていた。

 

 本来であれば、正式な手続きの下に正式な承認が下り、正式な手順と入力がなければ開かない禁断の扉を越え、保管庫へと足を踏み入れる。

 この保管庫に収められた聖遺物は研究の結果、利用価値無し、或いは今現在人類の手にしている技術力では利用以前に起動すらままならないと判断が為されたものが大半。それらを除いた極一部は万が一起動できたとしても、米国にとっては危険以外の何物でもない超危険物である。

 

 

『………………』

 

 

 ケースを叩き割り、保管庫の中にある小型の金庫を拉げながら破り、幾つかの聖遺物を見繕う。

 それぞれ何らかの欠片であると推察できるが、どんな機能を秘めているのか、そもそも起動できるかすら聖遺物の研究者であっても判然としまい。

 それを迷いなく選んだということは彼もまた異端技術に関する知識、ないし何らかの判別手段を持っているようだ。

 

 目的を手にした異形は、頭上を見上げて指を鳴らす。保管庫の外に比べて近い天井はそのまま堅牢さと厚みを示していたが、空間切断の刃は容易くそれを斬り裂いた。保管庫の扉を切断できるならば、壁や床、天井であっても同じ事。当然の帰結だ。

 自重で落下してくる分厚い鉄塊を片手で弾き飛ばし、そのまま背の歯車を分解したようにも見える羽が広がり、金属の床から浮かび上がる。どうやら、このまま直上に存在する全てを寸断しつつ、施設の外まで飛翔するつもりらしい。

 

 寸断と上昇を繰り返しながら、幾重にも重なったフロアを抜けていく。

 途中、研究者と思しき者は突如として床を破壊して現れた異形を呆然と見送り、兵士は攻撃を加えてきたが全ては無意味。彼を止められる者は皆無であった。

 強大な力の全てを使えば、混乱に乗じずとも全てを真正面から奪い尽くせる。それをしないならば、人命を無意味に浪費するつもりがないと考えても差し支えあるまい。尤も、彼以外の人間にとっては正体不明。萎縮震慄するのも無理はない。

 

 

『………………ッ』

 

 

 後は外へ出るだけ。道中に問題などはなかった。その空間に辿り着くまでは。

 

 空間の大きさ自体は最下層に比べれば随分と小さい実験室。

 しかし、施設の中心に存在し、電気系統が集中し、広まっていない先端技術の粋を集めて造られた機材の数々を見るに重要度の桁違いさが見て取れ、此処で行われていた実験こそF.I.Sの本命であることを伺い知れた。

 

 そして、今や実験室は混乱の元で地獄の中心でも在った。

 

 実験を見守る観覧席を危険から遮る強化ガラスは粉々に砕け散り、壁や天井が崩れかけて崩落が始まっている。

 燃え盛る炎は更に燃え上がり、肌も喉を熱せされた空気だけ焼け、人を物言わぬ黒焦げの肉塊へと変えようとしていた。

 

 一体、此処で何が起こったというのか。

 どれだけ強大な力を持とうとも、全てを知る訳ではない異形には知る由もなく興味もない。ただ、彼が息を呑んだのは、今まさに失われようとしている幼い命を目撃したからに他ならない。

 

 実験室の中心では口と目から血を流し、誰の目からも明らかな致命傷を負った少女だった。

 少女の命は限界だった。だが、それよりも早く終わりを迎える。罅割れた天井が崩れ、人間など原型を留めぬほどに押し潰す巨大な瓦礫が落下していた。

 

 

『……やっち、まった』

 

 

 命そのものが赤く咲く直前、異形は少女へと手を突き出していた。

 

 刹那、奇妙な光景が展開された。本来、重力に引かれて少女を押し潰すはずの瓦礫が空中で静止しているのだ。

 いや、それだけではない。実験の失敗に罵声を上げていた政府関係者と思しき者も、ただただ悲劇に悲鳴を上げるしかなかった者も、燃え盛る炎も、電気も、空気すらも全てが凍り付いたように動いていない。

 

 ――――時間が止まっている。

 

 この世の誰一人、この現象を認識すら出来ない。時間の停止という馬鹿げた現象を引き起こした異形以外は。

 時間が停止すれば、全てが活動を停止する。空気も固定されて身動きどころか呼吸も出来ず、光も停止している故に何も見ないにも、そもそも思考も停止している故に認識すら出来ない。にも拘わらず、異形は手を突き出したまま、少女へと歩み寄っていく。

 既に定められた物理法則、世界に敷かれた新たな法ですらも、彼にだけは適用されないかのようだ。先程、兵士と遭遇した際もこうして時を止め、自分だけは悠々と歩き去っただけのようだ。

 

 

『…………確か、ネフィリムだったか』

 

 

 少女の前に移動し、片膝を付いた異形は明らかな呆れと失望の声で呟いた。

 保管庫の中には空になっていたケースが複数あり、かつて何が保管されていたかを示すプレートだけが残されているばかりであった。

 プレートにはシュルシャガナ、イガリマ、ネフィリムと刻まれていた。前者はメソポタミア神話に登場する都市神サババの奮ったされる魂を刈り取る二振りの刃。後者は堕天使の集団と人の娘が交わった末に生まれた巨人であると言われている。

 

 彼女の手には掌に収まるサイズの蛹状の何かが握られている。形状からして、ネフィリムと刻まれたプレートの上に置かれていたケースと一致していた。

 異形には何が起きたのかを推し量るしか出来なかったが、目の前の少女がこの惨劇を引き起こした、とは考えていなかった。

 

 多くの聖遺物は、発掘されても基底状態にあり、そのままでは超常の力を発揮しない。

 これを駆動させるためには歌と共に人間から発せられるフォニックゲインと呼ばれる未知のエネルギーによって励起させる必要がある場合が殆ど。

 少女の握ったネフィリムは実験に用いられたであろうに、どういう訳か完全なる基底状態にある。これでは辻褄が合わない。

 

 少女がネフィリムの起動に関わったのはかなり可能性が高く、同時に制御不能の暴走状態に陥って惨劇を生んだネフィリムを何らかの手段で基底状態にまで戻した可能性は更に高い。

 

 だが、何であれ異形には何の関係もない話。

 F.I.Sの研究者や政府関係者の思惑も、少女の我が身を省みぬ献身すらも。関わりを持たぬが故に、このまま立ち去ってしまうのが彼にとっては一番良い。

 

 

『――――だが、何も死ぬことはない。目的は果たした、手も空いている、手段もある。なら、助けてやるのが人情か』

 

 

 それでも、異形は少女を助ける道を選んだ。

 これが聖遺物を研究すること自体が目的の者や聖遺物の利用によって得られる利益に目の眩んだ者であれば、考えるまでもなく見捨てていただろう。 

 

 だが、少女は違う。

 どんな想いで立ち向かったのかは分からないが、こんな幼い身体と精神でよくやったものだと諸手を挙げて称賛してもいい。

 人から逸脱する力を持とうとも、人から大きく離れた異形に成り果てようとも、人の心と尊厳を捨てるつもりはないと言うように、異形は彼にとって当然の選択をしただけだ。

 

 

『あの裸族の変態女に頼るのは癪だが、仕方がない。人を助けてて自分が死んでも笑えないからな』

 

 

 時の停止によって直立したままの少女の身体を両腕で抱える。

 その動きは乱暴さには程遠く、蝶よりも花よりも丁重に扱う敬意と命に対する慈愛が見て取れた。

 

 異形と少女の姿は一瞬で消失し、そして時は動き出す。

 

 

「セレナァァァァァァァァッッ!!!」

 

 

 後の実験室には何も知らぬ姉と思しき少女の絶叫が木霊し、崩れる天井と壁の崩落音によって掻き消された。

 

 

 

 

 施設の内部の鎮火後、少女――――セレナ・カデンツァヴナ・イヴの捜索が行われたものの遺体すら見つからず、状況から行方不明ではなく死亡としたものと処理された。

 セレナの姉であるマリア・カデンツァヴナ・イブ、及び育ての親であるナスターシャ・セルゲイヴナ・トルスタヤも政府の処理とセレナの死を受け入れ、二人の人生に大きな影を落とし、更には後のフロンティア事変に繋がることになるが、全てを見通せぬ者には未だ知ることのできない未来の話。

 

 仲睦まじい姉妹が再会するのもまた未来の話であり、育ての親の最期を看取るのも同様である。

 これがネフィリム暴走事件の事実と顛末。そして、セレナは日本の医療施設にて誰にも存在を知られる事なく、その傷を癒すのであった。

 

 

 

 

 




――――例えその手がどれほど血と罪に穢れていようとも、救えるものはあるだろう。


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少し前
「一夏の思い出・肆」


 

 

 

 

「あ、侮っていた! お野菜なんて単なる箸休めだと! 胡椒がアクセントになって、お野菜の甘みが引き立てられている……! んまぁ~~~~~~~~い!!」

「お、美味い。やるなぁ、アイツ。美味いけど塩気が、塩気が足りねぇ。ビールにはもうちっと塩気が……」

「文句言わないの。夜に付き合ってあげるから、昼間くらいは皆に合わせて我慢なさい。はむ…………あら美味しい。今ならガングニールでもLinker無しで行ける……!」

「ボクの切ったお野菜は如何でしょう……?」

「「「美味しい美味しい、最高!」」」

「よかったぁ~~~。ではボクも、もぐもぐ……んぐっ、甘くて美味しいです。お野菜のハーモニーですねぇ」

「「「可愛いかよ」」」

 

 

 蒸し上がった夏野菜のホイル焼きに舌鼓を打っていたのは、撃槍三人娘。

 ナス、ズッキーニ、マッシュルーム、オクラ、パプリカ、ピーマン、プチトマト。色鮮やかな野菜達が蒸されることで本来の甘みを引き立たせ、ピリリと辛い粗挽きの黒胡椒が更に甘みを引き立たせている。

 元ガングニールの融合症例、現ガングニール正規装者二号の響は『BBQは肉&肉、野菜など箸休めよぉ!』と甘く見ていた自らの認識を改める。野菜であっても旨味において肉に劣るものではないのだと。それはそれとしてお肉も食べたかった。

 今も昔もガングニール正規装者一号の奏は感心した様子で素直な感想とを口にする。しゃきしゃきとした食感が残りながらも甘みが存分に引き出された蒸し加減に、優斗の料理の腕前を認めていた。それはともかくビールを飲みたくて仕方ないらしい。

 元ガングニールの非正規装者にして、現アガートラームの正規装者のマリアは、奏にアルコールは夜のお楽しみに取っておけと諌めながらつつ、苦手なトマトを避けてパクリと一口。瞬間、口の中に広がる旨味にキラキラと目を輝かせる。流石はランチを奮発すると適合係数が上がる女。性悪自動人形(オートスコアラー)が蘇ってきても一方的にボコボコにしてしまいそうである。

 

 不安げに見つめていたエルフナインは、三人の言葉にほっと息をつく。

 そして彼女が生活しているS.O.N.G本部の料理とはまた違った美味さとBBQならではの醍醐味に、両手で頬を包みながらほにゃりと顔を緩ませる。目撃した撃槍三人娘は揃って真顔で呟くのであった。

 

 

「はぐっ、あぐっ、んぐぐっ!?」 

「もー、クリスったら、そんなに慌てて食べなくても誰も取らないよぉ」

「ふふ。はい、飲み物」

「んぐっ、んぐっ、ぷはぁ……! し、死ぬかと思ったぁ~~!」

 

 

 プラスチックの取り皿に小分けされたイサキのアクアパッツァを口にしながら、ビーチパラソルの下で仲良く並んでいたのはクリス、未来、セレナ。

 イサキを中心に、アサリ、プチトマトと種抜きオリーブ、ニンニクとオリーブオイルで味付けされたアクアパッツァは匂いだけでも食欲を誘う。女性としてあるまじきがっつき方になってしまっても仕方がない。尤も、クリスの場合はこれがデフォルトであるが。

 未来は喉を詰まらせてしまった背中を擦り、セレナは置いてあったお茶を差し出した。クリスは半ば引ったくるような形で手にするや、喉の途中で止まったものを流し込むべく、一気に煽る。やらかした本人が恥ずかしげに頬を染めるだけで大事に至らなかったのは幸いだ。

 

 同じ学校に通うクリスと未来は兎も角、セレナは接点が薄そうに見える。が、人の世話を焼くのが得意な人間と世話を焼かれるのが得意な人間としてみれば、仲の良さも頷けよう。

 

 

「そう言えば雪音、箸の使い方が上達したのではないか?」

「あら、本当。私はまだフォークとスプーンなのに、凄いわ」

「クリス、どうしたの? アレだけ言っても治そうともしなかったのに」

「いや、どっかの悪ノリ大好きな馬鹿に矯正されちまってさぁ……」

「矯正とはまた強引な。何をされたんだ……?」

「やる気が全てだ、っつわれて、あたしがメシ食ってるところに鏡を持ってこられたんだよ。そんで、メシ食ってる自分の姿に自分で引いた」

(((…………よ、容赦ないなぁ)))

 

 

 三人の向かい側には熱々砂浜正座の刑から開放され、無事帰還した翼は目聡くクリスの変化に気付いた。その指摘に、セレナと未来も続く。

 まるで子供のような握り箸をしていたのに、今はまだまだ正しい持ち方には程遠いもの、近づいてはいる。

 とある日、たまさかクリスと食事を共にする機会の訪れた優斗であったが、よく言えば子供じみた、悪く言えば汚い食事風景にドン引きし、これを矯正すべく立ち上がった。

 しかし、クリスはうるさい、人の喰い方に文句を付けるなと突っぱねるばかりであった故に、最終手段として鏡を用意され、自分の姿を見せたのである。

 

 

『これがお前の姿だ』

『…………えぇ…………うわぁ…………あたし、やべぇな…………』

『自分で自分に引いちゃったよ! ほらな、治そ???』

 

 

 彼女の目に映ったのは口の周りをべちゃべちゃに汚して、赤ん坊の如き己の姿。ドン引きする他なかった。

 

 実際、こうしたやり方はやや強引であるが有効な手段だ。食事のマナーの悪い人間は自分の何処が悪いのかを気付いていない、分からない場合が大半。何よりもまずは自覚させる必要がある。

 クリスにもこれが当てはまり、別にどんな食べ方をしようが腹に貯ればそれでいい、という過去の過酷な経験が下敷きになった考えがあり、見た目になど構う必要を感じてはいなかった。その瞬間までは。

 口は悪かろうが常識に疎かろうが珍言録の宝庫であろうが乙女は乙女。食欲の一切が消え失せ、正しい箸の持ち方、スプーンやフォークの使い方を覚えなければ、とてもではないが恥ずかしくて食事が出来ないと癖の矯正に勤しんだのであった。

 

 

「成程、そのような経緯が……私はアレも雪音の愛嬌だと考えていのだがな」

「確かに、可愛くはあったかなぁ」

「せからしいんだよッ! こちとら恥ずかしくて死にそうになったんだってぇの!」

「ふふ。なら、道具の使い方だけでじゃなくて、食べ方にも気をつけないとね」

「んぶぐぐ…………クッソ…………あ、あんがと」

「はい、どういたしまして。クリスちゃんはお箸を口に持っていくんじゃなくて、口でお箸の迎えに行っているから、その辺りも直したらどうかしら?」

 

 

 

 これまで食事を共にした際に見た彼女の姿を思い出したのか、翼と未来は微笑を浮かべていたが、そんなものでは何の慰めにもならない。

 何処から上からの物言いはクリスの癪に障ったようだが、汚れていた口元をセレナに優しく拭われて萎縮した。それでもキチンと礼を言える辺り、口は悪くとも意地を張っているが根は素直であると伺える。

 

 妹キャラのセレナであるが、年下の前ではきっちりとお姉さんしているらしく、様子を見て察した問題点を的確な助言に変えて伝えていた。

 ほー、などと呟きながら、クリスは箸を持った手を動かして口元に運んだり、逆に手を固定して口を近づけたりを繰り返し、最後にはな、成程と目から鱗を落とした。これでまた一歩、目標へと近づくのであった。

 

 

「しかし、月読と暁は遅いな。何をやって――……」

「コォォォォォォォォォォォ」

「………………誰?」

 

 

 三人が再びアクアパッツァを食し始めたのを目にし、自分の空きっ腹を自覚した翼は私達が貰ってきますと行ったきり戻ってこない調と切歌にやや不機嫌な表情を作る。如何に防人と言えど、空腹には勝てないのだ。

 後輩が向かった優斗が食材を焼いているグリルへと視線を向ける。其処で目にしたものに、目が点になった。

 

 翼が見たものとは――――何故か、劇画調になって空手の息吹のような呼吸法をしている優斗であった。

 

 普段のにこにことした爽やかな笑みは何処へ行ったのか。男臭さの頂点といった顔立ちになっており、濃い、兎に角濃い。彼のシルエットを描く線も濃ければ、陰影も濃い。おかげで普段の三割増しで彫りも深く見えれば、筋肉も増えている気がする。

 最早、別の世界観から抜け出してきたような有り様。これに並べて立てるのは、明らかに別の世界からやってきた超生命体にして、『飯食って映画見て寝るッ! 男の鍛錬は、そいつで十分よッ!』とトンチキな事を言って最強の生物になった挙げ句、映画の内容を落とし込んだ突拍子もない作戦を大抵成功させる弦十郎くらいのものである。神は何を思って彼のような存在を生み出したのだろう。いや、神に聞いても困惑するか。どう考えても神の台帳や絵図面に乗っていない、人と呼んでいいのか分からない生命体なのだから。

 

 

「優斗さぁ~ん、これとかいい焼き加減かなぁ~、って」

「アカン」

「じゃあじゃあ、これとかはどうデスか?」

「あきまへん」

「……!? ……ッ、………ッ!?!」

 

 

 そろそろ野菜だけでは物足りなくなってきた響、すっかりお腹がぐーぐーへりんこファイヤー状態の切歌は、グリルの上で焼かれる様々な魚介類の香ばしい薫りに待ちきれないと涎を流している。あれやこれやを指差して手伝うような言動を見せているが、暗にこれが食べたいあれが食べたいと言っているだけである。

 その全てをにべもなく一蹴する優斗。彼にしてみれば珍しい、冗談を交えない本気の表情であった。

 困惑しているのは調ただ一人。何故か劇画調になった優斗を何度も目を擦って確認し、瞼を閉じて首を振って更に確認し、何の変化もツッコみも見せない先輩と家族の姿を見てからもう一度確認し、理解することを諦めた。ただ、目の前の現実を受け入れればいいんだ、と。こうして少女はまた一歩大人になった、強制的に。

 

 そんな大人の階段を強制的に登らされる可哀想な娘に視線すら向けないBBQ将軍。これではどちらかといえばBBQ奉行だが。

 頭に白いタオルを巻き、見た目すら劇画調と化しているにも拘わらず、頑として譲らぬ不動の姿勢。姿などどう変わろうと問題なし! BBQは焼き加減に有り! と言わんばかり。流石はBBQ将軍(バカ)である。

 

 

「いいか? BBQは火加減だ。短くては腹を壊す、長すぎては固くなる。どちらでもない最高の状態で、お前達の口に運ばせてやるのがBBQ将軍たるオレの役目だ」

「……やだ、優斗さん格好いい」

「素敵過ぎてキュンキュンするデスよ……」

「これが? この濃い感じの優斗さんが? 二人とも頭大丈夫? いえ、確かに美味しく食べられるのは有り難いですけど」

 

 

 手にしたトングをカチンと鳴らし、濃いながらも優しげな表情で語る姿に、トゥンクと頬を染めて瞳を濡らした乙女の表情で見やる響と切歌。

 そんな二人に信じられないといった表情でツッコむ調。冗談にせよ、正気を疑う発言であることには間違いない。

 

 

「立花、暁、今はそういうのいいから」

「優斗さんが乗ってこない――!?」

「其処まで本気、デスとぉ――!?」

「切ちゃん、風鳴司令の真似をしなくてもいいから……」

 

 

 何時もは何やかんや乗ってくるボケを軽くスルーされて驚き、思わず持ち出される弦十郎の持ちネタ。

 響はボケ、切歌もボケ、優斗はスルーしてるがもう顔立ちや存在そのものがボケ、ボケ&ボケ&ボケというボケの暴力に、唯一のツッコミである調は辟易としていた。

 装者達はどちらかと言えば皆ボケ寄り。辛うじてクリスはツッコみ役に回るが毎回毎回疲れ果てているし、当人もボケに回るシーンもある。ツッコんでもツッコんでも襲いかかってくるボケの恐怖というものを調は初めて体験し、クリスに優しくしようと誓うのだった。

 

 

「…………――――ッ!!」

「しょ、将軍様が動いたぁ!」

「これが最高の焼き加減なのデスかッ!」

「た、確かに、これは美味しそう。輝いて見える」

 

 

 時は来た、と目を見開き、握ったトングが銀光を煌めかせる。

 腕が何本にも見えるような速度で至高の領域へと至ったエビを、イカを、サザエを三人の持った皿の上へと盛り付けていく。その速度たるや、現代忍法を駆使する忍者兼マネージャーである緒川の如し。恐るべしBBQ将軍、コイツも人間じゃない。弦十郎といい、緒川といい、BBQ将軍といい、装者の周りには人間を辞めた連中が多すぎる。そのような因果でもあるのだろうか。なお、BBQ将軍はBBQ以外でこの能力を発揮できない模様。

 

 

「行け! 行くんだ、お前達! 火から離すと味は刻一刻と落ちていくッ! 此処はオレに任せて先に行けッ! 走れぇぇぇぇぇっっ!!!」

「「「は、はい!」」」

 

 

 人生で一度は言ってみたい言葉ランキング上位に喰い込む死亡フラグを口にしたBBQ将軍の気迫に押され、三人は一斉に走り出す。

 その目尻には涙が浮かんでいた。ただ灼熱の炎の前に優斗を置き去りにするしかない自分達の不甲斐なさに。それでもなお使命は忘れていない。将軍の焼いた美味しいご飯&ご飯を皆に届けるんだ、と。何のかんの調もボケ側の住人である。

 

 

「何だ、あの茶番は」

「先輩、あたし学んだ。アレ、ツッコんだら負けだわ」

 

 

 一連の無駄にドラマチックなやり取りを黙って見守っていた翼は呆然と呟き、クリスはこれまでの経験で学んだ真理が虚しく風に流れていく。

 ボケの飽和、ツッコミの役割放棄。これもまた暑さで脳みそが茹だる夏の醍醐味であった。醍醐味だろう。醍醐味だと思われる、多分。

 

 天然な上に真面目過ぎてバカになってしまう防人とツッコミ疲れが板についてしまったトリガーハッピー娘の呟きを他所に、彼女達は――――この後も滅茶苦茶茶番した。

 

 

 

 

 




繰り返される茶番&茶番――――!


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「一夏の思い出・伍」

 

 

 

 

 

「はふぅ、満腹ですぅ」

「あ~、いっぱい食べたぁ! 満腹幸福大満足ッ!」

「腹ぁ一杯だ、ちょいと喰い過ぎたな」

「もう、響もクリスも食べた後に横になったら牛さんになっちゃうよ」

 

 

 BBQを終え、食後の満足感と気怠さの中、優斗と調、切歌を除いた皆がタープの下で休憩を取っていた。

 食後の急な運動は危険だ。消化のために胃に集まる血液が筋肉へと集まってしまい消化不良の原因となり、胃へ負担を掛けてしまい、嘔吐しかねない。特に泳ぐと言った全身運動はその典型、十二分な休息を取ってからでなければならない。

 各々が好きな形で身体を休めていた。いの一番にサマーベッドを占領した響とクリスは正に至福の一時。エルフナインの隣りで砂浜に座った未来の冷水を浴びせるような言葉も届いていないようだった。

 

 

「しかし、後片付けを飯塚さんと月読、暁に任せてよかったのだろうか」

「止めとけ。翼が行っても逆にエラいことになるぞ」

「その方が無難でしょうね」

「ふ、二人とも、いくら事実とはいえ酷いッ!」

「…………」

 

 

 響とクリスが横たわるサマーベットの後側で、輪を描いて座っているのが翼、奏、マリア、セレナの四人。

 翼は背筋を伸ばして正座、奏は豪快に胡坐をかき、マリアは足を横に崩して座り、セレナはペタンと尻を砂浜につけている。座り方にもそれぞれの育ちと性格が現れていた。

 

 翼の何から何まで世話になりっぱなしの現状を気にした発言であったが、奏とマリアは彼女の引き起こしてきた災禍を思い出しているのか、真顔であった。

 歌手として海外へと羽撃いているツヴァイウイング。海外の宿泊先となったホテルは翼が止まればものの一日で空き巣に入られたかのような惨状と化す。衣服は脱ぎ捨てるか広げられて散乱し、小物は何処へ行ったのか分からない。テレビのリモコンを探すのも一苦労である。

 片翼である奏、共にチャリティーライブに参加する機会の多いマリアは、マネージャーである緒川と共に十や二十できかない回数を汚部屋へと立ち向かっている。

 

 そんな翼がBBQの片付けになど参加すればどうなるか。

 鎮火させた筈の炭に再び火が付き、そのままひっくり返して砂浜を灰で汚し、洗おうとすれば灰と水が飛び散り、食器の割れる音が連続する悲劇は想像に難くない。

 その程度であればまだいい。防人を理由にまたトンチキさが全面に押し出された行動でもされれば、本気で怪我人が出かねない。二人の真顔もやむなし。

 片付けられない女としての自覚はあるが、それはそれとして不甲斐なさから涙目で悲鳴じみた声を上げる。それでも二人は、頑として譲らぬ姿勢で首を振った。年長者として年下を守る義務があるのだ。

 

 悲劇とも喜劇とも取れるやり取りの中、ただセレナだけが憂いの表情を浮かべていた。

 

 

「あー、疲れたデス」

「私達、頑張った」

「二人ともよくやった。お前達の勇姿はこのBBQ将軍の目に焼き付いたぞ」

「まだやってんのかよ、そのキャラ」

 

 

 疲れの色が濃い切歌とやや得意げな表情の調、その後ろには頑張りを認めるように頷いている優斗の姿があった。

 BBQ用品を全て綺麗に洗い、車に運ぶのは重労働。主に調が洗いを、切歌は優斗と共に拭き取りと車への積み込みをそれぞれ担当したが、まだまだ成長しきっていない身体の持ち主には少々酷であったかもしれない。

 

 まだBBQ将軍とかいうキャラを押している優斗に奏は呆れの視線を向けていたが、当の本人は手伝ってくれた二人の頭を豪快に撫で回すばかり。

 撫でられている方は、はにかんでいだけで抵抗はしない。こうした父や兄のような存在に褒められた経験がないからだろう。慣れない気恥ずかしさと暖かさに身を任せてしまいたくなる気持ちも分からなくはない。

 

 

「ほらほら、優斗さんは此処デス」

「正に両手に花。男冥利に尽きる」

「両手に花ねぇ。セレナは兎も角、マリアは薔薇みたいに触れたら怪我する系の……」

「――――何?」

「いででで、な、なんでもないですよぉ?」

 

 

 切歌と調に手を引かれ、半ば無理矢理にマリアとセレナの間に座らされる。

 並の男なら美女二人に挟まれれば萎縮してしまいそうなものだが、年下の美少女九人の中に下心無しで飛び込んで一緒に遊べる男には何の動揺も見られない。

 寧ろ、反応を見せたのは他の者だ。奏はピクリと片眉を上げ、そんな相方の様子を溜息を吐きながら見て見ぬ振りをしている翼、してやったり顔の切歌と調。各々の思惑が見て取れる。

 

 それぞれがそれぞれの慕い方をしているものの、特に切歌と調に関しては一際強く兄のように慕っている。優斗さんお兄ちゃん化計画を口にしたように、マリアかセレナとくっつけようとしている節すらある。

 面倒見、良し。誠実さ、良し。総合的な人柄、良し。ルックス、並。コミュ力、最強。収入、詳しくは聞いていないがそれなり。ゆるふわ悪ノリ大好きさが偶に瑕であるが、必要以上に人を傷つける真似をしないので許容範囲。マリアもセレナも憎からず思っている。確かに優良物件と言える。

 マリアは精神的に脆い部分があるし、セレナはセレナで優しすぎて断る事を知らない部分がある。不安にもなろう。二人共、口ばかり達者な男にコロっと騙される可能性が高い。家族として、そうした自体を防ぐために、いっその事……! という建前の下に立てられたのが優斗さんお兄ちゃん化計画であった。最も、二人のためというよりは、家族になれば毎日遊んで貰えるという気持ちが強そうなあたり、年相応である。

 

 とは言え、優斗は冗談半分に余計な事を言って、マリアに耳を引っ張られている辺り、どうなる事か。

 

 

「それよりも優斗さん。ちゃんとご飯食べました?」

「……う、バレてたか」

「気付かないほど気が効かない女だとでも思ったの?」

 

 

 マリアから耳を離された瞬間、反対側からセレナにズイと迫られ、優斗は頬を掻く。その姿にマリアは呆れ顔で溜息を吐く。

 どうやらセレナが憂いていたのは、そういう理由であった。BBQの最中、肉や野菜、魚介を焼く姿ばかり目撃していたが、逆に食べるところは殆ど見ていない。彼女にしてみれば自分達ばかり楽しんで、申し訳ないのだろう。

 

 

「そういうとこだぞ、ほい」

「へいへい、どうも。まあ、楽しみすぎて夢中になりすぎたわ。無職に改造されてから食細くなってんだよ。内蔵、色々切り落とされちまったしなぁ」

「ですから、そういうことは軽々しく口に………………いえ、食が細くてよくそれだけの身体を保てますね。叔父様のような……」

「あの人と一緒にするの止めてくれる???」

 

 

 奏も気付いていたらしく、心配そうな表情で冷茶の入ったコップを渡した。体調と言うよりも、楽しむ事を名目にして自分をないがせにする在り方を心配しているようだ。

 

 けれど優斗は反省はしているようであったが、反論として自らの境遇を明かす。

 内臓系の病は、元々ある肉体の治癒力を頼りに、生きるために必要な機能だけを残して患部を切除する場合が大半。思い出したくもない過去らしく、珍しく苦虫を潰したような表情だ。

 

 少女達も中々に重い過去を持っているが、とてもではないが此処まで明け透けにはなれない。

 それを言い訳のために、軽く明かされてはどんな表情をしていいのか分からない。ただ、翼ははたと気づく。彼女の目からは控えめに見て、優斗の肉体はアスリートレベルに完成されている。骨の太さも、筋肉の量も常人離れしている。一切鍛えずにこれならば確かに弦十郎ともタメを張れる天性の肉体の持ち主だ。

 だが、優斗にしてみれば嬉しくも何ともない。比較対象として遥かに格上過ぎて、不遜にもほどがあるからだ。

 

 

「と、兎に角、夕食はしっかり食べて下さいね?」

「セレナの言うこと、ちゃんと聞きなさい?」

「そうだね。セレナの言うことだからね。セレナの御言葉は全てに優先しないとね」

「分かればいいのよ、分かれば」

「姉さん、優斗さん?」

「「ヒェッ」」

 

 

 当初の位置からおかしな方向に転がり始めた会話を、慌てて軌道修正するセレナ。

 その頑張り屋さんな姿に、マリアと優斗は思わずホッコリ。だが、低くなったセレナの声に、同時に短く悲鳴を上げる。

 普段、怒らない人間を怒らせると怖い。翼も口元を引き結び、奏は頬を引き攣らせ、切歌はマリアの腕にしがみつき、調はだらだと冷や汗を掻いている。どうやら、少女達のヒエラルキーにおいてセレナは頂点に近い立ち位置のようだ。

 

 私は真面目に言ってるんです、という強い圧とオーラに優斗とマリアはこくこくと頷くばかりであった。

 

 

「お、おほん。あー……えーっと、と、ところで、叔父様や緒川さんは元より、藤尭さんや友里さんとも知り合いだそうですね」

「……んッ!? んぁー、そうだなぁ。立花と小日向に出会って、その後、立花が天羽をウチに連れてきたろ? で、連鎖して翼が来て」

「もうその時点でかなりの芋蔓」

「だよなぁ…………で、天羽とか翼が変なのに引っかかってないか弦十郎さんと緒川さんが一緒に見に来て、行き倒れてる雪音に餌付けしたらノイズの事件に巻き込まれて、その後に藤尭さんと友里さんとも知り合ったんだよなぁ。改めて考えるとなんだこれ」

「ちょっとした特異点になってるデスよ」

「ほんとにな。何だこれ、どうなってんの? 全員とLINE交換してるけどさぁ」

 

 

 可憐さを残したまま加速度的に恐ろしさを増していくセレナから救うように、翼は無理矢理話題を方向転換させる。

 カタカタ震えるばかりであった優斗は、内心では拍手喝采を与えながら乗るのだったが、加速度的に目が死んでいく。

 

 彼は、彼女達や弦十郎を筆頭とした大人達が何をしているのか、何と戦っているのか踏み込んで聴いてはいない。守秘義務といった小難しい契約を結んでいたし、それほど興味があったわけでもないからだ。ただ、ノイズといった超常災害に立ち向かっている事や多くの人命を救っている事は知っている。

 正直、そんなものに関わりたくはなかったのだが、どういう訳だか自分は何もしていないのに周りに集まってくるのだ。それは目も死のうというもの。

 だが、彼は彼で人が良い。関わりたくない繋がりなど絆ごと断ってしまえばいいものを、楽しいから、良い人だから、と続けているのだから。

 

 

「弦十郎さんとはこの間、映画に行ったし」

「あー、弦十郎の旦那、映画について話し合える相手に飢えてたしなぁ」

「緒川さんとはたまたま昼飯時に会って、お気にの定食屋に一緒に行ったわ」

「そう言えば、そんな事を言っていたような……」

「藤尭さんとは飲みに行ったろ?」

「二日酔いで気分悪そうにしていたのを見たけど、そういうこと」

 

 

 次々に明かされるコミュ力無双に、優斗なら納得という反面、呆れも強い。

 響や切歌も中々のコミュ力の持ち主であるが、流石に彼ほどではない。それほど深い関係ではないにも関わらず、積極的に相手の懐に踏み込んでいける躊躇の無さは真似できまい。

 

 

『へー、弦十郎さん、映画好きなんだ? 今度、オススメ教えてよ。何なら一緒に見に行かね?』

『あ、緒川さんじゃん。どうしたの? 昼飯まだなの? じゃあ美味い場所教えたげるよ。行こ行こ』

『あれ、藤尭さん? 一人で飲み行くの? 付き合うから奢って奢って』

 

 

 それぞれの状況と台詞が、それぞれの頭の中にありありと浮かんでしまう陽キャ具合と警戒心を解きほぐす善人振り。

 国連所属可の組織の一員が一人の一般人と付き合いが合っていいのか、と考えるだろうが、その辺りは大人同士。守るべき秘密を口にせず、逆に聞きもせず、あくまで対等の友人・知人としての付き合っていくのならば問題はない。

 

 微笑ましいやら羨ましいやら。

 人付き合いがどちらかと言えば苦手な調や翼など尊敬の眼差しすら向けていた。

 

 

「で、友里さんは何か合コンの人数合わせに付き合わされた」

『ちょっと待て』

「えッ!? ちょっと何この空気怖いッ!!」

 

 

 が、それも其処まで。特大の地雷を自ら踏み抜いた。

 この男、基本個人の地雷原でタップダンスを踊っても互いに無傷で生還するが、対人関係では別である。

 自分が重要視されている、好意を寄せられているなどとは考えないので、自分の発言がどれだけの威力を秘めているのかも考えないし、思い至らない。好意を寄せられたとしても、自分では応えられないと無下にしてしまう。

 

 急速に凍り付いていく場の空気に優斗は恐れ慄く。夏場だというのに氷点下のようだ。

 

 異様に鋭い目線で貫いていくる奏、マリア、セレナ。

 片手で覆い隠してやってしまったなと言わんばかりに首を振る翼。

 ぶーぶーとブーイングしてくる切歌と調。

 それだけではない。休みながら話を耳にしていたらしい響はサマーベッドから半分だけ顔を出して無表情で覗き込んできている。

 クリスと未来は、優斗の不用意さを咎めるように重苦しい溜息を同時に吐いていた。

 ポカポカと日光浴をしているエルフナインだけが唯一の癒やしである。なお、空気の変化に気付いていないので救いにも助けにもならない模様。

 

 

「…………いやらしい」

「いやあの、月読、合コンって言っても、別にいやらしいことするわけじゃないんだよ?」

「不潔デス」

「不潔じゃねーし! 婚前交渉なんて不健全だろーがッ!!」

「これ、本気で言ってるんでしょうね……」

「おら、正座だ。このED野郎」

「天羽ッ、その手のシモの話を入れてくるのは止めるんだッ! オレがお前等にどれだけ気を使ってると思ってるッ! 主にセクハラと条例と児ポ法的な意味で!!」

「そんな事より優斗さん、正座をしましょう?」

「………………は、はい」

 

 

 突如として始まった己の魔女狩りに、何とか話題を切り替えよう試みるも悉くが失敗。

 逃げ場もなくなり、年下の少女達に対して縮こまって正座に移行する情けない二十五歳。頭の中にあるのは、どうしてこうなったという思いだけである。

 

 

「じゃあ、まず合コンは何次会まで行ったの?」

「は、はい、マリア検察官。ご、五次会くらいまでですぅ……」

「ほぉーう? そんなに行ったら朝までコースだな?」

「天羽裁判官、朝まで飲んで騒いで遊んでました……」

「そして、途中でいやらしいことをしたんですね?」

「セレナ裁判長ッ! やってません! 誓っていやらしいことなどしてませんッ!」

「優斗さん、それ本当ですよね? 嘘ついてませんよね? 信じていいんですよね?」

「た、立花弁護人、目が怖いッ! やってないッ! それでもボクはやってないッ!」

「この状況でもボケられるとか余裕あんな、コイツ……」

「そんなだから優斗さんは優斗さんなんだよね」

「シャラァップ!! 雪音傍聴人は黙っててッ! 小日向傍聴人、オレがオレである事がそんなに悪いことなのぉッ!?」

「……??? 優斗さんは優斗さんのままで素敵だと思いますよ?」

「エルフナイン、君だけがオレの光だぁッ!」

「エルフナイン、君は関わらなくていい。薄汚れた大人の言い分などにな」

「あぁッ! 全てが闇に閉ざされたぁッ!!」

 

 

 必死。正に必死の形相で真実のみを語る。

 ニコニコと笑いながら目が笑っていないマリア。今にも唾を吐きそうな奏。圧の強い無表情を向けてくるセレナ。影になっても分かる暴走状態時のようなまんまるお目々を向けてくる響。

 四人に囲まれて見下され、いよいよ命の危機を覚える優斗であったが、何が悪かったのか全く気付いていない辺り重症である。頭の病気は未だに治っていないようだ。

 

 そんな彼の様子に、クリスと未来は海の彼方を眺めながら茶々を入れ、エルフナインが救いになるかと思われたが、翼の無慈悲なインターセプトが炸裂する。

 

 

「まあ、其処まで言うなら信じてやるか。藤尭さんと一緒で童貞ということだな」

「天羽、やめよ? ホントやめよ?? シモの話もオレと一緒に無関係な藤尭さんへ無慈悲な致命傷を与えるのやめよ???」

「実際、何処まで行ったのかしら?」

「ホントに何もないって。オレは盛り上げ役やってただけだし。つーか盛り上がり過ぎてだーれも連絡先交換してねーでやがんの。後で友里さんに怒られたんだけど。理不尽過ぎない???」

「友里さんったら……それ、合コンと言えるんですか?」

「さあ? 飯食って酒飲んでカラオケ行って酒飲んでボーリング行ってダーツやってビリヤード遊んで酒飲んで帰るのが合コンと言えるなら合コンだろう」

 

 

 ようやく緩んできた場の雰囲気に、優斗はホッと息をつく。本人は知らないところで致命傷を食らっている藤尭に涙しながら。

 

 本当に優斗は数合わせだったのだ。

 友里としては生粋の陽キャである優斗を呼べば盛り上がると思ったのだろう。装者達の幾人かが好意を向けているのを察している故に、もし彼がそのような雰囲気になるようであれば邪魔をするつもりでもあった。

 

 ただ、彼女のあわよくば彼氏ゲット合コン作戦に破綻を来したのは何時だったか。恐らくは優斗を呼んだ時点であろう。

 彼の場を盛り上げる能力は一流を通り越して常軌を逸していた。誰も彼もが酒の魔力と彼の陽キャぶりの前にテンション爆上げ、バイブスMAXといった感じで、何時の間にやら男と女の何やかやなど吹き飛んでいた。合コンに参加していた者は、あくる日に楽しかったなぁと思った瞬間、あれだけ仲良くなったのにも関わらず、誰とも連絡先を交換していない事実に戦慄したと言う。

 

 

「セレナ裁判長ッ! 以上を以て、優斗被告人の無罪を主張します!」

「立花弁護人、今さっきまで君、何一つ弁護してくれてませんでしたよね? でしたよね?」

「飯塚被告人の無罪を言い渡します」

「やったぜ、逆転無罪狂い咲きィッ! でも君等、怖すぎない? 最近の若者ホント怖い。合コンくらいで……」

『――――――は?』

「ホント最低だよね、合コン。いやらしいッ! そんなのに参加する奴の気がしれないわッ! 全くそんなのに参加したのは誰だッ!! ボクですッ!!!」

 

 

 再び、冷たく尖りだした四人の視線に、無抵抗主義を主張するかのように音速の土下座を見せる優斗。情けなさも此処まで来ると清々しい。

 

 

(しかし、飯塚さんは皆の好意に気付いていないのだろうか……)

(朴念仁ってレベルじゃねーぞ)

(やったデス、調。あたし達の計画に支障なしみたいデスよ)

(そうだね、切ちゃん。でも、マリアもセレナも奥手だから、私達が頑張らないと……)

(確実にわざとやってるんだろうなぁ、アレ。優斗さんくらい察しが良ければ、気付いてないわけないし…………あーぁ、響も皆もかわいそ)

(…………皆さん何の話をしてるんだろう?)

 

 

 

 

 





――――こうして夏は過ぎて行く。各々の思いや願いを乗せて。


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「一夏の思い出・陸」

 

 

 

 

 

 優斗の魔女裁判から数十分後、場は再び活気が溢れながらも和気藹々とした雰囲気を取り戻していた。

 

 街のあそこで食べたケーキが美味しかっただとか、この前に見たドラマの感想だとか、奏と翼の出演したバラエティは大爆笑だっただとか、夏の思い出を形として残そうとスマホで写真を取りながら取り留めのない会話が続いている。

 取り留めのない会話が何時までも続くということは、例えどのような会話であれども楽しめるということ。重要なのは会話の内容ではなく、会話の相手。だからこそ、微笑ましいほどの仲の良さだと言えた。

 

 実際に、S.O.N.G本部に居る時は、何時も張り詰めた表情をしているマリアや翼も頬が緩んで彼女達本来の顔が覗けている。

 気心が知れた相手だからという理由もあるが、優斗の存在も大きい。ボケてボケて時々ツッコんでを繰り返しているが、ゆるふわでいいかげんで良い加減の雰囲気が良くも悪くも他者の心を緩ませている。

 狙っているのか無意識なのかは兎も角、何処か取っ付きにくい調や翼も雰囲気に引っ張られて普段よりも三割増しで話しやすくなっているのは事実。これで会話が成り立たないのは、生粋の人間嫌いくらいのものだろう。

 

 しかし――――

 

 

「ところで、優斗さんは付き合っている人はいないデスか?」

「おいちょっと待て、キャメラ止めろ」

「……??? カメラなんて回っていませんよ?」

 

 

 ――――切歌によって落とされた爆弾に、優斗は戦慄した。

 

 ピィィィィン、と急速に張り詰めていく空気に優斗はダラダラと汗を掻く。夏、砂浜、海というシチュエーション、汗の一つも掻かなければおかしいが、それが冷や汗や脂汗であれば話は別。

 

 やりやがったという表情のクリス、やってしまったなという表情の翼、やると思ったという表情の未来、よくやったね切ちゃんと小さくサムズアップしている調。

 この二人、本当に容赦がない。優斗をマリアやセレナとくっつけるためにはどのような手段でも行使するつもりだ。まずは差し当たって優斗の女性関係を詳らかなにすることで、奥手な家族二人にやる気を出させる気満々である。

 

 唯一、なぁんにも分かっていないエルフナインだけが癒やしであったが、癒やしは癒やしであって助けにも救いにもならないのである。

 

 

(たすけてください)

(嫌です。自分で何とかして下さい。見ている分には面白いので)

(無理です。自分で何とかしましょう。見て楽しませて貰います)

(面倒くさい。自分で何とかしろよ。見てる分には楽しいからな)

(みかたがひとりもいねぇ)

 

 

 即座に視線で助けを求めた三人は、我関せずを貫き通すと無慈悲な視線を返してくる。

 正に四面楚歌。味方が一人もいないこの状況に優斗は頭を抱えたくなるが、何時までも黙っている訳にはいかない。

 

 このままだんまりを決め込んでも場の空気は張り詰めていく一方である。何とかして空気を解きほぐして、強引にでも話題を変えねば色々と致命傷を負いかねない。

 別段、自身の女性関係について話す事自体に抵抗はない。元より多いからといってどうも思わないし、少ないからと恥じる気もない。

 だが、男と女の話と性についての話は今まで彼女達の前ではタブー視してきた。少女達はそういった事に対して特に敏感な年頃だ。これが同年代なら冗談交じりに話せたが、どの辺りまで踏み込んでいいのか皆目検討も付かない。線引が微妙過ぎて怖すぎる。特に国家権力とセクハラ被害で訴えられるのが怖い。

 

 

「ま、まあ、優斗の女性関係の話なんて興味ないけれど、折角の話題だものね!」

「い、いーんじゃねーの? 偶にはそういうのも」

「は、話して貰えると嬉しいなぁ、なんて」

「はいはいはいはいッ! 聞きたい、聞きたいですッ!」

(あんなにうでぴーんって……)

 

 

 髪をいじりながら、自分は興味はないですアピールをしつつも、チラチラと視線を飛ばすマリア。

 妙にそわそわ、もじもじしながら、上目遣いで視線を向ける奏。

 気恥ずかしげでありながら、身を乗り出して問うてくるセレナ。

 腕をピンに上げて、最速で、最短で、真っ直ぐに、一直線に興味ありますと告げてくる響。

 

 余りの喰い付きに、優斗の顔からは汗が引き、同時に血の気も引く。これは生半なことでは方向転換もできそうにない。

 未来と翼とクリスがにやにやと笑い、彼の渋面がますます渋くなっていく。ぐぐぐ、と音が出そうなほど顔にシワを作り、血反吐を吐く思いでやっとのこと口を開く。

 

 

「い…………いま、せん」

 

 

 回答は至極普通で、話題を変えることもできないありふれた言葉だった。

 変に見栄を張っても意味ない。ツッコんで聞かれても面倒だ。かと言って、これ以上黙っていては余計な邪推をされかねないし、方向転換も思いつかない。苦渋の決断であった。

 

 

「ま、そうでしょうね」

「だよなー。居たら、此処に居るわけねーもんなぁ」

「恋人さんに、嫌われちゃいますよね」

「あ、それもそうか。ふーん…………ふーーーーん」

 

(全員、露骨すぎんだろ……!)

 

 

 優斗の言葉に、四人は見るからに安堵と落ち着きを取り戻していく。

 

 マリアは恋人がいなくても恥ずかしいことじゃないのよ、と優しげな視線を向けていた。

 奏は先程までの落ち着きの無さは何処へ行ったのか、コイツじゃあな、と言わんばかりに笑みを浮かべている。

 セレナは胸に手を当ててホッと安堵の息を吐く。

 響だけは恋人がいればこの状況そのものがあり得ないと気付いて、意味深な視線を向ける。

 

 最早、優斗には針の筵である。彼女達とこうした状況など望んでいない。ただ、一緒に遊べればそれでいいのにどうしてこうなったと思いながら、瞳から光がどんどん失われていく。

 

 その様を見て、クリスがまず初めに吹き出した。デデーン、雪音アウトー!

 

 

「じゃあ、どんな人が好み?」

「………………ッ!?!??」

 

(飯塚さんも反応が……!)

 

 

 そして調が落とす第二の爆弾。

 優斗の背景ではピシャーンと雷が落ち、口をあんぐりと開けて泣きそうな表情。顔には、何を言っても角が立っちゃう、と書いてあった。

 

 普段は自分をイジる側なのに、今は散々イジられている彼の姿に、翼が限界を迎えた。デデーン、風鳴アウトー!

 

 

「な、何で、そんな事を聞きたいのかな、月読ちゃん?」

「この前、優斗さんの家で切ちゃんと一緒にエッチ本探索して一冊も出てこなかったから、どんな人が好みなのか疑問に思って」

「君等、人ん家来て何してくれてんの???」

 

(んッふ、んふふふふ……調ちゃんも切歌ちゃんも何やってるの、もう……!)

 

 

 予想外も予想外の事実を真顔で告げられ、優斗も堪らず真顔になる。まさか、自分の知らないところで、普段は無邪気な少女二人がそんなことをされているなど考えてもいなかったのだろう。

 二人の意図は優斗の好みを探ることで家族に貢献しようと考えたのだが、まさかの空振り。女の気配がないことは普段の態度や行動から察していたが、此処まで性欲がないとは病気なんじゃと心配した程であった。

 しかし、この場に来てそれが生きた。切歌はグっと小さくガッツポーズをし、調はニヤリと黒い笑みを浮かべる。

 

 全く予期していなかった調と切歌の行動を暴露され、未来も堪えが効かなくなる。デデーン、小日向アウトー!

 

 その時、優斗ははたと気付いた。見過ごしてはならない、ある疑問に。

 それは、どうやって男の秘密の隠し場所など当たりを付けたか。彼女達にとって日常とは非日常、非日常こそを日常と呼べるような生活を送ってきたことは察しが付いていた。だからこそ、見られたくないものを隠す場所など検討もつかないはずだ。

 

 

「――――いや待て。お前等、男のそういうのの隠し場所、何処で聞いた?」

「「藤尭さん」」

「藤尭ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――――ッッ!!!!!」

「「「ぶふぅーっ!」」」

 

 

 まさかまさかの童貞仲間の裏切りに、優斗の汚い高音が砂浜に響き渡る。デデーン、雪音、風鳴、小日向アウトー!

 

 どんな状況、どんな状態で二人に問われたかは知らなかったが、面白半分にやることではない。

 優斗の性的な情動が極端に薄いのか、或いは単に隠し場所が藤尭とは違ったのか定かではないが、もし万が一にも二人の目にR指定物の物体が目に入ればどうなっていたことか。

 自身が嫌われる、軽蔑される程度ならまだいい。おかしな性癖に目覚めたり、或いは性そのものを忌避するような拗れ方をすれば、少女の将来に暗雲が立ち込めかねないだろう。

 

 なお、藤尭本人の名誉のために記しておくが、情報解析の三徹目という過酷な状況下で意識も朦朧、思考が鈍化しているところを狙い澄まして調と切歌が聞きに行っただけである。子供は大人が考えているよりもずっと賢い。何時までも子供と思っていると痛い目を見るのは大人の方だ。

 

 

「それで、どんな人がタイプなんデスか?」

「さあ、答えて。さあさあさあ」

『………………』

「――――――」

 

 

 ズイと詰め寄ってくる調と切歌。固唾を飲んで見守るマリア、奏、セレナ、響。状況を楽しんでいるクリス、翼、未来。

 

 最早逃げられんぞ、と状況が語っている。逃げ道は塞がれてしまっている。

 これだけ興味関心を持たれては答えなくては白けるというもの。彼の気質としてそのような真似、許せる筈もなく。

 だが、その結果として、どのような災禍が引き起こされるか。考えるだけでも恐ろしい。

 

 いっそのこと全てをぶちまけて楽になってしまおうか、と口を開きかけたその時――――――

 

 

「いやぁ、オレに見た目の好みなんてないよ」

「「…………ッ!」」

 

 

 優斗に電流走る――!

 思考を駆け巡る悪魔的奇策……! 全てをひっくり返す卓袱台返し……! 年長者として最低の発想……!

 

 一聴しただけでは凡百でつまらないありきたりな答え。

 自分は容姿なんて気にしない、というモテない男の見え透いた、己の株を上げようする程度の低い発言……!

 

 が……! 調と切歌の周囲ではざわ……ざわ……と効果音が鳴っている。

 二人には優斗が何を考えているのかは分からない。分からないが、直感と魂そのものが、この男を喋らせてはいけないと叫んでいる……!

 

 

「ゆ、ゆう――」

「だってさぁ。人間、若いって言われるより、おじさんおばさんって呼ばれる時間の方が長いからねぇ……!」

「コイツ……!」

「言ってはいけないことを……!」

「なんてことを言うんですか、優斗さん……!」

 

 

 調が止める間もなく、今度は優斗が爆弾を投下する。

 女性にとっては大量破壊兵器じみた爆弾は、事態を面白がって見守っていた三人が戦慄するほどであった。

 

 

「増える小皺」

「…………っ」

「ビールで弛んでいく腹」

「…………っ!」

「どんなに大きい胸も萎んで垂れる」

「し、しぼんで……」

「……た、たれる」

 

 

 ボソボソとした口調ながらも、その口元に刻まれている悪魔のよう。

 初めに視線を向けられたマリアは、無意識に頬へと手を伸ばす。まだまだ大丈夫とは思っているが、あと5年もしたら……という不安が頭から離れない年齢なのだ。

 次に射抜かれたのは奏。ヤバいヤバいと思いつつも、ビールの持つ魔力に抗えない自分自身の腹を撫でる。思い浮かぶのは居酒屋で飲んでいるビール腹のおじさんか。

 続き、セレナと響が自分の胸へと視線を落とす。脳裏に浮かぶのは、一緒にお風呂に入った祖母とマムの姿。若い頃はさぞや張りがあったであろうに、時の流れによって変わり果てた胸を……!

 

 四人だけではない。女性というだけで、この話題はNGである。

 若さ故に普段は意識しないものの、老いとは誰にでも訪れるもの。容姿とは時と共に衰えていく。男性よりも女性が強く意識するそれを無残に突きつけられるのだ。恐怖以外の何物でもあるまい。

 

 ゆらり、と優斗が立ち上がり、続くように他の者も後に続き、じりと足腰に力を込めていた。

 

 唯一、何を当たり前のことでこんなに焦っているんだろう、と座りっぱなしのエルフナインくんちゃん。彼女はつい最近まで無性であり、幼すぎて容姿にはとんと興味がないお年頃。その様子に、優斗はより一層笑みを深めて、彼女の両脇の下に手を差し込んだ。

 

 

「あ、あの優斗さん、あんまり乱暴に走るのはちょっと……」

「安心しろ、エルフナイン。君の身はオレが必ず守る。だから、オレに力を貸してくれ」

「な、何だかよく分かりませんけど、分かりました。ボクにお任せ下さい!」

「――――――マジン・ゴー!! パイルダァァァオォォォォンッッッ!!!!」

「が、がしょーん」

 

 

 彼女が思い出したのは砂浜にやってきた時の、優斗の無意味な暴走。だが、その余りにも信頼を感じさせる声に意を決した。

 

 エルフナインの信頼を感じ取り、魂の咆哮と共に肩車の体勢へと移行する。

 若干、恥ずかしそうにそれっぽい効果音を口にしながらも、ぎゅと優斗の頭に両手を、首に両脚を回すエルフナイン。女子を恐怖のズンドコに陥れる魔神が此処に降臨した。

 

 

「おまえらもうゆるさねえからなぁ」

「え、えっと、ボクは何をすれば……?」

「なぁに、老化現象について具体的かつ詳しく説明してくれればいいんだよ? ただの勉強勉強」

「な、なるほど……! 海に来ても勉強なんて皆さん熱心ですね。ボクも頑張らないと……!」

「さあさ、語って聞かせやしょう! エルフナインが老化について、オレが実体験に伴うその恐ろしさについてなぁ……! お前もッ! お前もッ! お前もッ! お前もお前もッ!! 全員おばさんとかばあさんになるんだよぉ!! 夜に眠るのも嫌になるほどの恐怖に陥れてやるぜぇぇぇぇ!!」

「では初めに――――」

 

『い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!』

『や、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――!!』

 

 

 始まったエルフナインの講義に、蜘蛛の子を散らすように逃げていく少女達。後を追う最低にして最強の魔神。こうして、砂浜の追いかけっ子が始まるのであったとさ。

 

 

 

 

 





女性に年齢の話は、ダメ絶対――!!



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出会い・セレナの場合
「無垢なる少女と時計屋さん・壱」


 

 

 

「あー、酷い目にあっちゃいましたねぇ……」

「ホントにな。ま、アタシらはマシな方だけど……」

 

『ひゅー……ひゅー……ひゅー……』

 

 

 身体を全然鍛えてないのに人並み外れた肉体を持つ男に頭脳派錬金術師がパイルダーオンした結果爆誕した最低最悪の魔神による追い掛けっ子から30分後。タープの下はちょっとした野戦病院のような有り様であった。

 

 日陰に合わせて敷かれたシートの上に、響は膝を抱えて、奏は両脚を投げ出して座っていた。二人共、表情に疲労の色が濃い。

 だが、それ以上に悲惨だったのは、魔神の第一目標にして惨劇の切欠となった切歌と調、更に魔神の第二目標にして状況を面白がっていたクリス、翼、未来。

 五人は体力の限界を迎えて虫の息でシートの寝転んでいた。体力的に劣っているクリス、調は兎も角、元気っ子の切歌、元陸上部の未来、防人として鍛えてきた翼がこの有り様とは、優斗も弦十郎ほどではないにせよ、ナチュラルボーンフィジカルモンスターゴリラである。

 それだけでなく、五人が五人とも明日なんて来なければいいのに、と虚ろな目で呟いている。エルフナインの悪意のない講義が耳に入ってしまい、老いという必ず訪れる現実から逃げられなくなっているようだ。

 

 幸いなことに、響と奏に加えてマリアとセレナの姉妹はあくまでも話題に喰い付いただけと判断されたらしく、追いかけ回されはしなかった。

 だが、他の者は、エルフナインを肩車したまま陸上選手のような速度で追いかけ回され、砂浜どころか海や別荘にまで逃げたというのに執拗に追跡された。

 えへん、ボクはちゃんと老化現象についても説明できます、ただの錬金術師ではありません、と少しばかり誇らしげに分かりやすく講釈を垂れるエルフナイン。そんな彼女を肩車したまま、完全な無表情で追いかけ回す優斗。直接、追いかけ回されたわけではないのに響と奏は若干、トラウマになった模様。他の者の胸中は如何ばかりか。

 

 まず初めに脱落したクリスが餌食となり、続いて調が、更には未来が、果ては切歌が、最後まで逃げ続けていた翼が肩を捕まれて老化現象の講釈を聞かされてしまい、体力以上に精神的に追い詰められ、誰も彼もが二、三歳は年をとったように見える。これは酷い。

 

 

「はい、皆さん、麦茶ですよ。ゆっくり飲んでくださいね」

『セレナァ……やはり、大天使か……』

「もう、皆まで……!」

 

 

 麦茶をコップに注いで人数分持ってきたセレナが現れ、五人はゾンビの如き有り様で手を伸ばした。

 心も折れ、喉も渇ききっている五人にしてみれば、その優しさは真実、大天使の如く映っているのだが、優斗とマリアのように誂っていると思い込み、怒り出してしまう。

 

 しかし、それでもキチンと一人ひとりに配る辺り、セレナマジ大天使であった。

 切歌と調はセレナの優しさと麦茶によって齎される潤いにホロリと涙を流し、クリスと翼と未来は余りの神々しさに両手で拝み始めていた。

 

 

「はい、響ちゃんに奏さんも」

「おっ、悪いね。欲を言やぁ、ビールが良かったけど」

「奏さん、まだそんなこと言ってるぅ……本当にビール腹になっちゃいますよ?」

「うぐぅっ! い、いいや、まだ! まだ大丈夫! 大丈夫だから! 多分……」

「汗を掻いた時にアルコールはダメです。大人しく麦茶で我慢して下さい」

「……へーい」

 

 

 ビールが飲みたくて飲みたくて仕方がない奏であったが、響とセレナは白い目を向けられ、コップを受け取りながら肩を縮ませて項垂れた。姉御肌であるが、年下には弱いようだ。

 

 そして、この場にいない優斗、エルフナイン、マリアの三人は何処へ行ったのか。

 

 翼をダウンさせた後、優斗はそのまま何も言わずにエルフナインを連れて砂浜を去っていった。

 アレほどの嫌がりの中、イジられ続けたのだ。腹を立てて帰ろうとしているのではないか、と心配したマリアが後を追うのは必然であったかもしれない。

 響達が残ったのは、ダウンした仲間達の介抱のためであり、マリアに任せておけば大丈夫という安心感であり、優斗がこの程度で怒る筈もないという信頼感故であった。

 

 事実として、彼が怒っている場面など一度たりとて見たことがない。それ故に彼を甘く見ているのではなく、そうした彼の人柄に全幅の信頼を置いているのだ。

 

 

「そう言えば、セレナさんは何処で優斗さんに会ったんですか?」

「あたしは響に連れて行かれてだけど、マリアとかは完全に別口だったよな、確か」

「ええ。マリア姉さん達はフロンティア事変の只中で出会ったみたいだけど、私はもっと前です」

 

 

 再び、シートの上に身体を投げ出して体力と精神の回復に努めだした親友と仲間の姿を横目に、響はふとした疑問を口にした。

 

 未来や奏、翼、エルフナインが優斗と出会った切欠は全て響によって作られたものだ。

 先代が作り上げた鷲崎時計店は、下手な喫茶店よりも断然に雰囲気が良く、勉強をするにも、駄弁るにも最適以上。規則正しく刻まれる秒針の音は妙に落ち着くし、店主である優斗の持つ雰囲気も相俟って心身ともに解されていくような気さえする。

 時計店本来の役割を果たさせない申し訳なさはあったものの、意外過ぎる穴場と自慢の知り合いを紹介したくなってしまった彼女の気持ちも分からないでもない。

 

 なにはともあれ、それぞれがどのような出会いをしたのか知っている。しかし、セレナやマリア、切歌や調に関しては別だ。響が関わるまでもなく、それ以前から知っているようだった。

 

 

「これを探している時に手伝って貰っちゃって。それから」

「それって……」

「魔人が作ったパチモンギア、か。本当に何考えてんのか分からないヤロウだな」

 

 

 興味を隠そうともしない響、興味は持っているが踏み込んでいるか迷っている奏を他所に、セレナは自らと優斗の出会いを語る。

 

 その切欠を思い出したのか、彼女の首から下げられている一つのペンダントに手を伸ばした。

 響と奏の胸元にも似たような形状、似たような色合いのペンダントがあったが、細部の意匠が微妙に異なっている。

 

 それこそが彼女達の持つ特殊な才能によってのみ起動する“兵器”。正式名称「FG式回天特機装束」。通称、シンフォギア。

 故・櫻井 了子の提唱した櫻井理論と彼女自身の技術力によってのみ製造を可能とされる対ノイズ用兵装である。

 

 このシンフォギアには聖遺物の欠片が組み込まれており、歌の力によって起動させてエネルギーを抽出、変換した上でプロテクターとして固着させる。これは誰もが出来る事ではなく、聖遺物との適合係数が高い者のみが可能とし、人は彼女達を適合者、或いは装者と呼ぶ。

 得られる効果は身体能力の向上は勿論の事、ノイズの炭素変換や位相差障壁の無効化、それぞれに組み込まれた聖遺物の特性を引き出すなど多岐に渡る。

 余りの強力さ故、現行憲法に抵触するとして存在が秘されてきたが、ルナアタックによってその存在を隠蔽しきれなくなり、世界に向けて情報開示が為されていた。が、これを元にシンフォギアの複製に成功した国も、研究機関も未だ現れてはない。

 

 ただ一人、“機械仕掛けの魔人”を除いては。

 

 奏がセレナのギアをパチモンと呼んだのには理由がある。

 エルフナインの解析に寄れば、魔人製のギアは櫻井理論が根幹にあり、運用や使用方法は全く同一であるが、シンフォギアを纏うプロセス、聖遺物からのエネルギー抽出に独自性や差異が見られるそうだ。

 曰く、デッドコピー。曰く非常に精巧な模造品。曰く、シンフォギアならぬシンファギア、と散々な呼ばれ方をしている。

 

 とは言え、セレナ自身の適合係数の高さ、姉のマリアと同じく二つの聖遺物を起動可能な「ダブルコントラクト」としての才能も相俟ってか、本家本元シンフォギアに劣らない戦いを可能としている。

 二人の姉妹が再び出会ったフロンティア事変、先だっての魔法少女事変においても、彼女はこのギアを纏って戦い、守らねばならぬ者を守り抜いた。

 

 S.O.N.Gの司令である弦十郎も、このギアの存在に頭を抱えている。

 何せ櫻井 了子でなくともギアが複製可能であるという実例が現れたのだ。なおかつそれが目的すら定かではない存在によって手掛けられたとあっては無理もない。シンフォギアすら圧倒できる強さに、数多の研究者が匙を投げる異端技術に肉薄する技術力を、何の制御下にもない個人が有しているのだから。

 

 解析から魔人製のギアは外部からの干渉を受け付けず、内部に何らかのバックドアも仕込まれていないと判明している。

 ノイズやアルカノイズへの戦力はいくらあっても困らず、今後も襲い来るであろう超常災害に対する手段として使用の決断を下した。現状、魔人製のギアとしてではなく、櫻井 了子の造り上げたシンフォギアの試作品の一つとして公式に扱われている。

 ギアを複製した挙句、他者へと譲り渡した魔人の意図は今もって不明のまま。セレナへの接触がない以上、少なからず悪意を以て彼女を利用するつもりはないようであるが、意図が分からない以上は不安は募る。

 

 

「改めて言うけど、それ、もう使わない方がいいんじゃねえの?」

「心配してくれるのは嬉しいけれど、私は……」

 

 

 心配そうな表情で告げられた言葉に、セレナは微笑みながら首を横に振った。

 もう何度となく議論を重ねてきたのだろう。そして、全く同じ結論に着地したことは、セレナの返答と諦めたように笑みを浮かべる奏を見れば察して余りある。

 

 余りにも危険過ぎる代物だ。

 エルフナインの解析結果を疑うわけではないが、適切な処理を施して封印した方が、無難かつ安全な方策であることは疑う余地がない。

 如何に超常災害に立ち向かうためとは言え、弦十郎の判断は甘すぎる。背に腹は代えられないという切実な事情は理解できるが、一組織の長としては信じられない決断だろう。だが、元よりシンフォギアは敵から齎された力だ。何よりも、セレナという戦いに抵抗感を抱く少女が、なおも戦うと誓った決意を無下にすることは彼自身の大人という理想から掛け離れている。当然の帰結だったかもしれない。

 

 

「私は信じたい。響ちゃんが姉さんにそうしてくれたように、あの人にも……」

「セレナさん……」

「ま、あたしも奴には借りがあるし。何をするにしても、話くらいは聞いてやらねえとな」

 

 

 ネフィリム暴走事件においてはセレナを。ツヴァイウィングのライブ会場においては奏を。魔人は明確に二人の命を繋いでいた。

 彼の目的がどうあれ、己の恋心のために月を撃ち落とそうした亡霊とも、己の英雄願望のまま地を飲み込む巨人を目覚めさせたただの男とも、己の復讐心から父の願いを歪曲して世界を解剖しようとした錬金術師とも違う、と少女達は確信している。

 言葉を交わした事など一度もないが、己の目的を最優先としながらも行動の端々には人の尊厳や一つの命に対する敬意と優しさを確かに見て取れた。

 

 だからこそ、問い掛けに答えて欲しい。貴方の目的は何なのか――――そして、私を助けてくれたのは何故ですか、と。

 

 

「とは言え、何処で何してるか分からない相手のこと考えたってなぁ。それよりも――――」

「今は優斗さんと何があったのかの方が重要ですよ!」

「あ、あはは……」

 

 

 世界にとっての驚異となるのかすら分からない魔人よりも、今は何もしていないのに事態が面白い方向に転がっていく男との出会いの方が重要と目を輝かせる二人に、思わず苦笑いを浮かべる。

 

 セレナは察しの悪い少女でなく、寧ろ良い方である。二人の興味が何に起因するものであるのか、嫌でも分かる。

 奏は勿論の事、姉のマリアも同様の感情を抱いているのであろうが、自身の心に素直になりきれない二人には心配にもなる。響も同じだろうと確信しているが、彼女の場合は自分の抱く感情に明確な名を与えてはいない。これはこれで心配が襲ってくる。親友である未来の憂いも分かろうというものだ。

 

 そんな三人の様子に、自覚という点においては僅かながらにリードしている優越感と安堵を抱くと同時に自己嫌悪。

 可能であれば名を付けた“恋”という想いは譲れないが、三人に何も言わず自分だけがゴールに向けて走っている事実は、善良で慈愛に満ちた少女には少々荷が重いかもしれない。本当に人の良いことだ。

 

 

(ライバル多いなぁ……でも、私だって……)

 

 

 今の関係を壊したいわけではない。

 例え、初恋に破れたとしても、素直に相手を祝福する心の準備は出来ている。

 

 ただ、胸に抱いた複雑な感情ごと今この瞬間を楽しみたい。それは優斗との付き合いの中で学んだ生き方だった。

 現実を正しく認識していないわけではない。これから訪れるかもしれない苦難や悲哀から目を逸しているわけでもない。どんな人生であろうとも、小さな幸福や楽しみは其処此処に点在しており、辛いから苦しいからという理由で目を曇らせて見過ごしてしまうのは勿体ない。何時だって、多分何とかなるという前向きささえ捨てなければやっていける。それが優斗の人生哲学。

 深いような軽いような。正論のような曲論のような。正しいような間違っているような。何だかよく分からない理屈であったが、共感だけは出来た。

 

 気が付けば異国の地に放り込まれ、支えであった家族と離れ離れになり、自分が何故生きているのかすら分からない状況で、それが新たな心の支えであった。

 マリアが世界のために全てを背負い、己の本心すらも覆い隠して立ち上がった時も、諦めずに立ち上がれたのはその御蔭。

 

 

「ええっと、優斗さんとあったのはね……」

 

 

 家族に向けるものとは違う暖かな……いや、いっそ熱いとすら言える想いを抱きながら、無垢な少女は果てのない蒼穹に目を向ける。

 脳裏に浮かぶのは光景ではなく声と人の温もり。それも当然の事、当時の彼女は目も見えなかったのだから。

 

 ゆっくりと身体の熱と想いを吐き出すように、セレナは同じくゆっくりとした口調で語り始めた。

 

 

 

 

 

 チク・タク、チク・タク。

 無垢なる少女の想いを綴る。時計と共に、輝かしい記憶を見に行こう。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 用語

 

 

 魔人製ギア

 

 櫻井 了子の手掛けたシンフォギアとは異なる、魔人が作り上げた模造ギア。

 形式番号「SG-xxx Aias」。マリアのアガートラームと同じくxが打刻され、数字が用いられていないのは、使用された聖遺物の特定が不可能であったためでなく、魔人の技術がベースとなっているため。

 曰く、デッドコピー。曰く、非常に精巧な模造品。曰く、シンフォギアならぬシンファギア。

 

 とは言え、機能自体はシンフォギアに劣るものではない。魔法少女事変において、立花 響とマリア・カデンツヴァナ・イヴを中心とした7人のS2CAにより、XDモードの起動までも確認されている。

 形状的にはシンフォギアに近いものの、内部機構は決定的に異なる。聖遺物の欠片を中心に数万もの極小の歯車と螺子によって構成されており、聖詠による起動と同時に動き出す。

 歯車の回転によって何らかの特殊効果が発生しているらしく、聖遺物の欠片から抽出されるエネルギー量を常に一定量に保つ。よって、通常形態においてシンフォギアに比べて最大出力は劣るものの、「歌」が中断されたとしても出力の低下を一切招かない安定性があり、絶唱によるバックファイアも極限される。兵器として完成度は上。

 但し、内部機構の違いからイグナイトモジュールは組み込まれていないが、通常形態でも飛行可能となっている。

 これは魔人がゼロから理論構築よりも、他者の提唱・実現した理論を理解し、改良、改造、改善、改修、修復することに長けている、と示しているものと思われる。

 

 使用された聖遺物はギリシャ神話に登場する「アイアスの盾」。特性は「超振動」。

 アームドギアの形状は「白金の盾」。元となった聖遺物の影響もあるだろうが、セレナ自身の守るために戦うという思いが、この形状を象らせた。

 通常時は盾の前面に特性が反映されており、あらゆる衝撃を拡散・無効化させる。分裂・展開させることにより、巨大なエネルギーフィールドを形成。実体弾、エネルギー弾の区別なく防御可能と大英雄の投擲を防いだという神話に恥じぬ性能を誇る。

 アガートラーム起動時には妖精を思わせるプロテクター形状であったが、アイアス起動時にはマリアと同じく騎士を思わせる形状となる。なお、露出は非常に少ない。恐らく、裸族であったフィーネと全身鎧の魔人という対照的な二人によって作成された故の――

 

 

「女だったら肉体は武器。私は私の身体に恥じるところは何もない」

「この裸族バカじゃねーの? いくら障壁張ってるからってプロテクターは多い方が良いに決まってんだろ。素肌露出するとかねーよ。安心安全が一番だ。嫁入り前の娘にお前みたいなアバズレと似たような格好させねーよ。もう一回言うわ、バカじゃねーの?」

「はぁ――――?(呆れ」

「――――あぁ?(怒り」

 

 

 ――という理念の違いがあったと伺える。

 

 冗談はさておき、セレナの装者としての才能も相俟って、装者達のメイン盾として数々の危難を防ぎきってきた。

 アルカノイズによって次々とシンフォギアが破壊、改修されていく中、このギアだけは破壊されることはなかった。

 

 

「というか、破壊されなくてよかったです。内部機構が複雑過ぎて、拡張性が失くなっていますから。正直、ボクじゃ直せないです」

 

 

 と、エルフナインの弁。

 

 最後に、魔人が何を意図してこれを残したのか定かではないが、セレナを何らかの形で利用しようとも、想いを踏み躙ろうとしている形跡は見られず、自爆装置も無ければ、外部からの干渉を受け付けないようになっている。

 目的や意図が不明故に薄気味悪さばかりが残るが、何時かは彼女が戦う選択をすると見越した魔人が必要な道具として残していったと推察される。

 

 

 

 

 




CMネタ

フィーネ「はぁ~~~~~~、ロマンを分かってないわぁ。駄目だわ、この死に損ないのクソガキ」
魔人さん「ロマンもクソもねーよ。実利と実用性優先しろや。虚無に帰すぞ、裸族の変態が」
フィーネ「あ?」
魔人さん「は?」

エルフナイン(この二人、実は仲が良いのでは……???)



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「無垢なる少女と時計屋さん・弐」

 

 

 

 

 F.I.Sにて行われたネフィリムの起動実験と悲惨な結末から一年後。

 

 優斗は全てが純白に包まれたかのような病室に居た。

 何処かに傷を負ったとか、病を患っているという訳ではなく、今日は修理依頼のあった品を届けに来ただけであった。

 

 

「随分と無茶苦茶になっていたんで、ジャンク品からパーツを移植させて貰いました。正直、ほぼ別物になってしまって申し訳ないですが……」

「いやぁ、そんなことはないよ。ありがとう、これは亡くなった妻に死ぬほど頭を下げて買わせて貰ったものでね。大切な思い出なんだ」

 

 

 開け放たれた窓からは、春一番が吹き終えて随分と穏やかになった微風がカーテンを揺らしながら、部屋の主と優斗を優しく包んでいた。

 そんな中、全身包帯だらけになり、片足を天井から釣っている部屋の主――初老の男性が、さも愛おしそうに修理を終えて返ってきた時計を撫でている。

 

 彼は数ヶ月前に交通事故によって重大な怪我を負って、この病院へと運び込まれた。

 一命を取り留め、目を覚まして最初に気にしたのは、若くしてこの世を去った最愛の妻との思い出が詰まった時計。少ない小遣いをこつこつと貯め、妻に拝み倒して買ったオメガのスピードマスターだった。

 尤も、小遣いだけでは足りず、妻が貯めていたへそくりを誕生日に合わせて大放出してくれたからこそ手が届いただが。その時は、時計を買えた喜びよりも、彼女を妻として選んだ自らの選択と幸運に歓喜したものだ。

 

 だからこそ、事故によって見るも無残に壊れてしまった時計を見た時、彼は何を思ったか。

 その消沈ぶりと来たら、多くの絶望を見てきたであろう医者や看護師が心を痛めるほど。このままでは治療に支障を来しかねないと判断し、善意から時計の修理が可能な店を探した結果、行き当たったのが鷲崎時計店の優斗であった。

 

 

「しかし、若いのに随分と良い腕だね。修理やオーバーホールに出すと、何処か手触りが変わってしまって嫌だったんだが、これは前のままだ」

「古い時計ですからね。使う人間の性格や思い出が詰まってますから。そういうバランスの調整も、ウチの売りなんで」

 

 

 時計は日常で使いこそすれ、コレクターでもなければ年に何度も買う代物ではない。

 故にこそ、使用者の性格と思い出の多くがそのまま反映される。小さな傷や磨り減り、色褪せ、くすみ、秒針の刻まれる正確さには、全てが詰まっていると言っても過言ではない。

 それらをそのままに、客の大切な思い出が失われないように直すことが、修理の真髄であると優斗は考えている。

 どうやら、その考えは男性には嬉しいものであったらしく、涙すら滲ませていた。恐らくは、自らを見守ってきた時計と共に、妻との思い出を振り返っているのだろう。

 

 

「それじゃ、今後ともご贔屓に」

「ああ、そうさせて貰うよ。料金の件だけど……」

「それは後で構いませんよ。色々大変でしょうしね。前金も貰ってますから、踏み倒されてもそれほど痛手じゃない」

「酷いな、それほど窮困しちゃあいないさ」

 

 

 自らは彼の人生にとって異分子に過ぎず、たまさか道が交わっただけのこと。思い出に浸るには邪魔者以外の何者でもない。

 来客用の丸椅子から立ち上がった優斗に、男は今回の修理に見合っただけの報酬はいくらであるか話そうとしたものの、今はするべきではないとに冗談交じりに断られる。

 

 実際に、ジャンク品を手に入れられるだけの前金は受け取っており、手間賃工賃を無視すればトントンだ。

 修理の仕上がり具合に客も満足している。こうした客は信用を裏切らない。口約束だけでも十分に金の回収を見込める。折角、思い出に浸っている客の気分を金の話で台無しにしたくはなかった。

 

 思いが伝わったのか、酷いとは言いつつも男性の顔には穏やかな感謝が浮かんでる。それに返すのは、客の喜びを我がことのように思う笑みであった。

 

 

「――――ふぅ」

 

 

 病室を出て扉を閉めると、途端に今までの笑顔が嘘のような無表情になり、扉に額を押し付けて小さく安堵の息を吐く。

 

 どうやら上手く出来た、という安堵のようだ。

 仕事に不安があったのではない。自らの仕事は完璧だったという確信に近い思いがあった。そんなことよりも、自らの内に生じ、消えぬ炎の如き激情を不意に解き放ってしまわないかが不安だった。

 最近は人に合うのが怖い。この激情と眼の前の人間が何ら関係のなかったとしても、無関係で無意識に無知なまま無邪気に笑う顔にすら腹が立ってしまう。どうしようもない八つ当たりだと分かっていても、抑えられなくなる時が来てしまいそうで。

 

 それでも今回は上手く抑えられた。

 彼の浮かべた笑みは心からのもの。例えどれだけの激情に駆られようとも、他者の幸福を喜べない人間ではないのだ。

 

 

「…………」

 

 

 依頼者の笑みをもう一度頭に思い浮かべ、抑えきれぬ激情を抑え込み、歩き出す。

 最早、この場に用はなく、まだやるべきことは残っている。何時までも、長居はしていられない。

 

 病院の廊下を進む。

 良い雰囲気の病院である。病に侵され、傷を負った者の気落ちした様子が見受けられない。身体のみならず、心のケアが隅々まで行き届いているのだろう。

 磨き抜かれたリノリウムには汚れ一つなく、春の暖かな陽射しを跳ね返している。医療従事者のみならず、清掃業者に至るまで自らの仕事に対して誇りを持ち、全うしている証左であった。

 

 けれど、優斗の表情は廊下を進む度に険しくなっていく。

 高校を入学するのとほぼ時を同じくして大病を患った、と語る彼にとっては病院など良い記憶などなく、嫌な記憶ばかりが蘇るのかもしれない。

 

 人と擦れ違わぬのをいいことに、表情は険しくなる一方。まるで一族郎党が死滅してしまったかのような仏頂面である。

 

 

「………………はあ」

 

 

 彼の仏頂面が頂点に達したのは、廊下の突き当りを曲がった時だ。まるで三千世界が滅びるさまを見たようだった。

 

 視線の先では、年頃が14、5歳ほどの少女が四つん這いになって廊下で何かを探している。

 ピンクブロンドの長髪は明らかに日本人ではないことを示しており、両目を覆うように包帯が巻かれ、盲人用の白杖が近くに転がっている。どうやら目を患っているのか、怪我をしているようだった。

 普段であれば病院の誰かが彼女を助けたであろう。医師であれ、看護師であれ、それも仕事の一つであり、この病院の良き性質であれば尚の事。しかし、折り悪く、今は誰も近くに居ない。

 

 

「……何処……何処なの……」

 

 

 一度は廊下を戻って別のルートを探そうとしたが、少女の泣きそうな表情と声を耳にした瞬間、ピタリと脚を止める。

 自分が関わるべきでなく、関わる必要性もない。この病院なら、必ず誰かが彼女を助けてくれる。そんな言い訳を頭の中で重ねていたが、見てしまった以上、懊悩は消えてなくならない。解消する方法は唯一つ。

 

 優斗はぐぐぐと口をへの字に曲げ、鼻の穴を大きく広げ、眉間に皺を寄せていく。明らかに不機嫌や不安と戦っている様子であったが、最後には大きく溜息を吐いて諦め、少女に向かって歩き出した。

 

 

「何か探してんの?」

「えっ!? ど、どちら様でしょうか……」

「あー、まあ、ちょいと此処に用事があっただけの通りすがり。手伝うよ」

「……え、えっと……えと……その、お願いします」

「はい、お願いされましたー」

 

 

 唐突に声を掛けられ、少女は驚いて振り向いた。

 目元は分からないが、口元と鼻梁だけでも愛らしさが伺える。歳を重ねれば、目を剥くほどの美人に成長するのは一目瞭然であった。

 

 しかし、優斗は見た目の可愛らしさや美しさにまるで興味がないらしく、少女が何を探しているかを気にしていく。

 

 今まで聴いた事のない声の主に恐れと不安を覚えているであろうが、優しさを無下には出来ないと少女は少し悩んだ末、素直に助けを求めた。

 

 

「で、何を探せば良いんだ?」

「……ギ、じゃなくて……ペンダントです。大きさはこのくらいで、細長くて角が丸くて」

「………………ペンダント、ね」

 

 

 少女は自分の手を動かして、探しているペンダントの大きさや形を伝えてくる。

 その様子に優斗は一瞬だけ眉をピクリと動かしたが、それ以上は何も言わずに廊下へと視線を向ける。

 

 長く続く廊下には誰の存在も見当たらず、ペンダントらしきものもない。

 悪意を以て誰かが持ち去った訳ではなさそうだ。ならば、考えられる可能性は一つ。運悪く廊下に置かれた長椅子や自販機の下に潜り込んでしまったのだろう。

 

 少女の近くに設置されている長椅子や自販機から順番に、身体と顔をべったりと廊下にくっつけて覗き込む。

 雰囲気や布ズレの音だけで何をしているのか分かるのだろうか、少女は慌てた様子を見せていた。目の見えない彼女には廊下の清掃が如何に行き届いているのかを匂いでしか知る術がなく、服が汚れてしまうと考えているらしい。

 

 

「あー、あったあった」

「ほ、本当ですか!」

「嘘ついてどうすんの。けど、こ、れ、はー……仕方ないか」

 

 

 目的のペンダントは少女の探していた位置から最も近い自販機の下に隠れ潜んでいた。

 だが、残念なことに、その隙間は余りに狭い。優斗や少女の手は勿論のこと、白杖ですら入りそうにもない。

 

 このまま病院関係者に任せてしまうのが無難であったろうが、不安げだった少女の声色がパっと明るくなり、その考えも優斗の頭から吹き飛んでいた。

 

 背負っていたリュックサックの中から、仕事道具であるモンキーレンチを取り出す。

 本来、時計の修理に使うような工具ではないのだが、少し前にちょっとした善意から向かいにある喫茶店の業務用ドリンクサーバーを直してしまったことを切欠に、鷲崎時計店には時計以外にも様々な物品が修理に持ち込まれるようになってしまった。

 失敗だったと思いつつも、修理代はキッチリと払われるので収入としては悪くないかったので、そのまま続けた結果、必要になった工具だ。

 

 幸いなことに廊下に打ち込まれたアンカーボルトは特殊な工具が必要なくモンキーレンチ程度で簡単に取り外し可能。

 手慣れた様子でモンキーレンチを操り、瞬く間にボルトを取り外して、転倒防止板が動くようにする。後は力仕事であった。

 

 

「ファイトォォォォォ!!」

「いっぱーつ、なんて……」

「んんぐぐぐぐッ! あッ、そういうの知ってんだ!」

「そ、それよりも気をつけて下さいね!」

 

 

 何十年と続く長寿CMのフレーズを何となくノリで口にすると、以外や以外、少女は理想通りの返答をしてきた。

 考えてみれば当然だ。目が見えない以上、リハビリやちょっとした散歩やトイレ以外は病室に缶詰状態だろう。することなど、点字でも覚えるか、テレビを()()以外にすることなどあるまい。

 

 少女は音だけ何をしているのか悟ったのか、あわあわとしながら必死で告げる。

 事もあろうに、優斗は自販機の縁に手を掛け、僅かに浮かせている。大した力である。これではゴリラと呼ばれても仕方ない。

 全身の筋肉を盛り上げさせ、顔も真っ赤にさせながら自販機を浮かせる様は紛うことなき筋肉モリモリマッチョマンの変態だ。下手をすれば警察を呼ばれかねなかった。

 

 

「と、取ったぞぉ……!」

「や、やった……! ひっ……!」

 

 

 もう一方の手を出来た隙間に差し込み、手探りの感触だけでペンダントを掴み取り、半端ない重量の自販機を離す。

 少女の顔がパっと輝いたが、凄まじい重量を感じさせる音にビクリと肩を震わせた。

 

 優斗は肩で息をし、一瞬で浮かび上がった玉の汗を拭いながら、取り出したペンダントを手渡してボルトを締め直していく。

 

 

「じゃ、じゃあ、次は落とさんようにね」

「え、あの、お、お礼を……」

「いいよいいよ、そういうの。難しいかもしれんけど、今度は君が困ってる誰かを助けてあげな。そうやって世界を良くしてこう。じゃ」

 

 

 呼吸を整え、善意とは受けた当人に返すものではなく、別の誰かに循環させるものだと、盲目の少女には酷なことを告げて足早に立ち去ろうとする。

 まるで少女を避けているかのような素振りであるが、それは事実であると同時に、間違いでもあった。

 

 一刻も早く、この場を立ち去りたいのである。

 考えてもみて欲しい。病院内の自販機を持ち上げて何かをしている男が、周囲からどのような目に映るのかを。しかも、その傍らには目の見えない少女が廊下に座り込んでいるのだ。最早、犯罪の匂いしかしない。

 何の事情も知らないのであれば、自販機泥棒をしている男が少女に見つかって慌てて逃げようとしている図だ。通報待ったなし案件である。

 

 

「――――ちょっと?」

 

 

 その時、背後から底冷えするような声を掛けられ、肩を掴まれる。

 

 ギギギ、と壊れかけの絡繰り人形のような動作振り返ってみれば、にこにこと笑う看護師が立っていた。

 但し、顔の半分は影で覆われており、凄まじい眼光を放っている。笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙を剥く行為が原点であると言われているが、さて……。

 

 全くの余談であるが、この病院の関係者は全員が何からの武術の有段者である。近隣からは、武闘派病院などと呼ばれているらしい。

 

 何故そのようなことになってしまったのか! 

 それは昨今、頻発する社会的弱者を狙った通り魔的な事件に対抗するためである!

 抵抗する力を持たない小学生や介護が必要な者を狙う卑劣な犯罪者から患者を守るため、職業意識がクソほど高い院長と関係者は、最早患者の命は我々で守るしかねぇ! と一念発起! 

 警察との合同避難訓練や犯罪者の捕縛訓練に積極的に参加・開催するばかりか、それぞれが通信教育で段位を獲得しているのである!

 犯罪者ぁ? 赤子の手を捻るが如しで頭の治療をしてやろう! テロ組織ィ? 壊滅する覚悟は出来ているんだろうなぁ!? 安心しろ、此処は医療施設だ! 誰一人として死なせん! 生きたまま地獄を味わうがいい!! ノイズゥ? 恐れるものかよ! 我が身を呈して患者を守ってくれるわ!! といった有り様である!

 特に院長など野獣の肉体に天才の頭脳――――そして、神技のメスを持つ男などと揶揄されている。他にも、刺激的絶命拳を使わざるを得ない! と叫ぶ医者や、パンクラチオンを駆使し、駄患者が! 治りたくないのか! と叫ぶ医者や、ノーコンテニューでクリアしてやるぜ! と叫ぶ新米医師も目撃されている。どんな魔境だ、この病院は。 

 

 

「セレナちゃんに何か御用かしら? それとも、その自販機に用があったのかしらねぇ……?」

「……………………」

 

 

 優斗は女性とは思えない握力で肩に悲鳴を上げさせている手に目を向ける。

 続き、衝撃で壊れてしまったのか、じゃらじゃら釣り銭を、ガコンガコンと中身の入った缶ジュースとペットボトルを吐き出し続ける自販機を見る。

 そして、少女――――セレナの泣きそうな表情と看護師の怖過ぎる笑顔に、彼もまた笑みを浮かべた。

 

 

「ち、ちがうんですよ」

 

 

 精一杯の思いで絞り出した声。

 しかし、誤解を解くには至らず、壊れた自販機が元に戻る訳でもない。

 

 次の瞬間、優斗は宙を舞っていた。

 肉体の反射を利用した日本ならではの武術、合気道である。体重が80kgを軽く越える身体が浮遊して、反転した視界では般若の如き表情の看護師と、自分と同じくち、ちがうんですと呟いているセレナ、遠くには様子を見に来た他の医師や看護師の姿も映っている。絶望しかない。

 初めた時間からして、段位自体はそれほどでもないと思うけど、実力的にはもう九段くらいあったんじゃないですかねぇ、と後に死んだ魚のような目で優斗は語ったという。

 そして、彼はまだ知らない。数年後の未来において、中学生を大泣きさせ、その親友に通報され、現行犯誤認逮捕された挙句に、中学生の親御さんに袋叩きにされる運命を。どうやらそういう星の下に生まれてきているようだ。

 

 何はともあれ。集まってきた医師と看護師達にボコボコにされながら――――この後、滅茶苦茶弁解した。

 

 

 

 

 




どうあっても誤解と通報と職質から逃れられない時計屋さん――――!


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「無垢なる少女と時計屋さん・参」

 

 

 

「あら、優斗くんじゃない。またセレナちゃんにお見舞い……?」

「あー……まあ、そうです」

 

 

 優斗はセレナが治療を受ける病院を訪れていた。もう何度目になるか、彼自身も数えていない。

 すっかり顔馴染みとなった看護師達の一人が、スタッフステーションに顔を出した彼の姿を見ると喜ばしげに顔を綻ばせた。反面、優斗の表情は微妙そのものである。

 その表情も毎度の事なのか、看護師は微笑みながら面会者用の記入用紙とボールペンが挟まれたボードを取り出して差し出してくる。向かう病室と自身の名前、住所を書くのが、この病院の決まり。手慣れた動作でボードを受け取り、ボールペンを握って紙にペン先を奔らせる。

 

 人として正しいながらも軽率な行動から病院関係者に誤解され、お互いに弁解されながらも優斗だけはボコボコにされてギャン泣きする衝撃的な出会いから早数ヶ月。

 それきり縁も切れるだろうと思っていたのだが、セレナが病院の関係者に優斗の連絡先を聴いたらしく、後日、鷲崎時計店に彼女から電話があった。

 内容は、せめてもの礼の言葉と身体は大丈夫かという心配の言葉。病院関係者の手を借りたからこそ実現できたのだろうが、目が見えないという他人を気に掛ける余裕などない状態であろうに、他人の心配を出来る心優しい少女だった。

 最初の一回はそれで終わり。こっちは大丈夫だから気にせずに身体を治しなさい、と確かに伝えたのだが、その後も何度となく電話は掛かってきた。

 

 

『やっぱり、お礼を……』

『でも、飯塚さんにはお世話になったから……』

『そんなに忙しいなら、私から伺います』

 

 

 その度に、気遣いは必要ない、今は仕事が忙しいから、とあしらってきたのだが、最後には礼に店へ向かうとまで言われてしまい、優斗はいよいよ折れた。

 意思が強いと言えばいいのか頑固と言えばいいのか分からない彼女であれば、まず間違いなく店に来る。下手をすれば、目も見えないというのに病院関係者に頼らず自分一人で来ようとさえするだろう。そんなことになれば、自分をボコボコにした方々に何をされてしまうのか、考えただけで恐ろしかった。

 

 一度出向いてしまえば、セレナとの間には嫌でも交流が生まれる。

 それからは、仕事の合間に病院へと向かい、数十分ほど話して帰るを繰り返している。時折、外国人には理解し難い、日本語のニュアンスを教えるなどとしている内に、距離はぐっと縮まった。

 セレナもセレナだが、彼は彼で相当に人が良い。乗り気ではなかったというのに、看護師達と顔なじみになるほど足繁く通っているのだから。尤も、それは純粋な優しさからと言うよりも、彼女の境遇を知ったが故の同情が色濃い。

 

 彼女は、今や故郷や育った土地を遠く離れた異国の地で一人治療に励んでいる。家族と離ればなれになりながらも、いつかは会える日が来ると必死に言い聞かせながら。

 

 それ以上、詳しく聞いてはいない。聞く意義も意味もなかったからだ。

 多少の驚きと共に家族ぐらいは居て当然と受け入れながら、盲目であることよりも遥かに辛い境遇に同情を抱いた。抱いてしまった。

 其処からは坂を転がり落ちるが如く。それまで二週間に一度だった見舞いは一週間に一度と増え、今では最低でも週に二、三度は顔を出している。

 

 

「優斗くんが来るようになってあの娘、明るくなったわよ。君のお陰ね」

「元々暗い子って訳でもないでしょうよ。本来の調子が戻ってきてるだけでしょ」

「そうね。でも、知ってた? セレナちゃん、夜に見廻りに行くと一人で泣いてることも多かったのよ。気丈だけど、まだ子供だもの。家族と離ればなれになって寂しいでしょうに。でも、君と会ってからはもうぐっすり。私達も安心したわ」

「………………そうですか。患者のそういう情報、家族ならともかく赤の他人に明かすの、どうかと思いますけど」

 

 

 スタッフステーションで名簿に名前を書き込んでいる最中、看護師はそんなことを口走った。

 無論、世間話の延長線で口を滑らせたわけではない。この病院に属する者の職業意識は極めて高い。一人ひとりが患者の元気に退院していく姿を見ることを第一とし、それまでの間は何が何でも患者を守ろうとしている。

 故に、これは優斗に対する期待と信頼の表れであり、治療の一環でもある。自分達ではついぞ埋めてやれなかった孤独に対する医療行為。彼女としても不甲斐なさと歯痒さを覚えているであろうが、患者が心身ともに回復していくことに比べれば自身の無力感など些細なものなのだろう。

 

 その言葉を聞き、優斗は思わず握っていたボールペンを圧し折ってしまいそうになるほどの激情に襲われていた。

 しかし、期待を掛けられた優斗の表情はどんどん無くなっていく。どうやら、彼は負の感情が高まれば高まるほど、無表情になっていくらしい。

 胸の内にあったのは、強まる一方の憐憫。あらゆる意味で関わるべきではなかったという強い後悔。そして何よりも、ちっぽけな良心に従って軽率な真似をしてしまった自分自身への激しい怒り。

 

 

「ちょっと、どうかしたの……?」

「いえ、特に。はい、どうぞ」

「そう。なら、いいけど。体調には気をつけなさいね。見舞いをする側が体調を崩してちゃ、立つ瀬がないわよ?」

 

 

 顔色がどんどん変化していく優斗の様子に看護師は怪訝な表情を向けたが、当人は人懐っこい笑顔を浮かべて書き終わった名簿を渡すことで追求を躱す。

 それ以上、看護師が踏み込んでくることはなく、軽く手を降ってスタッフステーションを後にした。

 

 セレナの病室へと向かう途中、中学時代に比べて、随分と感情の隠し方や取り繕い方が上手くなった自分自身を嘲笑う。

 色々と酷い目にあったというのに、手に入ったのは望んでいない境遇や能力ばかり。これを自嘲せずにいられようか。

 

 それでも歩みと共に自虐の笑みを消し去っていく。

 自分以上に孤独かつ傷ついている者の前に立つには、余りにも相応しくない。例え、セレナの目が見えずとも、察しがよく賢い少女だ、変化を感じ取られては余計な心配をさせてしまう。

 

 なに、何のことはない。これまでも続けてきた。溢れそうな感情を覆い隠すなど、そう難しくはないだろう。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 病院の慣れた道程を進み、随分と見慣れた扉の前に立ち、慣れた手付きでノックを数回。

 

 

「はい。どうぞ、優斗さん」

 

 

 すると、扉を開ける前から自身の存在を正確に悟り、跳ねるような声色で返事が戻ってくる。

 視覚のない者は他の感覚が鋭くなると言われているが、実際に目の当たりにすると、何度でも驚いてしまう。優斗は舌を巻きながら扉を開け、部屋の中へ足を踏み入れる。

 

 病室はセレナが転ぶことのないように調度品が少ないながらも、ひとつひとつが相当に値の張る簡素でありながら高級感が溢れていた。

 高い金を払って入院させた、と聞いていたが、初めて脚を踏み入れた時は高級感に畏まってしまったほどだ。

 他に目に付くのは、看護師達が持ち寄ったであろう、暇を潰せるラジオやCDプレーヤー、知恵の輪、盲人でも一人で学習できるようにCD付きの点字学習本。それぞれが綺麗に整頓されて置かれている。

 一年以上もこの部屋で過ごしていれば、何処に何があるのかなど手に取るように分かるのだろう。散らかしたら散らかしっぱなし、という性格ではなく、使ったものは元の場所に戻す、という当たり前の習慣も自然に身についている。目の見えない状態でこれであれば、相当に厳しくも愛情を以て躾けられた背景が伺えようというものだ。

 

 

「よっ。また仕事サボりに来た。しかし、相変わらず凄いな。よく分かるもんだ」

「ふふ。扉の前への立ち方とか、ノックの仕方とか、人によって結構違うんですよ。優斗さんは分かりやすいです。大きい手で凄く優しく叩いているから」

「成程ねえ。目から鱗だ」

 

 

 扉に向かってベッドの縁に座ったセレナに出迎えられながら、優斗は感心しきりで部屋に脚を踏み入れた。

 脚をぷらぷらと揺らしている姿は行儀が悪く、大人びた彼女にはらしくない子供じみた仕草であったが、それだけこの時間を心待ちにしていたのだろう。そうして、何時ものように何気ない会話が始まる。

 

 考えてみれば当然だ。

 この病院の関係者は、心からセレナを気遣っているのだが、彼女にしてみればそれは仕事だから、という前提がある。彼等彼女等に手を焼かせている申し訳なさと不甲斐なさから、どうしても満たされない部分が生まれてきてしまう。

 その点、優斗の出会いはセレナにとっては僥倖であったのだろう。運命の悪戯と単純な善意やちっぽけな良心から始まった交流は、孤独であった彼女の心を徐々に解きほぐしていった。

 

 病院の者や優斗にすら語っていない彼女の境遇を考えれば、何ら不思議はない。

 

 幼くして両親を失いながら、ただ一人残った家族の姉と共に米国の研究機関で実験材料の一つとして扱われる毎日。

 しかし、その繋がりすらもネフィリムの暴走によって断たれてしまった。死すら覚悟して姉を含めた多くの人々を救おうとした正しい行いの報酬が、今まで自分が接してきたもの全ての失うなど余りにも惨過ぎる。

 

 最後に意識を失う直前、聞き慣れぬ声の男と聞いた事のあるような声の女が話していたような気がするが、重傷故に内容はよく覚えていない。

 そして、気が付けば日本の病院で治療されていた。セレナの混乱は、どれほどであったか計り知れない。全ての繋がりを断たれるということは、これまでの過去が現実のものであると実感できなくなるも同然なのだから。もし、この病院のように患者を第一として、行き届いた精神面のケアがなければ、彼女はとうの昔に壊れていただろう。

 

 唯一、繋がりが現実のものであると実感できたのは、自分を救った何者かが置いていった一つのペンダント。優斗が自販機の下から取り出したものだ。

 彼女がF.I.Sの研究対象となった理由であるシンフォギアのコンバーターユニットそのもの――――に、よく似た別物であった。

 ただ、視覚を失って鋭くなった感覚故か、それとも極めて高い適合係数を誇る彼女だからこそなのか、別物であるが同様の使い方が出来る、という確信がある。何よりも、胸の内には起動に必要な聖詠が常に浮かんでいた。それが、記憶にある過去や姉の存在を現実だと語ってくれていた。

 

 それでも、与えられたギアを起動させて自身の存在を知らせなかったのは、どのような影響が周囲に与えられるのか分からなかったから。

 F.I.Sと研究内容・成果をひた隠す米国政府は勿論のこと、日本政府とてそのような兵器の存在を認知すれば黙っている筈もない。日本に自身が確保されれば、F.I.Sの周知を恐れて、米国が全てをなかったことにしかねない。下手をすれば、自身の抹消に動くであろうし、自身の存在を知る無関係な病院の人々も同様だ。

 

 どれだけ動きたくとも、動くに動けない。

 視覚を失った以上に、状況と聡明さが彼女を雁字搦めに縛り付けていた。

 

 辛い現実を忘れさせて、希望を持たせてくれたのが優斗だ。

 初めは優しいけれど変な人。次は優しいのに誤解をされてしまった人。その次は、優しく助けられたからきちんとお礼をしたい人と、随分進歩している。

 余りにも辛すぎる境遇は、ともすれば彼女の人間性そのものを奪いかねなかったが、彼との交流が辛うじて繋ぎ止めた。彼の中に確かに存在している優しさを感じ取り、自分と他者を信じる心を少しずつ取り戻していくことが出来た。

 だからせめて、何かお礼をしたい。けれど、何も出来ない自分がもどかしい。そんなもどかしさすらも、今は愛しさすら覚えてしまう。

 

 そんな気持ちで、会話ばかりの交流は今も続いている。

 セレナにとって優斗の日常は非日常そのもの。米国では聞いたこともなかった話は刺激が強く、聞いているだけでも楽しく面白い。

 

 その時、ふと思い出す。楽しすぎて忘れていたが、今は唯一の友人である優斗には真っ先に伝えねばならないことを。

 

 

「そうだ。今度、目の手術をすることになったんです。何でも、角膜のドナーが見つかったらしくて。先生も張り切っていました」

「そうかぁ! 良かったな! 大丈夫か? 怖くない?」

「少しだけ。でも、大丈夫です。我慢できます」

 

 

 まるで我が事のように喜んで弾む優斗の声に、セレナはより一層暖かな気持ちが浮かんでくる。

 目が再び見えるようになる可能性を提示され、喜びはあったが、それ以上に不安と恐怖の方が強かった。これで駄目なら、もしかしたらもう一生、優しい姉や想像の中にしかない優斗の顔すら見れないではないか、と弱気になった。

 それも、一瞬で吹き飛んだ。目は見えずとも目の前に、自身の幸福を願い喜んでくれる人が居る。それはそれだけで、セレナの恐怖を拭い、生まれ持った勇気を再び奮い立たせるには十分過ぎた。

 

 

「目が見えるようになったら、何処に行きたい? 記念だ、連れて行ってやるよ。外出許可くらいはくれるでしょ」

「…………え、えっと」

 

 

 何気ない一言に、セレナは酷く迷って言い淀んだ。

 

 実際、目が治れば、一日くらいなら外出許可は下りるかもしれない。リハビリは続けているが、一人で歩けない訳ではないのだ。

 また年若い乙女を病院の中に縛り付けるほど、この病院の医者も看護師も無理解ではない。確かな生きる喜びを見出した方が、より早く、完全とした回復が見込める。外の世界にそれを見出すというのなら、それを許さない理由はない。

 

 今まで、狭い世界しか知らなかったセレナにとっては、興味を引かれて仕方がない。

 だが、それでも言葉に出来なかったのは未知への期待以上に、既知への愛着と郷愁が強かったから。

 

 未知へ期待を言葉にするのは、嘘を吐いたも同然。そんな不誠実な真似を優斗にしたくはない。

 けれど、既知への愛着と郷愁を語ってしまえば、確実に優斗へと迷惑を掛けてしまう。

 

 

「…………姉さんや皆に、会いたい」

「…………………………そっかぁ。そうだよなぁ。たった一人のねーちゃんと大切な家族だもんな。そうだ、当たり前だ」

「あ、いえ、ち、違うんです。その、そういうのじゃなくて……」

 

 

 気が付けば、口から意図せずに本心が漏れていた。

 硬さを帯びていく優斗の声に、セレナは泣きそうになった。恐れではなく、優斗を困らせているであろう自身の軽率さにだ。

 

 優斗に境遇の全てを語った訳ではない。

 それでも姉や血が繋がらないながらも大事な家族が居た事も、アメリカで意識を失って気が付けば日本にいて、家族の誰とも連絡が取れないことは語ってしまっていた。

 

 無理難題も甚だしい。自分よりもずっと年下の子だって、もっとマシな提案をしただろう。何せ、自分でも姉や家族がアメリカの何処に居るかすら分からないのだ。余りの情けなさにセレナは口を噤み、優斗も言葉を無くしていた。

 取り繕うべき言葉が見つからない焦燥にセレナの頭は真っ白になる。何かを言わなければと考えれば考えるほどに、思考は白痴に染まる。困らせた優斗への気遣いも含まれて、もう彼女の頭の中は滅茶苦茶だった。

 

 唯一つ、セレナの思考を訂正するのであれば、優斗は決して困っていたのではなく、ただひたすらに炎のような怒りを燃え上がらせていただけ。彼女ではなく、それ以外の何かに向けて。

 

 

「……よぉし。じゃあ行くか、アメリカ!」

「――――え?」

 

 

 他者の感情に機敏なセレナが、怒りを全く感じ取れない口調と雰囲気で、優斗は気軽にそう告げる。

 

 彼の言葉に、セレナはポカンと口を開けて呆然と返す他なかった。

 怒りは感じ取れなくとも、彼が何を考えているのか分からずとも、気軽な口調に反した覚悟の強さと重さは感じ取れたのだから。

 

 

「で、でも、優斗さんは関係ないです。それに、私だって、姉さん達が何処に居るかなんて……」

「かもな。でも、やらなけりゃ何も始まらない。やってみなけりゃ分からない。誰が賢くて、誰が愚かだったかなんて終わってみなけりゃ分からない。世の中そんなもんだ。諦めるのは、死んでからでいいだろ」

「……本気、ですか?」

「ああ。ついでさ、ついで。アンティークの時計なんかも仕入れてみようと思ってたからな。アメリカで高く売れそうな時計を探しながら、お前の家族を探すのも悪くない。一度は助けたんだ。二度も三度も同じだろ」

「…………初めてあった時とは訳が違います」

「オレも色々あった。言ったろ、全身無職に改造されて路頭に迷ったってさ」

「それ、面白く、ありませんから。私は、一人でも……」

「おっと辛辣。……だが、オレはそんな有り様になっても一人じゃなかった。お前も一緒だよ」

「………………」

 

 

 意固地になっていることは自覚していた。

 無意味に反発していた訳ではない。自らの事情に、相手を巻き込みたくなかっただけ。

 

 まるで言い聞かせるな口調で、優斗の申し出を断っていく。

 それでも頑として譲らない彼に、セレナは閉口せざるを得なかった。

 

 これ以上甘えられない、これ以上頼れない。ただでさえ、こうして大切な時間を私のために使わせているのに――――でも、いいのかな? 本当に、いいんだよね? 素直になっても、いいの? 甘えても? 頼っても? 願っても? 迷惑をかけても?

 

 そんな考えが浮かんでは消えていく。

 セレナが決定的な答えを出せないまま、時間ばかりが過ぎていく。

 左に右にと揺れ動く天秤を眺めているようなそんな気分。不安と喜び、迷いと誘惑が渦巻き、答えを言葉にしようとする度に、正反対の答えが浮かんで言葉にすることを邪魔していく。

 

 そんな中、優斗の無骨な男の手で肩を掴まれたのを感じた。慰めるものとは異なる、勇気づけるような掴み方だった。

 

 

「一人じゃない、とことん付き合うよ」

 

 

 あらゆる意味で決定打だった。

 

 

「優斗さん、顔、触ってもいいですか?」

「どうぞ、お好きなように」

 

 

 意を決したセレナが口にしたのは答えではなく、一つの願い。

 その意図を察したらしく、椅子に座ったままの姿勢で顔だけを近づける気配があった。

 

 気配に誘われるまま、セレナは両手で優斗の顔へと触れ、そのまま顔中へと滑らせる。

 人の手の感覚は他の生き物とは比べ物にならないほど繊細で敏感だ。場合によっては大きな分子や単細胞生物ですら感じられるほど。鋭敏な感覚と智慧で以て道具を造り出し、繊細かつ大胆に操って、この地球において他の種とは大きく水を開けて頂点に立つ文明を作り上げた。

 その触覚で、優斗の顔を探っていく。目や耳、鼻、眉や口唇の形までも満遍なく。

 

 

「はい。優斗さんの顔、覚えちゃいました。目が見えるようになっても、やっぱりなし、なんて言わせませんよ」

「勿論だよ」

 

 

 目が見えないまま、頭の中で優斗の顔を思い浮かべられるようになったセレナは少しばかり悪戯っぽく笑ってみせた。何の不安も憂いもない笑みだ。

 

 彼女に、優斗を巻き込むつもりはない。

 巻き込んでしまえば、間違いなく死ぬような目に合う。もしかしたら、本当に死んでしまうかもしれない。でも、頼れる時は頼ろうとは思う。彼の覚悟に応えた上で、諦められない願いがあったから

 

 そのための力は手の内にある。誰かが何の目的で残したかも分からないギアと、それを扱える自身の才能が。

 諦めかけていた願いが、今再び燃え上がる。決して消えぬ情熱と諦める理由のない愛へと形を変えて。

 

 セレナはこの時にはっきりと自覚した。初めはただの感謝だったかもしれないが、今は人としての暖かさに満ちた青年に対する恋心を。

 ただ苦しいだけの現実が、彼と共にある時だけは、楽しく喜ばしい時間へと変わる。もっと一緒にいたい、もっと話していたいという願いが恋でなく何と言うのか。

 

 そして、もう一つ決めた事がある。

 家族と再会できた暁には、必ず優斗を紹介しよう、と。彼が私の大切な人です、と。

 

 

 

 

 

 




望まぬ力と寂しい笑顔は、こうして望み叶える力と愛満ちた笑顔へと――――



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「無垢なる少女と時計屋さん・肆」

 

 

 

「こんな感じ、だったかしら」

 

 

 セレナは優斗との出会いを語り終え、頬を赤らめてはにかみながら微笑んだ。

 自分とあの人だけの秘密にしておきたい大切な思い出であったが、同時に自慢したくなるような素敵な邂逅。

 

 ついつい語る口調も思いが乗って熱くなってしまったが、今は頬の方が余程熱い。

 

 

「優斗さん、魂がイケメンすぎるでしょ……アカン。これはアカンやつやぁ……」

「……やべーよ。やべーよ……破壊力高すぎねぇ……?」

 

 

 それを聞いた響と奏はシートの上に倒れ込み、そんな事を呟いている。

 普段、笑わせるつもりがないのに何でか面白い方向に転がっていく男が、バッチリ決めた時の破壊力を想像して悶ているらしい。

 もし自分がセレナの立場だったのなら。想像しただけだというのに、切なさと愛しさが溢れかえってしんどすぎた。更には響と奏にとっては想い人、威力は数倍増しである。

 

 ある程度こうなることを予想していたのか、セレナはほんのちょっぴりの優越感と他の皆も似たような体験をしているであろう寂しさに苦笑いを浮かべていた。

 

 

(そんなになるくらいだったら、もう全員一緒に告白しちゃえばいいのに)

(しかし、小日向。飯塚さんがアレではな。誰かが恋仲になるなど無理筋もいいところだろう)

(全員女として扱ってはいるんだけど、こう、恋愛対象じゃないって線引きはハッキリ引いてる感じはするしな)

 

 

 ようやっと復活した未来、翼、クリスの三人はセレナの話を聞きながらヒソヒソと会話を繰り返していた。なお、調と切歌はダメージが大きすぎて未だにダウン中である。

 他人の色恋沙汰が盛り上がるのは、それぞれが大人びていたり、独特の価値観を持っていたとしても、少女である以上は仕方がないかもしれない。

 未来は親友や友人達の幸せを願いながらもやきもきし、翼は一歩引いた視点で冷静に、クリスは自分の所感を交えて考察していた。

 

 誰一人として仲間の恋心を否定しない辺り、これはこれで優斗の性格や人柄に対する全幅の信頼が現れている。

 だが、響は自覚が薄く、奏とマリアはいまいち自分の感情に対して素直になりきれない現状よりも、大人しそうに見えて割とぐいぐいモーションを掛けていくセレナですら、のらりくらりと躱している優斗の方が問題だった。

 

 え? 初対面の人間と仲良くなるってそんなに難しくなくない? と語り、コミュ力がおかしいことになっている彼であれば、誰かと友人以上の間柄になるのも、恋人の一人でも作るのはわけないだろう。

 収入も顔もそれなり、心優しく誠実、察しもよければ気配り心配りも出来る。ボケ倒しには辟易するものの一緒に居て楽しいのは事実。これでモテないわけがない。

 三人の趣味でこそなかったが、仲間の恋人となるには十分過ぎる。大事な人を取られてしまったような悔しさこそあったが、それでも十分祝福するに値する相手であると認めている。

 

 

(しかし、小日向が素直に祝福するとは意外だな)

(確かに、洗脳されてたとは言え、あの馬鹿のために世界をどうこうしようとしてたしなぁ……)

(もぅ、私は響の親友として、響の幸せを願ってるだけです! それに――――――優斗さんが響のお婿さんでも、私が響の嫁であることに変わりはないんだし…………なーんて)

(おい先輩こいつやべー奴だぞ!)

(ああ、そうだな。これからは小日向との付き合い方を考えねばなるまい!)

(ちょ! 冗談! 冗談だからぁ!)

 

 

 最後の一言を聞き漏らしたのか、クリスと翼は口元を波打たせて閉口し、すすすと座ったままおもむろに未来と距離を置く。

 冗談と思わなければ確かに、やべー奴にしか映らない。日本では未だに同性婚も重婚も認められていません。

 

 何より、フロンティア事変の何やかやもある。

 結果として未来が響の命を救った形となったが、如何に英雄願望の男に洗脳されていたとは言え、響のために世界の在り方を変えようとしたのだ。愛が重い、重過ぎる。愛、怖いなぁ!

 それだけではない。日常では一緒に食事をするどころか、一緒に風呂に入る、一緒に同じベッドで寝ると世間一般での親友でもやらないような行為を二人は平然と行っている。

 奏大好きな翼でも其処まではやらない、出来ない。人のぬくもりに慣れていないクリスには、更に奇異に映るだろう。

 

 急速に高まっていく二人の警戒心に、これは自分の言葉では意味がない、と未来は救いの主を探し求める。

 このままではグラビティレズ、クレイジーサイコレズと呼ばれるハメになってしまう! あくまでも彼女は響の幸せを親友として願っているだけだから! 純粋なだけだから! なお本人にその気が全くないとは言っていない。

 

 助けを求めて左を見れば、虚ろな目のまま膝を抱えてブツブツと呟いている調と切歌の姿があった。魔神のお仕置きが未だに効いているようだ。役に立たねえ!

 助けを求めて右を見れば、先程まで横たわっていた響と奏が次の話を聞いて目を輝かせている。呼吸は荒く、胸を抑えている辺りキュンキュンしているようだ。セレナも頬を染めて嬉しげに語っている。もっと役に立たねえ!

 

 そして、いよいよ追い詰められた未来がこの窮地を脱するべく五感をフル稼働させて、ついに救いの主見出した。

 

 

「あッ! ほら、皆! 優斗さん達が、帰って……きた……よ……?」

 

 

 タイミング良く何処からか砂浜へと帰ってきた三人の姿を見つけた。

 どうやらコンビニにでも言ってきたのか、優斗はドライスーツからアロハシャツに着替え、エルフナインは白いワンピース、マリアはグレーのパーカーで水着を隠していた。

 しかし、様子がおかしい。余りの様子のおかしさに、未来の言葉は段々と力を失い、跡切れ跡切れになってしまった。

 

 

「………………」

「ゆ、優斗さん、元気だしてください」

「そ、そうよ。あの、程度の、こと、で……ふっ、ぶふ……」

 

 

 優斗はエルフナインと手を繋いでいたが、空いている方の手で顔を覆っている。

 そんな顔を心配そうに覗き込むエルフナイン。どうやら、彼の様子に心を痛めているようだ。

 エルフナインのもう一方の手を繋いでいるマリアもまた口元を抑えていたが、優斗とは別の理由であるようだ。 

 

 異変に気付いた全員が、困惑から怪訝な雰囲気を醸し始めた。

 

 

「ど、どうしたんですか……?」

「セレナ、オレさぁ、そんな怪しい奴に見える……?」

「ふぐぅっ」

「……ふひっ、デース」

 

 

 最初に声を掛けたセレナの問い掛けに、震えた鼻声で返す優斗。ぐすぐす、と鼻を鳴らしていた。どうやら泣いているらしい

 もうこの時点で、優斗がどんな目に会ったのか想像できたのか、今の今まで死んでいた調と切歌の目に光が戻り、噴き出した。普段では見られない優斗に笑ってはいけない! と全員が身構えたのにこれである。酷い。

 

 が、むべなるかな。

 これまで彼と共に出掛けた時に、何度となく見てきた光景がそれぞれの頭の中にフラッシュバックの如く蘇る。

 未来は舌を、クリスは口唇を、翼は臍を噛んでギリギリの所を堪えている。響と奏など崩れる表情を必死で保ち、セレナも俯いて肩を震わせていた。これでは誰も調と切歌を責められまい。

 

 

「すみません、優斗さん……ボクが不甲斐ないばっかりに……くっ!」

「いいんだよ、エルフナイン。お前が不甲斐なかったわけじゃないんだ……きっとオレが、オレが悪かったんだよ」

「ぶぅっぇ、ひぇひぇっ……!」

「ひぃっ、ひひぇっ……!」

 

 

 立花 響、天羽 奏、脱落……!

 本気で悔しがり、繋いでいる手を解いて握り拳を作ったエルフナインの破壊力が抜群だったようだ。我慢のし過ぎで乙女にあるまじき、笑い方になっている。よく笑う二人には荷が重かったようだ。

 

 残る生存者は口元を抑えたり、深呼吸を繰り返していたが、それも何時まで保つことか……。

 

 

「まさか、児ポ法でしょっぴかれる寸前にまでなるなんて、ね……」

「そりゃあさあ、オレも男だからね。若い女の子の方が好きなんだなと思われて、援交を疑われるのは分かる。分かるよ? でもさぁ……」

「んっふっ、んふふふふ……!」

「はぁ、はぁ~~~~…………ぐぅふっ!!」

「無念……! ぶっはぁッ!!」

 

 

 小日向 未来、雪音 クリス、風鳴 翼、脱落……!

 真面目くさった表情で何があったのかを語るマリアがツボに入ったらしい。口元が緩んでしまっているのはポイントが高い。

 涙を流しながら笑う未来。深呼吸でも耐え切られなくなったクリス。膝から崩れ落ち、涙と共に優斗を指差しながら大口を開けて笑う翼。もうどいつもこいつも酷ぇもんである。

 

 

「参ったな。参っちまったよ。二十五にもなって心に深い傷を負うとはよぉ。まさかまさかですよ。人前で二十五にもなって泣くとはよぉ。児ポ法で勘違いされるとはよぉ……」

「よ、良かったじゃない。青少年保護育成条例よりも箔が付いたわ、よ……」

「あー、はいはい! 成程ね、そういうのもあるのか! より社会的に重い罪だから泊が付くってね! 何というポジティブシンキン! なるかぁ、そんなもん!!」

「ぶふーーーーーーーーーっ!!!」

「笑うなぁぁ―――――――!!!」

「……んぐふぅっ!」

 

 

 カデンツァヴナ姉妹、脱落……!

 マリアは軽快なテンポのノリツッコミに。セレナはマリアを見咎める迫真の表情に陥落した。

 

 最早、この場は阿鼻叫喚。

 立っているのは遺憾の意を示し続けるエルフナインと涙目の二十五歳だけである。他の皆はその場に座り込むか蹲るか、四肢を付いて笑っている。

 全員の頭の中にあるのは、警察官に冷たい表情で肩を叩かれ、ち、ちがうんですよ、と弁解する優斗の姿。その後も、違うんです! 違うんです! と必死になって繰り返したであろうことは想像に易く、腹筋に大変優しくない。

 

 

「べ、別にいいじゃないですか。響と私と一緒に遊びに行った時だって、手錠かけられてたし……」

「援交とロリコンじゃあ重さが違うだろうがよぉ! どっちもアウトだけどロリコンの方がよりアウトだろうがぁ! なに? 何なの? オレそんなにロリコンに見えるのぉ!?」

「性犯罪って意味じゃ、どっちも、同、じ、だろうが……」

「オレ、性犯罪者に見えるってことじゃん! ことじゃん! 第一印象で性犯罪者と断定されるとかもうオレ家の外出れねーよ!! 整形しろってかぁ!?」

「い、いえ、飯塚さんは別にそういう顔してるわけじゃなくて、単にタイミングが悪いだけで……」

「エルフナインと話してただけでぇ!?」

「…………しょぼーん」

「ほら、エルフナインが傷ついちゃってるじゃん! でもゴメンなぁ! オレとお前、親戚に見えねえもん! 仕方ないよね!」

「もう、もう喋るな。これ以上、アタシらの腹筋を痛めつけるのホントやめ……」

「お巡りさんもよぉ、普通もうちょっと観察するとか色々あるじゃん! ねぇ?! なんで!? なんでなのッ!! フフッ、もうなんか笑けてきたわ」

『あははははははははははははははははははははッ!!!』

 

 

 自分がそんなやべー奴に見えるのか、と自らの容姿に泣きながら絶叫する二十五歳。

 しょぼくれてしまったエルフナインに優しさを見せる涙を流すほど傷ついた二十五歳。

 どう考えても笑っていられないであろうに、笑うしかない手段が残されていない二十五歳。

 

 ホロリと涙をながら、にこやかに微笑んだ優斗に、エルフナインと彼以外の腹筋が完全に崩壊した。

 笑っては悪いと全員が思っているが、状況から言動から面白すぎる。流石は何もしてないのに面白い方向へと状況が転がっていく男である。

 

 なお、本人と警察の名誉のために語っておくが、どちらが悪いわけでもない。

 たまたま数日前、この近隣で変質者が現れた。幸いなことに、被害者は局部を見せつけられるだけで済んだものの、被害者が小学生であったことで同年代の子を持つ保護者達と警察に火が付いていた。

 変質者の背格好と服装が優斗と似通っていたこともある。そんな男が子供を連れて歩いているのだ。これで通報しない方がどうかしているだろう。隣に容姿端麗な美女が歩いていたとしても何の効果もあるまい。

 

 最早、優斗に職質せよ、と世界が警察に語りかけているようなものだ。これは酷い。

 

 

「はー……やってらんねー…………まあ、いいや。切り替えていこう。ほら、アイス。皆で食べよ」

「飯塚さん……!」

「あたし達のために、職質に屈せず買ってきてくれたってのか……!」

「職質は完ッ全に想定外でしたけどねえ!!」

 

 

 脱力した様子でクーラーボックスの一つに腰を落とした優斗は、たまさか近くに立っていた翼へとコンビニ袋を渡す。

 どうやら、追いかけ回した五人の様子にやりすぎたと感じていたらしく、詫びのつもりも込めてコンビニへと向かったようだ。だが、結果は職質による心の傷であった。何一つ報われねえ。

 

 ツヴァイウイングが自己犠牲に満ちた行為に、ぐっと握り拳を造り、涙を貯めながら悲痛な表情を隠すように俯いた。しかし、肩が震えている。笑っているようだ。

 

 

「ほら、もうその話はやめやめ。さっさと喰おうぜ。溶けちゃうよ」

『ごちになりまーす!』

 

 

 礼の言葉を皮切りに、翼は袋を広げて皆にアイスを配っていく。

 それぞれの好みを把握していたのか、好みを掛けた勝負、などという事態に発展することはなく、各々の手に渡る。

 

 真っ先に食べ始めた切歌とクリスなど慌て過ぎたのか、キンキンと痛む頭を何度も叩いている。他の皆は、その様子を見て笑うやら誂うやら。シチュエーションが違うだけで何時も通りの光景に、優斗は静かに笑みを零した。

 

 

「優斗さん、ありがとうございます」

「別にいいよ、これくらい」

「それだけじゃなくて、色々と」

「んあ……?」

 

 

 自身の隣に座ったセレナから唐突に礼を言われ、アイスの件かと思ったが、どうやら違ったようだ。

 隣に視線を向ければ、セレナが見ていたのは皆の世話を焼くマリアと笑っている調に切歌。何を言いたいのかなど、それだけで分かろうというもの。

 

 ようやく手にした非日常ではない日常の風景。血の繋がりはないけれど、確かな家族の絆。この場にはもういないけれど、己を娘として愛してくれた仮初の母親の愛も残っていた。これ以上望むものがあるとすれば、ただ一つ――――

 

 

「……別にオレは何もしちゃいないよ。全部、お前の頑張りの結果さ。結局、一緒に探してやるなんて真似してないしなぁ」

「それでも私が諦めなかったのは、優斗さんが背中を押してくれたからですよ」

「……そっかぁ。そりゃ良かった」

 

 

 己の全ての気持ちを吐露するように、はにかんだ微笑みを向けるセレナを見て、思わず泣きそうになる。

 

 とんでもない。礼を言いたかったのは優斗の方だ。

 セレナと出会った当初は、兎に角余裕がなかった。かつての残骸を掻き集めた偽りの仮面を被り、本心を押し隠して周囲に迎合する。それがどれほどの苦痛であったか。

 それでも苦痛に耐えられたのは、間違いなくセレナを筆頭とした少女達のお陰だ。自分よりも遥かに辛い境遇の彼女達が、一歩でも半歩でも前に進もうとする姿に、彼は確かな光を見た。偽りの仮面が何時しか元の形を取り戻し、本心となったのはその光を見出した時だった。

 

 

「優斗さん……?」

「ふふ。何でもない。何でもないさ。ただ、お前等に出会えてよかったと思っただけだよ」

(お前等、かぁ……其処は私に、って言って欲しかったなぁ)

 

 

 

 

 

 チク・タク、チク・タク。

 我知らず、互いの光に目を向けた二つの優しさ。

 

 チク・タク、チク・タク。

 されど、時計は変わらずに時を刻む。溢れる怒りと呪いで優しさを嘲笑うかのように。

 

 

 

 

 




救いとは思わぬ所からやってくる。手を差し伸べたはずの者から、与えられることもあるだろう。


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出会い・マリアの場合
「ただの優しい少女と時計屋さん・壱」


 

 

 

 

 

「よーし、じゃあコンビニ行くぞー、着替えは?」

「バッチリです!」

「財布は任せておけ。日焼けと熱中症対策は?」

「日焼け止めを塗りました! 水分補給も済ませてあります!」

「おーし。しゅっぱーつ」

「し、しんこー!」

 

 

 時は遡ること一時間前。

 エルフナインと共に魔神と化した優斗は自分を追い詰めてくれた年下と状況を笑っていた年下に制裁を加え、上の頭脳は上手く説明できたと思います、とにこにこ笑顔で別荘に入っていた。

 その後、元々そのつもりだったのか、せっせと着替えを済ませ、鏡の前でバッチリポーズを取り合って身嗜みを確認。因みにエルフナインはスカートの裾を摘んで小首を傾げる可愛らしいポーズ、優斗は武富士のCMのポーズであった。前者は兎も角、後者は身嗜みの確認など出来ない。ただの馬鹿であった。でもエルフナインが笑ってくれたので本人は満足だった。馬鹿は強い。

 

 そして、今からコンビニへ向かおうとしている真っ最中。

 意気揚々とした優斗の声に、やや気恥ずかしげなエルフナインの声が続き、一歩を踏み出した二人であるが――

 

 

「貴方達ね、コンビニに行くなら一言くらい言いなさいよ」

「あ、マリアさん」

「別にコンビニ行くくらい言う必要ねえだろ」

「タイミングを考えなさい、タイミングを。心配するに決まっているでしょう」

 

 

 ――水着姿のマリアが現れ、足を止めた。

 

 確かにタイミングは悪かろう。

 折り悪く色々な意味で暴れ回った後だ。臍を曲げて帰ってしまうと心配しもしよう。本人にそのつもりは毛頭なくとも、他人がそう考えないとは限らない。言葉にせずに相手へ思いが伝わるなど、思い上がりも甚だしい。

 マリアは怒ってこそいなかったが、本来やらなければならないことをすっぽかしたことを咎め、心配していた。自身の本心を押し隠し、偽りの仮面を被ってでもやらなければならないことを推し進め、痛い目ばかりを見てきた彼女らしい心配の仕方だ。

 

 しかし、全く反省の色の見られない優斗、反省してちょっとしょんぼりしているエルフナインの顔を見ると、盛大に溜息を吐いて、ちょっと待ってなさいと別荘の中へと入っていく。

 それから数分後。若干萌え袖になるほど大きめのグレーのパーカーで水着を隠し、目元を隠すサングラスを掛けた状態で戻ってきた。

 

 

「私も付き合うわよ。どうせ、貴方のことだから、皆に何かを買うつもりでしょ? ついでに、私も奏との夜のお楽しみを買いに行くわ」

「お酒ですか。そんなに美味しいのでしょうか……?」

「エルフナインにゃまだ早すぎるな。酒なんぞ飲んでもいいことないぞ、さして上手くもない。それに太る」

「いいのよ、こういう日だもの。普段はちゃんと計算してるわ、チートデイよチートデイ。それに藤尭さんと飲みに行ったでしょう」

「オレは飲むのが好きなんじゃなくて、誰かと一緒に飲むのが好きなの。一人じゃ飲まねえよ。身内に疲れ切ったOLとか言われてた女が何か言ってるわ」

「それは言わないお約束でしょう……!?」

 

 

 流石は元世界の歌姫。今もチャリティーライブだけでファンが増え続けているだけのことはある。

 ちょっと其処まで、といった格好ではあるが、どの角度からどう見ても決まっている。些か地味に見えるが、元の素材が良すぎるのだ。

 パーカーの裾から覗く白い生脚は艶かしく、長めの袖で愛らしさを演出。更にはサングラスは素性を隠すためであろうが、ミステリアスさを醸し出している。少年達に性の目覚めを与え、青年達の視線を釘付けにし、中年の鼻の下を伸ばさせる、色気と美しさ可愛らしさを備えた出来る女といった雰囲気。

 

 だが、優斗の投下した爆弾によって、被っていた仮面は一瞬で崩壊して地金が露出してしまう。

 ぐぬぬと睨みつけてくるマリアであったが、優斗は気にした様子もなくエルフナインの手を引いて歩き始めた。

 彼のマリアと奏との接し方は他の少女達に比べてずっと気安い。恐らくは年齢が近いからだろう。年長として肩肘を張った様子がまるでなかった。

 

 

「近くのコンビニまで結構掛かるぞ。酒くらい、オレが買ってくるけど」

「貴方とエルフナインだけで行動したら、職質されかねないでしょうに……」

「いや、ないない。ないだろ。ないだろうよ。ないよな? ないよね?」

「それをボクに聞かれましても……」

「どんどん自信なくしてるじゃないの……」

 

 

 置いていかれたマリアは慌てて追いつてきた。

 見た目は好青年そのものにも関わらず、装者達と共に居ると高確率で職質される優斗を心配していたらしい。

 

 初めは彼女の言動を鼻で笑っていたが、過去の記憶がどんどんと蘇り、次第に声色が落ち込んでいく。

 冷静に考えれば、どう考えても異色の組み合わせである。金髪の幼い少女に、筋骨隆々の青年。どう見た所で親戚にも見えず、どのような繋がりがあるのか全く想定できない人間の方が多い筈だ。見廻りの警官にでも見つかれば、防犯の観点から職質へと踏み切る可能性が高い。

 それでも女性のマリアが加われば、多少ではあるものの話は変わってくる。男と女の子だけでは邪推されかねないが、男と女の子と女であれば、他者からの印象も多少はマシにまるだろう。

 

 だがこの時、彼等はまだ知らない。マリアの気遣いは無残に踏み躙られ、徐々に青くなっていっている優斗の不安が的中する事を……。

 

 そんなことも露知らず、別荘の門を抜け、海沿いの側道を歩いていく。

 車道と歩道がガードレール隔てられた道の遥か先には大きく緩いカーブが見え、沿岸の形にうねっているのが伺える。更に、その先には夏特有の巨大な積乱雲が青い空を漂っていた。

 アスファルトから立ち上る蜃気楼も相俟って、正に夏の様相である。海外育ちのマリア、ガラスのカプセル育ちのエルフナインには日本特有の高温多湿の環境は少々辛いものを感じていたが、今日はまだ湿度が低く潮風も心地が良い。

 

 車道側には万が一に備えて優斗が立ち、エルフナインを挟んで反対側にはマリア、と三人で並んで目的のコンビニへと向かっていく。

 距離は少々あったが、さして意義もなく意味もない、ただ楽しいだけの会話を続けていればあっという間の道中であろう。

 

 

「しかし、その格好はどうかと思うわ。無防備過ぎるだろ」

「そう? 海に来たならこのくらいは普通よ普通。それとも何かしら、見惚れてしまって?」

「いや、全然。単にお前のこと心配してるだけ。襲われても文句言えねえぞ」

(これは喜ぶべきかしら? それとも落ち込むべき? ………………いえ、喜んでおきましょう。心配されているのだし、問題あるわけでもなし)

 

 

 優斗は横目で呆れと咎めの混じった視線をチラリと飛ばした。

 彼女ほどの優れた容姿であれば、地味な服装でも十分すぎる煽情さを醸す。男の劣情を煽って襲われでもしたら、折角の休日も台無しであろう。

 

 男として催すものがある、とも取れる発言に、マリアは気を良くして意地悪気な笑みを浮かべて冗談とも本気とも取れない言葉で返したが、一秒未満の速さで返ってきた返答に思わず悩んだ。

 女としての魅力は感じていないと断言されているようなものだが、身を案じられているのは事実。此処で男性経験のある女性であれば、そういう対象ではないんだと肩を落とすところだったが、年齢=彼氏いない歴の彼女は取り敢えず喜んでおいた。

 周りからはオカン扱いされてはいるが、中身は何のかんので恋に恋するような乙女である。凛々しさもあるが、それ以上に愛らしい性格であった。

 

 

「まあ、そこいらの変質者程度にいいようにされるほど、やわじゃないわよ」

「いえ、マリアさん、それは甘いと思います」

「あら、心配してくれるのね?」

「当然です。それに、そういう状況に陥った時、女性は恐怖から動けなくなってしまうと聞いたことがあります」

 

 

 マリアの言葉に嘘偽りはないだろう。

 かつては世界を相手取り、今は錬金術師の作り上げたアルカノイズや聖遺物などの超常災害を相手に戦っているマリアが、人間の犯罪者程度に遅れを取ることなどあるまい。

 F.I.Sでは幼少時から戦闘訓練を積み重ね、今はS.O.N.Gにて弦十郎や緒川から直接訓練を受けている。はっきり言えば、彼女に勝てる人類の方が圧倒的に少ない。

 適合係数という点では生まれながらに適合者であった翼、クリス、セレナには、Linkerと呼ばれる特殊な薬を使わなければシンフォギアを纏うに危険の伴うマリアでは敵わない。

 爆発力という点においては、融合症例と呼ばれる特殊な状態から土壇場で必要な適合係数をもぎ取り、数多の危機において決め手となった響には敵わない。

 コンビネーションという点においては、ユニゾンという互いに互いを高め合える切歌と調には敵わない。

 

 それでも、彼女と奏はS.O.N.Gからも装者からも絶大な信頼を得ている。

 切り分けられた数々の能力が数値で劣っていようとも、戦闘訓練と経験値までも含めた総合値や戦力としての安定値で言えば、文字通りのツートップ。

 単身かつ如何なる危機的な状況下においても活路を見出し、生還を果たせる、と弦十郎と緒川の二名が太鼓判を押すのはこの二人だけだ。

 

 しかし、脅す訳ではないのだろうが、エルフナインは深刻な表情でそれでもなお危険だと告げた。

 今や彼女はS.O.N.Gの後方支援の一員だ。マリアの強さは十二分過ぎるほどに知っているし、認めている。決して甘く見ている訳ではない。

 それもそうだろう。アルカノイズや超常現象に対する恐怖と人間に襲われる恐怖はまた別物なのだ。例え、前者に耐えられて立ち向かえたとしても、後者に耐えられて立ち向かえるとは限らない。恐怖と一口に言っても様々が種類があるのだから。

 

 エルフナインの意見は一顧だに出来なかった。何せ、マリアもそのような状況に陥ったことはないだから。

 下衆な男の欲望に晒されたことはない、とは言わないが、それらはあくまでもライブにおける数多の視線の一つであった。

 要は、そのような状況を上手く思い描けないのだ。思い描けない以上は、咄嗟の判断が下せるとは断言できないも同然である。それでもなお大丈夫と言うほどに楽観視する性格でもなければ甘さもなかったが、マリアは笑う。それは信頼の笑みだった。

 

 

「大丈夫よ、少なくとも今はね。期待してるわよ、SPさん?」

「オレSPなんてやったことないんだけど……まあ、弾除けくらいにはなる。オレがボコボコにされてる間に、エルフナイン抱えて逃げてね???」

「情けないこと言わないでもらえる???」

「其処は、こう、オレが倒してやるって言う所なんじゃ」

「やだよ。オレ、ガタイいいから暴力振るったらオレが悪者になるし。相手が武道経験者なら別だけど。それにね、なんでボクシングとかに階級差あるか知ってる? 体重差とか体格差ってそれだけのハンデなわけ。オレが本気で殴ったりタックルしたら相手が地面に後頭部ぶつけて死にかねないし。そういう状況になったら手加減してる余裕ないだろうから、耐える選択肢しかねぇ」

「相手が凶器でも持ってたらどうするつもりよ?」

「問題ない。身体中切り刻まれて内蔵摘出されてるから刃物は慣れてる。多分いけるいける」

「「そういう問題じゃないんだよなぁ……」」

 

 

 まるでお姫様が騎士に向けるような期待を込めて向けた言葉に返ってきたのは臆病なんだか思慮深いんだか情けないんだか判断に困るものばかり。

 確かに彼ほどの肉体の持ち主であれば、武道など習っていなくても体格差だけで大抵の人間は圧倒できるだろう。特に、ルールに則った道場の試合ではなく、路上での素人同士の喧嘩など、技能そのものよりも体格と度胸がほぼ全てを占める。その点、優斗は恵まれた肉体がある故に満点に近い。

 厄介なのは体格差と身体能力そのもの。弦十郎でほどにないにせよ、この男も中々のフィジカルモンスターだ。手加減なしで人を殴ればどうなることか。その辺り、彼自身もよくよく理解している上での発言であった。

 

 だが、最後の一言は如何なものか。全身麻酔を受けての手術と、麻酔なしでの刺傷は訳が違う。そもそも手術と刃傷沙汰は別物である。どう考えても問題ないわけがない。

 捨て鉢に前向きな優斗に、二人の肩がガックリと落ちる。特に、マリアの落ち込みようなど酷いものだ。別に怪我をして欲しいわけではないが、男らしく頼もしい返事が欲しかった。守りたいけど守っても貰いたい複雑な乙女心である。

 

 

「え、えーっと、そ、そうだ! お二人は何処で知り合ったんですか? やっぱりセレナさん経由でしょうか?」

 

 

 急速に落ち込んでいくマリアの様子を察したエルフナインは、これ以上はいけないと唐突に話題を変える。何かと気の利く賢い子、それがエルフナインくんちゃんだ。

 

 急な方向転換であったが功を奏したらしく、マリアも落ち込んでいた気分はピタリと止まり、人差し指を口に当てて宙をボンヤリと眺め始めた。

 優斗は優斗で過去を想起しようと躍起になっているらしく、二人に合わせた歩調を変えずに腕を組んで唸り出した。

 

 

「あー……何という完全に偶然ね、偶然。というか、当時、私はセレナが生きてるなんて知らなかったし」

「だよなー。マリアが色々やらかしてたらしいけど、オレはヨーロッパの田舎でアンティークの時計値切っててなーんも知らんかったわ。で、その状態で日本に戻ってきたら、擦れ違ったマリアがぶっ倒れやがんの」

「わ、わわ! 凄い偶然です! ボクは運命を感じちゃいます!」

「う、運命だなんて……」

「世界敵に回した女と出会う運命って……オレの運命どうなってんの???」

「貴方、もうちょっとオブラートに包めないの???」

「優斗さんはデリカシーがないと思います」

「そんなー」

 

 

 運命と言う言葉に、思わずマリアは頬を染めた。

 それが出会ったことのない神が定めたものだったとしても、決して悪い気はしない。まして、それが好きになった相手と出会うためのものであったのなら。

 エルフナインには色恋沙汰などてんで理解できていなかったが、マリアの機嫌が良くなっていくのは理解できていたので、自らの言葉が間違いでなかったとホッとした。それもそうだろう、彼女の周囲に小さな花が飛び交っているように見えるほどなのだ。

 

 しかし、冷水を浴びせるような台詞を吐く優斗に、二人は揃って冷たい視線を向ける。返す言葉はあからさまに棒読みで、狙ってやっているのが伺えた。

 

 

「ま、冗談は兎も角……運命なんて言葉は、本当は嫌いなんだが、マリアと出会えたってんなら、悪くはないな」

「…………ぐっ!」

「マリアさん、どうかしましたか? もしかして、調子が悪いのでは……」

「い、いえ、何でもないわ。大丈夫よ」

(これって、誂われているんでしょうね。でも、イジられたりされると嬉しい自分がいる…………ハッ! 私、結構マゾっ気強い……!?)

 

 

 優斗の言葉は本心であったのだろう。

 何時もの優しげな笑みながらも、何時も以上に優しい視線に、不覚にも胸がときめいてしまい、思わずパーカーの胸元を握り締めてしまう。

 跳ねる心臓に、気温や陽射しとは別の理由で熱くなっていく頬が、恥ずかしいやらもどかしいやら。否が応にも、恋に落ちている自分を自覚せざるを得ない。

 

 先程とは別の理由で変わった様子に、エルフナインは心配そうに下から顔を覗き込んだ。

 そんな心配を他所に、思いも寄らない自身の性癖をも自覚してしまうのであった。

 

 

 

 

 

 チク・タク、チク・タク。

 秒針が逆しまに廻る。狂った時計は正確に時を刻めども、時そのものを歪めて崩す。

 

 チク・タク、チク・タク。

 互いに偽りの仮面を被った少女と青年の出会いは、運命であったのか――――

 

 

 

 

 





CMネタ


優斗「まさかのマゾ設定が明かされるとはたまげたなぁ……」
マリア「べ、べべべ、別に、そうと決まったわけじゃないでしょう! 私が勘違いしてるだけかもしれないじゃない!」
翼「いや、だが……変身シーン……」
セレナ「緊縛、されてますね……」
優斗「こんなんやってよく怪我しないよね(お色気に興味なし」
マリア「し、仕方ないのよ! 優斗が毎回毎回私のことをイジるからよ、優しくイジメるからよ! パブロフの犬状態なだけよ! それにほら、好きな相手にはイジめられたんくなるって言うでしょう!!(無自覚の自爆」
優斗「いや、それイジめたくなるだからね???(安定のスルー」



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「ただの優しい少女と時計屋さん・弐」

 

 

 

 

 

「あぁ、やっぱり日本の空気の方が馴染むなぁ……」

 

 

 時は、後にフロンティア事変と呼ばれる一連の事件の真っ只中。

 マリア・カデンツァヴナ・イヴによるQueen of music会場で行われた世界各国へ向けての宣戦布告から、各国と個人の思惑が絡まりながら全てを飲み込む大波となって世界中を巻き込む事態へと発展していた。

 

 しかし、飯塚 優斗は世界を巻き込むような大事件が置きているなど露知らず、かなり呑気していた。

 固まった身体を解すように大きく伸びをし、慣れ親しんだ街の空気を胸一杯に吸い込み、見慣れた街並みの中で大きなキャリーケースを引いて歩いている。

 

 後を継いだ店のある街に戻ってきたのはつい先程。もっと言えば、日本に戻ってきのはつい数時間前ですらあった。

 貿易商をしている先代の息子の伝手でヨーロッパの片田舎へと向かい、店に並べる時計を探す一人旅。そして、他にもいくつかの思惑もあった。

 こうして海外へ直接アンティークの時計を探しに向かったのは、何年か前に知り合ったセレナの影響であった。彼女との『家族を共に探す』という約束のための予行演習の一環でもある。

 旅自体は成功と言ってもいい。片田舎で見つけたアンティークの時計は上手く値切れ、好事家には高値で売れる。まだ取らぬ狸の皮算用であったものの、最終的な収支はプラスになるであろう。

 また別の収穫もあった。優斗は外国語などこれっぽっちも喋れなかったが、外国旅行用のガイドブック、英和辞書、ボディランゲージだけでも何とかなる実体験、これならばアメリカでも何とかなるな、という実感までも得ていた。

 

 普通の人間なら英語すら話せないのであれば海外旅行など二の足を踏むだろう。

 そもそも、本場の英語や外国語は生粋の日本人には聞き取れない、理解できない場合が殆どである。

 どうやらそれを持ち前の陽キャ具合と行動力とコミュ力で乗り切ったらしい。大変の人間は馬鹿だと呆れるか、ただただ驚くかのどちらかであろう。

 

 

「…………ん?」

 

 

 店兼自宅に戻る道中、海外旅行の疲れなど感じさせない足取りで進んでいく。

 周囲には住宅ばかりで店らしい店は無く、平日の昼前という時間故に人通りは極端に少なかった。この時間帯では、定職についていない者でも家を出てこないだろう。

 

 その時、前方から歩いてくる一人の少女が目に入った。

 覚束ない足取りでふらふらとした幽鬼のような歩み。サングラスに隠されて表情は伺いしれないものの、明らかに血色が悪い。

 目についたのはそれだけではない。髪の長さこそ違ったものの、少女の髪色はセレナと同じとさえ思える珍しいピンクブロンド。こんな偶然もあるのか、と否が応でも目についてしまう。

 

 

「…………せいだ…………わたしの……せいで……」

(うわぁ~ぉ、ヤバい人かな?)

 

 

 それが優斗の少女に対する第一印象であった。

 何の事情も知らないのであれば、ぶつぶつと独り言を呟きながら歩いている人間がいれば、誰であれそう考えもしよう。

 精神的な病でも抱えているのか、それとも危ない薬でもやっているのか。いずれにせよ、どれだけ容姿が整っていようが関わり合いになりたい人種には見えない。

 

 おかしな因縁でもつけられれば堪らないと、相手を極力刺激しないように歩道の中央から隅へと寄って、なるべく相手の視界の隅にだけ映るように移動した。

 しかし、少女は優斗の存在など気付いていないらしく、覚束ない足取りのまま擦れ違おうとする。その横顔を一瞬だけ眺め、関わり合いにならず済んだ幸運にホッと息をついたのも束の間。

 

 

「…………あ」

「うぉぉい! ってオレのバカッ!!」

 

 

 少女の両脚から力が抜け、身体が崩れ落ちた。

 

 これまで積み重ねてきた人生故になのか、優斗は条件反射的に地面へと打ち付けられようとした身体を支えてしまう。

 行動の結果として口から吐き捨てられたのは自分自身への悪罵だけ。何も考える余裕などなかったとは言え、関わり合いになるべきではないと思った人間を助けてしまったなど目も当てられない。

 

 しかし、一度助けてしまった以上はこのまま見捨てるわけにもいかない、と少女の状態を確認する。

 別に人目があるわけでもなし、見捨ててしまえばよかろうものをその選択肢が頭に浮かばない辺りが、彼の彼たる由縁だろうか。

 

 

「…………うぅ」

(意識は混濁。呼吸は浅い。脈拍は早い。が、病気じゃないし熱もない。となると、貧血持ちか精神的なもんか……?)

 

 

 医者ではなかったが知識は持ち合わせているのか、意識を失ってもなお悪夢でも見ているように苦悶の表情を浮かべる少女の状態を探る。

 力の抜けた身体を地面へ落とさぬように片膝を付いて背中を支え、手首に触れて脈を、額に手を当てて熱を測る。

 

 結果は問題なし。

 素人目ではあるが、病気らしい病気に罹患してはいない。

 なおも考えられるのは慢性的な貧血か、精神的な不調が肉体にまで現れたのか。命に別状がないと分かったものの、嬉しい事態とは言い難い。

 

 いずれにせよ、これ以上の対処は不可能だ。

 そもそも素人目の診断など当てにならず、失神直前まで行っている以上はその道のプロに任せて然るべきであった。

 

 

「仕方ない、救急車を呼ぼう―――ひぃっ!?」

「……きゅ、う……や、やめ……」

(こっわ)

 

 

 ポケットのスマートフォンを取り出して手早く119を入力しようとすると、意識が朦朧としているであろう少女に手首を掴まれる。

 万力の如き握力と鬼気迫る表情で救急車を止められ、情けない悲鳴を上げてしまう。

 けれど、少女も限界だったのだろう。それを最後に全身から力が抜け、意識を完全に手放してしまった。

 

 

「密入国者とかじゃねーだろうなぁ。帰国早々、勘弁してくれよ~」

 

 

 救急車のような公的な機関の使用を避けたがるなど、それくらいしか思いつかなかったらしい。

 仮に彼の考えが正しかったとしたら、救急車を呼んでしまうのが一番良い。後は野となれ山となれ。彼女が何者であれ、的確な治療を受けた後で適切な公的機関が裁きを下すだけ。

 

 それでも、優斗は一度は社会に見捨てられた。それを拾い上げたのは、社会という機構(システム)ではなく、一人の人間の持ったちっぽけな良心だった。

 根本的に社会に対する信頼というものが欠けており、無慈悲な機構では救えぬものが存在していることを知っている。それを救うのが他ならぬ人の心であると疑ってはいない。

 だから、それがどれだけ社会的に違法かつ多くの者に迷惑を掛けかねない行為だとしても、救急車を呼ばぬことを決めたのであった。

 

 尤も、彼女は密入国者などではない。それはあくまで彼の推測に過ぎない。

 少女は少し前まではアメリカに突如として現れた超新星にして、今や世界を相手取って武装蜂起した犯罪者。

 そして、自らの知り合いであるセレナ・カデンツァヴナ・イヴの姉であるマリア・カデンツァヴナ・イヴであるなどと、今の彼には知る由もないのであった。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

「…………うっ」

 

 

 マリアは突如として覚醒した。

 とは言え、寝起きのそれとは明らかに異なり、知覚の半分が眠ったようにぼんやりとしていて思考すらままならない。

 その半睡の状態で、なおも必死で思考を組み上げていく。彼女にあったのは危機感と強迫観念だった。

 

 世界へ向けて放たれた宣戦布告の真の目的は、星の救済。

 

 今より三ヶ月前。胸の恋心を言葉にすべく、施されたバラルの呪詛を解呪するために月を撃ち落とさんとした亡霊フィーネによって引き起こされたルナ・アタック。

 全ては響、奏、翼、クリスの四名の装者と多くの者の尽力により、失敗に終わったが、亡霊の残した爪痕は今もなおこの星を苛んでいる。

 

 米国のとある機関が算出によれば、ルナ・アタック――――フィーネの持てる技術の粋を集めたカ・ディンギルによる荷電粒子砲により月の公転軌道が変化。そう遠くない将来、月は地球の重力に引かれ、落下するという結果が出ている。

 

 この事実を米国政府は公にはせず、まず自らの安全を最優先とした。

 月の落下などという極大災厄を前にして人の力は余りにも無力。公にしたところで不要な混乱を招くだけ。ならば、混乱が引き起こされるよりも早く、生き残る術を見つけ出した方が得策と考えるのは当然の帰結であった。

 

 それに異を唱え、別の道を模索したのが彼女達、F.I.S。

 地球各地に残る聖遺物の力を使い、無辜の民を可能な限り救済する。そのための宣戦布告であり、その裏で行われた計画の要たる聖遺物“ネフィリム”の起動実験。

 

 けれど、F.I.Sの狙いは徐々に道を外れ始めていた。

 米国政府からの追手。英雄願望を持つ男、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスの思惑と邪魔立て。崇高なはずの理想は、空回るばかりで混沌ばかりを齎した。

 

 悪を背負い、正義を貫く。

 当初はその思いを胸に立っていたマリアであったが、今や心が折れかけている。

 米国から放たれた特殊部隊に居所を探り当てられ、対処に出たウェルによる民間人の口封じ。元々、心優しいだけの少女にその現実は余りにも重すぎたのだ。

 

 何とか自分を追い詰め、奮い立たせようとはしたものの、結果はこの有り様。

 仲間達には気分を整えてくると潜伏先を出て、人気の少ない場所を歩き回っていたはいいが、最後には――――

 

 

「…………ッ!」

 

 

 其処まで思い出し、マリアは身体を跳ね上げる。

 意識を失う直前、確かに誰かに助けられた。助けられてしまった。全世界に中継されている中で宣戦布告をしたテロリストが、だ。

 どう考えたところで、待っているのは公的機関への通報でしかない。どれだけ眠っていたかは分からないが、もう拘束されていてもおかしくはない。

 

 白く染まっていた視界が開け、正しい現実が見えてくる。

 

 しかし、見えてきたのは想像していた現実とは全く異なる長閑な風景。

 人の気配はなく、あるのは芝生の敷き詰められた開けた敷地に、人工的に作られた丘。遠くには高層ビルが見える。何処にでもある町中の公園であった。

 自分の身体を見れば、何一つ拘束などされておらず、毛布代わりに薄手のコートが掛けられて公園の四阿(あずまや)にあるベンチの一つに寝かされていた。

 

 

「此処は……?」

「あれ? もう目醒めた? ていうか、日本語通じるよな?」

「貴方は……!」

 

 

 自身の置かれた状況を全く理解できないマリアは、知らずしらずの内に呆然と呟いていた。

 その時、四阿の外から掛けられた声に、キッと敵意を秘めた表情を向ける。

 

 その先に立っていたのは、意識を失う直前に見た男だった。

 ギリギリ記憶に残っている表情はもっと焦りを見せていたが、今は朴訥とした笑みを浮かべており、羽織っていたはずのトレンチコートを脱いでいる。どうやら、彼女に掛けられていたコートは彼のもののようだ。

 

 

「貴方、目的は何……?」

「いや、目的も何もないけど。咄嗟に手を出しちゃったから助けただけだよ?」

「私を、知らないの……?」

「知ってるも何も初対面なんですけど……え? それともなに? 有名人なの???」

 

 

 呆然の次には唖然とする他なかった。

 アレだけ派手にぶち上げたと言うのに、この男は本当に何も知らないらしい。

 困惑しているばかりで、演技らしい様子も全く見受けられない。警戒心ばかりが高まっていたマリアにしてみれば、肩透かしもいいところだ。

 ルナ・アタックという惨劇の中心にはなったものの、何処の国と戦争をしている訳ではない平和な国とは聞いていたが、まさか此処までとは……。

 

 見ず知らずの人間を助けるのは結構だが、それが危険な相手だとは思わないのかと素直に思う。

 事実、マリアはテロリストに類する人種だ。目的が崇高であろうが、手段に暴力を用いている以上は彼女自身も認るところ。

 確かに、意識を失う直前、救急車を呼ぶなと言った気はするが、それを律儀に守ってなおかつ介抱までするというのだから、唖然としよう。

 

 

「助かったわ。じゃあ、これで……くっ……!」

「おいおいおい、まだ立ち上がるな。失神してたんだ。多分、疲れかなんかで頭に酸素を上手く運んでくれてない。まだ座ってなきゃ駄目だって」

「で、でも……」

「いいから。今は自分の身体のことを一番に考えろ」

「ご、ごめんなさい、……ちゃんと休んでから行くわ。貴方はもう行って……」

「冗談だろ? このまま放置して死なれでもしたら寝覚めが悪い。オレは心配で夜も眠れなくなっちまうよ」

 

 

 これ以上、この場に長居は出来ない。ただ良心に従っただけの人間まで自らの事情に巻き込みたくはない。

 そんな生来の優しさからベンチから立ち上がって去ろうとしたのだが、急な目眩に視界が黒く染まり、身体からは平衡感覚が失われる。

 

 マリアの男に身体を支えられ、そこでようやく自身の体調が芳しくない事実に気づく。何もしていないにも関わらず、動悸が激しく、全身が鉛のように重い。これでは立ち上がるなど夢のまた夢だ。

 

 一刻も早く立ち去りたかったが、男に諭されて全てを諦める。

 米国、日本は共に自分を探している。無理を押してでも離れるべきなのは分かっていたが、彼の言葉は思わず甘えてしまうほど不思議に心へと響いた。

 恐らくはマリアとは異なり、自分を偽っていないからだろう。何処までも自身の良心に従って動き、他者を慮る。崇高な理想がなくとも、有り触れた善意と人間性が其処には確かに在ったから。

 

 

「ほら、飲み物。貧血なのかよく分からんけど、鉄分多いの買ってきた。でも有名人だったのか。どれくらい? 映画とかで見たことないから歌手なの?」

「え、ええ、そんなところよ……」

「へぇ~、有名ってQueenくらい?」

「流石に、其処までじゃ……」

「じゃあBeatlesレベル?」

「それは寧ろ知名度上がってないかしら???」

 

 

 半世紀以上も前の世界中で人気を博した超有名バンドを引き合いに出され、謙遜ではなく事実としてそれを否定した。

 確かに、米国チャートで頂点に上り詰めてはいるが所詮は一度きりだ。その二つは頂点に立った回数が文字通りに桁が違う。彼等がこの世を去ってから数十年だと言うのに、未だに熱狂的な人気を博している。とてもではないが肩を並べるには至らないと思う。

 が、自身が非常に危険な立場に立たされている現実を全く理解していない男は、なーんだと呑気に返してくる様に、思わず苛立ってしまう。歌姫としての仮面も、武装組織の長としての仮面も被れなかった。

 

 本当に危険なのだ。命の危険すらあるだろう。

 日本側に保護されるならまだ良い。日本にとって彼は守るべき国民である以上、事情聴取で拘束はされてもその後は事件自体に関係性はないとして解放されるはず。

 米国側にこの現場を見られれば最悪も良い所。米国にとって自身は様々な意味で消し去りたい存在。ただ話した、ただ助けた助けられただけの関係であっても彼を消そうとしかねない。

 もっと最悪なのは、ウェルにこの場を目撃されることか。彼は既に民間人を手に掛けている。テロリストである自分達の姿を見られた以上、敵に情報を渡さないために口封じして当然と考えるだろう。

 

 ウェルは危険過ぎる。目的を遂げるために手段を選ばない。

 重要な時、重要な場面に置いて、他を顧みない逸脱した人間性は英雄と呼ぶに相応しいかもしれない。だが、不必要な犠牲を生み出している現状は、多くの人々を救いたい彼女にとってとてもではないが受け入れられるものではなかった。

 

 それでも心も身体も思うように動いてはくれない。

 日に日に重なっていく己の罪。自分自身を責め苛む他ならぬ自分自身より生み出される自責の念。それでも信頼を向けてくれる仲間。世界のためにという使命感。そして、全てに反した本音と弱音。

 全てが板挟みだ。この状況から抜け出すことなど出来ず、走り始めた以上は決して許されない。

 

 精神の不調が身体にまで現れて頭痛が酷い。

 兎にも角にも、一人で立てるようになるまで回復に専念しなければ始まらない。目の前の男もただ善意に従っているだけ。運が良いのか悪いのか、何も知らないようではある。

 

 実質的に男へ甘えてしまっている己を自嘲しながら、渡されたパックを開ける。

 一日分の鉄分を補給! と銘打たれたフルーツのミックスジュースは、見ず知らずの自身を慮って買ったのだろう。その気遣いのお陰なのか、此処数日の間、何の味も感じなかった舌は確かな甘味と酸味を感じ取った。

 

 

「……貴方は、旅行の帰り? 悪かったわね」

「旅行というか仕事と約束の半々。まー、これくらいはどうってことない。人を助けるのに理由はいらないしなぁ」

「そう…………仕事は何を?」

「時計屋。今回はアンティークの時計を探しに行ったんだ。普段は修理やってる。家電とか車とか色々」

「へぇ…………ん? 時計屋さんなのに?」

「時計屋さんなのになぁ」

 

 

 なぁんでかなぁ、と自身の境遇に疑問府を浮かべながら、自分用に買ってきた缶コーヒーを煽る男。

 テーブルを挟んだ反対のベンチへと座った彼に、動けるようになるまで離れるつもりがないと感じ取って始めた世間話の一環であったが、透けて見えてくる人柄に思わず笑ってしまう。

 今のように善意で行動した挙げ句、本来ならば自身の専門ではない物まで修理する羽目になったのだろう。

 

 彼のような人間ばかりなら、世界はこれほどまでに悲劇で満ち溢れていなかっただろうと心底から思う。

 けれど、人は残酷で、世界は無慈悲だ。今こうしている間にも、政府は不都合な事実の隠蔽に奔走し、月は徐々に地球の重力へと引かれ近づいているのだから。

 

 

「ふぅ…………そろそろ行くわ」

「そっかー。うん、顔色も良くなってるし、それなら暫くは大丈夫だろ」

「ありがとう。貴方、名前は? このお礼は必ず」

 

 

 それから数十分、互いの事情にそれほど踏み込まず、他愛のない会話を繰り返していた。

 すっかり回復したとは言えないが、気分も体調も随分と良くなっていた。元より精神的な重圧と罪悪感から現れた不調だ。精神が回復すれば、自ずと肉体も回復していく。本来ならば毒にも薬にもならないだろう会話だろうが、マリアにとっては上等な薬だったのかもしれない。

 

 それほどまでに、男の雰囲気は優しかった。

 肩肘を貼る必要はなく、自然体で語り合えた。母親代わりの存在には握った正義を信じて、仲間の前であっても自身を偽らざるを得なかった彼女には、何の関係もない男だからこそ偽らざる自分で言葉を交わせた貴重な時間であった。

 

 でも、一つだけ嘘を吐く。

 

 この先に如何なる結末が待ち受けているかは定かではないが、自身の目論見が成功するにせよ、失敗するにせよ、もう二度と会うことはあるまい。

 成功したとしても犯罪者。犯した罪は償わねばならない。後の人生は一生檻の中。

 失敗したとしたのなら待ち受けるは人類の衰退。極大災厄を止めること叶わず、多くの人命が失われる。その中には、自身や彼も含まれるはずだ。

 

 何の関係のない自身を良心に従って助けた彼に、私は大丈夫だから、と余計な心配させないためだけの優しい嘘だった。

 

 

「飯塚 優斗。この街の商店街に店があるから。そっちは……?」

「私は……マリア。ただのマリアよ。本当に助かったわ、ありがとう。じゃあ」

 

 

 フルネームを名乗らなかったのは、何となく。

 マリア・カデンツァヴナ・イヴという名は歌姫としてのもの。言わば、偽りの姿でもあった。紛うことなき本名ではあるのだが、彼女自身としてはそう認識している。

 親から引き継いだ姓ではなく、親から貰った名だけが自身を示す記号。最早、会えない両親や父祖を嫌っているのではなく、あらゆる因縁から解放された自分自身と相対してくれた彼だからこそ、ただのマリアで十分だと感じたのだ。

 

 その言葉を最後に背を向ける。戻るのは酸鼻極まる戦場(いくさば)だ。罪も悪も、何もかもを背負って前に進むだけだが……。

 

 

「おーい、マリア!」

「…………?」

「――――()()()

「…………ええ。またね」

 

 

 振り返って待ち受けていたのは、思いも寄らぬ言葉。

 彼にしてみれば当然の、何気ない再会を願った一言であったのだろう。だが、マリアの口から引き出されたのは、切なる願いだった。

 

 ベンチに座ったまま、屈託のない笑みを浮かべて手を降っている男は本当に何も知らない。

 彼女の背負った何もかもを知らず、世界が危機に晒されているなどと知らない。呑気で能天気も良い所だろう。だが、だからこそ、彼女自身が理解しようとしなかった願望を引き出した。

 

 敵わない、と思いながら踵を返す。

 決して叶わぬ願いだったとしても、それは時として人の力となるものだ。

 思いも寄らぬ出会いと運命。またという明日を疑わぬ者のために、再びマリア・カデンツァヴナ・イヴに戦場へと舞い戻っていった。

 

 

「なーんか、変な奴だったなぁ。でも、イヴにちょっと似てたな…………そういや、有名人だっけ。調べてみるか」

 

 

 マリアの背中が見えなくなるまで見届け、これでもう心配はない、と優斗はベンチに座ったままスマホを操作する。

 

 

「えーっと、マリア、歌手、ピンクブロンドっとぉ。へぇ、マリア・カデンツァヴナ・イヴねぇ…………ん? んん??」

 

 

 思いついたワードを検索エンジンに入力すると出るわ出るわ。

 その中にあった彼女の本名を見た瞬間に、優斗の顔が奇妙に歪む。そして、どっと額に汗が浮かんでいく。中には本名だけでなくテロリスト、などという物騒なワードも見えていた。

 嘘でしょ? 嘘だよね? こんなの絶対おかしいよ、と思いつつも、知り合いの少女とマリアは外見的特徴で一致する部分が余りにも多く、姓が完全に一致している。いくら頭で否定しようとも、出る結論は一つであり、やることも一つ。

 

 

「イヴのねーちゃんだこれぇ! しかも何コレ!? え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛え゛ぇ゛え゛え゛ッッ!! ウッソだろお前ェ! テロリストって何してくれてんのぉッ!?!」

 

 

 ――――この後、滅茶苦茶セレナの所へ走った。

 

 

 

 

 




CMネタ


翼「この後のマリアはとんでもなく強かったな」
マリア「まあメンタルさえ安定していればこの程度当然ね!(ドヤドヤァ」
奏「でも、すーぐにまた曇ったんだよなぁ」
マリア「ちょっと奏、持ち上げてすぐ地面に叩きつけるのやめてくれるかしら???」
切歌「マリアは、マリアは悪くないデスよ!」
調「全部ぜんぶウェル博士とかいうクソメガネが悪い」
セレナ「でも、魔人さんにメガネ叩き割られてましたね……」
優斗「流石は悪事以外は何でも出来る女。悪役としてのポジも奪われてるよ。もう正義の味方やってセレナと一緒に幸せになって??」
マリア「…………セレナと一緒には難しいかもしれないわね(ジリ」
セレナ「…………姉さんの幸せは願ってますけど、私の幸せも諦めるつもりもありませんから(ジリ」
優斗「やだこの姉妹、目が怖い!!」


未来(其処で私を幸せにしてって告白できないから一向に進展しないんだよねぇ……)
クリス(コイツだって恋愛してるわけでもねーのに、何で恋愛強者面してんだ???)


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「ただの優しい少女と時計屋さん・参」

 

 

 

 

「セレナ、何処に行くつもり……?」

「ふふ、姉さんに会って貰いたい人が居るの」

 

 

 時期はフロンティア事変が集結を迎えて数ヶ月後。

 世界を揺るがす事件が始まった秋は過ぎ去り、冬を超え、春先の空気に包まれ始めている。新たな生命が芽吹き始める陽気の中、セレナにとっては馴染みになった、マリアにとっては二度目の来訪となる街を姉妹揃って歩んでいた。

 

 未だフロンティア事変の全容は把握されたとは言い難く、世界に残された爪痕は色濃く残っている。

 そんな中、何故、事件の中心人物の一人にして、世界を揺るがす切欠となったマリアが再会を果たした妹と共に出掛けているのか。

 それは稀代の外務省事務次官・斯波田賢仁と彼女達の母親代わりであったナスターシャ教授の働きによるものが大きい。

 

 特異災害対策機動部二課の尽力により、事件の首謀者であったナスターシャ・セルゲイヴナ・トルスタヤ、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクス、マリア・カデンツァヴナ・イヴ、暁 切歌、月読 調の五名は身柄を確保・逮捕された。

 海底より浮上したフロンティアと呼ばれる先史文明期の星間航行船よりウェルとの不和によって宇宙へと射出されてしまったナスターシャの生存は絶望視されたが、セレナを連れ立って事件へと介入した“機械仕掛けの魔人”の手により、地球への生還を果たしている。

 

 その後、ナスターシャ教授は日本政府と司法取引を行い、自らの知り得る限りの全ての情報を開示。その見返りとして、家族の自由を願い出た。

 斯波田事務次官は彼女の情報を下に米国政府を牽制。不都合な事実を覆い隠そうと五名の死刑適用を推し進めていた米国に二の足を踏ませ、F.I.Sなどという組織は存在しないと言葉を引き出した。

 

 結果、存在しない組織がテロ行為など起こせる筈もないというパラドクスに陥ってしまい、五名の罪状は消滅。

 ウェルは聖遺物そのものと化した左腕を危惧した国連によって日本政府に封印を依頼。一時は国連の保護観察下に置かれた残る四名も、シンフォギアを保有する特異災害対策機動部二課を国連直轄下の超常災害対策機動部タスクフォース“S.O.N.G”と再編して首輪を付ける事を条件に、編入が認められる運びとなった。

 

 セレナも事情聴取後、S.O.N.Gが身柄を預かることとなり、こうして一つの姉妹と血ではなく絆で繋がった家族は同じ時を共有するに至った。

 彼女の持っていた魔人製ギアと入院していた病院へ振り込まれた金の動きから、死にかけていたセレナを救ったのは間違いなく魔人と桜井 了子であるとは判明したものの、二人の目的は未だに不明でしこりを残す結果となっているが、些細な問題である。

 

 

「会って貰いたい……ってまさか。認めない! 認めないわよ! セ、セレナにはまだ早いわ!」

「そ、そういうのじゃないわ。もう姉さんったら、早とちりなんだから。凄くお世話になった人なの…………今後はどうか分からないけど」

「やっぱりそうなんじゃない!」

 

 

 制限こそあるものの、F.I.S時代に比べれば遥かに自由な現在を、マリアとセレナは十分すぎるほどに堪能している。

 そして、離ればなれになっていた年月を埋めるべく、今はこうして姉妹としての時間を過ごしていた。

 

 しかし、それも其処まで。

 妹の見たこともない女の顔に、マリアの顔は蒼白になっていく。

 決して恋路の邪魔をしたい訳ではない。ただ、目に入れても痛くも痒くもない可愛い妹が、おかしな男に引っかかり、負わなくてもいい傷を心に負ってしまわないか心底から心配しているのだ。

 

 思えば、セレナは優しく、何処までも人を信じている子だった。ネフィリム暴走事件においても、自分達を実験体程度にしか見ていない者達を守るためにすら命を賭した。

 つまり、逆を言えば、騙されやすいタイプである、とも示していると取れないか。少なくとも、マリアはそう考えた。一度でも考えてしまえば、単なる妄想であっても現実と受け取ってしまうものだ。もう彼女の頭の中は、手篭めにされるセレナ、涙を流しているセレナ、男に良いように弄ばれて捨てられるセレナ、更には金蔓、やり捨て、危険な薬、という言葉しか浮かんでいない。

 

 ――私が守護らねばならぬ。

 

 すっかり早とちりしてしまったマリアは固く誓う。

 相手が全うな相手であるならばまだしも、セレナを陥れようとしている相手であるならば。命に変えても守護らねば。

 そのために、見極める。下卑た欲望を愛想の仮面で隠しているような輩であれば、何としてでも薄汚い仮面を打ち破り、セレナの目を覚まさせてやるのだ、と一大決心していた。

 なお、決心した当の本人も色恋沙汰など未経験。今まで戦闘訓練ばかりで初なネンネも同然。どう考えても、そういった輩にとっては鴨なのだが、全ては心に作られた棚に上げられていた。

 

 

「姉さんには、そういう人はいないの?」

「いないわよ。F.I.Sでは同年代の男はシンフォギアを纏えないから訓練プログラムが別だったでしょう? それ以外は年も離れてたし。ウェル博士なんて論外も論外でしょう?」

「でも、今はS.O.N.Gにいるでしょう? 気になる人とかいないの? 緒川さんとか、藤尭さんとか、素敵だと思うわ」

「セレナ、あのねぇ……」

 

 

 自分の記憶にあるセレナとは随分と違う様子に、思わず離れていた歳月の重さを感じてしまう。

 だが、それは決して悪いばかりではない。何時も何処かに憂いのあった笑顔は、一片の曇りもなく眩しいばかり。人としても、女としても遙か先に行かれてしまっている気さえする。

 今も自身の弱さを克服しようと藻掻いている己に情けなさすらも感じてしまう。しかし、其処は姉としての矜持がある。不様な姿は見せられず、精一杯の虚勢として呆れを露わにした。

 

 気になる人、と言われても困る。

 惚れた腫れたなど正直な所、分からない。そもそも、S.O.N.Gに属する者は真正の善人だとは思うが、出会ってから日が浅過ぎる。好きになる以前に、相手を知る・覚える段階なのだ。気になるも何もない。

 セレナが上げた二人にしても、確かに顔貌も性格もいいと思うのだが、私生活も趣味もよく知らず、恋人になりたいかと言われれば、違う気がする。

 

 

「――――あ」

「なに? 姉さんにもやっぱりいるの?」

「ち、違うわよ!」

 

 

 その時、ふと思い浮かんだ顔に、マリアは思わず声に出してしまった。

 自らの失策に気付いたものの、時既に遅し。純粋な喜びでキラキラと瞳を輝かせるセレナに興味を持たれてしまったようだ。

 

 相手は、年は、何処であったの、と質問攻めにあう。

 その度に、違うから、そういうのじゃないから、と否定しても全く聞く耳を持ってくれない。

 すっかり色恋沙汰に興味を持つ年になったのね、と喜べばいいのか辟易すればいいのかマリアには分からない。

 

 思い浮かんだのは、この街で出会った男だ。知っていることなど名前と職業程度でしかないが、気になると言えば気になる。

 ただ、それは愛だの恋だの小難しいものではなく、単純に顔を合わせて礼をしたいだけ。

 

 フロンティア事変の最中、何度となく心が折れた。自身にとって不利で厳しい状況そのものよりも、積み重なっていく己の罪には耐えられなかった。

 確かな目的へと向かっている筈なのに、築かれる屍山血河。正しい行いのために悪を背負ったというのに、得られるのは混迷するばかりの現実。

 彼女でなくとも心も折れよう。果たすべき目的も果たせず、徒に無関係な犠牲者ばかりが積まれていくなど。

 

 それでも、心折れたままであったとしても、目指すべき場所ではなかったにせよ、最後まで走り抜けられたのは、再会を疑わぬ者の声を確かに聞いていたからだ。

 もう膝から崩折れて、二度と立ち上がれない。そう思う度に、またなという明日を願う声に手を引かれて立ち上がれた。

 

 

(確か、時計屋だったわね。探してみるのも、悪くないわね……)

 

 

 問い続けてくるセレナをあしらいながら、ぼんやりとそんなことを考える。

 再会は難しくないだろう。時計の専門店などそう多くはない。ネットで街の名前と時計屋で検索するだけで確実にヒットする。後は虱潰しに探していけばいいだけだ。

 

 彼は驚くだろうか、嫌な顔でもするだろうか。それとも、ただ優しいだけの笑みを浮かべるだろうか。

 世界を上手く回すため、フロンティア事変を起こした犯罪者ではなく、フロンティア事変を終わらせたとされる汚れた英雄になってしまったが、彼の態度はきっと何一つ変わらないだろう。短い出会いであったが、そういう人柄はよく分かった気がする。

 

 今の今まで目まぐるしく変わっていく環境で、考えている暇さえなかったが、こうして思い出してはもう一度会いたいという気持ちがふつふつと湧いてくる。

 これは恋……ではないと思う。思うのだが、否定も出来ない。自分でもよく分からぬ気持ちに、もしこれが恋ならチョロい女だこと、と僅かばかりに自嘲する。

 しかし、同時に仕方ないとも思う。アレだけ弱りきった自分に優しさから手を差し伸ばし、その後も何気ないはずの言葉が確かな力となってくれた。私がチョロいのではなく、状況とタイミングと相手が悪いと自分で自分に言い訳をしてみる。

 

 

「姉さん、此処よ」

「………………」

「こんにちわー」

「ちょ、セレナちょっと待って! 待ちなさい!」

 

 

 気が付けば、商店街の片隅にある店へと辿り着いていた。

 施設育ちのマリアには馴染みが薄い、洋風の佇まい。看板を掲げていないが、扉の横にある窓からは見慣れたものから見たことのない一品まで取り揃えられた時計の数々。

 

 何処からどう見ても時計の専門店である。

 今し方まで考えていた男の職業を思い出し、まさかと固まるマリアであったが、セレナは気付いていない様子で軽い足取りで店内へと足を踏み入れてしまう。

 何の覚悟も心の準備も出来ていなかった彼女は一歩遅れる形で、妹の後を追う。

 

 そんな偶然、ありえる筈がない。頭で何度否定しようとも、万に一つの可能性が消えず離れない。

 

 

「…………そうか、ついに来てしまったか、この時が」

 

 

 初めて入る馴染みも何もない店だと言うのに、不思議と懐かしさのある内装。

 その中で、扉に背を向けて何らかの作業をしていた店主と思しき男が、振り返りもせずにそんな言葉を呟いていた。随分と聞き覚えのある声に、マリアは生唾をごくりと飲み込んだ。

 

 時計修理専用の工具を机に置き、振り返った男は冷や汗を大量に掻きながら、どうにかこうにか刻んだであろう引き攣った笑みを浮かべていた。

 

 

「……や、やあ、ほんと久し振りだね、はい」

「い、飯塚 優斗……!?」

「えっ!? 姉さん、優斗さんを知ってるの!? ……ってぇ!?」

(姉さんの気になってる人ってもしかして……!)

(セレナの会って貰いたい人って……!)

 

 

「「ええーーーーーーーーーーーーーーっっ!!」」

 

 

 仲睦まじい姉妹の絶叫が店内どころか商店街中に響き渡りそうな勢いであった。

 よもや、まさか。マリアにとってはセレナが。セレナにとってはマリアが。会って貰いたかった人物が。再び会いたかった人物が。全て同一人物であろうなどとは予想はしていなかった。

 唯一、二人の関係を把握できていた優斗だけが、面目次第もないといった表情で椅子から立ち上がっている。

 

 何とか言葉を発しようとしているが、姉妹の口はパクパクと動くばかりで何の音も発していない。発せない。

 余りにも出来すぎな偶然、数奇な運命を前にしては、二人の反応も無理はあるまい。互いの顔を見合わせ、同時に優斗の顔に視線を飛ばし、再び互いの顔を見合わせるの繰り返ししか出来ない。

 

 まるで時間が止まったような、地球そのものが静止してしまったような沈黙の中、時計が時を刻む音だけが正確なリズムと共に奏でられる。

 

 その中で店主である優斗は、この状況を打開すべく動き出す。

 その場で両手両膝を付いて床に頭を擦り付ける平身低頭、日本における窮極の謝罪、ジャパニーズDOGEZA。なお、彼の場合は土下座の中でも最下位に位置する安さである。常日頃からこういったことばかりしているから有り難みも薄かろう。

 

 

「すまん、すまん。オレがもうちょい早く気付いていれば、七面倒なことにはならなかったかもしれんのに。すまぬ、すまぬ」

 

 

 驚きに固まる姉妹と情けない姿を晒す男という珍妙な光景が展開される店内を、通行人やら商店街の住人達が何事かと覗き込んでいた。

 

 優斗は詳しい話を聞いてはいない。

 ただ、マリアと出会った後で、セレナと直接顔を合わせて対面することが出来ず、姉の存在を伝えることが出来なかったのである。

 

 セレナはセレナで病院関係者から情報を意図的に遮断されており、優斗が気付いたとほぼ時を同じくして姉が何をやっているかを知り、魔人製のギアを使ってこの街を離れてしまった。その後は、フロンティア事変の顛末の通り。現れた魔人の導きによってフロンティアへと趣き、事態の収拾に努めたのであった。

 

 まるでボタンの掛け違い。

 ほんの少しだけ優斗が気づくのが早ければ、或いはほんの少しだけセレナが気づくのが遅ければ、結果はもっと違うものとなっていたであろうし、または早期に解決していたかもしれない。運命とは、真よくできた織物であった。

 

 

 

 

 




時計屋さん痛恨のやらかし――――!


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「ただの優しい少女と時計屋さん・肆」

 

 

 

 

 

「せ、セレナ、いい加減、機嫌直してちょうだい」

「つーん」

「確かにオレが気付くの遅れちまったのも悪いけど……」

「そうじゃないです。そっちじゃなくて、優斗さんが誰にでも優しいところに怒ってます」

「優しさを責められるのは初めてだなぁ。優しさって責められるべきところでしたっけ?」

 

 

 マリアと優斗の再会、姉妹の驚愕からの土下座コンボから早数十分。鷲崎時計店の空気は非常に重苦しくなっていた。

 三人は来客用の丸テーブルに腰掛け、それぞれの前には湯気の立ち上る紅茶入りカップが置かれている。しかし、紅茶のいい香りも今のセレナには通用しない。

 

 彼女はマリアと優斗の出会いを知ると徐々に機嫌が悪くなり、今は頬を膨らませてそっぽを向いている。

 まるでヤケになってひまわりの種を頬袋に詰め込んだハムスターのようだ。紅潮している頬が自分の子供っぽさに対する恥じらいと行場のない怒りを表していた。

 自身の想い人が会えなかった姉に優しくしてくたのは嬉しく思う。きっと、自分の時と同じで捨て置くに捨て置けず、それ以上の感情は皆無だろう。だが、いくら姉とは言え、その優しさを無条件で向けるのは面白くない。彼の素敵なところと認めるが、色々と自覚してしまった今は素直に受け入れられない乙女心の発露であった。

 

 そんなセレナを宥めようとするマリアと優斗であったが、一向に成果を上げていない。

 必死さはマリアの方が圧倒的に上だ。折角、再開した最愛の妹との一時だと言うのに、つまらない喧嘩で時間を浪費したくない。今は、時間によって広がってしまった溝を少しでも埋めたいのに。

 対し、優斗は苦笑いを浮かべるばかりでいまいち焦りが見られない。セレナの怒りが本気のものではないと察しているからだろう。

 

 

「しかし……お袋さんのことは残念だったな。大丈夫か?」

「……マムは、最後まで自分に出来ることをやり遂げてくれました」

「だから、大丈夫よ。悲しいけれど、確かに残してくれたものがあるもの……」

「そうか。それは素敵だ。素敵なお袋さんだ」

 

 

 沈痛な面持ちで話題を変えた優斗の言葉に、姉妹二人の表情は落ち沈んだ。

 セレナの機嫌を考慮しての話題転換にしては些か以上に空気を読まないであったが、別段、彼が好きで言っている訳でないことは表情を見れば、嫌でも分かる。人の死を使ったのではなく、人の死を悼むべく口にしたのだ。

 

 マム――彼女達の偽りの母親、ナスターシャ・セルゲイヴナ・トルスタヤは既にこの世を去っている。

 フロンティア事変においてはウェル博士による治療がなければ生きていけないほど身体を患っていた彼女であるが、その後、治療も受けることなく事変を最小限に抑えるべく尽力した。

 弦十郎を始めとした日本政府関係者からも即時治療を受けるように打診を受けていたのだが、その全てを拒否。まるで燃え尽きる蝋燭が最後に尤も輝くように、自らの命全てを使って家族の命と自由を勝ち取ったのである。

 

 その最後は世界を混乱の渦に陥れた者の一人に似つかわしくない、最愛の子供に看取られ、声を掛けて眠るように息を引き取る、非常に穏やかなものだった。

 彼女の罪が贖われたとは言い難い。だが、一人の人間としてやれることをやり遂げた。別れの悲しみはあれども、絶望のない最後の一時は、その報酬には十分であっただろう。

 

 最愛の母の死を悼む姉妹の表情。

 だが、悲しみの中にも確かな希望と受け取った愛を見た優斗は、穏やかな表情で今は亡き母親を称賛した。それ以外の言葉が見つからないとばかりに。

 

 

「…………よし、墓参りでも行くか」

「え? でも、仕事はどうするつもり……?」

「いいよ、別に。どうとでもなる。折角だから、会えなかった時のイヴのことも伝えてやらないと。見た目よりもずっとお転婆だったってな」

「も、もう! 優斗さん、止めて下さい!」

「いいじゃんいいじゃん。何なら、他の家族も連れてくか? 車なら出すけど?」

 

 

 優斗は椅子から立ち上がり、作業用の前掛けを外しながら屈託なく笑って言った。

 確かにこの後、墓参りへと行く予定ではあったが、見ず知らずとまではいかないまでも、ほぼ無関係な人間を連れて行くつもりなど更々なかった。

 無論、来て欲しくないわけではない。セレナが世話になったというのなら、一緒に顔を出す資格はある。況してや、マリアすらも知らないセレナの6年間を伝えられるのなら尚の事。

 

 ただ、申し訳なくはある。セレナと関係があったとしても、ナスターシャとは顔も知らない間柄。優斗にしてみれば、関わる必要のない事柄である。

 だが、彼はすっかりその気になっており、二人が止める間もなく何処かへと電話を掛け始める。営業用の口調を聞けば、どうやら自分の仕事を調整しているらしい。

 

 もう此処まで来ては止めようもない。

 いずれ記憶とは風化していく。それは家族の記憶であれ例外ではない。人の生は常に前に進み続け、記憶は常に新しいもので埋まっていく。何時までも同じ場所で立ち止まってはいられない。どれだけ愛していても、死という壁で隔てられれば嫌でも大切な思い出とは色褪せていく。

 マリアにしてみても、セレナにしてみても、故人に敬意を払い、覚えていてくれる人が一人でも増えるのならば嬉しくあった。そうすれば、風化する記憶も、色褪せる思い出も、少しはその過程を引き伸ばせるのだから。

 

 

「じゃあ、私はお花を買ってくるね。調ちゃんと切歌ちゃんにも連絡しておくから」

「あ、私も行くわ」

「姉さんは此処で待ってて。優斗さんとお話したいことがあるんでしょう?」

「い、いえ、それは……」

(じゃあ、このまま私が貰っちゃっても、いいの?)

「…………!」

 

 

 スマホを片手に店の奥へと消えていく店主を横目で眺めながら、セレナも立ち上がる。

 此処は商店街の一角、探せば花屋くらいはあるだろう。優斗と知り合いだと言うのなら、既に場所を知っているかもしれない。

 

 付き添おうとしたマリアであったが、セレナに止められてしまう。

 確かに話したいことはあったが、それは何時でも出来る。別段、後回しにしてしまっても構わない。何よりも、相手はセレナの想い人。それと二人きりにはなるは気が引ける。無論、相手として相応しいと認めたわけではないが、それとこれとは話が別だ。

 

 しかし、そんなマリアの言い訳を両断するように、妹は耳元で囁くように語りかけてきた。

 顔には笑みが刻まれている。小悪魔のようでいて、同時に姉の幸せを願うような。或いは、今、生きている時そのものを全力で楽しんでいるような、そんな笑み。

 

 僅かな出会いで生まれた暖かな気持ちを、何と呼んでいいのかマリアにはまだ分からない。仮に、それがセレナの考えている通りのものだったとしても、セレナにとってはまた良きことなのだ。

 かつてはどれだけ望んで手に入らないと思っていたもの。普通に暮らし、普通に恋をし、明日がより良き明日であることを願って眠る、そんな生活。シンフォギアという望まぬ力を手にしているが、それもまた望んだものを守るためにあると言うのなら振るうに不足はない。

 何処か影のあったかつての笑顔とは、少し異なる強さを秘めた笑顔。今を全力で生きるからこそ得られる、どのような結果でも受け入れるだけの強さが其処にはあった。

 

 負けるつもり譲るつもりもないけれど、それが姉さんの気持ちだというのなら尊重するから。正々堂々、勝負をしましょう。

 そう微笑んで、セレナは店のベルを鳴らして外へと出ていった。マリアには、それを見送ることしか出来なかった。

 

 

「あれ? どっか行ったの?」

「え、ええ、花を買いにね」

「あー、そっか…………しかし、参ったな。イヴとイヴでイヴが被ってしまった」

「そりゃ、姉妹なんだから当然でしょう?」

「まあ、そうなんだけど。これからは名前で呼ばなきゃならんのか。抵抗あんだよなぁ」

「そう? そういうものかしら?」

 

 

 セレナが出ていってから暫くして、電話と出発の準備を済ませた優斗が戻ってくる。

 前掛けを外して、無地の白いTシャツ、ジーンズの上に黒いライダースジャケットを羽織っただけの姿はラフではあるが、正式な行事という訳ではない以上、これでも問題はないだろう。

 

 マリアは妹の言葉を認めた訳ではないが、妙に意識してしまって巧く目を合わせられなかった。熱くなっていく頬が赤く染まっていないか心配で仕方がない。

 だが、優斗は気付かない振りをしているのか本当に気付いていないのか。頭を掻きながら近づいて、そのままテーブルにより掛かる。行儀のいい行為ではないが、彼の店である以上、咎める気は置きなかった。

 

 どうやら彼は女性を名前で呼ぶのに拒否感があるらしく、顔は苦虫を潰したかのようだ。

 マリアにしてみれば少し意外である。元々、海外出身の彼女にしてみればファーストネームで呼ぶ風習が身近。日本人は奥ゆかしい民族とは聞いていたが、その感覚は理解しがたいものがある。

 況してや、優斗の人との距離感は、多くの人々よりもずっと近い。その癖、妙な所で二の足を踏む性質が少しだけ面白く、思わず笑いを溢してしまう。

 

 

「じゃあ、これまで通りに呼んだら? 別に構わないわよ?」

「それじゃあ二人一緒に居る時に不便だしなぁ。でもちょっとなぁ」

「そう構えなくてもいいじゃない。私の名前はもう呼んだでしょう?」

「あん時は名前しか教えてくれなかったじゃん」

 

 

 困った顔で腕を組んでいる優斗の横顔を眺めながら、ほんの少し呆れてしまう。

 彼なりに人との距離感を図っているのか、それともポリシーなのか。ますますもって理解し難い感覚だが、理解し難い故に口も挟みにくい。

 

 手持ち無沙汰となり、熱を失って微温くなった紅茶を口に付ける。余程いい茶葉なのか、冷めてしまっても香りは微塵も失われておらず、味は落ちているが不味いとは言えない。

 そうしている感も、優斗の観察を怠らない。最早、彼女自身もセレナの相手として見極めるためなのか、己の感情を見極めるためなのか、定かではなかったが、そうせずにはいられない。

 

 ただ、その前に伝えて置かなければならない事柄を思い出し、僅かな懊悩の後に、マリアは口を開いた。

 

 

「――――飯塚 優斗」

「んあ? どうした? つーか、フルネームで呼ばれるの久し振り過ぎてびっくりしたわ」

「茶化さないで――――ありがとう。私の時も、セレナのことも。色々とね」

 

 

 可能な限り簡潔に。けれど、其処に乗せる思いは万感を込めて。

 多くを重ねれば、本当に伝えたい思いがボヤけてしまう。だから、敢えて短くした。

 

 自分でも驚くほど穏やかな声。口が勝手に心を開いてしまったかのようだ。

 時限式の装者として張り詰めているのではなく、姉として凛としたままでいるのでもなく、彼の前では()()()()()()として接している自分に気が付いた。

 それを引き出せた、或いは曝け出せたのは、母親代わりであるナスターシャくらいのもの。もうそれだけで、彼が己にとって特別な立ち位置を獲得しているのは明らかだった。

 

 

「……礼は素直に受け取っておく。でも、オレが云々よりも、お前自身が手繰り寄せた結果だと思うよ」

「かもしれない。でも、貴方の言葉に何度も助けられたのは事実よ。当たり前に再会を願って、明日を疑わない心が、確かに手を引いてくれたもの」

「そういうもんかねぇ」

 

 

 今度は優しさで象られた彼の顔を真っ直ぐと見詰める。恥じることも、照れる理由もない。でなければ、胸に抱いた感謝全てが嘘になってしまいそうで。

 

 優斗は照れているのか、納得していないのか。首を振って諦めたように笑うばかり。

 これだけ真っ直ぐに感謝を向けられては、素直に受け取らぬのは逆に非礼というもの。マリアの思いを踏みじってしまうことになる。どれだけ己が微々たる助けしかしていないと感じても、認めない訳にはいかないのだ。

 

 

「ねぇ、私も名前で呼んでも構わない?」

「じゃあ、オレもこれからは……いや、これからもマリアと呼ぶからな」

「ええ、そうして。その方が、私も嬉しいわ、優斗」

「そうかいそうかい。物好きだな、マリア。これからもよろしく頼むよ」

 

 

 ほんの少しだけ勇気を出して、相手へと手を伸ばしてみる。

 差し出した手を振り払われるのを恐れずに、多くの罪と失敗からようやく学んだ、誰かを信じる勇気を胸にして手を繋ぐ強さを添えて。

 

 ほら、結果は何の事はない。目新しいものなど何もなく、胸が詰まるほど暖かな笑みが其処にある。こんなにも簡単なことだった。

 自分を探し求めて手を伸ばし続けたセレナにも、かつての境遇から誰かを助けたいと手を伸ばし続けた立花 響には、きっと笑われてしまうに違いない。

 

 けれど、その一歩は彼女にとって途方もなく大きい一歩で――――

 

 

「ええ、よろしく――――それはそれとして、セレナに手を出したら承知しないわよ。もし手を出すなら私が認めさせてからにすることね」

「オチつけてきたよ。ていうか、手を出す気とか更々ないんですが、こっちは?」

「は? セレナの何処が気に入らないというの!? 許せないわ、一から十までキチンと説明しなさいッ!!」

「お前、どうしたら納得してくれんの??? 面倒くせーねーちゃんだなー、もー!」

 

 

 

 

 





彼女の手を繋ぐ強さは、当たり前の再会と明日を疑わない心と共に――――


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少し前
「一夏の思い出・漆」


 

 

 

 

 

「成程、そういった経緯だったんですね」

「なー? 偶然だろ?」

「偶然にしては出来過ぎだと思います。天文学的確率です。どれくらいになるかなぁ?」

「70億分の1くらい?」

「いえ、総人口だけでなく、他にも色々な要素が絡むので、もっと低いですよ、多分」

「ひぇー。マジで運命だな、こりゃ」

「でも、優斗さんは運命を信じないんですね。確かに、自分で道を切り開く、みたいな感じではありませんけど」

「だって、オレが全身無職に改造されたのも運命になるんだぜ? 酷くない???」

「全身無職に改造されたことは兎も角、病気になるのが運命なら、確かに……すみません、軽率でした」

「そんなに気にしなくていいって。何でも難しく考えるのは、お前の悪い癖だぞー?」

 

 

 マリアと優斗の出会いを聞きながらのコンビニへの道中はあっという間であった。

 おかしな連中に絡まれるということもなく、安全無事に辿り着き、今は買い物も済ませて車が店内へ突っ込んでくるのを防止するためのバリカーの上に、優斗とエルフナインは揃って座っていた。

 花を摘みに行ったマリアをイートインで待っていたのだが、殊の外エアコンが効き過ぎていて、くしゃみをし始めたエルフナインを見かねて外で待つことにしたからだ。

 

 バリカーの上に座っていたエルフナインは、自身の軽率な発言を恥じ入るように俯いた。

 優斗がどのような病に苦しめられたのかは分からないが、患った人間の思うことなど一つと分かる。

 

 ――どうして自分が。

 

 大半は、その一言に集約される筈だ。

 病気とは不摂生によって生じるものもあるが、俗に大病と呼ばれるものの原因は遺伝性であったり、現代の医学では解析不可能であったりと理不尽そのものと言える。

 それを『運命だったから』の一言で他人事のように片付けられては、患った側からしてみれば業腹極まりない。優斗が運命という言葉そのものを嫌うのも頷ける。

 

 しかし、彼は気にした素振りも見せず、自分ばかりを責めるエルフナインの頭に被っていた麦わら帽子を乗せて、そのまま優しく撫で回す。

 熱中症にならないようにと気を遣うと同時に、落ち込んでしまった彼女を励ますような仕草。それだけで、エルフナインがはにかんだように笑ったのは、彼の人柄の為せる技であった。

 

 

「しっかし遅いなぁ、マリア。何やってんだか」

「駄目ですよぅ。女性は身嗜みに気を使うんですから」

「おっ、言うねぇ。エルフナインも、そういう時期が来るのかねぇ」

「むむ。やっぱり優斗さんはデリカシーがありません。ボクだって身嗜みにはちゃんと気を遣ってます。ほら、おさげだってエビフライみたいで可愛いでしょう?」

「…………ちょっ、とぉ……オレに、そのセンスは理解できないかなぁ……?」

「えー」

 

 くせっ毛を纏めたせいなのか、首の後ろでひょこひょこと跳ねる三つ編みをドヤ顔で見せつけくるエルフナイン。確かに太さから曲がり具合までエビフライに見えないことはないが、優斗は首を傾げながらに答えた。

 可愛い、という点には概ね同意するが、彼の頭の中では可愛いとエビフライはどう頑張っても繋がらない。彼女の独特過ぎる感性に、同意するか否か迷いに迷った挙げ句、結局は同意できなかった。

 

 同意を得られなかったエルフナインは、信じられないという表情を向けてくる。

 自身の感性を疑わない在り方は年相応である。幼子特有の独特さは、歳を重ねた青年には理解し難かったが、愛らしく映る。目尻を緩ませて、何かを懐かしむように微笑んだ。

 

 その優しい笑顔に、エルフナインはふとした疑問が浮び、特に深く考えることなく疑問をそのまま口にしていた。

 

 

「そう言えば、優斗さんの御家族はどうされているんですか?」

「……………………っ、あー、」

「あっ……ご、ごめんなさい。急に……」

 

 

 何処となく年下の扱いに慣れている雰囲気は予てから感じていた。

 事実、切歌や調は優斗を兄のように慕っているし、エルフナインは出会って間もないと言うのに、兄がいればこのような感じなのだろうか、と思っている。

 

 だから、今まで一度も見たことのない彼の家族に関して、触れてしまった。

 

 瞬間、優斗からありとあらゆる表情が消え去った。

 まるで人形のような――――いや、人形の方がまだ人間に近い無表情、と言った方が正しいかもしれない。

 今まで彼の顔に嫌悪など感じたことは一度もなかったエルフナインであったが、本能的に湧き上がってきた怖気に小さく悲鳴を上げそうになったほどだ。

 

 優斗もまた彼女の瞳に浮かんだ恐怖の色を見て取り、己の失敗を悟る。

 先程までの無表情は何処へやら、困り顔を浮かべて目を泳がし、次の言葉を選んでいるらしく、唸りとも取れる言葉にならない声を上げて誤魔化している。

 

 エルフナインもまた、失敗だったと慌てふためいていた。

 普段の彼に似つかわしくない表情は心臓に早鐘を打たせるほど。まるで今まで喋っていた人物がいきなり別人へと変じてしまったかのような不安感だった。

 すぐにいつもの彼に戻ってくれた安堵はあったものの、それだけの表情の変化は触れられたくない質問だと嫌でも理解させられる。不用意が過ぎた自分自身への叱責から既に泣きそうである。

 

 

「あー…………何だ。実を言うとな」

「あ、あの、無理に話して頂かなくても……」

「無理じゃないよ。それにこのまま話さないじゃ、お前が悪いみたいじゃないか」

 

 

 あくまでも気軽に。或いは、気を遣うように。

 相手の領域に踏み込んで、傷つけてしまうことを恐れているエルフナインを諭すように、いつもの優しい笑みを浮かべて語りかける。 

 

 別段、彼は傷ついてもいなければ、不快にも思っていない。

 家族の話などそれが自慢にせよ、愚痴にせよ、誰もが口にする類の話題。単に、不意を打たれただけに過ぎない。

 悪かったのはエルフナインの方ではなく、心の準備が出来ていなかった彼の方。それを認めているからこそ、固辞を押しのけて語り出した。

 

 

「全身無職に改造された後の話な?」

「は、はぁ……」

「退院の日になっても、だーれも迎えに来てくれなくてな。なんで? とか思いながら家に帰ってみたら、なんか更地になってた」

「え? えーーーーーーーーーーっ!?!?」

「そういう反応するよな。なんかオレ、家族にポイされちゃったみたいでね???」

「優斗さん言い方ァ!!」

 

 

 コンビニからお気に入りの惣菜パンが姿を消しちゃってさ、くらいの口調で、クッソ重い話を展開されてエルフナインは困惑に陥ってしまう。

 それが嘘か真かを判断する術はなかったが、少なくとも彼女の感覚ではどう考えても気軽な口調で話す内容ではない。言い方から何から軽過ぎる。奏が言っていた通り、この温度差は確かに風邪を引きそうだ。

 

 え? え? と困惑し続けるエルフナインを尻目に、優斗は自らの過去を変わらぬ口調で語る。

 

 どうやら彼は里子だったらしい。

 生まれてすぐに親に捨てられ、児童養護施設で育った後、運良く子宝に恵まれなかった里親に引き取られた。

 しかし、それから一年程で里親の間に実子が生まれてしまう。血の繋がらぬ子供よりも血の繋がった子供の方が可愛く思い、優先するのは生き物の本能である。その時点で里親にとって彼の価値は喪失した。

 その瞬間から、彼は透明人間になったのだと言う。確かにその場に存在しているにも関わらず、構って貰うこともなく、会話もなく、最低限生活の面倒を見て貰うだけ。居ても居なくてどちらでも構わない――――いや、さっさと居なくなって欲しい存在だったに違いない。

 それでも彼の性格が歪まなかったのは、持ち前のコミュ力で友人が多かったことと、引き取った責任を果たさない里親であったとしても、少なからずも感謝と受け取った愛情があったからだろう。折り合いも悪く、手を取り合うこともなく、絶対的な不干渉という前提こそあったがそれなりに生活は回っていたようだ。

 

 

「生まれた弟も可愛くてなぁ。お前みたいに素直で良い子だった。家ン中じゃ、親の目があったからあんまり話せなかったが、外だと一緒に遊んだりしたよ…………今、何してんのかねぇ」

「探したりは、しないんですか……?」

「当てがなぁ。もう10年近く前だし、当時は身体一つで放り出されて生きるのに必死だったから情報がなーんもねぇ。それに今更会ったって上手くいくとも思えないし、今の生活もあるからな」

 

 

 遠い目をして蒼く澄み渡った空に視線を飛ばす。その横顔は憎しみとは無縁で、ただ過去を懐かしんでいる。少なくとも、エルフナインの目にはそう映った。

 

 人は苦難を乗り越え、成長し、前に進む生き物だ。

 貴方が居なければ生きていけない、アレがなければ生きていけない、などと嘯いたとしても、実際にそうなってしまって自殺することはあっても自然死することはない。

 どうしようもない喪失感に襲われたとしても、胸に穴が空いたままだとしても、人は前に進む。進むしかない。報酬も見返りも求めずに、失敗も後悔も恐れずに遮二無二なって進み続ける他はない。

 

 少なくとも、彼女の周囲は皆そうだ。他者に傷つけられた過去を持つ響、他者と手を取り合うことを恐れて傷つけてしまったマリア。皆、大なり小なり失うものがあり、それでもなお俯くことなく前へ前へと一歩ずつ踏み出している。

 大切な半身であり、大切な家族であるキャロルであってもそうだった。例え、道を間違えたとしても、その歩みは前へと進むためのもの。時に立ち止まる必要は認めるが、立ち止まり続ける理由にはなりはしない。

 

 

「ま、悪いことばかりじゃなかったよ。死ななきゃ安い、生きてるだけで丸儲けってのも学べたし、先代の爺さんやお前等にも出会えたし、何とかやっていけてるからな」

「今は立派な…………立派な? …………時計屋さん? ですよね?」

「其処は時計屋って言い切ってくれない???」

 

 

 優斗の語り口と雰囲気のお陰か、エルフナインは気に病むことなく話題の転換についていけていた。

 彼自身、人の踏み込まれたくない領域を嗅ぎ分ける天性の嗅覚を持っているが、それはそれとして踏み込まれたくない領域へと踏み込んでいく必要性は認めているのだろう。一概に間違いとは言えない。人を知るには相手が何に怒るのか、何に触れられたくないのかを知るのが一番の近道だから。 

 そうして、互いに傷つけあいながら理解していけばいい。痛みも教訓もなく人は成長しないように、人間関係でも同じことと信じているから。

 

 それはそれとして、エルフナインの顔面は疑問符だらけになっていた。

 当然だろう。時計屋としての仕事は確かに熟しているのだが、それ以上に修理屋としての仕事の方が目についてしまう。何でも御座れで修理してしまうのなら、時計屋ではなく修理屋だ。尤も、修理はそれぞれの製品によって専門的な知識が必要になる場合が殆ど。何でも直してしまうのはそれはそれで異常ではある。

 

 

「何となくなぁ。何となく分かるんだよ、その物の直し方とか動いている理屈が」

「………? どういうことですか?」

「全身無職に改造される前は、単に手先が器用なだけだったんだけどな……爺さんは、創造物の本質を掴む力、とか言ってたっけ?」

 

 

 エルフナインの不思議そうな顔に、優斗は自らの秘密、そして時計屋の傍ら修理稼業も続けていられる理由を打ち明ける。

 

 彼曰く、物の外観や中身を見ただけで、創造者の理念、設計者の思想が理解できるのだという。

 それだけではない。構成された材質、制作のための技術、成長に至る経験、使用された理論、蓄積された智慧までもが何となく理解できてしまうらしい。

 彼自身、言葉では説明できないが、本質的に理解は出来ている。恐ろしいのは、それが職人の手掛けた一品物ばかりではなく、大量生産品の内の一つであっても変わらないらしい。

 

 一つの創造物にその分野のは技術体系全てが込められている。

 先代曰く、創造物が作成されるまでに込められた技術を観察し尽くし、更には創造者に共感することによって知識と経験までも理解するのだとか。

 

 

「そんなこと、出来ちゃうんですね……」

「おや、信じるのか? こんな超能力みたいな与太話」

「人にはまだまだ未知な部分がありますから。命の危機に瀕して、未知の領域が拓けることもあるかもしれません。それに、優斗さんはつまらない嘘を吐く人ではないですから」

「…………そっかー。気味悪がられると思って他の連中にも話してないから、これはオレとお前だけの秘密な?」

「ひ、秘密ですか。これは気をつけなくては……!」

「そんな気負わなくてもいいけどな」

 

 

 優斗が秘密を語ったのは、自分を信頼してくれたからと解釈した彼女は、フンスと鼻を鳴らして気合を込めた。元々生真面目な性格の上、この様子なら言い触らすことはないだろう。

 余りに気合が入り過ぎている様子は優斗にしてみれば面白かったのか、キリっとした横顔を眺めながらくつくつと笑っていた。

 

 ちょっとした秘密を打ち明けることで、両者の距離がぐっと縮まる。

 年が離れているという点さえ除けば、世界の何処でも展開されている光景――――その時までは。

 

 

「――ちょっと、いいかな?」

「え?」

「は?」

 

 

 仲睦まじく話していた二人の背後から近寄る黒い影。

 いきなり声を掛けられた二人が振り返った先で見たのは、日本では一目で相手の属する組織の分かる制服を纏った男が二人。

 

 片方はまだ若く、年齢は二十代の前半ほどの新人だろう。

 もう一方は、歳を重ねて仕事も人生の理不尽にも慣れてきた三十代後半のベテラン。

 

 薄手の青いシャツに、紺色のベスト。被った帽子と胸には特徴的なバッチが取り付けられている――――もうお分かりだろう、警察官である。

 両者ともに野獣の如き強い眼光を放っており、よくよく見れば主婦と思しき女性達が遠巻きに優斗とエルフナインを眺めながらヒソヒソと話していた。

 

 何故自分達が警察に声を掛けられているのか全く理解できていない二人は、ポカンと口を開けるばかりで危機感というものがまるでない。

 

 

「実は先日、この辺りで変質者が出たんだよ。幸い、被害者には被害はなかったが、ちょうどその子くらいの年でね。背格好が君によく似ていたという目撃情報がある。それで先程、通報があったんだ」

「あーはん? なるほどぉ……なるほど、ナルホドぉ…………………………ち、ちがうんですよ?」

 

 

 ベテランからのざっくりとした説明でも、優斗は自身の置かれた立場を瞬時に理解した。理解したものの、咄嗟に出てきたのは毎度お馴染みの台詞だけであった。

 頭の中では、その時に自分は此処にはいなかったやら、別の街で仕事してましたやら、この子は単なる知り合いですやらと様々な言葉が駆け巡っていたが、証拠がない以上は言い訳にしかならず、喉から飛び出してはくれなかった。

 

 但し、唯一飛び出た台詞もまた言い訳臭い。警察官の眼光が更に強まり、もはや優斗は泣きそうだった。

 

 

「ま、待って下さい!」

「え、エルフナイン……!」

 

 

 その時、警察官と優斗の間にエルフナインが割って入る。

 これまで受けてきた恩と信頼に応えるべくという強い思い。更にはこの場で優斗を救えるのは自分だけという使命感が彼女を突き動かしていた。

 

 両手を多く広げた彼女の背中を見て、またしても泣きそうになる優斗。

 子供だと思っていた子が立派に成長している様子を目にした親戚の叔父さんのような心境であった。

 

 

「優斗さんは、えっと……そのぉ……」

「え、エルフナイン、無理しなくていいからな……!」

 

 

 だが、エルフナインの奮闘も其処までだった。

 警察官が向けてくるのは紛うことなき正義感と弱者である君を救わなければならないという強い職業意識である。

 あくまでも使命感に突き動かされた彼女であったが、相手が納得できるであろう説明を残念ながら用意できておらず、気圧されるばかり。

 

 優斗は危惧していた。エルフナインが自分に不利な証言をするとは思えないし、疑ってもいない。

 だが、言葉というものは難しい。一つのアクセントの違いで、本来の気持ちとは全く別の受け取られ方をされてしまうもの。不用意な発言にさえ。今は注意を払わねばならない……!

 

 

「優斗さんは……優斗さんは、いい人です! (とても性格の)いい人なんです!!」

「「(恋人的な意味で)いい人ぉ!?」」

「あ゛あ゛ァア゛あ゛あ゛ア゛ア゛あ゛ぁ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛あ゛ァ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛ア゛あ゛ァ゛ァ゛あ゛あ゛ァ゛ァ゛!!!!」

 

 

 此処に、バラルの呪詛により、統一言語を奪われたが故の悲劇が生まれた。いや、喜劇か。

 

 普段は賢く語彙力もあるのだが、追い詰められて語彙力が低下してしまったエルフナイン。

 エルフナインの言い分を全く見当違いの方向に受け取ってしまう警察官達。

 そんな中、冷静でこそなかったが、瞬時に自分の立場が更なる悪化の一途を辿っている事実に気付いて膝から崩れ落ちる優斗。

 エルフナインの言葉が届いたのか、ヒソヒソからザワザワと声量の変わる主婦達。

 

 当事者ではなく傍観者でかつ全体像を把握している者にはこれ以上ない喜劇であり、優斗とエルフナインにとっては悲劇であり、警察官と主婦達には勧善懲悪の物語であった。

 

 

「ち、ちがうんです! ちがうんですよ!?」

「…………この児ポ法抵触下衆野郎が」

(そこまでいう!?)

「おい、止めろ。まだ決まりじゃないだろう――――それはともかく、駐在所で詳しい話を聞かせて貰おうか……!」

(これもうだめだ。たいほしちゃうぞモードにはいってる……)

 

 

 持ち前の正義感故にだろう。口汚く罵ってくる新人とそれを抑えるベテランの構図。

 しかし、ベテランの目もまた悪を憎む正義の炎で燃え盛っている。その瞳と増す一方の威圧感に、逃さねぇからな、絶対逃さねぇからな!! という強い意志を感じざるを得ない。

 

 論理的ではない弁解の言葉など、相手に届く筈もない。

 新人さんによる全く見当違いの罵倒は、そんな風に見えるんだオレ、と優斗の心に深い傷を負わせた。真正のロリコンでもなければ誰とて心に深い傷を負うだろう。

 

 それでもなお優斗は諦めきれず、救いの主を探し求める。

 冤罪で逮捕されるなど御免被る。況してや、本当の犯罪者が野放しになってしまうではないか。このままでは自分自身の生活とこの近隣の青少年達の健全な育成が脅かされてしまう。心根は立派で人間的なのであるが、自己救済に走らず他人に助けを求める辺り、情けなさの極みである。

 

 ――――それでも天に願いが通じたのか、救いの主が瞳に映る。

 

 すっきりした様子で、薄い化粧も髪型もバッチリ決まったマリアがコンビニのトイレから現れた。

 優斗とお話一杯できちゃった、と中学生の片思いのような気分なのか、それとも夜の酒盛りが楽しみなのか。兎も角、るんるん気分で鼻歌を歌いそうな勢いなのは間違いない。

 しかし、窓の外で展開されている光景を一度見て目を逸し、目を見開きもう一度視線を向けてバッチリ優斗と目が合った。綺麗な二度見であった。

 

 

(何やってるの貴方!?)

(たすけてください)

 

 

 この時ばかりは、相互理解を阻むバラルの呪詛も意味をなさなかったらしい。

 共に兄、姉という立場。グループの年長者という立場。或る意味でもっとも近しい二人である。後の会話では、言葉もないままに相手の言いたいことが完璧に理解できたそうだ。奇跡である。

 

 優斗の声なき声を聞き取ったマリアは、サンダルのヒールを折る勢いで店内を駆けた。

 リノリウムの床を踏み抜かんばかりの力強さ。最初の一歩は、弦十郎の震脚を彷彿とさせる。

 あっという間に店の自動ドアに辿り着き、勢い余ってマットですっ転びそうになったものの、今や一流エージェントとしてもやっている才女には何の障害にもなりはしない。ドアの開く遅さにもどかしさすら感じながら外へと飛び出して――――

 

 

「あっ、やっぱりマリア・カデンツァヴナ・イヴだ!」

「ファ、ファンです! 結婚して下さい!」

「いや、サインだろ。何言ってのお前。結婚ならオレもして欲しいし!!」

「ちょ、ちょっと貴方達、そ、そういうのは後に……」

(やくにたたねぇ……!)

 

 

 ――――ファンと思しき野球少年達に囲まれてしまう。

 

 残念ながら、奇跡が置きたとして救済に至るとは限らない。奇跡とは必ずしも良い方向で世に出るわけではなく、救済に繋がっているとも限らない。何だか悲しいね。

 

 今の今まで優斗を助けられるのは私だけだ、と意気込んでいたマリアの心はパッキリと圧し折られた。

 何せ、彼女のトラウマを直撃している。かつてフロンティア事変の折にウェルが口封じした一般人は、部活帰りと思しき野球少年であったのだ。

 心優しい彼女に、自分を慕う者を押し退けることも出来る筈はなく、トラウマも相俟っておろおろと諌めようとしているのだが、野球少年達の興奮した様子に圧倒されるばかり。

 

 もう事態は好転しないのだ、と受け入れた優斗の目は死んだ魚の如く濁っていた。

 

 

 こうして、変質者プラス児ポ法抵触の疑いをかけられた優斗はあえなく誤認逮捕される直前にまでいった。

 が、野球少年達にサイン握手ウインクを要求される中、弦十郎に助けを求めたマリアの少し遅いファインプレーにより、該当区域の警察上層部へと連絡が入り、誤解が解けて何とか収束するのであった。

 

 なお、S.O.N.G指令とその右腕、及び信頼厚いオペレーター達から発せられた言葉は如何のようなものであった。

 

 

『……また、だったなあ。オレはこういうことで権力を使ってしまうのはどうかと思うんだが、皆が世話になっているからなぁ』

『……また、でしたね。今度、怪しまれない立ち居振る舞いを伝授しましょうか?』

『……またかよ。お前、いい加減にしろよ?』 

『……また、なのね。おかしいわよね、何もおかしいことしてないのに』

『何時も助けてくれるのは有り難いけど、その反応止めてくれない???』

 

 

 

 

 





持つべきものは、権力を持った友人――――!


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