マジカル・ジョーカー (まみむ衛門)
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入学編


初投稿です

開いていただきありがとうございます


 がっしりとした体格の少年と、長い黒髪の美しい少女が、並んでソファーに座りながら仲睦まじくテレビを見ている。二人は兄妹なのだが、どうにも年頃の兄妹とは思えない距離感で、後ろから見ると恋人同士でいちゃついているようにしか見えないのはいつものことであるので放っておこう。

 

 二人が見ているものは、USNAの大統領選のニュースだ。

 

 どぎつい化粧をした金髪の男性と、初老で白髪で小太りな男性の対立した構図の映像である。

 

 大統領選挙の前哨戦ともいえる演説合戦。この二人が人気トップツーのようだが、二人の意見は真っ向から対立している。

 

 化粧をした金髪の男性は、同性婚の制度を再び復活させようという主張で人気を得ている。USNAでは寒冷化による食糧不足で起こった世界大戦で、他の国とたがわず人口が激減し、それを回復するために子供を産むことができない同性婚を禁止にする法案が強行採決された。しかしそれは反対の声が根強く、このような主張をする彼は人気を得ている。

 

 名前はヒラリ・クリキントンという。ちなみに彼自身もゲイである。

 

 一方の初老の男性の方は国境に壁を作る、とある宗教の教徒を入国禁止にする、など過激な発言を繰り返しているが、世界大戦の傷がまだ癒えていない情勢の中ではむしろ熱狂的な支持を得ている。

 

 初老の男性の名前はマクドナルド・ウノというらしい。

 

 この二人のどちらかが大統領になるのが確実な状況の中で、ニュースでは『クリキントンがなればアメリカで初のオカマ大統領、ウノがなればアメリカ最後の大統領』という向こうで流行っている小粋なジョークが紹介されていた。

 

「お兄様、いつか日本でも同性婚を通りこして兄妹でも結婚できる法律ができたらいいですね」

 

「それはないだろう、深雪」

 

 深雪は隣に座る兄――達也――にそういうが、ばっさりとその意見を切り捨てられる。

 

 達也はいつからこうなったのだろうと流れている玩具メーカーのCMをぼんやりと見ながら現実逃避した。

 

 そこでふと、隣の妹から不機嫌なオーラが発せられているのを感じ取る。深雪を見ると、彼女はテレビ画面を睨んでいた。

 

「まったく、お兄様の方が絶対に先に開発に着手したはずですのに」

 

 口を尖らせて拗ねたように言いすてる動作すら愛らしいが、達也はそれになんら心が動かされることもなく苦笑する。

 

「仕方ないよ。この手のものは先に発表したもの勝ちなんだから」

 

 最先端の技術を以ってしてCAD――魔法を使うための道具――を作成する仕事に高校生の身で携わっている彼は、それでもやや悔しさをにじませる声でそういった。

 

 

 

 

『マジカル・トイ・コーポレーションより新発売! 夢の空飛ぶCAD!』

 

 

 

 

 テレビからはそんな煽り文句の音声とともに、小さな子供が背中にランドセルの様なものを背負って空中を自在に飛び回る映像が流されていた。

 




数年かけてちまちま書いたものなので、文章の雰囲気ががらりと変わったように感じることもあるかと思います


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「ああああああああああああああああああくっそおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 悲喜こもごもの中学三年生たちが集う場所に、少年の叫び声が木霊した。

 

 大勢の少年少女が集っているため元から騒がしかったその場所でも、その少年の叫び声はひときわ目立つ。

 

 たくさんの人がいる校門の前でそんなことをしたものだから、当然周りの注目を集めてしまうが、しかし少年は構うことなく、その手に持った紙を睨みながらワナワナと震えていた。

 

『国立魔法大学付属第一高等学校入学試験結果

 

 氏名・井瀬文也 受験番号2078B

 

   合格

 

   なお、上記の生徒は一科生とする     』

 

 

 今日は国立魔法大学付属第一高校の入試結果の発表の日。

 

 入試結果はこの時代には珍しく学校に直接取りに来る形式で、その周りではその結果に喜んだり、悲しんだりしている中学生たちがいる。

 

 周りはその少年――文也の叫びをきいて試験に落ちたのだろうと予想したが、実際のところ彼は合格している。

 

 しかも合格者の中でも真ん中より上の成績の者だけが入れる一科に所属することが決まっているのだ。

 

 しかし彼はそんな状況でも悔し気な叫び声をあげたのは、その下を見たからであった。

 

 

『獲得点数

 国語        89 19位

 選択外国語(英語) 82 38位

 社会学       80 40位

 数学        90  6位

 理科学       94  2位

 魔法理論      94  3位

 魔法工学      99  2位

 筆記試験総合        2位

 魔法実技      95  2位

 総合            2位』

 

 試験の獲得点数と順位が公表されるのは珍しい制度だ。最近まではこうしたことはなかったのだが、試験の透明性を示すためにこの年から導入されている。

 

(絶対一位だと思っていたのに! くっそおおおお! ○×▽!)

 

 文也は一科生として合格するのは当然だと思っていた。試験の感触もとてもよかった。

 

 しかしこの結果には納得いっていなかった。

 

 彼は心の中でとても書き表せないような悪態をつきながら紙をめくる。

 

 左上でホチ留めされた分厚い書類の束の中身は試験結果と入学関連の書類、そして採点された解答用紙である。

 

 総合一位はとれるとは最初から思っていなかった。ここは進学校なので全科目90点以上みたいな宇宙人が何人か紛れ込んでくるのは予測できる。むしろ総合で2位だったのは彼自身思ってもいなかった結果だ。

 

 そんな文也はほかの科目に目もくれず、迷わず魔法工学の解答用紙を見る。

 

 魔法を教える学校なだけあって、魔法関連の試験は記述式で、さらに内容も難しかった。500文字以上のかなり骨が折れる論述式の問題もあり、ほとんどの受験生はこの科目が終わったあとには泣いているか意気消沈しているか机に突っ伏しているか弁当をやけ食いしているかのどれかに当てはまっていたのは、文也の記憶にも新しい。

 

 しかし、彼は魔法理論が大得意であった。模試でも魔法理論だけは毎回満点だった。

 

 しかし、今回は99点。それでも例年なら余裕の1位だろうが、どうやら今年は満点の宇宙人が紛れ込んでいたようである。自分の99点も他から見れば宇宙人だが、そんなのを冷静に考える余裕など少年にない。

 

 解答用紙は丸ばかりついていたが、最後の論述問題ではある一部分にのみ赤線が引かれ、その横には『-1』と書かれている。

 

『CADのヅョイント部分をこの素材にすれば、CADを取り出す際に引っかかって魔法を自分の足に使ってしまうなどの事故を防ぐことが出来る。』

 

 ほんの少しの気のゆるみから、簡単なカタカナが乱れてしまった。だれがどうみても『ヅ』である。

 

「はあ……」

 

 文也は肩を落とし、緩慢な動作で書類を封筒にしまってから、とぼとぼと学校を離れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合格者は他にも受け取るべき書類があることを思いだして文也がダッシュで第一高校まで戻っているころ、その校門の前では仲の良い兄妹が会話していた。

 

「さすがです、お兄様。あの筆記試験で満点をとるなんて」

 

「深雪も魔法実技が満点じゃないか。点数が無制限なら200点ぐらいかもしれないな」

 

「もう、お兄様、ほめ過ぎですわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やけにヒヤヒヤすることを新入生代表が読み上げていた入学式の翌日、その日から新入生は本格的な登校を開始する。昨日まではお客様だったが、今日からは一人の生徒だ。

 

 最寄りの駅を出て一高へ向かう道、そこで注目を集めている生徒がいた。

 

「なにあれ、リュックでけえな」

 

「ていうか荷物の割に身体ちっちゃ! リュックが動いているみたい!」

 

「小学一年生のランドセルみたいな」

 

「「あーたしかに」」

 

 そこかしこでそんな声が聞こえてくる。

 

(な れ た)

 

 心の中で強くそう唱えるも、その目には涙が滲んでいる。

 

 荷物の重さにはなれたが、その動くリュック――でなくそれを背負っている小さな少年・文也はコンプレックスである身長についてあれこれ言われるのは嫌であった。

 

 教科書・ノート・筆記用具などは今日は必要ないため、周りの生徒はみな軽い手荷物しか持っていない。

 

 しかし文也はパンパンにつまった大きなリュックサックを背負って汗を流しながら一高までの道を歩いているのだ。目立つのはどう考えても自業自得である。カタツムリがでてくるにはまだ早い季節だ。

 

 朝っぱらから悪目立ちしたものの、その大荷物を教師に預けて身軽になってしまえば、ほかの生徒とそんなに大差はない。身長こそ周りよりだいぶ小さいが、それでもとびぬけたノッポよりかは目立たない。

 

 苗字が「イ」で始まるので席は廊下側の端。どうやらア行の苗字の生徒がいるようで出席番号は二番だった。

 

 今日一日は簡単なオリエンテーションと授業選択、そして学校探検だけだ。本格的な授業は明日からである。

 

「お前も同じクラスだったか」

 

「お、駿じゃん。昨日は見かけなかったけどこのクラスだったのか」

 

「昨日はちょっと周りに目を向ける余裕なくてな」

 

 そういう文也の中学生のころからの親友である森崎俊は、少し顔が赤い。

 

「まああれはしゃあなし」

 

 文也もうなずく。

 

 このクラスには新入生代表であり絶世の美少女・司波深雪が所属している。下半身と脳みそが直結している男子高校生たちは彼女に見とれるだけで昨日一日が終わった。

 

 何人かの男子はすでにアタックしたみたいだが玉砕しているとも聞く。

 

 ちなみに文也は彼女のスピーチからどことなく危ない性格を察したのでお近づきになろうと思わない。せいぜいが夜のオカズ(意味深)にしようと思うぐらいだ。仮にアタックしても、まだ誰も知らないが、鬼い様に体か世間体のどちらかを『雲散霧消』させられるのがオチである。

 

 この後のオリエンテーションも学校探検もつつがなく終わった。

 

 駿は学校探検や昼食の際に深雪を半ば強引に誘ったり二科生を罵倒したりとトラブルを起こしていたが、文也は朝っぱらから重い荷物を持ったせいで寝ぼけ眼だったので何も覚えていない。

 

 しかし、大きなトラブルは放課後に起こった。

 

 兄やそのクラスメイトである二科生たちと帰ろうとする深雪を駿たちが無理やり引き留めようとした結果、魔法を使う騒ぎに発展したのだ。

 

 巻き込まれたくない文也は、『相変わらず駿は噛ませ犬みたいなことばっかするなあ』と幼馴染に対して至極失礼なことを考えながら黙って立ってことのなりゆきを見守っていた。

 

 その結果、達也と生徒会長の真由美によってその場は収まったものの、達也と一緒になぜか文也も真由美に引っ張られた。

 

 曰く、唯一の傍観者だから客観的な事情を聴きたい、と。

 

「くっそ、こんなことならあいつらに混じって適当な魔法使っとけばよかったかな」

 

 真由美と達也の後ろをついていきながらぶちぶちと呟く。駿の幼馴染であるらしい彼もまた小物の素質があるようだ、と達也は内心でこれまた失礼なことを考える。悪意は巡り巡ってくるものだ。

 

「こーら、そんなこと言わないの。お姉さん怒っちゃうわよ?」

 

「ふっ、お姉さんねえ……」

 

 真由美の冗談混じりの叱責に、文也は馬鹿にしたようにそう言った。

 

 真由美の身長や顔立ちは、とても最上級生とは思えないものだ。

 

「ブーメラン」

 

「ひでぶっ!」

 

 達也の呟きを聴いてしまった――聞こえるように達也は呟いた――文也はその場に謎の悲鳴を上げて崩れ落ちる。真由美が最上級生に見えないとするならば、文也は高校生にすら見えない。中学生と間違えられる程度ならばまだいいが、下手すれば小学生と勘違いされそうだ。

 

「まったく、理科・魔法工学・筆記総合で2位だった子とは思えないぐらいやんちゃね」

 

「あべしっ!」

 

 思い出したくないことを思い出して――思い出させられて――しまった文也はたまらずダウン。まさに小物のような悲鳴を上げて立ち上がりかけていたのにまた崩れ落ちる。1位を狙っていてかつそれなりに自信があった文也としては、凡ミスのせいですべての1位を逃したという事実はあまりにも悔しいことなのだ。

 

 家に帰ってから、ガハハと笑う父親に『相変わらず肝心なところで一番がとれないな!』と言われてぽっきり折れた心は時間というセロハンテープでぐるぐる巻きにして直していたのだが、また折れてしまった。

 

(……なるほど、あいつがそうなのか)

 

 真由美の話を聞いて廊下に(外履きのまま入れるタイプの学校なので不潔である)崩れ落ちてビクンビクンしている文也を見下ろしながら、達也は少し興味を示す。

 

『とあるツテ』で情報が色々入ってくる達也は、先の情報から、文也が魔法実技でも2位であることが分かった。見た目も態度も小物に見えて中々の実力者のようだ。

 

 トラブルが起きる直前、達也は文也を見てその小ささに多少の驚きを覚えた。弟のように慕ってくれる年下の従弟も年齢のわりにだいぶ小さいが、この文也という少年はさらに輪をかけて小さい。

 

(しかも、名前が『ふみや』か。この名前は呪われているのか?)

 

 その従弟の名前も『文弥(ふみや)』だ。そしてその従弟は伸びない身長にコンプレックスを抱いている。身長が小さいことやら年齢のわりにだいぶ童顔なことやら名前やら、似ている部分が多い。

 

 ただし、(『裏』仕事をしているくせに)可愛らしい童顔の従弟の文弥と違って、このチビの文也は童顔ではあるが目つきが悪く、与える印象はだいぶ違う。あちらは『可愛い弟』といったような印象だが、こちらのチビは『ワルガキ』や『クソガキ』といった印象を受ける。

 

 ちなみに理科・魔法理論・魔法工学・筆記総合で1位は、今まさしく文也に対して失礼なことを考えているこの達也である。黒髪ロングの美少女が『流石ですお兄様』と言っている幻影が浮かんでくるようだ。

 

 しかし達也はあえてそのことは言わない。どうやら文也は相当悔しがっているようなので知られてしまったら面倒なことに――

 

「ちなみにその三つで1位だったのはそこの司波達也君よ」

 

「てめえかああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 ――なりそうだから控えていたのだが、生徒会長が空気を読めない。

 

 床でビクンビクンしていた文也は白い制服にところどころ汚れをつけながらいきなり立ち上がって達也に跳びかかる。その眼は怒りに満ちた野獣のようで、口の端からは涎が出ている。

 

「………」

 

「うわらばっ!」

 

 そんな文也全力の跳びかかりを、達也は無感動な眼で、一切無駄のない動きで余裕をもって合気道のようにいなす。自分の勢いを利用されて引っ張られた文也は顔面から壁に激突。世紀末有名悲鳴シリーズをコンプリートしてそのまま崩れ落ちた。

 

「もう、喧嘩はだめよ」

 

 頬を膨らませて腰に手を当てながら怒る真由美。

 

((お前が言うな))

 

 多少口調は違うだろうが、二人の心境はこうであった。



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3

 生徒会室に一年生二人は案内される。達也に叩きのめされた(5割がた自滅)文也は気絶していたため途中まで軽々――のちに達也は、子供を抱っこするようだと振り返った――と持ち運ばれていたのだが、生徒会室につく直前ぐらいで復活した。

 

「失礼します」

 

「失礼しまーす」

 

 達也はドアの前で一歩止まって頭を下げてから入室。一方の文也は頭も下げず、適当にそう言いながらずかずかと入室した――直後に固まる。

 

「あ」

 

「あ」

 

 パソコンと格闘していた生徒会室にいた小さな少女と文也の視線が交錯する。その眼はどちらもハトが豆鉄砲を食らったようだ。

 

(((((シンパシーかな?)))))

 

 その場にいた他の5人はとんでもなく失礼なことを考えるが、それは間違っていた。

 

「ふ、ふみくん?」

 

「やっぱりあーちゃんか!」

 

 戸惑うあーちゃんと呼ばれた小さな少女に対して、真由美は戸惑いを隠せない。

 

 舞い上がった新入生がやりがちなトラブルに対処し、それを見ていた一人を連れてきてみたら、どうにも生徒会役員の一人と顔見知りであるらしい。それもお互いに、あだ名の様なもので呼び合っていた。戸惑うのも無理はないだろう。

 

「どうしたの、あーちゃん? 井瀬君と知り合い?」

 

 それでも、いち早く復帰した真由美が先んじて問いかける。

 

「え、あ、は、はい! む、昔の知り合いです!」

 

「おいおいひでえなあーちゃん、マブダチだろ?」

 

「言葉のあやだから!」

 

 横やりに言い返す少女の言葉には、半ば癖のような敬語がない。

 

「えーなになに? 運命の再会ってやつかな? お姉さん気になっちゃうなあ~?」

 

「真由美、その言い方だとお姉さんでなくおばちゃんだ」

 

「突っ込むだけ無駄かと」

 

 にやける真由美にショートカットの女性が突っ込み、それに黒髪ロングの女性が口を挟む。

 

「…………」

 

 生徒会室にいた唯一の男子は、こうなったらしばらく状況がまともに戻らないことを学んでいるので口を挟まない。この年頃の女性たちは恋愛っぽいことに関しては無敵だ。

 

「ち、ちがいますよう。そんな大それた関係じゃないです!」

 

「そうそう、昔の友達ってだけ」

 

「言うだけ無駄そうだけど言っておくが、言葉遣いぐらい注意しろ」

 

 顔を真っ赤にする小さな少女、平然と懐かしそうに笑いながら言う文也、それにあきれ顔で口を挟むショートカットの女性。

 

「え~ほんとお~? あっやし~」

 

「だから違います!」

 

 真由美が茶々を入れ、それに強く言い返す小さな少女。だが当然逆効果だ。こういった反応は、年頃の女性にとって甘いものの次ぐらいに大好物である。

 

 

 

 

 

 

 

(……帰りたい)

 

 

 

 

 

 無関係の達也の心情は、むべなるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実に5分の時間を要してようやく事態が収拾した。真由美が小さな少女をいじるのに満足したからである。

 

「さ、というわけでお話を始めましょうか」

 

 台風の目・真由美は平然と手を合わせながらそういった。彼女の紹介によって、小さな少女は中条あずさ(あーちゃん)、ショートカットの女性は渡辺摩利、黒髪ロングの女性は市原鈴音(りんちゃん)、唯一の男子は服部範蔵(はんぞーくん)というらしいことが分かった。のちの文也曰く『2人ほどあだ名がおかしい』。

 

「それにしても、あーちゃんと文也君って知り合いだったのねえ」

 

「は、はい。小学校で友達だったんです」

 

「学年は違うんだけど不思議と二人でよく遊んだよなあ」

 

 文也が最後にそういうと、あずさと文也は穏やかな笑顔で顔を見合わせる。

 

 なんか淡い雰囲気を感じ取った達也は自分に関係ない話が長引きそうだったので心底帰りたかったのだが、彼は彼で普段からドギツイピンクオーラを妹と出しているので、盛大なブーメランである。

 

「昔とほとんど変わってないからびっくりしたよあーちゃん」

 

「ね、ふみくんもほとんど変わってないね」

 

 にこにこしながらそう言い終わってから二人は顔を青くして机に突っ伏した。小学生のころからほとんど変わってないということは、ずばりそういうことだ。コンプレックスとはかくも恐ろしきものなり。

 

「で、本題なんだけど」

 

 構っていたら話が進まなそうなので、二人を無視して真由美が話を進める。

 

「生徒会推薦枠の風紀委員がまだ決まってないから、達也君か文也君のどっちがかやってくれないかしら?」

 

「「お断りします」」

 

 即断即決大否定である。

 

 真由美としては、実力が成績から保証されている文也と、魔法式を見ただけで何をしようとしたのかわかるらしい達也、二人の内どちらかはぜひとも風紀委員をやってほしかった。

 

 しかしその願いは、詳細を教える間もなく即拒否されてしまった。

 

 真由美は、明らかに礼儀をわきまえていない文也はともかく、達也のほうはもっとやんわりと断ってきそうと考えていただけに、そのすげない態度に面食らってしまった。

 

 どんな感じの流れになりそうか考えていたかというと、達也は色々理屈を並べて拒否ししようとするが、最終的に彼にとって大事な人の信頼を守るために、反論してきそうな範蔵あたりと模擬戦をして完膚なきまでに叩きのめして成り行きで風紀委員になりそう。そう考えていたのだが、残念ながらそうはならなかった。

 

 そんな達也の内心は、

 

(これ以上関わっていられない)

 

 であった。早く待たせている妹を迎えにいって、家で淹れてくれる美味しい紅茶が飲みたいのだ。

 

 しかも、どうにも納得いかないような出来事が今発生しているような気がする。具体的には、今となりにいるチビが、本来は入試成績が1位で生徒会役員に誘われたであろう愛しの妹だったような気がするからだ。

 

「り、理由を聞いてもいいかしら?」

 

「自分が二科生だからです。実力もそうですが、周りが納得するとは思えません」

 

「面倒だから。ねえもう帰っていい?」

 

 怯む真由美に二人はそれぞれの理由を述べる。達也の内心も文也の言ったことに相当近かったが。

 

「おい、先輩相手だぞ、言葉をわきまえろ!」

 

「お、おちついて範蔵君。ふみくんは昔からああだったから何度言っても無駄だから」

 

 範蔵が我慢できず口を挟んで文也をたしなめる。それをあずさが諦めたような顔で止めたのち、小さく『私があーちゃんはやめてと何度言っても聴いてくれなかったので……』と呟いた。範蔵はそのガチトーンの思い出話を聞いて納得する。もう注意するのはやめた。

 

(参ったわねえ……)

 

 真由美は頬に手を当てて思案する。二人の意志は固そうだ。

 

 達也の妹を置いてきたのは失敗だったか。えげつないブラコン・シスコンという噂は(新入生の入学二日目にして)聴いていたので、そっちから篭絡するべきだった、と後悔する。

 

 ――が、そんな真由美に援護が入った。

 

「そういえば司波、優秀な妹がいるようだな。先日、例年通り新入生代表だった司波深雪を生徒会にスカウトした。やってくれるそうだ」

 

 真由美は摩利を見る。その顔は薄い笑みを浮かべる、まるで頼りになる先輩のようだったが、付き合いが長い真由美はその奥にある悪役のような笑みを浮かべる摩利を感じ取った。

 

「そうなのよ。よく出来た妹がいて羨ましいわ。私の妹なんかどうもやんちゃでね。あんな素晴らしい娘と『これからしばらく一緒に仕事ができる』なんて嬉しいわ」

 

 その援護を真由美が活かさない手はない。

 

 摩利は風紀委員長だ。先の出来事から見て、どうやら達也は役に立ちそうだと考えている。達也を風紀委員にしたいという考えは真由美と一緒だ。

 

 摩利が出した援護は、『貴方の可愛い妹としばらく一緒に活動する生徒のトップたちの頼みを断れるのか』と言外に脅すことに役立った。

 

 達也の表情こそ動かないが、困ったような雰囲気が出始める。そこを突かれると、達也としては痛い。風紀委員はやりたくないが、それをかたくなに拒否すれば、のちのち妹の立場が悪くなってしまう可能性がある。それは何とか避けたかった。

 

 一方で、理由はわからないが達也の劣勢を感じ取った文也はその隣で内心ガッツポーズをしていた。『勝ったな』、と。

 

 そして、達也に対してさらに追い打ちがかかる。長い黒髪の怜悧な美人、鈴音が口を開く。

 

「私も司波君を推薦します。魔法の効果が出る前にその内容がわかるという能力は、風紀委員をやるうえでとても頼りになるでしょう。……それに、井瀬君の態度は模範的とは言い難く、風紀を守る立場はふさわしくないかと」

 

 達也はさらに焦り、文也は内心のガッツポーズがさらにヒートアップして拳を高々と掲げる。

 

 鈴音が話した理由は実にまっとうだ。なにせ真由美が達也を風紀委員に推薦しようとした理由は、まさしく達也の唯一無二の能力であり、風紀委員の仕事にこの上なく役に立つ。一方文也を推薦しようとした理由は、入学時の成績が優秀らしいし推薦枠にも困ってたから適当に言い訳つけて連れてきてしまおうという程度のものだ。しかし、あいにくながら文也はチビなのに特大級の地雷で、態度が滅茶苦茶悪い。鈴音はそこを問題視しているのだろう。それだけのわりにやや声に棘がありすぎる気がするのは、鈴音の苗字を聞いた時に文也が『察した理由』もあるのだが。

  

「すみませんが、僕は反対です」

 

 それに対して、口を開いたのは副会長の範蔵だ。あずさと文也のやり取りで幾分か冷静に――あんなやり取りを見せられたらアホらしくて冷静にもなるだろう――なった彼は声を荒げるようなことはしない。

 

「やはり二科生であることから考えて、それを気に入らない一科生はいるでしょう。公然と一科生(ブルーム)と二科生(ウィード)なんて言葉がまかり通ってるぐらいです。それは、風紀を取り締まるものとしての拘束力と説得力に欠けることにつながるのではないでしょうか」

 

 冷静になった範蔵はうっかり感情的に差別用語をこの場で発することはない。そしてその論は至極筋が通っている。

 

 ここの学校の入試における筆記試験は、実は成績に大きく影響しない。入試の合否とクラス分けは、魔法実技に大きく加重配点がかかっているのだ。

 

 つまり、二科生である達也と魔法実技二位の文也では、その実力に相当差があることを試験の結果が示している。

 

 生徒たちに対する説得力というのはもちろん、範蔵は激しい魔法実力主義だ。ぎりぎりで滑り込んで合格したようなものである達也に風紀委員はしてほしくない。それは差別的な意識も多分にあるが、実力がなければ風紀委員は務まらず、学校のためにも生徒のためにも本人のためにもならないという考えもある。

 

 達也が内心で落ち着き、文也は内心で範蔵を罵倒する。達也は勝ち誇った眼で文也を見た。達也は身長が高く、文也はその逆であるため、思いきり見下した形だ。

 

「司波の実力を心配しているのか」

 

「はい、彼には申し訳ないですが、そういうことです」

 

 摩利の確認に、範蔵はまったく申し訳なさそうに答える。

 

 範蔵自身、文也にも風紀委員になってほしくない。先輩に敬語は使わないし態度も悪い。とても学校の風紀を取り締まるような人柄でないのだ。

 

 しかし二科生が風紀委員になるよりはマシだし、それに上下関係が厳しく先輩――具体的には目の前にいる摩利――も怖いので、もしかしたら態度がよくなるかもしれない、と考えたから、範蔵はそう言ったのだ。

 

(やばいやばいやばいやばいやばいやばい)

 

 文也は冷や汗を滝のように流し始める。分厚い制服の下に来ているシャツがぐしょぐしょだ。このまま行くと自分がなにやらきつそうで辛そうで面倒くさそうな役職に就かされる。そんな嫌な予感が全身を駆け巡っている。

 

「つまり、司波が実力を示せばいいというわけだ」

 

 そんな文也の耳に、まるで天使のささやきのような素晴らしい言葉が聞こえてきた。その発言の主は摩利だ。

 

 摩利はやはり文也よりも達也にやってほしい。それに、どうも達也は二科生という枠におさまらない『何か』を持っている。それを達人の勘と、歩き方などの身のこなしから察したのだ。

 

「というわけだ、司波。魔法による決闘をしないか?」

 

 摩利のこの提案は普通でない。魔法進学校の中でも特に実力者とされる三巨頭の一角である彼女が、二科生の一年生である達也に決闘をしようというのだ。いじめ、先輩によるしごきと思われても文句は言えない。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 真由美がそれを制止しようとするが、摩利はそれを遮って言葉を続ける。

 

「安心しろ。決闘するのは私ではない。自分の委員会の後輩にどちらがなるか分からないが、そのどちらの実力を知れて損はないだろう」

 

 そう言って一呼吸置き、続ける。

 

「司波、井瀬、お前らで決闘しろ」

 

 

 

「はい、ではそのように申請しておきます」

 

 

 

 

 摩利の衝撃的一言に空気が止まる中、鈴音は予想していたようにそう言って、平然とキーボードを叩いている。なにやら申請しているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

((さて、どうやって負けようか))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一年生二人が考えることは同じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにそんな中、あずさは終始おろおろしているだけであった。



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4

 魔法の決闘にCADは不可欠だ。今は放課後だから達也はCADを持っているが、文也はどうやら預けっぱなしだったようで職員室に取りに行った。

 

 ちなみに文也が取りに行く前、決闘場ではそれぞれ怖い先輩二人から文也と達也は脅されている。

 

 

「君の妹とはぜひとも仲良くしていきたい。どうやら妹から君は大分信頼されているようだし、彼女が言うからには君は実力があるそうじゃないか」

 

「井瀬君、あーちゃんと幼馴染だったのね。男の子なんだからあーちゃんにかっこいいとこ見せてあげなさい!」

 

 前者は『君の妹から実力者と聞いている。ここで手加減して無様を晒そうものなら妹はこのしばらく所属する生徒会の中で嘘つき扱いのまま過ごすことになるぞ』、後者は『あーちゃん、井瀬君が二科生に負けたらどう思うかしらねえ』と翻訳することが出来る。

 

 達也は諦めてやる気を出すことにしたが、文也は往生際が悪い。『あーちゃん、俺がこういう面倒くさいのが嫌いなのわかってるよね!? 手加減してもいいよね!?』という視線をあずさに送る。

 

「ふみくん、昔から魔法がすごく上手だったんですよ! あれからどれくらい上手くなったのかなあ」

 

「そうですか、それは楽しみですね」

 

 そのあずさは隣の鈴音に頬を赤らめて楽しそうにそう言っていた。年月が隔てた二人の溝は思いのほか大きかったのである。

 

 そんなやりとりからしばらくして、文也が戻ってきた。

 

「うーす、お待たせ様ー」

 

 その手に持っているのは、手提げ袋だった。しかしその中には、なにやら多くのものがじゃらじゃら入っている。

 

「え、それなに?」

 

「見てわかんない? CADだよ」

 

 真由美の質問に、文也は手提げを掲げて見せる。真由美は即座に得意の魔法を用いてその中身を見る。

 

「……軽いものがじゃらじゃらと…………」

 

 真由美は呆れた。その中には大量の『玩具』が入っていた。

 

 色とりどりのプラスチック製の小物。それらはまさしく玩具だ。

 

「まあまあ見てろって。あ、でも今からしばらくは見ないで。見たら未来永劫ドスケベ扱いするからな」

 

 そう言って奥の着替え部屋に消えていく。

 

 摩利は真由美から耳打ちでその中身を伝えた。

 

「真由美、お前の脅しが弱かったんじゃないか?」

 

「あの子、薄情ねえ」

 

 真由美は溜息を吐く。どう考えてもあれは手加減だ。あんな子供のおもちゃで決闘しようなど。相手が二科生だからと舐めているのか、負けようとしているのかのどちらかだ。

 

 幼馴染で、しかも何やらただの幼馴染という枠に収まらない仲だと踏んでいたのだが、それは勘違いだったか。

 

 そんなことを考えていたら、ドアを乱暴に開ける音が響いた。

 

「ただいまー」

 

 そう言って文也が戻ってくる。手提げは部屋においてきたようで、その右手首には赤いブレスレット、左手首には白いブレスレットを嵌めている。

 

「「「「……」」」」

 

 摩利、真由美、範蔵、鈴音の四人はもう呆れてなにも言えなかった。子供のおもちゃで、しかも『二つ』つけているのだから。

 

「……よし、では決闘を始めよう」

 

 摩利は溜息をつきながら二人を所定の位置に誘導する。もうこの試合は決まりだ。

 

 勝つ気がない、または達也を舐め腐っている文也の負けだ。摩利は自身の勘で、そんなので勝てるほど達也は生半可でないと知っている。

 

 しかしふと、摩利は気付いた。

 

 それは達也の目だ。

 

「……」

 

 達也は真剣な目つきで文也を睨んでいた。とても今の相手に対しては似つかわしくないほどその目線は厳しい。

 

 後ろで『あ、トーラス・シルバー!』と叫んでいるあずさの声にも耳を貸していない。

 

 その目線は文也の両手首だけで『なく』、制服のポケットや服の内側、さらには太ももやふくらはぎのほうにまで向いている。

 

(そういうことか)

 

 達也は常人でない。達也の『眼』はそれを捉えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也の作戦は変わらない。すぐにサイオン波を浴びせて文也をノックダウンさせるだけだ。相手に何もさせる気はなく、一瞬で勝負の決着をつける。

 

『フラッシュ・キャスト』によって常人では不可能な速さで開始宣言と同時にサイオン波を放つ。

 

 本来ならこれで勝負あり――だが、そうならなかった。

 

「っ!」

 

 達也は自分の足元に『眼』を通して魔法の前兆を感じ取り、すぐにバックステップした。

 

「ちっ!」

 

 睨んだ先の文也は、倒れていないどころか、サイオン波が効いた様子もない。

 

 悔しそうに舌打ちをしながら、右手首の赤いブレスレットを自身の腰にたたきつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに、あれ?」

 

 横で観戦していた生徒会役員は愕然としていた。その視線は、激しく動き回る二人に固定されている。ただ一人を除いて。

 

「あれがふみくんの戦い方なんですよ」

 

 あずさだけは平然と決闘を見ていた。

 

 その言葉に真由美たちは説明を求める。

 

「ふみくん、昔から玩具が大好きだったんです」

 

 文也が付けているものは、ただの玩具ではない。玩具として開発された立派な『CAD』だ。

 

「そ、それは確かに俺も昔よく遊んだが、それがなんであんな――」

 

「発売されたものを改造してる、って、ふみくんは言ってました」

 

 文也がたくさん持っていたもの――それは玩具としての『CAD』だった。

 

 魔法がまだ軍事的価値・科学発展的価値しか持っていない中、10数年前に突如として『子供向けCAD』と銘打ったCADがある会社から世に発表された。

 

 それはCADとしては破格の値段で、代わりにそのCADで使える魔法は一種類のみ、しかも効果は弱い。しかし使うサイオンは少なく、小さな子供でも安心して魔法が使える――そんな玩具だ。

 

 最初の商品――ただ暗闇の中で辛うじてわかる程度の薄い明かりを放つ球を10秒ほどだけ浮かべることしかできないものだったが――が発売されると同時に全国で即座に売り切れた。

 

 それを手に入れた子供は、物語の中でしかありえないような現象を自分が起こしたことに歓喜し、たったこれだけの玩具に夢中になった。

 

 そこからその会社からは様々な玩具CADや便利グッズCADが発売され、そのほとんどが瞬く間に大ヒットし、いまやそれで遊んだことがない若い魔法師がいないとまで言われるほどになった。

 

「『マジカル・トイ・コーポレーション』ね」

 

 真由美はその玩具を発売し続けている会社名を呟く。

 

「はい、ふみくんはとても玩具やゲームが大好きで、CADも普通のものはあまり使わないで、そこから発売された商品を魔工師らしいお父さんに改造してもらって、それをたくさん持ち歩いているんです」

 

 二人の決闘は膠着していた。文也はポケットや制服――改造して隠れポケットが増やしているようだ――の中からCADを、はては豆粒サイズのCADを髪の毛の中から取り出して様々な魔法を達也に浴びせている。

 

 その達也もついに両手にCADを持ち、その片方から『術式解体(グラム・デモリッション)』を放ってそれを無効化しつつ、もう片方のCADでサイオン波を文也に浴びせている。文也はそのサイオン波を、左手首の白いブレスレットを起動させて防ぐ。

 

 この白いブレスレットは、『マジカル・トイ・コーポレーション』が発売した子供向け防犯用CADだ。

 自分の周りに弱い衝撃――基準は一般成人男性のパンチ――なら防ぐ透明な『対物障壁』を展開することが出来る特化型CADだ。しかしこれはあくまで物理的衝撃しか防ぐことができない。

 

 しかし、文也のは改造を施し、魔法的干渉にも効力を発揮するようになっていた。文也の周りに展開されたサイオンを圧縮した壁が、達也の放つサイオン波をしっかりと防いでいる。

 

 達也が踏み出す直前、文也が赤いブレスレットに触れる。

 

 それに対し、達也は即座に自分の踏み出す先の『足元』に『術式解体』を放って魔法を無効化する。

 

 この赤いブレスレットは悪戯グッズだ。

 

 一見達也の足元に変化はないが、達也の『眼』は感じ取っている。

 

 このブレスレットは、相手の足を滑らせる魔法が使えるCAD。安全のために対象年齢は十二歳以上であり、かつ高度なカメラがついていて、相手の周りに何か危ないものがあった場合は自動で発動を停止する。それに転ぶわけでなく、ほんの少しバランスを崩す程度にしかならない。

 

(……厄介だな)

 

 しかしこれは違う。脚が滑る仮想領域の展開時間が発売されているものよりも格段に大きいだろうことを達也は『魔法式』から感じ取った。これに嵌められたら、どんなにバランスをとっても、達也ですら派手に転ぶだろう。

 

 そうなれば達也のキャラ崩壊――でなく敗北は確定的だ。

 

 しかし、文也が使っているのは高度な改造が施されているとしても所詮玩具だ。

 

 それがなぜ達也を追い詰めているのか。

 

「『パラレル・キャスト』の精度がすさまじいな……」

 

 その答えを、決闘を横で見ていた摩利が呟いた。

 

 CADによる魔法は、本来一人で複数扱えない。CAD同士の魔法式が干渉しあって互いに式を乱してしまうからだ。

 

 しかしそれを行える者もいる。例えば今戦っている達也も高度な『パラレル・キャスト』の使い手だ。二つのCADを巧みに用いて戦っている。

 

 そんな性質が魔法にはあるにも関わらず、文也は今、実に『二十五』ものCADを同時に使用していた。

 

 汎用型どころか、特化型の同一系統のみにもみたない、『一つ』しか魔法を使えないCADとはいえ、それでもやはりCADだ。同時に使おうものなら魔法は普通使えない。

 

「ふみくん、すごくなってるなあ。昔は10個までだったのに」

 

 あずさが動き回る文也を目で追いながら嬉しそうにつぶやく。尋常でない『パラレル・キャスト』同士の戦いが行われているにも関わらず、その感動は薄い。

 

 むしろ、あずさから見れば、『あの』文也と互角に戦う、見たことないトーラス・シルバーモデルCADを用いた達也のほうが驚きの対象だ。

 

「……」

 

「……」

 

 今この瞬間、生徒会メンバーの突っ込み枠からあずさの名前が消えたことを鈴音と範蔵は感じ取った。どうやらあずさも『まともじゃない』部類のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いに動きがあったのは、そのほんの数分後だった。

 

「っ! っ……!」

 

 文也の動きが鈍くなってきている。その表情は険しく、顔面には珠のような汗がいくつも浮かんでいた。

 

 対する達也は表情に変化はなく、動きも一切衰えていない。むしろ魔法の精度と動きに精彩を欠く文也を追い詰め始めていた。

 

 そんな中、文也の体が一瞬バランスを崩す。激しい動きを続けて、ついに集中が切れたのだ。

 

 これを好機とみた達也はそのまま急接近し、『術式解体』を放って『予め』展開されるであろう障壁魔法の式を打ち砕こうとし、それにほんの少し遅れてサイオン波を出す。

 

「舐めるな!」

 

 文也はそう叫びながら左手の白いブレスレットで自身の『右肩』を叩いた。

 

 瞬間、障壁の魔法式が『二つ』展開された。

 

 一つは『術式解体』で解体され、一つはサイオン波を受けてその効力を終える。

 

 文也は今まで隠していた二つ目の障壁CADで達也のラッシュを防ぎ切った――わけではなかった。

 

 達也の『眼』は、戦いが始まる前から、右肩のCADもとらえていた。知られた秘策は、ただの作戦にすらならない。

 

 すぐ近くまで来ていた達也の、初めての『殴打』による攻撃をかわすべく――CADは間に合わない――下がろうとする。

 

 しかし、

 

「終わりだ」

 

 達也の平坦な声が文也の耳に妙に響く。

 

 達也はおよそ常人とは思えない身のこなしで、『スピードを下げないまま』体を勢いよく落として――力の抜けた文也の足を思いきり払った。

 

「ぐわらばっ!」

 

 本日四回目の悲鳴を響かせた文也は床に背中から激突、肺の空気が一気に抜けるよう感覚と激痛を味わう。

 

 そして達也は、動けなくなった文也の上に馬乗りになってその両腕を床に押さえつけた。

 

「――勝負あり!」

 

 しばし呆けていた摩利だったが、文也の様子から勝負の終わりが近いことを感じ取り、事前準備のとおり、その勝負の幕を下ろす声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オロロロロロロロロロロロロロロロロ」

 

 文也は緑色の蛇の鳴き声のような声をあげながら、部屋の隅に置いておいた袋の中にぶちまけた。何とは言わないが、ヒントはリバースだ。

 

「ああ、もう、ふみくん、無理し過ぎだよ」

 

 あずさは慣れた様子でその背中をさする。緊張感のある戦いの後のこの無様な姿でも、あずさは平然と受け入れていた。

 

「ふみくん運動は苦手なんだから。これでもう無理して戻しちゃうの何回目?」

 

「……あーちゃんが卒業してから14か……オロロロロロロロロ」

 

 文也の返事は尻切れトンボだ。

 

 文也の趣味はゲームや玩具で遊ぶことであり、家の外に出るようなアグレッシブなタイプではない。むしろ運動は比較的苦手な部類で、激しい運動を休憩もなしに続ければこうなるのは無理もない。

 

 そんな気の抜けたやり取りの横では、他の生徒会役員や摩利が達也と話していた。

 

「……驚いたな。二人ともまさかここまでとは」

 

「……全くです。なんでこんなのが二科生(ウィード)に……」

 

 摩利の呟きに、範蔵は額を手で押さえつつ頭を振りながら答える。思わず口から差別用語が出ているが、それを咎める者も、咎める元気がある者もいない。

 

「驚いちゃったわ。二人ともすごいのね。私が戦っても互角ぐらいかしら」

 

「真由美さんが司波君とやった場合、持久戦に持ち込まれたらああなりそうですが」

 

「りんちゃん酷い!」

 

 鈴音がようやく落ち着いた文也を指さしながらそう言った。伊達に生徒会で半年鍛えられていないようで、思いのほか図太い性格だ。

 

 真由美に茶々を入れたものの、鈴音も真由美と同じことを考えていた。

 

『パラレル・キャスト』という『異常』に目をつぶるにしても、二人は、ただ魔法を使うだけでなく、場面に応じて巧みに『使いこなして』いた。まだまだこれから魔法の基礎を学んでいく、という段階の新入生としては破格の実力だ。

 

 しかも二人とも、魔法を行使したときに光がほとんど漏れていなかった。

 

 魔法師が魔法を行使すると、その魔法に使った余剰サイオンが光となって漏れるのが普通だ。一般人には見えないが、魔法師にはそれが当たり前に見える。

 

 しかし二人が魔法を行使するとき、光はほぼ全く見えなかった。巧い魔法師ほど余剰なサイオンを使わずに魔法を行使するため、漏れる光は小さくなるのだが、この二人はすでにその領域を跳び越えていた。真由美ですら、このレベルには全く達していない。

 

 そんな規格外の戦いを見せた二人に、観戦していたメンバー全員はとても驚かされた。

 

「はあ、はあ、くっそ、お前やべえよ、人間じゃねえよ」

 

 そんな会話の横で、息も絶え絶えに文也が達也を睨みながら悪態をつく。

 

 達也はその程度ならなれっこなので暖簾に腕押しだ。

 

「俺に言わせればお前もだ」

 

 達也も文也に対してそう言いかえす。あんな数の『パラレル・キャスト』など、とてもでないが考えられない。

 

 闘う前から『眼』で体中に仕組まれたCADを『全て』知っていた。当然『パラレル・キャスト』であろうことは予測できる。本来『パラレル・キャスト』は予測の範囲に入れるべきものではないが、自身がそうであるため、予測していたのだ。

 

 だが、その精度は予想をはるかに上回った。CADを絶え間なくいくつも連続でしようするどころか、『同時に』発動していたのだ。事実上の多対一の状況に、達也も最初は攻めあぐねた。

 

 自身のレベルを客観的に理解している達也は、その異常を、ある意味この場にいる中で一番鋭敏に知覚した。

 

 なにせ、自身ですら二つが限度なのに、文也はそれをはるかに超えた数を使用しているのだ。今まで修羅場を乗り越え、裏社会を過ごし、数多くの一流魔法師に出会ってきたが、『パラレル・キャスト』を実際に目にしたのは自分以外ではいない。そんな達也にとって、高校生がいくつものCAD同時に使用できるというのはまさしく『異常』だった。

 

 また、『パラレル・キャスト』や魔法力は置いておくとしても、それ以外の部分も気になる。

 

 なにせ達也の不意打ちを余裕でしのぎ、そのあともしばらく接戦を繰り広げてきたのだ。入学したてのレベルで自身と張り合えるなど、それこそ達也からすれば十分『尋常じゃない』。

 

「あ、ねえ井瀬君。もしかして朝に大きなリュック担いでたの、あれ全部CADなの?」

 

「そう、全部。何回か分けて持ってくるのも怠いし、ある程度一気に持ってきて預けようと思って」

 

 職員室でひと悶着あったのは秘密だ。教師曰く『保管庫は物置でない』である。正論。

 

『この小さな体にまたこれを持って帰らせるんですか、鬼畜!』と駄々をこねることで了承していただいた(させた)のだが、その場にいた教師はA組の担任にならなくてよかったと裏で胸を撫で下ろされてたりもする。

 

 ――結局、この後の話し合いで、勝者である達也が正式に風紀委員になることが決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決闘場を離れ、生徒会室での仕事も終わり、あずさは夕陽が差す校門をくぐろうとする。するとそこには、

 

「……よう」

 

「あ、ふみくん……」

 

 文也が寄りかかっていた。どうやら、あずさのことを待っていたようだ。

 

 そのまま無言で二人は並んで、学校最寄りの駅まで歩いていく。あずさは別として、文也は普段より明らかに遅いペースだ。

 

「……すまん、負けた」

 

「ううん、大丈夫だよ」

 

 あずさは生徒会室で脅しのダシに使われたことを聞いていた。どうやら文也は脅しを本気にしたらしく、負けたことを申し訳なく思っているようだ。

 

「先輩たちもあれで悪いことを思うような人たちでもないし」

 

 そう言いながら、あずさはひょいと文也の前に出て、文也に向き直る。

 

「それに……」

 

 そして

 

 

 

 

 

 

「久しぶりに会ったふみくんが私のために頑張ってくれたんだもん。とっても、嬉しかったよ」

 

 

 

 

 

 

 バッグを持つ両手を腰の後ろに回し、満面の笑みを浮かべてそう言った。

 

「そうか……うん、ありがと、あーちゃん」

 

「ま、まあ、これを機に、あまり変なことしないで、少しはおとなしくしたらどうかな?」

 

 ようやく笑った文也を見て、なにか照れくさくなったあずさは声を上ずらせてそう言ってごまかす。

 

「ははっ、それもいいかもな」

 

 文也がそう笑って返す。

 

 もう時間が隔てた溝は埋まった。

 

 二人はそのまま他愛のない話をして、笑いながら帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゲーム研究部! 危険な部活動勧誘の現行犯だ!」

 

 風紀委員になった森崎駿が、自慢のクイック・ドロウで逃げ出そうとするゲーム研究部の部員を牽制する。

 

 フルダイブのVRゲームで、剣で戦うMMORPGがあり、それが熱狂的な人気を得た。当初の心配に反してデスゲームなどにはなってない。むしろなぜデスゲームを心配したのか。

 

 そんなゲームの真似をして、ゲーム研究部のブースの前では、プラスチックの剣でデモンストレーションがてらチャンバラを行っていた。そのゲームに入り浸っているプレイヤー同士のものなのでチャンバラと言ってもかなりの迫力で、多くのギャラリーの注目を集めていた。

 

 だがあまりにも熱くなり過ぎたせいか、チャンバラの戦場は拡大、激しく動き回りながらの戦いになってしまった。

 

 その結果周りのものや他部活のブースの備品などが壊れ始める。幸いけが人は出ていないが、通報があって駆け付けた森崎駿はその二人を連行する。当然、生徒会室へだ。

 

 その連行されてきた二人を見て、荒事が苦手であるため事務方の仕事をするべく生徒会室にこもっていたあずさは眼を丸める。一人はあずさのクラスメイトであるゲーム研究部部員、そしてもう一人は……

 

「よっ、元気か?」

 

 ……文也であった。

 

「なんで一年生のお前が危険勧誘で捕まるんだよ!?」

 

「あだっ! だって元からそこにしか入るつもりないし、せっかくだし同級生たくさんほしいじゃん! あ、そうだ! 駿、一緒にゲームやらない?」

 

「うるせえ!」

 

「あだっ! 暴力反対! 権力乱用だああああああごめんごめん調子乗った謝るからその俺作成自慢のエクスカリバーを折ってただのエックス型を描けるバーにしようとしないでえええええええええええ!」

 

 駿が目の前でプラスチックの剣を折って投げ捨てる。真っ二つになった剣はただの棒となり、また偶然重なった姿は綺麗なエックス型だった。

 

 

 

 

「あれ? あの会話、何日前でしたっけ?」

 

 あずさは顔を引きつらせ、誰にともなく、宙に疑問を投げかけた。

 

『ははっ、それもいいかもな』なんて言葉、とっくに文也の脳みそにはない。




2章の途中までは一気に投稿して、そこから先は週2回の投稿にする予定です


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5

 文也と駿がアホなやり取りをしている裏では剣道部と剣術部が大モメをしたらしい。

 

 その顛末を生徒会室の『床』で反省文を書かされていた文也は聴いていた。

 

「うわっ、司波のやつ、そんなことまで知ってんのかよ」

 

 誰にも聞こえないように小さくつぶやく。あらかた書き終っている反省文は表向きこそ真面目な文章だが、行の頭を読むと『おれはわる』になっているのはご愛嬌だ。おそらくこのあとに続くのは『くねえ』だろう。

 

 そんな力作を書く手を止めて文也はその話に耳を傾ける。

 

 桐原という同級生が殺傷ランクの高い魔法を感情に任せて使ったこと、達也が剣術部と剣道部の諍いに介入したこと、そして達也が多人数相手に大立ち回りしたことなどが達也の話したことだ。

 

 そんな話を聞いた文也はその話の中に違和感を感じ、即座にその理由を予想した。この予想が正しければ、達也は明らかに学生離れどころでない知識を持っていることになる。

 

 しかもこの知識は、『悪用されかねない』知識だ。達也がそうするとは思えないが、文也は確認する必要があると感じてあずさに視線を向ける。

 

 あずさはワタワタと事後処理に追われていたが、文也の視線を感じ取ったあずさはそちらを見る。もう達也は退出しそうだ、急がなければと文也はすぐに伝える。

 

「(あ・お・う・お・う・あ・お・う・お・い・あ・お・あ・い・お・い・あ・あ・う・あ・い・い・え)」

 

 口パクをしながら両指で一つ一つの音に指で数字を示す。それぞれ、

「(7・6・1・10・4・2・1・1・4・3・4・5・10・6・4・9・2・4・4・8・5・2・2)」

 である

 

 数字は50音の子音の位置、口パクが母音だ。

 

 それに当てはめていくと、文也が伝えたメッセージは『まほうをつかおうとしたのわひとりかたつやにきけ』――『魔法を使おうとしたのは一人か達也に聞け』だ。

 濁音・半濁音は表せないのであえてここでは苗字では呼ばない。

 

 これは小学生のころ、文也とあずさで考えた、秘密を伝えるときの方法だ。CADでいたずらをよくしていた文也は、隠れているところをよくあずさに見つかり、こうして黙ってくれるようよくお願いしたものだった。

 

 あずさはそのメッセージを正しく読み取ったが、その意図を理解できない。

 

 なぜならさきほどから、達也はそのような話をしていない。そんな質問をわざわざする必要はないのだ。

 

 だが、文也の表情からただ事でないことを読み取ったあずさは部屋を出ようとする達也に急いで問いかける。

 

「あの、司波君!」

 

 あずさの急ぎ調子の声に達也は足を止めて振り返る。

 

「さきほどの話なんですが、魔法を使おうとしたのは一人なんですか?」

 

「っ?!」

 

 達也は隠していた部分を、予想だにしない相手――あずさはこの手のことに鈍いと思っていたのだ――から質問されて少しばかり動揺した。

 

 しかしこの動揺――傍から見ればいつも通り――すらも察してしまえそうな人間がこの場には多い。

 

 達也はすぐに頭の中で『言い訳』を組み立てる。『あれ』を話すのはまずい。

 

「…………剣術部の先輩方が魔法を発動しようとしていらしたので、それらは『術式解体(グラム・デモリッション)』で抑えました」

 

 この質問をされた以上、『はい一人です』と言うのはむしろまずい。だから、達也は嘘の中に一部本当のことを混ぜることで、その信ぴょう性を高めたのだ。

 

「……そういうことは早く言ってほしいものだが」

 

「聞かれなかったので」

 

 摩利のあきれ混じりの皮肉に、達也はいつもの調子で返す。

 

「とにかく、魔法を発動しようとしたものがいたならば、そっちの話も聞かねばならん。司波、その全員の名前と使用しようとした魔法を教えろ」

 

 摩利の命令に達也は平然と答える。誤魔化したつもりが面倒なことになってしまった。

 

 達也はそうなった原因を睨みつける。その視線はあずさでなく――文也を向いている。

 

 その文也はと言うと、そんなのしりませんとばかりに一生懸命反省文を書いているフリをしていた。

 

 そこで達也はほんのささやかな復讐として告げ口する。

 

「それと先輩、そこの井瀬の反省文、行頭を繋げると『おれはわるくねえ』になってます」

 

「……ほう」

 

「(ダッ!)」

 

 摩利の底冷えするような声が聞こえた瞬間、文也は何もかもを置いてドアへと一目散に向かった。どうなるか分かったものではない。

 

「……だろうと思ったぞ」

 

 しかしその首根っこを押さえられる。捕まえたのは駿だ。

 

「お前が反省文で悪ふざけをするのも、それがばれて逃げるのもいつも通りだ」

 

「しゅ、駿くぅん、俺のマブダチとして逃がしてくんないかなあ?」

 

「そうだな、俺とお前は親友と言っても差し支えない」

 

「そ、そうだよな!? じゃあ――」

 

「――だが今の俺は風紀委員だ」

 

「裏切り者おおおおおお!!」

 

 文也は軽々と持ち上げられて摩利に引き渡される。

 

「ほら、大サービスだ」

 

 摩利から渡されたのは原稿用紙10枚。

 

「げ、原稿用紙10枚……10倍かあ……」

 

「お前に目はついているのか?」

 

 安心した文也に、摩利は底冷えする眼で見降ろしながら言った。

 

「裏表10枚だ」

 

「……20倍…………」

 

 文也の目から光が消える。この量を、キーボードでなく手書きでやるのは、はたしてどれだけの時間がかかるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果的に達也も文也も解放されるのが遅れてしまった。もう日が沈んでから1時間ほど経った。

 

 達也が深雪たち――予想しないメンバーがいた――とカフェに行くことが昇降口で決まったのだが、そこに乱入者が現れる。

 

「よう、俺もおごりはなしでいいから混ぜてくれよ」

 

 文也はそう言ってその集団に駆け寄る。

 

 深雪はクラスメイトとして、達也は色々あった仲として文也を知っているが、エリカたち二科生は文也についてはよく知らない。せいぜいが、あの諍いの時に後ろの方で黙って傍観していただけのになぜか連れ去られた小さな男の子(エリカとレオはチビと認識している)程度のことしか知らない。

 

「この前話した、風紀委員決めの時に決闘した井瀬だ」

 

「よろ~」

 

 達也は心底断りたかったが、文也はどうやら『あれ』を知っているようなので、下手に無下にできない。

 

 文也自身の性格も相まってすぐに二科生の面々と打ち解けたので、達也は仕方なく文也も混ぜてカフェに向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カフェでの会話は、当然今日一日の話題で持ちきりになる。

 

 だが達也と異常な決闘を演じた文也がいることで、その決闘の顛末も話題の中心に上がった。

 

 達也が文也からかけられそうになった数々の魔法を話すうちに深雪の魔力が暴走――ということになっている――して文也のホットカフェオレがキンキンに冷えたアイスカフェオレになったりする一幕(まだ4月の中旬なので文也は震えた)もあったが、エリカたちや深雪の興味はやはりその決闘の内容だ。

 

「高精度『マルチ・キャスト』と『術式解体(グラム・デモリッション)』の使い手対CAD25個の超高精度『マルチ・キャスト』の決闘、かあ」

 

 レオが呆れたように呟く。その戦いたるや、はたしてどれほどのものだったのだろうか。

 

 深雪としても、一年生レベルでCAD二つを解放した兄と渡り合える者がいるのは驚きだった。

 

「一応50個までなら出来るんだけどなあ。そうなると重いからそれはそれで負けてたかもなあ」

 

「……一科生の方って、『パラレル・キャスト』が標準なんですか?」

 

「美月、安心して。出来るのは多分お兄様と井瀬君だけよ。私でもとてもじゃないけど出来ないわ」

 

 美月の常識が崩れかけていたが、深雪がその崩壊を止める。

 

 深雪にその手間をかけさせた罪は重く、親愛なるお兄様が文也に罰を下すべく即座に口を開く。

 

「ちなみに、今日の仕事が異常に長引いた理由は、そいつが余計な口出しをしたからだ」

 

「………………へえ」

 

 サリサリサリ、と冷たい音が鳴る。

 

 空気の温度が10度ぐらい下がるのを、その場にいた全員が感知した。

 

 音の正体は、文也のアイスカフェオレがカッチカチに凍り付いた音だ。

 

「あら、井瀬君、申し訳ございません。私のお金で新しいものを注文いたします」

 

「い、いえ、いいです、はい、はい」

 

 深雪の穏やかな笑顔――表面だけで目は絶対零度――に、文也は顔を真っ青にしながら首をプルプルと振る。

 

 文也の小物の本能が危険を感じ取ってサイレンをかき鳴らしている。やはり逆らったらまずい。

 

「と、ところでよ、なあ達也! 今日さ、なんかすげえことがあったんだろ!?」

 

 レオが冷え切った空気を温めようと強引に話題転換する。ブラコンシスコン以外が心の中でレオに拍手喝采を送る中、達也がすぐに答える。

 

「ああ、あった」

 

 そしてその中身を話し始めた。

 

 そんな中、深雪が達也のキャスト・ジャミングについて触れると、にわかに文也が放つ雰囲気が鋭くなった。

 

(面倒だな)

 

 やはり、文也は『知っている』ようだ。この技術はなるべく知られたくない。文也もその危険性をわかっているようで、自分のことを警戒しているようだと達也は感じる。『術式解体』と誤魔化すことはもうできない。

 

 達也は仕方なくキャスト・ジャミングについて話すことにした。

 

「やっぱりかあ」

 

 話を聞き終えると、文也はそう呟いた。その呟きを、エリカは聞き逃さない。

 

「え、井瀬君、知ってたの?」

 

「ああ、たまたまね。司波兄がそれを使ってそうなのは反省文書きながらでも、話を聞いていればわかる」

 

 勧誘期間は、演習のために各部活動にCADの使用が認められている。どうやらそうとう熱い状況だったようだし、剣術部の面々が、魔法を使わないとは文也には思えなかったのだ。

 

 文也と達也以外は『反省文』の部分に激しい違和感を覚えたが、そのままスルーした。

 

「念のため言っておくが、これは本当にオフレコで頼む。悪用されたらたまったものじゃない」

 

 達也は最後にそう言ってこの話を締める。文也ももうこの話をする気はない。

 

 他のメンバーはもっと話を聞きたそうだが、ここはカフェの中だ。話が周りに漏れていないとは限らないので、二人が止めたがっている以上強要は出来ない。

 

「それで、昨日生徒会で――」

 

 そんな兄の心のうちを読み取って、深雪が即座に話題転換をした。



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 あれから幾日か経って、放送室がジャックされたりなんやかんやあって、全校生徒の半数が講堂に集まって聞きに来る程度の大規模な公開討論会が行われている。

 

 討論の内容は、学校内における二科生の差別について。

 

 しかしその内容はお粗末なもので、なんちゃら同盟とやらが噛みついて、それを生徒会が平然と撃ち落とすというものだった。

 

 そのやり取りの一部は、

 

「今期のクラブの予算配分について質問させていただきます。こちらが用意した資料によりますと、一科生の所属比率が高い魔法系クラブの予算に比べ、二科生の所属比率が高い非魔法系クラブの予算が明らかに低いです。これは授業のみならず、課外活動でも二科生への差別になっているのではないでしょうか!」

 

「クラブの予算割り当てについては、各クラブの部長全員が参加する会議によって決定されています。予算はその部活動の実績と所属人数によって割り当てが決まっています。お手元のグラフをご覧になればわかる通り、対外活動や大会で多大な結果を残している非魔法系クラブのゲーム研究部やレッグボール部には、魔法系クラブ――それも実績も人数もある剣術部などと同等の予算が割り当てられていることが分かると思います。そのような差別がある、というのは誤解です」

 

 といったようなものだった。

 

「ゲーム研究部ってすごいんだね」

 

「井瀬君もそこだったよね?」

 

「おう。遊んでばかりいるイメージだろうけど、先輩たちはやべえくらい上手いからなあ」

 

 椅子に座って並んでいる北山雫と光井ほのかと文也がぼそぼそと会話する。その先輩たちはゲームに熱中し過ぎて去年軒並み落第しかけた結果廃部ギリギリで踏みとどまっていることは公然の秘密だ。

 

 そんなことをしているうちに、討論会は真由美の演説会になってきた。

 

「くだらねえ……思っていたよりも百倍くらいくだらねえ……」

 

 あまりにもどうでもいい展開に文也は心底うんざりして愚痴をこぼす。隣の雫も「そんなこと言わないの」とたしなめはするが、そのあまり表に出ない表情からも同じようなことを考えているのが分かる。

 

 もうとっとと帰ってゲームでもしよう。

 

 そう思って席を立った瞬間――突如として轟音が鳴り響いた。

 

 文也たちがなんだなんだと周りを見回しているうちに、事態が次々と収束していく。

 

 何が起こったのか分からないが、どうやら風紀委員たちが何かを予測していたようで、『同盟』のメンバーたちを取り押さえている。

 

「な、なにがあったんですかあ?」

 

「テロじゃない?」

 

「じょ、冗談だよね?」

 

「さあ、これはあながち冗談でもないかもな」

 

 怯えるほのかと案外冷静な雫、そんな二人のやり取りに茶々を入れる文也。

 

 だがその口調とは裏腹に、文也の口調は厳しいものだった。

 

「おい、駿。何があった?」

 

「テロだ。予測できていてよかった」

 

『同盟』のメンバーを連行している駿に問いかけると、仕事中だからか手短に駿はそう答えて去っていってしまう。

 

 だが、それだけで情報は十分だ。

 

 校内にテロリストが侵入した。

 

「光井、北山、お前らはほかの連中と一緒に避難してろ」

 

 文也はそう言い残して、生徒の流れに逆らって行動の舞台の方へ駆け出していく。

 

 そこには生徒会役員として避難誘導しようとするも、元来の気弱さと声と体の小ささのせいでまったく役に立っていないあずさの姿があった。

 

「あーちゃん、怪我はないか?」

 

「ふ、ふみくん!? だ、大丈夫だけど……」

 

「そうか、よかった」

 

 本当ならあずさを連れて逃げたい。

 

 だが、あずさには避難誘導という仕事がある。

 

 それをするわけにはいかない。

 

 だから、文也は選択する。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

 目指すのは、CADが大量に保管してある職員室だ。そこで自分のCADをとってやることは一つ。

 

「む、無理しないでね、ふみくん!」

 

「ああ、『ここ』であんな失態はしないさ!」

 

 あずさを守るために、校内のテロリストを殲滅することだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 CADを体中に仕込んだ文也は、無理に走るようなこともなく実技棟に向かった。

 

 そこでは侵入してくる電気工事の作業員のような格好をした男たちを、エリカやレオ、それに応戦している三年生を中心とした生徒たちが倒している様子だった。

 

「おう、元気してるか?」

 

「元気だけどもそれに返事したくねえ!」

 

 そんな返事をしながらテロリストたちを殴り倒すレオ。そのそばでは成人男性数人を相手に余裕で立ち回って倒しているエリカもいた。

 

「中に何人かすでに入っちゃってるから、井瀬君はそっちお願い!」

 

「ほいよ」

 

 文也はそう言いながらブレスレットCADを起動し、自分に向かってくるテロリストを盛大に転ばせる。それに躓いて後続のテロリストたちが次々と倒れていくのでそこに左手小指につけた指輪型CADを起動して水を盛大にぶちまけてびしょぬれにさせ、最後に頭の中に仕込んだヘアピンについた豆粒サイズのCADを起動させ、感電させて気絶させる。

 

 それぞれ本来は水鉄砲の魔法版と静電気でピリッとさせるいたずらレベルのものだが、殺傷能力があるレベルまで改造されている。

 

「じゃあ少しお散歩してくる」

 

「もうなんだっていいわよ!」

 

 相変わらずふざけた様子の文也に大声で返事をしながら、エリカはまたテロリストを一人打ち倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テロリストっていうからなんだと思ったが、この程度か」

 

 魔法科高校に侵入してくる以上、狙っているのは図書館だとあたりを付けていた文也は迷うことなく進んでいくが、その道中は静かなものだった。

 

 階段から落ちたらしく気絶している生徒や、なにやら棒状のもので思いきり殴られて気絶している男子生徒たちが延びているだけだった。痣のあとからしてエリカはこいつらと戦ったあと、入口の応戦に加わったのだろう。だいぶん出遅れたようだ。

 

 すると上から、誰かが息を切らして走ってくる音がする。

 

「きゃっ!?」

 

「おっと」

 

 そこにいたのは赤髪でポニーテールの少女だ。第一高校の制服を着ているがエンブレムはついておらず、また手首にはCADでない普通の――といっても今この状況ではテロリストの仲間を示す柄だが――リストバンドをつけていた。さらにその指には、黒い石がついた指輪もつけている。

 

 即座にアンティナイトだと看破した文也は臨戦態勢を取る。

 

 それを感じ取った赤い髪の少女――紗耶香はアンティナイトを使おうとする。

 

 しかし、その瞬間――激痛が指輪を付けている指に走った。

 

「っ!? ――っ!」

 

 激痛に息を詰まらせながらその指を見ると、竹刀を握り続けてきた指は変な方向に曲がり、そこにつけていた指輪は――アンティナイトは粉々に破壊され、台座も壊れて指から外れて床に転がっていた。

 

 紗耶香はたまらず指を押さえて激痛に悶えながらしゃがみ込み、嗚咽を漏らす。

 

「遅せぇなあ」

 

 文也は相変わらず余裕そうだ。しゃがみ込む紗耶香を見下しながらあくびをする。

 

 文也が使ったのは、急に相手が身につけているものを振動させて驚かせる悪戯CAD――それの改造版だ。

 

 元とは比べ物にならない強さと周波数でアンティナイトを振動させて破壊する。その余波で指輪の台座とそれをつけていた指が無残な姿になっているが、文也の知ったことではない。

 

「え、あー、もうやっちゃった?」

 

 文也の後ろから気の抜けた声が聞こえる。そこには間の抜けた顔をしたエリカが頭を掻きながら立っていた。

 

「センパイと決着つけようと思って、頃合い見計らってきたんだけどなー」

 

 しゃがみ込む紗耶香を見てエリカは溜息を吐き、紗耶香が抑えている指の隙間から見えた無残な指を見て――嘆息する。

 

「センパイ、その指じゃしばらく竹刀どころか、ペンも握れませんね。利き手じゃないのが幸いです」

 

 石が壊れるほどの振動を加えられた指はとうてい一カ月やそこらで治る程度のものじゃない。魔法を用いれば完治こそするだろうが、スポーツ選手にとってその治るまでの時間は重いものである。

 

 それをやったであろう文也に悪びれた様子――相手がスポーツ選手であることも知らないのだろう――はないが、エリカもそれを責める気はない。紗耶香の自業自得だ。

 

「そうそう、もう学校内にいるのはたぶん全部無力化出来たよ」

 

「そうか、サンキュ」

 

 文也はそう言うと、そのまま階段を下りて戻っていく。

 

 その背中にエリカは声をかけた。

 

「愛しの可愛い先輩は守れたんじゃない?」

 

「バーロー」

 

 文也の声は少しばかり上ずっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから達也たちはテロリストの本拠地に乗りこんだりしたのだが、文也は「その必要がない」ので参加もしなければ詮索もせず、あずさの安全を確認すると、教師の指示に従って帰宅した。その後の顛末も興味がないので聞いていない。

 

 そののち交換していた電話番号にあずさから電話がかかってきて、それに出るとあずさは安心したように溜息を吐いた。そういえば、こちらはあずさの安全確認をしたが、その逆はまったくない。あずさからすれば、幼馴染がテロリストと戦いに行ってから数時間音信不通だったのだ。不安にもなろうというものだ。

 

 ひとしきりあずさからことの顛末を聞く。不安から解放されたあずさは口が軽く、自分からぺらぺらと話しだしたのだ。

 

 学生だけでテロリストの本拠地に乗り込むのは本来は愚行としか言えないが、あのメンバーにしかも十文字会頭がかかわったと話していたので、こちら側がそう大きなけがをしたということもないだろうと考えて、文也はそれ以上のことは考えなかった。

 

「どうするあーちゃん、ちょっとこの後暇だからうちでゲームでもしない?」

 

『……今日は疲れたから明日ね。たぶん臨時休校だと思うし』

 

 文也の軽い問いかけに、あずさは疲れたように返す。

 

 文也はまったく考慮していなかったが、文也を心配しながら、大人数の生徒を避難誘導し、そのあと色々と事後処理に追われた彼女は疲労困憊していた。

 

 その後は少し他愛のない話をしてから、そのまま電話を切った。

 

 文也は切ってからそのまま、なにやらぼっーと何かを考え、そして、

 

「ゲームでも買いに行くか」

 

 立ちあがって、そのまま自室から玄関へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紗耶香はしばらく入院することになっていた。

 

 文也に傷つけられた指は骨が粉々になっている部分もあり、魔法的治療だけではなく手術を要するほどだった。

 

 またマインドコントロールの影響下にあったということで、それの経過を見るという意味合いもあった。

 

 そして五月。紗耶香の退院の日だ。指の怪我はまだ治っていない。これからしばらくしたらギブスを外して、さらにそこからリハビリ。日常生活程度のことなら少しのリハビリでなんとかなるが、かつての剣道の実力を取り戻すにはかなりの時間がかかるだろう。

 

 だが、その努力も乗り越えて見せようという強い意志が彼女の瞳にはあった。

 

 そんな彼女の隣には桐原武明がいる。とても例の事件のあととは思えない仲の良さだ。

 

 そんな様子を見ていた達也と深雪、そしてエリカは、その会話の輪に加わっていく。

 

 そしてその会話の中で、ふと文也の名前が出た。

 

「それにしても井瀬君のやつ薄情ねー。かの剣道小町の指にあんな怪我負わせて、お見舞いどころか退院の時にも顔出さないなんて」

 

 エリカがふとそう冗談めかして言った。一瞬場の空気が固まるが、あの事件から時間が経っているのですぐに和らぐ。

 

 この場に文也は来ていない。今頃学校で授業を受けているか、友達と遊んでいるか、はたまた反省文で遊んでいるのだろう。

 

「まあまあエリちゃん、私はもう気にしてないから。あれは私の自業自得だし」

 

 紗耶香は困ったように笑ってたしなめる。入院当初は紗耶香の指を見て桐原も激怒していたが、同じように対応した。

 

「それにね」

 

 そう言って紗耶香は父親の手元を見る。父親の勇三はそれを受けて透明な袋を掲げて見せる。

 

 

 

 

 

『超リアル! 本格スポーツ祭!』

 

 

 

 

 

 その中には、色々なスポーツ道具を背景にそんな派手なタイトルが書いてある手のひらサイズのゲームのパッケージがあった。

 

「これがすごいのよ。体が治って、本当に試合してるみたいなの」

 

 フルダイブのVRゲームはすでに普及している。デスゲームを心配された空に浮かぶ城を上って攻略していくMMORPGのほかにも、擬似的に旅行できるソフトや仮想体験を出来るソフトも発売されている。

 

 これもそのうちの一つで、一切システム的アシストがない代わりに、本当に現実の体でスポーツをやっているようなリアルさが売りの仮想スポーツゲームだ。使う道具の材質やデザインやサイズ、さらには重さや重心の位置まで自由に決められるそれは、場所がなくても、道具がなくてもスポーツができ、さらに怪我がないということでプロの選手ですら遊んでいる人気ゲームである。

 

 これのメリットは、「体が不自由でもスポーツが出来る」ということだ。体が不自由な人の他、彼女のように怪我で動けないスポーツマンが感覚を鈍らせないようにするためにも使う。またオンライン対戦の他、プロのAIを搭載した模擬試合も出来る。

 

 紗耶香は入院期間中、折を見てはこのゲームで剣道をやって感覚とイメージを維持させ、それ以上に研ぎ澄ませ続けた。最初は勝てなかったプロAI相手にもまともに戦えるようになっており、怪我が治って体が元に戻ってからの活躍が、今からでも楽しみである。

 

「これ、井瀬君からのお見舞いなんだ」

 

 紗耶香は美人であり、また人当たりも良かったのでたくさんのお見舞いが友人や同級生から宅配で届いた。

 

 そのほとんどが本や食べ物や花、手軽なものでは手紙や鶴の折紙などであったが、そんな中にこれが混ざっていた。

 

 その差出人には「井瀬文也」と書かれていたのだ。

 

「へえ、あいつはあいつなりにすまないと思ってたのかしら」

 

 それを聞いてエリカはそう言った。ゲームを送ってくるとは、ゲーム研究部の彼らしい。

 

「クラスでは平然としていましたが……案外優しいところもあるようですね」

 

「そうだな」

 

 深雪の感想を受けて、達也は穏やかに笑って肯定した。

 

 そしてまた別の話題に移ってしばらく話したのち、兄妹はエリカより一足先に学校へと戻った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪がクラスをのぞいてみると、そこでは駿に頭をひっぱたかれながら、文也が反省文を書かされていた。

 

「案の定……」

 

 深雪の呆れたような声は、クラスの喧騒に混じって消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「案の定……」

 

 エリカの補習を頼まれた達也も、間違っている個所を指さしながら、同じことを呟いた。



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幕間

「そうですか、お兄様がそこまで……」

 

「ああ、たかが学生だと思っていたが予想外だった」

 

 達也が風紀委員になることが決まった日の帰り道、達也は深雪にあのトラブルのあとの経緯を話した。

 

「25個の『パラレル・キャスト』なんて尋常じゃない。俺でも安定して出来るのは二つまでだ」

 

 文也が体を鍛えていたとしたら、あの勝負の結末はわからない。

 

 互いが本気を出しあう『殺し合い』なら達也が負けることはまずないが、『試合』ならば話は別だ。

 

「しかも『マジカル・トイ・コーポレーション』の」

 

「ああ、まったく、因縁が深い」

 

 達也は悔しげにつぶやく。彼は学生離れどころか人間離れした技術と知識で『トーラス・シルバー』の片割れとして、魔法界の技術を革新的に進めてきた。

 

 その評価は高く、『トーラス・シルバー』モデルのCADは、実用的で実戦的でなによりも高性能だ。日本国内どころか、世界でも最高峰のCADの一角として名を連ねている。

 

 そんな『トーラス・シルバー』と並ぶのが『マジカル・トイ・コーポレーション』の存在だ。

 

 値段は安いものの、それに応じて性能は低く、また単純な魔法一つしか扱えない、まさに玩具のCADを開発する会社だ。

 

 しかしその名声は『トーラス・シルバー』とは別のベクトルで評判がいい。

 

 小さな子供向けの安全なCAD、これは社会に大きく貢献しているのだ。

 

 魔法は危険なもので感情に左右される部分も大きく、知識も経験も感情制御の力もない子供が、魔法を暴発してしまって大怪我をし、それがトラウマで一生魔法を使えなくなってしまう、という事件が少なくない。魔法師の人口は少なく、将来有望な魔法師の卵の損失は、すなわち社会の損失なのだ。

 

 だが『マジカル・トイ・コーポレーション』から発売される玩具は、性能が低い代わりに、そんな社会問題を解決して見せた。

 

 搭載されている魔法は効果が弱いものの子供にとっては魅力的で楽しい。一定以上のサイオンをつぎ込んだり変数を入力したりして強い威力を出そうとしても、強力な安全装置が搭載されていて一定以上の効力を発揮しないようになっている。また魔法の効果が弱いとはいえ、その効果に到底見合わないほど使用するサイオンの量が極端に少ない。これは達也自身も真似してみようとしたが、発売されている玩具CAD以上のサイオンの節約はどうしても出来なかった。

 

 つまりこの玩具のようなCADは『子供が長く、安全に、楽しく魔法で遊び、学べる』ように設計されているのだ。しかもCADとしては破格の値段なので一般家庭でも気軽に買える。

 

 また魔法師の家系でない家庭の子供が駄々をこねてほしがり、親は無駄と知りながら買った結果、子供がそれで魔法を使って遊べて、魔法師の才能があることが分かった、という思わぬ人材発掘効果もある。

 

 今や、二十代以下の魔法師で『マジカル・トイ・コーポレーション』のCADで遊んだことがない者はほとんどいないといってもいい。

 

 しかもその会社は3年ほど前からさらに開発が活発になった。

 

 開発者の素性は明かされていないが、それまでの開発者は『キュービー』と名乗っていた。

 

 興味を示した一般人だけでなく、各国のスパイたちがその素性を暴こうとしたものの、だれもわからなかった、というのは有名な噂である。『トーラス・シルバー』と同じだ。

 

 そして3年前、『マジカル・トイ・コーポレーション』は新たな開発者を雇ったことを発表した。

 

 その開発者も素性は明かされず、『マジュニア』と呼ぶようにその会社は記者団に向けていったのだ。

 

 それ以来、CADの開発はさらに活発になったのである。

 

 そんな謎に包まれた『マジカル・トイ・コーポレーション』は、開発技術もミステリアスさも『トーラス・シルバー』と並ぶ日本の有名CAD業者なのである。

 

 当然達也もそれに対抗心を燃やしている。

 

 そんな会社のCADを巧みに操り、自分と互角に戦って見せた学生がいる。

 

 それだけで達也は悔しかった。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 気温が下がる。

 

 達也以上に悔しがっているのは、その妹だった。

 

「落ち着け、深雪」

 

「は、はい……」

 

 達也がたしなめると、深雪は顔を赤らめて感情のあまり漏れてしまったサイオンを押さえつける。

 

 対抗している達也本人以上に、深雪は『マジカル・トイ・コーポレーション』に対抗心――半ば敵意――を抱いている。なにせ世界で最高の技術を持つと信じて疑わない親愛なるお兄様の先を、CAD開発の分野で、一部とはいえ進んでいるのだ。

 

 しかも、

 

「絶対お兄様の方が、『飛行魔法』の開発は先を行くはずですのに……」

 

「深雪、それは負け惜しみだ」

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』は、達也が基礎理論を構築して開発に着手しようとした『汎用飛行魔法』のCADの『発売』を二月に発表したのだ。

 

 時期的に言えば、達也が開発に着手しようとした段階で、『マジカル・トイ・コーポレーション』は発売を発表したことになる。

 

『汎用飛行魔法』は継続的な魔法の使用であるため、使用サイオン量の問題がどうしても出てくる。そのせいで達也は基礎理論の構築に時間を要した。それでも達也や深雪のような並外れたサイオン量の者しか長時間安全に扱えないようにしか出来なかったのだ。

 

 だが、『マジカル・トイ・コーポレーション』が発売決定をしたのだ。間違いなく、子供向けの一切怪我を起こさない安全装置、そして達也が成しえなかった使用サイオン量の大幅な節約をしてくるだろう。

 

 性能や自由度は当然、将来達也が開発するであろうものの方が数倍上であろうが……それでも、この件でつきつけられた差は大きかった。

 

 しかも汎用飛行魔法は『加重系魔法の技術的三大難問』の一つである。これの解決を『世界で初めて』成功されたのだ。開発の分野において、一番とそれ以下の差はあまりにも大きい。

 

 その差を突きつけられた達也は悔しいし、そんな兄を敬愛する深雪も悔しい。

 

「でも、井瀬君にお兄様は勝ったのですよね。しかも風紀委員という役職にも就かれたのです。そこを誇ってください、お兄様」

 

「そうだな」

 

 入学試験の魔法実技で二位の実力者相手に勝利を収めた。これは二科生としては異常とも言える成果だ。

 

 達也の実力を知っている二人にとっては『当たり前』なのだが、世間的評判で言えばもう達也の方が上である。

 

 そのまま二人はキャビネットに乗って自宅の方面へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一高がテロリストに襲撃され、達也や克人が秘密裏のうちにアジトを壊滅させた次の日。

 

「ふみくん、来たよ」

 

「お、あーちゃん。もう少しで終わるからちょっとその辺座ってて」

 

 あずさが文也の部屋を訪ねる。久しぶりに会った文也の母親に、約束通り自宅を訪ねた際に通されたのだ。その時に『あらあーちゃん大きくなって』と言いながら軽くひょいとだっこされて心底悲しい気持ちになったのは余計な話だ。

 

 部屋の中では、文也がドライバーなどの工具を使って『自分で』CADを調整していた。

 

「またいじってるんだ」

 

「ああ、今回のは凄いぞー」

 

 そう言って文也はネジで蓋を閉めると、それを掲げて見せる。それはランドセル程度の大きさのものだ。

 

「あれ? けっこう大きくない?」

 

「こればっかりはどうしてもなー」

 

 文也はそれを背負う――ランドセルを背負った小学生みたいだ――と、そのまま空中にジャンプして――

 

 

 

 

「ほら」

 

 

 

 

 

 ――そのまま空中で『静止』した。しかも、

 

 

「ほらほらほら」

 

 ――空中をすべるように移動し始めたのだ。

 

「そ、それって、例のあれ!?」

 

「そう、それの原型」

 

「すごい、すごいよふみくん!」

 

 文也が背負っているのは、『マジカル・トイ・コーポレーション』が発売を発表した飛行魔法のCAD、それの原型だ。

 

 文也は表向き、CADエンジニアの父親に『マジカル・トイ・コーポレーション』のCADを改造してもらっているということになっている。

 

 しかし、それは違った。

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』から発売されているCADは全て、開発した『原型』に様々な安全用の『改造』を施しているものなのだ。

 

 その『原型』を開発しているのは――

 

 

 

 

「親父と頑張って作った甲斐あったぜ」

 

「やっぱり、『マジュニア』ってふみくんだったんだね」

 

 

 

 

 

 ――文也と、その父親である。

 

「ふみくんと離れちゃってから2年ぐらいたって、『マジュニア』て人が開発に加わったて知った時、絶対ふみくんだと思ったよ」

 

「ご明察。ま、実はもっと前からお試し期間として参加してたんだけどな」

 

 

 

 

 文也とあずさが小学生の時に知り合ってからしばらく、ふとしたところから、文也の父親が『マジカル・トイ・コーポレーション』の魔工師であることがあずさにばれてしまった。

 

 その時に、秘密にするという条件であずさにすべてを話したのだ。

 

 文也の父親がかの有名な『キュービー』であること、文也のCADは実は製品の改造版でなく、発売されているものの原型およびそれの改良品であることなどだ。

 

「ま、名前の付け方が単純だしね。『魔法のジュニア』で『マジュニア』」

 

「ふみくんだって世間にばれると思ってヒヤヒヤしちゃったもん、私」

 

 二人で穏やかに笑いながらそう話す。

 

 ちなみにあずさは知らないが、『キュービー』の由来は『僕と契約して』のあれ、『マジュニア』は大魔王が口から産んだ二代目大魔王である。名付けたのはどちらも文也の父親で、由来を知った母親からビンタを食らっていたのは文也の記憶に新しい。そりゃあ子供に魔法の楽しさを提供する側があんな淫獣の名前を借りれば知ってる人間は怒るに決まっている。某魔王さんはZのこともあって許された。

 

「まあ発売はもうちょっと先かな。安全装置とか、飛行高度の上限とかいろいろ考えなきゃいけないし。あと値段がとにかくやばい。開発コストがアホみたいにかかったからさ。発売は夏休みぐらい、かなあ」

 

「名前公開して賞金やらなにやらもらえば良かったのに」

 

「いやー、サイオン量の節約技術がとにかく『ほしい』奴らが多くてさ。名前公開なんかしちゃったらこの家にロケット弾が飛んできかねないし」

 

 今まで会社の方にスパイが侵入してきたことも何度かあるし、会社から出てくる要人やエンジニアに尾行が付いたことも数知れない。飛行魔法デバイスを発表してからはとくに激しくなっている。

 

 海外ならまだ分かる。未だに技術大国を名乗っている日本の、そのなかでも最先端の技術を『盗もう』としている輩は少なくないし、そうしたくなるのもするのも――いいか悪いかは別として――わからなくはない。

 

 文也がうんざりしているのは『国内の』スパイだ。他の企業ならまだ海外の輩と同じ理由でわかるが、どうやらきな臭い『一族』や軍部、公安レベルのスパイまでいると父親から聞いている。国内同士でまで足を引っ張り合うのは、文也としては不本意だ。ただしきな臭い『一族』は、我欲のために盗もうとかそういう目的ではなく、もっと切実な理由から動いているのであり、原因は『マジカル・トイ・コーポレーション』の方にもあるのは余談である。

 

「今更だけど、あーちゃん、うっかり口滑らしたりしないようにね?」

 

「も、もう、そこまで私ゆるくないよ」

 

 あずさは単純で素直なので、うっかり口を滑らしたりすることがある。文也もその被害になんどか遭っているのだ。

 例えば、夏休みの宿題を家に忘れたとか言っといて一ページもやってなかったこと、いたずらの計画、さぼりの計画エトセトラエトセトラ……逆に一番知らせてほしくない事情は漏らす素振りがなかったのが不思議だ。一線はわきまえてると思うべきだろうか。

 

「さて、自慢も終わったしゲームでもすっかな。なにやる?」

 

「あ、ねえねえ、『早撃ち』が体験できるやつある?」

 

「おお、あるある。これ会長さんモデルのキャラもいるんだぜ」

 

「あれやってるときの会長、綺麗だもんね」

 

 文也は飛行魔法デバイスを机の横に引っ掛けてゲームの箱を漁りだす。

 

 その箱の中から会話を挟んで取り出したのは、SF映画のような背景に『Simple3000 theスピード・シューティング』とタイトルが書かれたゲームパッケージだ。

 

 そのゲームは昨今すっかり浸透したフルダイブVRゲームで、九校戦の正式種目にもなっていてまた魔法競技としてもメジャーである『スピード・シューティング』をリアルに体感できるゲームだ。

 

 あずさはこれからそれをやるということで、特に自分の体を動かすわけでもないのにスポーツ気分になり、動きやすくするためにぴっちり閉めていたシャツのボタンを開けて緩め、さらに首にかけていたペンダントを外してそっと机の上に置く。

 

「え、あーちゃんそれまだ使ってたの?」

 

「もう、当たり前でしょ」

 

 それを見た文也が目を丸くしてそう言うのに対し、あずさは笑って答える。それを聞いた文也は嬉しさとほかの色々な感情が混ざった笑みを浮かべて小さく

 

「ありがとな」

 

 と言った。あずさはその意味を理解して、何か言おうとするが、すぐに文也はいつもの雰囲気に戻り、まるであずさの言葉を遮るかのように明るい声で問いかける。 

 

「ちなみにあーちゃん、リアルの方のやつはどれぐらい出来る?」

 

 遮られたあずさは、もうそこで言おうとしたことを諦める。文也が今の一瞬で何か納得したのだから、それを自分がどうこう言う必要はない。きっと、双方にとって悪い結果にはならないから。

 

 文也を尊重して、ここまでの話は一旦なし、ということにして質問に答える。

 

「んー、そこそこ。ふみくんは希望すれば選手に選ばれるんじゃない?」

 

「あー、確かにそれもいいけど、俺は氷柱倒しのほうに出たいかなー。ま、なんでもいいけど。あーちゃんは何出たい?」

 

「いつも通りエンジニアかなー」

 

「あーちゃん魔法力も二年でトップクラスだろ? もったいねー」

 

「あ、あまり競技とかは得意じゃないから……」

 

「そこも変わんないのかよ」

 

 フルダイブVR用のヘルメットの設定を各々で調節しながら、二人はそんな会話を交わした。




これにて一章はお終いです
次回から二章です。二章からは原作から少し離れた雰囲気になると思います


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九校戦/旧交戦編
2-1


例のアレのパロディがありますので、適当に読み飛ばしてください


 から風が吹きすさぶ荒野の中、二人のごつい男がにらみ合いながら対峙する。

 

 片方はきりっとした顔をした美丈夫で、よく鍛えられた体を青いツナギで包んでいる。

 

 もう片方はまるで野獣のような眼光で、その体は水泳選手や空手選手のように鍛えられている。

 

 互いが構えているのは、そんな二人の体格に似つかわしくない、肘から手首くらいにかけての短い棒だ。

 

 そして傍からは見えないが、本人たちにのみ見える数字が、空中に現れる。

 

 5、4、3、2、1――GO!

 

 瞬間、互いの棒をお互いの体に打ちつけ合う。その動きは激しく、パチンパチンという音が絶え間なく響き渡る。時にはその棒を交わしあい、時には相手の棒を躱して自分の棒を相手の顔面にたたきつける。

 

 そんな激しい攻防の中で、目に見えて変化が訪れた。

 

 短かった棒が、相手に攻撃が加わる度に少しずつ長く、そして太く、肥大していっているのだ。

 

 もう互いの棒は竹刀と同じぐらいまでのび、先の方になるにしたがってまるで日本刀のように反っている姿は、凛として、雄々しかった。

 

 その雄々しい互いの棒は、それぞれその力を解放すべく、持ち主の手の中でビクンビクンと震えていた。

 

 もうどちらもフルパワーだ。

 

 互いの間に緊張が走る。油断したら――負ける。

 

 しばしにらみ合いが続く。そんな二人の間を、一筋の特に強い風が吹き抜けた――瞬間、

 

「シッ!」

 

「シャアッ!」

 

 互いに声を上げてその棒をぶつけあう。しかし片方は全力でぶつかりに行ったが、もう片方はその実ぶつかった瞬間力を抜き――相手が前に崩れるのを狙っていた。

 

「しまった!」

 

 青いツナギを着た男が前に姿勢を崩した瞬間叫ぶ。自分の失策を悟ったのだ。

 

 それはほんの少しの隙であったが――テクニシャン同士の戦いでは、その隙は致命的だ。

 

「食らえ!」

 

 野獣のような眼光をした男は即座に相手の背後に回り込む。そして自分が持っている限界まで怒張した棒を――股の間に挟みこんだ。そして――

 

 

 

 

「超必殺技――――漢千奥義(かんぜんおうぎ)・漢千本乱れ咲き!!!」

 

 

 

 

 腰を思い切り振って――その怒張した棒を、青いツナギを着た男の尻に思いきり挿す。

 

 

「アッー!」

 

 

 青いツナギの男はたまらず悲鳴を上げる。もう動いたり、抵抗などは出来ない。

 

「おら、おら、おら、おら!」

 

「ア、ア、ア、ア、ア、アッー!」

 

 何発も何発もまるでピストンのように尻の奥まで突かれる。それはだんだんと痛みでなく、そう、まるで天へと旅立つような不思議な感覚に変わっていき――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――瞬間、互いの目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんだなんだ!?」

 

「おいおいどうした!?」

 

 二人の少年は即座に頭につけたフルフェイスヘルメットのようなものを取り外して起き上がる。さきほどまでの頑強な漢の姿は見る影もなく、片方は小さな少年、もう片方はひょろりとした細身の少年だ。

 

 二人がヘルメットを外して視界を確保するとそこには――

 

 

 

「み、みんな!」

 

 

 

 ――ぐるぐる巻きにされている仲間たちがいた。その横に立っているのは――

 

 

 

 

「風紀委員の森崎だ。ゲーム研究部部員全員、校則第24条、わいせつ物持ち込み禁止違反の現行犯として連行する」

 

 

 

 

 ――まるで拳銃のようにCADを向けている、疲れた呆れ顔の森崎駿がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲーム研究部全員に反省文を書かせている横で、駿は今回の顛末を書類に書いている。

 

 小さな少年(文也)と細身の少年(部長の百谷)がやっていたのは、大人気フルダイブVRMMORPG――のパロディゲームだ。

 

 ゲーム名は『stick art ♂hline(スティック・アート・オウライン)』――略してSAO(竿)である。

 

 そのゲームはフルダイブVRゲームであるもののオンラインではなく、ローカル対戦しか出来ない。個人でクリアしていくゲームで、アインムクラッドと呼ばれる空に浮かぶ城を攻略して昇っていき、その屋上でお日様を体いっぱいに浴びて日焼けし、美味しいアイスティーを飲むことを目標とするRPGだ。

 

 その城の中には各階層ごとにステージがあり、そのほとんど森である。ニコニコ顔の虫モンスター「ホモオ」や裸の男「森の妖精」が有名なキャラクターだ。

 

 この汚いゲームの元ネタである某ゲームは、大人気ゲームの宿命かたくさんのパロディゲームが出たが、その人気の強さでそれらを全て跳ねのけてきた。

 

 しかしこの通称『竿』だけは別。どう考えても『自主規制』で『アッー!』で『ウホッ♂』なゲームであるため、某ゲームの発売元が提訴して、そしてパロった側が裁判で完敗して発禁されたのだ。

 

 発売されて1週間と経たずに――裁判が高速化しているうえ、争える要素が欠片もない――発禁になったうえ、その出来自体は非常に高いためマニアの間では高値で取引されている。

 

 ゲーム研究部は今日の活動で、このゲームをやっていたのだ。だがこのゲームは当然のように18禁。まだ七月ということもあり、部員は三年生も含め全員18歳に満たないのだ。

 

 そんなゲームを学校の敷地内で平然とやったのだ。そりゃあ捕まる。

 

「これで何回目だよ……」

 

 駿は呆れて溜息も出ない。まだ七月なのに、もう今年度のゲーム研究部の検挙数は8回だ。しかもそのすべてが駿による検挙である。

 

 風紀委員は毎年このゲーム研究部に悩まされていた。このゲーム研究部は代々優秀で、大会などは優勝しまくり、個人で出場する大会なら、かつて世界選手権の1位から4位まで独占したことまである。また『研究』の名の通り画期的な作戦の開発や隠されたパスワードや動作などのやりこみ要素の発見が非常にうまく、さらにオリジナルゲームを文化祭や80年経った今でも年2回行われてる大規模即売会で売ったら即完売するほどなのだ。

 

 故にネットでも世間でもこの部活の評判は高く、実際に一高の受験者数の増加にも一役買っている。

 

 一方で行動がとにかくやんちゃで、活動実績がこの通りだから廃部にも出来ないということで教師と生徒会を悩ませ続けていたのだ。

 

 その結果が放置であり、そのツケを代々風紀委員が払っているのである。

 

 そこでいつからか、何も知らない一年生の新入りにそれとなくゲーム研究部を任せて何回も検挙させ、その一年間、その一年生を『担当』みたいな扱いにしてしまう、という伝統が出来ていたのだ。

 

 何も知らず、またやる気に満ち溢れた駿は、哀れかな、ずるがしこい先輩たちに嵌められ、しかも親友が所属しているとのことで、完全に担当にさせられてしまったのだ。風紀委員の活動に慣れてからここ一カ月、彼が担当だと知ってから先生方が妙に優しい。

 

 

 

 

「勘弁してくれ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 駿のつぶやきは、虚空に消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勘弁してよお……」

 

 ちょうど同じ時刻、生徒会室ではその主が書類を見て悲し気に同じようなことを呟いた。

 

 いまどき珍しい紙媒体に書かれたそれは、ついさきほど届いて、封筒からとりだしたばかりのものだ。

 

「ま、真由美先輩? どうかしたんですか?」

 

 その横で作業していた黒髪ロングの美少女・深雪がいきなり落ち込んだ真由美を心配して声をかける。

 

 そんなやり取りを心配そうに見ている小さな少女はあずさ、動かない表情の下で嫌な予感に胃痛を感じる美人が鈴音だ。

 

「これ」

 

 力の抜けた声で真由美が示すのは封筒だ。

 

「あ、九校戦の封筒ですね!」

 

「そういえば、もうそんな時期ですね」

 

 あずさと鈴音が反応する。毎年行われる超一大ビッグイベント――表現が被ってるのはそれだけ大きいということだ――である九校戦のお知らせがついに来たようだ。

 

 この大会の準備は大変だが、一方でその大変さを以ってしてもなお、近づくたびに心が踊らずにいられない。そんなイベントのお知らせを見たにも関わらず、真由美は落ち込んでいるのだ。

 

「りんちゃん」

 

「はい」

 

 虚ろな目で真由美が鈴音をあだ名で呼ぶ。

 

 鈴音はより胃痛を強めた。

 

「いますぐ十文字君と摩利を呼んで。緊急事態よ」

 

「は、はい」

 

 鈴音ですら動揺を隠せない。十文字克人と渡辺摩利を呼ぶほどの事態と言うのは、尋常でない。

 

 鈴音が二人に連絡を取る中、深雪は嫌な予感にひしひしとさいなまれながら問いかける。

 

「あの、なにが……」

 

 その質問は、ゾンビのような眼で見られて尻切れトンボに終わったが、そのゾンビは質問の内容を察したらしい。いつもとは違う緩慢で雑な動作で紙を投げてよこす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『全国魔法科高校親善魔法競技大会運営委員会より、各校の代表へ

 

 今年度の上記大会のルールが決まりましたので、連絡いたします。

 

 変更点は以下の通り

 

 ①

 『モノリス・コード』のルール変更いたします。

 

 変更内容は7ページ参照

 

 ②

 競技は『クラウド・ボール』から『フィールド・ゲット・バトル』へと変更いたします。

 

 なお、新競技は本大会オリジナル競技であるため、ルールの詳細は9ページ以降に示します。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪が読み上げると、場の空気が固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「競技、変更だって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年は荒れる。そんな嫌な予感が、生徒会メンバーの中に駆け抜けた。



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2-2

 新競技『フィールド・ゲット・バトル』のルールは以下の通りである。

 

・各校で3人ずつ選手を選んでチームを組み、2チームで戦う。

・それぞれ大会標準のヘルメット・スーツ・プロテクター等の装備を着用。

・選手には各一つずつ、大会運営より競技専用のCADが渡される。

・競技専用のCADは『インクガン』といい、インクを打ち出す魔法専用のものである。

・打ち出せるインクの量は最大30発。ただし自チームのインクが塗られた場所にいたら1秒ごとに1発分回復する。また最大量を超えて打ち出す場合は自身のサイオンを消費する。インク残量はヘルメットのアイガード右上にホログラムで表示される。

・2チームが2色に分かれて規定のフィールドの中で5分間争い、試合終了時、そのフィールド上で自チームのインクの色の面積が大きかった方を勝利とする。

・フィールドの種類はランダム。

・着用している装備が、相手が打ち出したインクによって一定以上の面積を塗られた場合、その瞬間からその選手は10秒間動くことは出来ない。この動けない状態を『スリープ』と呼ぶ。ただしヘルメット付属のインカムで会話は可能。

・スリープ状態からの復帰後、手持ちの残弾数は必ず10になり、5秒間は相手のインクで装備が塗られることはない。ただし相手陣地側に進んではいけない。二歩以上進んだら意図的にルールを破ったとみなして失格。

・装備に塗られたインクは、自チームの色のインクが塗られた場所の上で、インクを打ち出さずに静止することで一定時間ごとに一定量剥がれ落ちる。位置はランダムである。

・選手は規定のインクガンの他、規格内のCADを1つだけ持ち込むことが出来る。

・そのCADにインプットできる魔法は以下の『スペシャル』と呼ばれる魔法をどれか一種類のみである。

・『スペシャル』は各試合で一人につき一回のみ使用可能。

・『スペシャル』の種類と効果は以下の通り。

 

☆『スーパーショット』――一発だけ、超高速で縦長のインクを打ち出す。すべての遮蔽物を貫通し、直撃した相手は塗られた装備の面積に関わらずスリープ状態になる。

☆『バリア』――一定時間、相手に装備をインクで塗られなくなる。半径3m以内に仲間がいればその仲間にバリアを共有することが出来る。ただしバリアが切れた直後の5秒は塗られた装備の面積に関わらず相手のインクに塗られた場合スリープ状態になる。

☆『メガホン』――直径1mの円柱型の光を放つ。これに触れた相手は装備を塗られた面積に関わらずスリープ状態となる。ただし、使用してから5秒間、効果が発動することはなく、その間は一歩も動けず、塗られた装備の面積に関わらず相手のインクに塗られた場合効果はキャンセルされスリープ状態になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このような資料が、翌日、緊急全校集会で配られた。

 

 あの後、摩利と克人を含めた生徒会役員でルール解釈を急ピッチで行った。『モノリス・コード』のルール変更はまだいい。少し変わっただけだ。しかし、ほかの競技は全て世間でも行われているものであるが、今回の新競技は今大会オリジナルである。どんなトラブルがあるか分からない。

 

 しかも委員会に問い合わせたら、見本試合などは実施する予定はないらしい。

 

 しかもしかも複数対複数の時間制限競技であるため、ルールは複雑である。抜け道を探した作戦も重要だ。

 

 ルールの資料を渡された全校生徒は困惑し、ざわざわとしだす。

 

 果たしてどう説明しようか。壇上に立つ真由美は頭を抱えた。こっちが悪いわけでもないのに、暴動が起きかねない。

 

 そんな絶望した彼女の耳に、ある声が入ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、これ『ナワバリバトル』じゃん」

 

「ああ、あのレトロゲームの。たしかにそっくりだな」

 

「オリジナルとかいっといてパクリかよ」

 

「大昔のゲームだし、知らなかったんじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 真由美は講堂内を見まわしてその会話の発生源を探る。

 

 全容がつかめないルールを『知っている』奴がいる。

 

 同じ会話を聞いていたらしい摩利と目線を合わせる。

 

 真由美はすぐに得意の『マルチスコープ』を使って講堂内をくまなく見る。戸惑ったような顔をしている生徒がほとんどだが、その中に一つ、苦笑いしている生徒の集団がある。

 

(連行)

 

(了解)

 

 真由美の目線でその集団に気付いた摩利は壇上を下りて早足でその集団に近づく。

 

 そしてCADを取り出して、その集団に向けてこう言った。

 

 

「風紀委員の渡辺摩利だ! ゲーム研究部を連行する!」

 

 

 

 

 

「「「「「『まだ』なにもやってねえんだけど!?」」」」」

 

 

 

 

 苦笑いが、他の生徒とは違う理由で驚きに変わった。

 

「『まだ』って……また何かやるつもりなのか……」

 

 密かに胃を痛める森崎という生徒も近くにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生徒会室にご案内されたゲーム研究部ご一行――その中に文也もいる――は、そこで騒いでいた。

 

「おい今度はなんだ!?」

 

「まさかあの幻のエロゲーを持ってきてたのがばれたか!?」

 

「それとも今度の夏の即売会でオリジナルエロゲーを売ろうとしてるのがばれたか!?」

 

「……ほう?」

 

「「「「ヒエッ」」」」

 

 摩利の冷たい一言に、ゲーム研究部の男の珠2つは縮み上がる。

 

 それを見た摩利は絶対零度の視線のまま(部長が変に興奮しはじめた)口角を吊り上げて話をする。

 

「さて、今の話に興味は尽きないが「え? 渡辺もエロゲーに興味あるの?」殺すぞ「ごめん」」

 

 話を遮られて体力も気力も(呆れて)尽き果てた摩利はふらふらと椅子に座り、あとの説明を真由美に任せる。こいつらの相手はいくら体力があっても足りない。

 

「えっと、色々言いたいことはあるけど……」

 

 真由美は困ったようにそう切り出した。

 

「さきほど説明した九校戦の新競技についてですが、実は九校戦オリジナルの競技ということで、私たちでその中身が今一つつかめていません。そんな中、どうやらあなたたちはこの競技について『知っている』ようですね?」

 

「はー、まあ」

 

 代表して部長が答える。

 

「つってもレトロゲームだけどね。もう80年位前かなー。大手ゲーム会社から発売されて大ヒットしたんだけど、そのゲームの中身にそっくり」

 

「詳しく教えてくれるかしら」

 

「あー、つってもあれはとにかく奥が深くてなー」

 

「ですよねー、いやはや、あれは奥が深いゲームだった。一言では語りつくせない、そうロマンのようなものが」

 

「うんうん、子供向けとは思えない複雑で精巧なゲームだと思う」

 

 ゲーム研究部の面々でなにやら顔に熱い感情をたたえ、腕を組んでうんうん頷き合っている。

 

 どうにも教える気がない――おそらく面倒くさいのだろう――らしい。

 

「ふーん、そう。そういえば、ここ3年間でゲーム研究部の検挙数は2位に8倍つけて圧倒的一位ね」

 

「「「「ギクッ」」」」

 

「それと、去年は一科生も含めてほとんどが赤点。部活としてはひどいものねえ」

 

「「「「ギクギクッ」」」」

 

「それとさっきの話も気になるわねえ。高校生がわいせつ物を部活動で堂々とやった挙句、またわいせつ物を『学校の活動として』外に売ろうとしてるのねー」

 

「「「「…………」」」」

 

「このまま学校に迷惑かけて一切貢献しないんじゃあいくら成績良くても廃部はまぬが――」

 

「はいはいはい、それは『ス◯ラトゥーン』ていう対人TPSゲームです!」

 

「インクで壁とか床とかを塗って戦うんです!」

 

「色々な武器があって、色々なステージがあるんです!」

 

「『ナワバリバトル』っていうのはゲーム終了時の塗った床面積を競うゲームです!」

 

 真由美の脅しに、ゲーム研究部の面々はこぞって情報を提供する。この場には部活連会頭の十文字までいるのだ。マジで廃部にされかねない。

 

「さ、いろいろ教えてもらうわよ?」

 

 真由美が穏やかな、それでいて冷たい笑みを浮かべてゲーム研究部の面々を見つめる。

 

 面々は震えあがり――うち何人かは変な趣味に目覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三巨頭を部室に案内(気分的には部員たちがドナドナされている気分であった)してから、ゲーム研究部は膨大な資料を片っ端からあさり、検索し、引っ張り出して三人に渡していく。

 

 そのあまりに膨大なゲーム資料の数々に三人は目を丸くした。しかも部員は全員――文也を筆頭とした一年生を含めて――膨大な資料のある場所を全て覚えているのだ。その資料はデータカードやUSB、さらに紙媒体など様々だ。

 

「すっごい数の資料ね。活動は真面目にやってるみたい」

 

「部活連でもこれではなかなか手が出せなくてな。しかし、むう、どうやら銃型の機械を使うゲームらしいから、この『エイム』というのは、英語の意味から察するに狙いの正確さのことか? 専門用語が多すぎてわからん」

 

「この熱意が勉強にも向いてくれれば……」

 

『…………』

 

 摩利の漏らした一言に、部員たちも含めて押し黙った。言ってはならないことである。

 

「ね、ねえ、このゲームって今プレイできるの?」

 

 真由美はこの空気を変えようと声を震わせながら問いかける。こういった器用なことが出来るのは、三巨頭の中では真由美だけである。

 

「あ、あー、どうだろ。もう80年前のゲームなんで今の規格に合わないんじゃないかねえ」

 

「あー、ハードの方が微妙っすねえ、確かに」

 

 その質問にすぐ部長と部員の一人が答える。

 

「画面規格も、画素数も、端子も内部の仕組みも何もかもが違うからなあ」

 

 資料に目を通しながら文也はそれに補足を加える。

 

「そう……でもこのプレイ動画と考察資料があれば十分何とかなりそうね」

 

「ゲーム実況で流行ったら、上手い人からサルプレイまで色々見れるから便利だよなー」

 

 真由美が残念そうにしながらもそう言うと、部長は苦笑いしながらそれに続いた。

 

「あれ、でも、テレビをイチから作ればいけるんじゃね? 任〇堂資料館にソフトとハードは初期状態で残ってるだろうし」

 

『……あ』

 

「ほう」

 

 それを受けた文也のつぶやきに、他の部員と真由美と摩利は呆けたような声を出し、克人はそれに興味を示した。

 

「その大手メーカーの貴重な資料を、はたして学校に貸し出してくれるのか? 昔のゲームだから貴重だぞ?」

 

「それなら心配ないよ、会頭。俺らは色んな企業とコネあるし、ジェットストリーム土下座すれば貸してくれるんじゃない?」

 

 光明が見え始めたところで克人は懸念事項を挙げる。その懸念を、部長が(とうていスマートとは思えない方法だが)解決法を提示する。

 

「そういや会頭と会長は十師族だったよな? この二人下座ったら完璧じゃね?」

 

「お前らは十師族を何だと思ってる!?」

 

 部長の提案に、真由美と克人は顔を引きつらせ、摩利が声を荒げる。

 

「え……偉い人でしょ?」

 

「偉い人が頭下げればさしもの天下の任〇堂も説得できますよ!」

 

 きょとんとする部長と、喜んだように声を上げる部員。

 

 その様子を見た摩利は頭を抱えながらこう言った。

 

「……土下座と頭下げるを一緒にしてるのはお前らぐらいだ」

 

 摩利はそう文句を言って大きな溜息を吐き、心の中で呟く。

 

 

 

 そういやこいつらの土下座をこの二年とちょっと見続けてきたんだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、えらい人の土下座大作戦は保留となった。

 

 そんな頭が痛くなるような出来事のことを知らない深雪たちはその日の放課後、生徒指導室の前で達也を待っていた。

 

「お待たせ」

 

 生徒指導室の扉を開けて達也が出てくる。外に愛しい妹と友人たちがいるのは気配で察していたので、達也はそう言えた。

 

「おう、その、どんな内容だったんだ?」

 

「ああ、定期試験の結果でちょっとした話をした」

 

 レオの質問を受けて達也は、筆記試験の結果と魔法実技の結果が乖離している点を気にされたと話す。

 

 ちなみに筆記試験の結果は、1位達也、2位は文也、3位は深雪で4位は吉田幹比古という生徒で5位は駿だった。実技では1位深雪、2位は文也、3位は駿で4位が雫、5位がほのかだった。

 

 筆記試験の結果も何かと異常だが、教師たちは実技試験の結果に頭を抱える羽目になってしまった。トップ5がA組なのは、クラスによって習熟度に差が出ているということである。元々この5人は入学試験でも全員トップ20に入っていた――クラス分けは実は試験結果に関係なく完全ランダムと言う適当なものである――のでこの順位結果はまだいいのだが、この5人は入学してからの伸びがすさまじかったのだ。

 

「なんじゃそりゃ、手抜きなんかするメリットなんかないのによ」

 

「いや、手抜きとかそんな大げさな話じゃない」

 

 生徒指導教官はこの日たまたま休みで、どうにも厄介な達也の相手を、また教師たちの間で浮いている教師がした。他なら手抜きを疑ったりするのだが、この教師は考え方が常識離れしていたのだ。

 

「廿楽先生だったからな、そんな馬鹿らしい話をする人じゃない」

 

 達也は苦笑いする。入って早々に『呼び出してすまないね。これも仕事だから』と穏やかな笑みで迎えられ、試験結果の乖離について事務的な質問を受ける。手抜きについて否定すると『まあそうだよね。今回は上手くいかなかったんだろう。ドンマイ』と慰められた。

 

「ある意味馬鹿らしい話はされたがな。四高への転校を薦められた」

 

「て、転校ですか!?」

 

 突拍子もない単語に、ほのかが大声を上げる。他のメンバーは大声を上げるような事こそしなかったが、驚きか呆れ、もしくは怒りの表情を浮かべている。

 

「ああ、四高は魔法工学重視だから、と」

 

「馬鹿みたい」

 

 達也の解答に、雫が扉へその向こうにいる廿楽を射殺さんばかりの冷たい視線を向けながらそう吐き捨てた。あまり感情を表に出さない雫には珍しい表情だ。

 

「廿楽先生曰く、『正直言うと、君ほどの人材を教え導けるような教師はこの学校にいない』だそうだ」

 

 ともすれば教育放棄と捉えられかねない。実際達也以外のメンバーの表情は怒り、または失望をあらわにしている。

 

 だが達也は、彼女らが思っているようなことを、廿楽が考えていないということを知っている。なにせ直接話したのだ。彼女らの表情を見て、すぐに達也は廿楽を弁護する。

 

「まあそう怒るな。廿楽先生は善意でそういってくれたんだ。あの人は優秀だけど性格が災いしてここに飛ばされたクチらしいし、悪意なんざない。余計なお世話だが」

 

「だとしても、」

 

「まあ話は最後まで聞け。廿楽先生はさっきの言葉のあとに『四高には君を魔法工学の面で超え、教え導くことが出来る人が一人だけいる』と言ったんだ」

 

「…………」

 

 ほのかの反論を遮って達也はそう話を続けた。その話を聞いて『達也を超えるほどのがいるのか』とほとんどのメンバーが怒りを忘れたが、深雪だけはなお一層怒りを募らせる。

 

 ――気温が下がる。

 

「……落ち着け、深雪」

 

「……はい」

 

 その気温の低下は達也の一言で収まるが、深雪の怒りは冷めていない。

 

 達也のことを魔法工学の面で世界一番だと信じて疑わない深雪は、顔を知らない教師とはいえ、そんなことを言われるのは我慢ならなかった。

 

「そ、そんな先生もいるんだなあ」

 

「冷静に考えろ、レオ。俺はまだ高校生だ」

 

 達也の顔に悔しさが少しだけにじむ。

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』の『キュービー』と『マジュニア』だけでなく、他にも自分を超えるものがいる。自信過剰でも、傲慢でもなんでもなく、実力が伴った自負心が悔しさを呼び起こす。またそれ以上に妹の信頼に応えられないのも悔しかった。

 

「そういえば、今朝聞いた新競技についてどう思う」

 

「井瀬君がなにやら訳を知っていそうだったわね」

 

 もうこの話題を続けるのは愚かだと判断したのか、雫が話題を変える。それに、ひとまず怒りを収めた深雪が答えた。

 

 ほのかと雫もそれに頷く。三巨頭とゲーム研究部たちが講堂を離れてしばらく、運営の頭を欠いた緊急朝礼はぐだぐだのまま解散になった。

 

 それからしばらく、1限目の授業中、文也が戻ってきた。そんな彼の顔は不満そうであり、右目に青タンを作っていた。

 

 駿との会話を盗み聞きしたところ、どうやら『風紀委員長に殴られた。土下座はダメだとよ』とのこと。その後の会話は聞こえなかったが、詳しく話を聞いた駿が呆れたような顔をしていた。どんな話だったのか授業に集中できないほどに気になった3人だったが、本人たちに聞くわけにもいかず、また放課後には深雪は真由美たちに聞けるので、今までその真相は知らない。

 

「……そうだな。九校戦にしては珍しく、魔法の実力があまり関係なさそうだが」

 

「それに、使う魔法の種類も2つだけですよね……」

 

 どちらかといえば運動神経と作戦などがものを言いそうな競技だ。インク上限以上に打ち出すためにサイオンを消費するあたりはまだ魔法の実力が関係ありそうだが、魔法力の中でも技術的な面でなく、完全に才能に分類されるようなものであり、その『才能』も、現代魔法ではあまり重視されない部類のもの。不可解と言うのが正直なところだった。

 

「……生徒会で、色々詳しく聞く必要がありますね」

 

 深雪は眉間にしわを寄せてそう呟いた。



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2-3

 生徒会室で、真由美からゲーム研究部部室での顛末を聞いた深雪は心底呆れかえり、深い深い溜息を吐いた。

 

 本気で真由美たちも土下座に参加させようとしていた部員たちはついに摩利の怒りにふれ、得意技のスタイリッシュ土下座を各々オリジナリティを発揮しながら決めたが全員顔に拳を食らった。その当人・摩利は現在風紀委員の部室で達也と作業をして――という体で達也に作業をさせて――いる。

 

「結局、交渉方法は別として、そのゲームは実際にプレイできそうよ」

 

 説明を一通りした真由美の目線は端末に向いている。そのゲームのプレイ動画だ。

 

 動画を投稿したらしいプレイヤーがスーパーショットで相手を一気に二人撃ちぬく。それが決定打となり、人数有利になった実況者側は残り10数秒で逆転し、勝利を収めた。どうやら『ナワバリバトル』とやら以外でも色々ルールがあるようで、『ガチマッチ』とやらを怒り狂いながらプレイしている動画も見た。あまり上手くなかったので途中で視聴をやめたが。

 

「それで、このインクガンというのはいつ送られてくるんですか?」

 

「んー、明日だって。それよりも、はあ……どうしよう……」

 

 真由美は答えながら端末を閉じ、溜息を吐きながら呟く。ある程度選手にあたりをつけていたのだが、これでまた考え直しする部分が多くなった。しかも、自分が出場して優勝する予定だった『クラウド・ボール』が廃止になったのだ。色々と憂鬱である。

 

「司波深雪さんは、これまで通り新人戦の『アイス・ピラーズ・ブレイク』と『ミラージ・バット』をお願いする予定ですので心配いりませんよ」

 

 その横で鈴音が深雪にフォローを入れる。そんな鈴音の目も少し充血しており、作戦スタッフとして動画をいくつも見ていることが伺われた。

 

「まったく、ただでさえエンジニア選出に苦労してるのに、ここで新競技だなんて……」

 

 真由美の愚痴は、作業音の中に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ゲーム研究部 わいせつ物持ち込みのため連行 罰・反省文』

 

『ゲーム研究部 授業を放棄し部室で活動のため連行 罰・補習』

 

『ゲーム研究部 夜間に集団で学校に侵入 罰・雑用手伝い一週間』

 

 風紀委員の資料整理を手伝って――というか主に一人でやって――いる達也は心底呆れかえった。

 

 生徒の校則違反記録のほとんどがゲーム研究部についてだ。また先輩からのアドバイスのようなものが資料の端々に見えるが、それらもゲーム研究部についてがほとんどである。『土下座されても許すな』『芸術的な土下座をされても驚くな』『幼稚園生を相手してると思え』など尋常でないアドバイスばかりであったが、入学してから三カ月でそれらが正しいことを達也は知った。

 

 そんな資料整理の中で交わされた雑談は、自然と九校戦の話になった。

 

「今年は三連覇がかかってるんでしたっけ?」

 

「ああ、去年も一昨年も厳しい戦いだった。とくに三高と四高にはヒヤヒヤさせられるよ」

 

「……」

 

 三高は作戦スタッフを連れてきていないが選手の質が高く、逆に四高は作戦スタッフとエンジニアの腕が高い。毎年優勝を競っているのは一高を含めた三校だ。

 

「うちはどちらかといえば三高よりだな。選手の質はとにかく高い。作戦スタッフも鈴音を中心によくやっている。だがエンジニアがな……」

 

「なるほど、足りないと」

 

 四高の名前が出た時に少しだけ動揺したのを悟られていないと思った達也は、安心しながらそう当たり障りのない返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せっかく十文字君が協力して選手が決まってたのにこの仕打ちは何よ……エンジニアも足りないし……」

 

『…………』

 

 翌日の昼休み、生徒会室には闇堕ちした真由美の愚痴ばかりが飛んでいた。その眼に光はなく、化粧で誤魔化しきれない肌つやの悪さと目の下のくまがそのすごみに拍車をかけている。

 

 さすがの達也も消化不良を起こしそうである。深雪と鈴音とあずさはすでに半分も食べきっていないのに箸を止めていた。摩利はさすがだが、箸はいつもよりも進んでいない。

 

 兄妹愛コンタクトで達也は離脱を試みる。真由美の愚痴が丁度折よく途切れたので立ち上がろうとした、その時、

 

「あの、エンジニアにはふみくんと司波君がいいんじゃないでしょうか」

 

 達也にとって特大の地雷があずさによって投下された。

 

「……そうか、達也君!」

 

「……盲点だった。委員会も深雪のも、コイツが調整していたんだったな」

 

「あ、あのう、ふみくんは……」

 

 真由美と摩利の目に光が戻るが、まだどことなく濁っている。まるで、希望と一緒に聞きたくない名前が出てきたかのようだ。

 

「エンジニアの重要性は存じ上げていますが、自分は一年生ですが? 前例がないはずです」

 

「前例はいつの時代もつくるものよ」

 

「あの、だからふみくんは……」

 

 達也の反論を真由美が撃ち落とす。その口調からは危ない雰囲気が察せられた。

 

「CADの調整はユーザーとの信頼関係が重要です。自分がなるのはいかがなものかと」

 

「私はお兄様に調整していただきたいのですが」

 

「ふみくん……」

 

 なおも反論を募る達也に王手をかけたのは、さきほどまで仲間だと思っていたいとしい妹だった。

 

「お、おい、みゆ……」

 

「そうよね!? いつも任せている信頼できるエンジニアがいれば選手の調子もあがるわ!」

 

「ああ、しかも司波は一年生のエースだ! 彼女がここまで推すのだからな!」

 

 真由美と摩利が達也の言葉を遮る。完全にチェックメイトである。

 

「はい、私だけでなく、光井さんや北山さんも安心できますね」

 

 深雪の言葉はもはやただのダメ押し。そうして話が進もうとしたとき――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、ふみくんはどうなんですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――生徒会室が、大声でふるえた。

 

 盛り上がっていた生徒会室が急に静まり返る。

 

 声の主は、提案者のあずさだ。普段の気弱そうな様子は鳴りを潜め、立ち上がっていて、その顔は怒りに染まっている。

 

「司波君はいいとして、どうしてふみくんのことを無視するんですか!? 一年生でも、いや、この学校全体で見ても、ふみくんは間違いなくCAD調整では一番です!」

 

 机を叩いてなおも大声で真由美たちに詰め寄るあずさは、その体格からは想像も出来ない迫力を放っていた。その普段見ない様子に呆けていた一同だったが、真由美と摩利はいち早く復帰して言い返す。その眼は、さきほどよりもさらに濁っていた。

 

「ふみくん? あはは、それだれかしら?」

 

「いやはや、そんなにいいいちねんせいがいたのかあ? にたようなあだなのやつで、じゅっしぞくにどげざさせようとしたれんちゅうのなかまならしってるんだがなあ」

 

 現実逃避気味の声は、どこまでも渇いていて、空虚だった。

 

「私のCADだってふみくんが調整してるんですよ。ほら! すごいでしょう!?」

 

「これ以上私の胃痛増やさないでよ! あんなの加えたら何しでかすかわかんないわ!」

 

「あいつの腕は認めるが、問題行動が過ぎる! 他校や来賓の前であんなの出せるか!」

 

 あずさと真由美と摩利が立ち上がり、真っ向からにらみ合って大声で反論しあう。

 

「……」

 

「…………」

 

「……………………」

 

 深雪は目を丸くして脳みそをシャットダウンさせてしまっている中、達也は現実逃避しつつも……それを虚ろな眼で見ながら、鞄からこっそり取り出した胃薬を明らかに制限用量以上にがぶ飲みしている鈴音を見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後の部活連準備会議は、始まる前からピリピリしていた。

 

 それは達也に関してもそうだが、椅子に大きな態度で座っておおあくびこいているチビも原因だ。

 

 一時大騒ぎになった生徒会で、改めてこの二人をエンジニアとして採用するかどうかを、この会議で決めることになった。殴り合いに発展しそうな大喧嘩を収めたのは深雪の魔法である。足先の冷えは若いといえど女性の天敵だ、というのが鈴音の証言である。

 

 二人が座っているのは内定メンバーと同じオブザーバー席である。そこに座りだした二人を見て範蔵は眼を見開き、克人と駿はこっそり胃のあたりを押さえたというのはついさきほどの話である。

 

 そして会議が始まる。

 

 当然のように、真っ先に達也と文也に関して説明の要求がされ、それに回答した真由美へ無秩序な反論が所々からあがり、会議は踊る。

 

 達也にも文也にも好意的な態度を持つものは思ったよりもいたが、こういった型破りが嫌いな人物はどこにでも一定数いる。達也は二科生、文也は素行不良だ。どちらも何も事情を知らない人物からすれば至極まっとうな意見である。

 

 それらに対して強硬に反論したのは、達也に関しては真由美、文也に関してはあずさだった。とくにあずさの強い態度は意外で(あの場にいたメンバーたちはその記憶を封印していたため無表情である)、当の本人である文也すらも目を丸くしていた。

 

「ようするに」

 

 そんな会議を一言で収めたのは十文字克人である。そのオーラはもはや一流の軍人の様だ。ただし最近なんだか胃薬が欠かせないのが目下の悩みであるのだが。

 

「司波については、実際どの程度の実力なのかが問題なのだな? 井瀬も素行は気になるが、本人も乗り気のようだし、素行不良を補えるほどの実力を示せばいい。二人ともが、実際にそうするのが一番だ」

 

 克人は冷静であった。彼も文也のメンバー入りはなにかと心労が予想される身であるが、自分の立場を考えて、あくまで中立である。

 

 文也は何も言わないことこそが、やりたいと思っていることの証左だった。もし嫌なら、彼ならばすぐに『面倒だ』とかいって会議を脱走して部室でゲームをしてそうなのは簡単に予想が付く。

 

「……ですが会頭、井瀬はすでに氷柱倒しの選手にも選ばれています。それにエンジニアも、というのは酷では?」

 

「あー、そこは大丈夫だな。氷柱倒しは体力使わないし、CADいじるのは好きだし、そんな疲れないぜ」

 

 克人に反論したのは範蔵だ。彼は文也の実力をその眼で見ているため強く反対こそしないが、彼の体力の低さを知っている。

 

 だがそれを文也自身が心配ないといってみせた。それならば、もう反論はない。文也が出る『アイス・ピラーズ・ブレイク』は魔法的にも精神的にも体力は使うものの、身体自体は動かさないのでスタミナという意味での体力は必要ない。そして、日常会話の中で、最近あずさのCADを調整しているのは文也だと知っているし、その調整が今までとは比べ物にならないほど高精度であることを彼は知っている。その実力を知り、思い浮かぶ問題点のほとんどが解決した以上、あとは実際に目で見える形で実力を示してもらうだけだ。

 

「反論はないな? では俺が実験台になろう」

 

「いえ、推薦したのは私ですから私が」

 

 克人が立候補し、それを真由美が遮る。そのやり取りは決して文也と達也にとって愉快なものでなく、文也に至っては舌打ちをする始末だ。

 

「それなら俺がやるよ」

 

 それをさらに遮ったのは、ひょろりとした細身の少年だ。

 

「あれ、部長いたの?」

 

「そりゃ『スピード・シューティング』の代表だしね、俺」

 

「知らんかった」

 

 立候補した少年を見て文也は目を丸くする。そこから雑談が交わされるが、それを克人が遮った。

 

「……百谷、そのぐらいにしてくれ」

 

「うーす」

 

 悪名高いゲーム研究部の部長・百谷博は、その部の中でも珍しく一科生であり、また成績優秀者でもある。百家の一家の生まれでもあり、三巨頭の影にこそ隠れているが、試験では『ほとんど』実技でも筆記でも上位10人にいる。たまにゲームのやり過ぎによる連日徹夜で調子が出ず留年レベルまで点数が落ち込むこともあるが。

 

 文也がある程度受け入れられていた理由は彼による。ゲーム研究部所属と言えど、彼は一年生の頃から九校戦でその存在感を示していた。文也の実力自体は試験結果からこの場の誰もが知っているため、素行が気になる以外の欠点が見つからない。一年生がエンジニアというのは心配だが、この百谷の前例もあるため『もしかしたら』という期待が少なからずあるのだ。

 

「決まりだな」

 

 克人のその一言でこの後の方針が本決まりになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也の採用は決まった。

 

 彼の完全手動調整は博をうならせるほどのものであった。安全第一の調整であったが、博が『スピード・シューティング』の練習機で実際にやってみて『おお、すげえすげえ! 自分のみてえだ! ひゃっほう!』と叫んだほどだ。

 

 決して派手な成果でこそなかったが、あずさや範蔵の強い推薦もあって達也は選ばれた。

 

 そして次は文也の番だ。

 

「どれ、司波兄はかなりやってくれたみたいだし、俺はいっちょ派手にいきますかね」

 

 達也の腕を見せられた文也は、エンジニアとして熱く血が滾っていた。その言葉を聞いたあずさは『嫌な予感が……』と頭を抱える。推薦したこと自体に後悔は全くしていないのだが、感情的に推薦してしまった手前、文也が何かを『やらかし』てしまうと、あずさにとっては恥ずかしいことになる。

 

 博からCADを受け取った文也はそれをそのまま調整機に置いて、達也と同じように文字が羅列する画面を出してそれを高速スクロールでみたりすることもなく、そのままキーボードで設定をいじりはじめた。

 

「もう司波兄が計測も終えてるし、色々後ろから見てたからもう中身もわかってるし、がっつり手順飛ばしたから」

 

 キーボードを達也と遜色ない速度で叩いて次々と設定を変えていきながら文也は周りにそう説明した。

 

 その書き換えた内容を見て、達也は思わず閉口した。

 

(……これは…………)

 

 止めようか迷う。このままだと、下手をすれば、危険なことになりかねない。それほどに『危険』な調整だと達也は変更内容から読み取った。

 

 だが、すぐに考え直す。データをよく見れば、さきほどの懸念は杞憂だと知ったからだ。

 

「ほいお終い。部長、きいつけてね。それ、渡辺先輩や部長みたいにじゃじゃ馬だから」

 

「「どういう意味だコラ」」

 

 摩利と博の口から同時に文句が飛び出る。文也はそれを聞いてヘラヘラに笑うのみだ。

 

 それを見て摩利は諦めたように溜息を吐き、博は苦笑いしながら実験の準備に入った。

 

「んー、あ、これちょっとやばくない?」

 

 模擬競技が始まり、魔法の展開開始と同時、博の顔が引きつる。

 

 それとは裏腹に、打ち出されるクレーは次々と破壊されていく。さきほどの達也の調整とは比べ物にならない精度と速度でクレーは破壊されつづけ、そのまま終了した。

 

 叩きだされたスコアは、さきほどのものどころか、去年実際に準優勝して見せた時の記録を超えていた。

 

 だが戻ってくる博の顔は嬉しそうでない。さきほどまでの涼やかな顔は嘘みたいに歪み、摩利に睨まれたときのように汗をだらだらとかいていた。

 

「な、やばいだろ?」

 

「俺じゃなかったら競技中止もんだよ」

 

「部長だからそうしたんだもん」

 

「ほざけ」

 

 そう言った部長はどっかりと椅子に座り、スポーツドリンクを呷ってようやく一息ついた。

 

「……記録はすさまじいが、井瀬。あれは『どういうこと』だ?」

 

「今のはさすがに私でも見過ごせないぞ」

 

 その横では、みたことない剣幕で摩利と克人が文也に詰め寄っていた。

 

 だが当の本人はいつもの反省文を書いている時の様子が嘘みたいにケロッとしている。

 

「司波兄が安全優先でやってたから、俺は逆に記録優先でやってみただけですって」

 

「それでも限度があるだろう!」

 

 文也の弁解に、摩利が声を荒げる。その胸倉をつかみそうになったが、摩利は自分の手を自分で押さえつけることでそれを我慢することに成功した。そうまでしないと怒りが抑えきれないほどに、文也の調整は危険であると摩利は知っているのだ。

 

「……お前なら、性能の低いハードで大魔法を行使する危険はわかるはずだ」

 

 克人も声を荒げこそしないが、その低い声に怒気が多分に含まれている。傍から見ればトラに睨まれたウサギだが、それでも文也は動じなかった。

 

「まあまあ落ち着けって。俺は部長の実力を知ってて、あそこまでギリギリに手を出したんだよ。失敗するなんて思ってもないさ」

 

「そりゃまた嬉しいね」

 

 文也はヘラヘラ笑いながら反論し、それを聞いた、ようやく息が整った博が苦笑いしながら無駄口を挟んだ。

 

「委員長に会頭、こいつ、『俺の今のコンディション』で出来るギリギリを突いて、わざとあそこまで調整したんだよ。こいつにとって、危険なんてこれっぽっちもない」

 

 そう言ってCADを文也に渡しながら『もどしといて』と言うと、そのままタオルで汗を拭く。一方の文也はまた調整機にCADを乗せ、またキーボードで達也が調整したものと『まったく同じ』ものに調整し直した。

 

「……いまふみく……じゃなくて、井瀬君がやったのは、百谷先輩が言った通り、極限まで記録を求めた調整です。先輩の体調や今の実力を、観察とサイオン波の計測だけで読み取り、それが制御できるぎりぎりまで魔法の性能を高めた調整なんです」

 

 あずさが呆れたように、文也の調整の解説をした。文也がこうした『無理』をするのをあずさは何度も見てきた。ただしコンディションの見極めが絶妙らしく、多少吐いたりはするが、取り返しのつかない事態には一回もなったことはない。あずさが懸念したのは『事故』ではなく、文也のギリギリの無茶が受け入れられるかどうかだった。

 

 達也は文也のギリギリを攻める姿勢に、調整を後ろから見ていた時点でうすら寒いものを覚えていた。

 

(俺だったら……ここまでできるか?)

 

 文也は一回博が実際『スピード・シューティング』をやっているのを見ているとはいえ、彼のコンディションを正確に読み取ってみせた。それはサイオン波の測定と安全マージンを取った調整をした達也も同じことをしていたが、自分があそこまで自信満々にギリギリを攻められるのは、自分自身か妹だけである。

 

人の体のコンディションというのは秒単位で移り変わるものだ。ギリギリを攻めるにしても、安全マージンはそれなりに取るのが普通である。

 

 それなのに文也は、達也が後ろから画面を見た限りでは、まさにギリギリを攻めていた。博は百家の産まれなだけあってかなり良い――性能が高いという意味である――CADを使っており、逆に競技用の性能が制限されたCADはそこまでいいものではない。

 

 良いCADから良くないCADに魔法式をそのまま移すというのは、魔法が発動しないだけならまだいいが、暴走したり暴発したりして使用者を傷つける可能性もある。だから安全マージンは必要以上にとっておくべきなのだ。

 

 それを知らない魔法師は多いが、エンジニアなら知っていて当然の常識を、文也は破ったのだ。

 

 否、本人に破ったつもりはない。そのラインぎりぎりを攻めただけだ。

 

「……はあ…………」

 

 そこまでのやりとりを無言で見ていた真由美は、大きく溜息を吐いた。眉間にはしわが寄っていて、顔に疲労が色濃く出ている。

 

「井瀬君の実力が高いのは分かったわ。スコアを求めてギリギリを攻めるのもわかる。でも、そんな危険なことをやって笑っているような人に、エンジニアは任せられないわ」

 

 真由美は生徒を守る立場である生徒会長としてそう言った。本人とあずさはギリギリ100%安全であるところを狙った、と言ってはいるが、背負うリスクが高すぎるものに対してそこまで狙うというのは、『未来ある』魔法師のエンジニアとしては無責任どころか、非常識だ。これは生徒会長としてだけでなく、この国の魔法師の未来を守る義務がある十師族の長女としても許すべきことではない。

 

「……一つ、僕からいいですか」

 

 そんなところに、手を高く挙げてそう言った生徒がいた。

 

「なんですか、森崎君」

 

 真由美はその生徒――駿に対して発言を許す。

 

「文也はああして非常識な調整をしたのはたしかですが、あれはあくまで『この瞬間しか』使わない――つまりコンディションの振れ幅が少ないからそうしています。実際、僕は彼にCADを調整してもらっていますが、かなり使いやすいです」

 

 そう言って駿は自分が使っている競技用CADを見せる。それを受け取ったあずさがすぐに機械につないで中の設定を見てみる。

 

「これは……」

 

 その画面――達也や文也が使ったような文字の羅列でなく、普通に使われるグラフ化されたデータ画面である――を覗いた達也は声を漏らす。

 

 さきほどの非常識な調整とは真逆に、どこまでも緻密な調整が施されたものだった。

 

 駿の家は本流でこそないものの百家支流名家であり、彼自身も良いCADを使っている。当然そこから競技用CAD向けに調整するとなると安全マージンを取らざるを得ない。

 

 それに対してさきほどの文也は安全マージンをギリギリまで削ったが――駿の競技用CADには、安全を確保したうえでなおかつ最高のパフォーマンスが出せる調整が施されていた。

 

「駿がそのCADで出る競技は『モノリス・コード』だ。『スピード・シューテイング』と違ってクローズドじゃなくて、外部の影響を強く受けるオープンな競技なんだよ」

 

 立ったままだった文也が口を開く。その顔は、自信に満ち溢れた笑顔だった。

 

 競技には大きく分けて2種類のものが存在する。

 

 1つは外部の影響が少ないクローズド、もう1つは外部の影響に対して反応するオープンだ。

 

 クローズドは例を挙げるとすれば、水泳・投擲競技・テニスなどのサーブといったものが挙げられる。

 

 逆にオープンはサッカーやバスケの試合・テニスなどのラリーなど、外部の動きに反応するものが挙げられる。

 

 故に文也の例えは本来の意味とは少し違うものであるが、この場にいる人間に意味は伝わっている。

 

『スピード・シューティング』は予選までは一人でやるもので、他者の影響はない。さきほど博がやったのも対戦型でなく、個人のスコアをのばすスコア型だ。

 

 それに対して、駿が出る『モノリス・コード』は対戦型だ。しかもフィールドも様々で、かつ『相手からの攻撃』や『動き回る』といった要素もあるため、コンディションに影響する要素は『スピード・シューティング』よりもはるかに大きい。

 

「攻撃を受けたり走り回ったりしたら、それだけでコンディションが変わる。それに、使う魔法も種類が多いし、こいつはCADの電源を付けてすぐに魔法を起動する、みたいなことをよくするから、安定した魔法の起動が重要なんだ」

 

 だから、こうした調整をしている。

 

 そう最後に結論付けることはなかったが、この場にいる全員が理解した。

 

 彼は競技特性や状況、さらにはコンディションに合わせて、調整を自在に変えられるスキルを持っているというのだ。

 

 それはつまり、選手や天候などのコンディションが悪くとも、その影響がでにくい調整が出来る、ということだ。

 

 リスクの少ない調整が出来るということ。

 

 彼はそれを、あえて『リスクが大きく見える調整』をすることで証明して見せた。

 

 場の空気が静まる。さきほどまで怒りのオーラを出していた克人や摩利ですら、ぽかんとしていた。

 

 そんな状態から、いち早く復帰したのは真由美だった。

 

「そう……。……決めました。私は、井瀬君がエンジニアチームに入ることを支持します」

 

「俺も。こんだけ出来る奴ならCADの調整は任せたいな」

 

「僕も賛成です」

 

「私もです」

 

 真由美に続いて、博と駿とあずさも支持する。生徒会長、三年男子の優秀者、一年男子のエース、そしてエンジニアのエース。彼女らの賛成は場の流れを変えた。

 

 文也の危険な調整に対して怒っていた克人と摩利も冷静さを取り戻し、すぐに――摩利は不本意そうだったが――賛成の意を示した。

 

 反対派は沈黙したままである。これほどの腕を示され、真由美や克人が賛成したのだ。もう何も言えない。

 

 文也のエンジニアチーム入りが決まった。



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2-4

 文也と達也は、本来ならチーム入りするか否かの結論が出たら解放されるはずであった。

 

 だが同時に二人、それも前例のない一年生が入るということで、ある程度の風を通しておくとよい、という真由美の勧めで、エンジニアチームだけの会議が開かれた。

 

 といっても、それは会議の名を借りた懇親会、もしくはクラス替え直後のホームルームのようなもので、まず各々の自己紹介から始まった。

 

 そこにいるのはやはり一科生ばかりで達也は浮いていたが、ここにいるのはそういったものに寛大なものがほとんどで、彼はなにかと有名であるため、むしろ好意的な視線の方が多い。逆に文也は一科生にも関わらず、達也よりも少し風当たりが強い。ここにいるのは多かれ少なかれ、エンジニアとしての自分に誇りを持っているものだ。本人は安全だといっているが、マージンをギリギリまで削った調整に反感を持つ者はいる。

 

 とはいえ、それを表に出すほど心が幼いものはいなかった。少し風当たりが強いか浮いているかという感じであって、この場にいる上級生たちは二人に対する好奇心が心のほとんどを占めていた。

 

 自己紹介が終ると、各々が勝手に話し始める。しかも机の上にはジュースが人数分置かれているので、まさに懇親会であった。

 

「ねえ、さっきの調整の時の文字がたくさん並んでた画面、あれってなんなの?」

 

 真っ先に質問しに来たのは、2年生の中性的な容姿を持つ穏やかな男子・五十里だった。さきほどの自己紹介で、魔法幾何学が専門なので調整は得意でないとは言っていたが、それでもエンジニアなのでこういったことへの好奇心は強い。

 

「あれは測定結果とコピー元の設定の原データです。グラフは多少誤差がありますし、あれならキャパが許すまで調整が反映できますから」

 

「そ。で、俺はもう測定結果は見てたから司波兄がやったデータを書き換えるだけで終わったの」

 

 答えたのは達也、補足を加えたのが文也だ。その話を聞いたメンバーは、(もとから察していたあずさをのぞいて)原データから直接理解するスキルに鳥肌が立つ。彼らはまだ納得しきれていないが、この一年生たちは自分よりも上だ。そう心の奥底で、本人たちが気付かないうちに思った。

 

「ったくよお、司波兄があんなことするから、俺が苦労したじゃんかよ。あそこまで派手にやったのはお前のせいだぞ?」

 

「そういわれても困るんだが」

 

「だって、お前があんなことして、俺も同じことやったら式を一切書き換えないじゃん? 考えてみりゃ、同じ手順を踏みそうなのはわかってるんだから、実験台が部長とあと一人必要だったよな。そうすりゃ俺も同じようにマージンとってすんなり入れたのに」

 

 本人たちがいないからか、文也は堂々と運営サイド――真由美や克人だ――を批判する。とはいえこれは全部あずさを通じて真由美の耳に入るのだが。

 

「だったらふみくんがもう一人って提案すればよかったじゃん」

 

「だって、司波兄があんなことするなんて思わねーもん。普通と違うことやってマージン適当にとってこの一年生すげーて思われて楽々入る、っていう計画がおじゃんになってよ」

 

 あずさが文也に文句を言うが、文也はさらに反論する。その反論はもっともだ。

 

 そんな会話を見て、達也はあることに気付く。

 

(そういうことか……)

 

 達也が調整をしている間、他は何をやっているのか分かっている様子はなかったが、文也と『あずさ』は大きく驚いていなかった。

 

 あずさは驚いてこそいたものの、まるで『高校生でも原データから読み取りをできる者がいることを知っている』ように驚きが小さかったのだ。文也とあずさは幼馴染らしいし、今は彼女のCADの調整を彼がやっているらしいから、それも納得である。

 

「そ、そういうことだったんだ」

 

 五十里は苦笑する。あそこまでギリギリを攻めれた理由は、自動調整ではコントロールしようがない小さな誤差すらない、自分の腕と完全マニュアル調整に対する信頼のたまものだ。

 

 この後、文也と達也は質問攻めにあった。とくに達也は持っているCADがかの『トーラス・シルバー』の見たことないモデルだったので、この場の全員が興味を示し、達也は誤魔化しきるのに多少の苦労を要した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃじゃーん!」

 

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 翌日の昼休みの生徒会は、いつもよりもやかましかった。

 

 というのも人数はいつもの約2倍、しかも増えたのがゲーム研究部の連中だからである。

 

「これが、例の『スフ〇ラトゥーン』てやつ?」

 

「いや、これはそれを遊ぶ用のハード。ていうか会長、なんか隠れてない気がする」

 

 博が布を勢いよくはがして出して見せたのは、昨日の放課後に彼を筆頭に部員何人かで土下座しに行って借りてきた『Wi〇 U』であった。ちなみにその場に真由美はいあわせなかったが、どうやら克人はついていったらしく、土下座とはいかなかったものの頭はかなり深く下げたらしい。のちのある部員は『任天〇の人、顔真っ青だったなー』と語る。魔法が関係ない場面でも、十師族の名前が通用することもあるのだ。ちなみにこの社員のうち一人はゲーム研究部のOBであり、克人におびえつつも後輩の立派(?)な成長を喜んでいた。

 

「んでもってこっちがお待ちかねのー……じゃじゃーん!」

 

『ひゅううううううううううううううううううううう!!!』

 

「うるさい……」

 

 続いて博が『スプラトゥー〇』のパッケージを取り出すと、部員たちのボルテージはさらにあがり、それを聞いていた深雪はついに食事に集中できないと思ったのか、不満げに呟きながら半分ほど残った弁当を閉じる。

 

「で、それはまだ今のテレビの規格に合わないからプレイできないのよね?」

 

「そこはご心配なく! なんと、じゃじゃーん!」

 

 博はまた別の布をはがす。出てきたのは『Wi〇 U』に似ているが、どことなくデザインがダサくなったものだ。

 

「この最高にかっこいいフォルムは、なんと俺が一晩で徹夜して作った、今の規格に合わせた『Wi〇 U』、名付けて『Wi〇 H』でございます!」

 

「見た目だせーぞ部長ー!」

 

「名前もだせーぞ部長ー!」

 

 博は裏声の大声で、大げさに紹介する。それを部員たちがやじるが、博は満足げだ。そんな中、ついに摩利と達也までもが裏声の騒がしさのせいで食が進まず弁当を閉じる。

 

「今ならなんと、この『Wi〇 H』が、お値段何と10万円!!! 安いでしょうー? しかもなんと、今回は特別にこちらの専用リモコンと『Wi〇 Pad』をお付けします! これらはタダですよー?」

 

 調子に乗った博は裏声をさらに大きくして、まるで近年見なくなったテレビショッピングの紹介役みたいに演技がかった様子で続ける。

 

「そしてなんとなんと! 今ならさらに5万円をプラスしていただくごとに! この! 超豪華セットを! もう一つお買い上げいただけます! これでコンピューターだけでなく、複数人での対戦が楽しめちゃうんです!」

 

 布を次々とはがすと、その中から『Wi〇 H』と専用周辺機器と『スプラ〇ゥーン』のソフトのセットが次々と出てくる。

 

「そして、これは送料手数料は『ヒロネット』が負担いたします! どうですかー会長ー? これで今度の九校戦、他の学校に大きくリードできますよー?」

 

 いつの間にか博の目には『$』が浮かんでいる。ここで金儲けをするつもりだ。

 

「そうねえ……じゃあ、予備も含めて10セットいただこうかしら」

 

「真由美!?」

 

「お買い上げありがとうございまーす!」

 

 真由美の言葉に摩利が大声を上げる。学校関連で大金を動かすにしても、生徒の財布に丸々入るというのは問題だ。

 

「10セットで55万円になりまーす!」

 

 博がすぐに計算して電卓で示す。それに対して、摩利の発言を意に介さない真由美はニコニコ笑顔で電卓を受け取る。

 

 だが真由美は、会計用の端末も、財布も、カードも取り出す気配がない。代わりに真由美が指パッチンをすると、ずっと黙っていた鈴音が端末を起動させて真由美に渡した。

 

 文也と達也と深雪は見逃さなかった。普段表情が表に出ない鈴音の顔が、未だかつてないほど『あくどい笑顔』だったことに。

 

「でも、ちょっとお得なクーポンを使わせていただくわね」

 

「へ?」

 

「落第レベルの成績低下、学校へのわいせつ物持ち込み、および学校の名を借りて外部のイベントでわいせつ物の販売を計画、学校の設備の破壊、教師や生徒へのいたずら、授業の脱走、サボリ、授業中のないしょ――」

 

 真由美が読み上げていくにつれて、博の顔が見る見るうちに青くなっていく。

 

 それを尻目に、真由美の読みあげは実に3分続いた。

 

「以上のことを総合するに、百谷博は当校の度重なる指導に関わらず反省せず、校則違反・迷惑行為を繰り返し続けていることが証明できる。以上のことから、百谷博の強制退学を生徒指導部へ生徒会から申請しま――」

 

「今なら何と大特価! クーポンの提示及びお渡しいただきデータを消去していただくことで、いくらでも無料でプレゼントいたします!」

 

「ありがとうございます」

 

 博は顔を青を通りこして真っ白にして土下座しながらそういうと、真由美は腰に手を当て、悪魔のような笑みで見降ろして頷いた。

 

 真由美は昨晩、克人からゲームを借りに行ったという連絡を受けていた。

 そしてこの2年とちょっとの付き合いから博の行動を先読みし、彼が、こちらが対策する暇も与えず、徹夜で今の規格に合わせたものを複数作りだし、高額で売りつけてくるだろうことを予測した。

 

 そこで彼女は即座に鈴音に連絡。協力して彼の入学以来の悪行を改めてリストアップし、生徒会権限による『問題生徒の退学の要請』書類を作成したのだ。

 

「部長、そんなことを……」

 

「いやー、さすがに実験部屋を丸々機能不全にするのはやりすぎですわー」

 

「十文字会頭にまでいたずら仕掛けるなんてある意味すごいですわー」

 

「全部まとめていうとただのバカですわー」

 

 下級生も含めた部員から次々と罵倒される。ちなみに最後の発言は文也のものだ。

 

「お前らも同じ穴の貉だろう……」

 

 という摩利のつぶやきはガンスルーである。この面の皮の厚さがこいつらの厄介な所である。

 

「さて、じゃあ早速やってみましょうか。競技の方に合わせて3対3でいいわよね?」

 

「その前に私たちはチュートリアルで操作を覚えるべきかと」

 

「あー、りんちゃんの言うとおりね。じゃあ私はこいつらの対戦見てるから、りんちゃんたちは別のテレビでやってて」

 

「こいつらって……ひどくない?」

 

 こうして、一高の競技研究が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん、ちょっと微妙ねえ」

 

 騒がしかった昼休みが過ぎ去って午後の授業を挟んでからの放課後、昼のメンバーに加えて克人と半蔵がいる生徒会室で真由美は腕を組んで渋い顔をする。

 

 競技とゲームは似ているので練習になるといえばなるのだが、やはり『フィールド・ゲット・バトル』との相違点が多すぎた。

 

 まずは武器の種類だ。競技ではインクガンだけのようだが、ゲームでは射程や操作方法まで様々な武器がある。チャージャーやリッターと呼ばれるのはまだいいが、ローラー、筆、バケツあたりはインクガンと全く違う。さらにはサブと呼ばれるものまである。それに『イカ状態』と呼ばれる形態があり、それは現実では不可能なものである。さらに武器ごとにスペシャルが決まっているうえにスペシャルのルールも異なっている。加えて、インク残量の回復方法が、現実世界の競技では絶対ムリな『自分の色のインクへ潜る』ということである。

 

 ここまで相違点があると、まったく練習にならないのだ。

 

 さらに決定的な違いとして、『コントローラー』で動かすということがある。競技は生身で走り回るし、視点も当然一人称。だがゲームの方はTPSなので視野の違いも大きい。

 

 折角骨を折ってプレイ環境を整えたゲーム研究部――の代表として呼ばれた文也と博も渋い顔だ。苦労したのにその言い草はない、と怒ってもよさそうなものだが、彼ら自身もこの多くの違いでは効果的な練習にならないということが分かっているのでそうはならない。

 

 さらに真由美たちを悩ませているのは、午後の授業の途中に九校戦の運営から届いた荷物にある。

 

 その中にはインクガンと実際に競技で使われる装備が十人分、バトルフィールドを自分たちで作るための器具とマニュアル、それにランダムで選ばれるというステージすべての図面だ。3vs3で行われる競技なので、模擬対戦用も含めて六人分で十分なのだが、不良品や故障があったときのための予備として、プラス四人分が入っている。

 

「なにこの非効率的な魔法。燃費悪すぎるわ」

 

 真由美はインクガンを実際に持ち、自分の足元に向けて引き金を引いてインクを放つ。それとほぼ同時に真由美の足元は蛍光緑に染まる。

 

 魔法は実際に事象が起こるまでは目で感知することはできない。よって魔法に詳しくない者が競技を見る場合、事象を打ち消しあったりしようものなら、なんか選手本人たちは必至そうだが、何も起こってないように見える。

 

 そこで観戦者向けに、特殊なモニターを用意してあるのが普通だ。本来目に見えないサイオンなどを特殊な技術で可視化できるようにしているのだ。そうするとまるでバトル漫画みたいに派手に光がぶつかり合ったりして見ごたえのある映像になる。

 

 この『フィールド・ゲット・バトル』はその技術を応用してバトルフィールドが用意される。四つセットの小さな杭を地面に刺すことで、その四つの杭を頂点とした四角形で地面が区切られる。その中に立ってインクガン(という名のCAD)で特殊な魔法を放つことで、一定の範囲がインクで塗られたように特定の色に染まるのだ。また選手の専用の装備もこのバトルフィールドの中ではインクガンによる魔法を向けられると特定の色に染まり、その面積をリアルタイムに即座に計測し、一定以上塗られると専用の魔法が発動して、装備している選手を10秒動けなくしてスリープ状態にする。今、真由美たちは生徒会室をバトルフィールドとして送られてきた器具の点検をしながら今後について考えているところなのだ。

 

 曲者なのはこの専用のCADであるインクガンに登録されてる、インクを打ち出す魔法――説明書には『ショット』と書かれている――だ。なんとこの魔法、膨大なサイオンをぶつけることで魔法式を壊す『術式解体(グラム・デモリッション)』と似たようなものなのだ。使用者のサイオンの塊を打ち出し、それをバトルフィールドや装備が検知して、まるでインクが塗られたかのように色を変える。実際になんらかの方法でインクを打ち出すのではない。

 当然使うだけで使用者はサイオンを大幅に消費する。これを競技の間は絶え間なく打つことになる。まだ装弾数の30に収まるうちは消費が多い魔法、程度で済むが、装弾数を超えて無理やり打ち出そうとすると、それこそ『術式解体』並みに膨大なサイオンを消費することになる。

 

 燃費が悪いだけならいいが、真由美の大きな不満点はそこではない。この魔法『ショット』の魔法式は、とてつもなく非効率的にできている。わざとサイオンを大きく消費するように、また速く打ち出せないように式が構築されているのだ。ちょっと魔法式について勉強すれば、これよりも燃費良く、かつ速く打ち出せるように改善できるほどだ。

 

 真由美たちは当初、この式を各校の生徒たちで改善して競技に挑むという、選手の実力だけでなくエンジニアの腕に大きく左右されるルールなのだろうと思ったが、添付された追加ルールには「『ショット』の魔法式の改造は禁止」と書いてあった。この燃費がひどく悪い魔法を、選手は絶え間なく打ち続けなければならないのだ。

 

「意図が読めんな。まさか、時代遅れの尺度で実力を測るのではあるまいし」

 

 摩利もインクガンを握りながら困り顔だ。

 

 摩利が言う『時代遅れの尺度』とは、魔法師が持つサイオン量によって魔法師の実力を測る、という考え方のことだ。まだ魔法について手探りの頃は魔法式の効率やCADの性能が今にくらべたらはるかに悪く、燃費もひどいものであった。それによって魔法をより多く使えるサイオン量が多い魔法師がもてはやされたのだ。司波兄妹の実の両親が結婚した(させられた)経緯もそれによるもので、当時はまだサイオン量が重要な尺度で、兄妹の実父である龍郎は膨大なサイオン量を持っており、その遺伝子を期待されて深夜と結婚させられ、二人が生まれたのだ。

 

 そのような時代はとっくに過ぎ去っており、唐突に大規模な大会で新しく作られた競技がサイオン量が多いほど大幅に有利、というのは不可解である。

 

 首をひねる上級生たちと対照的に、達也と深雪はこの不可解な点についてある予想を立てていた。

 

「お兄様、これって……」

 

「ああ。『汎用飛行魔法』と無関係じゃないだろうな」

 

 上級生たちに気づかれないように、競技用の器具に夢中になっている裏で小さな声でささやきあう。

 

 自らの手で『汎用飛行魔法』を開発している達也と、その姿をそばで見続けてきた深雪は、『汎用飛行魔法』の性質をよく理解している。

 

『汎用飛行魔法』は人間が大きな道具を使うことなく単身で随意飛行をできるという点において大いに価値がある。それは深雪が『ミラージ・バット』のために『汎用飛行魔法』を使おうとしているように、今までの競技バランスを崩壊させるような技術革新になる。うまく普及すれば交通事情やインフラ事情も一変するし、さらに軍事的利用価値も非常に高い。

 

 本来なら九校戦のルール設定に影響しないタイミングで達也たち『トーラス・シルバー』が発表する予定だったが、現代魔法工学界の異端である『マジカル・トイ・コーポレーション』が2月に『汎用飛行魔法』の開発成功とそれ専用のCAD発売を発表した。それ自体でできることはとても大きな社会的価値がある――少なくとも様々なものの事情を一変させるような――ものではないが、この魔法を応用してできることは先述のように多い。

 

 九校戦の運営にかかわる組織――教育面・スポーツ面だけでなく、政治的・商業的・軍事的意図などが複雑に絡み合う魔窟だ――がこれに目をつけてこの『フィールド・ゲット・バトル』のルールを大急ぎで、かつ『汎用飛行魔法』を利用しようとする意図がばれにくいように作った。

 

 これが達也たちの予想だ。

 

 大きな利用価値がある『汎用飛行魔法』ともなれば、『マジカル・トイ・コーポレーション』が発表したものに比べてどころか、普通の魔法やもっと大規模な魔法に比べても常駐型魔法であるがゆえに無秩序に使用し続けたらはるかに多量のサイオンを消費する。実際、達也はこの方向で『マジカル・トイ・コーポレーション』と差別化を図って開発を進めている。この競技を通して、時代遅れとなった才能をまた発掘する狙いがあるのだろう。

 

「インクガンについてはさておき、障害物があるフィールドの中で銃を撃ち合って相手を倒したり、陣取りをしたりする、というのは、サバイバルゲームに近いものがありますね」

 

「そうだな。『モノリス・コード』も同じような性質があるが、こちらはより強い」

 

 真由美たちと同じようにインクガンを試し打ちしたりして内容を確かめながら、鈴音と克人――克人は生徒会役員ではないが、あまりに事情が特殊なので招集された――は感想を漏らす。

 

「となる、と……やはり……」

 

 それを聞いて摩利は頭痛を覚えながら、さっきの渋面はどこへやら、いつのまにか部屋の隅でインクガンを構えて打つマネして遊んでいる細見の少年たちに目を向ける。摩利の顔は『ただでさえ厄介なのに、それを解決するためにもっと厄介なやつに頼らねばならないのか』と言わんばかりだ。露骨に顔には出さないが、生徒会の面々や克人も同じことを考えている。

 

「こちらスネーク、目標を確認した」

 

「了解。二人で同時に突入するぞ」

 

 ゲーム研究部部長の博と文也だ。二人は壁に背を付けて向こう側を覗く真似をしながら――その向こうに廊下や道や部屋はなく、目の前にも同じ壁があるのみ――銃を顔の横で構えて――視界をふさぐ、暴発したときに顔面がケガをするなどの理由で不適切な『ハリウッド・レディー』である。良い子のみんなは格好良さを求める時以外は真似しないように――ノリノリで寸劇をしている。

 

「確かあなた達、ビデオゲームだけじゃなくて、サバイバルゲーム? ってやつにも詳しかったわよね」

 

「おうとも。体力に自信はないけど腕と作戦には自信あるよ」

 

 真由美の確認に博は寸劇を中止して返事をする。数日後に『あれ? コンバット・シューティング部に頼ればこいつらに頼らなくてもよかったのでは?』と真由美自身が後悔することになるのは余談である。

 

「じゃあ百谷くんはこのあとやる作戦会議に参加してね」

 

「うい。文也も来なよ」

 

「オッケー。いっそ部のみんなも呼ぼうぜ」

 

「収拾がつかなくなるからやめて頂戴」

 

 真由美が勝手に話を進める二人を即座に止める。まだ文也がついてくるだけなら百歩譲っていいが、ほかの連中も来るとなると厄介極まりない。こいつらの厄介さは足し算でなく乗算なのはこの二年とちょっとで深ーく実感してるのである。

 

 

 

 

 

 

「「荒れそうだ(なあ)……」」

 

 

 

 

 

 

 

 微妙に蚊帳の外だったあずさと範蔵は誰にもばれないようにつぶやいた。



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2-5

 作戦会議は生徒会役員共――ではなく一同――とその中の一人である深雪が参加を強く希望した達也、部活連会頭である克人、首脳扱いの摩利、ゲーム研究部代表の博と文也、そして参考人として呼び出されたコンバット・シューティング部の部長と、呼び出す道中でトイレに行ってるところを文也に見つかってついでに連れてこられた哀れな森崎駿が参加した。

 

 コンバット・シューティング部の部長はあらかじめなんとなく自身が呼び出されることを察していた――彼もサバイバルゲーム的な性質に勘づいていた――ので動揺は少ないが、拉致られた駿は哀れだ。部活中、トイレに向かっていたらいきなり文也につかまり、連れてこられたと思ったら首脳陣が勢ぞろいしていて、しかも会議の内容が九校戦の新競技についてという重大なものだ。しかも内心で天敵扱いの達也まで首脳面して参加している。緊張と同様に尿意も加速するが、彼にトイレのためにこの会議を中座する勇気はなかった。

 

 会議は主に、『モノリス・コード』で集団で戦うタイプの競技に慣れている克人と半蔵、サバイバルゲームに詳しい博、戦略眼に一日の長がある摩利、コンバット・シューティング部部長らの提案や質問によって進んだ。達也もこういったものの戦略眼はあるが面倒なのでだんまりを決め込んでいる。文也も、博が話しているので自分が話す必要はないので聞いているだけだ。

 

「競技の性質上、リアルタイムで動いて対戦する競技、または状況に慣れていて、かつサイオン量が多い生徒をこの競技の選手にするべきだな」

 

 元からわかり切っていたが、会議を通して意思疎通することで今後の方針を全員で共有する。その方向性を決定づけたのは克人だ。

 

「一年生だったら司波深雪さんと森崎駿君がまず適任だろうね。司波さんはサイオン量は規格外だし、この前の突入作戦でも活躍したらしいから実戦経験がある。森崎君はあの森崎家だし、部活動の内容から見てもこうした荒事っぽい競技は慣れてるでしょ」

 

 博はまず真っ先に新人戦のメンバーとして深雪と駿に白羽の矢を立てる。真由美たちがテロリストの本拠地への突入作戦の内容が漏れていることに肝を冷やしたのは余談だ。うっかり話を漏らしたのはあずさで、それを聞いた口の軽い文也が博に話した、という展開を容易に予測できるし、それは正解である。

 

「でも私は『アイス・ピラーズ・ブレイク』と『ミラージ・バット』で枠が埋まっています」

 

「僕も『モノリス・コード』と『スピード・シューティング』で枠がいっぱいです」

 

 しかし元から優秀な二人は、すでに出場できる競技の枠が埋まっているのだ。一人につき二競技まで、という制限がここにきて響いてくる。そもそも二人は一年生の男女それぞれのエース格だ。『フィールド・ゲット・バトル』のような先が読めない競技より、情報がある競技に出てポイントゲッターになるべきである。

 

「なんだよ駿、水臭いこと言わないで一緒に出ようぜ」

 

 その至極当たり前の返答に横やりを入れたのが文也だ。誰もまだ何も言ってないのに勝手にもう自分が出るのが確定と言わんばかりの横暴な発言だ。

 

「別に井瀬君が出るのは構いません。『氷柱倒し』ならあまり体を動かさないし、先日の司波君との決闘で対戦慣れしているのもわかります。しかし、体力に自信が無いようですし、エンジニアとの兼ね合いも難しいのではないですか?」

 

「まあなんとかなるっしょ」

 

 鈴音の確認にも文也は軽くうなずく。実際文也は(こう見えて)魔法実技の成績も優秀だし、出場枠も余っている。コントロールが効かないやつなので先行き不安だし、よくわからない競技の穴埋めには適任だ。

 

「森崎。『早撃ち』のほうはいいから、お前はこっちに出ろ」

 

「委員長!?」

 

 摩利はすかさず駿に指示――を通り越して命令を下す。駿が誇りある活動として一生懸命参加している風紀委員の委員長にして実力もカリスマも抜群の三巨頭である摩利の命令には、上下関係を重んじる駿は逆らえない。克人とその腰ぎんちゃくとして文也と博がコンバット・シューティング部部長を呼び出しに行っている裏で、生徒会役員たちと摩利はこっそりある決め事をしていたのだ。

 

『本人が乗り気なら文也を出す。そしてそのコントロール役として駿も出す』

 

 文也は先述の通り適任だ。しかし集団競技なのに協調性がミジンコ程度もないような文也を出すのは心配なので、あの『ゲーム研究部担当風紀委員』であり文也と親しく、また実力もあり競技と相性もよさそうな駿もまた適任である。良心たるあずさも、文也が活躍するという話なので乗り気だった。厄介を押し付けて首脳陣は内心せいせいしている。駿本人の気持ちはガン無視だ。哀れなり。

 

 駿が何か反論しようとするが、摩利に両肩に手を置かれ、お前に心の底からみんな期待している云々と説得にかかる。しかし駿もうすうす自分がゲーム研究部担当させられたことを察していたこともあり、普段ならあっさりほだされそうなものだが、まだ口ごもりながらも抵抗しようとする。

 

 しかし、真正面にいる摩利の肩越しに見えた景色が、駿を敗北へと叩き込む。

 

 肩越しに、真由美と克人、鈴音が、内心が見えない表情で、じっと駿を見つめているのだ。摩利の説得で駿が動揺している隙に真由美が克人にハンドサインで作戦を伝え、この位置に三人が陣取ったのである。

 

「…………はい、一生懸命、頑張らせていただきます」

 

 駿がしゅんとして(ギャグではない)折れる。首脳陣一同ガッツポーズだ。

 

 摩利は成功の喜びを隠そうともせず、駿の肩をばしばしと叩いて上機嫌に「よく受け入れてくれた。期待してるぞ」などと言っているが、全く駿の心には響かない。誘った本人である文也は顛末を見守ると、満足げにそのまま勝手にトイレに向かった。駿が我慢しているのに勝手なやつである。

 

(((哀れ)))

 

 その様子を蚊帳の外と言わんばかりに他人事の達也、深雪、コンバット・シューティング部部長は見ていたが、他人事でなくなってしまう者がこの中に一人いる。

 

 

 

「それと司波。お前も出ろ」

 

 

 

 

「「え」」

 

 

 

 第二の矢が放たれた。

 

 へなへなと力の抜けた駿をイスに誘導してから間を置かず、摩利が深雪――でなく、達也のほうへ向いてそういった。

 

 生徒会役員と摩利が裏で立てていた作戦がもう一つあった。

 

 克人たちがコンバット・シューティング部に向かっている間、駿を誘う作戦を確認したのち、真由美は自然と、そう、実に自然と、深雪と達也に資料を図書館からとってくるように指示した。一年生だからこき使われるのは当然なのでなんの疑いもなく兄妹は図書館に向かったが、実はその資料は全くのでたらめであった。

 

 深雪を省いた生徒会役員と摩利は、『達也も出す』という作戦を立てていた。

 

 達也は当然抵抗する。愛しのお兄様が不遇な境遇に置かれてご立腹の深雪は本来なら達也の出場に大賛成するところだが、そのチームメイトが文也ともなると、兄にのしかかる数多の苦労を考えると反対する。

 

 そのことを予測して、深雪と達也を使いぱしって省いて裏で第二の密談をしていたのだ。

 

 文也との決闘で『術式解体(グラム・デモリッション)』の連発を披露させられたことでサイオン量も抜群、決闘やテロリスト本拠地強襲の件で実戦経験の豊富さも見せてしまっている。高精度の魔法が飛び交う九校戦において達也は(表向きの情報的に)不適任であるが、『フィールド・ゲット・バトル』に限っては使う魔法は二種類だけでかつ魔法力はあまり関係ないのでほぼ問題ない。また最悪文也がなんか暴れようものなら――生徒会役員(あずさを除く)の中での文也の悪評はとどまるところを知らない――達也と駿に止めさせる。

 

 完璧な作戦であった。

 

「で、ですが、俺は二科生なので同意が得られるとは思えませんし、言いにくいですが、俺と森崎はあまり仲が良くありません。この関係は、競技に無視できない悪影響を及ぼすのでは?」

 

「「くっ」」

 

 さしもの達也も動揺しているが、それでも効果的な反論をする。 駿と違って達也は先輩から何を言われようと(愛しの妹が関わらなければ)断れる分厚い面の皮を持っている。あまりにも効果的な反論に、真由美と摩利は悔しそうな声を漏らした。こら、せめて抑えなさい。

 

「た、確かに……そうですが……」

 

 なんとか復帰した駿もそれを肯定する。仲が良くないからチームを組めない、というのは駿にとって偉大な先輩たちに対してとても体面が悪いので歯切れは悪いが、はっきりとした肯定だ。

 

(勝ったな)

 

((ここまでか……))

 

 内心ほくそ笑む達也と、悔しがる真由美と摩利。

 

 勝負ありか。

 

 その時――

 

 

 

 

 

「ああ、そういえば――」

 

 

 

 

 

 ――空気を読めない集団のボスが、またも空気を読まなかった。

 

 激しい逆風の気配を即座に感じた達也は、今までに感じたことのない動揺に、人生で初めての精神的作用によるめまいを覚えた。

 

 

 

 

 

「――うちの部の一年生で、サバゲーがすごい得意で、それにサイオン量もかなりあるのがいるんだけど」

 

 

 

 

 

「それでそれでそれで!!!???」

 

 真由美は気色満面に飛びついた。話した本人の博もドン引きである。

 

「う、うん。C組で、成績はまあ一科の中では普通ぐらいなんだけど、サイオン量がすごくて、あとサバゲーがうちの部でも随一のがいるんだ。競技の内容を聞いてから推薦しようとずっと思ってて――」

 

「ああ、なんとすばらしい!!! 適任じゃないか!!!」

 

 摩利も真由美に追随して食いつく。

 

 聡い達也は、この後の展開を即座に予測した。まずい、このままでは、すぐに何か反論をっ! 森崎がしゃべる前にっ――

 

「はっくしゅん」

 

 その思考を、遮るものが現れた。

 

「きゃっ」

 

 聞いただけですべての男性を魅了しそうな悲鳴を深雪が上げ、愛しの妹の異変にいち早く本能で反応してしまう達也は思考を中断させられて深雪のほうを見る。

 

 深雪の制服は薄い緑に染まって濡れていた。

 

「すみません。くしゃみの拍子にお茶をこぼしてかけてしまいました。すぐに着替えを用意してお洗濯いたしますのでこちらに」

 

 そう言ったのはいつの間にか深雪のそばに陣取っていた鈴音だった。先ほどのくしゃみは鈴音がしたもの――あまりにわざとらしく感じるのは気のせいではない――で、その時にお茶をこぼして深雪にかけてしまったのだ。

 

 有無を言わさず鈴音は深雪を連れ出す。達也はあまりに意外な展開に固まったままだ。

 

 博の話を聞いてからの真由美と摩利の思惑を察した鈴音は、くしゃみがでてしまったふりをして深雪にお茶をひっかける。達也は反論を中断させられ、達也と一緒に反論するであろう深雪をこの場から連れ出す。とんでもなく機転がきいた行動だが、達也にとってはいい迷惑である。

 

「だそうだ森崎! どうだ、こいつが言うゲーム研究部の後輩なら問題ないだろう!」

 

「…………」

 

 その隙に進めようとする摩利の問いかけに駿は応えない。本来の彼なら絶対に返事をするところだが……応えないのでなく、応えられないのだ。駿はこれまでの話の流れを聞いて、あまりのことに白目をむいて気絶してしまったのだ。おもらししてないのは幸いである。

 

 自分と、文也と、ゲーム研究部員の三人チーム。チーム競技で、この三人。

 

 入学してから三か月。ゲーム研究部によって襲い掛かってきた面倒の数々が脳裏をよぎり――そこで駿の脳みそはシャットダウンしたのだ。

 

「はっ!」

 

 ここで駿の意識は覚醒した。鉄火場で仕事をする一族の将来を背負うべく、精神的負荷にも強くなるよう幼いころから教育され、また自ら鍛えてきた賜物であった。

 

 駿は即座に脳内で天秤にかける。

 

 ゲーム研究部員か。司波達也か。

 

 司波達也は心の底からいけ好かない。しかし、ゲーム研究部員は自分に間違いなくえげつない負担をかけてくる。

 

 ゲーム研究部員……司波達也……ゲーム研究部員……司波達也……司波達也……

 

「司波」

 

「なんだ」

 

 駿が口を開いて達也に声をかける。足に力が入らないようでふらふらとしているが、それでも力を振り絞って達也のところに歩み寄ってきた。達也を腹をくくる。こうなったら、駿が自分を選ばないことを祈るほかない。

 

 そのまま駿は達也の両肩に手を置き――

 

 

 

 

「イッショニガンバロウナ」

 

 

 

 

 

 

 ――死んだ魚のような目で達也にそう言った。

 

 

 第一の矢、駿を巻き込む。第二の矢、達也を巻き込む。そしてそこで終わるはずだったが、思わぬところから助けとして入った第三の矢、駿への脅し(?)。

 

 この三段階を、真由美はのちに『トライデント』と名付けた。

 

 真由美は知らないことだが、達也の必殺魔法と皮肉にも同じ名前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也は激怒した。必ず、かの邪智暴虐なる上級生どもを『雲散霧消』せねばならぬと決意した。達也には妹以外はいらぬ。達也はシスコンである。妹とイチャイチャして暮らしてきた。ゆえに、妹にお茶をひっかけたことには、人一倍に敏感であった。

 

 割とマジで『雲散霧消』で全員消し飛ばしそう(比喩でなくマジである)になったが、妹の将来のことを考え、なんとか踏みとどまった。駿がトイレに駆け込んだ後(道中で文也とすれ違った時に辻斬りのごとく走りながら顔面を殴り飛ばした)、なんかやっぱ悪いなあと思ったあずさが心配して達也の顔を覗き込んだ時、怒りに満ちた冷え切った表情にちびりそうになったぐらいである。駿もあずさもちびらなくて本当に良かった。

 

「ええ、ふみくんどうしたの!?」

 

「前が見えねえ」

 

 ちょっとしたあと顔面がへこんだ文也が戻ってきたりもしたが、達也は気にしない。駿は結局戻ってこなくて、コンバット・シューティング部部長の携帯端末に『隊長がすぬればうなでそうたういます』とメールが送られてきて何かを察した部長が「ああ、早退か」と憐みの目を端末の向こう側にいるであろう駿に向けていたがそれも気にしない。

 

 深雪が帰ってきたときは大変気にした。めったに見ないニコニコ笑顔(氷点下50度ほど)で兄の隣に座った時、達也は気温が5度ほど下がった気がした。鈴音は戻ってこなかったが、真由美の端末に『体長がすぐれないので相対します』と鈴音からメールが来て、真由美は何があったかを察した。駿のとちがって文字を打ち間違えない程度には冷静だが、変換までは気を回せなかったらしい。

 

 そんな荒れに荒れた会議は、途中退出者が二人出て、なおかつ新人戦の男子三人がすんなり(?)決まったことでお開きムードになり、そのまま解散になった。

 

 いつも通り文也とあずさは二人で帰り道を歩く。

 

「ふみくん、司波君と一緒のチームで大丈夫なの?」

 

「思うところはないでもないけど、俺は寛大だから許す」

 

 あずさはどの口が言うのか、と思ったが、かわいそうなので言うのはやめておいた。

 

 文也がトイレに行っている間にチームメイトが達也と決まった時、文也は顔をしかめた。その場に博がいたこともあって同じ部活の同級生が選ばれるものだと思っていたが、まさかの(勝手に)恨んでいる相手だった。

 

 先日の試験で、筆記試験では達也に負けて、実技試験では深雪に負けて、それぞれ二位だったのだ。しかも総合成績でも深雪が一位で文也は二位。司波兄妹のせいで見事にシルバー三冠を成し遂げてしまったのだ。この兄妹はまさしく『取らす・シルバー』である。

 

 入学試験の結果を見た時と同じぐらい悔しがり、荒れて結果を日の夜は自棄ジュースを決め込み、そのせいで夜中何度もトイレに起きて寝不足になり、翌日の授業に寝坊して遅刻した。一年生の中の無断遅刻・欠席回数は圧倒的ゴールドである。おバカを見せた子一等賞だ。

 

 実際文也は達也のことがあまり好きではないが、エンジニアとしての親近感はないことはないし、なんやかんや妹が関わらなければ変なことはしないというのも認めているため、大きな不満は試験の恨み以外はない。『フィールド・ゲット・バトル』にこれ以上なく適した選手といえる能力なので、勝負事はやるからには真剣と決めた文也からすればむしろ好都合だ。達也本人はそこまでやる気もないため、よっぽど変なものでもない限りこっちの作戦にも従ってくれるだろう。

 

「まあとりあえず一年の男どもは上手くやるけどさ、問題は他だよ他。あーちゃんはどう考えてる?」

 

「んー、本選男子は多分百谷先輩と芦田先輩は確定だと思う。どっちも『スピード・シューティング』でシューティングゲームは慣れてると思うし」

 

「芦田って誰?」

 

「ふみくん聞いてなかったの……? コンバット・シューティング部の部長さんだよ」

 

「ああ、さっきの」

 

 会議の初めに自己紹介をしたし、何度も名前を呼ばれたはずなのに聞いてない。どこまでも薄情なやつである。

 

「あと女子はどうかなあ……『クラウド・ボール』で枠が浮いた会長は入るんじゃないかなあ。でも会長ならどの競技出ても勝てるから、よくわからないのにでて不確定要素になるよりはポイントゲッターになって欲しいなあ」

 

「司波妹みたいな運用の仕方だな」

 

「うん。でも会長以上に対応できそうな人はいないし、ほかの競技はあらかた決まってるからここは会長が出ると思うよ。あとは、うーん」

 

「サイオン量なんて今更引っ張り出されても、だれがいいかなんて思い出せないよなあ。女子はシューティング慣れしてなさそうだし」

 

「うん。そういう対戦慣れしてる数少ない人材は『バトル・ボード』とかにもうエントリーしてるもんねえ」

 

「一年生もなあ。光井と北山と明智は枠埋まってるしなあ」

 

「滝川さんは?」

 

「誰だそれ」

 

「ええ……同級生でしょ……」

 

「別のクラスなんじゃねえか? 同じクラスでも顔と名前があんまり一致してないのに、別クラスなんか無理だ」

 

「まあそれもそうか。『スピード・シューティング』に出ることが決まってる子だよ。C組だったかな?」

 

「なんだ。結局『早撃ち』と被るのか」

 

「もう、そんなに文句言うならふみくんはどうなのっ?」

 

 あずさは生徒会役員でかつエンジニアであり、また作戦スタッフの手伝いもしているため、代表に選ばれるような生徒についてはそこそこ詳しい。しかしあくまでもそこそこであり、ここ数日の『フィールド・ゲット・バトル』の騒動もあって、思ったより把握できてないのが現状だ。

 

「んー。使う魔法が『ショット』とスペシャルだけだろ? だったら魔法力はあまり関係ないな。スペシャルさえ速く使えれば、あとは体力とサイオン量と対戦感覚、特にシューティング慣れがキモだな。そう考えると……」

 

 あずさの仕返しに対して、文也は珍しくまじめに考える。そして導き出された答えは――

 

「同じ部活の女子で、実技も勉強もひどいもんだけどFPSゲーがすげえ得意なやつが――」

 

「もうゲーム研究部はいいから。これ以上会長たちの胃痛の種を増やさないで……」

 

 ――案の定、ろくでもないものだった。



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2-6

 翌朝、達也が教室に入ると、E組はちょっとしたお祭り騒ぎになっていた――という展開を予測して達也は扉を開く。

 

 一昨日に達也が九校戦のチームスタッフに選ばれたときは、その翌朝にはすでにクラス中にその話が伝わり、特に親しくもないクラスメイトからも軽く激励の言葉をかけられるくらいだった。どこで噂を聞き付けたのか、というほど情報が速い。上層部の会議の内容を知れてなおかつ口が軽いやつはこのクラスには多くないので、達也は誰が情報源かあたりをつけていたのだが、そこをいちいち攻める必要もないので放っておいた。

 

「……?」

 

 しかし、達也が教室に入っても、教室はお祭り騒ぎにはならなかった。それどころか、ドア越しに聞こえてきた談笑の声も消えている。達也が入った瞬間、教室は静まり返り、みんなが達也のほうを複雑な感情がこもった視線で見ている。

 

 チームスタッフに選ばれただけでもあれだったのに、ましてや選手にまで選ばれたのだから、大騒ぎになってもいいはずだが……

 

(まさか、な)

 

 特にクラスに帰属意識を感じているわけではないが、達也はある可能性に思い当たって少し気分が落ち込んだ。

 

 ここは二科生のクラス。多かれ少なかれ、おのおのは自分の魔法力になんかしらのコンプレックスがあり、それが一科生への嫉妬に転じてしまっている。達也は入学からたった三か月でそのさまを何度も見ている。

 

 自分が九校戦の代表――それもエンジニアだけでなく、選手にまで選ばれた。

 

 これによって、クラスメイトの嫉妬を買ってしまったのではないか。

 

(結局、こういうことか)

 

 達也は小さくため息をつき、そのまま自分の席に向かう。腫物扱いは慣れている。この程度、別にどうってことない。

 

「あー、えっと、達也、おはよう」

 

「ああ、おはよう」

 

 席に着いた達也にレオが歯切れ悪く挨拶をする。いつもの陽気さはすっかり鳴りを潜めていた。

 

(さすがに、な……)

 

 レオまでもがこの態度だと、さすがに気分が落ち込む。

 達也が憂鬱さを感じてそのまま押し黙ると、重い空気に耐えかねたレオが、なおも言葉をつづけた。

 

 

 

「そのー……どんまい、これからきっといいことあるから、さ」

 

 

 

 

「……は?」

 

 その口からでた言葉は、あまりにも予想外だった。

 

 全く文脈が読めない。気にするな、俺らは応援してるから、みたいな気休めか、言い訳じみたことでも言ってくるのかと思ったが、同じ気休めでも、どうにも意味合いが違う。

 

「どういうことだ」

 

「みなまでいうな達也。わかる。わかるぞ、その気持ち。現実逃避したくもなるよな」

 

 問いかけても答えは要領を得ない。しかしこのやり取りの中で気づいたことがある。

 

(これは……憐み?)

 

 嫉妬や羨望、怒りのようなものではない。その目じりは下がり、むしろ温かい目線だ。考えてみれば、教室に入った時の目線も、刺すような感じは全くしなかった。

 

(だが、なぜ……)

 

 しかし、こんなにも急になる理由は思い当たらない。

 

 達也が脳内で首をかしげていると、その答えをレオが教えてくれた。

 

 

 

 

 

「まあ、なんだ、井瀬だって悪い奴じゃないから。その、ちょっと、いや、かなりやんちゃなだけで」

 

 

 

 

 

 

「ッ!? ゲホゲホッ!」

 

 

 達也はその言葉に思わず動揺して咳込んだ。

 

 なんだそれは、と一瞬思ったが、達也はすぐに合点がいった。なるほど、あいつと同じチームというのはかなり骨が折れる。それはたった三か月の間で学校中に浸透した事実で、達也自身もよくわかっていた。

 

「だ、大丈夫か達也!?」

 

「し、司波君!? 大変! あまりのショックに病気になったのかも!?」

 

「保健室の先生呼んできて! はやく!」

 

「ほら、背中さすってやるから、しっかりしろ! 死ぬな!」

 

 咳き込み始めた瞬間、クラスメイト達が達也のところに走って集まってきて大騒ぎになる。

 

「だ、大丈夫! 大丈夫だから!」

 

 このままだと保健室どころか救急車で担ぎ込まれかねない。

 

 達也は大騒ぎになる前に、なんとかクラスメイト達を押しとどめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそったれぇ……」

 

「さ、七草さん、落ち着いて……」

 

 昼休みの生徒会室は、人間の発散されない暗い感情がたまりにたまった肥溜めのような空気だった。

 

 本来なら、どんなに難航しても今日には発足式が行えたはず。

 

 しかし急な競技の変更、それも選手の選び方が特殊なものに変わったので、九校戦関連のあれこれが予定より大幅に遅れていた。

 

 故に主導者たる生徒会役員と摩利と克人、そしてアドバイザーとして(脅されて)呼ばれた博は、こうして休み時間にも集まって急ピッチで選手決めをしなければならなかった。

 

 ところが、選手選びは難航していた。先ほどの通り、今更時代遅れの尺度に関するデータなどそうそう集まっておらず、まずはその調査から始めなければならないのだ。テストで測れるような魔法力ならいくらでもデータは集まる。しかしテストで測れない部分の能力は、情報収集するだけでも一苦労なのだ。

 

 そんな中で漏れ出た真由美の悪態も仕方ないといえば仕方ない。同じようなことを(博以外は)思っている。

 

 生徒会の仕事は九校戦関連だけではない。ほかにも(生徒会の権限が強いがゆえに)仕事はたくさんある。本来なら九校戦にかかりきりになっている時点で、学校内のことが進んでいないということなのだから生徒会活動も本末転倒なのだが、ことのいきさつを知っている教員たちは妙にやさしく、九校戦関連以外の仕事をすべて肩代わりしてくれた。

 

(私たちが何をしたというのでしょう……)

 

 深雪は端末でデータを採集しながら食べていた、まだ半分しか減っていない弁当の蓋を閉める。ながら食事などという行儀の悪いことは生まれてこの方したことないし今後するつもりもなかったが、今は緊急事態だった。それにどうせこの空気だから食欲もわかない。食べた量が半分なら罪も半分と、無理やり自分を納得させた。この場に愛しのお兄様はいない。こうなることはわかっていて心細かったのでついてきてほしかったが、自分のわがままで愛しのお兄様をこんな空気に巻き込むわけにはいかなかった。

 

 昨日の帰り道にあずさが上げた候補たちには今朝からすでに参加依頼を出しており、快く承諾を貰っている。本来なら悪手の可能性が高いが、緊急事態ということで急に『クラウド・ボール』の枠が浮いた真由美も代表になった。

 

「なんとしても明日までには決めるわよ。目標は、明日の午後に発足式!」

 

 お肌も声も心もすっかりがさついてしまった真由美は、教師からの差し入れであるコーヒーを一気飲みすると、そう叫んでまた自分の仕事にとりかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、会長大丈夫かよ……」

 

「急な競技の変更のせいであんなことに。おいたわしや……」

 

 

 講堂に生徒たちのざわめきが響く。

 

 翌日の四限。真由美たち三年生の強行軍――さすがにあずさと深雪には無理をさせられなかったが、なぜか範蔵は巻き込まれた――によって選手をそろえ、発足式の開催にこぎつけた。四・五限の授業変更を朝に教務課に申請しに行ったとき、教員たちの勧めで真由美たちは午前の授業を丸々保健室のベッドで過ごした。なお数が足りなかったので範蔵はソファー、博は床で寝る羽目になった。哀れ。博は日ごろの行いのせいだ。

 

 そんな休憩を経てもなお真由美の体調は完全に回復せず、疲れは顔に色濃く残っていた。昼休みの間にカロリーゼリー飲料と栄養ドリンクで高速エネルギーチャージをし、女性教員のものを借りて化粧を――あまりの忙しさに化粧ポーチを家に忘れてきたのだ――してごまかして、さらに舞台の上という離れた場所でもなお、それは目立った。

 

 舞台の上には選手とスタッフが、各々のユニフォームに身を包んでずらりと並んでいる。文也は面倒くさがってさぼろうとしたが、ちゃんと――かどうかはさておき、顔面に特大の青タンを作って並んでいる。欠席しようとしたところを疲れで極限まで気が立っていた摩利に見つかり、あらんかぎりの力を込めた鉄拳制裁で気絶させられ、ここに引っ張れてきたのだ。というわけで柄にもなくこうしてちゃんと……とは言えないが出席している。

 

 そんな式の進行はつつがなく進んだ。

 

 二科生である達也がエンジニアとしてだけでなくいつのまにか選手として選ばれているのに少なからぬ生徒が疑問と反感を抱いたが、真由美や深雪が放つ気迫によってそれは抑え込まれた。

 

 しかしそれ以外にも理由があった。

 

 式といってもお披露目会みたいなものであるこれは、今年は少し趣向を凝らして、各選手たちがちょっとしたパフォーマンスをすることになっていた。

 

 新人戦の『フィールド・ゲット・バトル』の男子メンバーが紹介された時もそれをやった。

 

 といっても大げさなものでなく、三人で横に並んで手をつなぎ、ワーイと腕を上げるだけだ。

 

 しかしその様子は全校生徒を驚かせた。名目上のリーダーとして三人の真ん中に立っていた駿が、なんと笑顔で文也と『達也』の手をがっちりと強く握り、高々と――文也側は小さくてそうは言えないが――腕を上げたのだ。

 

 あの一科生としての自分に誇りを持ち、魔法主義者で、二科生を見下していて、かつ達也と浅からぬ因縁がある駿が……これは彼のことを知る者たち――生徒だけでなく教員も――全員を驚かせた。

 

 あの森崎駿が認めている? つまり、あれはそれほどの正当性を持つ存在ということか?

 

 そんなようなことを考えさせ、生徒たちが達也のことを認めるに至ったのだ。

 

 ちなみに駿が達也のことを本当に認めているかというと、皆様のお察しの通り全くそんなことはない。

 

 これで何かしらの反感が起きて達也が拗ねて辞退してもらっては困る……そう考えた駿が、自分に対する周りの評価を(あまりの事態に一周して)冷静になって考えて、これをするに至った。実際達也はそんな幼稚ではないので杞憂なのだが、モチベーションが低いことは事実なのでその心配はわからないでもない。

 

 駿の内心を知る者は、あの選手決めの場に居合わせた者だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほーん、そんなことがあったのか」

 

「ええ……ふみくん、神経太すぎ……」

 

 八月一日。あれから一か月弱が過ぎて、ついに九校戦に出発した。

 

 バスと作業用車両四台で別れるのだが、まず達也と文也がどちらに乗るかという話になった。二人とも選手兼スタッフであり、どちらにでも乗ってよいのだ。

 

 麗しき妹様を筆頭に一年生女子たちは、達也がバスに乗ることを提案した。またそれには達也のことがぶっちゃけお気に入りである生徒会役員(服部は無言)や克人も肯定的だった。また発足式の件もあって達也への風当たりは意外と悪くなく、環境の良いバスに乗れそうであった。

 

 しかし、達也自身が、なんと自ら作業車両に乗ることを提案した。

 

 これには一同驚いた。

 

 あのシスコン魔人が、妹の願いを断り、妹と離れるほうを選ぶとは。何人かの顎が外れかけたのはご愛敬だ。

 

 達也がそれを選ぶのには理由があった。

 

 作業用車両が四台、ということは、つまりそれだけの大荷物があるということだ。その中には扱いを慎重にしなければならない精密機器もある。当然、安定した管理の腕と、そして移動させる際や緊急事態の対応のための腕力が必要になる。

 

 管理の腕はまだスタッフに逸材がそろってるからよい。

 

 しかし、腕力はどうだろうか。

 

 チビの文也、チビで運動とは無縁そうな女の子のあずさ、線が細くて色白でいかにも弱いですよと言わんばかりの女の子みたいな五十里、運動とは無縁そうな女の子の平河と和泉――などなど、力が弱そうな男子と、運動力がこれといってあるわけでもない女子がほとんど。

 

 実は、スタッフの中にいる数少ない力仕事ができる生徒から、達也は事前に頼み込まれていたのだ。

 

 おかげさまでバスのほうの空気は最悪だった。愛しのお兄様が選手に選ばれたことで一緒に乗れると期待が膨らんでいた深雪のご機嫌は大変悪かった。家の事情でストレスと疲れがたまった真由美もプレッシャーに負けて寝られなかったどころか、余計に心労がたまった。クーラーを使わなくてよかったのだけが利点だ。

 

 ちなみに文也は自ら作業用車両に乗るといい、それをきいたあずさも作業用車両に乗ると当たり前のことのように自分から言った。これには思わず生徒たちもほっこり。ついでに摩利の命令で、監視役として選手にもかかわらず駿もその車両に同乗することになった。彼は周りから同乗の強要に同情されたが、だれも反対せず、周りの意見は摩利に同上といった形で、バスを待つ道上で頭を抱える羽目になった。

 

 そんな車の旅道中、事件が起きた。

 

 爆発した車がバスのほうに吹っ飛んできたのである。主に深雪と達也の活躍で生徒にけが人は出なかったが、大変な事件だった。ちなみに入り乱れた魔法式を吹き飛ばして深雪をサポートしたのが達也であることは、文也との決闘で『術式解体(グラム・デモリッション)』が使えることを知られてしまったのでみんなが察した。

 

 それでてんやわんやの大騒ぎだったのだが、車両の中で呑気に眠りこけていた文也が起きたのはすべてが終わって、さあ出発しようか、というときにあずさが起こした時だ。そのあと、事情を寝ぼけ眼で聴いた文也とあずさの会話が先ほどのあれである。轟音が鳴り響いていたのだが起きないとは。

 

 ちなみに、事件の前まで文也とあずさは当たり前のように隣同士で座り、当たり前のようにお互いに寄りかかりあって寝ていた。あずさは小心者なので人前ではそうそう寝ないのだが、安心してぐっすりしていた。この様子を見た同乗者はのちに『遊園地の帰りに遊び疲れて車の中で眠ってしまった小学生の姉弟』と語ったのは二人の心のために秘密だ。

 

 そんなことがあったものの、無事に九校戦の会場に着いた第一高校一行は、おのおのの準備に取り掛かる。選手兼エンジニアの文也と達也はどちらの仕事をしなければならないので特に大忙しだったし、その仕事をさぼろうとする文也を監視するのに駿は大忙しだった。

 

 また、その日の夜の懇親会には文也も出席した。本当は部屋でCADの調整とかしたかったのだが、あずさに引っ張り出されたのである。しかし九島烈のスピーチの時にはたまたまトイレに行っていたため、主人公としての見せ場は特になかった。

 

 さて、懇親会が終わってもうすぐ日を跨ごうかというころ。

 

 作業車で作業していたところを五十里の勧めにより中断したあと部屋に戻らずぶらぶらしていた達也と魔法の訓練をしていた幹比古は不穏な気配に気づき、そちらのほうに向かって対処しようとしていた。

 

 幹比古は呪符を取り出し、三人の賊に向けて電撃を浴びせようとする。しかしそれは発動が遅く、賊の凶弾が幹比古を襲いかねない。そこで後から追いついた達也が拳銃を分解――しようとしたところで、大きな音とともに、賊の足音がしなくなった。

 

「「――は?」」

 

 一瞬呆けた二人だが、しかし優秀な彼らはすぐに冷静になり、賊たちが消えたのではなく、いきなり地面に吸い込まれたのだと一瞬で判断した。賊が下からこちらに銃を向けてることを考慮して直接様子を見にいかず、達也はイデアにアクセスして、幹比古は魔法を使ってそれぞれ離れた位置から様子をうかがう。

 

 それによって、幹比古は気づかなかったが、達也はもう一人近づいてくる存在に気づいた。

 

「なんだお前も気づいたのか。ん? あと一人は誰だ?」

 

 後ろからまるで散歩でもするかのように達也の後ろに現れたのは、フックがついた棒を持った文也だった。いつも通りの態度だが、その目はいつもより鋭かった。

 

「あれをやったのはお前か」

 

「ああ。ちょっとした悪戯心で落とし穴を少々ね」

 

 なんでこんなところに落とし穴を仕掛けようと思ったのか。不可解なことは多いが、こちらのことも警戒する幹比古に気を遣って駆け寄って姿を幹比古に見せる。

 

「達也と……井瀬?」

 

 幹比古はこの前悪目立ちしていたクラスメイトとその原因の姿を見て思わず首をかしげる。幹比古からすれば、二人で行動してここに現れたように見える。チームメイトといえど、この二人が一緒に行動しているというのが不可解だった。

 

「思うことはあるかもしれないが、まずは確認に行くぞ」

 

 達也が魔法を使って生け垣を超えると、それを追って文也も、流されるように幹比古も同じように生け垣を超える。この時点で、達也はすでに文也いわく落とし穴に落とされたという賊の武器をとらえて分解して無力化済みだ。

 

 文也が無警戒に成人男性の身長の二倍ほどの深さの穴の中を覗く。そこには気絶して間抜け面になっているだけでなく、亀の甲羅の模様のような形で縄に縛られて無様な姿になっている三人の賊が転がっていた。誰一人得をしない緊縛プレイだ。

 

「あーあ、美人スパイとかだったらよかったのに」

 

 文也はそういうと、達也にフック付きの棒を渡して顎で穴の中を指す。引き揚げろってことだ。

 

 達也は不満だったがそれを漏らさずに素直に従い、一人ずつ亀甲縛りの縄に引っ掛けてひっぱりあげる。文也の体格では届かないし、この悪条件で成人男性を引っ張り上げるのは苦労するだろうからだ。一名ほど引っ掛けた位置の都合で縄が股間に強く食い込む形となったが、同じ男性と言えど賊のことなんざ達也は気にしない。

 

「おーおー、ぴったり気絶してるだけか。これどっちがやったんだ?」

 

 達也が最初に引っ張り上げた賊の頬をぺちぺち叩いて意識を確認した文也はそう問いかけた。そのついでにポケットの中をあさり、財布のようなものを取り出して中身を確認するも、期待したものは入っていなかったようで雑に放り捨てる。いや、まさか金をとろうとしたのではあるまい。きっとそうだ。

 

「それは幹比古がやったやつだな」

 

「へえ、上手くやったもんだな。俺は余計なお世話だったか」

 

「え、あ、うん。でも……」

 

 幹比古が何か言おうとしたが、それは文也の行動で遮られる。達也が引き揚げ終わったのを確認してから近寄って穴を覗くとCADを取り出し、周りの土を魔法で少しずつ集めて穴を埋める。凝視すれば明らかに不自然だが、夜の森の中なので普通にしたら見過ごしてしまうし、昼間でも木陰になるため気づかないだろう。

 

 幹比古の雷撃は、賊が文也が仕掛けたという落とし穴によって狙いは外れたものの、半ば反射で幹比古が軌道を変えたことで賊に命中していた。本来なら亀甲縛りで意識があるまま恥をさらすことになるのだが、本人たちにとって幸いだったことに、それを知る意識はない。股間に強く食い込む縄も感じない。ただちょっと顔が間抜けなくらいだ。

 

「んじゃ、回収していくか」

 

 達也から棒を返してもらうと、文也は三人を縄でひとくくりにしてまとめて引きずっていこうとする。一見非力な文也は軽々と三人を引きずって移動する構えだ。よく見ると土埃や引きずる音は小さい。魔法で摩擦係数を極限に減らしているのだ。

 

「待て。井瀬。それは俺が回収するから」

 

「大丈夫大丈夫。俺に『ツテ』があるからいーよ」

 

 達也は焦ってそれを制止する。彼としては、これをこの国防軍の富士演習場にいる『知り合い』に引き渡していろいろと情報を引き出したいところだ。しかし、文也は聞く耳を持たない。

 

 達也が実力行使もやむなしか、と考えたところで、そこに横やりが入った。

 

 

 

 

 

「それは困りますな、井瀬君」

 

 

 

 

 

「「っ!?」」

 

 低い成人男性の声。いきなり、まるでそこに瞬間移動してきたかのように現れた気配に文也と幹比古は臨戦態勢をとるが、それを達也が制止した。

 

「俺の知り合いだ」

 

「ああ、『達也』の知り合いの風間だ」

 

 いきなり現れた男――風間の自己紹介を受け、警戒心はそのままだが二人は臨戦態勢を解く。

 

「……国防軍か」

 

 風間の正体をすぐに見破ったのは幹比古だった。文也はそれを聞いて合点がいったようにうなずいて、すぐに渋面を作る。風間は肯定も否定もしない。

 

「お前の人脈はいったいどうなってるんだチート野郎。こいつ、結構偉いだろ?」

 

「お前の『ツテ』みたいなものだ」

 

 初対面の成人男性をこいつ呼ばわりして失礼なもんだが、この場では対立しているであろう相手なので遠慮はしない。達也の返事もそっけなく、あえて要領が得ないものだ。まあお互いに普段とそんなに変わらない。

 

「そちらの不法侵入者は私たちが引き取ろう」

 

「いえいえおかまいなく。ごみ処理を自分でするのは学校遠足の鉄則なんで」

 

 風間の単刀直入な提案という名の要求に、文也は皮肉で返す。

 

「いや、引き取らせてもらう。君も、高校生が学校行事で外に出てる中、こんな深夜にうろついていたのを知られては困るのではないか?」

 

「知り合いの司波兄とそのお友達も同罪で巻き込まれるぞ」

 

 はたから見ている幹比古は肝を冷やした。国防軍基地の中で賊に襲われ、その賊をなぜか高校生である文也が意地でも回収しようとしている。国防軍のどうやら上層部らしい男にも無礼な態度をとり続けてすげなく拒否しているのだ。

 

「だが、敷地内の森に勝手に大穴をあけたのは君だけだ。こんなことをしたことが知られたら、九校戦にも影響があるだろう。このようなことをする危険人物は、出場停止申請も視野に入る。君のお友達も困るのではないかね?」

 

「チッ」

 

 文也はそこで観念して、縄で縛ってまとめた三人の賊を軽々と担ぐと、風間に放り投げた。いくら鍛えているといえど、成人男性三人分が飛んできたのを受け止めた風間はよろめいた。達也は気づいたのだが、自分が投げる時は魔法を使って軽くなるようにしたが、風間が受け止める直前に魔法を解除している。嫌がらせは忘れないのだ。

 

「だったらそもそも侵入されるんじゃねえよ。将来を担う若者の命の危険だぞバーカ」

 

 文也はそう負け惜しみを言うと、風間のほうにつばを吐いて――どこまでも煽るやつである――生け垣を飛び越えて帰っていった。達也は念のためイデアにアクセスして確認したが、そのまま素直に帰っている。

 

「幹比古。お前ももう帰れ。この後ちょっといい話を教えてやるからさ」

 

 達也は先ほどまでに比べたら柔らかい声音で幹比古を促す。柔らかくなっているが、その内容は強制だ。

 

「あ、ああ……わかった。これ以上は胃に穴が開きそうだ」

 

 幹比古はそれに素直に従う。真夏の夜なので蒸し暑いのだが、今かいている汗は絶対それによるものではない。

 

 幹比古も素直に帰ったのを確認すると、達也は風間と話し始める。

 

「少佐、どこから見ていらしたのですか?」

 

「落とし穴に賊がはまったあたりからだよ、『特尉』」

 

 二人の関係は、いろいろあって、国防軍の部下と上官だ。風間はせめて達也の素性がわかりにくくなるように、文也たちの前ではあえて『達也』と呼んでいたのだ。

 

「それにしても、高校生であの腕か。二人とも将来有望ではないか」

 

 風間はそういいながら、文也が埋めた穴のあたりに歩いていき、しゃがんで地面をなでる。

 

「『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』でもこの落とし穴には気づきませんでした。意識をすれば気づけたはずなのですが」

 

「意識などできようはずもない。そもそも、こんなところに仕掛けてるなんて思うものか」

 

「それには深く同意します」

 

 達也は心なしか疲れた声でそう返す。国防軍基地に学校のイベントでお泊りして、そこの森の中に落とし穴を仕掛ける生徒がこの世にいてたまるか。まあ、実際にいたからこんなことになっているのだが。

 

「ここは、賊が侵入して狼藉を働こうとしたとき、通り道になりやすい場所だ。監視カメラやほかの防犯システムの穴をくぐれて、なおかつ破壊工作すべき場所にも近い。これは我々も反省しなければなるまい」

 

 昼についてから今まで、あそこまでの規模と精度の落とし穴を掘れるほどの時間はそうない。ついたばかりのころは駿の監視によって抜け出せなかったし、そのあと親睦会にも一応参加している。いくら魔法を使ったといえど、作れる落とし穴の数は限度がある。

 

 そんな状態で作ったたった一つの落とし穴に、賊はピンポイントで嵌まったのだ。

 

「あいつは、防犯システムの穴を知ったうえで、かつ賊が来ることを予測してこの落とし穴を仕掛けたことになりますね」

 

「ああ。特尉も大概だが、彼も深い洞察力と、そう表ざたにできないコネがあるようだ。最近の若者はつくづく恐ろしい」

 

 風間はそういって首を横に振ると、賊たちを担ぎなおしてこの場を立ち去る準備をする。もう夜もだいぶ遅い。風間はいいにしろ、学校のイベントとしてここにきている達也は限界だ。

 

「明日の……ああ、ぎりぎり日はまたいでいないから大丈夫だな……明日の昼にでもゆっくり話すことにしよう」

 

「そうですね。それでは、失礼します」

 

「ああ、またな」

 

 本来なら部下と上官の顔から知人・兄弟弟子の顔になるところだが、二人とも心労でそれどころではなく、帰りの足取りも重かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、そんな感じで軍の偉そうな人に邪魔されて無駄足だらけだったよ」

 

「はは、まあそんな上手くいくなんて思っちゃいないさ」

 

 文也は自室に帰った後、自分の携帯端末でとある人物と電話をしていた。内容は、さきほどの出来事の一部始終である。

 

「ちなみに、その『偉そう』っていうのは、態度がでかいってことか? それとも本当に偉い人に見えるのか?」

 

「どっちも」

 

「そいつは厄介だ」

 

 電話の向こうの男はそう言って快活に笑う。うまくいかなかった文也としては決して気分のいいものでもないが、文也ももう眠いので早めに話を打ち切ることにした。

 

「じゃ、そろそろ寝るわ。明日以降のためにケツまくって帰る準備しとけよ。『くそ親父』」

 

「ほざけ。涙をふくハンカチを114514枚用意しておけ、『バカ息子』」

 

 電話の向こうの男は、文也の父で、『マジカル・トイ・コーポレーション』のエンジニア長『キュービー』、そして第四高校の臨時講師でもある、井瀬文雄であった。



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2-7

 夜のどったんばったん大騒ぎは秘密裏に解決され、その翌日には何事もなく九校戦が開催された。

 

 最初に行われるのは、『スピード・シューティング』本戦だ。

 

 この競技には早速真由美が出場する。いきなり真打登場というわけである。

 

 その真由美が競技に挑むときのコスチュームは、近未来映画のヒロインのような雰囲気がある。そしてついでにいうと、小柄なのに妙にグラマラスで、しかも地球規模の寒冷期を乗り越えて厚着がベースになったこの時代の中でボディラインがでる服装である。凛々しさとかわいらしさだけでなく、ぶっちゃけエロイ。

 

「会長さんをネタに同人誌を作ってる人たちもいますしね……」

 

「ああ、あいつらか」

 

 美月の何気ない言葉に反応した達也が眉間を抑える。

 

 その様子をみた深雪以外は苦笑いしながら、深雪は絶対零度の眼で、観客席の前列のほうで騒いでいる一団を見た。

 

「うっひょおおおおお!!! スッケベえええええ!!!」

 

「さすが我らが会長!」

 

「普段厳しいのにほんと男の子の味方なんだから!!!」

 

 お察しの通りゲーム研究部員だ。

 

 真由美をネタに薄い本を作る輩は他にもいるが、対象が一応高校生ということで遠慮が働き、妙にエロティックではあるものの内容は全年齢向けだ。

 

 しかしゲーム研究部は違う。

 

 昨年度の冬の大祭で、こいつらはゲーム研究部として健全で質が高いゲームを出品した裏で、何人かは別口で応募した別の団体として、真由美を元ネタにしたスケベ同人誌を売っていたのである。

 

 この件が真由美の耳に入った時は、真由美は激怒した。うら若き乙女としてうろたえて泣くなどの反応を予測した摩利と鈴音は慰める準備をしていたのだが、真由美はむしろ自分で先陣を切ってゲーム研究部員たちを(停学処分など進学や成績査定に響く形で)制裁し、世に出回ってしまった無駄に質が高いウス=異本をすべて回収しつくし、十師族のパワーをフルに生かしてネットからもその情報のほとんどを消し去った。十師族の筆頭クラス七草家の長女として培ってきた性的な嫌がらせやお誘いの数々を乗り越えてきた経験以上に、それまでゲーム研究部を相手にしてきた経験が生きた形だ。ちなみに社会的制裁のほか、ちゃんと摩利が鉄拳制裁も加えている。

 

 また、達也は風紀委員であり、担当は駿に丸投げしてるものの、ゲーム研究部からいい迷惑をこうむった経験がある。

 

 この九校戦の代表に選ばれてから本番までの間、達也は競技の練習やエンジニアとしての調整に大忙しで、しかもトーラス・シルバーとしての開発にも奔走していた。しかしそんな中でも風紀委員の仕事もしなければならない。

 

 そして事件は発覚する。去年は真由美をモデルにやらかしたが、今年はなんと、達也の愛しの妹にして容姿端麗成績優秀才色兼備体型妖艶で第一高校男子たちの人気を真由美と二分している深雪をモデルに、この夏の大祭出品のウス=異本を作っていたのだ。しかも去年よりもさらにスケベ度が進化していた。

 

 いつも通りそれを押収したのは担当の駿だが、彼は中身を確認した瞬間、なぜか鼻血を噴き出して倒れて使い物にならなくなった。本人の名誉のために言っておくが、中身に欲情したのではなく、夏の暑さにやられたということにしてほしい。

 

 これを知った達也は即座にウス=異本を『雲散霧消』した。駿にしか見られてないのが幸いだった。そして達也はそのまま妹を愛するシスコンの鬼としてゲーム研究部に乗り込んだ。ご丁寧にCADも本気モードで二つ引っ提げてである。

 

 ゲーム研究部員たちは即座に逃げ出そうとしたものの、一人残らず狩られた。全員達也の得意技であるサイオン波を何度も浴びされて胃の内容物をすべてリバースさせられ、男どもは股間がしばらく使い物にならなくなるほど蹴り上げられ、作画・ストーリーを担当した部員――なんと女子だった――は痛点をピンポイントで『分解』されこの世のものとは思えない痛みを味わった。

 

 ことの顛末は達也によって一部隠蔽されて真由美に報告され、いつも通りのこととして学校中に広まった。深雪がモデルにされてたことは達也は隠蔽し、妹にのみ話している。ちなみに駿はあまりにショッキングだったようで鼻血から復帰して目を覚ましたらすべてを忘れていた。

 

 達也が嫌なことを思い出しながら真由美の活躍を眺めている間に、彼女はパーフェクトスコアをたたき出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ」

 

 摩利はサーフボードに乗って水面の上を高速で移動しながら、『前の背中を追いながら』小さく歯噛みした。

 

 摩利の前を走り単独一位の生徒は、第四高校の生徒だった。

 

「達也さん、さっきのって……」

 

「ああ、やられた」

 

 ほのかの気弱そうな声に、達也は悔し気に返事をした。

 

『バトル・ボード』は摩利が圧勝して終わる予定だった。慢心でも甘えでもなく、客観的な事実と分析によって、摩利の勝利は確実視されていた。魔法力も、運動能力も、駆け引きも、経験も摩利は高校生のレベルをはるかに凌駕している。たとえ他校のトップクラスが出てこようと、負けることは予測できない。

 

 しかしその予測を上回る存在が、今摩利の前を走っているのだ。

 

 魔法力も、運動能力も、摩利は全く負けていない。それどころか、この点では圧倒している。

 

 しかし、この一瞬が勝敗を決める競技で、摩利はその一瞬に負けたのだ。

 

「こっちと同じ作戦だ」

 

 達也は四高の代表である女子生徒をにらむようにつぶやく。

 

 四高の代表生徒がとった作戦は至極単純。摩利を狙って魔法で水面を発光させた。要はただの『目くらまし』である。

 

 しかしその単純な作戦が、摩利に刺さった。

 

 スタートダッシュに成功し、後ろに差をつけて独走態勢を整えようという第一カーブ。そこに入る直前、カーブに備えて減速をしようというぎりぎり、トップスピードのタイミングで目くらましをされたのだ。

 

 摩利の対応は俊敏で、驚きと動揺、そしてつぶれた視覚によって描くはずだったコースを大きく逸脱してカーブの外側の壁すれすれで止まって、かなり減速をしたもののなんとか曲がり切った。

 

 だが、他校の生徒たちも一流であり、その隙を見逃さず、摩利は一瞬にして最下位に転落させられたのだ。

 

 この作戦は、光学系の魔法が得意なほのかに、『バトル・ボード』で使うよう達也がアドバイスしたものと同じだ。しかし、達也の作戦はスタート直後の出鼻をくじくことであり、またほのか本人もサングラスをつけることで自滅を防ぐつもりだった。

 

 しかしこちらは違った。

 

 摩利自身、目くらまし作戦は視野に入れていた。しかしほかの選手たちは全員サングラスをつけていなかった。

 

『バトル・ボード』のサングラスは好みがわかれる。水滴が目に入るのを嫌う場合はつけるが、それ以上にサングラスに水滴がついて視界が制限されることを嫌う選手が圧倒的に多い。摩利もそのクチであり、そこを狙われたのだ。

 

 四高の代表生徒は相当訓練したらしく、サングラスをつけずとも自分の光に影響されることはなかった。また、その発光魔法は、摩利の反応が遅れてしまうほどに『速かった』のである。

 

(またなのか)

 

 達也は見逃していない。四高の選手が切り札として使った魔法を発動したCADは、その選手が競技のために普通に使っているものとは別のものだった。

 

 発光魔法に特化した、一目ではCADとわからない指輪型のCAD――『マジカル・トイ・コーポレーション』が発売している悪戯グッズ、それの強化版だ。

 

 どうにも、ここ最近『マジカル・トイ・コーポレーション』が邪魔をしているように感じられる。全部偶然なのだろうが、『汎用飛行魔法』の件で悔しさがある達也は、そう感じずにはいられない。

 

 摩利がカーブで後れを取った後の展開は苦しかった。摩利がトップに立って取る予定だった波を使った後方への妨害作戦を、全員摩利には遠く及ばない腕だが、全員が摩利を狙って仕掛けてきた。もともと圧倒的な優勝候補であった摩利は、他校から徹底的にマークにあっている。後方への妨害が楽な一方で前への妨害がしづらい『バトル・ボード』は逃げ切りが圧倒的に有利だ。そうであるからこそ、摩利は他校のマークや妨害を受けにくい逃げ切り作戦をとろうとしていた。

 

 しかし、四校によってその目論見は崩されてしまった。

 

 なんとかラストラップになって二位にはついたものの、後ろもぴったりついてきているし、前にはやや離されている。

 

「なめるな!」

 

 摩利は吠える。

 

 ゴールまでラストラップ半周。しかし大きく離れていた差をここまで縮めることができた。これだけ残りがあれば、抜くことは可能だ。

 

 だが、ここで、四高の選手が再び動きを見せた。

 

 細身のボディラインが特徴的な少女が、指輪に触れようとする。

 

(あれは!?)

 

 先ほど摩利を引っ掛けた発光魔法だ。もうすぐ最後のカーブに突入する。そこで仕掛けるつもりなのだろう。

 

(二度も同じ手に引っかかるものか!)

 

 先ほどは自分が前を走っていて動きに気づかず、また初回だったこともあって完璧に引っかかった。しかし今回は二度目、しかも動きは読めている。

 

 だが、摩利の予想とは裏腹に、水面に起こった変化は、発光ではなく『波』だった。

 

「な!?」

 

 発光魔法の動きはブラフ。

 

 四高の生徒は、とっくに発光魔法のCADの電源を切り、その『隣の指』の指輪型CADの電源を入れていた。

 

 摩利が使おうとした大波を起こす魔法。普通の波を増幅させ、不自然な波を作り出すことで後方を妨害する。

 

「だがっ!」

 

 自分がとろうとした作戦だ。それの対策も知っている。

 

 即座に意識を切り替え、その波に魔法で作った反対の波を当てることで打ち消した。

 

 いきなりだったので精度は微妙で多少影響を受けたが、問題ない。この程度なら抜かせる。

 

 そう確信した摩利を突如、『後方から』大きな爆発音が襲った。

 

「うわっ!?」

 

 なんらかの爆発の影響だろう大波が摩利を襲う。四校の作戦によって大きく動揺していた摩利は、普段なら絶対にありえないが、それに煽られて落水した。

 

 そんな摩利の横を、ボードから離れて吹っ飛んだように一つ後ろを走っていた選手が通り抜けて落水する。それに遅れて、だいぶ後方に離されていた選手が、落水した二人と唖然と見ながら通り過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなことって……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 摩利の悲し気なつぶやきは、四校選手のゴールによる歓声にかき消された。

 

 渡辺摩利、九校戦『バトル・ボード』本選。予選敗退。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。男子がいない真由美のプチ祝勝会の空気は重い。

 

 主役の真由美が原因ではない。摩利が敗北を未だに引きずり、ぶつぶつと先の試合について文句を言っているからだ。

 

 摩利の一つ後ろで追いかけていた選手は、ゴール手前になって、無謀にも、自身の後方の水面を爆破して強い推進力で猛加速をしようとしたのだ。自力では摩利に絶対追いつけない。だからこそとった、一発逆転の大博打であった。

 

 しかしそれは極限状態の緊張と焦りによって失敗し、本人が意図しない規模の爆発となり、大波を作って本人を吹き飛ばしただけでなく、それによって生み出された大波は前方の摩利をも巻き込んだ。

 

「お、落ち込まないで、摩利。あれはしょうがなかったわよ」

 

 真由美は困り顔で摩利を慰めようとするが、摩利は無視して拗ねっぱなしだ。

 

 実際、摩利にとっては不運が重なった形となり、負けはしかたない。

 

 初戦でいきなり初見殺しの連続によって不利な状況に追い込まれ、最後の最後でもほかの選手の大博打に巻き込まれて敗北。誰も彼女を責めることができない。

 

「今年の四高は特にダーティですね」

 

 鈴音は試合データを見ながらそう分析する。

 

 本日行われた試合は、本選の『スピード・シューティング』の予選と決勝、『バトル・ボード』の予選だ。

 

 一高の『スピード・シューティング』は男女ともに順調だった。

 

 真由美は優勝し、男子は博と芦田のワンツーフィニッシュを飾り、大きく他校からリードを奪った。

 

 決勝戦の一高同士のカード、博vs芦田の試合は白熱し、かろうじて一枚差で博が勝利した。三年の木下が調整したCADは悪くなく、芦田はいつも以上のコンディションで戦いに臨んだが、文也がエンジニア選考の時ほどでないにしろ攻めた調整したCADを使った博は絶好調で、その差がわずかな差となり、勝敗を分けたのだ。

 

 一方でほかの選手は今一つ振るわなかった。真由美以外の女子選手二人は予選で、もう一人の男子は決勝トーナメントの一回戦で負けてしまった。

 

 このもう一人の男子の対戦相手は四高の選手だった。腕は互角だったのだが、四高の生徒が使う魔法に翻弄されて僅差で負けてしまったのだ。使った魔法自体はシンプルで、素焼きの的を振動させることで破壊するメジャーなものだ。しかし破片は不自然な軌道を描き、一高の男子の視界を少しだけ邪魔するように飛び散り続けた。一回だけなら大したことないが、それが終始続いたため一高の選手は調子を崩してしまったのである。女子の四高生も同じ作戦を用いて準決勝まで進んだが真由美に敗北し、そのまま三位決定戦でも三高の代表に敗れたものの四位に入り、確実に点を取っている。

 

『バトル・ボード』も調子は芳しくない。女子は小早川が、男子は範蔵がかろうじて明後日に行われる準決勝に駒を進めたものの、ほかは摩利を筆頭に手痛い予選敗退だ。摩利以外の敗退者にはもとより大きな期待はしていなかったが、海の七高、優勝争い筆頭の三高、そして奇想天外な妨害中心で老獪な作戦をとる四高に負けてしまったのは痛い。

 

「そうなのよねえ。勝ち進んだはんぞーくんもあまり調子よくないし」

 

 メンタルがどうにも乱れている範蔵は、担当エンジニアの木下とともに調整に苦心していた。この調子では明日も忙しくなるだろう。

 

「そうなると、明日の『アイス・ピラーズ・ブレイク』のサブエンジニアには司波君を回してはいかがですか?」

 

 重い雰囲気で発言しづらかったあずさはそう進言する。

 

 文也の素行を知っている選手はあまり彼の調整を受けたがらない。そのうえ彼自身が新人戦の『アイス・ピラーズ・ブレイク』に出場するため、上級生たちの試合は見学に集中させたいところだ。

 

 一方達也は『アイス・ピラーズ・ブレイク』の新人戦代表女子の担当もしているため、CADの調整もしやすいだろう。幸いにして真由美や克人の影響で上級生たちに達也は二科生のイレギュラーにしては比較的受け入れられている。まあ大半は『文也(あいつ)よりはマシ』と考えているからだろうが。

 

「そうしましょうか。選手兼エンジニアが二人、それもどちらも一年生となると、どうしても負担が大きくなりますね。司波さん、連絡をお願いしていいですか?」

 

「はい。それでは失礼します」

 

 鈴音の悩みに続いたお願いに、先ほどまで口を閉じていた深雪は顔をほころばせてうなずく。愛しのお兄様が活躍する場面が増えるなら基本的に大歓迎である。

 

 深雪が席を離れた後、話題は再び四高の躍進に戻る。

 

 もともと魔法工学中心の論理派な校風であり、過去に優勝を果たしているし、優勝争いにも絡んでいる。しかし今年は特に厄介で、優秀な作戦スタッフ、または全体を取りまとめる軍師のような存在がいるのだろう。

 

「それにしたっていくらなんでも豹変しすぎだ。妨害や対策を高精度で練って挑んでくるのはいつも通りだが、他校の心理まで利用してくるのはとてもではないが高校生レベルとは思えない。鈴音や真由美でもあんなことはできまい」

 

 少し気を持ち直した摩利は、それでも愚痴っぽく四高を評する。自分たちの実力を棚上げしてどの口が、と他校から文句を言われそうだが、事実四高の作戦は精度が高い。それこそ、親睦会で心に響くパフォーマンスをした九島烈のような存在がいるのではないかとすら思える。

 

「あ、もしかして」

 

 その時あずさが何かに思い当ったようにふっと口を開いた。全員の眼があずさに集まる。

 

「去年の秋ごろから、ふみくんのお父さんが四高の非常勤講師に……」

 

「待って摩利!!! 同じ生徒同士で殺人沙汰だけはダメ!!!」

 

「うるさい!!! 真由美どけあいつを殺せない!!!」

 

 あずさが言うや否や、怒りが爆発した摩利がCADをとって鬼の形相で立ち上がるが、それを予見した真由美が入り口をふさぐ。親の仇うちをせんばかりの摩利にプチ祝勝会は修羅場と化すが、真由美の指示であずさが得意の『梓弓』を使って摩利を落ち着かせ、その隙に鈴音が得意の精神感応魔法で摩利を眠らせる。

 

「それ、詳しく聞かせてもらっても?」

 

 摩利を眠らせた鈴音はあずさに向き直る。その目は鋭く、気弱で臆病なあずさは今にも泣きだしそうだ。同じくあずさを見つめる真由美の目も鋭い。入学以来ゲーム研究部に悩まされ続けてきて、ここにきて九校戦にまでゲーム研究部の期待のルーキーの親が迷惑をかけてきている。摩利ほどではないにしろ、二人の心情もかなり悪い。

 

「え、えっと……ふみくんのお父さんはプロのCADエンジニアで、去年の秋ごろから四高で非常勤講師として働いているんです。それで、その、そのころから四高の『ステラテジークラブ』が急に大会とかで優勝とかし始めましたよね? ふみくんのお父さんはその顧問に就任したみたいなんですけど、もしかしてそこの部員さんかなって……」

 

「なるほど。そういうことですか」

 

 真由美は今一つ合点がいっていないが、鈴音は納得したようにそう言った。

 

 先の大戦の影響で、やはり多かれ少なかれ、教育の現場も『戦争』につながりが深い。魔法科高校は特に顕著だ。その影響でどの高校にもその影響を受けた部活動が存在する。

 

 その中で流行った競技の一つが、なんと『ゲーム』である。それも単一のゲームの強さを競うものでなく、複数のゲームの総合的な強さを競う大会が多い。そのゲームとは、ビデオゲームだけでなく、将棋やチェスのようなボードゲーム、トランプなどのカードゲームも含まれる。ゲーム研究部は一見遊んでいるだけで、とても公立高校が貴重な部活動費用を出す対象として認めるようには思えないが、そうした背景があって成り立っている。

 

 そしてそのゲームの大会の中でも、アクション性を重視せず、頭を使った戦いが重要となるゲームのみの実力を競う大会が例年行われており、その大会で一高のゲーム研究部は初めて土をつけられ、それどころかほぼすべての競技で完敗して全国二位に甘んじた。ちなみに最終的な点差は33-4であった。

 

 その一高を破った団体こそ、四高の『ステラテジークラブ』だった。

 

 事前の作戦やその場の頭の回転が大きく求められるゲームを専門とするクラブであり、毎年優勝争いに絡むのだが、毎年一高に敗れていた。しかし去年の冬に行われた大会で急成長して完勝を遂げたのである。

 

 鈴音は論理派で、まじめに見えるが意外とこうしたゲームは興味がないわけではなく、多少の情報は持っていたのだ。真由美や摩利はゲーム研究部が負けたときは「ざまあみさらせ」としか感じなかったが、鈴音は興味を以て少し調べていたのだ。

 

「そう、だったら、井瀬君に聞けば相手の手の内が多少はわかりそうね」

 

 摩利に毛布をかけてやりながら、真由美は口角を釣り上げてわっるい笑みを浮かべる。

 

「あーちゃん、出番よ。悪戯小僧ロメオを落としてきなさい、かわいいジュリエット?」

 

「ほえ?」

 

「井瀬君のところ行ってお父さんの情報抜き出してきてって言ってるのよ」

 

 真由美のいきなりの言葉に呆けるあずさに、真由美はなおも続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「男を堕とすには、ハニートラップが一番よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どったんばったん大騒ぎの夜(プチ祝勝会)から時間はさかのぼり、九校戦の昼休み。達也はホテルの高級士官室を訪れ、風間たちと話をしていた。内容はちょっとした挨拶からはじまり、『無頭竜』のこと、達也が選手兼エンジニアに選ばれたことへのお祝い、『雲散霧消』使用への釘刺し、そしてその流れで達也がエントリーした(させられた)新競技『フィールド・ゲット・バトル』についてに移る。

 

「達也が予想している通り、あれには軍部の意向が絡んでいる。それも、魔法に積極的な方のかなりのお偉方だ」

 

 風間はあけすけにそういうと、達也は納得したようにうなずく。

 

「やはりそうでしたか。あの仕様は、やはり『飛行魔法』が絡んでいるのでは?」

 

「そうだ。実際に『飛行魔法』を運用するであろう我々もこのことは事前に知らされていた」

 

「だったら、もっと早く教えてくだされば……」

 

「君も高校生の一人だ。それは公平性を欠くだろう」

 

「それはそうですが……」

 

 風間のいたずらっぽい笑みを浮かべながらの返答に達也はうなだれる。そのせいでいらぬ苦労を負っているからだ。

 

「『マジカル・トイ・コーポレーション』のあの発表には驚かされたわね。まさか達也君がまだ着手したばかりの技術を、もうあの段階でほぼ完成させていたなんて」

 

 藤林が言うのは、二月の『マジカル・トイ・コーポレーション』による、『汎用飛行魔法』開発の成功とそれ専用CADの発売発表のことだ。情報を絶えず集めている軍部もこれはまさしく寝耳に水で、すぐに手段を問わず開発の経緯について調べた。しかし出てくるのは世間に公表されている情報に毛が生えたようなもので、全容は見えていない。

 

「そうそう。『マジカル・トイ・コーポレーション』といえば、昨夜のやんちゃ少年の井瀬君について調べてみたものがあるが、いるか」

 

 風間はそう言って部下に書類を持ってこさせる。文也の昨夜の落とし穴について尋常でないものを感じ取った風間は、すぐに情報を調べていたのだ。

 

「では、ぜひ」

 

 達也はそう言いながら資料を受け取り、目を通す。

 

 中身は当たり障りのない情報から始まる。学生証の顔写真に生年月日、身長体重(横で藤林が小声で「ちっさ」と声を出した)に部活動活動記録にここ出身小学校と中学校。出身小学校の欄には、備考として「中条あずさと同じ」と記されている。しかしだんだんと内容は怪しくなり、プライバシーの崩壊が始まる。入学試験と期末試験の点数(筆記が自分に負けて2位なのを見てこっそり達也は満足した)やここ数日間の食事の内容、さらには最近借りた図書館の本や、コンビニで立ち読みしていた漫画雑誌とエロ本のタイトルのようなどうでもいい情報まで記されている。

 

「……普通、ですね」

 

 しかしその内容は、普通の優秀でやんちゃな(矛盾しているが)魔法科高校生のものだ。それが逆に達也に違和感を与える。異常な『パラレル・キャスト』、高校生離れした魔法技術や知識、達也を苦戦させるほどの戦闘能力、どれも怪しさ満載だが、その経歴はいたって普通。同じようなことが自分自身と愛しの妹・深雪にも重なるため、逆に疑念は深まる。それは目の前の風間も同じようで、その顔は渋い。

 

「ん? これは」

 

 そんな情報の中で、達也の目に留まったのは家族構成と各々の経歴だ。その中に、文也の父が四高に非常勤講師として勤め、ステラテジークラブの顧問をやってることが記されている。なるほど、それなら四高のあの作戦も納得だ。主に一年生女子のCAD調整だけでなく作戦立案もしている達也は、午前の様子を見ただけでも四高の作戦に舌を巻いたが、あいつの父親ならばそういうこともあるだろう、と納得する。

 

 そうしてめくっていった最後の一枚、昨日トイレに行った回数とその時間というまったくもってどうでもいい情報の後に、とんでもないことが書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

『井瀬は「一ノ瀬」の「数字落ち(エクストラ)」』

 

 

 

 

 

 

 

「これって……」

 

 達也は資料から目を離し、風間に向き直る。これで魔法に関して卓越した能力があるのは納得だが、このあまりにもデリケートな事情は達也を少なからず動揺させた。

 

 そんな情報を見て動揺する達也を見る風間の顔は――情報に似つかわしくない、苦笑いだ。

 

「まあ続きを読んでみろ」

 

 訝しみながら、達也は風間に促されて読み進めると、そこに書いてあった内容に頭痛を覚えた。

 

 

 

 

 

 

「大臣クラスの政治家が視察に訪れたタイミングで、常習的に行っていた悪戯をする。その大臣のスーツが泥水で台無しになり、怒りを買って剥奪される」

 

 

 

 

 

 

 

「はああああああ~……」

 

 達也は眉間をもんで深い深いため息を吐いた。その様子を見た風間は満足げに笑って情報を付け足す。

 

「もともと彼の先祖は浮いた存在だったそうだ。大変優秀な魔法師であったようだが、第一研究所の研究テーマにそった魔法は特別覚えるわけでもなく、研究にも非協力的で、よくさぼって逆に研究員側として勝手に参加したり、悪戯をしかけたりしていたそうだ。ちなみに、その件で大臣の怒りを買い、第一研究所ごと潰されそうになり、一条の先祖が大変骨を折って一ノ瀬の除名だけで済んだという話もある。一条の御曹司と因縁があるかもな」

 

「なんですか、それ」

 

 達也はあきれてものも言えない。確かにあれの先祖ならありえそうな話だが、あまりにもバカらしすぎる。

 

「すみません、なんか疲れてしまったので、これで失礼します」

 

「そうか。お大事に」

 

 達也は、だれが持ってきた情報のせいだ、と思いながら、一礼してその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、う~、どうしよう……」

 

 時間は戻って夜。あずさは文也が宿泊している部屋の前で、顔を赤くしながらつったっていた。

 

 真由美への抵抗空しく派遣されたあずさは、こうして文也の部屋の前にたどり着いてしまい、途方に暮れているのである。

 

 夜に異性の部屋に行く。あずさはこれで緊張しそうなものだが、文也と夜にお互いの部屋で何度か遊んだことがあるので、相手が文也に限ってはそんなことはない。

 

 しかし、今は状況が違う。ここは高級感あふれるムーディーなホテルで、文也は一人部屋――同室の人がかわいそうだからだ――である。そのいつもと違う状況が、彼女を困らせていた。

 

(な、なんで意識しちゃうんだろう。相手はふみくんだよ?)

 

 幼馴染でお互いに何度も部屋で遊んだ仲だ。今更緊張することはない。

 

 しかし、さきほど真由美に言われた『ハニートラップ』という言葉が頭から離れない。

 

 仲の良さを利用して口が軽くなるのを利用するのならわかる。あずさ自身が幾度となく文也に仕掛けられてきたからだ。

 

 ところが、『ハニートラップ』となるとその意味ではない。その言葉にこのいつもと違うムーディーな部屋、互いの家族がいる家ではなく一人部屋、という条件が重なり、思春期の乙女の思考は、まあ当然、どうとは言わないが、そうなる。

 

「ううううううううううう……えいっ」

 

 ついに勇気を振り絞って、ちょっと背伸びしてインターホンを押す。悲しきかな、彼女の身長では普通にやっては微妙に届かないのだ。

 

 返事を待つ間、心臓がメタルバンドのドラムのようにどったんばったん大騒ぎする。

 

 そんな苦労もむなしく、インターホンからは無情な機械的な声が流れた。

 

「ただいま不在となっております。ご用件がございましたら、ピー、という音の後に、5秒間の間に音声を入れてください」

 

「え、不在?」

 

 あずさは拍子抜けし、またどっと安堵が押し寄せるが、それはすぐにふつふつと沸く怒りに変わった。

 

 さんざん心を惑わされたあげく、この仕打ち。あずさは頬を膨らませながら、思わず声を上「では音声をどうぞ、ピー」た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、ふみくんのバカ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに文也は、博の部屋でこっそり持ち込んだゲームで一緒に遊んでおり、隣の部屋にいた風紀委員の辰巳に見つかり、顔面に青タンを作りながら、あずさが去った一時間後に部屋に戻った。



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2-8

疑問に出そうだと思ったこと

一章の生徒総会では、文也と雫とほのかは割と仲良さそうだったけど、二章から距離ができているのはなぜ?

この三か月の間に彼女らもまた悪戯の被害に何度も遭っているということです


 九校戦二日目。

 

 本日行われる競技は、『アイス・ピラーズ・ブレイク』のみだ。

 

 例年は一日目に『スピード・シューティング』本戦すべてと『バトルボード』予選、二日目に『クラウド・ボール』本戦すべてと『アイス・ピラーズ・ブレイク』予選、三日目に『バトル・ボード』準決勝と決勝に『アイス・ピラーズ・ブレイク』予選の続きと決勝リーグという流れだった。

 

 しかし今年は『フィールド・ゲット・バトル』の都合で変更されている。『クラウド・ボール』のプログラム、つまり二日目にやりそうなものだが、『フィールド・ゲット・バトル』にエントリーしている選手のほとんどが『スピード・シューティング』にもエントリーしていることを受け、連日の競技になることを避けるため、二日目に『アイス・ピラーズ・ブレイク』すべてを行い、三日目に『バトル・ボード』の続きと『フィールド・ゲット・バトル』のすべてが行われることになった。

 

 一日目の結果が芳しくなかった一高は、この『アイス・ピラーズ・ブレイク』でなんとしても高得点を勝ち取りたい。一高の代表選手である克人と千代田花音は優勝候補筆頭だ。しかし、『ファランクス』を用いて無類の強さを誇る克人は優勝確定にしろ、女子の花音はまだ二年生ということもあり、相手の戦術や経験の差によってもしかしたら、ということがあり得る。

 

 そんな日の朝、ホテルのレストランで、一高の生徒が集まっている一角は異様な雰囲気だった。

 

 

 

 

 

「……どうしたんだ、レオ?」

 

 

 

 

 

 

 朝食の席で、向かいに座ったレオの顔面を見て達也と深雪は戸惑った。まるで摩利の怒りを買った後のゲーム研究部員みたいに、顔面にはあざが数か所できており、頬は腫れて目の上にはこぶができていた。レオは達也の問いかけに何か言おうとするが、頬が腫れてしまって上手くしゃべれず、もごもごと言うばかりで聞き取れない。

 

 レオと一緒にレストランに入ってきたエリカは何か訳を知っているだろうと達也は目を向ける。エリカはツンとしていたが、達也に目線で促されて事情を話し始めた。

 

「チョッとこいつが朝っぱらからチャンバラ仕掛けてきたから、あたしがチョロッと相手してやったのよ」

 

 これだけでは今一つ事情が呑み込めず、達也と深雪は困惑した。エリカは家が家なのでその手の実力が超一流なのは知っているが、それではレオが仕掛けた理由と、エリカがここまで叩きのめした理由がわからない。

 

「レオが昨日の渡辺先輩に感化されたみたいで、『とんでくん』を使ってエリカにチャンバラを仕掛けたんだよ」

 

「余計わからないのですが……」

 

 同じく一緒に入ってきた幹比古が補足説明をするが、やはりわからず、深雪も困って首を傾げた。

 

 それを見た幹比古が、レオを促すと、レオは懐から30センチメートルほどの木刀なようなものをとりだして達也に渡した。

 

「これがその『とんでくん』ってやつか?」

 

 達也は受け取ってその木刀のようなものを分析する。真ん中のあたりに切れ込みが入っていてどうやら分離しそうだが、フックのようなものでつながっているようで、引っ張るだけでは離れない。また表面の木の様な見た目の割には軽く、木のように塗装されたプラスチックで主にできていることがわかる。

 

「そう。こうみえても立派なCADだよ。レオ、使って見せて」

 

 達也がレオに『とんでくん』を返すと、レオはCADを上向きにしてグリップ部分にあるスイッチを押してサイオンを流し込む。すると『とんでくん』が上下に分離し、その上側が空中に飛んでいくと、そのまま浮遊したままになった。

 

 食事の場で目立ったことをしたので周りの目線がレオに注がれ、ついでにそのぼこぼこの顔面も注目の的になる。しかし何をやっているのか分かった周囲はすぐに興味をなくして各々の胃袋を満たしたり歓談したりといった行動に戻る。

 

「なるほど。硬化魔法の応用か」

 

 達也はすぐにその性質を理解した。

 

 硬化魔法は実際のところは単純な硬化ではなく、相対位置の固定だ。例えば昨日摩利が『バトル・ボード』で見せた安定感も、自身の足裏とボードの相対位置を固定することによって実現した。

 

「今思い出した。それは『マジカル・トイ・コーポレーション』のやつか」

 

「そうだよ」

 

 達也の言葉に幹比古は苦笑いして頷く。そしてエリカはなぜか『マジカル・トイ・コーポレーション』の名前が出た瞬間により一層不機嫌になった。

 

 達也の言う通り、この『とんでくん』は8年ほど前に『マジカル・トイ・コーポレーション』が開発・発売したものだ。当初はこの変わった応用に世間の関心の目は向いたが、最終的に『とんでくん』の少し後に発売された『つかムック』のほうが人気になった。同じ要領で飛ばすのだが、『つかムック』は先がフックになっており、移動せずとも遠くにある物がとれるという便利グッズだ。

 

「なるほど。渡辺先輩に影響されての行動で、しかも朝一に絡まれたもんだからここまで叩きのめしたのか」

 

「そういうこと。まあ、エリカが『マジカル・トイ・コーポレーション』に因縁があることも原因だけど」

 

「ミキ、余計なこと言わないの」

 

 エリカに冷たい声で制止された幹比古は、苦笑いが一転、恐怖に竦んだ顔になる。

 

 達也は余計な詮索はしないが、『マジカル・トイ・コーポレーション』に因縁があるらしい点では自分と同じであり、少しだけ親近感を覚えた。

 

 朝一に、気に入らない渡辺先輩に影響されて、気に入らない会社が発売したCADを使って、自分が一番得意とする分野で絡まれる。なるほど、少しやりすぎな感はあるが、レオにはいい薬になっただろう。

 

 そんな達也たちの様子を、朝食を食べながら少し遠くから見ているグループがあった。文也とあずさである。

 

「あれって、ふみくんが」

 

「そうだな」

 

 人目がある場なので最低限の言葉のみで会話をする。あの『とんでくん』は、小学二年生にして文也が初めて本格的に開発に携わった商品だった。

 

 ちなみに文也は昨夜青タンを作って部屋に帰ってきたとき、あずさの録音を聞いて『九校戦のプレッシャーでネジが飛んだか?』なんて思って朝に会って早々にあずさに確認したが、顔を真っ赤にして「忘れて」と強硬に主張されたので、もう何も考えないようにした。

 

「にしても、あっちの女はなんの因縁だ?」

 

「結構怒り買ってるの自覚ないんだ……」

 

 文也たちに覚えはないが、『マジカル・トイ・コーポレーション』はいろいろな団体から恨みを買っている。

 

 彼らの開発した魔法やCADは独創性が高く、他企業に何度も悔しい思いをさせているが、それだけではない。

 

 独創的な発想は、独創的と言えど先人たちが考えていないとは限らない。

 

 文也たちが世に商品として公開した技術の数々の中には、様々な団体が奥義や秘伝、特殊技能として伝えてきた技術と被るものがある。その団体の代表的な構成が『一家』であり、魔法師の家系には秘匿したり一家固有の魔法技術を持つところがそこそこある。

 

 しかし隠しているがゆえに、『マジカル・トイ・コーポレーション』はそれが他者の秘匿したい技術だとは知らず、思いつくや否や自分たちで開発して、オリジナルの技術として世に出してしまう。かぶせられてしまった側は災難だが、自分たちにとってはなんとしても隠し通したいものであり、表立って抵抗することも、ましてや特許を主張することすらできず泣き寝入りするしかない。幸いにして全部おもちゃレベルなので、大きな損害はないとして納得するしかないのだ。

 

 だが、団体の中で、『マジカル・トイ・コーポレーション』のスパイがいて、それが漏らしたのではないかと疑心暗鬼に陥り内輪もめをする団体もあった。のちに次から次へと新しいことをする様子を見て、たまたま『マジカル・トイ・コーポレーション』が『思いついてしまった』だけということがわかってそのようなことは少なくなったが、そういう風潮ができる前は大変なことになる団体も多かった。

 

(確かあの子は『千葉家』だもんね)

 

 一家の中の奥義でもあったのだろうが、それと被るものが商品として出されてしまったのだろう。そして一家の中で仲たがいがあったのだろう。あずさはこっそり同情した。

 

「ところであの女誰だっけか。どっかで見たことあるんだけど」

 

 文也は呑気にそんなことを言っていて気にした様子はない。ちなみに文也とエリカは、皆様がお覚えの通り、喫茶店で一緒にお茶したり、校内にテロリストが攻めてきたときに会話をしたりしたのだが、文也は覚えていないのだ。

 

 覚えもないし、覚えてない。つくづく迷惑なやつである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アイス・ピラーズ・ブレイク』はその性質上短時間で何試合も行うことはできない。

 

 大きな氷柱を一試合につき24本作らなければならない上、魔法が観客に当たってはいけないので競技スペースの場所もそれなりに取らなければならない。さらに選手の消耗も激しく、例年二日に分けて行われていた時ですら、後半は『気力勝負』と言われていたのだが、今年は一日で行う強行軍だ。

 

 男女各24人の参加者がいて、それぞれ8人ずつの三つのトーナメントに分かれ、各トーナメントの優勝者が決勝リーグを行い、また各トーナメントの準優勝者には5ポイント与えられる仕組みになっている。

 

『フィールド・ゲット・バトル』の影響でこうなってしまったわけだが、この変更もまた、魔法師のサイオン量を測ることが目的と思われ、意図を察している達也と深雪は、大人の思惑に何も知らない高校生たちが惑わされていることがわかるため、決して気分の良いものではなかった。

 

「競技そのものの強さだけでなく、いかに消耗を抑えるかが鍵だな」

 

 日程を見た克人は、真っ先にこう呟いた。同じ生徒会室にいた深雪は自分のサイオン量が規格外であることを自覚しているためなんとも思わなかったが、自分がかわいがってる後輩が出ることになっている摩利の心中は穏やかではなかった。

 

 そしてその心配は、本番当日になっても変わらなかった。

 

 

 

 

 

「あのバカ……」

 

 

 

 

 

 昨夜は取り乱した摩利も今は冷静だ。

 

 しかし彼女は二日続けて心を波立たせる羽目になった。

 

 摩利の視線の先では、氷柱が次々と砕けていく圧巻の光景が繰り広げられていた。それは片方の陣地だけでなく、双方の陣地で起こっていた。双方が防御を捨ててスピード勝負に出ているのだ。

 

「こっわ」

 

 また別の観客席でその様子を見学していた文也も思わず震えた。そのそばでは文也と博を応援に来たゲーム研究部員たちも同じように震えている。

 

 今試合をしているのは、第一高校の女子代表である二年生・千代田花音だ。千代田家の二つ名『地雷源』の名にたがわず、『地雷原』を使って次々と相手の氷柱を破壊し、見事勝利を収めた。

 

「勝利!」

 

 櫓から降りてきてどや顔でVサインを花音は決める。しかしその花音の頭をペシンと摩利は叩いた。

 

「バカ。あれほど節約しろと言っただろ」

 

「えー短期決戦で終わらせたじゃないですかあ!」

 

「余分に力を入れすぎてるんだ!」

 

 花音の恋人である五十里が出迎える暇もなくそんなやり取りが交わされる。

 

 花音と五十里のイチャイチャはもはやすっかり有名だが、摩利と花音も仲が良い。二人とも気質が同じであり、また風紀委員の先輩後輩でもあり、また摩利が次期委員長として目をかけて可愛がっている。花音は風紀委員活動に特に手加減がなく、ゲーム研究部の上級生たちは何度もひどい目にあっている。ちなみに前年度の担当は花音であった。

 

「啓~! 先輩がいじめるぅ~!」

 

「ははっ、よしよし」

 

 無事言い負かされた花音はそばにいた自分の担当エンジニアでありかつ恋人の五十里の胸に泣きつく。五十里はそれを受け止め、抱きしめて、苦笑いしながらも頭を優しくなでてあげる。その様子を見た摩利は砂糖を吐き出さんばかりの顔をするが、摩利自身も恋人が絡むと甘々で周りを糖分過多にさせているのだからブーメランだ。

 

 そんなやり取りが繰り広げられている間に、別のスペースで試合をしていた克人が櫓から降りてくる。その顔は汗一つかいておらずいつも通りで、一切消耗していないことがわかる。

 

 摩利と花音は見逃したことを後悔した。花音が勝利を決める直前くらいに克人の試合は始まったのだが、それをつい見逃していたのだ。

 

 一方達也と文也はそれぞれこういったやり取りに特別興味がないのでしっかりと試合の様子を見ていた。

 

 その試合は圧巻の一言だった。

 

 克人の試合は花音以上の短期決戦だったが、克人の氷柱は一本たりとも倒されていない。花音は防御を捨てて攻撃にのみ傾倒した短期決戦だが、克人は鉄壁の防御をしながら花音以上の速さで短期決戦を決めたのだ。

 

「『ファランクス』の面目躍如だな」

 

「しかもあれで節約してるっていうんだからねえ。怖い怖い」

 

 文也と博は各々に感想を漏らす。

 

 十文字克人、そして十文字家の得意魔法『ファランクス』。すべての系統種類を不規則な順番で切り替えながら絶え間なく出して、何種類もの防壁を何重にも作り出す魔法である。この防壁はそのまま攻撃にも転用でき、その威力は車ぐらいなら軽くぺしゃんこにできてしまう。軍事的価値や競技的価値はもちろんのこと、スクラップ業者でも活躍できるわけだ。

 

 そんな『ファランクス』は、この『アイス・ピラーズ・ブレイク』にはまさしく最適といえる魔法だ。その守りは固く、その攻めは激しい。相手に一切の攻撃を許さず、一方的に押しつぶす。これを破れるものは、高校生どころかプロ選手でもそうそういないだろう。

 

 しかも克人は今回かなり消耗を抑える形で使っていた。防壁の種類は相手の魔法に合わせて最低限で、防壁の間隔もいつもにくらべたらかなり広い。克人本人は防御を最低限にしたつもりなのだが、それでも対戦相手には一本倒すことすら荷が重かったのだ。

 

「文也はあれはどうやって対処したの?」

 

 博は文也にそう問いかけた。文也も新人戦といえど『アイス・ピラーズ・ブレイク』の代表選手であり、校内練習の模擬戦でも克人と何度か戦っている。

 

「あれはちょっと相性が悪すぎる。俺が持ってるジャイアントキリング用の秘策の中では通じるもんはない。八百長も受け付けないだろうし、人質とって脅すくらいしか勝ち目がないな」

 

 文也は嫌なことを思い出したようで、拗ねたように、それでも素直に負けを認めた。文也自身も克人を相手にしたら一本も倒せずに瞬殺されたのだ。しかも克人は、なんとその時は本番の前半の手加減を見据えた、手加減用の練習モードだったのである。

 

「そうだねえ」

 

 文也が変なことを後半に言っていた気がするが、博を筆頭に周りの部員たちも何も突っ込まなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん、やっぱり困ったわねえ」

 

 昼休み。午前中に予選のほとんどが終わり、午後は予選の残りと決勝リーグのみだ。

 

 試合時間は無制限であり、例年のペースを考えると一日ですべてが終わるのかと危ぶまれたが、どこの学校も考えることは同じようで、ほとんどの選手が消耗を抑えるべく、持久戦よりも短期決戦を選択したため、午前中は予定よりも多くの試合を行えた。氷柱を準備するペースも心配だったが、どうやら軍や運営スタッフが総出で本気を出していたようで、特に運営に支障はなかった。

 

 ただし運営は上手くいっても、各校の事情は上手くいっているとは限らない。一高の状況も同じだった。

 

 真由美のつぶやきはそれに対するものだった。

 

 一高は去年の成績によって男女ともに三人ずつ選手を出せる。予選は三つのトーナメントに分かれており、各トーナメントに一人ずつ分かれた形だ。克人と花音は予想通り楽勝で決勝リーグに駒を進めることができ、今は二人とも午後に向けて英気を養うべくゆったりと食事をしている。

 

 しかしほかの選手はそうではなかった。なんとほかの選手四人は、決勝リーグに駒を進めることが叶わなかった。幸い四人のうち二人はいつも以上のコンディションを発揮して予選の決勝までは駒を進めることができたため、5ポイント二人分で10ポイントは獲得した。もともとほかの四人は決勝リーグに進むことは期待されていないため予想より大した損害はないのだが、決勝リーグに上がってきた他校がほとんど優勝争いをしている三校と四校だったため、思ったより優勝争いをリードできそうにないのだ。

 

「申し訳ございません。自分の力が及ばず」

 

「いいのよ。むしろ大健闘といっていいぐらいだわ」

 

 達也は頭を下げる。サブエンジニアとして男女第二トーナメントの二人のCAD調整を担当したのだが、それぞれ予選決勝で負けてしまったのだ。

 

 しかし真由美からすればもともと予選敗退は予想できたことであり、むしろ予選決勝まで進んでわずかといえどポイントを稼いでくれたのは嬉しい誤算だ。達也が担当した選手たちは、二科生ということで当初は不満げだったが、二人とも「今までと大違い」と達也の調整を手放しで褒めたたえた。

 

「十文字君は心配ないですが、千代田さんの消耗が激しいのが心配ですね」

 

「ああ、全くだ。最後の相手、かなり陰湿だったな」

 

 鈴音の言葉に、摩利は歯噛みして吐き捨てる。

 

 摩利の気が立って口が悪いのも仕方のないことだった。

 

 花音は予選決勝で思わぬ苦戦を強いられた。終わってみれば圧勝だったのだが、このあとが心配になるほどの消耗をさせられたのだ。

 

 その対戦相手はまたしても四高。まるで最初から花音だけを対策していたかのような戦いぶりで、花音の得意魔法である『地雷原』に反対魔法で完封して見せたのだ。

 

 花音もそこで切り替えていればまだよかったのだが、誇りを持っているお家芸をこのような形で完封され、つい頭に血が上って『地雷原』で戦うことにそこからしばらく固執してしまった。いくら花音でも(失礼)普段ならこんなことにはならないのだが、完封されて動揺したタイミングで、相手から指でクイクイッと挑発されて冷静さを欠いてしまったのだ。

 

 結果、試合は長期戦となり、じりじりと相手の氷柱を倒すような形で勝利した。元から防御をほぼ捨てていたにも関わらず花音の氷柱は申し訳程度に二本倒されただけなので結果は圧勝なのだが、決勝リーグに尾を引く形となった。

 

「千代田さんの決勝リーグの相手は……やっぱり三高か四高よねえ」

 

 真由美は予選のトーナメント表を見ながらそう漏らした。

 

 現在残す予選は第三トーナメントの準決勝と決勝のみ。とっくに一高生は男女ともに敗退しているため気にすることはないのだが、午前の試合の様子を見るに、女子で勝ち上がってきそうなのは三高か四高だ。第二トーナメントの女子決勝進出者は四高であり、厳しい戦いが予想される。

 

 試合が始まってすぐに観戦者のほとんどが察したのだが、花音の予選決勝の対戦相手である四高選手がとった作戦は、徹底的な『スタミナ削り』だった。真っ先に使ってくるであろう『地雷原』を徹底的に対策して無駄打ちさせ、そこに挑発を挟んでさらに無駄打ちさせる。そこからひたすら防御に徹して、攻撃を捨てて花音のサイオンや体力を削ることに注力していたのだ。

 

 対戦相手は勝ちを捨てていた。勝ちを捨ててまで、花音を消耗させたのだ。

 

 その理由は当然、決勝リーグで対峙するであろう仲間が勝つためのものだった。

 

 花音には勝てない。しかし、スケジュールの都合でさらに気力勝負となった中、自分が消耗させた後に戦う仲間ならば勝てるのでは? そういった考えであのような作戦をとったことがありありとわかる。さらに優勝争いをしている四高としては、一位の一高がポイントを稼ぐのを少しでも阻止したい。仮にこの作戦が仲間の勝ちにならずとも、他校の選手が花音を負かしてくれればそれでもいいのである。

 

 その作戦は当初観戦者の反感を招いたが、しかしその仲間につないで『チームで勝つ』精神はすぐに伝わり、観戦者たちを大きく感動させた。反感冷めやらぬのは被害にあった一高サイドのみだ。

 

 摩利が怒っているのは、かわいい後輩がそうした作戦にはめられた上、それをやってきたのが例の四高だったからなのである。

 

 未だに一高が優勢なのは変わらない。しかしポイントゲッターの花音の先行きは不安で、優勝確実だった摩利は手痛い予選敗退であり、明日の『バトル・ボード』決勝には挑めない。新人戦は予測が難しく、また新競技もまた予測不可能であり、先行きが見えない。優勝争いの三高と四高もどの競技でもポイントを確実に稼いできている。

 

 ここ三年の中で、一番難しい戦いになりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「五十里パイセン」

 

「ん?」

 

 昼休みも終わり際。午後にも恋人が十全に活躍できるようにCADの調整にいそしんでいた五十里は文也に突然声をかけられた。花音は敵情視察をするべく、第三トーナメントを見に行っている。

 

「午後の試合、これを使え」

 

「え、ええ……」

 

 文也の言葉遣いは上級生である五十里に対しても相変わらずだが、五十里はそのようなことは特に気にしないやさしい性格だ。しかし、いきなり文也から渡されたそれを使うことは、さすがに承諾できなかった。

 

「これCADでしょ? 気持ちは嬉しいし、すごいものなんだろうけど、さすがに試合直前になって大幅な作戦変更はできないよ」

 

 文也が手渡したのは、腕輪型のCADだ。汎用型に見えて特化型であり、中には午前中に『地雷原』を完封した『強制静止』を応用した魔法への対策となる魔法、対象物質の中で場所ごとに異なる大きさ・向きの振動を加えることで破壊する振動魔法だ。

 

 午前に花音対策として使われた魔法は、『強制静止』を応用したもので、その魔法の対象は、物体そのものではなく、物体の『下半分』だった。

 

『地雷原』は地面から振動を与えるため、下半分さえ防いでしまえば氷柱にダメージはほとんどない。普通の『強制静止』は物体全体の移動速度をゼロにするため、対象の氷柱はせいぜい二本が限度で、倒す対象を変えられてしまえばその速度に追いつくには超人的な読みと反応速度が必要になる。しかしこの応用したものは対象範囲を最低限――『地雷原』相手に防がなければならない部分に絞って効果が及ぶため、その分多くの氷柱を守れるのだ。

 

 そしてそれへの対策が、文也が用意した魔法というわけである。下半分が防がれるなら上半分一本ずつでいいから破壊してしまえばよい、という単純な理屈だ。仮に相手が普通に切り替えてきても、それなら『地雷原』で一気に壊してしまえばよい。『地雷原』と同じ振動系であり、花音との相性も悪くはない。CADを複数使うのは花音にはできないが、文也が渡したCADから魔法式のみを花音の特化型CADに移してしまえばよい。作戦としては悪くない。

 

 しかし五十里は断った。試合にしろ演技にしろ、『練習でやったことを一番練習通りにやったら勝つ』といわれる世界であり、本番直前の企図してなかった作戦変更は悪手だ。文也や達也、博などのように柔軟に対応できるタイプならまだいいが、花音はそこまで器用ではないのだ。

 

「そうか。わかった」

 

「うん、せっかくだけど、ごめんね」

 

 文也はいつもとは大違いで素直に引き、それをポケットにしまう。五十里はそれを見て、本当に心の底から申し訳なさそうに謝った。こんな男に、なんと心の優しきことか。

 

「だったらよお、別の案があるんだ」

 

「ん? 何?」

 

 文也の言葉に五十里は興味を示す。代表エンジニアを決めるときの無茶苦茶な調整や普段の素行から、五十里は初めは強い警戒心を抱いていたのだが、この練習期間の間に何度も興味深いことを見せてくれたので、文也に悪い感情は抱いていないのだ。

 

「ちょっと耳かせ……」

 

「え、うん……え、ええええ!?」

 

 五十里は文也の言葉に、目を開いて顔を真っ赤にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「花音、僕の愛しい花音……なんて強く、気高く、そして可愛いいんだ……」

 

 五十里の中性的な甘やかな声で、花音の耳元でささやかれる。吐息までもがはっきりと聞こえる距離でささやかれ、その熱い吐息は花音の耳だけでなく、首筋もくすぐった。花音を体は五十里の細い長身と長い腕にやさしく包まれ、汗で少し湿った髪の毛はたおやかな手でやさしくなでられる。

 

「あと二回……あと二回だけ、頑張ってね……僕と君、君と僕の、二人の力で勝利しよう……不安もあるよね……でも大丈夫、僕がついてるから……僕らは二人で一つ……最高のペアだ」

 

 試合直前、なぜか人払いされた待機テントでいきなり花音は五十里に抱きしめられた。耳元でささやく甘い言葉と声は、鼓膜や肌を通して花音の脳と心臓、そして心をこれ以上ないほど甘く、優しく、激しく、そして熱く刺激する。

 

「さあ、勝とう。僕らの力で……優勝したら、あとで『いいことをしてあげよう』」

 

 甘やかな声から一転、中性的でありながら男らしさを感じる声音で発せられた言葉に、花音はビクッ、と大きく痙攣し、呼吸は荒くなる。そんな花音を、まるで震えて抵抗するのを抑えるように、一層強く抱きしめた五十里は、その声音のまま、最後の一言をささやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「君と僕……最高の、『一つ』になろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っしゃああああああああああああ!!!!!!」

 

「ええええええええええええええええ!!!!!????」

 

 ドカーン! ズドーン! バコーン! ゴゴゴゴゴズゴーン!!!

 

『アイス・ピラーズ・ブレイク』の会場に、うら若き乙女とは思えない叫び声と、素っ頓狂な声と、爆音が響く。

 

 決勝トーナメント。開始数秒にして花音の相手選手である四高の選手の氷柱を破壊しつくした。

 

『地雷原』対策の魔法は何も意味を成していなかった。多くの氷柱を対象として守れてもそれを上回る速度でほかの氷柱は破壊しつくされ、本数が減ってより防御に集中できても、上半分を無理やり激しく振動させられて爆発してしまい、防御が全く追いつかなかった。

 

 午前でサイオンもスタミナも大きく消費させられた花音は、普通に考えたらこんなパワーと集中力を発揮できるはずがない。存分に持久戦に持ち込んでじわじわ氷柱を削り倒す目論見だった四高の選手は悲し気にその場に崩れ落ちた。

 

「この調子なら優勝確定だな」

 

 文也は腕を組んで満足げにうなずく。その隣の真由美と摩利も同じようなしぐさで満足げにうなずいた。

 

 今の花音には、第二トーナメントを勝った四高選手も、第三トーナメントを勝った三高選手も、絶対に勝てないだろう。それくらい今の花音は絶好調だった。克人ですらかなりの苦戦を強いられそうである。

 

「やったじゃないの色男!」

 

「うちの可愛い後輩を末永くよろしくな! はっはっはっ!」

 

 真由美と摩利は上機嫌に五十里の細い背中をバンバンと叩く。まるで遠慮のないおばちゃんのごとし。五十里は痛いのか、この後が怖いのか、真夏だというのに顔は真っ青だ。

 

 文也が五十里に提案したのは、花音に『ご褒美』を約束することだった。恋の力を刺激された乙女パワーは無限大エナジーであり、単細ぼ……単じゅ……素直な花音の性格を見越した文也は、それを利用して、昨夜自分がやられかけたハニー・トラップならぬハニー・チアーを五十里に仕掛けさせたのだ。

 

 その効果たるや絶大。どんな『ご褒美』を期待してるのか知らないが、今の花音を止められるのはいないだろう。

 

「はあ、はあ、さあ啓! いくわよ! 『一つ』になる愛をはぐくみましょう!!!!」

 

「は、はは、待って、焦らないで……」

 

「一応学校行事だから変なことはするなよー」

 

 無事三校の選手も叩きのめした花音が櫓から降りるなり、五十里(エモノ)を捕まえてホテルのほうに連れて行く。顔が真っ赤で息が荒いのは立て続けに試合に全力で挑み、スタミナもサイオンも枯渇してることが理由なのだろうが、主な理由はそうでないように文也たちには見えた。連れ去っていく花音の耳に、摩利の注意(やじ)が入っているのかは定かではない。

 

「くはははは、してやったぜ」

 

 文也はその様子を見送ると、満足げに高笑いした。

 

 そしてその後、四高の選手がすごすごと去っていく四高用のテントの入り口に立って生徒を迎え入れている、高身長で筋肉質で短髪の中年男性を見る。

 

 相手の男もそれに気づいたようで、文也のほうをみて、「やってくれたじゃねえか」とばかりに口角を釣り上げる。

 

 この男こそが、文也の父であり、第四高校の非常勤講師、井瀬文雄だ。

 

 文也は父親のそんな反応を見て、同じく口角を上げ、挑発をするように中指を立てた。




何か質問等あれば感想かなんかで送ってください。お応えできる範囲で返信いたします。なお科学的な面に関しては中学生レベルすら怪しく、ウィキペディアとにらめっこしながら書いていたのでそのあたりはお察しください。
じゃあなんでこの作品を選んだんだってなりますが、それは光井ほのかが可愛いからです


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2-9

 九校戦三日目。

 

 この日はまず『バトル・ボード』の準決勝と決勝を行い、その後に『フィールド・ゲット・バトル』すべてを行う流れになっている。

 

『スピード・シューティング』と兼ねてる選手が多いということで三日目にしたはいいものの、一日ですべてを終わらせる強行軍もそれはそれで選手の負担は大きく、この新競技は学校側だけでなく運営側にも混乱をもたらしていることがよくわかる。

 

 この『フィールド・ゲット・バトル』のメインエンジニアは文也だ。これまではあまり働かなかったが、今日はしっかり働かなければならない。

 

「今日は忙しくなりそうだな文也」

 

「といっても、調整するもんはほとんどないんだけどなあ」

 

 駿の言葉に文也はぼやく。

 

 性質上『フィールド・ゲット・バトル』はエンジニアの出る幕が少ない。何せメインのCAD『インクガン』は運営側が用意したものを使用しなければならないし、その中の魔法式もいじってはいけない。『スペシャル』に使うCADは大会規定内なら自由であるため、そちらの調整ぐらいしかないのだ。

 

 よってエンジニアの負担が少ないので、代わりに競技そのものの作戦を一緒に考えるなど、アドバイザー的な役割を持つこととなる。

 

「任せて。君たちに散々しごかれたんだ。成果は持ち帰ってみせるさ」

 

 博はいつも通りに飄々とした様子で緊張はない。

 

 芦田と、そして三人目の代表として『クラウド・ボール』から移る形で選ばれた桐原はやや緊張しているようだが、それでも普段からスポーツ系の部活で大舞台のプレッシャーには慣れているため、むしろ彼らにとっては調子を上げてくれるものである。

 

 これからの競技に備え、文也と博たちに『バトル・ボード』を観戦する暇はない。桐原は同級生の範蔵の調子が気になるようだが、もう後は信じるしかない。駿は特にいる必要はないのだが、新人戦で同じ競技に出るものとして作戦会議に出席しておこうと考えてこの場にいる。そういうわけで、こうして五人は選手用のテントの中で、床に座り込んで円座を組んで膝を突き合わせているのだ。ちなみにあずさは今日はとても忙しく、『バトル・ボード』のサブエンジニアとして働いた後、真由美たち『フィールド・ゲット・バトル』のメインエンジニアとして働くことになる。よって今は作戦会議には出ず、小早川の様子を見に行っている。

 

「司波はどうしたんだ?」

 

「きゃんわいいおにゃのこ連れて呑気に観戦してるんじゃないか?」

 

「何それうらやましい」

 

「バカなこと言ってないでさっさと始めるぞ」

 

 駿のふとした疑問に文也が答え、即座に博が反応し、芦田がそれをいさめる。その様子を桐原は「いつも通りだ」と言わんばかりに眺めているだけだ。

 

「まず、残弾数には常に気をつけろ。10を切ったらすぐに撃つのをやめて自陣に引く。何度も言っているが、これは徹底しろ。どんなに追い詰められても、絶対に残弾数を超えてまで撃とうとするな。その瞬間負けるぞ」

 

 芦田が最重要の注意事項を確認する。

 

 この競技は、インクガンによるショットを競技の間は何百・何千も撃つことになる。ショットは一発一発の燃費が良くなく、一発撃つだけでもちょっとした規模の魔法を使うときと同じ量のサイオンを消費する。数十年前と違って常駐魔法でもなければそう大きく消費をする魔法はないので、このショットも普通に考えたらそう警戒すべきものでもない。しかし撃つ回数が尋常ではないので、その管理は大変重要だ。

 

 そしてさらに重要なのは、残弾数を超えてまで撃つのを絶対に避けることだ。

 

 残弾数を超えて撃つことは禁止でもないし不可能でもない。しかし代わりに『術式解体(グラム・デモリッション)』もかくやというほどのサイオンを消費するため、実質不可能なのだ。『術式解体』は、一回撃つだけでも並みの魔法師が一日かけても集めれないほどのサイオンを消費するので、当然残弾数を超えたショットも不可能というわけである。

 

 そしてさらに質の悪いことに、サイオン量が足りない時に不発になるだけならばいいが、なんと『サイオンを残る限り大量に消費したうえで』不発になるのである。安全に支障が出るほどの量はさすがに消費せず、最低限残るようリミッターがかかってはいるのだが、それでも一度そうなってしまったら、その日一日は魔法をほとんど使えなくなる。普通のショットでもサイオンは消費するため、実質その日の競技は不可能になってしまうのだ。

 

 仮に無理してその試合に勝ったとしても、その次の試合は一人いない状態になる。そうすればその次では負けが確定するのである。

 

 故に、残弾数管理はかなりしっかりとしなければならない。撃ち合いに夢中になっているうちに弾が切れて、さらにうっかりまた撃とうとした結果ダメになる、というのを、この九校戦の練習期間中このメンバーは何回も経験した。一応残弾数が10を切ると、アイガード右上の残弾表示ホログラムが赤く変わるのだが、冷静さを欠けばそれもつい気にしなくなってしまう。

 

「仮に撃ち合いに負けそうになっても、残弾が少なければそこは諦めろ。キルされてもいい」

 

 ルール上、装備を一定以上塗られて動けなくなる状態を『スリープ』と呼ぶが、博や文也、ほか練習に携わったゲーム研究部員たちの影響で、芦田たちも『キル』と呼ぶようになった。

 

『スリープ』状態は大きな損失となるが、しかしサイオンがガス欠になるよりははるかにマシである。こうした、状況に惑わされず、戦っている状態に熱くならず、冷静に残弾管理ができるかが勝負の大きな分かれ目となってくる。

 

「さて、初戦の相手である六高だが――」

 

 芦田が本格的な作戦伝達に入ろうとしたところで、駿のポケットの携帯端末が鳴った。駿は会議の時はしっかりと端末の電源は切るし、それをうっかり忘れるような失礼はしない。鳴っているのは駿の端末であることは確かだが、プライベート用でなく、いつも持ち歩いている『緊急用』の端末だった。送信者の欄には「司波達也」と書かれている。

 

 駿が芦田に確認をとって会議の中断をしてから電話をとる。達也が駿に電話をかけるというのは、異常なことで、それも緊急用の端末にかけてきたのだから、出ないわけにはいかない。

 

「司波。どうした」

 

『森崎だな。そこに『陣取り』の選手と井瀬はいるな?』

 

「あ、ああ。今作戦会議中だ。スピーカーモードにしたほうがいいか?」

 

『頼む』

 

 駿は端末を操作してスピーカーモードにし、文也たちにも聞こえるようにする。いよいよただ事ではない様子だ。

 

『司波達也です。緊急事態が起こりました』

 

 電話の向こうの達也は、先輩である芦田たちに考慮して敬語に切り替える。その声は、らしくもなく、焦っているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『『波乗り』の小早川先輩が、準決勝の途中にアクシデントに見舞われ、棄権しました』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一高本選『バトル・ボード』女子は摩利ともう一人が予選敗退し、小早川が最後の希望だった。実力は十分で、精神的なムラさえなければ優勝争いにも絡むことも期待されるほどの生徒だ。

 

 そんな小早川の前に準決勝で立ちはだかったのが、『海の七高』と称されるほど校風によって水系の競技が得意な七高の代表選手・黒木だった。

 

 去年の決勝戦で二年生ながら同じく二年生だった摩利と決勝戦で対戦し、惜しくも敗れ二位に甘んじた選手だ。その技術は摩利とほぼ互角であり、今年も摩利と黒木のどちらかが優勝するに違いないという話だった。

 

 小早川はこの強大な壁の前に多少気後れしたものの、しかし同級生の摩利の無念を晴らさんと意気込み十分で試合に挑んだ。

 

 しかし、その試合でなんと大事故が起きた。

 

 摩利の薫陶もあり、スタートから終始小早川がやや先行する形の有利な状況の中、なんと黒木がオーバースピードで小早川に突っ込んでいき、小早川も対応が上手くいかず、そのまま衝突してもつれこみフェンスに激突してしまい、二人とも大けがを負ってしまった。小早川は特にひどく、腕や足があらぬ方向にまがり、『ミラージ・バット』棄権はもちろんのこと、今後の魔法師生命どころか日常生活すらも怪しいほどだという。

 

 当然レースは中断となり、黒木は失格、小早川は棄権という形になってしまい、小早川が5位、黒木は6位で双方ともポイントが入らない形になってしまった。

 

 達也からの緊急連絡はこのような内容だった。

 

 しかし連絡があったからといって、この五人に特にできることはない。重い空気のまま作戦会議に戻るしかない。しかし文也や博ですら衝撃的だったようで、いつもの軽口は鳴りを潜め、会議の進行はスムーズなものの、集中が乱れていて内容は浅いものでしかなかった。

 

「失礼するわ」

 

 そこに現れたのは、七草真由美たち『フィールド・ゲット・バトル』女子代表と、担当エンジニアのあずさだった。

 

「ふみくん!」

 

 あずさは文也を見つけるなり、文也のもとに駆け寄って胸に顔をうずめ、そのまま大泣きし始めた。

 

「わ、わたし、こばやかわ先輩に、な、なんてことをっ――!」

 

「あーちゃん落ち着いて。あれは事故だ。あーちゃんは悪くない」

 

「わ、私がもっとしっかりできてたらっ――!」

 

「あーちゃん! そんな予測なんて無理だ。緊急用の魔法だって限界がある」

 

 文也はあずさの頭を強く抱き寄せ、自分の胸に顔を押し付けさせる。

 

 あずさは小早川のサブエンジニアだったが、良い腕を持つ彼女は実質メインエンジニアの様なものだった。

 

 その中で小早川がレース中のトラブルで大事故に巻き込まれ、ショッキングなケガをする瞬間を生で見てしまいパニックになってしまった。

 

『バトル・ボード』の様子見は摩利に任せて作戦会議をしていた真由美は、事故の第一報を受けるとすぐに会議を中断して会場に向かい、一通り指示を出した後、顔を真っ青にして腰を抜かして茫然としているあずさを連れ出し、必死に声掛けして慰めながらここに連れてきた。

 

 気が弱く責任感が強い彼女はこの衝撃に耐えられず、小さな子供の用に泣きじゃくってしまっている。

 

「わ、私が、わ、わ、ひっく、私が、ひっく、ひっ、ひっ――」

 

 文也が慰めてもなお、あずさは泣き止まず、それどころか嗚咽によって過呼吸に陥ってしまい、そのまま脚の力が抜けて、文也に体重を預けたままずるりと倒れこんでしまう。

 

「あーちゃん! 少し息を止めるんだ! 落ち着け! あーちゃんは悪くない!」

 

「ハーッ、ハーッ、ひっ、ハーッ」

 

 あずさが倒れてしまわないように、体を支えながらゆっくり膝を折って支えながらて文也も座り込む背中をさすって呼吸が楽になるようにしてもなお、あずさの過呼吸は止まらない。

 

 救急車を呼ぶか、養護係に連絡すべきか……真由美が判断して行動に移ろうとしたとき、その場にいる者たちは、ごく小さな魔法が使われる気配を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

「あーちゃん、ほら、よしよし、大丈夫、落ち着け」

 

「ハーッ、ハーッ……ハーッ…………ひっく………………ハー」

 

 

 

 

 

 

 文也があずさの背中をさする手を、一瞬だけ自分の制服のズボンのすそのあたりに持ってきた。そこからすぐにまたあずさの背中をさすって落ち着かせようとする。

 

 すると、先ほどまでの苦しそうな様子が嘘みたいに、あずさの呼吸が整い、ついにすこし息切れをしてるという程度の状態まで回復した。

 

「さ、あーちゃん、これ飲んでいったん落ち着け」

 

 文也は自分の胸からあずさの顔を離れさせると、わきに置いていた自分のボトルを手に取って、中のスポーツドリンクをあずさにゆっくり飲ませる。涙でぼろぼろになり、パニックで青と赤が混ざったようなひどい血色だった顔も、それで完全に収まった。

 

 あずさは喉を鳴らしてスポーツドリンクをゆっくり飲み込むと、ほう、と深く一息ついてそのまま顔を上げる。

 

「ふみくん、ありがとね」

 

「いや、いいさ。もう大丈夫か?」

 

「うん、もう大丈夫」

 

「そうか。よかった」

 

 文也はそう言ってからあずさの頭をもう一撫ですると、真由美に向き直る。

 

「あーちゃん連れてきてくれてありがとな。で、結局状況はどうなんだ」

 

「え、ええ。えっと、とりあえずすぐに裾野の大きな病院に運ばれたわ。応急処置は達也君がしてくれたわよ」

 

 見入っていた中にいきなり言葉を向けられて一瞬言葉に詰まるが、すぐに真由美は状況を伝える。

 

「そうか。あいつは何でもできるな」

 

「そうね、ところでさっき……っ!? いや、なんでもないわ」

 

 真由美は先ほど何をやったのか文也に問おうとした。しかし、文也の眼……一切光を感じない底なしの深淵のようになった眼で、まるで『何も聞くな』と言わんばかりににらまれて、つい引いてしまう。

 

 真由美たちは、文也が精神干渉系魔法を使ったのではないかと勘繰った。ごく小規模なものではあるが、明らかに魔法を使っていて、その直後にあずさが落ち着いた。その魔法があずさの精神を落ち着かせたのではないかと考えたのだ。

 

 精神干渉系魔法は、その性質上、恐ろしい洗脳技術になり得るため、使用が特に厳しく制限される。例えばあずさの『梓弓』もその一種で、一昨日の夜に摩利を落ち着かせたあれも本来は罰則がある。しかし実際に摩利が武器を以て発狂していたこと、真由美が許可を出していたこと、そして真由美が権力を使って事実を握りつぶしたことによって何もおとがめはない。

 

 今回、文也が使っていたとしたら、いくら治療のためといえども罰則は避けられない。

 

「安心してください、そう悪いものではないですよ」

 

 そのために真由美は問い詰めようとしたが、文也の圧力に負けて、もともと動揺していたこともありつい引いてしまった。真由美のその様子を見て、またその魔法の正体を知っているらしい駿のフォローを信用して、桐原たちは何も聞かないことにした。そんな様子を見ていたあずさは申しわけなさそうに小さく真由美に頭を下げた。

 

 文也はまたあずさのもとに戻ると、床にへたり込んでるあずさを優しく支えて立ち上がらせ、ゆっくりといすに座らせ、この話はここでおしまいというように、少し大きめの音を立ててあずさの隣の椅子に座った。

 

 真由美はそれを見て、これ以上問うのをあきらめて、代わりに大きく、全身の力を抜くように息を吐いた。

 

 そして――再び顔を上げると、毅然とした目つきで、固く口を結んだ、いつも通りのリーダー・生徒会長としての真由美に戻った。

 

「『フィールド・ゲット・バトル』代表の皆さん」

 

 凛としたはっきりと通る声で、この場にいる全員に呼びかける。文也とあずさ、駿は本戦の選手ではないが、彼らも作戦に携わる者として、『代表』に含んだ。

 

「みなさんが連絡を受けた通り、『バトル・ボード』はこのような結末となってしまいました」

 

 その声を通して、全員に緊張感が伝わる。彼女の声は、この場にいる者の心に火を灯す。

 

「しかし――いえ、だからこそ、私たちはなんとしても、この競技で勝たなければなりません」

 

 灯された火は、真由美の演説という風にあおられ、さらに勢いを増して燃え上がる。その熱は表面化し、全員の表情に熱が戻り、その熱気が場の空気に伝わり、またお互いに火を激しく燃やしあい、いつしか重なって大きな炎となった。

 

 それを感じ取った真由美は満足げにうなずくと、いったん全員に笑いかけ――そしてまた表情を引き締め、こぶしを固く握って、高々と掲げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝つわよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 各々の返事が、テントの中にこだました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女子の代表選手は、結局急に廃止となった『クラウド・ボール』の選手三人がそのまま採用される形になった。操弾射撃部などのシューティング系の部活動から採用することも考えたが、あの段階ではいきなりなれというのは酷な話であり、結局もともと競技に参加する予定だった真由美、テーブルスマッシュ部の浅田、軽体操部の羽田が選ばれたのである。

 

 そこからのこの競技に対する練習量は、間違いなく各校で一番であると真由美は自負している。

 

 代表選手同士の練習試合も何度も行ったし、美術系の部活の協力でわざわざ七草家の敷地になるべく本番のステージを再現した障害物も作ってもらった。それだけでなく、文也がオリジナルでサイオン効率が良いインクガンと専用ユニフォームを作ってそれを代表選手以外の生徒に渡しての練習試合も何度もやった。特にゲーム研究部とほかの魔法に頼らないタイプのシューティング系部活の生徒はとてつもなく強く、代表選手たちは幾度となくぼこぼこにされて競技勘を磨いてきた。また、ゲーム研究部の協力で、本番のステージやルール、感覚などをなるべく再現したフルダイブVRゲームを作ってもらいそれで実際のステージでの動きも高精度で確認できた。思わぬところで、まるで論文コンペの様な学校総出での練習となったが、その分他校より多くの面で有利となっている。

 

 そのせいか、女子代表は予選リーグの二高と九高をあっけなく下し、楽勝で決勝リーグに駒を進めた。エース格の真由美は『スピード・シューティング』の選手といえどあくまでも的撃ちのみで、銃型での戦闘は経験がないのだが、地力の差で圧倒できたのもある。まだ他リーグは終わっていない――一高は幸いにして男女とも第一リーグだったため、午前に試合が集中した――が、他校で決勝リーグに進んできそうなのは八高と四高だ。優勝争いをしている三高と四高が同じリーグで潰しあってくれたのは、一高にとって僥倖だった。

 

 男子は予選リーグで、一高や三高と同じく人数が多く層が厚い二高と同じになり、厳しい戦いを強いられたが辛くも勝利した。終始不利な状況だったが、後半ぎりぎり、相手の集中力が切れた一瞬を、あまり活躍が期待されていなかった桐原が突いて、『スーパーショット』を交えて一瞬のうちに一人で二人をキルし、そのまま数的有利の力でステージを塗りつくしてそのまま陣地有利を保って勝利したのだ。

 

 男子の他校で決勝リーグに勝ち進みそうなのは、三高と四高だ。

 

 男女ともに勝ち上がったのは一高と四高。四高もどうやら特にこの競技に力を入れていたようで、練度の高い動きで他校を圧倒していた。

 

「はーこれがあと二戦? きっつぅ~」

 

「ごはん喉通らないかも……」

 

「そんなこと言わないの。ほら、しっかり食べないと午後は持たないわよ」

 

 たった一試合5分を二回だけといえど常に集中しながら、それでいて冷静でいつつ走りっぱなしで、しかも燃費の悪い魔法をほぼずっと使い続けてきたのだ。いくら練習を積んで慣れているといえども、本番の緊張感で加速した消費が彼女らの体を蝕んでいた。

 

 疲れてへたり込んでいる浅田と羽田の二人を先導して昼食に連れて行こうとしているのは真由美だ。リーダーとして常に導く立場を自任しており、疲れてないように見せているが、この三人の中でサイオン量は圧倒的に一番だがスタミナでは劣る真由美も、実はかなり疲れていた。

 

(私の相手だった子たちもこんな気持ちだったのかしら)

 

 真由美たちが出るはずだった『クラウド・ボール』は、魔法だけでなくかなり体力を使う競技だ。よって真由美以外の二人も体力は鍛えているのだが、真由美は一歩も動かずに魔法だけで相手を完封し、しまいには焦って無理をした相手がサイオン・スタミナ切れで棄権するような試合運びをするため、体力は今まで最低限しか鍛えてこなかったのだ。

 

「おい起きろ。さっさと飯食いに行くぞ」

 

「ほら百谷先輩起きてください。先行っちゃいますよ」

 

「ちょ、ちょっと待って……オエッ」

 

 男子のほうも一人すでにかなりスタミナを消耗している。

 

 スポーツ系の部活の一流選手である芦田と桐原は相当鍛えられているが、百谷はゲームと論理のタイプであり、一応サバイバルゲームや体を動かすゲームもたしなんではいるが、それでもこの真夏に長袖長ズボン・ヘルメット着用で動き回るのはかなり辛い。

 

 体力や運動神経があるわけではないが、駆け引きや作戦・読みの力で予選で一番活躍したのは百谷だった。相手からは残弾数がわからないのを利用して少なくなった振りをし、わざと引いて相手が追い打ちをかけてきたところを実は余裕があった残弾でキルをして序盤有利を導いたりして、巧みにゲームメイクをしてきた。

 

「あの先輩の様子を見るとお前も不安だな」

 

「まあ最悪秘密兵器があるからいけるっしょ」

 

「お前のあれはいつ見ても不思議だよ」

 

 そんな様子を見ていた駿と文也は、自分たちのことも考えてそんな会話を交わした。

 

「森崎、井瀬、『陣取り』の予選は順調だったようだな」

 

「おう、ばっちりだ」

 

 二人で座っていたところに達也が合流する。

 

 達也が言う『陣取り』とは、『フィールド・ゲット・バトル』の別の呼び方だ。いかんせん長いので、各々で呼び方を考えていたのである。ちなみに『陣取り』という呼び方は駿が勝手に作ったもので、それを達也も拝借して使っている。文也と博は当然のように『ナワバリバトル』と呼んでいたが、わかりにくいので結局正式名称で呼ぶか『陣取り』に迎合した。

 

「なあ、なんか急に寒くなってないか?」

 

「暑い外からいきなりクーラーがきいてる食堂に来たんだ。仕方ない。仕方ないということにしておけ」

 

「そうだな」

 

 文也と駿の顔は青ざめている。暑い外からクーラーのきいた食堂に来たとは言えど、これは異常なことである。

 

「お兄様お兄様お兄様お兄様……」

 

「深雪! 落ち着いて! 気温下げない! ほら心落ち着けて! クールダウンクールダウン!」

 

「そんなこといったら余計気温下がっちゃうよ、ほのか」

 

「だったら雫も止めてよお!」

 

 愛しのお兄様と昼食を囲む機会を、正直良く思っていない文也と駿に奪われた深雪は、すっかり不機嫌だった。

 

 これは九校戦練習期間に入ってからの恒例行事になってしまっている。

 

 達也と文也・駿は仲が良いどころか、相性が悪い。しかし同じチームになった以上お互いに反目している場合ではないし、練習期間が短いぶん昼休みの時間すら貴重だったため、こうして頻繁に三人で昼食を囲んでいるのだ。周りはこの光景に――発足式の件があってもなお――大変驚いたが、その驚きも、深雪が放つ不機嫌オーラと冷気ですぐに消し飛ばされてしまった。

 

「おい司波兄。いい加減なんとかしてくれ」

 

「聞き分けがいい妹なんだが、こればっかりはどうしようもなくてな」

 

「そういう割には『はは、あいつめ、仕方のないやつだ』みたいな笑顔だな。このシスコンめ」

 

「アイスじゃなくてホットコーヒーとってくる」

 

 駿はそう言って逃げるように席を立った。二人とも暑い夏なのでアイスを食べようとしていたのだが、寒気がするし目の前のシスコン魔人が甘いことを言うので、熱くて苦い飲み物が欲しくなったのだ。

 

 駿が二人分のホットコーヒーを持ってきて一息つくと、会話は『フィールド・ゲット・バトル』でなく、午前に起きた『バトル・ボード』の事故についてになる。

 

「まずはこの映像を見てくれ」

 

 達也が端末で見せたのは、事故の瞬間の映像だ。

 

 オーバースピードで水面からサーフボードが離れ、小早川に吹っ飛んでいく黒木。小早川は緊急対応をしようとするが――そこでバランスを崩して失敗し、二人は衝突してもつれ込みながらフェンスに激突。

 

「「これはおかしいな」」

 

 文也と駿は声をそろえてつぶやき、すぐに衝突の直前からスローで再生することを要求すると、達也は満足げにうなずいて要求に応える。

 

「お前らもやっぱりそう思うか。衝突の瞬間、波が不自然に動いて小早川先輩を妨害している」

 

「これは魔法か? だとしても、こんなんできる方法はそうそうねぇぞ」

 

「水面に術者が潜んでた、なんて馬鹿な話もなさそうだ。自滅になるような波を起こすようなことは小早川先輩はしないから、外部から……いや、でも監視システムがある中で……」

 

 三人は口々にこの波について意見を述べる。そして駿が、自身の発言にヒントを得たように声を上げた。

 

「まさか、SB魔法なのか?」

 

「ああ、俺もそう考えている」

 

「だとしたらいよいよ真っ黒だな。これはこの九校戦かなりきな臭いぞ。七高のやつもただの事故か怪しいな。会長さんに報告は?」

 

「いや。試合前なのに動揺させるわけにはいかないからな。代わりに渡辺先輩と十文字先輩には報告してある」

 

「ずいぶんが気が利きますことで」

 

 達也は事故の時すでに不自然な波に気づき、応急処置をした後すぐに五十里と協力して波の検証・解析を行い、同じ結論に至っていた。摩利と克人にはすぐに報告し、各々の人脈で調べてもらっているが、真由美には競技が控えているので報告していない。摩利と克人もまだ競技は残っているのだが、どちらも新人戦を挟んだ後なので、多少動く程度なら差しさわりはないはずだ。

 

「今はとりあえずこの程度しかできなさそうだ」

 

 達也はそう言って、話を締める。

 

「とりあえず、各々で自分の身は守れるようにしておこう。少なくとも、運営に提出した後、自分のCADをもう一度チェックしておくくらいはするべきだな」

 

「めんどくせえけどそうするしかないか。あんまり話も大きくできないから、ほかの連中にはそれとなく気を付けるように言うしかなさそうだけど」

 

 駿と文也も各々の感想を述べ、昼食の席を立つ。そろそろ昼休みも終わりで、午後の競技が始まる。

 

 しばらく一高の試合はないが、他校の戦いぶりを見ておいても損はない。

 

「チッ」

 

 食堂を出る時、何を思い出したのか、文也は食堂を見回してあずさを見つけると――悔しそうに小さく舌打ちをした。



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2-10

 結局、予想通り、女子で勝ち上がってきたのは四高と八高、男子で勝ち上がってきたのは四高と三高だった。

 

 第一リーグだった一高は昼休みを挟んで決勝リーグに挑む形になるので有利なのだが、代わりに決勝リーグでは一番辛い戦いを休憩なしでいきなり二連戦することになる。

 

 第三リーグが決着して四高の勝ち上がりが決定するや否や、すぐにステージ抽選が始まり、一高と第二リーグ勝者の八高が呼ばれた。

 

「連戦状態で四高と戦うことになったのはなかなかきついわね」

 

 真由美はステージに向かいながらそうつぶやく。

 

 一高にとって一番あってはいけないことは、ここで四高に負け、自分たちのポイントを下げたうえでしかも優勝争いをしている四高にポイントを献上してしまうことだ。一方で優勝レースにすでにだいぶ遅れている八高には負けても特に大きな損害はない。よって、八高相手に手を抜き、四高戦のために温存するという作戦もあり得る。

 

「でも、ここで負けるつもりはないんでしょ?」

 

「当然よ」

 

 羽田からそう言われ、真由美は笑顔を向けてそう返す。

 

 優勝にこだわって、小癪な勝ち負け戦術なんかに逃げたりなどしない。

 

 

 

 

 ――全部勝てば、それで優勝だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女子決勝リーグ第一試合、一高VS八高のフィールドに選ばれたのは『模擬練習場』だった。

 

 坂や段差といった地形の上下はなく平坦で、全体の形もやや縦長の長方形でスタンダード。障害物は点対称に立てられた十数個の大小さまざまの土壁のみで、一番シンプルなフィールドとなっている。

 

 シンプルであるがゆえに一度陣地で形勢が傾けばそのまま試合が終わることが多く、逆転の一手を打ちづらい。

 

 そんなフィールドでの序盤。一高がとったのは、『3凸』と博が名付けた作戦だった。

 

 一高が練習の中で見出した序盤の定石は『2-1』と呼んでいるもので、二人が真っ先に相手のほうに向かって前線の取り合いをし、一人が自陣側を塗って撤退場所や弾補充の場所を確保するというものだ。

 

 一方『3凸』は、いきなり三人で前線に向かい、序盤の前線有利を数的有利によって無理やりもぎ取るという作戦だ。これは序盤が重要な模擬練習場ステージにおいては有効な戦術だが、これに失敗すると前線を奪われるだけでは済まず、自陣の塗りも整っていない状態になるので、体勢を立て直すのがかなり難しくなってしまうリスキーな作戦だ。序盤有利が取りやすいが、失敗すればこのフィールドではほぼ負け確定という、ハイリスクなものである。

 

 故に、真由美たちが取ったのは、それに多少の保険をかけたものであった。

 

「嘘でしょ!!!???」

 

 前線に出ていこうと最短ルートで全力疾走していた八高の選手が驚愕する。定石の『2-1』作戦を八高は選択したのだが、まだフィールドの真ん中にたどり着いていない段階で、いきなり一高の誰かと接敵したのだ。

 

 しかもその選手は壁の向こうから現れたのではなく、『上から』いきなり攻撃してきたのだ。

 

 全力疾走中の不意打ちによって反応が遅れた彼女は、すぐに応戦してショットを撃つが、一高の選手はそれをすべて跳ね回って避け、壁の向こう側に消えてしまった。

 

「くっ! 自陣で接敵! こちらぎりぎりよ! とんでもない速さで突っ込んできてるわ!」

 

 装備の四分の一以上が塗られてしまい、無駄撃ちまでさせられた彼女は、このままでは前線で戦っても無駄死にするだけだと思い、走りながら自分で塗った場所に戻って弾と面積の回復を図りつつインカムで仲間に情報を飛ばす。これで前線に向かっているのは一人しかいないことになる。序盤でいきなり出鼻をくじかれてしまい、その選手は歯噛みした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『奥のほうで一人相手に結構塗ったよ!』

 

「ナイスよツバッティ!」

 

 真由美がフィールドのちょうど真ん中あたりで相手選手と土壁を利用した撃ち合いで前線の取り合いをしていた時、羽田からの連絡を受け取って歓喜の声を上げた。

 

 八高側の陣地に高速で乗り込んで足止めさせた一高の生徒の名前は羽田椿。軽体操部でありスタミナはスポーツ選手としては並みだが身体能力が高く、特に脚力やジャンプ力といった身体のバネは一流の選手だ。

 

 通常前線に真っ先に向かう選手は、自分の通り道を塗り、その上を渡って進んでいく。静止しなければ装備面積は回復しないが、走っていても弾は回復するため、前線に至るまでに少しでも塗っておくべきなのだ。自分の退路にもなるし、前線までに大きく弾を消費することもない。

 

 しかし彼女はその身体能力とフィールドを生かして奇策を実行した。

 

 彼女は塗るという手間すら省き、壁をよけながら地面を走るのではなく、『壁から壁へ飛び移って』最速で相手陣地に切り込んでいったのだ。

 

 相手からすれば予測できないタイミング・場所で、予測できない方向からの攻撃であり、序盤の出鼻をくじくのにはもってこいの作戦だ。

 

 この作戦は普通は実行できない。これを実戦レベルの速さで行うには、実際のフィールドでの反復練習が不可欠だ。恐怖もあるし、落ちてしまったらケガをして棄権の可能性すらあるからだ。

 

 しかしそれを解決して見せたのが真由美の力だった。達也の思い付きによるちょっとした冗談――彼は練習なしでも実行できそうだが――にインスピレーションを得てしまった羽田が真由美に無理を言って、運営から渡された図面の通りに再現したフィールドを造ってもらったのだ。壁と壁の間にマットを引いて落下時のけがを予防したうえで、彼女は暇さえあれば真由美と一緒に練習をした。その過程で仲良くなり、真由美もあだ名で呼ぶようになったりもした。

 

「どういうことよ!?」

 

 真由美と撃ち合いをしている選手の集中力が乱れる。自陣側で仲間が襲われた。それはつまり、自分の背中からその敵が攻撃してくる可能性を示唆している。真由美との撃ち合いだけでなく、後ろにも警戒しなければならない。

 

 そんな状態で、努力した天才である真由美相手に勝てる腕はその選手になかった。

 

「あ!?」

 

 隙をついた真由美の攻撃により、ついにユニフォームの半分以上を塗られた彼女はスリープ状態になり、手痛い強制静止状態になる。

 

 その間に、動けなくなったその選手の周りをきっちり塗ると、真由美は復帰からの無敵状態を警戒して離れ、自分のインクの上に立って弾と面積を回復しながら周りの観察を始める。

 

 羽田が一人を足止めし、真由美がもう一人を引き付けている間に、前線に出てきた浅田が前線のほとんどを誰にも妨害されることなく一通りあらかた塗り終えた。

 

 羽田も相手陣地から戻ってきて前線維持に参加しようとするが、その様子を見て、今までほぼ放置してきた自陣塗へと切り替える。

 

 最初の前線の取り合いは制した。あとはこちら有利の前線で相手を抑え込み、隙を見て自陣側を塗ればよい。

 

 ここからの試合運びは、終始一高にとって有利な展開だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱ羽田さんって頭おかしいよね」

 

 その試合の様子を、事情があって一足先に試合を終えてみていた博は苦笑いしながら見ていた。

 

 午後、予選リーグの終わりは男女バラバラだったが、決勝リーグは足並みそろえて行われ、第一試合は男女同時に開始されたのだが、トラブルがあって試合が速く終わってしまったのだ。

 

 男子第一回戦の一高VS三高の終わりはあっけなかった。

 

 三高は戦闘系の魔法を重視して教えている学校であり、当然こうした競技にも強く、予選を勝ち上がってきた。

 

 その様子を見て相手のデータを取った文也が提案した作戦は、三高『フィールド・ゲット・バトル』のエースへのダブルマークだった。三高の予選での試合運びは、エース一人を軸に据えた作戦であり、戦いのポイントでは常にそのエース選手が活躍していた。一方で、ほかの二人は悪くはないものの特に強くもない平凡な生徒で、優秀ではあるのだがあまり競技に適応できてない様子だった。

 

 そこで、前線に出てくるであろう相手エースを、博と桐原の二人で抑え込むという作戦を思いついたのだ。残りの二人を芦田一人で見る形になるが、競技適正もスタミナもある彼ならば、前線という限られた空間の範囲でなら二人を浅く広く相手することは可能だ。

 

 その策は上手くいき、相手エースをずっと抑え込んでいたのだが、それで相手エースの焦りは重なり、動きはどんどん精彩を欠いていった。その様子を見逃さなかった博は、相手をよく観察したうえで、そのエースの周りを回り左側に常について戦いを進めた。

 

 結果、左側に視線を集中しなければならなくなった相手は視界の右側にホログラムで表示されている自身の残弾が尽きていることに気づかず、焦ってもう一発撃とうとしてしまい、あらん限りのサイオンを吸収されて倒れこんでしまった。

 

 そしてそのエースが試合続行不可能となり、相手は棄権したので、試合は早く終わったのである。

 

 博の視線の先では、羽田がタイミングを見計らって壁から壁へ跳び回り、高速立体機動で相手をかく乱していた。いきなり頭上から現れて『スーパーショット』でぶち抜く姿はもはや恐怖でしかない。

 

「あの動きを魔法なしでやるんですからねえ」

 

 その様子を見ている桐原も苦笑いだ。羽田は適性がありそうな『ミラージ・バット』の代表には――摩利や小早川といった上が強すぎて――選ばれなかったが、この運動神経が評価されて『クラウド・ボール』の選手に選ばれていたのだ。

 

「しかし、あんなに暴れてスタミナは持つのか」

 

 芦田はそれを見て心配をする。身体能力は高いがスタミナはスポーツ選手としては並み程度の彼女が、ここまでトばしていると、その次の本命の四高戦が心配なのだ。

 

 このように、相手に明確な有利を突き付けることができる形で跳び回れる構成をしたフィールドは模擬練習場のみだ。そうだからこそ、せっかく練習したのだからと彼女は張り切っているのだろうが、次が心配ではある。

 

「まあなんとかなるでしょ。あ、こりゃ勝ったね」

 

 博が何も考えないで気休めを言うや否や、最終盤で真由美が動きを見せる。羽田と浅田が相手選手三人を誘い込んで一か所に集めると、そのど真ん中に土壁に隠れていた真由美が現れ、『バリア』を発動して無敵状態で次々と倒していく。

 

 この最終盤でこうなったら、もう逆転の手は残ってない。

 

 決勝リーグの第一試合は、どちらも一高が完勝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二試合からは男女バラバラで行われる。

 

 先に試合が終わり体力が残っている男子一高VS四高が行われそうなものだが、三高が四高との試合も事前に棄権したことで男子は一回戦分の時間が空いたため、女子の試合が先に行われることとなった。女子のほうが基本的に体力がなく、その上女子は最後まで試合をしたというのにこの決定は、運営の都合しか考えられておらず、真由美たちは勝利後の喜びも吹き飛んで怒り、運営にクレームをつけようとしたが、実際に自分たちの要求が通るかもわからないことで体力を消耗するよりかは、と考え、我慢して何もせず休憩を選んだ。

 

 女子の二回戦、実質の決勝カードである一高VS四高が行われる。一高のインクは赤、四高のインクは青。フィールドは『滑り台公園』だった。

 

 なんとも間の抜けたフィールド名だが、その名前の通り、特徴的なのは、ステージ真ん中の大きなくぼみと、そこへとつながる両陣地から伸びた巨大なプラスチック製のでこぼことした滑り台だ。滑り台の両端は階段になっており、真ん中と陣地間の移動は、滑り台でも階段でも各々の特徴を生かしてどちらでもできるようになっている。

 

 構造上、相手陣地へ乗り込むことは難しく、滑り台下のフィールド真ん中の広場の取り合いが勝負の分かれ目となる。仮に一度取られても、階段や滑り台の上から広場に向かって攻撃して位置的有利を取ることで打開もしやすいが、その逆もしかりということで、戦局が激しく入れ替わるフィールドである。

 

 さすがにこのフィールドの再現は七草家の力を以てしても難しかったが、ここで活躍したのがゲーム研究部が自作したフルダイブVRゲームだった。これによって、実際に体は動かせないものの、それに近い形の練習をすることで感覚や距離感を体感することができた。実際に模擬戦をしてみて掴んだ作戦もある。

 

 故にこのような特徴的なフィールドは、再現技術を持ち合わせて高い質の練習を行ってきた一高に限りなく有利だ。

 

 そのはずだったのだが――

 

『七草、これは……』

 

「ええ、そうね」

 

 浅田と真由美は各々の仕事をしながら通話をする。

 

 試合もすでに中盤。一高の真由美たちは、思わぬ苦戦を強いられていたのである。

 

 四高の動きは、一高のそれに匹敵していた。

 

 明らかにこのフィールドに慣れている動きで序盤から今まで練度の高いチームワークで一高は翻弄された。

 

 一高が取った作戦は、先ほどとは逆に、実にシンプルなものだった。

 

 真ん中の広場で二人が前線を奪い合い、一人は階段に待機して後方から位置的有利を取って援護および自陣塗りをし、前線の一人が残弾や塗られた面積が危なくなると退避し、それと入れ替わるように階段で待機していた選手が滑り台に乗り移って高速で前線に参加する。シンプルでありながら堅実で、かつ強い作戦だ。これは実際に再現された状況で戦ってみたからこそ思いついた作戦で、また実行するための練習も行えたため、予選でもこのフィールドで戦った真由美たちは、奇妙なフィールドにとまどう六高を相手に難なく勝利できた。

 

 しかし、四高は訳が違った。四高も一高と同じような作戦をとっていたのだが、序盤がもうすぐ中盤になろうというころ、相手の前線の一人が、抜け出して『一高側』の階段に乗り込んできたのだ。

 

 この不意打ちに戸惑い動きが乱れた前線の真由美と浅田は、スリープまでされこそしなかったものの、そのぎりぎりまで追い込まれて攻め手を緩めなければならなくなった。

 

 さらに抜け出した相手選手は、一高陣地側、つまり真由美たちの背後上方から支援射撃を行ってきたのだ。この上このまま相手が自陣まで乗り込んできて塗り荒らされたら、たとえ前線で勝ってても最終的な塗りポイントは負けてしまう。

 

 さすがにこれは放置できず、反対側の階段にいた羽田が健脚で駆け抜けてその対応に当たり、なんとかスリープ状態に追い込んだ。ルール上相手はスリープからの復帰後の無敵状態ではさらにこちら側に乗り込めないので、強制的に帰らせたが、これによって羽田の援護射撃が途絶えたことにより、真由美と浅田は前線の広場を捨てて退避せざるを得なくなった。

 

 いったん落ち着いて残弾や装備面積を回復して今は前線を取り返そうとしているが、依然として状況は厳しい。

 

 そんな苦境の中、真由美と浅田、そしてそれに少し遅れて羽田は気づいた。

 

 この動きは、机上論だけで導き出されたものではない、と。

 

 実際に再現した状況で模擬戦をしたからこそわかる定石と、それへの対抗策。その二つを、まるで最初から予定していたかのように決めて見せた四高は、実際に間違いなく、一高と同じかそれ以上の練習環境を整えていたことになる。

 

(井瀬君のお父さんね)

 

 今までさんざん煮え湯を飲まされてきた四高のトリッキーな戦い方は、あの忌々しきゲーム研究部を思い起こさせるものだった。そのゲーム研究部に適応した文也の父――真由美はそれには当てはまらなかったが、親子はよく似ることもある。あの文也の父親ならば、四高の作戦スタッフにアドバイスを与え、そしてゲーム研究部と同じように再現したVRゲームを作っていても不思議ではない。

 

 じりじりと形勢を取り戻しつつあるが、このままではまだまずい。

 

 真由美たちは、逆転の一手を考えなければならなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそ親父め……禿げちまえ……」

 

「ううううううう先輩たちいいい、頑張ってくださいいいいい」

 

 一高テントで、文也とあずさはその様子を見ていた。文也は忌々しげにこの戦況になった原因であろう父親を呪い、あずさは夢中になって両こぶしを固く握りしめて画面にかじりついている。

 

 画面の中では、真由美が『バリア』を使ったうえで滑り台によって高速で広場に乗り込み、決死でなんとか五分五分まで取り戻した。しかしこれでも状況は不利のままである。まだ中盤だというのに、この逆転が発生しやすいフィールドで、一枚だけの切り札である『スペシャル』を切らされた。一高が編み出した定石は、最終盤で温存してたスペシャルを一気に切って勝利する、というもの。それは四高も考えついているようで、向こうはまだ一回も使っていない。

 

 あずさは、まるで自分が選手であるかのように緊張している。これは気弱な彼女がつい背負いすぎてしまった責任感によるものだが、自分がメインエンジニアであるから、というだけがそうなった理由ではない。

 

 文也に慰められて落ち着いたといえど、あずさがメインエンジニアを務めた小早川の大けがは、彼女を深く傷つけてしまった。どうにもならなかったのはわかってはいるが、一方で、もっとしっかりしていれば、という自責の念はどうしても消えない。

 

 それによって背負いすぎた責任感は、この『フィールド・ゲット・バトル』に向いた。せめてこっちで頑張ろう、というものだが、それは決してプラス方向への思考の転換というわけではない。むしろ後ろ向きで、ここで頑張らなければ私はもう、というような、一歩踏み違えれば自己破滅するような危ういものだった。

 

 彼女自身、これで勝ったからといって、小早川の件は取り戻せず、自分の自責の念は消えないと知っている。この『フィールド・ゲット・バトル』への入れ込みはある種の逃避なのだが、その逃げた先でも彼女は自分を追い詰めてしまったのだ。

 

 そんなあずさの心情を敏感に読み取った文也は、次の男子の戦いに備えて仕事をしているところに、あずさを誘ったのだ。

 

「大丈夫だよ、あーちゃん」

 

 文也は、固く握りすぎて真っ白になったあずさの小さなこぶしを、自分の小さな手で包みながらあずさを励ます。

 

 

 

 

 

「あーちゃんの力は、決して無駄にはならないから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 画面に映像を送っているカメラの前を浅田が走って横切り、その腰には、ホルスターに入れられた拳銃型CADが揺れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度か逆転を繰り返し、試合も最終盤。

 

 ついにお互いが勝負を決めるべく、動きを見せた。

 

『来るよ!』

 

 階段で後方支援をしながら相手の動きを注視していた羽田が、前線で撃ち合っている真由美と浅田に警告を飛ばす。羽田が観察していたのは、前線ではなく、相手の後衛だ。

 

 その後衛はインクガンを下ろすと、腰につけていたCADを地面に向けて魔法を放った。するとその魔法信号を受けて地面のプログラムが起動し、大きなメガホンのホログラムが現れ、前線の広場にそれが向けられる。

 

 スペシャルの一種『メガホン』。巨大な円柱型の光を放ち、それに触れた相手は一瞬でスリープ状態になる。効果発動まで5秒の時間を要し、しかもその間使用者は一歩も動けず、さらには一発でもショットが当たれば効果はキャンセルされスリープ状態にされる。

 

 効果は大きいといえどそのハイリスクにはあまりにも見合わず、今までの試合でもほとんど使われることもなければ、仮に使われても有効活用とは言えず、むしろ自爆につながってばかりだった。

 

 しかしそんな『メガホン』は、この滑り台公園フィールドでは有効に使うことができる。

 

 この範囲攻撃は、真ん中のくぼみという、人が集中し、かつ離脱しにくい場所にはとてつもなく有効である。

 

 また滑り台の上から放ってしまえば、相手は5秒の間には絶対に上ってきて撃ってくることはできない。

 

 そんな条件が整った『メガホン』を最終盤の切り札で使うことで、勝利をつかむことができる。仮に相手を倒すことができなくても、相手が前線から一瞬でも引いた間にそこを塗ることで圧倒的に有利になる。

 

 真由美と浅田は即座に撤退し、青い円柱型の光から逃れた。

 

 しかし、そうすることによって、やはり前線の広場は青く塗られてしまう。

 

「けど、ちょっと切るのが早かったね!」

 

 羽田はそう叫びながら、自身もインクガンを下ろし、『メガホン』を使用する。

 

 相手がこう来るのは十分に予測の範囲内だった。よってお互いに使うタイミングが重要だったのだが、四高選手は焦ったのか、少しばかり早くに使ってしまった。

 

 一高側の目論見通り、相手の前線は引き、真由美と浅田がまた前線を取り返した。このままあと20秒ほど耐えれば勝利だ。

 

 

 真由美たちはほくそ笑んだ。勝った、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう来るのはわかってたわよ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そうはいかなかった。

 

 前線から引い四高選手は、羽田のメガホンが終わっても前線に戻らず、階段最上部の自陣までそう叫びながら駆け上がっていく。

 

 そして登り切ってさらに一歩奥に進んでから振り返ると、足元にCADを向けて魔法を放ち――巨大なメガホンのホログラムが現れた。

 

「「「二本目!!??」」」

 

 真由美たちの声がシンクロする。

 

 さきほどのメガホンはブラフ。安心して一高に『メガホン』を使わせて逆転の一手を使わせ、そのあとに本当の逆転の一手を切るためのもの。

 

 真由美たちはこの作戦は想定してなかった。

 

 このフィールドで『メガホン』が有効といえど、そのリスクは大きいのは変わりない。普通に考えたら、貴重なスペシャルのうち二枠を割くことはできない。

 

 しかし、それを四高は実行した。理屈で考えたらまずない。それゆえに相手に読まれず、有効な手段となる。

 

(まさに、『理外の理』!)

 

 四高の生徒たちは、一高の戦いぶりを見てからこの作戦を発案した作戦スタッフの『ステラテジークラブ』部員である、鼻と目がやけに鋭い伊藤という生徒に感謝をした。これは彼らが『限定じゃんけん』というカードゲームの大会で優勝したときの発想の応用で、その発想を伝えたのが、顧問の講師だったという。

 

(嘘よ!? こんなことって!)

 

 一瞬のうちに真由美の心に絶望が襲い掛かる。

 

 ありえない。このフィールドだって、『メガホン』は無敵ではない。

 

 例えば、そう、高速で撃ちだされる『スーパーショット』なら――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「させない!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、浅田が吠えた。

 

 真由美たちの反応が遅れる中、魔法で強化しながらテーブルの上で特殊な二つのボールを打ち返しあう『テーブルスマッシュ』で培った、世界でも随一の反射神経が、彼女を動かした。

 

 彼女が持つスペシャルは――『スーパーショット』だ。

 

 逆転の一手に逆転の一手で返し、さらに逆転の一手で返された。それに対する、最後の切り札。

 

(でも残念でした)

 

 その様子を油断なく観察していた、前線に復帰した四高の生徒は、自分の『スーパーショット』を使用すべくインクガンの電源を切ってCADを起動した。

 

 しかも、自身と、前線の真由美と、浅田は、一直線に並んでいる。このまま撃てば真由美と浅田は二人まとめてスリープ状態になる。これで勝ちは確定だ。

 

(それに、『間に合わないよ』)

 

 これほどの反応速度は予想外だった。しかし、この一手に『スーパーショット』で対抗してくることは読んでいた。だからこそ、この手のために保険をかけていた。

 

『メガホン』の使用を確認してから、『スーパーショット』を放つまでの過程――気づき、反応し、考え、体を動かし、干渉を防ぐためにインクガンの電源を切り、特化型CADを起動させ、照準を向け、魔法を起動し、魔法を放つ。短い動作だけでもこれだけの過程が挟まる。

 

 さらに放ってから届くまで。いくら『スーパーショット』が速くても、タイムラグがある。事前に綿密な計算を重ねた結果、これらが重なることによって、ぎりぎり間に合わないことが分かった。

 

 また仮に相手が達人だったとしても、その保険として、『メガホン』を使った生徒は一歩下がって離れている。完璧な作戦。

 

 

 逆転の一手に逆転の一手で返し、さらに逆転の一手で返された。それに対する、最後の切り札。

 

 

 しかし、その最後の切り札で消されるはずだった逆転の一手は、実は綿密な計画により、その最後の切り札が効かないようになっていた。

 

 

 一瞬の中でそれが脳内に駆け巡った四高生徒はほくそ笑もうとして――驚いた。

 

 

 

 

 

 

 浅田は、インクガンの電源を切るのではなく、手を離して落とした。

 

 

 そのまま一歩でも近くと言わんばかりに、重力を利用して無駄なく前に踏み出し、そのついでにインクガンを蹴飛ばして自分から離す。予想よりも、時間と距離が縮まった。

 

 

 腰の銃型CADを抜くと思われたがそれはブラフ。彼女が起動させるように触れたのは、袖の中に隠した小さな細い腕輪。さらに時間は縮まる。

 

 

 照準を向け――る必要はない。捨てる動作の中で、とっくに向けている。さらに時間は縮まった。

 

 

 魔法を起動する――起動が、予想よりもはるかに速い。時間はさらに縮まった。

 

 

『スーパーショット』が放たれる。疾風をも追い越すのではないかという速さで、赤いインクの柱が『メガホン』を使った生徒に襲い掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして――『メガホン』が起動する直前で命中し、その生徒はスリープ状態。メガホンのホログラムは四散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ほめてやるわ)

 

 しかし、無意味。

 

 圧倒的速さで放って『メガホン』をつぶしたのは称賛に値する。

 

 しかし、無意味。

 

 このまま自身の『スーパーショット』が真由美と浅田をまとめて貫き、二人はスリープ状態になる。

 

 残りは数秒。一高にとっては、復帰が間に合わないわずかな数秒。四高にとっては、塗り替えして逆転する永遠にも等しい価値の数秒。二対一の数的有利で、逆転可能。

 

 

 

 

 

「終わりよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 青いインクの柱が放たれる。高速で、こちらを振り返り驚愕に目を見開く真由美に命中してスリープ状態にし、そのまま浅田に襲い掛かる。

 

(勝った)

 

 逆転の一手を逆転の一手で返され、さらに逆転の一手で返。それに対する、相手の最後の切り札。そしてそれを乗り越えた、自身の最後の最後の切り札。

 

 

 

 勝利を確信して、その最後を詰めるべく、インクガンの電源を入れなおそうとした、その時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浅田はこちらに振り返り、まるで射貫くようににらんだかと思うと、鋭く息を漏らし――そのまま、踏み出して勢いで前に倒れこんだ。

 

 倒れこんだまま転がる浅田。転がる、動いている――スリープモードになっていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(なんて化け物!)

 

 

 

 

 

 

 

 

『スーパーショット』を目視してから、身体能力で避けた。恐ろしいほどの反射神経だ。しかもご丁寧に転がりながらさきほど投げ捨てたインクガンを回収し、すぐに塗りなおす構えだ。

 

(でも、勝ち)

 

 こっちはすでに電源を入れなおして構えている。対して浅田は体勢が崩れたまま。このまま撃ち勝てる。

 

 

 

 

 勝ちを確信した。何度もひっくり返されそうになったが、最後に勝てばよい。

 

 止めを刺そうとした、その時――彼女を、突然影が覆った。

 

 

 

 

 

 

「間に合えええええ!!!」

 

 

 

 

 

 

『メガホン』を撃つために上にいた羽田は、状況を一瞬で察するや否や、滑り台を『駆け降り』、そのままその勢いで滑り台の途中で健脚を使って叫びながら跳んだ。

 

 ショットが、浅田を射抜こうとした四高生徒を襲い、そのまま四高生徒はスリープ状態となる。

 

 

 残り、3秒。

 

 

 スリープ状態は、真由美一人と、四高選手二人。

 

 四高で唯一動ける選手は、滑り台を急いで降りながら、必死で少しでも塗り面積を増やそうと、浅田と羽田を無視して青色インクで赤い床を塗りつぶす。

 

 それを体勢を立て直した浅田と着地した羽田が抑える。だいぶ塗られ返されていたものの、数の力でそれを取り返す。

 

 

 その一瞬の中で、浅田と羽田は、もう残弾切れなど気にせず、とにかく少しでも塗ろうと撃ち続けた。

 

 

 

 

 

 時間切れのブザーが鳴る。

 

 

 

 

 

 受け身に失敗した四高生徒と、残弾を超えて撃とうとした浅田と羽田が、そのまま地面に倒れこんだ。

 

『結果発表!』

 

 そのアナウンスと同時に、スクリーンに観客全員が目を向ける。

 真由美たち選手も、苦しい頭を持ち上げて、祈るように見上げた。

 

 ドラムロールとともに、数字が高速で回転する。

 

 全員が固唾を飲んで、結果発表を見た。

 

 そしてついに、結果が示される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『一高48% VS 47%四高

 

 

 Winner、第一高校』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歓声が、爆発した。



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2-11

 幾重にも張り巡らされた作戦同士の戦いは、一高の勝利に終わった。

 

 勝敗が決定した瞬間、あずさは膝から崩れ落ち、嬉しさに泣き叫ぶという一幕があったりするなど、テントの方も勝利の喜びに沸いた。

 

 それももういったん落ち着き、今は一高テントは勝者をたたえる場――になったといいたいところだが、真由美は疲労から、羽田と浅田はサイオン切れによる疲労感から、それぞれ医務室のベッドで寝転んでいる。

 

 この九校戦の練習期間、あずさは達也と文也からCADについて熱心に知識や技術を吸収してきた。

 

 その結果、ほんの一瞬の差で勝敗を分けた『スーパーショット』の起動速度向上につながった。

 

 ルール上、インクガンの『ショット』の起動式改造は禁止だが、スペシャルについては、式の根幹さえ変えなければ各々の調整は認められていた。特殊な競技である『フィールド・ゲット・バトル』もこの点ではほかの競技と同じであり、それが勝敗を分けたのである。

 

 また、腰の拳銃型CADのブラフと腕輪型CADの本命の組み合わせを考案したのもあずさだ。この競技は必ず二つのCADを使うわけだが、文也や達也と違って『パラレル・キャスト』をできる超人はいない。よって普通の競技ならばまず複数持ち込みはしない。しかし複数のCADがあるならあるで、それ相応の戦い方がある。例えば、ダミーCADをあからさまに見せて、相手をだますことだ。

 

 この案を真由美にあずさが話した時、真由美は裏でこっそり「あの純粋なあーちゃんがあの悪戯クソガキに汚されて……」と、よよよと泣いていたのだが、これが勝敗を分けたのだから彼女も文句は言わないだろう。

 

 また、インクガンを投げ捨てスペシャルを使ってから再回収するまでの流れを発案したのも、浅田の反射神経に目を付けたあずさであった。

 

 このために、インクガンを最短で捨てて回収するには、またその流れの中で無駄なくCADを起動して照準を向けるにはどうしたらよいか、そこまでの動きも、あずさがずっと頭をひねって考えたのである。

 

 そして、一通り案が固まったところでそれに適うCADを文也に作ってもらったのだ。

 

 そこから浅田の反復練習にあずさはとことん付き合った。そして最終的には、六歳から軍で訓練を受けている達也ですら内心で舌を巻くほどの動きにまで進化した。

 

 真面目な彼女ならば、こんな奇想天外で乱暴な作戦は本来なら考えない。ましてやCADを捨てて蹴飛ばすなど、CADオタクと陰で言われているほどの彼女ならば考えもしないはずだ。

 

 しかし、彼女は自分の殻を破り、勝つためにどん欲に作戦を考案した。

 

 真由美たちの勝利は、あずさの執念の勝利でもあったのだ。

 

「さ、んじゃあ俺らも行きますかね」

 

 もうすぐ女子の四高VS八高の試合も終わる。その次は男子の決勝カードだ。

 

 博がゆっくりと椅子から立ち上がり、体の調子を確かめるように伸びをする。それに追随するように、芦田と桐原も立ち上がる各々勝負に挑む覚悟が決まった顔で出口に向かう。

 

「勝って来いよ」

 

「もちろんだ」

 

 文也が三人にCADを渡しながらそう言うと、芦田は自信に満ち溢れた声でそう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男子一高VS四高。それぞれの色は先ほどと同じく赤と青で、フィールドは『水上』だ。

 

 段差や坂がほとんどない平面のフィールドは深さ40センチメートル大きな水路で大きく三分割されており、その両端の大きな陸が各陣営で、真ん中の一番大きい陸が互いが主に戦う場所となる。大きな水路の上には飛び石のように3メートル四方の島がいくつかあり、そこを渡って真ん中の島に行くことになる。真ん中の陸には障害物としての土壁が大小いくつかと、そしてくり抜いてあるかのように1メートル四方の同じく深さ40センチメートルの水たまりがいくつか穿たれている。フィールド全体としてみれば一番広いが、水がそこそこ占めており、実際に塗れる場所は全フィールドで一番少ないという極端なフィールドだ。

 

 このフィールドのコツは、水に邪魔されず、かつ相手の邪魔になるように動くことだ。

 

 女子予選の三高VS四高もこのフィールドであった。三高は四高の誘導にはまって選手の一人が水路に転んで落ちてしまい、その後全身ずぶぬれで戦う羽目になった。全身は水を含んで重く、ユニフォームは肌に張り付き、アイガードにはねる水滴は視界を遮り、気化熱が体温を奪い、そこからの動きは惨憺たるものだった。このフィールドのコツがよくわかる出来事であった。

 

 そしてこのフィールドで取られる序盤の動きは、必ずといってもいいほど『三凸』だ。

 

 なぜなら――

 

 

 

 

 

 

 

「とにかく荒らしまわれえええええええ!!!」

 

 

 

 

 

 

 ――このフィールドに、防御は無駄だからである。

 

 状況を的確に表した博の叫び声がこだまする。

 

 案の定お互いに『三凸』を選び、お互いの陣地にそれぞれの選手と色が入り乱れる大乱戦となった。

 

 いくら水路で分かたれているとはいえ、飛び石の島は大きく、よっぽどのことがない限り大きく足を踏み外すことはない。故に真ん中の島から両陣地につながる道は広く、たった三人では自陣に切り込んでくる相手を防衛することは不可能に近い。故に最初から防御を考えず、なるべくスリープ状態にならないようにして常に動ける状態を確保し、ひたすら走り回って塗りまくるという、スタミナにもサイオン量にも優しくない戦法を取るのだ。

 

 そしてこれは、今このカードにおいては、一高にとって有利であった。

 

「くそ、運がなかった!」

 

 四高の選手は悪態をつきながら走り回って塗っていくが、その足取りは桐原と芦田にくらべたら重い。もともと作戦およびシューティング慣れ重視で『スピード・シューティング』選手を中心に選んだため、撃ち合いなどにはめっぽう強いが、こうした純粋な体力勝負には一高にくらべたら分が悪いのである。

 

 一高は、博はともかく桐原と芦田は鍛え抜かれた一流アスリートであり、そのスタミナと身体能力は随一である。博も芦田も『スピード・シューティング』の一流選手であるが、博は脚を動かさないシューターゲームで鍛えた腕であり、芦田は動き回りながら銃を取りまわすスポーツで鍛え上げたので、その方向性は真逆といってもよい。身体的スタミナがあまり必要ないのが『スピード・シューティング』であるが、芦田はスタミナもあるのだ。

 

 終始有利に進んだラスト20秒。このまま逃げ切れば一高の勝利。

 

 そんなタイミングで、四高は大胆な手に打って出た。

 

 

 

 大きな水音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

「おりゃああ!!!」

 

「うぐっ!」

 

 

 

 

 

 芦田が水路を渡ろうとしたとき、その『真下から』四高の選手は現れ、不意打ちを食らった芦田はそのままスリープ状態となり、跳んでいた状態で強制的に静止させさせられたのでそのまま渡ろうとした先の島に倒れこむ。

 

 四高の選手は、全身がずぶぬれになってコンディションが大きく落ちようとも、最後の20秒で大逆転の一手に賭けて出て、見事にそれを成功させた。

 

 芦田の動きを予測して、渡るであろう水路の中に潜って身を隠し、虎視眈々と獲物を狙っていたのだ。

 

 一番大活躍していた芦田を、ラスト20秒で10秒のスリープ状態に叩き落した。復帰しても残弾は強制的に十の状態でスタートすることになり、弾を補充する時間も惜しい最終局面でその弾数は、最後のもう一塗りには心もとない。さらに芦田を仕留めた選手は芦田の周りを塗って残弾をその場で回復できないようにして、疲れと潜水で息を止めていたことによる息切れもきにせず、全身ずぶぬれの重い体で塗り面積を逆転すべく走り出した。

 

「はああああああ???? あんな馬鹿な事考えるか普通????? マジキチかよ! 脳みそまでずぶぬれなのか!? ボケが!!!!」

 

 担当エンジニアとして観戦していた文也はモニターに向かって周りの目を気にせず思い切り中指を立てながらあらんかぎりの罵詈雑言の嵐を吐き出す。

 

 文也の言う通りで、これは彼ですら予測不可能の奇策中の奇策だ。動き回って息切れしている中で、本当に通るかどうかもわからない水路に、少しでも塗りたいのを我慢して潜る。こんなリスクの高い作戦、考えついてもネタにしかならない。

 

 しかし、結果は、その作戦が実行され、しかも最高のタイミングで成功されてしまった。どうせこのまま負けるなら、と細い勝ち筋を手繰り寄せた胆力と決断力に、別の場所で観戦していた達也も舌を巻いた。過程はどうあれ、結果上手くいったもの勝ちである。

 

 最後の20秒弱で二対三。この数的不利は、これまでの有利を覆すのに十分なレベルだ。

 

 そしてさらにここにきて、四高は芦田を倒した選手以外の二人で、まだまだ動き回れる桐原を徹底マークした。スタミナ切れの博はこれ以上逆転の眼としては動けないはずだ。そこで桐原の動きを封じるのもかねて彼の周りを徹底的に塗って塗り面積を稼いでいく。桐原自身もすでに『バリア』を使用してしまっており、脱出は困難だ。四高側も乱戦の中ですでにスペシャルをすでに使い切ってしまっているが、あとはじっくり詰めるだけでよい。

 

 桐原は必死に動き回ってなんとか自陣から中央の陸まで逃げていて塗り続けるが、もう残弾が危ない。

 

 

 

 

 その時――

 

 

 

 

 

  ――赤い疾風が、桐原の横を駆け抜け、四高の生徒二人を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

「「っっしゃあああああああ!!!」」

 

 

 

 

 

 

 観戦してる文也と、難を逃れた桐原の声が重なる。

 

 桐原はただ闇雲に逃げてきたわけではない。疲労でほぼ動けなくなった博に、インカムで最後の一仕事を指示したのだ。極限状態の中で桐原の口調は、普段ではありえないほど、一応先輩である博に対して荒っぽいものだったが、博は文也で慣れているので気にせず、桐原の提案に乗っかって逃げるルートを指示した。

 

 桐原の周りを囲むように移動していた四高の二人も、さすがに桐原が島を渡るのを追いかける時は、最短で追いつくために同じルートを同じように追いかけなければならない。

 

 それを誘導し、囲む体勢が乱れて固まった一瞬にぴったり――博が、鍛えた射撃の腕と先読み能力で、値千金の『スーパーショット』で二枚抜きを決めたのだ。

 

 四高の二人はその場で強制的に静止させられる。もう動けるのは、全身がずぶぬれで息も絶え絶えの一人のみだ。それに対し、残弾が危ないといえど、まだ動き回れる桐原と、同じく息も絶え絶えだがその場から動かずともショットで塗ることはできる博。

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合終了のブザーがなるまでに、一高は四高の塗り面積を再び追い越した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやーっはっはっはっ! 良きかな良きかな!」

 

 その日の夕食の時に行われた『フィールド・ゲット・バトル』男女ダブル優勝祝勝会で、試合後のグロッキー状態が嘘だったように博はご機嫌だ。しかしそれを咎める者はなく、むしろ会場そのもの全体がご機嫌ムードで、普段は何かともめてる生徒会長の真由美とゲーム研究部部長博、そして寡黙な武人タイプの芦田という謎のトリオで肩を組んで揺れながら大声で校歌まで歌って騒ぎ、それを文也と浅田と羽田が拍手して囃し立てていた。ついていけてないのはあずさと桐原である。

 

『バトル・ボード』は、女子は三高が一位と三位で四高が二位で一高はポイント得られず、男子が一高からは服部が二位に食い込んだものの三高が一位で四高は三位四位となり、苦しい展開だ。

 

 しかし『フィールド・ゲット・バトル』で一高はダブル優勝し、大きく点数を稼ぐことができた。『モノリス・コード』と同じく集団戦であるため、一位は100ポイントで二位は60ポイントのため、優勝とそれ以外では大きく差が広がる。

 

 これによって、新人戦手前で前半のヤマである三日目を終え、一高は同率二位にいる三高四高に2倍差という優勢を保って新人戦を迎えることとなった。『バトル・ボード』では手痛い結果となってずっとそれに気持ちが引っ張られていたが、それ以外の競技ではすべて男女ともに優勝しており、このままいけば総合優勝も確実だ。『ミラージ・バット』の小早川が棄権になってしまったのが気がかりだが、克人率いる『モノリス・コード』では優勝確実だし、『ミラージ・バット』も摩利が強い。新人戦で大崩れするのが心配だが、獲得ポイントは半分なのでほぼ心配はない。

 

 そもそも一高は勝って当たり前の人材が三巨頭を筆頭に揃っているし、もともと最高にそろいやすい立地なので、多少ポイントを失ったりしようともその強さは盤石である。真由美たちはもうすでに優勝が決まった気分であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな気分も、パーティが終わって数時間後の夜には消し飛んでいた。

 

 話があると深刻な表情で、摩利からは真由美とあずさが、達也からは文也が呼ばれ、集まったのは達也の部屋だ。この集まりのメンバーは、達也と深雪、文也とあずさ、真由美たち三巨頭に生徒会の参謀役の鈴音である。

 

 その話の内容は、例の小早川の事故についてで、達也の説明により、改めて何者かが仕組んだことによって起きたことと予想できるというのを真由美とあずさは知った。

 

 いい気分なのになんてひどい話を、と真由美が冗談を飛ばす気にもならないほど深刻な内容であり、しかし一方で学生である彼らにはどうしようもないことでもあった。克人と摩利のツテでも、有力な情報はつかめていない。

 

「いったいただの高校生たちの親善試合に何をやろうっていうの……」

 

 真由美は眉間を抑えて、なぜこんなことを犯人がするのか見当がつかないといった様子だ。

 

「海外の工作員じゃねえか? 将来の一流魔法師の卵が集まってるんだ。どかんと一発かませば国家の大損失だぜ」

 

「ええっ!? そんな!」

 

 文也のとびぬけた予想に、あずさは目を見開いて驚く。

 

 実際文也の言うように、こうして一堂に会しているタイミングでテロを仕掛ければ、将来有望な魔法師を一度に消すことができる。仮にそこまで大規模にせずとも、競技トラブルに見せかけて大けがを負わせれば、メンタルが重要な魔法を扱うことができなくなって数人の有望株がドロップアウトすることになる。

 

「だが、それはいくらなんでもリスクのわりにリターンが見合わないだろう」

 

 文也の予想を、達也は否定した。

 

 将来国家を背負うことになる魔法師の卵たちが集まって、観客も多くて世間の注目も集まり、当然警備も厳しく、そもそも会場は国防軍のおひざ元だ。いくらなんでもリスクが大きすぎる。

 

 文也もわかっていたようでそれに関しても文句は言わない。ただし、その目は達也をじっと見ていた。

 

「海外の工作員ってことは否定しないんだな」

 

「……っ、当たり前だ。違うと断定できる要素はないし、仮に国内犯だったとしても、反魔法団体以外で動機は思い当たらない」

 

 はめられた。達也はすぐに気付いた。

 

 文也は、達也が国防軍とコネがあるということを知っていて、そして先日の賊をその国防軍に渡したのは文也当人だ。当然この賊と小早川の事件は容易に結び付けられるし、先日の賊について達也が何も国防軍から聞かないはずがない。達也自身すでに『無頭竜』が絡んでいると風間から聞いているので、つい外国が関わってるとは否定しなかったのだ。

 

 幸いにして真由美たちは気づいていないようで、兄をはめようとした文也に対して深雪が若干不機嫌になったくらいしか達也にとっての被害はない。

 

 達也はそこからの展開に肝を冷やしたが、幸い文也があの夜の件を暴露することはなかった。冷静に考えたら暴露するはずはないのだが、達也からすれば文也の動きは予想がつかないため、無駄に心配する羽目になったのだ。

 

 そしてこの九校戦に絡む思惑について一通り話し終わったところで、克人と摩利の考えによって、鈴音から小早川の代わりに深雪が本戦の『ミラージ・バット』に出ることが提案される。理由の説明を受けた深雪と達也はそれに快諾した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 集まりが終わって解散してからしばらくして、部屋で明日の新人戦の準備をしていた達也の携帯端末が震えた。

 

『俺だ』

 

 電話をかけてきたのは文也だった。達也は名乗らない失礼な態度と先ほどはめられたことへの意趣返しとして、

 

「オレオレ詐欺は間に合ってる。それじゃあ、」

 

『待った待った待ったステイステイステイドウドウドウドウ井瀬文也でええええす!!!!』

 

 電話を切ろうとするが、文也が叫びながら制止をしたことで、耳元で叫ばれたせいで余計不快になり実際に切ろうとしたが、面倒くさくなりそうなのでそのまま通話を続ける。

 

「で、用件はなんだ」

 

『さっきの件だよ。国防軍はなんだって?』

 

「……守秘義務って言葉は知ってるか?」

 

『あの場に一緒にいたんだから俺も身内みたいなもんだろ? そろそろ混ぜろよ』

 

 達也は抵抗するも、なおも文也は食い下がる。このまま意固地に断るのも面倒なので、達也は話すことにした。

 

「……尋問の結果、あいつらが『無頭竜』に関わりがあることが分かった」

 

『ほーんやっぱりな。春のあれとバックは同じかよ。やっぱ大陸のやることはせこいねえ』

 

「……なんで春の件を知ってるのかはこの際置いておこう。確かに国は同じだが、今回のは国じゃなくてその国にいるマフィアだ。むしろ反国家組織だぞ」

 

 達也はまたも頭痛がしてきて目頭をもみながら訂正する。

 

『どうせ裏ではおんぶにだっこだろ。で、それ以上の情報は? まさかやる気がなくて情報は取ってません、ってことはないよな』

 

「まさしくその通りだ」

 

『バカ野郎そんなことするなら最初からこっちに渡せカス』

 

 達也は、思わず電話の向こうで中指を立てている様子を想像した。

 

 文也の言うことはもっともだ。

 

 風間たちの手にかかれば情報のすべてを引っ張りだすことができるし、それによって、小早川の事故も未然に防げたかもしれないからだ。

 

 しかし、文也はそうした一般的な理由で怒っているわけではないことは明白だ。事故が起こったことそのものや、けがをした当人たちのために怒っているわけではないのだ。

 

「……中条先輩については確かに申し訳ないことをした」

 

 達也は春の騒動について、文也の動きを、エリカなどを通して把握していた。

 

 血の気の多い彼ならば、さらなる戦いの気配を感じ取ってアジトへの突入計画に介入してきそうなものだが、校内のテロリストを排除しただけで満足して、それ以上はなにもしなかった。

 

 また、九校戦移動日のバスの事件でも、達也は別の車両に乗っていたので伝聞ではあるが、文也は一切目を覚まさなかったと聞いている。達也と様々な点で渡り合い、なにやら怪しげな『ツテ』があるらしく、さらには理由はバカらしくても数字落ちだ。警戒心は人一倍あるはずであり、あのような出来事では目を覚まさないはずはない。つまり文也は、あの事件を『警戒する理由』がなかったのだ。それは自分の車には当たらないから、ではなく、同乗者が安全だから、だろう。

 

 文也とあずさは幼馴染であり、互いを各々複雑な感情で特別視していることははたから見てもわかる。達也自身もそうだが、文也の周りの人への意識は、かなり偏っているようだ。

 

『それがわかってんならお前のお友達に今すぐ続きを要求してこい。嫌なら今すぐよこせ』

 

「わかった。わかったから落ち着け。だが今すぐは無理だ。もう夜も深まってきてるし明日の準備もある」

 

『つべこべ言うんじゃねえ。あの風間っておっさん、軍の中でもやべぇやつだってのはこっちゃあ知ってるんだ。数時間もありゃあちょちょいのちょいだろ。明日には手遅れかもしれないんだぞ。なんなら、可愛い可愛い妹ちゃんも巻き込まれるかもしれないぜ?』

 

「……わかったよ。明日の朝には情報がわかるようにはしておく」

 

 妹のことを引っ張り出されてしまってはしょうがない。実際深雪が危機に陥るなんてまずありえないが、そんな高校一年生自体が本来ならありえない。もうすでに文也に勘づかれているだろうから意味は薄いが、『深雪なら大丈夫だから別にいい』ということは言えない。万が一、抱えている事情がばれてしまってはまずいだろう。

 

 それに文也は、どこから情報を得たのか、風間が国防軍の中でも特に機密度が高い『独立魔装大隊』所属であることを掴んでいるようだ。実際にどの程度具体的に――もしかしたら、なんか偉い人、という程度しか知らないかもしれないし、独立魔装大隊の隊長であることまで知っているかもしれない――掴んでいるかはしらないが、急所となり得る情報を握られていることを示唆されては達也も困る。

 

『最初からそう言ってれば悪いようにはしなかったものを』

 

「悪役みたいなことを言うな。それじゃあこれで」

 

『おう、ゆっくり寝ろよ』

 

 文也はそういうと一方的に通話を切った。話が上手く進んで満足した感じだが、寝る前にいろいろやらせておいて『ゆっくり寝ろよ』とはどの口が言うのだろうか。

 

(面倒だな……)

 

 達也は溜息を吐くと、今から尋ねると風間に電話をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーいくそ親父。ご自慢のカワイイ生徒ちゃんたちが負けたのはどんな気持ちだい?」

 

『悔しすぎて明日からぼこぼこにしちゃいそうだぜバカ息子』

 

 達也に電話をかけた後、文也は報告するために父親の文雄に電話をかけていた。

 

 小早川の事故の不自然さに勘づいたのは、達也たちだけではなかった。

 

 文也から夜の賊の件について聞いていた文雄も即座に結び付け、実は合間を縫って情報を集めていて、祝勝会の前にこっそり文也にその情報を連絡していた。

 

「親父の言う通り、やっこさん、やる気なかったみたいだ」

 

『『アイツ』の言ったとおりだったか』

 

 国防軍は何も一枚岩というわけではない。例えば、今や軍事・防衛に魔法は不可欠だが、積極的に有効な魔法を使おうという派閥と、魔法を良く思っていない派閥とがある。大きな組織の悪い性質で、そうした考えの違う集団同士は、たとえ同じ組織であろうと情報を共有したがらない。

 

 そしてそういった違いは、同じ派閥の中でも起こりうるのである。達也が所属している独立魔装大隊は当然のように魔法を積極的に利用する派閥に属する。しかしこの部隊は十師族から独立した戦力を保持する目的で作られたものであり、派閥の中でも浮いた存在だ。そんな大隊と、対立とはいかずとも、あまり仲が良くない集団というのはいくらでも存在する。

 

 文雄はそうした存在を利用して、国防軍内部の情報を掴んでいたのだ。何やら怪しい組織が九校戦を妨害しようと画策していて、そして会場のホテル周辺の警備システムには穴がある、ということを知っていたからこそ文也はあの落とし穴を仕掛けることができたのだ。

 

「これ以上はもう俺も動けないぞ。なんかここについてからいろいろ付け回されてる。トイレの記録までチェックされてる気分だ」

 

『ああ、されてるぞ。司波達也くん、だったかな? それのお友達がお前について嗅ぎまわってたらしい』

 

「は? なんで教えてくれなかったんだ?」

 

『聞かれなかったしな。ちなみに『数字落ち』の件も知られてるぞ』

 

「聞かなくても教えろボケ。あと数字落ちはどうでもいいや。ただの笑い話だし」

 

 普通の魔法師が聞いたら頭痛を覚えそうな非常識な会話が繰り広げられているが、これを聞かれる心配はない。いくら国防軍のおひざ元といっても、さすがにわざわざ自分たちで自作した情報保護特化の通信端末までは聞き取れまい。部屋に入った時も毎回盗聴器などがないかをチェックしてからもろもろのことをやっている。

 

 そうした情報交換と無駄話を終え、文也は電話を切る。

 

 文也もそう遅くまで起きてはいられない。明日は『スピード・シューティング』の男子を一人だけ担当しているのだ。達也が担当するのは地力が高いからそう小癪な手には落ちないだろうが、文也が担当する選手は高いとはいいがたい。

 

 九校戦を邪魔する輩だけでなく、父親にも、彼は負けるつもりは全くなかった。



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2-12

 九校戦四日目。ここから五日間は、本戦と同じような流れで新人戦が行われる。

 

 新人戦は一年生のみが参加できる。代わりにポイントは本戦の半分である。去年までは男女混合であったが、今年は男女別だ。

 

 故に参加者は二倍に増え、代表選びも当然のことながら、エンジニアや作戦スタッフの仕事も増えたことになる。

 

 しかし今年の一高のエンジニア事情は厳しいものがあり、やむなく、選手兼エンジニアを二人選ぶはめになった。しかもこの二人は一年生であり、本戦ならまだしも、自身の競技が近くなる新人戦では負担軽減のため、本戦に比べてさらに担当が少なくなる。一年生同士で調整するほうが互いに気が楽、ということもあるだろうが、そういうわけにもいかないため、この新人戦でも上級生エンジニアに休憩はない。

 

 本日行われるのは『スピード・シューティング』すべてと『バトル・ボード』の予選。

 

 文也が担当するのは『スピード・シューティング』男子の有賀と『バトル・ボード』の男子の西川。

 

 達也が担当するのは『スピード・シューティング』の雫と滝川、それに『バトル・ボード』のほのかだ。

 

 しかし、この新人戦一日目は、一高にとってかなり厳しい展開となった。

 

 

 

 

 

 

「むうううううううう悔しいいいい!!!」

 

「ゴメンナサイ……イキテテゴメンナサイ……」

 

「そうだ。これは夢なんだ。ぼくは今まで永い夢を見ていたんだ。目を閉じてまた開いた時、ぼくはまだ十二歳の少年の夏……」

 

「止まるんじゃねぇぞ……」

 

「え、えっと、その……」

 

 

 

 

 

 

 四日目の競技がすべて終了した夕方の一高テント。うなりながら地団駄を踏む明智英美、すみっこで体育座りでキノコが今にも生えてきそうなほどいじけているほのか、現実逃避をする西川、これから競技に挑む同級生を精一杯応援しようとするもショックで地面に倒れ伏す有賀樹、それを見てどう慰めようか困っている雫。

 

「「「…………」」」

 

 はっきり言って、地獄だ。

 

 その光景を文也と達也、そして深雪はそばで見ていることしかできない。

 

 一高の新人戦一日目の結果は散々だった。

 

『スピード・シューティング』では雫が優勝したものの、ほかは予選敗退または決勝トーナメントまで進んでも一回戦で負けてしまい、ポイント圏内には入れなかった。

 

 男女『バトル・ボード』は全員予選敗退という過去最悪の結果で、点数どころか来年の出場枠も減らしてしまうこととなった。

 

『バトル・ボード』の男子はもとからそこまで期待されていなかった。それでも一人ぐらいは、という思いで一番実力があった男子生徒に文也をあてがったのだが、その予選での対戦相手が、三高、四高、そして海の七高という死のブロック。三高の生徒とラストスパートで激戦を繰り広げたものの、二人だけの戦いに集中して後ろがおざなりになっているところを七高と四高に狙われて二人仲良く落水しまい、あえなく敗退となった。

 

 そして女子で優勝が期待されていたほのかは、相手の作戦が彼女のメンタルの弱さに刺さった結果、負けてしまった。

 

 ほのかは壁に側頭部を打ち付けながら、脳裏にこびりついて離れない記憶を、無意識に再生してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日の摩利が衝撃的な予選敗退をした一件で、他校の目くらましに対する意識は強かった。

 

 故に、ゴーグルをつけてきたほのかに対して他校は強く警戒し、スタートでの目くらまし作戦は失敗に終わった。しかし彼女はそのような小手先に頼らなければ勝てないほど、実力が低いわけではない。

 

 圧倒的な天才である深雪と文也、入学してからの成長が著しい――風紀委員で小癪なゲーム研究部相手にするには魔法力を磨く必要があるからだ――駿の陰に隠れがちだが、この百花繚乱の一高一年生の中で、四位の雫と数点差の五位にいる圧倒的な実力者だ。

 

 当然他校の一年生程度の腕では普通にやるとほのかに追いつけるものはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう――普通なら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水跳ねを嫌ってゴーグルを外したほのかは、順調に後ろとの差を離していた。このままいけば大きな失敗はない。

 

 しっかりと目を見つめ、確実に障害を乗り越え、勝ちへと突き進んでいく。

 

 その時――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――突如水底から、大量の『腕』が沸いてきて、まるで誰かを引きずり込まんばかりに、執念深く水面へと手を伸ばし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光井ほのかは光波振動系魔法が得意だ。光のエレメンツの血統を継ぐ、生まれながらの天才である。

 

 そんな彼女を恐怖のどん底に、そしてついでに水底にも叩き落としたのは、何を隠そう、彼女が得意な光波振動系魔法による『幻影』だった。

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』が発売した光波振動系魔法による幻影で驚かせる悪戯グッズCAD『れいばいヤー』、それを競技向けに改良したものを使用して生み出された幻影は、ほのかどころかほかの選手すらもパニックに陥れ、使用者以外の選手三人は落水するか、逃げるために逆走をしてしまい失格になった。

 

 これは四高の選手が使用したもので、(身分を隠してはいるが)『マジカル・トイ・コーポレーション』の『キュービー』本人である文雄が自ら改良した式とCADによって生み出された幻影は、文雄すらも想像ができないほどのパニックホラーだった。

 

 のちに分かったことであるが、この四高の生徒は、あらゆる困難が科学で解決するこの先進の時代、人々が注目する画面の闇にはびこる魑魅魍魎の存在が登場する映画――ようはホラー映画だ――をこよなく愛する珍妙不可思議で胡散臭い少女である。イメージが重要とされる魔法において特にその傾向が強い幻影魔法。そのイメージの部分を、一流の映画からC級映画まで、あらゆるプロによって作られた、科学の時代においてもなお人々を恐怖に陥れる至高の表現の数々によって学んできたのである。そんな少女によって生み出された幻影はあまりにも恐ろしく、観客たちまでもがパニックを起こすほどだった。ついでにいうと、仕掛け人である文雄と四高の作戦スタッフとエンジニアは気絶した。

 

 この時のほのかは、特にひどいパニックに陥ってしまった。

 

 なにせその腕の群れの中に猛スピードで近づいていく最中であり、しかも、その腕の群れと同じ場所――水の中に、落っこちてしまったのだ。

 

 あまりのパニックに冷静さを欠き、彼女はそのまま溺れてしまい救護室に緊急搬送される羽目になった。体に別条はないものの、もともと怖がりな彼女にとってこの経験はトラウマ以外のなにものでもなかったのである。

 

「モウイイ……ワタシ……マホウシヤメル……」

 

「待ってほのか! 落ち着いて、ね?」

 

 親友の惨状にいつも冷静な雫が焦りながら励ますが、全く効果がない。

 

「悔しい悔しい悔しい!!!」

 

 そんな二人の横にいる英美も、地団駄は収まったものの、いまだ悔しさと怒りは収まらない。

 

 名家ゴールディ家の娘である彼女は決勝トーナメントまでは余裕で進んだものの、その一回戦で三高の生徒と激戦を繰り広げた末に、たった二枚の差で敗北してしまった。

 

「なあ部長。相手の百谷ってもしかして?」

 

「うん、俺の妹だよ。まあ俺と違って大真面目で、俺と離れたいって三高に入ったんだけどね」

 

 その三高の選手の名前は百谷祈(いのり)。女子『スピード・シューティング』優勝者であり百家である百谷家の娘だ。その才能は素晴らしく、また博曰く大真面目なため、天才が激しく努力をした結果なのだろう。

 

 しかし、英美の敗北は痛み分けといってもよい。いきなり一流の卵である英美との激戦、およびそれによるプレッシャーで、彼女は必要以上に消耗してしまい、その直後の四高との試合で僅差で敗北してしまった。

 

 また、達也が担当した滝川も予選は軽々と通過したが、一回戦で四高のエース格と当たってしまったのが運の尽きだった。CADや作戦は滝川のほうが達也の力で優っていたのだが、なんと相手は先日行われた操弾射撃部新人戦全国大会の優勝者で、実力の差によって真正面から叩き潰された。作戦よりも実力勝負の割合が強い競技であるため、達也の協力もむなしく惜敗したのである。思ったよりもCADの調整で差をつけられなかったのが、達也にとっては悔やまれることだった。

 

 その後、滝川を破ったものの消耗した四高生を準決勝で、そして英美を破った祈を破った四高生を決勝で、雫は仇討ちをする形で勝利し、優勝を収めたのである。これが本日の一高の唯一の得点だ。

 

 また男子の『スピード・シューティング』も散々だった。二人は予選敗退し、文也が担当した有賀は決勝トーナメントまで進んだものの、一回戦で三高の『カーディナル・ジョージ』こと吉祥寺真紅郎と当たってしまい、ぎりぎりまで追い詰めたものの敗北した。そのまま真紅郎が優勝したのだが、彼をここまで追い詰めた選手はおらず、抽選の運が悔やまれる形だ。作戦やCAD調整では勝っていたものの選手本人の大きな実力差で負けてしまったのは、滝川と同じ形といえる。

 

(駿だったら勝ってたかもしれねえなあ)

 

 文也は頭を掻きながらそんなことを考えた。当然この選手に失礼な話であり、そもそも駿を別の競技に移した張本人の一人は文也だ。口に出すことはできない。

 

 文也が珍しくもそんな気遣いを見せたのは――この異様な集団に巻き込まれたくないからと言うのが、偽らざる本音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一高のエンジニア、相当頭おかしいな」

 

 ここは三高のテント。『スピード・シューティング』の様子を見ていた一条家の御曹司・一条将輝は、開口一番に、とても失礼にそうつぶやいた。

 

 一高は本戦で圧勝したものの、実際本戦について三高で話題になったのは、四高の大躍進についてだった。一高はもともと選手の技能で他校を圧倒しているため、二倍の差をつけられることは予測の範囲内だったのである。

 

 しかし新人戦になると、三高での話題は一高でもちきりになった。

 

 一高の結果は雫の優勝以外散々なものであり、本来なら注目に値しない。

 

 しかし、その一高選手の戦いぶりを見ていると、注目せざるを得ないのだ。

 

 最新技術を引っ提げて新開発であろう魔法を使用した北山雫、実力で大きく劣っていたものの接戦を繰り広げた滝川と有賀、死のブロックの中で最後まで激闘を繰り広げた西川。

 

 この四人は、実力は雫ぐらいしか特筆すべきものはないが、全員驚きの連続びっくり箱と言わんばかりだった。

 

「やっぱり、あれは井瀬文也がやったんだろう」

 

 将輝はそう言いながら椅子にどっかりと乱暴に座り、不機嫌そうに腕組をして舌打ちをする。もともと気性は荒いが基本的に冷静な彼のこんな姿を、三高の生徒のほとんどは今初めて見た。

 

 家族という単位が特に大事な魔法師の家系は、家同士であった先祖のトラブルをかなり引きずる傾向にある。井瀬家と一条家は、一条家が一方的に迷惑をこうむった関係であり、文也に対する一条家の心証は悪い。さらに将輝と文也はちょっとした縁があってお互いを知っており、将輝自身大変面倒をかけられたので恨みがあるのだ。

 

 その関係で文也を知る将輝は、彼のエンジニアとしての腕を、不本意ながら高く評価している。親友の『カーディナル・ジョージ』こと真紅郎は十三歳にして世界で最初に基本コードを発見した、プロの一流研究者顔負けの研究者であり技術者だが、文也はそれを超える力を持つと踏んでいるのだ。

 

 最新の技術によって作られたオリジナルCADとオリジナル魔法を使った雫、世間でまだ発売されていない『トーラス・シルバー』製の照準補助装置で操弾射撃全国優勝者をぎりぎりまで追い詰めた滝川、十師族である五輪家を十師族たらしめる日本唯一の戦略級魔法『深淵(アビス)』を不完全ながらも小規模かつ効率化して再現して他校を徹底的に妨害して苦しめた西川、そしてまさしく一条家の秘術である『爆裂』を再現し最低限の威力に抑えた分燃費と速度を向上させさらに『マジカル・トイ・コーポレーション』製の滝川が使ったものにも劣らぬ性能を持つ自動照準器を利用して爆発させた破片でほかの的を破壊するという破天荒なことをして真紅郎を脅かした有賀。

 

 こんな異常なことをできる高校生は、文也しか思いつかない。

 

 抽選の妙で運よく抑え込む形になったが、すこし歯車がずれれば負けは決定的だったはずだ。

 

「それがね、将輝。将輝はそう思いたいだろうけど、僕らにとって残念なことに文也が担当したのは、有賀と西川だけだよ」

 

「はあ!?」

 

 将輝にそう言ったのは、端末でデータを調べていた真紅郎だ。彼は将輝の親友でありなおかつ文也とも交流があり、文也の腕を知っている。だからこそ、彼もどうせあのチビだろうと考えていたのだが、一応調べてみると、どうやら違うらしい。

 

「北山と滝川、それと光井っていう子を担当したのは、司波達也っていう一年生だね」

 

「ねえ、それって一条が親睦会でホの字だった司波深雪の兄弟?」

 

「ああ、兄みたいだ。あまり似てないし、年子なのかな?」

 

「司波達也……」

 

 真紅郎の言葉に祈が反応する。その会話を聞いた将輝は、達也の名前をつぶやきながら、内心で頭を抱えた。

 

(つまり一高の一年には、アイツと、それと同格がもう一人いるってことか?)

 

 こんなの反則だ。将輝は誰にも聞こえないようにつぶやいた。

 

「文也は氷柱倒しと塗り、司波達也は塗りの代表選手にもなってるね」

 

「兄貴が言ってた文也ってのはこの小さいのか。ふぅーん」

 

 真紅郎の端末を覗き込みながら祈はそう漏らす。

 

「一年生にして超一流の選手兼エンジニアが二人か。一高は相変わらず人材の層が厚い。どっちもこなすなんて反則だ」

 

「それをジョージが言うのはイヤミもいいとこだな」

 

 真紅郎の言葉に、打てば響くといわんばかりの速度で祈が皮肉を言った。

 

 さて、皆様はここまでの会話に違和感を覚えなかっただろうか。

 

 妹の祈に対して、博は『大真面目』と表現したが、彼女の口調は乱暴で、とてもではないが大真面目とは言い難い。ここで注目するべきなのは、『大真面目』と表現したのは、あの不真面目を絵にかいたような男、博である。

 

 つまり、祈は、不真面目の化身・博からみて大真面目というだけで、実際はそこまで真面目ではない。ただしかなりの負けず嫌いであり、『スピード・シューティング』でなんとしても真紅郎に勝とうと練習を重ねたので、この一か月で彼女の実力は大きく伸びた。

 

 閑話休題。

 

 真紅郎からの情報を受けた将輝は、こう結論付けた。

 

 

 

 

 

 

 

「井瀬文也と司波達也。この二人は、俺たちとは最低でも二世代は先を進んでるとみていい。異常な連中だと結論付けてもいい。これからこの二人が担当の競技には気をつけろよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本人たちがあずかり知らぬところで異常扱いを受けるようなことがあっても結果は結果であり、一高の今日の結果が大変重いことには変わりはない。

 

「運が悪かった、というのは、言い訳にしかならんな」

 

 克人の言葉が静まり返った部屋に響く。真由美たちや鈴音といったいつもの首脳部が、真由美の部屋に集まって今後についての会議をしていた。

 

「予選落ちしたあたしが言うのもなんだが、正直このまま行っても総合優勝は固い。だが、この調子では来年以降が心配だ」

 

「そうね。負け癖がついちゃう可能性があるわね」

 

 摩利と真由美も頭をひねる。彼女らは今年卒業だが、そうは言っても、後輩たちの行く末も案じる義務があるのだ。負けを知らない、という状態も怖いが、ここまで負けがかさむと、一年生全体の士気にかかわる。事実、深雪によると、今日競技をやった一年生たちの試合後は、まさしく惨状だったという。

 

「明日の氷柱倒しは司波さんと井瀬君が出るから期待できますね」

 

「そうね。でも、司波さんは問題ないけど……」

 

「明日の男子には、一条の長男が出る」

 

「『クリムゾン・プリンス』、だな」

 

 鈴音の言葉も、三巨頭の心を晴らすことはなかった。

 

 特に真由美と克人は、十師族の直系だからこそ、一条の名の重さを知っている。

 

 先行きは、不安のままだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしは、味方ですから……」

 

「深雪……」

 

「わたしはいつまでもお兄様の味方で「こらあああああ司波兄イイイイイ!」……チッ」「ヒエッ」

 

 深夜の兄妹の愛の愁嘆場、そのクライマックスに野暮な存在が乱入した。

 

 ドアを蹴飛ばして叫びながら乗り込んできたのは文也だ。邪魔をされた深雪が舌打ちをし、見られただけで冷凍されそうな絶対零度のまなざしで文也をにらみつけると、文也は蛇ににらまれたカエルのごとく、先ほどの勢いはどこへやら情けない声を上げた。

 

 この九校戦に至るまでの準備期間、文也は深雪の特大の不興を一回買っており、深雪への恐怖が刻み込まれているのである。

 

 仕返しにしばらくそのままにしておこうと思ったが、このままでは深雪が寝るのが遅れてしまうので、文也の要件をさっさと済ますことにした。

 

「すまない。担当が、仕事があると思わなくて深酒をしていたせいで遅れた」

 

「だったらそのことをまず言ってくれよ」

 

 昨晩文也から強制された賊の尋問の要請を達也はちゃんとしたのだが、軍医にして尋問(オブラート表現)が得意な山中が深酒をしていて話にならないため、遅れてしまった。達也は嘘は一切ついていない。そのことを文也に朝のうちに伝えるのは筋であったのだが、ちょっとした意趣返しにあえて放置してたのだ。

 

「ほーん、なんだこれだけか、所詮末端だな」

 

 文也はその場で中身をさっと読むと、その資料を証拠隠滅のために魔法で焼却した。

 

 尋問で得られた情報が書いてあったのだが、有力な新情報は「『無頭竜』東日本支部が依頼者」ということで、あとはこの賊が教えられたダミーと思しき情報しかない。期待外れだった。

 

「じゃ、俺はこれで」

 

 嵐のごとく現れた文也は、そういってそそくさと帰っていった。

 

 

 

 

 

「……もう寝るか、深雪」

 

「はい、そうします」

 

 兄弟の愛のムードは、すっかり台無しだった。




オリジナル魔法解説

『深淵(アビス)』のダウングレード版
『深淵』は大規模に水面を陥没させる魔法だが、こちらはせいぜい直径1メートル程度しか陥没させない。代わりに速度と効率性に優れており、マルチ・キャスト中でも負担の少ない仕様になっている。

『爆裂』の改造版
対象内の液体を一瞬で気化させて内部から急速膨張・爆裂させる魔法の改造版。素焼きの的には液体成分がほとんど含まれておらず、本来の『爆裂』は効果をなさない。的を破壊する仕組みは全く別の魔法であり、『爆裂』から参考にされたのは、大量にいる的(敵)を次々と破壊するための効率的な式の部分。


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2-13

 九校戦五日目で、新人戦二日目。

 

 この日は『アイス・ピラーズ・ブレイク』が行われる。

 

 一高からは男子は文也と有賀ともう一人、女子は深雪と雫と英美が代表で、深雪と雫の担当を達也が務める。文也は今日は選手でありかつ決勝リーグ進出を期待されているため、エンジニアの仕事は無しだ。

 

 そんな『アイス・ピラーズ・ブレイク』の予選第一トーナメントの第一試合は、いきなり有賀と将輝の戦いだった。

 

 有賀は昨日の真紅郎の惜敗のリベンジと行きたいところだ。実力も申し分なく、また文也が編み出した、『スピード・シューティング』専用の『爆裂』の応用を使いこなせるくらいには破壊魔法の適性があり、その魔法能力は『アイス・ピラーズ・ブレイク』への適性でもある。

 

 しかし、彼は自覚していた。自分は一条に、絶対勝てないと。

 

 だから彼は、すでに負ける覚悟を決めていた。

 

 ピンピンに跳ねた銀髪を揺らし、黒いワイシャツと赤紫がかかったスーツの上に表が緑色で裏地がオレンジ色のジャケットを羽織った立ち姿は、褐色で長身の彼に良く似合っていた。

 

 この格好は、体を動かさないため自由な服を着れるこの競技ということで、文也が選んであげた服だ。

 

 戦いのやぐらに向かっていく。彼は自分を鼓舞すべく、つぶやきながら進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ。俺たちが今まで積み上げてきたもんは全部無駄じゃないはずだ。これからも俺たちが止まらない限り、道は続く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決して散らない鉄の華を心に咲かせた有賀は、自分の散りざまを、仲間の糧とすべく戦う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドカーン! ズドーン! バリバリ! ゴゴゴゴ! ズズーン!

 

 

 

 

 

「はあ、はあ、なんだよ、結構当たんじゃねえか。ふっ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は止まんねえからよ、お前らが止まんねぇ限り、その先に俺はいるぞ! だからよ……止まるんじゃねぇぞ……」

 

 

 

 

 

「団長おおおおおおおおおおお!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 有賀は将輝に惨敗した。しかし全力を一瞬に込めて出し尽くした彼の魔法は将輝の『情報強化』を上回り、将輝の氷柱を三本も倒すことができた。

 

 そして全力を振り絞った彼は、ふらふらしつつもやぐらから戻ってくると、拳銃型CADを右手に持ち、左手を伸ばして指で将輝のほうを指し、倒れこんだ。

 

 それを見て、文也は悲しみのあまりに泣き叫ぶ……ような声を出してるが、顔は笑っていた。

 

 さらにそれを観客席から見たゲーム研究部員が、何をとは言わないが合唱を始める。

 

 そんな馬鹿なことをやっていると、そこにあきれ顔の将輝が現れた。

 

「相変わらずだな」

 

「ようマサテルおひさ。お前はコスプレしないの?」

 

「マサキだ! 俺はそんなふざけたことはしない!」

 

 競技とは別の意味でカロリーを消費した将輝は肩で息をしながら文也を指さして宣言した。

 

「昨日はよくもやってくれたな。あやうく惨敗するとこだった。『爆裂』をコピーしやがったのがお前だってことも知っている。だから、三高と一条の名に懸けて、お前を倒す! 決勝リーグで待ってるぞ!」

 

 そう言うだけ言って、将輝は踵を返して去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺と同じトーナメントの仲間がかわいそうだと思わないのか、あいつ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也に正論で突っ込まれるのが聞こえてしまった将輝は、ショックで動揺してずっこけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男女の第二トーナメントまですべてと第三トーナメントの一部が終わって迎えた昼休み。

 

 一高の状況はまたも芳しくなかった。

 

 第二トーナメントの深雪は、真由美や摩利ですらドンび……驚愕させた『氷炎地獄(インフェルノ)』によってすべて圧勝で終わった。

 

 しかし第一トーナメントの英美は、昨日の悔しさが尾を引いたせいでよく眠れなかったらしくコンディションは最悪、また第一トーナメントで試合が早かったこと、さらにまたしても運悪く三高の実力者と当たってしまったことなどが重なり敗北してしまった。

 

 また、雫も、不運が重なった。

 

 睡眠はよく取れたが昨日の連戦からの今日であったためコンディションは悪く、さらに第三トーナメントの彼女は、一回戦から四高と、二回戦では人数が多くて層が厚い二高と戦い、そして予選決勝では『数字付き』の苗字である三高の十七夜栞と戦うことになっている。ただでさえ体力勝負の『アイス・ピラーズ・ブレイク』をスケジュール変更の都合で一日でやる強行軍は当然辛いものがある。さらに対戦相手の四高と二高はどちらも実力者で雫と接戦を繰り広げ、大きく消耗させられた。しかも十七夜のほうは大胆な振動系魔法によって短期決戦だったので、なるべく試合を早く消化したい運営側の都合で、昼休み休憩をはさむことなく戦うことになったりもした。さすがに担当エンジニアの達也がクレームをつけて――達也の威圧感は半端ではない――昼休みを挟むこととなったが、このままでは厳しい。

 

 さらに男子は有賀と第二トーメントの男子はどちらも決勝に行くことなく負けた。第三トーナメントの文也はまだ決まりではないが、実力差を見るにほぼ確定だろう。

 

「いよいよ参ったわね。せめて新人戦優勝とはいかずとも、準優勝くらいには入らないと……」

 

 真由美のつぶやきは、昼時の食堂の喧騒の中に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雫は、負けた。

 

 達也から見ても明らかに午前の戦いでコンディションが大きく乱れていた。特に四高選手の猛攻は激しく、雫はしばらく防戦一方を強いられたほどだった。

 

 そんな状態で挑んだ十七夜との予選決勝は大激戦だった。

 

 ついには、対深雪用にとっておいた、雫と達也の渾身の切り札である『パラレル・キャスト』と『フォノンメーザー』を使ってまでも勝ちに行こうとしたが、それでも届かなかった。

 

 互いの最後の一本が崩れたのはほぼ同時。スロー判定にまでもつれ込み、僅差で十七夜が勝ったのだ。

 

「次はいよいよアイツだな」

 

「うん、達也に並ぶびっくり箱だね」

 

「びっくり箱というか、おもちゃ箱でしょ」

 

 そして男子予選第三トーナメント決勝、文也の出番だ。女子の試合ばかり見ていた達也の友達グループだが、ここでようやく文也の戦いぶりを見ることになる。

 

 レオと幹比古とエリカは口々に思うことを口に出す。エリカは文也が『マジカル・トイ・コーポレーション』産CADを多用することを知っているので言葉にとげがある。

 

 だが、そんなエリカを超える不機嫌ガールがこの観客席のグループにいる。

 

 昨日ひどい敗北をしたほのかでも、先ほど悔しい敗戦をした雫でもない。

 

 

 

 

 

 

 

「寒くなってきました……」

 

「深雪、落ち着け」

 

 

 

 

 

 

 

 美月がついに体調不良を訴えたあたりで、ついに達也が冷気をまき散らす深雪をたしなめる。

 

 しかしあのお兄様にたしなめられてもなお、深雪の冷気は収まらなかった。

 

「いったい何の恨みが……」

 

「どんな恨み買っててもあいつならおかしくないけどな」

 

 幹比古とレオも寒さに襟を整えながら好き勝手言う。

 

 なぜここまで恨まれているのか。その真相を知るのは深雪と達也のみで、文也すらもわかっていない。

 

 九校戦練習期間中、本番で男女が戦うことはないので男女で練習試合を少しだけしたのだが、その時に深雪と文也が模擬戦をした時から、文也が絡むとこんな感じなのだ。

 

 そんなことを話しているうちに、文也とその対戦相手である三高の男子生徒が姿を現した。

 

「……何あれ?」

 

 文也を指さして雫は疑問を口にする。

 

 周りから巫女服のお前が言うな的な感情が放たれるが、事実文也の服装は奇妙だった。

 

 水色のズボンに緑色のスニーカー、深い青緑のインナーに袖が白い青色の半そでジャケットを羽織り、緑色の指貫手袋をはめて、そして何よりも特徴的な部分として、赤と白のキャップをかぶっている。

 

 

 

 

「いくらなんでもあれは自虐がすぎないか?」

 

「まさかの永遠の十歳児のコスプレかよ。見た目には確かにぴったりだけど……」

 

「そもそも微妙に縁起悪いだろ」

 

 

 

 

 

 どよめくゲーム研究部の会話が聞こえるが、それでも達也たちにはしっくりこない。そのまま、どうせあいつのことだと考えるのをやめ、これからの試合に集中することにした。

 

(……45か)

 

 達也はすぐに『精霊の眼』で文也が隠し持っているCADの数を探る。相変わらずその数は規格外だが、彼が深雪と練習試合をしていた様子を見ていた達也は、あれのほとんどが保険で、案外使わないで、多くても一試合で20個くらいしか使わないことは知っている。

 

(……いや、普通に考えたら二つ使う時点でおかしいか)

 

 達也が『パラレル・キャスト』を雫に習得させようと思いついたのは、文也の戦法を見てからだ。遅かれ早かれ思いついていたとは思うが、その発想にたどり着きすんなり実行することの後押しとなったのは事実である。

 

(そういえば、アイツといえばこの『パラレル・キャスト』だけど、先祖は第一研究所出身者なんだよな)

 

 達也はふと、九校戦の一日目の昼休みの頭痛の原因となった情報を思い出す。

 

 達也からすれば、第一研究所なのは意外といえば意外だ。

 

 名前は第一研究所以外ではありえなさそうだが、『パラレル・キャスト』となると、『多種類多重魔法制御』と『魔法同時発動の最大化』をテーマとして『マルチ・キャスト』や『パラレル・キャスト』の研究に力を入れいていた第三研究所のイメージだ。

 

(そんなこと言ったら、俺もか)

 

 考えても見れば自分も第四研究所出の家系だ。第三研究所の研究員とスポンサーはかわいそうだが、運が悪かったということだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也が『アイス・ピラーズ・ブレイク』の選手に選ばれたいきさつは、案の定特殊だ。

 

 文也は、魔法技能という面では、『パラレル・キャスト』ができるのをいいことに、超特化型CADを何十個と使って、超高速・超高精度で何種類もの魔法を同時に発動するという、裏技を通り越して反則技が最大の特徴だ。

 

 しかし一方で一つ一つの魔法のパワーは深雪や雫や克人といった強い干渉力を持つ魔法師にくらべたら断然弱い。

 

 故に、力押しが有効な手段になる『アイス・ピラーズ・ブレイク』よりも、速度と正確性が求められて威力は最低限でよい『スピード・シューティング』や、状況に応じて臨機応変に魔法を使えれば大きく有利になる『モノリス・コード』、あたりのほうが適性がある。

 

 しかし、『スピード・シューティング』は森崎という最高クラスの適性を持った選手がいるため文也をここに使う意味はなく、『モノリス・コード』はチーム戦であるがゆえに文也を出すのはとても不安だ。『バトル・ボード』に出してもよかったのだが、体格が小さくまたスタミナも一流選手にくらべたらだいぶ劣る彼に適性があるとは言い難く、だが素行は悪くても実力はあるため出さないという選択肢も考えられず、結果的に消去法で『アイス・ピラーズ・ブレイク』の選手に選ばれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、そんな経緯があるとはいえ、彼に適性がないというわけではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「反則もいいところだ」

 

 観客席の達也がつぶやく。

 

 普通の魔法師は、複数のCADを同時に扱えない。

 

 故に、速度を求めるなら特化型CAD、種類を求めるなら汎用型CADと使い分けなければならず、この『アイス・ピラーズ・ブレイク』では、防御と攻撃どちらもこなすためには汎用型CADの使用がほぼ強制される。克人の『ファランクス』のように強力な攻防一体の魔法、または花音の『地雷原』のように防御を気にせず倒される前に倒すということが単一の系統種類の魔法でできればよいが、それは例外もいいところである。その意味では、系統種類の違う魔法を使いこなし、いかにマルチ・キャストをこなすかというところがカギであり、勝負の見どころでもある。

 

 しかし、文也の場合は違うのである。

 

「くそ、『パラレル・キャスト』がまだいんのかよ!」

 

 三高の生徒は歯噛みした。先ほどの雫にも驚かされたが、今戦っている妙な格好をした小さな少年は、それ以上の精度と速度で魔法を同時に発動しているのだ。

 

 彼の攻撃は、文也の氷柱をわずかに傷つけることしか適わず、しかし彼の氷柱は順調なペースで破壊されていく。

 

 文也は自身の氷柱に『情報強化』を施し、さらに『情報強化』の弱点である魔法の副次的効果によるダメージを防ぐために自陣と相手陣地の境界線上に『クラウド・ボール』で真由美が使用して圧勝する予定だった魔法の劣化版である『バウンド』の壁を立て、堅牢な防御を敷く。むしろ相手の攻撃が跳ね返ることで、相手は自分の攻撃で自滅することすらある。

 

 それだけに収まらず、五十里に提供する予定だった対象物質の中で異なる幅・向きの振動を加えることで破壊する魔法と、地面を通じて縦揺れを加えることで氷柱を破壊する『地雷原』のダウングレード版を用いて効率的に氷柱を壊していた。

 

 それらの魔法はすべて、別々のCADで起動されている。

 

 特化型CADを超えた、その魔法専用のCAD。故に性能が制限される競技といえど、使う魔法は一つのCADにつき一つのみであり、性能をその魔法に特化できる分、特化型CADを超える速度と精度で使用できるのだ。

 

 特化型CADより速く強く、汎用型CADと同じだけの種類の魔法を同時に使う。

 

『アイス・ピラーズ・ブレイク』の競技としての要素を根本から文也は否定し、破壊した。

 

 競技としてのルール、常識、先人たちの積み重ねといったものをすべてぶち壊し、好き勝手に戦う。

 

 ある意味で、全く想定されていなかった『アイス・ピラーズ・ブレイク』適性を、彼は持っているのだ。

 

「これならどうだ!」

 

 三高選手は作戦を切り替え、文也の陣地の気温を猛烈に上げる振動系魔法を使った。ステージの外に漏れて反則にならないように領域を区切る必要はあるが、相手の氷柱をすべて一気に攻撃できるという点では、『インフェルノ』ほどではないにしろ強力だ。しかも『情報強化』の穴をついて、氷柱の周りの気温を上げているだけであり、その高熱は氷柱を溶かすことができる。何かを自陣から放っているわけでもないので、『バウンド』ではじかれもしない。

 

「無駄だ!」

 

 文也が右足のスニーカーのかかとを床にたたきつけると、そこに仕組まれたCADにより魔法が行使される。

 

「……相変わらず非常識な」

 

 見ていた深雪の邪険な声が漏れる。

 

 三高選手の決死の攻撃は無駄に終わった。

 

 文也は自身の氷柱だけでなく、自陣の『空気全体』を一つのモノとして『情報強化』をかけたのだ。

 

「くそっ、くそっ、くそおおおおおおおお!!!!!」

 

 攻撃に失敗し、その間に氷柱は残り二本にされてしまった。

 

 三高選手は苦し紛れに、ありったけの力を込めて、自陣の残りの氷に情報強化をかける。

 

「ふん」

 

 それを察した文也は、指貫手袋の中に隠された薄い指輪型CADで魔法を行使した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、文也の干渉力が『情報強化』を貫き、残り二本の氷柱を『爆裂』させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「将輝、今のって」

 

「ああ、『爆裂』だ」

 

 試合の様子を見ていた将輝と真紅郎は、文也が最後に使った魔法を断定した。

 

 一条家の秘術である発散系魔法『爆裂』。液体を瞬時に気化させることで爆発させる魔法で、破壊力・速度ともに抜群であり、また『対人戦闘を想定した生体に直接干渉する魔法』として生み出されたため『情報強化』を貫く力も強い。これを一条家の御曹司として受け継ぎ、磨いてきた将輝は、『アイス・ピラーズ・ブレイク』への適性がこの上なく高い。破壊力の高い魔法という点では女子本戦で優勝した千代田花音と同じだが、『情報強化』を超えて直接破壊できるという点ではこちらに分がある。

 

「一条家の秘術、のはずなんだけど……」

 

「流出したわけじゃないぞ。あいつが勝手に開発したんだ」

 

 文也が使った『爆裂』は、本家本元で生み出され洗練されて伝わったものに比べたら全ての点で劣っている。しかし、十師族の家の秘術を劣化といえどおおよそコピーしてみせたのは、やはり異常ではある。

 

「別に驚くことじゃない。昨日お前と戦った時の有賀っていう生徒も『爆裂』を改造したような魔法を使っていたし、それを準備したのはあいつなんだしな」

 

 将輝はすでに覚悟していた。

 

 そんな魔法を生み出した当人が、『アイス・ピラーズ・ブレイク』で『爆裂』そのものを使ってくるのは、ある意味では予想の範囲といえるのである。

 

 本来ならそのような予想はバカらしいものでしかないが、文也は異常である種バカそのものであり、バカを予想するにはバカらしいくらいがちょうどいいのである。奇しくも歴代ゲーム研究部担当風紀委員も同じ結論に至っている。

 

「あいつの魔法はおもちゃ箱みたいだが、そのおもちゃ一つ一つがびっくり箱みたいなものなんだよ」

 

 将輝はそう言いながら、めまいを抑えるように目頭をつまんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺はあいつが逮捕か暗殺されないか心配で仕方ないよ」

 

「それは心配すぎなんじゃ……」

 

 櫓を降りていく文也から目をそらし、達也は深い溜息を吐いた。

 

「なあ、今のってもしかして『爆裂』?」

 

「いや、まさか。あれは一条じゃないんだから」

 

「でも昨日の『深淵(アビス)』を使った選手のエンジニアってあの小さいのだろ?」

 

「それも似たような別物だって。仮に同じ魔法だったら一大事だ」

 

 今の文也の試合を見た観客たちはざわめいた。よく観察してみると、その中に混じって、端末を使って誰かと急いで連絡を取り合っている人物が何人かいる。

 

 なにせ目の前で常識をぶち壊す異常な光景を見せられたのだ。彼らは大学や研究所の関係者だろう。

 

 しかし、その中でも、上手く隠れてはいるが、達也と深雪の眼からは明らかに怪しい観客も何人かいた。

 

「昨日あいつは、西川に戦略級魔法の亜種を使わせている。それに、見るやつが見れば、有賀が使ったのも『爆裂』に近いものだと見当はつく」

 

 周囲に気を配って達也は小声で深雪たちに説明をする。なにやらきな臭い空気を感じ取った深雪たちは、達也の言葉がよく聞こえるよう、顔を寄せて耳を傾ける。

 

「それって……もしかして、十師族のエージェントが調査に来た、ってこと?」

 

「そういうことだ。彼らの一族の専売特許の危機なんだ。調査は当然するし、それでわかったことによっては……魔法の流出や価値の下落を防ぐために、『そういうこと』も実行されかねない」

 

「本当、どこまでも迷惑な存在……」

 

 達也の説明を聞き終えた深雪は文也を小声で罵る。その絶対零度の声色は、物騒な話を聞いて背筋が震えた雫たちを、さらに震え上がらせた。




十七夜栞などの名前が登場しますが、実は九校戦編を書いている段階では、魔法科高校の優等生は全く読んでおらず、ウィキの知識だけで登場させました。読み始めたのはかなりあと、もはやストーリーの都合上修正不可能だったので、多少の違和感はあるかもしれませんがご容赦ください。

魔法解説
『バウンド』
真由美が『クラウド・ボール』で使っていた、移動物体の加速を二倍にしたうえでベクトルの方向を逆転させる『ダブル・バウンド』の劣化版。正確には、これの進化版が『ダブル・バウンド』という設定。
平面領域魔法であり、その領域に触れた移動物は、速度の変化はないが、移動ベクトルは逆になり、まるで壁に当たって跳ね返ったような動きをする。領域に触れた移動物の速度を一瞬でゼロにして下におとす一般的な対物障壁よりも、『壁』として一般人にイメージしやすい魔法になっている。

気温を猛烈に上げる魔法
領域内の物体の分子を振動させて温度を上げる領域魔法と並んで、温度に干渉する振動系プラス魔法の領域魔法の基本中の基本にして、地味に難度の高い魔法。『アイス・ピラーズ・ブレイク』の敵陣地丸ごとを対象として氷が急速に溶けるほどの温度を出すとなると大変難しく、改変規模の面で高等魔法。一年生にして使える文也の対戦相手は、将輝に次いで優勝候補と目されていた。相手が悪かったとしか言いようがない。

自陣の空気全体にかける『情報強化』
いわば『情報強化』の領域魔法版。対象物のエイドスにかける分にはイメージしやすいため魔法師ならだれでもできるが、領域版となると、とくに目印や壁などであらかじめ区切られていないと難しい。


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2-14

 決勝リーグでも深雪は圧勝だった。雫を打ち負かした十七夜だけは多少は粘ったものの、深雪の相手にはならなかった。

 

 それからの男子の決勝リーグ。第一試合では、将輝が第二トーナメントを勝ちあがってきた四高生徒を蹂躙し、一瞬で試合が終わった。相当気合が入っているらしく、少し入れ込みすぎな気もするが、コンディションはばっちりである、というのが真紅郎の見立てだ。

 

 そして、この『アイス・ピラーズ・ブレイク』新人戦一番の注目カードである決勝リーグ第二試合、井瀬文也VS一条将輝の試合が、もうすぐ始まろうとしていた。

 

 さすがにこの試合では深雪も不機嫌オーラを表に出さず、周りが観戦に集中できるように抑えている。また深雪自身も思うところはあるが、学ぶところは多くなるであろう試合なので我慢することにしていた。

 

「それにしても遅いね。何があったんだろう」

 

 幹比古が待ちくたびれたようにつぶやく。第一試合が終わってからだいぶ時間がたっており、これまでの試合の間隔に比べたらもう三倍以上待っている。

 

「深雪と一条があまりにも早く終わらせるものだから、製氷が間に合っていないのだろうな」

 

「なるほど。やっぱりこの強行軍は良くないね」

 

 達也の説明に、幹比古は納得したようにそう言った。

 

 達也は予想したかのように説明したが、これは実は予想ではなく、達也は知っていたことである。

 

 文也の要求に応えて賊のごうも……尋問の資料を受け取るとき、風間からちょっとした愚痴を聞いていたのだ。

 

 九校戦には国防軍が全面協力しており、そのためこの準備が大変な数々の競技が成り立っている。『アイス・ピラーズ・ブレイク』はその中でも準備の手間・時間ともにトップクラスなのだが、今年は無理やり一日で済ませようとしており、本戦ではこの演習場にいる国防軍総出でひっきりなしに準備に駆り出されていたと愚痴を聞いたのだ。その大変な仕事は今日も同じなのだろう。もともとスケジュールもぎりぎりだったのだが、深雪と将輝が早々に終わらせるものだから、ついに間に合わなくなったのだ。

 

 だから、こうして試合をしたばっかで本来は間に合わないはずの達也と深雪が観客席に戻ってこられたのである。

 

(それに、製氷以外でも大変なのはいるだろうな)

 

 達也はひっそりと、運営のCADチェック係に同情した。

 

 文也はCADを大量に持ち込むため、それのチェックにも時間を要しているのだ。

 

(……そういえば、まだ動きはないみたいだな)

 

 そしてCADチェックの連想から、達也はこの九校戦に絡む黒い思惑に思いをはせる。

 

 小早川の事故。小早川の足元の水面の不自然な波だけでなく、小早川に衝突した七高の黒木のオーバースピードも、何者かの工作によるものと踏んでいる。

 

 そしてその工作の手口は、おそらく競技開始前のCADチェックの時に何かしらの細工をすることであり、下手人はその係員に紛れ込んだ工作員だろう。これから自分が担当する選手くらいは、チェックの場に立ち会って監視するべきだろう。

 

「お、ようやく始まるみたいだな」

 

 待ちかねてたレオの声が明るくなる。

 

 達也がもろもろ考えている間にようやく氷は並び終わり、試合が始まろうとしていた。

 

「……アイツってヒマなの?」

 

 その服装を見たエリカは、とげのある怪訝そうな声音で疑問を口にした。

 

 いくらこの競技でコスプレが許されるといえど、あくまでもメインは競技であり、服装を変えるなどはほとんどない。

 

 しかし文也は、先ほどの黄色いネズミが相棒な永遠の十歳児のコスプレから、別のコスプレに変えていた。

 

 黒いブーツに黒い長ズボンに黒いインナーに黒いロングコートと全身黒ずくめで、その背中には二本の剣が交差してさやにしまわれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キリトかなーやっぱりw」

 

「ちなみに彼女もシリカに似てる(聞いてないw」

 

「これなら大正義! あかん、優勝してまう!」

 

「Vやねん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 登場するや否や、またも観客席にいたゲーム研究部の一団が盛り上がった。ちなみに「w」は口で「ワラ」と発音し、「(聞いてないw」は「かっこきいてないワラ」と発音しているため、はたからは全く意味の分からない会話となっている。

 

 文也にコスプレの変更を進言したのは、ゲーム研究部員一同だ。その理由を聞いた文也は納得し、こちらのコスプレに変えたのである。ちなみに前のコスプレがここにきて廃止になった理由は、『毎回いいところまではいくけど絶対優勝しなさそう』だからである。

 

 もはや達也たちは彼らの会話を無視し、各々でこの後の試合がどうなるか予測する。

 

 そして達也はいつも通り、文也のCADボディチェックを始める。

 

(60か)

 

 相手が強敵なので多めに用意してきた様子である。また背中に差している二本の剣もどうやらCADだ。文也にしてはかなり大ぶりのCADであるため、とっておきの魔法を用意しているのかもしれないと達也は期待を少しだけ、本当に少しだけした。予測できる一番の理由は、多分「かっこいいから」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「また変なことやってる」

 

 真由美の呆れ声がこだました。

 

 一高テントでは、大きな画面で真由美たち首脳陣が彼の試合を見守っていた。この後の一高の試合はもう文也の二試合だけなのでこちらに詰めず観客席で見てもよかったのだが、試合結果を受けてすぐに次の相談に入るためにも、こうしていつでも会議できる場所で集まっていたほうが良いと判断してこちらにいる。

 

「うううううふみくん、あと一回、これが終われば優勝だよ!」

 

 親友であるあずさは、意外なことに、文也の試合をそこまでのめりこんでみていなかった。全部の試合を見てはいたのだが、彼女なら選手本人よりも緊張して画面にかじりついていても不思議ではない。

 

 真由美が理由を聞くと、「ふみくんが勝つのはわかってますから」と返ってきて、真由美とその場にいた鈴音は無糖アイスコーヒーを買いに行った。

 

 しかし、この試合は違う。相手は一条の御曹司・一条将輝であり、すでに上級生と混ざっても優勝候補に絡むであろう超一流の魔法師だ。真由美ですらこの競技に限っては彼に勝つ自信がないほどである。よってあずさも相応に危機感を覚えているようで、視線は画面に集中していた。その口から出た言葉は、「次の試合はもう勝ったようなもので実質これが最後」という彼女の意識が強く表面化したものであり、もう一人の決勝進出者に大変失礼であることを付け加えておく。

 

「もう何が来ても驚かないぞ」

 

 摩利はすでにぐったりとした様子で、椅子にだらしなく座って観戦する構えだ。

 

 昨日から達也と文也に驚かされ続けて、摩利は驚き疲れしてしまったのだ。真由美も同じくらい疲れているのだが、リーダーとして態度に出すことはしなかった。

 

 昨日だけでも驚き疲れた。

 

 インデックスに登録されることとなった達也オリジナル魔法『能動空中機雷(アクティブ・エアー・マイン)』に、最新技術を用いたお手製CAD、世間にまだお披露目されてない最新の照準補助装置、プチ『深淵(アビス)』に、改造『爆裂』。

 

 それに加えて今日は、深雪の『インフェルノ』や『ニブルヘイム』、常識人だと思っていた雫の『パラレル・キャスト』と『フォノン・メーザー』 、それに加えて文也は劣化といえど『地雷原』と『爆裂』のコピーまで見せてきた。

 

 もうすでに彼女らのおなかはとっくに一杯である。もともと九校戦のプレッシャーに加えて普段の学校生活からゲーム研究部の相手をしている彼女らはもともと胃が最近荒れ気味で胃薬が欠かせないのに、心の胃まで攻めてきたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合開始のブザーがなった瞬間、同時に二人はCADを操作した。

 

 将輝が使うのは当然『爆裂』。使用するCADは、この競技のために普段自分が『爆裂』のために使っている専用の特化型CADと同じ見た目で性能をルールの範囲に落としたもので、赤い拳銃型特化CADだ。

 

 激烈な威力と速度を誇る『爆裂』は、守備を捨ててこれで攻撃するだけでも相手の攻撃以上の速度で破壊しつくすため、それだけで勝てる。故に防御のための『領域干渉』も『情報強化』も他の系統種類の魔法も使えなくとも、速度を求めて特化型CADで攻撃するだけでよいのである。

 

 狙うのは、文也の氷柱の奥側の四本だ。魔法は距離があればあるほど効果を及ぼしづらい。文也がこの程度の距離で精度に誤差が生じるとは全く考えていないが、少しでも勝ちの可能性を上げるために手段は選ばない。

 

 そして文也に近い四本の氷柱は、内側から膨れがあった圧力により、意外にもあっけなく四本一気に砕け散った。

 

(このままいけば!)

 

 即座にさらに『爆裂』を使おうとする。

 

 しかしその瞬間、フィールドは衝撃の姿に変貌した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、ふーん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テントの真由美は、もはや何も考えまいと悟った目で、そんな気の抜けた声を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也の氷柱で一番将輝の陣地に近い四本。それらは極寒の冷気の中で、堂々とそびえ立っている

 

 将輝の氷柱で一番文也の陣地に近い四本。それらは陽炎揺らめく熱波にさらされ、すでに頼りなく溶けていっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『インフェルノ』だと!!!???」

 

 将輝は驚きのあまり思わず叫んでしまう。

 

 深雪も使った『インフェルノ』は、A級魔法師試験の課題として出されるほどの高難度魔法だ。振動系に高い適性がありかつ規格外に優秀な魔法師である深雪でなければ、高校生のレベルで使いこなせる者はまずいないはず。

 

 しかし、そんな魔法を、今は文也が使って見せているのである。

 

「ダウングレード版だな」

 

 達也の分析は正解だ。深雪はフィールド全域を覆っていたが、文也のはそれの三分の一程度でしかない。また出力も速度も深雪が使ったものより断然質が悪く、温度の変化も魔法の発動も遅い。深雪がやれば、将輝の『爆裂』で割られる前にフィールド全域にもっと高い効果を及ぼしていた。

 

「くそっ!」

 

 将輝は即座に気持ちを切り替え、『インフェルノ』に加えた文也の追撃が来る前に終わらせようと『爆裂』を使う。

 

 しかし中心列の四本は、さきほどに比べたら破壊する速度が格段に遅く、一本ずつ順番に破壊する形になった。先ほどあっさり壊せたのは、文也がもともと守る気がなかったからだった。さすがに文也といえど、さらに大幅にダウングレードさせていたといえど、『インフェルノ』の使用には時間と集中力が要したようだ。

 

 将輝の速攻作戦は失敗に終わった。

 

 速攻で攻め切ることができず文也に時間を与えてしまったら、将輝にとって不利となる。準備が整ってしまった文也は、攻撃と防御どちらも同時にかつ特化型CAD並みの質と速度でこなしてくる。対して、攻撃に加えて防御の必要も迫られる将輝は、速度で劣る汎用型CADで不利な戦いを強いられてしまう。故に特化型CADで、捨て身ともいえる速攻を狙ったのだ。

 

 攻めきれなかった将輝は特化型CADをサスペンドし、腕につけた汎用型CADを起動する。その一瞬が決定的な隙となり、文也からお返しと言わんばかりに『爆裂』が見舞われるが、切り替えている間に常人がCADを使った時並みの速度でありながらCADなしで『情報強化』を自陣の氷柱に施すという将輝の絶技によって、破壊された氷柱は、文也から見て左奥側、将輝から見て右手前側の二本で済んだ。

 

 文也は残り六本。『インフェルノ』で覆われている四本と、将輝が攻めきれなかった中央列の二本だ。

 

 一方の将輝の残りは十本もある。しかしすでに文也にとって有利な状況になり、しかもフィールド真ん中の四本は今もなお『インフェルノ』によって溶かされている。

 

 将輝は汎用型CADによって自陣の氷柱のうち手前二列に『領域干渉』を施し、またすでに文也の魔法の支配下にある奥の氷柱には『情報強化』を施した。それにより、灼熱地獄の中にいた四本も『インフェルノ』の影響を受けなくなった。熱された空気によっては溶かされてしまうが、直接魔法による干渉で溶けなくなっただけでかなりマシだ。

 

「お返しだ!」

 

 将輝は汎用型CADで『爆裂』を起動した。対象は、厳冬に守られて堅牢になった四本だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、その四本に、『爆裂』が作用することはなかった。

 

「嘘だろ!?」

 

 将輝は驚愕しながらも、反射的に『爆裂』を冷気に守られていない二本に向け、『情報強化』を貫いて順調に破壊していった。

 

 しかしその隙に文也の猛攻は始まる。

 

 文也は『領域干渉』の穴を突き、将輝の中央列の氷柱の左端を狙う。しかし、氷柱そのものではなく、氷柱と接している地面に、得意の滑らせる魔法を施し、さらにその氷柱の上端に空気の塊をぶつけ、まさしく競技の名前の通り、氷柱を『倒した』。

 

 ガンッ! 

 

 地面との摩擦がなくなった氷柱は、普通に地面を軸として倒れるのではなく、氷柱の真ん中あたりを軸として、まるで滑って転んだかのように倒れ、その隣の氷柱に激突した。すると、激突の直前に当てられた方の氷柱の地面にも文也が摩擦をゼロにする魔法を施したことで、当てられた氷柱のほうも、またその隣の氷柱に向かって倒れていく。

 

「させるか!」

 

 文也のドミノ倒し作戦は二本倒すまでで終わった。将輝が激突の直前に三本目の氷柱と地面とを硬化魔法で固定し、倒されるのを防いだ。さらに『領域干渉』を地面まで広げ、文也の得意魔法を封じる。

 

 ここから文也は攻め続けるが、劣化した『地雷原』と『爆裂』は将輝の固い『領域干渉』を貫くことはできず、10秒ほどの間、戦況は膠着することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『爆裂』の弱点をああやって消してくるか」

 

 将輝の『爆裂』が不発に終わったのを見た達也は、納得したようにつぶやいた。

 

「何々、チョッと、一人で納得しないでよ」

 

 そんな達也にエリカが肩をたたいて声をかける。同じことを、深雪たちも思っているらしく、達也に説明を求める空気になっていた。

 

「一条の『爆裂』は、対象の中にある液体を一気に気化・膨張させて内部から爆発させる魔法だ」

 

「うん、それはわかってるけど……」

 

 達也の説明に、幹比古は頷いたものの、それは周知のことであり、その先を求める。

 

 氷柱は急いで作られた粗製であり、その内部は凍り切らなかったり、あとから溶けたりして液体になっている部分がある。だからこそ、一条の『爆裂』はこの競技に高い適性があるのである。

 

「だが、魔法の発動対象に液体が『含まれていなければ』、発動対象の定義が存在しないため、魔法式はシステムエラーを起こして『爆裂』は不発になる」

 

「そういうことか!」

 

 達也の説明にレオが声を上げた。氷柱同士がぶつかる音で説明は聞こえにくかったが、今の説明で、この場にいる全員が理解したのである。

 

 氷柱の内部には凍り切らなかったり、溶けたりした液体がある。だったら、それを魔法によって強い冷気の中に包み込んで凍らせ、さらに溶けないようにしてしまえばいい。

 

 そうすることで、将輝の必殺技である『爆裂』を封じたのだ。

 

 氷柱は一本でも残っていれば負けにならない。だから、最初の四本を犠牲にしても、ほかの氷柱を守り切れればいいのだ。

 

「けどよ、それって、一条が最初に内側の四本を壊しちゃったらやばくないか?」

 

 レオは即座に疑問を口にする。

 

「井瀬はそれを読んでいたんだ。あいつと一条は知り合いだからな。勝利のために少しでもベストを目指す一条なら、手前の四本を優先して狙ってくるって知っていたんだろう」

 

 達也はそこで解説を打ち切った。文也のドミノ倒し作戦を将輝が攻略し、膠着した局面から、次の局面へと移っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そういうことかよ!)

 

 膠着状態の間に冷静になった将輝は、文也の『インフェルノ』の意図をようやく看破した。

 

 そしてその作戦を破る一手を、将輝は用意している。

 

 ここまでの戦いではCADに入れてすらいなかった魔法。しかし、相手が文也ということで念のため入れてきた、とっておきだ。

 

「くらえ!」

 

 将輝が魔法を発動し、サイオンのきらめきが瞬く。

 

 しかし、なんの変化も起こらず、観客たちは不思議そうに見るしかない。

 

 また不発か?

 

 ほとんどがそう思った中、達也と文也はその魔法を察した。

 

「げえええええ何それ!!!???」

 

 文也が目を丸くして叫ぶ。達也も思わず絶句した。

 

 その魔法の効果は、一分半ほど遅れて現れた。

 

 厳冬によって守られていた氷柱にほころびが生じる。

 

 だんだんと、氷柱が溶けてきているのだ。しかも。その速度は数秒ごとにどんどん加速していく。

 

 そしてついには溶けて液体になった水は、そのままさらに気化していく。

 

 猛烈な冷気の中にあってなお溶け、蒸発していく氷柱の姿は、まさしく異世界だった。

 

 将輝が使ったのは、一条家の秘術中の秘術『叫喚地獄』だ。『爆裂』の領域魔法版ともいえるもので、領域の中にある物体内部にある液体を、30秒から60秒かけて気化させる魔法である。ただし『爆裂』は液体をそのまま直接魔法で気化させる発散系魔法であるのに対し、こちらは温度を上げて蒸発させる振動系魔法であり、系統がそもそも違う。

 

 しかし、これもあくまでも対象は液体であり、冷気によって完全に凍り付いた氷柱には効かないはずである。

 

 そう、これはただの『叫喚地獄』ではない。

 

 将輝が『叫喚地獄』を自ら改造して作った、新たな魔法であった。

 

 領域の内部にあるものの分子を振動させて温度を上げる点では変わらない。しかしその対象は『固体』である。

 

 領域の内部にある物体の固体分子を振動させ、温度を上げて液化させる。地面や人体といった物体は融点が高く、そこまでの温度へ上げることはこの魔法ではまだ至ってない。それこそ、まさしく大量の氷を一度に溶かしたいという場面でしか役に立つことはほぼない。

 

 そう、まさしく、この魔法は、この『アイス・ピラーズ・ブレイク』のためだけに、将輝自らが苦心して作ったものなのである。

 

 これは、「『液体』を対象とする」という一条家の得意分野と常識という枠から将輝自身が自ら外れて殻を破り、自分自身の力で開発した渾身の魔法だ。

 

 そして一度溶かしてしまえばあとは一条家の得意分野である。得意分野から離れて固体を対象とした分、速度も威力も劣っていたが、得意分野に戻って元祖『叫喚地獄』を使えるようにしてしまえば、もう将輝の領域だ。液体の気化速度は、溶かした時のそれと比にならないほどに早い。

 

 一条の枠を飛び越えて『一条の結晶』を改造した魔法を自ら作り上げ、その魔法を『一条の結晶』への橋渡しとする。

 

 伝統を革新し、、それでいて一番の得意分野を見失わず、伝統と革新を融合させ、優先順位をつけて戦術を組み立てる。

 

 才能と家柄に胡坐をかくことなく、ずっと自己研鑽を貪欲に積み重ねてきた彼は、もはや一年生どころか、高校生のレベルもはるかに飛び越えていたのだ。

 

 それは魔法力だけでなく、魔法を使う力――魔法師としての力も含む。

 

 文也はただ自分の氷柱が溶かされるのを見ていたわけではない。

 

 それどころか、将輝が何かをやろうとしてると勘づいた瞬間、攻勢を強めた。

 

 しかし――将輝の氷柱は、一本も倒れていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――文也の魔法が、将輝の『情報強化』によって退けられているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんて強いマルチキャストなの」

 

 静まり返る一高テントに、真由美の感嘆の声が響く。

 

 複数の魔法を同時に扱うということは、つまり一つ一つの魔法に注ぐリソースが弱くなるということだ。例えば雫は『パラレル・キャスト』で『フォノン・メーザー』を使用したが、高難度の魔法を同時にタスクしている状態では十全に使用することはできなかった。

 

 これはマルチキャストにも言えることであり、例えば『情報強化』の力も、マルチキャスト状態ではどうしても弱くなる。

 

 しかし将輝の『情報強化』は、『叫喚地獄』とその亜種とのマルチキャストをしているにも関わらず、全く弱まっていなかった。

 

 これもまた、将輝が努力の末たどり着いた極致だった。

 

 そもそも魔法師は自分の体を無意識に『情報強化』しており、その意味では魔法を使えば常にマルチキャストしている状態であるといえる。

 

 つまり、魔法師は『情報強化』に限っては、特別訓練せずとも、最初からマルチキャストの能力が備わっているといえる。

 

『対人戦闘を想定した生体に直接干渉する魔法』が研究テーマだった第一研究所。そこで開発された魔法は、当然対魔法師も想定されており、無意識の『情報強化』を破る術を熱心に研究した。

 

 そんな研究所が発端の一条家は当然その無意識の『情報強化』に関しての知識は豊富で、将輝はさらに無意識の『情報強化』に対する感覚が鋭敏であった。

 

 そんな彼が研究と練習を積み重ねて至ったのが、この、弱体化しない『情報強化』のマルチキャストであった。

 

 これまで『領域干渉』をメインに使っていたのはブラフ。ここにきて、真に自身が得意とする方法を以て、守りを築いた。

 

 防御は固いまま、ついに攻撃の準備が整った。

 

 将輝に油断はない。このまま『叫喚地獄』でのんびり終わってくれるほど、文也は優しくない。

 

『インフェルノ』の灼熱で覆われていた氷柱もついに溶け落ち、将輝の氷柱は残りは四本しかない。

 

 画面越しに、真由美たちは将輝が勝負を決めにかかっていることを察した。

 

 すでに文也の氷柱は液体が混ざっている。『爆裂』で一気に破壊できてしまう。

 

「勝負あったかしら」

 

 真由美がつぶやく。さすがにここから逆転できる方法を、真由美は思いつかなかった。

 

 同じことを摩利も克人も鈴音も感じたようで、残念そうに溜息を吐き、画面から目を離した。

 

 しかし、一人、このテントに諦めていない人物がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふみくんっ――頑張れ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女はまだ、希望が見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 将輝が『爆裂』に切り替えようとした直前。

 

 その気配を感じ取った文也が、背中の二本の剣を、ついに抜き、魔法を発動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人の咆哮が重なる。

 

 ここからは速度勝負だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 将輝の指が、汎用型CADのテンキーの上を踊る。

 

 『爆裂』が起動し、冷気の中でかなり溶けてしまった文也の氷柱を一瞬にして一気に破壊しにかかる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也が左手の剣の柄のスイッチを押し、それに遅れて、しかしほぼ誤差ゼロ秒で左手の剣のスイッチを押しながら宙を斬るように振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、将輝の四本の氷柱が、一気に『両断』された

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也の氷柱が爆発四散し、将輝の氷柱は両断された面から滑り地面に轟音を立てて落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法発動に動くのは将輝のほうが早かった。しかし文也はスイッチを押すだけであり、また汎用型どころか特化型よりも速く魔法が発動する。しかし、剣を振る動作があり、文也はその分少しだけ遅れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落ちたのはほぼ同時。人間の眼では判断できない差。

 

 

 

 

 判定は、スーパースロー再生にゆだねられた。




摩擦をゼロにする魔法
原作に出てきた『伸地迷路(ロード・エクステンション)』とは実は違う仕組み。
あちらは放出系だが、この魔法は移動系。
摩擦をゼロにしたい二つの対象の間に、任意の水平方向に移動させる極薄の仮想領域を発生させ、動きやすい方――例えば床と足なら足が――がそちらの方向に、まるで滑るように移動する。超高速で動くランニングマシンの上に何気なく足を乗せたら転ぶのと同じである。つまり、対象を移動させているだけで実際は摩擦をゼロにしているわけではないのだが、床や地面に触れさせないで移動させているということは、床・地面と対象物の間に本来発生するはずの摩擦を起こさせていないということだから、摩擦をゼロにすると表現している。
以下どうでもいい裏設定。障壁魔法の開発にいそしんでいた十文字家は平面の仮想領域を作る魔法を得意としており、これはその初期の初期に半ば遊びで作られた基本的な魔法である。このせいでのちの当主・克人は、この魔法を使う後輩のクソガキに悩まされるのだから、皮肉というものである。


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2-15

一晩でお気に入りの数が2~3倍に膨れ上がっているのを見たときはびっくりしました。みなさまありがとうございます。
また、多くの方の目についたことで、たくさんの誤字報告も頂きました。ありがたい話です。
それではここで一つ怖い話をしましょう。

実は投稿前に2回か3回必ず通読して誤字脱字や表現が変な部分がないかをチェックしています。それなのにこれです。


 スーパースローによるビデオ判定の結果、百分の一秒の差で、将輝の勝利となった。

 

 そのスーパースロー判定を、誰しもが息を呑んで待つ中、深雪と達也はなぜか観客席を早足で離れていった。

 

「深雪! 落ち着け! 深雪!」

 

「ハーッ、ハーッ、ハーッ」

 

 人気のないホテルの裏側。深雪は荒くなる呼吸を必死で整えて気持ちを落ち着けようとするが一向に収まらず、鬼のような形相で、サイオンを暴走させてまき散らしていた。

 

 周囲に少しでも悪影響がないように達也は魔法を用いて必死で抑えるが、絶え間なく深雪からサイオンは溢れ続ける。

 

「深雪!」

 

「お兄様! だって、あいつは、お兄様のっ!」

 

「俺は気にしていない! だから落ち着くんだ!」

 

 深雪は、まるで癇癪を起こした子供のように叫び、嗚咽を漏らしながら大粒の涙をこぼす。

 

「お兄様のっ……『分解』をっ……!」

 

 深雪は、入学当初からずっと、文也に心を乱されていた。

 

 世界で一番素晴らしいと信じて疑わない兄を全く恐れず、対等に決闘し、対等にエンジニア技術で渡り合い、深雪にとって兄だけの特徴だった『パラレル・キャスト』をいとも簡単に兄よりこなし、何度も何度も面倒に巻き込み、兄との時間を奪い、しかも『トーラス・シルバー』としての兄を脅かす『マジカル・トイ・コーポレーション』製のCADを多用する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それに加えて、達也の専売特許であり、かつ兄の最大の得意技にして秘術である『分解魔法』を、一度ならず二度までも目の前で使って見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、文也が先ほど将輝の氷柱を両断したときに使った魔法のうちの一つが、『分解魔法』だったのだ。

 

 将輝の『情報強化』を分解して無効化し、そのあとに両断する魔法を使ったのである。

 

 一度目は、練習試合の時だった。

 

 深雪の『インフェルノ』を乗り越えて苛烈な攻撃を仕掛けてきた文也相手に、深雪は『インフェルノ』の防御能力が半減以下になるのを承知で『情報強化』を自陣の氷柱にかけた。すると文也は、足を一回踏み鳴らして、靴底に仕込んだCADで、その『情報強化』を分解しようとした。しかしその分解は不完全に終わり、またとっさに深雪が『領域干渉』に切り替え、さらに怒りが爆発した深雪の『インフェルノ』の威力が増し、文也がトラウマになるレベルの灼熱を以て完封した。

 

 あれから文也は分解に改良を重ね、実戦レベルで投入できるようにし、その過程でCADも改良してあの剣になったのだろう。そうして将輝の強力な『情報強化』を打ち破るに至った。

 

 ――深雪にとって、達也は特別な存在だ。

 

 それは互いの関係という意味でもそうであり、兄の卓越した能力は、一つ一つがほぼありえないものである。しかしその兄の能力は、普通の尺度では評価されることはなく、母親からも不完全な魔法師として見られ、学校では二科生として扱われる。深雪には兄の不遇がこの上なく不満だった。そしてその不満の反動として、世間に評価されないその能力を、達也の、達也だけの、兄だけの『聖域』として特別視していた。

 

『パラレル・キャスト』も、世界トップのエンジニアとしての能力も、分解も、兄が本当はすごい、ということを証明する『聖域』のはずだった。

 

 しかしそれらを文也は、すべて実行して見せた。それどころか、部分的には達也を超越してすらいる。

 

「お兄様、お兄様……お兄様は、あんな奴に負けないんですっ……お兄様は、世界で、一番、すごい人なのですから……」

 

「大丈夫だ。俺は負けない。絶対だ。だから、安心して、さあ」

 

 深雪は達也の胸に縋り付き、兄の服がしわになるのではないかというほど強く掴み、胸に顔を押し付け、絞り出すように兄に語り掛ける。しかしその様子は、兄に語り掛けているというよりも、兄に縋り付いて存在を確認し、自分自身に語り掛けることによって、自分を安心させているように達也は感じた。

 

 達也は妹を安心させるように抱きしめ、絹もかすむような髪をなでてなだめながら、ある一つの結論にたどり着いた。

 

(あいつは、やっぱり……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「強くなったじゃねえかマサテル」

 

「だからマサキって呼べ! ……お前もさらに強くなったな、文也」

 

 勝敗の判定が出た後、櫓の下で文也と将輝は言葉を交わした。

 

 しばらく会っていなかったのだが、激戦を通して今の互いの力を確認した二人は、お互いの力を認め合い握手をする。

 

 井瀬と一条の関係といえど、この二人は縁があって互いのことをもとから認めていた。しばらく離れるうちに将輝のライバル心が家系の恨みと結びついて過剰な敵意になってしまっていたが、それももうなくなっていた。

 

「まったく、君には驚かされるよ文也」

 

「ようジョージ。お前も久しぶりだな」

 

 そこに現れたのは真紅郎だ。こちらは将輝のように家系の恨みの様なものはなく、強いていうなれば悪戯を何べんも仕掛けられたことぐらいだ。もともとエンジニア肌の二人は、優秀なエンジニア同士通ずるものがあり、仲は悪くない。真紅郎の態度は最初から友好的であった。

 

「ところで文也、聞きたいことがあるんだけどいいかな」

 

「おう、いいぞ。明日の『陣取り』に影響しない範囲でな」

 

「それは問題ないよ。で、本題だけど、まあ『インフェルノ』はこの際置いておこう。最後のあれ、いったい何をしたんだい?」

 

 真紅郎が気にしているのは、文也が最後に使った二つの魔法だった。彼ほどの知識と観察力を持っていても、未知のものであった。

 

「まず一本目の剣で使ったのが、マサテルの『情報強化』を分解する魔法だ」

 

「マサキだ」

 

「ええ……そんなのありえるの……」

 

 将輝が挟んだ言葉は無視された。

 

「で、分解して好きに壊せるようになったところで使ったのが、俺のオリジナル魔法、名付けて『切り裂君』だ」

 

「名前がダセェ」

 

「同意」

 

 そして文也の渾身のどや顔による解説は、将輝と真紅郎の辛辣な正論により退けられる。

 

 詳細は二人とも気になったが、オリジナル魔法ということは、あまり教えたくないものの可能性がある。特に真紅郎はあとで調べてみることにした。オリジナルだから同じ魔法は出てこないだろうが、似たような魔法は出てくるだろう。そう考えてそれ以上は追及せず、二人は不満顔の文也に別れの挨拶をすると、勝利に沸く自陣へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ふみくん!」

 

「わりぃ、負けた」

 

 二人と別れた文也は一高テントに戻ってくる。それを真っ先に感じ取り、あずさは一目散に文也の下へと駆け寄る。

 

「ううん、ふみくん、すごかったよ! 負けちゃったのは残念だけど、惜しかったし、すごい戦いだった!」

 

 あずさは目を輝かせて文也を褒めたたえる。

 

 それを見た文也は、安心して競技の緊張状態が解けたのか、気の抜けた笑みを浮かべ――膝から崩れ落ちた。

 

「ふみくん!」

 

 あずさは文也が倒れてしまわないよう、一瞬で反応して文也の体を支える。

 

「は、はは、スマンスマン。さすがにちょっと疲れちまった」

 

「そんなのはいいから、ほら!」

 

 文也は笑っているが顔色は悪く、額には汗が浮かんでいる。目の焦点もあってないし脚にも力が入らないようで、あずさと遅れて駆け寄った範蔵に支えられ、備え付けの簡易ベッドに寝かされる。

 

「無理しすぎだよぉ……」

 

 か細い今にも泣きだしそうな声であずさが文也に注意をする。そう言いながらも手は動かし、体をふくために用意していた温かいおしぼりを仰向けで寝る文也の目に乗せ、もう一つのおしぼりで額と首筋の汗をぬぐう。

 

 体を動かすことによってスタミナを消費し、魔法を使うことによってサイオンを消費する。今の文也の状態は、魔法競技によくあるそのどちらにも当てはまっていない。体を動かす競技でもないし、大魔法を何回も行使したものの、次の試合を見据えて冷静に調整していたため、サイオン量は十分だ。

 

 しかし、大規模な魔法や強力な魔法は、術者の体に負担を与える。もともとこの世を改変するという荒業が魔法であり、それの強力なものは、人ひとりが抱え込むには大きなものだ。これといって特別な適性がないにも関わらず大魔法を何度も行使した文也は、その負担によってこうなってしまったのだ。

 

「つ、次の試合は大丈夫なの? 無理しちゃだめだよ?」

 

「なんて声、出してやがる……あーちゃん……」

 

 あずさの心配に、文也は息も絶え絶えになりながらも、笑い交じりに言葉を紡ぐ。

 

「だって、だって……」

 

「俺は天才魔法師、イノセ・フミヤだぞ……。こんくれぇなんてこたぁねぇ……」

 

 文也はそう言いながら、目にかけられたおしぼりを持ち上げ、あずさを見て、口角を上げて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝利を持って帰んのは、俺の仕事だ」

 

 

 

 

 

 

 

 その眼には、もうすでに、力が戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この九校戦は、魔法を世に認めてもらうために、大々的に公開されている。故に、たとえ国防軍のおひざ元であろうと、大学や大企業、魔法競技団体のスカウトだけでなく、海外のスパイにとっても、この国の未来を担う魔法師の調査をするには、実に都合がよい。

 

(なんてことだ……これは夢であってほしい……)

 

 観客に紛れ込んでいたUSNAのスパイである男は、あまりの衝撃に現実逃避をしてしまいそうになるが、すんでのところでこらえ、これからについて思考をめぐらす。

 

 彼の所属はUSNA軍諜報部。特に魔法関連の情報収集を専門とするスペシャリストだ。

 

 彼の目線の先、文也と四高生徒による最後の『アイス・ピラーズ・ブレイク』の試合は、一瞬で勝負がつきそうであった。

 

 四高選手はかなり健闘したといえるだろう。先の一戦で『情報強化』よりも『領域干渉』のほうが有効であると鋭敏に察して『領域干渉』で氷柱を守っているが、文也はその領域外の空気を硬化魔法で極薄に固め、それを移動魔法によってぶつけてすぱすぱと切り裂いていく。それに動揺した四高選手は、かろうじて残った最後の一本に渾身の硬化魔法をかけて守り抜こうとする。しかし文也が背中の剣を抜いてスイッチを押すと、その最後の氷柱も『両断』された。

 

(やっぱり、あれは……)

 

 氷柱を切っている、ということには変わりないが、最後に使われたのは、さきほどの文也VS将輝の激戦の最後で使われた魔法と同じだ。そして、この魔法が、スパイの男の悩みの種となっているのである。

 

 これを文也はオリジナル魔法と言っているが、実はすでに先人によって開発され、秘匿されていた。

 

 文也は『切り裂君』と名付けた魔法に近いものを、USNAでは『分子ディバイダー』と呼んでいる。

 

 真紅郎ですら知らなかったその魔法は、USNA軍の機密術式だ。魔法の存在自体は隠していないのでしかるべき手順を踏んで調べれば、その効果だけはわかるようになっているものの、その術式自体は秘匿されている。

 

 USNA軍では、この魔法の使用のために専用のコンバットナイフ形態の武装デバイスを使っている。その刃の延長線上に分子間結合力を反転させる力を持った細長く薄い仮想領域を作り出し、それに触れた物体はその部分の分子間結合力が反転させられ、『斬られる』ことになる。その部分が気化させられる、と表現するのが本来は正しいのだが、結果は変わらないのでわかりやすい表現が使われている。

 

 正確には、文也が使用したのは、『分子ディバイダー』とは言い難く、別物と言っても差し支えはない。

 

 まだ式はかなり不完全で元の『分子ディバイダー』と違って触れた部分の分子間結合力が反転するのは、仮想領域が触れている間のみで、一瞬通り過ぎただけでは物理法則によって分子間結合力が元に戻り、切れ目こそ入るもののまたくっつきあってしまうため、『アイス・ピラーズ・ブレイク』のルール上破壊したと認められない。

 

 よって、分子間の相対距離を離す仮想領域を作り出す収束系魔法を重ねることで完全に両断した。こちらは通り過ぎた後も効果が残るレベルまで出来上がっており、一瞬だけといえど『分子ディバイダー』で離れる力が強まった分子をすんなり離すことができれば、あとはまたくっつくことなく離れたままになり、そのまま滑り落ちる。

 

 しかし、いくら大幅に劣化してるといえど、秘匿している術式と同じ仕組みであることには変わりない。

 

 そんなUSNA軍機密の魔法を、日本の高校生が、こんなにも人目が集まる場で、しかも一番注目されるタイミングで、使用した。

 

 はっきり言って、USNAからすれば、あまりにも異常事態である。

 

(とりあえず、すぐに本国に連絡しなければ……)

 

 男はいそいそと立ち上がり、すぐに連絡を取るためにその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸運なことに、文也の最後の試合までの間隔も準備が間に合わずそこそこ空いたので、文也はある程度回復した状態で挑み、勝利した。対戦相手の四高選手はもともと組み合わせと作戦で勝ちあがってきたようなものなので、優秀ではあるものの力比べでは文也の足元にも及ばない。これまた文也にとって幸いなことにあっさり終わった。

 

 その後、さすがに疲れた文也は明日の『フィールド・ゲット・バトル』に備えて、夕食を待たず、高エネルギーゼリー飲料だけ飲んで、部屋に戻って感覚遮断カプセルの中で深い眠りに入った。

 

 その一方で、達也たち一高生徒は、食堂で一斉に食事をとっていた。

 

 当然、今日の話題の主役は、深雪と文也、それに惜しいところで負けてしまったが絶技を披露した雫である。やはり優勝した深雪とそのエンジニアの達也についての話が真っ先に盛り上がり、その次に同じ女子の流れで雫とそのエンジニアである達也の話で盛り上がった。

 

 そしてそのあと、ついに文也の話題となった。

 

 彼のおもちゃ箱を理解できるのは達也しかおらず、さっきまで話題の主役として引っ張りだこだったのに、今度は解説役の仕事が集中することになった。ちなみに深雪は文也の話題になるや否や、すぐに別の席に移って談笑を始めた。どうにか落ち着いたものの、まだあまり話は聞きたくないのである。

 

「あいつが最後に使ったのは、まず一つ目が一条の『情報強化』を消すための分解、そしてその次に一気に斬り裂いたのは、仮想領域に触れた部分の分子間の相対位置を離れさせる魔法だ」

 

 達也は『分子ディバイダー』の存在をすでに知っているし、またそれがUSNA軍の機密術式であることも知っているし、さらに文也がそれを不完全と言えど使ったことも気づいている。

 

 故に文也が『分子ディバイダー』を使ったとは口の分子間結合力が反転させられても言えず、『斬り裂君』の一面しか説明できない。

 

 ちなみに、文也の父・文雄も達也と同じような状況であり、顔を真っ青にして文也に連絡を取ろうとしている。しかし眠りこけてる文也は当然電話に出ず、「バカ野郎あれ『分子ディバイダー』じゃねえか」、「アメリカ軍の機密術式だぞ」「再現するものにも限度っちゅうもんがあるだろ」「暗殺されてもしらねぇぞ。月が出てない夜に気をつけろ」などのメールを必死で大量に送り付けている。目が覚めた文也がそれを見たらどんな反応をするだろうか。

 

 そちらの状況はいったん置いて、話を戻そう。

 

 達也は求められるままに説明しながら、先の一戦に思いを巡らせた。

 

 達也はあの一戦を見ただけで、文也の作戦事情をすべて看破していた。

 

 文也の『斬り裂君』は強力な切断力がある魔法だが、不完全な『分子ディバイダー』のほうは相手の『領域干渉』や『情報強化』を明確に超える干渉力が必要であり、最初から使えばいい、というわけにはいかなかった。なにせ文也は、強いといえば強いものの、将輝を明確に上回る干渉力は持ち合わせていないからだ。

 

 故に、文也は『情報強化』を分解する切り札を用意してきたのだ。この場にいる人物では達也しか知らないが、文也の先祖も第一研究所の出であり、『情報強化』には詳しいのだろう。しかし分解魔法は詳しい『情報強化』に対するもののみで、『領域干渉』に対するものはさすがに無理だったようだ。

 

 だから、最初に『領域干渉』を使っていた将輝に対して『斬り裂君』が使えなかったのである。

 

 文也自身、将輝と知り合いであり、また同じ第一研究所出身の子孫を持っているので、将輝が『情報強化』を守備の要にしてくることを予想していたのだろう。結果的にそれは半分外れで半分当たりであり、その点では将輝の切り札である『情報強化』を引きずり出した文也の奮闘が、あの最後の接戦へと持ち込んだといえる。

 

「なあ、それってよ、もしかして『硬化魔法』の反対じゃねぇか?」

 

 レオが説明を聞いていて、思い浮かんだことを口にする。

 

「正解だ」

 

『硬化魔法』に特化し、それに詳しいレオだからこそ一瞬で分かったその正解に、達也は笑顔で頷いた。

 

『硬化魔法』の定義は、相対位置の固定だ。故に相対位置をもとの状態から動かす文也の『斬り裂君』はその逆とも言える。

 

「井瀬の最後の試合の、あの最後の一本。あれを守るために相手が使ったのは『硬化魔法』だ。最後は、反対の性質を持つ魔法のぶつかり合いだったといえるな」

 

 嘘だ。そんな真正面からのぶつかり合いではなく、文也は『分子ディバイダー』でサポートをしたうえで打ち破った。達也の見立てでは、そのサポートなしでは互角になっただろうと分析している。ただし、それならそれでほかの抜け道はいくらでも用意してあるだろうから、文也の圧勝は揺るがなかっただろう。

 

(あとは明日が心配だな)

 

 文也は明日も体力勝負の競技が控えており、また、それにはチームを組んで達也自身も出る。今日の試合でコンディションが乱れて負ける、なんてことにはなってほしくない。

 

 達也は、明日の戦いがどうなるか、と、説明の片手間に思いをはせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーちゃんは、井瀬君のあれは知ってたの?」

 

「はい。とはいっても、少しお手伝いしただけなんですけど……」

 

 同時刻、食堂の別の席では、文也の魔法に興味を持った真由美と摩利と鈴音があずさに質問していた。そばの席で別の生徒と話している克人も気になるようで、少しだけ聞き耳を立てている。

 

 真由美たちが諦めた中、あずさだけは諦めてなかった。彼の力を信じている、という美しくも根拠に乏しいようなものではなく、明確な逆転の一手を持っていると知っているようなものだった。

 

「『情報強化』の分解……『分解』という高等術式を使ったことはこの際置いておきましょう。魔法というのは、どんなものにしろその存在を知覚できなければ発動できないはずです。魔法式の構造情報は見えないはずですが……」

 

「えっと、わたしもよくわからないんですけど、ふみくんは昔から、魔法式がなんとなく『視える』って言ってました」

 

「あら、じゃあ達也君と同じじゃないの」

 

「でも司波君ほどはっきりわかるわけじゃなくて、ふみくんは、うすぼんやりと、なんとなく『ある』ってことしかわからないそうです」

 

 達也はイデアにアクセスしてその世界を視れる『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』によって、物理的に見えない物体だけでなく魔法式の存在や構造情報を知覚することができる。

 

 しかし、イデアにアクセスする、ということができるのは達也だけの特殊技能ではない。

 

 そもそも魔法自体が、イデアに魔法式を投射して使うものであり、その点では、魔法師は全員がイデアにアクセスしている。達也のはその深度がとてつもなく深いものと言えるだろう。

 

 そして、それが人より深いのは、文也も同じだ。

 

 ただし達也に比べたら圧倒的に劣り、投射された魔法式を、なんとなく、うすぼんやりと知覚することしかできない。

 

 しかし、魔法式があるとわかり、それがどんな魔法であるかさえわかれば、ある程度の対応は可能だ。

 

 そして文也は度重なる経験から何度も見るような魔法と、そして家系の事情で詳しい『情報強化』だけは区別がなんとかつく。

 

 故に、『情報強化』の分解だけは、なんとか実戦レベルまで練り上げることができたのだ。

 

「じゃあ、その次に一気に氷柱を両断した魔法はなんだ?」

 

 次の質問の口火を切ったのは摩利だ。家の影響もあり、切断などの『魔法剣』関連に、摩利は強い関心を持っている。

 

「えっと、それがわたしにも難しいからよくわからなくて……剣の延長線上に仮想領域を作って、その仮想領域で斬っているってことはわかるんですけど……」

 

「なるほど。一か所に集まっているものを一気に壊すには、長い長い剣の一振りで両断するほうが早いというわけですか。でも、仮想領域で干渉するには『領域干渉』も『情報強化』も超えなきゃいけないですから、『情報強化』だけになったところを分解して、ようやく使えるというわけですね。それにしてもすごい長さの仮想領域ですね」

 

「はい。ふみくんは、フィールドの端から端まで届く長さを得るために、魔法の強度をある程度犠牲にしたといっていました」

 

「なるほど。だから『領域干渉』の外側で作って貫く、ということができなかったわけね。そう考えると、あのガキンチョにも限界がちゃんとあるようで安心したわ」

 

 真由美はわざとらしく、ほうっ、とため息を吐いた。

 

 ちなみに、真由美らは話に夢中になって食事が進んでいないが、これは彼女らはちゃんと自覚している。胃の調子が悪くて食欲が湧かないのだ。その三人に巻き込まれてうっかり話に夢中になって食べそこなってしまったことに気づいたあずさは、このあと内心で三人を恨みながら、売店で軽食を買う羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、よし、新人戦は三高が有利だ」

 

 横浜の巨大なビルのワンフロア、壮年の男性たちが豪華な夕食を囲みながら話題にしているのは、九校戦の状況だった。

 

 彼らは心の底から三高と四高を応援していた。

 

 一高に優勝してほしくないがために、優勝争いに食らいついている二校を応援しているのだ。

 

 本戦の前半は肝を冷やしたが、新人戦は今のところ悪くはない。

 

 新人戦は二日目を終え、一高は68ポイント、三高が84ポイント、四高が66ポイントだ。しかし一高は『バトル・ボード』ですでに予選で全員敗退しており、三高と四高は順調に予選を突破している。明日の結果次第ではいよいよ逆転優勝も見えてくる。

 

「小早川選手を落とし、さらに抽選の組み合わせに積極的に介入したのが幸いした……」

 

 その中の一人が、ほっとしたようにそうつぶやく。

 

 ここは『無頭竜(ノー・ヘッド・ドラゴン)』の東日本支部。九校戦を使って大口の『裏』の客たち相手に営業をかねて、オッズを胴元側で決める特殊なブックメーカー方式の『賭け』を開催していた。

 

 そして、なんと彼らは、優勝最有力候補の一高に、怪しまれない程度に高めのオッズをつけたのだ。

 

 当然、金は一高に集中した。このまま一高が優勝してしまえば大損、逆に一高が優勝しなければ大儲け、という形になっている。

 

 なんとも無茶な状態だが、彼らには腹案があった。

 

 九校戦に積極的に介入し、一高を妨害し、優勝を阻止する。そうすることで、彼らは確実に儲けようとしていた。

 

 急な競技の変更などのトラブルはあったものの、事故を意図的に起こして棄権にさせたり、組み合わせに介入して一高が負けるようにすれば、一高は優勝できないはずだった。四高に優秀な講師が入って生徒たちの地力が底上げされたとの情報もあって、計画としては四高を中心として一高にぶつけ、三高が勝つという方向に持っていこうとした。

 

 しかし、一高はどこまでも常識外だった。

 

『スピード・シューティング』と『アイス・ピラーズ・ブレイク』で当然のように男女そろって優勝してしまう。『アイス・ピラーズ・ブレイク』では抽選に強く介入して女子代表が不利になるように仕向けたのに、急に力を伸ばして優勝をかっさらわれてしまった。

 

『バトル・ボード』は上手くいった。妨害工作で事故を起こすというバレるリスクの高い危険な手段だったが、今のところ尻尾を掴まれたという話もない。

 

 そして問題の『フィールド・ゲット・バトル』。集団競技である分、順位で大きく点数が変わってしまうこれではなんとしても一高が優勝してほしくなかった。

 

 しかしなんと、一高はまさかの男女優勝を遂げてしまう。インクガンは専用CAD、持ち込みCADも入れるのはスペシャルのみ、ということで、妨害工作を働きづらいルールが災いした形だった。

 

 普通に考えれば、下馬評の段階でこの計画が無茶だったことはわかる。一高で大活躍した本戦の選手はほぼ三年生であり、去年から圧倒的な実力を世に示している。しかしこの男たちは、なんとそのことを深く考えずに計画を立てたのだ。

 

 よって本戦では頭を抱える結果となった。しかし、幸い新人戦は組み合わせに特に強く介入したこともあって上手くいっている。

 

「明日は『フィールド・ゲット・バトル』と『バトル・ボード』の決勝まで、か」

 

「『バトル・ボード』は一高がいないから何かする必要はないし、『フィールド・ゲット・バトル』は仕掛けにくい。明日は様子見でいいな」

 

「そうだ。仕掛けるとしたら……『モノリス・コード』と『ミラージ・バット』だな」

 

 そんな計画を話し合い、それぞれ、自分の不安を打ち消すように笑う。

 

 大損失は逃れなければならない。さもなくば、自分たちの命が危ない。いや、もっとひどい目にあうこともあるだろう。

 

 そのことを彼らはわかっているはずなのに、なんとも無茶な計画である。

 

『無頭竜(ノー・ヘッド・ドラゴン)』改め『無能頭竜(ムノー・ヘッド・ドラゴン)』東日本支部のドタバタ大迷惑が、本格的に始まろうとしていた。




斬り裂君
名前がダセェ魔法。文也のオリジナル魔法だが、その内容は半分ぐらいUSNA軍の『分子ディバイダー』と被ってしまった。
もう半分の、分子間の相対距離を離すことで斬ったようにする魔法はオリジナル。分子間の相対距離を離すのは収束系魔法の定番だが、その実、上級者向けの定番である。物体間ではなく、それよりもはるかに小さく深度が深い世界である分子に干渉するには、技能と理科学知識の両方が必要となる。
分子間で組みあっているという情報を分解して離す『分解』、分子間で結合している力を斥力に変化させて離す『分子ディバイダー』、分子間の相対距離を離れさせることで分離させる収束系魔法、結果は同じだが、過程は違うという、『魔法科高校の劣等生』の魔法でよくある親戚関係である。


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2-16

 九校戦六日目で、新人戦三日目。

 

 行われるのは、『バトル・ボード』の残りすべてと『フィールド・ゲット・バトル』だ。

 

 この日の朝、半日以上泥のように眠ってから目覚めた文也は自分の端末に父親から大量にメールが届いているのに気づいた。中身を見てさすがに「まずい」と思い、起きて早々血の気が引いたが、とりあえず見なかったことにして、文也は今日の競技に挑む準備をした。

 

 その準備が終わり食堂に向かうと、ちょうど同じく食堂に向かうらしい達也と深雪に出くわした。

 

「よう、おっはー、元気か?」

 

「おかげさまでな。お前こそ、昨日の今日で大丈夫なんだろうな」

 

「おー、へーきへーき」

 

 達也は文也の返答を待たずして、『眼』で体調を確認する。サイオンに乱れは全くない。信じられない回復力だ。どちらかというと、隣で不機嫌を必死に隠している妹の方がサイオンが乱れているほどである。

 

「いやー昨日はスマンな。今日の最終会議しようと思ったんだけど、寝ちまってさ」

 

「仕方ないだろ、あれだけの激戦だったんだしな」

 

「それもそうだな」

 

「そこでその返しをするお前の図太さって……」

 

 ちょうどそこに、駿が通りかかり、文也の言葉に呆れかえって思わず話しかけてしまう。

 

「よー駿。朝飯食った後すぐでいいよな」

 

「構わん。司波もそれでいいだろ」

 

「ああ。それでいい」

 

 朝食の時間も作戦会議と行きたいところだが、朝は他校の生徒も同じ食堂にいるため、作戦漏洩を防ぐためには避けなければならない。

 

 兄妹と離れ、文也と駿は朝食で同席する。

 

 九校戦の食事は基本的にビュッフェ形式で好きなものを好きなだけ食べられるため、二人とも量は多めだ。

 

 特に文也はゼリー飲料を飲んで以来ずっと寝ていたので、空腹のため量が多い。あまり食べすぎても競技に差し障るためある程度は控えるが、気にしすぎて量が少なくては競技のエネルギーとしては足りない。もともと文也は小食で、間食にお菓子を貪り食う不健康食習慣タイプなのだが、代表に選ばれてからはさすがに食生活くらいは健康を意識しており――正確にはさせられているのだが――この生活にもだいぶ慣れてきた。あずさと駿はこのまま続いてくれればいいと内心で思っているのだが、九校戦が終わればすぐに元の崩壊した生活に戻ることはたやすく予想ができる。

 

「うーんしかしどうにも参ったねえ。新人戦、女子はまあまあ一部だけはいい感じだけど、男子はぼろぼろだ」

 

「全くだ。組み合わせが妙に悪い。俺らが頑張らないとな」

 

 新人戦の成績は芳しくない。駿はこれからが自分の本番なので、とくに気合を入れなおした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『バトル・ボード』の決勝と『フィールド・ゲット・バトル』の予選のほとんどが午前に終わり、昼休みを挟んだ午後。

 

 滝川と、『クラウド・ボール』の代表候補だった春日ともう一人の女子が代表として出た一高女子は予選第一トーナメントで早々に敗退してしまった。

 

 彼女らは運悪く予選で三高とかちあってしまったのだ。代表である博の妹・百谷祈と、百家の出で『アイス・ピラーズ・ブレイク』にて雫を下した十七夜栞を要する厚い選手層は急ごしらえの一高を総合力で超えており、終始不利な展開をせまられて敗北した。七高には勝利したものの三高も七高を下しており、手痛い敗退となってしまった。

 

 一方文也たち男子は第二リーグで二高と七高を余裕で下し、決勝リーグ進出を決めている。こちらは優勝争いの一高・三高・四高が各リーグにばらけており、まだ第三リーグの四高は決まってはいないが、ほぼ決まりであろう。

 

 予選の試合は一方的であった。

 

 第一試合は『模擬演習場』を引き、羽田を上回るスタミナと跳躍力で縦横無尽に移動する達也が鬼神のごとき活躍をして圧倒した。練習試合では達也と羽田でお互いに跳び回りながら空中で撃ち合いをするという曲芸バトルに発展したのを経験したため、文也も駿も驚きはすでに捨て去っている。ただただ暴れまわる絶対的な何かを活かしてサポートに回っていただけだ。

 

 第二試合は駿の活躍が光った。『未来都市』という、電子看板や曲線的なフォルムの建物が障害物になっており、また地面の一部が高速で動く移動床になっているフィールドで、この移動床をどう活用するかが勝負のカギとなる。この移動する不安定な足場で駿は正確なエイムで相手を的確にとらえ、常にスリープとダメージを重ねて相手の動きを大きく制限して圧勝した。この狙いの正確さは軍事教練を幼いころから受けている達也に迫るもので、森崎家の本領発揮となった試合だった。

 

 そして第三リーグの四高が勝ち上がり、決勝リーグ。

 

 第一試合は一高と三高。フィールドは『ゴーストタウン』だ。未来都市フィールドとは一転し、荒れ果てた街をモデルとしたフィールドである。

 

 コンクリートの建物はすべて廃墟となりボロボロで、また道もコンクリートがはがれていたり、建物の大きながれきや倒れた電柱や看板が転がっていたりと大変足場が悪い。建物の中は各一階のみ立ち入り可であり、階段やエレベーターには立ち入り禁止というルールになっていて、また外壁を伝って窓などから二階以上に侵入するのも禁止だ。建物の中は塗っても無効であり、道路上の面積の奪い合いとなる。その道路も、ど真ん中を両者のスタート地点を結ぶ形で大きい道路が通っている以外は横道や裏道が多く、意外と複雑である。また、真ん中の道路が全体の塗れる面積の半分以上を占めているため、ここの取り合いが大きな勝負のカギとなる。しかし裏道や横道、抜け道がいくつかあるため、前線の取り合いだけでなく後ろにも注意しなければならないフィールドと言える。

 

「なーんか、こうなってくると『Splato〇n』というよりも普通のFPSとか不良ゲームみたいだな」

 

 スタート地点に立った文也はそう漏らす。達也と駿にはわけのわからない話であり、それぞれもう慣れたといわんばかりに無視をした。

 

「事前の作戦通り、真ん中の道路の取り合いを俺と駿が担当、司波兄は裏道で遊撃だ。お互い背中にはよく気を付けるようにな」

 

「そうするとまるで暗殺を気にしてるみたいだな」

 

「……嫌なことを思い出させるな」

 

 達也の何気ない軽口が、朝のメールを思い出した文也を傷つけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この競技において、文也と接敵した相手は常に苦しい戦いを迫られる。

 

 こういった特殊なルールのシューターゲームを経験しており、また文也自身が卓越した戦闘勘を持っているということもそうだが、何よりも警戒するのは不意のスペシャルだ。

 

 この競技の前提としてあるのが、スペシャルには大きなリスクがある、ということである。一度しか使えないというだけでなく、インクガンを一度電源を切るかサスペンドするか、はたまた体から離すかしないと、サブCADのスペシャルを使えないからである。使うときは大きな隙をさらすし、時間がかかるし、インクガン使用放棄というあまりにもわかりやすい予備動作をしなければならない。

 

 しかし、『パラレル・キャスト』の文也はそうはいかないのである。

 

 撃ち合い中、文也はいつでもスペシャルを発動できる。インクガンに何かする必要がないので隙も予備動作も晒さないし、電源を入れっぱなしでも問題ないので効果の発動にも時間はかからない。しかも『アイス・ピラーズ・ブレイク』ですでに分かっていることだが、どこにCADが仕組まれているかもわからないので、さりげない動作の中で起動されてしまう恐れがある。

 

 故に、わかりやすい予備動作だけ観察しておいて撃ち合いに集中、ということができず、余計なことにも常に気を配ることを強制される。

 

 そしてそんな集中力が乱れた撃ち合いに、文也が負けるはずもない。

 

「あ、くっ、井瀬にやられた!」

 

『またか!? ほんとあのチビやっか――うわぁあああああ!!』

 

「おい、どうした!?」

 

 文也との撃ち合いに負けた相手はスリープ状態になったことを仲間に伝えるが、インカムの向こう、裏道で陽動に行っているはずの味方が、突如として悲鳴を上げた。

 

 ――少し時間は戻って、大通りからだいぶ外れた裏通り。

 

 少し道に迷ったが上手いこと文也たちの裏に抜けれそうになった三高生徒は、急いで大通りへと戻って文也たちの後方から仲間を援護するべく走っていた。

 

『あ、くっ、井瀬にやられた!』

 

 大通りで前線の取り合いをしていた仲間から連絡が入った。急いで駆け付けなければならないが、一方で大通りに一高で一番身長が大きいあのエンジニア――達也の姿が見えないことが報告されているため、裏通りの建物に潜んでいるかもしれないことを考えると、出入り口の前を通るたびにクリアリングをしなければんらない。

 

まだ開始一分なのに、もうこれで二度目だ。あまりにも厄介な文也の姿を思い浮かべ、彼はいら立ちを口にする。

 

「またか!? ほんとあのチビやっか――」

 

 その時、彼は『上から』光弾の雨を降らされた。

 

「――うわぁあああああ!!」

 

 それを上から放ったのは達也だ。

 

 二階以上は立ち入り禁止であると油断していた彼は、上方の確認を怠っている。

 

 足音を超人的な聴覚で察知した達也は、ここに来ることを予測して待ち伏せしていた。

 

 ただし、ただの待ち伏せではない。達也は超人的な運動能力で壁のわずかな突起を掴んで上り、出っ張ったコンクリートの上に寝転がって隠れて待ち伏せしていたのだ。

 

『おい、どうした!?』

 

「司波にやられた! 回復次第バックする!」

 

 文也にやられた仲間からの問いかけに答える。これで二人同時スリープ。一気に形勢が不利になったが、この生徒はこのまま復帰時の無敵に任せて突っ込むことはできない。

 

『前線たこ焼き看板奥でワンキル』

 

「待ち伏せN-34でキルした」

 

『よくやった。後ろも塗り忘れるなよ』

 

「わかってる」

 

 文也と達也もインカムで連絡を取り合う。文也はこのチャンスに前線を押し広げ、達也はこの細い道で相手の逃げ道を塗って潰す。逃げながら残弾の回復をさせないためだ。

 

 一高は図面をほぼ完全再現した状態で練習できる環境を生かし、この複雑な『ゴーストタウン』で位置を効率的に伝えるための方法を編み出した。

 

 それは、目印となる地点に記号や名前を付けて共有することだ。

 

 こうすることでお互いの位置関係や相手の位置、各場所の塗り状況などをお互いに効率よく伝えることができるのである。

 

 達也は目についた道路を塗りつつ、先ほど倒した相手選手から少し離れる。これは相手が無敵に任せて突っ込んできても達也の全力疾走なら逃げ切れる距離だ。

 

 そして5秒経って復帰した相手選手は、突っ込んでくるのでなく、冷静にいったん退くことを選択したようで、全力で達也から離れていく。今の5秒の間に冷静になったようで、達也の運動能力を察して、このままずっと撃ち合いするのがまずいと判断したのだろう。

 

 その背中を達也は俊足で追いかける。仮に相手が曲がり角で待ち伏せなどを選択したとしても、達也の聴覚ならば足音で察知できる。そうした状況を達也が文也に伝えると、

 

『本物の鬼とする鬼ごっこはさぞかし怖いだろうな』

 

 と返ってきた。

 

 これが、それこそ文也の言うゲームのように、スリープ状態などはなく、キルされたらリスポーン地点に戻るルールだったらこのようなことにはならない。しかしあくまでも生身の体であり、またいくら魔法があるといえど瞬間移動は不可能なため、復帰はその場で行われしばらく無敵状態、というルールになってしまった。しかし圧倒的な運動神経や五感の差が開いていると、このように一方的に動きが制限される状態になってしまう。

 

 急ごしらえの不完全なルールゆえの欠陥で、来年はすぐに廃止だろうな、と達也はまんまと待ち伏せしていた相手に逆奇襲をしかけながら、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く勝負になっていないじゃないか」

 

 この試合の様子を見ていた将輝は、呆れたようにそう文句を言った。

 

 あの文也と司波達也が出てくるということで、自校の試合そっちのけで予選から一高の様子を見ていたのだが、いよいよ自校と戦うとなると、どこまでも仲間が頼りなく見えた。

 

「一高はこれもう反則だね」

 

 そばで見ていた真紅郎も同じ感想だ。

 

「森崎はさすがだな。こういったシューター系は得意中の得意だ」

 

「司波もそうだね。二人ともインクガンの扱いが格別に上手い。これは、どっちも実際の戦闘を想定した訓練を受けてるね」

 

 魔法は、たとえCADが拳銃型であろうと、銃口の先が照準であろうと、あくまでも実銃とは全く異なる。実銃は自分の手元からしか攻撃は放てないが、魔法はほとんどがどこからでも放てる。例えば『スピード・シューティング』が良い例で、ほとんどが的に直接魔法をかけて破壊している。実際の銃のように狙って撃つのは、真由美などの少数派だ。

 

 故に、このインクガンの扱いに各校の選手は苦労した。なにせ、インクとなる光弾が出るのは銃口からしか出ないし、照準補助装置もついていないから自分でスコープなどを使って照準を合わせるほかない。当然そのような経験はほとんどの魔法師はないので、正確に動かない的を狙うだけでも一苦労。実銃と違って反動がないのだけは幸いだ。

 

 しかし、達也と駿は違う。達也は六歳から軍事教練で、駿も小学生から家の方針で、それぞれ魔法だけでなく、魔法が使えなくなった状態を想定して体を鍛え身のこなしを磨き、そして実銃の訓練も受けている。そんな二人にとっては、このインクガンはまさしくおもちゃのようなものだった。

 

 その点では、銃の扱いも運動神経も体格も体力も、文也は二人に比べたら圧倒的に格落ちだ。しかし『パラレル・キャスト』の圧力が相手の動きを制限し、駆け引きが上手い文也はそれをいかんなく利用する。

 

 この三人は、一高代表グループの中でも、本戦代表を抑えて圧倒的に一番強い。

 

 全員がこの競技に卓越した適性・才能・能力を持っていて、さらにあまり仲がよさそうには見えないのだが、連携や戦術も練度が高い。

 

 あまりの強さに二人が呆れかえっている間に、文也がついに『スーパーショット』を使用して相手を一度に二人スリープ状態に叩き落した。

 

「さ、そろそろ時間だ。いくぞ」

 

「うん、そうだね」

 

 二人は試合の残り時間を確認すると、席を離れてどこかへと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、お兄様、なんてすばらしい……」

 

「「「「「「………」」」」」」

 

 観客席で兄の大活躍を見ている深雪は、手を胸の前で組み、目をとろんとさせて感激に潤わせ、頬を紅潮させて、湿った熱い感嘆の声を漏らした。文也が出ているというのに、お兄様が活躍しているから今日は終始この様子で、一緒に見ている雫たちはすっかりうんざりしてしまっている。昨日の不機嫌で気を遣わされたのに、今日は打って変わってこれだ。いくら彼女らでも、つい深雪にあきれ果ててしまっている。ついでに周りの観客もドン引きだ。

 

 この競技に、達也はこの上ない適性がある。

 

 達也は、身体能力・スタミナ・銃の扱い・戦術眼・戦闘勘・経験・駆け引き、どれをとっても超一流のプロレベルである。苦手とする『普通の』魔法もこの競技ではほとんど関係ない。なにせ使う魔法は二つのみだ。インクガンのショットは速度も射程も皆一定であり、達也はこの点で回りに差をつけられることもない。スペシャルは普通の魔法同様やや周りに遅れるが、結局はショットと同じで、魔法の信号を飛ばしてそれを受けたフィールドやユニフォームが競技にまつわる判定やホログラムを生み出しているため、結果の質は使い方が同じなら誰がやっても均一だ。

 

 つまりこの競技は、達也の長所をいかんなく発揮でき、短所がほとんど影響しないという場なのだ。

 

 そこで大活躍し、世間から認められる愛しのお兄様の姿を見た深雪は、心の底から満足していた。昨日のストレスの反動と兄の甘やかな慰めによってただでさえ心が暴走気味な中、この光景は一周回って深雪に悪影響なほど素晴らしいものだった。達也がファインプレーを決めた時なんかは、思わず黄色い歓声を上げてくねくねと身もだえしだすほどだ。大変気色悪い状態になっている。

 

 そもそも調子の良い話で、達也がこの競技に出るのに反対しようとし、出るのが決まってからはずっといら立ちっぱなしだったのに、今はこれ以上ないほど満喫している。あまつさえ、「井瀬君と森崎君と先輩方に感謝しなくちゃ」だなんて独り言をつぶやく始末だ。

 

「返して……才色兼備冷静沈着な優等生だった深雪さんを返して……」

 

 美月は、この科学の時代に、思わず神様に祈りをささげてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三高をぼこぼこにして、フィールドからの帰り道。文也以外息一つ切れていない三人の前に、立ちはだかる二つの人影があった。

 

「ん? マサテルとジョージじゃん。どうした?」

 

「おい、そろそろマサキって呼んでやれ」

 

「マサキだ!」

 

 将輝と真紅郎である。駿と将輝と真紅郎は文也を通じて多少の交流があり、ついでに駿と将輝の間には不思議なシンパシーもある。

 

「で、かの『クリムゾン・プリンス』と『カーディナル・ジョージ』が何の用だ?」

 

 文也が絡むと無駄に会話が伸びるため、達也は無理やり話を進める。

 

「そうだった……ン、ンッ……俺は三高の一条将輝、こっちは吉祥寺真紅郎だ」

 

「「「知ってる」」」

 

 気を取り直して咳払いしてから自己紹介をした将輝を三人は一刀両断した。

 

「将輝、落ち着いて」

 

「ン、ンンッ……俺たちは、『モノリス・コード』の代表として出る。司波達也、まさかジョージや文也と同格のエンジニアがこの世にもう一人いるなんて思わなかったよ」

 

「お、おう」

 

「あいつ相変わらずだな」

 

「空回りしがちだよな」

 

 将輝の物言いに、達也は何が言いたいのかわからず困惑し、その後ろで将輝の言いたいことが分かったらしい文也と駿がこそこそと話している。なお駿も割と空回りしがちなのでブーメランを投げたような形だ。

 

 そんな二人を置いておいて、少し遅れてようやく達也は将輝の意図を理解した。

 

 要は、達也、または達也が担当した選手と戦いたいのだろう。これはその宣戦布告……というよりも、ケンカを売りにきたとかそういうたぐいだ。

 

「俺はそれの担当じゃない。そこの森崎が代表で、井瀬がエンジニアだ」

 

「そうか。文也と森崎と手合わせできるのは嬉しいが、お前とも戦ってみたかった」

 

「それは光栄だな」

 

「おい駿、聞いたか。あいつ俺らのこと残念扱いだぞ」

 

「少しフォローは入った分お前よりは口がいいだろ」

 

 相変わらず文也と駿の内緒話は続くが、達也と将輝は意図的に無視した。

 

「時間を取らせたな」

 

 そして言いたいことだけ言って将輝は去っていった。最初は将輝に合わせてキリッとしていた真紅郎もあきれ顔でそれについていった。

 

「……なんだったんだ、今の」

 

「知らん」

 

 達也のつぶやきに、駿はどうでもいいといわんばかりの声音で答えた。




オリジナル競技『フィールド・ゲット・バトル』について
設定を考えていた当時は『スフ〇ラトゥーン2』が発売されておらず、1のルールを基に作りました。


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2-17

 三高VS四高の戦いは、四高の勝利で終わった。

 

 そして最終決戦。一高VS四高。対戦の舞台に選ばれたフィールドは、『アミューズメントパーク』だった。

 

 フィールドの中で唯一楕円形をしており、フィールド上には自動で回り続けるコーヒーカップやメリーゴーランド、屋台や移動販売カー、巨大な馬のキャラクターバルーン――国防軍のイメージキャラクター『うまもるちゃん』だ――といった障害物が並んでおり、また楕円の外周には高い柵で侵入ができないようになっているが線路が通っており、コミカルな模様の汽車型の乗り物が車ほどの速さで走っている。

 

 このフィールドは全フィールドの中で一番ギミックが多い。コーヒーカップやメリーゴーランドは塗れないが乗ることは可能で、その上に乗って移動することもできる。また屋台や移動販売カーの屋根の上面はなんと床扱いであり塗ることができる。また外周を囲む線路も床扱いであり塗ることが可能で、さらに汽車のタイヤを塗れば、汽車が通った後がその色で塗られる。ここの奪い合いも勝負のカギとなる。

 

 ちなみにこのフィールドの図面が送られてきたとき、最初に見た真由美の感想が「どう再現しろっちゅうねん」だった。思わず謎の方言が飛び出してしまったほどだ。

 

 なにせフィールドは楕円形だが、各校に練習用に配られた競技フィールドを作る杭では直線しか結ぶことができない。当然各校から即時クレームが入り急遽『アミューズメントパーク』と同じ楕円形フィールドが作れる長いひもが配送された。

 

 しかしそれでもこの無駄に凝ったステージギミックや障害物はいくらなんでも再現不能であり、各校は練習方法に悩まされた。せめて『うまもるちゃん』の巨大バルーンぐらい販売してくれればよかったのだが、あいにく非売品である。達也は風間に冗談でお願いしてみたのだが、「あんなふざけたものをほかに作ってると思うか?」と真顔で返された。

 

 おそらくルールを考えた集団と実際の運営を任された集団が別で、現実的にどうするかを考えずノリでルールが考えられた結果こんなことになってしまったのだろう。

 

「肝心のジェットコースターがないじゃねえか」

 

 実際のフィールドに立った文也は思わず文句が漏れる。フィールド名と凝った構造の割にはアミューズメントパーク定番のジェットコースターがない。あっても安全に考慮したら背景としてしか使えなさそうなので省いたのだろうが、そんなことするんなら最初からこのフィールド案を没にするべきではなかったのだろうか。

 

 最後の決戦の舞台としてはあまりにも気の抜けた場所だ。

 

 しかし選ばれてしまったものは仕方ない。

 

 こうして、九校戦新人戦・『フィールド・ゲット・バトル』男子の最終決戦が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一高も四高も選択した最初の布陣は『2-1』だった。

 

 このフィールドは汽車の取り合いのために後方支援が重要なので、さすがに『3凸』はお互いに選べず、今まで奇策を用意してきた学校同士の対決にしてはスタンダードな立ち上がりだ。

 

「ちっ、なんて図太いやつだ」

 

『パラレル・キャスト』で常に相手にプレッシャーをかけられる文也は、本人の性格的には後方支援や遊撃が似合うが、前線で撃ち合いをするのが一番適任だ。当然、今回も前線を取り合う二人に入っている。

 

 しかし、今文也と撃ち合いしている四高選手は、不利にもかかわらず文也と対等かそれ以上に戦っていた。

 

 文也の運動能力は平均より少し上程度はあるものの、一流のスポーツ選手には足元にも及ばず、またこの大会はそのような生徒が選ばれる。

 

 今までは文也のエイム力や戦術眼、そして強い心理的有利で圧倒できていたが、その心理的有利がなくなれば、運動能力の差が顕著に出てしまうのだ。

 

 ――これまで文也と交戦した四高選手は、誰一人として文也のスぺシャルを気にした様子はない。

 

 それは、四高の作戦スタッフのアドバイスによるものだ。

 

 文也が戦っている様子を見て、四高の『ステラテジークラブ』所属の作戦スタッフは気づいた。

 

 考えてみればスペシャルは試合中に一度しか使えない。ならば、そこまで気にすることはないのではないか?

 

 なんなら、仮に油断していて使われても、それは相手の切り札を一枚消耗させたということであり、むしろ儲けなのでは?

 

 さらになんなら、後半に比べたら結果にあまり影響しない前半に使ってくれるなら、むしろお得なのでは?

 

 逆に考えるんだ。「使われちゃってもいいさ」と考えるんだ。

 

 それによって吹っ切れた四高選手は、こうして文也を相手に有利に立ち回っている。体格面でも不利な文也はステージギミックを利用してなんとか立ち回れているが、明らかに形勢は四高に傾いていた。

 

「おい駿! こいつら気づいちまったみたいだ! 俺が後方に回るからチェンジしてくれ!」

 

『わかった。30秒こらえろ』

 

 こうなってしまっては文也が前線の取り合いに参加する意味合いは薄い。もっと狙いが正確で運動能力があるスタンダードな強さを持った駿が前線に出るべきだ。

 

『こっちもあまり有利が取れてない。こいつら、相当訓練されてるぞ』

 

 あの達也ですら有利を取れていないようで、冷静ではあるがやや焦った声で達也が文也と駿に連絡をする。

 

 四高選手は、魔法力よりも、経験や運動能力で選ばれている。

 

 達也はそう勘づき、そしてそれは正解だった。なにせ達也自身も同じ判断基準で選ばれているのだ。気づくのも早かった。

 

 駿は前線の文也と交代すべく駆け付けようとする。

 

 しかし――

 

 

 

 

 

 

 

「あ、くそっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――物陰に潜んでいた四高の後方担当がいつのまにか前に抜け出していて、駿に奇襲を仕掛けた。

 

 普段なら物音や呼吸音で気づいただろうが、このフィールドはメリーゴーラウンドなどが絶えず稼働していてコミカルな音が鳴り続けており、それがかき消される。文也の様子から、後ろから駿が駆けつけるであろうことに気づいた四高選手は大急ぎでここに駆け付け、奇襲を狙ったのである。

 

 そしてその奇襲は成功した。

 

 不意打ちを食らった駿はスリープ状態となり、文也との交代に失敗する。

 

「不意打ちでキルされた! もう少し持ちこたえろ!」

 

『まじかよ!』

 

 クリアリングを怠っていたわけではない。たとえ駆け付ける時でも、物陰の前を通るときは必ずクリアリングをしていた。

 

 では、どこに隠れていたか?

 

 駿は右側の横道をクリアリングをしていた時に撃たれた。その時四高選手は、そのもう一つ奥の、左側の横道に隠れていた。

 

 必ず駿がクリアリングをすると予想し、その隙を狙うためだけにそこに隠れていたのだ。

 

 交代に失敗してしまった文也も、ついに追い詰められてスリープ状態とまではいかずとも、撤退を余儀なくされる。

 

 そして、駿をスリープ状態にし、文也を撤退させた相手の二人が向かう先は、達也だ。

 

「司波兄! 全力で後ろに逃げろ! いったん態勢を立て直す!」

 

『わかった。災難だったな』

 

 さすがに三対一では達也でも絶対に勝てない。達也はすぐに踵を返して、俊足で駿がしっかり塗ってくれた自陣へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あああああああ! ど、どうしよう! 頑張ってみんな!」

 

 一高テントであずさが画面にかじりついて心配そうに叫ぶ。

 

 その様子を見ていた真由美も、頬に手を当てて困ったように漏らす。

 

「達也君たちですらああなっちゃうなんて、思いもしなかったわ」

 

 真由美自身が『フィールド・ゲット・バトル』の選手として何回か模擬試合をやっているのだが、文也たちが負けるのを一度も見たことがない。圧倒的な運動能力とエイム力と戦略眼と知識によって、上級生を差し置いて練習試合で全勝しているのだ。

 

 しかし、今の状況は散々だった。試合も前半から後半に差し掛かろうとしているタイミングで全員撤退を余儀なくされている。残り時間が短い中でここから逆転をすることは難しいだろう。

 

「だが、真由美。あいつらの眼を見てみろ。逆転をあきらめてない顔だ」

 

「あら、本当ね」

 

 そんな真由美に摩利が声をかける。確かに、画面に映るアイガード越しの三人の眼は、まだ負けをあきらめた様子ではない。しかも、絶対にあきらめないというような感情的なものではなく、何か逆転の一手があると考えてのものだ。

 

 そんな様子を見た真由美は、思わず顔をほころばせた。

 

(なんだ。一年生たち、私たちが思ってるよりもちゃんとしてるじゃないの。ふふっ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一高はなんとか態勢を立て直し、圧倒的不利からかなり不利というレベルまで持ち直した。後ろで駿がしっかり駆け回って塗っておいてくれたおかげだ。

 

 しかしまだ不利であることは変わらず、また立て直しに時間をかけてしまったので、もう残り時間は一分ほどしかない。

 

「文也! 司波! 『あれ』やるぞ!」

 

『わかった。井瀬、引き付けておけ。森崎も例の場所で準備だ』

 

『りょーかい』

 

 一高はついに、逆転の一手を切ることにした。

 

 駿の指示を受け取った文也は四高選手との撃ち合いの中で、ついにスペシャル『バリア』を切った。インクガンを離すことなく素早く魔法信号が放たれ、それを受けた文也のユニフォームが、敵のインクを受け付けなくなる。何かをしてくると敏感に読み取った相手が『スーパーショット』で文也を封じ込めようとしたのだが、予備動作の分遅れてしまい、文也の『バリア』によって無駄撃ちに終わってしまった。

 

「こいつは運がいい!」

 

 もともとこのタイミングで『バリア』は使う予定だった。

 

 文也は逃げようとする『スーパーショット』を撃った相手を意気揚々と仕留め、ついでにそばにいたもう一人を瀕死に追い詰める。文也は、見事に相手のうち二人を引き付けていた。

 

 そしてその間に、達也と駿も動き出す。

 

「ここはお前にヒーローを譲ってやるよ!」

 

「それはどうも」

 

 駿は外周の線路と内側を隔てる高い柵の手前に、バレーボールのレシーブの様な構えをする。それに対して達也は全力疾走で走っていき――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――大きく振り上げられる駿の手を踏み台にして高く飛び上がり、柵を『跳び越えた』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ!?」

 

 何かするのを阻止しようとした四高選手は思わず見上げて呆けてしまう。

 

 その間に、達也はちょうど向かってきていた汽車に跳び下りた。

 

 このフィールドは、線路を柵の内側から塗ることができるし、汽車のタイヤを塗れば通った線路が塗られる仕組みになっている。

 

 そう、柵で区切られてはいるが、この線路も、フィールドの一部なのだ。

 

 当然立ち入りは禁止されていないため、選手は入ることができる。

 

 否、本来は汽車に轢かれることを考慮すると安全の上では禁止するべきなのだが、侵入が想定されていなかっただけだ。

 

 ただし乗り込むには高い柵をよじ登るしかないが、それは大きな隙となるため現実的ではない。

 

 そしてもう一つ、『跳び越える』というもっと現実的ではない方法を、文也が考案し、達也と駿が実行した。

 

 そうしてあまりにも規格外な方法でたどり着いた達也がその汽車の上ですることは――

 

「まさか!?」

 

 ――四高選手のうち、文也と戦って、『バリア』が切れた直後で一発被弾しただけでもスリープ状態になるようになった文也を仕留めた選手が、その意図に気づいた。

 

 魔法工学の非常勤講師がレトロゲームに詳しく、代表選手に選ばれた彼らに、この競技とかなり似ているというレトロゲームのプレイ動画を見せてもらった。

 

 それはコミカルなゲームで、ゲーム世界であるがゆえに、ステージギミックも多彩だった。

 

 そんなギミックを応用した技の一つ。本来移動できない『メガホン』を、移動する場所で使ったら――?

 

 汽車の上から側面に降りて器用につかまった達也は懐からCADを取り出し、汽車のタイヤに向けて魔法を放つ。すると汽車のタイヤから『メガホン』のホログラムが現れた。

 

 そしてそのホログラムは――汽車と一緒に移動している。

 

 正確にはタイヤと一緒に移動しており、タイヤが回るのに合わせて『メガホン』は間抜けな回転運動をしながら横に移動している。

 

 直線にしか放てない『メガホン』。だがそれを、それなりの速度でフィールドを移動する汽車から放ったら――放たれる光の柱も、それに合わせて移動する。

 

 ほかの生徒も少し遅れてそのことに気づき、すぐに汽車の移動と反対方向に逃げようとする。そちら側に逃られれば、移動する光の柱に当たることはない。

 

 しかしそれは間に合わず、ついに光の柱が、フィールドを横断し、汽車に合わせて四高選手たちをまるで追い込み漁のように追い詰めていく。

 

 汽車の側面からなら、伏せれば躱せた。汽車の下端なら、跳び越えれば躱せた。

 

 しかし汽車の大きなタイヤの端に設置された『メガホン』から放たれる光の柱は、タイヤの動きに合わせて大きく速く上下に動いている。

 

 達也たちの行動を阻止しようと動いた選手は、『メガホン』の移動方向とは反対側にいるため範囲外だ。ただし跳び越える達也を見上げて呆けている間に得意の『クイック・ドロウ』でインクガンを構えた森崎に塗られて動けない。

 

 文也を倒し、最初に作戦の中身に気づいた選手は仕方なく『バリア』を使ってしのいだ。

 

 文也に倒された選手は、せっかく復帰したのに無敵時間が解けた直後に光の柱に飲まれてまた動けなくなった。

 

 残り30秒。ここにきて一気に二人スリープされた四高は、一転窮地に陥った。

 

(だが!)

 

 それでも30秒。もともと塗り面積は四高がかなり有利であり、今から一高選手が急いで塗って回っても、スリープから二人が復帰した後や残弾のことも考えると逆転しきれない。

 

『バリア』で難を逃れた選手は逆転を防ごうと、最後の力を振り絞って走って塗って回る。

 

 そんな彼の目に入ってきたのは、車ほどの速度で動く汽車の上から、移動しながらフィールド内を塗る達也の姿だった。

 

 なるほど、あれなら高速で動きながら塗って回れる。

 

 だが汽車の屋根は屋台や移動販売カーと違って、塗れる床ではない。残弾の回復は不可能であり、塗れる量も限界がある。

 

 さすがにあの化け物の様な運動神経を持ってても、一人で魔法なしで柵を跳び越えることはできない。

 

(勝ったっ!)

 

 心の中で確信した彼は、それでも可能性を少しでも減らそうとひたすら塗っていく。

 

 残り20秒が過ぎ、残り10秒。全員が復帰して塗りあいになった状況で、四高選手は異常なことに気づく。

 

 汽車の上から塗り続けている達也――塗り『続けている』?

 

 とっくに30発は撃ち終わっているはずだ。

 

(それなのに――なぜだっ!?)

 

 結局、四高は、汽車に乗って高速で外周を移動しながら、30発を何十発も超えて撃ち続けた達也の活躍により、敗北した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、どういうことだ!」

 

 勝敗判定がでたあと、軽くハイタッチだけしてあとは各々で勝手に帰ろうとする、本当に優勝を喜んでいるのかわからないぐらい淡白な三人に、四高の選手の一人は詰め寄った。

 

 ありえない光景だった。回復できないはずの場所から、何十発も撃ち続ける。残弾を超えて撃つことは可能だが、代わりに並みの魔法師が一日かけても練り切れない量、『術式解体(グラム・デモリッション)』と同じほどのサイオンを持っていかれる。一発だけならまだわかるが、あれは限度を超えていた。

 

「おい司波兄、答えてやれ」

 

 文也が達也にそう言うと、達也は面倒くさそうに足を止め、振り返って答えようとする。その間に、薄情なことに文也と駿は待たずに去っていった。

 

「どうもこうも……俺は、チョッと生まれが特殊で、サイオン量が多いだけだ」

 

「……え?」

 

 達也はそれだけ言って、そのまま去っていく。

 

 四高選手は、思わずその場に立ち呆けた。

 

「……だけ、って量じゃないだろ……」

 

 かろうじて、その様子を後ろから見ていた二人のうち片方がそう漏らす。

 

「一高の連中、異常なのしかいないのか……?」

 

 もう片方も、思わずそうつぶやいた。

 

 ちなみに一高では「四高は異常」と扱われているため、お互いにブーメランを投げあって遊んでいるようなものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新人戦三日目は、『バトルボード』全員と『フィールド・ゲット・バトル』の女子は残念だったものの、男子が優勝をして一高はまだ新人戦トップ争いに食らいついている。

 

 しかしそれもなかなかぎりぎりであり、『バトル・ボード』でも『フィールド・ゲット・バトル』でも三高と四高は順調に稼いでいるため、ここからも厳しい戦いは続く算段だ。

 

 そういうわけで、この日の夜の一高の食堂はあまり明るいとは言えない。

 

 幸いにして当の一年生たちはあまり落ち込みすぎた様子が見られない。女子のヒーローである達也、男子の希望である駿が優勝を持ち帰ってきたからだ。そして文也はというと、

 

「やっぱりふみくん無理してたんだ……」

 

「…………」

 

 食事に手も付けず、机に突っ伏している。

 

 文也のスタミナは並み程度であり、ずっと動き回る競技をやったせいですっかりグロッキーだった。一か月の練習程度では体力の底上げもそれ相応程度である。他校の前では意地を張って平気そうなそぶりをしていたが、実際は試合がすべて終わって早々にトイレに直行してリバースしていた。達也を置いて帰っていたのはそういうことである。

 

 そして今。試合からだいぶ時間がたって、なんとか優勝した主役の一人としてこの場にはいるものの、食事がのどを通らない。さっぱりしたデザート類を少しつまみ、そこからはまるでつぶれた酔っ払いのように机に突っ伏し続けているのだ。

 

 そしてそれを介護しているのがあずさだ。もはや手慣れたもので、負けず嫌いの彼は練習でもつい無理をしてこうなることが多々あり、それを介護するのがあずさの役回りだった。あずさ自身も死ぬほど忙しいので他の生徒、例えば一緒に練習していて文也の扱いにも慣れている駿などに任せてもいいのだが、文也の様子を見るなり本人がすっと自然に介護に向かうので、そういう流れになったのだ。

 

 達也は一年女子ハーレム――そのつもりはないが、周りからはそうみられている――に囲まれての質問攻めに対応しつつ、そんな様子の文也を横目で見る。

 

 ああなった文也を今まで何回も見てきたが、不思議と翌日にその疲れを残すようなことはなかった。あまり運動をしている様子もないので筋肉痛などもありそうなものだが、その翌日にはまたケロッとしている。

 

(『再成』でも使ってるのか? いや、でもさすがにそれは……)

 

 達也は心の中で首を振った。

 

 確かにこれなら辻褄は合う。どんなに体調を崩しても即座に回復できるし、それに『再成』に頼り続けているならあの身長にも納得――ひどい扱いである――だ。どうせ自堕落な生活で体調を崩してはそのたびに『再成』を使ってを繰り返しているうちに身長が伸びる機会を失った――本当にひどい扱いである――というのもあり得る話だ。

 

 しかし、『再成』となるとさすがに自分自身以外ではありえない。分解をつい昨日目の前で見せられたので『再成』も、とはいかない特殊な能力だ。それに達也はしっかり『視て』いたからわかるが、そのエイドスはちゃんと毎日多少は変化している。『再成』ならば、不自然に変わらない部分があってもおかしくないのだ。身長が変わらないのは日ごろの不摂生だろう。

 

(……考えるだけ無駄な人種なのかもしれん)

 

 あの手の無鉄砲な性格は無茶をするのだが、不思議と怪我からの回復が早い。小耳にはさんだ話では『ギャグ漫画の登場人物』と呼ばれる人種らしい。ちなみに達也はもう(覚える気がないので)忘れているのだが、これを小耳に挟ませたのは文也本人だ。

 

 達也はそこで文也について考えるのをやめ、突っ込んだ難しめの質問に対する回答に集中することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也は部屋に戻ってしばらくしてから、疲れで働かない頭ながら現実に向き合うことにした。

 

 今朝から放置している、父親からのメール爆弾についてだ。

 

「……よう親父」

 

『文也か。よくも無視してくれた上に負かしてくれたなこの野郎』

 

「女子が完敗だから痛み分けだ」

 

 ベッドに寝っ転がり、話しながらも少しでも体を休めようとしながら文雄との通話を開始する。

 

『昨日のあれ、『分子ディバイダー』だってのは気づいたのか?』

 

「今朝メール見て気づいたよ。やべぇよ、アメリカからアメ玉じゃなくて鉛玉プレゼントされちまうよ」

 

 この二人を筆頭とした『マジカル・トイ・コーポレーション』は国内の十師族を筆頭に、数々の魔法に関わる団体から恨まれている。何せ各団体が、存在自体は見せているが術式を公表していない魔法を、劣化コピーながら再現してしまうからだ。さらにはまだ誰も世間では知らないはずの奥義まで、たまたま発想がかぶってしまって多大なる迷惑をかけている。

 

 しかしこれは国内の話であり、また国家機密クラスの魔法にはさすがに手を付けてこなかった。頑張れば手出しできないこともないが、そのような魔法は、『マジカル・トイ・コーポレーション』が発売する商品には見合わないのでやる意味がなかった。

 

 しかし今回、競技ということで本気を出してしまった文也は、まさかの国外の軍の機密事項を、自覚なしに暴いてしまったのだ。文也からすればまだまだ未完成であり、軍の機密になるような術式の足元にも及ばないのでそんな怒らないでくれ、といった感じだが、向こうがどう考えるかは容易に想像がつく。

 

 さすがの文也もこれはやりすぎたと自覚した。すでにやりすぎている二人ではあるが、その中でも過去最高クラスのやりすぎだ。外国の、それも軍の機密事項であり、『いろいろ』あることを視野に入れなければいけないのだ。

 

『それと『無頭竜』のことだけど、』

 

「あーもう勘弁してくれ。疲れて何も考えたくねえ」

 

『……はあ、チャチャッと『あれ』使えばいいだろうが』

 

「うっせぇあれは時間がかかるってことぐらいわかってんだろバカ親父。こっちは明日のエンジニアもあるんだ。さっさと寝るお休みグッナイ」

 

『わかったよ。おやす』ブチッ

 

 父親の挨拶を待たずして通話を切り、部屋備え付けの風呂にタオルを持って向かう。

 

 そして脱衣所では制服中に仕込んでいたおもちゃのようなCADをジャラジャラと箱に入れると、服を脱ぎ、『CADを持って』風呂へと入る。

 

 CADは精密機械であり、そうヤワではないのだが、やはり水気は避けるべきものだ。

 

 しかしそれでも、そうする理由がある。

 

 浴槽のふちにCADを置き、シャワーで体をさっと洗い流してから、浴槽へ入り、CADを取って、文也は魔法を行使した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也はその夜、こっそりと部屋にやってきた国防軍の下っ端を通じて、風間に呼び出された。なんでも緊急の用事だそうだ。

 

「どのような御用でしょうか、少佐」

 

「特尉か。とりあえずその椅子に座れ」

 

 知り合いとしての関係でなく、国防軍属としてお互いに接する。よって座れと言われてすぐに、はいそれでは、というわけにもいかないのだが、緊急事態ということでそのようなことは気にせず達也は座る。

 

「まずは『フィールド・ゲット・バトル』新人戦優勝おめでとう」

 

「身に余る光栄、恐悦至極に存じます」

 

 風間はひとまずの挨拶の代わりとして祝うが、祝う気持ちはないわけではないとはいえ、声音は明るいものではない。社交辞令で喜びを示す達也の声にも、言葉通りの色は全くなかった。

 

「さて、なぜ呼び出したかわかるか?」

 

「昨日の件ですね」

 

 達也はすでに察していた。彼が呼ばれた理由は、昨日文也が公衆の面前で披露した『分解』と『分子ディバイダー』だった。

 

 達也の『分解』は国防軍の機密指定なのだが、魔法の存在自体は理論上世間でも認められており、ごくごく少数ではあるが、それを使えるという魔法師は存在する。ただし達也の『分解』は特異なものであり、また国家戦略上大変重要なものであるためトップシークレットになっている。文也の『分解』は「とんでもなくすごい」ことではあるが、国家の問題とは言えない。

 

「そうだ。『分解』は以前報告してもらったのは未完成もいいところだが、私から見てあれは完成されたものだ。特尉からはどう見る?」

 

「完成度は高いですが、おそらく『情報強化』以外は無理でしょう」

 

「そうか。安心した。そのようなことをできるのは特尉だけだろうからな」

 

 ここでようやく風間は少し相貌を崩したが、すぐに真剣な顔つきになり、本題に入る。

 

「しかし、『分子ディバイダー』は大問題だ。私から見てもわかるほどに未完成だが、それでも、その術式はUSNA軍の機密だ」

 

 昨日文也が使った魔法は、文也文雄父子が危惧している通り、USNA軍を刺激するものだ。場合によっては、それこそ最悪のパターンとして戦争の可能性も見えてくる。

 

「連絡が昨日ではなく今日になったのはやはり?」

 

「ことがことだからな。USNAの様子も見つつ術式を分析して問題ある物かどうかを慎重に調べていたら遅れてしまった。諜報部は大騒ぎだよ。特尉から『視て』あれはどう思う?」

 

「『分子ディバイダー』に近いものです。式はほとんどが異なっていますが、分子結合は逆転していましたし、基幹の部分は大差ないでしょう」

 

「そうか。今ので希望的観測もできなくなった」

 

 国防軍が持つ技術と知識の粋も、達也の『眼』と知性の組み合わせには勝てない。達也からもこう言われてしまっては、あれが『違う術式』だとは考えられなくなった。

 

「やはり、もっと『積極的な介入』をしてくるとお考えですか?」

 

 達也の問いかけはかなりオブラートに包んだものだ。達也自身、文也のことは嫌いな方であるが、だからといって一か月間競技でチームを組み、エンジニアとして協力してきた仲でもあるため、いくら彼と言えど心配なようで、それが声にも出ている。

 

「ああ。ほぼ間違いないと考えている。より一層USNAの動向も注視しなければなるまい」

 

 達也も風間も、これはさすがに頭痛の種だ。

 

「……もう夜も遅い。この件については時間をかけてしっかり考えておく。明日もエンジニアの仕事があるのだろう? もう戻っていいぞ」

 

「はい、それでは失礼します」

 

 達也は明日もエンジニアとしての仕事がある。妹は出なくなったものの『ミラージ・バット』の担当であることには変わりないため、いくら達也と言えどなるべく体調を整えておくに越したことはない。

 

 風間の気遣いで、達也は部屋へと戻り、軍人から一人の高校生へと戻った。




なんでこの時の私は、女の子じゃなくてこんなクソガキのお風呂シーンを書いたんだ……


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2-18

 九校戦七日目で、新人戦四日目。

 

 この日は『ミラージ・バット』すべてと『モノリス・コード』の予選の一部が行われる日だ。

 

 文也は『モノリス・コード』の担当エンジニア、達也は深雪が抜けたものの『ミラージ・バット』の担当エンジニアとしての仕事がある。

 

 他校からすれば、この日は男女の両面でそれぞれこの二人が出張ってくる日であり、警戒をしなければならない日となっている。

 

 そしてその警戒は意味をなさなかった。『ミラージ・バット』のほのかと里美はどちらも一流で、しかも里美はこの競技に特に強い適性を持つ。達也のサポートも備えたこの二人に、予選のレベルで届く選手はいない。戦った他校すべてから強いマークをされ徹底的に妨害戦術もとられたが、それでもなおぶっちぎりの一位で二人とも予選を通過した。

 

 そして達也は次に備え、自室に戻って仮眠をとることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年度の『モノリス・コード』はルール改正がいくつかあった。

 

 そのうちの一つが、大会形式の変更だ。

 

 例年では、まず予選で各校が四回ずつ戦う変則リーグ制で行われ、その上位四校が決勝トーナメントという流れであった。

 

 しかし今年度は、変則リーグ制がわかりにくいという一般観衆の声にこたえて、予選を三つのリーグにわけて各リーグの一位が決勝リーグで争う、という形になった。予選で三つに分かれてそれぞれの一位が決勝リーグを行う、という形を取り、『アイス・ピラーズ・ブレイク』や『フィールド・ゲット・バトル』と統一したのだ。

 

 そんな『モノリス・コード』新人戦。一高代表の駿たちは、一戦目の九高との戦いは無事に勝利に終わり、七高との二戦目が始まろうとしていた。

 

 選ばれたステージは『市街地』。ただし市街は市街でも荒れ果てた市街であり、『フィールド・ゲット・バトル』の『ゴーストタウン』を『モノリス・コード』向けにアレンジしたようなステージだ。

 

 担当エンジニアの文也はステージをじっと見ながら、腕組をしてその行く末を見守る構えだ。

 

 九校戦に『無頭竜(ノー・ヘッド・ドラゴン)』が絡んでいる、という話だったが、結局今のところ小早川の事故以来動きは見せていない。そもそも動機が不明であり、わからないことだらけなのだが、とりあえず用心に越しておくことはない。

 

 とはいえ、文也にできることは多くなかった。第一戦目の段階から、一応念のため大けがを防ぐためのCADを駿達三人に持たせているのだが、CADレギュレーションの都合で、あまりにも大きな衝撃には気休め程度にしかならない魔法しか入れられなかった。

 

(何もなければいいんだけどな……)

 

 その時、文也の視界の端を、影が横切った。

 

「なんだ?」

 

 一瞬だった。廃ビルと廃ビルの間の道の向こう側を、何かが通った気がした。

 

 選手ということはあり得ない。なにせまだ開始時間前だ。開始地点から動くことは禁じられている。

 

 文也は、達也ほどではないにしろ『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』が使えるが、視えるのはうすぼんやりとした魔法式のみで、それ以外はまだ目をつぶって瞼越しにみる光のほうが良く見える、という程度しかないので、それに頼ることもできない。

 

(まあスタッフかなんかが準備に駆け回ってるんだろう)

 

 文也がそう考えてため息をついた瞬間――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ――轟音とともに、廃ビルが崩れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駿っ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也は目を見開き、あらんかぎりの声で叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、ここは……?」

 

 目が覚めた駿が最初に見たのは、真っ白な天井だった。

 

 記憶が混濁しており、何が起こったのかわからず、とりあえず寝るときは枕元にいつも充電して置いている端末を確認しようとして――自分の腕が動かないことに気づいた。

 

 いや、体のほとんど、首から下が意思に反して動かない。

 

 少しパニックになるものの、幼いころから受けていた訓練のたまものですぐに冷静になり、状況を確認する。

 

 視界に自分の体は映らない。清潔そうな真っ白い布団をかけられているからだ。まるで病院のようだ。

 

 これは同じような経験がある。家の仕事を手伝っているときに大けがをして、目が覚めたらこんな状態だった。

 

 つまり、怪我をしている状態――怪我?

 

 そう、『モノリス・コード』の一戦目は勝った。文也の調整と作戦はどちらも一流で、想定よりもかなりすんなりと勝利を収めた。

 

 そして二戦目で――

 

「うっ」

 

 ――そこまで思い出して頭によぎったのは、突如天井と床が崩れ、上から大きなコンクリートの塊がいくつも降ってくる光景と、反復練習の癖で腰から抜いた、文也から渡されたCAD。

 

「目、覚めたか」

 

 麻酔の効果でまだ混濁しているが、ある程度意識が回復してきて逆にパニックになりかけたとき、聞きなれた声が、自分の横からした。

 

「文也、だな。何があった?」

 

 駿はよく知る友人の声を聞き、パニックが収まった。しかしまだ状況はあまり理解できていないため、文也に問いかける。

 

「『モノリス・コード』二戦目。ステージは市街地。スタート地点の廃ビルが崩落して、お前らはそれによって怪我をしたんだ」

 

 文也はそう言って立ち上がると、小声で「気を強く持てよ」と警告してから、駿の布団をめくった。

 

 その瞬間駿の目に入ったのは、包帯でいたるところが治療された、自分の体だった。

 

「なっ」

 

 駿は想像よりも重たい自身の怪我に思わず言葉を失った。そしてそのショックで意識が覚醒し、すべてを思い出す。

 

「相手の一人がルール違反で勝手にスタート前に移動して、お前らがいた廃ビルに『破城槌』をぶち込みやがった」

 

 文也の言葉を聞いて、まだショックから抜け出せていない中、半ば本能で駿の脳内を魔法の知識が駆け巡る。

 

 加重系魔法『破城槌』。対象物の一つの面に加重がかかるようにする魔法。屋内に人がいる場合、殺傷性ランクA相当として扱われる。

 

「明確なレギュレーション違反だ。お前ら三人はそれで大怪我して、この裾野に運ばれたんだよ」

 

「じゃ、じゃあ、『モノリス・コード』は――ぐっ!?」

 

 駿は思わず体を強く起こしてしまい、その瞬間痛み止めでも抑えきれなかった全身の痛みに襲われる。

 

 文也は慌てずゆっくりと駿の背中を支えながら横のリモコンを操作してベッドを起こし、駿が体を起こしながら背をもたれることができるようにした。

 

「おそらく棄権か代理だ。会頭さんが交渉に当たっているが、どうなることか」

 

「そんな! だって、俺たちは、この時のために――っ!」

 

「おい、無理すんな!」

 

 駿はまた急に体を起こして痛みに悶える。文也は駿の肩に手を置き、背をもたれさせようとするが、全身が痛いにもかかわらず、駿の上半身は微動だにしなかった。

 

「俺が、俺がここで勝たなきゃ、俺の存在意義はなんだ!? 成績っていうのはなんだ!? 一科生の意味はどうなる!?」

 

「駿、落ち着け」

 

「アイツは、司波は俺らよりも下のはずだ! 俺らは上に上がるために努力をした! だが、アイツは結果を出し、周りから認められ、どの状況でも中心にいる! じゃあ俺のテストの成績は、立場は、努力は、いったい何だった!?」

 

「駿!」

 

「ここで終わっちまったら、俺が間違ってて、アイツが正しいことになる! 結果を、結果を出さなきゃいけないんだよ……」

 

 駿の声は急に震えてしりすぼみになる。文也の服の胸元をかろうじて怪我をしていないほうの手で強く掴み、首をうなだれ、嗚咽を漏らし体を震わせている。

 

 駿は焦っていた。見下していた二科生の達也は、なぜだか異常な能力を持っていて、いつの間にか二科生なのに代表にいて、エンジニアとしても選手としても一流の活躍をしていた。駿があこがれていた上級生たちも、魔法師としての卓越したレベルを持っている同級生の女子たちも、認めているのは達也であって、駿ではない。むしろ駿は、達也と比べられ、空回りするたびに、一番認めてほしい相手から冷ややかに見られていた。

 

 結果を出さなければならなかった。『フィールド・ゲット・バトル』では駿は優勝したものの、一番活躍した優勝の立役者は、二科生の達也だ。一科生のツートップである自身と文也が一緒にいるのに、達也が一番活躍した。

 

 練習でもまざまざと差を見せつけられた。運動能力、作戦、状況判断能力、サイオン量、魔法への知識――自身があこがれの先輩たちから不本意と言えど信任された競技への適性を、達也はこの上ないほど持っていた。格の違いを何度も見せつけられ、それは周りも感じ取り、常に上には達也がいた。

 

 一科生としての自分への誇りを、ズタズタに引き裂かれているのを自覚していた。

 

 それでもせめて、この『モノリス・コード』で結果を出せば、まだ自分の魔法師としての力を証明できるはずだった。

 

「それなのにっ……それなのにっ……! こんなのって、ねぇだろうがよ……」

 

「駿……お前……」

 

 文也は、駿の心に気づいていなかった。

 

 文也自身負けず嫌いで、達也に、深雪に、あらゆる場面で負け、そのたびに悔しさで歯噛みをした。

 

 しかし、文也は、一科生・二科生という括りにこだわることはなく、一人の同級生であり競争相手として達也と深雪を見ていただけだった。

 

 しかし駿は違った。何度も達也に差を見せつけられた点では同じだが、駿は『上回っていて当たり前のはずの一科生』としての自我と自尊心を強く持っていたがために、すでに心はボロボロになってしまっていた。『フィールド・ゲット・バトル』で同じチームを組んで多少交流があっても、むしろ運動能力や銃の扱いなど、自分が幼いころから訓練を受けてきた分野ですら後れを取り、むしろ焦りは募った。今まで同じチームとして和を乱さないよう我慢していたが、すでに限界だったのだ。

 

「…………文也」

 

 数十秒か、数分か。長い間駿の嗚咽だけが病室に響いていたが、不意に、深呼吸をして息を整えた駿が、文也に語り掛ける。

 

「十文字先輩は、強気の交渉に出て、代理を出して、戦うことを、許されるはずだ。そしてあいつは、司波は、間違いなく、その代理の筆頭として選ばれる」

 

 その声は途切れ途切れで、悔しさを噛み殺している。文也の服を握る力はさらに強くなる。悔しさを、情けなさを、辛さを、悲しさを、必死にこらえていた。

 

「それじゃあ、ダメだ。二科生でも、あいつが特殊なのは、知っている。でも、ダメなんだ。あいつは多分、俺らが普通に戦うよりも、いい結果を出す。俺らじゃあ、一条将輝に絶対に勝てないことも本当はわかっている。あいつならいい勝負ができる。でもそれじゃあダメなんだ」

 

 駿の体がまた震える。悔しさは再び涙となり、床に落ちて小さな水たまりを作る。

 

「だから文也――」

 

 しかし声は震えていない。言葉はいつの間にか途切れ途切れではなく、いつの間にかスムーズに紡ぎだされていた。

 

 悔しさもある。情けなさもある。怒りもある。妬みもある。暗い、暗い感情が、駿の中で暴れまわっていた。

 

 しかし彼は、ついに覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――俺の代わりに、『モノリス・コード』で優勝してくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出てくれ、でもない。達也が出るのを抑えてくれ、でもない。

 

 優勝してくれ。

 

「一高のために、一年生のために、一科生のために、俺のために――優勝をしてくれ」

 

 駿自身のためだけではない。

 

 駿は、一高の一年生の間に暗いムードが漂っているのを感じ取っていた。特に男子はひどい。このままでは今年は良くても来年以降どうなってしまうかわからない。

 

 そしてここで達也が結果をさらに出してしまったら、一科生の立場はなくなる。そうなると、メンタルに悪い影響が出るのは確実だ。そしてそれは一高全体の悪い空気にもなる。

 

(重い)

 

 文也は思わず心の中で吐き出す。駿に胸を掴まれかけられた重さの比ではない。

 

 文也は、自分の意志と心に任せて動いてきた。九校戦もその延長で、戦って、勝って楽しめればいい。父親を打ち負かし、自分が満足できればそれでよく、ほかの者のことは考えていない。せいぜいがあずさと駿とゲーム研究部くらいだ。

 

 しかし駿からの頼みは、駿の心だけでなく、学校のこれからをも背負うものだった。

 

 それは、気ままに行動しているだけの文也には、あまりにも重い。

 

 いつも通り、「面倒だ」と断ることもできる。

 

 しかし、

 

(断るわきゃねぇだろうが)

 

 文也は、そうは考えなかった。

 

 親友の駿が、苦しみに苦しみぬいて、悔しさや怒りを抑え込み、涙を流し、自分の立場と自尊心だけでなく、学校そのもののことを考えて出した結論だ。

 

「わかった」

 

 文也がそう言った瞬間、駿は、はっと顔を上げ、文也を見上げた。

 

 その顔は、いつもの仏頂面でもあきれ顔でもなく、ただただ涙でぼろぼろだった。

 

 文也はゆっくりと駿の手をほどき、上半身を支えて、そっとベッドに戻す。

 

「そこのベッドでゆっくり見てろよ」

 

 すぐに駿に背を向け、出口に向けて歩き出す。

 

 そして部屋から出る瞬間、少しだけ振り返り、駿に、いつも通りの口角を上げたいたずらっぽい笑顔を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺が優勝する瞬間をよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駿が目を覚ましたのは、夕方ころであり、文也が会場の一高テントに走って戻ってきたのは、もう『ミラージ・バット』がすべて終わってからしばらく経った後だった。車で運ばれた文也が会場についた瞬間に競技が終わり、会場アナウンスで一高の二人がワンツーフィニッシュを終えたのを聞いた。

 

 

「それで、俺以外のメンバーは誰なんでしょうか?

 

「それは、お前がき――」

 

 達也が克人の説得により選手になることを決定したあと、達也が克人に質問し、それに克人が答える途中、そこに闖入者が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

「それ、俺も混ぜろよ」

 

 

 

 

 

 

 

 テントの入り口を勢いよく開け、文也が駆け込んできた。

 

 顔には大粒の汗が浮かび、肩で大きく息をしている。

 

「俺なら実力も十分だ。あんたたちだって知ってるだろう、俺は司波兄と互角の決闘をした。成績もトップクラスだ。この九校戦でも準優勝と優勝もしている。もう二回出てるけど、もとから選手だったんだから正当性も十分だ。『モノリス・コード』のエンジニアもやってたから、ルールも特徴も戦術も把握してる」

 

 一気にまくしたてながら、真由美と克人に詰め寄る。その必死さと放つ雰囲気、そして見たことないほど真剣な目に、小さな体の下級生を相手にしているにも関わらず、二人は思わず気おされてしまった。

 

「……残りの二人の選出は、司波に一任するつもりだ」

 

「そうか。なあ司波兄。俺もメンバーに入れてくれ。さっきの話は聞いてたな? 俺が一番適任なんだ」

 

 克人がかろうじて絞り出した言葉を聞くや否や、文也は達也に振り返り、腕を伸ばして肩を掴んで説得に入る。

 

 そのあまりの必死さと真剣さは、達也ですら黙ってしまうものであった。文也の日ごろの行動に反感を持っている一年生の女子たちや、憎んでいる深雪でさえ、何も口に出すことはできなかった。

 

「俺にできることだったら何でもする。協力だっていくらでもする。リーダーはお前でいい。いくらでも言うことは聞く。だから、頼む」

 

 文也はそう言い、深々と頭を下げた。

 

 達也は思いを巡らす。

 

 残り二人を自由に選んでいいのだったら、実力面や自分が動かしやすいという面を考慮すると、レオと幹比古が適任だ。文也を選ぶのは大きな不確定要素になる。

 

 断るべきだ。しかし、この文也の必死さが気になる。

 

 達也は考えた。

 

 こんなに必死な姿は見たことがあるか?

 

 風紀委員から逃げる時、謝るときも必死だ。しかし、ここまで真剣ではなかった。必死の方向性が、全く違う。

 

 ここまで自分の力を誇示したことあるだろうか。

 

 今まで示そうとしたときは、何かしら事情があった時のみ。あの決闘の時や、エンジニア選考の時だ。そもそも普段からあまり自分の力をひけらかして喜ぶようなプライドが高いタイプでもない。さっきのは、全く『らしくない』姿だ。

 

 この頭を下げる姿は?

 

 土下座なら何回も見てきた。普通に考えたら土下座よりも今の立ったままの礼のほうが真剣さは下のはず。しかし、いつもの安い土下座とは、纏う雰囲気が段違いだ。

 

 いつもの反省文や反省の文言や軽口とは、言葉の重さと真剣さが違う。これまでにないほど本気で、らしくないことをしてまで、参加したがっている。

 

 その理由は?

 

(……なるほどな)

 

 達也は察した。

 

 戦いたいとか、目立ちたいとか、結果を残したいとか、そういうものではない。

 

 駿から、代理として出てくれ、と頼まれたに違いない。それも、この様子だと相当懇願された。親友からの、しかもあの駿からの懇願だ。身内に強く感情を傾ける彼なら、それを断るどころか、やる気がたぎるに違いない。

 

 ここまでされて、ここまで考えて、達也は、断る気にはならなかった。

 

「わかった。お前を正式に、『モノリス・コード』の代理代表に任命する」

 

「恩に着る」

 

 短い、淡白なやり取りの中で、密度の濃い感情が交わった。

 

 異議を唱える者は、だれもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、大成功だ!」

 

 昼頃、横浜の高層ビルの一室で、壮年の男たちが画面を見ながらガッツポーズをして大喜びしていた。

 

 そのようには見えるが、別にスポーツのデイゲームを見て喜んでいたわけではない。いや、見ている九校戦はまさしくスポーツで、昼にやっているのだからデイゲームと言えなくもないのだが、その喜びを覚えた理由はスポーツの勝ち負けではない。

 

 画面では、優雅なBGMとともに美しい湖の上を白い船が悠々と航行しており、画面上部には無機質な文字で「しばらくお待ちください」とでている。

 

 ついさきほどまで、画面には、一高VS七高の新人戦『モノリス・コード』開始直前の映像が生放送で映されていたのだが、ビルの崩落とともにこの画面に切り替わった。

 

 この事故を仕込んだのは、『無頭竜』東日本支部のこの男たちだった。団体競技である『モノリス・コード』は配点が大きいため、ここで一高が無得点になれば、彼らのチャンスが広がるのだ。

 

「さあ、この調子でやっていくぞ!」

 

 もはや男たちの目に、冷静さはみじんも感じられない。

 

 空元気の様な狂喜は、そこからしばらく続いた。




主人公の見せ場のために大きな見せ場を奪われるレオ。書いてて申し訳なく思いました、はい。
駿を親友枠に置いてるこの作品で、モノリス・コードをどう扱うか気になっていた方も多いのでは?


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2-19

「……なんということだ」

 

 達也のツインシングルルームには、達也と文也、エリカと美月とレオ、そして最後の代表代理選手に選ばれた幹比古が集まっていた。

 

 幹部クラスが総出で代表代理を頼みに来て、当然断わることができるはずもなく、流されるがまま了承してここに至っている。顔色は悪く、二科生でなんの準備もなしにいきなり代表をやることになって、すっかり混乱してしまっていた。

 

「おーん、お前が幹比古ってやつだったのか。二次会だな」

 

 二科生だらけの部屋に一人いる一科生は文也だ。幹比古もあの夜の三人で『モノリス・コード』にでることになる偶然に笑いの一つでも漏らしたくなったが、それ以上に混乱でそれどころではない。

 

「それで幹比古、『モノリス・コード』のルールは知ってるか?」

 

「あーうん、知ってる。けど、今年はルール変更があったんだよね?」

 

 話を進めようとする達也の問いかけに、幹比古は今一つ歯切れの悪い答えを返す。

 

 ルール変更の話は全校集会で聞いたものの、自分に関係ないと思っていたので真面目に聞いていなかったのだ。

 

「大会形式のほかにも変更点があってな。勝利条件が変わったんだ。もともとの勝利条件は二つ。相手全員を戦闘不能にするか、モノリスを割って中の512文字のコードを打ち込むか、だったな?」

 

「うん、そうだね」

 

 幹比古の答えを聞いた文也が、担当エンジニアを任されていた者として、ルールの変更点を説明する。

 

「今回はそこがちょっと変わる。まずコードの文字数が256文字に減った。コードは16文字が16行だ」

 

「そういえばそうだったね」

 

「もともとウェアラブルキーボードでランダム英数字512文字打ち込むとかいう罰ゲームだったからなあ。俺とか司波兄ならまだしも、普通にやる競技としてみるとクソゲーだろ」

 

「またずいぶんな自信ね」

 

 文也の解説に、エリカが険のある声で茶々を入れる。文也もようやくどうやら自分が嫌われているらしいことを察したが、覚えはないものの恨まれる理由には心当たりがありすぎるので特に気にしていない。

 

「そしてこれが最大の変更点だけど、勝利条件が一つ加わった」

 

 文也はそう言いながら端末を操作し、それを渡して表示した画像を幹比古に見せる。

 

 そこに映っていたのはメモリーカードのようなもので、その横にはそれを割ったモノリスに差し込む画像がある。その下には、『モノリス・コード』のルール変更点が書かれている。

 

「これの名称は『ハッキングカード』だ」

 

 文也はそう言ってから説明を始めた。

 

 ハッキングカードによる勝利条件を満たすには、いくつかの段階を踏まなければならない。

 

 まず、ハッキングカードは各チームに一つだけ渡され、開始前に所有者を一人決める。競技中での変更はできない。

 

 そして相手のモノリスを割って中のコードを露出させ、所有者がそのコードの各行の頭文字の計16文字――これを簡易コードと呼ぶ――をウェアラブルキーボードで入力する。所有者以外はできない。

 

 簡易コードを入力した後、所有者の手によってモノリスを割った中にある差込口にカードを差し込む。

 

 その後の二分間、相手の手でカードを引き抜かれず、さらに差し込んだ所有者が相手モノリスの半径10メートルから離れなかったら勝利となる。離れてしまった場合は二分間のカウントはリセットされる。引き抜かれてしまったら、以降その試合中はカードを使えない。

 

「ふぅん、なかなか複雑なルールだな」

 

 その説明を聞いたレオは、眉をゆがめて小さく心の声を漏らした。文字を見ないで耳で聞くだけでは、一回で理解がしがたかったようだ。

 

「今回の変更点はどっちもコード入力の手間が省かれるようになってる。ただハッキングカードを使った方の勝利条件は、そっちはそっちでまた大変そうだけどな」

 

 文也は頭を掻きながら困ったようにぼやく。

 

 何せ、カードを使うにしても、普通にコードを入力するように中距離から魔法を使ったりコードを入力したりするだけでなく、相手モノリスに接近して直接カードを差し込まなければならない。魔法で移動させたり投げたりして差し込んだり引き抜いたりしたら反則となる。

 

 さらに、いきなり相手モノリスも防衛することになり、また差し込んだ後そのまま防衛者になる所有者は、モノリスから離れることになる逃走も、だからといって防衛不可能になる戦闘不能も、相手に接近を許してカードを引き抜かれてしまう消極的防衛も許されない。

 

「ルールの変更もあるし、時間もあと一日もない。作戦は考えるだけで、あとは練習もなしに出たとこ勝負になるだろうな」

 

 ルールの変更点の説明が終わったところで、流れでリーダーとなった達也から本番についての説明が入る。

 

「それで、役割分担なんだが、俺がオフェンス、幹比古が遊撃、井瀬がディフェンスをやってもらう」

 

「うーい、わかった」

 

「遊撃……っていうのは、両方の側面支援かな?」

 

 幹比古は『モノリス・コード』に詳しいわけでもないので、役割の名前にしっくり来た様子はない。

 

「そういうことになる」

 

「でもそれだったら、いろんな魔法を使い分けれる井瀬のほうがいいと思うけど」

 

 幹比古は今一つ役割分担に納得がいかない様子だ。確かにこれでも問題はないが、攻守両方をやるなら使い分けができる文也のほうが良く見えるし、古式魔法の性質上防衛も得意な幹比古がディフェンスをやってもよさそうだ。

 

「井瀬は小さいし器用ですばしっこいからディフェンスが一番向かないように見えるが、案外そうでもないぞ」

 

「おう、俺はこういう試合なら待ちのほうが得意だ」

 

 達也の言葉を受け、文也はそう言ってから壁に向けて灰色のメダルの様なものを投げてくっつけると、レオを指さして、

 

「そこの頑丈そうなの。ちょっとこの枕を後頭部につけてそれの前を通ってみろ」

 

 と指示をした。

 

「なんかすげえイヤな予感がする」

 

 レオはそう言いながらも文也に投げて渡された枕を後頭部に当てて手で押さえながら文也が投げたものの前を通る。

 

 すると、

 

「おわっ!」

 

 レオはいきなり足を滑らせ、後頭部から床に思いきり転んだ。

 

「こんなふうに、俺は設置型の罠タイプのCADを常にいくつか持ち歩いているんだ――へぶっ」

 

「先に言え!!!!」

 

 文也がしたり顔でそう説明するや否や、レオは立ち上がって叫びながら文也に枕を投げつけた。それは文也の顔面にクリーンヒットし、文也はそのまま後ろのベッドに倒れる。

 

「こんなふうに、こいつは罠を仕掛けて待つのが上手い。それに相手がどんな手段でこようと、いろいろな魔法を特化型CADの速度で使えるから対応もしやすいんだ」

 

「達也さんも知ってたなら説明してあげればよかったんじゃあ……」

 

 美月の小声での突っ込みは黙殺された。

 

「チョッと待って。CADを使った魔法って、そのCADに触れてないと使えないはずよ」

 

そんな漫才みたいなやり取りに、エリカが声をとがらせて突っ込む。その顔は焦りと困惑に満たされていた。

 

 CADで魔法を使うには、まず術者がスイッチを押したうえでサイオンを送り込み、そのサイオンをCADの中の感応石が電気信号に変換し、スイッチ(例えば汎用型なら押された番号)に応じてCADがその電気信号を受けて起動式をまた電気信号として出力し、その起動式の電気信号を感応石がサイオンに変換して術者に戻し、そして術者が変数を魔法演算領域で入力し魔法式を組み立て、イデアに魔法式を投射し、それでようやく魔法が発動する、という手順が必要だ。

 

 つまりスイッチを押したり、サイオンを流し込んだり、といった手順を踏むために、術者はCADに触れてなければならないのだ。

 

 その話を聞いて、幹比古たちは、確かにおかしいと困惑の色を浮かべる。

 

 その様子を見た達也は、嫌なことを思い出したと思いながら、文也に説明を譲った。

 

「まずこのメダルは、いつもの単一の魔法特化のCAD……の一部だ」

 

 文也は壁のメダルを回収して戻ってくると、それを摘まんで幹比古たちに見せる。

 

「CADの一部?」

 

「まあよく聞け。まずこれは高感度センサーが組み込まれていて、登録された人間以外が前を通ると、それに反応してこれに入ってる起動式ストレージが反応するようになってる」

 

 文也はそう説明しながら、自分のポケットからもう一つメダルの様なものを取り出す。

 

「で、起動式の電気信号がペアリングされた片割れのCADであるこれに送られてきて、こっちに入ってる感応石がサイオン信号に変換して俺に帰ってくるって仕組みだ」

 

「でも、通った最初の一歩でいきなり発動してたよね? 起動式の電気信号を別のに送る時間もそうだし、そんなに早く魔法式が組み立てられるものなの?」

 

 魔法がほぼ自動のように発動される仕組みはわかったものの、通った瞬間にぴったり効果が及ぶ速度には説明がついておらず、幹比古は釈然としない様子で質問を重ねる。

 

「センサーが特化型CADの照準補助システムの代わりをしてるから座標の変数は入力しなくていいし、最初から出力と接続時間も『すべって転ぶ程度』に決めてるからそっちの変数入力も必要ない。座標の変数をセンサーで勝手に補ってくれるから、対象を見る必要もない。その分だけ早く魔法式が組み立てられるから、簡易的な罠として活躍できるんだよ」

 

 文也の説明が終わると、幹比古たちは関心半分・呆れ半分で感嘆の声を漏らした。レオは「ほえー」と言った感じで特に間抜けだ。

 

 裏の顔の一つが『トーラス・シルバー』の片割れとして最先端のCADを開発をしている技術者である達也は、最初この仕組みを知った時は脱帽した。CADを分けるという発想も、仮に思いついたとしても問題なく運用する技術も思いつかなかったからだ。

 

 達也がこの仕組みを最初に見たのは、あの文也や幹比古と一緒に賊を捕らえた夜だった。

 

 落とし穴の存在を知った瞬間、達也はすぐに『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』で落とし穴の構造を確認した。落とし穴に落ちた瞬間、すぐに縄で複雑に賊が縛られることは本来ならありえない。

 

 文也は落とし穴の入り口にこれと同じ仕組みのセンサー兼起動式ストレージ、それと穴の中に縄を仕込んでおいて、落とし穴に人が落ちた瞬間縄に移動魔法がかけられ、賊が縛られたのだ。もっと簡単で効率的な縛り方はあったはずだしそちらを選べば魔法の負担も少なく済んだはずだが、そんな効率を文也が当たり前のように無視することを達也は知っているので、注意することはしなかった。

 

 そして達也は、このような仕組みのCADがあることを、その時に『思い出した』のだ。

 

「ん? それって、もしかして『MTC』が流産したあれ?」

 

「正解。しっかしひでぇ言い様だ」

 

 エリカは若干不機嫌になりながらそう言うと、文也は笑いながらそう言った。

 

 エリカが言う『MTC』とは『マジカル・トイ・コーポレーション』の略語だ。

 

 実はこの仕組みのトラップCADは、去年の春ごろに、『マジカル・トイ・コーポレーション』が防犯用CADとして開発を発表したもので、魔法工学界隈では話題になったものだ。

 

 しかし、その後、このCADが日の目を見ることはなかった。

 

 何せ使用目的の関係上小型化せねばならないし、その割に性能は高くなければならず、開発コストや生産コストは計り知れなかった。これは安さがウリの『マジカル・トイ・コーポレーション』の方針にはそぐわない。

 

 また、どうしても発動できる魔法は小規模なものでしかなく、それだったら同じ仕組みでもっと効果が出る防犯グッズはいくらでもある。センサーが感知してから、大きな警報がなったり、自動で警察や防犯会社に連絡がいってかけつけたり、大げさな話なら人が焼き切れるほどのレーザーを放てたりする機械がある世の中であり、この商品を使う意味が皆無なのだ。

 

 そんなわけで、『マジカル・トイ・コーポレーション』も製品化に乗り気ではなくなったし、需要もないし、意味もないし、ということになり、発売もされなければ世間の記憶に残ることもなければ、技術だけはすごいものの世の参考になるべくその技術が世間に広まることもなかった。魔法工学界隈も最初は話題にしたものの、技術がすごいだけで実用性がほぼ皆無であったため、見向きもしなくなったのだ。

 

 まさしく、『流産』した技術だったわけである。

 

 だから幹比古もレオも美月も、この存在を忘れていたのだ。

 

 エリカが覚えていたのは、まあ好きの反対が無関心なように、嫌いの反対が無関心で、エリカはその反対ということだ。

 

「そして、『モノリス・コード』は魔法以外の攻撃が禁止されている」

 

 文也の説明が終わったところで、達也は作戦に関する説明を引き継いだ。

 

「だが、これなら罠として設置が可能だ。ルールに触れることもない」

 

 役に立たないはずの技術が、この競技という一点に限り、有効に働くことができる。

 

 達也はそれを見越して、この短時間で文也をディフェンスに任命するに至った。

 

 実は文也を代表代理に決定してからこの部屋に移動するまでの間に、達也はこっそりと文也からあの落とし穴の仕組みを聞いていた。文也も何でもするといった手前教えないというわけにもいかず、また文也自身すでに達也がほぼ察していることを勘づいていたので素直に教えたのだ。

 

「オッケー。井瀬がディフェンスに適性があることはわかったよ。でも、僕が遊撃なのは?」

 

 文也に関する説明は終わったものの、幹比古が遊撃である説明はまだついていない。消去法で遊撃、という話だとしても、それなら最初から遊撃に適した生徒を選べばいいので理由にはならない。

 

「それは、お前の古式魔法の奇襲性に期待してるからだ」

 

「き、奇襲性?」

 

 達也の説明に、幹比古は今一つ要領を得ないようで、若干声を裏返したオウム返しをしてしまう。

 

「古式魔法と現代魔法は、正面から撃ち合ったら、圧倒的な速度の差によって現代魔法が絶対勝つ。だが隠密性と威力に勝る古式魔法は、奇襲に使う場合は現代魔法よりも適している」

 

「そ、そんなもんなのかなあ。今まで言われたことなかったから」

 

「なんだ吉田家の仲間はボ――ギエッ」

 

 文也が何やら口を挟もうとしたが、その内容を察したエリカが速攻で文也の顔面にこぶしを叩き込んで黙らせた。

 

 幹比古とレオと美月は目を丸くしてるだけだが、何を言おうとしたかを達也とエリカは察している。

 

 吉田家の仲間はボンクラばっかなのか? 文也はそう言おうとしたのだ。

 

 古式魔法の専門家の集まりである吉田家ならば、当然古式魔法の特徴や現代魔法との違いや差別化点を熟知していて然るべきであり、またそれを踏まえて古式魔法の発展を目指すはずだ。

 

 そして、奇襲に優れている、という点は、真っ先に現代魔法より優れている点として思い浮かんでもよいものだ。当然それを吉田家内で情報共有して、利点を進化させる方向で開発を進めるということもあってよい。

 

 しかし、そこの子であるはずの幹比古は、そのようなことを言われたことがない。周りの大人たちはこの利点に気づいていたら言うはずだし、言っていないということは、専門家の癖に利点に気づいていないということ。文也の理屈ではそうなる。

 

 しかし古式魔法の世界にも詳しい達也や、幹比古の幼馴染で吉田家についてもある程度知っていてまた自身も千葉家であるため家の伝統というものを肌で感じているエリカは、その文也の論理を否定する。

 

 文也は現代魔法とその開発の、合理的な論理に基づいて考えている。

 

 しかし伝統ある古式魔法の世界はその論理とは離れており、仲間内で情報を共有して発展をさせる、ということを必ずしも第一目標としていない。エリカは吉田家、特に幹比古の父親が厳格であることを知っており、なんでもかんでも教えるということはなく、あえてほとんど何も教えないで、本人に『気づかせる』という方針を取ることがある。

 

 どちらがいいかは、どちらにも利点があるのであえて褒めたり貶したりすることはないが、それでも文也の発言をエリカは容認することはできない。それにそもそも、その家の子供がいるのにボンクラとかいうのは常識的に考えて無礼が過ぎる。いつも通りだが。

 

「……そうだな。ここで、この前約束した、チョッといい話でもするとしようか」

 

 前が見えねぇ文也を放置して、達也は話の続きをする。

 

 あの夜、達也は幹比古の考えを読み取って、いい話をするから、と約束して代わりに風間との会話のためにあの場から離れてもらった。それから九校戦が始まって話す暇もなくなったので約束を放置していた形になるのだが、ここで戦力強化のためにも話すことにした。

 

「幹比古。お前は自分の魔法の速度に悩みを持ってるな?」

 

「――っ……まあ、そうだけど」

 

 達也は、あの夜の段階で幹比古の悩みをある程度察していた。

 

 達也か文也のサポートがなければ、幹比古の雷撃は間に合わず、彼自身が賊の凶弾に倒れていた。所詮たられば論ではあるが、文也と達也という超イレギュラーはその存在を考慮するべきものでもないというのもわかる話であり、やはり幹比古のここ数日の強い悩みの種になっていた。

 

「あの例の雷撃魔法、あれは多分『雷童子』の派生だと思うが、どうだ?」

 

「……いったいどこまでわかるんだ……うん、そうだよ。麻痺させるのが目的だから、殺傷性ランクもC相当で『モノリス・コード』にも使える。隠してるのは発動過程だけだから、CADでなら競技でも使っていい」

 

 達也の意図を読み取り、幹比古は先に『モノリス・コード』で使えることを教える。あまり術式については教えたくないのだが、これから戦いを共にする以上、どうせ話すことだ。

 

「そうか。それなら僥倖だ」

 

 達也は満足げにうなずくと、少し真剣な空気を出す。それを感じ取り、文也以外は姿勢を直して達也の話を聞く構えになった。文也はあくびしてた。

 

「幹比古。まず、お前が使ってる吉田家の術式には、無駄が多い」

 

「え、チョッと」

 

 達也のあんまりな物言いに、エリカがそれを咎める。はたから見ていたレオと美月も困惑したが、幹比古はそれを受け入れる構えだ。ただし、挑戦的な態度で。

 

「……じゃあ、達也は僕に、もっと効率的な術式を教えてくれるのかい?」

 

「いや、教えるんじゃない。無駄な部分をそぎ落とすアレンジをするだけだ」

 

「……ゴメン、違いが判らない」

 

 達也の返事に、幹比古は目頭を押さえて困惑する。自分が今まで使っていた魔法が無駄だった、と断言されたことへの衝撃と悔しさもあるが、あまりにも新しい話が多すぎて混乱しているのだ。

 

「俺がやるのは、無駄な部分をそぎ落として、より負担が少なく、より速く、そして同じ効果が出るようにするだけだ。どんな魔法を使おうとしているのか隠すために偽装が施されているのだろうが、現代魔法の世界でそれはいらないからな」

 

「そうか……そういうことか」

 

 幹比古はそこまで聞いてようやく納得した。

 

 古式魔法と現代魔法はそもそも前提が違う。だから、場面に合わせて各々の特徴を考慮し、有効な方を使えばよい。幹比古は達也から教えられたその発想に、心の奥の方から熱が湧き出てくるのが分かった。これから自分に訪れる成長のブレイクスルーに、心が躍り始める。

 

「そういうわけで、そのアレンジは俺が後でやる。それで、ここからはまた作戦の話になるんだが、『感覚同調』は使えるか?」

 

「おいおい司波兄、その悪知恵はあんまりにもクレイジーだな」

 

 達也の問いかけを聞いた文也は、達也の作戦を察したようで、復活した顔面の目を丸くし、横からそう言ったあとに口笛を吹いて驚きを表現する。

 

「九重先生はそこまで教えてるのか……うん、使えるよ。五感までは無理だけど、二つまでなら大丈夫だ」

 

「おいおいこっちもクレイジーだ。高校一年生で、すでに一つ跳び越えて二つかよ」

 

 そして幹比古の返答にも文也は横からそう言った。

 

『感覚同調』は古式魔法の中でも高等技術で、高校一年生では一つ同調できるだけでも珍しい。一度に二つ可能というのは、今はスランプではあるが、幹比古の非凡さを示すものだ。

 

「上々だな。『視覚同調』だけで十分だ。それで作戦についてだが……」

 

 達也が話し始めたところで、幹比古と文也はそれを真剣に聞き取る構えとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也の悪知恵と、それへのサポートとして文也の悪知恵がいかんなく発揮された作戦会議がちょうど終わったタイミングで、達也からこきつか……依頼されてたあずさが、CADの調整に必要な機材二式を調達して持ってきてくれた。これから文也と達也の二人体制で、『モノリス・コード』向けにCADを調整することになる。

 

「は? なんだこの『翻訳』は。吉田、これやったの誰だよ」

 

 幹比古のCADから達也が使うパソコンで読み取った起動式のデータを見た瞬間、文也はあけすけにそう文句を言った。

 

「えっと、それは身内にやってもらったやつだね。古式魔法の式を見せれるくらい信用できて、それでいてそういうのをできる人がいるんだ」

 

「こんなんじゃあまともな魔法にならんわけだ。司波兄、これずっぽり直さなきゃだぜ」

 

「わかってる。お前は自分のに集中しろ」

 

 文也と達也はそういいながら、達也は幹比古の、文也は自身のCADを各々のパソコンで調整する。無駄口をたたきながらも高速でキーボードを叩いているため、打鍵音はマシンガンのようだ。その様子に幹比古は目を丸くしているが、あずさはそれよりももっと別のことに驚かされていた。

 

 達也がやっている幹比古の起動式のアレンジは、普通に細かな無駄をそぎ落とすような作業ではない。これすら高校生のレベルでそうそうできることではないが、あずさならこれくらいはできる。

 

 達也は無駄をそぎ落とすだけでなく、先ほど文也が言ったように、起動式そのものまで書き換えて改良している。しかも効果をその眼で確認することなく、すべてエディター上の文字列だけでそれを行っている。

 

 これは高校一年生、高校生のレベルどころか、一流のプロ魔工師レベルになってようやくできることだ。いや、そのレベルでもできるのはごく少数だろう。もはや、魔工師という枠を超えている。

 

 このようなことができる人物を、あずさは『文也と文雄』以外に知らない。達也の隣で同じような作業をしている文也も異次元であり、今、この部屋に、異次元の存在が二人いてその手腕をいかんなく振るっている。もはやこの部屋は異次元空間だった。

 

 文也と文雄。この二人は、魔法工学界隈と魔法界を圧倒的な開発力と技術力で揺るがす、『マジカル・トイ・コーポレーション』の『マジュニア』と『キュービー』だ。

 

 そしてここにもう一人、その二人と同レベルの存在がいる。『マジュニア』と『キュービー』とあともう一人、圧倒的な開発力と技術力を持って魔法界を牽引する存在もいたはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『トーラス・シルバー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさの疑惑は、ここでほぼ確信に変わった。




前回・今回とあまり動きのない回なので、次回は早めに投稿しようかなと思っています。


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2-20

誤字報告でようやく気づいたのですが、当該作品は最初から最後まで服部くんの名前を半蔵と誤記しています。何年もかけてちまちま書いてたのに漢字が違うと気づかなかったの、我ながら目玉がついてる意味がないのでは?


 九校戦八日目で、新人戦五日目で最終日。

 

 この日の九校戦は戸惑いに包まれていた。

 

 前日の新人戦『モノリス・コード』で悪質なルール違反があり、それによって重傷者が出てしまったため、前日の『モノリス・コード』は一旦中止となった。それによって大幅に予定がずれ込む形でこの最終日を迎えるにあたって、責任がある大会運営は緊急でプログラムを組みなおした。

 

 この最終日の午前で前日に終わらなかった予選残り四試合の予選第二リーグと第三リーグの各第二・第三試合を行い、午後に決勝リーグが行われる形となったのである。

 

 ちなみに予選第一リーグの結果は以下の通りだ。

 

 予選第一リーグの第一試合は一高VS九高で一高の勝ち、第二試合の一高VS七高は七高の反則失格により一高の勝ち、第三試合の九高VS七高は七高の失格により九高の不戦勝となり、予選第一リーグは一高の優勝が決まっている。

 

「急造メンバーではあるけど、試合が午後にずれこんだのは不幸中の幸いだな」

 

 そんな新人戦五日目の午前中、新人戦『モノリス・コード』一高代表代理の三人は、練習場に携帯テレビを持ち込んで他校の試合を観察しつつ、少しでも慣れておこうと実際に体を動かして作戦の確認をしていた。

 

 達也がつぶやいた通り、これは一高にとって不幸中の幸いだ。

 

 すでに一高は予選勝ち抜けが決まっているため三位の20点は保証されており、急造メンバーであることを考えると実はもう真面目に勝たなくてもよい。真由美や克人ら首脳部も代理を立てたものの特に期待もしておらず、二科生の達也でも活躍しているところを見せて、負けが込んでいる一年生に気合を入れなおしてもらうといった程度の意図しかない。ただしそれは一年生、特に一科生のアイデンティティの否定につながるため逆効果にもなる可能性が高いのだが、もともとメンタル面が強い首脳部はそこまで考えは及んでいなかったのだが。

 

 そういうわけで、達也たちは真面目に勝とうとしなくてもよい。

 

 代理メンバーだし、相手には一条将輝と吉祥寺真紅郎を擁する三高もいる。やるからには勝とうとするべきではあるが、何が何でもというわけではない。

 

 ――普通に考えれば、の話だが。

 

 達也も幹比古も、やるからには本気になるタイプだ。また、文也は(達也と幹比古にはあずかり知らぬことではあるが)駿に言われたこともあって優勝にこだわっており、優勝だけを目指すという方針もすでに二人に伝えている。

 

 それに、新人戦の点数勘定を見ても、優勝を目指す理由はある。

 

 ここまでの新人戦は一高・三高・四高の三校でポイントをほぼとっていて、三つ巴の優勝争いをしている。昨日の『ミラージ・バット』のほのかと里美の活躍もあって一高は差を詰め、現在の点数状況は以下の通りだ。

 

 一高・158ポイント

 

 三高・169ポイント

 

 四高・186ポイント

 

 予選の様子を見るに、ほかの予選リーグを勝ち上がってくるのは三高と四高――この二高が同じリーグに固まらなかったのは一高にとって不幸だった――がほぼ確実であり、決勝リーグの一位・50点、二位・30点、三位・20点、をこの三校で争うこととなる。

 

 そう、一高は、実は新人戦総合優勝圏内にいるのだ。

 

 一高は、『モノリス・コード』で優勝してさらに四高が三位なら新人戦総合優勝

 

 三高は、『モノリス・コード』で優勝すれば新人戦総合優勝

 

 四高は、『モノリス・コード』で優勝すれば、または二位になって三高が三位ならば新人戦総合優勝

 

 という形になっている。また三高と四高から見れば、ここで勝つことで、本戦の『ミラージ・バット』と『モノリス・コード』次第では、大逆転の九校戦総合優勝が見えてくる。

 

(駿は、これを見越していたのかもな)

 

 文也は点数状況などほとんど興味なく、一高が四高――父親がいる高校――に勝ち、また自分と自分が担当した選手さえ勝てばそれだけで良く、優勝やらなにやらは視野に入れていなかった。

 

 しかし、駿は、真に一年生一科生のアイデンティティと発奮のために、一科生による優勝にこだわった。

 

 一科生は文也だけだが、一年生男子で最高の成績を持つ文也は、人格はさておき一科生の代表としては申し分なく、たとえ他二人が二科生でも、活躍を見せることで『自分らもやれる』と持ち直し、意気消沈して来年以降大崩れするといった事態を防げる。さらに新人戦で優勝すれば『一年生全体がすごい』と置き換えることができるため、たとえ点数のほぼ全部が二科生である達也が大きくかかわったものであるとしても、一年生の士気低下は防げるだろう。

 

 だからこそ、駿は、文也に参加させて『モノリス・コード』優勝を託したのだ。

 

 文也は、四高の第二試合(第二トーナメントの第三試合だ)の様子を見ながら、今も病室のベッドで心穏やかでないだろう駿に思いをはせる。画面の中では、四高が、市街地ステージ――昨日の大事故にも関わらず選ばれている――で狡猾に立ち回って優勢に戦っている。達也が考え付いた作戦と同じく、廃ビルの五階から三階にある相手モノリスへ『鍵』を打ち込んでコードを露出させ、相手ディフェンスの動揺を誘っていた。

 

「うわぁ、狩野のとこの、四高にいってたんだ」

 

 同じく画面を見ている幹比古は嫌そうな顔をした。彼の視線は、キザっぽい顔をした長髪の四高生徒に向いている。

 

「狩野ってのはなんだ?」

 

 古式魔法界隈にはそこまで詳しくない――古式魔法を知ってても、それを扱う界隈に興味がないのだ――文也が幹比古に問いかける。狩野という選手は、なんとこれまた達也が考えた作戦と同じく、『視覚同調』を使ってモノリス探査と遠隔からのコード打ち込みを行っている。

 

「界隈ではそこそこ有名な伝統一家・狩野家だよ。うちほどではないにしろ名家で、古式魔法の扱いは界隈でもかなり高いほうだね」

 

「おーん、で、こいつはどんなやつなんだ? 『視覚同調』使ってるからには相当だろうけど」

 

「ボクもこう見えて神童って呼ばれてた時期があったんだけどね、ボクがスランプになった後に注目され始めた実力者だよ。これは狩野家の次男だ」

 

「ほーん、なーるほどねえ。作戦が被っちまったからこりゃ三高にも四高にも通じなさそうだな」

 

 幹比古はかつての自分とスランプの自分という状況を思い出して声を曇らせながら解説したが、文也はそれを気にした様子もなく、この後の試合に向けて考え始めていた。

 

「作戦は考え直しだな。幹比古、この狩野とぶつかった場合、どっちに分がある?」

 

「悔しいけど、僕に分が悪いと思う。僕がスランプなのに対して、狩野はこの様子だと絶好調だ。ただ、僕が手札を隠してるのに対して、あっちはこうして僕に手札を一枚見せている。こうして見るだけでも、ある程度得意苦手や使用デバイスや癖がわかってきてるから、そこの利を活かせばいい勝負ができそうだ」

 

「なるほど。古式魔法は手札をいかに隠すかが勝負のカギというわけだ」

 

 達也は顎に手を当て、三人で次の作戦を相談する態勢になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、予想通り、予選を勝ち上がってきたのは三高と四高だ。

 

 昼休みまで食事をしながら作戦会議をした三人は、決勝リーグ第一試合の四高との戦いに赴くべく移動していた。

 

「おう、というわけでこれから第一試合だ。ああ、ああ、大丈夫だ。絶対勝つ。お菓子とジュースでも準備してのんびり優勝するまで見ておけよ。そんじゃ」

 

 その移動中、文也は携帯端末で、病室のベッドの上から動けない駿と通話をしていた。

 

 その通話を切ってすぐ、隣を歩く達也が文也に問いかける。

 

「なあ、井瀬。昨日のあれ、他二人が一部の骨折だけで済んだのに、森崎はあちこちの骨や内臓がやられてひどかったそうだな」

 

「ああ、そうだよ。他二人はもうそろそろベッドから動けそうだけど、あいつはまだ絶対安静だ」

 

 昨日の大事故で、特に大きなけがをしたのは駿だった。

 

「それで、それの応急処置をしたのはお前だって会長から聞いたが」

 

「そうだよ。えーっと、ああ、会長さんもあの場に来てたね。普段偉そうにしてる割に吐きそうな顔してたわ」

 

「そりゃあ会長も女子高生なわけだし……」

 

 文也のあっけらかんとした物言いに、幹比古は呆れ気味だ。そんな怪我なら、見てその場にいられるだけでも我慢した方だろう。

 

「そんなことまでできるのか。器用なやつだ」

 

「『バトル・ボード』のあれで処置をしたお前がよーゆーわ。ちょっとばかし事情があって体には詳しいんだよ」

 

「なるほどな」

 

 幹比古はただ感心した様子だが、達也は別のことを考えていた。

 

 文也の素性についてはおおよそ見当がついているが、一方でその予想だけでは、あの怪我を手際よく応急処置できる理由にはならない。『分子ディバイダー』の件もあって達也は文也を警戒しているが、これからもっと調べる必要がありそうだ。

 

 そこまで考えて、達也はもう一つ気になることがあるのを思い出した。

 

「それで、なんで森崎だけそんな重傷で、他二人は骨折だけなんだ? あの二人よりも森崎のほうが頑丈そうだが」

 

「あーそれな。一応何かあった時のために、気休め程度だけど、障壁魔法のCADを持たせてたんだよ」

 

「それで?」

 

「でもとっさのことだから反応できなくて、そのCADを使えたのは駿だけなんだけどよ」

 

「森崎家のクイック・ドロウか。だが、それなら結果は逆のはずだが?」

 

「それがよー。あのバカ、自分じゃなくて、ほかの二人を守るために魔法使ったんだよ。とっさのこととはいえ自分が一番大事だろうに。ほーんとバカだよなあ」

 

 文也はそう言って、呆れたようにけらけらと笑った。

 

 しかし達也と幹比古は、それが心の底からバカにしているようには感じない。むしろ、心の中では、親友の行動を誇らしいものだと思っているようにすら感じた。

 

(なるほど。噂通りではあったけど、全部が全部噂通りじゃないのか)

 

 幹比古は文也の様子を見て、こっそり口をほころばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四高との決勝リーグ第一試合のステージは『森林』だ。演習場の一角に人工林を作り、そこを利用している。

 

「なーんか本当にあの夜の二次会って感じだな」

 

「本当に皮肉なものだな」

 

「全くだね」

 

 自陣のモノリスの周りでスタートを待っている三人は、そんな無駄口をたたいていた。緊張感は保っているが、無駄口が叩けないほどに緊張しているわけではなく、むしろちょうどよくリラックスしている。真剣勝負ではあるが、だからといって話せないほど緊張するほど、三人の精神は弱くないのだ。

 

 こうした障害物が多いステージは、本来なら幹比古の『視覚同調』でモノリスの位置を調べてから達也が制圧する予定だった。

 

 しかし相手には幹比古と同格の古式魔法師がいるため、うかつに『視覚同調』は使えない。同調した精霊を奪われて妨害されるだけならいいが、それを利用されて逆探知されたりしかねない。

 

 一方、幹比古はまだ一回も試合をしていないので向こうは油断して『視覚同調』を使ってきて、それを逆探知する、という作戦も考え付いたが、幹比古によってそれは却下された。

 

 幹比古曰く、「古式魔法は狭い業界だ。選手の名前はあっちもチェックしてるはずだし、名前を見られたら、狩野なら僕だってわかる」とのことだ。つまりお互いに古式魔法師であることは知っているため、お互いにうかつな『視覚同調』を牽制する形になっている。これのために、昼休みの間にあわてて幹比古のCADに逆探知魔法を入れたのだ。

 

 役割は変わらない。たとえ『視覚同調』が使えずとも幹比古の利は健在だ。

 

 そして数分後、試合が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「始まったな」

 

「そうだね」

 

 三高テントでどっしりと椅子に座って観戦しているのは、将輝と真紅郎だ。

 

 昨日の大事故では友達である駿が大怪我して大慌てしたが、命に別条がないことはわかると、修羅場を乗り越えてきてる二人はすぐに冷静になり、今日の戦いの準備をしていた。一高に代理が立てられることになったと知った時は「まさか」と思い、出場代理選手の名前が発表されたときは武者震いがした。

 

 井瀬文也と、司波達也。

 

 駿は残念だが、この二人が直接対決に出向いてきた。

 

 そのことで、二人はより一層、勝とうという意思を固めたのだった。

 

 試合開始直後、達也と幹比古は探知魔法で索敵をしつつ自陣から離れていく一方で、意外なことにディフェンスらしい文也は、モノリスから少し離れたところで、木々に灰色のメダルの様なものをくっつけて回っていた。

 

「また変なことやってる」

 

 それを見た真紅郎はあきれ果てた。この競技では魔法に使うもの以外の使用はユニフォーム以外禁止なので、あれも何かしらの魔法に使うのだろうが、二人には全く見当がつかない。

 

「なんかの罠のたぐいか? 魔法に使わないセンサーとかなら反則だが……」

 

「センサー……あ、そうか。あれか」

 

「ジョージ、なんかわかったのか?」

 

「ああ、あれはね」

 

 一流の技術者であるがゆえに思い出した真紅郎から文也が仕掛けた罠の仕組みを聞いた将輝は、呆れながらもその仕組みに感心をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『相手オフェンスは狩野だ。最悪のパターンだよ』

 

「ちっ、まじかよ」

 

 開始数分後、一直線に一高陣地へ向かっていく狩野を見つけた幹比古は、嫌がらせ程度の妨害魔法を仕掛けて足止めしながら文也に連絡をする。

 

 幹比古の精霊魔法『木霊迷路』で相手のオフェンスと遊撃の方向感覚を狂わせる予定だったのだが、相手が狩野ではそれも通じない。タネがばれてしまえばすぐに破られる魔法だ。おそらく相手が手の内を読んで、狩野を遊撃からオフェンスに変えたのだろう。

 

『どうする井瀬? 幹比古を守りに回すか?』

 

「いや、いい。低スぺCADじゃあお前と言えど一人では攻め切れない。それよりも吉田、どっちの方向からあと何分くらいでこっちに着きそうだ?」

 

『えっと、十一時半の方向から、あと五分とちょっとくらいだね』

 

「おーけい。それならばっちりだ。こっちは任せて二人がかりで攻めてこい」

 

『了解。頼りにしてるぞ』

 

「まかせとけ」

 

 文也は、口角を上げて嗤いながら、敵が罠にかかるのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁにあれ?」

 

 試合の様子を見守っていた真由美は、思わず呆れた声を出した。

 

 開始早々変なことをしだした文也を見て焦りが先行したが、その種明かしがされると、焦りがすべて呆れに置き換わった。

 

 ――画面の中では一高モノリスまであと少しというところまできた狩野が、いくつもの魔法の波状攻撃によって滅多打ちにされていた。

 

 滑らされて転び、いきなりうごめいた土によって手は地面に埋もれ、あらゆる方向からバラバラの周波数の超音波によって頭痛と吐き気を催させる魔法が降り注ぐ。

 

「ふみくん、やっぱり本気だ」

 

 昨日の段階で文也の本気度とその理由を察していたあずさは、その様子を見てうっすらと嬉しそうに笑っている。

 

 鈴音からその仕組みの説明を要求されたのですると、真由美と鈴音と摩利はその力にうすら寒いものを覚えた。

 

 魔法の一つ一つは決して強力ではない。滑るのは一瞬なので体幹がしっかりしていればよろめく程度だし、土の拘束も少し力を加えれば抜け出せる程度だし、音波も少しめまいを起こす程度でしかない。

 

 ただし、予想だにしない方法でいきなりスリップさせられ、混乱しているうちに拘束され、そこに絶え間なくいくつもの方向から音波を浴びせられるとなれば訳が違う。絶え間ない音波による吐き気とめまいで体に力がこもらないので抜け出せないし、仮に抜け出せてもそんなふらふらの状態では立ち上がれば滑らされて抵抗できない。この状況では、魔法を打ち消すほどの『領域干渉』や『情報強化』を練るほどの集中力もなかなかでないはずだ。

 

 このような波状攻撃は、普通は一人の魔法師ではなしえない。

 

 しかし高感度センサーによって変数入力が省かれ、『パラレル・キャスト』をし、さらにループキャストも組み込むことで、これはできる。文也にしかできない荒業だ。

 

「それにしたってすさまじい演算処理能力だな」

 

 説明を聞いた摩利は、震える声で感心を口にする。

 

 いくらセンサーの補助があってさらに魔法の規模が小さいといえど、あそこまで絶え間なく使うには、かなりの演算処理能力が必要だ。才能だけでは到底届かず、相当な訓練を積まなければならない。

 

「あの間隔の狭さ、もしかして十文字君を超えてない?」

 

「ああ。俺の『ファランクス』以上だ」

 

 その様子をみていた克人も、真由美から水を向けられてそう言った。

 

 何種類もの魔法障壁を何重にも放ち続ける『ファランクス』は、性質上、魔法を絶え間なく高速・連続で発動することが求められる。故に克人はその能力はトップクラスなのだが、文也の音波の速度はそれを超えている。

 

『ファランクス』が強度のある障壁を何種類もランダムに出さなければいけないのに対して文也は規模が小さいうえに単一の魔法だけでよい、といった大きな差はあるが、それでも異常と言ってよい。

 

 その異常を見せつけられて、観戦している上級生たちは、一様に溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ、逃げやがったか。冷静なやつだ」

 

 待ち構えていた文也は悔し気に舌打ちをした。

 

 狩野はなんとか『領域干渉』を練り上げて、一時撤退をした。センサーに座標変数入力を頼っている以上、その範囲外に出られてしまっては魔法は使えない。おそらく、この罠の存在を可能性の一端として、文雄かその教え子の『ステラテジークラブ』部員から教わっていたのだろう。

 

 もしこのまま無理に突っ込んできたら、意識が朦朧としているところを文也本人が練り上げた魔法で撃退する予定だったが、狩野はしっかりとその可能性を考慮して撤退を選択した。いくら文也と言えどあの高速波状攻撃は相当に集中しないと使えないため、罠にはめている最中はそれ以上の魔法攻撃ができないし、後ろに下がられたら追撃も難しい。

 

『モノリス・コード』に出る予定はなかったので、持ち合わせのセンサーも限りがある。おそらく狩野はこの後態勢を立て直してから、それを踏まえて別方向から攻めてくるだろう。そうなったら、集中砲火の罠の利なしで正面から戦うことになってしまう。ほかの方向にも申し訳程度に仕掛けてはいるが、それだけでは狩野の足止めにすらならない。

 

 手の内の一つとその弱点を知られた文也は、得意分野とは言えない古式魔法師とぶつかり合うことになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(不運だな)

 

 達也は内心でそうつぶやいた。

 

 四高の遊撃は、狩野に続いて攻撃に参加するのではなく、二人で攻めてくる達也たちを抑えるべく防御に参加してきた。攻撃に参加して文也の罠の圧倒的な初見殺しにかかってくれれば、その間に手薄な相手モノリスを二人がかりで攻略できたのだが、そうはいかないようだ。

 

 今は相手モノリスの『鍵』圏外で、達也は四高のディフェンサーと遊撃を同時に相手にしていた。ただし、幹比古が雷撃魔法で遠隔から援護射撃を行っており、数の不利はない。

 

 正面からの戦いとなると、単純な魔法力で劣る達也は不利だ。『普通の』魔法を使うときは普段は超高スペックCADを使っているが、競技用の低スペックCADでは、一年生と言えどえりすぐりである相手には勝てない。

 

 そこで達也は、一時撤退を選択した。

 

 幹比古がフラッシュバンのような閃光と爆音で相手を混乱させる魔法で援護してくれた隙に、達也は健脚で相手から離れ木々の闇に消えると、加重系魔法を使って木に跳び乗り、そのまま『魔法を使わず』脚力だけで隣の木の枝に跳び移った。

 

 木の上からフクロウのように息をひそめて観察していると、相手の遊撃が追いかけてきた。二人同時に来てくれれば引き付けているうちに幹比古にモノリスを割ってもらえたのだが、そこは冷静だったようだ。

 

 魔法の残滓を読み取り、相手は達也が加重系魔法で真上の木に跳び乗ったことを察し、真上を向いた。

 

 その瞬間、達也はCADの引き金を引き、『共鳴』を浴びせる。

 

 完全に背後からの不意打ちを食らった四高の遊撃は膝をついた――かに思われた。

 

「そこか!!」

 

 達也がサイオン波を放った瞬間、遊撃選手はそれを敏感に察知し、高速ステップでそれを避けると、すぐに達也がいる場所に向けて正確に魔法を放った。

 

 達也は驚いたものの動揺することなく木から跳び降り、その直後に達也が乗っていた枝が加重系魔法によって折れる。着地した達也は流れるように前転受け身をしてそのまままた木々の奥へとまた走って逃げていった。

 

 逃げていく方向は――相手モノリス方向だ。

 

「しまった!」

 

 遊撃選手はたまらず追いかける。しかし「しまった」とは言ったものの、四高側に不利とは言えない。

 

 達也はディフェンスがいるであろう方向に逃げて行っているのだ。これでは、また先ほどと同じ、一高側の不利になってしまう。

 

 すぐにそう考え直し、遊撃選手は笑みを浮かべながら達也を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、捨て身の特攻か? らしくないな」

 

 摩利はいぶかしげにそう言った。

 

 達也が正面からの戦いでは分が悪いのは先ほどの通りだ。しかし画面の中で森を疾走する達也は、躊躇する様子がない。

 

 ついに達也が相手ディフェンスと接敵した。前後を挟まれる形になり、絶体絶命だ。

 

 前後から達也に向けて魔法が放たれようとする。

 

 その瞬間、達也は腰から拳銃型の特化型CADを抜き――その魔法式に莫大なサイオンをぶつけ、叩き壊した。

 

「ああ、そういえばこれがあったわね」

 

 真由美はほっと胸をなでおろした。

 

 達也が『術式解体(グラム・デモリッション)』を使えるのは、一高では周知の事実だった。そしてこのことは、『フィールド・ゲット・バトル』で莫大なサイオン量を披露してしまっているため、他校にも知られている。

 

 しかし知ってはいても、つい忘れてしまうこともある。四高の二人はそのような状態だったのだ。

 

 四高の二人は冷静な方だった。魔法式が破壊されても唖然とせず、走って追いかけながらすぐ次の魔法をくみ上げて達也を仕留めようとする。

 

 達也はディフェンスの横を高速で走り抜けることに成功した。体を使った物理的なガードが禁止されているため、もどかしくもディフェンスは足止めの魔法を何度も放つが、すべてをステップで回避されるか、サイオンで破壊されてしまったのだ。

 

 達也の熱い逃走劇が始まる。

 

 四高の二人は追いかけながら魔法で達也を攻め、達也はそれをステップで回避したり、それができないものは魔法式を破壊したりして防ぎながら逃げる。

 

 その逃げる先は――当然、相手モノリスだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほぼ同じころ、ディフェンスの文也とオフェンスの狩野の戦いもクライマックスに入っていた。

 

 罠を集中させたのと反対方面から攻められ接近を許し、文也はモノリスに『鍵』を打ち込まれてしまった。しかし文也は即座に硬化魔法でモノリスが開くのを阻止し、そのまま狩野と正面からの戦闘に入った。

 

 狩野は本来ならこのまま離脱し、遠く離れたところで『視覚同調』をしてゆったりとコードを入力できるはずだった。しかし仲間からはまだ幹比古を倒したという連絡が来ておらず、うかつに『視覚同調』が使えない。同調しているのを利用して強烈な閃光を浴びせられたら、彼は視力を奪われることになるからだ。普通の閃光ならアイガードの遮光効果や反射で目を閉じれば失明までは至らないが、『視覚同調』は直接視覚を同調するのでそういうわけにはいかないのである。

 

「小癪なことをしてくれるね」

 

「どーもありがとよっ!」

 

 狩野は、『硬化魔法』で閉じたままにされるのに驚かされた。普通の魔法師ならこのままマルチキャストを要求されながら戦うのは無理だが、文也ならばその程度は息をするようにできる。

 

 古式魔法師である狩野は、文也との正面戦闘は不利だ。

 

 しかしそれでも、勝つためにはここで手を止めるわけにはいかない。

 

 狩野はこの時のために備えて、現代魔法の訓練も相当積んできたのだ。

 

「くそ、なんだなかなかやるじゃねぇかよ」

 

 文也は乱暴につぶやく。

 

 古式魔法師なら正面戦闘ではまず負けない。そう思っていたのだが、意外と苦戦させられているのだ。文也のほうが優勢ではあるのだが、思ったより時間がかかっている。このままだと、達也と幹比古の作戦が実行できない。

 

「仕方ねぇ!」

 

 文也は自分の腰のあたりにあるポケットを思い切り叩いた。

 

 その瞬間、狩野は、文也の背後から、大量のメダルが飛んでくるのが見えた。

 

「くっ!」

 

 狩野は、狙いをすぐに察知した。置きっぱなしになっていた大量のセンサーすべてに移動魔法をかける絶技によって不意打ちで狩野にけしかけ、センサーで囲んで魔法の波状攻撃を再び浴びせるつもりだ。

 

(こんな切り札があったか!)

 

 狩野は感心と憎しみが混じった感情を覚えながら、それらを打ち落とそうとする。一つ一つは所詮おもちゃのような強度であり、すぐに壊れた。しかし量が尋常でない上、文也が打ち落とすのを妨害するので、半分ほど打ち漏らし、センサー圏内に入ってしまう。

 

「おおおおおおおおお!!!」

 

 狩野はすぐに『領域干渉』を自身の周りだけでなく足元まで広げた。

 

 こうすれば、足を滑らされることはない。超音波の威力は微弱なので至近距離から放たなければならないため、『領域干渉』の範囲に入ってしまう。

 

 文也の渾身の切り札は失敗した。

 

 狩野はすぐに意識を切り替え、『領域干渉』を維持したまま、文也を倒してモノリスを割るべく、攻撃魔法を行使しようとにらんだ。

 

 そんな狩野の目に入ったのは――両手で拳銃型CADを腰だめに構え、銃口を向けている文也だった。

 

「終わりだ!」

 

 文也がそう叫ぶや否や――狩野のみぞおちに、圧縮された空気の塊が高速で何発も撃ち込まれた。

 

「ごほっ!」

 

 狩野は口から空気を大量に吐き出し――そのまま後ろに倒れこみ、失神した。

 

 文也は即座に駆け付けてヘルメットを取って戦闘不能状態にすると、インカムで達也と幹比古に連絡を飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『狩野は倒した!』

 

「よくやった」

 

 敵モノリスに駆けていく達也に文也から連絡が入る。達也は短くそういうと、視野に相手モノリスが入るや否や、自分に魔法が当たるのも構わず『術式解体』をやめてモノリスに『鍵』を打ち込む。

 

 その瞬間モノリスは開くものの、代わりにその一瞬の間に防げなかった魔法が達也に襲い掛かり、達也は背中にその攻撃をしたたかに受け、思い切り地面に倒れこみ、大きな乾いた音を立てて数メートル地面を滑る。

 

「お兄様!」

 

 観客席の各所、特に深雪たちから悲鳴が上がるが、達也は勢いそのまま腕の力だけで高速で起き上がり、割られたモノリスのコードを流し見すると、腕につけたキーボードで高速で各行の頭文字――簡易コードを入力した。

 

「くそっ!」

 

 遅れてモノリスが設置された開けた場所に追いついた二人は妨害の魔法を連打するも、再び『術式解体』で破壊し、達也はハッキングカードを差し込むのに成功した。

 

 全員のヘルメットのアイガード上に、二分を数えるタイマーのホログラムが出現する。

 

 達也はそのまま防衛の態勢に入る構えを見せ、四高の二人は接近しながらカードを引き抜こうと即座に決める。

 

 魔法式がどんなに破壊されようとも、二人が進むことは可能だ。同じ無系統魔法である『共鳴』で攻撃こそしてくるものの、その威力は弱く、恐れることはない。

 

 全く効果がないことを悟った達也は、そのままハッキングカードを諦め、反対側へと逃走していった。

 

「ふう、危ない危ない」

 

 遊撃役は達也を追いかけ、ディフェンスはカードを引き抜く。危うく負けになるところだったが、達也の魔法力が低いおかげで助かった。

 

 息を整えながら、四高のディフェンスはすぐに幹比古対策を開始する。狩野のおかげで、幹比古が古式魔法師であり『視覚同調』が使えることは知っている。そのため、モノリスを割られるのは大変危険であることが分かっており、また割られた後の対策も準備していた。

 

 狩野が戦闘不能状態になったことは自動連絡で知っている。逆探知などができないのは辛いが、自分たちでもできる対策はある。

 

 モノリスの両側に激しい閃光を起こす。仮にこの隙にと『視覚同調』を使っていたら、あまりの眩しさにしばらく使い物にならないだろう。

 

 半分になったとはいえ、256文字のランダムな英数字を片腕につけたキーボードで打つのは難しい。ましてや一高は代理チームだ。こんなキーボードで入力する練習もしていない。

 

 よって、ディフェンスは適当な間隔をあけて閃光魔法を使うだけで『視覚同調』の対策はできる。

 

「さて、どうしたもんかな」

 

 ディフェンス面での当面の心配はないにしろ、数の不利には変わりない。文也が攻撃に参加してくるのも時間の問題だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのように、『次』のことを考え始めたディフェンスは――『今』から、目を離していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐえっ!」

 

 彼が異変に気付いた瞬間には、もう雷撃に襲われていて、彼は意識を手放した。

 

 ようやく、油断が生まれた。

 

 負けに直結する行動を阻止した究極の緊張から解き放たれたことによって生まれた意識の空白。

 

 その様子を実はすぐそばの木々の陰から観察していた幹比古はそこを狙って、隠密性に優れた古式魔法の雷撃で意識を刈り取ったのだ。

 

「ふぅ」

 

 気の抜けた表情で幹比古は木々の陰から現れ、ディフェンスのヘルメットを外して戦闘不能状態にすると、一高応援団の歓声と四高応援団の悲鳴をBGMに、悠然とモノリスの中に記されたコードを入力し始めた。




オリジナル魔法解説
土を動かして地面に拘束する魔法
移動系と収束系の組み合わせ。移動系で土を動かして相手の体の一部(手など)を覆い、収束系で固定する。現代魔法であり、「土の一部を相手の部位に覆いかぶせる」という曖昧な動きは当然できない。わざわざ土の上方移動と横移動を状況に合わせて都度定義しなければならず、効果のわりに手間や時間がかかる魔法。実は第九研究所で開発されたもので、古式魔法から現代魔法にアレンジした結果劣化してしまった魔法、という使わない裏設定がある。


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2-21

「とりあえず一勝だな」

 

「そうだね。次勝てば優勝だ」

 

 文也と幹比古は、そんなことをウキウキ気分で話しながら一高テントに帰ってきた。同行する達也も、口元をほころばせている。

 

 一高と四高は、幹比古と狩野、お互いの古式魔法師が基本作戦の要であり、この二校の戦いは、古式魔法師同士で牽制しあう形となった。

 

 またお互いに優秀な古式魔法師が仲間にいるため、古式魔法師がどのような戦術をとってくるのか、ということもお互いに読めるため、そこの騙しあいともなった。

 

 そして達也たちは、お互いの古式魔法師をキーパーソンとして開始直後の戦術を組んだのだ。

 

 狩野がディフェンスだったら。これが最も都合がよいパターンだ。積極的に森林内を移動することになるオフェンスと遊撃を『木霊迷路』でハメるだけのイージーな展開になる。冷静さを欠いてしまった二人の内の片方を、文也がモノリスを放置して出陣して倒し、あとは数的有利を押し付けるだけで勝てる。

 

 狩野が遊撃だったら。幹比古がディフェンスに回り、文也の後方支援をして狩野ともう一人のオフェンスを相手取り、その間に達也はモノリスだけ割ってあとは前線で時間稼ぎをしてもらう。文也の罠が稼働している間、文也はそこへの追撃ができないが、幹比古ならば可能である。罠という地理的有利を活かして相手二人を一気に潰すことが可能だ。そしてこれは、狩野がオフェンスで相手遊撃が攻めてきた場合も同じようにすればよい。狩野がつぶれれば幹比古は精霊魔法をのびのびと行使できる。

 

 そして、実際に起こったのが、一番やりにくい、狩野単独オフェンス、残り二人がディフェンスという形だった。

 

 二人相手では達也も幹比古も単独では攻め切れないし圧倒的不利なので、二人がかりで攻めることを強制される。また文也は実力者である狩野とタイマンを強いられる苦しい展開となる。狩野相手に二人で守って倒す、という戦術は、相手にばれたらすぐに遊撃が駆けつけてくるし、そのころには初見殺しの罠も使い終わっているからもっと不利な防戦を強いられることになってしまうためできない。

 

 そして、達也と幹比古が二人を相手に攻め、文也は狩野を相手に守る、という展開になった時も、やはりキーパーソンは幹比古と狩野だ。どちらかの古式魔法師が倒されてしまった瞬間、倒された側は数的不利だけでなく、常に『視覚同調』が付きまとうという苦しい展開になる。

 

 そこで、オフェンスの二人は、達也が前に出て引っ掻き回して相手ディフェンスと遊撃の二人が攻撃に加わることができないようにして、文也と狩野がタイマンするという最低限の状況を維持する。この時幹比古が一番大事なので、あくまでも身を隠して後方支援に徹する。

 

 タイマンという状況を作ってもらった文也は、初見殺しの罠などを利用して一刻も早く狩野を倒すことが要求される。幹比古を温存しながらの時間稼ぎはそう長くできないからだ。文也は基本的にインドア派なので、一見、森林という環境に慣れていなさそうだが、『stick art ♂hline(スティック・アート・オウライン)』のほとんどは森であり、森林の特性はある程度理解できているため、罠を仕掛けるのも、それをさらに利用するのもお手の物だ。そういうわけで、文也は、本来ならもっと苦しくなるであろう三高との戦いに備えて隠しておきたかった奥の手を二つ使ってまで狩野を倒したのだ。

 

 そうなったらあとは詰めていくだけ。

 

 達也は自分が戦闘不能状態になることを覚悟してでも運動能力と『術式解体(グラム・デモリッション)』のごり押しでなんとしても相手モノリスを割り、相手を常に幹比古の『視覚同調』を警戒しなければならない状態に落とし込む。僥倖なことに生き残ったため、ハッキングカードで相手を焦らせたあげく、すぐに逃げてモノリスを守る敵を一人だけにし、また極度の焦りから解放させることによって油断をさせる。相手は幹比古の『視覚同調』への警戒を強要されるが、一方でその対策は単純なものであるため、油断をしやすい。そこを、達也と文也によって隠密性とスピードを兼ね備えた至高の雷撃魔法で一撃で落とし、安全な状況でコードを入力できるようにする。

 

 また、仮に達也が戦闘不能状態にされ一人を引き付けることができなくなっても、相手の片方はどうせ文也に向かって攻めていくことになるため、ディフェンスは一人という状況はどちらにせよ作れるので結末は同じだ。

 

 結局この戦いのポイントは、自校の古式魔法師をどう活かせるか、という点に収束する。

 

 四高は森林ステージでの『木霊迷路』を警戒し、またノーデータの相手であるため守備を固めることを優先し、結果狩野オフェンス、残り二人がディフェンスと守備寄り遊撃という形を取った。

 

 災難だったのは、四高の予想が外れたことだ。

 

 四高視点では、文也たちはどう考えても急造チームである。また一人はあの将輝と互角の戦いをした文也だが、残り二人は二科生だ。達也は『フィールド・ゲット・バトル』で運動神経とエンジニアの腕こそ目立っている(目立ちすぎている)ものの、『フィールド・ゲット・バトル』単独出場であることから一般的な魔法力は低いと見られていた。幹比古も二科生で、しかも選手登録すらされておらず、さらに狩野は彼がスランプであるということも知っているため、古式魔法こそ怖いものの、実力自体は警戒されていない。

 

 そこで四高は、大エースであろう文也がオフェンスでくるのを二人がかりで止め、『木霊迷路』が効かずまた実力者である狩野の力で、単純な力不足であろう達也と幹比古を突破する算段だったのだ。

 

 一方で一高は、幹比古を最後まで温存して、相手に常に『視覚同調』への警戒を強制し続けた。また実際にエース格である文也を、罠をしかけられる有利な自陣で狩野とタイマンさせて倒すのを待ち、突破力に欠ける二人はタイマンを維持する時間稼ぎに注力した。狩野を倒してしまうと、相手にできる『視覚同調』対策は閃光による単純な目つぶしのみであり、それに意識が傾いているところを至高の古式魔法で急襲できる。

 

 これは情報の少ない一高代表代理の利が存分に発揮された試合だったのだ。

 

「ミキ! あんたすごいじゃない!」

 

「幹比古だ!」

 

 戻ってきた三人を真っ先に迎えたのは、深雪の力で代表戦用のテントに出入りさせてもらったエリカだった。観客席で見ていたエリカは、『神童』と呼ばれたかつての実力以上に活躍する幹比古を見て、いてもたってもいられなくなったのだ。

 

 上機嫌なようで、幹比古の抵抗も(いつものことだが)無視し、背中をバンバン叩いて褒めたたえている。

 

 この試合で、幹比古はコードの入力こそしたものの、目立った活躍はしていない。派手さで言えば、大立ち回りを演じた達也や奇想天外な戦法を取った文也のほうが目立つ。しかし幹比古の後方支援はタイミングなどの作戦だけでなく単純に魔法力だけで見てもかつてと遜色ないほどで、最後の雷撃魔法は隠密性・タイミング・規模・速度のすべてにおいて過去最高のレベルだった。

 

「アンタ、もうとっくにスランプ抜けてるわよ。『神童』が戻った……ううん、神童が、さらに成長してるわよ」

 

「そ、そうなのかなぁ?」

 

 エリカはしみじみと幹比古の肩に手を置いてほめそやすが、幹比古は恥ずかしさと困惑が入り混じった微妙な顔だ。実力は戻ってきているが、本人はまだその自覚がなくスランプを引きずっていて、『自信』が戻っていないのだ。

 

 そんな漫才を演じているのを放置して、文也と達也はさっそく端末を取り出し、次に戦う三高のデータ収集に入った。戦いは二時間後。この短い時間の間に少しでも情報を集め作戦を詰めておきたい。

 

 見る試合は、今まで予選で三高が戦った二戦。どちらもすでに一回ずつ見ているが、何回見ても損はないし、何回見ても足りてるということはない。

 

 第一戦は、将輝を中心に遠距離から魔法による飽和攻撃で制圧して圧勝していた。将輝の『偏倚開放』と真紅郎の『不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)』が相手のディフェンスだけでなくオフェンスも飲み込み、一気に無力化したのだ。

 

 そして第二戦。エリカからようやく解放された幹比古も加えて一緒に見た戦いは、第一戦とは真逆の戦い方だった。

 

 真紅郎とあと一人は陣地から動くことなく、将輝は『干渉装甲』と移動魔法で相手の攻撃をすべて跳ねのけ『進軍』する。対戦相手も上級の実力を持ってはいるが将輝には全く歯が立たず、すべて正面から圧搾された空気を受けて倒れこんでしまった。

 

「うっわマサテルいつみてもえぐいな」

 

「一条なら、中長距離からの先制飽和攻撃がお得意のはずだが」

 

「二戦目は、俺を意識しているな」

 

「会頭さんいつのまに!?」

 

 文也と達也が口々にコメントしているところに、ひょこっと顔を出したのは克人だ。幹比古はいきなり現れた存在感と威厳の塊である大男に委縮して声が出ない。

 

「やっぱこれ会頭さんとこの『ファランクス』的な?」

 

「ああ、おそらく、一条は挑発しているのだろう」

 

「参りましたね、これは」

 

(神経太すぎるでしょ……)

 

 克人を加えても平然と相談をする文也と達也を見て、幹比古は内心で呆れる。下手すれば厳格な父親よりも圧力を感じるほどなのだが、この二人は微塵も感じていないらしい。

 

「正面戦闘をしてこい、ということなのでしょう。単純なパワー勝負では三高に相当分があるので、真っ向勝負に引きずり出そうとしているのかと」

 

「だよなー。別にアウトレンジからペチペチでもいいんだけど、それは結局マサテルの一番のお家芸だから、なおさら勝ち目がないんだよなー。いやー参った参った」

 

 達也と文也は各々、これは参った、という態度を隠そうともしない。しかし一切萎えた様子はなく、それを受け止めたうえでどう勝とうか作戦を考える構えだ。

 

「しかも次のステージは草原で、遮蔽物は何もありません。アウトレンジで戦うのはなおさら悪手です」

 

 達也がそこまで言ったところで、達也の携帯端末がなった。送信者を見ると、達也は一つ頷いて立ち上がった。

 

「頼んでいたものがとどきました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前なんか、気合急に入ったな? 可愛い可愛い妹ちゃんのおかげか?」

 

「お前には関係ない」

 

 決勝戦までの間に三人で作戦を練った後は、別れて各々の準備をした。そして定刻通りに三人は集合し、草原ステージに向かう。幹比古が着ているのは、達也がカウンセラーの遥に届けてもらったローブとマントだ。幹比古は恥ずかしそうだが、文也は「なんだお前もちゃんと男心あんじゃねぇか」と達也の背中をバシバシ叩いて喜んだ。それをそばで見ていた深雪は怒りをこらえるのに必死だったが。

 

 そして今は草原ステージに向かう途中だ。別れていた間に急にやる気スイッチが入ったかのように雰囲気が変わった達也に対し、文也は思ったことをすぐに口にした。達也からすれば『秘密』に関わるので触れてほしくないため、その話を強く打ち切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この期に及んでまだ隠し玉があるのか」

 

 草原ステージ。遮蔽物のないこのステージは、お互いが自陣モノリスのそば、スタート地点にいても、相手の姿を視認できる。

 

 そんな状況で、幹比古を見た将輝は眉をひそめた。

 

「あれは絶対何かあるね。多分僕の『不可視の弾丸』対策だと思うけど」

 

 達也だけならまだしも、あの文也がそれを受け入れているのだ。文也のことだから「かっこいいから」という理由が主だろうが、それ以外に戦略上の理由がある。なおその服を着ている本人である幹比古が一番不本意そうなのはご愛敬だ。

 

「その対策なのはいいとして、それだったらあとの二人だって着ててもいいんじゃないか?」

 

「あれは動きにくそうだから、多分動き回る前衛は着れないんじゃないかな」

 

「ということは、まさか文也と司波のダブルアタックか?」

 

「そうだと思う。でも、ダブルアタックしてくるって言うことを相手に読まれて、その上誰がダブルアタックするのかまで戦う前に読まれるようなことをしてくるなんて意外だね」

 

「それだけお前の『不可視の弾丸』が脅威なんだろうさ」

 

 将輝と真紅郎はそうして幹比古の服について検討する。二人ほど頭が回るわけではないもう一人はふんふんと頷いて聞いているだけだ。

 

 ひとまず初手の動きはその話の中で決まった。何があろうと、とりあえず地の利を生かし、開始直後にすぐ砲撃戦をすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開始直後、観客たちの歓声はすぐに爆発した。

 

 大方の予想通りと期待通り、この戦いはお互いの陣地からの砲撃戦で始まった。魔法師はステージを直に見て、一般人はサイオンが見えるよう特殊な技術で映されたモニターで、両陣営のぶつかり合いを見て興奮している。

 

 とくに達也と将輝の攻防は、多くの観客を引き付けた。

 

 将輝の攻撃に集中した『偏倚開放』の嵐を、達也は『術式解体』で叩き壊し、振動系魔法で反撃をしつつ歩み寄る。そしてその反撃を、将輝は『情報強化』ではねのける。特に『術式解体』は派手なサイオン光が発生するため、SF戦争のような光景だ。

 

 またその横でも砲撃戦……というにはあまりにも地味な戦いが繰り広げられていた。

 

 文也は一戦目でも使った拳銃型CADで『エア・ブリット』を、『ループ・キャスト』を利用して真紅郎にマシンガンのように撃ち込みながら進んでいく。それに対して真紅郎は障壁魔法で防御しながら文也に『不可視の弾丸』を浴びせようとする。しかし文也は開始直後から真紅郎の目の前でフラッシュを発生させているため、なかなか狙いが定まらない。そこで自分の目の前だけに『領域干渉』を使って邪魔なフラッシュを防ぐが、今度は真紅郎と文也の間に暗闇が現れ、真紅郎から文也の姿を隠す。真紅郎の攻撃は搦手によって妨害されて不発になり、文也の攻撃は速度こそ異常だが、事象改変規模で言えば初級のもの。達也と将輝の戦いに比べたら地味で、見て楽しめているのはごく少数の玄人だけだ。

 

 一高は、多くの魔法を高速で同時に扱える文也があの手この手で真紅郎を相手し、達也が将輝を相手し、幹比古が後ろから援護するというものだ。

 

 しかしやはり正面からの戦いでは、単純な魔法力の差が出てしまう。

 

 文也は真紅郎に有利に立ち回るものの、将輝のついでのような『偏倚開放』に吹き飛ばされて後退してしまう。その隙に達也は詰め寄ろうとするが、将輝は超人的なスピードで達也に反応し、ほとんど距離を詰めることができなかった。

 

 吹き飛ばされた文也をつぶそうと『不可視の弾丸』を諦めた真紅郎は加重魔法で文也を地面に押さえつけ、そこにもう一人の選手が攻撃を加えようとする。しかしそれは文也が腹に仕込んでいたCADによる障壁魔法で無効化され、さらに幹比古による真紅郎を狙った雷撃魔法で真紅郎の集中が乱れ、その隙に文也は『領域干渉』で加重魔法をなんとかはねのけ、また立ち上がって攻撃に転じるも、なかなか攻め切れない。

 

「やっぱり苦しいですね……」

 

 あずさは胸の前で手を組み、画面を不安そうに見上げている。同じ画面で観戦している真由美たちも表情は不安そうだ。

 

 一見拮抗しているように見えるが、状況は少しずつ一高に不利になっている。

 

 達也は確実に歩みを進めることができているものの、将輝はその分だけ照準がつけやすいため、達也はより危ない状況だ。

 

 文也もまた真紅郎相手に有利に立ち回っているように見えるが、文也の手を変え品を変えと言った搦手にすさまじい速度で対応し始めてきており、一高は攻め手を欠く。少しでも隙をさらせば文也は猛攻撃を浴びてノックダウンを取られるだろう。

 

 幸いにして幹比古はあの服の援護を得た幻術魔法で『不可視の弾丸』の標的にはならずに済んでいるが、余力ができた将輝の攻撃も襲い掛かってきて、文也の援護になかなか集中できない。

 

 この『モノリス・コード』はあまりにも急だったがために、出場している三人以外は作戦を知らず、ただ三人を信じて見守ることしかできない。

 

 そんな状況で、局面がついに動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そろそろ仕掛けさせてくれ』

 

『了解』

 

「おーけい、任せろ!」

 

 ついに前に進むことができなくなった達也から、ヘルメットに装備されたインカムを通して通信が来る。それを受けた文也と幹比古は、各々の役割を果たそうと動き出した。

 

「おわっ!」

 

「なんだっ!?」

 

「うえっ!」

 

 突如、将輝たちは三人同時に両膝裏に衝撃を受け、大きく体勢を崩した。その隙に達也は一気に走り出して距離を詰める。将輝と、エースを倒されてはまずいと真紅郎たち二人は、その達也を攻撃して妨害しようとするが、幹比古が一瞬の隙を突いてほんの少し速度に劣るが威力が高い精霊魔法によって三人のヘルメットの内側、目の前でカラフルな光を超高速で明滅させてショック状態に陥らせる。さらにその隙に文也が超音波を三人の両耳元で鳴らして三半規管を揺らした。目と耳、二つの器官に襲い掛かってきた急な刺激は、真紅郎ともう一人の集中を乱すのに十分だった。

 

 しかしそれでも、将輝だけは屈しなかった。

 

 ショック状態や酔いを気力で抑え込んで『領域干渉』で無効化し、さらに猛スピードで走ってくる達也に『偏倚開放』で攻撃する。しかし達也は『精霊の眼』を遠慮なく使用して魔法式を破壊し、さらに一流の体術を使ってそれらを回避して接近を止めない。

 

 その接近に、将輝は恐怖した。

 

 戦場を経験したからこそ、生存本能が達也を拒絶する。

 

 しかしだからといって、パニックになってレギュレーション違反をするような攻撃を暴発させるようなことはなかった。

 

 将輝は、恐怖から自然に、また冷静な思考から、後退しながら達也に攻撃を続ける。

 

 そんな将輝は不意に、後ろに踏み出した右のふくらはぎの一点に激痛を感じた。

 

 唐突な激痛に脚は力を失い、バランスが崩れる。

 

 激痛の刺激に意識が飛びかけるが、その痛みによって逆に将輝の思考は加速する。

 

 なぜ? 筋肉痛? 筋を違えた? いや、ありえない。そこまで軟弱な鍛え方はしていないし、脚自体に負担はかけていない。

 

(まさか!)

 

 これは、たった今、将輝自身の後退に合わせて魔法で作られたものだ。それ以外ありえないだろう。

 

 しかし、魔法の兆候は、鋭敏な感覚を持った将輝にはわかる。

 

 

 

 

 

 

 ――普通なら。

 

 

 

 

 

 

 

 今戦っている相手には、将輝にばれずにこれをしかけられる人物が二人いる。

 

 隠密性が高い古式魔法師・吉田幹比古。

 

 余剰サイオンを一切漏らさない、悪戯に長けた魔法師・文也。

 

 どちらがやったか?

 

 将輝はそこまでは考えない。否、考える必要がない。どっちがやったことであろうと、結果は同じだからだ。

 

 ならば考えるべきは――目前に迫る脅威、司波達也だ。

 

 ここにきて初めて、将輝は心の底から恐怖し、ついに軽いパニックに陥った。

 

 半ば本能と反射で、制御から外れた魔法が放たれる。

 

 手間のかかる『偏倚開放』ではない。

 

 圧縮した空気を炸裂させるだけの、単純かつ高威力の『圧縮開放』だ。

 

 その数、一瞬で実に20。

 

 達也はその絶技に驚かされながらも、即座にサイオンで打ち消す。

 

 しかし、間に合わない。

 

 打ち漏らして発動させてしまった、また回避も間に合わない二つの空気の炸裂が、達也を襲った。

 

 それに耐えきれず、達也は吹き飛ばされて強く地面に倒れこむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄様!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪の、絹を裂くような悲鳴が木霊した。

 

 文也の罵声も、達也の耳に入った。

 

 そして達也は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――誰もが呆けた一瞬の間に跳ね起き、ルール違反を犯してしまった自覚で茫然としていた将輝の頭の横に手を伸ばす。

 

 文也と将輝はそれを見て、言葉にならない声を漏らした。

 

 そして、音響手榴弾に匹敵する破裂音が、達也の右手から放たれた。

 

 その音を聞き、幹比古も、真紅郎も、三高のあと一人も、達也たちのほうへ振り返る。

 

 そして全員の目に、まるで音に押されるように右側に倒れる途中の将輝が映った。

 

(将輝が――負けた?)

 

 信じられない光景に、真紅郎は数秒呆けてしまう。

 

 その直後――将輝は右足を横に踏み出して倒れるのをこらえると、まるで突き飛ばされたかのように後方へと吹き飛んだ。

 

 そして吹き飛びながら、苦しそうな顔で、何か口を動かす。

 

 声は出ていない。

 

 しかし、真紅郎には、何を言っているかわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ戦える」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その直後、全員がスローモーションに感じていた時が、一気に動き出す。

 

 文也は、将輝が吹き飛び、真紅郎とあと一人がそれを見て呆けている隙に、相手モノリスめがけて駆けだす。

 

 将輝の言葉を受け取った真紅郎とあと一人は、異常に長い滞空時間の一歩で迫ってくる文也を撃墜しようとする。

 

 それに遅れてようやく再起した幹比古は、がむしゃらにそれを魔法で打ち落とす。

 

 達也は自身の増幅魔法によって大ダメージを受けた耳を抑え、ひざまずいたまま動けない。

 

 そして地面に背中から激突した将輝は――すでに満身創痍のはずなのに、強い意志が表出した顔を上げ、再び戦いに加わろうとする。

 

 その目標は、文也だ。

 

 ダメージを受けすぎた故にスピードも強度も落ちてしまったもののなお質の高い『偏倚開放』の魔法式が、文也の行く手に展開される。

 

 しかしそれは、ようやく再起した達也のサイオンによって破壊される。

 

 達也と幹比古の援護によって風のごとき速さで三高モノリスに接近した文也は即座に『鍵』を打ち込み、モノリスを割った。

 

 中のコードが露出される。そしてそのままモノリスを通り過ぎて、一瞬だけ将輝たちから見えなくなって攻撃が途切れた隙に滞空しながら振り返って簡易コードをウェアラブルキーボードで送信すると――着地するや否や、また戻るように、モノリスに向けて力強く足を踏み出した。

 

「させるか!」

 

 将輝と真紅郎ともう一人は、三人で文也に集中砲火する。

 

 それに対し、幹比古は脳が焼き切れるのではないかというほどの演算処理をして人生最高の速度で雷撃魔法を連発して真紅郎ともう一人を妨害し、先ほどまでの接近によってぎりぎり相手モノリス周辺が『術式解体』の射程圏内に入った達也が、自分の中のサイオンが枯渇するのを覚悟で将輝の魔法式を壊す。

 

 そんな二人の援護を受けた文也は――いつのまにか取り出したハッキングカードを、四高モノリスに差し込んだ。

 

 その瞬間、六人全員のヘルメットのアイガード上に、ホログラムで2分を数えるタイマーが出現し、減り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、ショウタイムだ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也はそう叫びながら、カードを差し込んだ右腕の真ん中あたりを、左手で思い切り握りこむ。

 

 そしてそこに隠された五つのCADが起動し――五つの『壁』が生まれた。

 

『偏倚開放』で放たれる空気や攻撃物体などを跳ね返す、加速系の対物障壁魔法。

 

 加重系など直接作用する魔法を抑え込む『領域干渉』。

 

 光波・音波・熱波・寒波などの攻撃を退ける、振動系の障壁魔法。

 

 雷撃などの魔法を無効化する、放出系の障壁魔法。

 

 サイオンによる攻撃を防ぐ『サイオンウォール』。

 

 その壁が、降り注ぐ文也への攻撃をすべて跳ねのけた。

 

 そしてそれらの壁は、連続で絶え間なく紡ぎだされ、何重もの防壁となる。

 

 その防壁の紡ぎだされる範囲は決して広くない。せいぜいが文也を中心とした半径50センチメートルほどだ。

 

 しかし、守るべきものはモノリスでもなければ仲間でもなく、自身とハッキングカードのみ。それならば、これだけで十分。自分勝手を突き詰めた人生を歩んできた文也だからこそ実践できる方法だ。

 

 この防壁は、自分と、あとその範囲内にあるものしか守ろうとしていない。それゆえに守りは一点集中されていて、干渉力で文也を上回る将輝や真紅郎でさえ、渾身の魔法でないと打ち破ることができないほどに固い。

 

 三高の三人によって文也に集中砲火がなされるが、それらを文也の障壁はことごとく跳ねのける。

 

「今度は『ファランクス』かよ!」

 

 三高の選手が、ついに投げやりな涙声を上げる。戦意はかなり萎えてしまっているがまだ残っているようで、半狂乱になりながらも精度の高い魔法を文也に撃ち続けている。

 

 正確には『ファランクス』ではないし効果も範囲も遠く及ばない。しかし、疑似的にそれと同じ効果を得ている。

 

 半狂乱になる仲間の一方で、将輝と真紅郎は残り1分を切ったあたりでこの弱点を見破った。

 

 将輝は渾身の魔法によって強行突破を図る。あの障壁を外から貫くにはレギュレーションに反した威力が必要だ。故に、干渉力で文也の『領域干渉』を上回る魔法式を練って直接干渉しようとする。

 

 真紅郎は、一部の隙も無い障壁群に見えて一点だけある穴を突こうとした。文也の障壁群は、電撃などの放出系魔法に対する障壁だけ弱い。三高の三人が得意な種類の魔法と手軽な無系統魔法を防ぐことを主にしているため、放出系障壁魔法は優先度が低めなのだ。よって、得意分野ではないが、放出系魔法で以て文也を仕留めようとする。

 

 もう一人の生徒は疑似『ファランクス』を見せられて冷静さを失い、放出系魔法を使用せず、自身の得意魔法である振動系魔法に固執してしまってる。

 

 三高で冷静に動けているのは将輝と真紅郎だ。

 

 そんな二人を、達也と幹比古は許さなかった。

 

 達也は放出系魔法だけを選んで魔法式を破壊して、幹比古はなおも頭をフル回転させた絶え間ない雷撃を将輝に集中させることによって高い干渉力を持つ魔法を練ろうとする将輝の集中力を乱して、それぞれ文也を守る。

 

 耐えかねた真紅郎は幹比古を攻撃しようとするが、なんと本来守るべきはずの自陣のモノリスの裏に隠れることで視界から逃れ、『不可視の弾丸』を阻止している。幹比古自身も見えなくなるリスクはあるが、必要最低限の『視覚同調』で将輝の座標だけをうすぼんやりとした視界で確認してなんとか狙いをつけている。

 

 残り5秒。

 

 ここでついに将輝の渾身の魔法が完成した。幹比古はついに息切れを起こし、速度も狙いも落ちてしまった。その隙に将輝はなりふり構わず魔法式を練り上げ、ついに文也の『領域干渉』を貫くことに成功した。達也はこれを破壊できない。文也の人体表面にあたるところに魔法式が投射されたため、これを破壊しようとすると、文也の防壁まで一緒に破壊してしまう。

 

(勝った!)

 

 将輝は勝利を確信した。

 

 魔法は成功する。使ったのは、ほかでもない、親友の十八番である『不可視の弾丸』だ。決して得意な系統ではないのだが、もしもの時のためにと真紅郎に教わって習得しておいたのだ。

 

 これは文也のみぞおちに刺さり、確実に気絶する。すぐに駆け寄ってカードを抜けば、あとは二対三だ。一刻も早く抜くべく、一番近くにいた将輝は駆けだす。

 

(万事休す、か)

 

 達也は諦めた。惰性で真紅郎の放出系魔法を破壊し続けるが、これももう無駄だと悟る。

 

 文也が戦闘不能状態にされ、ハッキングカードが抜かれてしまったら、もう勝ち目はない。

 

 無茶な『術式解体』を連発したのでさすがにサイオンが今までにないくらい枯渇してきている。幹比古ももう限界だ。こんな状態で、二対三の戦いに勝つことはできない。

 

 全員が三高の勝利と、一高の敗北を確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 画面越しに見ていたあずさと駿、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふみくん!」

 

「文也!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、当人の文也以外は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺の勝ちだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 将輝の魔法式がサイオンの弾丸によって貫かれて崩壊する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その直後、試合終了を告げるブザーが鳴り響いた。



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2-22

 大金星を上げた一高陣営は、試合が終わった直後からお祭り騒ぎ……というわけにはいかなかった。

 

 なにせ文也と幹比古は無理に魔法を行使しすぎて、体力も精神力もサイオン保有量も限界だ。達也も『術式解体(グラム・デモリッション)』を連発したのでさすがにサイオン保有量が危なく、また鼓膜が破れている。三人とも治療室行きだ。

 

 一高テントに三人が姿を現したのは、試合が終わってから一時間も後のことだった。三人の姿が見えた途端、テントの中では歓声が爆発した。上級生・下級生・男子・女子・一科生・二科生の区別なく、全員が三人の優勝を心の底から喜んだ。

 

 しかし文也と幹比古は足取りが怪しく、額には冷却シートをつけていることからも分かる通り無理できない。二人は隅の椅子に腰かけて休息し、大騒ぎするみんなの相手は達也に任せることにした。また二人には、当たり前のように自ら率先して、文也にはあずさが、幹比古には美月が献身的に介抱をしにきた。

 

「もう何から聞いていいのかわからないわね」

 

 気分上々で嬉しさがあふれ出ている真由美は、一方で激しい試合展開と予想外の連続に、すっかり疲れ切っていた。魔法に詳しい生徒ほど驚きが強く、特に真由美ら三巨頭と鈴音、それに範蔵と五十里は見ているだけでかなり疲れてしまった。

 

「でしょうね。では、自分たちが仕掛け始めたあたりからお話しましょう」

 

 達也がそう言うと、大騒ぎが静まり、全員が耳を傾けたのが達也にはわかった。解説役には慣れているが、さすがにこの人数から傾聴されるのは中々無く、らしくもなくほんの少しだけ緊張して話し始める。

 

「まず、自分が一条に接近して無力化するのが第一目標でした。一条を無力化する手段はいくつか思いついたのですが、その中で一番現実的だったのがこれです」

 

「遠距離からの魔法は『干渉装甲』と移動系魔法で防がれてしまいますからね」

 

 その話を聞いた鈴音がうなずく。この場にいる人物で、当人である三人を除けば、一番試合展開を理解できたのは彼女であり、ゆえに自然と相槌のように話をスムーズに進める役になったのだ。

 

「はい。そこでいくつか状況を想定して、それらに応じた作戦を立てていました。結果、この試合では一条の能力が想定よりもかなり高く、また吉祥寺の支援攻撃がかなり厄介で攻めあぐねました。自分も、近づけば近づくほど一条の照準精度は増すので、接近のペースは自然と遅くなります」

 

「そういうことでしたか」

 

「そのようなわけで、あの場面で一気に仕掛けることにしました。脚力には自信があるので、あの距離ならば一瞬の隙で接近できると考えました。そこで使うのが、幹比古と井瀬の妨害です。幹比古は古式魔法で、隠密性と威力には勝るので決まれば高い効果を発揮しますが、速度が遅いです。その古式魔法を三人同時に決めるために、井瀬が三人同時に集中力を乱すことに特化した魔法を使いました」

 

「悪戯はふみくんの得意技だもんね」

 

「うるせぇやい」

 

 部屋の隅であずさと文也が仲良く会話してるのが全員の耳に入る。ずいぶんイチャイチャしているが、もっと酷い司波兄妹のおかげで大半が甘々空間に慣れているため、数人がブラックコーヒーを飲みたくなった程度で済んだ。

 

「井瀬が使ったのは加重系魔法で、『MTC』の『膝カックン』です」

 

「あれか」

 

「あー俺もやったわ」

 

「うんうん、私もよくやったやった」

 

 達也の説明に、あちこちから懐かし気な声が上がる。

 

 相手の後ろに立って相手の膝裏を押してバランスを崩させる悪戯はこの時代でも現役だ。さらに『マジカル・トイ・コーポレーション』は、なんと無駄なことに、それを魔法で再現する悪戯グッズCADを発売した。その製品名と登録されてる魔法の名前は、そのまんま『膝カックン』。膝裏に対象人物の向いている方向へ加重し、対象人物は膝を折られてバランスを崩すという効果だ。

 

「その隙に幹比古が練り上げ、さらにヘルメットの内側という限定された狭い空間に三人同時にピンポイントで行使して見せたのが、『多色点滅』の古式魔法版です。発動原理は厳密には違うのですが結果として発現する効果は一緒で、ただし効果はより強力です」

 

「赤……青……フラッシュ……高速点滅……ポリゴン……電気ネズミ……うっ、頭がっ」

 

 達也の説明を聞いて後ろの方で博がバカなことを言っているが全員に無視された。

 

「それに追撃で井瀬の超音波が刺さって、二人はある程度抑え込めました。ただ一条はさすが胆力であるようで、一瞬の隙こそあったもののすぐに立ち直ってきて、さらに後退までするものだから距離が思ったより詰めれませんでした」

 

「そうでしたね。なぜか途中でバランスを崩したようでしたが」

 

「……そうですか、先輩方もそう見えましたか。……まあそこは置いておきましょう。緊張状態で無理な動きをしたから筋を違えたのでしょう。それで、動揺した一条のレギュレーション違反の魔法が自分に当たったわけですが……」

 

「そう、そこ。そこなのよ。一条君の反則や審判の見逃しはひとまず置いておくとして、達也君、あんなの受けたら絶対無事じゃすまないわよ? なのにどうして?」

 

 達也の話を遮り、真由美が食い気味に質問をする。達也は知らないことだが、彼が起きてから、真由美は一高テント内で軽いパニックを起こしていたのだ。

 

「九重先生から、ああいった時のためのダメージ軽減や受け身も教わっているんです。『圧縮開放』は実戦ではメジャーな魔法なので、受けてしまったとしてもダメージを少なくできるよう対策しておくのは自然なことです」

 

「それにしたってあの威力を受けてノーダメージはありえないだろう」

 

「頑丈さには人一倍自信がありますので」

 

「おーん、なるほどね」

 

 達也は、これについて質問されることは予測していたので、治療を受けながら用意していた嘘を不自然にならないよう気を付けつつもスラスラと話す。摩利が口をはさんだが、それもどこ吹く風だ。

 

 それよりも達也は、文也の平坦な声での言葉が気になった。さりげなくうかがうが、その表情からは何を考えているか読み取れない。

 

「それで、おそらく違反の自覚があったのであろう一条に、自分は結果として不意打ちという形で攻撃を仕掛けました。自分も結構痛かったので起き上がるのに多少時間がかかったのですが、そこは一条の素直さに助けられましたね」

 

「あの攻撃速度には驚きました。失礼ながら、司波君は系統魔法はあまり得意ではないようですので」

 

「あれはかなり頭をひねりました。自分でも高速で行使できて、なおかつ一条を一撃で仕留められるような魔法は、そう多くありません。それで思いついたのが、あの増幅魔法です。新たに生み出すよりももとからあったものを大きくする方が、同じ結果だとしても、ずっと小さな魔法式で十分です。それに単一系統で、しかもかなり簡単な魔法なので、特化型CADの力を借りれば自分でもあれくらいはできます」

 

「だから、わざわざ試合の合間にCADに登録する魔法をまるごと変えていたのですね」

 

「ほーん」

 

 この件についても、達也は知られたらまずい方法を使っているので、事前に用意していた嘘を話す。さっきの話題と違ってこちらは事前に仕込みをしておいたので説得力は十分だ。

 

 だがこちらもやはり、文也の反応が気になった。ほかの解説にはこれといって反応はしないのに、よりによってこの二つで反応をする。反応の中身自体は、なんとなく感心して口から言葉が漏れた、という普通のものだが、それなのにタイミングがタイミングだけに、やけに気になってしまう。

 

 それでもそのような心配は表に出さず、達也は平静を装って解説を続ける。あまり平静が装えてない妹の姿が視界の端に映ったが気にしないことにした。

 

「しかし、一条はこれにも反応して見せました。ほぼ反射と本能で、自分が攻撃した側……一条の左耳に、振動系の障壁魔法を張ったのです。効果こそ低かったものの、一条の鼓膜に音が届くぎりぎりで、おそらく一条の耳の中でその障壁魔法に阻まれ、十全に音波が届きませんでした。ダメージこそ通りましたが軽減されてしまい、気絶まで至らなかったんです。よく考えると、一条は『爆裂』の発散系以外にも、『アイス・ピラーズ・ブレイク』でみせた『爆裂』の領域版の魔法のような振動系にも高い適性があるとわかったはずなのですが……これは自分の作戦ミスでしたね」

 

「そう落ち込まないでくださいお兄様。さすがにあの反応速度を考慮するのは無理が過ぎます」

 

 達也が自虐するや否や、深雪はそれを即座に否定して慰める。一条もそうだが、深雪のこの反応速度も中々のものだ。ブラコン魔人おそるべし。

 

「いやーあれは俺も吉田も全く思いつかなかったね。今から考えるとあれは悪手だったなあ。マサテルが振動系もイケる口なのは一昨日に分かってるんだし、それにその前の俺と吉田の悪戯もどっちも振動系だ。司波兄の牽制攻撃も振動系だったし、こんなのが重なればアイツは無意識の部分で振動系を強く警戒してても不思議じゃねぇ」

 

 正確には幹比古の妨害魔法は振動系ではなく精霊魔法なのだが、結果として光波で攻撃しているのだから振動系魔法に限りなく近いものだ。また達也がいきなりCADの中身を振動系に切り替えているのも警戒しているはずだし、さらには文也はとっさのことでまさしく音波による妨害をしている。これだけの条件が重なれば、将輝が振動系を、意識的か無意識的かに関わらず警戒し、それへの対応が速くなるというのは予測できたことだった。

 

 文也はやれやれといった感じでそういうと、よっこらしょ、と言いながら立ち上がる。

 

「ふみくん、もう大丈夫なの?」

 

「おう、すんなり歩けるくらいには回復した」

 

 まだ顔色は決して良くないが、ここに戻ってきたときに比べたらだいぶ回復している。しっかり歩けるというのも嘘ではないだろう。

 

 文也はテントの出入り口に歩いていき、そのまま出ていこうとする間際、振り返って、

 

「ちょっくら用があるから席外すわ」

 

 と言い残して出て行った。

 

 主役が席を外すとはなんと自分勝手な、と考える生徒もいたが、事情を知っている、または察している生徒は誰一人としてそのようなことは考えず、その空気から、だれも文也を制止しなかった。

 

「……話を続けましょうか」

 

 達也はそれを見送ると、すぐに元の話題に戻す。

 

「踏ん張った一条は、追撃を避けようとまずは自分と距離を取ろうとしました。驚いたことに、自分自身に面積が広い『偏倚開放』を当てて自ら後方に吹っ飛ばしたんです」

 

「あれには驚いたわねぇ。すごい執念よ」

 

「自分も防御度外視の音響攻撃だったので、追撃も、後退への対応もできませんでした。ただ、音響攻撃で相手の注目を集め、また圧倒的エースの一条があの様子なので、相手はかなり集中力を乱していましたね。そこを見逃さず、井瀬は別プランを実行したんです」

 

 達也の説明を聞いた生徒たちは、本来ならここで文也を注目するはずだったのだが、本人が不在であり、代わりに先ほどまで文也が座っていた場所にまだいたあずさに自然と視線が集まり、あずさは恥ずかしさから無駄に居心地の悪さを感じた。

 

 それを見た達也は少しだけ気の毒に思い、説明を再開して注目をまた集める。

 

「井瀬が使ったのは、『MTC』の汎用飛行魔法とその小型化に成功した専用CADです。ただし中の起動式も改造していて、高さや継続性は無視した調整で、ひたすら直進速度を重視した式になっています。移動も、速度は踏み出した速度を増幅するだけですし、方向定義も踏み出した方向に自動的に決まるようにしていますので、魔法式はかなり小さくなりました。自己加速魔法と違って方向の自由度はないですが、障害物がない中での直進速度は随一です」

 

「それを自分の手でやるというのだから恐ろしい話だよね」

 

 穏やかな顔で聞いていた五十里は、ここでついに困惑の表情を浮かべて感想を漏らす。空恐ろしさからか、よく見ると額には冷や汗をかいている。

 

「そして新ルールのハッキングカードによる勝利を狙いました。これはかなり乱暴な作戦で、最後の賭けとして考えていたものです。この作戦を思いついたのは、お察しの通り井瀬です。そもそもあの遮蔽物のないステージではハッキングカードによる勝利はまずできません。誰が持っても大して変わらないので、それならばほんの少しだけ可能性があるということで井瀬に持たせました」

 

「そのほんの少しの可能性というのが、あれか」

 

 克人は平坦な声でそう言うが、よく聞くと少しだけ震えていた。普段からずっと冷静な克人がこうなるのは、十文字家の次期頭首として、とてつもなく気になることがあるからだ。

 

「はい、井瀬の疑似『ファランクス』です。十文字先輩、本来の『ファランクス』は、まずひとくくりの魔法として四系統八種の障壁魔法と『領域干渉』と『サイオンウォール』を組み合わせたようなものですよね?」

 

「簡単に説明すればそうなる」

 

「さすがの井瀬でも、一つの魔法としていくつもの障壁魔法をまとめた『ファランクス』は再現不可能でした。しかし、井瀬はいくつものCADを同時に扱えるので、それぞれの障壁魔法や『領域干渉』を一つずつ登録したCADをいくつか同時に連続使用して、疑似的に『ファランクス』と同じような状態を作りました。ただ本来の『ファランクス』に比べたら、防御できる種類も、固さも、範囲も、障壁の間隔も、ランダム性も、何もかもが劣っています」

 

「しかし、あの場面ならそれで十分だということか」

 

「はい。相手三人が得意な魔法を重点的に固くして、範囲も井瀬自身とカードと地面だけで十分です。障壁の強度自体も、殺傷性ランクレギュレーションに収まる威力を防げる程度で十分です。モノリス自体への攻撃は禁止されているので、単純にモノリスを壁にすれば片面分の負担も減ります。自分と幹比古が相手の三人を焦点を見定めて妨害すれば、あれをレギュレーション範囲内で突破するのはかなり難しいでしょう。それこそ穴になってる放出系で破るか、あの狭い範囲に限定した分固くなってる『領域干渉』を圧倒的な干渉力で上回るしかありません」

 

「へえ、あくまでも実戦意識じゃなくて、どこまでも競技用を突き詰めた作戦だったのねぇ」

 

 真由美はそこまでの話を聞いて感嘆の声を漏らす。『モノリス・コード』はかなり実戦の色が濃いが、それでもその本質はスポーツだ。故に、変に実戦を意識せず、ルールの範囲に合わせればよい。

 

 本来なら選手ではない三人は、『モノリス・コード』を想定した準備はしていないし、ましてや、ルールを理解し、それに合わせて考えてからCADや魔法の準備といったことは、間に合うはずがない。

 

 しかし、『アイス・ピラーズ・ブレイク』の選手でありまた普段から多種のCADを携帯する文也ならば、それにある程度柔軟に対応ができる。専用CADばかりであり、その分発揮される効果のわりに性能はすべてレギュレーションに収まっている。

 

 またもともと担当エンジニアであった文也は、今年度の『モノリス・コード』のルールや特性、特徴などを隅から隅まで熟知していた。よってルールを緊急で覚えたりする手間も大きく省ける。

 

 さらには常人の域を超えたエンジニアがメンバーに二人いたのだ。圧倒的な速さでCADや起動式の調整を終えることができるため、対応も十分に間に合うのだ。

 

「でも、最後はなんで直接コード入力にしなかったの? 井瀬君なら2分間よりも早く入力できそうだけど」

 

「いくら井瀬でも、さすがにあれだけの障壁魔法を使いながらあのコードを入力するのは無理でしょう。井瀬はいくらでもCADを同時に扱える異常な『パラレル・キャスト』ですが、だからといってあれだけの魔法を絶え間なく使い続けるのですから、頭の処理が追いつきませんよ」

 

『パラレル・キャスト』は複数CADの同時使用をする高等技術だ。

 

 普通の魔法師ならば、複数電源がついたCADを持った状態でCADによる魔法行使すらまともにできない。よって、例えば複数持ち歩くにしても、使うCAD以外は電源を切っておくか、サスペンド状態にする。

 

 しかし、文也と達也、またはほかの『パラレル・キャスト』をできる魔法師は違う。電源が入っていても可能どころか、その複数のCADを同時に使って別々の魔法を行使できる。

 

 達也は二つまでが限度だが、文也は25個までなら同時に使用可能だ。しかしだからと言って、それらを一気に使用できるわけではない。

 

 CADがどれだけ数を使えても、それらで魔法を使うために処理する人間は一人だし、脳は一つだ。当然使う数が増えるほど魔法の精度は落ちる。レギュレーション範囲内の攻撃を十分に防ぎきれる程度で良いが、つまり十分に防ぎきれるほどまで絶対に維持しなければならない。それだけの強度を持つ障壁を五種類も高速で絶え間なく展開し続けるのは、いくら文也でもかなりの集中力を必要とする。

 

 よってそのような状態で、ランダム英数字256文字を正確に入力するというのは、いくら文也でも無理であった。ハッキングカードは差し込んでしまえばあとは守り続けているだけでいいので、耐えるべき時間は伸びるが、こちらのほうが確実だったのだ。

 

「なるほどねえ、驚かされてばっかだから、ついついなんでもできるって思っちゃったわ」

 

「新ルールに助けられましたね。井瀬自身も、あれだけの壁を張りながら平然としてる十文字先輩はすごいって言ってましたよ」

 

「そうか。ありがたく受け取っておこう」

 

 ほぼすべての説明が終わり、場の空気が弛緩する。真由美と克人、それに注目の的である達也の三人が参加した軽い雑談の様なものが、緊張感を緩めたのだ。

 

 ちなみに、達也は文也の言ったことをほぼ捏造している。実際は「あんな壁はってへっちゃらな会頭さんってやっぱ頭おかしいわ」と言っていた。

 

「さて、これが最後ですね。この最後の最後、幹比古が息切れをした隙に一条は高い干渉力を持つ魔法式を練り上げました。井瀬と一条ではもともと一条のほうに干渉力では分があります。こうなるのは時間の問題でした。だから本来ならこの作戦はやりたくなかったんです」

 

「その魔法を、井瀬君の『仕込み』が壊したと」

 

「はい。これには自分も聞かされてなかったので驚きました」

 

 達也がポケットから取り出したのは、井瀬から預かったCAD……その片割れ、魔法行使の時に文也が持っている方だ。

 

「トラップCADの仕組みは先刻説明したのでご存知だと思いますが、井瀬の仕込みもそれです。今回井瀬が準備した魔法は『サイオン粒子塊射出』です。これは感応石が入っている方なのですが、井瀬が持っている片割れのセンサーは、今までの物理的なセンサーと違い、観戦用モニターのようにサイオンの可視化処理がされているようです。どこからそんな技術を学んだのかは不明ですが……」

 

 達也の言葉にほぼ全員がうなずく。

 

 サイオンが可視化され、エイドス上の魔法式が、魔法師の目や知覚だけでなく、機械によって感知できる。この技術はいたって普通のことのようにこうした大会の観戦モニターなどに使われているが、実は大変な技術だ。魔法師の優位を確保するためにこの技術は秘匿されているのだが、これが流出してしまえば、非魔法師の対魔法師戦闘技術に大革新が起きる。なにせ魔法式を覚えれば、非魔法師でもどのような改変を行おうとしているのかがわかってしまうのだから。

 

「……まあ、それは置いておきましょう。それで、エイドスに投射される魔法式を感知すると、座標変数とともに自動で起動式がこのもう片方に電気信号として送られ、そちらで魔法の処理が行われてサイオン粒子塊が射出され、一条の魔法式を不発にさせました。あの強度の式を崩すには相応のサイオン量が必要だったと思いますが、それは自分自身が放った『サイオンウォール』から供給されるように最初から設定してあったそうです。そこから抜き出せば、最初から固まっている状態なので負担も少ないでしょう」

 

「ですが、センサー部分はどこに仕込んでいたのでしょうか。森林ステージの時のように仕掛けていた様子はありませんでしたが」

 

「ハッキングカードと同じポケットにこのセンサーも入れていたようで、差し込むと同時にモノリスの差込口付近にくっつけたそうです。どうせカードを守ることになるので、センサーも一緒に守れます。攻撃する魔法に巻き込まれてうっかり破壊される心配もありません」

 

「へえ、どこまでも狡猾ねえ」

 

「ふみくんは昔からこんな感じだったんですよ。やれることが多いから、それをできるだけ多くやっていろいろ備えておくんです!」

 

 真由美の感嘆に、あずさがまるで自分のことのように誇らしげに目を輝かせて文也をほめる。その様子を、全員が微笑ましいものを見る目で見ていた。

 

 そんな和んだ空気が、つけっぱなしだったモニターから流れる声で、再び緊張感をはらんだものになる。

 

『まもなく、新人戦『モノリス・コード』決勝リーグ第三試合、第三高校対第四高校の試合を始めます』

 

 お祭りムードでなかったのは、主役三人の帰りが遅かったことだけが原因ではない。

 

 そう、一高の『モノリス・コード』優勝は決まったが、新人戦優勝は決まっていないのだ。

 

 もしここで四高が勝って二位になれば、今まで稼がれたリードの差で、新人戦優勝は四高になる。

 

 第三試合に、全員の目が集まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、元気か?」

 

「文也!」

 

「井瀬! よくやってくれた!」

 

「なんだかよくわかんねぇけどすげえよ!」

 

 会場から車に乗り、裾野病院の駿の病室に入るや否や、文也は喜色満面の三人から次々に声をかけられる。

 

 駿のおかげでもうベッドから動けるようになったほかの二人もここに集まり、文也のことを待っていたのだ。

 

「おいおい、まだ新人戦優勝は決まってないだろ? もうそんなお祭り騒ぎかよ」

 

 文也は困り顔と笑顔が混ざったような表情でドアを後ろ手に雑に閉め、駿のベッドの横に用意されていた椅子に腰かける。

 

「文也、本当におめでとう。よく、やってくれた」

 

「おう、約束通り優勝してやったぜ。あとはこれの結果次第だな」

 

 涙声の駿の言葉に、文也はいつも通り口角を吊り上げた笑顔で応じる。文也が指した先にあるつけっぱなしだったテレビでは、もうすぐ第三試合が始まろうとしていた。

 

『まもなく、新人戦『モノリス・コード』決勝リーグ第三試合、第三高校対第四高校の試合を始めます』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステージは渓谷。水が多く、将輝が一番得意とするステージだ。

 

 しかし一方で、このステージは四高のエース、狩野の得意なステージでもある。

 

 狩野の精霊魔法で発生した濃霧によって、三高生徒の視界は常に遮られていた。この霧に乗じてモノリスを割られ、さらに『視覚同調』によりどこにでも狩野の眼があるような状態になっており、また姿が隠されているため真紅郎の『不可視の弾丸』も使えない。これは達也が考えていた作戦であり、優秀な古式魔法師を擁するからこそできる戦術だ。

 

 この戦いに、四高はとくに気合を入れていた。『モノリス・コード』優勝は逃したが、ここで勝って二位になれば新人戦優勝はもぎ取れる。

 

 一方で三高はここで勝っても新人戦優勝はできない。

 

 そこの差でモチベーションにも差が生まれ――ているわけでもなかった。

 

 敗北を喫した将輝たちは、自身たちの責任を強く痛感していた。

 

 だからこそ、ここで負けるわけにはいかない。

 

 すでに自分たちは敗北者であることが確定している。『モノリス・コード』で負け、新人戦優勝も逃してしまった。

 

 しかしだからといって、三高全体がまだ敗北したわけではない。

 

 ここで勝てば、明日からの本戦後半戦で、『モノリス・コード』で優勝、『ミラージ・バット』で一位から三位を独占し、なおかつ一高の獲得ポイントがゼロであれば、総合優勝が取れるのだ。

 

 あまりにも現実的でないことは、すでに将輝自身も、真紅郎自身も、三高の生徒全員も、とっくにわかっている。

 

 しかし、それでも、ほんの少しの勝利の可能性が残されているのだ。ここで負ければ、その可能性もゼロになる。

 

 武を尊び、己を鍛え、心を強くする。

 

『尚武』の三高として、それを捨てるなど、絶対にありえないのだ。

 

 将輝は思う。

 

 相手にとって有利なステージ? それがどうした。自分にとってもこの上ない有利なステージだ。ここで負けるなんて許されない。

 

 真紅郎は思う。

 

 霧で『不可視の弾丸』が使えない? それがどうした。『不可視の弾丸』が使えないからって負けたわけではない。自分は『不可視の弾丸』だけの人間ではないのだ。

 

 もう一人も思う。

 

 将輝と真紅郎ばかりが優秀で、自分は二人に比べたらあまりにも霞む。それでもいい。周りがどんなに強くても、自分がより強くなればいいだけだ。

 

 この戦いは壮絶を極めた。

 

 互いに絶対に負けられない理由があり、思いがあり、プライドがある。

 

 激しい魔法のぶつかり合い、深い戦術の騙しあい、練られた戦略の通しあい。

 

 その過程で互いに二人が倒され、最後は将輝と狩野だけになった。

 

 自分は見えないのに、相手は見放題。いや、関係ない。

 

 自分は吉田幹比古の二番手でしかなく、戦っている相手は一条の長男『クリムゾン・プリンス』。だからなんだ。

 

 濃霧の中で、お互いの力とプライドと背負った責任が、魔法となって、戦術となってぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんと、すげえよあいつは」

 

「本当、すごいやつだ」

 

 全く別の場所で、同じ試合を見ていた文也と達也は、同じことを考えていた。

 

 自分たちは勝ちはしたが、それは情報の差と不意打ちで勝ってきたようなものだ。それで得られた勝利に価値がないとは言わないし、尊い勝利だとも思っているが、一方で、正面からの力量では、自分たちは確実に負けていたことを痛感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 濃霧が晴れたとき、そこにただ一人立っていたのは、一条将輝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一高テントと病室で、歓声が爆発した。

 

 

 

 

 

 




オリジナル魔法解説

膝カックン
名前の通り、膝を折ってバランスを崩させる魔法。『マジカル・トイ・コーポレーション』が開発し、その専用CADがヤンチャな魔法師の卵たちにバカ売れした。非常に簡単な魔法である。
加重系魔法で、対象人物の膝裏に、対象人物が向いてる方向の加圧をかける。膝裏は薄い骨が突出してる箇所であるため、魔法による急な加圧は骨折の元。実際の膝カックンのように怪我がほぼないように面積やら圧力時間やら強さやらの調整が必要で、開発難度で言ったら地味に高度な魔法。

多色点滅
強い原色光をとても速い間隔でランダムに点滅させ、光過敏性発作を引き起こさせる光波振動系魔法。怪我をさせずに無力化させる上では適している魔法で、暴れる犯罪者や暴徒の鎮圧に使われたりする。ただし、光を受けたことによって症状が発生するのであり、魔法が終わったからと言って症状が消えるわけでもないため、慎重な運用が必要である。
幹比古が使ったのはこれの古式魔法版で、名前は『狐火』。光に関する独立情報体(精霊)を使役して行使する。

サイオン粒子塊射出
オリジナル設定があるので解説。オリジナル設定と原作設定が混ざるため、文末にどちらなのかを付記しておきます。文章がごちゃごちゃしていますし、物語展開上別にこれを知らなくても不都合はないので読み飛ばしてください。

原作では主に真由美が使っていた。CADから起動式が展開されるタイミングでサイオンの塊を打ち込むことでパターンを乱して魔法式を構築させない無系統魔法で、対抗魔法(原作設定)
CADにサイオンを流し込む段階でサイオンの塊をそこに打ち込むことで、二者のサイオンを混ぜてCADにエラーを起こさせるという方法もある(オリジナル設定)
前者はすでに出来上がってる起動式に混ぜ込むためサイオン粒子塊には相応の密度が必要だが、後者の段階よりも後の段階に差し込めばよいので楽(オリジナル設定)
一方、後者は差し込む段階こそ前者に比べて早いため難しいが、サイオン粒子塊の密度は流しこまれるサイオンパターンを乱す程度で良い(オリジナル設定)
魔法式が投射されるわけではないので、どんな魔法を使おうとしていたか分からないのが欠点(原作設定)
原作において、魔法式を撃ち抜く使い方をしているかのようなセリフが書かれているが、実際は、展開された魔法式をサイオンで壊すには威力不足とみられる。『術式解体(グラム・デモリッション)』が並の魔法師では一日かけても練り切れないほどのサイオンを消費しなければならない点からも、魔法式を撃ち抜くのではなく、起動式の段階で邪魔をすると考えるほうが自然。
本作においては、御覧の通り、将輝が投射した魔法式にサイオン粒子塊を打ち込んで無効化している。これは、魔法式をサイオン粒子塊で破壊しているのではなく、魔法式の一番肝心な式の部分にサイオンの塊を通過させることで、いわば魔法式を「書き換える」技術。相手が使う魔法式をほぼ完璧に把握し、その重要な部分を通過させないと多少の誤差程度の書き換えしかできず、魔法が効果を発揮してしまう。『不可視の弾丸』は、文也にとっては親友が使うメジャー魔法であり、その式は知っていて当然なのである。


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2-23

 新人戦優勝パーティーは、一高全体としてはお預けになった。

 

 達也と幹比古の体調――と言っても達也はすでに完治しているのだが――を考慮すると大騒ぎできないというのもそうだが、この翌日は『ミラージ・バット』の本戦であり、それにはコンバートされた深雪が出場し、またその担当エンジニアを達也が務める。遅くまで起こしておくわけにはいかなかったのだ。

 

 一方で文也は、そのまますぐ会場には戻らず、病室に居座って、本来代表になるはずだった三人とプチ優勝パーティーをしていた。備え付けの冷蔵庫の中には駿以外の二人の手によってちゃっかりジュースとお菓子が用意されていて、それを囲んでの祝勝会だ。途中駿が感極まって泣いたりして多少しんみりした空気となったが、録画しておいた三高との試合を流しながら文也が解説をしたりと盛り上がった。

 

 いつまでも病室に居座っているわけにもいかず文也は会場に帰ったのだが、そのままテントや食堂、自室にはいかず、文也は人気のない林――あの夜に賊を捕らえた場所に来ていた。

 

「こんな夜に愛しの妹差し置いて逢引のお誘いとはまたずいぶん積極的だな」

 

「想像しただけで吐き気がするからやめろ」

 

 そこにいたのは、厳しい顔をした達也だ。

 

 病室からの帰り、達也からメールでここにくるよう指示をされていたのだ。せっかくパーティーをお預けにして周りが休むよう気を遣ってくれてるのに達也も悪いとは思うのだが、これは緊急の用事だ。

 

 もともと九校戦への影響を考慮して今夜言うつもりだった。文也はもとから『モノリス・コード』のエンジニアであり、彼の精神的コンディションも勝負に影響するからだ。

 

 それほど、重要な案件である。

 

 達也は右耳がもうすでに治っていることを誤魔化すために、体を少し傾けて左耳を相手側に向けてそちら側でしか聞けないということを示す。さらに唇のほうを意識的に注視して、唇の動きで何を言っているか読み取ろうとしているという演技もする。今日ずっとこの演技をしていたので、もはや慣れたものだ。

 

「単刀直入に言おう。用件は三つ、まずは先日軍と、お前が氷柱倒しで使った魔法について話した」

 

「あー、うん、それね。あー……どないしましょ?」

 

 文也はそれを聞いて、一気に困り顔になった。珍しく、顔が青ざめている。

 

 その顔を見た達也は、文也が状況を自覚していると察した。そうなると、そもそも元から知っていたなら『分子ディバイダー』を最初から使わないはずであり、おそらく使ってしまった後から気づいたのだろうとも予測した。

 

「今の反応から、お前が『分子ディバイダー』だと知らずにアレを使ったのはわかった。でも向こう――USNAはそうと考えてはくれないだろう」

 

「だよなー。思いついちゃったから使ったはいいけど、あれ絶対まずいよなー」

 

「ああ。おそらくUSNAからは相当穏やかじゃない対応を取られると思う。お前も一応日本人だから、軍もある程度守ってくれると思うが、しばらく大人しくしておいてくれよ?」

 

「一応も何も純粋なジャパニーズピーポーだよ。……わかった。あのオッチャンにもサンキューって伝えといてくれ」

 

 さすがの文也もこの状況には参っているようで、つい先日この場所で敵対していたはずの風間にまで感謝を示している。国防軍がある程度干渉してくれるなら、USNA軍もそう手出しはできないだろう。

 

「それともう一つだが」

 

 ここまでは元から話そうとしていたことだ。そしてここからの二つは、今日、達也自身が気づき、どうしても問いただしておきたいことだ。

 

「お前が最後に使っていたセンサー、あの魔法式をカメラが識別する技術は強く秘匿されてるはずだ。いったいどこからそんな技術を仕入れてきた」

 

 この技術は悪用されれば魔法師の危機であり、海外に流出したりすれば日本の危機である。この情報の出所を、達也は探らなければならない。これは達也お得意のお節介ではなく、真由美からの指示だった。

 

「いやー、ほら、俺も例年の九校戦とか魔法競技は見てたからさ、あのモニターの技術すげーなーと思ってさ……自分で見つけちゃった」

 

「は?」

 

 文也は「テヘペロ☆」と言わんばかりの表情であっけらかんと答え、それを聞いた達也はしばし呆けた。

 

 ありえない。高校生だぞ。こいつは嘘をついているのか?

 

 そんな疑念も湧き出てきたが、達也は抑え込んだ。なにせUSNAの偉大な研究者である故ウィリアム・シリウスが開発した最高傑作であり軍の機密になってる大魔法を、その片鱗だけとはいえ自分で開発してしまった男だ。これもあり得ないことはない。

 

 そもそも考えてみれば、自分自身もなんかいろいろとんでもないものを子供の分際で開発していた。それが――考えたくもないが――このチビにも当てはまってもあり得ないということは、ないのかもしれない。

 

 達也はこれ以上この件について聞くとなると頭が痛くなりそうだったので、次の、最後の質問に切り替えた。

 

「俺が一条の攻撃を食らう前、あいつは後退していた時、急に体勢を崩した。あれは、お前がやったのか?」

 

 達也が気になったのは、このことだった。

 

 達也は『精霊の眼』でイデアを視ていたが、視えるものは視ようとした対象のみで、それ以外は視えない。普通の視覚ならば、例えば木を見ようとしたらその周辺の景色、例えばその隣の木なども視界に入る。しかし『精霊の眼』は、その視ようとした木しか視えない。

 

 故に予想外であった一条の異変、おそらく魔法によるものだが、その原因も見逃してしまったのだ。

 

 達也の反応速度を以てすれば、将輝があそこまで体勢を崩すほどの影響がある魔法なので相応の持続時間があるのが普通であり、その魔法式を視ることは間に合う。

 

 しかし達也が何が起こったのかと思って視てみると、とっくに魔法の痕跡はすべてなくなっていた。たとえ小さな改変だとしても多少の痕跡は残っているべきなのだが、その残滓すらなかったのだ。

 

 これは、達也でも未知の魔法だ。

 

 達也自身は、おそらく一条の脚に何かの魔法を行使したのだろうと予測しているのだが、それ以上はわからなかった。

 

「それは秘密だ。教えられない」

 

 しかし、文也は達也の問いかけを断った。

 

 だからといって、達也は諦めるわけにはいかない。魔法の仕組みや術式を強く問い詰めるのは本来ならマナー違反もよいところなのだが、達也でも観測できないほどでありながらあれだけの効果があるという魔法を、放っておくわけにはいかない。場合によっては国家規模の危機になり得る。

 

 達也の見立てでは、あの魔法は、将輝に付随する周りに干渉したのではなく、将輝自身に干渉していた。彼の『情報強化』を破るほどの魔法は、文也の干渉力では本来ありえない。文也は、『人体に悪影響を与えてかつ隠密性が高い魔法』と、それへの強い適性を隠し持っていたことになる。これは悪用されてしまえば、魔法の予兆や痕跡をほぼ全く残さないのが当たり前という四葉に臣従する『裏仕事』の魔法師よりも、暗殺や洗脳に役に立つこともあるかもしれない。これはさすがに放っておけないのだ。

 

「だが――」

 

「無理なもんは無理! 終わり!」

 

 達也がなおも食い下がろうとすると、文也は強引にそれを打ち切る。そして達也を厳しい目でにらみながら指で指し反撃する。

 

「んなこといったら、お前のだって聞かせてもらうぞ」

 

 そう言われ、達也は途端に嫌な予感がどっと沸き出てきた。

 

 嫌な予想が、的中してしまっている。

 

「まずは、こっちに着いた日の夜に賊を捕まえたときのやつだ。変なんだよ。あいつらが持ってきたであろう武器が落とし穴の中に見当たらなかった。代わりにあったのは、銃の『部品』だけだ。吉田がやったのは気絶をさせた雷撃魔法だって話だし、あの銃の『分解』はお前がやったな? とんでもねえもん隠し持ってやがる」

 

 まず文也が指摘したのは、この会場についた日の夜、賊を捕らえるために達也が使わざるを得なかった『分解』だ。構造情報に干渉する現代魔法の中でも最高難易度に数えられる魔法の一つだが、文也は『情報強化』でのみ自身でも実現しているため、二科生である達也でも『そういうこともなくはない』と考えられるのだ。

 

 達也としては、まだ部品レベルの『分解』だけしか知られていないのは不幸中の幸いだ。『分解』だけでも知られたらまずいのだが、その先の『雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)』や『術式解散(グラム・ディスパージョン)』までは知られていない。

 

 達也はそこで一瞬安心したが、そこに文也から追撃が入る。

 

「あと、モノリス最終戦の時のだ。俺が人体にちょっとばかし詳しいってのは話したな? 俺の眼は騙せねえぞ」

 

 一瞬安心したところに、さらに知られてはいけないことを言われる予感がした。また再び嫌な予感がどっと沸き出てくる。しかも今回は、さっきのように『不幸中の幸い』すらなさそうだ。達也はここ数日の中で、いや、ここ数年の中でも指折りの大きな動揺をした。

 

「マサテルの攻撃を食らったお前は、確実にダメージを受けていた。それも大怪我だ。あれが直撃して、どんな体術や受け身を取ろうが、普通に動ける程度のダメージに収まるわけねえだろ。俺は確実に、お前が大怪我してるのを見た。肋骨と肝臓あたりがかなりやばかった。それはわかるんだよ。だがその直後。ほんの一瞬、いや、一瞬って言っても足りねえぐらい短さだ。その時にはお前の怪我はすべて一つ残らず治っていた」

 

 やめろ、それ以上は言うな。

 

 達也は、妹が関わること以外でこれまでないほどに自分が動揺しているのが分かった。

 

 これを知られてしまうのは、秘密だとか、それどころの話ではない。

 

「そもそも今だってそうだ。こんな暑い中、その右耳のわざとらしい覆いはなんだ? 唇を注視して、左耳をわざわざこっちに向けてその右耳が聞こえないアピールか? 俺にはバレバレだ。お前の右耳は、とっくに治ってんだよ。治癒魔法でもそんなペースはあり得ない。お前、なんかとんでもないことしてるな? 俺が使ってるセンサーと同じで、お前になんかあったら自動的になんかの魔法が発動して、お前の体調が回復するようになってる。全くなんの魔法か見当もつかねぇけどな」

 

「やめろ」

 

「それもとんでもねぇ速さだ。その速さの秘密は別……多分、あの振動増幅魔法が絶対にありえない速度だったのと同じ理由だ。お前が普段から手を抜いて魔法力を誤魔化してるんじゃないとしたら、特化型であのクソ簡単な魔法と言えど、あの速度で行使されることはありえない。CADとかでは考えられない」

 

「悪かった。謝るから、それ以上は」

 

「一切のタイムラグがない、信号のやり取りが必要ないというようなレベルの話だ。CADを通さないとなると……お前自身がCAD? 体に起動式を保存するメモリが埋め込まれてて神経と直結されてるのか? でも自動で起動式が送られるにしても意識をしてないと魔法はできない。意識レベルであの速度は……まさかお前、無意識で魔法が使える訓練してるのか? でもそんなことできるのか? ほかには……」

 

「頼むからそれ以上の詮索はやめてくれ。これは最高クラスの機密だ。ばれてしまったら、俺もお前も、その周りも、みんな消される!」

 

 達也は必死になって文也を止めた。肩を両手で強く掴み、その顔をにらむ。

 

『フラッシュ・キャスト』も自己修復も、最高クラスの機密だ。軍事的にも、人道的にも、これを知られるわけにはいかない。

 

 最高クラスの機密、というワードを出した途端、文也の口は止まり、また顔色を真っ青にして困り顔になった。

 

「はい今のなし。俺は何も考えない。なんか不思議現象をみただけ。オーケイ?」

 

「……わかってくれたようでなによりだ」

 

 文也の矢継ぎ早な言葉に、達也は安堵した。

 

 文也自身、これ以上やばい秘密で狙われるのは勘弁だ。国防軍が守ってくれるからある程度安心したのに、その国防軍まで敵に回ったら、間違いなく命はない。

 

「ふぅうううう、あぶねぇあぶねぇ。まああれだ。お互いそのおかげで勝てたんだし、もう考えっこはなしだ」

 

「ああ、その方がお互い身のためだな。だが一応、軍のほうにはお前がだいぶ深くまで気づいてしまったかも、ぐらいは伝える義務がある」

 

「俺が危なくなんないように頼むぞ」

 

 もうこの話はこれでおしまい。

 

 そう言うように、文也はこの場を去る。

 

 達也はその場に立ちながら、文也は歩きながら、同じようなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(やべぇ)

 

(まずい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也は保身を、達也は軍にどう伝えるか、それぞれ頭をひねって考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あばばばばばばばばばば」

 

「ママッー!!」

 

「ヨーッ! ッセーイなーつがーっ! むっねっをっしっげーきーするぅー!」

 

「まずい……まずみ……」

 

 横浜の高級ビルの豪奢な一室、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 

 壮年のおっさんどもが、豪華な部屋の中で、大きなテーブルと豪華な料理を囲み、超高級ブランド物のスーツを着て、やっていることがこの発狂だ。金持ちの違法薬物パーティでもこうはならないだろう。

 

 ムノー・ヘッド……失礼しました、『無頭竜(ノーヘッド・ドラゴン)』東日本支部の面々は、絶望のあまり、なんというかこう、おかしなことになっていた。

 

 この九校戦で一高が優勝してしまえば、自分たちには死よりもおぞましい末路が待っている。

 

 今の状況は、一高の優勝がほぼ確定した形だ。

 

 一応、将輝たちが四高に勝ったことで、この後三高が最高得点を独占し、かつ一高がゼロポイントならば逆転となるが、そんな都合のいいことは、『普通なら』起こりえない。

 

 故に、一通り騒いで冷静になった……冷静とは言い難いが、多少は落ち着いた彼らは、明日の方針を決定した。

 

「悪いとは思うが、明日の一高選手には全員つぶれてもらう。『ミラージ・バット』は全員棄権、『モノリス・コード』も昨日と同じような感じでやればいい。全員、予選で消えてもらおう」

 

「三高のサポートもしなければなりますまい。こうなったら紛れ込ませた工作員をフルで活動させよう」

 

「よし、勝ち筋は見えた。私たちは、必ず生き残る」

 

 不気味な低い笑いが部屋にこだまする。彼らとて巨大な国際犯罪シンジゲートの幹部にまで上り詰めた猛者たちだ。最後の最後まであきらめない胆力はあるし、笑いが心を活性化させることも知っている。

 

 たとえそれが、空元気であったとしても。




あまり動きのないつなぎの回だったので、次回は早めに投稿します


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2-24

「おいおい、なんの騒ぎだ?」

 

 九校戦最後の二日間は、エンジニアが総動員されることになっている。しかしこの大事な試合を怪しげな文也に任せようという勇気ある上級生はおらず、ここから二日間、文也の仕事は無い。

 

 選手としてもエンジニアとしても出番が終わった文也は、九校戦九日目、見事なおそよーございますを決めて一高テントに合流した。

 

「わ、渡辺先輩が、魔法事故で!」

 

「は? 風紀委員長さんが? んなことあるのかよ」

 

 不安そうに目を潤ませるあずさが文也の声を聞くや否やすぐに駆け寄ってきて、パニック気味ながらもなんとか事情を説明する。

 

 それだけではわからない部分は多いが、話の核心だけは理解した。

 

 おそらく、摩利が、『ミラージ・バット』の、時間的に考えて一回戦で魔法事故を起こしたのだろう。

 

 しかし文也からすればありえないことだ。摩利は魔法の達人であり、魔法事故など起こすはずもない。

 

 若い魔法師の卵や雛である普通の高校生ならまだしも、摩利はプロ顔負けの超一流魔法師だ。日常の油断した場面ならまだしも、競技本番という事前に心も体も整えてきた場だ。そんなところで、ここまで騒ぎになるような事故を起こす女ではない。

 

 となると、外的要因……何者かによる工作だろう。

 

 文也は入り口からどいて、あずさを抱きしめて頭をなでて慰めながら、周りの会話を聞き取って情報を得る。

 

『ミラージ・バット』第一戦目にでることになった摩利は、『バトル・ボード』での屈辱を晴らすべく気合十分で挑んだが、途中で何かの原因でCADが作動せず、魔法も起動せず、超高所から水面ぎりぎりで大会委員の魔法によって受け止められるまで落下したのだ。本来ならもっと早く大会委員は受け止められたのだが、そちらのCADも不発を起こし、係員の機転でCADなしで魔法を行使してぎりぎり間に合った。という顛末だ。

 

 一歩間違えれば高所から水面にたたきつけられるという大事故であり、かなり危ないところだったのだ。

 

 さしもの摩利もこれには相当メンタルがやられた。ショックによる気絶もなく、また自分で立てないということもないのは流石だが、自信があった魔法でこれがあっては、とてもではないが平常心ではいられないだろう。

 

 この状態で競技に出るのは危険と判断され、摩利はあえなく棄権となった。

 

 あずさが落ち着くと、文也はすぐに達也に電話をした。

 

「おい司波兄、今起きたんだが、なんか原因はわかったか?」

 

『井瀬か。なにがあったかは分かってるみたいだな。俺の友人が原因らしきものを観測した。渡辺先輩のCADが不発になる瞬間、一瞬だけ古い電化製品の火花の様な現象が見えたそうだ』

 

「それは物理的な方か?」

 

『いや、イデアのほうだ。精霊がそうやってはじけて消えたらしい』

 

「……なんてもんが見えてやがる。まあそれはいい。手口はなんとなくわかった。おい司波兄、二戦目は妹さんだろ? CADを預ける時、よくチェックしておけよ。そのタイミングだ」

 

『わかってる』

 

「ならいい。こっちは『ツテ』を使って調べておく。もう俺は暇だからな」

 

 文也はそう言って通話を切ると、あずさに別れを告げてテントから出て、すぐに自室に戻って電話をかける。相手は文雄だ。

 

「親父、さっきの事故は見たな?」

 

『ああ、あの渡辺摩利が自分のミスでああなることはない。CADに細工をされたな』

 

「そうだ。精霊が見えるらしいやつが、CADのあたりで精霊が火花を散らすみたいにはじけたって言ってたそうだ」

 

『まさか『電子金蚕』か。大陸らしい手口ですこと』

 

「なんだかよくわからんがそんな魔法があるのか」

 

『ああ。簡単に言うと機械の動作を狂わせる魔法だ』

 

「やばいな、それ」

 

『モノリス・コード』新人戦と今回、いよいよ黒幕――『無頭竜』は、本格的に一高の妨害を始めた。未だ理由は不明だが、その工作の結果がすべて一高の勝利に不利な働きをしている。優勝をしてほしくないのだろう。

 

「そろそろ本格的に調べてくれ。こっちも友達が二人やられて我慢の限界だ」

 

『あずさちゃんと駿君だな。……わかった、こっちも本気だ。高校の違いなんて関係ない』

 

 息子の親友として、文雄は二人のことをよく知っている。故に、文雄も相当怒っていた。

 

 昨日一昨日は『モノリス・コード』に集中するためと、競技の疲れから何も探らなかったが、文也も本格的に対応し始める。

 

 しかし文也ひとりでやれることは少ない。よってひとまず父親に任せ、文也はとりあえず下手人がいる可能性が最も高い場所に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい、なんの騒ぎだ?」

 

 文也は一高テントに入った時と全く同じセリフを言いながら、CADチェックを行っている大会委員のテントに入った。

 

 その中では、達也が係員らしい男を取り押さえている。

 

 突然の出来事に加えて突然の闖入者に他スタッフが困惑する中、達也は一層拘束を強くしながら文也に説明する。

 

「こいつが深雪のCADに細工した」

 

「そうか」

 

 その瞬間、濃密な殺気が膨れ上がったのを、周りのスタッフは感じた。

 

 文也は表情を変えることなく、平然とすたすたと歩いてテントの端に向かうと、そこに置いてあったパイプ椅子を持って達也たちに近づくと、拘束されている係員の頭に向けて思い切り振りかぶった。よく見ると眼は鋭く、底冷えするほどの冷たい怒りを湛えていた。

 

 二つの激しい殺気にテントが満たされる中、そこに穏やかな老人の声が届いた。

 

「何事かね?」

 

 そこに現れたのは、今代『最巧の魔法師』とうたわれる九島烈だった。

 

「――九島閣下」

 

「九島のジイサンか」

 

 その姿を見た達也は鬼気を収めて立ち上がって一礼して非礼をわびたのに対し、文也はぞんざいな反応をしてパイプ椅子を下ろしただけだ。下ろした時にパイプ椅子の端が係員の頭に当たったが、だれもそれを気に留めない。

 

「君らは――第一高校の司波君と、井瀬のワルガキか。昨日の試合は見事であった」

 

「ありがとうございます」

 

「そりゃどーも」

 

 九島の言葉に、二人は真逆の態度で反応する。その後、達也が説明を始めると九島はCADを手に取り、それが『電子金蚕』であることを見破る。そのまま流れで二人は解放され、一高テントに戻った。

 

 その道すがら、達也は文也に尋ねる。

 

「九島閣下と知り合いなのか」

 

「ちょっとな。親父の知り合いでよ、その縁でうちに来たんだけど、俺が悪戯しかけたんだ」

 

「なんてことを」

 

「まあ即見破られて撃退されたんだけどな」

 

「いくらお前の家族と言えどそれはさすがに怒っただろ?」

 

「親父も母ちゃんも手叩いて笑ってた」

 

「あっそう」

 

 達也は考えるのをやめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あーちゃんって結構神経太いの?」

 

「いきなりなんですか!?」

 

 なんやかんやあって予選第二回戦手前、司波兄妹を見て、何か考えているようだが想定していたほど深刻でない様子のあずさに、真由美は声をかけた。

 

「いや、てっきり一科とか二科とかの枠組みとか、あの二人の異常性にいろいろ思うところがあるんじゃないかなって、上級生のお姉さんらしくカウンセリングしてあげようと思ってたんだけど」

 

「えっと、今まさしくそのこと考えていたんですけど……」

 

 あずさは困り顔だ。何せ、彼女の言う通り、まさしくそのことについて悩んでいたからだ。

 

 優等生としての『自信』。それが揺るがされたあずさは、思い詰めていた。

 

「うーん、いや、まあそうなんだけど」

 

 ただ、真由美からすれば、その悩みはだいぶ軽く見えた。

 

 なんというか、「まあそういうこともあるだろう」とか、「知ってた」とか、そういった、浮いていながらも何か根拠がありそうな納得をしていて、それがあずさの悩みをかなり軽減させているように見えたのだ。

 

 ただ自分に言い聞かせて割り切っているだけではない。無意識でそう考えているのである。

 

「あ、わかった。あーちゃん、同じくらい異常なの知ってるもんね?」

 

「もういったいなんなんですか……」

 

 真由美があくどい笑顔を浮かべる。この笑顔は何回か見た。あずさの同級生でもあり二年生で自身と双璧をなす生徒会役員、範蔵をからかおうとしているときの顔にそっくりだ。若干うんざりしつつも、あずさは次の言葉を促す。

 

「なあにとぼけてるのよ! 愛しの彼、井瀬君でしょ?」

 

「ふぇっ!?」

 

 からかいがくると身構えていたはずなのに、あずさはすぐに顔を真っ赤にしてうろたえた。ちょろいやつである。

 

「い、愛しの彼ってそんな……いや、そうですけど」

 

「なに? ほんとに付き合ってるの? まあイチャイチャしてるしねえ」

 

「そ、そっちじゃなくて! そうっていったのは、ふみくんのことを考えてたことです! ふみくんは、その、彼、とか、い、愛とか、そ、そういうのじゃなくて、えーと」

 

 真由美はこの時点でかなり満足していた。百点満点中三百点の反応をしてくれた。

 

「た、たしかに、ふみくんのことを知ってたから、軽くなってるのかもしれません。ふみくんは昔からずっと、ずっとすごくて、いつも魔法に関することでは一番でしたから」

 

 真由美は知らないことだが、あずさは知っている。文也は、魔法師界隈を揺るがす『マジカル・トイ・コーポレーション』の魔工師『マジュニア』であると。もともと当時から圧倒的に魔法関係で優秀であった文也に、あずさは勝てた部分があまりない。そうした規格外の存在を知っているから、悩みが小さかったのだ。

 

 そう言ってあずさが浮かべた笑みは、穏やかなものだった。先ほどまでの狼狽によって頬は赤らみ目に涙が少し浮いているが、それがより一層、彼への想いを表しているように、真由美は思えた。

 

 尊敬できる幼馴染を見る親友としてだけでなく、すごい弟を見る姉の様なものや、自覚していない想い、それらが緩やかに混ざり合った、そんな想い。

 

 真由美から見れば厄介なワルガキだが、あずさからこう見られているのを感じた真由美は、文也のことを少しだけ見直した。

 

(大事にしてあげなさいよ、井瀬君)

 

 可愛い後輩の行く末を、真由美はひそかに応援した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪が飛行魔法を披露して決勝進出を決めたり、ジェネレーターが暴れそうだったのを柳・真田・藤林が止めたり、決勝戦で『フォア・リーブス・テクノロジー』製の飛行魔法を使う深雪と『マジカル・トイ・コーポレーション』製の飛行魔法を使う四高選手、それに即興で飛行魔法に対応したらしく得意の『稲妻(エクレール)』と併用して食らいつく三高の一色愛梨が最後まで接戦を繰り広げて深雪が優勝したりしたこの日の夜。

 

 達也は公安である遥から情報を受け取り、藤林の運転で横浜へと向かう。

 

 復讐を果たすために。

 

 その道中、藤林から、妙に気になることを言われた。

 

「ねえ、この件、私たち以外に探っている奴がいるわ」

 

「十文字先輩とか七草先輩のところでは? はたまた『電子金蚕』から逆算して察した九島閣下かと」

 

「いいえ、『数字付き』のところはそこまで深く動けてない。私たちが知らない集団よ。どこまで知ってるかはわからないけど」

 

「だとしたら国家規模でしょう。いよいよ言い訳を諦めて本腰を入れたのでは?」

 

「それくらいしかいないわよねぇ。でも、なんか気になるのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『待ってくれ! ボスの名前はリチャード=孫だ!』

 

「表の名は?」

 

『……孫公明』

 

 達也は恐怖による尋問で、『無頭竜』のボスの情報を次々と聞き出す。そして聞きたいことを聞き出すと、最後に残した男を『消失』させた。

 

(あっけなかったな……結局、俺ら以外に調べていたのは誰なんだ)

 

 達也はそんな疑問を抱きながら、帰り支度を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんじゃありゃ」

 

 その様子を、藤林やその他の団体の監視から逃れて、高性能望遠鏡で見ていた男がいた。

 

 公安や軍のツテを使って調べ上げ、息子の復讐のために頑張ろうとしていた文雄は、準備をしていた途中で『無頭竜』側の騒ぎに気付き、しばらく様子見をしていた。

 

 ジェネレーターが『消失』させされ、幹部たちも消えていく。途中でジェネレーターたちが指さした方向を見ると、そこには目元を隠した少年が立ち、特化型CADを『無頭竜』のほうに向けていた。

 

 文雄はすぐに恐ろしい魔法であると直感した。あの距離から対象を知覚し、『情報強化』も『領域干渉』も消し飛ばし、人体も消失させる。

 

 文雄は、理論上でしか聞いたことない、究極の『分解』魔法だとすぐにわかった。

 

 息子も『情報強化』だけならなんとか分解できるが、こちらはこの世のものすべてを分解できてしまえそうだ。しかも、その分解の精度は、息子が開発したものとは比べ物にならない。

 

 まさしく悪魔。魔王。

 

 そんな形容すら陳腐なほどに、この少年の姿は恐ろしかった。

 

 文雄は冷静になり、当初の目的を忘れて考える。

 

 望遠鏡で見続けることはしない。明らかに『やばい』案件だ。超遠方から見ていても、第六感の様なもので余裕で気づかれてしまうだろう。

 

 あの少年の体格、立ち姿、構え方……つい最近見たことある。

 

(司波達也君、か)

 

 文雄はばれないよう、そそくさと帰り支度をしながら核心に至る。

 

 なるほど、納得だ。息子から聞いた情報も相当異常だが、その範囲を超えた存在であったようだ。

 

 様々な特徴も合致するし、文也が言っていた情報――魔工師技術、運動神経、戦闘能力、戦術勘、軍の高官と知り合い――からするに、達也は息子すらも超える異常な存在だろう。

 

(こりゃ参ったな)

 

 そして達也のもう一つの正体にたどり着く。

 

 あの分解は、まさしく、もはや伝説となっている最高機密と合致している。

 

 三年前の沖縄防衛戦。自分の息子、文也にも縁が深い出来事だ。

 

 その中で大暴れした謎の魔法師。

 

 その時の様子と一致する。

 

 とんでもないことを知ってしまった。

 

 このことはさすがに息子には話せない。

 

 文雄はそっと心の奥にしまっておいて、帰りながらどう息子に経過を説明しようか頭をひねった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜、一仕事終えた達也は、自室で深雪に迎えられた。もうかなり遅い時間なのだが、明日は二人とも完全にオフだ。夜更かしは問題ない。

 

「お兄様、お疲れさまでした」

 

「ああ、ありがとう」

 

 そんなやり取りをして、深雪が準備した紅茶を囲いながら、今日の経緯を説明する。

 

 そんな話が終わると、達也の話は、昨夜の文也との密会についてになった。

 

 深雪はまず、こっそり会っていたことに驚いた。達也は、内容が内容なので競技前に知っては悪影響だろうと黙っていたのだ。

 

 そして文也に『フラッシュ・キャスト』と自己修復について、深い疑念を持たれていることを話すと、深雪は怒りを通り越して、恐怖を覚えた。

 

「そんなことを……そんなことを知覚して、そこまで予測できるだなんて……」

 

「ああ、俺も驚いた。高校生とか魔法師とか、そういうレベルにいるやつではない」

 

 重要な案件だ。本来なら軍だけでなく、『四葉』にも報告しなければならない。

 

 しかし、それはできない。軍はまだ待ってくれるが、四葉は容赦しない。世界最高峰の暗殺部隊が送り込まれ、文也は殺されてしまう。さすがにそれは避けなければならなかった。

 

「深雪、気を強く持って聞いてほしいことがある。まだ確証はないが、井瀬について、確信がある」

 

「はい、どうぞ、お話しください、お兄様」

 

 深雪はまだ動揺しているが、視線は定まり、覚悟を決めている。

 

「あいつ、井瀬文也は、『MTC』の『マジュニア』だ」

 

「……………………そういう、ことでしたか」

 

 驚きと怒りで深雪は暴走しそうになったが、長い沈黙を通して、なんとかその感情を抑え込んだ。

 

「『深淵』、『地雷原』、『爆裂』、『インフェルノ』、『分解』、『分子ディバイダー』、『キルリアンフィルター』、他者の秘匿技術や高等技術を、たやすく再現して見せる。そんな圧倒的な技能と遠慮のなさは、考えてみれば、今まで嫌というほど見せられてきた」

 

 達也は、この結論に至った過程を説明する。深雪ももうわかっていることなのだが、落ち着くための時間を取るためにあえてそうしているのだ。

 

「それは『MTC』の『キュービー』と『マジュニア』だ。最初からヒントはあった。そこの改造デバイスを愛用し、使いこなしている。そりゃあそうだ。開発したのは自分自身だからな。やり口もそっくりだ。井瀬みたいなことができるやつがこの世に何人もいるはずがない。この二人のどちらかと考えるほうが自然だ。登場時期と年齢的に見て、あいつは『マジュニア』だ。四高に、唯一俺に魔法のことを教えられる先生がいると聞く。それは井瀬の父親、井瀬文雄のことだろう。それが『キュービー』だ」

 

「最初から、そういう運命だったのでしょう」

 

 怒りがにじむ声で、深雪はつぶやく。兄の話は、頭に入ってこない。

 

 兄の『聖域』を侵す存在が二つあった。その二つが、深雪はたまらなく憎かった。

 

 一つは『マジカル・トイ・コーポレーション』。『トーラス・シルバー』の片割れとして活躍する兄の名声を技術で奪い合い、アイディアがかぶったあげく、時にはその先を行く。

 

 もう一つは井瀬文也。高校生のレベルをはるかに超えた魔工師技術、『パラレル・キャスト』、分解。兄だけの特別な技能のはずだったのに、それをやってのける。

 

 この二つが同一なのだ。そして、そんな異常な存在が同じ国、同じ年に生まれ、同じ高校に入ってくる。

 

 最初から達也とぶつかってしまう。そんな存在だったのだ。

 

 深雪の憎しみと怒りは、これを受けて倍増した。しかし、その激しさは収まった。

 

 今まで矛先が二つもあって、無秩序に怒りが散っていたが、その対象が一つに収束した。

 

 それにより、感情は増幅されたが、それは塊になり、無秩序にあふれ出すことがなくなったのだ。

 

 そんな妹を、達也は考えることもなく、無意識に抱き寄せ、優しくなでる。

 

 心配ない。大丈夫だ。

 

 妹を元気づける。

 

 頼れる兄として。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おう、あーちゃん」

 

 少し時間は戻り、達也が『無頭竜』と戯れているころ、あずさは文也の部屋を訪れていた。

 

 あずさは笑顔だが、どこか表情に元気がない。

 

 何か悩んでいるのだろうと思った文也は、事情を聞かずに部屋に招き入れる。

 

 あずさはイスに、文也はベッドに座る。あずさはずっと黙って、何か迷うようにもじもじするだけだ。

 

 しかし深呼吸をすると、あずさは覚悟を決め、意を決して話そうとする。

 

「あの、あのね、司波君のことなんだけど」

 

「あいつが『トーラス・シルバー』だってこと?」

 

「もしかしたらトーラ……って、ええ!? なんでわかったの!?」

 

「あーちゃんなかなか勘が利くじゃん」

 

「それはどうでもいいの! なんで私が言おうとしてることが分かったの!?」

 

 あずさは立ち上がり、強く握りしめた両手を胸の前に持ってきて文也に詰め寄る。顔の距離が相当近いが、お互いに気にした様子はない。

 

「まあまあ落ち着け。アイツが『トーラス・シルバー』のどっちかなのは、今回のを見ればわかるだろ。司波兄が用意したのは全部高校生どころか、プロの魔工師のレベルに収まってない。あんなことができるのは、俺か親父、それと『トーラス・シルバー』ぐらいのもんしかいないさ。ここにあともう一人なんかいてたまるかよ」

 

「や、やっぱり、そう思った?」

 

「おう」

 

 公開されていない術式、異常な魔工師技術、最新のデバイス、未発売のシルバーモデルCAD、どれもが怪しさ満点だ。文也も、父親への対抗心で本気を出しすぎたので、達也あたりには自分の正体が気づかれるかもしれないという自覚はあるので人のことはいえないが、達也もやりすぎだ。

 

 まあ高校生がかの『トーラス・シルバー』だなんて想像するほうが無理があるが、だからといってこんだけのヒントがあれば結構な人数が勘づきそうである。それでも勘づいたのが文也とあずさだけだった。

 

 やはり、どんな常識はずれなものを見ても、それを常識の尺度で見てしまう。

 

 いくらなんでも、『普通に』、『常識的に』、『まっとうに』考えて、高校生がかの『トーラス・シルバー』であるはずがない。

 

 無意識的に、ほぼすべての人々はそう考えた。

 

 しかし、ここにいる二人は、その『常識外れ』が日常にいる。故に『常識』というタガは外れている。

 

 文也は『キュービー』こと文雄の息子であり、『マジュニア』本人。

 

 あずさはその文也と幼馴染で、さらに二人の素性も知っている。

 

 文也と深い仲だといえど、このことは、駿も将輝も真紅郎も知らない。

 

『そういうこと』を深く知っているがゆえに、「『そういうこと』もある」ということを実感している二人は、達也が『そういうこと』であることにたどり着いたのだ。

 

「同じ高校に『マジュニア』と『トーラス・シルバー』が同学年でいるなんて……」

 

「傑作だよな。いっそジョージも引っ張ってきて『カーディナル・ジョージ』も加えるか?」

 

「何なの、その恐ろしいトリオ……」

 

 この三人が並び立つことを想像して、自身もまた優秀な魔法師であり魔工師でもあるあずさは恐ろしさを覚える。三人が手を組めば、魔法師界隈がひっくり返りかねない。世界中の魔法技術者が全員その道を捨てて別の道を探しそうなレベルだ。

 

「ま、別にアイツが『トーラス・シルバー』だってわかったなら話が早いな。ライバルが二人いると思ってたけど、それが同一人物なら一人だ。少なくとも四位じゃなくて三位は確定」

 

「ふみくん、弱気すぎ……」

 

「だって四と三じゃ全然違うだろ? ま、ゆくゆくは絶対的な一番になってやるさ」

 

 文也がライバル視するのは二人。『トーラス・シルバー』司波達也と、『キュービー』井瀬文雄。

 

 口ではこう言っているが、今の段階でも負けているつもりはない。文也の感覚では、総合的に見れば三人でほぼ横並びだ。

 

 そもそも『フォア・リーブス・テクノロジー』は最先端で最新鋭で最高の技術を提供する会社であり、いわば高級品だ。それに対して『マジカル・トイ・コーポレーション』は安くてお手軽、便利を売りにしており、競争相手とみるのも適切ではない。

 

 しかしそれでも、やっぱり自分の得意分野なのに、負けている部分があるのは悔しいし、勝ちたい。

 

 だから、あえて競争相手として、達也を意識する。

 

 それこそが、文也の『負けず嫌い』だ。

 

「ひとまずテストの成績で勝ってやんなきゃな。よーしこの夏は頑張るぞ」

 

「ゲームばっかりにならないようにねっ」

 

「………………持ち帰って、前向きに善処する方向で検討しようと予定する所存です」

 

 肯定の言葉が並んでいるのに、あずさには否定にしか聞こえなかった。




次回が2章の最終回となります


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2-25

累計ポイント1000突破ありがとうございます。
あと、日間ランキングにも乗ってたようです。ありがとうございます。


 九校戦最終日。

 

 もう一高の完全優勝は決定しているのだが、だからといってその熱気が収まるわけではない。

 

 むしろ他校は一矢報いんと闘志を燃やすし、一高はそれを跳ねのけて最終日も勝って気持ちよく終わるつもりだ。

 

 そんな最終日に行われるのは、『モノリス・コード』の決勝リーグのみ。

 

 ずいぶんとバランスの悪い日程だが、最終日は表彰式と閉会式、パーティーなどがあるため、余裕のある時程が組まれているのである。

 

 そんな『モノリス・コード』には選手や作戦スタッフだけでなく、エンジニアも遠慮なく使う。一人につきエンジニア一人ずつという大盤振る舞いだ。

 

 克人には三年生の木下、辰巳には五十里、範蔵にはあずさが、それぞれ担当する。

 

 あずさと五十里は二年生で木下は三年生だが、知識も技能もあずさと五十里のほうが数段上だ。よってあずさと五十里が作戦の軸になるであろう克人と辰巳を担当するべきなのだが、いかんせん、この二人、めっちゃ怖い。怒ったり大声を出したりすることはないのだが、見た目もいかついし、態度も威圧感がある。

 

 ゆえにあずさはどうしても委縮してしまって腕が振るえないので、範蔵を担当することになった。範蔵も人当たりが良くないし気性も荒い方なのだが、あずさが心を許す数少ない友人の一人であり、だれにでも敬語のあずさが普通の口調で話せる数少ない一人でもある。

 

 そしてその調整の様子を、文也と達也は見ていた。

 

 それだけではない。技術スタッフは全員ここに集められている。「今後に生かすために見学するように」ということだ。

 

 ただし文也と達也に対しては建前でしかなく、最終決戦の準備のミスチェックをするアドバイザーとしての役割を期待されて集められた。

 

 故に達也は昨夜のことについての風間たちへの報告のためにわざわざ早朝に起きざるを得なかった。同じ境遇でありながら寝坊して遅刻してきた文也がうらやましい限りである。

 

 そしてこの二人から見られた状態で調整をする三人は、これ以上ないほどのプレッシャーを感じていた。なにせ二人とも一年生にして最高峰の腕を見せたエンジニアだ。上級生として、恥ずかしいところは見せられない。文也に見られることは慣れてるあずさも、達也にもみられているため緊張している。

 

「木下センパイ、『ファランクス』が入ってるデバイスはまあいいとして、汎用型のほうはその登録だと会頭さん大変だぜ。よく使う魔法から順に若い数字にするんじゃなくて、入力しやすい順にするんだ」

 

「五十里先輩、その事前時間設定では、辰巳先輩の拳の速度に間に合いません。あとコンマ1秒ほど早くするべきです」

 

 そしてこの二人、遠慮なくズバズバと切り込んでくる。しかもかなり細かい。

 

 実は、事前に真由美と鈴音から「遠慮なくどうぞ」とおすすめ、および命令されているのだ。

 

 会長からそう言われてしまっては仕方ない。

 

 そう考えた二人は、余すことなく気になったところの修正を要求した。

 

 結局、最終的に三人はいつも以上にぐったりと疲弊したが、出来上がった調整は、三人にとって過去最高の出来だった。

 

 ちなみに三人の中で一番注意が少なかったのはあずさだ。元から優秀なのもあるが、ここ数か月は文也との交流によってさらに実力を伸ばしている。

 

 克人は、そんな姿を見ながら、来年も一高は大丈夫そうだ、と、自分の試合とは全く関係ない安堵をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 閉会式の表彰は、まず各競技の優勝者の表彰から始まり、新人戦準優勝・優勝、本戦準優勝・優勝、そして総合準優勝・優勝の表彰という流れだ。

 

 新人戦優勝一高、本戦優勝一高、総合優勝一高と、他校にとってはとんでもなくつまらない閉会式となったが、これは王者の特権として、一高はその栄冠と達成感と優越感を大いに楽しんだ。

 

 そして夜のパーティ。達也が他校から見て近寄りがたい反動で、文也には他校からのアプローチが集中した。達也に並ぶ技能と活躍を見せた文也は、すっかり他校、特にエンジニアからは注目の的なのである。

 

 それに気を良くした文也は、あずさの制止も聞かずに、魔法でちょっとした芸を披露して楽しませてみせる。そしてそれを察知して自分の用事を打ち切ってまですっ飛んできた摩利に跳び蹴りを食らう。この場で魔法の行使はご法度なのだ。担当である駿がいない今、文也の監視役は摩利だ。昨日あんなことがあったのにもうこれだけ元気なのはさすがのメンタルというべきである。

 

「このヤロッ、てめえ口ん中切ったじゃねぇか! 旨い料理楽しめないだろボケ!」

 

「うるさい! サルは残飯でも食ってろ!」

 

 他校の注目が集まってる中ギャイギャイ騒ぐ文也と摩利。久しぶりに担当をするものだから、摩利も冷静さを欠いているようだ。

 

 それを見た真由美は恥ずかしさで死にそうになる。文也をエンジニアに選ぶとなった時の懸念が見事的中した。

 

 幸い、摩利は鈴音によって冷静になり、文也は事態を察した将輝が駆けつけて腹パンをして黙らせた。そして、なにげない将輝の同情的な視線が、摩利と真由美を傷つけた。

 

 ちなみに騒ぎを聞きつけたスタッフが止めようとしたが、九島烈が「ほっとけ」と呆れ声で言ったことで、そこまでの騒ぎにはならなかったことを付記しておく。

 

「全くお前は、大人しくするってことができないのか」

 

「ぐえー」

 

 遠慮なく料理を貪り食ってた文也は鳩尾を殴られたせいでリバースしそうになるが、すんでのところでこらえる。話を聞いている様子もない文也を見て、将輝は深いため息をついた。

 

「マサテル」

 

「マサキだ」

 

「おまえさ、司波妹をこのあと誘うのか?」

 

「ブフッ」

 

 そこに唐突に飛んできた文也の問いかけに、将輝は思わず飲んでいた炭酸ジュースを噴き出した。幸い周りに見られることはなかったが、かなり恥ずかしい様だ。

 

「ま、まあ、あー、誘う」

 

「ほーん頑張れよ」

 

 自分から聞いておいてこの返事である。

 

 将輝は気疲れを感じながら、早くお偉方に囲まれているジョージが戻ってこないものか、とため息を吐いた。

 

 そんな時間も過ぎ、大人たちが退出して、ダンスパーティが始まる。

 

 将輝は無事深雪を誘うことに成功し、達也は一年生女子と真由美を次々と相手する中、文也は黙々と出された料理を食べていた。周りがダンスに夢中になっているうちに、好き放題食べるチャンスだ。

 

 文也がピザをほおばりながら歩いていると、同じく暇をしていたあずさに遭遇した。

 

 あずさは身長が低く、体格の良いスポーツマンが集まるこの場ではちょうどよくダンスをできる相手がいない。よってダンスをぼっーと見てるか料理を楽しむか談笑をするかしかないのだが、みんなダンスしてて談笑相手はいないし、ダンスを見ていても一部のペアを除いたら――翻弄されてる達也とか、がちがちな幹比古とかはなかなか面白い――面白くなく、だからといって小食なので料理ももうおなかいっぱいだ。

 

 よって隅っこでぼけーっとこの夏は何して過ごそうかな、とか、次の生徒会長は範蔵君だとして会頭は誰がなるんだろう、とか、とりとめのないことを考えていた。

 

「ようあーちゃん。メシ食わねぇの?」

 

「あ、ふみくん。うーん、もうおなか一杯かな」

 

「ほんと全然食わないよなあ。そんなんだから大きくなんないんだぞ」

 

「よく食べるふみくんがこれだから説得力無いね」

 

「え、ひどくない?」

 

 くだらない会話が交わされる。

 

 しかしくだらなくても、あずさにとっては談笑の相手ができたのだ。これ幸いととりとめのない雑談に花を咲かせる。

 

 そんな二人の前を、真由美にもてあそばれて困憊になって休憩しようとダンスの輪から離れた範蔵が通って、二人に気づいた。

 

「なんだ中条と井瀬。二人は踊らないのか?」

 

「うーん、みんなおっきいから、私踊れないんだよねえ」

 

「俺は誘われなければ踊る理由ないかなー」

 

「お前ら……」

 

 話しかけてみたは良いが、そんな二人の反応を聞いて半蔵は心の底から呆れた。

 

「まず井瀬、いいか、ダンスパーティーは、通常は男から誘うものだ」

 

「あーそういえばアニメでそんなん見たわ」

 

「そうか」

 

 範蔵の反応はあきれ果ててそっけない。そのまま文也から視線を外し、あずさを見て注意する。

 

「中条。身長が合いそうな相手が、お前の隣にいるだろうが」

 

「へ? ん? ……ああ、確かに!」

 

 あずさは隣を見て、そこにいる文也を見て、ようやく納得した。

 

 一緒に踊るくらいに親交があって、体格が合う。まさしくぴったりではないか。

 

「じゃあふみくん、踊ってみようか」

 

「おう、いいぞ。俺踊れないけど」

 

「井瀬、お前の頭は鶏か?」

 

 そんな会話を始めたので、範蔵が井瀬の頭をひっぱたく。

 

「俺はさっき、なんて言った?」

 

「いつつ……あ? ダンスパーティーは男の方から……ああ、そういうことね」

 

「全く……」

 

 範蔵は文也の反応を見ると、その場を立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ改めて。……あーちゃん、一緒に踊ってくれ」

 

「うん、いいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也が差し出した手を、あずさは満面の手で取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しいダンスパーティーが終わっていきなりこれかよKY」

 

「お前は中条先輩と踊った以外は食ってばっかだっただろうが。俺だってこんな日にこれは勘弁してほしいよ」

 

 ダンスパーティーもお開きになり、みんなが寝静まった夜。事前に連絡を受けた文也は、あくびを噛み殺し、憎まれ口を叩きあいながら達也に連れられてホテルの廊下を歩いていた。

 

 用事は断ってもいいのだが、事情が事情だけにそういうわけにもいかない。帰りの準備でドタバタする明日よりも、こっそり動ける今が一番好都合であり、それはわかっているのだが、だからといってあまりにも無粋なタイミングだ。文句の一つや二つは許されるだろう。

 

「失礼します」

 

「失礼されました」

 

 達也はドアを開ける時に挨拶をし、文也は夜中に呼び出された恨みを込めて皮肉を吐く。

 

 その部屋に待ち構えていたのは、風間と真田と柳、藤林に中山――達也からすればいつものメンバー、独立魔装大隊のメンバーだ。

 

「こんな夜分遅くにすまない。そちらに腰を掛けるといい」

 

 呼び出した側の風間は、あくまでも尊大な態度だ。達也が部下だから、という話だけではない。本来なら外部の人物である文也を呼び出した公務員として礼儀はわきまえなければならないのだが、達也から「あいつは、なんかもうそういうのはいらないでしょう」との言葉に従ってこの態度だ。

 

「さて、まずは二人とも、九校戦優勝おめでとう」

 

「ありがとうございます」

 

「どーも」

 

 文也は頭を下げない。イスに深く腰掛けて背もたれにふんぞり返り、脚を組んでいる。ただし周りからは反抗期の小学生にしか見えていないのはご愛敬だ。

 

「さて井瀬君、君をこんな時間に呼び出したのは、それだけ緊急の用事があるからだ」

 

「あーうん、『分子ディバイダー』は俺も悪いと思ってる。なんか、こう、すまん」

 

「わかってくれているようで何よりだ。とはいえ我々が動くのも限度がある。自分の身の周りには気を付けておくように」

 

「なんか、外交ルートであちらさん説得できない? 『術式を盗んだんじゃないんです! 知らずに再現しちゃっただけなんです!』って」

 

「そんなことできるというだけで脅威だ。良くて拉致して強制スカウト、悪くて死よりも苦しい目にあって情報を抜かれるだろうな」

 

「やばすぎんだろそれ」

 

 そんな会話をしているうちに、三人に対して藤林から紅茶が出される。文也は毒を疑って風間とカップを交換し、甘党なので砂糖をたっぷり入れ、ついでに達也のカップを奪って互いの中身を折半する。

 

「そんなに疑われたら悲しいわ」

 

「それよりも井瀬、俺は無糖派なんだが」

 

 そのあまりの行動に、文也以外は思わず唖然としてしまう。

 

 しかし、文也からすればここにいるのは一歩ずれれば全員敵。これでも足りないくらいだ。

 

「うわこれうっま。……そんなこと言われたって、警戒しとくに越したことないだろ。お前らは俺を守ってくれるのは嬉しいけどよ。ちょっとここにいるやつ、全員キナ臭すぎるぜ。普通の軍人さんが一人もいねぇじゃねえか」

 

「なんとかそのきな臭さは紅茶の匂いで我慢してくれるかしら」

 

 文也の反抗も軽く流される。この程度の腹の探り合いなど、ここにいるメンバーなら朝飯前だ。時間的にはお夜食だが。

 

「『分子ディバイダー』の件だけではない。井瀬君、きみは、『気づいた』そうじゃないか」

 

「なんのことだ?」

 

「ふふっ、わかっているだろう?」

 

 文也はあえてとぼけることで、疑っている二つを風間たちがどう呼んでいるのかという情報を抜き出そうとしたが、その程度の意図は当たり前のように読んでいる。子供をあやすように風間はそれを受け流した。見た目はまんまいかつい大人と子供なので間違ってはいないだろう。

 

「達也からも聞いていると思うが、あれらは、最高クラスの国家機密だ。我々としては本来なら勘づかれただけでも厳しい対応を取らなければならない。しかし君はまだ子供で、達也のお友達だ。知られてしまったこと自体、達也自身にも責任がある。よって、まだ手出しはしない」

 

「そりゃまたどーも」

 

 風間が少し圧力を強めてそう言うと、文也は崩れない不遜な態度で応じる。しかしその圧力の変化を感じ取ったようで、少しだけ冷や汗をかいているのを、達也たちは当然のように見逃していない。

 

「しかし、君にはそれを守秘する義務がある。我々は、それを念押ししようと思ってこうして呼び出したのだ」

 

「今さらだよ。あんたと知り合いって時点で機密だろうし、ここの連中もおんなじだ。機密事項しかねぇじゃねえか。司波兄はびっくり箱どころか、開けちゃいけないパンドラの箱だってわけだ」

 

「達也君、言われてるよ」

 

「しかも自分から勝手に開く箱ときたもんだ」

 

「面目ない」

 

 文也の皮肉を聞いた山中と柳がこらえきれず笑いだす。それを聞いた達也は、平然と謝るだけだ。達也自身、仕方ない部分が多いが、勝手に自分が見せただけのことばかりなので、申し訳なくは思っているのだ。

 

 針のむしろになった達也の姿を肴に文也はニヤニヤと紅茶を楽しむ。さっきまで警戒してたのにおかわりまで要求する満喫っぷりだ。

 

 そんな文也に、まだ話が終わっていない風間が呼びかける。

 

「さて、『マジュニア』くん」

 

「ブウウウウウウウウウ!!!」

 

「あっはっはっはっはっ!」

 

 予想しない呼び名で呼ばれた文也は飲んでいた紅茶を思わず勢いよく噴き出す。それが風間の顔面にかかるのを見て、山中は手を叩いて笑ってしまう。達也と文也と風間以外は、みんな笑ってしまっていた。

 

「てめぇ司波兄! お前が察してるのは百万歩譲っていいとして、それをこいつらに言うのはやりっこなしだろうがよ!」

 

「その前に風間さんに謝れよ……」

 

 文也は立ち上がって達也の胸ぐらをつかんで叫ぶが、達也は面倒くさそうな顔で抵抗もせずにそう言った。風間は引きつった顔でポケットから高そうなハンカチを取り出して顔を吹く。糖分たっぷりなのでべたつきも上乗せだ。

 

「き、君もだいぶ自重しなかったからな。我々も遅かれ早かれわかったはずだ」

 

「早ええよ! そんなことするんだったら、司波兄てめぇの素性もこの場でばらすぞ!」

 

「この方たちはもう知ってるぞ」

 

「知ってんのかよ『トーラス・シルバー』! 謎のベールに包まれた魔工師さんはまたずいぶんガッバガバでしたねぇ!?」

 

「お互い様だ。そうそう、これも国家機密だ」

 

「でしょうねえええええええ!」

 

 興奮する文也に対し、達也はまさしくどこ吹く風だ。

 

 そんな二人のやり取りを見て、ついに風間も笑ってしまう。腹の探り合いしかしない間柄ばかりの生活ばかりな中、文也の率直なリアクションは中々に新鮮に映って面白いのだ。

 

「で、お前はトーラスとシルバーどっちなんだ?」

 

「……井瀬君、念のため言っておくけど、『トーラス・シルバー』が二人グループだっていうのも結構深い秘密よ?」

 

「魔工師の陰謀論大好き界隈では有名な話だろ、二人組だって。あくまで噂レベルだけど、信じてる奴は結構多いぜ」

 

「はめられたな、藤林少尉」

 

 面白そうに柳が藤林をからかう。文也に騙された形になってしまった藤林は、気を抜いてしまったと即座に反省した。

 

『トーラス・シルバー』が二人組である、というのは、まことしやかにささやかれる都市伝説だ。ハードとソフト、どちらも世界最高峰であり、これはハードとソフトそれぞれのスペシャリストが組んでいるはずだ、という論理性と希望的観測が混ざった噂であり、あずさはこれをそこそこ深く信じ込んでいたりする。幼いころに誰かさんの影響で都市伝説物のゲームやアニメを何回か楽しんだ影響がみられる。

 

 文也も噂としか考えてなかったが、達也が『トーラス・シルバー』だと確信した瞬間、その噂を受け入れた。達也はソフト面ならこのレベルにまさしくふさわしいが、ハード面では『トーラス・シルバー』のレベルに届いていないということもわかっていた。よって、文也はハード面でのスペシャリストがいると踏んでいたのだ。

 

 まだ確信ではなかったが、今のカマカケで藤林が見事ひっかかり、二人組であることが確信できた。

 

 こうなってしまっては仕方ない、どうせ遅かれ早かれ知られることだ。と風間たちは開き直り、もう少し文也で遊ぶことにした。

 

「ちなみに井瀬君。君は達也がトーラスとシルバー、どっちだと思うかね?」

 

「は? うーん、トーラスは輪っかって意味だけど、牡牛のタウロスがかかってるんじゃないか? 司波兄は筋肉モリモリでゴリマッチョだし、こっちがトーラスだ」

 

「惜しい、いい線いってるんだけどね」

 

 風間の問いかけへの答えを聞いた山中は指パッチンまでしてわざとらしく反応した。

 

 ハード担当は牛山というエンジニアで、彼の名前からの連想でトーラスとなったので、あながち間違いではない。

 

「司波、シバー、シルバーてことでシルバーか。なんだくだらねえな」

 

「昔のアニメからとったお前らに言われたくない」

 

「どっちもどっちじゃないか?」

 

 文也と達也の会話を聞いた柳は笑いながら茶々を入れる。異常な二人も、こうしてみればただの高校生だ。

 

「そういえば、えーと……オッチャン」

 

「風間と名乗ったはずだが」

 

「そうそう、そんな感じの名前だったな。どうせ呼ばれたついでだ、一つ聞きたいことがある」

 

「答えられる範囲なら答えよう。なんだ?」

 

 謎のベールに包まれた技術者に関する話も終わり、文也は風間に向き直って問いかける。いきなりの質問なので多少面食らったが、すぐに予防線を張ったうえでその質問を許す。

 

「ちょっとばかし『ツテ』があってそっから連絡があったんだけどよ、昨夜、この九校戦でよくもまあやってくれた『無頭竜』の連中が、何か知らんけど、失踪したらしいんだ。なんか知ってるか?」

 

「……ふむ?」

 

「失踪自体を知らないとはさすがに言わせないぞ。それに関する情報を持ってたら教えてくれ」

 

 途端に、先ほどまで和やかだった空気が豹変し、一気に硬質なものになった。

 

 達也たちにしてみれば、この情報は急所だ。絶対に知られてはいけない『大黒竜也特尉』が『トライデント』を以て実行した作戦であり、極秘も極秘である。

 

 本来このことは世間一般に公開されていないのだが、大事でもあるため、然るべき人間が調べれば、東日本支部の面々の失踪と横浜中華街のホテルの壁の穴くらいはすぐにわかるのだ。

 

「……我々としてもそれは極秘事項なのだが……せっかくの縁だ。少しは教えよう」

 

 すべてを隠し立てする、というのは、これに関する情報が自分たちの急所である、と教えているようなものだ。故に多少は教えようと思うが、しかしそれでも予防線は張る。

 

「ただし、まず君が、どこまで知っているか教えてくれないか?」

 

「あーそうかい。俺のツテの能力調べますってか。…………わぁーったよ」

 

 風間の問いの意味をすぐに文也は理解した。大隊のメンバーが警戒レベルを一段階上げる中、文也は十数秒迷い、観念して教えることにした。

 

「っても大したことは知らないんだよ。『無頭竜』がなんだかわからんけど俺らの優勝を邪魔してたこと、それでCADに細工をしたりしてたこと、その本丸らしいホテルに穴が開いてたこと、幹部クラスが全員失踪してたこと、こんくらいだ」

 

「……そうか」

 

 何かを隠していたらすぐに問いただすつもりだったが、風間の目から見て、文也は本当にそれ以上知らないようだった。念のため藤林達にもアイコンタクトで確認を取るが、全員嘘をついているようには見えていない。

 

 昨夜の段階で文也は文雄から連絡を受け取っているのだが、コトを察した文雄があえて情報を隠したのだ。ついた時には、もうすべてが終わってもぬけの殻だった、と伝えられたのである。

 

 達也たちからすれば、この程度しか知らないというのは朗報だ。

 

 失踪に至るまでの手口や過程、会場で起こったジェネレーターのテロ未遂については一切知らず、残された結果しか知らないらしい。この程度の能力ならば、彼らの脅威になりえないからだ。

 

「とはいっても、我々もまだそこまで情報を掴めていない。御覧の通り私たちは軍のはぐれ者だから、あまり情報が貰えないんだ」

 

「ふーん、気合入れて調べればすぐにわかりそうなのばっかそろえてるように見えるけど」

 

 風間の物言いを、文也は目を細めて非難する。事実そのとおりであり、仮に実際にほぼ何も知らない状態からスタートしても、このメンバーなら事の真相にたどり着くくらいの能力は持っている。

 

「まず、君の言った情報はすべて真実だ。そのうえで我々が教えられる補足情報は……失踪した連中の名前と、九校戦を妨害した目的ぐらいだ」

 

「どっちも、もうもはやどうでもいいけど……せっかくだ、教えてくれ」

 

 文也は失望したという態度を隠さずに要求した。

 

 そして風間の口から、失踪した『無頭竜』のメンバーと、九校戦妨害の目的を伝えられる。

 

 その話を聞き終えると、文也は拳を机にたたきつけ、怒りをあらわにした。

 

「そんなくだらねぇことのために、あーちゃんと駿はっ……」

 

『無頭竜』東日本支部の思惑はあまりにも考えが浅く、目的も浅はかだ。その馬鹿らしいといっても足りないほどの理由であずさと駿の心と体がひどく傷つけられたことが、どこまでも憎い。しかもその連中はもはや失踪していて、予定していた復讐すらすることができない。

 

 文也はやり場のない怒りを、机にぶつけることしかできない。

 

 そのあふれ出る悔しさを、達也たちは見て感じ取った。

 

 達也たちがやったことは、国防軍としては正しい。テロ行為を働いた国内に潜む国際マフィアを暗殺し、そのついでに重要な情報を抜き出す。その手際はスムーズであり、国防軍の裏仕事をする部隊としては百点に近い成果だ。

 

 しかしそれでも、それによって理不尽な不幸を背負う者もいる。

 

 達也たちにはわかる。この井瀬文也という少年は、実際に連中に復讐できる力と人脈と感情があった。

 

 それだからこそ、このことがたまらなく悔しい。文也からすれば、あと一歩でせめてもの復讐ができたのに、そこでいきなりその相手が失踪。どこまでも消化不良でしかない。

 

 そんな状況に陥れてしまったのは、まぎれもなく達也たちだ。軍属としてやるべきことを完璧にこなしただけであり後悔はないが、多少の同情と申し訳なさは、この目で見てしまうとどうしても感じた。

 

 しかしだからといって、彼らはそれで文也を特別扱いすることはない。

 

 妙な同情で、自分たちのやったことが勘づかれてしまうかもしれないし、特別扱いはそもそも非情な軍人であるべき彼らはするべきではない。

 

 故に、非情な軍人という役目に徹する。

 

「井瀬君、君も今回の件については思うところがあるだろう。だが、これ以上の手出しはどうか、控えてもらいたい。今この状況すらもかなりイレギュラーだ。これ以上、民間人であり日本人である君に、私たちも圧力はかけたくない」

 

「わかってる、わかってるさ。どうせもう俺には何もできない。消化不良のまま、それをクソとして出すこともできない。ほんと、力がないってのは困った話だ」

 

 文也は残った紅茶を勢いよく飲み干し、それを置くと立ち上がった。もう話は終わり。そういう空気を感じ取ったので、さっさと退出しようとしているのだ。

 

 その背中に、風間は、非情に、冷徹に、文也の急所を突く形で念押しをする。

 

「改めて言おう。達也や我々について知ったことはすべて絶対に口外しないように」

 

「わかってるよ」

 

 文也はもううんざりというような返事をする。

 

「さもなくば、君だけでなく――例えば、『大切なお友達』も悲しい目に遭うかもしれない」

 

 風間が選択した念押しは、脅し。

 

 今しがたこの目で、文也があずさや駿をとても大切にしていることを知り、それを若者の健全な精神として喜ばしく思った。

 

 しかし、あえて冷徹に、そこを脅しの材料とすることで、文也の口を封じる。

 

 その瞬間――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――濃密な殺気が、膨れ上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ」

 

 風間たちはその殺気の出所をすぐに察知した。

 

 放っているのは、ドアを開けた状態で、出入り口に立ち止まり、背中を向けたままの文也だ。

 

「てめぇら」

 

 うなるような声が文也から発せられる。先ほどのやり場のない怒りを発した時とは比べ物にならない怒りと憎しみが、その中に籠っている。

 

 文也がゆっくりと振り返り、六人をにらむ。小さな体から放たれているとは思えない迫力に、思わず生唾を呑んだ。

 

「あーちゃんたちに手ぇ出したら、許さねえからな」

 

 文也はそう言い残すと、激しくドアを閉めて立ち去った。その瞬間、部屋の空気の緊張が少しだけ弛緩する。

 

 修羅場を幾度となく潜り抜けてきた彼らは、この殺気で動けなくなることも、パニックになることもない。普通のプロの暗殺者や軍人の怒気や殺気程度なら、そよ風の様なものだ。

 

 しかし、彼らは文也の殺気に当てられ、思わず『臨戦態勢』を取ってしまった。

 

 つまり、民間人の小さな高校生一人が放つ空気に、確かな『危険』を感じ取ったのだ。

 

「あの少年……やってるな」

 

 臨戦態勢を解いた風間が、それでもやや硬い声でそう漏らす。その予想、確信に、この場の全員が同意した。

 

 プロの軍人の中でも特に『裏』を潜り抜けてきた彼らを思わず身構えさせるほどの気。

 

 こんなことができるのは、感情的な激しさだけでなく、潜り抜けてきた『説得力』がなければできない。

 

「調べていただいた情報にはありませんでしたが……あいつは、『殺し』を経験していますね」

 

 達也は風間に追従する形で断言した。奇しくも、春のテロリスト掃討作戦の時に、桐原から達也が言われたことと同じだ。

 

「ほんと、面白い子供だった。面白いだけじゃない。力も、心も、経験も、もう軍人入りできるレベルじゃないか」

 

 ようやく余裕を取り戻した柳が、笑みを浮かべて冗談を漏らす。

 

「全くだ。どうだい? 近い将来、私たちにスカウトするといいかもな」

 

 山中はそれを追ってそう言った。半分冗談だが、半分は本気だった。

 

 すでに、生半可な軍人程度の能力は持っている。それでさらにあの技術力と魔法力と心だ。適性は十分ある。

 

 さらに、いろいろな情報を知られてしまった文也を囲い込むことで、監視も管理もしやすくなる。

 

 山中の提案は、的外れどころか、悪くない意見だった。

 

 冗談が大半とはいえ同調の空気が流れる中、達也は、大きなため息を吐いて、それを明確に否定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……勘弁してください…………」

 

 

 これ以上の苦労と心労を、もう抱えたくない。

 

 達也の願いがあふれた一言に、風間たちは心の底から同情した。




これにて二章は終わりです。
次回からは、原作で言うところの夏休み編および生徒会選挙編にあたる章をやります。


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様々なサマー編
3-集合


今回から原作で言うところの夏休み編です
4つくらいお話がありますので、話数表記は特殊です
なおこの章のタイトルだけは投稿時にとっさに考えました。夏なのに寒いのはご愛敬


「ううううううう緊張するううううううう」

 

「あーちゃんそんなビクビクせんでも」

 

「そうですよ、中条先輩。そんな怖いやつでもないですから」

 

 九校戦も終わり、魔法科高校は他の高校に遅れて、本格的な夏休みに入った。

 

 そんな夏休み、大きな紙袋を持った文也は、あずさと怪我が治った駿を連れて、ある場所に向けて炎天下の道を歩いていた。

 

 そんな、太陽が容赦なく照り付ける中を歩いているのに、あずさは顔を真っ青にして震えていた。

 

「だ、だって、い、一条家だよ? 二十八家どころか、十師族だよ?」

 

 そう、三人が歩いて向かっているのは一条将輝の家だ。

 

 九校戦で再会してから文也と駿と将輝と真紅郎は旧交を取り戻した。連絡先を交換していなかったわけではないが、もともと住む場所が離れていたためなんとなく疎遠になっていたのだが、旧交を取り戻したついでに、この夏に遊ぶ約束をしていたのだ。東京から石川へわざわざ三人は出向いているのはそのためである。

 

 さて、この四人の集まりのはずが、なぜあずさがついてきているのか?

 

 あずさは特に文也以外の三人と面識がないし、出会ったきっかけである中学生時代にも一緒にいたわけではない。性別も学年も違うため、明らかな異分子である。

 

 それでも参加した理由は――文也に誘われてのことである。

 

「駿と石川まで遊びに行くけど一緒に来る?」

 

 文也からこう誘われたあずさは、じゃあお言葉に甘えて、ということでついてきたのだ。下級生の男子二人、それも片方は親交のない駿ということで多少のためらいはあったが、文也の親友と言うならそう悪いことはないだろうし、暑い夏を少しでも避けるために避暑地である石川(といっても暑いものは暑いのだが)に行くというのは、あずさとしてはちょうど良いちょっとした夏休みの楽しみ方だと思っていた。

 

 そう、一条家にお呼ばれしているのだとは、微塵も考えていなかったのである。

 

 行き先を告げられたのは、石川に向かうキャビネットに乗って、もう引けなくなった後だった。

 

 すっかり油断しきった状態で十師族の本宅にお呼ばれする、というのは、あずさにとってとてつもなくハードルの高いことだ。たとえ慣れ親しんだ七草真由美の家でも緊張で大変なことになるだろうが、ましてやほぼ面識ゼロの一条家だ。

 

「別に十師族が取って食うような連中でもないんだから気楽でいいんだよ」

 

「案外普通の一家みたいなものです」

 

「そ、それにしたって、十師族の家にいきなり行くのはびっくりするでしょ!」

 

 あずさはすっかりおびえてしまっている。

 

 あずさからすれば、自分が何か粗相をしてしまわないかが心配でならない。何せただの小旅行だと思っていたからまともな菓子折りやお土産も準備していない――駅で高そうな和菓子は買ったが、こんなの一条家なら食べ慣れているはずだ――という時点ですでに失礼千万な気分になっているのに、尋ねる家が十師族だ。小心者の彼女にとっては厳しいものがある。避暑地に旅行と思っていたので幸いにして多少のおめかしはしているので格好に失礼はなさそうだが、もはや気休めでしかない。

 

「ううううう、ふみくんはいつも急なんだから……」

 

「先輩も被害者でしたか……」

 

 駿の同情的な視線にも、あずさの恐怖と不安は慰められない。

 

 そんな会話をしているうちに、ついに一条家に着いてしまった。

 

 その一条家本宅のたたずまいが、あずさの緊張をより増幅させた。

 

 立派な庭と家。平均的な一戸建ての実に十倍ほどの大邸宅であり、いかにも『立派な』一族が住んでいる『権威ある』家であり、とてもではないが気楽に尋ねられるような場所ではないということがわかってしまう。

 

 そんな大邸宅を前にして、あずさはもちろんのこと、駿も訪ねるのは久しぶりであるため、「さてどう訪問の挨拶をしたものか」とやや緊張して考えていたところ、

 

 

 

 ガラッ!

 

「ウィーッスおひさ~」

 

 

 

 文也はインターホンを使うこともなく、まるで自分の家のようにいきなり勝手に玄関のドアを開け、ずかずかと中に入っていった。

 

「あ、おい!」

 

「ちょとぉ!?」

 

 緊張による警戒の乱れゆえに、二人はそれの制止に遅れてしまった。

 

 すでに文也は中に入っていってしまっている。失礼千万を見事コンプリートしてしまった後だ。

 

 まずい。二人がそう考えたとき――

 

「ふぎゃ」

 

 ――文也は玄関から放り出され、ビタン、と地面に倒れ落ちた。

 

 潰れたカエルのようになった文也を唖然と見ていると、玄関からすらっとした長身の美青年が、整った顔に呆れた表情を浮かべて出てきた。

 

「まったく、お前っていつもそうだよな。いい加減礼儀ってもんを学べ」

 

 そのまま文也の首の後ろを掴み、猫のように持ち上げる。そしてついに、駿に、少し遅れてあずさに気づいた。

 

 駿に気づいた瞬間は久しぶりに会う友人の訪問に顔をほころばせ、それに遅れてあずさに気づいたら、一瞬で外行きの礼儀正しいさわやかな表情になる。あずさに気づくのが遅れたのは……身長の高い彼の視界にあずさはより一層入りにくいということである。

 

「ようこそ、お二人とも。駿は元気そうで何よりだ。そちらの女性は初めまして。僕はこの家に住んでいる文也の友達の、一条将輝と申します」

 

 文也をポイと投げ捨て、流れるような足取りで二人に近づいて挨拶をする。まさしく教育の行き届いた御曹司と言った立ち居振る舞いであり、どっかのチビとは対照的だ。

 

「おう、怪我はこの通り治った」

 

「え、えっと、その、初めまして! な、中条あずさです!」

 

 駿は折れていた完治した腕を掲げて見せてアピールし、あずさは上ずった声で自己紹介をしてから勢いよく深々と頭を下げる。

 

「あなたが中条あずささんでしたか。文也からいろいろなお話を聞いております。お暑い中よくいらっしゃいました。さ、どうぞおあがりください」

 

「は、はあ……」

 

 促されるままあずさと駿は家の中にお邪魔し、それに遅れて入った将輝が玄関のドアを閉め――

 

 

 

 

「まてこらあああああ!!!」

 

 

 

 

 ――ようとしたところで、放っておかれてた文也がそこに滑り込んで来ようとする。

 

 しかし、間に合わず、文也は手だけを先に玄関に差し込んだが、そこへ将輝がドアを勢いよく閉めたので、思い切りドアに手を挟まれて痛みに叫ぶ。手を先に突っ込んだのはまさに悪手というわけだ。

 

「将輝、なんか騒がしいけどどうしたの?」

 

「ああ、ちょっと猿が騒いでた」

 

「誰が猿じゃ!?」

 

 廊下の奥から出てきたのは、先にお邪魔していた真紅郎だ。それへの将輝の返事に、全身ボロボロになった文也が噛みついた。

 

「え、えっと、いつもこんな……?」

 

「はい、そうですよ」

 

 あずさがそれを見て困惑しつつ問いかけると、駿は呆れ顔のままそれを肯定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後文也たち三人は部屋に通され、初体面であるあずさと将輝と真紅郎の間であいさつを兼ねた自己紹介が交わされた。

 

「先ほども名乗らせていただきましたが、俺は一条将輝。この家の長男です」

 

「僕は吉祥寺真紅郎です」

 

「な、中条あずさです。このたびはどうもお招きいただきまして誠にありがとうございます」

 

 あずさからすれば、文也は彼らに確認を取らずに上級生の異性という高校生にとっては中々の異分子である自分を連れてきたようなもので、正直かなり悪いと思っている。

 

「ようこそいらっしゃいました。俺も文也からお話は聞いているので、一度会ってお話がしてみたいと思っていたんですよ」

 

「僕らは中学生の時に知り合ったので、ちょうど中条さんとはすれ違いになりますね」

 

 そんなあずさのお礼に混ぜた謝罪に、将輝と真紅郎は和やかに返す。

 

 これは社交辞令ではなく本心だ。

 

 何せ文也と知り合った当初から、何回も『あーちゃん』というワードが文也の口から飛び出している。かなり仲の良い幼馴染か、はたまたそれ以上の存在であることは確定的であり、ちょっとした出歯亀的好奇心も含まれているが、二人はあずさがどのような人物か気になっていた。

 

「なあ駿。九校戦の時の俺らに喧嘩売ってきたときとは別人のようだぜ」

 

「そりゃあ戦いと日常は別ということだろ?」

 

 そんなやり取りを見ていた文也と駿はこそこそと雑談をする。

 

 もともと将輝も真紅郎も外面はいい方だし、相手は初対面の先輩だ。対応の丁寧さは、文也・達也・駿を相手にしてる時とは雲泥の差である。

 

「私は、えーっと、どのくらいだったか……幼稚園に通う頃にはもう一緒に遊んでいたような気がするんですけど、家がすごく近くて、その縁で知り合ったんです」

 

「家がお隣だったからな」

 

 出会いの経緯を求められていると察したあずさは、多少緊張しながら、顎に指を当てて思い出しながらそれを説明する。そしてそれを、文也は座布団を枕にして寝っ転がって出されたお菓子を食べながら補足した。リラックスしすぎてである。

 

「そこからずっと、私が小学校を卒業してそれにたまたま重なる形でちょっと遠くに引っ越すまでは、大体ずっと一緒にいましたね」

 

 話しているうちにだんだんと緊張が解けてきたあずさは和やかに微笑みながら話を続ける。こうして話していくうちに、文也との幼いころの思い出が鮮明に蘇ってきて、思わずあずさは顔がほころぶ。

 

「…………小学生の文也と一緒だったということは……」

 

「その、えっと……ご苦労なされたでしょうね」

 

「中条先輩、おいたわしや……」

 

「…………はい」

 

 そんな思い出と一緒によみがえってくるのは、文也にかけられた迷惑の数々だ。

 

 悪戯を仕掛けられたこともあった。足を滑らされたり、落とし穴に落とされたり、いきなり驚かされたり。

 

 他の人への悪戯を何度も止めさせられた。文也の悪戯にいち早く気付くのが勝手知ったるあずさであり、文也は絶え間なく悪だくみしているため、それを幾度となく阻止する羽目になった。

 

 何度も代わりに謝った。年上の幼馴染として、自然と『姉』のような役目を負うことになった。周りはそこまで任せては実はいないのだが、小心者でありながら責任感が強いあずさはそうしなければ気が済まなかったのだ。

 

 何度も文也を助けた。魔法の実験で部屋が滅茶苦茶になった時は片づけを手伝わされたし、夏休みの宿題を最終日に泣きつかれて手伝わされたし、何回か悪戯の片棒も担がされた。

 

 駿と将輝と真紅郎が文也と知り合ったのは中学生の時であり、その時でもかなりやんちゃだった。

 

 幼稚園生から小学生まではどれほどのものだったのか、想像するに余りある。しかも自分たちは同級生としてその苦労を被ったが、あずさは年上の幼馴染として苦労を被ったのだ。大変だったに違いない。

 

 三人の同情的な視線と表情と言葉を受け、同時にいろいろ思い出してきたあずさは、和やかな笑顔が一転、目に光がないうつろな笑顔で頷く。

 

「おいなんだお前らひどく――ヒエッ」

 

 文也が起き上がって不満をあらわにするが、振り返った四人の深淵のごとき目を見て縮み上がる。

 

 今ここに、四人の間で深い共感が交わされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「中条さん、結構ゲームとかなさるんですか?」

 

「はい、ふみくんの影響でしょうけど」

 

 そこからしばらくはだらだらとだべったり、ゲームをしたりといった時間が続いた。

 

 あずさと真紅郎はリアルタイム・シミュレーションゲームで対戦し、その様子を文也と駿と将輝が見ているという状況だ。

 

 画面の中での戦況は拮抗しており、どちらかというとあずさが有利という程度だ。

 

「……ジョージとあそこまで競る人なんて見たことないぞ」

 

 将輝はそれを見て愕然としていた。

 

 このゲームはもう少し本格的にすれば軍事訓練としても使えるほど高度なシミュレーションゲームだ。かなり高度な知識・経験・知性が求められるゲームであり、このゲームの大会で優秀な成績を残した選手が過去に国防軍から何度かスカウトを受けているほどだ。

 

 そしてこのゲームは、真紅郎が大変得意だ。

 

 三高にもゲーム部はあるのだが、真紅郎は彼らにすら一回も負けたことがない。さすがに大会の上位者には勝てないだろうが、それでもそこらのゲームが得意な一般人程度になら負けるということがないほどだ。特に、将輝はしばしばこのゲームで真紅郎と対戦しており幾度となくぼこぼこにされているため、彼の強さを痛いほど実感している。

 

 そんな真紅郎が、なんと、大人しそうで真面目そうな女の子に接戦を強いられているのだ。

 

 しかも、あずさはこのゲームは数回しかやったことないと言う。真紅郎はこのシリーズの初代からそれなりにやりこんでいる自負はある歴戦の経験者であり、それでこの接戦というのは驚くべきことだった。

 

「ねえ文也、いったいこの先輩を何回ゲームで汚したの?」

 

「昔からしょっちゅうゲームはやってたけど、この腕はあーちゃんの才能だっつーの人聞きの悪い」

 

 文也以外の三人からすれば、あずさはゲームというものを全くやりそうにない。せいぜいがメジャーなゲームをたまに数回遊ぶ程度だろう。そんな彼女がゲームをそこそこやるらしく、さらにかなりの腕であるというのは、どう考えても文也の影響であった。

 

「……ああ、なるほど」

 

 駿もこのゲームはよくやる方であり、先ほど真紅郎に負けて交代させられたばっかだ。現在は真紅郎がタイムを使って戦況をじっくりチェックしているところであり、そこで見つけたあずさが仕込んでいた策に、駿は感嘆の声を漏らした。だいぶ観戦に集中しているようで、周りの雑談が耳に入ってない。

 

 素直で純朴そうな女の子が仕込む策にしては、あずさが仕込んでいたものはだいぶ想像よりもエグいものだった。

 

 メインの戦場での魔法戦が激しさを増す中、そちらに気を取られているうちに別の方向から、魔法に匹敵する戦術的威力を誇る機動機関砲戦車を投入している。さらにその反対方向からは、魔法を使わずに新兵ユニットと思しき数人のユニットがヘリコプターから降下している最中で、彼らは爆弾を抱えている。捨て身の特攻の指示と思いきや、なんと新兵ユニットの服装をして化けている熟練魔法師ユニットであり、相手陣地に突っ込んで爆弾を使用するが自分だけは無傷になるという魔法を仕込んでいた。

 

「攻略サイトとかよく見るほうですか?」

 

「いえ、ついさっき思いついただけですよ」

 

 真紅郎の問いに、あずさは和やかな笑顔で答える。文也以外の三人は、そのうららかな木漏れ日の中の妖精の様な笑みが、なんだか逆に恐ろしく見えた。

 

「あーちゃんはこう見えて中々やる方だぜ。本戦ナワバリ女子の作戦考えたのは大体あーちゃんだし、俺が氷柱倒しで使ったドミノ倒しも考えたのはあーちゃんだぞ」

 

「ふみくんのは私としては冗談のつもりだったんですけど……」

 

「あれって中条さんが……なるほど」

 

 文也とあずさの会話を聞いた将輝は真剣に納得した。特にドミノ倒し作戦はまんまと将輝自身がしてやられた作戦であり、それを考え付いたのはどうせ悪知恵が回る文也だろうと考えていたのだが、この見た目や態度と裏腹に意外と『頭が回る』小さな少女だという事実は、将輝には軽くない衝撃だった。

 

 世の中には、いろんな強者がいる。

 

 将輝は、画面の中で機動機関砲戦車の裏側に張り付いて隠れていた魔法師ユニットが真紅郎の陣地を蹂躙しているのを見ながら、自分はまだまだ甘い、と考えを改めなおした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、しゅんくん!」

 

「ん? ああ、瑠璃か。大きくなったな」

 

「真紅郎君、これどうぞ」

 

「ああ、茜ちゃん、ありがとう」

 

 部屋でだらだらと遊んでいたら、どこかに出かけていたらしい将輝の妹二人が帰ってきていた。小学六年生である茜は真紅郎に、三年生である瑠璃は駿に真っ先に反応して駆け寄ってくる。

 

 駿も真紅郎もその対応は妹を相手にしているような感じだが、将輝の見立てでは、少なくとも茜は確実に恋愛感情だし、瑠璃もなんだかその気配が濃い気がする。

 

 ちなみにあずさはこの時駿と対戦していたのだが、なぜか「大きくなったな」と言いながら瑠璃を軽々と抱っこして相手してあげている様子を見て動揺し、らしくない凡ミスによって自身に有利だった戦局を崩壊させていた。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。

 

「おう一条の大将、おひさ」

 

「……久しぶりだな」

 

 一緒に帰ってきてたらしく、遅れて登場したのは、将輝の父親であり一条家の当主・剛毅だ。男らしい濃い顔立ちをすっかり呆れ顔に染め、寝っ転がってだらけながら失礼な挨拶をする文也を見下ろして挨拶を返す。

 

「ちょ、ちょっとふみくん! 失礼でしょ! え、あ、えーと、な、中条あずさです! 本日は急にお邪魔させていただいて申し訳ございません!」

 

「同じくお邪魔しております。お久しぶりですが、お元気そうでなによりです」

 

 それに反応したあずさと駿も、家主への敬意として丁寧にあいさつをする。十師族の一角たる一条家の当主にして見た目が威厳たっぷりの剛毅は、あずさの緊張と恐怖を再び再燃させたが、剛毅は文也への反応からさっと表情を変え、歓迎する父親の顔で二人に挨拶をする。とはいえ元々が十文字克人にも劣らないほどの強面であり、顔の人当りについては焼け石に水に等しいのだが。

 

「駿君か。久しぶりだね。だいぶたくましくなったようだ。それとそちらは中条あずささんだね。文也君からお話は聞いているよ。ゆっくりしていくといい」

 

 剛毅はそういうと、帰って来るや否やお客さんに相手してもらっている二人の娘に言い聞かせて荷物を置きに行かせる。そして二人の娘が部屋を去るのを見送ると、文也と将輝に話しかけた。

 

「さて、文也君。早速約束通りお話を聞かせてもらおう。将輝、遊んでいるところすまないが、少し借りるよ」

 

「別にいいけど、肩透かしになるのがオチだぜ……」

 

「ウイー。よっこいしょっと」

 

 将輝はそれに対して了承するも、すでにしらけ顔だ。文也は剛毅にそう言われると立ち上がり、それについていく。

 

「え、ちょ、ええ! ふみくん今度は何やらかしたの!?」

 

「ついに十師族にまでケンカを……」

 

 そんな様子を見ていたあずさと駿は激しく動揺する。いきなり文也が何やら深刻そうな話で剛毅に別室へと連れていかれたのだ。今度はいったい何をやらかしたのかと動揺しても仕方のないことだ。

 

「落ち着いてください。二人とも、理由は知っていると思いますよ」

 

 将輝はお菓子に手を伸ばしながら冷静な声で二人をなだめる。あずさに気を遣って、駿にも話しかけているのだが敬語だ。

 

「間違いなく大した話にはならないと思いますが、まあ『一条』としては見逃せない部分があったんですよ。今日遊ぶというのは、実は親父が文也に直接話を聞きたいと言っていたから、ついでに遊ぼうというものだったんですよ」

 

「な、なにをやらかしたんですか?」

 

 将輝の説明に、あずさは涙目で食い気味に尋ねる。一番気になるのはそこだ。

 

 その問いに、将輝は、不安をほぐすために、穏やかな笑顔を浮かべて答えた。

 

「我が一条家の秘術『爆裂』を、あいつが使った件についてですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこに座るといい」

 

「ほい。うひょーふっかふか」

 

 文也が案内されたのは、一条家の邸宅の中でも、重要な案件について一対一で話すときに使われる応接室だった。重要な客人を呼ぶこともしばしばあるため内装は大変豪華な洋風で、客人用の椅子も大変高級なものだ。

 

「おっとそうそう、忘れてた。これ、親父からお土産だってさ」

 

「ありがとう」

 

 緊張の面持ちの剛毅に対し、文也は持ってきていた紙袋を渡す。あの文雄のお土産となると『ロクでもない』か『とんでもない』のどちらかが当てはまりそうなもので、剛毅は至極嫌な予感がしたか、今日は重要な話があるので素直に受け取って横に置き、本題に進む。

 

「さて、文也君。君は当然、『爆裂』が一条家の『秘術』であることは知ってるね」

 

「当然。仕組み自体は公開してるけど、肝心の起動式は秘匿も秘匿だな」

 

 剛毅が深刻な表情を浮かべて問いかける。見た目のせいもあって並の高校生ならすくみ上ってしまいそうな圧力を放っているが、文也は出されたお菓子をつまみながら平然と答える。

 

「そうだ。しかし、君はその『爆裂』を、九校戦で使って見せたね?」

 

「間違いないな」

 

 剛毅が重ねた問いに文也はふんぞり返ってふかふかのソファを満喫しながらうなずく。これではどっちが家の主人かわかったものではない。

 

 そんな文也の態度に動揺することなく、剛毅は、単刀直入に問いただす。

 

 一条家の当主として、これは絶対に見過ごしてはいけない案件だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君は『爆裂』の起動式を、どこで手に入れた?」

 

 

 

 

 

 

 

 剛毅個人としては、井瀬家と一条家の昔からの確執は、ある程度水に流しているつもりだ。なにせ、自身にとっても息子の将輝にとっても、文也は命の恩人だ。知り合いでもあった文雄や文也の行動や態度には常識的な面として思うところがないわけでもないが、それも見逃すつもりだ。

 

 しかし、この『爆裂』だけは見逃せない。

 

 一条家の『秘術』でありかつ戦術級魔法である『爆裂』は、まず流出したことそのものが問題であり、また悪用された時の被害も問題である。秘術にしているのは、一条家の優位や長所を確保するという目的のほかにも、この危険な魔法を悪用されないためでもある。

 

 命の恩人で息子の親友といえど、さすがにこれは見過ごせない。

 

 場合によっては、人としての情を排し、何かしらの『対応』をすることも躊躇しないつもりだった。

 

 そんな深刻な剛毅の問いに対し、その増した圧力もどこ吹く風といった様子で、文也は答える。

 

「自分で作った」

 

「は?」

 

 剛毅は思わず、先ほどまで放っていた威厳をすべて霧散させてしまうほどの呆けた声を漏らしてしまった。

 

「ほら、『爆裂』ってさ、要は液体を気化させて体積を膨張させて内側から爆発させる発散系魔法だろ? 内側から爆発させるのが目的ではあるけど、その爆発は『やってること』の『結果』の一つであって、やってることはあくまで『内部の液体を気体にして体積を膨張させる』っていうだけだ」

 

「た、確かにそれはそうだが……」

 

「そんな感じの魔法は、発散系の中にいくらでもあるだろ? 例えば、体表の汗を気体にして体を乾かす魔法とかな」

 

「しかし、『爆裂』は違うはずだ!」

 

 文也の説明に、剛毅は少しだけ声を荒げて反論する。

 

 確かに、文也の言っていることは正しい。

 

 発散系魔法とは、対象物の相転移、つまり、おおざっぱに言うと、気体・液体・固体間の変化をさせる魔法だ。当然液体から気体にさせるという魔法は、簡単なものを含めていくつも世の中には存在しており、やっていることは『爆裂』と大差ない。

 

 ただし、剛毅の反論もまた正しい。

 

『爆裂』は、そこらの液体を気化させる魔法とは違う。

 

 その事象改変規模は強力であり、それでいて発動のスピードは早く、また発動対象も『対象の内部の液体』というおおざっぱでわかりやすいものに定義することで一気に人体や機械を対象にして破壊することを可能としている。威力・範囲・早さ・安定性・使いやすさ、すべてを兼ね備えた魔法であり、ここに至るまでに長く苦しい研究を続けてきた。『液体を気化させる』という点で世間に知られている魔法と同じであることは確かだが、根本的な部分は世間のそれとはまったく違う革新的な魔法となっている。

 

 文也の『爆裂』は劣化コピーではあるが、それはまさしく『爆裂』であった。

 

 ほぼすべての点において一条家に伝わる『爆裂』に劣るが、行使された様子を見るに、剛毅から見てもエッセンスの部分はほぼ変わらない。そこらの『液体を気化させる発散系魔法』ではなく、『爆裂』としてしっかり仕上がっていた。秘密にしている革新的であり核心的な部分もおおよそ再現できている。細かな部分の違いが劣化につながっているが、『爆裂』と呼んで差し支えないレベルなのだ。

 

「まあそもそも、『お手本』は三年前にいくらでも見せてもらったわけだし、あとはそれを再現しようとすればいいだけだからな。ゼロから進化させ続けてきた大将たちの結晶をちょっと真似した程度でしかないから安心しろ」

 

「…………そうか。そうなのだろうな。君がそういうのならそういうことにしておこう」

 

 文也の説明を聞いた剛毅は、疲れたように額に手を当て、目をつぶってゆっくりと首を振る。

 

「安心できないってなら、ほら大将、オリジナルに敬意を表して特別に起動式見せてやるから」

 

 文也はそういうと、携帯端末と自分のCADを接続し、端末をいじって文字の羅列を表示させて剛毅に示す。

 

「私たちは君と違ってエディター上の文字を見ただけで起動式の判別はできない。そのCADを貸してくれるかね?」

 

「そういやそうだったな。ほい」

 

 剛毅は見せられてもわからないので端末を突き返す。文也は納得すると、接続してるコードからCADを引っこ抜いて剛毅に投げて渡した。CADは精密機器なのでこんな雑に扱うものでもないのだが、文也からすれば『いくらでもあるうちの一つ』でしかない。

 

 剛毅はそのCADを受け取ると、席を立って部屋の隅の机に置いてあるパソコンにつないでその中身を見る。息子の将輝はまだ苦手だが、剛毅は魔工師としての腕もかなりのものであり、自分でCAD調整もできる。

 

「確かに文也君の言う通りだな……だいぶ雑だが……ふむ、ふむ……いや、やっぱ色々おかしいが、まあいいだろう」

 

 剛毅は一条家の当主であり、『爆裂』のスペシャリストである。よって、代々受け継がれまた改良され続けてきた『爆裂』の経過も、残された極秘資料に書いてある分はすべて暗記済みだ。

 

 剛毅が見た文也の『爆裂』の起動式は、今から見たらお粗末なものだった。確かに『爆裂』ではあるが、起動式には無駄な部分が多く、また再現されてる核心的な部分も本家と違うところが散見される。

 

 しかし、相対的に『お粗末』になっているのは、洗練されてきた『今』のものと比べているからだ。

 

 剛毅の目から見て、文也の『爆裂』は、三年前に初めて見たときから作り始めたとは信じられないほどに洗練されていた。

 

『爆裂』の起源は2031年にさかのぼる。

 

 2031年、魔法技能師開発第一研究所が設立され、そこに開発対象として才能ある魔法師の卵が集められた。その中には今の一条家の先祖もいる。そこから研究が進み、数年後には一条の先祖が『爆裂』の基礎を習得し、それへの高い適性を示した。そのことが考慮されて、『一条』の苗字が与えられた。

 

 そんな原初から今まで、一条家は代々その才能と魔法に胡坐をかかず、常に研鑽を重ねてきた。そのうちの一つが、『爆裂』の進化や応用である。

 

 文也の『爆裂』は、その完成度で言えば20年ほど前のものとほぼ同じ出来だ。当時はまだ魔法に関してずっと手探りの時代が続いていたのに対して、文也は最新の知識と技術がある時代でそれを十分以上に使える環境と才能がありなおかつ最新鋭の『爆裂』という究極のお手本があったため、文也のほうが昔に比べてはるかに有利なのは確かだが、それでも『爆裂』の専門一族が40年かけてたどり着いた領域に、高校生一年生でありながら三年でたどり着いたのは、剛毅からすれば異常だ。

 

「ところで大将。なんかずいぶん疲れてるみたいだけどどうした?」

 

「君のせいで気疲れしてるんだよ」

 

 CADを返してもらうとき、文也が尋ねると、剛毅は投げやりな声音でそう返事する。

 

 しかし、文也はそれで納得しなかった。

 

「まあそれもあるんだろうけど、なんか気疲れとかじゃなくて普通に疲れたまってんだろ。仕事忙しいのか?」

 

「……君はそこまでお見通しなのか。ああ、最近、誰かさんのせいでちょっと忙しくてね」

 

「おーん、そいつは迷惑なやつだな」

 

 文也はそういうと、CADをしまってまたお菓子に手を伸ばす。

 

「……一条家みたいに、君に秘密にしているはずの魔法を再現されて、心穏やかでないところはいくつもある。競技に本気になるのは仕方ないが、もう少し自重してくれないかね?」

 

「善処する」

 

 剛毅が疲れ果てながら絞り出すようにそう言うと、文也は一切善処する気がない声で返事をして、勝手に席を立って部屋を出ていった。もう話は終わり。その空気を感じ取り、出されたお菓子も全部満喫したので戻ることにしたのだ。

 

「…………ふぅ」

 

 疲れ果てた剛毅は、伸ばしていた背筋を緩め、背もたれに思いきり体重を預け、疲れの原因である『誰かさん』が通ったドアをぼんやりと眺め、ここ数日間の苦労・気苦労を思い出す。

 

 九校戦が終わってからしばらく、めったに開かれることのない二十八家会議が何回も開かれ、その会議は紛糾した。師族会議のように十師族各家の当主のみが集まるような大げさなものではさすがになく、代理人などの出席もあったが、剛毅は当主として出席していたのだ。

 

 議論は、十師族の威厳を敗北によって落とした一条将輝に関する話でもなければ、九校戦に工作員が紛れ込むという大不祥事の話でもないし、当然七草家と十文字家に九校戦優勝おめでとうというような話でもない。

 

 その議題は、九校戦で、高校一年生にして十師族らの技術を再現して見せた、井瀬文也という少年についてだった。

 

 特に、文也に『群体制御』を使われた第七研究所出身の七宝家・七夕家・七瀬家と、戦略級魔法『深淵』と戦略級魔法師・五輪澪を擁することによって十師族に列せられた五輪家は尋常でない焦りを示していた。

 

 何せ彼らが抱える魔法は強力なものばかりであり、その起動式の機密度も最高クラスだ。秘匿していたものの漏洩によって二十八家の権威が失墜するという心配や、この魔法が悪用されるという心配、そして何よりも、その魔法を文也が利用するにあたっての起動式の『出所』について激しい議論になった。

 

 そしてその議論で槍玉に挙げられたのが、文也が在籍する第一高校に長男がいる十文字家と、長女がいる七草家、そして長男であり次期当主の将輝が文也と親友である一条家であった。

 

 そもそも、この三家も文也の被害者である。

 

 一条は『爆裂』のコピーをされ、十文字は『ファランクス』を再現され、七草家自身も他の『七』の家と同じく研究成果である『群体制御』を『モノリス・コード』の一回戦で狩野に対して利用された。

 

 しかし、やはり各家の長女や長男の親友や知り合いということで、この三家は文也の擁護に積極的に回り、またそれに大変苦労させられた。

 

 途中で、九校戦で勝つために七草家か十文字家が、はたまた親友というツテで一条家が文也に色々流出させたのではないかという疑いが深くかけられたりもして、ここ数日は全く気が休まらなかった。

 

 幸い、七草真由美や十文字克人がこれを見越して、九校戦の途中に文也からさりげなく話を聞いており、文也自身が『ただ再現してみただけ』と解説したため、この本人の証言を使って話を運ぶことができた。

 

 しかしこんなの当然なかなか信じてもらえるはずもなく、しまいには、文也自身をこの会議に証人喚問しようという話にまでなってしまった。

 

 二十八家の会議に一応民間人である文也を呼び出すというのは、いくら何でも乱暴が過ぎる。

 

 そこで何とか三家で協力して説得し、この三家の内のどれかが文也に直接もう一度話を聞くということで納得してもらった。

 

 七草家と十文字家は子供が文也と同じ学校ではあるがどちらも『先輩』であり、しかも魔法科高校の生徒会長や会頭という権力がある『先輩』だ。その家に呼び出すというのは、まさしく『先輩の呼び出し』であり、文也が警戒して了承しないかもしれないし、真由美と克人も家に呼べるほど文也と親しくはない。

 

 そこで、家は遠いが、同級生であり親友でもある一条将輝を通して接触し、剛毅が文也に話を聞くことになった。他の家が預かり知らぬことではあるが、剛毅自身も、息子を通してでなく、息子と同じ縁で文也と知り合いであるため、文也の呼び出しは先ほどまでの通りすんなりとうまくいった。

 

 結果として『自分で作って再現した』という話には変わりがない。そしてこれは、剛毅の目から見ても真実だ。

 

 あとはこれを改めて会議で示し、納得してもらうしかない。

 

 話を聞き出すために文也の「解説したい欲」を引きずり出そうとらしくもなく呆けた演技などの小細工までして聞き出した話は、やはり元から知っていたのと同じものだ。常識の尺度でとらえたら『異常』なのだが、文也からすれば、魔法のお手本を見てそれを試行錯誤によって真似するというのは、当たり前のことなのだろう。

 

「……本当に、『井瀬』には苦労させられる…………」

 

 遠くから聞こえてくる、息子と文也の大声を聞きながら、剛毅は大きくため息を吐いた。



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3-サド・サド・サード-1

 夏休み。

 

 そんな休みの中、『夏の祭典』と呼ばれるイベントが行われる。

 

 夏と祭典で、夏祭り……というわけではない。

 

 そのイベントは、大規模な会場を貸し切って夏と冬の年二回行われる、同人誌即売会だ。

 

 そのイベントには、『国立魔法大学付属第一高校ゲーム研究部』というサークル名で、例年ゲーム研究部も出店側として参加しており、今年もまた参加している。

 

 別のサークルで、高校生が売るにはふさわしくない、『美雪ちゃん』のスケベで薄い本をこっそり売ろうとしていたのだが、達也の手により阻止されたことで、今年は表向きのほうで健全な出店をした。

 

 ここでは、同人誌即売会とは言っても、売られるものは多岐にわたる。

 

 今年ゲーム研究部が販売したのは、自分たちで作成したゲームだ。

 

 その名は『塗りつくせ! フィールド・ゲット・バトル』である。

 

 九校戦の新競技『フィールド・ゲット・バトル』の練習用として作ったフルダイブVRゲームを一般向けに作り直したもので、もともとは訓練用であるためプレイヤー本人の能力を自動で読み取ってステータスが決まっていたのだが、今回は魔法師以外でも遊べるようにステータスがあらかじめ決まったプレイアブルキャラクターを選んで、そのキャラになって遊ぶシステムになっている。

 

 その売り文句は『どうあがいても、クソ』。

 

 汚い大人と上層部の思惑によってルールは急造、実際の運営も滅茶苦茶で、現場や実行するときのことを考えない企画チームによって終始グダグダになった『フィールド・ゲット・バトル』を忠実に再現しており、当然ゲームにもその悪い部分はきっちり継承されている。

 

 バランスが悪い上に何かと穴が多いルール、無駄に種類が多い割に一つ一つの構造が無駄に雑でそのくせ無駄に複雑で参加人数のわりに無駄に広くて疲れるフィールド、魔法技能の欠片も感じさせないインクガンと『ショット』などをそのまま継承したゲームは、まさしく『クソゲー』だった。

 

 しかしここは常識から外れた世界であり、それが逆に受け、大行列ができて即座に完売。

 

 そんな大盛況で終わったイベントでは、男子新人戦優勝メンバーでゲーム研究部員の文也だけでなく、文也に(半ば騙されて)呼ばれたあずさも売り子として手伝わされた。

 

 良い意味だけでなく悪い意味でも熱気が漂う会場の中で、戸惑いつつも一生懸命働いて愛想笑いを振りまくあずさはどこまでも可憐で健気であり、それが購買意欲をさらに刺激し、大忙しの一瞬が過ぎて完売となった。

 

「あー…………疲れた……」

 

 あずさは文也の部屋に入るなり、いつもの遠慮がちな態度を放り捨て、床に倒れこんで思考を手放した。猛暑と熱気と忙しさと戸惑いの四重奏によってすっかり疲弊しきったあずさは、駅からやや離れた自宅でなく、一刻も早く体を休めたくて途中にある文也の家で休憩することにした。

 

「あーちゃんお疲れさん。ほい」

 

 そんなあずさに笑いかけ、少し遅れて部屋に入った文也はあずさのそばに冷えたジュースを置く。あずさは体を起こすと、お礼も言わずにそれを喉を鳴らして一気飲みし、息を吐いた。

 

「ふう……ありがとう、ふみくん」

 

「おう、こっちもありがとな。手伝ってくれて」

 

「もう、こういういきなりなのやめてって言ってるでしょ……」

 

 先日の一条家訪問に引き続き、今回もあずさは文也にいきなり大変な目に遭わされた。先日のほうはただ内容を知らせていないだけだったが、今回は明らかに意図的に知らせておらず、余計にたちが悪い。

 

 そんなふうに、一息ついてしばらく中身のない雑談にふけっていると、急に文也の携帯端末が軽快な着信音を鳴らす。文也は会話を中断してそれを取り、電話に出た。

 

「おっすマサテル」

 

『マサキだ。例のものは確保してくれたか?』

 

 電話をかけてきたのは将輝だ。『例のもの』とは、文也たちが販売した『塗りつくせ! フィールド・ゲット・バトル』であり、身内特権で一つ確保しておくよう頼まれていた。将輝自身がプレイするわけではないが、真紅郎がそれに強く興味を示して頼んだのだ。ただし真紅郎は論文コンペの準備で忙しく、こうして代わりの連絡を将輝が引き受けている。

 

「おう、お前から頼まれてた、お前が大好きな熟女触手凌辱モノを」

 

「えっ」

 

『俺はそんなん頼んでないだろうが! それとそんなの全く趣味じゃねえ! あとそばに中条さんいるな!? 声聞こえたぞ!? 中条さん、俺はそんな趣味はありませんから! ありませんから!』

 

「わ、わかってますよ、一条君……」

 

 焦って大声で自身に叫ぶ将輝を、あずさはなだめる。

 

 何せ、先日の顔合わせの訪問の時に交わした雑談の中で、彼が司波深雪にゾッコンであることがわかっているからだ。驚いたのは彼の趣味ではなく、文也の口から発せられたいやらしいワードそのものに対してである。なんと純情なことか。

 

 そんなくだらないやり取りの末に通話を終えて一息つくと、あずさは、今の会話で思い出した、前々から気になっていたことを尋ねる。

 

「そういえばさ、ふみくんはどうやって一条君や吉祥寺君と知り合ったの? 森崎君のは知ってるけど、あの二人は住んでるところも遠いから不思議だなって思って」

 

 あずさは、中学生の文也のことをよく知らない。いろいろあったらしくその話も逐一聞いているのだが、この二人と知り合った経緯は聞いていないのだ。

 

 ちなみにあずさは駿と出会った経緯を知っている。

 

 文也が駿と初めて出会ったのは、魔法塾の中だ。

 

 魔法は義務教育の中では教わらず、魔法科高校に入るための魔法に関する勉強は公立の魔法塾で学ぶことになる。その魔法塾には当然文也も駿も通っており、そこで初めて出会ったのだ。そのあといろいろあって親交を深めてお互いに親友と呼ぶ仲になったのである。

 

「あー、そうか。そういえば話してなかったな」

 

 文也は手を打ってそう言うと、思い出話に移るためにジュースで喉を潤し、その話をすることにした。

 

「俺とあいつらが知り合ったのは、今からちょうど3年前の八月、佐渡でのことだ」

 

「え、それって……」

 

 文也の言葉に、あずさは戸惑う。3年前の八月の佐渡。それは、大きな事件があった時と場所である。

 

「その通り。俺とあいつらが知り合ったのは、『佐渡侵攻』の時だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学一年、中学生としての初めての夏休み。すでに聡明で賢く、魔法師としても研究者としても才能を見せていた真紅郎は、それを喜んだ研究者の両親に連れられ、彼らの職場である、佐渡の研究所に来ていた。

 

「すごい……」

 

 真紅郎は、初めて見る本格的な研究所の内部の光景に圧倒された。

 

 今までも実験室や研究所に何度か足を運んできたが、中学生や小学生の身分で見れる場所はその表側の派手な部分でしかなく、本格的な部分は見られなかった。

 

 しかし、親の縁で、この研究所では好きなところに出入りして見学し、勉強をしてよいことになっている。両親は優秀な研究者でかつ人格者であるため、その息子である真紅郎も歓迎された。

 

 そういうわけで、このまま着いて早々見学でもよいが、真紅郎は会わなければならない人物をまず探すことにした。

 

 自分と同じくここに勉強のためにきた、先に着いているという親友は、すぐに見つかった。

 

「あ、将輝!」

 

「お、ジョージか。ようやく会えたな」

 

 中学一年生にしてすでに大人に混じっても違和感がない長身だが、顔は群を抜いて美男子であり、その姿はすぐに見つかった。

 

 優秀な研究者である両親の縁で将輝と知り合った。すぐに気が合い、またお互いに優秀な魔法師の卵であるため、あっという間に親友になったものである。

 

「ここはすごいね」

 

「ああ、俺らもたくさん学ばなきゃ――っ!」

 

 そんな会話をしていると、急に将輝が魔法を行使した。

 

 将輝と真紅郎を包むような範囲に展開されたのは『領域干渉』だった。

 

「将輝、急にどうし――」

 

「おい井瀬! いい加減に悪戯はやめろ!」

 

「おいおいマサテル、ちょっと反応よすぎんだろ」

 

「マサキだ!」

 

 将輝がにらんだ先、そこの物陰から出てきたのは、雑に切った整っていない黒髪が特徴的な、小さい少年だった。

 

 真紅郎の目から見ても、その少年は小さい。真紅郎自身も身長はだいぶ低い方ではあるのだが、この少年はそれに輪をかけて小さい。幼い顔立ちと相まって、小学三・四年生に見える。

 

「将輝、その子は……?」

 

 戸惑いながら、真紅郎は将輝に問いかける。

 

 その問いに、将輝は疲れたようなため息を吐きながら答えた。

 

「こいつは井瀬文也。俺たちと同じく、ここに勉強に来たやつだ」

 

「え、でも、小四くらいでここはさすがに……」

 

「こう見えても中一だ。よく覚えとけよ」

 

 真紅郎が何か言おうとすると、先ほどまでにやにやと笑っていた小さい少年・文也が、顔を険しくして念を押してくる。

 

(こ、これで中一かあ……)

 

 小さい。長身の将輝と並べば、なんなら親子にすら見えるほどだ。

 

 どうやら身長がコンプレックスなようで、真紅郎はこれ以上身長について考えるのをやめた。自身もそれなりにいじられた経験はあるため、気持ちはわかるのだ。

 

「同い年だからって会ってみたはいいけど、悪戯ばっかするから大変だった……」

 

 将輝はここ数日のやり取りに思いをはせる。同じ年齢の子供が自分と真紅郎以外にも来てるというから探して会ってみたら職員に悪戯を仕掛けるところで、とっさに魔法で防いだ。姿を見てみたら、身長がとてつもなく小さく自分と同級生だというのも信じられなかった。自分が下げていたネームプレートを見た文也が『マサテル』と読み間違え、ついむきになって訂正したらその反応を面白がってマサテルと呼ばれ続ける羽目になった。さらにそこから、なんだかんだ子供同士一緒にいることが増え、何度も悪戯を止める羽目になったのである。

 

「た、大変だったんだね……」

 

 真紅郎はおおむねすべてを察した。身長差も相まって親子にすら見えるということは考えたが、まさか本当に『お守り』状態だったとは。

 

「ちゅーわけでよろしく。俺は井瀬だ。お前、ジョージって呼ばれてたけど外人か?」

 

 文也に問いかけられ、真紅郎は答える。

 

「僕は吉祥寺真紅郎。あだ名がジョージなんだ」

 

「おーん、キチジョウジ……うん、呼びにくいからジョージでいっか」

 

「まあなんとでも呼んでくれていいよ」

 

 真紅郎はあいまいな笑みを浮かべて文也に手を差し出す。その意味を察した文也は、その手を握り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、にーちゃん、そこの文字間違ってんぞ」

 

「え、ああ、本当だ。ありがとう井瀬君」

 

 早速三人で施設内を見学して回る。文也が何か失礼をしでかさないか心配だったが、そんな中、早速文也がパソコンとにらめっこをして困り果てていた研究員に話しかけた。

 

 中学生の分際でプロの仕事に口出しする文也を二人は止めようとしたが、止める前に研究員本人が文也の言うことに納得して修正し、先ほどまで止まっていたシミュレーションプログラムがスムーズに動き出す。

 

 研究員はそれを確認すると、デスクに置いておいた飴を一つ取り、文也に渡した。

 

「君にはほんと敵わないな。ほら、お礼だ」

 

「おーきにー」

 

 文也は受け取るや否やすぐに飴を回収して口に放り込む。

 

 そこまでの様子を、二人はただ唖然と見ていたのみだ。

 

 将輝は「よくこんな細かいミスに気づいたなあ」という程度だが、真紅郎はそれ以上の驚きを感じていた。

 

(あれを見て一瞬でわかるなんて……)

 

 真紅郎自身、中学生の身ですでにプロの研究者も顔負けな技能と知識を持っている。それゆえに、文也が指摘した間違いが、いかに難しいものであるかを理解していた。真紅郎でも見れば気づいただろうが、相応の時間をかけてチェックが必要になる。それを、通りすがりに少し見ただけですぐに文也は気づいた。

 

(なるほど、ここに来るだけの理由はあるってことだ)

 

 同世代では自分が一番だと思っていたが、まだまだ上がいる。

 

 真紅郎がひそかに対抗心を燃やしていると、研究室の一角でちょっとした騒ぎが起きた。

 

「うわっ、Gだ!」

 

 研究員の一人がうっかり大声でそう言うと、女性研究員を中心にちょっとしたパニックになる。

 

 その騒ぎの大元である地を這う黒き疾風は、研究員から逃げるように、真紅郎たちの方向に走ってきた。

 

「お、おあ!」

 

 その生理的嫌悪感を催す奇跡ともいえるフォルムに、真紅郎は思わず恐怖を感じて逃げようとする。気持ち悪いのになぜだか目を離せないでいた真紅郎は、その虫が何も触れていないのにいきなり『つぶれる』瞬間を見た。

 

 一瞬何が起きたのかわからず思考の空白が生まれたが、それがすぐに魔法によるものと理解した。

 

「『ジョージ』って名前だからGは得意だと思ったけど」

 

 文也はそう訳の分からないことを言いながら、先ほどまで虫がいた方向に向けていた玩具の拳銃のようなものをしまう。

 

「今の、まさかお前がやったのか?」

 

「そうだよ」

 

 将輝の問いかけに、文也はなんともないというように答える。

 

「じゃあ、今のは?」

 

「お察しの通りCADだ。だいぶチャチいけど」

 

 その返答を聞いた二人は驚愕する。高速ではい回る小さな虫に、あの一瞬で照準を合わせ、完璧に一発でしとめて見せた。使った魔法は基本的なものであり、また事象改変規模も初級クラスだが、その速さと正確さは、将輝ですらまだ追いつけないほどだ。

 

(魔法のプログラムにも強ければ、魔法も速い、か)

 

 真紅郎は内心で激しい悔しさを感じた。自身の醜態と対照的に文也が冷静に対処して見せたのも悔しいが、それ以上に悔しいことがある。

 

 魔法的なプログラム面では自身が得意だし、魔法の行使という面では将輝はすでに超一流だ。魔法の腕では将輝が、研究者としての知識は自身が、それぞれ同世代で間違いなく一番だと思っていた。その両方の面を、たった一人の同級生が部分的とはいえど上回っている。

 

(もっと精進しないと)

 

 真紅郎はその悔しさをばねに、こっそりと決心をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、三人は寝間着に着替え、同じ部屋で雑談をしていた。ただし、主に文也と真紅郎が魔法理論の話で盛り上がっていて、将輝がそれを聞いて一生懸命理解しようとしているというものである。

 

 離島・佐渡の研究施設であるため、職員用の宿泊施設は完備されている。しかし部屋数には当然限りがあるため、一人一部屋というわけにもいかない。そこでこの三人は、同級生で同性ということで、『見学に来た子同士で仲良くするといい』という大人特有の論理で、同じ部屋で寝泊まりすることとなった。

 

 第一印象は魔法による悪戯であり、第二印象は対抗心。文也と出会った真紅郎の内心はおおむねそんな感じだったが、すぐに魔法理論に通ずる者同士意気投合し、同級生で深く語らうことができる友を見つけたということで、思うがまま、考えるがままに考えを話し合う。すっかり将輝は置いてけぼりだが、向上心が高いため、必死に理解して自身の糧にしようとしていた。

 

 そんな話にひと段落着くと、文也がそういえば、と少し真剣なトーンになって真紅郎に注意する。

 

「俺がここに来てんのはお忍びだから、外ではオフレコでよろしくな」

 

「え、何? なんか事情でもあるの?」

 

 なんだか急にきな臭い話の気配を感じた真紅郎は、戸惑いながら問い返す。

 

「いーや、逆。なんの事情もないからまずいんだ」

 

「井瀬、それだと分かりづら過ぎる」

 

 文也の説明に余計戸惑った真紅郎を見かねて将輝が注意すると、文也はそういえばそうだと補足説明を始める。

 

「ここの研究所、一応研究設備の中では比較的機密度が高いんだ。本当なら、部外者は入っちゃいけないだろ?」

 

「うん、そうだね」

 

「でも、ここは佐渡。北陸だ。一条家のテリトリーだし、この研究所も一条家が相当金出してるから、マサテルがいるのはまあ仕方ないって話になるよな?」

 

「マサキだ!」

 

「で、ジョージ、お前は、父ちゃんと母ちゃんがここで働いてるんだろ? まあ身内だし仕方ないかってなるだろ?」

 

「まあそうだね」

 

 魔法と言う軍事的に重要な分野の中でも機密度が高い割には、ずいぶんと適当な話だ。しかし、第三次世界大戦から時間が経ち、烈火のごとき世界情勢が小康状態になって久しく、ついつい人々の心には油断が生まれているからこその話である。

 

 本当に重要な部分はまだまだ固いが、それでも現場レベルだと少しずつ緩みが出てきてなあなあで済むようになり、その空気は国家の上層部にも広がりつつある。例えば、先の大戦で戦争相手だったはずの大亜連合や新ソビエト連邦に近い日本海という場所に浮かぶ離島でしかも機密度が高い研究施設があるにも関わらず、この佐渡にある基地に配備されている軍の規模は小さい。最初は気合が入っていたのだが、予算の都合でだんだんと削られていったのだ。

 

「じゃあ、俺はどうかって言うと、実は完全に部外者だ。親父がここの人と仲いいから、俺がわがまま言って無理やりねじ込んでもらったってだけなんだよ。さすがにまずいだろ?」

 

「た、確かに……」

 

 緩みに緩んでいるといえど、それでも機密施設は機密施設。完全な部外者が闊歩しているとなれば、それは問題だ。大人の責任だけでは済まされず、文也自身も不利益を被るかもしれない。子供だからと言って容赦してもらえるほど、この社会は寛容ではないのだ。

 

「というわけで頼むわ。何があっても言わないでくれ」

 

 文也の頼み方は軽い口調だったが、その内容は切実だ。

 

「わかったよ」

 

 わざわざ人が困るようなことを何のメリットもなしに口外するような趣味はない。

 

 真紅郎は文也の念押しを、しっかりと受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふみくん自身がしゃべってるじゃん!!!! 今!!!!!!」

 

「まああーちゃんならいいかなって」

 

「毎度のことながら思うけど、ふみくんって秘密管理緩すぎない?」

 

 ついに我慢しきれなくなったあずさが文也に突っ込みを入れる。

 

 幼馴染相手に油断してうっかり『キュービー』がばれるわ、九校戦で遠慮しなさすぎるわ、そのせいで達也たちに『マジュニア』がばれるわ、そして今の会話で自らオフレコを破るわ、あまりにもオープンすぎる。隠す気は果たしてあるのだろうかと疑いたくなるほどだ。どうやら国内外問わず『普通じゃない』集団に『マジカル・トイ・コーポレーション』が探られててそれでも秘密がばれていないらしいが、あずさからすればとても信じられない。こう言っては何だが、スパイたちのレベルがちょっと低すぎるのではないだろうか。

 

「ちなみに、じゃあ佐渡で会ったっていうのは秘密だとして、二人と知り合ったのはどこって設定にしてるの?」

 

「研究者肌同士、まず中学生向けの研究所見学会でジョージと会って意気投合して、そこ経由でマサテルと会ったことになってる」

 

「ふーん、一応口裏は合わせてるんだね」

 

「あーちゃん辛辣スギィ!」

 

 文也はそう叫び、大げさにのけぞって見せる。昔からの、いつもの様なやり取りだ。

 

 そんなやり取りをあと数往復して、話は元に戻る。

 

「さて、これがまた不幸なことに、俺たちは数日そこに居座って存分に知識を吸収しようとした。そのせいで、巻き込まれちまったんだよ」

 

 文也の言い方は軽いものだが、その声はやはりどこか固い。

 

 あずさも、この後起こる事件の結末は知っているため、余計な口をはさむことができなくなった。

 

「俺たちがいた佐渡に、どこぞの軍が奇襲を仕掛けてきたんだ」

 

 佐渡侵攻事件。その話が、今、あずさに明かされる。




今回からしばらくは、文也と将輝・真紅郎コンビの出会いの話です


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3-サド・サド・サード-2

 あれから数日間、三人は見学し、時には研究員に自ら質問し、それぞれの知性を深めた。時に文也が悪戯をして、それを将輝が止め、それを見た真紅郎が文也をたしなめる、という流れがたびたびあったりと、忙しい数日間だった。

 

 そして翌朝には三人とも帰るという最終日の夕方。

 

 突然研究所内に、警報が鳴り響いた。

 

 何事かと全員がうろたえているうちに、放送で音声が届く。

 

 慌てており声が裏返っているが、その内容は、全員に衝撃を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『こちら国防軍佐渡基地! 何者かによって北方から奇襲侵攻された! 規模は不明! 緊急コードレッド! 全員直ちにひな――クソッ、ぎゃああああ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 悲鳴とともに、拳銃の音が鳴り響き、放送した男の悲鳴が鳴り響き、途切れる。

 

「全員避難準備! 荷物を全部おいて全員即座に脱出する!」

 

 放送が途切れた直後の一瞬の静寂。そのパニックが起こる直前に、即座に所長の男性が全員に指示を飛ばした。

 

 繰り返された避難訓練の通りに研究者や職員たちはあわただしく準備を始める。

 

「君たちは最優先で避難しろ。僕についてきて」

 

 研究者の一人が、すぐに三人に近寄ってきてこの場から連れ出す。子供である文也たちは、最優先避難対象だった。

 

「い、いったい何が?」

 

「わからない。ただ手際からして、どこかの国によるゲリラ侵攻だと思う。まあ君たちはそれを気にしなくていいから、早く避難しよう」

 

 将輝の問いに、研究者は首を振りながら答える。

 

「やっぱ、ここに配備されてる軍じゃ相手できねぇな?」

 

「そうだ。だから一刻も早く避難しなければならない。君たちは最優先で安全が確認された岸から船に乗って脱出をする」

 

「の、残った人たちは!?」

 

「……君は、吉祥寺さんの息子か。……君たちよりは遅れると思うけど、大丈夫。万が一船に乗り損ねても、ここの地下シェルターは国内有数だからね」

 

 駆け足のままではあるが、研究者は笑顔を浮かべ、安心させるように真紅郎の頭を撫でながらそう言った。その手は走りながらだったせいか、小刻みに震えていた。

 

「大変だ!」

 

 そんな四人が目指す方向から、研究者ではないが職員であろうスーツの男が血相を変えて走ってくる。

 

「何があった?」

 

 文也たちを連れた研究者は笑顔を消し、真剣な顔で問いかける。

 

「え、沿岸監視隊からの連絡で――ほかの方向からも小規模部隊が攻めてきて、船が全部やられた!」

 

「そ、そんな……」

 

 スーツの男の言葉に、四人は血相を変える。

 

 脱出用の船がない。

 

 つまり……国防軍が陥落したこの孤島から、脱出できないということだ。

 

「くっ、想定以上に手慣れた連中だ。仕方ない。すぐに地下シェルターに行こう。ついてきて」

 

 研究者は歯噛みし、即座に方針を切り替え、元来た道を戻って走り出す。

 

 しばし絶望で固まってしまったが、半ば無意識に、大人たちに引っ張られる形で文也たちも遅れずについていった。

 

 研究所の見取り図は頭の中に入っている。地下シェルターへは、この南口大通路からだったら、メインルームに戻ってそこから行くのが一番の近道だ。

 

 そして、研究者とスーツの男、文也たちがメインルームについた瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドオオオオオオオッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と大きな爆発音とともに、建物全体が大きく揺れた。

 

 なんだ、と叫ぶことはなかった。

 

 何が起こったのか、この場にいる全員が理解したからだ。

 

 大きな音がした方向、メインルームの北側の隔壁に、大きな穴が開けられていた。

 

 佐渡に、どこかの国が攻めてきた。国防軍の基地も突破された。

 

 その目的は? 基地を突破した後に行く場所は?

 

 当然、この、魔法研究所である。

 

「なんてことだ! 早すぎる! これなら最初からシェルターに向かえばよかった!」

 

 研究者の言葉の意味を、文也たちは理解している。

 

 自分たちが向かおうとしていたのは南口。敵が攻めてきた方向と逆側に即座に逃げようとした。

 

 その判断の早さが、逆に災いしてしまった。

 

 南口から逃げても船はない。余計な道を進んでまた戻るということをしてしまったがために、こうして賊と相対してしまった。

 

 真紅郎はここにきて初めて、ようやく湧き上がる恐怖を実感した。

 

 開けられた大穴の先には、幾人ものシルエットが見える。その全員が、軍用の装備と銃を携えている。

 

 そしてその銃口が、一斉にこちらに向けられ――銃弾の雨が、メインルームに襲い掛かった。

 

 真紅郎はとっさにCADを操作して対物障壁を展開する。周りを守るほどの余裕はなく、自分の体の前だけだ。

 

 そんな対物障壁を――障壁魔法を貫通する目的で威力を増幅させた貫通力の高い銃弾が、真紅郎を撃ち抜いた。

 

「ああああっ――――」

 

 真紅郎はあまりの痛みに悲鳴を上げる。

 

 脚が今まで味わったことのない激痛に襲われ、そのせいで意識が遠のく。

 

 

 

 

 

 

 

 

(父さん……母さん……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄れゆく視界の中で、真紅郎はメインルームの最前線で応戦する両親の姿を見つける。

 

 そのまま真紅郎の意識は、闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真紅郎が目を覚ました時に最初に見たものは、見たことのない天井だった。

 

 今までいた研究所に比べるとはるかに簡素なデザインと照明で、どこまでも味気ない。

 

 そんな感想を未覚醒の頭で抱くや否や、直前まで起こっていたことを思い出し、一気に意識が覚醒して体を起こそうとする。

 

「っ!」

 

 しかしそれは、体に走った激痛によって失敗し、中途半端に起こした体をまた倒すことになった。

 

「起きたか」

 

 そんな真紅郎の顔を覗き込んだのは、目つきの悪い黒髪の童顔だった。

 

「…………文也、か」

 

 ここ数日の中ですっかり気が合い、真紅郎は文也を下の名前で呼ぶようになった。

 

 真紅郎を覗き込む文也は、その童顔の頬にかすり傷を作っている。よく見たら、肩や脚の服も破れており、その奥には包帯が巻かれていた。

 

「ここは研究所の地下シェルターだ。あのあと何とか逃げ切ってな。マサテルがお前を担いでここまで運んでくれたんだ」

 

「そうか、将輝が」

 

 真紅郎は今度はゆっくりと起き上がり、自分の体を確認する。

 

 左脚がギブスで固定され、包帯で包まれている。あの時、魔法を貫いて威力が減退しなかった銃弾が脚を傷つけたのだろう。重傷だが、命に別状はない。貫通力があるから体内に銃弾残らず、また急所には当たらなかったのが幸いしたのだ。もう少し上にずれて太もも、さらには付け根に当たっていたら、太い血管が貫かれて失血死していただろうし、骨に酷い影響が出て一生歩けなくなるかもしれなかった。

 

「あれから研究者や職員や警備員たちで侵入者を撃退して、生き残ったやつらでここに逃げ込んだ。将輝の『爆裂』も強かったし、魔法を研究してるだけあって研究者たちも強かった。今はお前が倒れてから五時間後だ」

 

 あのまま黙ってやられて逃げていたわけではない。

 

 非戦闘員を後ろに置き、戦える者たちで、侵略者たちに応戦した。

 

 離島の軍事的な側面が強い研究所の職員や警備員なだけあって、本職とはいかずともかなり戦える逸材ばかりだ。魔法理論に深い知識と経験を持つ研究者たちもまた魔法の名手であり、何よりもすでに一流の戦闘魔法師にも届きうる将輝の『爆裂』が大活躍して、侵入してきた侵略者はひとまず追い返した。

 

「い、生き残った、ってことは……」

 

「………………ああ。残念だが、半分以上が死んだ」

 

「……そうか」

 

 生き残ったやつらで。

 

 文也はそう言った。

 

 つまり、生き残れなかった者もいるということだ。

 

 相手は何者かわからないが、個人の戦闘能力もチームとしての練度も、生半可なものではなく、おそらく戦闘、そして『戦争』のプロだった。

 

 それに対して、本職でない研究者や警備員・職員、それに中学生である文也や将輝では楽に叶うはずもなく、半分弱の人が命を落とした。

 

「ジョージ!」

 

「あ、将輝」

 

 どこかに出かけていたらしい将輝が、真紅郎が起き上がっているのを見て駆け寄ってくる。

 

「大丈夫か?」

 

「う、うん、とりあえず大丈夫だよ」

 

「そうか。よかった」

 

 将輝は真紅郎の横にかがんで問いかける。真紅郎の答えを聞いた将輝は、安心したのか、そのまま全身の力を抜いてへたり込んだ。

 

「マサテル、どうだった?」

 

「ダメだ。何も答えやしねぇ」

 

「そうか。じゃあ次は俺がやってみよう」

 

 文也は将輝に代わるように立ち上がると、将輝が来た方向へと肩を回しながら歩いて行った。

 

「どこ行ったの?」

 

「敵を一人生け捕りにすることができてな。警備員を中心にして色々聞いてんだけど、何も答えないんだ」

 

「なるほどね」

 

 文也が分厚い扉の奥に消えていく。この地下シェルターはかなり大規模なようで、研究所にいる全員を収容し、かつ目的に応じて使えるよう何部屋かに分かれている。真紅郎が寝かされているのは一番大きなメインの部屋で、周りを見渡すと、真紅郎と同じように重傷者が応急処置を施されて毛布の上で寝かされている。

 

「あいつ……井瀬はすごかったぞ。応戦の時も、強力な魔法と言うわけでもないけど、的確な場面で的確なところに的確な魔法を使ってたし、時々全体に指示を出してた。あいつがいなかったら、もっと犠牲者は増えていたかもな」

 

「それはすごいね」

 

「ああ。俺らで対応できない隙になってる部分を見つけて埋めたり、反撃のサポートをしたりしてくれたんだ。あと、ここに逃げ込んでからの応急処置もあいつが一番活躍した。少し見ただけで、どこがどんな怪我をしてて、それにどんな治療をすればいいか、ってのをすぐに見分けて治療の指示をしてた。それにあいつ自身でやった処置が一番速いししかも正確だ。どっかで医療の勉強でもしたのかもしれないな」

 

「へえ……」

 

 本当に何者なのだろうか。

 

 そんなふうに真紅郎がぼんやり考えていると、将輝が何やら思いつめたような顔をしていることに気づいた。何か苦しいことをするべきかどうかと迷っているような表情だ。

 

「どうしたんだい、将輝?」

 

「あ、えっと……」

 

 真紅郎に問われ、将輝はわかりやすいほど動揺した。

 

「ジョージ、ちょっと、ついてきてくれないか。ほら、松葉杖」

 

「え、あ、うん」

 

 将輝に助け起こされ、真紅郎は何が何だかわからないまま松葉杖を受け取り、不慣れながらもゆっくりとついていく。このシェルターには緊急時に備えてこんなものまで用意してあったのだ。

 

 将輝に促されるがままついていったのは、文也が行った方とは反対側の扉だ。

 

 将輝は、まるで誰かの視線を気にするようにメインの大部屋をきょろきょろと見回すと、その部屋の扉を松葉杖の真紅郎がギリギリ通れる分だけ開けて中に通す。

 

 その部屋の中を見て、真紅郎は言葉を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その部屋の中では、敷かれたシートの上に、顔に布をかぶせられた大量の死体が横たえられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ」

 

「ここは……死体安置所だ。なんとかメインルームから運び出せたのだけでもこれだけある」

 

 将輝は心底悔しそうな声でそう説明する。自身が防衛の主役だったため、この惨状に責任を感じているのだ。

 

 しかし将輝のその感情に、真紅郎は気づく余裕がなかった。

 

 並んだ死体の中に、見覚えのある姿がある。顔に布がかぶせられてても、すぐにわかった。

 

 真紅郎の父親と母親が、この部屋の一角で、顔に白い布をかぶせられて横たえられていた。

 

「そんな、父さん、母さん!」

 

 真紅郎は松葉杖をもどかしく思いながらそのもとに駆け寄り、しゃがみ込む。乱暴に布をはがして確認すると、その下から現れた顔は、信じたくないが、安らかな顔をした両親だった。

 

「お二人は立派だった。研究所で最高の魔法師として積極的に前線に立って奮闘した。お二人がいなかったら、俺たちは全員死んでいただろう」

 

 両親の遺体に縋り付き茫然とする真紅郎に、あとから追いついた将輝が、悲痛な声で真紅郎の両親の活躍を伝える。

 

 真紅郎は優秀な魔法師の卵だ。そんな彼を産んだ両親もまた優秀な魔法師であり、この研究所の中でもその実力はトップクラスであった。

 

 そのため先の戦闘でも積極的に前線で活躍し、ひとまずの撃退とシェルターへの撤退に大きく貢献した。

 

 しかし彼らはその代償に大きく負傷し、命を落とすこととなってしまった。

 

「真紅郎」

 

 将輝は、いつものあだ名でなく名前を呼ぶ。

 

「戦いが終わった後、ご両親は今際の時、お前の無事を確認すると、この……っ、安らかな顔を、浮かべて、亡くなられた」

 

 必死で感情を抑えた悲痛な声が、ついに涙声になる。

 

 それにつられて、ついに真紅郎は理解した。

 

 両親が、死んだ。

 

 理解した瞬間、涙があふれ出した。

 

 それに遅れて、嘆きの叫び声が、喉からあふれる。

 

 死体安置所には、泣き叫ぶ声とすすり泣く声、二つの泣き声が、そこから数十分、空しく反響した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「井瀬、戻ってきてたのか」

 

「マサテルか。……ジョージはどうだ?」

 

「マサキだ。……しばらく、ご両親と一緒にいるそうだ」

 

「…………そうか」

 

 将輝が一人死体安置所から戻ると、ちょうど文也が反対側のドアから戻ってくるところだった。

 

 将輝が現れたドアから事情を察した文也は真紅郎の様子を尋ねるが、将輝の返答を聞くと、ただ頷いた。

 

「で、井瀬。なんか聞けたか」

 

「ああ、少しだけな。でも国籍だけは意地でも割らなかったよ。よっぽど『隠す』のが大事らしい。装備もいろんな国のチャンポンだし、言葉もきれいなネイティブイングリッシュだった」

 

「それでも少しは聞けたのか……」

 

 一応取り調べなどの訓練もしている警備員相手にすら口を割らなかったのに、いったいどうやったのだろうか。

 

 将輝はそんな疑問も浮かぶが、そのまま文也の話を聞くことにした。

 

「部隊の規模は小数と言えば少数だが、ゲリラの精鋭を集めてるらしい。今回の作戦の第一目的はこの研究所の確保と研究成果や設備の奪取、第二目的はこの島そのものだ」

 

「なるほど」

 

「作戦の手はずは、まず小規模の精鋭部隊による電撃作戦で基地と研究所を占拠し、あとから二百人規模くらいの本隊が上陸する予定だそうだ。装備は対魔法師に特化したものが多くて、貫通力特化のハイパワーライフルが主兵装。相手にも相当数魔法師がいるからアンティナイトは使わないとよ。本隊の上陸予定は明日らしい」

 

「明日、明日か……」

 

 将輝は頭を悩ませる。

 

 ここに避難してから、まず真っ先に本土へと連絡を送った。本土もやはり寝耳に水みたいで、かなり大慌てしている。しかも沖縄方面も大東亜連合から侵略を受けているみたいで、国防軍の対応が追い付いてないらしい。

 

 そこで、北陸方面を守護する十師族・一条家の当主で将輝の父である一条剛毅が立ち上がり、国防軍に強く要請して連隊規模の対抗部隊を編成してもらうことになった。さらに剛毅も、自身を中心に一条家の長として義勇軍を組織することにしたという。

 

 ただしやはり沖縄の件もあって向こうも混乱しており、国防軍の派遣には時間がかかる。

 

 そこで、まずは身軽に動ける剛毅率いる義勇軍と一部の国防軍が明日こちらに向かってきて奪還作戦を行うと連絡を受けた。

 

 敵本隊の上陸と奪還部隊の到着が同時。

 

 これは間違いなく、大きな戦争になる。

 

 敵の犠牲はどうでもいいとして、こちらも相当数の犠牲を覚悟しなければならない。

 

「聞けたのはこれだけだ。ゲリラ専門なだけあって相当口が固かったよ。駆け引きとか知らないから俺にはこれくらいしか無理だ」

 

「いや、これだけ聞けただけでもありがたい。今から本国に連絡する」

 

「おいよ。じゃあ俺は疲れたからさすがに休むわ」

 

「ああ、ゆっくりしろ。ご苦労」

 

「おう。お前も早くゆっくりしろよ」

 

 そんな会話を交わすと、文也は大部屋の隅っこに向かって歩いて行って毛布をかぶり、そのまま寝転んだ。

 

 将輝はその姿を見た後、また別の部屋に行く。その部屋は緊急時用のコントロールルームで、何者かに襲撃されて占拠されたときはいつも使っている場所のコンピューターのシステムアクセス権をすべて遮断し、こちらにすべて移るようになっているのだ。またハッキングやジャミング、盗聴対策として、複数の回線から本国に連絡が取れるようになっている。

 

 ただし今はその機能の一部が使用可能状態になっておらず、部屋正面を埋め尽くす多数のモニターも全部がついているというわけでもなく、持て余している状態だった。

 

「失礼します。一条です」

 

「ああ、どうぞ」

 

 その部屋には何人かの研究者や職員がいた。彼らはこの緊急事態の中でリーダーシップを発揮して全体の統括を任された人物だ。

 

 ただし、本来想定されていた役割だった人物はこの中でごく少数だ。運の悪いことに、所長や室長、警備長などの普段からリーダーの役職にいて、緊急時にもリーダーをやるはずの人物は亡くなってしまい、今は臨時で参加している者がほとんどだ。

 

 そしてそんなリーダー集団の中には、将輝も含まれている。

 

 部外者で、しかも中学一年生である彼が大人たちに混ざってしかも緊急時のリーダーシップを執るというのは、本来ならありえない。

 

 しかし、将輝は一条家の長男にして次期当主としてこういった事態の対応は幼いころから訓練されており、また生来の『将』としての資質やカリスマ性から、この集団の中でも高いリーダーシップを発揮し、さらに認められているのだ。

 

「生け捕りにした捕虜から情報を入手しましたので、至急本国に連絡をしようと思います」

 

「ああ、わかった。ほら」

 

 ちょうど本国との連絡をしていてそれが終わったらしい男性が将輝に受話器を渡す。

 

「変わりました、一条将輝です」

 

「おお、将輝様ですか」

 

 相手は、将輝もよく知っている相手だ。一条家の私設軍の軍人で、将輝によく様々な訓練をしてくれる男だ。一条家のことをよく慕っていて将輝のことも大変心の底から丁寧に扱っているが、訓練になると鬼のように怖い人物である。

 

「捕虜から情報を聞き出せましたので報告をいたします」

 

 将輝はそう言って、文也から受けた報告をする。

 

 それを終えると、将輝は他の報告があるらしい人に受話器を渡し、一息ついた。

 

「もうだいぶ様になってるじゃないか」

 

「そんな、まだまだですよ」

 

 将輝は、先ほどまで本国と連絡をしていた男性から穏やかな笑顔で話しかけられ、それに謙遜で応じる。何やら話があるらしい雰囲気を感じ、将輝は彼の隣の空いている椅子に腰を掛ける。

 

「やっぱり一条家の長男だから、普段から練習とかしてるのかい」

 

「はい、そうです。先ほどの本国の人、実はよく教えてくれる人なんですよ」

 

「へえ、穏やかそうな声だったけど、案外厳しいのかな?」

 

「訓練になると鬼のようですよ」

 

「意外だなあ」

 

 将輝が話しているこの相手は、ここにいる中では数少ない、もともと緊急事態にリーダーの一角をすることを任されている研究員だ。この研究所にある研究室の中の一つの副室長でしかないのだが、人柄や人格は信頼を得ている。

 

「ところでさ、僕はさっき、本国に生存者と死亡者の連絡をしていたんだけどね」

 

「はい」

 

 和やかな雑談から一転、笑みを真剣な顔に変えて、その男性は将輝に問いかける。

 

「井瀬君のこと、本当に知らせなくてよかったのかい? 彼はまだ子供だ。親御さんも心配しているだろうに」

 

「いえ、それの方がいいんです。本人もそう言っていました。あいつはお忍びですから。それに、一応僕の父親にだけは連絡してはいるので」

 

「そうかい、それならいいけど」

 

 生存者と死亡者の報告をする際、文也に関しては何も触れないで、いないことにして欲しいと、文也自身から頼まれた将輝は、事前にここの彼らに頼んでおいた。しっかり伝えないでくれたようで一安心だ。

 

「まあ話はこれだけなんだ。すまないね。もう遅いから、君は明日のこともあるし、もう休むといい」

 

「はい、失礼します。あなたももう休んだ方がいいですよ」

 

「そういうわけにもいかないよ。いかんせん、リーダー組の中でも権限が低いのしか生き残らなかったから、このコントロールルームの重要なシステムがまだまだほとんど開けていないんだ。開け方やらなにやらはまだ教わる段階じゃなくてね。しばらく格闘が必要だよ」

 

「そうですか。ご無理なさらず。では」

 

 最後にそう言葉を交わして、将輝はメインの大部屋に戻った。

 

(ふう……今日はいきなりだったな)

 

 将輝は手ごろな壁に寄りかかり、脚の力を抜いてずるずると座り込む。

 

 いきなり初の戦闘をし、避難してからもいろいろと気を張りながら仕事をしたものだから、ここにきてどっと疲れが押し寄せてきた。

 

(親父は、いつもこれ以上のことをやってるのか……)

 

 俺はまだまだだな。

 

 そんなことを考えながら、しばし大部屋を見回す。

 

 すると、ふと、大部屋の隅っこで小さな体をさらに縮めて毛布にくるまって寝ている文也に目が留まる。壁に体の前面を向けこちら側には背を向けているので寝顔は確認できないが、もう寝ているのだろう。

 

 文也もまた、中学生なのに、将輝と同じぐらい働いていた。

 

 的確な魔法で援護をし、避難してからは自身も迅速に応急処置しながら全体に指示を出し、それが落ち着いたと思ったら次は捕虜の尋問。あの小さな体で大活躍をして、かなり疲れただろう。

 

 そして文也に意識を向けたことで――この大部屋の空気の違和感に気づいた。

 

 なんとなくみんな文也から離れ、目をそらし、話題にしないようにしているようだ。まるで腫物扱い……避けているようだ。

 

(いったいなんだ)

 

 奇妙な話だった。

 

 確かに文也は普段から職員にまで悪戯をしかけて迷惑をかけていたが、子供の可愛い悪戯程度にしか扱われていなかった。むしろ、たまにミスを指摘されたりアドバイスを受けたりして職員たちは文也に感謝をし、親しみを抱いていた。また襲われてからも文也が活躍、特に応急処置の件からはみんなから認められ、かなり信頼されていたはずだ。

 

 それなのに、いきなりなぜ?

 

 こんなふうに切り替わるタイミングといったら……自分が死体安置所にいっていたときか、コントロールルームにいっていたときくらいだ。

 

 そこで将輝は、そばにいた女性に聞いてみることにした。

 

「あの、すみません」

 

「はい、なんですか?」

 

「あそこにいる井瀬について何ですか、なんか、こう……みんな、あいつへの雰囲気が、あー、変というか、避けてる感じがしてですね……」

 

「あ、あー……ま、まあ私たちも悪いとは思っているんだけど……。あの子がいなかったら、間違いなくもっと人が死んでいたと思うし、間違いなく命の恩人だわ。こうして縮こまっているだけの私たちと違って、あの子はここに来てからも色々やってくれたし」

 

「それなら、なんで?」

 

 将輝はつい、語気を強めて問いかけてしまう。女性の答えが歯切れが悪いというのもそうだが、やはり、働いてくれた文也に対するこの態度がどうしても気に障るのだ。

 

「う、うーん」

 

 女性はしばし迷いながら文也のほうに視線をやる。そのまましばらく話すか話すまいか迷ってから、彼女は口を開いた。

 

「あの部屋、生け捕りにした捕虜がいるんでしょ? 警備員さんとかが取り調べても何も答えなかったって言う」

 

「はい」

 

「あの子があの部屋に入った後、少ししたら……ちょうどあなたたちが安置所に入ってすぐくらいね、取り調べていた警備員さんや職員さんがみんな部屋から出てきたのよ」

 

「へ?」

 

 妙な話に、将輝はつい間抜けな声を漏らしてしまう。

 

 自分が真紅郎を死体安置所に連れて行っている間に文也は取り調べに参加していたとは考えてはいたが、もともと取り調べをしていたメンバーと一緒にしたものだと思っていた。しかし、文也はどうやら一人でやったらしい。

 

 いったいなぜ、と思いながら、その続きを促す。

 

「それでね、その、それからまたしばらくして…………すごい苦しそうな大声が、あの部屋から聞こえてきたの」

 

「そ、それって……」

 

 この地下シェルターは一つ一つの部屋もシェルターとして機能するように分厚い壁で区切られている。当然防音性能も高く、早々音が漏れ聞こえてくるはずがない。

 

「やめろ、やめてくれ、助けてくれ、みたいな声も聞こえたわ。この分厚い壁越しだから小さくしか聞こえないけど、相当な大声だったと思うわよ。で、みんな疲れてるからこの大部屋も静かでね、結構聞こえちゃうのよ。みんな弱ってる中、十何分間そんな声が聞こえちゃうものだから……『それ』をやったんだろうあの子に、みんなすっかりおびえちゃって……」

 

 将輝はその様子を想像し、背筋に寒気が走った。

 

 いきなりの襲撃と多数が死んだ激戦の後、地下シェルターに逃げ込む。大部屋にそこそこの人数が集まってもみんな弱って声をほとんど発しない中、急に分厚い壁越しにくぐもって聞こえてくる苦痛の悲鳴。そしてその部屋には、生け捕りの捕虜と、小さな小さな中学生の少年しかいない。それもその少年は、ついさきほどまでヒーローのごとき働きをして信頼を集める少年だ。

 

 そんな少年が、何をやっているのか。聞こえてくる悲鳴から、容易に想像がつく。

 

(まさか……拷問?)

 

 口に出して明確な答えをおびえる人々には聞かせないように、あえて心の中でつぶやく。

 

 文也はなんと言っていたか。

 

『駆け引きとか知らないから俺にはこれくらいしか無理だ』

 

 駆け引きはできない。だが、『押す』ことはできるのだ。

 

 文也は、何らかの方法でゲリラのプロですら口を割るほどの耐えがたい苦痛を与え、情報を抜き出したのだ。

 

(いったいどんな方法で……)

 

 思わず、また文也を見る。姿は変わっていないのに、将輝はその小さい背中に思わず恐怖を覚えてしまう。

 

 あの分厚い壁と扉で仕切られた部屋で、いったい何を行ったのだろうか。

 

 いったいどんな表情で、どんな感情で、それを行ったのだろうか。

 

 恐怖にも似た疑問が将輝の脳内を渦巻く。

 

 そしてふと、気づいた。

 

 今の自分の思考が、先ほどまで自分が嫌悪していた者たちと同じものになっていることに。

 

 親しみを覚え、信頼していた少年。彼のおかげで命が助かったといってもいい。

 

 それなのに、たった一回の行動で恐怖を覚え、避けてしまいそうになる。

 

 そのたった一回の行動も、考えてみれば、この緊急事態でより情報を得るための行動であり、みんなのための行動なのに。

 

(いや、だめだ、だめだ)

 

 将輝は頭を振って恐怖を振り払う。

 

 助けてもらっておいて避けるだなんて、そんなのは許されない。他のものにまで心を強く持てとは強制はしない。だがせめて、自分だけは、彼と向き合うべきだ。

 

 命を救った、小さなヒーローに。

 

 将輝はふらふらと立ち上がって積まれた毛布を一枚とり、それにくるまって寝転がり、雑念から逃げるように眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃弾の雨を強力な障壁魔法でしのぐ。

 

 しかし周りはそうはいかず、つい数分前まで和やかに話していた大人たちが、全身のいたるところを撃ち抜かれて次々と血を噴き出して倒れていく。

 

 いきなりのことで戸惑いながら、半ば反射で、一番の得意魔法を行使する。

 

 すると敵兵士が何人かが、次々と急に体を膨張させ『爆裂』し、赤血球を噴き出して倒れていく。一瞬にして体が内側から膨れ上がって爆発する、という事態に敵兵士は理解が追い付かず、ただ遅れて訪れる痛みに悶え、そのまま死に至る。

 

 有効であることを確認した将輝は、混乱する敵兵士たちにそのまま『爆裂』を行使し続ける。次々と赤血球を噴き出して内側から膨張して爆発するが、しかし生き残った兵士から再び銃弾の雨が降り注ぎ、また周りが倒れ、体を血に染めて息絶える。

 

 部屋中が、敵味方の血で真っ赤に染まる。死んだ知り合いたちの血が、爆発して吹き飛ぶ敵の血が、自身に降りかかる。

 

 集中力が増す中、自分の魔法で内側からの膨張で苦しみ死んでいく、敵兵士の顔がはっきりと見え――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――はっ!」

 

 眠りやすいよう明かりが少し落とされた地下シェルターの大部屋の中、将輝は汗だくになりながら体を勢いよく起こした。

 

「はっ、はっ、はーっ……夢、か」

 

 将輝はようやく冷静になり、息を整えてつぶやく。

 

 夢だが、まだ一日も経たないくらい前のことだった。

 

「…………」

 

 将輝は力の入らない脚で立ち、ふらふらと歩きだす。

 

 初めて、人を殺した。

 

 しかも、よりによって奇襲への反撃だったため、『人を殺す』という心の準備や覚悟が整っていない状態だった。

 

 敵は侵略者だ。いきなり銃を向けて、それで銃弾を躊躇なく浴びせてきた。

 

 将輝の反撃は、だれがどう見ても正当なものだ。

 

 しかしそれでも、『人を殺した』という衝撃は、将輝には重いものだった。

 

 それも初めてなのに、その殺害人数は十数人だ。

 

 しかも、その殺害方法は凄惨なもの。

 

 体内の血液を一瞬で気化し、内側から体を膨張させて爆発させる。

 

 血液の固体成分である赤血球が炸裂しそこら中に勢いよく飛び散る。

 

 その死のあり様も、死後も、どちらも惨い。

 

 この魔法『爆裂』は、まさしく人を殺すための魔法だ。

 

『爆裂』は一条家の秘術であり、一条家が一条家たるゆえんだ。

 

 この『爆裂』は、将輝のアイデンティティーであり、誇りだった。

 

 一条家の長男に生まれ、生まれながらにして当主としてのカリスマと才能を備え、またそれをいかんなく発揮し、一条家の次期当主として磨き上げた『爆裂』。その『爆裂』は、まさしく、こういう時のために使うものだ。

 

 しかし、そのことに将輝は、今、強い拒絶感を覚えた。

 

『爆裂』の効果は絶大で、多くの罪なき人々の命を救えた。大切な友達の命も救えた。

 

 しかし、自身のアイデンティティーと誇りとなる魔法が、あの凄惨な死にざまと死体を生み出したという事実。そしてそれをやったのは、自分自身であり、自分自身の意志でやったという自覚。

 

 この苦しみが、忙しさの蓋から解き放たれ、顕在化した。

 

 将輝が向かうのは洗面所だ。トイレとは別に設置された、手を洗ったり歯を磨いたりするための簡易的な水道もこのシェルターには用意されている。

 

 喉が張り付いたかのように渇く。ひどい吐き気がする。体が熱いのに震える。脂汗が滝のように流れる。

 

 これらに一挙に対処するために、将輝は水を求めたのだ。

 

(こんなんで明日はどうするんだ……気合、入れなおさないと)

 

 将輝は大きく息を吐いてからドアを開ける。

 

 するとすぐに違和感に気づいた。

 

 暗い部屋の奥の方から、水が流れる音がする。

 

 どうやら先客がいたようだ。

 

 ただしその姿は、明かりを落としているため見えない。手前側にいたなら見えただろうが、どうやら部屋の奥にいるらしい。

 

 将輝は誰だろうかと気になり、部屋の奥に入っていく。

 

 暗がりの中、その姿が少しずつ見えてくる。

 

 その背は小さい。蛇口から出る水にそのまま頭を預け、シャワーのように使っている。ただし頭を手で掻いたりせず、ただただ水に打たれているだけだ。雑に切りそろえた髪が水を含み、重みを増して下に垂れ下がっている。

 

「……井瀬か」

 

「…………ああ、マサテルか」

 

「マサキだ」

 

 先客は文也だったようだ。

 

 将輝が声をかけると、文也は蛇口をひねって水を止め、頭を振って水滴を落としてから振り返り、将輝だと認識する。

 

 少しだけバツが悪そうな顔をし、それからまた一度頭を振ってから、足元に置いていたタオルでわしゃわしゃと水を雑にぬぐう。

 

「井瀬、お前何やってたんだ?」

 

 文也の行動は奇妙だった。水道に来て、水を飲むわけでもなければ顔を洗いに来たわけでもない。頭を水道に預けて濡らしてはいたが、手は動かしていないので、特に頭を洗いに来たというわけでもなさそうだ。

 

「あー、その、あー」

 

 やっぱり尋ねられたか。

 

 そんな心の声が漏れ聞こえてきそうな顔と態度だ。

 

「そのー、な、寝てたら、こう、夕方にあんなことがあったから、寝覚めの悪い夢を見ちまってな」

 

「お前、まさか……」

 

「あー、うん、まあ、やっぱキツかったわ。だせぇよなぁ。いろいろ動き回って考えないようにしてたけど、夢に出ちまうんだもん。で、ちょっと頭冷やそうと思ってさ」

 

 そう言って、ははは、と渇いた笑いを漏らしながら、恥ずかしそうに頭を掻く。よく見ると、文也の顔色は悪い。笑ってごまかしてはいるが、相当堪えているようである。

 

「そんなことない。あー、その、俺も……夢に出てきてな。水飲んで顔洗おうと思ってここに来たんだ」

 

 将輝は文也の両肩を掴み、そう語り掛ける。

 

 文也は飄々と活躍していた。戦いにも躊躇がないように見えた。真剣な態度にはなっていたが、おおよそいつも通りに動いているように見えていた。

 

 しかし、そうでなかった。

 

 自分と同じく、文也も『殺し』の事実に苦しんでいたのだ。

 

 将輝は、文也のその苦しみや懊悩は決して恥ずかしいものでない、自分も同じだ、と知らせようとしたのだ。

 

「……お前もか。一条家ってのは神経が太いんだと思ってたけど、初めてだしやっぱこうなるか」

 

 文也は少し目を丸くして驚く。

 

 文也から見てもまた、将輝は特別な存在に見えていたようだ。

 

 一条家の長男で次期当主。こうした事態への対応もお手の物。

 

 将輝の内心は穏やかではないのだが、確かに、はたから見ればそう見えたのだろう。

 

「俺だって変わんないさ。侵略者であろうと、自分の手で人を殺したというのは、やっぱ堪える。それも、これから戦場に行きますとかそういう覚悟や準備すらなかったんだ。『初体験』のハードさで言えば、プロの軍人よりもハードかも知れないな」

 

「全くとんでもないところで童貞奪われちまったな。ボインボインの優しいお姉さんに導かれて、ってのがよかったのによ」

 

「お前は何を言ってるんだ……」

 

 文也の訳の分からない言葉に突っ込みを入れてから、将輝は水道から水を飲む。緊急用の水道であり、一応飲み水にもなるのだが、やはり緊急用なので美味しくない。

 

 しかし味気ない冷たい液体が喉を通ると、やはり幾分か気分がすっきりした。ついでにその冷たい水で顔を洗い、顔を冷やして脂汗も流す。

 

「じゃ、頭も冷えたし俺はまた寝るわ。少し話してすっきりしたわ。ありがとな。そんじゃ。お前も明日のこともあるんだし早く寝ろよ」

 

 少しだけすっきりした様子の将輝を見ると、文也はタオルを回して遊びながらそう言い残してその場を去っていく。

 

「…………確かに、な」

 

 話してすっきりした。

 

 それは将輝も同じだった。

 

 未だに、凄惨な戦いや死体は脳裏にこびりついてるし、体に降りかかったどろりとした感触はまだまとわりついている感じがする。

 

 それでも、同じ感覚を味わった者同士で共有することで、悪い気分がだいぶ晴れてきた。

 

(あいつもだったのか……)

 

 話してみてわかった。

 

 いつも平然としていて、平常時はやんちゃで、それでいて緊急時は誰よりも冷静に行動していた。あの小さな体でおぞましい拷問までして、それでも平然としていた

 

 何でもできて、冷静に事態に当たり、時には冷酷に拷問もする。

 

 将輝は、文也に畏敬にも似た恐怖を感じていたことに気づいた。

 

 しかし、そんな文也でも、『殺し』に苦悩を感じ、夜中に起きて、水を頭にかけて冷やしてまでいた。

 

 どこか『超常』の存在ではない。

 

 彼もまた、自分と同じ人間なのだ。

 

 心の中にたまっていた膿やしこりのようなものが、今のやり取りで流れだした。

 

 戦いは怖い。死ぬのも怖いし、殺すのも怖い。

 

 それでも、明日への覚悟は決まった。

 

 人生の中で、これ以上ないほどの決意が、自分の中で固まるのを感じた。

 

「明日は必ず……勝つ」




ご感想だけでなく、何かご質問等あれば遠慮なく投げてください。お答えできる範囲でお答えします


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3-サド・サド・サード-3

 翌朝は、避難した人々は早くから全員起き、今日の方針について話すことになった。

 

 本土からの先遣義勇軍は、十時ごろに上陸し、正午にこちらに到着する予定になっている。その動きに合わせてシェルターの中の人々も動くことになった。

 

 まず避難民は、大きく分けて三つのグループに分かれることになる。

 

 まず一つめが避難グループ。

 

 大きなケガがあったり、ひどい体調不良に陥ったり、体に障害があったりといった人々は優先的にこのグループに入る。やることは、この地下シェルターにいて救助を待つこと。即座に船に乗って本土に帰るべき人々ではあるが、それはリスキーなため、とりあえず安全なここに留まることになる。

 

 二つめが義勇軍グループ。

 

 昨日の段階で志願者を集め、この後に来る義勇軍と合流して地上で戦闘を行うグループだ。このグループには将輝のほか、腕に覚えのある研究者や警備員が参加している。

 

 三つめが後方支援グループ。

 

 この地下シェルターにこもり、コントロールルームの機能を使ったり、義勇軍の休憩・治療・避難場所の維持をしたりして義勇軍のサポートをするのが役目だ。また、このシェルターに攻めてこられた時の最終防衛ラインとしての役割も持つ。このグループには文也と真紅郎が入っている。

 

 義勇軍グループのリーダーは、満場一致で将輝となった。

 

 中学生にしてすでにこの状況で冷静に動き、また昨日の戦いでも一番の活躍をし、さらに時期一条家の当主としてリーダーシップ教育をしっかり受けてきた彼は、全幅の信頼を寄せられていた。

 

「この大部屋をメインに使っていきたいところだが、ここは外とつながる道と直通だから、真っ先に攻められる場所となり、一番危険だ。そこでまず、避難グループはこの大部屋以外のサブルームに移動してもらうことになる。指定した二つの部屋に避難してくれ。こちらの部屋には、優先的に風邪など感染の危険がある人が入ってもらう。もう片方はそれ以外の人だ」

 

 全体に指示を出しているのは、後方支援グループのリーダーであり、避難民のリーダーでもある、とある研究室の副室長だ。事前に早起きして、リーダーたちと文也が集まって今日の方針を決めておいたのだ。

 

「義勇軍グループは、しばらくこの大部屋で待機していてもらいたい。折を見て、私たち後方支援チームがサポートして義勇軍と合流できるようにしよう。幸いにしてついさっきこの子がコントロールルームの機能を全部使えるようにしてくれたからね」

 

 リーダーの男が文也を手で指すと、全員の注目が文也に集まる。まだ少し恐れが混じってはいるが、一晩経って『仕方のないこと』と心の折り合いをつけられた人がほとんどで、その視線はほぼ好意的なものだった。

 

「いったいどうやって開けたんだい? あんなの」

 

「まあちょいちょいとハッキング」

 

「恐ろしいやつ」

 

 隣に居た真紅郎が文也にこっそりと問いかけると、文也は平然と答えた。国家研究施設の緊急コントロールルームをハッキングして機能を開放するなど、プロのハッカーでも中々できまい。ただしこの機能はすさまじいもので、ひとまずなにも文句は言わないことにした。これのおかげで今後の動きがぐっと楽になったのだから。

 

 全体への指示はこれでお開きとなり、避難グループが移動を開始する。下痢や咳、熱などの症状を訴えてる人々はその人たち専用の部屋を用意してそちらに入ってもらう。幸いにして生き残った職員の中には、離島研究所就きの医者や看護師が何人かいるので、彼らもこの部屋にいって治療や看病に当たってもらうことになる。このシェルターは実に準備が良く、十分な量のマスクや衛生手袋や各種常備薬が備蓄されていた。戦闘が長引かなければ、重篤化するようなことはないだろう。

 

 大怪我をしたり、いきなりの事態でメンタルがやられてしまった人たちはもう一つの部屋に入る。感染の拡大を防ぐためにこうしたのだ。このシェルターは実に準備が良くて、大部屋のほかに各々の機能を備えた十部屋ほどの小部屋がある。感染の恐れがある患者が出たときも想定してあるのだろう。大したものである。

 

「さて、義勇軍グループは何人かコントロールルーム来てくれ。合流作戦について話がある」

 

「わかった」

 

 避難グループの移動が終わると、文也たち後方支援グループはコントロールルームに引き上げる。それについてくるよう文也に呼ばれ、将輝は何人か選んで引き連れ、ついていった。

 

 コントロールルームの正面を埋め尽くす多数のモニターは、今は動いている。映すしているのは、この研究所の中に仕掛けられた監視カメラが撮っているものだ。

 

 侵入者は地下シェルター以外の放棄したコンピューターからのアクセス権がすべて遮断されていると気づくと、どうやら地下シェルター内の緊急用コントロールルームの可能性に思い当ったらしく、そこから監視されるのを防ぐために、研究所内の監視カメラを探し出してすべて破壊していた。

 

 ただし彼らが見つけて破壊した監視カメラは、それ自体も監視カメラとしてしっかり機能するが、実はダミーである。

 

 壁の裏や天井の隙間などに隠し監視カメラがいくつも設置されていて、そちらはほとんど壊されていない。

 

 今モニターに映しているのはそちらの監視カメラで撮っている映像だ。研究所内の要所のほか、この地下シェルターにつながる地下廊下の様子も映している。まっすぐな地下廊下内には敵兵士が特に厚く配置されており、こちらを絶対に逃がさない構えだ。

 

 このカメラこそが、文也が今朝ハッキングして解放した機能だ。避難して安全を確保するためだけの場所ではなく、外部と協力して反撃・奪還も視野に入れた攻撃的なシステムであり、この施設が襲撃を受けたときの切り札の一つだ。初見殺しでかつ効果は強力であり、よってこのシステムへのアクセス権限は所長・副所長クラスしか持っていない。どちらも先の戦いで死亡しており、それでもこの切り札を使おうとリーダーグループは四苦八苦していたのだが、今朝になって文也が一時間ほどかけてハッキングし、解放に成功したのだ。

 

「こう見ると、俺らはまだ幸運な方だな」

 

「全く、これで幸運と言えるなんて、とんだ世の中だぜ」

 

 そのモニターを見上げながら、将輝と文也は軽口をたたく。

 

 ゲリラに侵略され多数が死んだのは、間違いなく理不尽で最上級の不幸と言える。敵国側に浮かぶ離島で、軍事的に重要な研究施設があって、それでいて国防軍の配備は薄いという、他人事であれば思わず笑ってしまうようなバカみたいな条件が揃っているのも不幸だ。

 

 ただしその設備には国内でも指折りの質を持つ大規模避難地下シェルターがあって、こうして敵の様子を見れる設備が周到に用意されていて、敵ゲリラは強力だったがこの分厚い壁を破る方法を持っていない。

 

「この研究所はほんと用意がいいぜ。襲われることを想定して何から何まで周到だ。これぐらいの周到さを国防軍の配備に向けてればなあ」

 

「それは言わない約束だろ」

 

 文也の皮肉を将輝は諫める。冗談めかしていても、その発言は周りの不満を刺激し、空気が悪くなってしまうからだ。

 

 この研究所を建てたときは、おそらく相当力を入れて侵略への対策を用意していた。それはこの最高峰のシェルターや周到な監視カメラからわかる。時間の経過と平和ボケで国防軍の規模を減らしに減らされた様をみたら、設計者は泣くだろう。

 

 こうして通路を封鎖するだけにとどめていることから、このゲリラはシェルターへの対策を持っていないのだろう。シェルターへの対策として、壁を破る爆弾や隔壁カッターだけでなく、魔法を使う方法もある。

 

 魔法の行使は距離や遮蔽物は原則関係ないため、壁や扉越しに内部に直接作用するタイプの攻撃魔法を使えばよい。そうなれば、こちらは甚大な被害を負っていただろう。

 

 ただし、魔法とはどうしても魔法師の感覚・知覚に大きく依存する。外からは、シェルター内部の状態は観測できないし、そもそも超音波などの専用の観測装置がないと壁の厚さすらわからないので、内部との距離もわからない。そんなシェルターの内部に魔法を行使できるのは、例外を除けば、相当のレベルの魔法師でないとできない。

 

 このゲリラは練度も個人の実力も高いが、やはり敵地へのゲリラであり、そんな捨て石的要素もある部隊にトップクラスの魔法師はいないらしい。装備も対魔法師を強く意識した高速奇襲制圧に特化しており、シェルターに籠ってしまえば向こうは手出しできる装備がない。

 

 そうなると、敵本隊は先遣ゲリラ部隊から連絡を受けて分厚い壁越しに攻撃できる魔法を覚えた熟練の魔法師や壁を破壊する装備を引っ提げてくるだろう。つまり、義勇軍は時間との勝負になる。混乱した腰の重い国防軍に頼っていたら間違いなく大惨事になっていただろう。

 

「さて、じゃあ義勇軍グループは、よかったら、俺たちにCADを預けてくれ。ここにはご丁寧にもCAD調整設備もある。エンジニアたちで調整してやろう」

 

 文也はまず義勇軍グループの代表にそう語り掛けた。

 

 生き残った研究員の中には、CAD調整もできる魔法工学的知識が豊富な人材もいる。彼らにCADの調整をしてもらい、この後の戦闘をより有利に進めてもらう。

 

 義勇軍グループ代表の一人が率先して大部屋に待機している仲間にCADを調整してもらうかどうか聞きに行く。結果、全員が己の大切なCADを預けることを選んだ。命の次に大切なCADだが、ここまできたら一蓮托生だ。

 

「よし、じゃあやるか。ほらマサテル、CAD寄越せ。あとこれつけろ」

 

「え、お前がやるのか?」

 

「ああ、機械は一つしかないからな。一番早くできる俺がやった方がいいだろ?」

 

「……もう驚かないことにした」

 

 プロの研究員たちがいるのに、中学一年生の文也が一番早い。

 

 将輝はもう何も考えないことにしながら、サイオン波をスキャンする機械を身に着ける。文也なら、もはやそれができても不思議じゃない領域だ。

 

 最初に調整をするのは将輝だ。義勇軍グループで主力として期待されており、時間までに何人分終わるかわからないので、主力から順に調整していくことになったのだ。

 

「ふーん、なるほど。おーしじゃあやってくぞ。俺が調整してる間、みんなは作戦会議しててくれ」

 

 そう言いながら、文也は小さな手をキーボードに乗せ、猛然とキーを叩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おいおいおいさすがだぜ)

 

 監視カメラからわかる研究所内の情報を義勇軍情報係の端末に流しながら、文也は感心する。

 

 時間通りに義勇軍は上陸した。規模は百人。一日でどこからかき集めてきたのかという人数だ。しかも全員が手練れであり、上陸するや否や魔法や重火器による飽和砲撃によって高速で制圧し、研究所にすさまじい速さで突入してきた。

 

 いきなり襲撃してきた手練れの集団に敵軍は浮足立つ。しかも研究所内の自分たちの陣形や配置は駄々洩れであり、何もわからぬまま、瞬く間に研究所内のゲリラは無力化されていった。

 

「義勇軍グループ! 予定通りいくぞ! 義勇軍連中も手はず通りだ!」

 

『『『『『了解!』』』』』

 

 コントロールルーム内で映像を見ながら文也が叫ぶと、多方面から返事が返ってくる。

 

「カウントスタート! 5、4、3、2、1、動け!」

 

 文也が叫ぶと、日本側はそれぞれ予定されていた動きを見せた。

 

 まず地下シェルターに続くまっすぐな地下廊下を駆け抜けていた義勇軍は、いきなり方向転換して横道に身を隠した。

 

 続いて、閉ざされていた地下シェルターの出入り口の分厚い扉が開いていく。

 

 義勇軍が攻めてきて浮足立っているのに、さらに、開けようと悪戦苦闘していた扉がいきなり開こうとするものだから、地下シェルター前に陣取っていた敵ゲリラは混乱した。

 

 そんな混乱に、さらに追い打ちがかけられる。

 

 パパパパパパパパパパパンッ!!

 

 彼らの耳元でいくつもの爆竹がはじけるような音が鳴らされ、さらに目の前で原色の光が明滅し、耳と目に突然の衝撃が与えられる。

 

 幾重にも重なった突然の刺激によって、地下シェルター前に陣取っていたゲリラたちは、冷静な行動が一切不能となった。

 

 そして彼らが混乱している間に、地下シェルターの扉は、もう十分、『銃弾が通るほどには』開いていた。

 

「撃て!」

 

 将輝の号令とともに、シェルターの内側でいくつもの銃声が鳴り、直線の廊下を高速の銃弾の雨が駆け抜ける。

 

 それは混乱していたゲリラたちを貫き、次々と無力化していった。

 

「ライフル止め! 魔法撃て!」

 

 続く将輝の号令によって銃弾の雨は止むが、開ききったシェルターの内側から今度は魔法攻撃の雨がゲリラたちに襲い掛かった。

 

 しかも、今度は反対側からも魔法攻撃を仕掛ける。銃攻撃が止むとともに再び横道から廊下に姿を現した義勇軍も魔法攻撃をしているのだ。

 

 度重なる奇襲と止めの挟み撃ちによって地下シェルターを固めていたゲリラは崩壊し、地下シェルター内の義勇軍グループは、一人も犠牲者を出すことなく義勇軍と合流した。

 

「よし成功だ! 扉は人ひとりが通れる程度の隙間だけ開けて閉めてくれ」

 

 思惑通りに進んだ文也たちはガッツポーズをした。

 

「作戦通りじゃないか。本当にすごいよ君は」

 

 一人の職員が文也に笑顔で話しかける。

 

「だろ?」

 

 そんな彼に、文也は謙遜することなく、自身が考えた作戦の成功を喜んだ。

 

 文也が立てたこの作戦の主目的は、『義勇軍に義勇軍グループが合流する』ことだ。そして、目標は『シェルター内部の避難民は無傷であること』である。

 

 しかし、合流するためには必ずシェルターを開けなければならず、そうなると地下シェルター前を厚く固めている敵兵士の攻撃は、開いた瞬間に必ず中に降り注ぐ。

 

 よって、『開く瞬間には相手が攻撃できない状況』にして、『開き始めた直後にはこちらから攻撃をして相手を無力化する』ということが必要だった。

 

 そこで必要になってくるのが、義勇軍との連携だ。

 

 監視カメラの映像が見れるようになってから思いついたこの作戦内容は、以下の通りだ。

 

 まず義勇軍にはお返しと言わんばかりの電撃奇襲作戦で制圧してもらい、多少の無茶をしてでもこの地下シェルターに接近し、外側に警戒を向けてもらう。

 

 そして、そのタイミングでシェルターをいきなり開け始め、開ける予兆を見せつける。

 

 いきなりの強烈な変化を見せる二方向に注意が向いて敵が混乱したところで、文也の魔法でさらに混乱させる。

 

 そのころにはシェルターは少しだけ開いているので、その小さな隙間から、ここに避難するときに敵兵士の死体から何丁か拝借したハイパワーライフルによる銃弾の雨を浴びせる。貫通力特化のライフルは真っすぐな廊下を駆け抜け、遠くの敵まで攻撃することができる一方、敵に逃げ場はない。同士討ちを避けるため、タイミングを見て義勇軍には横道に退避してもらう。

 

 シェルターが開ききって視界が十分に確保できたら、今度は義勇軍グループと義勇軍が魔法で攻撃して挟み撃ちをして無力化する。

 

 そうした手順と段階を踏むことで、シェルター内部に一切の犠牲を出さず、義勇軍との合流に成功した。義勇軍の規模は敵本隊の規模にはだいぶ足りないが、『爆裂』を有する将輝を筆頭とした腕と意志に覚えがある魔法師十数名が加わればいい勝負ができるだろう。

 

「やっぱカメラがあるってのはいいもんだな」

 

 文也は背もたれにふんぞり返り、モニターを満足げに見上げる。

 

 外側からシェルター内部への魔法攻撃はできない。

 

 しかし、内側から外側へ攻撃するための条件は整っていた。

 

 あちらは扉の厚さなどがわからないため座標判断ができないし、対象を目視することができない。

 

 しかし、こちらはシェルターを使う側であり、当然扉や壁の厚さに関するデータもある。また外の様子は監視カメラ越しと言えど目で知覚することはできるため、魔法を外部に行使することはできる。

 

 ただしそれでも、自分が直接目視していない対象への魔法行使は難しい。それができる魔法師は、シェルター内部には文也しかいなかった。また文也自身もその条件では強力な魔法は行使できず、せいぜいが質の悪い『悪戯』程度のレベルしかない。しかし、少しでも相手の混乱を誘えればよかったので、これで十分なのだ。

 

「さて、じゃあ第二段階行くぞ。今から、俺たちは『神』になる」

 

 文也が部屋全体に聞こえる声量でそう言うと、後方支援グループたちは自信に満ち溢れた態度で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下廊下で義勇軍と合流した将輝たちは、研究所内のゲリラを無効化し、研究所外で外部の敵を防いでいる義勇軍本隊と合流した。たった今落ち着いたところらしく、各々が外部に警戒を向けつつも、今は戦闘をしている様子はない。

 

「親父!」

 

「将輝! ……無事だったか」

 

 義勇軍が持ち込んだ戦闘用装備に身を包む息子の姿を見た剛毅は、安堵から思わず大きな声でその名を呼ぶ。しかし、今ここが戦場であり、自身が総大将であることを思い直した剛毅は、すぐに口調を抑え、冷静を装って息子を迎えた。

 

 息子に会うのは、実に一週間と数日ぶりだった。一条家が運営に大きく手を出している研究所に夏休みを利用して一人で勉強に行かせ、その終わり際にこの事件だ。義勇軍の大将としてあれこれ働いていたというのもあるが、実は息子が心配すぎて睡眠はあまりとれていない。

 

 その息子は、この一週間と数日で、だいぶ成長したように感じた。

 

 昨日の襲撃直後の連絡で話した時は、どこか無理をしているように感じた。話によると、突発的に『爆裂』を使って兵士を何人も殺したらしいので、それによるのだろうと考えて、正直そんな状態で今日義勇軍に参加して戦闘をするというのは無理なのではないかとも考えていた。

 

 だが、今こうして久しぶりに見る将輝に、あの時感じた危うさはないように見える。まだ人を殺すのも、仲間が死ぬのも、血を浴びるのも、怖いだろう。しかし、何かきっかけがあったのか、そんな自分の感情を受け止め、理解し、消化できている。新兵が一皮むけたときの様な力強さを感じる。

 

「親父、これを」

 

 将輝がそう言って父親に渡したのは、シェルター内にいくつか備えられていた高性能の通信インカムだった。普通の連絡端末でも情報は受け取れるが、これはシェルター内部に用意されていたモノであり、すなわち、シェルター内部との通信がより高度にできる代物ということだ。

 

『ハーイ、おたくが義勇軍の大将か?』

 

「いかにも。一条剛毅だ。君は?」

 

 受け取ったインカムから聞こえてきたのは、自分の息子よりもさらに幼いのではないかと予測できる少年の声だった。

 

『シェルター内で後方支援担当をしてる井瀬だ』

 

「井瀬……そうか、君が井瀬文也君か」

 

『ああ、そうだ。理由あってお忍びだけどな。このインカムは大将のほかにも、義勇軍の連絡係に渡される。色々サポートになる情報は、なるべくこっちのインカムの回線で送るからよろしくな。大将とお話しする担当は俺だ』

 

「例のあれだな。わかった。この際君のハッキングは不問としよう」

 

『ああ、助かる。今は、『一条』と『井瀬』の関係はチャラにしようぜ、大将』

 

 インカムの向こうは、因縁ある『井瀬』の一人息子・文也だった。ただでさえ一条家と因縁があるのに、その一人息子をお忍びでよりによって一条家が統括する研究所でお泊り見学をさせるという滅茶苦茶さにはつい先日呆れさせられたものだが、今はそのおかげで事が上手く運び、息子とその親友が生き永らえたのだから、ひとまず水に流すことにした。

 

「それではこちらも動くからいったん通信は切らせてもらおう」

 

『おう、頑張れよ大将』

 

 最後まで敬意のケの字もない文也との通信を切り、剛毅は義勇軍に向け、声を上げる。

 

「勇気ある諸君!」

 

 たった一言、大きな声で呼びかけるだけで、空気が引き締まる。

 

 生まれながらの将としての気質とカリスマを持ち、またたゆまぬ努力を積み重ねてきた彼の言葉は、仲間たちを勇気づける。

 

「我が国を脅かす卑劣な侵略者どもを、我らが武で撃退せよ! 己の力を振るえ! そして、我らが祖国を、我らが故郷を、我らが育った場所を、我らが家族を、我らが友を、守り抜け!」

 

 呼応する義勇軍の声が、空気を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、敵本隊も姿を現し、地上では本格的な戦端がついに開かれた。

 

 義勇軍の中でも、一条父子の活躍はすさまじいものだ。

 

 彼らの前に立つ敵兵士はそのことごとくが内側から爆散させられ、赤血球を飛び散らせて息絶える。戦車や機械は潤滑油やガソリンが急激に気化・膨張させられて爆発する。反撃の銃弾や魔法は、彼らの強力な干渉力を誇る障壁魔法や対抗魔法、『干渉装甲』らによって無意味と化す。

 

 義勇軍は数で劣りながらも終始有利に戦いを進めていた。それはこの一条父子の獅子奮迅の活躍もあるが、それ以外もある。義勇軍の士気や個々の実力の高さも、この戦いが有利に進んでいる要因だった。

 

 特に、この義勇軍に唯一「無名」で登録している、「訳アリ」の大男の活躍はすさまじい。

 

 その大男は総大将である剛毅以外には名前を明かさず、また部隊編成のどこにも組み込まれず「個人」として参加を許されている。全身を分厚い装備で包んでいるが、それ越しでも鍛え抜かれた肉体がわかる。顔もわからないようにフルフェイスヘルメットを装備している。

 

 その働きは目立ったものではない。

 

 協調性の欠片もない見た目と参加経緯だが、その戦術は仲間のサポートだ。後方から敵の妨害をしたり、仲間が攻撃に集中できるように障壁魔法を担当している。そのサポートがどこまでも的確で、また特に干渉力や改変規模が大きいわけでもないが、魔法発動スピードが速いので、目まぐるしく変わる戦況にいち早く柔軟に対応して仲間を助けている。このたった一人のサポートによって全体が相当戦いやすくなっており、実際に戦ってみて初めてこの「無名」の活躍がわかるというものだった。一見その肉体が泣いてるように見えるが、サポートのために戦場を駆け回ってるので、いかんなく発揮されている。

 

 どこの部隊編成にも組み込まれていない、というのは、「無名」であるがためにどこにも組み込めない、というのもそうだが、部隊編成の枠にとらわれずにどの部隊もサポートできるよう、という配慮もある。

 

 今この義勇軍で、この大男の正体を知っているのは、大将である剛毅だけだ。

 

 その正体は、一条剛毅と因縁がある男、文也の父親である井瀬文雄だ。

 

 これは剛毅が知っている彼本来の戦い方ではないのだが、正体を隠すためにはあの特徴的な戦い方はできない。

 

 剛毅は、最初は文雄の参加を断った。正体が明かせずかつ本来の戦い方ができない男など、参加されても迷惑でしかない。しかし彼の実力は知るところであり、また文雄がいつもの理不尽さや粗野さを捨てて真剣に頼み込んできたので、つい折れて承認してしまった。その事情は……お互いに、父親である、ということだ。

 

『六時半の方向からライフル構えた五人ぐらいの敵が接近。尻穴に気をつけろ』

 

『五時方面からは機動戦車とそれを囲む重火器を持ってない魔法師と思われる五人』

 

 剛毅や連絡隊がつけているインカムに通信が入り、それが義勇軍内で即座に共有される。前に意識を向けていたが、後ろからの奇襲を狙っているようだ。

 

 後方の部隊が後ろを振り返り、気づかれていないと思っているであろう奇襲部隊に逆奇襲をかける。向こうもあわてて反撃しようとするが、視力を強化して機動戦車を視認した剛毅が名人芸の『爆裂』で優先して無力化する。

 

 この機動戦車は、普通の戦車と違って砲弾も撃てないし装甲も薄いが、その分小回りが利いてスピードも速く、また生半可な障壁魔法を貫く高威力の機関銃がついており、魔法師を中心とする部隊への対策として有効だ。防ぐことも難しい高威力の弾丸の雨を奇襲で放つことができる優秀な兵器なのだが、機械をも一瞬で爆発させる『爆裂』を先に使われては、ただの粗大ごみでしかない。

 

 義勇軍に通信を送っているのは、地下シェルターの後方支援グループだ。

 

 地下シェルターコントロールルーム最高の切り札は、人工衛星のカメラへのアクセスだった。

 

 科学技術が急速に発達した中、再び宇宙競争が過熱し、各国は自国独自の人工衛星を何基も打ち上げている。宇宙から自国・他国問わず広範囲の監視を可能とする人工衛星は、この時代では軍事的に必須の設備だ。

 

 当然日本も人工衛星を何基も打ち上げており、そのうちの一つ、日本海方面を監視している人工衛星のカメラへのアクセス権を、あの地下シェルターの緊急用コントロールルームは持っていた。

 

 ただしそのアクセス方法とパスワードは、研究所の所長と、佐渡基地の統括者、国家や軍の高官、そして一条剛毅しか知らない。所長は死に、またその場にほかの権限を持つ者はいない。剛毅などが電話越しにアクセス方法やパスワードを教えることもできない。衛星カメラへのアクセスというのは重大で、本人の生体認証までもが必要だったからだ。

 

 そんな衛星カメラへのアクセス権の存在自体は生き残った一部のリーダーは知っていたのだが、アクセス方法もパスワードも知らされていない。

 

 そんな届かない切り札の存在を聞いた文也は、持ってる技術のすべてを駆使してハッキングにチャレンジし、奮闘の末、見事アクセス権を奪った。

 

 このハッキングはいかに緊急事態であろうと、知られたら、表向きは厳罰は免れないし、裏では『処分』されかねない。

 

 しかし剛毅は、事態が事態ということで、自らの権力を駆使してこの事実を握りつぶすことに決めた。

 

 この衛星カメラへのアクセスの効果は甚大で、相手の攻撃が届かない宇宙空間から、一方的に地上の様子を広範囲で真上から確認できる。

 

 まさしく、『神』の視点だ。

 

 時代が進み、技術も進んで、宇宙からでもそれなりの解像度で地上を撮影できるようになった。顔の細かい識別まではいかないが、一か所に固まっていても人数が把握できる程度の解像度はある。これだけの解像度で宇宙から一方的に観察できるので、その情報アドバンテージが義勇軍をより有利にしていた。

 

「こりゃ勝利も時間の問題ですね」

 

 義勇軍の中の一人が機嫌のいい声でそう言った。油断するな、と周りは諫めるが、周りもそう思っているようでそれは友達の悪ふざけを笑いながらたしなめるような感じだ。

 

 油断大敵。

 

 この言葉は使い古されているが、それでも、こうした戦場では毎回のように痛感させられる。

 

 剛毅自身、油断していたわけではない。

 

 ただ、ほんの少し、ほんの少しだけ、圧倒的に有利な状況で……気が、緩んでいたのかもしれない。



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3-サド・サド・サード-4

番外編最終話がひとまず書き終わって嬉しかったのでハイペース投稿です。
実は、この作品を投稿し始めたころには番外編最終話に着手していたのですが、いろいろあって最終話を書くのに一か月くらいかかりました。


「さて、じゃあそろそろ俺も動くか」

 

「え?」

 

 研究所周辺の戦況が落ち着いてきたころ、コントロールルームにいた文也がそう言っていきなり立ち上がる。

 

「ちょっと俺も地上戦に参加してくるわ。衛星からじゃ見えない部分が気になる」

 

「た、単身はいくらなんでも無茶だよ」

 

「あくまで偵察だけさ。なんか、嫌な予感がするんだ」

 

 文也はコンピューターにつないでいた端末をポケットに入れ、シェルターが攻められたときに使えるよう準備されていた防弾チョッキを着ながら、止めようとする真紅郎に答える。

 

「大将との連絡はジョージに任せた。それじゃ」

 

「待って、せめてこの予備インカムは持っていきなよ。僕らからの情報は必要だ」

 

「安心しろ。ちょちょいと改造してこんなのにしてみた」

 

 文也が真紅郎に見せたのは、彼が携帯していた端末の画面に映る、衛星から撮った地上の様子だ。文也が端末を操作して切り替えると、研究所内の隠しカメラが映す映像に切り替わる。

 

「仕事の隙間時間にこの端末で映像が見れるようにアクセス権を改造してみたんだ」

 

「ええ……」

 

 この小さな少年は何でもありか。

 

 真紅郎は呆れ果てる。同じく話を聞いていた周りも呆れ顔だ。

 

「まあでも連絡手段は欲しかったところだ。貰うわ。ちゅーわけで、じゃあ」

 

「うん……気を付けてね」

 

 文也はまるで今から散歩に行くかのような軽やかな足取りでその場を離れる。真紅郎はそれを見送ると、面識のある剛毅に、連絡手交換の挨拶をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也は、まずは監視カメラの映像でクリアリングをしながら慎重に研究所の自分たちの寝室に向かった。避難の際に放置してきたが、そこには自分が持ち込んだ荷物がいくつかあり、それを回収するのが目的だ。そのあとまた慎重にクリアリングをしながら脱出する。とはいえ、研究所内は義勇軍がすべて掃討してくれたので意味がなかったが。

 

 文也はシェルターの中にあった装備をいくつか拝借して身に着けている。防弾チョッキに遮光グラスに防弾メットという、動きやすさと安全性の両面に考慮した装いだ。

 

 研究所を脱出した文也が見て回るのは、外の中でも、遮蔽物があって人工衛星で真上から観測できない場所だ。

 

 ただし、そこを調べて回るのも慎重だ。

 

 不用意に調べていって接敵しては元も子もない。

 

 よって、まず遠くから身を隠しつつざっと魔法で感覚強化した目で確認し、次に持ち込んでいた特殊望遠鏡で細部を確認する。この望遠鏡は、佐渡の自然を探検するときに使うかもと持ってきたものだが、結果的に想定していない場面で役に立つこととなった。研究所の見学が楽しくて自然探検は全くしなかったのがなんとも皮肉である。

 

 そうやって、自分の端末に映した衛星カメラの映像で観測できない場所をチェックする。衛星から見えない場所に敵を見つけたら、インカムで後方支援グループに報告し、そこから義勇軍に報告してもらう。

 

 単身でこの戦場に飛び出してくるという大胆な行動をしているわけだが、そこからの行動内容はどこまでも慎重だ。

 

 安全が確認された場所に隠れて衛星映像を確認。敵がぱっと見て見つからないルートを確認すると、そこを身を隠しながら安全に移動し、次の衛星から見えないポイントを遠くから観測する。また手は常に障壁魔法や防御魔法を入れてるCADに触れられるようにしている。こういう時、スイッチを押さなければならないCADというのは不便なものだ。

 

 この文也の働きは、味方に良い影響を与えた。

 

 敵軍はこちらが真上からなんらかの方法で観測してることを察したようで、積極的に真上から姿を隠せる場所を選んでいる。そしてそこに隠れることでひとまず安心、といったように少しだけ気を抜いている。

 

 そこを文也に見つかり、義勇軍に知らされれば、その隠れ場所はそのまま危険地帯となる。

 

 この義勇軍は一条剛毅の大号令で集まった集団であり、その中には一条家と所縁の者や一条家私設軍参加者が多い。

 

 一条家のお家芸、中長距離からの先制飽和砲撃は、気を抜いて隠れている敵軍にいきなり襲い掛かり、その隠れ場所ごと蹂躙する。

 

 奇襲の可能性をつぶし、かつ離れた場所から安全に敵をピンポイントで効率的に押しつぶせる。

 

 文也のもたらす情報により、義勇軍は大きなアドバンテージを得ていた。

 

「ははっ、これなら楽勝っぽいな」

 

 文也は、自分が知らせた場所が魔法砲撃でなすすべもなく押しつぶされる様子を観察しながらつぶやいた。一時はどうなることかと思ったが、このままいけば島丸ごと奪還もすぐにできるだろう。

 

 文也はニヤニヤ笑いながら、一旦休憩しようと、手ごろな場所がないかと周囲を見回す。

 

 その瞬間――文也の中でくすぶっていた嫌な予感が、急に膨れ上がった。

 

(っ!?)

 

 周辺に敵はいない。自分を対象とした攻撃ではない。大規模な軍隊や魔法師部隊がいる様子がないから、大規模攻撃に巻き込まれるという話でもない。

 

 しかし、こちらに大打撃を与えるような攻撃の予感がした。

 

 文也は先ほどとは違う目的ですぐに周囲を見渡す。自身の姿がさらされることもいとわず、小さい背を目いっぱい伸ばして少しでも視野を広くする。視力を強化し、さらに望遠鏡を使ってせわしなく周囲を見回した。目から入ってくる情報の奔流に眩暈と頭痛がするが、それを無理やり抑え込んで周囲を警戒する。

 

(見つけたっ!)

 

 自身からも、義勇軍本隊からも1500メートルほど離れた場所。夏の日差しを受け取ろうと葉が茂った木々の下で上から見えないようにし、かつ草むらの中に寝転んで身を隠してる。仲間にあのような兵士がいるとは聞いていない。つまり、敵だ。

 

 この真夏だというのに草や土に隠れることに特化した厚い長袖長ズボンの迷彩服を着たその男は、同じく迷彩が施された長い銃を構え、そのスコープを覗き込んでいる。その指は、もう引き金にかかっている。

 

 その銃口が向く先は――義勇軍本隊を指揮する、一条剛毅だ。

 

「大将伏せろ!!!!」

 

 文也は思わず叫んだ。直接通信がつながってるわけでもないが、コントロールルームの後方支援チームが緊急性を察知して剛毅にとりあえず伏せるよう知らせることを期待してのことだ。

 

 そして叫びながら、文也は準備していた障壁魔法のCADではなく、腰のベルトにぶら下げた懐中電灯の様なものを握りこむ。これは小型懐中電灯の役割も果たす超小型CADだ。

 

 文也が魔法を行使するとほぼ同時、敵兵士は引き金を引いた。

 

 長い銃身の先、銃口から、マズルフラッシュとともに凶弾が放たれる――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『危ない!』

 

 剛毅の耳元で、いきなり真紅郎が叫んだ。

 

 剛毅は何事かと考える前に、反射的に自身の周りに強固な対物障壁を何重にも張る。とっさの発動でこの干渉力は流石というほかない。

 

 そして、剛毅に超高速で迫る――超音速で銃弾を放つスナイパーライフルのものよりもさらに何倍も速い――凶弾は、その一枚目の障壁に触れ――何もなかったかのように貫いた。

 

(しまった!)

 

 剛毅は自身の失策を、この一瞬で悟った。

 

 訳が分からず半ば反射で張った対物障壁。幾重にも張り巡らし、自身だけでなく仲間も守るように張った障壁は、とっさのものでありながら強固だ。小型戦車の砲弾すらも退けることができるだろう。

 

 しかし、剛毅に迫る凶弾は、凶悪な改造が施されたスナイパーライフルから魔法による加速も併用して放たれたことにより、異次元の速度を出している。しかも銃弾そのものも貫通力特化だ。その一点突破の凶弾は、事象の強度で剛毅の障壁を凌駕した。

 

 ここで、障壁魔法の弱点が出てしまう。

 

 普通の壁や障害物に当たれば、どんな銃弾でも必ず、多少は減速したり、変形したり、軌道がずれたりする。

 

 しかし障壁魔法は、事象の強度で上回られてしまえば、魔法そのものがなかったことになってしまい、減速も軌道ズレも一切起きない。

 

 対魔法師に特化した銃器というのは、この点で、魔法師に対して大きなアドバンテージを持っているのだ。

 

 超高速の凶弾は、幾重にも張られた対物障壁を次々と通過していく。

 

 終わった。剛毅がそう悟った時――その凶弾の通り道に、自身の障壁以外の魔法が行使されるのを感じた。

 

 超高速で飛来する凶弾は、なぜか急に不自然な減速をする。それは剛毅に近づくごとに顕著になっていく。

 

 そして剛毅の眉間と数センチメートルも離れていないところに張られた最後の対物障壁に凶弾が届くころには、普通の拳銃から放たれた銃弾程度の速度になった。

 

 その程度の速度の銃弾ならば大丈夫だ。剛毅の最後の対物障壁は、その凶弾を跳ねのけた。

 

 剛毅は、何が起こったのかわからなかった。あのスナイパーの攻撃に反応できたのは、インカム越しに真紅郎から「危ない!」と通信を受けた自身だけだ。音速を超える通常のスナイパーライフルをさらにはるかに超越した速度で超遠距離から不意打ちで放たれた凶弾に気づく者がいたら、それは超人だ。仲間の中で、気づいた気配がある者はいない。急に対物障壁を張った剛毅を見て目を丸くしてるだけだ。

 

 混乱した。唖然とした。

 

 しかし、一流の軍人たる剛毅の精神はそれを押しつぶす。

 

 何が起こったのか考えるよりも先に、剛毅の体は動いていた。

 

 特化型CADを凶弾が飛んできた方向に向け、砲撃魔法を連発する。

 

 その魔法の雨が生い茂る木々を飲み込み、爆発し、その一帯を火の海にした。あそこに人がいれば、もはや消し炭になっているだろう。

 

「親父、どうかしたのか!?」

 

「この方向からスナイパーライフルで撃たれた。これが銃弾だ」

 

 急に障壁を張り、その直後に唐突に木々の中に砲撃魔法の雨を叩き込んだ父に、将輝は何があったのだろうと慌てて問いかける。

 

 それに対し、自分に向かう殺気の消滅を感じ取った剛毅は、足元に転がる銃弾を拾い上げ、将輝に見せながら答えた。

 

「なっ、親父はそれを防いだってのか?」

 

 将輝は目を丸くして問いかけた。

 

 スナイパーライフルから放たれる弾丸は音よりも速い。銃声を聞くころには、すでに銃弾が体を貫いている。遠距離から放たれているため攻撃の気配もわからないし、マズルフラッシュも見えない。不意打ちで放たれるスナイパーライフルの初撃を防ぐのは、超人的な危機察知能力がないとできない。

 

 前々からすごいとは思っていたが、自身の父親がそこまでの化け物だとは思わなかった。

 

 将輝は、驚きと恐怖と尊敬が混ざった目で剛毅を見ている。

 

「いや、私はインカム越しに真紅郎君から『危ない!』と言われて、とっさに対物障壁を展開しただけだ」

 

「とっさであの壁の強度も十分頭おかしいけど……まあそれはいいか」

 

 剛毅の説明を聞いて、将輝はまだ何か釈然としない様子だが、それをすぐに我慢した。

 

「真紅郎君、衛星で気づいたのかね。命を助けられた」

 

 剛毅は真紅郎に礼を言う。

 

 剛毅の見立てでは、衛星カメラからスナイパーの存在に気づいた真紅郎がとっさに剛毅に警告したのだろうと考えている。『危ない!』みたいなあいまいなものよりも、『伏せろっ!』のようなとりあえず行動できる具体的な指示が欲しいところではあったが、それは民間人で研究肌の彼には酷というものだろう。

 

『えっと、その、僕もよくわからなくて……剛毅さんが砲撃した場所は、木々の葉っぱに阻まれて衛星からは何も見えません』

 

 しかしそんな剛毅の礼と見立てを、真紅郎は否定した。

 

『文也が急に『大将伏せろ』って叫ぶものだから、なんだかわからないけど剛毅さんに伝えなきゃって思ってとっさに叫びました』

 

「そうか、井瀬君か」

 

 剛毅はそこでようやく納得が言った。

 

 文也は、まさしく衛星から見えない場所の捜索をしていた。その中で、あの木々と茂みに潜むスナイパーを見つけたのだろう。だとしたら、あの魔法を使ったのも文也だろう。あんなに離れた場所から正確に座標を定めて素早く魔法を行使する力は、中学生離れしている。

 

(まさか井瀬の子に、息子どころか私まで命を助けられるとは)

 

 剛毅は自慢の視力で、自身が砲撃して地獄と化した木々のほうを見る。

 

 その中に、燃え盛る炎に照らされて浮かび上がる、その炎の中の様子を窺うように動いている、小さな黒い点を見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふいー危ない危ない」

 

 文也は魔法で熱と炎を防ぎながら、剛毅が砲撃した林の中を探索する。

 

 とても生きているとは思えないが、一応目視でスナイパーの死亡を確認するためだ。遠くからでは炎に阻まれて確認できず、こうして近づくことになってしまった。

 

 文也が魔法で風を起こして燃える草をかき分けた先には、爆発を受けてバラバラになった黒焦げの死体が転がっていた。そしてそこから少し離れたところには、無残に真っ二つに折れ煤をかぶって真っ黒になった特殊改造スナイパーライフルもあった。爆発によって吹き飛ばされてここまで飛んでいったのだろう。

 

 義勇軍を集めた張本人であり総大将である剛毅の突然の死は、戦力的な意味でも精神的な意味でも日本側にとって大打撃になるに違いない。もし、彼一人が殺されたら、それだけで義勇軍は総崩れしてしまうかもしれないほどだ。そうなると自身や将輝や真紅郎の生存も一気に厳しいものになってしまう。また彼を失うのは、日本の将来にとっても大損失だ。

 

 文也はそんな剛毅を守るべく魔法を行使した。それは半ば反射的なとっさのものだったが、加速する思考によって導き出された、今の文也にできる中では最適解のものだった。

 

 文也が使った魔法は『定率減速』だ。領域魔法の一種で、領域内で動く物体は一定割合でどんどん減速していく。これは移動物体が高速であればあるほど減速幅は大きくなるため、速度がキモであるあの弾丸に効果は抜群だった。

 

 障壁魔法のように『超えて防ぐか、超えられて通過されるか』というイチかゼロかの魔法を行使していたとしたら、文也の干渉力ではなんの意味もなかっただろう。

 

 しかし『定率減速』は『領域内の物体の速度を一定割合で減速させる』という魔法であり、それには銃弾の速度や固さといった面での事象の強力さは関係ない。この『定率減速』の影響を退けるには、魔法的な影響を退ける『情報強化』を銃弾に施す必要がある。

 

 今や無残に折れたこの改造ライフルから放たれるときは加速魔法や爆発増幅魔法を併用して超速度を生み出していたが、銃弾そのものに魔法的保護はかけていなかったのだ。

 

「真っ二つだし黒焦げだけど、こいつはいい研究材料になるぞ」

 

 文也はその改造ライフルを回収する。真っ二つに折れ、ボロボロになってはいるが、こんなのでもある程度形は残っているため、検分すれば色々と参考になることがわかるだろう。

 

「さて、じゃあそろそろ帰りますかね」

 

 折れたライフルを束ねて持ち、燃え盛る林から離れてから、自身が出てきた研究所を見る。

 

 端末を覗いて衛星からの映像を確認すると、近海に待機していた敵軍の船の一団の中でも一番大きな船が接近してきている。いよいよ敵本隊の中でもメインのお出ましだ。ここから戦況はより激しくなる。そうなれば、ちょこまか動き回る文也の動きは、全体への貢献は今よりも薄くなり、いたずらに彼個人の危険が増すだけとなる。

 

(もう潮時だな)

 

 文也は衛星カメラで様子を確認しながら研究所に戻る。研究所の中で一息つくと、シェルターには戻らず、衛星カメラで『南側』の安全を確認する。南側の岸には、義勇軍がここまで乗ってきた大きめの船が三隻と、上陸に使った小舟が何隻も泊められている。

 

 将輝たちと泊まっていた部屋にもう一度行って自分が持ってきていた荷物をすべて回収すると、文也はそのまま南側の岸に向かっていった。

 

 その南側の岸には、義勇軍が帰ったり、避難民が避難したり、もしくは万が一の時に義勇軍が撤退するために大小の船が何隻も泊められていて、それを奪われたり沈められたりしないように義勇軍の中から何人かが警備についている。

 

 文也はそのうちの一人に目を付けた。全員同じような装備をしているが、そのうちの一人、一番端のボートのいくつかを守っている兵士は、腰に特徴的なキーホルダーをぶら下げていた。

 

 そのキーホルダーは、六芒星とデフォルメされた笑顔マークがパステルカラーで可愛らしく組み合わされて描かれたマークが両面についている。

 

 これは、『魔法で子供たちに笑顔を』をモットーとする『マジカル・トイ・コーポレーション』のロゴマークだ。このキーホルダー自体が安価な障壁魔法CADで、一般向けにも販売しており、安価なお守り代わりとして身に着ける魔法師がたまにいるため怪しくはない。安価で便利で携帯性に優れたグッズのデザインに会社のロゴを前面に押し出すことで宣伝効果を狙った商品だ。

 

 ただし、一般向けに発売しているキーホルダー型CADは、そのロゴマークは片面にしか描かれていない。しかし、この兵士が腰に下げているキーホルダーは、両面にロゴマークがついていた。

 

「よっす」

 

 並んでいる兵士の一番端にいる彼に、物陰から合図を送る。その兵士は物陰の文也に気づくと、ほかの兵士に見えないよう体で隠しながら、指を動かしつつ文也に口パクで伝える。

 

 指の数字は五十音の行、口の動きは母音を示している。文也が昔悪戯のために考えた暗号だ。単純極まりないしはたから見てもわかりやすいが、こうした一瞬で何が言いたいかを伝えたい場合はまばたき信号やさりげないしぐさによるモールス信号よりも便利だ。

 

『文雄さんのお子さんですね。あちらへ』

 

 その兵士が示したのは、岸の陰にこっそり移動させておいた簡易ボートだ。

 

 この兵士は、文雄について義勇軍に参加した、『マジカル・トイ・コーポレーション』の『裏仕事』を担当する魔法師だ。表向きは『マジカル・トイ・コーポレーション』と関係はないことになっていて普段は国防軍の予備役も受け持つ警察官をやっている。文雄の古い知り合いで、『マジカル・トイ・コーポレーション』の『キュービー』について知る数少ない人物だ。

 

『サンキュ』

 

 文也は暗号でそう言い残してそのボートに乗る。その直後、岸から少し離れた場所、細かい部分が目視できないぎりぎりの距離で、いきなり大きな爆発が起きた。

 

「何が起こった!?」

 

 その爆発に、船を守っていた義勇軍全員が注意をひかれる。

 

「私が船をすべて守りますので、皆さんは調査を!」

 

「了解! 行くぞ!」

 

 真っ先に発言したのは文也を誘導した兵士だ。混乱する中彼が真っ先に指針を示したことで、ほかの義勇軍人たちはついそれに従ってしまい、この岸を離れて爆発の調査に向かっていった。

 

 これで、海側から完全に注意がそれた。

 

 その隙に文也はボートのエンジンをできる限り全開にして、急いで佐渡島を離れる。

 

(上手くいってよかった……)

 

 文也はだいぶ離れていった背後の佐渡島を見て、ようやく一息ついた。

 

 最後の脱出は、ほぼ賭けだった。この島に来て、侵略者の襲撃を受けてからいくつもの作戦を立ててまた実行してきたが、これが一番無茶なものだ。

 

 文也はお忍びでこの佐渡島に来ている。完全な部外者である文也があの軍事機密の研究所を見学したとなれば、責任者だけでなく、文也自身にも何かしらの害が及ぶ。

 

 よってもともとは一足先にこっそりと個人の船で帰る予定だったのだが、奇襲侵略によってそれもおじゃんになった。

 

 そこで、文也は地下シェルターの中でこっそりと自前の端末を使って父親と連絡を取ることにした。しかしどこの部屋にも誰かしらおり、通話が聞かれてしまう懸念がある。

 

 そこで思いついたのが一石二鳥の策だった。

 

 取り調べていた警備員や職員を人払いし、捕虜と二人きりだけになる。そこでだれにも知られたくない魔法を使って『お話』をして情報を抜き出す。口の中に布を突っ込んで息苦しさと悲鳴を上げれない辛さを同時に味わわせることも考えたが、あえて大部屋に悲鳴が聞こえるようにした。こうして中で何をやっているのかを避難民に匂わせ、『誰にも見せられない』から人払いをしたと思わせる。そして『お話』で消耗した捕虜が気絶しているうちに、もう一つの目的である、誰にも聞かれない状況での父親との通話をした。

 

 その通話で、文雄とその息のかかった者が何人か義勇軍に参加して、文也の隠密脱出の手助けをすることになった。その時に急造で立てた作戦が、たった今実行したものだった。

 

 あのタイミングが良すぎる爆発を引き起こしたのは、先ほどの仲間兵士だ。

 

 何人か紛れ込んだうちの一人が上陸後の進軍の時にこっそりあの場所に爆弾を埋め、そのあと文也が脱出するタイミングでボートを守っていた兵士がスイッチを押して起爆させる。船を守っている兵士の中でその爆発の存在を唯一知っているのは彼だけであり、混乱に乗じて真っ先に指針を示して誘導することでほかの兵士の注意を海からそらし、その隙に文也が高速ボートで脱出する。

 

 周到なように見えるが、一か所でも失敗するとそれがそのまま作戦失敗となる。特に最後の部分は、ほかの兵士から『いや、俺も残ろう。一人だけは危険だ』とかド正論を言われてしまえばそれでおしまいである。

 

 さらにその段階が成功したとしても、文也が船で島から離れるところを、違和感に気づいた兵士が振り返って海を確認して見ようものならそれでお終いだ。敵というわけではないのだが、こんな中で唐突に島から離れるボートはあまりにも怪しすぎるのだ。

 

 文也はあまり緊張しないほうだが、この作戦だけは緊張した。あまりにも上手くいきそうにない。結果的に上手くいったが、二度とこんな危ない橋は渡りたくない。

 

(……色々あったな)

 

 文也はボートの運転を自動運転に任せ、佐渡島を振り返る。

 

 気が合う同級生二人と友達にもなれたし、勉強になることをたくさん見学できた。最後はとんでもない修羅場になったが、まあ魔法師としていい経験を積めたということにしておこう。

 

「さようなら、佐渡島」

 

 今回の件が一段落したら、もう一度あの二人に会おう。

 

 文也は、この一週間と少しの間に濃密な時間を共に過ごした二人の姿を思い浮かべると、佐渡島から目を離し、ボートの進路に視線を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 謎の集団による佐渡侵攻事件から一週間が経った。

 

 結局、一条父子を中心とした義勇軍の大活躍で、佐渡島は奪還に成功した。少し遅れて到着した連隊規模の国防軍は、その規模を維持したまま佐渡島に駐留して防衛にあたることが決まった。

 

 事件の事後処理で一条家の当主たる剛毅は大忙しで、今日も家には帰ってきてない。

 

 また、両親を亡くして身寄りがなくなった真紅郎は、一条家が引き取ることになった。

 

 そんな、あの大騒動が嘘のように穏やかな真夏のある日、将輝と真紅郎は、とっくに終わらせた宿題を部屋の隅に放り投げて、思い出に浸る。

 

「あいつ、どこいったんだろうな」

 

「さあね」

 

 二人が思い浮かべるのは、小学校中学年かと見間違えそうになるほど小さい同級生だ。悪戯好きで、多くの面において中学生離れした能力と知識を持ち、避難や奪還作戦の時も大活躍した。

 

 ことが落ち着いた後、さあ本土に戻ろうという段階になって、文也がどこにもいないことに二人は大きく戸惑った。義勇軍に合流したわけでもなければ、シェルターに戻ったわけでもない。文也は、急にいなくなったのだ。

 

 まさかどこかで死んでしまったのか? そんな焦りから、二人は剛毅に急いで相談しに行った。一条家の当主として、文也があの場にいたことを知る数少ない一人だからだ。

 

 そんな二人に対し、剛毅は『そのような名前の少年はいなかった。いいな?』と、とぼけたように言った。

 

 一瞬二人は戸惑いを強めたが、すぐに理解した。

 

 文也はお忍びだ。剛毅はその事情を知っており、文也が最初から佐渡にいなかったことにするつもりなのだ。

 

 剛毅はその後、生き残った研究所職員全員にも『井瀬文也という少年はこの佐渡に来ていない』ということを念押しした。完全部外者の文也をつまみだしていなかったとなれば彼らの立場も危ないし、研究所を実質的に運営する一条家の当主にこう念押しされては、彼らも従うほかない。

 

 あの、悪戯をして、研究の手助けをして、二人と魔法理論について語らい、避難にも治療にも貢献し、奪還作戦にも貢献した少年は、まさしくあの戦場から『消えた』のだ。

 

「また、どこかで会えるといいね」

 

「そうだな。連絡先も、考えてみれば特に交換してないしな」

 

 良くも悪くも、まるで夢の様な一週間だった。

 

 現実感のない日々だったように思う。

 

 戦場という非日常に巻き込まれたからというのもある。だが、そんな感覚の一番の理由は、まさしく夢の中の人物のように活躍し、そして夢から覚めたかのように消えた文也だ。

 

 生きているのかすらわからない。奪還して国防軍が配備された後、島内と近海を捜索して死亡者・行方不明者の確認も行われたが、その中に文也らしき人物はいなかった。

 

 そのデータが出るまで、二人は『まさか死んだのではないか』と気が気でなかったが、そのリストを見たことで、『生きている』と確信した。なんせ殺しても地獄の鬼たちから帰れと言われそうなクソガキである。

 

 おそらく、文也からの連絡が途絶えたあの時――剛毅が命拾いした直後から戦争が本格化する直前のタイミングで脱出したのだろう。

 

 今、あいつは何をしているのだろうか。

 

 そんなことをぼんやりと考え、二人は虚空を見つめて黙り込む。緩やかな沈黙の中、蝉の鳴き声だけが響いていた。

 

 その沈黙を、破る音が現れた。

 

 ピンポーン。

 

「あ、はーい」

 

 インターホンが鳴らされ、将輝の意識は引き戻される。

 

 大声で返事をし、ゆっくりと立ち上がって玄関へ向かう。

 

「こんにちは、宅配便です」

 

「どうもありがとうございます」

 

 鍛えられた肉体が長袖の中からもわかる筋肉を持つ大男はさわやかな笑顔で荷物を渡してくる。どこかで見た雰囲気だな、と一瞬不思議に思ったが、まあそんなことはよくあることだと考え直し、礼を言って荷物を受け取る。

 

 荷物に差出人は書いていない。そしてその荷物の送り先は『一条将輝』になっている。

 

「なんか頼んでたっけな」

 

 将輝は首をかしげながらもそれを自室に運ぶ。それを見た真紅郎が、気になって問いかける。

 

「なんだいそれ?」

 

「いやー、今宅配便で受け取ったんだけどさ、差出人が書いてなくて、あて先が俺なんだよね」

 

「何それ怪しいね」

 

「確かに」

 

 そんな会話を交わし、二人はそれぞれ探査魔法を荷物に行使する。どうやら、刃物とか毒とか爆弾とか、そういった類ではない。

 

 魔法によって知ったその中身は、携帯端末らしい薄い板状の物体と、ヘッドホンのようなものと、分厚い服と、眼鏡と、そして帽子の様なもの。

 

 全くもって脈絡のない中身だが、ひとまず二人はその荷物を開封してみることにした。

 

「こ、これは……」

 

 中に入っていたのは、携帯端末とインカムと防弾チョッキと遮光グラスと防弾メットだった。装備のほうは、二人とも見たことがある。あの佐渡の地下シェルターに備蓄されていた安全用の装備だ。

 

 将輝は首をひねっているが、真紅郎はこの装備の組み合わせを知っている。

 

「これ、文也がシェルターを出ていくときに持って行った装備だよ!」

 

「なっ、じゃ、じゃあ、これは……」

 

「多分、文也が送ってきたものだ」

 

 真紅郎はそう結論付けながら携帯端末を手に取って電源を入れる。この端末なら将輝も見覚えがある。文也がプライベートで使っていたものだ。

 

 中身のデータはほぼ消去されていたが、露骨に一つだけ残されたアプリがあった。それを起動すると、画面には、佐渡を上空から見た様子が映し出されていた。

 

「全く、律義なやつだ」

 

 真紅郎は思わず笑みを浮かべながら端末を操作する。すると衛星カメラの映像から切り替わり、今度は研究所内の監視カメラの映像に切り替わった。まだ戦火の爪痕が残る荒れ果てた研究所内は、活動を再開しようと動き回る人々でにぎわっていた。

 

「文也は、この装備を持ったままこっそり脱出したんだと思う。で、それを気にして、こうして送り返してきたんだ。あの研究所は一条家のだから」

 

「変なところで律義だな……」

 

 将輝は、子供用の防弾チョッキを広げながら呆れかえる。乱雑で粗野でいい加減な癖に、こんなところは気にするみたいだ。

 

「で、この端末は文也の自前のだけど、ハッキングをして色々見れるようになってしまってるんだ。だから、安心させるためにわざわざ送ってきたんだよ」

 

「いや、まあ、これは確かに気がかりだったけど……」

 

 衛星カメラや機密施設内監視カメラの映像を民間人が見ることができる状態というのは、実際にかなり良くない。真紅郎から文也が何をやったのかを聞かされた(将輝と真紅郎の前だけでは文也がいたとして振舞っている)剛毅もこっそり頭を悩まされていた事案だ。しかしそれはあくまでも『一条』としての都合であり、文也はそこまで気は回らないだろう。せいぜいが自分でアクセスできないようにしておくぐらいだ。しかし、こうして送ってきた。

 

 人の気も知らないで、という言葉が人間の姿になって好き勝手やっているような奴だが、変なところで気を利かせてくれる。

 

 二人は思わず呆れ九割感心一割の苦笑いを浮かべる。

 

 そんなことをしながらほかにうっかりあのチビが情報を残していやしないかと好奇心で端末をいじって中身を見ていると、ほぼ完ぺきに消されたデータの中に、一つのメモ帳を見つけた。

 

 そのタイトルは、『親愛なるでこぼこコンビへ』だった。

 

 長身の将輝と低身長の真紅郎は、自分たちを指したものだと気づいて、遠慮なくそのメモを開いた。

 

 そこに記されていたのは、携帯端末のものであろう電話番号と、見たことがないドメインのメールアドレスだった。そしてその下には『よかったら連絡を寄越せ』とだけ書かれている。

 

「は、ははははははっ!」

 

「あっはっはっはっ!」

 

 二人はそれを見て、思わず声を上げて笑った。

 

 あれからずっと色々と気になっていた奴が、こんな簡単に連絡先を寄越してきた。

 

 積もり積もった諸々の疑問や心配が、こんな単純な方法で、一瞬で解決された。

 

 そのあまりにも冗談のような展開に、二人は思わず笑ってしまったのだ。

 

「ほんと、どこまでも突飛なやつだね、文也は」

 

 一通り笑って落ち着いた真紅郎は、涙をぬぐいながらまだ笑い交じりの声でそう言った。

 

 将輝も、その言葉に心の底から同意した。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、飽きない奴だよ、『文也』は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういってまた、二人は心の底から愉快に笑いあう。

 

 そこにいるのは、十師族の一族の長男にして次期当主という宿命を背負った男でも、十三歳にして両親を亡くした悲劇の天才少年でもない。

 

 どこにでもいる、ただの中学生だった。

 

 それからしばらくして、この佐渡侵攻事件は日本全国・世界各国で語り草となる。

 

 その戦場で若干十三歳にして獅子奮迅の活躍を見せた将輝は、敵の返り血を浴びて戦い抜いた英雄として『クリムゾン・プリンス』と呼び讃えられるようになる。

 

 またその戦場で両親を亡くした悲劇の少年は一条家に引き取られ、そこからすぐに才覚を発揮し、カーディナル・コードを発見した功績から『カーディナル・ジョージ』と讃えられ、またその生い立ちは美談として語られることになる。

 

 その佐渡にいたもう一人の小さな小さな十三歳の三人目の少年は、誰の口からも語られることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんか、こう、すごかったんだね」

 

 文也の口から語られる佐渡侵攻事件は、あまりにも軽いものだった。

 

 文也自身の語り口がいつも通り軽薄で、また大筋しか話していないため、その重さがいまいち伝わらないのである。

 

 それでもその内容はハードであり、佐渡侵攻にまつわる有名な話をいくつか知っているあずさは、文也がその戦場を必死で生き抜いたことが分かった。ただし、やはり文也の語り方が日常の笑い話のそれと変わらないため、あまりのギャップに釈然としない部分が多く残り、結果、話を聞き終えたときの反応は、とても曖昧なものであった。

 

「おう。で、あの後連絡を取り合って、何回か遊ぶ仲になったんだ。そこからちょっと経った頃に通い始めた魔法塾で駿と知り合ってからは、あいつも含めて四人で何回か遊んだな。ま、中三あたりからなんとなく疎遠になってしばらく連絡とってなかったけどな。お互い忙しかったんだよ」

 

 文也はそう言って話をすますと時計を確認する。

 

 もうすでに六時を回っている。あずさはそろそろ帰る時間だ。

 

「あ、もうこんな時間かあ。じゃあ私帰るね」

 

「おう、じゃあ送っていくわ」

 

 そう話しながら二人は立ち上がる。昔は家が近かったから遅くまでどちらかの家で遊んでそのまま帰るという形だったが、中条家が引っ越しを何回かした結果、そういうこともできなくなってしまった。

 

 代わりに、文也の家で遊んだ後、あずさが帰るときは文也もついて行って家まで送っていくようになった。

 

(ほんと、変なところで気が利くんだから)

 

 普段は粗野な男なのに、こうしてたまに気を回す場面がある。幼いころから、ずっとこんな感じだった。

 

 あずさは玄関まで先導する、小さいながらも頼もしい背中を見て、小さくクスリと笑みを浮かべた。




これにて、将輝・真紅郎との出会いの話はお終いです。


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3-優等生と悪戯小僧-1

魔法科高校の劣等生、二期が決まったそうですね
キリがよいところとしては、やはり来訪者編で終わりにするのかなーと個人的には思っています


「本日は申し訳ございません、うちの都合につき合わせてしまい……おかげさまで助かります」

 

「ううん、大丈夫ですよ」

 

「まー息抜きにちょうどいいだろ」

 

「お前はいつも息抜きだろ」

 

 夏休みももう折り返し地点に入った八月の中旬、文也とあずさと駿は、川崎の沿岸部に来ていた。

 

 百家支流である森崎家は、本業として現代魔法技術の研究を行い、副業としてボディーガード業を営んでいる。副業のほうがだいぶ有名なわけだが、その副業の副業として、魔法関連の福祉事業にも手を出していた。

 

 世間の魔法師に対する風当たりは強い。才能に依存する特殊技能に対する嫉妬が多分に含まれているが、ほかにも魔法師が軍事利用以外に大きな価値がないことや、非人道的なものも含めて人工的に開発されてきた過去などもあって、案外肩身が狭いのだ。

 

 それを憂慮した一部の集団、特に魔法によって権力を手に入れた数字付きやその支流は、魔法関連の福祉事業を行っているところもある。

 

 その福祉事業には大きく分けて二種類ある。

 

 一つは、魔法を利用した福祉だ。例えば、高額な機械がなくても大きな力を使わない介護を可能にしたり、治癒魔法で病院に貢献したりといった具合である。ただし、軍事的な部分外の面では、実は魔法は『あれば便利』くらいの価値しかない。技術的進歩によって、魔法でできることは、魔法が無くても大体何とかなるのである。先の例で言えば、大きな力を使わない介護はオートメーション化が普及した今は魔法がなくても少し金を出せば手軽にできるし、医療も発達して治癒魔法がなければいけないという場面はほぼない。金がなかったり、急いで怪我を治したい事情がある人向けのボランティアの様なものである。

 

 そしてもう一つが、魔法師のサポートだ。

 

 魔法師は世間の風当たりが強く中々生きづらいため、家族ぐるみで嫌気がさして魔法界隈から離れてしまうことがある。それすなわち魔法師という貴重な人材の喪失である。家族ぐるみとはいかずとも、異端を排除する傾向にある学校内で魔法師の才覚があるというだけでいじめに遭い、それがトラウマで魔法力や魔法師になる意欲を喪失したりする。いじめとまではいかずともなんとなく腫物扱いされることも多々あるため、魔法師の子供というのは多かれ少なかれ人間関係で苦労するのだ。

 

 そこで、子供向けに魔法への意欲が向くようなイベントを開催したり、メンタルケアのサポートをしたりするという福祉事業を営んでいる団体もあるのだ。これによって魔法への意欲が増してくれれば国家としての人材の獲得につながるし、若いうちから魔法の勉強に励んでくれるようになれば、人材の量だけでなく質も確保できる。

 

 そしてそのような事業には、魔法科高校も積極的にかかわっている。

 

 各校ごとにやっている内容は多少異なるが、九校どこも各々で考えて参加しているのだ。

 

 一高が毎年やっているのは、夏休みに開催する魔法力を持つ児童向けのイベントへのボランティア参加だ。これに参加すれば推薦にも有利だし、在学期間を通して一定時間以上参加したと認められれば単位認定もされる。

 

 参加対象のイベントはいくつかあるのだが、なんとそのうちの一つが、森崎家が運営にかかわっているものだったのだ。

 

 当然森崎家の一人息子である駿はそれに参加する。彼としてはこういった事業よりもボディーガードのほうで自らの腕を磨きたいし、性格も子供を相手にするとしては人当たりが良い方でもないのだが、視野を広げるためにと父親から指示されて参加した。人手が足りないという愚痴が漏れ聞こえてきたので、視野云々は間違いなく方便だ。

 

 そして、これもまたたまたまだが、このボランティアにはあずさも自ら参加することになっていたのだ。

 

 あずさが応募した理由は、実は特にない。推薦で有利になると言ったって生徒会役員は推薦を蹴るのが慣例だし、単位認定されるといってもあずさは余裕で成績を確保している。参加するメリットはまずない。

 

 ただ、なんとなく暇を持て余していたから応募しただけだ。九校戦スタッフだったから夏課題も免除されているし、論文コンペの代表にもサポートにも選ばれなかったし(評価自体は次席だったのだが、代表である鈴音の発表内容とあずさの論文の分野が合わなかったのだ)、新生徒会の準備があるといっても会計監査か副会長になるだけだから事前準備はほぼいらない。そうして持て余した時間を勉強に注いでいたのだが、一日ぐらい息抜きに参加しようとしただけである。

 

 人見知りをする方だから子供たちの相手をするのは嫌だったので、応募したボランティア内容は安全確保監視員だ。精神的にも技能的にも未熟な魔法師の卵が集まる場なので何があるかわからず、もし魔法的な暴走が起きたときにそれを止める役割だ。あずさなら魔法技能的に見ても文句はないということで、校内審査も無事通った。

 

 そして一次募集合格者でのミーティングが九校戦練習期間真っただ中の七月中旬にあり、そこであずさと駿は顔を合わせ、お互いの参加の事情を知った。二人は特に接点はないが、文也を通じてお互いのことを知っているのだ。

 

 そしてそのミーティングで教員が頭を抱えていたのは参加者不足だ。安全確保監視員は十分な人数が参加することになったのだが、肝心の子供たちの相手をする人員が不足していた。わざわざ夏休みの時間を削って子供たちの相手をしたいという生徒は少ないのである。

 

 そしてこの時、あずさと駿の脳裏に、ほぼ同時に悪魔的発想が浮かんだ。

 

(ふみくん連れて行けばいいんじゃない?)

 

(文也連れて行けばいいんじゃね?)

 

 そして二人の口からそれを提案したところ、ミーティングの空気は凍り付いた。

 

 あずさは生徒会役員でかつ(本人にその意思はないが)生徒会長候補であり、一高でも過去類を見ない優等生だ。真由美はどこか自由なところがあるし、深雪はお兄様が絡むと怖い。その点あずさは実に大人しく、無難な優等生という点で周りから信頼されている。

 

 駿は魔法主義が行き過ぎて空回りするきらいはあるが、実技も理論も大変優秀であり、また風紀委員の苦労人・ゲーム研究部担当として(半強制的に)一生懸命働いており、一年生男子を代表する優等生だ。

 

 そんな二人の口から出たのは、学校として行く外の活動、それも人様から預かる大切な魔法師の卵である子供たちの相手に、あのやんちゃ坊主を採用しようというふざけた案だ。

 

 まずは空気が凍り付き、その直後に火薬がたっぷり詰まった樽が着火したように反対の嵐が吹き荒れた。

 

 そして口々に反対を表明しながら、参加者の脳内にはある種の納得もあった。

 

 二人は優等生だ。しかしこの優等生二人、とんでもなく「悪いお友達」と深い付き合いがあるのである。

 

 その「悪いお友達」こそが、まさしく文也である。

 

 しかもこの二人は、九校戦のエンジニアとして文也を積極的に推していたという。およそ周りから見ればそれこそ「信じられない」が、二人は文也のことを信頼しているのだ。

 

 そうした「こいつらの考えを正さないと」という義務感も混ざった反対の嵐に、二人は「まあやっぱりね」みたいなことを思いながら反論した。

 

「皆さんのご懸念はごもっともですが、ふみく……文也君は子供の相手とかは好きですし、魔法のお手本としても技能も知識も十分です。さすがのふみく……文也君でも、子供たちを前にして変なことはしないでしょう」

 

 あずさの反論は、「素行不良だけど大丈夫か」、「本人はこういうの面倒くさがりそうだが大丈夫か」という反対意見に対するものだった。

 

 あずさからすれば、「魔法で子供たちを笑顔に」がモットーである『マジカル・トイ・コーポレーション』に幼いころから親しみ、さらにそこのエースエンジニアの片割れ『マジュニア』である文也は、子供の相手という点ではこれ以上ない適任だ。

 

 さすがにそれを前面に主張はできないが、文也がああ見えて昔から自発的に下級生の世話をよくしていたのも知っているし、上手くやっているのも見てきた。なにせ彼女自身がそれに付き合わされまくったからだ。また魔法の実力や知識という点では、この場にいる三年生も含めた生徒や教員は反論できない。九校戦の練習で魔法の実力を示し、定期試験で知識も示した。その示された力は、彼らも両手を挙げて降参するほどのものだ。

 

 そんなあずさの意見を援護する形で駿が口を開く。

 

「それにあいつは子供の相手とか得意ですよ。中学生のころから何回か面倒を見てるのを見ましたから」

 

 少し間を開け、駿がさらに口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんせ、あいつの精神年齢は小学生並ですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一言で、文也の採用が決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし、じゃあ今からCAD配るからな。許可するまでスイッチ押すなよ」

 

『はーい』

 

 川崎沿岸部の森崎家が運営している魔法訓練施設でそのイベントは行われる。

 

 いつもは無機質な訓練場も、今はわざわざこのイベントのためだけにカラフルな飾りがとってつけたようにそこかしこについている。去年のイベントアンケートで「内装が寂しい」という意見があったのに応えてのことだが、あいにくながら森崎家にそう言った方面のノウハウはなかったようで、小学校の文化祭にも劣るしょぼさである。

 

 ――そんなこんなで、いざイベントが始まってみると、周りの憂慮は杞憂とわかった。

 

 毎年参加している手慣れた三年生も参加者にいたが、実際に子供たちの相手を取り仕切っているのは文也だ。

 

 子供たちもすぐに文也になつき、多少のやんちゃをしてじゃれつきながらもよく言うことを聞いている。まず見た目が小さいので子供たちの警戒心をほぐし、そのあと上手に相手をして子供たちの信頼を得たのだ。「お兄さん」というよりも「ガキ大将」というほうが正しいような感じだが、よく言うことを聞いて安全かつスムーズに進行するなら何でもいいのだ。

 

「はい、これ、どうぞ」

 

「ここがスイッチだから、指示があるまで押さないようにな」

 

 あずさと駿は文也の合図を受けて、用意していたパステルカラーの玩具の銃型CADを子供たちに配る。あずさは穏やかな笑顔を浮かべ、駿は慣れない営業スマイルを張り付け、それぞれ上から見下ろす形にならないようにしゃがんで気を遣いながらだ。監視員のはずだったが、文也を引っ張り出した責任と「文也の」監視役としていつの間にか仕事内容をこちらに変更されていたのだ。ちなみにボランティア生徒たちは私服ではなく、このイベントのための共通Tシャツと帽子を着用している。例年は着用自由だったのだが、今年は身長が小学生みたいな高校生が二人ほど参加しているため、見分けをつけるために全員着用となった。二人だけ着用とならなかったのは、情けの様なものだ。

 

 そうした事情で共通のシャツと帽子をつけた二人の手から子供たちに配られたCADは、小児魔法教育用のCADだ。未熟な魔法師に魔法事故は付き物なのだが、このCADが普及してからは事故率が十分の一になった。

 

 このCADを開発し破格の廉価で発売したのは『マジカル・トイ・コーポレーション』だ。幾重もの安全対策が施されており、魔法を使う機能よりも安全対策のほうがコストが何倍もかかっている代物である。この川崎には『マジカル・トイ・コーポレーション』の工場と研究室を兼ねた施設もあり、そこから近所のよしみで無償で提供されているのだ。

 

 スイッチを押さないように、と注意はしたが、このCADはマスターコンピューターで一括管理されており、そちらで許可信号を出さない限り魔法は行使できない。念のための注意という形だ。

 

「全員受け取ったな? じゃあ今から実際に魔法を使って遊んでみるぞ」

 

 文也がそう言うと、子供たちは色めき立った。今まで大人の管理の下でつまらない基本的な魔法しか練習させてもらえなかった。しかし、今渡された銃型のCADは、今までやってきたような教育用の「おりこう」なものではない。

 

 文也とあずさが誘導して床に貼り付けたビニールテープの印の前に列を作って並ばせている間に、駿ともう一人のスタッフが準備をする。その準備したものは、大小の同心円が描かれた円盤、的だ。

 

 ビニールテープの目印に立ち、配られたCADを使って的を撃つ。

 

 子供たちの年齢ではまだやったことがないような実践的な魔法で、それは子供たちの魔法への意欲向上につながる。

 

 それも、事前に文也が説明した通りならば、使う魔法は『ドライ・ブリザード』だ。

 

 子供たちのあこがれの的、九校戦女子『スピード・シューティング』のスーパーヒロイン、『エルフィン・スナイパー』こと七草真由美がその競技で三年間使ってきた魔法だ。

 

 あのあこがれの『エルフィン・スナイパー』が使ってた魔法で、自分が的を撃つ。これが子供たちの興奮を誘っているのだ。

 

 本来ならこの年齢で的撃ちはまだするようなものではなく、また『ドライ・ブリザード』もこの年齢では難しい。しかし、このCADに登録されている『ドライ・ブリザード』は徹底的にダウングレードして子供でも使えるようにしており、また照準補助に加えて変数演算補助もついており、子供たちの演算は軽いもので済む。この場には魔法の腕に覚えがある監視員が何人もいるし、さらには魔法科高校の教員も傍で見守っている。ここまで状況を整えれば、的撃ちくらいならたやすいものだ。

 

 一人目の女の子が、さっきまで浮かべていた満面の笑みを消し、的をじっと睨んでCADを構えて狙いをつける。そしてしばらくそのまま深呼吸をすると、少し緊張をした様子で引き金を引いた。

 

 するとその女の子の周りでサイオン光がきらめき、銃口の先にドライアイスの塊が発生し、そのまま的へと放たれた。

 

 ドライアイスが無事的に命中し、的が倒れる。すると的の後ろに隠れていたメッセージが表示される。

 

『ヒット!』

 

「やったあ!」

 

「よーし、おめでとう、じゃあ次だ」

 

 女の子はまたぱっと満面の笑みを浮かべ、飛び跳ねて全身で喜びを表現する。文也はその女の子の頭を撫で、後ろに並んでいる男の子への交代を促した。

 

 その後は全員が一回ずつ的を倒すまで、『エルフィン・スナイパー』気分を味わってもらった。何人か一回で成功できなかった子供もいたが、あずさの指導で無事全員二回目のチャレンジでは的撃ちに成功した。

 

「さて、じゃあここで、このヘッタクソな営業スマイルのお兄さんのお手本を見てもらうとしよう」

 

「悪かったな」

 

 全員が成功して満足したところで、文也が駿を隣に呼び出し、からかいを混ぜて笑いを誘いつつ、魔法のお手本として駿の的撃ちを見せることになった。

 

「こいつはまあ事情があって競技変更になったけど、もともと『スピード・シューティング』の選手だったんだ」

 

「誰のせいで陣取りに変わったと思ってるんだ」

 

 文也が駿の紹介をしてそれに駿が文句を言いながら準備をする。

 

 向くのは、子供たちが的撃ちを楽しんだ方向と逆側、本格的な魔法射撃訓練設備だ。

 

「今からこのお兄さんがやるのは、実際にこの訓練場で行われている訓練だ。この人型の的が、木とか建物の裏から次々と現れるから、それをいかに早く正確に撃てるかってゲームだぞ」

 

 ボディーガード業を営む森崎家では、こういった訓練は欠かせない。スピードと正確性を求められる現代魔法師のボディーガードを養成するのにうってつけの訓練だ。

 

 駿は所定の位置に立ち、目を閉じて下を向き、大きく深呼吸をする。息を吐ききり、目を開けて顔を上げる。

 

 その瞬間、浮ついていた空気に緊張感が走る。興奮していた子供たちすらこの空気の変化を感じ取り、じっと黙って駿を見ていた。

 

 そしていきなり、人型の的が現れる。それと全く同時に駿は腰から特化型CADを抜き、一瞬で『エア・ブリット』でその的の肩を正確に撃ち抜いた。

 

 森崎家の十八番『クイック・ドロウ』。いざというときに真っ先に反応し、隠していたCADを即座に抜いて対象に魔法を行使する技術。当然駿は、そのスペシャリストだった。

 

 そこからの訓練は圧巻だった。

 

 人型の的が完全に姿を現すころには、もうその的は撃ち抜かれている。しかもそのすべてが急所を外しつつ確実に無力化をする肩や腰骨を貫いており、また武器を持った的はその武器を持った手が撃ち抜かれた。

 

 あずさはその様子を唖然と見ていた。

 

 優等生だと聞いてはいたが、これほどの腕だとは。

 

 あずさ自身、駿の実力は知っている。しかしそれはどちらかというと射撃の腕という面が強かった。

 

 駿が上級生の前で魔法を披露する一番大きな機会は九校戦だった。しかし『フィールド・ゲット・バトル』は魔法の腕が如実に出るとは言い難く、『モノリス・コード』は二回戦で棄権して披露する機会はほとんどなかった。

 

 文也曰く、駿は意外と『スピード・シューティング』はそこまで得意ではないという。

 

『クイック・ドロウ』と魔法行使のスピードはあくまでも初撃特化であり、最初からCADを構えて早撃ちをする『スピード・シューティング』は意外と畑が違うのだ。駿自身、部活動の関係も含めてシューティングは得意ではあるのだが、『スピード・シューティング』は実際の銃と同じような形でシューティングはせず、的に直接魔法を行使するのが王道だ。

 

 森崎家は初撃魔法を確実に決めることを重視しているため、その一人息子である駿も、『情報強化』や『領域干渉』で簡単に防がれてゼロになる相手に直接行使する魔法よりも、たとえ守られたり避けられたりしても相手を牽制できる射撃魔法のほうが得意だ。よって、意外と『スピード・シューティング』に適性はない。

 

 しかし、この光景を見ると、あずさにはそうは思えなかった。

 

 次々と現れる人型の的に即座に反応して照準を合わせて一発で撃ち抜く。しかも撃つ場所は実戦を想定していて、それも正確だ。

 

 たらればの話だが、仮に駿が『スピード・シューティング』に出ていたら、優勝者の真紅郎と激しい優勝争いまでは最低でも持ち込める。

 

 駿のこの絶技を見て、あずさはそう確信した。

 

 成績という点では駿はピカイチだが、実は校内の実力者や上級生、特に首脳陣からの印象は特によくはない。苛烈なプライドから達也に激しい対抗心を燃やすが全て空回りし、結果も「実力」も達也に負け、それでいながらなおも一科・二科の枠に強くこだわる。そういった姿を九校戦期間中にしばしば目にしたため、ある種現実主義的な冷淡な面が強い首脳陣やほのかや雫といった同級生の実力者は、駿に冷ややかな目線を向けている。風紀委員の仕事の面では「頑張ってる」「あんな奴ら任せてごめん」「今までのゲーム研究部担当の中で一番優秀」と評価は高いが、検挙率という点では達也に負けている。

 

 しかしあずさは駿の絶技を見て、その印象が必ずしも全てではないと確信した。

 

 事象改変規模や干渉力や魔法式構築能力は並みの一科生より高いが、実力者たちに比べたら平凡なものだ。

 

 しかし魔法の発動スピードだけなら近接戦闘のために速さを磨いた摩利に比べれば遅いが真由美や克人より速いし、現れた的に即座に照準を合わせる技術は『エルフィン・スナイパー』たる真由美に比べれば劣るが摩利や範蔵にも勝る。

 

 総合的に見たら多くの実力者に劣ることになるが、要素を切り出してみれば、駿は一年生にしてすでに『一流』の領域に入っている。

 

 あずさは、文也の親友という贔屓目を抜きして、駿の実力に驚嘆した。

 

「……まあまあだな」

 

 ブザーが鳴って訓練が終わると同時、駿はCADをクルリと回しつつサスペンドしてホルスターにしまいながらスコアを見上げてつぶやく。的が動き出して撃ち抜くまでの時間と当てた場所の適切さが測られてスコアに加算される。あずさはこの訓練のスコアの基準はわからないが、あの絶技を見て低くない点数であることだけはわかった。

 

(すごい……)

 

 興奮して群がる子供たちを相手にして困惑顔の駿を見ながら、あずさは心の中で駿を讃えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は、「将来はこういうことをやるんだぞ」というメッセージを込めて、一高のここ一年間の魔法に関する活動記録映像を見せた。

 

 活動記録映像の中でやはり子供たちの目を引いたのは九校戦だった。先ほどは的撃ちという軍事・刑事訓練の色が強いものをやったので、見せる競技は軍事色がある『モノリス・コード』や『スピード・シューティング』や『バトル・ボード』ではなく、見た目が華やかな『ミラージ・バット』と銃撃戦ではあるが色合いがカラフルで見た目がポップな『フィールド・ゲット・バトル』を見せた。

 

 特に熱狂を誘ったのがやはり『ミラージ・バット』だ。『フィールド・ゲット・バトル』選手本人である文也と駿からすればやや不満だったが、まさしく『妖精』と形容するにふさわしい深雪の活躍は認めざるを得ない。

 

「なあ、男があれ見て熱狂すんのはいいにしてもよ、女のあの熱狂具合はちょっとまずかったかな」

 

「漫画とかアニメのヒロインにあこがれるような熱狂だと信じたいが……」

 

 映像を流す後ろで文也と駿がこそこそと小さな声で話す。二人の視線の先では、男女問わず深雪の活躍を見て熱狂している子供たちの姿だ。男の子があの姿にほれ込むのは正しい姿だが、女の子の熱狂具合はなんだか男の子のそれと変わらない感じがする。お姉さま……みたいな感じで「目覚めて」しまったかもしれない。

 

 二人は「しーらない」と考えるのをやめた。そういうのもまた一つの愛のカタチだろう。

 

 そして、半分思惑通りに子供たちを『ミラージ・バット』に魅了させたタイミングで、文也が用意した本日とっておきのプログラムへと移る。

 

 文也は映像が終わるとそのモニターの横に立ち、巻き戻しをして再び競技映像を流す。

 

「さて、このこわ……きれいなお姉さんがこの時使ってる魔法は何かわかるか?」

 

「飛行魔法!」

 

「そう、汎用飛行魔法だ。汎用っていうのは『みんなが使える』って意味だな」

 

 文也は子供の回答に満足すると、続けて解説を続ける。

 

「この空飛ぶ魔法はもともとすっごい難しい魔法だったんだ。できるのは、最初から才能があった一部のみで、ほぼすべての魔法師ができないっていう魔法だ。だから、みんなが使える飛行魔法っていうのは、もともと無理だと言われていたんだ。で、それが最近になってできるようになったんだね」

 

「あ、『マジカル・トイ・コーポレーション』?」

 

「その通りだ。ちょっと前に『フォア・リーブス・テクノロジー』が開発したループ・キャスト・システムを利用すればみんなが使える飛行魔法ができるって気づいたMTCが、見事それを開発して見せたんだ。さっきのお姉さんは、このMTCが開発した飛行魔法をベースに改造したFLTの飛行魔法を使っていたってわけだ」

 

 一見子供向けにやさしい笑顔を浮かべているが、あずさは文也が心の中でどす黒い笑顔を浮かべていることを敏感に感じ取った。

 

『トーラス・シルバー』が文也たちに遅れる形で飛行魔法を開発していた、というのは魔法工学界隈では有名なうわさであり、それは真実である。よって深雪が使った飛行魔法は文也たちの後追いでなく、同時に達也たちが開発していた魔法なわけだが、結果として後追いとなってしまい、世間の認識は『MTCの飛行魔法をあとから磨いたFLTの飛行魔法』であり、FLTサイドはそれを認めざるを得なかった。

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』の『マジュニア』として対抗心を燃やす達也を出し抜き、その結果が世間に認知されているのを聞いて、浅はかで陰湿な優越感を心の底で満喫しているのだ。

 

 そんな心中を隠し、文也は駿に持ってこさせた箱を開いて、その中身を子供たちに見せる。

 

 それは背負うバッグのようなもので、リュックサックというよりもランドセルに近い。しかし、これの用途はバッグではない。立派なCADである。

 

「あ、それって!」

 

 子供たちがにわかに色めき立って歓声を上げる。

 

「そう。特別に持ってきた、飛行魔法用のCADだ」

 

 文也が子供たちの期待を肯定すると同時に、黄色い歓声が爆発し、再び熱狂状態になる。

 

 魔法を使って空を飛ぶ。それは、魔法が当たり前の世界となった今でも、ついこの半年前まで『不可能』とされてきた夢の世界だった。それを実現できる機械が目の前にある。それは子供たちにとって、まさしく『夢の実現』なのである。

 

「さて、みんな。空中を飛んでみたいと思わないか?」

 

『はーい!!!!』

 

 文也がわざとらしく問いかけると、子供たちは元気いっぱいに返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供たちを引き連れて移動した先は、柔らかい材質の強化繊維でできた縄で作った大きなハンモックの様なアスレチックだ。今日この時のためだけに、一高から連絡を受けた森崎家が準備したものである。

 

 このハンモックの上で、同時に三人の子供が飛行魔法を使用する。仮に落下してもハンモックが受け止めてくれるし、この飛行魔法には様々なセーフティーがこれでもかとばかりについている。セーフティーがなければハードのサイズを半分以下にできるほど過剰につけているため、万が一の事故もあり得ないようになっているのである。

 

 飛行魔法の体験はなんの事故もトラブルもなく進行した。飛行高度も1メートルほどであり、また飛行時間も短く設定してある。しかしたった1メートル、たった数十秒飛行しただけで子供たちは大変大喜びした。

 

 そのまま時間いっぱいまで飛行魔法を全員にできる限り体験してもらい、大盛況のうちにその日のイベントは解散となった。

 

 解散後はなぜか迎えに来た子供たちの保護者までもが飛行魔法を体験して存分に楽しんでもらったりといった延長戦もあったが、引率教員曰く過去最高の盛り上がりと満足度だったらしく、満面の笑みで解散ミーティングで話をしていた。

 

 そして現地で解散となったので、文也と駿はせっかくだからとこの川崎の沿岸部で少し遊んでいくことにした。この沿岸部は繁華街で遊興施設も多いのだが、いかんせん治安が国内の中でも指折りで悪い。少し裏路地に入れば不良のたまり場だし、やり場のない不満を抱えて集まる若者をターゲットにした悪い大人もここに集まる。夏場で日が長いといえどもうすぐ夕方であり、そんな時間にそんな場所で遊ぶのは怖いということで、あずさは二人の誘いを断ってほかの直帰する生徒たちと一緒に帰っていった。

 

「まあしかしなんというか、お前んちのイベントがここでやって、それに俺らが参加するってのはなんの皮肉だね」

 

「全くだ。まあわかってて誘ったのは俺だけどな」

 

「そういやそうか。変な偶然かと思ったけど仕組まれた偶然だ」

 

 二人は遊興施設や繁華街には行かず、先ほど会場となった森崎家の訓練施設から少し離れたところにある、横浜や千葉との差別化に失敗して人通りが全くない海浜公園のベンチに並んで座り、ぼんやりとしながら雑談を交わす。文也はせっかくだからということで貰ってきたボランティア用の帽子をかぶっているのでやや海は見にくいのだが、そもそも特に見たいというわけでもないのでかぶりっぱなしだ。

 

「いやそもそも考えてみりゃ、あんときだってあのお前んとこのあの訓練施設にきたんじゃん。おじゃんになったけど」

 

「あーそういえばそうだ。結局行かなかったから印象に残ってないな」

 

 そんなふうに、お互い頭を大して動かさない雑談を交わしているうちに日が少しずつ暮れて気温が下がってくる。とはいえ真夏なので、照り付ける太陽の暑さからじめじめした蒸し暑さに変わっただけだが。

 

 そんな真夏の外にいたせいで、二人とも道中の自動販売機で買ったジュースの消費ペースがすさまじかった。そのせいで、

 

「ちょっと便所」

 

「おう」

 

 文也は急に尿意を催して立ち上がり、トイレへ向かう。

 

 運の悪いことに、このベンチからトイレまではだいぶ遠い。

 

「めんどくせえなあ。その辺でしていいか?」

 

「いいからトイレいけ。ここで待ってる」

 

 駿に注意され、文也はしぶしぶトイレへと歩いて行った。

 

「全くあいつときたら……」

 

 文也の小さな背中を見送りながら、駿はそうつぶやいて溜息を吐く。

 

 しかしその姿が豆粒ほどになるころにはついに暇を持て余し、何を考えるということもなく海をぼんやりと見つめる。

 

 波音に誘われてまとまりのない思考が連鎖する中で、駿はこの川崎で起きた出来事に行きついた。

 

 忘れようがない。ちょっとした偶然で関わった、駿からすれば大騒動で、表向きには小さな騒動だった事件。

 

 その事件には、ほかでもない、文也も関わっていた。

 

 その連想から、駿は文也と出会ってからの嵐の様な数日を思い出した。




というわけで、今回は駿と文也の話です


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3-優等生と悪戯小僧-2

 国立魔法大学付属高等学校、通称魔法科高校は、入試科目に、魔法に関する知識・理論を問うペーパーテストと魔法実技がある。

 

 しかし、魔法というのは、生まれながらの才能や血筋に左右される部分が大変多い。しかも魔法の巧拙・才能や適性の差だけでなく、『魔法を使えるか使えないか』という部分まで左右されるのだ。

 

 この魔法を使える人物、および魔法を生業としている人物のことを『魔法師』と呼ぶわけだが、この魔法師という人材はマイノリティである。

 

 魔法科高校で魔法についてより深く学ぶには、魔法に関する勉強や魔法そのものの練習をしなければならない。しかし、その魔法を使えるか否かという点すら血筋と才能に左右され、しかも使える側がマイノリティである以上、中学校までの学校教育において魔法を教えるということはできない。

 

 そこで、魔法師という貴重な才能がより羽ばたけるように、魔法科高校入学希望者向けの国公立魔法塾が全国のいたるところに設立されている。魔法科高校に入学を希望する子供たちは、その塾に通って魔法への造詣を深め、魔法の技能を磨くのだ。

 

 そんな数ある魔法塾の一つに、百家支流・森崎家の一人息子である森崎駿は、中学校に入学したその日から通い始めた。

 

 家の近所や通っている名門私立中学の近くにもいくつか魔法塾はあるのだが、駿はあえて遠出してこの『国立魔法塾三軒茶屋校』に通っている。

 

 ほぼすべての魔法塾が国立であり、それらんは基本的に大差がないものとされている。しかし、実情としては、地域格差や着任している指導教員、塾が保有する設備によって、その塾の生徒の成績に大きな差が出ているのも事実である。

 

 この三軒茶屋校は、駿の家から通える範囲の中では一番進学実績が良く、また所有設備もトップクラスで整っている。また運のいいことに塾長は魔法教育事業に力を入れている三十尾家当主の実の弟であり、そろえている指導講師もこの近辺では随一である。

 

 森崎家の一人息子として才能を持って生まれ、またたゆまぬ努力を重ねた駿は、家の期待を一身に背負ってここに入塾した。

 

 入塾時に行われるテストでも、駿は同期の中で圧倒的なトップに立っていた。そしてその成績は入塾してからさらにぐんぐん伸び、入塾から四か月と少し経った夏休みの真っただ中の今、トップを維持しているどころか、次席との差をさらに突き放している。

 

 その成績は駿自身の誇りと自信となり、彼はより向上心と責任感を持って勉強に励むようになる。森崎家自体も教育のノウハウは十分にあるため名家がよくするように塾に通わせずに家庭教師などで個別英才教育しようとも考えていたのだが、結果的に駿自身に良い影響があったようで胸をなでおろしている。

 

 そんな駿は今、中学生に上がって初めての夏休みも半分以上が過ぎたという頃、塾内テストで一定以上の成績を収めた生徒のみが使用を許される特別自習室に来ていた。この特別自習室には普通の自習室と違ってより高得点を目指すための難しい貸しテキストが準備され、またこの特別自習室専門の講師も数人いる。

 

 その自習室の一角の机で、駿はテキストを前に頭を抱えていた。

 

 駿が苦戦しているテキストのタイトルは『国立魔法大学付属高等学校入試対策テキスト・魔法工学・二年生標準』である。

 

 魔法科高校の入試の筆記試験は、魔法理論と魔法工学に関しては数百文字の論述形式の問題が毎年出題されており、それがべらぼうに難しい。そのことはもはや周知の事実であり、早い段階から対策をしておくのが受験対策の定番であり、駿もまた一年生の夏休みの段階にしてその対策に乗り出していた。

 

 しかし、中学一年生であるはずの駿が向き合っているテキストは二年生用だ。一年生向けのテキストは発展編も含めてすでに解き明かしてしまったので、特別に二年生向けのテキストに挑んでいるのだ。

 

(さて、どうしたものか……)

 

 さすがに二年生向けのテキストはかなり骨が折れる。一問一問が解くたびに頭が焼き切れそうになるほどだ。

 

 もう数十分悩んでいるのでそろそろ指導講師に頼ろうか、と思い始めたのだが、間の悪いことに指導講師はいま全員が現在ほかの生徒の指導の真っ最中である。本来ならもっと数がいるのだが、さらに間の悪いことに数人が同時に夏風邪を患って欠勤しているのだ。

 

(仕方ない。今日は諦めるか)

 

 そういうわけで、駿はひとまず目の前の難問の解決を諦めた。もう三時間はぶっ続けで勉強して座りっぱなしだ。いい加減全身が凝ってきたし、こんなのではわかる問題もわかりそうにない。

 

 今から二時間後には授業が始まる。長い時間考え詰めた状態で挑んでは、肝心の集中できるものもできないだろう。

 

 一旦勉強は諦めて、トイレに行って適当に軽食をつまんでから魔法の練習で体でも動かそう。

 

 そう考えてテキストを閉じようとしたところで、駿は後ろから、小学生のような高めの声をかけられた。

 

「なあ、その問題で悩んでるのか」

 

「は?」

 

 いきなり声をかけられた駿は、考え詰めててやや不機嫌だったこともあってぞんざいな返事をしてしまう。一応この塾で友達も数人はできたが、こんな声ではないし、そんな知らない人間からなれなれしく声をかけられるとは思っていなかったのだ。

 

 駿が振り返ると、思いもよらない場所に顔があって駿の心臓は一瞬飛び跳ねた。

 

 適当にカットされたしゃれっ気の欠片もない黒髪に、小学生高学年に入るかどうかくらいの童顔、しかし可愛らしい顔立ちというにはあまりにも目つきが悪い。そんな顔が、駿が想定していたよりもかなり駿の目線の近くにあった。

 

 後ろにいた少年が身をかがめていたわけではない。イスに座っていた駿は振り返った時に相手の顔が自分の顔よりもだいぶ上にあると思っていたのだが、その少年の身長が想定よりもかなり低かったのだ。

 

(な、なんだこいつ……小学生か? いや、でも)

 

 駿は脳内でこの少年の素性について考える。

 

 見た目からすれば明らかに小学生だ。実際、この魔法塾は主に中学生向けだが、厳しい入塾テストを超えた小学生相手だけなら授業をしている。この塾に小学生がいてもなんら不思議ではない。

 

 しかしこの特別自習室は中学生専用だ。ここに通う小学生はそれだけで同世代の中ではトップエリートではあるのだが受験が目前に控えているというわけではなく、特別自習室は中学生専用となっている。

 

 周りの指導講師は自習室内での私語を咎める空気を出してはいるが、この少年がいること自体を咎める雰囲気は出していない。つまり、この少年はこう見えて中学生ということになる。

 

「あ、あー、えーと、そうだ」

 

「ほーん」

 

 駿がようやく返答をすると、その少年はテキストを覗き込んで数秒考えると、論述をするうえで踏まえるようにと問題文で示されている数多くの資料の中から、ある一か所を指さした。

 

「ここ読んでみろよ。すげーヒントだぞ」

 

「は? ん、あー、あ、確かに!」

 

 駿は示された箇所を改めて見て、原則私語厳禁の自習室にも関わらず、思わず声を上げた。

 

 確かにその部分を踏まえれば、問題のとっかかりがつかめる。

 

「あー君たち。私語厳禁だぞ」

 

「あ、あー、すいません」

 

「おう、すまんな」

 

 ついに容認しかねた講師が二人に注意する。

 

 駿はバツが悪そうに謝り、小さい少年はいかにも口先だけの謝罪と言ったセリフを残して自習室の奥へと消えていった。駿は解答のとっかかりを掴めたことでモチベーションが戻り、また席に戻って勉強に戻る。

 

 入り口が見つかったことで無事完答までこぎつけた駿は、その成果に満足して席を立つ。少し延長してしまったが、授業の前に魔法練習で体を動かす予定は変わらない。

 

 そして魔法練習場で運動がてら魔法の練習をしながら考えるのは、先ほどの童顔の少年だ。

 

 あの少年が示した箇所は解答の大きなとっかかりになったわけだが、駿は解答している途中に気づいたことがある。その部分がとっかかりになると気づくには、二年生で学ぶような知識の中でもかなり細かくまた理解難度が高い理論が必要だ。

 

 つまりあの少年は、すでにそのレベルの知識を理解し、記憶していることになる。それも、あの資料をさらっと見て、深い知識と結びつけて要点を指摘できるほど理解度が深いのだ。

 

(いったい何者なんだ?)

 

 四か月と少し塾に在籍しているが、あのような少年は見たことがない。あの自習室に出入りを許されているならば使わない手はないはずだが、駿は今まで何度も利用したが、一度も見たことがない。縁もゆかりもないほかの利用者の顔と名前は一致しないが、さすがにあそこまで小さいと少なからず印象に残るはずだ。それなのに見たことがないとなると、駿には不思議だった。

 

(いや、まあいい。練習に集中しないと)

 

 息抜きと運動がてらの練習と言えど、練習は練習だ。集中力を持つか持たないかでその成果は大きく変わる。

 

 駿はひとまず気になる少年のことを脳みそから追い出し、時間ぎりぎりまで魔法の練習に打ち込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「危ない危ない」

 

 時間を忘れて練習に打ち込んだせいで、駿が準備を終えて授業の席に着いたのは時間ぎりぎりだった。特待クラスなので全員意欲十分であり、授業が受けやすい席はすべて埋まっており、駿は仕方なく後ろの方の空いている席に座る。

 

 鞄からテキストとノートを出している間に授業開始チャイムが鳴り、それと同時にテキストや予備教材を抱えた講師が入ってくる。

 

「うむ、よし、今日も全員出席してるな」

 

 授業を担当するのは三十尾家の傍流の生まれである講師だ。理不尽さすら感じるほど大変厳しい講師だが、それに耐える価値があるほど学力も腕も伸ばすことができる講師でもある。この特待クラスの生徒は理不尽さや厳しさなんかは覚悟の上でここにいるわけだし、怒られたりするようなことがあれば自分の未熟さが原因だ、と割り切っているのだ。

 

「さて、今日はこの特待クラスの新たな生徒を紹介しよう。来なさい」

 

 新たな生徒、と聞いて、クラスの中に困惑が広がる。

 

 この特待クラスに入る条件は厳しい。後から成績が伸びて入ってくる、という事例はないわけでもないし、事実この中にも何人かは入塾してから成績が伸びて入ってきた生徒だ。

 

 しかし、生徒たちは今の塾の同級生にこのクラスに入るほどの人物に心当たりがない。そもそも全国統一魔法塾模試があったばかりで、その結果を反映してクラスの再編成が行われたばかりだ。

 

 そうなると残る候補は、新たに入塾してきた生徒がいきなり特待クラスに入った、というパターンだ。

 

(いったいどこのボンボンだ?)

 

 駿も内心で思わず困惑する。

 

 まだ一年生の夏だから、まだ勉強を始めていない中学生と塾生とで差はそう開いてはいない。しかしこの特待クラスに限っては別で、この時期にはもうすでにだいぶ成長しており、この夏に入ってきていきなり特待クラスに入るというのは無茶な話になっている。

 

 つまり、入塾したばかりの段階ですでに特待クラスに入るほどの学力と実力があるということであり、魔法塾以外のどこかで勉強と練習をしてきたということである。そのようなことができる環境は少ない。

 

 そんな数少ない環境の中で一番有力なのが、『その家庭・家系で特待クラスに追いつくほどの魔法の勉強や練習をできる環境がある』というパターンであり、相当『格』が高い家系だ。それほどの『家』となると、数字付きである二十八家や百家本流くらいしかないだろう。

 

 困惑している間に、教室の外で待機していた新入生が扉を開けて入ってくる。

 

「……なるほどな」

 

 駿は小さくつぶやいた。

 

 扉を開けて入ってきたのは、先ほどの小さな少年だ。口だけでなく態度も悪く、緊張した様子もなくポケットに手を突っ込みながら飄々と入ってくる。

 

 新規入塾でこの時期の特待クラスに入ってこれるほどの実力なら、先ほどの問題を解けたのも頷ける話だ。いくら新規入塾と言えど、この特待クラスでもトップの成績を誇る駿ですら悩んだ問題を軽く解けるほどの知識があるのなら、塾側もいきなり特待クラスに入れざるを得ないだろう。

 

 小さな少年は目つきの悪い目で教室全体を見回し、駿を見て一瞬だけ視線を止める。そしてそのまま視線を正面に戻すと、気怠そうな声で自己紹介を始めた。

 

「井瀬文也だ。よろしく」

 

 右手を頭の横まで上げ、人差し指と中指をくっつけて立ててピッ、と軽く振りながらそう言うと、講師の指示も待たずに勝手に空いている席に乱暴に座った。

 

 そんな身勝手な態度に講師はしばし唖然としたが、咳払いをして気を取り直すと、その少年――井瀬文也の紹介を始める。

 

「この井瀬文也君は、先日入塾してきた新入生だ。入塾テストがてら模試も受けてもらったのだが、魔法理論・魔法工学ともに満点だった。試しに二年生向けの中でも理論重視でありその分筆記試験も難しい第四高校入学希望者向けの模試も解かせてみたところ、理論で97点、工学で99点を取って見せた賢い生徒だ」

 

 文也の態度に余計困惑していたクラスが、さらに困惑に包まれる。駿もその例にもれず、強く困惑していた。

 

(井瀬……百家支流ですらないぞ。それなのにもうそこまでの学力を持ってるのか)

 

 しかしほかの生徒と違い、駿はすぐに困惑を収めた。

 

 ここにいる生徒は皆、周りに自分に比肩しうる存在がいない環境で育ってきた天才たちだ。故にこうしていきなり自分が訳もわからないうちにいとも簡単に負かされるという状況に慣れていない。この魔法塾に来てようやく自分に比肩しうる同級生や格上に出会ってはいるが、まだ四か月なので育ってきた環境のほうが心に強く残っている。

 

 しかし駿は、近い将来には家業を手伝う身として、すでに訓練でさんざんしごかれてきている。それに、指導教官やボディーガードのプロ、さらには自分の父親などを相手にして模擬戦を何度もしては軽く負かされ続けているので、「そんな奴もいるもんだな」ぐらいで済んでいるのだ。

 

 講師は文也の軽い紹介だけ済ませるとすぐに切り替え、授業の準備に入る。特待クラスなので余計な遊びは極力少なくしているのだ。

 

 その講師の様子を見てようやくほかの生徒たちも気持ちを切り替えて授業の準備を始める。今は負けていても、努力して追いついて、そのまま抜かせばよい。この四か月の間にこの塾で散々しごかれ、そういった上昇志向は、少しずつ身につきつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 授業が始まってしばらくして、駿はストレスを感じ始めた。

 

 その原因は、新入生の小さな少年・文也だ。

 

 他の生徒は影響されていないようだが、時間に遅れて都合の悪い席に座った駿は、紹介された後に残っていた授業が受けにくい席に座った文也が近いため、何をしているかよく見えるし、物音もよく聞こえる。

 

 授業が始まってからというもの、文也は全く真面目に授業を受ける気配がない。

 

 講師が説明していてもノートも開かずペンも持たず、開いたテキストをぼんやりと眺めるだけ。厳しく時間が設定された演習の時間に入ったらノートをのそのそと開いてペンを動かし始めるが、すぐに解答を終えて余った時間で落書きを始める。授業も中盤に入るとついに飽きてきたのか、講師の話も聞かずに大あくびをし、また落書きを始めた。

 

 別に本人にやる気がないのは勝手なので気にしない。自業自得で成績が下がっていくだけだ。

 

 しかしそんな動作を視界の端や聴覚の端でやられては、授業に集中できない。あくびは遠慮しないのでうるさいし、落書きは図形や汚い文字を組み合わせた見ているだけで頭が狂いそうな謎の絵でそれが視界の端に見えるだけで集中力が削がれる。

 

 そしてタチの悪いことにこの少年は、さっさと終わらせた演習問題はすべて正解しているのだ。

 

 この講師は厳しいのだが、一方でやることをやっていたら何も文句は言わない。授業に多少集中していなくても居眠りをしていても、演習問題さえ正解できていれば何も言わないのだ。厳しい部分は、やることをやっていない、例えば宿題を提出しなかったり、話を聞いていなかったくせに問題を間違えたり、できるはずの難しくない問題を連続で間違えたり、といった時か、はたまたほかの生徒の勉強を邪魔したときだけだ。

 

 今この瞬間、文也は駿の邪魔になってはいるのだが、この程度では駿自身に集中力がないということで済まされるだろう。仮に注意するとしても軽くたしなめる程度で、あのいかにも面の皮が厚い文也はその程度で行動を改めたりしないに違いない。

 

(くそっ)

 

 結局駿は、この日の授業の終わりまで、文也のせいで集中力を削がれ続けた。

 

 そして授業が終わると、さっさと準備を終えて帰ろうとする文也に文句を言うために追いかける。

 

 ハイレベルな内容がハイペースで進み、かつ厳しい時間設定で問題演習をやらされる特待クラスの授業は体力がかなり削られ、終わった後しばらくは疲労感で席から立てない。駿も――今日は気疲れがほとんどだが――疲れて立てなかったのだが、文也は何もなかったかのような顔でさっさと席を立ち、教室を出て行ったのだ。出遅れた駿は文也を追いかける形になってしまい、追いついたのは塾の入り口の前だった。

 

「おい、お前!」

 

 小さな背中に声をかけるが、文也は自分のことだと思っていないのか、振り返ろうとしないし気にした素振りもない。

 

 その様子に駿はさらに苛立ちを覚え、さらに声を荒げて呼びかける。

 

「お前だっ、井瀬!」

 

 自分の名前を呼ばれ、文也は心底不思議そうな顔で振り返る。自分が何をしたのか全く分かっていない様子で、そのせいでさらに苛立ちのボルテージは上がった。

 

「ん? 俺? ああなんだ、自習室のやつか。どうした? サインでも欲しいのか?」

 

 しかもその返事はどこまでもふざけたものだった。悪気はない冗談なのだろうが、苛立っている駿にはそれが自身をバカにしているように見え、さらに苛立つ。

 

「お前のせいで授業に集中できなかったんだよ!」

 

「んーなんかしたっけか。つーか何をそんな怒ってんだ? 元気いいなあ、何かいいことでもあったのかい?」

 

「悪いことしかないわっ!」

 

 帰りの中学生たちと迎えに来た親たち、見送りの講師たちが集まる授業終わりの塾の前でそんな会話をするものだから、二人は悪目立ちをしてしまう。一年生最高の秀才である駿と小学生がいるはずのない時間にいる小さな文也という二人組のため余計に注目を集める。それも内容が妙なものだから、はたから見れば天然漫才に見えるのだ。しかし感情的になっている駿はそれに気づかないでなおも文也に言い寄る。

 

「お前が授業中に大あくびするわ変な絵描いて視界の端に入るわで集中できないんだよ!」

 

「んー? あー、あれね。まあ勘弁してくれ――」

 

 それを聞いても文也はヘラヘラと笑いながら反省の色はない。

 

 それどころか、文也はヘラヘラした笑いを収めると、そのまま口角を上げた悪戯っぽい笑みに変わる。

 

「――よっと!」

 

 そしてそれまでの言葉に続けて、文也は右手で左手首を握りこむ。

 

 駿が何をしたのかと思うや否や、駿の足元がきらめいた。

 

(魔法か!?)

 

 駿はそれが魔法であると認識する前に、自分の足元が光るのを視界の端でとらえた瞬間にCADを自分の足元に向け、魔法を放った。

 

 駿が足元に反射的に放った……というよりも使った魔法は『領域干渉』だ。事象改変内容を定義しない魔法式だけ投射して、他者の魔法と相克を起こして無効にする魔法だ。

 

 幸いにして干渉力はそこまででもなかったようで、文也が放った魔法は打ち消される。

 

「ヒュー、やるじゃんか。いい反応速度だ」

 

「お、お前このっ」

 

 その様子を見た文也は感心したように口笛を吹いて駿をほめるが、当の本人である駿はそれに喜ぶ気持ちは全くない。何せいきなり魔法を行使されたのだ。どんな魔法かまでは判断できなかったが、効果によってはひどい目に遭うところだった。仮に軽い魔法だとしても、他者にいきなり魔法を撃つなど言語道断だ。

 

 そんな駿の怒りを代弁する者が、駿の後ろの扉、塾の入り口から出てきた。

 

「井瀬! お前、魔法を使ったな!? こっちこい!」

 

 出てきたのは駿たちのクラスの講師だ。

 

 この塾ではいろいろな決まりがあるが、その最上位の決まりの一つが、『講師の許可がない限り他者への魔法の行使の禁止』である。入塾時の契約書にも特記事項として書いてあるほどで、違反者には退塾もザラにある厳しい決まりだ。それだけ、無秩序な魔法と言うのは危険なのである。

 

 逃げようとする文也を、その講師は魔法を使用することによって恐ろしい速度で追いかけて捕まえると、そのまま引きずって塾の中へと連れ込んでいった。

 

 一人残された駿は、もはや怒りも霧散し、ただただぽかんと嵐の中心のごときチビが消えていったドアを見ることしかできない。

 

 そのまま数十秒して、ようやく口から漏れた言葉は、駿の今の感情をこれ以上ないほど表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんなんだあいつ……」




原作の主要登場生徒でまともに魔法塾通っていたと思えるのは美月ぐらいですよね。他は家とか家庭教師とかで自己完結してそうです。


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3-優等生と悪戯小僧-3

 その日の出来事から、駿の塾通いの日常は騒がしく忙しい日々となった。

 

 結局文也は厳重注意と罰則宿題大量という刑を食らった。

 

 退塾にならなかったのは、そのあとの事情聴取で、文也が使おうとした魔法が悪戯でよく使われる人を滑って転ばせる魔法だということがわかり、悪質な魔法でないことが分かったからだ。

 

 つまり、文也はこの塾の特待クラスに通い続けることになるわけだが、これが駿からすると、運が悪い話だった。

 

 この井瀬文也という少年は悪戯好きだ。小さい見た目も相まって、まさしく悪戯小僧だ。毎度毎度、文也はあの手この手を使って塾の関係者に悪戯を仕掛けた。悪戯の内容は、魔法の使用の有無は関係ない。魔法を使わない古典的な悪戯も数多く仕掛けた。その対象は塾生と講師だ。

 

 そしてそれの対応は、講師ではなく、なぜか駿が任される羽目になった。それは駿の特技によるところが大きい。

 

 魔法式構築速度はいくら駿でも講師陣や三年生には当然負ける。しかし、CADを構えていない状態からの発動速度は、森崎家の一人息子として『クイック・ドロウ』を磨いてきた駿はすでに指折りのものだ。

 

 文也の悪戯は事が起こるまで前兆がわかりにくく、それゆえに魔法式構築速度が速いだけでは対応できない。文也が悪戯を仕掛けたのに気づき、それに反応し、CADを抜いて魔法を行使する。ここまでやらないと対応が間に合わないのだ。

 

 ボディーガード業を手伝う身として危機管理能力や危険察知能力や反射神経を物心ついた時から鍛えられてきて、さらに『クイック・ドロウ』を体得した駿は、まさしく文也の悪戯対策として最高の人材なのだ。しかもクラスも授業曜日も時間も同じで、塾での生活周期が二人はぴったり重なるため、最初は正義感から自主的にボランティア精神で対応していたのだが、三日も経つ頃には『駿が担当』という空気が出来上がってしまった。

 

 大真面目な厳しい塾で文也のこの行動は一週間も経たないうちに退塾になりそうなものだが、悪戯の内容は絶対に大きな事故になりえず、ちょっと困った程度で済む程度の軽い、まさしく悪戯レベルに収まっている。

 

 さらに、文也を退塾させるというのは、金や在籍数という目先の成果面以外でも塾にとって大きな痛手だ。

 

 文也の魔法知識は異常であり、すでに今このまま受験をしてもトップクラスの成績で合格するのが間違いないほどだ。また魔法力もすでに一科生として楽々入学できそうなレベルだ。

 

 つまり、あと約二年半後には、文也は確実に塾の高い宣伝効果になる形で魔法科高校に合格する。その宣伝効果の見込みは中々切り捨てられるものではなく、講師陣や経営陣は苦渋の選択として文也を在籍したままにしている。国立と言えど全国にいくつもある塾の一つであり、塾間の客の取り合いや予算配分は常に厳しい。こうした超優秀な生徒は中々切り捨てられないのだ。

 

 そんな文也の実力を、駿はあれから四日後に目の当たりにした。

 

 魔法実技の試験に備え、魔法塾では実技の練習もする。

 

 駿と文也は実技のクラスでも特待クラスにおり、同じ練習室で練習をすることになった。

 

 まだ魔法を習いたての中学一年生であり、特待クラスと言えど実用レベルの魔法を使える生徒は数少ない。その数少ない実用レベルの魔法を使える生徒の一人が駿なのだが、文也は「実用レベルか否か」という尺度をすでに超えていた。

 

「んー、終わった。ほい交代」

 

 文也が練習用のCADをほかの生徒に渡すと、その練習で出た成績を記録する。授業の初めに毎回本番試験と同じ形で魔法力を測るのだが、特待クラス生のそのスコアは毎回掲示され公開される。たった今文也が計測を終えその記録を入力すると、電光掲示板の一番上に文也の名前が出てきた。

 

「は?」

 

 駿はそのスコアを見て驚愕した。

 

 一位に来るというのは納得できる。ここ数日何回か魔法をかけられたが、その魔法力は中学一年生のレベルを超えており、このクラスでも十分通用するとは思っていた。魔法はその日の調子に左右されやすいので、調子がかみ合えば一位も十分あり得る力を持っているのはわかっていた。

 

 しかし、それは駿の予想を超えていた。

 

 文也のスコアは、さっきまで一位で今は二位になってしまった五十川という百家本流の出である生徒のスコアに三倍以上の差をつけて一位になっていたのだ。

 

 駿はすぐに掲示板の下に用意されている端末でそのスコアの詳細を見る。

 

 魔法式構築速度は駿がギリギリ上回っている。しかし、キャパシティと干渉力の項目はこのクラスの中ですでに圧倒的なトップに立っていた。

 

 駿はさらにスコアの詳細を見る。

 

 そしてそれを見て、文也が圧倒的トップに立った理由が分かった。

 

 文也は移動系では五十川に少しの差で負けている。五十川は移動系が得意であり、その家系もまた移動系が得意だ。

 

 そんな五十川に迫るスコアが出ているのも驚きだが、その驚きのスコアが、『四系統八種と無系統』すべての系統で出ているのだ。

 

 まだまだ未熟な一年生の段階では、勉強面はまだしも実技面ではまだ苦手を克服している生徒はほぼいない。しかも魔法実技は得意・苦手が血統や出自や生まれながらの才能で決まるものであり、苦手の克服はプロ魔法師でもできないこともある。

 

 しかし、文也はすでにすべての系統で高い水準を安定して出しているのだ。ここまでくると、「苦手がない」というよりも、もはや「すべての系統が得意」という領域にまでたどり着いている。

 

(こいつ、じゃあ、今まで手加減してたってことか)

 

 記載されている干渉力のスコアは、今の駿をはるかに超えている。今まで自身の『領域干渉』で対応できていたのは、文也が手加減していたからということになる。

 

 まさしく、今までやっていたのは、全く本気ではない「悪戯」なのだ。

 

 唖然と文也のスコアを見る駿の横で、同じく文也のスコアを見た講師が驚きの声を上げた。

 

「おお、井瀬はすごいな。もう今のまま受験しても余裕で一科生でも上位になるレベルだ」

 

 担当生徒のスコアということでそれを記録しながら、その講師は感心のあまり独り言を続ける。

 

「これは七草さんと同じ水準だ。逸材だぞ」

 

(さ、七草家と同じ……?)

 

 この塾の講師は大変優秀なため、塾内だけでなく各名家の家庭教師もしている。そしてこの講師は特待クラスの実技を担当しているだけあって、十師族からもお呼ばれされている。今年は七草家の長女が受験の年ということで、その長女の家庭教師をしているのだ。

 

 駿は百家支流の一人息子なので、魔法界の権力事情もある程度知っているからこそ、その言葉に驚いた。

 

 魔法で有名な一家は、その一家の特徴に合わせて二つ名で呼ばれる。

 

 例えば先日の佐渡侵攻事件で武勇を誇った一条家はお家芸の魔法名をそのままとって『爆裂』と呼ばれ、十文字家は『ファランクス』から『鉄壁』、十三束家は『錬金』、千代田家は『地雷源』、千葉家は『剣の魔法師』と呼ばれている。

 

 そして七草家は、これといって突出した魔法はないが、逆に苦手な魔法がないことから『万能』の二つ名で呼ばれる。しかも苦手がないだけならば器用貧乏になるかもしれないが、七草家の場合はそうではなく、すべてが高水準というまさしく『万能』なのだ。

 

 そんな七草家の長女と同じ水準に、文也はたどり着いているという。

 

 これがもしほかの人物が言った言葉なら「いやまさか」と話半分に聞き流していた。

 

 しかしこの講師はその七草家の長女に今まさしく教えていて、さらに印象だけでなく数字で示された文也のデータを見て、さらに誰かに聞かせる目的のあるようなものではない独り言という本音でそう言ったのだ。信じざるを得ない。

 

「なんてやつだ……」

 

 駿は文也のスコア詳細に視線を戻し、細かく目を通しながらつぶやく。

 

 文也は、すでに今の自分たちとは比べ物にならない存在になっている。

 

 そのことに駿は愕然とし――そして、悔しさがこみあげてきた。

 

 今はまだ敵わない。魔法式構築速度でしか勝っていないし、その差もぎりぎりだ。

 

 だが、努力を積み重ねて、必ず追いついて見せる。

 

 やる気のない悪戯小僧に完全敗北させられた駿は、それによってやる気をたぎらせた。

 

 そんな駿がこの後挑んだ魔法力の計測は、駿の人生で最高のスコアをたたき出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也が入塾してから一週間半、すでに駿は文也のせいですっかり気疲れしていた。

 

 そんな夏休みももうすぐ終わろうかという時期になって、駿たち魔法実技特待クラス生は、いつもの三軒茶屋校ではなく、川崎に向かっていた。

 

 夏休みももうすぐ終わりということで、その長期休みの成果をもっと本格的な設備で試してみよう、ということで、川崎沿岸部にある魔法訓練場に行くことになったのだ。

 

 そしてその訓練場は、偶然森崎家が運営し管理する訓練場だった。駿はすでに何回か出入りしており、もはや目新しさも何もない。現地集合だったので通いなれたルートで行ったところ、集合時間より無駄に早くついてしまった。

 

「さてどうしたものか」

 

 絶対に間に合うために相当余裕をもって行くいつもの癖が出てしまった。いつもの場合は、早く着いたらその分練習すればいいし、遅刻をすれば教官に鬼のしごきを受けるので早く出る癖がついているのだ。

 

 しかし今回はいつもの『森崎』としてではなく『三軒茶屋校』としての利用であり、いくら森崎家たる駿でも『三軒茶屋校』として利用する以上は先に練習する、というわけにはいかない。

 

 よってどこかで時間をつぶさなければならないのだが、あいにくながらこの辺の時間がつぶせそうな場所には詳しくない。通いなれた場所ではあるのだが、訓練前は焦って訓練場に向かうし、訓練が終わった後は疲れて周りで遊ぼうという気にもならないので、案外この周辺のことは知らないのだ。せいぜいが治安が悪く遊興施設が軒を連ねる繁華街と色々失敗した海浜公園があるということしか知らない。

 

 結局駿は、遊興施設があるならそこで暇は潰せるだろうと考えて繁華街に向かう。ただしこうしたところで遊んだりはほとんどしないため、特定の施設には入らず、繁華街の中を散策することにした。

 

 そしてそんな散歩を続けていると、盛り上がっている中心部からやや外れた人気が少ないところに出た。前評判通り目つきの悪い青年たちが趣味の悪い(と駿は思っている)服を着て道端のあちこちでたむろしている。

 

(ふーん)

 

 そんな様子を見て、駿は内心で彼らを見下す。

 

 駿からすれば、彼らは自業自得で社会から逃げ、その八つ当たりと逆切れを社会に行い、同じような連中で集まって傷のなめあいをしている無価値な者たちでしかなかった。

 

 家庭環境や育った環境を多少考慮に入れるとしても、あの年齢になれば自然とどうすべきかわかるころであり、それから目をそらして身体的にも精神的にも楽な道へと逃げた連中。

 

 そうした『不良』と呼ばれる集団を見て、駿の脳裏には、彼らと同じくらい目つきが悪い小さな少年の姿がよぎる。

 

 ルールを破り、真面目に勉強や練習に向き合わず、社会に適合しようとする気すらなく、周りに迷惑をかける。

 

 駿から見た文也は、その能力以外はまさしく彼ら『不良』と同じようなものだ。むしろとびぬけた能力を持つからこそ余計に質が悪いかもしれない。

 

(……思い出すと胃が痛んできたな)

 

 駿はさりげなく胃のあたりを抑えながら周りを見渡す。文也と会ってから、日に日に胃の調子が悪くなっていている。そろそろ支障が出るレベルであり、この後の魔法練習に悪影響があってはいけないから、どこかで胃薬でも買おうとした。

 

 そんな彼の視界の端に、気になる光景が映った。

 

(なんだ?)

 

 その方向へ視線を戻す。

 

 そこでは、見覚えのある女子が、不良たちに羽交い絞めにされて抵抗空しく裏路地に連れていかれていた。

 

「五十川?」

 

 駿はその女子の名前をつぶやきながらそちらに駆け出していく。

 

 連れていかれた女子は、魔法実技で同じ特待クラスの五十川だった。

 

 明らかな異常事態に、駿の体は勝手に動いていた。警察に連絡するべきなのだが、駆け付けるのを待っていては、取り返しのつかない被害が発生する恐れがある。それに駿は、自分の荒事の腕に自信があった。そこらの不良数人なら余裕で相手できる。

 

 駿がいた場所から五十川が連れていかれていた場所はそれなりに離れている。猥雑な繁華街だが、たまたまこの間の見通しが良かったのは幸いだ。

 

 数十秒かけて全速力でそこに向かっている間に、駿の敏感な聴覚がプシュ、プシュ、という音を捉える。

 

(いよいよ普通じゃないな)

 

 駿はこの音を知っている。サプレッサーをつけた銃器の発砲音。音がする場所は、五十川が連れ去られた路地裏だ。

 

(死んでなければいいが)

 

 急所に当てられていなければ、今から駿が救出して早急に手当てすれば間に合う。

 

 駿はついにその路地裏にたどり着き、ゆっくり覗き込んで様子を確認することもなく飛び込んでCADを構える。

 

「おい、何をしている!?」

 

 ゆっくり覗き込んで慎重に様子を確認しては、手遅れになる場合がある。ここは多少自身が危険でも、姿をさらして威嚇し、敵の行動を止めるべきだ。

 

 路地裏の中には、四人の不良と五十川がいた。五十川は涙目で二人に押さえつけられており、それを見下ろしていた一人は駿が見覚えがあるCADを持っている。五十川から奪ったのだろう。そしてサプレッサーがついた拳銃を持った男はその銃口を五十川に向けていた。その不良たちは、共通して極彩色の目に悪そうなリストバンドをつけている。

 

 駿の観察眼が一瞬にして情報を吸収する。

 

 五十川は押さえつけられていて着衣の一部に乱れがあるが怪我はない。乱れ方は、性的暴行をしようとしたというよりも、押さえつけられながら暴れたり、CADを探られたりした結果に見える。そして五十川が押さえつけられていた道路には弾痕が二つ、五十川の傍についている。位置的に見て、実際に撃とうとしたわけではなく威嚇射撃だろう。

 

「あんだあてめぇ。中坊か」

 

「ぴっかぴかの一年生だ。今すぐ抵抗せず、大人しく武器を捨ててその女の子を開放すれば穏便に済ませてやるがどうする?」

 

 そこらの不良にしてはドスの効いた迫力のある声で問いかけられるが、駿は動じずに要求を突きつける。こちらが有利であると見せつけるためにあえて挑発的だ。

 

「ちっ、魔法師が調子に乗りやがって!!!」

 

 駿のCADを見てさらに挑発に乗せられた一人が手に持っていた拳銃を駿に向けて引き金を引く。魔法の効果が出るのと銃弾がこの距離で届くのとでは、通常は銃弾のほうが速く、不良のほうが有利なのだ。

 

 不良はそう瞬時に判断し、油断しきっていた。

 

 しかし、駿は、こと魔法の速さという点では、普通ではないのだ。

 

「ぎゃああああああ!!!」

 

 不良が拳銃を手放し、その手をもう片方の手で押さえながらのたうち回る。手放した拳銃は見るも無残に破壊されていた。

 

 駿はその銃のサプレッサーの先に、触れた移動物体のベクトルを真逆にする仮想領域を構築する『バウンド』を使用した。結果、放たれた銃弾は銃口の先で速度を保ったまま移動先を真逆にし、持ち主の襲い掛かった。

 

 それを見てほかの不良たちは唖然とするが、その隙を黙って見逃す駿ではない。

 

 駿は「やっぱり所詮不良か」と呆れながらその四人を魔法で気絶させると、歩み寄って五十川の無事を確認しようとする。

 

「おい、だいじょ――」

 

 そんな駿の耳に、こちらに駆け寄ってくる足音が入ってきた。

 

 まさか増援か?

 

 そう思って足音が聞こえてきた方向にCADを構えてにらむ。

 

 どんどん足音が近づいてくる。おそらく一人だ。

 

 駿が若干緊張しながら気を張ってにらんでいると、その足音はいよいよはっきり聞こえてくるようになり、路地の先にその影が現れる。

 

 駿はそこに現れた人物を即座に観察した。

 

 目つきが悪い。これだけ見ると不良の仲間だ。

 

 しかし、駿はすぐに気が抜けてCADを下ろす。向こうも警戒していたようだが、裏路地の様子を見て落ち着いたようだ。

 

「なんだ井瀬か」

 

「なんだとはなんだ森崎。魔法発動の気配がしたから来てみたけど……そういうことか」

 

 走ってきていたのは井瀬だ。魔法に敏感らしく、駿が行使した魔法を察知して確認しに来たらしい。

 

 真夏だというのに長袖長ズボンの文也はポケットに手を突っ込みながら悠然と裏路地に入ってくると、その様子をしげしげと観察し、口角を上げた。

 

「なんだ森崎。魔法使いの王子様が助けにきたってか」

 

「そんなんでもない。いいから警察を呼んでくれ」

 

 二人はすっかり気を抜いてのんびりと話しながら各々の作業をする。文也は気絶している不良をビニールテープでぐるぐる巻きにして、駿は再起して襲おうとしてきた銃を持っていた男の顔面を蹴飛ばして撃退する。

 

「あ、あの……あ、あ、ありがとうございます」

 

 文也が落ちていたCADを拾って渡し、駿が腰が抜けていた彼女を手を貸して立ち上がらせると、五十川はようやく口を開き震える声でそう言った。

 

「どういたしまして」

 

 駿は少し照れながらそう返すと、にやにやしながら見ている文也を睨む。

 

 それを受けた文也は肩をすくめると、そのまま口を開いた。

 

「森崎はそいつを送っていけ。俺はちょっと気になることがあるから、こいつらと『お話』してくる」

 

「何が気になるんだ?」

 

 別に自分が送っていくのはやぶさかではないのだが、文也がなぜそんなことをするのか気になる。ただの不良集団がイケナイ場所に迷い込んだ女の子を襲ったという事件であり、通報してしまえばあとは全部警察の領域だ。わざわざ文也が不良たちに何かを聞く必要はない。

 

「あー、こいつらがつけてるリストバンドあるだろ? これ、ヤのつく自称自営業一家が背景にいる反魔法師団体の印なんだ」

 

「……そういうことか」

 

 駿は一応納得したが、それならなおのこと警察の領域のような気がする。

 

「それと、警察には通報しない。これは大きくするのは良くない案件だ」

 

「は? どういうことだ?」

 

 文也が何かを聞きたいのは勝手だ。反魔法師団体ということは、当の魔法師である文也ならば気になることだし、文也の出自は不明だがあの才能と知識量からして『普通でない』魔法師の家系だろうから色々事情もあるのだろう。

 

 しかし警察に通報しないというのはさすがに理解できない。そうする理由がないからだ。

 

 駿が怪訝に思っていると、それへの答えは、文也からでなく、駿が支えている五十川から返ってきた。

 

「そ、その……警察には、通報してほしくないの。い、家のこともあるから、あまり大事にすると……」

 

「……なるほど」

 

 五十川の言葉を聞いて、駿はそうとだけ言って内心で深い溜息を吐いた。

 

 駿自身の家も相応にしがらみはあるが、百家本流のしがらみは駿の想像以上のようだ。若い女の子が暴漢に襲われたというのはそれだけで悲しいことに悪評になるし、それは未遂でも変わらない。邪推をするような人物はどの時代、どの世界にもいるものだ。はたまた、未熟と言えど百家の娘が不良の集まりに負かされたというのを気にしているのだろうか。確かにそれは軍事的価値の側面が強い魔法師の名家としては公開されたくない事実だろう。

 

「わかった。じゃあ俺は五十川を送っていくから、お前は好きにしろ」

 

「おう。なんかあった時のために連絡先交換すっか?」

 

「そうする」

 

 お互いに端末を取り出して連絡先を交換する。

 

(まさかこいつと連絡先を交換するなんてな)

 

 世の中何が起こるかわからないものだ。この悪戯小僧と連絡先を交換することになるなんて、夢にも思わなかった。

 

「じゃあ言ってくる」

 

「おう」

 

 駿は五十川を連れて人通りが多い場所へ、文也はあとから気絶させておいた銃を持っていた男を担いでどこかへ、それぞれ反対方向へと裏路地を出ていった。



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3-優等生と悪戯小僧-4

「あのベンチを選んだのは失敗だったな」

 

 文也はつい独り言で不満と後悔を口にする。

 

 二人が座っていたベンチから一番近いトイレまでは相当歩く。漏れそうというわけではないし余裕で間に合いそうだが、単純に歩いて戻るのが面倒くさい。

 

 そんな道中、脱いだ帽子を指先でくるくると手慰みに回しつつ漫然と周りを見ながら歩いていると、ふと目についた建物があり、思わず足を止めた。

 

「……そっか、あそこ、建て替えたのか」

 

 それは何の変哲もない、カラオケとゲームセンターが入った複合アミューズメント施設だ。しいて特徴を挙げるとすれば、周りの建物よりだいぶ新しく見えるというくらいだが、この商業施設の出入りが激しい場所では、気合の入った新規参入企業による本格的な建て替えはしばしば行われる。

 

 だがしかし、文也はその建て替えの意味を知っている。

 

 何せ、この建て替えのきっかけを作った人物の一人が、彼自身だからだ。

 

 文也はなんとなく過去の思い出を振り返りながら、まだまだ遠い公衆トイレを目指してまた歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい森崎。ちょっと来てくれ」

 

『わかった。五十川は他の塾生に預けたからすぐに行く』

 

 光がほとんど入らないビルとビルの隙間で、文也は先ほど連絡先を交換した駿に電話をかけていた。その足元には、先ほどの不良が白目をむいて転がっている。

 

 場所を伝えてから通話を切り、その不良の体をまさぐって何か持っていないかを改めて確認する。見つけた財布を抜き取り、中身を確認しても、名前や身分がわかるようなものは入っていない。中学生が一日中豪遊できるぐらいの金は入っていたが、いまさらこの程度の金額は文也にとってはどうでもいい。

 

「さて、参ったね、こりゃ」

 

 文也は財布を投げ捨てながら、腰に手を当て、その不良を見下ろしながらつぶやく。

 

 人気のない場所に連れ込み、口に布を詰め込んで叫べないようにしてからちょこっと乱暴な『交渉』を行い、情報を聞き出した。普通なら別に何しようが自分に危害が及ばなければどうってことはないのだが、ここ川崎でかつ対象が対象なので黙っているわけにはいかないのだ。

 

(森崎家の協力が取り付けられるといいんだけどなー……)

 

 ブレスレットから察していたが、だいぶ厄介で物騒な案件になりそうだ。しかも、今日動かなければならない。自分がここ川崎に来てるタイミングでしかもこんなことを知ってしまったのは、幸運なのか不幸なのか。どちらなのかはわからないが、これは偶然ではなく必然のようであることは確かだった。

 

 色々考えながら不良の顔にマジックペンで落書きして遊んでいると、しばらくして駿が駆けつけてきた。

 

「……なにやってるんだ?」

 

 わざわざ走ってきたらしい駿が、多少息を切らしながら問いかけてくる。何をしているのかと思えば、不良の顔に落書きをしているのだ。まさかこれを見せるために呼んだのか? とすら思っているだろう。

 

「おう。今さっきちょこっとお話ししたんだけどよ。思ったより話が大きいみたいだ」

 

「どういうことだ?」

 

 駿が問いかけると、文也はしゃがんで倒れている不良の手首を掴んでぐいっと持ち上げ、駿に示す。

 

「この趣味の悪いブレスレットあんだろ? これ、反魔法師団体のシンボルマークなんだよ」

 

「は、反魔法師団体?」

 

 文也の言葉に、駿はオウム返ししかできない。ただの不良だと思っていたのだが、どうやら事情はそう簡単ではないらしい。

 

 駿が混乱しながらも目で話の続きを促すと、文也は腕を持ち上げたまま話を続ける。

 

「この目にも悪いし趣味も悪いブレスレットは、反魔法師市民団体、自称『イコール』のメンバーがつけるやつだ。こいつらはその団体のメンバーで、こいつが持ってた銃もその組織から支給されたものだって教えてくれたよ」

 

 文也は説明を終えると、ブレスレットを見せる必要がなくなったためその腕を離す。乱暴に落とされた不良の腕がコンクリートの地面に当たって痛そうな音が鳴ったが、そんなことを二人は全く気にしないで話を続ける。

 

「……なるほど。妙だと思ってたんだ。送る途中、五十川からなんであんなところにいたのか聞いたんだよ」

 

「ほー」

 

 駿はその話を聞いて、釈然としないことがようやく理解できた。

 

 その五十川の話を聞いていない文也は、興味ありげな態度で話を聞きたそうな相槌をした。

 

「あいつも早く着いてしまったみたいで、暇つぶしがてらに散歩をすることにしたそうだ」

 

「へー。でもなんでまたこんなとこなんだ? 大人しそうだけど」

 

「どうやら方向音痴らしい。で、繁華街に来るつもりはなかったんだけど、歩いているうちに繁華街の中に迷い込んだそうだ」

 

「案外ドジだな」

 

 文也はヘラヘラ笑いながら口をはさんだ。五十川は百家本流で、魔法の腕もお勉強もなかなかのものだが、会って一週間と少ししか経っていない文也でもわかる程に、なんというか、どんくさいのだ。塾入り口の段差に躓く姿を目撃したこともあるし、授業中に当てられたら毎度毎度一瞬パニックになる。数学などの計算で凡ミスをするのも日常茶飯事だし、喋るのも遠慮がちでスローペースだ。毎日黒系統の地味な服を着ていて、野暮ったい古風なおさげと目が隠れるほど伸びた前髪、いつも俯き加減で暗いイメージであり、かつスマートな体型が多い魔法師だというのに、ちょっとぽっちゃりしている……という見た目が、どんくさい印象をなお強くしていた。人一倍凡ミスが多いのに成績トップクラスだというのは実は驚くべき事なのだが、それに気づくほど文也は彼女に興味はない。

 

「口を挟まないで黙って聞け。……で、人通りの少ないところはさすがに怖いから避けようとしたんだけど、『お前魔法師だな?』って声掛けられて、うっかり返事をしたらいつの間にか連中に囲まれてたらしい。そのまま力づくで連れ去られたんだけど、その時に『化け物が調子に乗りやがって』とか『その程度で特権とかふざけんな』みたいな文句も言われたそうだ」

 

「なるほどな。遊ぶ金欲しさとか、狼の巣にか弱い子羊ちゃんが迷い込んで襲われるっちゅう薄い本みたいな話じゃなくて、やっぱそういう事情があったのか」

 

 文也は腕を組みながら軽い調子で頷くが、駿は文也の目つきに気づいた。普段から目つきは悪いが、軽い態度とは裏腹にその目はより険しくなっている。

 

「なあ森崎。さっきこいつから聞いたんだけどよ。かなりマズいぜ」

 

「なんなんだ?」

 

 文也は軽い調子をすっかりひそめ、急に険しい声で話し出す。駿もそれにつられ、軽く考えていた心を引き締めて続きを聞く構えに入る。

 

「さっきの話だと、こいつら、どこから話を聞きつけてきたのか知らんけど、どうやらこの周辺の魔法施設に今日テロ行為を仕掛けるつもりらしい。あの誘拐は、そのテロから注意をそらす陽動だ」

 

「は? て、テロだって?」

 

 そんな文也の口から出たのは、駿が想像していたよりもはるかに物騒な話だった。

 

「こいつらの組織が武器を持ってこの近辺にある魔法組織を一斉に襲撃する計画らしい。実行は今日の夕方。計画で言えば、ぎりぎりまでアジトに籠って、一気に駆けつけて急襲する作戦だそうだ」

 

「ま、魔法施設……じゃ、じゃあうちも!?」

 

 駿が思い浮かべたのは、森崎家が運営する魔法訓練施設だ。そこは、今日はたまたま文也たち特待クラスが魔法の練習をする場所でもある。

 

「ああ、そこも対象だ。俺らが来るってのをどっかで知ってて、若い優秀な魔法師をまとめて殺すつもりらしい。襲撃対象施設は、森崎家の魔法訓練施設、魔法塾川崎海浜校、魔法科学研究所川崎支部、マジカル・トイ・コーポレーション川崎工場の四つだ」

 

 そんな駿に、文也は指を四本立てて、内心がばれないように声を抑えて説明をした。

 

(ほんと参ったな)

 

 駿に説明しながら、文也は内心で溜息を吐く。

 

 別に魔法設備がテロリストに襲われようがどうってことない。すぐに鎮圧されるのがオチだし、仮に上手くいかなくて施設側に死者が出ても、文也にとっては『どうでもいい』ことだ。訓練施設が襲われるというのは文也自身の危機でもあるのだが、もう知ってしまったのだから、何も考えずにとりあえず通報だけして、文也自身はさっさと先に逃げてしまえばよい。

 

 しかし、先ほど聞き出した襲撃対象の中に、見過ごせない施設があった。

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』はCADを中心とした魔法関連の開発会社で、文也の父親である文雄が働いている。小規模な会社ながらその開発力はピカイチで、フォア・リーブス・テクノロジーと並んで日本発の魔法産業界を引っ張っている。表向きは文雄は開発部の一人だが、その実この会社の大黒柱である魔工師『キュービー』で、文也もこの年でその会社の開発に関わっている。そろそろもう一人の魔工師として適当なニックネームをつけて世に発表してもいいころだろう。

 

 そんな会社の工場が襲撃される、というのは、文也としてもさすがに見過ごせない。襲撃されれば人的被害や物的被害が出るし、仮にそれが防げても世間のイメージが暗くなるので、経営に悪影響が出てしまう。別に文也や文雄が経営者というわけではないのだが、それは表向きの話だ。実際は会社経営は表向きの社長である文雄の友人(大学のサークルで同級生だったらしい)と文雄が行っており、井瀬家は従業員としての被害だけでなく経営者としての被害も負うのである。

 

「じゃあやっぱ、警察に連絡しないと。場合によっては国防軍も出動するぞ」

 

 混乱から立ち直った駿はそう言いながら携帯端末を取り出す。それを見た文也は、駿にまったをかけた。

 

「森崎、通報はよした方がいい。大事になるのはまずい」

 

「なんでだ? 五十川の件は上手く誤魔化して、色々あって襲撃計画を知ったことにすればいいだろ?」

 

 駿の言い分はもっともだ。不良に襲われたという程度ならまだ本人が隠したいというのなら仕方ないが、反社会団体による大規模テロ計画となるとそういうわけにはいかない。

 

「魔法師社会のイメージの問題だ。この件では魔法師はどう考えても被害者だが、世の中にはそう見てくれない厄介な連中もいる。『この超大規模テロ事件は魔法師がいてそれが特権を得ているから起きたことで、魔法師がいなければこんなことは起きなかった』とか抜かして魔法師のイメージダウンを狙うやつもいるだろうさ」

 

「さすがにそんな馬鹿な連中の言うことは世間も聞かないだろ?」

 

「まあ実際聞かないだろうな。でも、反魔法師同士でその主張を共有されれば、エコーチェンバーってな具合で思想と活動が過激化する恐れがある。そうなると、より大きな事件を誘発する恐れがあるんだ。頭が危ない連中ってのは、危ない出来事を見たら、奮起してもっと危ないことをするもんだ」

 

「……なんだか矛盾してるな」

 

「そんなもんさ」

 

 文也の言葉は、まさしく詭弁であり、それは文也も自覚している。

 

「魔法師がいるからこんなことになった。やっぱ魔法師は悪だから排除行動を起こす」という反魔法師側の論理を警戒するように文也は言ったわけだが、そもそも「こんなこと」はまさしく今回計画されてる魔法業界へのテロ行為である。つまり、この文也が警戒させようとした論理は「魔法業界へのテロ行為を防ぐためにより過激に魔法業界を攻撃しよう」という論理であるため、始めから終わりまで矛盾しているのだ。

 

 その矛盾は駿もすぐに気付いて釈然としない様子だが、まだ混乱から完全に復帰していないというのもあるし、『テロ計画』という非リアルに直面しているため、リアリティの欠片もないネガティブな未来予想図も「そういうこともあるかも」と思ってしまう。

 

 当然、当の文也はこの論理なんか全く警戒していない。さすがにありえないだろう。

 

 それでも、文也はこの件を大事にしてほしくない。実際に襲われても『マジカル・トイ・コーポレーション』の不利益になるわけだが、さらに言うと、襲撃計画が明るみに出てそれが実行まであと一歩だったということだけでも不利益なのだ。

 

 それに、魔法のイメージが悪くなるような大事件があるというだけで、文也としては悲しい事態につながってしまう。

 

 文也は別に自分と大切に思う人以外がどうなろうが、それこそ死のうが怪我しようが知ったこっちゃない。

 

 しかし、その出来事によって、魔法界を忌避したり、魔法師になることを避けようとしたり、避けさせようとしたりする動きは少なからず発生するのは文也にとっては良くない。

 

 魔法は、楽しい。

 

 こんな楽しいことがあるのに、それを世間が避けようとしたり関わらないようにしたりするのは、文也からすればもったいないことこの上ないのだ。大人が避けてしまうのは自分の意志だから仕方がないが、「子供」は自分の意志でなく、大人たちの意志で遠ざけられてしまう。それは文也からすればあまりにも不本意だ。

 

 他人の危険はどうでもいい。魔法を人々に楽しんでほしい。

 

 文也の心には、あまりにも自分勝手な二つの意志が矛盾しつつも生きているのだ。

 

 そんな文也にとって魔法師を標的とした反魔法師団体のテロ事件というのは絶対に防ぎたい。さらには計画の存在すら握りつぶし、何事もなかったかのようにしたいのだ。

 

 そうして文也は駿を表向きの理由で説得し、警察沙汰になるのを避ける。

 

「じゃあ井瀬。警察に頼らないで大事にしないとしたら、実際どうするんだ? まさか、このまま放っておくとか説得しに行くとかじゃないよな?」

 

 しかしやはり釈然としない駿は、強い語調で文也に尋ねる。ここまで言うからには、何か案があるに違いない。

 

 そう思っての問いかけに、文也は内心でほっと胸をなでおろしつつ、自信があるように見せるために、また心の底からの自信で、口角を上げて答える。

 

 

 

 

 

 

 

「簡単だ。アジトの場所も聞き出してる。俺らでぶっつぶせばいいだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駿としてはとんでもない計画という他なかったが、結局強引に押し切られて参加する羽目になった。駿からすれば大事にしないのは諦めて、警察や国防軍や公安や数字付きなどの魔法組織に頼ったほうが絶対良い。いくらなんでも、魔法施設に一斉テロ行為を仕掛けられるほどの人数と組織力と武装を持つ集団が集まるアジトに少人数で乗り込んでこっそり制圧するなんて無理な話だ。

 

 それでも乗ったのは、いろいろ根回しして集めた突入勢力が、駿が信頼できるほどのメンバーだったからだ。根回しには全力で協力はしたが、満足いくほどの準備ができないようだったらすぐに警察に頼るつもりだった。

 

 そうして、文也と駿でそれぞれ思いつく限りのコネを駆使して文也が示した方針に適う協力者を募った。

 

 まず駿は自分の父に直々に連絡して森崎家運営の訓練場の警備をさりげなく強化させ、また緊急出動できる部下たちを変装させて魔法科学研究所川崎支部周辺に待機させた。父は当初やはり警察や軍に通報しないのをいぶかしんだが、なにやら思うことがあるようで最終的に賛成してくれた。

 

 また駿の手で五十川を保護してもらった時に連絡先を交換した講師に事情を話して、彼を通じて塾長の三十尾に連絡をし、特待クラスの生徒たちは家に帰らせ、さらにその三十尾に魔法塾川崎海浜校にも連絡を入れてもらい、達人ぞろいの講師たちに警戒に当たらせ、また適当な嘘をつかせて授業を中止にして生徒を帰らせた。三十尾家の影響力は魔法塾界隈では強く、川崎海浜校は素直に対応してくれたらしく、駿の想定以上に話はすんなり進んだ。

 

 そして突入勢力に名乗りを上げたのが、駿たちが訓練場を使いに来るということでわざわざ川崎に来ていた、森崎家の当主で駿の父親である森崎隼(はやと)その人だ。駿としては教官が一人来るものだと思っていたのだが、まさか父親自らが出てくるとは思わなかった。

 

「こんな話、よく信じたな、親父」

 

「お前が言うのならそうなのだろうと思ってな」

 

 突入部隊で顔合わせをしているとき、駿がそう言うと、厳格な父親は何かを考えているような顔をしながらそう答えた。駿は父親から信頼されていることをたったこれだけのやり取りで感じ、感慨と責任感を覚える。

 

 また、魔法塾からも参加者が出た。それも塾長たる三十尾本人だ。

 

 本当は特待クラスの講師が出動する予定だったのだが、「我が塾の生徒を狙う悪漢を許すわけにはいかない」と三十尾本人が立ち上がったのだ。

 

 駿がこうした協力を取り付けた中、文也もいろいろと連絡をした。

 

 まず父親に連絡をして工場の警備を固める。工場とは言ってもそこで働く作業員は全員魔法師だ。罠や警備設備も過剰なほど用意してあるため、反社会団体のテロ行為くらいなら余裕で退けられる。

 

「さて、まずみんな、集まってくれて感謝する」

 

「君が井瀬君だね。駿から聞いているよ」

 

 そうした準備を経て、主導者である文也がそう話すと、隼が文也にごつごつした大きな手を差し出す。

 

「ああ、そうだ。森崎の親父だな? 今回は息子さんにも含めて世話になるぜ」

 

「うむ。大騒ぎになるのは私も避けたい。君がいなければ魔法師社会は大きな損害を負っていただろう」

 

 文也がそれを握りながら礼を言うと、隼は握り返して参加した理由を答える。

 

 この川崎は森崎家の訓練場があることからもわかる通り、地域警護を担う一族の一角が森崎家だ。その担当地域でテロ行為が起きようものなら、それで死傷者がゼロだったとしても、「起きてしまった」時点で信用失墜になる。ボディーガードが専門なのでこちらから打って出るのは苦手なのだが、それでも積極的に参加することにしたのだ。

 

「さっき構成員の一人にちょっとばかし乱暴ながら『お話』してもらったんだが、今回イコールが根城にしているのはこのビルだ」

 

「ふむ、なるほど。この辺りは店の出入りが激しいから中々監視が行き届いていなくてな」

 

「無理もないさ、急拡大した連中だ」

 

 文也が三人に端末で示したのは、繁華街から少し離れたところにあるビルの一つだ。猥雑な繁華街のため、店の出入りが激しく、森崎家のおひざ元でありながら中々監視が行き届かないというのが実情だ。

 

 そしてここはもともと社会への不満と若さと時間を持て余す不良が集まる場所であり、彼らの敵意を魔法師に向けて取り込むことで、『イコール』は急拡大した。そのため余計見つけづらく、こうした大規模テロ一歩手前まで来てしまった。大事になれば森崎家の失墜は免れないので、多少無茶な作戦でも隼としてはなんとしても秘密裏に片づけたい。

 

「イコールの裏には、おそらくブランシュとかが絡んでると思ってる。イコール自体は新興組織だが、手口がいくらなんでも慣れすぎだな。大規模な反魔法師団体が裏で糸を引いているに違いない」

 

「で、このテロを境に全国の反魔法師組織で呼応してさらにデカイことやろうってことだな」

 

 三十尾が百家本流の力を駆使して短時間で調査をした結果を話すと、文也は肩をすくめてわざとらしくやれやれといった動作をする。不良を集めて急拡大させたこの集団は、いわば盛大な捨て駒というわけだ。同情はしないが、哀れな存在ではある。

 

「それと、これは私が参加した理由なのだが……」

 

「わかってるさ。不良たちはなるべく殺さないしケガさせない、だろ?」

 

 そんな会話に続いて遠慮がちに口を開いた三十尾に、事前に事情を聞いていた文也がその理由を述べる。

 

 三十尾の立場からすれば、普通はこの件は大事にしても問題ない。三十尾家自体は百家でありながら特定の地域の監視もしていないし、どこでテロが起きようが一家の失墜はない。

 

 しかし、今回の件が大事になるのは、『教育』に力を入れる三十尾家にとっては良くないことだ。

 

 イコールの主な構成員は、社会からあぶれてしまった若い不良たちだ。彼らは、自業自得な面が強いが、社会からもはじき出され、逃げ込んだこの川崎という街でさらに悪だくみする大人たちに騙されるような形でこのテロに参加している。

 

 この件が大事になれば、魔法師社会だけでなく、この「不良」というグループにもより一層冷たい目が注がれることになる。そうなれば、まだ若くて更生や償いが可能である若者たちの未来は、より厳しいものとなってしまう。

 

 確かに、彼らは自業自得だ。しかし、大人が、教育者が、もっとしっかりしていれば、もっと理想的な制度を整えていたら、もっと良いな社会にしていれば、彼らは社会からはじき出されなかったかもしれない。

 

 魔法教育だけでなく教育そのものにも力を入れる三十尾家にとっては、不良たちもまた未来ある若者であり、守り育てるべき存在だ。

 

 そんな彼らの未来が閉ざされるようなことはあってほしくない。故に、大事にせず秘密裏に解決するため、また未来ある若者たちがこんなことで死なないために、こうして当主自らが出てきたのだ。

 

 文也からすれば全くどうでもいいことなのだが、百家本流の当主が参加するというのならこの程度の条件は飲んでも良い。魔法と言う「楽しい」ものを消すためにテロ行為をするということは文也にとってはいかなる理由があっても許せず、手加減するのも面倒なので全員殺してしまってもよかったのだが、それよりも不殺にする代わりに三十尾が参加してくれる方が成功率が高いのだ。

 

「さ、じゃあ作戦会議をするぞ。まずは……」

 

 人通りのない汚い裏路地にある廃屋の一室に集まった四人の魔法師。突入作戦を成功させるべく、四人は額を突き合わせて話し合った。



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3-優等生と悪戯小僧-5

 文也はまだしばらく戻ってこない。駿は真夏の長い日が暮れかけた海を眺めながら、思わずあくびをした。水平線はなく、向こう岸があり、そこには無粋な工場が立ち並んでおり、景色としての美しさは微塵もない。この海浜公園に人気がない理由の一つだ。

 

「……あ、そうだ、忘れてた」

 

 何の気なしに退屈を紛らわすためにポケットをまさぐっていると、指先が固いものに触れる。駿は気の抜けた声で呟きながらそれを取り出した。

 

 小さなプラスチック製のおもちゃのような拳銃だ。これは先日の九校戦で、『モノリス・コード』に挑む際に文也から渡された、防御用の魔法が登録された専用CADだ。色々ごたごたしていたから借りっぱなしで、今日返そうと思っていたのだが、すっかり忘れていた。

 

 そして同時に思い出したのが、突然崩れた天井が迫ってくる光景だった。理不尽な事件によって自身を証明する機会を奪われ、崩れかけていたプライドがついに崩壊したあの出来事は、駿の胸に強く刻み込まれていた。

 

 そして、同じような経験を、実はすでに一度している。

 

 駿は少し自嘲気味な笑みを浮かべて、その時の記憶に思いをはせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「手はず通りいくぞ」

 

「おう」

 

 文也と駿は、正面口から突入した陽動役の三十尾に注意が引き付けられているうちに裏口から侵入した。隼は驚異的な運動能力を以て魔法を使わずビルからビルへ飛び移り、単独で屋上から突入している。二人はまだ中学生ということで、コンビで動き、またなるべく戦闘を避けるような役回りになった。

 

 二人が腕につけている端末にビル内部の人の動きが表示される。二人はそれを参考にしてこっそり侵入し、また必要に応じてこっそりと中にいた不良たちを気絶させて中へと進んでいく。

 

「井瀬の父親はすごいな。こんなことができるのか」

 

「機械いじりが趣味なんだよ」

 

 二人はビルの中の敵の動きがわかるので、最低限の戦闘だけでスムーズに進むことができる。

 

 文也は連絡の際、工場の安全確保だけでなく、突入作戦の成功率を高める根回しも行っていた。本当は文雄を突入部隊に入れたかったのだがあいにく急に駆けつけることができる場所にはおらず、代わりに川崎工場からある機器が送られてきた。

 

 その機器はやや大型のドローンだ。自動制御で文也のもとにたどり着いたドローンは、現在屋上から侵入した隼の操作で、ビルの上空に浮かんでいる。

 

 そのドローンの効果はリアルタイムでの建物内部の索敵。魔法を一切使わず、赤外線や超音波やサーモグラフィーや生体センサーなどの探査機能を多種搭載しており、それらを同時に駆使することで、高速・高精度で建物内部の構造探査や索敵が可能だ。そしてドローンとペアリングした端末にその探査情報をリアルタイムで送信する。

 

 対象の建物の上空にずっと滞空していなければならないので破壊されやすく汎用性はないのだが、こうして建物内への急襲をする際には無類の効果を発揮するのだ。

 

(あれだけ連絡していたのに何も協力が来ないと思ったら、こんなのを持っていたのか)

 

 駿はあらかじめ場所がわかっていた不良を物陰から飛び出して魔法で気絶させながら内心で感心する。

 

 駿から見て、文也はかなり長いこと誰かと連絡していたようだが、これといった協力を取り付けられているように見えなかった。しかしこの探査ドローンの効力を体感すると、あれだけ長い時間かけて呼んだ甲斐があるように感じた。

 

 そんな風に予定よりもはるかに楽にことが運んだせいか、逆に不都合ともいえる結果が二人の前に立ちはだかった。

 

「どうしたものかな」

 

 二人がたどり着いたのは、ひと際豪華な木製のドアの前だ。探査によるとこの部屋だけ広く、中には二人ほど人間がいることがわかっている

 

「ボス部屋ってやつだな」

 

「不良よりは強いだろうから、俺らが入るのは止めておく予定だったけど……」

 

 事前の作戦会議で、不良たちが主な構成員だが、彼らを束ねる大人たちや、さらにその大人たちを束ねる人物もいることは予測していた。そしてその人物たちは、母体であろうブランシュまたはそれに準ずるような組織から派遣されてきているだろうことも予測できる。

 

 そして、このブランシュは大亜連合が日本の魔法国力を落とそうと送り込んできたスパイであるというのが国の予測であり、公安の監視対象にもなっているほどだ。今まで相手にしてきたそこらの不良のなれの果てとはわけが違う。おそらくプロのスパイであり、その実力も相応にあるだろう。

 

 そのことを考慮して、まだ中学一年生である二人は、それらしい部屋を見つけたら突入せず、隼か三十尾に連絡してそちらに突入してもらい、子供二人組は露払いに回る予定だった。

 

 そこで文也はそのドアや周りを警戒しながら携帯端末で三十尾に通話をかける。

 

「センセ、ボスっぽい部屋見つけたんだが」

 

『それはよかった。しかし、こちらはそれどころではない』

 

 そんな三十尾から返ってきた返事は、言葉こそ穏やかだが声音はだいぶ焦っている。

 

『子供だけかと思ったら、かなり腕のある魔法師がいた。勝てないことはないが、かなり時間がかかってしまう』

 

「おいおいまじかよ」

 

 そんなやり取りをしている横で、駿も父親と同じようなやり取りをしていた。

 

『手練れの魔法師が二人いた。このテロ計画、捨て駒だと思ったら思ったより「本気」だったらしい』

 

「どれくらいかかりそうだ?」

 

『怪我無し、となると、だいぶ時間がかかりそうだ』

 

(あの親父ですらそんなにかかるほどの相手なのか)

 

 駿は内心で愕然とした。

 

 駿から見れば父親は目標であり、絶対的な強者だ。そんな父親ですら相応の時間をかけなければならないとなると、駿自身ではまず勝てない相手だろう。

 

「どうするよ駿」

 

「井瀬、この部屋の報告だけしてここは撤退しよう。思ったよりやれる奴らみたいだ。俺らでは無理だ」

 

 井瀬の問いかけに対し、即座に判断をして、予定通りの撤退を文也に促す。ここまで引っ掻き回せばテロ行為ももはや不可能だ。最低限の目標は達成できている。時間さえかければ大人二人組も合流するだろうし、もう駿たちに大きな仕事は無い。ちなみに文也は普段は「森崎」と呼んでいるのだが、この突入作戦の時に限っては、文字数が少なくて済む「駿」と呼ぶことにした。駿からは「井瀬」も「文也」も変わらないのでそのままだ。

 

「よく考えてみろ。この中にいるボスを捕まえなきゃ、また別のところで起きるだけだ。あいつらを待ってたら逃げられるぞ」

 

「それでもいい。最低限今のテロは止められただろう。俺らがでしゃばるのはおしまいだ」

 

 扉の向こうに聞こえないよう小声で、ただし文也は語り掛けるように、駿は強い口調でそれぞれの主張を口にする。

 

 常識で考えると、駿の言っていることの方が正しい。今まで森崎家の一人息子として習ってきたすべての知識や事例に照らし合わせてみても、この二人で突入するのは無茶だ。とりあえずおひざ元でのテロさえ止められれば森崎家としては十分だし、常識的に考えてもこの少人数で大事になることなく未然に防げたのなら大金星だ。

 

 そんな駿の主張を聞いた文也は、なにか諦めたようにふっと息を吐く。

 

 納得してくれたか。

 

 駿はその様子を見てそう安心した。

 

 しかし、文也の口から放たれたのは、そんな安心と真逆の言葉だった。

 

「そうか、わかった。確かに無茶だな。じゃあ俺が一人で突入するから、お前は帰れ」

 

「なっ」

 

 思わず駿は絶句してしまう。

 

 文也は駿の言ったことを理解した。理解したうえで、もっと無茶なことをやろうとしている。

 

 確かに中学生が突入するには危険な状況だ。文也はそれを認めたうえで、拒否する駿を省いて、自分だけ突入しようとしているのだ。

 

(そんな滅茶苦茶――)

 

 動揺で一瞬空白になった脳内に、一気に感情が湧き出てくる。

 

 駿の言いたいことは違う。自分が危険だから自分が突入したくないのではなく、「自分にとっても文也にとっても危険だから、二人とも突入するべきではない」と言っているのだ。

 

 文也が一人で行ってしまっては、意味がない。むしろ、さらに文也の危険が増すだけだ。

 

 駿は思わず文也を睨みつける。その文也の顔は、もう決意に満ちていた。自分にかなりの危険があるのはわかっていて、それでも行かなければならないと決めているのだ。

 

(こいつ……)

 

 そしてそれは、負けると分かっていても行かなければならないというような表情でもなかった。

 

 危険は百も承知だが、一方で勝算の高い作戦がある、自信に満ちた顔だ。

 

 この自信に満ちた表情はこの数日で何回も見た。授業で難問を答えろと当てられた時も、少し難しい魔法を練習するときも、筆記でも実技でもランク付けされる時も、いつも文也に「不安」はなかった。

 

 そしてその不安のない自信は、そのままの形で結果となっている。

 

 ただの自信家ではない。事前に準備をし、今までの自分の積み重ねを信じているからこその「自信」だ。

 

 その自信に満ちた顔を見て、駿の心に湧き上がってきたのは「怒り」だった。

 

 まず湧き上がってきたのは、文也への怒り。いきなり現れて駿が積み重ねてきた成績や成果や実力を嘲笑うかのようにほぼすべての面で上回って見せた。しかも本人はそれを鼻にかけるわけでもなく、努力をしたということを誇示するわけでもなくヘラヘラとしている。川崎に来て急に呼び出されたかと思えばテロ事件を未然に防ぐという大きな出来事に巻きこまれる。しかも質の悪いことに、自分たちが動かなければ自分たちにとってもっと大きな被害が出ていたことは間違いなく、巻き込まれたことに文句を言うこともできない。そして巻き込まれてからも、文也は自分の言うことを聞こうともせず、自分の身だけを危険に晒そうとしていて、さらにそれでも高い勝算がある顔だ。

 

 そうして湧き上がってくるのが、駿への、自分自身への怒り。

 

 ここまで涼しく負かされ、なんの抵抗もなく巻き込まれ、そして最後は自分だけが安全な道を示され、文也は一人で突っ込もうとしている。

 

 どこまでも駿に主体性はなく、全部文也は駿を超え、文也が動き、そして終いには駿だけが危険のない選択肢を提示された。

 

 情けない。唐突に表れたどこの馬の骨ともわからないチビに、森崎家の一人息子として英才教育を受け不断の努力を積み重ねてきた自分が、こうも軽々しく「子ども扱い」されている。

 

「待て、井瀬」

 

 駿に背を向け、そのまま突入しようと汎用型CADの準備をしている文也の背中に声をかける。文也は振り返らない。駿の制止は、もう聞かないつもりだ。

 

 駿はそれから一度深呼吸をして、湧き上がる恐怖や不安を押さえつけ、もう一度口を開いた。

 

「お前ひとりにはいかせない。俺も行く」

 

 そう言った瞬間、文也はぱっと振り返り、驚いたような顔で駿を見つめた。

 

 ようやく意表がつけたか。

 

 全く場にそぐわない謎の満足感に苦笑しながら、駿はさらに続ける。

 

「お前の悪戯を、この一週間誰が抑えてきたと思ってる。お前のやんちゃを見過ごすなんて、この俺がするわけないだろうが」

 

 驚きで呆けた顔のままその言葉を聞いた文也は……数秒経ってようやく駿の言葉の意味が呑み込めたのか、いつもの口角を上げた悪戯っぽいものでなく、心の底から嬉しそうな晴れやかな笑みを浮かべた。

 

「ありがとな、駿」

 

 そう言うと、また口角を吊り上げたいつもの悪戯っぽい笑みに戻る。

 

 顔だけでなく体ごと振り返り、覚悟を決めた駿に正面から向き合い、手を差しだす。

 

 その時に少しまくれた長袖から、腕につけていたらしい幅広のブレスレットが見えた。

 

 なんのブレスレットだろうか、と少し気になりながらも、駿はその小さな手を強く握り返し、文也の顔を見て笑みを浮かべる。

 

 それを見た文也は、より一層口角を上げ、悪戯っぽいを通り越してあくどい笑みを浮かべ、口を開いた。

 

 

 

 

 

「やんちゃ坊主二人、悪い大人への真夏の反抗期と行こうじゃねぇか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だ、誰だっ!?」

 

「ひ、ひぃ!」

 

 合図と同時に一斉にドアを蹴破り、二人は突入してCADを構える。

 

 その音に驚いたのか、部屋の中にいた二人の小太りの中年男性は、窓際に立ってなにかやっていた途中で入り口のほうを一斉に振り返り、情けない声を上げた。片方は黒髪で、もう片方はわざとらしく染め上げた金髪だ。

 

「ハーイ、ナイスミドル。こんなにいい天気なんだ、引きこもってないで一緒に遊ぼうぜ」

 

 駿がにらみつける横で、文也はあくどい笑みを浮かべてまるで本当に友達の家に遊びに来たかのような軽い声で男たちに話しかける。駿がお手本のようにピシッと構えているのに対し、文也はリラックスしてCADを構えている。

 

 文也は声をかけながら、男たちの服装や何をやっていたかを油断なく観察する。真夏だというのに暑苦しい高そうなスーツを着ているが冷房が過剰なほど効いているためそう暑くはないだろうに、顔中に玉のような汗が浮かんでいる。そんな風に冷房が効きすぎている割には窓は開けられており、窓枠には太いロープの様なものがぶら下がっていた。

 

「逃げようとしても無駄だぞ」

 

 文也と同じく観察をしていた駿は、ほぼ同時に何をしようとしていたか結論にたどり着く。

 

 二人は、服装や大きなツボや壁に飾られたいくつもの絵画などの部屋の内装からしてこのビルのリーダーだろう。突然の侵入者の情報は当然受け取っていたみたいで、今から窓からロープを伝って脱走しようとしていたように見える。逃げるにしてはずいぶん遅いが、おそらく侵入者は隼と三十尾だけだと思っていて、まだ足止めできていると油断して逃げるのを先延ばしにしていたようだ。また文也と駿が彼らに報告が行く暇もなくイコールの構成員を気絶させて高速でここにたどり着いたため、余計に間に合わなかったのだろう。

 

「はは、おいおいなんだ、まだ子供じゃないか」

 

「今すぐ何も見なかったことにして、大人しく帰ってパパと遊んでもらってママの美味しいご飯でも食べて寝なさい。そうすれば見逃してやろう」

 

 顔に汗を浮かべておびえていた二人は、文也と駿の姿を見ると、すぐに安心して余裕のある笑みを浮かべて演技がかった手ぶりを交えてからかうようにそう言った。しかし動かしているのは左手だけで、右手は腰のあたりに構えている。

 

「お前らこそ大人しくお縄につけ。そうすれば捕まってからの多少の便宜は図ってやらないでもないぞ」

 

「不良どもを集めたテロごっこは失敗だったな。真夏の自由工作で打ち上げ花火を作るには頭が足りなかったようだ。上手いのは季節感だけだぜ」

 

 そんな男たちに対し、二人は当然ひるまずに言い返す。駿も文也に倣うように口角を吊り上げて嗤い、こちらの有利をアピールする。

 

「そうか。ならば仕方ない。やんちゃな子供を導くのも大人の仕事だ」

 

「おいなんか不良どもを扇動してテロ起こそうとした不良中年がなんか言ってるぞ。ブーメ……」

 

 文也たちの言葉を受けた金髪の男は、わざとらしく悲しいとでも言いたげな口調でそう言うと、文也はそれをからかう。

 

 しかし文也が言い切る前に、男二人は同時に動き、体型からは想像もつかない機敏さで右手を動かして拳銃を構えるとすぐに引き金を引く。

 

 構えていたにも関わらず先制攻撃を食らった形になったが、二人ともこの展開は予測していた。準備していた魔法をそれぞれ展開する。

 

 この距離で拳銃から弾を放たれたら普通の魔法師ならば魔法の展開は間に合わない。しかし二人は、すでにプロの魔法師に匹敵するほどの魔法速度を持っている。

 

 駿が感心するほどの早業で放たれた弾丸は、文也の障壁魔法により阻まれ、次に放たれようとした弾丸は駿が拳銃に使った『凍火(フリーズ・フレイム)』によって不発に終わる。

 

 それを確認するや否や男たちは拳銃を腰に戻し、腕につけた汎用型CADを使い始める。それを抑えるために文也たちはすかさず攻撃魔法を放つが、駿の放った振動魔法は金髪の男の『情報強化』によって退けられ、文也が内装の大きなツボを移動魔法で黒髪の男に放つが回避される。

 

 駿は特化型CADでの電撃戦が失敗したことを悟り、そちらをサスペンドしてホルスターにしまい、汎用型CADに切り替える。一方最初から汎用型CADを使っていた文也は駿より一足早くキーを打って男たちを魔法で迎え撃つ。

 

 金髪の男が壁にかけられたいくつもの絵画を駿に殺到させ、黒髪の男は空気の塊を文也に放つ。文也は空気の塊を『バウンド』で反転させ、さらに黒髪の男のCADに振動魔法をかけて破壊しようとし、駿は襲い来る絵画を転がり込んで間一髪で避け、キーを入力して『圧縮開放』で反撃する。

 

 それに対して男たちは瞬時に反応し、爆発する空気を障壁魔法で防ぎ、黒髪の男は自身のCADに『情報強化』をかけて文也の魔法を退け、さらに反射された空気塊をステップで避ける。そのステップに合わせて文也は得意の『スリップ』でバランスを崩そうとするが、年齢からは想像もつかない体幹で耐えきり、さらに机の上に散乱していたいくつものペンを文也に魔法で放つ。この一瞬で方向がバラバラなペンの先を文也に向けたうえで移動させる地味ながらも高等なテクニックだ。金髪の男は壊れた絵画の木片を無数の刃として立ち上がろうとしている駿に向けて放った。

 

 それに対して、文也はより強力な減速魔法でペンを落下させ、駿は壊れていなかった絵画を木片の方向に立てて硬化魔法をかけて無数の刃を防ぐ。

 

「くっ、まだガキの癖にやるじゃないか」

 

「まだ高校生にもなってないだろうに。それも片方は小学生だ」

 

 ここまでの攻防戦で、文也たちに傷一つ負わせることができなかった男たちは歯噛みする。教育システム的に見て、中学生と本格的に魔法を習い始める高校生とでは魔法力や技能に大きな差が出る。魔法力はそこまでではないものの大人である二人は、中学生なら一蹴できると踏んでいたのだが、文也と駿相手に互角の戦いを強いられている。

 

「あいにくながら俺らは普通じゃな――」

 

「俺も中学生だバカ野郎!!!」

 

 それに対して駿はイヤミを返そうとするが、文也の怒声にかき消される。どうやら「小学生」と言われたことに腹を立てているらしい。見た目だけ見ればどう考えても男たちのほうが正しいだけに、こんなことで怒られても理不尽なだけだが。

 

 怒気がこもった文也の魔法が、小学生呼ばわりした金髪の男に襲い掛かる。CAD、腰の拳銃、靴、指輪、ピアスと次々に振動魔法が行使される。『領域干渉』で一気に無効化しようとしたが拳銃だけは干渉力で凌駕されてしまい、強烈な振動を加えられることによって割れてしまい使い物にならなくなった。ホルスターに入れていたため体までその振動の余波で壊されなかったのは金髪の男にとって幸いだった。

 

 それとほぼ同時に黒髪の男が戦闘によって割れたツボの欠片を移動魔法で駿の横から放ち、さらに腰の拳銃を抜いて銃弾を放つ。

 

 駿はようやく立ち上がったのにまた倒れこむようにして回避して銃弾は躱すが、それによって壁に激突してしまい、ツボの破片の刃は躱せなかった。魔法でいくつか撃ち落とすもののほとんどを撃ち漏らしてしまい、駿はピンチに陥る。

 

「ああああああ!!!」

 

 駿は叫び、あらん限りの力を込めて壁を蹴る。それも足裏全体を使って壁から離れるように蹴るのではなく、つま先だけで壁にそって蹴り、壁と平行に滑りこむ。それによってツボの破片はすべて先ほどまで駿がいた場所に突き刺さり、駿はすんでのところで回避に成功した。

 

 しかし急に無理な角度で無理な力を加えたことで、右足に激痛が走る。どうやら筋がやられたようであり、あとに支障はほぼ残らないだろうが、数分は急な運動が厳しいだろう。

 

 しかしだからと言って、運動をしないということはあり得ない。今まさしくここは命がかかった戦場であり、そこに駿はいるのだ。

 

(これが、戦い、か)

 

 痛い、苦しい、思い通りにならない。

 

 今まで幾度となく訓練で味わってきた苦痛。しかし今は、命や責任がかかってることでより強くなった、経験したことのない苦痛。

 

 森崎家の一人息子として不断の努力を重ねてきたし、飛びぬけてはいなくとも恵まれた才能も持っていた。駿はどこにいてもとびっきりの「優等生」だったのだ。

 

 それを誇りにしていた駿は、自分がやはりどこか油断していたのだろうと苦痛や焦りの自覚する。

 

 自分ならなんとなる。俺なら大丈夫。

 

 そうした自信……慢心が、こうした行動に走らせた。

 

 そしてその結果として、今これまでにない苦痛を感じ、命の危機にさらされている。

 

「戦い」という場を初めて経験した駿は、「優等生」なだけでは通じない世界を体験し、これまでにない恐怖を覚えた。

 

 利き足を強く痛めてまでようやく回避しても、もう次の攻撃が駿に襲い掛かっている。必死でがむしゃらに撃ち落とすが防ぎきれない。文也がかろうじて障壁魔法で守ってくれて生き延びたが、もう次の攻撃魔法が準備されている。

 

(俺は、弱い)

 

 森崎家の一人息子としての立場と才能と環境に、優等生としての自分に、無意識のうちに胡坐をかいていた駿は、一人としての「森崎駿」である自分の弱さに気づいた。

 

 恵まれた才能と環境を持ち、囲まれた子供同士の中で優等生でも、戦場ではこうも弱い。

 

 積み上げてきた誇りや自尊心が激しく崩壊していくのを、迫る命の危険の中で感じた。

 

 気持ちが折れそうになり、もういっそ諦めて死を受け入れようという気にすらなってくる。

 

 黒髪の男が血走った目で駿を睨み、魔法行使のためにしまっていた拳銃を再び抜こうとする。

 

 何も抵抗せず、いっそ受け入れて、そのまま死んでしまおうか。

 

 そんな、甘やかで冷たい誘惑が心を支配しそうになった。

 

 弱かった。弱いんだから、負けるのも仕方ない。抵抗しても無駄だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(違う!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全身の血の流れが急に速くなる。体温が上がり、冷たくなっていっていたはずの心に熱がともる。思考が加速して急激な頭痛を覚えるが、意識はいつのまにかはっきりしていて、視界も明瞭になってくる。男の動きが、スローモーションに見える。

 

(弱いからこそ、あがけ!)

 

 自分を鼓舞する。

 

 弱い。だから諦める。そんなことは許されない。あがいてあがいて、何としても生き延びて、勝つ。弱いものが死ぬ戦場。だからこそ、弱いから、あがいて強いものに勝とうとするのだ。

 

 駿は左腕を思い切り床にたたきつける。左腕にこれまで味わったことのないほどの激痛が訪れる。

 

 そしてそれと同時に、駿は右手で腰のホルスターに収納していた特化型CADを抜きながら指を精密に動かしてサスペンドを解除し、拳銃を抜こうとする黒髪の男に向け、引き金を引いた。

 

 先に動き出したのは黒髪の男のほうだ。しかし、お互いに銃口を向けたのはほぼ同時。

 

 そして、引き金を引いたのは、駿のほうが速かった。

 

「ぐっ!」

 

 男はうめく。駿の『フリーズ・フレイム』によってふたたび銃弾は不発となった。

 

 森崎家の十八番にして駿の特技『クイック・ドロウ』。早撃ちである男をさらに超えた速度でCADを抜き、一瞬で魔法式を構築して魔法を行使する。

 

 森崎家の一人息子として、優等生として、「森崎駿」として積み重ねてきた、駿の特技。

 

 普通ならばできない。CADが複数アクティブ状態ならば、互いが干渉して魔法は不発に終わる。超高等技術の中には複数アクティブ状態でも魔法使用が可能になるものもあるらしいが、そんなものはまずありえないし、駿は当然できない。左腕につけていた汎用型CADをサスペンドするか電源を消すかしなければ、特化型CADは使えないのだ。

 

 そして、駿は、「普通ではない」方法を使った。

 

 汎用型CADが起動しているから特化型CADが使えない。

 

 そこで、それを思い切り床にたたきつけて「壊した」のである。

 

 CADは現代魔法師の命。魔法師としての優等生である駿は、その常識を、CADごとぶち壊したのだ。

 

 破壊によってただのモノとなった汎用型CADは干渉しなくなり、特化型CADの使用が可能になった。

 

 今まで積み重ねてきた『クイック・ドロウ』と、戦場で自身の力で思いついた常識外の方法によって、駿は窮地を乗り切った。

 

 そして駿は、乗り切っただけでは終わらせない。

 

 得意の魔法の高速行使で、攻撃を次々と浴びせる。

 

 男たちの目の前で光を点滅させて目をくらませ、口を開けたらその口内の空気を激しく振動させて体内を揺さぶる。

 

 次々と行使される高速の魔法行使に、男たちは追いつけずに、ついに大きな隙をさらした。

 

「よくやったぜ駿!」

 

 文也はそう叫びながら、汎用型CADをつけている左腕の手で右腕を握りこみ、その右腕で自分のポケットを叩く。

 

「……は?」

 

 その直後、男たちに魔法攻撃の雨が降り注いだ。

 

『エア・ブリット』がみぞおちに突き刺さり、『幻衝』によるサイオン波が脳を揺らし、移動魔法によってペンが大量に脚に突き刺さり、『スパーク』による放電が麻痺させ、『圧縮開放』による空気の爆発が顔面に襲い掛かる。

 

 そのいくつもの攻撃魔法は、「次々と」襲い掛かったのではない。

 

「全く同時に行使」され、同時に男たちを襲ったのだ。

 

 駿の常識ではありえない光景だった。加速した思考が霧散し、思わず気の抜けた声が漏れる。

 

 文也は起動したままの汎用型CADのキーを叩いていない。それなのに、全く違う系統の魔法が同時に行使された。

 

 駿が訳も分からず見ている間に、この攻撃の雨により男たちはついに気絶し、戦闘不能となる。それを確認した文也は、歩み寄ると脱出のために窓から外に垂らされていたロープを手繰り寄せて回収し、男たちの服をはぎ取ってパンツ一丁にさせたうえであまりにも醜い亀甲縛りにした。

 

「ふう、ようやく使えたぜ。まだ俺の力じゃあいつらの『領域干渉』も『情報強化』も破れそうにないからな」

 

 唖然と見ていた駿は、文也がそうつぶやいたところでようやく思考を取り戻した。

 

 男たちの魔法力は、大人と子供の差を感じさせる高さだった。彼らの干渉力に対して、文也と駿の干渉力は手も足も出ないだろう。しかし彼らの反応を上回る圧倒的な速度で駿が魔法で攻勢を仕掛けたことで男たちの魔法防御は途絶え、その隙に文也が攻め切ったのだ。

 

「俺は……役に、立ったのか?」

 

 駿はそこまで考えて、いつの間にか口から疑問が漏れていた。

 

 絶望的なまでの無力感を味わった。それでも、文也は『よくやった』と言ってくれた。

 

「おう、お前がいなかったら多分無理だったよ。ありがとな」

 

 文也は立てない駿の前にしゃがみ込み、目線を合わせると、そう言って満面の笑みを浮かべた。



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3-優等生と悪戯小僧-6

 しばらくすると、隼と三十尾が息を切らせて部屋に駆け込んできた。

 

「大丈夫か!?」

 

「無事か!?」

 

 魔法戦闘による音を聞いていたのか少しでも早く駆け付けるために急いで戦いを終わらせてきたらしく、ところどころに傷を負った二人は、荒れ果てた部屋の中を見回し、駿たちの無事を確認し、そして醜い亀になった男二人を見て、事態を理解した。

 

「どうやら上手くやったみたいだが……」

 

「あまり、無茶してくれるな……」

 

 そのまま二人は各々が思っていることをあきれ果てた気の抜けた声で口に出す。隼に至っては、実の息子の危機だったために一気に安堵して膝から崩れ落ちて座り込んでしまった。

 

「すまんすまん。どうにも逃げられそうだったからよ」

 

 隼から受け取ったリモコンでドローンを操作して窓から回収しながら、文也は悪びれていない様子で笑いながら返答する。

 

「あいつがどうしても突っ込むって言うから放っておけなくてな」

 

 駿は脚の痛みから立ち上がれず座ったまま、目をそらして歯切れ悪く答える。未熟者の自分が、命の危険がある場所に、先輩であり教官であり親である隼の言葉に反して突っ込んでいったことに負い目を感じているのだ。

 

 そんな駿を見て、隼は立ち上がり、歩み寄ってまたしゃがんで駿と同じ目線に立つと、穏やかな顔で駿の頭にごつごつとした手をのせ、不器用に撫でた。

 

「そうか。お前なりに考えての行動だったんだな。無茶のしたのは悪いが……友達のためだからな。よくやった。お前は私の誇りだ」

 

「親父……」

 

 怒られると思っていた駿は、安堵と感激から目頭が熱くなる。しかし、涙を見せまいと、撫でられた気恥ずかしさを誤魔化す意味も含めて顔をそらし、意志で涙をのみこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あとのことは大人たちに任せ、文也と駿はビルを後にして、近くの廃ビルに座り込んでひとまずの疲れを癒した。駿は痛みで上手く歩けないので、近くで休憩することにしたのだ。

 

「とりあえずお疲れさん。協力してくれてありがとな」

 

「お疲れ様」

 

 文也が近くのコンビニで買ってきたジュースとお菓子を差し出す。駿はそれを受け取り、渇いた喉をわざとらしい甘さの炭酸ジュースで潤した。

 

 同じように文也もどっかりと座り込んでジュースをあおる。駿は少しずつ飲むつもりだったのだが、文也は一本丸々と飲み干してしまった。

 

「ふいー、一仕事したあとのジュースは格別だぜ」

 

「おっさんのビールみたいに言うなよ」

 

 呆れたようにたしなめるが、実際に暑さと運動直後と緊張からの解放によって喉がカラカラだったので、駿も文也に倣うように残りを一気に飲み干した。

 

 それを待っていた文也は、飲み干したのを確認すると、口を開く。

 

「脚と腕痛むんだろ? ちょっと見せてみろよ」

 

「ああ、頼む」

 

 駿は変なことはされはしないかと心配になりながらも、実際にだいぶ痛むのでゆだねることにした。

 

 文也は悪戯することもなく、スジを痛めた脚や、無理に振って叩きつけて痛めた左腕を真剣に見る。

 

「うーん、なるほどな。やっぱスジだな。数日安静にしてマッサージでもしてりゃ治る」

 

「そうか、それまでは我慢だな」

 

 ひとまず大怪我じゃなくてよかった。駿は胸をなでおろす。家に帰る前に訓練場で治療してもらい、杖でも借りれば帰れるだろう。

 

 そんな風に考えている駿に、文也が声をかけた。

 

「なあ、治してやろうか? そういう魔法知ってるんだ」

 

「……治癒魔法か?」

 

 駿は思わず問いかける。治癒魔法はメジャーな魔法だが、高等な魔法でもあり、それを行う専門の治癒魔法師ライセンスも必要になるほどだ。しかも、切り傷や骨折などのわかりやすい怪我ならまだしも、スジを痛めたというようなあいまいな怪我の治癒魔法はさらに難しい。

 

「いや、もっと簡単な魔法だ。いいか?」

 

「もう好きにしろ」

 

 この際もう悪戯されてもいいか。駿はそう考え、全部委ねることにした。考えたり警戒する労力もめんどくさくなってきたのだ。

 

「よし。じゃあ、全身の力を抜いてリラックスしてくれ。大丈夫だ。変なことはしない」

 

「ん、わかった」

 

 言われたとおりに駿は力を抜いてリラックスをする。

 

 文也は長袖をまくって腕を回して気合を入れるような動作をしてから、駿にCADを向ける。するとすぐに、自分の体に魔法が行使される気配を感じた。しかしそれは、これから行使されると分かっていたからかろうじて知覚できる程度に小さい。不意打ちでやられたら、何が起こったのかわからないまま結果を受け入れることになる。

 

「お、おお……おおおお」

 

 駿はすぐにその効果を実感した。

 

 痛めた脚の各所にまるで指で押されたような圧迫を感じる。特に痛いというわけではないが、特に気持ちよいというわけでもない。

 

(ツボ押し……みたいなものか)

 

 眉唾だと思っていたが、どうやら文也はそれを魔法で実践しているらしい。効果のほどは相変わらず不明ではあるが、まあ悪いことにはならないだろうと、駿は文也にゆだねた。

 

 次第に指で押されたような圧迫は全身に及ぶ。背中、腰、首筋、肩、手のひら、腕、各所が点で圧迫される。また圧迫の強さや深さは場所によって異なり、さらには後半になってから気づいたが、押されると同時に温度も少しだけ変化している。

 

「よし、いいぞ。ちょっと立ってみろ」

 

 開始から数分後、文也がそう言うと同時に、全身の圧迫が止まる。

 

 駿は文也に言われたとおりに立ち上がった。

 

「ん、全身の疲れが取れたような感じがするな。体が軽い」

 

 駿は肩や腕を回して自分の体の変化を確認する。なるほど、眉唾物だとは思っていたが、どうやら効果はあるようだ。

 

「おいおいそうじゃないだろ。脚はどうなんだよ」

 

 そんな駿に対し、文也は呆れた声で問いかける。

 

「あ、そういえば!」

 

 駿は文也に言われてようやく気付いた。この施術の目的は脚の痛みの軽減だった。

 

 そして、その瞬間にもう一つのことに気づく。

 

 脚の痛みの軽減という目的を忘れるほどに、「脚が痛くない」のだ。意識してみてようやく脚にほのかな痛みを感じる程度で、先ほどまでの歩くのが困難なほどの痛みとは程遠い。

 

「その様子だと上手くいったみたいだな」

 

 驚いてる駿を見て、文也は満足げに笑って頷いた。

 

「左腕もほとんど痛くない……すごいなこれは」

 

「だろ? やっぱ俺って天才だな」

 

 冗談はよせ、と返したいところだが、駿は効果をその身で実感しただけに文也の自賛を否定できない。

 

 感心と悔しさをにじませながら、にやにや笑っている文也を睨む。そしてふと、さきほど袖がまくられてあらわになった細い両腕に気づく。左腕には汎用型CADが巻き付いているが、右腕にはカラフルな腕輪が五つも着けられていた。

 

「なあ、それってなんだ?」

 

「ん? これ? CADだよ」

 

「冗談はよせ……」

 

 先ほど言おうとしたことをつい口に出した直後、駿の脳裏に鮮烈な映像がよみがえる。

 

 男たちを仕留めたときだ。文也は、あの腕輪がたくさん着けられた腕を握りこみ、その直後に大量の魔法が同時に行使された。

 

 ということはまさか……

 

「もしかして、お前……そのCADで最後のあれを?」

 

 まさかありえないだろう。駿はそう思いながらぱっと思いついた推測を口にする。それこそ、冗談はよせ、と自分に言いたくなるような推測だ。

 

 理論上は可能らしいが、まずありえない。仮にそうだとしても、せいぜい二つが限度だ。

 

 駿は変な冗談を言ったな、と自嘲しながら答えを待つ。

 

 そして、文也から返ってきた答えは、まさかの肯定だった。

 

「そうだよ。『パラレル・キャスト』だ」

 

「は?」

 

 駿は思わず変な声を漏らした。ここ最近こんなことばっかりだが、この時の呆け具合は間違いなく一番だ。

 

「これは全部『マジカル・トイ・コーポレーション』製のCADでさ、一つにつき一つしか魔法を登録できないんだけど、その分発動までがすげー速いんだ。だから、『パラレル・キャスト』で全部同時に使えれば最強だろ?」

 

「………………冗談はよせ……」

 

「冗談じゃないんだな、これがまた」

 

 頭を抱える駿の前に、文也は自身の体をまさぐって次々と隠していたCADを見せる。その数、実に25個。

 

 真夏なのに長袖長ズボンだったのは、これらを隠すためだった。駿はCAD複数使用制限のために自分の左腕を痛めて汎用型CADまで壊す羽目になったのだが、文也はそんなことを全く必要とせず、『パラレル・キャスト』という『常識外』で解決してしまう。

 

 駿は信じたくなかったが、しかしあの光景を説明するには、19個のCADの電源を入れたままにしながらポケットに隠されていたのも含む6個のCADによる魔法の同時使用という説明を受け入れるしかない。それ以外には「理論的には可能」にすら当てはまらない。

 

 この悪戯小僧には何度も驚かされたが、これには特に驚かされた。

 

 駿は、もう何でも信じてやろう、と諦め半分の境地にたどり着いた。そもそもからして、初対面の時から一貫してこのチビは非常識だったのだ。非常識の答えもまた非常識になるのは、当然と言えば当然なのである。

 

「…………そうかそうか、つまりお前はそういうやつなんだな」

 

「ちょうちょを盗んだわけじゃないんだがな」

 

 駿のつぶやきに、文也がよくわからない反論をする。そうしてつぶやいたことで駿の中の混乱にいったん整理がついた。もう常識で考えても仕方ないのだ。「そういうもの」と受け止めておくべきだ。

 

「さて、じゃあ俺は家でやることがあるから帰るとするよ。もう歩けんだろ?」

 

「ああ、ありがとな。もう少し休んでから帰る」

 

「おう、じゃーな、駿……あー、森崎」

 

 立ち去るとき、文也はうっかり下の名前で呼んでしまい、バツの悪そうな顔をしてから訂正した。もう突入作戦は終わっているのだ。下の名前で呼ぶ必要もなく、「もとどおり」苗字で呼ぶのが筋だろう。

 

 そんな文也の姿に、駿は初めて親近感を覚えた。頭脳も魔法も大胆さも技能も態度も性格も行動も、すべてが枠から外れた「非常識」な存在が、今は普通の同級生に見える。

 

 駿はその自分の心変わりに苦笑を浮かべる。それを見た文也は自分が笑われたと思ったのか、声を荒げて叫ぶ。

 

「な、なんだよ、いーじゃんか! ちょっと間違えただけだ!」

 

「はははは、すまんすまん」

 

 そんな姿を見て、ついに駿は声を上げて笑ってしまう。文也はなおも不満顔だが、それ以上は何も言わない。

 

 そして、駿の心にちょっとした悪戯心が浮かんだ。今までさんざん悪戯されてきたのだ。やり返すくらい構わないだろう。

 

 駿は悪戯っぽく口角を上げて笑い、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「またな、『文也』」

 

 

 

 

 

 

 

 それを聞いた文也は、目を丸くして駿の顔を見つめる。虚を突かれて、何を言われたのかわからないといったような表情だ。

 

 悪戯成功。駿はさらに口角を上げ、文也に勝ち誇るように笑いかける。

 

 それを見た文也はようやく理解したのか……同じように口角を上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべて口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「またな、駿」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(全く、反省しないものだな)

 

 駿は内心で自嘲する。

 

 あの時の出来事で今まで積み上げてきた少しずれたプライドの様なものは壊されていたはずだ。

 

 しかし、あれから三年ほど経った間に、いつの間にかそのプライドはまた積み上がっていたようだ。その結果、そのプライドをまさしく逆なでする達也に何かと絡んでは敗北し続けて自分を追い詰めて空回りしていた。その必死さと悔しさがあったからなりふり構わず文也に『モノリス・コード』の代理を頼めたので後悔はしていないが、ちょっとばかり達也とその周りには悪いことをしたなとは思う。まだしこりは残ってはいるが、もう変な態度をとるのは止めようと決めた。

 

 文也のことを「そういうもの」と納得できたことを踏まえれば、達也やその周りの魔法力と能力が乖離してる二科生の変な友人たちも「そういうもの」と思っておけばよい。文也と同じ扱いをされるのはちょっと失礼な気もするが、内心なら勘弁してもらおう。

 

(それにしても、あの時はよく騒ぎにならなかったな)

 

 達也たちのことは置いておいて、考えは再び三年前の出来事に戻る。あのあと、事後処理は森崎家や三十尾家、それに不良に敗北したというスキャンダルを隠したい五十川家が奔走したとはあとから父親から聞いたが、それにしたって全く世間に知られていないというのは不思議だ。百家の三家が奔走したとはいえど規模が規模なので、ウワサ程度にはなっててもおかしくはないはずだ。もしかしたら、被害者になりかけた研究所や工場や塾、それにあとから事情を聞いたであろう軍や警察や公安も、案外文也と同じ考えで、大事になる事態を避けたかったのかもしれない。これだけの組織が本気を出せば、さすがに色々と厄介な事情も握りつぶせるだろう。

 

(勉強、しなきゃな)

 

 今まではがむしゃらに学力と体力と魔法力を高めることに邁進してきたが、一方でこういった政治方面にはからっきしだ。いかんせん直情型だから、今まで全く学んでこなかったというのもそうだが、そもそもからして苦手なのである。しかし森崎家の次期当主としては、そろそろ学び始めてもいいころだろう。

 

 まだまだやることはたくさんある。

 

 駿はひそかに、過去を踏まえて、すっかり日が暮れた海を眺めながら、果てしない未来に思いをはせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、一ノ瀬の遺伝子はワルガキばっかなのか」

 

「おいおいじーさん、一ノ瀬じゃなくて井瀬だろ? ボケたか?」

 

「ほざけ、元ワルガキの不良中年」

 

 川崎で組織的なテロが少人数の有志によって未遂に終わったという事件から数日が経った。それだけ経ったというのに、一歩間違えれば大惨事という割には大きな動きがみられない。

 

 そんな中、十師族に列せられる九島家の元当主でかつ最高にして最巧の魔法師としてうたわれる老齢の魔法師・九島烈は、なぜか東京の住宅街にある何の変哲もない一軒家を訪れていた。

 

 九島と対面しているのはたくましい筋肉が特徴的な大男・井瀬文雄だ。

 

 ここは井瀬家。九島は先日の事件について話すために、わざわざ九州からここを訪れたのだ。

 

 そんな遠くから来た立派な老師たる客人に対してこの家の中学一年生(に見えないがそうらしい)の一人息子が悪戯を仕掛け、あまつさえ保護者たる文雄はそれを見て指をさし手を叩いて笑っているという、あまりにも手荒くて失礼しかない歓迎がつい先ほどあったのは余談だ。

 

「全く老体に無茶させおって。この数日は大変だったわい」

 

「いやはや、ほんとありがたい。こればっかりは頭が上がらないな」

 

 九島の当てつけの様な愚痴に、普段から豪快で快活(無神経でおおざっぱとも言う)な文雄は困り顔で頭を下げる。それでも普通の魔法師から見たら何倍も態度がでかいのだが、こう見えてもかなり申し訳なさとありがたさを感じているのだ。

 

 突入前、文也から事情を聞いた文雄は、自分が現地に行けない歯がゆさを噛みしめつつもできる限りの協力をした。それがあの探査ドローンであるわけだが、それ以外にも、事後処理の根回しもしていたのだ。文也の電話が長引いたのは、根回しのために状況を詳細に伝えていたからだ。

 

 そんな文雄が事態の隠ぺいを頼んだのが、この九島烈だった。かつての恩師であり今でも連絡をたまに取っている人物で、文雄の知り合いの中で一条家の剛毅と並ぶ権力者だ。ちなみに『一ノ瀬家』について知る数少ない人物の一人でもある。別に井瀬家は隠しているわけでも全くないのだが、特に言っているわけでもない情報なので、十師族ですらほとんど知らないことである。第一研究所の出身である一条家や一ノ倉家や一色家、それにそこの数字落ちの家は知っているのだが、こちらも口を閉ざしている。嫌な思い出は忘れるに限るということだ。

 

「ここは七草と十文字の管轄じゃぞ。どれだけ苦労したと思っとるんじゃ」

 

「まあまあ先生。代わりといっちゃあなんですが、ご依頼の品をお渡ししますから」

 

 不機嫌な九島に対し、文雄はわざとらしい包装がされた箱を渡す。ご丁寧に「黄金色のお菓子」などと書いてあるが、その中身は『キュービー』たる文雄が開発した軍用兵器の設計図と説明書だ。

 

 文也はここからしばらくして知ることになるのだが、『マジカル・トイ・コーポレーション』は『フォア・リーブス・テクノロジー』と違って庶民的で親しみやすい展開を見せている一方で、実は裏で色々とやっている。

 

 その協力者は主に文雄の知り合いで、そのうちの一人がこの九島烈なのだ。九島は退役したといえど元少将であり、軍とのパイプは太く、また役人や警察や政治関係にも強い影響力を持つ。『キュービー』として最先端の技術と提供する代わりに、以前からしばしば秘密を守り通すための協力をお願いしていたのだ。本音を言えば魔法の軍事転用に積極的にかかわるのは文雄の意志にも会社の方針にも反するのだが、清く正しくだけでは秘密は守り通せないのだ。

 

「ふむふむ。ふーむ……防衛用設備しかないのは流石じゃのう。そこは譲らぬか」

 

「名目上『国防』軍なんだから、それくらいで妥協してくれ」

 

 それでも、せめてもの意地ということで、提供するのは防衛設備のみだ。こちらから攻撃するのに協力するのはやはり理念に反するし、そもそも他国への攻撃能力に関しては第五研究所や一条家という存在がいる以上すでに過剰戦力もいいところなので、今までこれで通している。

 

 中身を確認して満足した九島はそれをしまうと、ちょうどそのタイミングで部屋のドアが開けられる。

 

「ういーす、さっきの詫びだ。暑い中来たし喉渇いたろジイサン。ほい、アイスティーしかなかったけどいいかな?」

 

「粉薬とか入れとらんよな?」

 

 入ってきたのは、お盆にアイスティーが入ったコップを三つ乗せた文也だ。先ほど悪戯を仕掛けた客人に対して悪びれもせずにコップを乱暴に置き、自分もどかりと座ってアイスティーをあおる。

 

「今回の件はありがとな。ジイサンがいろいろやってくれたんだろ? 親父から聞いたぜ」

 

「いかにも。君もよく気付いて動いて、しかも成功してくれたのう」

 

 文也が顔を覗き込んで礼を言うと、九島もそれに応える。実際文也のやったことは日本魔法師界にとっては大貢献であり、中学一年生で成し遂げたと聞いた時は心底驚かされた。九島はそれを聞いて文雄から協力を頼まれたとき、若者の頑張りに応えようと張り切って裏工作をして回った。その末のお返しが悪戯というのは悲しい話である。

 

「魔法ってこんなに楽しいものなのに、なんで世間はこんなに過剰に嫌うんだろうな。もっと楽しいこと考えないと人生つまらんだろうにな」

 

 そんな文也は、誰にともなく、愚痴っぽく不満を漏らす。

 

 魔法を楽しむ。魔法で遊ぶ。

 

 文也は物心ついた時からその楽しさと喜びに触れてきた。

 

 そんな文也にとって、反魔法師団体というのは、その気持ちは理解できないこともないが、やはり不満の対象だ。これまで『マジカル・トイ・コーポレーション』は魔法師以外にも貢献できる魔法グッズを作ってきた(魔法師が使うことで生活をサポートしたり人を楽しませることができたりする魔法専用のCADなどだ)し、つい最近は体験がてら文也も開発に加わっている。魔法が使えなくとも、それで楽しめる要素はいくらでもあるのに、魔法をかたくなに嫌い続ける。それが文也には不満だった。

 

 そんな文也の言葉を聞いて、九島は溜息を吐く。

 

(世のすべてがこのような純粋な心を持っていたら、どれほどよかったか)

 

 そんな考えが頭をよぎった。

 

 しかし、すぐに考え直し、また、さらに深い深い溜息を吐いた。

 

 ついさっき自分がされたことを、今まで文雄にされたことを思い出せ。

 

 

 

 

 

 

(こんな優秀悪戯小僧ばかりだったら、常識人の胃に穴があくじゃろうよ)

 

 

 

 

 

 

 亀の甲より年の劫。さすがの慧眼である。

 

 この三年後には、このクソガキはたった一人で、先輩たちの胃に大きなダメージを与えることになるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふいーすっきりした」

 

 ようやくたどり着いた公衆トイレで用を足した文也は、また戻るのが面倒くさい距離だなと思いつつトイレを出る。夏でも夕焼けから日が暮れるまでは早く、文也がトイレから出るころにはすっかり日が暮れてあたりも暗くなっていた。海浜でしかも人気がない場所で、さらになまじ不良のたまり場になってる繁華街に近いものだから、この時間のここは治安が悪い。一人で歩いて居ようものならあっという間に目を付けられる。別に魔法でちゃちゃっと撃退できるのだが、面倒ごとは御免だ。

 

 さて、そんな面倒ごとは御免被りたい文也の意志とは裏腹に、ちょうどその面倒ごと真っ最中の光景が、ベンチまであと半分というところで目に飛び込んできた。

 

「ちょっと、離しなさいよ! むぐっ」

 

「……」

 

 このくそ暑いうえに暗い中なのにサングラスとマスクをつけたダークスーツの男が、中学生くらいであろう小柄な少女を押さえつけている。そこから少し離れた地面には無残に壊れた子供用サイズのCADが転がっていて、男の手には小型の拳銃が握られている。

 

 その少女は癖のないショートカットでボーイッシュな雰囲気を放っており、文也ほどではないにしろ目つきは鋭い。小柄な少女だというのに明らかに「素人」ではない男に押さえつけられてもなお、恐怖はありありと浮かんでいるが抵抗心もむき出しだ。

 

(ええ、なんだこりゃ)

 

 見れば、その周りでは数人の男たちが、血を流したり丈夫そうなスーツが破けたりして地面に倒れ伏している。血の流れからして拳銃による殺傷で、スーツの破け具合を見るに魔法によるものだろう。

 

 明らかに、治安が悪いとかそういう話ではない。この少女のボディーガードであろう男たちとまともな組織ではなさそうな男たちでの戦闘もあったようだ。そしてその末に意識があるのが少女とそれを押さえつけている男だけになったのだろう。転がっているCADはおそらく男が拳銃で撃ち抜いて壊したものだ。ああなってしまっては、CADに頼る部分が大きい現代魔法師は戦闘力が激減する。

 

 また、その戦闘が行われた場所も、文也が通ってきたメインの道からは外れた人目のつかない林の中だ。注視すれば丸見えなのだが、少しでも気づかれないようという配慮だろう。

 

 できれば関わり合いになりたくない。別に少女一人どうなったって文也には関係ないのだ。これが子供なら勇んで救いに行ったかもしれないが、ボディーガードがつくほどの階級でそろそろ分別がつくであろう年齢でこんなところにいては自業自得もいいところだ。

 

(世も末過ぎるだろ)

 

 しかし、見てしまった以上救わないというわけにもいかない。文也は世の無情を嘆きながら仕方なく手を出す。やる気のない手つきで汎用型CADのキーを叩き、男の銃に『フリーズ・ファイア』を使用する。

 

「ちっ!」

 

 しかし、それは完全な不意打ちだったにも関わらず失敗した。男は敵ながらあっぱれの反応速度で自身の銃に『情報強化』を施して魔法を無効にしつつ、闖入者を警戒して、舌打ちをしながら仕方なく少女から離れて飛びのく。

 

(いよいよまずいやつらだな)

 

 今の一連の動きを見て文也は確認した。生半可な犯罪集団ではなく、何者か……おそらくそれなりの大物の思惑によって動く「プロ」の集団だ。

 

 文也は最初のやる気がなさすぎる自分の行動を後悔しながら、オフモードだったスイッチを切り替えて本格的に戦いの準備をする。

 

 男の動きは迅速だった。まずは自身と銃に改めて強固な『情報強化』を施して守りを固めたうえで、文也に銃とCADを併用した攻撃をしかける。文也はそれらをすべて撃ち落とすと、逆に汎用型CADのキーを乱打して攻撃魔法を次々と使用する。『情報強化』は特別な手段を使わないと破れそうもないので全部直接干渉しない外部からの攻撃魔法だ。

 

 しかし、その発動速度も種類も尋常ではない。汎用型CADだけを使っていると見せかけて、靴の中にしこんだものや空いた指で触れたCADからも魔法を使用して、ありえない速度と種類の攻撃を浴びせる。

 

 結果、男は奮闘空しく数と種類の暴力を受けて倒れ伏す。得意なのは『情報強化』だけのようで、障壁魔法は凡庸だった。複数系統種類の魔法に対しては、それに対応した複数種類の障壁魔法が必要なのだ。とはいえこれだけの種類の魔法を同時で防ぐほどの障壁魔法を展開できる魔法師自体が少ないだろう。文也の知っている範囲では、できそうなのは『万能』の真由美と『鉄壁』の克人に圧倒的なゼネラリストの範蔵や規格外の深雪や一条父子や父親ぐらいだ。防げというのも無茶な話である。

 

「おい、大丈夫か」

 

「あ、ありがとう……ございます……」

 

 文也は倒れた姿勢のまま茫然としている少女に声をかけ、手を貸して立たせる。そんな文也を、好戦的なやや鋭い目つきの割には弱弱しい気持ちがあふれた目で見上げて礼を言うと、その手を取って立ち上がった。

 

(……うん、気にしない気にしない)

 

 向こうは倒れていたので上目遣いだったが、立ち上がった今、上目遣いでなくなってしまっていた。

 

 少女は比較的小柄であり、その見た目から年齢を判断したわけだが、この少女の目線は文也より上にある。そう、小柄だと思っていた少女は、実際小柄だったわけだが、それでも文也より明らかに身長が高かったのだ。

 

 文也は、一刻も早く面倒ごとから離れたい意志と気にしないようにすればするほどあふれ出る敗北感から逃げたい意志によって、少女に怪我がないかぱっと見で確認すると、涙目の顔を隠すために帽子をさらに深くし、少女から目線を離してその場を去る。

 

「あ、あの!」

 

「なんだかわからんけど、お嬢さんがうろつくところじゃねぇぞ」

 

 何か言いたそうだったが、それを遮るように忠告をして、文也は早足で駿が待っているであろうベンチへ向かう。だいぶ可愛らしいお嬢さんだったし、ピンチから颯爽と救ったという自覚もあるため、そこからのロマンスやそれが発展した『アハーン』に心が躍らないわけでもないのだが、それ以上に想像される面倒が大きすぎるのだ。これ以上は関わりたくない。

 

「ん、どうした文也、なんか疲れた様子だけど?」

 

「便所が遠すぎるんだよくそったれ」

 

 ようやく合流した駿の問いかけに、文也はトイレがあんなに遠くなければ面倒に巻き込まれなかったと恨みを込めながら悪態を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにみなさん、文也はちゃんと手は洗ってきたので、汚い手を少女に差し出したわけではないのでどうかご安心ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「香澄ちゃん!!!」

 

 真夜中の高級住宅街の一角、とくに大きく豪華な七草家の邸宅に、その家の長女である真由美の悲痛な声が響く。

 

 川崎に二人で遊びに出かけていた双子の妹である香澄と泉美。しかし慣れない土地だったために二人ははぐれ、その隙に香澄が何者かに襲撃されたのだ。

 

 二人だけで出かけたように見えて実はそれなりに腕の立つボディーガードが数人こっそり控えていたのだが、下手人は複数人のプロで、奮闘空しくも全員気絶させられてしまい、香澄もCADを破壊されてそのまま誘拐されそうだったと言う。

 

 すでに無事だったとは聞いているのだが、それでも真由美は気が気でなかった。ちょっと遠出していた出先からすぐに帰ってきて、襲われたという妹の無事を確かめたかったのだ。

 

「お姉ちゃん!」

 

 走ってきたのと心配で汗だくの真由美が部屋に入るや否や、泉美と何か話していたらしい香澄は姉を見てぱっと顔を輝かせる。

 

「か、香澄ちゃん! 大丈夫? 怪我はない? 変な事されなかった?」

 

「うん、大丈夫。怪我は擦り傷だけだし、抑え込まれたりはしたけど途中で助けてもらったから大丈夫」

 

 香澄はそう言うが、昔から強がるところがあることを良く知っているので、真由美はその様子をじっくり観察する。大きな怪我をした様子はないし、性的な被害にもあっている気配は確かにない。声がいつもよりやや暗くて表情も弱いからやはり強がっている部分も大きいのだろうが、それでも心配した大きな被害はないようで一安心だ。

 

 帰りの車の中で聞いた情報によると、下手人は大陸系だった。七草家で大陸系で誘拐と言えばすでに滅んだ大漢の事件が想起され、その被害や顛末を少しだけ知っている真由美は、その下手人の正体を聞いただけで肝を冷やした。大漢はとっくに滅んでいるのだが、その残党が何かやろうとしても不思議ではないのである。

 

「香澄は……今年の夏は不幸だね」

 

「全くだよ」

 

 泉美が少しぎこちない笑みを浮かべてそんな冗談を口にする。もともと明るい性格ではないのだが、今はいつもよりもかなり笑みがぎこちなく、香澄の気を紛らわすために気を遣って冗談を言ったのが真由美にはわかった。

 

 その考えがわかっていたかは定かではないが、香澄は少しだけいつもの調子を取り戻し、頬を膨らませて不満を一言に凝縮して吐き出す。

 

 泉美は今年の九校戦を余すところなく楽しめたのだが、香澄は運悪く風邪をこじらせてしまい、生で競技を見ることができなかったのだ。録画してあった姉の活躍だけは見たのだが、それ以外は見られていない。泉美以上に魔法競技に興味がある香澄にとってはこの上ない不幸だったのだが、今日はそれ以上の不幸に見舞われたのである。

 

「ふう……ほんと、香澄ちゃんが無事でよかったわ……助けてくれた人にお礼言わなきゃね。どんな人だったの?」

 

 真由美は心配で激しく動いていた心臓がようやく収まるのを感じながら、ほっと息を吐くと、可愛い妹を助けてくれたお礼を直にしたいと思って尋ねる。

 

「う、うーん、そ、それがね、よくわかんなくて……?」

 

「ん? どういうことかしら? 香澄ちゃんも気絶してたの?」

 

「えっと、そういうわけじゃないんだけど……」

 

 香澄の説明は、今一つ要領を得なかった。ボディーガードは全員気絶させられていて、ことが終わった後に香澄がそのうちの一人を起こして人気のある場所に一緒に戻った、というのは聞いているので、真由美から見れば、その助けてくれた恩人を見ているのは香澄だけだ。だからこそこうして本人に聞いているのだが……。

 

「えっと……ちょうど日が暮れて暗くなってきてたし、帽子を深くかぶってたから顔が良く見えなくて……」

 

「あーなるほどね」

 

 香澄の説明を聞いて、真由美はようやく納得が言った。いつもの物おじしない香澄ならばそこから名前を聞き出すぐらいまではいけただろうが、襲われた直後で弱って混乱していた彼女はそこまで気が回らなかったらしい。

 

「で、でね、その男の子すごかったの! プロっぽい大人の男と真正面から魔法の撃ち合いをして余裕で勝っちゃったんだ!」

 

「へえすごいわね。男の子てことは高校生くらいかしら」

 

 香澄は目を爛々と輝かせ、真由美に身を乗り出してその助けてくれた恩人の活躍を話す。真由美はその様子に「すごい人を見た」という喜びや憧れ以外の何かの感情を感じ取ったが、その推理は置いておいて、恩人の正体について頭を巡らす。

 

 小柄な中学三年生の香澄が「男の子」というからには、高く見積もっても高校生くらいだろう。ボディーガードたちや香澄を超える腕があった下手人を真正面から打倒したとなると、それほどの腕を持つのは高校生しか考えられない。

 

「うーん、それがね、その男の子、あたしより背が小さかったの。多分、高くても中学生ぐらいだと思う」

 

「あら、じゃあ中学生でそれだけの腕があるってことなの?」

 

 真由美は頭を悩ませる。それほどの腕を持つ高校生は少ないが、中学生ともなるとさらに少ないだろう。しかもその男の子は中学三年生の女の子の中でも小柄な方である香澄よりさらに小さいという。

 

 いったいどんな子なのだろうか。

 

 中学生ですでに実力が備わっている男の子と言えば、真っ先に浮かぶのは師補十八家の七宝家の息子・七宝琢磨だ。しかし彼は香澄よりもだいぶ背が高い。

 

 そして、それ以外全く思いつかなかった。魔法師が社会に認知されるのは高校生になってからであり、中学生までの評判は、魔法塾内での成績か名家の間での(後ろ暗い目的・意味も含めての)情報収集か噂話程度でしか伝わらないのだ。とはいえ、情報収集力がある七草家でもよくわからないとなると、相当隠れた才能だと言えるだろう。

 

「それでね、その男の子がすごいの! 男と真正面から向き合ってね、手元も見ないですごい速さでバーッって汎用型CADに入力して魔法をどんどん使うの! 干渉力と改変規模はお姉ちゃんほどじゃないけど、速度と種類はお姉ちゃんよりすごくて!」

 

「「え、ええ!?」」

 

 その話を聞いた真由美と泉美は思わず声を上げる。

 

 香澄の話の中に見過ごせない部分があったからだ。

 

 真由美は『万能』たる七草家の長女であり、その才能も環境も努力も随一の存在である。『万能』の名に恥じず、どの系統種類も偏りなく同時に使いこなす七草家の至宝であり、しかも高校三年生だ。

 

 そんな真由美を速度だけと言えど超えるレベルで多種類の魔法を使いこなすというのは、プロの魔法師でもそういないのである。しかもそれをやったのが噂にすら聞かない謎の中学生だというのだから、二人が驚くのも無理はない。

 

 襲われて混乱していて、さらに助けてくれた恩人への憧れからそう錯覚しているだけというのも考えた。しかし、香澄は中学生にして魔法に対する目利きは確かだ。しかも真由美に対してやや過剰ともいえるあこがれも持っている。真由美を超えるほどという実に大層な評価を、勘違いで下すようなことはないだろう。

 

 いよいよ謎が深まって真由美が混乱するのをよそに、香澄はすっかりいつもの調子を取り戻したどころかいつもよりハイテンションで、溢れんばかりに目を輝かせ、頬を赤らめて熱く語る。

 

「男が拳銃とCADを同時に使ってその人を攻撃するんだけど、それを全部軽く撃ち落としてさ、しかもそこで止まらずにもうバーッとCADに入力すると、同時に見えるくらいの間隔でどんどんいろんな魔法を使って男に攻撃するの! 『情報強化』を使われてたから攻撃全部を射撃系に決める判断力もすごいし、いろんな魔法を間違えずにあんなにたくさん早く組めるのもすごいし!」

 

 真由美はそのテンションに押され気味になりながらも、その声音や顔色から、ようやく先ほどからうっすらと漏れていた、香澄が抱いているであろう感情を見抜いた。

 

 その結論をつけると同時に、やはり双子だからかわかる部分が真由美よりも多いようで、泉美は真由美と同じ判断をもう口にしていた。

 

「もしかして、香澄、その人に恋しちゃった?」

 

 そういう泉美の顔も赤いし、それを見ていると真由美もなんだか顔が赤くなってきた。

 

 彼女らの将来の相手はほぼ社会状況や家同士のあれこれで決められるため、彼女らは恋という言葉とは無縁の生活を送ってきたし送らされてきた。しかしというか、だからこそというべきか、身近に、しかも妹がそんな気配を放っているのを見ると、年頃の女の子ということもあってか、なんだか顔が熱くなるのだ。

 

 そして、当の本人である香澄の反応は、二人よりもはるかに大きかった。

 

 泉美の言葉にきょとんとし、そしてその意味を知るや顔がみるみる顔が赤くなり、混乱と慌てが混ざったように目を潤ませて口をパクパクとする。単純故に反応もわかりやすい。もうあっというまに顔がゆでだこの様だ。

 

「え、あ、ちょ、あ」

 

 大昔の映画に出てくる真っ黒な体に白いお面をかぶった妖怪もかくやというほどに声を詰まらせ、口をパクパクとしながら腕を大きく振って何かを言おうとする。あまりにも漫画みたいな初心な反応を見て真由美と泉美は逆に落ち着いたが、それとともにいよいよという確信も湧き上がってきて余計に顔が赤くなる。

 

 しばらく顔を真っ赤にしながら滑稽なパントマイムを演じた香澄は、急に両手を脚の上に乗せ、身体を縮こまらせて、うつむき加減で小さく細い声でつぶやいた。

 

「そ、そうかも……」

 

 キャーッ。香澄の言葉を聞いた真由美と泉美の内心は、まさしく少女漫画を見る乙女のごとき花模様だった。いつもの好戦的で快活な様子は鳴りを潜め、顔を真っ赤にしてうつむき加減でもじもじ恥じらっている様は、いつもとのギャップもあって二人にとっては非常に「美味しい」反応だ。

 

 初心な泉美は香澄につられて顔を真っ赤にしてもじもじしはじめたが、その点世の中の酸いも甘いも知り、この夏も(およそ男側にとって悲劇的ともいえなくもないものではあるが)逢瀬の様なものを経験した真由美はいち早く復帰し、妹の恩人であり想い人となった小さな魔法の名手の正体について考える。七草家に『恋』が叶うような話はまずないが、若くしてそれほどの達人ならば家柄がなくともその才能を認められる可能性はある。

 

 そしてその正体に思考を巡らせたとき、真由美の脳裏にある男の顔が浮かんだ。そこに連想が向いた瞬間、もはや条件反射で胃にちくりとした痛みが走る。

 

 いくつもの魔法を一気に使う……小さい……男の子……。

 

 この条件に当てはまるのが、自分の後輩にいるではないか。

 

(いやいやいやいやいやないないないないないないない!!!!)

 

 真由美は即座に頭を強く振って否定し、生存本能からか恩人の正体について思考を巡らせるのをやめた。

 

 しかし、それでも、真由美の胃痛はしばらく収まらなかった。




これにて駿との過去編はお終いです
最終話に色々詰め込みすぎましたね

Q「優等生の課外授業」はどうなったの?
A展開の都合上カットです。あの女性は、なんかこう、オリキャラ追加のバタフライエフェクトで頑張って逃げきれました(震え声)

次回はあずさと文也の関係性について言及する話です
夏休み編の最終話にあたります。そう、夏休み編の終わりと言えば、あずさの一大イベントの、アレです


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3-生徒会の八方塞

今回はあずさがメインとなる話です。


 新学期が始まっても生徒会選挙の立候補者は決まらなかった。

 

 中条あずさは気弱さから拒否し、範蔵は部活連会頭になる意思を示して立候補を断った。

 

 そんな中、自身も立候補するという噂を立てられてしまった達也は、真由美の依頼であずさの説得に出向いた。

 

 昼休みはあずさが生徒会室に来なかったので、放課後、逃がさないためにも授業が終わって早々にあずさの教室を訪問し、半ば強引に引っ張り出して説得に当たる。どうやら待ち合わせをしているようでカフェには連れ出せず、教室から少し離れた廊下での立ち話となってしまったが。

 

 達也の静かな脅しと深雪の優しい言葉という落差のある二重説得にも、あずさは多少押されながらも応じなかった。達也の見立てではこの段階でほぼ説得成功は確定していたはずなのだが、どうにもこの先輩は普段の態度や見た目とは裏腹になかなか図太いらしい。先日の生徒会三年女子三人衆による一夏のエピソード雑談会では顔を真っ赤にしてひたすら放心していただけの癖に、ここでは涙目になりつつも頑として立候補を拒んでいる。

 

(ほんと、余計なことをしてくれる)

 

 あずさのこの妙なところで強いメンタルの原因に思い当たり、生意気な笑顔を浮かべるあの黒髪チビの姿が思い浮かぶ。

 

 幼少期から文也の姉役を任されていた彼女は、気弱な気質は変わらないようだが、文也との再会と交流により、妙に図太くなってしまっているのだ。

 

 最終手段として、達也は自身の素性を利用してCADオタクである彼女をモノで釣ろうと提案をする。

 

「再来週発売するFLT製飛行デバイスがモニター用に二つ、手に入りまして……」

 

「あ、あのシルバー・モデルの最新作ですか!? 実戦レベルの飛行魔法を最も効率よく使用できるっていう!」

 

 食いついた。達也は心中で口角を上げて満足げにうなずく。

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』の八月発売に遅れる形となったが、それに追随して、達也たち『フォア・リーブス・テクノロジー』も飛行魔法専用デバイスの発売を決定した。当然後追いなので最新・最先端・最速技術とそれ以外では扱いに大きく差が出る技術界隈での注目度は『マジカル・トイ・コーポレーション』より低かったが、玩具レベルに収まる性能と値段に設定したそちらに対し、達也たちはかなり値が張るが性能面で世界一を誇る専用デバイスを開発し、早期の発売までこぎつけた。『マジカル・トイ・コーポレーション』製との差別化にも成功し、安さと安全性の『マジカル・トイ・コーポレーション』か、性能と最新鋭の『フォア・リーブス・テクノロジー』か、を消費者が選ぶ形となり、収益もほぼ半々になる見込みだ。

 

 CADオタクのあずさならば、これには間違いなく食いつくし、そして見事に食いついた。

 

 欲しい。

 

 そんなオーラがあずさから濁流のようにあふれ出している。

 

「普段から深雪も世話になっていますので、新生徒会長になられた暁にはお祝いに、と思っていたのですが」

 

「う、うううううう、そ、そうですよね……」

 

 これで完璧に決まった。そう思っていたのだが、それでもあずさは迷ったままだ。「頑としてお断り」から「迷った」レベルまで引っ張ることはできたが、まだ決まっていない。

 

 これでもだめなのか。

 

 達也は内心で目を丸くした。絶対これで了承されると思ったのだが、いったいなぜだろうか。

 

 達也は疑問に思い、あずさに問いかける。

 

「先輩、欲しくないのですか?」

 

「ほ、欲しいです……欲しいですけど……やっぱ生徒会長になるのはちょっと……」

 

「世界最高峰のデバイスですが?」

 

「ううううううう司波君の意地悪ぅ……だ、だって、生徒会長になってまで欲しいとは思いませんし……それならふみくんから貰えるので十分ですよ……」

 

((そういうこと))

 

 あずさの返答で、司波兄妹は合点がいった。

 

 この粘り強さの原因も、やっぱり井瀬文也だった。

 

 二人は文也が『マジカル・トイ・コーポレーション』のエース魔工師の一人『マジュニア』であることを知っており、それは二人の見立てではあずさもまた同じだ。汎用飛行魔法の実用化と専用デバイスの発売にいち早くこぎつけた『マジュニア』が親友であるあずさは、その会社が発売しているものか、はたまた発売用にダウングレードする前の高性能なもの、またはそれをさらに改良したものを貰える予定なのだろう。

 

 当然CADオタクである彼女は文也から貰えるものより高性能であろう達也が示した「にんじん」も欲しいが、だからといってそれの代替になるものは貰えるので、生徒会長という重責を背負ってまでそれが欲しくはないのだ。

 

(ほんとどこまでも邪魔なやつだ)

 

 達也は困り果て、八つ当たり気味に文也を内心で呪う。

 

 そして、そんな達也よりも怒りをあらわにする存在が、彼の後ろに控えていた。

 

「どこまでも……どこまでも私たちの邪魔を……」

 

 うなるような声で、深雪が顔を伏せ、達也にしか聞こえないくらい小さくつぶやく。両手の拳は固く握られ、全身は怒りにわなわなと打ち震え、それに呼応して魔法が暴走し、周囲の温度が下がる。

 

「ぴ、ぴぃ!」

 

「落ち着け、深雪」

 

 あずさはその様子に恐怖し、涙をぽろぽろこぼしながら頭を抱えて廊下の隅にうずくまる。あずさから見れば、自分がかたくなに拒否をするから深雪がついに怒ってしまったようにしか見えないのだ。

 

(井瀬のことになると沸点がどうしても低くなってしまうな)

 

 達也はそう妹を分析しつつ必死になだめる。

 

 廊下は騒然となり、野次馬的に説得の様子を観察していた生徒たちも、これ以上関わりたくないと、下校するふりして逃げていった。

 

 そんな人が離れていく廊下に……この騒動の原因が現れた。

 

「…………何してんだ?」

 

 小学生かと見まごうほどの身長と幼い顔立ち。鞄を改造してベルトを取り付けて肩に斜め掛けして、両手をポケットに突っ込んで歩いて現れたのは、文也だった。

 

「ふ、ふみくぅん、せ、生徒会長の説得を断ってたら、深雪さんが怒っちゃって」

 

「ほーん」

 

 文也の存在を感知したあずさは、腰が抜けて立てないみたいで、即座にハイハイして文也に縋り付く。そのあずさを頭を撫でて落ち着かせながら話を聞いた文也は、無感動な返事を口から漏らして達也と深雪を見据える。

 

(しまった)

 

 あずさが待ち合わせしていたのは、まさしく文也だったのだ。

 

 文也は必ずあずさの味方をする。しかもかなり弁(屁理屈ともいう)が立つし、場合によっては強制的に話を打ち切る幼稚な策も辞さない。

 

 しかも、今の状況は、どう考えても達也と深雪が悪役だ。

 

 気弱なあずさを呼び出して見た目が怖い達也が半ば強引気味に説得したが、それでも断られ続けたので妹の深雪が怒って魔法を暴走させて脅している。

 

 文也からはそう見えるし、それは半分以上が事実だ。

 

(頼む、深雪、落ち着いてくれ……)

 

 文也が現れたことで深雪の怒りはヒートアップして、昂る感情にマイナス比例して気温はどんどん下がっていく。文也・マジュニアに怒りが一点集中することで、拡散した散漫な怒りは収まってはいるが、逆にこうして彼ががっつり絡めば、その怒りはより強いものになる。しかも今回は、井瀬文也としての文也と『マジュニア』としての文也の両方が達也を煩わせる原因になっているため、だいぶ怒りが強い。

 

 達也は文也に向き合っているため、表立って深雪を説得できず、心の中で祈るしかできない。しかしその思いは(珍しく)深雪に伝わらず、怒りと圧力は増すばかりだ。

 

 それに呼応して、達也と深雪を見る文也の目線もだんだんと鋭くなる。童顔に反して悪い目つきが、いよいよ本格的に険を増す。

 

「お前ら、あーちゃんに何した?」

 

 鋭い声で達也と深雪に文也が問いかける。一応双方の話を聞くつもりはあるみたいだが、こんな状況になってしまっては、何を言っても無駄だ。

 

 そこで達也は、せめて、あずさを「脅している」つもりはないということを釈明することにした。

 

「いや、実は、お前も噂で聞いているとは思うが、今度の生徒会選挙の立候補者探しに難航していてな」

 

「そうなのか。まず選挙があるのも知らなかった」

 

 バカじゃないのか。達也は、自身以上に世事に興味がない文也の返答に頭痛を覚えるが、それでもそんな考えはおくびにも出さず釈明を続ける。

 

「俺らや現生徒会としては、生徒会長にふさわしいのは中条先輩か服部先輩だと思っているのだが、服部先輩は部活連の会頭になることが決まってるから、中条先輩にやってもらいたいと思ってる」

 

「あーちゃんは当然拒否するだろうな」

 

「ああ。だが、そうなると大きな問題が色々あるから、こうして俺らが説得に来たんだ」

 

「ほーん、説得にしてはまたずいぶん穏やかじゃないけど、お前らの文化ではこれを説得って言うのか」

 

 やはり、文也は達也たちが脅したと考えているようだ。深雪は多少落ち着いたようだが魔法の暴走は収まらず、深呼吸を繰り返して落ち着こうとしている。しかしその眼は文也を鋭く射貫いていて、敵意と怒りがあらわになっていた。

 

「深雪はチョッと俺に何かがあると穏やかでいられない性格だから、申し訳ないがこうなってしまったんだ。脅そうとか、そんな意思はない」

 

「そうは見えねぇけど……あーちゃん、司波兄が言ってることは本当か?」

 

「わ、わからないけど……司波君からは、起こるかもしれない問題についていろいろと言われた……」

 

「へえええええええ、なああああるほど。うんうん、なるほどなあ」

 

 あずさの返事を聞いた文也の声に、怒りと険があらわになる。

 

(詰んだな)

 

 達也は心中で両腕を上げた。降参だ。こうなってしまっては、もう説得はできまい。

 

「あーちゃんの責任感に付け込んで言葉で脅したけどうまくいかなかったから妹様の実力行使か」

 

「責任感に付け込んで脅すのはふみくんもよくやるじゃん……」

 

 文也は自身が出した結論を達也にたたきつける。なんか後方から小学生の頃の思い出がよみがえったであろうあずさの声が小さく聞こえてくるが無視だ。

 

「人が嫌だ、ってんだから無理やりやらせようとしてんじゃねえぞカス兄妹!」

 

 達也は反論しようとしたが、それを遮って文也が中指を立てて叫び、そのままあずさを連れてその場を離れていった。

 

(参った。完全に失敗だな)

 

 達也は妹の頭を撫でてなだめながら、文也とあずさが去っていった方向を呆然と見て、溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そ、そう。ご、ごめんね。なんか悪役にしちゃって」

 

「いえ、こちらこそ、説得に失敗して申し訳ございません」

 

 その後、深雪を落ち着かせた達也は、生徒会室で真由美に失敗の経緯を説明した。途中から余りの展開に話を聞いていた三年女子三人組の頬がゆがんだりもしたが、だれも達也たちを責めたりはしなかった。

 

「それで、深雪さんはどちらに?」

 

「『先輩方とお兄様にあわす顔がありません』って、女子トイレの個室に籠ってます」

 

 同行してるはずの深雪の姿が見えないので鈴音が尋ねると、達也はありのままの答えを返した。達也がなだめたことで冷静になった深雪は、自身の失態と失敗に気づき、兄に一言いい残すと女子トイレの中に走って消えていったのだ。

 

「そうなると、いよいよ参ったわねえ。生徒会経験者はもう二年生にはいないし……」

 

「五十里君なんかはどうでしょうか」

 

「五十里君ねえ。言えば引き受けてくれるとは思うけど、会長となるとチョッとねえ……」

 

「桐原はどうなんだ?」

 

「桐原君は部活連の執行部ですね」

 

「ねえ摩利。風紀委員から沢木君か千代田さんくれない?」

 

「勘弁してくれ。あいつらがいなかったら風紀委員が成り立たん」

 

 候補者を思いつく限り出していくが、それでもそれぞれに理由があってダメだった。何よりも、本人たちに頼んでもいい反応はされないだろう。

 

 しかしだからといって、このまま希望立候補者に任せておこうということもできない。『血の選挙』は御免だし、彼女らが極秘裏に調べた立候補をするであろう生徒たちは、彼女らからすれば任せられない人格や実力だ。

 

「やっぱり、そう考えると五十里君が一番ね。摩利、千代田さんと組んで説得しに行きましょう」

 

「ああ、わかった。しかし、ああ見えて五十里は案外強情だからな……無理に説得しようとすると花音も反発するだろうし……」

 

 先が見えなくなった生徒会選挙。母校の行く末を案じる三人は、八方塞がりとなってしまい、そっと無機質な天井を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全くあいつらときたら……」

 

「ふ、ふみくん、多分二人とも悪気があったわけじゃないと思うし……」

 

 時を同じくして、第一高校の帰り道。文也とあずさは並んでその道を歩いていた。

 

「まあ妹の方はありゃ癇癪ヒス持ちだからそうだとしても、兄の方はどこまでも腹黒いやつだ。脅そうというつもりは間違いなくあった」

 

「ま、まあまあ……」

 

 被害者本人ではなく文也のほうがカンカンで、被害者本人であるあずさがそれをなだめるという矛盾したやりとり。あずさは困り顔でなだめているが、その内心は穏やかなものだった。

 

 文也が、自身のために怒ってくれている。

 

 昔からしばしばあったことであるが、このことが、あずさにとってたまらなく嬉しいことだった。

 

 文也には迷惑をかけられっぱなしだが、一方で、あずさは何度も助けられていた。

 

 小さいころから気弱でずっと体が小さかったあずさは、激しいものにこそならなかったが何度かいじめの標的にもなったし、断れないものだから面倒ごとを押し付けられることも何回もあった。

 

 そんな時、文也は何度も助けてくれた。

 

 彼自身も体が小さいのに、あずさをいじめる上級生数人相手に単身で噛みつき、大喧嘩をして怪我をしてまで守ってくれた。

 

 あずさが仕事を押し付けられたとき、それを見たら断るのを手伝ってくれたし、断り切れなければ手伝ってもくれた。すでに魔法が人並みに使えた文也は、禁止されているにもかかわらずこっそりと家からCADを持ち出して魔法でさっさと仕事を終わらせ、一緒に遊ぼうと誘ってもくれた。

 

 そんな思い出が、今日また一つ増えた。

 

「それで、話は変わるけどよ」

 

「え、何?」

 

 さっきまでカンカンだったのが嘘のように冷静になった文也は、あずさに問いかける。

 

「あーちゃんは、ほんとに会長、やりたくないの?」

 

「え……」

 

 あずさは予想しなかった質問に、思わず戸惑った。

 

 いつものジョークではない。あずさの顔を見つめる文也の顔は、そのような雰囲気はない。

 

 そして、戸惑っている自分に気づいたあずさは、そのことにもさらに戸惑った。

 

 何を悩んでいるのか。生徒会長なんて重役は、やりたくないに決まっている。さっきの説得にも、強情に断ったはずだ。

 

 そんな自身の矛盾に気づいてしまい、あずさは思わず口をつぐんでしまう。

 

 しかし文也がそれ以上何も言わずに黙ったままあずさを見つめるので、沈黙に耐えかねたあずさは、整理できていない頭を回して、口を動かす。

 

「え、えっと、それは、やっぱり、や、やりたくないよ? お仕事はすごい大変そうだし、みんなの前でお話しするし、責任も重いし……私には、やっぱり無理だよ」

 

 重責に耐えられない。難しい仕事や大変な仕事は自分には絶対にできない。

 

 あずさはそう、文也に話す。

 

「そうか。俺はそうは思わないけどな」

 

「え?」

 

 文也の言葉にあずさは思わず声を漏らす。

 

 しばし思考が停止するが、文也が再び歩き出したのを見て、半ば反射的に追いかけて歩き出す。

 

「俺は、あーちゃんがすごいやつだって思ってる。まあ、口下手だし、プレッシャーにも弱いからみんなの前で話すのは難しいかもな。でも、話す内容は、あーちゃんが考えたものならきっといいものだし、大変な仕事もあーちゃんならこなせるだろ」

 

「え、そんな……」

 

 あずさ自身は、自分にはできないと考えていた。

 

 だが、幼馴染で、あずさのことをよく知る文也は、「できる」と言った。

 

 自分自身の考えと、信頼している文也の考え。二つの相反する大きな考えが、あずさの心の中でぶつかり合い、戸惑いを広げる。

 

「で、でも、仮にできたとしてもだよ? 私、やっぱり、七草会長みたいにできないよ……」

 

「あんだけ上手に運営できる高校生なんざこの世にいねぇよ。例外例外」

 

 あずさの言葉を、文也はばっさり切り捨てた。

 

 その切り捨てが、あずさの観念を切り崩す。

 

 確かに、考えてみれば、七草真由美の運営能力は高校生離れしていた。

 

 そんな例外と比べても、無意味ではないか?

 

「そ、それに、私、あんなに重い仕事、できないよ……」

 

「生徒会長の権限って、そんなに重いのか?」

 

「重いよ!」

 

 文也の問いに、あずさはついうっかり大声で反論してしまう。

 

 入学してから一年半弱、生徒会役員として、ずっと七草真由美や先代生徒会長の働きぶりを見てきた。九校戦の運営、生徒活動の運営、生徒指導、校内の治安維持、論文コンペの運営、その他各種イベントの運営に日常の些事の多忙。仕事の難易度も量も責任も重く、それらをあずさが見てきた生徒会長の二人は見事にこなしていた。時には強いリーダーシップや強権を発揮し、時には裏方で駆けずり回って調整に苦心し、時には実力行使で生徒を導く。

 

 それらの仕事を、仮にできたとしても、あずさにはその仕事の「重責」に耐えられない。一つの失敗が全体の大失敗につながるような仕事ばかりであり、それは、あずさにはあまりにも重すぎた。

 

「ふーん、ま、確かに重いかもな」

 

「で、でしょ、だから……」

 

「でもその重さ、捨ててもいいんじゃね?」

 

「え、ええ!?」

 

 納得したと思ったら、またいきなり変なことを言い出した。

 

 あずさは思わず、声だけ漏らして思考が停止してしまう。その思考の空白に、文也の言葉が入り込んでくる。

 

「生徒会長ったって、しょせん高校生、子供が学校内でやる活動の一環だ。こんなに生徒会長の権限があるのは魔法科高校くらいで、そこらの高校はこれの半分もないぞ。魔法科高校の生徒会制度なんざ、自治だとか自主性だとか、そんな言い訳と理屈をつけて、大人たちが責任と仕事を押し付けてるだけだ。仮に失敗して全体に迷惑がかかったって、悪いのはガキの校内活動に重責を放り出した大人たちだ」

 

 あずさにはその言葉が、悪魔の囁きのように感じた。

 

 詭弁だ。言っていることは正しいかもしれないが、それでも結局重責があることは確かだし、この論理を周りが認めてくれるかはわからない。仮に認めてくれるにしても、重責を知りつつ立候補しておいてこの論理を使って責任を逃れようとするのは、それこそあまりにも無責任だ。

 

 あずさ自身、自分が責任を余計に感じすぎているのはわかっている。それでも、文也のこの論理は認められなかった。

 

「で、でも――」

 

「それに」

 

 あずさが反論しようとする。しかしそれは、文也の言葉によってかき消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今までみたいに、あーちゃんが困ってたら、俺が助けてやる。疲れてたら手伝ってやるし、悲しんでたら話を聞いて原因を解決してやる。あーちゃんを責めるやつがいたら、俺が守ってやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也が一歩あずさの前に出て、振り返ってあずさと正面から向き合い、胸に手を当てて主張する。いつもの気の抜けた顔ではなく、時折見せる、真剣な顔で。

 

「だからあーちゃん、自分のやりたいことをやれ。気の向くままに、思いのままにやれ」

 

 一歩あずさに近づき、文也はその手を取る。正面から、近くから、あずさに向き合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーちゃん、本当にやりたいことは、なんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな文也の問いかけによって、あずさの頭の中は、入学してからの一年半の思い出があふれ出す。

 

 入学してすぐに生徒会に入り、積極的に一高の運営にかかわった。

 

 大変だったし、つらかったし、割に合わないような仕事ばかりだった。それでも、成功したときの達成感や嬉しさは、いつも素晴らしいものだった。

 

 一高の運営にかかわり、いいところがたくさん分かった。

 

 あずさは一高が、母校が大好きだ。

 

 一方で、悪い部分もたくさん見てきた。

 

 二科生の差別、部活間の争い、生徒間の派閥競争、組織への嫉妬、システム面での不備。

 

 これらはまぎれもなく存在している。

 

 大好きな一高を、もっと良くしていきたい。

 

 この思いは、いつの間にか、あずさの心の奥でずっと降り積もっていた。

 

 一切悪いところがない理想の高校生活。そんなことは絶対にありえないだろう。

 

 でも、その理想に、少しでも近い生活を、一高でみんなに過ごしてほしい。

 

 思い出の奔流の中で、あずさは自分の気持ちに気づいた。

 

 しかし、のしかかるであろう重責や多忙が、その気持ちに蓋をしていた。

 

 その蓋が文也によって開けられたことで、あずさの気持ちがあふれ出す。

 

「わ、私は、私は……生徒会長に……なりたい。なって、一高をもっと良くして、みんなに楽しく過ごしてもらいたい!」

 

 文也の手の中で、あずさは小さな手をぎゅっと握り、その思いを口に出す。

 

 それを聞いた文也は、いつもの悪戯っぽい笑みでなく、穏やかな笑みを浮かべ、うなずいた。

 

「ああ。あーちゃんなら、絶対できるさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 九月の月末。

 

 演壇の上に歩いてピョコンとお辞儀するあずさを、達也や真由美たちは舞台裏から見ていた。

 

 今日は生徒総会と、生徒会長選挙演説の日だ。生徒総会は多少の悶着はあったものの、真由美の案が賛成多数で可決された。

 

「ほんと、あーちゃんが会長やってくれるって言ったおかげで助かったわ」

 

「ええ、しかし、いきなりでしたね」

 

 コンサート気分の歓声の中、あずさは多少の気弱さや緊張を見せつつも、毅然と立派に演説をしていた。

 

 達也が説得に失敗した日の夜、見事に五十里の説得に失敗した(五十里が活躍するところを見たいであろう恋人の花音を説得の切り札として連れていったら、五十里が難色を示すや否やすぐに裏切って五十里の支持をし始めたのが敗因)真由美は、結局閉門時間まで何も妙案は思い浮かばず、途方に暮れて帰宅した。

 

 そしてどうしたもんかと自室で頭を悩ませていたら、あずさから電話が入り、「やっぱり生徒会長をやります」と連絡を受けた。電話越しの声では立派な先輩を装っていたが、通話を切った後は安心で膝から崩れ落ちてそのまま布団もかぶらずに眠って風邪を引いたほどである。

 

(本当にいきなりだったな)

 

 拒否をするあずさの意思は固いようだった。達也の脅しと深雪の懐柔、達也がぶら下げた飴に深雪の怒気、このどれもが通じず拒否された。

 

 しかし、その日の夜には翻意して「やる」と決めた。それも、あとから飛行デバイスがやっぱ欲しくなったとか、深雪が怖くなったとか、そんな理由でやろうと決めたとは思えないほど決意と意志に溢れていた。

 

 あずさの口から読み上げられる政見と政策は、達也から見てもかなり立派なものだ。それも、よくある高校生らしい観念論に傾きすぎたものではなく、しっかりと地に足がついた、理想と現実の両方をしっかりと見据えたものだ。

 

 達也は、珍しく舞台が良く見える特等席のど真ん中に陣取ってあずさをじっと見つめている文也を見る。さっきの生徒総会までは熟睡していたのに、今はしっかりとあずさの演説に耳を傾けているようで、時折満足げに頷いたり笑みを浮かべたりしている。

 

 あずさが今読み上げている演説内容は、あずさだけでなく、文也も協力して作成したものだ。推敲係としてその過程や完成形を見た真由美は、「あの悪戯小僧にこんなまともな文章が書けるとは思わなかった」と言わしめるほどで、らしくもなく真面目に協力したことがうかがえる。

 

 真由美でも達也でも深雪でも、あずさを説得できなかった。

 

 そんな彼女をこうして動かすことができる人物は、文也しかいない。

 

 あずさに生徒会長選挙立候補を決意させたのは、間違いなく文也であると、達也は踏んでいる。

 

 それも脅しや物で釣るような形でなく、あずさの中にあったであろう気持ちを引き出し、本人の意志と決意で出馬させた。

 

(結局いいとこどりか)

 

 一瞬文也のことを見直しかけた達也は、すぐに思い直してふっと小さく息を漏らす。

 

 そもそも文也のせいで説得に失敗したようなものだ。本人が誰にもなしえなかった説得をしたところで――「誰にもなしえなかった原因」そのものが説得に成功したところで、マッチポンプでしかない。

 

(つくづく、冗談みたいなやつだ)

 

 達也は文也から目線を外し、また演説をするあずさをぼんやりと見る。このままでは、風紀委員としての出番もなさそうだ。

 

「――本日の決定を尊重し、次期生徒会役員には、一科生、二科生の枠に拘らず、有能な人材を登用していきたいと思います」

 

『それってあの小さい男の子のこと~?』

 

 そんなあずさの演説に、冗談めかしたヤジが飛んだ。

 

 あずさと文也の仲は、もはやほぼ生徒全員が知ることとなっている。どちらも(片方は良い意味で、もう片方は良い意味1:悪い意味9くらいの割合で)有名人であり、その二人の行動は、本人たちは自覚していないが、意外と注目の的である。あずさが文也を信頼し、またそれ以上の感情を抱いているという予測は全校生徒が抱いているものだ。

 

 そんな経緯から発せられたのは、温厚なあずさならば間違いなくスルーするだろうと思っての軽いヤジだったが、意外にも、それにあずさは反応した。

 

「ただいまのヤジについてですが」

 

 演説の流れを無視して発せられた言葉は、普段の優し気で気弱で温厚なものでもなければ、演説の緊張と意志を込めたものでもない、今まであずさの口からは誰しもがきいたことのないような、冷たい声音だった。

 

 会場の空気が、それによって急に冷える。和やかだったムードが、一瞬にして鳥肌が立つような緊張感に変わった。

 

「私はそのようなことはするつもりは一切ございません。わざわざ自分の首を絞めるような真似はいたしません」

 

 あずさは、あの文也との会話の後、冷静になって、考え直した。

 

 文也は「今まで見たいに、あーちゃんが困ってたら、俺が助けてやる」と言っていたが、考えてみれば、「今まで」「困ったこと」の原因の大半は誰だっただろうか。

 

 そして、あずさが見てきた生徒会長は、いったい主に誰のせいで「困っていた」だろうか。

 

 それは「文也自身」であり、また「文也自身が所属するゲーム研究部」である。

 

 全く、どの口がそんなことを言うのだろうか。

 

 助けてくれるのは嬉しい。

 

 しかしだからと言って、文也を生徒会役員にしようものなら、どんな苦労と災難があるか、わかったものではない。

 

 まさしく、あずさからすれば「冗談じゃない」というやつだ。

 

 話を聞いていた文也は、表情を凍り付かせ、滝のように冷や汗を流している。

 

 そして達也は、あずさの眼に気づいた。表情や感情に欠けた、光のない深淵の様な眼だ。こんな感じの眼を、ゲーム研究部や文也が関わる話をするときに、生徒会役員や風紀委員がよくしていたが、これはそれよりもさらに深い。

 

「悪い冗談はよしてください」

 

 冷淡にそう言って、そのままあずさは声音を戻して演説に戻った。

 

 しかしコンサートの様な空気は戻ることはなく、粛々と演説は終わり、投票に移る。

 

 

 

 

 ほんの少しの無効票を除いて全員の信任により、あずさの生徒会長就任が決まった。




生徒会の○○シリーズは昔よく読んでいました。この作品のパロディのノリも割と近いところがあるかもしれませんね。

次からは、原作で言うところの横浜騒乱編にあたる話、天地上下編に入ります。


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天地上下編
4-1


今回から、原作の横浜騒乱編に該当する章が始まります。


「俺が、ですか?」

 

 新たな生徒会が発足してから一週間、十月に入ってしばらくというころ、達也は自分に向けられた白羽の矢に戸惑っていた。

 

 達也が依頼されたのは、横浜で行われる論文コンペに、代表メンバーとして参加してほしいということだった。

 

 曰く、もともとメンバーだった鈴音と五十里と平河のうち平河が体調を崩して休みがちになっており、代理メンバーを立てようということだった。

 

 しかしそれにしたって、忙しくて論文選考にすら参加していない、しかも一年生である自分が選ばれるというのは、達也にとって不可解だった。

 

「それなら、論文選考で上位の方を選べばいいのではないですか?」

 

 拒否というわけではないが、不可解な点が気になって仕方がない達也はそう反論する。

 

 そんな達也の反論に対して返事をしたのは、メイン執筆者である鈴音だった。

 

「実は今回の代表選考はそれなりに複雑な経緯で決まったのです。こちらの表をご覧ください」

 

 鈴音が達也に差し出したのは、今回の校内選考の順位表と論文タイトルだ。

 

「え、えーと……」

 

 それを見た達也は戸惑いが隠せなかった。

 

 ランキングの一番上に名前を連ねているのは市原鈴音だ。メイン執筆者に選ばれたのだから当然だろう。

 

 問題はその下の名前だ。

 

 二位にいるのは「完全思考操作型CADの開発とその利用方法」というタイトルの論文を出したらしい井瀬文也、僅差で三位にいるのが「実用的な性能を保ったままCADをいかに小型化するか」というタイトルの中条あずさ、そしてその下に五十里、平河、関本と名前が続く。

 

 つまり、代表のサポートメンバーに選ばれたという五十里と平河は、二位と三位ではないのだ。

 

「これには事情がありまして、実は私の研究テーマと、中条さんと井瀬君のテーマ、これらが合わないのです。そこで中条さんと井瀬君の承諾を得たうえで、私がサポートメンバーに五十里君と平河さんを選びました」

 

 鈴音が口を開いて選考理由を説明する。達也は渡された順位表と鈴音の説明を合わせて、自分に白羽の矢が立った理由が分かった。

 

 しかしだからといって、それはそれで不可解な点が残る。こればかりは達也の方からやたらと口に出せないことなので、相槌だけ打って鈴音の説明を待った。

 

 しばらくやや硬質な沈黙が流れるが、鈴音は諦めたように溜息を吐き、折れて自分から口を開く。

 

「私の研究テーマは『重力制御魔法式熱核融合炉の技術的可能性』です。司波君のテーマと同じなのですよ」

 

「あの時のことを盗み聞きしていらしたのは先輩だったわけですか」

 

「いえいえ、少し小耳にはさんだだけですよ」

 

 達也の恨み節に対して、鈴音はお返しとばかりにあえて軽い調子で言い返す。なんというか、この先輩は元から図太くはあるがこの半年でさらに磨きがかかっているように達也は思えた。誰のせいだろうか、となるといわれるまでもなくあの畜生ゲーム部(花音がつけたあだ名だ)とその中でも特にやんちゃなクソガキのせいであろう。

 

 鈴音の研究内容が新たな魔法の開発とそれの社会的意義の大きい利用方法であるのに対し、文也とあずさの研究内容はCADの開発だ。確かにこれでは方向性が違う。五十里も、得意分野は刻印魔法なのでどちらかというとCAD開発系が得意なのだが、今年の論文内容は何の気まぐれか起動式についてだった。それならば、文也やあずさよりも五十里が優先されるのは不思議ではないだろう。

 

「しかし、それにしたって、井瀬とか中条先輩なら今から参加しても対応できるだけの能力は持っていると思いますが」

 

 達也の疑問はなおも収まらない。別に参加してもいいのだが、不可解な点が残ったまま参加するというのは消化不良なのだ。あずさは細やかな魔法行使が得意なので新開発した魔法の改良に役に立つだろうし、文也に至っては(鈴音が知っているか定かではないが)九校戦でオリジナルの劣化『分子ディバイダー』を使うくらいには分子間力に干渉する魔法には詳しい。達也の予想では、鈴音はこの研究でクーロン力を大幅に低減させる魔法を開発したと見られ、またその魔法がこの研究の肝であるとみられる。文也以上の適任はいないだろう。

 

「なるほど、司波君は私に死ねというのですね」

 

 そんな達也に対する鈴音の返事は、達也ですら底冷えするほどの凄みがこもっていた。

 

 鈴音の後ろで青ざめる五十里と廿楽に同情しつつ、達也はなぜこんなトーンでこんな要領の得ない言葉が返ってくるのかを考えて、すぐに合点がいった。

 

 あずさはこの返答の理由にならない。おそらく断った理由は、彼女が新生徒会長として論文コンペの生徒審査委員を務めることを見越してのことだろう。

 

 問題はもう一人。井瀬文也だ。

 

 確かに能力的には申し分ないが、人格的には申し分しかない。このクソガキのあれこれのせいで、この半年間生徒会メンバーは散々苦しめられ、胃腸を痛めてきたのだ。それが特に重症化したのは、会長である真由美、風紀委員長である摩利、そして生徒会の参謀かつ事務処理係の鈴音だ。あとついでに新担当の駿。

 

 そんな文也をメンバー入りしようものなら、鈴音のストレスは増大して、ついには胃に穴が開きかねない。そうなると論文コンペどころではないし、下手すれば真面目に死にかねない。大げさだと思うかもしれないが、当事者からすればそれはリアルに想像できる危機なのである。

 

「あ、はい、申し訳ございませんでした」

 

 達也はそこまで想像して、悪いことを言ったと思い、珍しく心の底から謝罪した。

 

 そして不可解な点がすべて潰れたので、あとはもう参加するかしないか決めるだけだ。

 

 これに参加するのは、達也の目標にとっても大きなメリットがある。断る理由はもうない。

 

「わかりました、協力させていただきます」

 

 こうして、達也の代表メンバー入りが決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、こうして論文コンペの準備が始まったわけだが、この大会は、大人数で参加する九校戦よりも実は協力する生徒は多く、ほぼ全校規模での準備が必要となる。

 

 発表用の器材作成、起動式の調整、演出の構成・手順、当日の会場生徒警備隊の訓練などやることは盛りだくさんだ。そしてそれには謎の技術力を持つゲーム研究部も例年部をあげて全面的に協力しており、毎年心強い味方となっている。ちなみに正確に言えば、例年部をあげて強制的に協力させられている、が正しい。普段アホみたいに迷惑をかけまくる連中だが能力はあるので、毎年生徒会や部活連や教員たちが総結集してゲーム研究部をあの手この手で脅し、無理やり協力させているのだ。

 

「あの人たちはすごいな」

 

 そんなゲーム研究部たちの作業の様子を見て、達也は感心する。

 

 二科生がほとんどというが、部員のほぼ全員が機械いじりに精通しており、その対象は魔法関連の機器にすら及ぶ。他の研究系の部活や美術系の部活も協力してくれているのだが、ゲーム研究部員だけは正確さも速さも段違いだ。

 

 そんな様子を見て、達也はあることに気づいた。

 

「そういえば井瀬がいないな」

 

 こういうところで一番活躍するのは間違いなく文也だ。しかし、今この場にはいない。朝、駿が風紀委員として連行している様子は見たので学校に来ていないということはないはずなのだが。

 

「ああ、あのガキンチョね」

 

 そんな達也の独り言に返事をしたのは、新風紀委員長として見回りをしていた花音だった。

 

「あいつは十文字先輩の演習に引っ張り出されてるわよ。あのナリなのに結構戦えるからね」

 

「なるほど」

 

 達也は花音の説明を聞いて納得した。そう言えば朝、幹比古が克人の演習相手に抜擢されたと言って緊張で死にそうになっていたのを思い出した。警備隊には二人とも入っていないが、『モノリス・コード』での活躍で目をつけられて参加を頼まれたのだろう。

 

「井瀬と幹比古、か」

 

 十文字克人は強大な相手だ。幹比古はまだなんとかなるとして、文也との相性は悪い。

 

『分解』しかできない達也もそうだが、文也は達也と同じかそれ以上に『ファランクス』と相性が悪いのだ。

 

 文也の十八番は、一流の魔法式構築速度と苦手のない魔法相性、そして究極ともいえる『パラレル・キャスト』をフル活用した、多種類多数魔法の同時行使だ。

 

 障壁魔法というのは普通の物理的な壁と違って、防ぎたい物事の対象の種類に応じた系統・種類の障壁を構築しなければならない。よって文也の攻撃に魔法で対処するには、基本的には、すべてを『術式解体(グラム・デモリッション)』などで魔法式を無効にするか、全部を撃ち落としてさらに『情報強化』などで直接干渉も防ぐか、しかない。

 

 しかし、その基本や常識から外れた力を持っているのが克人だ。『ファランクス』は四系統八種・無系統すべての障壁魔法と『情報強化』と『領域干渉』をランダムに絶え間なく連続で紡ぎだすという究極の防御魔法だ。これは文也の攻撃をすべて退けることができる。文也の干渉力は高いと言えば高いのだが人並み外れたものではなく、克人のそれこそ人並み外れた障壁魔法の干渉力には手も足も出ないだろう。

 

(どんな戦い方をするのだろうか)

 

 普通なら手も足も出ない。しかし、あの悪戯小僧ならば、何か策を考えているのではないか。

 

 達也はそんな期待を抱きつつ、自分の仕事に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方そのころ、そんな文也は、全く別の理由で手も足もでない状況に置かれていた。

 

 文也がいるのは、訓練会場である演習林ではない。生徒会室だ。

 

「ふみくん……今日二回目じゃん……」

 

 正座させられて摩利の監視で反省文を書かされてる文也に対し、あずさは呆れるほかなかった。

 

「だって、これはさすがに理不尽だろ! 元会頭さんだって『全力でこい』って言ってたし!」

 

「うるさい! 黙って書け!」

 

「あべしっ!」

 

 あずさに対して鼻息荒く文也は反論するが、怒り心頭の摩利の鉄拳制裁によって悲鳴を上げて倒れこむ。

 

 一週間前に告知された文也は、天敵『ファランクス』を破るために三つの策を考えてきた。

 

 そのうちの一つが摩利に咎められ、こんなことになったのだ。

 

 演習開始一時間前、魔法戦闘に興味がある摩利は、克人の対戦相手である計十二人の一・二年生の男子がどのような顔ぶれなのかと気になって、準備室に顔を出した。

 

 そしてその瞬間目についたのは、文也が引っ提げているライフル銃の様ななにかである。

 

 当然この時代でも銃刀法は存在しており、免許がある者でないと特例を除いて銃器は単純所持すら禁止だ。

 

 摩利は嫌な予感がしたので、すぐさま(着替え中で裸になっている五十嵐が女の子みたいな悲鳴を上げているのも気にせずに)部屋にずんずんと歩み入り、文也を問い詰めた。

 

 文也はにやにやしながら「まあ見てろって」「楽しみにしてろ」「まったくせっかちだな」「はっきりわかんだね」などと言ってはぐらかしてきたが、ついに観念してそのライフル銃の説明をしだした。

 

 まずこのライフルは自作したCADの一種であり、銃弾を放つために火薬などは使っていないので火器に当たらないから銃刀法違反ではない。

 

 しかし、その力は、まだ普通の銃火器のほうがマシだったというレベルだ。

 

 使っている銃弾は炭化チタンでできており、とてつもなく固く、また貫通力に特化した性能をしている。長い銃身は照準補助であるとともに刻印魔法が施されていて、ここを通った銃弾はとてつもない加速をし、銃口から出た瞬間には音速の七倍ほどになる。銃弾を放つのに使われるのも魔法で、そこから銃身を通って魔法によって加速していくのである。さらに銃口から照準を向けた先に『疑似瞬間移動』のチューブを通して空気抵抗による減速をなくし、おまけとばかりに銃弾に『情報強化』を施して減速魔法も受けつけなくする。

 

 それらが組み合わさることによって、貫通力に特化した超硬度の銃弾がマズルフラッシュも発砲音も反動もなく音速の七倍で物理法則による減速も魔法による減速もなく放たれる。対魔法師性能だけでなく普通に使っても世界最凶の魔法ライフルなのである。

 

 克人の『ファランクス』を点で突破することだけを考えて、前々から佐渡で回収したスナイパーライフルを元に作っていたものを改良した傑作ではあるのだが、『マジカル・トイ・コーポレーション』と井瀬文雄の崇高な理念はどこにいったのだろうかというようなレベルだ。

 

 この説明を聞いた同じ部屋にいた選抜メンバーたちはみな一様にドン引きした。駿ですら怒りを通り越してドン引きした。

 

 そして、一番ドン引きしたのが摩利であり、一番怒ったのも摩利だった。

 

「お前は十文字を殺すつもりか!!!!????」

 

 その怒声とともに文也は全身をぼこぼこにされ、参加を中断してここに連行されてきたのだ。

 

 ちなみに、開始直前に文也が不参加なのをいぶかしんだ克人が真由美に事情を聞いたところ、見事に克人もドン引きした。たかだか校内での訓練にムキになりすぎである。結局そのライフルは没収され、今日の訓練が終わった後は森崎家で責任をもって預かることになった。

 

 こうして一年生男子のエースである文也不在で選抜メンバーは克人と戦うこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十文字先輩、恨みはありませんがここで負けてもらいます」

 

「降参するなら今の内ですよ」

 

「いやーやっぱ井瀬は恐ろしいわ」

 

「なんか……本当に、ごめんなさい」

 

「お叱りはあとで文也が全部受けますから」

 

(う、うわあ……)

 

 そのころ演習林で繰り広げられていた光景は、とても魔法科高校の訓練とは思えないものだった。

 

 魔法が行使されている様子は一切なく、11人は時折CADを触りつつも各々そこらへんで拾った木の棒や石を構えて、克人を取り囲んでいた。その様子をモニター越しに見ていた真由美は、それはそれはもうドン引きである。

 

「ぐ、ぐう、これは井瀬の入れ知恵か」

 

「いや、なんかもう、本当に申し訳ないです」

 

 苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる克人の質問に、ぶっとい瘤が膨らんでいて叩かれたらかなり痛そうな木の棒を構えた幹比古は謝罪で答える。

 

 本来、絶対無敵な魔法力と『ファランクス』を持つ克人は、棒切れや石ころをもった素人なんぞ、何百人いたって相手にできる。しかし、克人は今、魔法を使うことなく、冷や汗を流してじりじりと狭まる後輩たちの輪を見て身構えるのみだ。

 

 否、克人は魔法を使わないのではなく、魔法が使えないのだ。

 

 克人の周りに張り巡らされているのは、無秩序な魔法式の数々。高校一・二年生と言えど一級の魔法師11人が一斉に構築した魔法式は質も数も膨大であり、その魔法式同士は相克しあって不発になる。そしてその相克する力は、圧倒的な魔法力を持つ克人の魔法すら不発になるほどであった。

 

 魔法が使えない克人は、もはやただの人。11人はそれぞれ演習林の中で拾った武器を持っており、各々はそれなりに運動能力もあり、しかも圧倒的な数の利を活かして取り囲んで逃げ場をなくしている。

 

「これを考えたのも井瀬君?」

 

「そ、そのようですね……というか、こういうことを考えるのは井瀬君しかいないと思います」

 

 モニターしているのは真由美と深雪だ。二人とも文也が引っ提げてきた凶悪ライフルにもドン引きさせられたが、今克人を追い詰めている文也の作戦にもドン引きさせられていた。

 

 九校戦会場に向かうときに起こった事件、この時文也は呑気によだれを流して寝ていたのだが、事の顛末はあとから聞いていたのだ。そしてこの時、バスに乗っていた生徒が一斉に魔法を使ってしまったことで克人が魔法を使えなくなってしまうトラブルもあったと聞いており、これを参考に文也は作戦を立てた。

 

 魔法訓練だから、双方の攻撃も魔法でなければならない。そんな固定観念があったが、実はそんなことはない。いざ現場で襲撃してくるかもしれない敵は魔法以外の方法で対抗してくるかもしれないのだ。『モノリス・コード』のような「競技」ではなく、あくまでも実戦を想定した「訓練」なのだ。よって、魔法以外での攻撃もこの訓練では許されている。

 

 それらを考慮した文也が考えた作戦は以下の通りだ。

 

 まず開始直後、克人を中心として全員が四方八方に散って逃げて武器を確保。克人が全員で取り囲めるほどの場所に出てきたら全員で一斉に近づきながら、克人の周りに干渉強度に特化した魔法を相克を気にせず使い、克人の魔法を使用不可能にする。そしてあとは各々が持った原始的な武器で、ただの人となった克人を数の利をフル活用してタコ殴りにする。

 

 この作戦を連行されるちょっと前の文也から聞いた駿や幹比古たちもドン引きしたのだが、一番勝てそうな作戦でもあったため、文也がいなくなってもそれを実行することにしたのだ。

 

『お前らにプライドはないのか!?』

 

 カメラにつけられたスピーカーから、真由美たちと一緒に可愛い後輩たちの活躍を見ようとモニター要因として参加していた辰巳の怒声が響く。すぐ隣で怒鳴られた真由美と深雪はその声の大きさに耳をふさぐが、気持ちは同じだ。

 

「プライドですか? ええ、まあ、相応にはございますよ。ですが、プライドで飯は食えませんし、十文字先輩には勝てませんから」

 

『森崎お前!!! あのゲーム研究部のチビが乗り移ってんじゃないだろうな!!!!???』

 

「いえまさか。あいつなら先輩に敬語すら使いませんよ」

 

『そういうことは言ってない!!!』

 

 怖い先輩の怒号に対し、駿だけはまさしくどこ吹く風といった感じで克人を追い詰めてる。その顔は冷酷で涼し気だ。

 

「なんか森崎君、変わった? 前はプライドの高い魔法主義者の典型だったのに」

 

「この夏に心を入れ替える何かがあったのではないでしょうか……良いことか悪いことかは判断しかねますが」

 

 そのやり取りを見ていた真由美と深雪は怒号の裏で声を潜めて話す。前までの駿は魔法主義者の典型であり、魔法に強いこだわりとプライドを持っていた。それが空回りして周りからの評価はイマイチだったわけだが、今の駿は全く違う。魔法主義者はどこへやら、相手の魔法を数の力で無理やり封殺し、原始的な武器でリンチしようとしている。そしてそのやり方を、多少の抵抗はあるようだが、勝つためと割り切って冷酷に実行しようとしているのだ。

 

 そうこうしている間に克人を取り囲む輪は、木の棒の間合いほどに狭まる。辰巳の怒号に申し訳なさと恐怖が掻き立てられてはいるが、みんなしっかり魔法の更新は忘れず、克人は何度トライしても魔法を使えなかった。

 

「せいっ!」

 

「やあっ!」

 

「お命頂戴!」

 

 木の棒を持った六人が一斉に克人に襲い掛かる。それに少し遅れて、木の棒よりも間合いがとても狭い代わりに威力が高い石を持った五人が襲い掛かった。まずリーチの長い木の棒で牽制し、その隙に威力の高い石でタコ殴りにして戦闘不能にする作戦だ。普通なら大怪我が避けられないが、幸いにして我が校の養護教諭は優秀な治癒魔法師でもある。大怪我をしても安心だ。

 

「ふっ!」

 

「「「ぐえっ!」」」

 

『え?』

 

 しかし、予想した結果は訪れなかった。克人が脚を振り上げ拳を突き出すと、木の棒を持った生徒三人がまとめて吹き飛ばされる。そうして他の生徒がうろたえている隙に克人は次々と徒手空拳で数と武器と立ち位置で優るはずの後輩たちをなぎ倒していく。

 

「そ、そんな……」

 

「まさか……」

 

「お前らは一つ勘違いをしている」

 

 かろうじて最後に残った駿と沢木を同時に相手しながら、克人は先ほどまでの苦々し気な表情はどこへやらと言いたくなるような自信満々の笑みで話しかける。もうすでにほとんどが気絶して魔法の更新も途絶えているから魔法が使えるのだが、あえて素手で戦うつもりのようだ。

 

「俺は魔法だけでなく、素人数人に囲まれても大丈夫な程度には格闘戦の心得もある」

 

 二人のみぞおちに大きな拳を叩き込みながら、克人は意識が遠のく二人にそう囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんですか、これ」

 

 あまりにも予想外の展開が続いた訓練を見終えた深雪は、呆れたようにつぶやいた。

 

 魔法を封じられ数の力でリンチされそうになった克人の苦々し気な態度は実は演技で、卑劣な後輩たちを見事格闘戦で返り討ちにした。

 

 それはわかるのだが、あまりにも気の抜けた内容に呆れるしかなかったのだ。

 

「はー、十文字にあの程度で勝てるはずがなかろうに、バカどもが」

 

 同じくあきれ果てた辰巳はそう言って椅子に乱暴に座る。

 

「なーんか今年は調子狂っちゃうことが多いわねえ」

 

 見てただけで疲れた真由美は、お茶を飲んで一息つくと、そんな愚痴を口から漏らす。

 

 生徒会長になってから苦労とトラブルの連続だが、今年度に入ってからは特に想定外の連続だ。

 

 真由美はその理由に心当たりがある。

 

 それは、新入生の三人だ。

 

 規格外の司波兄妹、そして井瀬文也。

 

 どちらもその規格外の力で真由美を驚かせ、時には翻弄し、さらに文也はその性格と知能でさらに心労をかけてくる。

 

 今目の前であった訓練に関することもそうだし、また鈴音によると代表メンバー選抜でも文也関連で色々あったらしい。

 

 今年の論文コンペは、なんだかてんやわんやしそうだ。

 

 真由美はそこまでぼんやりと考え、ふと思い出したことがあった。

 

 そういえば、先日妹が川崎で襲われた事件の犯人たちは、七草家での『尋問』によると、大亜連合の手先だった。川崎と、論文コンペ会場の横浜は近い。そして七草家の情報網によると、大亜連合の動きが最近少しだけ活発らしい。この関連性は……

 

(いや、まさか、ね)

 

 真由美はふっと笑って不安を振り切る。そんなの、もはや陰謀論のたぐいだ。心配することではない。

 

 それから、そんなこんなでハチャメチャな日々が続き、ついに論文コンペの日がやってきた。



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4-2

 論文コンペ当日、達也と五十里を中心としてほぼ全校を挙げて協力した鈴音の発表は、聴衆から惜しみない拍手を送られた。

 

(ほえー、やるもんだなあ)

 

 文也はその発表を聞いて気のない拍手を送りながら、心の中で感心していた。

 

 文也は魔法工学や魔法理論に興味はあるものの、ではそれを使ってどう社会の役に立てるか、ということまでは中々知恵が回らないというか、あまり興味がない。自分の目の前にある課題の解決したり、日常をちょっと便利にしたり、そして何よりも魔法で楽しめるようにしたりといった個々人に収束するような話には強い興味を示すが、魔法を使ってエネルギー問題を解決したり、絶大な破壊力を誇る兵器を作ったり、といった大きなアプローチには今一つ関心が向かないのだ。

 

 そんな文也でも、というべきか、だからこそ、というべきか、高校生にして加重系魔法の技術的三大難問に正面から挑みまた現実的なアプローチを示した鈴音の発表には心の底から驚かされた。

 

 同じ加重系魔法の技術的三大難問の一つである汎用飛行魔法を中学生のころに実現して見せた自負が文也にはある。しかし、同じ括りでも汎用飛行魔法と他二つ(重力制御型熱核融合炉と慣性無限大化による疑似永久機関)ではその規模や実現難易度や効果の大きさが全く違う。飛行魔法は突き詰めれば、あれば便利で楽しい、というレベルに落ち着くものだが、残りの二つは先の大戦の原因にもなったエネルギー問題の解決につながるものであり、国家や世界を動かし支える技術になり得る。その点では、実現にはまだ遠いものの鈴音の研究のほうが文也を大きく上回っているといえるのだ。

 

 しかも、達也の入れ知恵が大きいというわけでもなく、あれのほぼすべてを鈴音が取り仕切っていて、達也はサポートしたに過ぎないという。つまり鈴音は、高校生の身で企業などの力を借りずにここまで研究を進めたことになる。

 

(伊達に『一花』じゃないってことか)

 

 あの駿が起こしたトラブルの後に生徒会室に達也と一緒に連れていかれ、そこで鈴音の自己紹介を受けたとき、文也はすぐに彼女の家庭の事情を察した。

 

 彼女の家である市原家は、第一研究所出身である『一花家』だったが、数字落ちしてしまったのだ。『一ノ瀬』と違ってその理由ははるかに深刻なものである。一花家は第一研究所のテーマ通り生体に直接干渉する魔法を習得したが、それはタブーである人体を操る魔法だったために数字を剥奪されたのだ。理由の深刻さは月とスッポンよりも離れているが、同じ第一研究所の数字落ちとして、文也は市原家の事情を知っているのだ。あの時生徒会室で初体面したとき、文也の推薦に反対した言葉のトーンは棘があったので、向こうもおそらく『一ノ瀬』のことを知っているのだろう。

 

 さて、ここまで文也は論文コンペに対して実に他人事な態度だったわけだが、実際に文也にとってはまさしく他人事だった。

 

 魔法工学に強い力を持っているのに論文コンペにも、魔法力も『裏』とのパイプもあるのにここ最近の校内スパイやら呂剛虎(リュウ・カンフゥ)やらのゴタゴタにも、全く関わってないし、何が起こっていたのかも知らない。なんか校内の一部がやけにピリピリしてて騒がしいなあ、という程度の認識しかない。主人公としても見せ場はどちらに行ったのだろうか。

 

 そんな感じで文也はこの論文コンペにはそこまで興味はない。どこの学校もやることがデカすぎて、どうにも興味がそそられないのだ。せいぜいが親友である真紅郎の晴れ舞台を見ておこうくらいの気持ちしかない。

 

 ――そんなやる気のない文也の耳に、突然爆音と振動が届いた。

 

「何事だ、おい」

 

 それは文也の錯覚ではなかったようで、三高の真紅郎たちの発表準備中だった会場には混乱が広がっていた。さらにそのあとには銃声が鳴り響く。

 

 これらの音は聞いたことがある。あの佐渡の地獄で何回も聞かされた音だ。

 

 先の爆発はグレネードの爆発音、銃声は対魔法師用ハイパワーライフルの音だ。ハイパワーライフルは高度な技術で作られた特別なライフルであり、その銃声は普通のものとは少し違うのである。

 

 文也は一瞬のうちにどうするべきか考える。この会場にはあずさと真紅郎と四高の指導教員である文雄がいて、会場警備隊には駿と将輝がいる。「他」は一旦おいておくとして、この五人の安全確保は最優先だ。将輝と駿は警備隊として戦わなければならないだろうし、逃げろと言っても逃げないし、二人とも競技としての戦闘能力だけでなく戦争としての戦闘能力も備わっているので、今この場では置いておくしかない。文雄も引率教員としての責任があり文也がどうこうできる話ではない。よって、文也がここで優先するべきは、戦争としての実践能力があるとは言えずまた今すぐに守ることができるあずさと真紅郎だった。

 

 真紅郎は舞台の上のため離れている。一方あずさは生徒審査員として観客席にいる。暗いホールの中でお互いに背は小さいのだが、審査員席にいることが分かっているためにあずさの場所はすぐにわかった。

 

「あーちゃん!」

 

「ふ、ふみくん! こ、これなに?」

 

 文也から呼ばれて、涙目で混乱していたあずさはすぐに飛びつく。

 

「いいか、落ち着いて聞いてくれ」

 

 文也はあずさの肩に両手を置き、正面から顔を見つめて念を押してからゆっくりと説明する。

 

「今のは、多分グレネードとハイパワーライフルの音だ。そこらの素人じゃない、国家規模の組織がバックにいる連中が、ここに攻めてきている」

 

「え、ええむぐっ」

 

「大きな声を出すな、パニックが広がるぞ。いいか、手を離したら深呼吸をしろ」

 

 驚きで声を上げようとしたあずさの口を手でふさぎ、再度念押しする。すると涙目でこくこくと頷いたので手を離すと、あずさは自分を落ち着かせるように胸に手を当てて何回か深呼吸をした。

 

 ひとまず落ち着いたのを確認した文也は説明を再開する。

 

「多分だけど、もうすぐ突破されるはずだ。入り口をよく見ておけ」

 

「え、でも、正面は生徒から出た義勇警備隊じゃなくてプロの警備隊が……」

 

「どうだか。敵の装備とこの不意打ち具合からして、そう期待はでき――」

 

 ――ねえぞ。そう言おうとしたタイミングで、いきなりホールの複数のドアが一気に開き、そこから武装した集団がなだれ込んできた。

 

 しかし、なだれ込んできた集団は速攻で出鼻をくじかれることとなった。

 

 すべての入り口を警戒していた文也は、まず彼らが何かを言う前に『パラレル・キャスト』で銃口に小さな障壁魔法の蓋をして銃弾が放たれるのを塞いだうえで、内部の火薬の温度を急激に上げて暴発させるオリジナル魔法『ドッガン』を使用して次々と銃火器の使用を不可能にしていく。

 

 さらに、文也が予想外のことに、突入してきた集団はまるで全身に銃弾を受けたかのように次々と気絶していく。あれは見覚えがある、『不可視の銃弾(インビジブル・ブリット)』だ。しかし九校戦で使われていたような単発の疑似弾丸ではなく、一瞬にして全身に点で圧力を加えて倒している。さしずめ、銃弾ならぬ散弾だ。

 

 文也が横目でちらりと確認すると、油断なく入り口を睨みながらも文也に自慢げにサムズアップしてみせる真紅郎が舞台の上に立っていた。いつのまにかあそこまで成長したのだろうか。文也は親友の急激な成長に驚き、そして喜んで口角を上げて笑い返した。

 

 そして出鼻が見事にくじかれた侵入者たちのうち、かろうじて戦闘不能にならなかった一団は、この中で一番ひどい目に遭う。

 

「ぎゃあああああ!!!!」

 

 男たちの悲鳴が木霊する。魔法を使わずに持ち前のの運動能力で人込みをかき分け一瞬で侵入者に接近した達也が、手刀で侵入者の体を切り裂いているのだ。

 

(えっぐ……)

 

 文也はその仕組みを少し遅れて理解した。

 

 文也は達也が分解魔法だけならばかなり使えることを、あの九校戦会場についた日の夜に知った。『分解』は強大かつ超高難度な魔法であり、その才能を持って生まれたがゆえに「普通の」魔法は凡庸かそれ以下で二科生に甘んじてしまっているのもなんとなく察している。

 

 達也が今使っているのは、まさしく分解魔法だろう。手の側面に触れたら分解するような仮想領域を作って、触れた部分を分解してあたかも手刀で切り裂いているように見せているのだ。文也はややヒいた一方で真似してみたいとも一瞬で思ったのだが、『情報強化』以外に構造情報を知覚できないのですぐに諦める。

 

 こうして、ホールに不意打ちで突入したはずの「プロ」であろう兵士の集団は、たった三人の高校一年生によりなすすべもなくお片付けされてしまった。

 

 血を流して倒れ伏す兵士を見て眉を顰める兄を見てその血を深雪が止めている――なんとも呑気でありながらずれたやり取りである――間に、舞台から降りてきた真紅郎が達也に話しかける。

 

「えっと……今のは『分子ディバイダー』? 文也から教わったのかい? ならこれからは使わないほうがいいよ。アメリカになにされるかわからないから」

 

「…………ご忠告どうも」

 

 達也は緊急時だというのにさらに気が抜けてしまう。

 

 彼から見れば真紅郎が勘違いするのも無理はない。達也がやったことはまさしく『分子ディバイダー』のようだし、先ほどの発表内容もその魔法に使われている式のアレンジが目玉だし、そもそも文也が先の九校戦で使っている。勘違いの理由はそろっているのだ。

 

 真紅郎は、九校戦中は文也が『アイス・ピラーズ・ブレイク』で使用した切断魔法の正体がわからなかったが、帰ってから調べて戦慄し、すぐに文也に電話した。その時に「ほんまどないしましょうかしら、おほほほほほ」と狂った返事が返ってきたのが大変印象深い。

 

 そんな気の抜けたやり取りもあったわけだが、それは実にごく一部であり、この場にいるほぼ全員はパニック一歩手前だった。

 

 そして達也率いる数人の集団が出て行ったあと、ひと際大きな爆発音が鳴り響いた時、群衆の精神は決壊し、集団パニックが起きた。

 

 怒号と悲鳴と泣き声、大勢が冷静さを失い逃げようと走り回り、または混乱のあまりにうずくまる。そのカオスは、あと少しもしないうちに多数の死傷者が出る事態に間違いなく発展してしまいそうだった。

 

 そしてその様子を見ていたあずさは、どうしていいのかわからず、ただ立ち尽くすしかできなかった。

 

 そんなあずさを見た真由美は、あずさにしかできないことをさせようと声をかけようとした。

 

「あーちゃん、まずは落ち着け」

 

 しかし、あずさのそばにいた文也が、あずさを抱きしめ、その顔を自分の胸に埋めさせ、背中をさする。

 

「ふ、ふみくん、わ、私、どうしたら……」

 

「なーに、決まってんだろ。今この状況を抑えられるのは、あーちゃん、お前しかいないよ」

 

 か細い声で問いかけるあずさに、文也はその耳元で答えを示す。

 

 具体的に何をするべきか言われたわけではない。しかし、今この状況で「自分にしかできないこと」と言われたら、あずさには一つしか思いつかなかった。

 

 しかしそれは、強く禁止されていることでもある。そのことを強く認識しているあずさは、そんな場合ではないと思いつつも、ついためらってしまう。

 

「大丈夫だ。今この状況なら、使っても許されるさ。なんか文句言うやつがいたら、俺が守ってやる」

 

 そんなあずさに対し、文也はより強く抱きしめ、穏やかな声で背中を押す。

 

「そうだろ、元会長さん」

 

 何者も立ち入ることができない雰囲気を出していた二人を思わずただただ見ていた真由美は、いきなり声をかけられ、はっと意識を取り戻す。

 

「え、ええ……大丈夫よ。七草の名前の下で承認するわ」

 

「だってよ、あーちゃん」

 

 そうした二人の会話を聞いていたあずさは、文也の背中に回していた手をゆっくりと解き、首に下げているロケットペンダントを手繰り寄せて服から出すとそれを両手で包み、ぐっと強く握りながら、強く目をつぶる。抱かれながらなので周りからは見えないが、それは祈るような姿勢だ。

 

 そのロケットペンダントはCADだ。あずさだけにしか使えない魔法専用のCADで、それは小学生のころに文也から誕生日にプレゼントされたもの。

 

 貰ったあの日以来、外出の際は常に身に着けている、自分の半身に近い存在だ。

 

 そのペンダントはたった一つの魔法を使用するための専用CADで、スイッチや照準補助などの機能はすべて排除されている。

 

 ただ一つの魔法を使うためのCAD。

 

 文也からプレゼントされたこのCADは、まさしく『マジカル・トイ・コーポレーション』の得意分野だ。

 

 失敗の心配もない。不発の心配もない。

 

 誰よりも信頼している人が、一番得意な分野を振るって組み上げたものなのだから。

 

「さあ、あーちゃん、見せてやれ」

 

 文也から小さく囁かれ、背中をポン、と軽くたたかれる。

 

 それを受けたあずさは、文也の胸の中で小さくうなずいてから、深く息を吸い込んで、ペンダントにサイオンを流し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、中条あずさにしか使えない情動干渉魔法『梓弓』が発動した。

 

 

 

 

 

 

 

 文也は、真由美は、あずさの手に突如として神秘的な黄緑色の光でできた、小さな彼女に不似合いな大きな弓が現れるさまを見た。あずさはその弓を上に向けて高く構えると、きゅっと口元を結んで弦を引き……指を離した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ピィーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ざわめくホールの中でも、その弦が鳴らした清澄な小さな音は、文也と真由美の耳に良く聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ピィーン、ピィーン、ピィーン

 

 

 

 

 

 

 

 その直後、大きくなった弦の音が何回もホールの中に響き渡る。

 

 実際の音が鳴っているわけではない。

 

 プシオンの波動が大パニックに陥りかけた群衆の「魂」と言える部分を直接震わせる。

 

 人々の意識はその澄んだ音に惹きつけられ、先ほどまでの騒ぎが嘘のように収まる。声も、身動きする音も一切なくなった中、人々はただただ魂で『梓弓』の音を聴こうとした。

 

 たった二秒。その一瞬で、このホールに満ちていたパニックは収まった。

 

「…………ふぅ……」

 

(……ほんと、あーちゃんはすごいな)

 

 いつの間にか弓を天に向けていた姿勢から文也に抱きしめられた状態に戻っていたあずさが、胸に手を当てて一息つく。群衆がパニックから呆けた状態になったのを見逃さずに真由美が堂々と状況を説明するのを聞き流しながら、文也は胸の中でリラックスしているあずさを見て、ただただ感動にも似た感心をした。

 

 あずさは魔法を発動してから、実は一度も姿勢を変えていない。ずっと文也に抱かれ、顔を胸に埋めたままだった。

 

『梓弓』の音はプシオンを震わせた幻聴だったわけだが、実はあずさの手に大きな光の弓が現れ、それを天に向けて弦を引いて離した、という一連の動作も、文也と真由美が『梓弓』によってプシオンに刺激を受けたことによる幻覚だった。その効果をよく知っている二人ですら、『梓弓』からプシオンに受ける影響はすさまじく、その効果を至近距離で受けたがために、そのような幻覚を見たのだ。特に精神干渉系魔法が得意ではない文也は、事前に知っていたところで耐性がつくはずもなく、より鮮烈に、より鮮明に、幻覚が見えた。

 

「よくやったな、あーちゃん」

 

「えへへ、ありがとう」

 

 文也はあずさの背中から腕を解いて解放し、代わりにまだペンダントを握っている両手を自分の両手でやさしく包む。それを受けて、あずさは柔らかい笑みを浮かべてお礼をした。

 

 この『梓弓』専用のCADは、小学生の頃に文也がプレゼントした、初めて他者に向けて自作した本格的なCADだ。もともとたった一つの魔法のためだけの専用CADを作るのは得意だった文也は、幼少のあずさがうっかり漏らした彼女だけの『梓弓』のための専用CADをプレゼントしようと考え、長い長い苦労の末に作り上げた。

 

 父親や『マジカル・トイ・コーポレーション』の技術をフル活用して作ったそれは、小学生が初めて他者に渡す目的で自作した本格的なCADとしては破格の性能で、当時としては最先端と言える性能だった。

 

 しかし技術界の進歩は目覚ましい。そのあとから出てきた『トーラス・シルバー』や本格的に活動を活発化させた『マジカル・トイ・コーポレーション』や彗星のごとく現れたカーディナル・ジョージ、彼らに触発されて奮起した他の企業や研究者の切磋琢磨により、ここ三年間の進歩は特に目覚ましいものだ。

 

 そうした流れの中でこのCADはすっかり「時代遅れ」なものになってしまっていた。世界で一人だけしか使えない絶大な効果がある魔法に対してその性能は不釣り合いとみなされてきたために、百パーセントの善意によって新たなCADを提供しようという提案は幾度となくあった。そしてそれを、あずさはかたくなに拒んできたのである。

 

 久しぶりに会って、まだそのペンダントを使ってると知った時、文也は驚いた。文也からすれば、そんな時代遅れの産物は思い出としてしまっておいて、実用的な最新のデバイスを使っているものだと思っていたからだ。

 

 まだ使っているとことを「当たり前」と言われたとき、文也は嬉しさとともに、申し訳なさがこみあげてきた。

 

 自分がプレゼントしたものをずっと大切に使ってくれていたのは嬉しい。しかし、あずさは自分との思い出を守ることを選択して、最新型に切り替えるのを拒んできたということがその瞬間に分かったのだ。

 

 だから、文也はこの夏休みに、あずさのそのCADをいったん返してもらい、今自分が持てる全ての技術を使って、見た目はそのままに中身を改良した。さらに『梓弓』の起動式も、あずさの了承を得たうえで、より効率的に、より彼女が使いやすいように改良した。研究機関が組み立て日々改良してきた起動式もやはりかなりのものだったが、あずさを深く知る文也は、「普通に使いやすい」ようになっていた起動式を「あずさが使いやすい」ように改良したのである。

 

 その効果は大きかった。

 

 文也が最初に使っているところを見たのは、お互いがまだ小学中学年のころ、『マジカル・トイ・コーポレーション』のツテで見学が許された研究所の一般人立ち入り禁止エリアに約束を破って忍び込んだ時に、そこの実験室でたまたまあずさが『梓弓』の研究に協力しているのを見たときだ。

 

 そして最後に見たのが、あずさが小学六年生、文也が小学五年生のころ、このペンダントをプレゼントしたときだ。CADを受け取り、こっそり実際に使ってみたときのことである。

 

 そのころはまだあずさも大変未熟で、今これほどの規模の混乱を収めるとしたら、数十秒はかかっただろう。

 

 今のあずさが研究機関から提供されたCADと起動式を使えば、三秒と少しで済むだろう。

 

 そして、今実際にあずさが文也によって改良されたCADと起動式を使った結果、二秒で群衆は落ち着いた。しかも干渉力も高くなっており、プシオンも高い抵抗力を持つ真由美ですら、至近で受けたといえど、幻覚が見えるほどの影響を受けたほどだ。周りはパニックになっていたからあずさを見ていなくて気づいていないだけで、文也や真由美だけでなく、見ていた者は皆あの幻覚が見えたことだろう。

 

 文也はそのあずさの活躍を讃え、彼女のふんわりとした髪に小さな手を入れ、ゆっくりと頭を撫でる。

 

 頬を染めた小さな少女は、自分よりも小さな少年の手を、穏やかな笑みで歓迎した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真由美の言葉を、聞き流していただけであって、別に二人とも聞いていなかったわけではない。

 

 真由美から群衆に示された選択肢は二つ。この危険地帯から脱出するためにこの会場を出て陸路で瑞穂埠頭に向かうか、この会場にもつながっている地下通路を通じて駅の地下シェルターに避難するかだ。

 

 あずさが生徒会長として決断した一高の選択肢は地下シェルターへの避難だ。

 

 敵ゲリラも地下シェルターと地下通路の存在を知っていることは容易に予測でき、逃げ場のない地下通路では間違いなく遭遇戦になることも予測できた。さらに言うと、遭遇戦を想定した文也の提案を受けて克人の指名で駿と沢木と範蔵は同行してくれることになったが、ほかの「戦力」として頼りになるであろう達也や深雪やその友人、三巨頭、五十里や花音は各々の事情で同行せず、予測される遭遇戦のための戦力は安心とは言い難い。

 

 それでもシェルターへの避難を選択したのは、道が限られている分ほかの逃げ道はなくなるが、代わりに大人数を管理する上では楽になるというのが一つ。それと仮に脱出を選択したとしてもこれだけの人数では全員脱出するまでにどれだけ時間がかかるか予測できず、それなら安全なシェルターに避難するほうが「一人も死なない」という点では可能性が高いと見たからだ。

 

「おい、ジョージたちはどうする?」

 

 あずさによる一高の決断が終わった瞬間、それをサポートしていた文也は、仕事は一旦終わったとばかりにさっと離れて、方針会議をしている三高の集団の中にいた真紅郎に問いかけた。

 

 あずさはひとまず地下シェルターに行くことが決まった。それには文也も同行するし、ほかの生徒は別としてあずさだけならば確実に怪我無くシェルターに連れていける自信はある。また警備隊だから地上戦に参加して離れることになるだろうと心配していた駿も同行することになったのは幸いだった。

 

 それならば、もう一つの文也の手が届く懸念事項は真紅郎だ。できるならば一高と一緒にシェルターへの避難を選択してくれるのが望ましい。そう思って、こうして聞きに来たのだ。

 

「多分だけど、僕らは陸路を通じての脱出を選ぶと思う。将輝も合流してくれるってさっき連絡があったし、それに伊達に『尚武』を名乗ってないからね」

 

「そうか……」

 

 じゃあお前だけでもついてこいよ、とは言えない。そうするには真紅郎の立場があまりにも高すぎるのだ。

 

 それでも真紅郎が死ぬ危険性があるなら強引にでも連れて行っただろう。文也が認めた理由は、真紅郎の力が想定よりも格段に高くなっていたから、将輝が同行するということが決まっているからの二つだ。三高の魔法実技という名の訓練の苛烈さは(主に愚痴として)二人から聞き及んでもいるため、総合戦力で言えばもしかしたら一高のシェルター避難組よりも頼りになるだろう。

 

「わかった、じゃあ、死ぬなよ」

 

「うん、お互いにね」

 

 そう声を掛け合い、二人は離れる。

 

 次に確認をしに行くのは四高の引率教員としてきている父親・文雄だ。

 

 そう思ってあらかじめチェックしておいた四高が集まっている場所を見ると……そこでは、あずさと文雄が真剣な顔で何かを話し合っていた。

 

「おう、なにしてるんだ?」

 

「おう、文也。なに、うちも地下通路を通じて避難することになったんでな。一高と協力していこうってことであずさちゃんと話してたんだ」

 

「人数は多くなっちゃうけど、同じ学校同士で一緒に行動した方がいいと思って」

 

「なるほど、そいつは僥倖だ」

 

 九校戦で活躍はしていたものの全体として魔法力自体はそこまで高くない四高の生徒たちが合流するというのはやや不安だが、それを補ってなお余りあるほど頼りになるのが文雄だ。

 

「あれは持って来てんのか?」

 

「おう、最近何かと物騒だから持ち歩いてるぜ。例のあれも近々届くぞ」

 

「おっけー、じゃあ行くとするか」

 

 他の学校や一般人も続々方針が決まったようで、各々が動き出す。

 

 穏やかに進むはずだった論理と知恵の大会が、暴力によって滅茶苦茶にされてしまった。

 

 そしてそこに集まった者たちは、危機を回避すべく、またはそれぞれの目的をもって、ついに全員が行動を開始した。




メインヒロイン・あずさの最大の見せ場だったわけですが、原作とアニメでは描写が違ったのでどう書くべきかかなり迷いました


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4-3

ハロウィンなので、作中の日付を合わせて投稿してみました(中途半端)


 一高と四高の生徒ほとんどと教員、それに一般人を加えた地下シェルター避難組の人数は120人ほどだ。これだけの大人数を取りこぼしがなく進めるためには、必然的に歩みが遅くなる。集団のしんがりを務める文雄が頼りになる見た目と堂々とした態度、それに的確な判断力とはっきりと通る声で遅れそうな人たちを上手く進めているが、それでも中々目的地まではたどり着けなかった。

 

 その遅れが災いして、すでに地下通路に侵入していたゲリラ集団と遭遇戦に突入してしまう。

 

 しかし、遭遇戦に突入した、と言うにはあまりにもその展開はあっけない。

 

 先頭で行く道を警戒していた四高の狩野が『視覚同調』で武器を抱えたゲリラの接近を察知した。その知らせを受け取った文也と駿と沢木は、まだ自分たちの存在が認識されてないと思い込んでいるゲリラたちに逆奇襲を仕掛け、避難組のメイン集団が接敵する前の段階で小数対小数の戦闘に持ち込むことに成功する。

 

 ゲリラの人数は十数人で、三人で挑むには心許ない。しかし、逆奇襲は見事成功し、それで攪乱している間に後から参戦してきた生徒や教員たちによって逆に数的有利を確立し、一人も死傷者を出すこともなく一方的に倒すことができた。120人という数は一斉に移動するにはあまりにも多すぎるが、戦力としてみるには、奇襲ゲリラ相手には過剰と言えるほどに頼りになるのだ。

 

 また後方からも奇襲があったが、しんがりを務めていた文雄が超人的な聴覚で近づいてくる不穏な足音を察知して、こちらも逆奇襲を仕掛けた。突然目の前にあまりにも不穏なモノを担いだ筋肉質の大男が現れてきて、ゲリラたちは当然錯乱し、その間に文雄によってほとんどが比喩もなく「叩き潰され」た。

 

 文雄が武器として使ったのは、先端に大きな棘付きの鉄球がついた鉄棒、モーニングスターだ。普段は分解して持ち歩いているのだが、こうして戦闘になると組み立てて武器として使う。接合部分は複雑にかみ合った電磁石ロックであるため、一本の鉄とまではいかないが、組み立て武器としては破格の強度を誇る。

 

 ようやく錯乱から復帰したゲリラは、そのモーニングスターを防ごうと強固な対物障壁を展開する。克人やほかの一流魔法師ほどでないにしろ中々強度の高い対物障壁で、いかに重い鉄の塊を鍛え上げられた大男が振るおうとも、普通ならば壊すことができない強度だ。そう、普通ならば。

 

 文雄が振るったモーニングスターは対物障壁に触れた瞬間まばゆい輝きを放ってすり抜け、その向こうにいるゲリラ兵の頭を強化ヘルメットごとたたき割った。鮮血と頭の中身が地下道の壁や床、そのそばにいたほかのゲリラたちや文雄に飛び散る。

 

 そんなあまりにもグロテスクな惨劇を起こした張本人は、返り血や頭の中身でその身を染めながらも、一切躊躇することなくさらに凶器を振るう。その顔は目の前の惨劇に青ざめてもいなければ、戦闘という死地にひるんだ様子もなければ、戦闘時の冷酷な無表情でもない。大きな口の口角を吊り上げて「嗤って」いた。

 

 息子にも遺伝した笑い方。体が小さく童顔で目つきが悪い文也がやれば「悪戯っぽい」笑みになり、快活な大男である普段の文雄がやれば「頼りになる大人の男」の笑みとなる。

 

 しかし、それはあくまで平時の話だ。

 

 自らの手で叩き潰した男の返り血と頭の中身で身を染めながら自分たちに凶悪な武器を躊躇なく振るう大男が口角を吊り上げて嗤っている様は、まさしく悪鬼羅刹のようだ。

 

 ゲリラたちは文雄に銃口を向け、マシンガンを連射する。戦い方からして魔法を使う様子はないし、腕につけている汎用型CADも起動している様子はない。魔法師ではあるのだろうが魔法を使う様子はなく、また防弾チョッキなどをつけずに十月の暮だというのに薄着姿なので、いかに恐ろしかろうと銃弾の雨で殺してしまえる。そう判断してのことだった。

 

 しかしゲリラたちの期待は裏切られる。銃弾の雨は文雄に当たることなくその手前で見えない壁にはじかれ、そのまま文雄は接近して大きくモーニングスターを振るって数人をまとめて壁にたたきつける。

 

 そのまま、後方からの奇襲を画策したゲリラたちは、たった一人の薄着の大男によって見るも無残な姿で全員が命を散らした。

 

「やれやれ」

 

 全員を無力化したことを確認した文雄は、そう言って一息つくと、モーニングスターの柄を握りこんでサイオンを流し込む。すると、体や服、武器についたゲリラたちの血や肉片や体の中身が文雄から剥がれ落ちた。

 

 ――文雄のモーニングスターは、ただ組み立て式と言うだけでなく、彼自身で自作した武装一体型CADである。

 

 しかもこの世に数本もないといわれる、武装一体『汎用型』なのだ。

 

 柄の握り方や流されるサイオン波のわずかな波形や大きさの違いを読み取って登録されている魔法が発動される仕組みになっており、搭載されている魔法は普通の汎用型と変わらず系統種類の制限なく100個もある。武装としての持ち運びやすさや丈夫さを大きく考慮しなければならず、またテンキーを押すだけの従来のと違って細かな柄の握り方やサイオン波の違いを読み取る機能を搭載しなければならないため、普通の汎用型CADに比べたら魔法行使の性能は全体的にやや劣る。いや、これだけのことをして「やや劣る」で済むのは文雄自身の技術力のたまものだ。

 

 また棘付き鉄球の部分はサイオンが吸着しやすい刻印魔法が施されており、そこに状況に合わせた魔法を行使することで真価を発揮する。

 

 例えば先ほどの障壁魔法を破った時の場合では、鉄球部分に二段階の魔法が施された。

 

 まず障壁に触れるまでは、鉄球部分は高密度のサイオンを大量に纏い、障壁に触れた瞬間に『術式解体(グラム・デモリッション)』となって魔法を破壊する。

 

 その直後には加重系魔法と加速系魔法が同時に行使され、一瞬のうちに重さと速度が増幅し、大砲にも勝る威力で強化ヘルメットごとゲリラの頭をたたき割った。

 

 またこのモーニングスターに魔法を施すだけでなく、普通のCADとしても使用が可能であり、マシンガンの銃弾を防ぐための障壁魔法や体についた『汚れ』を落とす魔法も使える。これこそ真の意味での『武装一体』型CADであると言えよう。

 

 これが佐渡では見せられなかった文雄の本来の戦い方であり、文雄にしかできない戦い方である。

 

 武装一体汎用型CADは世界に数本とないが、その理由は、技術的な難度の割には実用性が低いからだ。

 

 CADとはまぎれもなく超精密機械であり、武装として使うだけの丈夫さを確保するには単一の魔法に特化するぐらいの単純さに収めないといけない。そうした技術的な難点を乗り越えても、武装としてもCADとしてもすべての面において性能や使い勝手は従来のものに劣るため、実用性は低い。不可能かつ不用だから、開発を試みられることすらされずに作られず、数が少ないのである。

 

 しかし、文雄はそれを成し遂げ、自分にとっての一番の戦法とすることに成功した。

 

 特異な技術力でCADとしても武装としても従来のものに大きく負けない程度まで進化させ、さらに魔法の使い分けを少ない動作でできるようにして、加えて恵まれた体格をさらに鍛えてそれを振るう力も身に着けた。

 

 握り方やサイオン波で発動魔法を分けることができるほどのセンサーを開発し、さらにとっさに一番持ちやすい握り方から変えても満足に振るえるように鍛え、とっさにサイオンを流しても正しく魔法を選べるだけの精密なサイオンコントロール能力を獲得した。それだけの困難を乗り越えて、文雄はこの力を手に入れたのである。

 

『前方クリア。後ろなんかあったか?』

 

「たった今全部潰したとこ」

 

 最前線で接敵したらしい息子から携帯端末に通話が届く。それに対し、文雄はまるで何もなかったのように元の集団に戻りながらそう返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようやくだな」

 

「そうだね」

 

 短いようで長く、長いようで短かった地下シェルターへの大移動がようやく終わった。後方で警戒に当たる文也とあずさが話しながら振り返る先には巨大な鉄のシェルタードアがあり、その端では文雄が開けてくれるよう中にいる先客の避難民に交渉している。

 

 結局一人の死傷者も出ずにここまでたどり着くことができた。あとは警戒するべき方向は後方のみのため、よっぽどのことがない限りこれ以上の被害は出ずに済むだろう。

 

 あずさがそう思っていた矢先――そのよっぽどのことが起きた。

 

 まず、警戒していた後方に、大型の銃を携えたゲリラたちが姿を現す。それに対して心の準備をしていた後方警戒担当たちの対応は優秀で、すぐに目につく限りの銃器を次々と魔法で無効化していく。

 

 そしてその直後、突如として地下通路中を揺るがす轟音と振動が響いた。

 

「地震か! 運が悪い!」

 

 文也の近くにいた範蔵がそうこぼしながら、天井が崩れてこないか警戒しつつ、ゲリラたちに魔法を浴びせる。

 

 あずさもそれを聞いて、間の悪い地震だと思った。

 

 しかし、文也は違った。

 

 そそくさと範蔵の後ろに隠れると、携帯端末を取り出して何やら操作し、画面を見て目を見開いた。

 

「おい、直立戦車かよ!?」

 

 それを聞いたあずさは耳を疑った。しかし、文也がこんな場面で意味不明な冗談を言うはずではないこともよく知っている。

 

 ここまでの流れや文也の発言を推察すると、あまりにも都合が悪すぎる地震は、実は地震ではなく、直立戦車によるものらしい。文也はどうやったのかはわからないが、不可解な地震をいぶかしんで地上の様子を確認し、自分たちの真上に直立戦車がいることを確認したのだろう。

 

 地下シェルターに入る直前にゲリラが無茶ともいえる襲撃をしてきて、そのタイミングで直立戦車によるこの振動。では、この振動の目的は?

 

「頭をかばって伏せてください!!!」

 

 あずさがそこまで考えたところで、同じく後方警戒に当たっていた廿楽が大声で叫ぶ。ちょうどぴったりゲリラたちの無力化が終わったタイミングでひときわ大きな振動が響き、ついに地下通路の天井は崩れてくる。

 

「くっ!」

 

 文也はとっさにあずさに飛びついて押し倒し、自分の身を被せて守ったうえで、体中に仕込んだCADで何種類もの防御魔法をとにかく展開する。

 

 しかし、いくらなんでも大量の巨大な瓦礫の落下から身を守ることはできない。

 

「ふみくんっ!?」

 

 自分の名前を体の下であずさが悲痛な声で叫ぶのを聞きながら、文也は無力感に襲われる。

 

 思い出すのは、三か月弱前のこと。『モノリス・コード』新人戦で、反則攻撃によるビルの崩落で親友である駿が大けがを負った時のことだった。

 

 あの時は自分には何もできなかった。あとから治療を施したりはしたものの、力が及ばず未然に事件を防ぐことはできなかった。

 

 あの時は幸い死人は出ていない。しかし、この状況では、大怪我だけでなく死は免れないだろう。

 

「文也!」

 

 大声で自分の名前を呼ぶ駿の声が聞こえてくる。駿はとっさにクイック・ドロウでCADを抜き、文也に向けて魔法を行使している。そのCADはいつも彼が使っているものではなく、先日川崎に行ったときに返そうとされたがせっかくだしということでそのままプレゼントした、障壁魔法専用のCADだ。

 

(あのバカっ!)

 

 文也は内心で毒づく。あの時も駿はすさまじい反応速度で魔法を行使したが、守ったのは自分ではなく同級生たちだった。結果、自分だけが大怪我を負ってしまったのである。

 

 そして今回も、駿はもうすぐ真上の天井が崩れるであろう自分ではなく、今まさしく瓦礫が振ってきている文也を守ろうと魔法を行使したのだ。

 

 崩落の範囲は、間違いなく駿も巻き込む程に広い。これだけの量の瓦礫が降ってくるとなると、駿と文也の干渉力では何も効果が出ないだろう。

 

 終わった。

 

 今までにない絶望感と無力感に襲われた文也は、それでも本能で魔法を維持しながらも、これからくる痛みに恐怖して、ぎゅっと瞼を強くつむる。

 

 俺は死んでもいい。願わくば、大切な人だけはなんとか生き延びてくれ。

 

 そう祈って、カタストロフィーを文也は受け入れた。

 

 その様子を目を見開いて見ていた駿は、文也が諦めたという光景以上に、信じられない光景を目にした。

 

 ついに一気に崩落した天井は、しかしそのまま落下することなく、なぜかアーチ状になっている。お互いの重さを支えあい、絶妙に崩落をしないでいるのだ。

 

 それでも、いち早く落下を開始した文也の真上から降ってくる瓦礫はそれに影響されることなくそのまま落ちていく。大きな瓦礫ではないが、駿が展開した障壁魔法を一瞬で破る。しかしその下には文也が展開した多数の防御魔法があった。『減速領域』で減速し、落下のベクトルを横にする魔法の影響を受けるほどに減速していたために落ちる角度が少しずれ、最後に魔法障壁をなぞるようにして転がって文也からズれ、そして地面に落下した。

 

 ――駿は、その光景を時が止まったように見ていた。

 

 同じく、時が止まったような錯覚をしていた文也は、いつまでも意識があることを不思議に思い、恐る恐る目を開け、ゆっくりと振り返って天井を見て、アーチ状に組みあがった瓦礫を見て目を見開いた。

 

 そこからの文也の反応は迅速だった。

 

(何が何だかっ!)

 

 わからない。しかし、何があろうと生き永らえたのだ。そのチャンスを無駄にしてはいけない。

 

 文也は、唖然として涙をぽろぽろとこぼすあずさを抱えると、魔法で加速しながらその場を離れてようやく開いたシェルターの中に飛び込む。それに少し遅れて、十三束がうずくまる女子生徒を回収してシェルターに戻ってきた。その直後に石のアーチは崩れ、間一髪のところで全員が助かった。

 

「はああああああああ、よかった…………」

 

 文也は途端に全身の力が抜け、そう漏らして固い床に倒れこんだ。

 

 冷たい床の感触を受けて少しずつ冷えた頭で今起こったことを振り返る。

 

 ようやく合点がいった。あの天井の崩落を防いだのは、廿楽の『ポリヒドラ・ハンドル』だ。

 

(さすが、天才教授サマだぜ……)

 

 文也はそんなことを考えながら、極度の緊張から解放されたせいか、そのまま意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也が目を覚ましたのは、それから数十分後のことだった。

 

 気絶するように意識を手放したものだから、目が覚めてしばらくは何があったのかわからなかった。いつも寝ているベッドやカーペットを敷いた床の感触ではないということをまず感じる。背中に伝わるのはもっと寝心地が悪い、まるで固いタイル床の上に毛布を敷いただけのような感触だ。

 

 何があったのか。今一つ合点がいかないまま、文也はとりあえず目を開けた。

 

「ふみくんっ!」

 

「目が覚めたか」

 

 真っ先に認識したのは、自分の顔を覗き込んでいる二人の親友の顔と声だった。そしてその瞬間、なぜ今こうなっているのか、すべてを思い出す。

 

「……運がよかった。本当に、運がよかった。廿楽センセのおかしい頭に乾杯だ」

 

 地下シェルターを目前にしてからの流れは、文也が人生で味わった中でも一番の危機だった。

 

 まず間違いなく、廿楽がいなければここにいるほとんどが、良くても重傷、普通ならば死んでいただろう。彼が天才的知能を持っていなければ、彼が魔法幾何学に興味を持たなければ、さらにそれを研究する道に進まなければ、彼がその魔法を実行する力がなければ、彼がもっと協調性があったら、彼が一高に配属されなかったら、彼が引率教員ではなかったら……どれか一つでもボタンが掛け違っていたら、大惨劇が起きていたことになる。

 

 また、廿楽がいただけでは文也がこうして怪我無くいれることにはならなかった。

 

「駿……もっと自分のことを優先してほしいもんだけどよ……今回はほんと助かった……」

 

「お前に言われたくはないがな」

 

 文也は駿に心の底から感謝をした。それに対して駿は照れ隠しと本音が半々になった皮肉を返す。

 

 駿が使ったCADに文也が入れていた魔法は、障壁魔法ではあるのだが、少し特殊な性質を持つ。

 

 普通の対物障壁魔法は「移動速度をゼロにする」というマイナス加速系――減速系と言った方がはるかにわかりやすいし世間でもそういわれているが、定義としての分類上はそう呼ぶ方が正しい――の領域魔法である。

 

 一方、文也に与えられて駿が使った魔法は、マイナス加速系であるのには変わりないが、「移動速度を一瞬でゼロに近づける」という改変が定義されている。

 

 結果としてはほぼ変わらないのだが、普通の障壁魔法が「直接ゼロにする」のに対してこの魔法は「だんだんゼロにする」ものであり、同じ結果を導くにしても、必要干渉力はこちらの魔法のほうが少なくなる。結局のところただの『定率減速』や『減速領域』の亜種なわけだが、その効果が今回は幸いした。この魔法は『減速障壁』として障壁魔法の歴史の中でも初期に開発されており、初心者向けの障壁魔法として普及している。

 

 普通の対物障壁魔法なら、駿の干渉力ではあの落下してくる瓦礫を防ぐことができなかった。結局のところ駿はこの『減速障壁』でも瓦礫を防げなかったわけだが、それに付随する結果は違う。

 

 普通の対物障壁魔法ならば、駿の干渉力を超えたあの瓦礫の落下に対して、本当の意味での『無力』であり、なんの効果も及ぼさない。しかし『減速障壁』に触れた瓦礫は、干渉力が不足していて速度がゼロにはならなかったが、ほんの少しだけ減速したのである。自由落下というのは落下距離に応じて加速していくものであるため、間にほんの少しの減速が挟まるだけでも、文也の防御魔法に届くころの力の差は大きくなる。

 

 結果、そのおかげで現象としての干渉力が弱まった瓦礫の落下に対し、文也の魔法はしっかりと働いた。『減速領域』で速度を落とし、落下を跳ね返したり止めたりするのではなく落ちる角度をズらす領域魔法によって少しだけズらし、上方向に膨らむように展開した「自分がいる方向への移動速度をゼロにする」という改変を定義された対物障壁魔法の上を先の魔法の効果も相まって滑っていくようにした。結果、瓦礫は、文也もあずさも傷つけることなく、その横に轟音を立てて落下したのだ。

 

 文也の干渉力では、間違いなく駿の魔法なくしては防ぐことができなかった。もしかしたら、という可能性すら考慮することはない。なぜなら、文也は自分の干渉力の限界というものを常人よりもより正確に認知しているからだ。

 

「よかった……本当に、よかった……」

 

 文也は起こそうとした体を再び床に投げ出し、心の底からつぶやいた。そんな文也の顔を見たあずさと駿は、思わず驚きで息を呑む。文也の目からは、涙がこぼれていたのだ。コントロールされることない涙は文也の目からあふれ、こめかみや耳元を伝って頭の下に敷かれた毛布にしみこんでいく。

 

 文也はとても感情的な男だが、一方で性格はどこまでも図太く、感極まって涙を流すということはあまりない。少なくともあずさが最後に見たのは駿が九校戦で大怪我をした時で、そのひとつ前は小学生の頃にちょっとしたことで喧嘩したときだ。それでも流れた涙は少しで、ここまであふれ出るようなことはなかった。駿も、文也のこうした涙は見たことがない。

 

 命が助かった安堵というのは大きい。しかし、二人は、文也の涙の理由が、文也自身の命が助かったから出ないことが分かった。

 

 文也は、あずさと駿が助かったことに、心の底から涙しているのだ。

 

 文也は流れる涙をぬぐうことなく、あずさと駿の手を強く握り、嗚咽を漏らす。

 

 それに対して、二人はそれぞれ、自分はちゃんとここにいると示すように強く握り返す。そして、あずさは空いた手でハンカチを取り出し、文也の涙を優しくぬぐい取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし、じゃあそろそろやろうかね」

 

 しばらく泣いた後、文也はいつもの調子に戻ってそう言った。ただし、泣いてしまった気恥ずかしさを隠すためか、声のトーンはいつもよりも高い。

 

「え、何を?」

 

 さっきまでのしおらしさが霧散していきなり訳の分からないことを言う幼馴染を見て、あずさは目を丸くした。

 

 地下シェルターに避難さえしてしまえば、あとは一般市民であるあずさたちにできることはない。せいぜいがシェルター内の人々の怪我や心の具合を見たり、食料配分や役割分担を決めたりといったことしかないだろう。しかしそれも文也が気絶している間に教職員を中心とした大人や上級生たちがおおよそ終えているので、わざわざ文也が気合を入れて何をするのか見当もつかなかった。

 

「んー、いや、あーちゃんは関係ないかな。こっからは俺と親父の話」

 

 そんなあずさの問いに、文也はそう答えるが、結局「何をするか」がわからないままだ。文也は、隠しているのではなく、説明する必要が無いから無意識に省いてしまったのだ。

 

 半目でじっと見てくるあずさを見て、文也は自分の過ちに気づき、すぐに補足説明をした。

 

「とりあえずあーちゃんたちの安全確保はできたし、もう大丈夫かと思ってさ。これから地上に出て、義勇軍に参加しようと思って」

 

「え、ええ!?」

 

 文也の答えに、あずさは目が飛び出んばかり驚く。そんな会話をしている二人のそばに、一仕事終えた文雄がやってきた。

 

「おう、文也。ある程度準備も整ったし、そろそろいくぞ」

 

「おっけー、じゃ、あーちゃんと駿、こっちは任せたぞ」

 

「待って待って待って!!!」

 

 複数ある内の一番小さな出入口へ歩き出そうとした二人に対し、あずさは慌てて制止する。

 

「せ、せっかくここに避難できたんだし、民間人のふみくんたちが行くことないよ! 危ないし、ね? ここで救助がくるのを待ってよ?」

 

「それもそうだけどよ、なんか地上の様子見てるとどうにも不安でさ。それにマサテルとジョージが心配だし」

 

「あずさちゃんが心配してくれるのは嬉しいけど、俺も義勇軍として参加しなきゃいけないんだ。恩人から動員要請が来ていてね」

 

 そんなあずさに対し、二人は各々の理由を示す。文雄が説明しながら見せた端末の画面を見ると、送り主『ジイサン』と設定された人物からしきりにメールが届いていることがわかる。

 

「そ、そうだ。ねえ、ふみくん。さっきの直立戦車がどうこうってときもそうだけど、ふみくんはどうやって地上についてわかってるの?」

 

 文雄は仕方ないと割り切るしかない。大人の事情というのはどこにでもあるもので、それに対してあずさはどうこう言う権利がないのだから。

 

 代わりに、まだ納得がいかない文也のほうを崩すことにした。「地上の様子を見てると」と言っていたが、ここずっと地下にいたのだから、地上の様子が分かるはずもない。何を言っているのかがわからないというのが嘘偽りない感想で、根拠が希薄なようだったらあずさは無理やり止めるつもりでいた。

 

「ああ、そっか。ほい、これ」

 

 そんなあずさに対して文也が見せたのはまたも携帯端末の画面だ。そこには地上の様子を高層ビルほどの高さから俯瞰している映像が映っていた。

 

「な、なにこれ!?」

 

「地上偵察用ドローンだよ。ステルス性能に特化したやつだ」

 

 画面に映っていたのは、高いところでホバリングしているドローンが送ってくる地上の様子だった。襲撃があって早々に文雄は近場の『マジカル・トイ・コーポレーション』関連の施設に連絡を送り、偵察用のドローンを総動員してこちらに送ってもらっていたのだ。

 

 あずさは同じような画面をみたことがある。将輝の家で夏休みにやり、また以前からちょくちょく文也の家でもやっていた、本格的な戦略シミュレーションゲームの俯瞰映像と同じだ。

 

 そしてその時の知識に照らし合わせると、地上の様子は好ましいとは言えない状況だ。突然の奇襲に対してかなりよく戦えている方だとはいえるが、有利とはいえない状況である。どうやら襲撃者は本格的な戦闘に入ろうとしているようで、偽装揚陸艦と思われる大きな船から穏やかでない兵器の数々が次々と動き出すのが見えた。

 

「なんだこれは。確かにまずいな」

 

 ちょっとだけその場を離れていた駿が戻ってきて、あずさの手にある端末の画面をのぞき込んでつぶやく。確かに、地上は好ましくないどころか、このままいくと「悪い」にまでなってしまう。

 

「二人とも地上の義勇軍に参加するんですよね? それなら、途中まで俺もついていきます」

 

 文也を止める増援が来たとひっそりと期待したあずさは、期待を態度に出すまでもなく裏切られた。駿が見せた端末には、『親父』と名前が付けられたメールが何通が届いている。森崎家のボディーガード業は有名な話であり、そこの高校生の一人息子として、義勇軍に参加する義務があるのだろう。

 

「……わかったよ、もう」

 

 旗色が悪くなったあずさは、文也以外に二人いるにもかかわらず、口をとがらせて敬語でない拗ねた口調で降参をする。しかしすぐに真剣な顔つきになり、文也に向き合う。

 

「でも、せめて、私に手伝えることがあるなら言って。どんなこともするから」

 

 あずさは自分が戦闘向きの魔法師でないことを自覚している。魔法力そのものは随一だが、こと戦闘やスポーツとなると、一年生にすら負けるだろう。自分もついていく、となっても、弾避けにしかならない。

 

 しかし、それでも、自分だけが安全な場所にいるというのが我慢できなかった。それならばせめて、何か一つでも、文也たちのために手伝いたい。

 

「わかった。じゃあちょっとこっち来な」

 

 そうしたあずさの意志をくみ取った文雄は、あずさを手招きする。文雄が歩いていく方向にあるのは、地下通路の様子を監視するためのモニター室だった。

 

 今は地下通路を監視する必要がないため、誰もいないモニター室。そこにずかずかと入った文雄は、正面の椅子に座ってコンピューターを操作すると、端末とケーブルをポーチから取り出してそれにつなぐ。すると、数々のモニターに、様々な場所の様子が映し出された。

 

 目を丸くするあずさと駿に対して、文也が代わりに説明する。

 

「この部屋のシステムをハッキングして、親父が用意した九個のドローンの映像と操作権限をコンピューターに移した。あーちゃんには、ここで後方支援モニターをしてもらいたい」

 

 そう説明をしている間に、文雄は自分の耳にも嵌めながら、文也と駿にコードレスイヤホンを渡す。

 

「あーちゃんにはあの親父の端末を通じて俺たちにモニター情報を逐一教えてもらいたい。これがあるのとないのとでは大違いだ」

 

 あずさが唖然としながら思い出したのは、この夏に文也から聞いた、三年前の佐渡での出来事だ。考えてみれば、その時も奇襲を受け、地下シェルターに避難し、そしてモニターを利用して文也は戦場に復帰していた。思うに、これはその佐渡の地下シェルターに似たシステムなのだろう。文也があれほどの施設をハッキング出来たのもまた、今目の前で軽くここをハッキングして見せた文雄からのアドバイスがあったに違いない。

 

 話を聞いていた時はあまりにも異次元のことに思えたが、まさかそこから三か月もしないうちにそんな出来事に自分が巻き込まれるとは思わなかった。

 

 あずさはちょっとした皮肉を感じながらも、モニター正面の大きな椅子に座り、文雄から操作を教わる。

 

 しばらく教わって飲み込みよくあずさが理解したところで、いよいよ出陣となった。

 

「三人とも……無事に帰ってきて」

 

 文也と駿と文雄は、椅子から立ち上がって胸に手を当ててそう言ったあずさに対し、各々の感情をこめてしっかりと頷いて、モニター室を出て行った。




文雄のモーニングスター、元々は「エスカリボルグ」という名前をつけるつもりでしたし、本編の性能もそれを意識して設定したのですが、名前は没にしました。理由は、シリアスシーンで「エスカリボルグ」という文字の並びが出るだけで雰囲気が滅茶苦茶になるからです。


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4-4

 複数ある地下シェルターの出入り口の内、文也たち三人は一番小さいところを選んで、そこから出て地下道を進む。あらかじめこの出入り口から出るのを決めていたため、すでに文雄の指示で部下がドローンを待機させており、あずさが操作を引き継いだそのドローンに導かれて三人は走って地上を目指している最中だ。

 

 文雄と駿は普段から鍛えているためかなりの俊足だが、文也は体が小さくてストライドも短く特に鍛えてもいないため、木々や障害物を避けて駆け回るようなすばしっこさはあれど、ただ走るとなるとどうしても遅い。単独行動は危険なので自然文雄と駿は文也に合わせて加減しながら走ることになる。

 

 しかしそれでも、三人の移動速度はかなり速い。

 

 魔法で加速しているというのも当然ある。

 

 それでも通常ならば、安全確認や進路に敵がいないかを確認しながら進んだり、はたまた地下道なので足音が響きやすいため敵にばれないよう慎重に進んだりして、何もなく走るよりも遅くなる。しかし、あずさが操作するドローンが三人に先行して飛んでいき索敵も素早く済ませるため、三人は何も考えずにただ走るだけでよく、その分すんなりと地上へと向かうことができた。

 

 文也が気絶していた(寝ていた?)間に文雄は地上の様子をある程度観察していたし、またこの走っている最中にも文也の端末を使って地上の様子を逐一チェックしており、シェルターに向かい始めてからまた出るまでの間の戦況もよくわかっていた。

 

「親父は化け物か」

 

「同感」

 

 文雄は、「走りながら」サブ端末で戦況を細かくチェックしていた。しかも、それでいてさらに文也の全力に対して手加減ならぬ足加減して合わせいるのだ。人間離れしたその働きは、文也と駿から見ればまさしく化け物のようである。

 

 そんな文雄のおかげで地上の様子はリアルタイムで大体わかっている。

 

 現在は四時四十分。真紅郎たち三高は無事バスで出発し(駿が走りながら真紅郎と連絡をして確認済み)、将輝だけは十師族の長男として義勇軍に加わるべく別行動をして、戦線に加わっている。

 

 将輝の『爆裂』は生物や機械・機器に対して頼もしくも恐ろしい力を発揮するので、普通ならそう心配はいらない。しかし戦場に「普通」というのは中々存在せず、文也はある予測から将輝が不利な事態に陥るのではないかと心配している。

 

「親父、敵はやっぱ大陸系か?」

 

「ああ、地上の『仲間』から連絡が入ってる。あっちで流行りの古式魔法の使用が確認できた」

 

「大亜連合、か」

 

 引き続きあずさのドローンの先導で将輝が加わるであろう中華街方面の戦線に向かいながら情報を共有する。

 

 文雄の情報網により――三人は知る由もないが達也たちや深雪たちに遅れて――侵攻してきたのが大亜連合であることはシェルターにいたときからすでに予測できていて、改めてそれを確信した。

 

 そうなると、古式魔法は将輝にとっては分が悪い相手になりうる。古式魔法が得意な式神や幻影は液体を含まないので『爆裂』を中心とした得意の液体干渉は通用しない。将輝の干渉力ならば生半可な化成体や幻影は軽く消し飛ばせるが、相手は間違いなく生半可ではないだろう。将輝が搦手に弱いのは百も承知であり、そこが文也には心配だった。

 

 そして、その予想は、残念なことに的中してしまった。

 

 将輝は敵が闊歩する中を『爆裂』で押し切って戦線に加わったが、その後すぐに幽鬼の隊列の幻影攻撃にさらされている、ということが空高くを飛ぶドローンによって目視したあずさからの報告によってわかった。こうなると将輝は不利な消耗戦に応じるしかできない。

 

 将輝のスタミナ切れは時間の問題だ。そうなる前に三人は駆け付けなければならない。

 

 地上に出てからの三人は、敵が闊歩する地上を、敵が少ない地下道よりも速く駆け抜けた。

 

 敵の位置は偵察用の複数のドローンによって筒抜けで、それを蹴散らせばよい。

 

 魔法の高速行使で駿が立ちふさがる敵を崩し、そこに文雄が飛び出して敵を叩き潰して道を切り開き、文也はあとから加わってくる周辺の敵を魔法でまとめて処理する。

 

 駿の圧倒的な速度で行使された魔法は正面の敵の統率や戦闘能力を乱し、その隙に文雄が全員を叩き殺す。それに気づいた周りの敵は一斉に攻撃しようとするが、武器を構える暇もなく、血の花となって爆散するか、比喩でなく「目の前が真っ暗」になりそのまま気づく間もなくその闇の中を走る「光の筋」によって急所を貫かれて死亡していく。

 

「ちょ、文也、それはまずいだろ!?」

 

「そうも言ってらんねぇだろ!」

 

 その魔法を行使したのは文也だ。その魔法を見た文雄は顔を青ざめさせながら息子をなじり、そんな父親に対して文也はまずいとは自覚していつつも言い返す。

 

 文也が使った魔法は、九校戦からさらに磨いた『爆裂』と、そして魔法界で『流星群(ミーティア・ライン)』と恐れられてる収束系の魔法だ。

 

 これは、空間の光の分布を偏らせ、その光が100パーセント透過するラインを作り出す魔法である。その結果、「ライン上は光が100パーセント透過する」という改変によって、光の透過を妨害することになるそのライン上にあるモノは、改変につじつまを合わせるために気化する。ライン上にモノがあればそのラインの部分に穴が穿たれるのである。

 

 モノの構造情報に干渉する最も高度な魔法の一角であり、この魔法を防ぐには、達也のように術式そのものを解体するか分解する、または光の分布という点において『領域干渉』などで干渉力を上回るしかなく、防御の難しさや威力は戦術級に匹敵する。

 

 この高度で強力な魔法を使えるのはこの世にただ一人。その魔法の威力や裏世界での影響力によって『極東の魔王』『夜の女王』と恐れられる、七草家と並んで十師族最有力で『アンタッチャブル』と呼ばれる四葉家の当主・四葉真夜のみだ。

 

 つまりこの『ミーティア・ライン』は、日本で一番恐ろしい家系・四葉家の当主の専売特許であり、四葉家が絶大な影響力を持つ大きな理由の一つである。当然起動式どころか魔法の仕組みすら公開されていないのだが、文也はそんな魔法を、今連発してしまっている。

 

 克人との演習に備えて文也が用意していた三つ目の作戦は、この魔法だった。『領域干渉』以外では防ぐ術がなく、これならば克人の『ファランクス』も破れるかもしれないと思い、九校戦に間に合わなくて放置していた開発を急ピッチで進め、何とか形にした。とはいえ文也の干渉力では克人の『領域干渉』は破れないため、(開発・使用・リスクのすべての面において)用意していた三つの中では一番難しいものだったが、効果は一番期待できないというとてつもなくコスパの悪いものとなった。

 

 結局強制不参加となったことで日の目を見ることがなかったので未練がましく起動式を登録した専用CADをいくつか身に着けてきた。しかし、まさかこんな全くうれしくない形で使うことになろうとは、文也も予想外であった。

 

 ただし、(文也は知る由もないが)真の使い手たる真夜は一度の行使でまさしく『流星群』のごとく光のラインを作り出せるが、文也の適性や魔法力、自身で手探りで開発した起動式では一度の行使で作り出せる光のラインは一本が限度だ。複数のCADを同時に使ってごまかしてはいるが、元の魔法には及ぶべくもない。『流星群』ではなく、さしずめただの『流れ星』程度でしかないのである。『流星』や『メテオ』のほうが文也本人としてはかっこいいのだが、あいにくながらどちらも全く別の魔法として名前が使われている。

 

 文也としても、この魔法は使いたくはない。なにせ使えば、たとえ劣化コピー以下の代物であろうと裏社会の頂点である四葉家は間違いなく認知するし、間違いなく目を付けられる。下手をしなくても『分子ディバイダー』の件で何か動いてくるであろうUSNA軍よりも恐ろしいことをしてくるだろう。

 

 それでも、今は使わざるを得ない。素早くかつ確実に敵を仕留めるには今持ってきている魔法の中では『爆裂』に並んで間違いなく有効であり、敵の数が数なので『爆裂』だけというわけにはいかず、仕方なく使うほかないのだ。未来のことを考えて使い渋り、その結果今死ぬようでは意味がないのである。

 

 そんな甲斐もあって、三人はすぐに中華街の戦線に合流した。そこでは幽鬼の隊列相手に将輝が物陰に隠れながらほぼ一人で奮闘をしていた。

 

「マサテル!」

 

「ふ、文也!? それに駿や文雄さんまで!?」

 

 そんな将輝の名前(?)を叫びながら、文也は幽鬼が進んでくる道の四分の一を覆う形で『領域干渉』を使用して幻影を消しとばす。将輝はいきなり自分の名前(?)を呼ばれ、さらに予想だにしない二人の友とその父親の参戦に困惑する。

 

「お前が心配だからシェルターからやってきたんだよ」

 

「よう将輝君、元気してたか?」

 

 駿は文也が残した四分の一に、文雄は残った半分に『領域干渉』を使って幻影をひとまず消しながら駿と同じ物陰に飛び込む。文也だけはそこに隠れず幽鬼の隊列の『核』のような存在であろう唯一残った木偶人形に魔法で攻撃をするが干渉力で負けて跳ねのけられ、舌打ちをしながら将輝たちに合流する。

 

「あ、ありがとう! 見ての通り元気ではないし、チョッと大変なことになってます」

 

「ジョークが言えるなら上等だぜ」

 

 将輝は信頼する三人の登場にぱっと顔を輝かせるが、すぐに顔を引き締め、復活した幽鬼の隊列を睨みながら答える。それに対して飛んでくる銃弾を間一髪躱してその物陰に飛び込んだ文也は、口角を上げて冗談を返す。笑い事ではないのだが、ジョークの一つでも言わないとやってられない状況だった。

 

 古式魔法は性質上それを発動したのが誰なのかわかりにくい。将輝としても幽鬼の隊列に場当たり的に対応しつつも元を断つべく使い手を探していたのだが、やはり見つからない。『爆裂』を見るや魔法攻撃に変えてきたせいで敵戦力もあまり削ることができず、数が多くてさらに見つけにくいのだ。

 

 そんな将輝に対し、文也はここに向かうまでに考えていた方法を提案する。

 

「ようは敵の中の魔法師をあぶりだして全員ぶっ殺せばいいんだろ?」

 

「それができれば苦労しない!」

 

「九校戦の『アイス・ピラーズ・ブレイク』で使ったあの領域魔法を使え。民間人はもういない」

 

「――っ! そういうことか!」

 

 文也の指示を受けて意図を理解した将輝は、文也たち三人が再び『領域干渉』で幽鬼を消しとばすと同時に、腕につけた汎用型CADで、まさかこんな短期間で二度も使うことになるとは思わなかった、もう一つの秘術を使用する。

 

 その効果は緩やかに表れる。将輝が指定した領域の中にいた敵兵士は最初は体温の上昇を感じただけだが、三十秒もすれば全身から水分が蒸発し、眼球を白く濁らせた死体に変わった。

 

『爆裂』の領域版ともいえる一条家の秘術『叫喚地獄』。指定した領域内の液体を振動による温度上昇で蒸発させる凶悪な魔法だ。

 

 この魔法もまた『爆裂』の一種であり、将輝は特に強い干渉力を発揮する。しかしそれでも元の『爆裂』よりは干渉力が弱くなり、手練れの魔法師が無意識でかけた、または普通の魔法師でも意識的にかけた『情報強化』を上回ることはできない。

 

 そして今回は、そのパターンに当てはまった。敵部隊の中にいた魔法師は皆息絶えることなく無事で、戦況の悪化を悟って撤退しようとしていた。

 

 これでは、結局のところ幻影を生み出している魔法師は倒せない。

 

 しかし、今回はそれでいいのだ。

 

「援護射撃、撃て!」

 

「隠れてないででてこーい」

 

「よし、さすがだ」

 

 文也と駿は遮蔽物から飛び出し、逃げようとする敵の魔法師たちを次々と魔法で戦闘不能にしていく。二人に向けられる攻撃は文雄の指示で動いた仲間たちの援護射撃によって沈黙させられ、二人は遠慮なく攻撃に集中できる。

 

「ふう……上手くいったか……」

 

 将輝は結果を確認してから消費が激しい領域魔法を止めて一息つく。自分一人だったらこの作戦も中々思いつかなかったか、民間人が残っている可能性を考慮して躊躇していただろう。三人が来てくれたおかげで速やかにこの戦線に勝利することができた。

 

『叫喚地獄』は幻影を作り出していたであろう術者を炙り出すためのものだった。この地獄の中で生き残れるのは『情報強化』をかけられる魔法師だけであり、また大多数であろう非魔法師が一斉に死ねばその魔法師自身も動かざるを得ない。そうして炙り出して逃げざるを得ない魔法師を、魔法式構築速度に優れる文也と駿が速やかに倒す。

 

 無事に作戦は成功し、ごく少数を逃がしただけであとは殲滅することができた。あの厄介な術を使っていた魔法師も倒すことができただろう。

 

「よーしよしよし、マサテル、怪我はないか?」

 

「一応地下から包帯ぐらいは持ってきてるが」

 

「おかげさまでな」

 

 満足げな文也と疲れた顔の駿が戻ってくる。将輝は肩をすくめて怪我がないことをアピールすると、後ろで自分たちを助けてくれた兵士たちを見る。

 

「……思ったより生き残ったな。なんでか知らないけど」

 

 幽鬼の隊列は幻影だが、その攻撃は体に当たってしまうと、催眠術のたぐいだろうか、赤い痣を浮かべて死んでしまう。いくら自分が頑張ったといえど守り切れてる自信はなかったのだが、嬉しいことだが奇妙なことに、予想よりもだいぶ生き残っている。

 

 文也たち三人が何かしてくれたのかというと、そうでもなさそうだ。将輝の感覚では、三人が駆けつける前にも何人も幽鬼に襲われている。それなのに、無事に生きているのだ。

 

「ああ、それはあーちゃんのおかげだな」

 

「中条先輩が?」

 

 嬉しそうに笑いながらの文也の回答に、将輝は不思議に思い眉を顰める。あずさの実力や知能は将輝から見ても頼りになるが、体格や運動能力、そして何よりも精神力の面では、この戦線にはとてもではないが参加できそうにない。

 

 そんな将輝に、文也は自分の携帯端末を渡す。画面には「あーちゃん」と表示されており、どうやらあずさとつながっている電話に出ろということらしい。

 

「もしもし、一条将輝です」

 

『あ、もしもし、一条君ですか? 良かった、無事みたいですね』

 

「ええ、おかげさまで」

 

 久しぶりに聞く、年齢以上にだいぶ幼いあずさの声だ。

 

『私は戦闘とかできそうにないから、ふみくんのお家で持ってるドローンを使ってシェルター内のモニタールームで偵察をしているんです』

 

「ははあ、そういうことですか」

 

 将輝は納得して頷きながら返事をする。なるほど、戦場には出てこないで、ドローンで偵察というのは適任だ。彼女の恐ろしさは夏休みに遊んだシミュレーションゲームで体感済みであり、この上なく適任だと確信できる。

 

 しかしそれなら、なおのこと不可解な部分もある。あずさがこの場にいないというなら、なぜ仲間たちが生き残っているのが彼女のおかげなのか。魔法どころか、物理的な援護もできないはずの彼女がどうやって仲間たちを救ったのか、予想がつかない。

 

「ん、いや、まさか……」

 

 魔法による支援は、常識で考えたらできない。

 

 しかし、ドローンで偵察していたというなら、同じような条件で魔法を使って見せた人間が、すぐ隣にいるではないか。

 

「まさか、先輩、カメラ越しに見ながら『情報強化』をかけたんですか?」

 

『え、えーと、カメラ越しに使ったのは正しいんですけど、『情報強化』ではないです』

 

 将輝は愕然とした。

 

 魔法は物理的な距離に影響されず、理論上は対象位置さえ認識できていれば行使は可能だ。

 

 しかしそれは理論上であり、行使するのが人間である以上、可不可や精度はその術者本人の主観によるところが大きい。目視できなければ確実な魔法行使は難しいし、さらに目視できていても距離が離れていたり視力が悪かったりで見づらいほどその精度や速度は落ちる。直接視認せず、カメラ越しに見るだけで魔法行使ができるのは、相当腕の立つ魔法師だけで、将輝ですらそれは不可能だ。

 

 そんな離れ業を、将輝は一度だけ見たことがある。忘れもしない、あの三年前の夏休みに味わった、佐渡の地獄だ。

 

 その時にそれをやってのけたのが、隣で満足げににやにや笑っている文也だ。シェルター扉の向こうにいる敵兵士に、隠しカメラで見ただけで魔法を使って攪乱をしてみせた。

 

 普通に考えれば不可能。そして、そんな普通を乗り越え、不可能を可能にした例を将輝は見たことある。

 

 しかしそれでも愕然とした。文也に関してはもはや常識の外枠として色々と達観していたのだが、常識人枠のはずだったあの小さな先輩も、それをやってのけたのだと言う。

 

『その、秘密にしていただきたいんですけど、私、精神干渉系魔法が得意で、これだけならなんとかカメラ越しでも使えるようになったんです。あれは催眠術のようなので、襲われた人の精神にそれに対抗する魔法をかけました』

 

「…………そうですか。なるほど、わかりました。はい。今は有事で仕方ないので、このことは伏せておきます」

 

 将輝はあずさの説明を聞き、ついに諦めた。

 

 もう、「そういうもの」だと思うことにしよう。一人が二人になっただけだ。

 

 そんなことを思っていたので、将輝の返事は平坦でぞんざいだった。それでも気弱な先輩がうろたえないように、フォローだけは入れておく。精神干渉系魔法の使用は厳しく制限されているので本来は勝手に使うことは許されないが、人命救助のためならば仕方がないのだ。

 

 将輝から端末を返却された文也は、あずさから偵察の報告を受けながら内心で満足げに頷く。

 

 あずさの固有魔法である『梓弓』は、自身を中心とした円状または球状の範囲にいる不特定多数に作用する情動干渉系魔法だ。それが得意なあずさは、簡単なものならば、『梓弓』とは性質が違う、個人を対象とする精神干渉系魔法も得意なのである。

 

 彼女は先にドローンでこの戦線の状況を察すると、ドローンを降下させてより見やすくして、幽鬼に襲われている非魔法師の仲間兵士に優先的に魔法を行使して救った。

 

 使用したのは、精神の波を平坦にして恐怖心を抑える精神干渉系魔法『カーム』だ。

 

 剣に斬られたという「勘違い」は視覚的に斬られることで起こり、それによる恐怖を増幅させる催眠術を重ねることで死に至る。

 

 その恐怖心を『カーム』によって減らすことで、仲間兵士を死から救ったのだ。

 

 これは、文也のアドバイスや指示があったわけではない。

 

 あずさは、最初に幻影に斬られた仲間が死ぬのを見た瞬間に自分の力でその仕組みに気づき、自分の判断で的確な魔法を選択したのだ。

 

 カメラ越しに見るだけで魔法を使う高等技術だけでなく、観察力と状況判断力、そして決断力があってこそのことだった。

 

「さて、どうしたもんかねえ。ドローンも半分以上敵に壊されちまったけど」

 

「それだけあれば十分じゃないか? どうせ今の脱走兵は中華街に逃げただろうし、そこから引っ張り出せばひとまず俺らの仕事は終わりでいいだろ」

 

 あずさからの報告は以下の通りだ。

 

 まず、ドローンが半分以上壊され、今あずさに操作権があるのはもう三台しかないこと。

 

 今の文也たちの攻撃から逃れた脱走兵は中華街のほうへ逃げて行っていること。

 

 克人などの活躍で全体としてだいぶ押し返しつつあること。

 

 真由美たちは、つい先ほどまでいろいろとトラブルに見舞われていたが、黒いスーツを着た不思議な集団に護衛されてヘリに無事に乗り、現在は地上で戦っていた深雪たちを迎えに行っていること。

 

 真紅郎たちが乗る三高のバスは安全圏まで脱出できたこと。

 

 ドローンの件以外はこれ以上ないほど順調に進んでおり、もう文也たちがする仕事はほとんどないと言ってもよい。駿の言う通り、中華街に逃げた敵を捕縛しておしまいだ。

 

「よし、じゃあそうしよう」

 

 将輝の決定により、仲間兵士たちも移動の準備をする。

 

 最後の一仕事のために、文也たちは中華街へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『きゃああああああ!!!』

 

 不意打ちに警戒しながら中華街に向かっていく途中、突然耳元のイヤホンから、あずさの悲痛な悲鳴が響いた。

 

「どうした!?」

 

 文也は即座に反応し、つなぎっぱなしにしていた携帯端末に叫んで呼びかける。銃声や人が入ってくる音は聞こえなかった。しかしいきなりのこの悲鳴は尋常ではない。

 

 まさか、シェルター内が襲われたか?

 

 あずさが答えるまでの数秒の間に思い至り、心臓が早鐘を打つ。

 

 問いかけに対するあずさの答えは、彼女の身の危険を示すものではなかった。

 

 しかし、彼女の友達が、命の危機に瀕していた。

 

『い、五十里君と桐原君が、撃たれちゃって!』

 

「ちっ、なんてこった」

 

 文也は同じく通話をつなぎっぱなしにしていた駿から端末をひったくってあずさを落ち着かせながら、自分の端末の画面を切り替えてドローンのカメラにつなぐ。

 

 真由美たちのヘリを追っていたドローンは、ちょうどそのヘリと地上で戦っていた深雪たちが合流する場面を映している。しかしどうやら無事にはいかなかったようで、桐原は銃弾を、桐原は榴弾の破片を受け、それぞれが取り返しのつかない致命傷を負っている。

 

 文也たちにできることは何もないのだから、戦場の不幸と割り切ってすぐに進行を再開するべきだ。しかし、あずさは友達が致命傷を負う瞬間を見てしまえば、さすがにショックが大きいのは文也にはすぐにわかったので、そんな彼女を放置することはできなかった。

 

 今すぐにでも戻って駆け付けたい気持ちをぐっとこらえ、ひとまず言葉をかけて落ち着かせようとする。

 

 そうして口を開こうとしたとき――画面の中で、信じられないことが起こった。

 

「……嘘だろ」

 

 深雪が静かに前に立ち、右手を敵兵士たちに向ける。

 

 それだけで敵兵士たちは急に動かなくなり、静止を通り越し、まるでそのまま彫像になったかのように「停止」した。

 

 身体を凍らせているわけでもなければ、何かで拘束しているわけでもない。体表に変化も見られなければ、もがく様子もなく、まるで動こうという様子がない。

 

 文也ですら、全く何が起こったのかわからない。

 

 こんな効果を起こす魔法は仕組みすら知らない。さらにいうと、感情によってサイオンが大量に流れだしてしまうほど魔法制御が未熟なはずの深雪が、CADもなしにこれほどの魔法を使って見せたのも訳が分からない。

 

 ただ、画面越しからでも、その絶大な力と、冷酷なプレッシャーだけは感じた。

 

 パニックになっていたあずさですら、声も出せない。その様子にくぎ付けになっているのだろう。

 

 文也たちの思考が停止する中、画面の中はさらなる展開を見せた。

 

 深雪が何かを叫ぶと、そこにいたのは、謎の黒づくめの兵士たちと同じスーツを着た男が、バイザーを上げてそちらを見る。バイザーの中身の顔は、ちょうど背中側から見ているのでわからない。するとその男は、手に持っているCADを五十里たちに向け、引き金を引いた。

 

 まず五十里に効果が表れる。光に包まれたと思ったら、いつのまにか彼の体に食い込んでいた榴弾の破片は周りに散らばるだけになり、服に染みた血すらも消え、何事もなかったのように回復する。

 

 次に桐原は、ちぎれた脚が移動してくっつき、また五十里と同じように元に戻った。

 

「なんだ……これ……」

 

 黒ずくめの男が使った魔法の効果であることは明らかだ。しかし、文也はこのような魔法を知らないし、どのような仕組みで成り立っているのかすらわからない。

 

「……お前もわからないか」

 

 文也の端末を後ろから覗き込んで様子を見ていた文雄が、絞り出すように問いかけてくる。文也はそれに、黙って頷いた。

 

 数秒そのまま沈黙した後、文也は大きく数回深呼吸し、動揺で力が入らない脚に無理やり力を籠め、立ち上がる。

 

「まあいい、とにかく進むぞ」

 

 何が起きたのか、結局分からない。

 

 だが、決して悪いことではない。

 

 それならば、今は何が起こったのかは置いておいて、こちらはこちらのやるべきことをやらなければならない。

 

「…………そうだな」

 

「よし、行こう」

 

 駿と将輝も同じことを考えたのか、二人とも己の頬をペチペチと叩いて気持ちを入れなおす。

 

 そんな様子を見もせず、文也は、黙って再度動き出す準備をしている父親の背中を見つめる。

 

 先ほど、文雄は、「お前『も』わからないか」と訪ねてきた。そのまま素直に読み取れば、文雄自身もわからないということだ。

 

 しかし、息子である文也は、そんな父親の様子の矛盾を、確かに見つけた。

 

 文雄の挙動や態度、声音からして明らかに――何か、知っている。

 

(まあいいさ。全部終わったらストライキしてでも聞き出してやる)

 

 だが、今は身内同士で詮索している暇はない。

 

 内心でどう聞き出そうかと思案しながら、文也は中華街へと一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その中華街でのやり取りは、想定していたものに比べたらあまりにもあっさりと終わった。

 

「あーさっきのやつ今から連れ出して拷問しねぇか?」

 

「バカ言え。怪しいどころの話じゃないが、証拠が何一つないぞ」

 

 文也は中華街の代表として出てきた美青年・周から引き渡された捕虜を足蹴にして不完全燃焼な思考を抑える手慰み(足慰み?)にしながら――国際法上の捕虜に対する扱いの決まりは心の中で破り捨てられている――協力的ながらもどう考えても怪しいその美青年について不満を漏らす。

 

 それに対し、気持ちは同じながらも、将輝は諫める。怪しいことこの上ないが、それだけでは拷問どころか尋問すらするわけにはいかないのである。

 

「さて、お迎えも来たことだし、そろそろ行くぞ」

 

 駿は空を指さしてそう言うと、文也が踏んでいた捕虜を特殊ワイヤーで一括りにする。

 

 駿が指さした空には、他の近隣の『マジカル・トイ・コーポレーション』の工場から遅れて到着したものを含む四つのドローンが滞空している。

 

 これから四人はそれぞれドローンにつかまって、各々の目的地に向かう。

 

 文也は捕虜を持って適当な軍関係者に渡した後にシェルターに帰り、駿と将輝は克人が奮闘している方面の援軍として参加し、文雄は念のため魔法教会支部があるベイヒルズタワーに向かうのだ。

 

 本来このドローンは一機につき一人が運搬の限度なのだが、文也は捕虜に軽量化の魔法をかけて運ぶつもりである。文也以外は自分の端末でドローンを操作し、捕虜を持つために手がふさがる文也はあずさが操作するドローンで移動することになっている。

 

「おーし、じゃあこれで」

 

 文也がそう言うと、四人は降りてきたそれぞれのドローンに掴まり、宙へと浮かんでそれぞれの目的地に向かった。



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4-5

 文也たちが飛び立ったころ、魔法教会支部があるベイヒルズタワー周辺ではレオたちと脱獄した呂剛虎との戦いが始まった。

 

「ちっ、ダメか」

 

 レオは『薄羽蜻蛉』で呂に襲い掛かるも、またもや回避され、むしろ反撃を受けて後退する。

 

 どんなものでも切り裂く極薄の刃は、レオの初めての『必殺技』である。これといった決め手に欠けていたレオに対し、エリカがその戦闘能力と硬化魔法の腕を見込んで教えたもので、実際にこの事変でも大活躍した。

 

「あれ? これ『カミソーリー』じゃね?」

 

 その概要を聞いた時、レオは思わずそう口走り、エリカの拳を顔面にプレゼントされた。 

 

 そしてのちにレオはこれが秘伝であることを知り、ようやくエリカが『マジカル・トイ・コーポレーション』を敵視している理由が分かったのである。

 

『カミソーリー』は、数センチほどの大きさの極薄の特殊材質のシートが収納されている棒状の小型CADで、『マジカル・トイ・コーポレーション』が数年前に発売したものだ。極薄のシートはペラペラだが、硬化魔法で固めることで、魔法なしでは実現しえない丈夫さを兼ね備えた世界最薄の刃になる。それをカミソリCADとして発売したのだ。

 

 しかしこれは大不評で終わる。極薄のシートは真っすぐに伸ばさないと硬化魔法で固めても刃として使い物にならず、その真っすぐにするというのがとてつもなく難しいのだ。どうしても曲がったり撓んだりしてしまい、使い勝手が悪い。しかも別に世界最薄の刃でもカミソリとしての性能が既存のものと大きく変わるわけでもなく、使用の敷居も高ければ使用する意義も薄いということで、まさしく一発ネタとして世間から冷たい対応を受けたのである。

 

 これだけなら笑い話なのだが、笑い話で済まされない集団がいた。それが『千葉家』である。

 

 この『カミソーリー』は、千葉家秘伝の『薄羽蜻蛉』とやることが丸被りしていたのだ。

 

 伸ばすシートはもっと大きいし、さらに言うと千葉家の技術の結晶であるこれは、『マジカル・トイ・コーポレーション』が無駄に最新の技術を以って開発したものよりもさらに薄い。『カミソーリー』は完全な劣化品だ。

 

 しかし、『秘伝』たる技術と発想が、被ってしまった。これは千葉家からすれば、偶然被ったというわけではなく、「情報が漏れた」と考えざるを得ない。そしてその疑いの目は、その秘伝を知る身内で向けあう展開になり、あやうく千葉家は崩壊しかけたのである。結局『マジカル・トイ・コーポレーション』から被害を受けた他の家の事例を知っていくうちに「ただの災難」として解決されたのだが、ただでさえやさぐれ気味なエリカが一番多感な時期にそんな光景を毎日見ていたものだから、彼女の心に深い影を落としていたのである。

 

 そうした経緯があって、八つ当たり気味の厳しい指導の末、レオはこの難しい『薄羽蜻蛉』を習得した。

 

 そんな『薄羽蜻蛉』は、結局呂に通じなかった。

 

 悔しさを覚えながらも、レオは笑みを浮かべる。

 

 自分の力では勝てなかった。しかし、「自分たち」は勝ったと確信したのである。

 

 摩利の『圧斬り』を間一髪で上体を反らして回避した呂の顔面に、上空からドライアイスが降り注ぐ。

 

(よし)

 

 この後の展開を予想し、レオは内心でこぶしを握った。

 

 呂はあのドライアイスに反応して撃ち落とすだろう。そしてそれによって呂の顔面周辺の空気が大量の二酸化炭素で埋め尽くされ、それを吸った呂は呼吸困難になって気絶する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、レオの予想通りにならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 二酸化炭素で埋め尽くされた空気を吸ったはずの呂は、気絶せず、反らした上体を鞭のように起こし、予想外の動きを見て茫然としているヘリ上の真由美に、地面に落ちていた大きな石を拾い上げて投げつける。操縦者がかろうじて反応して躱そうとするも、人間が投げつけたとは思えない速度で石がヘリに当たり、そのままコントロール不能になってふらふらと遠くの方へと落ちていった。

 

 呂は見た目や戦闘スタイルに反して、戦闘のプロフェッショナルとして冷静で、周到だった。

 

『圧斬り』を回避したついでに蹴り飛ばした少女には一度敗北している。その時は、二酸化炭素による呼吸困難によってやられた。

 

 その対策として、呂は、脱獄してから今日までの間に、一定以上の二酸化炭素を通さない障壁魔法を準備していた。その準備が実り、さきほどとっさにその障壁魔法を己の気道に展開したのだ。間一髪で間に合い、多少息が苦しいという程度で収まったため、呂は反撃に成功したのである。

 

 その様子を見ていたレオは、絶望感に襲われた。

 

 自身とエリカと真由美と摩利がこれ以上ない連携で戦ったのに、結果として呂はほぼ無傷で、自分たちは全員やられた。これほどまでの実力差があったのだ。

 

 どこか慢心していたのだろう。全てを切り裂く無敵の刃を新たに使えるようになり、その力によって油断していた。

 

(こんなのって、ありかよ)

 

 悔しさと悲しさと怒りがあふれてくる。

 

 このまま、自分たちは殺されるだろう。

 

 あふれ出る感情により、レオは、思わず天を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 そんなレオの視界を、黒い影が高速で通り過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呂は自分の視界がわずかに暗くなったのを感じ取った瞬間、半ば本能でその場を飛び退いた。

 

 

 ゴシャッ!

 

 

 その直後、上空から何かが高速で降ってきて、先ほどまで呂が立っていた場所に大きなクレーターを作る。

 

 呂はさらに距離をとって、降ってきた人物を観察した。

 

 日焼けした筋肉質な大男。手には禍々しい真っ黒なモーニングスターを持っている。あのモーニングスターで攻撃してきたのだろう。

 

 呂はその男を知っている。今回横浜に来ている人物の中で、要注意リストの上の方に載っていた男だ。

 

 

 

 

「井瀬文雄(ジンライウェンシィォン)……」

 

「すまんが中国語はわからんぞ」

 

 

 

 

 

 文雄はモーニングスターを構えなおし、白兵戦世界最強の一角である魔法師に、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドローンで移動してすぐ、ベイヒルズタワーに呂が出現したと聞いた文雄は、ドローンが壊れるほど速度を上げて急行した。

 

 息子には知らせていないが、文雄は呂のここ数週間の動きや経緯を知っていた。捕まって一安心していたのだが、まさか脱獄していたとは予想外だ。

 

 そうして急行したのだが、しかし文雄の視界に呂が映るころには、もうレオたちは敗北していた。

 

 そこで彼らの命を守るべく、文雄は上空から不意打ちを仕掛けたのである。

 

 使った魔法は『流星』と『メテオ』だ。『流星』は落下速度を大幅に増幅する加速系魔法で、『メテオ』は位置エネルギーを落下のある任意の瞬間に集中させる加重系魔法だ。『流星』を己自身にかけ、『メテオ』をモーニングスターにかけることで、まさしく隕石のような重さと速度を合わせた一撃を叩き込んだ。

 

 しかし、当たれば鎧も鋼気功も貫いて呂をぺしゃんこにできたのだが、超人的な反応速度で躱されてしまった。

 

「……お前がいるって分かってたら、将輝君を連れてきたのにな」

 

 文雄は内心で舌打ちをする。

 

 将輝は、呂を相手にするうえではとても相性が良い。呂の特徴はなんと言っても鎧と鋼気功による外部からの攻撃に対する圧倒的な硬さだ。一方で、およそ生半可な干渉力では突破はできないが、直接干渉する魔法には外部からの攻撃ほどには強くない。文也や文雄の干渉力では無理だが、将輝の『爆裂』ならば呂の干渉力を貫き、直接血の花を咲かせて簡単に無力化できる。しかし、いかんせん呂がいると知ったのは分かれてしまった後で、ここに来るまでに呼び出したのだが、もう戦闘に加わってしまい、簡単に抜け出せる状況にないらしく、電話に出てくれなかった。

 

 よって、ここは自分でやるしかない。

 

 文雄の真の戦い方は魔法を併用したモーニングスターによるパワーの白兵戦。目の前にいる相手は、パワーの面では間違いなく世界最強の白兵魔法師で、あまりにも分が悪い。

 

(動けそうなのは……デカイ剣を持った子と、黒い剣を持った子か)

 

 文雄は戦闘に負けたレオたちを見て、そういえば息子の同級生もいると気づきながら、まだ戦えそうな仲間を見定める。名高い真由美と摩利が戦闘不能で、一年生である息子の同級生二人がまだ動けそうというのは不思議な話だが、常識が通じないのは戦場の定めだ。

 

(呂は二人が動けることに気づいてない……はずだ)

 

 真由美と摩利がいるということは、呂の鋼気功を知っていてなお参戦したということで、それを貫くだけの威力を持つ手段があるのだろう。それならば、それを不意打ちで叩き込んでくれることに期待しよう。

 

 どうやら呂も自分のことを知っているようで、油断した様子が全くない。隙のない構えをとっている。

 

(俺の力だと、よっぽどやらないと全く攻撃は通るまい。毒ガスや一酸化炭素中毒もさっきのを見る限り効かなそう……参ったね、こりゃ)

 

 最も簡単な方法は、さきほどやった空中からの『流星』と『メテオ』を併用した高速高重量落下攻撃だが、あの不意打ちすら避けられたら、あとは拘束して動けないようにしてからしか通じないだろう。そしてその拘束する方法というのは、あいにくながら全く思いつかない。

 

 文雄は内心で溜息を吐きながら、それでもわずかな勝ち筋に賭けて、呂に対峙する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(妙だ)

 

 呂は文雄と戦いながら内心で首をかしげる。

 

 最初の攻撃や普段の戦闘スタイルや見た目に反して、文雄は積極的に呂とクロスレンジで戦おうとはしなかった。

 

 呂の直接攻撃を受けないよう、見た目に反した軽やかなステップで呂の周りを動き回り、時折あまり威力のない魔法で牽制をする程度だ。それによって文雄に有効なダメージは与えられないでいるが、呂も全くの無傷だ。呂の攻撃は直撃すれば大ダメージを与えるのは確実であり、このままいけば呂が間違いなく勝つ。

 

 勝算のない生死の戦いをするとは思えない。

 

 事前に貰ったデータによると、見た目に反してこの男は策士だ。

 

 つまり、こうして時間を稼ぐだけの目的があるということだ。

 

(『爆裂』か)

 

 これも事前データに会ったことだが、この男の息子はあの一条将輝と仲が良い。もしかしたら、今この場に呼び出していて、現れるのを待っているのかもしれない。

 

(だとしたら)

 

 それにわざわざ付き合ってる義理はない。

 

 呂は文雄がステップをして少し空中に浮いて不自由になった瞬間、大きく踏み出して一気に距離を詰めて右拳を突き出す。

 

「おっと!」

 

 文雄はそれをモーニングスターで受け止め、その勢いでバックステップして距離を取ろうとする。拳に伝わる感触からして、硬化魔法で強化したのだろう。

 

 予想通りの動きだ。

 

 呂は思わず口角を上げて笑いながら、体をねじって右拳を突き出すために引いていた左手を突き出し、そこに拾って仕込んでおいた小石を指ではじく。

 

「げっ!」

 

 飛び退いて動きの自由が利かない空中で、指で弾いただけにもかかわらず弾丸のような速度でせまる小石を、文雄はモーニングスターで弾く。しかしそれによって一瞬視界がふさがり、その一瞬の間に魔法を併用して呂は一気に迫る。

 

 最初からピンチだったのにも関わらずどこか飄々としていた文雄の顔が、それを見てついに険しくなった。

 

「グオオオオオオ!」

 

 呂はまさしく獲物を狩る虎のように吼え、その心臓に向けて右拳を突き出す。

 

 文雄はそれに対し、間一髪で着地が間に合い、その勢いを魔法で消して流れるようにしゃがんで回避する。文雄の頭上すれすれを風を切る音を立てながら拳が通り過ぎる。懐にもぐりこんだ文雄は、そのまま反撃と言わんばかりに呂の顎にアッパーを叩き込もうとする。

 

 しかし、それも呂は織り込み済みだった。引いていた左手でその拳を受け止め、そのままジャガイモすらつぶす握力で掴んで引っ張り、背中から地面にたたきつける。

 

「――ッ!」

 

 文雄の口から声にならない悲鳴が漏れる。右手は粉々に握りつぶされ、さらに叩きつけられた地面は呂の踏み込みによってひしゃげており、出っ張ったコンクリートが背中に突き刺さった。この衝撃では、普通なら死ぬし、間違いなく背骨や内臓に大きな損壊が出ているはずだ。

 

「ゴボッ!」

 

 その証拠に、文雄は口から大量の血を吐き出した。口の中を切ったというレベルの量ではなく、間違いなく内臓に大きな傷がついている。

 

 このコンディションでは今まで通りの戦いは不可能だろう。魔法はなんとかなるとしても、運動能力の低下は免れない。

 

(勝った!)

 

 呂は勝ちを確信して口角を吊り上げる。

 

「……非常好(お見事)」

 

 さらに絶好のタイミングで、呂にとって好都合なことが起こった。

 

 中国語で称賛したのは、先ほどまで倒れていた、呂と一緒に秘密工作をしようとしていた少数精鋭の大亜連合軍人だ。さきほどまで真由美たちに倒されて気絶していたのだが、ついに起きたのである。

 

(……終わり、か)

 

 それを見た文雄は絶望した。今まで万全の状態で呂を相手にしていただけでも不利だったのに、こちらは大きな身体ダメージを負い、相手は一流の軍人たちが復帰した。もう、なすすべもなく殺されるしかない。

 

 呂たちが嗜虐的な勝ち誇った笑みを浮かべながら起き上がれない文雄を見下ろす。

 

 そして、止めのために呂がゆっくりと文雄の頭を踏みつぶそうとしたとき――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グオッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――胸と背中を、万力で押されるような強い圧力が襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上尉!?」

 

 突然苦しみはじめた呂を見て、工作員たちが何が起こったのかと駆け寄る。

 

 呂は自分に何が起こったのかいまだ理解できないが、「自分に直接干渉する魔法」によるものだと直感して、先ほどまで身体硬化に集中していた『鋼気功』を古式魔法型『情報強化』に切り替える。それによって干渉力が上回り圧力が消え去った。

 

 しかし、ほっとしたのもつかの間――

 

「ゴッ!」

 

「ギャッ!?」

 

 ――呂を中心に集まった工作員たちのところに、「無音で」「音速を超える速さで」「超大型トラック」が突っ込んできた。

 

 呂はとっさに『鋼気功』をまた身体硬化に切り替えて少ないダメージで済んだが、勢いは殺し切れず派手に吹き飛ばされる。ましてや工作員たちは一たまりもなく、その衝撃によって一人残らず無残な死体となった。

 

 呂は吹き飛ばされる瞬間に、冷静にそのトラックを睨んで観察する。

 

 絶好のタイミングで突っ込んできたわりに、中に乗っていた三人は、意外なほどに若かった。

 

 三人ともまだ年端も行かぬ学生。高校生にしても幼く見えるので、下級生だろう。

 

 一人はやや小柄な少年、一人は緩くウェーブがかかった気弱そうな少女、そして運転していたのが、でっぷりと太った巨漢の少年だ。

 

 一人は侵攻の前に見たデータで知っている。小柄な少年は、若干十三歳にしてカーディナル・コードを発見した天才・吉祥寺真紅郎だ。

 

(……なるほど)

 

 呂は受け身を取りながら理解する。急激に襲ってきた万力の様な圧力は、彼の得意魔法『不可視の弾丸』だ。

 

 生粋の武人でありながら軍の高官でもある呂は意外にも魔法論理にも精通しており、どうやってあそこまでの圧力をかけられたのか理解した。

 

 呂ら大亜連合の侵攻によって中止になったが、彼が論文コンペで発表しようとしていたテーマは「基本コード魔法の重複限界」だ。基本コード魔法に限っては、必要干渉力の増大なく、無限に改変が蓄積されていくとされており、それを利用した研究発表であった。

 

 データで事前に内容を知っていた呂は、真紅郎がそれを利用して、呂ですら苦しむほどの圧力を一瞬にしてかけ、見事に足止めに成功したのだ。

 

(だが残念だったな)

 

 しかし、呂を無力化するに至らなかった。高校生にしてはかなり上手くやったが、人の領域を超えた勘と反応速度を持つ呂を、一連の不意打ち作戦では無力化できなかったのだ。

 

 吹き飛ばされた勢いをあえて利用して即座に立ち上がって体勢を整える。例のトラックはそのまま走り去ってしまって無力化できなかったが、再襲撃に備えていれば問題ない。予定通り、文雄を殺すだけだ。

 

 そうしてまた文雄に向かおうとした瞬間――三方向から、自分に強い殺気が向けられるのを感じた。

 

「ウオオオオオオオ!!!」

 

「やあああああああ!!!」

 

「ヌウウウウウウウウ!!!」

 

 右からは、呂ですら苦しんだ10トンのギロチンにも匹敵する斬撃を繰り出してきた赤髪の少女――エリカが、いつの間にか復帰して、その攻撃を再び向けてきている。

 

 左からは世界最高の切れ味を持つ極薄の黒い刃を振りかぶる野性的な少年――レオが、こちらもまたいつの間にか復帰していて、首を狩ろうとしている。

 

 そして背後からは、呂を超える身長と筋肉を持つ巨漢が、彼ですら一たまりもないであろう拳を構えて向かってきている。

 

 

 

 

 

 

「――フッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 それに対しても呂は、また反応しきった。

 

 すでに使っている身体硬化の『鋼気功』の出力を、今まで出したことがないほどに高めてすべて受け止める。

 

 エリカの『山津波』は呂の腕に止められ、レオの『薄羽蜻蛉』は歯で噛んで挟まれて止められ、後ろから迫りくる巨漢は後ろ蹴りでカウンターを食らって吹き飛ばされる。

 

(これでもっ……!)

 

(ダメなのか……っ!?)

 

 呂と文雄が戦っている間に気絶から覚めた二人は、気絶したままのふりをしてずっと不意打ちの機会を狙っていた。そしてこれ以上ないタイミングでの攻撃に成功したのに、すべて効かなかった。

 

 圧倒的な実力差に、二人はついに絶望した。

 

 この至近距離で、攻撃を止められたら最後――逃げる前に、殺される。

 

 目の前が真っ暗になるような錯覚を二人は感じた。

 

 そして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくやった!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文雄の叫び声が聞こえると同時に、その錯覚を貫くほどの強さで、エリカたちの足元が光り輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法教会は魔法師たちを束ねる組織であり、その建物は、「魔法的に意味がある」場所に建てられる。

 

 かつてはそれにあたる建物は、神社や寺、教会と言った、魔法に関わっていた宗教施設だった。

 

 霊山、境界、大きな川沿い、山頂――そうした不思議なエネルギーを持つ場所を選んで建てていたのだ。

 

 魔法科学が進んだ今、そうした「不思議なエネルギー」はサイオンと名付けられ、科学的に観測できるようになった。「聖地」とでも言うべき場所・土地は、自然界に遍在するサイオンが、特に偏って多く集まる場所である。

 

 そしてこの魔法協会支部は、その「聖地」に建てられているのである。

 

 今戦っているこの場所は、自然界のサイオンが多く集まる場所なのだ。

 

 これを利用した魔法協会支部防衛システムが、三年前に取り入れられた。

 

 そのシステムとは、平たく言えば『投影型魔法陣』だ。

 

 特定の図形によって魔法的効果が生まれるのだが、それは本来「書く」「刻む」「並べる」といった作業が必要である。

 

 その魔法陣を、エイドス上にサイオンによって投影することによって、一瞬で行使に必要な魔法陣を完成させる技術が、投影型魔法陣だ。

 

 理論上は可能だが実現は不可能、そうした技術的難題の一つが、三年前に国防軍に突如持ち込まれた計画書により、半分解決した。

 

 魔法陣全てを投影するのではなく、投影によって効果が出やすい部分だけ投影し、ほかは従来通りの方法で構成する。

 

 開き直りにも似た発想の転換により、魔法協会は心強い防衛システムを手に入れた。

 

 それを実現した計画書を作ったのは――『マジカル・トイ・コーポレーション』の筆頭魔工師、『キュービー』こと、井瀬文雄だ。

 

 文也と駿が解決した川崎で起きたテロ未遂事件を隠蔽する見返りに九島に渡したのは、この計画書だったのだ。

 

「よくやった!!!」

 

 文雄は渾身の力を振り絞り、叫びながら魔法を発動する。

 

 事前にプログラムされた通りのサイオン――魔法陣の一部を、地面のエイドスに投影する。

 

 その範囲は実に、直径500メートルの円。その真ん中には、呂とそれに動きを止められたエリカとレオがいる。

 

 先ほどまで呂相手にしていた消極的な戦い方は、戦闘の中に紛れてこっそりと必要な分の傷を地面に「刻んで」いたからだ。その刻んだ文様と、投影した光の文様がつながって、一つの巨大な魔法陣を形成する。

 

 投影された光以上の輝きが地面からあふれ、中心に居る呂の下に集まっていく。これはただの光ではなく、魔法師のみが観測できる、サイオンによる光だ。

 

 魔法陣の効果――術式の内容は、「範囲内の自然サイオンを中心に集中させる」というもの。

 

 人一人どころか、達也の無尽蔵の保有量すらはるかに上回る、雄大な自然の中で集中した莫大な自然サイオンが、呂にすさまじい勢いで集まってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして莫大なサイオンはぶつかり合い、激しい光を散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今ここで行ったのは、莫大な自然サイオンを集中させることによる、最強の対抗魔法『術式解体(グラム・デモリッション)』だ。魔法教会支部を襲うのは、それに対抗しうる力を持つ魔法師に違いない。ならばその魔法を、強引に無効化してしまえばいい。

 

 さしもの呂もこれには激しく動揺し、激しい光と『鋼気功』の無効化によるパニックに陥る。

 

 ――魔法がなければ、魔法師はただの人だ。

 

「人食い虎が、ただの人になったな」

 

 痛む体に鞭を打ち、文雄は隠し持っていたピストルを、呂の頭を狙って撃つ。

 

 ただの人に対して、ただの人として、魔法によらない暴力で止めを刺す。

 

 動揺していた呂はそれを躱せない。弾丸は呂の兜を貫き――それに守られていた頭を貫通した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺たちの勝ちだ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血を流して倒れ伏す呂を確認すると、役目を終えたピストルを投げ捨てながら、文雄は勝鬨を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全滅……だと……?」

 

 大亜連合の偽装揚陸艦の中で、一人の男が目を見開いてつぶやいた。彼は今回の作戦の責任者の一人である。

 

 全滅と言っても、それは大亜連合の戦力全体の話ではない。渾身の作戦であった呂を筆頭とした精鋭部隊による奇襲と陳によるデータ奪取がどちらも失敗し、全員が死亡または拿捕されたということだ。

 

「どうしましょう」

 

 部下の一人が不安そうな声で、責任者の男に問いかける。それに対し、男はたっぷり三秒間、深い溜息を吐くと、震えそうな声を抑えて決断を口にする。

 

「撤退だ」

 

「まだ兵士たちはほとんど帰ってきておりませんが」

 

 その決断に対し、あらかじめ想定していたらしく、当然考慮すべき状況を言う。上下関係が厳しい組織内での部下の言葉に、男は不快感を覚えない。自分の決断が、あまりにも冷酷であることが分かっているからだ。

 

「構わない。この艦や、ここにいる兵士や兵器を破壊・奪取されるよりはましだろう。近い兵士たちがある程度乗り込み次第、出発する」

 

「一度出発してしまえば、逃げ切ることは可能ですものね」

 

 男の言葉に、部下は、置いていくことになる仲間たちへの申し訳なさと自分の命が助かる安心とが混ざった声でそう返す。

 

 この揚陸艦はヒドラジン燃料電池で動いており、これを海上で破壊すると、普通の船以上にその後の漁業に大きな悪影響を及ぼす。もはや「勝ち」が決まった日本からすれば、それは避けたい事態だ。多少歯噛みする思いはするだろうが、破壊は確実に免れる。

 

「こうなったらついでだ。時間稼ぎにアレを使おう」

 

「アレ……ですか」

 

 そして男は半ば自棄になった狂気じみた笑みを浮かべてそう言う。それに対して部下は、さらにためらいの色が強い返事をする。

 

 男からしても、とても使う気には普通ならならないものだ。それほどに使い勝手が悪く、なによりもおぞましい。しかし今の状況は、まさしく使うのにぴったりだ。

 

「そうだ。我々が撤退することを隠して、陸にいる魔法師に使用を伝えろ」

 

「…………了解です」

 

 返事に数秒もかかった。それほどに、部下は激しく動揺している。それでも、揺れる心を抑えて、指示に従って動き始めた。

 

 その様子を見ながら、責任者の男は小さくつぶやく。

 

 

 

 

 

 

 

「……私は、ろくな死に方をしないのだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(若い力に助けられたな)

 

 文雄は治療を受けながら、内心でようやく気を緩める。

 

 彼の視線の先では、若き力たちが、瓦解した大亜連合の残党を掃討していた。

 

 全体に指示を飛ばしながら『不可視の弾丸』の重複魔法によって呂を足止めし、さらにトラックの消音もした真紅郎は、今は『不可視の弾丸』で残党を次々気絶させている。

 

 移動魔法によって縦横無尽にスノーボードで戦場を高速移動してケガ人を助けている、薄く化粧をしてややお洒落な雰囲気の緩いウェーブがかかった長髪が特徴的な気弱そうな少女は、お家芸の移動魔法で九校戦『バトル・ボード』新人戦女子で優勝した五十川だ。三年前の川崎の事件で駿が助けた、文也と駿の塾のクラスメイトだ。当時はしゃれっ気のないお下げで、前髪で目が隠れていて伏し目がちで、体型もややぽっちゃりしていて、魔法以外では特に目立たない地味な少女だったが、高校デビューでもしたのか、今はすっかりあか抜けている。

 

 トラックに乗っていた大きな少年と呂を背後から襲った巨漢も戦場で敵を次々と打ち倒している。どちらも第三高校の生徒でクロスレンジが得意な近接魔法師なのだが、その得意分野の性質上九校戦にはでていない。しかしルール無用の戦場ではその得意分野をいかんなく発揮し、大人顔負けの活躍をしている。

 

 他にも、先の九校戦で、またはその準備のためのデータでみかけた三高の生徒たちが、大人たちに混ざってなお戦場で大活躍をしている。特に二十八家の一角である一色家の娘・一色愛梨の活躍はすさまじいものだ。

 

「文雄さん、大丈夫ですか」

 

「ああ、助かったよ真紅郎君」

 

 目につく残党を一通り無力化し終えると、この場でできる応急処置が終わって自分に治癒魔法をかけている文雄に真紅郎が声をかける。

 

 十師族としての責務を果たすべく将輝は残った。そしてそれ以外の三高の生徒は、引率教師や真紅郎に率いられて無事この戦場を脱出して、ひとまずなるべく離れるために三高がある金沢に向かっていた。バスの中で(主に将輝の魔法によって)地獄と見紛うような戦場から逃げきれて生徒と教師が安堵する中、真紅郎だけは己の無力さに歯噛みしていた。

 

 親友の将輝を単身戦場に残した。文也と駿、ライバル視している達也も、あの戦場で貢献することだろう。そんな中、自分だけが逃げおおせた。安堵感よりも悔しさが勝ったのだ。

 

 そうして一人顔を伏せていると、前方に大きなトラックの列が見えてきて、バスの中が疑問と不安でにわかにざわめき、それはすぐに歓声に変わった。真紅郎は何だろうと思って様子を見てみると――そのトラックの列は、なんと三高の生徒や教師、周辺に住む卒業生を乗せた一団だったのだ。

 

 事情を聞くと、横浜侵攻の連絡を聞いてすぐに、(論文コンペに興味がなくて残っていた)実戦派・武闘派の生徒や教師、それに有志の卒業生で義勇軍を組んで、超特急で横浜に向かっていたというのだ。

 

 それをチャンスと見た真紅郎はそちらへの参加を希望し、こうして戻ってきたのである。

 

「来て『見て』みたら、文雄さんがあの呂剛虎と戦ってるんですから驚きましたよ」

 

「ああ、あれを使って『見た』んだね」

 

 真紅郎の言葉に対し、文雄は空を飛び回るドローンを指さす。

 

 このドローンは、文雄が緊急で近隣の『マジカル・トイ・コーポレーション』工場から呼び出したドローンではない。文雄が作ったものという点では変わらないが、これは真紅郎の私物だ。

 

 この夏休みに、将輝の家を文也たちが尋ねると知った文雄が持たせたお土産は、このドローンだった。うちのバカ息子が九校戦の秘術使用について迷惑かけました、というお詫びで剛毅に渡すつもりのものだったが、受け取った剛毅は、その後、自分たちよりも有効利用できそうな真紅郎に譲ったのだ。

 

 それを、三高義勇軍の一団が、真紅郎が戦列に加わることを見越して持ってきていたのである。

 

 真紅郎はトラックに先んじて飛ばして偵察を行い、それで文雄と呂の戦いを目にした。魔法協会支部があるベイヒルズタワーが危ないと察した真紅郎は全体に指示を飛ばし、北側から奇襲する予定だったのを変更して、西側から迂回してベイヒルズタワーに急いで向かった。

 

 呂の噂を知っている真紅郎は、その時に、一撃だけは不意打ちを入れられるだろうと見越して、自分と五十川と硬化魔法に優れる大柄な少年という組み合わせでトラックに乗り、窮地の文雄を助けたのである。

 

(ほかにも一応準備してたもんはあったが……無駄になったな)

 

 そうしてようやく気が抜けた文雄は、痛みと疲れで動かない体をいたわるべく、簡易的に用意されたマットに横になる。

 

 陽動の呂は倒し、ベイヒルズタワーに潜入していたもう一人の敵も無力化できたと、息子の同級生である深雪から直接聞いた。あとは残党狩りと、せいぜいが撤退する敵への追撃戦ぐらいだろう。もう自分の出番はない。

 

 そう安堵して横になったのだが――

 

「グエッ!!!!!」

 

 ――突如、地面が大きく揺れ、轟音が鳴り響いた。

 

 横になったがために文雄は地面の振動をその痛む全身で受け、情けない悲鳴を上げる。痛みに悶絶する文雄を気遣いながらも、その地響きの原因を探るべく、真紅郎はあたりを見回す。

 

「あれは……?」

 

 すぐに違和感に気づく。今までなかった巨大な何かが、いきなり町中にそびえたっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 克人たちが奮闘しているところに援軍に向かおうとした駿と将輝は、思わぬところで足止めを食らっていた。

 

 それは、道中で、敵に囲まれながら奮戦している見知った顔を見かけたからだった。

 

 今回の論文コンペには、手伝いや警備隊の他、勉強熱心な生徒たちも見に来ている。とはいえ、やはり内容が難しいため、飽きて横浜観光に切り替えた生徒たちも少なくはない。そうして他生徒から離れてしまった魔法科高校の生徒たちは、シェルターに避難などのまとまった行動がとることができず、戦場のど真ん中で孤立してしまったのだ。二人が見つけたのは、逃げ遅れてしまってその場しのぎで自分を守る事しかできない同級生二人だった。

 

「食らえ!」

 

「そこをどけ!」

 

 駿と将輝は上空から急襲し、二人の女子生徒を囲む兵士たちを次々と酩酊状態にさせるか『爆裂』させる。

 

「「逃げるぞ!」」

 

 そして二人は奇襲によって足並みが乱れたところをドローンで急降下して、女子生徒たちを一人ずつ抱えてまた急上昇してビルの屋上に着地する。飛び上がる所を銃で撃たれたりはせず、足並みを乱す作戦は成功したと言っても良い。

 

「けがはないか、滝川」

 

「う、うん、大丈夫」

 

 駿は周囲を警戒しながらそっと抱きかかえていた女子生徒――一高一年C組の滝川和美だ――を下ろし、怪我の確認をする。あれだけの激戦だったのに、本人の言う通り、見たところ軽傷で済んでいる。追い詰められてはいたが、それでも一年生ながら実力者と言うことだろう。

 

「ふいー、助かった。ありがと、白馬の王子様」

 

「馬じゃなくてドローンだし、色は青だけどな」

 

 将輝が抱きかかえた女子生徒は、三高の百谷祈だ。いつも通りヘラヘラと笑って冗談めかしているが、いつもより元気がないし、疲労の色が濃い。滝川と二人で協力して粘っていたが、万事休すの状態だった――というところだろう。

 

「さて、ここからどう脱出するか」

 

 ひとまず無事を確認したところで、駿はすぐに次へと考えをめぐらす。とりあえず射線から離れるためにビルの屋上に逃げたが、おそらく下は銃口を向けてこちらを待ち構えている兵士がたくさんいるし、このビルにもそろそろ突入してくるころだろう。階段を下りて正面から脱出することも、ビルからビルへ飛び移って逃げるのも不可能だ。

 

「それだったら、俺にいい考えがある」

 

 同じように考えていたのだろう将輝が、駿の肩を叩いて、屋上の片隅を示す。そこには、百年前から変わらない型の貯水タンクが置かれていた。

 

「中条先輩、俺らのビルの周辺の敵はどんな感じですか?」

 

『えっと……ビルを取り囲んで上を向いて監視しているのが十人、突入準備をしているのが五人、ですね』

 

「映像をこちらの端末に送れますか?」

 

『ええっと……はい、できました!』

 

 駿の頼みに、あずさは初めて触る機械だというのに見事にこたえて見せ、駿と将輝の端末にドローンが空撮した映像が映る。そこには定位置で構えている十人と、ちょうど突入開始した五人が見えた。

 

「さっさと動くぞ」

 

 映像を確認するや否や、将輝はCADを貯水タンクに向けて引き金を引く。中にあった大量の水が発散してタンクが爆音を立てて破裂し、水があふれ出す……かと思いきや、将輝の魔法の干渉を受け、水は拳大の塊になっていくつも空中に浮かんでいる。

 

「そら!」

 

 将輝が腕を振って次の魔法を行使すると、それらはビルの下で爆音を聞いて構えていた兵士たちに降り注ぐ。拳大の水の塊は兵士たちに当たる直前に鋭い氷の針に変形して、急所を串刺しにしていった。

 

「さすがは液体の一条家だな。水だったらなんでもアリってことか」

 

「少なくとも神経や体温に比べたら、人体以外への応用も利くな」

 

 唖然としている滝川を駿が、拍手している祈を将輝が、それぞれ抱えながら、悠々と屋上を飛び移って逃げおおせた。

 

「やれやれ、ここなら安心だろ」

 

 だいぶ離れたビルへの脱出に成功した四人は、祈がこの非常事態だというのに持ったままだったリュックサックの中に入っていたお土産用の大きな肉まんを頬張って一時休憩する。戦場だというのに、四人の間にはどこか牧歌的な空気が流れていた。

 

「滝川たちは知り合いなのか?」

 

「うん、操弾射撃の大会で知り合ったの」

 

「助っ人で参加したら意外といーとこまで言っちゃってさ、ナハハハハ! 気分良かったから今も続けてるんだ」

 

「だから一緒にいたわけか」

 

 もはやピクニックにも等しいリラックスした雰囲気は、戦闘音が各所から聞こえる中だというのに、納まる気配はない。急に戦場で命を張った戦いをすることになった少年少女の、心を守るための無意識の反動だった。

 

 しかしその雰囲気は――

 

「なんだ!?」

 

「ちょっと見てみるか」

 

 ――突然の揺れと轟音にかき消される。

 

 駿は不安がって腕に縋り付いてくる滝川をなだめながら、そっと窓の外を覗く。

 

「あれは……?」

 

 音が聞こえてきたのは、自分たちもつい先ほどまでいた、避難用の地下シェルター。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのシェルターの真上に――得体のしれない巨大な何かが、そびえたっていた。




オリジナル展開は二次創作の華


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4-6

そういえば、前回の話の途中まで書いたあたりで、実は1年ほど放置していました。そのせいで前回の途中か今回の話から、文体や雰囲気が変わったように感じるかもしれません。


「もう楽勝っしょ」

 

 文也は荒れ果てた街並みをのんびりと歩きスマホをしながら呟く。まだ銃声や破壊音や怒号がそこかしこから聞こえてくるが、それが文也に害を及ぼすことはない。なぜなら、それらは全部日本側からの攻撃で、大亜連合はなすすべもなく狩られているからだ。一応障壁魔法は展開しているが、のんびりしていても安全だ。

 

 父親が向かった魔法教会支部に世界最高の白兵魔法師である呂含む精鋭が現れ、文雄がそれと戦っている――とドローンで偵察しているあずさから聞いた時は冷や冷やしたが、真紅郎たちの機転と訳の分からない方法で発動された大規模魔法陣によって無事防衛成功したと聞いて安堵し、その気苦労の反動で、こうしてのんびりとあずさが待つシェルターへと向かっているのだ。

 

 面倒くさいことに、地下通路の入り口でシェルターに近いもののことごとくが戦闘の中で塞がって使い物にならなくなり、離れた入り口を探さなければならない。

 

 その面倒な状況が――ここでは幸いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『キャアアアアアアアアア!!!!』

 

 

 

 

 

「おいどうした!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさの案内に従って移動していたところ、急に大きな地響きが起き、それと同時にあずさも大きな悲鳴を上げる。携帯端末越しに聞こえる地響きは、文也が地上で感じたものの比ではなく大きい。

 

 つまり――地響きの中心地は、あずさたちがいるシェルターだ。

 

 回り道のためにシェルター方向に背を向けて歩いていた文也は、すぐにそちらを振り返る。ちょうど、シェルターの真上に当たる場所に、さっきまではなかった巨大な何かが現れているのがすぐにわかった。

 

 その巨大な何かは、あまりにも歪だ。高さ四メートル・直径十メートルほどの鋼鉄でできた黒いドーム、というのが文也が見た第一印象だった。しかしそれはきれいなドーム型ではなく、まるでスクラップになった戦車や装甲車をつなぎ合わせたように歪にでこぼこしており、機関銃や巨大なチェーンソーもくっついている。

 

「またかよ!」

 

 文也は即座に飛行魔法を使い、全速力でそちらに向かっていく。

 

 おそらく、破壊され無力化された直立戦車がなんらかの方法で合体・再起動し、あの地下道崩落の時と同じように地面に巨大な杭を打ち込んだのだ。シェルターの中にたくさんの民間人、そして将来有望な魔法師たちがいると知ってのことだろう。

 

 その合体した直立戦車――もはや原型をとどめていないが――は、高速で飛来する文也に反応して、機関銃を乱射する。巨大な戦車につけられた重機関銃は、豪雨のように放たれる弾丸の内一つでも当たれば致命傷だ。

 

「甘いんだよ!」

 

 文也は怒りを込めて三つの魔法を同時に発動する。

 

 一つは『減速領域』、もう一つは障壁魔法。『減速領域』で弾丸のスピードを遅くして、障壁魔法で防ぐ。文也の干渉力では、重機関銃をそのまま障壁魔法で防ぐことはできないのだ。

 

 そして三つ目の魔法は、『爆裂』だ。こうした機械は当然潤滑油や冷却水や燃料を使うため、中に液体はたっぷりある。外側が分厚い鋼鉄の装甲で覆われていようと、中から破壊してしまえばいい。

 

 

 

 

 

 

 しかし、文也が期待した戦車の破壊は、その片鱗すら起こることがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「クソ、なんでだ!?」

 

 重機関銃の弾丸はすべて防ぐことに成功したが、攻撃が全く通らない。

 

 内部に液体が無くてエラーを起こした、ということはないはずだ。

 

 考えられるのは……戦車の干渉力が、文也の『爆裂』を上回った、ということだ。

 

 文也はすぐにその戦車が『領域干渉』か『情報強化』で守られていると察するが、しかし何も武器がない今、あらんかぎりの魔法を試すしかない。

 

 腰から玩具のナイフ――に見せかけた小型化に成功した専用CAD――を抜きスイッチを押して『分子ディバイダー』の刃で切り裂こうとするが、仮想領域は戦車に触れると同時に干渉力で上回られて消し飛ぶ。

 

 ならば相手の硬さに関係なく攻撃が通る『流れ星』はどうかと行使するが、光のラインは『情報強化』に阻まれて穿つことはない。

 

 放出系魔法で電子を乱して回路を破壊しようとしても全く通じない。

 

『不可視の弾丸』の重ね掛けで一点突破をしようとしても、表面の『情報強化』に阻まれて魔法は発動しない。

 

 直接干渉する魔法は諦めて、外側から強い衝撃を与える攻撃を次は試していく。

 

 移動魔法で近くの瓦礫を戦車の真上に移動させてそのまま落下させ、それに文雄も使った『流星』と『メテオ』を重ね掛けする。速さと重さが合わさった一撃は、しかし文也の干渉力では分厚い鋼鉄の戦車に大きな傷を与えることはない。

 

 空気を硬化魔法で薄く固めて刃として放っても、氷ならば軽く切り裂けても鋼鉄には小さな傷をつける程度だ。

 

『地雷原』で破壊しようにも、それは地下のシェルターを破壊しかねない。バリエーションで液状化させて移動させないようにしても、シェルターに杭は打ち込めるので無意味だ。

 

『フォノンメーザー』で溶かそうとするも、文也の干渉力ではそこまで強い効果はでない。

 

 自身の真の得意魔法である魔法は、発動対象が人体の体表に限られるから意味はない。

 

「あああクソ!」

 

 自分の手が何も通用しない。それに苛立った文也は、猛然と放たれる銃弾の雨から飛行魔法で逃げ回りながら、イデアに深くアクセスする。こうなったら、『情報強化』を『視て』直接分解するしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なっ!?」

 

 

 

 

 

 

 しかし文也にはそれが『視え』なかった。他の魔法と同じように、擦りガラス越しに見る以上にはっきりと見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

『情報強化』がかけられているはずなのに、それが見えない。

 

 それはなぜか。

 

 文也は即座にその正体を見抜き、そして絶望した。

 

 対抗策が、何もない。

 

 なにせその『情報強化』は強力で、さらに文也は知らない故に分解できないもの――古式魔法師の間ではよく使われている、古式の『情報強化』だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クズどもも役には立つものだな」

 

 偽装揚陸艦の中で、責任者の男が腕を組みながら映像を眺め、満足げに頷く。その映像は、歪なドームの形をした直立戦車の「なれの果て」と、その周りを飛び回りながら様々な魔法を繰り出す文也の戦闘の様子だ。

 

 このドームは、破壊された直立戦車や装甲車、普通の戦車と言った重金属兵器を寄せ集めて作った、スクラップのなれの果てで、大亜連合の中では『蓋(ガイ)』と呼ばれている。戦場で破壊された兵器たちをあらかじめ仕込んでおいた強力な電磁石の磁力によって合体させたもので、奇襲性に優れている。しかし移動することもできない、合体も魔法の維持が大変、その割に効果が薄い、ということで、使う機会はほぼない。

 

 しかし今回は、これ以上ない使いどころが生まれた。

 

 その用途は「時間稼ぎ」だ。多くの民間人や魔法師たちが桜木駅地下シェルターに避難していることは知っている。そのシェルターを破壊する兵器が現れれば、こちらに対応しなければならない。その間に自分たちは逃げおおせることができるのだ。

 

 そしてこの『蓋』は、もう一工夫――というにはあまりにもおぞましい強化がなされている。

 

 直立戦車や装甲車や戦車といった重金属兵器には、敵の魔法を退けるために、『情報強化』や『領域干渉』を強化するための専用のソーサリー・ブースターが搭載されている。大亜連合軍は秘密裏にこれら二つの魔法専用のソーサリー・ブースターの開発に力を注いでおり、そのために数多くの魔法師――犯罪者や国賊やスパイや裏切り者、または身寄りがない孤児や他国の捕虜や拉致被害者――を犠牲にした。ソーサリー・ブースターに使われる脳は、死の間際の苦痛を退ける魔法を強化する傾向にある。故に身体に直接干渉してあらゆる大きな苦痛を与えながら時間をかけて殺し、安定した『情報強化』『領域干渉』専用ブースターの開発に成功したのである。とはいえそれらは現代魔法のものではなく、大亜連合や古式魔法師の間で使われている古式魔法で、大亜連合ではそれぞれ『存在確立(ツンザイチュエリー)』『魔式空間(ムォシーコンジィエン)』と呼ばれているものである。

 

 そしてこの『蓋』は、それらのソーサリー・ブースターを「呪術的に」直列でつないで、効果を何十倍にも増幅させている。非人道的な手段で生み出された呪いの「脳」を、さらに直列でつないで、鉄くずの中に埋め込む。あまりにもおぞましい「利用」は、冷酷な指揮官として名をはせたこの男にも、使用をためらわせるほどだ。

 

 それでも、この場面では効果は絶大だった。

 

 要注意人物としてピックアップされていた文也を釘付けにし、さらに周りも『蓋』の対応に追われている。時間稼ぎは成功したといってよい。それどころか強力な干渉力を持つ要注意魔法師たち――十師族・百家やその子弟たち、文雄や深雪やエリカやレオ、そして謎の魔法師たち――がちょうどシェルターから離れていて、残存の小兵たちは破壊に相当手間取っており、この調子でいけばあと数回は杭を打ち込める。シェルターを破壊して、中に避難する大人数の魔法師たちを殺害して未来の敵戦力を削ることもできそうだ。

 

「……覚えてろよ小倭国め。何倍にもして返してやる」

 

 画面の中では、『蓋』がまた杭を打ち込んだ。シェルターの崩壊まで、あともう少しだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ! くそっ! クソッ!!!!」

 

 文也は飛び回って銃弾の雨を避け、避けきれないものは魔法で防ぎながら、手持ちのCADでできるあらゆる攻撃を繰り出す。しかしそれらはすべて、分厚い鋼鉄の装甲と対抗魔法に退けられ、全く効果を及ぼせない。周りの兵士たちも銃や魔法で破壊を試みているがすべて効果を残すことなく、次々と機関銃に無力化されていく。

 

『キャアアアアアアアアアアアア!!!!!』

 

「あーちゃん、おちつけ! 頭をかばえ!」

 

 そうこうしている間に、四回目の杭が撃ち込まれた。杭が撃ち込まれるたびに大きな地響きが起こり、端末の向こうからあずさの悲痛な悲鳴が聞こえてくる。地下道はほぼ完全に崩落し、強固なシェルターもあと数回で致命的な損壊を受ける。そうなれば、中にいるほぼ全員は死を免れられない。

 

 つまり、あずさも死ぬ、ということだ。

 

 あずさがおびえている。あずさが助けを求めている。あずさが泣いている。――あずさが、命を落とそうとしている。

 

 地響きと悲鳴を聞くたびに、文也はそれをどんどん強く理解し、焦りを募らせる。なんとかしようと思うが、しかし、何もできない。

 

「あああああああああああああああ!!!!!」

 

 喉から血が出るほどに叫びながら、渾身の『爆裂』を行使するも、それでも文也の特別高いわけではない干渉力では及ばず、『存在確立』に退けられる。

 

 文也は、魔法に詳しく、戦術眼に優れ、高い知能を持つがゆえに、今の状況を理解できてしまう。

 

 目の前の禍々しいドームにかけられた対抗魔法が異常に強く、それはいくつものソーサリー・ブースターを直列でつないで増幅させているということも。それを上回る干渉力が自分には絶対ないことも。分厚い鋼鉄を貫く強力な魔法を行使できないことも。『情報強化』ではなく『存在確立』であるため分解できないことも。

 

 それゆえに、絶望している。

 

 自分の力では、あずさを救えない。

 

 無力感と絶望感で、文也の目からは涙がいつの間にかこぼれていた。

 

 ――文雄ならば、モーニングスターと魔法を併用した重い一撃で破壊できただろう。

 

 ――将輝や剛毅ならば、圧倒的な干渉力による『爆裂』で即座に破壊できただろう。

 

 ――真紅郎ならば、『不可視の弾丸』が阻まれることなく重ね掛けして大きな傷を与えられただろう。

 

 ――深雪ならば、強烈な冷気で活動不能にできただろう。

 

 ――雫ならば、強力な『フォノンメーザー』で機能不全にできただろう。

 

 ――五十里や花音ならば、破壊はできなくても、魔法陣や地面の振動を弱める魔法でシェルターを守れただろう。

 

 ――幹比古ならば、古式魔法師として古式対抗魔法を破る術を見つけたかもしれない。

 

 ――レオやエリカならば、さきほど父親の戦闘で見た魔法剣で、桐原ならば『高周波ブレード』で、ドームを両断できただろう。

 

 ――克人ならば、『ファランクス』でスクラップにできただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――司波達也ならば、すべてを『分解』して、難なく終わらせるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし自分は彼ら・彼女らでもなければ、彼ら・彼女らのような強力な魔法はない。どんなに魔法理論を知っていても、どんなに魔法工学に詳しくても、どんなに魔法を同時に行使できても、目の前の事態を打破するすべはない。

 

 渾身の『爆裂』は退けられた。しかもその『爆裂』に集中するためにほかの魔法の干渉力は弱まっていって、『減速領域』と障壁魔法を貫いて銃弾が文也に襲い掛かる。間一髪飛行魔法で高速移動して躱したものの、今度は魔法力――保有サイオン量が危険域に突入した。

 

 いくら大幅な省エネ化に成功しても、飛行魔法はやはり多くのサイオンを消費する。最高に近い速度でずっと飛び回っていれば、平凡な保有サイオン量の文也では十数分もすれば危険域だ。

 

 いったん地上におりて遮蔽物に身を隠すべきだが、それはできない。『蓋』の操縦者は文也の排除を優先したからこそまだ四回だけしか杭を打ち込めていないのであり、最大の脅威が離れれば、露払いだけしてシェルターの破壊を最優先にするだろう。そうなってしまっては意味がない。あずさが死んでしまうのだ。

 

 まさしく八方塞がり。このまま戦えばあと数分ももつことなく文也は銃弾の雨にさらされて死に、危険を排除した『蓋』は本格的にシェルターを破壊してあずさも死ぬ。文也が逃げても、あずさは死ぬ。客観的に見れば、もう文也は逃げるべきだ。

 

 しかしそれでも、文也は逃げない。自分でも逃げるのが正しい判断だと分かっているが、あずさを見殺しにはできないのだ。

 

「第二ラウンドだ畜生め!」

 

 ほんの数秒だけ、遮蔽物で息を整え、また飛び出して『蓋』を引き付ける。しかし飛行速度は鈍り、遮蔽物を頻繁に利用しないと機関銃は避けきれない。

 

 あずさを失う絶望と恐怖で、文也の視界が涙でにじむ。視界不良は戦闘の敵なので即座に袖で乱暴にぬぐうが、それでも止まらずに次々とあふれ出してくる。

 

(終わった……か……)

 

 ついに、心の中で呟いてしまった。心が折れてしまった。

 

 集中力が途切れたことで飛行魔法も切れ、文也は落下していく。

 

 落下で風を切る音がやけに大きく耳に響く。

 

 そんな中、文也は――強大な魔法が行使される気配を感じ取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ! 文也が! ぐっ!」

 

「文雄さん! 無茶ですよ!」

 

 文雄と真紅郎は、『蓋』が現れてすぐにドローンを飛ばしてその正体を確認した。そして文也が戦闘を開始するや否や、『蓋』の仕組みを察した文雄がすぐに駆け付けようとしたが、呂との戦闘で意識があるのも不思議なくらいの大けがを負っており、立ち上がることも難しい。すぐに真紅郎に止められるが、文雄はそれでも、激しく息を切らしながら立ち上がろうとする。

 

「あれには……あいつじゃ勝てない。古式の……『領域干渉』と『情報強化』が……ブースターで何十倍にも強化されてる……。あいつの魔法力じゃ……絶対無理だ」

 

「ですけど、文雄さんが今行っても無駄に死ぬだけです!」

 

「それでも! 行かなきゃいかんだろうが! ぐっ――ゴホッ!」

 

 真紅郎の制止に激しく言い返した文雄は、その衝撃で咳き込み、倒れて全身の痛みにうずくまる。

 

 平常時の文雄ならば、あの『流星』と『メテオ』を組み合わせた落下攻撃であの禍々しい鉄の塊を壊せただろう。しかし今の状態では、とてもそんなことはできない。

 

(何か、何か方法は……)

 

 真紅郎は頭を抱えながら必死に考える。制止はしたが、助けたい気持ちは真紅郎も同じだ。

 

 破壊する方法は、外部から強烈な攻撃で鋼鉄の装甲を貫くか、強力な干渉力を持った魔法師による直接干渉魔法だろう。

 

 今近くにいるのでそれが可能なのは、10トンのギロチンと同等の斬撃を加えられるエリカか、世界最高の切れ味を誇る魔法剣を操るレオ、または加重系魔法に強い干渉力を持ち『不可視の弾丸』の重ね掛けで破壊できる自分だろう。しかし三人をドローンで最高速で運んでも、間違いなく間に合わない。

 

 ならば強力な干渉力を持つ魔法師、将輝を送り出せばどうだろうか。いや、将輝も戦闘中で連絡がつくのは相当遅くなる。最高戦力だからこそ、安易に戦闘に参加させるべきでなかった。こういう場面で動員できないのは大きなマイナスだ。

 

 仕方なく、間に合わない可能性が高いが一縷の望みをかけてエリカとレオ、そして自分で行こう。

 

 そう決断した時、文雄の携帯端末に着信が入った。送信者には『森崎駿』と書かれている。

 

『文雄さんですね? 今文也が置かれている状況はわかりますか?』

 

「ああ。あれは周りの重金属兵器を寄せ集めて作ったもので、文也では絶対に破れない『情報強化』と『領域干渉』で守られている」

 

『やっぱり……こっちからでも強力で……なんというか、おぞましい干渉力を感じます』

 

 駿が感じているのは半分錯覚だ。文也から聞いてソーサリー・ブースターのことを知っているので、そう思い込んでしまうのだ。

 

『文雄さん、『アレ』はまだキャンセルしてませんね?』

 

「そうか! それだ!」

 

 駿の質問を聞いた文雄は、それで考えていることがすべてわかった。確かにあれならば、なんとかなる。

 

『……できますか?』

 

「やるしかないだろうが。やらなきゃ親じゃねえ」

 

 そのためには、文雄のもうひと頑張りが必要だ。今この場でそれができる魔法力があるのは、文雄しかいない。

 

 声ににじみ出ていたらしく、重症の文雄を駿は心配してくれた。しかし、それに対して強気で返事をし、集中するために通話を切り、端末で全てのドローンの位置を確認する。

 

 呂と戦うことになるとなった段階で、いくつか準備をしておいた。その準備の一つとして、呂にダメージを与えることができる武器を、ドローンで川崎から急遽運んで貰っている。何か使う場面があるだろうと思って、呂を倒した後もキャンセルしていないのが幸いした。

 

 そのドローンは現在、ちょうど論文コンペ会場上空にいる。

 

 文雄は横に置いておいた愛用のモーニングスター型CADを持ち上げ、そのグリップを握る。端末をじっくりと見て、希望を乗せたドローンの正確な座標を確認する。

 

 カメラで見て魔法を行使する、という超高等技術がある。実際に肉眼で目視しなくても、対象が確認できれば、魔法の行使は可能だ。

 

 今回はさらにその上。カメラで目視すらせず、座標だけで正確無比に魔法を行使しなければならない。

 

 そんなことは、文雄でも今までやったことはない。

 

 さらに、ボロボロの体で、しかも激戦の後で、集中力や思考力、演算力のコンディションは過去最悪。加えて、時間がないから、じっくり時間をかけて式を練ることもできない。

 

 ――できるわけがない。

 

 ――それでも、やるしかない。

 

 それに、文雄には、不思議な確信があった。

 

(絶対……できる)

 

 魔法はいくら科学的に解明しようとしても、いまだに仕組みや全容が掴めない不思議なものだ。魔法の系統種類や対象に遺伝や個々人の適性があったり、属人的な魔法があったり、唐突に予想もしない結果を生んだりする。

 

 そんな不思議な現象の中で、極限状態でよく起こることがある。

 

 それは――感情によって、魔法の精度・強度が大きく変わる、ということだ。

 

 身体・状況コンディションは確かに最悪だ。

 

 しかし、それでも、今この極限状態で――精神は、今までにない絶好調なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(いくぞっ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モーニングスターの柄を握りこみ、魔法を行使する。

 

 ドローンから文也までの間に、真空のチューブを作りその中を高速で移動させる『疑似瞬間移動』。

 

 真空のチューブを作るだけでも高難度なのに、その距離は何キロメートルもある。プロの魔法師でもできるのは一握りだろう。

 

 それでも文雄は――成功させた。空気抵抗がない長大な真空のチューブが、横浜上空に形成される。その中を超高速で移動するのが、文雄が頼んでいたモノを運ぶドローンだ。

 

「はっ、やっぱ俺は天才だな」

 

 文雄はドローンが文也の下についたことを端末で確認すると、そうつぶやいてそのまま倒れこむ。最悪のコンディションの中で大魔法を行使した反動で、ついに完全に自立が不可能になった。脳神経が焼き切れたかのような強い頭痛と、神経がはじけ飛んだかのような激痛が全身を襲う。

 

 突然倒れた文雄を呼ぶ真紅郎の声が遠く感じる。

 

 意識が薄れてきてるのだ。

 

 文雄は口角を上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、心の中で呟き、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あとは任せたぞ……バカ息子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強大な魔法は文也から数メートル離れたところで途切れていた。目に見えない真空のチューブから飛び出してきたのは、黒くて細長い棒状のものだった。

 

「っ!!?? そういうことか!」

 

 真空のチューブを超高速で移動したドローンが持ってきたのはこれだ。チューブの途中でアームを外し、掴んでいた棒状のものをその勢いのまま「射出」した。

 

 射出された棒は反応しきれなかった文也を通り過ぎるが、文也はそれを移動魔法で引き寄せて掴むと、飛行魔法を操って急降下し、地面に着地する。

 

 ドローンが持ってきたものは、克人との訓練のために自作した魔法ライフルだ。貫通力に特化したこのライフルは、本来呂に対する切り札の一つとして文雄が森崎家に連絡して運んでもらっていたものだ。確かにこのライフルによる射撃なら、『蓋』の分厚い鋼鉄の装甲も貫けるだろう。『情報強化』や『領域干渉』で防がれることもない。

 

 問題は一つ。このライフルには弾が一発しか入っていない。一発撃てば勝てるという前提であり、弾丸を複数用意していないのだ。この一発は確実に『蓋』を貫くが、弾丸一個分の穴ならば、よほどのことがない限り、勝ちにつながるダメージにはなりえない。

 

 だからこそ、文也はベストを尽くす。ドーム状の『蓋』を一番大きく破壊できる撃ち方は、地面に接触している一番広がった部分を、中心を通る形で撃つことだ。分厚い装甲の中心には、魔法防御の要である複数のソーサリー・ブースターがあると考えられ、そこを破壊し、『情報強化』と『領域干渉』を弱める。そうすることで、文也の魔法が通るかもしれないのだ。

 

「動かない的は狙いやすくて楽でいいぜ」

 

 流れていた涙を袖でぬぐい、狙いをつけて、魔法ライフルの引き金を引く。いくつもの魔法が同時に発動され、超硬度弾丸が音速の七倍で放たれる。

 

 銃声はないが、直後に激しい接触音の音が鳴り響く。文也の狙い通りの場所・角度で着弾し、七メートルの鋼鉄の塊を貫通した。

 

「これなら!!!」

 

 明らかに『蓋』の『情報強化』と『領域干渉』が弱まったのを文也は感じた。狙い通り、中のソーサリー・ブースターのいくつかが破壊されたのだろう。まだ残っているのは複数あるだろうが、先ほどまでの圧倒的な絶望感はない。

 

 文也は疲れで弱まっていく集中力を無理やり引き戻し、再び渾身の『爆裂』を行使した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……くそったれがああああああああ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――しかしその『爆裂』は、効果を発揮しなかった。

 

 ――弱まってもなお、ソーサリーブースターで強化された『情報強化』を、文也の干渉力は上回ることはなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火炎放射器などで空いた穴から内部を攻撃することもできるだろう。しかしこの場には、不運にもそうした兵器もなければ、この干渉力を上回れる魔法師もいなかった。

 

 なまじ希望が湧いてきたがゆえに、それすらも跳ねのけられた絶望はより大きくなる。

 

「終わった……か……」

 

 ついに文也は心が折れ、魔法ライフルを落として膝をつく。

 

 絶望の声は、今度はついに口から漏れ出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――よく頑張ったね、ふみくん』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな文也の耳に聞きなれた小さな声が届く。

 

 その声を届けたのは、スピーカーモードにして腰に下げていた携帯端末だ。

 

 悲鳴ばかりあげてパニックになっていたはずのあずさの声は、落ち着いていて――よくできた弟をほめる姉の様な、優しさに満ちた声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく頑張ったね、ふみくん」

 

 地下シェルターの中は、度重なる巨大な振動によって大パニックに陥っていた。最初の数回は養護教諭の安宿怜美などの大人や求心力のある範蔵などが即座に対応して収めていたのだが、何回も杭を打ち込まれ崩壊寸前になると、ついにカオスの坩堝となった。

 

 あずさがいるのはそこから分厚い扉で仕切られたモニター室だが、その喧騒はここまでも大きく伝わってくる。

 

 そんなパニックに、平常時のあずさならば、頭を抱えてうずくまり、小さくなって震えるだけだっただろう。

 

 しかし、「自分のために」命を懸けて戦う文也の叫び声や涙声を聞くうちに、逆に冷静になっていた。

 

(ふみくんを、信じる)

 

 あの、悪戯好きで、面倒なことばっかして、口が悪くて、何回も迷惑をかけてきた小さな年下の男の子は、あずさにとって一番大切で、頼りになる人だ。

 

 そんな文也が命を懸けて戦っているのだ。証拠も根拠もないが、「絶対なんとかなる」のである。

 

 そして、ついに「なんとかなった」。

 

 文也は自身が開発した魔法ライフルでソーサリー・ブースターの一部の破壊に成功し、『蓋』の対抗魔法の干渉力を弱めた。

 

 しかし、それでもなお、文也の干渉力は届かず、地下シェルターを守れるほどの無力化に至っていない。

 

 文也ではこれ以上は無理だった。

 

 ならば、そう――そこから先は、自分がやればいい。

 

 あずさは上着のボタンをはずし、胸にしまっていた、大切な男の子からプレゼントされた、世界に一つの大切なロケットペンダントを取り出し、それを握る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――この場には、誰もいない。

 

 

 

 

 

 

 ――しかし、ここに人がいれば、小さな可憐な少女が、決意に満ちた顔で、光の弓を天井に向けて構えている姿を幻視しただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさだけが使える特別な魔法『梓弓』。

 

 サイオンでも音波でもない、プシオンの波が、発狂しパニックになった地下シェルターの人々のプシオン――魂に直接届く。その音はパニックになっていた人々をひきつけ、狂騒を一瞬にして収めた。

 

 しかしこれは、あくまでも「ついで」だ。『梓弓』はあずさを中心として無差別に広がるため、地下シェルターの人々にも届いたのである。

 

 あずさの本当の目標は、上。

 

 物理的なものではないプシオンの波は、分厚い鋼鉄の天井を超え、固い岩盤を超え、コンクリートを超え、鉄の装甲を超えて、ついに目的のものに届く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、怖くないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさは小さくつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 その目標は――ソーサリー・ブースターだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 痛い。

 

 苦しい。

 

 痒い。

 

 しびれる。

 

 気持ち悪い。

 

 吐き気がする。

 

 冷たい。

 

 熱い。

 

 もはや意思も命も失ったナニカ、小さなプシオンの塊たちは、小箱の中で、ありとあらゆる苦痛を訴える。しかしその苦痛は声になる事はなく、ただただそれらが思い出すだけだ。

 

 このかろうじて塊と言える小さなプシオンは、ソーサリー・ブースターに使われた魔法師の脳に残った、魂のなれの果てだ。死によって消滅するが、死の直前に行われたありとあらゆる魔法拷問によってこびりついた苦痛と恐怖は、その脳に残った。そしてその苦痛を退けるべく、残留したプシオンは『存在確立』と『魔式空間』を求め、それを強化するだけの「道具」に成り下がる。

 

 世にもおぞましい道具は、さらにおぞましいことに、人格も人権も尊厳も踏みにじられ、直列に繋がれてより強化された。それらの一部が破壊されてもなお、大きな強化能力は残っている。

 

 プシオンたちは、自分たちにかけられる魔法に恐怖を覚える。なにせ、彼らに生前かけられた魔法のすべてが、耐えがたい苦痛を与えるものだ。だからこそ対抗魔法を求めるのである。

 

 何度も魔法をかけられた。それは自らを破壊しようとするものだった。

 

 苦痛を退けたいプシオンたちは、対抗魔法でそれらを退けた。

 

 そしてまた、プシオンたちは魔法が自分たちに向かってくるのを感じ取る。

 

 ヤメロ。

 

 ヤメテクレ。

 

 イヤダ。

 

 クルナ。

 

 こびりついた拒絶感から『存在確立』で退けようとするが、その魔法はそれを上回り、ついにソーサリー・ブースター、そしてその中のプシオンたちに届く。

 

 ヤメロッ!

 

 ヤメロッ!

 

 プシオンたちはそれを拒絶するが、それは敵わない。

 

 ついにその魔法が触れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ピィーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてプシオンたちが感じたのは、記憶にこびりつく苦痛ではなく、ただの清澄な音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ピィーン、ピィーン、ピィーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その音は何度も繰り返し訪れる。

 

 コレハ、ナンダ。

 

 予想しなかった清澄な音にプシオンたちは困惑するが、それを不快な音と思わなかった。

 

 むしろ、今まで彼らを支配していた苦痛を忘れさせるような音に、惹きつけられていた。

 

 苦痛と恐怖がこびりついたプシオンたちは、音に惹きつけられるうちに沈静化していき、苦痛の記憶から解き放たれるように次々と霧散し、消滅していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、怖くないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 消滅する直前に、プシオンたちは、よくわからない言語で、こう優しく声をかけられた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさの『梓弓』は文也にも届いた。絶望に染まった心はプシオンの音に惹きつけられ、次第に落ち着いていく。全てを察した文也は決してそのままトランス状態になるようなことはなく、ゆっくりと立ち上がる。『梓弓』の効果は十全に発揮されていたが、それ以上の興奮が、文也を満たしていく。

 

「は、はは、はははははは!!! すげぇよ! あーちゃんはすげえ! そうかそうか! つまりあーちゃんはそんなやつなんだな!!! はははははは!!!!!!」

 

 この場にいないあずさの肩を叩くように腰に下げていた端末を激しく何度もたたき、足を踏み鳴らし、もう片方の手で腹を抱えながら、文也は涙を流し大笑いする。

 

 文也はほぼすべての系統種類・対象に対して安定して高い干渉力を持つ。しかしそれらの中には、特にとびぬけて高いものは一つもない。

 

 しかしあずさは別だ。彼女はプシオンに干渉する精神干渉系魔法ならば、世界でも随一の干渉力を持つ。それは彼女だけの魔法である『梓弓』ならなおのことだ。

 

 魔法ライフルによって一部破壊して『蓋』の干渉力を弱めた。それでも文也の魔法は通用しない。

 

 しかし、なお強力ながらも弱まった干渉力は、あずさの精神干渉系魔法ならば超えられる。

 

 死の直前に与えられた苦痛に応じて強化できる魔法が決まるソーサリー・ブースターの仕組みは、つまるところその苦痛によってこびりついた激しい残留プシオンだ。それを『梓弓』で沈静化させることで残留プシオンを消滅させ、すべてのソーサリー・ブースターを機能停止させたのだ。

 

「覚悟しやがれくそったれがああああああああ!!!」

 

 もはや『蓋』は魔法で強化されていないただの兵器だ。直接干渉する魔法には無力である。

 

 しかしそれでも兵器。重機関銃も杭打機も未だなお健在である。

 

 ソーサリー・ブースターの機能停止を悟った操縦者は、せめてのお土産とばかりに、杭打機を起動させ、重機関銃を文也に向ける。

 

 文也はそれを黙ってみているわけではなかった。

 

 大笑いしていた文也の動作は、ただ遊んでいただけではない。

 

 すべてが、体中に仕込まれたCADを起動し、魔法を行使するための動作だ。

 

 重機関銃が弾丸の雨を吐き出すと同時に、巨大な鉄の塊の崩壊が始まる。

 

 内部から爆発し、光の線で貫かれ、視えない刃で両断され、表面は一気にかけられた巨大な圧力によってへこみ、内部は急速な温度低下によって機能停止する。

 

 歪で禍々しい鋼鉄の巨大なドームは、たった一人の小さな少年によって破壊しつくされる。

 

 最後の抵抗だった杭打機は特に早く破壊されつくし、制御を失って不発に終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――地下シェルターの破壊は不可能だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也は、父親と親友、そしてあずさの協力で、あずさを守ることができたのだ。

 

 しかし、もう一つの最後の抵抗である弾丸の雨はそうはいかなかった。

 

 文也は本体の破壊を優先し、それを防ぐ障壁魔法は展開していない。

 

 故に彼は、飛び退いて避けながら破壊魔法を行使した。

 

「――――ッ!!!」

 

 しかし亜音速で放たれる銃弾の雨を避けきることはできず、何発も脚に被弾する。

 

 強烈な痛みに襲われ、身体は制御できず、そのまま地面に打ち付けられ転がりながら声にならない悲鳴を上げる。

 

 そして、それと同時に破壊が完了し、次の攻撃がくることはなかった。

 

『ふみくん! 大丈夫!?』

 

「か、はは、かは……へーきへーき。ちょっとばかし脚にイカしたピアスを何個も埋められただけさ」

 

 携帯端末から、さきほどの落ち着いた声とは真逆の、泣きそうなあずさの声が聞こえる。

 

 それに対し、文也は激痛で漏れそうな悲鳴を噛み殺し、いつものように冗談を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わった……か……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也はあおむけになって、地獄と化した戦場に不似合いな、ハロウィンの平和な青空を見る。

 

 文也の口から漏れ出た言葉は、今まで呟いた二回の同じ言葉とは、真逆の意味だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『蓋』も破壊されたか」

 

 屈辱の撤退航路を進む偽装揚陸艦の中で、責任者の男がモニターを眺めながら無感動につぶやく。『蓋』は期待していた成果を上げることはなかったが、彼らが逃げるための時間稼ぎには成功した。

 

 無感動な声音とは裏腹に、男の胸中には、撤退の屈辱と、してやられた怒り、そして逃げ切れた喜びと安堵が渦巻いていた。

 

 ここまで逃げ切れば、さすがにこの艦への追撃は不可能だろう。

 

 男はひとまず落ち着くために、タバコに手を伸ばす。

 

 ――それとほぼ同時に、横浜で、黒ずくめの少年が引き金を引いた。

 

 男の手はタバコに届くことなく、大爆発によってすべてが消し飛んだ。

 

 手も、身体も、タバコも、モニターも、船も――すべてが爆発に飲まれ、海の藻屑となった。




※ソーサリー・ブースターは独自解釈だらけです。もしかしたら原作と違うかもしれませんが、許してください。


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4-7

(今日は災難だったな)

 

 文也はあずさが操作するドローンに捕まって運ばれながら、長いようで短かった、激動の一日を振り返る。

 

 論文コンペのちょっとした冷やかしのつもりだったのだが、命の危機が何度もあり、そのたびに心が折れた。

 

 それでも今こうして生きている。なんとかなっている。

 

「生きているからLUCKYだ」

 

 そう実感し、つぶやいて、ヤッタ、ヤッタと妙なリズムに合わせて小声で歌う。その顔には、いつもの口角を吊り上げる悪戯っぽい笑みが浮かんでいるが、疲労は濃く、目は充血し、また激痛のために歪んでいる。さっきまでの激戦も、今の激痛も、こうでもして誤魔化さないと耐えられないのだ。

 

 文也を運ぶドローンが向かう先は、あずさたちが避難している地下シェルターだ。『蓋』の襲撃でところどころ壊れそうになっているが、それでもなお今駆け込める中では一番安全な場所である。一連の戦闘に加えて『蓋』の破壊行為のせいで出入り口はほぼ塞がっているのだが、なんとか一つだけ、小柄な文也だからこそギリギリ通れる場所があずさから報告されており、そこを目指しているのだ。

 

 幸い戦闘行為は全部地上に移っていて、地下を移動する文也の前には敵どころか誰一人もおらず、平穏に地下シェルターに戻ることができた。

 

「ただいマンボウ」

 

「ふみくん!!!」

 

 文也は、『梓弓』で落ち着いたといえどまだ自分のことだけで手いっぱいな避難民に気づかれることなくモニター室に到着する。安心させようとして働かない頭で精いっぱい考えたくだらない挨拶をするが、あずさはそれを聞かず、ドローンから文也を受け止め、床に敷いた毛布の上にゆっくりと下ろすと、そのまま縋り付いて声をあげて泣く。

 

 その姿を見て、文也もまた思わず涙を流しながら、あずさの頭を震える手でそっと撫でる。

 

「あーちゃん……生きてて……よかった……」

 

「もう! バカ! バカ! ふみくんが死んじゃったら、私、もう……」

 

 大切に思われているんだな。

 

 大切な人がこうなんだから、早々自分の命は捨てるもんじゃない。

 

 そうは思いつつも、同じ状況になったら迷わず無茶をするんだろうな、と、あずさのことを想っているのか自己中心的なのか自分でもわからない結論を出す。

 

「あーちゃん、ちょっとあっちから保健のセンセ……えーっとなんていったかな。あのエロイ脚とおっぱいの」

 

「何その覚え方……安宿先生でしょ? でもなんで――っ!?」

 

 あずさは呆れながら返事をし、そして文也の脚が目に入り、絶句した。

 

 長ズボンはボロボロで血まみれで、脚の形が崩れている。銃弾が埋まったどころの話ではなく、皮膚がえぐれ、肉が引き裂かれ、脚が原型をとどめていないのだ。

 

 あずさは即座に理解した。彼女を守るために破壊を優先し、その代償として最後の抵抗である重機関銃の射撃を防ぎきれずこうなったのだと。

 

 色々な感情が一気に湧き上がってきてパニックになりかける。しかし文也が即座に九校戦の時と同じように魔法であずさを落ち着かせた。

 

「よ、呼んでくるね!」

 

 なんとか落ち着いたあずさは、立ち上がってそのまま安宿を探すべく駆け出した。

 

「…………こいつも、便利と言えば便利ですこと」

 

 文也はあずさが部屋を出たのを確認すると、そう言ってため息を吐く。

 

 彼の言う「こいつ」とは、井瀬・一ノ瀬家の秘術のことだ。

 

 人間の体には秘孔・ツボ・経穴と呼ばれる場所がある。そこを指圧するなどして刺激することで、位置や刺激の方法に応じて体に変化が生じる、という、場所であり、それはかつては半ば眉唾で科学的に証明されたものではなかったが、この時代にはそういったものが本当にあるらしいことが分かってきている。ただしあいにくながら眉唾物の医学書のようなナニカや創作作品で語られるような大げさな効果を及ぼすようなものはほぼなく、せいぜいが筋肉痛や疲労や寝違えや肩こり・むち打ちなどの回復が早くなったり、体調不良を一時的に改善したり、血行を良くしたり逆に悪くしたり、といったような程度のものか、はたまた痛みなどの特定の感覚に特に敏感な点があるという程度である。

 

 この魔法は加重系魔法で指圧や鍼に似た圧力を与えたり振動系魔法でその部位への体温の変化によって、それらを刺激する魔法である。

 

 そして当然、井瀬家の息子である文也も、それを幼いころからマスターしており、今まで何度も使ってきた。

 

 例えば九校戦で、そしてつい先ほども、あずさがパニックになった時は、気道を狭めるツボや動悸を抑えるツボを押して、過呼吸や激しい動悸を抑えることによってそのパニックを収めた。

 

 三年前の夏、反魔法師組織のテロ行為を抑えた後に駿に施したのも、この魔法による治療だ。

 

 体力がないはずの文也が激しい運動をした翌日にはすぐに元気になっているのも、風呂にゆっくりつかりながら体力回復や体調回復を促進するツボを的確に効率よく刺激しているからである。

 

 また、複数の痛点を的確にとらえて鍼の加圧をすれば、見た目には変化がないが激しい痛みを与えることができる。九校戦の『モノリス・コード』で将輝が脚に感じた激痛の正体は文也の戦闘時の隠密性・速度に特化した形の

この魔法であり、さらに佐渡侵攻時の敵兵や反魔法師組織の不良との「お話」では出力を高めて全身の痛点に刺激を加え、情報を聞き出した。

 

 加えて、九校戦で何回も魔法を使い過ぎてサイオンが枯渇した時もこの魔法が活躍した。

 

 自然界にサイオンが多く流れたり偏ったりする龍脈・地脈というようなものがあるように、人体にもサイオンがまるで血のように生成され流れていることが、メカニズムは不明ながらもわかっている。それは古くから伝わっており、東洋医学では「経絡」と呼ばれている。

 

 この経絡のサイオン生産と流動を活発化させるツボを、現井瀬家の当主――というには普通の小規模な核家族なのだが――である文雄が発見し、それを息子にも伝えていたのだ。そこを突くことで、文也はサイオン枯渇から早く回復し、また一晩経つと完全に回復していたのだ。文雄がこのツボを見つけたときに「経絡秘孔」と名付けて狂喜乱舞したのは余談である。

 

 この魔法は、井瀬が一ノ瀬であったころ、つまり「対人戦闘を想定した生体に直接干渉する魔法」を研究テーマとする第一研究所に所属していたころ、「神経への干渉」を研究していた一色家・一花家や「体温への干渉」を研究していた一ノ倉家の研究成果を「参考」にして――要は研究成果の盗み見である――生み出した魔法である。ただしこの三家は全身であるのに対して、一ノ瀬家が開発したこれは「体表への干渉」しかできない。そしてそれからしばらくして、視察に来たお偉いさんのスーツを台無しにし、研究所を追い出され数字落ちし、井瀬となったのだ。

 

 こうした経緯で生まれ、また一応一家の秘術と言うことで――口の軽い一族だがなんとかギリギリ――秘密にしてきたため、国防軍の情報網ですら「研究テーマにそった魔法は特別覚えるでもなく」となっているのである。

 

 この一ノ瀬・井瀬家の秘術魔法は、生み出した一ノ瀬、そして「経絡秘孔」を見つけた文雄あたりは大まじめに『北斗神拳』と名付けたのだが、結局呼び方は個々人で好きに呼んでおり、文也は安直に『ツボ押し』と呼んでいる。

 

 文也が卓越した医療・人体の知識・知能・技能を持っているのは、この魔法を有効に活用するためだ。ツボ・経穴の仕組みを分析するには広範かつ深い知識が必要であり、その『ツボ押し』を実行するには魔法が関わらない治療・処置などの技能も必要である。文也は物心ついたころからそうした勉強と訓練を積まされてため、本職の医者とまではいかずともかなり詳しいのである。

 

 このように、『ツボ押し』は使いどころが多く、また知識と研究と応用次第で使い方の幅が劇的に増える。故に「便利」であり、文也のつぶやきもそうした意味を含んでいる。

 

(ま、さっきはクソの役にも立たなかったけどな)

 

 しかし、皮肉も多く含まれる。

 

 様々な場面で使える便利な魔法だが、人生最大の危機である『蓋』との戦闘では何の役にも立たなかった。強化された対抗魔法を超えなければ魔法の効果は出ないし、仮に超えても鋼鉄の塊をいくらマッサージしたところで意味がない。

 

 文也はこんな性格だが、一族の誇りの様なものはないわけではない。父親も祖父も一ノ瀬だった先祖も、バカばっかだとは思うが、それでも、文也は素直に「すごい」と認める点もある。その結晶がこの『ツボ押し』であり、その便利さから頼りにしていた部分もあった。

 

 それでも一番肝心な場面で役に立たないものだから、文也はそれが癪なのだ。

 

(……いーや、そこは適材適所があるってこったな)

 

 そこまで自覚して、文也は考え直す。

 

 要は全部使いようだ。全ての場面で活躍する万能・完璧な魔法なんて存在しない。さっきはたまたま、普段役に立つものが不得手な場面だった、というだけである。幸いにして、ある一部を除いたら、文也は父親譲りの『万能』だ。場面場面で高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応していくと決める。つまりただの行き当たりばったりなのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 ――それに、この役に立たなかった魔法を、これからすぐ使うことになるのだ。そう否定するものでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふみくん! 呼んできたよ!」

 

「どれどれ……うーん、まずいわね」

 

 痛みをこらえるためによしなしごとを考えて時間をつぶしていたら、あずさが安宿を連れて戻ってきた。安宿は文也の脚の様子を見て、すぐに深刻な顔になってつぶやくと、文也の横に座り、手に持っていた白い手提げ箱を置いて開ける。

 

「井瀬君、あいにくながら、ここには麻酔薬なんて上等なものはないわよ」

 

「そんなの織り込み済みだよセンセ。考えがあるんだ。遠慮なく頼んだぜ」

 

 箱の中身は、このシェルターに備え付けられている救急医療セットだ。包帯や消毒液や三角巾や各種薬やマスク、さらには抗生物質やメス、ペアン、拡大鏡などの簡易治療セットも入っている優れモノだ。

 

「センセならなんとかなるだろ。頼む」

 

「……それは、確かに朝飯前とはいかないけど、これだけ道具があれば失敗する可能性は低いわ。だけど、君は耐えられるの?」

 

 安宿は第一高校の保険医だが、そのスキルは大病院でも名医と呼ばれるレベルだ。医療系の特化型能力者で、一級ライセンスを持つ治癒魔法師であり、また魔法が絡まない外科手術においても世界でトップクラスの腕を持つ。海外旅行先でたまたま病人が出たとき、専門外科医でも戸惑う手術を整わない環境で難なくこなすことも可能だ。

 

 文也は安宿に、自身のズタズタになった脚の手術を頼んでいるのだ。近場の病院は死傷者であふれ、今更文也を受け入れる余裕は全くない。しかしこの怪我では、一刻も早く弾丸をすべて取り除き適切な治療を行わなければ、後遺症が残るだけでなく、脚を切断する事態にもなりかねない。そこで文也が白羽の矢を立てたのが、医療に明るい井瀬家の情報網で小耳にはさんでいた安宿だ。後遺症を残さないためには、今この状況では、彼女に頼るのが一番確率が高いのである。

 

「いいから。やってくれ」

 

「わかったわよ……とりあえず痛み止めと睡眠薬は打っとくけど、こんなの気休めよ?」

 

「わーってるさ」

 

 ここで問題なのが、この医療キットには麻酔がないことだ。本格的な手術を行うことは想定されていない。痛み止めと睡眠薬は一応あるのだが、手術の激痛には気休め程度にしかならないだろう。

 

 それでも文也は、覚悟を決めたのだ。文也は痛み止めと睡眠薬を打たれながら、自身に魔法をかけた。

 

「…………そう、そういうことね」

 

「秘密で……頼むぜ」

 

「当然よ。医者は患者の秘密を守ってナンボだもの」

 

 それを見て、安宿は納得した。どのような魔法かはわからないが、その効果だけはわかったのである。

 

 文也が使った魔法は『ツボ押し』だ。両足の感覚が麻酔をかけられたように薄れるツボを思いつく限りに押して、麻酔代わりにしたのだ。そしてその効果は、短時間ながらも、圧迫がなくなってもしばらくは続く。

 

「時間との勝負ね」

 

 文也は毛布を噛んで声を上げすぎたり食いしばりすぎたりしないようにすると、睡眠薬の効果にゆだねて意識を手放す。この大手術にはこれでもまだ麻酔代わりには弱いのだが、ここまできたら、「男の子」の意地と気合と根性を信じるしかない。

 

 安宿は救急キットの中にあった清潔な白いエプロンと帽子とマスクと手袋を手際よくつけて消毒しながら、そばで落ち着かずそわそわとしていたあずさを見る。

 

「ここから先は、あなたはいないほうがいいと思うけど。かなり『きつい』わよ」

 

 あずさはそわそわしていたが、文也のそばを離れる気配は全くなかった。それでもさすがにここから先は見せるわけにはいかない。いくら軍事につながりが深い魔法科高校の生徒会長と言えど、うら若い小心者の乙女に見せるにはあまりにも過激だ。

 

「いえ、大丈夫です」

 

 そう返したあずさの声は、不安と恐怖で震えていたが、固い意志があった。

 

 生徒の心の健康も守らなければならない保険医として安宿はなおも注意しようとするが、あずさがつづけた言葉を聞いて、口を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は……これくらいしかできませんから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさは、文也の手を、優しく、それでいて、強く、握っていた。

 

 それは彼女から取ったものではなく、意識を手放した文也が、自然とあずさのほうに伸ばした手だ。

 

(……なるほど、ね)

 

 口と態度では強がっていたが、文也も、不安なのだ。怖いのだ。

 

 意識を手放したことでそれが現れ、無意識のうちに、あずさに手を伸ばしていた。

 

 彼女はそれを、絶対に手放さないように、優しく、強く握っている。

 

 彼女は、彼に命を助けられた。今まで何度も助けてもらった。

 

 しかし、この瞬間、彼女は彼を助けることができない。

 

 命や体を助けることもできなければ、その痛みや苦痛を抑えることもできない。

 

 ならば、せめて、彼の不満だけは、ほんの少しだけでも、和らげたい。

 

 それをすべて感じ取った安宿は、反論の代わりに、あずさに予備のエプロンとマスクと帽子をつける。

 

「ならせめて、それくらいはつけなさい」

 

「あ、ありがとうございます!!!」

 

 あずさは自分が邪魔なだけだと自覚している。それでもこの場にいるわがままを許してくれた安宿に、深く頭を下げた。

 

 安宿はそれを見ることなく、手を構え、文也の脚を中心に全身の様子をくまなくチェックして、手術の心の準備を整える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(子どもたちがこんなに頑張ってるのよ――ここで頑張らなきゃ、保険医じゃないわね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう覚悟を決めると、安宿は手術道具に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「文也!!!」」」

 

 五時間後、地上の戦闘がすべて終わると、瓦礫でほぼすべてが塞がったシェルターの救助作業が始まり、ようやく出入り口の一つが、人一人通れるほどまで広がった。

 

 開通するや否や、その瓦礫処理の最前線で働いていた駿と将輝と真紅郎と文雄は、ようやくの歓喜に賑わう人々を無視してモニタールームへと飛び込んだ。文也はシェルターへ戻る途中に文雄にだけ怪我の状態を連絡しており、設備の整った病院の入院ベッドを一つ空けておくよう頼んだのだ。その酷いけがの状態は他の三人にも伝わり、一刻も早く助け出して治療するべく、四人は強行軍で瓦礫処理を手伝ったのだ。

 

「あら、四人そろって仲良しね」

 

 四人の血相とは真逆に、モニター室の中はとても静かで落ち着いた雰囲気になっていた。扉から目に見える場所にいるのは、壁に寄りかかってぐったりとしているセクシーな女性、安宿だ。

 

「患者さんが寝てるから静かにね。とってもとっても小さくて、勇気のある、命の恩人な患者さんよ」

 

 安宿は力のこもらない動作で一か所を指さす。

 

 そこには、何枚も敷かれた毛布の上で寝ている文也がいた。その横では、あずさが座っている。

 

 両脚は包帯で覆われており、また脚の原型がはっきりとわかる。およそ簡易手術キットでオペしたとは思えないほど、脚の容体は回復していた。

 

「なるほど、あなたが文也を……」

 

「疲れたわ。何時間も全力疾走した気分よ」

 

 それを見て、文雄はすべてを察した。

 

 文也は安宿に手術を頼み、それが成功したのだ。

 

 安宿の手術は、それは見る人が見れば、この世のものとは思えない絶技である。レントゲンもなしに正確に怪我の状態・血管の位置・銃弾の位置を把握し、組織を最低限だけしか傷つけずに次々と銃弾を効率よく取り除いていく。しかもそれと平行して高難度で集中力を要する治癒魔法をかけていき、文也の負担を限りなく減らした。銃弾はすべて速やかに取り除かれ、治癒魔法を何度もかけることで文也のズタズタの脚はなんとか後遺症が残らない程度には回復したのである。

 

「ありがとうございます! おかげさまで息子が助かりました」

 

「いえいえ。お礼はこっちが言いたいわ。私も井瀬君に命を助けてもらった一人だもの。これくらいは当然よ。それと、小さな勇者たちが寝てるから静かにしなさいって」

 

「たち?」

 

 安宿の言い回しに違和感を覚えながらも、文雄は寝ている息子を見る。

 

 そして気づいた。その横に座っていたあずさは看病をしているのかと思ったら……文也と手を握り合いながら、穏やかな顔で寝ているのだ。

 

「…………仲のよろしいことで」

 

「…………疲れたからに糖分が欲しいとは思うけど、これはなあ」

 

「うーん、片方は年上なのになんか和むねえ」

 

 それを見ている駿たちは、三者三様の呆れ方をして、表情を崩しながら溜息を吐いている。心配して駆けつけてみたら、当の本人は、穏やかな顔で寝ているあずさ以上に穏やかな顔で寝ているのだ。それも、さも当然のように、二人で手を握り合いながら、だ。

 

 体格も顔つきも幼い二人が寄り添いあうようにして手を握り合いながら寝ている様は、まるで仲の良い小さな姉弟のようだ。

 

(……変わんねぇなあ、二人とも)

 

 それを見た文雄は、文也たちにとっては何年も前だが、自分にとってはつい最近のことのように、五年前までを思い出す。

 

 物心ついたころからご近所のよしみで幼馴染だった二人は、遊び疲れて帰ってきたとき、どちらの家でも構わず、こうしてくっついて穏やかな顔で寝ていた。当人たちにとっては悲しいことに当時と体型も顔つきも大きく変わらないため、余計に思い出される。

 

 仲の良い姉弟、幼馴染、子犬、小動物……今までも心の中で色々と喩えてきたが、その感想は今も変わらない。カップル、恋人、とはならないのは、二人の仲の経緯によるものだろう。

 

 男女の差どころか、お互いの人格の差すらはっきりしない物心つく前から一緒にいるから、お互いの間にパーソナルゾーンはないに等しい。こうして思春期を挟んで高校生になった今でも、そのころの癖からか、互いの境界線は曖昧だ。しかもちょうど思春期の頃に物理的に距離が離れて関係が絶たれたために、お互いに意識をする機会もなかった。さらに二人ともやたらと恋愛方向には鈍く、思春期を過ぎてまた会ったら、また昔の関係……「ふみくん」と「あーちゃん」の、幼くて溶け合ったような関係になった。

 

 そうした経緯があって、今こうして幸せそうに寝ているのだから、悪いものではない。

 

 文雄は苦笑しながら、その様子を見守る。

 

 本当は一刻も早く病院に連れて行って本格的な治療を施すべきなのだが、文雄の目から見ても文也の容体は安定している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それならば――頑張った息子と可愛い幼馴染には、もう少しゆっくりと寝かせてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう考え直しながら、文雄は大きなごつごつとした手で、二人の頭をゆっくりと撫で、穏やかな笑みを浮かべた。




これにて、天地と地上・上下が入り乱れた騒乱の話はお終いです
次回は、原作で言うところの来訪者編に入る前に、ちょっとした幕間を挟みます


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4-ハロウィンパーティ

今回は、原作でも行われたらしいハロウィンパーティのお話です。ちなみに原作のパーティは全く読んでいないので、オリジナル展開となります


 後の歴史家に『灼熱のハロウィン』と呼ばれる、横浜での戦闘と謎の戦略級魔法による大規模破壊で大亜連合軍の艦隊が文字通り「消滅」した激動の一日から一週間。

 

 論文コンペが文字通り台無しになったことと、戦争や命の危機を体験した衝撃で心身傷ついた生徒が多人数出たことを受け、元生徒会長である七草真由美の発案の元、「本物のハロウィン」を始めよう、ということで、生徒会主催のハロウィンパーティーが企画立案された。

 

 それはもともとは各々が思い思いのコスプレをして集まり、和やかにパーティーをするという無難なものだ。前生徒会は意外と(?)はっちゃけがちな真由美や鈴音、暴走しがちな範蔵など、こうした企画をさせたら余計なプログラムがついてきそうなメンバーがそろっていたが、今の生徒会は心配ない。

 

 なにせ生徒会長は、前の小悪魔と違って、大人しい・真面目・いい子・弱気と無難な要素がこれでもかとばかりにその人間性を作っている中条あずさで、ほか役員は真面目で大人しい五十里やほのか、しっかり者でお淑やかな深雪である。およそはっちゃけた企画が生まれるわけがない。

 

 ハロウィンパーティーをやることを検討していると深雪から聞いた達也は、そう考えていた。

 

 生徒会メンバーたちも、そう変なことをするつもりはさらさらなかった。

 

 そのはずなのに――

 

 

 

 

 

 

 

「――どうしてこうなった?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也は広い体育館の中で、溜息を吐いていた。

 

 その体育館には全校生徒や教員たちが集まっており、大変にぎわっている。

 

 しかしこれは、パーティー本番ではない。それの準備の一つであり、また「運命の日」でもある。

 

 ――無難オブ無難。そんな形で企画がほぼ出来上がった時、五十里の何気ない一言が、生徒会の動きを横道に逸らした。

 

「なんか、これだけだとつまんないね」

 

 変なことをするつもりはないが、しかし自分たちが立てた企画が、ありがちで無難なのは重々自覚していた。あの戦禍で幸い生徒や教員に死者はでていないが、その家族では一部出ているし、シェルター避難組は死ぬ一歩手前を二回も体験したこともあり、そうした悲しみ・苦しみ・恐怖の記憶を少しでも忘れてもらうためには、多少突飛なアクセントが必要だ。

 

 しかしなんら突飛なアクセントなどこの遊び慣れていないメンバーに思いつくはずもなく、そこで会議は停滞した。

 

 そうした末、あずさが苦し紛れに出した提案が、そのまま通った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なら、コスプレをくじ引きで決めるというのはどうでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「げえええええ女装かよ!」

 

「アハハハハ、傑作ね! どれどれあたしはっと……げえええええ! 豚ああああ!!!???」

 

 体育館の賑わいは、もはや狂騒と言っても過言ではない。

 

 各所でコスプレを決める運命のくじ引きが行われており、叫び声や笑い声が各所で起こって、まだコスプレをしてもいないのにすでにカオスと化している。

 

「…………軽率でした、ね」

 

 達也の隣にいる深雪は、その光景を、何とも言えない引きつった苦笑を浮かべながら見てそうつぶやいた。

 

 くじ引きの中身は生徒会役員だけでなく、一般生徒たちも入れられるようにしておいた。公序良俗に反するものは引いたその場で生徒会役員が判断して引き直し、というルールだけで大丈夫だろうと判断した生徒会は甘いと言わざるを得ない。大人しい彼女らの常識では測れないのが、若い情熱とノリを秘めた高校生たちなのである。

 

「ぷっ、あははははは! ミキったら傑作ー!!!」

 

「……嘘でしょ…………」

 

 達也たちのすぐそばでも狂騒が上がった。

 

「力士」と書かれたくじを摘まんで震える幹比古と、「警察官」のくじを引いて余裕綽々で幹比古を指さして大笑いしているエリカだ。

 

「ははは、残念だったな幹比古。さて俺はっと……うげえええええ! 「海パン」ってまじかよ!?」

 

「さ、寒そうだね……私は…………あ、よかったあ、「科学者」だあ」

 

 その横でもレオと美月が次々と引いていき、各々の結果を見て一喜一憂している。

 

「さあ、深雪さんと達也さんの番ですよ」

 

 そうした様子を他人事で眺めていた二人の下に、どんよりとした声がかけられる。

 

 二人とて他人事でいられるはずがない。その態度はまさしく現実逃避だ。

 

 二人に声をかけたのは、くらーい顔をしてゆがんだ笑みを浮かべているほのかだ。その顔を見ると、自分の立場や感情など関係なしに、この夏にフッたのは正しいと失礼ながら思ってしまいそうに達也はなる。ちなみにほのかがこうなっている原因は彼女が引いたくじのせいであり、それは「ガングロギャル」であった。死ぬほど似合わないだろう。

 

「さあさあ早く!!!」

 

 地獄に引きずり込もうとする女の怨霊のごとく、兄妹に引くのを促す。

 

 二人は決死の覚悟で、原始的なくじ引き箱に手を突っ込み、くじを引いた。

 

「俺は……よかった、「神主」だ」

 

 達也は自分が引いたくじを見て安堵する。これくらいなら無難だろう。むしろ慣れたものであり、大当たりの部類だ。

 

 次いで達也は深雪を見るが、どうにもショックを受けた様子がない。はずれを引かなかったのだろう。

 

「深雪は何を引いたんだ?」

 

「それが……よくわからなくて」

 

 達也は深雪から受け取ってくじを見る。そこに書いてあったのは、女性らしい名前だ。何かの作品の登場人物だろうか。二人ともそういったものには疎く、あいにくながらわからなかった。

 

「どれどれ……ブフッ」

 

 それを覗き込んだほのかは、思わず咳き込んだ。

 

 さて、ここで皆さんに思い出してほしい。

 

 それはほのかが、九校戦の新人戦『バトル・ボード』で、実力を発揮できずに予選で敗北した原因を。

 

 そう、四高生徒が仕掛けた、水面に大量の手がわらわらと現れる幻影魔法によってパニックを起こし、落水したのである。

 

 それ以来彼女は、(親友の雫を無理やり付き合わせつつ)ホラー耐性を獲得するべく、何度も何度も泣き叫びながら、古今東西の有名ホラー映画を見るのを日課としてきたのだ。

 

 故に、ちょっとしたマニア程度には知識がある。だから、深雪が引いたくじの中身を理解できた。

 

 ほのかは咳き込みながらも、携帯端末でその内容を打ち込み画像検索をかけて二人に見せる。

 

 

 

 

 

 

「「………………………………え?」」

 

 

 

 

 

 

 数十秒目を丸くして画面を見つめたまま黙った二人は、(キャラ崩壊など気にせず)同時に呆けた声を出す。

 

 画面に映るのは、白い服を着た髪の長い女性が四つん這いになりこちらを睨んでいる画像だ。

 

 深雪は思わずつまんでいた自分のくじを離し、落としてしまう。

 

 ひら、ひら、ひら、と紙切れが空気抵抗を受け、音もなく体育館の床に落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その紙には、「貞子」と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーっと、ここで若干季節外れの秋の虫たちの登場だあ!!!」

 

「「「リーンリーンリーン」」」

 

 広い体育館――全校生徒が集っても余裕がある程――が急に暗くなったかと思うと、入り口にスポットライトが集中する。そこから現れたのは、コオロギやキリギリスといった思い思いの秋の虫の自作コスプレをして裏声で鳴きまねをする三人の女子の集団だ。鳴きまねのクオリティは低いがコスプレのクオリティは高く、体育館内は拍手喝采となる。

 

「……どうしてこうなったんだ」

 

 今年になってから何度これを呟く羽目になっただろうか。そんな空しくなるような計算をしながら、神主姿の達也は気のない拍手をしながら、恥ずかしそうにいそいそと入場する三人をぼんやりと見る。

 

 この日の第一高校体育館はハロウィンパーティでにぎわっている。

 

 このハロウィンパーティは生徒会主催なのだが、企画内容はすでに生徒会の手から離れてしまっていた。

 

 先のくじ引きでお祭り騒ぎの気配を鋭敏に察知した、そういうことが好きな生徒たちが生徒会に自分たちが考えた企画を提案し、それが「やるなら全力で」といつも通りの穏やかな笑みを浮かべる五十里の勧めによって通ったのだ。

 

 その企画とは、「生徒たちで好きにグループを作り、入場する際にちょっとした劇を披露する」というもので、それを見た生徒たちがコスプレや演技のクオリティや面白さを評価して投票し、上位入賞者には生徒会や(普段は真面目なのにやたらとノリがよかった)教員たちから商品が送られるのである。

 

 生徒会メンバーは五十里以外「外れくじ」を引いたので、そんな目立つようなことはしたくなかったのだが、生徒全体としてみると賛成の空気が強く、あずさ・深雪・ほのかはそれの賛成せざるを得なかった。ここで折れてあげるのが、彼女たちが持つ優しさと甘さである。

 

「まあこれだけ忙しく大騒ぎすればあの戦いも忘れられるだろうけど……」

 

 達也のつぶやきは喧騒の中でかき消される。ちなみに心の中では「少々やりすぎでは?」とそのあとに続く。

 

 やや季節遅れの秋の虫たちに続いて、学年性別一科二科の垣根を越えて結成されたコスプレグループが次々と寸劇を披露しながら入場していく。それを煽る実況は、インターネットでは有名なゲームストリーマーであるゲーム研究部の二年生だ。

 

「皆さん、仮装とても上手ですね……」

 

 達也の隣では、白衣を着た美月が戸惑いと感心が混ざった目で寸劇を見ている。

 

 ちなみに達也と美月はすでに寸劇入場を済ませている。幸いなことに悪ノリするようなグループには二人とも入らずに済んだ。

 

 達也は「鬼」のコスプレをした沢木と組んで鬼を調伏し従える神主の演技をして入場し大いに笑いを誘い、美月は同じく「科学者」や「研究者」を引いた生徒に誘われ、フラスコの中に絵具で作った色とりどりの液体を入れて振りながら一緒に入場した。

 

「さあ、会場の熱気に触発されて、熱きマッスルたちが現れたぞ! 皆さん掛け声で応援してあげてください!!!」

 

 そんなような話をしているうちに、注目のグループの番が来たようで、会場のボルテージがさらに上がる。

 

「キレてるキレてる!」

 

「蟹の裏!」

 

「五番の腹筋板チョコレート!」

 

「大胸筋が歩いてる!」

 

「肩にちっちゃい重機のせてんのかーい!!!」

 

「外転筋の子、プロテインにできることはまだあるかい!?」

 

 妙な声援を浴びているのは、ブーメランパンツを履いた三人の屈強な男たち。それぞれが見様見真似のポーズを取り、オイルと汗で光る自慢の筋肉を見せつけている。

 

 その三人とは、「海パン」を引いたレオ、「筋肉マッチョ」を引いた辰巳、「ボディビルダー」を引いた芦田である。二人を誘ったノリノリの辰巳に対し、レオと芦田は顔から火が出そうだ。きっと観客の声援に上気しているのであろう。ボディビルダーが恥ずかしがるはずがないのである。きっと。

 

「続いては! 治安の乱れは許さない! 正義の番人の登場だ!」

 

「逮捕しちゃうぞ!」

 

「ふぁうぃふぉひひゃふほ」

 

 さらに続いて現れたのは、ミニスカポリスのコスプレをしてノリノリで指鉄砲のポーズを決めるエリカと顔面瘤だらけの女子だ。美少女がする定番の扇情的なコスプレに、会場の男どもは大きな歓声を上げる。

 

「……さっむ」

 

「いやー決まった決まった!」

 

 しばらくして、海パン一丁から上着を羽織ったもののまだ寒くて身を縮めて震えるレオと満足げなエリカが合流してくる。

 

「二人ともお疲れ」

 

「おう……暖かい飲み物取ってくる」

 

「ありがと。はーたまにはこういうのも悪くないわね」

 

 達也の出迎えの言葉に、レオは適当に返事をしてすぐに体を温めるために飲み物が並んでいるコーナーに向かい、エリカは笑いながら達也の横にある椅子にどっかりと座り脚を組む。ミニスカなのだが「中身」がギリギリ見えないのは流石である。

 

 そんなエリカに、達也は気になっていることを早速尋ねる。

 

「なあ、エリカ、一緒にいた人はなんであんな顔面が」

 

「あーあれね。更衣室で着替えてる時に発情して襲ってきたから折檻してやったのよ」

 

「ええ…………」

 

「ほら、ゲーム部のスケベ女よ」

 

「……なるほどね」

 

 エリカから事情を聞いて達也は納得した。

 

 エリカと同じく警察官のくじを引いたゲーム研究部の紅一点である女子は、警察官同士ということでエリカを誘い、そして更衣室で着替え中のエリカを見てスケベ心が沸いたのだろう。

 

 この一年女子はゲーム研究部の中では文也と博に次ぐ不届き者として校内でも有名である。ぐへぐへ笑いながら美少女な生徒の胸をもんだり太ももや尻を撫でたりとやりたい放題の二科生で、達也も何回か検挙している。あの深雪の薄い本を書いたのも彼女で、中身を見たとき深雪の体型のあまりの再現度におぞ気がしたものである。

 

「魑魅魍魎の怪人たちが集まる魔法科高校に正義の味方がやってきた! 魔法戦隊マジシャンジャー登場!」

 

 そんな会話をしながらオードブルを摘まんでいると、また達也の知り合いの番がやってきた。

 

「熱き炎のガンスリンガー! マジシャンズレッド!」

 

「滴る雫、明鏡止水。マジシャンズブルー」

 

「き、巨大な体は正義のパワー、マジシャンズイエロー!」

 

「……風すら追い越す隼の剣士、マジシャンズグリーン!」

 

「あ、悪にともるはオレンジランプ! マジシャンズオレンジ!」

 

「「「「「五人合わせて、マジシャンジャー!」」」」」

 

 色とりどりの服を着た五人が各々の掛け声とともにポーズを決めると、体育館内に盛大な拍手が響き渡る。五人の内四人が乗り気じゃないというとんでもない戦隊だが、それでもコスプレのクオリティが高く、会場から好意的に受け取られる。

 

 マジシャンズレッドはこのグループの言い出しっぺで「正義の味方」を引いた明智英美、声に張りがないマジシャンズブルーは「ヒーロー」を引いた雫、一人だけ不自然に太い恥ずかしそうなマジシャンズイエローは「力士」を引いた幹比古、全く乗り気じゃないマジシャンズグリーンは「剣士」を引いた駿で、オレンジなのに恥ずかしさで顔が真っ赤なマジシャンズオレンジは「騎士」を引いた五十嵐だ。

 

 もともとそれぞれ組む気はなかったのだが、戦隊ものグループを作りたがった英美が強引に四人を引き込み、衣装まで準備して逃げられなくしたのだ。剣や盾や太って見えるスーツなどの仕掛けも手際よく用意され、いつのまにか断れなくなった四人は、英美の狩人としての才能を見出し震えあがった。

 

「あの五人、普通に強そうですよね……」

 

「確かに」

 

 その五人を見ながら美月は目を丸くしてつぶやき、達也もそれに賛同する。

 

 五人とも一年生の中ではトップクラスの実力を持つ生徒であり、その魔法力や戦闘力はとても高い。全員九校戦においては十分に各競技のエースを張れる人材であり、実際の戦場でもそこそこの活躍が期待できるだろう。

 

「……不幸だ」

 

「疲れた」

 

 綿を詰め込んで膨らんだ身体を揺らす死んだ目の幹比古と、思いっきり手抜きしたくせに何を言うのかと言われそうなことを呟く雫が達也たちのもとにやってくる。雫は別として、幹比古はかなり憔悴しきっている。力士だけでも嫌なのに、さらにイエローというお約束のデブキャラを宛がわれポーズまで取らされたのだから、こうなるのも仕方ないだろう。

 

「おーっと盛り上がる会場の空気に誘われてハジける若者が登場だあ!」

 

 そのあとに登場してきたのは、「ロッカー」のくじを引きそのコスプレをした里美スバルと「ガングロギャル」のコスプレをしたほのかだ。スバルはこれはこれで大変似合っているが、ほのかは死ぬほど似合わず、それをみた親友の雫は(周りから見ると普通に笑っているだけだが)大笑いする。

 

「……その、なんだ……ドンマイ」

 

「その優しさがむしろ辛いです……」

 

 合流してきたほのかに達也はなんとか絞り出して声をかけるが、メイクで日焼けしたように見せたほのかは涙目で恨めしそうに達也を睨むと、壁に寄りかかって体育座りでいじけはじめた。

 

「しばらくそっとしとこう」

 

 雫はなおも笑いながら、そう言って料理を取りに行った。

 

「お祭り騒ぎで童心に帰りすぎたか! ここは高校なのに小学校だあ!」

 

 続いて登場してきたのは、伊達眼鏡をかけたレディーススーツ姿の真由美だ。その手には今や使われなくなった古典的な指示棒が握られている。

 

「さあクラスのみんな、おいで、授業を始めるわよ」

 

 真由美が演技がかったしぐさで明るく入場口に向かって呼びかけると、そこから小さなな二人の影が出てくる。

 

「「ゲホゲホゲホッ!」」

 

「あーっはっはっはっはっ! 何あれ! お似合いじゃないの!!!」

 

 それを見て達也と美月は咳き込み、エリカは指さして腹を抱えながら大笑いする。

 

 入場してきたのは、黄色い帽子をかぶり、パステルカラーの洋服を着て、ランドセルを背負った、「小学生」のコスプレをした、怒りと不満が顔に表れて今にも憤死しそうな文也と、顔を真っ赤にしてうつむいているあずさだ。

 

「……奇跡としか言いようがないな」

 

 達也は、美月が噴き出してしまったお茶を誰にもばれないようこっそり拭きながら、心の底から感心した声を漏らす。

 

 そう、奇跡が起きたのである。

 

 こういったお祭り騒ぎが大好きな文也と、生徒会長として企画責任者であるあずさは、なんと一番引きたくない「小学生」「女児」のくじを引いてしまったのだ。二人とも自身の低身長童顔がコンプレックスであり、最高にぴったりでありながら最悪に不本意なコスプレなのである。

 

 当然二人ともなんとか誤魔化そうとしたのだが、「教師」のくじを引いた真由美にバレてしまい、可愛い後輩と今までさんざん苦しめてきた後輩をからかう絶好のチャンスとして強制的にグループにされ、こんなことになったのである。

 

「は、はーい、先生、バナナはおやつに入りますか?」

 

「中条さんいい質問ね。バナナはデザートの部類なのでおやつに入りませんよ」

 

「…………せ、先生トイレ!」

 

「先生はトイレじゃありませんよ井瀬君。スリザリンからマイナス五十点」

 

「それは魔法科高校じゃなくて魔法学校だろうが!!!」

 

 このくだらない茶番も、あまりのメンバーの面白さに大爆笑を巻き起こす。セクシーさと大人っぽさと幼さが絶妙にブレンドされた真由美の教師姿も似合っているし、文也とあずさの面白さは言わずもがなだ。特に文也が「乗り気じゃない側」でさんざんにからかわれ晒されているのは、いつもとは真逆で新鮮である。ここまでの中では生徒たちの反応が一番良い。優勝候補筆頭である。

 

 そしてそのあとにも次々と珍妙なグループが会場に現れる。

 

 特に生徒たちの評判がよかったのは克人と博のコンビだ。

 

「ピッチャー」のコスプレをした博が意外と様になっているフォームでガムテープを丸めた球を投げ、それを黄色い「熊」のコスプレをした克人が丸太の模型で打ち返す。おそらく博がそそのかし、こういうのに疎くて天然気味の克人が訳も分からず乗ったのだろうそれは、八十年たってもなおインターネットに生き残り一般人にも知れ渡った鬼畜ゲームを再現したものであり、入場時に流れたのどかな音楽は曲調とは逆に生徒たちの恐怖を誘った。

 

 他にも「アイドル」の格好をした紗耶香と花音、「侍」と「忍者」のコスプレをした範蔵と五十里(範蔵が忍者を引かなかったのは逆に奇跡である)など、個性的な生徒たちが次々と入場してくる。

 

「……ハロウィンって妖怪とかの仮装をするんだよな?」

 

「ある意味妖怪みたいなものだし、これでいいかも」

 

 肝心の妖怪のコスプレがほぼないことに達也が呆れかえってると、片手に持つ皿に盛った料理を摘まむ雫が平坦に答える。

 

(確かに、妖怪よりもよっぽど魑魅魍魎のカオスだな)

 

 小学生姿を駿やゲーム研究部の面々からからかわれて怒り狂って叫ぶ文也を見ながら達也は納得する。

 

 そして、ふと、まだこの会場に現れていない、一人の少女を思い出す。

 

 くじを引いて以来ずっと準備しているであろう衣装を隠し通されたが、考えてみれば、彼女のくじはまさしく「化け物」の類だ。

 

 達也がそれを思い出した瞬間に順番が巡ってきたのは、まぎれもない偶然である。

 

 会場の明かりが落とされる。これまでと同じく、新たな入場者の合図だ。

 

 ――しかし、一向にスポットライトが光る気配はなく、会場は不自然に長い暗闇に包まれる。

 

「おい、どうしたんだ?」

 

「トラブルかしら?」

 

 盛り上がっていた会場は一転、不安によって静かにどよめき始める。

 

 達也も何があったのか困惑していると、突然、会場に不気味な音楽が流れる。

 

 

 

 

 

 

 

 ――くる、きっとくる――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それと同時に、入場口がスポットライトに照らされる。しかしその色は先ほどまでの白ではなく、あまりにも禍々しい紅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、暗い暗い入場口の奥の闇から、ゆっくりと、真っ白な「手」が現れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――キャアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その直後、一人の女子が悲鳴を上げ、失神した。

 

 それに呼び寄せられるように、「手」は暗闇からゆっくりとその姿を現す。

 

 死者の服を想起させる真っ白な服を着た女が、長い黒髪を垂らしながら、ぎこちない四つん這いでゆっくりと現れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ――それはまるで、暗いテレビ画面から出てきて、こちらにいる者を呪い殺しに来た、女のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、会場は大パニックになり、それは会場の電灯が一斉につけられて明るくなるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すべての開票を終えましたので、これより入賞者の発表をいたします」

 

 それから数時間、ビンゴ大会などのプログラムも終え、大盛り上がりとなったハロウィンパーティも閉会式となった。閉会の挨拶は生徒会長であるあずさが務めたのだが、その内容はすべてに「(小並感)」と付きそうな幼稚なもので、最後までコスプレに殉じたものであった。ちなみに内容を考えたのは真由美である。

 

 そしてついに投票結果の発表を迎えた。結果発表を担当するのは、忍者姿をした五十里だ。

 

「ではまず三位は…………魔法戦隊マジシャンジャーです!」

 

「やったぁ!」

 

 発表と同時に英美が両手を挙げて歓声を上げ、会場に拍手が巻き起こる。なお喜んでいるのは英美だけで、ほかの四人は微妙な表情だ。

 

「見事三位に選ばれたマジシャンジャーの五人には、国立魔法大学加盟店で使えるCAD割引券をプレゼントします」

 

「地味にいい商品だな」

 

 五十里の発表を聞いたレオ――まだ海パンに上着を羽織った姿である――が呟く。こんなくだらない企画だが、意外と商品は本気だ。

 

「続いて二位は…………魔法科小学校真由美先生組です!」

 

「わ、やった! やったわよほら! 二人も嬉しいでしょ。ほらほら先生に遠慮しないで子供らしく喜びなさい!」

 

「「…………チッ」」

 

「井瀬君は別としてあーちゃんまで舌打ちぃ!?」

 

 喜ぶ真由美と親の仇を見る目で舌打ちした文也とあずさのやり取りで会場に大爆笑が起こる。小学生が担任の先生に反抗期を起こしたのだろう、きっと。反抗期だから素直に喜べないのである、きっと。

 

「皆さんの支持を得て二位に輝いた三人には、最新型ハイスペックフルダイブVRカプセルを差し上げます!」

 

「……あの三人には無用かもな」

 

「いや、でも最新型だし、もしかしたら嬉しいんじゃない?」

 

 達也の呟きにエリカが乗っかる。真由美は七草家の御令嬢で金持ちだし、ゲーム好きの文也とその親友であり付き合いでゲームをするあずさはそれぞれ高額と言えどフルダイブVRカプセルは持っているだろう、と思っての達也の言だが、エリカの言う通り最新型までは持っていない可能性もある。ただどちらにせよ二人が気にすることでもないので、そこでもう会話は続けない。

 

「そして、栄えある第一位を発表します!」

 

 そうしてついに、生徒や教員たちから最も票を集めたコスプレが発表される。

 

 しかし会場に、ドキドキや期待と言った空気はもうない。なにせ、この場にいる半数以上が、その一位に投票したのだ。結果はすでに分かり切っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「優勝は………………『貞子』司波深雪さんです!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、体育館中に空気が揺れるほどの歓声と万雷の拍手が巻き起こる。

 

 それらを一身に受けるのは、あまりにも恥ずかしくて誰ともグループが組めず、それでいてやたらとお節介なホラー映画好きの同級生たちの熱心な指導でやたらとクオリティが高い演技を見せた、達也の隣で俯いて震えている絶世の美少女・司波深雪だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………納得いきません………っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俯いて垂れる長い黒髪から覗く顔は、達也が見てもゾッとするほど、この世への恨みに満ち溢れていた。




本編完結までは第一話を投稿した段階ですでに全て書き終えていますが、今回の話のように、明らかに投稿を始めてから改変をした場所などもございますので、それを探すのも一つの楽しみ方かもしれません

さて、次回からは、原作でいうところの来訪者編にあたる章、招かれざる者編がはじまります


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招かれざる者編
5ー1


今回から、招かれざる者編が始まります


「あいつって流石にズルすぎねえ?」

 

「お前が言うのもどうかと思うけどな、異端児」

 

「いやいや、あいつや親父ほど反則じみた性能はねえよ」

 

 東京某所にある大きな病院の一室で、二人の男が一つの画面を共有しながらなんとも中身のない言い合いをする。このような中身のない冗談のぶつけ合いはいつものことなのだが、今回の場合はいつもと違い、多分に現実逃避的な意味合いが強い。

 

 目つきが悪い小さな少年・井瀬文也と、彼の父であり日焼けした肌と鍛え上げられた筋肉が特徴的な大男・井瀬文雄は、二人とも絶対安静の入院をすることになり、こうして金の力で特別に用意された二人部屋で動けない時間を過ごすこととなった。

 

 その原因は、10月31日、横浜で行われた魔法科高校論文コンペの時に起きた「戦争」だ。

 

 突如として奇襲を仕掛けてきた大亜連合軍に対して、この二人もまた戦い、それぞれの激闘を通してギリギリ生き残ったものの、その負傷は重く、こうして入院する羽目になったのだ。

 

 文也は、直立戦車や装甲車の残骸をつなぎ合わせた『蓋』というおぞましく歪な兵器の重機関銃によって脚をズタズタにされた。早急かつ適切な手術、そして高度な治癒魔法、そしてその後に病院で行われた再手術によって原型を取り戻しているが、それでも数日の絶対安静が必要になった。

 

 そしてその文也よりも重傷だったのが文雄だ。世界最高の白兵魔法師との戦闘によって負った傷は、背骨と内臓の損傷だ。一歩間違えれば半身不随や死亡となってもおかしくない大怪我だったのだが、さらにそこから大規模な魔法の行使で無茶をして、さらにさらに起きてすぐに息子の怪我を知って駆け付けるべく無理やり自分に治癒魔法をかけ、そこから五時間シェルターの瓦礫処理を手伝って、加えてその後も息子とその幼馴染の安眠のためにしばらく我慢したのだ。

 

 そうした経緯で息子と一緒に病院に運ばれた文雄は、息子と離れるや否や気を失い、起きたら集中治療室で全身チューブまみれだった。今こうして上半身を起こしていられるのは、病院の総力を結集した最先端の治療と治癒魔法のおかげなのだが、主治医は「いくらなんでもこの回復力は化け物」と恐ろしい怪物を見るような眼で主張してきた。それを聞いてつい笑ってしまい腹の傷が開いたのは余談だ。

 

 そんな物騒極まりないハロウィンから五日たったのが今日である。

 

 二人とも上半身を起こせる程度には回復――医学の進歩はすさまじいものである――し、文也は明日には退院できるし一週間後には普通に運動できる生活に戻れる。元気を取り戻した二人は、そのハロウィンの戦争について話し合っているのだ。

 

 とはいっても、二人が見ているのは、敵ではない。むしろ仲間なのだが、しかし二人はそれが活躍した映像を見て戦慄し、現実逃避しかかっている。

 

 二人が見ている画面は、偵察用ドローンが撮影していた映像を編集したものだ。編集でクローズアップしたのは、黒いボディスーツを身にまとった大柄な少年だ。二丁の拳銃型CADを操り、戦場を飛び回り、敵を文字通り消滅させたと思ったら、負傷した仲間を元通りに再生させる。まるで悪魔と天使が一人の人間に宿って戦っているような様は、あまりにも恐ろしかった。

 

 そして二人を何よりも恐怖させたのが、その少年が知り合いであり、かつ若干敵対気味ということである。

 

「司波兄……だよな?」

 

「その確認は何回目だ。何度も恐ろしい事実を言わせるな」

 

 二人ともその家系ゆえに、人体には詳しい。それゆえに、背格好や骨格や立ち方や動作から、その謎の少年が司波達也であるとすぐに確信できてしまうのだ。

 

 文也と文雄はCAD業界のトップ企業『マジカル・トイ・コーポレーション』のエースエンジニアである『マジュニア』と『キュービー』であり、達也は同じくトップ企業でライバル企業のエース『トーラス・シルバー』の片割れだ。つまりお互いにライバルであり、対立関係だ。そうした対立相手がこの戦場で神とも悪魔とも化け物ともいえる圧倒的な蹂躙をする少年なのだ。二人にとってはまさしく「悪夢」に他ならない。

 

 そしてさらに悪いことに、お互いにその正体を知っている。こちらから手を出すつもりはないが、もし向こうが力づくで消そうとしてきたら、この圧倒的な魔法の前では成す術が思いつかない。一瞬で消しとばされて終わりだろう。

 

「俺らが佐渡でえんやこらやしてる時に沖縄で大暴れしてたのも司波兄か」

 

「ほーんと、どこからどこまで皮肉な関係だなあ、お前と司波達也君は」

 

 そしてこの戦い方は、過去にもあった。文也たちを巻き込んだ新ソビエト連邦の佐渡侵攻と同時に起きた大亜連合の沖縄侵攻で、その侵攻を一方的に蹂躙したのが、この消滅と再生だ。

 

 文也と達也。第一高校に進学した同級生で、二人とも世間に正体を隠す天才魔工師で、世にも珍しい『パラレル・キャスト』の使い手で、しかし方や成績優等生素行不良生方や成績劣等生素行優良生で、さらにどちらも中学一年生の頃に同時に戦争に巻き込まれてそこで活躍している。

 

「さしずめ、司波君はお前にとって運命の相手ってわけだ」

 

「やめろ、吐き気がすらぁ」

 

 文雄の言葉に、文也は心底嫌そうな顔をして乱暴にベッドに背中を預ける。同じことを言われたら、同じことをあちらも思いそうである。

 

「で、この魔法の仕組み、消滅のほうはやっぱ『分解』の亜種か?」

 

「ああ、おそらく物体を分子や原子のレベルまで『分解』する魔法だ。対象物は跡形も残らなくなる」

 

「しかもあいつは魔法式まで『分解』できるんだよなあ。俺があんだけてこずったヘンテコドームもあいつなら欠伸しながらちょちょいのちょいだ」

 

 達也は、国際的な魔法力基準から見たら間違いなく劣等生だ。しかし彼の力は、戦場においては無双の活躍をする。おおよそなんでもそつなくこなす井瀬家とは真逆の、それ一つに特化した歪な力だ。しかしその特化の方向性と能力は、その一点だけですべてを蹂躙する。

 

「で、こっちのザオリクとベホマは? 俺は全く見当がつかねえ」

 

 そんな達也の攻撃能力と一緒にあるのが、この再生能力だ。瀕死の仲間も即座に健康体になる。もはや死んでしまったように見える仲間もすぐに元通りになり、何もなかったのように戦場に復帰している。

 

 それは、ゲームに登場する、どんな傷も完全に回復し、死んでもよみがえらせる「魔法」のようだ。先ほどの消滅が悪魔の所業と例えるならば、こちらは天使または神の御業である。

 

「うーん、どうだろうなあ。治癒魔法じゃこんなの不可能だしなあ……復活するときに、まるで逆再生みたいに血とか体とかが戻って起き上がってるから、復活とか蘇生とか回復というよりかは、『時間を巻き戻してる』ようだな」

 

「は? 時間まで魔法で操れますってか? どんな仕組みだおい頭おかしいだろ」

 

「仕組みまでは俺も分からんね」

 

 文雄の推測は、半分当たっている。達也の魔法『再成』は、対象のエイドスにその過去のエイドスを上書きして過去の状態と同じ状態に構成する魔法だ。「時間を巻き戻す」のではなく、「今に過去を再構成する」、まさしく『再成』なのである。

 

 当然そんなこと分かるはずもなく、二人は延々と頭を悩ませる。

 

 そうした中で、文也はふと一つ思い出したことがあった。

 

「そうだ。そうだったんだな。あの『モノリス・コード』の時も、あいつはこれを自分に使ったんだ!」

 

「あれか。俺も妙だと思ったんだ。なるほど、それなら納得だな」

 

 思い出したのは、文也と達也と幹比古が代理で出場した、九校戦『モノリス・コード』新人戦の三高戦だ。将輝のレギュレーション違反の魔法の直撃を食らった達也は、何事もなかったかのように起き上がって反撃をした。さらに試合後も不自然に破れた鼓膜の再生が早かった。

 

 二か月半越しの疑問がようやく解決した文也は、そこからさらに九校戦つながりで思い出したことがある。

 

 文也は父親の顔を睨みながら、責める口調で問いかける。

 

「で、クソ親父よお。この消滅、この夏休みに見たんじゃないか? 横浜とか、横浜とか、横浜とかで」

 

「アッハイ」

 

「つーまーりー? 少なくともこの消滅分解に関して、実は元からぜーんぶわかってたんじゃないのか? あ?」

 

「ウス、ウッス」

 

 親友である駿とあずさを傷つけた『無頭竜』への復讐。演習場を離れられない文也の代わりに文雄がその復讐をするべく横浜に向かったのだが、すでに『無頭竜』は消滅していた。文雄は文也にそう説明したのだが、実はその「消滅する瞬間」を見ていたのである。

 

 それを見た文雄は、背格好などから、それが達也によるものだと分かっていたのだ。しかし「これに触れたらまずい」と察知した文雄は即退散し、息子を巻き込まないよう嘘を教えた。しかし、今こうしてその嘘も暴かれてしまった。

 

「お詫びに何してくれる?」

 

「復帰次第、最新開発したCADを特別に渡すよ」

 

「それで手打ちにしてやる」

 

 文也だって、文雄が何を考えてそうしたのかはわかる。個人的には大きなお世話なのだが、あまり無碍にするものでもないだろう。

 

「で、これが最後だな。あの『爆発』について、何かわかるか? 俺はわからん」

 

「俺にも分からん。まさか、日本にもう一人、戦略級魔法師がいたなんてねえ」

 

 その話題は達也から離れ、逃げる大亜連合の偽装揚陸艦とその後に結集した大艦隊を消しとばした謎の爆発についてだ。

 

「将輝君なら何か知ってるんじゃないか? どっちも海の上の出来事だ。海水を使ってなんかやったとしたら、『液体』がお家芸の一条家かもしれないぞ?」

 

「マサテルには電話して聞いたんだけどよお、『お前らに分からないなら俺らだって分からん。なんならこっちが聞きたいくらいだ』ってさ」

 

「……お前から見て、嘘をついてるようには?」

 

「あいつはバカだからな、すぐ口調に出るからわかる。百パー本気で知らない」

 

「ですよねー」

 

 手詰まりとなった二人は、投げやりにベッドに上半身を乱暴に投げ出す。とにかく難題が積み重なりすぎて、考えるのが嫌になってきたのだ。

 

「んー、あー、でも、そうそう。俺にも一つだけわかることがあるぞ」

 

「一応聞いてやるよクソ親父」

 

 気の抜けたトーンに対して気の抜けたトーンで返すと、二人の間に短い沈黙が訪れる。

 

 その沈黙の間に、二人はあのハロウィンの出来事を次々と思い出す。

 

 横浜で起きた戦争は、あの大爆発で幕を閉じた。

 

 つまり――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――爆破オチなんてサイテー、ってことだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あのハロウィンの戦争からもうすぐ一か月、そしてハロウィンの狂騒パーティーから一週間と少しが経った、11月最終週の平日、司波達也は放課後に目的の場所に向かうべく、最愛の妹と並んで廊下を歩いていた。

 

 そんな達也の頭に浮かぶのは、今年度に入ってから何かと彼の頭を悩ませる、目つきの悪い童顔のクソガキ・井瀬文也だ。

 

 達也は、あの横浜の戦場での文也たちの戦いをすべて真田から聞いている。将輝は不利な戦場をひっくり返してさらに生きた捕虜を確保し、文雄と真紅郎は世界最強の白兵魔法師と言われる呂を打ち倒し、さらに文也は文雄やあずさや駿の力を借りて『蓋』を破壊し多くの人々の命を救った。そのすべては達也にとっては簡単にできることだったが、客観的に見たら彼らの活躍はすさまじい。

 

 特に井瀬親子の活躍は、真田たちも本格的にスカウトを検討するほどだった。多くの協力があったとはいえ、二人とも巨大な脅威に立ち向かい、倒すことに成功している。この二人がいなかったら、呂や『蓋』に対応するために達也が動かざるを得なかっただろう。そうなったら偽装揚陸艦への対応も後手に回ったかもしれない。

 

 特に文雄の活躍は派手だった。あの事件の顛末を知った五十里が「五十里家ですらまだ研究段階のをあんな大規模に実戦投入するなんて」と悔しそうにぼやき、魔法幾何学の秀才である廿楽に「今すぐ魔法師教会に情報を聞きに行きたい」と本気で言わせた最新技術――投影型魔法陣である。自然界のサイオンが多く偏る地でしか使えず拠点防衛に特化したものでさらに魔法工学・論理・技能すべてに秀でた魔法師にしか使えない汎用性の低いものだが、それでも理論上は可能性が示されていた程度であり、それを実戦でいきなり大規模に成功させたのだ。

 

 また、校内では文也の活躍も目立つ。論文コンペを見にいった一高生のほとんどはあの地下シェルターに避難しており、彼らは文也とあずさによって命を救われた。この二人がいなければ、ほぼ全員、今生きてはいない。

 

 その戦いで文也が使ったのは、自分で作ったらしい貫通力増幅ライフルだ。まず武装一体型CADとしての貫通力増幅ライフル自体、今回の騒乱で初めて実戦投入された兵器であり、しかもそれを使ったのは新開発された装備のテスト運用をする部隊である独立魔装大隊のみ。つまり最新兵器なのだが、文也のそれは、独立魔装大隊が使ったものよりもはるかに進んでいた。いくつもの魔法を併用して速度と貫通力と決定力をとにかく高めており、七メートルの鋼鉄の塊を容易く貫通して見せた。

 

 使用された瞬間を偵察機が録画した映像で見て――戦場を上空から偵察して録画しておくのは文也たちだけではないのである――達也は思わず呆れかえった。これでもかとばかりに魔法的要素を詰め込んだ歪なキメラ兵器で、よほどの魔法師でないと使いこなすのは不可能であり、その性能を発揮するには超高速のマルチキャストをする技能が必要である。兵装として投入するのは不可能だろう。ついでにこのライフルを、たかが校内の訓練で生身の人間に対して躊躇なく使おうとしたことにも呆れかえった。

 

「よお、待ってたぜ。あやうくオフ会ゼロ人かと思ったぞ」

 

 達也が、なぜそんな風に文也のことを考えていたのか。それは、彼と妹は、文也に呼び出されて、校内の人気が無い教室に向かっていたからである。

 

「何言ってるのか分からんが、俺らとしては気乗りしないから帰ってゼロ人にしてやってもいいぞ」

 

「そうカッカすんなって。ほら、そこ座れ」

 

 へらへら笑う文也に促されて二人が座ると、文也も乱暴に椅子に座り、横に置いた机に頬杖をついて脚を組み、実に偉そうな姿勢をする。やる人物によっては威厳と威圧感があるだろうが、あいにくながら背伸びしたい不良小学生の精いっぱいのツッパリにしか見えない。

 

「それで、話ってなんだ?」

 

 お互いに向き合うと、達也が話を切り出す。深雪はさっきから黙りこくったままだが、それは文也に対する怒りを必死にこらえてサイオンの暴走を抑えているからであり、代わりに文也を睨んで彼女の感情を表現している。季節ももうすぐ冬とはいえ不自然に気温が低く感じるのは、つまりそういうことである。

 

「ああ、まずは一つ。ずいぶんとご便利な魔法をお持ちのようで、大変羨ましゅうございますなあと思いましてな」

 

「似合っていませんよ」

 

 文也のわざとらしいイントネーションに、深雪は思わず口を開く。口調自体は平然とツッコミを入れたように聞こえるが、しかしそれは精いっぱいの虚勢で、室温がさらに低くなったことから、彼女の怒りと動揺が増幅したことがわかる。

 

「一応聞くが、なんのことだ?」

 

「ニフラムとベホマ」

 

「俺はゲームもアニメも知らないぞ」

 

「んなこと言ったってこれくらいは一般教養だろうが」

 

 はーやれやれ、とでも言いたげに文也が鼻を鳴らすと、さらに室温が下がる。これ以上は冷蔵庫になりかねないので文也も自重し、本題に入ることにした。

 

「いやー俺わかっちゃうんだけどね? 敵を分子にまで分解して消滅させる魔法と、仲間の傷を一瞬で回復させる魔法、あれ一人でやってた無双ボーイってお前だろ? 司波兄」

 

「……誤魔化しは通用しなさそうだな」

 

 達也はそういうと心中で深くため息を吐く。あの戦場に『マジカル・トイ・コーポレーション』の偵察用ドローンがいくつも飛び交っていて、自分が見られているだろうことは予測できていた。自軍のプラスになるからと『分解』せず無効化しないでおいたのだが、その善意が仇となった。

 

(九校戦の時も、こいつは勘が鋭かったな)

 

 弱った心が表に出てしまっていたみたいで、文也は得意げに自分の推理を披露している。『自己修復術式』の核心や『再成』の仕組みまでは特定できていないようだが、それ以外のほとんどが見破られてしまった。五十里たちなら善意だからまだ知られてもよかったが、敵対関係でもあり口が軽そうで信頼という言葉の真逆に位置するような文也に知られるのはまずい。

 

「わかっているとは思うが、これは全部最重要機密だぞ。漏らそうもんなら……わかってるな?」

 

「そう凄むなよ。察したのは俺と親父だけだ。あーちゃん達にもまだ言ってない」

 

「まだ、か……」

 

「そのいつかが来るか来ないかは、お前の今後次第……あ、おいこらちょっと待て。なんだそのアイコンタクトは! 『ここで消しましょうかお兄様』みたいな目線送るな!!!」

 

「ここで消しましょうかお兄様」

 

「だからと言って口に出すなああああ!!!」

 

「深雪、笑えない本気はよせ」

 

「そこはせめて嘘でも笑えない冗談って言え!!!」

 

 困った状況だが、しかし主導権は達也たちの側にある。実力行使になれば文也は手も足も出ない。それを(半分冗談、半分本気で)匂わせるだけで、文也はこうして焦らざるを得ない。それを確認できた二人は、ガラじゃない冗談を言ったものの留飲を下げる。

 

「あー、わーってら。秘密秘密。はいはい。そんで今日の本題はそこじゃねえんだよ」

 

 文也は頭を乱暴にかきむしりながら雲行きが怪しくなった話題を無理やり転換する。もう少しからかって留飲を下げたかったのだが、このクソガキに時間を使うのは癪なので、二人ともその転換に素直に乗っかることにした。

 

「チョっとばかり、天下の『シルバー』様と優等生ちゃんのお知恵を拝借したいんだ」

 

「ほう、世に名だたる『キュービー』と『マジュニア』でもお手上げのものがあるわけだ」

 

 文也の言葉に、達也は興味をそそられた。文也がこういうからには、間違いなく文雄と相談したうえで分からないことなのだろう。それは、エンジニア肌である達也の知的好奇心を刺激した。

 

「ハロウィンの『ビッグバン』、あれの仕組みだよ」

 

「なんだそれは」

 

 達也は反射的に聞き返してすぐ、そして深雪も、文也が何を言おうとしているのかを察し、急速に焦りが募る。この話題は、先ほどまでとは機密の度合いが比にならない。本物の最重要機密だ。

 

「ほら、あの偽装揚陸艦と艦隊を消しとばした大爆発だ。あれは間違いなく核兵器とか爆薬じゃねえ。間違いなく魔法によるものだ。軍人で『シルバー』様のお前なら、なんか情報か見当は掴んでるだろ?」

 

 そういう文也の目を、達也はじっと睨む。

 

 この質問の真意を慎重に見定めなければならないからだ。

 

 単純に考えが詰まったから聞きに来たのなら良い。適当に誤魔化すだけだ。

 

 しかし、その勘と知識で、あの大爆発を起こしたのが達也自身だと察していて、揺さぶりをかけにきたのだとしたら……今日にでも、「口止め」が必要になる。

 

 しばらく、張り詰めた沈黙が訪れる。文也が絡むと感情が表に出やすいと自覚している深雪は、こればかりはまずいと、必死にポーカーフェイスを維持している。

 

「…………俺にも、実は分からない。大佐も知らないらしい。なんなら、俺も聞きたいぐらいだ」

 

「お前でもわかんねえか。おい妹、お前は?」

 

「お兄様に分からないものが、私に分かるわけありません」

 

「そうかあ。お前らでもダメかあ。はー、参った参った」

 

 達也たちが答えると、文也は大きくため息を吐いて、背もたれに体重を預けてのけぞる。

 

 司波兄妹はその様子に、緊張を緩め、そして呆れ果てた。

 

(こいつ……政治とか陰謀とか関係なしに、単純に知的好奇心で知りたがっているな)

 

 世界の秩序をひっくり返しかねない大爆発の戦略級魔法『マテリアル・バースト』。それを、文也は、単純な知的好奇心で知りたがっているのだ。実際、文也は、達也の国防軍のコネを期待して、「誰が」ではなく「どうやって」「どんな仕組みで」を聞いてきた。それは、「気になる魔法を知りたい」という、子供の様な好奇心だ。

 

「まー、じゃあなんかわかったら教えてくれや」

 

 文也はいきなり立ち上がってそう言うと、呼び出した側の癖に、もう用済みとばかりに二人を置いてさっさと教室を出ようとする。

 

「あんな魔法だ。仮になにか分かっても、教えるわけないだろ」

 

「あ、そりゃそうか」

 

 最後にそんな会話を残して、文也は去っていった。

 

 遠ざかる足音――小さいくせに歩き方が乱雑なので無駄に大きい――を聞きながら、残された二人は緊張の糸を解く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ストレスで胃に穴が空きそうだから『再成』して健康体に戻ろうか」

 

「お兄様、心労は元に戻らないので無意味ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 らしくもない冗談を吐きたくなるくらい、達也は何かと厄介なチビに、困り果てていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也や文雄は『マテリアル・バースト』の仕組みを全くつかめていなかったが、北アメリカ合衆国の国防総省に所属する科学者や幹部たちは、かろうじてその爆発が「質量のエネルギーへの変換」だと結論付けた。そして、達也と深雪が文也に困らされた日の夜、マイクロブラックホールの生成・蒸発実験へのゴーサインが押された。

 

 そしてそれとほぼ同じ時間、金髪を二つ結びにした、この世のものとは思えない美少女は、書類の束を目の前にして、困り果てていた。

 

「……日本って、クレイジーな国よね」

 

「何をいまさら言っているのですか」

 

 その金髪の美少女は、USNAが誇る世界最強の魔法師部隊スターズの隊長、アンジー・シリウスこと、アンジェリーナ・クドウ・シールズだ。それと向かい合っているのはスターズ第一部隊隊長のベンジャミン・カノープスである。

 

 諜報に関しては素人に毛が生えたようなリーナだが、彼女は二つの理由によって、年明けから日本に交換留学生として向かうことになっている。

 

 その一つが、「『グレート・ボム』使用者・謎の戦略級魔法師の捜査」だ。今一つ作戦が雑な気がするが、魔法開発最先端の一つである魔法科高校にもぐりこみ、「候補」の生徒と接触して調査する、というものだ。総隊長かつ戦略級魔法師たるリーナは、魔法科高校の中でも特に優れているという第一高校に潜入することになっている。彼女たちが見ているのは、その潜入捜査と「候補」の情報だ。

 

 一人目は司波深雪。多少サイオンの制御に難があるが、全ての方面において突出して優れた魔法力を持つ。

 

 二人目は司波達也。魔法力はデータによると「劣等生」だが、実際の戦闘能力や保有サイオン量、それに魔法理論・魔法工学において突出した能力を持つ。使用者と言うよりかは開発者として注目されている。

 

 三人目・四人目は十文字克人と七草真由美。『グレート・ボム』とは得意の方向性が全く異なるが、突出した干渉力と技能を持つため候補入りした。

 

 五人目・六人目――こちらは第一高校担当のリーナでなく第三高校の担当が見るのだが、一応全員分目を通している――は、一条将輝と吉祥寺真紅郎。海で起きた大爆発ということで『液体』に干渉する一条家は全員がマークされており、その魔法を開発したのが世界で初めてカーディナル・コードを発見した若き天才研究者『カーディナル・ジョージ』こと真紅郎と予想されている。

 

 そして七人目、この人物のプロフィールだ。

 

 左上には学生証用の顔写真。雑に切った黒髪に目つきの悪い生意気そうな童顔、そして胸から上だけの写真でもわかるほどの低身長の少年――井瀬文也だ。

 

 あれほどの大爆発を起こすには干渉力が全く足りないが、それでも魔法力の総合力は高く、また魔法開発力は先の九校戦や横浜騒乱で見せた通りで、謎の戦略級魔法を生み出しても、真面目に不思議でないと思わせるレベルだ。USNAはこの少年に魔法開発に関して大混乱を味わっているので、真っ先に「とんでもないことをしそうな奴」として候補に挙げられた。

 

 そう、文也がUSNA上層部を大混乱に陥れたその事件が原因で、リーナにもう一つの任務が下されたのである。

 

 それは――井瀬文也の「排除」だ。

 

 文也は、劣化コピー未満と言えど、USNA軍の秘術であり切り札の一つでもある『分子ディバイダー』を九校戦で再現して見せた。本人は知らずにやってたまたま被っただけと主張しているが、それが本当かも怪しく、何かしらのスパイ行為やハッキング行為で文也がUSNAから情報を抜き出したと深く疑われているし、仮に本当だとしたらそれはそれで秘術にもするような強力・高難度・高技術な魔法の起動式を再現されるというのは脅威に他ならないし、その開発した起動式を漏らされたりしたらたまったものではない。

 

 よってリーナの二つ目の任務は、秘密裏に、まず第一に「スカウト」を試み、第二にそれが失敗したら情報を聞き出したり本国に連れて帰って無理やり協力させるために「生け捕り」、さらにそれも無理そうなら第三に殺害である。

 

「日本人は低身長で童顔だって言うけど、このフミヤはより一層童顔ね」

 

「本人もそれがコンプレックスみたいです。この素行の悪さでも退学じゃないということは、見た目で許されてるのかもしれません。子供だから、みたいな感じで」

 

「こんな目つきのわるい子供が素行不良なんて余計に腹が立つんじゃないかしら? 魔法師は貴重な人材だし、さらにコレは多方面に優れているから、捨てたくても手放せないのよ」

 

「どこの国も事情は同じです」

 

 そんな会話をしながら、二人は候補であるクレイジーな面々の資料を流し読みしていく。文也と一緒くたに「クレイジー」と呼ばれているのを聞いたらさぞ他の候補者は不本意だろう。深雪、達也、真由美、将輝、真紅郎あたりはショックで夜も眠れなくなりそうだ。

 

 そんな、優秀かつ何してくるか分からない文也が相手だからこそ、諜報に不慣れではあるが戦闘力はUSNAナンバーワンのスターズ総隊長アンジー・シリウスたるリーナが選ばれたのである。

 

「日本、かあ」

 

 リーナは資料を投げ出し、ソファの背もたれに背中を預けて天井を仰ぎ見ながらぼんやりと呟く。

 

「センチメンタルになる気持ちはわかりますが、レディとしてはしたないですよ」

 

 ベンジャミンの小言を無視して、リーナはとりとめもない考えに意識をゆだねる。

 

 日本――リーナの祖父は日本人である。つまり、日本はリーナの祖父の故郷なのだ。得意魔法や戦略級魔法だけでなく、祖父から伝わった魔法もまた、アンジー・シリウスとして活動するために大活躍している。そんな祖父の生まれ故郷に初めて行くというのは、重大任務にもかかわらず、彼女の心を浮つかせていた。

 

 だいぶん遅れて小言に反応して天井から視線を戻し、仕事をしているというアリバイ作りのために投げ出した資料を眺める。

 

 そこでふと、USNA上層部を悩ませ、リーナが日本に行く大きな原因であるクソガキの写真が目に映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、リーナは、謎の怖気がして、少しだけ震えた。

 

「どうかしましたか? 身体が冷えたのでしょうか。ホットハニーミルクを入れましょうか?」

 

「い、いえ、何でもない。大丈夫よ」

 

 いくらもうすぐ12月と言えど、この部屋は多少効きすぎかなと思うほどに暖房がついているため、寒気と言うのはあり得ない。

 

 リーナは今の怖気の正体を分析して、すぐに直感した。

 

 優秀な軍人としての第六感が、このクソガキに反応したのだ。

 

「嫌な予感、というやつでしょうね」

 

 誰にともなくリーナはその正体を口にする。

 

(なんだか、とても厄介なことになりそう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女にとっては悲しいことに、優秀な軍人の直感は流石のもので、その予感は見事に的中することになる。




昨日投稿する予定だったのですが、ポケモンに夢中で遅れました


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5-2

 12月24日の夜――クリスマス・イブ、年内最後の登校日であり、達也たちは交換留学することになった雫の送別会を開き、またアメリカではアンジー・シリウスが「裏切り者」を抹殺する。

 

 そしてこれは、それより数日さかのぼる。

 

 定期テストが終わって数日経ったいつもの登校日、一高生は各々のテストの結果や順位を見て一喜一憂していた。高度に機械化・ハイテク化されたシステムによって採点と成績処理は高速・低負担で終わるため、順位などもすぐに出てくる。

 

 実技1位は深雪で、2位は文也。筆記・理論1位は達也で、2位は文也。つまりいつもの感じで、司波兄妹に文也は敗北したのである。

 

「いーかげんこの並びにも慣れちまったなあ」

 

「全然気にしてませんみたいな態度とっても、顔は正直だぞ」

 

 その順位を見て、文也は目を見開き、下唇を噛みしめ、悔しさと怒りで顔は真っ赤になっている。それを横で見ている駿はあきれ顔だ。

 

 ちなみに実技の順位は、それ以下は3位から順に、駿、雫、ほのかだ。要は九校戦前から順位自体は変動していない。しかし、さらに細かく成績を見てみると、無視できないことがあった。

 

 まず1位の深雪は圧倒的だ。ただでさえ圧倒的だったのに、成長具合も圧倒的であり、他の追随を許さない。

 

 問題は2位以下だ。九校戦前ではかなり開きがあった文也とそれを追いかける駿・雫・ほのから三人の成績の差が、今やほとんどないのである。三人とも入学してから色々な経験――九校戦や横浜での戦闘の経験に加え、駿はゲーム研究部や文也相手に魔法戦闘を繰り返す羽目になっている――を積んで急激に成長したのだ。

 

 一方で、文也の成績の伸び具合は芳しくない。指導教員がつかない上に「才能がない」ほとんどの二科生と同じ程度しか伸びていないのである。

 

(どういうことなんだか……)

 

 中学一年生の頃に出会って以来、駿にとって、文也は自分をはるかに超える絶対的な存在だ。しかし、その魔法成績は、今やあと少しで手が届く差しかない。

 

 まず理由として真っ先に思いつくのは、文也の性格だ。大体授業はサボるか寝るか怠けるか遊ぶかで、自分が興味ある分野以外は試験勉強もほぼしない。自堕落な生活を続けていたら、伸びるはずもないだろう。

 

 しかし、いくらそんなに怠けていても、ほぼ伸びがないというのは不自然だった。九校戦や横浜騒乱では駿ら三人以上に濃密な経験をしているし、横浜騒乱で何度も死にかけて挫折してからは、文也なりに努力をしていたのを駿は見ている。それでもなお、入学時からほぼ成績が伸びていないのだ。

 

「なんで伸びないんだこいつって思ってるだろ」

 

「……精神干渉魔法の使用は禁じられてるぞ?」

 

「バーカ、お前の場合顔に出るんだよ」

 

「ボディーガードとしてポーカーフェイスは鍛えてるつもりだぞ」

 

「単純バカはすぐに顔に出るんだよ」

 

「ブーメランを投げるの好きだよな、お前」

 

 なんとかいつも通りの冗談の応酬の流れにしたが、駿の背中には冷や汗が流れている。いくら文也が相手でも、このようなことを考えていたとなれば流石に失礼だ。一時はコンプレックスに懊悩していた駿だからこそ、「自分が思ったよりも伸びない」ことの苦しみはよくわかるのだ。

 

「ま、所詮この程度が俺の限界ってこった。全部できる『万能』とは程遠い、ただの器用貧乏だよ」

 

 文也の成績は、一年生としては圧倒的だ。深雪がいなければこの魔法界のエリートが集う一高において一位になるし、また文也自身の成績は、同時期の真由美や範蔵を超えている。

 

 その成績の理由は、国際的な魔法力の評価基準である、魔法式構築速度・構築可能魔法式の規模・事象改変の規模および干渉力のすべてが、四系統八種すべての魔法において一流だからだ。

 

 しかし、その「才能」は、全てにおいて一流には届いても、「一番」にはどれ一つとして届かない。

 

 魔法式構築速度はよほど魔法式の規模が大きくない限り全ての系統種類において駿に負けている。また事象改変の規模および干渉力については、雫とほのかに、二人が得意とする振動系を筆頭としてほぼ負けている。知識・知能の影響が強い構築可能魔法式の規模に関しては魔法理論に圧倒的に優れる文也がまだ頭一つ抜き出ているが、それすらも「頭一つしか」抜き出ていない。雫とほのかの成長具合からして、このままでは抜かされるのも時間の問題だろう。

 

 文也はそれをとっくに自覚している。故に、先の言葉には、悔しさはあれど、悲嘆めいた感情は一切ない。

 

 恵まれた環境と知能、そして早くに知識と技能を吸収し、自分で考えて伸びていく力が文也にはあった。それゆえに、入学する前からすでに文也の魔法の腕はプロの魔法師にも匹敵していた。その成長速度はすさまじいが、しかしそこから先は伸びない。抜きんでて早熟で入学時は圧倒的だったが、そこで「才能」や「伸びしろ」はほぼ打ち止めになってしまったのだ。

 

 強い自覚のきっかけは、先の横浜騒乱だ。自分の「器用貧乏」を突き付けられ、あずさの命の危機に何度も立ち合い、それを自身だけでは防げなかった無力感・絶望感を何度も味わい挫折した。それ以来なんとかもがいてはいるのだが、戦術的・作戦的・テクニック的な部分では伸びても、基礎となる魔法力はほぼ伸びなかった。

 

「…………気持ちは、俺も分かる」

 

 ほぼ全てが電子化されペーパーレスとなった現代においては時代遅れの感がある紙の成績表を折って紙飛行機にして拗ねた顔をしながらゴミ箱に投げて飛ばす文也の肩に手を置いて、駿は慰める。それは気休めではなく、心の底からの共感だ。

 

 駿には「一番」の能力がある。それは魔法式構築速度で、その能力は、簡単な魔法の速度に限っては全ての系統種類において、現段階で真由美や深雪すらも凌駕しているほどだ。ボディーガードとして即座に魔法を行使しなければならない森崎家は、魔法技能としての構築速度と、お家芸である非魔法技能としての『クイック・ドロウ』を磨いてきた。その中でも駿は、歴代森崎家で圧倒的に構築速度が速く、すでに当主である父親すら超えている。

 

 しかし一方で、それ以外の能力――構築規模や改変規模や干渉力――は、雫やほのか、文也どころか、それらより下の五十嵐らにすら負け、学年トップ10に入れていない。平均よりははるかに高くまた大きく伸びてはいるのだが、元々トップ層に比べたら低くさらに伸びも悪い。速度だけは「一番」だが、それ以外に関しては「一流」かどうかすらも怪しい。今は圧倒的な構築速度でギリギリ3位にしがみついているが、雫やほのかに抜かされるのは時間の問題だろう。それもまた、駿の「才能」の限界だった。それを、駿自身も自覚している。

 

「だが、何も成績がすべてじゃない。成績で測れない能力や特技が、実践では重要になってくるんだ。俺らにはそれがある」

 

 しかし、成績がすべてじゃないことは、駿自身が自覚している。

 

 いざ実践になると、魔法力の中で一番重視されるのは魔法式構築速度だ。相手よりも先に行使して相手が何かをする前に無力化してしまえばいいし、相手が行使してからでも後から追いついて対抗魔法を行使できれば問題ない。戦略級魔法や戦術級魔法と言った大規模なものならまだしも、個対個や小規模戦闘ぐらいならば、速度が一番重要である。魔法力の国際基準では三つの基準を均等に扱うことにしているが、実践では違う。駿の圧倒的な速度は大きな武器だ。

 

 また、文也のすべてに秀でた魔法力は、彼自身の固有技能である「何十個もの専用CADを同時に使うパラレル・キャスト」と組み合わさることで、凶悪な性能を発揮する。これによる文也の本気の攻撃を防ぐためには、「一流の改変規模を超える物理的な防御力」・「一流の干渉力を超える干渉力」・「一流の速度を超える速度」を、「全ての系統種類において」「ほぼ同時に」発揮しなければならない。しかもさらに質が悪いことに、文也には『情報強化』の『分解』という手段がある。それを単身で防げるのは、駿が知る限りでは、十文字家の『ファランクス』か、『蓋』のように鋼鉄以上の硬い装甲に強力かつ古式の『情報強化』と『領域干渉』をかけるくらいしかない。しかも、最近になって、それらへの対策になる貫通力特化の魔法ライフルまで開発した。もうここまでくると、防ぐのではなくて、何かされる前に先制攻撃で無力化する以外の方法は駿には思いつかない。

 

 またさらに特異な例で、二科生なのに戦場で大活躍した生徒もいる。

 

 結局は、魔法だって手段のうちの一つだし、魔法力だって能力のうちの一つだ。他の手段や能力と組み合わせて有効に使ってこそで、それこそが「魔法師力」なのである。

 

「ハン、夏休み前のお前に聞かせてやりたいね」

 

「文也、それは言うな。青春は悩んでこそだろ」

 

「だからといっていくらなんでも開き直りすぎだろ……」

 

「人生開き直りで過ごしてるお前に言われたくはない」

 

 そうしてまた、文也との軽口の応酬が始まる。

 

 

 

 

 

 

 ――文也の顔は、いつの間にか暗い感情が消え、明るい、口角を上げたいつもの悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――なお、成績表をごみ箱に捨てたことを家に帰ってから母親にこっぴどくしかられたのは余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日の井瀬君の反応は中々傑作でした」

 

「深雪、最近少し趣味が悪くなってきたんじゃないか?」

 

 年内最後の登校が終わり、送別会が終わって帰宅した司波兄妹は、その日の朝にあった出来事について話していた。

 

 雫の交換留学は急な話であり、クラスに公にされたのは、年内登校日最後である今日だった。その交換留学先はUSNA。雫は、クラスでも切れ者かつ実力者で、また深雪のグループにいるため男女から共に信頼が厚い。そんな彼女が三か月とはいえ急に留学に行くというのは、クラスの中に衝撃が走った。

 

 そんな衝撃が走るクラスの中で、一人だけ反応が周りよりも数段大きい生徒がいた。

 

 それは親友であるほのかや深雪ではない。事前に知っていたからだ。

 

 一番反応が大きかった生徒は――井瀬文也である。

 

 顔は真っ青で真冬だというのに汗を滝のように流し、手も体も唇もすべてが携帯端末のバイブレーションもかくやというほどに震えていた。

 

 それを見た周りの反応は、「え、あの井瀬がそんなにショックなの? まさか井瀬って北山の事好き? 会長じゃなくて?」という戸惑いか、「あの反応は違うやつへのだな。何があったのか知らんが、クラスメイトが留学するというのに薄情だ」という呆れの二つに大別される。

 

 深雪やほのかの反応は後者に近い。さらに言うと、深雪に至っては事情を知っているため、文也が何にそのような反応をしているのかがすぐにわかる。というか、そういう反応をすると予想していて、それを楽しみに登校したといっても過言ではない。

 

 雫は、交換留学でUSNAに行く。つまり――「USNAから留学生がくる」ということだ。

 

 この夏以来、文也はUSNAのことについて敏感になっている。九校戦で(そうとは気づかずに)USNA軍の秘術・『分子ディバイダー』を再現してしまったため、「USNAから目をつけられている身」なのだ。『マジカル・トイ・コーポレーション』の狭くはない情報網でUSNAの動きを追ってはいるのだが、いかんせん相手は第二次世界大戦以降から常に世界最強の軍事力・経済力を誇る巨大国家であり、極秘事項ともなると外国と言うこともあって情報は手に入りにくい。雫の交換留学は文也にとっては今朝が初耳であり、『マジカル・トイ・コーポレーション』の情報網でも見つからなかったことである。つまり、「USNAから留学生が来る」というのが「極秘事項」ということにほかならず、その来る場所が文也のクラスにドンピシャ。穏やかな事情であるはずがない。

 

「アメリカもついに動いてきたか。意外と遅かったな」

 

「先の戦略級魔法の調査も兼ねているのかも知れません」

 

「だとしたら、アメリカのターゲットは俺と井瀬ということか」

 

「戦略級魔法師がお兄様とは断定できてはいないでしょうけど……」

 

 達也の言葉に、深雪は露骨に嫌そうな顔をして語尾を濁す。親愛なるお兄様が狙われているということへの危機感や(多少の)不安もそうだが、それ以上に、またも兄とあのクソガキが重なるような状況に不快感を覚えたのだ。

 

 そんなやり取りの途中に、急に部屋に電子音が響いた。

 

「……監視カメラでもつけてるのか」

 

「そんな……」

 

 電子音を発しているのは、一か月前のハロウィンパーティーで深雪の活躍によって商品として与えられた、高度な計算を要する数多の研究機関や大学が買おうとしても高額すぎて手を出せずに嘆いたと言われる、新発売の最先端コンピューターだ。その性能は、スーパーコンピューターとまではいかないが、家庭用のサイズにギリギリ入る範疇としては最高だ。優勝したのは深雪だが、兄の方が有効活用できるとして譲ったのだ。

 

 そのコンピューターが発している音は、テレビ電話の着信を示すものである。重要な連絡先からの着信にはそれぞれに応じて個別の着信音が設定されている。この音の着信は――二人にとって、ここからの着信は厄介ごとが間違いなくやってくる相手、二人の叔母であり戸籍上の母であり、日本で最も悪名高い四葉家の当主でもある、四葉真夜だ。ちなみに設定されている音は「緊急地震速報」であり、彼女からの連絡が二人にとってどれだけめんど……失礼、重要であるかを物語っている。

 

「夜分遅くにごめんなさい。二人とも起こしてしまったかしら?」

 

「いえ、友人の家に遊びに行っていて、今帰ったところです」

 

 コンピューターを操作して通話に応じた達也は、「こんなサイレンを聞いたら誰だって目を覚ましますよ」という言葉を飲み込んで、真夜への無難な返事をする。向こうには着信音が緊急地震速報であることは知られていないし、それを設定しているというのもいくらなんでも失礼だろう。

 

「そう、北山さんの家ね。パーティーは楽しかったかしら?」

 

「ええ、楽しかったですよ」

 

 なんで知っているのか、という疑問は浮かばない。監視がついているのは承知の上だし、それにわざわざ隠すようなことでもないからだ。

 

「北山さんと言えば、交換留学するらしいわね。もう二人とも聞いているかしら?」

 

「今日の朝に学校で公式に発表があったそうですよ」

 

「そう、でも、深雪さんは仲のいいお友達だから事前に聞いていそうね」

 

「そうですね、私と『お兄様』は事前に聞いておりました」

 

 今応対している達也の存在をあえて無視した言い回しに、深雪が『お兄様』を強調して答える。もはや恒例行事の感があるが、毎回お互い結構本気でやっている。

 

「その交換留学はね――」

 

 深雪の言い回しをあえて無視して、真夜は続ける。

 

「――結論から言うと、USNAが日本に諜報員を送り込もうとしてのことなのよ」

 

 知らない人が聞けばショックで昏倒しそうだが、達也と深雪の二人はすでに察している。戦略級魔法師の調査と、文也へのなんらかの「対処」のどちらかまたは両方が目的だろう。それについて真夜からこれといった連絡がないから静観の構えなのかと思ったが、こうして連絡してくるということは、何か動くつもりらしい。

 

「そうですか」

 

 達也はあえて平坦に、察していたのかいないのか、知っていたのかいないのか、動揺しているのかいないのか、どちらとも判断付かないような、抑揚が少ししかない返事をする。それを聞いた真夜は、元々穏やかに(目は笑っていないが)浮かべていた笑みを少し強めて、鼻で笑う。察していたし知っていたし動揺はしていない。可愛げのない甥の様子だが、あったらあったで意外過ぎて逆に不気味だろう。

 

「その目的は戦略級魔法師の調査と、『分子ディバイダー』を『うっかり』再現してしまった井瀬文也へのアプローチなのだけれど、それに関連して二人に少しお願いがあるのよ」

 

((絶対少しで済まない))

 

 二人の脳内に緊急地震速報のサイレンが鳴り響く。緊急厄介ごと速報だ。

 

 そして二人の予想通り、そのあとに続く「少しお願い」の内容は、およそ「少し」で済みそうにないものだった。

 

「戦略級魔法師の調査に関しては、特に何もしなくていいわ。尻尾を掴まれないように」

 

 まず出てきたのは、USNAの目的の前者。こちらは実際尻尾さえつかまれなければ、あとは何をしてもいい。二人がどう動くかはおおよそ真夜にも見当がつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「問題は、井瀬文也へのアプローチについてよ。『四葉』は、これを利用して――井瀬文也を『排除』するわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのあとに続く真夜の声音は、いつになく真剣だった。一見いつも通りだが、やや声が低くなり、表情が険しくなっている。

 

「井瀬父子が『マジカル・トイ・コーポレーション』の『キュービー』と『マジュニア』であることは知っているわね?」

 

「はい」

 

「あの企業のせいで、『フォア・リーブス・テクノロジー』を筆頭とした傘下のテクノロジー企業の収益は大幅に損なわれている。あの二人さえなんとかすれば、大幅な収益増が見込めるわ」

 

「はい」

 

 確かにあの二人を筆頭とした『マジカル・トイ・コーポレーション』によって、四葉傘下の魔法産業は今一つ収益が伸びていない。しかし、ほかの産業は好調だし、そもそも四葉の財力からすれば、この程度の損益は微々たるものだ。わざわざ過激な対応に出るほどのものではない。

 

 よって、本来なら、達也も怪訝の色が隠せない、となるはずだが、そうはならなかった。

 

 色を隠し通せたというわけではない。「怪訝に思っていない」のだ。

 

 それは、真夜の話した理由に納得いったから、ではない。

 

 その裏にある、もう一つの理由を知っているからだ。

 

「それともう一つ。井瀬文也は、先の横浜での騒ぎで、『流星群(ミーティア・ライン)』を、劣化コピーといえど使用したのは知っているわよね?」

 

「はい」

 

 文也たちの戦場での行動は、四葉の情報網や軍の偵察機の映像によってすべて達也は把握している。『蓋』を破壊した凶悪貫通力増幅ライフルだけでなく、他の戦闘も見ているのだ。

 

 達也と深雪は、あの戦闘から数日たったある日、その映像を見て思わず頭を抱えた。

 

 文也が使った数多の魔法の中の一つ。空間内の光の分布率を操作して偏らせて通り道を穿つ、破壊力も対応難度も最高峰の魔法『流星群』は、十師族最凶の四葉家の現当主・極東の魔王・夜の女王たる四葉真夜の代名詞であり専売特許だ。今まで成功例は真夜以外におらず、その強力さと難度から、彼女だけの強さたる魔法である。

 

 故に、その起動式や現象の仕組みは秘匿され、目で見える事象の記録も公にはされておらず、世間の人が知るのはその魔法と存在のみ。

 

 そんな魔法を、文也は、どこからか使用された映像記録を見て、その仕組みを理解し、複雑な起動式を自力で編み上げ、そして自分で成功させた。

 

 そんな文也は、四葉家や真夜にとって、あまりにも「邪魔」な存在だ。いくら劣化コピーと言えど、その起動式がどこかに漏れて発展して行けば、いつかは真夜に追いつく。四葉と真夜の力を脅かす存在なのだ。

 

 そうなってしまった文也を見てしばらく、達也は数十秒に一回深い溜息を吐き、深雪は現実逃避のために気絶するように昼寝した。さらにそれから今まで、一番危機感を覚えるはずの真夜から一切これに関する連絡がないのも不気味で、深雪の胃はいつになく荒れた。達也は鋼の肉体であるため平気だった。

 

 しかし今、連絡がきたことでようやく合点がいった。真夜は、USNAの動きを利用しようとしていて、タイミングを見計らっていたのだ。

 

「そればかりは流石に看過できない。よって、二人には井瀬文也に対応してもらうわ」

 

 そう言って真夜はティーカップを傾けて喉を潤すと、その計画の中身を話す。

 

「まずは二人とも何もしなくていいわ。USNAの井瀬文也に対する動きは、スカウト、拉致、殺害の順よ。おそらく先二つは失敗して殺害に移るから、それを邪魔しないようにしなさい。いくら彼と言えど、スターズ相手だと勝てるはずがない」

 

「外国の軍による邦人への武力行使となると、国防軍が動かざるを得ないのでは?」

 

「それは貴方を交渉材料に使ったわ。世界最強の戦略級魔法師・大黒竜也特尉は、国防軍も手放せないのよ」

 

 達也は心内で思わず嘆息した。

 

(『マテリアル・バースト』の無断使用への罰則を名目にしばらく国防軍の接触が形式上禁止されていたが、まさかその間にそんな交渉をしていたなんてな)

 

 外国による武力行使からの邦人の保護は、国家・領域防衛と並んで国防軍の存在意義にして義務の一つだ。大局的に見て圧倒的にプラスである大黒竜也特尉の存在を優先するのは、その存在意義や義務から見ても正しいことなのだが、それにしても、邦人、それもトップクラスの魔法師である文也が殺害されるのを黙ってみているというのは、あまりにも冷酷だ。

 

(哀れ、井瀬文也)

 

 さすがの達也も、自業自得な面もあるとはいえ、同情せざるを得ない。九校戦最終日の深夜に独立魔装大隊の面々と会った時に、予防線付きといえど守ってもらう約束までしたのに、国防軍はこの態度だ。大黒竜也特尉に関する交渉だから、その交渉にはあの場で話した風間も立ち会ったはずである。そしておそらく風間は、文也の放置を迷わず選択した。

 

 あまりにも、文也の境遇は、悲惨だ。

 

 そんな達也のわずかな良心をよそに、真夜はその続きを話す。

 

「そして、仮にUSNAが彼の殺害にも失敗したら――」

 

 ここからが本題。静観するだけならば、まだ楽だっただろうが、真夜からの依頼が、これで終わるわけがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――深雪さん、達也さん、貴方たち二人で、井瀬文也を『抹殺』しなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「…………はい」」

 

 しばらくの沈黙ののち、二人は声を揃えて了承の返事をする。

 

 二人にとって、文也の存在は悪でしかなく、入学してからずっと、散々苦労をかけさせられ、害を被っていた。

 

 しかしそれでも、自らの手で「殺す」となると、迷いが生じる。

 

 いくら悪感情しかないと言っても、それは彼が殺される理由にはならないし、達也はある意味のライバルとして、深雪はクラスメイトとして、湧いてくる情がないでもない。それに、彼は多数の一高生の命も救った。その中には、仲がいいとは言えないが、二人それぞれの友人もいる。

 

 それでも、達也と深雪は、やるしかない。『四葉』としての真夜の命令は、絶対だからだ。

 

「USNAが失敗したタイミングを見計らうのよ。疲弊し消耗しているところを攻めるわ。具体的には、まずはUSNAと同じく『スカウト』のために生け捕りを目指して貰うわ。それがダメそうなら、遠慮なく殺害しなさい」

 

 真夜の言う『抹殺』には二つの意味がある。

 

 殺害はそのままの意味で、もう一つは、前者の『スカウト』が示す『社会的な抹殺』だ。

 

 四葉家は十師族の中でも「いつでも使える」魔法師の数は少ない方だ。故に、国家の粛清対象となるような魔法師を捕縛・洗脳し、手駒として使っている。

 

 文也は国家機密を暴く魔法師であり、また強力な魔法師でもある。「手駒」の条件としてはぴったりだ。

 

 表向きには行方不明の死亡者となる。故に、社会的な抹殺だ。

 

「井瀬文也についてはわかりました。井瀬文雄についてはどうするつもりでしょうか」

 

 動揺が隠せない深雪をその大柄な体格に隠すように姿勢を正しながら、冷静になった達也は気になる事を尋ねる。文也の話ばかりしているが、彼の父親にして四葉にとって脅威な協力者である文雄もまた、『抹殺』の対象だ。

 

「井瀬文雄は、息子の危機になったら間違いなく駆け付けるわ。それを見越して、USNAは間違いなく二人が離れているタイミングで仕掛けるはずよ。それを利用して、井瀬文雄の方には、黒羽、津久葉、新発田とその他の手駒を使うことにするわ」

 

 えげつない。

 

 真夜の作戦を聞いた達也の最初の感想がこれだった。

 

 四葉の持つ戦力は一人一人が強力だ。それは使い捨ての手駒レベルでもそうであり、ましてや分家直属の部隊、さらには四葉の血を継ぐ分家そのものともなると、その戦力は小国を余裕で滅ぼせる。それらを、たった一人の男のために一気に投入するというのだ。

 

 文也は単身で多種類の魔法を同時に大量に使えて対多数に強いが、決定力や干渉力に欠ける。故に、単身または小数の絶大な戦力で押しつぶせばよい。それは、十文字克人や『蓋』に戦いあぐねた過去が証明している。

 

 一方で文雄は、干渉力やパワーが強大で、世界最高の白兵魔法師である呂剛虎を打ち破ったほどで、一対一のパワー勝負に強い。一方で白兵戦主体の戦い方のため、対多数はそこまで得意ではない。故に、絶大とはいかなくとも強力な戦力を十何人も集めて戦えばよい。

 

 故に、文也には四葉家では真夜を除いて最高戦力である達也と深雪を当て、文雄にはほかの分家を複数当てる。

 

「どちらも勝算は高いわ。最近になってようやく掴んだ情報なのだけれど、あの父子はどっちも――精神干渉系魔法が苦手なのよ」

 

 その作戦に加えて、最近になってわかった父子の欠点が四葉にプラスに働く。

 

「……あの万能の二人が、ですか?」

 

「そう、人はだれしも苦手なものがあるものよねえ」

 

 この情報には、さすがに達也も驚きを隠せなかった。

 

 文也も文雄も、すべての魔法を一流にこなす超万能型だ。系統魔法に関しては劣等生の欠陥魔法師である達也からすれば、そうした弱点は意外だった。

 

 先入観で、おおよそすべてをできると思っていた。

 

(精神干渉系魔法は、表で使われることがほぼない……なるほどな)

 

 精神干渉系魔法は、その効果ゆえに許可なき使用はほぼすべてが禁じられており、ゆえに研究が比較的進んでおらず、また魔法力を測る際にも無視され対象となる事はない。精神干渉系魔法の適性は、知られることが少ないのだ。

 

「井瀬家が代々持つ小さな秘密研究所のデータをようやくハッキングできたのだけれど、『一ノ瀬』のころから、あの家系はずっと精神干渉系魔法が苦手だったみたいね。秘密裏にその研究所で能力を測っていたみたいだけど、全員酷いものだったし、あの父子に至っては、使用すら不可能だったみたいよ」

 

 真夜がカメラに映して見せるデータには、井瀬家の代々の人物の顔写真とそれぞれの魔法力のデータが載っている。系統魔法やほとんどの無系統魔法はすべて高い魔法力だが、精神干渉系魔法に至っては全員低く、文也と文雄のものに限っては「ゼロ」であった。

 

 四葉家の魔法師は、生まれつき二つの特性どちらかを持って生まれてくる。一つは、強力で偏った魔法演算領域を備えて生まれてくる魔法師で、その系統はほとんどが収束系だ。例えば真夜や達也がまさしくそうで、『流星群』は収束系魔法だし、達也の『分解』も収束系を含む複合系統魔法だ。

 

 そしてもう一つが、精神干渉系魔法だ。二人の実母である四葉深夜を筆頭に分家にも精神干渉系に優れた魔法師が何人もいて、その全員が独自の強力な精神干渉系魔法を習得している。その力は絶大で、その系統に心得がある魔法師をも軽く凌駕して一瞬でパニックや気絶や絶命に陥らせることができる。精神干渉系魔法に適性がない、つまり無意識に自己にかけている『情報強化』以外に守りがない文也と文雄相手ならば、一瞬で無力化できる。

 

(抜かりないな……)

 

 達也は改めて、真夜の知能に警戒まじりの感嘆をする。

 

 強力な第三者に手を汚させ、それが失敗したら、対象が疲弊したところに徹底的に弱点を突く。最小限の労力で確実な結果を得られる、綿密な計画だ。

 

「用件は以上よ。それでは、おやすみなさい。良いお年を」

 

 達也たちが返事する間もなく、真夜は当初の余裕の穏やかな笑みに戻って、そのまま通話を切る。二人が動揺からまだ立ち直れていないのに、気の利いたあいさつまでする始末だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……井瀬と叔母が絡んだら、究極の厄介ごとが生まれるということか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也のつぶやきに、深雪はソファーにしなだれかかりながら頷いた。



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5-3

 新年になり、司波兄妹は師匠や友人を連れて本格的な和装で初詣でに行き、そこで揺さぶりをかけてくるみょうちきりんな古い格好をしたリーナに出会ったりしたわけだが、あいにくながら文也はそういったイベントは何もない。

 

 大晦日には、将輝は家のパーティで真紅郎はそれに参加するということで除くこととなったが、あずさや駿を巻き込んで「絶対に笑ってはいけない国防軍24時」を一緒に見て笑い転げて過ごした。くだらない番組と乗り気でなかった二人も笑いすぎて腹筋が筋肉痛になり酸欠を起こし、文也の『ツボ押し』によるマッサージを受ける羽目になったのはご愛敬だ。

 

 そして正月三が日は初詣に行くとかそういったイベントもなく、あずさの晴れ着とかそれに見惚れて照れる文也だとかそういった展開もない。魔法師はその原点が宗教なだけあって、神は信じていない――精霊としてなら信じている――が、宗教には一定の敬意を払うため初詣などの年中行事は欠かさない。しかし、井瀬家はあまり信心深くないのである。

 

 ではその間何していたのかと言うと、ソーシャルゲームの正月イベントに励んでいたとかそういったようなことはなく、新年初登校からのことについて、文雄やあずさや駿、それに一条家の新年イベントで何かと忙しい将輝や真紅郎も巻き込んで、深刻に話し合っていたのだ。

 

「まー正月早々こんな話するのもなんだけどよ。ついにメリケンから刺客が来るかもって話だ」

 

『交換留学だな。うちの高校にも来るみたいだし、ほかの高校や魔法大学、魔法関連企業と言った、有力な魔法関連施設にはこの1月からしばらく、軒並みアメリカから交換留学という形で来ることになっている』

 

 文也・文雄・あずさ・駿が文也の家に集まり、将輝・真紅郎は一条邸に集まる、といった形でテレビ通話を介しての会議だ。

 

 文也の切り出しに、深刻な顔をして腕を組む将輝が、一条家の情報網で手に入れた情報を話す。

 

「こんだけ広く探りを入れてくるってなると、主目的はあのビッグバンの戦略級魔法師の調査、ってとこだろうな」

 

『今までの戦略級魔法よりも、速度も威力も段違い。調査しにくるのは当然と言えば当然ですね』

 

 それを受けて、文雄と真紅郎が魔工師の立場から意見をする。二人からしてもあの魔法は仕組みすらわからないもので、できるならば自分も調査をしたいというのが本音だ。

 

「それで、問題は、アメリカとなると、もう一つの目的の可能性も高い、と」

 

「『分子ディバイダー』を使ったふみくんの調査……ですね」

 

 それに続いて、駿とあずさも知っていることを口に出す。ここまでの話はすでに年明け前の交換留学が分かった直後から共有されており、今回はその続きだ。

 

 この場で一番の年上であり、ツテも広い文雄が、そこから先の話を切り出す。

 

「この休みの間に色々調べてみたんだが、アメリカの動きからしても、やはり主目的は戦略級魔法師の調査だ。で、なんとか交換留学生のリストも一通り見たんだが……今一つ、本気には見えない」

 

 文雄は交換留学生のリストを広げて見せながら頭をひねる。これには、それぞれの大まかなプロフィールと配属先が記されている。これは『マジカル・トイ・コーポレーション』と一条家で協力して集めたリストで、顔写真は載っていないが、留学生たちの「表の顔」が載っている。「裏の顔」があるのかないのかは定かではないが、「裏」までは『マジカル・トイ・コーポレーション』と一条家の情報網では手に入れることができなかった。しかしそれでも、今一つ諜報に力を入れているような人員という様子はない。これで全員が諜報のスペシャリストだったらUSNAのカモフラージュ力に諸手を挙げて降参ということになるが、文雄の見立てでは多くても数人だ。

 

 ちなみに今回の件に当たって、文也と文雄は自分たちが『マジカル・トイ・コーポレーション』の『マジュニア』と『キュービー』であることを、組織の力を円滑に使うために、12月末に協力者である駿と将輝と真紅郎にカミングアウトした。そのあたりの察しが良い駿と真紅郎の反応は薄かったが、将輝はひっくり返らんばかりに驚いた。それから三十分もの時間をかけて冷静になった将輝は、十師族の義務として文也たちに了承を取ったうえで父親にそのことを伝えたのだが、一言「知ってる」と返され、あまりの驚きの情報過多にしばらく将輝は意識が飛んだ。――というような出来事があったのは余談である。

 

 そんな経緯を経て手に入れた資料を一枚引っ張り出して文雄は示す。

 

「一高に来るのはこのアンジェリーナ・クドウ・シールズって一年生の子だな。今の九島のじーさんの弟の孫らしい」

 

「はーん、あのジイサンのねえ」

 

「相変わらず二人とも閣下に対して失礼な呼び方だな……」

 

「魔法力は……え? これ司波さんと同じくらい?」

 

「は? 一年生でこれ? じゃあ何? 俺は永遠の二番手から三番手に転落すんの?」

 

『ちょ、ちょっと、そこ気にしてる場合じゃないって』

 

 文雄が広げたプロフィールを見て脱線していく文也を見て、映像越しに真紅郎が制止する。あずさは心配性な性格だから「仮に戦闘になったら」という心配から魔法力を確認したのだが、文也にその意図は伝わっていないらしい。

 

『で、文也、一応聞いておくけど、仮に彼女が刺客だったとして、戦えるのか?』

 

 あずさの意図をくみ取っている将輝が助け舟として文也に質問を投げかける。それを聞いてようやく周りが何を考えているのか分かった様子で文也は答える。それにしても、幼馴染のくせに知り合って数か月の将輝らよりも考えをくみ取れないとは大丈夫なのだろうか。

 

「あー、そうだなあ……人混みに逃げ込んで手が出せないようにする。最悪助けて―とか叫ぶ」

 

「三十六計逃げるに如かずとはよく言ったもんだな」

 

 文也の情けない答えに、文雄はけらけらと笑う。

 

「それは冗談にしても、この干渉力とスピードだったら、『情報強化』の『分解』と『爆裂』のリアル初見殺しで即ぶっ殺すくらいしか勝算はないな。ま、それは俺ひとりだったらの話だけど」

 

 そう言って文也は駿をちらりと見やる。

 

「駿の頭おかしい術式スピードなら、適当に先制攻撃してひるませて、あとは俺が数でごり押しすれば、二対一なら勝てるな。協力者がいないことを切に祈るぜ。あ、初詣行きゃあよかったか?」

 

『明日にでも行ってこい』

 

 どうでもいいことを付け加える文也に、画面の向こうで将輝は呆れ、適当にその話を流した。

 

『『MTC』も最先端CADメーカーですよね? 留学生はお迎えするんですか?』

 

「うんにゃ、さすがに断ったよ。いやー実は受け入れの可否の話は11月中ごろぐらいにあったんだけどなあ。まさかこんな大規模な話だなんて思わなんだ。アメリカだからなーんか怪しいとは思ってはいたんだけどよお」

 

「そーれーをー早く言えー!!! クソ親父ー!!! このハゲ-!!!」

 

 真紅郎の質問に誤魔化し笑いを浮かべながらそう答えた文雄に、即座に文也が掴みかかる。しかし体格も運動能力も何倍も差があるため、難なく押さえつけられてしまった。まさしく大人と子供だ。

 

 そんなしばしの取っ組み合い――と言うには一方的だが――を終えて、息が荒い文也と呼吸一つ乱れていない文雄は、姿勢を正して全員に向き合う。先ほどまでの態度が嘘みたいに真剣な顔になっており、それを見たあずさたちも、取っ組み合いを傍観して呆れて緩んだ心を引き締め、口を開く文也をじっと見つめる。

 

「で、今回仮に手荒なことをしてくるとしたら、事が事だから、ガチモンの戦闘魔法師を引っ張り出してくるはずだ」

 

『スターズ、だな』

 

 文也の言葉に将輝が即座に反応する。USNA軍を世界最強の軍たらしめるのは、その数や練度や装備や軍事費や実績の他に、自称他称ともに「世界最強の魔法師部隊」であるスターズがある。文也がコピーしてしまった『分子ディバイダー』も主にスターズで使われている戦闘魔法である。

 

 仮に魔法師である文也に手荒な真似をして来ようとするならば、向こうが文也のデータをしっかり集めているならば、確実に魔法師、それもかなり戦闘能力の高い者を差し向けるはずだ。USNAの戦闘魔法師と言えばスターズであり、そのレベルが来るということは想定できる。

 

「ガチのプロ、軍人となると、いくらなんでもしつこく狙われれば俺だって分かんねえ。夜道を出歩かないとか一人で動き回らないとか、それだけじゃ足りない。そんなわけで、親父を通して国防軍に守ってくれるよう念押ししてもらったんだけどよ」

 

「口では『わかった。できる限り対処しよう』だのなんだの言ってたが、どうにも言葉尻が濁っててよ。なーんか真面目に動くつもりがないらしい。アメリカから圧力をかけられてるのかもしれねぇな」

 

『な!? そ、そんな馬鹿な!?』

 

 文也に続く文雄の言葉に、軍と密接な関係がある一条家の御曹司である将輝が声を荒げる。彼ほどではないにしろ、邦人が外国の軍から狙われてるという事態でもその態度と言うことに、あずさたちも驚きを隠せない。

 

「まあこの国の国防軍が今一つ役に立たないことは今に始まったことでもねえけどな。海と空は奇襲を全く防げないし、他がそんなもんだから陸は最終防衛ラインとして結果残して無駄に権力握ってると来たもんだ」

 

「しかもあの佐渡の時は軍部も政治も仲良く平和ボケだしな。この国の先が思いやられるぜ」

 

 さっきまで取っ組み合いをしていたくせに、親子仲良くヤレヤレのポーズをして首を振りながら鼻で笑う。真剣な空気が一分持たない二人なので動きこそ軽いが、言っている内容はかなりこの国にとって深刻だ。

 

 第三次世界大戦までの流れで憲法を改正し、専守防衛も捨てて国防軍に名を変え、第三次世界大戦の中でも独立国としての地位を保ち、領土も一切奪われなかった。

 

 そこまでは頑張ったのだが、勝利の慢心と平和ボケのせいで国防の強化を怠り、三年前の夏に佐渡・沖縄・対馬の同時侵攻を許してしまった。いくら周到な奇襲だったと言えど、島国である日本において、国防に陸軍が出てくる段階では、上陸を許したということであり、もはや手遅れである。現実の成果を持つ陸軍が権力を握っているが、そもそも島国である日本ならば、海軍と空軍がしっかりしていなければならないのにこの体たらくである。しかもその三年後にもまた同じように奇襲攻撃を許し、ほぼ一方的に防衛成功したと言えど、多数の死傷者が横浜で出た。肝要の海軍と空軍が、未然防止・早期発見の観点から見たら全く役に立っていない。

 

『……親父に強く言っておくよう伝えておきます』

 

「そーしてくれ」

 

 改めて国防軍の体たらくを実感した将輝は、十師族でも特に軍と関係が深い一条家の長男として、呆れ果てて溜息を吐きながらそう言う。それに対して文也は、「言っても無駄だろうなあ」という意味で全く期待していない適当な返事をした。

 

「そんなわけで――」

 

 そこでまた、文也が纏う空気が固くなる。先ほどすぐに霧散したものよりも、さらに真剣みを帯びている。

 

「――事情を話せるくらい信頼できる中で頼りにできるのは、ここにいる皆しかいない」

 

 文也の声音と顔に浮かぶのは、申し訳なさと悔しさだ。

 

 ここにいる全員は、それが持つ、文也だからこそのより深い意味が分かる。

 

 文也は普段から我儘で、究極のエゴイストだ。

 

 しかし一方で、自分にとって大切だと思う人のことは――何よりも優先して守る。

 

 それは例え、自分の命を賭してでも。

 

 駿や将輝や真紅郎には、まだそのような経験はない。死に接するような極限の体験をしたのは、文也と親密になる前だ。むしろその体験がきっかけで親密になったのだし、二度目は一生来てほしくない。死に接するような体験は九校戦で駿は味わっているのだが、それは文也の手が届かない場所だった。

 

 しかしあずさはすでに経験している。昔から、車に轢かれかけるなどであずさが何かしらの危機になると、文也は過剰なぐらい真剣に、身を挺して彼女を守ろうとした。そして横浜では、天井の崩落と『蓋』の破壊の二度、命を懸けて守ってくれた。

 

 その話を知っているからこそ、ここにいる全員は、文也の矛盾した行動原理を理解している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、頼む――俺を『助けてくれ』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな文也が、「大切だと思う人」たちに、「助け」を求めている。

 

 しかもその内容は文也自身の命のためであり、また協力するあずさたちにも相応に死の危険があるものだ。

 

 命を懸けてでも助けたい相手に、自分の命のために相手の命の危機があるような助けを求める。

 

 その選択をするまでに、文也に相当の葛藤があったであろうことは、この場の全員が理解している。

 

 今までの文也だったら、無理をしてでも彼女らに被害が行かないように、自分だけでなんとかしていただろう。しかし、横浜での戦争で自信を喪失し、自分一人でできることが、あまりにも狭いことに気づいた。

 

 故に、今回、あずさたちを頼ることを、葛藤の末に選んだのだ。その葛藤は表情にも動作にも表れている。顔には未だ迷いがあるし、握りしめる拳は震えている。

 

「当たり前だ。ボディーガードの森崎家に任せておけ」

 

 その様子を見て、駿が真っ先に返事をする。不安はある。それでも、自分と家の誇りと友情に賭けて、駿は決断をした。

 

『俺もだ。一条家を挙げて、全力でお前を守り通す』

 

『命を救われた恩は忘れていないよ。まだ君とは話したいことが一杯あるんだ』

 

 将輝と真紅郎もまた、迷うことなく返事をする。二人とも、あの佐渡の地獄で、文也に命を救われている。迷う理由など、あるわけがなかった。

 

「ふみくん」

 

 あずさは穏やかな声で呼びかけ、震える文也の小さな手を、そっと小さな両手で包む。

 

「やっと、私たちを頼ってくれたんだね。……大丈夫、これだけ頼りになる、ふみくんの大事なお友達が揃ってるんだよ」

 

 そう言って、いつもの生意気さが鳴りを潜めた弱気の色をありありと浮かべる文也の目を見て、優しく笑いかけた。

 

 それを見た文也は、しばらくあずさの目をきょとんと見つめたのち――あずさに包まれていないほうの手の袖を使って、乱暴に目元をぬぐう。

 

「……ああ、そうだな」

 

 文也の声は、もう震えていない。腕を離した目からは涙と一緒に弱気の色も拭い去られ、いつもの生意気な光を宿している。

 

「わかった。みんな、ありがとう。絶対に、全員で生き残るぞ。ハン、世界最強のスターズがなんだってんだ。全員ブッ倒してモノホンのお星さまにしてやる」

 

 いつもの、口角を上げて歯をむき出しにする悪戯っぽい笑みを浮かべ、空いている方の手であずさの両手をそっと外す。その両手は、もう震えていない。

 

「相手がどう来るか知らねぇが、徹底的に騙し、嵌めて、遊び倒してやる。こっちだって黙ってやられるわけにはいかねぇんだ」

 

 そう言って文也は、ポケットから携帯端末を取り出す。それを見た全員は、即座に自分の端末を取りだした。秘密回線を使って、全員の端末に作戦会議のための資料を送るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せっかく日本にはるばるアメリカからいらっしゃるんだ。来訪者様を、手厚い悪戯でおもてなししてやろうぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたの将輝、元気ないね」

 

「んー、あー、なんというか、歯がゆくてな」

 

 文也たちとの作戦会議が終わってテレビ電話を電源を切ってしばらく、ずっと暗い表情を浮かべる将輝に、真紅郎は声をかけた。

 

「……確かに、そうだね」

 

 二人の決心に嘘はない。全力を尽くして文也を守るつもりだ。

 

 しかし、二人が住む場所は石川県だ。学校を長期欠席して付きっきりで守ってもいいのだが、それはそれで警戒態勢が露骨すぎるので断られたのだ。

 

 故に、二人にできることはとても少ない。重要な役割をいくつか任されたが、あずさや駿や文雄のように、文也の傍で守ってやることはできない。

 

「いっそ二人で転校するか、ジョージ」

 

「それはそれで急すぎるし、もっと怪しいでしょ」

 

 将輝の本気と冗談が半々の提案に、真紅郎は苦笑を浮かべて否定で返す。お互いに冗談めかしてはいるが、将輝は半分は本気であり、真紅郎が冗談でも賛成しようものなら、明日には荷物をまとめて出発することになるだろう。九校戦の時とは逆ベクトルだが、将輝は文也が絡むと何かと直情型だ。

 

「それよりも、僕らは僕らでするべきことがあるんだ」

 

「ああ、そうだな。まずはその準備だ」

 

 二人に任された役割の一つは、東京からでは調査しにくい、三高を筆頭とした一条家の管轄である日本海側の施設にくる留学生の調査だ。『分子ディバイダー』事件の確定的犯人である文也がいる一高に次いで、「海上で起きたこと」ということで液体への干渉力が強い一条家がいる三高はUSNAが力を入れて調査すると見られ、なんなら将輝自身も文也ほどではないにしろ手荒な真似を受ける可能性がある。そうなると、留学生の中でも将輝たちの周りにはより力を入れた人物が来ることが予測されるため、その調査は重要である。

 

「さ、頑張るよ」

 

「そうだな」

 

 文也から受け取った留学生の資料とにらめっこしながら、二人は調査の段取りを相談することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「文也、ステイ、ステイ」

 

「くそおおおおなんで今日に限ってCAD検査が厳しいんだよ」

 

 冬休みが終わって新学期。今日はUSNAから留学生が来る初日であり、それを警戒して、文也は本来授業開始前に全部教員に預けるはずのCADをざっと十個は隠し持っていた。

 

 しかし、新学期初日だからか、はたまた転校生に変なことをしないようにか、今日はチェックが特に厳しく、さらに言うと文也は通りすがりの教員全員にチェックされ、すべて没収されてしまった。

 

 朝のホームルーム前の教室で反省文の山にいつもの言葉を書きなぐる文也に、駿は落ち着くように宥める。あんまり警戒している姿を見せるのは得策ではない。そのために将輝たちをこちらに呼ばなかったのに、当の本人がこれでは意味がない。

 

 一応風紀委員ということで駿は自前のCADを携帯できるためにCAD検査はされず、ペンに偽装した護身用魔法専用のCADをこっそり持ち込んで文也に渡すことはできたのだが、これだけではやはり文也も駿も不安だ。

 

 そうして無為に時間が過ぎていき、無慈悲にも朝のホームルームがくる。

 

「あー、みんな多分知っていると思いますけど、今日はUSNAから留学生の方が来ます。短い間ですが仲良くしてあげてくださいね。いやあ、にしても担任の先生は不運ですねえ。まさか今日に限ってインフルエンザだなんて」

 

 その朝のホームルームにやってきたのは、A組の担任がインフルエンザで欠勤し、急遽職員室で立体パズルを組んで遊んで暇そうにしていたため白羽の矢が立った廿楽だった。相変わらずマイペースな教師である。

 

「それではシールズさん、どうぞ入ってきてください」

 

「はい」

 

 廿楽の呼びかけに、鈴のなるように可憐な、それでいて凛とした、美しい声が返事をした。

 

『……っ!?』

 

 教室中に、静かな驚きが漏れる。

 

 入ってきた少女は金髪碧眼の絶世の美少女であり、その姿には、歓声やどよめきすら上がらない。深雪で耐性がついたA組ですら飲み込むほどの美貌の少女は、しかしその反応を気にするでもなく、平然と自己紹介に入る。

 

(あーこの美人だとあのスケベの井瀬なら興奮するんだろうなあ)

 

 ある一人のクラスメイトの男子はそう思いながら、文也のほうをちらりと見る。

 

(さて、どんな反応をしているでしょうか。恐怖で慄いているかもしれませんね)

 

 今年度に入ってから何度もひどい目に遭わせてきたクソガキが動揺する様を見ようと、深雪は文也の様子をうかがう。

 

(頼む、動揺を顔に出すなよ。平静でいろよ)

 

 駿は祈るように文也の様子を確認する。

 

 そんな三人が、ほぼ同時に見た文也の表情は――

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 

 

 ――能面だった。

 

(え? なんで?)

 

 事情を知らないクラスメイトは首を傾げ、

 

((わ、わざとらしい))

 

 事情を知る二人は、思わず内心で呆れ果てた。

 

 そんなこんなしているうちに自己紹介が住み、廿楽に指定された席にリーナが着席する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(イノセフミヤは……動揺してる気配なし、と。自分がアメリカから狙われてるって自覚ないのかしら)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 優雅な笑みの裏で、リーナはさりげなくうかがった文也の様子を見て、そんな的外れの判断をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スケベの文也と、深雪をしつこく誘ったという前科がある程美人好きの駿。この二人が真っ先にリーナに声をかけるかと思われたが、クラスメイトの予想に反し、二人ともホームルームが終わるなりトイレに連れションをしにいった。

 

「こういうのもなんですけど、意外と二人ともドライですね」

 

 何も事情を知らないほのかは二人をそう評し、聞いていた深雪の笑いを誘う。

 

「え? 深雪さん?」

 

「い、いえ、なんでも。ちょっと冬休みの間に見たテレビ番組を思い出してて」

 

 様子がおかしいことにほのかがいぶかしんできたので、深雪はとっさにそう誤魔化してその場を乗り切る。その会話を聞いていたクラスメイトに「え、司波さんもテレビとか見るんだ」「絶対に笑ってはいけない、かな?」みたいな噂をされ数か月後には尾ひれがついて「司波深雪は絶対に笑ってはいけないを毎年見て抱腹絶倒している」と噂されることになるのだが、それは余談である。

 

 さて、冬休み明け初日の最初の授業は、いきなり魔法の実習授業だ。ただし明けてすぐということで、しばらくはレクリエーション的な練習内容である。

 

 1対1で行う対戦形式の実習で、お互いの間にある金属の玉に魔法を行使し、相手側に落とした方の勝ちだ。

 

 毎年一年生恒例の実習であり、そして毎年(時折学年を跨いで)白熱した戦いが繰り広げられる。

 

(さて、どんなものか、お手並み拝見ね)

 

 そんな実習で、リーナは「候補」である深雪と文也の実力を探る良い機会と言うことで、二人に挑む気だ。しかしその思惑に反し、教師があらかじめ用意してあった総当たり表に則って戦うことになっており、今日は深雪としか戦えない。

 

(まあ時間はたっぷりあるしね)

 

 リーナはそう納得しながらも、やや尻込みしている対戦相手を軽く圧倒して見せる。

 

「おいおい、まじかよ」

 

「まさか西川が負けるなんてな」

 

 リーナからすればあまり手ごたえのない相手だったが、周りの反応を見るに、どうやら対戦相手の西川と言うらしい男子は、この実習では周りから一目置かれているようだ。

 

(またなんかやっちゃいました? ……は、いくらなんでもイヤミね)

 

 日本のファッションを調べる過程で何かと余計な知識も身に着いてしまったリーナは、西川に挨拶をしてから悠然と次の番の女子に場所を譲る。

 

「あ、シールズさん、すごいんですね!」

 

「そうかしら、ありがとう」

 

 興奮気味の女子に、リーナは優雅に微笑みかける。それだけで、その女子は顔を真っ赤にして動揺し、見ていたクラスメイトほぼ全員と教師も心を撃ち抜かれる。

 

「カー、ありゃあ強いねえ。これで負けるんじゃどうにもならんや」

 

 負けて早々に背を向けて戻っていた西川はそう言って首を振りながら、リーナに見とれて反応が薄い友人たちと合流する。

 

「あいつが負けるなんて相当だぞ」

 

「だな」

 

 そしてその様子を外側から見ていた文也と駿は、資料にたがわぬ魔法力だと警戒を強める。

 

 西川は、九校戦新人戦で死のブロックでの激戦の末に予選敗退したものの、一高の一年生でも指折りの移動・加速系魔法の名人だ。当然この実習ではトップレベルとは言えないが上位である。

 

 しかしその西川がなすすべもなく圧倒されたとなると、リーナの実力は、資料で見た通り相当高い。冬休み前にも同じ実習を何回かやったのだが、西川をここまで圧倒できたのは、深雪ぐらいだ。

 

「井瀬君、次私たちだよ」

 

「んー、あ、そうか。んじゃ行ってくるわ」

 

「おう」

 

 そうしているうちに、順番が回ってきたほのかに声をかけられ、文也はほのかの向かいの端末の前に立つ。この実習は魔法式構築速度と干渉力の力勝負の側面が強く、文也とほのかは冬休み前の成績ではほぼ互角だ。

 

「ほのか、頑張ってください」

 

 ほのかの後ろから朗らかな笑みを浮かべた深雪が声援を送る。そのさらに後ろでは、リーナが興味深そうに試合を観戦している。早くもお近づきになりたい男子は、聞いてもいないのに、リーナに「あの二人はこのクラスで五本指の実力者なんですよ」と教えている。

 

「カウントボタン押すぞー」

 

「はい」

 

 文也がリラックスした調子で尻を掻きながらそう言うと、ほのかは頷いて、口を引き締めて勝負のメンタルを整える。気弱でプレッシャーにも弱いが、入学してからの経験で、すっかりアスリートとしてのメンタルも得たほのかは、こうした勝負にも一回一回真剣に挑むようになっている。ましてや相手は互角の文也であり、そう簡単には負けたくない。

 

 そして、機械が無機質な声でカウントを読み上げ始める。

 

『ファイブ、フォー、スリー、ツー』

 

「あ! 司波達也が裸踊りしてる!!!」

 

「え、うそ!?」

 

『ワン、ゴー!』

 

「ほいっと、はい勝ちー」

 

「え? あああああああ!!!」

 

 ガランガラン。

 

 大きな金属音を響かせて、ちょっと押し出す程度の魔法をかけられた金属球がほのかのほうに転がってくる。それを見て、ほのかは己の失敗に気づいた。

 

 そう、騙されたのである。

 

「……まだまだメンタル面が課題ね。ほのか?」

 

「むううううううううううう」

 

 指さしてゲラゲラ笑う文也をしり目に、深雪は肩に手を置いてからかい混じりに話しかけ、ほのかは顔を真っ赤にして悔しさと恥ずかしさで唸る。初回に「あ、北山雫がトリプルアクセル跳んでる!」と騙されて以来警戒していたのだが、冬休みを挟んですっかり忘れていたのだ。

 

「お前なあ」

 

「いやー決まった決まった」

 

 心底呆れ果てながら次の自分の準備をしている駿を無視して、文也はしたり顔だ。

 

「え、ええ……?」

 

 文也の実力を見定めようとしていたリーナは、その拍子抜けの展開に、言葉にならない声が漏れる。

 

「あいつはそういうやつなんですよ。ま、気にしないでください」

 

 そばにいようとする男子の声は、そんなリーナの耳に入るわけがなかった。哀れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、深雪とリーナが戦い、お互いに相手の実力に驚きあった二人は、教師があらかじめ決めていた総当たり表を無視して何度も戦い、仲を深めた。他の生徒ではこの二人の相手にはならないと察した教師はそれを咎めず、何戦かしたところで、

 

「シールズさんは魔法がお上手ですね。これなら、上位グループだけのリーグ制にしようと思うのだけど、どうですか?」

 

 と提案し、それを深雪とリーナは快諾した。

 

(これは思わぬラッキーね)

 

 優雅な笑みの内心でリーナはガッツポーズをとる。

 

 教師の言う上位グループリーグのメンバーは、リーナ、深雪、ほのか、文也、駿だ。探りを入れたい上に何度も戦いたい深雪とたくさん当たれるし、さらに初日から文也の調査もできる。願ってもいない事態だ。

 

「ん、なんだなんだ?」

 

 こっそり授業を抜け出していたところを駿に首根っこ掴まれて戻ってきた文也は、何やら予定通りに進んでいない授業の様子を見て首をかしげる。

 

「プログラムの変更です。実力順にリーグ制にしました」

 

「あとお前が抜け出してた対戦が終わってないんだよ」

 

「ほーん、で、俺はどこよ」

 

 もはや慣れた様子で脱走を咎めようともしない教師の説明を聞いて、文也は納得する。駿のイヤミは無視だ。

 

 文也は、教師に渡されたリーグ表でメンバーを確認する。

 

 そしてその様子をリーナはこっそりうかがっていた。

 

(……本当に、反応がないわね)

 

 あいにくながら背後なのでその顔が確認でいないが、不審な動きはない。これといった動揺した様子もなく、終始リラックスした様子だ。

 

 狙われている自覚はあるはず。その前提だったのだが、USNAから来たリーナと関わっても、何も反応がない。

 

(所詮高校生ってことで、警戒されていないのかも)

 

 だとしたら、不意打ちができるからラッキーだ。

 

 リーナは優雅な笑みの裏でほくそ笑む。

 

(はー、あのアメリカ娘かよ)

 

 そして平静な背中の裏(表?)では、文也は思いっきり苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。鋼の心でなんとか動作には出さなかったが、動揺はしているのだ。

 

(まいっか。こっちのレベルも知られるけど、あっちのレベルも知るチャンスだ)

 

 とりあえずそう開き直り、文也は試合に臨むことにする。

 

「ワタシにだまし討ちは効かないわよ?」

 

「はん、あれが効くアホは光井しかいねえだろ」

 

 そしていきなり、そのマッチが訪れる。深雪との幾度の勝負を経て闘争心がむき出しになったリーナがそう挑発すると、文也は鼻を鳴らして言い返す。そして観戦していたほのかは流れ弾で致命傷を受け、そっと崩れ落ちた。

 

『ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン、ゴー』

 

 機械の合図と同時に、二人は端末に己の手を叩きつけ、魔法を行使する。

 

(勝った!)

 

 リーナは勝ちを確信した。文也からサイオン余剰光が出ていない。つまり、まだサイオンの供給が間に合っていないということだ。

 

 魔法の発動は圧倒的先制、干渉力でも負けることはない。

 

 コンマ0何秒の時間で鍛え抜かれた反射速度で状況判断をしたリーナは、その直後に自分の間違いを知る。

 

 二人の間にある金属球が、リーナのほうに動いたのだ。

 

(え!?)

 

 自分の魔法はまだ行使されていないのに動いた。それも自分のほうに。

 

 リーナは何が起こったのか分からないながらも、魔法を発動して金属球を押し返し、勝利をつかむ。

 

「はー、強いなこりゃ」

 

 負けた文也は多少悔しそうにしながらも平然と端末の前を離れる。

 

 一方、勝者のはずのリーナは、先の試合に唖然としてしまっていた。

 

(……『パラレル・キャスト』)

 

 そして、リーナは、USNAで見た、文也の特徴を思い出す。

 

 九校戦で実際に戦っている映像を見た。サイオン光が入り乱れる中、文也だけは、サイオン光を「全く」発していなかった。達也もかなり小さいが、文也は全くないのだ。

 

 つまり、普通に発動する魔法ですら、文也は、「全く余剰サイオンを発しない」のだ。

 

 その究極のサイオンコントロールは、文也の最大の特徴、『何十個ものCADのパラレル・キャスト』を実現させている。

 

 魔法師は、魔法を行使しているかどうかの判断として、余剰サイオン光を最も頼りにしている。視覚情報のためわかりやすくまた光なので知覚も速く、そして、その余剰サイオン光は誰もが発するからだ。ゆえに一流の魔法師はサイオンをコントロールして余剰サイオン光を減らし、分かりにくいようにする。

 

 しかし文也は、その光を全く発しない。それゆえに、リーナは文也が魔法を行使していないとつい判断してしまったのだ。

 

 その緩みによって、リーナの魔法は、ほんの少しだけ遅れた。その隙に文也の魔法はリーナのより速く完成し、リーナは危うく負けそうになった。

 

(……やっぱり、恐ろしい)

 

 これがいきなりの戦闘だったら、自分は殺されていたかもしれない。

 

 リーナは、思わず身震いした。

 

「次は俺ですね。よろしくお願いします」

 

 自分の立ち位置から竦んで動けずにいたリーナの正面に、駿が立って挨拶をする。リーナは二連戦で、次は駿と戦うのだ。

 

「あ、え、ええ、よろしく」

 

 優雅な笑みはすっかり崩れ、リーナは動揺したまま挨拶を返す。しかしその揺らぎもすぐに収まり、再び集中を取り戻す。

 

(モリサキシュン、親友(クローズフレンド)ね)

 

 戦略級魔法師の候補には入っていないが、メインターゲット文也の親友ということで、名前だけは聞いている。このリーグにいるということは、実力者なのだろう。

 

 リーナは油断せずに機械の合図を待つ。

 

『ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン、ゴー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パンッ! ガラン!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーナは手を端末にたたきつけた姿勢のまま、思わず茫然とした。

 

 金属球は、リーナの側に、ゆっくりと転がってきている。

 

「まけ、た……?」

 

 そしてリーナはすぐに理解した。

 

 自分が端末に触れサイオンを送り込んだ直後に、金属球が落下する音が聞こえた。

 

 つまり、自分が端末に触れた直後には、もう駿の魔法が完成していたということである。

 

(い、いやいやいや)

 

 リーナはすぐに否定する。自分はすでに世界最高峰の魔法師で、魔法式構築速度も国際基準で超一流だ。その自分がまだサイオンを送り込んでる段階なのに、相手はもう行使を終えていた。そんなこと、ありえるはずがない。

 

 リーナはまずフライングを疑ったが、それは違う。機械がフライングと判断していない。つまり、駿は、自分と同時に動いたにも関わらず、余裕で先んじて見せたのだ。

 

「こっわ、とづまりすとこ」

 

「お前に言われたかない」

 

 勝った駿は、勝ち誇ることなく、当たり前のように端末から離れて文也をあしらう。

 

「ふふっ、やっぱり驚きますよね」

 

 立ち尽くすリーナに、深雪が声をかける。

 

「参考になるかと思って、今の試合をサイオンカメラで撮影しておきましたよ。御覧ください」

 

 優雅な笑みを浮かべる深雪から映像端末を奪い取るようにして、リーナはその映像を凝視する。

 

「……ダメ、わからないわ」

 

 しかしその一瞬の試合を見て、リーナは首を横に振る。あまりにも速すぎて、映像だけでは分からないのだ。

 

「ならスーパースローにしてみましょう」

 

 その反応が来ることを分かっていたであろう深雪は、手慣れた手つきで映像端末を操作し、スーパースロー映像を見せる。

 

 合図前の構えは両者ほぼ同じだった。機械の合図と同時に、両者の手が動く。しかし、その速さは歴然だ。リーナがまだ端末まで半分ほどしか動いていないのに、駿の手はすでに触れている。リーナがやっと触れたころには駿の小さな余剰サイオン光は収まっていて、ごく小規模の魔法式が金属球に投射されている。そして、金属球は最短距離で、リーナの側に落下した。

 

「森崎君の『クイック・ドロウ』は流石ですね」

 

 映像を見て目を見開きながら唖然とするリーナに、深雪は鈴が転がるような感心の声を漏らす。

 

(『クイック・ドロウ』……モリサキ……なるほど)

 

 そしてリーナは思い出した。USNAの要人が日本に行くとき、現地のボディガードも一流のを何人か雇っている。その中で必ず候補に挙がるのが、日本の用心棒魔法師でトップに名を連ねる森崎家だった。リーナも噂程度には聞いている。魔法の腕はまあまあだが、とにかくCADを抜いて魔法を行使するまでの一連の動作が速く、とっさの事態に頼りになる。そう評価されていたのだ。

 

 その時に、「モリサキの『クイック・ドロウ』」と言われていた。

 

 そう、駿は、リーナより速くCADに触れるクイック・ドロウじみた運動力と技能で先制し、そのリードを活かして先に魔法式を完成させて勝負を決めたのだ。

 

 しかも、注目するべき点はクイック・ドロウだけではない。

 

 魔法式はごく小規模だが、「相手の側に落とす」という勝利条件を最速できっちり満たすように完璧なベクトル調整がされている。また魔法式構築速度も、同じ魔法式を組もうとしたとしてもリーナよりもはるかに速い。

 

 魔法以外の技術、魔法式選択、構築速度。全てにおいて、とてつもない努力と才能と技術と工夫が見える。それらすべてを以て、最速・最高効率で勝利と言う「結果」を得る。それはまさしく、用心棒の理想の姿だ。

 

(……思ったよりも、刺激的になりそう)

 

 リーナは、なんとなく痛む胃をこっそり抑えながら、内心で溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コワイ……日本の高校生、コワイ……」

 

「り、リーナ? 何があったのですか!?」

 

 自室に帰ってきたリーナは、憔悴しきった顔でソファになだれ込み、うわ言のように声を発する。それを見た同室のシルヴィアは、ドン引きと心配が混ざった様子で声をかけてくる。

 

「シルヴィ……ワタシ、だめかもしれません……」

 

「え、ええ!? そんな!?」

 

 この頼りになる最強の隊長がポンコツなのは分かっているが、ここまで酷いのは初めてだ。シルヴィアはどうしていいか分からず、とりあえずハニーホットミルクを入れてあげようと慌てて準備を始めた。

 

 深雪に勝ち越され、精密操作ではほのかに上回られて、文也には意表を突かれ、駿には結局一度も先制できなかった。さらに昼食では、達也に「アンジェリーナなら愛称はアンジーでは?」と突っつかれ、動揺しまくった一日目だった。

 

 リーナは、高校生にして、(先日欠員が出たが)十三使徒の一角である戦略級魔法師、世界最強の魔法師部隊の隊長、アンジー・シリウスである。それが、日本の高校生に何度も負かされた。

 

 この事実に、初日と言う疲れも相まって、リーナはすっかり参ってしまっていた。

 

「ほ、ほら、大好きなハニーホットミルクですよ。これ飲んで落ち着きましょう」

 

「わぁい、りいな、はにーほっとみるくだいすきー!」

 

「幼児退行しないでくださーーーーい!!!!」

 

 リーナが元に戻ったのは、これより三十分も後のことである。




リーナのポンコツっぷりはこの二次創作の雰囲気に合いすぎていると思います
そういうわけで、ポンコツ度マシマシでやっていきます


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5-4

「「えっ、よりによって今日ですか?」」

 

 風紀委員会本部の中で、仲が良いとは言えない二人――駿と達也の言葉が、ぴったり重なった。

 

 普段ならそれにお互いに多少の差はあれど気まずさは感じるのだが、驚きと動揺でそんなものを感じる余地はない。

 

「日本の恥になりそうな気がするけど、一周回って全部暴露するほうが楽なんじゃないかと思うのよ、あたし。隠し通せないでしょ」

 

「あ、あの、会話が不穏ではないですか?」

 

 あっけらかんとした声色とは裏腹に濁った眼でそう言う風紀委員長・花音の言葉に、金髪碧眼の美少女が戸惑った問いかけをする。

 

 そう、この地獄の釜の底に残った汚れが室内に蔓延しているかのような妙に息苦しい緊張感の原因は、この場に本来いるはずのないこの美少女、リーナである。

 

 初日は住処で同居人に醜態をさらしたが、冷静になった彼女は、今度は達也に接触しようということで、金曜日の今日、風紀委員の活動を見学することにしたのだ。

 

 しかしながらどうにも、イメージしていた以上に「厄介者」扱いを受けている気がする。確かに多少面倒ではあろうが、いくらなんでもここまで腫物扱いをされるとなると、リーナには原因が思いつかなかった。ただ、どうやら、自分だけが原因ではないらしいことだけは確かだ。

 

「いや、案外もしかしたら、受け入れられるかもしれませんよ。アメリカも確か『ああいうの』には寛容だったはずですし」

 

 その場にいた委員の一人から、どことなく希望的観測の気持ちがただよう声音でそう発せられると、先ほどまで気まずそうに黙り込んでいたほかの委員から次々と同調の声が上がる。

 

「くっ、やられた……」

 

「森崎だけでなく俺もか……」

 

 それを受けて駿と達也は、悔しさと諦めが混ざった態度で、溜息を吐く。

 

「シールズさん。今日はこの森崎駿君と司波達也君についていってくれるかしら? 風紀委員を『見学』するとしたら、この上ないものが見れるわよ?」

 

「え、あ、あの、それってどういう……」

 

「見てからのお楽しみよ。でもそうねえ、言うことがあるとすれば二つ」

 

 戸惑うリーナの肩に手を置いた花音は、その目の前で指を二本立てる。

 

「まず一つ。覚悟するといいわ」

 

「は、はあ」

 

 要領を得ない忠告に、リーナは歯切れの悪い返事をするしかない。

 

 そしてまるでもったいぶるかのように間をおいて、二つ目の忠告が与えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それと……『連中』のことは嫌いになっても日本のことは嫌いにならないで頂戴」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風紀委員だ! 今すぐ両手を頭の後ろで組んで伏せろ!」

 

「「「「げええええええ出たああああああああ!!!!」」」」

 

 扉を蹴りあけて突入した駿と達也は即座にCADを構えて威嚇する。それに対して、中にいた文也たち――ゲーム研究部員達は、驚きの悲鳴を上げ、威嚇を無視して各々の手元にあった何かを持って窓から逃走していく。

 

 それに対して二人は逃走防止のため、事前の作戦通りに対象を定めて妨害魔法を行使して逃げられなくする。対象が被ればお互いの魔法の邪魔をしてしまうが、こうしてしっかり連携を取れればそうしたこともない。

 

 逃げられないと悟ったほかのゲーム研究部員は、それで大人しくなることはなく、むしろ抵抗する。こちらはこちらで連携抜群で、二人に応戦する担当と証拠隠滅担当に分かれて各々の役割を全うしようとしていた。

 

「おのれ風紀委員! お前らにはこのスケベのロマンが分からないのか!? それでも股にイチモツぶら下げてんのかよ!?」

 

 魔法力に優れる文也は当然応戦担当だ。得意の『パラレル・キャスト』で二人の目をくらませたり足止めをしたりする妨害魔法をいくつも同時に行使する。

 

「元気なのは結構だが、学び舎でやることではないな」

 

 それらの魔法に対し、達也はサイオンの塊をぶつける『術式破壊(グラム・デモリッション)』で無効化する。その隣では駿が、証拠隠滅担当が冊子を燃やそうと火をつけたライターに吸収系魔法を行使して酸素反応を妨げ、証拠隠滅を防ぐ。そして達也は文也に持ち前の運動神経で高速接近して鳩尾に拳を叩き込み気絶させる。それ以外も駿が放ったサイオン波によって酩酊状態に陥り、次々と無力化されていった。

 

「え、えええええええ!?」

 

 見学と言うことで事の成り行きを後ろから見ていたリーナは混乱する。生徒による自治活動家と思いきや、これではまるで、SWATによる犯罪組織への突入だ。およそ学校内の活動とは思えないし、ましてや警察権どころか大人ですらない生徒がそれをやっているのだから、混乱するのも無理はない。

 

 そう、この日は、新年初登校日早々の放課後に風紀委員で急遽決まった、たまに行われるゲーム研究部への突入捜査の日だったのだ。ゲーム研究部はこの一高で最も悪さをする組織であり、風紀委員と職員室と生徒会で連携して、この連中の動向を監視するシステムが代々伝えられてきた。そして登校初日から急に、なにやら怪しげな動きをゲーム研究部がし始めたので、本格化する前に潰しておくことにしたのだ。

 

 当然、こんな活動――風紀委員とゲーム研究部どちらもだ――を留学生に転校早々の週末に見せるわけにはいかないのだが、そのタイミングでリーナが突然見学希望に訪れてきた。当然断る選択肢もあったしそれが穏当なのだが、新年早々ゲーム研究部のバカに付き合わされることになった風紀委員長・花音のヤケによって、こうなったのだ。そして面倒なリーナの相手は、ゲーム研究部担当である駿と対抗魔法のスペシャリストである達也のコンビ(当人たちは組んだ覚えはない)に、さらっと押し付けられたのである。さすがゲーム研究部担当をさりげなく代々一人に押し付けてきただけあって、その連携はスムーズであった。

 

「もう、なんなの……」

 

 割かし剥がれやすい優雅さの仮面がすっかり剥がれ落ちたリーナは、思わずそうつぶやく。賢い彼女はあの風紀委員本部での微妙な空気や発言の理由を、この瞬間に理解したのである。

 

 何もしていないのになんかもうすでに疲れてきたので、リーナはとりあえず見学と言う体裁を保つために待機していたほかの委員が続々突入してガサ入れと尋問をしている部室に入る。

 

「……それで、ゲームクラブは、何を画策していたのですか?」

 

 手近にいた風紀委員――先ほど先陣切って発言していた男子だ――に、リーナは声をかける。

 

「あー、えーっと、まあさすがに見せられないですね。ハハハハハっ!」

 

 笑ってごまかす彼は、ゲーム研究部の「活動」の産物をさりげなく背に隠す。

 

 しかし、リーナの動体視力と観察眼は、それを捉えた。捉えてしまった。書いてあるものまできっちりと分かってしまった。

 

 自分にそっくりな金髪碧眼の美少女が、あられもない姿で破廉恥なポーズを取り、快感に顔をとろけさせている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ゲーム研究部は、さっそく、絶世の美少女リーナで、ウス=異本を作ろうとしていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(いくら寛容なアメリカでも、自分がモデルだったらさすがに怒るわよ!!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づいていないふりをしながら、リーナは目の前の風紀委員の男子に心内で怒鳴り散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もぅマヂ無理……帰国しょ……」

 

「月曜に引き続きなんなんですかもう!」

 

 ゲーム研究部の件に加えて、そのあと達也相手に自爆して正体をほぼバラしてしまったということが放課後のわずかな時間の中にあり、帰宅したリーナはすっかり弱り果て、初日と同じ惨状を晒すというような一幕もあった。それから数時間たった真夜中、せめて心を休めるためにゆっくり寝たかったのだが、同居人のシルヴィアに叩き起こされた。隊長であるリーナが不在の間に本国を任せている副隊長のベンジャミン・カノープスからの緊急連絡だ。

 

 その用件は、熟睡(ふて寝)から叩き起こされたばかりのポンコ……リーナの目を覚ますには十分な内容だった。

 

『先日の脱走兵ですが、居場所を特定しました』

 

「ブッ」

 

 寝起きで気持ち悪い口の中をリセットしようと水を飲みながら話を聞いていたリーナは、思わず口に含んでいた水を噴き出し、自分愛用のコンピューターの画面を汚す。普段は水を飲みながら人の話を聞くような真似は絶対しないのだが、寝起きなうえに精神力が削られている今はつい理性が働かない。それが仇となった。

 

 ベンジャミンとしては説教の一つぐらいしたいのだが、用件が用件なので、説明を続けることにした。

 

 居場所は日本。横浜に上陸後、東京に潜伏している。追加追跡者チームが派遣される。日本政府には極秘。

 

『そこで、アンジー・シリウス隊長に与えられた現行の任務二つは優先順位が下がり、脱走者の追跡が最優先任務となります』

 

「了解しました」

 

 その決定に、リーナは不満はない。

 

 最凶の戦略級魔法師の調査や脅威となる魔法師の「対処」は重要だが、それはまだ放置していても良い。脱走した自国の兵士が外国に潜伏している方がはるかに問題だ。

 

『そして、井瀬文也への対応に関してですが、隊長に代わりまして、別の人材を派遣します』

 

「誰が来るのですか?」

 

 とはいえ、文也を放置すると何をされるか分かったものではない。戦略級魔法師調査と違って対象がはっきりしている以上、なるべく早いタイミングで仕掛けるのがベターだ。

 

『スターズ本隊の新兵、ネイサン・カストル少尉です』

 

「なるほど、彼ですか」

 

 二十代半ばで若くして衛星級から二等星級まで魔法戦闘力で最近昇格した男性で、総隊長として面談したのも最近だったため、リーナもすぐに思い出した。真面目一徹で国家への忠誠心が強い優等生でありながら、癖の強い魔法戦闘が得意の期待の新人である。

 

 初日に文也の実力を垣間見た彼女としては生半可な人材が送られてきたら不安しかないだろうが、本部も分かっているようで、階級はそこそこながらも実力が高い彼を選抜した。よってリーナは不安を感じなかった。いくら特殊でも所詮は高校生。ルーキーとはいえ実力者の軍人ならば楽に事を進められる。

 

『カストル少尉の住居はすでに用意してあり、明後日には飛行機に乗って向かいます。週明けの昼頃に引き継ぎをお願いします』

 

「了解しました」

 

 その後数往復の事務連絡と挨拶をして、通話を切る。

 

 ベッドに戻るもすっかり目が覚めてしまったリーナは、布団をかぶりながらも寝付けず、今後のことを考える。

 

(戦略級魔法師の調査はほどほど……イノセフミヤに関しては安心……脱走兵の対処は……)

 

 そうして考えているうちに、リーナの心にモヤモヤが募っていく。自覚した彼女はその正体を、脱走兵対処への警戒と不安だとまず分析したが、それでも腑に落ちなかった。

 

(これは一体……)

 

 何だか分からないが、嫌な予感がする。任務が決まってからしばしば感じる悪寒を誤魔化すように、リーナは布団を頭まで被った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は何やってるんだ?」

 

 週明け、登校してきた駿は、珍しく先に登校して席についていた文也――生徒会の用事で早出だったあずさがついでに迎えに来て無理やり連れてこられたのだ――が一生懸命にいじっている携帯端末を覗き込む。今やすっかり時代遅れに見えるゲーム画面では、操作キャラクターらしき男が鎖を操っている。

 

「悪魔城ドラキュラ」

 

「……まだずいぶん単純な選択だな」

 

 駿はそう言ってジト目で見ながら文也のすぐ前の席に着く。本来の席は離れていたのだが、リーナに変なことをしないようにと、インフルエンザから復帰した担任が席替えを断行し、文也の傍に駿を置いたのだ。

 

 駿の予想は、まさしくその通りだ。今世間を騒がせているニュースを聞いて、文也はなんとなくこのゲームをチョイスしたのである。

 

 そのニュースとは、吸血鬼事件。連続猟奇殺人事件で、被害者は全員血を抜かれている。しかし注射器などを使った痕跡はなく、全員無傷なのだ。

 

「例のあれ、世間では魔法師の仕業だなんだって騒がれているらしいな。今朝親父から聞いたよ」

 

「やっぱそうなるわなあ。でも治癒魔法一発で傷跡が全部綺麗さっぱりなんてあるわけないしなあ……変なことがあったら全部魔法のせいだからやんなるぜホント」

 

 文也はそう呆れながら、端末をカバンに放り投げて乱暴にしまう。ゲームは一段落ついたし、駿との会話に集中することにしたのだ。

 

 そんな文也の態度は、特に深く考えている様子はない。しかし、駿には文也が考えていることがわかる。

 

「……そんなもんだ、気にするなよ」

 

「お見通しかい。精神干渉系魔法は禁止されてるぞ」

 

「先月も同じようなこと言ってたな」

 

 冗談めかした流れになって文也も幾分かは明るい表情に戻ったが、まだどこか心のしこりが取れないように駿は見える。それは、気のせいではない。

 

 文也は自己中心的で我儘で悪戯好きのワルガキだ。それは、「自分が楽しい」を優先する性格だからだ。

 

 そして、意外にも、その「楽しい」の感情を、他者にも感じてほしいと感じているのである。そんな文也が一番「楽しい」と感じるものは、他でもない、魔法だ。その魔法による「楽しい」を広めるためというのもあって、『マジカル・トイ・コーポレーション』で『マジュニア』として開発に携わっている。

 

 しかしそんな文也の想いとは関係なく、世間の魔法に対する風当たりは強い。

 

 テクノロジーの進歩で魔法は社会・生活・生産の面ではほぼテクノロジーで代用可能な、「あれば便利なもの」止まりである一方で、軍事的には世界のパワーバランスを大きく左右するほどの力がある。また使用の可不可や才能は生まれつきに左右される属人的なものであり、ほとんどの人間が使えない。

 

 日常生活では、あれば便利程度のもの。

 

 一方「兵器」「兵士」として見れば、「ごく一部のみが使える恐ろしいもの」。

 

 それが世間の魔法に対する認識であり、嫉妬や恐怖や無知、その他もろもろの悪感情が、魔法に向けられている。

 

 それは事あるごとに再燃し、「人間主義」という運動まで起こる始末だ。

 

「楽しい」はずの魔法に対する世間の目は、あまりにも厳しい。

 

 文也は、そうした世間の目がより厳しくなることを、(こう見えても)気にしているのである。

 

(いや、でもなあ)

 

 こうした憂いがある、と駿は見ていたのだが、しかしどうにもそれだけではないようにも見える。

 

 そんな駿の疑問を、文也はすぐに解消した。

 

「まあ魔法排斥云々は置いといてな、問題は、おんなじような事件がアメリカでも起きてることだよ」

 

「……またUSNA絡みか」

 

 吸血鬼事件のニュースを見ながら「ツテ」で知った文雄からUSNAでも同じ事件が起きていると聞いた今朝は、思わず朝食のお茶漬けを噴き出してしまった。

 

 今文也が直面している悩みは、USNAから狙われているであろうということだ。吸血鬼事件も、直面している大きな問題があるのだから一旦置いておくこともできるが、ことUSNAが絡むと、とてもではないが無視できない。

 

「もしかして今回の派遣って、この吸血鬼絡みで、俺とか戦略級魔法師は無関係?」

 

 文也の小声には、少なからず期待が混ざっていた。この予想が当たっていたとすれば、文也は何も気にすることなくリーナで遊べる。圧倒的美少女だから何かと「使える」し、なんだかポンコツそうだからからかい甲斐もありそうだ。余計なことは考えず、純粋に遊びたいところである。なおその「遊び」は間違いなく不純だし、常識的にはそれこそ「余計なこと」である。

 

「そうだといいけどな」

 

 駿の返事は一切期待がこもっていない。もしもの事態に備える癖が、ボディーガードを副業とする森崎家の人間には染みついているのだ。

 

 何はともあれ、一番身近な「USNA」であるリーナに接触して、それとなく探りを入れよう。

 

 口に出すまでもなくそう決めていた二人の予定に反して、リーナは留学早々に、この日は欠席した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何も打つ手がなかった週明けの翌日朝、ついに第一高校にも吸血鬼の被害者が出たという噂が広まっていた。一応機密なのだが、人の口に戸は立てられないものだ。

 

 その被害者は、西城レオンハルト。昨夜、深夜の公園で襲われたらしいとのことだ。

 

「……一難去ってまた一難、だね」

 

「そんな嫌そうな顔すんなって。一緒に戦い抜いた仲だろうが」

 

 その日からさらに翌日の休み時間、幹比古は人気のない場所に呼び出されていた。

 

 呼び出したのは文也だ。九校戦で『モノリス・コード』新人戦の代理チームを組んだ縁で連絡先を交換しており、それで呼び出したのである。幹比古は、実はあの夏からずっと重なり続ける文也の悪評を聞いて連絡先から消していたのだが、文也の方には残っていたのだ。

 

 文也に呼び出されたとなれば、幹比古からすれば何をされるか分かったものではない。恐怖そのものである。

 

 そういうわけで、幹比古はお互いにまともそうな同行者を連れてくることを提案した。文也も自分の評判は自覚している(そのくせに直そうとはしないのだが)し、誰を連れてくるかは予想できていたので、二つ返事で了承した。

 

「お互い苦労するな」

 

「全くだ」

 

 幹比古が連れてきたのは達也、文也が連れてきたのは駿だ。もはや二人の間には、言葉では言い表しがたい連帯感の様なものが生まれてしまっている。お互いに不本意ではあるが。

 

「んじゃ早速本題に入るか。吸血鬼事件について知ってることと予想を全部教えてくれ。司波兄もな」

 

「……図々しいやつだな」

 

 文也が菓子パンをかじりながら話すので、なんとなく各々の昼食を広げながら話す流れになった。嫌な昼食会である。

 

 幹比古を呼び出した理由は、吸血鬼について尋ねるためだ。文也は現代魔法に関しては世界随一だが、その知識でも分からなかった。そこで、からきしの分野である古式魔法の観点から何かわかるかを知りたいのだ。何でもできる父親に聞いてもいいのだが、せっかく同級生に古式魔法の専門家がいるのだから、尋ねない手はない。達也の同行を了承しているのは、この怪しさ満点の同級生ならどうせ吸血鬼事件を知っているから問題ないことと、『トーラス・シルバー』の片割れである彼の知識をアテにしてのことだ。

 

「俺はよく分からなかったのだが、幹比古が昨日正体を暴いてくれたよ」

 

「レオを襲ったのは、僕らの界隈で『パラサイト』と呼んでいるものだ」

 

「パラサイト? 寄生虫か?」

 

 達也ですら分からなかったものを、幹比古はわかったようだ。伊達に専門家ではないということである。そんな幹比古の答えに、文也と駿は今一つ合点がいっていない。パラサイト、というとまず思いつくのは寄生虫だが、人に宿って人を襲う寄生虫と言うのは、漫画・アニメの世界でしか聞いたことない。

 

「いや、寄生虫の事じゃないよ。簡単に言うと、妖怪とか妖魔とか悪魔とか言われているものの中でも、人にとりついて操るもののことだよ」

 

「……人を操る寄生虫よりも漫画の世界だな」

 

 文也は思わず菓子パンを食べる手を止めて溜息を吐く。思わず疑ってしまうような内容で、文也の目はその色を隠せない。幹比古としては信じようが信じまいがどうでもいいので、それを気にせず説明を続ける。

 

「そういったパラサイトは、人間にとり憑いて操ったり人ならざる妖魔に変えたりして、別の生物から精気を吸い取るんだ。精気っていうのは生命力の様なもので、元々物質的な存在でない妖魔たちは、それを操って己の糧とするんだよ。例えば食人鬼なら人肉を食べて、吸血鬼なら血を吸って、精気を取り込むんだよ」

 

「ふーん、サキュバスみたいなものか」

 

「……まあ、うん」

 

 文也の返答に、幹比古は顔を赤らめ、目をそらして肯定する。そういった例を出されては「精気」がより一層変な意味に感じてしまい、初心な幹比古はつい照れてしまうのだ。

 

「で、そう、レオは、『吸血鬼』に身体的に接触した時に精気を吸い取られたんだ。血とか肉とか……せ、精液とか、物体を介した接種じゃなくて、直接精気を吸い取るタイプなんだよ」

 

「吉田、このバカガキの例に乗せられなくていいんだぞ」

 

 生真面目な幹比古は、苦手な「ソッチ」方向の例も、挙がった以上は話に盛り込んでしまう。顔を真っ赤にしてドモりながら話す幹比古に、駿は呆れながら助け舟を出した。

 

「へー、じゃあ奴さんたちは、血を吸う必要がないわけか。じゃあなんでガイシャたちは血を抜かれてるんだ?」

 

「それは分からないけど……多分、ダミーだと思う」

 

「ふーん、なるほどねえ。じゃあお前らんとこのあのソース顔のはどうなんだ? その口ぶりだと、血は抜かれないで精気吸われたのか?」

 

「ソース顔? ああ、レオね。うん、そんな感じ。胸を殴られたときに、エネルギーが吸われた感じがしたらしいよ」

 

「ほー。で、そのパラサイトってのは、とり憑かれると抵抗とかできるのか?」

 

「うーん、パラサイトが寄生しに来る、って分かってるなら対策はあるかな。精霊と同じで、現代魔法で言うところの肉を持たない情報生命体だから、僕たちの精神・身体のエイドスどちらかに干渉して操ったり妖魔に作り替えたりしてるっていうのが界隈の見解なんだけど、それが正しいとしたら、精神・身体のエイドスに『情報強化』をかければ、跳ねのけられるんじゃないかな」

 

 達也は、幹比古が精神と口に出した瞬間に、文也が一瞬顔をゆがめたような気がした。それは実際にそうなのか、はたまた達也が文也の弱点を知っているからそう見えただけなのかは、達也にはわからない。

 

「それってエイドススキンじゃやっぱ跳ね返せない感じか?」

 

「そうだろうね。そもそも彼らが肉を持たない生命体と言うことは、肉に依存しがちな僕らに比べて、肉体にしろ精神にしろエイドスへの干渉力に関しては、一枚も二枚も上手と思った方がいい。今言った『情報強化』だって、もしかしたら破られちゃうかもね」

 

「……ホラー映画よりよっぽどホラーだぜ」

 

 幹比古の説明を聞いた文也は、少し顔色を悪くしながら額を手で押さえ、首を横に振る。おどけた動作をしているが、参っているのは本当らしい。

 

「じゃあ今度はこっちから質問する番だね。吸血鬼について、なんで知りたがっているんだい?」

 

「知的好奇心」

 

「僕は嘘をつかなかったんだから、君も本当のことを話しなよ」

 

 文也のバレバレの嘘に、三人は呆れる。当の本人も騙せるとは全く思ってなかったみたいで、ペロ、と舌を出して悪戯っぽく笑うと、大げさに観念したような動作をして、事情を説明する。

 

「お前のクラスにも、えーっと、なんだけ、ほら、百家の凶暴な女いるだろ? そいつから話は聞いてると思うけど、その吸血鬼に関して、七草家と十文字家を中心とした十師族・二十八家・百家が合同で調査してるんだよ。コイツも百家支流だし、あとマサテルも十師族だから、協力してくれって話が来てさ。で、どんなもんかと思って話を聞きに来たんだ」

 

「ふーん、なるほどね」

 

 文也の説明に、幹比古はまだどことなく腑に落ちていない様子だが、それでも特に怪しい点がないのでとりあえず納得する。百家の凶暴な女=エリカというのは、幹比古と達也二人にとって自然に受け入れられる表現だったので、特にツッコミは入れなかった。

 

(らしくもないな)

 

 その文也の説明を聞いた達也は、それが真実でないことをすぐに看破した。

 

 それは、文也が抱える本当の事情を知っているからだ。

 

 文也は現在、USNAの動向について注意せざるを得ない状況だ。そして、吸血鬼事件は、当のUSNAでも起きている。偶然で片づけられるわけがないので、こうして情報を集めていると予想するのは簡単だった。

 

 そして、文也の説明には、幹比古は気づいていないようだが、ある矛盾がある。

 

 吸血鬼事件を調査しようとしている十師族と百家支流が親友だから聞きに来た。一見すると筋は通っているし、事実、十師族たちは調査をしているし、一条家と森崎家にも話は来ている。幹比古に話を聞きに来た理由としては嘘だが、起きた出来事としては嘘をついてはいない。嘘をつくために事実を元にするのは常套手段にして最高の手段だ。

 

 しかし、文也の説明通りならば、メインで話を聞きたいのは彼ではなく、実際に依頼が来た駿のはずだ。しかし、幹比古に連絡を取ったのも、話をメインで聞いているのも文也だ。さらに、元々文也と幹比古二人だけの予定だったのだが、幹比古の要請で駿と達也が同席しているので、文也の説明には矛盾がある。

 

 幹比古も無意識的にそうしたところに引っかかってるからこそ、どことなく腑に落ちない様子なのだろう。

 

 達也は感情がうかがえない目で文也のことをじっと見る。文也はそれに気づき、達也に気づかれたと察したみたいで、口に人差し指を立てて黙るようにサインする。達也としては黙っておく理由はないが、話す理由もないので、文也の指示通りに黙ることにした。

 

 達也の思う「らしくない」とは、文也の嘘に明らかな欠陥があったことに対するものだ。冗談めかした文脈の時は先ほどのようにバレバレの嘘をつくが、狡猾な文也は、真面目な嘘は一見して露見しないように周到につく。今回は、その点で考えれば、浅い嘘だった。それだけ、USNAが絡む件については焦っているということだと、達也は見当をつける。

 

「話はこんなもんだな。一応礼になりそうなものを二つ持ってきたけど、どっちがいい?」

 

「ええ……」

 

 聞きたいことは一通り聞き終わった文也は、幹比古の前に持ってきていた二つの紙袋を掲げて見せる。予想外の展開に、幹比古はすっかり疲れ切った声を漏らした。

 

「中身を選ぶことはできないのかい?」

 

「中身が見えないからこそのロマンだろ。安心しろ、どっちもお前が好きそうなものだ」

 

 九校戦以来ご無沙汰の癖に、僕の何を知っているんだ?

 

 幹比古としてはそう思わざるを得ないが、口角を上げて悪戯っぽい笑みを浮かべる目の前のクソガキには何を言っても無駄だと諦め、適当に選ぶ。

 

「じゃあこっち」

 

 右手にある紙袋を選んだ幹比古は、期待ゼロ不安100パーセントで紙袋の中に手を突っ込む。感触的には、雑誌のようなものだ。

 

「ブッ!」

 

 そしてその表紙を見た幹比古は、顔を真っ赤にして噴き出し、思わず投げ捨ててしまう。

 

 ――『一高女子マル秘写真集』。

 

 そうタイトルがつけられた本には、表紙から全てのページにわたって、一高の女子生徒や教員の中でも見目麗しい女性だけを厳選して隠し撮りした写真集だった。さすがに裸や下着姿と言った重犯罪にあたる写真はないが、体育着や部活用の薄着、タイツや胸元など、ここぞとばかりにセクシーなシーンが撮られている。

 

 そして、その表紙には、一高一年生女子で隠れた人気を誇る癒し系巨乳メガネっ子・美月の、へそチラ体操着姿も写っている。

 

「「風紀委員だ。猥褻行為の現行犯で逮捕する」」

 

 即座に、顔を真っ赤にした駿と心底面倒くさそうな達也が動く。ゴキブリのように逃げようとする文也を達也が取り押さえ、駿は目をそらしながらその写真集を魔法で燃やした。

 

 ドナドナされていく文也と連行する二人の後ろ姿を、幹比古はただぽかんと眺めるしかなかったが、少し落ち着いて、急に先ほどの表紙が頭をよぎり、急に顔が熱くなる。

 

(煩悩退散煩悩退散煩悩退散!!!!!)

 

 幹比古は必死に頭を振ってその光景を忘れようとするが、すればするほどより鮮明に思い出されて、さらに強く頭を振る。

 

「すまないな。もう一つのほうを持って行っていいぞ」

 

 文也を達也に任せて戻ってきた駿が戻ってきてもう片方の細長い紙袋を渡すまで、幹比古の自分との戦いは続いた。



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5-5

「世の中は本当にままならない」

 

 吸血鬼による被害者はあれから出続けていた。日本サイドでは、吸血鬼を追っているのは、警察、師族会議、そして千葉家・吉田家の三勢力だ。

 

 そして、千葉家・吉田家の中でも特に精力的に動いているエリカと幹比古の二人が、吸血鬼と接敵した。その予感がしていた幹比古はあらかじめ達也に救援要請を送り、達也はその戦いに乱入したのである。

 

 達也のつぶやきはその帰り、真冬の極寒の真夜中をバイクで走りながらのものだった。

 

 この冬は、達也の周りで様々な勢力が動いている。吸血鬼とそれを追う三勢力、文也を狙うUSNAと四葉家。達也は、四葉サイドに当たる。彼としてもさすがに文也を殺すとまでなると相応に気落ちするし乗り気でもないのだが、四葉の命令に従うほかない。

 

 その命令とは、文也を殺そうとするUSNAの動きを妨害しないこと。

 

 命令内容としては、要は「何もするな」ということであり、達也としても実際何もするつもりはなかった。リーナとは接触せざるを得ないが、それ以外のUSNA勢力に積極的に関わりたくはない。何が妨害になるか、分からないからだ。

 

 しかし、幹比古の要請を受けて出向いた達也が戦ったのは、まさしくそのUSNA勢力だった。

 

(井瀬の読みは当たっていた、ということか)

 

 日本で起きている吸血鬼事件。USNAでも起きている。そしてそれに重なるように不可解なUSNAからの大人数の留学生。

 

 四葉陣営が掴んでいて達也が知るUSNAの動きは文也への干渉・戦略級魔法師の調査だけだったが、吸血鬼事件にも関わっていたのだ。

 

 達也が関わる吸血鬼事件を中心とした動きと文也を中心とした動きは、USNAによって繋がった。

 

 つまり、これから吸血鬼事件に関して動くときは、USNAと四葉に気を遣わなければならなくなる。

 

「おかえりなさいませ、お兄様。……顔色が優れませんが、どこか御気分が悪いのですか?」

 

「ただいま。いや、大丈夫だよ。ただ懸念事項があってね。深雪、叔母上に繋いでもらってもいいか?」

 

「お、叔母様ですか?」

 

 深雪は思わず上ずった声でオウム返しの問いかけをしてしまう。あまりにも、達也の頼みが唐突だったからだ。

 

 とはいえ、深雪としては断る理由もない。さすがに部屋着では失礼なので二人ともきっちりとした格好に着替え、真夜に通話をつなぐ。

 

 そこで達也は、まず「聞きたいこと」として、先ほど接敵した魔法師が使っていて苦戦させられた魔法『仮装行列(パレード)』について質問し、次に援軍をお願いした。

 

「わかりました。風間少佐との接触は許可します」

 

「ありがとうございます」

 

 それは、接触禁止命令が出ていた国防軍との接触を許してほしいというもの。真夜はそれを快諾した。

 

 今にして思うと、四葉はUSNAと吸血鬼の関わりもとっくに掴んでいたのだろう。達也は頭を下げながら内心で溜息を吐く。なぜ自分たちに教えなかったのかは不明だが、何か深い思惑があるのは間違いない。文也に関わること以外にも、別の目的があるのだろう。

 

 文也へと及んだ達也の思考を知ってか知らずか、そのタイミングで、通話の終わりを悟った真夜が、言葉を発する。

 

「それと、」

 

 その口調も表情も、一見すればいつもと変わらず余裕に満ち溢れている。しかし、達也と深雪は、微妙にそれらが固くなっているのを敏感に察知した。

 

「井瀬文也の抹殺の弊害にならない程度なら、達也さんは自由に動いてよいですよ」

 

 自由に動いてよい。達也からすれば願ってもいない真夜からの言葉だが、彼女が伝えたいのは、その条件のほう。

 

 何か別の思惑がある。ただし、だからといって、文也の抹殺を蔑ろにするというわけではない。

 

「……はい、わかりました」

 

 その強い意志を受け、達也はただ了承するしかない。頭を下げ、カメラに映らない陰で、達也は悔し気に顔をゆがめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『USNAからの接触は?』

 

「なーし。そっちは?」

 

『戦略級魔法について割とストレートに見解を聞かれたよ。調査ってことをもっと隠したらどうだって感じだな』

 

 吸血鬼事件の被害者ばかりが増えて何も大きな動きがなかった間、文也たちは特に何もしていなかったわけではない。こうして毎日、三高サイドの将輝と真紅郎の二人と連絡を取っている。

 

「さすが第一容疑者様は違うねえ」

 

『バカ言え。そういうお前こそ、変なことをしそうって意味では第一容疑者だろ。それで今までほぼ接触なしってどういうことだよ』

 

 将輝がずっと気になっているのは、その点だった。文也のクラスにピンポイントで留学生が引っ越してきたというのに、一番接触したり調査したりしたいであろう彼に、これといって話しかけてくることすらないのだ。普通に考えれば初日あたりに誰かから「あのクソガキには関わらないほうがいい」と教え込まれてそうなったとするのが自然だが、こと事情を知っている側からすると不自然極まりないのだ。

 

「そーなんだよなあ。一応初週には司波兄妹と接触したらしいけど、そっからは特に動いた感じはねぇなあ。あ、あとやたらと欠席が多いな」

 

『初週以降は接触なし、だね。となると、そのタイミングで起きたことと言えば』

 

「ああ、吸血鬼事件が表沙汰になったな」

 

 将輝も真紅郎も、吸血鬼事件がUSNAでも起きていることは文也から聞いている。しばらく様子を見ていたが、ここまでの動きを見てみると、文也たちに浮かんでいた希望が現実味を帯びてくる。

 

「そうなると、やっぱり、戦略級魔法師の調査が主で、吸血鬼事件の対応をしなきゃいけなくなったから動きがなくなったってことですよね。……つ、つまり、ふみくんについてどうこうということはないんじゃ!」

 

「だと良いですけどね」

 

 あずさがパッと顔を輝かせてその希望を口にするが、駿はそれを直接否定はしないものの、肯定とは言い難い言葉を口にする。最悪を考えて準備するのは、ボディガードとしての癖だ。

 

『で、師族会議のほうはどうなんだ』

 

 文也・駿・あずさの三人が見る画面は二つある。片方には将輝と真紅郎、そしてもう片方には、四高での業務が忙しくて家に帰れない文雄が映っている。

 

 達也たち、文也たち、リーナたち、それぞれが忙しく裏で動いている中、魔法科高校の「表」も今年は大忙しだ。急に決まった留学生の受け入れでただでさえ忙しかったのだが、一高の急な新学科(魔法工学科)設立によって、運営母体を共にしつつ受験生を奪い合う魔法科高校全体が、受験関連でさらに忙しくなっているのだ。

 

 非常勤講師ながらも教諭の一人である文雄もまたそれによって主に事務方面で仕事が急増している。一高の急な新学科設立決定による受験生の志望校選びの混乱を考慮して、急遽、試験日と一次募集倍率公開後の志願変更期限を遅らせるよう全校で調整しているのだ。

 

 そうした中でもなんとか仕事を終わらせ、ぎりぎり帰ってきて四高の近くに借りているマンションでテレビ通話に参加しているのは、彼の有能さを示すものだろう。

 

『相変わらずってところですね。協力しているというのに、七草も十文字もどうにもガードが固くて』

 

 将輝はそう言いながら溜息を吐く。

 

 吸血鬼事件の現場である東京を管轄する七草家と十文字家が中心となって、二十八家と百家は吸血鬼の正体を追っている。そしてそれには当然一条家も協力しており、協力者を送り込んでいるのだ。またその協力者を送り込むのに乗じて、こっそりと何人かの手練れを東京に送り、文也を遠くから護衛している。

 

 そうして協力者を送っているのだが、他者に協力させておいて、重要な部分はすべて七草家と十文字家の者が握り、協力者たちは雑用がほとんどだ。よって内部に送り込んでいるというのに、情報はあまり入ってこない。

 

 吸血鬼事件に関しては、本来緊急かもしれない別件があるため構っていられないのだが、当のUSNAが絡んでいるため、一条家も快く送ったのだが、あいにくながらそこまでの情報は集めきれていないのが現状なのだ。

 

『ただ、そうですね、少しと言うか、だいぶん気になる事を一つ言っていましたね』

 

「お、なんだなんだ」

 

 文雄からの問いかけ故敬語で話す将輝に、文也は答えを急かす。

 

『今日の昼、どうやら七草の長女と十文字の長男が、司波達也と接触したらしいです』

 

「はあ、司波兄?」

 

 唐突に出てきたビッグネームに、文也は首をひねる。

 

「アイツもクラスメイトがやられたんだから、何か気になるのかもな」

 

「確かに司波君なら、師族会議の動向も知っていそうですよね。先輩たちに何か聞きに行ったのかもしれません」

 

 駿は先日昼休みにあった時のことを思い出しながら、あずさは大きくなり始めた話に嫌な予感を覚えながら、それぞれの考えを口にする。あずさの言っていることは実際逆なのだが、結果としてはそう外れてはいない。

 

『思ったよりもデカそうな情報じゃないか。一条家の人もやるね』

 

 文雄は目を細めて笑い、感心したように言う。

 

『いえ……そういう噂話も統制できないほど、あの二家に余裕がない、ということかもしれません』

 

 それを受けた将輝の反応は、決してポジティブなものではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵の敵は味方。そうは言うが、目的と利害が一致していればこそようやく味方になるもので、目的も利害も一致していない敵の敵は、せいぜいが他人、もしくはやはりそちらもまた敵である。

 

 達也は、土曜日と日曜日を跨ぐ夜を終えて家路につきながら、深い溜息を吐いた。

 

 昼に真由美と克人から受け取ったデータをもとに吸血鬼を追跡し、そのついでにアンジー・シリウス――リーナ――と敵対した。紆余曲折の末、一般的にそう言えるかは別として、達也としては「穏便」に深雪とリーナの決闘をすることになった。そしてそのあとのリーナ優位の尋問も終えた。これはその帰途である。

 

 達也としては、なんならUSNAをサポートするつもりですらあった。

 

 友人を傷つけた吸血鬼事件に関わりたい。

 

 四葉の意向でUSNAを邪魔してはいけない。

 

 その両方を満たす案として達也が悪知恵を働かせて一晩で考えたのは、「吸血鬼事件を解決してUSNAを動きやすくして、文也にターゲットを向けさせる」というものだった。本当なら文也を殺す手伝いともいえるようなことは積極的にやりたくはないのだが、せめて吸血鬼事件にだけでも関われるこの方針が、彼にとっては最上だった。吸血鬼に関しても、文也に関しても、達也はUSNAを「敵の敵は味方」として捉えて行動することにした。

 

 しかしその目論見は、外れることになった。

 

 リーナとはすっかり敵対した。アンジー・シリウスが敵対したとはすなわち、少なくともスターズ、最大でUSNAそのものを敵に回したことになる。それも、吸血鬼事件の進展に邪魔を入れるような形になってしまい、結果的に、達也の方針とは真逆の状況になってしまった。

 

 取った行動自体は、もしかしたら最善ではないのかもしれないが、考えうる限りで最善のものを選んだつもりだ。吸血鬼事件から退くつもりはない以上、あとはUSNAの意識次第だった。USNAサイドと日本サイドで互いにに邪魔をしない程度の約束、さらに贅沢を言えば協力関係になるつもりもあったのだが、向こうとしてはそれは眼中にないのだろう。

 

 それは今考えると当然だ。

 

 もともとは戦略級魔法師の調査だったのだろうが、何にせよアンジー・シリウスが出動している事態であれば、事は深刻に違いない。そう考えてはいたのだが、リーナが尋問で答えたことによると、まさかパラサイトに乗っ取られているのが、スターズの構成員とまでは予想外だ。魔法戦闘のプロであるスターズが操られて海外で犯罪行為を働いている、となれば、外交問題にも間違いなく発展するため、リスクを承知で秘密裏にリーナ達で処理しようというのは自然なことであり、そこに当然日本人は関わらせたくないのである。

 

 吸血鬼を追っていたらリーナとも接敵し、吸血鬼は逃してしまって、九重八雲らも加えた複数人戦闘になり、最後は深雪とリーナの決闘をした。その決闘で引き分けとなり、達也たちは尋問をする代わりにリーナはイエスかノーでしか答えない。先の件は、

 

「まさかとは思うが、パラサイトに乗っ取られているのはスターズの構成員か?」

 

「イエスよ。不本意ながらね」

 

 というやり取りで知ったことだ。

 

 アンジー・シリウスは、脱走したかつての同胞を処刑する任務も背負う。一人の少女が背負うにはあまりにも酷な役目で、達也も同じような立場の為同情もするが、今回はその役目のせいで達也たちと決裂してしまっている。同情よりも、恨みのほうが先立つ。

 

 こうして事情を知ったので、では改めて協力しませんか――と言うわけにはいかない。吸血鬼と文也、面倒ごとを二つも抱えているUSNAサイドも、効率を重視するならば、国内協力者となる達也の助けは欲しいところだろう。しかし、脱走した兵士である以上、もし達也が捕まえてしまったら、軍事機密を抜かれる可能性がある。USNAは、達也と協力するわけにはいかないのだ。

 

「……八つ当たりしても仕方ないか」

 

 何かとうまくいかなかったが、最低限の仕事はできた。そうやって自分を慰めながら、達也は家の門を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日曜日の朝には、達也がエリカと幹比古と真由美と克人を呼び出して発信機を植え付けた情報を与え、リーナは同居人のシルヴィアに慰められたのち一緒に日本に来ていたミカエラに会おうと考え、そしてその日の夜には達也の使い勝手の悪い情報を元に千葉家・吉田家と師族会議が共同で吸血鬼を追いまわした。大きな成果は出なかったが、行動範囲を絞り込めつつある。一日での事なら上々だろう。幹比古の胃と精神が犠牲になった甲斐もあったというものである。

 

 さて、そんな日曜日は、文也たちにとっても穏やかな日となった。襲撃の気配もなく、何かUSNAがするような気配もつかめなかった。いつ襲いに来るか分からない以上こうした日はある意味貴重であり、秘密回線を使って作戦会議もとい雑談をしながら、各々の準備を進める一日となった。

 

 問題は、その翌日、週明けの学校だ。

 

 その昼休みに、事件は起きた。

 

「……ひっ」

 

「ん? どーしたよあーちゃん」

 

 昼休み、食堂でいつもの三人――年明けからはなるべく固まって行動するためにできるだけ一緒にいるのだ――で昼食をとっている途中に、あずさが小さく悲鳴を上げた。それは食堂の喧騒に容易くかき消され、駿は日替わり定食のかたい安物トンカツに苦戦していたため気づかなかったが、文也は目ざとく気付いた。

 

「…………なんだろう、なんか、ちょっと嫌な感じがして」

 

「俺はまだ何も悪戯仕込んでねえぞ」

 

「『まだ』? 詳しく聞かせてもらおうか」

 

「イッツアジョーク! 勘弁だ勘弁! で、どんな感じよ」

 

 駿が眼を鋭くさせて睨んでくるのを誤魔化しながら、文也はあずさに重ねて問いかける。

 

 あずさは幼いころから文也の悪戯をその身で受け続けてきたため、また生来のいたいけな小動物のような性格もあって、危機察知能力が高い。それは同じく危機察知能力を必要とするボディーガードを副業とする駿も認めるほどだ。

 

 そんな彼女が、思わず唐突に悲鳴を上げるほどの「嫌な感じ」を覚えたとなると、気にしすぎる必要はないが、話を聞いておくぐらいはしても良い。二人はあずさをじっと見ながら、口を開くのを待った。

 

「えっと……なんだろう。悪戯される前の背筋がゾクゾクするような感じでもないし、魔法って感じでもないし……こう、身体の芯の部分に……邪気? みたいなのを当てられたような……」

 

 被害を受ける前の本能的な危機察知、魔法師が多かれ少なかれ持ってる魔法を感知する力、あずさはどちらも鋭敏だが、今回は、そのどちらでもない。

 

「あーん、あーちゃんしか感じなかったってなると、そりゃプシオン波だな。どっかで古式魔法が失敗して、精霊が暴走でもしたのか?」

 

 あずさは、上二つについても鋭敏だが、特にプシオン波には敏感だ。それは彼女が生まれつき精神干渉系魔法に適性があるのと無関係ではない。精神干渉系魔法は、プシオンに干渉する魔法だからだ。

 

「一応気になるなら、ちょっと元をたどってみましょうか?」

 

「うーん、変にかかわらないほうが賢明だと思いますけど……」

 

 この三人は、一人が生徒会長で、一人が風紀委員で、ついでに一人は問題児の不良だ。つまり三人の内二人はCADの携帯が許可されており、今も携帯しているため、すぐに戦うことが可能だ。文也は教師から特に目をつけられていて厳しく荷物検査をされており、今回は携帯できていない。しかし、あずさと駿は悪い友人と付き合いがあるとはいえ、優等生として信頼されており、その穴を利用して、実はこの二人は文也のCADをいくつか隠し持っている。一つ一つが隠し持ちやすくて小型である文也のCADは、そういった作戦にぴったりだ。つまりこの三人とも、校内では臨戦態勢が整っていると言ってよい。

 

 とはいえ、駿の提案にあずさは乗り気ではない。まだ食事も途中であり、これを置いて出ていくのは、文也は別に気にしないが、あずさと駿は憚られるのだ。食べ物を粗末にするわけにはいかないのである。

 

「じゃあ、ま、食い終わったらちょいと遠めに確認する程度でいいな」

 

 文也はそう結論付けて、そのまま汁をまき散らしながら下品にラーメンを啜り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、何が起きたんだこりゃ」

 

「「「「「ゲッ」」」」」

 

「歓迎されてないみたいだぞ」

 

 食後、のんびりと食休みを挟んでからあずさが邪気らしきものが来たと言う方向に向かってみると、魔法戦闘の気配がした。いよいよただ事ではなさそうだと三人は思ったが、巻き込まれないようあえてゆっくり歩いて近づくと、目視する直前にその気配は収まった。

 

 そしていざついてみると、そこには、達也、深雪、リーナ、エリカ、幹比古、克人、美月がいた。先ほどの反応は、美月と克人を除く五人が、文也の声に気づいた時に思わず発した声である。達也と深雪にまでこんな声を出させるのは、さすがと言ったところだろう。

 

 その反応をからかう駿も文也の隣に並んで現れる。言葉自体は和やかだが、しかしながらその目は剣呑だ。いつ戦闘に入っても良いように、CADを抜いている。表面上の戦闘体勢すら隠すつもりがない。

 

「…………魔法戦闘の演習だ。幹比古が前の論文コンペ前の訓練で負けたのが相当悔しかったらしくてな、十文字先輩一人相手に、一年生の揃う戦力でリベンジしてやろうと思ったらしくてな」

 

「なんだよ水臭いな。それなら俺と駿も呼ぶべきだろ?」

 

「森崎はまだしも、お前は十文字先輩を殺しかねないだろ」

 

「それについて『は』同意だな」

 

「お前は誰の味方なんだ!?」

 

 達也はとっさに苦しい嘘を吐くが、意外にも、文也はそれに乗っかってきた。達也の反論に駿が同意するというまさか……まさか? ……まさかの事態に文也は軽口を挟む。

 

「で、本当は何してたんだ? こんなところで申請無しの魔法戦闘演習なんてこと、俺じゃあるまいし、お前らがするわけないだろ? もしまだシラを切るんなら信じてやらんでもないけど、しっかり信じてセンセーにチクるぞ? 元会頭、副会長、風紀委員、暴力女とそのお友達二人だ。中々センセーショナルだと思わないか?」

 

 文也が言っても、教師は誰も信じない。しかし、同じ主張を駿と、二人の後ろに待機しているあずさもしたとなれば、さすがに教師たちも信じるほかないだろう。

 

「……これは機密事項だ。関わらないのが、お前らの身のためだぞ」

 

「校内で起こった問題を隠蔽とは、意外とさっぱりしてねえな、元かいとーサン?」

 

 誤魔化し切れないと達也たちが諦めた空気を察して、克人が脅しの警告をするが、文也は微塵も揺るがない。実際、達也たちがしたことは正しいのだが、それを証明するには、秘密にしたいことが多すぎる。悪知恵が働く文也に見られた以上、これ以上の抵抗は不可能だった。

 

「……十文字先輩」

 

「…………仕方あるまい」

 

 達也に名前を呼ばれ、克人は観念したようにつぶやく。今回は負けだ。達也たちは、誤魔化しと嘘を挟みつつ、そのたびに文也に看破されながら、事の事情を説明した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『一高ってそんな愉快なのばっかりなのか?』

 

「……一番愉快なのは貴方の息子さんでは?」

 

 家に帰ってから、その事を映像通話を通じて文雄と将輝たちに報告する。そのあまりにも急な出来事は、文雄がこういうのも仕方のない出来事だ。

 

 校内にパラサイトが侵入。手口は、業者に憑りついて洗脳し、紛れ込んだとのこと。鋭敏に察知したメンバーが元会頭・元会長ら権力者の力を借りて戦闘に当たるが逃げられた。憑りつかれていたのは、USNA人らしき女性で、最近この業者に入ったとのこと。様子から察するに、リーナの知り合い。

 

『USNAでパラサイト事件が発生して、その憑りつかれた一部が日本にやってきた……ということか』

 

「そういうことになるわなー。なんだか、だんだんと見えてきたぞ、希望が」

 

 将輝の推測に、文也が同調する。その目には、安堵の希望の光が大きく混ざっている。

 

 USNAが大量に日本に人を派遣してきている。身に覚えがありすぎるので自分を消しに来たかと思ったが、何も動きはないし、さらには何やらUSNAから吸血鬼が来ているらしい。

 

 これらの情報を総合すると、USNAの人員派遣の目的は、「自国から脱走したパラサイトの秘密捕獲・処分」であると考えがつく。秘密にしているのは、国のメンツもあるのだろう。異形の捕獲・処分となれば戦闘も必須であり、送り込んでくる中には戦闘要員が相当数いる。秘密で他国に戦闘要員を送っているということであり、余計に秘密にしなければならない。

 

「とまあ、こんなところだろ」

 

 文也はそう考えを披露する。つまり、文也を消しに来たと言うのは、ただの被害妄想、杞憂だった。

 

『まあ、そういうことになるんだろうね。よかったよかった』

 

 画面の向こうで、文也と同じく安心したような笑顔を浮かべて、真紅郎が同調する。どこにも論理的な欠陥がなく、学者肌の真紅郎は、完全にそれに納得して、安堵している。

 

「「『『…………』』」」

 

 一方、文雄と将輝、あずさと駿は、どこか腑に落ちなさそうな顔だ。確かに論理的な欠陥はない。どう考えても、それで正しい。

 

 それなのに、この四人は、どうにも不安が収まらなかった。空気を悪くするため否定を口にはしないが、賛同する気にはなれない。

 

 実際、この四人の不安のほうが、正しい。文也と真紅郎の推測に間違いはないが、目的はパラサイトの処理だけではない。戦略級魔法師の調査と文也の処理も、今は優先度が下がっているだけで、近いうちに実行される手はずになっている。

 

 あずさと駿は危機察知本能から、将輝と文雄は「武人」特有のきな臭さを感じる嗅覚から、正しい不安を抱き続けていた。




記憶が確かならば、この回の途中で長いこと筆が進んでいなかったので、文の雰囲気が変わったように感じるかもしれません


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5-6

「…………」

 

 パラサイトが一高内に侵入してきた翌日、リーナは学校をズル休みし、忙しい一日を送っていた。

 

 査問会ではオッサンたちにネチネチと嫌味を言われ、ヴァージニア・バランスが日本にしばらく駐在することを聞かされ、『ブリオネイク』の使用が決定し、シルヴィアが本国に帰ることになった。

 

 そうしたゴタゴタが終わった日の夜、リーナはベッドに突っ伏し、ぼんやりと考え事に耽っていた。

 

 仲間と協力してもなお高校生であるはずの達也に負け、1対1でも深雪に負けに近い引き分けを食らった。身近にいたパラサイトに気づかず一高内で達也たちを巻き込んだ戦闘になって、しかもパラサイトを逃した。

 

 これだけでも散々だったが、パラサイトを逃がしてしまった後に、さらに追い打ちがかかる。

 

「イノセ、フミヤっ……」

 

 戦闘中に連絡をして「仲間」を集めて脱出を図っていたが、まるで見計らったかのように文也がそこに現れ、一切戦闘に参加していないくせに、情報を抜き出してきた。今USNAにとって最大の敵はパラサイトで、その次が文也だ。そんな彼に、リーナはなすすべなく情報を抜き取られた。

 

 パラサイト事件がUSNAでも起きていること、日本にいるパラサイトはUSNAから流れてきたこと。ここまではまだ知られても良い。

 

 そこから文也の追及は、リーナの立ち位置にまで及んだ。

 

『ほーん、で、シールズはそれに関係してんの?』

 

 パラサイト事件にはUSNAが大きくかかわっている。それがわかれば、彼の追及がリーナに向くのは当然だった。

 

『ワタシは無関係よ。交換留学とパラサイトの出現が重なったのは偶然ね』

 

『へー、それなのに、お前さんの戦闘能力はピカイチで、この隠蔽されてる戦闘にも参加してるのか。面白い偶然だな』

 

『今回入っていた業者に、知り合いがいたから会おうとしただけよ』

 

『で、それがアメリカから流れてきたパラサイトに憑りつかれてたってことか。つまり、お前の仲間がパラサイトだった、と』

 

『何よ!? ワタシがパラサイトの仲間だって言うの!?』

 

『いやいや、そうは言いませんとも。いやはや、お友達だと思っていたのがバケモノだったなんて、お可哀想ですこと』

 

 文也との会話は、ほぼ全部あちらの主導で進んでしまった。うっかりと隠していた情報をいくつか口走ってしまったのも屈辱だし、終わった後の「こいつセンスないな」と言わんばかりの達也と深雪の生暖かい目も屈辱だった。

 

『なるほどねえ、で、アメリカは今回の件について、何か対応してるのか?』

 

『知らないわ。さっき言った通り、ワタシは無関係だもの』

 

『そうかいそうかい。なるほどねえ。でも、危険な存在がアメリカの不手際でこっちに来て、それが秘密にされてるって、そいつはまた筋が通ってないよなあ。本人は無関係と言っているけど、その実戦闘力は高い。いやー、これを世間の人やマスコミはどう思うかなあ。知り合いに相談してみようかあ。例えば、アメリカがパラサイト処分のために日本に無断でこっそり戦闘員を送り込んできた、とか思っちゃうかもなあ』

 

 リーナの嘘は、文也に見破られていた。あちらにもリーナが関係者であると断定できる証拠はないが、そう推測するには十分な状況だ。だからそれをマスコミに流すと、文也は脅してきたのだ。

 

 これに対するリーナの対応は、及第点だと彼女自身は冷静に自覚している。

 

 文也の脅しには屈せず、リーナは帰ってから即座に本国に今回の経緯を連絡し、文也ら一高生の一部に、USNAが戦闘員を送り込んでいると推測されてしまったことを報告した。本国の反応も素早く、多分にUSNA軍に濡れ衣を着せる形になったが、「こっそり他国に戦闘員を送り込んでいた」という戦争にもつながりかねない事実を握りつぶすことができた。本国の外交と諜報、情報操作には頭が下がる思いである。

 

 ――つい先ほど、日本にあるニュースが届いた。

 

 朝鮮半島南部で使用された日本の秘密兵器に対抗するべく、USNA軍は対抗手段の開発を命じられた。科学者たちの制止を振り切り、魔法師たちはマイクロブラックホール生成実験を強行し、意図的に次元の壁に穴をあけ、異次元世界からデーモンを呼び出した。そのデーモンを使役しようとしたのである。しかし調伏に失敗し、デーモンはUSNA軍の兵士を含む魔法師に憑りつき、アメリカ各地で暴れ、日本にも流れて同様の被害を起こしている。日本とUSNAは秘密裏に交渉をして、USNAが責任を持って戦闘員を派遣し、世間にパニックが起きないように裏で対処を進めていたが、上手くいかずに被害が拡大し、ついに注意喚起の意味も込めて公表に踏み切った。同時期に両国間で近年まれにみる友和的な大規模交換留学が実施されているが、こちらは特に関係がない。

 

 ニュースの要旨はこのような感じだ。魔法師排斥の色が強く、USNA軍の魔法師に理不尽な濡れ衣が押し付けられているが、それよりも大きな問題――戦闘員を他国に無断で送っていた点と、留学生が多分に陰謀を目的としている点――を誤魔化すことに成功している。かなり重いが、これぐらいの濡れ衣は被っても良い。

 

 そういうわけで、文也のマスコミリークと世間への暴露に先行して、両国のトップクラスが協力していたという体の、世間の信用度が高い形で偽の情報を拡散することに成功した。リーナがUSNA関係者であるとはほぼバレているだろうが、確信するほどの証拠はない。脅しに屈して戦闘員であることを告白するよりも、国家と言う大きなバックの力でその脅しを無効化してしまえばよいのである。

 

「はあ……」

 

 改めて、自分がこうした知恵比べでは弱いことを実感してしまう。異常とは言えどもたかが高校生に、軍人として一応ある程度の訓練を積んでいるはずの自分が負けた。もともとこの分野での才能がなく成績も下位だった彼女は、改めて「自分には向いていない」と自覚する。

 

 そうした弱気が漏れ出てくるのを誤魔化すように、リーナはゆっくりと意識を手放して眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 表の仕事で横浜に出張していた黒羽貢は、当主である四葉真夜からの電話を切ってから、テレビを見てため息を吐く。

 

 電話の内容は以下の通りだ。

 

 以前から進めてもらっていたパラサイトの宿主の特定は済んでいるか。これに関してはギリギリ済んでおり、色の良い返事ができた。

 

 次の要件が、それらの抹殺依頼だ。パラサイトには逃げられてしまうが、そのプロセスや限界を観察するのが目的だという。

 

 そしてそれに続いて言われたのが、井瀬文也についての確認だ。

 

 現在、そこまで積極的ではないにしろ、文也には黒羽家の手下による監視をつけている。文也サイドには不審な動きが多く、日夜家に籠って様々な準備をしていて、さらに夜の出歩きが極端に減った。明らかに、何かを警戒している。それは、USNA軍の襲撃に備えてのもので、黒羽家の監視や四葉から狙われていることについては全く気付いていない。

 

 そうした監視の成果を報告したのだが、そのあと、真夜からは、貢でも思わずゾッとするようなことを聞かされた。

 

 USNA軍は日本政府に黙って、パラサイトの処分・文也の処分・戦略級魔法師の調査のために、スパイや軍人を送り込んできている。表沙汰になれば戦争にも発展しかねないが、つい昨日の昼、ついに、文也にそのことがほぼバレた。文也サイドがそれをマスコミにリークして大問題にしようと動いていた。

 

 こうした動きを受けて、真夜は日本政府と国防軍に働きかけ、「USNAとは最初からそういう交渉をしていたことにする」ようにした。政治家や官僚たちは四葉を恐れるし、国防軍は最強の戦略級魔法師を「借りて」いるという恩から逆らえない。USNAの外交部や諜報部が拍子抜けしてついでに腰を抜かすほどに秘密交渉は上手くいき、文也のスキャンダル作戦は潰された。

 

『達也さんもまだまだよねえ』

 

 報告の最後に付け加えられたこのちょっとした言葉に、貢は心底達也に同情した。

 

 達也も、四葉の人間として、文也が死ぬように動くことが、または最低でも邪魔しないことが求められている。それでも友人がやられたということもあって吸血鬼事件には関わりたいらしく、USNA軍に協力するという形でかかわることにしていた。敵(文也)の敵(USNA軍)は仲間、という形にしたかったのだろうが、それはあいにく上手くいっていない。

 

 そうした動きを、真夜も貢も当然知っている。その上手くいっていない達也に対し、真夜はスマートかつ完璧に「敵の敵は仲間」を成功して見せた。達也本人はこの両国の動きにどれほど四葉が関わっているかは分からないだろうが、少なくとも関わっていることは察しているだろう。真夜は、達也に格の違いを見せつけたのだ。

 

(達也君もかなり賢いけど、こと陰謀となるとまだ当主様には及びませんね)

 

 貢は内心でそう思いながら、高級ソファの座り心地を堪能しつつ、真夜から送られた計画書に目を通し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日付は飛び、バレンタインデーの前日。やはり年頃の男女と言うものは、この手のイベントには敏感だった。海外では男女で送りあうものらしいが、日本では、時代が進んでもなお、女性が送る日である。男尊女卑が……男女差別が……という言説は当然この時代でも飛び交ってはいるが、女性は自分の思うままに先行して好き勝手に渡してよいのに対し、ホワイトデーの男性は「お返し」であるがゆえに「適切な」お返しを強いられるということもあり、ある意味平等なのではないかとあっさりと受け止められて、引き継がれているのだ。

 

 さて、まずは、日本魔法師界のトップである十師族、その中でも四葉家と並んで主導権を握っている屈指の名家・七草家の事情を見てみよう。

 

「……魔法師じゃない……これは、魔女…………」

 

 そのキッチンには、一人の魔女が君臨していた。

 

 七草の双子の片割れである泉美は、キッチンでチョコレ………チョコレート? らしきものを作っている姉の後姿を見て、クラスメイトに送る義理チョコ(男子には送らない。全部同性への友チョコだ)を作る手を止めて戦慄する。

 

 真由美は、本人曰く、チョコレートを作っている。一応見た目も、チョコレートに見える。

 

 しかしながらその材料は、およそ人に食べさせることを目的としているとは思えなかった。生物が最も忌み嫌う味に特化された劇物で、対象の精神をズタズタにする実験のために悪い魔女が作っているとしか思えない、チョコレートの皮を被った「ナニカ」だ。

 

 真由美は最近、吸血鬼事件にかかり切りで、すっかりストレスをため込んでいる。その仕事中に苛立ちや不満を表に出して徒に士気や雰囲気を悪くするような真似はしないが、その我慢を強いられているからこそ、余計に発散できる場では酷いことになっている。真由美が自室で妙な踊りを踊っていたり、ジャンクフードをバカ食いしてたりするのを、泉美は時折ドアの隙間から目撃してしまっていたから、それがよくわかる。最近はさらに吸血鬼事件が忙しくなってきているようで、吸血鬼の活動周期・場所が変わったなどの理由で今までのヒントがあまり役に立たず、また振出しに戻ってしまったらしい。ついには、リーダーであり失ってはいけないはずの真由美や克人すら、しかも単身で、真夜中のパトロールに駆り出される始末だ。確かにそんじょそこいらのプロ魔法師よりは頼りになるが、やりすぎと言うものである。ちなみに、ヤンチャ気味な香澄は、しばしばそれについていきたがっているというのは余談だ。

 

 ――そうした思考の流れで双子の片割れ・香澄を思い出した泉美は精神衛生の為にも、真由美から目をそらし、香澄がチョコレートを作っている様子に目を向ける。

 

 頬は興奮に紅潮し、口元は頭に浮かぶ妄想に緩んだかと思えば、相手のことを想って真剣に引き締まる。潤んだ瞳はレシピと手元とチョコレートを何度も往復し、食べてくれる想い人が「美味しい」と喜んでくれるように気を緩めない。真由美とは正反対の、あまりにも「甘い」空気だ。

 

「香澄ちゃん、ちょっとこっちの材料分けてあげようか?」

 

「いくらお姉ちゃんでも姉妹の縁切るよ?」

 

 相当テンションがブチアガッている真由美の悪ふざけに、恋に真剣な香澄は、まるでゴミを見るような眼でにらむ。その真剣さ、一途さは、魔女と化した真由美を、正常な真由美に一瞬引き戻すほどの想いの健気さを放っていた。

 

(まだ相手のこと、何も分かっていないのに)

 

 香澄が作るチョコレートは、あの夏の夕方に助けてくれた「王子様」に送るためのものだ。その王子様の素性は、助けてくれた恩人にお礼をしたいという当主の意向もあって七草家が多少力を入れて調査しているにもかかわらず、あまりにも目撃情報がないものだから、全く分かっていない。つまり香澄は、誰とも知れぬ想い人のために、チョコレートを作っているのだ。

 

 しかもこれだけにとどまらず、それ以外の面でも、まだ見ぬ「王子様」のために、香澄は行動を改めている。性にも奔放な性格で、その可憐な見た目を活かして同級生を筆頭とした複数の哀れな男子と「オトモダチ」関係――要は恋人未満に留めているが手放さないようにする「キープ君」――を続けていたのだが、それらをすべてきっぱりと断ち切っている。いつ現れるかわからない「王子様」に操をささげると言わんばかりだ。

 

 そんな彼女の想いがつまったチョコレートは、その「王子様」に届くことなく、悪くなってゴミとなるか、諦めた香澄自身の胃の中に納まるだろう。

 

 泉美はそう冷淡に思う。その一方で、姉妹として、同じ年ごろの乙女として――その想いが、届いてほしいとも願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也ら男連中の期待を背負って、あずさと文也の母・貴代(たかよ)はチョコレートを作るべくキッチンに立っていた。

 

 その身長差は、あまりにも残酷だ。あずさは小さく、貴代は大男である文雄と並んでもそこまで身長差を感じないほどの長身だ。横に並ぶとその差は歴然である。いわんや、あずさより小さい文也と貴代の母子身長差をや。なぜ遺伝をしなかったのだろうか。

 

「こうしてあずさちゃんとチョコレートを作るのも久しぶりねえ」

 

「そ、そうですね……」

 

 引っ越しで距離が離れる前、あずさが小学校三年生になったあたりから、バレンタインになると、いつもこうして二人でチョコレートを作っていた。あずさは文也に、貴代は文雄に、それぞれ決して凝ってはいないが、一応手作りのものを毎年渡していたのである。そのころからこの身長差にしばしば思うところがあったあずさだが、今もそれは健在で、なぜだか身長差が全く縮まっている気がしない事実に悲しみを覚えながら、調理の準備をする。あずさだって少しは身長が伸びているはずなのだが、世の中は不平等なことに、貴代の身長も、年齢に反して少し伸びたのだ。

 

 ただし今年であのころと違うのは、あげる対象が増えたということだ。連日連夜文也のために協力してくれている親友たちの為にも、二人はチョコレートを作ることにした。

 

「……今年もそれ、やるんですか?」

 

「当然じゃないの」

 

 あずさは、平凡な自分の準備を進めながら、異様な貴代の準備を見て、思わず苦笑する。こちらが材料と調理器具を並べているのに対し、貴代が準備しているのは、背負った武骨な箱から伸びる多数のロボットアームだ。

 

 貴代もまた、文雄と結婚しただけあって、非常識の塊のような女性だ。生まれたころから機械を愛し、物心ついたころから自作機械を何度も作った。その腕は超一流で、中・高・大と毎年参加したロボットコンテスト、ロボットバトルカップなどの大会で無敗である。非魔法師なのに文雄と出会ったのは、大学生の時のロボットバトルコンテストの決勝だった。ちなみに貴代が圧勝し、その判定の点差は33-4であったのは余談である。

 

 そんな彼女は、このイカも卒倒しそうな多腕の機械を操作して、「手作りチョコ」を作ろうというのである。この機械は、チョコレートを美味しく作るための機械だ。

 

 機械で作るのに手作りチョコレート? そう思うだろう。あずさも最初は思った。

 

 しかし、彼女は普通ではない。この機械は、なんと毎年毎年、イチから彼女が作り直している、いわば「手作りの機械」だ。

 

『丹精込めて、腕によりをかけて一生懸命作った手作りの機械で作るチョコレート。まさしく手作りよ!』

 

 幼いあずさは、これを聞いてすべてを諦めた。

 

 そして今も諦めているあずさは、気色悪い動きをするロボットアームから目をそらして、自分の準備に取り掛かる。すると逆に、貴代の方から声をかけてきた。

 

「あら? あずさちゃん、それでいいの?」

 

 貴代が指さすのは、あずさが五つ並べたチョコレートの型だ。どれもシンプルな星型である。

 

「え、そうですけど?」

 

 あずさはなぜそんなことを聞かれたのか、意味が分からなかった。

 

 まさか数が足りないのだろうかと、あずさは小さく細い指を折りながら数えなおす。

 

 文也、文雄、駿、将輝、真紅郎。きっちり五人分だ。

 

「んー、いや、そういうことじゃなくてね? ほら、あのバカ息子には特別な何か……みたいなのはなくていいの?」

 

 貴代の目から見て、多少の贔屓目はあるにしても、あずさは「そういうこと」をするだけの何かしらの想いを秘めているように見える。これで刺激されて、初心なあずさは顔を真っ赤にして方針転嫁するだろう。

 

 そんな貴代の予想とは裏腹に、あずさの反応は、えらくあっさりしたものだった。

 

「え? なんでふみくんだけ特別に?」

 

 なんで弟にあげるチョコを特別仕様にするんですか?

 

 と言わんばかりに不思議そうに小首をかしげるしぐさは、あまりにも愛くるしく可愛らしかった。

 

 しかし貴代はそれに目を奪われず、苦笑して「何でもない」と誤魔化しながら、内心で呆れかえったため息を吐く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あ、この子、マジで全く自覚ないんだ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バレンタインの前日、乙女の一人であるリーナもまた、異国での恋を成就すべく、チョコレートづくりに励んでいた……わけではなかった。

 

「ご苦労様です、ネイサン・カストル少尉」

 

「光栄であります」

 

 リーナは総隊長アンジー・シリウスとして凛と構えながら、細身で長身の男性をねぎらう。その姿は金髪碧眼の美少女ではなく、『仮装行列(パレード)』で偽装した、赤髪の鬼のような姿だ。USNA軍のほとんどが見るアンジー・シリウスとはこの姿であり、素のリーナがその正体であることを知っているのは、軍内でもごく一部だ。それに対して男性――ネイサンは、顔を引き締めてベテランかと見紛うような立派な敬礼をした。

 

 ネイサン・カストル。ネイティブアメリカン系の青年で、性格は真面目一徹。愛国心も向上心も高く、その魔法戦闘力で新兵にしてスターズの二等星級にまで上り詰めた若き戦士だ。本当はもっと早くに来る予定だったのだが、本国でも起きていた吸血鬼事件の対応に駆り出されて、こうして日本に来るのが遅れてしまった。

 

 バレンタイン前日と言えど、リーナは浮かれていられない。この真面目一徹な期待のルーキーに、外国での魔法師暗殺という難しい任務の引継ぎをしなければならない。

 

「まず今後の計画に関してですが、すでに仔細は聞いていますね?」

 

「は! 日本時間明後日の夜間に、タイミングを見計らって二面攻撃を仕掛けます!」

 

「いかにも。ワタシはシバタツヤを、貴官はイノセフミヤを、それぞれ相手します」

 

「シリウス大佐が司波達也の抹殺、私がイノセフミヤの対応であります」

 

「では、その対応の優先順位は?」

 

「交渉、捕縛、抹殺の順であります」

 

「その通りです」

 

 リーナの後任である彼に与えられた任務は、リーナと変わらない。交渉、捕縛の段階にそこまで期待されていないのも同じで、実質的に「抹殺」が目的だ。

 

 この二面作戦は、こちら側の戦力を分散させてしまうという点では危険だが、一方で日本の国防軍や警察が二つ同時に対応することにもなる。どちらか片方でも成功すればよい、ということだ。少し消極的過ぎるが、少しでも懸念事項を減らしたい今ではそれがベストと判断された。それに奇襲なのだから人員はそこまで必要なく、戦力分散のリスクは薄い。

 

 作戦決行日の明後日は、USNAにとってはこれ以上ない日だ。達也は日が落ちて人目がつかなくなったタイミングで深雪と離れ、文也もどうやら最近警戒が緩んできてるらしく、当初は警戒して渋っていたが、その日に計画されていた部活のちょっとしたパーティに参加するらしい。「あの」ゲーム研究部のパーティともなれば生徒会長や風紀委員の立場がある取り巻きの二人も同行することはない。完璧なタイミングだ。

 

(よく考えられた作戦。こっちにはブリオネイクもある。これなら……)

 

 リーナは心の中で頷く。これならば、あの達也も文也も抹殺することができるという自信がある。

 

 リーナは心の底の方に巣食う不安を、そうやって押しつぶした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 国立魔法大学付属第一高校。魔法師と言う社会的に難しい立場にいて同年代の中ではスレた生徒が多いが、それでもやはり年頃の高校生たち。彼ら・彼女らが集うこの場では、多くの感情が入り乱れている。

 

 その感情の原因は様々だが、この一高では、今年度入ってきた三人の新入生が、特に子供たちの感情を動かしている。

 

 一人は司波深雪。容姿端麗、成績優秀、成績で測れない部分も優秀、才色兼備でお淑やか。あとだいぶ怒りっぽくてブラコンで、ついでに言うとコスプレがとんでもなく怖い。

 

 もう一人が司波達也。「おちこぼれ」の二科生で実技の成績も実際悪いが、ペーパーテストはいつも一位、魔法戦闘力も高く、魔法の知識が豊富でCADの扱いにも優れる。身体能力も抜群で、元生徒会長の真由美らを筆頭に、人気者たちのお気に入り。あとついでに言うと重度のシスコン。最近はどこか疲れているのか、しばしば目が死んでいる。

 

 そして最後の一人が、井瀬文也。実技二位、理論二位。ここまで見ると優等生だが、とんでもないヤンチャ者。見た目通りのクソガキで、校則違反の常連。校則を破ってCADを所持し、他者に魔法で悪戯をしかけるのに躊躇がない。悪名高きゲーム研究部の、いろんな意味での大型ルーキー。横浜事変での多くの生徒の命を救った英雄でもあるが、日常の評判は最悪。

 

 この三人は何かと話題にされがちだが、中でも一番話題にされるのが文也だ。主に悪い方向で。司波兄妹はどこかイジりにくいが、文也の場合は大多数が「あのクソガキなら別にいいだろう」ぐらいの感じで、気軽に話題にする。それゆえに生徒間での感情の共鳴も多発する。

 

 その感情の共鳴を、一高内に潜んでいた「それ」は受け続けた。

 

「それ」は、感情の波、プシオンを生命の糧とする。

 

 意志を持たない未熟な「それ」は、共鳴し、共通化した生徒たちの感情を、少しずつ吸収していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バレンタインデー当日の朝、あずさは作ったチョコレートを、学校に行くついでに文也、駿、文雄に渡した。今日に届くよう昨日の夜には将輝と真紅郎にもクール便で送ってある。受け渡しの時に照れたりとかためらったりとかそういった可愛らしいイベントはなく、実にあっさりしたものだ。

 

 さて、では、ここではそのほかバレンタインデー当日に起きたことを、他にいくつか紹介しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあまあ見た目が良く、成績が優秀で運動能力も高く、また若干行き過ぎている面もあるが誇り高き駿は、中学生のころから結構モテる。今年もまた、片手の指では収まらない程度には本命らしきチョコレートを貰ったが、一方で例年とは違う傾向も見られた。

 

「お、なんだ、結構モテてんじゃん」

 

「誰のせいだと思ってるクソガキ」

 

 昼休みの食堂、紙袋たっぷりに入っている味気ない包装のチョコレートの山を見た文也は開口一番揶揄するが、駿はそれに対していつになく辛辣に罵倒を浴びせる。

 

「こんな大量に貰ってどうすんだ!? これお前のせいだぞ!?」

 

「あっはっはっはっ! 昨日ジョークで言ってたことが本当になったな?」

 

 あずさと貴代がチョコレートを作っていた間、実は二人でこんな会話が交わされていた。

 

『お前結構モテんだろ? 今年もガッポガッポか?』

 

『さあな。お前のせいで何かと苦労してるから、そのねぎらいの一つや二つはくれたりしないものかと思うよ』

 

 冗談のつもりだった駿の言葉は、想定をはるかに超えるレベルで実現した。

 

 風紀委員の女子たち、女性教員、ゲーム研究部の隣に部室を構える映画研究部女子一同、同じクラスの女子、その他もろもろ……彼女らから貰った大量の素気ないチョコは、恋愛感情こそないが、まぎれもない感謝とねぎらいの気持ちがこもっている。

 

 彼女らの共通点――それは、文也に困らされているということだ。そしてこの一年弱で、駿が文也の悪行を止めた回数は数えきれないほどある。それによって救われた彼女たちは、駿に感謝とねぎらい、それと隠しきれない憐みを抱いていたのである。この大量のチョコレートは、まさしく義理チョコなのだ。

 

「そんだけあるんだったら貰ってやるよ」

 

「お前のせいでこうなったんだ。お前に利益が出るんだったら意地でも渡さん。まだ司波にでも渡す方がマシだ」

 

「お、ホモチョコか?」

 

「殺すぞ」

 

 文也の言葉に、駿は殺気を強める。今この瞬間は、間違いなく、USNA軍よりも彼のほうが文也に対する殺意が上回っていた。

 

 

 

 

 

 ――ちなみにこの会話は、たまたま不幸にも食堂で昼食を取っていた達也の地獄耳にも入り、思わずホモチョコを渡される自分を想像してしまった彼は、静かに箸を置いて、妹に心配されないよう吐き気をこらえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「世の中そんなに甘くないぜ☆ ドキドキロシアンルーレットターイム☆」

 

 放課後、ゲーム研究部では、地獄の祭りが開催されていた。

 

 女子へのわいせつ行為・セクハラ行為においては被検挙数一位の生徒が、この部にはいる。一年二科生の「女子」であり、ゲーム研究部の紅一点だ。ハロウィンの仮装でエリカに顔面をジャガイモみたいにされたのは大変記憶に新しい。

 

 紅一点で見た目も悪くない彼女は、ゲーム研究部の男連中から、当然この日を期待されていた。彼らは基本的にモテない。それどころか白眼視されている。貰うのはチョコレートではなく、罵倒と白い目線。それをご褒美だと喜ぶヤバイのもいるが、大勢はやはり義理チョコすらもらえないことを心底悔しがっている。だが、せめて同じ部活の女子からなら、義理チョコくらい――と下心全開で、今日ここに集まってきた。もう引退しているはずなのに、博ら三年生も集っている。

 

 しかしこの部で紅一点、しかも文也に並ぶエースとして活動してきた彼女が、普通にチョコレートを渡すか。

 

 否、当然、余計なことを考えてきた。

 

「ルール説めーい! ここには人数分の見た目は普通のチョコレートがありまーす! この中のほぼ全ては激辛! 一つだけ辛くありませーん! 以上☆」

 

「逆ロシアンルーレットじゃねえか!!!」

 

 思わず一人の部員が突っ込む。ロシアンルーレットとは、一つだけハズレなのだ。一つだけ当たりでほかは激辛など、あってよいはずがない。

 

 しかしそもそも、この部活自体が本来なら悪行続きでとっくに廃部になっているはずである。あってよいはずがない部活で行われることもまたあってよいはずがないのは、ある種の道理である。きっとそうなのだ。きっと。

 

「ほら、さっさと食えよ☆ グヘヘヘヘヘ」

 

(((キモイ)))

 

 こんな奴が作ったもの、それも激辛のものを食べるなんて、気が触れている。全員、冷静にそう考えた。

 

 しかし、それでも、男には引けない時がある。

 

 一つ。大切なものを守るため。二つ。自分の誇りを守るため。そして三つ――祭りとノリに乗るためだ。

 

「よっしゃあいくぜ!」

 

 二年生の二科生の一人が、果敢に先陣を切る。彼は博の跡を継いだ新部長。ボスらしい思い切りの良さは、仲間たちを次々と奮い立たせ――

 

「み、みじゅうううううううううう!!!!!」

 

「んほおおおおおおおおおおおくちこわれりゅううううううううう!!!」

 

「ママー!!!!!!」

 

「」

 

「明日の尻が心配だぜ……」

 

 ――次々と地獄の釜へと飛び込ませた。ある者は叫び、ある者は走り回り、ある者は幼児退行し、ある者は明日への悟りを開き、文也は気絶してリアクションすら取れない。

 

 そんな地獄の中で、一人の勇者が、ついに特別なチョコレートを引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし彼が――幸運だとは、誰も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オエエエエエエエエエエ」

 

 三年生の一人が、周りが真っ赤になる中、一人真っ青にして、床に激しく嘔吐する。これは辛い物を食べたときの反応ではない。もっとおぞましいナニカを口に入れたときの、身体の本能が全力で拒否反応を起こしているときのものだ。

 

「あっはっはっ! センパイあったりー! どうよ、特性ウルトラスーパー激渋チョコのお味は?」

 

「最悪だわ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほぼ全てが激辛で、一つだけ辛くない。

 

 彼女は嘘をついていない。そう――辛くないとは言ったが、美味しいとは言っていないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、これは一体何が……」

 

 達也は校内で、殺害事件の第一発見者になった。

 

 暗い笑みを浮かべる美少女、その目の前には、突っ伏して息をしていない二人の男。凄惨な殺人事件が、今まさに起きている――錯覚を覚えた。

 

「先輩、これは?」

 

「あら、達也君。ちょうどよかった♪ はい、バレンタインチョコよ♪」

 

「救急車を呼ぶ必要がありそうなんですが……」

 

 達也は悪魔の笑みを浮かべる美少女・真由美から、鍛え上げられた危機回避本能が全力で警告を発しているブツを受けとりながら、倒れ伏している文也と範蔵の脈を確認する。鬼でも見たかのように苦悶と恐怖の極致のような顔をして気絶してはいるが、幸い脈も呼吸もある。命に別状はないようだ。

 

「なーに、死ぬようなものは食べさせてないわよ」

 

 真由美は、その小さな体のどこにこれほどのものが、と力自慢の達也に思わせるほどの握力で手首をつかみ、二人から引き離す。かろうじて意識が戻ったらしい二人が何やら口をパクパクさせているが、真由美に背中を踏まれてまた気絶した。

 

(シ、バ、ニ、ゲ、ロ)

 

 達也は二人の警告を読唇術で読み取っていた。

 

 厚意に従い、無言でその場を離れようとする達也。視界の端にチョコレートらしきものを持っている里美スバルの姿が見えるが、気にしていられない。

 

 しかし、その目の前に、悪魔が立ちはだかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は や く め し あ が れ ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也は一口味わった後、あまりの苦さに、『分解』の魔法式を構築することすらできず、全部食べるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真由美に呼び出された範蔵は、義理だと分かってはいても、憧れの先輩からチョコレートを貰える喜びに満ち溢れていた。家に帰ってから、仏壇に飾ったのちにゆっくり味わおうと思ったのだが、真由美からこの場で食べるようにせがまれ、開封する。どんな味でも、自分の語彙の限り最上の言葉で褒めたたえよう。そう心に決めた範蔵の視界に、横から小さな手が現れる。

 

「お、なんだ意外といい関係なんじゃん! 俺にも一口寄越せよ! あむ」

 

「あ、こら、井瀬! まったく……あむ」

 

 意地汚いクソガキのつまみ食いを諫めながら、範蔵は文也とほぼ同時にチョコレートを口にいれ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――次に彼の意識が戻ったのは、夕日が差し込むころだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広くて天井が高い演習室に設けられた迷路。その中を、駿は、文字通り疾走していた。

 

 本能と、方向感覚と言う論理を駆使して、まだ見えないゴールへとコンマ1秒でも早くたどり着く。その目標だけが、今の彼を動かしていた。

 

 しかしそんな彼の視界の端に、いきなり三つの銃座が現れ、ペイント弾を目にもとまらぬ速さで連射しだす。

 

 それに対して駿は、銃座が視界の端に入る前から、わずかな空気の動きと音、そして本能を頼りに、すでに反応していた。

 

 ペイント弾が飛び出す前に、その銃口には空気で蓋がされる。行き先を失ったペイント弾は、銃の中で詰まり、機能を停止した。

 

 そんな安心もつかの間、まるで安心したところを狙っていたかのようなタイミングで頭上からはボールが落ちてきて、足元には大量のパチンコ玉が放たれて動きを制限してくる。

 

 駿は、頭上のボールを最低限の動きで避けたのち、大量のパチンコ玉の上にジャンプして乗った。普通なら、そのまま滑って転ぶ。

 

 しかし駿は、滑りはしたが、転ぶことはない。むしろ滑ることによって加速し、移動速度が飛躍的に上昇した。移動系魔法と加速系魔法を組み合わせた魔法だ。

 

 より速く動き出した駿に、次々と妨害するトラップが牙をむく。それらを、駿は、視界に入る前から感知して、すべてを最小限の魔法で無効化し、自らの身を一切傷つけることなく、ゴールにたどり着いた。

 

「……まあこんなものか」

 

 あれだけ動いて、駿の息は少しも乱れていない。彼が確認した自分のタイムは、自己ベストではないが、悪くはないタイムだ。

 

「お疲れ。最近はこれまたずいぶん気合が入ってるな」

 

「お疲れ様です。ちょっと、思うところがありまして」

 

 そんな彼に声をかけたのは、ゴール前で休憩していた二年生の新部長だ。暑苦しい意味で体育会系の色が強いこの部活にしては珍しく、穏やかな性格の男子生徒である。

 

 その新部長は、駿が出したタイムを見て、思わず苦笑を浮かべる。駿本人は昨日更新した自己ベストに届いていなくて満足していないようだが、彼から見たら、手が届かないタイムだ。駿は一年生にして、引退した三年生も含めてこの部の誰よりも、圧倒的に高いスコアを出している。歴代スコアでも二位に大差をつけての一位であり、しかもここ一か月の駿の平均タイムは、これまた歴代二位を上回る。

 

 コンバット・シューティングは、魔法式構築速度と反応速度、そして運動神経が重要であり、魔法式の規模と干渉力はそこまで重要ではない。駿にとって、これ以上ないほど適性がある競技だ。

 

 九校戦の怪我があって以来、駿はこの競技に、周りが心配する程のめりこむようになった。しかし、タイムはそこまで伸びていなかった。だが、夏休みのある日を境に急に雰囲気が変わって憑き物が取れたかのようにリラックスするようになり、それが良い影響を与えて、タイムが飛躍的に伸びた。それから、警備隊として参加していた新部長にとっても嫌な思い出となった横浜事変を境にさらに集中力と実力が伸び、そして最近はさらに加速してきている。春休みに控えている大会では、最低でも上位入賞は間違いないほどに成長していた。

 

(さて、録画した映像でも見返してみるか)

 

 ありがたいことに設備が整っており、この部では、練習の一つ一つの映像を記録し、いつでも見返せるようになっている。実践と振り返りを繰り返して自分一人でも効率よく練習できるのは、願ってもいないことだ。準備室でコンピューターを起動し、部共通のパスワードを入力して、映像ソフトを起動する。

 

「あの、ちょっといいかな?」

 

 そしていざ見ようとしたタイミングで、駿は後ろから声をかけられた。

 

「ん? なんだ?」

 

 遠慮がちに声をかけてきたのは、操弾射撃部の活動中で、準備室に何やら用事があったらしい滝川だ。その表情はキリッとしているいつもと違って、どこか落ち着かない。

 

「えっと、その……これ、上げる」

 

「お、ありがとな」

 

 滝川から渡されたのは、可愛らしいラッピングがされたチョコレートだった。少し乱れている部分があるのを見るに、市販品ではなく、自分で包んだのだろう。

 

「その……横浜で助けてもらったし。それだけでお礼になるとは思えないけど……」

 

「ああ、それか。あれは当然のことをやったまでだから、別に気にしなくても良かったのに」

 

 目をそらして頬を掻きながらそういう滝川に、駿はそちらには目もむけずにチョコレートのラッピングを剥がし、中から一つ取り出して食べる。

 

「ん、美味いな」

 

「そう、よかった」

 

 形もこれまた少し崩れているところを見るに、なんと手作りだ。運動した後の体が甘いものを求めていたので、今の駿にはちょうど良かった。大量のチョコレートがロッカーにしまってあるが、そこまで取りに行くのは面倒だと思っていたところだ。

 

「それじゃ、部活頑張ってね」

 

「おう、お前もな」

 

 それからすぐに、滝川はその場を離れ、そそくさと準備室を後にする。

 

(あいつにしてはやたらと緊張してたな)

 

 その背中を見送ると、駿はもう一口チョコレートを食べてから、改めて映像を見ようと、コンピューターに再び体を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ブラックコーヒーが飲みたい気分だあ」

 

 そんな二人の様子を、準備室の隅っこで邪魔にならないように黙って作業していた五十嵐は見て、小さくつぶやいた。

 

 ちなみに、彼が望むレベルの何百倍もの苦みを文也と範蔵が味わったのは、ほぼ同時刻であることを追記しておこう。



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5-7

 2月15日。バレンタインデーの翌日は、またいつもの代わり映えしないスクールライフ……とはならなかった。

 

 それは、一高である事件が起きていたのもそうであるが、文也個人の事情もある。

 

「死ぬ……死ぬ……」

 

 朝から、文也は絶望的に体調が悪かった。熱があるわけではないし、咳も出ていないし、鼻水が出ているわけでもなければ、頭痛や関節痛がするわけではないし、吐き気も全くない。食事自体はすんなり喉を通る。だから、ここ数日は恒例となった三人での登校――文也の警護と遅刻防止だ――も、途中途中足止めをさせながらも果たした。

 

 そして学校についてから文也はすぐにここに駆け込み、辛い時間を送っていた。

 

 そこはトイレ。文也は今朝から、絶望的な下痢に見舞われていたのである。

 

「くそ、あの悪魔女二人め……」

 

 原因は二つ考えられる。まず絶対に原因であろうものが、昨日ゲーム研究部の女子から貰った激辛チョコレートだ。とんでもなく辛い物を食べた翌日に便の調子が悪くなるのは当たり前のことだ。

 

 そしてもう一つが、真由美から貰った激苦チョコレート。苦いを通り越して苦しいの領域にまで踏み込んだそれは、一応食べられるものだけで出来てはいるが、得体のしれない相乗効果を生み出して、この世に生まれてはいけないナニカと化した。先の激辛チョコレートの後にこれも食べてしまった文也がこうしてトイレに籠る羽目になるのは、もはや必然だった。ちなみにゲーム研究部の何人かは休んでいるし、範蔵も今トイレで格闘中である。

 

 携帯端末には、あずさから何件も着信が来ているし、電話も来ている。しかし文也はそれを無視することにした。応対するだけの余裕がない。今は、この苦痛との戦いしか考えることができないのだ。

 

 体中の毒物ができってようやく回復したのは、それから三十分も後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさに呼ばれた文也は、下を通して体中から排出された水分を補うべくスポーツドリンクを飲みながら、大遅刻して指示された通りメンテナンスルームに向かった。

 

 あずさからのメール曰く、人型美少女ロボットが何かとおかしいらしい。

 

 強制停止命令を受け付けず、何やら強いサイオン波を放って動き続けている。なにやらちょっと笑顔を浮かべる。

 

「吸血鬼の次は付喪神か。まあ今の俺にとっちゃその程度なんも怖くないがね」

 

 文也は飲み干したスポーツドリンクのボトルを通りすがりのゴミ箱に乱暴に投げ捨て――入らなくて床に転がったので拾いに行くというどうしょもない動作を挟みつつ――独り言を呟く。

 

 今の彼にとって一番怖いのは、USNA軍、次に真由美と女子部員のチョコレートだ。ちなみにその次は深雪である。それらに比べれば、付喪神なんて屁でもない。

 

(なんだか騒がしいな)

 

 メンテナンスルームだというのに、女の子の大声が聞こえ、ドタバタと何やら騒いでいる。雰囲気からして戦闘と言うわけではなさそうだ。

 

 文也はその騒いでいる女の子の声が誰のものなのか、少し考えて思い出す。それは、光井ほのかの声だ。

 

(あいつが騒ぐなんて珍しいな。まさか本当にお化けか?)

 

 文也はそんなことを考えながら、メンテナンスルームのドアを開ける。

 

「では、」

 

「ういーっす。どうしたなんか騒いで」

 

 達也が何かを話そうとしたところで、文也は意図せず遮る形で入る。その瞬間、部屋の中の全員の視線が、やや顔がげっそりしている文也に集中した。

 

 その視線には――人型ロボット・ピクシーのものも含まれている。

 

「で、何やってんだ?」

 

 突然の登場に全員が少し唖然とする中、文也は問いかける。

 

 そんな文也に対して返ってきたのは――顔面に勢いよくめり込む、冷たくてかたい拳だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「前が見えねぇ」

 

「ふ、ふみくん、大丈夫?」

 

『いきなりの非礼を失礼しました。クソガ……井瀬さん』

 

「オーケイオーケイ、スクラップの時間だ」

 

「二人ともおち……二人…………二人? …………二人とも落ち着け!」

 

 一瞬で剣呑なムードになった文也とピクシーの間に、達也が割り込む。ずいぶんと迷いがあるのは、彼にしては珍しいだろう。

 

 出会い頭に文也の顔面に拳を叩き込んだのは、自律して動くようになったピクシーだった。曰く、先日校内に侵入したパラサイトの欠片のようなものが憑りついて、自我を獲得したらしい。そしてその自我は、ほのかの達也に対する想いがベースになっているとのことだ。

 

「それで、なんで俺は殴られたわけ? 光井、お前そんなにあの引っ掛けを恨みに思ってたのか?」

 

「そ、そんなんじゃないです!」

 

 文也は痛む顔面をさすりながらほのかを睨むが、それに対してムキになった反論が返ってくる。ほのかとしても思うところがないわけでもないが、さすがに他の思念体に影響を及ぼすほどではない。そこまで器は小さくない……と自分を信じたいのである。

 

『私の自我のベースは、光井ほのかであることには変わりありません。ただ、この校内に数日潜伏している間に、クソガ……失礼、チビ……失礼、ジャリ……井瀬文也に対する怒りのような感情を吸収していました』

 

「ふみくん落ち着いて!」

 

 挟まれる怒涛の悪口に、文也はスクラップを決行しようとするが、あずさに腕を押さえられて仕方なく矛を収める。

 

「あははは、井瀬君は悪い噂しか聞かないし、司波君と司波さんに比べても噂に上がりやすいからね。そういう感情の波みたいなのが蔓延してても不思議じゃないかもね」

 

「つまり普段の行いが悪いってことよ、クソチ……失礼、井瀬君?」

 

 意外と毒舌な五十里の解釈に、文也のことを嫌っているエリカが面白がって乗っかる。文也はそれに怒ってエリカに攻撃しようとするが、顔面に特殊警棒を叩きつけられてダウンした。

 

「くそう、俺がなにしたって言うんだ……」

 

『「「「「「「「「「色々だよ(です)!!!!」」」」」」」」」』

 

 そんな文也の不満のつぶやきに、この場にいる全員が同調して突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ、今日は不幸な日になりそうだな」

 

「半分ぐらい自業自得だろ……」

 

 昼休み、事のいきさつを駿に説明すると、案の定、こちらからの反応も鈍い。チョコレートの件には同情しないでもないが、ピクシーの件に関しては、自分で蒔いた種である。

 

「それよりもふみくん、お腹壊してたのにそんなの食べて大丈夫なの?」

 

「へーきへーき。あの劇物を全部出せばオーケーだ。むしろエネルギー消費したからこれぐらいは食わないとな」

 

 間食が多い文也は、普段の食事は小食だ。しかしながら今日は珍しく、がっつりとカツ丼を頼んでいる。朝、下痢に悩まされていたのはあずさも知っているので心配はしたが、原因がウイルスでもアレルギーでもない以上、原因となったもの――腐ってもいないし毒でもないのにそれ単独で下痢を起こす食い物があってたまるかと言う話はさておき――を出してしまえば、いたって健康だ。

 

 文也はそのカツ丼を、行儀の悪いことに携帯端末をいじりながら食べ進めていく。二人とも最初は注意していたのだが、とっくの昔にこれを正すことは諦めている。

 

 確認しているのは、今日の夜に行われるゲーム研究部の会合についての連絡だ。会合と言っても、要はどこかに集まってゲームをやりながらバカ騒ぎするだけである。しかし、バカ騒ぎしながらも、ゲームの研究自体は真面目に行い、各々本格的なレポートの提出も義務付けられる。大会だけでなく、普段から定期的に集まって学外でも積極的に活動していることを示さなければ、この部の存続が許されないのだ。

 

「で、今日の夜は俺らが迎えに行かなくて大丈夫なのか?」

 

「あー、なんか今日は不幸な日になりそうな気がするからな……いや、でもなあ……」

 

 駿の問いかけもまた、それに関することだった。文也はすっかり油断してUSNAが自分を狙っていないものだと思い込もうとして、今回の会合にも当初不参加としていたものの、参加を決めた。帰宅は暗くなってきたころになるので駿たちとしては不安で、送り迎えを提案していたが、実際、この部の会合に現生徒会長やゲーム研究部担当風紀委員が送り迎えするというのは、ゲーム研究部サイドはそこまで気にしないが、駿とあずさとしては気が引ける――主に学外でまであんな奴らに関わりたくないからという意味でだ――ので、文也も察して一人で帰ってくることにしていた。

 

 文也が心配しているのは、送り迎えをしてもらうことそのものではなく、迎えの道中に、駿が一人になることだ。あずさもついてくるという案もあるが、横浜事変以来練習してはいるものの、まだ魔法戦闘は不得手だ。それよりかは、二人とも自宅待機してもらう方が、二人の安全になる。文雄がいない今、『マジカル・トイ・コーポレーション』の裏仕事部門が護衛している井瀬家よりも、中条家や森崎家のほうが安全だ。なにせ森崎家はボディーガードのプロが集まっていて、中条家は娘が一高の次席であることからわかる通り両親も魔法の名手である。『マジカル・トイ・コーポレーション』の護衛が弱いとは言わないしむしろ強い方だが、集めすぎると怪しまれるので少数しかおらず、やはり一流の家系が公然と抱える戦力にはやや劣るのだ。

 

 結局、相談の結果、駿とあずさは自宅待機、文也は裏仕事担当たちから離れて警護を受けながら会合に参加することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「油断と言うのは恐ろしいものだな」

 

 部下から報告を受けたバランス大佐は、口角を上げて嗤う。所詮は高校生、多少察しは良いようだが、脇が甘すぎる。

 

 USNA軍は文也と達也の同時襲撃作戦を実行するにあたり、ずっと監視をつけていた。暗くなって人眼が少なくなる時間に二人とも同時に一人になるという好都合なタイミングは、ここしかない。予定変更などがないか心配だったが、予定通り、二人とも単独行動を始めた。

 

 達也は深雪を習い事に送ってから近場のレストランで一人でのんびりとしはじめ、文也は放課後一人でのこのこ部活の会合に向かった。そして今は、達也はお高いドリンクを頼んでまだぼんやりし、文也は会合終わりの帰りである。

 

「さて、では始めるとす――っ!?」

 

 バランス大佐は作戦実行を命令をしようとした。その瞬間――達也が急に勘定をしはじめて、文也のほうに向かったスターダストたちは何者かと交戦を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マジで不幸な一日かよ」

 

 護衛から報告を受けた瞬間、文也は走り出しながらポケットに入れた端末を操作する。

 

 報告の内容は、文也に敵意があるとみられる外国人の武装集団が傍にいたから、奇襲を仕掛けたというもの。バカな企業の手勢の癖に冷静に仕事をこなす彼らが自ら動いたということは、かなり敵意がある集団だったのだろう。

 

 文也は一刻も早く家に帰るべく、魔法で加速して走る。

 

 そんな文也の目の前に――突然、魔法の気配が現れた。

 

「――おっと、お出ましか」

 

 文也は急ブレーキしてそれに接触しないようにする。見た目は何も変わっていないが、ちょうど文也の進行方向に、接触した移動物の速度をゼロにする障壁魔法が展開されていた。

 

 そして文也の後ろから、障壁魔法と挟むように、いくつもの雷光が迫りくる。それを察知した文也がかかとで地面を踏んで魔法を行使すると、雷光は街路樹に吸われて消えていった。

 

『なるほど、データ通り、少しはやるようだ』

 

「ワッツユアネーム? アイムイッパンジン。ヒトチガイネ」

 

 背後から現れたのは、黒いバトルスーツに身を包んだ、肌が浅黒い長身の男。その顔は無表情で、何やら英語らしきことをしゃべっている。学業の英語の成績が良くてもそれはあくまでオベンキョウ、実際の英会話なんて全くできない文也は、何を言ってるのか分からないので、ひとまず小ばかにする。

 

『お前に名乗る名前などない。これを見ろ』

 

 ワッツユアネームだけ辛うじて聞き取れたように見えるその男は、未だ表情を変えずに文也に対してくしゃくしゃに丸めた紙を投げる。それを文也は、魔法で風を起こして、男の元へ戻した。

 

 男はそれに一瞬虚を突かれたように目を見開いたが、すぐに呆れるようにため息を吐き、懐から携帯端末を取り出す。

 

「プリーズ、リッスン」

 

 そして文也でも聞き取りやすいよう、付け焼刃で練習した簡単なカタカナ英語で指示をし、音声を再生し始める。

 

『こんばんは、井瀬文也さん』

 

 端末から再生されたのは、わざとらしい合成ボイスだ。恐らく、事前に作成して録音しておいたのだろう。

 

『私たちは、事情があって名乗ることができませんが、とある国家の魔法組織です。この度は、貴方の魔法の腕と知識、開発力を見込んで、スカウトに参りました。この国を密出国し、我々に力を貸してくれるならば、一生の安全と富を約束したします』

 

「オーウ、イッツアーウサンクサーイ」

 

 そのボイスの切れ目で、文也はまたもバカにした茶々を挟むが、何を言われたのか分かっていないらしい男は、無表情で端末を突き出したままだ。

 

『もしここで貴方が素直にうなずいてくれなければ、私たちは強硬手段にでるしかありません。貴方を強制的に拉致・監禁して無理やり協力させるか、はたまたもっとひどい目に遭ってもらうことになります。我々はそれを望みません』

 

「典型的な悪役だな。清々しすぎるぜ」

 

 ペッ、とつばを吐き、文也は苦笑する。言い回しこそ丁寧だが、事実上の強制だ。「もっとひどい目」とは、死か、それよりも惨い何かだろう。

 

「あーあ、やっぱ不幸な日だったってわけだ。アイシンクザット、ユーアーアメリカンソルジャー!」

 

『自覚はしていたわけだな』

 

 カタカナ英語で言葉を叩きつけると、男は少し口角を上げて、英語で何かを呟いた。そして直後、男の殺気が膨れ上がる。

 

『『分子ディバイダー』を奪った罪は重いぞ、井瀬文也。その命を以て、罪を償え』

 

 そう言って男が取り出したのは、赤い羽根飾りがついた、嘴のようにとがった杖だった。

 

 瞬間、文也の後ろから、先ほどと同じ雷光が襲い掛かってきた。

 

「同じ手を使っても無駄だ!」

 

 すでに魔法の準備に入っていた文也は、同じく近場の尖ったものの誘電率を高める魔法で雷光をそらしながら、反撃を放つ。服の裏に仕込んでいた小型ナイフを模した玩具型CADを振るい、分子を分解して切り裂く刃『分子ディバイダー』を男に向ける。

 

『格の違いが分かっていないみたいだな』

 

 しかし、刃と化した仮想領域は、男に触れると同時にエラーを起こして消える。文也の干渉力が、男を上回っていないのだ。

 

 男は嘲笑いながら接近して杖で顔面を叩こうとするが、文也は加速系魔法で大きく飛び退いて距離を取り、男の着地地点に得意の滑りやすくする魔法を発動し、バランスを崩したところを狙うべく大量の『エア・ブリット』で囲む。

 

 しかし、男はそれを見越していたのか、着地点を少しずらしてスリップを回避すると、自らの周りに障壁魔法を展開して大量の見えない弾丸を防ぎ、さらにお返しと言わんばかりに、空気を薄く固めて放つ不可視の刃を急所を狙っていくつも放つ。男と同じように文也はそれを障壁魔法で防ぎ、さらにポケットから取り出したボトルから液体をばらまいて、それを魔法で気化させて男に吸わせようとする。

 

『毒霧か、無駄だ』

 

 しかし男も見事に反応し、突風を起こしてその害成すだろう気体を無効化させる。実際は持ち歩くにはリスクが高すぎる毒物ではなく、嗅いだら即吐き気を催すほどの悪臭ガスなのだが、どちらにせよ意味がなかった。

 

「こっからは手加減なしだ!」

 

 失敗したことを悟った文也はそう叫ぶと、両手で反対の両腕を握りこむ。長袖の中に隠された多数の腕輪型CADが一斉に作動して、それぞれが全く違う魔法を、一気に発動させた。

 

 液化させた悪臭ガスのどさくさに紛れてばらまいた小石が高速で襲い掛かる『ストーン・シャワー』、直接鳩尾に衝撃をめり込ませる『不可視の弾丸』、電撃で麻痺させる『スパーク』、サイオン波で酩酊状態にさせる無属性魔法、背後のゴミ捨て場に放置されている針金がレイピアとなって襲い掛かる移動系魔法、身に着けているベルトを高速振動させて相手の骨を砕く振動系魔法、相手の顔面の前の酸素を奪って呼吸困難にさせる吸収系魔法、足首関節周辺の骨密度を直接操作して骨折させる収束系魔法、対象物の光透過率をゼロにすることでなかったことにする『流れ星』、その他もろもろ、全ての系統の攻撃魔法が、男に一斉に襲い掛かる。

 

 普通の魔法師ならば、これらをすべて防ぐことはできない。『ファランクス』のように全ての系統に対応した対抗魔法でない限り、まず不可能だ。

 

『甘い!』

 

 しかし男は、どういう原理なのか不明だが、たった一つの魔法で、外からくる攻撃魔法をすべて跳ねのけ、身体に直接かけられた魔法は『情報強化』で退けた。

 

「まだまだあ!」

 

 文也は即座に両手の指につけた玩具の指輪を模したCADを握りこんで、将輝に協力してもらって本格的に改良した『爆裂』と、真紅郎から習った『不可視の散弾』を同時に行使する。しかしこれも、干渉力で上回られて退けられた。

 

「しかたねえな!」

 

 文也はすかさずイデアに深くアクセスし、情報世界を『視る』。そして男にかけられた『情報強化』を『視て』その魔法式を『術式解散(グラム・ディスパーション)』しようとしたところで――

 

「……そういうことかい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その魔法式が、『視え』ないことに気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネイサン・カストルは、生まれながらにして才能あふれた魔法師だった。もともと、優秀な魔法師が多く生まれてきた家系であり、その中でも彼は、十世代に一人の天才であった。しかしながら彼の人生は、みじめなものだった。

 

 カストルは、USNA軍が誇る最強の魔法師部隊・スターズに入隊し、そこから実力で上り詰めた二等星級という地位でつけられた名前で、本来は別の名前だ。しかしながら彼は、この自分の生まれを、これ以上ないほど憎み、そして誇りにも思っていた。

 

 ネイサンの先祖は、アメリカ大陸の先住民族だ。辛うじて文化侵略から逃れ切ったプライドの高い一族で、これまでずっと、白人を筆頭とした他の人種と交わらず、先住民族同士だけで婚姻を結んで「純血」を守ってきた。

 

 そんな家系であるがゆえに、ネイサンの一族は、常に社会から迫害されて生きてきた。

 

 住居は都市とも市街とも、自然の中を通る雄大な道路すらからも大きく離れた、未開発の森の中の、ボロボロのあばら家だ。学校にも通わず、近代機構に組み込まれた労働もせず、すべて内部で完結させていた。それでも時折人が現れ、悪意を持って傷つけてきた。

 

 国民を守るはずの警官は、にやにやと下種な笑みを浮かべながら、留守にしていた間に「不法占拠者」と言いがかりをつけて、徹底的に住居を破壊しつくした。

 

 不良少年たちがやってきて、拳銃で住居をハチの巣にされた。

 

 行政職員が税金の徴収にやってきて、収入を隠し持っていると難癖をつけ、胸ぐらをつかんで投げ飛ばしてきて、顔面につばを吐きかけられた。

 

 ネイサンも、親も、祖父母も、その先祖たちも、その屈辱に対して抵抗できなかった。抵抗してしまえば最後、たとえ正当防衛であろうとも、彼らが悪いことになり、牢獄に捕らえられ、一族の血を絶やすことになる。

 

 移民と近代がこの大陸にやってきて、先住民族たちのものだった無名の大陸に「アメリカ」と名前を付けられ、先住民族たちの居場所も、誇りも、命も、この大陸から消え去った。現代に残る名もなき先住民族の血が濃い家系は、ネイサンの家系だけだ。彼らは最後の先住民族にして、最低の扱いを受ける被差別民族だった。

 

 そんな彼らに差し伸べられる手はない。故に、第三次世界大戦を巻き起こすほどの寒冷化と食糧難で一族のほとんどが死亡する事態になっても、補助も支援も保護も一切受けられなかった。そのあおりを受け、現在一族の中で存命なのは、ネイサンだけだ。

 

 ネイサンの一族は――誇り高き先住民族の、シャーマンの家系だった。現代で言うところの魔法師の家系であり、その始祖の嫡流でもある。

 

 ネイサンはその最後の一人にして、最高のシャーマン――古式魔法師だ。彼に伝えられた一族の秘術たちが、彼の力の源泉である。

 

 その一つ一つの魔法に、名前はついていない。彼らの一族は言葉ではなく、歌と舞と音楽でつながっていた。名前を付ける必要がなかったのだ。

 

(『精霊の瞬き』)

 

 ネイサンは一族に伝わる呪具の杖を振るい、何かやろうとしたものの失敗して隙を晒した文也に電撃魔法を使う。

 

 先祖たちは、自然霊の存在を信じ、自然とともにあろうとした。科学を知らなかった彼らは、時折空に轟音とともに輝く光を、精霊が放つ光と捉えた。そしてそれを操る術を身に着けた。

 

(『精霊の涙』、『水飲み』)

 

 突然現れる水は、精霊が流した涙。水が少しずつ消えていくのは、精霊が飲んだから。結露と蒸発を彼らはそう解釈し、それを操る術を手に入れた。

 

 現代魔法においては、発散系魔法で空気中の気化した水分を凝縮させて敵の衣服にしみこませ、それから逆の発散系魔法で気化させ、気化熱で敵の体温を奪う戦術が確立されている。それは豪雪地帯に集落を構えていた先祖たちが編み出した外敵を無力化する技で、この真冬の日本でも、筋肉量が少ない小柄な少年には厳しい魔法だ。

 

「意外とセコい真似してくれんじゃねーか!」

 

 文也はそれに対し、自らの体に『ツボ押し』を施して血流を促し、体温を上昇させる。体温の低下はほんの少しでも動きを鈍らせるためバカにはできない。そもそも身体能力でも体格でも劣る文也にとっては、これは死活問題だ。

 

 そしてそれと同時に、『爆裂』と『ミーティア・ライン』を同時に使用し、攻撃のために防御が緩んだネイサンを仕留めようとする。

 

(『魂守り』!)

 

 それをネイサンは、即座に一族に伝わる古式の『情報強化』で退けて無効化する。他の一族と戦争を繰り返してきた集団では、敵対部族のシャーマンの呪いが恐れられる。自己に直接降りかかる呪いを跳ねのけるのが、この魔法の本来の役割だった。

 

 これらの魔法はすべて、本来は名前を持たない。しかしネイサンは、軍属になると決めたとき、その全てに名前を付けた。

 

 彼は、名づけと言う近代を受け入れた。軍隊と言う近代に属することを決めたのと同時に、近代の在り方を受け入れることにしたのだ。

 

 一族が守ってきた誇りを胸に、その誇りから離れることを決めた。全ては、自分を救ってくれた「あのお方」のために――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也は舌打ちをする。当たり前と言えば当たり前だが、USNA軍には、文也の弱点が筒抜けだったのだ。

 

 文也は学生離れした干渉力を持ち、二流や一流半程度のプロ魔法師に並ぶほどの数値が出ている。しかしながら、本物の一流の足元には及ばず、その程度の干渉力から繰り出される攻撃は、一流の障壁魔法に防がれ、一流の『情報強化』『領域干渉』には退けられる。

 

 故に文也はその対策として、「一ノ瀬」のころからずっと研究してきた『情報強化』が『視える』ことを利用して、それそのものを『分解』してしまうという荒業を身に着けた。

 

 しかしながら、「一ノ瀬」が研究してきたのは、現代魔法の『情報強化』でしかない。その応用や古式魔法などの別の式で編まれた『情報強化』は、『分解』することができない。それゆえに苦しめられたのが、横浜であずさを失いそうになった、『蓋』との戦いだ。

 

 この戦いの顛末は、一高の一般生徒ですら知っていることであり、当然USNA軍は知っている。

 

 だから、古式魔法師を差し向けたのだ。

 

(これだから古式魔法師ってのは嫌いなんだ!)

 

 文也はまた多種多系統の攻撃魔法を同時に使用し、四方八方からの魔法攻撃を仕掛ける。しかし、またもその全てがたった一つの魔法で防がれた。見たところ障壁魔法と同じく、ネイサンの体を中心として半球状に展開されている。現代魔法の常識では、それぞれの現象・系統に則った反対魔法を使う必要があるが、たった一つの魔法で、男は軽々と防いで見せた。

 

 文也には知る由もないが、これはネイサンが『身守り』と名付けた、一族の秘術の中でも最高難度に位置する魔法だ。

 

 現代魔法と違って、古式魔法は定義があいまいでも通用する。彼の先祖は、移民たちとの大陸の誇りをかけた戦争という極限の中で、「外部から自分に害を成す現象」を対象として退ける、究極の魔法を生み出していた。その強大さゆえに、先祖の中でも使えたシャーマンは一握りだ。彼が十世代に一人の天才と言われたのは、この魔法が使えたからだ。

 

 全ての直接干渉魔法を退ける『魂守り』と、全ての攻撃魔法を退ける『身守り』。文也の戦略が全て潰される相手に、苦戦をするのは必然だった。

 

「三十六計!」

 

 苦手な相手ならば即退散。人目のつくところに逃げればさすがに撤退するだろうと考え、文也は高速で閃光を瞬かせて催眠状態にする『邪視』で目をくらませながら、加速系魔法で逃走を図る。

 

『逃がすか!』

 

 しかし文也の脚は急に粘度が増して分厚いスライムのようになった空気に引っかかり、高速化していたせいで勢いよく無様にコンクリートにたたきつけられる。

 

「畜生!」

 

 防寒用の分厚い服がコンクリートに擦れて破れ、その下の肌も酷い出血をしてる。それでも痛がって止まったりせず、転がって背後から迫る刻印付きのナイフを避ける。しかしそのナイフもまた魔法の影響下にあり、避けたはずの文也を追いかけ、その眼球と太ももを刺し貫こうとした。

 

 かろうじてとっさに体表を覆う形で行使できた障壁魔法によって防ぐことができたが、すぐに後ろから火の玉と帯電した蒸気の塊、そしてプシオンを揺るがして気絶させるプシオン波が迫ってくる。

 

 プシオン波は、干渉力がゼロである文也には防ぐことはできない。立ち上がろうとしていたがまた倒れこむように転がってそれだけは回避し、蒸気の塊と火の玉はそれぞれ放出系魔法と振動系魔法の障壁魔法で退ける。

 

『なおも抵抗するなら、ここで死ね!』

 

 そしてその隙に走って接近してきたネイサンは、嘴のように鋭くとがった杖を文也にたたきつける。古式の加重系魔法が施されたそれは、鋼鉄の杭のごとき殺傷力を持つ。厳しい環境で自然とともに生まれ育ち、従軍してからさらに鍛えられたネイサンの筋力から振るわれるそれは文也の骨を砕くほどの威力を持つ。

 

「男に掘られる趣味はねえよ!」

 

 文也はそれを『減速領域』で威力を弱めたうえで、硬化魔法で固めた長袖で覆った腕をクロスさせて防ぐ。さらいその接触によって生まれた移動エネルギーを魔法で増幅させてわざと吹き飛ばされることで、再び距離を話すことに成功する。

 

「い、つつつ」

 

 怪我こそしていないものの、腕に伝わる衝撃は耐えがたいものだったし、吹き飛ばされた後の受け身も失敗して顔面を擦りむいた。厳しい寒さと蓄積されるダメージ、そして自分の戦法がことごとく無効化される状況は、文也の精神を、着実にむしばんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(少し時間をかけすぎたか?)

 

 無様に転びながら逃走する文也、それを追いかけながら、ネイサンは内心で焦りを覚える。

 

 自分は文也を相手にするならこの上なく相性が良い。データをもとに詳しい説明を受けた彼は、上層部と同じくそう判断した。中々成績は優れているようだが、所詮は高校生。すぐに生け捕りできると踏んでいた。

 

 しかし今、こちらの攻撃は徐々にダメージを蓄積させているものの、依然文也は動けるし、命にも別状はない。予定ではもうとっくに生け捕りが住んでいるはずなのに、予定時間を大幅オーバーしてしまっている。

 

 リアルタイムで入ってくる仲間の連絡も、内容は芳しくない。いきなり襲い掛かってきた文也の仲間と思われる魔法師と戦闘になり、深手を負わせて撤退させたが、こちらもまた戦闘不能のダメージを負っている。こちらの増援は期待できないのに対して、文也の増援は未知数。思ったよりも、時間に余裕がない。

 

(それにしても、油断していたように見えて、思ったよりも周到だったようだ)

 

 USNAが掴んでいる文也の家に関する情報は意外と少ない。優秀な魔法師が生まれる、代々素行に問題がある、以外の部分を除けば、普通の魔法師の家族だ。スターダストとはいえプロの戦闘魔法師と相打ちに持ち込むほどの手練れの手勢がいるのは予想外だった。

 

 日本魔法師界を牛耳る十師族、その中でも「戦争」における戦闘力では随一と目されている一条家の長男と仲が良いという情報がある。今思えば、文也が襲われているのを多少なりとも警戒するなら、そのコネクションで一条家の手勢を護衛につけていてもおかしくはない。奇襲してきた護衛たちは、それだろう。

 

 ネイサンは内心で勘違いを元に反省しながら、拉致を諦めて、「抹殺」することにした。

 

 使う魔法は『分子ディバイダー』。懐からナイフ形の武装一体型デバイスを取り出す。彼は古式魔法師でありながら、一方で現代魔法も一流のレベルで使いこなすレベルの高い魔法師だ。

 

 この魔法で、文也は殺される。ネイサンは、立ち上がれないのか、うつ伏せになってもなお這って逃げようとする文也を見据えて、そこに皮肉を覚える。どのようなルートで抜き出したのかは定かではないが、この少年は何かしらの方法でこの魔法の初期段階の起動式を手に入れ、あまつさえたかが親善競技のために公衆の面前で使ってしまった。それが理由で、完全体のこの魔法で殺されるのだ。

 

 殺害方法に隠密性は必要ない。死体はこの後、USNA軍が回収し、血なども跡形もなく消し去って、すべての証拠隠滅をしてくれる。文也はここで死に、社会的には永遠に「行方不明」扱いとなるのだ。

 

『来世ではもっとまともに生きるんだな』

 

 反撃に備えて『身守り』を展開してから、ナイフの柄のスイッチを押し、サイオンを流し込んで起動式を読みこみながら振りかぶる。そして対象を斬り裂く不可視の刃が展開されたのを確認すると、それを振り下ろ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そうとしたところで、ネイサンの手からそのナイフは滑り落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐ、がああああああああ!!!」

 

 ネイサンは思わず両手で急激に痛み出した太ももを押さえる。そこからは、大量の血が流れ出ていた。

 

「同じ手にひっかかるかよ、バーカ」

 

 ネイサンは反射的に『身守り』を展開しなおしながら、痛む脚に無理やり力を入れて立ち上がり、左右に揺れながら逃走を図る。

 

 それに対して文也は、玩具のようなピストルを構え、しっかり狙いをつけて、数回引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「文也! 大丈夫だったか!?」

 

「死ぬかと思った」

 

 制限速度を思い切り無視して車で駆け付けた駿は、服がボロボロになって血だらけの文也と、血だらけで全裸に剥かれた浅黒い肌の男を見て、親友の勝利を確信しながらも、その怪我が気になった。

 

「化け物ピストル、開発しといてよかったぜ」

 

 駿を乗せて運転してくれた『マジカル・トイ・コーポレーション』の手勢の一人が全裸のネイサンを車に積んでいるのを横目に、文也は自慢げに玩具のようなロングバレルのピストルを見せる。

 

 文也の魔法は、それ単体では干渉力の高い守りに勝てない。分厚い鋼鉄や『ファランクス』、ネイサンの『身守り』のような全系統を退ける防御手段と『領域干渉』『情報強化』を併用されたら、文也の干渉力では勝ち目がないのだ。それを、文也はあの横浜での出来事で強く実感した。

 

 その対策となったのがあの貫通力特化の魔法ライフルだ。今も森崎家管理のもと、いつでもドローンで届けられるようにセットしてある。

 

 しかし、あれは持ち運ぶのに不便な上、人目に付きやすい。しかも銃弾は一発しか入らないため、外してしまえばお終いだ。

 

 そこで文也が新たに開発したのが、このロングバレルのピストルだ。

 

 仕組みとしては魔法ライフルと変わらず、移動系魔法と加速系魔法を併用して爆発的なスピードで炭化チタンの銃弾を放つというものだ。ロングバレルは、なるべく長い距離の分魔法の効果を付与したいからだ。銃口部分には自動的に通過した物体に『情報強化』を施せるようにもなっている。弾倉もついていてセミオート機構もついており、連射も可能だ。火薬を使っていないので、文也の小さな体でも十分に扱える。魔法ライフルを進化させ、携帯性と連射性を高めた、文也の新たな切り札である。

 

 ただし劣化した部分もある。まず小型化したことによって出せる最大弾速は音速の三倍程度だ。また、高難度魔法である『疑似瞬間移動』のチューブを展開することができず、空気抵抗による減速が大きい。物体が速ければ速いほど空気抵抗は強くなって減速幅も大きくなってしまうので、空気抵抗を防げないのはかなり痛い。二重の理由で魔法ライフルに比べたら威力が大きく劣るのだ。分厚い鋼鉄は貫くことができないため、これを『蓋』に放っても無力である。

 

 しかしそれでも十分威力は高く、対魔法師用ハイパワーライフルの威力は大きく上回っており、克人クラスの魔法師でもない限りこれを防ぐことはできない。『蓋』のような重兵器はもともと想定して作っておらず、今回のネイサンのような文也の魔法が通用しない人間への対策で開発されたのだ。

 

 この銃弾はネイサンの『身守り』を貫き、彼に致命傷を負わせることに成功した。最後は、プロらしく破れかぶれの突貫をしてこなくて冷静に逃走を選んでくれたため、追撃で気絶させることにも成功した。

 

「あれは……死んだのか?」

 

「いや、生きてるよ。貫通特化だから体内に銃弾は残らないし、お前らが来るまでに応急処置もしといたから」

 

 文也は駿に支えられながら車に乗り、一息つく。そのタイミングでの駿の質問に、文也はそう言いながら、自慢げにニヤニヤと笑いつつ手に持っていた袋を見せる。

 

「で、その処置のついでにこんなお土産まで頂いたぜ」

 

 その袋の中身は、ネイサンが来ていた魔法戦闘用装備一式だ。USNA軍が誇る最新のバトルスーツの現物は非常に貴重である。

 

「……とんでもないものまであるな」

 

 しかし駿は、バトルスーツには目もくれない。駿が見ているのは、ネイサンが魔法を使うために使用した呪具一式と、CADだ。

 

 CADを敵に奪われるということはつまり、起動式を奪われるということである。ほぼ全ての情報を丸裸にされ、しかも相手が自由に使える状態になるということで、魔法師は命に代えてでもCADを奪われないように気を付けている。

 

 そして、駿の見立てでは、この男はUSNA軍の中でも相当に高いランクの魔法師だ。使っているCADもUSNAの粋を集めた一級品だし、そこに入っている魔法の起動式も、USNA軍が秘匿したい強力な魔法が多く入っているだろう。

 

「生け捕りにもできたから、たっっっっっっっっっぷり『お話』も聞かせてくれるだろうし、とんで火にいる夏の虫ってとこだな。今は冬だけど」

 

 消毒液やガーゼや魔法を使って傷の手当てをしながら、道の先に姿を現した、文雄所有の隠れ家的な建物を見て、文也は口角を吊り上げて嗤った。




次の話では、おそらく皆様が忘れているであろうあのキャラが久しぶりに登場しますので、ここで振り返りの意味もこめて、過去のお話をもう一度見るのも良いかと思います(露骨なアクセス稼ぎ)


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5-8

「そんな!? カストル少尉まで!?」

 

 2月15日と16日の境目の夜、戦いの疲れで眠りにつこうとしたリーナは、バランスからの報告に、眠気が吹き飛んで大声を出した。

 

「残念ながら本当だ、少佐。ネイサン少尉は敗北し、生死不明だが身柄はイノセフミヤに回収された。少佐と同じく、負けたのだ」

 

 バランスの言葉に、リーナは前髪をぐしゃりとつかみ、もう片方の拳で机を激しく殴る。大きな音が部屋に響くが、その激しさとは裏腹に、リーナの心には虚しさと悔しさが襲い掛かってくる。

 

 リーナもまた、日本の高校生に敗北を喫し、帰ってきたところだった。世界最強の魔法師部隊・USNA軍スターズ。その中でもさらに最強たるアンジー・シリウスとして、普段は使用が許可されない兵器ブリオネイクまで持ち出してなお、リーナは司波達也に敗北した。それも、命も貞操も身柄も安全も機密も、すべて保ってもらった状態で。

 

 完全な本気で挑んでなお、リーナは達也に気絶させられ、命を奪われるどころか、拘束されることもなく、CADやブリオネイクを奪われることもなく、怪我もなく、性的な凌辱すら一切されていない。本気で命を狙ったというのに、最強の魔法師どころか、一般的な兵士のような扱いすらされず、まるでそこらの不良に絡まれた達人のような対応をされたのだ。

 

「……それで、カストル少尉はどこに連れ去られたのかわかりますか?」

 

「残念ながら、まだ分かっていない。カストル少尉が破れた段階で、スターダストたちもイノセフミヤの手勢に相打ちに追い込まれて撤退したあとだったから、尾行は不可能だった」

 

「少尉の装備につけてある発信機はどうなのですか?」

 

「イノセフミヤが、気絶したカストル少尉を拘束し応急処置をしているときに発見され、すべて破壊されたよ。高校生とは思えない周到さだ。一流の軍人に奇襲され、危ないところだったというのに、そのあとも油断していない」

 

 リーナは絶望のあまり、ふらふらと倒れるように椅子に座り、うなだれる。文也は、達也と違って容赦がない。恐らくネイサンが持っていた装備やCADはすべて回収され、調査されているだろう。彼が持つUSNAの至宝たる古式魔法の数々や『ダンシング・ブレイズ』、本物の『分子ディバイダー』の起動式が、最悪の人間の手に渡ってしまったのだ。

 

「カストル少尉は……この後、辛い目にあうのでしょう」

 

「そうだな。恐らく、生きて帰ってこないかもしれん」

 

 リーナとバランスは、ネイサンがこれからどうなるかを予想し、ついで想像して、沈んでしまう。

 

 生死不明だが、もし彼が生きていたとしたら――それは彼にとって、幸いなことではないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ここはどこだ?)

 

 目が覚めたとき、ネイサンは冷静だった。自分がなぜ気を失っていたのか、自分が今おそらくどういう状況なのか、冷静に判断できてしまっていた。

 

 彼は文也に敗北した。今意識があるということは自分が生きているということであり、つまり生け捕りにされたということに他ならない。同胞が救ってくれたという希望的観測は成り立たない。なにせ彼は、自分の両手が後ろ手に縛られ、両足首と腿も縛られ、全裸で転がされているのだから。

 

『「よお、目が覚めたか」』

 

 そんな彼の耳に、これ以上ないほど憎らしい少年の声が入ってくる。何かの機械を使っているのか、彼が日本語を話すと同時に英語音声が耳元に置かれた小型スピーカーから聞こえてくる。

 

「『……悪いことは言わない。全てのデータを破棄し、全てを返して私を解放しなければ、もっと痛い目を見るぞ』」

 

 ネイサンの英語にもまた、同時翻訳音声が日本語で流れる。

 

 彼の言っていることは、強がりと脅しで半分、あとの半分は本気だった。

 

 おそらくUSNA軍は、この際もはやネイサンの身柄や命はどうでも良いと見限っているだろう。ただ、彼が身に着けていた装備や彼が持っている情報は、何としても取り返そうとするに違いない。もっと強力な魔法師が、文也に襲い掛かってくることになる。

 

『「おー怖い怖い。で、怪我の具合はどうだ?」』

 

「『おかげさまで』」

 

 文也はそれを意に介さずおどけて見せると、指先でネイサンの背中をつつく。そこにネイサンは、全く痛みを感じなかった。

 

 ネイサンは文也にピストルで撃たれた。まず最初に右腿に一発、それから逃げようとして、背後から、背中に二発、左足首に一発、肩に三発だ。銃弾が貫通するという致命傷を負ってもなお、おそらくそこまで時間が経っていないのに、今ネイサンは全く痛みを感じていない。腕の良い治癒魔法師によって治癒魔法をかけられたのだろう。

 

 殺されそうになった文也に、ネイサンの命を気にする義理はない。仮に「甘さ」があって生かそうとするにしても、治癒魔法で完全に回復させるまではしなくてもよい。適度に痛みや怪我が残っている方が脱走される確率は低いからである。

 

 ではなぜ、完治させてもらえたのか。

 

『「というわけで、お楽しみタイムだ。あまり我慢しないほうがいいぞ?」』

 

 それは――これからネイサンの心身に、大きな傷を残そうとしているからだ。

 

 文也が取り出したのは、細長い針だ。

 

 それをネイサンの目の前で見せつけるように揺らして見せると、迷わず左手の小指の爪の間に突き刺してくる。

 

「『――――ッ! な、なにをやっても無駄だ。私は何も吐かない。私は忠誠を誓った。拷問対策の訓練だって受けている。お前のようなチビでは何もできないぞ』」

 

『「わざわざ長引かせなくてもいいのに。マゾヒストか?」』

 

「ああああああああああ!!!!」

 

 ネイサンは痛みをこらえながら息も絶え絶えに抵抗するが、文也は針をさらに押し込んでねじって回し、さらにネイサンに激痛を与える。

 

『「お前がUSNA軍だっていうのはもう分かってるから聞かない。で、俺を殺そうとしている理由は?」』

 

「『ハーッ、ハーッ……は、自分の胸に聞いて――ッ!!!』」

 

 文也はネイサンの嘲りの途中で、もう片方の手の小指に新たな針を刺し、てこの原理で爪を剥がすように上下に動かす。その耐えがたい激痛に、ネイサンは言葉を途切れさせて叫ぶしかない。

 

 ――爪の間に針を刺す。

 

 ――爪を剥がす。

 

 人間が最も痛みを感じやすい部位で、痛みの面積が大きくて、なおかつショック死以外での死の危険性もないこれらは、はるか昔から拷問の定番だ。当然兵士であるネイサンは、新兵であろうと、この拷問を耐える訓練を受けている。

 

 故にネイサンは、激しい痛みに悶えながらも、冷静さを保つことができていた。

 

 痛みに悶え暴れる振りをしながら姿勢を変えた彼は、今自分がいる場所を観察する。

 

 殺風景な石造りの部屋で、窓はないためおそらく地下。雰囲気を出すためかわざと薄暗くなっており、文也のそばにある机には、ネイサンが見たことある拷問道具の一式が並んでいる。真冬で石造りの部屋で全裸だというのに寒さを感じないのは、文也の後ろにある鍛冶で使うような炉が暖炉のような役割を果たしているからだろう。

 

(耐える……耐えるぞっ……! 私は忠誠を誓った。救ってくれた、あのお方に!)

 

 思い浮かべるのは、失意の底にいた自分に差し伸べられた、ごつごつした白い手だ。未だ人種差別がはびこるUSNAでは、白人は、特にネイサンたちに暴力を振るう。白い手で殴られることは幾度となくあっても、差し伸べられることはなかった。当初ネイサンはその差し出された手の意味が分からなかったが、その初老の白人男性が浮かべる、どこか悲痛さがにじむ笑みに誘われるように、その手を取った。

 

 彼の名は、マクドナルド・ウノ。この4月に大統領になったばかりの不動産王で、その過激な政策・発言から、「アメリカ最後の大統領」と揶揄されている。国境に壁を作る、世界中でテロを繰り返しているある宗教を入国禁止にする、同盟国以外には厳しい関税をかける。これらの政策は非難の対象となったが、世界大戦の傷が癒えてない世論の熱狂的な支持も受けた。

 

 ネイサンとウノが出会ったのは、大統領選の二年前。ちょうどネイサンの家族が栄養失調で死に絶え、森の奥地に構えていた小屋の維持も真冬の豪雪のせいでできず、スラム街で乞食をして過ごしていた彼に、ホワイトエスタブリッシュの経済的頂点・不動産王であるはずのウノは声をかけた。

 

 ネイサンはそこから、温かい食事と安全な家、整った設備での生活を送れるようになった。口が固い家庭教師による教育も行われ、生まれつき賢かったネイサンは、数か月で大学生レベルの教養を身に着けた。

 

 そんな彼に、ウノは、USNA軍のスターズに入ることを提案した。曰く、ウノは大統領になって、よりUSNAファーストの制度を実現させようとしているらしい。そのためには世界中が敵になっても勝てるほどの軍事力が必要で、ネイサンの魔法の才能をそのために使ってほしいという。

 

 客観的に見れば、ネイサンは利用されただけだ。しかしネイサンは、それを分かっていてなお、即答で入隊を決めた。恩を返すというのもそうだが、何よりも、ウノの表情が、ただ利用しようとしているだけに見えない、自分に初めて手を差し伸べたときと同じ、悲痛さがにじむ笑顔だったからだ。

 

 ウノは誰よりも、USNAを愛していた。USNA国民を愛していた。それゆえに、大統領になって、USNAファーストを実現させようとしている。国境に壁を作るというのも、不法移民の流入を防ぐためであり、合法移民は、USNA国民となるのだから、むしろ歓迎する構えだ。彼はUSNAの全ての人が好きで、そこに人種は関係ない。白人も、黒人も、黄色人種も、ヒスパニックも、被差別民族も、全てが好きなのだ。

 

(ウノ様のためにも、私はここで屈するわけにはいかない)

 

 ネイサン自身、今まで自分を、先祖を、虐げてきたUSNAに、一片も忠誠心や愛国心はない。ただ、自分を救ってくれたウノのために、どんな拷問にも負けるわけにはいかなかった。

 

『「はー、よく耐えるなあ。仕方ねえな、よっこらせっと」』

 

 ついに悲鳴すら上げずに耐えるようになったネイサンに、文也は呆れたようにため息を吐く。そして緩慢な動作でネイサンを蹴って転がし、仰向けにさせた。後ろ手に縛られている関係上、体重のほとんどが手と手首にかかり、針が刺さったままと言うこともあって、激痛がネイサンを襲う。また全裸で脚も縛られた状態であり、顔と局部、肛門が丸見えの状態と言う耐えがたい屈辱の姿勢でもある。しかしそれでも、ネイサンは屈しようとしなかった。たとえ性器を引きちぎられてでも、ここで死んででも、何も話すつもりはない。

 

 文也はネイサンがどれだけ暴れても姿勢が変わらないようにテープで床に固定させると、焼却炉のような武骨で味気ない、不気味さすら感じる炉の扉を開く。

 

『「これはやりたくなかったんだけどなあ」』

 

 文也はわざとらしく大げさにため息を吐いて、残念がって見せる。火ばさみでその炉から取り出したのは、高温の炉で熱せられて赤熱した鉄筋だった。

 

 瞬間、ネイサンは何をされるかを悟った。自分の想像をはるかに上回る、プロの軍人でもしないような拷問をこの小さな少年がするつもりだと、理解してしまった。

 

「『やめろ! やめてくれ! 話す! すべて話すから!』」

 

 先ほどまで抱いていた忠誠心は、全てを恐怖に塗りつぶされた。ネイサンは涙まじりの声であらん限りに叫びながら暴れ、許しを請う。賢すぎるがあまりに理解してしまった彼は、もはや無様な弱者でしかなかった。

 

『「もうおせーよ。一回は確定だ。二回目が嫌なら、一回目の後にゆっくり話を聞いてやる」』

 

 赤熱した鉄筋を火ばさみで持ちながら、文也はネイサンの太ももを踏みつけて固定し、より肛門を露出させる。

 

 ネイサンは叫び、涙を散らしながら、文也の顔を見上げる。

 

 

 

 

 

 

『「もう二度と、ウンコできないねえ」』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういって肛門に向けて赤熱した鉄筋を刺す文也は――口角を悪魔のように吊り上げ、嗤っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

「お疲れ」

 

 文也が拷問部屋から戻ってくると、顔面を真っ青にした駿が出迎えてくれた。

 

「やっぱやべえなアレ、固そうな軍人がペラペラ喋ってくれたぜ」

 

「ああ、見てたよ」

 

 文也が拷問する様子を、駿はモニターで見ていた。あまりにも凄惨で残酷な拷問だったが、そこから目をそらすわけにはいかないからだ。

 

「あーちゃんもホント、まーエッグいこと考えたよなあ」

 

 文也も思い出し、自分がやられたらと想像して冷や汗が流れる。それを拭いながら、この拷問方法の骨子を考案したあずさに、文也は感服する。そんな文也の言葉に、駿はあきれ果てたまなざしを向けるだけだ。

 

「ふみくん!」

 

「噂をすれば影だな」

 

 そこに、普段の彼女からは想像もつかない勢いでドアを開けて、パジャマ姿のあずさが駆け込んでくる。駿と違って戦闘向きとは言えないあずさは、後方支援という名目で自宅待機をさせられていた。文也が無事敵を倒し、生け捕りにしてここに回収したという報を受けて、居ても立ってもいられず、深夜だというのに、両親の運転でここまで来たのだ。

 

「よかった……生きててよかった……」

 

 あずさは文也に抱きつき、胸に顔をうずめてグズグズと泣き出す。文也は困ったように苦笑しながら、抱きしめ返してその頭を優しくなでる。

 

「安心しろ、俺が死ぬわけないだろ。それよりもほら、今日はもう遅いから寝ようぜ。ここは寝床も完備してるしな」

 

 文也に促され、あずさは一緒に寝室へと向かっていく。別々に寝るのではなく、二人で並んで寝るつもりだ。あずさは今日ずっと文也から離れると不安で仕方ないし、文也もそれを分かっている。何も言わなくても、お互いに理解しあっていた。

 

「…………疲れたときは甘いものって思ったんだけどな」

 

 それを黙って見送った駿は、持っていたチョコレートには手を付けず、ブラックコーヒーだけを飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーナとバランスは、真夜中だというのに、一切眠気も感じずに、額を突き合わせて真剣に話し込んでいた。

 

 たった今USNAのバックアップ担当から連絡があり、ネイサンがどこに拉致され監禁されているのかが判明した。

 

「それにしても、どういう組織力だ」

 

「シバタツヤと同じく、バックに何かいるのは間違いないですね」

 

 それは、市街から離れた人目のつかない郊外で、一見すると少し広めだが普通の民家だ。しかしよく観察し調査をしてみると、人目は少ないが一方で確かにある土地で、襲撃しづらく、正当に身を守るならこれ以上ない場所だ。襲撃者から身を隠す「アジト」としてはもってこいの物件である。

 

 一流の魔法師を輩出する家は比較的裕福で、別荘や不動産を複数持つ例も珍しくない。しかしながら、USNAの諜報部が調べあげた範囲では、井瀬家はごく普通の一般的な魔法師の家だ。日本魔法師界の闇・数字落ち(エクストラ)とはいえ、資産はまあまああるだろうが、こんな場所にもう一つ家を持つ理由がほとんどない。

 

「これもイチジョウ家の物件だろう。所有者はターゲットの父親、イノセフミオと登録されているが、息子同士を通じてつながりがあるのかもしれんな」

 

 バランスの予想は、USNAが持っている情報から考える分には一番妥当だが、残念ながら外れている。この物件はまぎれもなく文雄が所有しているもので、『マジカル・トイ・コーポレーション』の裏仕事に使うために買っておいたものだ。あいにくずっと腐らせていたが、不幸なことに今回使う羽目になってしまっている。

 

「さて、少佐、覚悟はできているな?」

 

「はい」

 

 バランスの改まった問いに、リーナは姿勢を正して答える。

 

 二人の間で、これからどうするか、結論が出ていた。

 

「本日の夜、まだカストル少尉がそこから動かされていないのが確認されたら――貴官には当該施設を襲撃し、少尉の身柄と装備を奪還してきてもらう」

 

「はい」

 

「交戦することがあったら――殺害もやむなしだ。抵抗する者は、迷わず殺せ」

 

「はい」

 

 リーナは、復讐とリベンジに燃えていた。達也と深雪に合計三回も無様な敗北を食らい、アンジー・シリウスとしての誇りと名誉はすっかりズタズタだ。恐らくこれが、最後の挽回のチャンス。リーナは決意を胸に、バランスから作戦の詳細を聞こうとする。

 

「詳細は朝に話そう。貴官はもう寝て、次の戦いに備えたまえ」

 

 しかし、バランスは、柔らかな笑みを浮かべて、疲れの色が濃いリーナに、睡眠を促した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーナに襲撃され、撃退してから帰ってきた達也は、寝ようとしたところで突然真夜からかかってきた映像通話に出た。こんな時間に急にかけてくるのは、意外というほかない。すっかり人前に出るには憚られる格好になっていた兄妹は、真夜に断りを入れたうえで正装に着替え、改めて通話に応じた。

 

「夜分遅くに御免なさいね、深雪さん。緊急の連絡があって」

 

 真夜の態度は相変わらず優雅で、とても緊急の用事とは思えない。しかし達也と深雪は、そのわずかな表情の変化から、少し焦っていることを見抜いた。

 

「まず、今夜は災難だったわね、達也さん。アンジー・シリウスに襲撃されたのでしょう?」

 

「はい、その通りです」

 

 まだ彼女には報告を上げていないことだったが、すでに伝わっている。達也と深雪には、四葉の監視がついているのだ。

 

「実はそれと同時刻に、井瀬文也もUSNA軍から襲撃を受けていたのよ」

 

「え、そうなんですか!」

 

「そんなことが……」

 

 その衝撃の事実に、深雪は優雅さの欠片もない声を思わず上げてしまい、慌てて取り繕うように口を手で覆い隠して顔をそむける。可愛い妹が真っ先にそんな反応をしてしまったせいで、逆に冷静になった達也は、裏返りそうになる声を必死に抑えて絞り出した。

 

「スターダスト五人と、古式魔法師の二等星級が一人。小数での襲撃だったみたいね。スターダストは『マジカル・トイ・コーポレーション』の手勢から先制攻撃を仕掛けられて相打ち、井瀬文也と二等星級の魔法師……ネイサン・カストルの一騎打ちになったわ」

 

「それで、結果は……」

 

 スターズの二等星級、それも古式魔法師となると、先の横浜での出来事を見るに、武装を整えていない文也では厳しい相手だ。行使速度に劣る古式魔法師は、生半可ならば文也の餌食になるが、同程度の速度まで追いつければ、文也の方からの攻撃手段は乏しい。USNA軍もそのあたりは調査してあるはずで、およそ勝ち目があるとは思えない。

 

「井瀬文也は軽傷、ネイサン・カストルは重傷。井瀬文也が生け捕りにして、隠れ家に拉致・監禁しているわ」

 

「井瀬君が勝ったのですか……!?」

 

 真夜からの報告に、深雪は思わず目を見開く。いくら文也と言えど、世界最強の魔法師部隊・スターズの二等星級に勝てるとは、全く思っていなかった。

 

「井瀬文也は新武装を用意していたわ。『蓋』相手に使った魔法ライフルを改良して、威力が大きく劣る代わりに携帯性と連射性に優れた拳銃を懐に隠し持っていたのよ。怪我をして這って逃げる振りをしてうつ伏せになって隠し、隙を見て発砲したようね」

 

 真夜の説明に合わせて、画面の端に戦闘の様子を隠し撮りしていた映像が流れる。USNA軍や文也の手勢ですら気づかない尾行・偵察に特化した四葉家の手勢が、隠れてずっと監視していたのだ。

 

「申し訳ございません。こちらも襲撃されていたとはいえ、ご命令に従うことができず」

 

 達也は即座に、なるべく申し訳なさそうに見えるように気を遣いながら謝罪する。真夜からは優先度の高い命令として、文也がUSNA軍の襲撃を受けてなお生きていた場合、疲弊しているところを襲って確実に仕留めるよう言われている。達也と深雪は、それに背いてしまったのだ。

 

「気にしなくていいわ。深雪さんはお稽古中、達也さんは戦略級魔法師から奇襲を受けていたんだもの、無理なことまで要求しないわよ」

 

 真夜はそう言って、愉快そうに笑う。笑って許してくれた形だが、達也と深雪は内心で不快感を覚えた。間違いなく、真夜は今回の襲撃情報を掴んでいた。それでいて、事前に兄妹に知らせなかったのだ。

 

「さて、ここからが本題よ。今日達也さんを襲ったアンジー・シリウスは、次の夜、あの施設を襲撃してネイサン・カストルの身柄を奪還しようとしています」

 

「はい」

 

「そしておそらく井瀬文也は、あの隠れ家から動かずに、ネイサン・カストルに尋問を続けるでしょう。つまり、アンジー・シリウスと井瀬文也は、あそこで鉢合わせ、戦闘するのが見込まれるわ」

 

「……はい」

 

 ここまで聞いて、達也は、真夜が何を言おうとしているのか理解した。

 

「二人とも、このアジト周辺で待機しておきなさい。そして様子を見て襲撃し、井瀬文也を抹殺すること」

 

 先送りしていた、USNA軍に任せようとしていた、自分たちが関わらないようにしていた、同級生の理不尽な殺害。

 

 その命令がついに、本格的に下された。

 

「他のことは、二人とも気にしなくていいわよ。そちらはそちらで、手配してあるから。用件は以上よ。それでは二人とも、おやすみなさい」

 

「……はい、おやすみなさいませ」

 

 黙り込む二人に、真夜は不満げにならず、いつも通りの態度で一方的に通話を打ち切る。その直前にかろうじて、達也は声を絞り出して、失礼にならないよう挨拶を返せた。

 

「………………とりあえず今夜は、ゆっくり寝よう」

 

「……そうですね」

 

 通話が切れると、二人の間に気まずい沈黙が流れる。それを破るべく達也が口火を切り、深雪はそれに従ってまた寝間着に着替える。そして、示し合わせることもなく、深雪の不安を和らげるため、二人は同じベッドで抱きしめあって就寝した。

 

 




二度とウンコできないねぇは書き始めた当初から絶対に盛り込みたかったネタの一つでした。そういえば最近あの漫画のネット広告は見かけなくなりましたね


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5-9

 2月16日、一部のクラス、特に1年A組は、いつもよりも少しだけ静かだった。

 

「珍しいなあ、欠席なんて」

 

「バカは風邪ひかないってよく言うんだけどな。そういや昨日の朝もずっとトイレに籠ってたわ」

 

「森崎と中条先輩とシールズさんは、あのチビから感染されたってことか」

 

 しかしそれは、ざわめきがないということではない。生徒たちの間では、盛んに今日の欠席者についての話が交わされていた。

 

 2年A組・中条あずさ、1年A組・井瀬文也、森崎駿、アンジェリーナ・クドウ・シールズ、体調不良につき欠席。

 

 1年A組・司波深雪、1年E組・司波達也、私用につき欠席。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文雄が所有する隠れ家に、病欠しているはずの文也とあずさと駿が、体調を崩した様子もなく集まっている。そして三人の視線が向く先には、文雄を映すモニターと、将輝と真紅郎を映すモニターがある。

 

「さて、じゃあ昨日のヤツから聞き出したことを共有するぞ」

 

 全員が集まったことを確認した文也は、ぐちゃぐちゃの汚い字で書かれた手書きのメモを見ながら、ネイサンから「お話」して聞いた情報を全員に共有する。

 

「まず、俺たち……というか俺が、USNAから狙われていたみたいだ。理由は『分子ディバイダー』を九校戦で使用したこと。USNAは、俺が何かしらの方法で起動式を盗み出したと考えているらしい。仮に俺が本当に自分で開発したとしても、それはそれで、秘術の仕組みの漏洩に繋がるから、どちらにせよ動くつもりだったらしいな。ちなみに昨日の男の名前はネイサン・カストルって言うらしいぜ」

 

『我が息子ながらとんだトラブルメイカーだ』

 

 文也の報告に、文雄がわざとらしく大きくため息を吐く。文也はそれを無視して、話を次に進める。

 

「今回の大規模交換留学の目的は二つ。一つは、朝鮮半島で起きた『ビッグバン』の術者や仕組みの調査。で、もう一つが、俺への対応だ。パラサイトについては、元々計画になくて、USNAとしても日本に来ていたのは寝耳に水だったらしく、途中でそっちの対応を優先し始めて、俺や『ビッグバン』は一旦放置になったそうだ」

 

『悪運がお強いことで』

 

 次に皮肉を言ったのは将輝だ。文也はトラブルを何かと呼び寄せる、または自分から起こすが、絶妙に最悪を回避するのだ。

 

「で、パラサイトの件が一段落着いたらしく、優先順位がまた『ビッグバン』と俺に切り替わった。それがここ数日の事だと。そんでもって、昨日の夜に俺と司波兄を同時に襲撃したらしい」

 

『え? 司波達也が!?』

 

「パラサイトの件で相当USNAと接触してたみたいで、何やらひと悶着があったらしいな。そのひと悶着の内容までは知らなかったみたいで聞き出せなかった。そのゴタゴタのせいで、元々九校戦で技術力が悪目立ちしていたこともあって、『ビッグバン』に深い関わりがあると認められたらしい。ちなみに俺も開発者の有力候補だったらしいぜ。鼻は高いけど金玉は縮んじまうぜ」

 

「それで、司波君は!?」

 

「今朝電話してみたんだけど、無事だったらしいぜ」

 

「そうか……USNAはよっぽど余裕がないみたいだな」

 

 ネイサンから達也の襲撃も聞いた文也は、起きてからすぐに達也に電話をかけた。最初はなぜか出なかったが――達也が送信主を見るなり面倒を悟って無視したのが真相だ――しつこくコールし続けたらようやく通話に応じた。怪我の具合や事の真相を尋ねたところ、無事撃退したらしい。

 

 達也の無事を聞いた駿は、安心したのか、今度はUSNAにあきれた様子を隠そうともしない。確かに、文也は世間を騒がせるCADエンジニア『マジュニア』だし、達也は同じかそれ以上に影響力がある『トーラス・シルバー』の片割れだ。USNAはその情報を掴んでいないみたいだが、日本の、または世界の魔工師の中でも、二人はトップに位置する。しかし、だからと言って、原理すら一切不明の戦略級魔法の開発者だと決めつけ、あまつさえ他国で暗殺をもくろむというのは焦りすぎだ。何かネイサンも知らない判断材料があったのかもしれないが、それにしたってリスクが大きい。達也は、100%言いがかりで襲われたのだ。

 

「で、俺の方を襲ったのが、このネイサン・カストルってわけだ。なんとあのスターズの二等星級だぜ。しかもあっちは俺にガンメタ張った古式魔法師だ。五体満足でタイマン勝利した俺を褒めたたえろ」

 

『はいはい、すごいすごい』

 

『いや、まあ、本当にすごいんだけどね? 素直に褒めるのはなんか癪だなあ』

 

 文也のおふざけに、将輝と真紅郎が即座に反応する。世界最強の魔法師部隊と言われるスターズ、そこの上級兵士と戦って、結果としてほぼ完全勝利したのだから、実際とんでもないことなのだが、とても褒める気にはならなかった。

 

「さて…………で、ここからが問題なんだけどよ。……………悪いお知らせしかないな」

 

 そんなふざけた空気から一転、文也の顔が暗くなる。演技でもおふざけでも演出でもない。本気で暗くなる文也に、あずさたちはこれから彼の口から話されることを、一字一句聞き逃すまいと身を乗り出す。

 

「まず、司波兄と俺だけど、どうやら司波兄の方が脅威と思われてたみたいで、ネイサン・カストルよりも、はるかに、強力な兵士が出陣したそうだ」

 

「それって?」

 

 あずさは、口が重くなりつつある文也の次の言葉を促すために、彼の手を握りながら問いかける。文也の手は、じっとりと汗ばんでいた。握り返してくる力は、いつもよりも強い。あずさは手を伝って、文也の恐怖と不安を感じ取った。

 

「アンジー・シリウス」

 

 そして、その次の言葉を聞いて、全員が衝撃で絶句した。

 

 アンジー・シリウス。各国が正式に発表している戦略級魔法師・十三使徒の一人で、使用する戦略級魔法『ヘビィ・メタル・バースト』は十三使徒の魔法の中でも随一の破壊力を誇る。シリウスは夜空に輝く一等星でも最も明るい星の名であり、世界最強の魔法師部隊・スターズの中でもさらに最強の魔法師に与えられるコードネームだ。

 

「司波兄は、アンジー・シリウスと、昨夜も含めて、吸血鬼をめぐって幾度か交戦していたそうだ。そして昨夜ついに、本気の襲撃が行われた」

 

『あいつは……いったい何者だ?』

 

 将輝は、誰に問いかけるというものでなく、独り言で呟く。この場にいる全員が、それと同じことを考えていた。考えているのは、アンジー・シリウスのことではない。その襲撃を受けた、達也についてだ。

 

 アンジー・シリウスは、世界中に名をとどろかせる、世界最強の魔法師の一人だ。そんな存在から達也は襲撃を受け、生き残った。

 

 規格外のサイオン量を必要とする『術式解体』・最高難度に数えられる『分解』・原理不能の再生魔法の使い手、『トーラス・シルバー』の片割れ、国防軍と深い関係がある、社会の闇に詳しく何かの組織が裏にいるとみられる。これらだけでも、およそ高校生とは思えない。それは全員が分かっていたが、それに加えて、世界最強の魔法師の襲撃を受けて生き残ったとなれば、いよいよ、達也が何者なのか、全く分からなくなってきた。

 

「…………で、その事実確認も電話で聞いたよ。司波兄は珍しく一人で外出していたタイミングでアンジー・シリウスらUSNA軍に襲われ、撃退して命からがら逃げきったそうだ」

 

『周辺で大規模な破壊は報告されてないぞ。『ヘビィ・メタル・バースト』は使わなかったのか?』

 

「いや、その推測は若干怪しいぜ親父。あのインディアンの色男によると、原理はよくわからんらしいが、何やらコントロールする装置があるらしいぜ。その装置の名前すら知らないらしいから、よっぽどの機密だ。司波兄曰く、戦いの中で使われた覚えはないそうだがな」

 

『そいつは悪いお知らせだな。あの破壊規模で自由自在コントロール可能ってことか?』

 

「そう悲観論で考えた方が良いかもしれません。でも、破壊が起こる程のプラズマ放出をコントロールする……原理が全くわからないですね……」

 

『そもそもコントロールしてどんな形にするんだろう。元が水平方向に円形に拡散する感じだから……拡散の距離制限をするとか?』

 

 エンジニア肌の文雄、あずさ、真紅郎がそれぞれ好奇心まじりに反応を示すが、どれも要領を得ない。都市一つが丸ごと滅ぶ魔法が、予測不可能の方法でコントロール可能で、そしてどのような形にコントロールするのかすら、全く分からない。例えば今この瞬間にも、この一帯がまるごと破壊されて、文也たち三人が死亡するということすらあり得る。

 

「そしてさらに悪い知らせだ。あのインディアンが俺の襲撃を担当したみたいだが、司波兄と吸血鬼の件がなければ、元々はアンジー・シリウスが俺を襲撃する計画だったらしい。そして、あのインディアンが失敗して捕らわれの身となれば、そのあとに俺を襲うのは当然――」

 

「アンジー・シリウス……」

 

 文也の言葉に続いて、あずさが震える声でつぶやく。

 

 この最悪の予測は、当然の帰結だった。

 

 文也はネイサンを捕らえて拷問し、アンジー・シリウスが背後にいると知った時から、このことを覚悟していた。

 

「そういうわけで、俺らは今日、学校を休むことにした。この家がバレてないとすればこの上なく安全だし、それに『拷問部屋』とあのインディアンはそうそう隠れて動かせない。この家からは動かないのがベストだ」

 

『ちっ、俺も本当はそっちに行きたいんだけどな』

 

 息子の命の危機に駆け付けることができない歯がゆさを、文雄は拳にして壁にぶつける。勤務先である第四高校は静岡県浜松市、今いる隠れ家は東京、すぐに駆け付けることはできない。今は入学試験と期末試験の準備が佳境に入って忙しい時期であり、一時的に帰宅することすらできない。この文也の危機は、あくまでも「秘密」だからだ。

 

 文也は、一方的な理由で外国の軍隊から命を狙われている。この事実を公にして大問題にし、手を出されないようにするというのが、一番有効な手だ。

 

 しかし、一度襲われるまではその事実は確定ではなく、これまではその方法がとれなかった。今ならそれをすることができるが、それをするには、拷問をした捕虜の存在が問題だ。もしこの文也の危機を公にするとしたら、捕虜を拷問したという事実も明るみに出る。多少の同情は得られるだろうが、ここから先の人生の障害になるだろう。しかしだからといって拷問をせず放置、というわけにはいかない。即座にUSNA軍が持っている情報をなるべく多く知る必要があったからだ。もし拷問がなければ、アンジー・シリウスが来ているということすら知ることができなかった。そうなれば、大問題にして広まる前に、不意打ちの一撃を食らって死んでいただろう。

 

 そういうわけで、文雄はこの事情を学校に説明することすらできない。一時的に家に帰るための理由が、用意できないのだ。

 

「だから、これからしばらくはずっと俺らは気を張ってなきゃなんねえ。それとなるべく、俺らの周りにも、それとなく警戒態勢を整えるよう伝えておいてくれ。同時襲撃の可能性もあるからな」

 

 USNA軍は、文也の抹殺を邪魔する者たちも、間違いなく殺そうとする。今のところ本格的な協力関係にあると知られているかどうかは定かではないが、少なくとも、あずさ、駿、将輝、真紅郎が彼の親友であることは周知の事実だ。そこから協力関係を類推されて同時襲撃をされる可能性もある。これまでも、適当に理由をつけて厳戒態勢を維持していたが、これからはより一層必要だろう。

 

 文也のその言葉を皮切りに、それぞれの家族がどう動くべきかの作戦会議が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんとか誤魔化すことができたな」

 

 文也から電話がかかってきたとき、達也は気が気でなかった。

 

 昨夜の真夜の報告通り、文也はUSNA軍に襲撃されたものの返り討ちにし、生け捕りにしたらしい。そして今朝になって、達也にUSNA軍との戦闘についての質問の電話をかけてきたのだ。察するに、何かしらの方法で鍛え抜かれた軍人から情報を抜き取り、達也が襲撃されたことを知ったのだろう。

 

「その、井瀬君はどこまで……?」

 

「俺がアンジー・シリウスに襲われたこと、俺が襲われた理由、俺が今こうして生きてること、この三つだ」

 

 そばで電話を黙って聞いていた深雪の不安そうな質問に、達也はその不安を和らげるように頭を撫でながら答える。

 

 達也が今言ったこと以外にも文也の方からいろいろ質問はされたが、それにはあえて嘘を答えた。よほど心に余裕がないみたいで、文也は意外にもあっさりそれを信じてしまったのである。

 

 まず一つ、『ヘビィ・メタル・バースト』を使われなかったというのは嘘だ。リーナはブリオネイクを使用して『ヘビィ・メタル・バースト』を収束ビームにして達也に使用した。文也は、もしかしたら拷問を通じて『ヘビィ・メタル・バースト』をコントロールする何かしらの存在を知っているかもしれないが、相手は二等星級であり、どういう原理でどうコントロールするのかまでは知らされていないだろう。達也があえて嘘を言うことで、『ヘビィ・メタル・バースト』は使われないと勘違いするかもしれないし、少なくともあの収束ビームへの準備はできないだろう。

 

 それともう一つが、達也が命からがら逃げきったという点だ。確かに腕が丸ごと吹き飛んだりもしたが、それはすぐに『再成』したから実質無傷だ。ただ気絶させてあとは放っておくという余裕の対応を見せつけた。命を狙われて、その相手を生け捕りに出来るのに、ブリオネイクを奪ったり、捕虜にしたりしなかったのは、これ以上絡まれるのが面倒だったのと、あとは情けだ。それだけ、達也は(本人は自覚していないが)余裕なのである。

 

 こうすることで、文也から見た達也は「襲撃されたが、命からがら逃げきっただけなので、なんら情報は持っていない存在」となった。彼から見た達也の情報価値は低くなり、結果として文也は、有効な情報を逃すこととなる。

 

 達也が文也に情報を与えない理由、それは、文也がリーナに殺される確率を少しでも高くするためだ。

 

 間接的に殺害に加担するのは、この際仕方がないこと。しかし、せめて最愛の妹や自分の手は汚したくないのである。

 

「リーナがアンジー・シリウスということは知らないのですか?」

 

「少なくとも確認はされなかった。あの様子だと知らないだろうな」

 

 文也にとっての何よりの情報は、アンジー・シリウスの正体だ。交換留学で同じクラスに来たリーナがそれであると知っていれば、全くの正体不明であるよりかは対応がしやすい。それもまた、達也は知っていてなお教えなかった。恐らく、リーナはよほどの親しい相手か上層部でもない限り、同じ仲間にすら正体を明かしていない。あの禍々しい赤髪の鬼の姿で対面しているのだろう。

 

 文也の包囲網は狭まりつつある。協力者となるであろう森崎家には、四葉が裏で手を引いて、今頃緊急のボディーガードの依頼が大量に来ている。これで手薄になるだろう。一条家もまた同様に、四葉が裏で操る使い捨ての犯罪組織が北陸で暴れることになっている。これで、文也たちを守る壁が手薄になるはずだ。さらにほかにも、万が一のことを考えて、いろいろな手駒を動かしているらしい。

 

(……終わったな)

 

 達也は文也の死を改めて確信し、小さくため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思えば日本に来てから、散々な目に遭わされた。

 

 世界最強の魔法師であるはずなのに、異国の高校生にことごとく負かされ続けた。

 

 駿には魔法式構築速度で上回られ続け、深雪には魔法競技で結局一度も勝ち越すことができなかった。アンジー・シリウスとして戦ってもなお、エリカには追い詰められ、達也に撃退され、その後また達也と「ニンジャ」たちに負かされ、深雪に負け、パラサイトが一高内に侵入した際には不覚を取り、そして昨夜はブリオネイクと『ヘビィ・メタル・バースト』を持ち出してなお達也に赤子の手をひねるように負けた。

 

 今まで積み上げてきた実績もプライドも、全てが崩れ去った。事情を知る者で、自分を「シリウス」にふさわしいと迷わず言える者は、もはやいないだろう。

 

 総隊長として訓練に明け暮れ、己の青春と自由を犠牲にし、祖国のために身をささげてきた。『処刑』にあたるときは、いつも心が悲鳴を上げていた。それでも耐えきっていたのは、総隊長・シリウスとしてのプライドと責任感だ。

 

 それが、日本に来てから、度重なる敗北によって崩壊した今、リーナは、怒りと復讐心で壊れそうな心を食い止めていた。

 

 自分がこんな目に遭う原因。諸悪の根源。日本に来る羽目になった理由。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(イノセフミヤ――!!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 得意の『仮装行列』で、赤髪の鬼の姿となる。その禍々しい姿は、怒りに歪んだ表情によって、より恐ろしさを増していた。そしてその姿に似合わない人工的で飾り気のない杖を構え、一見何の変哲もない民家に向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間――杖先から、破壊が線となって放たれた。




次回から怒涛のクライマックスです


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5ー10

「…………いきなり派手なエントリーしてくれるじゃねえか」

 

 2月16日午後10時、すっかり暗くなった住宅街に一筋の光線が現れ、破壊と轟音をまき散らした。

 

 崩れ去った瓦礫の中に身を隠しながら、文也はこっそり外の様子をうかがう。破壊が始まった方向を見てみると、そこには、街灯と月に照らされて浮かぶ、あまりにも禍々しい鬼がたたずんでいた。

 

(怪我はないだろ?)

 

(かろうじてな)

 

 文也は小声で傍にいるであろう駿に呼びかける。すると、同じく小声で、特に苦しそうではない駿の返事が返ってきた。

 

 破壊をまき散らした光線は幸いにして文也たちを直撃することはなかった。この家の間取りは外見とは全く違うものに見えるようにできている。外から見ると一番大きな部屋がありそうな場所は、実際はトイレだ。そのダミー構造が功を奏して、外部の第一波の直撃を免れることができた。

 

 外から見るとそこに重要な何かがあるように見えないが、実はそこにあるというリビングにいた文也たち三人は、家の崩壊に、反射的に魔法を使いそうになるのをこらえながら対応した。文也は隣にいたあずさを即座に抱きかかえて暖炉の中へ転がり込み、駿はそれよりも早く反応して頑強な机の下に潜り込んだ。暖炉も机も、災害や爆弾などの外部からの強力な破壊による家の崩壊に潰されないように作られた特注品だ。

 

 また、近代以降西洋建築化が進んできてもなお現代まで続いている屋内で靴を脱ぐ文化に反して、この家では屋内でも靴を脱がない。いつ襲撃が来ても、足元を気にせず戦えるようにするためだ。やりすぎだと前々から思ってはいたが、こうした事態になると、その想定はありがたい。

 

 そうして家の構造に守られた文也は、腕の中でおびえて震えるあずさが声を出してしまわないよう強く抱きしめて背中を撫でて落ち着かせながら、今にも叫びだしたいのをこらえてじっと身をひそめる。これでこっちが死んだと勘違いしてくれれば幸運だ。魔法を使わずに避難したのも、死んだと勘違いさせるためだ。

 

 赤髪の鬼は、無機質な杖を携えながら、慎重に様子を伺いつつ近づいてくる。文也はそれを耳と視界の端をよぎる影で確認しながら、内心で舌打ちをする。

 

 まさかここまで派手に攻めてくると思わなかった。閑静な住宅街でこれほどの音を出したら、誰かに気づかれるに決まっている。今こうして身を潜めているのは、近所の住人が気づいて通報してくれるのを待っているのだ。

 

 しかしこれだけの音なのに、周辺の家々では明かりが点く様子すらない。まるで、全ての家が留守かのようだ。

 

(くそ、こんなことってあるのかよ)

 

 背中をさする音すら出すのが恐ろしくて、代わりにより強くあずさを抱きしめながら、文也は歯噛みする。今日に限って、周辺の家々が、こんな時間だというのにすべて留守だ。USNAが何か裏工作をして目につかないようにしたのは明白である。

 

 赤髪の鬼はついに瓦礫と化した家に踏み入り、ライトで照らして周囲を探し始める。

 

 この隠れ家は、うすうすわかってはいたが、USNAに気づかれていたようだ。あの赤髪の鬼はUSNA軍の一員で、目的は、ここに潜んでいる文也の抹殺と、ネイサンの救出である。遠慮のない破壊からして、文也の抹殺が第一で、ネイサンの救出については「できれば」と言ったところだろう。

 

(くそっ、参ったな。あの光線魔法はなんだ)

 

 文也が奥歯を砕かんばかりに噛みしめながら考えるのは、あの破壊をまき散らした光線だ。およそ並の破壊力ではなく、また周囲の家に光線の破壊が直接及んでいないことから、距離も自在に制御できる。

 

 真っ先に思いつくのは、あの光線が極太の『流星群(ミーティア・ライン)』ではないかということだ。それならば、破壊範囲がこの家だけに留まるのも納得がいく。何せ、破壊光線を出しているのではなく、家の光の透過率を100パーセントにさせられてその部分が気化しただけなのだから。しかしこの魔法は、そうした破壊が起こるのではなく、あくまでそこに穴が空くだけだ。あの光線そのものが、破壊力を持つエネルギーを持つと考えた方が良い。

 

 次に嫌でも思いつくのが、あの光線が『ヘビィ・メタル・バースト』をコントロールしたものだということだ。原理不明だが、あの光線がコントロールされたプラズマで、それが高速移動することでその通り道に破壊がまき散らされたとなると、筋が通る。

 

(アンジー・シリウスだな)

 

 駿から、文也が使うような指と口の動きでやる単純で不便なものではない、まばたきによる暗号で伝えられると、文也はそれに確信を持って頷く。彼もまた、同じ結論に至ったようだ。

 

 その魔法を使うということは、あの赤髪の鬼は、最も恐れていた世界最強の魔法師・アンジー・シリウスだ。

 

(ハン、でも所詮人間だろ。例のインディアンと違って古式魔法師でもない。だったら……)

 

 腕の中のあずさの震えが収まったのを確認すると、文也はあずさをゆっくりと解放してから、音を立てないよう慎重に体勢を変え、右手首に仕込んだリストバンドを握る。

 

(『爆裂』。これでお終いだ!)

 

 いくら世界最強の魔法師と言えど、ことさらに『情報強化』を使っていないエイドススキンならば、それを超えるための式も組み込まれている『爆裂』で破れる。

 

 これを不意打ちで食らわせれば勝ち。文也は意気込んで『爆裂』をシリウスに向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし眼前の鬼は、血の花を咲かせることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(どういうことだ?)

 

 文也は手ごたえからして、『情報強化』で跳ねのけられた感じはしていない。むしろ、『爆裂』の魔法式そのものがエラーを起こした形だった。対象内に液体がない時と同じように、魔法式そのものは正常に作動したが、対象がいないとなって不発になったのだ。

 

『爆裂』が失敗したのを悟ったと同時に、文也たち三人も、シリウスも、同時に動き出す。不発ではあるが、魔法式自体は構築されており、それを当然、シリウスも感知した。不意打ちに失敗し、文也たちがまだ死んでいないと、悟られてしまったのだ。

 

 駿は一瞬で机から這い出して別の瓦礫に身を隠しながら、周辺のコンクリートの欠片を使った『ストーン・シャワー』をシリウスに向ける。呼吸が落ち着いたあずさも、まだ息は荒いがしっかりと『スパーク』をシリウスの足元に行使して麻痺させようとする。そんなあずさをかばいながら、文也は『爆裂』を中心とした攻撃魔法を一斉に行使する。

 

 それ対してシリウスは冷静だった。『ストーンシャワー』らの物体を使った攻撃は対物障壁で跳ねのけ、あずさの『スパーク』は『領域干渉』を足元に展開して無効化する。そして文也が発動した『爆裂』を中心とする直接干渉する魔法は、全てがエラーを起こした。

 

「こいつ、直接干渉する魔法が効かねえぞ! 全部エラーだ!」

 

「どういうことなの!?」

 

「知らん!」

 

 文也は叫んで警告しながら、目くらましのためにシリウスの眼前に『邪眼(イビル・アイ)』を発生させ、その後ろから鉄骨がむき出しになった瓦礫を移動魔法で動かして攻撃し、さらに懐から液化させた悪臭ガスが入ったペットボトルを投げつけて鼻先で『爆裂』させる。

 

 シリウスに直接干渉しない魔法はすべて正常に起動した。『邪眼』は光波振動を防ぐ障壁魔法で防がれ、瓦礫はより強力な移動系魔法で跳ねのけられ、悪臭ガスは空気を動かして風を起こす初歩の移動系魔法『風起こし』によって拡散されるが、魔法そのものはエラーを起こさなかった。推測通り、シリウスに直接干渉する魔法のみが何らかの理由でエラーを起こす様だ。

 

 不意打ちをすべてしのぎ切ったシリウスは、ついに姿を現した文也を禍々しくも美しい金色の瞳でにらみながら、飾り気のない十字型の杖を向けてスイッチを押す。そこから再び破壊をまき散らす光線が放たれるが、嫌な予感がした文也が即座に高速移動魔法を使って倒れこみながら避けたため、難を逃れた。

 

「国に帰れ!」

 

「ふみくんを狙わないで!」

 

 その隙をついて、駿とあずさが動く。駿は、今の攻撃のために移動系の障壁魔法が剥がれたのを目ざとく察知して、シリウス本人ではなく手に持っている十字型の杖を狙って足元の鉄骨を差し向ける。そしてあずさは、シリウスの死角から、相手のプシオンに直接干渉するのではなく、指定した領域にいる動物のプシオンの波を弱めて興奮状態を押さえる『カーム』の領域版を使用した。

 

 シリウスはそれらにも反応して見せ、『情報強化』で自身のプシオンを守りつつ、殺到する鉄骨を身をかがめて避けた。さらに、まずは邪魔者を消そうとあずさに杖を向けて光線を放つが、それは彼女が作り出していた幻影で、本物の横を通り過ぎる。

 

「高速移動してるのに、衝撃波が起きてないよふみくん!」

 

「高性能だなワンちゃんよお! それだったら、ビームを放つ前に『通り道』を作るはずだ! それを察知すれば避けれるぞ!」

 

 すでに『ヘビィ・メタル・バースト』の仕組み自体は、全員で共有している。重金属をプラズマ化させ、その時に生じる圧力上昇と電磁的斥力をさらに増幅させて、プラズマを超高速でまき散らす。いくらガスやプラズマと言えども、実体物が音速の何十倍、何百倍という速度で移動すれば破壊力は絶大である。

 

『ヘビィ・メタル・バースト』をビームとして放つというのを予測できたわけではないが、ビームの真横でも衝撃波がない、という事実に気づけば、この魔法の仕組みを事前に知っているので、この賢い三人はすぐに気付く。

 

 ガスやプラズマがそれほどの高速移動をすれば、激しい衝撃波が発生する。真横だというのにそれを一切感じなかったということは、衝撃波が発生しないようなコントロールもしているということだ。

 

 方法として真っ先に思いつくのは、衝撃波を防ぐ筒状の領域を杖先に作り出し、その中にビームを通すというもの。やっていることは全く違うが、目的の対象まで筒状の魔法領域を作るという点では、文也の魔法ライフルやピストルで使うような『疑似瞬間移動』と同じだ。つまり弱点も同じで、事前に筒が作られるということは、魔法の予兆や向かう先が事前に分かるということである。

 

「だったら、遠慮をしないだけだ」

 

「ほーん、日本語上手じゃん」

 

 文也の言葉に、シリウスがようやく反応する。機械で加工したような不自然なガサガサの声は、鬼のごとき姿と相まって不気味だ。その言葉は意外にも日本語で、また発音も悪くない。

 

 文也は再び杖先の照準から外れてビームをまた間一髪で避け、さらに発生した衝撃波を魔法でコントロールして体で受けて大きく距離を取りつつ、その日本語を褒める。今のは「通り道」の発生はなく、衝撃波も遠慮がなかった。文也の言葉で、事前察知による回避を嫌ってコントロールを止めたのだろう。

 

(意外に甘いやつだな)

 

 うっかり自分が口走ったせいで相手を本気にさせてしまったことを後悔しながら、文也は内心で自分にあらん限りの殺意と向ける鬼を評する。この見た目で、この威力で、この迷いのなさ。そんな存在から殺意を向けられて、さすがの文也も冷や汗が全身から噴き出し、今にも蹲りたいほどの恐怖を感じているが、一方で、その「隙」にも気づいた。

 

 相手からすれば、このビームの衝撃波をわざわざ抑える理由はないはずだ。現に、最初の一発、家を崩壊させた一撃は、ビーム上だけでなくその周辺にも破壊がまき散らされた。家をまるごと破壊するために、衝撃波も利用したのだろう。対人戦が始まってからも、衝撃波は自分さえ巻き込まなければ良いので、一手間挟んでまで相手へのダメージソースを減らさなくてもよい。

 

 しかし、つい先ほどまで、その衝撃波を抑え込んでいた。なるべく音を出したり周囲を破壊したりしないための配慮なのだろうが、わざわざ裏工作で周辺の家々を全部留守にさせたのだから、そこまでする必要はない。つまりシリウスは、こう見えて、無意識的に周囲を無差別に破壊しないよう配慮しているということだ。最強の魔法師と言えど、単身で三人相手に暗殺しようとしているのだから、「甘い」と言える。

 

 そんなことを考えながら距離を取った文也に対し、再度杖の照準が向けられる。崩れた家の残骸が散らばっていなくて足元が悪くない道路に着地をしたが、衝撃波を利用した無茶な移動のせいで着地に失敗していた文也は、バランスを崩して隙を晒していた。

 

 シリウスの口角が吊り上がる。転がって避けようとする文也の動きに合わせてあらかじめ移動先に照準を置いて、魔法を起動――しようとしたところで、シリウスは一時中断し、『領域干渉』と障壁魔法を展開し、あずさと駿からの攻撃を防ぐ。

 

(やっぱり甘いな)

 

 その隙を晒したシリウスに、文也は間一髪で作戦が成功したことに冷や汗をかきながら、駿から学んだ『クイック・ドロウ』で魔法ピストルを抜き、シリウスに銃口を向けて、引き金を何度も引いた。

 

 貫通力に特化した形の炭化チタンの銃弾が音速の三倍で放たれる。ロングバレルの中を通っている間に超加速した弾丸は、その速度を慣性で保ちながら銃口で『情報強化』が施され、魔法によって防ぐことができない凶弾となる。アニメや漫画のように、放たれてから避けることは不可能だ。普通のピストルですらそんなことはできないし、できたとしてもその高速移動に脳や目玉や内臓が耐えられなくて潰れてしまう。シリウスはこれを逃れることはできない。

 

(お終いだ、シリウス!)

 

 文也は心の中で勝利宣言をした。

 

 そんな文也の目の前で――銃弾はすべて、空しく瓦礫の中に転がり落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ずいぶん舐めた真似をしてくれたな」

 

 リーナは加工した声でそう言いながら文也を睨み、内心の焦りを隠す。それを見た文也は目を見開き、驚きで動くことすらできなかった。

 

「私を誰だと思っている。私はUSNA軍スターズ隊長、アンジー・シリウスだ」

 

 身動きができない文也を見て余裕が生まれ、少し愉快な気分になったリーナは、口角を吊り上げて嗤い、文也を見下して嘲る。

 

 リーナは、世界最強の魔法師だ。そんな彼女の魔法力は、ほぼ全ての面において他の追随を許さない。干渉力も然りで、十三使徒最強の威力を誇る戦略級魔法を使える彼女のそれは、常識はずれのものなのだ。

 

 物理的な攻撃に対する魔法師のメジャーな防御手段は障壁魔法だ。移動物は移動系魔法や加速系魔法で速度をゼロにする領域の障壁魔法で防ぐ。しかしこれには欠点があり、その魔法の干渉力を上回る現象に対しては全くの無効となり、紙切れ一枚にも及ばない。そのために対魔法師兵器として、威力を爆発的に高めたハイパワーライフルが存在する。また、魔法師の知覚外から攻撃して魔法すら発動させず、また音速をはるか超える速度が出るため一流の魔法師でもそう防げない威力を誇るスナイパーライフルも有効な対策だ。

 

 その恐ろしさを佐渡で体験した文也が生み出したのが、対魔法師用魔法兵器である魔法ライフルだ。そしてそれの携帯性と隠密性を高めて速度を控え目にしたのが、この魔法ピストルである。ライフルと違って本体の大きさもバレルも小さいそれは、元々の速度も音速の三倍程度で、また空気抵抗による減速も防げない。しかし、対魔法使用に開発された一般的なハイパワーライフルをはるかに上回る威力であり、ほぼ全ての魔法師は防げるはずはなかった。

 

 しかし、リーナは、防げる。世界最高クラスの干渉力を持つ彼女は、『鉄壁』の名を誇る十文字にはやや劣るものの、障壁魔法の強度もまた最高クラスだ。元の魔法ライフルと違い、音速の三倍、つまり「普通のスナイパーライフル」と同程度にまで落ちた攻撃は、防ぐことができるのだ。

 

(そうは言っても、危なかったわね)

 

 しかしそれは、彼女と言えども間一髪だった。あとほんの少し弾速が速ければ、あとほんの少し反応が遅れていれば、彼女の体を銃弾が貫いていた。間に合った理由は、昨夜に見てその存在を知り、警戒していたから。それともう一つが、文也が安全策に走って距離を取ってしまっていたからだ。

 

 リーナは強気の言葉で動揺を隠して、背筋に走った悪寒を誤魔化す。

 

 文也は、半ば本気だろうが、もう半分は演技で、あの道路に倒れこんでいた。USNAの主目的は文也であり、リーナがまず自分が隙を晒せば優先的に狙ってくることを読んでいたのだろう。それにまんまと引っかかってしまい、あずさと駿が攻撃する隙を生んでしまった。いくら彼女の魔法力と言えど、『ヘビィ・メタル・バースト』とそれをコントロールするための魔法を使用するにはかなりのリソースを割く。今こうして座標情報と見た目を『仮装行列(パレード)』で改竄しながら戦っているだけでも、実はギリギリだ。あずさと駿の攻撃をしのぎながらの攻撃は不可能であり、文也への攻撃を中断してその二人に対応せざるを得なかった。それもまた狙われていた隙だった。あやうく凶弾に倒れるところだったのだ。文也が、もし失敗した時のために少しでも攻撃を避けられる確率が上がるように距離を取っていたのが、皮肉にもリーナにとって大きな助けになったのだ。

 

「くそっ、化け物め!」

 

 文也はなおも銃口を向けて音速を上回る銃弾を発射し続けるが、リーナも軍人、ましてや銃社会のUSNAに生きる身だ、銃で狙われているときの対処は慣れたものだ。文也の腕はアマチュアレベルであり、不規則にステップを踏んだりして動き回っていれば、まず当たることはない。また自分の後ろにあずさや駿がいるように動けば、その貫通力の高さから、文也は射撃ができない。このピストルは恐ろしい兵器ではあるが、自由自在に距離もコントロールできる『ヘビィ・メタル・バースト』のほうが、はるかに強い。

 

 三対一だというのに、リーナは文也たちを圧倒していた。対人魔法戦闘において一番効率が良い直接干渉魔法は、エイドス上の座標情報を改竄する『パレード』によって完封できる。あとは他の攻撃を、適時障壁魔法や『領域干渉』で防ぎながら、当たれば一撃必殺のビームを当てるだけだ。

 

(ま、高校生にしては、そこそこやるんじゃない?)

 

 三人の連携は、一流の軍人であるリーナから見ても、洗練されたものだ。また個々の実力も高校生とは思えないほど高い。文也とボディーガードのキャリアがある駿は言うに及ばず、戦闘適性が高いと思えないあずさも、全く鍛えられていないとても小さな体と鈍い反応速度を、素早くまた精密で効率的な魔法でカバーしている。

 

(ワタシじゃなければ、負けてたかもね)

 

 リーナは余裕の嗤いを浮かべ、彼女に誘導されて瓦礫に足を取られて転んだ文也に照準をつけ、『ヘビィ・メタル・バースト』を起動する。

 

(これで終わり!)

 

 文也が避ける様子はない。魔法の行使速度とビームの速さを考えれば、もう絶対に逃げられない。

 

 

 

 

 

 

 ――そう勝ちを確信した彼女の視界に、一筋の光の弾丸が現れる。

 

 

 

 

 

 その弾丸は、彼女のもとにCADから返ってくるサイオンパターンを乱し、『ヘビィ・メタル・バースト』を不発とさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「残念だったな!」

 

 過去最高に命の危機に瀕したことに冷や汗を感じながら、文也は自らを元気づけるようにわざと激しく起き上がり、怒鳴るようにシリウスをからかう。

 

 シリウスが使う『ヘビィ・メタル・バースト』は、その難度と規模に見合わないほどの速度を持っている。破壊力は絶大で、どんな障壁魔法でも、どんな材質の盾でも、防御はできない。

 

 だから――魔法式そのものを無効にしてしまえばよい。

 

 しかし、『領域干渉』や『情報強化』では、彼女の干渉力を上回れない。また達也のように『術式解体(グラム・デモリッション)』や『術式解散(グラム・ディスパーション)』をするのは不可能だ。

 

 だが、魔法師ならばほぼ全員が使える基本の魔法で、かつどんな魔法も理論上無効化できる対抗魔法がある。

 

 それが――『サイオン粒子塊射出』。

 

 他の対抗魔法とは違って、魔法式ではなく起動式を不発にさせる方法だ。

 

 魔法師はCADにサイオンを流し込み、そのサイオンパターンに従って起動式を魔法師へ返す。そしてその起動式を使って、魔法師は魔法式を構築する。これが現代魔法の魔法発動までの簡単なプロセスだ。

 

 ここで、魔法師がCADを流し込む段階、またはサイオン信号で起動式を魔法師に返す段階のどちらかに、他者のサイオンを混ぜ込めば、サイオンパターンが乱されて、起動式の送受信そのものが失敗して、魔法は不発となる。これを、一番燃費良く、それでいて不意打ち的に行えるのが、『サイオン粒子塊射出』なのだ。

 

 当然、これには大きな欠点がある。まず一つが、他の対抗魔法と違って魔法式に作用するものでなく、その前段階の起動式に干渉するものなので、相手をはるかに上回る速さを求められること。もう一つが、実物の銃弾ではなくサイオンの塊と言う不安定なものを、正確に射出しなければいけないこと。『サイオン粒子塊射出』自体は無系統魔法の基本だが、それを実用レベルで使うには、相手を圧倒的に上回る速さと射撃の正確さが必要だ。

 

 そしてこの場には、世界最強の魔法師すらを圧倒するほどの速さと、幼いころから鍛えた射撃能力を持つ魔法師がいる。

 

「残念だったな」

 

 駿はいつのまにか様々な魔法を使うために使っていた汎用型CADをサスペンドして、拳銃型の特化型CADに切り替えていた。その照準は、動き回るシリウスの手元を正確にとらえ続けている。

 

 そう、この『サイオン粒子塊射出』は、駿が自分の適性を判断して新たに見つけた、誰にも負けない切り札だった。それは、敵を素早く制圧し無力化するだけではなく、敵の攻撃を無力化して対象の身を守るという、ボディーガードの本領に重なるものだ。

 

「ここから先は、少なくとも『ヘビィ・メタル・バースト』だけは邪魔させてもらうぞ」

 

 さすがに汎用型CADでは間に合わないみたいで、駿は『サイオン粒子塊射出』を使うための無系統魔法しか使えない特化型CAD一本に絞っている。確実に起動式を無効化するためにはこうするしかないのが、この切り札の大きな欠点だ。無系統魔法は物理的な攻撃力に乏しく、駿の攻撃能力は低くなってしまう。

 

「こっから回転数を上げてくぜ!」

 

 その代わりに、一番守られるべきターゲットであるはずの文也が、攻撃にアグレッシブに参加してきた。一撃必殺の『ヘビィ・メタル・バースト』が使いにくい接近戦を仕掛けて、一瞬で死ぬことを防ぐつもりの様だ。

 

「舐めるな素人が!」

 

 シリウスが吠える。見た目からして女性の様だが、軍属なだけあってその白兵戦技術は高い。体格が小さく、技能もせいぜいが喧嘩が強い不良程度でしかない文也など、赤子の手をひねるように倒すことができる――はずだった。

 

 しかし、シリウスの攻撃は文也に通らない。文也は小さな体を目いっぱいに動かし、小型ナイフや足元の小石を利用した格闘戦を仕掛けながら、大量の魔法を同時に使用している。知覚強化魔法、高速移動魔法、硬化魔法、幻覚魔法、さらには死角からの攻撃魔法まで、目にもとまらぬ速さで次々と行使しているため、シリウスはそれに追いつくので精いっぱいだ。

 

「貴様あああああああ! なぜCADに触らずに魔法を使っている!!!」

 

 シリウスが、一瞬息切れした文也から距離を取り、足元に展開されたあずさの妨害魔法を跳ねのけ、杖先を文也に向けながら吼える。冷静な軍人の姿はそこにはなく、怒りに任せて強大な力を振るう鬼と化していた。しかしその強大な力は、飛来したサイオンの弾丸によって無力化される。しかしそれは予想できていたようで、代わりにシリウスの戦闘服の中からいくつものナイフが現れて、まるで踊るようにひとりでに動いて駿に襲い掛かる。USNA軍の得意魔法、『ダンシング・ブレイズ』だ。

 

 しかし駿は冷静だ。ぎりぎりまで照準をCADに合わせながらもさっきまで文也とあずさが避難していた暖炉の後ろに身を隠してその凶刃をやり過ごす。

 

 これで駿に隙が生まれ、今度こそ『ヘビィ・メタル・バースト』を発動しようとする。しかし文也は「予備動作なしで」また至近距離まで近づいてきていたため、やむなく中断してまた近接戦闘に付き合わされる。文也の動きは、格闘戦に集中しているという意味では全く無駄がない。つまり、「魔法を発動するための動作がない」のだ。

 

 通常魔法師は、CADを起動するために、何かしらの方法でCADに触れる必要がある。例えば一般的な汎用型CADなら数字パネルを押す必要があるし、拳銃型CADなら引き金を引く必要がある。文也のCADやあずさのロケット型CADのようなごく単純なものでも、魔法行使にはスイッチを押す必要がある。また変わったところでは、レオのCADのように音声認識で作動するものもある。

 

 しかし文也は、音声認識すらさせている様子もなく、次々と魔法を行使している。CADに触れずに思いのまま自由に魔法を行使するその姿は、魔法の存在が世間に広まる以前にあった、ファンタジーの世界の魔法使いのようだった。

 

 しかし、シリウスの目は、サイオンの流れから、文也が全身に仕込んだCADを介して魔法を使っていることを敏感に察知している。文也の体からは、魔法の種類に応じて、体中のCADにサイオンが供給されているのだ。

 

 ――世界には、CADを開発する会社がいくつも存在する。

 

 その中でも特に名前が目立つのは、業界最大手であるドイツの『ローゼン・マギクラフト』、同じく最大手であるアメリカの『マクシミリアン・デバイス』。また会社規模は世界的に見れば大きくはないが、技術力で言えば世界最高と言われている、ループ・キャストなどの画期的なシステムを開発した謎の天才エンジニア『トーラス・シルバー』を要する高性能高級デバイスを販売している『フォア・リーブス・テクノロジー』も有名だ。

 

 そうしたトップ企業たちは、新しい技術であるCADの開発が一段落した段階で――これは実にここ半年のことだ――あるCADの開発にこぞって乗り出した。

 

 それは――スイッチなどの物理的な動作条件を要さない、完全思考操作型CADと呼ばれているものだ。

 

 手や足、音、センサーといったものではなく、思考操作のみでCADを使用するというものだ。

 

 その方法はさまざまに模索されてきた。例えば脳波を読み取って起動する、無意識の目の動きで起動する、などだ。しかしそれらは誤作動や不発が頻発し、また脳波読み取りに関しては精密で携帯性に欠ける機械が必要になるなど、欠点だらけだった。

 

 そうした中、先の三つの企業と違って「悪目立ち」している有名企業『マジカル・トイ・コーポレーション』の秘密のエンジニア『キュービー』と『マジュニア』こと文雄・文也父子は、ある一つの発想に思い当っていた。

 

 それは、直接思考で操作するのではなく、思考で操作できるものを介して操作をすればよいのではないか、というものだ。それはすなわち、サイオンである。

 

 サイオン波のわずかなパターンの差で起動式を選ぶというのは、文雄の武装一体汎用型CADであるモーニングスターですでに実践済みだ。それを応用すれば、CADをサイオンのみで操作できるのではないか、と、思いついたのである。

 

 その一つの結実が、文也が夏休み前に論文コンペ審査に出した「完全思考操作型CADの開発とその利用方法」という論文だ。この論文には、サイオンでCADを動作させて起動式を読み取るまでの方法と、それの考えられる利用方法が書かれている。

 

 しかし、これを書いた段階からしばらくは実用化には至っておらず、文也レベルのサイオンコントロール能力ですら実用化できるぐらいになったのは12月に入ってからで、『マジカル・トイ・コーポレーション』が発売を発表したのは年明け直前だ。

 

 これはスイッチを押すという動作を省略できるという点で、現代魔法がより便利になる画期的な技術だ。これからの魔法戦闘は、よりサイオンコントロール能力に優れた魔法師が有利になっていくだろう。

 

 そして、この技術を世界で最も有効に活用できる人間こそが、開発者である文也だ。

 

 文也のサイオンコントロール能力は随一で、魔法を行使する際に余剰サイオンが「全く」出ない。他のCADに干渉することもなく、達也ですら二つまでが精いっぱいの『パラレル・キャスト』を、無数のCADで行える。それらの魔法を全て完全思考操作型CADで行えば、「一切の動作なしで」無数の魔法が同時に行使できるのだ。

 

 こうして文也は、シリウスと格闘戦をしながらも、多数の魔法を併用して追い詰めている。

 

 シリウスからすればたまったものではない。接近戦のため頼みの『ヘビィ・メタル・バースト』は使えず、素人レベルの相手と言えど魔法で強化されれば相応にリソースを割かなければならない。それに加えて、意識と視界の死角からは多種の攻撃魔法が飛んでくる。シリウスはいわば、単独で何十人もの魔法師を相手にしている状態だ。一つ一つのレベルはさほど高くはない。これで実際に何十人もの魔法師だったならば、まるごと『ヘビィ・メタル・バースト』で消し飛ばせるだろう。しかしその大元は文也と言う一人の人間。しかもそれを潰すための魔法は、駿によって無効化されてしまう。シリウスは一気に、不利に追い込まれた。

 

(でもやっぱ、決め手がないんだよなあ)

 

 文也は俄然有利に、それでも疲労蓄積が数倍増した戦いに身を投じながら、最初の襲撃からどれだけの時間が経っただろうかと焦りを覚える。こうして有利になったものの、今の自分では、このアンジー・シリウスを絶対に倒し切って撃退することはできない。直接干渉する魔法は未だに原理不明のままエラーが起こるし、外部からの攻撃は強力な対抗魔法に阻まれる。急激にギアを上げた戦いにもすでに対応され始めていて、文也の接近戦もだんだんと追いつかなくなってきている。

 

 一方でこちらは、有利と言えば有利なのだが、一度でも誰かがビームを食らってしまったら最後、即死または戦闘不能になり、一気に敗北するだろう。いわば今の状態は、薄氷上の有利だ。これをいくら続けても勝ち切ることはできないし、一撃でひっくり返されるし、仮に持久戦にするにしても文也とあずさのスタミナが持たなくてジリ貧になる。

 

 しかし、文也はそれでもよかった。襲撃された直後、文也はポケットに入れていた携帯端末を操作して、仲間たちに救難信号を送っている。

 

 USNAとの交換留学が決まった後、文也たち全員は、端末に救難信号用のプログラムを仕込んでいた。襲撃されたらその携帯端末で一定の操作をすることで、ペアリングしている仲間たちにSOSと位置情報を送る仕組みだ。ネイサンに襲われたとき、比較的短時間で戦闘が終了したにもかかわらず、駿たちがすぐに駆け付けられたのは、戦闘開始時には救難信号を送っていて動き始めていたからだ。

 

 この救難信号は、将輝と真紅郎、そして文雄に送られている。直接干渉する魔法がエラーを起こすとなると将輝や真紅郎では苦しいだろうが、文雄ならばあの反則レベルの白兵戦で、シリウスを叩き潰すことができるだろう。静岡のごく西側に位置する浜松市からだと、緊急移動用高速ドローンでもかなりの時間がかかるが、到着まで持たせれば勝ちだ。

 

(――あ? どういうことだ?)

 

 ――文也はここまで考えて、違和感に気づく。

 

 救難信号を送ったら、すぐに向こうから今向かうという旨の連絡が来るはずだ。そのはずなのに、携帯端末は、その知らせを告げるバイブレーションを起こしていない。

 

 頼みの綱である文雄が来ないとなると、今の戦い方はすべて無駄になる。文也はアイコンタクトで駿とあずさにしばらく持たせてくれるよう頼み、いったん下がって完全思考操作の魔法で援護しながら、携帯端末を取り出す。その端末は、まるで何かの危機を知らせるように、ビカビカとライトを光らせていた。

 

「何があった親父」

 

『おせーよバカ息子!!!』

 

 手が塞がらないで話せるように、またあずさと駿にも聞こえるように、スピーカーモードで通話を初めて早々、電話の向こうから、文雄の大声が聞こえてきた。

 

 文雄の声は、息切れこそしていないが、明らかに何かの危機があって焦っている様子だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――こっちもなんかよくわかんねえ奴らに襲われてるんだよ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文雄の大声に、文也たちもシリウスも、一瞬動きを停止した。



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5-11

 2月16日、夜の浜松市。

 

 東京で文也たちが襲撃を受けて救難信号を出したのと数秒違わず、文雄もまた救難信号を送信するはめになっていた。

 

 単身赴任のために借りているマンションを出て、少しコンビニに夜食でも買いに行こうかと思って出かけた文雄は、寒さのせいかいつもよりもかなり静かな夜道で、いきなり黒塗りのつや消しされた鋭い針を投げつけられた。

 

 魔法すら使わない完全な不意打ちにも関わらず文雄はとっさに反応してそれを最小限の動きで避けると、針が飛んできた方向――絶妙に街灯の明かりが入らず暗くなった狭い路地に、ポケットに仕込んでいたパチンコ玉を投げつけつつ、その動作に紛れて救難信号を送る。

 

 手ごたえはない。それどころか、その路地裏だけでなく、屋根の上、ブロック塀の裏、街路樹の裏など、無数の方向から無数の針が襲い掛かってくる。

 

「毒針だな!」

 

 針は、よほどの急所にでも刺さらない限り、人は死なない。人体に詳しい彼はそれを知っている。しかし急所を狙っていると思えないはずのその針からは、明確な殺意を感じ取れた。

 

 毒針ならば、下手すれば刺さらずとも針に触れただけでも不味い。そう思い、即座に自分を囲うように移動系の障壁魔法を展開して、それらを一気に防ぐ。

 

「お前らは何者だ? アメリカか?」

 

 文雄は障壁魔法を保ちつつ、次々と姿を現した、身長も体格もばらばらで、それでいて服装は闇夜に紛れる黒ずくめで統一された集団に問いかける。しかしそれらは、当然のように答えることはなく、次々と針を取り出し、または別の得物を取り出して文雄に襲い掛かる。

 

「上等だコラ! かかってきやがれ!」

 

 文雄は、周囲の家々にわざと聞こえるよう大声で怒鳴りながら、モーニングスターを一瞬でくみ上げて応戦する。針は障壁魔法で防ぎ、直接干渉してくる魔法は『情報強化』で退け、つや消しされた刃はモーニングスターの一撃で返り討ちにする。返り討ちにされた身長が低めの黒ずくめの男の顔面は砕かれ、即死している。

 

 次いで向けられたのが、奇しくも達也がUSNA軍に使われたのと同じ、アサルトライフル型の武装一体型CADだ。帯電させられた銃弾が文雄に次々と放たれるが、それは障壁魔法で跳ねのけられる。しかし銃弾は落ちたものの、それが纏っていた電気は放出系魔法によって操作され、移動系の障壁魔法をスルーして文雄に襲い掛かる。しかしそれも予想していた文雄は、パチンコ玉の電導率を高めてばらまいて吸収させて防いだ。

 

「面白いもん使ってんじゃねえ――かっ!」

 

 文雄はその銃を放った一人に高速接近し、その腕にモーニングスターを振り下ろす。枯れたの枝のようにその女性の腕はいともたやすく砕かれて折れ、銃を手放してしまって簡単に文雄に奪われる。

 

 そして文雄はそれを利用して残りの残弾をすべて別の男の顔面に叩き込んで無力化すると、今度は先ほどばらまいたパチンコ玉を群体制御でまとめて操って放ち、飛来する針を弾き落としながら敵に攻撃する。しかしその敵は魔法式構築速度に優れていたようで、すぐに障壁魔法を発動して全部のパチンコ玉を跳ねのける。ところがそれは決定的な隙となり、高速移動した文雄は次々と敵を叩き潰して肉の塊へと変えていった。

 

「お前も現代アートになりたくなければ、素直に正体を話してくれると助かるんだけどなあ」

 

 文雄は一人だけになった男に、あえて邪悪に見えるような笑みを浮かべて脅す。

 

 当初襲われたときはUSNA軍だと思ったが、どうにもそれらしくない。どちらかと言えば、暗殺者やスパイやゲリラといった裏仕事に近い臭いを、文雄は感じていた。正規の軍人ではなく、USNAが保有する秘密部隊や暗殺部隊だろう。

 

 そんな文雄の脅しに対して、男は屈する様子がない。それどころかなおも抗戦の意志を見せ、針をいくつも投げつけてくる。

 

「そいつはもう飽きたぜ!」

 

 文雄はそれを加速系魔法で反転させたうえで逆方向に移動させ、男にやり返す。男は転がって避けたが、一本だけ躱し切ることができず、そのわき腹に浅いながらも突き刺さった。

 

(…………どういうことだ?)

 

 そこからの様子に、文雄は疑念を抱く。彼らは文雄に殺意を明確に持っていて、そのメインの得物が針だ。つまりこの針は、一撃必殺のものなのだろう。そうなると猛毒が仕込んであるのかと思ったが、男がその針を刺されて苦しむ様子もないし、焦って抜く様子もない。つまり、敵はあらかじめ解毒剤が投与されているか、はたまた毒ではない別の殺害方法を使おうとしているということだ。

 

 しかしそうなると、文雄にはどのようにやるのか思いつかない。向かってくる針は、その全てが急所を狙っている感じではない。急所ではなくても毒でない針を刺して殺せるとなると、あとは針を通して強力な電気ショックを流し込むぐらいしか思いつかないのだ。文雄は首をひねりながら、男に差した針に魔法で電気を流し込んで気絶させる。文雄ほどの魔法力でも、試してみたが即死とまではいかない。

 

(…………まあ、いいか)

 

 文雄はため息をついて、いったんそれについて諦める。

 

 真相を知るのは後でもできる。なにせ、今一人を全員殺してしまったが――まだまだ聞けそうな相手が増えたのだから。

 

「このままゴキブリ算でもするつもりか?」

 

 路地裏から、壁の裏から、屋根から、道の向こうから。今戦ったのとは比べ物にならない数の黒ずくめの人物たちが、次々と湧き出してくる。文雄は口角を吊り上げて嗤って強気を保とうとしながら、背筋を辿る冷や汗を意識せざるを得ない。

 

 文雄の感覚は、分かってしまっている。

 

 ――数が増えたというのに、一人一人の実力は、さきほどまでのやつらよりも上だ。

 

 

 

 

 

 

 

「こんばんは、井瀬文雄さん」

 

「お加減はいかがですか? なるべく悪いとこちらとしても大変喜ばしいのですが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその中でも、特に文雄の頭が警鐘を鳴らしているのが二人。

 

 一人一人が手練れであろう黒ずくめを従えるように闇夜に浮かんで優雅にたたずむ、ふんだんにフリルがあしらわれた黒いゴシックドレスを着た、まだ中学生ほどに見える二人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バカ野郎だったら早く連絡しろクソ親父!」

 

『こっちが一人で戦っている間に何回電話かけたと思ってるんだバカ息子!』

 

「親子喧嘩は後にしろ!」

 

 電話越しに怒鳴りあう二人を、駿は諫めながら、ついでとばかりにリーナがあずさを殺すべく使おうとした『ダンシング・ブレイズ』を無効化してくる。リーナはそれに多少の苛立ちを覚えながらも、それ以上に、別件で混乱していた。

 

(イノセフミオが襲撃を受けている、ですって?)

 

 今の会話は当然、リーナも聞いている。井瀬文雄。文也の父親で、第四高校の非常勤講師を務める筋骨隆々の魔工師。訪日以前は、一条将輝・司波深雪と並んで危険視されていた強力な魔法師だ。

 

 当然、USNAはその存在を警戒しており、文也を襲撃する際は、文雄が彼から離れている瞬間を狙うようにしていた。また単身で使える緊急高速移動用のドローンがあることは横浜事変ですでに分かっているため、短期決戦を狙うようにも指示されている。だからリーナは消耗が激しい『ヘビィ・メタル・バースト』を連発しているのだ。その配慮は残念ながらうまくいっていないが、しかし予想外のことに、文雄は何者かに襲われているらしく、未だ足止めを食らっているようだ。

 

(こういうことなら事前に言ってくれればいいのに、大佐ったら)

 

 リーナは驚きはしたが、ひとまず一番あり得そうな理由を見つけて納得した。今回はリーナの強力な破壊力を持つ魔法の邪魔にならないよう、また日本国内にいる戦力を相当消耗したこともあって、後方支援以外の人員をこの作戦に連れてきていない。しかし残存戦闘要員が皆無と言うわけではない。残った兵士が今、文雄の足止めをしているのだろう。

 

 バランスからは事前にこのようなことは聞いていない。恐らく油断させないため、余計なことを考えさせないための配慮だが、今まさしく戦闘中に驚きで動きが止まってしまったのを考えると、結果としては、事前に教えてほしかったというのが本音だ。

 

 こうなれば、リーナは特に焦らなくてもよい。他の仲間候補である将輝と真紅郎は石川県からだと間に合わないだろう。ならば、変に『ヘビィ・メタル・バースト』で消耗したりせず、相手の体力切れを待てばよいのだ。比較的燃費が良い魔法ばかり使ってまた素の体力がある駿はまだまだ戦えそうだが、素の体力がない文也とあずさは長期戦に持ち込めば戦力ダウンは間違いない。

 

(……思ったより疲れてるわね)

 

 リーナは『ヘビィ・メタル・バースト』の連発で思ったより消耗していたことに今更ながら気づき、文也たちに見えないよう苦笑する。自分で思っていたよりも、焦っていたようだ。

 

 ここからは普通の魔法戦闘に切り替えて、隙が生まれたら一撃で仕留める。リーナはそう方針を変えて、懐からナイフを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおっと!」

 

 シリウスのナイフは虚空を斬るが、その刃は、見た目よりもはるかに長い不可視のものであることは、当然知っている。文也たちは各々の動きで振るわれる不可視の刃をギリギリのところで回避しながら、それぞれが頭を巡らせる。

 

(親父は助けに来れない。会社の手勢は……いや、他の奴らも別動隊に絡まれてやがる)

 

 文也の端末には、他からも救難信号が飛んできていた。文也の家に待機していた『マジカル・トイ・コーポレーション』の手勢も襲撃を受けたらしく、今も交戦中。母の貴代はあずさの両親と一緒に森崎家に避難させたため今のところは無事だ。やたらと森崎家に外せない依頼が集中してきていて、駿の父で現当主にして森崎家最高戦力である森崎隼を筆頭に何人かが外れていて不安は残るが、生半可な魔法師が束になっても勝てないぐらいの戦力にはなっていており、またそちらからの救難信号はまだ出ていない。

 

 こうなるとこの森崎家からの援軍を貰うわけにもいかず、文也たちは、まだまだ時間がかかりそうな将輝たちを待つほかない。先行きは、楽観的な文也から見ても暗い。

 

(『分子ディバイダー』……いざ使われるとなると厄介だな)

 

 魔法師だから、辛うじて魔法による仮想領域の揺らぎを感知することができるが、それでも目で見えないというのは、反応を何歩も遅らせる。また長大な刃を振り回していても、あくまで重さがあるのはデバイス部分であるナイフのみで、遠心力や重量に煩わされず自由に振ることができる。文也やあずさならまだしも、駿の干渉力では、あの不可視の刃にエイドススキンが耐えられない。『ヘビィ・メタル・バースト』と違って一度発動されてしまうと効果が長続きするのもまた厄介で、駿は今や身代わり程度の役割しかこなせていなかった。

 

(見るべきは目線と肩とナイフ! 必ず仮想領域はその延長線上だから……相手に反応されない、ぎりぎりを見極めて先読みして避ける!)

 

 こうなった時、意外にも、一番善戦しているのはあずさだった。運動能力も反射神経も大幅に劣るが、USNA軍と戦うことになるかもしれないとなった段階で文也から教わった『分子ディバイダー』への対策を、忠実にこなしている。また、系統魔法の干渉力は及ばないが、精神干渉系魔法ならば、あのシリウスと言えども特別に強くした『情報強化』をかける必要がある。戦意を削ぐ『カーム』、プシオンの振動を強制的に止めて意識を一時的に薄くさせる『プシオンスタン』、熟睡時に似た波長のプシオン波を当てて共鳴させることで眠らせる『強制催眠』、それらの領域版を駆使して、確実にシリウスの動きを制限していた。

 

「ガンガンいこうぜ!」

 

 そして、シリウスがあずさの魔法に対応するために『情報強化』をしなおすために攻撃が止まった一瞬、文也がまた接近戦を仕掛ける。シリウスは冷静に再び『分子ディバイダー』を起動しようとするが、今度は間に合った駿によって妨害が成功し、不発に終わる。そして文也の攻撃を避けるべく移動した先には、あずさの領域魔法が置かれていた。一瞬意識が飛んで膝から崩れ落ちそうになったシリウスは、それでも気合で『情報強化』をかけなおして無効化する。しかし一度崩れたバランスを文也が見逃すはずもなく、足払いをかける。それでもシリウスは何とか踏ん張ったが、そこにダメ押しの得意魔法『スリップ』が刺さり、世界最強の魔法師は無様に瓦礫の中に転ぶ。

 

「これで終わりだ!」

 

 親友から習った『クイック・ドロウ』で魔法ピストルを抜いた文也は、頭めがけて即座に引き金を連射する。今度は至近距離、空気抵抗による減退も少ない。確実に決まるはずの、渾身の攻撃だった。

 

「何度も同じ手を食らうか!」

 

 しかし、文也たちの決定力不足を知っているシリウスは、それが自分に止めを刺せる唯一の手段であることを察していた。故に、接近された段階で強力な障壁魔法は完成させてある。干渉力ギリギリの威力を跳ね飛ばし、さらにその障壁魔法領域を文也にぶち当てて弾き飛ばし、すぐに立ち上がって体勢を整えながら、いつの間にか接近してきていた駿の顔面を後ろ蹴りで蹴飛ばす。

 

 これで文也と駿に決定的な隙ができた。シリウスは即座に杖を構え、一撃必殺のビームを放とうとする。

 

 しかしそこに、来るはずのない光の弾丸が飛来してきて、またも起動式の読み込みにエラーを起こさせた。サイオン粒子塊の速度からして、駿ではない。もっとこの分野に関しては未熟な魔法師によるものだ。

 

「させません!」

 

 それを放ったのはあずさだった。文也が障壁魔法に跳ね飛ばされ、その後ろからギリギリ間に合わず反撃を受けそうな駿が接近していた段階で、あずさは『サイオン粒子塊射出』の準備を始め、そして読み通り、『ヘビィ・メタル・バースト』の起動式を読み取るぴったりのタイミングで、置いて放っていたサイオン粒子塊が当たり、発動を阻止した。まだまだ未熟だが、相手の動きをここまで正確に先読みする能力は、USNA軍でもそうそう見られないものだ。

 

 そして彼女の行動は、それだけにとどまらない。なんとシリウスに接近戦を仕掛け、幼女のように小さな右手の人差し指と中指をくっつけて立て、それをシリウスの頭に突き出す。

 

 そのたおやかな指の先には、『分子ディバイダー』とは違う、常人には不可視の剣が生み出されていた。シリウスはそれが何であるかは分からなかったが、危険を感じ取ってその延長線上から逃げるべく首を傾けて躱し、その不安定な姿勢のまま驚異的なバランス能力で意外にもスラッとした長い脚を伸ばしてあずさも蹴飛ばそうとする。

 

「おっとさせねえぜ!」

 

 しかし脚を突き出そうとした場所に、大きめの瓦礫が高速で飛来してきて、シリウスは中断してあずさから離れる。またしてもシリウスは、大きなチャンスを逃した。

 

(うん、大丈夫……)

 

 ほんの至近距離を飛来してきた大きな瓦礫を全く恐れず、あずさはシリウスが離れたのを確認してから自分も下がって距離を取る。信頼する幼馴染のやったこと。万が一にも、自分に当たることはない。あずさは、今の一連の流れに確かな手ごたえを感じた。

 

 あずさの攻撃は、シリウスの動きに合わせた精神干渉系魔法の領域版が主となっている。この戦い方は、現在接近戦を主体としている文也と組み合わせると、この上なく相性が悪い。シリウスが入り込むように領域を作るということは、つまり接近している文也もそこに入ってしまうということである。二人同時にそれで戦闘不能になるなら儲けものだが、文也だけが同士討ちで戦闘不能になる可能性がかなり高い。しかし、文也とあずさの連携は、この無茶な戦い方を可能にする。言葉を交わすまでもなく、お互いにどうするのかが無意識で分かるのだ。あずさの魔法は文也の邪魔には一切ならず、それどころか彼の動きに合わせて、的確にシリウスの動きを制限していた。

 

 また文也と駿に隙が生まれたとき、あずさが攻めて時間を稼ぐというとっさの判断も有効に作用した。精神干渉系魔法がからきしな文也に代わった文雄に開発してもらった魔法剣の一種『洗脳剣(ハック・ブレード)』も、シリウスには通じそうだ。この魔法はその名の通り、相手を洗脳する剣だ。『高周波ブレード』のように、指先の延長上に特定の周波で振動させたプシオンの領域を作り、それで相手のプシオン体を貫く。そしてプシオン体の内側から無理やりその周波を浴びせて共鳴させることで、その周波に応じた精神状態にさせるというものだ。今の周波は、興奮状態を落ち着かせて戦意を喪失させる周波で放った。結果として避けられてはしまったが、「避ける必要性が相手にある」と分かっただけでも儲けものだ。

 

「くっ、しつこいやつらね」

 

 またも決めきれなかったことに、シリウスが毒を吐く。その声には、明らかな苛立ちが含まれていた。

 

「おいおい女言葉が出てるぜ。勇ましいシリウス様はどこいった?」

 

 そのわずかなほころびを、文也は見逃さない。先ほどまでの喋り方から、シリウスの素と思しき喋り方が漏れてしまっている。

 

「…………ちょっと待て、まさか、シリウス、お前」

 

 そして、からかうだけの文也と違って、駿は明らかに衝撃を受けた様子だ。文也が気づかない何かに、気づいた様子だった。

 

 駿は家業の都合上、海外の文化にもある程度詳しい。ましてや表向きは――第三次世界大戦前後のごたごたで日米安全保障条約などが全て破棄されたものの――同盟国のUSNAについては、外交に来た官僚の護衛を務めたことも一度や二度ではない。文也も、『マジカル・トイ・コーポレーション』がCADの輸出などをしているはずなのだが、あいにくながら興味がないため、駿ほどの知識はない。

 

「機械で加工されてはいるが、イントネーションそのものは変わっていない。声質だけだ。そのイントネーションと語尾には聞き覚えがある」

 

 駿は険しい顔をしてCADの銃口を向けながら、シリウスを睨む。まるでその駿が何か言うのを止めるようにシリウスは『ヘビィ・メタル・バースト』を起動しようとするが、その稚拙な攻めは駿の『サイオン粒子塊射出』によって無効化される。

 

「英語圏でのアンジェリーナの愛称はアンジー、アンジー・シリウスの正体が、アンジェリーナ、またはアンジェラではないかというのは有名な噂話だ」

 

「そうなのか」

 

「そうなんだ……」

 

 文也とあずさ、小さな二人が何か気の抜けた反応をしているが、駿とシリウスは気にしない。シリウスは、二人にかまっていられないほどに焦っていた。

 

「黙れ!」

 

 叫びながら、シリウスが駿に接近する。しかし、先ほどまでの動きが嘘みたいに焦りで拙くなったそれは、駿によって軽くいなされ、無様に道路に転んでしまう。

 

「まさか、正体を隠しているのにあだ名を被せるなんて馬鹿な真似はしないと思っていたが。その喋り方とイントネーション、魔法力、あだ名と名前、シリウスが最初は文也の対応をする予定だった……なるほどね。全て納得がいった」

 

 駿の目には、怒りが色濃く浮かび上がっていた。それは、シリウスに対する怒りだけではない。ずっと親友にとっての最大の敵がそばにいたのに、露骨なヒントがいくらでもあったのに、全く気付かなかった自分への怒りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、アンジェリーナ・クドウ・シールズだな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、赤髪の鬼の姿は消えて、代わりに金髪の天使が、そこに現れた。

 

「ええ、そうよ、よくわかったじゃない」

 

「むしろ分からないほうがどうかしてるな」

 

 身長も体格も骨格もすべてが変わり、そこには金髪碧眼の美少女・リーナがいた。悔し気に、それでいてどこか皮肉っぽい笑みを浮かべて、駿を睨んでいる。

 

「そんなっ……うそっ……」

 

 それを見たあずさは、口を押え、涙を流しながら膝から崩れ落ちる。

 

 真面目な生徒で、社交性もあって、生徒会の臨時役員としてよく会って、話もしていた。そのリーナが、自分の大切な幼馴染をずっと殺そうとしていた――この事実は、心優しい彼女にとって、あまりにも衝撃だった。

 

「……幻術魔法か? それとも幻覚魔法? いや、ありえねえ。どっちも俺たちが分からないはずがない」

 

 文也は即座にあずさに駆け寄り、その体を片腕で支えて抱きしめる。そしてもう片方の腕でリーナに魔法ピストルを向けて油断しないようにしながらも、リーナがシリウスに姿を変え続けていた仕組みを考察する。光波振動系の幻術魔法はとても細かい調整が必要で、戦闘しながら違和感なく維持し続けるのは、光波振動系のスペシャリストであるほのかでも不可能だ。次に、こちらの感覚に直接干渉して幻覚を見せる精神干渉系魔法かとも思ったが、それなら、あずさが気づかないはずがない。

 

 目に入ってくる視覚情報である光にも、その情報を処理する脳や精神にも干渉をされていない。それならば、あとはどこをどうすれば、あそこまで精密に幻の姿を保てるのか。文也にもあずさにも、皆目見当がつかなかった。

 

「モリサキシュン、貴方、とんでもない地雷を踏んだわよ? もう私があの姿を維持しなくてもよくなったということは、そのリソースが戦闘に注がれるということなのだから」

 

 リーナの言っていることは正しい。『パレード』で座標情報だけでなく容姿まで改竄し続けるのは、体力とリソースをそれなりに消耗する。達也と戦う際には超高難度の『ヘビィ・メタル・バースト』を使うために容姿まで改竄はしなかったほどなのだ。今回あの姿で挑んだのは、一つはアンジー・シリウスとしてのプライドのため。もう一つが、隠しカメラ等によって戦闘を撮影されて命がけで晒されるのを恐れてのことだった。

 

 しかしもうその必要がないとなると、リーナは、戦闘一辺倒で本気を出せる。それがハッタリやこけおどしでないことは、文也たちにもよくわかる。

 

「できればもう少し手加減が欲しいところなんだけどよお。プロとアマなら飛車角落ちぐらいしてくれてもいいんじゃねえか?」

 

「ナンセンス、三対一でよく言うわね」

 

 見た目は鬼から天使に変わったというのに、リーナが放つプレッシャーはむしろ増している。ただでさえ厳しかったのに、これからはより厳しい戦いが予想される。

 

「……ありがとう、ふみくん、もう大丈夫」

 

「おう、期待してるぜ」

 

 だが、リーナはより本気を出せるようになったからか、油断してしゃべりすぎてしまった。その間に、こっそりとリラックスができる『ツボ押し』を施していたこともあって、あずさはまだ目が赤く息も多少荒いが、気を持ち直した。いつも優しさと気弱さが浮かんでいる目で、今はリーナを毅然と睨んでいる。

 

 そんな自分の失策に気づくこともなく、リーナは口角をゆがめて嗤い、蓄積していたストレスをぶつけるように口を動かす。

 

「この姿を見たからには、生きて朝日が拝めないと思いなさい」

 

「上等だコラ。お前もとっつかまえて、あのインディアンよりひでー目に遭わせてやる。お前みたいな美人さんなら『イロイロ』使えそうだからな」

 

「さすがスケベのゲームクラブね。風紀委員さん、生徒会長さん、助けてくれないかしら?」

 

「前向きに善処しよう。安心しろ、中条先輩のおかげで『最悪』はないはずだからな」

 

「え……?」

 

 駿の言わんとしていることを理解したあずさはどこか不満そうだが、そこで会話が打ち切られた。

 

 それと同時に、リーナの呼吸の隙をついて、文也がペットボトルを投げつけ、それに『爆裂』を行使する。今度は悪臭ガスのような悪戯ではなく、中には無数の鉄片と水が入っている。簡易的な手榴弾であり、明確な兵器だ。それと同時に駿とあずさも動き出す。駿はリーナが構築しようとした障壁魔法を『サイオン粒子塊射出』で無効化し、あずさはリーナが避けるであろうルートに『プシオンスタン』の領域を展開する。しかしリーナは最低限の『サイオンウォール』でサイオンの弾丸を防ぎ、障壁魔法を無事に展開して鉄片を防ぐ。そしてあずさの領域とは逆方向に移動すると思いきや、『干渉装甲』をまとってそれを無効化しながら突っ込み、文也が予想して置いておいた攻撃を無意味にして、『サイオンウォール』で自らを囲んでから杖を構え、『ヘビィ・メタル・バースト』を放つ。

 

 しかしその一撃は、またも文也にダメージを与えることはできない。また済んでのところで回避して、その衝撃波を利用してリーナに接近して近接戦を仕掛ける。

 

「何度同じことを繰り返すつもり?」

 

 本当の自分の体に見た目も戻ったことで、リーナの動きはより軽やかになっていた。プロの軍人としての本領を発揮し、文也を全く寄せ付けない。それどころか杖を構え、その先にごく短いビームをとどまらせることでビームサーベルのようなものまで作って、文也を追い詰める。この利用方法は初見であり、文也は今はしのぎ切るのは不可能と判断して、仕方なく時間稼ぎをあずさに任せてリーナから距離を取った。リーナはあずさの領域魔法をまたも『干渉装甲』で無効化しながら文也を追いかけようとするが、駿が即座に汎用型CADを再起動して放った四系統の攻撃魔法に対応するべく、脚を止めてそれぞれ防がざるを得なくなった。しかしこれで駿の特化型CADは一時的にサスペンド状態となってしまい、リーナはノーリスクで一発『ヘビィ・メタル・バースト』を放てる。

 

 その杖先は文也に――と見せかけ、直前であずさに向けられる。しかしそれは当初から想定していたことであり、回避がギリギリのところで間に合った。

 

「さっきの威勢はどうしたの? 腰が引けてるわよ?」

 

「この反則女め! ツインテール引っこ抜いてケツの穴にぶち込んでモノホンの尻尾にしてやらあ!」

 

 文也は玩具のようなナイフを取り出して、リーナやネイサンが使ったものに比べたらはるかに質が劣る『分子ディバイダー』を起動して振りかぶる。その狙いは、暴言とは裏腹に別の場所だ。

 

 狙うのはリーナの体ではない。文也とリーナの干渉力の差では、エイドススキンすら破ることができない。その狙いは、ビームを放つときに必ず使ってる、十字型の杖だった。

 

「ブリオネイクを狙おうだなんて小細工はよしなさい」

 

「ずいぶんとお洒落な名前してるじゃねえか!」

 

 その目論見は外され、リーナはスッと杖――ブリオネイクを動かしてその不可視の刃を躱し、ついでとばかりに文也の足元で『スパーク』による放電を行う。放出系に高い適性があるリーナの『スパーク』は、基本魔法でありながら高い出力を誇る。

 

 それに対して文也が行ったのは、『スパーク』そのものの無効化や回避ではなく、ダメージを防ぐこと。文也が履いている靴の底はもともとゴムで、絶縁体だ。電気自体は通さない。問題はその抵抗によって発生する高熱や破壊であり、足の裏の火傷や靴の破損による戦闘力の低下は重いものとなる。振動系魔法で靴底の温度を無理やり下げ、電気抵抗による発熱を抑え込んだ。

 

 しかしリーナの攻撃はそれにとどまらない。靴底で防がれるのは予測していた。その放出された電気をさらに魔法で操り、文也のうなじに襲い掛からせる。

 

「電撃が好きだねえ。ピカチュウかよ」

 

 しかしこれも文也には予測済み。近くにあったむき出しの鉄骨にそれを誘導させることで難を逃れる。昨夜のネイサンから引き続き、よく使われる攻撃だった。

 

 そしてその間に、あずさと駿が仕掛ける。あずさは『ストーンシャワー』で面攻撃を仕掛けてさらにそれに隠れてリーナの真上に移動させておいた鉄骨を落とし、駿は固めて準備しておいたうちのいくつかのサイオン弾を発射してエイドス体にダメージを与えようとする。しかしリーナは全方位を囲う障壁魔法であずさの攻撃全てを防ぎ、駿の放った弾丸も『サイオンウォール』でしのがれる。

 

 しかしそれは駿の狙い通りだった。サイオンが見える魔法師は、当然『サイオンウォール』によって視界が塞がれる。それに隠して駿が投げつけたのは、手から放しても放電し続けるよう細工されたスタンガンだ。

 

 リーナからすれば想定外の近さで発生する電撃を、文也が魔法で操って痺れさせようとする。リーナはとっさに金属製であるブリオネイクを掲げてそれに電気を吸わせて自分に伝わるのを少しだけ遅れさせ、その間に手に伝わってくる電気を手のひらの電気抵抗を高めて退ける。さらに、盾にしたついでにブリオネイクを構え、投げた姿勢をすぐに戻して、射線から逃れようとしている駿の動きに合わせて、『ヘビィ・メタル・バースト』を放った。

 

 そのとっさの光線は、少しだけ外れた。杖先の照準が間に合っておらず、駿から体一個分ズレたところを光線は通過してく。

 

 ――しかしそれは半分リーナの狙い通りだった。

 

 ――彼女はそのまま体をひねり、ブリオネイクをぶん回して、まるで本来の『ヘビィ・メタル・バースト』のように、水平方向全方位に、必殺のビームをまき散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(勝った!)

 

 リーナは勝ちを確信した。今まで隠していた、彼女が持つ切り札を、最高のタイミングで使うことができた。

 

 夜の闇の中で煌めく金髪をなびかせてプラズマの光を浴びながら回転する天使のごとき絶世の美少女の姿は、本来ならば、誰もを魅了する美しい存在だ。

 

 しかし、今の彼女を見て、そう思うものはいない。いまここにいるのは、全方位に死の光をまき散らす、破壊の権化だった。

 

「きゃっ!」

 

「ひえっ!」

 

 あずさと文也は声を上げながら身を屈めてなんとか回避する。ビームが二人の頭上を通り過ぎて、その衝撃波が襲い掛かって、二人の体を、瓦礫でボコボコになった地面にしたたかに打ち付ける。

 

 この使い方は、リーナが今まで隠していた、ブリオネイクと『ヘビィ・メタル・バースト』を組み合わせた切り札の一つだ。いつもの直線的な使い方を好む理由は、衝撃波やプラズマが届く距離を押さえる手間がその狭い面だけで済むという燃費の面と、この超高速の攻撃は例え直線的でもそうそう避けられないから工夫する必要がないという二点からだ。文也たちのように、直線的なビームを躱せるほどの実力を持つ複数人が相手ならば、こうしてビームを放ちながら回転することで、水平方向に円状にプラズマをばら撒く本来の『ヘビィ・メタル・バースト』のような使い方ができる。体を回転させるという時間的にも予備動作的にも相手に躱すチャンスを与える動作が必要であり、また本来の数倍の範囲でプラズマを制限する力場を設定しなきゃいけないという欠点があるが、破壊したい場所に自分がいてもなお自分を巻き込まずに範囲破壊できるという点では、本来の『ヘビィ・メタル・バースト』より優れている。

 

 そしてリーナは、あわよくばこの初見の攻撃で戦闘不能になってくれればと思っていたが、そこまで楽観的ではない。躱すチャンスを与えてしまう欠点は承知のうえである。本物の狙いは、躱された後だ。このビームは、よほど強力な壁や魔法で防ぐ以外では、伏せるか跳ぶかして躱すしかない。そして今回リーナが回した高さは、とっさに跳んで躱すには難しい程度であり、間違いなく伏せて躱さなければならないものだった。しかし、このビームを伏せて躱そうものなら、至近距離で衝撃波に晒され、家の残骸がむき出しになった危険な地面に叩きつけられることになる。その隙を生むのが、本当の狙いだ。

 

「まとめて消えなさい!」

 

 リーナは回転の勢いを止めず、また『ヘビィ・メタル・バースト』を放とうとする。今度は地面スレスレだ。瓦礫にたたきつけられて身動きができずに蹲っているであろう三人を、再びの回転ビームで一気に消しとばそうとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――させるか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――しかし、それは上手くいかなかった。

 

 ――動けないはずの駿が放ったサイオン弾が、またも起動式の読み込みを妨害する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーナは、恐るべき反射神経でそれを理解して、回転しながら目を見開いた。

 

 回転するビームの一番近くにいた駿は、それでいて、一番早くに反応することができたのだ。ボディーガードで磨いた危機察知能力と反射神経がそれを可能にした。

 

 自分の真横ギリギリをビームが通り過ぎると見た段階で、駿は衝撃波で吹き飛ばされないよう、その衝撃波をコントロールする魔法を準備していた。そして、回転の予備動作をその目に捉え、とっさに身を伏せて、準備していた衝撃波緩和魔法でダメージをゼロにした。そのおかげで、駿は動けなくなったということはなく、リーナの二撃目を妨害することに成功した。

 

(ウソ――!? なんで――!?)

 

 その予想外の驚愕に、リーナの思考に空白が生まれる。ビームを放つことなく、彼女の体はただ空しく回転するだけだった。

 

 ――その隙を、文也が見逃すはずがない。

 

 文也は得意の『スリップ』をリーナの軸足の足元に行使する。大魔法『ヘビィ・メタル・バースト』を放とうとしてそのためにリソースを注いでいた彼女は、決まると確信した攻撃を妨害されたこともあってか反応が遅れ、盛大に足を滑らせ、回転の勢いのまま無様に転倒する。その隙を見越して、文也と駿は同時に少しの水と鉄片が詰まったペットボトルを彼女の頭上に投げつけて『爆裂』させ、面攻撃を仕掛けようとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――させない!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これに似た攻撃を、リーナはつい最近見たことがある。あの夜の公園で、司波達也と戦った二度目の時。こんな面倒な手順を踏む玩具ではなく、もっと本格的な軍用の、本物の投擲榴散弾だ。『パレード』で座標情報を改竄して照準を外す彼女への、不意の一撃だった。

 

 過去に受けたものよりも、はるかに稚拙な攻撃。

 

 それに対して、世界最強の魔法師が、対応できないはずがない。

 

 アンジー・シリウスたるリーナは、これに対応して見せた。広い領域を設定する必要がある障壁魔法は間に合わない。それよりも、基本のさらに基本で、対象が二つだけで済む防御方法を選択する。

 

 リーナは、ペットボトルそのものに『情報強化』を施して、『爆裂』受け付けなくさせた。二人の干渉力では彼女を上回ることができず、中に凶器を詰め込んだペットボトルは空しく彼女の体を通り過ぎた。

 

(なんとか、乗り越えた――)

 

 激しい運動と、度重なる衝撃と危機。それらによって跳ね上がり続けていた鼓動は、その山場を越えたせいか、落ち着いていた。それとともに、最後のリベンジマッチということもあって燃えていた彼女の心も、落ち着きを取り戻す。その昔、入隊して間もないころ、戦闘中に初めて人を殺してパニックになった時、バランス大佐に鎮静剤を打ち込んでもらった時のような安心感と浮遊感が、彼女の心を満たしていく。

 

 そんな安心感の中、彼女は、一つの声が聞こえたように感じた。

 

 もう何年も会っていない母の、幼いころに聞いた、優しい子守唄。すでに才覚を発揮していて、それに目を付けた国によって軍属として訓練を受けていて、充実して自由な幼年期とは言い難かった。そんな息苦しい中での、母親の優しい子守唄は、彼女にとっての最大の癒しだった。

 

(これが終わって帰国したら、ママに会おう)

 

 リーナは口元をほころばせながら、そう決める。

 

 もう、三人とも手詰まりのはずだ。あとは、今度こそ止めを刺すだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう思って彼女は立ち上がろうとして――糸が切れたように倒れこんで、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーくそ、死ぬかと思ったぜ」

 

 文也、あずさ、駿。その三人の中心で、先ほどまでの鬼のごとき表情が嘘みたいに安らかな天使の顔で眠るリーナを見て、文也は悪態をつく。過去最大の戦闘が終了した疲れと弛緩からか、三人とも立ち上がることができない。

 

「あーちゃん、よくやってくれたな」

 

 自身とあずさと駿、全員に疲労とサイオンが回復する『ツボ押し』をしながら、文也は今すぐにでも歩み寄って抱きしめて讃えたい、最高の幼馴染に惜しみない賞賛を送る。

 

「えへへ、ありがとね、ふみくん」

 

 彼女の服は、戦闘中の攻撃や衝撃、および激しく動き回って瓦礫に何回も擦ったことでボロボロだ。か弱く、小さく、運動も苦手で、気弱でまた心優しい彼女は、心身ともに疲れ切った様子だ。それでも浮かべる笑顔は朗らかで柔らかく優し気で、文也の心に温かくしみこんでいく。

 

 文也と駿の攻撃は失敗した。しかしそれによって、リーナの気をそらすことには成功したのだ。

 

 ――本命の攻撃は、あずさの魔法だった。

 

 その魔法の名前は、皮肉にもリーナの母国の公用語である英語の、『スウィート・ドリームス』。日本語にすると「良い夢を」。『強制催眠』とは違う仕組みで相手を眠らせる精神干渉系魔法だ。

 

 この『スウィート・ドリームス』は、文也とあずさで作り上げた魔法だ。精神干渉系魔法の一分類である、情動と感情に働きかける情動干渉系魔法の一種で、同じく情動干渉系魔法であるあずさの固有魔法『梓弓』を改造して生み出したものである。

 

 プシオンの波動を浴びせて感情を落ち着かせる魔法で、受けた対象は極度のリラックス状態になる。この波動はいわゆる「癒し」状態にさせる波長になっており、極度にリラックスした対象は、まるで白昼夢の中にいるような、多幸感に満ちたトランス状態になり、全身の力がおのずと抜け、意識も曖昧になってくる。それによって、本人も気づかぬまま、リラックスの極致である睡眠状態になるのだ。『梓弓』の最大のセールスポイントである、同時に対人数を相手に干渉して集団パニックを沈静化できる――というメリットは失われ、一人もしくはせいぜい狭い範囲に固まった数人程度にしか行使できないが、代わりに睡眠状態にして意識を奪うことができるため、無力化するためには有効である。

 

『梓弓』と同じく、プシオンの波動を浴びせる情動干渉系魔法ということで、おそらくこれを使えるのはあずさのみだ。あまり人に知られるわけにもいかないので試したのは駿たち身内だけとは言え、あずさ以外誰一人全く使えなかったのを見ると、その性質から見ても。これもまた属人的な魔法と見るのが妥当だろう。

 

 ちなみに、この魔法はこうした仕組みで睡眠状態にさせることから、とてつもない快眠効果がある。何回か――主に文也と文雄が実験台になって――身内を対象に試してみたのだが、全員がぐっすりと気持ちよく眠ることができたし、各々幸せな夢を見ることができた。またその「癒し」の波動は、不思議なことに、対象の記憶にある「癒し」の音が幻聴としてよみがえってくる。文雄は幼いころに初めて自分で作った音楽プレーヤーから流れる音質の悪いジャズの音が、駿は好きなクラシックが、将輝は幼いころに一度だけ聞いた父・剛毅の下手くそだが温かい子守唄が、真紅郎は幼き頃に聞いた死んだ両親が絵本を読み聞かせてくれる声が、それぞれ聞こえたと言っていた。ちなみに、文也は、恥ずかしかったようで、顔を赤くしながら話そうとしなかった。

 

 そうした性質故に、相手を幸せな夢の世界に送り出す言葉『スウィート・ドリームス』が、この魔法の名前になっている。どんな音を聴いて、どんな夢を見たのか、顔を赤くしながら話そうとしない文也が、追及を打ち切って誤魔化すようにつけた名前だ。

 

 文也とあずさは、寝転がって全身を投げ出しながら、柔らかく笑いあう。激しい戦いから解放された緊張の弛緩が、二人の顔を自然と綻ばせた。

 

「イチャイチャしてるところ悪いが、ゆっくりしてる暇はないぞ」

 

「え、ちょ、ちが」

 

「……それもそうだな」

 

 そんな二人に、駿が声をかけて、真っ先に立ち上がる。体力がありまた警戒心が強い駿は、まだこれで仕事は終わりじゃないことを理解していた。彼のポケットの携帯端末にも、救難信号が届いている。文也たちは、これから地下に閉じ込めているネイサンを回収してここを離れ、井瀬家の援護に向かわなければならない。

 

 それを聞いた文也も素直に立ち上がり、あずさも顔を赤くしてワタワタしながら立ち上がる。

 

 そしてちょうどそこに、森崎家に避難している貴代が操作する運搬用ドローンが到着した。戦闘に巻き込まれないよう今まで待機していたのだろう、素晴らしいタイミングで現れて、リーナを回収して去っていく。

 

 それを見て、息を整て移動しようとし――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、俺たちも行――っ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――文也と駿は即座に反応して、魔法を行使した。

 

 駿は自らとリーナを乗せるドローンに、文也は自身とあずさに、それぞれ対抗魔法をかける。少し遅れて現れた魔法式は、その対抗魔法の一部を破ったが、その上から覆いかぶさる魔法式にかき消された。

 

 今発動したのは、文也がついに開発に成功した、『ファランクス』のダウングレード版、何度もかけなおさずともよい、幾重にも次々展開される『領域干渉』の強化版、題して『多重干渉』だ。

 

「今すぐ武器を捨てて投降しろ。無駄な抵抗はよした方がよい」

 

 そこに現れたのは、二人。片方は身長が高めで体格がしっかりしている男で、今機械を通して加工された声で話した。そしてもう片方は、男に比べたら身長がだいぶ低い、細身の女。どちら体にピッチリとくっついて邪魔にならないバトルスーツとフルフェイスの戦闘用ヘルメットをかぶっていて、その正体は判然としない。

 

「お前らもUSNAの仲間……なのか?」

 

 文也は眉をゆがめ、疑問を口にする。

 

 それに対して二人は何も答えず、男は細身で銀色の拳銃型の特化型CADを、女は携帯端末型のCADを取り出している。二人が放つオーラは、先のリーナにも劣らないほど強力。それを感じ取ったあずさと駿は、全身から脂汗が噴き出す。

 

 そんな二人に対して、文也は別のことに対して衝撃を覚えていた。

 

「嘘だろオイ、お前らが、まさか……」

 

 文也は声を震わせ、それでも二人を睨みながら呟く。

 

「おい、あの二人は誰だ!?」

 

 そんな文也の様子から、駿は、彼が二人の正体を分かったと察し、焦った声で問い詰める。

 

 文也は人体に詳しいから、相手の歩き方や体格や骨格で、姿を隠していても誰なのかがわかる。二人のそれは、文也がこの一年弱、何度も見たものだ。

 

 また、使っているCADも何度も見たことがある。あのCADに叩きのめされたのは、一回や二回ではない。

 

 そして、先ほど無効にした、相手が不意打ちで使ってきた魔法。魔法師は、魔法式が現れたら、その魔法式が現れる前後に生じる世界の差異や違和感から、その改変事象内容を察することができる。

 

 改変内容は、文也たち三人の痛みを敏感に感じる痛点、およびリーナを乗せるドローンそのものを気化させる『分解』だ。

 

 その魔法を、有体物に使える人間を、文也は一人しか知らない。そして、その男が連れているもう一人の女も、おのずと正体がわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「司波兄、司波妹……お前らがなんで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也のつぶやきに、あずさと駿は、驚いて声を上げた。




クライマックスが二段構えなのは古今東西の定番です


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5-12

「……正体がばれるだろうとは、思っていたさ」

 

 達也はため息を吐きながら、顔を覆い隠していたフルフェイスのヘルメットをゆっくりと外し、投げ捨てる。そして自分と同時に、愛しい妹もヘルメットを外し、敵意に満ちた顔を晒しながら、道のわきに丁寧に置いた。

 

 文也たちとリーナが戦い始めてからしばらく、達也と深雪は、ずっとその様子を見ていた。達也には見せなかったあの回転しながらの『ヘヴィ・メタル・バースト』を見たときは勝負あったかと思って安心したが、そこから文也たちが逆転をするのは予想外だった。

 

 だから、予定通り、世界最強の魔法師と戦って疲弊したところに、戦いを仕掛けることにした。だいぶ離れたところから観察していたため、戦闘終了を確認してから少し時間が経ってしまったが、不意を突いて痛点を『分解』して激痛により気絶させ、速やかに生け捕りにして回収する段に移ろうとした。リーナを運ぶドローンを『分解』しようとしたのはついでで、敵ではあるが、文也たちを疲弊させてくれたことへのちょっとした恩返しのつもりだ。

 

 しかし、それは、油断していたとは思えないほどの文也と駿の反応によって失敗に終わった。対抗魔法は、『分解』にとって天敵の、多重の『領域干渉』。九校戦の時と違って、何度もかけなおして無理やり再現する猿真似ではなく、『ファランクス』の単一版と断言できる完成度だ。

 

(まさか、完成させていたとは)

 

 達也の『雲散霧消(ミスト・ディスパーション)』とそれのバリエーション『トライデント』。伝説上の三又の槍の名前を冠するその魔法は、『分解』を跳ねのける『領域干渉』と『情報強化』を分解する一・二段階目と、対象そのものを分解する三段階目に分かれる。しかし、その三段階目の前に新たな『領域干渉』が現れたら、『雲散霧消』は打ち消される。まさしく天敵と言える魔法だった。

 

 しかし、多重の『領域干渉』は『分解』の天敵だが、それ以外の魔法には意味はない。ただの干渉力の勝負になるので、何枚あっても変わらないからだ。

 

 そういうこともあって、文也たちはUSNAの対応に集中してそんなものを開発していないだろうと、達也は予想していたのだが、アテが外れてしまった。すさまじい開発速度だ。

 

「答えろ! お前らもUSNAの仲間か!?」

 

「そうとも言えるし、そうではないとも言えるな」

 

 文也の問いかけに、達也ははぐらかすように答える。絶対にUSNAの仲間ではないが、敵の敵は味方と考えれば、仲間と言えなくもない。何はともあれ、意外と察しの良い文也に、達也はおしゃべりで情報を与えるつもりはなかった。あの多重の『領域干渉』は、間違いなく燃費が悪い。疲弊している三人はどこかで必ず隙を晒すから、そこを見逃さないよう、達也は気を張っていた。

 

「日本国防軍所属の癖にか! この国賊! 売国奴!」

 

「なんとでも言え。要求を簡潔に伝える。大人しく投降して、魔法を受けて気絶しろ。そうすれば、少なくとも、殺しはしない」

 

 文也の罵倒を流しながら、達也は要求を伝える。殺しはしない。しかし、殺されるよりましとは限らない。四葉に捕まった魔法師たちの末路を知る達也は、内心でそう付け加えた。

 

「まずお前の組織を言え。USNAか? 他国か? 国防軍か? 国防軍だとしたら、なんでこんな強硬手段に出る必要がある? USNAから守ってくれなかったのも、国防軍絡みか?」

 

 達也が国防軍、それも、機密度が高い独立魔装大隊に所属していると知っている文也は、バックにその存在を疑う。優秀な魔法師の卵が外国からの危機に晒されているというのに全く動く気配がなかったのも、それならば納得できる。

 

「それは教えられないな。黙って要求に従え」

 

 達也の強硬な姿勢を見て、ついにあずさと駿は臨戦態勢を取り、魔法の準備をする。それを受けて、達也の後ろに控えていた深雪も、強大な力を振るうべく、真冬の寒い夜をさらに冷やすサイオンを放出しながら、臨戦態勢に入った。

 

「そうか――じゃあここで死ね!!!」

 

 文也はそう言いながら、サイオンをコントロールして、一気に四つも『爆裂』の魔法式を展開して達也に仕掛ける。

 

 それと同時に、全員が動いた。

 

 深雪は大魔法『ニブルヘイム』で文也たちを凍らせようとするが、それを駿が『サイオン粒子塊射出』で妨害しようとする。しかしそれは達也が準備していた『サイオンウォール』に阻まれる……かと思いきや、あずさがその壁にサイオンの高周波を当てて振動させることで結合を緩め、駿のサイオン弾がそこを貫通して深雪の魔法は無効化される。それと同時に達也は『爆裂』で血の華になる――ことはなく、血液が気化して血管が爆ぜた直後に自己修復術式が起動して、外見上は魔法が発動しなかったように平然としている。

 

「司波兄は前言った通りベホマ持ちだ! 妹もすぐに回復させられる! 何度殺しても死なないと思え!」

 

 文也の判断は、あまりにも冷酷だった。深雪の一般的な現代魔法の『情報強化』を『分解』し、そこに重ねて『爆裂』をいくつも仕掛ける。達也は文也に『雲散霧消』をかけながら妹を守るべく『術式解体(グラム・デモリッション)』を放って魔法式をすべて打ち砕くが、代わりに文也が放った魔法ピストルの弾丸が、妹の宝石のような眼を貫く。達也が片方のCADを使って文也に『雲散霧消』を仕掛けていたがゆえに、妹を守るためには『術式解体』を使わざるを得なかった。そのせいで深雪の自己防御の魔法もすべて無効化されてしまい、魔法ピストルの凶弾で傷つけさせてしまった。しかも『雲散霧消』は、かけなおされた多重の『領域干渉』によって跳ねのけられてしまう。

 

 達也はすぐに『再成』を施し、妹を傷一つない状態にする。深雪もそれと同時に、苦しそうにしながらも、精神干渉系魔法『強制催眠』を放つ。

 

 しかしその魔法は、あずさが放った対抗魔法『覚醒』によって無効化され、さらに駿の追撃を許してしまう。

 

 駿は脚元のむき出しになった鉄筋を一つ抜き出すと、それを達也に向けて投げつける。それはおよそ届きそうになかったが、加速系魔法によって速度が上昇し、鋼鉄の槍となって達也に襲い掛かる。達也はそれを『分解』し、返す刀で駿を消しとばそうとするが、駿はまた多重の『領域干渉』を行使して、達也の攻撃を退けた。

 

(……厄介だな)

 

 優しさ――転じて甘さ――が抜けないあずさはまだしも、文也と駿は、達也と深雪を「殺す」ことに、すでにためらいがない。今の駿の攻撃は達也の顔面を狙っていて、直撃すれば通常の人間なら死を免れないだろう。

 

 今しがた、『再成』して深雪を復活させるところを見せてしまった。恐らく文也たちが横浜で撮っていた映像は駿たちも見ているため、知識では理解しているのだろうが、どうしても躊躇いは消えないだろう。しかしこうして目の前で実践されれば、「即死攻撃をしても死なない」と身をもって思い知らされたわけだから、「殺し」への恐れはなくなる。その無意識の遠慮と言う手加減がなくなれば、必然、攻撃に躊躇がなくなって、戦う側からすると厄介この上ない。

 

 そして、達也が最も厄介に感じているのが、多重の『領域干渉』だ。相応のサイオンとリソースを消費しなければならないようで三人とも動きがぎこちないが、それを差し引いても、達也にしてみれば苦しい。『術式解体』で無理やり破壊するか、深雪の干渉力で上回るかのどちらかが必要になるが、しかし深雪は遠慮のない「殺し」にさらされ、攻撃が上手くいっていない。ほぼゼロタイムで『再成』する達也と違って、深雪は都度達也による『再成』が必要で、破壊に晒された瞬間に攻撃魔法がコントロールを失って効果をなくす。事実上、達也が取れる手段は、『術式解体』しかない。

 

(『術式解体』で『領域干渉』の破壊を狙いながら、『サイオンウォール』で森崎の『サイオン粒子塊射出』を防ぎ、『術式解散』で深雪への攻撃をすべて無効にする。そして深雪の一撃を通して一人ずつ削る……こんなところだな)

 

 達也は瞬時に作戦を組み立てる。最も勝率が高い流れはこれだ。

 

 達也一人で『術式解体』と『雲散霧消』を使って一人ずつ削ってもよいが、そうなると深雪の防御や『再成』がおろそかになる。文也たちの攻撃は即死級だ。数秒『再成』が間に合わないだけで、大切な妹を亡くすことになる。それだけは絶対に避けなければならない。

 

 ただし、達也が思いついたこの作戦にも問題がある。この作戦を取るとなると、メインで使う『術式解散』に一つ、『サイオンウォール』や『術式解体』のための無系統に一つ、特化型CADを割り当てなければならない。『再成』のCADはサスペンドすることになる。基本コード仮説から外れてはいるが一応系統魔法に当たる『再成』を精度と速度を両立させて使うには、CADが不可欠だ。もし『術式解散』が間に合わずに深雪が即死の致命傷を追えば、『再成』が間に合うかどうかは怪しい。無系統魔法はサイオンをコントロールするだけなので極論CADはいらないし、達也自身そのコントロール力は群を抜いてはいるのだが、メインで使う以上、CADを割り当てたいのが本音だ。

 

 つまり、『術式解散』で間に合わなかった場合に備えて、深雪には、攻撃魔法と同時に対抗魔法も準備してもらわなければならず、さらには死または激痛を我慢する覚悟もしてもらわなければならない。

 

(――大丈夫です、お兄様)

 

 そんな達也の迷いを、横に控えて戦ってくれている深雪が、すぐに解消してくれた。

 

 達也が何を考えているのかを瞬時に理解した彼女は、自分の成すべきことをしっかり理解していたのだ。

 

(よし、じゃあ、行くぞ!)

 

 達也は深雪に時間を稼いでもらいながら、起動・スリープの切り替え速度を大幅に高めた特性CADを入れ替える。『再成』のCADはサスペンドして、無系統魔法のCADを腰から抜きながら起動する。

 

 そしてそれと同時に、達也は駿には劣るが十分な速度があるクイック・ドロウで照準を向け、文也の『領域干渉』を打ち壊す。

 

「げげっ!」

 

 それを受けた文也は、すぐに『領域干渉』をかけなおした。しかし実は、達也は『雲散霧消』を狙うそぶりだけ見せて文也にかけなおしを強制しただけに過ぎない。完全思考操作型CADを同時に何十個も操る文也には効果が薄いが、ほんの少し攻撃を遅れさせるだけでも十分だ。

 

 深雪は達也が動き出すのと同時に、攻撃魔法を準備している。使う魔法は『コキュートス』。精神を凍結させて、死ぬことすらできない、生きているだけの肉の立像にするこの恐ろしい魔法は、達也の『分解』『再成』にも劣らない高難度魔法で、深雪だけの属人的な魔法だ。互いの「枷」を開放すればもっと楽に使えるのだが、互いに魔法演算力の半分を制限しあっている今の状態では、深雪でもCADを使ってさらに相応の集中力と時間を要する。

 

(制御を外せればよかったんだけどな)

 

 こうして正面戦闘になるなら、達也と深雪、両者を縛る「枷」を外した方が圧倒的に良い。そうしていたら、とっくに戦闘が終わっていただろう。そうしなかったのは、「枷」を外した直後の一瞬に多量のサイオンが噴き出してしまい、文也たちに警戒されてしまうからだ。

 

 深雪のおぞましい攻撃魔法の気配を感じ取った駿が『サイオン粒子塊射出』を何回も行うが、それらはすべて達也が展開したサイオンの壁に阻まれる。あずさのサポートも、先ほどより強く固めた壁の前では無意味だ。

 

 その直後に深雪の体を攻撃の魔法式が覆う。深雪はいくつもの必殺の魔法式が自身の体を覆っているのを知覚しているが、それでも、誰よりも愛している兄を信じて、あと少しで完成する自身の魔法式に集中する。彼女の心に恐怖はない。兄がこの程度のことを、しくじるわけがないのだから。

 

 達也は文也に向けていた銃口をすでに深雪に向けている。その指先が引き金を引き、効果が現れる直前の攻撃魔法式すべてを、ただのサイオンの粒子の変えた。この程度のサイオンの粒子ならば、深雪の構成する強固な魔法式に影響はしない。

 

 そしてついに――深雪が目を見開く。

 

 人間を死よりも冒涜的なモノに貶める魔法『コキュートス』が、精神干渉系魔法に全く耐性を持たない文也に襲い掛かる。

 

(よし)

 

 達也は勝ちを確信した。あれは文也程度の『領域干渉』で防げるものではない。精神の揺らぎ、振動、動き、その全てを「ゼロ」にする魔法は、文也を生きているだけの肉の立像に変えてしまうだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふみくん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その魔法式に、もう一つの魔法がかぶさった。不意打ちで放たれたその魔法を、達也は分解することができなかった。代わりに『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』で、「視え」てしまう。

 

 あずさが『コキュートス』にかぶせるように文也に使った魔法は、達也が見たことない魔法だった。しかし魔法の効果を即時に理解する力がある達也には、それがどのようなものかわかる。

 

 効果としては、平常時のプシオンパターンに戻す魔法で、いわば「平常心」に戻す魔法だ。魔法演算領域での変数入力の都合上、対象の平常時のプシオンパターンを術者が記憶していなければならず、術者が被術者を深く理解し、長い時間一緒にいる必要がある。

 

 達也は似た魔法を知っている。精神ではなく、肉体を元の状態に戻す魔法――自身固有の魔法『再成』だ。

 

 あずさは今、疑似的に、ゼロにされ凍結させられつつある文也の精神を、『再成』しようとしているのだ。

 

 人間が反応できない、達也ですら何もすることができない一瞬の間に、深雪とあずさの魔法がぶつかり合う。

 

 深雪の魔法が文也の精神を凍結させようとして、あずさの魔法がそこに熱を与えて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――精神が完全に停止する直前で、再び動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺の平常心がどんなものか、よくわかってるよな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也の言葉と同時に、大量の魔法式が展開される。

 

 達也と深雪は、それの対処に、一瞬だけ遅れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也と深雪が攻撃魔法の波に多少遅れながらも確実に抗っている中、あずさは膝の力が抜けて、ペタンと座り込んでしまう。

 

 あずさ自身はその名前を知る由もないが、深雪の魔法『コキュートス』自体は見たことある。あの横浜事変で、彼女がそれを使う様子を、空中ドローンのカメラで目撃していた。

 

 一流の魔法師や魔工師ですら、映像を見ただけでは、その魔法の正体が分からないだろう。しかし、生まれつき精神干渉系魔法に高い適性と感性を持つ彼女は、それが、精神の動きをゼロにして凍結する魔法だと理解してしまった。そして、そのあまりにもおぞましい魔法を知ってしまった瞬間から、彼女の心には常に恐れが浮かび上がってきていた。

 

 その恐れは、魔法そのもの、または術者である深雪へのものだけではない。自分が、いや、それ以上に、「大切な幼馴染」が肉の立像になるのが、何よりも恐ろしかった。

 

 そんな彼女が開発したのが、この『抱擁』だ。

 

 平常時のプシオンパターンを記憶し、そのパターンに戻すことで平常心にさせる魔法。

 

 その効果だけ見れば、恐怖や恐慌を軽減する『カーム』同様、激しい動揺や発狂を鎮める目的に見える。実際、これを開発しているときのあずさは、その用途も途中から意識し始めた。

 

 しかし、その目的は、激しい揺らぎから鎮めるのではなく、その逆。凍結されゼロになった精神を、元に戻すためだ。

 

 激しく暴れる心を落ち着ける『抱擁』。そして、消えゆく人を抱きしめて守り離れないようにする『抱擁』。

 

 この魔法に名前を付けようとしたとき、あずさの脳裏に浮かんできたのは、悪戯好きで落ち着きがなくて口が悪くて、それでも世界で一番頼りになる、小さな幼馴染の男の子との思い出だった。気弱で臆病なあずさは、泣いたり、ショックを受けたり、怖くてどうしようもなくなったことが何度もある。そのたびに、小さな男の子が、自分を抱きしめて、落ち着かせてくれた。

 

 彼の心音が、彼の体温が、彼の声が、彼の息遣いが、彼の抱きしめる力が、彼の魔法が。

 

 この魔法と重なった。

 

 ――極限の集中状態で、高難度の魔法の一発勝負を決めたあずさは、リーナとの戦いもあって、心身共に限界だった。途切れかける意識の中で、『抱擁』の思い出が浮かんでくる。その思い出は、温かくて、優しくて、心地よくて、ずっとそこに浸っていたかった。

 

(……やらなきゃ)

 

 それでもあずさは、震える足で立ち上がり、自分自身に『覚醒』をかけて無理やり意識をはっきりさせる。瞬間、温かくて優しくて心地よい思い出は薄くなり、代わりに、寒くて恐ろしい厳冬の真夜中の戦いという現実が鮮明になってくる。

 

 あずさが守り切った文也は、一瞬も呆けることなく動き出し、達也と深雪を足止めしている。文也は常に粗暴で悪戯好きで騒がしい。彼の平常心は、戦闘中とほぼ変わらない。すぐに動き出せるのは、必然だった。

 

 あずさが戦闘不能になったと見たようで、文也の猛攻を乗り切った達也があずさに『分解』を仕掛け、深雪は文也と駿に『強制催眠』に似たプシオン波を浴びせようとする。それらに対し、あずさは自ら『多重干渉』で達也の攻撃を退け、文也と駿を眠らせようとしていた冷たいプシオン波に、温かいプシオン波をぶつけて相殺する。

 

 ――魔法は結局、どこまでいっても属人的なものだ。

 

 故に、魔法師には、それぞれの適性がある。

 

 深雪は生まれつき、温度を変える振動系魔法と精神干渉系魔法に特に高い適性を持っている。そのメインは『コキュートス』であり、精神を凍結させるという性質が派生して、温度を変える振動系、特に冷却魔法が得意なのだ。いわば深雪は、究極の「マイナス」。そこにあるものを冷やし、凍結させて「ゼロ」にする。

 

 そしてあずさもまた、それに似た適性を持っている。大人数の恐慌を鎮める『梓弓』、極度のリラックス状態にさせる『スウィート・ドリームス』、暴れる心を鎮める『カーム』、その全てが、激しく揺れるプシオン体の波を緩やかにする「マイナス」だ。

 

 しかしそれは、本質を見誤っている。それは彼女の魔法が多く使われる場面において、たまたま「マイナス」の働きをしているに過ぎない。

 

 深雪の本質が「ゼロ」だとすれば――あずさの本質は、ごく穏やかな精神状態、言うなれば「イチ」だ。

 

 激しく跳ね上がった精神を、いつものスタート、「イチ」に戻す。彼女の魔法が「マイナス」に見えるのは、使用頻度による錯覚である。「ゼロ」から文也を救ったように、「ゼロ」から「イチ」に戻す「プラス」もまた、あずさの適性だ。

 

 深雪が放つ、「ゼロ」へと近づける冷たいプシオン波を、あずさの温かい波が打ち消す。この放つプシオン波の性質の差こそが、あずさと深雪の違いなのだ。

 

「まだ頑張れるよっ、ふみくん!」

 

 あずさは自分に気合を入れなおすように、文也に話しかける。それを聞いた文也は、口角を上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべて、しっかりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご子息はお元気でして?」

 

「おかげさまでね!」

 

 文也との言い合いを終えてしばらく、文雄と黒の集団との戦いは、終始文雄が不利な形で拮抗していた。

 

 周囲の大人たちも手練れなのに、ゴシックドレスを纏う中学生ぐらいの二人は特に厄介だ。

 

 ヨル、と呼ばれているツインテールの方が使う魔法は『極致拡散』。領域内の液体、気体、物理的なエネルギーなどの分布を均質化させて識別できなくする魔法で、その下位バージョンの『拡散』はメジャーだが、このレベルになると実践での使用例は確認されていない。光も音も電磁波も水分も、全てを均質化して識別できなくすることで、自身や仲間の攻撃や居場所、今何をしているかなどが知覚では判別できなくなる。これに文雄は苦戦させられていた。

 

 一方、ヤミ、と呼ばれているボブカットの方は、『極致拡散』のような特徴的な魔法は今のところ使っていない。しかし、使う魔法や利用方法のすべてがハイレベルであり、その点では、どことなく彼のヤンチャな息子が重なる部分もある。

 

 この二人のコンビネーション、それを補う周囲の黒づくめの大人たち。白兵戦を主体とする故に対多数戦闘が専門とは言えない文雄は、不利な拮抗を作るので精いっぱいだった。

 

(くそっ、早くしないとマズいぞ!)

 

 救難信号は、今も送られ続けている。自分の家に潜ませていた部下たちからの信号は未だ途絶えていないし、ついには森崎家に避難している妻たちからも信号が来ている。文也たちはアンジー・シリウスを退けたみたいで一時的に信号が途切れたが、新手に襲われているようで、信号が再び出ていた。自由に動ける中では一番の戦力であるはずの文雄は、こんなところで足止めされている場合ではない。一刻も早く、我が家を、子を、妻を、守りに行く必要があった。

 

「ほらほら、動きが鈍ってるんじゃないの?」

 

「余計なお世話だ!」

 

 ヤミから放たれる『幻衝(ファントム・ブロウ)』の連打をサイオンを纏わせたモーニングスターで防いで、途切れたタイミングで帯電させた蒸気の塊を放って反撃する。しかしそれは黒ずくめの一人による横やりで防がれ、さらに意識外からの針が次々と文雄に飛来してくる。済んでのところでそれらを防いだが、また知覚外からヤミによる振動破壊魔法が襲い掛かってきて、それをとっさの『情報強化』で防ぎ切った。

 

(『極致拡散』が厄介すぎる!)

 

 とにかく、全てが知覚外からの不意打ちになるのが、一番つらい。白兵戦をする文雄にとって、それは遠距離攻撃と並んで最も苦手とするものだ。今までかろうじて戦えているのは、科学では説明できない力、文雄の驚異的な第六感によるものだ。

 

 文雄自身、最初はせめて自分の周囲だけでもと『領域干渉』で無効化しようとした。しかし、他の魔法は無効化できているものの、この『極致拡散』だけはヨルの干渉力が異常に高いようで、打ち消すことができていない。ほぼ手詰まりに近かった。

 

「クソッタレがあ!」

 

 文雄は苛立ち紛れに、後ろから針を持って襲い掛かってきた女に、振り返りざまにフルスイングを決める。その女の頭はたやすくはじけ飛び、首なしの体は、血をまき散らしながら吹き飛んでいった。

 

「あーあ、可哀想に。どっちが悪役か分からないね」

 

 ヤミが微塵もそう思ってなさそうな声でそう言いながら文雄に針を投げつける。感情任せのフルスイングでバランスが崩れていた文雄は、それと同時に襲ってくる大量の針に反応しきれず、一本だけ太ももに浅くだが突き刺されてしまった。

 

「よっと」

 

 しかし、文雄はその針をすぐに抜く。針が刺さったと見るや何人かが魔法を行使する様子を見せた。やはり、毒ではなく、針を通じて何かしらの必殺の魔法を使う予定だったようだ。

 

 そして、その何人かの一人、特に魔法式構築速度が速くて厄介だった黒ずくめの男が、文雄が針を抜くと同時に魔法式を完成させて、行使してしまった。その魔法式は文雄に投射されるが、針が抜かれたことで定義から外れ、エラーを起こして霧散する。

 

「はっ!? いや嘘だろおい!?」

 

 文雄は世界が改変されようとした違和感から、その魔法式がどのようなものなのか理解してしまう。それは予想していた電撃でもなければ、系統魔法ですらない。

 

 ――井瀬、一ノ瀬が最も苦手とする、精神干渉系魔法だった。

 

 針に刺されたという恐怖を出発点としてそれを無限大に増幅させる。その結末はショック死だ。

 

 つまり今まで放たれていた針は、この魔法による必殺の為だったということだった。

 

 そんな文雄の驚愕による意識の空白を――ヤミが見逃すはずがない。

 

 先ほどとは違う精神干渉系魔法の魔法式が文雄に投射される。

 

 それは、今までずっと隠していた、ヤミの切り札。文雄が弱点としており、ヤミが得意な精神干渉系魔法。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その魔法式は――プシオンに現れた『情報強化』によって、消しとばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 文雄から離れながら、ヤミが困惑から可愛らしい顔に間抜けな表情を浮かべる。それは、思わず『極致拡散』を解いてしまったヨルもまた、同様だった。

 

「よく調べてきてるみたいじゃねえか、感心するぜ。テストの傾向と対策はバッチリってわけだ」

 

 文雄は、危ないところだったと厳冬の真夜中だというのに流れ出る脂汗を意識しながら、内心でため息を吐きつつ、顔には嘲笑を浮かべながら口を開く。

 

 一ノ瀬・井瀬は、ほぼ全ての魔法に万能だが、代々精神干渉系魔法が苦手で、文雄と文也に至ってはからっきし。それは事実「だった」。

 

「俺はこう見えても教師なんでね、ニガテを克服するのも仕事ってわけよ。ま、生徒じゃなくて自分のなのはご愛敬だ」

 

 しかし文雄は、自分の弱点を放置するような真似はしない。精神干渉系魔法の名手であるあずさの父にこっそりと教わり続けて、自分のプシオンに『情報強化』を施せるようになった。いわば精神干渉系魔法の基礎の基礎しかできていないわけだが、防御手段が一つあるだけでも十分。文雄は、「ニガテ」を克服していたのだ。その過程で精神干渉系魔法への理解も深まり、あずさの『洗脳剣(ハック・ブレード)』の開発にも至った。

 

 このニガテの克服は、たった今、文雄を死から救った。

 

 今ヤミが使おうとしたのは、文雄は名前を知る由もないが、プシオンに直接痛みを与える『ダイレクト・ペイン』だ。その出力は高く、身体的な痛みへの耐性に左右されないプシオンの激痛は、たやすく意識を消す。気絶しているうちに、工作、拉致、殺害などがやりたい放題だ。

 

 そしてさらに、このニガテ克服が、文雄だけでなく、家族や仲間を救うことにもなる。

 

「いやー、今まで勘違いしてすまなかったな。アメリカの仲間だの、国賊だの、売国奴だのってさ」

 

 文雄は警戒を解かずに、それでも口を開きながら、文也から送られた信号とメッセージを確認する。シリウスの次には、なんと達也と深雪に襲われているらしい。子供たちの喧嘩、というわけではないだろう。その理由は謎だったが、今ようやく理解した。

 

「今の精神干渉系魔法はすごいねえ。それと、そんな感じで『殺し』の精神干渉系魔法を得意としている闇の一族が、裏の社会では結構有名なんだよ」

 

 黒ずくめたちも、司波兄妹も、USNAの仲間ではなかった。ただ、共通点はある。彼らもまた、バカ息子の節操なき探求心の被害者と言うことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウチのアホ息子が迷惑かけましたねえ、『四葉家』の皆さま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『四葉家の皆さま』

 

 文雄はメッセージ確認ついでに、通話を開始していた。その会話は文也たちにも聞こえている。

 

 文雄は、USNAの敵に襲われていたわけではない。「四葉家」に襲われていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………もっと苗字を工夫しろ、頭クローバー畑」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也は唾を吐きながら、最大限の侮蔑を込めて、達也と深雪に言葉を叩きつける。二人は動揺する素振りは見せない。一方で、司波兄妹があの悪名高き四葉の関係者だと知ってしまったあずさと駿は、衝撃で動きが止まっていた。

 

「司波は、四葉の読みの改造か。四葉家は当主が本家になって、次期当主の一族は別の苗字の分家になる。聞いたことがあるぜ。お前らもその一部ってことだ」

 

「……そんなことまで知っているのか」

 

「人の口に戸は立てられないってことだな」

 

 四葉家の秘密主義はいきすぎなほど徹底しているが、そうした変わったシステムは、時折風聞の中に流れてくる。たいていが「そんな馬鹿な」とすぐに立ち消えるが、細々と残り続けるものもあるのだ。

 

「妹と兄、どっちが当主候補だ? いや、どっちもか? どっちも強そうだもんなあ? 妹の方がお上品に見えるけど、癇癪持ちよりかは鉄面皮殺人マシーンのお兄様のほうが有利か?」

 

 文也は罵倒の言葉を混ぜながら、推測を並べて、達也と深雪の動揺を観察する。達也はその程度では動じないが、深雪はそういうわけにはいかない。文也の言葉に、分かりやすく逐一反応してしまっていた。

 

「なーるほど、妹が次期当主候補ってわけだ。お兄たま、よく教育しておけよ? ヒステリーが当主とか厄介だぜ?」

 

「余計なお世話だ、慣れてるさ」

 

 文也の挑発に、達也は動じずに軽口で返す。しかしそれは、表面上の事。愛しの深雪がヒステリー持ちだということ自体を否定しなかったのは、彼もまた少しだけ動揺している証拠だ。

 

「なあなあおい、見逃してくれよ。『流星群(ミーティア・ライン)』を俺が使えるのがお気に召さないんだろ? わかったわかった、今後は緊急時以外使わないからさあ」

 

「そういうことではないのですよ、井瀬君?」

 

 戦闘中ずっと口を閉じていた深雪が、冷ややかな声で文也を否定する。確かに『ミーティア・ライン』は今回の件に大いに関係している。文也も、「四葉」の気に障るというのは自覚していたようだ。

 

 しかし文也が今後使うかどうかは、もはや問題ではない。独自であるはずの切り札と同質のものが、外部の者に握られている。情報を流されないとは限らない。それが問題なのであり、文也はどうなるろうと、抵抗する以上死は免れないのだ。

 

 起動式や魔法式は、知られたからと言ってそう使えるものではない。一方で、その式そのものが汎用性を高めたものであり、いつかは使えるものが現れる可能性がある。文也は、劣化版と言えど、改善すれば「本物」に届きうる起動式を知ってしまった時点でアウトなのである。

 

 言い終えた深雪が、戦闘再開の口火を切る。『ニブルヘイム』が文也を凍らせようとするが、それは起動式の段階で駿の『サイオン粒子塊射出』に阻まれて失敗する。それと同時にまたも五人が入り乱れる戦いが始まり、サイオン光と魔法式が夜の闇に乱舞した。

 

「ちょっと冷静になって考えてみ? 俺が何したって言うんだ? USNAにしても、四葉にしてもよお。『分子ディバイダー』と『ミーティア・ライン』を俺が開発できたのが気に入らねえみたいだけど、そんなん逆恨みだろ? バレたら殺すぐらい頼りにしてるんだったら、俺が開発できる程度のしょぼい魔法なのが間違いだぜ?」

 

 その乱舞の中で文也が放った言葉は、正論だった。文也は四葉家から情報を盗んだわけでも奪ったわけでもなく、参考にして本家に繋がる式を自ら開発したに過ぎない。殺害と言う究極の手段に出るにしては、あまりにも理不尽だ。

 

「お前は、それが『ミーティア・ライン』だと知ってて開発したのだろう? 奪っただの盗んだだのは関係なく、四葉の秘密だと知ってそれをなお暴いた」

 

 しかし、それは達也の言う通り、暴論でもある。

 

「お前らは、今まで見逃されていたのが不思議なぐらいだ。人の役に立つ科学を特許でもないのに隠し立てする理由は金以外にないが、お前らが暴いた秘術は、全て人を傷つけるため、もしくは『殺す』ための技術。各家が秘匿するのは、独自の優位性、既得権益を保つためだけではない。それが社会に溢れて、悪用されるのを防ぐためでもある」

 

 文雄は『マジカル・トイ・コーポレーション』の設立に関わり、さらに工学部門において『キュービー』として裏で貢献してきた。そこに近年になって加わったのが『マジュニア』たる文也だ。この二人は、『マジカル・トイ・コーポレーション』としても、それぞれ個人としても、あまりにも多くの秘術を暴いてきた。それによって相互不信に陥り崩壊しかけた一族や、新たにもっと凶悪な「殺し」を開発せざるを得なくなった一族もいる。各家が隠し通してきた秘術の数々は、たやすく人の命を奪えるし、逆に人を守る要でもある。

 

 それを流出しかねない二人は、魔法師としてはあまりにも危険である。

 

 本人たちも多少自覚はあるようで、四葉の情報網によって達也が知る限りでは、二人が暴いた秘術が危険な存在に流出した形跡はない。せいぜい、彼らの身内、あずさや駿たちに渡った程度だ。しかし、もしこれが敵国や犯罪組織に渡れば、国家防衛・治安維持に使われる技術が敵に筒抜けとなり、さらに利用されることになる。本人たちがいくら細心の注意を払っていようが、四葉の分家制度・当主制度の仕組みが文也に知れ渡っていたように、どこから漏れるか分からない。二人がやっていることは、地域や国をまるごと滅ぼしかねない不発弾を興味本位にハンマーで叩くような行為だ。

 

 今回は四葉がたまたま動いたが、秘術を暴かれた他の家・一族も、『マジカル・トイ・コーポレーション』または文也に対して、殺人とまではいかずとも、決して穏便ではない手を打とうとしたこともある。結局実行には移さなかったが、遅かれ早かれ、四葉が動かなくても、誰かしらから文也は襲撃を受けていたのだ。USNA軍が、国際法を破ってまで、他国に来てまで抹殺しようとしていたのがその証拠だ。

 

 ――達也は別に、文也のおしゃべりに付き合うつもりはなかった。ただ何も情報を与えず、無言で仕事を遂行すればよい。

 

 この達也の考えと言葉は、文也に向けられたものではなかった。文也がこれで納得して、はいそうですか、と生け捕りか死を選ぶわけがないのだから。

 

 その言葉は、隣で戦う妹に向けられていた。深雪も裏仕事や殺しは初めてではないし、冷酷な割り切りもできるが、達也ほどではない。怒りと闘争心を向けている割には、やはり理不尽なものだという自覚はあったようで、いざ殺すとなると、明らかに迷いが生じていた。もしこの迷いがなければ、先ほどの『コキュートス』も決まっていただろう。

 

(……よし)

 

 深雪の動きにあった、ほんの少しの迷いが、そこから少しだけ消える。達也は、今の言葉に深雪が納得したとは全く思っていない。深雪は賢くて聡明だ。これだけの理由があろうとも、それでなんら法を犯していない少年を殺してよい理由にはならないのを理解している。それでも彼女から迷いが消えたのは――兄の意図をくみ取ってのことだった。

 

 そんな健気な妹の『情報強化』を超えて、再びいくつもの『爆裂』が現れる。その数は、戦い始めた頃よりも増していた。サイオンの質からして、これを行使しているのは文也だけではない。ついに「殺し」の迷いが消えたあずさの『爆裂』もあった。しかも互いに干渉しないように、事前の連携か、はたまた無言の即席連携か、文也が上半身だけを、あずさは下半身だけを狙って、魔法式を展開している。

 

 通常、『爆裂』のように有体物に直接干渉する魔法は、その有体物のエイドスそのものを一つとして対象とする。普通の魔法師が『爆裂』を使えば、全身の液体が同時に気化して、全身が血の華となる。しかし、魔法演算の変数入力の過程で、一個の有体物丸ごとにかけるのではなく、その一部分を対象とするテクニックもある。演算の手間があるため、戦闘中ではあまり使用されないが、達也の痛点を狙った『雲散霧消』のように、狙った一部分だけに効果を及ぼせるのと、その部分だけ改変するからサイオン量の節約になるという点でメリットがある。

 

 そして、文也とあずさはもう一つのメリット、複数人で一つの有体物に魔法を行使できるという点を利用した。本来のエイドス全体を対象とする方法だと、相互に干渉しあってすべてが不発となるか、片方だけしか実際に効果が起きないかのどちらかになる。戦闘中でも「対象を分ける」という基本ではあるがいざやるとなると難しい技術を難なく行える、魔法巧者の二人だからこそだ。

 

(くっ!)

 

 達也は苦渋の選択で、深雪を包むようにまるごと『術式解散』の領域を設定する。あの数では、一つ一つ崩すのは間に合わない。深雪自身の魔法や『情報強化』も崩してしまって隙を晒すことにもなるが、仕方のないことだった。達也は、領域魔法は苦手だが、こと分解関連に関しては、三年前の出来事から反省して習得している。それがなければ、たとえ深雪を『再成』させても、妹の記憶には自身の体が内側から爆ぜる感覚が残ってしまうところだった。

 

 それを見た文也はクイック・ドロウで魔法ピストルを抜き、深雪の心臓と頭をめがけて放つ。彼女が展開していた『対物障壁』は達也の『術式解散』によって消えている。何にも邪魔されないそれは、深雪の急所を次々と貫いていった。

 

 深雪が痛みに悶え、息絶えようとする。そこに達也は、領域を解除して即座に『再成』を打ち込んで深雪を蘇生させようとする。

 

「今だ!」

 

 文也が叫び、先ほどまで集中砲火されていた深雪から、矛先が達也に向けられる。

 

 達也は、文也の狙いを悟った。

 

 あの多数の『爆裂』からの一連の流れは、文也の計画通りだったのだ。

 

 達也の『術式解散』または『術式解体』を深雪に向けさせて防御を剥ぎ、魔法ピストルを当てる。そこを達也が『再成』しようとした隙に、達也を集中砲火する。魔法行使中に術者が死亡もしくは致命傷によってコントロールできなくなった場合、魔法は無効になる。たとえ達也が復活して再度『再成』をしようとも、復活しきる前に次の破壊に晒せば、『再成』は発動できない。その隙に、深雪に死を定着させようというのだろう。

 

 達也は、文也の掌で踊らされていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――演者が俺で残念だったな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかしそれは、達也が思い通りの振り付けで踊っていたことを意味しない。

 

 達也の自己修復術式は、その理を超える。

 

 達也の体が、徹底的な破壊に晒される。『爆裂』によって全身の血管が爆ぜ、脳や心臓をコンクリートの破片が貫き、不可視の刃が喉を切り裂き、無理やり光の透過率をゼロにさせられた手首が気化する。

 

 しかし、自己修復術式は、その破壊の度合いが高ければ高いほど、より速く修復を完了する。攻撃の全てが致命傷・重傷に至るのだから、その修復速度は、「そのダメージが達也のコントロールが魔法から失われる前」に修復を完了するほどだ。

 

 故に、一度行使した『再成』は失われることなく、瀕死の深雪のエイドスに、元の彼女のエイドスを被せ、彼女を修復する。

 

「これでもダメなのかよ!」

 

 起き上がって、再び戦い始めた深雪に対処しながら、文也は悪態をつく。今の流れに相当集中していたようで、三人とも、いよいよ疲労が限界に見える。達也は、多重の『領域干渉』の紡がれるペースが落ちてきていることを見逃していない。このまま疲弊させれば、いつかはそのペースを『トライデント』が上回るだろう。そうなれば、チェックメイトだ。

 

 保有サイオン量が無尽蔵ともいえるほどある達也と深雪、保有サイオン量が平凡な文也たち。現代魔法の尺度においては評価されない部分が、大きく勝敗を分けた。

 

 このままならば、いくら逆転の手段を取っても、文也たちが負けるのには変わりない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう――「このままならば」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪と達也の全身を、突然大量の魔法式が覆う。それはこれまで何度も見た魔法式『爆裂』だが、しかしその強度は比べ物にならない。達也どころか深雪の『情報強化』すら上回っている。さらにその隙間を縫うように、二人のCADに加重系魔法『ファンブル』がかけられ、手から落とされそうになる。

 

 反応は速かった。深雪は自分でできることはないと、全身が内側から爆ぜる恐怖を受けいれ、兄にすべてをゆだねる。そして達也はそれに応え、自身の体に訪れるあまりにも冒涜的な破壊を無視して、妹の苦痛を軽減すべくそちらに集中して『術式解散』をする。しかしそれは間に合わず、深雪の美しい顔が、醜い血の華となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――待ってたぜ、王子様たち」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪が『再成』されてるのを尻目に、文也は口角を上げて嗤いながら夜空を見上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その視線の先には、空中ドローンにぶら下がってCADを構えながらこちらに向かってくる、将輝と真紅郎がいた。



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5-13

さあ、これで、役者は揃った――?


 各々が危機に陥った時に使用する、文也たちの救難信号。それはペアリングした端末なら、日本中ならどこへでも届くようになっている。昨夜、ネイサンに襲われたときに文也が発した救難信号は、近場にいたあずさたち、東京と比較的近い静岡にいた文雄だけでなく、石川にいた将輝と真紅郎にも届いていた。生徒であるがゆえに、最悪ズル休みもできてフットワークが軽い二人は、文也がネイサンに襲われて信号を出すと同時に、良くても悪くても間に合わないだろうと思いながらも、東京に急行していた。

 

 そして駿たちが駆けつける前にすら終わった短期決戦は、「良くても」間に合わない、のパターンとなり、二人は寒空の中を空中ドローンで駆け抜けたのが、完全な「無駄足」となった。

 

 ――そこで翌日の学校に備えて二人が戻ったかと、言うとそうでもない。

 

 ズル休みをしたのは、文也たち三人、リーナ、司波兄妹だけではない。将輝と真紅郎もまた、今日学校をズル休みしていた。彼らは都内ながらも文也たちがいた隠れ家からだいぶ離れたホテル――急だったため学生たちだけではそこしか取れなかったのだ――に泊まって、早くに駆け付けられるよう待機していたのだ。リーナとの戦いには間に合わなかったが、こうして達也たちとの戦いに間に合ったのは、思わぬ幸いと言ったところだろう。

 

「話は途中までで聞いてる。まさか、司波と司波さんが四葉だったとはな」

 

「詳しくはないけど、悪名だけはやけに有名な十師族だね」

 

 真紅郎に比べて、将輝は動揺が大きい。ライバルと認めた司波達也、恋焦がれていた司波深雪、この二人が四葉の者だったというのは、少なからずショックだった。それは、十師族の嫡子であるがゆえに、四葉家がどれほどの存在なのかを痛いほど知っている、というのもあるだろう。

 

「いやーほんと危ないところだったぜ、マサテル、ジョージ。こいつらホント化け物みたいに強いからよー」

 

「マサキだ」

 

 深雪に並ぶほどの実力を持つクリムゾン・プリンスこと将輝、優れた科学者にして同世代では抜きんでた力を持つ真紅郎。この二人の登場に、文也たちの厳しかった表情に希望の色が現れる。このままではジリ貧であることを、三人とも自覚していたのだ。

 

「それで、ジョージ、文也、あの自己再生と異常な治癒魔法は、どうやって解決するんだ?」

 

「『爆裂』よりははるかに燃費悪いだろうし、破壊しまくって回復のサイオンが尽きるのを待つとか?」

 

「冗談はよせ。あいつが何発『術式解体(グラム・デモリッション)』が撃てると思ってるんだ」

 

「じゃあお前が『爆裂』で司波妹を狙い撃ちして足止め、司波兄が回復し続けなきゃいけないところを俺らが集中砲火でどうだ?」

 

「凶悪な発想だが、それが一番だな」

 

 文也の提案に、将輝が賛成する。

 

 将輝は深雪に恋心を抱いていた。しかしながら、先ほどの登場の通り、すでに彼女を無残な肉片に変えることに躊躇はない。あの佐渡で、そして横浜で、経験した修羅場は、将輝に冷酷な戦士に切り替えることができる精神を身に着けさせたのだ。

 

 それに対して、達也と深雪が顔をしかめる。今の会話中、文也たちが気を抜いているようでいて、二人はそこに隙を見いだせなかった。将輝の存在が、あまりにも大きすぎる。その干渉力は、安易な二人の攻撃を容易く跳ねのけてしまう。そして見過ごさざるを得なかった作戦会議で出た結論は、二人にとって最悪の結論だった。

 

 それで負けることは、絶対に無いだろう。いくら徹底的な破壊、それこそ肉片に変えるような破壊でも、ほんの数秒は死がこの世に定着するまでの猶予がある。達也の『再成』が間に合わないことはないから、深雪も達也も、最終的には傷一つない体で帰ることができるし、その無限の命という有利を押し付ければ、五人とも殺すことはできる。

 

 しかしその選択は、あまりにも苦痛が伴う。それを受け入れたら、達也は痛みを感じる間もなく自己修復するから問題ないが、深雪は幾度となく破壊されては『再成』されて戦いに戻されることになる。『再成』は記憶まで元に戻すとはならず、死の瞬間までの記憶が残った状態で体だけが元に戻る。つまり、幾度となく受ける破壊の記憶を、深雪は耐え抜かなければならない。その持久戦は、サイオン量や人体はまだしも、あまりにも精神を削る。

 

 しかし、それしかない。文也たちはすでに動き始めた。達也も深雪も、それを覚悟するしかない。

 

(やることは一つ――俺が早く決めるだけだ)

 

 愛しい妹の負担を少しでも減らすため、達也はあえての短期決戦を選び、自ら攻撃する。ついにはCADを使わないで系統魔法を理論上ありえない速さで行使する『フラッシュ・キャスト』まで使って、猛攻を仕掛ける。その急激にテンポを速めた攻めに、文也たちは反応が遅れた。

 

「お前、なんだそれは!? 九校戦でマサテルに使った奴と同じか!?」

 

 達也の魔法力は、二科生の中でも下位に位置する。しかし、四葉家の生み出した悍ましい技術は、彼に恐ろしい力を与えた。

 

 記憶領域に起動式を刻み付けて、起動式の展開と読み込みを省略する『フラッシュキャスト』。人工的に植え付けられた仮想魔法演算領域。この二つの悍ましい技術を植え付けられた達也は、CADを使わず、しかも圧倒的に速度で優る魔法師の原点・超能力者をも上回る速度で、魔法を行使することができる。

 

 その速度は、人間の無意識・反射と同等だ。意識的な反応・対応では絶対に間に合わない。

 

 達也は文也の問いに反応しない。一刻も早く殺す。妹を傷つけないために。その意思のみで、たった一人で五人を圧倒していた。

 

「これはなんなのふみくん!?」

 

「わからん! 多分、脳みそに起動式が入ったチップが埋め込まれてて、その回路と脳神経を繋げてるから、起動式の読み込みがいらないんだ!」

 

「怖すぎるだろ!」

 

 あずさ、文也、駿が各々叫びながら、達也に対応する。達也のこれは速度だけだ。事前に防御魔法を展開していれば、それを達也が破ることはできない。

 

(どっちも惜しいな)

 

 達也は、文也の推測と五人の対応、それぞれに冷淡に評価を下しながら攻め込む。

 

 文也の推測は、かなり良い線を言っている。ただ、四葉の発想はそれにとどまらない。もっと効率的で、もっと非人道的だ。

 

 そして、五人の対応。これも惜しいが、間違いだ。魔法による防御は、それぞれの現象に合わせた系統で防がなければならない。達也は異常な速度で八系統の魔法をランダムに変えて行使して押し込もうとする。これに対応するのは、十文字の『ファランクス』か、ネイサンの『身守り』のような万能の守り以外では不可能だ。皮肉にもそれは、大量の専用CAD『パラレル・キャスト』による多種同時攻撃で多くの魔法師を苦しめてきた文也の戦術と同じだった。

 

 空気の刃は文也の頬を切り裂き、全身にかいた汗を発散させられた駿は寒さで動きが鈍り、九校戦の再現のように耳元で爆音を鳴らされた真紅郎の鼓膜は破れ、将輝はサイオン波で軽い脳震盪を起こす。そして、あずさは空気中の水分を収束させて放つ『水鉄砲』を防ごうとしたところで、放出系魔法による電気ショックを食らい、昏倒した。

 

「あーちゃん!」

 

 あずさの小さな体から、力が抜けて倒れていく。文也はすぐに駆け付けてその体を支えてコンクリートに叩きつけられるのを防いだが、それ以上に危機的な状態に、五人は晒されていた。

 

「深雪!」

 

「ええ、お兄様!」

 

 達也が叫ぶ。それに深雪は呼応し、準備していた魔法を放つ。

 

 達也の狙いは三つ。五人に攻撃する隙を与えないこと、あずさを昏倒させること、深雪が大魔法を準備する時間を稼ぐこと。その大魔法は『コキュートス』。あずさが気絶した今、それを防ぐことができる者は、ここにいない。

 

 すでに起動式の読み込みも完了しているから、駿の『サイオン粒子塊射出』でも妨害できない。兄妹の狙い通りの状態になった。

 

 深雪の悍ましい魔法式が、再び文也にかけられる。

 

 そしてそこに――また『抱擁』の魔法式が浮かび上がった。

 

「中条先輩!?」

 

 文也はまたも、精神が凍結されるギリギリで、いつのまにか意識を取り戻していたあずさに救われた。顔だけ起こして文也の様子を確認するあずさを見て、深雪は驚愕の声を上げる。

 

「くっ、気絶に合わせて『覚醒』を使ってたのか」

 

 達也は油断したと歯噛みしながら、また単身前に出て、高速魔法戦闘で五人相手に立ち回る。

 

 しかし同じ手が通用する程、文也たちは甘くはない。

 

「将輝はヒステリー女を狙え! 俺らが分担して守る!」

 

 文也の叫びに合わせて、将輝以外の四人が、それぞれ別々の系統の対抗魔法を展開する。達也の干渉力では、それらを破ることはできない。『術式解散(グラム・ディスパーション)』でそれらを破ろうとするが、しかし深雪の体に浮かび上がった多数の『爆裂』に対処しなければならず、達也は攻め込むタイミングを見失う。しかも最悪なことに、『術式解散』が一つだけ間に合わなくて、妹の全身はまたも内側からはじけ、無残な肉片となってしまった。

 

 達也は急いで『再成』をかけようとする。しかしそのCADに駿の『サイオン粒子塊射出』が飛んできて起動式の読み込みを妨害した。しかし、これは達也のダミーだった。『再成』は魔法の難度自体は高いが、工程数は少ない。こんな重要な魔法が達也の脳に刻み込まれていないはずがなく、『フラッシュ・キャスト』で直接行使し、深雪はまたも元通りの体になった。

 

 先ほどまでだったら、ここから仕切り直しとなっていた。

 

 ――しかし、今ここには、将輝と真紅郎が新たに加わっている。

 

「今だ! 押し切れ!」

 

 文也の号令とともに、深雪と達也にありとあらゆる破壊の魔法がかけられる。

 

 肉が内側から爆ぜ、目玉を気化させられ、脳は電気ショックに晒され、骨が振動で砕かれ、首が不可視の刃で切り裂かれ、心臓がコンクリートの破片で傷つけられ、全身に鉄片が突き刺さり、体中を砂塵まじりの旋毛風で削られる。

 

 その全ての攻撃を、達也と深雪は受け止めなければならなかった。『情報強化』は構成が間に合わないし、干渉力で抵抗できない。それら全てによる徹底的な破壊を、受け入れざるを得なかった。

 

 ――そして二人の地獄は、ここで終わらない。

 

 望まないで埋め込まれた自己修復術式によって、誰よりも愛する兄の手による魔法によって、それぞれ強制的に身体を『再成』させられる。どんなに身体を破壊されても、二人は死ぬことができない。

 

 ――致命傷の苦痛から、逃れることができない。

 

「おおおおお!!!」

 

 達也が、破壊と殺害、暴力の嵐の中で吠える。

 

 強い情動をつかさどる部分のほぼ全てを仮想演算領域にすり替えられた彼は、激しい情動に駆られることはまず無い。彼が感情に任せて大声を出すことは、ほぼありえないはずだ。

 

 しかし彼には、一つだけ、「残された」感情がある。四葉のために、都合がよいから残された感情。

 

 ――兄妹愛。

 

 四葉に生まれた過去最高の力を持つ妹・司波深雪を守る、道具としての人間・ガーディアンとしての役目を背負わされた彼は、意図的にその情動だけが残された。

 

 彼が今、激情に駆られて吠えているのは、自分が傷つけられたからではない。

 

 ――妹が、何度も、何度も、何度も、殺されているからだ。

 

「くそっ、なんだあれは!?」

 

 文也はなおも攻撃魔法を放ち続けながら、その光景に恐れを覚える。

 

 絶世の美少女が、血だらけの肉と化していた。そこにさらに新たな破壊の魔法式が次々と被せられる。それらの魔法式はすべて、領域魔法化した『術式解散』によってサイオンの粒子と化した。そしてその領域が解けた一瞬に、『再成』が施され、血だらけの肉が再び絶世の美少女となる。ところが、その芸術のような少女に、新たな破壊の魔法式が現れた。しかしそれらは、今度は個別の『術式解散』によって、一つ一つが消しとばされる。

 

 ――同世代でもトップの魔法師五人が一斉に放った魔法式は、たった一人の魔法師によって、一つ一つが分解されてしまった。

 

「よくもやってくれたな」

 

 達也は、CADを文也たちに向けながら、怒りを込めて睨む。

 

 今、達也がやったことは、まさしく究極の絶技だった。

 

 まず、深雪に行使され続ける大量の魔法式すべてを一気に『術式解散』の領域で無効化。そして『フラッシュ・キャスト』によって魔法を行使し続けていた文也たち五人よりも速く、領域を解いた瞬間に『再成』をかける。そして『再成』後の魔法はすべて、『フラッシュ・キャスト』を用いた個別の『術式解散』で無効化する。二回目も領域化しなかったのは、深雪が自分にかける『情報強化』を邪魔しないため。そのために、達也は限界を超えて、無理だと思っていた大量の魔法式を個別にすべて『術式解散』することに成功した。

 

 それを成し遂げた達也に、文也たちは恐れおののく。こんなこと、たとえ人間の演算力をはるかに超えるスーパーコンピューターの補助が合ってすら、単独でなせるわけがない。五人の一流魔法師が一斉に行使した魔法に、たった一人で、超高等魔法『術式解散』で追いついて見せた。世界最強の魔法師、アンジー・シリウスよりもさらに訳の分からない、理解できない領域にいる『バケモノ』。文也たちからは、達也がそう見えていた。

 

「お兄様、申し訳ございません……」

 

「いや、いいんだ。お前がいなければ、とっくに負けていた」

 

 深雪は、心底申し訳なさそうに、兄に謝る。達也はそう言って笑顔を作って慰めるが、しかしその目からは文也たちに対する怒りが消えていない。

 

 このやり取りは、文也たちからすれば、足を引っ張ってしまった深雪が達也に謝ったように見える。

 

 それは実際そうなのだが、文也たちが知らない事情もまた、そこに介在していた。

 

 達也の『再成』は、対象が痛みを感じる生物であれば、エイドスの履歴を読みだす過程で、その対象が受けた痛みをすべて達也が感じてしまう。しかも、履歴参照の一瞬に痛みが凝縮されて襲い掛かってくる。故に、痛みに強い耐性がある達也と言えど、一瞬のタイムラグは免れない。ましてや、深雪に起きた破壊はすべて致命傷、中には内側から体が爆ぜるという最悪の苦痛もある。

 

 しかし達也は、常識の領域を超えた速度を強いられたため、そのタイムラグというほんの少しの猶予すら自分に許さず、この世のものとは思えない苦痛を、ゼロに近い時間の中にすべて凝縮させて受け入れ、それを乗り越えて深雪を『再成』させた。それだけにとどまらず、そこからのフォローも、完璧に行って見せた。

 

 深雪の謝罪は、この、何にも勝る究極の痛みを何度も兄に受けさせてしまったことを謝ったものだ。

 

 深雪は、致命傷の痛みを味わっては、その記憶が残ったまま『再成』させられ、また破壊されるという無間地獄を味わってきた。そしてその全ての痛みは、『再成』した達也もまた味わい続けてきた。

 

「もう終わりにしよう」

 

 達也は、自分に誓うように、妹を安心させるように、文也たちに宣告するように、口を開く。

 

 一刻も早く、この地獄から、妹を救わなければならない。

 

 何度も死の苦痛を味わい、そしてそれを達也もまた受け、そのことに妹はさらに心を痛める。

 

 こんな状況に、愛する妹が晒されているのは、達也にとっては我慢ができないことだった。

 

「ああ、お前らの終わりだ!!!」

 

 文也が叫ぶと同時に、また五人から攻撃魔法の波が押し寄せる。しかしそれは、先ほどまでと比べたら、ほんの少しだけ勢いが劣る。後から参戦した将輝や真紅郎はまだしも、リーナからの連戦だった文也とあずさと駿は、すでに疲労が限界だった。そしてその疲労は――攻撃だけに現れるわけではない。

 

 あずさと駿はまだ何とかなっている。しかし、サイオン保有量が平凡で、かつ、本人の戦い方ゆえに今日もっとも消費が多かった文也は、そうではない。本人の体力のなさと相まって、その多重の『領域干渉』が紡ぎだされるペースは、『トライデント』の槍よりも遅くなっていた。得意の『ツボ押し』で体内のサイオン量回復力を増幅させてはいたが、いよいよ限界だ。

 

 達也は、将輝の『爆裂』によってまたも血の華になった妹を『再成』させながら、文也にCADの銃口を向け、引き金を引く。これで一番厄介な敵が消える。あとは戦力が削られた相手を倒していくだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなた達、何やってるの!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その魔法は、予測しえない方向から飛んできた『サイオン粒子塊射出』によって、エラーを起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也はその方向を確認して、油断したと歯噛みする。増援は将輝と真紅郎で最後だと、勘違いしていた。

 

 目の前の戦いに集中させられていた達也は、『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』による周囲の確認を怠っていた。

 

 だからこそ、この予想外の介入を許してしまった。

 

 介入者は、この一年間、いろいろとお世話になった学校の先輩。十師族の長女で、一高でも三巨頭に数えられた、元生徒会長。

 

「早く説明しなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――七草真由美が、CADと厳しい目線を向けながら、達也にそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでも私、受験生なんだけど……」

 

 2月16日、真冬の真夜中を歩く羽目になっている真由美は、白い溜息を吐く。もうすぐ受験本番だというのに、勉強する時間を割いてやっていることが、風邪をひく危険が高まる真冬の真夜中の出歩き、それも万が一のことがあったら怪我をして受験に響く吸血鬼事件のパトロールだ。いくら模試で全科目満点、実技でも全国二位(一位は克人だ)で、おそらく本番は逆立ちしながら挑んでも合格が確実とはいえ、気分的にはどうしても落ち着かない。

 

「お姉ちゃん、今日それで何度目?」

 

「香澄ちゃんも受験生でしょうに」

 

 そんな真由美の隣を歩くのが、妹の香澄だ。好戦的でヤンチャな彼女は、姉のパトロールに何度もついてきたがっていた。最初は受験生にそんなことさせるわけにはいかないと――自分のことを棚に上げたと見るか自分のようになって欲しくなかったと見るかは各々の解釈が分かれるところ――断固として断っていたのだが、成果のないただの夜の散歩を何度もしているうちに、どうせ今回も何もないだろうと、同行を許可したのだ。ちなみに香澄も中学三年生で、魔法科高校の受験を控えている身だ。同じく合格は余裕も余裕だが、双子の妹・泉美やライバル師族の七宝琢磨と新入生代表を争う立場であり、真由美と違って合格すればあとはどうでも良いというわけではない。本当なら最後まで同行させるつもりはなかったのだが、一高が急に新学科を設立するにあたって全魔法科高校の入学試験日が後ろ倒しになって無駄に受験勉強が増えたこともあって、気分転換も大切だろうと許可したという面もある。

 

 全く気乗りしない真由美と違って、受験勉強から離れて夜の散歩と洒落こめた香澄は、元気そのものだ。夏の一件以来、夕方や暗い時間は一人で出歩くのが一時期抵抗があったようだが、助けてくれた小さな謎の「王子様」への憧れが強く印象に残ったのと、時間がだいぶ経ったこと、そして同行者が世界で最も頼りになると思っている真由美ということで、今その心に不安は全くない。

 

(まあ、これなら良かったわね)

 

 可愛い妹がトラウマを抱えてしまった姿と言うのは、とても心苦しかった。こうして真夜中でも楽し気に歩ける姿を見られただけでも、真由美としては寒いだけで意味のない散歩も価値があったと言えるだろう。

 

「それで物音の場所ってどこ?」

 

「もうすぐだと思うんだけど……」

 

 香澄の問いかけに、真由美が端末を操作してマップを確認する。

 

 二人が向かっているのは、大きな破壊音がしたと報告があった方向だ。どうせ大したことではないのだろうが、少しでも手掛かりが欲しい真由美たちは、他のパトロールも含めて、そこに向かっているのだ。

 

(んー、それにしてもやけに静かねえ)

 

 大きな物音がしたという場所に向かっているのに、その道中は静かだった。一時的に改善傾向になったとはいえ、日本人の睡眠時間はなお世界でも少ない。そうだというのに、周辺の家屋で電気がついているのはまばらだ。そしてその様子は、物音がしたという場所に近づけば近づくほど顕著になっていく。

 

 香澄は気づいている様子はないが、真由美はそのことに少しだけ違和感を覚える。「何か」が起こっているのでは、という根拠のない違和感だ。

 

 そんな二人の目の前を、いたって普通の体格の男性が通りかかる。手には袋を下げており、お菓子の袋やジュース、タバコなどが見えている。まさしくどこにでもいる、夜中に商店で買い物をした一般男性だ。

 

「あのー、すいません」

 

「ん? ああ、はい、なんでしょう」

 

「このあたりで大きな物音がしたとのことですが、何かご存じないでしょうか?」

 

 真由美はその男に話しかける。格好からして、この近所に住んでいることは明白だ。何か知っているかもしれないと考えての事だった。

 

「んー、うーん、聞いてないかなあ、そういうのは。誰かがテレビで映画かなんか見てたのを、また別の誰かが勘違いしたんじゃないのかなあ」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

「いえいえ、それよりも、二人とも、若い女の子がこんな夜中にうろつくもんじゃないよ。早く帰りな」

 

 その男性はそう言い残して、そのまま去っていった。

 

「……もう本当に帰ろうかしら」

 

「えー、もうちょっと歩こうよ」

 

 今の会話で、このパトロールの無意味さを改めて自覚した真由美はそうつぶやくが、香澄にせがまれて、じゃあ物音の場所までぐらいは、と歩き出す。しかし真由美のやる気は今やすっかりゼロ、あの男性が使ったであろう商店でお菓子でも買って、真夜中の罪深いやけ食いでもしようかと考え始めていた。

 

 その瞬間――

 

 

 

 

 

 

「真夜中にうら若き美少女だけで出歩くのは、本当に危なかったみたいね」

 

 

 

 

 

 

 

 ――真由美に向かって、路地裏から銃弾が飛んできた。

 

 真由美はそれを対物障壁で跳ね返し、移動系魔法でその銃弾をお返しする。路地裏にいた黒ずくめの大人は、それを腹部に食らい、そのまま気絶した。

 

「香澄ちゃん、行くわよ」

 

「え? 逃げるんじゃないの?」

 

 危ないことがあったら逃げる。そう約束して同行を許したのだが、真由美は考えが変わっていた。

 

「この先に、何かあるわ」

 

 真由美の端末には、他のパトロールからの連絡が大量に舞い込んでいた。その全てが、あの物音があったらしいところに向かっていたグループだ。つまり、その物音は、何かがあったということである。

 

「香澄ちゃん、ごらんなさい。誰かさんは、よっぽどこの先にあるものが見られたくないみたいよ」

 

 路地裏で腹から血を流している黒ずくめの男――その覆面の隙間から覗いていたのは、先ほど話しかけたばかりの男の顔だった。

 

「嘘っ……!?」

 

 香澄はそれを見て、口を手で覆って目を見開く。普通の男だと思っていたのが、いつの間にか路地裏に紛れ込んで銃撃してきた。ただの夜の散歩だと思っていたのに、とんでもないことが起こってしまっていたのだ。

 

 瞬間、香澄の脳裏に、あの夏の出来事がよみがえる。

 

 真夏で日が長い中の夕暮れ直前、人目がつかなくなった場所で双子の妹とはぐれてしまい、そこを襲われた。何とかボディーガードたちが駆けつけたが奮戦空しく敗れ、自分もまた敗北し、何倍も体格差がある大人の男に押さえつけられ――

 

「香澄ちゃん、大丈夫?」

 

「う、うん、大丈夫」

 

 ――トラウマがよみがえった香澄は、顔面蒼白になっていた。真由美は心配するが、香澄は気丈にふるまう。ここで無理と言えば、真由美は自分と一緒に帰ってくれるだろう。香澄一人で返すということはない。一人で帰る方がよっぽど危険だからだ。つまり、ここは、二人で一緒に進むか、一緒に帰るか、だ。姉がずっと苦労していたのは知っている。ここで、大きなチャンスかもしれないものを無駄にするつもりはない。香澄は深呼吸をして息を整え、頬を両手で叩いて奮起する。いつまでもトラウマに縛られてはいけない。もうすぐ高校生、ここは頑張りどころだ。

 

「走って一気に駆け抜けるわよ!」

 

「うん、お姉ちゃん!」

 

 真由美と香澄の前に、次々と黒づくめたちが現れる。いよいよ、疑惑は確信になった。二人は駆け抜けながらそれらを次々と卓越した魔法技術で叩きのめしていき、物音がしたという方向へと進んでいく。

 

 そしてついに、激しい光と違和感が暴れまわっているのが見えた。物音がしたという場所とほぼ同じ、あの光はサイオン光、気配は魔法によって世界が何度も書き換えられている証だ。つまり、いまあそこでは、魔法戦闘が行われている。

 

 なおも寄ってくる黒づくめをすべて打ち倒しながら、ついに道を飛び出し、その戦闘を目の当たりにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

「へっ――!?」

 

 

 

 

 

 

 

 真由美はそれを見て、なんとか口を押えて、驚きで大声を出さないようにするのが精いっぱいだった。

 

 戦っていたのは、見知った顔たち。この一年間、何度も何度も見た顔だ。

 

 真由美のこの一年間を最も彩った後輩、司波達也。最高の優等生にして生徒会役員の仲間、司波深雪。二年間一緒に生徒会を運営してきた後継ぎ、中条あずさ。最悪の悪戯坊主、井瀬文也。奮起した期待の後輩にして優秀な風紀委員、森崎駿。さらには、クリムゾン・プリンスこと一条将輝と、カーディナル・ジョージこと吉祥寺真紅郎もいる。

 

 この七人が、魔法戦闘を行っている。それも、競技や演習のレベルではない。体と精神を傷つけあい、相手をこの世から消し去ろうとする――本気の殺し合いだ。使っている魔法のすべてが、殺傷性ランクがB以上。戦場かと見紛うような殺意が、充満していた。

 

(どういうことなの……?)

 

 達也と深雪、文也たち五人、この両者がここまで本気の殺し合いになる理由が、全く理解できない。確かに司波兄妹と文也は対立的だが、こうはならないはずだ。

 

 どちらが先に仕掛けたかと言えば、品行方正な司波兄妹よりかは、喧嘩っ早い駿や将輝、素行不良の文也の方がしっくりくる。しかしそれならそれでやはり殺し合いに発展する理由はないし、あずさや真紅郎が何としても止めるはずだ。親友同士と言うことなので肩を持っているともいえるし、どちらも押しに弱くて流されたと言えば筋が通るが、それでもやはり不可解だった。

 

「…………そんな……………………」

 

 その様子を見た香澄もまた、唖然としている。答えの見えない迷いの中で一周回ってようやく少し冷静になった真由美は、それも無理はないと思った。なにせ、自分と少ししか年齢が変わらない少年少女が、傷つきながら、本気で殺しあっているのだから。十師族でいくらか「現実」に触れる機会が多いとはいえ、まだピュアなところがある香澄にとって、それは衝撃だろう。しかも、戦っているのは、真由美が妹たちに学校であった面白いこととして話した中に何度も出てきた、達也と深雪だ。

 

 しかし真由美は、それが少し違うことに気づく。その理由でショックを受けているのも少なからずあるが、どうにもそれだけではない。

 

 香澄の視線は、真由美の話に何度も出てきて写真や映像で見たことある深雪や達也やあずさではなく――一際小さいが一際動き回り、そして達也をも超える量の魔法を一人で行使している、文也だった。

 

「あの人……あの時の……」

 

 香澄のつぶやきを聞いて、真由美は、何があったのか理解してしまった。この一年間最も胃と精神を痛めつけてきた小さなワルガキが――香澄の恩人だったのだ。

 

「香澄ちゃん……あの小さい男の子……井瀬君が、助けてくれた人なの?」

 

「え、お姉ちゃん知ってたの!?」

 

「知ってたもなにも……」

 

 香澄の問いかけに、真由美は頭痛を覚える。文也のことは嫌と言うほど知ってはいたが、妹の恩人だとは思いもよらなかった。妹よりも小さい男の子で、それでいて多数の魔法を同時に使いこなす名手ともなれば、考えてみれば文也以外にはまずいないはずだ。しかし、通りすがりの人間を助けるような性格には全く見えないというのが、真由美の正直な感想だった。自分で面倒ごとは起こす癖に、自分の身内が関わっていなければたとえ正義に反するとしても面倒を回避する。そういう男だと思っていた。

 

「お姉ちゃん、お願い、あの人を助けて!」

 

 服のすそを引いて、香澄は真由美にかすれた声で懇願する。文也たちの方が人数有利なのに、香澄の目から見ても、はっきりと文也たちが押されていた。そして中学生にしてすでに魔法感性が高い香澄もまた、あそこで飛び交っている魔法のすべてが人を殺すためのものであることをわかっている。

 

 香澄から見たら――やっと会えた命の恩人が、今にも殺されようとしているように見えるのだ。

 

「――っ」

 

 真由美は、歯を噛みしめて、逡巡する。

 

 結局、なぜあのような殺し合いに発展したのか、どちらが悪いのか、何が起こっているのか、何を考えているのか、全く分からない。

 

 ただわかるのは、香澄が真由美を頼るしかないということだ。香澄はヤンチャで好戦的な性格で、魔法力はハイレベルに備わっているし、また自信家だ。こういう場面になったら、むしろ一も二もなく飛び出して参戦するはずだ。しかし、今、香澄は真由美に助けを求めた。香澄は、あの戦いが、今の自分では全く及ばないことを理解しているのだ。

 

 真由美から見て、香澄は危うい状態だ。今は真由美を頼っているが、もし真由美が断ったら、または動き出そうとしなかったら、自分が死ぬと分かっていても、あそこに飛び出すだろう。つまり、真由美がここで迷えば、香澄は死ぬということだ。

 

「――わかったわ、お姉ちゃんに任せなさい」

 

 真由美は、香澄の視界に戦場が入らないように、その身で隠す。今その後ろでは、深雪が見ただけでトラウマになりそうな肉片になったところだった。

 

「ただ、香澄ちゃん、あそこはすごく危ないところよ。後ろを振り向かないで、真っすぐ、全力でお家まで逃げなさい。助けを呼ぼうとか、参戦しようとか、そういう余計なことは考えないこと」

 

 あの悍ましい戦いは、まだ香澄に見せるわけにはいかない。そして自分があそこに参戦したら、間違いなく香澄を守る余裕はない。香澄は、家に帰すほかないのだ。今なら、性格は嫌いだが、実力面では最も頼りになる父が珍しく在宅だ。警察に行くよりも、家の方がよっぽど安全なのだ。

 

 真由美が真っすぐ見つめる香澄の目には、まだ迷いがあった。理屈では分かっているが、ここから自分だけ離れるというのが、あまりにも不安なのだ。今もまだ、幾多の魔法が飛び交っているのが、感覚で分かる。

 

 そんな妹の不安を打ち消すように、真由美は、精神力のありったけを振り絞って、営業スマイルを超えた、本気の笑みを浮かべて、首を傾けてウインクをして、あえて明るい声を出す。

 

「お姉ちゃんに任せなさい。あの子たちは、みんな可愛い後輩なんだから。何としても、全員助けてあげる」

 

「……うん、わかった!」

 

 真由美のそんな様子を見て、香澄はようやく決心がついたのか、頷いて、全力で駆け出していく。魔法を使うことはない。ここで使えば、あの戦場の全員に感知される。真由美がいきなり飛び出すのことが最高の一手であることを、理解しているのだ。

 

(…………ああ言った以上、頑張らなきゃね)

 

 香澄が十分に離れるのを待っている間に、達也たちの戦いは一つのヤマを迎えていたみたいで、強大な魔法が行使される気配が何度もしていた。

 

 真由美はブロック塀の影から、どうなっているだろうかと、戦場を覗き込む。

 

 ――将輝が深雪に、達也が文也に、それぞれ銃口を向けて、魔法を放とうとしていた。

 

(まずっ――!?)

 

 それを見て、真由美はサイオンを固めながら、戦場へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなた達、何やってるの!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周辺の家屋からは、四葉が唐突な旅行券大当たりや合宿イベント、急な出張やお泊りの用事などが出るように裏で手を回して、住民がいなくなっている。また、戦力としては四葉の手持ちでは下の下だが、周辺には裏仕事の戦闘要員を配置していた。将輝や真紅郎ほどの実力者が高速ドローンで急襲してきたというのは突破されても仕方なかったが、明らかに徒歩の誰か、それも真由美が乱入してくるというのは、達也にとって予想外だった。

 

(……参ったな)

 

 目の前の戦闘に手いっぱいで、様々なことへの思慮が欠けていた。今真由美に乱入を許したのもそうだが、他にも、四葉の手勢から様々な連絡が入っている。おそらく、真由美を筆頭とする吸血鬼の捜査チームが、文也たちとリーナが戦っている物音を聞いて、何かあるかもと集まってきたのだろう、周辺チームから交戦の連絡が次々と入ってきていた。

 

「答えなさい」

 

 真由美の鋭い目は、達也と深雪に向けられている。文也に比べたらこちらの方が何百倍も品行方正で日ごろの行いが良いし、後から来ただけではどちらが仕掛けたのかも分からないはずだが、彼女は心理的にはどちらかといえば文也たちを味方している。それは問いかけと目線、そしてCADを達也と深雪に向けていることから、明らかだった。

 

「元かいちょーさんか、助かったぜ」

 

 文也は、自分の多重の『領域干渉』の間隔が緩んでいたことに気づき、改めて掛けなおしながら真由美に感謝をする。彼女がいなければ、文也は間違いなく分子にされていた。感謝してもしきれないだろう。

 

「井瀬君も、中条さんも、森崎君、あとそこの二人も、早く説明なさい」

 

 真由美は普段の余裕があるどこかふざけた雰囲気を捨てて、文也たちにも厳しい声で問いを投げかける。それは、あずさのことをあだ名で呼んでいないことから明らかだ。

 

「少し、井瀬とトラブルが起きまして。それで井瀬の方から喧嘩を仕掛けてきて、それがエスカレートしました」

 

「お前、流れるように嘘つくよな」

 

 達也はとっさに考えた大嘘を説明して、それを文也が呆れた顔で咎める。先ほどまで殺しあっていたとは思えない気の抜けたやり取りだが、ここは両者にとって正念場だ。真由美が味方に付くかどうかで、話が大きく変わってくる。

 

 達也のこれは大嘘も大嘘だが、しかし、文也と自身の日ごろの態度や行いを鑑みれば、客観的にはとても信憑性が高い。一高生のほとんどは、間違いなく達也を信じるだろう。

 

「エスカレートにしては随分ね」

 

 真由美は目を細めて達也に皮肉を吐く。そう、エスカレートするにしても、あそこまでの殺し合いは流石にやりすぎだ。真由美から見ても若干ヒステリーの気がある深雪はまだしも、達也まで本気で殺そうとはしないはずだ。

 

「逆転裁判をする気分じゃないから、さっさと説明するぞ。元かいちょーさん、俺が言っても信じらんないだろうが、今から説明することは、あーちゃんも駿もマサテルもジョージも認めるところだ。さすがに信じてくれ」

 

「井瀬君一人でその四人分を軽く超えるくらいマイナスなんだけど……いいわ、説明してご覧なさい」

 

 達也は、深雪が内心焦り始めたのを感じ取る。深雪の精神は、今や度重なる臨死の苦痛によって、限界スレスレまで摩耗している。焦りのあまりに感情が揺れてサイオンが溢れてしまっているし、それを抑え込むだけの精神力が残っていない。文也が説明を始めた途端焦りを見せるというのは、あまりにも怪しすぎる。

 

 達也は、文也が説明するのを、戦闘再開によって遮断しようかと一瞬考える。しかし、すぐに却下した。真由美は、一高生の中では最も文也から被害を受けた一人だ。文也の話を信用するとは思えないし、それに今から話される「真実」は突飛で、信じるとも考えにくい。それならば、暴力で中断させるという最悪の自白をするリスクは、見送っても良かった。

 

「まず、司波兄妹は十師族の四葉だ。四葉は分家制度を置いていて、司波家はその一つだろうな。それで、俺が、起動式を盗んだわけじゃないんだけど、四葉お気に入りの『流星群(ミーティア・ライン)』を自前で開発しちまってな。それがお気に召さなかったみたいで、こうして暗殺部隊が派遣されてんだ。俺らだけじゃない、親父にも、俺の家にも、駿の家にも、刺客が派遣されてる」

 

「………………そう、なるほどね。じゃあ、私がここに来るまでに襲ってきた黒ずくめも?」

 

「司波兄妹、四葉の仲間だろうな。ここに近づけさせないためだ」

 

 達也は内心で頭を抱える。突発的な喧嘩がエスカレートしたとすると、明らかにその黒ずくめが不自然だ。内容はあまりにも突飛だが、文也の話の方が論理的な整合性が取れている。

 

 達也は内心で諦める。真由美の目の色が、一段と達也たちに向けて厳しくなっているのだ。

 

 深雪の魔法力、立ち居振る舞い、成績。達也の裏社会・社会の闇への知識や国防軍とのコネクション、人殺しをためらわない精神。真由美はこの一年間、それを何度も見てきている。それらの高校生としての「異常さ」は、四葉だったとすれば、全て説明がついてしまう。

 

「俺らが四葉なわけないでしょう。そんな組織から、俺のような落ちこぼれが生まれるはずはない」

 

「横浜で深雪さんから聞いたわよ。達也君の魔法演算領域は、ほぼ全部が、『分解』と、あの人を蘇らせる魔法で埋まってしまっているから、一般的な魔法が二科生レベルだって。現当主の四葉真夜さんみたいに、四葉家は、特異な魔法の適性を持つ魔法師が多いらしいじゃない。四葉から達也君みたいなのが生まれたって、不思議じゃないわよ?」

 

 真由美の反論に、深雪の顔が曇る。思わぬところで、あの場の流れで説明しすぎたツケが回ってきた。

 

「それで、達也君、さっきの嘘はどういうこと?」

 

 そしてもう一つのツケ。達也が先ほどついた筋の通らない大嘘は、すぐに兄妹の首を絞めた。

 

(…………仕方ないか)

 

 達也は心に決める。その気配を感じ取った深雪もまた、心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心苦しいが――見られた以上、真由美にもここで消えてもらう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「元かいちょーさん、こっちだ!」

 

 達也と深雪が同時に魔法を放つ。達也の標的は真由美だ。三巨頭に数えられていた真由美の戦闘能力は卓越している。しかし、文也たちの仲間ではなかったため、あの多重の『領域干渉』はない。すぐに『トライデント』で分解可能だ。

 

 一方、深雪の狙いは、達也の魔法を妨害させないことにある。その魔法は『ニブルヘイム』。『サイオン粒子塊射出』で初期段階で無効化されなければ、確実に一人は持っていける大技だ。そしてこの不意打ちに、駿は対応しきれていなかった。真由美という心強い増援が、強敵との連戦の疲労が、ボディーガードとして危機察知能力を磨いた駿に、ほんの少しの油断を生んでしまったのだ。

 

 しかし、それらを受けて、文也たちも黙ってはいない。この中で一番強い干渉力を持つ将輝が、その力を周囲にまき散らす。お互いを縛る「枷」をリーナと決闘した時と違って一部すら解放していない深雪の干渉力はそれに勝てず、文也たちをまるごと飲み込むようにして領域設定されていた『ニブルヘイム』は、文也たちに影響を及ぼさない領域の端しか冷やすことができなかった。

 

 将輝がそうして展開したのは多重の『領域干渉』で、達也の『トライデント』も不発に終わる。ただの『領域干渉』ではなく、六人を丸ごと守れる領域を、全力でないとはいえ深雪の得意魔法を無効化するほどの強度で、多重で展開してみせた。達也と深雪は、将輝の魔法力に改めて驚嘆する。

 

「そう……あなた達……」

 

 真由美は、司波兄妹のこの行動から、完全に二人が四葉だと確信した。文也の指示に従って近づきながら、複雑な感情のこもった視線を向けてくる。達也は別として、深雪はそれに思うところがあったが、感情を吐き出したいのをぐっとこらえて、次の魔法の準備をする。

 

「司波兄は魔法式も『分解』する! これの番号1番が『多重干渉』、『ファランクス』の『領域干渉』単一版だ! それで防げ!」

 

 その間に文也が真由美に渡したのは、懐に隠し持っていたらしい、オーソドックスな携帯端末型の汎用型CADだ。恐らく腕につけている汎用型CADが機能停止した時の予備だろう。それを真由美に手渡し、それと同時にそのサイドにあるスイッチを押す。すると、ホログラムで大量の文字情報が表示された。

 

「そこに入ってる魔法と番号だ! あとは一人で頼む!」

 

「無茶言うわね!」

 

 達也の超人的な視力は、その一瞬表示されたホログラムの登録魔法起動式表を捉えていた。登録されているのは、単純でオーソドックス、それゆえに汎用性が高い一般的な戦闘魔法ばかりだ。真由美自前のCADには、彼女自身に合わせたあれよりも高度で強力な魔法がいくつも入っているだろう。しかし、『多重干渉』を使うためには、このCADを使わざるを得ない。真由美は大幅なパワーダウンを強いられている。

 

 とはいえ、達也たちにとっては、より一層厳しい。こうなってしまえば、より長期戦は避けられず、その間に増援が来てしまえば、四葉の悪行が轟き渡ってしまう。別にその程度ならいくらでも情報操作で消せるが、将来当主となる妹のことを考えるとなるべく避けたい。

 

 達也は仕方なく、次のカードを切ることにする。

 

 文也は自己中心的に見えて、事実自己中心的だ。しかしながら、自分に深くかかわった人、例えばあずさのような幼馴染、駿たちのような親友は、自分の命を犠牲にしてでも守ろうとしてしまう。これはその人の為ではなく、その人がいなくなったら嫌だという我儘、究極の自己中心だ。

 

 四葉の手勢は、文也やあずさや駿の親兄弟も襲撃している。派遣された戦力がいかほどなのか達也は事前に知っており、過剰戦力といえるほど力の入った刺客が送り込まれているのが分かっている。

 

「井瀬! お前や森崎、中条先輩の親にも、四葉の刺客が送り込まれているぞ! お前が大人しく投降すれば、そっちは見逃してやる!」

 

 要は脅しだ。普通の人間ならこれはほぼ効かない。しかし、文也にはそれが効く。真夜が他にも戦力を出したのは、増援の足止めや証拠隠滅のためだけでなく、これに使うためでもあった。実際に会ったこともないのに、文也の行動や言動から、その性格が割り出されていた。達也はその事実に改めてゾッとしながら、脅迫の効果を確かめる。これで屈せずとも、ほんの少しの動揺があれば、そこを突いて二人でラッシュをかければ、文也だけなら殺せる。

 

「バアアアアアアアアカ!!! むしろお前が仲間のことを心配しな!」

 

 しかし文也は、心の底から全く心配している様子はなかった。

 

 これは家族を信頼しているというような、感情論の類ではない。四葉が本気を出して殺しにかかっているのと言うのに動揺しないとなると、文也には、論理に裏打ちされた「確信」があるということだ。

 

「今すぐご当主様に連絡して、自分たちと派遣されたお仲間の葬式の準備をするよう言っておけ!」

 

 達也は、罵倒とともに発せられた魔法を『術式解体』で破壊しながら、とっさに携帯端末を確認する。

 

 そして、思わず目を見開いた。

 

 仲間からの連絡を示すランプ。それが皆――緊急事態を示す、赤で点滅を繰り返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたたち、しっかりしなさい!」

 

 森崎家の邸宅に、そこでお世話になっていた貴代の低めの声が響く。

 

 USNAからの家族への襲撃を警戒して、貴代とあずさの両親は、ここに集まっていた。しかし襲撃してきたのは、USNA軍ではなく、黒ずくめの男女たちだった。その中の一人が魔法を放つと、その前にいた数人のボディーガードたちは、急に叫びだしたかと思うと、意識が虚ろになって崩れ落ちた。貴代の声は、それを叱責するものだった。

 

「貴代さん、あれは精神干渉系魔法です!」

 

 あずさの父がそう叫びながら、すぐに対抗魔法で彼らを治療する。しかし、一度感じた「ナニカ」は消え去ることなく、彼らが立ち上がることはなかった。

 

「後から治せない! 食らったら終わりだ!」

 

「任せてください!」

 

 あずさの父の声に、あずさの母が反応する。二人とも体が小さめで運動や戦闘が得意とは言い難い。愛娘にもそれがはっきりと遺伝してしまっている。そして、遺伝したのはそれだけではない。二人の得意な魔法は精神干渉系魔法。娘に、そうした良い面も遺伝していた。

 

 黒ずくめの若い女性が再び魔法を放つ。その領域に作用するのであろう精神干渉系魔法に、あずさの母は同系統の干渉力をぶつけて相殺する。その間に他の黒ずくめが攻撃してくるが、それはあずさの父や森崎家のボディーガードが防いだ。

 

「くっ」

 

 防がれた黒ずくめの女性――四葉家分家の一つである津久葉家の長女・津久葉夕歌は、悔しさに思わず声を漏らす。精神干渉系で自分の力が打ち消されるほどとは、思っていなかったのだ。

 

 彼女の得意魔法『マンドレイク』。前方に恐怖を発生させるサイオン波を放って、対象に深い心理的ダメージを負わせて戦闘不能にする魔法だ。対集団において無類の強さを誇るため、ここを襲撃するチームに入れられたが、中条家の二人が予想外に強く、すでに確実に効果を出す手札とは言い難くなってしまった。

 

 そんな彼女の後ろから、男が飛び出してくる。この少しやせて見える大男は、鍛えあげられたボディーガードたちを単身で相手して余裕で叩きのめした、このチームの最高戦力で、四葉家の中でもトップクラスの力を持つ、分家・新発田家の長男・新発田勝成だ。『密度操作』のスペシャリストで、空気の密度を操作して呼吸困難や進路妨害を起こして、ボディーガードたちを倒して見せたのだ。

 

 他の刺客たちも、思ったより苦戦して半分ほど無力化されたが、まだ半分は残っている。あとはあずさの両親と貴代、それにボディーガード数人だけ。夕歌は勝ちを確信していた。

 

 勝成が、猛然と貴代に襲い掛かる。貴代は非魔法師だ。勝成相手に勝てるわけがない。

 

「――は?」

 

 そう思ってあずさの両親と戦い始めた瞬間に夕歌が見たのは――壁にたたきつけられる勝成だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「舐めてもらっちゃ困るわねえ。魔法師じゃなくったって、やれるときはやれるもんよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕歌は、声につられて貴代を見る。

 

 そこにいたのは、一言で言えば「異形」。

 

 人間の形をしたものの背中から、様々な形の触手が伸びている。

 

 その触手が持つのは、サプレッサー付きのマシンガン、杭打機、チェーンソー、ハンマーなど、様々な道具だ。

 

 それをウネウネとくねらせるモンスターは、口角を吊り上げ、悪魔のように嗤った。

 

 生物感を覚えさせることすらない、異形の触手。それは、その動きとは裏腹に、全てが機械でできていた。

 

「もう墓石の準備は済ませてるかしら? 地獄で先に待っててくれると嬉しいのだけど」

 

 それを操る貴代の声に、夕歌は本能的な恐怖を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヨルとヤミ、それに加えて、遅れて参戦してきた中年の男・黒羽貢。周囲の黒ずくめは全員倒したが、この三人は特に強力で、文雄は、一対三ということもあって、今にも死にそうになっていた。

 

 大怪我をしているわけではない。しかし、すでに『毒蜂』や『ダイレクト・ペイン』を何度も食らいかけている。とっさに『情報強化』をする練習をしていなければ、とっくに重くてデカくて固いだけの肉の塊となっていただろう。

 

「なあオイ、黒羽さんよお、プロの殺し屋が一般人相手に三人がかりはズルすぎねぇか?」

 

 文雄は軽口をたたきながら、モーニングスターを振り回す。それは三人の誰かを捉えたわけではなかったが、魔法で八方から放たれた針をすべて弾き飛ばした。しかしその針はまた魔法で動き出し、再度文雄に襲い掛かる。文雄は仕方なく全方位を覆う『対物障壁』で跳ね返すが、その隙にまたも『ダイレクト・ペイン』をかけられ、『情報強化』を無理やり間に合わせて事をしのいだ。

 

「むしろ、私たち三人を相手に、一人で戦い続けられる貴方の方がよほど反則では?」

 

「それは達也君と深雪ちゃんに言え!」

 

 貢の言葉に反論しながら、文雄は群体制御で今撃ち落とした針たちを三人の急所に向けて放つ。しかしその雑な反撃は、全部軽く弾かれて終わってしまった。

 

「私たちが来るのは流石に予想外だっただろうけど、USNAが来るかもって思うんだったら、一人で行動するのが間違いだったね」

 

 ヤミが女子にしてはやや低めの声でそう言いながら、『幻衝(ファントム・ブロウ)』を文雄に次々と放つ。そしてそれはダミーで、その裏では、文雄の干渉力では絶対に防げない『ダイレクト・ペイン』を準備していた。

 

「そうかいそうかい。いやー、息子と同じ年ごろの『男の子』にそんなこと言われるとはね」

 

「……え?」

 

 文雄の言葉に、三人の攻撃が一瞬だけ止まる。その隙に文雄は筋力だけで大きくバックステップして距離を取りながら、年甲斐もなくアッカンベーをした。

 

「四葉の癖に知らねえのかい! 『一ノ瀬』は性質上、人体に詳しいんだよ! そんなフリフリの女装をしてても、歩き方や体勢、骨格を見ただけで性別ぐらいわかるぜ!」

 

「そ、そう……」

 

 つまりヤミ――中学三年生「男子」の黒羽文弥は、最初からずっと、女装少年だとバレていたということだ。一向に女装が似合わなくなる気配がないというのと、敵にそれが最初からバレていたという羞恥心が、仕事中だというのに文弥の意外とピュアな心に突き刺さる。準備していた渾身の『ダイレクト・ペイン』は、それによってエラーを起こしてしまった。

 

「ヤミ、焦ることはないわよ。今ここで消せば、死人に口なしだわ」

 

 ヨル――亜夜子はそんな文弥の様子に笑いをこらえながら、それでも仕事中だから励ます。すでに勝ちは決まっているようなもので、文雄はただ死を先延ばししているようにすぎない状況だが、それでも早く終わらせるに越したことはない。

 

 そんな双子の子供たちの様子を見ても、貢は無感動だ。すぐにでもこの仕事を終わらせようとするプロ意識が、彼の頭を支配していた。

 

「あーそうそう、で、そこの男の子……ヤミちゃん改めヤミ君の言う通り、俺は一人でいたのがいけなかったみたいだ」

 

 文雄が文弥を指さしながら、薄ら笑いを浮かべておしゃべりを始める。その様子に言い知れない不安感を覚えた三人は、すぐに戦闘再開の準備を始める。

 

 文雄はそれに対して、リラックスした姿勢で、口角を吊り上げ、悪魔のように嗤って、なおも口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――というわけで、見習わせてもらうぜ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間――貢と亜夜子のCADを持つ腕が爆ぜ、文弥の起動式読み込みがサイオンの弾丸により無効化される。

 

「いつもうちの愚息がお世話になっております」

 

「いえいえ、こちらこそ。どうも九校戦の時は変な絡み方をしてご迷惑をおかけしたみたいで」

 

「いやいやそんな、うちのバカ息子の方が何十倍も迷惑かけておりますとも」

 

 夜の空から現れたのは、二人の男。年齢は文雄や貢と同じぐらいで、二人とも鍛えられた肉体をしている。その二人はドローンから降りると、文雄の横に並んで、一緒に低い声で冗談のような談笑を始めた。

 

「…………父親面談なら、私も混ぜてほしいね」

 

「残念だけどこれ、三人用なんだ」

 

 肘から先が消し飛んだ利き腕を押さえてうずくまりながら、貢が自分の気つけの為にも、冗談を呟く。

 

 彼の言う通り、急に現れたのは、どちらも子供を持つ父親だ。

 

「真冬の金沢は寒すぎてね。静岡に旅行に来ていたのだ」

 

 つまらない冗談を大真面目な顔で言いながら赤いCADを構えるのは、十師族の一角・一条家の現当主で、将輝の父親である、一条剛毅。

 

「ボディーガードの依頼で、少し遅刻して参上した次第だ」

 

 同じく冗談を言いながら大量の対抗魔法を用意しているのは、百家支流でボディーガード業で名をはせる森崎家の現当主で、駿の父親である森崎隼。

 

 昨夜の文也への襲撃を受けて、二人とも今日は急ピッチで用事を済ませ、夜になってから、一人で過ごさざるを得ない文雄の元に急いで駆け付けた。隼に入っていた急なボディーガードの依頼はダミーだったのだ。USNAを混乱させるためのダミーだったが、思わぬ形で有効活用できた。

 

「そういうわけだ。こっからは三対三だ。霊柩車は予約済みだといいな」

 

 文雄はモーニングスターを構えながら、三人の心を折るように、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也と深雪は驚きを隠せない。

 

 黒羽家と新発田家と津久葉家。これだけの戦力が揃っていて、その全員が敗北している。ランプの赤と、間隔の狭い点滅パターンが示すのは、緊急撤退だ。仕事遂行後の撤退ではない。四葉が持つ最高戦力たちを以てしてもなお、文雄たちを無力化することができなかったということだ。

 

「四葉の皆さんは残念でございましたねえ。ええ? こちとら、USNA軍がどう動いてもいいように、みーんなでちゃんと協力して作戦立ててるんだわ。一方の四葉家ちゃんは唯我独尊のボッチ路線。悲しいねえ、ほんと」

 

 文也は小さな体をこれでもかと反らせ、鼻の穴を広げて、したり顔で達也たちを煽る。

 

「まー私利私欲のために人殺しをするクズどもにはお似合いの末路ってことだな。お前らも同類だ。嬉々として、しょーもない理由で幼気な高校生を殺しに来る。次期御当主の妹様もクズ、そのお兄様もクズ。仲間もいないし、数少ない身内も無能。あーあー、哀れで泣けちゃうねえ」

 

 これは、今日何度も殺されかけたことに対する憂さ晴らしでしかなく、文也としては深い意図があるわけではない。

 

 しかし――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方に何がわかるんですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな浅い言葉に、深雪は唾を散らしながら怒鳴り返す。

 

 深雪の心はすでに限界に達していた。度重なる臨死と強制的な『再成』の繰り返し、兄の足を何度も引っ張り何度も痛みを受け入れさせた後悔と自責、命令に従ってやらされている理不尽な理由での不本意な殺し、そして一年間で親交を深めた真由美からの失望の目線。それに加えて、やることなすことが上手くいかない現状。

 

 自覚はしている。文也の言う通り、自分たちがやっていることは「クズ」そのものだった。普段下に見ているワルガキ・文也の比ではない。身勝手な理由での殺人は、まさしくそれなのである。

 

「私たちだって、こんなことはしたくありません! 殺したくなんかありませんよ!」

 

 深雪は激情に任せ、涙を散らして髪を振り乱しながら、魔法を乱発する。その一つ一つは、コントロールがされているとは言い難いが、しかし大きく振れる感情に応じて、莫大な威力を誇っていた。

 

 将輝が『ニブルヘイム』をまた大規模な『多重干渉』で無効化し、巨大な冷気の弾丸は文也が障壁魔法で受けきれないと判断して移動ベクトルを変えて受け流す。駿と真由美は『サイオン粒子塊射出』で起動式読み込みを妨害しようとするが、深雪から感情の暴走であふれ出す莫大なサイオンに押し流されて効果を発揮できていない。

 

「でも仕方ないんですよ! あの人が『やれ』と言ったら、私たちはやるしかないんです!」

 

 固有魔法であるはずの『コキュートス』は、激情のあまりコントロールしきれなくて不発となる。代わりに、領域魔法ではなく個別の対象を狙って分子の振動を停止させて低体温症にさせる魔法が放たれ、文也はそれを自前の干渉力で防ぎきれずに膝をつく。しかしすぐに体温を上げる魔法と『ツボ押し』を併用して回復し、意識が飛びそうになりながらもまた立ち上がる。

 

「井瀬君さえ、井瀬君さえいなければ、こんなことにならなかったのに!」

 

 深雪の心に湧き上がるのは、積もり積もった文也への恨み。『マジカル・トイ・コーポレーション』に兄の活躍が奪われ、学校では好き勝手に暴れまわって兄と自分を何度も煩わせ、そして『ミーティア・ライン』と知りながら開発してさらには使用したせいで、兄と深雪は抜け出せない地獄にいる。その全てが、深雪にとってはただただ憎らしかった。

 

「うるせえ! 知るかボケ!」

 

 文也はそう言い返しながら、深雪の頭部を『爆裂』させる。達也はもはやCADすら構えるそぶりを見せずに、『フラッシュ・キャスト』で深雪を『再成』させるが、その代償に自身は無防備となり、駿が放つ右腕を砕く振動系魔法と真紅郎が放つ背骨を砕く加重系魔法を食らってしまう。自己修復術式がすぐに起動するが、即死攻撃でないがゆえに回復がコンマ数秒遅れ、そのせいで妹への新たな攻撃を防ぐことができない。『再成』したばかりの妹は、右肩から先を不可視の刃に切り裂かれ、血を噴き出す。

 

 達也はそれを見て、頭に血が上るのを感じながら、それでも冷静に『再生』を行使しながら、『術式解体』で将輝の『多重干渉』を砕くと同時に、特化型CADを抜かずに照準補助を用いず魔法を行使するドロウ・レスによって『トライデント』を行使し消しとばそうとする。ところがそれは、あずさがとっさに発動した『多重干渉』に退けられてしまった。しかしそれもまた予想の範囲内。自分が出せる限りのサイオンを絞りつくして、マシンガンのようにサイオンの巨大な塊を放って、『多重干渉』の掛けなおしを強要する。

 

「深雪!」

 

 死からよみがえった深雪は、疲労もあって意識が朦朧としていたが、兄に名前を叫ばれて覚醒し、状況を即座に判断して魔法を行使する。

 

 それは今日何度も使った『ニブルヘイム』。出現しては兄によって破壊される『多重干渉』は、連発を強いられたことで威力が弱まり、さしもの将輝と言えど、深雪の干渉力に届かなくなっていた。

 

 兄から放たれる大量のサイオンと、数多の魔法式がぶつかり合い、サイオンの粒子が飛び散る。それによってこれまでにないほどにサイオン光が暴れまわるスペクタクルな光景の中で、深雪は今の状況を正確に理解していた。

 

 将輝を筆頭に、文也たちが紡ぎだす魔法式の強度はとても高い。生半可な魔法師の魔法式を破壊するよりもサイオンの密度は必要になり、『術式解体』のための消費サイオン量を多くなる。いくら無尽蔵ともいえる保有サイオン量がある達也と言えども、これほどの連発をすれば、すでにサイオン切れは近い。そうなれば、自己修復術式も『再成』も使えなくなる。つまりこれは、親愛なる兄・達也が、決死の覚悟で作り上げたチャンスだ。

 

「ちょっと井瀬君! こっから何か逆転の目はあるの!?」

 

「わかんねえ!」

 

 そんな状況の中で、文也もまた、決めきれずに焦っていた。達也の保有サイオン量がとてつもないのは、『フィールド・ゲット・バトル』や『モノリス・コード』で共闘した文也はよく知っている。達也の表情から疲れが読み取れないせいで、今どれほど残っているのかも予想ができないでいた。無限に蘇る兄妹を相手に、文也たちもまた、決め手に欠けていたのだ。

 

 そもそも、もしここで撃退、もしくは殺害による無力化、もしくは生け捕りにして抵抗できなくしても、第二・第三の刺客が送り込まれてくる。達也と深雪は生け捕りを目論んで近寄ってきてくれたから良かったものの、もし狙撃などされようものなら、文也に防ぐ術はない。つまり、撃退も殺害も生け捕りも、一時的な問題の解決にしかならないのだ。それはもう、相手が四葉だと知った時点で、六人の共通見解だ。たとえここに貴代などの増援が来たとしても、結局、命は狙われ続けることになる。

 

 文也はずっと戦いながら考え続けていたが、まだ思いつくことができていない。

 

(考えろ! 手段のベースはいくつかあるはずだ! そのために色々仕込んできたんだ!)

 

 達也と深雪を止めても無駄。四葉そのものを止めないと解決にならない。ここで撃退してすぐに四葉を襲撃、当主の真夜を殺害するというのを最初に思いついたが、まず無理。居場所も分からないし、光の透過率という一点突破を上回らなければ絶対に本家『ミーティア・ライン』に全員が殺されて終わるというのは、その魔法の開発まで自力でたどり着いた文也だからこそわかる。暴力による解決は、返り討ちがオチだ。

 

(この二人は、四葉にとっても重要な存在のはずだ!)

 

 そこを利用して、何かしらの脅しの材料を得る。今この二人が自分たちを殺そうとしているというのは材料にならない。四葉の諜報力なら、その程度の事、いくらでももみ消せるし、いくらでも誤魔化せる。もみ消しや誤魔化しが意味をなさない脅し。その材料を集める手段はあるが、そもそもその材料が見つからない。

 

(――――っ!?)

 

 そしてその考えが、強制的に中断される。

 

 深雪の『ニブルヘイム』が完成した。わざわざ時間をかけて練られたそれは強大な干渉力を持ち、将輝の干渉力すら上回る。

 

「今度こそ、これで終わりです!」

 

 疲労の色が濃い顔に涙を流しながら、それでも毅然とした表情で、深雪が叫ぶ。世界が書き換えられ、あらゆるものを凍らせる空間が、そこに出来上がろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「させるか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、ノイズの嵐が巻き起こった。

 

 そのノイズの正体は、大量のサイオン波。魔法師の魔法感性に刺さり、一流の魔法師が集うこの場では、ほぼ全員に吐き気を催させた。

 

「――オフレコの約束は、破らせてもらうぜ」

 

 顔を真っ青にして不快感に耐えながら、文也が達也に向けて、口角を吊り上げて嗤いながら呟く。

 

 複数のCADを同時に使うことは、普通は間違いなく不可能だ。魔法を行使する際の余剰サイオンがもう一つのCADに干渉してしまい、両方とも不発になる。しかし、ずば抜けてサイオンコントロールに長け、余剰サイオンをほぼゼロに出来るならばその干渉が起こらず、達也のように二つのCADを同時に使用する『パラレル・キャスト』ができる。そして文也はその極致、余剰サイオンを必ず全く出さないという異常なコントロール力で、多量のCADによる『パラレル・キャスト』を可能とする。

 

 そんな文也は、この瞬間、『パラレル・キャスト』に、「わざと」失敗していた。

 

 二つのCADを使って行使した魔法は、それぞれ、『ホワイトアウト』と、領域内の加速度・振動数を保つことで温度を一定状態から変化しないようにする基本魔法『保温』。『ホワイトアウト』は『ニブルヘイム』の下位バージョンで同質の魔法であり、『保温』はその二つの反対魔法、つまり打ち消す魔法だ。

 

 ある魔法と、それを打ち消す魔法。その二つの魔法を、一人の術者が、二つのCADを使って同時に行使した時、干渉波が増幅され、ある魔法とそれの同種魔法が無効化される。これは、相手の魔法に合わせて選ばないと無効化できないが、代わりにキャスト・ジャマーというまず手に入らない希少な鉱石を必要としない技術、特定魔法のキャスト・ジャミングとも言うべき魔法だ。

 

 今、文也は、それを使うことで、深雪の『ニブルヘイム』を無効化した。干渉力の差が問題にならないこの技術は、複数のCADを常に起動している文也にとって、最終手段ともいえる切り札だ。

 

 この技術は、世に知られると危険だ。なにせ、汎用性がないと言えど、貴重な鉱石を使わず手軽に魔法を無効化できてしまうのだから。

 

 この存在を知る文也は、この4月に、一高近所の喫茶店にて、達也と約束を交わしていた。この存在はオフレコだ、と。当然、危険性も理解している文也は、それを了承し、あずさにすらその存在を教えなかった。下手すれば、各家が秘匿する「殺し」のための強力な魔法よりも、よほど危険なものなのだから。

 

 そしてその約束を、たった今、文也は破った。あずさたちを、自分の命を、守るために。

 

「……約束やぶりは感心しないな」

 

「ほざけ人殺し」

 

 達也はノイズ構造を『分解』して無効化しながらそう言うと、文也は言い返しながらまた深雪への攻撃を開始する。

 

 その文也の顔には、約束を破ったということへの皮肉じみた笑みではない、もっと前向きで、それでいて邪な、これから何かロクでもないことをしようとする、いつもの悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

 

 ――半ば忘れかけていた、この方法。

 

 これを利用して、あることをすれば――文也の脳内で、急速に希望の道筋が組みあがってくる。

 

「あーちゃん、駿、ジョージ、元かいちょーさん!!! 今から一分間、全力で司波兄を妨害しろ!」

 

「任せて! 信じてるよふみくん!」

 

「その顔は、何か思いついたんだな!?」

 

「今ほどその顔が頼もしいと思うことはないね!」

 

「もう二度と見たくないけどね!」

 

 文也の呼びかけに、あずさたちは各々同時に叫びながら従う。魔法の巧者たちによる、即席にしてはあまりにでもできすぎた連携妨害が、達也を襲う。『トライデント』や物質の『分解』は工程数が多く、『フラッシュ・キャスト』では処理しきれないため、CADが必要となる。そこは駿と真由美による、未来予知にも似た先読みによって『サイオン粒子塊射出』で妨害され、全てが不発となる。駿一人でも、真由美一人でも、達也の両手『パラレル・キャスト』に対応することはできなかった。二人いるからこそできる戦い方だ。それらを、達也は『サイオンウォール』で防ごうとするが、そのタイミングになると真紅郎が『ファンブル』でCADを叩き落とし、達也に『再成』によるCAD再取得を強制させる。

 

 一方、『フラッシュ・キャスト』を用いた無系統魔法や簡単な系統魔法は、細やかで複雑な魔法式構築を得意とするあずさによって、そのほぼ全てが妨害される。魔法そのものではなく、それによって起こる目的の現象を軽減する方向に絞ることで、数多の魔法による反撃を、あずさ一人でしのぎ切ることに成功している。魔工師を志す才能の卵として、文也のそばにずっと居続け、その影響を受けてきたあずさは、魔法と密接にかかわる科学現象を瞬時に理解できるようになっていた。最低限の複数の魔法をマルチ・キャストして的確に操り、達也の行動のすべてを、四人で無効化できていた。

 

「将輝は司波兄を『爆裂』させながら『サイオンウォール』で司波兄と遮断しろ! 狙うのは脳みそと指! 俺と妹のタイマンを作れ!」

 

「普通に名前で呼べるなら最初から呼べ!」

 

 それと同時に、将輝もまた文也の指示に従い、四人の全力集中によって動きを封じられた達也に『爆裂』を仕掛ける。何かしらの方法で起動式が登録されている脳と、CADを握る指を集中的に狙うことで、達也の魔法をより封じる作戦だ。そしてさらに、CADを必要としない『術式解体』を防ぐために、兄妹を隔てるサイオンの壁を作り上げる。

 

「よお妹様。もう大好きなお兄様は守ってくれないぜ、このブラコン」

 

「そちらこそ、大事なお友達はもう守ってくれませんよ?」

 

 文也と深雪は、そう言いあいながら向かい合う。五人の協力によって、第一高校一年生の魔法実技トップ2による一対一が実現していた。

 

 しかしそれは、そう長く続かない。達也を完全に遮断するために、五人は今ここに全力をかけている。妹を守るべく鬼気迫る表情で抵抗を強める達也は、あと数十秒でそれらの妨害を蹴散らすだろう。

 

「かかってきなさい!」

 

 深雪は、すでに限界を迎えた精神に最後の活を入れて向き合う。何度も失敗した、何度も殺された。そして今は、それらから救ってくれる兄と遮断されている。不安はないわけではない。むしろ、今にも不安と恐怖で倒れてしまいそうだ。それでも、ここが正念場、たとえ一人でも、負けるわけにはいかない。ここで兄に頼らず一人で勝つことで、今日あったすべてを清算するつもりだ。

 

「「――――!!!!」」

 

 二人の声にならない叫びが、夜闇に響き渡る。二人とも充血した目を見開き、顔を真っ赤にして、醜く口を開き、唾を飛ばし、喉がちぎれそうなほどに吠える。

 

 深雪が使うのは『コキュートス』。あずさが達也にかかり切りになっている今、文也がこれを防ぐことはできない。先ほどの特定魔法のキャスト・ジャミングも、精神干渉系魔法の干渉力がゼロの文也では無意味だ。干渉力はさほど問題にならないが、ゼロは流石に増幅できない。この魔法は、今この瞬間、真の必殺だ。

 

 一方文也が仕掛けたのは『術式解散』。文也の干渉力では、深雪が自身にかけた『情報強化』を破れない。これを崩してから、攻撃を仕掛けなければならないのが、文也の弱点だ。つまり、攻撃がその分遅れるということだ。

 

 深雪の『情報強化』が分解され、サイオンの粒子となる。意識的にも無意識的にも、今深雪のエイドスを守るものがなくなった。それに少し遅れて、深雪の『コキュートス』の起動式読み込みが完了する。それと同時に、文也はほぼタイムラグなしで、魔法を発動していた。

 

 ――二人の決着を分けたのは、様々な要因がある。

 

 一つ目が、深雪が汎用型CADで、文也は特化型を超えた専用CADだったこと。

 

 二つ目が、深雪は身体を使った操作が必要だったのに対して、文也は完全思考操作だったため、その分速かったこと。

 

 三つ目が、魔法の難易度。深雪の『コキュートス』に比べて、文也が使おうとしている魔法は、はるかに簡単で単純な魔法だ。

 

 この三つの要素が、勝負を分けた。二段階の攻めが必要と言う不利を乗り越えて――文也の魔法が、『コキュートス』よりも先に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「深雪!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也の大声が響き渡る。自分が守れないところで、妹に、ついに魔法が届いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――それと同時に、深雪の声が、真冬の夜道に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああんっ♡ んふっ♡ ああっ♡ いっ♡ んぐっ♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………深雪?」

 

 先ほどよりもはるかに気の抜けた達也の声が、深雪が上げる声――喘ぎ声にかき消される。

 

 深雪は、顔を真っ赤にして、目からは涙をこぼし、道路に倒れて身をよじらせて悶えながら、熱っぽい吐息とともに喘ぎ声を艶やかな唇から漏らす。その喘ぎ声とともに、コントロールを失ったサイオンが体からあふれ出し、また魔法式の構築も中断されていた。

 

 達也は、妹に何が起きたのかはすでに知覚していたが、あまりの予想外に、理解が追い付いていなかった。それゆえに、妹を救い出すための動きが遅れた。その遅れは、同じくあまりの出来事に唖然として動きが止まっていた将輝たちが半ば反射的に達也の足止めを再開する時間を作ってしまった。驚きと謎の羞恥で全員顔が真っ赤で、およそ集中できていたとは言い難いが、数十秒の足止めに成功する。

 

「んっ♡ あふっ♡ ふっ♡ あああああっ♡」

 

 その間に、深雪は仰向けになり、身を反らせ、ひと際大きな喘ぎ声を上げた。それと同時に、股間から、何かの液体があふれ出し、冷たい道路を濡らして湯気を立てる。

 

 深雪の全身を舐めるように這いまわる魔法式と股間からあふれた液体を『分解』するまでに、十数秒の時間を要した。その十数秒の間、深雪は、全身を襲う「快楽」に襲われ続けていた。

 

「へへーん、どうだ、俺様のテクニックは」

 

 文也が小さい両手の指をワキワキといやらしく動かしながら、口角を上げた悪戯っぽい笑みを浮かべながら勝ち誇る。

 

「アンジー・シリウスが女だって聞くから意趣返し用に用意しておいたんだけど、まさかここで役に立つなんてなぁ」

 

 そう言いながら、文也は、自分の全身に仕組まれた豆粒のような機械を次々と地面に落としていく。

 

「井瀬君、貴方っ……!!!」

 

 深雪が「快楽」の余韻、恥辱、そして怒りによって顔を真っ赤にしながら、文也を睨む。

 

 文也が落として示したのは、全身に仕組んだ大量のCAD――に見せかけた、超小型カメラだ。そしてそのカメラのほとんどが、深雪の痴態を捉えていた。

 

 達也と深雪が怒りに任せて文也を殺そうと、今まででも特大の殺意を込めて魔法式を構築しようとする。

 

「おっと待った」

 

 そしてそれを、文也が制す。その顔には、一切の演技がない余裕の色が浮かんでいた。何かまずいことがある。達也と深雪は怒りを必死に収め、文也の話を聞くことにした。

 

「このカメラの映像は、うちのデータベースに自動で送られるぜ。司波妹が道端で突如喘いで粗相までした恥ずかしい映像だ。そんでもってそれは、俺が死ぬと同時に、世界中のありとあらゆるネットに自動で拡散される」

 

 その説明を聞いた瞬間、達也は目を見開き、深雪は絶望で膝から崩れ落ちた。

 

「こんな絶世の美少女ちゃんのお宝映像だ。合成だろうがなんだろうが、もし広まっちゃったら、世界中の人の頭からこびりついて離れないだろうなあ」

 

 世界中に拡散する様子を小さな全身で目いっぱいに腕を広げて、頭からこびりついて離れない様子を緩く握った拳を細かく上下させる動作で、それぞれ大げさに表現する。

 

「で、そんな人が世界中を震え上がらせる四葉の御当主様として顔見世した時――どおおおおなるでしょうねええええ???」

 

 この問いかけは、文也の勝利宣言だ。

 

 文也が死んだら、この映像が世界中に拡散される。四葉次期当主に事実上決定している深雪にとっては、何としても防ぎたいスキャンダルだ。将来性を考えたら、『ミーティア・ライン』よりもよほど重大である。

 

 つまり――達也と深雪は、四葉は、文也を殺せない。

 

「復讐しようなんて思うんじゃねえぞ。俺と親父と母ちゃん、それにあーちゃんたちとその家族、そのどれもに何かあった時、自動で拡散するようになってる。死ぬだけじゃねえ。原因不明の行方不明、監禁、命の危機、その他もろもろ。それらが起こった時、たとえお前らが悪くなくても、世界中に拡散するぜ」

 

 四葉にたたきつけられたのは、圧倒的な理不尽。たとえ四葉が関わっていなくとも、文也、あずさ、駿、将輝、真紅郎とその家族になにかあったら、これが拡散される。すなわち四葉は、何もしないどころか、下手をすれば、敵であるはずの文也たちを、積極的に「守らなければならない」。

 

「お前っ……井瀬っ……なんてことをっ……!」

 

 崩れ落ちた妹を抱きしめながら、達也はありったけの怒りと憎しみを込めて文也を睨む。そこに籠った殺意は、それだけで世界が滅んでしまいそうなほどに濃い。しかし文也は、多少怯みはしたものの恐れない。何せ、絶対に「殺せない」のだから。

 

 文也のこの作戦は、あずさたちですら完全に理解している様子はなかった。一様に、驚きと何かの感情で、顔を真っ赤にしている。しかし達也は、文也が最愛の妹に何をしたのか、すべて理解していた。

 

 文也はまず深雪の『情報強化』を『術式解散』した。たとえ文也とその血族が最も得意とする魔法でも、深雪の干渉力は貫けない。

 

 ――そう、文也が深雪に使った二つ目の魔法。それは、『一ノ瀬』が見出した、人体に直接干渉する魔法『ツボ押し』だ。

 

 文也がこれで、深雪の何のツボを押したのか。それは、人体に存在する、突かれると、大きな、そしてある種性的な快楽を感じるツボ、「快楽点」だ。それも一か所ではない。自己複製するように作られた魔法式によって魔法式が再構築され、全身の快楽点をランダムにまんべんなく執拗に攻め続ける。このあまりにも凌辱的な魔法で、文也は、深雪を天国のような地獄に落とした。達也が見た全身を舐めるように這いまわる魔法式は、自己複製が自動でなされるように組まれていて、同じ魔法式が自動で増殖して全身を巡っていた様だ。

 

 こうして深雪は全身を攻め立てる激しい快楽によって、自己のコントロールを失った。行使目前だった『コキュートス』はコントロールを失ってただのサイオンになり、文也に届くことはない。皮肉なことに、達也がこの秋に千代田花音にやったことと、同じものだった。

 

「そういうわけだ。最高のポルノをばら撒かれたくなければ、二度と俺らに手を出すなよ」

 

 文也は、座り込む深雪と、それを支えるためにかがんでいた達也に対し、小学生のような小さな体ではとても珍しく、上から見下ろして中指を立て、口角を吊り上げて小さな歯を見せて嗤う。

 

 それを聞いた深雪は、ついに限界スレスレだった心のダムが壊れて、メソメソと声を上げて泣き出す。達也はそれを、ありったけの言葉を使って慰め始めた。そのあまりにも情けなくて哀れな「敗者」を見下ろして、文也は指さしながら嘲笑う。この世の地獄のような光景だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………サイッテー……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おうこらちょっと待てや!?」

 

 そんな気まずさ漂う沈黙に突如響いた、侮蔑と軽蔑の塊のような呟きに、文也が叫びながら振り返る。そんな彼を、呟きの主である真由美が、生ごみ未満の何かを見るような目線でジトーっと睨んでいた。

 

「いやいやいやおかしいだろ!? 絶対この兄妹の方が五千兆倍悪いって!? こいつらは俺を殺そうとしたんだぞ!? 俺は誰も殺してないじゃん!? ディスイズ平和的な正当防衛!」

 

 文也は大声を上げて必死に正当性を主張するが、逆にそれを聞けば聞くほど、真由美の目線の温度が下がってくる。真冬の真夜中の気温、深雪が作り出した『ニブルヘイム』、司波兄妹の殺気が作り出した寒気、それらをさらに超えた絶対零度が、文也の肌に、心に、突き刺さる。

 

 しかもそれは真由美だけにとどまらない。いつのまにか、文也を刺す、地獄の底・コキュートスのような冷たい視線は、増えていた。駿、将輝、真紅郎が、文也の全身を『ニブルヘイム』のように凍り付かせ、『ミーティア・ライン』にように全身を穴だらけにし、『分解』のようにバラバラにしそうな目線を向けていた。

 

「お前……まさかここまでとは……」

 

「リベンジポルノ……悪いことだって習わなかったのか?」

 

「あまりにも酷いよ、文也……」

 

 三人の口から、静かな、それゆえに強烈な罵声を浴びせられる。自分の方が正しいと思っているはずなのになぜか言い返せず言葉に詰まった文也は、涙目になりながらあずさに助けを求める。賢くて論理的であり、また柔和な姉のような温かい優しさを持つあずさなら、絶対に理解してくれる。長年積み重ねた友情と愛情と思い出を信じて、文也はあずさを見た。

 

 そんな文也の目に映ったのは――誰よりも冷たい目線を自身に向ける、あずさの姿だった。

 

「…………ふみくん………………」

 

 ただ名前を呼ばれただけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ただそれだけで、文也は冷たい道路に崩れ落ち、その目線は、座り込んでいる達也と深雪よりも低くなった。




次回、本編最終回です
そのあとにはおまけの話を投下していきます


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5-14

1500pt届いたのがうれしいので連日投稿です
これが本編最終話となります


『――先輩たちと積み重ねた思い出を、私たちは一生忘れることはありません』

 

 3月20日、全国の魔法科高校は一斉に卒業式を終え、それぞれが卒業パーティーを開いていた。

 

『――入学したばかりのころ、先輩方に受け入れていただき、学校になじむことができました』

 

 壇上では、在校生の代表である生徒会長が、卒業生たちにマイクを通して送辞を読み上げている。それは、盛り上がっていたパーティーの会場をしんみりと雰囲気にさせる。中には感極まって涙を流して聞き入る生徒もいた。

 

『――夏の九校戦。先輩方の頼りになる背中を見て、私たちもこうなりたいと思いました』

 

 一つ一つの思い出が、各々の生徒の瞼の裏によぎる。

 

『――秋の論文コンペ。大変なことがありましたが、誰一人失うことなく、今こうして同じ会場で会うことができています』

 

 良い思い出ばかりではない。むしろ今年は、波乱に満ちた一年だった。

 

『――先輩方と過ごしてきた時間は、かけがえのないものです』

 

 こうして振り返ってみると、刺激の多い年だった。

 

『――来年は、私たちが先輩方のようになれるよう、一同頑張っていきます』

 

 そして、これからは未来。卒業生は卒業後の進路を、在校生は一つ学年が上がって大人になる瞬間を、希望を胸に迎える。

 

『――これをもって、卒業生の皆様への、在校生一同よりの送辞とさせて頂きます』

 

 大きな拍手が沸き上がる。ここにいる全員が、在校生代表たる生徒会長を、純粋に褒めたたえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――生徒会会長、五十里啓』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――クソガキや一年生の秀才とともに一高を離れた生徒会長の代理となって就任した、五十里啓を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「………………」」」

 

 新生徒会長・五十里が柔らかな礼をして壇上を降りる。その様子を複雑そうに見ているのが、現副会長の深雪と、次期生徒会入りが確約されている達也。そしてそんな二人に冷たい目線を向けているのが、元生徒会長の卒業生・七草真由美だ。

 

「……あそこに立っていた子、予定では、もっと背が小さいし、性別も違ったはずだったんだけどなあ」

 

「……そうですね。誠に残念です」

 

「五十里先輩も素晴らしい方ですが……」

 

 真由美の妙なトーンの呟きに、深雪と達也が身を小さくしながら白々しい返事をする。そしてそれを聞いた真由美はさらに視線の温度を下げ、また口を開く。

 

「いったい誰のせいなんでしょうねえ」

 

「が、外交とは難しいものですから」

 

「吸血鬼……恐ろしい相手でした」

 

 深雪は震える声で、達也は不自然に波を押さえつけた声で、それぞれ、「常識的な話」をする。その劣勢に真由美は留飲を下げたのか、極寒の目線を残したのち、写真を撮る同級生たちに呼ばれてそちらに混ざっていった。

 

「「はあ……」」

 

 重しが離れた達也と深雪は、小さくため息を吐く。

 

 真由美からの責め、生徒会長の変更、今の心労。

 

 その原因を引き起こしたのは、話に上がった「外交」や「吸血鬼」ではない。

 

 ――この二人だ。

 

「全く、あいつにはつくづく迷惑をかけられるな」

 

「同感です……」

 

 二人が思い浮かべるのは、パーティー会場であるここに、本来いるはずであった、この一年間で最もこの一高を騒がせたクソガキだった。

 

 この会場にいるはずの姿がいない。一高過去最悪のワルガキ、生徒会長であった小さな先輩、風紀委員で活躍していた一年生。その誰もが、ここにいなかった。

 

 それは、欠席ではない。この会に参加する資格がないから、いないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――井瀬文也、中条あずさ、森崎駿。

 

 ――この三人は、転校していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『はーいどうもどうも、皆さんお集まりいただきありがとうございます。おーすげーフラッシュシャワーなんて初めてだぜオイ』

 

『ちょっとふみくん! まだ時間前だよ!』

 

 時はさかのぼって2月20日。東海地方の某山の奥にある、地図にもなければ人々の頭にもない村。その中の一際大きい屋敷の中で、達也と深雪と四葉真夜は、一緒にテレビを見ていた。実の親ではないが、戸籍上は義理の親。親子と言えなくもない三人だが、しかし同じ部屋でテレビを見るというのは、これまで一度もなかった。そしてこれは、珍しい親子の団欒ではない。

 

 ここは山奥に秘匿された四葉の村。達也と深雪はそこに呼ばれ、今朝から世間を騒がせている緊急記者会見を待ち構えていた。そんな緊迫した視聴者とは裏腹に、テレビの中では小学生かと思うほど小さい少年少女が、わちゃわちゃと全国放送で情けない姿を流していた。

 

「あらあら、可愛らしいわねえ」

 

 真夜が口を開く。他愛のない独り言だが、それだけで深雪の肩が跳ね上がり、達也が即座に腕を肩に回して落ち着かせる。その様子に真夜は目もくれない。能面のような無表情で、テレビ画面をじっと見据えていた。

 

『おらバカ息子、お待ちかねだぞ』

 

『うーっす』

 

 しばらくして、先ほどの少年とその父親である大男が、改めて袖から現れる。それに対して大量のフラッシュが焚かれ、それに対して大男は無反応、少年は楽し気に手を振って返した。

 

『ンンッ……えー本日は、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます』

 

 二人そろって机に座り、大男が咳払いをしてからマイクに向かって口を開き、会見がスタートする。

 

『これより、『マジカル・トイ・コーポレーション』の、緊急記者会見を開始いたします』

 

 そう言うと、二人は立ち上がり、改めて頭を下げ、着席した。

 

『ではまず、私たちの紹介をいたします。私は井瀬文雄。国立魔法大学付属第四高校の非常勤講師で、エンジニアをしております』

 

『俺はその息子、第一高校生徒の井瀬文也だ。ここに集まったりテレビの向こうで見ているもの好きなら、九校戦で顔ぐらいは見たことあると思うぜ』

 

 礼儀正しい文雄に対して、文也の言葉遣いはあまりにも雑だ。壇の横にボディーガードのように控えている少年・駿はその様子を見て思わず頭を抱える。そしてその様子が、ばっちり全国放送されているのは余談だ。

 

『ではさっそく本題に。この記者会見は『マジカル・トイ・コーポレーション』より、皆様に重大な発表があるということで、開いたものです。発表内容は事前にお知らせしたとおり……『キュービー』と『マジュニア』の公開、および弊社の今後の展望についてです』

 

 瞬間、記者たちの間にざわめきが生じる。ここに集まっているのは、全て魔法界に精通している記者だ。そんな彼らにとって、『キュービー』と『マジュニア』は、『トーラス・シルバー』と並んで、最も気になる未知の存在なのである。今までかたくなにそれを隠してきた『マジカル・トイ・コーポレーション』がそれを公開するというものだから、そのお知らせを早朝に聞いた彼らは、全ての予定をキャンセルしてここに集っているのである。

 

『結論を引っ張るのはよくありませんので、単刀直入にお話ししましょう。『キュービー』は私井瀬文雄で、』

 

『『マジュニア』は俺だ』

 

 瞬間、テレビの向こうは混沌と化した。大量のフラッシュと、記者たちの叫び声。こうなるのは予想できていたみたいで、文雄は動じず、文也は笑ってそれを見ている。

 

『そ、その! なんで急に公表することに!?』

 

『それは今から話す、うちの会社の今後とその原因が理由だ。今から話すからそう焦りなさんな』

 

 焦りが見て取れる記者からの質問に、文也がヘラヘラ笑いながら落ち着くよう促す。小学生に見える少年にそう言われては、大人たちもさすがに冷静になったようで、混沌が一時的に収まって全員が着席する。

 

『……今うちの息子から説明があったように、突然の公開に関しては、私たちの身に起きたあることが原因です』

 

 それを見計らった文雄は、ざわめきが収まったところで再度口を開き、機械を操作する。そして背面のモニターに映し出されたのは、ここ最近の日付と、そこで起こった出来事だ。

 

2月15日夜 USNA軍所属・スターズの魔法師より襲撃を受ける。

  16日夜 再度スターズの別の魔法師より襲撃を受ける。

  17日  USNA、日本国政府、および日本国防軍に抗議

  18日  先の三者との話し合いの場が設けられる      』

 

『こちらの表のように、私たちは、二度にわたって、USNA軍に所属する魔法師より、国内にて襲撃を受けました』

 

 瞬間、会場がまたも混沌と化す。その様子を、壇上の文也は手を叩いて大笑いしながら見ていた。

 

「……まるでコントですな」

 

 真夜の傍に控えていた執事が、やたらと飲むペースが速い紅茶を注ぎなおしながら呟く。全く仲の良くない三人だが、こればかりは全員が同感だった。

 

 数分経ってようやく混乱が収まったところで、文也が笑顔で口を開き始めた。

 

『はーい、皆さんが静かになるまで、4分22秒もかかりましたー』

 

『ふざけてる場合か!』

 

 ついに我慢できなくなったらしい、舞台袖から高速で現れた将輝が、文也の頭をひっぱたき、そしてカメラの方を見て不味いことをしたと気づいた表情になり、恥ずかしそうにそそくさと袖に帰っていく。突然現れた魔法師界の貴公子の姿にまたもや一時騒然となるが、早く話を聞きたいという意欲が勝ったのか、今度はすぐに収まる。

 

『で、さっき話した通りだ。まず15日の夜に俺が一人で歩いているところを、急に魔法師から襲われた。それを返り討ちにしてひっとらえたんだけど、装備を見てみると、それがアメリカ軍の魔法師だってわかったんだ』

 

『そして、翌日16日の夜、今度は息子とその友達が、USNA軍の魔法師より再度襲撃を受けた。息子の友達の名前は、一高生徒会長の中条あずさちゃん、同じく一高生徒の森崎駿君、三高生徒の一条将輝君と吉祥寺真紅郎君だ』

 

 連続して出てくる将来この国の魔法師界を牽引するであろうビッグネームたちに、記者たちはまたもざわめく。その様子を無視して、そろそろ飽きてきたらしい文也が無視して、次々話し始めた。

 

『まー、もしかしたらそろそろ気づいてるやつもいると思うけどさ。俺がこの夏の九校戦、『アイス・ピラーズズ・ブレイク』で使った魔法の中に、アメリカ軍が秘匿する魔法『分子ディバイダー』があったんだよ。最初、それが気に入らなくて抹殺しに来たのかと思ったわけ。で、しょーじき悪いことしたなあって自覚はあったから、事前にアメリカから襲われるかもってことで日本国防軍に、守ってくれるよう依頼していたんだ』

 

『しかし、国防軍の腰は重かった。彼らは今回の件で、邦人が国内で外国の正規軍隊から狙われているというのに、全く動きませんでした』

 

『理由は、日本政府がアメリカと裏でこっそり結んでいた約束だ。吸血鬼事件あっただろ? あれはアメリカに出現したパラサイトが、アメリカ人に憑りついて起こったことだ。で、その一部が日本に来て、魔法師ばかりを狙っていたってやつ。その件でさ、日本はアメリカの邪魔を一切しないって約束を結んじゃったわけよ。つまり、アメリカの陰謀で狙われているかもしれない俺を、そんなしょーもない理由で、この国は放っておいたってわけ。あやうく死にかけたぜオイ』

 

『そういうわけで、二度にわたって国内で外国の軍隊より襲撃され、また本来あるべき保護を受けられなかった私たちは、日本政府、日本国防軍、USNA政府に厳重抗議をしました。その結果、この三者と私たちで、話し合いをすることになりました』

 

 あまりの衝撃情報の濁流に、ついに最前列に並んでいた熱心な記者の一人が気絶する。他の記者も、白目をむいたり頭を振ったりと反応は様々だ。

 

 そんなタチの悪いコメディのようになった中で、文也と文雄がさらに口を開く。

 

『裏でこっそり指切りげんまんしてたことを、その話し合いの場で初めて知ったよ。同盟国様にして世界最大の規模を誇るアメリカ様に、忠犬日本と国防軍は尻尾を振って従い、国内の邦人である俺らを見殺しにしたってわけだ』

 

『目先の外交を優先して、国内の未来ある若い邦人が外国の軍隊より襲われるという危機を、知っていて放置した日本政府と国防軍、それにそもそも襲ったUSNA軍、この三者の責任は重い。その場で改めて、厳重に抗議をしました』

 

『で、そこで初めて知ったんだけど、アメリカは、俺たちを襲うつもりはなかったって言うんだ。『分子ディバイダー』の件で騒ぎになったみたいだけど、さすがに国外に暗殺に出向くようなバカなことはしないってさ。嘘か本当か分からんけどよ。俺たちを襲ったのは、アメリカ軍のスターズの兵士に憑りついた吸血鬼で、アメリカの意志は無関係だ』

 

『つまりUSNA本人たち曰く悪意はないそうですが、しかしこのような状況を招いた以上、我々としても黙っているわけにはいかない。また『分子ディバイダー』の件もあって、USNAが息子たちを吸血鬼が襲うのをあえて放置していたという疑いも残ります。USNAは国家間の密約を結んでまで、日本国内に追いかけてきた。その吸血鬼が派手に暴れたのに、そこに介入してくる様子もなかった。そうしたことをその場で話し合った結果、こうして公表しようということになったのです』

 

 ここで二人とも一旦口を閉じる。話が、ここで一旦切れるということだ。そして文雄が機械をまた操作すると、今度はスクリーンに「弊社マジカル・トイ・コーポレーションの今後について」と出る。

 

『そういうわけで、息子とその親友が外国の軍隊に国内で襲われ、それを国と国防軍が知っていて放置したとあっては、息子とその親友の命が危ない。そこで、私と息子と妻、そして返り討ちに参加したことから恨みを持たれており同じく不信感を抱いた中条あずさちゃんと森崎駿君とそれぞれの御家族、この一同で、襲われていると知ってなお協力してくださった一条将輝君の一族、十師族の一条家の、保護を受けることにしました』

 

 それと同時に袖から出てきたのは、一条家の当主・一条剛毅だ。思わぬ大物の登場に会見場がまたも混沌と化すが、剛毅の一睨みによって静まり返る。

 

『先ほど井瀬文雄と井瀬文也君から説明があった通り、以上の経緯から、井瀬家、森崎家、中条家、そして文雄と文也君がエンジニアとして活躍し経営に深くかかわっている『マジカル・トイ・コーポレーション』は、我が一条家が積極的に保護することにしました』

 

「……知ってはいましたけど、大胆ですね」

 

 深雪は兄に向かって囁く。もはや恒例行事となりつつある会見場の混沌を見ながら、達也はそれに無言でうなずいた。

 

『そーいうわけで、『マジカル・トイ・コーポレーション』は一条家の傘下企業になるから。今後とも御贔屓に』

 

 剛毅の肩を馴れ馴れしくバシバシ叩きながら、文也は記者たちに向かって宣言する。

 

『以上を皆様に報告するためには、私と息子が『キュービー』および『マジュニア』であることを公開した方が話が分かりやすいと判断したため、そう致しました』

 

『外交上の陰謀・馴れ合いによって国内で外国の軍隊に好き勝手にさせる秘密条約を結び、またそれによって未来ある邦人の若者たちが命の危機に晒され、そしてそれすらも放置した。日本政府と日本国防軍、この両者の愚行は、我々一条家としては看過できません。一族の正義に基づき、我々は、彼らを保護いたします』

 

『以上だ。はい、お待ちかね質問ターイム! イエーイ!』

 

 話すことが全て終わったのか、画面の中で文也がぱちぱちと場を盛り上げるように拍手をする。度重なる衝撃情報のラッシュによって心身ともに疲労困憊となった記者たちがそれに乗せられて無意識に拍手をするさまが何とも滑稽だ。

 

 そんな質疑応答に入った記者会見の音をバックBGMに、真夜が口を開く。

 

「以上よ。事前に知っていたことだけど、これは厄介ねえ」

 

 声音とは裏腹に、真夜はいつものような笑顔すら浮かべていない。能面のような無表情。これは、真夜の内心に怒りが吹き荒れている証だ。

 

 その無言のブリザードから逃げるように、執事がそそくさと離れて、部屋の外で待機していた男たちを呼び寄せる。その男たちは、黒羽貢を筆頭とする、四葉分家の現当主たち。誰一人としてその表情はリラックスしておらず、一つで小国をひっくり返せる分家の当主とは思えない、おびえた表情だ。

 

「井瀬文也の生け捕り、失敗。井瀬文也の殺害、失敗。井瀬文雄の足止めは成功するも、殺害は失敗。森崎家およびそこに保護された中条家と井瀬貴代の足止めは成功するも、撃退される。井瀬宅の襲撃も失敗。…………惨憺たる結果ね」

 

 四葉真夜が計画した、真夜の固有魔法『流星群(ミーティア・ライン)』の開発及び使用に成功した井瀬文也抹殺作戦と、それに付随する作戦。四葉の分家の戦力のほぼすべてを投入した大規模な作戦だ。その全てが、ほぼ完全に、失敗していた。

 

 井瀬サイドの死者はゼロ。

 

 一方、戦果ゼロなのに、四葉サイドは、血筋に死者は出なかったものの、ただでさえ少ない駒はほとんど死に、血筋の者も帰ってから達也の『再成』で回復したものの一様に瀕死の重傷を負っていた。さらに悪いことに、次期当主・深雪の最悪のスキャンダルを握られ、殺そうとしていたはずの文也たちに、手を出せなくなったどころか、何か起こらないようにしなければならなくなった。

 

『申し訳ございません』

 

 達也と深雪と当主たち、全員が即座に頭を下げる。一族の大戦力を注いだ作戦は、戦果ゼロで莫大な被害だけを残した。最悪の失敗と言っても、過言ではない。

 

 今でこそ、真夜はこのような態度だが、全作戦が失敗した当夜の荒れようは尋常ではなかった。珍しく、弁解の余地すらなく、全員正座でお説教だ。とはいえ、中には『ミーティア・ライン』でハチの巣にされては達也に『再成』されてまたハチの巣にされるという無限ループ無間地獄を想像していた者もいたため、そういう点では優しい方だっただろう。

 

 幸いにして、当初文也たちが公表を計画していた四葉に襲われたという「事実」の方は証拠は、ほぼない。残った証拠は文也が隠し撮りしていた映像のみであり、その程度の物的証拠ならいくらでも誤魔化し可能だ。USNAの動きを予測し、一週間ほど前から手を回してあらゆるものに裏工作を仕組んでいたのが功を奏したのだ。結果、文也たちは「USNAから襲われた」という事実しか世間に公表することができなくなった。

 

「政府や軍部の中枢は、今回の件に四葉が関わっているのを知っているわよ?」

 

 国防軍は、何も心の底から文也を守ろうとしなかったわけではない。司波達也・大黒竜也という最重要戦力を「貸し出して」くれている四葉に脅されて、しぶしぶ文也を見捨てたのだ。また、この軍への交渉には一部の政府高官も参加していた。

 

 つまり――

 

「私たちは、連中に恥をかかせて、そのくせ自分たちだけ悪名が広まらないで済んだ、そう思われているの。この意味が分かるかしら?」

 

 ――ということだ。

 

 日本政府と国防軍は、四葉からの脅し――「お願い」によって露骨な不干渉を選択し、そのせいで今、「国内で外国の軍隊から未来ある若い邦人が襲われているにもかかわらず守ろうとしなかった」という最悪の悪名が轟かされた。つまるところ、四葉のせいで、政府と国防軍は大恥をかいたのである。今後四葉が世論操作などのアフターケアしなければ、政府と軍の首が丸々挿げ変えられるような暴動が起こるだろう。いや、暴動が抑えられても、首の挿げ変えは逃れられない。

 

(……まさしく最悪、だな)

 

 達也は平伏するふりをしながら、内心でため息を吐く。あまりにも酷い状況だ。

 

(いや、でもいくらなんでもここまで怒ることは……)

 

 深雪もまた、達也とは別種の暗い気持ちが湧き上がってくる。正直今ここにいる全員が思ってるのは、「真夜(あんた)が出陣していればすべて楽勝だっただろ」という不満なのだが、一方で真夜が出なくても楽勝で終わると自身たちもまた油断していたのは確かであり、何も言い返すことができない。

 

 今回の件を通して、四葉は政府と軍に大きな借りを作ってしまった。また、四葉が何をしようとしていたのかを、勘の良い上層部はとっくに察している。つまり、四葉の「失敗」も察しているということだ。必然、今まで畏れられるだけだった評価が下がり、そこに侮りと不満が生まれることになる。四葉の影響力が、大幅に低下したということだ。

 

 その後数分説教した後、真夜は全員を部屋から退出させると、広い部屋に一人残り、記者の質問に対してなぜかクイズを仕掛け始めてニヤニヤ笑っている文也を憎々し気に睨みながら、冷めた紅茶を啜る。

 

 真夜が思い起こしているのは、次期当主として内定している深雪の身に起こったこと。

 

 今回の戦いを通じて、深雪は幾度となく殺され、蘇らされた。その記憶ははっきりしており、酷いPTSDが残っている可能性が高いと報告を受けている。

 

 また、インターネットの大海の深層で、「起爆」を今か今かと待ち構えていた「スキャンダル」の映像をサルベージできたので、真夜は自身の目でそれを確認した。絶世の美少女と言う表現すら足りないほどの美貌を持つ深雪が、顔を真っ赤にして艶っぽい喘ぎ声を上げながら道路に寝転び身もだえしている。その末に「粗相」もして、冷たい地面を濡らし湯気を立てている。――あまりにも酷い映像だった。

 

 つまり深雪は、幾度もの臨死のトラウマと、ある種の性的な凌辱を受けたということだ。

 

 そこには――嫌でも、自分を重ねてしまう。

 

 あの大漢で受けた、地獄と言う表現すら足りない実験と称した凌辱の時間。トラウマと凌辱。深雪は皮肉にも、真夜と同じ運命を辿ってしまったのだ。そしてそれを辿らせたのは、他でもない、真夜である。

 

「…………」

 

 重なったからと言って、トラウマが蘇るようなことはない。何せ事件後、精神干渉系魔法に強い適性があった姉・深夜によって、当時持っていた「経験の記憶」をすべて「知識の記憶」に移し替えられてしまった。つまりあの辛い「経験」は、そういうことがあったという「知識」にすり替えられている。トラウマはなく、ただ淡々と、屈辱的とすら感じない「知識」があるだけだ。

 

 ――今回深雪が受けた経験は、自分が受けたという経験よりも、さらに酷いトラウマになるだろう。

 

 どちらも地獄には変わりないし、比べて軽重を判断するべきものでもない。しかし、真夜はそれでも考えてしまう。内側から全身が爆ぜるとは、目玉から拳銃が貫通するとは、首を切り落とされるとは、骨が振動で砕かれるとは、脳に直接電気ショックを食らうとは、心臓にコンクリート片がいくつも突き刺さるとは、どのようなものなのか。その地獄は、どれほどのものなのか。真夜は想像しただけで気が重くなる。

 

 真夜の「経験」を「知識」に変えてトラウマをなくした深夜は、もうこの世にいない。まさしくその出来事で自分を責め続け、罪滅ぼしのように身体に負担のかかる魔法実験に憑りつかれたように参加し、一年ほど前に死去してしまった。つまり深雪は、これから、この地獄の『経験』から逃れることはできない。

 

 酷い辱めの証拠が今にも世界中に拡散されそうで、酷いPTSDを抱える、次期当主。

 

『どーだ、すげーだろ! 国防軍のクズどもの羨ましそうなアホ面を思い出すだけで飯が何杯も食えるぜ!』

 

 深雪をそうしてしまった元凶は、テレビ画面の向こうで、USNA軍から「お詫び」としてせしめたブリオネイクを掲げて、記者に自慢している。

 

「…………」

 

 悔しさに、奥歯が砕けるのではないかと言うほどに歯噛みする。

 

 この作戦は、実は乗り気ではなかった。「できれば狙いたい」程度の文也の生け捕りは、確実性を考えると狙うのは悪手だとも知っていた。今回はその欲張りが敗因と言っても良い。なんなら、あんな「爆弾」を内に抱えるのも真っ平御免だった。さらに言うと、そもそも文也暗殺作戦自体、真夜は一瞬頭をよぎったものの、実行するつもりはなかった。『ミーティア・ライン』の再現は確かに暗殺に値するが、起動式があったところでそうそう実用的に使えるわけがない高難度魔法なので、リスクやコストを考えると、実行に移すべきではないのである。真夜からすれば、即却下だ。

 

 文也暗殺作戦。またその中に組み込まれていた、生け捕りにして仲間にしようという作戦。

 

 これらを考えたのは真夜ではなく――第四研究所時代から四葉を支える、「スポンサー」たちだった。

 

 彼らのおかげで四葉は成り立っていると言っても過言ではなく、そうそう意向には逆らえない。そんな一部のスポンサーは、文也が『ミーティア・ライン』の再現に成功したと知ってすぐに、真夜に文也の拉致・洗脳または暗殺を指示してきたのだ。リスクとコストに見合わないことを説明したが、欲の皮が突っ張った彼らに通じるはずもなく、真夜は従わざるを得なかった。

 

 結果、今の状況は最悪と言ってもよい状態になっている。

 

 この事情を知らない分家や部下たちは真夜に反感を抱いて離反のリスクが高まり、公権力や軍も四葉に不信感を抱くせいで影響力が少なくなる。そしてスポンサーたちは無茶ぶりを仕掛けておいて、失敗したこちらを侮っている様子だ。そして真夜の心理としても、スポンサーに反感を抱いている。一気に生まれたこの大量の相互不信は、今後の四葉の動きにじわじわと悪影響を及ぼすだろう。

 

 そんな四葉の事情など関係なく、テレビ画面の中は賑やかだ。ただの会見場だというのにブリオネイクで『ヘビィ・メタル・バースト』の実演をしようとして駿と将輝に壇上でタコ殴りにされているガキが、何やら騒いでいる。 

 

 そんな小さなワルガキを、真夜は、八つ当たりのように、その後数分間、無言でにらみ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也と深雪を詰り、同級生と談笑した後、真由美は会場の隅っこで、ぼんやりと考えに耽っていた。

 

 文也は、一条家の庇護下に入りやすくするために、第三高校への転校を選んだ。そしてそれは、あずさも駿も同じだ。その理由は、本気で殺し合う羽目になった達也や深雪と同じ学校に通うのは身の危険しかないし、死んでも御免だというのがメインだろう。

 

 ――真由美はこれで、達也と深雪が『四葉』だと知ってしまうことになった。真由美は、この件の真実を知ってしまっている。

 

(……秘密を抱えるって辛いものね)

 

 内心でひとりごちる。達也と深雪が四葉。この日本魔法師界がひっくり返りそうな事実は、七草として、当主である父に報告するべきだ。しかし真由美は、それをしなかった。これ以上四葉には関わりたくないというのが本音だからだ。それに、真由美は、まさしくその身で四葉の恐ろしさを体感してしまった。陰謀好きの父がこれを知れば、絶対に四葉を貶めるべく裏工作をするだろう。そんな余計に敵に回すようなことは、あってほしくなかった。『四葉』までは知らないが、達也や深雪と殺し合っていたこと自体は香澄も見てしまっており、そちらにも口裏を合わせて、「USNA軍に襲われているところに偶然居合わせて真由美が加勢した」ということにしている。

 

 世間では、文也たちは、「未だUSNAからの脅威は去っておらず、政府と国防軍が動こうとしなかったために不信感を抱き、親友である一条の庇護に入ることにした」ということになっている。それは事実の一部でしかない。本音は、達也と深雪、そして四葉から逃れるための自己防衛だろう。

 

(……一高も大変ねえ)

 

 真由美は思い出す。職員室の中で割と権限を握っている教師たちから泣きつかれたあの時を。

 

 魔法科高校の教師をやっているだけあって、その品性や知性は別として、教員はやはり優秀な魔法師ばかりだ。そして優秀な魔法師とは大体権力を握る魔法師一族の出身であり、出世欲や名誉欲に常に支配されている。

 

 そんな教師たちから、真由美は、比喩でもなんでもなく「懇願」された。

 

 七草家で井瀬君たちを保護してくれ。このままだと、優秀な生徒や生徒会長が三高に転校してしまう。同じ学校の先輩後輩のよしみで。そうじゃないと、優秀な生徒たちを一高は失ってしまうし、生徒会運営も大変だし、九校戦の結果に響くし、文也の転科が予定されていた魔法工学科の計画も片手落ちだ。

 

 真由美はそれに対して、良い返事をしなかった。真の事情を知る真由美は、七草家に庇護されたところで文也たちにとって意味がないというのを理解しているからだ。それと、言われずとも、陰謀好きで権力好きの父が、庇護に名乗りを上げたから、伝えても意味がないからである。

 

 真由美の父・七草弘一は、七草家も井瀬たちを保護すると、あの記者会見の後すぐに名乗りを上げ、文也たちにも直接打診していた。理由はいくつかある。

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』の『キュービー』と『マジュニア』であり優秀な魔法師でもある文也と文雄、現生徒会長にして多くの一高生の命を救った英雄あずさとその一家、元々十文字家寄りでボディーガード業で名をはせる腕の立つ森崎家。これらを身内に抱え込むというのは、七草家の権益を拡大するのに大きく寄与するから。またこれほどの人材を、十師族のライバルである一条家に取られたくないというのもある。

 

 また、文也は最も可愛がっている愛娘・香澄の命の恩人でもあり、「あこがれの人」でもある。香澄自身もわざわざ弘一に文也を保護するよう頼みに来た。保護してあげたいと思うのが(弘一にしては珍しい)親心である。

 

 そういうわけで、弘一もまた、先輩後輩関係でありまた直接参戦して助けたという正当性もあるため、真由美を通して庇護を持ち掛けた。とっくに一条の庇護に入ることが決まっていたためあえなく断られたが。

 

 さて、こんなことがあったせいで、真由美の胃はまたも荒れ果てていた。大学には余裕で受かったが、期待されていた入試成績一位は克人に取られるという敗北もする羽目になった。

 

「ウッ」

 

 真由美は思わず呻き、胃を押さえる。思考の流れで、胃痛が加速した出来事を思い出してしまった。

 

 それは受験が終わった翌日の事である。妹の香澄と泉美は姉を追って第一高校を受験することが決まっていて、すでに願書も出し終えていた。そこでいきなり、香澄がこう宣言したのだ。

 

「私、第三高校を受験する!」

 

 家族全員、それを聞いて一人も気絶しなかったのは奇跡と言っても過言ではない。

 

「あこがれの人」文也が三高に転校することは、あの記者会見ですでに公表されていた。香澄はなんと、それを追いかけて、ずっと昔から心に決めていた第一高校受験を取りやめ、志願変更制度を利用して第三高校を受験すると言い出したのだ。一高の新学科設立のゴタゴタで受験日が遅れ、志願変更期日も遅れたのが、香澄にとっては幸運に、真由美たちにとっては仇となり、この日の翌日が志願変更の期日だった。

 

 家族総出で必死で説得したが、香澄の意志は固く、結局志願変更を認めざるを得なくなった。そして香澄は今、無事合格し、まだ春休みだというのに、弘一が無理やり付けた何人かの使用人とともに、第三高校がある金沢の高級マンションに引っ越している。

 

 そう、井瀬文也は、第一高校と真由美たちの胃だけでなく、七草家をも引っ掻き回したのだ。

 

(ほんと、あの子は何から何まで引っ掻き回すわね)

 

 まるで、トランプの「ジョーカー」のようだ。まるで人々を嘲笑うかのように、ゲームを引っ掻き回す道化師。

 

 真由美の視界の端で、何の皮肉か、余興としてトランプゲームが始まる。無意識でそれを見た真由美の目に、これまた皮肉にも、ジョーカーのカードが映った。

 

「……サイッテー」

 

 まるで「ババ」を引いてしまったかのように、真由美はあの真冬の夜のように呟く。

 

 そのこの世のすべてをバカにしたような笑顔が、口角を吊り上げて悪戯っぽい笑みを浮かべるワルガキの顔に、重なって見えてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 卒業パーティで、現生徒会役員である妹・深雪は、兄と一緒に運営をしながら、幾度となくため息を吐いていた。

 

「深雪、ここはお祝いの場だよ」

 

「申し訳ありません、お兄様」

 

 達也にたしなめられて、深雪は自分の失態に気づき、頬を赤らめ、口元を押さえる。その仕草だけで男女問わず通りすがりの生徒たちを虜にしてしまった深雪は、それには気づかず、またすぐに無意識でため息をまたも吐いてしまう。達也はまたたしなめようかと思ったが、気持ちは痛いほどわかるので、ほどほどにしておくことにした。

 

 1月から3月にかけては、とてつもなく忙しかった。高校で色々やりながら『トーラス・シルバー』としての仕事もこなしつつ、文也の件と吸血鬼の件も同時進行であれこれ動いていた。結果、文也の件は全く上手くいかなくて散々だったが、吸血鬼の件に関しては上々の結果を収めた。レイモンド・クラークや汚名返上のために気合を入れて動いてくれた黒羽家の協力もあり、ほぼ全てのパラサイトは深雪によって破壊され、真夜の望み通り一部は回収することもできた。

 

 そしてそれが終わったと思ったら、2月16日以来考えないようにしていた卒業パーティーの準備だ。文也は、駿、そして生徒会長であるあずさを伴って一高を離れてしまった。そのせいで、新たな生徒会長を立てる羽目になり、急遽現生徒会役員で唯一の二年生であった五十里に白羽の矢が立った。しかし五十里本人は生徒会長選挙のころから会長職に就くつもりはなく、あと半年の任期と言えど、良い返事は帰ってくるわけがない。しかし彼以外に適任者はおらず、元生徒会長の真由美まで出張って――妹の件だけでも大変だったのにこんなことをさせられた彼女の胸中は推して測るべし――の説得劇となった。最終的には、真由美から「貴方たちがそもそもの元凶でしょ!?」と達也の記憶に深い傷を残した悪魔のチョコレートと文也襲撃の公開という二方向の脅しによって、達也・深雪・真由美による人目の多い廊下で土下座して頼み込むという強行作戦を実行した。この三人にこんな頼み方をされてノーといえる魔法科高校生は、あのクソガキ以外にはいないだろう。この件が、五十里のトラウマになっていないか心配である。

 

 こうした経緯で急造の生徒会長のもと、卒業パーティーの準備をする羽目になった。この三か月は、達也と深雪にとって、悪い思い出となってしまったのだ。

 

 こうした経緯もあって、達也もまた今にもため息を吐きそうである。ましてや、先ほど真由美にネチっこい責め方をされたのだから、余計にその気持ちは強い。

 

『井瀬君さえ、井瀬君さえいなければ、こんなことにならなかったのに!』

 

 達也の脳裏にふと、妹の叫びが木霊した。

 

 あの時の極限の戦いの中で、愛する妹の、涙を流しながらの叫び。

 

 深雪はあの時、激情に駆られていた。これはそういう時にこぼれた言葉だ。

 

 だからと言って、この言葉は、許されるものではない。何せ、文也の不存在、つまり死を望むというのは――達也と深雪をこんな目に遭わせた元凶の一人である、真夜と同じ発想だからだ。冷静に考えれば、彼は殺されるようなことをやっていない。達也からすれば、深雪を何度も「殺し」たのは、それこそ万死に値する悪行だが、客観的に見れば最終的には死んでいないのだし、そもそも先に殺そうとしたのは達也と深雪だ。理不尽というものである。

 

 しかし一方で、達也は、それに同感してしまっていた。

 

 もし文也がいなければ、どうなっていただろうか。

 

 まず一高全体のストレスが大幅に減る。あれの悪行や悪戯が原因で、何度も騒ぎになった。きっと胃痛もほぼなかっただろう。あずさと駿も急に転校する羽目にならなかっただろうし、真由美の妹・香澄も順当に一高に入学した。達也と深雪だってこんな目に遭わないし、四葉もUSNAも日本政府も国防軍も大失態を晒すことはなかった。魔法師関係の各家だって内部不振による崩壊や無駄な争いはなかっただろうし、『トーラス・シルバー』としてもライバルがいない一人天下でもっと儲けていただろう。文也を襲撃して捕らえられたリーナとネイサンも、せいぜいが吸血鬼関連で働かされた程度で済んだに違いない。

 

 

 

 

 ――文也さえいなければ、こんなことにならなかった。

 

 

 

 

(…………バカなことを考えるのはやめよう)

 

 しかし達也は、すぐにそれを、冷静に否定して切って捨てる。

 

 達也は、四葉の情報網で、またはその目で見て、文也がいたことで幸せになった人々もまた、確かにいることを知っている。

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』によって、魔法工学の発展は著しいものとなり、またその発売商品や商売の方針から、突然変異または隠れた才能を持つ魔法師の卵の発見につながり、血に依存する魔法師の慢性的な人材不足改善に貢献した。三年前は佐渡侵攻に居合わせて多くの日本人の命を救い、その中には日本魔法師界を牽引する剛毅もいる。不良少年を使い捨てにした大規模なテロも未然に防いで死者をゼロ人にした。九校戦でも大きく貢献した。駿も将輝も真紅郎も、文也との親交によって心と技能が大きく成長しているし、あずさは文也が最大の心のよりどころだ。香澄だって、文也によって大きな危機から救われた。また、何よりも、文也はあの横浜事変で、多くの一高生・四高生・その他多くの人々の命を救った英雄でもある。

 

 それらを踏まえてもなお、「あいつがいなければ」だなんて、思えるわけがない。

 

(………………)

 

 強いていうなれば、そう、あんなワルガキが生まれて、あんなクソガキのせいで多くの被害が生じ、そのくせあんなチビがいなければ多くの人が死にまた救われなかった――そんなこの世を作った神こそが、一番の悪なのかもしれない。

 

(…………いけないな)

 

 そしてまた、自分の考えを切り捨てる。神なんて、とっくにいないと確信したものだ。世の中が、そうあるだけ。ただそれだけなのだ。

 

 文也は、その中の一つ。そうあるだけ。そうあるだけで、多くの人々を引っ掻き回して混乱させ、そしてその渦中にいて悪戯っぽく笑う。

 

(本当、『冗談』みたいなやつだよ)

 

 達也はそう思いながら、思わずフッと鼻で笑ってしまう。

 

「お兄様、どうかなさったのですか?」

 

「いや、ちょっと考え事をしていただけだよ」

 

 妹はそれにすぐに気付いて、声をかけてくる。達也はそれに返事をしながら、心の中で付け加えた。

 

 文也は、「冗談」みたいなやつ。

 

 しかし、一方で彼に触れた全員は――

 

 

 

 

 

 

 

 

(『冗談じゃない』)

 

 

 

 

 

 

 

 

 と思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「将輝、そっちにいったぞ!」

 

「了解だ駿! おっかけるぞ!」

 

 時は戻って、3月前半の某日、卒業生以外にとってはまだ平常授業が行われている日の放課後、三高の廊下で、CADを構えた駿と将輝が、血相を変えて走り回っていた。

 

「駿お前、前はこれを一人で対応してたのか!?」

 

「委員全体で包囲網を敷いてたとはいえ、あれみたいなのがあと十何人もいて徒党を組んでた!」

 

「地獄じゃねえか!?」

 

 二人の叫び声が廊下に反響する。駿の叫び声には、どことなく哀愁が漂っていた。

 

「ゲゲッー!!! なんだこの学校!!!???」

 

 そんな二人が走っていく先で、小学生にしてはやや大人びているが、高校生としては明らかに幼い、少年の叫び声が響いてくる。

 

「残念だったな、さあ観念して捕まれ」

 

「地理を把握してもいないのに逃げが間違いだったな」

 

 CADを構え、行き止まりであたふたしている少年に投降するよう促す。

 

「畜生、お前ら二人とか反則だって……」

 

 その少年――転校して早々悪戯騒ぎで三高を混沌に陥れた元凶は、しょんぼりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごいね、いったいこれで何度目だい?」

 

「72回目」

 

「体感的にはすでにそれぐらいやっているが、実際は12回だ」

 

「十分すぎるね」

 

 三高の生徒会室に連行される文也とそれを連行する二人を迎えたのは、生徒会役員の真紅郎だった。まだ転校して間もないのに、すでに手慣れた手つきで文也の罪状を記録していく。今回は、教員の一人がひそかに隠していたおやつのシュークリームを、職員室に忍び込んで激辛デスソース入りのものにすり替えたらしい。その現行犯を見つけた二人が文也を追いかけて捕まえ、こうして連行しに来たのだ。

 

「はい、反省文11枚。表裏だよ」

 

「多すぎないか?」

 

「君の12回に比べたら全然少ない方だよ」

 

 原稿用紙の束を手に、平然とした笑顔を浮かべながら真紅郎は生徒会備品の古式ゆかしい鉛筆と一緒に文也に押し付ける。ちなみに鉛筆は大変短く芯も削られていないため、めちゃくちゃ書きにくいという地味な嫌がらせ仕様だ。

 

 空気が抜けた後の風船のようになった文也を生徒会室の隣にある反省室に放り込んで外から鍵を閉めた真紅郎は、生徒会室に戻って、疲れた顔の駿と将輝に話しかける。

 

「今日もお疲れ。大変だったね」

 

「転校早々に元気なやつだよホント」

 

 出されたお茶を啜りながら、駿は呆れ100パーセントの感情で、吐き捨てるようにそう言った。

 

 ――文也とあずさと駿が急に一高から三高に転校して、もう二週間ほど経った。

 

 転校の経緯は例のハチャメチャ記者会見で世間に知られていることなので、文也たちの転校初日は、三高の空気は異様なものだった。

 

 校内で有名人な将輝と真紅郎の親友、九校戦で大活躍した選手とエンジニア、生徒会長、『マジュニア』、森崎家、世界最強の魔法師部隊から襲撃を受けて撃退した実力、政治の暗部に触れた大転校劇、横浜で多くの一高生と四高生の命を救った英雄――この三人は、学校まるごと揺るがすほどの要素を、それぞれが多く持っていた。

 

 三高の教員の計らいで、どうせ進級に伴うクラス替えがあるということで、文也と駿は親友である将輝と真紅郎がいるクラスへの転校となった。教員たちもまた、文也たちの扱いには細心の注意を払っていたのである。結果、教員たちが予期せぬ形でその計らいの効果は出て、初日からヤンチャしまくるクソガキの抑止力を同じクラスに集中させたことで、被害の拡大が防げている。未だ転校前の噂や逸話の方が学校内で大きいのはそのおかげだ。もしそうでなければ、とっくに「悪戯好きのヤバいクソガキがいる」という話の方が広まっているだろう。とはいえ、逆転するのは時間の問題だろうが。

 

 またあずさだけ学年が違うが、やはりそちらでも有名人すぎて騒ぎになっていた。幸い、控え目で弱気で温和でやさしい性格とその見た目、それとギャップのある魔法の腕と知力で、一瞬にして認められ、生徒会長だった実績もあって特例で会計監査として生徒会役員入りも果たした。ちなみに今この生徒会室に不在なのは、部活連への顔出しに現生徒会長と向かっているからだ。

 

「で、どうだ? 学校には慣れたか?」

 

「慣れる慣れないを考える暇すらないな。アイツの対応で手いっぱいだ。前の学校とそんなに変わらない感じすらするから、そう意味では慣れたといえなくもない」

 

 駿の回答に、問いかけた将輝は苦笑する。まさしくその通りだ。万事塞翁が馬と言うべきか、初日からずっと文也の対応をさせられているという一高生のころとなんら変わらないスクールライフを送らされているせいで、不慣れな感覚は特にない。三高は「尚武」の校風を持つため、性格に棘はあるが実力も努力も十分でプライドが高い駿はすでに受け入れられており、今後の生活も特に大きな支障はないだろう。

 

「…………アイツって、ホント、なんなんだろうな」

 

 そんなことを考える中で、ポツリ、と駿が呟く

 

「あー、確かに言われてみるとそうだね」

 

「ブランク込みとはいえもう3年ちょっとはつきあいあるけど、確かによく分からんな、アイツは」

 

 その呟きに、真紅郎と将輝がすぐに反応した。転校していないといえど、この二人も、ここ数か月のゴタゴタで相当動き回った。それがようやく落ち着いてきた今、そういうことを自然と考え始めていたのだ。

 

「アイツ」とは、言うまでもなく、文也のことだ。

 

 駿は魔法塾で出会い、川崎では二人で協力してテロを未然に食い止めた。

 

 将輝と真紅郎は佐渡で出会い、そこで戦争に巻き込まれ、協力して生き抜いた。

 

 仲良くなった経緯からしてすでに波乱だ。そしてそのころから今までずっと、文也の様々な面を見てきた。

 

 悪戯好きで口が悪くてヤンチャで、よく悪さをする。よく騒ぎやトラブルを起こして周りを巻き込む。いつも騒ぐか怒るか悩むかで、表情が豊か。そのくせやたらと頭の回転が速く、不真面目な癖に勉強ができるし知識も豊富。魔法技能が高く、ほぼ全てにおいて万能で、それを遺憾なく発揮できる特異な能力もある。さらに魔法工学にも優れている稀代の魔工師だ。しかし、魔法技能面で大きな弱点も抱えている。

 

 まるでカードの表裏のように真逆の性質を抱え込んでいて、そして裏表に収まらないほど多面的。

 

 人間だれしもに言えることではあるが、文也の場合は、それぞれの面の尖り具合が異常だ。

 

 散々迷惑をかけられたが、とても頼りになって救われたことが何度もある。

 

 大きく心をかき乱すが、一方で頼りになり、飛びぬけた力があって、それでいて万能で、しかし大きな弱点も抱えている。

 

「……なんかトランプやりたくなってきたね」

 

「おいおい真紅郎、今生徒会活動中だろ? サボりにならないか?」

 

「大丈夫だって。文也の対応をした後だって言えばその程度許してくれるよ」

 

「それならやるか。ジョージ、生徒会室に置いてあるよな?」

 

「当然あるよ。生徒会って意外と裏で遊んでるんだよねえ」

 

「……そこは一高も三高も変わらないか」

 

 駿のどこか呆れた呟きを背に、真紅郎は備品の影に隠れた引き出しからトランプを取り出す。他にも様々な遊び道具が入っていて、駿は真由美が生徒会長だったころを思い出した。あずさは真面目だからそんなことはなかったが、真由美はたまに羽目を外すことがあって、生徒会室で遊んでいたのだ。

 

「…………これはまた、ずいぶんなパッケージだな」

 

「ゲッ、本当だ」

 

「あはは、やっぱりそう思う?」

 

 その取り出したトランプの箱を見て、駿と将輝は口を歪める。その反応を見て、トランプをやろうと言い出してからそれを予測していた真紅郎は苦笑いした。

 

 ――トランプの箱にいるのは、この世のすべてをバカにするように嘲笑う「ジョーカー」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――三人ともが、文也に重ねていたカードだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あークソ、なんだよあの嫌がらせ鉛筆」

 

「あの鉛筆、最近準備したものみたいだよ?」

 

「つまり?」

 

「ふみくんのために特別に吉祥寺君が用意したってことだね」

 

「オーケイオーケイ、明日会ったらアイツがこっそり隠し持ってたエロ本って嘘ついてドギツイ趣味のやつばらまいてやる」

 

「やめなって、もう。また逆恨みしてる……」

 

 多少暖かくなってきたとはいえ、まだ肌寒い3月頭の夕暮れ。文也とあずさは並んで、学校から帰宅していた。学校を出る時は駿と将輝と真紅郎も一緒だったが、つい先ほど別れたばかりだ。将輝の家は一条家の屋敷で、同じ方向に真紅郎が住む寄宿舎と駿の家もある。駿は森崎家やその部下のほとんどを巻き込んだ大規模な引っ越しであり、森崎家の邸宅はたまたま持っていた別荘を本宅として使っている。まだ自前の訓練場などは土地を買ったばかりであり、完成する頃にはもう大学生になっているだろう。

 

 そういう事情で、将輝と真紅郎と駿の住居は面積が大きく、「お金持ち」の家や施設が集中する、比較的まとまった土地がある地域にあるのだ。

 

 一方で、同じく家族ごと引っ越してきたといえど、井瀬家と中条家は典型的な核家族世帯で、しかもどちらも子供は文也・あずさの一人のみだ。ごく小規模な引っ越しであり、どちらも普通の建売住宅街に新居を購入した。余っていた都合の良い一軒家がたまたま隣同士だったため、せっかくだからとそこを購入してそれぞれ住んでいる。文也とあずさにとっては新たな住処だが、まるで元の鞘に収まったかのように、小学生の時と同じ「お隣さん」となったのである。

 

「そういえばふみくん、もうそろそろ三高には馴染めた?」

 

 そうした雑談の中で、ふとあずさが少し心配そうに問いかけてくる。

 

「俺はどこいったって変わんないんだから、馴染むも何も無いってわかってるだろ?」

 

「それもそっか」

 

 文也はその問いかけにどこか既視感を覚えながら、これまたどこかで言ったような気がする返事をする。それに対してあずさは、柔らかな笑みを浮かべて納得したように返事をした。

 

「んー、あー、そっか」

 

「え? 何?」

 

「いや、なんでも。ちょっと考え事が解決しただけ」

 

「そ、そう?」

 

 その既視感の正体に、文也は気づいた。急な独り言にあずさが困惑しているが、いつものことなので気にすることはない。

 

 この既視感の理由は――まさしく、既視だからだ。

 

 思い出すのは、10年ほど前の夕暮れ。文也が小学校に入学してすぐのころ、悪戯で教師に説教されたのち、少し遅れて帰ることになった日のことだ。

 

『そういえばふみくん、もうがっこうにはなじめた?』

 

『オレはどこいったっておんなじだからな。なじむとかそういうのは、ないな』

 

 職員室の前でビクビクしながら待っていたあずさと並んで帰った、これから何度も同じことをする帰り道。二人で手をつなぎながら帰っているときに、あずさがふと、聞いてきたのだ。

 

(……ねーちゃん、ってところなのかな)

 

 一つ年上の幼馴染で親友。今までそう思っていた。

 

 一方でよく考えてみると、昔からよく世話を焼いてくれたし、何度も世話をかけてきた。文也のことを何かと気にかけてくれていたし、多少酷いことになっても呆れて離れるようなこともなかった。小さくて気弱で優柔不断なところはあるが、まるで姉のようだ。

 

「ふぇ!? え、ちょ!? ふみくん!?」

 

 そう思い起こして、ふと、文也は、あずさの手を握っていた。いきなり手を握られたあずさは、歩みを止めない文也に合わせて歩きながらも、顔を一瞬で真っ赤にしながら、裏返った声で文にならない言葉の羅列で問いかけてくる。

 

「あー、すまんな。ちょっと、昔を思い出して、ついな。……嫌だったら離すけど」

 

「あ、いや、大丈夫だよ、うん。ちょっとびっくりしただけ」

 

 文也はそう言って手を離そうとするが、あずさは食い気味にそれを否定して、握り返してくる。文也はそのせいで何か言う機会を逃して、どこか背中が痒くなるような感覚を覚えながら、無言のまま歩く。あずさもまたどこか気恥ずかしさと気まずさを覚えてしまい、顔を真っ赤にして俯いたまま、横に並んで歩く。しかしそれでも、お互いに、つないだ手は離さなかった。

 

 そんな微妙な無言の時間のまま数分が過ぎ、住宅街が見えてくる。もう数分も歩けば、お互いの家だ。

 

 その事実を理解して、小学生の時のようにこれから何度も同じことができると言うのに、なぜか文也は焦りを覚える。

 

 そしてその焦りから、文也は、ついに、口を開いた。

 

「……なあ、あーちゃん。転校して、後悔していないか?」

 

「え?」

 

 そんな唐突な問いに、あずさは目を丸くして、俯き加減になって影を落としている文也の顔を覗き込む。その顔には、あずさでもめったに見ない、文也の苦悩がありありと浮かんでいた。

 

「あーちゃんはさ、一高に友達も知り合いも一杯いて、生徒会の仲間もいて、生徒会長にもなって、センセーたちともいいかんじにやっててさ。でもそれを全部捨てて、全部、俺の都合だけで、無理やり流れに乗せて転校させちゃっただろ? だから……その……」

 

 言葉が進むにつれ、声は尻すぼみになって、表情の影は増える。文也がここまで悩むのを、あずさは見たことがなかった。

 

「あーちゃんさ、一高のこと、大好きだっただろ。だから、怖くても、立候補したんだ」

 

 あずさは、自分の手を握る力が、だんだんと強くなってきていることに気づき、そして、文也の手に汗がにじみ、また何かに迷うように震えていることに気づいた。

 

 あずさに一高が大好きだと気づかせたのは文也だ。あずさにとって一高は、青春の2年弱を過ごした大切な場所だ。

 

 あずさに生徒会長の立候補をさせたのも文也だ。新たなリーダーとして、ようやく馴染んできたころだった。

 

 そして――そこから転校させたのも、また文也だ。

 

 秘術を開発するという禁忌が、いずれ大きな事態を起こすというのは知っていた。九校戦の後には、改めて自覚した。それでも止めずに、日本最大の禁忌『四葉』の秘術にまで手を出して、しかも公然と使用してしまった。

 

 このあまりにも身勝手な振る舞いが、こんな事態を招いてしまったのだ。あずさは何度も死にかけ、戦いに巻き込まれ、辛い目に遭わされ、「殺し」に加担させられ、そして大好きな一高から離れさせられた。その全ての大元が、文也なのだ。

 

「俺のせいで……あーちゃんは……」

 

 絞り出すように漏れる文也の声は、震えていた。

 

 その震えた声を聞いたあずさは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――思わず、文也を強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕焼けに真っ赤に染まる道路で、二つの小さな影が重なる。

 

「あのね、ふみくん」

 

 耳元で囁かれる幼い声が、文也の体に染み込んでいく。

 

 物心つく前から一緒にいた、一つ年上の幼馴染の声。

 

「確かに、私は一高が大好きだよ。ふみくんが、気づかせてくれたもんね」

 

 ゆっくりと、噛みしめるように、言い聞かせるように、言葉が発せられる。

 

 その一つ一つが、文也の心に染み込んでいく。

 

「だから、ふみくんの言う通り、やっぱり、残念だなって思うよ。転校してからも、馴染むのは大変だし」

 

 あずさは声のトーンを上げて明るく、それでいてゆっくりと、文也に話しかける。

 

 文也からの返事は一切ない。しかし、これは一方的なものではない。あずさは、文也がしっかり聞いてくれていることを確信している。

 

「でもね、ふみくん」

 

 悪戯好きで、我儘で、生意気で、騒がしくて、目が離せない、それでも頼りになる、幼馴染の小さな男の子。

 

 胸に顔をうずめて腕の中で身じろぎもしない男の子に、あずさは、一番伝えたいことを伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――私が一番大好きなのは、ふみくんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――だから、心配しないで。

 

 言葉の続きは、声に出さなくても伝わる。あずさは小さな唇をゆっくりと閉じて、文也をより強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――柔らかい小さな手、温かな体温、背中に回る小さな腕、幼い声、落ち着く匂い。

 

 そして――あずさの心音。

 

 そのすべてに包まれながら、文也は思い出していた。

 

 あずさと出会ってすぐのころ。悪戯が度を過ぎて文雄からこっぴどくしかられた後、部屋の隅で一人で泣いていた時、あずさが、今と同じように、こうして慰めてくれた。

 

 ――ずっと、文也が慰める側だった。

 

 しかし、その最初は、あずさが慰める側だったのだ。

 

 あずさの小さな手にくしゃくしゃの髪を撫でられながら、文也はその思い出に浸る。

 

 あのころから、二人は何か変わっただろうか。体は人並みには劣るが大きくなった、魔法は人並みをはるかに超えて上手になった、いろいろな人と出会って友達が増えた、考え方が変わることもあった。

 

 それでも、二人の関係性は、変わることはなかった。

 

 お互いに世話を焼きあい、守り合い、慰め合う。

 

 あずさは、弟を守り慰め世話を焼く姉のようにも、兄に守られ慰められる妹のようにも見える。

 

 文也は、妹を守り慰め助ける兄のようにも、迷惑をかけ助けられ慰められる弟のようにも見える。

 

 どうも言葉には表しにくい関係の、1つ年が違う幼馴染の男女。

 

 引っ越しによる時間の隔たりがあろうと、それは変わらなかった。

 

「……ありがとな、あーちゃん」

 

「ううん、いいんだよ」

 

 二つの小さな影が離れる。

 

 いつの間にか動揺が収まっていた文也は、照れくささを誤魔化すように、いつものように口角を上げて悪戯っぽい笑みを浮かべる。それを見たあずさは、柔らかく笑った。

 

「じゃあ行くか」

 

「うん、そうだね」

 

 年端も行かない兄妹・姉弟のように。幼い友達同士のように。

 

 小さな二人は、手をつないで、夕日差す道を、並んで歩き始めた。




これにて本編はお終いです。ここまで読んでいただきありがとうございました。

この後は、本編に書こうとしたけど尺や展開のリズム感の都合でカットしたシーンを2話分投稿し、その後はさらに一章分ぐらいのオマケも投稿していきます。オマケの内容は、文也たちが転校したのち無事進級して最初のビッグイベント、二年目九校戦のお話です。


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語られざるエピソードたち-1

今回から2話分ほど、本編に書こうとしたけど、物語のリズムや展開の都合上でカットしたシーンを書いていきます。カットしたシーンではありますが、本作世界においては実際に起きた、いわゆる「正史」として捉えてください。なんなら本編にこれらを書くつもりで伏線まで撒いていました。二次創作で正史ってなんだっていうツッコミはナシです

あと、今回載せている「③最大の被害者」についてですが、辛いエピソードなので、特にリーナが好きな方とかは見るのがつらいかもしれません。ご注意ください。


①劣等生と優等生

 

 2095年4月6日。文也たちが一高にピッカピッカの一年生として入学してすぐ。

 

 この日は新入部員勧誘週間の初日だ。

 

 勧誘のデモンストレーションなどのために一般生徒にもCADの使用が許可される週であり、勧誘が過熱化して毎年諍いが絶えない、とんでもなく頭の悪い期間だ。新入風紀委員たちは、いきなりこの大仕事が待っているわけである。

 

 そのお仕事の前の準備時間、風紀委員会本部では、新入生屈指の優等生・森崎駿と、風紀委員唯一の二科生・司波達也が、それぞれの準備を進めていた。

 

 その中で、達也が委員会備え付けのCADを二つ、両腕につける。

 

 これは、普通ならばありえないことだ。CADを複数同時に使用するのは不可能である。現代魔法師の基礎中の基礎の知識だ。

 

「それが噂のやつか」

 

 そんな様子を見て、駿が複雑な感情をはらんだ声で、達也に話しかけた。

 

 普通の状態なら、「何バカなことをやっているんだ」と声をかけるところだ。

 

 しかし、駿は知っている。今自分の目の前にいる二科生は、二科生だというのに、親友でありすでに遠いところにいる魔法師・井瀬文也を決闘で破ったのだ。戦いの詳細は文也からすでに愚痴として聞いている。文也も結構本気を出して戦ったのだが、達也もまた『パラレル・キャスト』で応戦し、文也が敗北したのだ。

 

「あまり使う事態は起きてほしくないけどな」

 

 そんな駿の問いかけに対して、達也の返答は、およそ愛想がよいものではない。まさしく達也と文也が決闘する羽目になった一件の原因は、駿が感情的になって魔法を使おうとしたからだ。その対立相手は達也であり、第一印象からしばらく、ずっと最悪なのである。

 

「……なあ、『パラレル・キャスト』って、もしかして、案外できるものなのか?」

 

「は? いや、待て、冷静になれ。アレと一緒にいると感覚が狂ってくるかもしれないが、アレは異常だ」

 

 しかし、達也は駿に構わざるを得なくなった。彼から、頭のネジが外れたような質問が飛んできたからだ。思わず振り返ると、駿の目は、明らかに冷静ではない。混乱で渦を巻いているようだった。

 

 達也の言う「アレ」とは、何十個も同時にCADを使用する、常識外れからすらも外れた、関わるだけで人生ハズレみたいなクソガキ・井瀬文也のことだ。こいつと一緒にいれば、常識のネジがだんだん緩んできても不思議ではない。

 

「井瀬がなんであんななのかは知らないが、俺も生まれつきの偶然みたいなものだ。訓練とかそういうのでなんとかなる領域の話じゃない」

 

「そうか……いや、確かにそうだな、すまない。ちょっとばかし常識と言うのが分からなくなってしまってな」

 

 だから口論のあげく魔法をぶっ放そうとしたわけだ。なるほど、非常識だな。

 

 みたいな皮肉が口から飛び出そうになるが、刺激するのもなんなので、達也はぐっとこらえる。実際、文也はちょっと話しただけでもわかる程にやんちゃな性格だ。それと長い付き合いなら、悪影響を受けて、魔法でちょっかいかけるぐらいのことは何の躊躇いもなくできてしまうだろう。なんとなく駿のこの性格ならあのクソガキの悪影響なしでもやらかしそうな気がしないでもないが。

 

 これで話は終わりか。達也はほっと一息つく。初仕事に気負いがあるわけではないが、それでも初日から面倒に絡まれるのは御免だ。

 

(……井瀬のせいで、面倒なことになったな)

 

 達也は内心であのチビを呪う。文也のせいでこんなことになったのだ。心の中で何を思っても、バチは当たらないだろう。

 

 ――この時、司波達也はまだ知らない。これから先、この井瀬文也に、何百回も面倒なことになることを……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②魔法工学科

 

「えへへ、楽しみだね、ふみくん♪」

 

「そうだな。なんの風の吹き回しか知らんが、センセーたちに感謝だ」

 

 大波乱の論文コンペが終わり、その波乱を慰めるためのハロウィンパーティが終わったころ。慰めるためのパーティでなぜか心に深い傷を負ったのと引き換えに超高性能フルダイブVRカプセルを手に入れた二人は、さっそくそれで家に帰ったら遊ぼうかという話の流れで、最近急に発表された、一高のある大きな動きについて、生徒会室で話していた。あずさは仕事中、文也は罰則作文中なのだが、それを咎める者はこの場にいない。幼馴染二人が醸し出す空気に縮こまっているほのかだけだ。他の役員は、みんな用事があってそれぞれでかけている。

 

 さて、この一高には、来年から新たに魔法工学科が設立される。魔法実技は劣等生だが理論や工学の面で突出している達也の存在に困った教師たちが、思い付きのように設立することを決めた学科だ。実際、実技が微妙でも、せっかく生まれもった魔法技能を何かに生かしたいと考えて魔工師やそれに類する職業や勉強をしたいという二科生は多く、その需要をかなえた形だ。理論の面でも一科生のほうが大体優れているというのは、言ってはいけない話である。

 

 この魔法工学科は、先のように、魔工師またはそれに類する仕事や勉強をしたい生徒たちを大変喜ばせた。それは二科生だけでなく、一科生も同じだ。例えば、一科生ではあるが、生まれつきの障害で魔法の行使が上手くいかない十三束などは、ここに転科を予定している。そして文也とあずさもまた、転科しようとしているのだ。

 

 文也は謎の天才魔工師『キュービー』こと文雄の息子で、物心ついたころには魔法工学で色々遊んでいたような少年である。世を騒がせる『マジュニア』である文也は、当然魔法工学科を志望していた。教員たちとしては、実技2位の彼にはこのまま世間の需要が高い魔法実技中心でやっていってほしかったのだが、九校戦で文也の魔法工学技能も目の当たりにしており、「どちらにせよ宣伝になる」ということで認めている。というか、新学科設立を決めたとき、達也と同じく文也がここにくれば儲かる、ということは想定してあるのだ。とんだスケベ心である。

 

 そしてあずさも、物心つく前からそんな文也と一緒にいて、また元々の気質もあってか、魔法工学に造詣が深く、興味も深い。CADオタクの面も持つ彼女は、なんなら達也や文也以上に、この新学科設立を楽しみにしていた。

 

「どんなカリキュラムになるのかなあ。魔法式でしょ? 起動式でしょ? CADのソフトとハード、それに魔法幾何学にー」

 

 あずさはニヘラニヘラと間抜けで柔和な笑みを浮かべながら、たおやかでちっちゃなおてての指を折りながら、妄想まじりの想定カリキュラムを数え上げていく。普通の魔法科でもこれらの学問は十分、というかかなりハードにしっかりやるのだが、文也と長い付き合いがあって高校生離れしつつあるあずさにとっては、やや物足りないものになってしまっている。それが専門学科の設立ともなれば、より深い世界を知ることができるのだから、あずさとしては天にも昇る気持ちだ。

 

「あ、あの、えっと、そ、そのう……」

 

 そんなあずさに、いつも遠慮がちだがそれよりもさらに100倍ぐらい遠慮がちに、ほのかが話しかける。その顔には、気まずさしかない。

 

「ん? なんだ?」

 

 比較的冷静だった文也がそれに反応する。

 

「そ、その、ですね……わ、私からはとてもじゃないですが、い、言えません!」

 

「おい、落ち着け。あーちゃんの妄想ピンクに当てられたか? いつもより数段挙動不審だぞ!」

 

 さらっと失礼なことを言いながら、文也がほのかの肩を揺さぶる。ほのかはそれに身を任せながら、虚ろな目で、無機質な一枚の紙を文也に渡した。

 

「だから、その、これを、読んでください……」

 

「なんだよ全くもう……このメンバーで俺がツッコミはおかしいだろ……」

 

 文也はあきれ果てながら、その紙を受け取り、あずさと並んで眺める。さらっと二人で一つの椅子を使って密着している状態だが、二人は気にも留めていないし、普段は顔が真っ赤になるほのかも、今は謎の気まずさでそれに気をもむことはない。

 

 ほのかが渡してきた紙、それは、今日のホームルームで全員に電子書類で配布された魔法工学科の概要、それをわざわざ印刷したものだ。

 

 そしてその中の一か所に、几帳面に定規で引いたのだろう、真っすぐにアンダーラインが引かれた箇所があった。

 

「えーっと何々……『なお、新学科・魔法工学科への在校生の転科については、新二年生のみとする』………………あっ、ふーん」

 

 文也は察した。

 

 彼にしては珍しく、気まずくなりながら、お互いの瞳に映る自分の姿が見えるほどの距離にいるあずさを見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには――石像がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 否、ショックで固まったあずさだ。

 

 彼女は誰よりも転科を楽しみにしていた。しかし、それが許されるのは新二年生のみ。

 

 現二年生で、しかも成績が飛びぬけて優秀な彼女は、すでに進級分の単位を揃えている。つまり、新三年生だ。

 

 そう――誰よりも楽しみにしていた転科を、あずさはできないのだ。

 

 ……気まずい沈黙が、生徒会室を支配する。

 

 あずさも、ほのかも、文也ですらも、何も言えない数分間が続いた。

 

「………………ふみくん」

 

「な、なんだ?」

 

 その末に、あずさが、能面のような表情で口を開いた。呼ばれた文也は、半ば反射的に返事をする。彼にしては珍しく、恐る恐るだ。

 

「私、決めた」

 

 あずさがすっと立ち上がる。その目には、あの生徒会長選挙演説の時よりも深い、横浜の戦場と言う修羅場を乗り越えて成長したことでより深くなった、闇のごとき深淵が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、先生たちを洗脳してくる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「早まるなあーちゃん!!!」

 

 瞬間、あずさはCADをぶら下げて駆け出し、それを文也が抱きしめて止める。いつもならこれで落ち着くが、全く効果がないようだ。『ツボ押し』で鎮静するツボを押すが、それも意味をなさない。こういう時、直接効果を出せるわけではない一ノ瀬・井瀬の力は、どこまでも無力だ。

 

 ――結局、たまたま直後に帰ってきた深雪と彼女の手伝いとしてついてきた達也、そしてようやく動けるようになったほのかも加わった、一年生ドリームチームの四人で、ようやくあずさを抑え込むことに成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

③最大の被害者

 

 USNA最強の魔法師にして、世界を震え上がらせる戦術級魔法師・十三使徒最強の威力を誇る魔法が使える、スターズ総隊長アンジー・シリウス。その化けの皮は剥がされ、さらに極東の島国の高校生三人に敗北してしまい、捕らわれの身となった。

 

 アンジェリーナ・クドウ・シールズ。アンジー・シリウスの正体は、絶世の美少女である女子高生だった。そんな世界最強の魔法師にして絶世の美少女は――ほの暗い地下室で、全裸にされて、冷たい石の床に転がされていた。

 

 両手両足は縛られ、全身の柔肌には数多の痛々しい傷がつき、整った爪は剥がされて血まみれになっている。誰もが虜になりそうな芸術を超えた裸体は、その元の美しさゆえに、誰もが目をそむけたくなる惨い有様になってしまっていた。

 

 そんな彼女を見下ろすのは、小さな男の子。小学生と見紛うほどの幼い見た目だが、その顔には狂喜の笑みが浮かんでいる。彼女をこんな姿にしたのは、幼い見た目とのギャップでより恐ろしく見える嗤いを浮かべるこの少年だった。

 

 リーナは足で蹴られて転がされ、全裸で尻を突き出し四つん這いになる、この世で最も恥辱的な姿を取らされる。美少女が、下種な男から拷問を受ける。その内容は、リーナが捕まったと気づいた時から、ずっと覚悟していた辱めだ。

 

 ――リーナの想定は、結果的に言えば、甘かったと言わざるを得ない。

 

 乙女が想像しうる最悪の恥辱は確かにそれだ。しかし、リーナが楽に殺せるはずだったこの少年は、その遥か上を行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『「もう二度と、ウンコできないねえ」』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤熱した鉄筋を持った悪魔が、口角を吊り上げて嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――イヤアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ白い清潔な部屋、暖かい布団、どこにも苦痛を感じない体、快適な気温、柔らかな日差し。

 

 リーナはそんな心地の良い部屋で目が覚めた。

 

 しかし、その目覚めは、快適とは程遠い。

 

 全身は汗まみれになり、髪は振り乱れ、心臓は激しく鼓動し、激しく肩で息をする。

 

「ハーッ、ハーッ」

 

 リーナは過呼吸を起こしながら、半狂乱になって自分の下半身をまさぐる。そのどこにも傷はない。すでに何度も確認したから分かっている。それでも、今この瞬間自分で確認しないと、窓から飛び降りたくなってしまうからだ。

 

「………………浴びたいな……」

 

 数分経ってようやく落ち着いたリーナは、寝起きだというのにすでにげっそりと疲れた顔で、ぽつりとつぶやき、のそのそと柔らかなベッドから這い出た。

 

 すれ違った優しい笑みを浮かべる看護師に半ば反射的に挨拶をしながら、リーナはリラックスできる音楽が流れる廊下を、重たい足取りで歩いてゆく。その手には着替えとバスタオルがある。寝起きですでに大汗をかいた彼女は、その汗と、そしてまとわりつく不安を洗い流すために、シャワーを浴びようとしているのだ。

 

「おはようございます、少佐」

 

 そんな彼女の向こうから、浅黒い肌の長身の男が歩いてくる。リーナに気づいた男は、ビシッと姿勢を整え、敬礼で挨拶をした。

 

「おはようございます、カストル。貴方もシャワーですか?」

 

「……左様であります」

 

 その男――ネイサン・カストルもまた、顔には珠のような汗が浮かんでおり、げっそりとしていて、手にはバスタオルと着替えを持っている。リーナの問いに、ネイサンは、答えにくそうに返事をした。

 

 リーナとネイサン。この二人の境遇は、同じものだった。

 

 この二人は、USNAのために日本に潜入し、一人の小さな男の子を抹殺する任務についた。一流の魔法師にして軍人である彼女らは、しかし敗北して、その少年――文也に捕らえられていたのだ。その時に、二人は筆舌に尽くしがたい拷問を受けた。

 

 二人が今寝起きしている場所。ここはUSNAにある国立の、軍人専門の精神病院だ。生き死にに直結する修羅のごとき軍人という仕事は、常に精神的外傷やPTSDが付きまとう。そうした軍人たちの精神ケアをするための病院である。格の高い二人はこうしてそれぞれ個室を与えられているし、一般人が想像する精神病棟のように物々しくもないが、しかし窓は鉄格子こそないけれど開けられないよう鍵はかかっているし、刃物や尖ったものは極力排除されている。

 

 男子シャワー室と女子シャワー室に分かれ、リーナはあえてキンキンに冷たいシャワーを浴びる。温かいシャワーの方がリラックス効果は高いが、こうして強い刺激を受けないと、先ほどの悪夢がいつまでも脳裏にこびりついてしまうのだ。

 

 豪雨のごとき冷水を立ち尽くして浴びながら、リーナは歯を食いしばり、悔しさで涙を流す。

 

 今の自分の、なんと惨めなことか。

 

 世界最強の魔法師が、たかが極東の島国の高校生たちに負けて捕らえられ、その高校生の一人から受けた拷問で情報のすべてを吐き、世界最強の国家であるUSNA最大の機密の数々を奪われた。そして解放され、この精神病院で二週間ほど過ごしている。

 

 今のリーナは、立場も、評価も、プライドも、実績も、全てがズタズタになっていた。スターズ総隊長の地位にはまだいるものの、仕事には未だ戻れず、いないような扱い。最強として頼られていたが、たかが高校生に敗北して情報と機密と兵器を奪われた大戦犯の役立たずと評価されているだろう。自分が積み上げてきたプライドも、度重なる敗北と被害、筆舌に尽くしがたい拷問によって蹂躙しつくされた。今まで積み上げてきた実績など、この最悪の敗北によって無に帰したも当然だろう。

 

「クソッ……クソッ……」

 

 固く無機質なタイルの壁を、苛立ちと怒りと恐怖に任せて何度も殴る。しかしタイルはびくともせず、逆にリーナの握りこぶしには激しい痛みが帰ってくるだけ。

 

 それでもリーナは、涙を流しながら、冷たいシャワーを止めることもなく、苛立ち紛れにタイルの壁を殴り続ける。何の意味もないし、それで何か晴れるわけでもないが、そうでもしていないと、今にもシャワーのチューブで首をつってしまいそうだった。

 

 そんな彼女の裸体には――傷が一つも、残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し戻って、2096年2月18日。

 

 この日の一条家邸宅は、過去最大の緊張に包まれていた。

 

 井瀬文也に対するUSNA軍兵士による度重なる襲撃、それを放置した日本国政府と国防軍、その放置を指示した四葉家。様々な陰謀と利害が絡みあった戦いを終わらせるべく、話し合いの場が、一条家主導で設けられた。

 

 集まるのは、一条家当主の一条剛毅とその長男一条将輝、最大の被害者である井瀬文也とその父親・井瀬文雄、その二人のボディーガードである森崎隼と森崎駿、大臣や事務次官を差し置いて国防省の「裏」を取り仕切る官僚、国防軍の独立魔装大隊隊長・風間、USNA軍大佐であるヴァージニア・バランス、そして幼くして十師族でもトップを争う四葉家の代理人として選ばれた黒羽亜弥子、それに次期当主にほぼ内定している深雪と、ある意味中心の一人であり深雪のガーディアンでもある達也。そうそうたる面子だ。

 

「本日はお集まりいただきどーも、クソ野郎ども」

 

 その会議で、一番小さいのに一番偉そうで、それでいて一番の被害者でもあり事の発端たる加害者でもあり、この事態という大嵐の中心・文也がいきなり口を開いた。大物たちを前にして中指をピンと立てるそのあまりにも無礼な行動を、誰も咎めることができない。それどころか、それに対して縮こまってしまう者――防衛省の官僚だ――すらいる始末だ。

 

「お前らからの説明はいらねえ。こっちは大体、脳みそ腐ったお前らが何を考えてあんなことしやがったのか、大体想像ついてる。クズどもめ、気持ちはわからんでもないが、もっとやり方を考えろ、ゴミ」

 

 これに対しても、発言する者はまだいない。今から文也が事をどう見ているかを説明し、それを元に話し合いが進められるのが分かっているからだ。それぞれが幾千の言い訳と嘘を用意してあるが、文也たちはそれを受け付けない構えだ。

 

「事の発端は2095年8月の九校戦、新人戦『アイス・ピラーズ・ブレイク』だ。マサテルと俺との対戦で、俺がこの競技のために用意した『斬り裂君』を、衆目の集まる場で披露した」

 

「この真面目な場面でもその呼び方は変えないのか……」

 

 横で聞いていた将輝ががっくりと肩を落とすが、ほぼ全員それを無視して話の続きを態度で促す。達也と駿がわずかに同情した程度だ。

 

「この『斬り裂君』は俺がこの競技のために自分で開発した魔法だが、その中身は、アメリカ軍が開発して秘術としている強力な戦闘魔法『分子ディバイダー』に酷似していた。それを見たアメリカは、そのころから俺に対してどう動くか、暗殺を視野に検討し始めた」

 

 ここでバランスの肩が、少しだけ動く。今からすれば容易に読み取れることではあるが、USNAの動きを正しく言い当てて見せた文也に、恐れのようなものを感じているのだ。

 

「その次の発端は、10月31日の、横浜での騒ぎだ。俺が戦闘の中で、同じく自前でイチから開発した『流星群(ミーティア・ライン)』を使用した。当然日本最悪のクソ野郎一族・四葉様の目に留まる。これ以来、四葉もまた俺の抹殺に動き始める。ちなみに『ミーティア・ライン』を開発した理由については、俺としては四葉を侵害するつもりなんてサラサラない。この程度の劣化コピーでどうこうなるほど弱っちい奴らだとは思ってなくてな。単にあの演習で十文字パイセンに勝ちたかっただけだ」

 

「……そんな浅い理由でこんなことになったんですか」

 

 交渉事ではいつも優位に見せるべく余裕の態度を崩さない亜夜子が、呆れはてて額を手で押さえる。あまりの浅さに、頭痛がしてきたのだ。

 

 四葉からすれば、当主が持つ最強にして固有の魔法『ミーティア・ライン』を別口で開発され、使用されたとあってはたまったものではない。しかもその理由が、ただの学生同士の警備練習で勝ちたいからというもの。そんな理由であの高等術式が開発され、しかも開発した本人が大幅劣化と言えど使えたというのは、四葉としては不運極まりない。この報告を聞いた時の真夜の反応が、今から恐ろしいものである。

 

「で、アメリカがようやく動き始める。日本とアメリカの交換留学を利用して、俺を何とかするべく戦力を派遣してきた。他の組織や学校への派遣は、多分ダミー、またはなんか技術を抜こうとした、はたまた謎の戦略級魔法師の調査。こんなところだな。その俺へ派遣された戦力が、シールズ……戦略級魔法師、アンジー・シリウスだ」

 

 ここまで話して、文也は話題の中心であるUSNA代表のバランスではなく、四葉代表の達也たちを睨む。

 

「そしてこの動きを受けて、さらにその裏で動いたのが四葉だ。自分たちの手を汚さずに俺が死んだら万々歳のお前らは、裏で国家と軍に働きかけた。たとえ国内で邦人の未成年が外国の軍隊から襲われようと、無視してくれってな」

 

 そして、文也が指さして睨むのは達也。

 

「交渉材料は司波兄、お前だ。お前はなんかのツテで国防軍所属の兵士でもある。所属部隊は、オッチャン……えーっと、風間? が隊長やってる、国立アホウパイパイみたいな名前のところだ」

 

「独立魔装大隊だ」

 

 文也の適当な呼び方に、風間の口がゆがむ。自身が長をやっている隊を侮辱された怒りと言うよりも、この場面で笑ってはいけないという我慢のゆがみだ。

 

「そうそう、そんな感じの。で、司波兄は3年前に沖縄で大暴れしたトップシークレットのベホマとニフラムを使えるチート魔法師で、その戦力価値は戦略級魔法師、もしくはそれ以上に高い。司波兄が四葉の出であることを利用して、貸し出している立場の四葉が、国と軍に動かないよう交渉した。司波兄の戦力価値が魅力で仕方ない日本政府と国防軍のクズどもは、幼気な男子高校生が外国の軍隊から狙われてるって言うのに、四葉の交渉に乗って無視を決め込んだ。裏で蠢いていたのはこんなところだな」

 

 ズバリ、正解だ。国防省の官僚と風間は、自分たちがやったことの罪深さを自覚しているので、黙り込んで俯くしかない。そんな二人に、文也は、あろうことか、その後頭部に唾を吐きかける。あまりのことに一瞬達也が注意しようとするが、無抵抗の二人は、それを無言で制した。

 

「んでもって、ここでアメリカに予想外の事態が起こる。本国で起きた吸血鬼事件が、日本にもたまたま波及したことだ。これによってシールズを筆頭に、俺の対応は一旦お預けにして、吸血鬼への対応を迫られることになった。この吸血鬼事件に関しては、司波兄や十師族もそれぞれ動いてたみたいで、なんかお前らの間でもトラブったんだってな? まー、それはどうでもいい。優先順位が下がった俺にシールズの代わりに派遣されたのが、あのインディアンの色男だ。さっきまでの裏の動きは、四葉絡み以外だったら大体こいつが吐いてくれたぜ」

 

 勝ち誇った笑みをバランスに向けて、文也は宣言する。

 

 これはバランスからすれば驚きだ。何せネイサンは鍛えぬかれた軍人で、しかも人一倍忠誠心が強い。そんな彼にここまで吐かせるとは、一体どのような尋問をしたのか。想像を絶する恐ろしさに、バランスの背中を冷や汗が伝う。

 

「このインディアンを取りかえすべくアンジー・シリウス直々の登場だが、これも失敗。そして、世界最強の魔法師相手に戦って疲れ切った俺らを殺そうとしたのが――四葉、お前らだ。手駒の数が少ないって噂だったが、親父や母ちゃんから話を聞く限り、結構なやつらが動員されたって話じゃねえか。よくもまあそこまでやるもんだな。ま、俺らが勝ったけど。ご愁傷様」

 

 文也の説明の最後は、あっけないものだった。これでお終いと言わんばかりに、文也はドカッと椅子に乱暴に座り、喉を潤すべく、一条家が用意してくれた金沢名産柚子乙女サイダーを呷る。ちなみにこのジュースは文也たちには用意されているが、「敵」である日本国や四葉やUSNAサイドには用意されていない。代わりに激辛デスソース入りトマトジュースを出しているのだが、放つ気配があまりにも悍ましいので、誰を手を付けようとはしない。

 

「さて、俺らが知るのはこんなところだな。ハイ、補足と言い訳タイム、どうぞ」

 

 そして今度は、達也たちが話をする番だ。ここで言い訳や交渉を行い、なるべく自分たちに有利になるようにする。今日ここに集まったのは、そのためでもあるのだ。

 

「では私から。井瀬さんたちは、これからどうするおつもり?」

 

 最初に口を開いたのは、四葉代表の亜夜子だ。まずは文也たちの出方をうかがう。そのうえでこれからの方針を決めるつもりなのだ。

 

「このクソアマ、意外と余裕そうじゃねえか。……まず、USNAに襲われたこと、これを国と軍が放置していたこと、これは間違いなくばら撒く」

 

「そ、そんな」

 

「自業自得だな」

 

 文也の宣言に、国防省の官僚が顔を青くする。こんなこと、今世紀末にして最大のスキャンダルだ。国も軍も利益のために国民の命を軽く捨てたなど、国家が転覆してもおかしくはない。官僚は興奮して立ち上がって抗議しようとするが、それを国防軍に顔が利く剛毅が、たった一言で制して、座らせる。

 

「こういうクソ仕事になると四葉は流石だな。な・ぜ・か、周辺住民の目撃者はゼロ、全員唐突に家を離れる用事があったらしいじゃんか。警察も魔法戦闘の形跡は見つけていない。戦闘に出てきた奴らのアリバイもなぜか揃ってる。お前らが戦ったって言う証拠は、俺が撮影した映像と、あとはここにいるやつらの証言以外にはもうないってわけだ。この程度なら、お前らなら余裕で誤魔化しがきくな」

 

 文也の悔し気な言葉に、亜夜子は冷や汗を垂らしながらも満足げに笑う。この数日でそこまで証拠調査をした手の速さには驚きだが、そこは四葉が完全にリードした。「深雪のスキャンダル」は隠蔽でどうこうなる理屈を超えたものだが、それ以外の件については、四葉がこの件に関わったという証拠はもうない。もしかしたら国や軍に文書が残っているかもしれないが、そちらは、文也たちが考えている以上の価値を持つ、まさしく世界最強の戦略級魔法師たる達也と言う強い交渉材料があるから、隠蔽・もみ消しは可能だ。

 

「だが、日本とアメリカ、お前らは残念だったな。手が追い付けてない。証拠はきっちり揃ってるぜ」

 

 せめてもの、ということで、文也はその二方面には勝ち誇った笑みを向ける。それを受けて、バランスは黙って溜息をついた。

 

「お前らもひでーやつと手を組んだよなあ。四葉様が仕掛けた話なのに、当人たちは自分たちの保身はばっちり確保して、お前らだけを悪役にしようとしているんだぜ? 付き合うお友達は、もっと考え直すべきだなあ???」

 

 能面のように無表情の風間に、わざとらしくキスができるほどの距離まで顔を近づけ、文也は煽る。これは四葉と様々な組織を分断して、勢力弱体化を図るためのもの。風間もそれはわかっているのだが、しかしやはり頭の端には四葉の身勝手さに対する不信感と苛立ちがチラつく。乗せられているという自覚で余計に苛立ってくる悪循環に嫌気がさした風間は、せめてもの復讐にこの目の前のクソガキにいきなりキスして最悪のファーストキスにしてやろうかとも一瞬考えてしまうほどだった。

 

「そういうわけだ。まず四葉、お前らは、今後俺らに手を出すなよ。誰かに何かあったら、だ・れ・か・さ・ん、のお宝映像が世界中で拡散されるぞ。あー、なんならお前らは、俺らに何か起こらないように、守る羽目にすらはずのか、ハハハ、愉快愉快」

 

 文也たちも四葉も、両者の間にこれ以上の交渉の余地がないことは分かっている。四葉は文也たちから世間に悪行を公開されることはないが、しかし文也たちに何かあれば次期当主確定である深雪の恥辱映像が全世界に拡散される。これで両者が、完全に拮抗しているのだ。これ以上、動く余地はない。

 

「で、日本とアメリカ。お前らの態度次第では、いくらか悪行をマイルドに発表してやらんでもないぞ。さあ、何をしてくれる? 言えよほら」

 

 そして文也は、またも日本国とUSNAに挑発をする。

 

 これこそが、この会議を設けた最大の理由だ。

 

 事の中心である四葉相手には、「これ以上手を出さない」以上を引き出すのは難しい。だから、せめて自国とUSNAからは大量の利益をせしめようという判断だった。

 

「まず、USNAから質問だ。そちらで捕虜となっている、ネイサン・カストルと、アンジー・シリウスは無事か?」

 

 最初に口を開いたのは、バランスだった。USNAとしても、ここに集まる目的はあらかじめ決めてある。それはすなわち、リーナ達の処遇と、彼女らが持っていた情報や道具や兵器の処遇だ。

 

「無事とは言い難いぜ。まあでも、死んではいない」

 

 文也の返事に、バランスは血の気がサッと引く。よくある言い回しではあるが、あのネイサンとリーナがペラペラと情報を吐くほどの「ナニカ」、つまり拷問があったとなると、二人の身体にどれほどのことがあったのか、想像するだけでも気絶しそうになる。死んではいないようだが――死んだ方が、もしかしたら、当人たちにとってマシだったのかもしれない。

 

「私たちがまず求めるのは、アンジー・シリウス、ネイサン・カストル両名の身柄と、彼女らが持っていた道具全てだ」

 

「何様のつもりだ、お前ら?」

 

 バランスの発言に、ずっと見ているだけだった文雄が口を開く。その声音には怒気が強く籠っていて、見た目と相まって、バランスにすら恐怖感を与えるものだった。

 

『日本語がヘタみたいだな。こっちは、お前らが『何をして罪を償おうとしているのか』を聞いているんだ。そこで要求だ? バカなことを言うな。脳みそまで星条旗の星の彼方まで吹っ飛んでんのか』

 

 唐突に発せられた流ちょうな英語に、バランスは歯噛みする。

 

『理不尽なのは重々承知だ。しかし、我々としてはここは譲れない。同胞たち、戦略級魔法を含む数多の秘術の起動式が入ったCAD、最重要機密に分類される武装、全てが、持って帰らなければならないものなのだ』

 

『そうか。じゃあこれで交渉はお終いだ。お前らの悪行は全部公開、あのインディアンは洗脳して奴隷、シリウスはあの見た目なら色々楽しめる、武装や起動式はお前らを亡ぼすのにせいぜい役立たせてもらうよ』

 

『ッ! ま、待ってくれ! 頼む、CADと起動式、武装はこの際譲ろう! だがせめて、シリウスとカストルの身柄だけは!』

 

「なあ、あいつら何話してるんだ?」

 

「後で要約して説明してあげるから、今は黙ってなさい」

 

 この場にいる中で一人だけ英語のヒアリングもスピーキングもちょっと優秀な高校生程度のレベルである文也は、剛毅をつついて説明を求めるが、緊迫したこの状況で説明するのもなんなので、剛毅は一旦黙るように諭す。

 

 一方、英語がわかるほかの面子は、全員が、バランスの発言に意外性を感じていた。

 

 リーナとネイサンは、言ってしまえば今回の「戦犯」だ。どちらも至極優秀な魔法師と言えど、第二次世界大戦以来ずっと世界のトップを走る大国USNAならば、代わりを用意できないこともない。シリウス以外にも――攻撃性能に劣ると言えど――十三使徒を二人擁するし、公開していない戦略級魔法師はいるだろう。いわば、リーナもネイサンも、やろうと思えば「替えがきく」「大失敗した魔法師」というわけだ。それならば、敵対勢力でありかつ他国に属する文也たちの手に『ヘビィ・メタル・バースト』やブリオネイクなどが渡る方がはるかに嫌だろう。何せ、『分子ディバイダー』をコピーされただけで、戦略級魔法師をわざわざ他国に送り込んで殺そうとする国なのだから。

 

『へえ、意外だな。そっちを選んだ理由を聞こうか』

 

『今回の件で言えば、シリウスもカストルも、そちらからすればバカらしい話であろうが、国家間の陰謀に巻き込まれた被害者だ。それに、二人ともUSNAの未来を担う、飛びぬけて優秀な若い魔法師でもある。その身柄を優先するのは当然だ』

 

 文雄の問いに、バランスは深呼吸をして気持ちを落ち着かせながら説明をする。本当は説明するだけでも情報をことになるため避けたいのだが、そうは言ってられない。

 

『そして、なによりも……あなた達の技術力なら、とっくに、CADや武装の多重セキュリティを破って、中身をすでにコピーしているだろう? おそらくブリオネイクも、完璧な再現は無理だろうが、模倣できる程度には仕組みや構造も解析済みだ。私たちにとって、それらは、もはや返還されても意味がないし、そちらにとっても痛くはない。それならば、二人の身柄を優先するのは当然だ』

 

 これほどに説明をするのは、交渉の失敗に繋がりかねない。

 

 今バランスが説明したのは、要は「こちらの要求を飲めば、どうせそちらにとって大した得はもはやないし、こちらにとってもあまり痛くない」ということだ。こんなことを話せば、文雄が身柄返還を拒否する可能性が高い。

 

 ではなぜ、こんなことを話すことにしたのか。

 

 まず今回の交渉、中身や進め方については、本国から、バランスにすべてを一任するとお達しを受けている。彼女自身も今回の大失態を招いた中心の一人なのだが、誰もこの交渉に参加したがらず、「最後まで責任を取れ」ということで任されたのだ。誰もこの敗北確定会議の責任を、取りたくないのである。だからその全てを、バランスに背負わせることにした。

 

 そう、この会議は、USNAからすれば敗北が確定している。普通に考えれば、身柄もCADも起動式も武装も返してもらえるはずがないし、世間に喧伝される情報も「マイルド」にしてもらうのは無理だ。もはや国家同士の戦争と言う手段でしか、これを覆せそうなカードはない。しかし、それをすれば両国の被害が甚大ではないし、なんなら謎の戦略級魔法師に返り討ちに遭いそうだし、仮に勝ったとしても国際社会から総出で叩かれてどちらにせよ滅ぶ。

 

 だからバランスは、最後の作戦に出た。全てを正直に話し、反省している様を見せ、情に訴えかけ、せめて身柄だけでも返してもらう。実際のところ、先に話した通り道具らの方が返してもらう確率は高いのだが、同じく先に話した通り返還されてもそこまで損が軽減されるわけでもない。それならば、より「情」に直結する「被害者でもある若者の身柄」のほうが、この作戦では優先順位が高いのだ。

 

 ――当然この意図を、文雄たちが読めないはずがない。

 

 そもそもからして、これ以上USNAから何かお得な何かが貰えない以上、何か妥協する姿勢すら見せるのすら無意味だ。今回その場を設けたのは、想定しない儲けがあるかもしれないということと、下手に出てヘコヘコするのを見て留飲を下げるためである。

 

 しかし、それでも、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『よしわかった、二人の身柄は返還しよう。代わりに、CDAとその中身、ブリオネイクやその他もろもろの武装は返さない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文雄は、二人の解放を決定した。

 

(……バカなやつ)

 

 その判断を聞いて、剛毅は呆れながらため息をつく。高校生からの付き合いだが、クレバーなくせに妙なところで甘いのが、文雄の不思議なところだった。一方で、一人の親として、文雄の気持ちも分かっていた。

 

 大人たちの陰謀に巻き込まれた若者に、復帰するチャンスを与えたい。

 

 その思いは、分かりすぎるほどに分かっていた。

 

 剛毅と隼以外が驚いて目を丸くする中、文雄が外で控えていた一条家の使用人に指示を出す。するとそこに運ばれてきたのは、病院着のような服に身を包んだリーナとネイサンだった。二人とも睡眠薬か何かで寝ているようで、ストレッチャーで運ばれてきている。その腕には、栄養補給のための点滴が刺さっていた。

 

 実は最初から、この二人の身柄は返すつもりだった。ぶっちゃけ預かっていても意味はないし、さすがに労働にせよ「イロイロ」にせよ奴隷にするのは気が引ける。全員がこの部屋に入ったタイミングで、屋敷の奥に寝かせておいた二人を、ここの扉の前に運び出していたのだ。

 

『少佐! 少尉!』

 

 二人の無事を確認して、バランスの顔がパッと明るくなる。

 

 冷徹な軍人としては、こちらもまたあまりにも甘い。

 

 そんな様子を見て笑いながら、文雄は説明をする。

 

『今は二人とも睡眠薬を投与されて眠っている。点滴は生命維持のための栄養だ。ずっと寝かされたままだから、全身がだいぶ弱っているだろう。経過を見たら即本国に帰還させて、長い休養と治療を行ってやれ』

 

『厚遇に感謝をする。この件に関しては、本当に申し訳ないことをした。国としての謝罪はできないが、私個人から謝罪しよう』

 

『意味のねえことするな。ほら、さっさと引き取れ』

 

 ストレッチャーと点滴ごと、二人の身柄が、バランスが連れてきたUSNAの役人と軍人に引き渡される。二人は急いで彼らによって運ばれ、いくつか乗ってきたうちの一つの車に乗せられて、USNAの息がかかった病院に運ばれていった。

 

 そしてこの騒ぎの間に、いつのまにか文也は風間と国防省の官僚相手に日本語で交渉を行っており――飛び交う英語が分からなくて飽きたのだ――二人の顔を真っ青にさせながら、「マイルド」にするのと引き換えに様々な譲歩・お詫びを引き出している。

 

 さすがにあのハロウィンの戦略級魔法と魔法師の情報までは抜け出せなかったようだが、達也の『分解』とそのレパートリーおよび『再成』の仕組み、これ以上手出ししないどころか何に変えても文也たちを守るという待遇、さらに色んな優遇策を引き出していた。

 

 風間と国防省の官僚は完全に負けた形だが、一方でこの交渉を通して「別方面」に恩を売れるようになっている。日本国や国防軍だけでなく、USNAの行為に関しても「マイルド」にするよう対価と引き換えに交渉することで、USNAに恩を売った。また四葉関連は最も触れてほしくない案件なので絶対に口外しないようにも、対価を出した。これは自身らの保身だけでなく、四葉を守ることにもつながる。そもそもからして、今回国も軍も四葉の指示通り動いて動かなかった(不思議な表現である)のだから、国と軍の被害はほぼ四葉のせいだ。それでも世間に向けた責任を負うことで、四葉に相当の恩を売れる。支払う対価は相当痛いが、公表される「事実」はマイルドになってきており、国家転覆の危機にもならない。

 

 結果、この後開く記者会見で発表する「事実」は、

 

①四葉については全く話さない

②襲ってきたUSNAの魔法師は、USNAの意志とは無関係の吸血鬼

③ただし未必の故意のような感じで、『分子ディバイダー』を暴いた文也を殺そうとして放置していた可能性も否めない

④吸血鬼関連で、外交の都合上、日本国と国防軍は手出し無用の交渉を裏で結んでいた

 

 ということになった。これが世間に公開される「事実」。あまりにも闇が削ぎ落されたその「事実」は、これ以上に闇が深く突拍子もない「真実」を覆い隠すだろう。

 

 その後、会議は詳細を詰めるだけになり、つつがなく終わった。一番被害が少ない四葉は、しかしそのせいで余計に影響力を削がれることになった。達也たちは悔し気にその場を去る。腹いせに達也が激辛トマトジュースを一気飲みして平然としているという姿を見せて、文也をビビらせたほどだ。

 

 また国防省と国防軍にとっても、芳しい成果とは言えない。かなり軽減はできたが、これから色々な人間の首が切られるだろうし、うまくやらないと国家転覆しかねない。これからもまだ、苦労は続くだろう。

 

『イノセフミオ、この度は、二人の身柄の返還に感謝をする。一人の大人として、礼を言おう』

 

 一方、同じく被害が甚大なのに明るいのは、USNA代表のバランスだ。国の代表としては渋面だが、彼女個人としては、心配していた二人が無事戻ってきたのは、素直にうれしかった。命に全く別状はなく、しかも体に戦闘で負ったもの以外の一切の傷がないため、そう酷い目にも遭っていない。望外の無事だったのだ。

 

『そうか』

 

 それに対して、柚子乙女サイダーを飲み干しながら、文雄は一言だけ返してその場を去った。

 

 ――同じ若者の未来を案ずるオッサン・オバサンとして、彼女の晴れやかな顔を見るのが、あまりにも辛かったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――のちに、受けた拷問の数々と二人の心に刻まれた傷を知ったバランスが何を思ったのかは、ここに記すには、あまりにも酷な話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ文也、俺がこんなこと言うのもなんだけどさ」

 

「なんだ?」

 

 記者会見が終わってしばらく、文也とあずさと駿の三人で三高への転校の準備をしているときに、あずさがちょっと離れたタイミングで、駿がふと文也に話しかけた。

 

「その、お前……シールズさんへの拷問の時、その……アレなことをしなかったよな?」

 

「まあうん、アレね。わかるぜ」

 

 駿が言いたいのは、要は、なぜ文也がリーナへの拷問の時に、強姦をしなかったのか、ということだ。

 

 親友としてこんなことを考えるのもなんだが、文也はそういう場面では間違いなく「そういうこと」をしそうだ。スケベだし、残酷だし、容赦がないし、それに対象のリーナは絶世の美少女だ。彼女と戦っているときの発言のように、やりかねないと思っていた。

 

 そうなったら止めようと思ってモニターで監視していたのだが、しかし文也はそうした素振りすら見せず、「そういうこと」以外のありとあらゆる方法でリーナを痛めつけて情報を吐かせていた。

 

「あー、ほら、あの日さ。要は、俺は半日の間に、シールズと司波妹、二人の絶世の美少女にまっっっっっったく嬉しくない意味で襲われただろ? 貞操じゃなくて命を狙われて」

 

「あー、まあそうだな、うん」

 

 それに対する文也の回答は、いつもと違ってあまりにも歯切れが悪い。駿は今一つ結論が見えてこないが、ひとまず返事をする。

 

 そしてそんな駿に対して、文也は、実に言いにくそうに、結論を述べた。

 

「そのー、それがトラウマになってさ…………絶世の美少女なるものを見ると、アソコが縮み上がっちゃって」

 

「まあわからんでもない」

 

 極力軽く聞こえるように文也は答えたが、駿はその奥に、もっと深刻なものを感じ取っていた。

 

 そういう性的な話に収まらず、文也は、あの夜の地獄がトラウマになってしまったのだ。考えてみれば、あの日以来、文也とあずさは毎日二人で同じベッドで寝ていた。それこそ「そういうこと」をしているわけではないが、あの夜は、二人の心に深い傷を残したのだ。いざ暗い中で寝るとなると、どうしてもフラッシュバックしてしまう。だから慰めるようにして、お互いに安心できる相手と一緒に寝ているのだろう。

 

 駿も将輝も幼いころからそういう鉄火場を想定して育てられているし、事実潜り抜けてきてもいるので、まだ大きなトラウマにはなっていない。真紅郎も、戦争に巻き込まれて幼くして両親が死ぬという過去があるので、特にトラウマは残っていない。

 

 しかし、そうした経験は横浜の一度のみな上に生来気弱でやさしい性格のあずさと、気も強いし修羅場も潜り抜けているがまさしく命を狙われた張本人である文也は、酷いトラウマを抱えてしまった。その発露が毎夜年頃の男女だというのに一緒に寝るという行為であり、拷問の際に「そういうこと」をしないという不作為だ。

 

「あれがいくら『VR』だとは言っても、そう立たないわなあ」

 

 文也の気の抜けた言葉が、部屋の中に空しく木霊した。

 

 ……そう、リーナとネイサンに行われていた拷問。

 

 

 

 

 ――――あれは、VRだったのだ。

 

 

 

 

 

 あの薄暗い石造りの地下室も、燃え盛る暖炉も、手酷い拷問の数々も、全てが、フルダイブVRだったのである。

 

 USNA軍に襲われるということを予想できるようになった段階で、「生け捕りにして情報を抜く」ということは当然想定していたし、あの佐渡でやったような『ツボ押し』によるもの、またはもっと惨たらしい拷問も視野に入れていた。

 

 しかしここで、ある一つの発案をしたのが、あずさだった。

 

 ちょうどそのタイミングで、ハロウィンパーティで心の傷と引き換えに手に入れた最新型ハイスペックフルダイブVRカプセルが二つ、届いていた。これに閉じ込めて仮想空間で行えば、体に傷を残すことなく情報を抜くことができると提案したのだ。

 

 これは、あずさの優しさからくる提案だった。

 

 この際、拷問はもはや絶対に避けるというわけにはいかないことだった。それならせめて、体に傷が残らないように。大切な幼馴染を狙うであろう敵にすら優しさを向ける彼女の考えは、まさしく慈愛に満ちた天使といわんばかりのものだ。

 

 

 

 

 ――しかしこれを、曲解してしまったクソガキがいた。

 

 

 

 

 この提案を聞いた瞬間、文也は思わず、あずさを「悪魔」と震え上がりながら形容し、畏怖しながら褒めたたえた。

 

 全くもって不本意な褒められ方をしたあずさは、戸惑いながらもその真意を聞き出す。謎の発想がこのワルガキに浮かぶのはいつものことだ。あずさの対応は、悲しいことに手慣れたものだった。

 

 フルダイブVRでの拷問。

 

 それを聞いた瞬間、文也は思ったのだ。

 

 仮想空間ならば――――なんでもできる、ということだ。

 

 場所の制約もなく、好きなシチュエーションを準備できるし、道具もなんでも用意できる。

 

 防音や防犯の心配もない。何せ閉じ込めているのは仮想空間であり、どれだけ叫んでも暴れても、現実に届くことはない。

 

 そして――なにをしてもいい。

 

 首を切っても、内臓をえぐっても、目玉を焼いても、尻に赤熱した鉄骨を刺しても。肉体に傷は残らず、死ぬことはない。肉体と死という制約から解き放たれた仮想空間と仮想肉体ならば、比喩なしに「なんでもできる」のだ。そして魔法師は自らを守るための魔法すら全く使えず余計パニックになる。そして死ぬことすら許されずに、死よりも苦しい拷問が延々と続く。フルダイブVRならば、これが可能なのだ。

 

 文也は真意を一通り説明し、その恐ろしさに発案者のあずさを含む全員を震え上がらせた後、一言、ぽつりと呟いた。

 

『やっぱ、あーちゃんはすげえよ』

 

『いやそんな意味じゃないから!!!』

 

 あの時のあずさの反応速度は、駿から見ても、かなり見事なものであった。




それぞれあとがたり的な

①劣等生と優等生
本作では達也と文也の対比をメインにしていましたが、原作初期の達也と駿の対比は結構好きです。本作は達也と文也のダブル主人公にも見えるのかなあと思いながら本編を書いていましたが、そう考えると、本作は、ダブル主人公に振り回される駿の苦労と苦悩の物語でもあったのかなあ、と思います。

②魔法工学科
新学科である魔法工学科への転科は新二年生のみしかできない、という原作の設定を見た瞬間、「あずさはご愁傷様」と思った当時の感情をそのままに書きました。ちなみに、本作では新学科設立のせいで高校受験日も大きく後ろ倒しされたという設定になっていますが、原作では全くそんなことはありません。香澄が文也についていって三高受験をするための御都合設定です。香澄をあの唐突な感じで出した理由は、ぼくが香澄が好きだからです。

③最大の被害者
タグの「残酷な描写」「アンチ・ヘイト」はこの話のせいでつけることになったといっても過言ではありません。「もう二度と、ウンコできないねえ」ネタをUSNA相手に使うのは当初から確定していて、原作キャラにこれをやるのは憚られたのでわざわざネイサンというオリキャラまで用意しました。しかしリーナを捕まえたからには、絶対に情報を抜くために拷問はするため、整合性の都合上リーナもこうなってしまいました。リーナが好きな方は申し訳ありません。
本作のリーナは、原作のUSNA・四葉・日本・吸血鬼に加え、さらに文也たちにも振り回される羽目になりました。原作から相対的に見て、本作最大の被害者は間違いなく彼女でしょう。次点で深雪と達也ですね。


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語られざるエピソードたち-2

あけましておめでとうございます。
大晦日と元日なのにそれとはまったく関係ない番外編みたいな2話を投稿しているのなんてこの二次創作ぐらいでしょうね。この挨拶の為だけに2日連続投稿です。


①七草真由美の憂鬱

 

 2096年3月11日。

 

 高校卒業目前の自由登校で、大学受験も終わって完全に自由の身になった真由美と克人は、ある高級料亭の個室で、華やかな料理を挟んで、それとは対照的な重い表情を浮かべていた。

 

「七草、今日呼び出した理由は、わかるな」

 

「ええ、わかっているわ。それを、拒否しに来たんだもの」

 

 二人の目はいつになく真剣だ。こういう話術や裏交渉の類では、克人は全く真由美にはかなわない。これまで何度も負けてきている。しかし今回の件に関しては、克人も引くわけにいかない。これが最後と言う気持ちで、この場に臨んでいた。

 

 克人が聞き出そうとしていること――それは、文也たちの急な転校劇についてだ。

 

 世間で発表されている事実は以下の通り。

 

 文也が二度にわたってUSNA軍の魔法師から襲撃を受けたが、そのどちらもを撃退。二度目の襲撃に関してはとても強力な魔法師で、文也とその親友であるあずさ、駿、将輝、真紅郎、そしてその場に偶然居合わせた真由美が協力して撃退した。実はこれはUSNAの手を離れて憑りつかれた吸血鬼であり、USNAは日本国内にそれを追いかけてきていた。政府と国防軍はこの件に関して裏外交で手出し無用と言う約束を結び、そのために邦人が外国の軍隊から襲われているにも関わらず放置していた。生き残った文也たちは、政府と国防軍とUSNAのこれらの悪行を暴露したうえで、身の危険と国に対する強い不信感を覚え、親友の将輝が属する一条家にお世話になることになり、文也とあずさと駿はそろって庇護を受けやすい三高に転校。あと井瀬父子は『キュービー』と『マジュニア』であり、ついでに『マジカル・トイ・コーポレーション』まるごと一条家の庇護下に入ることになった。それとついでに、文也に恩があるらしい真由美の妹・香澄も、彼を追いかけ三高に志願変更をした。

 

 ……という顛末だ。そして克人ら十文字家が知るのも、この限り。要は、裏社会や裏事情の面では二十八家の中でもとびきり弱い十文字家は、記者会見以上の情報をほぼ全くつかめていないのだ。

 

 この件に関して、克人は個人的にも思い入れがないわけではない。約一名とんでもなくヤンチャなのもいるが、全員母校の未来を担う可愛い後輩たち。転校するというのは、個人的にはとても寂しいものだ。すでに転校してしまっているが、あまりにも惜しいことで、あの記者会見以来、転校を思いとどまるよう動いていた。

 

 またもっと俗物的な権力・金銭欲を持った者が、克人に、彼らを説得するように頼み込んできていた。一高の教師たちだ。十師族でツートップを誇る権力を持つ七草家の真由美に対してだけでなく、同じく一高生徒であり、「庇護」「守護」という観点から見ればこの上ない適性を持つ十文字家の克人にも、文也たちを庇護して転校させないようにと懇願してきたのだ。

 

 また十文字家としても、『マジカル・トイ・コーポレーション』とそこのエンジニア二人の能力、また文也と文雄の魔法力は魅力的だったし、狭い魔法師界において生徒会長をやったということで知名度があってかつ能力も高いあずさ、家業の性質上十文字家寄りであった百家支流の森崎家、この三者がまるごと一条家に取られるというのは大きな損失だ。ここは三者とも抱え込んで、一条家の増強を阻止したうえで自分たちの拡大を図りたいところだった。

 

 そういった、克人個人の想い、一高教員の欲、十文字家の思惑の三つが重なって、文也たちに対して克人から積極的にこちらが保護する旨を伝えていた。しかし、やはり中心人物である文也と将輝が親友であり、その両親同士も親友であるということから、その差は厚く、敵うことがなかったのである。

 

 まあこれに関しては、当人たちの意志だから仕方のないことだ。ポッとでの十文字家に靡くのもそれはそれで克人個人としては正直どうかと思うし、友情と信頼を以て選択してくれたのは、立派な後輩で喜ばしくもある。

 

 しかしながら、納得できない部分がある。一応世間の話でも十分に整合性があるが、その裏に、もっと大きな陰謀や利害が渦巻いている気がしてならなかった。何か根拠があるわけではないが、集まってくる情報の端々に見える違和感と克人の勘が、そう思わせてならないのだ。文也当人たちにも聞いたが、それぞれ口を割ろうとしなかった。無理やり聞き出せばあずさあたりが怯えて話してくれそうな気もするが、後輩たちにパワハラめいたことをするつもりは、克人としてはない。

 

 そこで克人が頼ったのが、何か事情を知っているであろう真由美である。戦いの現場に偶然居合わせて協力したという話だし、そのあとも、この転校劇に何かと七草家が干渉しているのは知っていた。しかもその動きは、七草家の中でも微妙に方向性が違ったのである。

 

 まず一つは、七草家のメインストリームである、文也たちを保護して抱き込もうという動き。十文字家と同じ思惑であり、一条家のパワーアップを抑え込んだうえで自分たちの勢力が拡大できるのだから、動かない手はない。克人と同じく一高の先輩後輩関係で、あずさに至っては真由美の生徒会長後継者だ。抱き込める可能性は十分にあるし、また真由美個人の親心(姉心?)も自分たちで保護したいところだろう。

 

 しかし一方で、文也たちが転校するのを応援する動きも、確かにあった。七草家で保護するというのは文也たちが転校しないことを意味するのだが、しかし、文也たちの転校を、むしろサポートする動きがあったのだ。一高の各所から、色々としつこい説得やきな臭い妨害もあったのだが、それらを七草家が跳ねのけていたし、転校に関わる諸問題の解決をサポートしていたのだ。

 

 前者の動きの中心は、無論当主である七草弘一だ。

 

 そして後者の動きの中心が――今目の前にいる、七草真由美である。

 

 七草家の長女である真由美が、家の方針に逆らうような形で、転校をサポートしていた。

 

 せめてもの恩売り、それこそ姉心、一高のしつこい妨害に我慢できなくなった、家への反抗期など、いくらでも説明がつくが、真由美と三年間過ごした克人は、それらの理由に納得がいっていない。真由美がこれほどの動きをするからには、もっと深い理由があるに違いないからだ。

 

 しかし先の通り、真由美はここに来てもまだ、真相を話すつもりはない。当然この料亭は呼び出した克人の奢りであり、中々予算に響いたのだが、このままストレートに聞き出しても、なんの成果も得られなそうだ。

 

「……わかった。お前がそこまでの態度と言うことは、よほどの事情があるのだろう」

 

 真由美の頑として離さない態度は、強情や意地と言うよりも、何か大きな災害が起きるのを未然に防ぐ覚悟を決めた孤独な少女のように見える。災害が来るのを知るのは自分のみで、恐怖から抜け出せないながらも、それを防ごうとする意志。この同級生の女子は何かと腹黒いし陰謀で大損食らったことも片手の指では済まないが、人道から大きく外れたことは絶対にしないと知っている。

 

「だが、せめて、一つだけ聞かせてくれ」

 

 真由美が話さないというのも、それはそれでしょうがないことだ。克人は自分の見た目がかなり厳ついことを知っている。今更彼女が怯えるようなこともないだろうが、それでも若い女性を相手にこの見た目の自分が無理やり聞き出そうとするというのも、やはり不本意だ。

 

 それでも、どうしても気になる事がある。

 

「お前の思惑は――我々十文字家にとって、お前自身にとって、または井瀬達にとって、幸せなものなのか?」

 

 十文字家の実質的な当主として、自分たちが大損しないか。また真由美自身の大きな自己犠牲ではないか。何よりも当人たる文也たちにとってベストな選択なのか。それだけは聞きたかった。

 

 もし、これのどれにも適わないようならば――克人は、実力行使をしてでも止めるつもりだった。

 

「安心して」

 

 真剣に顔を見つめる克人に対し、真由美は、そういえばここ最近めっきり見なくなった笑顔を浮かべて返事をした。

 

「これは私と井瀬君たちにとってベストな結果だし、十文字家に大きな損害が生まれることはないわ」

 

「それならよかった。お前はお前の信じる道を行け」

 

 真由美の返答に、克人は満足げに頷いて即答する。

 

 そしてこれで話はこれで終わりと言わんばかりに、克人はようやく料理に手を付け始めた。

 

(……ありがとね、十文字君)

 

 真由美は心の中で、克人に感謝をする。

 

 自分がやったことは、今克人に言った通り、真由美自身の最大の保身になる。七草家や妹・香澄の本意に反する行いではあるが、真実を知る真由美は、自分の選択が七草家にとってベストであるという確信がある。可愛がっていた後輩が母校を離れるのは寂しいが、あずさたちにとっては結局一条家が一番安心できるだろう。真由美の選択は、間違いなく正しいはずだ。

 

 しかし、それでも、誰にも真相を話せない辛さで、ここ数週間は、作り笑顔以外の笑顔をほぼ浮かべることはなかった。

 

 今の真由美の立場は、ひどく不安定だ。

 

 真実を知り文也たちを助けたという点では、間違いなく文也たちの仲間だ。しかし、真由美は文也たちからの「守り」の中にはいない。なにせ乱入者だから、彼らの想定外なのである。完全に仲間とは言い難いのだ。

 

 一方で七草家の長女としてもそうだし、文也に思いを寄せる香澄のお姉ちゃんとしての立場もある。そして七草家の中で真由美だけが知る真実によると、七草家を守るために、七草家に逆らわなければならない。

 

 真実を知る文也たちは仲間ではなく、自分が属する七草家には真実を話すわけにはいかない上に逆らわなければいけない。この件の真由美は、ひどく孤独だった。

 

 しかし、今のやり取りで、初めて真由美は、自分が救われた気がした。

 

 真由美は克人に感謝をしながら、彼に倣って存分に和食を楽しむことにする。

 

 ――テーブルの上に並んでいるのは、全部、胃にやさしい料理ばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーっす元会長さん」

 

「お招きいただきどうも」

 

「二人ともいらっしゃい。ようこそ七草家へ」

 

 2月21日、あの魔法師界や日本中どころか世界中を揺るがした衝撃の記者会見の翌日。

 

 文也と文雄は、七草家に招かれていた。文也の先輩と言うことで一番縁がある真由美が、一番最初の出迎え役を務める。

 

 例の記者会見の後、『マジカル・トイ・コーポレーション』の技術力と経済力、文也と文雄の戦力、あずさを筆頭とした中条家の影響力、森崎家の戦力を欲した、十師族を筆頭とした広い影響力を持つ様々な勢力が、文也たちの庇護を申し出た。あの会見ですでに一条家の庇護下に入ることは示したはずなのだが、これだけのパワーが一条家が丸抱えすることを懸念した、という事情もある。

 

 そしてその中でも最も早く動き出したのが、七草家であった。十師族でも四葉と並ぶ影響力を持つ日本魔法師界のトップであり、謀略なども得意としている。一大勢力だから何かするにも最初の一歩は遅くなりがちなのだが、こういう時のフットワークは流石と言えるだろう。

 

 文也たちとしてはもう一条家に行くのが完全に決まっているので、電話や使者ごしに断ってもいいのだが、七草家を無碍にすることもできないし、それにバカ息子が普段から死ぬほど迷惑をかけてきたうえにあの夜に助けてくれた真由美に対して、文雄が今一度お礼をしたいということで、喜んでお招きに乗っかったのだ。

 

 ちなみに、この騒動をどう決着させるかという決定権は、文雄が持っている。中条家も森崎家も、文雄の人柄と能力を信頼して、一切の迷いもなく託したのだ。あずさも駿も今回いないのは、それが理由である。

 

 そういうわけで、今回のメインの目的は、七草家の庇護に入らないかというお誘いである。一方で、表向きの理由は、七草家の愛娘である香澄が危ないところを文也に助けてもらったこと、そして文也が真由美に助けてもらったこと、それのお礼合戦の挨拶だ。先の一件で、長らく不明だった香澄の恩人が文也だったと発覚したので、急いでお礼と接触がしたいということで、他の家に比べて七草家は特に気合が入っていた。表向き、ではあるが、こちらもメインの目的にかなり近いのである。

 

「文也さん! お久しぶりです!」

 

「よっす。……お、大きくなったな……」

 

 そうして立派な七草家の邸宅に入って真由美の導きに従って進んでいくと、ウズウズと待っていた香澄に出くわした。文也の姿を見た瞬間に顔がパッと輝き、小動物のように駆け寄ってきて、文也の両手を取ってほおを紅潮させながら文也の顔を見つめる。それを受けた文也は、至近距離で接触したことで香澄との身長差があの夏よりも広がっているのを実感してしまって、そっと悲しみに暮れた。

 

 そうして香澄を加えた四人は、七草家の中にいくつもある応接室の中でも最も上等な部屋に向かっていく。念願の文也と会えた香澄は、文也の手を握りながら、助けてくれたお礼を含む色々とお話を至近距離でしている。文也も、そろそろ身長差の悲しみに慣れたころであり、元々年下への面倒見は――駿曰く精神年齢が低いから――良いほうなので、楽し気にお喋りに興じている。その様子を、文雄が興味深げに見ていた。

 

 そしてひと際豪華な扉の前に到着する。その扉を真由美が開けると、とんでもなく豪華な内装が目に飛び込んできた。

 

「ようこそいらっしゃいました。どうぞお座りください」

 

 中で待っていたのは中年の男、七草家当主の七草弘一だ。しかし中年と言うにはまだ若く見える。客人の前だというのに色眼鏡をかけた、普通に見れば実に失礼な姿だが、これには事情がある。過去にあった凄惨な事件で右目を負傷して義眼を使用しており、その違和感を隠すための色眼鏡なのだ。その事情は文雄はよく知っているし、文也は本人が失礼の権化みたいな存在なだけあってそういうことは全く気にしないから問題ないのである。

 

「本日はお招きいただきありがとうございます」

 

「あと娘さんには世話になったな。おかげさまで今こうして生きてられるぜ」

 

 文雄は大人の男性らしく丁寧に一礼をするが、文也はいつもの調子だ。頭も下げず、馴れ馴れしく弘一に手を差し出して握手を求める。こんな態度を取られることはそうそうない弘一は一瞬こめかみがピクリと動いたが、すぐに取り繕って柔らかな笑顔で握手に応じた。事前に真由美から文也の人となりを聞いていなかったら危なかっただろう。

 

 こうして挨拶を交わすと、文也と文雄は促されるままに弘一の対面に座る。真由美は当然七草の側なので弘一の横に座るが、香澄は文也から離れようとせずに隣に座り、しかも腕を取って引っ付いたままだ。

 

 弘一も真由美もそれを注意しようとしたが、文也も文雄も全く気にしていなさそうなので、まああの企業のあのエンジニアならそんなこともあるかということで、何も言わずに本題に入る。

 

「井瀬文也君、この夏休み、娘の香澄を助けていただいて、どうもありがとう。君がいなければ、香澄はどうなっていたことか」

 

「どーいたしまして。たまたま通りすがって見ちまったからな。ほっとくのもなんか寝ざめ悪いし」

 

 弘一のお礼に、文也は何でもないというように、出された高級ジュースを遠慮なく飲み干しながら雑に返事をする。弘一も陰謀好きといえど、やはり父親。特に可愛がっている娘の命の危機を救ってくれた文也は、まさに恩人だ。相当の下心はあるが、実際に一度会ってお礼をしたいというのは、偽らざる本音だった。

 

「それにさっきも言ったとおり、俺も元会長さんに命を助けられたんだ。これでチャラだよチャラ」

 

 文也はそう言って、真由美をちらりと見る。その目には、文也にしては珍しく、混じりけなしの尊敬と感謝が込められていた。このワルガキからそんな目線を向けられて、意外さから真由美は少し感心する。しかし彼の視線は、すぐに彼のコップにジュースのお代わりを注ぐ七草家が誇る美人メイドにくぎ付けになった。アニメやコスプレのように露出が多いわけではないしむしろかなり少ないのだが、どうやらこのガキには関係ないらしい。姉に劣らず相当可愛らしい見た目をしていてこれだけくっついているというのにまるで眼中に入れられていない香澄は、こっそりと不満げに口を尖らせていた。

 

「それでも、ぜひお礼をさせてほしい。およそ見合うものではないと思うが」

 

「……ごほっ! ……オホーまじかよ超美味そうじゃん。悪いねー」

 

 そんなに文也に対して弘一が差し出したのは、海外産の有名ブランドチョコレートだ。七草家とチョコレートと言う組み合わせで一瞬何かの思い出がよぎって咽てしまったが、文也は即座に受け取って無礼なことにその場でバリバリと包装を乱暴に破って中身を取り出し、遠慮なく食べる。あまりの行為に文雄と真由美はそれぞれ辟易し、その視線が重なった瞬間、二人の間に嬉しくないシンパシーが芽生えたのは余談だ。

 

「こちらも……これは息子を助けて頂いたお礼です。真由美さんには息子がいつもお世話になっているのもありますし」

 

「おお、これはご丁寧にどうも」

 

 その横で文雄が渡したのは、高級な和菓子の詰め合わせだ。お腹にやさしくそれでいて栄養が気楽にとれるようにもなっている。誰の胃に配慮したかと言うと、当然真由美である。当然名家として世界中の高級食品を知り尽くした弘一と真由美はその意図を察し、弘一は内心で笑って、真由美は口の端をひくつかせた。

 

 こうしてお礼合戦が終わると、次は本題の、七草家による保護の提案だ。しかしながらいきなり入るのもなんなので、弘一は他愛のない雑談で散らしながら、タイミングを計る。

 

 そして去年の九校戦についての雑談が終わったころ、弘一が動き出す。

 

「香澄はすっかり文也君に懐いてしまったようだね。どうだ文也君、ちょっと別の部屋で遊んでやってくれないか?」

 

 九校戦の話ともなれば、当然真由美と文也の活躍が中心となる。その文也の活躍を聞いた香澄は、なんちゃらは盲目と言う言葉の通り、すっかり文也にメロメロになっていた。弘一はその様子を見て、これからの話の雰囲気にそぐわないので、ここを離れてくれるような提案をする。

 

「おう、いいぜ。で、何して遊ぶよ。一応ゲームとか持ってきてるけど」

 

「文也さんとだったらなんでも大丈夫ですよ!」

 

 文也は快諾すると立ち上がり、バッグを香澄に掲げて見せながら、メイドの誘導に従って香澄と一緒に離れる。文也ほどではないにしろやんちゃな性格の香澄もこの退屈な場からは離れたかったし、文也と距離を詰めるチャンスと言うことで、喜んでついていった。

 

(あちゃー、ありゃ脈なしね)

 

 真由美は営業スマイルを取り繕いながら、内心でヤレヤレと首を振る。香澄が最初から好意アクセル全開で接触しているからすっかり文也も心を開いているが、文也は香澄の好意を「年下が懐いてきた」としか感じていない様子だ。確かにあのガキ大将みたいな性格なら、年下の子供からやたらと尊敬を集めて懐かれていただろう。それらと同じと見ているのだ。

 

 そもそも、文也があの性格でないとしても、香澄に脈があるかはかなり希望が薄い。幼馴染でとんでもなく距離が近いあずさの存在があるからだ。どうやら見た目通り恋愛とかはまだ早い「おこちゃま」らしくそうした意識は互いに無いようだが、お互いの信頼関係は言葉で表せないレベルになっているように見える。やたらとイチャイチャするくせに恋愛は……と言う点では今回の事態を引き起こした張本人でもある司波兄妹と似ているが、文也とあずさはやはり血のつながりのない幼馴染。香澄のライバルが、あまりにも強すぎるのだ。

 

 真由美は、これから本題が始まるというのに、つい可愛い妹の恋路を心配してしまう。しかしすぐに気を持ち直して、これからの本題に挑むことにした。これが、今日の最大の目的なのだから。

 

 真由美は――弘一の意志に反して、七草家が文也たちを保護しないように動かなければならない。とはいえ、実は真由美はこの場で何か動くわけではない。何もしなくても思い通りに進むようになっているので、弘一をサポートするようなことをしなければ良いだけだ。

 

「さて、文雄さん。先日の記者会見を拝見させていただきました。とても大変なことになったようですな」

 

「全くですよ。息子も悪いと言えば悪いですが、あれはやりすぎです。こちらとしても、あれぐらいのことはせざるを得ませんでした」

 

 七草家の情報網を以てしても、弘一は記者会見以上の「事実」を掴めていない。ただ、裏に何かもっと大きなものが蠢いているという長年の勘、そして現場に立ち会ったらしい娘の真由美と香澄が何かを隠して嘘をついているというのは、すぐにわかった。真由美は別として、香澄は親として将来が心配になる程嘘がヘタな大根役者だったのだ。

 

 しかしそれは置いておいてよい。今は、文也たちを獲得するのが最優先だ。無理に聞き出そうとして不信感を持たせたりせず、いたって善意であるとアピールしながら話を進めていく。

 

「あの会見を見たとき、私も心が痛みました。吸血鬼事件は、我々七草家と十文字家を筆頭とした師族会議でも追いかけていたのですが、我々の力及ばずあんなことになってしまったとは。それに日本政府、国防軍、USNA三者の癒着も、あまりにも酷い。政府や軍に顔がきくと自惚れていたのですが、今後私の方からも強く言い聞かせなければなりません」

 

(腐敗の原因の一部が何を言うのやら)

 

「ありがとうございます。七草家がそこまで言ってくださるのなら、我々としても心強い」

 

 横で聞いていた真由美は、内心で呆れ果てる。政府や軍との癒着など、七草家も今まで散々やってきているし、それで一般人に人知れず損害が出ていることも数えきれないほどある。一条家含む二十八家は多かれ少なかれみんなやっているが、その中でも七草家と今回の発端である四葉家は天下一品だ。七草家は頻度で、四葉家は今回からわかる通り悪質さで、圧倒的に抜きんでている。

 

「我々七草家は考えました。この事件の責任の一端は、我々にもあります。そこで、井瀬さんに提案があります。一条家ではなく、我々七草家と一緒に歩みませんか?」

 

「一応話を聞きましょう」

 

 弘一は、七草家のメリットを誇示するのではなく、あくまで責任と善意という情の面でアピールしている。その言い回しも、「保護」や「庇護」ではなく、まるで対等に並んで歩く仲間のように表現している。

 

「七草家は一条家よりも勢力が強く、井瀬さんたちをより強力にお守りすることができます。それに文也君とあずささんと森崎君は真由美と同じ学校の後輩だし、文也君は香澄の恩人でもある。これは何かの縁でしょう。地域の上でも、転校をしたり引っ越しをしたりような負担もありません。『マジカル・トイ・コーポレーション』も、七草家と協力すれば、より高みを目指せます」

 

(上手な作戦ね)

 

 真由美は内心で弘一にアカンベーをしながらも褒める。七草家のアピールポイントを余すことなく表現できている。普通は、これを聞けば七草家に靡くだろう。また弘一から見れば、文也たちが一条家に行くと決めた理由は、文也たちと将輝が親友だから、という風に見える。だからさっき、香澄と一緒にこの部屋から出したのだ。腹黒い弘一らしい作戦だと真由美は思った。

 

 しかし、それはあくまで、常識と普通の範疇。「真実」を知る真由美は、これではダメだと確信した。そう、普通に考えれば、一条家の保護は転校が最大のネックなのだが……「真実」を知っていれば、むしろ転校が主目的である可能性すら考えられるのだから。

 

「そうですか……ありがとうございます。おっしゃる通り、大変魅力的な提案です」

 

 文雄の返事は、一見すれば好意的なものだ。しかし、弘一も真由美も、それは言葉の上だけで、彼が放つ雰囲気から、この続きは真逆のものであると確信した。

 

「しかし、ご厚意は大変ありがたいのですが、お断りさせていただきます」

 

「……理由をお聞きしても?」

 

 弘一の目と言葉が、少しだけ鋭くなる。

 

 弘一が持っている情報の限りでは、これに靡かないはずがない。そして、これで靡かないということは、その理由こそが、弘一の知らない情報と言うことになる。事前に弘一が考えていた流れの一つだ。

 

「今回動くことになる文也、あずさちゃん、駿君は、一条家の将輝君や真紅郎君と大変仲が良い。転校と転居があるのが、特に森崎家は大変ですが、何よりも大事な子供たちのことを考えると、仲の良い友達のところのほうが安心できるでしょう。本人たちも、一条家を希望しています」

 

 子供のため。建前と善意の世界では、人命に次いで一番効果のある言葉だ。さらに本人たちの意志ともなれば、責任と善意と言う切り口で入った弘一に、攻め手は残っていない。

 

 弘一の顔が一瞬悔し気に歪む。本性が一瞬現れたのだと、真由美はすぐに思った。

 

 交渉にも失敗したし、新たな情報を得ることもなかった。弘一は今回、何を得ることができなかったのだ。

 

 だからといってこれ以上しつこく言っても心証を悪くするだけ。弘一はまた和やかな笑顔を装い、納得した振りをしてこの話題を終わらせる。そのまま雑談に戻るが、弘一の目はまだ諦めていない。せめて雑談の中で、何かの情報を得るつもりなのだ。

 

 ――結局、この後弘一が得た情報は、どうでもよいものばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こちらとしてはありがたいけど、本当にいいのかい?』

 

「むしろそれこそが望みです」

 

『確かにそれはわかるが……家やお父様のことがあるだろう?』

 

「安心してください。今は逆らう形になっていますが、これは何よりも、七草家の為です」

 

『……それもそうか、わかった。じゃあ文也にも口を酸っぱくして言っておこう』

 

「ええ、ありがとうございます。では」

 

 七草家訪問の前日で、記者会見当日の夜。真由美と文雄は、七草家の誰にも知られていない真由美独自の裏回線を使って、最終確認をしていた。

 

 真由美と文也たちは、実はあの記者会見の前から、幾度にわたって相談をしている。

 

 内容は主に真由美からのお願いで、文也たちにとってもそうなるだろうと予想していたものだ。

 

 ――今回の件で、四葉は関わっていないことにする。

 

 そう口裏を合わせていたのだ。

 

 真由美はあの夜以来、当事者の一人と言うことで、文也やあずさからしばしば経過連絡を受けていて、それを通して一つの結論に至っていた。

 

 これ以上、四葉に関わりたくない。

 

 達也と深雪の本気と対面した真由美は、四葉と言う存在の恐ろしさを身をもって味わった。逆らいたくないし、関わりたくない。敵対するなど、もってのほかだ。あの深雪の痴態の庇護下にない真由美たちは、すぐに潰されてしまうだろう。

 

 そう考えた真由美は、徹底的に四葉から遠ざかることになるよう計画した。

 

 まず、七草家が文也たちを保護しないようにする。四葉と敵対する文也たちを保護するということは、すなわち四葉を敵に回すということなのだ。真由美としては保身のために可愛い後輩たちを突き放すことになるので心苦しいし、妹が文也と一緒にいたくて仕方なさそうなので仲間にもなってほしいのだが、そもそもその後輩当人たちが一条家に行くのを望んでいるのだから仕方ない。転校は確かに当人たちにとって大きな負担だが、自分たちのことを本気で殺しに来た達也や深雪と同じ学校にこれから通うだなんてとんでもないことであり、むしろ転校を望んでいる。なんなら、達也たちから離れる転校がメインであり、一条家の保護と言うのはその理由付け、ということすらあるだろう。

 

 そして、今回の話に、四葉が関わっていないことにする。もしこのことを父・弘一が知れば、四葉を攻め落とそうとするだろうし、四葉と対立する文也たちを何が何でも引き込んで仲間にし、さらに四葉と対立するだろう。それは絶対に避けなければならない。そのために文也たちや、良くも悪くも真っすぐで演技がヘタな香澄と口裏を合わせて、父親をだまそうとしているのだ。ちなみに香澄は、文也たちを襲ったのがUSNAだけでなく達也と深雪であることは知っているのだが、二人が四葉であることは知らない。そういうわけで、「よくわからない外国人と戦っているのを見た」ということにするよう強く言い含めてある。

 

 こうして、今回の件に、真由美たち七草家がなるべく関わらないようにして遠ざけることで、四葉と敵対することを避けられる。文也たちの望みは叶うし、七草家も真由美も危険を回避できる。ベストな選択だ。

 

 しかしながらこれは、孤独な戦いだった。正しいことをしているのに、真相を話すことは許されず、家族の意に反さなければならない。真相を知るが真に仲間ではない文也たちに悩みを相談するわけにもいかない。文雄が察して心配してくれているのだけが、唯一の救いだ。真由美は胃を押さえ、ベッドに寝転んで蹲りながら、折れそうになる決意をなんとか支えようとする。

 

「ホンット……サイッテー…………」

 

 絞り出すようなつぶやきが、何に対して、誰に対してなのかは、彼女のみが知ることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、本当に良かったの?」

 

 全国の魔法科高校の合格発表が一斉に行われる3月10日、双子の娘・泉美が持って帰ってきた一高の合格証書と香澄に郵送で送られてきた三高の合格証書を見ながら、真由美は後ろから、椅子に座って本を読んでいる父・弘一に問いかけた。

 

「どのことを言っているんだい?」

 

「もう、分かっているでしょうに」

 

 真由美が聞いているのは、香澄が三高を受験したことについてだ。今更もう遅いのだが、それでもこうして証書として見ると、どうしても確認したくなってしまう。

 

 七草本家の現在の家族事情は特殊であり、真由美の兄である長男と次男は死亡した前妻の子で、真由美と香澄と泉美は後妻の子だ。そうした事情もあって、後妻との確執が薄れた時期に生まれた香澄と泉美は、弘一が一番かわいがっている子供である。親心としてはなるべく手元に置いておきたいし、自分と同じ母校に行ってほしいし、二人一緒に行動していてほしい。そうした不安は、あの夏に香澄が襲われて以来、一層増している。魔法師の姉妹が襲われるという事件は、彼の右目が義眼になった理由でもあり、心にも未だに傷として残っている。それをどうしても思い出してしまうのも、不安の一因だ。

 

 しかしそんな状態なのに、香澄に三高受験を許した。併願は不可能なので、香澄は三高に通うことになる。関東から金沢の三高まで通うのは流石に不便であり、七草の「おひざ元」である関東から離れて北陸に住まわせることになるのだ。

 

「本人がああいうのだから仕方ないだろう。泉美ならまだしも、香澄は強引で強情だからね。あのまま拒否し続けたら、拗ねてどこも受験しないということになりかねない」

 

「それは、まあ……確かに」

 

 弘一の返答に、真由美は乾いた笑みを浮かべる。確かにそうなりかねない。想像しただけで胃が悲鳴を上げそうだ。

 

「それに、三高は下手すれば一高よりも安全だ。戦闘力の面では突出している一条がいる。文也君や文雄さん、それに一条にも『よろしくおねがいします』と強調しておいたからね」

 

 弘一はただでは転ばない。もし思い通りにいかなくても大丈夫なように、いくらでも次善の策が思いつく。

 

「あとは、そうだね……相手の性格に難ありだけど、やはり娘の恋路は応援してやりたいじゃないか。恋の相手は助けてくれた王子様、再開の場は、姉がその相手の命を救った時……まるで物語のようなロマンチックさだ」

 

 真由美は思わず吐き気を覚える。確かに見た目は良いし気障っぽいが、このクソ親父からこんな言葉が出るだなんて、反吐が出すぎて内臓まで吐き出してしまいそうだ。

 

「でも、その恋路は厳しいわよ? 前にも言ったと思うけど、あーちゃん……中条さんの壁が厚すぎるわ」

 

「それはそれで、また一つの人生経験だ」

 

 陰謀に慣れてしまった真由美は、このやり取りで、弘一の意図を理解した。

 

 この男は、一番かわいがっている娘すら、政略結婚の道具にしようとしているのだ。

 

 もし香澄の恋が叶って文也と結ばれたら?

 

 まず文也と文雄、そして『マジカル・トイ・コーポレーション』と強い縁ができることになる。そしてその親友であり庇護者でもある一条家ともかかわりができる。それを通じて、カーディナル・ジョージや森崎家とも繋がれるだろう。

 

 では、香澄の恋が破れてしまったとしたら?

 

 それでも一条、井瀬、中条、森崎、カーディナル・ジョージとの縁は十分に結べる。三高にはほかにも一色や十七夜や四十九院や五十川や百谷もいるし、数字付き以外にも「尚武」の校風を求めて実力ある魔法師が入学してくる。東京と言うことで受験生が多くて倍率が高くそのせいで格上だと見られがちな一高も魅力だが、三高で得られる人脈も大きい。また、香澄の見た目は姉譲りで、贔屓目なしにも美少女だ。好戦的だが明るく人当たりが良くて他人との距離も近いため、多くの男子からモテるだろう。将輝のハートをゲットできれば儲けものだし、真紅郎あたりは女子慣れしていなくてチョロそうだから落とせそうだ。

 

(こいつっ……)

 

 父親に対してとんでもない口をききそうになるが、既のところでこらえる。実際今すぐにでもその腐った思考回路が詰まった頭を引っぱたいてやりたいところだし、思わず腕を振り上げるまでしてしまったが、ぎりぎりで冷静になって頭を掻くふりをして誤魔化す。

 

 そんな馬鹿なパントマイムをしている真由美の顔を、弘一が振り返って見る。真由美はその色眼鏡の奥の目を見て、思わず怖気だった。

 

 九校戦手前、文也の件で胃痛がひどくなりすぎたとき、達也に体調を見てもらった時、骨や魂まで見透かされているように感じたことがある。

 

 今、それに似ているが、少しだけ違う感覚があった。あの時が体と魂の芯まで見透かされているとしたら、今は、心の底まで見透かされているような感覚だ。

 

 色眼鏡の奥の目線は、もういつも通り。怖気を感じたのも一瞬だった。

 

「真由美、お前が何を考えているのかも、何を知っているのかも、私は分からない。もう今更問い詰めるようなことはしないが……それが七草家のためになる判断であることを願っているよ」

 

 弘一の表情に変化はない。いつも通りの、気障ったらしくてイヤミったらしい余裕ぶった話し方だ。

 

「…………なんのことでしょうか?」

 

 しかし真由美は、そう絞り出すのが精いっぱいだった。

 

 結局のところ、香澄がいきなり三高入学を決めた以外は、今回のことはおおむね真由美の思い通りに進んだ。思惑の中身も、弘一に核心は知られていないはず。

 

 それだというのに、真由美は弘一に恐怖を感じた。返事に対して喉を鳴らして愉快そうに嗤う弘一から逃げ出すように部屋から離れながら、真由美は乱れそうになる呼吸を整える。

 

 自分が何かやろうとしていたことが、見破られていた。かなり気を遣って動き回っていたのに。

 

(……危なかった)

 

 もし、今回の件で、弘一がもっと興味を持って本気で取り組んでいたら。真由美の思惑はすべて見破られ、七草家への「裏切り」を見破られたうえで、四葉とも対立していただろう。

 

 真由美の呼吸は、自室についてからもしばらく収まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②苦労の黒羽

 

 2096年2月。文也・あずさ・駿は三高に転校となり、井瀬家・中条家・森崎家もまるごと石川県へと引っ越しをすることになった。

 

 しかしながら文雄は、来年も四高で働く予定になっている。一年契約の非常勤講師ではあるが、その人柄と能力は――多少暑苦しいしたまにやたらとヤンチャだという悪評もあるが――生徒たちからも保護者からも教員からも評判がよく、担当生徒の成績向上や顧問をしているステラテジークラブの目覚ましい活躍もあり、さらに最近『キュービー』であることも発覚し、満場一致でぜひ来年もお願いしますと教員・保護者のお偉いさん一同から求められたのだ。

 

 ここ東海地方は天敵・四葉の「おひざ元」であり、普通なら離れたいと考えるだろう。しかし、息子・文也が機転を利かせてくれたおかげで四葉の脅威は実はそこまで心配するほどではない。それどころか、文雄の身に何かあったら四葉にとって急所と化したお宝映像が世界中に拡散されるのだから、何もしなくても四葉から守ってもらえる身である。ここ東海地方の方が安全と言う説まであるだろう。

 

 そんな波乱の数日が過ぎた2月が終わった直後の3月2日。一高が急に新学科設立を決めてしまったためそれに巻き込まれて全国で遅れが生じた、魔法科高校の入試が行われていた。この前日には筆記試験が実施されており、今日は実技試験の日だ。文雄も教員として試験官の一人である。

 

「はい、お疲れさまでした。それでは気を付けてお帰りください」

 

「はい……」

 

 文雄は人当たりの良い営業スマイルで、実技試験をすべて終えた一人の中学生に試験終了を告げる。黒井という苗字の男の子だ。その後ろ姿は、誰が見ても分かる程に落ち込んでいた。試験のプレッシャーで実力が出せなかったのか、はたまたこれが実力なのかは定かではないが、実技試験の出来はお世辞にも良いとは言えない。筆記試験の結果ではあるが、これは不合格だろう。

 

 文雄は黒井が部屋から出たのを確認すると、実技試験の会場となっている実習室の扉の前で待機しているであろう次の受験者を呼ぶために、受験票の束を一つめくる。

 

「次の方、受験番号40557、黒羽亜夜子さ――んん!!??」

 

 名前を読み上げながら、文雄は自分の目を疑って、声が裏返って奇妙な呼び方をしてしまう。

 

 扉の向こうから、ハイ、とよく通る綺麗な声で返事がくる。そして、ドアを開けて現れたのは――

 

 

 

「受験番号40557、黒羽亜夜子と申します。本日はよろしくお願いいたします」

 

 

 

 

 ――ついこの間殺し合い、その数日後に会談した少女、ヨルこと黒羽亜夜子だった。

 

 文雄は亜夜子の挨拶を無視して、急いで受験票の束をもう一枚めくる。受験番号は名前の五十音順であり、同じ苗字が連続することになる。亜夜子の受験票をめくったその次には――あの夜道で戦った女装少年・ヤミと顔がそっくりな、黒羽文弥の受験票があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒羽亜夜子・文弥姉弟は年齢的には中学三年生であり、今年度は高校受験の年である。いくら裏街道を突っ走る四葉家と言えど司波兄妹のように魔法科高校には通うことになっており、この二人もその例に漏れていない。

 

「志願変更はなしよ、二人とも、第四高校を受験なさい」

 

 四葉家過去最悪クラス――真夜が大漢で誘拐されたときと同レベル――の失態が起きてから一週間と少し経った2月25日。この日は国立魔法大学の受験日なのだが、四葉本宅では、黒羽姉弟の高校受験の話をしていた。

 

 十師族を筆頭とした色々な組織が文也たちに交渉を持ち掛けたようだが、結局一条家の庇護を受けること、そして三高への転校が決まったのがこの前日の2月24日。黒羽姉弟は、それを受けて、真夜に最終確認を仰ぎに来たのだ。

 

 まず、二人にとって本望は憧れの達也がいる一高。また天敵にして宿敵と化した文也がいる三高に入学して近くで監視するという選択も現れた。そして、すでに第一次願書提出済みの、地元にある四高。志願変更期日が迫っており、その最終判断を、こうして対面して真夜に求めたのだ。

 

 その返事が、先の通り。亜夜子と文弥は、予定通り四高を受験することになった。

 

 その理由は二つ。一つは、変更する必要性が特にないということ。地元の魔法科高校だというのに今四高に四葉と関係が深い在校生はおらず、影響力を維持するためにも二人の入学は有効だ。

 

 そしてもう一つが、文雄の存在である。四葉からすれば怨敵だが、生徒・教師・保護者から評判がよく、来年も非常勤講師として勤めることが予測される。複数年契約も、という情報まで流れているほどである。文雄と黒羽姉弟・その親の貢は本気で殺し合った縁であり、三者面談などあろうものなら地獄だろうが、近くで監視できるというのはこの上ないことだ。

 

 そういうわけで、真夜は四高受験を命令した。ちなみにこっそりと育てていた桜シリーズの桜井水波は、達也たちと同じ一高に行くらしい。

 

「ご当主様、あれ、多分僕たちに話していない何かを考えているよね」

 

「間違いなくそうね」

 

 文也たちに完全敗北した一件以来、四葉家内では、真夜への不満がくすぶっている。なにせ彼女の作戦通りに動いてあの大敗であり、そのくせ当人は戦場に出てこないで高みの見物をしていやがったのだ。真夜が参戦すれば全部楽勝間違いなしだったというのもある。

 

 しかしながらこれまでの実績もあって未だ恐れられており、亜夜子も文弥も過小評価はしていない。説明された理由はだいぶ浅いところであり、その裏に何かあると考えられるものだった。

 

 だからといって、逆らえるわけではない。二人は気を取り直して、受験勉強なんぞガン無視して、確保に成功したパラサイトの実験データの検分を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へー、君の名前は文弥っていうのかい。ハハハ、奇遇だなあ。私のバカ息子の名前も文也って言うんだよ。二文字目は違うけど、すごい一致だ」

 

「へえ、そうなんですか! これはすごい偶然ですね」

 

「「ハハハハハハハハハハ」」

 

 受験会場に、文雄と、亜夜子の次に現れた文弥の、わざとらしい雑談が空しく木霊する。あの夜に幾度となく殺されかけた女装少年が、今は普通の少年として実技に挑んでいる。その成績は、先ほどの姉・亜夜子と同じく、あの夜に戦った時とは比べ物にならないほどに低い。合格は余裕、絶妙なラインだ。これから在学中は実力を隠していくつもりなのだろう。

 

(なんてこった)

 

 間違いなくこの二人は、自分を監視するためにここの入学を決めた。文雄は真面目に採点する振りをしながら、考えをめぐらす。こっちが深雪のお宝映像を握っている以上、別に何かされるわけではないが、万が一と言うこともある。それに、本気で殺し合った子供二人と同じ学校だなんて、真っ平御免だ。

 

 それにしても、文弥という名前だったとは。息子とのまさかの被りに、文雄は笑うしかない。さらにどちらも年齢の割にはちっちゃいというのも面白い偶然だ。違いを上げるとすれば、文弥は圧倒的に見た目が良いが、文也は特別良いわけではない。そのくせ文弥の方が身長が高い。見た目の面では文也の完敗である。この話をしたらさぞあのバカ息子は怒り狂うだろう。主に身長で。

 

(ハハハ、スゴイグウゼンダナー)

 

 文雄は現実逃避をしてしまうが、すぐに決断した。

 

 よし、来年度から三高で働こう。

 

 ――文雄が大変惜しまれながらも三高で働くことが発表されたのは、皮肉にも、合格発表日の3月10日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、そういうことか」

 

 3月10日、文雄が三高に移るという話を聞いた時、文弥はすぐに納得した。

 

 付随している資料によると、これまでは契約更新に乗り気だったみたいだが、3月2日から態度が急変し、いろいろな理由をつけて三高で働きたいから契約は更新しないと言い始めた。もともと文雄には各校からスカウトが来ており、三高もスカウト合戦に参加していたこともあって、受け入れ態勢はすでに整っている。四高としては何とか慰留したいところだったが、一条家からの圧力もあって折れてしまい、三高への転任を許すこととなった。

 

 真夜は、最初からこれが目的で受験させたのだ。実技試験の試験官だったのはまぎれもなく偶然だが、受験者リストは教員全員が確認するものであり、文雄も当然見る。そうすれば、遅かれ早かれ、彼は三高に逃げることを決意するはずだ。

 

 そう、真夜の真の狙いは、文雄を三高に逃げさせること。これで文也関連の四葉の仮想敵が、三高周辺に集中することになった。「おひざ元」からは離れるが、一か所に集中してくれれば、監視や管理もしやすい。こういう悪だくみは、さすがのものだ。

 

「…………」

 

 ひとしきり感心すると、文弥は合格証書を机の上に放り投げて、窓の外をぼんやりと見る。

 

「あら、何考えているのかしら?」

 

 そこに現れたのは、双子の姉の亜夜子だ。何やら考えてふけっているらしい文弥の前に淹れてあげた紅茶を置きながら尋ねる。

 

「んー、ちょっと、井瀬親子について、ね。前々から名前がほぼ同じなのはびっくりしたけど、改めて対面してみると、こう……ちょっと、考えちゃうなって」

 

 文弥の返答は、歯切れが悪いものだ。裏社会に生まれたときから浸っておいて、「こんなこと」を今更考えていたというのは、気恥ずかしかった。

 

 文也と文雄、父子でやたらと口げんかはするが、その仲はとてもよく、母の貴代も含めて、親子関係は至極良好だ。これぐらいは一般家庭なら普通の事ではあるが、魔法師の家族となるとそうはいかない。魔法の才能は血に依存するものであるし、また狭い業界なせいか、権力の格差もより顕著に見える。魔法師の血を残すための政略結婚や望まない結婚、後味の悪さが残る婚姻などはありふれており、魔法師の家族は、総じて家族関係が希薄だし、はっきり言って親子関係なんかはどこもとんでもなく悪い。憎みあっているという家はそうそうないし、なんやかんや親子の愛情はあるのだが、気まずい関係がほとんどなのだ。そういう中での井瀬親子と言うのは、あまりにも異質だった。またその家族とずっと交流があるせいか、中条家も親子関係が良い。

 

 一方で、ほぼ同年代に生まれた文弥はというと、四葉分家と言う日本どころか世界でも稀に見るほどに複雑な血筋なので、その親子関係はとても悪い。お互いに愛情を感じないこともないが、平然と子供を家のために暗殺ミッションに送り出し、そのために物心つく前から厳しく鍛えていただなんて、はっきり言えば世間一般の考えからすれば親失格だ。半ば兵器みたいな扱いである魔法師界ですら、そこまでやる家はそうそうないだろう。

 

 そう、文弥は、文也が羨ましかったのだ。

 

 似た名前、似た体型だというのに、その境遇は真逆。方や四葉分家で、魔法師の家系の悪い特徴をこれでもかと表わしている、言葉で表せない酷さの親子関係。方や、魔法師の家系では異質な、円満でのびのびと育つ良好な親子関係。似た名前というのが、その差異を、むしろ強調してしまっていた。

 

「あらまあ。意外と可愛いこと考えるじゃない」

 

「……ふんだ」

 

 言葉を濁しても、何を考えているのかは、双子の姉にはお見通しだ。ニコニコとからかわれて、文弥は拗ねた振りをしてそっぽを向く。

 

「もしかして、井瀬文雄の息子に生まれたかったかしら」

 

 亜夜子の問いに、文弥は無言だ。その無言と、愁いを帯びた瞳が、何よりもその問いが正しいことを物語っている。

 

「ねえ、文弥、少し考えてみましょう?」

 

 そこで亜夜子は、一つ、意外と可愛いことを考えている弟に、ある事実を教えることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もし文弥が文雄の息子になったら……井瀬文也が、文弥のお兄ちゃんってことになるわよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁい! 僕、貢パパ大好き! 黒羽万歳!」

 

 

 

 

 

 

 

 文弥の掌が、180度回転した。




①七草真由美の憂鬱
 全体を通して書いている間、基本的には主人公やヒロインよりも、真由美に感情移入していました。
 タイトルは「涼宮ハルヒの憂鬱」にかぶせたもの。発音の特徴がかなり被っているので個人的にはお気に入り。
 この話でやたらと持ち上げることになった克人と、あと名前を誤字られていたりハロウィンの話で分身していたりと何かと僕のミスが絡んだ範蔵は、なぜ桐原や五十里と違って地の文でも下の名前なのか、疑問に思ったかたもいるかと思います。基本的には、文也との心の距離が近いor美少女or名字で書くと紛らわしい、のどれかに当てはまれば地の文では下の名前にしています。ではなぜ範蔵と克人は下の名前なのかと言うと、実は当初、この二人はラストバトルに参戦する有力候補でした。下の名前で書いているのはその名残です。克人は単体で一年生時達也&深雪に勝てるせいで文也がいらなくなるから、範蔵はゼネラリストで文也と被るから、それぞれ割と早い段階で没になりました。

②苦労の黒羽
 苦労とクロウ(カラス)でかけている、個人的な最ドヤ顔タイトル。
 文弥と文也、原作でも結構活躍するキャラとオリ主の名前をなぜこんなに被せたのか、疑問に思う方もいたかと思います。こんな紛らわしいことするからには、何かの重要な伏線かと思った方もいるかもしれません。
 実はこの小ネタをやるだけのために名前を被せました。この自白のせいで画面の向こうから石が飛んでこないか心配です。
 まあでも、ほら、原作でも、美月・深雪、司波・柴田、とメインキャラでも似た名前が被っているので、原作リスペクトということで。


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九校戦/仇抗戦編
6-1


今回からオマケの章、文也たちが転校して二年生になってからの話です。
本編はある程度整合性や体面を気にしていましたが、こちらでは私の好きなように書くというのをコンセプトにしているので、若干文体が違うように見えていると思います。
それでは、どうぞ。


「は~ねんまつねんまつ」

 

「まだ学期は始まったばかりだろ」

 

「また変なこと言ってる……」

 

 2096年7月2日月曜日、第三高校の生徒会室で、一人の目つきの悪い小学生のようなチビが、あまりにも短いうえに時代錯誤が過ぎる鉛筆を転がして遊びながら何やら呟く。それに対して、このクソガキをここに連行してきた少年と、生徒会役員であるこのクソガキと同じぐらいの身長の少女が、呆れながら反応した。

 

 この三人は、去年度までは第一高校の生徒であったが、昨学期末にとんでもない事情があって第三高校に転校してきて、無事三人とも進級した。晴れて、文也と駿は二年生、あずさは三年生である。

 

「結局こっちに来てもこれだもんなーやんなるぜ」

 

「悪戯するお前が悪い」

 

「いやいやそっちじゃねーよ。こっちこっち」

 

 まっさらな原稿用紙の束を投げ出して文也が示したのは、手持ちの携帯端末。ついこの間行われた学期末試験の結果だ。二年生の実技一位は将輝、二位は文也、三位は一色愛梨、四位が十七夜栞(かのうしおり)、五位が四十九院沓子(つくしいんとうこ)である。一方理論の方はと言うと、一位は真紅郎、二位は文也、三位が愛梨で四位が栞となっている。

 

「結局こっちでもシルバーコレクターでございますよっと。はーねんまつねんまつ」

 

「ねえ森崎君……もしかしてあれ、『つまんね』って意味ですかね?」

 

「中条先輩で解読できないなら俺にもわかりません」

 

 つまり、文也はいじけているのだ。

 

 転校前から文也の順位はずっとこんな感じだ。入学してからずっと、実技では深雪に一位に君臨され、理論では達也に絶対勝てなかった。ずっとどちらも二位だったのである。あの兄妹は『トーラス・シルバー』ならぬ――片方は実際シルバーというのはさておき――『取らす・シルバー』だったわけだが、この第三高校にも『取らす・シルバー』がいたわけだ。しかも今度は司波兄妹のようなライバルではなく、親友である。

 

「なんだそのことかあ。文也だってもう少し真面目に勉強すれば僕の事なんてすぐに抜かせるだろうに」

 

 それを聞いて反応したのが、砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒーを飲みながらゆったりとコンピュータに向かって事務作業をしている生徒会役員の真紅郎だ。『カーディナル・ジョージ』として名をはせる彼こそが、入学時から理論一位を守り続ける秀才だ。

 

 しかしながら真紅郎の言うように、実際の地力で言えば、文也の方が上に位置している。文也は世界を悪い意味で揺るがしてきた謎の魔工師『マジュニア』本人であり、基礎も応用も発展も、ほぼ全ての分類において真紅郎は敵わない。それでも試験で真紅郎が勝ったのは、簡単に言えば文也の怠けとドジである。この二人が高校生レベルの魔法理論で競えば基本的に満点近くの勝負であり、1点の差が命取りになる。実践での地力はさておきとして、文也はこの試験対策をさぼって遊び惚け、本番でも集中力を欠いて点数を落とし、結果として実に僅差で真紅郎に敗北してしまったのである。要は自業自得だ。ちなみに実技の順位に関しては、二十八家の出である三位の一色愛梨とは点差がほぼない。小数点以下である。

 

「それでも総合は一位なんですよね! すごいことですよ文也さん!」

 

 そんないじけてる文也の手を取って持ち上げ、眼前にキラキラと輝いた眼で現れたのは、生徒会役員になった香澄だ。転校した文也を追いかけて志願変更した入試で総合一位を取り新入生代表にもなって、そのまま生徒会入りしたのだ。最初は面倒くさそうに渋っていたのだが、真紅郎の「生徒会室には文也がよく来るよ」という一言で手のひら大回転させて喜んで入ったのである。なるほど、確かによく来る。主に悪戯をして連行されてくるか、生徒会役員であるあずさと真紅郎を冷やかしにくるかのどちらかだ。ただしそれで想いが冷めることなく、「いくつになっても自分に正直でステキ♡」という有様である。なんちゃらは盲目とはよく言ったものだ。ちなみに文也とあずさは、文也が異性から好意を向けられるなんて全く想定していないので、「年下の子にまた懐かれた」程度にしか思っていない。周りはとっくに気づいているのだが、面白いしお節介なので何も言わないことにしている。

 

 さて、香澄の言う通り、文也は各部門では二位ではあるものの、総合では一位なのである。これは一高生時代からの変化だ。一高では実技で圧倒的トップの深雪が理論もかなりできるクチで三位だったため、総合一位も彼女にずっと君臨されていた。しかしながら、こちらでは実技で圧倒的にトップに立つ将輝が、理論の方はトップ勢にはだいぶ劣るため、総合では文也が一位に立てるのだ。

 

「く、くそっ」

 

 駿と一緒に文也を連行してきてそのまま生徒会室にある本を暇つぶしに読んで入り浸っていた将輝が、その事実を改めて突き付けられて悔しがる。ちなみに将輝は総合二位ではなく、三位だ。総合二位は各部門で三位に入った一色愛梨である。もともとは将輝がずっと総合でも勝っていたのだが、1月以降はゴタゴタが多すぎて、戦いへの備えのせいで実技は向上したものの、元々飛びぬけて得意とは言い難い理論の方は少し遅れ気味だったのだ。

 

「あはは、盛り上がるのはいいけど、お仕事の方は大丈夫かい? あと井瀬君はさっさと反省文を書いたらどうかな?」

 

 そんな学生らしいしょうもないことで盛り上がっていた生徒会室に、中性的な優しげな声で注意が入る。声の主は、大きな机の中でも部屋の一番奥、いわば上座に座る、生徒会長だ。

 

 腰まで伸びた真っすぐな色素の薄い金髪、病的なほどに白い肌と、やや痩せすぎな体型。顔はどこまでも中性的で、美男子にも美女にも見える。座っている姿は周りより一段高い。すらりと身長が高いのだ。

 

 名前は綾野遊里(あやのゆうり)。名前もまたずいぶん中性的だが、れっきとした男である。三年生で、実技一位、理論二位、総合一位の秀才だ。ちなみに理論一位はあずさであり、彼女が転校してくるまではずっとそちらでも一位だった。

 

 綾野は盛り上がる生徒会室のいつもの(文也と駿と将輝が入り浸るのもすっかり「いつもの」だ)面々を窘めながら、手元のCADを操作して、棚の高いところにあったタブレットペンを魔法で引き寄せて掴む。これは、彼がものぐさだからではない。

 

「言ってくれれば取りますのに」

 

「いやいや、そこまで手を煩わせるわけにはいかないから」

 

 真紅郎の言葉に、綾野はニコニコ笑いながら返事をして、タブレットにペンで何かメモをする。その手つきは鮮やかで流れる水のように動いているが――彼の脚は、全く動かすことができず、電動車椅子生活を強いられている。

 

 そう、綾野は、見た目も性格も知性も魔法力も良く周りから慕われているが、下半身が麻痺して動かせないのだ。

 

 魔法師で車椅子生活と言えば、主に三つの理由が思いつく。一つは、強力な魔法を使いすぎた反動で体にダメージが蓄積。これは戦略級魔法師である五輪澪などがそれに当たる。もう一つは、魔法戦闘などによる怪我の後遺症。そして最後が、魔法師特有の遺伝子操作による障害だ。

 

 しかしながら、彼にはそのどれもが当てはまらない。生まれつきの障害であることは確かだが、それは魔法力の代償だとか、そういったものではない。ただただ不幸にも、なんの事情もなく、生まれつきの障害で先天的に下半身麻痺なのだ。

 

 最初の内は(あの文也ですら)どこか気まずく接していたのだが、綾野当人が全く気にせずニコニコ過ごしているため、今やそういう人が近くにいても「当たり前」という感覚になりつつある。時代が時代なら厳しかっただろうが、現代では技術の進歩や公共施設のバリアフリー化100パーセントの達成によって、そういう感覚が広まりつつある。

 

「おーい、郵便屋さんからお届け物だぞー」

 

 そんな生徒会室に、大きな男の声が響く。ノックもなしにドアを開けて現れたのは、日焼けした筋骨隆々の大男、今年度から第三高校で魔法工学の非常勤講師として働く、井瀬文雄だ。

 

「ありがとうございます」

 

「ほいよ。……おうこらバカ息子、また捕まったのか。バレないようにやれってあれほど言っただろうに」

 

「仮にバレなかったとしても、あんなバカやるのはこいつだけなんで即バレますよ」

 

 文雄が持ってきたかなり大きくて分厚い封筒は、入り口近くにいたあずさが受け取った。その時に文雄は反省文を放置して気が抜けた顔をしている息子を見つけて変な方向性で咎め、将輝がそれにツッコミを入れる。

 

「あ、そういえばそろそろこれの季節で……す…………ね………………」

 

 その封筒を見たあずさの顔がパッと輝く。

 

 封筒に書かれた差出人は、「全国魔法科高校親善魔法競技大会運営」である。そう、7月頭と言えば、そろそろ九校戦の準備が始まる季節だ。この生徒会でもすでに水面下で準備が進められていて、一年生も含め有力な生徒には目星をつけている。

 

 そう、九校戦。魔法科高校の生徒にとっては楽しみなイベントだ。

 

 しかしながら、何かに気づいたあずさの顔は――一気に暗くなる。

 

 周囲が何事かとあずさを見つめる中、自分の顔よりも大きい封筒を、ゆっくり机の上に置く。そっとおいても、どさっと音がした封筒は、その分厚さの通り、かなりの書類が入っているのだろう。

 

 九校戦に関するお知らせの封筒が、分厚い。

 

 この意味に気づいたのは、今この瞬間は、あずさだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方そのころ、一高の生徒会室でもまた、放課後の生徒会が行われていた。

 

 新年度の生徒会役員は、会長が五十里、副会長が深雪と達也、書記がほのかと七草泉美、会計が三七上ケリーだ。三七上はあずさ転校によって急遽会計の五十里が会長になったことで穴埋めとして無理やり入れさせられ、達也は風紀委員から異動、泉美は新入生成績優秀者枠だ。

 

「いやーとりあえず一段落だね。ひとまずお疲れ様」

 

「そうですね」

 

 ニコニコ笑顔に少し疲労の色をにじませながら、五十里が伸びをしながら生徒会役員にねぎらう。それに対して、同じくやや疲労の色が見える深雪が返事をした。

 

 7月の初頭と言えば、そう、もうすぐ九校戦の季節だ。何かと生徒会役員にとってはクソ忙しい季節であり、まだ今年度のルールの詳細は送られてきていないものの、事前にある程度代表生徒ぐらいは目星をつけておこうということになったのである。几帳面な五十里らしい段取りの良さだった。

 

 例えば深雪は、今年は『アイス・ピラーズ・ブレイク』と『フィールド・ゲット・バトル』の代表に内定している。また達也はエンジニア、および去年の大活躍を買われて二科生にして『フィールド・ゲット・バトル』の代表だ。ほのかは去年と同じく『バトル・ボード』と『ミラージ・バット』、また二年生のトップ陣である雫は『スピード・シューティング』と『アイス・ピラーズ・ブレイク』の代表に内定している。ちなみに五十里も、今年もまたエンジニアとして参加することになっている。

 

 そんな気の抜けた生徒会室に、同じく気の抜けた覇気のないノックが響く。

 

「やあ、お疲れ様。これ、生徒会にお届け物だよ」

 

 訪ねてきたのは教員の廿楽だ。一人仕事をさぼってぶらぶら校内を歩いていたところ、たまたま入り口付近で配達員に出くわしたので受け取って、そのまま届けに来たのである。

 

「ありがとうございます」

 

 達也がさっと立って礼儀正しくそれを受け取る。郵便物は、大きくて分厚い封筒。差出人は「全国魔法科高校親善魔法競技大会運営」だ。

 

(去年から思っていたけど、今時紙媒体とは珍しいな)

 

 電子化が進んでほぼペーパーレスの時代となった現代、紙でのやり取りはよっぽどの事情がない限りなくなっている。だというのに、この九校戦のお知らせだけは毎回紙だ。確かに電子データよりもペンによるメモが取りやすいという利点はあるが、時代錯誤は否めない。

 

 そんな達也が受け取った封筒は、大量の書類が入っているようで、とても分厚かった。毎年これだけの紙を印刷するとは無駄な話だな、と、「経験のない」達也は思いながら、五十里にその封筒を渡す。

 

 さて、ここで今ここにいる生徒会役員を振り返って欲しい。

 

 会長が五十里、副会長が深雪と達也、書記がほのかと泉美、会計が三七上。

 

 そう、今年度の生徒会は、去年の春からずっとやっているという役員が、深雪しかいないのだ。これは割と珍しいことであり、去年の役員に旧三年生が三人もいたこと、旧二年生のどちらもがそれぞれの理由で生徒会を離れたこと、旧一年生が深雪しかいなかったことが理由である。

 

 そしてその深雪も、去年は別件で離れていたため、九校戦のお知らせが届いた場には居合わせていない。だから、知らないのだ。

 

 例年の封筒は――これよりもはるかに、書類が少ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさは知っている。なにせ、一高に入学した時からずっと生徒会役員だったからだ。今年で三年目。九校戦のお知らせが届く場に居合わせたのも、これが三回目だ。

 

 一年生の時、二年生の時、そして今。比べてみればわかる。封筒の分厚さを。

 

 去年届いたのを見たときは、「そういえば去年より分厚いなー」と思った。

 

 では、去年、何が起きたか――競技の変更である。

 

 では、今年のは? 去年のよりもはるかに分厚い。二倍か三倍はあるだろう。

 

 つまり、どういうことか――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この瞬間、もはや運命だったと言っても過言ではない。

 

 あずさから封筒を受け取った綾野、達也から封筒を受け取った五十里。

 

 この二人の性格も似ている生徒会長の声が、遠く離れた地だというのに、完全に重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「…………え? 競技が三つも変更???」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『全国魔法科高校親善魔法競技大会運営委員会より、各校の代表へ

 

 

 

 今年度の上記大会のルールが決まりましたので、連絡いたします。

 

 

 

 今年度は変更点が大変多いので、ご注意ください。

 

 

 

 ①

 

 旧競技、『スピード・シューティング』、『バトル・ボード』、『フィールド・ゲット・バトル』は廃止。

 新競技は『ロアー・アンド・ガンナー』、オリジナル競技の『デュエル・オブ・ナイツ』と『トライウィザード・バイアスロン』とする。

 

 

 

 ②

 

 全体ルール、変更なしの競技もルール調整を行いました。

 

 

 

 なお、新競技は本大会オリジナル競技であるため、ルールの詳細は9ページ以降に示します。』



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6-2

 新ルール

 

①全体ルールに関して(変更点のみ)

・今回参加可能な生徒数は、一年生最低24人を含む68人まで

・『トライウィザード・バイアスロン』以外への複数回参加は認められない

・全競技、前年度の成績に関わらず、各校の参加人数は同じ

・『トライウィザード・バイアスロン』以外の各競技の出場選手と学年はすべて事前登録制とし、開会式の三日前に全国に公開される

 

②去年から継続する各競技のルール(変更点のみ)

 

(1)アイス・ピラーズ・ブレイク

・おおまかなルールは去年度と同じ

・部門は、男子ソロ、女子ソロ、男女ペア、男子ペア、女子ペアで、各部門で各校一組のみ参加可能

・新人戦はペア三部門のみ行う

・今回から、一人につき合計100グラムまで武器となる道具を持ち込むことが可能(火薬類、爆発物、魔法用デバイス以外の電子機器などは禁止)

・ペアの点数は、一位60、二位40、三位30とする

 

(2)モノリス・コード

・おおまかなルールは去年と同じ

・点数がバランスのため変更。一位が80、二位が60、三位が40。新人戦はこの半分

・使用可能魔法に、精神干渉系魔法も追加。ただし、運営であらかじめ厳正に審査し、安全と判断したもののみとする

 

(3)ミラージ・バット

・おおまかなルールは去年と同じ

・俗にいう『飛行魔法』に関しては、連続5秒以上の使用禁止、また20秒に一回かならず着地すること(競技性維持のため)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー嘘!? 掛け持ち禁止なの!?」

 

 大きなルール変更に伴って、一高生徒会室には、課外活動中だというのに、校内の有力者が緊急招集された。風紀委員長の千代田花音と風紀委員の雫、部活連会頭の範蔵と執行部の桐原、それに作戦スタッフとして内定していたゲーム研究部長の二科生だ。

 

「参加生徒の選定が大変そうですね。掛け持ち前提で組んでいましたので」

 

 深雪は青い顔で眉間をもみながら呟く。この二週間ぐらいの苦労が、ほぼ全て水の泡だ。

 

「それと新競技も大問題ですね」

 

「えー、これ、参ったなあ。なんというか、すごい体力使いそうだね」

 

「へげーなんだこれオイ。いつから防衛大学になったんだ?」

 

 集まったメンバーの中で、頭が回る達也と五十里とゲーム研究部部長は、急いで新競技のルール解読をしている。ざっと見まわしてだけでもその競技内容は、もはや競技と言うか軍事訓練に近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

③新競技に関して

 

(1)ロアー・アンド・ガンナー

・ボートに乗って水路を走り、次々と現れる的を破壊する競技

・ゴールタイムに応じたポイントと射撃スコアの合計を競うものである

・部門は、男子ソロ、女子ソロ、男女ペア、男子ペア、女子ペアで、各部門で各校一組のみ参加可能

・新人戦はペア三部門のみ行う

・なおペアの場合は、ボートと水面を操作するロアー、的を破壊するガンナーに必ず分かれるものとし、互いの役割に魔法で干渉したら失格

・的破壊の基準は、半壊以上とする

・的破壊のために「弾」となるものを使用しても良い。ただし魔法で射出すること

・破壊した的の数に応じて点数とするが、全て壊した場合は特別ポイントが加算される

・順位と点数は『アイス・ピラーズ・ブレイク』と同じ

・競技の実施手順について

 予選では、抽選順に参加組全員が一回演技を行う。このうち上位五組が決勝戦に進出

 ↓

 決勝戦では二回演技を行う

 ↓

 まず第一演技は予選の点数が低い順に行う

 ↓

 第二演技は第一演技の点数が低い順に行う

 ↓

 第一演技と第二演技で高い方の点数が採用され、それで最終順位を決める

・最終順位引き分けの場合は、第一演技のスコアで、それも引き分けの場合は、点数を折半とする

 

(2)デュエル・オブ・ナイツ

・本大会オリジナル競技

・部門は男子ソロ、女子ソロで、各部門三名参加

・10メートル四方のリングの上で、制限時間五分以内でお互いに剣と盾を持って戦う競技

・勝利条件は、(一)相手の剣か盾を五割以上破壊(二)相手が剣か盾を手放し地面に落下させる(三)リングアウト(四)タイムアップ時に判定勝ち、の四つ

・各々指定した防具を身に着け、下記から剣と盾を一つずつ選ぶ

・剣の材質は強化軽量プラスチック、盾の材質は強化プラスチック

・剣の種類について

 片手剣、刺剣、大剣

・盾の種類について

 小盾、中盾、大盾

・点数は『ミラージ・バット』と同じとする

・競技の実施手順について

 まず参加者27名を、九人の三つの中グループに分ける。同じ中グループに同じ学校の代表は入らない

 ↓

 さらにそのグループを三人ずつの小グループに分けて第一予選リーグを行う

 ↓

 小グループの各優勝者一名ずつ、計三名で中グループによる第二予選リーグを行う

 ↓

 中グループの各優勝者一名ずつ、計三名で、決勝リーグを行う

・ポイント引き分けの場合は、休憩ののち、先に一点でも入れたほうが勝利のサドンデス

 

(3)トライウィザード・バイアスロン

・本大会オリジナル競技

・最終日に行われる。参加可能校は、ここまでの競技の合計点上位二校のみ

・各校の代表68人までの中から男子部門・女子部門、各三名を代表選手とする

・また68人の中から、各部門に男女問わず、オペレーターを二人まで出してもよい

・これに限っては他競技との掛け持ちは可能

・出場選手は、競技当日の朝9時に発表とする

・三名でレースを行い、三名の合計タイムが早い方が勝利とする

・使用可能魔法は『モノリス・コード』と同じ

・競技コースは、スタートから順番に、森林、水上、平原

・森林コース

 森林の中を駆け抜けて、水上コースを目指す

 森林内では自動銃座や罠や障害物や大会スタッフが妨害してくる

 また、相互に妨害可能

・水上コース

 人工湖上をボートまたは水泳にて移動する

 相手ボートの破壊は禁止

 森林コースから出たところの湖の岸に、各チーム向けに三つずつボートと救命胴衣が用意されている

 救命胴衣を着用しないで水上に出た場合失格

 また、相互に妨害可能

・平原コース

 草原の中を駆け抜け、ゴールを目指す

 コース上には障害物や罠、コース外からは大会スタッフや自動銃座が妨害する

 また、相互に妨害可能

・相互の妨害は、魔法を使用していれば、『モノリス・コード』と違って殴打なども可能

・制限時間は二時間

・失格の条件は(一)反則(二)タイムオーバー(三)気絶後相手にヘルメットを外される(四)スタッフの介入で救助される、の四つ

・失格者のゴールタイムは二時間として計算。悪質失格者がいた場合は競技そのものに敗北とする

・オペレーターについて

 各選手のヘルメットには発信機がついており、各陣営のオペレーターは位置情報を仲間のもののみ見ることができる

 各コースにいくつかの空撮ドローンが浮いており、オペレーターはそれを見ることができる

 各選手のヘルメットには小型カメラがついており、仲間のもののみ見ることが可能

 オペレーターは各選手に、上記の情報を踏まえた指示出しがいつでも可能

 競技フィールドおよび競技フィールド内のものに協議続行不可能なほどに悪影響を及ぼす魔法の使用は禁止(例・樹木の伐採、人工湖を干上がらせるなど)

・点数は勝った方に50

・ゴールタイムが引き分けの場合は、失格者が少ない方が勝ち、それも引き分けの場合は、引き分けとして点数折半とする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バラエティ番組かよ」

 

 新競技のルールを解読し終えて、開口一番、ゲーム研究部の部長が腹を抱えて笑い出した。

 

 ツッコミを入れたのは、最後の競技『トライウィザード・バイアスロン』に対して。参加可能校はこれまでの総合一位・二位のみ、大きな点数、この競技だけ参加者が当日発表。なるほど、チープなバラエティ番組と言われても仕方のないレベルだ。

 

 同じようなことは達也と五十里も思っていたのだが、それよりも気になるのがやはり競技の性質だ。

 

「これは危険すぎますね」

 

「いくらなんでも軍事色が強すぎるよ」

 

『ロアー・アンド・ガンナー』は水軍の訓練から発展したものであり、「意図」ははっきりしているものの、まだ見過ごしても良い。

 

 見過ごせないのは『デュエル・オブ・ナイツ』と『トライウィザード・バイアスロン』だ。

 

 まず『デュエル・オブ・ナイツ』。名前こそ「騎士たちの決闘」とずいぶん洒落ているが、その内容はもはや実戦だ。

 

 似たような競技で、盾をぶつけ合う『シールド・ダウン』があるが、これは盾を扱う特殊部隊の訓練でよく使われているものであり、限りなく実戦に近い。この『デュエル・オブ・ナイツ』はそれよりもさらに実戦寄りで、なんと剣まで使うらしい。

 

 そして『トライウィザード・バイアスロン』。三人の魔法使いによるバイアスロン。このバイアスロンとは、地上を走行する森林と平原、湖上を走行する水上を指しているらしい。

 

 これに似た競技として『スティープルチェース・クロスカントリー』があるが、こちらはまさしく各国軍隊で、それも本格的な訓練として使われている大変危険性の高い競技だ。森林や湖上の移動だけでも素人には大変だというのに、罠や自動銃座や大会スタッフの魔法師による妨害もあるし、お互いの攻撃もあり。森林や山中が少ない分『スティープルチェース・クロスカントリー』よりは安全に見えるが、やることが多い点とお互いに本気で妨害しあえる点はあまりにも危険すぎる。

 

 この新競技は、そのどれもが、「意図」があまりにも見え透いていた。

 

 先の横浜での大事件で、戦争における魔法師の有用性がはっきりと示された。それによって、大規模な競技会である九校戦で、これまで以上に才能を発掘しようというのだろう。国防軍が全面的に協力してきているのは元からこのスケベ心があったわけだが、より露骨になってきている。

 

『ロアー・アンド・ガンナー』は島国の日本だというのに存在感が今一つ示せていない海軍の肝入りだろう。

 

『デュエル・オブ・ナイツ』は、エリカやレオや桐原、そして何よりも呂と文雄が、あの横浜の戦場で白兵魔法師の有用性を改めて示したからだ。

 

 そして『トライウィザード・バイアスロン』は、総合力と戦闘力に優れた魔法師を発掘するためだ。『モノリス・コード』『ロアー・アンド・ガンナー』『デュエル・オブ・ナイツ』『スティープルチェース・クロスカントリー』と特に軍事訓練色が強い競技を寄せ集めたような内容になっている。

 

「『ロアー・アンド・ガンナー』……これはSSボード・バイアスロンや操弾射撃、バトル・ボード部に適性がありそうだね」

 

「あ、だったら北山さんや光井さんや明智さん、それに滝川さんや五十嵐君あたりがよさそうだね」

 

 五十里と三七上がさっそく候補をピックアップしていく。出てきた二年生は、全員もともと『バトル・ボード』か『スピード・シューティング』の選手候補だった生徒たちだ。元の競技と性質が近いおかげで、こちらは難航しなさそうだ。

 

「まず『デュエル・オブ・ナイツ』に関しては、桐原がいるから安心だな」

 

「二科生だけど、この内容ならエリカも優勝候補ですね」

 

 範蔵と深雪もまたさっそく有力選手に当たりをつけていく。桐原は剣術部のエースで、先日行われた全国大会の優勝者。エリカは『剣の魔法師』千葉家で特に光り輝く才能を持つ女魔法剣士。なるほど、優勝候補である。

 

「……来る…………来る…………」

 

 そんな中、部屋の隅で、頭を抱えて蹲りながら、震えてブツブツ呟いている男がいた。

 

「あ、あの、桐原先輩、どうしたんですか?」

 

 近寄りたくないが、気づいてしまった以上達也は声をかけるしかない。文也が消えてこんなオーバーリアクションなギャグマンガ時空は吹き飛んだと思ったのだが、まだその影響は色濃いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鬼が…………鬼が、鬼がああああああ!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桐原の狂った叫びは、校舎中に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだよこれ、おもしれー」

 

 めそめそ泣いてるあずさを抱きしめて頭を撫でて慰めながら、文也は新ルールの詳細を見てケラケラ笑う。

 

「面白くないよ!」

 

「ぎゃああああああやめろやめろ!!!」

 

 それがあずさの逆鱗に触れ、このか弱くて小さい体のどこにそんな力があるのかと言うレベルの握力で胸ぐらをつかまれて持ち上げられる。文也はチビの分体重が軽いのだ。

 

「中条先輩って暴力振るうんだ」

 

「あれは文也に対してだけだろ。幼馴染だからな」

 

「あれも一つのいちゃつきってやつだな」

 

「変なこと言ってないで止めれーーーーーー!!!」

 

 その様子を、生徒会役員であるはずの真紅郎と風紀委員であるはずの駿と将輝は止めもしないで、呆れ顔で眺めるのみだ。文也の悲痛な叫びが木霊する。

 

 なんとか心が落ち着く『ツボ押し』をしてあずさから解放されると、文也は息切れしながら椅子に座り、あずさはまためそめそと泣き出して文也に抱き着く。

 

「チッ、なにあのメンヘラ」

 

「鬼のような顔をしないの」

 

 その様子を見て人様に見せられない顔をしている香澄を、綾野が窘める。修羅地獄のごときカオスだ。

 

「騒がしいわね。いったい何が起きましたの? ……ゲッ」

 

「……アレがいるなら納得」

 

「おーなんじゃなんじゃ、楽しそうじゃのう」

 

 そこに現れたのは、顔をゆがめた金髪の美少女・一色愛梨と、灰色がかった髪の大人しそうな少女・十七夜栞、それに珍しい青髪の少女・四十九院沓子だ。

 

「や、やあ、よく来てくれたね。部活中だっただろうに申し訳ない」

 

「九校戦の競技変更となっては仕方ありませんわ」

 

 愛梨は二十八家の一角である一色家の令嬢、他二人も百家本流でバリバリの実力者だ。部活連でも存在感が強い愛梨と栞の二人は、急遽会議のために呼ばれたのである。会頭は少し忙しくて遅れるとのことだ。ちなみに沓子は呼ばれたわけではないが、校内散歩中にたまたま二人と出くわして、面白そうだからと付いてきた。

 

 三人は渡された資料を見ながら、それぞれの反応を顔に浮かべる。愛梨はさらに顔をゆがめて呆れ、栞は無表情ながらも疑念を浮かべ、沓子は面白がってケラケラと笑いだす。ちなみに、将輝は愛梨と、駿は栞と、文也は沓子と同じ反応を、それぞれついさきほどしている。

 

「なんとまあ、低俗なテレビ番組のようですわね」

 

「軍事訓練か何かかと」

 

「あっはっは、シャレの効いた競技名じゃのう」

 

 そして同時刻に一高で言われていたような感想が漏れる。

 

「そうなんだよねー。いやー参った参った。今までの内定者に説明もしなきゃいけないし、選手選びも大変だ」

 

 朗らかな笑顔に困った色を浮かべながら、綾野はそう言ってため息を吐くと、端末を操作し始めて全校生徒のプロフィールを並べる。

 

「まあでも、桜花ちゃんが活躍できそうなのがあるのは大きいね」

 

「……あの人を桜花ちゃんなんて呼べるのは会長だけですよ」

 

 綾野の呟きに、真紅郎が呆れてため息を吐きながら突っ込む。それと同じことを、文也以外の全員が思った。

 

「ん? なんだその桜花ちゃんって。名前からしてかわいこちゃんか? 紹介しろよ」

 

 文也だけは、桜花ちゃんと呼ばれた人物のことを知らない。基本他者に興味がないのだ。

 

 そんな文也に、駿と将輝が呆れ果てて首を横に振る。

 

「お前、あのお方を知らないだなんてどうかしてるぞ」

 

「全くだ、よしちょうどいい。これからくるから、アニキをお前にも紹介してやろう」

 

「は? アニキ? 男なの? ていうかちょっと待てお前ら、なんかこう……目がヤベえぞ」

 

 文也は戸惑いが隠せない。ドン引きだ。なんだか急に、二人の目が、まるで新興宗教に心酔する信者のようになっているからだ。気づけば真紅郎も、そして愛梨も、同じような目になっている。正常なのは、あずさと香澄と綾野、それに訳知り顔の栞と沓子だけだ。

 

「失礼する」

 

 そんな部屋に、地鳴りのような声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドアから現れたのは、筋肉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 否、それは人間。

 

 身長は2メートルを超え、横幅はドアが埋まる程。それでいて太っているわけではなく、それどころか脂肪の気配すら見えない。ただただ鍛え上げられた筋肉と、巨大な体躯だけが目に入る。

 

 文也は唖然としながら、小さな体を目いっぱいに反らしてその顔をなんとか見上げる。

 

 そのあまりにも濃い顔立ちは、牙をむいた獣のような、唸るドラゴンのような、どこまでも恐ろしい印象を受ける。

 

『アニキ!!!』

 

 駿、将輝、真紅郎、愛梨が一斉に声を揃えて跪く。

 

「…………お前が井瀬文也か」

 

 そんな彼らを無視して、その怪物は、腰を抜かした文也を、猛禽のごとき眼光で見下ろす。

 

「ハ、ハヒ、ハヒ」

 

 文也は恐れおののきながら、壊れた機械のようにカクカクと何度も頷き、声にならない声でなんとか肯定するしかない。『蓋』よりも、アンジー・シリウスよりも、深雪よりも、達也よりも、生命の根本が蹂躙されるかのような、激しい恐怖を感じていた。

 

「噂には聞いている。初めましてだな」

 

 口角を吊り上げ、笑顔を浮かべる。しかしながら、それは牙をむいた怪物にしか見えない。殺し合いモードの文雄を超える恐怖が、文也を支配した。

 

「私の名前は鬼瓦桜花だ。部活連会頭を務めている」

 

「ちなみに女の子だよ」

 

 綾野の補足は、文也の頭に入らない。

 

 ただただ、本能的な恐怖と、わずかな反抗心によるツッコミが、脳内を支配していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(これはッッッ!!! 範馬勇二郎ではないかッッッ!!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一高で、達也から事情を聞かれた桐原が、ぽつぽつと語り始める。遅れて集まった十三束と沢木もまた、桐原から発せられた名前を聞いた時、恐怖で気絶しかけた。

 

 鬼瓦桜花。

 

 武道や格闘技界では知らない者がいないほどの有名人。

 

 身長は2メートルを超え、体重は150キログラムを超える、筋骨隆々の怪物。その顔は、全ての人間を食らう化け物のようだ。

 

 幼いころから、卓越した筋力と瞬発力とスタミナと反射神経とセンスで、魔法・非魔法問わず数々の武道や格闘技で、プロの大人をも真正面から打ち負かしてきた。曰く負けなし。

 

 その見た目と、敵を容赦なく打ち負かしてぶちのめすその姿から、いつしか界隈では、『オーガ』と呼ばれ始めていた。

 

 桐原が震える手で端末を操作して、動画を示す。2093年度全国中学生剣道大会決勝だ。

 

 両者面をかぶっているが、その体格差は大人と子供。大きい方が桜花だろう。

 

「これ、壬生先輩では?」

 

 その対戦相手は、なんと壬生紗耶香だった。達也は思い出す。紗耶香は中学三年生の大会で全国準優勝し、剣道小町ともてはやされた。なぜ優勝者が目立たなかったのか尋ねると、エリカが「相手のビジュアルがね」と言っていたのを思い出す。

 

 なるほど、確かにビジュアルは、女性としてはあまりにも醜い。男してみると、まあイケメンとして見る向きもあるだろうが。

 

 試合開始前の構えから、すでにその実力差がありありと示されている。桜花の堂々としたたたずまいに対し、紗耶香は引け越しだ。構える竹刀の先は、恐怖からか震えている。

 

 そしてそこから先の試合は――一方的だった。

 

 紗耶香は一切攻撃できずに守る事しかできない。しかしそれすらも遅れ、圧倒的な速さで開始直後に面を打ち込まれて敗北する。

 

(なんという速さだ)

 

 達也は驚愕した。ここまでの達人、軍の中でも四葉の中でも見たことがない。完全に防御に徹した紗耶香の防御を攻撃速度で上回るなど、あってよいはずがない。しかも、面を打った音は激しかったが、紗耶香が痛がっている様子がない。これも達人の面だ。剣道の巧者は、音は激しいが、寸止めのように打ち込むため、痛みはさほどではないという。つまり寸止め狙いだというのに、紗耶香を圧倒的に速度で上回ったということだ。

 

 次に示されたのが、マーシャル・マジック・アーツ。対戦相手は、現在恵まれた体格を生かしてプロで活躍しているベテラン選手の「男」だ。男が仕掛ける正面からのぶつかり合いも、巧みな搦手も、全てがそこに顕現した鬼によって容易く弾かれ、カウンターを食らう。あまりにも一方的な展開だ。

 

 達也は気づいた。エリカは「ビジュアルが」と言っていったが、なぜ優勝者である桜花の名前が目立たなかったのか。

 

 簡単な話だ。彼女が優勝するのは、当たり前だから。しかも、それは全ての競技において。

 

 なにも剣道で有名になるなんてことはない。それはそうだ、全てにおいて有名なのだから。

 

『オーガ』――鬼。

 

 その一言に、この怪物を表わす言葉は収束する。

 

「この人には……鬼神が宿っている」

 

「え、なんだって?」

 

 とてもこの現代で桐原から発せられたとは思えない言葉に、五十里は思わず聞き返した。

 

「鬼が……哭いている…………」

 

 その返答は、あまりにも要領を得ないものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「背中の鬼が……哭いているッッッ!!」

 

 文也は感動に涙を流しながら、そこに顕現した鬼を、ただただ見つめていた。

 

 桜花が全身に力を籠めると、その背中には鬼の形相(かお)が出現する。

 

 鬼神『オーガ』。それは桜花の筋肉に宿る鬼、そして桜花そのものを示す。

 

 その圧倒的な筋肉のカリスマは、スポーツマンと、筋肉にあこがれる「漢」を魅了するッッッ!!!

 

 駿、将輝、真紅郎、愛梨が心酔する『アニキ』。それは彼女の事だった。

 

 見た目と裏腹に立派な志を持った聖人のごときカリスマ、力で人々を導く武の頂。尚武の校風を持つこの三高の生徒を魅了するには十分だ。

 

 そして今ここに、心酔する者が一人増えた。

 

 井瀬文也。筋肉とは程遠い体格の彼もまた、自分の見た目をよりたくましくしたいと何度も願った、筋肉を求める「漢」であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………まあ、うん」

 

「な、ナニアレ」

 

「いつ見てもすごい」

 

「あっはっは、いやーすごいのう」

 

「桜花ちゃんはさすがだねえ」

 

 特に筋肉に憧れがないあずさ、香澄、栞、沓子、綾野は、大体反応に困っていた。




競技のルールが全て公開されたので、ここで一つお遊びをしたいと思います。
今回の九校戦の「選手当て企画」をしようと思います。

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=230607&uid=57173

上記活動報告に詳細を記入しています。お時間がございましたら暇つぶしにどうぞ。


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6-3

2096年度全国魔法科高校親善魔法競技大会日程

日程(8月)

3日・前夜祭パーティ

5日・開会式、『ロアー・アンド・ガンナー』男子ソロ女子ソロ男子ペア、『デュエル・オブ・ナイツ』男子・女子第一予選

6日・『デュエル・オブ・ナイツ』男子・女子第二予選および決勝戦、『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ男子ペア男女ペア

7日・『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア男女ペア、『ミラージ・バット』予選

新8日・『ロアー・アンド・ガンナー』すべて、『デュエル・オブ・ナイツ』男子・女子第一予選

新9日・『デュエル・オブ・ナイツ』男子・女子第二予選・決勝戦、『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア

新10日・『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペア男女ペア、『ミラージ・バット』予選

新11日・『ミラージ・バット』決勝戦、『モノリス・コード』予選一部

新12日・『モノリス・コード』予選一部・決勝戦

13日・『ミラージ・バット』決勝戦、『モノリス・コード』予選

14日・『モノリス・コード』決勝戦、『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペア・女子ソロ

15日・『トライウィザード・バイアスロン』、閉会式

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何はともあれ、各校代表の選定から始まる。

 

 参加可能な生徒数は、一年生最低24人を含む68人までとなっている。

 

 その意図する内約は、一年生の競技選手24人、本戦の競技選手28人、エンジニア6人、作戦スタッフ4人、そして『トライウィザード・バイアスロン』の選手6人と言ったところだろう。

 

 ただし、例えば去年文也や達也がやったような選手兼エンジニアがいればそれだけ人数に空きがでるし、『トライウィザード・バイアスロン』に掛け持ち選手を出せばそれでも人数に空きが出る。恐らく大会運営もそれは分かっていて、そのあたりの余りの人数は、『トライウィザード・バイアスロン』の選手に見せかけるもよし、万が一怪我した時の為の補欠として連れてきても良し、作戦スタッフやエンジニアを多めに連れてきても良し、来年以降のお勉強のために全く関係ない生徒を代表と称して連れてきても良し、ということだろう。

 

 結局競技変更が伝えられた当日は上層部だけで集まっての相談となった。事前に内定を出していた生徒にどう説明するか、新ルールや新競技をどう説明するか、どの競技にどの生徒を当てるか、関係者にどう説明するか、と様々だ。

 

 そしてその翌日の朝、緊急生徒集会で九校戦のルール・競技の変更が伝えられた。もはや恒例の感があり、なんなら現二年生は去年も同じものを経験しているため、毎年あるものだと思い込んでいる生徒もいるほどだ。

 

「ふーん、なるほどねえ。面白そうじゃない。で、アタシは最終的に『オーガ』と戦うわけね」

 

 まず真っ先に声をかけられたのは、一科生ではなく、二科生のエリカだ。『剣の魔法師』千葉家の子供たちの中でも特に飛びぬけた才能を持っている彼女は、二科生ながら魔法剣術においては全校で認められている。昨日の会議でも、真っ先に声をかけることが決まった。

 

(よかった、意外と冷静だな)

 

『オーガ』の存在はエリカも知っているだろうし、なんならそこらの格闘技系部活の生徒よりも知っている。そんな彼女は、この競技に出てくれと言われた瞬間に、やはり即座に『オーガ』に思い当たったようで、頼んで開口一番がこの言葉だった。達也は昨日の桐原たちの惨状を知っているので、エリカも発狂すると思っていたのだが、案外冷静で、ほっと胸をなでおろした。

 

「それで、達也君。アタシの墓石は、どの種類がイイと思う?」

 

(あ、やっぱだめだ)

 

 しかしそれは達也の勘違いだった。エリカの目はすでに血の池地獄のように淀んでいる。今おそらく彼女の脳内には、真夏の青空の下、衆人環視の前で『オーガ』に蹂躙され、血に沈んで倒れる自分の姿が映っているのだろう。

 

 そこからエリカが冷静になるまでに、かなりの時間を浪費した。

 

 そしてようやく発狂が落ち着いたエリカは、むしろ瞳にやる気の炎をたぎらせ始める。

 

「上等じゃない、こうなったら、全員アタシの道場で鍛え上げてやるわ」

 

(まだ冷静になってないみたいだな)

 

 確かにそうしてくれるならありがたい。千葉家の道場で鍛え上げれば、まさしく付け焼刃と言えど、高校生の親善競技会としては反則クラスの剣士が誕生するだろう。しかし、そこまではいくら何でもやりすぎだ。

 

「アタシたちでお兄様たちの仇を討ってやるわよ! 覚悟なさい、『オーガ』!」

 

「今さらりととんでもないこと口走ったな?」

 

 エリカの兄たちの仇討ち。つまりどういうことかというと、世界でも五本指に入る白兵魔法師として名をはせる長兄と、あの反則みたいな速度で剣を振るう次兄が、過去に『オーガ』に敗北した、ということだ。

 

 何はともあれ、エリカの厚意で、やりすぎな気もするが、『デュエル・オブ・ナイツ』の代表選手候補たちは、千葉家の道場にこれから通うことになった。さぞかし厳しい訓練が待っているだろうが、どうか死なないことを祈るばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと達也兄さま! どういうことですか!?」

 

「仕方ないだろう。向こうに迷惑をかけないよう気を付けるんだぞ」

 

「そんな! メイドの仕事は!? 使用人としての責務は!?」

 

「ほらほら大好きなお兄ちゃんと離れるのは寂しいのはわかるけど、我儘言わないの。これからみっちりしごいてあげるからね」

 

「あびゃああああああああ!!!!!」

 

 新人戦『デュエル・オブ・ナイツ』の代表選手候補に選ばれた桜井水波が拉致されるのは、翌日のことであった。

 

 山岳部の後輩の哀れな姿を見て、もはや千葉家道場に通うのなんざ慣れたものと言わんばかりに余裕の態度だったレオは同情する。そしてその同情によってテンションが下がったレオの心に、再び弱気と不安が蘇ってきた。

 

「なあ達也、ところで、俺も代表候補でいいのか? 言っちゃあ何だが、俺は二科生だぜ?」

 

「お前は桐原先輩の推薦だ、胸を張れ」

 

 今回、本戦男子で候補になった生徒は四人いる。剣術部の大エース桐原、白兵魔法戦闘が得意なマーシャル・マジック・アーツの沢木と十三束、そして桐原が推薦したレオだ。

 

 このルールでは、魔法の行使対象は自身と自身の武器防具のみに限られる。硬化魔法だけで十分戦えるし、その点で言えばレオは最適だ。またあの横浜の事件で、桐原は、レオの剣術の腕を見ている。それを思い出して推薦したのだろう。

 

 現段階だと、達也から見たら競技適正は桐原が頭一つ抜けているが、残りの三人は同じぐらいだと考えている。これから千葉家で鍛えられてどうなるかが楽しみだ。

 

 達也は『オーガ』と戦うエリカのではなく、水波の冷静キャラの墓石をひっそりと頭の中で立てながら、レオたちを見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三高に転校してきてから、文也の周りには実にたくさんの人が集まるようになった。とはいえ、それは文也を目的としているわけではない。

 

 一高時代よくつるんでいたのはあずさと駿、そしてゲーム研究部の連中だったわけだが、三高に転校してきてからは、ゲーム研究部の代わりに親友の将輝と真紅郎が加わることになる。

 

 そう、文也の周りにやたらと人がいるのは――将輝と真紅郎がお目当ての場合がほとんど、というわけだ。

 

 ……となると、文也たちは転校前から考えていたのだが、実際のところは違った。

 

「のう文也。やっぱりわしはやっぱりあの水上の狩りのような種目に出るのかの?」

 

「つくしは水が得意なんだろ? じゃあやっぱそれだろうな。射撃の方はどうなんだよ」

 

「悪くない、と言ったところじゃな! 多分二人組の漕ぎ手の方に選ばれるじゃろう。射手ももう目星をつけておる。祈じゃよ。ほら、おぬしの学校にいた早撃ちの優勝者の妹じゃ」

 

「あー部長さんのね。ほーん、そいつはよかった」

 

 昼休み。いつも通り食堂で――一高に比べて安くて量が多い分あまり美味しくないのは校風だろう――昼食を食べているわけだが、その周りはかなりにぎやかだ。

 

 文也、あずさ、駿、将輝、真紅郎。この五人に加えて、各々の知り合いがここにたまに加わってくる。そのうちの一人が、今文也の正面に座ってニコニコと楽しそうに話している四十九院沓子だ。

 

「……沓子ったら、あんなクソガキに……」

 

「愛梨、嫉妬?」

 

「もっと深刻な話よ」

 

 それを隣のテーブルから眺めているのが、沓子とよくつるんでいる愛梨と栞だ。愛梨は第一研究所出身の二十八家・一色家の出であり、「一ノ瀬」騒動とそれによって苦労した先人たちの苦労を知っている。文也と出会う前および去年の九校戦の時の将輝以上に、文也を敵視しているのだ。その事情に関しては栞も文也が転校してきたばかりの時に聞いたことがあるので、「そんな過去のことをぐちぐちと」と思わなくもなかったが、本人の自由なので放っておくことにしている。

 

 愛梨は文也を嫌い、栞も大人しい性格のため、騒がし上に暴れまわる文也はなるべく避けたいところだ。しかしながら、奔放で明るい性格である沓子は文也のことを気に入ったようで、こうしてよく一緒に昼食を取りたがる。文也が沓子に何かしないか心配でならないため、愛梨と栞はついてきているのだ。なんとも奇妙な友情である。

 

「文也さん文也さん! ボクはどの種目があっていると思いますか?」

 

「どうだろうなあ。七草家だったら何でもできるだろうし、どれで出ても優勝するんじゃねえか? でも他校のつえーやつと当たってみすみす優勝逃すのはもったいねえからなあ。じっくり考える必要があらーな」

 

「そうですか! だったら、放課後一緒に考えてくれませんか!」

 

「生徒会役員で作戦会議にも参加できるだろうし、そこで相談してみるか」

 

「む、むう。わかりました」

 

 そして沓子以上に好意が爆発しているのが、一年生の香澄だ。他学年だというのに、昼休みになるや否や、文也の前に必ず現れて、一緒に昼食を食べようと誘うのである。USNAに狙われていたころと違って昼食時に深刻な話をするわけでもないから断る理由もなく、いつも一緒に食べている。ちなみに香澄は毎回文也の隣を必ず確保する。そして毎回、自然と、文也のもう片方の隣はあずさだ。

 

 香澄はデートや接触のつもりで文也を誘ったのだろうが、あいにくながら相手は全くそんなことを想定していないため、普通に年上の兄貴分――はたまたガキ大将――として適切なアドバイスをしている。基本人の道から外れたバカガキだが、年下には甘いのである。まさしくガキ大将。おかげさまで香澄は何やら不満気だ。

 

「そ、それでね、そ、その……も、森崎君に今度、案内してほしくて……」

 

「その日は……ああ、大丈夫だな。空いてる」

 

「あ、ありがとう!」

 

 一方、そのそばではさらに甘い空間が広がっている。駿に控え目に話しかけているのは、艶やかな黒髪ロングの薄く化粧して少しあか抜けた印象のある同級生の女子、五十川沙耶だ。国立魔法塾三軒茶屋校で特待クラスのクラスメイトだったあの五十川である。百家本流五十川家の次女で、特待クラスの成績はその後三年間ずっと文也と駿に次ぐ三位だった。東京の塾に通っていたため、てっきり一高に入るものだと思っていたが、三高に進学していたらしい。三高に転校してきて三日目ぐらいに再会したから、実に一年ぶりである。

 

 あの川崎での事件は、あずさも将輝も真紅郎も知っている。ただし、文也と駿は、本人の名誉のために沙耶に関することだけは教えていない。文也と駿と沙耶の関係、それは、あの事件の事情をすべて知る者以外から見れば、魔法塾のクラスメイトという関係でしかない。

 

 故に文也以外は、その甘い空間の大元が分かるはずもない。実は転校してきて再会してから、沙耶は駿にアプローチを仕掛けている。沙耶本人からすればかなり積極的なつもりなのに周りから見れば全く積極的ではないという変な状態ではあるものの、断続的にアプローチしているのだ。その意味に気づかない駿はただの久しぶりに遊ぶ約束だと勘違いして文也を誘い、同じくその意味に気づかない文也もホイホイと付いて行って沙耶を落ち込ませたりしているのだが、それは余談だ。

 

「沙耶はあの森崎に気があるみたいだけど、なぜなのかしら」

 

「特待クラスで一緒だったころに何かあったんだと思うけど」

 

「駿本人が気づいてないもんだからはたから見ると相当面白いよな」

 

「駿って割とスケベだから反応すると思うんだけどなあ」

 

 それぞれが隣のテーブルに座る愛梨、栞、将輝、真紅郎の感想だ。真に事情を知る二人は沙耶の感情に気づかず、はたから見るとバレバレの感情に気づくものは真の事情を知らない。駿と沙耶の関係は、実に妙なことになっていた。

 

「グエーなんだよこのアイス。クッソマズっ」

 

「だから止めておけばって言ったのに……」

 

 それはさておき、文也が、席を離れて取りに行っていた食堂新発売の石川名産柿の葉寿司アイスを食べて唸っていた。好奇心に負けて注文してみたものの、寿司とアイス、マッチするはずもなく、生臭さとクリーミーさと酢飯の味が口いっぱいに広がり、文也は突っ伏した。隣に座るあずさは呆れ顔だ。

 

「あーちゃんも食ってみる?」

 

「でもちょっと気になるかも、アーン」

 

「ほいアーン」

 

「……………………」

 

 文也の悪魔の誘いにあずさは乗っかり、彼に食べさせてもらう。そして即座にコップ一杯の御冷をがぶ飲みして流し込んだ。そのまま無言で自分が注文していた新発売の石川名産ルビーロマンアイスを食べて口直しする。

 

「うう……美味しい……普通のアイス美味しい…………」

 

「そっち俺にも一口くれ。口の中が腐りそうだ、あー」

 

「しょうがないなあ。はい、あーん」

 

「うめ……うめ……」

 

 そして文也の求めに応じて、あずさは自分のスプーンでルビーロマンアイスを掬って食べさせる。そして食べるや否や、文也は普通のアイスの美味さに感動して涙を流し始めた。ちなみにこの後文也はまだまだ残っている柿の葉寿司アイスを完食しなければいけないのだが、今は現実逃避の最中だ。

 

『………………』

 

 その様子を、その場にいた全員が、各々の感情をこめて黙って見ていた。さっきまで話していた駿と沙耶ですら、駿はもはや見慣れたという飽きた顔で、沙耶は真っ赤になりながら見ている。

 

(あの二人、本当に恋人同士とかではありませんの?)

 

(ないんだな、それが。ただの幼馴染だよ)

 

 愛梨と将輝は小声でそう話す。将輝から見ても不思議な話だが、あの両者の間には恋愛感情のようなものがあまり見えない。物心つく前からずっと一緒にいる幼馴染で、お互いの境界が認識できていないから、というのが文雄の弁だが、何にせよ、距離が近すぎる。付き合いたての浮かれたイチャイチャカップルの方がまだわきまえていようというものだ。

 

(もう何も考えないで慣れるのが一番だよ、あの二人は)

 

 自然となんの示しを合わせることなく隣同士で座り、しかもその距離はほぼ密着と言っても過言ではないほどに近い。個別椅子式だった一高では目立たなかったが、ソファー式の三高の食堂だとそれはさらに顕著になる。そしてお互いに全く意識することなく自然に自分が口をつけたスプーンで食べさせ合うのだから、たまったものではない。親友として一緒に過ごす時間が長かった真紅郎たち三人は、最初こそ初心なもので目をそらしていたが、今や慣れっこだ。景色みたいなものである。

 

「むー、ねえ文也さん! ボクもそれ気になるから食べていいかな、あーん」

 

「おう、いいぞ、ほい」

 

「あーん!!!!!」

 

「急に吠えてどうした?」

 

 反対側の隣にいる香澄が対抗意識を燃やしてアーンを要求するが、文也はアイスと新しいスプーンを差し出す。意地になった香澄が顔を真っ赤にしながらさらに重ねて要求するが、文也は訳が分からない様子だ。

 

「哀れ」

 

 栞がその様子を見て、目を閉じて静かにテレビの見様見真似で十字を切る。あずさと香澄の差は、あまりにも歴然だった。

 

「ご、ぐもももももも!!!」

 

「あっはっはっは、わしはその勇気を褒めてやろうぞ!」

 

 香澄は結局アーンしてもらうことに成功したものの、悪知恵を回した文也は残りの柿の葉寿司アイスすべてをごそっと掬って香澄の口に入れた。香澄は一瞬だけ満足したものの、すぐに口いっぱいに広がる悪夢によってもだえ苦しむ。いつの間にか文也の正面の席から立ち上がって移動していた沓子が、香澄の口に御冷を流し込んでやりながら大笑いしている。

 

 ――この日を境に、たった一日で新発売の石川名産柿の葉寿司アイスがメニューから姿を消したのは、全くの余談だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後の会議では、生徒会と部活連を中心として、選手決めが始まっていた。ちなみにその場には、実力者として認められた将輝と、悪知恵が回るということであずさと真紅郎から推薦された文也も参加していた。

 

 現状決まっているのは以下の通りだ。

 

『ロアー・アンド・ガンナー』ソロに文也、ペアの漕ぎ手に沙耶と沓子、射手に真紅郎と百谷祈。

 

『デュエル・オブ・ナイツ』には愛梨と桜花。

 

『アイス・ピラーズ・ブレイク』のソロに栞と綾野。

 

 以上である。まだ通知から一日しか経っていないということで、競技適正が尖った生徒たちしか選べていないのが現状だった。

 

「それで、ボクはどれに出ればいいんだろうってことなんだけど……」

 

 今一つ不満な結果になったが、何はともあれ「文也さん」からのアドバイスと言うことで、さっそく香澄が相談を持ち掛ける。すでに選手として選ばれるのは決定していると言わんばかりの相談だが、入学試験でもその後の期末試験でも実技学年トップなのだから、誰もそれに不満は持たない。

 

「七草さんはあの七草家なわけだから、これといって苦手なものはないんだよね?」

 

「はい」

 

「だったら、どうしても選手が見つからないところに差し込むのが一番妥当なところだろうな」

 

 口火を切ったのが綾野で、その回答を受けて一つの結論を出したのが桜花だ。

 

「あとそーだなー、あの昼から考えてたんだけどよ」

 

「ボクのこと考えててくれてたんですか!?」

 

「お、おう」

 

 それに続いて文也が意見しようとしたが、爛々と目を輝かせた香澄が嬉しそうに叫ぶ。その目に浮かぶハートマークに気づいていないのは、「よく懐いてるなあ」と思っている文也とあずさのみだ。

 

「実際、香澄の実力は折り紙付きだから、どこ出しても優勝に近いところまではいくだろうな。だからこそ、優勝を確実に狙っていきたい。そのためには、余ったところに差すとか得意を活かすというよりかは、他校の強者に当てないことが重要だろうなって思うぜ」

 

「逆に他校の実力者を潰しにいくと考えることもできるが?」

 

「アニキ、それもそうですがね。実際俺がエンジニアとしてつけば早々負けることもないでしょうけど、例えば一高には香澄の双子の姉妹で腕も同じぐらいの、えーっと、なんだっけ」

 

「泉美ちゃんだよ」

 

「そうそう、それそれ。それもいますし、エンジニアとしては司波兄もいます。そのペアと当たったら、勝つか負けるかは五分五分ですぜ。変なリスクは負わないで、確実に点を伸ばすのが一番です」

 

 桜花からの反対意見に、すっかりその筋肉に心酔した文也が敬語で反論する。あまりにも珍しすぎてあずさが度肝を抜かしているが、同じく度肝を抜かしそうに見える将輝と真紅郎は、アニキに敬語を使うのは当たり前だと言わんばかりに反応を示さない。ちなみに文也が「香澄」と呼んでいるのは、元々「元かいちょーさんのいもうとさん」と呼んでいたのを、香澄が名前で呼ぶようにお願いしたからだ。

 

「なるほど、それも一理あるな。知恵が回るというのは本当のようだ」

 

 実力で正面から戦いに行こうとする桜花と、頭を回してリスクを回避しようとする文也。二人の性格の差がよく表れていた。

 

「それで、そういうからには他校の実力者は当然調査済みなんだろうな」

 

「へへへ、そのあたりもばっちり調査済みですぜ、アニキ」

 

「井瀬君は慣れない敬語使うと、なんというか漫画のザコみたいだよね」

 

「元から小物みたなメンタリティですからね」

 

 綾野と将輝の火の玉ストレートを無視して、文也はあずさの役に立つだろうと集めていたデータを全員の端末に送り込む。そしてそこから先の説明を、事前に資料を受け取っていた真紅郎が引き継いだ。

 

「まずライバルの一高。今年入った強そうなのは、さっき言った七草泉美と、二十八家である七宝家の長男・七宝琢磨、それに百家の千川ですね。それに対抗馬の四高に関しては、黒羽文弥・亜夜子の双子が腕が立つそうですよ。あと去年の中学生魔法師全国剣術大会で準優勝に輝いた江成恵子、操弾射撃で三位に入った井原栄太あたりがいますね」

 

 黒羽の名前を聞いた文也たちは一瞬ぴくっと動くが、過去の因縁は表に出さない。

 

「うーん、そうなると、やっぱり男子の七宝君が一番危険かな。噂によると氷柱倒しかモノリスに適性がありそうな感じだけど」

 

「そうなると、ボクは氷柱の男女ペアは回避する感じですね」

 

「だろうな。香澄の妹さんは何に出そうだ?」

 

「うーん、そうだなあ。まず泉美ちゃんは極度の男嫌いで同性愛の気があるから、男女ペアには出ないと思いますよ。適性的には……うーん……ミラージか氷柱倒しかな?」

 

「じゃあもうロアガンの女子ペアに出ろよ。元かいちょーさんの妹なら射撃はお手の物だろ?」

 

「はい! 任せてください!」

 

「決まりだね」

 

 綾野と香澄のヒントから、文也が結論を導く。それはやや早計な部分もあったが、何よりも文也が言ったことということで、香澄はすでにやる気満々だ。書記の真紅郎は、有力候補として書き込んでいく。

 

 実際、文也のこの選択は間違っていない。男子で最も難敵と目される七宝と文弥については、どちらもバリバリの直接戦闘タイプなので『モノリス・コード』の出場が最有力だ。またよりかち合う確率が高い女子については、泉美は香澄の予想通り現在一高で『アイス・ピラーズ・ブレイク』か『ミラージ・バット』のどちらかに出るというのが決まっているし、亜夜子に関しては文雄の証言から『ミラージ・バット』が最有力とみられる。一高も四高も性格が悪くて裏をかいてくる可能性は否定できないが、まだまだ他の代表選びで悩む必要がある以上、そう時間もかけていられないのである。

 

「では、俺はどうしましょうか」

 

 次に俎上に自ら上がってきたのは将輝だ。一条家なので液体への干渉が得意な分『ロアー・アンド・ガンナー』の漕ぎ手で相当やれるだろうし、去年優勝して見せた通り『アイス・ピラーズ・ブレイク』も優勝候補筆頭だ。また特にこの冬を通じて魔法戦闘力に磨きがかかり、『モノリス・コード』にも高い適性がある。香澄と同じく、強すぎてどうするべきか悩むという贅沢なものだった。

 

 そして、将輝の場合は香澄より悩まなければならない事情と、香澄よりも悩まなくてもよい事情がある。

 

 まず前者の事情については、本戦は新人戦の二倍点数が貰えるため、雑に決めるわけには余計にいかないということ。後者の事情については、本戦選手は二・三年生のため情報が集まりきっており、まず将輝にどの競技でも勝てそうな男子がいないということだ。唯一将輝を打ち負かせるであろう「本気の達也」に関しては、さすがに出てくることはないはずだ。

 

「マサテルはそうだなあ」

 

「マサキだ」

 

「まず調整が入ったと言えどまだまだ大きいモノリスが一番だよな。だけど、正直一番適性があるのはやっぱ氷柱倒しだと思うぜ。『爆裂』の弱点は去年俺が見せた通りだから、一番怖いのはあのヒステリー女だな」

 

「いや、誰なのよそれ」

 

 文也の発言に、頭に?マークを浮かべた愛梨が疑問を挟む。確かに考えてみれば、彼女の人となりを知る者はこの場では意外と少ないのだから、こういう反応は無理もない。なんの疑問もはさまず納得しているあずさたちもそれはそれで――いくら事実と言えど――彼女に失礼と言う問題はあるが。

 

「司波妹だよ、司波深雪」

 

 文也がその名前を口走った瞬間、生徒会室に緊張が走る。特に去年こっぴどくやられてリベンジの炎を燃やしている愛梨と栞は、その反応が顕著だった。

 

「アイツの温度振動系は、なんかもう頭おかしいからな。一瞬で自陣の柱の内部まで急速冷凍して『爆裂』は効かなくなる。去年マサテルが使ってきたあの変な領域魔法も負けるだろうな」

 

 その変調に気づきもせず、文也は考えていることをさらさらと説明していく。

 

「そうなると、俺はやはり氷柱倒しの男子ペアか?」

 

「いや、男子に関しては将輝の相手になりそうな奴はいない。全員雑魚だ。わざわざ出ていく必要もない。真正面から男女ペアがいいだろ」

 

「司波さんが男女ペアに来る可能性は高いと思うが?」

 

 将輝の反論は正しい。一人でも余裕でやれる将輝がなぜペアに出ることが前提なのか。それは、ソロの選手にすでに綾野が内定しているというだけではない。ソロとペアならばペアの方が点数が高く、単純にそちらに実力者を配置するほうが効率が良いからだ。当然同じことは向こうも考えているはずなので、深雪がペアに、つまり男女ペアに出てくる確率は高い。

 

「まず一つ、司波妹以上に、女で一人、ペアで出てくる確率が圧倒的に高いやつがいる。攻撃一辺倒の地雷女だ」

 

「千代田さんのこと?」

 

 文也の言葉に、あずさが即座に誰を示しているのか確認する。攻撃一辺倒の地雷女、ですぐに想定するのも実に失礼な話だが、文也が彼女を「地雷女」といって風紀委員に逆恨みをぶつけるところを、あずさはなんども見ている。即答は自然なことだった。

 

「そうだ。あの攻撃一辺倒脳みそ火薬地雷女は、その性質から間違いなく氷柱倒しのペアに出てくる。なにせ防御が最低限だからな。誰かに守らせて一辺倒の方がやりやすいだろ。もしこの地雷女とマサテルが戦ったとしたら、破壊速度はマサテルのほうが上だ。絶対にこっちが勝つ」

 

 文也の言葉は正しい。花音の性質を知っていれば、彼女をこのように起用するのは、万人が賛成するだろう。

 

「それと、司波妹は多分男子とペアを組まない。アレと組んだら男どもは浮かれて実力が出せないか、コワイコワイお兄様ににらまれて実力が出せないかのどちらかでただの置物だ。組むとしたら女子、もしくは一人で全部できるんだからソロだろうな。置物覚悟で男女ペアにでて一人で全部かっさらうって作戦も否定できないが、将輝がいるんだったら二人がかりならば勝てる。司波妹が男女ペアに出る確率は低いし、出るとしても勝てる。つまりどう転んでも、将輝を男女ペアに出せば、一高の有力女子の優勝を潰したうえでこっちが確実に優勝できるって寸法だ」

 

「……転校生って九校戦だとズルいよね」

 

 文也の述べた作戦に、ずっと発言していなかった栞がぽつりと呟く。学校同士ということで、内部事情を知る転校生の存在はあまりにも大きい。文也の今の作戦も、一高に通っていなければ思いつくことすらなかっただろう。

 

 今の文也の話を聞いて、将輝を含むほぼ全員が納得した。将輝は『アイス・ピラーズ・ブレイク』の男女ペアに決定だ。モテモテの将輝とペアを組む女子となると血みどろの争いが予想されるので、あらかじめ生徒会と部活連で一人に絞って指名する形が良いだろう。花音と深雪を想定して、振動系の防御力が高い女子を選ぶ必要がある。

 

(……ねえふみくん、今の、一つだけちょっと不安があるんだけど)

 

(お、さすがあーちゃん、良く気付いたな)

 

 そう、「ほぼ」全員だ。ただ一人だけ、今の作戦に不安を覚えた者がいる。それがあずさだった。文也もこれには大きな穴があると自覚しており、それをあえて言わずに意見を通したのだ。

 

 文也とあずさの不安。

 

 それは、男女ペアに、深雪と達也で挑まれることだった。

 

 あの二人は兄妹なだけにコンビネーションも抜群。深雪は攻守一体で最強の『氷炎地獄(インフェルノ)』があるし、達也は相手の魔法をすべて問答無用で無効化できる『術式解体(グラム・デモリッション)』を連発できる。もしこの二人がくれば、たとえこちらの最高戦力、例えば将輝と栞のペアをぶつけても惨敗するだろう。決勝リーグで当たって二位に終わればまだ良いが、予選で当たって敗北してゼロポイントとなったら目も当てられない。

 

(まずはこれを見てみろ)

 

 周りが話し合っている中、声を潜めて文也はあずさにあるものを示す。それは今年度の九校戦の日程、その一部だ。

 

6日・『デュエル・オブ・ナイツ』男子・女子第二予選および決勝戦、『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ男子ペア男女ペア

 

(今年の氷柱倒しは、同部門の予選と決勝を一日かけて一気に行う。つまり、司波兄が出場したとしたら、その日一日は、エンジニア業を停止しなければならないだろ?)

 

(あ、そういうことか!)

 

 もし最悪のパターンである達也・深雪のペアが来て、もし将輝たちが予選で敗北したとしても。達也はその日一日は自身の競技にかかり切りで、他一切のエンジニアとしての仕事を休止せざるを得ない。魔法工学科を新設して全体的に層が厚くなったと言えど、文也とあずさを失った一高の有力エンジニアは五十里しかおらず、人手不足となる。一方こちらは文也、真紅郎、あずさがフル稼働出来て、他競技・他部門で力を振るえる。仮に『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペアが最悪の結果に終わっても、この日に行う他の競技全てで、一高が調子を出せないということになる。そうなれば、全体として見ればプラスだ。

 

(す、すごい! ふみくん、すごいよ!)

 

(へへん、だろ?)

 

 あずさは思わず驚嘆する。改めて、文也の頭の回転がすさまじいことを素直に賞賛した。もし彼女でなければ、「さすが悪知恵が回るな」と悪口まじりになっただろうが、そこはあずさの性格の良さである。

 

「ちょっとそこ! なにやってるの!?」

 

「おっと、すまんすまん」

 

 みんなが話し合っている中、文也とあずさは端でこそこそと顔を突き合わせて笑いあっている。はたからみていつものイチャイチャだと思った香澄は、ヤキモチまじりにそれを咎めた。



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6-4

前回のタイトルが間違って2-3になってたの、気づいた方います?僕は気づくのにだいぶ遅れました。この章は二年目3とか二年目5みたいな感じで管理しているので、うっかり2にしてしまうんですよね。


「せ、精いっぱいお勤めさせていただきましゅ!!!!」

 

「そんなに緊張せずともよろしいのですよ」

 

 7月4日。深雪と『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペアを組むことになった同級生の女子・奈良谷は、顔を真っ赤にしながら深々とお辞儀をした。そしてこうした反応の対応に慣れている深雪は、優雅にその手を取って仲間であることをアピールし、緊張をほぐそうとする。

 

「へ、へにゃあああ」

 

 しかし逆効果だったようで、顔を真っ赤にしてへなへなと力が抜けてしまった。

 

「……本当に大丈夫なの?」

 

「大丈夫だ、問題ない」

 

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロ代表に選ばれた雫が、その様子をはたから見て、達也に問いかける。達也はそれに対して、どこぞの金髪のようなドヤ顔ではなく、無表情で頷いた。

 

 深雪は一人でも十分やれるため、『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ソロに出るという案があった。しかしながら、一人でも二人相手に勝てそうな反則戦力である深雪のパワーはやはり得点源にしたということで、ペアに出すことを達也が提案した。

 

 ではここで、同じくペアで出ることが最初から確定していた文也曰く攻撃一辺倒地雷女こと千代田花音と、どっちが女子ペアでどっちが男女ペアになるか、という話になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、啓と出る!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうなったときに顔を真っ赤にして目を爛々と輝かせ猛牛のごとく鼻息を荒くした花音が、即座に妙案を口にした。これは達也ですら思いつかなかった奇策だが、しかしながら、考えれば考えるほどベストである。

 

 確かに五十里啓は作戦スタッフ兼エンジニア兼生徒会長であり、さらに選手として出るとなると、負担が大きすぎる。

 

 しかしながら、作戦スタッフ兼エンジニアを一人で余裕で背負い込める反則男・達也がいるため、一日ぐらい抜けても大きな問題にはならない。エンジニアは魔法工学科新設のおかげで最低限のラインに達した生徒が数だけは揃っているので、そこに集中して穴埋め起用も可能だ。

 

 また、花音と五十里は、達也・深雪兄妹、文也・あずさ幼馴染ペアと並んで、一高内でトップクラスの「ラブラブカップル」である。実際にカップルなのはこの二人だけであり、男女ペアとなればこれ以上ない組み合わせだろう。五十里は実技の腕も確かであり、選手としても十分だ。また、花音が攻撃一辺倒なのに対して、五十里は刻印魔法や魔法陣が得意なことから、陣地防衛や守備が得意である。コンビネーションも相性も魔法力も最高の組み合わせ。もはや『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペアに出場するために生まれてきたとしか思えないレベルだ。

 

 そういうわけで、(普段散々イチャイチャしてるくせに)あまりに欲望むき出しの恋人のせいで恥ずかしくて赤面した五十里も了承したことで、この組み合わせが決定した。達也としては欲望むき出しの浅い考えのわがままが自分の作戦を超えるベストだったことに悔しさを覚えないわけではないが、それを表に出すほど子供でもない。

 

 さて、そうなると、深雪と組む女子が問題である。問題がなさ過ぎて問題なのだ。

 

 なにせ、深雪一人で花音と五十里を正面から叩きのめせるほどに強い。誰が組んでも置物にしかならない。正直言って、一年生の二科生を置いて横でオタ芸させてても優勝できそうだ。

 

 しかしだからといって投げやりになるわけにもいかず、それが達也と深雪を悩ませた。

 

 結果として、代表選手として選ばれてもギリギリ不満が起きない実力だが、正直選ぶには不安が残る程度の実力で、かつ深雪の邪魔をせず出すぎた真似をしなさそうな女子を選ぶことになった。それがこの奈良谷だ。これといって苦手はないが上位陣に決して食い込むことはない器用貧乏の極みのような魔法力であり、性格は美月やほのかもかくやというほど控え目。ベストチョイスである。

 

 また、『ミラージ・バット』にはすでにほのかと里美スバルが内定している。残り一人は、何人か候補を集めてしばらく様子を見るつもりだ。

 

 他、『ロアー・アンド・ガンナー』の女子ペアは射撃に自信がある明智英美が射手、ボート部の三年生・国東(くにさき)久美子が漕ぎ手として選ばれた。男女ペアでは、操弾射撃部の滝川が射手、移動魔法に自信があり去年の『バトル・ボード』新人戦で健闘した西川が漕ぎ手として選ばれた。男子ソロには、文也と駿が抜けて、一科生に上がった幹比古と並んで一年生男子のツートップと目される、SSボード・バイアスロン部の五十嵐が選出された。全員の適性と実力がかみ合った、手厚い布陣だ。

 

『モノリス・コード』本戦には、今一高生徒で魔法戦闘においてはトップと名高い範蔵、そしてスランプから脱却して一科生に転科することができて実力と実績が認められて大抜擢された幹比古が確定している。残り一枠については宙ぶらりんであり、これといった候補がいない。沢木が『デュエル・オブ・ナイツ』の代表に選ばれなければ彼が、選ばれれば三七上ケリーが出るのが穏当なところだろう。ちなみに沢木が『モノリス・コード』に出ることになった場合、三七上は『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロにでることになる。また新人戦に関しては今年は粒ぞろいであり、新入生代表の七宝琢磨、百家本流で金にがめついと有名らしい千川、親が元芸人でユーチューバーらしい梶原という、実力派でキャラの濃い三人が確定した。

 

「お姉さま、二人で優勝しましょうね」

 

 そしてついさっきまで深雪とペアを組める奈良谷を殺せそうなほどに嫉妬の目線でにらんでいた泉美は、『アイス・ピラーズ・ブレイク』新人戦女子ペアの選手として選ばれた。もともとは『ミラージ・バット』の予定だったのだが、亜夜子がそれに出ると知っていた達也が強硬に反対してこちらにしたのである。

 

(……不安だな)

 

 ここまでは順調だ。今決まっているメンバーは即決されたことからも分かる通り、去年の三巨頭ほどではないにしろ、実力者ぞろいだ。ここまでのメンバーに不安はあまりない。確実にポイントをゲットしてきてくれるだろう。

 

 達也が不安を感じているのは、それ以外。未だに決まっていないメンバーたちだ。他はどうにも小粒ばかりであり、ポイントゲッターになり得るとは到底思えない。特に新人戦は微妙なところだ。

 

 そこで思い出されるのが、この一高にいるはずだった四人。文也、あずさ、駿、香澄だ。文也とそれについていくようにして去っていった三人。この四人は貴重な戦力になるはずだった。問答無用でCADによる魔法を無効化する駿は『モノリス・コード』で活躍できるだろうし、『ロアー・アンド・ガンナー』の射手としての活躍も見込める。文也もあずさも魔法に関しては何でもこなせる上にエンジニアとしての知識と腕、作戦スタッフとしての頭の回転も抜群であり、選手・エンジニア・作戦スタッフ全ての面で頼りになったはずだ。入学予定だった香澄も、一年生の三大エースとして活躍してくれただろう。この四人が揃って一番のライバルである三高に流れたのは、あまりにも痛い。

 

 ここから先の選手決めは難航するだろう。達也は泉美に危ない目線で見られて困惑し始めた妹の助け舟に入りながら、内心で嘆息した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、お前らは何に出たいの?」

 

「氷柱倒しに出たいと考えています」

 

「ナナは特になんでもいいでーす」

 

「えー、お前だったらモノリスのほうがいいと思うぞ」

 

 三高もまた本格的な選手選びに入った。まずは各有力選手がどの種目に出たいかと言う調査だ。沓子のように適性が偏っているタイプは半強制的に種目が決まるが、将輝や香澄のようになんでもできるタイプは選択肢が多いゆえにむしろどうするか難航するのだ。そういう時、特に入学したばかりでまだメンタルが不安定な新入生は、なるべく本人の希望に沿う種目に出すことにしている。ただし、生徒会や部活連としては全体のことを考えてほしいので、『尚武』の校風らしく、希望種目の調査に見せかけたパワハラ気味の「説得」が毎年恒例と言うのが実情である。

 

 文也が聞きに来たのは、香澄には遠く及ばないが、入学当初から何かと自分に話しかけてくるおかげで親しくなった二人の新入生だ。

 

 真面目そうで表情が薄い大柄な男子が、香澄に次ぐ成績の新入生次席、六十里(ついひじ)颯太だ。

 

 百家本流の六十里家は、百家の中でもかなり新しい家であり、第三次世界大戦以降に数字付きとなった一族だ。そのルーツは、魔法技能師開発第八研究所の「研究員」だ。魔法技能師開発研究所出身で名を残す魔法師は、通常は二十八家などのように、そこで実験対象・研究対象となっていた魔法師である。しかしながら六十里家は、実験対象・研究対象になった魔法師よりも実力が大きく劣る魔法師で、第八研究所の研究員だったのだ。しかしながら第三次世界大戦中も含めて、研究成果を着々と進化させて、百家本流に名前を連ねることになった。特徴とする魔法は「魔法による重力、電磁力、強い相互作用、弱い相互作用の操作」を研究テーマとしていた第八研究所出身らしく、電気斥力を操作する魔法だ。そしてこの六十里颯太もまた、それを筆頭とする、放出系魔法が得意である。素粒子に働く四つの基本的な力を研究テーマとしている割には、八代家と言い、やたらと電磁力に尖った魔法師が多いのは第八研究所出身者の定番自虐ネタなのは余談である。

 

 一方、低めの身長で大きな胸が特徴的な、いわゆるロリ巨乳で、軽薄できゃぴきゃぴした印象を受ける女子は、真壁菜々だ。入試成績第十位であり、本人曰く、『情報強化』を筆頭として『保温』『硬化魔法』のような、状態を維持する魔法が得意のようである。ちなみにこの二人は幼馴染だ。

 

 こうなると、二人の適性は自ずと見えてくる。颯太は電気ショックによって相手を麻痺させる『モノリス・コード』、菜々は自陣の氷を守る『アイス・ピラーズ・ブレイク』か硬化魔法でバランスを整える『ロアー・アンド・ガンナー』が適任だ。

 

「いえ、そ、そんなことはありません」

 

 しかしそんな文也に、颯太がぎこちなさそうに反論をする。

 

「い、井瀬先輩が持っている『分子ディバイダー』や『ヘビィ・メタル・バースト』は、去年先輩自身がやってみせたように、氷柱倒しの攻撃にぴったりです! せ、先輩さえ良ければ、それを教えていただいて……そ、それで、俺……じゃなかった、ぼ、僕が活躍して見せますから!」

 

「お、おう」

 

 颯太は普段、ここまで語頭が詰まったり声を荒げるような話し方ではなく、むしろポツポツと抑揚なく流れて話すタイプだ。意外な事態に、文也は思わずドン引きする。完全に挙動不審だ。

 

「す、すいません!」

 

 そんな文也を見て、颯太は恥ずかし気に顔を赤くして、次にまずいことをしてしまったと言わんばかりに青くする。普段表情があまりない癖に、今日はやたらと饒舌だ。

 

「そういうわけでぇ、ソウ君の言う通りぃ、センパイが教えてくれたら、ナナたち、きっとうまくヤ・レ・ると思うんですよお」

 

 そんな颯太をフォローするように、菜々はキュッと胸を寄せて、前かがみになって文也に艶っぽい笑顔でお願いする。それを見たドスケベクソガキ文也は、当然鼻を伸ばして、

 

「おういいともいいとも!」

 

 なんて口走り、その直後に、

 

「ぎゃああああああ!!!!!!」

 

「お前は何をやっているんだ」

 

 いつの間にか後ろに立っていた将輝に捕まってコブラツイストを食らった。

 

 このあまりにもスピード感のあるギャグマンガ時空に、颯太と菜々は目を丸くしてポカンとするほかない。

 

 そんな二人に、痛みのせいで地面に突っ伏して伸びている文也を足蹴にしながら、将輝は鋭い目線で言葉をぶつける。

 

「お前らが何をやろうとしているのか、俺にはお見通しだ。別にこのスケベバカがいいっていうならいいけど、俺ら一条家の目の前で、好き勝手出来ると思うなよ?」

 

 言うだけ言って、将輝は文也を担いで去っていく。

 

 その背中を、颯太は恥ずかしそうに、菜々は苛立たし気に、それぞれ見るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駿の競技適正は、『ロアー・アンド・ガンナー』の射手か『モノリス・コード』だ。ボディーガードが稼業の森崎家長男としては『モノリス・コード』のほうが性に合っていたのだが、去年の夏休みに川崎のボランティアで彼の射撃の腕を見たあずさが必死に射手を、とお勧めするので、今回は『ロアー・アンド・ガンナー』の射手を務めることになった。

 

「ロアガンに僕ら三人が集中するのも不思議な話だね」

 

「水も液体だし、一歩間違えれば将輝もここにいたのかと思うと余計にな」

 

 駿と同じく射撃に高い適性がある真紅郎もまた、この競技のペアで射手を務める。またこの競技のソロは高いマルチキャスト能力が試されるため、マルチキャストを超越した反則級の『パラレル・キャスト』を持つ文也が男子ソロの代表だ。仲良しグループが一つの競技に三人も集ったのが、真紅郎としては可笑しくてならなかった。

 

「で、ここで問題になるのが、漕ぎ手なわけだけど」

 

 真紅郎は端末を操作しながら生徒リストを眺める。ペア三部門の射手は駿、真紅郎、祈で決まっているのだが、漕ぎ手は沓子しかまだ決まっていない。その沓子は同じく奔放な性格である祈とウマが合うようで、すでに女子ペアで組んでいるとのことだ。今この二人には、漕ぎ手がいないのである。

 

「そうだ、いいこと考えた」

 

「アテがあるの?」

 

 駿は何かを思い出したようで、携帯端末を操作して誰かに通話をかける。

 

「もしもし、森崎駿だ」

 

『ぴ、ぴい! も、森崎君!? い、いいい、五十川でしゅ!』

 

「ぷっ」

 

 駿から唐突にかかってきた電話に驚いたみたいで、電話の向こうの沙耶はとんでもないことになっている。彼女の心を知る真紅郎は可笑しくてつい噴き出してしまい、ついでに駿の意図を察した。

 

「なあ五十川、今年の九校戦のルールは知ってるよな?」

 

『う、うん。たくさん変わったんだよね』

 

「ああ、『ロアー・アンド・ガンナー』のルールは見たか?」

 

『きょ、興味あったから一応……』

 

 沙耶は五十川家の特徴にたがわず移動魔法が得意であり、マジック・ボート部――エンジンのついてないボートで櫂やオールなどを使わず魔法でレースする競技であり『バトル・ボード』のボート版――の部員でもある。当然似た性質の競技には、興味がわいたのだろう。

 

「それでさ、俺はペアのガンナーに選ばれたんだけど、ロアーがいなくて困ってるんだ」

 

『そ、そうなんだ。じゃ、じゃあ、うちの部から紹介してほしいってこと、かな?』

 

 沙耶はどんくさくてやることなすことがニブくはあるが、決して愚鈍ではない。この話の流れでそう予想するのは、彼女の察しの良さだ。

 

 しかしながら、残念ながら今回は、それは半分当たりで半分外れだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、そこでさ、なあ五十川。俺のロアーになってくれないか?」

 

『え、えええええええええええええええええ!!!!!?????』

 

 

 

 

 

 

 

 スピーカーから聞こえる大声に、駿は思わず端末を耳から離す。

 

『え、えっと、その……私なんかで、いいの?』

 

「むしろロアーとしては最有力候補だろ?」

 

 弱気で気弱な沙耶の自己評価は限りなく低いが、彼女は去年の『バトル・ボード』新人戦で優勝している。駿は参加していないのであずかり知らぬことだが、作戦会議では沓子と並んでロアーの有力候補として名前が挙がっていた。

 

「もちろん、急な話だし、嫌だったら断ってくれてもいいけど」

 

『う、ううん! 全然嫌じゃないよ! む、むしろ、う、嬉しい!』

 

「そ、そうか」

 

 沙耶の声は上ずっている。耳元でそれを聞かされた駿はなんだか不気味な気分になり、ドン引きしながら、何やら嬉しがっているらしいということで、ひとまずほっとする。

 

 その後、ちょうど『ロアー・アンド・ガンナー』練習用の本番再現コースが出来上がった――資料に入っていた本番コースの図面が『バトル・ボード』と大差なかったために元からあったのを改造するだけだったのでたった一日で用意できたのだ――という連絡が入ったので、祈と沓子に声をかけてから、一緒に練習しようということになった。

 

 

 

 

「罪な男だね、駿も」

 

 

 

 

 

 その背中に、からかいと羨望と妬みが混ざった声で、真紅郎が駿に聞こえないよう小さく声をかけた。

 

 ――真紅郎も思春期、同級生の美少女に恋をされたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沙耶の漕ぎ手のしての腕は中々のもので、スピードもコーナリングもピカイチだった。

 

 また射手である駿の腕もかなりのものであり、命中精度はすでにプロの領域に達している。

 

「きゃあっ!」

 

「うおっと!」

 

 ――しかしながら、その練習は上手くいっているとは言い難かった。

 

 コーナーの瞬間、沙耶は曲がる方向を盛大に間違えてしまってコースアウトしそうになって急ブレーキをかける。そのせいでバランスを崩してしまい、ド派手に水路へと倒れてしまった。

 

 これが初めてではない。今日一時間やっただけで、すでにこれが四度目だ。

 

「ううううう、ごめんなさい……またわからなくなっちゃって」

 

 夏で気温が高いと言えど水中。体温は低くなっているはずだが、沙耶の顔は恥ずかしさで真っ赤っかだ。

 

「仕方ないさ、苦手なことは誰でもある。これから磨いていこう、な?」

 

 すっかり落ち込んでしまった沙耶の肩を叩いて、陸に上がるのに手を貸しながら、駿は慣れない慰めをかける。去年までの余裕のない彼だったら、はっきり言って足を引っ張っている沙耶に対して怒鳴っているかすでに見捨てているか、良くても苛立ちを隠せないでいた。この一年の間に、駿は人間としても成長していた。

 

「参ったのう、スピードのせいか、いつにもまして方向音痴が酷くなっとる」

 

 二人そろって乾燥用のドライルームで全身に温風を浴びているところに、一段落したらしい沓子がやってくる。

 

(方向音痴……思ったよりひどいな)

 

 沙耶がコーナーの方向を間違える理由。

 

 それは、彼女が極度の方向音痴だからだ。

 

 あの中学一年生の頃の真夏の川崎で、うっかり治安の悪い場所に歩いてしまったのも、極度の方向音痴が原因だとは聞いている。確かに考えてみれば、あれ以来、いつも誰かと一緒にいたような気がしないでもない。今考えると、あれは極度の方向音痴である沙耶が一人で行動できないからではないだろうか。今日の昼食時も、新しい映画を見に行きたいけど方向音痴だからついてきてほしい、という話で誘われたのだった。

 

 そんな極度の方向音痴に、景色が目まぐるしく変わるボートによる高速移動で、水跳ねで視界もままならない。これらの要素が重なって、沙耶はカーブの方向すらマトモに認識できなくなってしまっている。そのせいで、コーナーで何度も逆方向に舵を切ってしまうのだ。

 

 確かにボート操作の腕はピカイチだが、これでは本番ゴールすることすらできない。このままでは、他の生徒に漕ぎ手をやらせた方が良いだろう。

 

 駿は無意識的に、そういうことを考え始めていた。

 

 その困ったような気配を、沙耶はその表情から、敏感に感じ取ってしまった。

 

「お、お願い! 私、頑張るから! み、見捨てないで……!」

 

「お、おう。安心しろ、落ち着こう、な?」

 

 顔をゆがめて涙を流しながら、沙耶は駿に縋り付く。急に大げさで人聞きの悪いことを言い出されて駿は困惑するが、ひとまずそれを落ち着けさせる。

 

 結局、こんな精神状態では練習にならないので、今日の所はお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 その日の夜。実家の東京から遠く離れてマンションを借りて一人暮らしをしている沙耶は、もう真っ暗だというのに部屋の明かりもつけず、ベッドの上で枕に顔をうずめて、静かに泣いていた。

 

 あまりにも、情けなかった。

 

 せっかく駿に漕ぎ手に選んでもらえたのに、足を引っ張ってばかりだったし、そのあとは取り乱して迷惑をかけてしまった。

 

 ――強くなりたい。

 

 あの夏の日以来、そう思って、駿や実家から離れるのを承知で、『尚武』の校風を持つ三高に志願した。

 

 すでに家族から見放されつつあった沙耶は、それをいともあっさりと了承されてしまった。

 

 極度の方向音痴。親曰く生まれつきらしい、もはや一つの認識障害にも似た欠点。

 

 これが、沙耶を大きく狂わせていた。

 

 百家本流・五十川家は第三次世界大戦の活躍で名をはせた一族だ。その得意魔法は、移動系魔法と加速系魔法。車やバイクだけでなく、スケートボードやボートなど、陸上・水上のあらゆる乗り物を使いこなし、さらにそれを魔法で操作して戦場を駆け回る。物資・人員の輸送、敵陣地への奇襲、戦場の攪乱、高速撤退、負傷者の回収など、その活躍は八面六臂だ。

 

 沙耶はそんな五十川家に生まれた次女で、移動系魔法や加速系魔法を含むあらゆる魔法力においても、学力においても、五十川家では一番だった。多少落ち着きがなくてドジなところがあったが、それも可愛いものだった。

 

 しかしながら、五十川家の得意分野と沙耶の極度の方向音痴は、あまりにも相性が悪い。

 

 魔法を使って縦横無尽に駆け巡るということは、地理の把握が不可欠だ。しかしながら沙耶は、それが全くできない。普通の方向音痴程度でも痛いのに、よほど見晴らしの良い直線でないと、彼女は迷ってしまうのだ。つまり、どんなに魔法力があっても、五十川家としては役立たずなのである。

 

 それ以来家の中でも腫物のような扱いを受けた。もともと気弱だった彼女は、そのせいでもっと気弱になり、塞ぎこんでいき、ストレスからか体型も太り始める。それで小学校では、激しくはないもののイジメられたこともあった。そしてそのせいで、余計に弱気が酷くなってしまった。

 

 中学に進学してすぐに入った魔法塾では、特待クラスに入れた。多少自信は取り戻せた。

 

 その矢先に起こったのが、極度の方向音痴と、それを自覚しているくせに一人でふらふらと歩いたせいで起きた、あの事件だった。不良の集団に囲まれた瞬間、魔法で抵抗することもできただろう。しかし気が弱い彼女は恐怖とパニックで、魔法を行使することができなかった。

 

 そこに現れて助けてくれたのが、森崎駿だ。

 

 あれ以来、彼への感謝を忘れたことは一度もない。沙耶自身はあの後保護されたが、話によると、駿と文也はさらに大きな事件を解決したらしい。それに比べて、自分の、なんとみじめなことか。

 

 この事件以来、家の居心地はさらに悪くなった。逃げるように魔法塾に通い詰めているうちに成績はみるみる向上したが、何も嬉しくはなかった。三高に進学した理由は、家から離れて逃げるためでもあったのだ。

 

 進学してからの生活は、軍事色が強い校風なだけあって苦しく、勝手にやや太り気味の体型が改善された。九校戦では、駿に久しぶりに会えるかもと思って、同級生たちには「戦化粧」だと誤魔化して、慣れないメイクまでしてみた。駿が転校してきてからは、彼に毎日見られると気づいて、化粧は欠かしていない。

 

 ――強くなりたい。

 

 そう思って入った先で、彼女は姿は変わった。

 

 それだというのに、結局のところ、中身は全く変わっていない。魔法の適性と、方向音痴が決定的にかみ合わない、役立たずの虚ろ。

 

 あまりにもみじめで、あまりにも情けなくて。沙耶は枕に顔をうずめたまま、身動きする気力すら起きず、ただ溢れるのに任せて涙を流し続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――リリリリリリリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沙耶の体が、急に、ビクッと跳ね上がった。

 

 家に帰るなりベッドの端に放り投げた携帯端末。それが鳴ったのだ。

 

 沙耶の体が跳ね上がったのは、急に鳴ったそれにただ驚いたからではない。

 

 味気のない、普通の着信音。しかしながら、その着信音は、他の誰とも違うものにセットしている。

 

『森崎駿君』

 

 恐る恐る端末を確認する。やはりそうだ。この着信音は、駿からかかってきたときだけの特別なもの。

 

 今日の昼に聞いた時は、嬉しい知らせだった。

 

 でもきっとこれは、悲しい知らせなのだろう。

 

 ペアを解消される。沙耶は間違いなくそうだと確信した。

 

 それを受け止めたくなくて、通話に出たくなかった。

 

 それでも迷惑をかけるのが嫌で――沙耶は、震える手で、ゆっくりと、端末を手に持った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、俺にはできない!」

 

 夕方。三高から近いマンションの一室。無機質なテキストと筆記用具が並ぶ味気ない学習机に突っ伏して頭を抱えながら、帰宅したばかりの颯太は叫んだ。

 

「別にそんなに悩むことないのに。あの人がいいっていうんだからいーんじゃない?」

 

「いいわけあるか!」

 

 その背中に、ベッドに腰かけて足を組んで頬杖をついた呆れ顔の菜々が声をかける。それに対して颯太は急に立ち上がって振り返り、色を成して反論した。

 

 六十里颯太と真壁菜々。この二人は、本来三高ではなく、地元の九高を受験する予定で、一次願書も出していた。この三高に入学したのは、急な志願変更があったからだ。

 

 その目的は――井瀬文也だ。

 

 この2月、世界中をあっと驚かせた文也は、急に三高に転校した。その事情は聞けば聞くほど恐ろしく、あの小さな体でこれほどの困難を乗り越えたというのが信じられないほどだ。

 

 そんな文也たちの保護に、十師族のほとんどが一斉に乗り出した。『マジカル・トイ・コーポレーション』と『キュービー』と『マジュニア』、それらを保護することで権益を拡大しようとしたのだ。

 

 一条家を除くと、まず真っ先に名乗りを上げたのが七草家だ。七草家の長女が生徒会長をやっており、文也たち三人は大変お世話になっていたらしく、また香澄の様子を見るに元から何かしらの関係があったとみられる。

 

 その次が十文字家。七草家と同じく、同じ学校の先輩。森崎家が副業と拠点地域の性質上近いこともあって、かなり積極的に動き始めた。

 

 それから動いたのが、十師族の、三矢家、五輪家、そして八代家である。

 

 三矢家は、「多種類多重魔法制御」「魔法同時発動の最大化」を研究している第三研究所出身で、「三」の中で一番権力を持つ。去年の九校戦で見せたように、文也は何十個ものCADを同時に使用する異次元の『パラレル・キャスト』使いだ。第三研究所の研究テーマの一つの完成形ともいえる技能を持つ文也は、喉から手が出るほど欲しい存在なのだ。

 

 五輪家は、去年の九校戦で『深淵(アビス)』を劣化コピーされた恨みがあるが、転じてそれは仲間にすれば心強いということである。『マジカル・トイ・コーポレーション』のサイオン消費量・術者への負担を徹底的に軽減する技術は魔法工学界でもトップであり、戦略級魔法の負担に悩む五輪家はそれを欲している。また第五研究所は二つの戦略級魔法開発によって名をはせているのであり、その名誉を強化する「三つ目の戦略級魔法」の開発も期待しているとみられる。

 

 そして、八代家が欲しているのは、『分子ディバイダー』と『ヘビィ・メタル・バースト』だ。あの世界中の度肝を抜いた記者会見で、文也は記者たちに自慢げに、その二つを筆頭とする様々な魔法技術や知識を、USNAから「お詫び」として受け取ったと公言している。第八研究所の研究テーマは「魔法による重力、電磁力、強い相互作用、弱い相互作用の操作」であり、そこの出身である八代家は、歴代当主たちの名前にも表れているように、特に電磁力に強い。『分子ディバイダー』も『ヘビィ・メタル・バースト』もその仕組みは電磁作用である。この技術を求めるのは当然と言えた。

 

 しかしながら、これらの名だたる家々の申し出を断って、結局文也たちは一条家を選ぶ。これには、失敗した各家々は歯噛みする思いだった。

 

 ――颯太と菜々、この二人が三高に入学することになったのは、それでも諦めきれなかった八代家の思惑によるものだ。

 

 六十里家は、第八研究所の研究者がその元である。

 

 そして真壁家はというと、実は「八」の数字落ち(エクストラ)なのだ。もともとは「八壁家」だったわけだが、魔法適性がなくて除外されたのである。

 

 そうした事情もあって、六十里家も真壁家も、第八研究所出身の「八」の家系、特に八代家にはベッタリなのだ。家族ぐるみで主人と従者の関係と言っても過言ではない。

 

 そんな六十里家の颯太と真壁家の菜々は、都合の良いことに、ちょうど魔法科高校に入ろうとしていた中学三年生であった。そこで、八代家の者と権力欲しかない二人の両親は、とんでもない計画を打ち立てた。

 

 ずばり、二人を文也の後輩にして積極的に関わらせて取り込もうというものだ。

 

 颯太に課せられたミッションは、文也と仲良くなって『分子ディバイダー』と『ヘビィ・メタル・バースト』を中心とする技術の数々を譲ってもらう、なんなら盗んでくること。

 

 菜々に課せられたミッションは、事前調査が必要ないほどにオープンドスケベエロガキの文也を、そのロリ巨乳なルックスで堕として仲間にすることだ。

 

 そのために、二人は入学当初から文也に何度も接触を図っていた。あの人間の屑のような性格の癖に親友と年下にはとんでもなく甘いようで、(菜々に対しては間違いなくスケベ心で)ホイホイと受け入れてくれたしよく面倒も見てくれて、なぜかこっちもミッションとは全く関係のないところで助かっているという状況となった。

 

 そして、兼ねてから計画していたのが、この九校戦のタイミングだ。入学成績次席の颯太の希望種目は、たとえ適性から外れ気味でも無視はできない。そこで『アイス・ピラーズ・ブレイク』には『分子ディバイダー』と『ヘビィ・メタル・バースト』が勝利のために役に立つとアピールすれば渡してもらえるのではないかと思っていたのだ。

 

 しかしながら、それをいざ文也に実行しようとした颯太は、あまりにも挙動不審だった。

 

 菜々から見て、颯太はあまりにも真面目過ぎる。何か頼まれごとをされたら断れないし、お世話になった人には過剰に恩返しをしたがる。何事にもオーバーワークに見えるほどに真剣に取り組み、決して人の悪口を公言しない。物心ついてからは自らの意志でついた嘘は一つもないし、悪いと思ったことは絶対にしない。あと無駄に他人を信じてしまう。どこか文也の真逆を思わせる。この性格で周りからは慕われていたが、こきつかわれたり利用されたり騙されたりと言うことがあって損をすることが何度もあった。それだというのに、本人はそれを改めようとしない。

 

 そんな彼が、このミッションを実行するなど、およそ不可能だったのだ。

 

「あの数々の技術は、井瀬先輩が、地獄のような理不尽を、仲間と協力して乗り越えた努力の結晶なんだぞ!? それを騙して横から奪おうだなんて!」

 

「いやアレのことだから絶対そんな高尚なモノじゃないと思うけど」

 

 あと、この幼馴染は思い込みが激しすぎるキライもある。八代家たちも文也たちが巻き込まれたという事件の真相は、あの記者会見レベルでしかつかめていないため定かではないが、菜々の予想では、あのクソガキが自らやらかして、それを害そうとするもっと大きなナニカが裏で動いていて、その末にまたロクでもない手段で手に入れたとみている。根拠はないが、この二か月間文也と関わって、そういうことになっていそうな性格に見えたのだ。

 

 ちなみに、菜々の予想は正解である。おおよそ自業自得でUSNAと四葉に敵視され、襲ってきたUSNAの兵士を生け捕りにしてその装備をすべて奪い、地獄のごとき「話し合い」で根掘り葉掘り用途や仕組みなどを無理やり聞き出したのだ。そして終いには脅しに脅して、奪っただけでなく、公的にそれが「正式に、正当に、正面から、貰ったもの」としたのである。

 

 しかしながら、陰謀などに疎い颯太は、そんなことは考えない。今の颯太にとって自分は、「すごい先輩を騙して努力の結晶を横取りしようとする泥棒」なのである。あまりにもお人よしが過ぎる。

 

 そして二人にとって悪いことに、この陰謀は、一条家の長男・将輝にすっかり見透かされているのである。文也本人は甘々だが、その親友が許さない。今後、このミッションのクリアは、ほぼ不可能だろう。それでも、二人は断念するわけにはいかず、これからは賽の河原のような日々が続くだろう。

 

 ただし颯太は、このことについては別の感情に支配されている。自己嫌悪と羞恥だ。

 

 文也の成果を騙して盗もうとしているだけでなく、その腐った魂胆が、将輝と言う立派な先輩に見透かされている。文也だけでなく将輝にも申し訳ないし、そして恥ずかしいし、何よりも自分が情けないのだ。

 

「もう俺はこんなことは嫌だ。人の善意に付け込むようなこと、したくない……」

 

 颯太のこの心の声は、実に真っすぐな善意を持った、善良な若者の言葉だ。仕方なく悪事に手を染めても善意を忘れない。

 

 しかしながら、それはあくまでも、もう少し深みにはまった人間が言うことではないだろうか。まださらっと触れた程度だというのにこれでは、ただただ滑稽なだけだ。

 

(…………このバカ)

 

 また机に突っ伏してしまった幼馴染の背中に、内心で菜々は声をかける。

 

 確かに、やっていることは感心しないことだ。しかしながら、今やこの現代魔法師社会ではもはや天気の挨拶のように行われていることだし、颯太が神聖視している文也や将輝だって、これよりもあくどい陰謀に何度も関わっているだろう。それだというのにここまで悩むのは、バカとしか言いようがない。

 

 ――だからといって菜々がこのミッションに乗り気かと言うと、全くそうでもない。

 

 やってることのあくどさもそうだし、また自分のミッションの性質が、あまりにも受け入れがたい。

 

 結局のところ、自分は、あの文也を性的に篭絡しろと言われているのだ。つまり、将来的には政略結婚じみた婚姻も期待されているだろうし、「カラダの関係」で堕とすことも期待されている。こんなことを迷いもなく娘にやらせるとは、親の顔が見てみたいと菜々は思う。まあ、つい数か月前まで嫌と言うほど見ていたし、あんなクズどもなんて正直二度と見たくもないのだが。

 

 菜々から見て、文也は全く好みではない。年中ニヤニヤヘラヘラと軽薄に笑って、不誠実で、騒がしくて、スケベで、チビ。こんなのと恋愛関係だなんて、たとえお芝居でも怖気がするほどだ。

 

 菜々の好みは、身体が大きくて頼りがいがあって、実直で、真っすぐな男。菜々本人はその家庭環境のせいもあってひねくれてこうなったが、これが確固たる思いだ。

 

 ――そう、昔からずっと、実直すぎて情けない幼馴染のバカが、大好きなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也は、元々昼よりも夜の方が好きだ。本人に理由を聞いたら、格好つけて「俺の罪を隠してくれるからかな……」とか言うのだろうが、実際のところ、夜更かししてゲーム・ネット三昧するのが好きなだけである。アフターファイブで急に水を得た魚のようになるサラリーマンとなんら変わらない。

 

「あーあ、アホくさ」

 

 7月4日の夜。短パンと半袖シャツというラフな格好で、文也は自室の彼用にしてはあまりにも大きいベッドの上を無駄に激しくゴロゴロと転がる。夕飯の場で文雄からあまりにもバカみたいな話を聞いて、駿に少し電話をして、入浴してあがったらこの時間だ。

 

 文也はそのまま小学生の時から一向にサイズが変わらない学習机に向かってコンピューターを操作して作業をしながら、先ほど文雄から聞いた話を思い出す。

 

 夕食の席で、今回のルール変更をいぶかしんだ文也は、文雄に調査をお願いしていた。その返事を、今日の一家団欒の夕食の席で聞けたのだ。

 

 まず今回の競技の激しさについては、大方の予想通り、国防軍の思惑が強いとのことだ。去年の横浜の一件で、魔法師が戦争に有用だと改めて実感したらしく、例年以上に下心むき出しの競技になっている。

 

 そしてもう一つ、去年からなんとなく気になっている、新競技――というか、九校戦オリジナル競技のアホらしさについてだ。

 

『フィールド・ゲット・バトル』はどう考えてもナワバリバトルだし、『デュエル・オブ・ナイツ』は名前が洒落すぎてるし、『トライウィザード・バイアスロン』は約一世紀前にはやった元祖魔法学園モノ児童小説が思い浮かぶ名前だしついでに言うとバイかトライかどっちかにしろと言う話だ。またそれぞれルールが変わり種すぎるし、『トライウィザード・バイアスロン』についてはその実施方法も競技の中身もバラエティ色や興行色が強すぎる。はっきり言って、アホとしか言いようがない。

 

 その理由については、文雄があっさりと教えてくれた。

 

 なんでも去年から、大会の方針を決める運営のお偉いさんの中に、魔法の経済利用に詳しい専門家が入ったという。その彼は破天荒な人物でありながら謎のカリスマもあり、こうしたふざけた案がバンバン通ってしまってこうなったというのだ。ちなみにその正体はと言うと、文雄の学生時代からの親友で『マジカル・トイ・コーポレーション』の表向きの経営者を務めるひょうきんなオッサンである。なんなら文也も何度か会ったことある人物だ。

 

 魔法で楽しく。やっていることは同じであり、文也の意志にこれ以上ないほど合致する。しかしながら、なんというか、九校戦を渦巻く利権と陰謀の中にこのアホがポツンといて大嵐を巻き起こしているのだと思うと、あくどい大人の皆さんに同情すら湧き出てくる。なおはたから見ると、『マジカル・トイ・コーポレーション』そのものがそんな組織であるし、その首謀者の一人がまさしく文也本人であるというのは気にしないことにしている。

 

「ふみくんお風呂貰ったよー」

 

「おう」

 

 そんなどうでもよいことを考えながら作業をしていると、お風呂上がりでホカホカご機嫌モードのあずさがノックもせずに部屋に入ってきた。お互いに慣れたものである。あずさは文也と違ってちゃんとしたパジャマ姿なのだが、パステルカラーであり、実に子供っぽいデザインだ。本人は意識していないが、こんなことだからいつまでも子供っぽく見えるのではないだろうか。悲しいことに大変似合ってはいる。

 

 文也はちょうど作業のキリも良かったので中断して、そのまま二人でゲームを楽しむ……といきたいところだったが、今回はそうではない。いつもはこのままゲームや談笑しながら時間を潰して寝るのだが、九校戦シーズン真っただ中であり、生徒会役員として作戦スタッフとエンジニアを務めるあずさは、持ち帰り作業が膨大にある。今日は二人でそれを少しでも消化しようという話だ。

 

「相撲部と剣術部の連中にはもう話通ってるんだっけか?」

 

「うん、今日、鬼瓦さんが依頼しに行ってオッケー貰ってるよ」

 

『デュエル・オブ・ナイツ』男子代表の有力候補として名前が挙がったのは、相撲部の二年生・遠藤高安だ。特に過去の力士とは関係ないがこの名前である。相撲とは本来神事であり、魔法科高校でその部活があるということはすなわち、古式魔法師の集まりであることが多い。遠藤は相撲で鍛えた体格と運動能力だけでなく古式魔法の腕も確かで、古式の硬化魔法を用いた力押しの白兵魔法戦闘を得意としている。剣の扱いはズブの素人らしいが、硬化魔法をかけた大盾を持って突撃するだけでもかなり良いところまで行くだろう。

 

「重要なのはモノリスの面子だよなー。調整入ってもやっぱ点数でかいし」

 

「あと経験者が少ないのが問題だよね」

 

 今の二・三年生で『モノリス・コード』の経験があるのは、去年の新人戦に出た将輝、真紅郎とあと一人、それと急に出場することになった文也、そして出場予定だった駿、それに去年の代表であり今三年生の部活連副会頭・後條、それに二年前の新人戦以来ご無沙汰の三年生二人だ。

 

 しかしながら、文也と駿と将輝と真紅郎はすでに他の競技に決まっており、去年文也相手に半泣きだった同級生はよっぽど嫌な思い出だったらしく、他の種目を希望している。三年生の二人は『アイス・ピラーズ・ブレイク』の男子ペアにぴったり適性がある。後條は経験・実力ともに申し分ない逸材で、本人の了承も得た。

 

 問題のあと二人の代表だが、『モノリス・コード』は九校戦の中でも一番の名誉と言われており、『尚武』の校風で何かと血の気の強い三高では毎年希望者が多く、今年も多い。オーディションになるのだろうが、どちらにせよ未経験者ばかりなのは手痛いところだ。

 

 そんなような話をしていると、もうすぐ短針がてっぺんを指しそうな時間となった。文也としては夜はこれからなのだが、もう九校戦期間でアスリートとして生活リズムを整えなければならない地獄の期間だし、あずさはいつもこの時間はおねむ――よく寝るのに体は育たない――となる。

 

 実際、あずさはしきりに欠伸をして目をこすり始める。明らかに眠そうだ。

 

「じゃあ、もう寝るか」

 

「うん、そうだね」

 

 そう言って二人は、当たり前のように、携帯端末で目覚ましをセットして、一緒に文也のベッドに入ると、明かりを消して、そのまま手をつなぎながら目を閉じる。

 

 ――これは、二人が本当は恋人同士だったからとか、昔よく一緒に寝てた幼馴染だからとか、そういう理由ではない。

 

 二人は、必要だから、こうして一緒に寝ることになっているのだ。

 

 ――2月16日の真夜中。世界最強の魔法師と、世界最凶の魔法師兄妹との、命を懸けた連戦。

 

 この地獄を通り越した体験は、二人の心に深い傷を残した。

 

 ――あれ以来、文也は、毎日夜中に悪夢で目を覚まし、発狂した。

 

『ヘビィ・メタル・バースト』の光に飲まれて跡形もなく消し炭になるあずさ、『ニブルヘイム』で氷漬けにされるあずさ、『雲散霧消(ミスト・ディスパーション)』でただの分子となって消え去ったあずさ。

 

 その光景が、何度も何度も、夢の中で現れた。

 

 ――あれ以来、あずさは、毎日夜中に悪夢で苦しみ、パニックになった。

 

『分子ディバイダー』で真っ二つになった文也、『コキュートス』でただ生きているだけの肉の立像になった文也、『分解』されて消え去った文也。

 

 その光景が、何度も何度も夢の中で現れた。

 

 あの地獄の体験によって、二人は酷いトラウマを植え付けられ、一睡もできない夜すらあった。文雄が用意した裏社会専門の心理カウンセラーに通っていたおかげで昼間にフラッシュバックすることまではさすがになくなったが、いまだに夜は、あの地獄の時間と重なることもあって、酷いものだった。

 

 だから二人は、互いに互いがまだこの世にいることを確認しあえるように、一緒に寝ることにした。

 

 もし文也が発狂したら。あずさは彼を抱きしめ、背と頭を撫で、声をかけて落ち着かせる。『スィート・ドリームス』や『抱擁』で落ち着かせて、ゆっくりと眠れるようにしてあげる。

 

 もしあずさがパニックになったら。文也は彼女を抱きしめ、いつも通り撫で、囁き声で慰める。『ツボ押し』でリラックスできるツボや眠気を催すツボを押したりして、安心して眠れるようにしてあげる。

 

 ――これはいわば、傷のなめあいだ。

 

 野性を失った、傷ついた子犬の姉弟のように、ずっと寄り添って生きていくしかない。

 

 あの地獄のせいで、二人の関係性に、補完という歪んだ関わり合いが、加わってしまった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 首が切断されて、景色が傾いた瞬間に真っ暗になる。

 

 骨が振動で粉砕され、立っていられずに崩れ落ちる。

 

 コンクリート片によって肉が削られる。

 

 目玉と脳を弾丸が貫通する。

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 脳に直接電流が流され、はじけ飛ぶ。

 

 心臓を鉄筋が貫く。

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 死。

 

 死。

 

 死。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやああああああああああああ!!!!!!」

 

 真夜中の東京の住宅街の、とある家の一室。

 

 そこに、発狂した乙女の叫び声が響き渡った。

 

「深雪!」

 

 その叫び声をあげるのは、普段のお淑やかな絶世の美少女の姿はいずこか、髪を振り乱し、充血した目玉が飛び出すのではないかと言うほど見開かれた目からは涙があふれ、その涙が伝う顔は真っ青で、胸と頭を細くたおやかな指が力いっぱい掻きむしる。

 

 そんな深雪を、達也はすぐに抱きしめ、胸に顔をうずめさせて落ち着かせる。耳元であらん限りの慰めを囁き、自分がここにいるから安心だと諭し、その背中をさすって正常な呼吸を促す。深雪はしばらく、力が強い達也が目いっぱい抱きしめているというのに、この細い体のどこにこれほどのものがと思うほどの力で暴れた。

 

「お兄様……お兄様……」

 

 深雪が落ち着いたのは、それから五分もあとのことだった。叫びながら暴れ続けたせいで肉体はげっそりと疲労し、喉は潰れてしまっている。美しい声は面影もなく、ガサガサの絞り出すような声で、達也に縋り付いて涙を流す。

 

 2月16日の夜の激闘は、深雪の心にも深い傷を残した。

 

 不本意で理不尽な殺害、やることなすことすべてが失敗する。

 

 それだけではない。

 

 あの夜、深雪は幾度となく「死んだ」。今ここにいるのは、三途の川を渡る直前に、何度も無理やり蘇らされたからだ。そして体は死ぬ前に『再成』されても、記憶は元に戻らず、死んだ瞬間の記憶が大量に脳にこびりつく。その記憶が酷いトラウマとなってフラッシュバックしてしまうのだ。あの日以来、深雪は一日たりともまともに眠れていない。昼間でも、連想させるものを知覚してしまったらパニックを起こしてしまっていた。四葉お抱えのカウンセラーのおかげでそちらは幾分か収まったが、あれからもうすぐ半年経とうというのに、夜中寝ているときのフラッシュバックは毎夜のことだった。

 

 結果、最初のフラッシュバック以来、深雪は必ず達也と一緒に寝ることになった。部屋に一人では、目を閉じただけでも酷いフラッシュバックが起きた。同じ部屋で見守ってくれていても、それは和らぐことはなかった。故に、深雪は達也と同じベッドで寝ている。愛しい兄の体温と息遣い、それを感じなければ、微睡むことすらできない。しかしそれでも、夢の中で必ず地獄が蘇る。そのたびに深雪は発狂して暴れまわり、そのたびにこうして達也に抑えてもらっていた。

 

 情けない。

 

 もう何度感じたかわからない自己嫌悪が、深雪の涙をさらに激しくする。

 

 自分よりも、兄の方が何倍も苦しいはずだ。

 

 兄もまた同じ攻撃を受けて、何度も自己修復術式で無理やり蘇らされている。深雪を『再成』するときも、エイドスを遡る都合上、深雪の苦しみをより短時間に圧縮して、より意識が鮮明な状態で、追体験している。

 

 それだというのに、深雪は兄に寝かしつけてもらい、真夜中に兄にさらに迷惑をかける。

 

 聡明な深雪は分かっている。あんな目に遭ったら自分みたいになるのが当然で、兄は非人道的な魔法的施術の末、トラウマというものがないということを。

 

 それでも、どこまでも自分がみじめだった。

 

(…………)

 

 そんな妹を、達也はベッドに導き、その横で添い寝して抱きしめて頭を撫でて寝かしつけながら、達也はどうしても考えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――あの夜は、一体、誰のためになったのだろうか、と。




このオマケの章のコンセプトの一つが、「九校戦で振り返る本編」なので、シリアス要素も含みます


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6-5

 7月5日の早朝。一時期は大変すぎてお休みしていたが、今日もまた達也と深雪は九重八雲の道場に通っていた。

 

 いつも通り弟子を使った悪戯を力でねじ伏せ、悪びれもしない糸目の坊主に冷ややかな目線を向けながら修行をする。いつもの朝の光景だった。

 

「そういえば、九校戦の競技が変わるんだってねえ」

 

「話題にするのが遅くありませんか?」

 

『ニンジャ』ともいわれる八雲は情報通で、裏社会にも通じている。あまりにもバレバレな軍の意向が絡んだ今年の九校戦の事情も、当然達也たちよりももっと早く掴んでいるはずだ。

 

「いやあ、ちょっとしょうもない事情も絡んでいたせいで、話題にするのも嫌だったんだよ」

 

 八雲は禿頭を撫でて困った顔をしながら、文雄が文也に説明したことと同じことを説明する。達也と深雪は思わず頭痛がしてきた。やはり『マジカル・トイ・コーポレーション』は頭がおかしい。

 

「それと九校戦と言えば、今年はいよいよ、第一高校は厳しいんじゃないかい?」

 

「でしょうね」

 

 第一高校の戦力は、三巨頭や辰巳や博が抜けてもなお分厚い。未だに超高校級の逸材が集まっているし、しかもそのほとんどが二年生で、来年も明るいと見られている。

 

 しかし、楽観視するものは少ない。去年一瞬喉元まで迫ってきた三高。その三高に、エース格を間違いなく張れる三人が転校してしまったからだ。三高もまた、とくに二年生の層が厚い。そこに文也たちが取られてしまったとなると、あらゆる方面で厳しいというのが本音だ。今や一高は「優勝して当然」という立ち位置であり、優勝を逃せばそれは不名誉である。明るい未来は、意外と綱渡りの先にしかないのだ。

 

「井瀬君は特にそうだよねえ。どの競技でも活躍できるよ。『アイス・ピラーズ・ブレイク』は去年見た通りだ。あの万能ぶりだとソロかもね。万能と言う点で言えば射撃も移動も重要な『ロアー・アンド・ガンナー』ソロも有力だ」

 

「そうですね。俺はロアガンのソロに出てくると踏んでいます。そして、それが一番怖い」

 

「へえ、君はそう考えているのかい?」

 

「……師匠は違うのですか?」

 

「そうだねえ。僕個人としては……『モノリス・コード』か『トライウィザード・バイアスロン』に出てきたら、厄介だと思うなあ。君にとっても、僕にとってもね?」

 

 相変わらず八雲の言い回しは不可解だ。達也は真意を探るべく、その糸目をじっと睨む。

 

「あはは、そんなに怖い顔しないでよ。事情は話すさ。といっても、これは愚痴なんだけどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法科高校はどこもかしこも、今日も今日とて、九校戦の準備だ。

 

「よっしゃかかってこい! どっちの筋肉が上か教えてやる!」

 

 そんな三高の校庭に、文雄のあまりにもデカイ声が響き渡っていた。

 

 ここは『デュエル・オブ・ナイツ』の練習場所。文雄はあの呂剛虎を倒したことで、新たなる世界最高峰の白兵戦闘魔法師として評判になっていた。この競技の練習相手として選ばれるのは当然だ。

 

 そんな文雄が相手しているのは、同じぐらい巨大な鬼――桜花だ。

 

 校内に、桜花の練習相手になれるような生徒はいなかった。相撲部が十人ほど束になってかかっても余裕で叩きのめしたほどである。

 

 そういうわけで、文雄が呼ばれたのだ。文雄は桜花相手にしっかりと善戦しており、はたから見たら異次元の戦いを繰り広げている。桜花担当のエンジニア・あずさは怖くて涙目だ。

 

「リアル刃牙の世界だなッッッ……」

 

 それを見た文也は、思わずその筋肉の躍動に感涙する。あれの筋肉遺伝子を微塵も受け継いでいない自分が残念でならなかった。

 

 一方その横では、他の生徒による練習も始まっていた。相撲部の遠藤と、雷電という濃ゆい顔の大柄な男子生徒が、大盾をぶつけ合っている。この雷電、見た目のわりにかなりの物知りで、この見た目のくせに歴史研究部所属で、魔法も実技よりも理論の方が得意と言う変わり者だ。

 

「文也さーん! こっち来て一緒に練習しましょうよー!」

 

 そんな文也に、『ロアー・アンド・ガンナー』の練習場から声がかけられる。水上競技用のボディースーツを着た香澄が、文也を誘っているのだ。

 

「おう、今行くぞー、でへへ」

 

 それに対して、文也は鼻の下を伸ばしてホイホイと向かう。それを見た香澄は、可愛らしい笑顔の裏で、あくどい笑みを浮かべた。

 

 そう、誘っているのだ。二重の意味で。

 

 香澄のボディースーツは、普通のボディースーツよりもさらに女性的な曲線が目立つ素材・デザインになっている。香澄はスラリとスタイルが良いし顔も抜群に可愛いものの、あいにくながら胸がスラリとしすぎて色気に欠けるのだ。可愛らしさと健康的な色気はあるのだが、文也はそういうの――も割と好きではあるとはいえ――よりも、もっと直接的な色気の方が好きなスケベなのである。

 

 このボディースーツは、効率性と着心地だけでなく、そんな文也を誘惑するためにデザイン性にも気を払った特注品だ。貧相な胸も、こっそりと仕組まれたパッドによって強化され、「意外と胸あるんだなこの後輩……」というギャップによる欲情も狙っている。生活に困らないようにと多めに渡した金がこんなことに使われているだなんて、親が聞いたら泣くだろう。

 

 そして文也は、見事にそれに引っかかった。いや、引っかかってはいないのだが、引っかかった。

 

 人体に詳しい文也は、それがパッドであることを一瞬で見抜いている。特にそれをからかうような真似は可愛い後輩にはしないが――同級生にはするし今朝祈をそれでからかって金的を食らった――、香澄の意図は届いてない。

 

 しかしながら、やはり自分に懐いてくれる美少女が見せるエロスは、文也のスケベと下半身を大いに刺激した。香澄の相方が香澄と文也双方にドン引きしているのもむべなるかな、といった状況である。

 

「文也さん文也さん、ボク、今日文也さんのお家に行ってみたいんです! お義父さんとお義母さんにもあいさつしたいし」

 

「別にいいぞ。それにしても……いいボディスーツだなあ、まったく、実にいい……ちょっと肌触りを確認させてもらっても……」

 

「なにやってるんだドスケベ」

 

「あびゃあああ」

 

 その尻を、突然現れた駿が蹴り上げる。不意打ちの痛みが性欲を勝り、文也はケツを押さえながら地面をのたうち回る。ギャグマンガか何かだろうか。

 

 香澄が舌打ちするのを無視して、駿は文也を見下ろしながら問いかける。

 

「で、例のあれの状況は?」

 

「ひぎぎぎ……明日出来上がるよ」

 

「早いな。助かる」

 

 それを聞いて駿は胸をなでおろすと、まだ悶えている文也を置いて、さっさと射撃用の練習場に向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「卒業生を頼るというのは、いくらなんでも本気を出しすぎじゃないか?」

 

「同級生の命がかかっていますので」

 

 一方そのころ、達也は九校戦の準備を一時的に抜け出して、学校近くの喫茶店であるアイネ・ブリーゼで、女性と二人きりで会っていた。

 

 ただし、それはなんら色気のある理由ではない。九校戦の勝利のための調査だ。

 

 呼び出したのは、卒業生の渡辺摩利。彼女の出自は、今から知りたいことに大いに役立つのだ。

 

「それで、『オーガ』についてだったね」

 

 達也が知りたいのは、エリカたちが恐れおののく、三高の謎の鬼神についてだった。

 

「そうだね。まずは本人の話をしよう。名前は鬼瓦桜花。鬼のごとき活躍と見た目、そして背中に現れる、素晴らしい筋肉が生み出す鬼の顔、それにその名前から、『オーガ』と呼ばれている」

 

「先輩、ちょっと冷たい水を飲んで落ち着いてください」

 

 摩利は明らかに興奮していた。頬が赤らんでるし、目は充血しているし、鼻息も荒い。

 

「失礼。アタシも剣士の端くれ、どうしても憧れてしまうのさ」

 

 達也の指摘を受けた摩利は、それで自覚したようで、素直に冷たい水を飲んで一息つく。

 

「さて、続きを話そうか。魔法競技も含めて全戦全勝、その力が恐れられてはいるが、実は二科生……いや、普通科……ああ、二科生でいいのか」

 

 摩利の混乱もむべなるかな。

 

 三高は、一高で言うところの一科生・二科生という括りの名前が違った。専科・普通科と呼んでいたのである。しかしながら去年から、分かりやすくということで一科・二科に変わったのだ。

 

「その理由は、君と同学年の十三束と同じ病気だ。体から異常にサイオンが離れにくい体質で、話によると十三束よりもさらに酷いらしい。自分から離れたところには、ほぼまともに魔法が行使できないんだ」

 

「なるほど。だから格闘技系種目でしか活躍できないんですね」

 

 達也はそれで納得する。あれほどの運動神経だったら格闘技系以外の魔法競技でも十分やっていけるように見えたが、そういう事情ならば仕方のないことだ。未だによくわかっていないが、魔法師はこのように、様々な部分で偏った「性能」で生まれてくることが多い。その最たる例が、まさしく達也自身だ。

 

「さて、では、その出自についてだが…………アタシを呼んだということは、おおよそ見当がついているな?」

 

「はい、酒呑童子ですよね」

 

 酒呑童子。日本の説話に現れる鬼の中で最も有名で、かつ最も凶悪とされる鬼。達也が九重八雲に聞いたところによると、『オーガ』のルーツはそこに近いらしい。

 

 摩利を呼んだのは、これが理由だ。摩利は酒呑童子を退治した渡辺綱の子孫であり、傍流ながらも『童子斬り』の継承者。何か知っていると見るのは、当然のことだった。

 

「まずはそうだな。平安期から鎌倉期までの歴史の流れを振り返る必要がある」

 

 摩利はそうは言うが、この場で確認する気は全くない。自分は当然知っているし、達也も学校のお勉強レベルならほぼ完全に覚えているからだ。そして、今回の場合、本格的な歴史学は絡まず、まさしく学校のお勉強程度で背景知識は十分だからである。

 

 平安期に武士と呼ばれる集団が現れ、荘園などの都合で需要と権力が増していく。なんやかんやあって源平合戦があり、武家政権である鎌倉幕府が出てきた。以降中世と呼ばれる時代になり、朝廷、院、寺社、神社、武家、幕府、荘園領主などの様々な権門が競い合い補完し合いながら統治していく時代になる。要は武士と言う戦いの専門職が現れた時代だ。大体こんなもので十分である。

 

「そういう戦いの時代において、武士とは別に戦いを専門とする一族も当然現れる。これといった勢力にはつかず、土地の保証も求めず、戦が起きると金や物品で雇われる、傭兵のような一族だ」

 

「はい」

 

「そのある一族はとても強くてね。戦場では一騎当千の活躍をして、必ず勝利をもたらしたと言われている」

 

「なるほど」

 

「しかし、近世以前の『戦』は『戦争』ではないね。名誉と権力のためで、名乗りを上げる一騎打ちが基本だ。しかしながらその一族は、傭兵と言うだけでも嫌われるのに、勝つためには手段を選ばず、凄惨な戦い方をした。いわば『戦争屋』だったのさ」

 

「続けてください」

 

「それが源平合戦で源氏に勝利をもたらして、こうして歴史が続いているというわけだ。ではここで一つ質問をしよう」

 

「はい?」

 

 歴史の話をしていたのに、突然こんなことを言われて、達也はいぶかしむ。それを見た摩利は、愉快そうに、わざわざ人差し指を立てて教師然とした態度だ。

 

「酒呑童子もそうだが、なぜ『鬼』は山中に住むかわかるか?」

 

 説話や伝説では、人間が恨みなどによって鬼になった場合を除いて、生粋の鬼のように書かれる鬼は、鬼ヶ島のような例外を除いて、山の中に住むか、山の中で現れる。

 

「山中他界観でしょう」

 

 達也は端的にその答えを述べる。古くから言われている、民俗学の観点だ。山中は他界であり、祖先の霊や神、鬼が住まう場所である。

 

「正解だ。しかしながら、実は、違うのが今回の場合なのさ」

 

 察しの良い達也は、ここまでですでに答えにたどり着いている。摩利もそれが分かっているようで、答え合わせのような気持で続きを話した。

 

「金と物品で雇われる強力で凄惨な『戦争屋』。それは勝利をもたらしてくれる分には嬉しいが、勝って行きつくところまで行った権力者からは、恐怖でしかない。源平合戦が終わって一時的に戦乱が落ち着くと、この『戦争屋』一族は迫害され、山へと追われた。そして『鬼』と呼ばれるようになったのさ。さらに印象操作や情報工作を以てして、『鬼』の悪行を捏造。恐ろしい『戦争屋』を山へと排除しに行く。それが、アタシの祖先が行った『鬼退治』ってわけさ。そしてその汚点を消すために、この一族は、歴史のあらゆる記述から葬り去られた。鬼瓦桜花、『オーガ』は、その生き残りの遠い子孫ってわけだ」

 

 壮大な歴史の、あまりにも残酷なスキャンダル。自分の祖先がやったことだというのに、摩利は平然とそれを開示した。

 

「くくっ、渡辺家の本家なら、こんなことは話したがらないだろうな。傍流と言うのは楽なものだ」

 

 その理由は、なんとも陰湿なもの。達也は同情と呆れが半々になる。とはいえ、こんなストレス発散をする相手は、おそらく達也か真由美しかいないだろう。どちらも、過去のものではない、「現代の闇」にどっぷり浸っていると、摩利は察しているからだ。実際達也は、この話を聞いても、動揺はしていない。「よくあること」である。

 

 そう、それは現代においても、特に四葉家とか、よくやっていることだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの子は、全くもう……」

 

 親が聞いたら泣くだろうとは慣用表現。正直複雑な気分にはなったが、この程度で七草弘一が泣くはずがない。代わりに、香澄についてる使用人からチクられた真由美が、呆れ果てて泣きそうな気分になっていた。自分の悩みに対して、あの妹の、なんとお気楽なことか。

 

 真由美の気苦労は絶えない。いつ家族についている嘘が発覚するかさだかではないし、妹二人のせいで、人間関係が余計に複雑になっているのだから。

 

 達也と深雪が四葉だと知っていて、文也たちと殺し合ったのも知っている。事の真相をほぼ全部知っているのが真由美だ。四葉を避けたいし、実際に自分もその殺し合いに参加したので、良い後輩だと思っていた達也と深雪には、正直近づきにくいという状況。

 

 一方の香澄。達也と深雪が四葉だとは知らない。しかし、文也たちとあの二人が殺し合ったのは知っているし、それが転校の原因であることも察している。真由美は、四葉であることを知られないために、「お互いに吸血鬼だと思い込んで衝突した」と誤魔化している。単純な香澄はそれを信じた。そして、大好きな恩人を殺そうとしたということで、達也と深雪への好感度はマイナスである。

 

 そして泉美。何も事情を知らず、世間で発表された情報を知るのみ。文也のいざこざに司波兄妹や四葉が関わっているのも知らない。そんな彼女は普通に一高に入学し、真由美にとっては不運なことに、なんと深雪に心酔している。もともと男嫌いで下品なのが嫌いな泉美は、文也のことも嫌っている。香澄の恩人と言えど、香澄を「誑かして」自分たちから離れさせたという恨みもあるだろう。

 

「改めて振り返って見ると滅茶苦茶ね」

 

 もはや笑うしかないではないか。先ほどまで泣きそうだったのに、今度は思わず笑みがこぼれる。

 

 ではなぜこんなことを考えているのか。

 

 そう、真由美は、泉美から関係者招待を受けているのだ。

 

 それも特等席、一高作戦本部テントである。

 

 本来生徒と引率教員以外立ち入り禁止なのだが、真由美はみんなから慕われた元生徒会長と言うことで、特別に許可されている。……許可されてしまったのだ。

 

 行きたい気持ちはある。香澄も含め、可愛い妹たちの活躍は現場で見たいし、後輩たちにも会いたい。あのテントは競技観戦の特等席でもあるため、お得だ。行かない理由は、普通ならば、遠慮以外はほぼない。

 

 だが、真由美は普通ではない。

 

 そのテントに呼ばれるということは。すなわち、そこに常駐しているであろう今の一高の上層部とがっつり顔合わせするということだ。つまり――いま世界で最も気まずい、司波兄妹と顔合わせするということである。

 

 嫌で嫌で仕方ない。しかしながら断る言い訳が見つからない。妹め、なんて気を利かせてくれたのだ。可愛くて小憎らしい。

 

「……外せない用事、入ってくれないかなあ」

 

 真由美の呟きは、一人部屋の虚空に、むなしく流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ボクってばホント頭いい!)

 

 夜ももうすぐ9時を回ろうという頃、風呂に入っている文也を彼の部屋で待ちながら、香澄はベッドの匂いを嗅ぎつつ――これこそ親と姉と妹が泣くだろう――自分で自分を褒める。

 

 文也を追いかけてこちらに引っ越してきてからずっと、香澄は文也の家に遊びに行く機会を伺っていた。それも二人きりになれるタイミングを。普段は放課後は部活や生徒会をやっている駿たちに合わせて学校内で悪戯しつつ暇をつぶし、そのあとまっすぐ帰るのはまれでよく遊んで帰っている。香澄が文也の家に遊びに行く隙は、実は無かったのである。

 

 しかし、この九校戦期間はそうではない。駿たちは全員選手または幹部なので放課後は練習や会議や相談が多く、閉門時間にはへとへとになっていて、とてもではないがそのあと遊ぶ元気などない。そのタイミングならば文也も遊び相手がいないので家に帰ってゲームでもしているだろう。そこを突いて遊びに行けば、邪魔もなく二人きりになれる。

 

 文也の部屋に入って距離を詰める。これには見事に成功した。文也の趣味に合わせてゲームも勉強してきたし、彼が好みそうなものは事前にチェックして、全くの足枷にならない程度には練習もしてきてある。二人で思い切り楽しめたし、そのどさくさに紛れて相当なスキンシップも取った。文也がゲームに夢中であまりデレデレにならないのが少し残念だが、相手の部屋に行って二人きりでスキンシップを取りながら遊んだと来れば、もはや恋人一歩手前である。

 

(お義父さんとお義母さんの外堀を埋めるのも成功したし)

 

 そして目的はそれだけではない。文雄と貴代との接触も目的の一つだ。これまでも幾度となく気に入られようと接触はしてきたが、ここでさらにもうワンステップ進むことにしたのである。

 

 今は夜9時。そう、夕食は、井瀬家でお世話になったのだ。家族構成がこの三人だけであり、四角いテーブルが一枠余るのもここ三か月の会話で調査済み。自分が入る余地はある。家族団らんに入り込むことで、自分の存在がこの家族になじむようにしたのだ。当然お夕飯やお片付けのお手伝い――貴代お手製の機械で高度にオートメーション化されていたので主に正常に動いているかの監視だけだったが――もしてポイントを稼いだ。またここでは文也との会話をほどほどにして、二人に積極的に話しかけることで仲良くなろうと画策し、それは見事に成功して連絡先もゲットできた。完璧な段取りだった。

 

「そして、これからが最後の一手……」

 

 夜の9時、そろそろ家に帰らなければならない時間だ。しかしながら井瀬家は寛容で、別に何時までいても良いという姿勢なのも事前に分かっている。家の使用人が回収に来そうだが、ここ一週間にわたって説得して、今日に限ってはむしろ協力してもらえることになっている。

 

 そう、香澄は、今日は帰るつもりはないのである。

 

 お泊り大作戦。このまま保護者代わりの使用人に許可を取る振りをして、お泊りを許してもらう。そしてついでにパジャマ一式を、周辺に待機させていた使用人に持ってきてもらう。この段取りで、文也の部屋で一泊過ごそうとしているのだ。

 

 その真の目的は、親と姉と妹が聞いたら首を吊りそうな内容である。

 

 お風呂は借りる。お着換えセットのついでに、この日のために用意した、さっぱりした中にいやらしすぎない程度に官能的にも感じうる匂いのシャンプーとボディーソープを持ってきてもらい、それで体を洗う。そして可愛らしさが前面に出ながらも体のラインや肌が見えやすいパジャマに着替え、文也と同じ部屋で寝る。そして、文也が寝るベッドにもぐりこみ、そこでまた露骨すぎない程度に性的アピールをする。

 

 ――そこまですれば、スケベな文也は絶対に手を出してくる。

 

 そう、お泊り大作戦とはすなわち、既成事実を作ろう作戦なのである。

 

 本当に、家族が聞けば泣くだろう。実際手伝わされて計画の意図を察した幼いころから世話してくれた親代わりの使用人は号泣していた。

 

 しかし、それでも彼女は止まらない。泊りはするけど、止まらないのだ。

 

「ふいー、あっつー」

 

(きたっ!)

 

 階段の下から文也のリラックスした間抜けな――香澄は可愛い声だと思っている――が、ついで階段を上ってくる音が聞こえてくる。香澄は一瞬にしてみだれた(乱れたか淫れたかは想像に任せよう)ベッドを元の乱れ方に一瞬にして戻し、大人しく待っていた可愛い後輩モードになる。

 

「おまたー」

 

 文也は冷蔵庫から持ってきた缶ジュースを二本持ちながら部屋に入ってきて、一本を香澄の前に無言で置くと、もう一本は無言で空けてがぶ飲みする。

 

「はー、さっぱりした」

 

「あ、あの、文也さん」

 

「ん、どした?」

 

「そ、そのー、今日は、もう遅いし、お泊りさせてく、くれませんか?」

 

 前々から計画していたことだが、いざ実行すると緊張してくる。香澄は風呂上がりの文也よりも頬を赤らめ、もじもじとしながら、一泊していきたいことを伝える。奔放な文也はまずオーケーするだろうし、寛容な両親も間違いなく許可する。ここは確実にクリアできるはずだ。

 

「あー、まじか。うーん、ちょっと勘弁してくれないか?」

 

「……え?」

 

 しかしながら、その返事は予想外。色の良くない返事どころではなく、明確な拒絶だ。

 

「えっと、その、なんで」

 

「………………見苦しいところは、見せられないからな」

 

 香澄は眩暈を必死にこらえながら、それでも問いかけの形で食い下がろうとする。それに対して文也は、長い沈黙ののち、目をそらしながら、気まずそうに、そう答えた。顔をそらされているから、その表情は窺えない。

 

 文也の答えは要領を得ないものだ。香澄は詳しく問いただそうと、しつこすぎて嫌われないかという心配すらする余裕もない状態で、口を開こうとした。

 

 その時――

 

 

 

 

 

 

 ピンポーン

 

 

 

 

 

 

 ――控え目なインターホンが、妙に大きく響いた。

 

 次いで、貴代が慣れた声で応対するのが聞こえる。

 

「すみません、今日も来ました……」

 

 そして聞こえてきたのは、階段とドアを隔てて控え目を通り越して蚊の鳴くような細さに聞こえる、遠慮がちな声だった。

 

 訳が分からない香澄は、文也を置いて立ち上がり、ドアを開けて階段から下を覗き込む。そこから見える玄関には、香澄が用意したものと違って正真正銘の子供っぽいパジャマを着た、湯上り模様のあずさがいた。

 

 なぜ、中条先輩が、この時間に、この姿で、この様子で、ここに?

 

 瞬間、香澄は、はっと思い当たる。

 

『見苦しいところは、見せられないからな』

 

 文也の言葉の意味を。

 

 そしてそれとともに、今まで悔しさと羨ましさと妬ましさを込めてみてきた数々の光景が思い浮かぶ。

 

 幼い姉弟のように距離が近い文也とあずさ。自然に手をつなぐ文也とあずさ。間接キスを全く気にしない文也とあずさ。

 

 この二人の距離には、恋人と言う関係すら超えた近さを覚えていた。

 

 幼馴染だから。恋愛感情はない。

 

 駿や将輝、真紅郎からはそう言われてきたが、なんてことはない。三人は誤魔化していたのか、または知らなかっただけ。

 

 この二人は、もう「そういう」関係なのだ。

 

「あれ、どうして七草さんがここに?」

 

 思い当った瞬間、香澄はいてもたってもいられず、文也の部屋に置いてあった自分の荷物をつかむと、そのまままた部屋を出て階段を降りていく。その途中で、当たり前のように上ってくるあずさと真正面からかち合い、当然の疑問を投げかけられる。

 

「え、えーと、その……さっきまで、一緒に遊んでいて、今帰る所なんですよ、あ、あはははは」

 

「そ、そう? その、様子がおかしいですけど……」

 

「へ、平気です! それでは!」

 

 香澄は無理に笑顔を作って、すぐにその横を走って駆け抜ける。笑顔を保てたのはほんの一瞬、そこから先は、とても見せられない表情になっていただろう。

 

 香澄はそのまま、居間にいた文雄と貴代がお見送りする時間もないほどに、まくしたてるようにお邪魔しましたと言って走って駆け抜ける。

 

(嫌だ、嫌だ、嫌だ!)

 

 真夏の夜の湿った暑さがまとわりつく。そんな中、香澄は顔をくしゃくしゃにしながら、夜の住宅街を、必死に走っていた。

 

 そして人目がつかないところにつくと、そのまま道の端にうずくまる。誰の目にもつきそうにない。

 

 

 ――ここなら、思い切り泣ける。

 

 

 

「うっ、うぐ、えぐっ」

 

 そう思った瞬間、堰を切ったように、涙と嗚咽があふれ出す。この日のために厳選した可愛いお洋服が汚れるのも気にせずに道端にうずくまり、涙と鼻水をその服で何度も乱暴にぬぐう。

 

(やめて、やめて、嫌だ!)

 

 泣くために目を閉じると、嫌でも想像してしまう。

 

 大好きな文也と、その仲の良すぎる幼馴染のあずさ。いつもの距離感で、それでいてどこか少しお互いに頬を赤らめながら同じベッドに入り、そこで抱き合う。いつしか二人の服ははだけ、ベッドがきしむ音とこらえきれない声と息遣いが、あの部屋に響く。

 

 文也の言葉の意味。なぜ香澄を帰らせたのか。それは、香澄がやろうとしていたことを、あの二人がこれからやるからだ。

 

「う、う、うえええええええ」

 

 そのことに、香澄が耐えられるわけがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 香澄が井瀬家を急いで去った直後、文也は異端審問にかけられていた。

 

「いやいやいやいや何もしてねえって!」

 

「黙れ白状しろ! 女の敵め!」

 

「私の息子ながら、いつかやるんじゃないかと心配していたが……ここで斬首するしかあるまい」

 

 文也は正座させられ、それを高身長の文雄と貴代が怒り心頭で見下ろしながら、それぞれ武器を展開する。文雄はあのモーニングスターを構え、貴代はいつの間にか背負っていたリュックからあらゆる悍ましい武器を携えた機械の触手をうねらせる。

 

「それで、ふみくん、本当に何をしたの? あのプシオンの乱れは普通じゃないよ」

 

 そして、少し冷静ながらも、同じく文也をゴミを見るような眼で見ているのがあずさだ。あずさはプシオンの揺らぎに敏感だ。すれ違った時の香澄のプシオンは、酷く乱れていた。文也の部屋から急いで、まるで逃げるように出てきたとなれば、文也が何かしたのは確実だ。また、あずさはそこまで思い至っていないが、文雄と貴代は「最低人間のケース」だと考えている。文也の日ごろの行いは、あまりにも悪いのだ。

 

「これがマジで覚えがないんだよ。風呂から上がってきたら、アイツがお泊りしたいっていうから、それを断ったらああなったんだ」

 

「ふーん、あっそう。で、なんで断ったんだ?」

 

 文也の答えに対して、文雄は全く信用していない様子だ。珍しく正直に話しているというのにこの態度で、文也は不満に思いながらも、特に後ろ暗いことはないので話すことにした。

 

「後輩に、夜中に発狂してるとこなんて見られたくねーだろーが。だから、見苦しいところを見せられないって断ったんだよ」

 

「…………本当みたいですよ」

 

 文也が言い終えると、あずさは何か不思議なことが起きたような顔をして首をかしげると、急に雰囲気が柔らかくなって文雄と貴代に報告する。

 

 繰り返しになるが、あずさはプシオンに敏感だ。慣れない相手には顔色を窺いすぎて委縮してしまうのも、無意識に相手の感情の揺らぎを観測し続けたからというのもある。あずさは文也のプシオンの揺らぎを観察して、嘘発見器のような役割をしていたのだ。文也は基本人を騙すタイプなので、嘘を吐くときの揺らぎも他者より少ないが、あずさは文也と自身の両親のものに関してはそれほどの微差も、集中すれば見抜ける。

 

 今のやり取りで自分の心が見透かされていたことに気づいた文也は、恐怖を覚えて震える。幼馴染がいつの間にか超人と化していたのだから、それも無理はないだろう。

 

 そんな文也を放置して、各々の反応を示したのが、文雄と貴代だ。あずさのお墨付きを得た途端に文也の証言を信用した――実の親子であろうと文也とあずさならば後者を信じるのは当然だ――二人は、まるで「あちゃー」とでも言うように額に手を当て、ふらふらと椅子に座る。

 

「お前…………普段騒がしいくせに、なんでここでは言葉が足りないんだ……」

 

「そんなこと言ったら、香澄ちゃん、勘違いするだろうに……」

 

「ん? どんな間違いだ?」

 

「私も分からない……」

 

「間違いをするという間違いだよ!!!」

 

「分からんわ! てめえらこそ言葉足りねえぞおい!」

 

 文也とあずさは、自分たちの状況が客観的に見たらどのようなものなのかに全く気付いていない。この生活が当たり前になり、違和感を覚えていないのだ。

 

 しかしながら、文也がそんな説明をしたと聞くと……文雄と貴代は、香澄が何を思ってあんなことになったのか、実によくわかる。香澄が自分のバカ息子に強い好意を抱いているのも当然察しているし、そこにきてあずさのこの登場と文也の説明は、「そういう」推測をさせるのに十分なことだった。

 

「もういい、二人はもう寝てろ」

 

 しかし、そう風に見られているということを、当人たちに説明するわけにはいかない。

 

 結果として、何もわからず不満そうな二人をさっさと二階に追い立て、防音障壁魔法を張って聞こえないようにしたうえで、貴代と相談に入る。これは絶対にフォローが必要な案件だ。別に香澄の恋路を応援しているわけでもないが、こんな失恋はあまりにも哀しすぎる。

 

「連絡先を交換しといてよかったね」

 

 貴代の疲れたようなつぶやきが、防音障壁に包まれたリビングに空しく木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 香澄が大量に届いたメールを見たのは、泣きはらして酷い顔になりながら、自分でもよくわからないうちに帰宅した後だった。いや、帰ってくる途中ずっとひっきりなしに鳴っていたのだが、あまりの精神状態だったので対応する気力がなかったのである。

 

 ようやくメールを見たのは、帰宅して、用意していたシャンプーもボディソープも使わずに適当に入浴した後、気合を入れて選んだパジャマを着ずに下着姿で自室のベッドに寝転んだ時だ。そこでようやく、何か緊急の連絡かもしれないと開いたのである。

 

「文雄さんと貴代さんか…………」

 

 泣きすぎて嗄れてしまったか細い声で呟く。あの二人は文也と同じく自由人ではあるが、気が利く常識人でもある。恐らくフォローだろうが、今はほんの少しでも思い出したくないので、見もせずに電源を切ろうとする。

 

 しかし、思いとどまった。

 

 目についたのは、メールの件名だった。

 

『誤解だ』

 

 誤解とは、なにが?

 

 香澄はそのメールだけを、少しだけ気になって、力の入らない指で操作しながら開く。その内容は恐ろしいほどの長文で、とても今は読む気にはなれそうにない。しかし、香澄はひとまず読み進めて――強い衝撃を受けた。

 

 あずさと文也が一緒に寝ているのはここ三か月ずっとほぼ毎日だということ。その理由は、香澄が想像したようなものではなく、仕方なくであるということ。

 

 その理由とは――達也と深雪に襲撃されたことで発生した本気の殺し合い、それのトラウマのせいだということ。

 

 香澄は、主に姉の真由美によって、徹底的にあの夜の戦いの情報から遮断されている。文也たちが達也たちに襲撃されたのは、お互いに『吸血鬼』だと思ってしまった勘違いによるもの、と説明を受けているが、香澄はそれを信じていない。真由美によって隠されてほぼ見えてなかったから分からないが、それでもあの場の空気感は、そのような勘違いや事故によるものではないと、香澄は確信している。真由美に対して不満がないわけではないが、それでもあの姉がここまで強硬な態度を取るからには、間違いなく深い理由があることは分かっているので、それ以上は追及できなかった。

 

(ボク……何も知らなかったんだ……)

 

 その戦いで、文也とあずさは酷いトラウマを抱えてしまった。夜寝ているとき、夢の中であの時の戦いがフラッシュバックする。その症状を緩和するために、お互いに幼馴染で安心でき、また香澄は詳しく知らないがそれぞれ発狂などを和らげるための魔法を持っているから、毎晩一緒に寝ている。そうメールに書いてあった。

 

 香澄が想像していたような失恋ではなかったのである。

 

 しかしながら、香澄はこれまで以上に、この事実を知ってショックを受けた。

 

 ――文也はずっと、心に深い傷を抱えていたのだ。

 

 香澄は、想い人のそんな現状に、全く気付いていなかった。どこまでも浮かれて、はしゃいでいた。文也が過去の傷に苦しんでいるというのに。

 

 自分のした想像の、なんと馬鹿馬鹿しいことか。

 

 そんな軽い話ではない。文也とあずさは、切羽詰まって、少しでも苦しみから逃れるために一緒に寝ているにすぎないのだ。香澄の想像は、あまりにも下品で愚かだった。

 

 何も知らなかった。

 

 そしてさらに気づく。

 

 

 

 

 香澄は――文也を、一切助けることができないのだと。

 

 

 

 

 

 幼馴染でお互いに安心できるということもない。フラッシュバックや発狂を和らげることもできない。

 

 文也に、自分は必要ない。

 

 彼にとって誰よりも必要なのは、中条あずさなのだ、と。

 

 その現実を突きつけられ、香澄は半ば意識が飛びそうになりながら、なんとかその長文のメールをスクロールしていく。それを読み進めていくたびに、香澄は自らがいかに文也にとってナニモノでもないかということに気づいていく。

 

 そうして喪失感が増していく中――メールの末尾に添えられた文に、目が留まった。

 

 

 

 

 

 

 

 これを知って、何か思うことがあるかもしれない。

 

 だけど、もし、まだ息子と仲良くしてくれるなら、私と貴代、二人ともそれを心からお願いしたい。

 

 文也にとってもあずさちゃんにとっても、とにかく今はあの夜の事から離れるのが一番の幸せだ。

 

 だから、香澄ちゃんには、どうかこれまで通り接してほしい。

 

 香澄ちゃんの話をするときの文也は、いつも楽しそうだ。アイツにとっては、香澄ちゃんもまた、トラウマを忘れることの助けになっているんだ。

 

 どうか、文也のそばにいて、「新しい日常」へと踏み出す助けになってやってほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか……ボクにも……できることが……」

 

 もしかしたらこれは、気休めかもしれない。

 

 文雄は確かに奔放で自由人だが、一方で気遣いもできる常識人でもある。香澄からはそう見えている。そんな彼が考えた、ほんの少しの慰め。

 

 それでも香澄は、これを信じることにした。

 

 たとえ気休めであろうと、自分が文也の気を少しでも紛らわせることができるなら、それは本望だ。

 

 これまで通りに、いや、これまで以上に、文也に一杯接して、少しでも文也が過去を乗り越えることができればよい。そうしていつしか、文也はあの夜を乗り越え、夜明けを迎えて、「新しい日常」を過ごすようになる。その「新しい日常」の象徴に、自分がなればよいのだ。

 

 

 

 

 

「……よしっ!」

 

 

 

 

 

 香澄はベッドから勢いよく起き上がり、両頬をべしべしと強く叩いて気付けをする。

 

 文也に、これからもアプローチを仕掛けていく。

 

 そのためには、まずどうするべきか。

 

「……とりあえず、お風呂だね」

 

 今の自分は、間違いなく醜い。目は泣きはらし、涙と鼻水で顔面はぐしゃぐしゃだろうし、適当に洗ってそのあと櫛を通していない髪の毛は酷いことになっているだろう。

 

 少しでも文也に可愛く見られたい。

 

 復活した乙女心は、彼女を浴室へと向かわせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし、明日からまた頑張るぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 浴室に香澄の大声が反響し、マンションの部屋中に響きわたる。

 

 それを聞いた親代わりの使用人は、ほっと胸をなでおろしながら、たった今書きあがったところだった弘一への報告メールを削除した。




パソコンが壊れてしばらくスマホでの投稿と推敲になるため、誤字脱字諸々が多くなると思います。元から多いんですけどね。いつも誤字報告ありがとうございます。ハーメルンの神機能ですね


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6-6

2000ポイント超えて嬉しいので連続投稿です
本日の深夜0時ぐらいにも1話投稿していますので、ご注意ください


 8月3日、真夏のカンカン照りの中、日本中から優秀な魔法科高校生が国防軍富士演習場に集まった。

 

 三高のバスでは将輝の隣をめぐって女子の間でひそかなバトルが発生していたのだが、いつの間にか大親友の真紅郎がそこに座っていたため、無駄なバトルになった。

 

 一方、規模は小さいのだが、将輝の隣をめぐるバトルよりも悪目立ちしたのが、文也の隣をめぐる思惑である。文也は選手であり、当然選手用のメインバスに乗るものだと大多数から思われていた。よってその隣を、香澄が狙っていたのである。親友である駿を出し抜いて愛しいあの人の隣を確保しようと、くそ暑い中ひとり鼻息を荒くしていたのである。一方的に恋のライバルだと目の敵にしているあずさは、今回は眼中にない。彼女はエンジニアであり、選手用のバスからは外れると見込んでいたからだ。

 

 ――しかしながら香澄の思惑は、外れてしまった。

 

 何と文也は自身がエンジニアでもあることを良いことにエンジニア用の機材運搬を兼ねたバスに勝手に乗っていたのだ。

 

 香澄は「またあの人は勝手に……でも自分に正直なところがステキ」となって、我慢して『ロアー・アンド・ガンナー』の相棒である一年生の女子と仲良く隣でバス旅を楽しんだ。自由が制限されがちな魔法師は、奔放な魔法師を嫉妬まじりの憧れで見ることが多く、それが恋愛感情に直結するのは、意外と珍しいことではないのである。香澄の場合はそれにしたって行き過ぎなのだが。

 

 そして本当の悶着は、降車時に起きた。

 

 エンジニアの仕事がある文也のお手伝いをしてポイントを稼ごうとしていて、彼が乗ったというバスの前で待ち構えていた香澄――とついでに颯太と菜々――の前に、衝撃の光景が飛び出してきた。

 

 降りてきたのは文也だけではない。なんとそれと一緒に、あずさも降りてきたのだ。

 

 しかも、二人そろって眠そうに目をこすりながら、手をつないで。

 

 颯太と菜々としては別に心底どうでもよいのだが、香澄はそれどころではない。ポイント稼ぎを忘れて、何があったのか問い詰める。

 

 そしてそれに対して二人そろって、まるでそれが当たり前とばかりに、バス旅の間並んで一緒に寝てたと説明したのである。そしてそこを通りかかった駿が「あー去年もそうだったな」と呟いたものだから、さらに香澄への追い打ちとなる。結局香澄はそのまま真っ白になって立ち尽くし、お手伝いは颯太と菜々しか働かなかった。

 

 そんな日の夜が、九校戦の前夜祭パーティ。お偉方の退屈なスピーチを右から左へ受け流しながら、文也はパーティで出されたハイレベルな料理をこれでもかと頬張る。ただの学生の集まりの立食パーティのくせにやたらと美味しいのだ。普段はお菓子ばかり食べているので小食だが、こういう時は意地汚いものである。

 

 しかしながら所詮は小食、すぐにお腹いっぱいになった文也は、即壁の華と化していたあずさと一緒に、一高のメンバーに久しぶりに会いに行くことにした。

 

「よっす、久しぶりだな」

 

「げっ、井瀬君じゃない」

 

「この裏切り者めー、元気にしてたか?」

 

 文也が最初に声をかけたのは、ある意味一番お世話になった風紀委員の二人、花音と沢木だ。花音は心底嫌がっている様子だが、沢木は文也を見るなり、全くそう思っていない爽やかな笑顔で憎まれ口を叩きながら肩を組んでくる。風紀委員としては文也に対して何か思わないでもないが、一方でヤンチャなぐらいのほうが後輩は可愛いと思っている古い気質の沢木は、意外と文也を気に入っているのである。こんな割とキツめの憎まれ口が叩けるのも、文也を信頼している証拠だ。

 

 そして花音は文也の横にいたあずさを見てパッと顔を輝かせる。二人は同級生の同性で、それでいてどちらも上層部に立ちながら、そこまで接点はない。それでもお互いに友達関係ではあり、久しぶりに会うのは嬉しかった。

 

 そして声がデカい花音と沢木が文也たちに反応を示したことで、続々と一高の面々が会いに来る。特にあずさは人望が厚くて、再会したい生徒たちの列ができているほどだ。そして意外にも、文也に会いたがっている生徒も多い。いたらいたで騒がしくてうざったいが、一年間そういう状態が続いていると、離れたら逆になんやかんや寂しかったのだ。人と言うのは勝手なものである。また、二人は多くの一高生の命を救った英雄でもあり、またいろいろと有名なため、一目会いたいと言う一年生も多い。

 

 しかしそんな中でも、やはり文也に敵意のような目線を向ける生徒もいた。それは悪戯を現役で受けていた二・三年生ではなく、意外にも一年生。文也も要注意相手選手として何度もデータを見たのでさすがに覚えている。七宝琢磨と、七草泉美だ。

 

 琢磨は文也に群体制御のノウハウを簒奪されたと思って特に恨んでい七宝家だし、泉美は生まれたときからの片割れ・香澄を誑かして自分の傍から離れさせたクズ男として、それぞれ敵視している。実際泉美としては香澄の命の恩人であるため複雑な感情もあってそう露骨になることはないはずだが、琢磨の敵意に喚起されてる形だ。

 

「あれ? 森崎はいないの?」

 

 そうした色々な感情が混ざった列の中で、どこかソワソワした様子の滝川が小声で文也に問いかけた。

 

 確かに、ほとんどの一高生からすると、この二人がいて駿がいないというのは不自然だ。彼もせっかくだから一高生に再会したいだろうし、また冬休み以降は特にこの三人でつるんでいるのをよく見ている。

 

「あー駿ね。声掛けようと思ったんだけど、三高の同級生の女と何やら話し込んでた」

 

「そ、そう……」

 

 文也の話を聞いて、滝川は無表情を装っているが、明らかに肩を落とした。そんな彼女の肩を、後ろから現れた英美が優しく叩く。淡い気持ちの波動を感じ取った乙女は、それをつつくのに熱心なものである。

 

「俺が何だって?」

 

 そして間が良いのか悪いのか、駿がそこに現れた。やはり駿もまた、タイミングを見て顔を出す予定だったらしい。

 

「あ、ね、ねえ、森崎……久しぶり」

 

「ああ、久しぶり」

 

 一通り同級生の男子と挨拶を交わした駿に、滝川が声をかける。

 

「ねえ、森崎さ、エントリー表見たけど、ロアガンの男女ペアに出るんだよね?」

 

「そうだ。……ああ、なるほどな」

 

 滝川の質問に、駿は少し遅れて彼女が何を言おうとしているのか理解する。

 

 昨日、公式サイトに、『トライウィザード・バイアスロン』以外の競技の登録選手が公開された。駿は予定通り、『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペアの代表だ。

 

 そして、一高の『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペアの代表はと言うと――

 

「私、負けないから。絶対に」

 

「ハッ、上等さ」

 

 ――滝川である。

 

 かつての同級生からの宣戦布告に、駿は闘志をみなぎらせて、堂々とそれを受け止めた。

 

「漫画かよ」

 

 その横で小さいのが何か言っているが、黙殺された。

 

 そんな文也の視界――小さいから大勢の人に囲まれているとほぼ見えていないのだが――の端に、ふと、二人の男女が映った。

 

 文也たちを囲む集団から離れ、少し気まずそうに遠巻きに見ている、大柄な少年と絶世の美少女。

 

 司波達也と、司波深雪だ。

 

 かつて本気で殺し合った二人の姿を見て、文也の心臓はあの夜の恐怖を思い出して縮み上がる。そして因果なことに、そのタイミングで、二人の目線が文也を追いかけ、ばっちり目が合ってしまった。

 

(お前らには絶対に負けないよーだ)

 

 恐怖心を抑え込み、文也は宣戦布告の意味を込めて、小さくアカンベーをする。去年は仲間だが、今年はエンジニアとして腕を競う敵同士。あの夜の恨みは、ここでも晴らすつもりだ。

 

 そんな文也の渾身のアカンベーはと言うと――司波兄妹からは、彼の身長が小さすぎて良く見えていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8月5日、九校戦初日。

 

 この日の一高は、なんか毎年の事のような気がしないでもないが、明暗分かれる結果となった。

 

 まずは、「明」の方を見てみよう。

 

「雫、おめでとう!」

 

「ありがとう、ほのか」

 

 達也の身内でひっそりと開かれているのは、雫の優勝記念プチパーティだ。

 

 初日に行われた『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロ。二年生にして一高女子を牽引する魔法力を持つ生徒である雫は、SSボード・バイアスロンにおいても優秀な選手であるため、当然この競技の優勝候補筆頭だった。そして、実際に見事に優勝して見せたのである。

 

「達也さんのおかげだよ、ありがとう」

 

「雫の実力あってこそだけどな」

 

 決勝戦でのゴール速度は、的への命中精度度外視でかっ飛ばしていた七高、コーナリングが神がかっていた四高に次ぐ三位だったのだが、的への命中精度はダントツであり、総合点での優勝となった。総合二位の四高選手との差はほんのわずかであり、そのほんのわずかな差は、エンジニアの差だと雫は達也に心の底から感謝をしている。

 

 達也が雫に用意したのは、領域内の的を破壊する振動系魔法だ。定番中の定番魔法であり、去年開発して見せた『能動空中機雷(アクティブ・エアー・マイン)』の元となった魔法である。

 

 的を破壊するというのは、当然ながら、その的のエイドス自体を対象として魔法を行使するのが一番効率が良い。去年の『スピード・シューティング』といい今年の『ロアー・アンド・ガンナー』といい、シューティングやガンナーと言っておきながらそんな有様なのは、魔法競技の定番ネタである。エイドスを対象として魔法式を投射する場合は、一度照準に捉えてしまえば、「射線」から逃れても魔法は正常に発動する。的が動いていたり、自分が動いていたりすると「射線」が重要な射撃魔法は使いにくいが、直接干渉する魔法ならなんてことはないのである。

 

 ただし、それは理屈上の話。『ロアー・アンド・ガンナー』ソロはその競技の特性上、ボートを動かすための移動系魔法や加速系魔法、的を破壊するための魔法を、一人で効率よくマルチキャストする必要がある。汎用型CADにつける照準補助装置は去年すでに、それこそ達也と雫のペアが実施済みだが、去年みたいに的の破壊に集中するわけではなく全く異なることをする競技なわけだから、それは使えない。照準補助なしで、高速移動しながら的に正確に照準を合わせるというのは、雫でも難しいことだった。

 

 そこで達也が持ち出したのが、この振動破壊魔法の定番、『振動破壊領域』である。領域内にある有体物を振動させて破壊する魔法であり、物体の硬度や大きさなどをある程度指定することも可能だ。『的を含む領域』にこれを設定することで、多少おおざっぱな照準でも的を破壊できるようにしたのである。的破壊の基準は半壊以上であり、的の一部が領域から外れてしまっても問題ないというのも大きい。これによって雫は高い命中精度を得られた。ただし、的そのものを対象にするよりも魔法としての効率は悪く、照準以外の演算も、発動までの時間も、術者への負担も大きい。割と諸刃の剣ではあったのだが、振動系魔法に適性のある雫は多少難しくなったところで誤差でしかなく、命中精度向上のメリットの方が大きかった。

 

 この作戦は、達也としては術者の実力に依存したものであり、汎用性がないのが個人的に勝手に悔しがっている。しかしながら雫は、「私の実力を信頼しての作戦」とプラスに捉えてくれていた。達也の日ごろの行いのおかげだろう。

 

「エリカとレオも、ひとまず第一予選突破おめでとう」

 

「まあこれぐらい楽勝よ」

 

「俺は結構きつかったけどな」

 

 幹比古の言葉に、疲労の色が見えないエリカと、やや疲れ気味のレオが答える。

 

 初日には、『デュエル・オブ・ナイツ』の第一予選も行われていた。この第一予選は、他二人の女子(千倉とあと一人)は善戦空しくここで敗退してしまったものの、エリカは余裕の突破を決めているのだ。

 

 一方、校内の候補四人での厳正な審査を勝ち残って代表となったレオはと言うと、予選は突破したものの、三高の優勝候補・遠藤高安と同じ小グループに入ってしまい、初日から大激戦となった。辛くも勝利して、ライバルたる三高の優勝候補を予選で潰せたのは大きいが、明日の第二予選や決勝に響かないか心配だ。

 

「デカいっていうのはやっぱ正義だよなあ」

 

 レオはまだ痛む腕を押さえながら、試合を振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「直接ぶつかり合う競技なのに体格差おかしいだろオイ!」

 

「文句言うんじゃないわよ! アタシなんて『オーガ』よ『オーガ』!!!」

 

 第一予選の組み合わせが決まり、対戦相手のプロフィールを見たレオは、すっかりビビりまくっていた。

 

 三高の遠藤高安。相撲部で、その体格は規格外だ。身長は180センチメートルを超え、脂肪に見せかけた筋肉の鎧によって膨らんだその重さは200キログラムを超える。もはやプロの幕内力士にも劣らない体格だ。

 

 普通、こういう格闘技は、体重差が勝敗に直結しやすくまたお互いに危険なため、かなり厳密に階級が定められている。しかしながらこれは所詮高校生同士の親善競技会であり、そこまで運営は頭を回さなかった。結果として、まあまあがっしりしているレオが怯える程の体格差ゲームが実現してしまった。

 

 レオが選んだのは、オーソドックスな片手剣と、ゲームに出てくる勇者の盾のような形をしたこれまたオーソドックスな中盾だ。競技の性質上どちらも片手で持つものであり、強化プラスチックおよび強化軽量プラスチック製といえど、常人がまともに片手で扱うのはかなり難しい重さとなる。大剣と大盾のパワーは魅力的だが、レオは身体の動きを重視してこちらを選んだのだ。

 

 一方、対戦相手の遠藤が選んだのは、その体格に見合った強気の選択、機動隊が持つような形と大きさの一般的な成人男性なら全身を守れる大盾と、幅広で分厚くて長い、とにかくデカい大剣だ。どちらも鍛え上げられた成人男性ですら両手で扱うのが精いっぱいだというのに、どちらも片手で余裕をもって扱えている。一回戦の対戦相手だった八高の生徒は、なすすべもなくリングアウトを食らっていた。

 

「クソッ、こうなったらヤケだ。二科生の意地を見せてやる」

 

「そうよ、男ならここで死んでも勝つぐらいの意気込みを見せなさい!」

 

 エリカに背中を強くバシンと叩かれ、それで気合の入ったレオは、先ほどまでの弱気が嘘みたいな勇ましい表情でリングに上がる。これが彼が強者たる所以だ。

 

 そしてその試合は、まずは力と力のぶつかり合いとなった。

 

 競技で定められた動き――決闘のようにお互い一礼する――を挟んで、審判の合図と同時に、お互いに盾を掲げて真正面から突っ込む。

 

「ぐおっ!?」

 

「えっ!?」

 

 お互いに得意の硬化魔法を盾に施しての、一撃必殺のつもりだったぶつかり合い。そしてそれはお互いの思惑から外れ、硬化魔法の強さが拮抗しており、どちらも決め手とはならなかった。レオは武装でも体格でもはるかに強い相手に正面からぶつかり合ってそれどころではないが、遠藤は勝てると思っていたようで、驚きに目を見開く。

 

「余裕ぶってんじゃねえ!」

 

 レオは吠えながら、バックステップで距離を離した直後にさらに機敏にサイドステップを踏んで横に回り込み、素早く剣を振るう。それに遠藤はギリギリで反応して、大盾で防いだ。

 

「それっ!」

 

 そして反撃をする。盾に身を隠しながら、大剣を槍のように突き出す。その軽く見えて重い一撃を、レオは硬化魔法を施した中盾で防いだ。

 

「なるほど、やはり盾チクか」

 

「シンプルイズベストってやつよね」

 

 大盾に身を隠してどっしり構えながら、リーチで優る大剣を槍のように使って、安全にポイントを稼ぐ。この通称盾チク――ゲーム研究部が名付けてエリカが気に入ったから一高内に広まった――は、理論上でも試合でも強力な戦法であり、一時期はこれで沢木が代表争いのトップになっていたこともある。シンプルに強い戦法だ。

 

 そう、シンプルに強い。それゆえに、一高生はみな、しっかり対策してきている。

 

「おらおらおデブちゃん! ついてこれるかな!?」

 

 レオはサイドステップを駆使して回り込みを多用し、相手の周りをグルグル回りながら、身軽に剣を振るう。騎士の決闘という競技名から程遠い煽りが混ざっているが、それはこの一か月、口の悪いエリカにしごかれてきたからだろう。

 

 それに対して、遠藤は守るので手いっぱいだ。大剣の突き出しは全くレオに追いついておらず、重い盾を攻撃に合わせるしかできない。

 

 そう、この戦法を取る選手は、大盾と大剣を選んでいるのだから、身軽に動けない。それに対して機動力で翻弄しようというのも、また定番の作戦だ。

 

 その状態はしばらく続き、レオが一方的に攻め立てる展開が一分ほど続いた。

 

「不味いわね」

 

「ああ」

 

 だというのに、エリカと達也は顔をしかめる。現在モニターに表示されている獲得ポイントは、どちらもゼロ。互いの攻撃は盾にしか当たっておらず、それが盾へのダメージ蓄積にすらなっていないため、ポイントとして認められていない。完全に押しているように見えて、実は拮抗していた。

 

 それも、レオに不利な形なのである。

 

 一見押しているように見えるが、これで拮抗しているというには、レオの方が苦しい。遠藤がほぼ動かずに身体を回しているだけなのに対して、レオはサイドステップで盛んに動き回っている。装備の重さの差は大きいが、それでもレオの方がはるかに消耗が大きい。このままだと、レオの精度が落ちて負けてしまうだろう。

 

 レオの方から、打開の手を打たないといけない。そう、観客もレオも思った時――思わぬ形で試合が動いた。

 

「このっ!」

 

 なんと動いたのは、有利な拮抗を維持しているだけでよかった遠藤だ。焦ったように動き出し、ステップの瞬間にレオの進路に大剣を突き出して動きを阻害し、そのまま盾を構えて突撃して吹き飛ばそうとする。

 

「あらよっと!」

 

 しかしレオは、大剣が置かれた方向とは逆にステップを切り替えて、その突撃をギリギリのところで躱す。そして鈍重な体で突撃した遠藤はそのまま振り返って盾を切り返せるはずもなく、ヘルメットにレオの反撃を受けてしまった。

 

「く、くうう」

 

 ヘルメットに入った場合、入るポイントは大きい。それを分かっている遠藤は、自分もポイントを取りに行こうと果敢に攻めるが、その鈍重さはレオからすれば止まって見える。雑な攻めを的確に咎めて、レオは着実にポイントを重ねていた。

 

「ぐ、があああ!!!」

 

「よし!」

 

 しかしながら、その体格差はやはりレオにとって不利であった。急に優勢になったせいで勢いを見誤って攻めすぎてしまい、遠藤の大盾によるブチかましを食らってしまい、中盾でとっさに防いだものの、レオはあっという間にリングアウトギリギリまで吹き飛ばされ、床に仰向けに倒れこんでしまう。幸い男の意地で剣も盾も手放していないが、追撃を食らってしまえば逆転負けだ。

 

「どすこおおおおおおおおい!!!!」

 

 特徴的な掛け声で、大盾と大剣を突き出しながら遠藤がドスドスと走ってくる。

 

 レオはギリギリのところで転がってそれを回避し、リングのふちまで近づいてきたのを横から押してアウトにしようとする。しかしながら、足の裏の面積が大きく重心を低く低くと意識し続ける力士は、ブレーキ力と踏みとどまる力に長けている。レオの後ろからの攻撃に、遠藤は危なげなく耐えきった。まさしく土俵際の攻防だ。

 

 そして、再び遠藤が動き出す。姿勢を整えた遠藤は再び盾チクの構えに入り、レオに大剣を突き出す。ちょうど自身の攻撃のタイミングに合わせられたその攻撃は、レオは躱すことはできない。

 

「無駄だ!」

 

 それゆえに――攻撃しようと振るっていた片手剣の軌道を変えて振り下ろし、自らに迫る大剣に叩きつける。いきなりの衝撃に、大剣は地面に思いきりぶつかった。

 

「チェックメイトだ!」

 

 レオはその大剣を思い切り踏みつけて動かせないようにし、片手剣を思い切り振りかぶって大剣に振り下ろす。

 

「くっ!」

 

 遠藤は剣を破壊するつもりだと踏んで、得意の硬化魔法を施す。この後、振り下ろしたものの跳ね返されて体勢が崩れたレオに対し、大剣を無理やり持ち上げてひっくり返して倒れているところをマウントポジションで一方的に攻撃する。それで遠藤の勝ちは確定だ。

 

「俺の勝ちだ!」

 

 ――だというのに、遠藤の大剣は、見事にぽっきりと折れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んーこれは明暗分かれたねえ」

 

 プチパーティの後の作戦会議室で、今日の総括として五十里が呟く。

 

 明。これは、雫の優勝と、エリカとレオ、そして男子の残り二人である桐原と十三束の第一予選突破だ。千葉家で鍛えられた男子たちは、全員が予選を突破していた。力士からのブチかましを受けたレオの状態がやや不安だが、ひとまず問題はない。エリカは余裕で今日の試合はすべて敵を叩きのめした。有力視していた千倉は小グループでいきなり『オーガ』と当たって秒殺され、もう一人の女子も四高の選手に負けた。この二人は「暗」だろう。

 

 そしてそれよりも「暗」なのが、『ロアー・アンド・ガンナー』男子の結果である。

 

 まず、男子ペア。ボート部の男子と去年『スピード・シューティング』の代表だった三年生を組ませた、まあまあ自信のある布陣だったのだが、決勝の五組には残ったものの五位となり、ポイントは持って帰ってこれていない。男子ペアの優勝は三高、真紅郎と三年生男子のペアだ。漕ぎ手は上手ではあるものの、良い勝負ができていたように見える。しかしながら真紅郎の命中精度がすさまじく、昨年の論文コンペでゲリラが会場に侵入してきたときに披露した『不可視の散弾(インビジブル・ブリッツ)』で、撃ち漏らしは一つだけというとんでもない成績をたたき出してきたのだ。

 

 そしてそれよりもさらに酷かったのが、男子ソロだ。代表である二年生の五十嵐は百家本流の息子であり、文也と駿が抜けた今、スランプから脱却した『神童』幹比古と並んで、二年生男子を牽引する実力者だ。SSボード・バイアスロン部の優秀な選手でもあり、次期部活連会頭の筆頭でもある。だというのに、なんと、予選で負けてしまったのだ。

 

「…………予想はしていましたけど、アイツはこの競技だと反則ですよね」

 

 達也は先ほどのパーティとは一転、やや深刻な顔をしながら、今日の競技を振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ソロ予選。達也はエンジニアとして大忙しだったのだが、少し時間に余裕ができたし、また何よりも気になる選手が他校から出場しているので、会場に見に来ていた。決勝はスケジュール上絶対生では観戦できないので、これぐらいは許されるだろう。

 

『ロアー・アンド・ガンナー』の予選の演技順番は、抽選によって決まる。五十嵐の順番は最後から二番目。周りのスコアを見て、予選突破できる程度のスコアに抑えて決勝のために消耗を押さえるということができる、好ポジションだ。五十嵐はその実力と適性から、ずっと優勝候補と言われていた。しかしながら、達也はそうは全く思っていない。盛り上がりに水を差すから口に出すのは控えているが――予想される敵が、あまりにも強すぎる。

 

「…………あんなの、反則だ」

 

 隣の深雪にしか聞こえないぐらいの音量で、達也は吐き捨てる。隣にいる深雪が睨んでいるのは、余裕綽々の顔でゴールをして、盛り上がる観客に手を振ってまでみせている小学生かと見間違えるようなチビ、予選六番手の演技を終えた井瀬文也だ。

 

 この競技のソロは、高速移動とコーナリングと的の破壊という、全く違う動作を高出力・高精度で素早く同時に行う、マルチキャストが試される競技だ。そう、マルチキャストである。

 

 だというのに、あのクソチビはその土俵に乗らず、異常も異常である『パラレル・キャスト』を以てして、競技性を破壊し、圧倒的な一位に君臨した。

 

 複数のCADを同時に使える『パラレル・キャスト』は、ボートと的破壊を全く同時にこなせるということであり、この競技のソロにおいては圧倒的なアドバンテージだ。もし達也に魔法力が一科生のビリ程度でもあったら、五十嵐を差し置いて選手になれたかもしれないほどに有利なのである。

 

 しかしながら、文也の場合は、その程度のアドバンテージなど可愛く見えるほどに、圧倒的なアドバンテージを持つ。

 

 文也が今回使用したCADは30個。加速、移動、コーナリング、ジャンプ、着水、波の制御、慣性制御、空気抵抗制御、その他もろもろスピードに関わるもの。実に20個ものCADを同時に使用し、そしてそれぞれの魔法の「専用」CADである。

 

 そして残りの10個については、その半分が文也の体に、その半分がボートに取り付けられている。

 

 勘違いしないでほしい。五個が体、五個がボートではない。

 

 10個のCADそれぞれが二分割出来て、半分に分けた10個を体に、もう半分に分かれた10個をボートに取り付けているのである。

 

 この特殊なCADは、急遽出場することになった去年の『モノリス・コード』新人戦で文也が使ったものと同種、『マジカル・トイ・コーポレーション』が「流産」した技術だ。

 

 ボートに取り付けられたのは、CADで言うところの照準補助装置と起動式保存ストレージに当たる。この小さなメダルの中には、的を破壊するためだけの『不可視の散弾』の起動式と、高性能カメラがついている。そして文也の体に接触している片割れが、CADの感応石に当たる部分だ。

 

 カメラが的を捉えると、自動で規模と持続時間と的の座標情報の変数が入力された状態で起動式が無線電気信号で文也が身に着けている方に送られ、受け取った感応石がサイオン信号にして文也に渡す。そしてあとは魔法式として投射して破壊するだけだ。

 

 そう、つまり、射撃のほぼ全てを、CADが全自動でやってくれるのである。

 

 これによってほぼすべてのリソースをボートの移動に注げる文也は、数多の専用CADを同時に使った専用たる性能の暴力も加わって、五十嵐が的撃ちなしで集中してやっても追いつけないほどの速度でゴールまで駆け抜けたのである。ソロだというのに、先ほどまで行われていた男子ペアの優勝ペアである真紅郎たちよりもゴールタイムが早いという訳の分からないことになっている。そして高性能カメラにほぼ任せた半自動射撃の精度も流石であり、なんと一つも外さず全ての的を壊している。的破壊の方も、二重の意味でパーフェクトというわけだ。

 

『ロアー・アンド・ガンナー』という競技(ゲーム)、そのゲーム性を根本から破壊する、何か訳の分からない暴力によって、文也は完全にこのゲームを支配していた。近くにいたゲーム研究部員が、その様子を、まさしくゲームに例えて、チートだのグリッチだのと騒いでいる。それを聞いた達也は、妙に納得してしまった。

 

「いえーい!!!!」

 

 文也の声が、盛り上がる会場に木霊して、さらに観客を沸かせる。圧倒的な支配者の登場で、会場の空気はほぼ文也一色になっていた。

 

「五十嵐は大丈夫か……」

 

 こうなった時、心配なのは五十嵐だ。会場の空気に気圧されて実力が出せず、オーバースピードでコースアウトして失格になってしまった七番手・二高の選手を見ながら、達也は呟いた。

 

 五十嵐は実力こそあるが、気弱で死ぬほどプレッシャーに弱い。こんな中では、実力が出せるか心配だ。

 

「ダメみたいですね」

 

 深雪が横でため息を吐く。名前が呼ばれてスタート地点に現れた五十嵐の顔は真っ青、今にも泣きだしそうで、真夏だというのに体が震えている。

 

「これがトラウマで魔法力を失わなければよいが……」

 

 そんな心配をしてしまうほどに、今の五十嵐の状態は悪い。しばらく夢に出るだろう。

 

 結果、五十嵐は失格にこそならなかったものの、練習の時と比べても最悪のスコアで、決勝進出を逃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふみくんかっこよかったよ!」

 

「文也さんすごーい!!!」

 

「へへへん、もっと褒めろ、もっと讃えろ!」

 

 三高サイドでは、文也の鼻がピノキオもかくやと言うほどに伸び切っていた。結局文也はずっと圧倒的なスコアで一位になり続け、他選手のメンタルをズタズタにしながら優勝した。あずさは文也の活躍が嬉しくて、優勝が決まってからずっとご機嫌だ。また、すっかり感激した香澄はもう目どころか口の中までハートマークを浮かべて、ずっと文也にくっついてキャーキャー言っている。

 

「いやはや、文也は流石じゃのう♪」

 

 女子ペアの選手であるためそのすごさがより実感される沓子もまた、ご機嫌で文也を褒めたたえていた。ちなみに、颯太と菜々も太鼓持ちでポイントを稼ごうと参加している。颯太は割と本気で称賛しているが。

 

 また、男子ペアで優勝した真紅郎とその漕ぎ手もまた、すぐそばで褒めたたえられている。

 

「ジョージ、あの命中精度はすげーよホント」

 

「本番で最高のパフォーマンスとはな」

 

 特に上機嫌なのが、親友が優勝した将輝だ。また同じ競技の射手としてそのすごさがわかる駿もまた、真紅郎に驚嘆していた。文也のオールパーフェクトは全く別次元の話であり、正統に競技に挑んで正統にパーフェクト一歩手前という成績をたたき出した真紅郎の方が、魔法射撃の腕としては確かなものなのである。自動魔法なしで射撃勝負をしたら、文也は真紅郎にボロ負けしたこともあるほどだ。

 

「ひとまず今日は勝てたな」

 

「そうですわね」

 

 また端の方では、無事『デュエル・オブ・ナイツ』女子の第一予選を突破した愛梨と桜花が、小さく祝杯を挙げている。エースの遠藤含む男子全員がまさかの第一予選敗退し、女子も一人敗退してしまったため盛り上がれないからだ。特に遠藤は、あのままならば勝てたのに、プレッシャーに弱い性格が災いして、自分からわざわざ有利な拮抗を壊してしまったのが敗因だ。悔しくてたまらないだろう。

 

 初日の内、真紅郎ペアと文也は自前で調整などができるので、去年まではないがしろにしていたが今年から一転多めに用意したエンジニアたちの負担は、二人が競技のために多少欠けていても少なかった。『デュエル・オブ・ナイツ』男子を担当したエンジニアは隅の方で遠藤や雷電たち共々、自棄ジュースをしている。

 

 そしてあずさが担当したのは、『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロと桜花だった。『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロは雫と七高と二高に阻まれて、決勝の進出したものの四位でポイントは持って帰ってこれなかった。そして桜花は下馬評通り圧倒的な力で相手を大剣の一撃で秒殺して帰ってきた。

 

「中条の調整は効率がいいな。実に気持ちよく戦える」

 

 桜花は鬼のような顔いっぱいに笑みを浮かべて――笑顔がもともと威嚇であったことを本能で思い出させるような迫力である――文也の周りでキャイキャイしているあずさをひっそりと讃える。あずさの調整は全体的に選手がのびのびと力を発揮できるようなものになっていて、桜花はそのおかげで今日はいつもよりさらに絶好調だったのだ。またポイントこそ持って帰ってこれなかったものの、『ロアー・アンド・ガンナー』ソロで四位に食い込めた女子も、あずさのおかげでここまでこれたと胸を張っている。

 

「悔しいけど……井瀬の調整は中々ですわね」

 

 そして、誰よりも今日絶好調で戦えたのは、愛梨だった。それなのにやや顔が苦いのは、その調整を担当したのが、敵視している「一ノ瀬」、文也だからである。

 

 愛梨としては文也にだけは絶対担当してほしくなかったのだが、彼女の『稲妻(エクレール)』しか使わない戦い方は、専用CADの専門家である文也とこれ以上ないほどマッチしている。というわけで、あずさと真紅郎の強いお勧めで、文也が彼女の担当をすることになった。これが決まったのが、7月6日のことだ。

 

 そしてその一週間後、文也が自作したという、愛梨愛用の『エクレール』専用ネックレス型CADと同じ形のCADを使い始めてから、愛梨の調子は格段に向上した。

 

 文也が自作したCADは、専用CADを得意とする『マジカル・トイ・コーポレーション』の『マジュニア』らしく、高等魔法を継続して使用し続ける愛梨の負担が極限まで減らされていて、それだというのに性能も発動速度もパワーアップしていた。

 

 さらに、これは『マジカル・トイ・コーポレーション』が開発した完全思考操作型CADである。剣と盾を持って素早く戦い続けるこの競技では、魔法行使のためにCADに触れるという動作がどうしても邪魔になる。そのため、クイック・ドロウよろしく素早く操作する練習をするか、速度を犠牲にしてCADなしで魔法を行使するかを選ぶ形になりそうだったのだが、そのどちらでもなく、身体操作なしでCADの速度を出すということができるのである。

 

 これによって愛梨の戦術スピードはさらに向上して、まさしく稲妻のごとき速度で戦えるようになった。今日の試合において、愛梨は相手の攻撃に一度も当たっていない。盾で受けることすらない。相手の反応速度と攻撃速度が、全く愛梨についていけてなかったのだ。

 

「だが、明日は千葉との戦いだ。気を引き締めていけッッッ」

 

「はいッッッ」

 

 愛梨は小グループでこそエリカと当たらなかったが、第二予選の中グループにはエリカがいるのである。桜花と並ぶ今回の優勝候補であり、世間の評判では、愛梨よりも優勝候補と言われている。もしここで愛梨が勝てば、もはやライバルはいないため、桜花と愛梨でワンツーフィニッシュが見えてくる。一方でここで負ければ愛梨はゼロ点になるだけでなく、桜花がエリカに負ける可能性がわずかにあり、50点取られたうえでこちらは30点しか取れない。ここが次が正念場だ。

 

 愛梨は文也から貰ったネックレスをぎゅっと握りながら、桜花に気合を入れて返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在ポイント

・一高 

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロ優勝 50

 合計50

 勝ち上がり 『デュエル・オブ・ナイツ』レオ、桐原、十三束、エリカ

 

・三高

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ソロ優勝 50

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ペア優勝 60

 合計110

 勝ち上がり 『デュエル・オブ・ナイツ』桜花、愛梨



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6-7

そういえばお伝えし忘れていましたが、本作においてはパラサイトドールをめぐる九島の陰謀はございません。安心していて下さい。


 8月6日、九校戦二日目。

 

 今日から選手兼エンジニアである文也と真紅郎もフル稼働し、三高がより勢いづいてくる日になると予想されていた。

 

 文也の担当は『デュエル・オブ・ナイツ』の愛梨、『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロの綾野。

 

 あずさの担当は『デュエル・オブ・ナイツ』の桜花。

 

 真紅郎の担当は『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペアの将輝たちと、男子ペア。

 

「この三人を見てると、去年エンジニアを軽視してた私たちがバカみたいね」

 

「そうじゃのう」

 

 まだ試合がない栞と沓子は、観客席で選手表を見ながらそんなようなことを呟く。三高のエンジニアは高校生の親善競技会としてはすでに規格外の領域であり、去年まで選手各々で調整してねという形だった三高の間抜けさが改めて伝わってくる。これからは『尚武』といえど、この分野にも力を入れていくことになるのだろう。特に去年は選手兼エンジニアとして働いていた栞は、その将来を強く予感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日の最初の試合は、いきなり正念場であった。

 

「一色、状態はどうだ」

 

「これ以上ないほど良好よ」

 

「だな。俺からもそう見える」

 

 最初の試合は、愛梨対エリカ。三高の今後を決定づける一戦だ。体の防具はすでにつけているもののヘルメットだけは外して運動用に髪形をアップスタイルにした愛梨は試合前の精神コンディションを整え、文也はいつもの笑顔が鳴りを潜めて真剣に調整に挑む。

 

「…………ねえ、井瀬」

 

「ん? なんだ?」

 

 そんな文也に、愛梨は、なんとなく話しかける。この試合の前に、ずっと気になっていたことを質問して、気持ちよく戦いに臨みたいからだった。

 

「私から見て、井瀬は、こういう競技会はあくまでお遊びとしか思わないように見えるわ」

 

「よくわかってらっしゃるな」

 

「それなのに――なんでそんな真剣に挑むの?」

 

 愛梨が思っていたのは、文也が、この九校戦にやけに真剣だということ。

 

 彼女からすると、そこには少しの違和感を覚える。確かに文也はこの手のお祭りごとや勝負事が好きで、それなりに真剣に挑むだろう。しかしながら、それは所詮、自分とその近い周囲だけのことで、学校全体として勝つか負けるかはどうでもよさそうだ。去年は四高に父親がいたからライバル視していたとあずさから聞いているが、今年は同じ学校であり、そういう理由はなさそうに見える。

 

 ――井瀬文也。「一」出身にとって屈辱の記憶、「一ノ瀬」の子供。

 

 それが世界中に混乱を巻き起こしたうえで転校してくると知った時、愛梨のはらわたは煮えくり返った。

 

 会見映像を見ていても分かる。無礼で、軽薄で、バカで、騒がしくて、下品。「一ノ瀬」のことを聞いてからずっと抱いていたイメージがそのまま具現化したような存在だった。

 

 そしてそのイメージは、転校してきて確信に変わる。悪戯を飽きも凝りもせず何回も重ねて、授業はさぼり、放課後は生徒会室に入り浸って遊んでる。どこまでも愛梨が嫌いな人種だった。そのくせ成績は確かで、実技理論共に二位。どちらも三位の愛梨より一つ上と言うことに、余計に苛立ちが勝った。

 

 だというのに、なぜか人を惹きつける。相応にこんなやつに近づきたくないと思う生徒――例えば栞――もいたが、文也の周りにはいつも人が集まっていた。

 

 彼の親友のあずさ、駿、将輝、真紅郎。彼を慕う後輩、香澄と颯太と菜々。奔放さが気に入ったらしい沓子と祈。散々迷惑をかけられているはずなのに笑顔でそれを許して認めている綾野。三高のそうそうたる面子が、彼の周りに集まっている。

 

 そんな姿に、愛梨の心はぐちゃぐちゃにかき乱された。自分がこの一年かけて築き上げてきた人間関係を、転校してきて半年弱であっという間に超えられてしまった。

 

 なぜ、こんな奴に。なぜ、あんなチビに。なぜ、一ノ瀬なんかに。

 

 そう思っていた矢先に、愛梨の担当に、文也が選ばれた。

 

 当初は強硬に反対したが押し切られ、しぶしぶ受け入れることになった。こんな奴に命の次に大事なCADを任せるだなんて、反吐が出る思いだ。

 

 さらに追い打ちがかかる。『カーディナル・ジョージ』のアドバイスを受けながら自分の持てる限りの力と一色家の研究成果をフル活用した結晶、『稲妻(エクレール)』とその専用CAD。それらは、たった一週間で自作したという文也が持ってきた専用CADと調整した起動式に、完全に負けていた。様々な技術を再現して魔法界に混乱を招いてきた災害『マジカル・トイ・コーポレーション』と『マジュニア』、そのパワーを、改めて突き付けられた思いだ。

 

 こんなに努力をしてない軽薄なやつに、自分たちの結晶が負けた。

 

 その事実に愛梨は挫折しそうになった。しかしながらその乱れる心とは裏腹に、CADと起動式のおかげで体の動きはすこぶる調子が良い。その対比に、余計に怒りが湧き上がってきた。

 

 そんな一か月だったが、その間に、愛梨は気づく。文也はヘラヘラニヤニヤ笑って怠けて、年頃の男女だというのにあずさとイチャイチャくっついているだけのように見えて、とても真剣に過ごしていることに。特に九校戦期間中は、彼のサボり癖が全く現れなかった。

 

「あー、そのことね」

 

 文也は調整を終えたネックレス型CADを機械から取り外し、すらりと身長が高い愛梨が座っていることもあって届くため、立って彼女の首にそのネックレスをかけてやると、リングの反対側で最終調整しているエリカたちを、複雑な目で見る。

 

 対戦相手のエリカ。その調整をしているのは、司波達也だ。

 

「どうしても、負けたくない奴がいるんだ」

 

 この一言で、愛梨の疑問は氷解した。

 

 司波達也。将輝と真紅郎がライバル視する、三高に苦汁を飲ませた謎の一年生。

 

 文也もまた、司波達也に対抗心を燃やす一人なのだ。

 

 何があったのかは分からない。一高生時代に、何かの浅からぬ因縁があったのだろう。そのために、ここまで真剣なのだ。

 

 文也の周りになぜ人が集まるのか。

 

 不自由な魔法師だというのに自分に正直で奔放だから。明るくて話しても気兼ねがないから。高い実力があるから。

 

 それだけではない。駿やあずさによると、一高生時代はここまで周りに人が集まっていない。この二人と、同部活のメンバーだけだった。

 

 転校以前と以後。文也もまた、変わったのだ。

 

 司波達也と、間違いなく深刻な何かがあった。また転校のきっかけになったUSNA絡みの事件で、相当な地獄をみたのかもしれない。もしかしたら、それに達也が絡んでいたのではないか。

 

 他の魔法師たちと同じように、文也もまた、心に深い何かを抱えた。

 

 それと普段の態度のギャップが、無意識に人を惹きつけるのだ。

 

「わかった。…………絶対、負けないから」

 

「おう!」

 

 いよいよ時間だ。目が鋭くなって戦士となった愛梨を、文也は笑顔で送り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇しくも、このマッチアップは、軽量戦士同士の戦いになった。

 

 エリカはオーソドックスな片手剣に、腕に取り付けるタイプの小盾。軽いうえに片手が空くため、剣を両手で持てたりCADを操作しやすかったりするため、女子に人気の盾だ。別にこの程度の剣を片手で扱えないわけではないだろうが、全力を出すためか、片手剣を両手で持って戦ってきた。

 

 一方の愛梨は腕に取り付けるタイプの小盾は一緒だが、武器はフェンシングで使うような刺剣だ。魔法を併用したフェンシング、リーブル・エペーのトップ選手である愛梨のために用意されたかのようなジャンルである。当然片手で扱う武器であり、またCADも完全思考操作なのだから小盾のメリットは薄いが、身軽さを確保するためにこうしている。

 

「へえ、強気じゃない」

 

 フルフェイスヘルメットの向こうで、エリカの好戦的な笑みが見える。刺剣は素早い攻撃ができるが、相手を吹き飛ばすリングアウトにも、相手の装備を破壊するにも不向きで、それでいて破壊されて負けやすい。勝ち筋はポイントによる判定勝ち以外ほぼなく、メリットが小さい割にデメリットが絶大で、今年の使用者は愛梨含めてわずかしかいない。

 

 エリカの挑発に対して、愛梨は何も返さず、ただじっと睨むのみ。

 

 そんな反応を受けて、エリカは、これは好敵手だと、口角を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目にもとまらぬ戦い。二人の戦いは、まさしくそう表現できるものだ。

 

『エクレール』によって俊敏さと超速反応を実現して、人間を超えた速さでステップして動き回りながら次々と攻撃を繰り出す愛梨。

 

 その怒涛の連撃を避けながら、自己加速術式で追いついて剣戟を行うエリカ。

 

 エリカの振るう神速の剣技に対して、愛梨が対抗できる手段は少ない。生半可な剣士なら刺剣で弾けるが、エリカ相手だったら剣の種類の差で間違いなく押し負ける。

 

「そこ!」

 

 エリカが繰り出す頭部を狙った斬撃に対し、愛梨は小盾を滑らせるように当てて腕を振りぬく。それによってエリカの剣は上方向に弾かれ、身体の前面を開いて晒す隙を見せる。

 

 これは高等技術パリィ。難しいが、決まれば相手に大きな隙を生むことができる。『エクレール・アイリ』だからこそできることだった。第一予選では相手の攻撃を掠らせもしなかったので隠し通すことができたカードだ。

 

 そうやって作り出した隙に、ポイントが高い心臓部を狙った突きを繰り出す。しかしながらエリカは、初見のカードだというのに織り込み済みだったようで、自己加速術式で下がって間合いから外れると、突き出してから戻すまでの隙がある刺剣の横を縫って、歯をむき出しにして切りかかる。それに対して愛梨は身をよじって避けると、エリカのみぞおちを狙って小盾を使ったシールドバッシュを狙う。即座に使用された衝撃中和術式によってダメージはほぼ入らないが、小さいながらポイントを稼ぐことに成功した。

 

「なるほど、結構いいセンスしてるわよ!」

 

 エリカは距離を取りながらそう言ったかと思うと、着地の反作用を魔法で増大させて、これまでもよりもさらに速い速度で愛梨に切りかかる。その攻め筋は頭を中心としながらも、時折膝や足首など機動力に影響がある箇所を狙うものだ。ポイント稼ぎのアスリートの戦い方ではなく、相手にダメージを重ねる「殺し」の戦い方になっている。エリカの戦いのスイッチが入った証拠だ。

 

「くっ、まだ速くなるって言うの!?」

 

「言う割にはついてきてるじゃない!」

 

 スイッチが入ったエリカの移動速度と剣速はさらに増す。先ほどまででも精いっぱいだったのに、まだ本気ではなかったとは。愛梨もまたギアを上げて応戦して同等の速度まで追いつくが、それでも徐々に押され始める。

 

 エリカは片手剣なのに対して、愛梨は刺剣。重さや固さで負ける分、速度で勝負する武器だ。それだというのに、「同等」程度にしか追い付けていない。そうなれば、武器の重さの差が勝負の天秤を傾けるのは必然だった。

 

『エクレール』。人体の神経を研究し続けてきた一色家、その研究と知恵をさらに磨き上げて愛梨が独自に編み出した魔法。人間が何かに反応して動作する場合、知覚してから考えてそれを神経を通して体の各部に動作するよう命令する。しかしこの魔法によって、知覚情報は考える前に意識よりも先行する無意識・精神の世界で受け取られ、そして無意識・精神から肉体に直接命令が送られる。『エクレール』を使用した愛梨を超える知覚速度・反応速度を超えるのは、この魔法なしでは不可能だ。

 

 ではなぜ、愛梨は今、『エクレール』に加えて剣の重さの差があるというのに、速度で負けているのか。

 

 それは単純な話だ。

 

 まず、エリカの反応速度が常人の領域をはるかに超え、『エクレール』を使用する愛梨には届かないにしても、かなりの速度である事。

 

 そして、『剣の魔法師』千葉家で育ったがゆえに、剣の扱いにこれ以上ないほど熟達していること。それは意識を超えた無意識にまで刻み込まれている。

 

 さらに、身体能力の差。魔法なしでの身体能力においては愛梨もかなりのものではあるが、エリカには及ばない。ましてや剣技ともなれば、その差は歴然だ。

 

 最後に、自己加速術式。愛梨が反応速度と動作命令速度を上げて高速移動を実現しているのに対して、エリカは体の動作を加速させる魔法を使用している。幼いころから厳しい環境で鍛え上げられたエリカの体は、それに耐えうるほどの頑丈さを持っている。

 

 つまりは、剣の経験の差と素の運動能力の差、そして自己加速術式の差だ。

 

(さすが千葉家……私では、敵いませんわね)

 

 決死のパリィすらも先読みして予測され、急に軌道が変わった斬撃が愛梨の右肩、つまり利き手の側の肩をしたたかに打つ。骨折防止のために、競技ルールで関節部や骨が隆起している部分――鎖骨など――にはプロテクターを装着しているが、攻撃の衝撃はプロテクターを超えて愛梨の体に痛みを与える。ポイントを取られただけではなく、身体へのダメージも蓄積してきていた。

 

(そう――今までの私ではっ!)

 

 愛梨は自分が無様を晒しているのを承知で、体勢が崩れてでもエリカから全力で距離を取る。エリカはそれを追いかけてそのままリングアウトまでさせてやろうと攻撃しようとするが、ほんのコンマ数秒、愛梨に余裕を与えてしまった。

 

(『一ノ瀬』のマネは癪だけど!)

 

 そのコンマ数秒は、『エクレール』によって常人を超越した速度を実現している愛梨にとっては十分。

 

 愛梨は自身の腰のあたりを強く叩くと――襲い掛かってくるエリカに対して、今までよりもさらに上がったスピードで、反撃する。

 

「やるじゃないやるじゃない! まさかCADを常時起動しながら、CADなしで自己加速術式だなんてね!」

 

 エリカは牙をむき出しにした獣のように歯をむき出して笑いながら、さらにギアをあげてその速度に対応して見せる。

 

 エリカの魔法感性は低い。しかしそれでも魔法師であるがゆえに、ある程度はどのような改変が行われたのか知覚することができる。そして愛梨が今『エクレール』と併用して使って見せた自己加速術式は、物心つく前から見てきたものだ。一瞬で分かって当然である。

 

 経験の差、剣技の差。この二つは『エクレール』で埋めることができた。

 

 そして自己加速術式の差も、たった今埋めて見せた。

 

 これによって、剣の重さの差が改めて現れてくる。エリカの防御と回避が、愛梨の攻撃に遅れ始めた。

 

 モニターに表示されるポイント。愛梨の側のポイントが、ほんの少しずつ、それでいてものすごい速度で、蓄積されていく。

 

 それを見た達也は――自分のことを棚に上げて、内心で頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エリカのエンジニアとして試合を見ている達也は、思わずつぶやいた。

 

「バカなのか、井瀬は」

 

 ――としか言いようがない戦術だ。

 

『エクレール』に加えた自己加速術式の併用。これによって、知覚速度、反応速度、動作命令速度に加えて、身体速度も劇的に向上した。なるほど、エリカと愛梨の差を埋めるためには、理に適った戦術だ。

 

 しかしながら今目の前で展開されているのは、理に適ってはいるが、一方で理外の戦術でもある。

 

 まず一つ。確かに愛梨は相応に鍛えてはいて、女子としては一流の部類だ。しかしながら、エリカと同じ速度まで自己加速術式を使えるほどには、生まれつきの体も鍛え方も足りない。一流のアスリートが怪我を覚悟で勝つために無茶をするのは現代でもよく見る光景だが、部活でもあるまいし、なにも親善競技会でそこまでやる意味はない。

 

 そしてもう一つ。これはまさしく理外も理外だ。こんな発想が思い浮かぶだけでも、頭のネジが何本か外れているとしか思えない。

 

 エリカは、『エクレール』がCADによって、自己加速術式がCADなしで発動していると思っているようだ。

 

 しかしながらあれは違う。あの速度は、いくら『エクレール』があると言っても、それこそ達也のように『フラッシュ・キャスト』でも使わない限り無理だ。

 

 達也の『眼』はすぐに理解した。あの自己加速術式もまた、CADによって行使されている。

 

 そう、愛梨は今、『エクレール』専用CADと、自己加速術式専用CAD、この二つを同時に、『パラレル・キャスト』しているのだ。

 

(そんなことさせないだろ普通……)

 

 理に適ってはいる。高速白兵魔法戦闘における『パラレル・キャスト』に愛梨がこれ以上ないほど適性があるのも理解できる。それでも、『パラレル・キャスト』ができるなんて考えるほうが、普通に間違っている。

 

 達也は去年雫に同じことをさせたのを棚に上げて、呆れと悔しさを込めて、試合をじっと見ている文也を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『パラレル・キャスト』。これまで実践での確認例は、世界中でも片手の指で数えられるほどだった。しかしながら、去年から急に、その確認例が急増した。

 

 まず一人。高校一年生にして、不完全ながらも、超高難度魔法『フォノン・メーザー』を含んでの『パラレル・キャスト』に成功した、北山雫。

 

 もう一人。今エンジニアをやっている、『モノリス・コード』新人戦で『パラレル・キャスト』を披露した司波達也。

 

 そして、一番目立ったのが、『パラレル・キャスト』の完成形ともいえる、何十個ものCADを同時に使用して大暴れした、井瀬文也だ。

 

 そして今日、この中に、愛梨は仲間入りすることになった。

 

 本当はお披露目すらせずに勝つつもりだったのだが、エリカはあまりにも強大だった。故に、万が一『エクレール』に影響がないように途中まで腰に隠して着けていた自己加速術式専用のCADの電源を落としていたのだが、そうもいかなくなったから、切り札として使用した。

 

『エクレール』によって実現する超反応は、愛梨でも気づかなかった思わぬ副作用があった。それは、より感覚が鋭敏になるということだ。知覚速度を上げる魔法であって敏感になる魔法ではないのだが、何度も何度も使用しているうちに、より高速の世界で知覚していくということを繰り返すことによって、愛梨の知覚は鋭敏になっていたのだ。

 

 それは、目で見える情報や耳で聞こえる情報と言った、物理的・化学的・生物学的な感覚だけではない。サイオンを感知するという、魔法的な感覚もまた、鋭敏になっていた。

 

 それゆえに、いつの間にかサイオンコントロール能力が向上していた愛梨は、文也から完全思考操作型CADを渡されてすぐに、それを完全に使いこなして見せた。

 

 そんな愛梨を見て、まだ精神がぐちゃぐちゃな時期だったというのに、文也はあまりにもバカな提案をしてきた。

 

『お前、サイオンコントロール上手えな。よし、もう一個使ってみるか?』

 

 最初言われたとき、思わず『エクレール』を使った高速の拳を顔面に叩き込んでしまったものだ。

 

 しかしながら、「前が見えねえ」状態の文也から説明を受けるうちに、それが実に理に適っていることに気づいた。『パラレル・キャスト』といえば、ワルガキ・クソガキ・悪戯小僧に次ぐ文也の代名詞だったのでとても癪だったのだが、それゆえに、少しでも追いつこうと、愛梨の闘志に火がついた。

 

 そこからは脳みそが焼き切れそうな繊細なコントロールを練習する日々が続いたが、ついに、高速白兵魔法戦闘中でも十全に使用できるほどにまで、実に二週間でたどり着いた。親友の栞曰く、「愛梨もおかしくなってしまったのね……」とのことだ。多少の自覚はある。

 

『エクレール』と自己加速術式の併用。それも、どちらも完全思考操作型であるために、身体の動きを阻害しない。『エクレール』はあくまで神経の電気信号を操作する魔法なのでサイオンコントロール自体を高速化することはできないが、それでも十分すぎるほどに効果が現れる。

 

 身体の動きに悪影響無く感覚強化・反応強化・身体速度強化魔法を使いながらの白兵戦闘。今の愛梨は、「身体の動きに悪影響無く何十個もの魔法を同時使用しながらの白兵戦闘」をする文也とはまた違った、白兵魔法戦闘の極致に到達していると言っても過言ではない。

 

 小さなポイントが高速で積み重ねられる。エリカとの間にあった大差はみるみる縮まり、そして並び、ついには追い越すことに成功した。

 

 試合時間、残り一分。このまま続けば、愛梨のポイント勝ちだ。

 

「あらあらあら、動きが鈍ってきてるわよ! 修行が足りないんじゃない!?」

 

 闘争心をむき出しにするエリカは、自分がポイントで追い越されたのを全く意に介さない。一切の動揺なく、淀みなく、愛梨の速度に追いつく。

 

 いや、違う。

 

 エリカの言う通り、愛梨の速度が落ちてきているのだ。

 

『エクレール』と自己加速術式、どちらにも専用CADを使った『パラレル・キャスト』による、異次元の高速白兵戦闘。身体と思考、両方に大きな負担をかけるそれは、この短時間で、愛梨からスタミナと集中力を奪っていた。

 

「まだまだ!」

 

 指摘されたことに腹を立て、愛梨は優雅な普段の態度をかなぐり捨て、エリカとは違って笑みではなく怒りに歯をむき出しにして反撃する。それによって一時的に速度は上がったものの、長くはもたず、ものの数秒で終わって、余計に速度が落ちる。

 

 そのままズルズルと愛梨は押し込まれていき、ついにエリカの斬撃を頭部や心臓部に受けてしまう。さらには中盤までに脚に積み重ねられたダメージが無茶な高速戦闘と疲労によってついに顕在化し、ほんの一瞬、愛梨の脚から力が抜ける。

 

 その隙を、エリカが見逃すはずがない。猛禽類の急上昇のごとき切り上げが、愛梨の刺剣を振り飛ばそうとする。

 

 それに対して愛梨は、無様なのを承知で、体勢を崩しながら無理やり小盾でパリィしようとした。

 

 その小盾は――急に軌道が変わった剣の横を空しく通り過ぎる。

 

 そしてエリカの剣は、まるでアッパーのように、愛梨のフルフェイスヘルメットで覆われた顎を直撃する。

 

 激しい脳震盪によって意識が途切れていく中、『エクレール』が途切れてしまい通常の感覚に戻った愛梨の耳に、エリカの言葉が響く。

 

「中々筋が良かったわよ。今度うちの道場に来なさい。歓迎してあげるわ」

 

 愛梨の意識が途切れるか否かの瞬間に、エリカの蹴りが愛梨に直撃する。

 

 抵抗することができなかった愛梨はなすすべもなく吹き飛ばされ――敗者として、リングの外の地面に倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全身の力を抜いて、リラックスしろ」

 

 まだ疲労と脳震盪の影響で意識が朦朧としている愛梨は、ベッドに仰向けに寝ながら、文也の言葉を素直に受け入れた。ぼんやりとした視界には、心配そうにのぞき込んでくる親友、栞と沓子の顔が見える。

 

 途端に、愛梨のエイドスに、ごく小さな魔法式が投射される。文也からこんなことをされたら普段なら何されるかわからないので全力で抵抗するのだが、今は信じることにした。

 

 その直後、愛梨は、目をつむって、ほうっ、と息をつく。

 

 全身を、心地よさが包んだ。疲労がたまっているところを中心に、やさしく圧迫され、温められる。全く関係なさそうなところにも指圧のような圧力が加わるが、それもまた気持ちが良い。

 

 十分ほど、その心地の良い時間が続いた。愛梨は危うく微睡みそうになったが、そこまでの無様は晒せないので、半ば意地で意識を保ち続けた。

 

「よし、終了だ。立ってみろ。調子はどうだ?」

 

 愛梨は言われるがままに立ち上がる。途端、あまりの体の軽さに驚いた。

 

「うそ、これって」

 

「ただのマッサージだよ」

 

 愛梨の体からは、疲労や痛みがほぼ消え去っていた。目を丸くする愛梨に、文也は自慢げに玩具みたいなCADを指先でもてあそぶ。

 

「なるほど……『一ノ瀬』は、無能を演じてたってことね」

 

「いや、うちのジイサンはそんな器用なことは考えてないぜ。単に追い出されてから開発しただけだ」

 

 愛梨は棘のある、それでもこれまでよりかは幾分か和らいだ目線で睨む。『一ノ瀬』は魔法技能こそ高かったものの、第一研究所の研究テーマに沿った魔法を覚えたとは言えなかった。愛梨はそう聞いていたのだ。

 

 だから、この『ツボ押し』――人体に直接干渉する魔法を受けた瞬間、『一ノ瀬』が爪を隠していたと考えたのだ。

 

 しかしながら文也から告げられたのが真実。もしかしたら誤魔化しかもしれないが、「こいつらならそういうこともあるだろう」と納得してしまった。

 

「…………ごめんなさい、負けてしまったわ」

 

 そうして、ふと、負けたという事実がまた蘇ってくる。

 

 あれだけの全力を出したというのに、敗北した。

 

 愛梨から見て、エンジニアの貢献度は、達也よりも文也の方が上だ。エリカの剣技はもう完成されていて、達也の調整や作戦はほんの少しに改善にしかなっていない。既存の魔法とCADを大幅に改良し、戦法の根幹に関わる技術まで提案し、一緒に練習までしてくれた文也に比べたら、達也の影響は微々たるものだ。

 

 それだというのに、愛梨は負けた。愛梨が、完全にエリカに地力で負けていたということだ。

 

 最後に勝負を分けたのは、結局のところ、スタミナだった。鍛え上げられたエリカに対して、愛梨のスタミナはあまりにも足りなかった。エリカの言う通り、修行不足に他ならない。

 

 文也は、達也に負けたくないと言っていた。だから、エンジニアとしても真剣取り組んでいる。愛梨が負けたということは、文也が達也に負けたということでもある。つまり、文也は、愛梨のせいで負けたのだ。

 

 愛梨はそう考えて、文也に謝罪をした。

 

「いーんだよ。ありゃしゃーない、化け物だ。むしろあれだけ追い詰めたんだ」

 

 文也はそれに対して、いつもと変わらないヘラヘラとした、それでいてどこか気を遣ったようにも見える笑みで、愛梨を慰める。

 

 実際、愛梨はエリカをかなりのところまで追い詰めていた。

 

 敗因はリングアウトだったわけだが、その時点で試合時間は残り15秒。そしてポイントは、あれだけの直撃を食らったというのに、まだ愛梨の方が勝っていた。残り15秒粘れば勝てたわけだから、追い詰めたと言っても過言ではない。愛梨に応急処置を施しつつ担架で運びながら見た試合直後のエリカは、笑ってはいたが、肩で息をしていたし、大汗をかいていた。エリカもまた、ぎりぎりだったのだ。

 

 文也はそのことを話そうとするが、愛梨に制される。

 

「井瀬が人を気遣うなんて、似合わないわよ」

 

「それもそうか」

 

「納得するのかい」

 

 ようやく空気が緩んだからか、沓子がやり取りに茶々を入れる。

 

「まあでもあれだ。実際、そんな落ち込まなくてもいいさ。あの狂暴女はお前と戦ってだいぶ消耗した。あとは決勝で、あーちゃんとアニキが勝ってくれるからそれでオールオーケーだ。別に俺が勝たなくたって、あーちゃんがあいつに勝てばそれは俺の勝ち。なんせ幼馴染だからな」

 

 文也の言うことは暴論に等しい。三高が勝ったと見るならまだしも、あずさが勝てば自分の勝ち、なぜなら幼馴染だからというのは無理筋だ。しかしながら、愛梨の目から見て、冗談めかしてはいるが、本気でそう考えているようにも見える。

 

 幼馴染だから。確かにそうだろう。

 

 しかし、それ以外にも、何か理由があるようにも見えた。

 

 文也と達也の因縁。

 

 もしかしたらそこには、あの小さくて心優しい先輩も、関わっているのかもしれない。

 

 愛梨はそう考えながら、開始数秒の一撃で相手の盾を砕いて決勝進出を決めた桜花の姿を、生放送のテレビで見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局あの後、文也のマッサージもあってコンディションを取り戻した愛梨はもう一人には勝ったものの、エリカもまた勝ったため、愛梨は決勝進出を逃した。それによって文也は予定よりも空きができてしまったのだが、それで暇かと言うとそうでもなく、別の仕事がある。

 

「かいちょーさん、調子はどうだ」

 

「絶好調だよ」

 

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ。文也は、その代表である綾野の担当でもある。電動車椅子に乗って集合場所に現れた繁華街の人気ホストのようなコスプレ――なんと驚くことに本人の趣味である――をした綾野は、確かに文也から見ても不調ではないように見えた。

 

 綾野は、性質としては真由美と同じく、オールラウンダータイプの魔法師だ。三年生の実技一位、理論二位であり、三高きっての実力者でもある。脚の障害のせいで出場できる競技は今年の場合は『アイス・ピラーズ・ブレイク』に限られるが、オールラウンダーであるがゆえに、この競技のソロはぴったりである。去年は圧倒的な強者である克人に負けて優勝を逃してしまったので、今年はこの穏やかな笑みの下でリベンジに燃えているところだ。

 

 予選一回戦の相手は、空気気味な五高の選手だ。とはいえこの競技に限ってはまあまあ評判のよい選手であり、油断は禁物である。

 

 文也から調整を受けた綾野は、CADを受け取ると、櫓の足元に電動車椅子で向かっていき――係員のお手伝いを制して、車椅子ごと魔法で浮遊して、櫓の上に軽く着地した。

 

 綾野が使っている車椅子は、一か月前とは別のものだ。うちのバカ息子が大変お世話になっていますということで、文也の両親である文雄と貴代が、善意一割お詫び九割の気持ちで、お手製の専用電動車椅子をプレゼントしたのだ。

 

 その性能ははっきりいって、異常の一言に尽きる。座り心地はどこまでも綾野にフィットしていて、少ない負担で角度変更や移動やカーブやターンも自由自在。そのくせバッテリーは既存のものよりも充電時間が短くそれでいて駆動時間が長い。しかも、「とても便利だけど持て余してる」と綾野が困り顔で言うほどに生活のための便利機能がこれでもかというほどついている。これのおかげで綾野の生活は劇的に改善した。四葉の中でもトップクラスの力を誇る魔法師を、非魔法師だというのに正面から叩きのめした貴代のロボット開発力が、いかんなく発揮された結果だ。最近四葉の中では、「文也や文雄よりも貴代の方が危険なのでは」とも言われているのは余談である。

 

 櫓の上に綾野が現れると、観客席から女子たちの黄色い歓声が爆発する。綾野はルックスも実力もハイレベルなので、将輝に負けないほど女子人気があるのだ。

 

 そんな歓声の中で、綾野は観客に手を振りながら、悠然と文也から受け取ったCADを車椅子にセットする。

 

 そう、この車椅子は、貴代だけでなく文雄が開発に関わっていることから予想できる通り、CAD一体型電動車椅子なのだ。CADをセットすればバッテリーが共有され、ついでに魔法行使用のスイッチも、CAD本体よりもはるかに操作しやすいように作られた車椅子付属のパネルに切り替えられる。文也が綾野の担当になったのは、こんなものは文也以外ではとてもではないがイジれないからである。

 

 ――結局、綾野の相手になる選手は予選リーグにはおらず、余裕で決勝への進出を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決勝リーグ。綾野と一高代表の三七上は、どちらも三人目の決勝進出者である四高の選手を下した。そして最後の試合、綾野対三七上。これが優勝決定戦だ。

 

 三七上は魔法の種類や仕組みに詳しく、一度魔法を見たら、それを結果として無効化できる魔法を選択することができるスキルを持つ。例としては、『スパーク』を一度見たら、次はそれに対して自身の電気抵抗を高める魔法を選択できるということである。直接干渉力の勝負にせず、魔法によって生まれる結果同士をぶつけて無効化するのだ。

 

 そしてこの勝負は、お互いに存分に力を発揮できる気持ちの良い試合になった。

 

 見た目に反して意外とパワータイプの綾野は、しょっぱなからいきなり氷柱に強い圧力を加えて破壊する魔法を使って攻め立てる。しかし三七上は予選の偵察でそれを見ているため、圧力分散魔法によって相殺して、破壊したと認められない半壊にとどめる。それに対して綾野は見せたことのない攻撃手段に切り替えて次々と攻撃を加えるが、干渉力では綾野が勝っているはずなのに、その勝負を回避することができる三七上は次々と対応して見せる。

 

 そして綾野の攻撃の手が一瞬止んだ瞬間に三七上は攻撃に転じるが、それを綾野は障壁魔法で跳ねのける。

 

 そうした、目まぐるしく魔法の種類が切り替わる、展開が激しい魔法合戦となった。オールラウンダー同士の戦いであり、二人の実力がのびのびと発揮された証拠だった。

 

(とはいえ、こうなると僕に不利なわけだけど……)

 

 干渉力で優る綾野は、三七上と戦う場合、今みたいにテクニックの勝負にされたらやや苦しい。三七上の対応力は去年よりもはるかに向上していて、綾野は攻めあぐねていた。

 

 こうなったら仕方ない。目まぐるしいテクニック勝負を楽しんでくれている観客には申し訳ないが――この勝負は、拒否することにした。

 

 綾野がまず使ったのは収束系魔法。相手陣地に三本残っている氷柱の相対距離を急速にゼロになるように改変することで、結果として氷柱同士が激しく激突して破壊されるという寸法だ。

 

 それに対して三七上は、氷柱と氷柱の間に『減速領域』を展開し、激突の衝撃を和らげて破壊を防ぐ。

 

「ここだ!」

 

 綾野は叫びながらCADを操作して魔法を行使する。

 

 激突による破壊はされていないが、三本の氷柱は今、ぴったりとくっついている。

 

 そこに綾野は、疑似的に一本の氷柱と認識することによって、三本纏めて対象として、魔法を行使した。

 

 その魔法の名前は『破城槌』。対象の一つの「面」に全ての加重がかかるようにエイドスを書き換える魔法だ。自重が重い巨大な建造物を破壊するのに効率的な魔法であり、巨大な氷柱が三本纏めてさらに巨大な氷柱となったそれは、その圧力に耐えられず崩壊する。三七上は加重分散術式で対抗するが、これほどの重さを改変できるほど、干渉力は高くない。

 

 これで、綾野の優勝が決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よしよし、予定通りだな」

 

 三七上について文也はよく知らなかったが、同級生の実力者としてあずさからその特徴は教わっていた。テクニカルなオールラウンダーなので『モノリス・コード』か『アイス・ピラーズ・ブレイク』のどちらかに出場しそうだと踏んでおり、対策を用意していて、それが見事に刺さった形だ。

 

 綾野が三七上と当たったらどうするか。テクニックの勝負になったらやや苦しい。そういうわけで、文也はある提案をした。

 

 もしそうなったら――無理やりこちらのフィールドに引き込めばよい、と。

 

 オールラウンダーでありながら見た目に反して干渉力に尖ったパワータイプの綾野は、干渉力の勝負になれば負けない。そういうわけで、一気に相手の氷柱を壊せるシンプルに強い魔法をぶつければ勝てると踏んだのだ。

 

 そのために選んだのが、氷柱同士をくっつける収束系魔法と、『破城槌』のコンボだ。『破城槌』は、改変対象の自重が重いほど、改変規模に対して生まれる結果の大きさの効率が良くなる。三七上は干渉力で『破城槌』を無効化できないが、だからといってお得意のそれによって生まれる効果無効も追いつかない。最終的には『アイス・ピラーズ・ブレイク』らしい、干渉力のごり押し勝負となった。

 

「…………はあ」

 

 文也は勝ったというのに、どこか複雑な面持ちでため息を吐く。

 

 皮肉を感じざるを得ない。

 

 まさか自分が、九校戦で『破城槌』を利用することになるとは。

 

 九校戦で『破城槌』といえば、嫌でも去年の苦い思い出が蘇ってくる。

 

 無頭竜(ノー・ヘッド・ドラゴン)の工作によって錯乱した相手生徒が、フライングして駿たちがいる建物に『破城槌』を使用した。結果、文也の目の前で、駿は大重傷を負ったのである。

 

「……ま、いいか」

 

 勝ったというのに今一つ喜べない。それでもそんな表情で勝者である綾野を出迎えるわけにはいかない。文也はペチペチと頬を叩いて気持ちを切り替えると、またいつものテンションに戻って綾野を讃えた。




今回の章から『魔法科高校の優等生』要素をふんだんに盛り込んでいます。麻雀漫画の『咲-saki-』が好きな方なら、『魔法科高校の優等生』の九校戦編は楽しく読めると思います。


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6-8

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア決勝。

 

 その組み合わせは、対戦表が公開されたときからの大方の予想通りの組み合わせとなった。

 

 一高代表、千代田花音と五十里啓。

 

 三高代表、一条将輝と土屋優香。

 

 どちらも予選は相手を文字通り秒殺して勝ち上がってきている。決勝進出したもう一組である四高の選手は、すでに戦う前から諦めムードだ。

 

「い、一条君と、二人で……えへへへへへ」

 

 ベンチで将輝の隣に座って顔を真っ赤にして俯いてモジモジしながらだらしなく笑っているのは、将輝と組むことになった土屋優香という三年生だ。土のエレメンツの家系で三年生の中でも上位の腕を持つ魔法師で、今回の『アイス・ピラーズ・ブレイク』ペアの防御担当として最初に名前が挙がったほどである。

 

 そんな彼女は、圧倒的イケメンの将輝と組んで好成績を残しているという事実に舞い上がって、人様に見せられない状態になっている。

 

「優香さん、ここで勝てば優勝です、さ、頑張りましょう」

 

「ひゃ、ひゃい!!!!」

 

 将輝はイケメンハンサムスマイルを浮かべながら、優しく土屋の手を取って励ます。それによって土屋はさらに舞い上がったが、モチベーションは俄然向上した。ちなみに、将輝のコスプレは真っ白なタキシード、土屋のコスプレは真っ白なレースのドレスだ。

 

 将輝はさっと顔を逸らして優香から見えなくすると、すぐにイケメンスマイルを解除して、腹を抱えて笑っている真紅郎を睨む。

 

 将輝のイケメンスマイルも、キザな励ましも、将輝が「優香さん」と呼んでいるのも、二人のコスプレが結婚式みたいなのも、全て真紅郎の指導によるものだ。土屋のモチベーションを徹底的に向上させて、万全を期そうとしているのである。実際その効果は、土屋の惨状を見れば実によく出ているのだが、気色悪さがエスカレートした好意をさらにエスカレートさせなければいけない将輝には辛いものがある。真紅郎の言うことだからと真に受けたのがバカだった。別に将輝としては好意を向けられるのは悪い気持ではないし、土屋も美少女が揃う魔法科高校の中でも特に可愛いほうなので嬉しくないわけではないのだが、ここまでくるとやっぱりドン引きする気持ちが勝るのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「バカなの(か)????」」

 

 将輝たちと花音たちが櫓で向かい合うや否や、お互いに聞こえる声量で、将輝と花音はブーメランを投げ合った。

 

 なんと花音と五十里のコスプレもまた、真っ白なドレスとタキシードだ。結婚披露宴のつもりなのだろうか。九校戦でこんな格好を恥ずかしげもなく選ぶなんて、バカとしか言いようがない。

 

 そう思ってお互いに口を突いて出たブーメランは、全てがガチで恥ずかしそうな五十里に突き刺さるのだが、それはまた別の話だ。

 

「さて、相手がどう来るか」

 

 真紅郎は顎に手を当てて考える。

 

 このマッチアップは、実に似た者同士だ。

 

 攻撃担当の将輝と花音は、どちらも絶大な破壊力を持ち、相手を秒殺してきた。

 

 そして防御担当の五十里と土屋は、どちらも防御に秀でるが、しかしながらさすがに相手の攻撃担当には手も足も出ない。

 

 勝負は間違いなく一瞬。守備担当がどれだけ粘れるかだ。

 

 男女ペアの攻撃担当が花音。これは最初から予測できていた。土屋は土のエレメンツで、地面と言う概念を持つ対象への干渉力に優れている。『地雷原』へのメタのためだけに、土屋を選出したのである。一方五十里は刻印魔法・魔法陣のスペシャリストで、その性質は陣地防衛・防御に秀でている。攻撃担当の勝負に見えて、実は防御担当の勝負というのが、大方の見方だった。

 

 しかし真紅郎とアドバイスを授けた文也は――その大方の見方を、ひっくり返すつもりだ。

 

 試合開始と同時に、お互いの激しい攻撃が始まった。

 

 真っ赤な拳銃型CADで放たれた『爆裂』が、五十里の防御もむなしく、一気に真ん中列三本の氷柱を破壊する。花音の『地雷原』もまた土屋の防御を貫き、三本破壊した。

 

 そして、一瞬の拮抗が訪れる。

 

 将輝は『爆裂』から切り替えて、去年文也との試合で見せた、固体を液体にするバージョンの『叫喚地獄』で、相手陣地の氷柱を一気に溶かそうとする。五十里はそれに対して『情報強化』で守るが、遅れさせるのが精いっぱいだ。

 

 一方、花音の攻撃もまた通りづらくなる。氷柱が倒れたことで逆に防御にさらに集中できるようになった土屋は花音の攻撃を何とかしのぎ、氷柱残り二本で粘っていた。

 

「啓! あとちょっとだから頑張って!」

 

 花音は『地雷原』から『共振破壊』に切り替えながら恋人を励ますが、土屋はその振動を地面に逃がして拡散させる魔法で破壊を防ぐ。

 

「ああ、あとちょっとだな!」

 

 そして、将輝が動いた。

 

 固体を溶かす『叫喚地獄』。それの狙いは、今残っている氷柱ではなかった。

 

 本当の狙いは――『爆裂』によって壊された、大量の巨大な氷の欠片。

 

 小さくなったがゆえに溶けやすくなったそれらは、すでに大量の水となっている。

 

「これで終わりだ!」

 

 将輝はその水を一気に浮かせる。液体への干渉力が高い一条家だからこそできる荒業だ。

 

 それらの水は、残った氷柱全てにまとわりつく。

 

 そして将輝は、さらなる魔法を行使する。

 

 対象は、相手陣地全体にある水。壊れた氷柱が解けたものだけでなく、残った氷柱の一部が溶けた水も含む。

 

 それらを対象に、化学結合・分離を操作する吸収系魔法によって分離させ、水素と酸素の化合ガス、酸水素ガスにする。

 

 そして、懐に仕込んでおいた、おそらく移動魔法などによって弾丸として使用することが想定された、今年から持ち込み・使用が許可されているものを取り出す。

 

 将輝が持ち込んだのは、何の変哲もない紙束。それを加速系魔法で相手陣地に送り込む。

 

 何をするつもりなのか分かっていない様子の花音と五十里に勝ち誇った笑みを浮かべながら、将輝は最後の仕上げに入った。

 

 使うのは、二つの振動系魔法。

 

 一つは、相手陣地を覆うように作り出した防音障壁。

 

 もう一つが、紙束に群体制御でまとめて行使する、振動で温度を急激に上げて着火させる基本魔法『着火』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして着火した瞬間――音もなく、大爆発が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえねえねえちょっと!!!!!!! 井瀬君絶対反省してないでしょ!!!??? それともアンタに乗り移ったの!!!!!!????? こら逃げるなあああああああああああ!!!!!!」

 

「か、花音、落ち着いて!」

 

 花嫁衣裳に身を包んだ怒り満面の鬼・千代田花音が、試合が終わるや否や真紅郎たちに怒鳴りこみにくる。タキシード姿の五十里がそれを押さえているが、男女の差があるというのに、今一つ抑え込めてない。二人のこんご(今後・婚後)が暗示された風景である。

 

 それに対して、将輝たちは、すぐにそそくさと逃げ帰った。

 

 将輝が最後に起こした爆発は、水素爆発だ。大量の水を吸収系魔法で分離させて、酸水素ガスを氷柱の傍に作り出す。そこに火種となる紙束を放り込んで『着火』で火を起こし、大爆発させた。これによって、半分以上残っていた氷柱は、一気に砕け散ったのである。『爆裂』を防ぐために『情報強化』を磨いてきた五十里は中々のものだったが、それを見越しての、将輝の新たな切り札であった。併用した防音障壁は将輝の余裕の表れで、突然の大爆発による爆音で、みんなが混乱したり怪我したりしないように配慮したのである。去年達也から爆音攻撃を食らっているので、被害経験者として気持ちがよくわかるのだ。

 

「あの人、大体俺と同じ感想だな」

 

「褒めないでよ、照れるなあ」

 

「お前やっぱ文也が乗り移ってるだろ」

 

 大量の水を酸水素ガスに分離して、そこに着火させて広範囲に爆発を巻き起こす。数少ない吸収系魔法が活用される攻撃手段で、広範囲にダメージを与えたいときによく使われる「戦争」向きの魔法だ。ただし、性能が制限されたCADでこれほどの規模の爆発を起こせるのは、将輝以外にはそうそういないだろう。

 

 将輝はこの魔法を文也と真紅郎から提案されたとき、大体先ほどの花音と同じ反応をした。

 

 そう、この魔法、十三使徒の中でも最大の破壊半径を誇る戦略級魔法『トゥマーン・ボンバ』と仕組みが全く同じなのだ。実際『トゥマーン・ボンバ』はこれよりもはるかにハイレベルな段階が挟まり、破壊力も範囲もケタ違いなのだが、やっていることはほぼ変わらない。

 

 文也は、世間から、『分子ディバイダー』をUSNA軍から(意図せずかどうかは定かではないが)パクッてしまったがために報復を受けたと見られている。完全に真実とはいえないが、実際そうである。

 

 それだというのに、奇しくも同じく九校戦『アイス・ピラーズ・ブレイク』の場で、今度は『分子ディバイダー』よりもさらに「ヤバい」、戦略級魔法と同質のものを披露してしまった。これを使おうと文也と真紅郎が言ってきたときの将輝の心境は、推して測るべしである。

 

 ただし、文也と真紅郎からすれば、その反応は不本意だ。

 

 まず一つ。酸水素ガス爆発の一連の流れは、そもそも第三次世界大戦でも何回か使用例がある「定番」であり、九校戦で使ってもなんら問題はないということ。魔法大全(インデックス)にも、制限付きだが起動式が公開されている。

 

 それともう一つ。『トゥマーン・ボンバ』を連想する気持ちは分からないでもないが、本質が全く違うということ。あれのキモは、魔法式末尾に魔法式を自動複製する式を書き込むことで自動的・連鎖的に超広範囲に魔法式を展開し、タイムラグを調整したうえで一気に酸水素ガスへの分離・点火をして都市丸ごとレベルの規模で爆発を起こすというものだ。魔法式に魔法式を自動複製する式を書き込む、タイムラグを調整して都市まるごとレベルに展開した魔法式を一斉に作動する、この技術力もスケール感も途方もないことをやってこその『トゥマーン・ボンバ』なのだ。今回将輝がやったのは、結局のところ、『トゥマーン・ボンバ』の特徴を全く再現していない、ただの定番広範囲爆発魔法でしかないのである。

 

 そういうわけで、これじゃあ「『トゥマーン・ボンバ』じゃねえか!?」と怒られた所で、技術者目線からすれば「いえいえそんな、こんなの、あちらさんには遠く及びませんとも」という具合なのである。

 

 しかし、技術者以外から見るとそうではない。将輝も、結局試合に熱くなって使っておいてなんだが、自分がとんでもないことをやってしまったのではないかと改めて思った。

 

 自慢になるが、もし自分が環境を整えたうえで本気を出せば、過去の戦争での使用例をはるかに超越するほどの規模で爆発させる自信がある。デバイス、体調、精神、魔法式、その他もろもろをしっかり整えて、例えば海上のように水しかないところだったら、それこそ都市まるごとまでいけるかもしれない。それほどのポテンシャルを、今、将輝は公開してしまった。

 

 そう、次のように思われても仕方ないのである。

 

 もし、あの将輝の力に、『カーディナル・ジョージ』と『マジュニア』の本気の技術が加われば。

 

 この二人の技術者が本気を出して『トゥマーン・ボンバ』を再現すれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 将輝が――――戦略級魔法師の仲間入りをするのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、思われても。

 

「……縁起でもないな」

 

 そんな未来は、将輝としては、想像したくもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『デュエル・オブ・ナイツ』で、一高は大躍進した。

 

 まずエリカが決勝進出。愛梨を相手に大きく消耗したうえで『オーガ』と戦うのは不安だが、確実にポイントは得られる。

 

 そして何よりも大きいのが、桐原、レオ、十三束の三人全員が、第二予選で全勝し、三人とも決勝グループに入ったということだ。

 

 ポイント権は一位から三位まで。そして決勝グループには三人しか残れない。そう、一高男子の三人は、なんと、ポイントを独占したのである。達也と平河、元二科生にして今は魔法工学科である二年生の二人の力もまた、この快挙の要因の一つだ。

 

 ちなみに、無駄に試合数を重ねて時間を取られたくない運営から、「もう試合を行わずに同立優勝としてはどうか?」という提案があった。十三束としてはせっかくだから本番で決着をつけたかったのだが、遠藤と戦った時の痛みが残るレオと、『トライウィザード・バイアスロン』有力選手で消耗を避けたい桐原は、それが良いと運営スタッフに賛成した。こうなると試合放棄した二人が同立二位で十三束が一位となるわけだが、十三束はなんか出し抜いたみたいで嫌なので、桐原とレオに従った。

 

 そういうわけで、『デュエル・オブ・ナイツ』男子本戦の100ポイントを一高が独占したのである。

 

「鬼瓦さん! あともう一勝ですよ!」

 

「任せろ」

 

『デュエル・オブ・ナイツ』女子で勝ち残っているのは桜花とエリカ。決勝グループのもう一人である二高の選手は、勝ち残ったものの疲労が激しくて決勝は棄権とのこと。エリカと桜花を相手にするのだから、決勝は危険ゆえに棄権したというわけでは決してない。多分。

 

 文也が担当する愛梨が達也が担当するエリカに敗北してから、あずさの意気込みはすさまじかった。あずさは誰かに対抗心を抱くタイプではないが、文也の意志を継ぐつもりなのだろう、リベンジに燃えているのである。

 

 ――桜花から見て、文也とあずさの関係は、ただならぬものに見える。

 

 物心つく前からの幼馴染。お互いの境界がわからない曖昧な関係。お互いがいないと成り立たない歪んだ補完関係。

 

 これが恋愛感情や性欲に結びついて居ようものなら「ふしだらなッッッ」と一喝するところだが、どうにもそうではない。お互いの境界がわからなくて、ずっとくっついているのが当たり前であるがゆえに、お互いに一心同体のようなのに、そうであるがゆえに、恋愛感情を自覚していないのだ。

 

 いや、自覚していないという表現は正しくない。実際に、ほぼないのだろう。

 

 ただしそれは、恋愛に疎い桜花からしても、紙一重に見えた。それこそ、周りが直接的に強く刺激すれば、お互いにあっという間に意識しあうようにも見える。もはや、お互いにお互いがいないと成り立たないのだ。もしかしたら、そちらの方が、今の曖昧な関係よりも健全かもしれない。

 

 ただ、あくまでもそう思うだけだ。本人たちは、今の関係が心地よさそうで、変えるつもりはない。それならば、事情を知らない外野がゴチャゴチャ言うのはお門違いだ。

 

 自分がするべきことはそれではない。

 

 この小さな後輩と同級生のために、自分がするべきこと。

 

 それは、今目の前の試合に勝つことだ。

 

 千葉エリカ。千葉家の兄をも超える逸材。

 

「…………カカカッッッ!!!」

 

 戦士としての血がたぎる。

 

 鋭い牙をむき出しにして嗤い、戦いを今か今かと待ち続ける筋肉を隆起させ、戦場に赴く。

 

 その顔面と、その背中。桜花には、二体の『鬼神(オーガ)』が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エリカは炎天下の中、「災害」と戦っていた。

 

 振り回される大剣は、巨大な質量と破壊力を持った大嵐。

 

 迫りくる大盾は、大地を吹き飛ばす隕石。

 

 踏み込みによって起きる振動は、立つのが難しいほどの大地震。

 

 繰り出される蹴りは、噴火によって降ってくる岩石。

 

「くっ、化け物め!」

 

 エリカはそれを必死で回避しながら、一撃必殺の隙を伺う。そして残念なことに、開始して一分が経っても、隙らしき隙が見当たらない。その巨体のくせして意外と俊敏であり、エリカの速度に追いついてくるのも、あまりにも恐ろしかった。

 

 エリカは愛梨との戦いで酷く疲労した。なんとかここまで勝ち上がる間に多少回復はしたが、まだまだ残っている。

 

 そこで達也とエリカで相談して決めたのが、「カウンターによる一撃必殺」。

 

 とにかく回避に専念して、隙を見せたところに、エリカの必殺技『山津波』のダウングレード版をぶつけて一撃で吹き飛ばす。長期戦になったら勝ち目がないエリカには、それしかなかった。

 

「フンヌッッッ!!!」

 

「くっ!」

 

 しかし、それは叶わない。

 

 隙を見つけられず、回避するしかないエリカは、ついに疲労が祟ったのもあって、大剣の一撃を受けて吹き飛ばされてしまう。なんとか小盾で力を受け流したが、それでもエリカの体は軽々と吹き飛ばされた。リングに背中から叩きつけられ、肺の中の空気が漏れる。無造作な振り回しだというのに、この威力はなんなのか。

 

 そして『オーガ』はこの隙を見逃さない。あの巨体だというのに憎らしいほど俊敏に、追撃をしようとする。

 

 エリカはなんとか体のバネを使って立ち上がり、それをまた受け流しつつ受け止めた。今度はなんとか魔法が間に合い、衝撃を変換して、エリカは距離を取りつつ着地する。

 

(ここだ!)

 

 エリカが欲しかった隙とは、桜花の見せる隙ではなかった。

 

 彼我の距離がなるべく離れて、自分が構えられる状況。

 

 助走距離が長いほどに威力が跳ね上がる『山津波』が、なるべく活かされる場面。

 

「ヤアアアアアアアアアア!!!」

 

 エリカは叫びながら術式を作動し、桜花に襲い掛かる。達人の渾身の一撃が来ると踏んだ桜花は、大盾を構えてどっしりと受け止める構えだ。

 

「食らえ、鬼退治よ!!!」

 

 溜め込まれたパワーが一気に解放され、片手剣を通して大盾に叩きつけられる。この一撃は、大盾を破壊するだろうし、桜花を一気にリング外まで吹き飛ばすだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バキッッッ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そのどちらも起こらなかった。

 

 それと同時に、エリカの剣と心が、音を立てて折れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは一高控え室。今日の日程を終えたわけだが、昨日以上に明暗はっきり分かれていた。

 

 男子は一様に顔が明るい。

 

 何よりも快挙なのが、トップスリーを独占した『デュエル・オブ・ナイツ』男子だ。

 

 また、一位こそ取れなかったものの、『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロの三七上と、男女ペアの花音と五十里、それにあまり期待していなかった男子ペアも、みんな二位に食い込んだのである。とくに将輝相手に健闘できた五十里は、満足げな表情だ。

 

 一方で、女子は暗い。といっても今日の女子はエリカと花音だけであり、どちらも二位に食い込んだのだからそんなことになるわけないのだが、二人とも非常にいじけているのである。

 

「なんなのよあれ……おかしいじゃないの……」

 

 将輝相手に本気で勝てると思っていたらしい花音は、五十里とは裏腹に落ち込んでいる。花音は、自分のせいで負けたと思っているのだ。五十里はあの一条将輝相手に明らかにかなり健闘してるし、それは客観的に見てもそうだ。ならば、攻撃力に自信のある自分が、あの土屋とかいう女を超えることができなかったのが敗因である。

 

 しかしながら、それは無茶と言う話だ。三高は相手の攻撃担当が花音だと断定して、最初からそのためだけのメタに徹底的に特化しつくした選出をした。一方で五十里はというと、本人も相当対策をしたのだが、花音に対する土屋ほどではない。結局のところ、選手選びの段階で負けていたということなのだ。

 

「はああああああああ……鬼退治には失敗ね」

 

 エリカもまた、二位だというのに落ち込んでいる。それも、こちらはまさしく惨敗だ。

 

 これ以上ないほどのチャンスで放った『山津波』。

 

 それはなんと、桜花を吹き飛ばすことにならなかった。しかも悲しいことに、達也の解析によると、桜花はそれに対して踏ん張るような魔法は使っていないとのこと。つまり、本人の重さと踏ん張り力と力の受け流し方、要は身体能力だけで、魔法併用の一撃必殺を受け止められたということだ。

 

 また、吹き飛ばせなくとも、盾は破壊できるはずだった。しかしながら、桜花はこれまで見せなかったカード、『振動破壊』を自身の大盾に使って、逆にエリカの剣を破壊したのだ。この競技において『振動破壊』は定番だし、桐原もこれを使って暴れまわっていたのだが、「素の魔法力はあまりにも低い」という前評判のせいで失念していた。十三束と同じ障害ならば、自分が触れている装備ぐらいは魔法行使できると見て当然である。これまでの試合で魔法をほぼ使わずに勝ち上がってきたのを見たのも、失念の要因だろう。魔法競技なのに魔法なしで勝ち上がることに対する疑問が出ないのは、桜花の見た目故だろう。

 

「かなり惜しかったんだけどな」

 

 達也はエリカのフォローをする。それは気休めではなく、客観的な事実だった。

 

 桜花の大盾は、『振動破壊』による自己破壊も含むだろうが、エリカの『山津波』によって深いヒビがいくつも入っていた。実際、桜花が喜びでぴょこぴょこ跳ねまわっているあずさのところに戻ってその盾を置くと同時に崩壊したのも見ている。つまりエリカは、本当にあと一歩で、あの『オーガ』に勝てたのだ。

 

 覚醒したともいえる一色愛梨相手に勝ち、それで大きく消耗したのに桜花を追い詰めた。エリカの働きは、得られたポイント以上に大きなものだ。

 

「でもやっぱ、勝たなきゃ意味ないわよねえ……」

 

 多少の慰めにはなったみたいで、エリカはニヒルな覇気のない笑みを浮かべる。その顔はやはり心底悔しそうだ。

 

 そんなエリカが手慰みに弄っている端末には――交換した、愛梨と桜花の連絡先が入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三高は今日、四つも優勝を持って帰ってきた。本日決勝が行われた競技で、全て優勝したのである。男子『デュエル・オブ・ナイツ』は三高は参加していないのでノーカンと言うことにしておく。

 

「わっしょい! わっしょい! わっしょい!」

 

 その祝勝会は、お祭り騒ぎに等しい。すでに総合優勝したかのようだ。とくにお祭り騒ぎになると悪乗りする文也が、一番騒がしかった。

 

「静かになさい!」

 

「げぼお!」

 

 そんな文也に、『エクレール』によって加速した鉄拳が愛梨から放たれる。

 

「いつつつつ…………なあ一色。俺はその髪型よりも、試合の時のアップテールの方が可愛いと思うぜ?」

 

「あらそう? じゃあ一生この髪型にするわね」

 

「この天邪鬼! 高飛車お嬢様! 稲妻暴力女!」

 

「…………」

 

「へ、へえ、文也さん、アップテールが好きなんだ。……伸ばしてみようかな」

 

 幾分か距離が縮まったように見える文也と愛梨のバカな会話を聞いて、あずさは顔を青くしてそれを唖然と見るだけで、香澄は自分の髪を触って短髪だと気づく。あずさの反応は、鈍い人間が見れば「愛しの幼馴染が――」というたぐいの反応だ。

 

「愛梨、いつの間にか井瀬君と仲良くなったみたね」

 

「何かあったのじゃろうな♪ マイナス100がマイナス10ぐらいにはなったようじゃ」

 

 そんな様子を、親友の栞と沓子が遠巻きに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在ポイント

・一高 

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロ優勝 50

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ準優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア準優勝 40

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア準優勝 40

『デュエル・オブ・ナイツ』男子優勝~三位 100

『デュエル・オブ・ナイツ』女子準優勝 30

合計290

 

・三高

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ソロ優勝 50

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ優勝 50

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア優勝 60

『デュエル・オブ・ナイツ』女子優勝 50

合計330

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三高の部屋割りは、文也と駿、あずさと桜花、という風に「名目上」は、なっている。

 

「こんばんわ」

 

「おう」

 

 真夜中、声を潜めたパジャマ姿のあずさが、びくびくしながら文也の部屋を訪ねる。なぜか駿は不在であり、部屋に一人いた文也は、あずさを招き入れた。ドアを閉めてしばらくすると、あずさはようやくほっと一息つく。

 

「誰かに見つからないか毎晩心配だよ……」

 

 このホテルに泊まってからずっと、あずさは真夜中に文也の部屋を訪問して、ここで寝泊まりしていた。同室のはずの駿は、あずさが本来寝ているはずの桜花と同じ部屋で寝ている。「年頃の男女が同衾など言語道断ッッッ!!!」と桜花に怒られそうではあるのだが、事情を桜花にだけ説明して、特別に了承を得ている。

 

 文也とあずさは、互いが隣にいなければ、夜を通して寝ることができない。それは、このホテルでも同じことだった。桜花には「USNAの魔法師に夜に襲われたから、それがトラウマでお互いに魔法で補完し合っている」と説明している。実際嘘ではないし、文也たちの転校の事情もおおよそその通りのため、桜花はいぶかしみながらも同意してくれた。

 

「二人で悪いことをするなんて、小学生の時以来か?」

 

「あの時は一方的に巻き込まれただけでしょ……」

 

 文也がにやりと笑いながらそう言うと、あずさは思い出が蘇ってきて額を押さえる。小学生のころ、何度巻き込まれて悪戯の片棒を担がされたか。

 

「あっ……」

 

 そして、ついでに別のことも思い出してしまい、あずさは途端に顔が熱くなる。

 

 思い出したのは、去年の九校戦の夜の一幕だ。真由美にそそのかされて夜中に文也の部屋を訪問した。真夜中に男の子の部屋を訪問する、それもお洒落なムードがあるホテルで。あの時のあずさは、文也が相手だというのに、妙に緊張していた。

 

 いつからか、一緒の布団で寝ることに、全く違和感を持たなくなった。いや、一緒に寝るようになってから、違和感を持ったことは、考えてみれば一度もない。最初の内はお互い深刻な状況だったからそんなことを考える余裕がなかったし、多少病状が改善してからはすっかり慣れっこになってしまった。物心つく前から一緒にいるから、互いの境界があいまい。文雄から言われたときは、文也と二人そろって「へえ、そんなものかあ」ぐらいの感じだったが、あずさは改めて、今の自分たちがもしかしたら特殊な関係なのかもしれないと、思い当ってしまった。

 

 そうなると、やはり、お洒落なムードのホテルで真夜中に男の部屋を訪ねるという行為、こっそりとワルいことをしているという今の状況、そしてこれから同じベッドで抱き合うようにして寝るということ、これらが重なって、あずさは妙に意識をしてしまう。

 

「おいどーしたあーちゃん、湯あたりか?」

 

「な、ななななな、なんでもないよ!」

 

「まあ突発性謎赤面症候群はいつものことか」

 

 文也は意識している様子がない。自分だけが一方的に意識していて、相手は意識していない。そう改めて思うと自分が滑稽で、なんで意識しているのか分からなくなる。それゆえに余計に意識してしまって、あずさの頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。

 

 結局そのあと、あずさは冷たい水で顔を洗って落ち着くと、またここ数日のいつも通り、明日の予定と作戦を確認して、同じ布団に入る。一瞬文也の息遣いと体温、そして心音に、違和感なく心地よさを感じていることに気づいてまた意識してしまう。そしてそれは、早々にさっさと眠りについた文也が、無意識にあずさの手を握ってきた瞬間に最高潮に達して――すぐに、収まった。

 

「ふみくん……」

 

 文也の手は、震えていた。

 

 やはりまだ、お互いに、あの夜の死闘から、完全に逃れることはできていない。

 

 あずさが思い出したのは、先ほどの祝勝会。文也が愛梨に、アップテールの方が可愛いとお勧めした瞬間だ。

 

 あの時あずさは、文也がなぜそう言ったのか、一瞬で理解できてしまった。

 

 スラリとした身長と白い肌と長い脚、卓越した魔法力、鮮やかな金髪、そしてツインテール気味の髪形。

 

 ――嫌でも思い出す。

 

 あの夜に破壊をまき散らした、鬼のごとき天使、アンジェリーナ・クドウ・シールズ――アンジー・シリウスを。

 

 愛梨は、血族の過去もあって、また性格も相性悪そうなので、文也のことを一方的に嫌っていた。

 

 対する文也は、嫌われていても特に気にせず、いつも通り接しているように見えた。

 

 しかし、違う。愛梨のいつもの姿を見るたびに、文也は、リーナのことを思い出して、ひそかにフラッシュバックしていたのだろう。これまでずっと、強がって我慢していただけだ。

 

 これだけずっと近くにいるのに、こんなことにすら気づけていないだなんて。お互いに相手の全部を知っているつもりで、実は知らないことが多い。境界があいまいだなんて、実は勘違いなのではないか。

 

 ――ただ、今の関係が心地良いから、そのままになっているだけなのではないだろうか。

 

 そんなようなことをうっすら思いながら、あずさは文也を抱きしめながら、悪夢から逃れられるように、『スウィート・ドリームス』を行使した。



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6-9

 8月7日。

 

 本日競技を控えている駿は、この日の朝、これ以上ないほど絶好調だった。

 

「筋肉がッッッ……これ以上ないほどにッッッ……躍動しているッッッ!!!」

 

 キャラ崩壊である。

 

 駿は異性である桜花と一緒の部屋で寝ているわけだが、その間には一切色恋めいた感情はない。アスリートにたぎる血と、筋肉を愛する「漢」同志の絆。桜花を中心とする三高の多くの生徒たちは、それで結ばれているのだ。

 

 あずさと交換するように桜花のもとに夜な夜な通う駿は、そのたびに「アニキ」から様々なトレーニングや精神修行を教わった。そのたびに、目から鱗とプロテインがこぼれるような精神革命を迎えたのである。

 

 そして昨夜、これまでのまとめとしてひとまず実践したトレーニングは、翌朝の駿の筋肉と気持ちを、天使の翼のごとく羽ばたかせていた。

 

「やべえッッッ……やべえよあーちゃんッッッ……ガチで絶好調だッッッ!!!」

 

「なんか口調変だよね?」

 

 その絶好調は勘違いではない。文也から見ても、今の駿は過去最高のコンディションだった。

 

 そんな三高の朝食風景の、また別の所。愛梨と栞と沓子、それとこの三人にたまに加わっている沙耶と祈は、いつも通り並んで各々の朝食を食べていた。

 

「愛梨、昨日あんなこと言ってたのに、アップテールにしたんだ」

 

「もしかして、もしかするのかのう」

 

「そんなのではないわよ! ……今日は沓子と祈の担当なのでしょう。これぐらいのサービスはしてあげてもいいと思っただけよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日に行われるのは、『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペアと男女ペア、それに『ミラージ・バット』の予選だ。明日からしばらく新人戦であり、『ミラージ・バット』の決勝は新人戦を挟んだ本戦の続きで行われる予定だ。

 

 今日の担当は、『ミラージ・バット』の三人の内二人をあずさ、『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペアが真紅郎、そして『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペアが文也だ。

 

「……いや、あの二人はちょっと無理だわ、まあ、うん」

 

 そして午前中の最初に行われた『ミラージ・バット』予選の一部で、あずさの担当はすべて撃沈した。

 

 真っ白な灰と化したあずさの肩に手を置いて文也が慰める。あずさが担当した二人は、優勝候補と目されていたほのかと里美スバルに初戦からそれぞれ当たってしまい、ものの見事に負けたのだ。

 

 もしあの二人に当たらなければ、良いところまではいけそうだった。組み合わせの運の差である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペアの代表は、漕ぎ手が沓子、射手が祈の仲良しコンビだ。文也が二人を担当するのは、二人からの指名である。三人とも自由人であり、何かと気が合うのだ。

 

 この二人は優勝候補筆頭だ。神道の白川伯王家をルーツとする沓子は水に関する魔法が得意だし、祈は去年の『スピード・シューティング』男子優勝者・百谷博の妹で同じく射撃のスペシャリストである。

 

 一方、同じく優勝候補筆頭と目されているのが、一高の代表。射撃のスペシャリスト・英美に、ボート部で全国大会入賞経験もある国東。

 

 大方の予想通り、予選からすでに、この二組の優勝争いとなっていた。

 

「よーしよしよし、いいぞ、つくし、祈」

 

「にゃははは、つくしちゃんは流石だねえ」

 

 予選の結果は、二位の一高とほんのわずかな差で沓子・祈ペアが一位だった。射撃では負けていたが、沓子がいつもより調子が良くてゴールタイムで優っていたのである。

 

 つくし、とは、沓子のあだ名である。元々文也は二人のことを「四十九院」「百谷」といつも通り名字で呼んでいたのだが、気が合ううちに、祈のことは「兄貴と紛らわしいだろ」ということで下の名前を、沓子のことは祈の影響であだ名で呼ぶようになった。

 

 祈は仲の良い相手はあだ名で呼ぶ。たまにつるむ愛梨はあいちゃん、栞はしーちゃん、沙耶はさっちゃん、真紅郎はジョージで、将輝はプリンス。元々沓子は「とーちゃん」と呼んでいたのだが、「父親ではないぞ」とからかわれたので、響きの可愛い「つくしちゃん」にしたのである。仲が良くて唯一あだ名で呼んでいない相手は文也だ。これといったあだ名が思いつかないとのことである。あずさの「ふみくん」があると言えばあるが、「それを許されるのはあの先輩だけだろ」とのことだ。

 

(それにしても、明智? だっけか。あいつ、やけにコンディションがいいな)

 

 文也の脳に一抹の不安がよぎる。一高の射手・英美の腕が、想像していたよりもはるかに良かったのだ。一応同じ学校の同級生ではあったので、射撃の名手だという噂もそういえば聞いたことがある。しかしながら、ここまでの腕だとは予想外だ。射撃に集中できると言えど、文也のような半自動破壊魔法をせず、自らの手でやっているというのにパーフェクト一歩手前なのは、真紅郎といい、化け物としか思えない。

 

 そう、文也のあずかり知らぬことだが、今年の英美はとんでもなく燃えているのである。

 

 彼女は実力はピカイチなのだが、去年の九校戦では組み合わせで悉く不運を引き、惨憺たる結果に終わっているのだ。実は無頭竜が組み合わせを操作した結果なのだが、それを知らない彼女は、去年の悔しさをバネにリベンジを果たそうというのである。この成長は達也や深雪すら驚くほどで、ここ一か月で一番成長したのは間違いなく彼女である。

 

(ここにもいらっしゃるんだもんなあ)

 

 文也がちらりと見るのは、英美の担当エンジニア。因果なことに、今日のエンジニアバトルも、文也対達也と言う状態だ。『不可視の散弾』の起動式は去年の暮れに真紅郎が公開しており、その総合的な使いやすさから今年の『ロアー・アンド・ガンナー』のマストとなっている。しかしながら、三高が使う式は、文也や開発者である真紅郎が調整したことで、一段レベルが高いものだ。そしてそれと同じぐらい、一高の使うものもレベルが高い。間違いなく、達也によるものだ。また国東が使った、着水時の下への衝撃と反作用をゼロにして緩和しそれをすべて推力に変換して超加速する術式もまた、達也が用意したものだ。エリカの『山津波』の応用だろう。あのボートの変態軌道を見たときは、思わず頭を抱えたものだ。

 

(頼むぜ……今日は勝たせてくれよ……)

 

 あずさとアニキが仇討ちしてくれたと言えど、やはり悔しいものは悔しい。

 

 文也は肝を冷やしながら、午後の決勝を待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、いいぞ沙耶。コンディションは悪くないみたいだな」

 

「う、うん、ありがとう……しゅ、駿君」

 

 駿と沙耶のペアもまた、予選を一高のペアに次ぐ二位で通過して午前を終えた。

 

 最初のころの沙耶は、はっきり言って選手としては失格レベルで、メンタルも方向音痴も酷いものだった。それでも、沙耶と少しやってわかった移動系魔法の技術が諦めきれなかった駿は、あの初日の練習の後文也に相談したのだ。

 

 文也も今一つ解決策が見いだせていなかったが、そばを通りかかった沓子がヒントを教えてくれた。

 

「んー、沙耶のやつ、去年もそういえば最初は酷いものじゃったのう。じゃが本番手前には相当なものだったし、最終的にはわしを超えるほどじゃった。心配することはなかろう。沙耶は努力家だからの」

 

 考えてみれば、おかしな話だ。『バトル・ボード』の水路だって同じぐらい複雑なのに、沙耶は去年の新人戦で見事優勝している。あんな状態は、ありえないはずだ。

 

「なあ、つくし。五十川の練習量ってどんぐらいだった」

 

「んー、わしが見かけたときは必ず練習しておったぞ」

 

「それだ! 方向音痴なら、身体に無理やり覚え込ませるのが最強なんだよ! ごり押しだごり押し! 根性!」

 

 駿としては「本当にそれでよいのか?」と思わなくもなかったが、努力と回数が重要なのはよくわかっていることなので、あとは努力の質と回数の確保をどうするかが課題となった。そこで思いついたのが、VR訓練である。水路がない家でもVRで訓練して、道順を覚えればよいということだ。あの日以来文也がパソコンで作業していたのは、FP視点で今回の水路を再現したVRゲームだったのだ。

 

 沙耶は上機嫌な駿の一歩後ろをついていきながら、小さく嬉しそうに微笑む。

 

 そう、あの日の夜にかかってきた駿からの電話は、「これから一緒に頑張っていこう」というものだった。VR訓練のために、最新型フルダイブVRカプセルのレンタルまでしてくれた。なぜか駿が複雑そうな表情だったし、貸してくれたあずさが気まずそうに目をそらしていたのが気になりはしたが。果たして何に使われていたのだろうか、と思い至らなかったのは彼女にとって幸運である。

 

 どうすればよかったのか。方向音痴な彼女が迷い込んだ心の袋小路から、駿が救い出してくれたのだ。

 

 考えてみれば、ずっと、駿は示し続けてくれていた。あの魔法塾で過ごした三年弱の間、駿は誰よりも努力を重ね、結果を出していた。諦めずに努力をすること。それがまず、一番なのだ。去年の自分がやったことこそが正解なのだ。

 

 ――沙耶は、変われていたのである。

 

 そしてまた、少しだけ、変化をしていた。

 

 駿からの提案で、咄嗟に声を掛け合えるように、お互いに下の名前で呼ぶようになったのだ。どちらも、苗字よりも名前の方が短い。なんでも、文也と名前で呼び合うようになったのも、これがきっかけだそうだ。そのおかげで、二人の距離はぐっと縮まった気がして、コンビネーションもそのころにはかなり向上してきた。

 

「森崎」

 

 そんな二人が歩いている前に、一人の少女が現れる。

 

「滝川か。勝利宣言はまだ早いだろ?」

 

 現れたのは、競技のときに着ていたボディスーツのままの滝川だ。予選では、彼女たちが一位だったのである。

 

 駿たちと滝川たち。この二組のペアは、今年の『ロアー・アンド・ガンナー』でも異色のスタイルだ。

 

 高速で動きながら的を破壊するには、『ガンナー』と言いながらも、実際は的に破壊魔法を直接行使するのが一番効率が良い。『魔弾タスラム』を得意とする英美ですら『不可視の散弾』を使っているのだから、その差は歴然としている。

 

 しかし、駿と滝川は、漕ぎ手は基本に忠実でお手本のようなのに対して、二人とも射撃スタイルなのだ。

 

 駿はボディーガード業の性質上得意な射撃魔法。『エア・ブリット』を基本としている。

 

 一方、操弾射撃で好成績を収めている滝川は、じつに「らしい」ことに、弾丸となる金属球――要はパチンコ玉――を魔法で操って放ち、的を破壊しているのだ。

 

 そんな異色の相手からいきなり声をかけられた駿は、冗談めかした問いかけをする。それに対して、好戦的な笑みを浮かべた滝川もまた言い返した。

 

「何言ってるの、本番はこれからでしょ」

 

 人見知りの沙耶は、好戦的な空気を隠さない滝川におびえて、駿の後ろに身を隠す。駿も、滝川に悪意はないので守るという意図はないだろうが、気を遣うようにそっと身を寄せていた。それを見た滝川は、妙に心がざわついて、言葉に険がこもる。

 

「決勝戦の、一番最後で待っているから。私たちが――絶対に勝つ」

 

 滝川はそう言い残して、踵を返して離れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、負けないもん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこに、細いながらも確かな声量で、沙耶の大声が響いた。駿と滝川が驚いて目を丸くする中、沙耶は駿で身を隠すのを止め、身体を震えさせながらも、俯き加減の顔を上げて確かに滝川を見据えながら、宣言する。

 

「私と、駿君が、絶対に、絶対に、勝つ!」

 

 その意外にも闘志をたぎらす沙耶に、滝川は何か言い返そうとする。しかしたまたまタイミングが被って、駿が口を開いた。

 

「……そうだな。俺と沙耶が、お前らに勝つ」

 

 沙耶に影響されて、駿の闘志もまた、大きく燃え上がってきた。どちらが前でもなく、二人で並んで、滝川に勝利宣言をする。

 

「…………ふーん、あっそう」

 

 それを聞いた滝川は、駿たちを振り返りもせず、不機嫌そうにそう言い残して去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「古式魔法は苦手と言っておったはずじゃが、なかなかやるではないか」

 

 沓子と祈からエンジニアとして指名された文也は、当初は渋っていた。現代魔法にはかなりの知識と技術があるが、古式魔法に関しては文也の専門外だからだ。

 

 しかしながら、ものは試しと沓子が押し切って調整をさせてみたところ、真紅郎に調整してもらった時と遜色ない心地だった。四十九院家に出入りする第九研究所出身の古式魔法が得意だと豪語するエンジニアよりも、よほど使いやすかったほどだ。それ以来、改めてエンジニアとして指名して、今に至る。

 

 昼休憩が終わった午後、決勝に向けた調整をしながら、沓子はベンチに座って足をプラプラさせながら、文也に話しかける。

 

「まあ、親父があんなんだからさ、ニガテ克服にうるさいってわけだ」

 

「親が教師と言うのは大変じゃのう。あれだけ自由な性格でも、家では厳しいのか?」

 

「いや、家でもあんな感じだけど、去年から教師やり始めて調子こいてんだよ」

 

 文也の冗談めかした話に、沓子は納得したようだ。それ以上は突っ込んでこない。

 

 ニガテ克服。文也の父親は、それで日本で最も濃い闇である暗殺者を退けた。苦手に対して自分の得意分野を応用して対策するのではなく、そもそも克服する。王道の強さを、文雄は改めて示したのだ。

 

 古式魔法をアレンジして現代魔法の仕組みに落とし込む、というのは、経験がないわけではない。去年の九校戦で、幹比古のデバイスを調整したこともあるし、それ以前から多少の練習はしていた。

 

 しかし、沓子の場合は勝手が違う。幹比古は徹底的に論理を突き詰めるタイプであるがゆえに、古式魔法と現代魔法の使い分けができる優等生タイプだ。エンジニアとしても対応しやすい。しかしながら、沓子は水に関してはほぼBS魔法の領域であり、今まで学んできたどれとも勝手が違う。魔法式とCADを使う現代魔法師タイプから大きく外れない幹比古に対して、沓子は水に関しては「超能力者」タイプなのだ。

 

 変にいじくると、才能を潰してしまう。エンジニアは担当競技者の専属作戦スタッフを兼ねるが、沓子に関しては、文也は特に作戦を用意していない。とにかく策を弄して準備するタイプの彼でも、「ごちゃごちゃ言うよりも本人に任せるのが一番」と投げ出した。

 

 そういうわけで、文也が本格的に関わるのは、沓子ではなく祈だ。こちらはバリバリの現代魔法師であり、文也としても対応がしやすい。祈のデバイスを受け取った文也は、午前中とは大きく違った調整を施す。

 

「ふむ、文也。おぬし、何かロクでもないことをしようとしてるのう?」

 

「え? マジで? わかるの?」

 

 文也がやっているのは、いつも通り起動式を文字コードに落とし込んで完全手動で調整するというもの。これを見てわかる高校生は、自分と達也以外にいないと思っていた。

 

「いや、全く分からん。西洋の文字は相変わらず奇怪じゃのうとしか思わんぞ」

 

「明治時代みたいなこと言ってんじゃねえよ。じゃあなんでロクでもないことをしてるってわかるんだ?」

 

 そう、実際文也は今、ロクでもないことをしている。祈から頼まれて、一つの「禁じ手」に手を出そうとしているのだ。

 

「一つ。文也はいつもロクでもないことをしようとしているから、何も考えず適当に言っても当たる」

 

「ひでえ言われようだ。真実だけど」

 

「そしてもう一つが――」

 

 沓子はそこで言葉を止める。もったいぶるなと言おうとコンピュータから目を離して振り返った文也の目の前に――満面の笑みの沓子の顔があった。

 

「直感じゃ♪」

 

「なんじゃそりゃ」

 

 文也は知らない。沓子の直感は、あの愛梨ですら信用するものだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう無理! 死ぬ!」

 

 二巡目の演技が終わり、結果発表も終わった。三高のテントに帰ってくるなり、祈は簡易ベッドの上に寝転ぶ。

 

「お疲れさん」

 

「あのバカ兄貴はこれをいきなりやられたんだろ? よく死ななかったな」

 

「俺の調整が天才だったってことだよ」

 

「なるほど、天災じゃのう」

 

 沓子の調整は予選とほぼ変わっていない。ただ、「予選よりはトバしてもいい」と文也と祈から言われ、その通りにやった。この競技のペアは、漕ぎ手は速さだけでなく、自分も的や射手の様子を確認して、場合によっては多少速さを犠牲にしてでも射撃のために微調整する必要がある。その微調整を、多少無視して速度を優先しても良いということだ。

 

 沓子はその真意を測りかねたが、この二人が言うのだからと了承した。そしていざ演技に挑むと、確かに二人の言う通り、祈は遠慮なくトバす速度に対応できたどころか、予選よりも的を多く壊していた。

 

 しかしながら、祈の顔にはいつものような笑顔がない。魔法のコントロールが大変で、一歩間違えれば自身が破滅するという、危ないところで戦っていたからだ。

 

 祈から頼まれた文也が施した調整は、去年の九校戦のエンジニア選考で博に施したものと同じ、性能を極限まで追い求め、安全マージンをほぼ排除した危険な調整だ。いくら記録型のクローズドな競技だとは言ってもペアであるがゆえにどうしても他者の影響力が絡むオープン要素も含むため、文也としては反対だった。しかしながら、兄から愚痴として聞いていたのであろう祈が強く頼んできたため、その意志に応えることにしたのだ。

 

 その結果、沓子も祈もこれ以上ないほど絶好調で、ゴールタイムは総合一位、的の命中精度も撃ち漏らしが一つだけという、脅威の成績をたたき出した。

 

「で、お前はなんで急に昼になってマージン外してくれなんて言ったんだ? 調子でもよかったのか?」

 

 文也は競技が終わったということで、もう良いだろうと問いかける。祈だってバカではないので、マージンをギリギリまで外すことがどれだけ危険なのかは知らないわけではない。

 

「影響されたのさ」

 

「誰にだ?」

 

「かずちゃん」

 

「いや、まじで誰だよ」

 

 文也は思わずずっこけてしまう。あだ名で呼ばれても、分かるわけがない。

 

「ほら、滝川和美だよ。一高男女ペアの射手。元同級生だろ?」

 

「えーっと、あー、なんかそんなのがいたようないなかったような」

 

 ただし、本名を言われても分かるとは限らないのがこの男である。

 

「友達だからさ、休み時間にちょっと会ってきたんだけどね。なんとなく理由はわかるけど、すっげー燃えてたんだ。そりゃもう入れ込んでるレベルで。それ見ると、アタシもなんか燃えてきちゃってね」

 

「ふーん、そんなもんか。青春ってやつだな」

 

 文也はそれ以上は興味がないようで、生中継の映像に視線を移す。そこでは、『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペアの決勝一巡目が始まっていた。

 

「あーあ、しかしこれで負けるんだから敵わないよなあ」

 

 そんな文也は置いておいて、祈はベッドの上でゴロゴロと転がりながら、愚痴っぽくため息を吐く。

 

 そう、これ以上ないほどに、自分のベストを沓子も祈も出せた。それだというのに、最終順位は二位だったのである。

 

 一位は、ライバルである一高の英美・国東ペア。この二人もまた息がぴったりで、そのコンビネーションには沓子・祈ペアと同じくこれといった乱れがない。そして恐ろしいことに、さすがにゴールタイムでは沓子に勝てなかったものの、なんと射手の英美は、全ての的を破壊するパーフェクトを決めたのである。オールクリアには特別ポイントが加算されるルールであり、その差で負けてしまったのだ。

 

「じゃが、おぬしのおかげで気持ちよくできたぞ。感謝しよう」

 

 微妙に落ち込んだ空気の中、沓子はいつも通りの明るい笑みを浮かべて、文也に感謝をする。負けてしまったが、それでも自分のベストを出せた。楽しめたのだから、それが一番だ。

 

「おいおい、そんな恰好でそんなことを言われたら照れちまうだろ。誘ってるのか?」

 

 文也はがっつり鼻の下を伸ばして言い返す。沓子も祈も、着替えるのも惜しいほどに疲れ切っているので、ボディラインが露になるウェットスーツのままなのだ。

 

「文也は小さいのもイケるクチなのか。この節操なしめ」

 

「美少女ならオールオーケーだぜ」

 

「つくしちゃん、このままだと襲われかねないから着替えに行こうぜ」

 

 冗談を――ただし文也は割と本音――を言い合って一息ついたのか、沓子と祈は立ち上がって更衣室に着替えに行く。

 

「むー、あの先輩、やっぱり文也さんと仲いいなあ。……でも、そっか、小さいのも好きなのか」

 

「変わらないねえ」

 

 その会話にずっと聞き耳を立てていた香澄は、自分の貧乳をさすりながらブツブツ呟く。それに対して、『ロアー・アンド・ガンナー』の相棒である同級生の女子は、もはやすっかり慣れたものであり、遠い目をして茶々を入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼間の事もあってか、決勝の沙耶は絶好調の一言に尽きた。珍しく闘争心が漲っており、集中力もこれまで以上に高い。競技に対するプレッシャーも完全に忘れているようで、予選で見えた過度な緊張も全くなかった。

 

「駿、五十川さんは何があったんだい?」

 

「昼に一高の相手から宣戦布告を受けてな、珍しく燃えてるんだよ」

 

「全くそんなタイプに見えないんだけどね」

 

 エンジニアである真紅郎は、全く予想できなかった絶好調に思わず困惑する。嬉しいことではあるのだが、気になって仕方がないのだ。駿から説明を受けても、今一つ合点がいかない。沙耶もアスリートの端くれではあるが、そういうアツい闘い世界の世界とは無縁そうに見える。自分の記録をコツコツ伸ばしていく分には十分にアスリートの気質はあるが、一方で他者との競争と言う面を気にしないタイプであるようにも見える。真紅郎からすれば、不可解でならない。

 

「まあいっか。このままいけば優勝だし」

 

 駿と沙耶のペアは最後から二番目の演技で、沙耶が特に絶好調だったため、これまでを大幅に上回る自己ベストをたたき出した。そしてラッキーなことに、予選一位で一巡目最後の演技をした一高が、予選の素晴らしさが見る影もないほどに精彩を欠いている。駿と沙耶は、一巡目を圧倒的な一位で迎えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!」

 

 滝川は闘争心が強いアスリート気質ではあるが、一方で照れ屋だったり、またどちらかと言えば静かに闘志を燃やすタイプでもあるため、気性は荒くはない。

 

 しかしながら、一巡目の演技を終えた滝川は、顔をゆがめながら、怒りを壁にぶつけていた。

 

 一巡目の演技、漕ぎ手の西川はコンスタントに好成績をたたき出したが、滝川は予選の好調が見る影もなかった。照準は荒れて的に当たらず、ムキになって焦って一つの的に無駄に連射する。そのせいで次々現れる的に遅れてしまい、それでさらに焦りと苛立ちが増幅して、また外して、遅れる。この悪循環のせいで、滝川たちの点数は一巡目のビリになってしまった。

 

 理由は分かっている。あの五十川沙耶と言う女子だ。

 

 滝川はこの日のために、必死になって練習してきた。

 

 それはなぜか。

 

 ――森崎駿に、良いところを見せたかったのだ。

 

 去年の横浜の地獄で、滝川は駿から救い出された。夏休みの部活では危うそうに見えた駿は、いつの間にか大きく成長していて、滝川では追いつけないような領域にいた。急降下してきた駿に救い出されながら、滝川はそれを改めて実感した。

 

 それ以来だろうか。駿のことが、妙に気になるようになった。バレンタインには、らしくもなく、手作りのチョコレートまでプレゼントした。

 

 これから、仲良くなれるかもしれない。不思議と頬が緩んでいるのに気づいた時、顔から火が出そうだった。

 

 ――そしてその直後に、滝川の前から、駿は姿を消した。

 

 USNAのスターズに襲われた。滝川が横浜で味わった地獄。あれ以上のものはないと思っていたが、駿は親友の文也とともに、その渦中にいたのだ。

 

 それからしばらく、虚脱感が滝川を支配した。小憎らしいことに、ホワイトデーのお返しはちゃんと郵送で送られてきた。自分が送った不細工な手作りチョコレートよりも何倍も美味しい、高級な、手作りではないチョコレートだった。

 

 それからずっと、滝川は魔法の練習に打ち込んだ。学年末テストでは虚脱感から無様を晒したが、大会で好成績を残したし、二年生の学期末試験では好成績をたたき出した。代表選手にも選ばれ、そこからさらにがむしゃらに打ち込んだ。

 

 ――運命だと言っても、過言ではない。

 

 登録選手公開日、滝川は予定時間に待機していて、すぐに開いた。駿の名前を見たとき、心臓が跳ね上がった。そしてその直後、さらに心臓が跳ね上がる。

 

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア。

 

 滝川の対戦相手は、誰よりも良いところを見せようとしていた、駿なのだ。

 

 滝川はこれ以上ないほどに燃えた。絶対に、勝つ。同級生たちが心配するほどに、闘争心がこれ以上ないほどに高まっていた。

 

 そこに水を差したのが――沙耶だ。

 

 真剣勝負の場だというのに、予選直前まで、駿と下の名前で呼び合って何か仲良さそうに話していた。その顔は赤らんでいた。浮かれているとしか思えなかった。自分の気持ちに、真剣勝負に、水を差された気がして、心がざわついた。

 

 実際にあった時も、滝川は苛立った。駿の隣にいる癖に、気弱なのか弱気なのか知らないが、その後ろに隠れるだけ。とても真剣勝負を飾る相手にふさわしくない。それだというのに駿がそれを受け入れているのに、余計に腹が立った。さらにそのあと、あまりにも情けない宣戦布告までされた。それすらも、駿は受け入れていた。滝川の苛立ちと心のざわつきは、際限なく高まった。

 

「くそっ! くそっ!」

 

 せっかく積み重ねてきたというのに、この無様は、この体たらくはなんだ。

 

 どれだけ壁に拳をぶつけても、心のざわつきは収まらない。駿と沙耶が対等に横に並んだあの瞬間が、脳みそから離れない。

 

「滝川」

 

「なによ」

 

 そんな滝川に声をかけたのは、漕ぎ手の西川だ。移動系・加速系魔法に特化したBS魔法師。男子の漕ぎ手としては学内でもトップクラスだ。

 

 もう次の演技の時間だったか。つい先ほど演技をやったばかりだが。

 

 ああ、そうか。さっきは一位だから最後だけど、今はビリだから最初か。

 

 滝川は一巡目の不調を思い出して、自嘲しながら、西川の言葉を待たずに準備しようとする。

 

「なあ滝川」

 

「説教はいらないわよ」

 

 二人で歩いて向かっていると、西川が声をかけてくる。滝川は、自分が足を引っ張っているのだと理解していながらも、つい八つ当たりをしてしまう。

 

「別にお前がどう思っていようが勝手だけどよ。ここずっと頑張ってきた過去のお前を裏切るつもりか?」

 

「……うるさい」

 

「そうだわなあ。あんなん見せられちゃ、いくらお前でも乱れるわ。そりゃ仕方ねえ、高校生だからな」

 

「うるさい」

 

「だけど、お前は本当にそれでいいのか?」

 

「うるさい!!!」

 

 滝川はついに叫びだし、西川の胸倉を思い切り掴んで壁に叩きつける。体格で圧倒的に勝る西川は、すぐに抜け出せるだろうに抵抗しない。滝川を見下ろすような形のまま、言葉を紡ぐ。

 

「森崎にいい所見せたいんだろ? 次が最後のチャンスだ。次、醜態晒したら、それでお終い。大好きな森崎の記憶からは、お前は消えちまう。ただの取るに足らない雑魚としてな。学校も住んでる場所も離れているから、印象に刻み続けることもできない。あの可愛らしいオッパイの大きい女の子に完敗だ」

 

「っ……!」

 

 西川の言ったことを想像して、息が詰まる。心臓がひもで縛られたように縮み上がる。胸が痛い。滝川は西川から手を離し、胸を押さえて蹲る。

 

「ラストチャンス。過去の自分の頑張りを裏切って、クソみたいな醜態晒して、森崎の記憶から消えるか。努力をきっちり本番で出して、アイツらに勝って、一生記憶に刻まれるか。好きな方を選べ。お勧めは前者だ。今の無様なお前にはぴったりだな。妥協すりゃあいいんだから楽だよ。現実から目をそらして、今自分が実は小学生で、縁側でスイカ食って夏休みを楽しんでるんだと思ってりゃあそれでいい。一生敗北者だ」

 

「…………後半はアンタのことじゃない」

 

「そうだっけか。思い出したくないから覚えてないな」

 

 滝川が思い出すのは去年の九校戦。最高レベルのエンジニアである達也に担当してもらって、今までの自分が信じられないほどに絶好調だった。優勝も夢じゃないと思っていた。それだというのに、『スピード・シューティング』決勝トーナメントの一回戦で早々に敗退したし、『フィールド・ゲット・バトル』では予選で敗退した。無様な敗北者だ。

 

 一方で、滝川よりも酷い敗北者だったのは、この西川だ。文也から『深淵(アビス)』のダウングレード版を託されてもなお、予選で敗北した。しかもそのあとその現実が受け入れられず、醜態の上塗りをしてしまった。彼もまた、敗北者なのだ。

 

 一方で、どうだろう、今ライバルとして立ちはだかる駿と沙耶は。駿は『モノリス・コード』こそ残念だったが、『フィールド・ゲット・バトル』では優勝。沙耶は『バトル・ボード』で優勝。対戦相手は、「勝者」のペアだ。

 

 そして今、滝川は、自爆で、また敗北者になろうとしている。競技で負け、自分にも負けて、そして想いも敗れる。

 

 そんなことは――アスリートとして、許せない。

 

 アスリートは勝ってナンボ。負けたらただの敗北者だ。

 

 滝川は自分の頬を強く叩いて、情けない自分に喝を入れる。

 

「ねえ、西川」

 

「なんだ?」

 

「一発逆転するわよ。次、私に一切遠慮しないで」

 

「マジかよ」

 

 乗り気ではなさそうな返事をした西川は――言葉とは裏腹に、嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……冗談だろ」

 

 自分の担当種目が終わって一安心と観客席で観戦していた達也は眉間をもんでこれが現実であることを確認する。それほどに衝撃的だった。滝川と西川は、一巡目があまりにも酷かったから自棄になったとしか思えなかった。

 

 まず、ボートだというのに、滝川は立って射撃をしていた。確かに視界確保や体のひねりがしやすいため理に適っているが、バランスを崩したり、最悪落水したりするリスクが大きすぎる。体幹に自信がある駿ですらやらない暴挙だ。

 

 そして西川。こちらも、予選の優等生のようなボート運びが嘘のように荒れていた。射手が立っているというのに、スタートダッシュは自爆作戦まがいの急発進、カーブはほぼ速度も緩めず滑りやすい水面だというのにインを攻める急旋回、ジャンプからの着水は、その衝撃をすべて前方への波に変えてまた急加速。最悪なのはゴール手前。なんと敵がいるわけでもないのに、自分の後方に水路を埋めるほどの『深淵』を行使してすぐに解除し、それによって起こる波で水面から離れてボートごとジャンプするようにゴールに飛び込んだのである。ゴールを通り過ぎてしまえば落水しても問題ないから理に適ってはいるが、使い方が滅茶苦茶すぎる。

 

 何よりも厄介なのが、それだけの無茶をしたというのに、ちゃんとゴールしたことだ。そのせいでタイムは現在圧倒的な一位。しかも恐ろしいことに、そんな中だというのに、滝川はパーフェクトで的を破壊したのだ。

 

 その秘密は、今回滝川が用意してきた戦法にある。

 

 まず滝川が的破壊に使った魔法は、弾丸を使った魔法射撃の定番である移動系・加速系ではなく、なんと収束系だ。また、射撃魔法とは言いつつも、実は射撃魔法ではなく、見た目が射撃に見えるだけに過ぎない。

 

 その仕組みは、的と弾丸を対象とし、その相対距離をゼロにするというもの。射撃魔法に見えるが、実は定番の、的に直接行使する魔法なのである。故に、一度照準が定まればどれだけ移動していても効果を発揮する。また効果が発動すれば、どれだけ移動していようとも、相対距離がゼロになるという効果がある以上、弾丸はまるで磁石に吸い寄せられるように的に向かう。そして、相対距離をゼロにするために急接近した弾丸は、ゼロ、つまり接すると同時に、その衝撃で的を破壊するのである。

 

 つまり、滝川が射撃に使う特化型CADに登録されている系統は、収束系なのだ。そうなると、おのずと答えが見えてくる。滝川がなぜ激しく動くボートの上でバランスを崩さなかったのか。それは――去年摩利が使った、足裏とボートの相対距離を固定する、収束系の硬化魔法だ。

 

 確かに理論上は間違ってはいない。なんなら来年以降は流行りそうな戦法でもある。しかしながら、悪知恵が回る達也ですらも、「よくこんなの思いついたな」としか思えなかった。

 

(ゲーム研究部……やはり、おかしなやつらばっかりだ)

 

 確かあの二人の担当エンジニアは、魔法工学科に転科した元二科生の男子で、ゲーム研究部所属だ。なるほど、あの連中なら、これぐらいのことでも考え付きそうな気もする。

 

 文也がいなくなってもなお――突飛なことを考えるやつは、一高にいくらでも存在するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、うそ、そんな……」

 

 滝川と西川の圧巻の演技を見た沙耶は、また闘志が萎えて、本質である弱気が再浮上してきてパニックに陥っていた。一巡目、これまでで最高の成績をたたき出した。それだというのに、あれだけの不調だったはずの滝川たちが、とんでもない演技を見せつけてきた。

 

 荒れた運転をする西川と、立ったまま射撃をしてバランスを崩さない滝川。そのド派手でハイレベルな演技は、観客たちを熱狂させていた。

 

 こうなると、そのあとの選手は辛い。二番手も三番手も、会場の空気に飲まれて、一巡目よりも酷い演技を晒している。このままでは、四番手である七高のペアも厳しいだろう。

 

 そして沙耶もまた、この状況では厳しい。弱気で気弱、緊張しやすくて、プレッシャーに弱い。今のこの状況では、沙耶は立っていることすらできず、耳を塞いでうずくまってしまった。

 

「沙耶、大丈夫だ、落ち着こう。ゆっくり呼吸をしよう」

 

 こういう時でも、意外にもメンタルが強い駿はいつも通りだ。沙耶のことを気遣い、深呼吸を促す。それでも、沙耶の過呼吸は酷くなっていくばかり。ついに脚から力が抜け、床に倒れこんでしまう。

 

 会場の空気だけではない。滝川と西川が出した記録もまた、沙耶を追い詰めていた。

 

 一巡目、これ以上ないほどの演技ができたはずだった。

 

 だというのに、あの二人は、それを軽々と超える点数を叩きだしている。

 

 滝川の射撃はパーフェクト。満点だ。そして射手のことを気にせずに遠慮なくトバした西川がたたき出したタイムは、沙耶がこれまで出してきたどのタイムよりも圧倒的に速い。

 

 勝てない。

 

 沙耶の脳内を、恐怖と怯懦が支配する。

 

 的破壊はパーフェクト。ということは、駿はルール上、あれを超える点数は出せない。

 

 つまり? あの圧倒的な記録に勝つには――沙耶があの記録を超えるしかないのである。

 

 しかし、自分にあれだけのことができるわけがない。

 

 呼吸が苦しくなる。気道が狭くなる。どれだけ空気を求めても、全く足りる気がしない。

 

 全身に大汗をかいて、意識が遠のきかけたとき――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「沙耶!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――駿の手の温かさが、沙耶に伝わってきた。

 

「む、むぐ」

 

 しかしそれは、あまりにも乱暴だ。駿のごつごつした大きな手は、沙耶の口を塞いでいる。急な衝撃で意識は覚醒したが、呼吸ができなくなって、沙耶は余計に苦しくなった。

 

 駿が、パッ、と手を離すと同時に沙耶は咳き込む。新鮮な空気を求めて、大きく空気を吸った。

 

「……すまん。俺は文也のように、スマートにはできないから」

 

 駿は沙耶の背中をさすりながら、申し訳なさそうに謝る。

 

 沙耶は、訳が分からなかった。なぜ、駿がいきなりこんなことをしたのか。

 

「過呼吸は――大丈夫そうだな、よし」

 

「あっ……」

 

 駿に口をふさがれたことによって、沙耶の呼吸は無理やりリセットされた。それによって、過呼吸が収まったのである。あまりにも乱暴なやり方だが、ここには袋のようなものはない。文也のように『ツボ押し』で抑えることもできないので、駿は乱暴ながらもこうするしか思いつかなかったのだ。

 

「なあ、沙耶」

 

 駿は沙耶の手を掴むと、ゆっくりと語り掛ける。

 

「もうお前が弱気なのはしょうがない。何かお前にだって事情があるはずだ」

 

 駿の目は、沙耶の目を真っすぐに見つめる。

 

「だけど、どうか……俺なんかじゃダメなのはわかってる」

 

 駿は悔し気に歯噛みしながら、絞り出すように紡ぎだす。

 

「でも、今この瞬間だけは……俺のことを信じてくれないか」

 

 駿の言葉が、沙耶の中に染み込んでいく。

 

「俺はお前を信じてる。だから、俺が信じる沙耶を、沙耶にも信じてほしい」

 

 沙耶は理解した。彼女の手を取る駿の手は、じっとりと汗ばんで、震えている。

 

 強気で、堂々としていて、前を向いて努力をしている。駿は、沙耶からはそう見えていた。

 

 しかしながら、駿にもまた、弱気はある。沙耶は知らないことだが、駿もまた、周りから力の差を突き付けられ続けてきた一人だ。

 

 それでも駿は、今、胸を張って、信じろと言ってきた。

 

 駿のことを。沙耶のことを。

 

「…………駿君」

 

 自分がやらなければ。そう思っていた。

 

 しかしながら、今のこの状況は、沙耶だけが背負うものではない。

 

 沙耶が西川より速くゴールする。それは当然、勝利の条件だ。

 

 そして、もう一つ、条件がある。

 

 それは――駿が、今まで一度も出せたことがないパーフェクトを取る事。

 

 これもまた、勝利のための絶対条件だ。

 

 駿もまた、プレッシャーに押しつぶされそうになっている。これから、体験したことない高速移動の世界で、今まですら一度もできなかったパーフェクトを取らなければならないのだから。

 

 怖いのは、駿も一緒。沙耶だけではない。

 

(そうか……これは、ペアだから)

 

 沙耶は勝手に納得して、クスリ、と笑う。

 

 ――この競技は、二人で一つ。一人で背負い込むのではなく、お互いに支え合うものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二巡目の最終演技に挑む。直前にお願いした通り、沙耶は一切駿に遠慮せず、自分の全速力でトバしている。なぜなら、駿を信じているから。

 

 高速移動で目まぐるしく変わる景色、カーブでブレーキをほぼ掛けない急旋回、体を置き去りにする急加速、横にも縦にも前後にも脳が揺さぶられる。本来なら乗っているだけでも精いっぱい。駿は一瞬にして酔う。

 

 それでも駿は、意地でも目を見開き続ける。酔いと高速移動で視界がかすむならば、より集中していればよい。高速移動で的が認識しにくいなら、より集中して認識すればよい。歯を食いしばり、ボートから振り落とされそうになりながら、駿は的を撃ち続ける。

 

 彼は気づいていない。今の自分の集中力が、あの時――2月16日の夜と同じほどに高まっていることに。

 

 次々と繰り出される魔法には、コンマ数秒の猶予もない。それらを無効化するために、あの夜、駿は100を超えるほどサイオンの弾丸を放った。一回でも失敗すれば、親友も自分も死ぬ。その極限の経験を乗り越えた駿の集中力と反応速度は、より高みに達していた。

 

 そんな駿の姿は、堂々と立ち続けた滝川に比べたら、あまりにも無様。他の射手のようにしっかり座っているわけでもない。まるで押しつぶされたかのように身を屈め、自ら視界を狭めている。自滅としか言いようがない姿勢だ。

 

 これは、空気抵抗を少しでも減らすためのもの。駿がパーフェクトを取れば、あとは沙耶がコンマ数秒でも早くゴールすればよい。そのためには、誤差にしかならないはずの空気抵抗すら惜しい。

 

「もう少しだよ、駿君!」

 

 沙耶の励ましに、駿の血がたぎる。彼女も、的がどうなったのか気になるはずだ。一つでも逃せば負けと言う極限だ。それでも、的には目もくれず、ただ早くゴールすることだけを目指している。駿を、信じているから。

 

 そしてついに、最後の直線に差し掛かった。沙耶に付き合って何度も練習を重ねたがゆえに染みついた感覚が、コースには目もくれず射撃にしか集中していない駿にも、それを理解させた。

 

 急加速。あとはゴールまで駆け抜けるだけ。より速く流れる景色の中に現れた的に、駿は空気の弾丸を次々と打ち込む。

 

「いくよ!」

 

「いけ!」

 

 ゴール直前、二人の叫びが重なった。

 

 奇しくもその作戦は、西川と滝川が取ったものと同種だ。

 

 ゴールに着いたあとは落水しても問題ない。故にコントロールを無視して、大波を起こして空中を高速で駆け抜ける。

 

 駿と沙耶、二人の体が跳ね上がる。急激な衝撃に、脳が揺さぶられる。それでも二人とも、意識を手放そうとしなかった。

 

 空中に投げ出されるような形になった二人は、ゴールに向かって回転しながら飛び込んでいく。そんな回転する駿の視界。回転中に後ろを向いた瞬間に――最後の的が、ゴール手前の所に急に出現するのが見えた。

 

「おおおおおおおおお!!!」

 

 自分が今どこにいるのかもわからない空中。照準はこれ以上ないほど定めにくい。ゴールラインを越えてからの射撃は無効。猶予はほぼない。

 

 駿はそれでも、最後の意地で、空気の弾丸を放った。

 

 そしてそれと同時に、自分のすぐそばで投げ出されて回転する沙耶を、抱き寄せる。

 

 ――拳銃型CADを構えながら、か弱い少女を守るように抱き寄せる。

 

 今の駿の姿は――誰もが理想とする、力強いボディーガードのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして大きな水音が、会場に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界が暗い。息ができない。

 

 意識が遠のきかける中で、沙耶は全身が冷えていくのを感じる。

 

 そんな時――たくましい腕が、彼女を抱き寄せる。

 

 そして彼女の視界一杯に――真夏の快晴が広がった。

 

「「ぷはっ!」」

 

 ゴールラインを超えた直後に水中へと盛大に飛び込んだ駿と沙耶は、二人同時に水面に顔を出す。そして、練習の時の癖に従って、何も考えずに二人で泳いで陸へと上がった。

 

 ずぶぬれだ。特に沙耶は、長髪が張り付いているし、薄く施した化粧も完全に剥がれた。

 

 そんな無様な二人に――会場中から、盛大な歓声が送られる。二人は照れくさそうにしながらも、それに控え目に手を振って応えた。

 

「やるじゃないの」

 

 そんな二人に、すでにウェットスーツから着替えて身なりを整えた滝川が、柵から目いっぱいに身体を乗り出し、褒めたたえる。二人ともそれにも手を振って応えるが――すぐに、緊張した面持ちになる。

 

 結果発表。

 

 いよいよ、この激闘の決断が下る。

 

 電光掲示板には、タイムと壊した的の数、そして最後に総合スコアが表示される。

 

 ――デケデケデケデケデケデケ

 

 激闘にふさわしくないチープなドラムロールの電子音が鳴り響く。会場中が、それを固唾を飲んで見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガンナー PERFECT!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歓声が爆発する。これは全ての的を壊した時に表示される特別な演出だ。駿は、見事にパーフェクトを決めたのだ。

 

 次いで、ゴールタイムが表示される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やったああああああ!!!」

 

「っしゃあああ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、総合スコアの発表を待たずして、沙耶と駿の歓声が鳴り響いた。

 

 駿も沙耶も、滝川と西川のタイムは暗記してる。

 

 沙耶と駿が出したタイムは――表示可能桁の一番下の「1」の差で、一高のペアに勝っていた。

 

 直後、総合スコアが発表され、勝敗を理解した観客たちが、歓声と悲鳴を上げる。

 

「やった! やった!」

 

「優勝だ!」

 

 駿と沙耶は多くの観客が見ている前だというのに憚らず、手を取り合って抱き合い、喜びを分かち合う。そんな二人の勝者に、観客から惜しみない拍手と、ちょっとしたヤジが送られた。

 

「おいおいおいラブラブかよ!」

 

「水に落ちたのに冷えないとは何事じゃ!」

 

 その発生源は、文也と沓子。それによってお互いを意識してしまった駿と沙耶は、なんとなく恥ずかしくなり、急に顔が熱くなり、パッと離れる。

 

 沙耶は、ここ一か月、駿と近づくたびにドキドキしっぱなしだった。

 

 しかしながら一方で、駿は、実は何も意識していなかった。あくまでも競技の相棒であり、またどうしても昔の冴えないイメージがあり、異性として意識することもなかったのである。

 

 しかし、よくよく考えてみれば。

 

 その長い黒髪は綺麗だし、中学生の頃は前髪と俯きで隠れていた顔立ちも改めてみると可憐さと美しさがバランスよく同居してる。薄く化粧をしてあか抜けたのもあるが、こうして化粧が落ちてもなお、かなりの美少女である。そして、ただでさえぴっちりとしたウェットスーツはずぶ濡れになって張り付き、沙耶の体のラインをこれでもかと強調している。元々ぽちゃりしていたし地味な服装だったので目立たなかったが、三高の厳しい授業で勝手に痩せたのもあって、程よい肉付きの脚や腕、腰回りの曲線、そしてこれでもかとばかりに主張する胸。駿の心を、これ以上ないほどに跳ねあがらせる。そういえばさっき抱き合った時、やたらと柔らかい感触があったような気がするが、もしかして――。

 

「……着替えるか」

 

「……そ、そうだね」

 

 駿はそこで無理やり思考を打ち切る。着替えるついでに冷水シャワーを思い切り浴びて落ち着こう。そう思って、二人そろって顔を真っ赤にしながら、歓声に見送られつつ会場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、あれじゃあ私、勝ち目無いじゃない」

 

「まだ分からないぞ。どうせどっちもヘタレだからな」

 

 

 

 

 

 そんな二人を、滝川と西川も、微笑みながら見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在ポイント

・一高 

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロ優勝 50

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ準優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア準優勝 40

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア準優勝 40

『デュエル・オブ・ナイツ』男子優勝~三位 100

『デュエル・オブ・ナイツ』女子準優勝 30

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア優勝 60

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア準優勝 40

勝ち上がり

『ミラージ・バット』ほのか、スバル

合計390

 

・三高

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ソロ優勝 50

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ優勝 50

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア優勝 60

『デュエル・オブ・ナイツ』女子優勝 50

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア準優勝 40

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア優勝 60

勝ち上がり なし

合計430

 




この回だけやたらと青春してますね


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6-10

 8月8日。一旦本戦は小休止となり、この日からしばらくは新人戦だ。

 

 この区切りを、三高は一位で迎えた。ただし二位の一高との差は40点しかない。しかも、一高は『ミラージ・バット』で二人が勝ち上がっているのに対して、三高はゼロ人。優勝候補のこの二人が順当にワンツーフィニッシュを決めると想定すれば、逆に40点の負債と言うことになる。この新人戦もまた、重要な戦いだ。

 

「てめえ! あんなこと言ってたくせに結局アップテールにしてんじゃんツンデレ可愛いやつめ~とか思ってたらまたサイドに戻してるじゃねえか!!!」

 

「井瀬が喜ぶことをするわけないでしょう?」

 

「あ、あはははは……」

 

 そんな日の朝の三高の食事の風景は、いつも通り文也が騒がしい。なんやかんやアップテールにしてくれた愛梨を見て、「いやーもしかしてあんな美人さんが俺に惚れたのかーツンデレちゃんめ~」なんて文也は浮かれていたのだが、今朝になって髪形を戻した愛梨を見てそれが砕かれ、ギャンギャン騒いでいる。愛梨はそれを聞き流しながら、優雅に朝食を食べていた。あずさはどうしてよいか分からず、困り顔で苦笑いするだけである。

 

「本当に戻しおったぞ、愛梨のやつ」

 

 そんな様子を見て、これが有言実行だと知っている沓子は、愉快そうにケラケラと笑っていた。

 

「ね、ねえ駿君。今日、一緒にか、観戦しない?」

 

「お、おう、いいぞ」

 

「すいませーん、アイスコーヒー無糖でくださーい」

 

「私も」

 

 また別の所では、なんだか昨日から気まずい駿と沙耶が放つ空気に、そばに座ることになってしまった真紅郎と栞が今日の飲み物を決定する。

 

「あ、あの、一条君、きょ、今日一緒にどうかなー……なんて」

 

「おーいプリンス、一緒に観戦しようぜ!」

 

 また別の所では、一条将輝親衛隊の女子と、それに混ざって土屋と祈が彼を誘う。去年の横浜の一件以来、祈は将輝にこれまで以上に親密に接するようになったのだ。

 

「お前らッッッ!!! 今日は気合をいれていけよッッッ!!!」

 

『押忍!!!!』

 

 また別の所では、今日試合がある『デュエル・オブ・ナイツ』新人戦代表の六人に、桜花が気合を入れていた。全員桜花が鍛え上げた後輩たちであり、入学四か月にしてすでに桜花と筋肉の信徒と化している。

 

「いやー、ほんと、うちの子たちは元気だよねえ」

 

「そうだな」

 

 そんな食堂の様子を、綾野と後條は、かたやニコニコ、かたや無表情で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日行われるのは、『ロアー・アンド・ガンナー』のすべてと『デュエル・オブ・ナイツ』の予選。

 

 文也の担当は、香澄直々の指名で『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア、それとついでに男女ペアだ。

 

 あずさの担当は、『デュエル・オブ・ナイツ』の女子、それと男子の一人。

 

 真紅郎の担当は、『ロアー・アンド・ガンナー』男子ペアと、『デュエル・オブ・ナイツ』の男子二人だ。

 

 ちなみに、この飛びぬけて優秀な三人でエンジニアでメインが大体回っているわけだが、これでは後輩が育たないため、見所がある一年生二人を選手兼エンジニアの余った枠で連れてきている。文也はお手本にするには上級編すぎるので、基本に忠実なあずさと真紅郎のサブとして、お勉強中なのだ。

 

「文也さん文也さん! 見ててくださいね! 絶対優勝して見せますから!!!」

 

「おう、頑張れよ」

 

 競技の少し前、香澄はまるで子犬のように文也の懐に飛び込み、体をこすりつけながら爛々と目を輝かせて勝利宣言をする。文也はその頭を乱暴にワシャワシャし、香澄はそれを気持ちよさそうに受け止める。

 

 文也が、この接近のせいで改めて自分の方が身長が小さいのを思い知らされて涙目なのは秘密だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 香澄は、予選を無事圧倒的な一位で通過した。駿と同じく珍しい射撃スタイルであり、姉・真由美譲りの『ドライ・ブリザード』を軸に組み立てている。その命中率は圧巻であり、新人戦の中では他部門含めても敵なし、本戦に混ざっても決勝戦には残れそうなほどだった。

 

 そして、決勝戦直前の調整。一高もまた決勝に二位通過で進出しており、油断すれば手痛い敗戦になりかねなかった。

 

「文也さん、今日はまたすごい気迫……あっ! もしかしてボクのために……えへへ……」

 

「プラス思考だね……」

 

 調整している文也の様子は、いつもおちゃらけているのが嘘みたいだ。その表情は真剣そのものであり、マシンガンのような音を立てながらキーボードを叩いている。

 

 そんな文也が、チラリ、と、画面から目を離した。すぐに視線を戻しはしたものの、香澄は何を見ていたのかが気になって、それを追いかける。

 

 そこにいたのは、後輩のCADを調整している達也だった。達也もまた、女子ペアの担当だったのだ。

 

 相方は理解していないみたいだが、香澄はすぐに理解した。

 

 文也はやはり、達也に負けたくないのだ。

 

 香澄は二人の間にある因縁を、「一部だけ」知っている。

 

 四葉だとか、『流星群(ミーティア・ライン)』だとか、そういう事情は真由美によって秘匿されているから知らない。しかし、あの夜の死闘の一部を見ていたため、この二人が、「殺し合った仇敵」であるのは知っているのである。

 

 その因縁。向こうが意識しているかどうかは別として、文也は間違いなく意識している。

 

 香澄は、文也を殺そうとした達也が憎らしくて、相手が見えていないのを知っているのに、思い切りアッカンベーをする。何が真相かは知らないが、文也を殺そうとしただけで、香澄にとってはギルティに他ならない。文也を苦しめただけでなく、そのあとの転校騒ぎも含めてだ。達也があんなことをしなければ、今頃もっと丸く収まっていた。

 

「ねえ、文也さん」

 

「あ? なんだ?」

 

 そして、大好きな人の、小さな、それでも頼りになる背中に、声をかける。いつもと違う真剣なトーンに違和感を覚えた文也は、振り返って応えた。

 

「ボク、絶対勝ちますから! だから、ボクのこと、見ていてください!」

 

 香澄は宣言する。

 

 文也の為にも、香澄は、勝たなければならない。

 

 文也への想いと、絶対的な自信。この二つが、香澄に勝利宣言をさせた。

 

「――おう、期待してるぜ」

 

 そんな香澄に対して、文也は、香澄が大好きな、いつもの口角を吊り上げた悪戯っぽい笑みを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やりました! やりましたよ文也さん!」

 

「よっしゃよくやった! いいぞいいぞ!」

 

 ウェットスーツのまま文也に抱き着く香澄と、美少女の肉体の感触に鼻の下を伸ばしている文也。そんな勝利を分かち合っている向こう側を見ながら、達也はため息をついた。

 

 結局、香澄たち三高の代表が優勝した。しかも残念なことに、達也が担当したペアは、香澄が、まるで文也の真似をするように作り出した会場の空気に気圧され、予選から順位を一つ落とした三位で終わってしまった。

 

 達也担当対文也担当。これまで達也サイドが二回とも勝ったが、ここに来て手痛い敗北だ。これまでに比べて担当選手のレベル差が尋常ではないのは確かだが、やはり悔しさが残る。

 

(……悪いことをしたとは、思っているんだけどな)

 

 もし、四葉と文也が対立しなければ。文也もあずさも深雪もトラウマを抱えることはなかったし、文也たちが転校することもなかったし、真由美と気まずくなるようなこともなかったし、香澄も家を離れる必要はなかった。その渦中のど真ん中の一人である達也は、自分にもっと力があればこんなことにならなかったのでは、としばしば思うようになった。傲慢なのは百も承知だが、ドライに見えて何かと背負い込みがちな性格の達也は、ついそういうことを考えてしまう。

 

 先ほどの香澄のアカンベー。これは、実は達也は見えていた。何か敵意のある視線を感じるなと思って、気にしていたのだ。文也たちの一件においては、香澄は何も悪くない。一方的な被害者だ。彼女から敵意を向けられるのも、無理はない話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8月8日は、最終的には、香澄たち『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペアが優勝したほか、文也が担当した男女ペアも優勝を持って帰ってきた。また『デュエル・オブ・ナイツ』も何人かが順調に勝ち上がった。

 

 8月9日。

 

 前日に順調に勝ち上がっていた三高の『デュエル・オブ・ナイツ』代表たちは、無事ポイントを持って帰ってきた。あの桜花が直々に鍛えた選手たちであり、そのレベルは高いのである。女子は三位、男子は一位。一高女子代表の、中盾表面に張った多種の障壁魔法を駆使して戦う桜井水波と言う選手が恐ろしく強くて、女子の優勝は奪われてしまったものの、中々の成果だ。文雄曰く、彼女は達也たちと同居しているようで、四葉の関係者であることが伺える。九校戦レベルだったら、無双するのも無理はない話だ。

 

 また、この日に行われた『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペアも、優勝を持って帰ってきた。文也が担当した選手たちであり、ガキ大将気質の彼を慕う割と単純な性格でもある。文也が立てた作戦に忠実に従って勝利を収めた。

 

 そして8月10日。この日は『アイス・ピラーズ・ブレイク』の女子ペアと男女ペア、それに『ミラージ・バット』の予選が行われる。女子ペアはあずさ、男女ペアは文也、『ミラージ・バット』は真紅郎が担当することになっている。

 

「井瀬先輩、本日はよろしくお願いします」

 

「よろしくおねがいしまぁす」

 

 朝一番に行われた『ミラージ・バット』の予選で結果が振るわなかった真紅郎を適当に慰めてから大きなバッグを背負った文也が集合場所に向かうと、すでにそこには、『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア新人戦代表の、颯太と菜々、それに「お目付け役」である将輝がすでに揃っていた。

 

 八代家の陰謀で送り込まれた颯太と菜々。この陰謀を将輝は見抜いていた。二人がこの競技の代表になると決まり、そして二人がエンジニアとして文也を指名した時からずっと、この二人の練習には将輝が必ず付き添っている。

 

 これは颯太と菜々にとって困った話であり、年下と美少女相手には隙が多い文也はちょろいと思っていたのだが、将輝はそうはいかなかった。この一か月間ずっと機会をうかがってはいるのだが、情報抜き出しや色仕掛けは成功できていない。まあ文也は基本菜々のおっぱいを目で追いかけていたので、後者は勝手に成功したと言えなくもないが。

 

「おーっす、じゃ、調整するから」

 

 文也の求めに応じて、菜々がCADを渡す。颯太は取り出す気配すらない。

 

「じゃあ六十里のは俺が預かろう」

 

「ほいよ」

 

 文也は持ってきたバッグを将輝に預けると、菜々のCADをセットして、菜々の体調とおっぱいを見ながら調子を確認する。そしてそんな文也を、将輝が蹴って咎めた。

 

 ――バカな一幕はさておき。

 

 颯太が今回の競技で使うCADは、将輝の要求で、全て文也か将輝が管理することになっている。文也が持ってきた大きなバッグの中には、今日颯太が競技で使うデバイスやその他の道具が入っているのだ。

 

(…………こいつらも可哀想にな)

 

 将輝だって、二人が憎くてこんなことをやっているわけではない。少し話しただけでも颯太が「イイ奴」だってわかるし、菜々が乗り気ではないのもわかる。この二人も、きっと不本意なのだ。

 

 それでも、二人の陰謀は見過ごすわけにはいかない。可哀想だし同情もするが、それでも将輝は強硬に二人を抑え込まなければならない。文也本人が良いというのなら良い、という次元の領域は、大きく超えているからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほええええええ、あれが戦略級魔法『ヘビィ・メタル・バースト』ですか……」

 

 観客席に、ほのかの間抜けな声が響く。達也の隣だというのに、実に情けない声だ。割といつも通りのことだが。

 

 颯太と菜々。このメイドと執事のコスプレをしたペアは、試合が始まると同時に、一瞬で七草の双子や七宝を超える新人戦最大の注目の的となった。

 

 颯太がパステルカラーの「杖」を振るい、スイッチを押す。するとその先からビームが飛び出して、まとめて敵陣地の氷柱を破壊した。相手がほどこした防御は、その圧倒的な破壊力の前にはなすすべもない。防御担当はすっかり目を回してしまっている。

 

 そんな頼りない防御担当に声をかけながら、相手の攻撃担当が収束系魔法で氷柱同士を激突させる魔法を行使する。しかしそれは、相対距離を固定する菜々の硬化魔法によって跳ねのけられた。達也から見ても結構な干渉力の攻撃だったのだが、菜々の方が上の様だ。

 

 その間に、颯太はパステルカラーの杖を下げながら、片手でおままごとみたいなプラスチック製のナイフを振るった。そしてその延長線上にあった相手陣地の氷柱が、まとめて切断される。

 

 颯太と菜々の予選リーグ第二試合もまた、一本も氷柱を倒されないパーフェクトゲームで終わった。

 

 観客席が激しくどよめく中、達也はため息を吐く。それは、これから行われる予選の突破も怪しいようなうちの一年生では勝ち目がないというのもそうだが、どうしても、複雑なことを考えてしまっているからだった。

 

 ――あの記者会見で、文也はとんでもないことを暴露した。

 

 USNAからの「お詫び」として、十三使徒最強の破壊力を持つ戦略級魔法『ヘビィ・メタル・バースト』と秘術『分子ディバイダー』の起動式、『ヘビィ・メタル・バースト』をコントロールするための最先端技術の結晶兵器ブリオネイク、その他いくつか気になった起動式、これらを受け取ったと、自慢げに公表したのである。しかも理由が「いやーどうなってるのかすげー気になったからさあ」「まあ好奇心ってやつだな」「このブリオネイクとかとんでもない仕組みだぜ。変態、ド変態、変態大人(タイレン)!」である。バカなのだろうか。

 

 これだけのものを独占しているとなれば、様々な組織が接触するのも無理はなかった。事情を知らない強欲な金持ちが、文也たちの保護を手伝ってくれるよう四葉に泣きついてくるという面倒くさいこともあった。

 

 思い出したら頭が痛くなってきたので、すぐに今の試合を総括に移る。

 

 まず、菜々。颯太が目立ちがちだが、達也から見たら彼女の方が強力な魔法師に見えた。相手が起こそうとした変化を徹底的に潰す、状態固定系の魔法。魔法師の歴史に詳しい達也は、その価値をよくわかっている。あれほどの実力者が一族に何人かいるなら、十師族にも列せられたかもしれない。

 

 そして颯太。確かに六十里家の評判通り、放出系魔法がかなり得意なようで、超高難度な『ヘビィ・メタル・バースト』も『分子ディバイダー』も使えているし、あれを止められる選手はいないだろう。しかしながら、達也の評価としては、「まあまあ」止まりであった。

 

 その理由は簡単で、達也はあれの「本家」の恐ろしさを体感したことがあるからである。

 

 その「本家」とはすなわち、アンジー・シリウス――リーナのことだ。

 

 魔法発動までにかかる時間も、改変の規模も、安定感も、全てが本家に大きく劣る。特に威力は酷いもので、達也からすれば、大砲と割り箸輪ゴム鉄砲ぐらいの差があるように思っている。比較対象の「本家」があまりにも強すぎるのが原因なのだが、やはりがっかり感は否めない。

 

 それに使い方もまた、お粗末なものだ。ブリオネイクでビームにして発射するのは別に悪いことではない。しかしながら、非効率が過ぎる。相手陣地の真ん中に移動魔法で重金属を送り込み、それで水平方向円状に電子プラズマをばら撒けば、一撃で全てを終わらせられる。そういう本来の使い方の方が良い。それをしないのは簡単な話で、颯太が自分から離れたところにある重金属までは『ヘビィ・メタル・バースト』をできないからだろう。はたまた、フィールド外に影響が出ないようにする防護魔法が直線分で精いっぱいなのか。どちらにせよ、『ヘビィ・メタル・バースト』の「本領」である広範囲攻撃ができないのは、お粗末としか言いようがない。「本家」たるリーナと比べると、あまりにも弱かった。

 

 そしてまた、過去のことを思い出して、達也はひっそりと渋面を作る。

 

 アンジェリーナ・クドウ・シールズ。彼女がどういう状態になったのかを知っているので、そのあまりの悲惨さは、達也ですらあまり思い出したくないものだ。

 

 最強の魔法師として日本に派遣されるも、幾度となく高校生に負ける。終いには生け捕りにされて、『ヘビィ・メタル・バースト』を筆頭とする魔法や兵器の数々を奪われ、多くの情報を吐き出した。軍人として見たら、その背負っていた責任の大きさもあって、あまりにも酷いものだ。彼女の今の立場はかなり苦しいだろうし、プライドも誇りもズタズタだろう。

 

 また、生け捕りにされた際に、文也からフルダイブVR世界での拷問を受けている。体に傷は一切残らないが、それゆえに、後遺症も死も恐れずに、「なんでも」できる。四葉の情報網によれば、ネイサン共々精神病院に入院させられたらしく、しかも状態がかなり酷いらしい。深雪ほどではないにしろ、心に一生治らない深い傷を負ってしまった。

 

 ――達也から見たリーナは、あまりにも哀しかった。

 

 高校一年生の乙女だというのに、その肩には世界最大国家の責任を背負っている。それのせいで、ずっと無理しているようにも見えた。

 

 達也は、今度会ったら、「別に逃げてもいいんじゃないか」というぐらいの気休めを言って、少しだけでも解放してあげるつもりだった。

 

 しかしそれは叶わず、結果として、彼女にとっては最悪の結末になる。達也と彼女は同じような境遇だ。彼女のように真面目で不器用な性格でこの境遇は、あまりにも重い。そこに加えて、必死に守ってきた名誉とプライドはズタズタにされ、トラウマも抱えさせられた。

 

(ひどいものだな)

 

 ――改めて振り返ると、達也でも目をそらしたくなるような事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーああ、アホくさ」

 

 きゃぴきゃぴとしたぶりっ子のペルソナをかなぐり捨て、菜々は乱暴に溜息をつく。

 

 予選は順調に突破した。颯太はすっかり注目の的だった。

 

 しかし、順調に勝ち上がっている一方で、二人の陰謀は、全く上手くいっていない。文也から『ヘビィ・メタル・バースト』『分子ディバイダー』ブリオネイクの三点セットを競技用に与えられたものの、将輝の管理のせいでそれは持ち帰れていない。しかも、文也から与えられたものもまた、競技用という制限を超えて、劣化させたものだ。

 

 まず二つの魔法の起動式。

 

 与えられた『ヘビィ・メタル・バースト』の起動式には、ビームの通り道のように衝撃波を押さえるチューブを設定する機能と、ビームの終端で効果を終わらせる機能が、最初から記述されている。徹底的な安全策で、颯太が予想するアンジー・シリウスのような自由自在な使い方はできない。どちらにせよ水平円状にばら撒く本来の使い方は彼の干渉力的にできないから競技の上ではこの制限は問題ないのだが、この起動式では、持ち帰ったところでわずかなヒントにしかならないだろう。

 

 続いて、『分子ディバイダー』。去年文也が九校戦でコピーを披露して、USNAがそれに怒って襲撃、返り討ちにして本物を手に入れた。この流れが世間の見方だ。しかしながら、文也から与えられたのは、九校戦で使われた超劣化コピー、つまり『斬り裂君』だ。しかも専用デバイスがダサい。まるでおままごとの包丁だ。

 

 また、起動式は二つとも、二人から見てもとにかく「無駄」が多いように感じる。途方もない技術から生まれた起動式であるため、どこが「無駄」な部分かは、おそらく八代家の人間も分からないだろう。いくつものダミーの記述を設定して、本物を悟らせないようにしている。起動式の「無駄」を省くのが文也の信条だが、逆に効果的な「無駄」を追加するのも可能と言うわけだ。まるで古式魔法である。

 

 そしてブリオネイク。これも、本物とは程遠い、玩具のようなものだ。文也が競技向けにダウングレードさせたものでありながら、ちゃんとFAE理論を利用してビームとして放つこともできる。しかしながら、こちらもまた大量の安全機能がついており、さらには持ち出し防止の発信機までつけられている。

 

 持ち帰れても小さなヒントにしかならないし、そもそも持ち帰らせてくれない。颯太のミッションは、八方ふさがりだった。

 

 しかしながら颯太は、家族やお世話になっている八代家を裏切るようで申し訳なくも思うが、将輝に感謝している。自分がやっている「悪事」を止めてくれるというのが、とてもありがたかった。もし成功してしまったら、颯太は罪悪感で首を吊る勢いだ。よって、彼は意外と気にしていないし、なんなら少し気が軽くすらなっているのである。

 

 一方で、菜々はずっと気分が落ち込んでいた。

 

 幼馴染の颯太が大活躍しているのは嬉しい。練習の段階から目立って、ずっともてはやされていた。颯太が評価される分には、菜々は素直に喜べる。

 

 しかし、この一か月、颯太と自分の差を、突きつけられ続けてきた。

 

 真壁菜々。数字落ちする程度には魔法力がさほどない家・真壁家に生まれた。その魔法力は真壁家の中でも随一で高く、家族の期待を一身に背負ったが、一方で優秀な颯太には常に先を越されていた。

 

 得意な魔法は状態を固定する魔法。これに関しては、そうそう負けることがないし、颯太にも勝っている。

 

(ナナって、ホントなんだろうね)

 

 ずっと精神が乱調気味で、今もなお乱れているのが自分でもわかる。颯太は心配そうにしているが、こういう時にかける言葉が見つからずに黙るしかできない不器用なのが、この男だ。

 

 菜々は、自分を、マトモな魔法師だとは思えなかった。

 

 魔法とは。颯太のように巨大な電気を作り出したり、将輝のような爆発を引き起こしたり、文也のように様々な現象を巻き起こしたりと言った、「変化」の術だ。そもそもからして「魔法」の定義が、「対象のエイドスを魔法式で改変して現実世界の事象を改変する」というもの。魔法とは、「改変」「変化」なのである。

 

 それだというのに、自分の得意な魔法は、その「改変」「変化」を拒む、状態固定魔法。それ以外の魔法に関しては、良くて二流、せいぜいが一科生中位程度だ。菜々が思う「魔法」はどこまでも中途半端でしかない。

 

 今や九校戦新人戦の中心人物となった、巨大な改変を作り出す幼馴染。立派な魔法師だ。

 

 だとすれば、その隣にいる自分は、一体、ナニモノなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい真壁、何を落ち込んでるんだ」

 

「いえぇ、ちょっとしたことですよお。井瀬センパイをわずらわせるようなことではありませぇん」

 

 予選リーグを圧勝で終えて、決勝リーグを待っている時間。颯太は、将輝が『アイス・ピラーズ・ブレイク』の攻め方についてアドバイスがあるということで少し二人で離れている。今この場には、文也と菜々の二人きりだ。珍しくおっぱいに目線が向かっていない文也からの問いかけに、いつも通りぶりっ子の仮面をかぶって人当たりの良い笑顔で対応する。人の機微なんて全く分からない男だと思っていたのだが、意外と鋭くて、菜々は内心驚いた。

 

 それだけ、表に出ていたということか。

 

 媚びた笑顔の仮面の裏で、菜々は冷や汗を流す。別に相手はこう見えても頼りにならないこともない先輩なのだし、弱音や悩みを相談するというのは距離を詰めるうえでも効果的なので、ここで正直に話すのも一つの手だろう。しかしながら菜々個人のプライドとして、こんな男に個人の悩みを解決されるのが嫌で仕方なかった。この悩みを表に出したのは、過去に一回しかない。ちょっとしたことで苛立っていた時に、颯太に八つ当たり気味に吐き出したことがあるぐらいだ。

 

「ほーん、そうか」

 

 文也はしつこく聞いてくるようなことはしない。ちょっと気になったから聞いただけで、全く興味がないのだろう。菜々の見立てでは、このチビは、彼が親友だと認めた相手にはかなり甘いが、それ以外への興味はとんでもなく薄い。薄情なやつだとは思うが、しつこく聞いてくるよりかは、菜々としては助かる。

 

 菜々はそんなようなことを考えながら、文也に背中を向けてバレないようにしながら、こっそりとため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決勝リーグの第一試合も楽勝だった。ライバルである一高の代表なのだが、予選をギリギリで抜けてきた程度の実力であり、一瞬で終わってしまった。颯太があっという間に全部破壊するせいで氷柱の製造が間に合っていないらしく、試合時間が想定よりも空いている。そんな空き時間に、颯太は、菜々をホテルの裏に呼び出していた。

 

「な、なあ、菜々。なんか悩んでるみたいだけど、どうかしたのか?」

 

 菜々はいぶかしむ。颯太は他人が困っているのは目ざとく気付く方だし積極的に助けに行くタイプではあるが、一方で、心の問題である悩みなどに関しては、不器用すぎて何もできずに困ってしまうタイプだ。こうして気づいて尋ねてくるなんて、とてもではないが、「らしく」ない。

 

 菜々がそのせいで黙りこくっていると、その沈黙に耐えられなかったようで、颯太はもどかしそうに顔をしかめながら、言葉を必死に紡ぐ。

 

「もしかして、その、前に言っていた……菜々の魔法の適性のこと、かな、って」

 

「……まだ覚えてたんだ。暇な脳みそね」

 

 颯太が突いてきた図星に、憎まれ口を返す。口ではこう言っているが、彼の記憶力は半端ではない。ましてやあんな八つ当たりでぶつけられたコンプレックスは、鮮明に覚えているだろう。どうせ自分が解決できる問題でもないのに、そのことで長々とウジウジ悩みそうでもある。どこまでも不器用な幼馴染だ。

 

「その、な、菜々。俺は……お前は、立派な魔法師だと思ってる」

 

 口ごもりながら、言葉選びに迷いながら、詰まりながら、それでも菜々から決して目をそらさずに、颯太はなんとか言葉を絞り出す。

 

「どこがよ。魔法って言うのは、事象の『改変』でしょ? だったら、その『改変』を拒否する状態固定なんて、定義の外側の話じゃない」

 

 菜々は余計に苛立つ。自分で言っていて、余計にコンプレックスが刺激される。こうして口に出してみると、なんとも無様なモノか。魔法師失格としか言いようがない。

 

 いつもの颯太なら、ここで黙ってしまう。必ず相手の言うことに一理あると思ってしまう騙されやすいタイプで、逆に自分には自信が無い。強く反論されると、つい黙ってしまう。菜々はそれを知っているので、それを利用してさっさとこの腹の底がムカムカする話題を終わらせようとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは違う!」

 

 

 

 

 

 

 だというのに、今日に限って、颯太は大声で、それを否定した。

 

「状態固定だって、立派な魔法だ! 魔法式を使ってるんだ! 魔法に決まっている!」

 

 幼馴染の激変にポカンとする菜々に、颯太はなおも、言葉を紡ぐ。

 

「この世は変化しないのが普通なんじゃないんだ! 変化していくのが普通なんだよ! 状態固定は、その『普通』を捻じ曲げる、立派な『改変』だ! 菜々はどんな魔法師よりも、魔法師らしいんだ!」

 

 二人の身長差は大きい。大柄な颯太は菜々の両肩を掴み、膝を曲げて目線を合わせながら、なおも続ける。

 

「魔法師の歴史を振り返って見ろ。確かに、最初は俗にいう『念動力』の再現の移動魔法だ。だけどその次に研究されたのは、核兵器を止めるための魔法、核融合を停止させる魔法だ! 魔法師は、何よりも核兵器の使用を止めることが最大のミッションなのは、魔法協会が言っていることだろ。菜々の状態固定は、誰よりも『魔法師らしい』んだよ!」

 

 颯太はそこまで一気に言い切って、息切れしながら菜々の顔を見つめる。菜々もまた、しばらく顔を見つめ返した。

 

 その妙な沈黙を破ったのは――真夏の不快な、生暖かい風だった。

 

「ぷ、くく、あはははは!!!」

 

 そしてそれと同時に、菜々は腹を抱えて、目の端に涙を浮かべながら笑いだす。

 

「あっはっはっは! 何アンタの顔、バッカみたい!」

 

 至近距離で見つめた颯太の顔は、どこまでも滑稽だった。精悍な顔つきは、迷いと不安ともどかしさで歪んでぐちゃぐちゃになっている。その表れか、唇と瞼は震えていた。出来の悪いからくり人形みたいだ。

 

 菜々から言われて、颯太は恥ずかしそうに顔をそらす。その反応が可笑しくて、菜々はさらに笑った。

 

 そうしてひとしきり笑った後、菜々は目をそらす幼馴染の眼前に回り込んで、その瞳を覗き込みながら聞く。

 

「ねえ、それって、どっちの入れ知恵?」

 

「むぐっ」

 

 その問いかけに、颯太は詰まった。

 

「不器用で馬鹿正直なアンタが、そんな気の利いた言葉を思いつくわけないじゃない。さっき一条センパイに連れ出されたときに言われたの? それとも言葉遊びが上手そうな井瀬センパイ?」

 

 その問いかけに、颯太はまた恥ずかしさと気まずさで目をそらしながら答えた。

 

「…………ど、どっちも……」

 

「なにそれ、どういうことよ? ナナちゃんに全部話してごらんなさいよ、ぷぷっ」

 

 ぴょこんとステップを踏んで、また颯太の眼前に回り込む。追い詰められた颯太の顔はさらに滑稽に歪んでいて、菜々はそれを見てまた噴き出してしまった。

 

「そ、その……菜々には悪いんだけど…………さっき、一条先輩に呼び出されたとき、競技のアドバイスのついでに、お前の様子がおかしいけど何か覚えがあるかって聞かれたんだ」

 

「ふーん、話したんだあ。へえええええええ、ふううううううん?」

 

「わ、悪かったって! でも、その、俺も心配だったからつい……そ、それで、話したんだけど……そういうことなら井瀬先輩の方がよく知ってるからって、一条先輩が携帯でこっそり……」

 

「で、さっきのが井瀬センパイからの返事ってこと? あのヒトがこんな気の利いた慰め、思いつくわけないんじゃない?」

 

「一条先輩に返ってきた井瀬先輩の返事は、『変化し続けるはずなのを固定するほうがよっぽどファンタジーの世界だろ』だけだったらしい。それを基に……その……一条先輩が、さっきのを、俺に教えてくれて……」

 

 颯太の言葉は、だんだんと尻すぼみになっていく。この幼馴染が今何を思っているのか、菜々は手に取るように分かった。

 

「へえええええ、じゃあアンタは、他人からの借り物の言葉でこのナナを励まそうとしたってことねえ」

 

「ご、ごめん……」

 

 完全に菜々の予想通りだ。あの気の利いた言葉は入れ知恵、颯太はそれにももどかしさを感じていたから、あんな滑稽な表情だったのだ。多分、将輝あたりが「お前から言った方がよく聞くだろ」とかなんとか言われて、ホイホイと従ったのだろう。相手のことをまず無条件で信じてしまうタイプだから、堂々と言われたら「なるほどそうなのか」と思ってしまうのである。

 

「で、でも! これは俺が、今までずっと、菜々に思っていたことと同じだ! 確かに、言葉は、その、先輩からの借り物だけど……これは間違いなく、俺の気持ちなんだ!」

 

「はいはい、わかった、わかったわよ。アンタは声がデカいのよ、響いて仕方ないわ」

 

 颯太の大声に、菜々は耳を塞ぐポーズをしながら歩き出す。

 

「ほら、そろそろ次の競技が始まるわよ、ぼさっとしてないでさっさと行く!」

 

「お、おう……」

 

 菜々は颯太を置いて早足で歩き始めたというのに、颯太はその大きな歩幅であっという間に隣に追いついてくる。そしてチラチラと、気遣うように菜々の顔をうかがっていた。そして笑みを浮かべている菜々に、ほっと胸をなでおろしている。

 

(バレてないと思ってんの、こいつ)

 

 相変わらずの不器用さに呆れるしかない。なんというか、将来詐欺のカモにされそうだ。

 

 そんな不器用な幼馴染の言葉が、菜々の頭の中で蘇ってくる。

 

(ホント……響いてしょうがないわね)

 

 菜々は、やけに高鳴る自分の胸にそっと手を当てながら、ふっ、と小さく息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 颯太と菜々の最終戦。対戦相手の四高代表は中々の実力者で、ここまで全勝している。

 

 今行われている試合では、颯太の破壊力では勝てないと判断したのか、『斬り裂君』を退ける最低限の『情報強化』を自陣の一本にだけ施して、あとは二人がかりで菜々が守る氷柱を攻め落とす作戦に出ていた。『斬り裂君』は一度にすべての氷柱を壊すことができるが、一方でビームで放つしかない『ヘビィ・メタル・バースト』はその直線上しか一度に倒せないから数発放つ必要があるし、しかも超高難度魔法であるがゆえに発動に時間がかかる。それによって生まれるほんのわずかな時間に賭けて、二人がかりで速攻をかけようとしているのだ。

 

「見違えるようじゃねーか」

 

「あれが魔法師じゃないなんて誰が言えるだろうな」

 

 しかしながら相手の奮戦は、空しくも失敗していた。

 

 熱で溶かす魔法は、温度や圧力に関わらず固体・気体・液体という相(フェーズ)を今あるものに固定する『フェーズ固定』によって効果を成さない。

 

 氷柱同士を高速でぶつけて一気に破壊する魔法は、氷柱の位置座標を固定する『停止』によって退けられる。

 

 強い加重をかけて破壊しようとしても、『情報強化』に跳ねのけられる。

 

 去年雫が使って見せた『共振破壊』を試みるが、外部からの振動を無視して振動数を保つ『ウェーブ・カット』がそれを許さない。

 

 数多の方法によって氷柱の破壊が試みられるが、菜々の状態固定魔法がそれを許さなかった。

 

 観戦している文也と将輝は、もはやそれを見て笑うしかない。

 

 菜々は、練習の間もずっとコンスタントにコンディションを保っていた。日に日に何か悩んだ様子が増えていき、それが最高潮になっていた今日も、特に調子に乱れはない。メンタルがコンディションに影響しにくいタイプの様だ。

 

 しかしながら、本質はドライに見えて、プラス方向には影響されやすいらしい。いつもの媚びたものではない、本気で楽しそうな笑みを浮かべる菜々の魔法は、これまでのどれよりも強い効果を発揮していた。

 

 その数秒後、万策尽きて絶望の顔を浮かべる四高の二人の顔を、電気プラズマの光が照らし出す。その光の発生源であるビームは、二高側の最後の三本を一気に破壊した。

 

「やったやった優勝よ颯太! ほらあんたも喜びなさい! はい、観客に手を振る!」

 

「お、おう……」

 

 勝利が決まると同時、菜々は喜色満面の笑みを浮かべて颯太の首に飛びついて抱き着き、ぴょんぴょんと跳ねながら颯太にパフォーマンスを促す。一方の颯太は、跳ね回って揺れる菜々の胸がしばしば体に当たって気になるようで、大勢の観客の前で抱き着かれているという事実も相まって、顔が真っ赤でぎこちない。

 

(変化していくのが普通、か)

 

 将輝はそんな二人を見上げて眺めながら、颯太に吹き込んだ自分の言葉を、内心で呟く。あの二人は、今日を境にして、より距離が縮まっているように見えた。幼馴染と言う関係。その関係が、ほんの少し、変わっているように見えた。

 

 将輝は相応に「色恋沙汰」を経験している。お互いに若さに任せた遊びみたいなものではあるが、そうした経験は、他者の男女関係を見定める目をいつのまにか肥えさせていた。あまりにもどうでもよい自分の成長に泣きたくなったのは余談だ。

 

 そんな将輝から見ると、今日を境に、あの二人はまたこれまでとは少し変わった関係になるのだろうと思う。変化していくのが普通。これまで『状態固定』されていたあの二人は、また変化していくのだ。はたしてどちらが『状態固定』していたのかと言うと、まあ、どちらもなのだろう。

 

 そうした他人の関係にお節介なことを考えていると、ふと、優勝したことで満足げに頷いている小さな親友が視界に移る。瞬間に、この親友の「関係」もまた、将輝は無意識に考えてしまった。

 

 文也とあずさ。当初出会ったころから文也の話題にしょっちゅう上がっていた。話を聞く限り、筋金入りの幼馴染である。

 

 そんな二人の関係は――これもまた、幼いころから、変わっていないように見える。

 

 あーちゃんとふみくん。そう呼ぶのにふさわしい、幼い心が溶け合い混ざり合った関係から、お互いに全く変化していない。この一年だけでも色々と二人の心境や環境に変化はあったのだが、ことこの二人の間の関係となると、幼い思い出が今も続いているようにしか見えない。二人とも、幼年期の優しくて淡い思い出の中で過ごしてるように見える。

 

 別に悪いことではないのだが。

 

 変化していくのが普通――その言葉に当てはめるとすれば。

 

 

 

 

 

 ――はたしてどちらが、『状態固定』をしているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん、相変わらずしんどい展開だね」

 

「三高はやはり手ごわいですね」

 

「六十里君と真壁さんだっけ? あれはちょっとやりすぎだよねえ」

 

 8月10日の夜、毎夜恒例の作戦会議。達也と五十里は、決して明るい表情を浮かべられなかった。

 

 新人戦でも、一高はガンガンポイントを稼いでいる。

 

 まず、『デュエル・オブ・ナイツ』では、水波が圧巻の盾捌きと障壁魔法で、他者を寄せ付けずに優勝した。剣の素人である魔法師がこの競技で面積と重さがある盾を主軸として戦うのは珍しいことではなかったが、ここまでの巧者は本戦にもいないだろう。伊達に練習の間エリカ相手に善戦し続けたわけではない。

 

 それと『アイス・ピラーズ・ブレイク』の女子ペアも流石だった。七草家出身の泉美の魔法力は圧巻で、攻守にわたってほぼ一人で圧倒していた。置物気味だった相方が少し可哀想である。こちらも、予定通り優勝して見せた。

 

 また達也が担当した『アイス・ピラーズ・ブレイク』の男子ペアも二位を獲得するという大健闘だった。下馬評ではそこまで期待されていなかったのだが、達也の調整と作戦が彼らの実力を押し上げたのである。『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペアも、香澄のせいで実力は出し切れなかったが三位にしがみついた。

 

 また、これは逆に幸運なのだが、そこまで期待されていなかった『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペアが二位となった。予選突破すら怪しく、実際予選もギリギリの勝ち残りで、体力も消耗していた。しかしながら決勝リーグの対戦相手だった四高の代表は、さらに絶好調になった颯太・菜々ペアと戦った直後ですっかり心が折れてしまって実力が全く出せず、目も当てられない調子だった。そこで幸運にも勝利を拾い、二位になったのである。これは気持ちでの勝利と言えよう。

 

 ここまでで110点。十分な成果だ。

 

 しかしながら、一高としては喜び一色と言うわけにはいかない。頭一つ抜けた状態で新人戦を迎えた三高もまた、順調にポイントを積み重ねているからだ。

 

 まず『デュエル・オブ・ナイツ』では、あの『オーガ』、そして文雄にも間違いなく鍛えられたと予想できる三高の選手層は厚く、男子は優勝、女子も三位に残った。

 

 また文也が担当した『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペアと男女ペアは、それぞれ優勝と二位入賞を果たしている。

 

 そして圧巻なのが『アイス・ピラーズ・ブレイク』だ。男女ペアの颯太と菜々が優勝するのはもはや仕方ないとして、男子ペアも優勝し、女子ペアも泉美たちには負けたものの二位入賞している。三部門あって、優勝が二部門・準優勝が一部門。少しばかり強すぎる。

 

 これらを合計すると、実に165点。新人戦だけなら、今のところ一高の1.5倍稼いでいるのだ。

 

 こうなると、点数勘定はいよいよ厳しくなる。本戦では本命競技が残っていてそこで十分大逆転できる目はあるのだが、どこで想定外があるかは分からない。

 

「これは、最後の『トライウィザード・バイアスロン』に助けられることもありえるかもね」

 

 五十里はデータを眺めながら、そうポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在ポイント

・一高 

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロ優勝 50

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ準優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア準優勝 40

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア準優勝 40

『デュエル・オブ・ナイツ』男子優勝~三位 100

『デュエル・オブ・ナイツ』女子準優勝 30

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア優勝 60

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア準優勝 40

勝ち上がり

『ミラージ・バット』ほのか、スバル

 

新人戦

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア三位 15

『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペア優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア準優勝 20

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア準優勝 20

『デュエル・オブ・ナイツ』女子優勝 25

 

合計500

 

・三高

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ソロ優勝 50

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ優勝 50

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア優勝 60

『デュエル・オブ・ナイツ』女子優勝 50

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア準優勝 40

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア優勝 60

勝ち上がり なし

 

新人戦

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア優勝 30

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア準優勝 20

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペア準優勝 20

『デュエル・オブ・ナイツ』男子優勝 25

『デュエル・オブ・ナイツ』女子三位 10

 

合計595

 

 




この一年生オリキャラの二人、番外編のサブキャラに留めておくにはもったいないですね…


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6-11

 8月11日。この日もまた、新人戦が行われる。

 

『ミラージ・バット』では、大方の予想を裏切り、そして達也たちや文也たちの予想通り、四高の亜夜子が優勝して見せた。文雄曰く「本戦でも優勝確実だよ、あんだけできりゃあな」とのことだ。実際に殺し合った彼は、彼女の恐ろしさがわかるのである。ちなみに三高はポイント圏内に誰も残らなかったが、一高はなんと二位三位を確保して見せた。達也が担当した成果である。

 

『モノリス・コード』の予選は、文雄によると、当初は今年から総当たり戦に変更する案もあったそうだが試合数が膨れ上がるのが懸念され、去年と同じく三つの予選リーグに分かれて各優勝校で決勝リーグを行うことになった。幸か不幸か、一高・三高・四高のトップスリーは予選リーグでばらけ、そして今日途中まで行われた予選を見る限りでは順当にこの三つが残りそうだ。

 

 そして8月12日。新人戦の最終日。この日は『モノリス・コード』の残りの予選と決勝リーグが一気に行われる。

 

「やべえよやべえよ……」

 

 その決勝リーグでは、文雄が「もしかして俺って天才なんじゃないか?」と思ってしまうような展開となっていた。

 

 一高・三高・四高が残った。そしてその試合は、拮抗している「ように見える」。

 

 しかしながら、それは幻影。真相を知る達也と深雪と水波、それに文也たちは、改めてその強さを実感した。

 

 四高の代表の一人、黒羽文弥。この年齢ですでに四葉の殺し屋の中でもかなりの本格派であり、当然高校一年生レベルはほとんど相手にならない。そしてその実力は、圧勝と言う形で示されなかった。

 

「なあ、二十八家の七宝と百家本流の千川、もしかしてあれ、苗字が同じだけか?」

 

「これがまた本物なんだなあ」

 

 文也と文雄の間で、バカな会話が交わされる。

 

 文弥は、結局試合を通して全力を出すことが一度もなかった。その代わりに「目立ちすぎないように接戦になるように手加減したうえでギリギリの勝利を演出した」のである。タイマンならばまだしも、仲間と言う不確定要素があってこれは、ゲームメイク能力が尋常ではない。しかも相手は生半可な雑魚ではなく、五十里のサポートを受けた七宝と千川を擁する一高チームと、武闘派の校風を求めて集まるこれまた武闘派な新入生たちの中でも選りすぐった三人に文也と真紅郎のサポートをつけて挑む三高チームだ。こんなあまりにも上手すぎる手加減、文也ですらできそうにない。

 

 この文弥と亜弥子、さらに当主の貢と大量の部下たち。それらを相手に生き残った文雄は、自らの天才性を改めて実感した。そうプラスに考えていかないと、「やっぱ死にかけてたんだなあ」という恐怖に支配されそうだからだ。

 

 結局、『モノリス・コード』は、四高・一高・三高で優勝・準優勝・三位の結果になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8月13日。今日からまた本戦が始まる。すでにトップは一高と三高デッドヒートで、それを四高がなんとか追いかけるという形だ。まあ去年と同じなのだが、この三校がほぼポイントを独占するおかげで、それ以外の六校の点数は悲惨な状況だ。白けてしまわないか心配である。

 

 この日に行われるのは、『ミラージ・バット』の決勝と『モノリス・コード』の予選リーグ全て。三高は『ミラージ・バット』の勝ち上がりはいないため、この日は『モノリス・コード』に集中できる。

 

 三高の『モノリス・コード』代表は、層が大変厚い。

 

 まず、中心となるのは後條。大柄で寡黙で筋肉質な三年生だ。部活連の二番手であり、駿と同じコンバット・シューティング部の部長を務める。コンバット・シューティングでは駿にほんの少しの差で劣るが、それ以外の魔法競技ではおよそ負けることはない。成績は、実技は綾野に次ぐ二位、理論は三位である本格派の実力者だ。綾野と同じく去年は克人相手に悔しい思いをしているので、リベンジとはいかずともここで結果を残すつもりだ。また彼は、当然周囲には隠してるが、「五条」の数字落ち(エクストラ)である。かつて、「一」から「九」の研究所にそれぞれ公家や摂関家をルーツとする一条から九条までがいたのだが、その中で最終的に残ったのは一条だけだった。「五条」の場合は、流体制御にこれといった特別な適性がないのが原因だった。

 

 そして脇を固める二人が、どちらも三年男子のトップ20位に入る実力者だ。田辺は空気を使った攻撃のスペシャリストで実に『モノリス・コード』向きの適性があり、笹井は土屋に次ぐ地面や土を利用した魔法の巧者である。

 

 それらの三人をサポートするのが、メインは文也でサブは真紅郎。点数調整が入ってもなおポイントが大きい『モノリス・コード』は、必ず優勝したい種目だ。

 

 ――この日は、最終的に一高も三高決勝進出を決め、また『ミラージ・バット』では一高のほのかと里美がワンツーフィニッシュを決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8月14日。『トライウィザード・バイアスロン』以外の競技は、この日で全て終了となる。行われるのは、『モノリス・コード』決勝と、『アイス・ピラーズ・ブレイク』の女子ペアと女子ソロだ。

 

「死にたくなってくるな」

 

 達也は独立魔装大隊の風間から招待を受け、ちょっとしたお茶会に参加していた。話題は主に、風間たちの愚痴である。

 

『アイス・ピラーズ・ブレイク』の製氷作業はとにかく大変で、競技が行われる日は、スタッフと協力者である国防軍が総出で作業に取り掛かる。去年と違って新人戦を挟んで本戦が離れているのは、その負担日を分散させるためだ。今年はその大変な担当の一部が、独立魔装大隊なのだ。

 

 独立魔装大隊は最新魔法兵器を実験する部隊であり、その機密度は他部隊よりも何段階も高い。基本「裏」に従事する部隊でもあり、本来ならばちょっとしたお手伝いぐらいでしかこのイベントに参加することはない。

 

 しかしながら、独立魔装大隊は、達也をめぐる四葉との交渉のせいで大きくその名を下げた。『大黒竜也特尉』の重要性は確かだが、そのせいで結局国防軍の信用はがた落ち。そのくせ四葉関連は表ざたに出来ないため、世間の悪評は独立魔装大隊にはあまり向かない。そのせいで、とんでもなく肩身が狭いのである。

 

 そうした経緯で、元々爪弾きモノの部隊と言うこともあって、最も大変な『アイス・ピラーズ・ブレイク』の製氷担当にさせられてしまった。今年は去年より総試合数が抑えられているものの、相変わらず大変な作業だ。特に、秒殺で終わらせる将輝と花音が重なった男女ペアの日は地獄としか言いようがなかった。さらに追い打ちとばかりに、新人戦では颯太と泉美が秒殺を連発してくれた。

 

 こうした流れで、風間の先ほどの愚痴に繋がる。

 

「今日は妹がお世話になります」

 

「さては分かってて言っているね?」

 

 達也の言葉に、風間は笑みで返す。しかしながらその手はこれから待ち受ける忙しさへの恐怖で震えているし、目は笑っていない。

 

 今日行われる女子ペアには、司波深雪が出る。秒殺連発は間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪が大暴れした『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペアの決勝が終わり、次は女子ソロの決勝。こちらは勝ち上がった相手の試合を見る限り、三高の代表である栞に勝てそうな選手はいない。そんな楽勝ムードが漂っていたし、事実楽勝だった。栞としては去年の深雪へのリベンジをしたかったところなのだが、そこは三高の勝利のためにぐっとこらえた。

 

「相手に特別強いのはいない。後條と言うあの大柄な選手にだけ気を付ければ問題ないだろう」

 

 深雪がさっさと試合を終わらせてくれたので、『モノリス・コード』代表である幹比古CADを調整しながら、五十里と再三話し合った作戦を、改めて幹比古に説明する。

 

「一条も井瀬も森崎も吉祥寺も、他競技に行ってくれたおかげで、ここはかなり楽ができるな」

 

 これは、選手が発表されてからずっと言い続けていた、達也の主張だ。前半は苦しいだろうが、後半に巻き返せる。特に『モノリス・コード』でこの四人がいないというのは、達也の安心の種となっている。ただしこの四人のうち三人には優勝を予定していた一高生が潰されたので、結果としては『モノリス・コード』に固まってくれてた方がプラスだったのだが。

 

「……ねえ達也。確かに四人ともかなり厄介だけど、そこまでなのかな?」

 

 そんな達也に対して、CADを受けとりながら、幹比古は疑問を呈する。

 

 確かに、四人ともかなりの実力者だ。特に将輝と文也はかなりの難敵となるだろう。将輝は一人でこちら三人を潰しかねないし、文也は一人で数の暴力を実現するという訳の分からないことをやってくる。真紅郎は去年戦ってその実力が分かっているし、駿もテストの成績は抜群だった。

 

 しかしながら、幹比古は、だからといってこんな事あるごとに言うほどのものではないとも思っている。将輝はこちらの術中にハメれば勝てるし、ハマりやすいタイプでもある。文也も干渉力はそこまでなので、万能で干渉力もあるエース・範蔵で対処可能だ。真紅郎も駿も、実力者ではあるが、自分や沢木を上回れるとは思えない。

 

「…………そうか、そういえばそうだったな」

 

 幹比古の言葉に、達也は、珍しいことにしばらく目を丸くすると、顔をしかめて幹比古からそらす。何かマズい地雷を踏んだだろうか。幹比古は思わず慌ててしまった。今の達也の反応は、明らかに「言ってはいけないことを口走ってしまった」というものだ。

 

 慌てだした幹比古を適当にとりなして送り出すと、達也はつい安心してため息を吐く。

 

(俺もまたあの夜から抜け出せていなかったようだ)

 

 考えてみれば、大多数の人間が、あの四人の「本気」を見たことがない。横浜で見た者もいただろうが、あの程度での見積もりでは甘い。

 

 あの真冬の夜。達也と深雪と相対した五人の実力は、すさまじいものだった。体力や運動能力の問題はあるが、こと魔法の使い方や腕に関しては、一人一人が超一流の戦闘魔法師レベルであると言っても過言ではなかった。そしてそれを体験した者は、一高には達也と深雪しかいない。他はみんな、横浜の戦いかテスト、または授業中の実技のイメージ止まりなのだ。冬以降、USNAの襲撃に備えてそれぞれが相当鍛えていたみたいで、「実戦」の実力は、今の力を取り戻して絶好調の幹比古や、一高男子最大の実力者である範蔵、この二人と渡り合えるかそれ以上と達也は考えている。あの苦い敗北の思い出が、達也から冷静さを知らず知らずのうちに奪っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『モノリス・コード』の最終戦。今年は各競技の決勝でしょっちゅう顔合わせした組み合わせ、三高対一高だ。ステージは岩場である。

 

「くそっ、結局対策がわからねえ!」

 

「落ち着くんだ、田辺」

 

 このステージが選ばれた瞬間から、三高の苦戦は確定していた。

 

 幹比古の古式魔法によって、自然にできた水たまりを空気中に漂わせて濃霧とされた。この濃霧は仲間には薄く、敵には濃くまとわりつく。視界不良と不快感は判断力を大きく鈍らせ、またそこら中に精霊がいるという状況なので、全てに幹比古の『眼』がある。

 

 文也から注意しておけと言われていた作戦だ。いくつかの対策も用意してくれたが、本人が「気休めにしかならない」と自信なさげだった通り、気休めにもならなかった。文也は去年幹比古のCADをいじり、また各ステージごとの作戦会議も行ったため、この手段の存在を知っていた。しかしながら実際に見たわけではなく、具体的な像は掴めなかった。これほどとは、文也からしても、想像以上としか言いようがない。

 

 ディフェンス担当の田辺は、モノリスの傍に立って、視覚強化魔法を使いつつあたりを見回す。霧の視界不良と用意していた対策のことごとくが失敗する状況は、彼をパニックに陥らせていた。

 

 一方、いきなりの霧のせいで迷子が不安視されるため、攻撃担当だった後條もディフェンスに回っている。これほどの広範囲かつ強力な魔法となると、幹比古の消耗は確実に激しい。持久戦でスタミナ切れを狙うつもりだった。

 

 笹井は地面の振動を感じ取る索敵をするために、自陣からやや離れている。この霧では、こうした索敵に頼るしかない。しかしながら、彼らは接近する存在に気づかない。気づけない。なぜなら、その敵は、地面に伝わる振動と音を魔法で消しながら接近してきているのだから。

 

 その敵の姿は、いきなり田辺の前に現れた。明らかに仲間のものではないサイズ感の人影が見える。

 

「いつの間に!?」

 

 しかも、それは田辺のすぐそばだった。濃霧のせいで範蔵・幹比古・沢木の誰かは判別ができないが、間違いなく敵である。

 

 パニックに加えて、さらに至近距離にいきなり敵が現れた。田沼は半狂乱になりながら、半ば反射で魔法を行使する。

 

 その魔法の名前は『空気砲』。空気を小さく固めて弾丸を作る『エア・ブリット』ではなくその上位互換、拳から顔面ぐらいの大きさの空気の塊を作って放つ、田辺の最も得意とする魔法だ。

 

 そしてパニック中で放たれたその魔法の威力は――『モノリス・コード』に設定された威力制限、殺傷ランクCを超え、Bの領域に達していた。

 

 食らえば間違いなく重傷、死ぬ確率も無視できないほどにある。

 

 そんな空気の塊は、高速で放たれ――霧を振り払いながら、人影を「貫通」した。

 

「がああっ!!!!」

 

「後條!?」

 

 瞬間、仲間の悲鳴が、人影の向こうから聞こえる。何があったのか走り寄ってみると、後條が背後にあった大きな岩に寄りかかって、へたり込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――直後、競技者全員のヘルメットにつけられたインカムに、ブザーが鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――試合中止の合図だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「吉田の野郎、思ってたよりはるかに性格悪いな、あの爬虫類フェイスめ」

 

 文也は後條に応急処置を施して容体を見ながら、こちらを申し訳なさそうにチラチラ見ている幹比古に聞こえないよう文句をぶつける。

 

 試合中止になる程の大けがを後條が負った。そう判断した審判員が、試合一時停止を決めたのだ。

 

「す、すまん、後條、俺……」

 

「い、いや、大丈夫だ……つつつ」

 

 その原因は、田辺が放った『空気砲』だった。パニック状態で生み出されたこの魔法は、田辺の実力の裏返しでもあるのだが、レギュレーションを超えた威力になってしまっていた。そしてそれは、後條に当たってしまったのだ。濃霧で視界不良の中、意図せぬ仲間からの同士討ち。後條は防御にも受け身にも失敗して直撃してしまい、吹き飛ばされて岩に思いきり激突した。

 

「あれでこれしか怪我しないなんて頑丈だな」

 

 文也は励ましになってない励ましをする。後條の怪我は、強い打撲とむち打ち、それに右腕がぽっきり骨折しただけ。背骨や首の骨が折れてもおかしくない激突だったのだが、これで済んだのは幸いだ。

 

「幹比古、気にするな。全部相手が悪い」

 

 そこから少し離れた場所。一高の選手とエンジニアが一時待機している場所では、幹比古が申し訳なさそうにすっかり肩を落として落ち込んでいる。達也はそれに、冷酷な慰めをした。

 

 あの濃霧の中、幹比古は笹井の探知を見越して、魔法で振動や音を消しつつ接近していた。しかしながら、それは、あくまでも肉眼でモノリスがギリギリ見える程度の距離までだ。

 

 そんな幹比古が行使したのは『影法師』。霧に影を浮かべ、人影の幻影を見せる魔法だ。これを田辺と後條の間に展開し、田辺がパニックで攻撃魔法を放って、後條に同士討ちするのを狙ってのことだった。

 

 そしてそれは予想通りだったが、威力がはるかに想定外だった。幹比古の作戦によって、後條は同士討ちで大怪我を負ってしまった。達也の言う通り、パニックになって同士討ち関係なくレギュレーションを超えた威力の魔法を使う方が悪いのだが、若干ひねくれているが根が優しい幹比古は、どうしても責任を感じてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――医師の診断の結果、後條は競技続行不可能。

 

 ――代理選手を立てることも認められなかったため、三高は棄権。

 

 ――後味の悪い幕切れをした『モノリス・コード』は、一高が優勝、三高が準優勝と言う結果となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。一高の会議室には、一年生を除く代表選手・エンジニア・作戦スタッフのほぼ全員が集まっていた。

 

「まずはここまで、みんなお疲れ様。途中苦しい場面もあったけど、おかげで余裕をもってこの時間を迎えられるよ」

 

 生徒会長として、作戦スタッフのリーダーとして、五十里は全員の前に立って頭を下げる。責任と激務と緊張が続いたせいで、五十里の表情には疲れが見えていた。それでもその顔に浮かぶ笑顔は、いくらか朗らかだ。

 

「さて、本題に入る前に、これまでの点数状況を振り返ろう」

 

 五十里がそう言うと同時に、達也がコンピュータを操作して大画面に表を映し出す。

 

 

・一高 

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロ優勝 50

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ準優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア準優勝 40

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア準優勝 40

『デュエル・オブ・ナイツ』男子優勝~三位 100

『デュエル・オブ・ナイツ』女子準優勝 30

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア優勝 60

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア準優勝 40

『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペア優勝 60

『ミラージ・バット』優勝・準優勝 80

『モノリス・コード』優勝 80

 

 

新人戦

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア三位 15

『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペア優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア準優勝 20

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア準優勝 20

『ミラージ・バット』準優勝・三位 25

『デュエル・オブ・ナイツ』女子優勝 25

『モノリス・コード』準優勝 30

 

 

合計775

 

・三高

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ソロ優勝 50

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ優勝 50

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア優勝 60

『デュエル・オブ・ナイツ』女子優勝 50

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア準優勝 40

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ソロ優勝 50

『モノリス・コード』準優勝 60

 

 

新人戦

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア優勝 30

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア準優勝 20

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペア準優勝 20

『デュエル・オブ・ナイツ』男子優勝 25

『デュエル・オブ・ナイツ』女子三位 10

『モノリス・コード』三位 20

 

合計725

 

「おお!」と生徒たちの間に歓声が起こる。

 

 そう、新人戦の後半と本戦の終わり際二日間で、ついに一高が大逆転を果たしたのだ。新人戦では文弥や亜夜子に優勝を奪われながらも『モノリス・コード』と『ミラージ・バット』でベストを尽くし、本戦でも『ミラージ・バット』のワンツーフィニッシュ、『モノリス・コード』と『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペアで優勝と言ったことが重なり、こうして最終日一日前を迎えることができたのだ。

 

「現在の状況は、我が一高が総合一位、三高が二位となっています」

 

「ということは……」

 

 幹比古の呟きは、五十里の次を促す形となった。

 

「はい。明日、一高対三高で、『トライウィザード・バイアスロン』が行われます」

 

 五十里のその言葉に、緊張が走る。引き締まった空気に満足した五十里は、笑顔に少し緊張感を帯びさせながら、続きを話していく。

 

「『トライウィザード・バイアスロン』は、勝った方に50ポイント入るルールとなっています。現在二位の三高との点差は50ポイント。リードして迎えたことで、男子・女子のうちどちらかで勝てば総合優勝となります」

 

 五十里が言い終えると同時、達也はまたコンピュータを操作して大型モニターに別の資料を映し出す。それは、『トライウィザード・バイアスロン』のルールだ。

 

「この『トライウィザード・バイアスロン』は特殊な競技で、選手の事前登録は無し、発表は当日の朝、連れてこれる68人の生徒から男女各三人ずつ代表として選出、他競技との掛け持ちが可能となっています」

 

 五十里は改めて、今回の議題のために必要なルールを説明したあとに、ルールの資料を机に置くと、全員に向かって呼びかける。

 

「今回皆さんに集まっていただいたのは、明日行われるこの競技の代表の最終決定をするためです」

 

「分かってはいたけど、相変わらずバラエティ番組みたいなルールだな……」

 

 生徒の中の一人、ゲーム研究部の部長の呟きには、全員が共感することだった。

 

「まず、こちらの代表選出に入る前に、対戦相手の三高がどのような選手・作戦でくるかを検討したいと思います」

 

 五十里の話を引き継いだのは達也、ついで大型スクリーンに映し出されるのは、事前に公開された三高の68人全員の名前だ。生徒各自が持っている端末にも同じ画面が現れる。気になる名前を選択したら、その選手の細かなデータが閲覧可能と言う仕組みである。こうしたデータを基に分析していく、という面においては、五十里よりも達也の方が求心力が高いのである。

 

「一応事前に確認してあったことですが、競技の特性や本人の実力を鑑みると、ある程度絞り込みが可能です。それが、こちらです」

 

 スクリーンに映し出されるのは、三高選手の中でも、事前にピックアップしてあった有力選手たちだ。

 

女子

・鬼瓦桜花

・一色愛梨

・十七夜栞

・五十川沙耶

・四十九院沓子

・百谷祈

・土屋優香

・七草香澄

 

 まず映し出されるのは、女子の有力候補。

 

「これは出場可能性が高い順に並べてあります。一人一人をチェックしていきましょう」

 

 そう言って達也は、それぞれの簡単なプロフィールとピックアップ理由を説明していく。

 

 鬼瓦桜花。魔法力は低いが、素の運動能力が高く、山林にも慣れているとみられる最有力候補。

 

 一色愛梨。魔法力が三高女子では特に高く、『稲妻(エクレール)』などレースに向いた魔法が得意。

 

 十七夜栞。魔法力が高く総合力に優れる。

 

 五十川沙耶。移動・加速系魔法の名門五十川家。やはり彼女もそれらが得意で、レース向きの特性。

 

 四十九院沓子。「水の申し子」。水上コースでの活躍を期待して選出される可能性がある。古式魔法師のため、森林コースでの奇襲・乱戦も危険。

 

 百谷祈。射撃魔法が得意で、水上コースと平原コースの妨害で猛威を振るう。

 

 土屋優香。地面に干渉する魔法が得意で、こちらの最有力である千代田花音対策として選ばれる可能性がある。

 

 七草香澄。一年生にして魔法力は天下一品で、総合力に優れる。

 

「これもう上の二人は確定なんじゃない?」

 

 議論の口火を切ったのはエリカだ。そして彼女の言うことに、ほぼ全員が同意した。桜花と愛梨は明らかにレース向きの魔法師だ。遠距離攻撃の妨害手段に乏しいが、とにかく速度を出すことに長けているし、運動能力も高い。選出されるのはほぼ間違いないだろう。

 

「そうなるとあと一人は……まあやっぱ、上から順に、十七夜選手か五十川選手、一歩遅れて四十九院選手だろうなあ」

 

 次いで発言したのは、こめかみをもみながら色々考えているらしい桐原だ。これにもやはり、全員が同意している。そして、それ以上の発言は誰からも出なかった。達也と五十里を中心としてピックアップされたこのメンバーは、一切の漏れなく妥当だからだ。

 

「では続いて、こちらの女子選手を決めようと思います。まず、女子選手の皆さんで、出たいという方はいらっしゃいますか? 他薦の場合は、相手の名前を言いながら挙手してください」

 

 これにすぐに手を上げたのは、深雪、花音、雫、エリカだ。次いで、「光井さんはどうですか」と滝川から名前が挙がる。

 

「ふえっ、わ、私ですか!?」

 

 これにはまずほのかが驚いたが、この他薦は彼女以外全員が納得していることだし、また半分は滝川がサクラであることを知っている。ほのかの成績は、一年生で深雪に次ぐ二位であり、雫よりも実は高い。選手候補にすら上がらないのはもったいないが、本人は控えめなので絶対に自薦はしないため、裏で仕組まれていたのだ。ちなみにこのサクラ作戦を提案したのは達也である。鬼の所業だ。

 

「くーちゃんはでないの?」

 

「これバトルでしょ!? ムリムリムリ! 死んじゃう!」

 

 また英美からボートレース向きの適性がある国東の名前もあがるが、乱暴なことが苦手な彼女は断固拒否した。

 

 こうして候補に挙がった五人は、達也と五十里が想定していた通り。深雪、花音、雫、ほのかは四高女子ではトップの実力者だし、エリカは運動神経に優れ、『モノリス・コード』と違って白兵戦闘も許されるこの競技において桜花を押さえることができる唯一の女子だ。

 

「私は、その……こういう魔法戦闘みたいなのは苦手なので辞退します……」

 

「いやーこの三人に並ばれちゃアタシじゃあ力不足ね。辞退しまーす」

 

 そしてほのかとエリカはすぐに辞退する。ほのかはあの『オーガ』とバトルになりかねないというだけでもお漏らししそうだし、魔法戦闘もそこまで得意な性格ではない。実際すでに涙目だ。またエリカは素の魔法力で劣るため、栞などと戦いになって近距離戦闘を拒否されると何もできなくなる。戦闘魔法師としてすでに超一流の領域にいる三人と比べたら、パワー負けするのだ。

 

「よーし、アタシにまっかせなさーい!」

 

「任された以上、精いっぱい務めさせていただきます」

 

「頑張る」

 

 こうして選ばれた三人は、口々に抱負を述べる。この三人が並んでるだけで、すでに一高には勝利確定ムードが漂うほどだった。

 

(……ここも予想通りだな)

 

 競技適正と実力を鑑みると、正直この三人以外あり得ない。達也も五十里も、この三人がメンバーになるように誘導するつもりだったのだが、思ったより空気が読める集団だったようで、すんなりと決まった。この三人ならば、正面戦闘でも搦手でも、実力とパワーで全部ひねりつぶせる。恐らく国防軍の女性魔法師相手でも、達也が知る範囲ではそうそう負けないだろう。相手が可哀想になってくるレベルだった。

 

「それでは続いて、男子の選出に移ります」

 

 次いで、モニターに表示されるのは、三高男子の有力選手の名前だ。

 

 一条将輝。圧倒的な魔法力を持ち、戦闘慣れもしている。運動神経も抜群で、また水上コース、平原コースに圧倒的な適性を持つ。

 

 井瀬文也。総合力に優れ、『パラレル・キャスト』で乱戦が得意。全ての場面で活躍が見込めるオールラウンダー。とっさの機転も利くが、運動能力に大きく難あり。

 

 後條敦。総合力に優れた戦闘魔法師。データによると、三高三年生男子で二番目の実力者。

 

 森崎駿。魔法行使速度に特化。運動神経も良い。CADを使った魔法は正面からだと無効化される。戦闘慣れしている。

 

 吉祥寺真紅郎。『カーディナル・ジョージ』。戦闘慣れしているが、運動神経にやや難あり。

 

 六十里颯太。一年生にして実力者。『アイス・ピラーズ・ブレイク』で見せた魔法はルール違反だが、電撃魔法は競技ルール内での戦闘魔法として使いやすい。

 

「後條選手は……うん」

 

 その中の一つに、幹比古が反応する。後條は最有力候補の一人だったのだが、先の『モノリス・コード』で重傷を負って絶対安静のはずのため、候補からは外れる。達也から慰められてもなお、幹比古は責任を感じているようだった。

 

 そんな幹比古のイジけたオーラが場の空気を一瞬重くするが、気を利かせた範蔵がすぐに議論に移して空気を戻そうとする。

 

「まず一条選手は確定だろうな。怪我や体調不良、よっぽどの奇策でもない限り、出さない理由がない」

 

 これも全員が賛成することだった。彼の魔法力は圧倒的で、一高の深雪と同じぐらい、出さない理由がないレベルの選手である。

 

「魔法力で言ったら文也がその次だろうなあ。運動神経はある程度鍛えてきてるんじゃ……いや、あいつはそんなことしなさそうだな」

 

「あのガキンチョねえ……うーん、しなさそうね」

 

 次に発言したのはゲーム研究部部長と花音だ。その魔法力は、どちらも去年さんざん見てきてる。片方は仲間として、片方は敵として、だが。

 

「……ねえ達也、一つ質問いい?」

 

「はい、どうぞ」

 

 遠慮がちに手を上げたのは、イジけたオーラを収めた幹比古だ。

 

「その……森崎と吉祥寺が実力者なのは確かなんだけどさ……そこまで警戒するほどの選手ってイメージじゃないと思うんだけど……森崎の魔法無効化だって、よくわからないし」

 

 幹比古は、達也がなぜ駿と真紅郎を強く警戒しているのか、結局よく分かっていない。今日同じことを尋ねたのだが、なんとなく誤魔化されたし、達也も知られたくなさそうだったので追及はしなかったが、ここまでくると、話を聞かないという選択肢は一高への裏切りだ。達也が話したくないなら、それはそれで達也から全員に説明するべきことだった。

 

 幹比古の質問に、達也は明らかに困ったような顔をした。幹比古が質問を要求した時点でわかってはいたが、やはり言い訳に詰まる。あの夜の戦いで実感した達也と深雪は分かるが、他はやはり釈然としていない様子だ。五十里も含め、深雪以外の全員が、達也に何かしらの要求をする雰囲気を出す。特に範蔵は、じっと達也を睨んでいた。

 

「………………はあ、やっぱり、話さなければならないですよね」

 

 達也はしばし悩んだ「フリ」をしたのち、観念したような態度を取る。昼間は言い訳がなかったが、実は今は言い訳は用意してある。言い訳があるなら即話してもいいのだが、それはそれで今までの態度と整合性が取れない。達也らしくない、茶番のような演技だった。

 

「一条、井瀬、森崎、吉祥寺。あの四人の最新の実戦データは、公式上では横浜が最後です。しかしながら……俺は、彼らの最新の戦闘の証言を得ることができました」

 

 達也はこうなった時のためにあらかじめ用意してあった映像を片手で準備しながら、その続きを話す。

 

 

 

 

 

「――パラサイトに憑りつかれたUSNA魔法師との戦闘です」

 

 

 

 

 

 

 瞬間、全員に緊張が走った。

 

 文也たちがUSNAスターズの魔法師に襲撃された事件。それはパラサイトに憑りつかれて本人やUSNAの意志ではないということになっているが、多くの真相が闇の中だった。

 

 文也たちは、あの記者会見やそのあとの発信で、かなり情報をオープンにしているように見える。しかしながら、実は多くの情報が隠されていた。ここにいるメンバーの家族や仲間も、公開されていない深い情報を手に入れようと躍起になっていたのだが、その全てが収穫なし。異常なまでに情報操作がなされていて、何も手出しできなかったのだ。

 

 その幾重もの闇に包まれた事件。半分諦めかけて記憶からも日本魔法師界の黒歴史として忘れられようとしていたのだが、ここにきて、それが蘇った。

 

「この戦闘の参加者は現在ほぼ三高の生徒になっていますが、一人だけ、我々の仲間のままの方がいます。それは……七草真由美先輩です。俺は先輩と接触して、その時の証言をお聞きすることに成功しました」

 

「ええええええええ!!!!??? お姉さまと!!!!??? というかお姉さまが!!!???」

 

 達也の言葉に反応したのは、真由美の妹である七草泉美だった。まず真由美の名前が出たことに驚き、そして嫌っている達也と親愛なるお姉さまがこっそり出会っていた事実に怒り、そして最後にこの件で泉美に対してすら完全に口を閉ざしていた真由美から話を聞き出せたことにまた驚くと言った流れを、一瞬で見せる。今この瞬間、彼女のお淑やかなキャラは死んだも同然だった。

 

「まず吉祥寺に関してですが、横浜のあれでその片鱗をすでに見せていたかと思います。加重系魔法を中心として論理的かつ有効に戦術を組み立て、状況に合わせた魔法の行使ができる魔法師です。USNAの件では、武器を落とさせる『ファンブル』を戦術に組み込んでいたそうです。CADを落とされると、そのまま『不可視の散弾』で押し切られることも想定しなければなりません」

 

 達也は質問を遮断するために、泉美を無視して矢継ぎ早に説明を重ねていく。ここにいるメンバーは鋭いのが多い。とっさに作り上げたこの言い訳の穴を指摘されないとは限らない。それまでにこの話題をさっさと終わらせるのが得策だ。

 

「次いで、森崎に関しては、まずは先日行われた『ロアー・アンド・ガンナー』の映像をご覧ください」

 

 そうして達也は準備していた、駿の決勝二巡目の様子をモニターに流す。そして魔法を行使するたびに、CADの引き金を引いてから的が壊れるまでのタイムが表示される。

 

「…………改めてみると惚れ惚れするわね」

 

 その正確性と速さに、滝川は思わず呟いた。周りから「そりゃあお前は惚れてるからな」という無言のツッコミが相次いでいたのは余談だ。

 

「今ご覧の通り、森崎は簡単な魔法の場合、行使速度は異常な領域に達しています。これは深雪や雫や千代田先輩どころか、去年度にいたリーナ……アンジェリーナ・クドウ・シールズさんを超えるほどです」

 

「確かにそうだな。ん、そうか、そういうことか」

 

 達也の説明を聞いた範蔵が、何かに合点がいった様子になる。その内容の説明を求める空気を察した範蔵は、そのまま思いついたことを口にした。

 

「森崎は、発動兆候を見てから『サイオン粒子塊射出』で無効にできるのか!」

 

「その通りです。七草先輩曰く、森崎は、戦闘時はサイオンの弾丸をいくつか常時準備しておいて、兆候とほぼ同時に射出していたそうです」

 

 今映像で見た魔法行使タイムと、一高男子たちの発動タイム。その差を差し引きすると――駿が『サイオン粒子塊射出』を行った場合、ほぼ全員が、CADでの魔法行使を無効化されるのだ。

 

 その事実に、全員が恐怖した。

 

 魔法。現代魔法師のほとんどは、CADがないとマトモな魔法戦闘ができない。魔法の行使自体はCADなしでもできるが、精度や速度や種類に雲泥の差がある。戦闘や競技においては必須と言えるものだ。

 

 駿は、そのCADを使った魔法を、すべて無効化する。

 

 それはつまり――魔法戦闘で無力にされると同義なのだ。

 

「対策としては、常に『サイオンウォール』を展開してサイオン弾を防ぎながら戦うというのがあります」

 

「簡単に言ってくれるな」

 

 達也の言葉に、その難しさをよくわかっている沢木が茶々を入れる。重くなった空気を配慮してのことだったが、マイナス方向のものだったがゆえにあまり効果は出ない。

 

「そういうわけで、俺はこの二人もまた、特に警戒対象としています」

 

 達也はそう結論をつけた。真由美の名前を持ち出した説明は効果抜群だったようで、深雪以外の全員が納得している。泉美は別の意味で釈然としていなかったが。

 

「では、そうしたことも踏まえて、男子で出たいという方はいらっしゃいますか? 他薦もかまいません」

 

 そんな重い空気だというのに、手を上げたのは四人。範蔵、沢木、桐原、幹比古だ。全員が運動力にも魔法力にも優れる。これもやはり、達也と五十里が計画していたメンバーだった。

 

「俺が言うのもなんだが、服部と吉田は確定でいいと思う。服部は言わずもがなだし、吉田は森林での戦いでは最強だ」

 

 そしてすぐに、立候補した張本人であるはずの沢木が、範蔵と幹比古を推す。男子最強が範蔵なのは言うまでもないし、幹比古がこういう滅茶苦茶な戦いが予想される中で真価を発揮するのもよく知られていることだ。また今年からは何の気の迷いか、『モノリス・コード』と『トライウィザード・バイアスロン』では精神干渉系魔法も許可されている。危険がない程度に相手の精神を乱すというのは古式魔法の得意とするところであり、『モノリス・コード』でも幹比古はそれで猛威を振るっていた。

 

 また、桐原と沢木はどちらも近接魔法師であり、役割が被っている。『オーガ』のような相手がいるなら二人がかりで止めるという択もあるが、将輝・文也プラス誰か、という相手の中では二人が並ぶ意味はない。

 

「で、俺と桐原どっちかという話だが……桐原の方が実力は上だ。そういうわけで、悔しいが俺は降りる」

 

 立候補しておいて、一方的に降りる。普通に考えたら理不尽な振る舞いだが、ここにいる全員が、多かれ少なかれ、沢木の男気に感服していた。

 

 まず沢木の説明はすべて真実だ。この三人こそがベストメンバーだろう。沢木はそれが分かっていたうえで立候補した。この三人が立候補したなら、沢木が自ら降りることで三人の正当性が増すし、誰かが立候補しないというのならそんな根性なしに譲るつもりもなかった。まさしく男気。何人かはそれに触発されて男泣きまでしているほどだ。

 

「……ありがとうございます」

 

 達也もまた、その男気に感謝をした。

 

「さて、話が決まったところで、皆さんに紹介したい方がいます」

 

 そして唐突に、全く関係性の見えない話が達也から始まった。この展開は五十里すら知らなかったことで、何を言い出すのかと慌てて冷や汗を流している。

 

 達也が指したのは後ろの入り口。全員が振り返ると、そこにはいつの間にか――

 

「こんばんわ」

 

 ――卒業したはずの、七草真由美が立っていた。

 

 もはや泉美ですら声が出ず唖然としている中、可憐な笑みを浮かべた、少し大人っぽくなった気がする真由美は、悠然と達也と五十里が立つ壇上に歩いて向かう。

 

「一年生の方は初めまして。卒業生の七草真由美です。本日は、妹の泉美からの特別招待で、ここにお邪魔させていただくことになりました」

 

「お、お姉さま、来れなかったはずじゃあ……」

 

 そして挨拶を始めた真由美に、ようやく泉美が口を開いた。泉美は驚きの連続で腰を抜かしてしまっており、珍しく背もたれに全体重をかけてしまっていた。

 

「用事が早く終わりましたので」

 

 真由美はにっこりと優雅に微笑んで答える。それだけで一年男子の何人かはハートを撃ち抜かれた。

 

 そして、ここからは真由美の演説が始まった。それによって励まされた一高生徒は、ほぼ全員が前向きな気持ちのまま、明日を迎えられることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「達也君も相当本気なのね」

 

『トライウィザード・バイアスロン』の代表選手だけを集めて改めて行われた作戦会議の後、達也と真由美は真夜中にこっそりと会っていた。当然、逢引ではない。

 

「申し訳ありません」

 

 真由美から聞いたという駿と真紅郎の実力の話。当然それは嘘だ。実際に戦ったのは達也であり、それを体感したからこそ警戒しているのである。その話をするためには、当然真実を話すわけにはいかない。今日の夕方ごろ、たまたま会場入りした真由美に会った達也は、珍しく幸運に感謝しながら、気まずくて拒否する真由美を無理やり人気のないところに連れ出して、口裏を合わせたのである。そしてついでに、士気を上げるための演説と演出も用意したのだ。

 

 本来達也は、ここまでするほどの義理はない。一応「本気」は出すが、こうして「全力」で取り組む理由もないのである。危険を冒してあの真冬の夜の激闘に言及するのもそうだし、もはや潜在的な敵対勢力と化した真由美と接触するのも本来は優先度が低いはずだ。

 

 では、なぜ達也はここまでやるのか。

 

「井瀬君に、負けたくないんでしょう?」

 

「……よくご存じで」

 

 達也もまた、やはりオトコノコということだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶっちゃけて言うと、女子は地雷女、ヒステリー女、北山で決まりだわな」

 

 三高の作戦会議もまた、一高と同時刻に行われていた。真紅郎が今の状況を話した後、では自由討論をどうぞとなったところで、文也の開口一番がこれだった。

 

「いやそれじゃ分からないだろ」

 

「あーそっか。千代田花音、司波深雪、北山雫だ。向こうの女子の戦闘魔法師だったらこれらが圧倒的に最強だ。あとはせいぜい、光井ほのかとあと……滝川? と明智? だっけか。あの異常な射撃の」

 

「お、珍しく苗字を覚えたじゃないか」

 

 将輝の指摘を受けて補足した文也の話に、駿が茶々を入れる。

 

「う、うう、滝川さん……」

 

 そして唐突に出てきた滝川の名前に、ここ数日ですっかり苦手意識を植え付けられた沙耶が反応する。駿を誘ってここずっと観戦していたのだが、その全てに滝川もついてきたのである。しかも、沙耶を牽制しながら、かつ駿にくっついて距離を詰めていたし、駿も悪い気はしていない様子だった。弱気な沙耶は、こうなるとヘタレである。

 

 言い方はさておき、文也の言に異論は出ない。この三人が明らかに強すぎるというのは、分かり切っていることだった。

 

 そして三高の女子は、飛びぬけた実力と適性がある桜花と愛梨が会議の前からすでに決まっている。残り一人をどうするかという状況だ。

 

 そういうわけで、そのあとは女子よりも先に男子を進めることとなった。

 

「男子は……はんぞーパイセン、吉田、桐原パイセン、沢木パイセン、司波兄、あたりか」

 

 三高の一高男子代表議論において、達也は有力選手に数えられていた。運動神経が抜群で、『術式解体(グラム・デモリッション)』を連射できる達也は、駿と同じ役割を持てる存在として警戒されているのである。一高内で達也が代表として候補にも挙がっていないのは、この競技が「選手が掛け持つもの」という固定観念があるからである。固定観念が緩い常識外れな文也が参謀の一角にいる三高は、柔軟すぎて逆にありもしない達也の恐怖におびえることになっていた。

 

 真紅郎が全体に向けてまず自薦を募る。『尚武』の三高は、こういう場合は何よりも自薦を大事にしているのだ。

 

「はい」

 

「ほーい」

 

 迷わず手を上げたのは、将輝と文也。将輝は言わずもがな、文也は運動能力に大きな難があるがそれを補って余りある適性がある。二人とも二年生のツートップで、三年生にも負けない。誰からも文句は出なかった。

 

 そしてあと一人。ここで意外な人物から、他薦が出た。

 

「森崎、お前が出ろ」

 

「え、俺がですか?」

 

 駿を他薦したのは、怪我で不出場が確定している後條だ。駿はいきなり挙がった自分の名前に思わず驚く。

 

 駿としては、あと一人は『モノリス・コード』の選手で実力者でもある田辺か笹井のどちらかになると踏んでいた。それだけに、彼の驚きは大きい。

 

「本人が話したがらないから俺が言うことにしよう。田辺と笹井は、出場するつもりがない」

 

 後條の発言と同時に、田辺と笹井に全員の視線が集まる。そして二人は、情けなさそうに俯いてその視線から逃れようとした。

 

「一高男子の最有力候補の吉田、アイツに、すっかり心を折られたようだ」

 

「……スマン」

 

「……ごめん」

 

 二人が絞り出すように呟く。そんな二人の心理状態を責められる生徒は、ここに一人もいなかった。

 

『モノリス・コード』で幹比古が引き起こした圧倒的な濃霧。用意した対策はすべて通じない。

 

 そんな状況で起こしてしまったあの事故。

 

 これが決定的に、二人の心を折ってしまった。魔法力が失われたわけではないが、幹比古が相手となると、彼らは竦んでしまうだろう。

 

 そこで後條が目を付けたのが、駿だった。

 

「罠や妨害が仕込まれた山林の中を魔法を使って駆け抜ける。これはコンバット・シューティングと同じだ。そして森崎は、そのコンバット・シューティングでは我が校最強だ。これ以上の適性はないだろう。それに、森崎は一条と井瀬と親友だ。連携も取りやすい」

 

「確かにそうだね」

 

「間違いないな」

 

 後條の説明に、綾野と桜花が賛同する。後條、綾野、桜花。三年生のトップスリーともいえる三人の同意が出た。

 

「で、駿、どうするよ? 出たいか?」

 

 そうなると、最後は本人の意志となる。もし本人が出たがらないなら、メンタル面のことも考えると無理強いはできない。

 

「俺は……出場、したいです」

 

 駿はそれに、多少詰まりながらも、出場する意思を見せた。

 

 不安がないわけではない。それでも、これは自分をより高みにたどり着かせる千載一遇のチャンスだ。

 

「決まりだな」

 

 そんな駿の返事に、文也は嬉しそうに口角を吊り上げて笑った。

 

「さて、そうなると女子のあと一人だけど……」

 

 男子は結論が出た。あとは女子のもう一人だ。

 

 候補は栞、沓子のどちらか。沙耶は一高に警戒されているものの、向こうはあずかり知らぬことだが、極度の方向音痴だ。当然森林を抜けることなど、一生かかっても無理だろう。

 

 栞も沓子も、推薦されれば出るという意思はすでに示している。あとはどちらが出るかを決めるだけ。そういう空気だった。

 

「そこで一つ提案なんだけどよ」

 

 そんな中、文也がすっと小さな手を挙げる。

 

 全員の注目が文也に集まった。

 

 そんな文也の顔には、あのいつも通りの、口角を吊り上げた悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺に一つ、妙案があるぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8月15日。九校戦最終日の朝。

 

 すでに敗北が決定し全ての競技が終わった七校は、緊張がほぐれて気が抜けて、リラックスして最後の戦いを観戦するムードになっている。

 

 一方で、一高と三高は、ここが総合優勝を決めるということで、代表選手以外もまた、緊張感をもって迎えていた。

 

 そして朝9時。代表選手が発表される。

 

 そこにいる全員が、大型電光掲示板に注目していた。

 

(頼む……予想外は起きてくれるなよ)

 

 総合的なパワーで言ったら、一高が間違いなく勝つ。特に女子は鉄板だ。予定通り、想定通りに進めば、それで優勝決定だ。

 

 達也は祈るように、電光掲示板を見上げる。

 

 

 

 

 

 

 

一高・男子

 

服部刑部少丞範蔵

吉田幹比古

桐原武明

 

三高・男子

 

一条将輝

井瀬文也

森崎駿

 

一高・女子

司波深雪

千代田花音

北山雫

 

 ここまでは予想通り。達也はほっと胸をなでおろす。

 

 そして次の瞬間――膝から崩れ落ちそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三高・女子

 

鬼瓦桜花

一色愛梨

中条あずさ

 

 

 

 



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6-12

「は? なにこれ?」

 

「おかしい」

 

「絶対井瀬君の仕業ですね……」

 

 一高は男子女子両方の代表、そしてどちらでもオペレーターを務める達也と五十里は、発表の瞬間はすぐ作戦会議に移れるように同じ場所に固まっていた。そして、女子の三人は、三高の代表にあずさがいることに驚きを隠せないでいた。

 

 まず、選手ではなくエンジニアから選ぶというのがおかしい。確かに68人の中から選ぶのだからルール違反ではないし、実際達也が不意打ちで代表として出るというのは、ルール発表後の初期に半ば冗談で提案されたこともある。しかしながら、本当に実行するとは思いもよらなかった。

 

「中条さん、競技適正は皆無だったと思うんだけど」

 

「俺もそう思います」

 

 あずさ自体、魔法の腕がないわけではない。むしろ、一高で実技は花音を抜いて二位だったほどの実力者だ。ただし、変数を的確に設定できる細やかさ、魔法行使の安定性、不得意のない万能性、そして可能な工程数の多さ、といった要素が評価されてのものであり、干渉力と行使速度は「中々やる」という程度だ。およそ魔法競技向けの長所ではない。

 

 また、身体能力も低い。それはもう滅茶苦茶低い。体育でも体力測定でもビリ常連だ。体格も筋肉も体力も弱い。さらに言うとメンタルもとてつもなく弱い。豆腐のほうがまだマシだ。体力もメンタルもまた、競技向けではないのである。こんな絶対に負けられない大一番で、森林・水上・平原を駆け抜ける体力要素が強くて戦闘要素もかなり強い競技に、あずさが出場するなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないはずだ。

 

(いくらなんでもこれはないと思っていたんだが)

 

 確かにあの夜、確かな魔法戦闘能力で、リーナ、それと達也と深雪に勝利をしたメンバーにはあずさもいたし、大活躍もしていた。魔法戦闘能力は達也が認めるほどあるにはある。だからといって、この競技に出るのだけはあり得ない。

 

 間違いない。こんなバカみたいな奇策を用意するドアホは、文也以外あり得ない。深雪の言う通りだ。

 

 達也は混乱しながらも、ひとまず作戦会議に入ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合開始前、競技フィールドのスタート近くに設置されたオペレーター室、その三高の方には、妙な空気が流れていた。

 

 このオペレーター室は、いわば観戦の特等席であり、同校生徒などの関係者は入室が許されている。しかもかなり広くて、68人まるごと入ることも可能だ。

 

 三高も、68人全員が集まっている。そのうち66人は、いますぐにでもこの場を離れたい気分だった。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 その理由は一つ、あずさと文也だ。

 

 二人は今、部屋の隅で無言でずっと抱き合っている。あずさは文也の胸に顔をうずめ、文也はあずさのふわふわな髪を撫でる。ただそれだけだ。

 

 これで甘い言葉でも囁いていればまだ可愛げがあるのだが、無言なのである。まるでお互いに言葉で伝えあわなくても分かっていると言わんばかりだ。ほぼ全員が無糖コーヒーを嗜んでいるところである。

 

『中条先輩、大丈夫なのかな』

 

『ああしてみると大丈夫じゃなさそうだけど……』

 

 声を出すのは憚られるので、真紅郎と駿はチャットアプリで会話する。

 

 あの二人は今、何をしているのか。

 

 それは、文也が、あずさを競技のプレッシャーから慰めているのである。

 

 あずさのメンタルは弱い。緊張しいだし、プレッシャーを強く感じすぎるし、とにかく耐性がない。競技者に不向きだし、ましてや総合優勝が懸かった一戦など、普通は無理だ。

 

「…………うん、ふみくん、ありがと」

 

「よし、じゃあいってこい!」

 

 そうしたまま、競技時間直前になった。選手呼び出しの放送がかかると同時に、二人は抱擁を外す。そして、朝起きたときの酷い顔が嘘みたいに決意が固まった顔になったあずさは、文也に送り出されて、集合場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 競技開始と同時に、一高の女子三人は、全速力で森を駆け抜けていた。

 

 自動銃座が現れると同時に、その銃口に空気で蓋をする。草に隠されてピンと張られたロープに躓いたかと思いきや、足首に展開された領域魔法がロープを切り裂く。運営スタッフからのちょっとした妨害魔法はすべて無効化する。木の上から泥を多く含んだ水が降ってくるが、それは軽く避ける。どこからともなく捕獲網が飛んでくるが魔法で打ち落とす。

 

 森林の中で繰り出される数々の妨害は、普通の魔法師では100メートルともたないだろう。明らかに、学生の競技のレベルを逸脱していた。しかしながらそれらは三人によって軽く攻略され、しかも魔法による加速も併用して全速力で駆け抜けている。

 

『よしよし、いいよ、三人とも』

 

『ここまでは順調です』

 

「りょーかい」

 

 オペレーターの五十里と達也から、ひとまず順調だという連絡が来る。四方八方からいきなり飛んできたペイントボールを避けながら、花音は代表して返事をした。

 

 一高の作戦は、まずはシンプル。森林コースはスタートダッシュを決めて一気に駆け抜けるというものだ。

 

 これには理由がある。

 

 まず一つ、レースだから速度が重要であるということ。性質上逃げ切り有利とは限らないが、前を走るに越したことがない。

 

 もう一つ、対戦相手にあずさがいること。選出意図は不明だが、これをチャンスとして先行逃げ切りを目指す。あずさの運動神経はとてつもなく悪いため、愛梨と桜花がどれだけ速くても、あずさが足を引っ張る。二人だけ先に駆け抜けたとすれば、それはそれで三対二に持ち込めるから有利だ。

 

 そして最後の一つ。森林での戦いは分が悪いからだ。一高は三人とも中遠距離魔法師であり、木々が密集した中での戦いは得意とは言えない。一方で、愛梨と桜花は近接魔法師だから、森林の戦いは分がある。正面戦闘では力負けするあずさも、仲間から報告を受けつつ木々に身を隠してサポートに徹すれば、その繊細な魔法はこちらを大きく牽制する足枷となる。森林戦闘は避けたいところだ。

 

 これだけ順調に駆け抜けていれば、あずさがいるあの三人は絶対に追いついてこない。ひとまず森林コースはこちらの勝ちだ。

 

 そう森林コースの半分が過ぎたころに――思わず、少し油断してしまった。

 

『まずい、雫、避けろ!』

 

 達也が急に叫ぶ。それと同時に、強大な気配が怪獣のような足音を立てて近づいてくるのを察知した。雫は半ば反射的に、転がるように飛び退く。

 

「フンッ!」

 

 瞬間、先ほどまで雫の頭があった場所を、鬼のごとき巨大な拳が高速で通り抜けた。

 

「このっ――きゃっ!」

 

「雫!」

 

 攻撃はそれで終わらない。突然現れた「羅刹」は、足元に転がる雫を軽く蹴飛ばそうとする。雫は障壁魔法を展開して防御しながら反撃を試みるが――まばゆい光が瞬くと同時に雫の障壁魔法は砕かれ、蹴りを腹に受ける。幸い腕でガードしていたが、それでも、細い雫は軽々と吹き飛ばされた。そんな雫が木に激突する直前に、深雪が魔法で受け止める。

 

 森林ステージは真夏の木々で覆われているため、空撮ドローンでは様子が見えづらい。達也がほんのわずかな隙間から見える姿で接近に気づいたのは、奇跡に等しかった。

 

 現れたのは、ここにいるはずのない『オーガ』――桜花だ。その巨体には、十三束と同じく分厚いサイオンを纏っている。これが『術式解体』の効果を持つため、雫の防御は意味をなさなかったのだ。

 

「この怪物め!」

 

 花音はすかさず『地雷原』のバリエーションで足元に液状化を起こして動きを制限しようとする。しかし桜花はそんなのは苦にもせず、むしろその泥を蹴り上げて花音の目つぶしを図った。

 

「そこで一生立ってなさい!」

 

 花音はそれを避けながら魔法を解除する。途端に世界の修正力が働いて液状化は収まり、桜花の両足は固い地面に埋まった。

 

 近接魔法師はこうして足止めするのが一番。花音が用意してきた対策の一つだった。

 

「中々気持ちいい足湯だな」

 

 しかし、桜花は止まらない。大きく鋭い歯をむき出しにして嗤いながら、まるで本当に足湯から出るように、ズボン! と大きな音を立てて軽々と固い地面に埋まった脚を引き抜く。花音が一瞬思考停止してしまう中、その拳はうなりを上げて彼女のみぞおちへと向かっていく。

 

『花音!』

 

 恋人の叫び声で正気に戻った花音は、防御魔法ではなく、自己加速術式でそれを回避する。空を切った拳は木に当たるが、桜花は痛がった様子もなく、むしろ大きな木のはずなのにそちらが悲鳴を上げるように大きく揺れる。

 

「二人とも! 援護して!」

 

 一人では無理。そう判断した花音は、なぜか手出しをしてこない後輩二人を叱咤する。

 

「すみません! こちらも手いっぱいです!」

 

 しかしながら深雪から返ってきた言葉は、期待外れのものだった。

 

「ここで会ったが百年目!」

 

 深雪に高速で襲い掛かる影は、コース内で拾ったであろう手ごろな長さ・太さの木の棒を持った愛梨だ。いつの間にか接近していた愛梨は、それをレイピアのように何度も深雪に突き出し、稲妻のごとき速度で木々が固まった場所へと追い詰めていた。

 

「くっ、負けない」

 

 雫は立ち上がって応戦しようとするが、ダメージが大きいのか、すでに足がふらふらして覚束ない。木に手をついてなんとか立ち上がろうとするが、また膝から崩れ落ちてしまう。

 

「なんなのよこの化け物たち!」

 

 花音には、桜花と愛梨が、鬼と天狗に見えた。森林の中に現れる、巨大な鬼と疾風のごとき天狗。

 

 

 

 だとすれば――三人目は、森林に潜む妖精といったところだろう。

 

 

 

 

 

「うぷっ」

 

 桜花の攻撃を必死にかわしていた花音は、急に脳みそが揺れるような頭痛と振り回された直後のような眩暈に襲われて強い吐き気を覚える。そのせいで桜花のパンチを正面から受けて吹き飛ばされてしまった。

 

 なんなんだ、これは。

 

 突然襲われた吐き気に花音は混乱する。見れば、雫も口元を押さえていた。ダメージだけではない。雫が立てないのは、この謎の吐き気が原因だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『中条先輩が隠れている! 体勢を立て直すためにいったんスタート方向に逃げろ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也の叫びに、花音は一人で、深雪は愛梨から逃げるついでに雫を魔法で軽量化したうえで回収して担いで、ゴールとは真反対の方向に撤退した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『すげー。今のうちに駆け抜けるぞ』

 

『いや……すごいですね。あの三人を相手に圧倒ですよ』

 

 深雪たち三人に逃げられた後、オペレーターである文也と真紅郎は口々に三人を褒めたたえる。

 

 桜花と愛梨は「了解」と返すとゴール方向に向いて走り出し、そして木の上に隠れていたあずさがそれに合流する。その移動速度は、達也たちの想定を超えていた。なぜなら、あずさは自分で移動しているのではなく、桜花に抱えられているからだ。

 

 こちらの三人を見てから、一高が森林で先行逃げ切りをするのは目に見えていた。だからこそ、こちらはそこの虚を突くべく、さらに高速で動いて先回りして奇襲することにした。

 

『エクレール・アイリ』は『稲妻(エクレール)』と自己加速術式で反応速度と身体速度を爆発的に上げることで、深雪たち以上に障害物が多い森林を駆け抜けることが可能だ。そして桜花は、その巨体だというのに身軽で、さらにその圧倒的なパワーと肉体は妨害を受けても苦としない。それは、恐ろしいことに、いくらチビで軽いあずさを抱えていたとしても変わらない。結果、あの三人よりもはるかに速く森林の中を移動して先回りに成功し、奇襲にも成功した。

 

 では、なぜあの三人の位置が、この広大な森林で分かったのか?

 

 それは空撮ドローンを見ているオペレーターだけではなく、あずさのおかげだった。

 

 スタート直後からあずさが行使していた魔法、それは『サイオン探知』だ。あの三人のうち、花音はサイオンコントロールが大雑把なタイプで、行使速度が上がれば上がる程に余剰サイオンを多く出す。そのサイオンを探知して位置情報を常に察知し続けていた。本当は深雪もコントロール力が低いのでそちらも当てにしていたのだが、なぜだか急激に成長していてそれは叶わなかった。しかし、普通に考えたら三人固まっているため、花音一人の探知で十分。仮に分散していたとしても、それはそれで多対一で確実に失格に出来るから問題ない。

 

 しかしだからといって、これだけのフィールドで探知するというのはまず無理だ。では、なぜできたのか。

 

 それはあずさの魔法力と、文也の作戦の合わせ技によるものだった。

 

 まず、あずさは変数入力がかなり細かくコントロールできるため、本当の意味での「最低限」まで調整が可能だ。探知範囲に設定する領域は、最低限の広さにすることができるのである。

 

 そして文也の作戦。お互いのスタート位置は、木々の中からのスタートのためチーム同士で見えないようになっている。しかしながらその位置自体は事前に公開されていた。あとは、空撮ドローンで森の木々の様子を観察し、スタート位置と目指すべき地点から、おおよその移動ルートを割り出せる。それを基にあずさは、見えていないというのに文也の指示通りにぴったり座標を最低限に設定して見せた。感知に引っかかればその位置を基に次の通り道が予測できるし、引っかからなかったら「そこにいない」という情報から次の位置も予測可能なのである。

 

 そうして探知で位置を追い続けながら、高速で移動した三人は待ち伏せに成功したのだ。

 

 また、奇襲時の作戦も、文也が考えた。

 

 まず、大きくてバレやすいが一撃が強い桜花が先行して、三人を分断する。分断したところに、高速で愛梨が襲い掛かって連携が取れないようにする。そして、あらかじめ桜花に高い高いされて木の上に隠れていたあずさが、カメラで見て文也が出した指示通りに、吐き気を催す精神干渉系魔法『ヴォミット』を使ったのだ。異常に精神干渉系魔法への耐性があるらしい深雪には効かなかったが、雫と花音を弱らせるだけで十分だ。本当はダウンまで持ち込みたかったのだが、ゴールとは反対方向への撤退に追い込んだだけで十分。この先行の有利は、じっくり生かさせてもらうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也が、あえてゴールから離れるスタート方向に逃げるよう指示したのは理由がある。それは、あのまま戦い続けられたら、間違いなく負けていたからだ。

 

 もし、速度を優先して横やゴール方向に逃げたら。先回りされていたということは、向こうはこちら以上の速度が出せるということなので、確実に追いかけられて、ずっと不利なまま戦闘をさせられただろう。一方スタート方向に逃げれば、向こうも追いかけにくい。苦渋の選択だが、これしかなかった。

 

「雫、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫、もう平気」

 

「はーやんなっちゃうわね。あの鬼は反則よ」

 

 三人の女子は、もうすでに疲弊していた。絶対先行していると思ったら先回りされていて、奇襲によって撤退させられた。生半可な人間なら心が折れるだろう。

 

 高速移動の秘密として、桜花があずさを抱えて走ったという達也の予想を聞いた花音は、特に参っていた。いくらなんでも規格外が過ぎる。別世界の住人のように思えてならなかった。

 

 逆走して逃げて、そこで休憩。圧倒的なタイムロスだ。

 

 雫が魔法の影響がなくなってようやく回復したので、三人は必死で追いかけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水上コース。巨大な人工湖の森林側に、各校向けのエンジンも櫂もついていない木製ボートが三つずつ置かれている。ギリギリ三人乗れるぐらいの大きさなので、固まって乗っても良し、一人一つずつ乗っても良しという形だ。

 

 水上コースは、まずこの巨大な湖を大きく反時計回りに五周し、元の場所に戻ったところで最後は向こう岸まで直線だ。「五周」のコース上には水面から突き出た木の棒がいくつかあり、これを避けることが必要となる。また岸からは、森林コース程に激しくはないが、スタッフが妨害を仕掛けてくる。これを跳ねのけることも必要だ。

 

 ちなみに、五周するコースは、岸から7メートルほど離れたところに一定間隔で旗が立てられていて、その外側を回らなければならない。内側を回ってしまったら、一度戻ってから走りなおさなければならない。もしそのまま一周してしまった場合、その一周はカウントされない。

 

 深雪たちが森林を駆け抜けたころ、三高はとっくに水上コースを走っていて、そばに置いてある電光掲示板には、もうすでに四周していることが示されていた。あずさたちは一つのボートに乗っていて、あずさが漕ぎ手、愛梨と桜花が妨害への防御を担当している。

 

「急ぐわよ!」

 

 こちらも三人で一つのボートに乗る。漕ぎ手は雫、防御が花音、そして妨害が深雪である。

 

「きゃっ!」

 

 途端に、高速移動していた三高のボートが何かに激突し、あずさが前につんのめって飛ばされそうになる。桜花がそれをキャッチして大怪我は免れたが、あまりにも痛い足止めだ。

 

「おっさきー!」

 

 それを後ろから花音たちが抜かしていき、そのついでに雫が射撃魔法でさらに妨害する。周回遅れのためお先というわけではないのだが、花音のストレス発散の為の言葉だった。

 

「くそッッッ!」

 

 三高のボートが激突したのは障害物ではない。突然水面に張られた、分厚い氷だった。

 

『いいぞ深雪、よくやった』

 

 達也の言葉がインカム越しに深雪の耳に直接届く。深雪はそれに、嬉しそうに小さくうなずいた。

 

 この水上コースは、一高女子が最も得意とする場所だ。それは自分たちの力が出せるからではなく、相手を効率的に妨害できるからだ。

 

 深雪は全てにおいて高いレベルを発揮するが、特に「停止」に関わる魔法が得意だ。その最たる例が冷却に関わる振動魔法である。これを相手ボートの前に展開して、自分たちが通る時だけ解除すれば、一方的なレースが可能なのだ。

 

 あずさたちは何とかボートを戻して復帰するが、すぐに目の前を凍らされて全く進めない。認められている移動手段はボートか水泳だけであり、氷の上を走ることはできない。また、深雪が凍らせているのは実に三高の目の前だけだから、進路全て塞いでいるわけではないため反則にもならない。深雪もまた、いつの間にか途方もないコントロール力が身についていた。

 

 それはなぜか。簡単な話だ。達也と深雪は今、お互いにかかっている「枷」が、一部分だけとはいえ外れている。この競技に備えて、今朝外しておいたのだ。ただの親善競技会だというのにやりすぎな気もするが、これぐらいだったら四葉も認めてくれるだろう。

 

 結局、この妨害はとんでもない効果を生み出し、あれだけ大差がついていたというのに、五周を終えて最後の直線に入るころには、二校はほぼ並んでいた。

 

 こうなってしまうと、あずさは弱い。魔法の出力の差は絶大で、直線ではみるみる離されていく。さらに深雪と雫が仕掛ける妨害が酷いものだ。深雪の凍結魔法は愛梨が『領域干渉』で、雫の射撃魔法は桜花がその身を盾にして受け止めてなんとかしのいでるが、防戦一方になってしまった。

 

「へへーん楽勝ね! ざまあみさらせ!」

 

 花音は一切の妨害がないため、気持ちよく突っ走れる。

 

 そんな気分よく突っ走っている中――

 

「「きゃあ!?」」

 

 ――急にボートがコントロールを失い、激しく転覆してしまった。

 

 可愛らしい悲鳴を上げて水に落ちた雫と深雪は、魔法でボートを起こしてなんとか這い上がりながら、ボートをコントロールしていたはずの花音を見る。

 

「ごめん! 急になんかめまいがして! またあずさが何かやったのね!?」

 

 後ろから横を猛スピードで駆け抜けていく三高ボートを睨みながら、花音はボートに上がろうとする。しかし急に手から力が抜け、またひっくり返って転落してしまった。手が引っかかったまま後ろにのけぞって倒れたため、それに引っ張られてボートがまたひっくり返り、深雪と雫は魔法で乾かしたというのにまた転落してずぶ濡れになってしまった。

 

『それは中条さんじゃない! 一色さんだ!』

 

「そうか、『神経電流攪乱』」

 

 五十里からの報告で、雫が真実にたどり着く。

 

『神経電流攪乱』。通称『神経攪乱』は、相手の神経パルスを乱して五感を狂わせたり随意筋を麻痺させたりする魔法だ。神経を研究している一色家のお家芸であり、相手を傷つけずに無力化するにはもってこいの魔法だ。一回目は方向感覚を狂わせ、二回目は手指の筋肉を固めたまま腕と背中の筋肉の力を抜けさせたのである。

 

『なんてエゲつない』

 

 達也の呟きはもっともだ。こんなの、競技会で使うような魔法ではない。しかしながら、傷を直接つけるわけではないため、基本殺傷性ランクはC未満となっている。使う場面によっては、例えば車の運転中などの敵に使えばそのまま交通事故が起きるという場面などでは事後的にCやB判定をされることもあるが、今回はただの転覆だし、転覆後は溺れないように魔法を解除しているから、せいぜいC扱いだろう。

 

 愛梨の一発逆転の手によって、三高はまたリードを取り戻した。突然の転覆が二回も続いたせいで深雪の妨害も間に合わず、三高は先に平原コースにたどり着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平原コースは、横幅20メートルに制限された直線の平原を走り抜けるコースだ。ただし、草の中にはトラップが仕込まれているし、途中には積まれた土嚢などの障害物を乗り越えるところもある。またコース外からは、これまた運営による妨害が飛んでくる。見た目上は一番長いが、森林コースと違って木々による回り込みもなければ、水上コースのように何周と言う指定もないため、実は一番短いコースだ。

 

 あずさはここでも運動神経の悪さが足を引っ張るため、桜花に小脇に抱えられながら、後ろからの深雪たちからの妨害を防御するためにひたすら対抗魔法を行使する。桜花の走り方は豪快なため揺れが酷く、だいぶ酔いそうだが、それは競技前にあらかじめ飲んでいた酔い止めで克服済みだ。準備の良い話である。

 

 あずさはチビで軽いと言えど、さすがに桜花ですらも抱えれば多少動きに制限が出る。しかしながら、あずさは抱えられているということは、自分で走ることはないため、それ以外に集中できる。あずさは多種の魔法を知っていて、相手の攻撃に的確に対抗魔法を合わせている。そのおかげで、逆に愛梨と桜花が走りに集中できており、妨害がしやすい後方にいるはずの一高とは、ぐんぐん差が広まっていた。

 

 もうここまでくるとオペレーターの仕事は少ない。応援しながら、真紅郎は昨日の夜のことを思い出す。

 

『俺はこの競技の最後の一人に、あーちゃん……中条あずさを推薦する』

 

 文也がそう宣言した瞬間、親友である駿たちですら、なんならあずさですら、それを否定した。文也のことを嫌っている生徒からは、「幼馴染のごり押し」と真正面から批判された。しかしながら、水上ステージで深雪にしてやられるのは分かっているから森林ステージで大幅に差をつけたい、そのためにはあずさの探知と妨害が必須で、運動神経皆無のデメリットは桜花が抱えることで解消するしそれはそれでお互いに分担した役割に集中できるというメリットが生まれる――という文也の説明に、いつの間にか全員が納得してしまっていた。なんならあずさも「ほえー」という反応だった。君の話をしているんだよ、という綾野の小さなツッコミが真紅郎の印象に残っている。

 

 そういうわけで納得が得られたし、栞と沓子からも「自分より活躍できる」というお墨付きも貰った。あとは本人の意志なわけで、ここが一番の問題だった。

 

 あずさは遠慮がちで気弱で弱気で控え目で自卑的だ。時折謎の暴走も見せるが、こういう場面では絶対に泣いて断るだろう。

 

『……わかったよ、ふみくん。私、頑張るね』

 

 だというのに、あずさは少し不安そうではあったが、なんとそれに頷いたのだ。その時に文也に浮かべた、優しい姉のような笑みは、一部の男子生徒の心を撃ち抜いたりもした。恐らくその思いは叶わないだろうが。

 

 心配になった真紅郎は、こっそりとあずさに真意を訪ねた。

 

『……た、確かに、怖いです。特に司波さんとか……』

 

 最初に返ってきた言葉は、いつもの彼女だった。身を縮こまらせて、泣きそうにもなっていたように見える。

 

『……でも、ふみくんが、私を推薦してくれたんですっ。私は私が不安だけど……私を信じてくれたふみくんを、私は信じますっ』

 

 しかしそれでも、両手で握りこぶしを掲げて、ふん、と奮起するような可愛らしいポーズを取りながら、そう返してきた。コーヒーの消費量はかさんだが、改めて二人の間にある信頼関係を垣間見たところだった。

 

 そんな、競技に関係ないことを考えていた真紅郎の油断。

 

 それを嘲笑うように、戦況は苦しくなっていた。

 

「三人とも頑張れ! 差が縮まってきてるぞ!」

 

 いつの間にか、後ろの一高との差は、半分ほどになっていた。

 

『ご、ごめんなさい!』

 

 その理由はあずさの防御が間に合わなくなってきたからだ。一高は三人ともゴリゴリの攻撃魔法師。最初の内はしのげたが、向こうも何度も攻撃しているうちにエンジンがかかってきて、だんだんとあずさでしのげない攻撃が増えた。結果、愛梨や桜花は回避もするようになり、追いかけるだけの一高は直線で走るだけだからその差は詰まる。当然のことだった。特に、こうした何もない場所で走りながら妨害して追いかけるとなると、雫の命中精度が光る。花音と深雪の威力が高いが大雑把な魔法は高速で移動する愛梨たちから見当違いの場所になることはあるが、雫はそれが絶対にないため、あずさの一番の負担になっていた。

 

『ぐッッッ! 仕方ない! 中条、お前は自分で走れッッッ! 私があいつらを足止めしようッッッ!』

 

「アニキ、それは無茶です! このまま逃げ切るのが一番です!」

 

『このままだとゴールまでに抜かれるッッッ!』

 

 真紅郎を無視して、桜花はあずさを下ろして走らせる。必然速度は遅くなり、また防御も薄くなるので後ろとの差はさらに縮まる。

 

『私に妙案があるッッッ! 信じろッッッ!!!』

 

「「『アニキッッッ!!!』」」

 

 その桜花の言葉に、文也と真紅郎と愛梨が涙を流す。

 

 そうだ、我らが「アニキ」を、我らが信じないわけがない。

 

 愛梨とあずさを先に行かせて、桜花は足を止めて後ろに向く。その仁王立ちともいえる鬼のたたずまいは、深雪たちに本能的な恐怖をもたらした。

 

『恐れる必要はない! 横に避ければ勝ちだ!』

 

 道に立ちふさがるゲームのボスのような威容は絶対に戦って勝たなければ通れないような錯覚に陥れるが、そんなことはない。肉弾戦しかない桜花の横を抜ける程度、この平原だったら、三人にとってはたやすいことだった。

 

 桜花が思い切り息を吸い込む。勢いよく吸い込んだせいでのけぞり、逆お辞儀のような姿勢だ。恐ろしい強靭さと体幹で、その角度は実に90度。

 

 何かしてくる。

 

 そう三人が思った直後――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――世界が、揺れた。

 

 桜花は一転前かがみになり、威嚇する虎のように顔をゆがめてその口を大きく開けて、竜が火を噴きだすような姿になっている。桜花の大声は、魔法によって大幅に増幅され爆音波となり、深雪たちに襲い掛かった。その音波は深雪たちだけでなく、コースの周辺にいたスタッフやオペレーターの脳すらも揺るがすほどだ。

 

「ゲエェェェ! なんだアニキ! 遠距離魔法は無理なはずなのに、急にとんでもない威力の音響魔法を使い始めたぞ!」

 

 文也は耳を塞ぎながら妙に詳しく状況を説明するような悲鳴を上げる。その横では、『デュエル・オブ・ナイツ』代表の、物知りで有名な濃い顔立ちの男子生徒・雷電が腕を組んでいた。

 

「ムウ、あれが世に聞く『鬼轟咆』……」

 

「知っているのか雷電」

 

 訳知り顔の雷電に、文也が問いかける。すると雷電は、その解説を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『鬼轟咆(きごうほう)』

 自分で出した大声を魔法で増幅させ、爆音波として相手にぶつける魔法。元は古式魔法で、主に中世日本の戦場で活躍した戦争屋の一族が使っていた。名前は、鬼が咆えるがごとき魔法の様子からつけられたものである。この名もなき戦争屋の一族は、普段は山で暮らしていた。その生活スタイルと見た目の恐ろしさから、『鬼』として人々から恐れられていたのである。時折鬼が山の中で咆えたという説話が伝わっているが、それはこの一族が当該魔法を練習していたのを人々が勘違いしたからだと言われている。対集団戦闘において有効な魔法で、これに驚いた馬が逃げ出したが、爆音が千里先まで届いたせいでいつまでも馬が逃げるのをやめられずついには死んでしまったという逸話がある。

 

民明書房・『古式魔法大全・日本編』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『本当は隠すつもりだったのだがな』

 

 文也たちに配慮して切っていたマイクのスイッチを再び入れた桜花が、またゴールに向けて走り出しながらそう呟く。この魔法が使えるとなれば、あとは彼女のルーツにたどり着くのはたやすい。一部しか知らない歴史の闇が暴かれるのを、彼女は嫌っていた。それは彼女が差別されるからではなく、周りに気を遣わせてしまうからである。漢気溢れる選択だった。しかし、ここは全員の勝利のために、見せることを彼女は選んだのだ。まさしく漢、事情を知る雷電と遠藤は滝のように涙を流す。

 

 桜花の生まれつきの病気は、サイオンが離れないというもの。自分からサイオンが離れないせいで、魔法式を離れたエイドスに投射することができない。そのせいで彼女は、二科生に甘んじていた。

 

 しかしながら、それには例外がある。それは、自分から出た音……すなわち声にだけは、サイオンがしっかり乗るのだ。声が、世界に放たれて、ただの音として世界が認識するまで。声が声である限り、彼女はそこにサイオンを乗せられるのである。それを利用したのが、この先祖代々伝わる『鬼轟咆』。桜花がもつ中で、投擲などを用いない唯一の魔法での遠距離攻撃手段だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二人とも大丈夫ですか!?」

 

 桜花が放った『鬼轟咆』は、見事に一高の三人の足を止めていた。三人とも方向性は違うが振動系魔法の名手であり、三人がとっさに協力することで直撃は免れたが、あの轟音を魔法でカットするまでの間に負ったダメージは深刻だ。

 

 深雪はとっさに自分だけは守れたから足を止めただけで済んだ。しかし雫と花音はそうはいかず、耳を押さえて蹲っている。深雪の声が聞こえていない。鼓膜が破れたのだ。

 

「――くそったれめ!!!」

 

 花音はいち早くダメージから復帰し、立ち上がって走りながら、感情に任せてレギュレーション違反スレスレの威力で『地雷原』を放つ。照準を合わせるのも面倒くさいので、絶対に当たるように範囲を無駄に広く設定した。そのおかげで無事足止めに成功し、威力が分散したせいでレギュレーションにも収まっている。

 

 深雪も、雫の回復を確認してから走り出す。

 

 今の彼女は、怒りに満ち溢れていた。

 

 親友の鼓膜が破れた。あの様子だと、もっと深いところにダメージがあるかもしれない。音波に伴う衝撃波と言うのは、時に内臓すらも傷つけるのだ。表に傷が出ていないためレギュレーション以内だと判断されたみたいだが、深雪もそれが不満だ。

 

 その怒りと不満を、深雪はぶちまける。

 

「お止まりなさい!!!」

 

 深雪が行使したのは『減速領域』。領域内のものを減速させる魔法だ。人間を巻き込む場合、血流なども遅くなってしまい深刻な障害や死にいたる。そのため、人間を巻き込んでしまった場合は殺傷性ランクAに分類される。それは、領域に後から入ってしまった場合も同様だ。

 

 その展開した領域の場所は、なんと愛梨たちが走る、その目の前。五十里がすぐに解除するよう叫ぶが、それは深雪の耳に入らない。

 

 なぜなら――

 

 

 

 

 

 

「みにゃっ!」

 

「ぷえっ!」

 

 

 

 

 

 

 ――その領域には、もう何も入れないからである。

 

 見えない壁にぶつかったように、愛梨は鼻面を抑えて後ろに倒れる。あずさが目を丸くしてそれを見ていたせいで、少し遅れていたというのにブレーキが間に合わず、愛梨と同じように間抜けな悲鳴を上げて倒れた。

 

『減速領域』。その減速は、深雪が本気で行使した場合、あまりの出力に『停止領域』と化す。中の分子は例外なくすべて停止し、一つの塊になる。そこには外部からの侵入も不可能だ。

 

「アニキッッッ! 『術式解体』ですッッッ!」

 

『任せろッッッ!』

 

 すぐにその魔法に気づいた文也の指示を聞いて、やっと追いついた桜花がそれを固めたサイオンを纏った拳で殴って破壊する。しかしそれによって強制的な停止が解除され、反動で大きな分子の移動、すなわち爆風が起きる。愛梨とあずさは軽く吹き飛ばされそうになるが、とっさに桜花がその二人の首根っこを掴んで踏ん張って事なきを得る。

 

 そのまま二人が起きる前に桜花は引きずって走り出そうとするが、また次の『停止領域』が展開された、桜花はまたそれを砕くが、やはり爆風がまた起きて、後退こそしないものの、一歩進むのに数十秒かかるという大きな足止めを食らってしまった。

 

 その間に、雫を二人で支えながら歩く深雪と花音が、ゆっくりながらも着実に追いかけてくる。今や桜花に頼るしかない愛梨は『神経電流攪乱』などで少しでも妨害しようとするが、そのことごとくが花音に防御されてしまう。優れた魔法師相手だと、この魔法は意味が成しにくい。『爆裂』以上に干渉力の差が必要な魔法なのである。

 

 文也はこの状況を見て決断する。あずさに、こんなことはやらせたくなかった。自分も、そしてあずさも、きっと苦しんでしまうから。

 

「あーちゃん、仕方ない。アレをやろう」

 

『ふみくん……うん、そうだね』

 

 返ってきたあずさの返事は、涙声だった。

 

 ほんの少しでも連想してしまう状況になると、今にも暴れだしたくなってしまう。文也もあずさも、自分で自分に魔法をかけながら、その作戦を断行することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、何の変哲もない魔法。

 

 定番中の定番、幻影魔法と幻聴魔法だ。

 

 生み出された幻影は、なんの変哲もない鉄骨。それは一直線に、深雪の胸目掛けて飛来し、貫通して通り過ぎていった。

 

 生み出された幻聴は、何か液体が混ざった柔らかいモノが弾ける、生理的に不快な音。

 

 花音は、訳がわからなかった。もはや妨害にもなりはしない。意味が不明だ。ついに負けそうで狂ったか。

 

 花音はそう思いながら前方を見た――三高の選手たちが、一直線にゴールに向かって走っていく。

 

 なぜ?

 

 深雪が『停止領域』を展開しているはずでは?

 

 花音は不思議に思って、深雪を見る。

 

 そこには――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――頭を抱えて蹲り、激しく首を振っている深雪がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 首が切断されて、景色が傾いた瞬間に真っ暗になる。

 

 骨が振動で粉砕され、立っていられずに崩れ落ちる。

 

 コンクリート片によって肉が削られる。

 

 目玉と脳を弾丸が貫通する。

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 脳に直接電流が流され、はじけ飛ぶ。

 

 心臓を鉄筋が貫く。

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 死。

 

 死。

 

 死。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あう、あ、い、いや、やめて、あ、ひ……」

 

 その喉からは、叫び声すら出ない。唇も喉も痙攣し、意味のない震えた音だけが口から漏れる。叫ぶという原始的な逃避すら、体は深雪に許さなかった。

 

 鉄骨が心臓を貫く。

 

 その幻影。

 

 肉が内側から弾ける。

 

 その幻聴。

 

 深雪は知っている。何度も経験した。何度も思い出した。脳みそにこびりついた、いくつもの死の記憶。

 

 目を開くと、目の前にあの時の光景がフラッシュバックする。

 

 それから逃げようと目を閉じると、瞼の裏であの時の光景が再現される。

 

 あの時の音が聞こえてくる。拒絶しようと耳を塞いでも、それはちっとも収まらない。なぜなら、彼女の記憶からそれが蘇っているだけだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、どうしたってのよ!?」

 

「深雪!? ねえ深雪!」

 

 花音と回復した雫が、競技を放置して、急におかしくなった深雪を揺する。その様子は明らかに尋常ではない。

 

 選択を迫られる。競技中断して棄権するのが、まず一番だ。

 

 しかし、それでよいのだろうか。

 

 そうすると、負けるということだ。いや、負けることは問題ではない。安全と健康に勝るものはない。

 

 しかし、今ここで負けたとしたら――誰よりも気に病むのは、深雪自身ではないか。

 

 せめて、本人の口から、棄権を伝えさせるべきではないか。

 

 ――花音は決断した。

 

 深雪を背負う。おんぶと言う屈辱的な格好だというのに、深雪は拒絶すら示さない。

 

 雫が何かを言っている。鼓膜が破れて聞こえない。

 

 しかし、ながら、極限の集中状態が、一時的に読唇術を花音に習得させた。

 

「先輩は大丈夫なんですか」

 

 雫が心配しているのは、背負う役割を担った花音。桜花と違って、花音は普通の範疇を出ない女の子だ。いくら軽い深雪と言えど、重装備の人間を背負って走るのは無茶ではないか。

 

 それに対して、花音は叫ぶ。

 

 相手は鼓膜が破れていて、聞こえないだろう。自分も鼓膜が破れていて、実際どう発音されたか確認ができない。

 

 それでもきっと、自分は、正しく発声できたのだろう。

 

 なにせ……自分の心からの意志なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「可愛い後輩が困ってるのを背負えなくて、何が先輩よ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!」

 

 達也は感情をあらわにして、怒りに任せて机を拳で殴る。力が強い達也がやったそれは、オペレーター室を揺るがすほどの爆音を出した。

 

 そんな姿に周りが目を丸くする。深雪に何が起きたのかもわからないし、達也がこうなるのも意外でならない。そんな周りを無視して、達也は、文也とあずさ、そして自分への怒りに任せて、今度は壁を殴った。

 

(やりやがった!)

 

 あずさが出てくる時点で、嫌な予感がしていた。そしてその理由を探って、この作戦には思い当っていた。しかし深雪に警戒するよう話せば、それこそ連想して発狂してしまう。達也は何もできなかった。

 

 あずさはお粗末な幻影と幻聴で、あの夜に起きた深雪の死の一部を再現した。これで深雪が発狂するには十分だ。競技会だというのにここまでやるのは、達也としては頭が狂っているとしか言いようがない。

 

 こんなクズみたいな作戦を思いつくのは、間違いなく文也だ。それ以外あり得ない。自分たちだって思い出したら苦しいくせに、やりやがった。

 

『……に……ま……お……い……さま……おに、い、さま……』

 

「深雪!?」

 

 インカム越しに、深雪が達也を呼ぶのが聞こえる。

 

 そうだ、怒り狂っている場合ではない。早く妹を、この苦しみから解放しなければ。

 

「……五十里先輩、お願いがあります。今から俺を、防音障壁で囲ってください」

 

「う、うん、わかった」

 

 達也の不審なお願いに、五十里は壊れた人形のようなカクカクと頷き、素直にそれに従ってしまった。さぞ今の自分は、あの『オーガ』にも負けない顔をしているのだろう。そんなことも気にせず、達也はインカムのチャンネルを深雪のみに切り替えて語り掛ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『深雪、よく聞いてくれ』

 

 兄の声が聞こえる。繰り返される地獄の闇に、一つの光が生まれる。

 

『深雪、俺はお前に、今は何もできない』

 

 その光は、彼女を突き放した。しかし、その光はより大きくなってくる。

 

『だから、俺は、お前を信じることしかできない』

 

 光はさらに大きくなる。深みのあるテノールボイスが聞こえるたびに、深雪の視界が、あの地獄から、障害物だらけの平原に戻ってくる。

 

『深雪――信じているよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄様!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪は目を見開く。高速で揺れながら景色が動く。なぜか? 花音に背負われていると気づく。女の子の細身だというのに、その背中は、妙に頼りがいがあるように感じた。

 

「目覚めたわね!? 走れる!?」

 

「もう大丈夫です!」

 

「上等! お姉さんが褒めてあげるわ!」

 

 鼓膜が破れているから、深雪の声は聞こえないはず。それだというのに、正確に意思が伝わった。仲間として、そこには絆が出来上がっている。

 

 深雪を下ろすと同時に、花音は後輩の二人を無視して、その健脚で走り出す。陸上部の彼女は、走るのは誰よりも得意だった。

 

 深雪は気づいた。もうゴールはすぐそこ。かなり前を行く三高チームは、もう残り30メートルほどだ。

 

「お返しです!」

 

 深雪はまた『停止領域』を発動するが、分かっていたことらしく、桜花がそれを砕き、あずさと愛梨は障壁魔法で爆風をそらしながら前に進む。深雪は自分に甚大な負担がかかっているのを承知で、その大魔法を連発した。

 

「蘇ったかッッッ! その意志、認めようッッッ! お前らは強いッッッ!」

 

 桜花が振り返りながら叫び、そしてのけぞって空気を吸う。またあの攻撃だ。

 

 放たれるとほぼ同時、振動系に優れる三人は、その音波を協力して完全にシャットアウトしながら歩みを進める。桜花が攻撃に回ったせいで、愛梨もあずさも『停止領域』によって前に進めていない。深雪の莫大な干渉力は、回り込むことすらさせないほど横に広く領域を展開していた。

 

 桜花は失敗したと悔し気に顔をゆがめながら、あずさを抱えながらまた魔法を壊す。深雪はまた展開しようとするが、いつの間にかあずさから飛んできたサイオン粒子塊がそれを許さない。その一瞬のラグは、高速移動する二人が大きく前に進むのを許す。

 

 しかし、この差は大きい。深雪は領域展開のせいで、また先ほどのショックの余波で脚が上手く動かず遅れているが、ついに花音が三人に追いついた。

 

「さあかけっこよ! 平等ではないけどね! 稲妻娘!」

 

「上等よ! 地雷女!」

 

 そして抜き去っていく花音を、あずさと桜花を置いて愛梨が追いかける。二人のスピードは互角か、やや愛梨が勝る。自己加速術式の出力と素の運動神経は花音の方が強いが、『エクレール』の反応速度がそれを追い越していた。

 

「私だって!」

 

 雫が珍しく感情をあらわにして叫ぶ。使う魔法は、お返しとばかりに鼓膜を的確に狙った音波魔法。桜花はそれらを、腕を振り回して破壊する。そのせいで多少の足止めになった。雫がついに追いつく。桜花はすかさず追いかけようとするが、『停止領域』が邪魔をする。そして桜花がそれを破壊している間に差をつけようとした雫に、あずさが『地雷原』のバリエーションで液状化を起こして滑って転ばせ、そこに魔法を解除して固定しようとする。しかし雫は、液状化が収まる寸前に無理やり加速魔法で脱出した。服は醜く泥だらけになって走りにくいが、そんなのは気にしていられない。

 

 愛梨がついにゴール手前で花音を抜かす。しかし、ゴールはほぼ同時。愛梨が最後に、持っていた木の棒を後ろに向かって投げつけたからだ。それは一直線に深雪の胸に向かっていく。一瞬フラッシュバックが起きたが、深雪はそれを、兄の言葉を思い出して押さえつけ、棒を魔法で防ぐ。

 

 次いで、速度が落ちた雫がもうすぐでゴールしそうになる。

 

「中条ッッッ! 気合は十分かッッッ!!!???」

 

「ばっちりです!」

 

「よし――フンヌッッッ!」

 

 すると、なんと桜花は、抱えていたあずさをその豪腕で前方に思い切り投げた。そのパワーは尋常ではないが、さらにあずさの使った『疑似瞬間移動』によってさらに速度が増している。

 

「っ!」

 

「「きゃああああっっ!」

 

 雫と投げつけられたあずさのゴールもほぼ同じ。雫は走り抜けすぎてブレーキが利かず転倒。愛梨は高速で飛来するあずさが怪我しないように魔法で緩和しつつ受け止め、二人で交わりながら転がって全身を強かに打ち付ける。

 

 あとは深雪と桜花の勝負だ。

 

 深雪の運動神経では、出力ではるかに勝る自己加速術式を以てしても勝てない。桜花の運動神経とそこそこの自己加速術式の方が速いからだ。

 

 だから深雪は、桜花の前にだけ『停止領域』を展開する。この足止めは、最後まで有効のはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「舐めるなッッッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜花はそれを破壊すると、拳を突き出したまま猛スピードで走る。深雪がさらに展開した領域は、それによって破壊された。

 

「うそっ!?」

 

 深雪は目を見開く。拳を突き出して常に『術式解体』するというのは予想できたが、発生する爆風をもものともせず速度を落とさずに前進しているのはあり得ない。桜花は、戦いの中で成長しているのだ。混乱しながらも、必死で前を走る桜花に追いつこうとする。

 

「ラアッ!」

 

 そして桜花は急に進路を横に変えて、高速で深雪にタックルを仕掛けてきた。デッドヒートと見せかけての不意打ちでの攻撃。深雪はそれに反応して、急ブレーキからのバックステップで回避する。桜花のタックルもまた必死だったようで、通り過ぎてから踏ん張りブレーキまでに数秒かかりそうに見えた。深雪はその間にまた走り出して先行しようとするが、桜花の踏ん張り力が予想外に強く、すぐ隣を駆け抜ける形になってしまい、桜花の丸太のような腕で殴られる。深雪はさらにそれを、魔法によるジャンプで回避した。そして攻撃の振り終わりと着地は同時。桜花は回転の勢いを走力に変えて、深雪は着地の衝撃を前方への推力に変えて、またそれぞれ走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

「「――――――!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 二匹の獣の叫びが、平原に響き渡った。

 

 片方はいつも通り、もう片方はいつもと真逆。

 

 恥も外聞もなく、牙をむく鬼のように、必死の形相で、獣のように叫びながら、ほぼ同時にゴールを駆け抜けた。



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6-13

 女子『トライウィザード・バイアスロン』は、一目見ただけではその結果が誰から見ても判然としなかった。

 

 まずトップでゴールした愛梨と花音、次いでゴールに突っ込んだあずさと雫、そして最後にゴールした桜花と深雪、そのどれもがほぼ同時だったからだ。

 

 技術の発展に伴い、こうしたゴール判定は正確に判別できるようになった。光の反射を利用した技術で、小数点以下五桁まで正確に測れるようになったのである。

 

 全員のゴールタイムが発表される。その合計はほんのわずかな差で、三高の勝利となっていた。

 

「よーし! あーちゃんお疲れ! よく頑張ったな!」

 

「やったよ! ふみくん!」

 

 まず真っ先にオペレーター室に帰ってきたのはあずさだ。その顔は疲労がありありと見えるが、勝利の喜びで明るい。文也に飛びつくようにして抱き着き、文也もそれをしっかりと受け止めて抱きしめた。

 

「今戻った」

 

『アニキッッッ!!!』

 

 ついで姿を現したのは桜花だ。あれだけ魔法を連続行使してバトルしながら長距離をほぼ全力で駆け抜けたというのに、その息は乱れていない。ゴール直後は多少肩で息をしていたが、もう整ったのだろう。

 

「愛梨! すごいわ!」

 

「かっこよかったぞ!」

 

「ええ、ありがとう……少し、疲れましたわね」

 

 その桜花と同時に戻ったのが愛梨だ。魔法の使用量は彼女が一番多く、桜花のように化け物じみた体力もなければほぼ彼女に運ばれていただけのあずさと違って、愛梨の疲労は極限状態だ。自力で歩くこともままならず、桜花に背負われての帰還だった。そんなボロボロな愛梨を、栞も沓子も興奮して出迎えた。

 

 非常にハードな競技なので、終わった直後はすぐに全員メディカルチェックだ。各オペレーター室には選手たちだけでなく、男女それぞれの医者も常駐している。しかしながら彼女らの出番はほぼなく、文也が容体をピタリと当て、適切な治療も指示した。医者たちはこのチビの手足である。

 

「ぷはっ……」

 

 あずさはスポーツドリンクをボトル半分一気に飲む。普段は口を湿らす程度に小動物のようにチビチビと飲む――健康上はそちらのほうが正しい――のだが、今回ばかりは一気に飲みたいだろうし、それを咎めるようなことも周りはしなかった。

 

 ゴールタイムの結果は以下の通り。

 

 愛梨と花音は、ほんのわずかな差で愛梨の方が速かった。

 

 あずさと雫は、ごく小さな差で雫の方が先にゴールした。

 

 そして桜花と深雪は、実に小数点以下五桁目、計測可能最小単位まで全く同じであった。

 

 これらの合計は、愛梨が花音につけた差の方が大きく、三高の勝利となったのである。

 

 これで現在の点数は全く同じ。次の男子『トライウィザード・バイアスロン』で、全てが決まるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、敗北して後がなくなった一高サイドは暗かった――かというと、そうでもない。

 

 敗北したはずの花音たちは、一高の全員から拍手で出迎えられた。

 

 三高のあずさ・愛梨・桜花と激戦を繰り広げた彼女たちは、たとえ敗北しようとも、一高の誇るべき英雄なのである。

 

 しかしながら、やはり、明るいだけではなかった。

 

「深雪!」

 

 深雪はオペレーター室に帰ってこなかった。競技中に明らかに様子がおかしくなったため、大会運営の判断で、ゴールしてから直接簡易医務室に運ばれたのだ。

 

「お兄様……申し訳ございません」

 

「いや、いいんだ。よくやった、立派だったよ」

 

 オペレーター室を離れて深雪に会いに行った達也を、誰も責めようとも止めようともしなかった。深雪もまた立派に戦い抜いた一人であり、そんな彼女が最も愛する人を、向かわせないわけないのだ。

 

 簡易医務室に駆け込んできた兄の姿を見て、深雪は一瞬だけ嬉しそうに顔を輝かせるが、すぐに俯いてしまう。自分があんなことになったせいで負けてしまったのは明らかだ。CADを調整し、作戦を考えてくれた兄に対して、向ける顔がなかったのである。

 

 達也はそんな深雪にそっと近づき、優しく抱きしめた。医者たちが何も言わずに立ち去り二人きりになった病室――そこに、深雪のすすり泣く声が小さく響く。そんな妹に、達也は耳元でやさしく慰めの言葉を囁いた。

 

 深雪の働きは、期待通りとは言い難い。かなりの大活躍ではあったが、森林の中で襲われたときには愛梨の速度に対応しきれていなかったし、水上コースでも急なトラブルへの対応ができていなかった。そして何よりも、平原コースでは大きく足を引っ張ってしまった。

 

 なぜ深雪がパニックになったのか。その理由を知る者は、一高サイドには本人と達也、そして客席で見ている真由美しかいない。他生徒たちはそれを詮索するような真似こそしてこないだろうが、あの瞬間の深雪の無様は、多くの人の記憶に刻み込まれただろう。

 

 兄の期待に応えられなかった。深雪はそれが、何よりも悔しくて、悲しくて、申し訳なかった。

 

 そして達也もまた、深雪と同じ気持ちだった。

 

 達也は結局、深雪を励ますことしかできなかった。それが何よりの効果だったわけだが、結局負けてしまっている。もし、深雪がパニックにならないよう事前に手を打てていたら。間違いなく、この戦いに勝利していただろう。

 

 あずさが出てくると知った段階で、その可能性には思い当っていた。しかし深雪に忠告して意識させすぎたら、森林の暗闇でも勝手に発狂してしまいかねない。雫と花音にだけ警戒しておくよう伝えるという手もあったが、この日本魔法師界最大の闇の一つが絡む出来事に、二人を巻き込むのは憚られた。何もできない正当な理由はあるのだが、達也はどうしても自分を責めてしまう。

 

 自分が何とかできていれば。

 

 いや、そもそも。

 

 あの夜、深雪を連れて行かずに自分単騎だったら。リーナと戦っているところに乱入して一瞬で片付けられたら。最初から戦うことを想定して、油断せずに互いの「枷」を開放していたら。自分がもっと強かったら。深雪には、一切の責任も害もなく、事が終わっていたし、こんなことにはならなかった。

 

 結局ここにも、あの夜のことが関わってくる。

 

 考えてみれば、今回のこの戦いも、達也たちは文也たちに出し抜かれてまんまと後々まで残る重石を抱えさせられた。結局のところ、達也と深雪はまだ、何も変われていないのだ。

 

(これで一高が負けたら、深雪はずっと敗北の責任者として悩み続ける。それだけは避けなければならない)

 

 そのためには。

 

 次の男子で、絶対に負けてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オイオイオイ」

 

「死ぬわアイツ」

 

 達也がエンジニア兼参謀としてオペレーター室に戻ると、そこでは妙な光景が繰り広げられていた。

 

 これから激しい運動をする競技に向かうというのに、範蔵と桐原はコーラをガブ飲みし、大量のおじやとバナナ、それに少しの梅干をドカ食いしている。運動前に食べすぎたり飲みすぎたりすると、消化にエネルギーを使ってしまう上に胃の調子が悪くなって倦怠感や吐き気を誘発してしまいコンディションが悪くなる。一流のアスリートである二人がそれを知らないはずはないのにそんなことをしているのは、周りからは奇妙に映っていた。実際、作戦スタッフやエンジニアとして参加していたゲーム研究部の二人が、範蔵と桐原を見ながら、妙にわざとらしいにやけ顔で二人の行為を否定していた。

 

「ほう、炭酸抜きコーラですか、たいしたものですね」

 

「「ブフッ!」」

 

 しかし、達也は範蔵と桐原のそれを見て感心して、ついそう呟いた。なぜかゲーム研究部員の二人が反応して噴き出してしまっているが、こいつらの思考回路など分かるはずもないので、もはや不思議に思うのもバカらしく思って無視する。

 

 達也の何かわかっている風な呟きを聞いた一高生徒たちは、彼に説明を求める空気を出し始めた。達也としては何気ない呟きだったのでそんな意図はなかったのだが、これで何も言わないというのはあんまりなので、仕方なく解説することにした。

 

「炭酸を抜いたコーラはエネルギーの効率が極めて高いらしく、レース直前に愛飲するマラソンランナーもいるくらいです」

 

「どうでもいいけどよォ」

 

「相手はあの一条将輝だぜ」

 

 そんな達也に、妙な口調になったゲーム研究部員が文句をつける。その物言いは否定だが、しかし放つオーラは「お前も理解者か」と言わんばかりで、なにやら相当シンパシーを感じているらしい。達也は当然それも分かるはずがないので、完全に無視して勝手に解説を続ける。

 

「それに特大タッパのおじやとバナナ。これも速効性のエネルギー食です。しかもウメボシも添えて栄養バランスもいい」

 

 達也はほんの少し笑って、頼もしい先輩たちを見る。これなら、このあとの勝利は期待できそうだ。

 

「それにしても試合直前だというのにあれだけ補給できるのは、超人的な消化力と言うほかない」

 

「うおおおお完成した!」

 

「完璧じゃねえか! 司波も知ってたんだな!」

 

 ゲーム研究部の二人が何やら歓声を上げているが当然無視。それよりも気になるのが、頼もしい三年生二人に対して、食事が喉を通らないらしい幹比古だ。この一年でメンタル面が相当鍛えられたが、生きるか死ぬかの戦場とはまた違った「競技」と言う場には未だに慣れることができていないらしく、その顔は真っ青だ。いつものようにエリカがからかってその緊張をほぐそうとしているが、優勝か敗北かが決まるラストバトルの緊張はそれでは解れない。

 

「幹比古、飯が喉を通らない気持ちは分かるが、少しぐらい食べておけ。先輩からおじやを少し分けてもらうといい」

 

「あ、ああ、わかった、うん。ちょっともらってくる」

 

「……大丈夫なの、あれ」

 

 達也の言葉に従ってフラフラしながら離れていった幹比古の背中を見ながら、エリカが心配そうに溜息をつく。

 

「少し心配だが……幹比古はいざってときになると簡単に気持ちを持ち直すからな。スタートラインに立てばいつも通りだろう」

 

「それもそうね」

 

 実はと言うと、『モノリス・コード』の直前も、彼はこんな感じだった。しかしいざ競技が始まれば、堂々とえげつない戦法を仕掛けて圧勝に貢献していた。彼は、達也の周囲の中では一番常識人だが、しかしながら、やはり彼のメンタルもまた、どこか普通とは違うのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三高のオペレーター室は、女子の試合前と同じようにまた微妙な空気に支配されていた。今度は先ほどとは逆、無言でずっと、あずさが文也をその胸に抱きしめている構図だ。さすがに競技で汗をかいてそのままということはなく、あずさはシャワーを浴びてきているが、それでも改めて二人の距離感の奇妙さがわかる。

 

「……ねえ、七草。アンタはアレに参加しなくていいの?」

 

 そんな二人を、香澄は複雑そうな表情でチラチラ見ることしかできない。彼女の想いは、もはや知らぬは文也とあずさ、それに恋愛沙汰に興味がない一部生徒のみであり、同級生の菜々にも当然察せられている。菜々は結局何もできないで見ているだけの香澄に、無茶だとは分かっていても問いかけた。

 

「…………いいの」

 

 それに対して香澄は、震えた声でそう返して、そのままプイっと顔をそらす。菜々から一瞬見えたその表情には、悲しみや悔しさや怒りや妬み、様々な感情がぐちゃぐちゃになっているように見えた。

 

 香澄からすれば、一見、菜々は文也を狙う恋のライバルである。その目的はハニートラップだが、ロリ巨乳で扇情的な格好と態度ということでスケベな文也はすっかりメロメロになっている。だというのに、香澄は彼女を、今は全くライバル視していなかった。

 

 その理由は単純。菜々が、本心から文也を狙っていないからである。まだ多少ハニートラップをしかけていた九校戦前はそれはそれはもう親の仇のごとく思っていたが、菜々の本心と心変わりを感じてからは、わだかまりは感じていない。菜々はこの九校戦の間に、何かのきっかけで開き直ったらしく、文也への色仕掛けはすっぱりやめて、幼馴染の颯太に積極的にアプローチを仕掛け始めた。本人曰く、「考えてみれば地元を離れて三高にいれば、家族の監視なんてないし、今がチャンスじゃん」とのことである。親が泣きそうな話だ。

 

 こうした経緯があって、今は二人の仲は悪くない。せいぜい、貧相な胸の香澄が巨乳の菜々を羨ましがっているぐらいだ。どちらも人間関係では過去を引っ張らない性格であり、そこが急に仲が良くなった原因だろう。

 

「ボクでは……文也さんを慰めることはできないから……」

 

「ふうん」

 

 香澄の言っていることの意味は、菜々には分からない。何か菜々には分からない事情があるのだろう。どういうことか気にならないでもなかったが、それは菜々が突っ込む問題ではなく、相槌だけ打つことにした。

 

 ――文也の家に遊びに行って逃げるように帰ったあの日以来、香澄はこれまで以上にアプローチを仕掛けていた。

 

 それは自分の恋を叶えるためだけでなく、命の恩人である文也が、少しでも早くあの地獄の夜を乗り越えることができるようにするためだ。

 

 しかしながら、この一か月間、香澄は自らの無力を呪う毎日だった。

 

 過ごしてきた時間、共有した経験。香澄には、それらが圧倒的に足りない。文也が本気で心を開くのは親友であるあずさや駿たち、または家族に対してだけで、香澄は彼の理解者になることはできなかったのだ。

 

 香澄は知っている。この九校戦の会場に来てもなお、文也とあずさがこっそり一緒に寝ていることを。あずさがこそこそと文也の部屋の方向に、真夜中に移動しているところをたまたま目撃したからだ。あずさのスニーキングは絶望的に下手だったので、香澄の見立てではほかにも何人かに見られている。騒ぎになっていないのは、その「何人か」が気の利く人物だからだ。例えば、香澄と一緒に目撃した菜々もその一人だ。そんな綱渡りのリスクを冒してまでも、二人は夜中に一緒に寝なければならない。そしてあずさの代わりは、絶対に香澄に務まることはない。

 

 だから、香澄は自覚している。今この瞬間、競技のプレッシャーから文也を一番救えるのは、結局のところあずさなのだと。自分でも多少気を紛らわせることはできるだろうが、あずさがただああして抱きしめているだけに比べたら、天と地ほどの差があるだろう。

 

(そう、今は、ね)

 

 それはもう、「今は」仕方のないことだ。これからも、文也と過ごせる時間はいっぱいある。いつか、自分が彼の隣に立てるようになれば良い。香澄は改めて、そう決意した。

 

「…………面倒な男に惚れたもんねえ」

 

 そんな香澄を見て、菜々は呆れ半分に、苦笑しながら誰にも聞こえないように呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんやかんや結局この五人ってわけか」

 

『まあやりやすいしいいんじゃないかな』

 

 九校戦最終競技『トライウィザード・バイアスロン』男子のスタートを、もうすぐ迎えようとしている。スタートラインで伸びをしながら、文也は感慨深げにつぶやく。それをマイク越しに聞いていたらしい真紅郎が返事をすると、駿と将輝とあずさが声を出して少しだけ笑った。

 

 代表選手の三人は文也、駿、将輝。そして担当オペレーターはあずさと真紅郎だ。文也を中心とする親友グループ、いわば「いつもの五人」である。代表選手がこの三人である事、あずさと真紅郎が作戦立案能力に優れていることを鑑みれば、オペレーターがこの二人になるのは必然だった。そうした経緯で、九校戦の最後の最後は、このいつもの五人でしめることにことになったのだ。

 

『それで三人とも、調子はどうですか?』

 

「いつもどーり」

 

「普通」

 

「同じく」

 

『頼りになるんだかならないんだか』

 

 あずさの問いかけに、誰一人好調とは答えない。自然体でいつもの実力が出せると考えれば頼もしい限りだが、その気の抜けた返事に、真紅郎は苦笑するしかない。

 

「――さーて、長かった九校戦も、これが最後だ。ここで勝った方が勝ち。わかりやすい話だな」

 

 文也はスタートラインから、木々に覆われた森を睨む。見ているのは森ではなく、その向こうにあるゴールライン。早く着いた方が勝ち、それで優勝が決まる。

 

『それでは各選手、間もなくスタートですので、準備をしてください』

 

 スピーカーによるアナウンスに従い、コンマ数秒でも早くゴールするために、スタートラインぎりぎりで、三人は各々がやりやすいスタートダッシュの構えを取る。

 

『ふみくん、頑張ってね』

 

「おう」

 

 プライベート回線で、あずさの控え目な囁き声が聞こえる。こんな悪戯めいたことをするようになったのか、と文也は思わず口角を吊り上げて笑いながら、こちらもまた控え目に返事をした。

 




次回、最終回です


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6-14

最終話です


「これやっぱ高校生の競技じゃねえよなあ」

 

「文句言ってないで急げ!」

 

 スタートして開始十数分。三高の進みは遅々として進んでいなかった。

 

 三人とも、あらゆる妨害に対しては特に問題ない。特に駿の危機察知能力と反射神経はすさまじく、ここまでの妨害はなんら苦も無く対応できていた。

 

 しかしながら、森の中と言う天然のダンジョンが、三人のうちの一人、文也の歩みを遅らせ、駿と将輝はそれに合わせなければならず、三人全員が遅れてしまっているのだ。

 

 文也は愚痴りながら枝葉が茂る藪をのそのそと突破する。その腕を引っ張って助けながら、将輝は彼を叱咤した。

 

 文也は体格が小さく、また運動神経もそこまで良くはない。トラップに対して魔法で対処はできても、真夏の森が作り出す数々の障害には対応しきれない。下品なフルダイブVRゲームで鍛えた森への対応力も、そのゲームに飽きてしばらくやっていなかったせいですっかり衰えてしまっていた。

 

 これはこの競技のルールが公開され、内部で文也が筆頭候補の一人だと持ち上がった時から、ずっと問題点として残っていた。文也は『モノリス・コード』の練習試合の相手としても働いていたが、それは文也自身の森林の練習と言う側面もあった。

 

 しかしそれでも、やはり一か月の付け焼刃では大きな改善はできず、こうして本番でも苦戦を強いられている。妨害がある中で森を駆け抜ける。その難しさが、改めて文也の前に突きつけられていた。桜花のような規格外もいないので、抱えて走るということもできない。

 

 森林ステージで出遅れる。そしてその出遅れは、当然対戦相手である一高からも容易に予想がつく。

 

 こうなった時、一高はどのように動くか。

 

 ――つい先ほど、三高女子が取った作戦と同じだ。

 

「野郎! でやがったな!」

 

 より藪が濃くなった道。その暗がりから急に、大柄な男が太い木の枝を振りかぶって襲い掛かってくる。文也は魔法で加速しながら一歩下がって回避するが、太い幹の木に阻まれてそれ以上移動できず、追撃に対して障壁魔法でしのぐしかない。

 

「駿危ない!」

 

 その直後に駿を襲ったのは、駿だけを覆うように突如現れた、あまりにも不自然な霧だ。霧もまた液体であるため、将輝がとっさに発散系魔法でそれを気化する。その直後に、液体に帯電させる魔法式が現れ、対象を見失ってエラーを起こしてそのまま霧散していった。

 

「中々やるじゃないか」

 

「相変わらず凝ったことをしますね」

 

 木々の影から現れたのは範蔵だ。それと向かい合う駿は、危ないところだったと冷や汗をかく。

 

「修行が足りないぞ、井瀬!」

 

「余計なお世話だ二流剣士が!」

 

 初撃をしのぎ切った文也は、リーナにも使った、多数の完全思考操作型CADを用いた近接戦闘で応戦してなんとか互角に持ち込む。足場が悪い中での白兵戦闘は、文也と桐原の運動神経の差が大きく表れてしまっていた。

 

 一高は、まるで先ほどのお返しとばかりに、この森林ステージで奇襲を仕掛けてきた。その手順もまた、先ほどの三高に似ている。

 

 まずは隠密性に優れる白兵攻撃を潜んでいた桐原が仕掛け、分断したタイミングで範蔵が駿を攻撃する。結果として仕留めることは叶わなかったが、あと一歩のところまでは成功していた。

 

「くそっ、どこにいやがる!」

 

 将輝は『干渉装甲』で自分の身を守りながら、知覚強化魔法を使いつつ周囲を見回す。将輝の干渉力で跳ねのけられているが、彼には絶え間なく、発動の予兆がつかめない数々の妨害魔法が仕掛けられていた。

 

「吉田を探すのが先決だ! 忍者ハットリくんの相手は将輝がやれ!」

 

「そうはいくかよ!」

 

 文也の指示に従って駿と将輝がスイッチしようとするが、範蔵は駿にぴったりくっついて苛烈な攻撃を仕掛け続ける。そのせいで、駿と将輝は役割を切り替える隙ができない。

 

 将輝に妨害魔法を仕掛け続けているのは、先ほどのあずさのようにどこかに潜んでいるであろう幹比古だ。文也たちはあずかり知らぬことだが、三高の三人をここに「おびき寄せた」のも幹比古である。

 

 なぜ待ち伏せが成功したか。一高には、先ほどのあずさのように広範囲を探知できる魔法師はいないため、三高の真似はできない。代わりに、隠密性に優れかつ曖昧な効果を実現できる古式魔法の名手である幹比古が、それとなく藪や障害物や日光や風などの様々な条件を操作し、文也たちがここに来るように仕向けた。

 

 そして奇襲の初手が終わってからも、綿密に練った作戦は続く。

 

 まず桐原は文也を徹底マークする。文也は完全思考操作型CADによって白兵戦闘でも厄介になったが、この環境では運動神経のせいで力を発揮できない。

 

 そして範蔵は、駿を封じ込めることが目的だ。三高の三人で、一番幹比古を見つける可能性が高いのは、敵意や視線に敏感な駿である。彼を徹底的に封じ込めることで、後方支援で古式魔法の恐ろしさを存分に発揮している幹比古が見つかるのを阻止している。幹比古の妨害は、絶対に形勢が逆転しないよう、要所要所で文也や駿にも、的確かつ必要最小限に仕掛けられている。そのせいで、何か逆転の手を打とうとしても、邪魔されてしまってできなかった。

 

「ここだ!」

 

 しかし、それで黙っているほど三人とも大人しくはない。駿と将輝を支援有りとはいえ一人で相手することになっている範蔵が、ほんのわずかに隙を見せた。その間に駿は一瞬で大量のサイオンの弾丸を作り出し、範蔵が使う魔法をすべて無効化する。その隙に将輝が範蔵から離れ、急にターゲットを桐原に切り替え、『偏倚開放』で攻撃する。その対応に追われた桐原はついに文也を逃がしてしまい、その間に文也は駿と入れ替わるようにして範蔵と対峙した。

 

「よーし二回戦だ、ここからが本番だぜ」

 

 桐原の相手を将輝が、範蔵の相手を文也が、それぞれする体勢だ。将輝ならばこの森の中でもある程度戦えるし、範蔵が仕掛けるあらゆる攻撃にも万能の文也なら対応できる。そして、敵意の探知に優れる駿がフリーになったことで、幹比古を探すのがだいぶ楽になった。

 

 しかし、これでも、文也たちにとってはかなり不利な状況だ。幹比古を潰せれば楽だが、それを探すのがとんでもなく大変なのである。彼の隠れる能力やこの環境もさることながら、『視覚同調』でこちらの様子を見ながら妨害していることは間違いないため、肉眼の制限から解き放たれて距離は相当離れているだろう。

 

 ――こうなった時のために、文也はしっかり策を用意していた。

 

「任せたぜ、マサテル!」

 

「マサキだ!」

 

 将輝が、周囲一帯を囲むように、領域魔法を行使する。駿はすでに感覚を頼りに幹比古がいる大体の方向にあたりをつけて走り出しており、その領域からは離れている。

 

 瞬間、文也たち四人の戦いの様子は、外からは擦りガラス越しに見るように、曖昧な景色になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、『拡散』か」

 

「これはお互いに参ったねえ」

 

 その様子を見ていた達也と五十里は、一瞬にして視覚がおかしくなってしまって混乱した桐原と範蔵に説明をした後、マイクを一旦切って呟く。

 

 将輝が使った領域魔法の名前は『拡散』。領域内の任意の液体・気体やエネルギーの分布を平均化することで、識別できなくする魔法だ。今回は光だけを平均化しているため、領域内のあらゆる色・景色が混ざった、何とも言えない空間にしか見えない。そしてそれは、その内部にいる四人にとってもそうだろう。

 

 こうすれば、幹比古の『視覚同調』は意味をなさない。外部の妨害がない状態で、文也たちは戦うことができる。また副次的な作用として、オペレーターたちも見えないためまともな指示をすることができなくなってしまう。五十里が「お互いに」とつけたのは、それは三高サイドにも悪影響があるからだった。

 

 達也は思わず嘆息した。特化した干渉力がないのに、これほどの大きさの領域で『拡散』を使えるのは、将輝の規格外な魔法力によるものだろう。しかもそれを維持しながら、桐原と互角に渡り合っている。この領域を作り出している将輝自身の方がやはりある程度慣れているため、桐原は苦戦を強いられていた。亜夜子の『極致拡散』ほどではないが、十分絶技と呼べる。

 

 奇襲から途中までの流れは良かったが、こうなってくると少しだけ苦しい。駿をフリーにしてしまったことについては、最悪の展開と言っても過言ではない。

 

『なんでこんな正確に追いかけてくるかなあ』

 

 木々の間を飛び回りながら呟かれた幹比古の愚痴が、二人のヘッドホンから聞こえてくる。駿が向かったのは、まさしく幹比古が潜んでいた方向だった。距離の制限こそないとはいえいつでも戦場に参戦できるように実はそこまで離れておらず、見つかるのは時間の問題だった。幹比古は痕跡を追われないよう魔法なしで上手に木々を飛び回って、ついでに駿にあらゆる妨害を仕掛けながら逃げ回っているが、彼我の距離は離れることはない。むしろ、駿が地上を走っている分速度が出るため、縮まりつつあった。

 

「ボディーガード業をやっていたらしいから、スナイパーとかにも敏感なんだろうな」

 

「あーなるほどねえ」

 

『雑談してる暇あったら早く何か策を出してくれない?』

 

 幹比古から文句が入ったので、達也はこうなった時の為の次の一手を指示する。

 

 今や幹比古の役割は破綻したと言っても過言ではない。隠れることもほぼ不可能に近く、妨害もできていない。このまま逃げ回るだけ無駄だ。

 

「幹比古、これからお前がするべきことは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 曖昧ななんとも言えない景色に囲まれた中での範蔵と文也の戦いは、徐々に激化していた。

 

 範蔵が巻き起こした砂塵は障壁魔法によって防がれ、文也が放つ『不可視の散弾(インビジブル・バレッツ)』は『情報強化』で意味をなさない。増幅された音波攻撃と、それに隠した『這い寄る雷蛇(スリザリン・サンダース)』が文也に襲い掛かるが、それぞれの系統に合わせて行使された文也の反対魔法によってすべてが無効化される。そしてその反撃として放たれた、顔面周辺の空気の酸素を空気中の物質と無理やり結合させることで酸素濃度を薄くして酸欠にさせる『強制酸素結合』を、範蔵は『領域干渉』で跳ねのけた。

 

 範蔵はこれといった苦手がなく、あらゆる魔法を使いこなす。その『万能』の異名を持つ七草家の長女・真由美に似たスタイルから、本人のあずかり知らぬところで、『将軍(ジェネラル)』とあだ名がつくほどだ。

 

 そんな多種の魔法に対して、同じく万能である文也は、見事に対応している。真由美を速度寄りにしたら文也に、干渉力寄りにしたら範蔵になる、と一高でこっそり言われていたことがあり、文也は当然範蔵の魔法に対抗できない。しかし、干渉力の勝負を避け、三七上のように結果現象を打ち消す対抗魔法を瞬時に選ぶことで対応しきっているのだ。

 

 その多種の魔法が飛び交う、まるで二人だけで多人数の魔法戦闘をしているかのような激闘は、『拡散』によって外部からは見えない。文也と範蔵が漏らす息遣いと声のみが、それを仲間に伝えていた。

 

「くそっ、井瀬のやつ、速度に磨きがかかってやがる! 後出しなのに全部追いつかれる!」

 

『え、服部君の速度に後出しで?』

 

 干渉力で負けているため、文也は魔法力ではなく、魔法が生み出す現象で上手に相殺している。『拡散』のせいで範蔵の目に見えるわけではないが、文也がそうするしかないのは分かっているため、確信がある。しかし、それを実現するためには、範蔵が使った魔法をこの『拡散』の中で即座に見極める魔法感性もそうだが、後出しでも追いつく速度が重要となる。範蔵の魔法行使速度は平均よりも高く、いくら速度に自信がある文也でも後出しで追いつけるはずはない。しかしながら、現実、文也は追いついて範蔵と互角の勝負を繰り広げていた。

 

 そんな範蔵からの報告を受けて、五十里は冷静でなければならないオペレーターの役割を忘れて気の抜けた声を漏らしてしまう。範蔵と三七上、どちらも同級生の同性であり、両方の性質を知るからこその混乱だった。

 

 そうこうしている間に、範蔵の得意技である帯電させた蒸気塊を防いだ文也から反撃がくる。『拡散』のせいで足元がおぼつかず、範蔵はうっかり隆起した太い木の根を踏んでしまう。それでバランスを崩すようなことはないが、文也はそこを狙って、木の根と範蔵の足の裏の相対距離を固定する硬化魔法で、範蔵の身動きを一時的に制限した。急に足裏が固定されたせいで範蔵はつんのめってしまい、対応がわずかに遅れてしまう。瞬間、文也はあらゆる種類の攻撃魔法を範蔵に殺到させる。

 

「ぐっ!」

 

 文也の防御速度も異常だったが、攻撃速度もまた異常だ。およそあの運動能力に乏しいチビの反射神経から出たとは思えない速度で、大量の魔法が襲い掛かってくる。種類も現象も様々なそれは、克人の『ファランクス』でもなければおよそ防ぎきれるものではない。

 

 ゆえに範蔵はとっさにしゃがんで頭を抱えて身を丸め、『領域干渉』と『対物障壁』だけを展開して、ある程度のダメージは受け入れる。『領域干渉』によって『圧縮開放』『強制酸素結合』『不可視の散弾』を、『対物障壁』によって移動系・加速系・収束系で放たれた物体を、それぞれ防ぐことに成功する。その代償として、炎天下の中で防具を着て激しく動き回っている中ではあまりにも辛い『熱風』、酩酊させられる『幻衝(ファントム・ブロウ)』、鼓膜を破る『振動貫通』は通してしまった。頭を抱えながら耳を腕でふさいでいたため鼓膜は破られなかったが、その強烈な超音波は『幻衝』と合わさって範蔵の意識を遠のかせる。さらにドライヤーを全身に浴びせられたような『熱風』によって急激に体温が上がって汗が吹き出し、急性熱中症になりかけてしまった。

 

 そして範蔵にとっては幸か不幸か、『領域干渉』によって文也が仕掛けた硬化魔法が急に解除され、思い切りバランスを崩して地面に倒れこんでしまう。それによって、『拡散』で範蔵の姿が見えない文也の狙いは定まらず、通してしまった攻撃から逃れることに成功した。

 

(……おかしいな)

 

 倒れこんですぐ起き上がった範蔵は、『干渉装甲』で自身を守りつつ、追いかけるようにして放たれる魔法の数々を走り回って避けながら、疑念を抱く。

 

 まず一つ。文也はなぜ、この視界が制限された状態で、範蔵が木の根を踏んだ瞬間にあの硬化魔法を使えたのか。見えていなければ、あの反応速度は普通ならあり得ない。何か知らの感覚強化、または探知魔法を使っていると見てしかるべきだ。

 

 そして、なぜ今はこうも狙いが不正確なのか。見えない中で範蔵を追いかけていられるだけでも上等と言えば上等だが、あの木の根に固定してからの集中攻撃という流れの正確さに比べたら、あまりにも拙い。

 

 とにもかくにも、探知魔法か感覚強化魔法は間違いなく使っている。この状況下で使える定番は、足音を聞き取る聴覚強化だろう。しかしそれだけでは、あの木の根での正確さに説明がつかない。サーモグラフィーのような熱探知魔法だとしたら、逆に今の不正確さに説明がつかない。

 

(考えろ……今は自分だけが頼りなんだ)

 

 観客たちはサイオンが見えるように加工された映像で観戦しているが、オペレーターたちが見ることができるカメラは、なんとそういった加工はこの森林ステージに限っては施されていない。オペレーターたちは例え魔法師であろうと、カメラが感知できない魔法式やサイオンを見ることができない。ましてや今はその視界すら塞がれている状況だ。賢くて頼りになるオペレーター二人ではこの状況を解決できない。自分で考えるしかないのだ。

 

(ヒントは、状況の違いだ。さっきの木の根を踏んだ瞬間と今の違い……)

 

 木の後ろに身を隠して攻撃を防ぐ。脚をほんの少しでも止められた一瞬、その間に少しでも考えなければならない。

 

 そして、一つの考えに至った。

 

 木の根を踏んだ瞬間と今の違い。

 

(『干渉装甲』か!)

 

 今の自分は、改変内容を定義しない干渉力を纏って、文也からの直接干渉を防いでいる。しかし、木の根を踏んだ時はこの鎧をまとっていなかった。

 

 正確さの違い。それは、文也が範蔵の体を直接探知できていたかどうか。その違いだ。

 

 おそらく文也は、現在この周辺の至る所に、相手に直接干渉するタイプの領域型探知魔法を大量に設置している。範蔵や将輝のような強大な魔法力を持つ魔法師なら領域まるごと囲えるが、文也程度だとそこまではできない。代わりに、小規模の領域型探知魔法をいたるところに設置して、そこに範蔵が触れるたびに探知できるようになっていたのだ。

 

 しかし、今は範蔵が、自身を中心とする半径数十センチメートルに干渉力を展開している。領域型探知魔法は範蔵を探知することはできない。干渉力で勝ってその探知領域が消えたことは文也にも伝わるので、大まかな位置を特定することは可能だ。しかしそれは範蔵の体そのものではなく、その半径数十センチを探知しているに過ぎない。そのせいで、正確さに狂いが生じているのだ。

 

(この弱点はあいつも分かっているだろう。間違いなく、探知方法を切り替えてくるはずだ)

 

 例えば、『サイオンレーダー』は有力だ。一定以上の密度があるサイオンを検知する無系統魔法で、『干渉装甲』などの魔法式を探知することができる。これで干渉力の範囲を正確に絞り込めば、その真ん中に範蔵がいるとわかるはずだ。

 

(だったら!)

 

 範蔵は『干渉装甲』の領域定義を変更する。これまでのように一定ではなく、30秒ごとに領域設定が切り替わり、その範囲は歪でランダムとする。こうすれば、その形のいびつさゆえに、『サイオンレーダー』では中心を絞り込むことができない。

 

「あ、クソ、やりやがったな!」

 

 ビンゴだ。曖昧になった視界の向こう側から、文也の悪態が聞こえる。歪な形になったと即座に感知されたのにはさすがに驚いたが、この反応から察するに、向こうはこれ以上の手は考えていないのだろう。

 

 その間に、範蔵は文也の悪態、さらにそこから移動する男子高校生とは思えないほどに軽い足音を頼りに、射撃魔法を次々と仕掛ける。それが命中した手ごたえはなかったが、反撃に移れて相手の攻撃が止んだだけでも十分だ。

 

 範蔵は闘争心を昂らせながら、渾身の攻撃を文也に仕掛ける。視覚では捉えていないが、こちらから射撃攻撃に紛れてこっそり仕掛けた探知魔法が文也のエイドスを捉えている。

 

(決まってくれよ!)

 

 仕掛ける魔法は、対象の衣服を固定して動けなくさせる収束系魔法『固定拘束』だ。範蔵の干渉力は、文也のエイドススキンを確実に上回る。

 

 しかしながら――「予想通り」、その魔法は効果を成さなかった。

 

「司波の言う通りだ。井瀬には、直接干渉する魔法が効かない」

 

『やはりそうでしたか』

 

 スピーカーから、達也の呆れかえったため息まじりの返事が聞こえてくる。詳細や事情はあまり分からないが――今の達也は、この可能性を指摘してくれた時と同じ顔をしているに違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンジー・シリウスが使う『仮装行列(パレード)』。あれが、古式魔法の『纏衣の逃げ水』を改造してできたものだっていう話と、それゆえに僕らは、この魔法の扱いを慎重にしてほしい……って話は前にしたよね?」

 

「はい」

 

 なにせ、わざわざリーナの前に現れて戦闘してまで伝えようとしたことだ。態度は相変わらず軽薄だが、間違いなく本気である。

 

「でも困ったことにね、アンジー・シリウスが井瀬文也にとらわれて、彼女が持っている戦闘装備一式が奪われてしまった。その装備――CADの中に、『パレード』も当然入っているわけで」

 

「……なるほど」

 

「分かってくれるかい? 僕らも黙って見過ごすわけにはいかないから、実は三月のある日に井瀬文也に接触したんだ。最初の内は僕もいつも通り、御覧の通りの態度で挑んだよ。あんなのにいちいち畏まるのも癪だからね? だけど、彼は中指を立てながら『うるせーハゲ』の一点張りでね。そのあとも、我ながら珍しく下手に出て交渉し続けたわけだけど、『司波兄妹の体術の師匠だろ? つまり敵だ。よーし決めた。いつか全世界に公開してやる』とまで言われちゃって」

 

「…………あのクソガキ」

 

「深雪、落ち着け」

 

「条件として、達也君たちと縁を切れとは言われたんだけど、君の師匠と言う立場は色々ウマ味があるから捨てがたくて、結局今こうして愚痴をこぼすしかないってわけさ。あと深雪ちゃん、いくら夏と言えど、早朝は冷え込むから抑えてくれない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 範蔵の報告を聞いた達也は、目頭をもみながら7月5日の早朝に起きた一幕を思い出す。八雲は見たことないぐらいに不機嫌……というよりかは困り切って少しやけっぱちになっていた様子だった。それに対して達也は同情することしかできない。真夜の失策と焦りが原因とは言え、自分たちの不手際で八雲があのクソガキからいらない心労を強いられる羽目になっているのだ。四葉の体面もあるため謝罪もできず、半ば責めるような愚痴を聞かされ続ける羽目になった。

 

『ロアー・アンド・ガンナー』では使う機会がないだろうが、直接干渉する魔法を干渉力関係なくすべてエラーにする『パレード』は、『モノリス・コード』や『トライウィザード・バイアスロン』ではこの上なく有効な魔法だ。使えるならば、使わない理由がない。八雲はこの魔法が世間の注目度が高いこの大会で全国放送によって晒されるのを危惧していたのである。そしてその危惧は、悲しいことに的中してしまった。

 

 もうこうなったら仕方がないので、八雲も全国放送されるのは諦めていた。だから、達也がこの魔法の存在と文也が使うかもしれないということを範蔵たちに伝える、ということも、八雲は了承している。本来ならそれでも絶対了承しないだろうが、文也を負かしてほしいというちょっとした逆恨みが彼の背中を押したに違いない。

 

 そういうわけで、達也は最低限の仲間――選手三人と五十里――にだけ、この『パレード』を文也が使ってくるということを、今まで再三にわたって伝えてきた。範蔵は今、それを確認したのである。

 

(『拡散』と『パレード』……なるほどな)

 

『拡散』で視界を遮って射撃魔法を制限し、『パレード』で直接干渉する魔法を無効化する。魔法力と演算力、どちらもハイレベルでないとできない合わせ技だが、実に厄介だ。

 

 こうなってくると、範蔵は苦しい。桐原も今一つ上手くいっていないようで、近接戦闘だというのに将輝と互角の戦いを強いられている。これほどの範囲の『拡散』を維持しながら近接戦闘で桐原と互角というのには、将輝の魔法力がいかに規格外かを思い知らされる。

 

 しかし、もうすぐこの不利な戦局が大きく動く。達也は全体の様子をじっと見ながら、その瞬間が来るのに備えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『将輝、伏せて!』

 

「なんだっ!?」

 

 耳元でいきなり響いた真紅郎の叫び声を聞いて、将輝は反射的にしゃがんで伏せる。その直後、先ほどまで将輝の頭があった場所を、拳大でそこそこ重さのある何か――おそらく石――が高速で通過する音と空気の動きを感じ取った。

 

「くそっ、そういうことか!?」

 

 その直後、幹比古を探して遠く離れていたはずの駿の声が、スピーカーからだけでなく、直接届く。

 

「吉田のやつ、逃げる振りしてこっちに参戦する算段だったのか!」

 

「ご名答!」

 

 駿の悔しそうな声に、幹比古が反応しながら攻撃を仕掛ける。正面からわかりやすく『雷童子』が放たれるがそれはブラフ、隠密性に特化した古式魔法版『圧縮開放』が駿に襲い掛かる。しかし駿は雷撃を尖った枝に吸い寄せさせて防ぎながら、背後の攻撃にも反応して障壁魔法で防ぎつつ、自己加速術式で幹比古に接近してその鳩尾に拳を叩き込もうとする。しかしそれは腕をクロスして防がれ、その衝撃を利用して距離を取られてしまった。

 

 ――駿に気配を捉えられた幹比古は、もはや彼から逃げ切ることはできない。

 

 こうなった時に、まずとれる手段と言えば、せっかくの一対一の機会を活かして、応戦することだ。

 

 駿と幹比古が正面からやりあった場合、達也の見立てでは幹比古にやや分がある。森林の中と言うフィールドアドバンテージは古式魔法師たる幹比古に有利に働くし、駿は古式魔法師との戦闘経験は少ないからその差も大きい。

 

 ただし、それにはあまりにも大きなリスクが付きまとう。こと視認された状態での戦闘となれば、速度で圧倒的に劣る幹比古は、CADを介した魔法はすべて無効化されてしまうし、そもそもこちらから何も仕掛けられず先制攻撃を食らってしまう。

 

 故に達也はそれを嫌って、幹比古に、逃げる振りをして範蔵たちに合流するよう指示をした。捕捉されてしまったからには仕方ないので、幹比古も戦場に加えて三対三の正統派な戦いに持ち込むのが最もローリスクだ。範蔵と桐原が上手くサポートすれば、幹比古の遅さもカバーができる。

 

「だったらもうこれは不要だな」

 

 途端、全員にとって一気に景色が明瞭になる。本人がこの場にいるからには、もう視覚共有の対策をする必要はない。将輝は即座に『拡散』を解除し、急に情報量が増えて戸惑う桐原に猛攻撃を仕掛ける。『拡散』の負担がなくなった将輝の攻撃は苛烈で、幹比古のサポートがあってなお、桐原はしのぐので精いっぱいだった。

 

「よく見えるようになったぜ忍者ハットリくん! そのヘルメット引っぺがしてドングリまなこにへの字口、それにグルグルほっぺを全国放送でさらしてやる!」

 

「グルグルほっぺがあり得るか!」

 

 同じく視界が明瞭になった範蔵と文也も、さらに戦闘を激化させる。二人とも一人で複数人の魔法師相当の魔法を一気に使うため、もはや「戦争」と言っても差し支えないほどの魔法が乱舞していた。

 

 範蔵は得意の蒸気の塊を文也にけしかけながら、いつの間にか拾った木の枝に『着火』で火をつけ、山火事が起こりかねないのも無視して投げつける。蒸気の塊は一瞬で吸収系魔法で分離されていて酸水素ガスになっており、火のついた枝がそれに触れたことで水素爆発を起こした。

 

 しかし、蒸気と火と言う組み合わせで何をされるのか文也は察して反応した。当然だ、なにせ自分が将輝に使わせた魔法と同じなのだから。文也は爆発と爆音をあり得ない速度で障壁魔法を展開して防ぐと、逆に燃えている枝に温度上昇魔法をかけて、さらに燃焼を激しくさせる。枝は一気に燃えて炭になってしまった。

 

「お返しだ!」

 

 そしてその炭――ではなく、燃焼によって発生した二酸化炭素は元から空気中にあったものも含めて収束系魔法で圧縮され、さらに発散系魔法によってドライアイスとなる。その真夏の森林にふさわしくないドライアイスは範蔵に放たれ、その顔面の前で爆発した。

 

「こ、これは!?」

 

 半ば反射だが防ぐことに成功した範蔵は激しく動揺する。

 

 今の面倒な手順を踏んだ魔法は、ドライアイスを顔面近くで気化膨張させることで、相手を吹き飛ばしたり、二酸化炭素を急激に吸わせて中毒症状を起こすことを目的としたものだ。

 

 この魔法を、範蔵は知っている。

 

 なにせ、一高に入学した時からずっと憧れていた先輩の得意技だ。

 

 範蔵はそれに動揺しながらも、反撃は忘れない。多種多量の魔法が文也に襲い掛かる。しかしそれらの魔法によって起きた現象は、全て文也が恐ろしい速度で行使した魔法によって防がれる。

 

 おかしい。これもやはり変だ。

 

 範蔵の魔法を見てから対抗魔法を選んでいるにしては、どう考えてもあの行使速度の説明がつかない。後から魔法を選んでいるとしたら、世界一と言っても過言ではない速度を持つ駿や、去年九校戦で異常な速度を見せた達也すらも超えている。

 

 ドライアイスを使った魔法と、異常な対応速度。

 

 この二つによって、範蔵の疑問が膨れ上がり、混乱を引き起こす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そしてこれと同じ原因で、大騒ぎになっている人物が二人、観客にいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こら、香澄ちゃん! あなた、アレらを井瀬君に教えたでしょ!?」

 

「よくわかったね、お姉ちゃん」

 

 形勢不利と見た達也か五十里が決断したのか悔しそうに撤退する一高、それを追いかけようとするも幹比古の攪乱魔法によって見失ってしまった三高。それぞれの様子が映し出されたモニターに、観客席にいた真由美は視線を向けていない。とにかく一刻も早く、バカなことをした犯人であろうヤンチャな妹を問い詰めなければならなかった。

 

 携帯端末で電話をかけた相手は香澄だ。向こうの「もしもし」を待つことなく、「も」と聞こえた瞬間に真由美は叫んで糾弾する。それに対して、香澄は悪びれもせずに認めた。

 

 文也が使ったドライアイスを使った魔法の名前は、『ドライ・ミーティア』。相手に致命傷を負わせずに無力化するという点で非常に優れた魔法であり、真由美の対人戦闘における切り札だ。一応起動式は公開されてはいるが、真由美が使うものは、それをさらにレベルアップさせたものとなっている。つまり文也がこの魔法を使っていても普通は問題ない。

 

 しかしながら、毎度のことではあるが、文也に「普通」はありえない。

 

 あの発動した様子を見るに、文也本人の実力や起動式開発力を考慮するにしても、明らかにあらゆる面で精度が高い。公開されている起動式に多少改善を加えた程度では、範蔵を苦しめるほどにはならないに決まっている。

 

 つまり、文也が使った『ドライ・ミーティア』の起動式は――お得意の劣化コピーではなく、七草家が隠し持つグレードアップ版そのものに他ならないということだ。

 

 そしてもう一つ。こちらはさらに大問題だ。

 

 文也がなぜ、範蔵の魔法にあの速度で対応できているのか。範蔵の魔法を見てから魔法を使っているにしては、明らかに異常である。

 

 この秘密はそうそう分からないだろう。はたから見て気づけるようなものでもない。

 

 しかし真由美は、それを知っている。

 

 CADを使った魔法の行使にはいくつかのステップがある。魔法を選ぶ。CADにサイオンを流す。感応石がそれを電気信号に変える。信号に応じてストレージから起動式が電気信号で送られる。感応石がそれをサイオン信号に変換する。術者に流れ込む。術者がそれに変数定義をして魔法式にする。魔法式を意識領域と無意識領域の狭間からイデアに投射する。魔法式がエイドスに干渉し書き換え、現象を改変する。

 

 一瞬の間にこれだけのステップを踏んで、魔法を行使しているのだ。このステップをいかに早く踏めるかが、魔法力の重要な要素である魔法式構築速度である。

 

 

 

 

 では、このステップはすべてノンストップでやらなければならないのかというと――実はそうではない。

 

 

 

 

 起動式に変数入力をして、魔法式にする。この段階で、あとはイデアに投射するだけと言う段階で、いったん保留にすることが可能だ。つまり意識領域と無意識領域の狭間に、投射直前の魔法式を置いておくことができる。

 

 文也は、範蔵が使ってくるであろう魔法に対抗できる分、それこそ「すべて」に対応できるだけの種類・数の魔法式を、意識領域と無意識領域の狭間に留め置いてるのだ。CADにサイオンを流してから変数入力するまで、つまり魔法行使における手間のほとんどをカットしたならば、範蔵の魔法を見てから後出しで行使しても、防御は間に合うのである。異様な速度の正体はこれだ。

 

 しかしながら当然、これは常識外れの技術と言うほかない。戦闘中で動き回りながら状況に合わせて普通に魔法を行使するだけでも大変なことだ。ましてや意識領域と無意識領域に魔法式を留め置きながら普通に別の魔法を使用することすら、生半可な魔法師ではできない。それを、いくつもの魔法式で、リアルタイムでやっているのである。数学や理科学の計算を要する文章題を、動き回りながら状況に合わせていくつも同時に解いて、しかも答えを書きだす直前で意識領域と無意識領域の間に留めておく。そう例えるしかないが、そう例えてもなお表しきれないほどの「特異」技だ。

 

 しかしこれを実戦レベルで使いこなせる魔法師を、真由美と香澄は知っている。

 

 

 

 

 ――二人の父であり、七草家の当主である、七草弘一だ。

 

 

 

 

 七草家は元々は三枝家で、「多種類多重制御魔法」「魔法同時発動の最大化」を研究テーマとする第三研究所に所属していた。その「多種類多重制御魔法」技術の最大の成果の一つが、弘一が使う魔法技術、『八重唱(オクテット)』と呼ばれているものである。

 

 八重唱は、四系統八種の魔法を一つずつ、投射直前の状態で保持しておく技術だ。これによってあらゆる事象に即座に対応できる。サイオンを流してから変数入力するまでの流れを事前にやっておくことで、対処したい事象や改変を見てから後出しで適切な魔法を選ぶことができるのである。

 

 これは七草家の当主の専売特許と言える技術であり、他勢力との差別化を図る意味でも、そのコツやノウハウなどは当然、一族の機密となっている。七草家の血が濃く流れる家族にしか伝えられることはなく、真由美や香澄や泉美、およびその兄たちは全員教わっている。とはいえ、弘一のように四系統八種を同時に待機状態にしたうえでさらに普通に魔法も使える、というレベルには到達できていない。今のところ、真由美は六種、香澄と泉美は四種が限界だ。種類や数が増えるほど加速度的に難易度が増していくため、長いことここで躓いている。

 

 そんな七草家秘伝ともいえる技術を、香澄は、なんと文也に教えてしまったのだ。

 

 技術の存在や仕組みはまだ良い。七草家の魔法力を誇示して影響力を高めるために、八重唱の存在は知っている者は知っている。かの『マジカル・トイ・コーポレーション』の中核で、四葉家と争って勝利して見せた文也たちならその存在は知っていても不思議ではないし、そこからどうやってやるのかという仕組みも分かってくるだろう。存在を教えたところで、遅かれ早かれと言ったところだ。

 

 しかしながら、香澄は、七草家が隠し持つコツやノウハウまで、文也に教えてしまったのである。文也が範蔵を相手にしてもなおあそこまで使いこなしていることから、それは明らかだ。さらに言えば、投射一歩手前にしてある魔法の数は、おそらく八を超えている。干渉力は弘一の足元に及ぶか及ばないか程度ではあるが、対応できる事象の種類と言う観点で見れば、弘一よりはるかに使いこなしていると言えよう。

 

「香澄ちゃん、自分が何したか分かっているの!? どっちも七草家の秘伝・機密なのよ! それを、一条家の傘下にいる人間に教えるなんて!」

 

 周囲を気にして大声で怒鳴りたい気持ちを必死で抑え込みながら、真由美は強い口調で妹を詰る。このヤンチャで奔放な妹を叱ったことは幾度となくあるが、今回は真由美が許せる範囲をはるかに超えていた。

 

『いーじゃん、別に』

 

 しかし、そんな真由美の焦りとは裏腹に、電話の向こうからの返事は、あっけらかんとしたものだった。

 

 真由美が顎が外れそうなほどに口を開けてポカンと黙ってしまったのを良いことに、香澄はさらに続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『だって、文也さんは、将来のボクのお婿さんだからね! そのうち七草家に入るんだから、今のうちに教えたって大丈夫だよ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――真由美は結局、今行われている九校戦のラストバトルを会場で見届けることができなかった。

 

 この直後、ずっと続いていた胃痛が急に激しくなり、病院に駆け込む羽目になったのだ。

 

 病院での診断結果は、胃穿孔――ついに、彼女の胃に穴が空いたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森林での戦いは、結局のところ、またも三高の勝利で終わった。あとは水上ステージと平原ステージ。どちらも障害物のない開けた戦場であり、圧倒的なパワーを持つ将輝を相手にするには厳しい。

 

「吉田、急げ!」

 

「先乗ってるぞ!」

 

「はい!」

 

 撤退のせいで出遅れた一高の三人がようやく森を抜けたころには、先行していた文也たちはとっくに三人で一つのボートに乗り、一周を終えたところだった。一条家のお家芸で液体に干渉する力が強い将輝が漕ぎ手、文也と駿が妨害への対処と言う、予想通りの役割分担だ。まだ一周目を終えたところと言うのは予想よりも差がついていない嬉しい誤算だが、これは文也が森林を抜けるまで、あの後も足を引っ張ったということだろう。

 

 それでもなお苦しい一高の三人は、少し先に森を駆け抜けた範蔵と桐原が別々にボートに乗り、二人の運動能力に追いつけず少し遅れてしまった幹比古が後から一人でボートに乗った。

 

 この競技における水上コースのスタンダードは、三人一緒に同じボートに乗ることだ。そうすれば漕ぎ手と妨害・防御担当で役割分担ができるし、それぞれの役割に集中できる。

 

 しかしそれでも、一高は別々のボートに乗ることを選んだ。

 

「くそっ、どこまでもわかってるやつらだな!」

 

「敵ながら頼もしすぎるぜこん畜生!」

 

 将輝と文也が悪態をつく。これは三高にとっては、少し嫌な展開だ。

 

 この作戦を提案したのは達也だ。当初はスタンダードに一緒に乗る予定だったのだが、そうすると、一高の負けがほぼ確定となってしまうことに、達也は気づいたのである。

 

 液体に干渉する魔法を得意とする将輝にとって、この水上コースは、一面すべてが得意な武器と言っても過言ではない。そんな将輝からの攻撃を三人纏めて受けてしまえば、揃って戦闘不能もしくは大きな不利を負い、そのまま敗北してしまうのである。そこで、無理を承知で、三人別々にボートに乗って、ターゲットを分散することにしたのだ。

 

 こうなると、将輝は安易に妨害をすることができない。

 

 将輝が妨害に回るということは、最速かつ最安定の漕ぎ手を降りて、文也か駿に任せるということで、速度も安定性も犠牲にしてしまう。三人纏めて戦闘不能にできるならそれをするだけの価値はあるが、ターゲットが分散されてしまうと、一度の攻撃で狙えるのは一人であり、効果が薄いのである。それだったら、素直にここを最速かつ安定的に乗り越えるほうが、三高にとっては勝率が高い。水上で将輝と戦うという展開を、達也が見事に回避したのだ。

 

『よし、予想通りだ』

 

 将輝が妨害に回る様子がないのを見て、達也は満足そうに呟く。三高は役割分担を交代していない。ここの読みは、達也の勝ちだ。

 

 しかしながら、それはあくまで最悪を回避しただけの事。単独で移動と妨害対処をしなければならない一高の三人は、三高にぐんぐん離される。一番遅れている幹比古が一周終える間に、将輝たちは二周目終盤まで進んでいる。例の高精度センサーをつけた二分割CADによる半自動魔法も併用した多量の妨害が文也によってなされたのも要因だ。苦しいながらも三周目を終えたころには、もう三高は五周を終えて、直線に入っていた。

 

「よしマサテル、あれをやるぞ! 覚悟を決めろ!」

 

「マサキだ!」

 

 瞬間、三高が動きを見せる。直線だというのに明らかにボートの動きが遅くなり、妨害の雨が止む。文也が漕ぎ手になり、将輝が妨害役に交代したのだ。

 

『気を付けて! 一条君の攻撃が来るよ!』

 

「直線ならばボートの操作が簡単だから、井瀬にバトンタッチしても大きな問題はないってことだね!」

 

 五十里の警告よりも早く機敏に察知していた幹比古が、将輝によって作り出された逆流に抗いながら叫ぶ。

 

 幹比古の予想は当たっている。しかし、それだけが、文也たちの考えではない。

 

 周回と直線。この移動の性質の違いもそうだが――もう一つの違いが、狙いの本筋だ。

 

 これまでは、要は一高と三高は同じコースを走っていた。

 

 しかしながら今は、違うコースだ。三高は湖の真ん中を駆け抜けていて、一高の三人はまだ外周を回っている。

 

 そう――今ならば、自分たちに悪影響無く、コース全体に妨害を仕掛けることが可能だ。

 

 文也たちがちょうど湖の中心にたどり着いた瞬間、サイオンのきらめきが、湖の外周に現れた。

 

 それが何を意味するのか――大きな湖の外周と言う巨大な範囲全体に、魔法式が投射されたことを意味する。

 

『全員衝撃に備えてください!』

 

 達也は思わず叫んだ。

 

 森林コースの空撮ドローンは、サイオンのきらめきが見えて相手選手の位置が分かってしまわないようにキルリアン・フィルターが施されていないが、開けていて見え放題の水上コースと平原コースのドローンには施されている。それゆえ、達也たちオペレーターにも、カメラ越しでも魔法式が見える。

 

 あの湖の外周と言う広大な範囲に現れた魔法式は一つではない。いくつもの同じ魔法式が、一瞬にしてコピーされて、時計回りに一周して増殖し、外周を埋め尽くしたのだ。

 

 その魔法式でなにが起こるか、達也は即座に見抜いた。

 

 その直後に――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――湖の外周で、時計回りに次々と巨大な水柱が立ち上った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんだこれは!?」

 

「おかしいおかしいおかしい! あぷっ」

 

「何でもありすぎるだろ! ごぼっ」

 

 範蔵、幹比古、桐原はそれぞれ叫びながらボートにしがみつく。立ち上がる水柱はそれぞれの舳先を跳ね上げて後ろ向きにひっくり返させ、さらに時計回りに次々と立ち上るせいで走行方向とは逆方向に流されてしまう。結果、三人ともボートはひっくり返って転覆してびしょ濡れ、さらには逆方向に大きく流されてしまい、実に半周分も戻されてしまった。

 

『桐原くん!? 返事をして! お願い!』

 

 そしてマズいことに、幹比古と範蔵はボートから手を離さずにいたため溺れることはなかったが、桐原は離してしまい、水の中に入ったまま浮かんでこない。彼ならば意識があれば確実に自分で即座に浮かび上がってくるはずだ。つまり、桐原は沈んでしまった上に、気絶している可能性が高いのである。

 

「おっとやりすぎちまったか! スタッフに助けてもらうんだな!」

 

 競技そっちのけで親友・桐原の身を案じる範蔵に、また湖の真ん中から動き始めた文也が煽る。そして文也の言葉通り、岸に待機していた何人ものスタッフが即座に、ユニフォームである防具につけられた発信機を元に座標を特定して魔法を行使し、桐原を救出する。

 

『第一高校・桐原選手、失格です』

 

 岸に打ち上げられて幾人ものスタッフから検査を受けている桐原は、起き上がる様子がない。ぐったりと、気絶してしまっているのだ。

 

 スタッフからの宣告は、インカムを通して選手とオペレーター全員、そして実況により観客にも伝えられる。

 

 本来、気絶しても、ヘルメットを取られなければ失格にならない。しかしながら、緊急事態が起きた場合はスタッフが介入して救助する場合があり、そうなればヘルメットを取られずとも失格扱いになる。スタッフが介入する前に仲間が救助すれば問題ないのだが、今回は幹比古も範蔵も自分の事だけで手いっぱいでそれは叶わなかった。

 

「吉田、切り替えるぞ!」

 

「は、はい!」

 

 親友の無事がひとまず確認できた範蔵は、すでに試合へと意識が切り替わっていた。あの三人を相手に二人だけで戦うとなると不安が大きいが、気持ちで負けていては細い勝利の糸も逃げてしまう。顔を青くしていた幹比古を叱咤しながら、範蔵は逆に流されて戻されてしまったコースをまた進んでいく。

 

(そうだ、まだ負けたわけじゃない!)

 

 幹比古もすぐに収束系魔法で衣服と水の距離を離して服を乾かすと、ひっくり返ったボートを戻してから魔法で中の水を抜き、乗り込んで進んでいく。

 

 結局さきほどからやられっぱなしだ。将輝が使ったあの巨大な魔法は特にひどかった。

 

 しかしながら、何もできなかったというわけではない。

 

 ――平原側の岸でスタッフと言い争いをしている文也たちを見てほくそ笑みながら、幹比古はまだ先ほどの衝撃で大波が収まらない湖を、慎重に進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三高の三人、止まりなさい!」

 

「げっ、もしかしてオーバーアタックか?」

 

 平原側の岸についてボートから降りる所に、複数人のスタッフが厳しい顔で待ち構えていた。やってることは逆流と転覆だけなので、いくら一歩間違えたら死ぬところだった溺れ方をさせたとはいえ、殺傷性ランクのレギュレーションにはひっかからないはずだが、それが一番わかっている文也でさえ、不安になるレベルで、あの魔法はすさまじかった。

 

 

 

 

 

 

 

「君たちは、まだ五周を終えていない。速やかにボートに戻り、もう一周回ってから直進コースを進みなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「…………は???」」」

 

 しかしスタッフからの宣告は、予想外のものだった。三人そろって仲良く間抜けな声を漏らし、顎が外れんばかりにポカンと口を開ける。思考停止してしまった三人は、スタッフが指さす方向を、促されるまま、壊れた玩具のように首を動かして見た。

 

 その指先が指す電光掲示板には――三高の周回数に、デカデカと、4と書かれていた。

 

『え、なんで?』

 

『そ、そんな!』

 

 オペレーターのあずさと真紅郎も、同時にそれを見たようで、目を丸くしている。

 

「おいおいおい、どういうことだ。俺たちは確かに五周したぞ。目ついてんのか?」

 

 こういう時に即座に復帰できるのが文也だ。なにせ自分こそが世界の中心だと思っているようなクソガキである。当然、間違いなく自分が正しいと信じて疑わないため、すぐに反論に移った。

 

「君たちは、五周目の前半で、一か所だけ旗の内側を回っている。これで一周しても、それは無効だ」

 

 タブレットで、反則対策に録画されていた映像を見せつけられる。

 

 確かにそこには、旗の内側を回ってしまっている三人が、ばっちりと録画されていた。一周したという主張は、見事に一蹴されたのである。

 

 文也、駿、将輝、さらにははたから見ている立場のあずさや真紅郎でさえ、旗の外側を当然走行していると思い込み、内側を走っていたのを見逃していた。さらに、電光掲示板の確認を怠り、周回数も見逃してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最悪じゃねぇかあああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やばいやばい!」

 

「おかしいな、確かに外側回ってるはずなんだけど!」

 

『うう、すみません、確認不足で……』

 

『目がついてなかったのは僕らみたいだったね……』

 

 文也が叫びながらギャグマンガのようなダッシュでボートに乗り込むのを皮切りに、駿と将輝も焦って乗り込む。冷静に見守り指示をする役割をこなせなかったあずさと真紅郎も、恥ずかしそうにか細い声で呟いた。

 

 平原コース側の岸まで直進してきて、最後の周回が無効の状態。つまり、最後の周をイチからやり直さなければならず、境目として設定されている森林コース側の岸に戻らなければならない。つまり、文也たちはこれから、直進コースを逆戻りして森林コース側の岸につき、そこから一周して、そのあとまた直進コースを進んで平原コース側の岸に戻る必要がある。

 

 超大幅なタイムロスだ。せっかく用意した将輝の渾身の魔法で相手に押し付けたロスの比ではない。

 

「ざ、ざまあみろー!!!」

 

「うるへーーー!!!!!」

 

 森林コース側の岸に直進して戻ったところに、ちょうど五周目を終えた幹比古が向かってくる。すれ違いざま、妨害魔法の応酬のついでに放たれた幹比古の慣れていなさそうな煽りに、文也は中指を立てて返した。

 

「……スポーツマンシップってなんだろうなあ」

 

 その様子を望遠鏡で見ていた、文也たちを咎めたスタッフは、先ほどまでの厳しい表情が嘘みたいに緩んだ態度で、ぼそりと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一時はどうなることかと思いましたが、上手くいきましたね」

 

 スポーツマンシップの欠片もないやり取りを見ながら、達也は安心したようにため息を吐く。

 

 将輝のあの巨大な魔法は、正直言って考えた人物の正気を疑うようなものだった。

 

 分散されたなら、相手が分散している範囲をまるごと攻撃すればよい。確かにそうだが、そんな範囲を攻撃できれば苦労しない。将輝の液体干渉魔法適性の高さなら実現できるだろうが、だからといって考えついて実行に移すのがまずどうかしている。分散に対する作戦を用意してきているだろうとは思ったが、まさかあんな力技だとは思いもよらなかった。

 

 将輝が使ったのは、水を上方向に勢いよく一瞬だけ伸ばして水柱を発生させる、『間欠泉』という魔法だ。水上戦闘の定番魔法であり、水面近くにいる敵を空中に打ち上げたり、それこそボートなどを転覆させるのに使う。持ち上がる瞬間だけでなく、その水が戻る瞬間に発生する衝撃や波もポイントだ。今回は、その定番を、頭のおかしい方法で応用していた。

 

 湖の外周全体を覆う一つの巨大な魔法にほとんどの観客は見えただろうが、達也の観察眼と動体視力は、それは違うということを見抜いている。あれは一つの巨大な魔法ではなく、いくつもの中規模な魔法の集合体だ。

 

『間欠泉』の式の末尾に、座標を一定の相対位置にずらして魔法式をコピーする式を組み込み、自動で大量の同じ魔法式が展開される。今回は、湖の外周コースを時計回りに一周する形でコピーされていったようだ。

 

 当然、全く同じ魔法式が後からコピーされるわけだから、後になればなるほど効果が表れるのが遅れる。今回はそれを利用して、時計回りに順々に『間欠泉』を連続で発現させることによって、ボートを舳先から持ち上げて転覆させたうえで、進行方向とは逆に無理やり押し流した。これで外周コースから逃れられない幹比古たち三人をまとめて転覆させ、さらに逆方向に流したのである。

 

(あいつらは本気で戦略級魔法師を生むつもりか?)

 

 達也は改めて頭を抱える。

 

 先日行われた『アイス・ピラーズ・ブレイク』において使われた将輝の大規模水素爆発魔法は、戦略級魔法『トゥマーン・ボンバ』に近しいものだった。当人たちは、『トゥマーン・ボンバ』の要である、魔法式の末尾に魔法式をコピーする式を組み込んで連続複製する『チェイン・キャスト』と達也が勝手に呼んでいる技術や、後からコピーされるゆえに発生するタイムラグを大量の魔法式間で調節する技術の二つが再現できていないから、遠く及ばないと思っているらしい。花音や五十里から聞いた態度ではそんな感じだ。

 

 しかしながら、さきほど使われた連続『間欠泉』は、まさしくその『チェイン・キャスト』が使われていた。「『チェイン・キャスト』が再現できてないから遠く及ばない」という態度を取っているが、それは水素爆発魔法に使っていないだけで、すでに実用可能レベルで実現していたのだ。タイムラグ調節こそしていないため、『トゥマーン・ボンバ』のほぼ完全再現とはいかないのだろうが、ここまでくればあと一歩だ。というか、今回は調節しないほうが効果が大きいからしていないだけで、もしかしたらもう実現しているかもしれない。

 

 実のところ、達也は、文也が『チェイン・キャスト』を再現しているのを知っている。何せ、あの地獄のような夜の死闘を終わらせる一手に使われたものだからだ。

 

 最愛の妹・深雪を恥辱の底に叩き落した魔法『ツボ押し』。全身の至る所に存在する快楽点をいくつも刺激して痴態を晒させ、それを体中に仕込んだ小型カメラで記録し、リベンジポルノもさながらと言うタチの悪い脅しの材料として使われたあの時。文也の『ツボ押し』が深雪の全身を舐め回り這いまわるように増殖していた。達也はそれを『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』で知覚し、その正体を判別していた。

 

 あれは、『ツボ押し』の魔法式の末尾に、座標を自動で設定したうえでそこに魔法式を複製する式が組み込まれていた。設定座標は、全身の快楽点をランダムに、と言ったところだろう。『トゥマーン・ボンバ』の規模とは比べるべくもないが、あれはまさしく『チェイン・キャスト』だった。

 

 そんな、小規模な魔法式を増殖させて大規模な魔法にする技術『チェイン・キャスト』と、水への絶大な干渉力を持つ魔法師・将輝。ここに魔法式を用意する優秀なエンジニアが揃えば、あとは水を使った何かしらの大規模破壊魔法、下手すれば戦略級魔法に届くものが実現可能だ。

 

 例えば、それこそ『トゥマーン・ボンバ』。水を酸水素ガスにする範囲の広さはすでに証明されている。ここに『チェイン・キャスト』を組み込めば広範囲破壊魔法の完成だ。

 

 他にも、今見た通り、『チェイン・キャスト』で『間欠泉』をコピーすれば、小型船団ならば全部転覆、少なくとも押し流すことが可能だ。また一つ一つの『間欠泉』をもっと大規模に、それこそ大波かと見まがうような水の壁といえる規模まで上げれば、戦艦すらひっくり返せるだろう。

 

 そして、お披露目こそしていないが、達也が一番実現可能性が高そうだと踏んでいるのが、超広範囲『爆裂』だ。内部の液体を気化させて内側から膨張・破裂させる使い方以外にも、相手の近くにある水を急に気化させることで水蒸気爆発を起こして攻撃するという使い方もある。これを、広い水上、それこそ今みたいな湖上やもしくは海上などで広範囲に使えば、それは巨大範囲の水蒸気爆発となる。一つの巨大な『爆裂』ではなく、一瞬にして中規模の『爆裂』を大量に複製し、それをタイムラグ調整して一斉に起動すれば、効率的な広範囲水蒸気爆発魔法となる。気化させた直後に水分子を高速振動させてさらに威力を高めたりすればもっと効率の良い破壊が可能になる。巨大戦艦や空母すらも再起不能になるだろう。

 

(また新しいトラブルの火種だな……)

 

 今後、将輝は新たな戦略級魔法師の最有力候補として注目を浴び続けるだろう。開発に携わったであろう文也と真紅郎、それと穏やかな彼女がこれに関わっているとは信じたくないが、あずさも。また『チェイン・キャスト』の再現となれば、新ソ連が絶対に黙っていない。去年度九校戦で見せた『分子ディバイダー』の再現とUSNAの襲撃、それと同じ構造だ。

 

 絶対反省していない。達也は深い深いため息をついた。

 

「吉田君が上手くやってくれてよかったよ」

 

 一瞬の間に色々と考えこんでいた達也に、五十里が声をかける。

 

「本当です。古式魔法もやはり便利なものですね」

 

 そんな柔和な先輩に、達也は眉間のしわを揉んでほぐしながら返事をした。

 

 なぜ、三高は揃いも揃って旗の内側を走行してしまったのに気づかなかったのか。そもそも、なぜ将輝は旗の内側を走ってしまったのか。

 

 それは、すべてが文也たちのせいというわけではない。その勘違いを引き起こしたのが、幹比古の魔法である。

 

 古式魔法『虚ろ影』。対象物にそっくりな幻影を作り出す現代で言うところの光波振動系魔法と、対象物の認識をしにくくする現代で言うところの精神干渉系魔法、そして対象物を不自然でない程度の影で隠す現代で言うところの光波振動系魔法、三つの魔法がセットになったものだ。座標をずらした幻影を見せるという点では、『パレード』に似ている。

 

 この魔法によって、幹比古は、通常よりも5メートルほど内側に、コースを示す旗の幻影を文也たちに見せていたのだ。魔法感性が高い三人でも、ボートの操作や妨害や防衛に必死になっている途中では、隠密性に優れた古式魔法の発動を感知することができなかったらしい。水上はお手の物である将輝は当然、最速を目指すべく旗ギリギリのインを攻める。結果、偽物の旗ギリギリを攻めたことで、本物の内側を通ってしまったのだ。

 

 実は、元々これほどの効果は期待していない。将輝たちが規定よりも内側を走ってしまうが、はたから見ているから比較的冷静な上に認識阻害の精神干渉を受けないオペレーターのどちらかがすぐに気付くだろうと思っていた。だから、内側を走ってしまって、すぐに気付かれ、本来のコースに戻る。このちょっとした、それでも大きいタイムロスを相手に発生させるつもりだったのだ。

 

 しかしながら、幹比古が作った本物を見えにくくする影や偽物の虚像は、あまりにも上手くできていた。高いところから撮影する空撮ドローンで見るのが基本で、旗が小さくて見えづらいということもそこに重なり、認識阻害を受けていないあずさと真紅郎もまた、気づかなかったのである。

 

 そして意気揚々とそのまま進んでしまい、一高が予定していたよりも何十倍ものタイムロスを三高は背負わされた。実は内側を走った瞬間から岸のスタッフが将輝たちを停止させようと叫んでいたのだが、競技に没頭して、向こう岸について近くで止められるまで気づかなかったという間抜けな失敗もある。

 

 水上コース。あの将輝が最も得意とする場所で、大幅なタイムバンテージを得た。将輝たちが一周終えて直進に再び入るころには、幹比古も範蔵もとっくに岸について救命胴衣を脱ぎ終えて平原コースを進み始めている。そして幹比古が最後っ屁として残した、三月にあったあの大事件で見せた『海の八岐』の小規模版を乗り越えながら文也たちがようやく平原コース側の岸についたころには、かなりの差が開いていた。

 

 しかしながら、この平原コースもまた危険だ。壁になる障害物がほとんどない。中・遠距離からの砲撃魔法による飽和攻撃をお家芸とする将輝から追いかけられるとなると、厳しい闘いになる。距離による主観的な魔法の使いにくさをモノともしない文也も、こちらが後ろに向けて放つ妨害を難なく避けてトップスピードで走り続けられる駿も、厄介なのに変わりはない。

 

 桐原が失格になった。ここからは、まず追いつかれないことが重要だ。

 

 もし追いつかれて、本格的な戦闘になれば――数的不利で、一高は負ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お互いを気にせずトップスピードで! 追いついて乱戦に持ち込めば有利です!』

 

「合点承知の助!」

 

 ボートから降りるや否や、ドローンで全体を把握ができているあずさから指示が飛ぶ。

 

 三高がやるべきことは、まず追いつくことだ。大きく差は開いているが、一度追いついて相手を足止めすれば、数的有利の戦いに持ち込める。そのためには、固まって動くというセオリーを無視してでも、それぞれにトップスピードを出して追いつくのが最適だ。

 

 まず飛び出したのは将輝と駿。この二人は素の運動神経が良く、それは魔法を併用した移動にも大きく影響する。

 

 まず、駿が使っているのは、定番の自己加速術式と飛行魔法の併用だ。去年の『モノリス・コード』新人戦で文也が見せた移動方法とほぼ同じである。ずっと浮遊するのではなく、踏み出した時の歩幅を浮遊によって増やしつつ自己加速術式で速度を上げている。また身体コントロールにも優れているため、それだけの速度を出していながら、妨害や障害物をものともしていない。速度や踏み出す位置を上手に調整し、ほぼ減速せず障害物をひらりひらりと華麗に超えている。

 

 将輝も同じく自己加速術式を使っているが、併用しているのは『疑似瞬間移動』だ。疑似とはいえ「瞬間移動」の名を冠するこの魔法の速度は圧倒的である。ただしその速度のせいで小回りは効きにくく、四方八方からくる妨害を避けながらの移動や、障害物を乗り越えるといった動作が挟まる場合には適さない。しかし、将輝はその圧倒的な魔法力を以ってそれらの問題を無理やり解決している。

 

 まず、四方八方からの妨害に関しては、自身が通る真空のチューブの外側に障壁魔法を展開することでクリアしている。『疑似瞬間移動』自体高度な魔法なのに、さらにこれだけの広範囲に障壁魔法を張り続けられるのは、将輝にしかできないことだ。

 

 そして障害物に関しては、『疑似瞬間移動』のゴール地点を障害物の手前に設置し、その終わりの着地の瞬間、足裏を起点として座標入力を省く小技を併用しつつ、その障害物にあった魔法を行使している。土でできた身長ほどの壁を乗り越えるならジャンプ力を増幅する魔法、網潜りなら着地の衝撃を網の入り口を持ち上げる力に変換する魔法、高さがバラバラなハードルが狭い間隔で並んでいるところは着地の反作用を増幅して跳びあがりそのまま飛行する魔法。いくつかの魔法をハイレベルにマルチキャストできる将輝だからこそできることだ。

 

 一方、文也には運動神経も反射神経も強い干渉力もないため、やや遅れ気味だ。『疑似瞬間移動』を展開できる距離も短く、速度も将輝に劣る。距離が短い点は『パラレル・キャスト』のごり押しで真空チューブ領域を連結することで解決してはいるが、非常に効率が悪い。障害物への対応も二人ほど要領よく対応できず、どうしても一瞬もたついてしまう。

 

「くそ、もう追いついてきやがった!」

 

「この!」

 

 後ろから妨害しながら追いかける三高に対し、一高は後ろを狙いながらとなるため、追いつく側の方が有利だ。駿と将輝の類まれなる適性もあって、互いの差は10メートルほどまで縮まっている。

 

 幹比古は悪態をつく範蔵に先にいかせながら、準備していた反撃魔法を放つ。

 

 走り抜けた際に設置していた精霊が活性化し、草が駿と将輝の脚に強く絡みつく。「ちょっとまとわりつく」程度の従来の『乱れ髪』ではなく、相手を拘束することを目的とした、達也がアレンジした別バージョンだ。草の綿密な操作と、走っている相手に絡みついてもちぎれないほどに草を強化する手順が必要なため、術者の負担も増えて行使までの時間も長くなってしまったが、こうして先行したうえであらかじめ精霊を設置して発動準備しておけば無問題だ。

 

「うおっと!」

 

「お、がっ!」

 

 相手の背中を睨みながら追いかけていただけに、足元はお留守。二人とも見事にそれに引っかかってしまった。駿は流石の反射神経で転ぶことはなくなんとか耐えきり、足に絡みつく草を、足と草の相対距離を勢いよく突き放す収束系魔法で無理やりちぎってまた走り出す。

 

 しかしながら、将輝は反応しきれず、全力疾走していたこともあって思い切り前に倒れこんでしまった。両手を前に出しての受け身すら敵わず、したたかに身体を打ち付けてしまい、一瞬だけ意識が飛んでしまう。

 

「予定通りだね!」

 

 幹比古がそれを見てほくそ笑む。そしてここまで隠し持っていた鉄扇型のCADを取り出し、その中の一つの薄い鉄板を抜き出して、その呪符に登録された魔法を行使する。

 

「させるか!」

 

 それにすぐ反応した駿が、事前にいくつか準備しておいたサイオンの弾丸をそのCADに向けて放つ。しかし幹比古が『サイオンウォール』を同時に展開していたため阻まれてしまう。駿と当たることを想定して、魔法と『サイオンウォール』の同時使用を達也が練習させていたのだ。

 

「かっ、こっ、こほっ!」

 

 将輝が苦し気にあえぐ。転んで地面に倒れてしまっていた将輝に、草が蠢いて絡みつく。その様はあまりにも異様で不気味で、駿は本能的な恐怖を覚える。

 

 本来の将輝なら、周囲の草を操作できないように『干渉装甲』を展開できたはずだ。しかしながら、勢いよく転んでしまったせいで、拘束を許している。『干渉装甲』自体は展開できており、その点ではさすがだが、苦しい中でとっさにやったため強度が低く、現象の強さで優る古式魔法の発現を許してしまっていた。

 

 それでも、すぐに回復するはずなのだから、ここまで拘束されないはずだ。しかし、いまだに許してしまっている。

 

 その理由は、将輝の口の周りにまとわりつく、二酸化炭素濃度が高い空気の蓋のせいだった。『ドライ・ミーティア』のように全部が二酸化炭素というわけでもないため中毒症状にはならないが、あまりの酸素の薄さに正常な呼吸が回復できないのだ。

 

 この二つの魔法は、幹比古が二段階目として仕込んでいたものだ。転ぶであろう地面を予想して精霊をあらかじめ設置し、見事に転んだところに発動する。全身を地面に縛り付ける『乱れ髪』の強化版『くさくちなは』で拘束し、口元周辺に二酸化炭素を集める『肺搾り』で呼吸困難に陥らせる。これ以上ないほどに予定していた流れが上手くいったのである。

 

『服部君が来ます!』

 

 それを破ろうとするも上手くいかない駿の耳に、あずさの声で予想しなかった名前が出てくる。

 

「これで終わりだ!」

 

 駿はとっさに声がしたほうを見た。そこにいたのは、はるか先行していたはずの範蔵だ。先にゴールされても構わないと放置していたのだが、彼我の距離は思ったよりも近い。

 

 騙された。

 

 駿は即座に理解した。

 

 仮に範蔵が先行してダントツでゴールしても、駿たち三人が欠けずに全員ゴールすれば、今までの経過タイムからすると、失格でタイムが二時間扱いとなっている桐原を加味すれば勝てる。範蔵が先行するような態度を見せた時点で、戦う相手がノーリスクで一人減るからチャンスとすら思っていた。

 

 しかし、範蔵は全力で先行していなかった。おそらく、あずさや真紅郎にも察せられない程度に速度を落として、様子を伺っていたのだ。

 

「させるか!」

 

 駿はサイオンの弾丸を放って何かしようとするのを妨害する。しかしながら、絶妙に開いた範蔵との距離のせいで、それは間に合わなかった。先行すると見せかけた速度調整は、これも視野に入れてのことだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――!」

 

「将輝!」

 

『将輝!』

 

 

 

 

 

 

 地面に伏せった将輝が光を放ちながら、声にならない悲鳴を上げる。駿と真紅郎が、それぞれ悲痛な声で親友の名前を呼ぶ。

 

 幹比古が用意した魔法は、拘束と酸欠だけではない。絡みついた草の電導率をあげる魔法も使っていた。そこに範蔵が、雷撃魔法を打ち込み、将輝の全身に電気ショックを加えた。それを防御することなく受けてしまった将輝は、ついに完全に意識を失ってしまう。

 

「野郎! セコい真似しやがって! 性悪どもが!」

 

 そこに、怒りに顔をゆがめた文也がついに追いついて、罵り声をあげながら、嵐のように大量の攻撃魔法を連打する。それは攻撃に見せかけて、将輝を守るためのものだ。気絶させられはしたが、まだヘルメットは外されてないから失格ではない。極論、気絶した将輝をこのまま運んでゴールしても、それはゴールした扱いになるのである。当然、魔法によってヘルメットが外されるのを防ぐために、将輝とヘルメットの相対距離を固定する硬化魔法も忘れない。

 

「駿! その寝坊助を叩き起こしてくれ! 俺が全部引き付ける!」

 

 ここに追いつくまでの間に文也が投射手前の状態で置いておいた魔法は、先ほどの攻撃魔法の雨を差し引いてもざっと30を超える。これらをスタートしてあらゆる魔法によって抵抗し、その間に目覚めるのを待つ作戦だ。

 

「わかった! くそっ、中条先輩が男だったら良かったのに!」

 

『しれっと変なこと言わないでください!』

 

 駿の本音に、あずさが顔を真っ赤にして言い返すが、当人はそれを無視して、将輝の名前を呼びながら揺すって起こそうとする。精神干渉系魔法に精通するあずさならば、気絶状態から無理やり回復させる『覚醒』などでたたき起こすことができるが、あいにくながら駿にそれはできない。あずさが男だったらここで即座に回復させることができたので、この瞬間に限っては偽らざる本音だ。

 

「一人で相手するつもりかい?」

 

「転校してずいぶん偉くなったようだな、井瀬」

 

 そして、将輝をなんとしても失格にしようと、幹比古と、わざわざ戻ってきた範蔵が、文也と対峙する。範蔵はいつも通りだが、幹比古は懐から取り出した10センチメートルほどの黒塗りの棒を伸ばして1メートルほどにして構える。

 

「あの時のお礼だよ!」

 

 そして幹比古は自己加速術式を併用して急接近し、文也の胸めがけて昆のような棒を突き出す。しかしながら、それはあまりにも距離が足りない。

 

 だというのに、文也は横に飛び退いてそれを回避するような動作をする。

 

 その直後――その黒い棒が、文也が先ほどまでいた場所を高速で通り過ぎた。

 

 そしてさらに、突き出すような動きをしていた棒は、いきなり横方向に動き出し、文也を叩くように追いかける。それに対して、文也は移動方向を変える魔法式を纏った裏拳を叩きつけて逸らすことに成功した。

 

「上手だねえ、冥利に尽きるわ畜生」

 

 文也は真由美お手製暗黒チョコレートの次ぐらいに苦い物質を噛み潰したような表情で幹比古を睨む。そんな幹比古の手元に残っているのは、30センチメートルほどの棒だ。そしてそこに、文也に逸らされてあらぬ方向にとんでいった棒が戻ってきて、またもとの1メートルほどの棒になる。

 

 この棒の名前は『如意棒』。幹比古が昨年度の冬に手に入れた新たな武器だ。

 

 その仕組みは、硬化魔法で取っ手部分と剣部分を分離し、硬化魔法で相対距離を固定して自在に間合いを変えられる『とんでくん』と全く同じものだ。伸縮自在の棒だから如意棒、分かりやすいネーミングである。

 

 しかしこれだけでは芸がなく、別の機能も備わっている。

 

 なぜ、文也はこの質量があるわけではない棒を防ぐために、わざわざ障壁魔法でなく軌道をそらす魔法を使ったのか――その答えが、この別の機能だ。

 

 先端部分には、文雄のモーニングスターのように刻印魔法が施されていて、サイオンを流すと魔法が発動するようになっている。その魔法は、移動速度がゼロになったらもう一度元の速度に戻って動き出す古式魔法『壁抜け』だ。対物障壁で防ぐという最もメジャーな手段に対するアンチ戦術として生み出された古式魔法で、強力で有用性が高い。その特徴は、使用者がサイオンを流すのではなく、先端部分が対物障壁に触れたとき、その魔法式を構成するサイオンを勝手に吸い取る点だ。対物障壁に触れた瞬間、相手のサイオンを吸い取って移動速度を戻しまた進む。まさしく、壁を抜ける忍術のようだ。

 

 しかし多くの欠点が存在する。事前に刻印をつけた有体物でしかできない点、対物障壁の術者の干渉力が高く強固な魔法式だったらサイオンを吸い取れず不発になるという点、速度を直接ゼロにする魔法にしか無意味という点、刻印が記されているがゆえに移動系魔法で飛ばした物体では魔法が被って不発になる点、『情報強化』と併用できない点など、様々だ。有用性が高いながらも汎用性が低く、採用されることはまずない。文也はそれを知っていて、速度を直接ゼロにするのではなく、逸らすことを選んだのだ。

 

 なぜ文也がこれを知っていたのか。これは簡単な話だ。この如意棒の開発者兼名付け親が、まさしく文也だからである。

 

 吸血鬼――パラサイトについて幹比古から情報を得ようとしたとき、お礼として用意したうちの一つが、この如意棒だ。面白い古式魔法があるということで作ってみたものの使いどころがなく処理に困っていたのだが、古式魔法師である幹比古ならば変わったマニアックな品として喜んでくれるだろうと思って持ち出したのである。二つの内のもう片方のお宝盗撮本は燃やされてしまったため、幹比古はこちらを得ることになった。

 

「冥利に尽きる」とは、ただの一発芸みたいな武装一体型デバイスだというのに、これ以上ないほどに有効活用してくれたことだ。敵として向かい合っているのは、なんとも皮肉な話である。

 

「しっかしまあ、ずいぶん魔改造してくれたな。司波兄がやったのか?」

 

 少し離れたところにいる範蔵が放つ攻撃魔法を準備していた対抗魔法で防ぎながら、文也は問いかける。

 

 文也が渡した時の如意棒は、メジャーなイメージに則って鮮やかな朱色と黄色だ。しかし、今は見えにくいように黒塗りになっている。また先端部分は重さが増して威力が増えているし、何よりも――

 

「思ったより痛かったぜ」

 

 ――速度を直接ゼロにしたわけでもないのに、文也の手の甲に強い痛みを与えていた。

 

 これは、元の『壁抜け』ではありえない。文也が防御として使った魔法は『バウンド』で、移動ベクトルを真逆にするというもの。速度をゼロにしたわけではない。だというのに、逸らせはしたものの、なぜか文也の手の甲には確かなダメージが与えられていた。

 

「残念、達也じゃなくて、柴田さんだよ」

 

「へえ、あの巨乳メガネっ子か」

 

 文也の問いかけに、幹比古は別の攻撃魔法も併用しつつ如意棒で攻め立てながら答える。

 

 幹比古は、九校戦のメンバーに選ばれてから、何かに使えるかと思って、微妙に持て余していたこの如意棒を達也と美月に渡して改造を依頼した。達也は他選手からも引っ張りだこのため忙しく、彼はアドバイスを与える程度で、改造のほとんどは美月がしてくれたものだ。

 

 手から離して使うのだから、どんなに重くしても振りやすさは変わらないため、収納中の動きを鈍らせない程度に先端を重くした。相手から見えにくいように、黒塗りにしてつや消しもした。

 

 そして、先端に刻まれた刻印魔法『壁抜け』を、ほんの少し改造してもらったのだ。

 

 その魔法は、「方向ベクトルが変わった場合、一瞬だけ元のベクトル方向に元の速度で移動する」というもの。サイオンを吸収する仕組みは変えていない。これによって、裏拳に『バウンド』を纏わせた文也の手の甲を、如意棒が一瞬だけ叩いたのだ。

 

 この魔法の名前は『壁埋まり』。『壁抜け』のように通り抜けるわけではないが、一瞬だけめり込む。これまでの古式魔法にも現代魔法にもない、オリジナルの古式魔法だ。

 

 故に、文也はその対策ができない。生半可な現代魔法ならば、世界が改変される違和感から改変内容が大体わかるが、『壁埋まり』は古式魔法であるがゆえに、それがわかりにくい。分かってしまえば、通り抜けるわけではないのだから普通に自分から少し離して対物障壁を展開すれば解決するのだが、文也からすれば、まだ『壁抜け』のバリエーションだろうという予測しかできず、対処法が分からない。

 

「くそ、厄介だな。こんなことならそれじゃないくて棒アイスにでもしておけばよかったか?」

 

「いや、渡す前に溶けるでしょ」

 

 文也は悪態をつきながら、『硬化魔法』で先半分を固定している点は変わらないと踏んで、開発者としてその弱点を突こうとする。相対距離を固定しているのだから、持ち手か先端のどちらかに『情報強化』を施してやればそれは解除される。しかし、古式魔法版『硬化魔法』――硬化を目的とした魔法ではなくもともと距離固定を目的としていたものだ――の干渉力を上回ることができず、また黒い棒が頭を横殴りにしようと襲い掛かってくる。なんとかしゃがむことでそれを避けたが、身動きがとりにくくなったところを狙って範蔵から『ストーン・シャワー』が放たれる。文也は準備していた『減速領域』でそれらを抑え込んでから転がって、そのついでに幹比古の持ち手を狙って『振動破壊』を仕掛ける。それは吉田神道流の古式魔法版『情報強化』で防がれてしまうが、そのおかげで相対距離固定魔法も解除せざるを得ず、幹比古は苦々し気に先端部分を放棄した。

 

「駿! その棒を早く奪え!」

 

「わかった!」

 

 その幹比古の狙いに、文也も駿も気づいていた。文也を狙い続けると見せかけていた先端部分は、今なお気絶している将輝の近くに転がっていた。どさくさにまぎれてヘルメットを叩いて外すか、はたまた駿を攻撃するつもりだったのである。これをこのまま放っておいたら再度操作されかねず、奪って、少なくとも刻印を壊すさなければならない。

 

「目ざといやつ!」

 

「それぐらい周りの人にも気を遣ったらどうだ!」

 

 それを黙って見ているはずもなく、幹比古はここで如意棒を放棄してでも将輝のヘルメットを外そうと操作をし、範蔵は大量の魔法で駿の妨害をする。しかし、駿は『多重干渉』でそれらを退けた。単一の『領域干渉』ならば駿の干渉力で防げるものではないが、『多重干渉』の紡ぎだされる間隔を「ゼロ」に設定して同時に大量の改変内容を定義しない魔法式の展開を可能にした。さすがにこれではどの魔法も不発となり、駿に先端の回収を許してしまう。

 

 そのまま駿は、回収した黒い棒の両端に上方向の、真ん中に下方向の強い圧力をかける魔法でへし折り、刻印を無効化すると、それをポケットに入れる。

 

 これでひとまず安心だ。駿はほっと溜息をつくと、また将輝を起こそうとそちらを向く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『森崎君ジャンプして!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、耳元から聞こえたあずさの大声に従い、無茶な体勢でジャンプする。その直後、さきほどまで自分の脛があった場所を、「黒い棒」が高速で通過して――倒れている将輝の頭をしたたかに打ち付け、そのヘルメットを弾き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一つだけだと思った? 残念だったね」

 

 幹比古は勝ち誇った笑みを浮かべながら、自分の手元の持ち手に放っていた先端部分を回収し、電磁ロックでくっつけるとそれを縮めて懐にしまう。

 

 先端部分は一つだけ。そう思い込んでしまったのが、三高サイドのミスだった。文也は『とんでくん』『如意棒』の開発者であり、最大の弱点である先端部分の回収は当然知っているはずだ。そこを逆手に取り、幹比古は「先端部分のスペア」を持ち込んで隠していたのである。範蔵には『ストーン・シャワー』など派手な魔法で対応してもらい、戦闘に紛れて草の中にこっそり放って置いておく。そしてタイミングを見計らってそれを操作し、倒れている将輝のヘルメットを狙ったのだ。叩いただけではフルフェイスヘルメットが吹き飛ぶはずもなく、インパクトの瞬間の角度や方向で綿密な操作を要するため、相手が油断したタイミングでなければできない。だからこそ、こういう時を想定してスペアを持ち込んでいたのだ。

 

「お先に失礼!」

 

 幹比古と範蔵が勝ち誇った笑みを浮かべながら背を向け走り去っていく中、文也と駿は、あまりの出来事に、端正な素顔を晒して倒れている将輝を唖然と見て立ち尽くすしかできなかった。

 

 

 

 

 

『――二人とも、突っ立ってる場合か!』

 

 

 

 

 そんな二人の耳に、真紅郎の激しい声が突き刺さる。

 

『前を向いて走れ! まだ勝負は終わってない!』

 

 感情的になる事は多いが、声を荒げるところは片手の指で足りるほどしか見たことがない。そんな真紅郎のきいたことのない声に、二人はハッと我に返り、まだ混乱したままながらも、幹比古たちを追いかけるように走り出す。

 

 将輝が負けた。それを一番信じられないのは、大親友である真紅郎だ。だというのに、その混乱を抑え込んで、文也と駿を叱咤してくれた。

 

 そのことに気づいた文也と駿は、徐々に表情に活力が戻り、それとともに走る速度も増していく。

 

「オーケイ、目が覚めたぜ! あんちくしょうめ、せこいこと考えやがって! あのワルガキ二人に復讐だ!」

 

「全くだ! やんちゃなやつらには風紀委員としてお灸をすえてやらなきゃな!」

 

 滅茶苦茶なことを叫びながら、二人は闘志の籠った目で、だいぶ距離が詰まって近くなった背中を睨む。まだ後ろから追いかけるほうが有利なのは変わらない。また攻撃密度が最も高い文也が戦列に加わったことで、妨害はより苛烈さが増していく。

 

 地面が急に盛り上がって躓かせる。急に空気が硬化して強かに顔面を打ち付ける。服に水滴がまとわりついて動きにくくなる。滑って転ばされる。吸う空気から酸素を奪われる。砂礫が襲い掛かってくる。泥団子が顔面に襲いかかってくる。ありとあらゆる方法で、幹比古と範蔵の行く手を阻む。それらの妨害の嵐を必死に防ぎながら前に進もうとするが、その攻撃の密度は尋常ではなく、防ぎきれない。しかも厄介なことに、防御魔法を行使しようとしても、駿の『サイオン粒子塊射出』が何回も差し込まれて、妨害を受けざるを得ない。

 

 そして平原コースも終わり際。地面の草は薄くなり、泥が露出してくる。女子の時には固まった地面だったが、男子のタイミングでは障害物が一部強化され、ここに大量の水がまかれて酷い泥道の中を進むことになる。

 

「こうなったら僕のフィールドだ!」

 

 草に比べて、泥ならば妨害に使いやすい。「そこにあるもの」を利用して戦うのは、古式魔法に分がある。

 

「どろんこ遊びがお好みか!」

 

 そんな幹比古に文也が叫ぶ。泥の地面は悪戯には絶好の場所だ。文也もまた、ここで勝負を決めるつもりでいた。

 

 幹比古が使ったのは『沼底の手』。泥の中に沈んだ相手の足周辺の水分を奪って一瞬で固めて、まるで何かの化け物に足を掴まれたかのように拘束する魔法だ。

 

 一方で文也が使ったのは、『泥波』。大量の泥が巻き上げられ、幹比古と範蔵に襲い掛かる。

 

 大量の泥を至近距離からぶつけられて二人は身動きが取れなくなる。文也も魔法を防ぎきれず拘束されるが、駿が無理やり引っこ抜いて救い出した。すかさず範蔵が駿の足元を狙って泥の塊を放つが、一瞬で展開された『減速領域』がその勢いを落として落下させる。ならばと範蔵が泥の振動数を減らして固体化させて拘束しようとするが、文也が準備していた『振動固定』により効果を成さない。

 

「よーやく捕まえたぜ!」

 

 そして地面スレスレの飛行魔法で一気に距離を詰めた文也が、幹比古の脚を狙ってタックルをする。飛行魔法の勢いもあって幹比古はそれを防ぎきれず、泥水を跳ね上げながら二人そろって掴みあいながら転がる。

 

「先輩の相手は俺ですよ!」

 

「上等だ!」

 

 それを放置して、駿と範蔵は全力疾走で並走しながらにらみ合う。

 

 

 

 

 ――誰も気づいていないが、この戦いの組み合わせは、運命的だった。

 

 

 

 

 駿と範蔵。どちらも、去年の夏休みまでは、極度の魔法至上主義者だった。その態度と発言は苛烈で過激。

 

 しかし二人は、それぞれのきっかけで、そこから抜け出し、さらに大きく成長していった。

 

 そんな二人が、この大舞台で一騎打ちをすることになった。病院に駆け込んだ真由美が見ていれば、何か思うところがあったかもしれない。

 

 高速で放たれる攻撃魔法と対抗魔法がぶつかり合う。範蔵が攻め、駿が防ぐという構図だが、その合間合間に目にも止まらぬ速さで駿の攻撃が差し込まれる。範蔵はそれに、待機状態にしておいた魔法で対抗して防ぐ。この激闘の中で範蔵は文也の秘密を暴き、練習もなしにそれを成功して見せた。駿の速度に追いつくにはそれしかない。多数の魔法の同時処理のせいで脳の神経が焼き切れそうになりながらも、範蔵は攻撃の手も緩めずに、そして全力疾走を続ける。その走る速度にも、駿は追い付いてぴったりと横につく。

 

 そして駿は、何を考えているのか、試合開始から使っていた腕輪型CADを外し、範蔵に投げつける。腕にぴったりと張り付くタイプのそれは魔法によって操作され、範蔵の目をアイマスクのように覆うように動く。

 

「CADを捨てるとは魔法師の風上にもおけないな!」

 

 しかし範蔵は、それをいともたやすくつかみ取って投げ捨てる。CADを捨ててまでしたとは思えないお粗末な攻めだ。

 

「もうそれはいらないものでしてね!」

 

 そして駿がいつの間にか、今の一瞬で抜いていたのは、拳銃型の特化型CADだ。自己加速術式が止まっている様子がないことから、登録されているのは加速系・移動系の複合魔法ばかりだろう。

 

 確かにゴールはもう間近だ。あとは速度を出して少しでも早くゴールするのみのため、それは理に適っている。

 

 しかしながら――その判断はあまりにも安直だ。

 

「油断したな!」

 

 移動系・加速系の複合と言うことは、最低限の防御魔法である対物障壁は間違いなく登録されているだろう。その程度の保険は用意しているに違いない。しかし手段がそれだけしかないと分かれば、それとは関係ない魔法でいくらでも攻撃できる。防御手段を捨てたのは明らかなミスだ。

 

 範蔵は電撃、熱波、振動、二酸化炭素など、対物障壁が関係ない攻撃を一気に行使しようとする。ここで倒して失格にすれば、勝利はほぼ確実だ。

 

「油断しましたね!」

 

 しかし、それらの魔法は不発に終わる。駿は今までと違って、CADの照準を一切範蔵に向けていない。それだというのに、大量のサイオンの弾丸が正確無比に範蔵のCADを狙い撃ち、魔法は不発となる。

 

『CADなしでこんな精度が!?』

 

 範蔵の耳に、達也の珍しく動揺した声が入ってくる。確かに、これといった式を必要としないサイオンコントロール系の無系統魔法は魔法式を必要としないため、CADの影響は少ない。しかし、通常の魔法師ならば、「サイオンを固める」「射出する」という魔法式を使った方が速度も精度も圧倒的に良い。

 

 しかし駿は、その領域を超えていた。自分だけの取柄として『サイオン粒子塊射出』を磨き続けた駿は、CADや魔法式なしでも、使っているのと遜色ない速度と精度を得た。世界で一番サイオンコントロールが上手い親友のワルガキとずっと一緒にいるのだ。これぐらいできるようにならなければ、割に合わない。

 

 森崎家のクイック・ドロウ。魔法そのものの技術だけでなく、それに付随する身体技術を磨いてきた森崎家のお家芸だ。

 

 駿はそれをさらに越え、CADをドロウする、という領域からすでに飛び出している。CADを抜くことすらなく、魔法による攻撃を防ぐ。この防御方法に干渉力はほぼ関係ない。速度と正確な射撃能力と言う取柄を徹底的に磨いた、駿だけの技術だ。

 

 妨害しようとして失敗した。もう目の前がゴールという場面での失敗は、駿から見たら大きな隙だ。

 

「それではお先に失礼!」

 

「させるか!」

 

 特化型CADに切り替えたことで自己加速術式の効果が増し、ついに駿が範蔵の前に出る。それを受けた範蔵も、ついに妨害は諦め、自己加速に専念する。運動神経や魔法の「息継ぎ」は駿の方が勝るが、出力の高さは範蔵の方がやはり上。純粋なパワーの差があるため、すぐ追いつかれる。

 

「「――――!」」

 

 声を上げることすらしない。ひたすらに歯を食いしばり、泥まみれの地面を駆け抜ける。慣性中和術式は併用しているが、空気抵抗を抑える魔法を使うだけの余裕はない。強く踏み込んだせいで跳ねあがる泥が顔面にかかるのも気にせず、二人は前傾姿勢で脚を動かし続ける。

 

 そして――二人並んで、ゴールラインを超えた。

 

「ぐっ! っつつつ……」

 

「…………げほっ、げほっ」

 

 ゴールした後のことは気にも留めず全速力で駆けていたため、ゴールしたあとのブレーキに二人とも失敗した。泥だらけの体で草原の上を勢いよくゴロゴロと転がり、ゴールから何メートルも離れたところでようやく静止する。

 

「やるじゃねえか、森崎」

 

 範蔵は疲れが限界に達し、また背中を強く打ったせいで起き上がることができないため、寝っ転がりながら、大きく成長した後輩を讃えた。

 

 しかし、その視線の先に、痛がって蹲っていた駿はもういなかった。いつの間にか立ち上がり、ゴール方向に走って行ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「文也!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なにせ、彼の親友は、まだゴールしていないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君の運動能力で接近戦とはいい度胸だね!」

 

「テメェ、なんでそんなほっそい体からそんな力が出るんだよ!」

 

「井瀬と違って鍛えてるんだよ! お父さんを見習ったらどうだい!」

 

「できたら苦労しねえわ!」

 

 2096年度九校戦。その最後の最後の戦いは、あまりにも無様だった。

 

 高校生二人が、ぐしゃぐしゃの泥の中で取っ組み合いの喧嘩をしている。はたからみたらそうとしか見えない有様だ。

 

 しかし両者の体格差は歴然としている。方や小学生で筋肉も脂肪も少ない体型。方や見た目はひょろりとしているが普段から鍛えていて引き締まった筋肉を持っている。その二人が取っ組み合いの接近戦をすれば、幹比古が有利になるのは当然のことだった。

 

 幹比古は文也に上から組み伏せられるが、自分の体をねじって文也の軽い体をひっくり返し、逆に上を取るとそのフルフェイスヘルメットのフェイスガードを掴んで、地面に後頭部を叩きつける。魔法を併用しない殴打等は反則になるが、サイオンを薄く手のひらにまとわせているから問題ない。魔法の効果は全く出ていないが、魔法さえ併用していれば実質普通の近接攻撃もアリなのである。これもズル賢い達也が思いついた作戦だ。

 

 後頭部を強く叩きつけられた文也は一瞬意識が飛ぶ。この隙にと幹比古は立ち上がってゴールを目指そうとするが、同じくズル賢くて同じ結論に至ったのであろう文也が、サイオンを薄く纏った手で幹比古の足首を掴む。それで転ばされるようなことこそないが、思いのほか早い復活だったため幹比古は反応しきれずバランスを崩す。その隙に文也は立ち上がり、幹比古の襟首をつかむ。そしてそのまま軽々と持ち上げると、そのまま地面に投げつけた。

 

「い、つつ!」

 

 幹比古は体のバネを使って空中で姿勢を制御し、叩きつけられることなく足の裏でしっかり着地し、膝で衝撃を吸収する。しかしそれでも、幹比古に加わった衝撃は大きかった。

 

 文也のパワーでは、幹比古を片手でやすやすと持ち上げることは当然できないし、ましてやこんな風に投げることはまず不可能だ。当然、魔法を併用してる。

 

 使った魔法は『質量偏倚』。「偏倚」と付くが収束系魔法ではなく、加重系魔法だ。対象物の見かけ上の質量を軽くして、その直後に軽くした分だけ重くする。一瞬の間の質量分布を偏らせる魔法だ。これによって軽々と持ち上げ、投げつける瞬間に体重を偏らせてダメージを大きくしたのだ。

 

 その衝撃のせいで一瞬だけしゃがんだまま動けなくなった幹比古は、文也からフェイスガードを強かに蹴られてのけぞり、尻もちをつく。そしてさらに胸を蹴られて、泥の中に仰向けで倒される形になった。

 

「そこで一生寝てろ!」

 

 文也が叫ぶと同時、幹比古の周りの泥の振動が小さくされて固体化していき、彼を拘束する。しかし、幹比古はなんとか古式魔法版の『領域干渉』でそれを押さえつけ、体のバネを使って一気に起き上がり、その勢いで文也のみぞおちに殴りかかる。しかしそれは対物障壁によって防がれる。

 

 だが、それは囮。本命は文也の背後から放った『雷童子』だ。しかしそれも文也が準備していたのであろう対抗魔法で無効化される。

 

『幹比古、井瀬から離れろ!』

 

「わかってはいるんだけどね!」

 

 達也からの指示に、幹比古は苦しそうに返事をする。

 

 接近戦ともなると体格差がそのまま有利・不利に直結する。ましてや運動能力すら大きく離れているのだから、幹比古の方がその点で言えばはるかに有利だ。

 

 しかしながら、事前の作戦会議で、幹比古は文也と接近戦で戦わないことを達也から厳命されている。当時はどこで知ったのかはさだかではなかったが、文也が魔法を併用した接近戦においても厄介であることを知っていたらしい。

 

 完全思考操作型CADを何十個も同時に使う接近戦。達也の口からそう聞いた時、幹比古は思わず天を仰いだ。

 

 なるほど、確かに、文也ならばそれが可能だ。CADを何十個も『パラレル・キャスト』できるし、完全思考操作型CADも、この二月の末ごろから、『マジカル・トイ・コーポレーション』を筆頭として次々と発売している。この二つが合わされば、机上論では可能と言えるだろう。

 

 しかしながら、完全思考操作型CADは、普通に使うだけでもかなり難しい。なにせ指先スイッチや音声認識という生まれたときから物理現象として感じ続けているものを使うのではなく、いわば体内の「気」だとか「オーラ」「波動」「プラーナ」に当たるサイオンを操作して使うのだ。その程度のサイオン操作は、大体の魔法師は息をするようにできるが、やはり指でスイッチを押すのに比べたら少しばかり精神力や思考力のリソースを使う。これを、接近戦をしながら、何十個ものCADを同時に使い分けるというのは、幹比古からすれば狂っているとしか言いようがない。脳の処理能力とサイオンコントロール、どちらもが異常なのだ。

 

 そんな文也を魔法を併用した接近戦で相手にした場合、幹比古にも大きな不利が生まれてくる。

 

 それは、同時に使える魔法の差と、魔法の速度の差だ。接近戦においては魔法の速度がより大きなファクターとなる。幹比古は速度でやや劣る古式魔法師で、使うCADは汎用型で、操作は基本指。対する文也は、特に速度を取柄とする現代魔法師で、ほぼ全てが特化型を超えた専用CADで、操作は完全思考操作。魔法に関係する部分では、あらゆる面で幹比古が不利なのである。

 

 最初の内は文也が魔法を準備しきれていなかったみたいで、体格と運動神経の差で有利を取れた。しかしながら、体勢を整えられたら、とてつもない不利。それは相手も分かっているみたいで、距離を取ろうとしてもぴったりくっついて離れない。

 

(だけどっ!)

 

 これは逆に、チャンスでもある。USNAから補償として貰ったらしい、エイドスの座標情報をずらす『パレード』。これのせいで、直接干渉する魔法はすべてエラーを起こす。射撃魔法や雷撃魔法などは、文也の多彩かつ速い魔法で防がれる。

 

 しかしながら、魔法を使った近接攻撃ならば、戦闘不能に至らしめるほどの攻撃が期待できる。座標情報がずれているのはあくまでエイドスだけであり、実体はそこにある。強い直接攻撃を叩き込めれば、それで幹比古の勝ちだ。

 

 また泥だらけの地面で転がり、取っ組み合いになりながら、幹比古は期を伺う。文也にマウントポジションを取られたが、また先ほどのように無理やり転がして上を取る。しかしそれと同時に体の小ささを活かして懐にもぐりこまれ、鳩尾に頭突きを受け、さらに背後から空気の塊が襲い掛かってくる。頭突きの方は腹筋に力を入れて受け止め、空気の塊は障壁魔法で防いだ。しかし、急に文也の小学生のような小さくぷにぷにした手が下から幹比古のフルフェイスヘルメットの中にもぐりこんでくる。それと同時に幹比古は息苦しさを感じ、その手を掴んで無理やり引き抜き地面に押さえつけると、気流を操作してヘルメットの中に新鮮な空気を送り込む。手に二酸化炭素を纏ってそれを流し込んできたのだ。相変わらずよく考えるものである。

 

 しかしそんな感心をしてる暇はない。幹比古は押さえつけた手を離さず、そこを軸にして前転し、その勢いで手を離して文也を投げ飛ばした。意図せずお返しする形になった、『質量偏倚』を併用した投げだ。投げた方向は当然ゴール方向ではなく、また残念ながらそこまで考える余裕はなくて反対方向でもなく、横だ。しかしそれでも、一旦距離を離せただけ十分だ。

 

「おおおおお!」

 

 幹比古はせっかく距離が離せたというのに、倒れたままでまだ起き上がれない文也に追撃を仕掛けようとする。このまま逃げても良いが、ゴールまでの距離を考えると、文也の魔法攻撃の雨からは逃げきれない。それならば、ここで仕留めるべきだ。

 

 拳に古式版『情報強化』を施し、障壁魔法などで防がれないようにして、助走の勢いのまま、姿勢を低くして文也に殴りかかる。ちょうどタイミングの良いことに、文也が起き上がろうとしているところだった。これならば、鳩尾を狙える。

 

「そこで一生寝てな!」

 

 先ほどのお返しのように叫びながら、幹比古は渾身の拳を突き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――しかしその拳は、虚しくも空を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あばよとっつぁん!」

 

 幹比古は声がした方向――ゴール方向を睨む。そこでは、文也が勝ち誇った顔で、猛スピードでゴールに向かって低空飛行していた。

 

『追いかけろ!』

 

「分かってるさ!」

 

 瞬時に判断した達也の声が聞こえた直後に、幹比古も動き出す。

 

(出し抜かれたか!)

 

 幹比古の狙いは、文也を騙してダウンさせることだった。

 

 幹比古目線では、魔法を併用した接近戦においては文也を相手にすると不利になる。だから、一度接近されたら、投げ飛ばすなり逃げるなりして距離を離す必要がある。

 

 それを、文也たちが当然読むだろうと見ていた。だからこそ、投げ飛ばして距離を取って逃げるように見せかけて、助走の距離を稼いでダウンを狙いにいったのだ。

 

 しかしながら、それもまた、読まれていた。いや、もしかしたらこの土壇場で気づいたのかもしれない。ただ、どちらにせよ、出し抜かれたのは確かだ。文也は、十分な距離が空き、なおかつ幹比古がゴール方向に進まないで攻撃してくるタイミングを選んで、高速飛行魔法でそれを回避したうえで、その勢いのままゴールまで逃げ切るつもりなのだ。

 

「そう上手くいくと思うなよ!」

 

 しかし、自分が追いかける側になるというのは、レースである以上想定済みだ。こうなってしまっては追いつけない、と諦めるのではなく、追いつけるような策も用意してある。

 

 幹比古が使ったのは古式魔法ではなく、文也と同じ現代魔法、飛行魔法だ。しかもその移動速度や出力は、文也よりも強い。

 

「げええええ、そっちも範囲内かよ!」

 

 文也が目を剥いて叫ぶ。文也が幹比古の戦いを見たのは横浜の事件が最後だ。あれからも、主に吸血鬼関連で幹比古は厳しい戦いを潜り抜けてきており、現代魔法の腕も実戦レベルでぐんぐん向上してきている。それを隠すために『モノリス・コード』では古式魔法ばかりを使っていた。それは、この競技でほんの一瞬出し抜くための準備だったのだ。

 

 幹比古の現代魔法の精度は、一科生の上位層と見比べても遜色ない。深雪は別次元だから置いておくとして、ほのかや雫にあと一歩というところまで成長している。古式魔法と現代魔法、どちらも使いこなせるならば、それがベストなのだから。

 

 幹比古はすぐに文也に追いつき、後ろからその服を掴んで引っ張る。文也は飛行魔法を維持しながらも暴れて抵抗するが、その握力には抵抗しきれず、着地した幹比古に泥だらけの地面へと引きずり落された。

 

「実は二年生になってから僕も風紀委員をやっててね!」

 

「だから捕まえるのが得意ってわけかよ!」

 

 ゴールはもはやたった十数メートル先だというのに、またも泥の中での取っ組み合いが始まる。幹比古は現代魔法に切り替えたからか、速度の差を何とか埋めることに成功し、文也と対等に渡り合えている。お互いに次々と攻撃を仕掛けるが、お互いにそれをすべて防ぐ。そして隙を見てゴールへ逃げようとするが、お互いにそれを絶対に許さない。

 

 そんな戦いの中で、文也の小さな手が、幹比古の服の中に滑り込んでくる。衣服を通じた干渉ならば防御可能だが、直接触れられての魔法では、幹比古のエイドス・スキンでは対抗しきれない。

 

「同性愛の趣味はないよド変態!」

 

「俺だってねえよ!」

 

 幹比古は暴れて退けようとするが、文也の魔法が先に発動した。

 

 自分の手が触れたところ、とあらかじめ設定することで座標変数入力を省く、魔法戦闘の基本技術。そして直接触れることで干渉力が増すという魔法の常識。

 

 そして、幹比古は知らないことだが――「一ノ瀬」は、第一研究所の出身なのだから、相手の人体に触れて使う魔法にも精通している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――っ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 途端、幹比古の全身に激痛が走る。声にならない声が、幹比古の喉から漏れる。あまりの痛みに、叫ぶということすらできず、呼吸が止まり、意識が遠のいていく。

 

『吉田君!? どうしたんだい!?』

 

『ここでそれを使うのか!?』

 

 五十里の驚いた声と達也の珍しい怒号が耳元から聞こえてくるが、幹比古はそれに驚く余裕すらない。痛みに任せて暴れまわるしかできない。しかし文也の手はぴったりと幹比古から離れず、そこを通した干渉で全身を苛み続ける。

 

『幹比古! 落ち着け! それは体表に干渉する魔法だ! 体表を中心に『情報強化』をかけなおすんだ!』

 

 幹比古は藁にも縋る思いで、一刻も早くこの激痛から逃れようと、考えるまでもなく感覚で染みついている神道式の『情報強化』で自身のエイドス・スキンを強化しようとする。しかし、式として形作られるはずのサイオンは、幹比古の意志に反して拡散していく。どんなに体内のサイオンをコントロールしようとしても、その流れが滞りすぎてて操れないのだ。

 

「させるかよ、お・に・い・さ・ま!」

 

 文也が、幹比古の口元に、フェイスガード越しだというのにキスできそうに錯覚するほど近づいて、粘着質なトーンで叫ぶ。その顔には、いつも通りの口角を吊り上げた悪戯っぽい笑みに悪意がマシマシで乗せられた、口裂け女もかくやと言うような悪辣な笑みが浮かんでいた。

 

 この至近距離ならば、幹比古への通信が文也にも漏れて聞こえていたのだろう。達也の指示した内容も当然聞こえている。文也が今煽っているのは、幹比古ではなく達也だ。

 

『ここでそれを見せてもいいのか!?』

 

「今更だよ! なんならこれでマッサージ店でも開いたらあ!」

 

 文也が使っているのは、彼が最も得意とする魔法、井瀬家の秘術・『ツボ押し』だ。『爆裂』や『深淵(アビス)』などと違ってその存在すらなるべく隠すようにしている魔法なのだが、去年の『モノリス・コード』の時と違って、隠すつもりもなく全力の出力で継続行使している。

 

 幹比古の全身にある痛点だけをピンポイントで狙った針で刺すような極小面積への加圧。かつて侵略してきたプロのゲリラへの拷問においても有効に作用したその激痛が、幹比古の全身を襲っている。

 

 そして、『情報強化』への対策も万全だ。現代魔法の『情報強化』を施されても大丈夫なように、『術式解散(グラム・ディスパーション)』は投射一歩手前で待機済み。古式魔法版だとしても、サイオンコントロールを阻害するために、普段使っているサイオンの流れを活発にするものとは逆、サイオンの流れを滞らせるツボも同時に押している。

 

 直接素肌に触れることができなければ、古式魔法師である幹比古相手にはこの魔法は退けられる。逆に、触れることができるならば有効に作用する。今までずっとその機会を伺っていて、ついに、この終わりの直前で巡ってきた。

 

「どうだ痛いだろ? 辛いよなあそりゃ」

 

 無秩序に暴れまわる幹比古を押さえながら、文也は心を折るために話しかける。体格差や運動能力の差があるが、ただ暴れているだけなら、人体に詳しい文也は、要所を上手に抑え込むことができるので、それで対処可能だ。

 

 幹比古の全身には、次々と魔法式が浮かび上がっている。あの夜、深雪の全身の快楽点を刺激して痴態を晒させたのと同じ、『チェイン・キャスト』だ。同じ箇所に痛みが継続すると、体の防衛機能が働いて、麻痺して痛みを感じにくくなる。継続的に加えるのではなく、短い間隔で全身を次々と刺していく。魔法式の数は膨大になり、これまでの激闘もあってサイオンの枯渇が心配になるが、自身のサイオンの流れを活発化させるツボも試合中しばしば押していたから、なんとか問題ない。

 

「――――っ!」

 

 あまりの痛みに、目がちかちかしてきて、焦点が定まらなくなってくる。痛みから逃れようと脳が意識をシャットダウンさせようとする。文也は間違いなく、このまま幹比古が気絶するまで痛みを与えるつもりだ。そう、気絶すれば楽になる。今すぐ意地を捨てて、意識を手放そう。

 

 そんな誘惑が、幹比古の脳によぎる。

 

(させ……るかっ!)

 

 たかが親善競技会だ。それでここまで苦しんでまで勝利する意味は薄い。

 

 しかし、幹比古は意地でも逃げない。ここで逃げたら、自分は負け犬だ。

 

 痛みで集中できず、意識が遠のいてきて頭も働かず、サイオンは今も乱されている。

 

 それでも幹比古は、無秩序に暴れまわる振りをして、急に力をこめて下半身を跳ね上げ、文也の側頭部に蹴りを食らわせた。

 

「あっ、この野郎!」

 

 この痛みで冷静になれるわけがないと思っていたらしい文也はそれで一瞬手を離してしまう。悪態をつきながらすぐにまた掴みかかってこようとするが、残滓こそあるが更新され続ける苦痛から逃れた幹比古は、そのまま起き上がって、近づいてくる文也に、一瞬で現代魔法用CADをサスペンドしてから古式魔法用CADのキーを叩き、魔法を行使する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――瞬間、文也の全身が、光り輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪役の癖にずいぶん綺麗じゃないか」

 

 発光体と化した文也の掴みかかりを回避しながら、幹比古は文也さながらの悪辣な笑みを浮かべて揶揄する。

 

「てめえ、なにしやがった! だーもう畜生! 収まれ!」

 

 文也は幹比古を睨んで逃げられないよう牽制しつつも、離れて追撃を逃れる。今の文也は、見た目の割には無防備に等しい。

 

 ――幹比古が文也に施したのは、魔法師同士の戦いで切り札となる精霊魔法『決壊』。

 

 サイオン情報に関する精霊を相手の体に仕込み、それを一定の命令で使役することで、相手の保有サイオンを強制的に放出させる魔法だ。堰が割れて川の水が漏れ始め、そして決壊するがごとき様子から、その名前が付けられた。

 

 全身が余剰サイオン光で光り輝くほどの強制放出は、体からサイオンを奪い、無理やり枯渇状態にさせる。また、その放出によってサイオンコントロールを失い、魔法の行使もほぼ不可能となる。魔法師の生命線を奪う究極の魔法である。

 

 ただし、これには相応の準備が必要だ。まず、サイオン情報に関する精霊を使役し、そこに特定の命令コードを打ち込まなければならない。保有サイオンを強制的に放出させるというのは、とても強力かつ複雑な事象改変が必要であり、自分の手元に精霊を置かなければ、打ち込むことも、それを維持することもできない。

 

 そうして手元に置いてある精霊を、今度はバレないように相手にくっつける必要がある。当然身体的な接触は必要だし、相手にバレずにともなると、激しい戦いの中でさりげなくやらなければならない。

 

 そして今度は逆に、一定以上離れたところからその精霊を喚起しなければならない。サイオンの強制放出に至近距離で巻き込まれると、こちらのエイドス体も大きく傷つくことになる。また、強力な魔法師のサイオンはコントロールを失った状態でも本人の性質に合わせて何かしらの影響を及ぼすからその被害に遭わないようにということもある。ご機嫌斜めな時の深雪の気温低下が良い例だ。文也はそこまで強力な干渉力がないから大きな影響はないだろうが、あんな性格のクソガキだと絶対に厄介な性質を持っているに違いないため、安全策として離れることは必須だ。

 

 これほどの準備が必要なだけあって、その効果は絶大だ。『パレード』でエイドスの座標情報が誤魔化されていても、直接身体接触してくっつけるため問題はない。『パレード』を知りまた魔法知識が豊富な達也、精霊を目視できる分感覚的に理解できる美月、そして優れた古式魔法師である幹比古、この三人が力を合わせて対文也のために編み出された、新しい古式魔法である。

 

「面倒なことしやがって!」

 

 しかし、サイオンコントロール能力がとびぬけて優れている文也は、辛そうにしながらも、すでに強制放出を押しとどめている。実験では、これを押しとどめることが出来たのは、達也と五十里と範蔵のみ。達也と深雪は保有量が多すぎてちょっとした事故レベルのハプニングが起きたりもしたが、何はともあれ、自分の意志でこれを止めることができるのは、相当なコントロール能力を要する。これも織り込み済みだ。今のうちに、急いでとどめを刺さなければならない。

 

『よしっ! ここで止めを刺そう吉田君!』

 

「了解!」

 

 五十里が言い切る前に、幹比古は動いていた。雷撃や射撃などは、このクソガキのことだから、放出したサイオンを直接操って魔法式を組み、障壁魔法を展開することぐらいするだろう。ここで使うべきは直接干渉する魔法だ。今の文也は『パレード』を維持できないので、ようやく使うことができる。

 

「食らえ!」

 

 幹比古が使う魔法は、精霊魔法『コンカッション』。西洋の古式魔法で、強い震盪ショックを与える、攻撃魔法の定番だ。主に頭を狙って脳震盪を起こす目的で使われる。本当はもっと強力な魔法が良かったのだが、文也のコントロール能力が思ったより高く、速度を優先する形になった。

 

 精霊が魔法式を通して幹比古のCADとつながり、操られて文也の頭に向かっていく。外部からのショックではなく直接ショックを与えるから、ヘルメットは意味がない。文也のヘルメットを通り抜け、精霊が文也の頭と重なり、震盪を起こす――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そう思った瞬間、幹比古のCADが、煙を上げて火を噴いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、チチチチッ!?」

 

『それを早くはずせ幹比古!』

 

「言われなくても!」

 

 多少パニックになりながらも、幹比古は腕輪型の古式魔法用CADを取り外して泥の中に落とす。草原だと火事の危険があるが、この水分を多く含む泥ならば問題ないだろう。

 

「はっ、はっ、だはははは! ざまあみやがれ!」

 

 文也は泥の中に倒れ込みながら、息が切れてかすれた声で叫ぶ。強制放出のせいでサイオンが枯渇し、弱ってしまっているのだ。

 

 幹比古も達也も五十里も何が起きたのかは分かっていない。ただ分かるのは、今文也の強制放出が止まっていることと、『コンカッション』が効果を及ぼしていないことだ。

 

 ――今、文也がしたことは、一体何なのか。

 

 それは、この作戦を事前に伝えられていたあずさたち以外にとっては、とてもではないが、予想がつくものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 今文也が使ったのは――精霊魔法、つまり古式魔法だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也はゴリゴリの現代魔法師であり、古式魔法には疎い。また、古式魔法は、現代魔法に比べて長期間の特別な修練を要し、基礎レベルの習得にすら時間がかかる。

 

 では、なぜ、文也が使えるのか。

 

 元々、この九校戦のために準備していたわけではない。文也が古式魔法に着手したのは、現在の8月15日から9か月ほどさかのぼる、去年の11月の某日だ。

 

 その直前に何があったかと言うと――文也たちが何度も命の危機に遭った、横浜事変だ。

 

 この横浜事変以来、文也は自分が古式魔法師に弱いことを改めて実感し、USNAの襲撃も考慮したうえで、その対策に着手した。その成果の一つが、携帯性に特化した、あの魔法ピストルだ。そうした対策の一環として、文也は「古式魔法対策の古式魔法」を研究し、また練習し始めたのである。

 

 結局、それは間に合わず、あの地獄の夜の前日、一流の古式魔法師ネイサン・カストル相手に使える古式魔法はなかった。それでも多少の成果はあり、そのうちの一つが、副産物として生まれた、幹比古に譲った「如意棒」である。古式魔法の防御を破るために開発したものなのだが、結局実用レベルにはならず、持て余していたのだ。

 

 その研究と練習は、半ば習慣兼趣味として、USNAと四葉の危機が去った後も続けていた。微妙にモチベーションが保てなくてしばしばさぼったりもしたが、積み上げた魔法の知識と生来の才能もあって、つい最近、唯一実用レベルで習得したのが、今使った魔法である。

 

 名付けて、『いとおかし』。傀儡・使役系の古式魔法に干渉し、魔法的・呪術的つながりを辿って破壊情報を流し込み、術者またはそのCADを破壊するという魔法だ。副次的作用として、魔法的・呪術的つながりを破壊情報が通ることで、そのつながりも順次破壊され、使役された化成体・精霊・傀儡の使役は解除される。名前の由来は、古語「いとをかし」と精霊を操る魔法を糸に見立てそれを侵略する「糸侵し」の掛詞だ。

 

 その開発の出発点は、皮肉にも、去年の『モノリス・コード』だった。対戦相手の古式魔法師・狩野の対策として急遽採用した、相手が使役している精霊を奪って妨害する魔法と、感覚同調している精霊から術者の位置を逆探知する魔法だ。手札を隠すことが何よりも重要な古式魔法は、その起動式を見せるなど、言語道断である。しかしながらあの時は急を要していたため、CADへの登録と調整のために、幹比古は達也と文也にそれらを見せていた。それらを覚えていた文也が、ヒントにしてこの魔法を開発したのだ。あの時の幹比古からの信頼を、この九校戦の舞台で裏切り、あまつさえ本人に向けているのである。なんという奴だろうか。

 

 ただし、致命的な欠点がいくつかある。まず、実力が足りなさ過ぎて、自分のエイドス体に触れている精霊にしか使えないこと。喚起されて具体的な効果を及ぼしている最中の目立つ精霊しか知覚できないからそれ以外に使えないこと。個別に対象を選ぶような器用な真似はできず、自分に触れている精霊すべてを一気に対象に取るしかできないこと。幹比古の得意技『雷童子』を筆頭としたほとんどの魔法に意味をなさないし、直接干渉してくるにしても『パレード』で防げるのだから全く意味がない可能性が高いこと。正直、使うことはないと思っていた。

 

 それでも、使う機会はしっかり訪れた。近接戦闘は文也が総合的に見て有利であり、こちらから積極的に仕掛けにいく。そのどさくさに精霊を仕掛けられるということも、古式魔法の名手である沓子から教わっていた。喚起した瞬間速効反撃してやろうと手ぐすね引いて待ち構えていた結果、まさかのサイオン強制放出のせいで反撃がかなり遅れてしまったが、何とか成功した。

 

「はーっ、はーっ、くそ、立ち上がれ!」

 

 文也は脚に力を籠め、腕に力を入れて立ち上がろうとするが、足と手が泥で滑り、そのまま踏ん張ることもできず、顔面から泥にダイブしてしまう。ここまでの激しい運動と魔法戦闘、そしてサイオン放出により、体力と保有サイオンが、ともに限界なのだ。

 

「ふーっ、ふーっ、かはっ」

 

 一方の幹比古もまた、度重なる激戦に加え、数十秒全身を針で刺され続けるような拷問を受け、さらに大魔法を行使し、加えて片腕をやけどしたせいか、思うように体が動かない。しかしだからと言って、今まで鍛え続けてきて、修羅場を潜り抜け、気力もある彼が、ここまでなるはずがない。

 

 実は、誰も気づいていないが、文也が流した破壊情報は、幹比古のエイドス体にも影響を及ぼしていた。使役の媒介となったCADがその破壊の主な対象となっていたのだが、使役主体である幹比古にも、少なからず破壊情報が逆流し、そのエイドス体を壊していたのだ。体に具体的な悪影響があるわけではないが、魂ともいえるエイドス体の破壊は、痛みや倦怠感、疲労を生む。そのせいで、幹比古は動けないのだ。

 

 

 

 

 

 ――九校戦のラストバトルの、本当の最後。

 

 ――その戦いは、あまりにも無様だった。

 

 

 

 

 

 

 先ほどまでの泥んこの中の取っ組み合いすらもかすむ程に、二人の姿は情けない。

 

 二人とも起き上がるどころか、顔を起こすことすらできない。泥の中を、ゆっくり、ゆっくりと、亀の歩みすらも速く見えるほどの速度で、這うことしかできない。

 

 二人が向かう先は――ほんの数メートル先の、ゴールラインだ。

 

 今、二人とも、ほんの少し魔法で攻撃するだけで、あっという間に気絶するほどに弱っている。エイドス・スキンもないも同然で、魔法師の赤子ほどの防御力もない。まさしく、赤子の手をひねるような弱さだ。

 

 しかし一方で、お互いに、攻撃する余裕すらない。基本的な移動魔法も、基本の基本である『サイオン粒子塊射出』も、得意の『ツボ押し』も『雷童子』も、負担の少ない『不可視の弾丸』も、何もできない。

 

 去年・今年と観客を沸かせる大活躍をし、成績もトップクラスに優秀で、それぞれ何度も修羅場を潜り抜けてきた一流の魔法師である二人は、今この瞬間は、あまりにも情けない存在になっていた。

 

 もはや目は霞んで見えず、地を這っている感覚すらなく、口に入る泥の味も分からず、不快な泥水の臭いも判別できず、耳に入ってくる音は全く意味がわからない。

 

 

 

 

 ――ここからの戦いは、永遠のように長い。

 

 

 

 

 たった数メートル。これを進むのに、何分も、十何分もかかるペースだ。

 

 その赤子のハイハイ競争にも劣るレース。それに先攻したのは――体格と運動能力で優る、幹比古だ。

 

 その差は、少しずつだが広がっていく。前を行く幹比古がゴールまで残り半メートルというころには、手のひら一つ分の差が開いていた。

 

 あらゆる魔法と策略が飛び交った激戦。その最後を決めたのは、魔法も知性もない、きわめて原始的な、身体の差。

 

『よし、幹比古! お前の勝ちだ!』

 

『すごいよ、吉田君!』

 

 尊敬する先輩と、この一年ですっかり仲良くなった、親友と呼んでも間違いではない友達の、讃える声。

 

「頑張れ吉田!」

 

「もう少しだ!」

 

 戦友である先輩二人の励ましの声。

 

 それらを幹比古は、聞き取ることができない。ただ、何かを叫んでいるだけに聞こえる。

 

 そして幹比古の手が、ついにゴールラインへと、伸びていく――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もはや意識すらほとんどない中、半ば本能で、小さな体を動かして、泥の中を這う。

 

 文也は、幹比古に、ほんの少し遅れている。

 

「文也! もう少しだ!」

 

「前に進め! いつものお前みたいに!」

 

 文也の耳に、ゴール前で四つん這いになり、文也を必死で見つめて叫ぶ駿と将輝の声が入ってくる。将輝は気絶していたはずだが、治療されたのちに、スタッフの計らいでここに運ばれたのだろう。

 

(は、はは、なんて必死なんだ、まったくよお)

 

 文也は、その声を、判別できていた。

 

 幹比古に比べて、ほんのわずかに、回復が早かった。

 

 なぜそのような差が生じたのか。

 

 それは、文也が、這いつくばりながらも、サイオンと体力が回復しやすくなるツボを刺激していたからだ。

 

 しかし、『ツボ押し』などの魔法で刺激していたわけではない。

 

 泥の中にしばしば混ざっている小石。それに、各所にあるツボを這いずるついでにこすりつけていたのだ。普通に指圧したり魔法で押すよりも、はるかに不正確だ。押す強さも、押す深さも、正確な位置も、温度も、刺激の方向も、時間も、全てが滅茶苦茶で、「一ノ瀬」「井瀬」が積み上げてきた成果がほぼ発揮されていない。

 

 しかし、その刺激は、わずかながらに効果を発揮したのだ。

 

『さあ、もうすぐだ文也! もうひと頑張り!』

 

 オペレーターの真紅郎も、声を張り上げて叫ぶ。別にそんなことをしなくても聞こえるのに。親友が手に汗握って必死の形相になっている様が脳裏に浮かび、文也は思わず口角を上げる。

 

『ふみくん! ゴールは目の前だよ! さあ!』

 

 そして、誰よりも長い時間を過ごした幼馴染の声も、聞こえてくる。

 

(はーあ、全くよう、お前ら、こんなことに必死になりやがって)

 

 文也は、心の中でため息を吐く。

 

 そんな文也の顔には――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――いつもの、口角を吊り上げた、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そこまで言われたら――やるっきゃないだろうが!)

 

 文也の手に、ほんのわずかに力がこもる。

 

 そして、ようやく回復した微量のサイオンを消費して、ごく小さな魔法式が構成された。

 

 行使した魔法は、お得意の、足を滑らせる魔法だ。悪戯で一番よく使う、文也のもう一つの十八番。

 

 その対象は、幹比古ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――自分自身だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也がほんの少し前進しようと力を入れただけで、まるで滑るように、前に進む。進行方向に移動させる平面領域が、文也の体を、ゴールへと放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 九校戦の閉会式の表彰は、まず各競技・各部門の優勝者が順々に呼ばれ、表彰される。二校しか参加しない『トライウィザード・バイアスロン』は例外で、これといった表彰はない。

 

「は~ねんまつねんまつ」

 

 文也はその表彰を、無感動に聞き流していた。とっくに『ロアー・アンド・ガンナー』の自分は呼ばれ、その手には今時古式ゆかしい紙の表彰状がある。

 

 しいて面白いところを挙げるとすれば、『デュエル・オブ・ナイツ』男子本戦の表彰だ。一高が三人で決勝リーグを独占したため三人同率優勝扱いとしている競技だ。てっきり代表者一人が出るものだと思っていたが、なんとも粋なことに、桐原、十三束、レオ、三人とも登壇して賞状を受け取っていた。

 

 そして新人戦優勝の表彰で三高一年代表の香澄が、本戦優勝の表彰で一高の選手筆頭である花音が、それぞれ登壇して表彰状を受け取った。三高は、『トライウィザード・バイアスロン』を加えてもなお、本戦で一高を超えることができなかったのだ。

 

『そして、いよいよ総合優勝の発表です』

 

 司会者が盛り上げるようなトーンで言うが、どこも点数計算は厳密にしているため、結果はすでに分かっており、あまり上がる様子はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『総合優勝は――第一高校!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、ワッ、と歓声と拍手が上がる。

 

 そう、第一高校は、この九校戦でまた総合優勝したのだ。文也はその様子を見ながら、心底つまらなそうに、不機嫌そうなため息を吐く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それと、第三高校!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こちらでもまた、歓声と拍手が上がった。

 

「あーあ、つまんねええええええ。なんだこの結果はよー!?」

 

「こ、こら、ふみくん、静かに!」

 

 ぐちぐち文句を言う文也を、隣にいたあずさが窘める。体格が良いスポーツマンがほとんどのため、二人はすっかり埋もれてしまっていて、そのやり取りは周りに気づかれていない。

 

 そう――今年の九校戦は、総合優勝が、二校だ。

 

 最終的なポイントが、一高と三高で並んだのである。

 

『トライウィザード・バイアスロン』で三高女子が勝ち、二校の点数が並んだ。

 

 そしてその後の最終決戦である男子は――あの激戦の末、まさかの「引き分け」だったのだ。

 

 将輝と桐原は失格で、ゴールタイムは二時間扱い。駿と範蔵のゴールタイムが、なんと全く同じ。

 

 そして――文也と幹比古のゴールタイムもまた、全く同じだったのだ。

 

 幹比古がわずかに先行していたが、文也が最後の意地で発動した魔法によって追いつき、機械ですら判別不可能なほどに同時ゴールをした。

 

 ゴールタイムの合計が同じだった場合は、ゴールまでたどり着いた選手の数で順位を決める。しかしそれも同数だったため、ルールにより、勝負はドロー。配点の50点は折半となり、25点ずつ両校に与えられた。

 

 結果、最終決戦を経ても同点。総合優勝は、一高と三高という、なんとも中途半端な結末になったのだ。

 

「納得いかねえええええ! ああああああもう畜生!」

 

 心のもやもやを叫んで誤魔化そうとしても、余計に強くなるばかり。文也は登壇して賞状を受け取る両校の生徒会長、綾野と五十里から目をそらし、仇敵である達也を睨む。

 

(――――俺だって、納得いってないさ)

 

 達也もまた、この結果でモヤモヤを抱えていた。

 

 今までいろいろあった因縁の、特にあの夜のリベンジと行きたかったところだが、決着がつかなかったのである。文也のように表には出さないが、同じ気持ちだ。

 

 睨まれても困るので、達也は自分もまたそうであると、文也に目線で伝える。すると、文也は、あまりにも子供っぽく、達也にアカンベーを返した。もっとも、盛り上がって動き回る両校のスポーツマンに阻まれてそれは達也には見えなかったが。

 

 そして、文也も達也も、実に皮肉な偶然で、同時にため息をつき、同時に心の中で宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

((来年こそは覚えてろ))

 

 

((次は、絶対に、勝つ!))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なお、この翌年の九校戦は、達也が一年目で開発した『能動空中機雷(アクティブ・エアー・マイン)』と、文也が二年目で開発した『チェイン・キャスト』を利用した戦術級魔法が、それぞれ戦場で殺害を目的で使用されたのをきっかけに中止となり、二人の意志に反して、決着の場はお流れとなった。

 

 その後、この九校戦で片鱗を見せた将輝が真紅郎開発の『海爆(オーシャン・ブラスト)』と文也開発の『TSUNAMI』という二つの戦略級魔法を引っ提げて戦略級魔法師の仲間入りをしたり、達也が大立ち回りを演じたりと色々あるわけだが、それはこれ以上、語られない話である。




これにて完結です。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
本作の裏話や書いていての感想など、自分語りを活動報告にて後に投稿する予定です。


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オリジナル魔法解説

 最後の投稿から半年以上が経ちましたが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

 今回は、『魔法科高校の劣等生』原作が完結し、またアニメも二期をやるということで、それを記念して何かやろうと思って、ちょうどオリジナル魔法の設定資料が残っていたので、オリジナル魔法の解説をお見せしようと思います。ただし、普通に解説するのもつまらないので、登場人物たちに説明してもらうことにしました。

 当然のことながら、本作全てを読んだ前提となっておりますので、全て読了またはもう一度読み返すのをお勧めします(露骨なPV稼ぎ)

ちなみに、魔法の仕組み、作中の設定、人物の心情、そしてなんなら科学的法則すらも、wikiと自己解釈による部分が多いので、そのあたりは生暖かく見守ってください。


『スリップ』

 

初出:1-4

 

解説:十文字克人

 

 一番最初が俺で良いのか? まあいい……これは主に魔法師の子供たちが使う悪戯魔法の一種と言えるな。主な用途としては、その呼び名の通り、相手が踏み出す場所に滑りやすくなるような領域を展開することでスリップさせることだろう。効果はシンプルながら強力で、練習・競技レベルのみならず、実際の魔法戦闘でも使用されることがある程だな。滑る、というと摩擦係数が少ないことをイメージして、『伸地迷路(ロード・エクステンション)』を思い浮かべがちだが、実はこれは別種の魔法で、『伸地迷路』は摩擦力を近似的にゼロにする放出系に分類されるものだ。一方この転ばせる魔法は、対象物と地面との間に、「触れたものが高速で水平方向に移動する」平面領域を作り出す、加速・移動系魔法だ。摩擦云々は関係なく、「まるで滑ってしまったかのように移動させてる」わけだな。相手の足は超高速で動くベルトコンベアの上に踏み出したかのように移動させられ、それでバランスを崩して転んでしまう。ここから分かる通り、飛んできたものの移動速度をゼロにする基本形ではなく、飛んできたものを下に落とすタイプの障壁魔法と、実は同種だ。我々十文字家の先祖がまだ「十文字」でなかったころ、第十研究所で『対物障壁』を研究していたころの初期に戯れで開発された、というシンプルで単純ゆえに、歴史の古い魔法だ。それが今では、七草や風紀委員、さらには子孫たる俺を苦しめる魔法になっているのは……皮肉な話だな。

 

 

 

 

 

 

 

『ショット』

 

初出:2-4

 

解説:百谷博

 

 これは2095年魔法科高校親善魔法競技会、通称九校戦のオリジナル競技、『フィールド・ゲット・バトル』で使用する魔法だね。専用CAD「インクガン」を用いて使う魔法だ。相手を倒す、フィールドを塗る、というこのクソg……競技の最も基本となる魔法だね。仕組みとしては、『術式解体(グラム・デモリッション)』や『サイオン粒子塊射出』とほぼ変わらない。魔法を使う意思を持って引き金を押したら、使用者のサイオンを競技用に変質させたうえで塊にして打ち出すんだ。で、それを検知した特別加工されたフィールドや装備が、対応した色に変わるわけだ。これの厄介なところは、サイオン効率が異常に悪いことだよねえ。使うサイオンの量は、こんな魔法なのに、実はちょっとした本格的な規模の大きい魔法に匹敵するほどでさ。仮に「弾切れ」状態で無理やり使わなかったとしても、普通に連射していればかなりの保有サイオンが持っていかれる。使用者から強制的に吸い取るサイオンのほとんどは、無駄にそこら中に捨てられてるんだ。こんな仕様をわざわざ競技に採用する必要があると思うかい? スフ〇ラトゥーンをパクって無理やり現実の競技に落とし込んでクソゲーにした運営幹部の一人もそうだけど、「保有サイオン量」なんていう時代遅れの尺度を測ろうとわざわざこんな仕様を入れた別の運営幹部も大馬鹿の一言だね。

 

 

 

 

 

 

 

『スペシャル』

 

初出:2-2

 

解説:七草真由美

 

 これも『ショット』と同じく、『フィールド・ゲット・バトル』専用の魔法ね。『スーパーショット』、『バリア』、『メガホン』の総称よ。仕組みも『ショット』と同じで、CADを起動してフィールドがサイオンを検知したら特別な立体ホログラムが表示されたうえで、それぞれに応じた効果処理がなされるわ。この『スペシャル』の変わった点といえば、『ショット』と違ってCADが基本自由なのと、基幹部分さえ弄らなければ多少起動式を変えても大丈夫という点ね。『スペシャル』は『ショット』と違って連発するものではないから保有サイオン量を測れない、だから制限がどうでもいいっていうのが透けてるわよねえ。これは予測なんだけど、当初は『ショット』だけのシンプルなゲームで、後から「原作再現」とかなんとかいうののためにこれが追加されたんじゃないのかしら。つくづく頭のおかしい運営よねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

異なる向き・強さの振動を起こして破壊する魔法

 

初出:2-8

 

解説:五十里啓

 

 九校戦の時に井瀬君から渡された魔法だね。花音の『地雷原』の対策をした『強制制止』のバリエーションをさらに対策した魔法だ。対象物質を強く振動させて壊す魔法は振動系魔法の基本中の基本で、この魔法はそれの亜種だね。単に強く振動させるだけでなく、対象内部で向き・強さが違う振動を起こして壊す、ちょっと応用編っていう感じの魔法かな。単なる振動破壊と違うのは、あちらは魔法式が単純だけれども強い振動が必要なせいで相応の干渉力が必要なのに対して、こちらは効率よく比較的弱い力で破壊できるけど振動の種類が多いから魔法式や演算が複雑になるっていう点だね。どちらにせよ振動系が得意な花音にとっては問題にならない魔法だから、井瀬君のアドバイス自体は正しいものだったね。ただ、これはやっぱりいわゆる「フェイク」だったみたいで、実際の彼の思惑は、その……えっと……(何かを思い出したのか顔が真っ赤と真っ青を反復横跳びし始めてたのでここで中断した)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ツボ押し』

 

初出:2-9(名前や正体が明かされたのは、「4-7」)

 

解説:井瀬文雄

 

 我らが井瀬家が『一ノ瀬』だったころ、第一研究所で開発した魔法だな。系統としては、メインが加重系、サブが振動系となっている。加重系で体表に刺激を加え、時にはそのサポートとして振動系で体温を変化させて、身体を刺激することによりさまざまな効果を生み出す魔法だ。刺激の範囲は広くて、指で押すほどのほどの範囲と強さにすれば基本の「指圧」になるし、範囲を広げたり刺激の間隔を変えたりすれば「圧迫」「揉み」になるし、範囲を小さな点にして刺激を強めにすれば「鍼」になる。これらをひっくるめて雑に『ツボ押し』と息子は呼んでいるわけだな。あいつにしてはやたらとシンプルな名前だが、実は色々呼び名を考えては変えてを繰り返して、面倒くさくなったから『ツボ押し』に固定したって経緯があるんだ。そう考えるとあいつらしいだろ? 俺ら井瀬家ではそれぞれが好き勝手に呼んでいて、俺なんかは『北斗神拳』と呼んでいる。カッコイイだろ?

 

 その性質上、使い方はいろいろだな。実際のマッサージや鍼よろしく治療に使えるし、痛点をピンポイントで刺激すればごく小規模で効率よく「痛み」を与える攻撃にもなる。もっと難しくて深いところだと、麻酔には遠く及ばないが痛みを軽減したり、「経絡秘孔」みたいなところを突けば保有サイオンの回復を早めることもできる。そして全身の「快楽点」を徹底的に刺激すれば、あの深雪ちゃんのように、スケベをさらすことになる。いやあ、あれはすごい映像だったなあ。何度も見てることを知られたら四葉と貴代に殺されるからやらないが、一回見てから脳みそにこびりついて仕方ないぜ。

 

 ……それはさておき。この魔法はやっぱり「人体に直接干渉する魔法」をテーマとしていた第一研究所らしい魔法だな。神経を研究していた一色家や一花家、体温を研究していた一ノ倉家の研究成果を「参考」にしている。ただこれらの家が成果として生み出した魔法に比べると、どうしても間接的な分、効果ははるかに劣るよなあ。人体やツボに関する膨大な知識を必要とするという欠点もある。まあ、それらさえクリアすれば魔法としてはかなり小規模だから、使うのは簡単だし感知されにくいという大きな利点もある。色々と「使いよう」がある魔法だし、一応「家」のアドバンテージが重視されるのが魔法師社会だから、井瀬家としては秘術扱いにしている。バカ息子は割と信用した相手にはオープンにしすぎている気がするが……それはそれであいつの良さでもあるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

『幻影』

 

初出:2-12

 

解説:光井ほのか

 

 うう……なんか絶対意地悪してません……? 確かに「光」なら私ですけどぉ……。……この魔法は、光を操作して意図した景色を見せる、光波振動系魔法です。光波振動系魔法の基本の基本と言えば振動を減らして暗くしたり、増やして明るくしたり、光の色を操作したり、という感じですが、これはそれらを複合した完成形の魔法と言えるかと思います。幻覚で惑わす以外にも、紙もペンも端末もない状態でも相手に思い浮かべた映像を見せたりすることができたりして、とても便利な魔法です。ただ、実用レベルとなると、操作内容が複雑なのでとても難しいですね。それに人間の演算で機械が作り出すホログラムを超えることはほぼ不可能なのでどうしてもリアリティが無く、基本的に時間がかかるか相手が冷静だったりすれば、簡単に見破られちゃいます。そして、そうした『幻影』を見破るのは「光」に敏感な私の得意技なんですけど……あの時は、色々条件が重なって、その……ううう……。

 

補足:司波達也

 

 ほのかがいじけてしまったから補足しよう。これは実に便利な魔法で、ハイレベルになると、俺や井瀬、もしかしたらほのかすらも見破るのが不可能になる。その最たる例が、リーナの『仮装行列(パレード)』だな。戦闘面では直接干渉する魔法が座標ずれによりエラーになる、という効果が目立ちがちだが、あの魔法の真骨頂はやはり『幻影』だろう。姿を完全に変えて、魔法師すらだますことができるんだ。当然、演算はさらに複雑になるし、常駐ともなれば使用サイオン量もバカにならない。普通の魔法師ならあの精度で作り出すことすら無理だし、特化した専門の魔法師でも維持するにはかなりの練習と集中力を要する。そんな魔法を維持しながら先頭にほぼ支障をきたさないリーナは、世界最強の名に恥じない魔法師と言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『深淵(アビス)』のダウングレード版

 

初出:2-12

 

解説:吉祥寺真紅郎

 

 本来の『深淵』は、水面を半球状に陥没させる魔法だ。陥没した水面上、それとその近くにいる船はそのまま沈んでひっくり返り、再起不能になる。それと戻すときも厄介で、大質量の水が激しく動くわけだから大波も発生して、とても広い範囲に激しい攻撃が可能になる。戦略級にふさわしい魔法だね。当然起動式は最大級の機密なんだけど、文也はどこからか盗んだか仕組みを再現するかして、『バトル・ボード』で使えるように大幅にダウングレードして採用してきた。やっぱり移動した先が少しでも陥没するとボードの操作は乱されるし、戻した時の波も厄介だね。元の『深淵』はその規模から演算の負担が大きくて、しかもその反動か使用者の体にも大きな負担がかかるんだけど、このダウングレード版はそのあたりの欠点を徹底的にそぎ落として、使いやすくて負担も少なくマルチ・キャストもしやすいように作られているよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『爆裂』の改造版

 

初出:2-12

 

解説:一条将輝

 

 本来の『爆裂』は対象内の液体を一瞬で気化させて膨張させ内部から破裂させる発散系魔法だ。一方この改造版は、相転移を直接操る発散系ではないし、なんなら『爆裂』と並べるのもどうかと思う程度には別種で、別の仕組みだ。ただそこに俺たちが『爆裂』を重ねたのは、対象物を次々と破壊するために起動式に施した工夫が再現されていたことだ。表層的な気化爆発の真似事ならシンプルな仕組みだけにヨソでいくらでも再現されてきたしその程度なら無視できるが、こういう深い部分を見破られて実用レベルの精度で再現されるとなると、一条家としては見過ごせない部分はあるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『バウンド』

 

初出:2-13

 

解説:井瀬文也

 

 俺の出番がここまで遅いっておかしくねえか!? しかも解説すんのがこんなチョイ役魔法かよ! ……これは移動系と加速系を組み合わせた魔法だ。領域に触れた物体は、その移動ベクトルを真逆にさせられる。ちょうど跳ね返される形だな。実体としてある壁に当たって跳ね返されるのと違うとすれば、衝突の反作用はないし、運動エネルギーのロスもない。これも『障壁魔法』の一種だな。元かいちょーさん(筆者注・七草真由美のこと)が『クラウド・ボール』で使おうとしていた『ダブル・バウンド』はこれの進化版だ。あっちは跳ね返るときに速度を2倍にする効果がある。相手陣地に落ちる前にまた拾われたらポイントにならないから、すぐ接地させるためにこうしてるんだろうな。よく考えるぜ。……え、これで終わり?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『叫喚地獄』の亜種

 

初出:2-14

 

解説:一条将輝

 

 本来の『叫喚地獄』は、領域内にいる対象内部の液体分子を振動させて温度を上げ、時間をかけて蒸発させる魔法だ。『爆裂』の領域版、と一条家内でも認識されている。ここで使ったのはその亜種で、領域内にある対象の「固体分子」を振動させて温度を上げ、溶解させる魔法だ。一条家が得意とするのはあくまでも「液体」であって、同じ仕組みだろうと「固体」に干渉するこの魔法は、別に苦手ではないが、特別得意と言うわけでもない。実用レベルの時間範囲で対象を溶かすほどの温度に上げるのはほぼ無理で、それこそ融点の低い氷ぐらいだろうな。『アイス・ピラーズ・ブレイク』以外での使いどころはないだろう。文也と戦うためだけに頭ひねって必死こいて考えたんだぜ。いや、まあ、結果として刺さったとはいえ、『氷炎地獄(インフェルノ)』は想定外だったけどな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『斬り裂君』

 

初出:2-14(名前や正体が明かされたのは「2-15」)

 

解説:司波達也

 

 ふざけた名前だが、効果は十分実用的だな。CADの延長上に板状の仮想領域を作り出して、その領域に触れた物体の分子間結合力を反転させることで一瞬だけ気化させる放出系の「斬る」段階と、その気化させた分子間の相対距離をさらに広げる収束系の「離す」段階を一瞬で行う、言ってしまえば「斬り離す」魔法だ。前半部分はまさしく『分子ディバイダー』で、難しい魔法な故に不完全な効果しか出ないから、後半の「離す」段階を付け加えて実用レベルにしてある。これがのちのち色々なトラブルの種になるわけだ。言ってしまえば、「たかが」親善競技会のせいで、あいつは自分と周囲を命の危険にさらし、大きな迷惑をかけたことになる。トラブルメイカーもいいところだ。四葉の情報によるとあの試合の場にはUSNAのスパイも来ていたらしいな。心中お察しするよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

空気の刃で物体を切る魔法

 

初出:2-15

 

解説:西城レオンハルト

 

 お、俺も解説するのか? ……これは俺の得意な分野だな。これは空気をすげえ薄っぺらく硬化魔法で固めて、それを移動魔法でぶつけて斬り裂く魔法だ。『薄羽蜻蛉』の空気版、みたいな感じだな。精密に操作すれば接触の瞬間に「引く」動きをしてさらに効率よく斬ることができるぜ! 硬化魔法は防御が主だけど、こうして攻撃にも転用できるんだ! 便利だろ? でもこれは見えない流体である空気を大雑把な操作でも対象物を切断できる程度には「薄く」「硬く」硬化させなきゃいけないから、地味に難しい魔法だな。実戦では使いにくいだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『感覚同調』の逆探知魔法

 

初出:2-20

 

解説:吉田幹比古

 

 まずは『感覚同調』の説明が必要だね。これは契約中の精霊から、イデアを経由した繋がりを利用して情報を得る魔法だよ。精霊とつながっているということは、そのリンクを辿って行けば、術者の居場所がわかるってわけだ。『感覚同調』自体がそれなりに難しい精霊魔法だけど、実戦レベルのSB魔法師は全員使えるから、それに対するカウンターとして、古式魔法の世界では習得必須の魔法だよ。……これを井瀬に見せちゃったのが、2年目の醜態の原因かな。仕方ないこととはいえ、転校ってズルくない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土で拘束する魔法、音波で酔わせる魔法

 

初出:2-20

 

解説:中条あずさ

 

 あ、私にも出番あるんですね。このまま全部みんなに任せても良かったんですけど……。これらはふみくんが一年目の『モノリス・コード』で使った魔法ですね。片方は、土を移動させて相手に覆いかぶせさらに硬化魔法で固めて拘束する魔法です。シンプルな魔法で、ふみくんの悪戯でもたまに使われます。もう片方は、特別な周波数の音波を浴びせて酔わせて、頭痛を起こしたり気持ち悪くしたりする魔法です。音波振動系攻撃魔法の基本ですね。どちらも効果はそこまでではないのですが、一気に使ってさらに大量に浴びせれば、抜け出すのはとっても難しいと思います。ふみくんの得意技と言えば何十個もの専用CADを同時に使う『パラレル・キャスト』での連続同時攻撃なんですけど、本気の時以外は疲れるのであまり使わないんですよね。司波君と風紀委員入りを巡って決闘した時も、ハイペースな同時連続攻撃は手加減していました。だから、これを『モノリス・コード』で使った時はびくりしちゃいました。森崎君のことを、本当に大事に思ってるんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

『膝カックン』

 

初出:2-21(名前や正体が明かされたのは「2-22」)

 

解説:井瀬文也

 

 またチョイ役魔法かよ……。これは『マジカル・トイ・コーポレーション』が開発し、専用CADを発売したオリジナル魔法だ。膝裏にちょっと押す程度の衝撃を加えて、古典的な悪戯「膝カックン」と同じことをする魔法だな。衝撃が強すぎると、骨が表に出ていてしかも薄い部分だから骨折するかもしれねえ、ってことで、基本的に出力制限を加えてあるぜ。これがまた結構子ども相手にバカ売れしてよー、俺も昔はこれでよく遊んだわけだ。当時は俺もまだガキもガキだったから、開発者は当然親父だぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『多色点滅』、およびその古式版『狐火』

 

初出:2-21(名前や正体が明かされたのは「2-22」)

 

解説:司波達也

 

 光波振動系の妨害魔法だ。赤、青、などの刺激が強い光を目の前で高速点滅させて、相手を光過敏性発作によるショック状態にする魔法だな。幹比古が使ったのはその古式版で、仕組みは違うが起こる結果は同じになっている。ゲーム研究部の連中が何やら馬鹿なことを言っていたから暇なときに少し調べていたら、まだ規制が無かった時代、有名な子供向けアニメでこれを演出の一環として流して、全国の一部の子供が失神などの症状を起こしてしまったらしいな。井瀬達が御ふざけで『ポリゴンショック』と呼んでいたのもそれが由来らしい。普通に使うにも危険だが、後遺症のないショック症状がほとんどなので、殺傷性ランクはC未満になっている。ただ、使うシチュエーションによってはたやすく犯罪に使えるから、場合によっては殺傷性ランクAにも匹敵するだろう。例えば、高速運転中のドライバーに使えば簡単に交通事故が作り出せる。これはどんな魔法にも言えることで、良くも悪くも、「使いよう」というわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音波陽動魔法

 

初出:3―サド・サド・サード―3

 

解説:吉祥寺真紅郎

 

 音波振動によって激しい音を鳴らし、陽動する魔法だね。音波振動系魔法の基本中の基本だ。音を大きくすれば音響攻撃にもなる、使い勝手の良い魔法だよ。文也の場合は、いくつもの爆竹が鳴ったみたいな音で陽動していたね。魔法式の規模が小さいから隠密性が高く、ベテランのプロ魔法師でも引っかかりやすい厄介な魔法で、それをあの文也が使ったわけだから、相手が引っかかるのは当然というわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔改造魔法ライフル

 

初出:4-1

 

解説:井瀬文雄

 

 バカ息子が作った魔法ライフルだな。佐渡の戦いのときに敵スナイパーが使っていたライフルを回収し、改造したものだ。銃弾は炭化チタン製で貫通力に特化した形状をしている。銃身は普通のライフルと比べてもさらに長めだが、その理由は銃型CAD特有の照準補助のスペース確保のみならず、内部を通った銃弾が加速する刻印魔法をこれでもかと施すためだ。銃弾の射出そのものも魔法で、そのあとの急加速も魔法によってなされる。その弾速は音速の7倍ほどだ。そして銃口を通った瞬間に銃弾には『情報強化』が施され、ハイパワーライフル対策として使われる『減速領域』なども通じにくい仕組みだ。さらにさらに、弾速が速いということは空気抵抗が欠点になるわけだが、それも『疑似瞬間移動』技術の一種である真空のチューブを銃口から伸ばすことで防ぐことができるんだ。

 

 まとめると、滅茶苦茶硬いうえに貫通力に特化した銃弾が、文也が使ったならば余剰サイオン光が漏れず、魔法なので音も出ず、音速の7倍で射出され、しかも空気抵抗による減速は無く、さらに魔法で防ぎにくい仕組みになっている、というわけだ。頭おかしいだろ。これを人間に、それもたかだか校内訓練で撃とうとしたなんて、我が息子ながら信じられない奴だな。確かに貫通特化だから怪我の範囲は狭くなるし体内に銃弾は残らず、腕の良い養護教諭が待機しているとなれば、実際問題はないのだろうが……。よほど九校戦の練習で『ファランクス』に完封されたのが悔しかったんだろうな。

 

 このライフルは結果として横浜において多くの人々を窮地から救ったわけだが、一発で終わる前提だから装弾数が一発だけ、しかもかさばるし目立つという欠点もあった。それを改善したのが、USNA軍・スターズとの戦いで活躍した魔法ピストルだな。ただ小型化したうえに弾倉も設けたせいで性能が全体的に下がり、弾速は音速の3倍程度、真空チューブによる減速防止もできないから空気抵抗をモロに受けたりと、新たな弱点も産まれた。ただ、音もなく音速の3倍で魔法に防がれにくい銃弾がピストルから出るというのは、やはり破格の性能と言えるだろう。

 

 ちなみにこれらは、他の魔法師にはまず使えないぞ。いろいろな魔法を同時に使用するために、銃そのものが複数のCADのキメラだからな。横浜の事件において独立魔装大隊が貫通力強化魔法ライフルを実験的に戦場で初使用した記録があるが、あちらの方が生産能力も汎用性もはるかに上だ。うちのバカ息子は商品開発においてはそれこそ小さな子供にも使えるほどに使いやすさを気遣ってくれるが、それ以外となると自分以外への発展性がないのが欠点だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『流れ星』

 

初出:4-4

 

解説:司波深雪

 

 よりによって私にこれを解説させるのですか……。叔母様……「極東の魔女」「夜の女王」と畏れられる四葉真夜の専売特許にして戦術級魔法としては『爆裂』『コキュートス』を超え『ファランクス』並みの効果を誇る『流星群(ミーティア・ライン)』、その完全劣化版です。これは使用者の練度の差ではなく、魔法式・起動式レベルの差です。『流星群』はいくつ穴を空けるかを起動の段階で演算によって選べますが、この魔法はそのレベルには達しておらず、一つしか穴を空けられません。だからこそ、「群」を付けられず、『流れ星』と名乗るのでしょう。

 

 誰一人として幸せにならなかったあの戦いの、諸悪の根源です。タチの悪いことに、井瀬君はこれが『ミーティア・ライン』の同種だと認識したうえで開発し、使ったのです。本来の意味とは違いますが、いわゆる「確信犯」ですね。しかも、その動機は、校内訓練で勝ちたいから、というものでした。お兄様のデータ曰く、3つほど対策を考えて来たみたいですが、そのうちの最も弱い対策がこれだったそうです。結局使わなかったし、井瀬君の干渉力では『爆裂』のほうがほぼ全ての場面で効率が良いので、つくづくリスクと苦労に見合わないと言わざるを得ません。彼は頭が良いはずなのに、どうしてこうも……いえ、それは私も同類ですね。私が精神的に未熟でふがいないばかりに、お兄様にはご迷惑をおかけすることばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『カーム』

 

初出:4-4

 

解説:中条あずさ

 

 精神干渉系魔法の一種で、その基本形です。楽しい、嬉しい、苛立つ、悲しい、悔しい、怖いなど、ポジティブもネガティブも関係なく、心の動きを抑えて一般的な平常に戻す魔法ですね。戦闘状態にある相手にこれが成功すれば、戦意の喪失とまではいかずとも削ぐことができて、心の差で有利になるという使い方もありますね。不便なところとしては、魔法の効果が切れたら基本的に感情が元に戻るということです。例えば、怒って暴れている人にこれをかけて一瞬落ち着かせても、効果が切れたらまたもとの感情に戻って暴れ始めてしまいます。ただ、魔法効果がある間にそうした感情や感情の原因が収まれば、効果が切れても完全に元通りと言うわけではなく、収まった状態になります。だから、化成体に斬られた直後にこれを使用して少し持続させていれば、斬られてないと冷静に認識し始めて、幻の攻撃でできた催眠効果はなくなります。ドローン越しに一目でどのような攻撃か偶然判断できて、それがたまたま私の得意な魔法で防げるので、多くの人を救うことができました。……でも、無理なのはわかっていますけど、やっぱり、最初の人を助けられなかったのは、悔しいし、悲しいし、申し訳ないと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『流星』『メテオ』

 

初出:4-5(名前だけ4-4で登場)

 

解説:司波達也

 

 どちらも似たような名前の魔法だな。『流星』は落下速度を増幅する加速系魔法で、『メテオ』は位置エネルギーを落下中のある瞬間に集中させて爆発的な落下攻撃にする加重系魔法だ。どちらも隕石に似た落下攻撃だから、こんな名前になった。ちなみに、ほぼ同時に全くお互いに感知していない状態で開発され、ほぼ同時に『メテオ』として登録申請がされて、数秒の差で加速系魔法の方が遅かったから『流星』に改名された、という歴史がある。普通は落下による質量爆弾を強化するために使うもので、井瀬文雄のように自身や自身の武器に使うものでは、当然ない。強化した衝撃を自分の体にかかる分だけ中和する術式の併用をすれば問題ないが、そんなことをするだけのメリットはないからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周囲のサイオンを中心に集める投射型魔法陣

 

初出:4-5

 

解説:井瀬文也

 

 そもそも刻印魔法や魔法陣はなんだって話だけど、あれは、事前に魔法式を幾何学文様化したうえで物理的に物体に設置しておいて、そこにサイオンを流し込むと魔法が発動するって仕組みだ。で、投影型魔法陣ってのは、その魔法陣を掘るのではなく、直接サイオンで作って投影しちまおうって技術だな。別に普通の魔法式でいいじゃんかって思うかもしれないけど、場所・場面に特化した単一の効果を出すならこっちのほうが何かと便利なんだ。

 

 あの横浜で親父が使ったのは、中心に周囲の自然サイオンを集中させる魔法陣だな。大昔に自然サイオンを人間に取り込んで回復しようとして作られた魔法陣なんだけど、なんでか知らないがサイオンってのはそうやって回復するもんでもなくてな。全く用途のないゴミ魔法陣として放置されていたんだ。けどこの時親父は、「自然サイオンが莫大にある場所に造られた魔法施設の防衛に使えるかも」とかなんとか考えついて、この技術を九島のじーさん経由で魔法協会に提出したらしいぜ。頭おかしいだろ。

 

 で、今回は、それが刺さるドンピシャの相手が現れたってわけだ。最初から陣が刻んであると敏感な魔法師には察知されるから、敵が現れてから足りない部分を少しずつ物理的に刻んで、最後の最後でさらに足りない部分をサイオンで作って投影し、一つの魔法陣にするって寸法だな。親父は戦闘の中で隙を見て刻んで、その後に呂剛虎を中心に誘導して残りをサイオンで投射するつもりだったらしい。ま、それが上手くいかなかったんだけどな。それでも、特に連携を取っているわけでもなければ魔法陣の存在にも気づかない周囲の協力でたまたま中心に足止めできたから使えたってわけだ。運が良すぎるだろ。運だけの春日だな。筋肉もりもりだし。

 

 サイオンが莫大にあるから、それを中心に急激に集めれば、それがどんな魔法も大体ぶっこわす『術式解体』になる。あとはただのニンゲンになった無防備な魔法師をピストルで一発、これでお終いだ。

 

 正直言って、実用性は欠片もない、まだまだ研究中の技術だ。それでも採用されたのは、はっきり言えば、魔法協会が襲撃を想定していなくて、防衛技術に実験的な遊びを取り入れた、ってところだな。この国大丈夫か? いや、大丈夫じゃねえのはあの冬でさんざん分かったことだったな! クソッタレ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

氷の針で刺す魔法

 

初出:4-5

 

解説:吉祥寺真紅郎

 

 水を細い形に凍らせてそれで刺す。いたってシンプルだけど、これはとても難しいことなんだ。移動・加速系で水を細い形に整える精密操作だけでもできない魔法師の方が圧倒的だろうね。さらにそれを折れずに対象に刺さるレベルまで硬く凍らせて、そして大量の細い氷が刺さるように精確に放つ。こんな芸当ができるのは、僕の知る限りでは将輝と剛毅さん、それにもしかしたら司波さん、といったところかな。それにしても大量の氷の針で集団をさすなんて、いかにも「魔法」らしいファンタジックな魔法だよね。どうやら一条家が第一研究所時代に戯れで基礎理論だけ作って、そのあと代々暇なときになんとなく改善していたらしいよ。真面目な一族ではあるけど、将輝を見れば分かる通り、ロマンを追い求めるタイプでもあるのかもね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『存在確立(ツンザイチュエリー)』『魔式空間(ムォシーコンジィエン)』

 

初出:4-6

 

解説:吉田幹比古

 

 それぞれ中国系古式魔法バージョンの『情報強化』と『領域干渉』だね。井瀬が戦った『蓋』なる兵器に使用されていた魔法で、達也の話によると、ソーサリー・ブースターを直列繋ぎして強化していたらしい。今でこそなんとか話せるけど、こんな悍ましい話、初めて聞いた時はゾッとしたよ。中条先輩から市原先輩が聞いた話によると、井瀬は何やら『情報強化』の専門家でもあるらしくて、それだけなら、九校戦で見せた通り、達也みたいに魔法式を直接分解できるらしい。でもそれはあくまでも現代魔法の『情報強化』のみで、結果は同じだけど仕組みは違うし魔法式も当然違う古式魔法版の色々な『情報強化』には何もできないみたいだ。『トライウィザード・バイアスロン』の時に達也から聞いたんだけど、井瀬は古式魔法を相手にするのが苦手のようだね。それは本人も自覚しているみたいで、色々と厄介なことを考えてるみたいだから、生半可な古式魔法師だと一瞬で叩きのめされるだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『精霊の瞬き』『精霊の涙』『水飲み』『魂守り』『身守り』

 

初出:5-7

 

解説:アンジェリーナ・クドウ・シールズ

 

 カストル少尉が使った古式魔法群ね。彼はアメリカ大陸が「アメリカ大陸」でなかったころから住んでいた先住民族の末裔よ。学術用語でいうところのシャーマンを中心とした民族の小集団で生活していて、民族・集落間の争いではシャーマンが大きな役割を持っていたみたいね。原始的な宗教らしいアミニズム(自然崇拝)を崇拝する民族で、科学というものが無かった当時は、万物に住む「精霊」が様々な現象を起こしていると信仰していたらしいわ。ちなみにここでいう「精霊」は、現代で説明される「プシオンを核とした独立情報体」とは違う、もっと抽象的でかつ宗教的なものよ。ちなみに、これらの魔法に本来は名前が無いのだけど、大統領に忠誠を誓うという「近代」に組み込まれるにあたって、その覚悟として少尉が自ら名前をつけたみたいね。……彼の覚悟を、私たちUSNAは無駄にしてしまったわね。

 

『精霊の瞬き』は、簡単に言えば電撃魔法ね。自然界で発生する電気や雷を、精霊が放つ不思議な力を持った光と捉えていたみたい。精霊に「お願い」して、その光で敵を攻撃してもらっている観念らしいわ。『精霊の涙』と『水飲み』は、それぞれ結露と蒸発を、精霊が涙を流した、精霊が水を飲んだと解釈していたらしわね。『魂守り』は現代で言うところの『情報強化』と同じ効果があって、直接干渉する魔法を「魂への攻撃」と捉えていて、それを防ぐ魔法よ。

 

 そして一番強力なのが『身守り』ね。現代魔法では現象区分ごとに系統・種類分けがなされていて、各現象に応じた障壁魔法を使うのが一般的で、『ファランクス』のようにそれらを同時に使って複数の減少から身を守るのが強力な戦術になっているのは常識ね? だけどこれは、単一の魔法で、「外部から自分に害をなす現象」という曖昧な概念をすべて退けることができる魔法よ。こういう曖昧なことをできるのも古式魔法の強みね。でもさすがにこれはかなり難しいみたいで、少尉の一族でも特に優れたシャーマンしか使えなかったみたい。

 

 え? 私がなんでこんなに詳しいのかって? 確かに、私は隊長と言えど、秘密主義者気質な古式魔法師たちの部下からここまで詳しくは聞けないわね。少尉もかつてはそうだったんだけど……「入院中」に苦しみが分かる話し相手がお互いしかいなかったから、ついつい深い身の上話までするようになったのよ。お互いに「魔法」ばっかりの人生だったから、話すことが自然とそれしかないのよね。私も少尉も、もう少し生まれが違えば……「普通の人生」とやらを送れたのかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『風起こし』

 

初出:5-10

 

解説:森崎駿

 

 名前の通り、空気を移動させて風を起こす魔法だ。初心者魔法師は移動系・加速系魔法を練習するにあたって、まずは目に見える固体、次に液体、と順々にコントロールやイメージしやすい順番に移動系を練習していって、その最終段階として目に見えないし流動的でコントロールしにくい気体操作の練習をする。この『風起こし』は、そんな気体操作魔法の中で最初に習うものだ。簡単な魔法と言ってもとても便利で、そよ風を起こして涼しくしたり、出力を上げれば突風を起こして攻撃に転用出来たりする。実戦では複雑な演算をしている暇がないから、こういう単純な魔法は下手な魔法よりも効果を発揮する場合も多々あり得るぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『プシオンスタン』『強制催眠』

 

初出:5-11

 

解説:中条あずさ

 

 どちらも精神干渉系魔法に分類されます。『プシオンスタン』は、相手のプシオンの振動を一瞬だけ止めることで意識を失わせる魔法です。『強制催眠』は深く眠っている時と同じ波長を浴びせて対象プシオンの振動を共鳴させて寝ている状態に近い状態にすることで眠らせる魔法です。普通は個を対象とした魔法なのですが……あの夜は、シールズさんの『仮装行列』があまりにも強力だったので、領域版を使わなきゃいけませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『洗脳剣(ハック・ブレード)』

 

初出:5-11

 

解説:井瀬文雄

 

 精神干渉系魔法だが、一応魔法剣に分類される魔法だ。剣・板状の仮想領域を指先や武器の延長線上に展開するという点では『分子ディバイダー』に似ているな。その仮想領域では任意の周波数でプシオンが振動していて、それを相手エイドスのプシオンに突き刺すんだ。すると、相手プシオンの内部でその振動が起きていることになるから、「内部から」相手プシオンを任意周波と共鳴させて、「洗脳」することができるって寸法だ。外部からプシオン波を浴びせるのに比べて効果は強力だが、近接戦闘にしか使えないというのが欠点だな。あずさちゃんは精神干渉系魔法に関しては達人だが、運動神経はからっきしだから、実はあまり向いていない。開発した俺が言うのもなんだが、使うことはないだろうな、と思っていたよ。これを使う場面となると、あずさちゃんが近接戦闘を強いられているということだから、そもそも不利な盤面と言うことだからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『スウィート・ドリームス』

 

初出:5-11

 

解説:吉祥寺真紅郎

 

 え、この魔法、僕が解説するの? 普通は開発者の中条さんか文也じゃない? ……まあ、いいか。

 

 直訳すると「良い夢を」。その名前の通り、催眠魔法だね。ただ一般的な催眠魔法である『強制催眠』とは、同じ精神干渉系魔法ではあるけど、仕組みは違うよ。これは細かい分類としては情動干渉系魔法に当たるもので、中条先輩の『梓弓』と似た魔法だ。いわゆる「癒し」状態を作り出す波長のプシオンの波動を浴びせて、極度のリラックス状態にさせるものだね。極度のリラックス状態になった相手は、白昼夢に似た多幸感に満ちたトランス状態になって、意識もぼんやりとしてきて、究極のリラックスである睡眠状態になるよ。精神干渉系魔法は属人的な要素が大きいんだけど、その中でも特に情動干渉系魔法はさらに精度や強度、さらには使えるかどうかすら、より属人的な要素が強い。恐らく使えるのは中条先輩だけだろうね。

 

 これは今一つ仕組みが分からないんだけど、どうにもこの魔法を浴びた相手は、それぞれの記憶にある「癒し」の音が幻聴として蘇ってくるみたいなんだ。駿は好きなクラシック、将輝は小さいころに聞いた剛毅さんの子守歌、僕は……恥ずかしながら、お父さんとお母さんが小さいころに絵本を読み聞かせてくれた時の声だね。そういえば、文也は顔を真っ赤にして話そうとしなかったね。相当恥ずかしいんだろうなあ。まあ、僕らが話した以上、あいつだけ話さないのはずるいから、タイミングを見て聞き出してみようかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『覚醒』

 

初出:5-12

 

解説:井瀬文也

 

 精神干渉系魔法の中でも、『強制催眠』『カーム』あたりと並んで、珍しく一般的でメジャーな魔法だ。プシオン波による共鳴を利用した魔法が比較的多いが、これは対象プシオンを直接改変する魔法だな。こんな名前の通り、一般的な「目覚めている」状態に改変できるぞ。イメージ通りだと思うが、俺は夜遅くまで起きてるから朝起きるのが苦手でな。ガキの頃からよくあーちゃんに起こしてもらってたんだ。で、一回だけ、俺があんまりにも起きないからこれを使われて無理やり起こされたこともあった。外からの刺激に気づいて起きる、っていう段階を踏んだ目覚ましじゃなくて、いきなり「起きた」状態にポーンと改変されるから、身体にも精神にも全く良くない、以外と乱暴な魔法だぜ。……あーちゃん、あの夜に自分に使った時はもっとつらかっただろうな。

 

 ちなみに、親父と母ちゃんの起こし方はもっとやばいぞ。下手したら死ぬな。

 

補足:中条あずさ

 

 今は寝てる時は一緒だから別として、小学生のころと、高校で再会してからは、私の方から積極的にふみくんのことを起こしに行っていました。私も朝起こしに行くのは、正直ちょっと手間なんですけど……文雄さんと貴代さんの起こし方は、本当に命に関わるので……珍しく、ふみくんの大げさではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『抱擁』

 

初出:5-12

 

解説:中条あずさ

 

 平常時のプシオンパターンをあらかじめ記憶しておいて、相手のプシオンをそのパターンへと直接改変することで、「平常心」に戻す魔法です。普通の感情や外部刺激によるプシオン変化を戻す以外にも、他の精神干渉系魔法を受けた時に元の状態に戻す「回復」に近い使い方もあります。欠点としては、プシオンパターンを機械でも無理なほどに精密に記憶しなきゃいけないので、使える「対象」すら限られることです。私の場合だったら……ふみくん、私自身、お父さん、お母さん、ぐらいしかできないですね。自覚は無かったのですが、私の精神干渉系における適正は、「平常に戻す」ことみたいです。言われてみれば、『梓弓』はそういう性質がありますよね。

 

 ……司波さんの「あの」魔法(筆者注『コキュートス』)は、カメラ越しに一回だけしか見ていないのに、すごく怖かったです。気づいたら、こういう魔法を考えていました。まさか司波さんたちと戦うことになるなんて思っていなかったのですが……。

 

 

 …………え? 魔法名の由来ですか? え、と……説明しなきゃいけないですか? あ、他の魔法も説明しているから、これもぜひ欲しい、と……。………………ご、ごめんなさい!!!

 

(筆者注:顔を真っ赤にして逃走されてしまったので、ここで終わってしまった)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『保温』

 

初出:5-13

 

解説:真壁菜々

 

 えー、ナナが解説ですかぁ? キャー、緊張しちゃう! ……は? そういうのいいって? あーそうなのね、はいはい。

 

 といっても、こんなの特に解説することないわよ。現在の振動を一定に保って保温する、ただそれだけの簡単な魔法よ。それにしたって不思議よねえ、魔法って。生まれつきいろいろな適性があるんだけど、液体に強い、なんたら系が得意、みたいなのはまだなんとか「ありそう」感あるけど、「状態維持」が得意って、どういう理屈でそんな才能が出るのよ。まだまだ分からないことだらけよねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

収束系射撃魔法

 

初出:6-9

 

解説:司波達也

 

 射撃魔法は、一般的には自分の手元にあるものを相手に飛ばして攻撃する魔法のことで、大抵が移動系・加速系の併用だ。「もの」とは何でも良くて、空気を固める『エア・ブリット』や『空気砲』、さらには情報次元のものであるサイオンを放つ『サイオン粒子塊射出』だって、射撃魔法の一種だ。一定以上の質量や破壊力を持っていて「射撃」という言葉が当てはまらなさそうな場合は「砲撃魔法」と呼ばれる。そのどちらにも当てはまらない、例えば井瀬がネイサン・カストルに使った、ゴミ捨て場のハンガーを針金にして飛ばす魔法みたいなのは、これといって分類が無い。使いやすさは射撃魔法、威力は砲撃魔法、どんな時でも使える便利さはそれ以外、だな。移動・加速系は単純な速度・質量の攻撃だから、銃がいまだ戦場で現役なように、実践において非常に役に立つ。

 

 そんな一応の魔法分類があるが、この滝川が九校戦で使った魔法は例外だ。見た目で射撃魔法と判断されているが、仕組み的には射撃魔法に分類してはいけないだろうな。収束系魔法は密度・相対距離を操作する魔法系統なわけだが、これを利用して、「弾丸と的の相対距離をゼロにする」改変をすれば、弾丸が勢いよく向かっていき的を破壊することができる。普通の射撃魔法と違って、実は、的撃ち系の魔法競技特有の「射撃を元とした競技なのに直接改変して破壊する魔法がメジャー」という皮肉に当てはまる魔法だ。相対距離をゼロにする改変なわけだから、一度魔法が発動してしまえば、間に魔法強度を超えるほどの障害物でもない限り、確実に着弾するのが魅力だな。これを利用して、速度だけを重視した暴れるボートの上でも、パーフェクトを出すことができた。この九校戦を通じて一番成長したのは、一高では多分滝川だろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『フェーズ固定』『ウェーブ・カット』

 

初出:6-10

 

解説:井瀬文也

 

 どちらも状態変化を拒む魔法だ。『フェーズ固定』は相転移を改変する発散系で、圧力・温度の外的要因や他の発散系での直接改変を退けて、現在のフェーズ――固体・液体・気体・プラズマっていうあれだな――に固定する効果がある。『ウェーブ・カット』は、対象物が外部からの振動で震えないようにする魔法だ。『共振破壊』みたいな振動で破壊する魔法以外にも、『フォノン・メーザー』みたいな外から振るわせて温度をあれこれする魔法にも効果があるぞ。一方で、直接振動を改変する『振動破壊』みたいなのには効果は無い。あくまで外部の振動による振動変化をカットしてるだけだからな。ちなみに、マサテルの『爆裂』は、『情報強化』以外にもいろいろあるこの『フェーズ固定』みたいな対策をされてもなおぶち破るだけの工夫が起動式に施されてるぜ。あいつがいう「『爆裂』以外の魔法は魔法師のエイドス・スキンに阻まれやすい」っていうのはそれが理由だ。ま、あいつの干渉力だったら、生半可な魔法師のエイドス・スキン程度、他の魔法でも超えられるんだけどな。あくまでも「強いやつらの中の話」ってわけだ。贅沢だねえ。

 

補足:一条将輝

 

 マサキだ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『影法師』

 

初出:6-11

 

解説:吉田幹比古

 

 霧に人影を浮かべる幻覚魔法の一種で、古式魔法だ。霧に映像を投影して立体映像にする技術は、ホログラムが本格化する前はそれなりに使われていたんだけど、それを魔法でははるか昔から使っていたわけだね。霧に身を隠して色々やるのは「忍び」の手段としては一般的だね。まさしく五里霧中な相手は不安に駆られているから、ちょっと人影が見えるだけでもかなり揺さぶることができるよ。同士討ちを起こすこともできるね。……さすがにあそこまでの怪我は予想外だったけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヴォミット』

 

初出:6-12

 

解説:司波達也

 

 魔法による吐き気を催させる方法は2つある。1つは、感覚を乱す方法だ。これは音波や幻覚で三半規管を狂わせたり、身体を直接操作して直接吐き気が起こるような状態にしたり、酷い臭いを浴びせたりと様々な方法がある。また、『共鳴』のようにサイオン波を浴びせて魔法的感覚から吐き気を起こすことも可能だ。

 

 この魔法はもう一つの、「プシオンを吐き気状態にする」方法だな。吐き気状態に直接改変する恐ろしい魔法だ。実際に嘔吐してしまうほどになると相当規模の改変が必要だが、吐き気で本調子が出なかったり運動が出来なかったりと言う程度ならば、慣れている魔法師なら割と簡単にできる。一度かかれば魔法の効果が切れても吐き気が尾を引くのも厄介だな。一方で、これを魔法師にかけるとなるとそうはいかない。なにせエイドス・スキンで守られているし、それを貫いたとしても、意識的に『情報強化』をかけられたらまず突破は不可能だ。使うとしたら、別のことで気を引いているうちに気づかれずに使うか、『情報強化』をかける暇もない状況にするか、だな。

 

『トライウィザード・バイアスロン』においては、その両方を重ねられて酷く苦戦させられた。近距離戦闘が一高の三人は特別得意というわけではないのに対し、相手二人は近接戦闘で言えばもはやプロの領域だ。しかも木々が密集した森林という条件も重なっている。狭いところであの二人が不意打ちをしかけて、見晴らしの悪い場所で隠れた中条先輩がこの魔法をかける……実戦でも通用しそうな作戦だな。大越紛争の折、山岳・森林戦のスペシャリストとして「山天狗」と恐れられた風間中佐が、あの後あれを手放しで褒めていたよ。中条先輩はメンタルと運動神経、健康状態さえ一般兵士程度あれば、中佐も警戒するほどの森林戦のスペシャリストになっていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『鬼轟咆』

 

初出:6-12

 

解説:井瀬文也(なぜかこの時だけやたらと顔が濃い)

 

 うむ、基本的には、民明書房出版『古式魔法大全・日本編』を読めば詳しいことまで理解できるだろう。え、話し方が変だと? 気のせいだぁ!

 

 アニキは自分の身体から離れた対象に魔法を行使するのが極端に苦手だ。そんなアニキが持つ遠距離攻撃手段は、基本的に圧倒的筋肉から繰り出される投擲か、広義で「身体の延長」と認識されるらしい「声」しかない。一族代々そうだとおっしゃっていた。そんなアニキの一族が生み出したのが、声を武器とするこの魔法である。あれでも本気ではないらしく、全力を出したら爆弾の爆発に相当するほどの瞬間衝撃が出るらしく、内臓を破壊することができるらしい。アニキらしい、実に豪快な魔法だな。ちなみに俺もあの後真似してみたんだけど、自分の鼓膜が破れて治癒魔法のお世話になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『強制酸素結合』『振動貫通』『熱風』『サイオンレーダー』『固定拘束』『泥波』『質量偏倚』

 

初出:6-14

 

解説:五十里啓

 

 どれも定番の魔法だね。『強制酸素結合』は空気中の酸素を他の物質と無理やり結合させることで酸素濃度を薄くする魔法だ。消火に使ったり、相手の呼吸器周辺で起こして酸欠にしたりと、それなりに使いどころはあるね。吸収系魔法はあまり戦闘には向かないんだけど、燃焼や酸素結合を駆使して酸欠状態にするという形で使われることはあるね。

 

『振動貫通』は、相手の耳に強い振動を束ねた音波を浴びせて、まるで針で刺したように鼓膜を破る魔法だ。実はかなり危険な魔法で、ほんの少し出力を間違えるとその奥の粘膜、さらには脳組織まで傷つけて死亡、軽くても重い後遺症が残る危険があるよ。ただ、鼓膜を破る程度に出力を抑えたものなら耳を手で塞ぐ程度で簡単に防げてしまうから、殺傷性ランクC扱いなんだ。ちょっと危険すぎると思うんだけど、それなら目とかにも悪影響が出るスタングレードみたいな音波攻撃も同じかな。

 

『熱風』は振動系・移動系・加速系の複合魔法で、振動させて温度を上げた空気を相手に浴びせる魔法だね。大きなドライヤーを浴びせる魔法って感じで、主に炎天下での戦闘で有効に働くよ。とはいえ効果が出るのに時間がかかるから、実戦ではあまり使われなくて、つくづく真夏の九校戦向けだね。

 

『サイオンレーダー』は無系統感知魔法の一種で、特定空間の中にある一定以上の密度のサイオンを探査する魔法だよ。密度があるサイオン、っていうのは要は、魔法式と魔法師だね。基本的な探知魔法ではあるんだけど、情報量が多くなりがちだから、実はそれなりの処理能力がないと頭がパンクして効果が出ない、ということもあるよ。

 

『固定拘束』は相手の衣服を収束系魔法で固定して拘束する、名前の通りの魔法だね。相手をケガさせずに拘束する上ではかなり役に立つよ。ある程度経験を積んだ魔法師が単体で非魔法師小隊に匹敵するって言われるのは、CAD以外の道具を使わないでも兵器以上の殺傷力や破壊力を得られる、ということもあるけど、これといって苦労なく相手を生け捕りできる、ていう部分も大きく評価されているからだね。

 

『泥波』は、泥の波を相手にぶつける移動系魔法だね。都市・市街戦ではまず使わないけど、雨とむき出しの地面が多い山中における戦闘ではよく使われるね。特に大越戦争においては多くの使用例が確認されているよ。これを筆頭として泥や雪を相手にまとわりつかせる攻撃魔法は比較的多いから、悪所での戦闘を想定している軍属魔法師は、衣服から付着物だけを離す収束系魔法がほぼ必須になっているよ。

 

『質量偏倚』は、対象物の見かけ上の質量を一瞬だけ軽くして、その直後に軽くした分だけ重くする魔法だよ。重さの分布をごく短い時間だけ時間的に偏らせる、って感じだね。投擲と併用して使われることが多くて、自分が投げるときは軽くて、相手にぶつかるときは重い、という都合のいい状況が作れるよ。井瀬君と吉田君がやったみたいに組み合いでの投げ技でももちろん使えるし、一瞬だけ重くしてそのあと軽くするみたいな逆もできるから、色々と応用できる魔法だね。

 

 いやあ、それにしても、服部君や井瀬君が戦うと、使う魔法の種類がどっちも多くなるよね。二人ともハイレベルなゼネラリストで、かつ手数も多い。オぺレーターの仕事を忘れて少しだけ魅入っちゃったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『間欠泉』

 

初出:6-14

 

解説:吉祥寺真紅郎

 

 まるで間欠泉が噴き出すみたいに、水を円柱状に上方へと一瞬だけ隆起させる魔法だね。水上戦では定番の魔法で、ボートどころかちょっとした大型漁船レベルでも転覆させることができるよ。まあこれ自体は割と普通の魔法なんだけど、液体のエキスパートの将輝、僕、それに文也が加わると……湖の外周をぐるっと回れるほど『間欠泉』を一気に出せるんだ。今思うと、魔法式末尾に座標をずらして魔法式複製をする式を入れておく技術は、その……司波さんの「アレ」の時に出来上がっていたみたいだね。『トライウィザード・バイアスロン』でやって見せた通り、この技術を使えば小・中規模の魔法を同時に大量に使うことで大規模魔法にすることができる。最初に考えた人は天才だね。これがのちの『海爆(オーシャン・ブラスト)』とか「あれ」に繋がるんだけど……いや、でも「あれ」は、ねえ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『虚ろ影』『くさくちなは』『肺搾り』『壁抜け』『壁埋まり』

 

初出;6-14

 

解説:吉田幹比古

 

『虚ろ影』は、簡単に言えば、本物そっくりの幻影をズレたところにおいて代わりに本物を隠す魔法だね。対象物そっくりの幻影を作る幻影魔法、本物の認識阻害をする精神干渉、本物をそれとなく陰で隠して認識しにくくする隠蔽魔法、これらをセットで使うことで効果を発揮するよ。そうそう騙されるものではないんだけど、油断している相手、他のことに気を取られている相手は、面白いぐらいにハマってくれるね。散々あの三人には苦しめられたから、見事に引っ掛かったのは痛快だったよ。

 

『くさくちなは』は、草をまとわりつかせる『乱れ髪』の強化版だね。より強く拘束できるようにしたうえで草自体を強化して、しっかり拘束する魔法だ。『乱れ髪』のアレンジをしてくれたのは達也だよ。彼は本当にすごいよね。ついでに元の『乱れ髪』もかなりダメ出しされたのはちょっと悲しかったけど。

 

『肺搾り』は二酸化炭素の塊で口や鼻に蓋をして呼吸困難にする魔法だよ。古式魔法は現代魔法に比べて出力が大きいのが強みではあるんだけど、性質上、隠密性も求められるから、こういう地味に嫌な魔法も結構あるんだよね。……井瀬が本格的に古式魔法を覚えたら、いよいよ手が付けられない悪戯っ子になりそうだね。

 

 そうそう、井瀬と言えば『壁抜け』の解説もしようか。魔法戦闘において障壁魔法対策は必須で、これはその中でも比較的メジャーだった魔法だね。伝統的な刻印魔法で、これが刻まれた武器は、相手の障壁魔法に触れた時、その魔法式に使われたサイオンの一部を吸い取って、刻印魔法が起動するんだ。自分のサイオンを使わないとても珍しい魔法で、その性質上、殴る本体にサイオン感応金属を使わなきゃいけないから地味に出費が激しいのが痛いところだね。その効果は、「移動速度がゼロになった瞬間、元のベクトルと速度に戻る」というものだ。これで、まるで壁をすり抜けたかのように相手の障壁魔法を突破して攻撃を加えられるよ。こんな具合で強力な効果を持ってはいるんだけど、まあ、とにかく弱点が多いから、吉田家の記録によると江戸時代末期以降に実戦で使われることはほぼなくなったみたいだね。

 

 そしてこれを改造したのが、『壁埋まり』だ。仕組みはおおむね同じなんだけど、改変内容は「方向ベクトルが変わった時、一瞬だけ元のベクトル・元の速度で移動する」というものだよ。『壁抜け』みたいに障壁魔法を抜けた後さらに大きく移動できるまではいかなくて、イメージとしてはほんの少しのめり込む程度なんだけど、代わりに、地面に落としたり反射したり明後日の方向に逸らすような防御魔法を貫通してダメージを与えられるよ。体から離して発動する通常の障壁魔法には無力だけど、それが間に合わないときに緊急で発動する体表にかけた障壁魔法なら攻撃が通るね。そういえばゲーム研究部の連中が、キハラシンケン? がどーのこーのと言ってたけど、よく分からなかったなあ。多分似ているだけで、仕組みは全然違うけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『決壊』『コンカッション』

 

初出:6-14

 

解説:司波達也

 

 幹比古が切り札として使った古式魔法だな。『決壊』は、堰が決壊するように相手の保有サイオンを強制的に放出させる魔法だ。そのまま放出し続ければ短時間で枯渇状態になり戦闘不能になるし、そもそも無理やり放出されているせいでサイオンがコントロールできず魔法の行使もままならなくなる、対魔法師としては究極の魔法だ。ただ欠点も多くて、魔法師本体と言う一番魔法的防御が強いもののコントロールを相手自身から奪うというのは、とても複雑かつ大規模な改変が必要になる。遠距離で不意打ちできたら理想だが、実際は、サイオン情報に関する精霊を手元に置いたうえで複雑極まる魔法的コードを打ち込んで使えるようにし、さらにそれを維持するためにも手元に置いておく必要がある。そしてこの精霊を相手の体に気づかれずに直接触ってくっつくけて、そして放出されるサイオンに巻き込まれないように離れて、ここでようやく魔法の効果を発動できる。正直言うと実用性はカケラもないが、井瀬が奪った『パレード』を破る切り札としてはこれが一番効果があっただろう。幹比古、美月、それとオマケだが俺の三人が揃って、ようやくこの程度の完成度で新開発できた。もっと使いやすく磨いていけば、幹比古の頼りになる切り札になる事だろう。

 

『コンカッション』は、逆に古くからある定番の西洋古式魔法だな。震盪ショックを与える魔法で、頭を狙って脳震盪を起こさせる目的で使う。顎を殴るだとか衝撃を加えるだとか、そういう原理で起こしているわけではなくて、「震盪している」状態に直接改変するタイプだ。

 

補足:吉田幹比古

 

 達也は自己評価が低いから「オマケ」なんて言っているけど、実際は彼が一番活躍していたよ。式の開発はほぼ全部達也、サイオン情報に関する精霊を見つけて実験タイミングを多く用意してくれたのが柴田さん、そして僕が本番の使用者としての実験役だね。実験相手として多くの人が協力してくれたけど、自分で収めることができた達也と服部先輩と五十里先輩以外は、全員口をそろえて「二度と受けたくない」て恨みの籠った顔で言ってたよ。一番印象的だったのは司波さんだね。普段の様子からしてサイオンコントロールがもともと苦手みたいだからこの魔法は当然よく効いたんだけど、サイオン量が膨大だから実験室の気温が一気に氷点下まで下がったよ。達也が中断してくれなかったら、全員凍死していたかもね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いとおかし』

 

初出:6-14

 

解説:中条あずさ

 

 古式魔法師との戦いがあまりにも苦手なふみくんが、長い時間をかけて少しずつ研究していた魔法ですね。自分に魔法効果を出している精霊からリンクを辿って魔法道具やCADに破壊情報を送り込んで、リンクを破壊して魔法を無効化して、さらに相手のCADも破壊する魔法です。精霊以外にも、化成体や傀儡にも使えるみたいですね。元の発想は、ふみくんにとっては一年目の九校戦で、吉田君から見せてもらった、相手の精霊を奪う魔法と『感覚同調』の逆探知魔法です。転校したうえでそれの改造版をなんのためらいもなく提供者の吉田君に向けられるのは、ふみくんだからこそだと思います。

 

 名前の由来は、「リンクの糸を侵食する」というのと、古式と言うことでふみくんがかろうじて知っている古語「いとをかし」をもじったそうです。自慢げに話していました。え? 私はどう思うか、ですか? …………その、こ、個性的だと思います……。

 

補足:吉祥寺真紅郎

 

 あの中条さんがこういうってことは、「センスがない」って思ってるってことだね。文也の魔法はどれも発想はいいんだけど、本人が大体なんでもできちゃうせいか、普通の人にとってはピーキーなものが多いかなあ。『MTC』で出してる製品魔法は使いやすさの極限みたいな感じなのに。そしてどっちにも共通しているのが、ネーミングセンスがイマイチってところだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『TSUNAMI』

 

初出:6-14

 

解説:井瀬文也

 

 なんか俺らが三年生になったあたりから、世界情勢が日本を中心にやたらとやばいことになってな。その時に、なんやかんやで露助(筆者注:ロシアに対する侮蔑語。ここでは新ソ連を差す)と大亜連合がそれぞれ日本に侵略する気満々だったってことで、日本海側の防衛の中心にいる一条家としては見過ごせないから、緊急対策することになったんだ。で、その一環として、『トゥマーン・ボンバ』で使われる自動魔法式複製技術を駆使すればすっげぇ魔法ができるんじゃないかってことで、ジョージと俺がそれぞれ開発に手を出したんだ。

 

 そんで、あんまりにもマサテルの水に対する干渉力がやばかったから、結局二つの戦略級魔法が出来上がったってわけだ。その一つがジョージの開発した『海爆(オーシャン・ブラスト)』だな。海面に『爆裂』の魔法式を大量に展開したうえで同時起動して、大量の海水でドデカい水蒸気爆発を起こして、さらに水分子の振動を加速させることで破壊力を増すっていうやつだ。内部から爆発してるわけじゃないからなんか違う気もするけど、言っちゃえば超巨大な『爆裂』だな。

 

 そして、そして! この俺様が開発したのが、もう一つの戦略級魔法『TSUNAMI』だ! 『間欠泉』みたいな円柱状ではなく、巨大な壁状に海面を隆起させる魔法を、『トライウィザード・バイアスロン』の『間欠泉』みたいに並べて連続発動させるんだ。大量の海水が壁状に連続で持ち上がる様は、まさしく世界を飲み込むビッグ・ウェーブ! 世界共通語となった、日本特有の大災害、『TSUNAMI』が、敵に襲い掛かるって寸法だ!

 

 この魔法の最大の利点は、「大量の魔法式が同時発動するようタイミングをずらす」という手間がないことだ! なにせズレて連続的に発動するほうが、相手を押し流して飲み込む力が強いからな! このタイミング調整の演算はそれはもう死ぬほど大変で、一回やるだけでもマサテルの脳みそはショートしそうだし、本家本元のオニゴーリアンドビッチベゾベゾベゾみたいな噛みそうな名前(筆者注:イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフのこと。十三使徒に数えられる戦略級魔法師で、『トゥマーン・ボンバ』の使用者)のやつはスパコンの補助を受けてるって噂だ。使用者の演算負荷を少なくしたうえでより良い効果を出すっていうのは『マジカル・トイ・コーポレーション』の『マジュニア』として積み重ねてきた技術と発想力が為せる業だな! でもなーんでか、マサテルは嫌いらしいんだよなあ。

 

補足:一条将輝

 

 マサキだ!

 

 もう一度言うぞ、マサキだ!!!!!

 

 ……それはさておき。色々と誤解を招きそうなのでツッコミを入れておくか。

 

 まず、『TSUNAMI』は確かに日本語の津波をベースとして世界的な学術用語として使われているが、別に日本特有の現象ってわけでもないし、外国でも多くの事例が確認されている。

 

 それと、負担が少ないって言う点だが……これは半分はあっているが、もう半分が大間違いだ!!! そりゃタイミング調整の演算がないのはかなり楽だけども!!! 魔法の改変規模が大きすぎる!!!

 

 考えてみてくれ! 艦隊を飲み込む程の高さ・厚さ・幅がある水の壁を何個も何個も作るんだぞ!!! どれだけの質量の水を動かすと思ってるんだ!!! 艦隊まるごと押し流すレベルで使おうとしたら、最大出力の『深淵』の何十倍もの海水を操作することになるんだ!!! 一回使うだけで死にそうなぐらい反動負荷がかかるし、演算量が膨れ上がろうとも『オーシャン・ブラスト』の方がはるかにマシだよ!!! 『深淵』の五輪澪さんの体がボロボロなのは知っての通りだと思うけど、体感、『TSUNAMI』をあと1,2回使っただけで俺もああなるだろうなあ!!! もう、絶対、二度と使ってなるものかよ!!!!!!!

 

 …………まあそもそも、戦略級魔法自体が、大量の資源と人を「殺す」魔法だ。どんなものだろうと、本当なら、世界中で二度と使うような場面が起きてほしくないし、当然俺も、使いたくはない。……それでも、いざとなったら使う責任が、俺にもある。そしてその責任は、開発者のジョージと文也にも及ぶ。「使わないため」にも、俺が世界中に睨みを利かせる必要があるんだろうな……。




最後まで読んでいただきありがとうございました。質問、感想等お気軽にどうぞ。また、見逃していて抜けてる魔法があった場合も、教えていただければと思います。


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USNA軍諜報部報告書 日本国の学生魔法師の戦力評価(2098年3月)

お久しぶりです。

二年目九校戦のラストにて、「それはこれ以上、語られない話である」なんて書きましたが、実際はそのあとの展開は脳内でうすぼんやりと出来ていました。ただ、あれ以上長いと完結できるか不安なのと、そもそも当時原作がまだ完結しておらず先行き不透明と言うことで、書くつもりはありませんでした。

今回は、そんな脳内でうすぼんやりと浮かんでいた、高校生編ラストの展開を少しずつチラ見せしながら、少し変わった形式で、本編中の主だったキャラ・オリジナルキャラクターの紹介をしようと思います。

なお、原作の展開からは大きく外れてますので、ご了承ください。


ツイッターアカウント作りました。裏話や告知がメインです。マシュマロやリプで質問にもお答えしています。
https://twitter.com/mamimu_nizisou


※これはUSNA軍による、日本国に属する学生魔法師を調査した報告書を、四葉家諜報部が秘密裏に手に入れ、和訳したものである。

 

 2096年からその萌芽が見え始め、2098年に本格化し、すぐに終結した国際テロ未遂事件、通称「ラグナロク事件」があった。

 

 大亜連合を中心として世界各国大小の組織を隠れ蓑として活動していた、世紀末に世界が滅ぶという「予言」を信奉する狂信者団体『アルマゲドン』による、世界で一斉に核兵器を放ち人類を滅ぼそうとした事件である。

 

 世界各国様々な場所に秘密基地を作り、さらに秘密裏に実用的な核兵器の大量生産を行っていた。また様々な組織に入り込んで洗脳・支配を広げていて、軍隊や兵器を思うままに動員することも可能であった。

 

 全体で計画を定め、世界で同時多発的に、2098年2月15日にテロ行為を開始。核ミサイルの発射、様々な組織・設備への破壊行為、軍隊を動員しての大規模侵攻などを行う。

 

 それらは無事防げたが、その阻止においては、世界中の魔法師、それも学生の活躍が目立った。USNA軍のアンジー・シリウスの、アメリカ国内の秘密核発射施設を単身で無力化した活躍は、記憶に新しいだろう。

 

 そのため、世界各国の学生魔法師についても、より一層の調査と警戒を要することは自明である。そこで諜報部では、各国の学生魔法師について調査し、概要と影響度をまとめることとした。

 

 ここには、魔法大国であり、同盟国でありながら仮想敵国でもある日本国の、主な学生魔法師について、それぞれの評価を改めてここに記す。

 

 総合評価は、S、A、B、Cの四段階とする。

 

 基準はそれぞれ

 

・S

 国家間・地域間の戦争において、単独でその趨勢を決定づける力がある。戦略級またはそれに匹敵する魔法師

 

・A

 国家間・地域間の戦争において、単独で戦場の趨勢を決定づける力がある。戦術級またはそれに匹敵する魔法師。スターズ一等星級と同等程度

 

・B

 軍属の魔法師・魔法兵士の中でも、特筆すべき能力がある。戦場に現れたら警戒を要し、各隊員に周知する必要があるレベル。スターズ隊員と同程度

 

・C

 学生にして、一般的な軍属魔法師と同レベル

 

 なお各評価に「特別」とついた場合は、本来はそれよりも下の評価を当てるべきだが、そのランク相応の脅威度・影響力が限定的にある場合である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・遠藤高安

 

 評価・C

 

 第三高校・一科・二年

 

 日本の伝統的な儀式でありスポーツでもある相撲のレスラー。

 

 儀式要素のほうには古来から魔法師が関わっており、そこに代々かかわる一族の出。

 

 精神的には未熟だが、体格・筋力・魔法力は軍属魔法師と比べ遜色ない。

 

 ラグナロク事件の際には、国防軍基地に侵入しようとする暴徒をケガさせることなく抑え込むことに貢献。

 

 

 

 

・百谷祈

 

 評価・C

 

 第三高校・一科・三年(卒業見込み)、国立魔法大学に進路決定済み。

 

 日本国の魔法師名家である百家の一角・百谷家の次女。

 

 兄(後述)同様、射撃魔法の名手。反射神経と咄嗟の判断力に優れる。

 

 ラグナロク事件の際には、遠距離にある時限爆弾の配線を正確に打ち抜いて停止させ、商業施設の防衛に成功。

 

 

 

 

・百谷博

 

 評価・特別C

 

 国立魔法大学魔法学部・二年

 

 百谷家の長男。体が弱く運動能力もさほどではないが、魔法力に特に優れる。

 

 ラグナロク事件の際は臨時的に後方支援を担当しており目立った活躍はないが、その能力は軍属魔法師と遜色ないと見られ、特別Cとした。

 

 ただし問題行動が多く、軍属にはならないと見られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・吉祥寺真紅郎

 

 評価・B

 

 第三高校・一科・三年(卒業見込み)、国立魔法大学に進路決定済み。

 

 加重系魔法のカーディナル・コードを発見した若い研究者。両親は佐渡侵攻にて亡くしており、一条家に保護されている。

 

 特筆すべき活躍は、後述の井瀬文也・中条あずさと協力して、数々の魔法工学的功績を打ち立てたこと。戦略級魔法『海爆(オーシャン・ブラスト)』や、隠蔽された核兵器を核反応が起こる前に検知する機械『N2』の開発において、主たる役割を担った。

 

 魔法力・戦闘能力も高く、『不可視の弾丸』の名手。より警戒を要すべき相手である。

 

 技術面での影響力が非常に高く、特別Aとする案もあったが、戦闘能力が限りなくCに近いため、Bとする。

 

 国際魔法師協会魔法工学賞を受賞。『N2』はこの事件を防ぐうえで中心的役割を果たした。

 

 井瀬グループ(後述)の主要メンバー。

 

※注

 

国際魔法協会賞

 

ラグナロク事件の際に、国際魔法師協会から見て目立った活躍をした魔法師に贈られた賞。

 

なお各国支部では、自国の魔法師に対して、支部賞を贈っている場合がある。

 

 

 

 

・十七夜栞

 

 評価・B

 

 第三高校・一科・三年(卒業見込み)、国立魔法大学に進路決定済み。

 

 総合的な魔法力と運動能力に優れる、実戦的な魔法師。

 

 尖閣諸島の小島に秘密裏に建設されたミサイル基地に四十九院沓子(後述)と協力して乗り込み、機能停止させた。

 

 百家に属するが、養子である。

 

 

 

 

 

・四十九院沓子

 

 評価・B

 

 第三高校・一科・三年(卒業見込み)、国立魔法大学魔法文化学部に進路決定済み。

 

 明治時代に表向きは断絶した、神道と水が得意な古式魔法の名家・白川伯王家を前身とする百家・四十九院家の出身。

 

 その出自の通り、水に関する魔法を得意としており、基本古式魔法師だが、現代魔法の扱いにも優れる。

 

 テロ事件での活躍は先述の通り。水の古式魔法を活かして、離島への速やかかつ隠密な上陸に成功し、また周辺の海水を多量に操って、基地自爆による火災を食い止めた。

 

 

 

 

 

 

 

・五十川沙耶

 

 評価・B

 

 第三高校・一科・三年(卒業見込み)、国立魔法大学に進路決定済み。

 

 移動魔法の名家である百家・五十川家出身。その出自の通り、陸空海問わず、小規模高速高機動移動を得意とする。

 

 極度の方向音痴という致命的な弱点を持ち、かつ気弱で臆病と、戦闘魔法師には向かない。

 

 ただし後方支援や運搬などでは、軍属魔法師も敵わないほどの力を発揮する。

 

 テロ事件では、滝川和美(評価B)と協力して、二人だけで海上の船団を大きく攪乱することに成功。後述の横浜防衛に大きく貢献した。

 

 なお、森崎駿と恋人関係である。

 

 

 

 

 

 

・五十里啓

 

 評価・B

 

 国立魔法大学魔法工学部・一年

 

 魔法陣を筆頭とする魔法工学の名家である百家・五十里家の出身。その出自の通りの得意分野がある。

 

 中条あずさ(後述)に代わり、第一高校の生徒会長を務めたため、同期を筆頭に様々な組織との深い関係構築が結ばれている。

 

 数々の施設・基地へのテロリストによる襲撃を、彼が開発した高度な防衛設備によってしのいだ。

 

 一般人・民間人の命を守った数は多く、国際魔法協会特別平和賞を受賞。

 

 千代田花音(後述)の婚約者である。

 

 

 

 

 

 

・六十里颯太

 

 評価・特別B

 

 第三高校・一科・二年

 

 放出系魔法に関して名を上げた百家・六十里家の出身。得意分野はその出自の通りで、学力と魔法干渉力、運動能力に優れる。なお六十里家は、十師族である「八」系統の傘下である。

 

 能力的にはC相当だが、我が国が開発した戦略級魔法『ヘビィ・メタル・バースト』を井瀬文也より与えられて使用する。

 

 本来の使い方は出来ず、『ブリオネイク』のような魔法兵器を用いてビーム上に放つことしかできないが、生半可な魔法防御や重戦車を容易に破壊する力を持ち、戦術級相当の火力を出せる。

 

 この火力の危険性、および我が国の戦略級魔法を与えられており機密的に重要で、我が国への影響力は潜在的に高いため、特別Bとした。

 

 テロ事件においては、ニュージーランドにて、後述の真壁菜々と協力して、発射直後の複数核ミサイルの無力化に成功。『ヘビィ・メタル・バースト』によるミサイルの破壊を担当した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・黒羽亜夜子

 

 評価・A

 

 第四高校・一科・二年

 

 日本最悪かつ裏・表ともに最大級の影響力を持つ四葉家の分家・黒羽家出身。黒羽文弥は双子の弟。

 

 実働部隊として暗殺・諜報で活躍するほか、中学三年生のころから、四葉を代表して外国や様々な組織との裏交渉・相談を担当してきた。

 

 高い戦闘能力を持ち、特に警戒すべきは、スターズ内でも並ぶ者がいないほどの干渉可能領域の広さである。それを利用した『極致拡散』は、どのような場面においても脅威。

 

 テロ事件においては、弟と協力し、主に北海道地域の複数秘密基地の破壊工作で活躍。豊かな自然資源を守りながらの手際のよい破壊工作だったため弟とともに国際魔法協会から環境賞の受賞を打診されたが、弟とともに断った。

 

 

 

 

 

 

 

 

・黒羽文弥

 

 評価・A

 

 第四高校・一科・二年

 

 四葉家の次期当主候補になるほどの魔法力を持つ。体格以外のこれと言った弱点が無く、総合力に優れる。

 

 特に脅威なのが、黒羽家特有の精神干渉系魔法である。詳細は不明だが、洗脳されテロリストに協力させられて戦闘をした元USNA軍人によると、「魂に直接太い杭を打ち込まれたような痛み」とのこと。

 

 活躍は先述の通り。

 

 高校では風紀委員を務めており、就任三日で校内の暴力的問題行動が根絶された。

 

 

 

 

 

 

 

・千代田花音

 

 評価・A

 

 防衛大学校・一年

 

 百家・千代田家出身。その中でも特に干渉力に優れ、特徴である『地雷原』の威力は十師族級。

 

 地上戦においては随一の破壊力を持つ。また身体能力も高く、『地雷原』抜きでも評価Bは下らない。

 

 五十里啓のサポートを受けながら、単身でサハラ砂漠に隠された複数基地の破壊に成功した。

 

 

 

 

 

・鬼瓦桜花

 

 評価・A

 

 防衛大学校・一年

 

 体質上魔法力に優れているわけではないが、規格外の肉体を持ち、魔法を併用した白兵戦においては、呂剛虎や井瀬文雄、千葉修次に匹敵する。

 

 その体質は、サイオンが体から離れないというもの。十三束鋼(評価B)と同じ体質だがより症状がひどく、一般的な魔法はほぼ扱えない。

 

 ただし纏うサイオンの密度が高く、ほぼ全ての魔法を跳ねのけ、魔法式を殴れば『術式解体』が可能である。

 

 女性でありながら身体能力が突出して高く、USNAどころか世界中でも彼女を越える人間はいない。

 

 また、声を「体」と捉えることで、大声を増幅させる振動系魔法『鬼轟咆』という遠距離攻撃手段もある。本気で放てば広範囲を破壊し、対象を強烈な体内振動により無力化ないしは死に至らしめる、戦術級魔法。

 

 テロ事件においては、単身でテロ組織の相本拠地である大漢本部の大半を無力化した。

 

 国際魔法協会の白兵戦闘賞を受賞。

 

 なお各スポーツ団体の間では、彼女が規格外すぎるためバランスが崩れるからとスカウトを控えるという紳士協定が秘密裏に結ばれているが、あまり守られていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・綾野遊里

 

 評価・A

 

 国立魔法大学魔法学部・一年

 

 万能な魔法力に優れ、魔法力だけならば、七草真由美に匹敵する。

 

 身体に生まれつき重い障害を患っており、車いすが無ければ単独での移動がままならず、戦力にはならない。

 

 ただし陣地での移動する必要がない防衛戦では、無類の活躍を誇る。

 

 また元生徒会長であり、かつその人当たりの良さから人脈が広く、仲間やシンパが多い。なお現在使っている車椅子は、2096年より、定期的に井瀬親子のサポートを受けている。

 

 魔法協会横浜支部へ侵攻する船団の上陸阻止に貢献。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・七草真由美

 

 評価・A

 

 国立魔法大学魔法学部・二年

 

 十師族でも随一の影響力を誇る『万能』七草家の長女。その名に恥じない万能の魔法力を持ち、国際魔法競技会でも、複数種目で圧倒的力を見せつけ金メダルを獲得した。

 

 また元生徒会長で、特に権限を振るったこともあり、パイプが多い。

 

 ただし胃腸の持病を抱えており、過度のストレスに晒すことは避けられているため、影響力は限定的ともいえる。

 

 ラグナロク事件においては、父親と肩を並べて、自身も参戦しつつ七草家の指揮を執り、関東一帯の破壊行動すべてを、最小限の被害で止めた。国際魔法師協会日本支部特別賞を受賞。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・千葉エリカ

 

 評価・A

 

 第一高校・二科・三年生(卒業見込み)、防衛大学校に進学決定済み

 

 千葉家出身。

 

 鬼瓦桜花程の規格外の肉体を持っていないにもかかわらず、世界で十本指に入る白兵魔法師。

 

 長い刀を使った数々の魔法剣は速度と破壊力に優れ、正面先頭をした場合、単身で戦車や戦闘機を含む兵団を壊滅させることが可能と推定されている。反面、一般的な魔法力は低く、遠距離攻撃の手段も少ない上に、鬼瓦桜花のような特筆すべき防御手段もない。

 

『アルマゲドン』の隠し玉の一つである、大阪市都市部に出現した、『蓋』をさらに発展させた巨大兵器を、単身で破壊した。これにより、推定10万人の命が助かったと試算されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・吉田幹比古

 

 評価・A

 

 第一高校・一科・三年生(卒業見込み)、国立魔法大学魔法文化学部に進学決定済み

 

 神道系古式魔法の名家・吉田家の出身。神童と言われるほどの才能があり、一時はスランプにもなっていたが、克服した。

 

 PTSDを克服し一等星級に昇進したネイサンと同等の力を、学生の身で持っている。

 

 柴田美月と協力して、京都市内に76個設置された時限式魔法爆弾すべてを発見し、無効化に成功。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・服部刑部少丞範蔵

 

 評価・A

 

 防衛大学校・一年(主席)

 

 不得意が無く全ての魔法を高水準で扱える、総合力に優れた魔法師。戦闘能力は一等星級に匹敵し、評価Aの中では、最も警戒するべき魔法師の一人。

 

 複数魔法を組み合わせて別の現象を起こす技術を得意としており、戦術の幅が広い。基礎戦闘能力も高水準にまとまっている。

 

 原子力発電所への破壊工作を防ぐ際に、中心的な役割を果たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・西城レオンハルト

 

 評価・A

 

 第一高校・二科・三年生(卒業見込み)、防衛大学校に進学決定済み

 

 硬化魔法と得意とする白兵魔法師。極薄のシートを固めることで、世界で最も切断力の高い斬撃を繰り出すことができる。

 

 戦闘能力は他の評価Aに比べたらやや劣るが、その切断能力は活用幅が広く、影響力は高い。

 

 基地に突撃する際、強化合金による防御扉を一撃で切り裂くことで、複数基地での迅速な解決に貢献した。

 

 仮に我が国への侵略戦争に彼が参加した場合、防衛成功率は最低30%以上下がると推定される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・一色愛梨

 

 評価・特別A

 

 第三高校・一科・三年(卒業見込み)、国立魔法大学に進路決定済み

 

 白兵戦闘に優れるが、他A評価に比べたら明確に劣り、評価B相当。

 

 ただし、二十八家である一色家が得意とする『神経電流攪乱』は、重傷を負わせることなく無力化するうえで大変優秀な魔法であり、『稲妻(エクレール)』を用いた高速機動と併用することで、単身によって戦場を支配することが可能であるため、特別Aとする。

 

 テロ事件においては、洗脳された多くの市民を怪我させることなく無力化・保護に成功し、人道的な作戦成功に大きく貢献。国際魔法師協会日本支部特別平和賞を受賞。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・七草泉美

 

 第一高校・一科・二年

 

・七草香澄

 

 第三高校・一科・二年

 

 評価・双方特別A

 

 どちらも優れた魔法師だが、戦闘能力は高く見積もってもB相当。

 

 ただし双子の性質を利用した乗積魔法により、大規模な戦術級魔法を行使することができ、広範囲を一瞬で攻撃することが可能。

 

 また、半径10メートルほどと小規模だが、戦略級魔法『シンクロライナー・フュージョン』も実戦で成功させており、これも戦術級の中でもさらに高い威力を誇る。将来的に戦略級魔法師になる可能性もあり。

 

 七草家出身の影響力も加味すると、特別Aが妥当と言える。

 

 ちなみに七草香澄は井瀬文也に長いこと懸想しているが、未だに届いていない様子。

 

 父親・姉から二人での指揮から外れた行動を許され、千葉県沿岸部にて大規模な上陸作戦を食い止めることに成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・真壁菜々

 

 第三高校・一科・二年

 

 評価・特別A

 

 八壁家の数字落ちである真壁家の出身。

 

 家柄とは関係なく、現象の変化を止める、状態維持の魔法を得意とする。その突出度は高く、全ての系統において、アンジー・シリウスが得意とする放出系に匹敵する。

 

 その特性から、核融合を止めて核兵器を無力化することが非常に得意。

 

 当然、テロ事件では世界中を飛び回って、核兵器を何十回と無力化した。

 

 核兵器の使用・発動を阻止するのは魔法師という存在の国際的な至上命題であり、このテロ事件で魔法師が活躍したのは、核兵器が世界中で使用されるとなった時、魔法師が世界中で一致団結したからである。

 

 その先頭に立った彼女の活躍は世界中から注目され、単身で二十八家相当の影響力を持つ。

 

 戦闘能力は高く見積もっても評価Cだが、その影響力から、低く見積もっても特別Aが妥当。

 

 国際魔法協会による平和賞、魔法師模範賞を受賞。さらに世界で唯一高校生にして常任委員就任を打診された。なお、そちらは断っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・森崎駿

 

 第三高校・一科・三年(卒業見込み)、防衛大学校に進路決定済み。

 

 評価・特別A

 

 ボディガードとして名をはせており、会談に訪れた我が国の大統領の臨時SPを務めた経験もある名家・森崎家の長男。

 

 世界でトップの魔法行使速度を誇っている。また、射撃魔法の命中精度もとても高い。反面、干渉力と可能工程数は、そこそこ優秀程度に留まる。

 

 速度は圧倒的だが複雑な魔法や強力な魔法が使えないため、単純な戦闘能力はB相当。

 

 ただし、その速度と精度を活かした『サイオン粒子塊射出』により、ほぼ全ての魔法師は、CADによる魔法行使がほぼ不可能となる。そのためCADを使わない魔法で対抗せざるを得ないが、そうなれば完全に速度で負けて無力化される。

 

 また非魔法師相手でも、魔法抵抗力を持たない場合は一方的に攻撃が可能である。

 

 一方で、魔法抵抗力や『サイオン・ウォール』があれば、さほど怖い敵ではない。

 

 よって、限定的状況下においては、単身で戦場の魔法全てを無効化することも可能という規格外のスキルを持つため、特別A評価とする。

 

 テロ事件においては、軍属含むプロ魔法師15人を相手に、単身で魔法全ての行使を許さず一方的に制圧し、井瀬文也の作戦に貢献。

 

 井瀬グループの主要メンバー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・十文字克人

 

 国立魔法大学魔法学部・二年

 

 評価・S

 

 十師族・十文字家の事実上の当主。

 

 全ての攻撃を防ぎ全てを薙ぎ払う攻防一帯の究極魔法『ファランクス』の使い手であり、単身で戦場を一瞬にして支配し、戦争そのものをゆがめる力を持つ。

 

 戦略級魔法のような一瞬にして広範囲を破壊する力は持たないが、移動しつつ魔法を振るえば、戦略級相当の破壊を生み出すのは容易。

 

 アマゾン基地より発射され、リオデジャネイロへと雨のごとく降り注いだ多量の爆弾・ミサイル(核兵器ではない)を、ブラジル所属の戦略級魔法師であるミゲル・ディアスと協力して防ぎ、何百万もの命を救った。

 

 ブラジル名誉国民、国際魔法協会平和賞・模範魔法師賞など数々の名誉を打診されたが、すべて断っている。

 

 この時以降、超大規模な魔法連続行使が祟ったのか、学校を休みがちで家には医者が出入りしており、あまり姿を現していない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・司波深雪

 

 第一高校・一科・三年(卒業見込み)、国立魔法大学魔法学部に進路決定済み。新入生代表。

 

 評価・S

 

 四葉家の次期当主。

 

 莫大なサイオン量と干渉力を持ち、また複雑な魔法も難なくこなすこともできる。アンジー・シリウスをして「サイオンコントロールと速度でほんのわずかに勝っている以外は完敗」と言わしめる魔法師。

 

 特に停止・冷却に関わる振動系が得意で、『ニブルヘイム』『停止領域』『インフェルノ』といった超高等魔法のみならず、艦隊を機能停止にする事実上の戦略級魔法『氷河期(グレイシャル・エイジ)』を使用可能。また戦術級の中でも特に危険度が高いと目されている精神干渉系魔法を使う可能性も確認されている。

 

 白兵戦を得意とする魔法師や軍属プロにはかなわないが、身体能力も非常に高く、隙が無い。

 

 また、もはやオマケ程度でしかないが、元生徒会長であり影響力が大きい。その容姿と立ち居振る舞いと実力から彼女を慕うものは多いのも特徴。

 

 核兵器を複数積んだインド方面の艦隊を、『氷河期』によって一瞬で無力化に成功。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・一条将輝

 

 第三高校・一科・三年(卒業見込み)、防衛大学校に進路決定済み。新入生代表。

 

 評価・S

 

 十師族である一条家の長男にして次期当主。魔法の総合力はアンジー・シリウスや司波深雪と肩を並べるほど。

 

 より実践的な魔法師で、低コストながら高い破壊力・殺傷力を誇る『爆裂』を得意とする。その干渉力はとてつもなく、ソーサリー・ブースターを直列繋ぎした『情報強化』を簡単に打ち破る。

 

 液体の操作に優れていて、液体すべてが彼の強力な兵器である。戦場に現れたら、後述の魔法がなくとも、その戦術級魔法だけで戦場どころか戦争の趨勢を左右することができる。

 

 また、その莫大な干渉力を生かして、戦略級魔法師にもなっており、二種類使いこなす。

 

 一つは吉祥寺真紅郎が開発した『海爆(オーシャン・ブラスト)』。広範囲で大量の『爆裂』を同時に起こし、大爆発にする。『チェイン・キャスト』を用いており、ほぼ『トゥマーン・ボンバ』と同じ仕組み。

 

 もう一つが、井瀬文也が開発した『TSUNAMI』。壁状に大量の水を隆起させる魔法を『チェイン・キャスト』によって並べて、あえて時間差調整をせず発動。順々にせりあがる大水が、大艦隊をも押し流す。

 

 後者は要求される干渉力が突出して高いため使用者の負担が重く、使うのは厭われている。

 

 ただし、ラグナロク事件においては『TSUNAMI』が使用された。

 

 広範囲爆発攻撃である『海爆』は、敵艦隊と戦闘中であった仲間を巻き込む可能性があった。そのため、規模や方向をその場で調節し、アドリブで起動式と魔法式を変えたうえで『TSUNAMI』を発動、仲間を一切巻き込むことなく、中国方面の敵艦隊を一瞬で全滅させた。

 

 井瀬グループの主要メンバー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・司波達也

 

 第一高校・魔法工学科・三年(卒業見込み)、国立魔法大学魔法工学部に進路決定済み。

 

 評価・S

 

 最強の魔法師、極東の魔王、生死を司る神、破壊神、現世界チートマジシャン、ワンパンマン、さすがですお兄様、格闘漫画に混ざったドラゴンボール、ラスト・リベリオン、なろう総合ランキング1位の主人公、など様々異名を持ち、それに恥じない能力を持つ。ちなみに異名のほとんどは井瀬文也が考えたもので、その軽妙さから人口に膾炙した。主にインターネット上で異名大喜利の様相を呈している。なお、司波達也本人はとても嫌がっている模様。

 

 通常の評価基準となる魔法は、基本的には高校生レベルですら「劣等生」と言わざるを得ない。

 

 ただし非常に賢く、数多の新技術・新魔法を開発しており、『トーラス・シルバー』として魔法工学を牽引する。学業成績は当然、常にトップである。

 

 また、なんらかの技術により、短い工程の魔法ならば、森崎駿を越える速度で使用することができる。工程が短い簡単かつ単純な魔法でも十分様々な面で利用が可能であり、さほどの制限にならない。

 

 さらに、規格外のサイオン保有量を持ち、究極の対抗魔法と言える『術式解体(グラム・デモリッション)』を何十連発しても余裕であるほど。

 

 そして何よりも特徴的なのが、生まれながらに持った魔法、『分解』と『再成』である。

 

『分解』は組み合わさったありとあらゆるものをその名の通り分解することができる。部品単位・器官単位での分解のみに留まらない。

 

 この世のものは全て分子・原子・電子・陽子・中性子といった細かい粒が結合して成り立っている。その単位まで分解が可能なため、この世のすべてのものを極小単位まで分解し、事実上の消滅をさせることが可能。これは『雲散霧消(ミスト・ディスパーション)』と呼ばれている。

 

 また、対象は現物質だけではなくサイオン・プシオンに関するものも可能で、魔法式を直接分解することも可能。魔法式はイデアに裸のまま露出しているため、それを分解する『術式解散(グラム・ディスパーション)』を防ぐことはまず不可能である。

 

 つまり、『雲散霧消』による消滅を防ぐには魔法的防御をするほかないが、その防御は絶対に『術式解散』で無効化される。

 

 彼の分解に対抗するには、井瀬文也たちが使う『多重干渉』や十文字家の『ファランクス』が必要となる。ただしこれらに対しては、『バリオン・ランス』という中性子による攻撃が通ってしまう。これは『中性子バリア』でしか防ぐことができないが、そのバリアは『術式解散』で簡単に無効化できるため、彼の攻撃を防ぐ術は皆無である。

 

 そしてこの『分解』の究極系と言えるものが、戦略級魔法『マテリアル・バースト』だ。

 

 この世のものが持つ質量は、全てエネルギーが固定化したものである。その固定化を分解することで質量は一瞬で純粋なエネルギーとなり、大爆発を巻き起こす。反物質による対消滅をも超えるエネルギー効率を持ち、発動までの時間も一瞬で、破壊力が自慢の『ヘビィ・メタル・バースト』が豆鉄砲に見えるほどの威力を誇る。使える人物が彼以外にいないことを除けば他の戦略級魔法を全ての面で圧倒する、最強の魔法である。

 

 もう一つの魔法が『再成』。

 

 対象のエイドスを最大24時間前までさかのぼり、そのエイドス情報を投射することで、その状態へと戻す魔法である。対象そのもののエイドスを使用しているため、魔法抵抗力や修正力は一切影響を及ぼさない。

 

 これにより、大破壊されたものを一瞬にして元の状態に修復し、瀕死の人間を瞬く間に蘇らせることが可能。またこれは自身が傷ついた場合は自動的に発動することが伺える。莫大な保有サイオン量があることからエネルギー切れはなく、事実上の不死身である。

 

 またその身体能力も一流で、魔法抜きの運動能力・戦闘力は、鬼瓦桜花や井瀬文雄に匹敵する。

 

 つまり、世界トップの身体能力を持つ人物が、数多の新技術・新魔法を開発し、簡単にあらゆるものを消滅せしめ、あらゆるものを蘇らせることが可能で、世界最強の戦略級魔法を使うことができる、ということである。四葉からの情報提供によると、地球を破壊する規模を持つ巨大小惑星が接近してきた際は、『マテリアル・バースト』の一撃で破壊し、地球を救ったようだ。

 

 さらに、本人の影響力も見逃せない。

 

 秘密裏に「司波達也グループ」と呼ばれている集団がある。これは司波達也と信頼関係・利害関係を深く結んだ仲間のことである。司波深雪・七草真由美を筆頭に、評価BからA相当の同級生・先輩・後輩・関係者・一流魔法師・軍人・科学者などが、それぞれ事情を抱えつつも彼の仲間である。

 

 以上を考慮すると、当然、評価Sとなる。もはやこのランクですら足りない。

 

 ラグナロク事件においては、世界中で活躍する魔法師たちの総指揮的な役割を務め数多の作戦立案の中心となった。

 

 また魔法師の移動・活動をサポートする多種の新技術・新発明・新魔法を開発し、ほぼ全ての作戦に大きく貢献。

 

 さらに自身も、世界中で発射された核ミサイルを、『マテリアル・バースト』を使う際に使用する超長距離精密照準兵器『サード・アイ』をさらに発展させた兵器『天網』を使うことで捕捉し、『分解』によって無効化した。

 

 さらには、日本国防軍で開発されていたが危険性から凍結された『隕石爆弾(ミーティア・ライトフォール)』の技術を強奪・再開発したことによって引き起こされた巨大隕石の来訪を、『マテリアル・バースト』によって破壊し、地球を破壊から再び救った。

 

 この数々の活躍により、国際魔法師協会平和賞・模範魔法師賞・魔法工学賞を含む様々な賞を授与された。現在は世界中でマイノリティとなり軍事利用されることが多い魔法師を救うために、大規模なエネルギープロジェクトを進行中であるという不確定情報がある。

 

 なお、妹の司波深雪とは恋人関係である。

 

 彼が存在する限りは、彼の周囲および日本国に手出しをするべきではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・中条あずさ

 

 国立魔法大学魔法工学部・一年

 

 評価・S

 

 座標や出力など変数入力部分において誤差がほぼ無いほどの精密な魔法力を持つ。干渉力・速度・可能工程数もハイレベルではあるが、超一流とまではいかない。また、精神干渉系に突出した力を持つ。

 

 元生徒会長ではあるが転校によって退任したため、影響力はさほどない。

 

 身長はとても低く、運動能力は同年代の非魔法師を含む女子の中でも平均未満。控え目で気弱で臆病なため、戦闘魔法師には向かない。反射神経、動体視力なども、学生魔法師の域を出ない。

 

 魔法工学の面では特に優れており、司波達也・井瀬文雄・井瀬文也・吉祥寺真紅郎と比肩しうる。自身が扱う精神干渉系魔法を開発。また、大規模魔法技術『ジョーカー』(後述)、『N2』、魔法師移動システムなどの開発に大きく貢献した。

 

 魔法戦闘能力は、身体能力・性格・反射神経などが大きく足を引っ張るが、知略・戦略に優れ、また魔法力も高いため、欠点を差し引いても軍属魔法師相当の力を持つ。

 

 ここまでだと評価は高く見積もっても特別Bが妥当だが、このランクにいるのは、最も得意とする精神干渉系魔法が脅威だからである。

 

 広範囲に強い干渉力・効果を持つ精神干渉系魔法を使用することが可能。無差別情動干渉系魔法『梓弓』、2096年2月にアンジー・シリウスを負かした『スウィート・ドリームス』、精神干渉系魔法を無効化する『抱擁』、魔法的・科学的・生体的・精神的問わず洗脳を解除する『目覚め』、都市クラスの範囲に強い干渉力で群衆の精神を落ち着かせる『アガペー』など多種多様である。

 

 未だ悪用されたことはないが、もし彼女が『アガペー』と同様の範囲で、悪意ある精神干渉系魔法を使った場合、都市クラスの範囲にいる人間すべてが、睡眠や戦意喪失などによる無力化をされ都市機能が停止することになる。これだけならまだ良いが、最悪の場合、それだけの広範囲の人間が「洗脳」され、敵になることすらあるだろう。

 

 その効果は単純な破壊をもたらす戦略級魔法を越えるほどの影響力があるのは確実である。その潜在的かつ十分あり得る可能性を考慮して、評価Sが妥当である。

 

 ラグナロク事件においては、利用された人々の洗脳解除、戦意喪失による無血無力化、井瀬文也・森崎駿と行った突入作戦においての敵戦力の無力化で、大きく貢献した。

 

 また、先述の隕石落下作戦と同時に行われた、群衆煽動による大都市・ニューヨークにおける大暴動を企図した作戦を、大都市圏を覆う超広範囲を対象とした無差別精神安定魔法『アガペー』によって防いだ。

 

 国際魔法師協会平和賞を受賞。

 

 なお、井瀬グループの主要メンバーである。

 

 また、井瀬文也とは物心がつく前からの幼馴染である。非常に仲が良くて距離も近く、互いの間にパーソナルスペースはほぼ無い。

 

 井瀬文也とは恋人であるとの不確定情報がある。手をつないで歩いていた、道端で抱き合っていた、間接キスを気にせずお互いに食べさせ合っていた、二人で寄りかかり合いながらバスで寝ていた、二人きりで遊んでいた、ほぼ毎晩一緒に寝ている、などの確かな情報があり、恋人関係であるという噂の信頼度は高いが、不確定の域を出ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・井瀬文也

 

 第三高校・一科・三年(卒業見込み)、国立魔法大学魔法工学部に進路決定済み。

 

 評価・特別S

 

 我が国にとって特に因縁深い魔法師である。ここで改めてその特徴を振り返ろう。

 

 まず基礎能力。全ての系統に関してハイレベルであり、干渉力は他の超一流に比べれば数歩劣るが、行使速度と実践的に使用可能な魔法の複雑さは群を抜いており、その総合力は、学生どころか、軍属やプロと比べても十本の指に入る。

 

 一方で、四葉家からの情報提供によると、精神干渉系は干渉力が「ゼロ」であり、大きな欠点となっている。ただし、精神干渉系のエキスパートである中条あずさが常にそばにいるため、特別有効なカードにはなり得ない。

 

 また、一ノ瀬家が不祥事を起こして数字落ちしたのが井瀬家である。各々が勝手に名前を付けて呼んでいるが、人体の表面に刺激を加えて様々な効果を起こす魔法を得意とし、そのせいか人体にも非常に詳しい、というのも四葉家からの情報提供である。

 

 普段の生活は、いつもと変わらず、好き勝手気ままに生きている。卒業間近にもかかわらず度を過ぎた悪戯をして退学寸前まで行くほど。問題行動が多く、軍属にはならないと考えられる。

 

 また、魔法工学においても、世界トップを牽引する。

 

 父親・井瀬文雄は、CAD販売を中心とした魔法大企業『マジカル・トイ・コーポレーション』の設立に関わった一人であり、なおかつ世界をにぎわす『キュービー』その人。その遺伝と教育によるものか、父親や、『トーラス・シルバー』の司波達也、『カーディナル・ジョージ』吉祥寺真紅郎と張り合えるほどの知識・技術・経験を持っている。同社のエース魔工師『マジュニア』としても有名である。

 

 USNA軍魔法開発部によると、彼単身で魔法開発部の機能の半分は賄えるほどだ、という証言もある。

 

 ソフト・ハード両面でトップの技術を持つが、中でも、新たな魔法や他者の秘術を実戦レベルで使えるまで開発する能力に優れている。新技術・新発見・研究室レベルですら成功しない最新技術など、ふんだんに使用されており、そうした技術の粋が安価なおもちゃとして流通していることが、日本全体の魔法師レベル底上げにもなっている。

 

 主な再現魔法は、『分子ディバイダー』『術式分解』『ヘビィ・メタル・バースト』『仮装行列』『トゥマーン・ボンバ』『爆裂』『深淵(アビス)』『地雷原』『流星群(ミーティア・ライン)』など、そうそうたる面子が、枚挙に暇がない。

 

 オリジナル魔法・技術の開発もしており、カメラセンサー式自動CAD、『斬り裂君』、汎用飛行魔法、超貫通力魔法ライフル『ゴルゴ』、それを小型化した拳銃『ノビタ』、完全思考操作型CAD、戦略級魔法『TSUNAMI』、『ジョーカー』などがある。

 

 そして何よりも特徴的なのが、「複数個のCADを用いた『パラレル・キャスト』」である。

 

 通常『パラレル・キャスト』は約100年になる魔法師の歴史において両手の指で足りる程度にしか例がなく、USNA軍の歴史上にも実戦レベルの使用者は存在しない。

 

 だが彼の場合は、それをCAD二つどころか、数十個も同時併用することができる。

 

 これを活かして全身に、それぞれの魔法専用の超小型CADを仕込み、専用たる性能によって、汎用型と同じ種類の魔法を特化型を越える速度・精度で使用することができる。万能の魔法力と相まったそれは、単独でプロ魔法師10人分の魔法を行使できるという記録すら残っている。

 

 このスキルは、攻守両面で活躍する。

 

 まず攻撃面では、何十種類もの戦術級を含む魔法攻撃がほぼ同時に襲い掛かってくるため、魔法師単体ではまず攻撃を防ぐことができない。単一の魔法でほぼ全ての魔法を防ぐことができる『身守り』『ファランクス』ならばなんとかなるが、『ゴルゴ』『ノビタ』による攻撃はそれらを貫通する。

 

 また守備面でも、状況に応じて多種の魔法を高速で使い分けることができるため、非常に安定する。複数の魔法を投射直前の段階でとどめておく超高等技術を習得しており、後出しで対抗魔法を繰り出すこともできる。また交渉の末我が国から手に入れた『仮装行列』もあるため、直接干渉する魔法も効きにくい。

 

 次に白兵戦闘能力について説明しよう。

 

 体格は小学生並で筋力や骨格も平均未満であり、身体能力は魔法師平均よりやや劣り、スタミナは平均未満。評価はCにすら満たない。

 

 ただしそれらを高速移動魔法や汎用飛行魔法で補うことで、高速戦闘を可能とする。また近接戦闘をしながら複数の完全思考操作型CADによる嵐のような魔法攻撃もできるため、脅威となる。

 

 そして、我が軍の中で「井瀬グループ」と呼ばれる、日本国では「司波達也グループ」に次ぐコネクションがある。

 

 幼馴染・親友である、中条あずさ、森崎駿、一条将輝、吉祥寺真紅郎は全員強力な魔法師だ。父親は井瀬文雄で、巨大な組織力を持つ『マジカル・トイ・コーポレーション』の力も振るえる。またその異常性はある種のカリスマもあるのか、先輩・後輩・同級生・大人問わず――普段は悪戯ばかりで冷ややかな目線を浴びているが――いざとなったら助けてくれる人が多い。また何かしらの交渉があったのか、あの四葉が井瀬文也とその周囲を裏で警護しているという不確定情報もある。その影響力は計り知れず、また危険である。

 

 以上を踏まえると、わが軍において、単身で彼に確実に勝てるのは、アンジー・シリウス以外にはいない。戦場に現れれば、その趨勢を単独で決めることができるため、Aは確実である。

 

 ただし欠点として、魔法の規模の小ささがある。戦術級魔法を複数、同時に何十個と使えるが、一つ一つの破壊力・破壊範囲が低く、多人数の軍属魔法師が戦う戦場を、単身で引っ張るには、他の評価A相当に比べたら時間がかかりすぎる。ただし時間をかければかけるほど被害は爆発的に広まるため、影響力は、A同等と見て間違いはない。

 

 ではなぜ特別Sなのか。それは、彼のみが使える単独大規模魔法合成技能『ジョーカー』によるものである。詳しくは添付資料を参考の事。

 

 テロ事件においては、大活躍を見せた。

 

 北京にある第二本部でありながら最大の核兵器施設でもある基地へと、仲間と一緒に突撃。敵の最大戦力が集められている中で、森崎駿・中条あずさと協力しながら大立ち回りを見せる。

 

 しかし、突撃までの準備が遅れたせいか間に合わず、合計25発の核ミサイルの発射をすべて許してしまう。攻撃目標地もばらばらでありもはや防ぐのは不可能かと思われたが、開発した『ジョーカー』により、全ての無力化を成功した。

 

 国際魔法師協会より、司波達也・真壁菜々・中条あずさと並んで平和賞を贈られる予定だったが、前日にホテルで父親とゲームの勝敗をめぐって大喧嘩して複数設備を破壊し、あげく寝坊して式典に遅刻したため、取り下げられた。

 

 

 

 

 

添付資料・単独大規模魔法合成技能『ジョーカー』について

 

 何十個もの専用CADを用いた同時魔法発動によって、中規模程度の魔法を重ねることで大規模魔法にしたもの。

 

 事前に周辺に設置した空中ドローンとそれに仕組んだカメラセンサーによってリアルタイムで高速移動する核ミサイル全ての座標を追い、距離に効果を左右されない魔法をそれらに行使する。

 

 まず減速・加速・移動・振動によってミサイルが持つ推進力や熱を軽減したうえで、全てを一か所に集める。次に領域型の核反応停止魔法で無力化したうえで、減速を併用することで衝撃を抑えつつすべて落下させる。その後、領域型の放出・収束・移動・加速系の複合魔法で、完全に核融合が起きないようにミサイル全体を改造し、未来永劫の無力化をする。最後に放射能が漏れないように障壁魔法で覆う。

 

 この一連の流れは、実際に先述の事件で使われたものである。

 

 ただし、これは、あくまで使用例の一つに過ぎない。

 

 これは魔法ではなく、「魔法技能」である。

 

 多数設置されたセンサーによる情報を元に、広範囲を対象として中規模程度の魔法を、多量の専用CADで同時に多量に使用する、というのが『ジョーカー』の中核だ。

 

 つまり、超広範囲に、多量の中規模魔法を同時に行使することができるということである。

 

 本人によると、一部の戦略級魔法を後出しで防御することが可能であるとのこと。

 

『マテリアル・バースト』『ヘビィ・メタル・バースト』『隕石爆弾』のような高すぎる威力を持つものは無理だが、中規模の魔法を多量同時に発動して大規模破壊を生み出す『トゥマーン・ボンバ』『海爆』『氷河期』や、発動から効果発生までに時間がかかる『アグニ・ダウン・バースト』『シンクロライナー・フュージョン』は防げるらしい。

 

 前者は一つ一つの中規模魔法を無効化することで、後者は効果発生までの過程を妨害することで、防ぐことが可能としているのだと推測される。

 

 このように、『ジョーカー』は、限定状況下ながら、戦略級魔法を彼単身で防げる可能性が高い。その影響力は、戦略級魔法師に準ずるだろう。

 

 

 

 

 

 

 そしてここからが本題である。

 

 

 

 

 

 

 

 これを利用すれば、多量の魔法を同時に発動して超大規模の破壊を生み出す戦略級魔法『トゥマーン・ボンバ』『海爆』と同じ仕組みで、同等以上の破壊を生み出すことができるのである。

 

 しかも従来の戦略級魔法と違って、『ジョーカー』は、彼が使える魔法全てに転用が可能である。つまり、系統・効果・仕組み・発生時間など、事前に情報がないということだ。また、状況に応じて使い分けることも可能と言うことである。

 

 まとめると、戦略級魔法と同等の効果を生み出すことができる上、さらに彼が使える魔法全てでそれができるため、事前にどのような魔法でそれが為されるのか予想がつかず、一方で彼は状況に応じて使い分けることができる、ということである。

 

 その名の通り、井瀬文也の「切り札」であり、「ワイルドカード」である。

 

 ただし実際にどこまでできるかは未確定であり、評価Sの重要度を鑑みると、一旦判断は保留として、特別Sに留めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、懐かしいものが出て来たわね」

 

 2100年某日、四葉家邸宅にて書類整理をしていた真夜が、一つの資料に目をとどめた。

 

 二年前に、世界中で巻き起こった同時多発超大規模テロ事件。一歩間違えれば、本当に地球が滅んでいただろう。

 

 だが、それらは魔法師たちの活躍によって食い止められた。四葉家や真夜も、権力・利害・裏表といったしがらみ全てを無視して全力で協力せざるを得なかった。未だにあの時の過労を思い出すと全身に疲労感がどっと湧き出てくる。無意識に腹部をさすりながら、ため息をついた。

 

 この資料は、その直後に作られたものだ。2098年3月。司波達也・深雪、井瀬文也たちが魔法科高校を卒業する月である。国軍の諜報部が作ったものにしてはやたらと情緒あふれた――当然皮肉である――文章になっているが、それだけ、日本の学生魔法師たちの影響力が強い、ということだろう。

 

 読み進めて――大掃除で昔の漫画をつい読んでしまうのと同じことがまさかの真夜にも起きているのは気にしてはいけない――いくうちに、笑いがこみあげてくる。特に達也、あずさ、文也の項目は傑作だ。達也は仕方ないとして、文也とあずさについては、少しばかり過大評価であろう。警戒するに越したことはないが、あの二人に、それほどの力はないというのが、四葉の見立てだ。あれだけ大規模な事件があった直後だから、作成者はパニックになっていたに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 そう、もう二年が経った。

 

 

 

 

 

 

 達也たちは大学生活に慣れ、それぞれ好き勝手やっている。達也と深雪はメイジアン・カンパニーを立ち上げて世界を股にかける大プロジェクトを実行し、魔法師の地位を変えた。ラグナロク事件において魔法師の地位は大きく向上したが、結局のところは軍事的側面で大きく向上しただけに過ぎない。達也と深雪は、軍事以外の魔法師の大きな価値を生み出した。

 

 文也たちもそれぞれの道を歩んでいる。

 

 将輝は将来国防を引っ張る身として防衛大学校で活躍。本来警察的役割であるため警察学校や魔法大学に進学するのが通例なのだが、森崎駿は、森崎家の文脈を離れ、新たな可能性を見出して防衛大学校へ進学し色々やっているらしい。

 

 文也・あずさ・真紅郎ら魔法工学部に進学した三人は、何やらとんでもないことをいろいろやっている。達也の壮大な計画にも、金のにおいを察知した文也が絡んで、一枚かんでいるらしい。また達也はこの三人を将来発足する予定の魔工院の外部講師として招くつもりらしいが、文也については未だにこんなやつを誘うべきか悩んでいる、という話も聞いている。いつのまにかずいぶんと仲良くなったようだ。

 

「……真夜様、お楽しみの所申し訳ございませんが」

 

 そんなことをしていると、信頼できる執事の葉山が、背後から話しかけてきた。ずいぶんと遠慮なく言ってくれるようになったものだ。

 

「あらごめんなさい、つい読み込んでしまって。すぐに戻るわ」

 

 悪いと思っていないが、口先だけで謝罪をする。こんな雑用ではあるが、機密文書だらけであり、当主である真夜の最終チェックが欠かせないため、さぼっているのが迷惑なのは確かだ。

 

「いえ、そちらはもう構いません」

 

 だが、どうやらさぼっていたこと自体は問題ではないらしい。

 

 では、なぜわざわざ呼びに来たのか。

 

「お客様がお見えになっております」

 

「あら、もうそんな時間なのね」

 

 いつの間にやら、約束の時間になっていた。真夜はすくっと立ち上がり、葉山を従えて客間へと向かう。書類整理は後回しだ。

 

「いらっしゃいませ、こんな山奥までわざわざご足労ありがとう」

 

 客間のドアを葉山に開けさせ、客人と目が合うと同時、妙齢の女性らしい妖艶な笑みを浮かべて挨拶をする。世の男性を虜にするような笑みだが、彼女の人となりを知る場合、何かしらの恐怖を覚えるだろう。そして真夜もそれを自覚して、分かる者が見れば分かるような笑みを浮かべている。話は変わるが、動物の世界では、笑顔は威嚇らしい。

 

「いえ、もう慣れていますから」

 

 やや緊張をはらんだ声で、客人の女性が頭を下げながら挨拶を返す。

 

 いや、女性と表現するべきかは微妙なところだ。

 

 その女性の身長は低めで童顔であり、真夜とはまた違ったチャーミングな魅力を醸し出している。少女と言った方が良いかもしれない。しかしながらずっと前から彼女を知る真夜としては、ここ数年すっかり大人の魅力も出始めた彼女を、もう女性と捉えている。

 

 その客人は、七草真由美だ。

 

「こちら、父より手紙を預かっております」

 

 彼女が差し出したのは、七草家当主・弘一からの、真夜にあてた手紙である。真由美は七草家の代表として正式に外部と折衝役を任されることとなった。彼女の役目は、こうして四葉家と深い接触をすることだ。

 

「ありがとう。あとで読ませてもらうわね」

 

 当主からの直接の手紙ともなれば、前置きの長ったらしい挨拶以外は重要なことが書いてある場合が多い。事実、今回も相当重要なあれこれが書いてあるだろう。だが、今この場で読むようなことはしない。

 

 理由は簡単、長ったらしい挨拶以上に面倒くさい内容が、さぞ中につらつらと並んでいることが明らかだからである。

 

 弘一は真夜の元婚約者である。あの悲劇に強い責任を感じていることもあり、弘一の心は、常に真夜を追いかけたままだ。お互い立場があるのでさほどのアプローチは今までなかったが、二年前のテロ事件をきっかけに、読まないわけにはいかない重要な内容とセットで、ラブレターめいたものを贈ってくるようになったのだ。

 

 あの事件では、お互い立場を忘れて魔法師同士が協力して事の解決に当たった。いがみ合い・騙し合い・殺し合い・化かし合いが基本なのが魔法師同士だが、この事件で手を取り合ったことで、様々な勢力が融和ムードになったのである。昔の関係が忘れられない弘一は、これをチャンスと見て、アプローチをかけているのだ。

 

 正直言って、気持ち悪い。

 

 真夜とて女性なのであの色男から未だに懸想されるのは悪い気分ではない。だがそれ以上に、いつまでストーカーまがいのことをするのだろうという気色悪さを感じる。しかも、その手紙を持たせているのが、後妻の娘でまだまだ多感なお年頃であろう真由美だ。デリカシーの欠片もない。愛娘・香澄と同じで、なんちゃらは盲目と言う奴だろう。大の大人がこうなると、ここまで気持ち悪いものなのだろうか。

 

 同じことは目の前の真由美も思っているようで、何回か会ううちに、微妙にシンパシーを感じるようになった。そう考えると、ずいぶんと自分も丸くなったものだな、と思いつつ、真由美と本題の前の長々とした前置きの応酬をする。

 

(それにしても、この子も可哀想ねえ)

 

 真夜としては、正直自分こそが元凶なのだが、同情せざるを得ない。

 

 真由美の立場は、文也たちと四葉が殺し合ったあの夜から、今もまだ微妙なままだ。

 

 達也と深雪は可愛がっていたお気に入りともいえる後輩だ。一方、あずさこそ一番かわいがっていたものの、文也はクソガキ。恨みが大きいだろう。だが一方で彼は、妹の命の恩人でもある。

 

 これだけでもかなり厄介な立場だというのに、文也と達也たちは、お互いを殺し合うほどの敵対関係となった。

 

 しかも恐ろしいことに、それぞれバックには、十師族でも随一の軍事力を持つ一条家と、闇の影響力と最恐の手勢を持つ四葉家がいるのだ。

 

 そこに、七草家の長女である真由美は、乱入した。

 

 自ら考えて文也たちの仲間につき、四葉家の大規模作戦に対抗し、敵対する。四葉と正面から敵対するというのは、あの当時では、もはや死と同義だ。しかもその中心人物こそが、達也と深雪であった。

 

 そして文也の策略により四葉が全く手を出せなくなったとしても、真由美は、あの下劣卑劣卑怯変態極まりない作戦の庇護には入れない。あくまで乱入者であるというのもそうだし、その庇護に入るということは、七草家が一条家と正式に組んで四葉家と敵対するということだ。日本魔法師界どころか、日本が割れてしまいかねないだろう。

 

 そしてそんな事態を阻止するために、七草家の長女でありながら、真由美は父・弘一を中心とした自身が所属するはずの勢力を騙し、情報を徹底的に隠した。

 

 四葉家と敵対し。文也や一条家からも守られず。自身が属するはずの七草家すら騙す。

 

 彼女は、地獄のような立場にずっといたし、今もいるのだ。

 

 なんとなく弘一ならそれを察しているだろう。確信がないから放っておいてるだけだ。それだというのに真由美を四葉家とのメッセンジャーに抜擢するというのは、意地が悪すぎやしないだろうか、と真由美が初日には同情したものである。

 

 そんなことを考えながら話している間に、前置きどころか、家同士の本題も終わってしまった。

 

「……それで、その」

 

 しばらくの沈黙ののち、真由美が遠慮がちに口を開く。

 

「今回も、お願いしたいのですが……」

 

「ええ、構わないわ。何日分?」

 

「とりあえず、二か月分ほど」

 

 確かにそれぐらい必要だろう。今回は前回に比べてずいぶん間が空いた。きっと、「切らして」いるだろう。

 

 真夜はそれを了承し、葉山に取りに行かせる。事前に準備していたので、持ってくるのは早かった。

 

「はいどうぞ。また何かあったら遠慮なく言ってね?」

 

 四葉家と七草家との話は終わりで、今は真夜と真由美、個人の関係の話だ。幾分か親し気に、大きな紙袋を手渡しする。

 

「ありがとうございます」

 

 真由美も心の底から感謝を示し、深々と頭を下げた。

 

 なんとも意外なことに、両者の間には、あまり表には出せないが、確かなシンパシーが生まれていた。

 

「最近体調の方はどうかしら?」

 

「頂いているこれのおかげで、少しずつ良くなっています。夜中に痛みで起きることも少なくなってきました」

 

「羨ましいわ。若いと回復も早いのかしら」

 

「そんな、真夜さんもまだまだお若いですよ」

 

「お上手ね」

 

 表面的なおだて合いの会話だが、二人の顔に浮かぶ笑みは、先ほどまでの営業スマイルではなく、心からの笑みだ。背後の葉山がなんだか痛ましいものを見る目をしているが、気のせいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お互い、『胃に穴があいた』仲間ですもの。いつでも相談に乗るわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二年前。

 

 真夜はあの大事件でさんざんに働く羽目になり、事後処理にも奔走した。それと同時に達也と深雪は四葉家から離れて会社をぶち上げると堂々宣言し、文也たちも大小さまざまな好き勝手をはじめ、その対応にも追われた。そして今も、いろいろ苦労は続いている。

 

 そんな中でついに、真夜の胃に、ストレスと過労から、穴があいてしまったのだ。

 

 真由美もまた、文也と香澄と四葉に関わるあれこれのせいでストレス過多により穴が空いた身。

 

 訪ねてきた初日に苦しそうにしている真由美を見かねて、自分が愛用している特別製の胃薬を譲ってから、二人の間に、確かな友情が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当然、そんな二人の苦労と友情を知る由もなく、今日も、達也たちも文也たちも世界も、好き勝手に動いていた。




読んでいただきありがとうございました。

なお、現在、『呪術廻戦』の二次創作『夜明けと晴天』を連載中です。本編はすでに完結まで投稿し、これから番外編を投稿していく予定です。もしよろしければ、ぜひそちらもお読みください。

https://syosetu.org/novel/260771/


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すいとーよ

お久しぶりです
別の作品の執筆中に浮かんだアイディアがあったので、とりあえず形にしました。おまけ編です。


『なあ司波兄よお』

 

「俺は未だにお前と連絡先が残ってる自分にびっくりしてるし、かけてくるお前にもびっくりだよ」

 

 文也たちと達也たちは殺し合い、決別した間柄だ。

 

 しかしながら、もうすぐ卒業する高校に入学したばかりのころに行われた九校戦の縁で交換した連絡先は、お互いに「何かに使えるだろう」とずっと残していたのだ。

 

 そしてその電話帳を使って、文也が突然、達也に電話をかけてきた。

 

『いやまあ、俺としてもお前と話すのは癪なんだけどよ……この前のお祭り騒ぎのせいでなんか感覚麻痺しちまったんだわ』

 

「被害者のくせに……」

 

 殺し合ったとは言うが、達也が一方的に、理不尽に、文也たちを殺そうとしたに過ぎない。加害者である自分が言うのもなんだが、文也の感覚にはほとほと呆れ果てるばかりだ。

 

 とはいえ、他にも、彼らほどではないにしろ、または彼ら以上に確執の深い組織同士も、融和ムードを見せていた。

 

 例えば、七草と四葉。十師族の二大勢力同士で無理して良く言ってもライバル関係、しかも現当主の弘一と真夜の間には戦略級魔法『深淵(アビス)』よりも深い因縁がある。だが、文也の言う「お祭り騒ぎ」をきっかけに、主に七草の方から、融和ムードを見せていた。使者になっている真由美はさぞ苦しいだろう。

 

(お祭り騒ぎ、か……)

 

 喉元過ぎればなんとやら。

 

 まだ二か月も経っていないのに、もうこの表現だ。

 

 

 

 

 ――危うく、人類が滅びかけていたというのに。

 

 

 

 

 狂信者テロ組織『アルマゲドン』。

 

 魔法師が世に知られるきっかけとなった1999年の事件を起こした集団であり、それが100年弱の時を越えてまた暴れ出したのだ。以前に比べて用意周到で、何十年もかけて各国各地域に布教と洗脳の手を少しずつ広げ、世界中で核兵器を秘密裏に作り、「世紀末」に人類を滅ぼそうとした。

 

 それが、先日の『ラグナロク事件』だ。世界を滅ぼすべく、大量の核兵器が放たれ、世界中で暴徒と兵隊と兵器が暴れまわり、宇宙から巨大隕石が降ってきた。

 

 

 

 

 

 

 そんな、漫画やアニメですらあり得ないような「破滅」を救ったのが、世界中の魔法師たちであった。

 

 

 

 

 

 実際はさておき、魔法師の至上命題は「核兵器使用を阻止すること」である。そのために、人種・性別・思想信条・国籍・組織・一族・勢力などありとあらゆるしがらみを乗り越え、世界中の魔法師たちが一致団結して、解決にあたったのだ。

 

 この影響で第三次世界大戦以来常にひりついていた国際情勢は融和ムードになり、その中心となった魔法師たちはさらに融和ムードになった。この達也と文也は、日本の学生魔法師たちの中心として特に大活躍した二人であり、達也はともかく、あの文也ですら、この穏やかな雰囲気に流されたのか、こうして多少親し気になっているのだ。

 

「それで、用はなんだ? これから深雪とデートなんだが?」

 

『気持ち悪!!!』

 

 電話の向こうで大馬鹿に馬鹿にされたが、もう慣れたものである。誰が何と言おうと、深雪は、愛する妹であり、愛しい恋人であり、未来永劫の伴侶だ。何が起きたか知らないが、達也の心にも、異常な変化が起きている自覚はある。

 

『で、まー、要件はよお……『分離魔法』についてなんだが』

 

「『分離』? ああ、なるほどな」

 

 文也の言う『分離』は、系統魔法の中でも最高難度にあたる、構造情報を改変する魔法だ。

 

 そして達也はその一つである『分解』に異常に高い適性を持っている。『分離』は『分解』の深度が浅いバージョンであり、兄弟関係の魔法だ。当然、達也は「劣等生」ながら使えるし、しかも得意な魔法である。

 

 それにしても、なぜこのタイミングで、『分解』ではなく『分離』なのか。何だか知らないが、どうせ遊びみたいな研究なのだろう。

 

「俺はお前のライバル企業のエンジニアなんだが……まあいいか」

 

 これで貸し一つ。達也は口角を吊り上げ、妹のおめかしにまだ時間がかかりそうなことを確認して、文也の質問に答えたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄様お兄様大変です!!!」

 

「み、深雪!?」

 

 深雪は、高校に入学したころに比べて大人びた雰囲気が出てきてさらに綺麗になった。激情を露にすることも少なくなり、すっかり「大人」である。一方で達也にだけ見せる甘えた様子は、この世の何よりも可愛い。

 

 だが、そんな妹が、早口で血相を変えて、ノックもせずに達也の部屋に飛び込んできた。テレビをつけながら半年前に無事入学した大学の課題を消化していた達也は、妹の様子に、目を丸くする。

 

「こちらをご覧ください!」

 

 深雪が出したのは、チープなパステルカラーの水筒のようなものだ。

 

「ああ、この前MTC(マジカル・トイ・コーポレーション)が出したやつだな」

 

 確か大学に入学して一か月ほど経ったぐらいからCMを流すようになっていた新商品だ。汚い水を綺麗にする、がキャッチコピーで、人間が飲める水を作る仕組みを学ぶとともにサバイバルの知識も得られて、かついざと言う時に実用的、というオモチャだ。

 

 オモチャにしては相変わらずハイスペックすぎる、とCMを初めて見た時は呆れ果てたものだ。

 

 そういえば今日発売だったが、まさか妹がこれを買っていたとは思わなかった。

 

「その、これなんですけど…………ああ、えっと、もう実演いたしますね!」

 

 そういうと深雪は、一緒に持ってきていたカップに入った液体をそのオモチャに入れ、ジャバジャバと軽く振ってからサイオンを流す。

 

 その様子を、紅茶を飲みながらぼんやり「視て」いた達也は、

 

 

 

 

「っ!? ゲホゲホ!」

 

 

 

 

 思わず吹き出し、床を汚してしまった。

 

 ああ、今朝せっかく掃除したのに。あと愛する妹がせっかく淹れてくれたのに。

 

 そんなことを考える余裕もないほどに、達也は動揺していた。

 

 達也の『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』は「視て」いた。

 

 深雪がカップから入れたのは、食塩と砂糖を入れた紅茶という、得体のしれない代物。

 

 そして、CAD(オモチャ)が、内部のその液体に向かって投射した魔法は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――最高難度に数えられる、『分離』そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、と、とんでもないことですよ、これ!?」

 

「嘘だろ……」

 

 魔法が終わり、水筒の中に残ったのは、純粋な水と、細かく分かれたスペースにそれぞれ入った砂糖と塩と紅茶成分。

 

 つまり、水の中に溶けた砂糖と塩と紅茶成分を、このCADに仕込まれた魔法が『分離』したということだ。

 

 さて、水溶液を純粋な水に変えるというのは実に難しい。100年以上前から、主に水不足の地域で悲願となっているのが、「海水を飲料水に変える」ことだ。一応の実現は出来ているが、安定性・コスト・量・環境・安全面など、さまざまな課題があり、未だ本格的な解決に至っていない。何せそれが、先の第三次世界大戦の原因の一つにすらなっているのだから。

 

 そしてそれは魔法があっても変わらない。海水を純粋な水に変える魔法は、何度も言ったように難しいからだ。

 

 だが、今、目の前で。

 

 とてつもなく優秀だが『分解』も『分離』も使えないはずの深雪が、このオモチャのようなチャチなCADを用いて、確かに、『分離』を成功させた。それも、砂糖や塩のみならず、紅茶成分まで、しかも「同時」に、である。恐ろしいことに、こんな子供向けの水筒サイズの道具一つで。

 

「CMを見た時は、濾過魔法か何かだと思っていたが……」

 

 文也のことをナメていた。

 

 今になって思い出されるのが、高校卒業直前あたりにあちらからかけてきた電話だ。質問内容はまさしく『分離』。この開発のために、『分解』のエキスパートである達也に色々アドバイスを求めたのだろう。

 

 直後、達也のパソコンに、四葉本家から着信が入る。メッセージではなく、緊急のビデオ通話。

 

 もうなんとなく、話題は分かっている。

 

 達也と深雪は疲れた顔で、それに応答することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでよー、マサテルのやつったら、今まで食ってたゆで卵を止めて結局トリササミに切り替えたんだよ」

 

「ふふ、何それ。一条君は相変わらずストイックだね」

 

 新商品の発売を迎えた翌日の国立魔法大学。魔法工学部に進学して半年ほど経ってすっかり慣れた文也と、幼馴染であり同じ学部の先輩であるあずさは、いつものように、あずさの作ったお弁当を空き教室で広げて食べながら、雑談を繰り広げていた。

 

 内容は、将輝の筋トレ計画について。国防軍に強い影響力を持つ一条家の長男にして次期当主かつ戦略級魔法師として、彼は防衛大学校に進学した。その中で運動能力に限界を感じ、本格的なボディメイクを始めたのだ。そこで、真紅郎――彼も魔法大学魔法工学部に進学したが珍しく今日は同席していない――の提案で遺伝子検査を受け、体質的に卵類の栄養吸収効率が悪いと知った将輝は、たんぱく源をゆで卵からササミに変えたのである。このなりふり構わなさは、同じく防衛大学校に進学した駿に魔法抜きの運動能力で最近負けが続いているからだろう。相変わらずストイックで、そして負けず嫌いであった。

 

「おい、井瀬」

 

「ん? げ、なんだよ、相変わらず怖え顔しやがって」

 

 そんな穏やかな日常に、闖入者がやってくる。

 

 司波達也と、司波深雪だ。

 

 深雪は魔法学部に、達也は魔法工学部に、それぞれ進学し、どちらも新入生代表として入学式でスピーチをしたのは、記憶に新しい。

 

 ちなみに、今年の魔法工学部新入生主席は文也だったのだが、先のラグナロク事件での圧倒的な実力と、『トーラス・シルバー』としての実績と、筆記試験で全科目満点の偉業と、何よりも文也の素行不良により、達也が代表として選ばれた。

 

『スピーチはダルいから回避できてラッキーだけど、なんか納得いかねえ』

 

 というのは、当時の文也談である。ちなみに彼の成績は、魔法工学部内では実技主席、筆記三位であった。

 

「まずは挨拶からだな。新商品発売おめでとう。飛ぶように売れて話題みたいじゃないか」

 

「おう、あれか! どうだ、びっくりしただろ? いやー、お前の話もすげえ参考になったぜ」

 

「それはどうも」

 

 文也はケラケラと愉快そうに悪戯っぽい笑みを浮かべる。高校入学以来、身長や体格や人格が大人びる気配は未だない。隣のあずさは身長こそ伸びていないが纏う雰囲気は大人っぽくなったというのに、いつまでもクソガキのままだ。

 

「「……」」

 

 そうして男二人が言葉の応酬を交わす中、あずさと深雪は無言だ。あずさは何が起きているのか分からないが何やら不穏な話題になりそうで困惑し誤魔化すような苦笑。そして深雪は疲れの見える無表情だ。

 

 だがよく見ると、二人とも、わずかに指先が震えている。「あの夜」に刻み込まれた恐怖は、未だ二人から拭い去り切れていない。それは、笑顔の裏でさりげなく攻撃用CADの電源を入れていつでも戦闘できるよう警戒している文也も同じだった。

 

「とんでもないことをしてくれたな。『汎用分離魔法』だと? 世界を救うヒーローにでもなるつもりか?」

 

 達也の口から放たれたキーワード。それを聞いた文也は、誇らしげに胸を張り、小さな体を目いっぱいに反らす。

 

「ふはは、どうだ、すげえだろ! 構造情報を改変する魔法は起動式・魔法式こそ確立されていたけど、求められる技術が高すぎてほとんどの魔法師に使えなかった! だが、ついに、俺とあーちゃんは、大体魔法師ならだれでも使える『分離』の開発に成功したのだ!!!」

 

 この空き教室に人が少ないのが幸いした。土曜日は学生も講師陣も登校したがらないので授業が少なく学生数も少ないのである。ちなみに文也とあずさは「人が少なくて授業がしやすい」と相変わらずの変人っぷりをいかんなく発揮した、大学に戻ってきた廿楽の授業を取るために、不本意ながらこうして登校している。もし平日で他に学生がいたら、大騒ぎになっていたに違いない。

 

 そう、あの新発売の水筒型専用CAD『すいとーよ』――期待を裏切らないクソネームとしてCM発表当初から一部で話題沸騰中――に登録されている起動式は、構造情報に干渉する非常に難しい魔法『分離』を改造した、誰でも使える『汎用分離魔法』である。昨日実演したのは深雪だが、『マジカル・トイ・コーポレーション』が発売したオモチャだから当然、子供でも使えるようになっている。

 

 一部の突出した魔法師にしか許されなかった構造情報改変魔法。ついにその一端が、あらゆる魔法師の手に届いたということだ。こうなれば、達也のほぼ専売特許である『分解』の汎用化もあと一歩だ。

 

 そんなとてつもない技術革新が、急にオモチャとして日本全国に安価で流通したものだから、コアな魔法工学界隈は大騒ぎになっている。四葉の情報によると、今夜にはニュースとして本格的にリリースされ、世界規模で話題に上ること間違いなし、とのことだ。

 

「ああ、すごいとも。技術者として悔しい限りだ」

 

 達也は素直に負けを認める。

 

 魔法エンジニアとしての実績も実力も、かつては横並びだったが、今は明確に達也の方が上だ。だが、これは彼の発想にすらないことであった。しかもこの魔法の言わばスペシャリストであるだけに、敗北感は大きい。

 

 しかしそれよりも、もっと気にしなければならないことがある。

 

「あの魔法は、間違いなく世界の水不足を解消する。ああ、きっとお前らは、教科書に載るような偉業を成し遂げたんだろうな」

 

 内容とは裏腹に、その口ぶりは投げやりで詰るような声音だ。

 

 このとんでもなさにいち早く気付いた達也と四葉は大急ぎでこの起動式を解析した。

 

 そこで分かったのが、『汎用分離魔法』という新技術のすさまじさだけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この起動式は、実に『マジカル・トイ・コーポレーション』らしいことに、かなり大規模化しても、術者への負担がとても少ないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つまり。専用の魔法施設を作れば――大規模な「海水飲料水化プロジェクト」が可能であるということだ。

 

 間違いなく、これで世界中の水不足が大幅に解消される。沿岸部のみならず、離島での生活も大幅に改善し、その影響は内陸部にも及ぶだろう。特に西アジア・中東あたりは、多くの命が救われ生活が楽になる。

 

 

 

 

 

 

 

 これはまるで――達也が運用している恒星炉みたいだ。

 

 

 

 

 

 海洋環境を改善しなおかつ世界をなお覆うエネルギー問題を大幅に解消し、なおかつ「暴力」以外での魔法師の地位向上が成し遂げられた。

 

 文也が実現可能性を見せた海水飲料水化プロジェクトは、それに並びうるものになりかねない。

 

 またそんな大規模な話以外にも、この起動式が登録されたCADと魔法師が一人いれば、無人島や海上での遭難における飲料水問題も解決する。漁船や潜水艦や戦艦のような、長期間海洋で活動する船で間違いなく重宝されるだろう。

 

「まあ恒星炉やらテラ・フォーミングに比べたらちょっとばかし負ける気がするけどよ、これでなんとか、追いついたってところだな」

 

 さらに文也は胸を張る。その協力者、というか貢献度で言ったらほぼ半々のあずさもまた、控えめながら、誇らしげに、少し明るい笑みを見せた。

 

「その、えっと、正直あまり実感は湧かないんですけど……少しでも、みんなが安心して過ごせたら、いいな、って思って……」

 

 言ってて照れ臭かったのか、あずさが頬を赤らめ、目を泳がせ始める。達也と深雪には通用しないが、男女問わずハートを打ち抜くような清純な可憐さがある。こういうところは、昔から変わらない。

 

 

 

 

 

 そう、この、小さいようでスケールの大きい計画は――あずさが発案したものである。

 

 

 

 

 

 きっかけは、先のラグナロク事件だ。

 

 卑劣な洗脳を繰り返していたアルマゲドンだが、その方法の一つが、「生活の苦しさ」につけこむことだった。

 

 技術は年々進歩しそれは普及したものの、第三次世界大戦の少し手前あたりから、「持たざる者」の生活は苦しくなる一方であったのである。世界を滅ぼそうとする狂信者集団に洗脳され、それに加担した「持たざる者」。世界的に彼らはこれまで以上に冷たい目で見られ、またさらに加担しなかった者も含めて社会から爪弾きにされてしまった。

 

 そんな様子を見て、あずさは心を痛めた。

 

 そうして、何かできないかと思いついたのが、この『汎用分離魔法』と、それを利用した水不足の解消であった。

 

 文也だけでは成し遂げられなかった。彼女の、無償の愛――『梓弓』以外のもう一つの代名詞となった『アガペー』に通ずるような優しさが、苦しんでいる人々を救う大きな一歩となったのだ。

 

 ちなみにこんな開発経緯だが、商品の命名はお察しの通り文也である。

 

 そんなあずさの優しさに、達也と深雪も何か感じるところがないわけではないが、今はそれどころではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この二人は、またもや、世界中を巻き込む大騒動を、これで引き起こしたことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの革新的な起動式は類似のものも含めて国際特許取得済みになっていた。これから文也たちは、この魔法を欲する世界中の国々から、「ラブコール」を受けるだろう。そしてその「ラブコール」には、手荒なものも間違いなく多く含まれる。

 

 そしてそれに、日本と日本魔法師界、ひいては十師族が巻き込まれるのは確定だ。

 

「御当主様からお前に伝言だ。『こちらにも限界はある』ってよ」

 

「せいぜい夜道に気を付けるぜ。誰かさんたちに襲われたこともあるしな」

 

 言うだけ言い残して去ろうとする達也に、文也は挑発的な嗤いを浮かべさらに中指を突き立てる。「夜」が怖いのは、誰よりも経験済みだ。

 

 

 

 

 

 ――こうして、文也とあずさとその周囲は、世界をより明るくする魔法を開発したがために、色々な騒動の渦中に入ることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――次期当主(深雪)お宝映像(スキャンダル)が全世界に自動発信されないように、ひっそりと彼らを守っている四葉が、本人たち以上に苦労する羽目になり、真夜の胃痛が加速したのは、言うまでもないことであった。




現在、新作『魔法科高校の劣等生・来訪者編クリアRTA』を連載中です。ちょうどキリの良いところまで進んでいますので、ぜひお楽しみください
https://syosetu.org/novel/281033/

ここまで読んでお察しの通り、宣伝目的もあっての投稿でした


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