今日も今日とて尸魂界は平和です (ぴんころ)
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第一話

 ふと思う時がある。

 一体どうして、自分はここにいるのだろう。

 それは那岐という男にとってはいつ如何なる時も付き纏う命題。

 そして、決して答えの出ないはずの命題だった。

 

「もう、今はどうでもいい」

 

 だが、その命題を彼はかなぐり捨てる。

 目の前に立つ、殺しあう相手を前にしてそれが失礼だからというわけではない。

 何よりも、誰よりも、彼自身がその相手を尊敬しているから。

 己の全霊を賭して勝利したいと願う相手だから。

 その命題を心の全てから消しとばす。

 

 ──お前は、どうしてそこにいる?

 

 ──知ったことか。

 

 消しとばす寸前、最後に問いかけてきた心を蹂躙する。

 それと同時に生まれるのは──歓喜だ。

 ああ、待たせてしまった。

 待っていてくれてありがとう。

 これでようやく、貴女に全力を見せることができる。

 今この一戦で命尽き果てようともきっと悔いはない。

 どうか、見て欲しい。

 これが、俺が貴女に贈る求愛行動(ぜんりょく)だ。

 

 戦いなど好きではないはずの那岐が、どうしても己の手で殺したいと思った者が今目の前で、彼のことだけを視界に入れている。

 そのことが、どうしようもないくらい嬉しいのだ。

 斬魄刀を正眼に構える。

 以前は、何をどうしようとも目の前の相手の薄皮一枚すら切り裂くことができなかった。

 今は斬れるという自信がある。

 いいや、斬れずとも斬り裂く。

 その思いを込めて、那岐は己の相棒の力を全て解き放つための音を世界に響かせる。

 

「──卍、解」

 

 その言葉とともに、世界に災害が現出した。

 

 

 

 

 護廷十三隊。

 山本元柳斎重國が総隊長を務める、尸魂界(ソウル・ソサエティ)の護衛及び現世における魂魄の保護、虚の退治などの任務をこなす実動部隊。

 十三の部隊で構成され、一隊二百人強、総勢三千人程度の死神によって構成されている。

 真央霊術院と呼ばれる死神の育成機関を卒業した者が入隊試験を受けて入るのが一般的な部隊。

 その中の一つ、十三番隊にも当然のことながら今年の卒業者から何人かは所属することになった。

 

「おら、お前ら腰が入ってねえぞ!」

 

 死神としての基本に位置する『斬拳走鬼』の四つ。

 ”拳”は白打、素手による攻撃のための体術。

 ”走”は歩法、攻撃のためではなく移動のための体術。

 ”鬼”は鬼道、死神が戦闘に用いる霊術。

 そして、今この場で行われているのは”斬”。

 死神の基本となる、斬術である。

 斬術指南の先生の元で平隊員たちは、己が真央霊術院で貸与され、護廷十三隊に正式に所属した時に正式に授与された『浅打』を振り続けている。

 声を張り上げる先生の視線が向いているのは、去年や今年に入ったばかりの未だ新米隊士とでも呼ぶべき面々。

 先達となる死神方に比べればあまりにもひよっ子と言わざるを得ない連中に対してだった。

 

(どうして、こうなったんだっけ……)

 

 そんな、特に怒られている組の中の一人に那岐もいた。

 流魂街にいた頃は自らの名前すらも覚えていなかった彼は、巡回中だった平の隊士によって見つけられたことによって真央霊術院に連れてこられた。

 そしてそのまま、『死神としてやっていけるだけの最低限の霊力があるのかどうか』を確かめられて、霊術院に入ることになったのだ。

 そこに、彼の意思なんてほとんどなかった。

 それが他の隊士に比べて怒られる回数が多い理由。

 

 名前すら存在していなかった少年に那岐という名前をくれた人がいた。

 たまたま巡回していた死神によって死神になれるだけの才能を見出された。

 名前をくれた家族たちは皆喜んで、そして彼が良い生活をできるようにと願って送り出してくれた。

 そして、それらすべてをどうでも良いとしか思えない那岐がいた。

 

「おいこら新入り! やる気あるのか!」

 

 なので必然的に自分がどうしてこんなことをしなければならないのかという思いが強くなり、刀を振る時に注意散漫になる。

 エリートだけが集まる一番隊や戦闘狂が集まる十一番隊ならばともかく、ここは隊員同士の結束が強く暖かい空気が蔓延する十三番隊。

 斬術指南が終わった後に話しかける面々も、見下すよりも先に何があったのかと心配する隊士の方が多い。

 特に去年入ったばかりの先輩たちに関しては、初めての後輩ということで目にかけてくれる。

 そう言った人たちに当たり障りのない答えを返して、那岐は次の場所へと向かう。

 

 刃禅。

 

 そう呼ばれる行為を行うための場所へと。

 そこには何もない。

 ただ、己の斬魄刀と対話をするために精神世界に向かうだけの場所なので、必要な機材なんてものは何一つとして存在しないのだから。

 基本的に、刃禅を行うのは未だ始解を習得できていない者のみ。

 実力不足を感じた場合には申請すれば使用することはできるが、この施設そのものは十三番隊の隊長である浮竹十四郎が『少しでも部下の死ぬ確率を減らしたい』という思いからできたもの故に、優先権は未だ始解すら身につけていない者が中心となる。

 無論、今年に合格したばかりの那岐もその一人。

 

(やっと楽なのになったか)

 

 そして、実は彼の得意分野でもある。

 己の中に埋没する、というのは彼にとっては得意なことなのである。

 結構な頻度で『どうしてこうなった』なんてことを考えているから。

 そうなった理由を己のうちに探しているから。

 だから、厳かな雰囲気すら見えるこの空間で、十数人程度いた未だ始解すら身につけていない死神たちの中で最も早く己の精神世界に埋没することに成功したのは那岐だった。

 

「君が、俺の斬魄刀?」

 

 埋没した先で、一番最初に見つけたのは彼の問いかけに対して喋ることはなく、頷くことで返答とした一人の少女。

 那岐の精神世界は何もない。

 平らな、あるいは無味乾燥とした世界という他ない。

 そこに、彼が来るよりも先に色をつけていた者など、彼の斬魄刀以外にあり得るはずもなく。

 だから、その少女の頷きに対しても納得以外のものが混じる余地などなかった。

 

 これまで、那岐はこの精神世界でその少女の姿を見たことはなかった。

 正確には、光の玉のような見た目をしていて意思疎通など図る余地もなかったというほうが正しい。

 初めて見たその少女は見惚れるほどに美しかった。

 それこそ、天上の神々が造形したと言われても納得できるほどの。

 黄金の髪は腰元まで無造作に伸ばされながらも気品を失わず、少女から女性に移り変わる時期のような瑞々しさと色香を同時に併せ持った起伏のある肢体を雷のようなスリットの入ったドレスで隠している。

 耳元には稲妻を模したイヤリングが存在していて、彼女が小首を傾げることでゆらゆらと揺れていた。

 ニコニコと微笑むだけの彼女は何も喋ることはなく、ただただ見つめ合うだけの時間が過ぎていく。

 

(対話って何をすればいいんだろう?)

 

 それが那岐にはわからない。

 斬術指南の時には明確にやるべきことを口にしてくれる師範がいた。

 それを那岐が実行できたかはともかくとして、やるべきことははっきりとしていた。

 けれど斬魄刀との対話は、刃禅までは説明されていてもそれ以上のことは説明されていない。

 するべき会話が、彼にはわからない。

 

「君の名前を教えて?」

 

 対話と同調が必要とされる斬魄刀の始解。

 されど同調も対話も彼にはどのようにして行うべきことか全くわからない。

 知識としては真央霊術院にて学んだ中にあるのだが、まるで実感がないのだ。

 だからこうして、いきなり名前を問いかけていた。

 

「……」

 

 けれど斬魄刀らしき相手は何も語らず、ただ微笑みを絶やさぬのみ。

 喋らないのか、それとも喋れないのか。

 そのことすらも大したことではないという認識。

 斬魄刀が喋らないのならそういうものなのだろうと納得してしまっている。

 

「うん、それじゃあまた来るね」

 

 だから時間にして數十分程度の沈黙を保っただけで此度の刃禅は終了。

 精神世界から出た場合、どれくらいの時間が経っているのかはわからない。

 だが、流魂街への見回りが仕事な死神としては長いことここにいるわけには行かないので、彼は精神世界から浮上するようにして現実へと立ち返る。

 

「う、浮竹隊長!? どうしてこのようなところに!」

 

 それと時同じくして、十三番隊隊長である浮竹十四郎は刃禅を新入りたちが行なっている場所にまでやってきていた。

 彼が意識を浮上させ始めてから現実に戻るまで、現実時間では少々のラグがある。

 そして、彼がやってきたのはそのラグの間に済まされてしまう程度の確認を行うためだった。

 

「いや、今年の新入りのことを見ておきたくてな」

 

 新入りに対してはできる限り舐められないようにするために態度を厳しくする指南も、さすがに隊長を相手にしては下手に出るしかない。

 隊長が病弱であるために心配もしているのだが、それを浮竹も理解しているのかできる限り心配をさせないように笑いながら新しく入ったばかりの死神たちに視線を向ける。

 新入りの死神に関しては真央霊術院時代の成績表に目を通しているので、大体の能力については予測がついているのだが、その中でも一人だけ他の面々に比べて特殊な人物がいた。

 

(彼がそうか。……確か、那岐だったか)

 

 まず、名字がないということで目に留まった。

 他の新入りは全員名字があったし、流魂街出身の死神だって基本的には名字は持っているのだから。

 二つ目に、彼の成績。

 他の新入りたちはまあよくある成績だった。

 斬拳走鬼の四種類、そのどれかに得意分野が存在して、そのどれかに苦手な分野が存在する。

 現役の死神と勝負して勝てるような異常者は稀にしか入ってこないので、彼らの成績も『真央霊術院の卒業生として』の予想の範囲内のものだった。

 しかし、そんな中で那岐の成績に関しては異常と言わざるを得ない。

 斬術と歩法のみ満点に近く、瞬歩も扱えることを考えればすぐにでも死神として戦場に出せるレベルなのだが、逆に鬼道と白打に関しては目を覆いたくなるような酷さ。

 十番代の鬼道すら詠唱しても失敗してしまうレベルだ。

 そして、筆記に至っては明確な答えが存在する問題は正解しているのだが、『当人の意見を述べる』形式だったりと明確な答えがないものに関しては回答がちぐはぐになっている。

 つまり、『どうすればいいのか』という答えを先に示されているならともかく、自分で考えて動くのが苦手な死神と見ていい。

 

(さて、彼に関してはどう運用するべきか)

 

 こうして見ていると、纏う霊圧はすでに席次を持つ死神よりわずかに下回る程度、いいやあるいは匹敵するかもしれない。

 始解を会得していないことを考えれば十分すぎるほどの逸材だろう。

 ただ、同時にこれから先実力をつけてのし上がることになった場合は那岐自身が考えて動く必要もあって、その経験も積ませなければならない。

 

(鬼道の実力も高く、斬術に関しても問題なく、彼がちゃんと自分で考えて動けるのを待ってあげられるような人材で手が空いている者……誰がいたかな?)

 

 席次を持った者、というのがまず最初に出てくる。

 優秀な死神を死なせるのは惜しいし、自らの部下にはできる限り死んでほしくないからだ。

 会話を終え、確認もまた終えることに成功したので、浮竹は執務室に戻る。

 その最中にも、誰とコンビを組ませるべきなのかを考えながら。

 

 

 

 

『ふふ……次は今晩にでも呼ぼうかしら』

 

 思わず、といった様子で殺風景な世界で少女は謳う。

 那岐の精神世界で鈴の音を転がしたような声を響かせるのは彼の斬魄刀。

 初めて出会ったこの瞬間、いいや出会う前からその少女は恋をしていたのかもしれない。

 近い未来を夢想して、少女はただ微笑んでいる。

 何色にも染まっていない彼は、ただそれだけで彼女にとって愛おしい。

 

 次はどんな会話をしよう。

 今度来た時にはちゃんと声が届くといいな。

 どんな反応をしてくれるのだろうか。

 そんな未来のことを考えて、少女はただ彼のことだけを思っている。

 

『でも、名前を覚えてくれるかしら?』

 

 けれど同時に、少し不安そうにイヤリングに触れている。

 彼は頼りにして(名を呼んで)くれるだろうか。

 抱きしめて(握って)くれるだろうか。

 斬魄刀としての存在意義と、少女としての感性が同時に漏れ出る。

 求められれば応えるし、求められずとも無理矢理に応える。

 彼を死なせたくないという意思は強く、彼女の思考を一色に染め上げて、幼い少女の持つ純粋な精神性が那岐の肉体にすら影響を及ぼすのではないかと疑うほどに精神世界を蹂躙し始める。

 

『次に会う時には、ちゃんと私の声を聞いてね』

 

 何もない世界に轟く雷鳴の中、宇宙(そら)の果てを見据えた少女の声だけが世界の果てにまで響いていた。




実は初めてのはずのBLEACH……頑張れ……頑張れ俺……OSRを獲得するんだ……


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第二話

「なんてことをしてくれるのかしら」

 

 それは、異様な光景だった。

 那岐の体から那岐の声帯で女の声が出ている。

 誰一人として聞いたことのない声。

 

「彼のことを傷つけてくれるなんて」

 

 その声には怒りが込められている。

 握った斬魄刀は、始解すらされていないはずなのに如何なる理屈か雷を帯びている。

 徐々に、徐々に、那岐の肉体を使う何者かが発する霊圧は巨大になっていき、最下級大虚(ギリアン)に恐怖という感情を思い起こさせる。

 

「でも、一つだけ感謝してあげる」

 

 構えは、これまでの斬術で習ったものとはまるで違う。

 那岐の肉体を今扱っている少女らしき精神が知る限り、最もこの斬魄刀を扱うのに適した構え。

 刀身を投げ出すようにしたその構えに、脱力しきったその状態を前に、されど最下級大虚は動けない。

 

「あなたのおかげで、彼が私を使ってくれるわ」

 

 刀身が霊圧に耐えきれない。

 ぎしりぎしりと嫌な音を立てている。

 それでも、那岐の肉体を扱う何者かは霊圧を込めることをやめることはなく。

 一つの呪言を口にした。

 

「ーーーーー」

 

 それこそが始解。

 那岐が持つ斬魄刀の名。

 その言葉とともに放たれた一撃は、ギリアンを完全に消滅させた。

 

 

 

 

「現世への駐在任務、ですか?」

 

 その日、那岐に与えられた任務はそれだった。

 

「ああ、どういう理屈かお前だけは一週間後から現世への駐在だ。期間は一ヶ月。先達となる死神の元で研修って感じだな」

 

 他の同期の死神たちは未だに流魂街の巡回任務だけなのだが、なぜか那岐にだけはそれが言い渡された。

 先輩となる死神も、そのことには内心疑問だったらしい。

 那岐のことを見て、お前何かやらかしたのかと言ってくる。

 

「いえ、特別何かしたとは思いませんが」

 

 ただ、那岐自身何かしたような覚えはなく、首を傾げる他に取れる行動などあるはずもない。

 少年のその態度を見て、先輩にあたる大柄な男は笑ってバシバシと背中を叩く。

 

「ま、それまではしっかりと修行しとけよ。現世になると、本格的に修行する時間なんてなくなるからな」

 

「はい、わかりました」

 

 今から再度の斬術指南の元での斬術修行。

 そしてその後にはまた刃禅を行うことになる。

 去って行く那岐を見送る先輩からすれば、彼が現世に行くことを考えて今日中には始解を習得してもらって残りの期間には斬魄刀の始解を操っての戦い方を最低限構築してもらいたいと思うところ。

 

「さて、一体どうなるんだろうか。あいつ、結構感情が希薄に見えるしなぁ……」

 

 上からの命令に自分の意見を見せずに従うだけ。

 兵士としての価値の判断には困る。

 もしもの時に自分で行動できるような人間には見えないからだ。

 先に命令されたことしか実行できない機械のような、そんな印象すら見える。

 

 そして実際、那岐は彼の予想通り一週間では斬魄刀の名前をものにすることはできなかった。

 

 

 

 

「邪魔……っ!」

 

 那岐が持つ始解前の斬魄刀で虚を切り裂く。

 彼らの体を構成していた霊子が斬魄刀によって分子間の結合から解き放たれ、まるで血を吹き出したかのような形を表現しながら虚が消滅して行く。

 斬魄刀によって切り裂かれた虚は、虚となってからの罪の一切を禊がれ尸魂界(ソウル・ソサエティ)にまで送られることは、那岐も知っている。

 だが、実際に送り返したことはこれが初めてで、ぼうっとその状況を眺めていた。

 

「おいおい、もしかしてまだ見たことなかったのか?」

 

「はい、これまでの見回りでは一度も虚とは出会いませんでしたから」

 

「マジか……なかなか珍しいなお前」

 

 流魂街は確かに広く、虚が出たとしてもその見回りの担当地域、見回りの時間帯に出没することは少ないが、それでも入隊から一年近く経った彼が一度も出会ったことがないのは不自然だった。

 

「そろそろ新しい後輩ができる時期だってのに、一度も戦ったことのない先輩っていうのはどうかと思うぜ?」

 

「そう言われましても……」

 

 別に、那岐からすればそれは大したことではない。

 そもそも席次というものがあって、実力者がそこにつくことになる以上は先輩としての面目などこの護廷十三隊ではないに等しいもの。

 実際、今この場にいる先輩も那岐に対して『先達として教えることができる』と判断された人材でありながら、未だに始解をできていないために刃禅に通っている中には彼よりも早く護廷十三隊に入った人だっている。

 

「っと、次の虚だな。……なんか、今日は多いな」

 

「そうなんですか?」

 

 初めての駐在任務ゆえに、それすらもわかっていない。

 そんな後輩に苦笑して、先輩死神は次の反応があった場所へと向かった。

 それが、彼にとっての地獄の始まりだとは知らずに。

 

大虚(メノスグランデ)!? なんでこんなに……」

 

 見つけたのは無数の大虚。

 頭から黒い布状のものをかぶり、鼻の部分がとがった仮面をつけている巨大な虚。

 死神が真央霊術院の教本で見るような普遍的な最下級大虚だった。

 その数、およそ三十。

 どう考えても一般の死神でしかない彼らが戦えるような相手ではない。

 

「ちっ……おい、那岐! お前は尸魂界(ソウル・ソサエティ)に連絡と救援要請を入れろ! その時間は俺が稼ぐ!」

 

「わかりました」

 

 現世への任務の際に渡される機器を使用して、尸魂界に連絡を入れる。

 天挺空羅では現世から尸魂界まで届かないし、届いたとしてもそもそもあれは七十番代の縛道。

 那岐には扱うことはできない。

 ゆえにこうした場合に救援要請を入れるための機器がちゃんと渡されている。

 

「こちら、十三番隊那岐。現世駐在任務中に大虚の群れを確認。目視できる限りでは三十ほどの虚は全て最下級ではありますが、我々の手には負えないため救援を要請します」

 

『了解しました』

 

 要請は承諾された。

 あとはそれまでの時間を耐えるだけなのだが。

 

「よし、連絡が終わったか! なら後は耐え──」

 

 連絡が終わったことを察して一瞬でも気が緩んだのか、その時点で先輩死神は頭を食われていた。

 その時点で、虚たちの狙いは那岐に変更される。

 

「無駄だよ」

 

 けれど、那岐の肉体を捉えることができない。

 瞬歩によって縦横無尽に戦場を駆け回る那岐に、鈍重な動きしかできない最下級大虚ではついていくことができない。

 一体の虚の上に出現した那岐は、その斬魄刀を虚の脳天に突き刺すようにして墜ちる。

 まずは一体。

 一体一体確実に倒していけば最後には相手の数がゼロになることを知っている。

 相手の動きは鈍重、幾ら何でも出現直後にはどこに出現するのかまでは理解できていないだろうと考えて、他の虚のことは一旦頭の中から追い出した。

 

「なっ……!?」

 

 だから、直後視界を埋め尽くした黒い閃光に驚愕する。

 これまでの動きからは考えられないくらいの俊敏な反応で、真正面から虚閃(セロ)によっての迎撃。

 瞬歩を使っての避難、なんてことを実行する暇もなく、咄嗟に己の肉体を霊力で硬化する。

 

「──!」

 

 叫んだことなどほとんどない。

 何を叫べばいいのかわからない。

 ゆえにこの言葉は生存本能のみからくる音のない叫び。

 最低限の自己強化のみを残して、残り全ての霊力を斬魄刀に注ぎ込んで虚閃を切り裂くための刃と化す。

 

 ──届いた!

 

 体は痛みに苛まれながらも、それでも事実として虚の仮面にはその鋒が触れている。

 もう、斬れないなんて可能性は一切心の中にはない。

 ぴしり、と仮面が割れていく。

 虚の弱点であると教えられている仮面に、その一撃は深く、深く抉りこむようにして貫いた。

 虚が消滅する。

 一般の死神が一人では倒せないような大虚がその一撃で葬り去られる。

 だが、そこでおしまいだ。

 

「……っ!」

 

 深く貫きすぎた斬魄刀を引き抜くことは能わず、他の虚からの一撃が那岐の肉を切り裂こうと殺到し、防御そのものには成功しながらも大きく弾き飛ばされるのだった。

 

「う……ぁ……」

 

 か細く漏れる呼吸。

 斬魄刀を最後まで離さなかったことで、虚の消滅した場所に斬魄刀だけが置き去りになるという事態だけは避けることができた。

 だが、それだけだ。

 これ以上彼に斬魄刀を振るだけの力があるわけではなく、ここから逃げ果せるだけの力も残っていない。

 このまま向かってくる虚に食われて、無残にもその死体は誰の目にも止まらずに終わる。

 それが彼の末路。

 

 ──本当に……?

 

『ねえ、死にたくはない?』

 

 そんな声が、彼の内側から囁いてくる。

 他の誰かがいる気配があるわけでもなく。

 されどただの幻聴と切り捨てるにはあまりにもはっきりとした囁き。

 

『死にたくないなら、私の名前を呼んでちょうだい』

 

 名前を呼ぶ、その少女のような声は彼に未来を示す。

 この状況下でこの声が何者か、そんなことを考える必要はない。

 

『あなたの持つ死にたくないという気持ちに応えられるのは、私だけよ』

 

 この声が斬魄刀以外の一体何者だというのか。

 けれど、応えるべき名前が彼にはわからないが故に詰まってしまう。

 斬魄刀との対話、そして同調。

 それが済んでいない彼には、この声の正体はわかってもその名前まではわからない。

 

『……もう、死にたくないって気持ちはあるんでしょうけど、その気持ちが小さすぎて私と同調できていないのね』

 

 声すら出せない状況の那岐にはそれに対する返答はできない。

 今の彼は死に瀕しているというのに、それでも死にたくないという気持ちが希薄なままなのだ。

 そう、少女の声は断じている。

 

『しょうがないわね』

 

 だからこそ斬魄刀の名前を呼べるほどの同調ができていない。

 けれど、それでも少女は斬魄刀との同調を望んでいる。

 故にこの状況を切り抜けるために選ばれたのは、古今東西のあらゆる死神が見ても『いや、それはおかしい』と言ってしまうような前例のない方法だった。

 

「ここからは、私の番よ」

 

 少女の声が、那岐の口から漏れた。

 

 それは、乗っ取りという言葉が一番近い。

 那岐の感情の足りていない部分を斬魄刀側の強大な感情によって補って、肉体の主体を死神から斬魄刀の意思へと擬似的に変換するという行為。

 理性なきはずの虚が、あまりにも不可解すぎるものを見たために一瞬停止した。

 停止して、しまった。

 このタイミング以外に、彼らに反抗する余地など回ってくるはずもなかったのに。

 

「なんてことをしてくれるのかしら」

 

 それを示すように、那岐の肉体が纏う霊圧が上昇する。

 肉体についた傷の全てが膨大すぎる霊力によって強制的に修復されて、また壊れていくことを繰り返す。

 

「彼のことを傷つけてくれるなんて」

 

 その声には怒りが込められている。

 握った斬魄刀は、始解すらされていないはずなのに如何なる理屈か雷を帯びている。

 

「でも、一つだけ感謝してあげる」

 

 構えは、これまでの斬術で習ったものとはまるで違う。

 那岐の肉体を今扱っている少女らしき精神が知る限り、最もこの斬魄刀を扱うのに適した構え。

 刀身を投げ出すようにしたその構えに、脱力しきったその状態を前に、されど最下級大虚は動けない。

 

「あなたのおかげで、彼が私を使ってくれるわ」

 

 刀身が霊圧に耐えきれない。

 ぎしりぎしりと嫌な音を立てている。

 それでも、那岐の肉体を扱う何者かは霊圧を込めることをやめることはなく。

 一つの呪言を口にした。

 

「灼き祓え、『神鳴(かみなり)』」

 

 始解の解号。

 斬魄刀が帯電を開始する。

 先ほどまでの雷がまるで児戯であったかのような、ただそこにあるだけでコンクリートすら融解させそうなほどの熱を放ちながら、雷鳴が斬魄刀の中に押し込められていく。

 収束する雷は、消滅するのではなく刀身に集中させられているだけ。

 雷が刀身のみを覆うほどにまで小さくなった瞬間、ようやくその斬魄刀の姿が誰の目にも明らかになった。

 

「さ、終わらせましょう?」

 

 バスタードソード。

 現世においてはそう呼ばれる武器。

 無骨な大剣であり、絢爛なものでは断じてない。

 女性人格ゆえかその事実に少女はムッとしながらも、怯えを隠せぬ虚たちに路傍の石ころを見るような目を向ける。

 ……いいや、あるいはそれだけの価値すら認めていないかもしれない。

 片手では振るうことすらも難しい大剣を、那岐(少女)はまるで羽毛か何かのように片手でくるくると回す。

 そしてそのまま、無造作に斬魄刀を敵の集団の中に向けて、瞬歩で距離を詰めることもせずにその場で振るった。

 

「死電」

 

 振るった軌跡に雷電が置かれた。

 圧縮された雷電は今か今かと解き放たれる瞬間を待ちながら、バチバチと音を鳴らしている。

 

「行きなさい」

 

 よく躾けられた犬のように、その雷鳴は飢餓を癒すために虚という霊力の塊を喰らい尽くす。

 雷鳴がその圧縮を解かれたために、全方位に向けて同時に放たれた。

 涼しい顔でその雷鳴を眺める那岐の肉体を借りた斬魄刀は、溜飲が下がったかのように虚が消滅する様を見届けて。

 

「あら、そろそろ援軍が来るみたいね」

 

 霊圧の揺らぎを感じた人格がその肉体の奥、本来住まう精神世界へと戻っていく。

 彼女が戻るのと、那岐の人格が疲労により戻ってこずに倒れるのと、救援の死神がやって来るのはほぼ同時のことだった。



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