ドラゴンクエストXI 勇者の名は (くしゃみ)
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プロローグ

 どす黒い雲が空を覆い尽くし、降り頻る雷雨の中。ユグノア王国に聳え立つ巨大なシンボル、ユグノア城の円卓には燭台に小さな炎が灯され、五人の男が顔を突き合わせていた。皆相当な貴族、或いは王族なのだろう、その出で立ちは豪華絢爛に彩られており、豪奢な円卓に相応しい格好をしている。その誰もが歳を刻み込んだ髭や皺のある顔に険しい表情を浮かべ、外の煩い雨や雷の音とは真逆のように静まり返っていた。

 

 鋭い瞳と勇猛な鷹を象徴していると言わんばかりの髭を蓄えた男が、静寂を破るべく口を開いた。

 

「あの子が、そうなのか……?」

 

 円卓の静寂に垂らされた水滴のような言葉は小さな声ながらも部屋中に響き渡り、全員の視点が声を発した男に向けられる。静寂を破った男はゆっくりと右隣の男へ視点を向ける。まるで、たった今自分が放った問い掛けの答えを、彼に求めるかのように。

 目を向けられた男は、この円卓に着いた五人の中で最も歳をとっているように見えた。優しそうな瞳にハッキリとした力を持ち、問い掛けに答えるように頷く。

 

「あのアザがある。間違いあるまい……」

 

 稲光が窓から強く差し込み、一瞬遅れて凄まじい雷音が響く。けたたましいその音を聞きながら五人の男達はまた静寂の瞬間を迎え、各々が厳しい面持ちで思案を始めた。

 

 

 

 ユグノア城、円卓での静かなる会議が始まる少し前。ユグノア城の小さな一室にも小さな灯りが灯されていた。そこにいるのは落ち着いた色合いながらも気品溢れる服やアクセサリに身を包んだ美しい女性と、彼女の子と思われし産まれたばかりの赤ん坊。女性の腕の中にすっぽり収まっている赤ん坊の左手の甲には、何かの紋章のような「アザ」が見てとれた。

 

「雨、沢山降っているわね。雷、怖い?」

 

 女性は赤ん坊に優しい笑みを浮かべながら話し掛ける。赤ん坊は外の凄まじい雷音など知りもしないかのようにニコニコ笑っていた。それを見て女性もつられてくすくすと笑う。

 

「雷が怖くないなんて、とっても強いのね……お父さんにそっくりよ」

 

 ゆっくりと女性は椅子から立ち上がり、赤ん坊を抱えたまま窓際へ向かった。窓から見える外の景色は、真っ暗な闇と、降り頻る雨。そして恐怖すら覚える稲妻だけだ。

 

「早く、止めばいいわね」

 

 ユグノア城に悲劇が訪れるまで、あと僅か。

 

 

 

 

 〜〜〜

 

 

 

 

 空はどす黒い雲が覆い尽くしているというのに、煌々と輝く光。そしてその光を覆い隠すかのような、雲よりも更に黒い煙達。

 真夜中に雷雨の中現れた魔物の軍勢は、荘厳で美しいユグノア城を一瞬にして地獄へと変貌させていた。真っ暗な雲を下から照らさんと言わんばかりの凄まじい炎は城から噴き出しており、ガラガラという何かが崩れ落ちる音は城の石造りの壁が破壊される音だ。城の中では兵士が必死の形相で現れた魔物達と戦っているが、一人また一人と魔物の爪や牙、凶刃に斬り伏せられ倒れていく。

 

 そんな阿鼻叫喚の地獄絵図のユグノア城を背に、雨に隠れて必死に走る影があった。真っ黒なフードを被り、赤ん坊と小さな女の子の手を引いて走る女性。紛れもない、先程城の一室で赤ん坊を抱いていた女性だ。

 その高貴な靴に泥が付くのも気にせず、水溜まりを避けることもせずに一心不乱に走り続ける。その表情はフードでよくは見えないが、真剣そのものであることは間違いが無いだろう。手を引かれて共に逃げている小さな女の子の表情は恐怖にみちており、時たま女性は子どもを安心させようと女の子の方をちらりと覗いていた。

 

 女性の耳が、雷と雨以外の音を捉える。そう、それは例えば……軍馬の蹄が、地面を蹴る音。そしてその音は確かにこちらへ近付いてくる。

 巨大な魔物の馬に乗った首無しの騎士達が、凄まじい速度で女性と子ども達を追いかけて来たのだ。人間の足と、馬の足。このまま走って逃げても、追い付かれるのは火を見るより明らかである。

 女性は咄嗟に茂みの方へ駆け出し、草木に隠れて抱いている赤ん坊を女の子に預けた。何かを、決心したような顔で。

 

「マルティナ、よく聞いて。私は魔物達の囮になって走って逃げるわ。貴方はここに隠れて、魔物達がここを通り過ぎたら、その子を連れて逃げるのよ」

「えっ……!?でも、それじゃあエレノアさまが!」

「私は大丈夫。イレブンを宜しくね」

「…………わかった!」

 

 女性──エレノアはそう言うと、茂みから飛び出し、そのまま全速力で走り去って行った。赤ん坊──イレブンを任されたマルティナは恐怖に震えながらも、イレブンを強く、優しく抱き抱えたまま、姉のような表情で強さを保っている。

 ──そして、馬の嘶きと共に、すぐ側を凄まじい勢いで魔物達が走り去って行った。少しずつ遠くなっていく蹄の音。やがてそれが聞こえなくなったと同時にマルティナは茂みから顔を出し、必死の表情でイレブンを抱えたまま走り出した。心細い、怖い。けれど、この赤ん坊は私が守らなくてはいけない。その確固たる意志を持って、転びそうになりながらも、挫けそうになりながらも、必死に。ただひたすらに走り続けた──

 

 

 ──その時である。すぐ後ろで魔物の馬の、鋭い嘶きが聞こえたのは。

 

 

「──っ!?」

 

 マルティナが思わず後ろを振り返ると、すぐ後ろには赤い瞳をした獰猛な黒い馬と、その馬に跨った首の無い魔物の騎士が追ってきていた。そして魔物は自らの得物を振りかざし、それをマルティナに向かって振り下ろす────

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜

 

 

 

 

 

 そして、夜が明けた。

 先刻までの大雨と雷はなんだったのかと言わんばかりの晴天。幸いにも川が増水して何処かの村が水害の危機に恐れる、といった事態は無かったらしく、デルカコスタ地方の小さな滝のほとりは清らかな水が満ち満ちていた。まるで、何処かの城が魔物の軍勢に襲われて落城してしまったなんて、ただの悪夢でしかなかったかのような清らかさである。

 

 そんな滝のほとりで、一人釣りを楽しむ一人の老人がいた。彼の名はテオ。デルカコスタ地方の辺境に存在する村、イシの村に住むしがない老人である。

 雨上がりで、草木に溜まった雫が落ちる小さな音を楽しみながら、うんともすんとも言わない釣竿を眺めるテオ。その姿はまるで釣りを楽しんでいるというよりは、この一瞬が、この小さな雫の音が、一秒後には過ぎ去りし時となっていることを楽しんでいるようにすら見える。

 

「オギャー」

 

 ふと、雫の音に紛れて声が聞こえた。静かな水辺からは予想もつかない、赤ん坊の泣き声。テオはどこからともなく聞こえてきたその声に驚き、釣竿を持って立ち上がる。そしてその泣き声の主をゆっくりと辺りを見回しながら探し始めた。

 その泣き声の主は、いとも簡単に見つかった。驚くことに泣き声をあげていた赤ん坊は、まるで何処か異国のおとぎ話のように、川上からゆっくりと流れてきたのだ。果実では無く、ゆりかごに揺られて。昨日のあの大雨の中、この川を下ってきたと考えると、今こうして元気に泣いていることがどれ程の奇跡だろうか。

 

「なんと……!赤ん坊がこんなところに……」

 

 テオは驚き、自分が濡れてしまうことも気にせず水の中へ足を踏み入れ、揺りかごの中で泣く赤ん坊を抱き上げた。まだ幼いどころか、この世に生を受けてからまだ数ヶ月も経っていないだろう。

 

「あの嵐の中、無事でおったとは……」

 

 或いは奇跡、或いは神の運命だろうか。何はともあれ赤ん坊は今、テオの腕の中で生きていた。そしてテオの顔を見てピタリと泣きやみ、ニコニコと笑い始めた。なんと強い赤ん坊なのだろうか。テオは思わずつられて笑ってしまい、一度赤ん坊を揺りかごに戻そうとした。そしてその時、揺りかごに小さな手紙のようなものが挟まっているのを見つけた──同時に、赤ん坊の左手の甲に、不思議なアザがあることも。

 テオはその二つを見つけたその瞬間、脳裏にある言い伝えと、それに関する言葉を思い出した。

 

「もしや、この子は……?」

 

 その言葉が、その言い伝えが真実であるとするならば。或いは、この赤ん坊があの嵐の中生きていたことも理解が出来るかもしれない。

 その言葉が、その言い伝えが真実であるとするならば。この赤ん坊は、今ここで命を落としてしまうわけにはいかない。

 

 テオは、この赤ん坊を育てることに決めた。いつか、この子が──彼が、世界を救うことを信じて。

 

「よしよし……一人で心細かったじゃろう?もう心配いらんぞ」

 

 

 

 テオが思い出した言葉、それは──勇者。

 

 

 この赤ん坊は──イレブンは、かつて世界を救い星になったと言われる、伝説の勇者の生まれ変わりである──。

 

 

 

 この広大なる大地、ロトゼタシアに再び勇者が現れるのは、世界に災厄が起きる前触れか、或いはロトゼタシアの全ての命の母である、命の大樹の気まぐれか──




どうでもいい話をさせてください。マジでどうでもいいしオチも無いのでここだけ読まなくてもいいです。

先日、仕事で自分より倍は歳上の営業の方と車に乗って移動することがありまして、まあそんなことは滅多に無いですしめちゃくちゃ上司な訳ですから、私はすごく緊張していました。
そんな私に気を遣ってくれていたのか、上司さんは移動中色んな話を私に振ってくれまして、「ああ、いい上司だなあ」なんて思っていたのです。

そしたら、なんの拍子にだったか忘れたんですが、ドラクエの話になったんですよね。上司さんも8まではプレイしていたようで、それはそれは話が弾みました。
しかし、ここで私に衝撃が走ります。

「君、ビアンカかフローラ。どっち派?」

これ間違えたら雰囲気悪くなるやつだ。

しかし私は正直者なので、自分の好きな方を素直に言うことにしました。そもそもこの上司さんがどっち派なのか解らないし。

「ビアンカ派です」
「おお!君解ってるやん!」

どうやら当たりだったらしいです。ホッと胸を撫で下ろしつつ、この人とは良いお酒が飲めそうだな、と思いました。

「フローラって言っとったら窓から捨ててたわ」

この人と車乗るの怖いなって思いました。


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特別な日 Ⅰ

 特別な日、と言われると何を連想するだろうか。

 

 想い人が恋人となった日、或いは恋人が伴侶となった日。或いは愛する者が命の大樹の元へ還った日。或いは、己の誕生日……或いは、自らが子どもから大人へと認められる日。

 

 十六の歳になるまですくすくと育ち、今日儀式を受けることで大人の仲間入りを果たすであろうイレブンにとって、今日が特別な日になることは間違いが無かった。

 空は澄み渡るほどに蒼く、穏やかな風がイレブンの茶色の髪をゆるやかに撫でる。そんな穏やかな風に攫われて飛ばされた幼馴染みのバンダナを救出すべく木に登ったイレブンは、そんな「特別な日」に小さな感慨を抱いていた。遥か遠くに見える命の大樹も、彼を祝福しているように見える。

 

「イレブン!見つかったー?」

 

 下の方から声が聞こえてくる。あまりにも馴染みが深いその声は間違いなく、この風に飛ばされたスカーフの持ち主であり、イレブンの幼馴染みでもある彼女だろう。イレブンは彼女の問い掛けに答える代わりに木から飛び降り、笑顔で彼女にスカーフを渡してみせた。

 

「ちゃんと見つけたよ、エマ」

「良かった!ありがとね、イレブン」

 

 幼馴染みの彼女──エマはオレンジ色のスカーフを嬉しそうに受け取ると、慣れた手つきで頭を覆うようにバンダナを巻いてみせた。黄金色の髪とオレンジ色のスカーフの相性は良く、エマのトレードマークとなっている。

 

「大切な儀式の前にスカーフが風に飛ばされちゃうなんて。私ってばホントドジだよね」

「ははっ、そうだね」

「ちょっと!否定してよ」

 

 今日が大人になる為の特別な日だ、というのはイレブンだけではない。奇しくも同じ日に十六歳となったエマもまた、今日が大人になる為の特別な日なのである。

 二人が住むデルカコスタ地方南部に位置する小さな村、イシの村。この村では大人になる為の儀式として、村にある巨大な岩「神の岩」を登らなければならない。イレブンとエマは風を受けながら振り返り、これから登るであろうその巨大で何処か神々しい岩を見上げた。

 

「……ついにあの岩を登る日が来たんだ。あんな高い場所、私に登れるかな……?」

「きっと大丈夫だよ。二人ならへっちゃらさ」

「イレブン……うん、そうだね」

 

 ワン!ワン!とイレブンの足元から犬の鳴き声が聞こえた。チラリと下を見ると、そこには大きな犬が尻尾を振っている。この犬もイレブンとエマにとっては馴染み深い友達だ。名前はルキ。どうやら「二人」という所に抗議をしているらしい。

 

「そうだね、ごめん。ルキもついてきてくれるんだよな」

 

 少しだけしゃがみ、謝罪の念も込めてルキをわしわしと撫でるイレブン。ルキは「わかったならよろしい」と言わんばかりに喉を鳴らし、尻尾を振りながら神の岩に向かって走り出した。

 

「うふふ、ルキが私たちを案内してくれるみたい」

「心強いね。行こうか」

 

 二人は肩を並べて、ルキに着いていくべく歩き出した。今日、二人が儀式を受けることは村中が知っている。神の岩の近くには大人になるであろう二人を祝う為、或いはこれから始まる儀式の前に二人を応援する為、沢山の村人が集まっていた。

 

「エマちゃん、気を付けるんだよ!」

「ありがとう、おばさま!」

「イレブン!ちゃんとエマを守ってやれよ!」

「うん、勿論!」

「ルキー!二人をよろしくね!」

「ワン!」

 

 村人達に声をかけられながら、いよいよ神の岩を登る為の入口に辿り着く。そこにはイレブンの母親である恰幅のいい女性、ペルラと、エマの祖父であり村長でもあるダンが、二人を待っていた。

 

「待っておったぞ、エマ、イレブン。二人が無事にこの日を迎えられて、村長としてこれ以上嬉しいことは無い……」

「おじいちゃん……」

 

 ダンの瞳には、うっすら涙が滲んでいた。恐らく本当に、一人の祖父として、村に住む大人として、そして村長として。二人が立派に成長したことが嬉しいのだろう。

 

「よいな、十六歳となったおぬし達は神の岩で成人の儀式を果たし、一人前の大人にならなくてはならん。神の岩の頂上で祈りを捧げ、頂上で何が見えたかをわしに知らせるのだ。そこまでが成人の儀式じゃからな」

 

「「はい!」」

 

 二人の声が綺麗に揃った。その表情も二人とも同じ、決意に満ちたものとなっている。

 

「イレブン……自慢の息子がここまで大きく育って……お母さん、本当に嬉しいよ。いいかい?エマちゃんは幼馴染みなんだからね。あんたがしっかり守ってあげるんだよ」

「うん、わかってる」

 

 ペルラの言葉にも力強く頷き返すイレブン。その風格は優しさを残しつつも、既に大人の強さを見せつけられているようだった。背中に背負った一振りの剣が、その言葉の重みをさらに強くする。

 

「……じゃあ、行ってきます!」

「行っておいで!夕飯作って待ってるからね!」

 

 母親と村長に見送られ、二人は儀式を始めるべく、第一歩を踏み出した。少し先ではルキが尻尾を振って待っている。きっと二人と一匹なら、どんな困難も立ち向かっていけるだろう。

 

「行こう、エマ」

「うん、イレブン」

 

 二人の儀式が始まった。

 

 岩を登る、と聞けばひどく過酷な崖登りを強いられるように思えるが、実際のところは山を登る感覚に近く、石の階段を登り、洞窟を抜け、坂道や段差を越えていくのが主となる。当然、それでも相当過酷であることには変わりないのだが、ペルラやダンもかつては同じ儀式を越えて大人になったのだ。二人もこの儀式が越えられない、とは思っていなかった。

 二人と一匹で、ひたすら石段を登り続ける。

 

「我らイシの民。大地の精霊と共にあり……か」

 

 ぽつりとエマが呟く。

 

「なに、それ?」

「おじいちゃんから聞いたの。あの神の岩には大地の精霊様が宿ってるんだって」

「大地の精霊……へぇ、そうだったんだ」

「小さい頃からずっと、十六歳になったら神の岩に登って大地の精霊様に祈りを捧げなさい!って言われてきたけど……」

 

 そう言いながらエマは頂上を見上げる。そしてムッとした表情になり、口を尖らせながら文句の言葉を吐き始めた。

 

「こんなしきたり誰が考えたのかしら。一人前になる前に崖から落ちてケガでもしたらどうするのよ」

「はは、確かにね」

 

 エマの至極もっともな意見に思わずイレブンは笑ってしまった。確かに足を思い切り踏み外してしまえば、そのまま崖から落ちて真っ逆さま……ということも有り得ないわけでは無い。得てして昔からあるしきたりとは意味がわからないものが多いが、どうやらこの儀式もエマにとってはその一つだったようだ。

 

「……でもイレブンと生まれた日が一緒だったのが唯一の救いね。一人だったら絶対めげてたもん」

「そんなことないよ、エマなら一人でも出来るさ。……まあ、僕もエマと一緒で心強いけど」

「頑張ろうね。さあ、行きましょ」

 

 二人が再び歩を進めようとしたその時である。

 

「ワンッ!ワンワンッ!!」

 

 先導していたルキが、突如威嚇するように吠え始めた。ルキが吠えている方向にあるのは、先へ進む為の洞窟。中はどうやらかなり暗いらしく、二人からは中の様子が見えない。

 

「ルキ?どうしたの──きゃっ!?」

 

 エマがルキに駆け寄ろうとしたその時──洞窟の中から三つの小さな影が飛び出した。何処からどう見ても人間とは似つかない見た目、例えるなら「異形」。よく見れば愛嬌すら感じられるゼリー状のそれらは、人間を襲う魔の力を持った化物──そう、魔物だった。

 エマは驚いてその場にぺたんと尻もちをついてしまう。イレブンは三匹のゼリー状の魔物、スライムを見るや否や、背中に携えた剣に手をかけて走り出す。

 

「エマっ、離れて!」

 

 スライム達はルキと、そしてこちら側に勢いよく走り出しているイレブンを見つけて戦闘態勢に入る。ルキもスライム達を睨みつけ、戦う意思は万全だ。

 

「はぁぁぁっ!!」

 

 一匹に狙いを定め、走る速度を緩めることなく剣を抜き、そのまま右手で振り下ろす。イシの村の住民がよく使う簡素な剣、イシのつるぎ。さして高価な剣では無いが、スライムを斬り伏せるには充分だ。

 初撃は綺麗にスライムに命中し、その柔らかい体を真っ二つに斬り裂いた。イレブンはすぐさま二匹目に狙いを定めて、剣を構え直す。狙われた二匹目のスライムはぷるぷると震えながら、勢いよくジャンプしてイレブンに突進した。ゼリー状とは言え魔物である。その突進の威力はバカにならない。

 イレブンはその突進に合わせて剣を横に振り、突進を受け止めつつカウンターの斬撃を狙う。目論見は見事に当たり、スライムの突進の軌道はズレてイレブンの耳元を掠めるだけとなった。逆に、イレブンの斬撃はしっかりスライムに命中している。しかし致命傷とまでは至らない。

 

「まだだっ!」

 

 そのまますぐに振り返り、今度は剣を両手で握りこんでスライムを叩き斬る。一瞬前のダメージも相まって、今度こそスライムは真っ二つとなって絶命した。

 

「よし、あと一匹……!」

「イレブン、後ろっ!」

 

 エマの叫び声を聞き、咄嗟に後ろを振り返るイレブン。そこには大ジャンプをしてイレブンに襲いかかろうとしている最後のスライムがいた。完全に隙を突かれたイレブン。その攻撃を躱す術は無い。

 

「しまっ──」

「ワンッ!!」

 

 スライムの攻撃がイレブンに届く一瞬前。突如スライムがイレブンの視界から消えた。隙を突かれたイレブンを守るべく、ルキがスライムに襲いかかったのだ。まさに間一髪、絶対的な攻撃のチャンスを潰されたスライムはそのままルキの突進を受けて絶命した。

 

「ルキ!助かったよ、ありがとう!」

「ワン!」

 

 魔物の襲来を無傷で凌ぎきったイレブンとルキ。尻もちをついていたエマも怪我は無いらしい。

 

「イレブン、大丈夫?」

「ああ、僕は大丈夫。エマは?」

「私も大丈夫……ああ、びっくりした。イレブンとルキがいて助かったわ。小さな魔物だったから運が良かったわね」

「エマを守るって、村の皆と約束したからね」

「ありがとう、イレブン」

 

 先導していたルキがまた先へ進むべく走り出した。向かう先は先ほどスライム達が出てきた洞窟。ここからは、魔物との戦いも覚悟せねばならないかもしれない。

 

「ねえ、知ってる?神の岩の頂上へ行くには、洞窟を抜けていかないとダメなのよ」

「勿論、知ってる」

「さっきの魔物、あの洞窟から出てきたのかな?」

「そうだね。……エマ、僕とルキから離れないでね」

「うん。ちょっと怖いけどイレブンが一緒だしへっちゃらだわ」

「ははっ、頼っていいよ」

 

 二人はルキに続き、暗い洞窟へと足を踏み入れた。

 

 

 

 〜〜〜

 

 

 

「はぁっ!!」

 

 振り抜かれた剣。気持ちの良い音と共に、手に針を持った魔獣系の魔物──モコッキーが吹き飛ばされる。ドサリと地面に落ちたモコッキーが絶命していることを確認してから、イレブンは剣を背中に納めた。

 洞窟内は所々外からの光が差し込むようになっており、中に入ってさえしまえばさして暗くは無かった。しかし、予想以上に魔物の数が多い。先程現れたスライムに加え、手に武器を持ったモコッキーは中々に厄介だ。軽快なステップが攻撃のタイミングをズラされ、思うように攻撃が当てられないことすらある。

 

「ふぅ……よし、先を急ごう」

「待ってイレブン、これ」

 

 歩きだそうとしたイレブンを引き止めたエマが渡したのは、癒しの力を宿した一枚の草──薬草だ。傷口に当てるとその癒しの力が発揮され、傷を癒してくれる優れものである。

 

「ありがとう、エマ。助かるよ」

「どういたしまして。戦えない分、こういうところでサポートしなきゃね」

 

 エマは得意げにウインクしてみせた。度重なる魔物との戦いで、所々小さな傷跡や疲れが出ている為、薬草は素直に有難かった。

 

「もうすぐ洞窟も終わりのはずよ、頑張ろうね、イレブン」

「うん」

 

 薄暗い洞窟を更に進む。かなり歩いたのだ、エマの言う通りもうすぐ洞窟の終わりが見えてもおかしくはないだろう。洞窟が終われば今度はゴツゴツした岩肌と戦うことになる。そんな新たな脅威に不安を抱えつつも、二人ならなんとかなると言い聞かせ──

 

「見て!出口よ!」

 

 エマが指をさした先には、確かに光が差し込む大きな穴……即ち出口があった。これで洞窟は終わりだ──

 

「──っ!そう簡単に出してはくれないみたいだね……!」

 

 突如現れた、光を遮る小さな影。現れたのはモコッキーとスライム達という魔物の群れだ。イレブンはすぐさま剣を抜き、ルキが吠えた。

 

「エマ、僕から離れないでね」

「うん……!」

 

 イレブンが剣を構えた瞬間、スライム達がピギー!という甲高い鳴き声を上げて突進してきた。イレブンはそれらをエマに当たらないように受け流し躱し、そして自慢の剣でスライム達を斬りつける。同時に二体を相手にしている為気は抜けないが、スライム自体強力な魔物では無い。エマを守りながら戦うことも難しくは無かった。

 

「ワン!ワン!」

 

 一方のルキはモコッキーに吠えて威嚇しつつ、自慢の俊足と牙を活かして戦っていた。この洞窟でイレブンと共に戦ってきたルキの強さも中々のもので、イレブンのちょっとしたピンチも救っている。

 しかし、そんなルキも魔物では無い、ただの動物だ。ふとした隙が、魔物相手には命取りとなる。

 

「ルキっ!!」

 

 イレブンがスライムを一体屠ったその時、エマの叫び声が聞こえた。咄嗟に反応してルキの方を見ると、どうやら足を滑らせてしまって転んだらしい。モコッキーはそれをチャンスと見て針を構え、今にもルキに襲いかかろうとしている。イレブンが今から走っても、あの距離では間に合わないだろう。

 

「だったら……!」

 

 走っても間に合わないことを確信したイレブンは左手をモコッキーの方へ向け、何か力を溜めるように集中し始めた。イレブンの左手の先へ魔力が集まり、小さな魔法陣と共に炎の玉が完成する。

 

「メラっ!!」

 

 イレブンの叫び声と共に、左手の先に溜められた魔力の塊が──炎の玉がモコッキーに向かって放たれた。己の魔力を消費し、小さな火球を放つ呪文、メラ。イレブンが唯一使える呪文だ。

 イレブンの走力よりも速い火の玉は一直線にモコッキーを目指し、モコッキーの針がルキに届く直前に火の玉がモコッキーへと命中した。そのままモコッキーは勢いよく吹き飛ばされ、炎と共に命を散らす。イレブンはそれを見てホッとする間もなく右手で剣を振るい、もう一体のスライムも斬り伏せた。

 

「ふぅ、危なかった……」

「イレブン、凄いわ!そんなに強くなっていたのね」

「まあね。呪文は、あまり得意じゃないけど」

「ワン!ワン!」

「ルキも無事で良かったよ。よし、先に進もう」

 

 洞窟最後の番人と言わんばかりの魔物の群れを倒し、今度こそ本当に洞窟を抜ける二人と一匹。そこにはかなりの高所まで来たからこその、雄大な景色が見える──ということは無かった。

 

「見て……真っ白だわ。霧がこんなに……」

「本当だ……すごいな、前がよく見えないよ」

 

 目の前すら鮮明に見えないほどの、真っ白な霧が辺りを包み込んでいたのだ。イレブンとエマの距離でも、二人の表情の微々たる変化が読み取れないほどである。

 

「気を付けないと……」

 

 そう呟きながら、不用意には足を出さずにゆっくり辺りを見回すイレブン。エマも同じように、不安そうに辺りをじっくり見ている。足を踏み出した途端魔物が出てきた、足を踏み出した場所に地面が無かった、そんなことがあれば洒落にならない。

 ──そうして注意深く辺りを観察していた時。

 

 

「……た、たすけてー!!」

 

 

「っ!?」

「今の声って──!?」

 

 二人の耳が拾った、誰かの助けを求める声。目を凝らして声のした方を見る二人。二人よりも感覚が優れているルキは既に走り始めている。

 やがてほんの少し霧が晴れ、声の主が誰かが二人にもはっきりと解った。イシの村のイタズラっ子であり、もっとも元気な子ども──

 

「マノロ!?」

 

 マノロだ。何故ここにいるのか、そう問い質したいところだが、その問いは後回しにするべきだろう。マノロのすぐ後ろに霧が質量を持ち形を取った魔物、スモークが見えているからだ。まずはマノロを助けなければならない。

 

「エマ、マノロをお願い!」

「う、うん!わかった!」

 

 瞬時に駆け出したイレブン。剣を抜き、マノロの背後にいるスモークに斬り掛かろうとする──も、目の前に現れたもう一体のスモークに阻まれた。

 

「くそっ、もう一体……!」

「ワンっ!!」

 

 ルキの雄叫びにスモーク二体は怯み、動きが止まる。その隙にイレブンは目の前のスモークに向かって勢いよく剣を振り下ろした……が。

 

「当たらない……っ!?」

 

 剣は物質を捉えることが出来ず、何も無い「霧」をただ斬り裂くのみだった。その一撃に手応えは無い。恐らくスモークの核を捉えなければ、剣ではダメージを与えられないのだろう。

 

「だったら!」

 

 だったら、剣を使わなければいい。すぐさまイレブンは左手を突き出し、小さな魔法陣を作り出した。剣がダメなら、呪文だ。

 

「メラ!」

 

 放たれた火球は的確にスモークを捉え、その霧諸共焼き消さんと言わんばかりに燃え盛る。この勢いであればもうじきに目の前のスモークは消えるだろう。そうなれば、残すは一体のみ。マノロを狙っているあのスモークだ。イレブンはすぐに左手をもう一体のスモークに向け、そして勢いよくその呪文の名を口にした。

 

「食らえ、メラッ!」

 

 ──が、火の玉はおろか、魔法陣すら左手からは発動しなかった。理由は至極単純──

 

「──っ、魔力が足りない!」

 

 そう、魔力切れだ。呪文を使うには魔力が必要なのだが、イレブンの総魔力はさして多くはない。もう、メラを放つだけの魔力が残っていないのだ。

 スモークはルキの雄叫びにもう怯むことなく、再びマノロを襲おうとしている。ルキがなんとか注意を逸らしているが、ルキも先程剣を振るったイレブンのように、スモークの核を攻撃出来ていなかった。あのままではルキが不利になるのは火を見るより明らかだ。

 

「くそっ、どうする──?」

 

 しかし、メラが放てないなら剣を抜き、一か八かの核狙いを決めるしかない。やるしかないか、と決心を決め、イレブンが剣を構えて走り出そうとしたその時。

 

「イレブン、これを使って!」

 

 エマが、イレブンに何かを投げ渡した。突然の事に驚いたイレブンだが、投げられたものは上手くキャッチをしてその渡されたものを見る。

 其れは──飲んだ者の魔力を少しだけ回復する、「まほうのこびん」だった。生粋の魔法使いにとっては本当に雀の涙程しか回復しないが、今のイレブン程度の魔力ではほぼ全回復させることが出来る。少なくとも、メラを放つ魔力は生み出せるだろう。

 

「ありがとう、エマ!」

 

 手短にエマに礼を言いながら、小瓶の中身を一気に飲み干す。全身を魔力が駆け巡るのを感じながら、左手に魔力を一気に込めた。

 

 

「行けっ……メラーッ!!」

 

 

 そして放たれる渾身のメラ。勢い余って魔力を流し過ぎたか、メラが若干暴走気味ですらある。

 普通よりも少し大きな火球となったメラはそれでも真っ直ぐにスモークへ飛んで行き……そのままスモークの命を焼き尽くした。イレブン達の、勝利だ。

 

「……ふぅっ。ヒヤッとした……」

 

 二体のスモークが完全に消滅したことを確認すると、イレブンはどっと疲れた顔でその場に座り込んだ。怪我こそ無かったものの、厄介な敵、一瞬の魔力切れ等、精神的に焦る場面が多かったのだ。何よりも、もたついていたらマノロが危険だったかもしれなかった。

 その渦中にマノロは怪我も無かったらしく、エマの前でバツが悪そうにもじもじとしていた。この神の岩は危険ということもあり、子どもが入ることを禁じられている。

 

「……ご、ごめんね。先回りしてエマねーちゃんを驚かせようと思ったんだ。でも、魔物に襲われて……」

「もう……怪我が無かったならそれでいいわ。……それにしても変ね、神聖な神の岩に魔物が出ることなんて、今まで無かった筈なのに……」

 

 エマは頬に手を当てて考え始めた。そう、イレブンは知らなかった事実なのだが、この神の岩には今までは魔物は住み着いていなかったのだ。魔物自体が強力では無く、イレブンとルキのコンビでなんとかなっていた為、あまり深く考えてはいなかったが。

 

「でも、もうこんなことしちゃダメよ、マノロ。さあ、ルキと一緒に村に戻ってなさい」

「う、うん……わかったよ」

 

 本当は一緒に戻ってあげたいが、儀式の最中に戻ることは許されていない。幸いルキもいるのだ、彼が一緒なら大丈夫だろう。

 

「ルキ、マノロをよろしくね」

「ワン!」

 

 ルキが先導して、先程まで探索していた洞窟の出口(入口?)へ向かう。マノロもその後を追いかけていった。

 

「……イレブン、大丈夫?」

「うん、ちょっと疲れただけだよ。あんな魔物、初めてだったからね」

「そうよね……ちょっとだけ休んでいく?」

「うーん、大丈夫なんだけどなぁ……どうしようか」

 

 二人がこの先に進む前に休むかどうかを話し合っていると、少しずつ空が暗くなり始めた。厚い雲が太陽を隠している──もうじき、雨が降るだろう。

 進む前に休むかどうか。その答えは決まってしまった。

 

「……雨だ。早く進んでしまおうか」

「そうね。急ぎましょ」

 

 神の岩頂上まで、あと少し。



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特別な日 Ⅱ

 神の岩を登り始めた時のあの晴天はどこへ行ったのか、と問い質したくなるような曇り空。更には二人の体にポツポツと降りかかる雨。あと少しで頂上に辿り着くはずの二人の儀式は、最後の最後に天気という自然の壁に阻まれて苦戦していた。魔物が出てくるわけでは無いが、今までで一番道のりが過酷なのである。そして雨で濡れている岩盤で、足や手を滑らせる危険性すらある為、慎重にならざるを得ない。

 大きな段差を全身を使って登ったイレブンは、一人で段差を登るのが困難であろうエマに手を差し伸べた。

 

「登れる?手を貸そうか」

「ありがと、イレブン」

 

 力いっぱいエマを引き上げる。もうかなり登ったのだ、二人ともかなりへとへとである。

 

「あとどれくらいかしら?」

「きっともうすぐじゃないかな。その証拠に……ほら。あそこに松明がかけてある」

 

 イレブンが指をさした先には小さな洞穴、そして立てかけられた松明があった。恐らくあの洞穴を抜けたら神の岩の頂上に辿り着くことが出来るだろう。二人はやっと見えたゴールに勇気を再度思い出し、疲れた足を勇みよく踏み出した。

 

「行こう」

「うん」

 

 半ば駆け足で、洞穴の坂を登る。イレブンもエマも、直感的に何故か解っていた。きっと、ここが最後だと。

 やがて洞穴の出口と思しき巨大な穴が見える。差し込む鈍い光、そこが間違いなく儀式のゴール地点。二人は顔を見合わせ、笑顔で同時にそのゴール地点へ足を踏み入れた。

 

「着いた!」

「着いたわ!」

 

 これ以上登る場所は無い。紛れも無く神の岩の頂上、儀式のゴール地点。二人は無事、そこまで辿り着くことが出来た。

 生憎の雨や霧のせいで殆ど景色が見えないが、本来ならここから下の世界を見渡すことが出来るのだろう。そして恐らくは、本来はその景色を見たことを村長に伝えることが儀式なのだろう。そのさぞ美しいであろう景色が見れないのは非常に残念だったが、何はともあれ儀式はクリアしたのだ。

 

「惜しいなあ……天気がよかったら、きっと絶景が見れたはずなのに」

「そうだね……頑張ったのに、この曇り空じゃあね……」

 

 エマもどうやらそのことは不満に思っていたらしい。が、天気という大自然に逆らうことは残念ながら出来ないのだ。ゴロゴロと、雷の音も聞こえ始めている。

 

「雨が強くならないうちに、お祈りを済ませようか」

「そうね。早くお祈りを済ませないと……」

 

 そう言い、二人で大地の精霊に祈りを捧げようとした──その時。

 

 ──二人の耳を裂くように鳴り響いた、バリバリという巨大な音。

 

「っ!?」

「えっ!?」

 

 それと同時に聞こえる、何か巨大なものが風を切るような音。それは確かにこちらに向かって近付いてきていた。空を飛ぶ、風を切る、巨大なもの。そしてこちらに近付いてくる……考えうる可能性は、ほぼ一つしかない──魔物だ。

 

「ギャオオオオ!!」

 

「エマっ、逃げて!!」

 

 突如凄まじいスピードで現れた巨大な怪鳥、ヘルコンドル。その体躯、存在感、鋭い嘴と爪。どれをとっても今まで戦ってきたスライム、モコッキー、そしてスモーク達とは比べものにならない程の恐怖心を見せつけていた。当然、その強さも比べものにはならないのだろう。

 ヘルコンドルの巨大な爪が、二人を襲う。エマとイレブンは咄嗟に左右に勢い良く飛び退き、なんとかその爪を躱すことに成功した。そのままイレブンは上手く受け身をとって立ち上がる──が、エマは雨で滑る地面で立ち上がることが出来ず、そのままどんどん転がり──

 

 

 ──気が付いた時には、下に地面は無かった。

 

 

「きゃっ!?」

 

 なんとか片手で崖を掴んだエマ。しかし、彼女に片手で自分の体を持ち上げられるだけの筋力は無い。手を離せば真っ逆さまに落ちてしまい、命は無いだろう。薄ら寒いものを背中に感じたエマは、初めてすぐ側に「死」という直接的な恐怖を覚えた。

 

「エマっ!!」

「イレブン!助けて!」

 

 イレブンは頭の中が真っ白になった。幼馴染みを失いたくない、大事な友達を助けないと。ヘルコンドルが近くにいることも忘れ、凄まじい速度でエマの方へ走り出した。そして頭から飛び込むように手を伸ばし、エマの命を繋ぎとめているその手を掴もうと──

 

「──あっ」

 

 ──その時、エマの手が雨で滑った。崖から手が離れたエマは、そのまま重力に従い奈落へと落ちていく……!

 

 

「させるかぁぁぁっ!!」

 

 

 イレブンの伸ばした左手が、すんでのところで空へ投げ出されたエマの手を掴んだ。エマの全体重がイレブンの左手へのしかかる。決してそれは軽いものでは無かったが、手を離すわけにはいかない。今離してしまえば、この先生きていく上でもっと重いものをずっと背負い続けるのだから。

 

「エマ……待ってて……!今、助けるから……!」

 

 歯を食いしばって、必死にエマを引き上げようとする。先程岩を登っていた時はあんなにも簡単に引き上げられたのに、今はとても重く感じた。

 

「くっそぉ、まだまだ……!」

 

 少し引き上げ、そして両手でエマを掴む。力は足りている、もう少し頑張ればエマを地面のある場所まで引き上げられるだろう──

 

「イレブン!魔物が!!」

「なっ……!?」

 

 しかし、イレブンは忘れていたのだ。元々こうなってしまった元凶を──ヘルコンドルの存在を。

 ヘルコンドルは凄まじい速度で空を滑りながら、再度イレブンとエマに照準を合わせていたのだ。そして、超スピードでこちらに向かって突進してくる。

 

 ──まずい、どうする!?

 

 応戦しようものなら、剣であろうと呪文であろうと、確実に片手が必要になる。今この状況でエマから片手を離すことは無謀に等しい。かといって両手が塞がっていてはこのままヘルコンドルの突進を受け、二人仲良く奈落へ真っ逆さまだ。ヘルコンドルが突進してくる前にエマを引き上げられるとも思えない──詰みだ。

 

「くっそぉ……!」

 

 諦めるしかないのか?

 

 ──いや、違う。諦めない。何かあるはずだ、何か……!

 

 

「諦めて、たまるもんか……!!」

 

 

 もうヘルコンドルは目と鼻の先だ。一瞬後にはあの巨躯が二人を押し潰し、命は大樹へと帰っていくだろう。それが解っていながらも、イレブンは目を閉じず、何か打開する方法を考え続けた──決して、諦めずに。

 

 

 その時だった、イレブンの左手のアザが輝いたのは。

 

 

 突如輝いた左手は凄まじい光を天に向けて放ち、雲を突き破った。そしてその輝きが天空にアザと同じ紋章を描く。

 

「っ!?」

「何あれ!?」

 

 突然の出来事に、イレブンとエマは勿論、ヘルコンドルすら一瞬動きを止めた。イレブンとエマはイレブンの左手のアザに、ヘルコンドルは天空の紋章に目を奪われる。

 

 そしてその紋章が強く輝いたその時──ヘルコンドルに向かって凄まじい雷が落ちた。

 

「ギャアアアアッ!?!?」

 

 その凄まじい雷の光量に、思わず目を閉じる二人。目を開けたその時には、凄まじい存在感と恐怖を与える怪鳥の姿は無く、代わりに雷を受けて絶命し、地に堕ちゆくヘルコンドルの姿があった。

 脅威が無くなった隙に全身全霊の力を込めてエマを引き上げる。そしてそのまま二人でその場にへたりこんだ。間一髪、運良く生き延びることが出来たが、普通なら確実に死んでいたところだ。言葉すら発することも出来ず、ただ二人でへたりこんだ。

 

 しばらく無言で座っていると、ようやく生きていた、という実感と恐怖心が薄れてきたのか、エマがぽつりと口を開いた。

 

「助かったのね、私達……」

「……なんとか、って感じだったけどね」

 

 未だ、二人とも放心状態である。あまりにも幸運が重なっていたから、運良く生き延びれたのだ、当然だろう。

 否、或いはあの雷は──

 

「でも、不思議だわ……まるでイレブンが雷を呼んだみたい……」

 

 或いはあの雷は、イレブンが呼んだようにすら見えた。左手のアザが、空に光を放ち、その光が彼に害なす魔物に鉄槌を与えた……そう言われても、容易に信じられるようなものだったのだ。だが、当然ながらイレブンに雷を呼んだ自覚は無いし、そのような呪文も使えない。勿論、そんな能力を持っている訳でもない……彼は自分のことを、そう結論付けていた。

 しかし、自分の不思議な形のアザが光を放っていたことも事実だ。イレブンは自分の知らぬ力、或いは魔力に、薄ら寒い恐怖のような感情を抱いていた。だからこそ、あれは偶然だと信じたかったのかもしれない。

 

「きっと偶然だよ。僕達は運が良かったんだ」

「本当にそうかしら?」

「きっとそうだよ。僕、あんな雷を落とせる呪文なんて知らないし」

「そっか……そうよね」

「それより、お祈りを済ませてしまおうよ。立てる?」

「まだ、ちょっと足が震えてる。イレブン、悪いけど手を借りてもいい?」

「勿論」

 

 先に立ち上がり、エマに手を貸す。こうしてエマに手を貸すのは、今日で何回目だろうか。一つ前の命懸けの引き上げに比べたら、立つことをサポートするだけの引き上げは数倍楽だった。引き上げたイレブンの左手を、エマはじっと見つめる。正確には、イレブンの左手のアザを。左手のアザは、まだうっすらと淡い光を放っていた。

 

「ねえ、イレブン。そのアザは一体……」

「……僕も解らない。生まれた時から、ついてたんだって」

 

 二人でその淡い光を放つアザをまじまじと見つめる。何かの紋章のようにすら見えるアザは、自然に出来たというには少し人工的な、或いは魔術的な装飾が施されているように見えた。やがて、その淡い光も消え失せ、ただの不思議な形のアザに戻る。

 

「あら、消えちゃったわね。なんだったのかしら」

「こんなの初めてだ……本当になんだったんだろう」

 

 当然ながら、ただのアザが光り輝いた……なんて話は聞いたことがない。何かきっと光る原因はあるのだろうが、イレブンにはそれがなんなのか皆目見当もつかなかった。

 

「それにしても、イレブンにいっぱい助けてもらったわね。やっぱりイレブンが一緒だと、私心強いわ」

「そう?」

「ええ、とても」

 

 エマはにっこりと微笑んだ。その言葉に嘘は無いのだろう。

 

「大丈夫、ずっと一緒だよ。イシの村、狭いし自給自足だし」

「それもそうね。良かった」

 

 イレブンも笑顔を返すように、にっこりと微笑んでみせた。当然ながら、その言葉に嘘は無い……本心だ。

 

「さっ、早いとこお祈りを済ませましょ」

「うん、そうだね」

 

 今度こそ、二人で目を閉じて大地の精霊に祈りを捧げようとする。流石にもう一度魔物に襲われることは無いだろう……あったとすれば、それはまた違った意味での「特別な日」になり得るだろうが。

 二人はゆっくりと両手を合わせ、静かに目を閉じて祈りを始めた。

 

「……我らイシの民。大地の精霊と共にあり」

「ロトゼタシアの大地に恵みをもたらす精霊達よ。日ごとの恵みを与えてくださり感謝します」

「どうか、その大いなる御心で悠久の大地に生きる我らをこれからも見守りください」

 

 祈りの言葉を、二人で紡ぎあげる。ただ言葉を追っていくのではなく、心から精霊に感謝を込めて、正しく「祈り」を込めて。この日まで生きてこれたことに、大人となることに感謝を込めて。

 祈りの言葉を全て紡ぎ終わり、二人はゆっくりと目を開いた。相変わらず空は薄暗い雲に覆われている……が、いつの間にか雨は止んでいた──それどころか、空を覆っていた雲が少しずつ、割れていくような気がした。否、それは気がするだけでは無かった。事実、たった今雲は割れていく。空が、青空が、太陽が顔を出し始めたのだ。

 

「空が、晴れる……!エマ、見て!晴れるよ!」

「わぁ……!」

 

 雲の切れ間から差し込む光が遥か下の大地まで照らし、まるでその光から天使が舞い降りるのではないかと思わされる。やがて雲は消え霧は晴れ、二人の目の前には悠久のロトゼタシアがどこまでも広がっていた。大きく力強い山々、豊かな緑、そしてどこまでも蒼く、全てを包み込む海。狭いし、自給自足の小さなイシの村だけで世界が完結していた二人にとって、このあまりにも広大な世界の姿は痛いほどに衝撃的で、解っているつもりで理解出来ていないことだった。

 

「ははっ、すごいや……世界ってこんなにも広いんだね」

「見て、イレブン。空に虹がかかっているわ」

 

 先程までの雨がもたらした幸運だろうか。海の更に向こう、空と雲の間には、七色の虹のアーチが架けられていた。その美しく優しい虹は、まるで二人が一人前の大人として認められ、これからこの大きな世界というものに飛び込んでいく為の扉であり、その背中を押してくれるような、そんな気がした。

 

「このしきたりを考えた人……きっと、この景色を見せたかったんだね」

「そうだね……イシの村にいるだけじゃ、絶対見れない、感じられないものだよ」

 

 遥か昔の風習も捨てたものではなかった。過ぎ去りし時を生きた先人達に導かれ、空と海と大地の広さを知る。それこそが、この神の岩を登る儀式の意義なのだろう。

 

「それじゃ、儀式を終えたことおじいちゃんに報告しましょ」

「そうだね。帰ったら母さんの美味しいご飯だ」

「あ、いいなー!ペルラおばさんとご飯美味しいもんね」

 

 あとはこの神の岩を下るだけである。世界の広さを知り、大人になった二人を、大地の精霊は見守ってくれるであろう……。たとえこの先、どんな困難が待ち受けていようとも。



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