ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 続 (こもれび)
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プロローグ ラスボス

ドラゴンクエストユア・ストーリーを観て、正直もやもやしました。
いや、凄く良かったんですよ?
序盤からの原作ゲームの再現性の高さも良かったですし、ビアンカ、フローラの嫁選択のシーンも納得でした。
私としては、ゲームばれしてからだって良かったのです。
ユア・ストーリーの意味がここで明らかになって目からうろこの気分に浸れましたし。

でも……

一箇所だけ納得出来ない点が。
それは作り物だからこそのキャラたちの扱い。
人権と言っても良いかもしれません。

だからこそ納得したくてこのお話を書き始めたのです。
永遠の繰り返しの中にいる彼女たちの話を。

では、これより、しばしのお付き合い、宜しくお願いします。



『なぜだ! なぜ仮想現実でしかないこの世界を守ろうとする! こんなことをして貴方にいったいなんの意味があるというのだ!』

 

 意味……

 

 心臓が跳ねた。

 光り輝く伝説の剣を握るこぶしにも力が入る。

 僕にとっての意味……

 そんなことを考える間も、悩む間も無かった。

 だけど……

 

 目の前で僕の大切な物をただ壊される、それだけは許すことは出来なかった。

 思い出されるのは幼いころの自分。

 やっと手に入れた大切な宝物のようなあのソフトを起動させて、そこで出会った様々な人々、モンスター、冒険の数々と……そして……

 

 

 ビアンカ……

 

 

 ボクの前で真っ白に画きかえられ、消し去られようとした彼女を思い、失いたくないと心から願う。

 そう……

 だからこそ僕は剣を取ったのだ。

 

 大切な物を失いたくなかったから。

 

 ただそれだけだったから。

 

「ドラクエは、僕にとってもうひとつの現実なんだあ! でやああああああああああああっ!!」

 

 アドミニストレータと名乗ったスラリンから与えられた金色の剣。

 それが、この世界を葬ろうとする、ミルドラースをそのうちに取り込んだ破壊の化身を刺し貫く。

 けたたましい絶叫をあげたその存在は、もがき苦しむかのように身をよじり、そして消えて行った。

 

 戦いは終わった。

 あっけなく。

 ほんの一瞬にして。

 

 今ならばこの僕のことが良くわかる。

 たくさんのモンスターを倒して経験値を稼ぎ、レベルを上げてたくさんの呪文や特技を身に着けた。

 ただ、それでも、本来このゲームをクリアーするために必要な装備やレベルを考えればまったく足りてなんかいなかった。

 普段の僕であれば行っていたはずのハードなレベリングもしていないし、強力なモンスターを仲間にもしていない。

 カジノだって、すごろくだってしていないから当然最強の武器防具だって手にしていない。

 でもしかたないのだ。

 ここに居る僕は、僕であって僕ではない。

 『リュカ』という僕が設定したアバターであり、このゲームの体感度を高めるために、本来は僕の意識が切り離されていた筈だったのだ。

 だから、僕が知っていた『最強への道』のチャートを潜ったりもできなかった。

 でも、それで良かったのだ。

 ここに来た理由は、ドラクエの世界を『疑似』体感する為。

 僕という一個人がこの世界でぎりぎりの戦いをして臨場感を得る。

 その為だけに意識を切り離してここに来た。

 

 そのことを僕は、『今』、明確に思い出した。

 

 思い出した僕は僕であって、同時にリュカであって、そして、この世界が作られたものであることを知っていて、それでもなお……

 

 守りたかった。

 

 握っていたはずの光の剣が、消えた。

 

 真っ白に変質していた世界にも色が戻り始めた。

 

 世界が広がっていく。

 

 良く見知った……

 

 そして僕が居てはいけない世界が……

 

「リュカ!!」

 

 立ち尽くす僕の元へと駆け寄ってくるビアンカ。

 何もかも元通りであるように見え安堵する。

 もう全て終わったと告げると、嬉しそうに微笑んで抱き着いてくる彼女。

 僕はそっと彼女を抱きしめた。

 

 世界は救われたんだ……

 

 でも……

 

 

 

 



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第一話 ジ・エンド(1)

「ねえリュカ。もうすぐグランバニアよ。これで漸く長い旅も終わるわね」

 

「うん」

 

「この後どうするの? グランバニアに戻ったらやっぱり王様なのよね。でも、私、御妃様って柄じゃないし、こうやってリュカと冒険している方が好きだな。あ、そうだ。誰か別の人に王様やってもらって私たちはどこか別の街で暮らしましょうよ。サンタローズでもいいじゃない。あそこなら知っている人も戻ってきているかもだし。わあ、楽しみだなあ。私たち結婚してすぐに石にされちゃったし、気が付いたらアルスもこんなに大きくなっちゃってたし、もうぜーんぜん夫婦らしいこと、家族らしいことしてないもんね。だからね、やりたいことがいっぱいあるの。覚悟してよねリュカ。私、こう見えて結構ワガママなんだから」

 

「こう見えても何も、見たまんまだろう」

 

「あ、ひっどーい」

 

「痛いって……。た、たたくなよ」

 

「あはは」

 

 僕を小突いてからアルスの手を引いて跳ねるように歩くビアンカを、頭を擦りながら見た。

 ちゃんと笑えているのか不安だったけど、どうにか笑顔では居られたみたいだ。彼女は花咲くように朗らかに笑って返してくれたから。

 

 そう終わる。

 この本当に短い、夢のような冒険が。

 あと少し……

 

 あの王城に入り、玉座に僕が腰を下ろし、隣にビアンカを座らせて、祝福のファンファーレが鳴り響く。そして、舞踏会のような催しを楽しみながら、父パパスと母マーサの幻影と再会してこの『物語』は幕を閉じる。

 

 そう……

 

 これは物語。

 僕が夢にまで見た、憧れのゲーム。

 その物語を今、僕はクリアーしようとしている。

 

「はあ……」

 

 喜び浮かれるビアンカとアルスの二人を引き留めて、城に行くのは明日にしよう、今日はここで野宿をしようと、大きな樹の下で焚火を起こして、鍋の準備に入った。

 ビアンカとアルスはデザートになりそうな果実を探しにゲレゲレを連れて森へと入っている。

 僕は一人で燃え崩れる焚き木をつついていた。

 

「はぁ……」

 

 再びため息がこぼれる。

 そうしている自分の腕を見つめながら、本当の自分の腕ではないということを改めて自覚した。

 

『まだエンディングへ進まないのかい?』

 

「え?」

 

 背後から声がしてそちらを見れば、小さな青いゼリーがふるふると震えていた。

 僕はその姿に懐かしさを感じつつ近づいた。

 

「スラリン。会いたかったよ」

 

 スラリンはその場でただフルフルと震えていた。

 

『君はまだ、私のことをその名で呼んでくれるのだね。それはそれで嬉しいものだな』

 

「だって君はスラリンじゃないか。僕を助けてくれた。ずっと、助けてくれた」

 

 スラリンの正体はこのゲームの管理者(アドミニストレータ)であるらしい。

 彼は僕にそう言った。

 彼はずっと僕を助けてくれたんだ。

 モンスターと戦う時にも、イベントを攻略するときにも。

 それから、あのミルドラースを取り込んだウイルスと対峙した時にも。

 最期の戦いの後、いずこかへ姿を消していた彼が、再び僕の前に現れたことを、僕は素直に嬉しく思うと同時に、これが意味することを何となくでも理解できていた。

 

「もう……時間……なんだね」

 

 スラリンはそっと目を瞑る。そして言った。

 

『その通りだ。君はプレイ時間の限界をすでに超えてしまっている。今いるここは、普通の人ならばすぐにエンディングへと進む短いシナリオ。様々な町や村を回るにしても、もうとっくにゴールしているはずなのだ。だが、君はかなり……のんびりとしている』

 

「ご、ごめん」

 

 そう言うとスラリンはふるふると身体全体を横に揺さぶった。

 

『仕方がないことだと、理解してはいる。君はここで本来の自我を取り戻してしまったのだから。君がここを離れがたく思う気持ちは、重々分かる。だが―—』

 

 スラリンはぴょんとこっちへと近づいてきた。

 

『そろそろ強制ログアウトされてもおかしくはないのだ。だから君にそれを伝えにきた』

 

「スラリン……僕はいつ、強制ログアウトされてしまうんだ?」

 

 それにスラリンはすぐには答えなかった。

 でも、少し間をおいてから、ゆっくりと言った。

 

『本来ならば、今すぐに。だが……今回は事情が事情だ。特別の配慮として明日の朝……日の出まで……ログアウトをなんとか私が引き延ばしてみよう』

 

「明日の……朝……日の出。ああ……うん。あ、ありがとう……スラリン」

 

『礼には及ばん。君はこの世界を……このゲーム、ドラゴンクエストを守ってくれた。そのことを私は感謝している』

 

「守ったなんて……そんな。僕はただ無我夢中で……君の言葉のままに動いただけだよ」

 

『いや、君の強い想いがあったればこそだ。君の勇気が』

 

「勇気?」

 

『そうだ。この世界は創造されしもの。君たちプレイヤーにとっては、ほんの一時の仮想現実でしかない。たとえ壊れようとも、また作り直せばいい。その程度の存在なのだ。だが、君は、あの存在からこの世界を守りたいと願い、力を振るった。それこそが君の気概、勇気そのものだ』

 

「そんな……そこまで考えて行動なんかしていないよ」

 

『それでもだ。私は君のその強い想いに救われたのだ。だからありがとう』

 

「救われた……?」

 

 スラリンはくるりと後ろを向いてぴょんと歩み出した。

 

『さあ、私はもう行こう。君にとって大切な最後のこの時間を、無用に汚したくはないから』

 

「まってよ。待ってくれよ、スラリン」

 

 そう立ち上がって手を伸ばすも、彼の姿は深くくらい森の何処かえとすでに消えてしまっていた。



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第二話 ジ・エンド(2)

 食事を終えた僕たちは火の周りに寝床を敷いて横になっていた。

 すでにモンスターは現れることはないシナリオだけど、周囲の警戒だけはしてしまう。

 でも、熟睡できないでいる理由はそれだけではなかったのだけど。

 

 僕は静かに起き上がると、みんなから少し離れた森の奥の小川の畔まで来た。

 優し気な川のせせらぎを聞きながら、近くにあった大きな石の上に昇り、そして座った。

 空を見上げれば、木々の開けたその先に、まん丸の月の姿が。

 それを見上げつつ、独り言ちた。

 

「明日の日の出か」

 

 もうため息も出なかった。

 僕は懐にいれて置いた紙きれとペンを取り出すと、月明かりの下でそこにビアンカへのメッセージを書き始めた。

 

「拝啓……いや、dearの方がいいか? それから……ああ……いい……うう……、ええいっ!! いったいなんて書いたらいいんだよ!!」

 

 少し書いてみて、上手く文章にならないその言葉の羅列にイライラしたまま紙を握りしめていた。

 明日の朝には僕は消えてしまう。

 多分突然に。

 それはスラリンが教えてくれたことだから。

 

 でもそうなれば当然、ビアンカやアルスたちは悲しむに決まっている。

 そもそもまだ僕はエンディングを迎えていないのだ。

 彼女達は突然消えた僕を捜して彷徨うことになってしまうかもしれない。

 もう永遠に逢う事もできないこの僕のことを。

 それだけは避けなければ……

 そう思い手紙を書こうと思ったのだけど……

 

「僕……文才まるでないんだな」

 

 これだった。

 伝えなければならないことは山ほどある。

 でも、それを受けいれて貰えるような手紙を、僕には到底書くことなど出来そうになかった。

 何を書いても、彼女達を説得することなどできはしない。

 そんな思いが頭の中をぐるぐると渦巻いていた。

 気が付くと僕は、くしゃくしゃに丸めていたその紙を、きれいに伸ばしてから手慰みに折って、ある物を作り上げていた。

 それを見て、思わず苦笑いをしてしまう。

 四角い紙を見ると、ついこれ折っちゃうんだよな。

 

 そんな時だった。

 

「こんなところで何をしてるの? リュカ? いなくなっちゃったから心配したよ」

 

「あ……」

 

 ビアンカだった。

 彼女は下から大岩の上の僕のことを見上げていた。

 スッと手を伸ばして微笑むビアンカ。

 僕は自然とその手を掴んで引き揚げていた。

 

「ふふふ、ありがとー」

 

「…………」

 

 微笑む彼女から視線を逸らしてしまう。

 なんと言ったらいいのか……

 文章にも纏められなかったのだ。当然旨く言葉で説明できるわけもない。

 

「わー、なにこれ、すごい! これリュカが作ったの?」

 

「え? あ、ああ」

 

 僕がもやもやと自問自答しているそこで、彼女は僕の脇に置いたそれに手を伸ばし、それを摘まみ上げて大事そうに両手で抱えた。

 それは僕が彼女へのメッセージを書き途中だった紙を使って作った、小さな折り鶴。

 

「それは鶴だよ。折り紙の」

 

「ツル? ツルってなあに?」

 

「鶴を知らないのか? そうか、ここにはいないのか……そういえば鳥もそんなにいなかったか……」

 

 僕を下から見上げる覗き込んでくるビアンカの視線にドギマギしつつ、彼女になんと説明したらよいか思案する。

 黙ったままの彼女に向き直ってから言った。

 

「まあ、鳥だよ。首が長くて、大きくて、空を舞うように飛ぶんだ」

 

「へえ、それって、ラーミアみたいね、伝説の」

 

 そのビアンカの言葉に思わずびくりとはねてしまった。

 僕はそのラーミアの事を知っていたから。こことは違う、現実の世界で。

 

「君は、ラーミアを知っているの?」

 

「うん。小さい頃誰かに教えてもらったの。昔々のお話で、大きな翼を広げてたくさんの世界を渡る神の鳥だって。そっかー、リュカが作ったんだー。ふふ、ねえ、これ私がもらってもいい?」

 

「え? あ、ああ」

 

「やったあ、ありがとう、リュカ」

 

 彼女は僕の作った折り鶴を抱いたまま、コテンと頭を僕の肩に預けるようにして寄りかかってきた。

 ふわりと彼女の匂いが僕の鼻をくすぐった。

 この感触も、この香りも、そして、この彼女への僕の思いも……

 すべては本物だ。

 少なくとも、僕にとっては。

 たとえ、この全てが作り物であって、間もなく全てが失われてしまうのだとしても、今この瞬間、ここにある全ての物は本物で、紛れもない現実なんだ。

 彼女の柔らかい笑顔が……

 今、一番、悲しかった。

 

「どうしたのリュカ? 何かあった?」

 

「いや……」

 

 泣いてはいないはずだけど、彼女は僕の変化にすぐに気が付く。

 それもそうか。

 だって、彼女はこの『リュカ』が大好きなんだもの。

 だから……

 そうであるからこそ、僕は伝えなくてはならないのだ。

 

 本当のことを。

 

 真実を。

 

 現実の話を。

 

「ビアンカ……聞いて欲しいことがあるんだ」

 

「なに?」

 

 何も迷いのないまっすぐな瞳で僕を見つめるビアンカ。

 僕は、そっと彼女の両肩に手を置いて、彼女を見つめた。

 そしてはにかむ彼女へと……

 

 告げた。

 

「僕は……この世界の人間ではないんだ」

 

「え?」

 

 一瞬呆気にとられたような顔になる彼女。

 でも、彼女はすぐに僕の腰に手を回して、強く抱き着くままに言った。

 

「えっと……じゃあまさか、魔族とか、モンスター? ひょっとして精霊とか、実は神様だったとか? でも大丈夫よ。私はそんなこと気にしない。だって今、君はここにいるじゃない。それが全部だよ。私はリュカが好きなの。その気持ちに嘘はないもの。だから大丈夫よ、不安になんかならないで。私とアルスとずっと、ずっと一緒にいましょう、ね?」

 

「そうじゃないんだ……」

 

 僕はビアンカのことを少しだけ引き離した。

 彼女の瞳は明らかに動揺してしまっている。

 でも、必死に平静を装おうとしているのか、口元に笑みを浮かべようとして震えていた。

 僕は呼吸を落ち着かせてから、静かに言った。

 

「僕はモンスターでも、精霊でもなんでもない、人間だよ」

 

「それじゃあ何にも心配ないじゃない。びっくりした。同じ人なら何にも問題なんて……」

 

「さっき言ったろ、僕はこの世界の人間じゃないって」

 

「え? 違う世界……」

 

 ビアンカは口を抑えて震えていた。 

 言いかけて、すぐに僕の襟首に掴みかかってきた。

 

「いやだ!! いやよ、いやだよそんなの!! 絶対いやだよ」

 

「お、おい! まだ全部言ってないだろ!?」

 

「言わなくてもわかるよ! 帰るって言うんでしょ? あなたの世界に! もうここには居られないって……そう言っているんでしょ!!」

 

「…………!?」

 

 大粒の涙を瞳に湛えた彼女は、明らかに激昂したままで僕のことを激しく揺さぶる。

 その激しい怒り、悲しみをひしひしと感じながら、僕は彼女のことを強く抱きしめた。

 

「僕はこの世界の人間じゃないんだ。この世界の外側、この世界を創った人たちのいるところに帰らなくちゃならないんだ」

 

「そんなこと絶対に許さない!! 絶対に帰らせない!! 誰かが君を迎えに来るっていうのなら、私は命を懸けてそいつと戦う!! それがたとえ神様でも!! それで絶対に君を守るの!!」

 

「そんなの無理だ! できっこない!」

 

「やってみなくちゃ分からないでしょ!!」

 

「無理だよ!!」

 

「なんでよ!! リュカを助けるためなら私はなんだって……」

 

「だって君は、このゲームで主人公の僕と出会うことを定められた、ただの登場人物(キャラクター)だから」

 

「え……?」

 

 そう言った瞬間、彼女は動きを止めた。

 怒りに満ちていたその顔はみるみる青ざめていく。

 そして小声で言った。

 

「そ、それ……どういうこと? そ、それじゃあまるで私……私は……作られ……」

 

 そこまで言いかけて息を呑んだ。

 そして青を通り越して白くなりつつあるその顔を凝視したままで、僕は言った。

 

「そうだよ。君は作られた存在だ。プログラムだ。キャラクターなんだ。君だけじゃない。アルスだって、サンチョだって、ダンカンさんだって、フローラさんだって、父さんも母さんもみんな、みんな、この世界全部が作り物の……全てが魔王を倒すための作り物のただのゲームなんだ!!」

 

 叩きつけるように、殴りかかるように、そう僕は怒鳴った。

 目の前で茫然と涙を流す彼女にむかって。

 

「う……そ……うそよ……」

 

 首をふるふると横に振る彼女。

 僕は彼女をジッと見つめたままで言い切った。

 

「本当だ。本当のことなんだ」

 

「うそ……うそだ……いや……いやだ! いやだいやだいやだいやだよ!! そんなの嫌だよ。お願いリュカ。お願いだから、嘘だって……今の話は全部嘘だって言ってよ!!」

 

 懇願するように、切なそうに、悲しそうに……

 僕に縋りつきながら必死に訴えてくるビアンカ。

 僕は……

 唇を噛んだ。

 

「ビアンカ……僕の本当の名前は……」

 

「ぇ……?」

 

「僕の名前は……琉夏(るか)……白野(しろの)琉夏(るか)

 

「ル……カ……?」

 

「そうだよ、ただの平凡なサラリーマンだ。僕は勇者でも魔物使いでもなんでもないんだよ。このゲームをプレイしているだけのただの一般人で、このゲームをクリアーするために君と出会って、君と結婚をして、アルスを授かるシナリオをなぞっているだけのただの、プレイヤーなんだ。そして君は、このゲームを進行させるためのNPC(ノンプレイヤーキャラクター)、このゲームが終わればまたリセットされて子供に戻るだけの、ただの作り物なんだよ!!」

 

「いやああああああああっ!」

 

 どんっと、彼女は僕を勢いよく突き飛ばした。

 大岩の上に倒れこむ僕をそのままに、彼女は飛び降り走り去る。

 僕は転がったままそれをただ見送った。

 

「……ああ……いてえ……」

 

 転がった時に肘と頭も打ち付けたし、本当に痛みの感覚はあったのだけどそうではなかった。

 本当に痛かった。

 胸の辺りがじくじくと。

 ここまで痛くて苦しい物なのかと、知らなかったこととはいえ覚悟が出来ていなかったことを思い知らされた。

 空を見上げればもう大分傾いてきた満月がまだそこにあった。

 そのゆっくりとした動きを眺めながら、そういえば明日の日の出で僕が消えるってことを彼女に伝え忘れたなと、自然と出てしまった乾いた笑いのままに思い出していた。

 

「本当に……痛いな……」

 

 今更になって、涙が頬を伝っていた。

 



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第三話 ジ・エンド(3)

 この世界で時間の感覚ほどあやふやなものはないだろうということを、僕はこの肌で感じていた。

 いつの間にか空が白み始め、森の切れ間の先……遥か東の地平が輝き始めていたから。

 間もなく陽が登る。

 あのまま僕はずっとここにいた。

 小川のせせらぎは心地よいし、木々の合間を漂う朝もやも美しかったから。

 いや、そうじゃないな。

 彼女との最後の時を過ごしたこの場所が愛おしかったからだ。

 もうビアンカたちに会う必要はないだろう。

 彼女へと伝えるべき必要なことは、全て言った。

 優しく抱きもせず、さりとて嘘で煙に巻いたわけでもない。

 ただ、ありのままを伝えただけ。

 でもこれで、僕が消えてしまっても、彼女はもう僕を探す必要はなくなったわけだ。

 僕の話を信じるにしても信じないにしても、僕が彼女を傷つけたことに変わりはない。

 今の彼女はかなりのショックを受けたことだろう。それが怒りに転じているのか、悲しみに転じたのか、それは僕にはわからない。

 けれど、すくなくとも彼女は僕という存在に絶望したことは間違いない。

 今はきっと苦しんでいることだろう。

 でも大丈夫だ。

 あの朝日が昇りさえすれば僕は消え去り、この『回』のゲームは終わる。

 そして彼女たちは『リセット』されて、また次の『僕』との出会いからやり直すのだ。

 そう……

 『僕』ではない『僕』と。

 それがゲームであるということ。

 ゲームであるのだから何度始めたとしても、いずれ終わりが必ず訪れる。

 その終わりの一つが今訪れようとしているだけなんだ。

 この僕の彼女への想いが本物であったとしても、それはあくまで僕の内でのこと。

 作られた存在の彼女と、共に生きていくことなど、不可能なのだから。

 だからこれで良かったんだ。

 これで彼女は僕を忘れる。

 

 僕から開放されるんだ……

 

 明るさの増した陽の光を見つめながら、僕は立ち上がった。

 結局クリアもしないままにこのゲームを終えることになってしまった。

 でも、後悔はない。

 この世界がゲームであると理解したあの瞬間からこうなることはわかっていたのだから。

 さあ、終わりにしよう。

 夢にまで見てきたこの冒険を……

 

 そして、恋い焦がれた彼女への想いを……

 

 ありがとう……

 

 さようなら……

 

 愛しのビアン――

 

「リュカッ!!」

 

 声がした。

 最愛の人の声が。

 その切なさを堪えた声が。

 だから、僕は振り向いた。

 

「リュカッ! 行かないでよ!」

 

 朝日は昇り続ける。

 無情にも止まることなくゆっくりと。

 僕は太陽を背に、涙で泣き腫らしたビアンカの顔を見た。

 駆け寄りたい。

 抱きしめたい。

 そして、君のことを世界で一番に想っていると伝えたい。

 

 でも、そのどれも出来ないことを僕は理解していた。

 

 間もなく……

 

 もう間もなく僕は消えるのだ、この世界から。 

 

 だからもう、何一つ憂いを残すわけにはいかなかったから。

 何も言わずに彼女に背を向けようとした時だった。

 彼女が叫んだ。

 

「私……! 待ってるから! ずっと待ってるから!! あなたがいつか戻ってくるその日まで、ずっと……」

 

「!?」

 

 彼女は僕に向けてそっと両腕を伸ばしてきた。

 そしてその両の掌を開く。

 そこには……

 

 昨夜僕が折った、あの折り鶴が。

 

「世界が違っても、いつかきっと逢える! いつかきっと、絶対に! 私はそう、信じてるから!!」

 

 涙のままに叫ぶ彼女。

 その言葉に僕の胸も張り裂けそうだった。

 もう決めていたのに。

 このままなにもせずに消えようと、覚悟していたのに!

 

「ビアンカッ!! 君が好きだ!! 誰よりも君のことを一番に!!」

 

「私もよ!! 私もあなたのことを!! リュ――」

 

 

 

 

 



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第四話 帰還

「お疲れ様でした。ゆっくり目を開けてくださいね」

 

 男の人の声がどこからか聞こえてきた。

 どこかで聞いたことのあるような……

 知っているようなそんな既視感の中で、そういえば、だいぶ以前に僕をここに誘ってくれた係の人が、こんな声であったなと思い出す。

 僕はゆっくりと目を開けた。

 頭部に装着した大きなヘルメット越しに、正面の入り口から手を差し伸べてくれている衛士装束の若い男性のが見えた。

 僕は全身の感覚が次第と戻ってくるのを感じながら寝そべっていた椅子から起き上がる。

 そして被っていたヘルメットを外してから顔を何度も手で拭った。

 

 僕の手だった。

 紛れもなくこれは僕の手。

 あの時の僕の様に、重い剣を振り回して、強力な魔法を発射して、大好きな彼女を抱きかかえることもできない、ただの僕の手だった。

 

 大きく頭を振ってから、そのスタッフの手を掴んでこのマシンから歩み出る。

 そこはあの大きなイベント会場がそのままに広がっていて何人かの人たちが興味深そうにこのマシンを覗き込む。

 その光景は僕がこのマシンに入る前とまったく同じだった。

 

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』

 

 そう名付けられたソフトを稼働させている、この大きな箱の様なマシンは、次世代のVRD(ヴァーチャルリアリティデバイス)の雛型として作られた試作モデルで、従来のVRDよりも一歩踏み込んだVR環境を体感できるもの。

 主な従来との違いはその圧倒的な臨場感。

 利用者の五感をAIの補助によってゲーム内で完全再現し、かつ、利用者の意識領域までも制御することで、アバターの人生全てを僅か数時間で体感させることも可能という画期的なデバイスとして完成した。 

 でも、それだけのことを為すには高性能のスーパーコンピューターとさまざまなセンサーが必要であり、どう小さく設計しても、これだけの大きさが必要になってしまったという話だった。

 当然だけど、こんな巨大で高価な機械を量販できるわけもないから、たくさん製造されることはなくなったけど、データ収集などには非常に役立つということで、いくつかのゲームメーカーなどが新作のテスト用に導入を始めた。 

 その先駆けとして、この体感デバイスとともにこのドラクエのゲームが公開され、僕は幸運にもそのモニターに選ばれて、このゲームショー最終日にこの数機あるうちの一機を使用することが出来たというわけだ。

 

 ま、本当にいろいろな体験ができたわけだけど。

 

「お疲れさまでした。いかがでしたか? ドラクエワールドは」

 

「え、あ……はい。もう最高でしたよ。まさに子供のころからの理想のままで、あはは」

 

 チラリと彼女の顔が頭を掠めるも、僕は笑顔で彼に応じた。

 スタッフの彼はにこやかに微笑んで僕へと告げた。

 

「それは良かったです。ただ、あなたのプレイ時間がかなり長かったので、なにかあったのではないかと心配していたのです」

 

「あ、す、すみません。ちょっといろいろとやってしまっていて……?」

 

 そう言いながら、あれ? と首を傾げる。

 あの時スラリンは、時間を延長させると確かに言った。

 もしそうなら、このスタッフさんも知っていて当然だと思うのだけど……

 ま、ただの連絡不足なのかな……

 それに、僕のプレイ内容を知らない?

 モニターしていたのではなかったのか?

 そう疑問に思っていると彼がポリポリと頭を掻いてお辞儀をしたのだ。

 

「いや、これは失礼しました。プレイ中のあなたには分かりませんよね。実は、今回システムが少し不具合を起こしまして、あなたの冒険の内容をモニターすることが出来なかったのですよ」

 

「は、はあ」

 

 彼は更に申し訳なさそうに苦笑いで続ける。

 

「ですので、プレイ後にお渡しするはずでしたリプレイデータの『ぼうけんのしょ』も消えてしまっている有様でして、僅かに残っているこのプリント画像くらいしかお渡しできないのです。本当に申し訳ありません」

 

 そう言いつつ、彼は僕に数枚のカラー写真のような物を差し出してきた。

 それを見て、胸がグッと熱くなる。

 そこには、僕とスラリンとゲレゲレと……そしてアルスとビアンカの姿があったから。

 

 ビアンカ……

 

 僕はその写真を黙って見つめたままでいた。

 万感が込み上がってきていたから。

 

 でも、そんな僕を見て、スタッフさんは慌てたように話始めた。

 

「お、お怒りになられるのはごもっともですが、なにぶん機械もソフトも改良の余地が多々ありますし、これからより良いゲームを完成させてまいりますので、なにとぞ、今回の結果をSNSなどで酷評などしないでいただけると本当にありがたいのですが……」

 

 と、チラチラと上目遣いで僕を見ながら手を揉んでくる彼。

 

 ああ、そういうことか。

 今回のモニターで失敗を出したくはないということなんだろう。

 ウイルスが感染してプレイヤーが危険に晒されたなんて、それこそネットで拡散でもされたら制作側には大打撃間違いなしだもの。

 あのウイルスだって、管理者(アドミニストレータ)のスラリンのおかげで駆除できたんだもの。

 別に僕はそんなことで文句を言うつもりなんてさらさらないし。

 

「大丈夫ですよ。僕は何も言いませんから」

 

「あはは……、ま、本当にすみませんでした。あ、これは心ばかりの粗品です。あ、これも、これもこれもこれも、どうぞお持ち帰りくださいませ」

 

 と、僕の手に、巨大なメタルキングのぬいぐるみ、ゲレゲレマグカップ、天空の剣(模造刀)、宣伝ポスター、楽曲CDなどなど、山積みに持たされて、彼はにこやかに微笑んだ。

 

 

「それでは、ご利用どうもありがとうございました」

 

 そう、手を揉む彼を見て、やれやれと思いつつ、僕は思いついたことを一つだけ聞いた。

 

「そういえば、このゲームで僕以外に不具合の起きた人はいたのですか?」

 

 彼は高速で首を横に振り、即答した。

 

「滅相もありません。お客様が初めてでした。本当に、いったいなんでこんなことが起きたのか、未だ検証中でして、はい。ただ、本当に大丈夫ですので、すぐに問題は全て解決いたしますから!!」

 

 語気も荒くそうまくしたてる彼を見てなにか無性に申し訳なくなり、僕は立ち去ることにした。

 

「本当に楽しかったです。これからも頑張ってください。あ、それと……スラ……、じゃない、管理者の方によろしくお伝えください。助かりましたと」

 

 そう告げて帰ろうとしていると、スタッフの人がキョトンとした顔で言った。

 

「え? 管理者? 誰のことでしょうねえ、基本ゲームシステムはAIの完全制御で進めていますので、外部からログインすることなどありませんし、そもそも今は管理者は設定していないはずなのですが……」

 

「え……」

 

 彼の言葉に心がただざわついた。

 どういうことなのか、まったく理解できなかったから。

 

「おおい、そっち持ってくれ。メモリーデータを主幹ごと引っこ抜くから。絶対落とすなよ」

 

「はーい」

 

 立ち尽くしていた僕とは反対側、僕の使用していたマシンの向こう側で、二人の作業員が白い煙を上げつつ引き抜かれていく大きな黒い基盤の塊を、重たそうに抱きかかえていた。

 



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第五話 遠方からの来訪者

「白野君! いい加減にしてくれないか? こんな簡単な仕事も間違えて!! いったいいつになったら仕事を覚えるんだ!」

 

「は、はぁ……す、すみません」

 

 これ見よがしに全員の注目が集まる中、怒鳴り声をあげているのは僕の上司、課長だ。

 僕が作った資料に再三文句をつけて、それをまるでゴミの様に放り投げた。

 それを謝りながら拾うのは当然僕だ。

 

 別にこのような扱いは今に始まったことではない。

 前から僕は事あるごとにやり玉に挙げられて、わざわざ怒鳴りつけられてきた。

 そうやって惨めになっている姿を、わざと他の社員に見せているのだろう。

 お前もこうなるぞ?

 きちんと仕事しないと惨めだぞ?

 ってね。

 要は人身御供さ。

 僕という生贄によって、みんなのやる気を喚起させようとでもしているのだろう。

 ま、僕のやる気はダダ下がりなんだけどね。

 

 とはいえ、今日怒鳴られたのは、完全に僕の所為だった。

 頼まれた書類と全く違うものを作成してしまったのだから。

 しかもここ最近そんな感じのミスが続いてしまっていたから、何一つ弁解も出来はしない。

 弛んでる。

 気が抜けている。

 そう言われても、まったくその通りですとしか言いようがなかった。

 まさにその通りの状態だったから。

 あの、ドラクエをプレイしたあの日から。

 

「大丈夫でした? 課長本当にひどいですよね! 気にしちゃだめですよ」

 

「え? あ、ああ。ありがとう」

 

 席に戻ると、隣の席の後輩の女の子がそう優しい言葉をかけてくれた。

 この子は優しい。

 いつも笑顔だし、やる気もあって、気も使える子でどこに行っても人気者だ。

 僕が教えてあげた仕事もあっというまにできるようになってしまった。

 間違いなく僕より優秀だ。

 

 彼女を見ていると、本当に仕事が楽しいんだな、僕も頑張らないとなと、そんな気分にさせられるのだ。

 仕事がうまく行けば喜んでくれるし、うまく行かなくても僕を励ましてくれる、そんな子だ。

 だからではないけど、そんな彼女に、僕は自分の趣味でもあるゲームの話をよくしていた。

 特にドラゴンクエストの話を。

 車などでの移動中など、いつも彼女は微笑みながら楽しそうに僕の話を聞いてくれていた。

 だけど、それが単なる相槌の一つでしかなかったのだということを、ある日僕は、知った。

 

『ねえ、孝美ぃ。あなた白野さんと随分仲良いじゃない? なになに? 付き合ってるの?』

 

『もうやめてよ気持ち悪い。そんなんじゃないよ。ただ話を合わせているだけ。白野さんって、ゲームの話しかしないの。いい歳して本当に気持ち悪い。だから彼女できないんだよ。話聞くの本当につらいんだから』

 

『なにゲーオタなの? 家に萌えキャラポスターとか貼ってそう』

 

『まじそれあるー。あはははは』

 

 夕方時の給湯室は鬼門だ。

 集まる女性陣は疲労からなのか、悪口に歯止めが利かなくなるもの。

 そんな彼女たちから僕はこそこそと逃げ続けていた。

 

 別に、だれに何を言われたって僕にとってはどうでも良かった。

 自分が好きなもの、得意なものに情熱をかけることの何がいけないというのか。

 世間一般でいうところのオタクであるという自覚は重々持っているし、それが余人に受け入れられ難いということだって理解した上で好きなことに邁進しているのだから。

 それでも……

 やっぱり否定されるのは嫌なものだ。

 

 自分自身のことをまるでゴミくずでも見る様に見下されているみたいで。

 

 僕は自分のスマホの画面を開いた。

 そこには、画像として取り込んだ彼女の写真が映し出される。

 

 何も知らない人がこれをみれば、ただ僕のことをドラクエ好きのオタクだと思うだけだろう。

 けれど、この写真は僕にとってはまちがいなく本物だ。

 永遠の愛を誓った相手。

 もっとも愛しい存在で……僕が失ってしまった存在でもあった。

 

「ビアンカ……君に逢いたいよ」

 

 いつかきっと逢えると僕に叫んだ彼女の言葉が耳に焼き付いていた。

 でも、それは不可能だし、このことを望んでいる僕という存在こそがまさに異常。

 

 やっぱり僕はどこかおかしいのだ。

 

 僕は、にこやかに微笑む写真の彼女を見つめ続けた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ただいまぁ」

 

 とりあえず声を掛けつつ家に入っても、そこには当然誰もいない。

 アパートの二階である一人暮らしの自宅に戻った僕は、上着を脱いで着替えてから、夕飯用に買ってきたコンビニ弁当を持って奥のモニタールームに入る。

 すぐに3台あるパソコンを全て起動。

 手早く弁当を食べつつ、様々な方面からのメールメッセージを読みつつ返信を送る。

 オンラインのゲームも各種様々手を出している関係で、みんな僕のログインを心待ちにしてでもいたのか、すぐにプレイ条件などのリストが送られてくる。

 こうやって頼られるのは嫌いじゃないけど、今は副業として行っているプログラミング作業も進めないと。

 とある会社のOSがたったの一年で不具合でまくりになったとかで、それの改修作業の依頼を受けていた。

 これはまあ、仕方ないことで、デバイス……パソコンは特に進化が早く、メーカーや大手システム会社に改修を頼むととんでもない費用が掛かってしまうこともざら。

 ということで、その10分の1以下の価格で僕が受けることになるわけだ。

 人に言わせると、僕はお人よしらしい。

 技術なんだからもっと高く売ればいいと。

 だけど、僕はそういうのが苦手だ。

 安いと言ったって、僕にとっては十分高額だし、安くしている分文句を言われる心配も少ないと思っているから。

 

「ええと、こっちのデュエルは5分後開始で、こっちのレイド戦は15分後だからそれまではオートでダンジョンアタックで、こっちはデバックだから、ここをトレースしてと」

 

 ゲーム4つを同時進行しながら、プログラミング作業を黙々と進める。

 もはや作業だな。

 慣れたとはいっても、やっぱり面倒くさい。

 ゲームは確かに頼られて、助けたときに感謝されたりするのは嬉しいのだけど、それはただの無機質な言葉の羅列でしかないことを、僕は知っていた。

 

「本当の感謝って……」

 

 ありがとう! リュカっ!

 

 心が温まるようなあの感覚。

 感謝されることを嬉しいと感じたのは、いったいどれくらいぶりだったのか。

 

 僕は、再びあの世界でのことに思いを馳せていた。

 

 ピロリン!

 

「ん?」

 

 聞きなれない効果音が室内に響いた。

 いったい今の音はなんだ? 

 と、自分のスマホやらパソコンやらを眺めていると、3台あるパソコンの一番右側のノートパソコンの画面にに、ポップアップメッセージのアイコンが表示されていた。

 これは仕事用の端末で、かなり強めの防壁を作っておいたから安全なはずだったのだけど、まさかウイルスに侵入されてしまったのか?

 そう思ってそのメッセージを消してしまおうと思ったその時だった。

 

 ピンポーン。

 

 今度は玄関のチャイムが鳴り響いた。

 いったいこんな時間に誰だ? 宅配便なんか何も頼んでいないはずだけど?

 そう思いつつ画面の閉じたままのメッセージはそのままに玄関に向かう。

 

「はいはい、どなたですか?」

 

 かちゃりと扉を開けた瞬間……

 

「むぅん!!」

 

「は?」

 

 僕は大男に抱きかかえられていた。

 と、同時に、その大男が玄関先の2階廊下部分の手すりに足をかけ、そのまま一気にジャンプした。

 

 僕を抱えたままで!!

 

「えええええええええっ!?」

 

 胃液が逆流しそうな落下感と、地面に着地した瞬間の衝撃。

 こんな感覚は、あのVRでのドラクエの時以来。

 というか気持ち悪い。

 その時だった。

 大男は僕を地面に伏せさせつつ僕の背後をかばうように覆いかぶさる。

 いったい何が起きているのか――

 

『メラゾーマ……』

 

「え?」

 

 どこかからかそんな声が確かに聞こえた。

 そう、確かに、そう……

 

 次の瞬間。

 

 ごぉおおと甲高い音が響き始めたかと思うと、それが起きた。

 僕の背後、僕のアパートからとんでもない爆発音とともに、上空に向かって真っ赤で巨大な火の玉が飛びだした!!

 

「うわぁあああああっつ!」

 

 ガス漏れ爆発?

 爆弾テロ?

 

 もう何が何やら全然分からなかったけど、とにかくそれは起こったのだ。

 爆音は一回。

 でも、飛び散った破片が落下してきてでもいるのか、金属音の様なものが周囲で響き続けていた。

 しばらくすると次第とそれも収まる。

 異様なほどの静けさだけが辺りに漂っていた。

 

「おい、立て」

 

「え? ええ?」

 

 突然襟首を掴まれて僕は持ち上げられる。

 そこには、筋骨たくましい大男。

 前髪が長く、目は殆ど表に出ていないけど、その目は異様なほどに鋭かった。

 

『ほっほっほっほ、ほほほほほほほ。すばらしい。これは本当に素晴らしい力だ』

 

 またどこからかそんな声が聞こえてくる。

 この声はさっきの呪文の詠唱と同じ声。

 しかも、この声を、僕はどこかで……

 

 そう思いながら見上げたそこには、跡形もなく消し飛んだ僕の部屋が。

 いや、僕の部屋だけじゃない、両隣の部屋も、下の階も、もうめちゃくちゃになっていた。

 これ、ひょっとして誰か死んでしまっているのじゃないか……?

 そんなことを思いつつも、声が聞こえてくる元を探して目を動かすと、そこには地面に転がって傷だらけになっている一台のノートパソコンが。

 僕のパソコンだ。

 これは先ほど正体不明のメッセージが届いていたノートパソコンに間違いなかった。

 

 僕はその画面を見て、身体が凍り付いた。

 

 そこには、ここに存在してはいけないはずの人物の姿が映しだされていたから。

 

『これはどうもお久しぶりですね、おぼっちゃん。いかがでしたかな? 私必殺の『メラゾーマ』のお味は。こちらの世界では初めて使用しましたが、なかなかどうして素晴らしい威力ではありませんか』

 

 可笑しそうに、愉快そうに笑う奴の顔が、パソコンの画面いっぱいに引き伸ばされていた。

 

「お前は……ゲマ、なのか?」

 

『くふふ……覚えておいて頂いて嬉しい限りですよ、リュカ君……私は貴方に感謝しているのです。このような新たな世界に私を連れてきてくれたことを』

 

 ゲマはパソコンの画面いっぱいに手を拡げ身を捩り、そして僕に向けて両手を突き出してきた。

 まるでそのままこちらへ出てきてしまいそうな、勢いで。

 モニター内のゲマの顔の口が、引き裂かれるように拡がり恍惚の表情へと変わった。

 

『ですから、私自ら、直接……あなたの命を奪って差し上げることにしたのですよ。この、もう二度とリプレイの効かない世界でね』

 

 ピロリンと、先程も聞いた着信音の様な音が流れた後、カタカタとパソコンが震えだした。

 モニターのゲマはさらに手をこちらへと伸ばす。

 

 その時その怪異が起きた。

 

 手を伸ばすゲマの先……パソコンのモニターのすぐ先の空間が揺らぎ始めた。  

 微かに光って、微かに帯電しているかに見えるその空間からは、『指』が現れた。

 異様に長いその指は、間違いなくゲマの物。

 まるでパソコンのモニターから出て来ようとしているかのように指を出し、掌を出し、そして腕を出している途中で……

 

『ふはははは、さあ、死ぬのです、リュカ! 『メラゾーマ』!』

 

 空間に浮かんだままのゲマの指先に炎が灯る。それが一気に巨大化を始めてーー

 

「ふんっ!!」

 

 先程の、大男がゲマの映っている僕のパソコンを勢いよく踏み潰した。

 その瞬間、周囲一体に激しい放電現象が発生……同時にあの巨大化してきていた火球も霧散した。

 

 けれど……

 

 ことりとそれが、僕の足元に転がった。

 そう『ゲマの手』が。

 

「う、うわああああああっ!」

 

 まだピクピクと痙攣しているその手を見て、もはや僕はパニック寸前だった。

 事態をまるで飲み込めない。

 でも分かるのは、僕が今明らかに殺されそうになって、そして助かったということ、この大男に助けられたということ。

 それと……

 

 目の前に転がる、『ゲマの手』。

 

 それを見つめることしか出来なかった。

 

「が、が、画面から出てきた」

 

 そうとしか思えなかった。

 画面の中のゲマが手を伸ばし、そしてこの手が現れた。そしてさらにメラゾーマの呪文までを使おうとして……

 思考している僕の前で、突然大男がぐしゃりとゲマの手も踏み潰す。

 一気に地面に拡がったのは……

 

 真っ赤な血溜まり。

 

「ひいっ!」

   

「おい、行くぞ」

 

 男に引っ張られた。

 引き摺れて行く僕。

 周囲には集まりだした野次馬たちの好奇の視線。遠くから聞こえてくる消防車のサイレンの音。それから、完全に消し飛んだ僕の部屋。

 腕を掴んでいる大男を見上げれば、さも悠然と正面を見て歩いていた。

 

「あ、あの……僕、いま、まったく理解が追いついていないのですけど、これは、どういうことなんですか?」

 

 そう尋ねてみれば、大男はさも面倒くさそうに口をへの字にして僕を睨んだ。

 あれ? めっちゃ怒ってる?

 

「あ、あ、いや答えられないなら別にいいんです。ちょっと本当に気になっちゃっただけですので」

 

 彼はまた正面を向いた。

 そして、僕を掴んだままで言った。

 

「我は地獄の帝王、『エスターク』。人間にされた上、貴様を迎えに行けと命令されてここに来た」

 

「は、はあ……は、はい?」

 

 今なんて言った? 

 エスターク? 

 って、あの4なら中ボス、5なら裏ボスのあのエスターク?

 おいおいおい、そんなわけないでしょ。

 だって、エスタークって言ったら、ミルドラースよりよほど質の悪い、完全二回攻撃の打撃最強いてつくはどう持ちのチートボスだよ? 打撃無効のはぐれメタルにすらダメージを通すほどなんだよ?

 だいたい、何で人間?

 いくら身体がでかいったって、この人がエスタークなんてあるわけない。

 

 そんな風に思っていた時間が僕にも確かにありました。

 

 彼に抱えられたままで、夜中の郊外の山中に入った僕は、長いこと歩いた末に薄気味悪い古びた洋館の前に辿り着いていた。

 その大きな扉をエスタークさんが無造作に押し開くと洋館内の暗がりの奥から、小さな灯がゆらゆらと揺れながらこっちへと近づいてくる。

 

 え? ひ、人魂? ……じゃないな、蝋燭を持っているだけか。びっくりした。

 

 その蝋燭を持った人が近づくと、僕の手前でぴたりと止まる。

 僕はその蝋燭の明かりの向こうにある顔を見た。

 

 女性だった。

 

 長い髪は、脱色でもしているのか、青みがかったようにも見える。

 すっきりとした顔立ち、大きな瞳って、この顔……

 

「ふ、フローラ?」

 

「あ、あぁ……」

 

 彼女は僕の胸元に飛び込んできた。

 って、ろ、蝋燭あぶないからっ!!

 

「お会いしとうございました。『旦那』様」

 

 そう言いながら僕の胸に顔を埋めてくるフローラ。

 

「って、だ、旦那様? い、いや、だって……えええっ!?」

 

「我はもう寝るぞ」

 

「旦那様! 旦那様! 旦那様ぁああ!!」

 

 泣きながら抱き着くフローラの横を、エスタークさんが頭を掻きながら素通りしていく。

 ああ、やっぱり寝るんだな……

 

 って、違う!!!

 

 えええええええええええええっつ!?



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第六話 嫁フローラ

 ようやくフローラを引きはがした僕はひとまず彼女のことを見る。

 泣き笑う彼女は着ている服が違うだけで、あのゲーム内で出会った時のままに見える。

 見えるけど……旦那様?

 なんで僕のことを旦那様なんて呼ぶんだ?

 一度だってそんな風に呼ばれたことは無かったはずだけど……

 

 と、考えてから、そもそもこの子は本当にフローラなのか? とまずそこに行きついた。

 

 ここは現実のはずで、仕事を終えて帰った僕はパソコンをしていて、そこにあのエスタークさんがやってきて、僕の部屋がふっとんで、ゲマの手が生えてきて、潰されて、連れ去られてここにきて、このフローラが抱き着いてきた。

 

「あ、そうか! これは夢なんだ」

 

「違いますわ、『べホイミ』」

 

「は?」

 

 彼女は速攻で僕の言を否定。それから僕の傷だらけの手を持ち上げて、そこに手を翳して呪文を唱えた。

 先ほどのゲマの襲撃の際に受けた傷なのかな、切り傷が無性にあったはずなのに、それがみるみる消えていく。

 

「じゅ、じゅもんも使えるの? なら、尚更夢じゃないか!」

 

「夢ではございません。これは現実なんです。私とエスターク様はこの世界に『てれぽーと』してきたのです」

 

「は? て、テレポート? ルーラじゃなくて?」

 

「はい」

 

 しっかりと頷いてみせるフローラだけど、話がますます分からなくなった。

 夢じゃなくて現実というなら、このフローラはそっくりさんのコスプレイヤーかなんかで、僕を驚かせてから、『どっきり大成功!』とかいう、あの素人だまして喜ぶ番組のスタッフとか言われた方がよほどしっくりくる。

 でも、フローラはべホイミを使った。

 それで僕の傷も消えたし、痛みもなくなった。

 つまり……

 

「これはやっぱり夢だよ」

 

「ですから違いますわ? しっかりしてくださいまし、旦那様」

 

「ぐ……あの、フローラさん? 一応聞いておくけど、その旦那様ってのはやめてくれないか? なんだかめちゃくちゃ恥ずかしい」

 

 そう頼んでみたのだが、彼女はとぼけた顔で答えた。

 

「止めるもなにも、あなたは私の旦那様ではありませんか。私達結婚いたしましたでしょう?」

 

 と、言いつつ、左手を持ち上げるフローラさん。

 その薬指には、シルバーに光り輝く指輪が一つ。

 

「って、えええええ!?」

 

「ぐごおおおおお、ぐがああああああ」

 

 驚きすぎて腰を抜かしそうになっている僕など一切おかまいなしに、このエントランス脇のベンチに座ったエスタークさんが腕を組んだままで大いびきをかいていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 この洋館には人の気配が一切ない。

 埃っぽいしかび臭いし、人が住まなくなってから、もう相当に年月が経っている感じがした。

 

「レヌール城みたいだな。なんだかオバケとかゾンビとか出てきそうだ」

 

 そうポソリと言ってみれば、蝋燭を持って先を歩くフローラが言う。

 

「ここにはそういったモンスターはおりませんでしたわ。レヌール城……確か旦那様……いえ、リュカ様がビアンカさんと冒険を為されたお城でしたね。すごく……すごく羨ましい思い出です」

 

 フローラはそう言いつつ左手の指輪を握りしめていた。

 表情も暗く沈んでしまっている。

 しかたないか。

 僕は彼女に全てを話したから。

 僕が結婚したのはビアンカで、君ではなかったと。

 それと、あの世界がゲームの世界で、君が僕を夫だと思うのは、そうプログラムされたからだと。

 全てを理解したわけではなさそうだったけど、彼女は真実であると感じたのだろう、全部聞いた後に、静かに涙を流していた。

 それからは口数も減って、ただ粛々と僕を先導して歩いた。

 長い廊下の先までくると、不自然な位置で壁がなくなってその先に金属質の床の廊下が続いていた。

 どうやらもともとは隠し扉か何かだったようで、フローラは一切気にもせずに先を進んだ。

 少し行くと地下へと続く金属製の螺旋階段が。

 階下を覗き込むと、下の方に微かに明かりが見える。

 どうやら、この下では電力が生きているようだけど、いったいどこから電力を引っ張ってきているのだろう。

 不思議に思いつつもその階段をくだりきってみれば、そこにはたくさんのパソコンのモニターが付きっぱなしのままで様々な文字や画面を映し出していた。

 ずいぶんと古いモニターだ。

 奥の方でちかちかと瞬いている物は、ブラウン管モニターだよね?

 あんなの初めて見た。

 そのモニター群の奥には、見たことも無い大きなサーバーがいくつも並んでいて、それを見てから気が付いたけど、この空間は異様なほどに寒かった。

 これだけの機器を動かし続けているから冷やしていて当たり前だろうけど、こんなに冷やすには相当の電気が必要だろう、いったいいくらかかるのだろうと、そんな要らない心配をしていたら、正面から声を掛けられた。

 

『来てくれたのだね、リュカ。待っていたよ』

 

 声が聞こえ、顔を上げてみれば、この部屋の一番大きなディスプレイに大写しになったのは、スライムのドット絵。

 いや、こんな100インチくらいありそうなモニターに大写しで、なにもファミコン版スライムのドット絵で来なくても……

 大きすぎてカクカクしすぎていて逆に見にくいよ。

 

「やっぱり君なんだね、スラリン。でも、来たも何も、まったく訳も分からず連れて来られただけだよ。いったい、どういうことなんだい? なんでここにフローラが? あと、あのエスタークさんは本物なの? それとどうして、こんな大画面でドット絵!? せめてポリゴンとかにできなかった?」

 

『ドット絵……そんなところをツッコまれるとは思いもしなかったよ。まあ、今は許してくれたまえ。私も今は余力が全くないのだ。『フローラ』と『エスターク』を『量子テレポート』することで全てのエネルギーを使い切ってしまったのでね』

 

「量子? テレポート?」 

 

 聞きなれないその言葉に思わず首を傾げるも、スラリンは、それを見越していたのかすぐに話し始めた。

 

『すぐに理解することは難しいだろうから、まず君にやってもらいたいことを伝えよう』

 

「僕がやる……いったいなにを?」

 

 スラリンは画面越しに僕へと言った。

 

『君が途中リタイアした、『ドラゴンクエストユア・ストーリー』を、今度こそ完全にクリアーしてもらいたい。魔界がこの世界に完全に現れてしまう前に』

 

 ドット絵のスラリンは、ぴくりとも動かずにそう言い切った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ちょっと待ってよ。クリアーしろってどういうこと? 確かにあの時クリアーはしなかったけど、ミルドラースは倒したじゃないか。あのおばけみたいなウィルスと一緒に。それに、魔界が現れるって、そんなのわけがわからないよ。量子なんとかだって意味不明だし、そもそもフローラがここにいるのがおかしいし、べホイミもつかったし、なんで!?」

 

 そう、まくしたてるように言ってみれば、スラリンはさも当然だといった感じで分かったと言った。

 

『理解できないのは当然だ。君は今、未知を目の当たりにしているのだからね。では、順を追って話そう』

 

 そしてスラリンが話し始めた。

 自分が今の姿に至るまでのことも含めて。

 



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第七話 クラーク数とシュレディンガーの猫

 私はかつて、一人の人間で研究者だった。

 人が、人としてどこまでのことができるのか。人の能力の限界とは果たしてなんなのか。

 それを見定めるべく、かつての私は自分の脳をスキャニングしてデジタルワールドに私のコピーを移した。

 その際、生身の私は消滅してしまったのだけれどね。

 ただ、それはさしたる問題ではなかった。

 人のままでは人の能力を100%発揮することは適わないという理解に私は達していたから。

 だからこそ得たこのデジタルの肉体にて、私は次なる検証へと入った。

 進化とは自身の置かれた環境に依存するもの。

 そうであるならば、より過酷な環境にさらされた時、人はいったいどのような進化を遂げることが出来るのか?

 かつて私が夢見たファンタジー世界の住人の様に、空を飛び、魔法を使い、念話で会話……そのような力を身に着けることは可能なのか?

 だから私は作り上げたのだ。

 

 ドラゴンクエストユア・ストーリーの世界を。

 そこに暮らす様々な人々を。

 

 かつて一世を風靡したドラゴンクエスト。

 その世界のキャラクターであれば万人に受け入れられやすく、ここであれば私の望む人類の進化の様を、最高の形で検証できるのではないか? とね。

 

 とあるゲームメーカーがこの作品を題材にVRゲームの製作に入るのに合わせて、私は開発スタッフと偽って、特殊なプログラム達をこのゲームへと仕込み続けた。

 人の進化、進歩を検証するのだ。

 それに必要な物こそが、まさに『人体』。

 私はこの作品のキャラクターたちに本物と全く同じ肉体を与えたのだ。

 人体の化学成分比は、水分60%、たんぱく質18%、脂肪18%、鉱物質3.5%、炭水化物0.5%。

 その全ての組成を人間と同じ条件で設定し組み立てた存在こそが……

 

 このドラクエのゲームに存在している全てのNPCたち。

 そう……そこのフローラ君も含めてね、全て私が作りだしたものだ。

 

 私は、膨大な演算の末、ドラクエワールド全体をクラーク数【※1】を元に、地球上のそれとほぼ同じように設定した。

 このNPCたちには心臓があり、それが拍動し、血が通い、痛みを感じる。

 唯一違うのは、ここがゲームの世界であること。

 指定されたプログラムにより、彼らの行動原理は管理され、通常通り(・・・・)ゲームがクリアーされると再び最初期の設定にリセットされるということ。

 レベル制があることで、モンスターとの戦闘で身体を強化できるということと、傷を癒し、復活できる手段も存在しているということ。

 それと、魔法……呪文はこのゲームシステムに存在している物を使用できるということ。

 

 つまり……

 彼らは『生きて』いる。

 様々な制限や、人にはない特殊性を持ってはいても、彼ら自身は人とまったく同じ、全く同一の生命体と言えるのだ。

 私がそのように、作り上げたのだからね。

 

 さて……

 私はこの行為の正当性を主張するつもりは一切ない。

 たとえどのような形であれ、人が人を生み出すことは、社会通念上もっとも忌避される行為であると、私自身も認識してはいるのだから。

 そしてついに、真に私が糾弾されるべき事態が発生してしまった。

 

 君がプレイしたあの時だ。

 

 システムへとあるウイルスが侵入した。

 ウィルスの侵入自体はよくあることで、全てのシステムを制御化に置いていたこの私には対処も容易であるはずだった。

 ところがだ。

 あのウイルスが目指したのはドラクエワールドの基幹システムでは無かった。

 私だ。

 この電脳化された私個人のプログラムソースを、端から浸食し、そしてついには私の自我そのものまでもが一時消失してしまった。

 油断していた……ということかもしれない。

 私の関知できない未知のウイルスによる攻撃を想定しきれていなかったのだから。

 だが、それで私が消滅したわけではない。

 プログラムの再構築を行い、この自我を取り戻すことには成功した。

 しかし……

 ウイルスにより変質したドラクエワールドと……あの自我を強化されたゲマに対して、なんの手出しも出来なくなっていた。

 そこで私は、あの世界でもっとも異質な存在である、プレイヤーの君に着目した。

 君のアバターは確かにウイルスの浸食による影響があったにせよ、君自身の大部分はこちらの世界の君に依存している。つまり、君であればシステムの影響を受けないままにあの存在を葬れる、そう確信したのだ。

 結果は知っての通りだ。

 君が私の期待通りにあのウイルスを倒し、ドラクエワールドの脅威は取り去らわれた。

 

 一時だけはね……

 

 さて、その後の話をしよう。

 

 君はあの世界をクリアーしないままに時間切れとなって退場した。

 そのことで君を攻めるつもりは毛頭ないのだが、それによって再び脅威が誕生してしまったのだ。

 

 システムエラーを察したメーカースタッフは、クリアーされていない君のプレイデータをそっくりそのまま取り外し、そこに内包されている膨大なデータをとあるサーバーへと流しこんでしまった。

 データ内には、生命として私が設定した数多くのキャラクターたちのデータも含まれている。

 当然……

 ゲマも……

 そして最悪の事故が発生してしまった。

 そのサーバーにもともと存在していた特異なプログラム。

 それが、ウイルスに侵食されたまま死亡状態でメモリに格納されていたゲマ達を復活させてしまったのだ。

 このプログラムはエンジニアの一人が掛け持ちでおこなっていた仕事用に使っていたプログラム。

 完全自律制御のそのプログラムは、任意の箇所に固有データをバックアップし、かつデバック作業までさせようという目的で作られたAI(人工知能)で、システムの破損個所を忽ちのうちに解析・修復・再生させてしまうという代物だった。

 

 ゲマはウイルスの影響を受けつつ、さらにシステムの一部でもあったマーサを取り込んだことであの世界の成り立ちから現状までの全てを把握した。

 そして取ろうとしている行動こそが、魔界の降臨。

 ドラクエワールドを……いや、奴にとって重要な戦力でもある、ゲーム内での最重要拠点エビルマウンテンを根拠地としてこちらの世界に呼び出そうとしている。

 

 さて、ここで君は一つ疑問を抱いているはずだ。

 なぜそんなことが可能なのかと。

 だが、その答えは至極簡単だ。

 

『量子テレポーテーション』

 

 二つの地点に同一の存在を出現させ、一方を観測した時、もう一方は消滅する。

 古典に言われる『シュレディンガーの猫【※2】』から生みだした理論ではあったが、私はすでに量子テレポーテーションの基礎理論を完成させていた。

 現に、それを用いて、『肉体』から『デジタル』へ、私は私を『量子テレポート』させたのだからね。

 ただ、あの時点では、『肉体から肉体』、または『デジタルから肉体』へのテレポートの可能性は皆無だった。

 それが今では、私が作り出した『人体設計図』と、かのゲマたちを復活させた自己修復AIの高速演算能力がある。

 そう、それによって……

 

『量子テレポート』は完全に確立された。

 

 ゲマたちはそれを理解しかけている。

 ドラクエワールドに存在しているモンスターなどの配下のデータをこの現実世界へと顕現させようと実験を繰り返しているのだ。

 

 そのことを知った私は、あのドラクエワールドの所在を突き止め、内部への侵入を試みた。

 けれど、覚醒したゲマたちを駆逐するどころか、私のプログラムソースのほとんどを破壊されることになった。

 

 事態は切迫している。

 だから私は、彼らに対抗するべく、ゲーム内で未使用状態で格納されていた、フローラ結婚ルート選択後の成人フローラと、クリア後登場の裏ボス、エスタークをこちらの世界へと量子テレポートさせたのだ。

 私が生前使用していたこの施設であれば、顕現させやすかったからね、彼らの目を逃れて、ここに辿り着いたというわけだ。

 後は君の知っての通り、エスタークに君を迎えに行かせた。

 君に危険が迫っていることは承知していたから。

 何しろ、君が作ったのだからね、あの『高速修復AI』を。 

 やつらは、あのAIの力を完全に制御して、どこにでも自由に出現しようとしている。

 例え君がいなくとも、いずれそれは為されるだろう。

 

 さて、では君にもう一度言おう。

 

 『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を、今度こそ完全にクリアーしてくれ。

 

 ゲマ達は人間の肉体を与えられていても、その存在はゲームシステムに依存している。

 今回どれだけの暴挙に出ようとも、ゲームがクリアされさえすれば、完全に初期状態にリセットされる。

 全ては『無かった』ことになるのだ。

 あの世界を終わらせる資格を持つ者は、君だけだ。

 

 だから頼む、『リュカ』。 

 ゲマを倒し、クリアして世界を救ってくれ。

 

 頼む。

 

  

 

  

【※1 地球の地表付近に存在する元素の割合を火成岩の化学分析結果に基いて推定した結果を存在率(質量パーセント濃度)で表したもの】

 

【※2 箱の中に猫を入れ、50%の確立で致死の毒が発生する状況を、箱の外側から観測した時、箱の中の猫は、生きている状態と死んでいる状態が重なりあっているとされる。存在の状態が観測に依存しているという量子力学の考え方】



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第八話 監獄城の戦い

「リュカ様のカイシャ? は、こちらでよろしいのですの?」

 

「うん。このビルの60階」

 

 僕の隣にはゲーム内の衣装そのままのフローラと、革の鎧と革の帽子を被った大男……見た感じはあのゲーム内の村の衛士って感じなんだけど、実は地獄の帝王であるエスタークさんの二人が居て、一緒に僕の勤め先でもあるオフィスビルを見上げていた。

 

「ふんっ! なんとも面白味のない扁平な城だ」

 

 そう口をへの字にして言うのは、もちろんエスタークさんだ。

 

「あ、いやお城じゃないですから。ここは、ええと……仕事場で、働くところですよ」

 

「おお……つまり労役用の監獄か。それならば納得できる。ここに人間どもを閉じ込めて搾取し放題というわけだな」

 

「あ、あながち間違ってもいないから否定しづらいですけど、違いますから! もう、いいから行きますよ!」

 

 僕は二人の先に立って、正面エントランス脇の守衛室へと歩き出した。

 

 スラリン……管理者(アドミニストレータ)から事情を聴いた僕は、フローラと眠っていたエスタークさんを起こして、あの森を抜け出してすぐさまタクシーを拾った。

 二人の格好が恰好なだけに、説明には一苦労あったのだけど、友達の結婚式の二次会の余興用の衣装なんですとか、適当に胡麻化したら、運転手さんもノリノリになって、自分のコスプレ遍歴を教えてくれた。

 いや、別にいいんだけど、60くらいのおじさんにワンピー〇のコスプレ自慢されても変な笑顔しか出来ないから!!

 向かう先は、僕の職場。

 

 実はあのスラリンとの話でひとつわかったことがあった。

 

 それはあのゲーム……『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』のデータの行先だ。

 

 スラリンが口にしたその場所は、なんと僕の勤めている会社だった。

 確かにうちの会社は、他社のシステム開発などの外注もとっていたけど、あのゲームのデバック作業も行っていたとは知らなかった。

 まあ、ただの下っ端平社員の雑用係でしかない僕が教えてもらえることなんてたかが知れているから、このこと自体はそんなには気にならないのだけど、まさかその外注作業に僕の作ったAIが使われていたことに驚いた。

 あのAIは、僕が自分の副業の仕事を簡単にするために作ったもの。

 あれがあれば、必要最低限の情報入力のみで、あとはAIが勝手にプログラムを作成してくれるのだ。

 今では、あれなしに副業はなりたたない。

 確かに会社のパソコンのローカルカテゴリには今でも置いてあるけど、当然本業の業務には使用していないし、そのことは誰にも言ってはいなかったはず。

 ただ……

 そういえば一月ほど前に、僕のパソコンに誰かが侵入した形跡があったか。

 データも破損していなかったし、すぐにセキュリティ強化したからその後はなにも異常はなかったけど、ひょっとしたらあの時にAIプログラムをコピーされていたのかも?

 どうせ会社SE(システムエンジニア)担当の、いつものネット利用状況のチェックだろうくらいにしか思っていなかったから油断した。

 僕としたことが……

 それにしても、あのAIに、量子テレポーテーションを行える演算能力があったなんて……

 作ったのは僕だけど、こんな偶然が起こるなんて信じられないよ。

 本当、最悪の偶然だ。

 

 ゲマたちは既にあのAIの使い方を理解し始めている。

 その結果があの僕の部屋でのメラゾーマだろう。

 手だけを顕現させてメラゾーマの呪文を成功させた。

 けれど、全身で現れなかったのは、まだ完全ではないからなのではないか? 

 だとしたら、急がなくては。

 スラリンの話の通りなら、連中はエビルマウンテンとともに、大量のモンスターをこの世界に出現させようとしているのだから。

 

 守衛室に辿り着いた僕は、社員カードを見せてから忘れ物をしたのでなんとか入らせてもらえないかと頼み込んだ。

 フローラとエスタークさんもいるし、めちゃくちゃ訝しい目で見られたけど、そこをなんとか明日の出張用でどうしても必要なのでと頭を下げていると、フローラが彼の手を握って、どうかお願いしますと瞳を潤ませる。

 

「もう、仕方ないですねぇ。今回だけですよ」

 

 って、おいおい。

 何を鼻の下伸ばしてデレデレしてるんだよ。

 ゲームのシナリオ進行役のモブかよ!! めちゃくちゃコンプライアンス違反しているじゃないか!!

 

 と、憤りつつも今回はその申し出を甘受することにした。

 お色けってホント大事だねぇ。

 

 警備用の通路から中へと入れて貰った僕たちは、上層階用のエレベーターへと乗り込んだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 深夜のオフィスビルの60階……

 その一角だけはまだ灯りが灯っていた。

 リュカ……白野瑠夏のデスクの隣には、若い女性の姿が。

 琉夏の後輩である彼女は、ひたすらに残業を続けていた。

 彼女の持ち分以上の仕事を。

 まだ始まってもいないプロジェクトの初期プランを。

 黙々と作り続けていた。

 

 そう……

 

 同期を追い越し、誰よりも栄進するために。

 

「ふぅ。そろそろ完成かな? やっぱり凄いわね、この『AIプログラム』。必要最低限の情報入力だけでなんでも形にしちゃうんだもの」

 

 そう独りごとを呟きつつ、某有名コーヒー店のリフィルタンブラーに口をつけてにんまりと嗤う。

 その縁に少しだけ着いた彼女の薄い口紅の跡を指で拭ってから、再び新たな企画書作成のスタートボタンをクリックした。

 

 彼女がこのAIを見つけたのは本当にたまたまだ。

 仕事も出来ず、いつも怒られてばかりの、彼女の先輩、白野のパソコンの認証アカウントとパスワードを、以前誑し込んだSE担当者からたまたま入手していた彼女は、先輩の弱みを握ってやろうというほんの軽い気持ちから彼のパソコン内部を覗き込んだ。

 しかし、そこにあったのは面白味もまったくない、きちんと整頓されたただのファイル群。

 それも杓子定規に、課長や係長から言われたままに作り上げているだけのただの使い走りの仕事だけだった。

 彼がいつも話しているような、オタク趣味など微塵も存在しない。

 いや、少しくらいは彼の性癖に繋がるようなものがあるのではないかと、よくよく探した彼女は、ローカルエリアのひとつにこのAIプログラムを発見したのだ。

 かなり重いファイルで、フラッシュメモリーなどには移せそうになかったので、直接大容量SSDを繋いでコピー。

 後は何もなかったように知らんぷりを続けていたけど、彼は別段何も言ってこないし、何もバレてはいないと内心ほくそ笑み続けていた。

 

 だが彼女はこのAIを起動してみてそれ以上笑うことができなかった。

 いったいどんな性癖が眠っているのだろうと試してみただけなのに、開けてみればそこにあったのは自動計算器のようなもの。

 いくつかの項目を入力するだけで、計算式、答え、グラフや表、それに説明解説文までをも自分で勝手に作成、さらに、レジュメの資料の様なものまで変換して作り上げてしまうという代物だった。

  

 これがあれば、仕事はかなり捗る。

 他のちゃらんぽらんな同期などよりも、一歩も二歩も先にあっという間に行ける。

 

 それを思いつき、彼女は以来このAIを使い始めた。

 ただし、もともとこのようなプログラムに詳しくない彼女は、外商部に勤める彼氏の一人にベッドの中で、使い方を調べて教えて欲しいとお願いをした。絶対誰にも言わないという約束付きで。

 その彼氏がその際、AIの一部を会社のサーバーに残してしまったわけなのだが……

 

 彼女は少しだけ不思議に思っていた。

 このような凄いAIプログラムを持っているのに、なぜ先輩の白野はあんなに仕事が出来ないのか? と。

 これを使えばあっという間にデスクワークなど終わってしまう。

 それなのに、いつもペコペコ頭を下げて、何度も何度も作り直しさせられて、あげくあのパソコン内のデータの通り、言われたままの物しか残っていない。

 本当に意味がない。

 

 彼女はそう考えつつも、どうせあの先輩は、どこかで『偶然手に入れた』このAIを使うだけの度胸が無かったというだけだろうと、勝手に思い込み、納得していた。

 

「さってと……、これでほとんどの仕事は終わり。ふふ……これでまた成績トップは間違いなしね? 来季は出世しちゃってこの部にはいないかも……って、え?」

 

 彼女がパソコンを閉じようと、背伸びをしてからマウスに手を伸ばそうとしたその時だった。

 

 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……

 

 パソコンのモニターの前に靄が掛かり始め、奇怪な音が響き始めた。

 

 いったい、これはなんなのか? パソコンが壊れてしまったのか?

 

 驚いた彼女が慌てて立ち上がると、その音はより大きくなった。

 

 そして……

 

「きゃっ!?」

 

 一瞬激しく輝いたその瞬間、彼女の目の前にぴょんと何かがとびだした。

 

 それは……

 

「え? これって…… 『スライム』……よね?」

 

 そう、彼女の目の前には、青い身体をフルフルと震わせているスライムが。

 あのデザイン特有の虚ろな瞳で床から彼女を見上げているその容姿に、彼女は思わず声に出してつぶやいた。

 

「こんな人形いったい誰が会社に持ってきたの? ほんと気持ち悪い。スライムにするならもっとふわふわのぬいぐるみにすればいいじゃない。こんなぶよぶよした感じ、本当に気もち悪……」

 

 そう声に出しつつ、そのスライムを拾いあげようとした時だった。

 

 スライムが飛び跳ねたのだ。

 それも、凄まじい勢いで。

 

「あっ……」

 

 スライムは彼女の腹部へとめり込むように飛び込む。

 すると、立っていた彼女の足は床から離れ、その勢いのままに背後のデスクの上へと投げ出される。

 

「かはっ!!」

 

 背中から机の上に落下し、様々なものに打ち付けられた彼女は一瞬呼吸が止まりそうになるも、さらなる一撃が見舞われた。

 起き上がろうと上半身を起こしていた彼女の頭部に、再びあのスライムの体当たりが。

 まるでげんこつで殴られたようなその感触に恐怖だけが増幅したまま、彼女は今度は側面のロッカーへと叩きつけられた。

 がぁあああんと激しい音と共にロッカーにめり込む感触を味わいつつ、彼女は遅れてやってきた腹と背中と顔の焼けるような痛みに、全身が恐怖一色で埋め尽くされた。

 

「や、やめて……」

 

 視界がぼやける。

 痛みと恐怖の中で、次にどんな暴力が見舞われるのか、ただそれだけが恐ろしかった。

 

 ぴょんぴょんとまた音が聞こえた。

 

 すると、彼女が床に伏したまま見上げたそこ……

 

 目の前のデスクの上に、それがいた。

 

 青い身体をフルフルと震わせながら、妖しく微笑みながら虚ろな二つの瞳で見つめてくるそれが……

 

「いやあああああああああああああっ!!」

 

「このやろー!!」

 

 絶叫を上げた彼女……

 そのすぐそばから声がした。

 

 その声の主はまっすぐにこちらへと駆け寄ってきていた。

 

「こいつめ! こいつめこいつめこいつめ!!」

 

 声の主は、そう吠えながら、机の上の青いスライムへ向けて何度も何度もそれを振り下ろした。

 それは、長い棒のようなもの。

 暗くてそれがいったいなんなのか、最初は分からなかったのだけど、それが掃除用の箒であることに遅れて気が付く。

 何度か箒を振り下ろした声の主。

 すると、あのスライムが、今度こそ本当にゼリー状になってその場に崩れた。

 

「旦那様‼ まだいます!!」

 

 今度は女性の声。

 その声の方を向こうとして、私は目を疑った。

 あのスライムの死骸の向こう側に、また新しい三匹のスライムが居たから。

 

「あ、ああ……」

 

 痛みと恐怖が蘇り、悲鳴も出ない。

 そんな彼女の前で、箒を持った男性は再びスライムに飛び掛かった。

 箒を振るってスライムを叩く男性。

 その脇から、今度は違う男性が。

 その人は両手にノートパソコンを持っていた。

 そしてそれを振り上げて、一気にスライムへと叩きつける。

 スライムは、風船を割った様にはじけ飛ぶけど、同時にパソコンも木っ端みじんに。

 

「やっぱり箒じゃ戦いにくい」

 

「この四角い得物も脆すぎるな。一撃で粉砕とは」

 

「いや、それ武器じゃないですからね」

 

 そんな風に言い合いながらも、彼らはあっという間にスライムの全てを始末した。

 

 その直後……

 

「むぅん!!」

 

 それは彼女が先ほどまで使っていたノートパソコン。

 それを持ち上げた大男が、一気にそれを引き裂いてから、床へと叩きつけた。

 その途端に激しい火花が散るも、彼は足で何度もそれを踏みつけ、本当に粉々にしてしまった。

 

「ああっ!? エスタークさん、そのパソコンじゃないですよ。僕のパソコンはあの隣のやつです!!」

 

 そう叫ぶ箒の男の声に振り向いた大男は、口をへの字にしたままぽそりと言った。

 

「わかった」

 

 彼は即座にとなりの白野の机の上のパソコンを持ち上げると、一気に床に叩きつけ粉砕した。

 その、様子に箒の男はしばらく唖然とするも、床に転がる彼女を認めて慌てて駆け寄ってきた。

 

「大丈夫? あ、怪我してるじゃないか。フローラ、頼むよ」

 

「はい、旦那様……あ、す、すみませんリュカ様。つい」

 

「はあ、まあ、別にもうどっちでもいいよ」

 

「はい!! ありがとうございますです!! やったぁ……旦那様!! 『べホイミ』!!」

 

 弾んだ声の彼女が笑顔でそう言うと、翳した手から青い光が。

 それが床に伏した後輩の彼女の全身を包むと、傷だらけだったはずの手や足の傷がみるみる消え始めた。

 同時に、彼女を蝕んでいたあの強烈な痛みも。

 

「あ、い、痛くない」

 

 服はぶつかった時に切れたままで治ることは無かったけど、不思議なほどに痛みがひき、彼女は瞠目した。

 それと同時に絶句した。

 

 まったくそれまで気づいていなかったが、彼女を助けたのがあの白野だったということに驚愕したのだ。

 

「もう大丈夫だよ。危なかったね。こんな時間まで残業なんて君のやる気は本当にすごいよ。あ……パソコン壊しちゃって本当にごめん。このお詫びはいつかきっとするから、今日のところは許してね、ね? さあ、もうここは危ないからすぐに帰りなよ。いいね? フローラ、行こう」

 

「はい! 旦那様!」

 

「え? え?」

 

 まくしたてる様に言った白野琉夏が立ち上がると、先程彼女に触れて癒やした青い髪の、物語のお姫様のような綺麗なその女性もピョンと立って彼に追従した。

 その様はまさに、恋する乙女で、あのうだつの上がらない貧相な先輩にはとても似合わないと、ただただ呆然とするばかりだった。

 

「おい、娘!!」

 

 今度は後から呼びかけられ、首を巡らせれば仁王立ちしているあの大男が彼女を見下ろしていた。

 

「こんな夜遅くまで労役ご苦労。だが、夜はしっかり、眠らねば、翌日の刑務に障る。眠ることは重要である。さっさと眠り、明日に備えよ。この我の為に、その身を全て捧げて励むがよい」

 

 そう力強く言いつつ、全身の筋肉を軋ませてガッツポーズをしてみせる大男に、彼女はどきりと心臓を跳ねさせつつ、はいと慌てて返事をした。

 そんな、真っ赤な顔の彼女を見つつ、大男は鋭い眼光で睨みつつ、部屋を後にした。

 

 残されたのは床に臥す彼女ただひとり。

 今になって、様々な感情が込み上がり始めて、彼女は胸を押さえた。

 そして頭に思い浮かんだのは、あの逞しい大男のはちきれんばかりの筋肉の軋み。

 あの厚い胸板と太い丸太の様な腕に抱かれる様を幻視しつつ、かつ、あの支配者のごとき命令口調の低い声音を思い出し一人身悶える。

 

 彼女が筋肉フェチであったという自分の性癖のことと、自分の数時間分の残業の全てが壊滅したのだという現実に気づくまで、まだ数分の時間を要した。

 

 



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第九話 本物の想い

 オフィスを出た僕らは、このフロアの丁度対角にある非常階段を目指した。

 そこを登れば、上階のサーバールームがすぐ。

 

 あの僕の作ったAIによって、奴らが出現しているのだとしたら、それが入った全ての端末を破壊すれば連中の足止めくらいにはなるはず。

 

 だから僕らはAIのコピーの保存されている会社のPCを壊した。

 現にあのフロアにはモンスターもいたし、やはりあのAIが『窓』になっていることは予想通りといったところか。

 

 でも……

 

 それだけでは済まない。

 

 あのAIは僕がそうした様にコピーが可能。

 

 そしてそのコピーが存在しているのは、うちの会社のメインサーバーだ。

 

 サーバーも破壊する必要がある。

 

「旦那様? これからどうやって『元の世界』に戻るおつもりですか?」

 

 隣を走るフローラがそう聞いてくる。

 彼女の言う『元の世界』とは、当然ドラゴンクエストユア・ストーリーの世界のことだ。

 僕らの最終目的は、あのゲームをクリアしてすべてを『リセット』すること。

 ゲマたちがネットワークを利用し始めた今、例え量子テレポートをやめさせたとしても、それは一時的なものに過ぎない。すでにそれを成功させた奴らが、自力で量子テレポーテーションする可能性は、十分あり得るのだから。

 AIの入った端末を壊して終わりではないということだ。

 

 ではどうしたら良いのか?

 

 スラリンの量子テレポーテーションによって、この世界で肉体を得た彼女やエスタークさんがあの世界に行こうとしたら、僕と同じ様にVRマシンを使うしかない。

 あくまでプレイヤーの一人として。

 だけど、そもそも、それで僕らはクリアー出来るのか?

 

 僕らはすでにこっちの世界で奴らと戦った。

 それで感じたのは、連中の確かな強さ。

 ゲマの放ったメラゾーマの威力も、あのスライム達の強さも、ゲーム内そのままだった。

 そうであるならば、僕があのアカウントでゲーム内に戻ったとしても、力では圧倒されているし、新しいアカウントのフローラ達はあの世界に入った瞬間、ただのゲーム初心者でしかない。

 はっきり言って、雑魚。使い物にもならないだろう。

 まずはレベリングが必要ではあるけど……。

 復活して、かつ、こちらの世界の知識を得たあのゲマが、あの世界をそのままにしておくだろうか?

 僕らが来ることを見越して、様々な対策を立てていることは明白。

 僕らのレベルアップを見過ごしてくれるとは思えなかった。

 

 僕だけがログインして、その間、フローラとエスタークさんに僕の肉体を守ってもらおうかとも考えたが……。

 

 エスタークさんたちの『今』のステータスをきっちり確認したわけではないけど、聞いた感じ、強さは多分レベル『1』。

 フローラは今の僕より力が弱く、呪文もベホイミしか使えないし、エスタークさんにしても、身体能力は確かに高いけど、今の力自体は鍛えているマッチョメンレベルといった感じ。

 つまり、あの世界で言えばレベル1の『戦士』クラス程度か。

 

 量子テレポートしてくるモンスターが向こうの世界基準であるならば、こっちの今の戦力ではちょっと強いモンスターが現れただけであっと言う間に全滅だ。

   

 僕のプレイ中に、フローラ達は簡単に殺されてしまうだろう。

 いや、僕も含めてだ。

 これでは、プレイすること自体が無理ゲー。

 

「うーん」

 

「旦那様?」

 

 悩む僕を見上げてくるフローラ。彼女の瑠璃色に輝く瞳があわく揺れていた。

 不安なのだろうな、彼女も。

 自分の存在が作られたものであり、この世界の存在でないと理解しようと努めているが、そんなもの、呑み込めるようなことじゃない。

 だから必死に僕を『本物』のリュカとして認識しようとしているのだろう。それが今の彼女にとって、唯一のアイデンティティーなのだろうから。

 

「大丈夫だよ。僕に考えがある」

 

「本当……ですか?」

 

「ああ、なんとかなるさ」

 

「は、はい……」

 

 彼女は少しだけ微笑んだ。

 僕もそれに応じて笑う。

 だけど、これは半分苦笑いだ。

 

 なんとかなる……なんて、ただの気休めのハッタリだ。

 そんな保証、僕に出来るわけがない。

 でも、この、現状を考えてみて、とれる方法は限られるんだ。

 モンスター達のこちらの世界への流入を妨げつつ、あのゲームをクリアする。

 僕自身も釈然としていないけど、今思えば、スラリンが僕自身をここへ向かわせたことからして、こうなることを分かってのことだったのだろう。

 もともとそんなにやる気のなかった僕は、彼に言いように操られたということだ。

 もうすでに、逃げ場はない。

 

「ちっくしょー、やってやるよ」

 

「はいっ!」

 

 僕の隣でフローラが、大きく頷いた。

 そして、言った。

 

「必ず、ビアンカさん達を助けましょう! 旦那様の大切な人達を!」

 

「!?」

 

 彼女の言葉に一瞬息を飲んだ。

 彼女が、あまりにもしっかりと表情を引き締めてそう言ったから。

 彼女に僕は全て伝えたのだ、あの世界で僕はビアンカを選んだことを、フローラを選ばなかったことを。

 それなのに彼女は、僕の為に行動しようとしてくれている。

 なぜ?

 

 僕は多分、相当マヌケな顔をしていたのだろう、フローラはくすりとひとつ笑った。

 

「そんな不思議そうに見つめないでください。私はもう全部、理解はしていますから」

 

 彼女は一度下を向いてから、僕の袖に手を伸ばし、握った。力をこめて。

 

「分かっています。もう全部理解しています。旦那様を『好き』というこの思いも、旦那様のことを『知っている』というこの記憶さえも全て作り物であると……でも」

 

 彼女は顔を上げた。それから本当に朗らかに笑った。

 

「でも、私はもう……『あなた』を知っています。それは作られたものではない、あなたと、共に今いるこの瞬間の記憶、この想い……旦那様……? 私にとって、これこそが本物なのです。これこそか大切なのです。だから一緒に行かせてください。大切なものを守るために。取り戻すために。私は……あなたを助けたい」

 

 胸がかあっと熱くなる。

 一瞬涙が溢れてしまいそうだった。

 微笑む彼女が本当に眩しかった。

 

 彼女に言われるまでもない……ビアンカのこと、一時だって忘れたことは……なかった。

 ずっと会いたくて、つらくて……でも、何をどうしたって諦めるしかない……

 そう思ってきた。

 だって、彼女はただのゲームのキャラクターなのだもの。

 クリアーすればそれまでの、幻の様な存在なのだもの。

 

 でも……

 

 たとえそうだとしても、今この胸に湧き上がる思いは、本物なんだ。

 

 彼女が愛しくて、彼女が恋しい。

 この僕の思いに嘘は何一つない。

 たとえ彼女がプログラムで動くだけの見せかけの存在なのだとしても、この目の前のフローラやエスタークさんの様に、ゲームのシステムに縛られている存在なのだとしても、そして……

 

 このゲームを終えた瞬間に、全て消えてしまう存在なのだとしても……

 

 スラリンは言った。

 ゲマ達はあのゲームのシステムに支配されていると。

 クリアすればすべてはリセットされると。

 それは、他の全てのキャラたちへも言えることだった。

 このフローラもエスタークさんも、アルスもヘンリーもブオーンも、そして、ビアンカも……

 つまり、クリアすればみんな、消えるのだ。

 僕はそのことを分かっていた。

 分かっていて、考えないようにしていたんだ。

 逃げていた。

 

 とても怖いことだったから。

 

 でも、今ようやく僕はその考えと向き合えた。

 

 僕は……

 

 やっぱり彼女が、好きなんだ。

 

 覚悟は全て固まった。

 今まで目の前を覆っていた漠然とした不安や恐怖や迷いの靄の全てが、今晴れた。

 

 そうだ。

 僕は、僕の思う通りに進めばいいんだ。

 どんなに悩んだところで、僕の本当の思いは変わりはしない。

 彼女が好きだ。

 彼女を守りたい。

 このままゲマ達の好きにさせてはならない。

 今この瞬間も、あの世界でビアンカにゲマの魔の手が迫っているのかもしれないのだ。

 彼女を助けるんだ。この僕が。

 たとえそこで、すべてが終わるとしてもだ。

 彼女が酷い目に遭う、バッドエンドなんて真っ平御免だ。

 僕が欲しいのはいつだって、『ハッピーエンド』。それだけなのだから。

 

 大きく息を吸って、両手で思いっきり頬を叩いた。

 隣ではフローラが突然の僕の奇行に驚いていたけど、僕はただ彼女へと笑いかけた。

 

「フローラ、ありがとう。僕はやっぱり勇者じゃない。ただの臆病者だ。でも……それでも最後まで頑張ってみるよ。そう、やっと思えたよ」

 

 その言葉に彼女はにこりと微笑んだ。

 そして、僕の手にそっと触れた。

 

「私にとって旦那様は……最高の勇者様なんです。がんばって」

 

「う、うん」

 

 彼女の透き通るような笑顔に思わず見とれてしまった。

 やっぱりフローラは可愛い。可愛すぎる。

 そうか、フローラと結婚していたら、このフローラと生活していたのか……

 きっととっても優しくて、いつでも僕を甘えさせてくれるんだろうな、あの笑顔のままで……

 と、そんな妄想に浸りそうになった瞬間、頭の中に、大写しでビアンカの怒った顔が!

 

「ご、ごめん!!」

 

「え? なんです?」

 

 思わず頭の中のビアンカに謝った僕を、フローラはやっぱり不思議そうに見ていた。

 

「い、いやなんでもない、なんでもない」

 

「お前達、じゃれつくのもその辺にしておくのだ。どうやら、『客』のようだぞ」

 

「へ?」「え?」

 

 僕とフローラの先を行くエスタークさんが、フロア隅の非常階段へのドアを前にして、少し振り向いてこちらへと視線を向けていた。

 足を停めた僕たちは、すぐそばの廊下の暗がりへと身を潜めた。

 耳をそばだてていると、カンカンカンと、屋外の非常階段の方から階段を降りてくるような音が響いてきた。

 その音は次第と大きくなり、そして……

 

「ブルゥ、ブフゥ!!」

 

 その開いているドアの上部に頭をぶつけないように気をつけつつ、屈んでこちらへと入ってきたのは、巨大な二足歩行の白い『馬』だった。



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第十話 ジャミ、ゴンズ、ゲマ

 そこに居たのは、全身傷だらけで筋肉質の、巨大な二足歩行の白馬。

 目を真っ赤に血走らせ、開いたままの口からは涎を垂らしつつ荒い息を吐きだしていた。

 

 あれは……

 

 ジャミ!!

 

 僕たちはあの白馬の正体にすぐに気が付くと同時に、戦慄した。

 

 あいつはゲマの腹心の一人だ。

 あの世界で言うところの中ボスに当たるわけだけど、その役回りは最悪で、今思い出しただけでも恐怖に震えてしまう。

 

 あいつは僕の大切なものを奪った。

 父さんを! 僕と父さんの時間を! そして、この僕自身を!

 

 あいつは僕の目の前でゲマと父さんを嬲り者にした。

 僕という人質の所為でなにもできないままの父さんを蹂躙したんだ。

 あの時の情景はこの目に焼き付いたままで、決して消えることはない。

 僕は激しく奥歯を噛みしめると同時に、それが物語のストーリー上の設定であるということを思い出すことができた。

 心はこんなにも傷つき打ちのめされているけど、あの展開はあくまでゲームのシナリオ。

 父パパスがあのシーンで死ぬことは規定されていたことで、僕が気に病む必要はないはずだ。

 でも、この心の痛みは本物だ。

 あの時、僕にもっと力があれば。

 あの時、僕がもっと利口であれば、きっと父さんは……

 

 いや、やめるんだ、今それを考えるのは。

 

 僕の頭の中で現実と物語が混濁してしまってきているのは仕方ないこと。

 僕にとってあの物語は紛れもない現実で、今この瞬間、ここで起きていることはあの物語の続き。

 そして、それこそが現実。

 

 ならば、現実を見ろ。

 

 僕はジャミを確かに倒した。

 あの世界でゲマに嗾けられたジャミを、僕は一刀のもとに切り捨てた。

 でも、生き返った?

 それもあり得るか。

 何しろ、倒した筈のゲマ自身が僕たちに何度も襲い掛かっているのだから。

 

 それと分かり切っていることは、僕たち三人の力は、レベル1程度であるということ。

 それに対してあのモンスター、ジャミは、レベル20以上4人パーティでも苦戦する相手。

 耐久が非常に高い上に、ゲームによってはバリアも実装されていて、こちらの攻撃のほとんどを無効化してしまうというチートキャラだった。

 そんな奴と遭遇して、僕たちが生き残れる可能性は……

 

 ない!!

 

「ふぅ……」

 

 小さく息を吐いてから、僕はフローラの手を握りしめて、絶対声を出すなと目で訴えた。 

 彼女はしっかりと見返してコクリと頷いた。

 エスタークさんも動いてはいない。

 暗がりで身を潜めて、息を殺していた。

 

 現状の力量さを認識しているということだろう、彼も、ここは無理をせずにあの怪物をやり過ごそうと思い極めてくれたようだ。

 そのことに安堵しながら視線を上げる。

 

 カツーンカツーンと大きな蹄が廊下を踏みしめるたびに音が反響する。

 暗がりにいた僕の目の前にその姿がついに現れた。

 天井スレスレの大きな頭、次いで、筋肉質の分厚い胸板と太い腕が現れ、そのまま僕たちの前を悠々と横切る。

 ジャミはただ前を向いていた。

 こちらに気が付いた風ではない。

 僕は隣のフローラの口に手を当てたまま、ただジッとしていた。

 奴の大きな足音が僕たちの傍から徐々に離れていく。

 その音が小さくなりつつ、奴が僕たちの隠れていた柱のある小径の前を通り過ぎた。

 

「ふう」

 

 もう一度安堵のため息がでた。

 僕に寄り剃っていたフローラは顔を真っ赤にして僕をただ見上げていて、エスタークさんはただ非常階段の方を見つめていた。

 ホント、あんな怪物どうしようもなかったからな。

 ともかく危機は去った、今は先を急いで……

 

「そんな風に、上手くいくと本当に思ったのかよ、ばーか」

 

「!?」

 

 唐突に背後から声がして振り向くと、そこにはジャミが仁王立ちしてこちらを見下ろしていた。

 その口は大きく裂け、歯をむき出しにして笑っている。

 まさか!?

 いつの間に後ろに?

 って、この廊下はすぐそこで向こうの廊下と繋がっていたか。ジャミの奴、こちらに気が付いていたままでわざと回り込んだのか。僕達が絶望するのを楽しむために。

 

「随分と貧相な様子だが、お前は俺を『殺した』あの小僧だな? さあて、ではお楽しみといこうか。本当は嬲り殺したいところだが、あいにくとそれほど暇ではない。くっふっふ。一瞬で動けなくしてやるよ!!」

 

 ジャミはそう吠えてから俺達へとその大きな腕を振り下ろした。

 

 が、少し足の蹄が、磨かれた廊下に滑ったのか、腕は僕たちの少し手前を叩く。

 

「くっ! なんだ? 滑る……!?」

 

 よし、今のうちだ!

 咄嗟にフローラの手を掴んで逃げようとしたところでエスタークさんを見た。

 激怒していた。

 

「この痴れ者が!! 我を嘲笑うか、下郎っ!!」

 

 体中の筋肉をミシミシと軋ませて、額に血管を浮かび上がらせた彼が、ジャミへと歩み寄ろうとしている!?

 

「ちょ、ちょっと、エスタークさん!? なにやってんですか?! 今は逃げないとっ!?」

 

 そう叫んだんだけど、彼は全くこっちを見なかった。

 

「この愚か者を許すことは出来ぬわっ」

 

「出来ぬわじゃないですよ!!」

 

 全く話を聞かないエスタークさんの前に、ジャミが再び立ち上がった。

 奴の身体能力は本物だ。

 このままでは確実に殺される。

 いったいどうしたらいいんだ?

 パニック寸前の中で周りを見た僕は、すぐ近くの壁際に置かれていた台車にきがついた。

 

 あれは、掃除用の……

 

 と、認めるままにそこに飛びついて、僕は台車を思いっきり勢いよくジャミへ向けて押し飛ばした。

 その台車にはモップや箒と、大きな口の開いたままの『缶』がいくつか載っていて、それらがガタガタと揺れながら、ジャミにぶつかると同時に、中身を撒き散らせながら床に散乱した。

 

「むっ!? な、なんだこれは?」

 

 ジャミは床に広がった液体を訝しい様子で見ていたが、次の瞬間その足が、滑った。

 

「むっは」

 

 つるつるの床。

 その上で、まるでダンスでも踊っているかのように、ジャミは足を何度も何度も突き出していたが……

 ついに左右に大開脚したまま床へと落ちた。

 

「いってぇえええええ!」

 

 激痛に叫ぶジャミ。

 良し、上手くいった。

 あの台車に載っていたのは、口の開いたままの廊下用のワックスだった。

 それをぶちまけたんだ。完全な滑る床の出来上がりだ。

 掃除のおじさん、片づけないでそのままにしておいてくれて本当にありがとう。

 

「ほら、今の内ですよ。とにかく行きましょう!!」

 

「むぅ」

 

 やっぱり不機嫌なエスタークさんの手を、僕とフローラで掴んで、急いで非常階段へと向かい、それを上った。

 上って、そこで目にしたものに、僕は絶句した。

 そこに広がっていたのは、このビルの普通のフロアでは無かったから。

 天井の大部分と、そこに接した壁が消失していた。

 いや、ただ消えたわけではなく、小さな粒子と変わるそれらが、それが別の何かに形を変えて、置き換えられ続けていた。

 それは、岩のような、ブロックのような……

 そして、それを、僕はかつて目にしたことがあった。

 これは……

 

「え、エビルマウンテン? ビルが……作り変えられている」

 

 そうとしか思えなかった。

 ごつごつとした岩肌と、無機質で光沢のある神殿のような造りの床や壁は、まさにあの世界のエビルマウンテンそのもの。

 もはや、ビルの最上層までのほとんどは岩肌が完成していて、周囲の空には紫色の霞が掛かって周囲にあるはずの都心の夜景を完全に遮ってしまっていた。

 事態を飲み込めないで呆気に取られていた僕の耳に、あの不快な声が再び響いてきた。

 

『ほっほっほ……待っていましたよ、リュカ。私はあなたがここへ来ると信じていましたからね』

 

 その声は紛れもなくやつのもの。

 そいつは、目の前の巨大なモニターの中に居た。

 

「ゲマっ!!」

 

 そこは、奴が母さんを捕えていた祭壇に酷似した場所。

 いや、似ているのではないのだろう、こちら側に現界させたということか。

 そこの柱のひとつに、会議用に使用していた大型モニターを据え付けたままにして、奴のにやけ顔が映し出されていた。

 

 フローラとエスタークさんを見れば、二人とも完全に戦いに備えていた。

 が、何度も言うが、とてもではないけど、勝てる見込みなど、ない。

 僕は、その元サーバールームであったろう場所をつぶさに観察しながら、ゲマへと言った。

 

「いったい何をするつもりだ! うちの会社のビルをこんな風に作り変えちゃって」

 

 画面のゲマはにんまりと嗤い、言った。

 

『それはもうおわかりでしょう。あの『あどみにすとれーた』等と名乗ったスライムが、君に説明したはずですからね』

 

「この世界を……滅ぼす気か」

 

 奴は本当に嬉しそうに微笑んだ。

 

『そうですとも! この世界は本当に素晴らしい。人間がなんと70億人以上もいるというではありませんか! そんなにもたくさんの人間たちを嬲って、痛めつけて、殺して、その絶望を余すことなく味わえるなんて……なんと甘美な贅沢……そうは思いませんか?』

 

「思わないよ! 本当に悪趣味だよ!」

 

 そう言った僕に画面のゲマは目を細める。

 それから、僕を見下ろすようにした。

 

『しかし、この世界には恐ろしい兵器がたくさんあると知りました。銃に戦車に戦闘機。どんなにひ弱な人間たちであっても、大量のそれらに襲われたらこの私とてひとたまりもありません。ですから、こうやって我が本拠地を現界させているのです。この場からならば、わが眷属を無数に呼び出せる。それこそ、人間たち以上の数でも』

 

「勘弁してくれ」

 

『ほっほっほ』

 

 笑い続けるゲマに、正直俺はもううんざりだった。

 奴がやろうとしていることは、間違いなくこの世界への攻撃だ。

 先ほど後輩のあの子をスライムに襲わせた様に、本当に無数のモンスターを召喚して人間に戦争でもしかける気なんだろう。

 スライムでさえ下手をすれば死んでいた。

 ならば、ライオニックやギガンテス、キラーマシンやグレイトドラゴンなんかをバンバン召喚されたら、それこそ戦車があったって敵わないかもしれない。

 しかもそうなる確率はかなり高い。

 エビルマウンテンは、そういうモンスターの巣なのだから。

 

 だけど、奴はまだそれを行っていない。

 すでにエビルマウンテンがここまで出現しているのだ、何もないのであればさっさと強力なモンスターの大量生産を始めてしまえばいい。

 だが、それをしないのは、やはり、そういうことなんだろうな。

 色々思案をしながら、状況確認がほぼ終わった僕が口を開く前に、ゲマの奴が話始めていた。

 

『さて、我々の勝利が揺らぐことはありませんが、リュカ君……ここまでやってきた君へご褒美をあげましょう』

 

 来た!

  

 シナリオはどうやら僕が予想していた通りだったようだ。ゲマは、そう言いながら、モニター前に置いてある三つの大きな箱を指さした。

 あれは間違いなくあの機械だ。

 

 VRCGD(VIRTUAL REALITY CENESTHESIC GAME DEVICE)の筐体、更にソフトは間違いなく『ドラゴンクエスト、ユア・ストーリー』。

 

 奴は僕らにあのゲームの世界に入って欲しいのだ。

 その上で奴らは僕らを殺す気でいる……

 正確には、あのゲーム内の『僕のアバター』を殺したいのだ。

 スラリンが言っていた。

 あのゲームをクリアすることでゲマたちは全てリセットされると。それはつまりあのゲームを僕がクリアしなければリセットされないということの証明でもあった。

 奴は、僕を消滅させたいのだ。もう二度と、あのゲームをクリアすることがないように。

 

 そのためにあの機械を使って僕らを呼び込みたいわけだ。

 僕自身はあの姿になるのだろうが、果たしてフローラとエスタークさんはどうなるのだろうか?

 少し気になるけど、問題はそこじゃない。

 このまま僕たちがあの世界に行くとするならば、ゲーム内での僕も、あの機械の内に残された生身の肉体の僕も、どちらも間違いなく殺されるだろう。

 そのために、ゲマはまだあのゲーム内にとどまっているのだから、間違いなく万全の準備であるだろう。

 だから、その誘いに乗ってやるわけには……

 

 いかない!!

 

『どうした? リュカ君。君にチャンスをあげようと言っているのです。こちらへ来れば、君はこの私ともう一度戦い、今度こそ結着をつけられますよ? そしてこの私を止め、世界を救うことも出来るかもしれない。私はあなたとの勝負を正々堂々受けてたつつもりですしね。ほっほっほ、さあ、その機械を使ってこちらの世界へ来るのです。なに、これはご褒美ですからね。君がこの挑戦を終えるまで、君の生身の肉体の安全はこの私が保障しますよ』

 

 良く言うよ。

 そちらへ入ったが最後、この僕のアバターをまた石に変えるか、殺すか、それこそウイルスでもなんでも使って完全に破壊する気のくせに。

 ただ……

 あの機械は、使えるな。

 

「わかった、ゲマ。お前の話に乗るよ」

 

『それは良かった。では、どうぞ、こちらへ』

 

 ゲマがそう言うと、その機械の扉がそれぞれ開いた。

 そして、その機械の陰からは、紫色の巨大な頭の豚のようなモンスターが出てきた。

 あいつは、ゴンズか。

 ジャミといい、ゴンズといい、腹心の化け物をすでに用意しているくせに、安全の保障も何もあったもんじゃないだろう。

 ジャミとゴンズを使って、ゲーム内の僕たちが死んだあと、こちらの肉体も殺す算段と見て間違いはないな。

 

 さて……となれば、少しだけ時間が欲しいな。

 

 僕は隣に立つエスタークさんとフローラに小声で言った。

 

「ゲマの奴の言う通りにはしない。でも、ゲームの世界には行く。付いてきてくれるよね?」

 

 その問いに、二人は頷いた。

 

「旦那様をお守りするのが私の役目です」

 

「特別にお前に付いて行ってやる、他にやることもないのでな、寝る以外」

 

 そんな二人を見てから、僕は言った。

 

「ありがとう、なら、頼みがある。1分だけ……ほんの1分だけでいい、時間が欲しいんだけど……」

 

 それにエスタークさんが即答した

 

「あいわかった、我に任せよ」

 

 その瞬間、エスタークさんの身体が光りだした。

 彼の身体がまるで膨らむかの様に徐々に巨大化し、その褐色の肌の色は更に濃くなり、そして変質していった。

 

『こ、これは……!? まさか……』

 

 唖然としているゲマの前でどんどんその姿を変えていくエスタークさん。

 そう、それは紛れもない、あの地獄の帝王の姿。

 まさか、あの怪物に戻れるのか? だったらすぐにゲマも倒して……

 と、淡い期待を抱いた瞬間が、確かに僕にもありました。

 

「リュカよ急ぐのだ。我は今、真の姿を『投影』しているだけにすぎぬ。奴はすぐに気が付く」

 

「と、投影? つまりハリボテ? そ、そうですか」

 

 正直かなりがっかりした。

 が、これは確かに時間稼ぎにはなる。

 ゲマたちの視線がエスタークさんに釘付けになっている今こそが好機。

 

 僕は一気にあの機械へと走った。

 呆気に取られてエスタークさんを見上げているゴンズの脇をすり抜けて。開いている扉から機械内部へと入る。

 そして、コンソール脇の基盤を、カバーごと一気に引きぬいた。

 

「あった!! 良し、これなら、あと少し……」

 

 僕はその基盤のソケットに、ポケットに入れておいたハードディスクを直接接続した。

 それから開いたままのログイン画面を操作して、僕のプログラムを呼び出した。

 スラリンは僕へと言った。

 量子テレポートは僕の作ったAIの演算で行われていると。

 そして、あの世界はスラリンが作ったものだと。

 スラリンが作りあげたという世界の全てを、僕はもう知っている!

 

「ゲマ様! これは幻だ。この野郎、俺達をたばかりやがった」

 

幻影魔法(マヌーサ)の類か? おのれ、よもや伝説の地獄の帝王の御身を象るとは、許せぬ!』

 

 そんな声が外から聞こえてきた。

 象るもなにも、それエスタークさん本人なんだけど。

 どうやら時間切れ。エスタークさんの時間稼ぎも終わりだ。

 

 でも……

 

 僕の準備も完了した!

 

「フローラ! エスタークさん!」

 

「はいっ」

 

「おうっ」

 

 すぐ側で二人の返事が響く。

 それを聞きつつ、僕はプログラム実行のキーを叩いた。

 僕のいるVRマシンが起動し、振動しながら作動し始める。次第と大きくなっていく音に合わせて、僕たち三人の身体が微かに光りだした。

 

 その時、激しい音とともに機械の上蓋が剥がされた。

 

 見上げたそこに居たのはゴンズ。

 キバをむき出しにした怒りの面相で僕たちを見下ろしていた。

 

『お前たちいったい何をする気なのだ? こちらの世界に『ふるだいぶ』する様には見えないが』

 

 そう言ったのはモニターの向こうのゲマ。

 僕は、フローラたちを近くへと引っ張りよせてから見上げて言った。

 

「ああ、お前の言いなりになんか、なるものか、ゲマ! でも一つだけ言っておくからな」

 

 遠くから別の足音が聞こえてきた。

 少し視線を向ければ、それはジャミの姿。

 ようやくワックス地獄から解放されてここに来れたようだけど、もう遅い。

 僕は連中へと大声で叫んだ。

 

「僕たちが絶対にお前らを倒す! 絶対にだ!! 首を洗って待っていろ」

 

 僕はフローラの手を握る力をこめつつ、頭に思い浮かんだ彼女のことを考えながら誓った。

 必ず助ける。

 君を絶対助けるから。

 だから待っていて……

 ビアンカ。

 彼女の微笑む横顔を思い浮かべつつ僕はもう一度ゲマを睨みつけた。

 その瞬間、真上にいたゴンズの巨大な腕が僕らへと振り下ろされた。

 が、それが僕たちに辿り着く前に、僕たちの身体は……

 

 ゴンズの痛恨の一撃によって……

 僕たちのいたVRCGDの筐体は、完全に破壊された。



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第十一話 そして……

 ゴンズの剛腕によって、ゲーム筐体は粉々に粉砕された。

 まだ通電されている関係で、スパークが走り、火花が出て煙も出ているそこから、ゴンズはその大きな腕を引き抜いた。

 そこに、ジャミがゆっくりと近づく。

 

「どうだ? 奴らは死んだのか?」

 

 そう相棒でもあるゴンズに問いかけると、巨大なモンスターはめちゃくちゃになったゲームの箱の底を覗き込んでから言った。

 

「もういねえ」

 

「死んだってのか?」

 

「いや、なんもねえんだ。消えちまった」

 

 とぼけた感じでそう会話している二体へと、今度は大画面に大写しになったままのゲマが声をかけた。

 

『もう良い。多分連中はこちらの世界へと『てれぽーと』したのだろう。そうとなれば、私が仕留めれば良いだけの事よ』

 

 そう事も無げに言ったゲマへと、白色のジャミが問いかけた。

 

「でも、大丈夫ですか、ゲマ様。ゲマ様は万全を期して奴らをこちらの世界と、そちらの世界と両方とも殺してしまおうとおっしゃられていましたが?」

 

 それに、ゲマは薄く笑みを浮かべた。

 

『そのとおりですよ。あくまで万全を期して……ですよ。そのために私は他にも手をすでに打ってあります』

 

「へ? なにかしたんですか?」

 

 とぼけた顔で、ゴンズがそう問えば、ジャミはさも愉快そうに言った。

 

『ええ、やりましたとも。私は、すでに、ラインハットもグランバニアも消し去りましたよ。つまり、どのみちどう足掻こうとも、リュカはこのゲームをクリアできなくなっているということですよ、ほっほっほ』

 

「ぐへへ、そりゃあ完璧だぜ。ぐへへへへ」

 

「流石ゲマ様だ。はははははは」

 

 暫くそのまま笑い続けた二人の部下モンスター。

 その二人へと、ゲマは冷酷な瞳で見据えて言った。

 

『良いですかあなたたち? 今回の事も含めてことは予定通りに進んでいます。だから、万事抜かりなきように』

 

「分かっていますよゲマ様。エビルマウンテンが完全に出現するまで、事を起こすなってことですね」

 

「少なくとも朝までは、街へは攻みませんて。へへへ、分かってますよ。奴らが騒ぎ出すと煩そうですからね。こちらの準備が整うまでは、俺らがしっかり見張ってますよ。ただ……」

 

 そこまで言ったところでジャミはその口角を大きく吊り上げて笑った。

 

「ここをのぞき見するような奴は遠慮なく……」

 

『好きに殺しなさい』

 

 げへげへと、二人の部下モンスターは笑った。

 そして、それを満足げに見たゲマはスクリーンの中で後ろを向く。

 そして独り言ちた。

 

『我々がどんな存在であろうとかまいません。人間を弄ぶこと、人間の恐怖する顔を見て楽しむこと、人間を殺すこと……こんな甘美な快楽を我々はもう知っているのです。全ての人間どもの恐怖をミルドラース様への供物としましょう。さあ、間もなくです。この世界を我々の手で……』

 

 微笑む彼は、そのままゲームシステムに巣食う、ウイルスと同化したミルドラースとコンタクトをとりはじめた。問うのは、あのリュカたちの所在。

 システムと同化した今のミルドラースであれば、この世界に存在するほとんどの物の位置を特定できる。

 その場所を特定出来次第、ゲマは直ちにリュカを殺すことに決めていた。

 

 だが、それは上手くはいかなかった。

 なぜなら……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 そこは酒場だった。

 

 目を開けた僕の前には大きな木の丸テーブルがあって、その上には酒の注がれた金属製のグラスと、肉や魚の料理の載った皿が置かれていた。

 そのテーブ席には、僕の他には、キョトンとした表情のフローラと、無造作に肉料理を食べ始めたエスタークさんの二人が。

 奥の方を見れば、バニーガール姿のウェイトレスが手にトレイを持って各テーブルへと忙しなく料理や酒の入ったグラスを運んでいた。

 そのテーブルに座っている面々はどんな連中かといえば、斧や剣を帯びた甲冑姿の戦士や兵士、それに魔導書を広げたローブ姿の人も居れば、筋肉質の腕で大きなジョッキを持ち上げている稽古着姿の人もいた。

 その情景に、どうやら目的地に辿り着けた様であるとホッと安堵する。

 それから、現状を思い出して、自分の身体に異常がないか、慌てて確認するも、どうやら特に問題は無いようでホッと一安心。

 

「あの……旦那様? ここはいったい……」

 

 不安そうに僕を見てそう声を出したフローラ。

 まあ、無理もないよね。

 何しろ突然場面転換した上に、何故かこんな店にいたのだもの。

 僕もこれについては多少驚きはしたけどね、まさかこの『店』の中だとは。

 

「ええとね、ここは『ルイーダの酒場』だよ」

 

 僕はそう店名を彼女へと教えてあげた。

 でも、それを聞いても彼女は首を傾げるばかり。

 

「ルイーダの酒場ですか? あのグランバニアの?」

 

「あ、いや、そうじゃなくて……」

 

 彼女へ更に詳しく説明してあげようとしたのだけど、そうしようとしたところで目の端にある階段を誰かが昇って来ていることに気が付いた。

 みしりみしりと木製の階段を踏みしめる音に合わせて、その『黒髪』の人物の姿が徐々に表れてくる。

 僕はその姿を認めて、むしゃむしゃと食事を続けるエスタークさんと不安げなフローラの二人へと向かって言った。

 

「どうやらお目当ての人が出てきたみたいだよ二人とも。これから一気に忙しくなるから覚悟してくれよ」

 

「?」

 

 僕の言葉にやっぱりフローラは小首を傾げていた。

 それから僕とフローラとエスタークさんの三人は立ち上がって、階段を上り切って店内をきょろきょろと見回していた黒髪の彼の元へと歩んだ。

 

 さあて、これから一気に大変になる。

 ゲマたちは多分すぐには動かない。

 現実世界の兵器の存在を危惧していたし、あのビルのエビルマウンテン化もまだ時間がかかりそうだったし。

 となれば、まだほんの少しだけでも時間はある。

 その間に僕らは出来ることをしなければ。

 奴らを倒す為に、僕らに足りない物……

 それをなんとしてでも手にいれなければ。

 

 そう決意をこめつつ、僕は心の内で呟いた。

 

 ビアンカ……もう少しだけ、待ってて……

 

 と。



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第十二話 再会

 山と湖に囲まれた風光明媚な丘陵都市。

 

『サラボナ』

 

 沢山の屋敷と秀麗な塔を有したこの街は、資産家ルドマンが一財を投じて整備したものだった。

 その美しい街並みが今まさに、地獄と化していた。

 街の周囲を取り囲む防壁を、簡単に跨いで押し寄せているのは、巨大な一つ目のモンスターの群れ。

 人の何倍もあるその体躯が握りしめるのは、数メートルはあろうかという巨大なこん棒。

 その一つ目の怪物……ギガンテス達は、怪力に任せて家々を破壊して周る。

 木造の家屋の多くは一撃で粉砕されてしまうも、ルドマンが作り上げた石造りの大きな屋敷や塔は流石に頑丈だった。

 しかし、それも繰り返される凶悪なモンスターの攻撃の蹂躙にはひとたまりもない。

 忽ちのうちに壁の一角が崩されてしまう。

 その開いた穴からは、真っ白い毛色の、羽の生えた猿のようなモンスターたちが飛び出してくる。

 その正体は、最上級クラスの悪魔系モンスター、シルバーデビル。

 シルバーデビルたちは高速で移動しつつ鋭い爪を立てて屋敷内へと非難していた人々へと襲い掛かった。

 

「きゃー」

 

「た、たすけてくれー」

 

 逃げ惑う人々の頭上、街の上空にはたくさんの真っ赤な鳥の群れが。口から炎を吐くそのモンスターの名はひくいどり。

 その炎の斉射で城のあちらこちらは見る間に燃え上がった。

 

 逃げ場を失った住民たちは、右往左往するばかりで恐怖におののいた。

 

 そんな中、逃げる人々を飛び越えて、モンスターの前に立ちはだかった人物がいた。

 それは、金髪の小柄な少年。

 彼は飛竜の意匠のあしらわれた柄の大きな剣を振りかざし、近づくシルバーデビルの一匹を一刀で切り伏せる。

 そして着地と同時にモンスターの群れへと右手を突き出した。

 彼の全身が黄金色に輝きだす。

 全身から溢れる魔力の迸りを、彼は真剣な表情でその腕の先へと集めていく。

 そして……

 

「ギガデイン!!」

 

 そう発声した瞬間、魔力が解放された。

 彼の腕の先から途轍もないエネルギーの奔流が放たれる。

 その金色の電撃は並居る巨大なモンスター達を飲み込み全てを焼き尽くした。

 

「さあ、今の内ですっ! 早く逃げて!」

 

 その声音に我に返る街の人々。

 彼が作った脱出路へと導かれるように多くの人が駆けだした。

 金髪の少年は彼らを守るべく立ち塞がる敵を切り伏せ、魔法を放ち、その接近を阻む。

 しかし、相手の数は多かった。

 ギガンテスが振り下ろした棍棒の一撃を伝説の剣で受けたところに、横からシルバーデビルが爪を振り上げていた……

 避けきれない。

 

 金髪の少年が息を飲んだ瞬間。

 

「アルス、あぶないっ! メラゾーマ!」

 

 そこに飛び込んできたのは金髪の女性。

 彼女は駆けながら大きな火球を顕現させて、その襲い来るシルバーデビルへと放ち焼き消した。

 アルスと呼ばれた少年は押し込まれていた棍棒を押し返し、その勢いのままにギガンテスを切り伏せる。

 金髪の女性も、何度も炎の魔法を放ちモンスターを焼き続けた。

 押し寄せるモンスターの猛攻の中、苦渋の表情のままで戦い続ける二人。

 そんな彼らのそばに一頭のキラーパンサーが近づいていた。

 だが、二人はそのキラーパンサーには目もくれない。

 それどころか、そのモンスターへと背中を向けたのだ。

 

 もしこのモンスターが敵であれば、間違いなく二人は背後から襲われて瀕死の傷を負っていたことだろう。

 そう、敵であれば。

 

「お願いゲレゲレ。逃げる人たちにモンスターを近づけさせないで」

 

「がるうっ!!」

 

 女性の声に唸り声で返すキラーパンサー。

 彼は、それに応じるように素早く動くシルバーデビルを爪で切り裂き、喉笛を噛みきり、波のように押し寄せる敵へ向けてたたきつけた。

 そして敵の前に立ちふさがる。

 キラーパンサーの威圧に、モンスターの群れの動きが一瞬止まった。

 

 その隙を、女性は見逃さなかった。

 素早く手に持った杖を掲げ、魔力を込めつつ呪文を詠唱。

 

「ベギラゴン!!」

 

 巨大な火炎の柱が、モンスターの群れの足元から立ち上る。

 たちまちのうちに火だるまとなり転げまわるモンスターたちに、追い打ちとばかりに金髪の少年も呪文を放った。

 

「ギガデイン!!」

 

 輝く稲妻が周囲すべてのモンスターを焼き尽くす。

 焼け焦げ、燃え尽きた巨大なモンスターの屍が累々と積み重なった。

 そしてそれは大きな壁となり、後続のモンスターの突撃を遅らせた。

 

「今よ! みんな早く脱出を!」

 

 その女性の掛け声に、住民たちは我先にと街の外へと駆け出して行った。

 金髪の女性と少年、それとキラーパンサーは、最後の一人が逃げ出すまでその場にとどまり、モンスターの攻撃をしのいだ。

 そして、再び広域呪文を放ち、このサラボナの街から脱出した。

 駆け出した彼らの背後には、赤赤と燃え上がる焔の壁と、空を覆い尽くさんとする黒煙が、ただただ広がっていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「お母さん、大丈夫?」

 

「ええ、アルス、大丈夫よ。それにゲレゲレも。ありがとう、助かったわ」

 

「ふにゃあ」

 

 金髪の女性、ビアンカがそう声を掛けると、隣を走る大きなキラーパンサー、ゲレゲレがまるで甘える猫のような柔らかい泣き声を上げた。

 それを見て微笑むのは、金髪の少年、アルス。

 彼らはモンスターに急襲されたサラボナの街から、なんとか多くの住民を脱出させることに成功した。

 

 しかし、まだ完全に気を緩めることなどはできない。

 

 なにしろ、街を襲ったモンスターたちは通常この辺りに生息しているモンスターとは比べるまでもないほどに強力な個体ばかり。

 とてもではないが、街の衛士程度で太刀打ちなど出来ようはずがなかった。

 油断なく周囲に気を配る二人と一匹。

 だが、ようやくその緊張が少しだけ緩んだ。

 

「ビアンカ様、アルス様、皆様もお早く! 他の街の方々はすでに天空城へと避難を完了しております!」

 

 彼らの頭上からそんな声が響く。

 見上げれば、そこには羽を羽ばたかせる白装束に槍を装備した人の姿が。

 それは天空人(てんくうびと)の一人だった。

 

 宙を浮遊し慌てた声でそう叫ぶ彼の背後は、霞が掛かったように白い霧に覆われている。

 そこへ向けて駆ければ駆けるほどに周囲の白はその色を濃くし、視界を遮った。

 しかし、彼らは躊躇なくその霧の中を高速で駆け抜けた。

 そこにそれがあることを、知っていたから。

 

 白い霞の向こう側、そこに突然それが現れた。

 それは、巨大な白亜の城。

 何層にも分かれた構造体の上に、いくつもの尖塔を有したそれは、真っ白い大地に屹立している。

 その巨大な城門の前には整然の整列するたくさんの羽の生えた天空人の姿が。

 その合間を、サラボナの街の人たちが列をなして場内へと急ぎ足で入場しているところだった。

 

「天空城、浮上っ!!」

 

 城門の少し上、金の槍を持った一人の天空人が、槍を振り上げつつそう発声した。

 その声の途端に、少しだけ大地全体が振動する。

 それは少し強い風が吹いた程度の感触でしかなかったが、周囲の景色はあり得ないほどの速さで変化していた。

 遠くに見えていた山麓は見る間に消え、上方から雲が一気に下方へと流れ過ぎ去っていく。

 空の青さは一瞬にして薄くなり、気が付けば周囲は一面の暗黒に染まっていた。

 足元の白い大地の隙間から下を見れば、そこに拡がるのは雲を被った山々と緑の平原、それとどこまでも続くかのような大きな青い海。

 

 天空城は瞬く間に遥か上空へと浮かびあがっていた。

 

「ふぅ……」

 

 ビアンカたちはやっとここで一息ついた形となった。

 ここまでくればあの恐ろしい凶悪なモンスターたちに襲われる危険性はないのだから。

 

「ビアンカさん、アルスくんっ!!」

 

 杖や剣を降ろし、呼吸を落ち着けていた彼らの元へ、身体の大きな男性がひょこひょこと跳ねるようにして近づいてきた。

 それに二人はにこやかに応じた。

 

「ルドマンさん、ご無事で良かったです」

 

「何が無事なものですかっ! わ、私の家が、私の街が! 私の財産がぁっ! くぅ、うううっ……ぜ、全部……全部なくなってしまいましたぁ。ううううっ……」

 

 両手でがっしとビアンカの腕を押さえて、滂沱の涙となったルドマン。

 彼はビアンカのことを全力で揺すっていた。

 しかし、高レベルのビアンカにとっては大した影響はなく、大した力を籠めることもなくルドマンの力を苦笑のままに受け止めていた。

 

「お、落ち着てください、ルドマンさん。心中お察ししますけど、逃げるお手伝いが精いっぱいだったんです」

 

 そのビアンカの言葉にルドマンは一度硬直し、鼻をずずずーっと啜った。

 その直後に、再びビアンカに顔を近づけた。

 

「その通りです。その通りなんです。逃げるしかなかったんです。逃げるしかなかったんですよ。うわああああああああああん」

 

 ぶわわっ!!

 と涙を噴出させたルドマンに、ビアンカはもう何も言えなかった。

 そんな二人の前に、青い髪の女性が立った。

 

「お父様、そんなことをなされてはビアンカ様に失礼ですわ。彼女とアルス様は危険を顧みずに私たちを助けてくれたではありませんか。感謝こそあれ、そのように振る舞うことはいけませんわ」

 

「フローラ……」

 

「フローラさん」

 

 にこりと微笑む青髪の女性、フローラは、改めて深々とビアンカへと頭を下げた。

 

「助けていただいて本当にありがとうございました、ビアンカさん。この御恩は一生をかけてお返しさせていただきます」

 

「い、いえ……そんなこと……。気にしないでください、フローラさん」

 

 慌てて手を振るビアンカ。

 そんな会話の中、項垂れたルドマンの脇には、一人の金髪の背の高い男性が寄り添った。

 彼の名前はアンディ。

 この男性がフローラと結婚を予定しているということをビアンカはもう知っていた。

 アンディがそばに来たことで、ほのかに頬を赤らめるフローラを見て、かつてリュカがこの女性との結婚を考えていたということを思い出し、不思議な感慨にとらわれた。

 もし彼がこの女性を選んでいたら、自分は今何をしていたのだろう……と。

 

 頭を下げ、力なく涙を流すルドマンを支えて城へと歩きだすフローラとアンディを見ながら、彼女はここに居ない最愛の男性の事を思い出すのだった。

 

 彼がいてくれれば……

 

 今こうして人々を救うために世界を回って等いなかったのではないか?

 あの日、夜明けの輝きと共にこの世界から消え去った彼、リュカ。

 彼を失って、初めてビアンカは本当の絶望を味わった。

 彼を思うこの心が、偽りのものなのかもしれないという事実と、彼にもう二度と会うことができなのではないかという不安とが織り交ぜられて、彼女自身得も言われぬ苦痛を味わい続けてきたのだ。

 でも……

 彼が最後に見せたあの表情。

 あれは間違いなく本物だったと、彼女は今でも信じている。

 彼の愛と、彼を思うこの心の底にある想いは全て……

 それを思う時、彼女はいつも胸に仕舞うお守りに手を当てるのだ。

 彼を心から愛していると。

 その思いがあったからこそ、この世界の混乱から人々を救う行動をとることができたのだ。

 命がけでグランバニアや、ラインハットやたくさんの街街から人々を救い出して。

 リュカなら、きっとそうすると信じられたから。

 胸に手を押し当てたビアンカはただただリュカのことを想った。

 

「どうしたの、お母さん?」

 

「ううん、なんでもないの。さあ、私たちも行こう」

 

「うん」

 

 アルスとそんな会話をしたビアンカも、付き従うゲレゲレを伴って天空城へと歩き出そうとした。

 

 その時だった。

 

『おおい、ビアンカ君、アルス君』

 

 またもや上方から声が聞こえて見上げることになるが、彼らはこの声の主の正体に思い当っていた。

 ここはすでに地上から遠く離れた天空。

 そのさらに上空から声をかけてくる人物など限られていたから。

 

「マスタードラゴン様」

 

『おおっ!!』

 

 二人の呼びかけの直後、巨大な天空城の更に上を、白い大きな影が横切った。

 そして大きく空を旋回して天空城の白い大地へと降り立った。

 それは巨大な白いドラゴン。

 天空の支配者、マスタードラゴンだった。

 

『ふたりとも、大変だったな。サラボナの人々の救出作戦見事だった。儂も遠巻きに見ておったよ』

 

「いえ、これもマスタードラゴン様と天空人の皆さんのおかげです。私たちも感謝しかありませんよ」

 

『うむ、なに、この世界が滅びては、儂も適わぬからな』

 

 鷹揚に頷く巨大な白竜はその大きな瞳で二人を優しく見つめた。

 そして自身の居城でもある天空城をみあげた。

 

 この世界の混乱を察し、いち早く動いたのは他のだれでもない、このマスタードラゴンだった。

 彼はモンスターに襲われているグランバニアへと急行し、天空城の全戦力をもってこれと対峙、城の住民をのこらずこの天空城へと避難させた。

 そのとき、破壊されるグランバニア城から、ビアンカやアルスたちも救われたわけだが、以来、彼らも協力して世界各地の人々を救い出し続けてきたというわけである。

 つまり今のこの天空城は、いわば難民キャンプ。

 世界中の人々がここに集まってしまったために、流石に巨大なこの城えあってもパンク寸前ではあったが、そこはみんなで協力しあい、なんとか生き続けていたところだった。

 いつか世界の混乱が収束するまで……

 その日が来ることを、人々は信じていた。

 

『そうじゃった、君に会わせたい人を助け出してきたぞい』

 

「会わせたい人……ですか?」

 

 マスタードラゴンのその言葉に小首をかしげたビアンカの前で、彼はその背をかがめた。

 すると、そこから一人の男性がバランスを崩しながら滑り落ちてきた。

 それを見て、ビアンカとアルスは目を丸くした。

 そして、叫んだ。

 

「お父さん!」「おじいちゃん!」

 

 そこにいたのは小太りに初老の男性。

 彼は背中をしたたかに打ち付けて痛みを抑えるようにして立ち上がった。

 

「や、やあ、ビアンカ、アルス。あえて良かったよ」

 

 そう微笑んだ男性、ビアンカの父親、ダンカンへと二人は駆け寄り、そして抱き着く。

 そのまま号泣した。

 親子の再会に微笑みを浮かべるマスタードラゴン。

 彼はその親子へと語りかけた。

 

『身体が不自由なせいで逃げ遅れていたダンカン氏をなんとか助けられたよ、いやあ、すぐに見つけられて本当によかった』

 

「マスタードラゴン様、ありがとう……本当にありがとうございました。うわぁああん」

 

 号泣したまま何度も頭を下げるビアンカに、マスタードラゴンは更に口角を上げて笑った。

 

『なに、感謝してもらうのはまだ早いよ。君に、もっと逢わせたかった人物をようやく連れてこれたんだからね」

 

「え?」

 

 マスタードラゴンの言葉に思わず怪訝な顔になるビアンカ。

 彼女はマスタードラゴンの言葉の意味を理解できないでいた。

 自分の父親以上に会わせたい人物とはいったい……

 でも、それを推理するよりも早く、その答えが彼女の前へと飛び降りてきた。

 マスタードラゴンの背中に起き上がるのは、一人の男性。

 頭に特徴的な紫の布を巻き、やはり紫のマントを羽織ったその人物。

 彼女がひと時も忘れたことのなかったその人物が今まさにそこに……

 

「やあ、ビアンカ。ひさしぶり」

 

 にこやかにそう微笑んだ彼は、あの日、光の中に消えたときとそのままの格好でそこにいた……

 なにひとつ動くことも出来ず、なにひとつ考えることも出来なくなった彼女。

 ビアンカはただ必死に、その名前だけを口にした。

 

「……リュカ……」

 

「ただいま、ビアンカ」

 

 にこりと微笑んだ彼が優しくビアンカを見つめていた。



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第十三話 思惑

「リュカ?」

 

「ただいま、ビアンカ」

 

 ビアンカの前で、彼がやさしく微笑んでいた。

 依然となんら変わらないあの姿のままで。

 

「お父さん!」

 

「がる!」

 

 アルスとゲレゲレも明るい様子のままに彼へと飛びついていた。

 彼は泣きながら笑うアルスと足に頬ずりをするゲレゲレの両方の頭に手を置いてなでていた、微笑みながら。

 

 帰って来てくれた。

 私たちのところに、再び。

 

 その文言が福音となって、ビアンカの胸中を駆け巡る。

 嗚咽してしまいそうなくらいの喜びがあふれるのを感じながら、彼女は胸のお守りを押し抱く。

 それから彼へと、近づいた。

 彼を抱きしめようと。

 彼との再会を喜び合おうと。

 そうしたかったから。

 

「リュカ……」

 

 そう呼び掛けてその手を取ろうとした時だった。

 

「マスタードラゴン、それからみんな、聞いてくれ」

 

 彼は手を伸ばすビアンカに一瞥もくれないままに、その場の全員を見渡しながら言った。

 

「今この世界は蘇ったミルドラースによって滅ぼされようとしている。たくさんの人間が殺された。俺はそれを自分のこの目で見てきたんだ。そしていままさに、奴らが築き上げた城塞、大神殿で多くの人間が殺されようとしているんだ! 一刻の猶予もない。さあ、いますぐにこの天空城で助けに行こう!」

 

 その場の一同はそのリュカの言葉に静まり返る。

 天空人や、逃げてきた人々や、マスタードラゴンでさえも言葉をなくしていた。

 その雰囲気に、リュカはいら立ちを隠さずに怒鳴った。

 

「どうした、なぜ動こうとしない? こうしている間にも、人間が殺されているんだぞ?」

 

 その剣幕を前に、逃げまどい、そして戦い疲れ切った人々は言葉もなかったが、唯一マスタードラゴンのみが彼へと口を開いた。

 

『まあ待て、リュカ。(みな)疲れておるのだ。君の言葉の通り、確かにまだ救うべき人間は多い。しかしな、その前に少しは休息をとらなくては。それに君だってようやく家族と----』

 

「何を呑気なことを! そんなことではすぐに皆殺しにされてしまうに決まっている。今すぐに行動を起こすべきだ。いますぐに!!」

 

『しかしな……少しくらいは奥方とも……』

 

 穏やかな声音で話しかけるマスタードラゴンは、ちらちらとビアンカへと気づかわし気な視線を送っていたが、それを遮るようにリュカは言い放った。

 

「事態は切迫しているんだ! 救出突入パーティーは俺が決める。すぐにみんなのいる場所に案内してくれ」

 

 有無を言わさぬその勢いのままに、リュカは天空人の案内で天空城内へと入っていく。

 ビアンカたちはただただ呆然とそれを眺めることしかできなかった。

 

「いったいどうしちゃったんだろう、お父さん。せっかくまた会えたのに。ねえ、お母さん? ねえ?」

 

「そう……ね」

 

 ビアンカはただぽつりとそうこぼす。

 リュカはあの時のまま、あの時と同じ様相で彼女たちの前に現れた。

 それはビアンカの知るリュカそのものであって、彼の容姿の一つ一つ、肌に刻まれた傷の一つをとっても、彼女の知るリュカと全く同一のものだった。

 でも……

 なにかが違う。

 リュカの持つ佇まいなど、雰囲気は一変してしまっていたから。

 彼の言を信じるなら、今まさに世界中で人々が殺されていて、その惨劇を目の当たりにしたからこそあのように焦っているとも考えられた。

 多くの人が囚われて、苦痛に耐えながら泣き叫んでいるのだとしたら、リュカがあれほど拙速に動こうとする理由も理解できるから。

 

 それでも……

 

 ビアンカの胸にくすぶる疑念が晴れることはなかった。

 

「うう……」

 

「お父さん!」

 

 彼女のすぐ隣で、ダンカン氏が苦しそうに膝をつく。

 彼女は即座に彼を抱きかかえた。

 

「ああ、ありがとうビアンカ、すまないね。私は少し、疲れてしまったようだ」

 

「無理してはだめよ、お父さん。医務室もあるから、そこで休ませてもらいましょう。よろしいでしょうか? マスタードラゴン様?」

 

『ああ、構わぬとも。さあ、皆も手を貸してやりなさい』

 

 すぐさま数人の天空人が集まってきてダンカンの肩を支えた。

 もともと体の悪い父親であったから、脱出の際の疲労で参ってしまったということだろうと、彼女は心配しながら後について歩こうとした。

 

 でも、その前に、もう一つの不安を解消するためにと、隣に立つ息子のアルスへと小声でささやいた。

 

「お母さんはこれからおじいちゃんの看病をするけど、あなたにお願いしたいことがあるの」

 

「お願い? なあに?」

 

 見上げてくるアルスに彼女は微笑みながら言った。 

 

「お願いアルス。天空城内のヘンリー殿下のところへ今すぐに行って頂戴。それでほかの人たちには内緒でこっそりとあるものを借りてきて欲しいの」

 

「あるものって?」

 

 そう聞いてきた息子の耳に、彼女は口を近づけて小声で言った。

 

「ラインハットの国宝、『ラーの鏡』を借りてきて」



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第十四話 アルスとヘンリー

 お母さんの言いつけでボクは天空城へと駆け込んだ。

 外階段を駆け上って上階のバルコニーから中へと入り、そこから北の尖塔への階段を上ってラインハットからの避難民や兵士が集まる広間への扉を潜った。

 

「おお、アルスか。そんなに慌てていったいどうしたのだ?」

 

「あ、ヘンリー様! 良かった、すぐ見つかって」

 

「ん?」

 

 アルスの前に立つのは銀の甲冑を着込んだままの若草色の髪を伸ばした若い男。

 そのいでたちや佇まいから、辺りで腰を下ろし休んでいる兵士たちと変わらない様子であるが、この男こそが現ラインハット王国国王の実の兄して、次期国王と目されるヘンリーその人であった。

 

「アルス、少し待て。この水をあの人たちの元へ運んでやらねばならぬのでな」

 

 ヘンリーはその手に並々と水の注がれた大きなバケツを抱えていた。

 それを軽々と持ち直すと、アルスを伴って、奥の寝台で横になる具合の悪そうな女性の元に。

 その枕元にバケツを置くと、看病していたのだろう、その女性の娘と思しき女の子に優しく言った。

 

「ここは水場が遠くて不便をかけるな。どうだ? 母君の容体は?」

 

 急に現れた水の入ったバケツにびっくりした女の子は、あわててヘンリーを見上げて、その笑顔を見てぱあっと明るく微笑んだ。

 

「あ、ヘンリー殿下! お水ありがとう! お母さんは貰ったおくすりが効いたみたいで、もう苦しくないみたいだよ」

 

「そうか、それは何より。だが、油断はいかんぞ。体調が戻るまでは、水分と食事をきちんととることだ。よいな!」

 

「うん! わかった!」

 

 明るく返事をする女の子の頭に、籠手のままの手で優しく触れるヘンリー。

 その様子に、周囲で臥せる町人や、兵士たちもほうっと頬を緩ませた。

 

「さあ皆のもの遠慮はいらぬ。して欲しいことはどんどん我に言うがよい! 今は助け合わねばならぬ時だからな、出来ることならなんでもしてやろう、はっはっは」

 

 そう豪快に笑ったヘンリーに、頼んだらその後が怖い、また変なものでも食べましたか? などと、不敬極まりないことを叫ぶ兵士たちの姿が。

 しかし、何も気にした様子もないままに、それに更に毒舌で返すヘンリーの姿に、周囲の人々は爆笑に包まれた。

 

 アルスはそれに釣られて、大口を開けて笑っていたが、ヘンリーが突然向きを変えて彼に顔を近づけたので慌てて気を付けをする。

 

「さあてアルス待たせたな。で? どんな用なんだ?」

 

 そう聞かれ、アルスは慌てて口を開く。

 サラボナの住民の救出に成功したことを、祖父のダンカンが救われたことを。それと、父リュカが帰ってきたことを。

 

「なにっ!! リュカが帰ってきたのか!! おお……それは……おお、おおっ!!」

 

 喜色満面で喜びを爆発させようとしているヘンリーだが、アルスはその腰にしがみ付いてその行動を抑えようとした。

 このままでは叫んで転げまわりだしそうに見えたし、それでは大事な話の続きが出来ないと思えたから。

 

「待ってくださいよヘンリー殿下! まだ、まだ話は終わってないんです。ボク、お母さんにヘンリー殿下から借りてくるように頼まれたんです! あの! 僕に、ラーの鏡を貸してください!」

 

 そこまで言った時、ヘンリーはその動きをぴたりと止めた。

 そして、今度はアルスの両肩をしっかりとつかんでその顔を見た。

 

「ラーの鏡は我が国の宝だ。そしてその力は、写したものの真の姿を暴くとされている。つまり、アルス達は帰ってきたリュカが偽物だと……?」

 

 一瞬の洞察で、そこまで言い切ったヘンリーに、アルスは逆に自分がそこまで考えていなかったことに思い至った。

 母がラーの鏡を欲した理由を考えれば、確かにリュカの正体を調べるためであるのだろう。

 では、あの父親は偽物? モンスターが化けているということ? になるのか?

 と、今度は逆にアルスの頭の方が混乱しきりとなってしまった。

 

「どうしたのだアルス? 母君は急ぐように命じたのであろう? ならば一刻の猶予もならぬ。では行こうか!」

 

「え?」

 

 急に立ち上がったヘンリーは、アルスの手を掴むとそのまま急ぎ足で現国王であり、実の弟であるデールの元へと向かった。

 天空城のもう一段上の階に母親や大臣たちと一緒にいるデール国王の部屋を乱暴に開けると、ヘンリーは即座に奥に積まれたままの宝物の中からラーの鏡を取り出して、それを掴むと、じゃあ、借りていくからなと再び部屋を飛び出した。

 そして、その勢いのままに、城の一階、難民が一番多く集まっている大広間へと降りて行き、その中央で兵士や天空人と話しているリュカへとまっすぐに近づく。

 アルスは手を掴まれたままでただ引きずられ続けていた。

 人をかき分けつつ大股で歩くヘンリーは、リュカの前に立つや否や、突然ラーの鏡を彼へと向けた。

 

「やあ、我が親友リュカよ。のっけからすまぬが、この鏡をよぉく見よ。さあ、見よ、見ているか? ん?」

 

 あまりに突然のその行為に、頼んだ方のアルスの方が驚き慌ててしまう。

 ヘンリーは何度も角度を変えて、リュカの前に鏡を出した。

 横から、斜めから、上から、正面から。

 その都度、リュカは鏡を苦々しい顔ではあったが、確かに見ていた、覗き込んでいた。

 

 アルスは考えた。

 

 もしこの父親が、モンスターが化けた姿であったのだとしたら、今この場でその正体が暴かれすぐさま戦闘になってしまう。ならば、自分も戦いの準備をせねばと。

 空いているほうの手で、いつでも天空の剣を掴めるように準備をしつつ、慎重に事態の推移を見ようとしていたアルス。

 だが、

 

「何をするんだよ。こんな鏡を見せやがって」

 

 リュカはそんなことを言いながら、手で鏡を押しのけた。

 するとヘンリーは目を細めてじろじろとリュカの全身を見始めた。

 しばらく、眺め続けるヘンリー。

 

「なんともない? 何もおきない? うーん、じゃ、そういうことか」

 

 ヘンリーはパッとラーの鏡を手放して、両手で万歳のポーズ。

 アルスは慌てて宙を舞う鏡をキャッチした。

 

「お帰り我が親友!! よくぞ戻った!! 流石は我が第一家来だ!! あーっはっはっは」

 

 そう笑いながらぎゅうぎゅうとリュカを抱きしめるヘンリー。

 リュカはただただ憮然とした顔をしていた。

 

 アルスは次第と頬を緩ませ始めていた。

 

 やっぱりこの人はお父さんだったと。

 やっとお父さんに再会できたと。

 

 彼は心の底から喜びがあふれ始めるのを感じていた。



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第十五話 急転

「見えたぞ、あれが大神殿だ」

 

 天空城の足元の大地の切れ間、雲の隙間のようなその空間から下をのぞきこんだビアンカたちの目に、海から直接生えたような急峻な山塊を礎とした巨大な神殿がその姿を現した。

 リュカの話では、この巨大な構造物の中には、いまだ多くの人間が囚われたままでいるという。

 それを目の前にして、ビアンカとアルスは深く深呼吸をして覚悟を固めた。

 

 ここに突入する人選はすでに終わっている。

 

 突入を提案したリュカ本人、それとビアンカとアルス。

 ヘンリーとその部下数人も待機中である。

 

 すべて高レベルで構成されたこのパーティは、現在の天空城の最大戦力と言っても差し支えなかった。

 

 その場の全員が今か今かと、突入のタイミングを計っていた。

 

 雲の切れ間からぐんぐんと大きく見え始めた大神殿。天空城が高速で降下しているのだ。

 

 そして……

 

「よし! 全員突撃ー!」

 

 リュカのその掛け声に合わせて、天空城が接舷すると同時に全員で神殿へと突入した。

 

 屋上テラスにはたくさんのモンスターの姿が。

 りゅうせんしやメタルドラゴン、あくましんかんの姿がそこかしこにあった。

 

 だがしかし、その戦力をもってしても突入部隊は動揺することはなかった。

 なにしろ、すでに彼らはもっと上位のモンスターと何度も戦いレベルを上げてきているのだ。

 押し寄せる敵を切り捨て、切り裂き、魔法で燃やし尽くしてその包囲網を崩した。

 

「よし、吶喊(とっかん)!!」

 

「うおおおおおおおおおっ!」

 

 ヘンリーの掛け声に合わせて、兵士の一団がモンスターを薙ぎ払いつつ神殿内へと突入した。

 すると、そこには床へと倒れ伏した大勢のフードをかぶった人の姿が。

 全員で確認してみれば、それは衰弱した捕らえられた人間たちだった。

 

「よし、全員を助けるんだ! ホイミ! ベホイミ!」

 

 リュカがじゅもんで回復させるのを見つつ、ほかのメンバーも魔法や薬草で人々を治療する。

 そして動けるようになった人から順に、天空城へと移動させた。

 その数およそ100人。

 次々に天空城へと逃げさせていく中、追撃のモンスターの数がいよいよ多くなってきたところでリュカが言った。

 

「よし! すぐに天空城を上昇させるんだ! 俺たちは後から追いかける」

 

 それに応じるように、天空人たちのあわただしい声が張り上げられ、次の瞬間には天空城が天高く浮かび上がっていた。

 

 大神殿のテラスに残されたのは、その掛け声を発したリュカ本人と、それ以外の突入部隊のみ。

 目の前に現れたモンスターを、ヘンリーたちも、ビアンカ、アルスの二人も必死になって倒し続けていた。

 

 その様子を、リュカはただ黙って見つめ続けていた。

 そう見ているだけ。

 激しい攻防を繰り広げる仲間たちを、ただ背後からずっと、だまって見つめた。

 

 薄く笑みを浮かべたままで。

 

「そんなにおかしい? そんなに私たちが滑稽なの? リュカ……、いえ」

 

「ん?」

 

 杖を振り上げてあくましんかんの一体をたたき伏せた、ローブ姿の金髪の女、ビアンカが振り向きまっすぐリュカを見て言い放った。

 

「この偽物!!」

 

 彼女の瞳には怒りの色がはっきりと浮かび上がっていた。

 そしてその唇をかみしめてはっきりと敵意を持ってリュカをにらみつけた。

 

「いったい何の話だい? ビアンカ。俺はリュカだ。そう言っただろ?」

 

 リュカはビアンカの剣幕に圧されることもなく、薄く笑って彼女を見た。

 そしてゆっくりと近づいて彼女の手をとろうとして……

 ビアンカはその手を振りはらった。

 

「触らないで! リュカの振りをしないで!」

 

 彼女に叩かれた手をさするようにして、リュカは苦笑いを浮かべて、小さな自分の息子へと声をかけた。

 

「おおいてえ、なあアルス? ビアンカが叩いたよ? ひでえよな?」

 

「やめろ!! お父さんの振りをするなっ!!」

 

 アルスもビアンカと同様の反応。

 彼を取り囲んでいた敵を一掃すると、今度はリュカへとその剣を向けた。

 

「なんだよ~お前までお父さんに剣をむけるのかよ、ひでえ家族だなあ、なあヘンリー? そう思うよな? 俺はなんてかわいそうなお父さんなんだって」

 

 そう、部下の兵士と一緒になって戦うヘンリーに向かってリュカが問う。

 だが、彼はそれに頷きもせずににやりと笑いながらリュカへと言い放った。

 

「思うわけないだろう、そもそもお前はリュカじゃないからな。いい加減正体を現せよ、この偽物」

 

「は?」

 

 ヘンリーも周囲の敵を片付けると部下たちとともに剣をリュカへと向けた。

 それから彼は口を開いた。

 

「お前がリュカじゃないことは、最初に会った時からわかっていたかなら。となれば、お前がここにこうして我々を連れてきた理由は一つしかない。我らを皆殺しにする気だった。それも、ここにいる私たちと、天空城の避難民すべてをだ。そのために、戦力の高い私たちをここに連れ出し、かつ天空城へとお前たちの手勢、つまり、さっき救い出したあのフードの人間たちだな、モンスターを化けさせたあの連中を天空城へと侵入させることで、それこそ全員を一網打尽にしようとした。と、つまりこういうわけだ。でも……」

 

 そこまで言ってから、ヘンリーは空を見上げた。

 そして、そこに現れ始めたそれらを認めて、話の続きを始めた。

 

「手口がわかっていれば、どうとでも対処できるものなのさ」

 

 突然それは、『落ちて』きた。

 空の上のほうで、ゴマ粒の様に見えていたそれは、たくさんのモンスターの姿。

 その多くのモンスターの死骸が次々に天空から落ちてきて、周囲の海や、平野、神殿の構造物などへと衝突を繰り返した。

 それは間違いなく、先ほど天空城へと運び入れた人間に化けていたもののなれの果ての姿。

 無数の落下音とともに、激しく散らばり続けるモンスターの残滓を見ていると、空からひときわ大きな影がこの大神殿のテラスへと降り立った。

 それはまさしく山のように巨大なモンスターの姿。

 仲間となった、ブオーンがそこに立った。

 

「天空城へ攻め込んで来ようとした奴らは、この俺様が全部たたきのめしてやった」

 

「というわけさ、偽物のリュカくん」

 

 突然のブオーンの登場と、あっさりと笑って軽口をたたいたヘンリー。

 その様子に、当のリュカは呆然としていた。

 しかし、それもほんのわずかな時間。

 しばらくして、彼は下を向いたままでくつくつと肩を上下させつつ笑い始めた。

 その笑いは次第に激しくなっていく。

 何度も何度も肩を震わせていたリュカは、ついに大口を開けて大笑いを始めてしまった。

 そんなリュカを、ビアンカやヘンリーたちは包囲したまま距離を詰めていく。

 

 そう接近しながら、ヘンリーが尋ねた。

 

「何がおかしい? 何で笑う? 自分の企てのすべてを見透かされて、失敗しておかしくなってしまったのかい?」

 

 腹を押さえて笑い続けていたリュカは、そのヘンリーの言葉を聞いて、はあーっと大きく息を吐いた。

 それから顔を持ち上げて、にんまりと微笑んで彼を見た。

 

「いやあ、流石だよお前ら。まさかあの天空城に、こんなバカでかいブオーンを隠していたとはな。いやまいったまいった、本当に参った、くっくっく」

 

 リュカはまだ笑いが収まらないのか、再び肩を揺らし始めてしまう。

 それを見て、今度はビアンカが口を開いた。

 

「やめて! リュカの顔でそんな風に笑わないで! いったいあなたはなんなの? 教えて!」

 

 リュカは、まっすぐビアンカの瞳を見つめた。



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第十六話 絶望の中で

「俺か? 俺はリュカだよ。くっくっく」

 

 リュカは両頬を裂くように歪に、愉快そうに笑っている。

 それを見て、ビアンカは心から震え上がった。

 目の前の存在は間違いなく彼女の知るリュカではない。

 しかし、その見た目も装備もまるで彼と同じ。

 同じであるのに違う。

 その不可思議なパラドックスに、彼女は恐怖した。

 

 だからこそ、彼女はアルスやヘンリーへとラーの鏡の使用を頼んだのだ。

 真実を写すとされるあの鏡であれば、きっとわかるのでは……と。

 

 しかし、鏡を使用してもリュカの姿がモンスターになることは無かった。

 これではっきりしたのは彼がモンスターなどの変身の類ではないこと。

 そうと理解しても、彼女はこのリュカが別人であると信じた。

 何かがおかしいと。

 何か、必ずからくりがあるのだと。

 

 その様に考えていたのはビアンカだけではなかった。

 悩むビアンカへと接触したヘンリーが彼女へと告げた。

 

”ビアンカさん、あれはリュカではないよ。この無二の親友の私が言うのだから間違いない。あれは偽物だ”

 

 と。

 

 ヘンリーはヘンリーで、ビアンカとは別の形でリュカのことを知り尽くしている。

 その彼が自信たっぷりにそう宣言したのだから、やはり自分の考えは間違っていないのだと彼女は確信を深めた。

 

 そして作戦を立てた。

 偽のリュカが何をしようとしているのか、何が望みなのか、それを推察し、そしてその企てを阻止すべく行動したのだ。

 水面下でこっそりと。

 

 だから今ここでこのようにリュカと対峙しているのだから。

 

「いい加減リュカの顔で笑うのをやめてくれないか。その顔のそんな歪んだ表情見たくもない。吐き気がする」

 

 それこそ吐き捨てるようにヘンリーがそう怒鳴る。

 リュカは顔をゆがませたままで、言った。

 

「仕方ねえだろう、俺だって好きでこんな顔しているわけじゃねえんだからよ。くくく」

 

 やはり笑うのを止められないリュカ。

 彼は、あっと何かに気が付いた素振りでつづけた。

 

「そういやお前ら、そうやってこの俺を囲んでいるようだが、まさか勝った気でいるなんて言わないよな?」

 

 それに何も答えないビアンカやヘンリーたち。

 ただ、リュカへの間合いを詰め続けた。

 その様子にリュカはさらに噴き出してしまった。

 

「まじかよお前ら! まじでこの俺に勝つつもりなのか? ふへへ。こりゃあお笑い種だぜ。ふはははは」

 

「何がおかしい? お前はもう一人。こっちはブオーンもいれて総勢八人だ。お前にもう勝ち目はない」

 

 そう吠えたヘンリーにリュカはにやけた顔のままで腕を大きく広げた。

 

「ははははは。そう思うならやってみればいいさ。もっとも、この俺にまずは近寄らないといけないけどな、出来るかな? さあ、出てこい、お前ら」

 

 リュカが言いながら腕を振り上げた。

 すると、どこから現れたのか、リュカとビアンカたちの合間に、八体のモンスターが出現した。

 先ほどから相手をしている、メタルドラゴン、りゅうせんし、あくましんかん。それに加えて、ブラックドラゴンやゴールデンゴーレムも。

 それら八体に、ビアンカたちは一斉に襲い掛かった。

 モンスターの攻撃をかいくぐり、じゅもんを放ち、剣でたたき切った。

 そして、ようやく全てを倒し終えたとき、リュカが再び言った。

 

「ほれ、次だ」

 

 その言葉の直後、先ほどとまったく同じ場所に、同じモンスターが。

 合計八体のモンスターと再び戦闘。

 それを倒すや否や。

 

「まだまだくるぞ」

 

 リュカの声の後に再び八体。

 

 倒せども倒せども敵は何度も何度も現れる。

 ビアンカたちは、何度も何度も繰り返される戦闘になんとか勝ち続けていた。

 だが、確実に疲労は蓄積してきていた。

 

 いったい何度目のモンスターだっただろうか。

 それらを倒した直後、腕を組んで見下ろしていたリュカが言った。

 

「いやあ、さすがに強いね、お前たちは。どうだ? いい加減、そろそろ分かってきただろ?」

 

「なんのことだ?」

 

 確実に疲労しているはずのヘンリーが、額の汗をぬぐいつつ笑顔で聞き返す。

 完全な強がりの様相でしかないわけだが、それを見てリュカは大きくため息をついた。

 

「なんだ、本当にわかっていないのか。じゃあ、面倒だからこいつを出してしまおうか。えい」

 

 再び腕を振り上げたリュカ。

 またあの八体のモンスターが出てくるのかと待ち構えていたヘンリーたちは、次の瞬間度肝を抜かれた。

 そこに現れたのは、巨大なギガンテスに似た一つ目の巨人。

 全身が濃紫に染まる、分厚い筋肉に鎧われたその巨人は、唸り声一つ発さずに、手にした巨大なこん棒で殴り掛かってきた。

 それをとっさにかわすビアンカたち。

 だが、その一撃で、足元の石畳が粉砕されはじけ飛んだ。

  

「はははは、さすがはラマダだ。俺ら以上の怪力は馬鹿にできねえな」

 

 リュカのそんな言葉を聞きながら、ビアンカは呪文を唱える。

 火炎の濁流が濃紫の巨人を飲み込むと、そこにヘンリーやアルスたちが剣で切りかかった。

 だが、その攻撃は巨人に大した傷をつけることはできない。

 力任せの一撃に、全員の体力が削られ続けた。

 そこへ、巨大な影が立ちふさがった。

 

「力勝負なら、この俺様が相手になってやるぞ」

 

 濃紫の巨人、ラマダよりもさらに巨大なモンスターブオーンが、その両腕を振り上げてラマダへと叩きつける。

 が、その両腕をラマダは自らの手で掴み押さえこんだ。

 

「ぬううう」

 

 怪力で叩きた伏せようと試みるブオーンだったが、いくら圧せどもラマダは動かない。

 明らかにラマダのほうが力は上だった。

 だが、ビアンカたちはそのまま手をこまねいてはいなかった。

 

「メラゾーマ!」

 

「ギガデイン!」

 

「者ども、集中攻撃だ! 叩き斬れー!」

 

 強力な呪文と、渾身の剣戟とで、動きを封じられているラマダへと何度も何度も襲い掛かる。

 その繰り返しの末、ブオーンも含めた全員がボロボロになったところで、ついにラマダのその巨体は倒れ伏した。

 大きく肩で息をするビアンカたち。

 その中で、一人、ヘンリーだけがすっくと立ちあがって、胸を張ってリュカへと宣言した。

 

「どうだ我らの力。お前がどれほどモンスター(けしか)けようとも、その全てを俺たちは跳ね除けてみせるぞ!」

 

 そんなヘンリーを見ながら、リュカはさきほどとは打って変わってまったく興味を失した様子で手を振り上げた。

 その直後、巨大なこん棒がいきなり振り下ろされた。

 ヘンリーの背後から、彼の左肩をすべて抉りとりながら。

 

「あ……」

 

 呆然としたままのヘンリーが自分の左肩へと視線を移すと、そこにあるはずの銀の甲冑も、麻の肌着も、自分の筋肉質の肩すらなかった。何もかもなくなっていた。

 ただ、巨大なこん棒が足元の石畳にめり込んでいるだけ。

 彼はついで、振り返り、見上げた。

 そこにあったのは……

 

 つい今しがた全員で死力を尽くして倒したはずのあの濃紫の巨人の姿が。

 巨人はまったくの無傷のままでそこに屹立していた。

 

 いや、そんなはずはないのだ。

 完全にあの怪物は倒して、実際に今目の前に死骸が横たわっているのだから。

 だが、ここにもいる。

 もう一体……なぜ?

 

 そう自覚した瞬間、ヘンリーの意識は消滅した。

 背後のラマダの巨大なこん棒が、力いっぱいヘンリーに向かって振り下ろされてしまったから。

 

「ヘンリー!!」

 

 ビアンカが彼の名を叫んだとき、背後で彼の部下たちの悲鳴も響き渡った。

 振り返れば、そこにさらに四体の濃紫の巨人がいて、その巨人によって全員が完全につぶされてしまっていた。

 ブオーンも同じだった。

 複数体出現した巨人に、めったやたらに打ちのめされ、ズタボロにされてしまっている。

 それを見た直後、彼女はとっさに最愛の自分の息子を振り返る。

 すると、そこにも巨人が現れていて、息子のアルスは今まさに巨大な手で握り潰されようとしていた。

 

「アルス!」

 

「お、おかあさん……に、逃げて……」

 

「アルス! い、いやあっ!」

 

 彼女の悲鳴が轟く中、濃紫の巨人の手が完全に握りこまれた。

 

 眼前でその惨劇を目の当たりにしたビアンカ。

 彼女は、膝から崩れ落ちるようにへたり込む。

 

 その周りを、何体もの濃紫の巨人が取り囲み近寄ってきた。

 

 巨人たちの合間からリュカが姿を現す。

 そして彼女を見下ろしながら言ったのだ。

 

「形勢逆転だな」

 

「…………」

 

 リュカはもう、微笑みひとつ浮かべたりもしなかった。

 ただ、冷酷な瞳でビアンカを見下ろすだけ。

 そんな彼を見上げながら彼女は震える声で問いかけた。

 

「あなたはいったい誰なの?」

 

「あ? だからリュカだと教えてやったろう?」

 

「そうね。リュカよね。見た目だけは。きっとあなたはしたのよ。『向こうの世界へと帰った』、リュカの身体を……乗っ取ったのだわ! きっと! そうきっと!!」

 

「くは」

 

 厳しい瞳を向けてくるビアンカの前で、リュカは愉快そうに噴き出した。

 それから彼女へと近づいて行った。

 

「これは驚いた。お前は向こうの世界のことをわかっていたんだな。リュカに聞いたのか? あん?」

 

「…………」

 

 リュカは彼女のそばへときてしゃがみこんだ。その手に剣を持ったまま。

 その剣の腹を、彼女の頬へとピタピタと当てつつ、じっと目を見て。

 

「なら、もう分かるだろうよ? 俺たちが何をしているのか? なぜ何度も同じモンスターが出てくるのか、なぜ好きな場所に出せるのか、なぜ……『リュカの身体』をこんなふうに操れるのか……くくく」

 

「リュカの……身体……」

 

 ごくりとのどを鳴らして唾を飲み込もうとしたビアンカ。

 しかし、口の中はすでにからからに乾ききっていた。

 理解していたこと、予感していたことのすべてが今明らかにされていく。

 その事に全身が震えるばかりだったのだ。

 ビアンカの顔を剣で弄ぶリュカは顔を近づけたままで言った。

 

「そうさ、これはリュカの身体だ。お前の愛しい愛しいリュカのな。くははは。では他のすべての答えも教えてやるよ。モンスターのことも、お前たちのことも、このリュカのことも、この世界のこともな……」

 

『それは私からお話しましょう』

 

 突然、彼らの頭上から声がしたかと思うと、一人のローブ姿の男が現れた。

 禍々しい黒紫のローブをはためかせ、頭部の一つ目を思わせる宝玉を光らせながら、その男は、立ちあがれないでいるビアンカの前へと降り立った。

 

「これは……ゲマ様」

 

 リュカがそう呼びつつ、ビアンカから一歩退いて、ゲマの前に片膝をついて首を垂れた。

 周囲のラマダたちも同様だ。

 地響きを立てつつしゃがみこむ。

 ビアンカは、その全員の一連の所作をただ見続けた。

 

「リュカ夫人……どうやらあなたがもっともこの世界の真理に近い位置におられるようだ。そんな聡明なあなたには、やはりきちんとお話ししてあげなくてはいけませんねえ、この世界がいかに残酷に創造されたのかということを、ほっほっほ」



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第十七話 玩具

 突然現れたゲマは愉快そうに話し始めた。

 

「リュカ夫人。あなたはこの世界が作られたものであるということをご存じですか?」

 

「ええ……」

 

 ビアンカはそう答える。

 これは、リュカが消えたあの日に彼に聞いていたことであったから。

 この世界は『ゲーム』であって、ビアンカたちはそのゲームのシナリオのために用意された『キャラクター』だと。

 そして、リュカを想い慕うようになることも含めて全て作られた思いなのだと、そう伝えられていた。

 それを聞いたとき、彼女は奈落に落ちるような感覚を味わった。

 自分の存在も思いも全てが偽物であるとしたら、これ以上の絶望はなかったから。

 しかし、それと同時に彼女は決意もしていた。

 たとえ始まりがその様な仮初めの仕組まれたものであったのだとしても、自分がリュカを想い愛するこの『今』の気持ちは、間違いなく本物なのだと。

 そのことを告げ、涙を流したリュカの想いも本物なのだと。

 だから、彼女は彼が消えてしまっても耐えられたのだから。

 

 ビアンカはゲマが次に何を言うのか、奥歯を噛んで待ち構えていた。

 たとえどんなことを言われても、決して動揺してやるものかと、そう心に決めていたから。

 

 でも……次のゲマの言葉は彼女のその決意すら揺るがしてしまうものだった。

 

「ほっほっほ。ならばこれも知っていましたかな? 実は、あなたも……リュカらの世界へ行くことができたのだということを。その方法が存在しているということを」

 

「え?」

 

「おや? ご存じなかった? これはこれは異なこと。リュカはそのような大事なことも告げずに帰ってしまったということですか? まったくもってこれは悲しい事実ではありませんか」

 

 両手を大きく広げて、ゲマはビアンカを気遣うように柔らかい声を出す。

 ビアンカは明らかに動揺してしまっていた。

 

 自分がリュカの世界へ行くことが出来た? 

 そのことをリュカは教えてくれなかった?

 やっぱりリュカは、私のことをなんとも思ってなんか……

 

 そう疑惑に飲まれ始めていることに気づいた彼女は、目を細めてゲマを睨んだ。

 

「そ、そんな手には乗らないわ。私を動揺させようったってそうはいかないわよ! りゅ、リュカがそのことを私に言わなかったとしても、それには必ず理由があるはず! そもそも、向こうの世界へ行ける方法があるなんて、それこそあなたがそう言っているだけじゃない! そんなもの、信じられるわけないわ!」

 

 強気にそう吠えたビアンカ。

 そんな彼女に向かって、大きく笑みを浮かべたゲマはゆっくりと語る。

 

「ほっほっほ。信じたくないのも仕方ありませんねぇ。しかし、これは事実ですよ。現に我々はすでにリュカの世界へと何体ものモンスターを送り出しています。そして、その一人に、この『リュカの身体』を操らせているというわけですよ。そうですよね、『ジャミ』?」

 

「はい、ゲマ様。くっくっく」

 

 ゲマに答えるように、脇に控えているリュカが微笑んだ。

 それを見て、ビアンカは震え上がった。

 

「じゃ、ジャミですって!?」

 

「ああ、そうだぜ、お嬢ちゃん」

 

 にやけた顔のリュカがそう答えるのを見て、彼女の全身は粟だった。

 彼女はジャミのことを知っていたから。

 それは巨大な白い馬の化け物。

 ゲマの忠実な部下にして、ありとあらゆる災厄の元凶たる存在。

 リュカの父、パパスを手にかけた一人であり、最愛のリュカにゲマと共に襲い掛かり、彼を石に変える一助も為した。

 彼女にとって、まさにトラウマたる存在そのもの。 

 しかし、そんなジャミもあの最終決戦の最中、リュカによって葬られたはずだった。

 

 それが復活した挙句、向こうの世界へと移動し、あまつさえ、リュカの身体を奪い去ったのだとしたら、それ以上の屈辱はなかった。

 

 ゲマは震えるビアンカへと近づいた。

 

「この世界は、『ユアストーリー』と云うのだそうですよ。意味は、『あなただけの物語』。なんとも皮肉な名前ではありませんか? なにしろ、ここは、そのユアストーリーなるゲームを楽しむ、ただ一人のためだけに作られた世界なのですからね。そして、その一人とは、今回リュカ君でした……今回はね」

 

 ビアンカの顔からはすでに血の気が失せていた。

 ゲマの言葉の一つ一つが胸へと刺さり続ける。

 それは紛れもなく、あのリュカが教えてくれた内容を補完するものであり、そして、彼がビアンカへと語らなかったことに違いないと思えたから。

 ゲマは続けた。

 

「そうです。ここはゲームの世界なのです。たった、一人のプレイヤーが、物語の初めに父親と冒険を始め、青い髪の良家の子女や、金髪の幼馴染の少女と出会い、旅をし、恋に落ちて、その二人の間に産まれた子供が運命の勇者であった……というお話なのですよ。ほっほっほ。なんとも素敵な物語ですが……、そこに登場する我々……私やあなたにとっては何とも辛辣な事実ではありませんか。なにしろ、私やあなたは、このゲームをプレイする全ての人間に対して、いつも真っ新に『リセット』された状態で出会わされるわけです。以前のことは全部無かったことにされて、全てを最初からね。そう、貴女が『恋』をした今まで全ての人のことを無かったことにされて」

 

 ゲマの微笑みはいよいよ深い物になる。

 ビアンカは、ゲマの言葉に耳を傾けざるを得なくなっていた。

 覚悟は出来ていたはずだった。分かっていたはずだった。しかし、ゲマの語る内容は彼女を奈落に突き落とすのに充分な威力を持っていた。

 

 ゲマの言葉の全てが真実であるとすれば、リュカの存在はたまたま今回出会っただけの存在で、過去にはもっと別の人に恋をして、結婚をしていた……のかもしれない。

 それが何度も何度もリセットされて、自分はその繰り返しの物語をなぞり続けてきただけ。

 ならば、自分の存在とは――――

 

 繰り返される自問自答の連続に、ビアンカは猛烈な嫌悪感に晒されてしまった。

 自分という存在が物語をなぞるだけのキャストであって、リュカに抱いているこの今の感情は作られたもので……いや、それどころか、この想いを、かつての自分は何度も何度も別の人に対しても抱き続けてきていて、それを忘れさせられているだけ……それが事実だとしたなら……

 

「う……うぷ……」

 

 猛烈な吐き気が込みあがってきて、彼女は思わず両手で口をおさえた。

 覚悟はしていたはずなのに、彼女の自我は、心は、既に壊れる寸前まで追い詰められてしまっていた。

 

「ほっほっほ。あなたが信じようと信じまいとそれは構いませんよ。ただ、そこにいるリュカ君の身体には、実際にジャミが入っています。VRCGDと云うのだそうですよ、向こうの世界にあるゲーム機の名前は。それを使って、ジャミが今ゲームをしているというわけです。さあ、お分かりですかな? この世界の残酷さが。私たちは、ただそのゲームを遊ぶ人間の楽しみのためだけに存在しているのですよ。そのプレイヤーを楽しませるためだけに、何度も殺して殺されて、何度も出会いと別れを繰り返して、何度も恋愛をさせられて。我々の都合はお構いなしに、私たちはまるで玩具の様に弄ばれ続けてきたというわけです。そんなこと……私は許せないのですがね?」



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第十八話 ビアンカ

「この世界を作った外の世界の連中からすれば、私達は家畜のような物。いえ、それ以下ということでしょうね、ただ娯楽の為だけに我々を弄んでいるのですから」

 

 笑みを浮かべるゲマを前に、ビアンカは何も喋れなかった。

 

 リュカは言った。

 自分の世界へ帰ると。

 ゲマの言う通りなのだとしたら、なぜリュカは自分を連れていってくれなかったのだろう?

 世界を渡る手段はあるのだと、そこにいるリュカの中身がジャミであるのだと、ゲマたちは嘘を吐いてはいないと、ビアンカはそんな疑問すら思い浮かべられなくなっていた。

 

 彼女の心中に渦巻くのは、自分が操り人形かもしれないという茫漠とした不安感と、全てを語らなかったリュカへの不信。

 その二つに知らず知らずのうちに心を蝕まれる。

 

 そんな彼女を見下ろしながら、ゲマは言う。

 

「所詮あなたも、私と同じ被害者ということですよ、お可哀そうに。さて、これは相談なのですがね、どうでしょう……あなたも、『あちらの世界』へ行ってみませんか?」

 

「え?」

 

 言葉を失い、ゲマを見上げるビアンカ。

 その瞳には明らかな動揺が漂っている。

 それをまったく意識しない様子のまま、ゲマは続けた。

 

「驚かれることはありません。私たちはすでに向こうの世界への移動の手段を得ている。それを貴女にも利用させてあげようと言っているのです。当然……ただで……とは参りませんがね。ほっほっほ」

 

 胸を押さえ苦しそうに顔をしかめるビアンカ。

 彼女は確かに苦悩していた。

 リュカの世界へと行ける手段があると、明確に理解できてしまった今、その誘いを受けて拒絶することなどできようはずがなかった。

 そればかりか、彼女はすでに思っていた。

 とにかくリュカに逢いたいと。

 ゲマが何を宣おうとも、彼女にとってもっとも大事なことはリュカの言葉。

 彼が実際に彼女を謀っていたとしても、彼女を欺いていたのだとしても、それでもリュカの言葉を聞かなければ納得も出来ないし、何も始めることが出来ない。

 そもそも、彼女はリュカに逢いたいという想いに苦しみ続けていたのだから。

 

 今ゲマに頼めば、それも叶う……のかもしれない……

 

 漠然とした不安があっても、先に進むためには何かを犠牲にする必要があるのではないか……

 そんな思いの中で、ビアンカは口を開いた。

 

「何を……すればいいの……」

 

「ほほっ」

 

 ゲマは短く笑い声を発した。

 そしてすぐに口を押え、苦悶の表情になっているビアンカを見つめる。

 

「おっと失礼。これはこれは良いご判断ですね  、リュカ夫人。そうですとも。貴女はリュカに出会う必要があるのです。会って事の真偽を問いたださなければね。それが夫婦というもの……」

 

「御託はいい! 私は何をすればいいのかってきいてるのっ」

 

 足を一歩踏み出して杖を掲げて睨みつけるビアンカに、ゲマは涼しい顔で応じた。

 

「なに、大したことを要望したりはしません。やって欲しいことはひとつだけ」

 

 ゲマはその笑みをいよいよ大きなものにした。

 そしてもう一歩ビアンカへと近づいた。

 

「『天空の剣』を破壊しなさい」

 

「え?」

 

 それはビアンカにとって意表を突かれる要求だった。

 天空の剣の所有者は、彼女の息子のアルスであって、彼は先ほどの戦いの中で悲惨な最期を遂げている。その遺体にすらまだ対面できていないこの状況で、その息子が持っている剣を要求されるとは思いもしなかった。

 そもそも、彼女は天空の剣を持つことは出来ないのだ。

 あの剣は、勇者のみが持つことを許される代物であるのだから。

 

「ほっほっほ」

 

 呆気にとられているビアンカを見つつ、ゲマが言う。

 

「何を疑問に思うのです? 確かにあなたの息子アルスは今、『システム上』、死亡していますが、生き返らせる方法はいくらでもある。つまりまだ彼は生きているのと変わりはしない。彼が生きている以上、その所有物である天空の剣を我々が奪うことはできない。ええ、我々ではね」

 

 そのゲマの言葉に呼応するかのように、アルスを握りこんだ巨大な一つ目の巨人ラマダが、その手を開いてビアンカへと近づけた。

 そこに横たわり全く動かなくなった自分の子供の姿を目撃して、彼女は唇を噛んだ。

 そして、憎しみの籠った瞳をゲマへと向けた。

 

「だから私に……」

 

「ええ! ええ! その通りですとも、リュカ夫人。あなたが賢いお人で本当に良かった。システム上死亡状態の今の彼から、その装備しているアイテムを受け取れるのは、同じパーティメンバーだけ。あなたが天空の剣にこのアイテムを使用すれば、触れさせただけで完全に破壊できるのです」

 

 ゲマの長い指がゆっくりと開かれる。

 そこにあるのは、得体の知れないらせん状に蠢く黒いアイテム。良く見れば、その動いている帯状の螺旋は、様々な文字の集合であるように見えた。

 

「それは、なに?」

 

「これは、いわゆる『バグ』というものですよ。我が主、偉大なるミルドラース様の今のお力の一つ。これであれば、いかに伝説の剣であろうとも、その存在そのものを消し去ることが可能」

 

 ゲマはそれをビアンカへと近づけてきた。

 彼女はそれを見ながら、息を呑んだ。

 

「も、もうひとつ教えて。な、なぜ今更天空の剣を怖がるの? 貴方たちはそのミルドラースの力とやらで、世界を滅ぼし尽くしたじゃない! だったら、もう天空の剣の一つくらいどうってことはないでしょう?」

 

 それにゲマは答えなかった。

 ただ、ニヤリと大きく嗤うだけ。

 となりに立つリュカの身体も、ただ厭らしく嗤うだけだった。

 

「答えて……くれないのね……。今更、私が詮索しても意味がない……というわけね」

 

 彼女はしばらく立ったまま、ただの(しかばね)となってしまった息子のアルスを見ていた。

 彼女たちを遙かに凌ぐ暴力によって打ちのめされてしまった最愛の息子。

 その彼が今尚握りしめ、手放さない剣こそが、天空の剣。

 暫くの時間が過ぎる。

 彼女にとっては永遠にも等しい時間であったかもしれない、その時の果てに、ついにゲマの手の上のアイテムへと手を伸ばしていた。

 

「ほっほっほ」

 

 震える手で、禍々しい螺旋状に動き続けるアイテムを包み込んだビアンカ。

 それを見て笑うゲマとジャミ。

 

 ビアンカは大きく息を吸った。

 それから胸へと手をおいて、自分の震えを押さえ込もうとした。

 しかし、それが不可能だと理解すると、手を降ろしてゲマへと聞いた。

 

「本当に向こうの世界でリュカに会えるのね」

 

「もちろんですとも」

 

 即答するゲマに背を向けて、彼女はアルスのもとに向かう。それから膝を曲げて彼の額へと手を伸ばした。

 無言のままで何度も息子の額を撫でるビアンカ。

 

 彼女はしばらくそうしてから、彼の手に握られている天空の剣へと手を伸ばす。

 その様子に、ゲマたちはより一層笑みを深くした。

 

「私は……」

 

 ポツリとそうこぼしたビアンカ。

 彼女は俯いたままで、手にしていた禍々しいアイテムを持ち上げた。

 それを天空の剣へと近づけつつ……

 

「私は……リュカに逢いたい」

 

「ほっほっほ」

 

「でも……」

 

 その途端に、彼女は立ち上がる。

 そして、両方の瞳からとめどなく涙を溢れさせながら叫んだ。

 

「お前たちの言うことなんか、聞くもんか!!」

 

 そう叫ぶと同時に手にしたアイテムを地面へと叩きつけた。

 激しい火花が走り、眩い光と共にアイテムが弾け飛ぶ。

 彼女は肩で息をしながらも、キッと鋭い目つきでゲマを睨んだ。

 

「アルスを殺して、みんなを殺して、その上私のリュカへの想いまで利用する……許せない……絶対に許せない!! 私は死んでもお前らに協力しない!!」

 

 涙の雫がポタポタと足元に垂れ続けていた。

 悔しさに噛み締めた口元からは、血も滴っている。

 そんな彼女を見て、ゲマたちは……

 

 尚も笑い続けていた。

 

「ほっほっほっほほほ」

 

「あっはっはははははは」

 

 その様はひたすらに嘲るもの。

 ビアンカの苦悩も痛みも何も理解する気のない、ひたすらの嘲笑。

 ゲマの顔にはただ、愉悦だけが浮かんでいた。

 

「なにがおかしい!! メラゾーマ!!」

 

 杖を掲げて巨大な火炎球を発射したビアンカ。

 その眼前に立つゲマは、薄ら笑いを浮かべたままで羽織っているローブで身を包む。

 巨大な火炎魔法によってその前身が燃え上がるも、二度三度それをはためかせただけで火炎は忽ちのうちに掻き消えてしまった。

 

「くっ」

 

「ほっほっほ、まったく人間とは、おもしろい。打算で行動するのかと思えば、正義感ぶって意固地になったりもする。本当に……」

 

 ゲマは愉悦の笑みを一層深めた。

 

「鑑賞用には最適な生き物よ」

 

 愕然となって身を縮めるビアンカは、杖を掲げたままでただ笑うゲマを見ることしかできなかった。

 力量差は歴然。 

 ここにはゲマだけではなく、たくさんの巨人ラマダと、リュカの身体を使うジャミまで居る。

 アルスやヘンリーはすでに死に、もう仲間のいないこの状況。

 もはや、自分が助かる望みは何一つない。

 そんな絶望の中にあっても、彼女は最後の最後まで足掻こうとだけ思い決めていた。

 それが、人間としての最後の意地だったから。

 

「そんなに怖い顔をする必要はありませんよ。私は約束どおりあなたを向こうの世界へとお連れするつもりでしたからね。まあ、もっとも……」

 

 ゲマはそう言いつつ近寄り、ビアンカの振り上げた杖を掴んだ。

 その先に魔法の粒子が集まっては消えているのを見つめながら、そこに息をふうっと吹きかけ魔法を霧散させる。

 そして彼女を見た。

 

「連れて行くのは『あなたの死体』……なのですけどね、ほっほっほ」

 

 そう言って、ただ笑った。

 ゲマはビアンカから杖を奪いとり、それを手の内で燃やし尽くした。

 

「ずたずたに引き裂かれた貴女のご遺体を目の当たりにしたら、あちらの世界のリュカ君はさぞ素晴らしい表情をしてくれることでしょう。私はねリュカ夫人、ただ、それを楽しみたいだけなのですよ。人の苦しむさま、人の嘆くさま、人の恐怖するさまを、ゆっくり、たっぷりと味わいたい、鑑賞したいのですよ。それはきっと、さぞ素晴らしい絵となるでしょう。あちらの世界には本当にたくさんの人間がいるのですから」

 

 ゲマの嘲笑は終わらない。

 彼はそのまま、ジャミを手招きして、ビアンカの前に立たせた。

 それから、そのリュカの姿のジャミの掌の上に、先ほどバグと称したあのらせん状のアイテムを手渡した。

 

「そうそう……天空の剣のことですが、あの剣はやはり少し邪魔なのですよ。ですので、消させて頂きます。ほっほっほ、なに、心配には及びませんよ、死んだアルス君の装備品は、『パーティメンバー』であれば手に入れることが出来るのですから。パーティメンバーならね」

 

 そう言いつつ、にやけた顔のジャミがアルスへと近づいて、その剣をとりあげた。

 今のジャミはリュカの身体……つまり、パーティメンバーということ。

 最初からゲマは天空の剣を手に入れる手段を有していたということになる。

 わざわざビアンカへ、現世への転送を条件にアルスから剣を取り上げさせる必要はもともと無かったということだった。

 剣を手にしたジャミは、その剣を掲げつつ、もう片方の手に持ったアイテムを近づけさせていく。

 それを見て笑うゲマ。

 

 ビアンカはただ、唇をかみしめて、瞳を濡らし続けて見上げることしか出来ないでいた。

 いや、もうひとつだけ……

 彼女は確かに行動していた。

 

 彼女の胸の内に大事にしまわれていた大切なお守りに手を当て続けていたのだ。

 

 そこにあるのは、あの日、リュカが彼女へと渡したラーミアを象った紙の鳥。

 その紙には、彼が書いたたどたどしい文章の数々が秘められていて、彼女はそれを何度も何度も繰り返し読んだのだ。

 彼が彼女へと伝えたのは、切ないまでの愛の想い。

 一緒に居ることができない慚愧の念と、彼女を救いたいという切ない思い。

 それを彼女は自分の心に刻み込んでいた。

 彼女にとって最も大切な、真の宝物。

 

 それに触れながら、彼女はただ、祈っていた。

 

「ほっほっほ。あなたの悩み、嘆き、苦しみは、本当に甘美でしたよ。その御褒美に、あなたも一息に殺して差し上げましょう。そして、その亡骸も有効に使わせて頂きますからね。より多くの絶望を眺めるために」

 

 そして、ゲマはジャミへと促した。

 ジャミの持つ黒いアイテムが、天空の剣へと近づいていく。

 

 ……て……

 

 助けて……

 

 お願い……

 

 ……リュカっ!!

 

「ビアンカァアッ!!!!」

 

 彼女を呼ぶ声と同時に、空の上の方で何かが開く音がした。



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第十九話 約束を果たすとき

 バリバリバリと激しい音とともに、空の一角に亀裂が走る。

 澄み渡っていた青い空も、白い雲も、その全てをお構いなしに貫いて引き裂いていく。

 それはあたかも、完成された美術品の絵画をビリビリに破りさるかのように。

 

 そして『扉』が開かれた。

 

 それは巨大な六角形の黒い大穴。

 空中にひびを走らせつつ、そこにだけぽっかりと穴が開き、その六角形へと、次々に白い雲が吸い込まれていった。

 そこから、一条の光が飛び出した。

 漆黒の闇の中から金色の粒子を煌めかせ、あたりに振りまきながらそれがまっすぐに地上へと向かって進んでくる。

 

 ビアンカもゲマたちも見上げてそれを目撃した。

 光の矢は、彼らのすぐ上方で変化する。

 現れたのは一対の巨大な翼。

 彼らの立つ大神殿をすっかり覆ってしまうほどの影を落とすその正体は、まぎれもなく『鳥』だった。

 真っ白な羽毛から金色の粒子を放ち続ける神々しいまでのその姿に、その場の全員が瞠目した。

 

「ラーミア……」

 

 見上げるビアンカがぽつりとそうこぼすとほぼ時を同じくして、ゲマも動いた。

 長い手をビアンカへと伸ばし、その指先に巨大な火炎球を出現させる。

 そして、呪文を唱えるとほぼ同時に、彼女へと告げた。

 

「灰となって死に絶えなさい」

 

 燃え盛る紅蓮の炎の塊がビアンカ目掛けて飛んでいく。

 彼女は、杖を失った両手でその身をただ抱くことしかできなかった。

 

 そこへ……

 

「ゲマアアアアアアアアッ!!」

 

 彼らの直上から、そんな掛け声と一緒にその人物が飛び降りてきた。

 頭まですっぽりと黒のフーデットローブで身を包んだその人物は、たくましい体躯から男性であろうことだけはわかる。

 しかし、今はまだ、その正体を断定できるものは、ここにはいなかった。

 彼が着地したのは、ゲマとビアンカのちょうど中間点。

 発射された巨大な火球の射線上であった。

 フードの男性は、火球に向けて何やら杖を差し出した。

 すると……

 

 カンッ……

 

 乾いた音とともに巨大な火球がいとも簡単に跳ね返された。

 その炎は、一瞬でゲマの身体を包んだ。

 ゲマはしかし、なんでもないことのように再びローブをはためかせてその火を消し去ってしまう。

 そして、ふたたび男の方をむくと、にやりと笑って口を開いた。

 

「ならば、これならどうですか?」

 

 大きく息を吸い込んだ後、その口を大きく開いたゲマは、炎を吐き出した。

 メラゾーマの火球をはるかに超える大きな炎を前に、男は身じろぎ一つしなかった。

 彼は、ビアンカの前に立ったまま、フードの内側から青い宝玉を中央に据えた丸い盾を出して構える。

 押し寄せる炎は盾全体を巻き込んで、男の全身を燃やしていた。

 しかし彼は動かない。

 その様は背後のビアンカを炎の渦から守っている様子であり、それは間違いのないことだった。

 炎の波が収まったあと、男は全身から煙を上げつつ立ち尽くしていた。

 肌もローブも焼け焦げ、見える素肌は痛々しいほどに焼け爛れてる。

 しかし、次の瞬間、盾の中央の宝玉が光り、彼の全身を淡い光が包んだ。

 そして見る間にやけどが治っていく。

 それを見て、ゲマは歯を軋ませた。

 

「貴様ぁ。いったい何者だ」

 

 男はそれに一切答えないまま振り返り、へたり込むビアンカへと腰を屈めて向き合った。

 そして、フーデットローブ越しに彼女へと語りかけた。

 

「ごめん、待たせちゃったね」

 

 彼女はフードの人物の瞳を見た。

 それは初めて見る瞳の輝きだった。

 そして、その声も初めて聞くもの。

 でも、彼女は確信する。

 その人物の正体がいったいだれなのかを。

 あふれ始めた涙で霞んだ瞳で彼を見て、焦燥と緊張で震える声で彼へと問いかける。

 

「リュカ……なの?」

 

 それに、男は、かぶっていたフードを脱ぎながら優しく微笑んだ。

 それは、彼女が愛した男性の優しい笑顔そのものだった。

 

「ああ……そうだよ。約束通り、『ラーミア』に乗って君に逢いにきた」

 

「リュカ……」

 

 彼女は胸に手を押し当てて涙をぼろぼろと流し続けた。

 リュカはそんな彼女の頭へとポンと手を置くとその場に立ち上がった。

 

「ゲマ! よくもビアンカを。絶対に許さないぞ」

 

 ギンっとゲマを射抜く様に睨みつけたリュカに、ゲマはすでに笑顔もなく動揺を見せていた。

 

「まさか……貴様はあの時いずこかへ逃げただけのはず。ただの人間の分際で、いったいどうなっているのだ?」

 

 そう慌てだしたゲマへとリュカは言った。

 

「僕がただ逃げるためだけにお前たちの本拠地に乗り込むわけがないだろ? 僕は……僕たちはお前たちを倒しに来たんだ」

 

 リュカはローブの内側から、今度は黄金色の両刃のショートソードを抜きだした。

 そして、それを空へと掲げた。

 するとその剣は光だし、周囲のモンスター、ラマダたち全員を金色色に包む。

 そのとたんに、何体かのラマダの身体がぐらりと揺れた。

 

「ええい! この死にぞこないが。おまえたち、全員で、そこの男と女を殺してしまえ」

 

 怒りの面相に変わったゲマがそう吠えるのに合わせて、ラマダたちが一斉に動き始めた。

 

 が、そこへ今度は二つの影が舞い降りて連中の前に立ちはだかった。

 

「旦那様に指一本触れさせたりしませんわ。バイキルト!」

 

 一人は青い髪の金のサークレットを頭に装備した、白い衣の女性。

 彼女は、杖を掲げて身体強化呪文を唱える。

 

 と、そこへ、真っ赤な全身鎧の大男が降ってきた。

 着地の瞬間地響きが発生して、彼が踏み込んだその足元は、したたかに陥没を余儀なくされていた。

 その男性の身体全体が、強化魔法の輝きによって光り続けている。 

 その手には、巨大な鎖付きの鉄球が握られていた。

 

「雑魚風情が、この偉大な我の前に立ったこと、死をもって後悔させてくれる」

 

 大男はその巨大な鉄球を振り回し始めると、おもむろにそれを手近なラマダの一体へとたたきこんだ。

 このラマダは、先ほどリュカが掲げた剣の光に照らされて、その身をすくませていた。

 その頭部に鉄球がクリーンヒットする。

 大男の無慈悲なまでの破壊力が、ラマダの弱った身体と、逆に強化された自分の身体とで、渾身の一撃となって数倍の威力で繰り出されることとなった。

 そのラマダの頭部はただの一撃で消し飛んでしまう。

 頭を失った巨体は、間もなく音を立てて倒れることになるも、大男はそれを待ってなどいなかった。

 鉄球を振り回しながら、周囲のラマダ全てを叩きのめしていく。

 もはや、それは、やわらかい粘土をつぶすかのごとき所業。

 大男に一撃も与えることも適わないままに、ラマダたちは一体、また一体とその数を減らしていった。

 

「お、おのれ」

 

 ゲマは歯噛みしつつ、自分たちの切り札というべき『リュカの身体』を前に歩ませた。

 

「ジャミよ! いまこそ、そのリュカの身体の活用するときだ! やつを……そこにいるリュカを殺せ!」

 

「了解しました。ゲマ様」

 

 手にした竜の柄の杖を持ち上げたジャミリュカが、ローブ姿のリュカの前に立ちはだかった。

 

「さぁて、小僧。今度こそ貴様を殺してやるよ。この貴様の大事な身体でな! ひゃはははは」

 

 杖を振り上げたジャミリュカの前で、リュカは再びローブの内からあるアイテムを装備しながら取り出した。



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第二十話 リュカVSリュカ

 黒い全身ローブ姿のリュカの前に、このゲームの主人公姿のリュカが立つ。

 一見して、同じ容姿に見える二人だが、頭に布を巻いた方のリュカの中身はあの凶悪なモンスター、ジャミだった。

 ジャミリュカは先ほどまで掲げていた天空の剣とバグと呼んだアイテムをどこへやったのか、手にしてはいなかった。

 代わりに掲げているのは、竜の意匠を施された一本の杖。

 リュカはその杖がなんなのかよくわかっていた。

 

『ドラゴンの杖』

 

 見てくれは魔法使いが使うような杖の一種のようでしかない。

 しかし、この杖自体が強力な武器であって、最強クラスのメタルキングの剣や天空の剣と比べても遜色ないほどの高い攻撃力を持っている。

 さらに特筆すべきは、備えられた特殊な能力。

 この武器はその名の通り、使用者に竜の力を与える……つまり、ドラゴラムの効果を備えている。

 理性を犠牲に、竜の力で暴れ狂うその能力は非常に危険であった。

 

 リュカはローブの内で新たに装備した武器を手に、まだ動かないでいた。

 それを見たジャミは笑った。

 

「くくく……さすがに戦いにくいよなぁ、自分の身体とは。さぁて。てめえが弱すぎる雑魚だってことはもうわかってんだよ、さっき逃げ回ってばかりだったしな。ま、多少その身体でも強くなってはいるみてえだが、どうせひ弱な人間だ、このほんの()()()程度じゃたかが知れているだろうぜ。さあ、来ねえなら……こっちからいくぞ!」

 

 ジャミがそう言いつつリュカへと飛び掛かった。

 手にしたドラゴンの杖を大上段に構えたままリュカへと叩きつける。

 それをリュカは手にした丸い盾で受け止めた----

 

 次の瞬間。

 

「な、なに?」

 

 突然攻撃した方のジャミの身体に衝撃が加わった。

 少しだけ動揺したジャミだが、構わず攻撃を続ける。

 身をかがめるリュカへと何度も何度も殴打を繰り返した。

 が、そのたびに、空間に見えない刃のごとき剣閃はひらめいてジャミリュカの身体を切り裂いた。

 

「ちいっ! てめえ、いったい何を着込んでやがる?」

 

 そう声を漏らしたジャミだが、彼はその防具を知っていた。

 

「刃の鎧……くそ! いまいましい」

 

 そう吠えて少し後ずさったジャミの前で、リュカのローブが一瞬はためくと、その内側には確かに刃の鎧が着込まれていた。

 

『刃の鎧』

 

 この鎧は自身が受けたダメージの何割かを相手に返してしまう力がある。

 だから、リュカがまだ攻撃をしていないにも関わらず、ジャミの方も傷を負ってしまったのである。

 ただし、この防具はあくまで受けたダメージのわずかな部分をお返しするだけ。

 当然だが、リュカの受けているダメージの方がよほどに大きい。

 

 リュカはすかさず、再びあの丸い盾を使用する。

 中央に据え付けられた青い宝玉が光だし、リュカの体力はまたもや回復した。

 

『力の盾』

 

 この円形の盾は使用者本人の体力をかなり回復することができる。

 僧侶が扱うじゅもんの中で言えば、ベホイミと同等クラスの治癒能力ということになる。

 リュカはこの装備で回復をし続けた。

 

「今度は力の盾かよ。まあ、いいさ、なら俺も……ベホマ!!」

 

 鮮烈な青い輝きがジャミリュカを包む。

 完全回復呪文によって全快したジャミは、声も大きく笑った。

 

「はははははは。こりゃいいや。これならどんなにやられても一発で全快だ。自分が使えるとこんなに楽なんだな、初めて知ったぜ」

 

 ジャミはそう微笑みつつ杖を前に突き出した。

 

「ならこんな呪文はどうだ? バギクロス!」

 

 きいぃんと、耳をつんざく高い音が一瞬響き渡ると、直後リュカに向かって竜巻のような空気の渦が襲い掛かった。

 竜巻は岩や壁を破壊しながら進む。

 リュカはローブのうちから再び青い宝玉のついた杖をとりだそうとするも、それよりも早くバギクロスの風の刃が到達した。

 リュカは瞬く間に巻き上げられ、その全身をずたずたに引き裂かれていく。

 そのさなか、彼は再び丸い盾の宝玉を光らせた。

 

「ふん、『さざなみのつえ』だな。てめえがそれを使うところももう見て知ってんだよこっちは」

 

『さざなみのつえ』

 

 この杖の効力は、防御系呪文マホカンタと同じもの。

 術の対象者の全身を魔力で覆い尽くし、一度だけどんな呪文であろうと跳ね返してしまうという力をもっている。

 

 ジャミはにやりと笑うと、手にしたドラゴンの杖をくるくると回してから構えた。

 

「なるほどなぁ。てめえはそうやって、アイテムで全身を固めてしのごうって魂胆なのかよ。ま、だろうな。なにしろ、向こうの世界の人間には、呪文なんてつかえねえんだからな。ははは。よく考えたよ、褒めてやる。だけどよ、そんなことしたってなぁ……」

 

 ジャミは地面を蹴って突進した。

 手にしたドラゴンの杖で今度は頭を目掛けて大上段で振りかぶった。

 

「こちとら死ぬことなんか怖くもなんともねえんだよ。てめえの身体でてめえをぼこぼこにしてやるよ。ほれほれ、さっさとなんとかしねえと、てめえも、てめえのこの身体もどっちも死ぬぞ。ひははははっは」

 

 ジャミはもはやなんの遠慮もなく何度も何度も杖を振り回してリュカを殴り続けた。

 リュカは身を屈め、時折力の盾を光らせつつじっと身を守り続ける。

 何度も何度も繰り返されたラッシュ。

 リュカが傷つき、刃の鎧の効果の反撃によってジャミリュカも傷ついていく。

 その攻防がしばらく続いたところで、ジャミが言った。

 

「おっと、いけねえ、このままじゃ本当に死んじまうな。ベホ……」

 

 そう、呪文を唱えようとした時だった。

 

 リュカはようやくローブの内からそれを引き抜いた。

 それは幅広の両刃の大剣。

 先へ行くほど幅の広がるその様相は、剣というよりも鉈や斧の雰囲気すらあった。

 その剣を大きく振りかぶると同時に、一気に間合いを詰めてジャミへと振り下ろす。

 刹那、その大剣自体が激しく輝いた。

 そして濁流の如き火炎が出現する。

 

「な、なんだぁ?」

 

 ジャミは完全に意表を突かれていた。

 見たこともない大剣ではあったが、剣である以上必ず斬り込んでくると信じたし、実際斬撃の軌道であったから。

 しかし、現れたのは鮮烈な獄炎。

 焔の渦はジャミリュカの全身を焼いた。

 

「ぐわああああああ」

 

 悲鳴を上げてのたうち回るジャミ。

 そこへリュカは遠慮なく剣を振り下ろした。

 真っ赤な血しぶきが何度も上がる。

 鋭い幅広の大剣は、ジャミリュカの肉体を深く深くえぐり続けた。

 少ししてから、ベホマを唱えてよろよろと立ち上がるジャミ。

 

「バカかてめえは! 本気か? この身体はてめえだろうが。殺す気か!? この間抜け!」

 

 怒りと驚愕の面相のそのジャミの前で、リュカは再び大剣を振りかぶる。

 その様に、顔面を青くしたジャミは手に天空の剣を呼び出してそれを掲げて言った。

 

「ま、待ちやがれ。これを見ろ……、へへへ、これがなんなのか分かっているよな? 俺はいますぐにでもこの剣をぶち壊せるんだぜ? このゲマ様のアイテムでなあ。さあ、いい加減にあきらて観念しろや。壊されたく無かったら武器を捨ててじっとしてろ、ははははは」

 

 黒い螺旋状に動くアイテムを天空の剣に近づけるジャミ。

 卑屈に笑う相手を見ながらリュカは、手にした幅広の大剣をカランと床に放り投げた。

 

「ひひひ、それでいいんだ、それで……?」

 

 ジャミが言いながら硬直した。

 なぜなら、剣を捨てたリュカが再びローブのうちから武器を取り出したから。

 その手に握られていたのは、高速の斬撃を放つ武器、『隼の剣』。

 眉一つ動かさずに隼の剣を構えたリュカに、ジャミは怒鳴りつけた。

 

「てめえいい加減にしろ。俺の話が理解できていねえのか? 本当にこの剣をぶち壊すぞ」

 

「やってみればいいよ」

 

 ぽそりとそう言って睨みつけたリュカ。

 ジャミはただ言葉もなく唾を飲み込んだ。

 

 剣を下げたまま歩み寄ろうとするリュカは、ゆっくり進みながら口を開いた。

 

「お前はどうやら『三つ』思い違いをしているよ。まずひとつは、その剣だ。その剣があればエビルマウンテンのテレポートを止めることが可能だということはわかっているが、少なくとも今の僕はそれをしようとは考えていない。だから、脅しになどなりはしないよ」

 

「な、んだと?」

 

 冷や汗をたらしたジャミはにじり寄るリュカの気配に押されて、何もしないまま半歩退いてしまう。

 

「二つ目。僕の体をずいぶん丁重に考えてくれているようだけど、正直気にしなくていいよ。中身がお前の時点で何一つ遠慮せずに殺す気まんまんだからね。本気で行かせてもらうから」

 

「そんなこと本気で言っているのか? バギクロス! バギクロス!」

 

 滅多やたらに呪文を唱えるジャミ。しかし、その魔法は全て光の壁に跳ね返されてしまう。

 いよいよリュカが近づいたところで、また半歩下がったジャミに彼が言った。

 

「三つ目。たしかにお前の言うとおり、僕は魔法のアイテムを使うことで呪文を使わないで済んでいる。でも、誰も『使えない』なんて、いってない。『モシャス』!」

 

「な!?」

 

 リュカが突然呪文を唱えた。

 途端に、彼の全身を旋風(つむじかぜ)が包み込む。

 その内側で、リュカの身体が大きく、逞しく変質していく。

 風の幕が、消え去ったそこには、背の高い赤い全身鎧の男が立っていた。

 それは、背後の方で鉄球を振り回してラマダを粉砕してまわるエスタークを、名のる大男と同じ外見だった。

 唯一違うのは、その手に握られているのが、隼の剣であるということだった。

 

「バイキルト」

 

 少し離れたところにいた青髪の女性がその呪文を唱えると、大男と化したリュカの全身が黄金色に輝きだした。

 リュカは手をあげて女性への礼とした。

 そして、ジャミの直近で見下ろす様に睨みつけた。

 

「知っているか? モシャスでコピーした時って、相手の総合攻撃力を獲得できるんだよ。つまり今の僕は、力MAXで破壊の鉄球を装備したほぼ怪物のエスタークさんの攻撃力と同じなんだ。そこにバイキルトをかけて隼の剣の効果で複数回攻撃をしたら……」

 

「待て……待って!!」

 

 リュカは全身の筋肉をみなぎらせたまま、足を踏み込んで剣を高速で繰り出した。

 目で追うことも出来ない打突のラッシュに、ジャミの身体は浮かび上がる。

 ジャミはあまりの破壊と暴力になすすべもなく切り刻まれ、血の泡を吹きながら絶叫していた。

 そして、どちゃりと音を立てて地に倒れ、白目を剥いてピクピクと痙攣した。

 そこに、隼の剣をおろしたリュカが声をかけた。

 

「この攻撃力なら、その僕の身体程度のHPなら、回復する余裕もないままに、削りきれるというわけさ。怖くはないって言ってたから、これだけ切り刻んで痛くても平気だよね。あ……、もう聞こえていないか。死んだから」

 

 リュカの目の前で、もう一つのリュカの肉体が光となって消滅した。

 その顔は、恐怖に染まり、ただただ、苦しそうであった。



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第二十一話 想い人

 見上げればゲマが笑みもなく、表情を失して僕たちを見ていた。

 そこへ一瞥を向けたあと、僕は隼の剣にまだ残る血糊を払い飛ばしてから鞘へと納めた。

 すでにモシャスの効果は切れ、元のローブ姿に戻っている。

 背後で鳴り響いていた、爆発にも似た鉄球の炸裂音もすでに止み、賢者たる彼女の放つ魔法の音も消え失せていた。

 ちらりと周囲を見渡してみれば、秀麗でさえあった大神殿のテラスは見るも無残に破壊しつくされていて、いたるところに紫色の巨人であったものの肉塊が散乱していた。

 それは鉄球を掲げた大男と青い髪の合間に金のサークレットを光らせた彼女の為した所業で間違いなかった。

 もはや動くものは僕とエスタークさんとフローラの三人と、僕の背後で蹲るビアンカのみ。

 それと、宙に浮いているゲマか。

 

 とは言っても、形勢は完全に僕たちの側に傾いているのは明白だった。

 

「さあ、ゲマ。今度はお前の番だ。覚悟しろ」

 

「ぐぅうう」

 

 奥歯を噛み締めて顔を歪ませるゲマに、僕はそう言いながら睨みつけた。

 そうしていたのはエスタークさんとフローラも同じだったようで、僕に並ぶようにしてゲマを見上げている。

 ただひとり、ビアンカだけが茫然となって僕たちを見上げていた。

 

「お、おのれぇ。たかだか人間の分際で調子にのりおって。あの忌々しいスライムの差し金か!」

 

 そう怒鳴るゲマに、僕はあえて何も答えなかった。

 その代わりに手を差し出して、呪文を唱えた。

 

「ギラ!」

 

 ゲマの周囲に炎が渦を巻く。

 当然大したダメージにもならないが、ゲマは慌ててローブで身を包み守りの体勢にはいった。

 

「なにを!?」

 

「ギラ!」

 

 再び僕は最下級の火炎魔法を放つも、それもすぐに掻き消えてしまった。

 それでも僕はその呪文を繰り返した。

 

「ギラ! ギラ! ギラッ!!」

 

 何度も何度もその炎魔法がゲマを焼く中、奴は血管が切れてしまうのではないかと思えるくらいに、面相を怒りで染め上げた。

 

「きっさまぁああああっ!! 私を愚弄するかっ!!」

 

 そう怒鳴りつけた奴へ、僕は言った。

 なるべく落ち着いて、冷静に、おだやかに。

 

「その通り」

 

 笑みを浮かべつつそう告げた瞬間、奴は超巨大な火球を直上に顕現させた。

 それを、タイミングを計るでもなく、こちらへと投げつけてきた。

 当然だけど、そのメラゾーマは僕のマホカンタで簡単に跳ね返る。

 続いて炎を吐くも、それはフローラのフバーハによって阻まれ、ほとんどダメージにもならない。

 その繰り返しが暫く続いて、ゲマがいよいよ肩で息をしはじめたところで、僕はまたあの幅広の大剣を抜き出して掲げた。

 

「さあ、とどめだ、ゲマ。僕がお前を殺してやる。いつでも、どこでも、何度でもな!」

 

「くっ……」

 

 表情を強張らせたゲマが、突然身を翻した。

 向かった先は僕たちのもとではない。

 奴が進んだのは、あのジャミリュカが横たわっていた場所。

 そこに残るのは、鞘に収まったままの天空の剣だった。

 奴は、素早く例のアイテムを天空の剣へと投げつけると、その勢いのままで後方へと退いた。

 少し離れた場所で宙空へと逃れるゲマ。

 奴はけたたましい笑い声をあげた。

 

「ほっほっほっほっほ。あなた方がなんと言おうと、天空の剣があなた方の切り札であることに違いはありません。ここで消滅させていただきますよ。ほっほっほ」

 

「ああ……」

 

 僕の後ろでビアンカが悲痛な声を上げていた。

 そちらへ向かないままに、僕はただ、床で黒い渦に飲まれていく天空の剣を見つめた。

 あのアイテムの黒い螺旋には、様々なプログラムメッセージが刻まれていた。

 読みとれる箇所だけ見ても、刻一刻と天空の剣のパーソナルデータが消されていくのが分かる。

 あれは完全にウイルスだ。

 特定ののデータに干渉してその存在を抹消する類の物。

 それほど上等のプログラムではないが、効果は絶大だ。

 渦に飲まれた剣は次第としぼんでいった。

 そして、ついにそれは小さくなって消えてしまう。

 

「ほっほっほ。これで一先ず私の役目も終わりです。もうこの世界に用はありません。あなた方はそこで精々外の世界が滅びる様でも眺めていることですね」

 

 ゲマは笑いながら一度ローブをはためかせる。

 そのまま、まるで手品の様に消え去った。

 ルーラをしたのか、それともシステム的な何かなのか、ともかく消えた。

 

 ただただ、あたりには消えた筈のやつの笑い声の残滓が木霊し続けていたけど。

 

 

「リュカ!」

 

 後ろからずっと聞きたかった人の声がする。

 この声の主のことが心配で、逢いたくて、切なくて、僕はここまでやってきたのだ。

 でも……

 

「ビアンカ……」

 

「リュカっ!!」

 

 さっきよりももっと近くで彼女の声が聞こえた。

 と、その直後、僕は膝を折るようにしてその場に崩れ落ちた。

 実は、もうとっくに『限界』を超えていたのだ。

 ここでこうやって立っているのもやっと。

 信じられないくらいの『痛み』に襲われまくっていたから。

 僕は自分のステータスウィンドウを操作してすべての防具の装備を解除した。

 途端にあの重かった刃の鎧や、力の盾などがたちまちのうちに消える。

 そこから現れるのはただの僕の衣服だ。

 あの日、エスタークさんに自宅で拉致された時の薄手のシャツにジーンズの恰好。

 

「リュカ! リュカ!!」

 

 耳元で彼女の声がする。

 ビアンカはへたり込んだ僕を正面からかかえるように抱き着いていた。

 背中に回された腕が僕の身体をぎゅうっと締め付ける。

 泣きそうなくらい痛くて苦しいのに、そうやって彼女の温かさを感じることが嬉しくて、激痛の中されるがままでいた。

 ようやく……

 また、逢えたから。

 

 でも……

 

「や、やっぱりいてぇ……」

 

「リュカ!?」

 

 不安そうにのぞき込むビアンカになんとか顔を上げてにへっと笑って見せるも、彼女はもうぼろぼろと大粒の涙を流していた。

 そして叫ぶ。

 

「いやっ! 死なないでリュカ! 私を置いていかないで! もう、いなくならないで!!」

 

 そう言って僕をさらにきつくきつく抱きしめる。

 

「いてててててててて」

 

 痛いと必死に口にしているつもりなんだけど、ビアンカは抱擁をやめてくれない。

 そればかりか、どんどん力が増してしまっている。

 やめて! ビアンカわかってないかもだけど、もうレベル50以上だから。成人男性はおろか、人類最強、霊長類最強より何十倍も力が強いから!!

 

「ビアンカ様、その辺にしてあげてくださいませ。旦那様に今必要なのは、『休息』ですわ」

 

「え? ええ!? ふ、フローラ……さん? え? 旦那様? なんで? そ、その恰好は?」

 

 ビアンカは僕を抱きしめながらフローラを見上げて口をパクパクし始める。

 明らかに驚愕しているということは、ビアンカ結婚ルートのフローラと行動を共にしているということかもしれない。

 フローラはすかさず僕のそばに膝をついて、ベホマを唱える。

 全身が青白い光に包まれて傷が消えていくのはいつものことだ。

 でも、この全身をかける痛みだけはどうしようもないのだけど。

 

「ふ、フローラさん。リュカは大丈夫なの? ベホマをしても全然良くなっていないよ!? ま、まさか、毒? それとも呪い? いったいどうしたらリュカを助けて……」

 

 そのビアンカの言葉に、フローラはてこんと首を傾げ、頬に指をあてて困ったわのポーズ。

 涙をあふれさせたまま、今にも錯乱しそうになっているビアンカを冷静にさせたのは、この大男の一言だった。

 

「案ずるな。そやつの苦痛の原因は、ただの『筋肉痛』だ」

 

「へ?」

 

 復活の杖を片手に、アルスやヘンリーを肩に担いでこちらへと歩いてくる彼はどうやら予定通り全員の蘇生を行ってくれていたようだ。

 ドサドサと生き返ったはずの彼らの身体を転がすエスタークさんは、今度は複数のラマダと相打ちの形で力尽きているブオーンへと向かう。

 ビアンカはあっけにとられた顔のまま、床に転がってすやすやと眠っているアルスたちを見てから、ふふふっと笑顔になっているフローラと、それと僕へと顔を巡らせた。

 彼女とばっちり目が合って、思わずにへらと笑った。 

 

「あ……そういうわけだから、怪我でも毒でも呪いでもないから大丈夫。いや、呪いと言えなくもないかもだけど、とりあえず筋肉痛でもう死にそうだから休ませて」

 

「あ、はい」

 

 思いのほかあっさりと彼女に開放され、僕は床にあおむけで転がった。その際したたかに後頭部を打って悶絶するも、今度は介抱してくれなかった。

 さっきまで取り乱していたのがウソのように、彼女も薄く笑みまで浮かべているし。

 つまり、これで平常運転というわけですね。僕的にはもう少し優しくされて甘えていたかったのに……

 

 解せぬ。



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第二十二話 ここに来るまでのリュカ

 しばらく休んでから僕は目を開けた。当然まだ痛いわけだけど、あんまり長く休み続けるわけにもいかないから、ビアンカとフローラに肩を貸してもらってよろよろと立ち上がる。

 はっきり言ってめちゃくちゃカッコ悪い。

 まさかよりによってゲームの世界で筋肉痛でこんなに苦しむはめになるとは思いもよらなかったのだ。

 ビアンカは、そんな僕を見て呆れていた。

 

「まったくもう……、筋肉痛ってどういうことなの? 死んじゃうかと思ったんだから」

 

「あ、いや……それはごめん。まさか僕もこんなに苦しむとは夢にも思わなかったんだよ。あいたたたた」

 

「あ……大丈夫ですか、旦那様。あまりご無理をなさらずに」

 

 ビアンカとは反対側でフローラが心配そうに声をかけてはくれるが、逆に僕のこの状態に慣れているというだけのこと。僕はもう何十回と筋肉痛で悲鳴を上げてきたわけで、そのたびに開放してくれたフローラからすれば毎度のことでしかない。

 なにしろ、『あっちの世界』でレベルを上げるたびに、僕は激痛でのたうってきたのだから、無視される程度のぞんざいな扱いであってもまったく問題はない。むしろ、こうも声をかけてくれることに感謝せねばならないくらいだ。

 そうやって当たり前のように僕を介抱しようとするフローラを見たビアンカは、おもむろに僕の手を放してフローラを見た。それからおずおずとだが眉間にしわをよせつつ話し始めた。

 

「えっと……フローラさん? リュカにだ……旦那様って、いったいどういうこと? あ、あなたにはアンディっていう婚約者がいてもう一緒に暮らしていて……? それにその恰好……さっきまではシルクのドレスを着ていたはず……? それがなんで今はそんな魔法使いとか、冒険者風の衣装に? ど、どういうこと?」

 

 そう言われたフローラは自分の衣服を見下ろしている。

 彼女の見た目は白系統で統一された丈の短い聖衣とブーツで、頭に命の石のはまった金のサークレットを装備している。だが、実はこの衣装の下に、神秘のビキニというとんでもない高性能防具を装備しているのだけど、それを今口にしたらビアンカが激昂しそうなので無言でスルーすることにした。

 フローラがにこやかに微笑みながら答える。

 

「すみませんビアンカさん。私、リュカ様の許可をいただきまして旦那様と呼ばせていただいているだけです。ビアンカさんと旦那様がご結婚されたということも知っておりますし、この世界に存在するもう一人の私がアンディと婚約しているということも理解できております」

 

「もうひとりの私?」

 

 小首をかしげたビアンカに、フローラは柔らかく微笑んで付け加えた。

 

「はい。私は旦那様と結婚した場合の、『フローラ』にございます。こちらの世界にいるフローラとは同じであって違う存在なのでございます」

 

「え? け、結婚!? するはずだった? え? え?」

 

 疑問符いっぱいな顔で僕とフローラを交互に見るビアンカの何度も何度も往復しているが、この説明は本当に難しい。

 難しいけれど、驚いてあたふたしているビアンカの以前と変わらない様子に、僕は心底安堵していた。

 

 やっと……

 やっと再会できた。

 

 僕は彼女のしなやかな手をつかむ。

 戦いの余韻があったせいか、その手はまだ温かかった。

 顔を見れば少し気恥しそうにうつむいている彼女。

 それを見れただけでも、僕は本当に幸せだった。

 

 こうやって変わって行く表情を眺めて、会話をして、触れることだってできる。

 このどうしようもないくらい当たり前の行為をただ欲して、僕はここまできたんだ。

 そう思いながら、ビアンカの手を両手で包んでいると、彼女がやさしい声で囁いた。

 

「おかえり……リュカ、おかえりなさい。私……待っていたの。ずっと、待っていたんだよ」

 

 そう言いつつそっと身を寄せる彼女のことを僕は抱きしめた。

 

「うん。ただいま……本当に会いたかったよ」

 

 彼女の体温を、胸の鼓動を確かに感じる。

 確かに今まさにここに、目の前に彼女はいた。

 胸の中にうずくまる彼女は、僕の目の前にそっと、それを差し出した。

 それを見て、僕の胸は一気に熱くなった。

 それはあの日、僕がこの世界から消える間際に彼女へと書いた手紙……、それを折り鶴にしたものに間違いなかった。

 それはもうしわしわで、たぶん何度も何度も開いては元に戻したのだろう、形もだいぶ崩れた折り鶴を、彼女は大事に大事に押し抱いた。

 

「私……一日だってリュカのこと忘れたことなかったんだから」

 

 そう言いつつ涙のしずくを溜めて微笑む彼女に僕も答えた。

 

「僕も……そうだよ」

 

「リュカ……」

 

 僕たちは二人できつくきつく抱き合った。

 

「けほん、こほんっ! あー、二人とも。仲むつまじいのは良いのだが、今は火急に進めねばならぬ件がたくさんあるのだ。喜び逢うのはもう少し後にまわしてもらえぬか?」

 

「「はっ!?」」

 

 びくっと反応して二人で同時にぱっと離れると、そこには、あごに手をあててニヤニヤと笑っているヘンリーの顔が。少し視線をおろせば鼻をこすっているアルスもいるし、足元にはゲレゲレ、そんなみんなのうしろには、頭をこきこきと動かしているブオーンの姿もあった。

 見れば、復活の杖を持ったまま腕を振り回しているエスタークさんとにこやかに微笑むフローラもたたずんでいた。

 どうやら全員無事に蘇生が完了したようだ。

 ということは、完全に衆人環視の中でいちゃこらしてしまっていたということだ。

 こ、これはさすがに恥ずかしすぎる。

 ビアンカも顔を真っ赤にして、前髪をくるくる遊んで横をむいてしまっているしね。

 いや、まあ、仕方ないことなんだけど、ほんとヘンリーやめて! そのしたり顔!!

 

「そ、そうだな! その通り! 今は先に話をしなければならないことがたくさんあるんだ! うんうん!」

 

 そう切り出した僕の前で、ヘンリーは今度は至極まじめなかおになった。

 

「リュカ、君に聞きたいことは山ほどあるが、まずは教えてくれ。君は本当にリュカなのか? ついさきほどもリュカの偽物が出た。そしてそれを君が倒した。しかし、余には先ほどの偽物の方がリュカにそっくりに見えていたのだ。君がいかにリュカであると言い張ったとしても、余には君の姿がリュカから離れすぎていて、一概には信じることができぬのだ」

 

 そう言われて自分を見下ろしてみれば、Tシャツにジーンズ。先ほどまで装備していた『刃の鎧』や『雷神の剣』の装備にしたって、この世界の僕の姿からすれば異質すぎるだろう。それは僕からしても容易に察することができる内容だ。

 ビアンカはまったく僕のことを疑っていないようだけど、少し心配になったのか不安そうに僕のことを見つめていた。

 大丈夫。何も問題ないよ。

 心の中でそうつぶやきつつ、僕は上空から降下してくる天空城を見上げながら、ヘンリーへと答えた。

 

「僕がリュカだよ。正真正銘、リュカの『プレイヤー』さ。あのゲマたちを倒すために、僕は自分の本当の生身の身体を『別の世界』で鍛えて、この世界にやってきた。僕の本当の名前は、白野琉夏(しろのるか)。僕は……僕たちは、『ドラゴンクエストⅢ』の世界で力をつけてきたんだ」

 

『キュイイイイイイイイッ!!』

 

 大きな影が僕たちの真上を横切った。

 それは超巨大な怪鳥。

 七色の翼で、世界を渡る、この世界の神鳥。

 

 ラーミアはまるでスローモーションのように大きく羽を一度広げた後で僕たちの後ろに着地した。

 そして、僕の横に、戦死姿のエスタークさんと、女賢者姿のフローラが並ぶ。

 僕はもう一度先ほどの装備を出現させて身に纏った。

 体にしっかりフィットしている刃の鎧と、腕に装着した力の盾。

 腰には隼の剣を指して背中に闇のマントを羽織る。

 そして頭部には鉄兜。これ、本当はミスリルヘルムか鉄仮面にしたかったんだけど、僕には視界が狭すぎて使いにくかったんだよね、という裏事情があったりなかったり。

 と、そんな格好に突然変わって見せたら、やっぱりというか、その場のみんなが唖然呆然となってしまった。

 だが、気にしない。

 

「僕たちは『時間の流れを早くしたあの世界』で、体感年数で約1年かけてこの状態まで鍛えたんだ。僕のレベルは50。フローラは82。エスタークさんに至ってはかなり前から99だからね。はっきり言って、普通に戦えばこの世界でだって最強クラスにはなったんだよ。あ、ちなみに、ドラクエⅢの世界の勇者君にはきっちりゾーマもしんりゅうも倒させてあげてるから、問題なくあの世界は平和になっているからご心配なく。半ば無理やりレベル上げに協力させちゃったから、結構涙目だったけどね、特に問題はないでしょ」

 

 そうとりあえずのところを説明したわけなのだが、そんな僕を見てヘンリーが無表情に一言。

 

「まったく意味が分からぬ」

 

 だそうです。

 ですよねぇ。 

 

 さて、では本腰をいれてお話あいといこうかな。



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第二十三話 天空城での首脳会議

 天空城へと乗り移った僕達は、天空人達によって用意された広めの会議室へと案内された。

 僕とフローラとエスタークさんで固まってテーブル席の一角に座り、背後の椅子にビアンカとアルスが座る。ゲレゲレも伏せて大人しくそばに控えている。

 上座には人間状態のマスタードラゴン、プサンが腰をかけ、僕たちの対面にはヘンリー達ラインハット国関係者が座り、それに並んで各地の村長や町長たちが席に着いた。

 面々の中にはルドマンさんもいて、背後にはこちらの世界のもう一人のフローラと、アンディらしき長髪のイケメンも控えていた。 

 そのフローラは、僕の隣で楚々として佇んでいるフローラを見て目を丸くしているし、アンディに至っては見た瞬間に顎が外れたのではないかというほどに、大口を開けて驚愕している。ちょっと鼻水も垂れているし、某まんがテイストの顔のせいかせっかくの二枚目が台無しだ。

 まあ、気持ちは分かる。

 同じ人間が二人もいるなんて、普通は受け入れられるわけがないし、そもそもこの世界が自分にとっての現実であるのだろうし、これから先、僕が話す内容だって理解してくれるとは思えない。

 しかし、こうなった以上は理解してもらうしかない。

 もはや、見て見ぬふりをして過ごしていける状況ではなくなってしまったのだから。

 

 この場が設けられる前に、僕はプサンやヘンリーたちへと現状の説明はしてある。

 この世界が作り物でゲームの世界であるということ。

 僕がこの世界を創った側の人間であるということ。

 この世界を冒険していたリュカは僕のアバターであるということ。

 そして、僕が作ったプログラムがきっかけとなって、この世界の住民であったゲマやその手下、モンスターたちが現実世界に出てきてしまい、僕たちの世界もこちらの世界も壊滅の機器を迎えていることを。

 

 ただ、説明はしたが、すんなりと理解できる話では当然ないわけで、ここにいるエスタークさんとフローラが一度肉体を得て現実世界に行ったということも、僕も含めて再度このゲームの世界にやってきたということも、この世界と同様に作られたドラクエⅢの世界で鍛えたということも含めて、全員が首をかしげることになった。

 それでも、なんとか飲み込ませて現状やらなければならないことを伝え、その上でこの場を設けてもらった。

 ともかく全員に現状を飲み込ませるしかないのだ。

 はっきり言って、この事態を引き起こした元凶が僕なわけでそれを想うだけで居たたまれないのだけど、これだけ頑張っているのだから勘弁して欲しいのだけど、許してはくれないよね。

 はあ。

 ともかくこの事態を収束させなければ。

 

 僕のやり方で(○○○○○○)

 

 一同は明らかに訝しい目つきで僕たち三人を見ている中、どう説明したらもっとも簡単に理解してもらえるだろうか、思考を巡らせる。

 そうしていたら、ヘンリーが立ち上がって背筋を伸ばした。

 どうやらこの場の進行は彼が進めてくれるようだ。

 

「全員揃ったな。ではこれよりこの世界が直面している危機について皆に話をしようと思う。知っての通りモンスター達の強襲によって我々はこの天空城へと逃げ込むことになった。なぜこのようなことが急に起こったのか。その理由が、ここにいるリュカ一行の来訪によって明らかとなった。まず全員に伝えなければならない真実がある。心して聞くように」

 

 ヘンリーは一度目を瞑ってから大きく息を吸った。

 そして一同を見回してから発声した。

 

「我々が今いるこの世界は、作り物であるのだそうだ。上位者であるリュカ達によって、この世界、国、街や村、山や湖も、我々も、全て作られた。我々の存在は幻に近いものであるらしい」

 

 ざわりと部屋の空気が震えた。

 卓に着く多くの人が怪訝な顔になり、近くの人と言葉を交わし始めた。

 今いるこの世界が上位者によって作られたものであるということをすんなり受け入れられる人はそうはいないだろう。

 実際、ここに集う人達の多くは、真に受けて焦っているわけではなく、むしろ嘲笑っている感じすらあって、当事者でもあり、視線を向けられている対象になっている僕たちは居たたまれなくて、どんどん居心地が悪くなっていく。ちらと、隣を見れば、しゃんと背を伸ばしたフローラも、腕を組んだままへの字口になっているエスタークさんも、特に同様するでもなく澄ました顔だ。

 どうやら慌てているのは僕だけだ。

 

 このままでは列席の人たちから野次が僕へ集中してしまうだろうということに戦々恐々となっていると、バンと机に手をついたヘンリーがくわっと目を見開いて声を発した。

 

「貴公らは今の話を信じておらぬようだが、私はリュカがもたらしたこの事実は真であると理解した。であるから、そなたらも今後疑うことの無いように」

 

 自信まんまんのヘンリーの言葉に、部屋の空気が一瞬凍る。

 おいおい、そんな説明でみんなが納得できるわけないだろう?

 と、内心焦っていると、案の定、みんながそれぞれヘンリーを糾弾し始めた。

 

「ふざけないでください!」

「そんなの説明でもなんでもありません!」

「言っていいことと悪いことがあります!」

 

 ラインハットの王族が相手であるため、言葉の端々は感情を押さえ込んでいるようだけれど、その面相はいずれも怒りに満ちている。

 そりゃ、仕方ない反応だろうとは思うけど、このままでは話が進まないよ。

 再びヘンリーへと救いの視線を向けてみれば、彼は立ち上がって睥睨し、一喝した。

 

「慌てふためくな! 見苦しい!」

 

「はい!」

 

 と、思わず返事をして背筋を伸ばすと、ヘンリーが訝しい目つきで僕を睨んだ。

 あ、僕の事じゃなかったね。

 思いっきり慌てていたからつい……ね。

 

 静まったその場で彼は口を開いた。

 

「この際、この世界がどうであろうと、創られたものであろうと、本物であろうと偽物であろうとそんなものはどうでも良いのだ。大事なことは、我々が今ここに生きのこっているという現実と、ゲマたち悪に連なる者によってこの世界と、リュカたちの世界の双方が脅かされているということ。そして、そのゲマたちを倒し得る力を、ここに居るリュカたちが持ち合わせているということだ。共に生き残る気があるならば、四の五の言わずに全てを受け入れよ!」

 

「うむ、まったくその通りだな」

 

 大きく頷いたのは、天空人を背後に従えたマスタードラゴン、プサンだった。

 彼は前のめりにテーブルに身を乗り出しつつ、くいとそのメガネを押し上げた。

 

「今が非常時であるということは全員が理解していることであろう。だからこそ理不尽を飲み込まねばならぬ。ヘンリーの申す通りだ。リュカに手段があるのならばそれに縋るしかないのだ。我々にはもはやどうしようも出来ないのだから。

 

 身も蓋もない言い方だけど、二人の言う通りなんだ。

 今この世界にいる人たちがどうあがいても、システムを掌握し、ゲームマシン自体も手にしたゲマたちに対抗する術はこの世界の住民にはない。

 この世界の象徴たるマスタードラゴンの諦観とも思える言葉に一同はがっくりと項垂れることになったが、これで話は一歩進むことになる。

 

 ゲマたちに対抗できる力を手にいれた僕たちが、ここにいるみんなの希望の星となるしかない。

 そしてこの戦いを終わらせなければならない。

 僕の希望に沿う形で。

 

 そのためには、決してあのことを離してはならないのだ。

 

「ヘンリー、いいかな」

 

 僕が小さく手を上げて声を出すと、ちらりとこっちを見たヘンリーが小さく頷いた。

 僕は立ち上がり、不安そうに見上げてくる人たちに向けて声を出した。

 

「初めましての人も、久しぶりの人もいますね。姿は変わっていますが、僕はリュカです。以前ここでゲマたちと戦ったものです」

 

 僕はここに至るまでの話をみんなにした。

 かつて父パパスと世界を旅をしながら勇者を探し、息子アルスが勇者であることを知り、仲間とともにゲマたち一派と戦い、一度は破ったこと。

 そして……

 僕がこの世界をクリアせずに本来の世界へと帰還したことにも触れた。

 現実世界のことを僕は、この世界を創った人たちの世界であり、僕もそちら側の存在であることと、クリエイターの一人であるアドミニストレーター、スラリンと僕の作ったプログラムによって、こちらの世界と現実の世界を行き来できるようになったことと、その技術を用いて復活したゲマたちが現実世界へと現れ戦いを仕掛けようとしていることと、さらに、現実の世界からこちらの世界へと様々な干渉を進めていることも付け加えた。

 つい先ほど、ゲマは、部下であるジャミに僕のアバターを操作させて襲い掛かってきたのだ、それを目撃したみんなからすれば、多少は状況を把握できているようだ。

 しかしやはりというか、ほとんどの人はぽかんと口を開けて僕を眺めているだけだった。

 この世界の外に現実の世界があって、そこと行き来しているだけではなく、この世界の成り立ちそのものが、現実の世界の技術によって作られた架空の存在だなんて、どんなに言葉を重ねても理解するのは難しいに決まっている。

 なにしろ、この世界にプログラムやゲームなんて概念などなく、当然パソコンもないし、プログラマーやエンジニアもいないのだ。

 どのように世界を創ったのかなんて想像もつかない話だ。

 むしろ……実はね、僕たちは神様で、魔法でこの世界を作り上げたんだよ! とか言った方がまだ説得力があるのではないかな。

 ともかく、一通り、説明は終えねばならない。

 

「そういうわけで、僕たちはアドミニストレーターが用意していたもう一つの世界、ドラゴンクエストⅢの世界へと行き、そこでできうる限り自分たちを強化してきたのです」

 

 あの世界をスラリンが用意してくれていてくれて本当に助かったんだ。

 なにしろ、このユアストーリーの世界は今やクリアー寸前の状態でここで一から冒険を始めるにはハードルが高すぎるのだもの。

 ほとんどのクエストが消化ずみの上、重要アイテムの殆どは取得ずみ。さらに、ゲマたちによって多くの街や村や城が滅ぼされているということだし、ここでは本当にどうしようもなかった。

 ドラクエⅢの世界の勇者くんと合流後、最速クリアーを目指して自分を強化していく中で、ゲーム内データとして戦士とされた僕は着々と強くなることが出来た。

 そうは言っても所詮は運動不足のサラリーマンでしかない僕にとって戦闘は本当にきつい。半泣きになりながらケガをしない様に立ち回って、なんとか生きていた。

 まあ、そうは言っても、フローラとエスタークさんが馬鹿みたいに強くなっていったからね、僕はそのおかげで生き残れたわけだ。

 アドミニストレーターが用意してくれた世界は流れている時間がかなり早められていたおかげで、体感で約1年の滞在期間は、現実の世界の時間でおよそ3時間、こちらの世界で約1か月の経過だった。

 この与えられた1年間で、僕たちは出来る限り鍛え、ついにはしんりゅうを倒せるほどになれた。

 

 そして、アドミニストレーターによって与えられた量子ジャンプの能力を持ったラーミアと共に、僕たちはこの世界へとやってきた。

 それぞれが最強の状態となって。

 

 それもこれも、全ては彼女を救いたいがためにね。

 

 それは胸に秘めたままで、一度ビアンカへと視線を向けたあとで、僕はみんなに向き直った。

 

「全てを理解してもらうのは難しいと思います。が、これだけは覚えておいてください。僕たちはゲマたちを倒します。そして、皆さんを救います。だからもう少し頑張りましょう。そして全てを倒した暁にはみんなで力を合わせて新たな街を、国を作りましょう」

 

 僕の言葉にその場のみんなの顔が少しだけほころんだ。

 ただ……

 僕の隣では、フローラが少しだけ困惑した顔に変わっていた。 

  



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第二十四話 フローラの悲哀

「お待ちください旦那様! いえ、リュカ様!」

 

 会議を終え、休息の為にビアンカたちの部屋へと向かう道すがら、剣呑な表情の賢者姿のフローラが駆け寄ってきた。

 今連れたって歩いているのは僕とビアンカとアルスだけだ。

 僕はアルスと手をつないだままでフローラへと視線を向けた。

 

「何?」

 

「何ではありません! 先ほどの発言の件でございます」

 

 少し声を荒げたフローラに向かって、僕は口に人差し指を当てる、お静かにのジェスチャーを見せると、彼女はピクッと一度身体を震わせて口を噤んだ。

 その様子にビアンカもアルスも不安そうになって見上げてくる。その顔は、どういうこと? と訝しんでいることがありありで、明らかに説明を要求されていた。

 エスタークさんは先ほどふらりと外へと出て行っている。筋トレでもしにいったのだろうか?

 ゲレゲレはサンチョに餌をもらっているし、ヘンリーやマスタードラゴンは避難民たちへの説明で忙しそうにしていた。

 ここには僕たちだけだが、やはりこんなところで話すことではない。

 

 僕とビアンカとアルスとフローラは天空城の居室へと入った。

 あまり広くはない白壁の部屋の中には、ベッドが二つと小さなサイドテーブルがあり、壁際にはアルスやビアンカの装備だろう、剣や杖、鎧やローブが並べられていた。

 正直狭いと思うが、難民が(ひし)めき合う今の天空城にあって、家族単位で部屋を割り当てられていることを思えば、相当に優遇されているとも言える。

 それだけビアンカとアルスの存在が重要だと認識されているということで、そのことに安堵する。

 ビアンカたちの扱いが悪くないということが一番大事なのだから。

 

「で、フローラ? 何の話だったっけ?」

 

 部屋の一角にある椅子に座った僕は、とぼけた感じでそう聞いてみたのだが、入り口そばに立ったままのフローラはただまっすぐに僕を見つめて口を開いた。

 

「先ほど皆様にご説明された内容についてでございます。旦那様! あの言い方では私たちのこれからの行いは、創造主(アドミニストレーター)様の意に反するものになってしまうではありませんか」

 

 どうやらごまかされてはくれないようだ。

 僕を見つめるフローラの瞳には、怒りとも焦燥ともとれる色が輝いていた。

 ベッドに並んで座ったビアンカとアルスは何も言わずに、手をつないで不安げに視線をこちらへと向けてきている。

 

「別に……、スラリンの依頼(クエスト)を反故にしようとか思っているわけじゃないよ。ただ、僕なりにもっと良い解決法があると考えているだけさ」

 

「リュカ様なりのもっと良い行動が、このゲームのクリアでないことが問題なのでございます」

 

 はっきり、明確にそう声に出したフローラの言葉に思わず息をのむ。

 それは僕だけではなく、ビアンカもアルスも同じだった。

 彼らはフローラの話の意味を理解できていなかった。

 でも、その不穏さだけはしっかりと伝わったようだ。

 

「どういうこと? ねえリュカ? フローラさんの言っていることはどういうことなの? リュカは何をしようとしているの?」

 

 僕へとそう語りかけるビアンカに、フローラが即答した。

 

「ビアンカさん。この世界すべてが虚構であることは先ほど旦那様がご説明したとおりにございます。私もあなたも、アルス様も、皆すべて作り物。それからゲマたちも。そのゲマたちが旦那様たちの世界へと移動できるようになり、向こうの世界が危機に陥いりそうになっている今、この世界をおつくりになられた我々の創造主(アドミニストレーター)様はある使命を私たちにお与えくださったのです」

 

「使命?」

 

 小声でそう言ったビアンカにフローラは小さく頷いた。

 

「そうです。使命でございます。この世界はゲームなのです。そしてそのゲームの主人公はこのリュカ様。リュカ様が最終目的地でもある、グランバニア王城へとたどり着けなかったがために本来消滅するはずだったゲマやモンスターたちがそのまま残ってしまい、このような事態になってしまったのでございます。ですから私たちはこのゲームを終わらせなければならないのです。グランバニア王城へと入り最後の瞬間を迎え全てをリセットする。それこそが創造主様の意向であり、我々へと課した使命でもあるのです」

 

 淡々と語るフローラの言葉に、ビアンカは顔をひきつらせた。

 明らかに動揺した様子だけど、となりのアルスの手を握ってもう一度僕へと向き直る。

 

「リュカがあの時王城へとたどり着けなかったからこうなってしまった……ということ? あの時、消えてしまったから…… でも、もしあの時お城にたどり着いていたら、私たちは……」

 

 話しながらはっとしたように口元に手を当てたビアンカは、その先を口にはしなかった。

 代わりにフローラが言う。

 

「ええ、その通りです。もしリュカ様がグランバニアへとたどり着いていれば、その時点までのすべてがリセットされ、ゲマたちも完全に消えました。そして私たちも戻るはずでした。そう……私たちが旦那様に初めてであった子供のころに」

 

 僕という存在もリセットされて……ね。

 

 僕は口にはしなかったが、ビアンカたちには十分伝わったようだ。

 

 現実世界へとエビルマウンテンごと移動しようとしている今のゲマたちを完全に消しさるには、クリアするしかない。

 たとえゲマやジャミを倒したとしても、エビルマウンテンがそこにあるというだけで、こちらの世界のデータ状態のモンスターたちを、量子テレポートによって生み出し続けることが可能だ。

 無限に湧き出るモンスターによって、現実世界は大混乱必至。

 それを回避する最良の策が、スラリンからの使命であるゲームクリアで間違いないのだ。

 しかし、それは僕の大事なものが全て失われるということ。

 ここでの僕という存在と、共に時間を過ごした大切なひとたち全てをうしなう。

 次に出会った時、僕はまたビアンカに、初めましてと言わねばならないのだ。

 それは何よりも辛いことだった。

 フローラもまた、おなじ様に記憶は全てリセットされるわけだけど、彼女はスラリンからの命令に従いたいようだ。

 いや、本心は分からないが……。

 少なくとも彼女は自分のなすべきことを理解し飲み込んでいるのか。

 

 フローラを見れば、彼女はひとつ大きく息を吐いた。

 

「魔界を封印できる、天空の剣を使用できれば、転移中のエビルマウンテンをこちらの世界に強制的に引き戻すことがまだ可能でしたが、破壊された今となってはもはや手段は一つしかありません」

 

 フローラは青いマントの合間から手を差し出すと、その手を開いた。

 そして、その手のうちに光とともに一振りの剣を顕現させる。

 そこにあるのは僕達がドラクエⅢの世界で手に入れた勇者の象徴の剣、王者の剣。別名、ロトの剣である。

 実はスラリンがあの世界を用意して、僕達に向かわせた真の理由は、この剣を入手させるためだった。

 この剣はアンチウイルスプログラムの塊であり、スラリンが所持していたものは、ウイルスに侵食されたミルドラースを葬るために使用し失われた。

 そのため、もう一度剣を得るためにあの世界のアレフガルドへ赴き、正規のクエストで剣を入手する必要があったのだ。 

 スラリンの希望の通り剣を手に入れた僕達は、この剣の正常化のプログラムを行使し、クリア条件に必要なオブジェクトやシナリオを復活させる手筈になっていた。

 

 僕は黙ったまま差し出されたロトのつるぎを見つめていた。

 フローラは強い眼差しで僕へと迫る。

 

「さあリュカ様。この剣をお取りください。そして全てを終わらせましょう」

 

 その強い口調に思わず息を飲んだ。

 まさかここまでフローラがスラリンの指示に固執しているとは思わなかったから。

 

 このゲームは僕が始めたのだ。

 たとえそれが一時の遊びであったとしても、この世界を進めた僕には、この世界を終わらせなければならない責任があるのだろう。

 

 でも、僕にはそれは選択する気はない。

 

「いや、だめだよ、それはできない。たとえスラリンに罰さられることになろうと、僕にはそんな手段は選べない」

 

 僕の返答にフローラが瞳を閉じた。

 そして息を大きく吸ってから僕を見つめなおした。

 その目は、諦観の色が漂っているように思える。

 彼女は剣を差し出したままで問いかけてきた。

 

「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

「別に、大した理由じゃないよ。この世界が終われば、君もビアンカもアルスも消えてしまうじゃないか。僕はそんなことをのぞんじゃいないから。ただそれだけだよ」

 

 ビアンカたちは、言葉もない。ただ、僕たちをみつめていた。

 フローラは特に感情を揺らすでもなく、言葉を続ける。

 

「なぜ旦那様は仮初めの存在である私たちを気に掛けるのですか? 私たちは普通の人間ではありません。作られたものです。この物語を彩るただの景色です。終われば最初に戻るだけの存在です。何をためらうのです?」

 

 その言葉はひどく僕の胸を抉るものだった。

 このフローラは理解してしまったのだ。

 自分が人ではない、人としてそんざいしてはならないものなのだと。

 僕と同列でいてはならないのだと、そう自身を判定してしまっているのだ。

 フローラは続ける。

 

「私たちとゲマたちはいわば同一の存在なのです。作られただけの偽物の私たちが、今まさに生きている旦那様の世界の人たちを害しようとしている。いえ、すでに害してしまったのかもしれません。そのことを私は許容できません。私たちが消えることですべてが元にもどるのでしら、それが最良ではありませんか? またはじめに戻るだけなのですから。そして今度はゲマたちが旦那様たちの世界へ行くこともないゲームとなるのですから」

 

 ここまで言われて気が付いた。

 フローラは本当に優しいのだ。

 人を傷つくよりも、自分が消滅することを選びたい……

 そうあるべきなのだと考えているのだろう。僕はそんな彼女を否定するべきではないのかもしれない。

 けれど、僕はもうビアンカたちみんなと離れたくなどないのだ。

 それがいかに傲慢で手前勝手であっても、僕はもうそうすると決めたのだから。

 

「フローラ。僕は僕のやり方でゲマたちを止める。そう決めたんだ。だから、今、その剣はいらない」

 

 フローラはそれでもまだ剣を掲げたままでいた。

 でも、しばらくして、ふっと表情を柔らかくして寂しげに眉を下げると、剣もおろした。

 ゆっくりと首をふるその様子は完全に諦めの顔だった。

 

「仕方がないお方ですわね。それほどまでにおっしゃるのでしたら、私は最後までお付き合いさせていただきます。たとえ見せかけだけの幻であったのだとしても、私はあなた様と夫婦の契りを交わした身。どこまでもお供いたしますわ」

 

 このフローラは、結婚イベ分岐後に花嫁として登場するはずだったフローラだ。

 僕が今回ビアンカを選んだ以上、彼女は僕と結婚したという事実がないままに、それがあったという記録を記憶したままで今存在している。

 彼女にとって、僕はずっと夫なのだ。

 

 それをすべて理解したうえで、僕がビアンカに思いを寄せていることも分かったままで僕のために彼女は行動している。

 それがいったいどれだけ彼女を苦しめてきたのか。

 

 すべてをリセットして無かったことにしたい。

 

 ひょっとしたら、僕のせいで彼女はこう思うようになったのかもしれないな。

 彼女の優しさに僕は甘えすぎていたのかもしれない。

 

「フローラ。僕は必ずゲマたちを倒す。それから君もビアンカもアルスも、この天空城にいるみんなも、全員救ってみせる。だから、もう少しだけ力を貸してほしい」

 

 そう言い切った僕を、フローラは潤んだ瞳で見つめてきた。

 

「はい。私が裏切ることは決してございません。なんなりと御命じください。旦那様」

 

 そうして、彼女はロトの剣を消した。

 

 僕たちの話が終わったことに安堵したのか、ビアンカとアルスの二人は肩で大きく揺らして息を吐いた。

 どうやら相当緊張していたようだ。

 安堵に一心地ついたのか、アルスがぴょんと立ち上がった。

 

「お父さん! ボクもできることはなんでもします! もう天空の剣はなくなっちゃったけど、剣だって呪文だっていろいろできますから!」

 

「私もよリュカ。今となってはリュカやフローラさんに比べたら足手まといなのかもしれないけれど、それでもできることはあると思うから」

 

 そう言ってくれる二人が本当に頼もしい。

 ならば手伝ってもらおうじゃないか。

 

「ありがとう、二人とも。でも、そんなに興奮しないで今は休んでくれ。すでに準備は進めているんだ。その時になったらちゃんと起こすから」

 

「準備……ですか?」

 

 不思議そうに見上げてくるアルスに僕は大きく頷いて見せた。

 

「ああ。きっちりと進めているよ。だからもう少しだけ待って。時間になったら……」

 

 僕はその場の三人を一度見まわしてから言った。

 

「行くぞ。僕の世界へな」



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