古明地さとり(偽)の現代生活 (金木桂)
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1章 古明地さとり(偽)と邂逅
問1:朝起きて今日も一日頑張るぞ〜って欠伸をしながら顔を洗おうとして、鏡を確認したら東方Projectの古明地さとりになってしまった時の僕のセンチメンタルな感情を述べよ。


きっと誰得小説になる予想。
必須タグは保険込み。

追記:東方知識があれば更に楽しめます、特に同人関連とか。あしからず。



 

 恐らく美容院でデジタルパーマとか掛けていないのにも関わらず毛先が全体のバランス良く跳ねた薄紫色の髪の毛。

 まるで人外みたいに整った顔立ちに、冷徹な真紅の瞳は全てを見通すかの如く鋭い。

 そして小柄な体型を包み込む水色のフリルたっぷりの服にピンクのセミロングスカート。

 何より胸元で開く第三の目(サードアイ)

 

 ───古明地さとり、ですよね。

 僕は自分の頬を両方の人差し指でぷにぷにと突いてみる。

 雪原を思わせるほど白くてハリのある肌は触れば温かく、血の通った人間なんだなぁとかこの場では関係ない事すら考えてしまう。

 いや、人間なのだろうか?

 古明地さとりと言えば妖怪だ。それもさとり妖怪だ。コードで胴体と繋がったこの第三の目によって、自分の意志とは無関係に人の心を読んでしまう能力なんてのもある。

 一人暮らしだからこの家には僕しかいないけど、今のところはそういった不思議な感覚は特にないから問題ない。

 ん?問題ない?

 

 ───いや問題しかないでしょ!

 

 現実逃避気味になっていた思考をふっとばすように頭を左右に振る。

 昨日まで、というか昨晩寝るまで、僕はただの不登校な男子高校生だった。それはもう、学校に行っていない事以外特徴の無い男子高校生だった。

 なのにこれはどういう事なんだろう。

 高校をサボり続けた天罰なのか。

 それとも神様が今さら僕にくださった特典なのか。

 後者なら全力で遠慮したい。これでももう16年人生を謳歌しちゃってる訳だし今更新アバターでやるとかないよないない。

 

 というか本当にどうなってるのだろう。

 鏡の中のさとりは胸骨のあたりに手を押し付けた。

 思考がグルグル回って足元が覚束ない。

 いや、一応目の前のさとりは何一つバランスを失うことなく華奢な体を細い足で支えているから問題は無いんだけど。

 きっとこれは僕の精神的な問題なんだろう。

 TRPG風に言うなれば今の僕はSAN値チェックに失敗した挙げ句一時的発狂している感じで。

 だから落ち着こう、落ち着くんだ僕。

 

「ふー、はー。ふー、はー」

 

 深呼吸をゆっくり2回、繰り返す。

 幼い少女の息が掠れるみたいな、普段の僕からは考えられないような静謐な息が溢れた。

 

 少し落ち着いたかもしれない。

 水道水を手で汲んで口に含んで鏡をまた見てみる。

 改めて考えてみれば、僕の姿は服装まで含めて完全に古明地さとりになっていた。何故こうなったのか、どういう原理が働いたかは全く検討もつかないけど、それ即ち古明地さとりという概念は肉体だけではなく服まで含めて『古明地さとり』なのだろう。

 

 とすれば、もし僕をさとりにしたがってる神様がいるとするならば。

 

「そういうことですか……神の存在というのも考えものですね」

 

 このように、言葉までフルオートで古明地さとりのものになってしまうかも。なんて予想はド真ん中で的中してしまった。

 因みに僕は本来「そうか……もしそんな神がいたら四肢断裂して死んでくれ」と我ながら宗教者がここにいたら半日は説法されそうな事を言ったつもりだったんだけど、さとりフィルターを通せばこんな丁寧な言葉に変換されてしまうらしい。

 流石さとり。

 旧地獄の管理人は常にマナーに則った物言いじゃなきゃ務まらないのだろう。

 

「問題は…………そうですね。やはり、現状の確認かしら」

 

 僕は目を細めながら言った。

 自分の容姿については理解した。

 けど問題はなんと言っても、能力。

 心を読む程度の能力があるかどうかで問題の緊要さが変わってる。もしあるならこの現代社会、生き辛いにも程があるからね。

 とは言え。

 だからといってそれで焦るのも何だか馬鹿らしい。

 どれだけ考えても結論は結ばれないし、元の身体に戻れる保証なんて何処にも無い。

 だから取り敢えず、平凡で恙無い日常を遂行しよう。

 

「まあ、まずは朝食ね」

 

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

 食欲を満たした僕は、ネットで色々と検索することにした。

 古明地さとりは有名人だ。架空のキャラとは言え東方Projectを知ってる人間なら絶対に知ってておかしくないほど有名なキャラである。

 そういう時こそ頼りになるのはこの時代、インターネットだ。

 

 こんな状況になっちゃった以上、僕はこれがもっとマクロな問題ではないかと疑っていた。

 この世界が昨日まで僕が生きてきた世界なのか、知らぬ内に世界が入れ替わってしまったのではないか、と。

 確かに今いる部屋は明々白々に僕の住む1DKのちょっと手狭なアパートだし、床にゴロゴロと転がっているゲーム機も、服も靴下も、僕のものだ。

 しかし、それでも僕一人だけこんなフィクションみたいな現象が起こるとは思いにくい。ならまだ別の世界の似た部屋の誰かに、更に古明地さとりに良く似た誰かに憑依してしまったと考える方が不思議じゃない気がしたりする。

 もしかしたらコスプレイヤーかもしれないからね。

 そんな期待を込めてキーボードをカタカタと鳴らす。

 

「……古明地さとり、というキャラは存在してるのね」

 

 ガックリと肩を落とす。

 ここは僕の元から住んでた世界に違いないらしい。良くある憑依ものなら「アレ……東方キャラが検索で引っかからない……?」なんて展開で物語が始まるのに何でさ。何でだよ。何でですかの三段活用。

 要するに、この姿で外に出るのはリスキーのようだ。良くてコスプレイヤー、悪くて本物だと思われる。不幸だ。

 古明地さとりのコスプレイヤーについても検索してみるけど大した情報は得られない。だからといって某大ヒット映画みたいに入れ替わってない保証なんて無いけど、今のところはその可能性は低そうだね。

 この奇抜な色をした髪もウィッグじゃなければ染めたようでもなさそうだし。

 

「もしかして、他にも東方Projectのキャラになった人がいるとか」

 

 ポツリと、一縷の希望を抱くように僕は言う。

 僕だけがこうなったなんてやっぱり考えにくい。何せ天下不動の一般人だよ僕は。他にも古明地こいしとか、八雲紫とかになっちゃった人もいるかもしれない。

 そのままSNSとかで1時間くらい僕と似た状況になってしまった人を探すことを試みるけど、そんな特殊な状況を経験してる人が見つかる訳もなく時間だけが無為に過ぎ去る。

 

 まずいな……。

 気安く外に出ることすら出来ない。

 でも日々を生きるには糧が必要だし、生活必需品だって買いに行かなきゃならない。

 僕は引きこもりだけど、一人暮らし。「もう何年も外出てないわ〜」とかネット掲示板で書き込むような人よりはまだマシな立ち位置だったりする。

 外に出るのに抵抗感は無いけどこのまま馬鹿正直に出てしまえば日常生活でもコスプレするTPO度外視オタク少女としてネットで拡散されちゃう。絶対にされる。確信すらある。

 

「全く……現実というのは間々ならないものですね」

 

 そう呟くさとりの言葉は辟易としたような声音に包まれている。

 幻想郷なんて無い現代は、残念なことに暮らしにくいことこの上ないだろう。

 

 取り敢えず、買い物に行こう。

 髪の毛は帽子で何とか誤魔化せるハズ。

 

 僕は適当なキャップを自分の頭に乗せて鏡の前に立ってみる。

 …………駄目だ。

 これじゃ帽子を被ったさとりにしか見えない。どう見ても古明地さとりだ。さとりん with つば付き帽子だ。

 

 仕方ない。

 僕は服の上から黒いパーカーを着ることにした。

 フードを被れば、服自体の明度が低いのがさとりの容姿と合わさっていつも以上にミステリアスな風貌になっている。

 ……ぶかぶかなのを除けば、だけど。

 

「……服買わないと、ですね」

 

 控え目に言って、兄からのお下がりを着させられた根暗なぼっち少女。あながち間違ってないけど。

 

 見た目は少しアレでも、上からパーカーを着たおかげで第三の目が隠れて見えなくなったのは良い点だ。ただ僕の頭頂部にあるカチューシャから伸びたコードだけはフードを良く覗きこめば見えてしまう。

 

「まあ、良いでしょう。これなら私の事を悟られずに町が歩けるというもの。まさか悟り妖怪なのに悟られてはならない立場になるなんてね……」

 

 準備は万端。

 見てくれだけは普通の少女だから、スーパーに行っても家のおつかいと思われるはず……!

 

 逸る心臓に胸を抑えながら僕はサンダルを履く。サンダルのサイズは本来の僕基準だから少し大きいけど、うん。靴よりは履きやすい。

 ドアをガチャリと開けて、僕は手のひらを太陽に重ねた。

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

(あ〜塾ダルいな。教師全員インフルになりゃいいのに)

(あの上司ホント殴ってやりてえ!机の中にミミズでも入れたろか!)

 

 やっぱり能力、あったみたいです。

 表情に出さないようにしながら僕は肩を丸めて歩道を歩く。

 これまで何十人かすれ違ったんだけど、その全員の心の声がすーっと頭を過ぎってったんだけど。何これ。僕本当に古明地さとりじゃん。世界一位の姉になっちゃってる〜(今更)。

 ともあれ。

 つぶらに観察して、大体その能力の概要が分かってきた。

 

 僕を中心とした円の、目測で半径約5メートル程が能力の範囲内らしい。

 その範囲内ならばハッキリと相手の考えてることが分かる。水が細かい網戸をすり抜けてくるように、無理矢理僕の脳内へと相手の言葉が透き通ってくる感じだ。正直あんまり気持ち良いもんじゃない。だから原作の古明地さとりも地霊殿に引き篭もってるんだろうね。

 逆に、能力の範囲外に人がいると訳の分からないハエがブンブンと羽音を鳴らすような、高音の不快な雑音が脳の片隅でチラつく。そりゃさとりも人との接触を避ける訳だね。現に僕も帰りたい。

 原作より能力が弱体化してるのは疑いようもない事実だと思う。

 本来ならもっと広範囲に適用されてるはずだけど、古明地さとりである僕はそこまでじゃない。つまり厳密には、僕は古明地さとりであって古明地さとりでないのかもしれない。

 

 僕は悠々と、パーカーのポケットに手を突っ込みながら歩く。

 今のところは誰も僕がさとりであるとは気付いてないみたいだ。注目されず何とかスーパーへと進めている。

 きっと普通ならビクビクしながら歩くんだろうけど、僕の能力は心が読める。読心なのだ。

 僕へと関心が向けば心でも僕の事を考える。だからそうなった時は僕はその人の心を読んで注目されている事を悟り、素早くリスクを避ける事ができる。ふっ、これぞさとりんグレイズ。弾幕なら悟り(パワー)だぜ。

 

(あの女の子……なんかに似てるな)

 

 と、ヤバい。

 早速前から歩いてくる男が僕に目を付けやがった。

 慌てて下を向いて、早足で通り過ぎる。

 5月の太陽は程よく暖かくコンクリートを照らしていて、割れ目から明るい緑色の雑草が生えていた。

 

 引き離すと、僕はわざと息を静かに吐き出した。

 スーッ、という歯と歯の間を息が通り過ぎる鋭い音が漏れる。

 ……もし、バレたら。

 僕は、僕は、どうなってしまうんだろう。

 前髪を少しかき上げて、それから最悪のシナリオに身を馳せる。

 古明地さとりを知ってる人はこのご時世、サブカル文化が強く浸透している日本において、ぶっちゃけてかなり多い。だから最初はコスプレだと思われるかもしれない。

 でも今の僕の髪はウィッグじゃないし、第三の目と身体を繋ぐコードは贋作じゃない。触れば滑らかで温かみも感じる。第三の目だってガッチガチの本物で。

 それに気付いた人は僕をどうするだろう?

 善人なら良いけど、悪人なら。

 僕を攫って拉致監禁……とか、ありうるのかな。

 テレビの中でアナウンサーが淡々と読み上げる事実としてしか知らない、そんな事案。

 それが僕の身に起こる。……かもしれない。

 

 自然と僕の腕は何かを掴んでいた。何か、と言うのは僕にそこまで意識を傾ける余裕が無かったからだ。

 段々と僕は胸元を見下ろす。

 僕の腕は自分の胴体を、怖がりな女の子が親に抱きつくみたいにキツく抱きしめていた。大きすぎるパーカーは、力強く握りめられたせいで余った生地が大きな谷みたいに皺として屹立していた。

 

 ……僕は、これからどうなるんだろう。

 そう一度考えるだけで僕の心は底抜けの恐怖で包まれた。

 

「……逃げなきゃ」

 

 僕は、僕の身体は勝手に動き出した。

 どこに向かうかなんて、そんな理性的な思考回路はもう僕には1ミリも残っていなかった。

 使い切ったトイレットペーパーの芯を放り出すより容易に、僕は理性を全て放り投げた。

 

 

 

 僕は走り続けて、走り続けて、他人の心の声も読めないフリをして。

 気が付くと見知らぬ公園に立っていた。

 団地の側にあるような小さな公園で、ブランコとシーソーと滑り台。それに申し訳程度にベンチが2つ。

 

 僕はブランコの、2つ並んだ座板の1つにお尻を置いた。座板を吊っている2本の鎖が擦れて、ギチギチと耳障りの悪い金属音が鳴った。

 辺りを見渡すと時間はそれほど経ってない。午後に入って間もない、のかな。時計もスマホも無いから分からないけど、多分そのくらい。

 

 ……はぁ。

 何をしてるんだろう、僕は。

 地面を蹴って、ギーコーギーコーとブランコを漕いだ。

 虚しい。何もかもが、虚しい。

 生きる意味なんて無いし、きっとこれから生きてく価値も将来の希望も無い。

 これまでふとした瞬間に考えて、あぶくのように去来して弾ける虚無感が、この日ばかりは僕の身を完全に包み込んだ。

 

 僕の人生の絶頂期はきっと高校受験に合格した時。

 難関校と言える学校に頑張って頑張って合格して───その後、両親は死んだ。

 交通事故だった。

 その日、僕は中学校の卒業式の予行演習で学校へと登校していた。

 だから事故を知ったのは放課後、携帯に病院からの電話が来ていたからで。

 現実感に乏しかった。

 家に帰ればいつか会えると思っていた。

 だから僕は涙に目を濡らすことなく、葬式が行われるまで普段通りの日々を過ごして。

 

 その後の日々は嫌になるほどトントン拍子で話が進んだ。

 

 葬式で僕は漸く現実と直面して人生で一番泣いた。みっともなく泣いた。我ながら愚かだと思う、それまで何一つ分かってなかったなんて。

 

 父方の祖父母が保証人になってくれたけど、彼らの家に入居するのは気が引けて、予定通り僕は高校近くの下宿先にアパートを一室借りた。元々高校は家からも、祖父母の家からも遠かったから彼らの理解を得るのは予想よりも簡単だった。

 

 なのに。

 

 高校には入学式だけ行って、それっきり。

 足に鎖でも付いたかのように僕はアパートの一室に囚われていた。

 5月も中旬になっても尚、僕は変わらない。

 胸に穴でも開いたような、そんな感覚が神経を蝕む。

 

「なにを、してるんでしょうね」

 

 古明地さとりとなっても、僕は僕だった。

 当然だ、例え外身が変わって心が読めるようになっても、(中身)は不変なのだから。

 

 ブランコを漕ぐ音が悪戯に辺りに響く。

 児童公園だと言うのに子供の姿は一人もいない。

 さながら、僕のために誂えられた孤独のステージ。

 風によって揺らぐ木々の音、小鳥の囀り、鎖が軋む音、その全てが僕を嘲るように聞こえてしまう。

 勿論そんなのは僕の心が生んだ恣意的な考え。

 だって『古明地さとり』は心が読めるんだから。

 

 汗を掻いたからだろう。

 もわりと、暑苦しくなった頭皮に耐えきれず僕はフードを外す。途端に旋風が髪の毛を引っ張って、このまま転がって崖に落ちたいなんて自虐的な思考に心が向かってしまう。

 

 ……僕ばかり、なんでこうなるのさ。

 

 もし、これが。

 これまで逃げてきた天罰なら、いっそのこともう──────。

 

 

 

「お姉ちゃん?」

 

 風と共に負の方向に流れて行く感情を、そんな聞き慣れない声が断ち切った。

 変声期を迎えてない、幼い女の子みたいな声。

 ……お姉ちゃん、って僕のこと?

 とにかく顔を上げてみて、僕は声のした方向へと首を回す。

 

 誰も居なかったその空間。いつの間にかその少女は置物みたいに立っていた。

 知らない少女だけど、僕は知っている。

 灰色にくすんだライトグリーンの髪に、その上にぽふりと置かれた鴉羽色の帽子。髪と同じく翡翠色に染められた瞳に幼い顔立ち。極めつけは紫色のコード、そして閉じられた第三の目(サードアイ)

 

「……こいし?古明地、こいしなの?」

 

 その少女───暫定、古明地こいしは小さく微笑んだ。

 

 

 




原作、東方で良いのかこれ。


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問2:買い物ついでにブラブラしてたら同志を見つけたので家に連れ込んだ際に起き得る事象について具体例を挙げよ

シリアス、する気無かったです。


「お姉ちゃん!お姉ちゃんだ!」

「ちょっとこいし……!?」

 

 こいしはブランコに座った僕を背後から抱き着いた。

 いつもの僕ならば、異性に抱き着かれたら舞い上がって思考がショートするだろう。だけど不思議な事に今の僕はそれとは違う感情で胸が溢れてはち切れそうで。

 

 久方ぶりに感じた人の温もり。

 こいしの身体は暖かくて、温もりがあって、僕も抱き返してしまう。

 

「お姉ちゃんも甘えん坊さん?」

「……ええ。もうちょっと、こうしてくれないかしら」

「うん。私の胸はお姉ちゃんの為なら何時でもバーゲンセールだよ!」

 

 僕はその言葉に甘えて、顔を胸に埋めた。

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい。もう大丈夫よ」

 

 5分か。10分か。

 僕は顔を上げると、こいしの顔が僕の視界全面に広がった。

 

「そっか。なら聞いていい?」

「何かしら?」

「お姉ちゃんは、本当のお姉ちゃん?」

 

 その言葉に僕は須臾の間もなく理解した。

 古明地こいしは、僕と同じく突発的に成ってしまった存在だと。

 

「違うわ。でもそれはこいし、貴方も同じでしょ?」

「やっぱり!ってことは私たちは同じ存在なんだね!」

 

 嬉しげにこいしは口角を上げた。

 斯くいう僕も同じ気持ちだ。

 もしかしたら僕みたいな人が他にいるのではないかとは思ってたけど……こんなにも早く見つけられるなんて!

 

「私とこいし。運命共同体、という事ね」

「そうだね!何かSFみたいでワクワクするわ」

 

 僕は目元に手を押し付けて、息を吐いた。

 味方だ。完全完璧な味方だ。

 僕と彼女、古明地さとりと古明地こいしはこの場において、この状況において、確定的に姉妹なのだ。

 目の前で目を輝かせる少女に僕は目を向ける。

 古明地こいし。

 無意識を操る程度の能力。

 そう言えば、その能力を彼女は持っているのだろうか。

 

「こいし」

「ん?何お姉ちゃん?」

「貴方も能力持ってるの?」

「うん。持ってるよ。歩いてる時に人にぶつかっても全然気づかれないんだもの」

 

 まあ話し掛けたら気付くんだけどね、とあんまり気にしてない様子で晴れやかに笑った。

 ……確かに、どれだけ集中してもこいしの心を読むことは僕には出来ない。まあ集中して読むもんじゃないけどね、読めるなら勝手に読んじゃうフルオート仕様だし。

 

 遠回りしたけど、こいしも僕と同じようにガワだけでなく能力もあるみたい。

 ついでに少し弱体化してるのも僕と同じっぽいね。話し掛けるくらいで気付かれる能力じゃなかった気がするし。

 聞いてる限りだとこのこいしは無意識でふらふらと動いてる訳でもないようだし、何より他人の無意識に大きく干渉できないようで。

 本来なら他人の無意を操り、無意を渡る。例え正面に立たれても小石程度にしか思われず、一度視界からフェードアウトすれば完全に記憶から消える。

 でも私はそこまで自由に無意識を操る事はできないわ、とこいしは言った。

 幾ら無意識を操っても正面に立てばどうしても存在感を出してしまうようで、だからこそ話し掛ければ認知されてしまう。有意識に囚われてしまう。

 自らの意思で無意識への介入を止めない限り消え続けられる原作のこいしとは違う。

 

「それよりお姉ちゃん。これからどうするつもりだったの?」

「……買い物に行こうと思って、疲れちゃったの。だから休憩よ」

 

 怖くなって、逃げた上に少し鬱になって落ち込んでた、なんて。とてもじゃないけど初対面の人に言えるはずもない。

 取り繕った言葉はこいしの頭にすんなり入ったようで、ウンウンと頷いている。

 

「そっか。じゃあ買い物だね?」

「え、ええ」

「レッツラ、ゴー!」

 

 あっ。

 このまま一緒に買い物行く気、満々なんだね。

 

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

 

「いやー。沢山買ったわ」

「そうね」

 

 両手一杯に紙袋やらビニール袋を持った僕とこいしは夕日を背に、帰路についていた。

 僕はパーカーを深く被り直し、こいしは相変わらず無意に言葉を選んで無為に歩く。

 濃く染まった影法師は僕の前へと真っ直ぐ伸び、その形はアスペクト比が縦に歪んで崩れているものの明白に少女のものだ。

 

「……重いわ」

 

 きっと僕の顔は鏡で見れば苦いものになっているだろう。

 少女の筋力は本来の僕のそれと比べたら著しく低い。考えれば当たり前の話、僕は男でさとりは少女だ。引きこもりという同条件を加味すれば、男女の運動能力の差異は明らかで。

 ───いや、でも鬼とか妖とか神とか、色々といるからなぁ東方Projectのキャラクターは。少女ってだけで十把一絡げに非力と片付けられないか。

 

 タッタッタッタ、と横に並んで歩いてたこいしは突然僕を追い抜かして振り向いた。

 

「これが日常の重みってやつだよ、お姉ちゃん」

「日常の重み……そうね、違いないわ」

 

 勝手に口から出した言葉が変換される。

 今こうして買い物が出来ているのだって誰からも僕とこいしが正しく認知されていないからだ。

 でも何時までも続く道理は無い、一時の安寧は有限だ。

 狂った針は反時計回りで戻される。

 順から逆。躁から鬱。同じように矯正される。

 認識された瞬間、理解された瞬間。

 その時僕らは正しく、でも歪に、社会という場から追放されるだろう。

 

「でも、違うわよこいし」

「えっ?」

「重くなんかないのよ。この程度、軽くなきゃならないわ」

 

 日常に重みなんか感じていちゃならない。絶対にならないのだ。

 僕は非日常を生きる気なんて毛頭無いし、日常とは切って離れぬ関係であるべきだ。

 元の姿に戻ろうとも、古明地さとりとして生きようとも、僕は日常を愛している。

 

 こいしは背を向けると「うん……そうだね」と曖昧に笑って、再び歩き始めた。

 

 

 

 家に着けば、まず僕は電気を付ける。

 パチンと明るくなる電球に異常が無いのを確認しながらちゃぶ台に紙袋を置いて、冷蔵庫に食料品を詰め込む。

 

「わーお。ここがお姉ちゃんの部屋か〜」

 

 そして何故ついてきたのだ妹よ。

 こいしも同じように袋を置くと、物珍しげに部屋を歩き回る。

 

「こいし、貴方自分の家は?」

「う〜ん。家出してきた、かな?」

「何で疑問系なのよ……」

 

 思えば僕はこいし、と言うよりその元の人について何も知らない。

 外側は知識にあっても内側は不明だった。

 そう考えるなら僕の家に来たのは丁度良い機会なのかもしれないね。

 外のファミレスやらファーストフード店でビクビクしながら会話をするよりはこういう自分の境内で話す方がよっぽど心にゆとりがあるし。そのビクビクするのが能力の都合上僕だけってのが少し癪だけど。

 

「にしてもこの部屋、紛うことなき汚部屋だわ!私、テレビ以外で初めて見たかも!」

「し、仕方ないじゃない。一人暮らしなのよ」

 

 我ながらみっともない事をさとりに言わせてる気がする。

 てか言うほど汚部屋じゃないし!

 床の踏み場だって、そこそこあるし!

 僕の言葉を受けてか、感心したようにこいしは溜息をした。

 

「一人暮らしなんだ。良いな〜私も一人暮らししたい」

 

 言いながらちゃぶ台の前に座った。

 こいしは家族で暮らしているっぽい。確かに家族暮らしをしている時は一人暮らしに羨望があったけど、現実は家事は面倒だし生活リズムは狂うしロクな事が無い。

 と言ってもこればっかりはやらなきゃ分からぬ経験だろう。

 

 そろそろ本題に入ろう。

 僕は冷蔵庫に食料品を入れ終えると、二人分のコップにペットボトルの緑茶を注いでちゃぶ台に持っていく。

 コップをコトンと置いて、徐に僕は口を開いた。

 

「ねえ。こいしは男?それとも女かしら?」

「女の子だよ?もしかしてお姉ちゃんは……男?」

「……言うのは憚れるけど、その通りね」

「へー、昨今の二次元キャラ憑依ってジェンダーレスなんだね」

 

 何その感心のポイント。微妙にズレてる。

 

「お姉ちゃんって年齢は?もしかしてショタだったり?」

「高校一年生よ。こいしこそどうなの」

「私?私はね、中学三年生。一個上なんだ〜本当にお姉ちゃんだわ!いやお兄ちゃん?」

「……お姉ちゃんで良いわよ。訳分かんなくなるし」

 

 冷静に考えれば年下の女の子にお姉ちゃん呼びを強要する男子高校生ってヤバくね?とか思っちゃうけど今は耐えるんだ僕……!

 緑茶で口を潤すと、加熱していた思考は少し冴えた。

 

「さっきは流したけれど、家出したって言ったわよね?」

「正確には家出じゃないかな?私は家族と暮らしてるんだけど、私が私であるとは言え突然知らない女の子が家に居たら騒ぎになっちゃうでしょ?」

「だからって失踪ね……極端だわ」

 

 家族の心配とか露ほども考えてない素振りでこいしは疲れたようにちゃぶ台にうつ伏せる。

 ぐでーん、と言う擬音が聞こえそうなほどの見事なグダりっぷり。ぐだりんピックなんてものがあれば間違いなく世界第一位に輝くくらいの寛ぎっぷりである。

 

「こいしが、古明地こいしになったのはいつ?」

「今日……いや昨日?とにかく寝てる間だわ」

「なるほど。私と同じね」

 

 僕だけならともかく、こいしも似た条件下でこうなったとなると何かしらの作為を感じる。

 少なくともこれが何の理由も無く起きた超自然現象って訳では無いんだろうけど……そのピースを嵌める色紙も無ければ、ピースとなる情報もない。

 考えるだけ徒労だよなぁ。

 とかとか考えていると、こいしは胸の前でぎゅっと手を握りしめた。

 

「ねえお姉ちゃん。私、ここに泊まっても良い?」

「………………えっ」

 

 静電気にでも打たれたかのような、さとりに相応しくない惚けた声が喉を突く。

 

 泊まる?何処に?この部屋に?

 ……僕の家に!?

 

「お願い……お姉ちゃん……!」

 

 冗談じゃない。

 そう僕が思うのはきっと当然の事で、でも同時に目の前の少女を追い出すのを躊躇うくらいには良心の呵責も感じていた。何より唯一の同士で、互いにこの状況に対する手掛かりになり得る。

 冗談じゃない。

 けど、追い出すのも心が傷む。

 

 結果的に無言の時間が流れ始める。僕が言い淀んだからだ。

 髪を掻きあげて、唇を舌でなぞる。

 僕はどうすれば良いんだろう。

 この二ヶ月、一人で暮らしてきた。

 それ以前だって両親がいない場では常に一人だった。

 僕の人間関係は浅くて、狭い。学校のクラスメイトは上辺だけの関係で、深く関わろうとしなかった。僕が拒んだのだ。

 ある種、古明地さとりと同種なのだ僕は。

 こればっかりは多分偶然なんだろうけど、意識的に人を退けるという点においては彼女と同類なんだ。

 

 そんな僕の孤独な日常が、僕の判断能力を蝕む。

 

「…………そっか。無理言ってごめんね、お姉ちゃん」

 

 こいしは俯くと、力無く立ち上がった。

 そのままフラフラと、ゾンビみたいに玄関へと歩いていく。

 

 ………………僕は無力だ。

 日常に籠絡されて、舌は回らず足は動かない。

 両親が死んで、一人で生きてきた。

 保証人の祖父母とも連絡は疎らだし、学校にも行ってない。ネット友達だって別に居ない。親の遺産があるから当座のお金にだって困ってないからバイトもしてない。

 だから究極的に、短期の間ならこの姿で困ることは何にも無い。

 不変の日常を希求するなれば、異分子(古明地こいし)は排除すべき対象だ。

 

 

 ───なんて、なんて僕はクズなんだろう。

 

 

 僕は閉じた唇を強く一文字に結んだ。

 こんなのは、何の価値も無いクソッタレな言い訳だって事は自分でも気付いてる。

 エゴイズムの極みだ。

 どうしようもない程、他者を蔑ろにした忌むべき考えだ。

 

 僕は良い。見た目こそ幼い少女なれど、中身は高校一年生の男だ。

 でも彼女は、古明地こいしは、まだ義務教育すら終えてない女子中学生なんだ。

 姿が変化したせいで親も頼れず、同じ境遇の僕しか頼れない、か弱いただの女子中学生なんだ。

 

 僕は目頭を抑えると、静かに膝に力を入れて立ち上がる。

 

 余りにも僕に似合わず、不遜で、身不相応で、上から目線な思考。

 でも思っちゃったんだから仕方がない。

 

 ───古明地こいしを助けたい、と。

 

「……いないわ」

 

 気付けばこいしは何処にもいなかった。

 夕日の差し込む部屋に佇むのは僕だけで、開いた窓から風がヒュルヒュルと舞い込む。

 

 玄関のドアに触れる。

 施錠したはずの内鍵は開いていて、ノブを回せば簡単に玄関ドアは前へと開いた。

 

「…………こいし!」

 

 堪らず、僕は夕日の落ちる街を駆け出した。

 

 



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問3:見た目と中身は未成年者だが設定上確実に500歳は超えていると思われる少女を合意の上で自宅に連れ込むのは犯罪か?

本作はサブタイ50文字以上で提供しております。


「こいし!!」

 

 走る。

 走る、走る、走る!

 

 僕の身体は酸素を求めて、何回も荒く呼吸が繰り返される。その度に苦しくて足を止めそうになるけど、それでも僕は前を向いた。

 僕のせいだ。

 陰鬱とした日常に愛着を抱いて、想いを捨てきれなかった僕の決断力の無さが全部悪い。

 

 ……でも、苦しい!

 僕の本来の身体より体力が無いんだ。

 それは自然の摂理だ。妖怪といえ古明地さとりは少女、男子高校生だった僕より体力がある訳がない。

 

「こいし……!!」

 

 走りながら僕は叫んだ。

 声が掠れて、息がダムの放水みたいに空気中に流れるけど、構わず僕はこいしの名を呼んだ。

 

 こいしは恐らく能力を使っている。

 無意識を操る程度の能力。

 それは目の前にいてもその存在に気づけなくなる、RPGで言えばステルス魔法。

 心でも読めれば良いんだけどこいし相手じゃそれも出来ない。

 正直、お手上げだった。

 僕から発見することは絶対に出来ない。不可能だ。天地がひっくり返ってもあり得ない。

 だから僕に出来ることはこいしに呼び掛けることだけ。

 とにかく走って、こいしの居そうな場所でその名前を呼び掛ける。

 

 走っている内にいつの間にかフードが外れていることに気付いた。

 髪の毛が風に揺れる感覚が、鮮明に神経を刺激したのだ。

 でもそんな事はどうでも良い。

 それはこいしより大事なのか?こんな意味不明なことに巻き込まれて、否応なしに家出した女子中学生を救う以上に優先度が高いのか?

 否。んな訳がない。

 フードを被り直す体力があるならば、その足を動かす為に使うべきだ。

 

「……あっ!」

 

 ドサッ、と。

 僕は小石に躓いて転んだ。

 何とか肘で受け身を取れたから第三の目は無事だ。だけど、もし自分の体重でこの目を潰してしまっていたらどうなってたのだろう……。

 ヒヤリとした感覚が縦横無尽に巡りながら、僕は身体を立て直そうと腕を伸ばす。

 倒れたことで一気に襲ってきた疲労感を無理矢理撃退しつつ、また僕は立ち上がって走ろうとした。

 

 けど、上手く走れない。

 右足を挫いた。挫いてしまったのだ。

 走るどころか歩くたびに痛みで顔が引きつる。

 きっと白い靴下を捲れば蒼くなった痣が現れるのだろう。

 

「こいし……」

 

 自然と僕の声はヘリウムの抜けた風船みたいに萎んで、空気中に霧散した。

 探す気持ちはある。

 こんな中途半端なとこで引き下がったら、僕は絶対に後悔する。だから逃げないし、諦めない。

 

 でも気持ちに反して身体が上手く言うことを聞かない。

 怪我もそうだけど、何十分も走った僕の身体は鉛みたいに重い。

 酸素をどれだけ体内に取り入れても、二酸化炭素をどれだけ体外に吐き出しても。

 疲弊した身体は先程みたく駆けることを許してくれない。こいしを全力で追うことを、許してくれない。

 

 

 

 それでも、歩いた。

 

 

 

 太陽が地平線の彼方へ姿を隠そうとするのを傍目に、僕は足を止めた。

 

 そこは公園。

 さっきの小さな児童公園。

 ブランコが一つ、滑り台が一つ、申し訳程度にベンチが二つ添えられたこじんまりとした公園。

 

 そのブランコの座板の一つに、微動だもせずこいしは座っていた。

 こいしと初めて会ったときの僕みたいに。

 

「こいし……」

 

 蚊の無くような声が僕から発せられる。

 俯いていたこいしは、その声に顔を上げた。

 

「……お姉ちゃん?」

 

 小さな声でそう言った。

 こいしは放心したみたいに口をポカリと開けると、幽霊でも見たかのように目を見開いた。

 あの時何も言えなかった僕が来たのが不思議なのだろう。心は読めないけど、何となくそんな気がする。

 そんな事を考えて少し口元が緩むのを自覚しつつ、僕はこいしの元へと進む。

 

「こいし、一緒に帰るわよ」

「……良いの?」

「どうして?」

「だってお姉ちゃん、悩んでたから……」

 

 僕はこいしの窄んで行く声に胸が痛んだ。

 こいしは良い子だ。

 短い時間だけれどそれは疑う余地も無い事実で、きっと両親からも大事に育てられたんだと思う。

 

 下手な言葉を選べば、今度こそこいしは僕の目の前から文字通り消えるだろう。

 今はこいしが意図的に僕の無意識を操作していないから僕も認知できる状況にあるだけで、やろうと思えばマッチの火を消すより簡単にその存在を消すことが出来る。だからこそ、次は多分無い。今度は跡形も無く、この世から浮いた存在になる。

 でもそうやって消えるのは僕が嫌いだからじゃなくて、僕に迷惑を掛けたくないからで。

 

 座ったこいしの前に立つと、僕は少し屈んで背中に手を回した。

 少し間を置いて、僕は口を開く。

 

 ───これから紡がれる言葉に、心が軋む。

 

「私は……古明地さとりは、古明地こいしの姉なのよ?妹が姉の家に泊まるのなんて、当たり前じゃない」

「でも……迷惑じゃない?」

「そんなことは無いわ。私たちは、姉妹。お互いに助け合う関係性であるべきなの。だから、ね……私と一緒に帰りましょう?」

 

 僕はこいしを優しく抱き締めながら、一方で心臓が潰れていくような感覚に襲われた。

 詭弁を塗ったくったような言葉。

 欺瞞の海底に沈めたような行動。

 もし僕が古明地さとりじゃなかったら、古明地こいしを助けることは無かったと受け止められかねない発言だけどそんな事はない。

 寧ろ、目の前の少女が正真正銘の古明地こいしだったら助けなかったかもしれない。

 古明地こいしだけど、古明地こいしじゃないから僕は柄にも無くこんな情動に駆られて走り回ったのだ。

 

「そっか……。私はこいしだもんね……お姉ちゃん。ありがとう」

 

 こいしは僕の腕をポンポン、と優しく叩いた。

 もう大丈夫、そう言外に察した僕は抱きしめていた手を離した。

 ブランコから立ち上がると、頬を赤く上気させたこいしは思わず見惚れる天使みたいな微笑みで僕

 こいしの言葉に強い安堵感を覚えながら、こんな事しか言えない自分に拳を強く強く握りしめた。

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

 

 家に戻ると、既に外は薄暗闇に覆われて月が空の裏側から浮かび上がってきていた。

 昼飯は食べなかったけど不思議とそこまで空腹感は無い。燃費が良いのか、元が妖怪だからかは判断に迷うところだけど。

 満身創痍な状態で飯を作るのも憚られたので、夕飯は帰りにスーパーで買った惣菜弁当だ。398円のサバの味噌煮弁当。値段相応な見た目を少しはマシにしようと思って電子レンジに掛けた結果、室内はホカホカとした味噌の美味しそうな匂いで充満している。

 こいしはそれを見て複雑な顔で、自分の懐を弄った。

 

「お姉ちゃん。私、ご飯代くらいは自分で出すわ」

「いいのよこいし。私は地霊殿の主よ?」

「地霊殿の主はこんなチンケな1DKのアパートに住んでないわ」

 

 ち、チンケって……。

 確かにちょっと狭いし服は散らかってるし大した物も無いかもしれないけど、これでも気に入ってるんだからね?

 

「とにかく、お金に関しては余裕があるの。ほら、冷めるわよ」

 

 誤魔化すように僕は割り箸を割って、いただきますとサバの身を突いた。

 こいしも少し不満そうに割り箸を割りつつも、一口大に割いたサバを口に入れると頬に手を当てた。

 

「これ美味しいわ!世の中にはこんな食べ物もあるのね!」

「大袈裟ね……。たかがスーパーの弁当よ?」

「私、あんまり外食とかしたことないからこういうのは新鮮なの」

 

 だからってそこまで驚くほど美味しいかな?

 僕的にはまあ、いつもの味って感じの安心感はあるけどさ。

 

「世の中、こんな弁当が500円以下で売られてるなんて信じらんないわ〜。私、これになら諭吉は出せる!」

「どうしよう……妹が不安だわ」

 

 主に悪い人とか(マルチ商法)に騙されそうで怖い。というかこいしってもしかして、箱入り娘だったりするんだろうか。

 座布団の上で座って食べてる内に、いつもの癖で僕は少し離れた場所に落ちていたリモコンを手繰り寄せるとテレビを付けた。

 

「何お姉ちゃん、見たい番組でもあるの?」

「えっと、そういう訳じゃ……」

「じゃあ私がチャンネル権貰うね!」

 

 やった!と子どもみたいに騒ぐこいしに隠れて溜息を一回。

 ……まさか、普段は無音過ぎて寂寥感が増すからそれを誤魔化すためにテレビを付けて夕飯を食べてる、なんて言えない。

 

 バラエティ番組に夢中になるこいしにそこはかとなくシュールさを感じつつ、箸を進めているとすんなり弁当は無くなってしまった。

 飢餓感は無かったけど、自分の体感以上に実際はカロリーを必要としてたのかも知れないね。それでもさとりんボディーが僕の身体より省エネなのは疑いようもない事実だけど。

 

 芸人の合いの手やらボケやらが騒々しく部屋に響いて、その度にこいしが爆笑する。

 この子、意外と笑いの沸点低いんだなぁ。ゲラだね。

 何となく楽しげに笑うこいしの姿を観察していると、無意識に気付いたのか不意にコチラへと振り向いた。

 

「ねえお姉ちゃん。一緒に漫才やらない?」

「…………へ?」

 

 死角からガゼルパンチを食らったみたいに僕の言葉は上擦った。

 ……漫才?

 漫才ってボケとツッコミの、あの漫才?

 

「お姉ちゃんがツッコミね!私がボケるから適切なタイミングでツッコミを入れてくれれば良いわ!」

「いや無理!こいし、無理だから!」

 

 それ東方M-1じゃん!

 再現しなくて良いよ!さとりこいしなんてやらないからね!

 

「……てか、こいしってそういうのも詳しいのね?」

「そういうの?」

「ほら、同人誌とか。同人ゲームとか」

 

 そこまで言って僕はこれが意味が無いことを悟った。

 東方Projectは同人ゲームの範疇だ。

 こいしは自分が古明地こいしである事を知っていたし、さとりの事も知っていた。加えて能力も然りだ。

 

 の、はずなのに。

 こいしは軽々と首を横に振った。

 

「いや?知らないわ」

「でも貴方、自分のことも私のことも……」

「あ〜それね。実は朝起きてこの姿になった時、色々と知識が湖面に浮かぶブイみたいに浮かんできたの」

 

 全くこの世は摩訶不思議よね〜、と他人事みたいにサバを口に運んだ。

 

 ───知識が、与えられた?

 こいしに嘘を言ってる様子はない。言う理由も無いだろうし。

 

「こいし……なら何処まで知ってるの?」

「自分の事とかお姉ちゃんの事、後は良く分からないけど知らない人の事とか?でもアレ人、なのかしら?猫とか、烏とかだし」

 

 間違いない、火焔猫燐と霊烏路空だろう。どちらもさとりの住む地霊殿のペットだし、こいしは古明地こいしの周辺人物の知識とか設定とかをインプットされたのかもしれない。

 

「……東方Project、という言葉に聞き覚えは?」

「ん〜無いわ。何かの計画書?」

「なるほど……」

 

 ゲーム自体は知らないと。

 まあ事前に何処からか授かった知識は役立っているようだけど。

 ただそれだと、そんな偏った知識だと、これからの生活とかにモロに影響が出てくるだろう。

 特に巨大同人ジャンルとしての東方を知らないと正しいリスク度合を測れないのは自明の理だ。

 

 ───それに、こんな状況な訳だし神主への信仰心って重要だよね。

 

「こいし。一つ、提案があるのだけど」

 

 なので。

 僕が家にある某縦画面弾幕シューティングゲームを薦めるのは当然の流れだった。

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、これ難しいわ」

 

 そんな訳でパソコンを起動して、東方紅魔郷を起動させてこいしにやらせてみた。何だか昔ニコニコで流行ったゲームプレイ動画ジャンルみたいだけど気のせい気のせい。

 かっこいいと言う理由で魔理沙を選んでプレイしてるこいしだけど、4面のパチュリー・ノーレッジに至る道中で残基が尽きてしまう。

 パソコンはともかく、ゲームというもの自体あんまりやったことないようだった。

 

 真剣な表情でキーボードを操作するけど、またピチュンと自機が消滅した。

 

「魔理沙ーー!」

「ゲームオーバー、ね」

 

 難易度設定にも問題があるかもしれないな。

 東方のNORMALは正直、普通に難しい。殊にシューティングゲームを触ったことない人だと輪に掛けて難易度は上がる。

 

「難易度下げたほうが良いんじゃないかしら」

「ううん、これで行くわ。イージーなんて小学生が選ぶ難易度よ?」

 

 ニヤリと口角を上げながら再び挑むその姿は薬物でアッパーになってしまった中毒者みたいで、僕は目を背けた。

 きっと彼女は純粋無垢な少女だったろうに僕がサブカルの第一歩を踏ませてしまった……!しかも沼にハマりつつある……!

 

紅美鈴(くれないみりん)……?何て読むのかしら。まあいっか、中国なんてお呼びじゃないわ」

 

 その後、徹夜で弾幕STGを続けようとするこいしから逃げるように僕は布団を敷くと就寝した。

 おやすみ。

 

 

 




キャラ紹介
・古明地さとり
趣味は特に無いが強いて言うならネットとゲームとアニメ。ミーハーではないので部屋にグッズは無い。出る言葉全て古明地さとりみたいな口ぶりになってしまう現象をさとりんフィルターと名付けた。

・古明地こいし
純粋培養娘。サブカル知識ゼロ。放課後は数々の習い事をしてたので実は色々出来るらしい。

次回:お風呂回


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問4:5月早朝に入る湯船に立ち込める湯気の量を概算せよ(ただし湯船には古明地さとりと古明地こいしが入浴してるものとする。)

一瞬日間入ってた……。
ありがとうございます。


 朝、ということを理解するのは曇り硝子を通したような視界でも比較的容易だった。

 カーテンを開けっ放しで寝たから光が強く室内へと入り込んでるのだろう。こういう光の強さの単位のことをカンデラって言うんだっけ。そんなのを中学の時に習った気がする。

 

「……朝、ですか」

 

 僕の意志とは別に声が出た。

 と同時に覚醒しかけた思考で、僕は布団の中に異物感を覚える。

 まるでドーベルマンか何かに抱きつかれてるみたいな、そんな圧迫感。それと温かみ。

 僕は多少アニメやらゲームやら、いわゆるサブカルに入れ込んでるのはあるけど抱き枕とかそういう類の物は所持してない。

 だからこれは、無機物じゃない。

 生きてる、何かだ。

 でも僕は正真正銘一人暮らしだ。ペットだって飼っちゃいない。

 

 恐る恐る僕は布団を捲ると、妙な違和感の正体が顕現した。

 

 僕の胴体を抱いてムニャムニャ眠る、色素の薄い薄幸の美少女がいた。

 ───そうだ。思い出した。僕は昨日、こいしを泊めたんだ。

 何で僕の布団の中に潜り込んでるのかは分からないけど……でも布団って一つしかないもんなぁ。完全に僕の落ち度だ。

 

 そういや昨日はシャワーにも入ってないし、寝間着に着替えてもない。

 激動の一日だったからね。

 丁寧に、慎重に、僕は絡まったこいしの腕を静かに退かすと欠伸しながら立ち上がる。

 不意に、自分の身体を見下ろすと色白で華奢な女の子のそれが目に入る。

 ……風呂に着替え、どうしよう。

 

「う〜ん……お姉ちゃん?」

 

 もぞもぞと。

 微かに布団の中で動くと、如何にも眠そうにこいしは瞼をゆっくり開けた。

 半目で僕の姿を視認すると、「うぬ〜」と言葉にならない呻き声を上げながら目を閉じた。

 え、死んだ?

 

「起きなさいこいし。こいし、こいし!」

 

 二度寝しようとするこいしに僕は肩を掴んで揺さぶった。

 マリオネットみたいに為されるがままに揺さぶられること何度か、漸くこいしは寝ぼけ眼を開けた。

 

「朝〜?」

 

 う〜ん、と体を解すみたいに腕を伸ばすと。

 

「……お姉ちゃん。腕が痺れた」

「寝てる間も抱きしめるからよ。自業自得ね」

 

 僕はにべもなく言い放ち、キッチンへと立った。

 

 

 

 

 

 朝食が終わると、お互いにシャワーを浴びることにした。

 朝シャンである。

 僕もそうだけどこいしも昨日はゲームしている内に眠くなって、気付いたら無意識で僕の布団に入っていたらしい。どんだけハマってるんだよ弾幕ゲーに。

 

 ともかく、良い加減汗が気持ち悪い。

 早くお風呂には入りたいし、綺麗になってサッパリさとりんになりたい。

 けど心の中のブレーキが盛大に僕の行動を阻んだ。

 

 そう、問題は僕が古明地さとりという事だった。

 古明地さとりは少女だ。そして僕は男子高校生だ。そこにはどうやっても抗えない性別の壁があって。

 つまり気恥ずかしい。

 気不味い。

 プラスアルファで罪悪感とか背徳感。

 

「どうしたのお姉ちゃん?」

「……私、お風呂に入れないわ」

「本当にどうしたのお姉ちゃん!?」

 

 こいしは両眉を上げて、大袈裟に叫んだ。

 

「大したことじゃないわ。……ほら、私って見た目はこんなんだけど中身は男じゃない?」

「あ〜〜。そゆことね」

 

 合点がいったようにこいしは手を叩く。

 TS小説とかじゃ良くある展開だけど、実際どうすれば良いんだろう。

 いや、落ち着いてよく考えるんだ僕。

 古明地さとりは一部で揶揄される通りちっちゃくて可愛い小学5年生みたいな容姿だ。僕は神に誓ってロリコンじゃないし、なら裸を見たとしたって別にどうってことないじゃないか!そう、疚しさなんて欠片も無い!ただ風呂と着替えという文明的生活を維持する為の必要な代償なんだ!必要悪なんだ!

 

 ……と、どれだけ自己肯定的に捉えようとしても踏ん切りが付かなかった僕は頭を抱えた。

 こんなの言っちゃえば仕方ないのに、なぜ僕は少女の裸を見るという行為に頭を悩ませているんだろう……。

 

「……なら、私と一緒にお風呂入る?」

「……………え?」

 

 最近、疑問符を付ける回数が多い気がする。

 

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

 

 こいしの出した案はこうだった。

 まず僕がタオルで目隠しをする。それでこいしがそれを確認したら僕の服を脱がして身体を洗う。

 極めてシンプルな作戦だからこそ、成功率も高い。ただ代わりに何か途轍もなく大事な物を失っている気もするけど……うん。考えたくない。考えたら負けだ。

 

 意気揚々と目の周りにタオルをぎゅっと締めると、僕は「出来たわよ」と扉の向こうのこいしに呼びかけた。

 すると、ドアが開く音がする。

 

「お姉ちゃん……これからビーチでスイカ割りする小学生みたいだわ」

「言うな」

 

 そりゃそういう見た目になるけどさ。

 今の僕はタオルによって完全に視界が封じられている。こいし無しでは歩くこともしゃがむことも間々ならない。つまり要介護者だ。

 

「はい、手を上げて」

 

 こいしの言葉に従って僕は慎重に手を上げた。

 何時もなら両腕を目一杯上げて万歳をしたら天井に当たってしまうけどこの身体は小学生高学年くらいの背丈だからか掠る感覚もない。

 服が脱ぎさられる感覚が身体を走る。年下女子によるぬぎぬぎ。ヤバい、理性を封じないと背徳感で僕は今日死ぬかもしれない……!

 

 腰からも布が取り去らわれ、靴下も脱がされ、ついに僕は何1つ纏わぬ裸体になったようだ。見えないから伝聞系だけど。

 

「ふ〜ん。お姉ちゃんのそれ可愛いね」

「か、可愛いって何見てるんですこいし!?」

 

 きっと悪戯心でも芽生えたのだろう、耳元で囁かれて思わず身体がビクリと震えた。

 セクハラ親父か己は。おかげでラノベのヒロインみたいな台詞吐いちゃったじゃん。

 

「ごめんごめん」

 

 全く反省の色の無い声音で謝ると、よいしょっ、という小さな掛け声と共に服が擦れる音。足を上げたことから重心がもう一方に寄って、床が微かに軋む音。それに僕の身体に軽く肘がぶつかった。

 

 ───もしかして、服を脱いでませんかこいしさん!?

 

「こいし、止めなさい」

「え?どうしてお姉ちゃん?」

 

 慌てて口で止めようとすると、こいしは依然手を動かしながら反応した。

 

「だってお姉ちゃんの身体を洗うなら、私も一緒に自分の身体を洗った方が手間無いでしょ?」

「私は男よ?」

「でも私お姉ちゃんの元の姿知らないもの。それに早くルナティッククリアしたいし」

 

 早ない?昨日の夜やり始めたばっかでルナティックまで行くのはおかしくない?

 ってそうじゃない!

 百歩譲って古明地さとりが脱ぐのは良いけど、こいしは許容出来ない!主に僕の理性が!理性が!

 うぐぐぐぐ…………。

 

「駄目よ!姉として、年上一般男子高校生として、それは認められないわ!」

「お姉ちゃん?」

 

 ……アレ、気のせいかこいしの目が怖い。

 いや気のせいのはずだ。

 タオルを目に巻いてるから利休鼠色の瞳なんて見えてないはず、なのに心の中でこいしの円な瞳が浮かぶ。深淵に吸い込まれるような奇妙な感覚。或いは背筋にドライアイスでも突っ込まれたかのような感覚。

 か、狩られる!

 

「うふふ。違うわお姉ちゃん。可哀想に、思い違いをしてるのね」

「こ、いし?」

「チェックメイトって言えば分かるかしら?お姉ちゃんはもう詰んでるのよ。お姉ちゃんは私が居なければ自分の身体すら満足に直視できない初心でしょ?」

 

 う、初心……。

 年下の女の子にそう言われるなんて、なんか複雑……。

 

「つまり、お姉ちゃんはもう私抜きでは満足出来ない身体なのよ!」

「言い方……!」

「でも違いないでしょ?もしここで私がお風呂場から出てったらお姉ちゃんは立ち往生するしかないの。選択肢なんてここに入った瞬間から1つしかないのよ?

 ───そう、私と一緒に入るっていうね!」

 

 デデーン!、とSEが入りそうなほどのドヤ声でこいしは言った。

 僕からはこいしの表情を伺うことが出来ないけど、顔も多分ドヤってることだろう。想像してみたけどちょっと可愛い。正直少し、いやかなり見てみたい。

 

 しかし、それとは話が別に。

 結果的に僕はこいしに、女子中学生に口で負けたということを意味していて。

 

「…………煮るやり焼くなり好きになさい」

 

 だからつい本音が溢れたのは仕方がないことだろう。多分。

 

 こいしが完全に服を脱ぎ終えると僕は連れられて浴場へと足を踏み入れた。

 何時ものように使っているシャワーと浴槽が詰まった狭い一室。なのに今日だけは全く違った雰囲気を感じる。

 さながら異空間。或いは異世界。

 少なくともここは僕の知ってる風呂場じゃない……!

 

 為されるがままに僕は手を繋がれて「そこに座ってね」と言われたので恐る恐る座る。

 ……何も出来ない。

 下手に身体を動かすと、その、どこに手が当たるか分かったものじゃない。

 自分の身体なら、駄目だけどまだマシだ。僕がさとりに土下座すれば済む話である。自分で自分に土下座って効果あるか分からないけど。

 ……でもこいしの胸とかに手が当たったら、申し訳なさすぎて罪悪感で死にそうになる。胸がキュウッてなる。キュウッてなるから。

 

「はいお姉ちゃん、シャワーで流すよ」

 

 キュッとハンドルを回す音と共に水の流れる音。

 って冷たい!

 

「こいし!冷たいから!少し時間置かないとお湯にならないから!」

「え?そうなの?私の家は直ぐにお湯になるのに」

 

 疑問を浮かべつつもハンドルを逆に回したようで、水は止まった。

 こいしの実家絶対金持ちだ。出始めは冷水でしょ、普通。

 謎に確信を深めつつ、今度はちゃんと温度が上がってからこいしは僕の身体をシャワーで流す。

 

「お姉ちゃんの背中、白くてスベスベ。流石アニメキャラだわ」

「貴方もそうでしょうに。それにアニメキャラじゃないわ、ゲームキャラよ」

「アニメもゲームもそんな変わんないじゃん」

 

 サブカル初心者のこいしにはその辺の感覚がまだ養われていないようだった。でも僕には見える。その内ガチ勢になって僕以上に用語に厳しくなる未来が。

 個人的に汚れて欲しくないなぁ……と目を閉じていると、布で身体が洗われ始めた。

 芸術品を扱うような繊細な手付きに少しくすぐったくなるけど我慢。これ以上年上の威厳を失う訳にはいかないのだ。

 

「お姉ちゃんはアニメも見るの?」

「ええ、少しね。」

「へー。どんなの見るの?」

「基本は深夜アニメね。後は……劇場アニメとか」

「なるほど〜、深夜アニメなんてものもあるのね。私、アニメって呼ばれるものは童話とか国民的アニメくらいしか見たことないからちょっと気になるかも」

「そこまで無いの?」

「親が厳しかったのよ。それに凄い過保護だから」

 

 話しながらザーッと泡をシャワーで落としていく。

 全身をくまなく洗われた、という羞恥心は内心に何とか留めとく。もう尊厳なんてシャワーと一緒に洗い流されてしまった気がするけど、それでも僕にだってなけなしのプライドがあるんだ……!

 …………向こうは全く意識してないのが丸わかりなのが、少し虚しいけど。

 

 身体を洗い流せば、次は髪の毛だ。

 そこでこいしは「ん?」と疑問の声を上げた。

 

「リンスインシャンプーしかないの?」

「一般的男性はそれで十分なのよ」

「それじゃ駄目だよ!特にお姉ちゃんは可愛いんだから、こんな安物使っちゃ勿体ないよ!」

 

 力説されましても……。

 僕は別に貧乏と言うわけではない。

 亡くなった両親はそれなりの職業に就いていてその遺産も沢山引き継いだし、僕自身趣味を除けば大してお金を使う事もないからだ。祖父母からの仕送りだってある。

 けれど当然ながらお金は有限で、抑えるべきところは抑えなくてはならない。浪費しがちな一人暮らしならそれも十念に。

 

「はぁ……。今度から洗髪料は私が買うね」

 

 溜息を一度すると、髪の毛を梳かれるように洗剤が付けられる。

 

「いいわよ。私はこれで十分だわ」

「駄目だって。良い?お姉ちゃんは今男子高校生じゃないの。女の子には女の子の身だしなみがあるわ」

「でも」

「でもじゃない!郷に入れば郷に従えだよ、お姉ちゃん」

 

 ……お姉ちゃん、口では妹に絶対勝てないようです。

 ちょっぴり自分が情けなくなりながら、あと時折「自分って本当に年上だよね?」とか思考が倒錯しながらも5分くらいでシャンプー自体も終わった。

 

 こいしの手に引かれて誘導され、僕は戸惑いながらも何とかお湯の張った浴槽に入ることに成功した。

 温かい2日ぶりの浴槽に心が安らぐ。

 良い気分だ。誰かさんが命の洗濯と言いたくなる気持ちが大いに分かる。

 

 そのまま5分ほど経っただろうか。

 自分の身体を洗い終えたこいしが「入るね〜」と軽い声で僕の前へとちゃぷんと浸かった。

 え、どういう状況。どうなってんのコレ。

 異性と同じ風呂入ってんの僕。

 それってつまり。つまりどういう事だってばよ。

 

「お姉ちゃん、顔が赤いよ?」

 

 それは多分湯気のせいです、とか誤魔化す余裕も無い。

 ひたすら能面を被って心を奥底に仕舞おうとしてるのだ。

 

 だってさ!

 今時、カップルだって同じ湯に浸かるか怪しいのに昨日今日会った少女とお風呂入っちゃってる……!

 

 変に緊張感を持ってるのはこの場では多分僕だけだ。

 声音的にこいしは風呂に入る前と変わらない。寧ろ何だか楽しそうですらある。

 

「……どうしてこいしは私とお風呂に入ろうと思ったの?」

 

 誤魔化しの言葉の代わりに出てきたのは、純然たる疑問だった。

 

「え?」

「こいしは普通に服を着たまま入っても良かったのよ?勿論私はこんな事を頼んでる以上濡れても良い服くらい用意するし、何なら水着だって買ってもいいわ」

 

 僕は疑懼を抱いていた。

 何をどう取り繕ったところで僕は男だ。小学校低学年ならともかく、男女の差を露骨に意識し始める思春期真っ只中な中学三年生のこいしが、何で身は少女とは言え異性である僕との入浴に拘ったのだろう?

 言葉を吐き出そうとして、飲み込んだのだろう。

 数拍置くとこいしは緩やかに話し始めた。

 

「私ね、友達がいないんだ」

「友達?」

「うん。同世代と話すことはあるんだけどね、こうやってお泊りなんか学校行事以外だと初めてなのよ。放課後とかも誘われても忙しかったし」

 

 意外。

 そんな感情が僕の中で渦を巻いた。

 こいしも、出る言葉が全て古明地こいしのような口調になるフィルターがあるだろうから一概には言えないけど。でも接している感じ、友達が出来なさそうな気難しい雰囲気は一切無かった。

 それ故に、意外だ。

 

「ごめんねお姉ちゃん。だからほんのちょっぴり、気分が上がっちゃったのかも」

「別に構わないわ。……私も似たようなものだから」

「お姉ちゃんも友達いないの?」

「まあ、そうね。どの境界線を超えたら友達と呼称できるのか、理非直曲を無視して定義付けたとしてもそのラインを超えてる人間なんていないわ」

「私と同じね!」

 

 そう言ってこいしは満面の笑みを浮かべる。

 ───でも、言う気はないけど、実際には僕とこいしは違う。

 敢えて他人を避けてきた僕と、そういう環境下にならざるを得なかったこいし。

 どちらが良くてどちらが悪いなんて定めることは出来ないけど、もしするなら僕の方がしょうもないしみっともない。

 

 少し間が空いて、それからこいしは糸をぴんと張った声を出した。

 

「……ねえお姉ちゃん。私と友達になってくれる?」

「……何言ってるのよ、姉妹じゃない」

 

 我ながら卑怯だなあと思う。

 紛れもなく、性懲りもなく。

 何も変わっていない僕は曖昧模糊にして答えを濁した。

 

 

 




どうでも良いけど古明地姉妹の第三の目と胴体を繋ぐ細長い血管みたいなやつ、何なんでしょうね。本作ではコードと称しました(実は最初は触手としていたけど何かエロゲっぽいので訂正した)。

次回は身バレ回?伏線回?


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問5:古明地さとりはこのクールジャパンな日ノ本において超絶有名な小5ロリであるからして、無断撮影写真がネット上に拡散された時の影響力を概算し対策を2400字以内で述べよ。


さっき書いててふと思った。
前回の軽い百合描写、全然百合と思ってませんでした。




 

 

こいしによって身体の水滴を拭かれ、適当な服に着換えさせられた僕は今だけはかつてないほどの喪失感を味わっていた。

 朝から、滅茶苦茶に疲れた。

 おまけに大切なものまで失ってしまった。自信とか尊厳とかプライドとか、多分そういった類の。

 

「はぁ……」

 

 ちゃぶ台の前で座りながら僕はお茶を口に含んだ。安物ながら深みのある良い味わいである。おかげで少し心が落ち着く。

 

 落ち着いてきたからか、欲求が心の表層に揺蕩い始めた。

 具体的には、服を買いに行きたい。

 だが問題は外に出るならまたあのパーカーを使わなければならない、ということ。

 そして、レディースものを買わなくてはならないということ。

 

 後者はまだ良い。流石にレディース専門店に行く勇気は無いけどメンズもレディースも取り扱ってる大きい服屋なら特に問題は無い。

 そう、外出自体が大きなハードルである。

 他人の心が読めるからって僕の身体能力が上がったり能力で相手を倒せる訳でも無い訳で、もし悪意のある人に追いかけられたら僕は終わりだ。

 

 少し悩んで、ネット通販で買うかぁと僕は思考放棄した。

 よくよく考えれば実店舗に行く必要なんか無いね。うん。

 

 パソコンを使おうと思って視線を隅に寄せてみると、残念ながらパソコンはこいしが使用中のようだ。

 またゲームだろうか?昨晩も遅くまでやってたようだし、いい加減年上として注意しないといけないかな。

 思い至ったので一先ずこいしの後ろに回り込んで画面を見ようと僕は立ち上がろうとした。

 

「お姉ちゃん、これ見て」

 

 と、同時にこいしは感情が含有されていない、驚くほど平坦な声を出した。

 

「何かしら……?」

 

 元々こいしのやってるパソコンを覗き見る気満々だったからそのまま僕は背後へと回る。

 ……もしかしてEXのフラン突破したの?ヤバない?まだ初めて1日も経ってないよね?僕より上手いってそれは。

 とか栓無きことを考えながら見てみると、画面に映っていたのは見慣れた縦シューのゲーム画面ではなくて、代わりに何処かのネット記事だった。

 

 こいしは「んっ」と指を記事へと突き出した。読めということかな。

 

「ええと……超朗報、東方キャラが現実に現るwww……!?」

 

 横から思い切り頭突きでもされたかのような鈍い衝撃が僕の前頭葉に走った。

 思わず二度見して、目を凝らす。

 文面を見間違えてるかもしれない、はたまた解釈を誤ってるかもしれない。

 そんな一縷の希望は、そこに載っている写真を見て「これお姉ちゃんだよね」と現実を突き付けるこいしの指摘により直ぐに潰えることになった。

 

 ……これは、恐れていた展開だ。

 胸骨の内側から溢れ出した焦りから、マウスを手に取って僕は記事の入稿日を探す。

 スクロールしてみると一番上にMSゴシック体で書かれていた。今日の日付。更に言うなれば、今朝。

 スクロールして見れば街を歩く僕の姿(古明地さとり)の写真が載っていた。

 良く見ればその僕はカラフルな髪を露わにして、足を引きつりながら苦悶の表情を浮かべている。

 ───こいしを探してる途中に撮られたんだ。

 

「これは……」

「私たち有名人だね!」

 

 言ってる場合か!?

 暢気に構えてる場合じゃないからね!?

 

 僕は更にパソコンへと前のめりになる。

 最悪な事にこれはまとめ記事で、情報としては2次ソース。どうにもTwitterで僕を盗撮した人がいるらしく、そのツイートが既に1万RTを越していた。

 

 しかし幸いというべきか、Twitterではこの姿はコスプレであると思われてるようだった。

 冷静に考えれば当たり前で。

 朝起きたら古明地さとりでした〜なんて超常現象、実際に経験しなかったら絶対に信じない。僕だって信じない。何なら今だってニ時間に一度鏡で確認しないと落ち着かないまである。

 

「どうするのお姉ちゃん?」

「少なくとも髪の毛と第三の目は隠した方が良いわね……って言うかこいし、私達って言ったけどけど貴方は関係ないじゃない。写真無いし、能力で気配隠せるし」

「まあそうだけどさ。でも私はお姉ちゃんが有名になって鼻が高いわ」

「他人事過ぎない?」

 

 もうちょっと当事者意識を持ってほしいなと考えてしまう今日この頃。

 僕はお気楽な妹に頭を抱えながら、Twitterを更に見流す。

 住んでる場所は大丈夫そう(バレてない)

 でも昨日歩いた場所は観測されちゃってるみたいだ。特にフードが脱げてから歩いた場所は当分は近づかない方が良いかもしれない、あの公園とかね。

 こいしは僕の発言を聞いて心外そうに肩を一回震わせた。

 

「そんなこと無いわ。能力はちゃんと毎回発動してるか確認してるもの」

「そうなの?どうやって?」

「目の前に立って一円玉落とすのよ。それで目をまんまるくして驚いたら成功してる。今のところ百発百中よ」

「もうちょっと他に方法なかったの……?」

 

 中途半端に成金っぽい方法……。思わず半目で見てしまうけどこいしは我関せずに僕の後ろからパソコンの画面を見ている。

 

「ともかく保険が必要じゃない?」

「保険?」

「フードなんて一回事故で脱げたら終わりよ、終わり。髪を染めるとかしなきゃ何れ古明地バレするわよお姉ちゃん」

「カラーリングねぇ……」

 

 唸りながらピンク色の髪先を捻る。

 髪を染めるといっても美容院なんて使えないし……カラーリング剤を買ってきて染める?

 アリと言えばアリだ。

 試して見る価値はあるかもしれない。

 

 ネットで黒染め用のものを買おうと脳内の買い物リストに刻むと、こいしは僅かに口を開いた。

 

「でも私たちって本当にそんな有名なの?テレビとかで見たことないわ私。それに東方は楽しいけど私たち登場しないじゃない」

「言ってなかったかしら、東方は同人なの。個人制作のゲームってことよ。だからテレビで目にする機会は少ないでしょうね。あと紅魔郷終わったら地霊殿やりなさい、貸してあげるから」

「へ〜。てかシリーズものなのね」

 

 僕は棚から東方地霊殿を出すとこいしに渡す。

 喜んでいるところ悪いけど残念ながらこいしの出番はEX。RPGで言うなれば隠れボス的な存在、よって本人同士の邂逅はまだ先になる。

 ……でもこいし、ゲーム上手いみたいなんだよなぁ。

 上機嫌にパソコン前のスペースを僕から奪取すると、こいしは紅魔郷を再びやり始めた。身バレについての会話はこれで一区切り、というつもりらしい。

 

 不安になりながらも、僕は再びお茶を飲む。

 家の食料品は十分。

 生活必需品もオールオーケー。

 今日は何てことない平日だけど不登校だから学校も問題無し。

 

 と言う訳で、まあ。

 今日も一日、元気に引きこもろう!

 僕は固い決意と共にテレビのリモコンを手繰り寄せた。

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

 撮り溜めしていたアニメを観ている内に昼になった。

 時計の針は天辺を超えて、午後を回っていた。

 お昼ご飯で炒飯を作り終えると皿に盛って、ちゃぶ台へと運ぶ。

 

「こいし、お昼にするからパソコンは片付けて頂戴」

 

 コクリと頷いて、こいしはパソコンを棚に置いた。因みに紅魔郷はこの数時間で完全クリアしたらしく、既に地霊殿をプレイし始めていた。恐るべしこいしの攻略力。

 

「わお!お姉ちゃん料理も上手いんだね!」

「一人暮らしだもの。これくらい出来なきゃやってけないわ」

 

 皿をちゃぶ台に置いて、僕は出来栄えを確認する。悪くない。今日は米がパラパラとしてるし、何より具材も豊富だ。

 

「いただきます」

 

 僕とこいしは手を合わせると、レンゲで炒飯の海をすくい取って頬張った

 

「シンプルで美味しいわ!」

「ふふ……ありがとう」

 

 僕の声帯から慈愛に満ちた言葉が紡がれた。それはただの相槌として言った僕の意志とは反して、さとりんフィルターが勝手に起動した事による感情の発露な訳だけど。

 ……もしかして、僕の中に古明地さとりがいたり?

 ジキルとハイドみたいに僕の知らない心の奥底に本物の古明地さとりがいたり?

 

 いやいや無い無い、と小さく頭を振って仮説にすらなっていない仮説を思考の埒外まで吹っ飛ばしているとこいしは炒飯をごっくんと飲み込んで口を開いた。

 

「私思ったんだけどさ、私達の他にも東方のキャラになった人たちがいるんじゃないかな?」

「……私もこうなったとき最初に考えたわ。自分以外にもいるんじゃないかって。実際、貴方がいた」

 

 ただ今のところ、何でキャラは東方Project限定なのか……それについてはイマイチ分からない。

 私とこいしをこうした何者かがいたとして、東方に拘る理由は何か。考えたって及び着かない事だけども考えざるを得ない。もしかしたら他の作品のキャラもいるかもしれないけど。

 こいしは髪を掻きあげて、深く頷いた。

 

「だよね。取り敢えず他にもこの現象が身に振りかかっちゃった人たちがいるとするよ?」

「ええ」

「多分その人達も私達と同じように自分の同類を探すと思うの。で、もし孤軍奮闘するとしてどこで見つけようとするか」

「……ネットじゃないかしら。情報が溢れているわ」

「それも一つだと思うけどやっぱり数が多過ぎるわ。質より量と言っても流石に一人では処理しきれないよ」

 

 言って、レンゲを皿に置いた。

 言われてみればその通りだ。

 インターネットの情報は多過ぎる。その癖ハズレも多いし、人海戦術の取れない以上探し人には適していない。

 唯一、自撮りした上で状況を説明して「自分と同じ状況の方はいらっしゃいませんか?」とリスク承知でネット上に投稿すれば多少効果が見られるかもしれない。それでも非現実的すぎてあまり話題にはならないだろう。コスプレの完成度は話題になるかもしれないけど。

 

「全く、お姉ちゃん含めてみんなインターネットに頼り過ぎなんだよ。幾らネット文化が発達したからと言って、電脳世界に重点置きすぎ」

 

 呆れるようにこいしは額に手を当てた。ウザ可愛いなその仕草。

 でもネットは正義だ。

 だって外に出なくとも情報が手に入る。これ以上に素晴らしいことがあるだろうか。いやない。

 

「じゃあこいしは何か案があるのかしら?」

 

 突っぱねるように僕が言うと、こいしはちゃぶ台に置いてあったスマートフォンを操作して。

 

「モチのロンだよ!ほら、これ!」

 

 勢い良くスマートフォンが私の眼前へと突き出された。

 

 ───東方例大祭?

 

 知ってる。行ったことは一度も無いけど、知っている。

 東方Projectに限った同人誌、同人音楽、同人ゲームなどが集まる一大イベントだ。会場もビックサイトを使うだけあってかなり大規模。

 

「私思ったのよ。ここならもしかすればいるんじゃないかって」

 

 鈴を鳴らしたみたいな声を出すこいしに、思わず納得してしまう。

 可能性としては、有り得る。

 僕と同じように、こいしと同じように、東方キャラに憑依してしまった人がいたならばこのイベントに参加してるかもしれない。同じ状況下に陥った同類を探しているかもしれない。

 何せ利点がある。この異質な容姿も再現度の高いコスプレで通せるのだ。第三の目(サードアイ)だって会場内なら隠す必要は無いし、現実的にビジュアル系バンドみたいな髪色も誤魔化す必要はない。

 

「なんと頃合いの良い事に東方春季例大祭、次の日曜日にやるらしいのよ。なら勇往邁進、行くしかないわ」

「……貴方。もしかしなくとも自分が行きたいだけじゃないの」

「そ、そんなことないわ!別に新作の体験版が欲しいとか微塵も思ってないよ!」

 

 思ってるじゃん。

 微塵どころか主目的そっちじゃん。

 ジト目で見ていると焦りながら「とにかく!」と語調を強めた。

 

「分からないけど、この現象が東方Project限定ならこのイベントで真相に近付けるかもしれないわ!ってことで行こうお姉ちゃん!」

「……まあ良いわ。別に体験版を手に入れるくらいはいいけど、目的は見失わないでね?」

「分かってるわ、任せといてお姉ちゃん」

 

 いや、うん。不安しかないぞこの妹。

 でもまあ東方例大祭に行くことで進展があるかもという期待感は確かにあるし。

 駄目で元々、行く価値はあるかな。

 

 さーてと、と何故か腕を鳴らすこいしに首を傾げつつ僕はホームページを更に読み進めた。

 

 

 





今回は難産でした。何時もなら一気に書いちゃうのですが、この回は最初に流れを書いて何度か推敲するくらいとてもとても難産でした。

次回は買い物。


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問6:通販サイトは便利にして快適であるが、実物を手にとって見れないことによって生じた情報非対称性によるリスクの観点からネットショッピングが望ましいか否か、自分の考えを述べよ。

もうちょっとぼやかそうと思ったけど辞めました。



 昼下りの町並み。

 学校終わりと見られる制服姿の学生と行き違いながら僕は交通ICカードを改札に翳すと、ピッ、という軽い電子音が鳴って扉が開く。残額は微妙だけど、数駅を往復くらいなら余裕だろう。

 電光掲示板を見ると次の電車は5分後のようだ、と確認し終えると構内放送が流れ始める。

 

『次に一番線から発車します電車は総武快速線直通、横須賀線、千葉行きです。グリーン車は7号車、8号車になります』

 

 この放送も久々に聞いたなあ、とか思いながら意識的にアナウンスをシャットアウトする。

 僕は時刻表を確かめると、隣にいるこいしに話しかけた。

 

 

「何で、今、外に出る必要があるのよ」

 

 

 ───現在。

 昼飯を食べ終えた僕は真っ黒なフード付きパーカーを着込んで絶賛、外出中だった。

 あんなまとめサイトが早々に出来ていたにも関わらず、である。

 こいしは心底不思議そうに首を傾げた。

 

「だってお姉ちゃんが服買いに行きたいっていうんだもの」

「ネットで良いって言ったわよね私?」

「ネットじゃ駄目だわ。ちゃんと実店舗に行って選ばないと」

 

 と、もっともらしい事を嘯く。

 確かにネットで買うと当たり外れはある。前にも良いなぁと思って買ったジャケットが安っぽくて落ち込んだ事もある。

 

「でも状況が悪いわ。今身バレしたら不味いってことはこいしも分かってる……のよね?」

 

 不信感から思わず疑問系になった。

 正直、本当に現状を理解してるのか怪しいとか思っちゃうくらいにはこいしはノリノリだ。何なら道中なんか鼻歌混じりにウキウキ気分が一目で分かるほど軽やかにスキップしていた。僕なんか相変わらずビクビクなのに。

 

「大丈夫だわ!だってお姉ちゃん可愛いもの」

「何が大丈夫なのかさっぱり分からないわこいし」

 

 ……まあ僕が細心の注意を払っていれば問題は無いか。

 目の前のこいしを一瞥して、諦めた。

 こいしは自前の能力でステルスしてくれるし、僕さえ隠れ切れれば乗り切れるはず。

 感慨深そうにこいしは別ホームで乗る電車と逆方面へと走り出した電車を見遣る。

 

「それにしても電車なんて修学旅行ぶりに乗るわ」

「普段使わないの?」

「通学も習い事も全部車よ」

「ご両親の苦労が忍ばれるわね」

「そんなことないわ?全部使用人がやってくれるから問題無いもの」

 

 リッチ…………!

 貴族か。いや華族か。

 当然のように話すけど昨今使用人なんて単語日常生活では出て来ないからね。どこのミステリー小説の舞台なのこいしの家は。

 友達がいないと言ってたし、そのへんの感覚もズレてるのだろう。ついでにフードに隠れた僕の顔はきっと引きつってるに違いない。

 そこはかとなくスケールが違いすぎる話にどうにか僕は相槌を返す。

 

「そ、そう」

「でもお姉ちゃんも電車乗らないよね?」

「え?」

「部屋にほっぽり投げられてた財布に定期券とか無かったわ。……聞きたかったんだけど、本当に高校生?」

「勝手に見ちゃ駄目じゃないこいし」

「ごめんごめん。

 ───で?」 

 

 槍みたいに鋭く貫きそうなこいしの視線に、僕は反射的に俯いた。

 直感的に誤魔化しは通用しないと悟る。

 間違いない、薄明と察していたんだ。

 心の中で両手を上げながら僕は肯定する。

 

「……私は高校生よ。行ってないだけ、学籍はあるわ」

 

 言葉として紡ぐと間欠泉のように罪悪感が湧出した。

 でもどうしてそんな感情が溢れているか分からなくて、僕は困惑する。保証人の祖父母には少し心が痛むけど、でも学費は両親の残してくれた銀行口座から割り当てられているから、引け目はあれどそこまででもない。

 なら、と思って更に自分自身の奥底を探ろうとして、こいしは目をまんまると大きくした。

 

「不登校だったのね……」

 

 恥ずかしくなって瞬きが多くなる。

 周りに気を遣ったのだろう、言葉を窄めてこいしはその事実を噛み締めるように口の中で藻掻く。

 私は心からはみ出る感情を言語化しようとして、ホームに入ってきた電車にフードが激しく揺れる。慌ててフードが落ちないよう、叩くみたいにボフッと手で抑えた。

 

 電車内はガラガラと言うほどでもないけど、午後3時を回るか回らないかという時間帯もあって座席は結構埋まっている。占拠してるのは学生。それと物見遊山をしていただろうレジャー姿のお年寄り、スーツを着ているリーマンやOLは殆ど居ない。

 僕は連続で空いている席を見つけると、静かに腰を下ろす。その隣でこいしも同じように椅子へと座った。

 

「……いつから行ってないの?」

「入学式以来、一度も」

「……そっか」

 

 こいしはそれ以上は何も言わず、かといって押し黙った様子も無かった。

 こいしの性格上からかってくるかも、とも思ったけどそんな雰囲気は一切無い。少し空気が重くなる。吸った息の質量が、2倍くらいになって吐き出される。

 

「私、何度も学校を辞めようかと思った時期があったの」

 

 ポツリと。

 教会で懺悔をするみたいにこいしの言葉は掠れて消える寸前の声音だった。

 

「何度も、と言うのは嘘。ホントは毎日だったけど。それでも私は毎日通ったわ」

「私と違って、偉いじゃない」

「違うの!偉いだなんて、大層なもんじゃないよ……」

 

 軽快な電子音が鳴って、電車のドアが閉まる。

 高い唸り声を上げてエンジン音が床を微かに揺らし、鉄の塊が動き始めた音。やがて車両は重々しくも走り始めた。

 ゆっくりと窓ガラス越しに見える周りの景色が流れて行くのを眺めながら、こいしは続けた。

 

「縛られてたの。お父さんとお母さんに、立派な娘になるようにって。私は期待には応えたいと思ってた、けれど苦しいのも事実なのよ。正直通ってたのも惰性よ、惰性。藻掻いても藻掻いても水中から這い出ることが叶わない。そんな日々、そんな日常に、ちょっぴりでも嫌悪感を抱くことは許されないことかしら?」

 

 僕はじっとこいしの瞳を見つめる。

 気付かなかった、そんな葛藤があるなんて。

 いや。

 姉だから、古明地さとりだから、その事情くらい知らなきゃならない。なんて思考は傲慢そのものなのだろう。

 必然的に僕はこいしの言葉に頷く。

 

「そんなことないわ。貴方は間違ってない」

「ありがと。でも、それなら。そう思うのならお姉ちゃんも気にする理由なんて無いわ」

「……通ってないのよ?私は」

 

 言葉を吐き出そうとして、遮るようにこいしは私の肩に手を置いた。

 温かい、安心するような温度。

 

 こいしは何も言わなかった。

 慈母みたいな微笑みを浮かべて、時にガタンゴトンと身体が揺れる。

 続ける言葉を失ったから黙ったとも違う。

 僕も言葉が出てこない。途中で霧散した言葉を集めても躊躇が口に残り、また霧散して消えてしまう。

 少ししてこいしはニコリと口角を上げた。

 

「お姉ちゃん、可愛い服買お?」

 

 ……元気付けようとしてくれたのかな。

 もどかしさを感じながら、僕は頷いた。

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

 僕の家から数駅先に巨大商業施設がある。

 湘北センターモール。

 大きな直方体の箱に多数の専門店が軒並みを連ねる一大商業ビルだ。

 

「ここがショッピングモールってところなのね」

 

 入り口に入ると、こいしは物珍し気に右に左に上にまた右とキョロキョロ見渡した。

 三階まであって、一階は大きな通路が奥まで広がっており、その中央上は吹き抜けとなっている。

 放課後だからかやはり学生が多い。制服姿で闊歩する女子高生と見える集団とすれ違いつつ足を進める。

 ……あれ、良く見たらウチの高校の制服だよなぁ。

 まあ校内に知り合いとか皆無だからどうでも良いけど。

 

「お姉ちゃん、ここ入ろ!」

「あ、こいしちょっと……!」

 

 僕が止める間もなく、ピュー、とこいしは立ち並ぶ専門店の一つに早足で駆け込んでしまう。

 こういうところに一度も来たこと無さそうだし仕方ないけどさぁ……。

 

 僕はこいしを追いかけようとして、直ぐに足を止めた。

 良く見ればそこは女性用の服を専門に扱っているお店だった。

 読めないけどオシャレな店名で、多分フランス語かなにか。

 カラフルな淡い色のワンピースを着たマネキンはさながら男は入店禁止だから周れ右して帰れや!と言葉を発してるかのように店頭に置かれてある。

 

 ……入り辛い、てか入れない。

 いらっしゃいませ〜、と愛想良く客を向かい入れるファッショナブルな店員に寧ろ気後れする。

 頼むからこっち向かないでくれ。頼むから「もしかして入るの戸惑ってるのかな?」みたいな視線を向けないでくれ。頼むから「現在全品セール中で〜す!」とか目と目合わせて叫ばないでくれ!!

 ……い、いや。

 多分これは全部僕の自意識過剰が生み出した幻想だろう。僕があまりにも場違い感とかエキゾチック感とかその他諸々とかを受信しちゃった故に生まれた歪みなんだきっと。

 でも、動けない……!

 まるで結界でも張られているかのように僕は店に近づけない……!

 

 まさかここまで女性用の服屋に入るのが大変だとは……。世の中の女の子はいつもこんな苦痛に耐えて買い物をしてるとは、敬服せざるを得ないな。

 

 僕は諦めて踵を返すと、中央通路に置かれたベンチの一つにもたれかかった。

 地元の通勤通学時間帯並みに通行する人々に、溜息が溢れる。

 思えば、まだこんな事態に陥って一日ちょっとしか経ってない。たった一日でここまで気疲れしているんだ僕は。

 これが更に一週間、一ヶ月と続くとしたら……。

 そこまで考えて僕は思考を閉じた。思考停止。これ以上考えても悲観的になるだけ、元の姿に戻ることを考えよう。

 

 そう、元の姿に戻る。

 僕の悩みの原点は結局のところそこだ。

 古明地さとりの姿も個人的に悪くはない。寧ろ良い。鏡で360度どこから見ても可愛いし、能力は厄介なれど好きな作品に出てくるキャラクターだ。

 けど、それと僕の生活とは別問題。

 このままでいれば将来的に絶対に困るときが出てくる。

 戸籍とか無いし、学校も退学するしかなくなる。就労機会だって皆無。

 社会との繋がりが、プツリと絶たれる。

 それは即ちマトモな生活からの放逐とも言えるべき未来地図で、存在しない人間としての生を余儀なくされる。

 どう考えてもそんなの、認められない。

 

「あ、お姉ちゃん!何で勝手にはぐれちゃうのよ」

 

 そろそろ十分が経つかな、と思っていると店からこいしが飛び出てくる。僕の姿を見つけるや否や少し怒ったように頬を膨らませながら歩み寄ってきた。

 

「はぐれたんじゃないのよ。ただこいしに付いていこうとして、結界に阻まれたのよ」

「何言ってるのお姉ちゃん。服買うんでしょ?行くわよ?」

「だ、駄目よ。ここじゃなくて、男女どっちの服も売ってる場所が良いわ」

「……あ〜そういうこと」

 

 何となく察したみたいにこいしは半目で呆れる。

 しょうがないと思うんだ。

 普通の服屋すらロクに行かないのに小洒落た店なんか入れるはずがない。僕は鋼鉄の心臓なんて持ってないんだ。

 

「仕方ない……じゃあさっくり行っちゃおう」

「何ならこいし一人で巡ってても良いのよ?」

「そんなの面白くないから良いって。それにこれからは何度も来る機会ありそうだし」

 

 入口で手に取ったパンフレット片手に先導し始めるこいしに、僕は微妙な笑みを作りながら後を追った。

 

 フロアマップと現実とを交互に見ながら歩くこいしの歩いた場所を進んでいく。

 ……今のとこ、何も問題は無い。

 僕のフードはちょろりとも捲れてないし、こいしの気配に気付く人もいない。通り過ぎる女子高生の心を読んでも青春の1ページみたいな心の声が聞こえるだけだ。青春とか無かったから若干凹む。

 エスカレーターを上ると、目的の店が見えてきた。

 

「ここがルリクロ……おっきいねー」

「こいしは初めて?」

「うん、基本外出なかったから。服屋行くときもドレス仕立てたりする時だけで基本お母さんが買っちゃうからね」

 

 え、なにそれ。ドレス仕立てるってなんでせうこいしさん。

 少なからず動揺で足が止まったけど、やにむに先を進むこいしに慌ててパタパタと早足になる。

 

「うわぁ、沢山ある!しかも安いわ!」

 

 忙しなくあっちへこっちへ、商品を見たり触ったりしながら確かめるこいしにやがて僕は着いて行けなくなる。

 おかしい。

 姉妹だから体力は同じはずなのに、何でこうも僕は疲れてるんだ。

 

 下らない疑問を地中深くにスコップで埋めつつ、仕方無しに女性コーナーへと赴く。

 スカート売場まで来ると周囲には女性しかいなくなった……けど、あんなキャピキャピな専門店よりは幾分と入りやすいね。何より廊下を通り掛かる男性からは元気を貰える。僕は頑張ってるよみんな。

 

 でもスカートかぁ……。

 思わず自分の履いてるセミロングのそれを見る。

 意識して気にしてこなかったけど、正直スカートはやり辛い。違和感はあるし、スースーする。

 それに最初からあるものとして着ていたこれはともかく、意識的に買うのは精神的ハードルが高いことこの上ない。こんなの精神的女装だよ、女装。

 

「お姉ちゃん何してるの?」

「ひゃっ!?こ、こいし!いるならいますと言って頂戴!」

 

 正面、鼻と鼻が近付きそうな位置に突如現れたこいしに僕は驚いて仰け反って数歩下がる。

 無意識を操る程度の能力、ヤバ過ぎる。

 いることに、それどころか人が目の前に存在している事にも一瞬たりとも気付かなかった。

 これが、こいしの力。

 いつもは僕には能力が向けられてないから分からなかったけど、凄まじい。

 

「スカート?お姉ちゃん、スカート買おうとしてんの?」

「……見てるだけよ。ジーンズとか、チノパンとか買うわ」

「えーっ。勿体無い、絶対似合うのに」

 

 まるでちゃんと売れば古物商に何千万の価格で売れるアンティークを断捨離されてしまう父親みたいに、口を尖らせて不満を表した。

 しかし僕はそんな事には屈しない。

 そう、僕は男。田に力と書いて、男。

 男には決して引き下がれない時がある。

 それが今。今なんだよ。

 

 可愛らしく上目遣いまで駆使してくるこいしに、断固たる矜持を僕は示すのだった。

 

 

 




キャラ紹介

・古明地さとり
見た目は少女、中身は男。その名も古明地さとり。
スーパーやゴミ出し以外は基本引きこもってるので自分の住んでる地域にあまり詳しくない。スマホ片手に歩かないと迷うけど方向音痴ではない(自称)。服は親に買ってもらってた。

・古明地こいし
かなり金持ちの一人娘。兼箱入り娘。
実は矢鱈とゲームが上手い。今までボードゲーム以外のゲームなんて触れたことなど数えるほどしかなかったが、最近東方紅魔郷を完全クリアした事をさとりに報告したら無茶苦茶驚かれて嬉しかった。地霊殿もスピードクリアするつもり。自機キャラになりたい。

段々文が荒くなって来たけど許して。
次はまだ買い物。


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問7:毎秒2mで進む点Pがあるとして、周の長さが60mの長方形を一周するまでにどのくらい時間が掛かるか求めよ。但し点Pは前日に躓いて足を怪我しているものとする。

この次の話がある程度山を超えたので投稿



 

 

 男のプライドは、木っ端微塵の滅多滅多に破壊された。

 

「お姉ちゃん可愛い〜!あ、次これ着てね」

 

 店内の試着室。

 瞳が虚ろになるのを自覚しつつ、僕はこいしから可愛らしい薄ピンクを基調とした新しい服を受け取る。更に僕の眼は曇る。

 そう、僕はさとり。古明地さとり。

 きっと名前の通り、悟ることこそが存在意義なのだ。即ち今の精神状態はきっと何も間違ってない。

 例え小学生用の女児服を着せられても、何処からか持ってきたゴスロリ服を手渡されても、僕はさとり。

 大丈夫、今ならもっと上手く悟れる……。

 

「うん、私の見込み通り可愛いわ!」

 

 嬉しそうに喜ぶこいしを無感情で眺めながら棒立ちになる。

 ───着せ替え人形の気持ちを考えたことはあるだろうか?

 ただ服を着させられ、脱がされる為に生まれた木偶人形。その生き様は服を最大限魅せる為だけに注げられており、その他の意義など絶無。何故服を着るのか、何故着替えさせられるのか。そんな疑問など過去に置き去りにされて久しい。

 

 着せ替え人形になってしまった僕は延々と悩みながら、またこいしの持ってきた服を受け取った。

 うわ、これ着んの?肌の露出ヤケに多いんだけど……似合うんだろうなぁ。僕が着せる側なら絶対に勧めて着させて写真に撮ってる。なんたって古明地さとりがロリ可愛いのは事実で。

 ……うん、やっぱり悟りには全く到達できていないみたいです。はい。

 

「あ〜これもいいね。次この服ね」

 

 何でこんな事になったんだろう。

 また試着室のカーテンを締めながら僕は顎に手を当てた。鏡には悩める少女の姿が映る。

 確かに僕は負けた。眼力と言う名のあざとい上目遣いに負けてこいしに折れた。

 でも、だからって着ては脱いでを繰り返す必要なんてなくない?どうせさとりしか着れない服なのに、そんなに吟味する必要ある?

 僕が元に戻ったら買った服は全部どうするのさ。

 

「ちょっと大人っぽ過ぎるかも……でも背伸びしてる感があってコレはコレで」

「ねえこいし……!」

「でもゴスロリの方が……ん、なに?」

 

 何でゴスロリがこんな安価な服屋にあるのか、今更ながら不思議過ぎる。コスプレショップとかファンシーショップとかじゃないはずなんだけどな。

 

「いつまで続ける気よ。ファッション雑誌のモデルじゃないのよ私」

「あ、それいいわ。私応募しようかしら、お姉ちゃんの写真載せて」

「絶対に止めて。やったら絶交するわよ」

「ごめんごめん、冗談だって」

 

 割とマジで眉を顰めるとこいしは空笑いしながら手を振った。

 この妹、諌めなかったら絶対やってたな……?

 

「ともかくよ!まだ全部着てないけど、お姉ちゃんに似合いそうな服は粗方見繕えたわ」

「誤魔化したわね?」

「気のせいだよ気のせい」

 

 ……まあ、流されてあげようじゃないか。

 僕が人知れず矛を収めたとは露も知らないだろうこいしは、試着室からは死角となっていた場所に置かれた買い物カゴを掴むと、目の前へと並べた。

 ってちょっと待て。

 買い物カゴが1つ、2つ、3つ……!?

 しかも全部チョモランマみたいに洋服の山が屹立してるんだけど!要らないからこんなに!

 

「えっとねぇ、私セレクトはこのカゴの商品全部だよ」

「それほんっとうに選んだ!?」

「え?勿論だよ?ここにあるのは全部似合うから、全部購入で良いんじゃないかな?」

 

 この無意識金持ちが……!

 

 すぐさま僕はカゴにある商品の大半を戻すことを決意した。「あ〜私の集めたゴスロリ服たちがぁ!」とか宣うこいしは無視だ。そもそもこの少女、どうせ今も他人からは見えてないから構うだけ僕が奇異の視線で見られるだけである。

 カゴに大量に詰まれた服を9割返しきり、残ったのは無難な服が上下合わせて3着。それとワンピースが1着。これくらいあれば今着てるのを含めて、不自由ないと思う。

 思うんだけど、何故か戻せない服がもう1つ。

 その1着を売場に戻そうとしているのに、見えないワイヤーで繋がってるかのように僕の手から離れない。というか手が離さない。

 

 ……まさか、知らず知らずの内に僕は見初めてしまったというのか?

 この、ゴスロリ服に。

 動かせない腕に僕は目を落とせば、その服は黒をベースカラーとしていて、襟元は白くふわりとしている。スカート部分の端の方は白く華柄のレースが縫われており、全体的に清楚な雰囲気漂う服だ。ゴスロリという固定観念を無視すれば、だけど。

 

 確かに可愛い。

 僕だって可愛いものは嫌いじゃない。

 だからといってこんなふわふわとした服を着るのは、男としてどうなんだ。

 

「お姉ちゃん?そんな百面相してどうしたの?」

「……何でもないわ」

 

 ……何時までもこうして立ってる訳にも行かないなぁ。

 僕は溜息を静かに零すと、苦渋の念を抱きつつもその現実離れした服を買い物カゴの中に入れた。

 ……決して僕は女装癖なんてないからな!

 けど今回は僕の負けだ……だけど次回も勝てると思わないでよ?

 

 と、こいしの目が僕の買い物カゴへ移る。

 

「あ、そのゴスロリは買うんだ」

「放っていて欲しいわ……!」

 

 逃げるように僕は会計へと走ろうとして「お姉ちゃん!」というこいしの大声にビクリと肩を震わせる。

 

「駄目だよ〜お姉ちゃん。下着買うの、忘れてるよ?」

 

 地獄は、終わってなかった。

 

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

 

 僕は歩きながら項垂れる。

 それというのも全部僕の衝動買いのせい。

 ゴスロリ服は1着で3万円もした。他と合わせて計6万(なりや)

 余裕で家賃を除いた月々の生活費ほどの数値を叩き出した紙袋を握りながら重い足を動かす。

 一応これくらいじゃ家計は圧迫されない、いざとなれば食費を切り詰めれば良いし。貯金もある。でもそれとは別に何なんだ、この喪失感は。まるで買ったばかりのシャーペンを無くしてしまったかのような感覚がジリジリと体内で疼く。

 

「いや〜良い買いものしたわ」

 

 紙袋片手に楽しげにこいしは言った。

 こいしも僕と同じ店で服を買ったのだ。

 それもそうで、実家から抜け出した状態のこいしには替えの服が無い。よって服が無い。それは僕にとっても彼女自身にとっても大変宜しくないことだった。

 生憎とそんなにお金は持ってなかったようだから僕が建て替えることになり、懐が少々痛い。嘘だ。めっちゃ痛い。因みにこの分を合わせると支出額は10万円になったりする。そろそろ懐から血が流れても可笑しくないね。何だか笑えてくるや。服で10万って……。

 

「……疲れたから休みましょう。この近くにフードコートがあるそうよ」

「ヌードコート?」

「ねえわざと言ってない?私が困惑するのを楽しんでたりしない?」

 

 クエッションマークを頭上で浮かべながら首を傾げるこいしに僕は確信する。

 間違いない。これ天然だ。天然で聞き間違えてる……!

 コホン、と僕は場を濁して言い直そうとする。

 

「フードコートよ。色んな飲食店が集まった広場みたいなものね」

「何それ面白そう。行きたい私!」

「はいはい、行くわよ」

 

 はしゃいで手を引こうとするこいしを宥めながら、マップを手にエスカレーターへと乗った。

 

「あっ、あそこかな?」

 

 手すりに手を当てると、こいしが上へと指を指した。

 方向は合っているようだ。上には壁際にうどん屋やハンバーガー屋などが連なっていて、真ん中は椅子と机が沢山並んでいる。

 

 不意に一階の中心にある、大きな立て時計を見てみる。

 午後5時。きっと今頃外は夕空で、月が上っていこうとしているんだろう。

 

 足元に気を付けて、エスカレーターからフロアへと足を乗せる。

 この身体になってからというものの、こういう些細な動作にも気を使わないと段差や隙間に躓いてしまいそうで怖い。歩幅がいつもと違うせいで、足元を見てないと不安だ。

 自覚はある。

 ここまで慎重な動作をするのもあの時、こいしを探す時に転んでからだ。注意散漫に走れば、人は転ぶ。そんなのはコーラにメントスを突っ込んだら吹き出すくらい当たり前のことだ。

 今も怪我した部分は不注意に走ったのを咎めるみたいに痛みを発している。とはいえ、一夜開けた今日常生活に支障が出るほどじゃない。靴下の下にはこっそり湿布だって貼ってる。走れば痛いけど、その程度。

 変な心配を掛けるのもこいしに悪いから黙ってるけど。

 

「本当にこんなにあるのね……!」

 

 こいしが小声で興奮したような歓声を上げるのを傍目に聞きつつ、周りを見渡してみた。

 下の階から見えたように、うどん屋やハンバーガー屋、ステーキ屋にラーメン屋。クレープ店には高校生が何人か並んでいる。

 

「……これ、誰が席に案内してくれるのかしら?」

「空いてるところに勝手に座れば良いのよ」

「へぇ、変わってるわね」

 

 変わってるのはこいしの常識なんだよなぁ。

 まあ箱入り娘なこいしについては考えてても仕方ない、ささっと席を確保しよう。

 

「あそこにしましょう」

「窓際?まあいいけど」

 

 点々と席に座って思い思いの時間を過ごしている客の間を通り過ぎながら、目的の席へと座る。

 4人席で、僕とこいしは対面に座って残った椅子の上に荷物を置く。伸び切った筋肉が漸く弛緩する感覚に僕はホッと一息ついた。

 硬い椅子と若干汚れたテーブルにこいしは少し渋い顔を作りながら、気を取り直したように口を開いた。

 

「さて、ウェイターさんはいつやってくるの?」

「来ないわ。自分で店まで行って注文しなきゃならないの」

「何それ。何かと不便ねぇ。星幾つなのこのレストラン」

「そういうレストランと一緒にしちゃ駄目よこいし」

 

 諭しながら、窓の外を眺める。

 向こう側には線路が伸びていて、その上を電車が通り去っていく姿を夕焼けが照らしていた。

 こんなありきたりな現代的な風景を見ているだけでナイーブになるのは疲れているだからだろうか?

 ……ちょっと休憩したら早く帰ろう。

 

「お姉ちゃん!私、クレープ食べたいわ」

「はいはい、じゃあこれで買ってきなさい」

「後払いじゃないの?」

「だからレストランじゃないって……。こういうとこは基本前払いよ」

「むぅ。難しいのね……ありがと!」

 

 1000円札を受け取るとこいしは最短距離でクレープ屋へと歩いていった。

 僕も何か買おうかな。気分的にはあまりガッツリした物は食べたくないから……クリームソーダとかで良いか。クリームソーダならハンバーガー屋に売ってるはず。

 

 ───なんて、考えてる瞬間だった。

 

(黒いパーカーに微かに見える柴色の髪、それに低身長……!見つけた………!)

 

 心の声が、深層心理が僕の中へ流れ込んで来た。

 刹那の間もなく脳味噌は緊急信号を発し、僕は椅子を跳ね除ける勢いで立ち上がって駆け出した。

 

「あ、待ってくれ!」

 

 足が痛むけど、そんなのはこの状況で些事でしかない。

 脇目も振らず逃げ出す。逃げ出さなきゃならない。逃げ出すしかない。

 

 相手はやはり僕が目的みたいで、訳も分からず走り出した僕と一拍の間を置いてフロアを力強く踏抜く足音が聞こえてきた。

 

 相手は誰だとか、そんな疑問も頭に過ぎったけど直ぐに掻き消した。それを考えるのは今じゃない。この場に置いて確かなのは、間違いなく今の声は僕の知らない人間の、男のものだった。

 緊要なのは何処に逃げるかというものだ。

 

「くっ…………!」

「君は古明地さとり!さとりなんだろ!?」

 

 苦悶の声が地面に落ちるのと同時に、背後から張りのある強い肉声が響いた。

 だから、何だと言うんだ。

 フードを片手で抑えながらエスカレーターをニ段飛ばしで下りると、続けて声が響く。

 

「君は画面の中から出てきたんだよね!ネットで見たよ、一目で気付いたんだ!俺に会いに来たんだって!」

 

 ……意味不明だ。

 何を、言ってるんだこの男は?

 ……いや。考えるだけ無駄だ。

 考えろ。考えるんだ古明地さとり。

 何処に逃げれば確実に逃げられる?このショッピングモールで安全地帯はどこだ?

 

「知ってるんだオレは!だってさとり、君をこの世界に呼んだのは俺だ!俺以外あり得ない!」

 

 より興奮したように背後の男は走りながら喚いた。

 夕方のショッピングモール、走りながら何人ともすれ違っているけど誰も男を取り押さえようとする仕草は無い。

 誰かがやってくれるからきっと大丈夫、なんて日本人の悪い群集行動なのだろう……と、こんな緊迫した状況ながら脳に浮かんだ。

 

「だって俺は!俺はぁ!さとりへの儀式を毎日欠かさずやってたんだ!この5年間、ずっと!1日欠かさずに!祭壇に祈りを掲げて、忘れずに、信仰をしてたんだ!だから安心して俺の所に来てくれよ!何故逃げるんだ!」

「貴方、のことなんて、知らないです……!」

 

 都合が良いにも程がある思考回路に、堪らず僕は言い返した。

 

「おお!流石じゃないかぁ!良い声貰ったんだね!キャラクターボイスとか無かったから嬉しいよぉ!」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘。

 何を言っても無駄そうだ。

 僕は走りながら、徐々に落ちてくるスピードにその体力の無さを呪った。

 しかも痛い!

 昨日転んで捻った足が、正当な権利とばかりに痛みを訴えている!

 湿布だけじゃ不足していたみたいだ!昨日、何もせずにさっさと寝てしまった自分が恨めしくなってくる!

 

(やっぱり間違ってなかった!さとりんを嫁にした俺の生活は、生き様は、何一つ間違ってなかったんだ!やっぱり世界は、幻想郷は、俺がさとりんの嫁に相応しいとお考えになったんだ!)

 

 追い打ちみたいに後ろの男の気持ち悪い思考が鮮明に流れ込んで来た。

 つまり残りは約5メートル。古明地さとりならまだしも、古明地さとりな僕の持つ能力は昨日確かめた通りなら5メートルが範囲内なのだ。

 

 現に足音はかなり近い。

 ネガティブに考えれば5メートルどころか、もう縮まってて手を伸ばせば届く距離の可能性だってある。

 

 ……駄目だ、このままじゃ追い付かれる!

 

 また何かを言い返そうとして、その時。

 

 僕の無我がバチッと弾けた。

 

 

 

 

 

 ──────女子トイレだ。

 

  

 

 

 

 切れた蜘蛛の糸みたいに、プツリと途絶えた思考状態のまま僕は上にぶら下がった案内掲示板を確認する。

 直進して、右。

 そこに男子トイレと女子トイレ。

 

(何処に行っても、着いていくよさとりん)

 

 流れてくる感情を無視して、そのまま走り過ぎるフリをして急激に右へと曲がる。

 無理な右折に足が傷んだけど気にしてる余裕も猶予もない……!

 

 もっと足を動かすんだ!

 さもなきゃ追い付かれる!

 速く…………!

 速く……!

 速く!

 

 直ぐさま通路の右側に寄ると、2つ目の女性のマークが書かれた入口に勢い良く僕は身を放り込んだ……!

 奥まで走ると、電源の切れたロボットみたいにふっと力が抜けた。

 

 ……逃げ、切れた?

 

 力無く周りを見てみる。

 中は定期的にキレイに清掃されていることが伺える清潔な女子トイレだった。

 

「……はぁっ!……はぁっ!……痛っ!」

 

 ここが、限界みたい。

 足が悲鳴を上げて、肺が酸素を求めて言うことを聞いてくれない。

 でも。

 僕は逃げ切った。

 天王山を、制したんだ……!

 

「……あなた、大丈夫?」

 

 洗面台の前で尻もちを付くと、少し籠もった声の女の子が話し掛けてきた。

 どうやら最初からこの女子トイレにいたみたいで、僕の隣の洗面台を使っていたようだった。

 その綺麗な声に釣られて見上げてみる。

 僕やこいしと同じくらいの身長で、長い金髪に灼熱の瞳。

 サイズが明らかに合わないマスクをしていて顔は良く見えないけど、人♡間と書かれた変なTシャツを着ていて、その癖ロングスカートは地面スレスレ。何だか整合性が無い。

 年齢的に小学生かなぁ。多分外人さんだろうけど……にしては日本語ペラッペラだ。

 

「大丈夫、じゃないです……!?」

 

 じっくり観察した後に答えようとして、愕然とした。

 カツ、カツ、カツ、と。

 何者かがこの女子トイレ入ってくる音がしたかと思えば、それは男だったからだ。

 一見して冴えない容姿。

 見た目は若い。でも髪はボサリとしていて一切手入れして無いのが分かるし、服も皺が深い。数日は洗濯してないように見える。

 知ってる声で、男は言った。

 

「さとり。俺と一緒に、帰ろう」

 

 嘘だろ……。

 

 




さとりがゴスロリ着てる絵を探してたらめっちゃ好みの絵が見つかったので満足です。

次回:邂逅


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問8:窮地に陥った際に助けがやってくる確率を求めよ。また、謎の少女Fが目の前に現れる確率は100%とする。

 

 

 男は自らに欠けた物を求めるような、歪んだ表情を浮かべる。

 

 ……詰んだ。

 僕は出来るだけ距離を取ろうとして、でも手も足も動かない。

 もうこの幼い身体には体力が残ってないんだ。

 理解しつつも、本能的にその解を拒む。

 絶望は既に僕の腰元まで来ていた。

 足は情けなく震えているし、思考も纏まらない。さっきの鬼ごっこで全て使い果たしてしまった。

 

 女子トイレなら安全、なんて思った僕は正気じゃなかったんだ。

 こんなとこ、鍵がある訳でもないし屈強なガードマンが立ってる訳でもない。相手が狂人だということがスッポリ頭から抜け落ちていたみたいだ。

 自分の浅慮に腹が立つ……。

 でも床を殴る力は無く、握った拳は床へと溢れた。

 

 チェックメイト。

 僕は、負けた。

 

 

 

 

 

「鬼さん、私を忘れちゃ困るわ?」

 

 

 

 

 

 ………………女の子?

 カツリ、と赤色のローファーを鳴すと少女は金髪を靡かせて僕の前へと立った。

 

「な、何だ君は。邪魔しないで貰えるかな、俺は嫁と帰るんだ」

「……はぁ。これが人間。飲み物以外で見たこと無かったけど、期待外れだわ」

 

 ……これが、人間?

 まるで、自分が人間では無いみたいな言い草。

 

「……もしかして君も邪魔しようっていうのか!?やっと掴んだ一縷の縁を!俺の親みたいに、蔑んで止めようとするのか!?」

「ええ。止めるわ。容赦なく。プチリってね」

 

 情緒不安定に上擦った声で叫ぶ男に、目の前の少女は冷たく言い放った。

 剣呑とした香りで辺りが包まれる。

 

 この場にいるのに、僕は全く展開に付いて行けていない。

 何で、この少女は僕を守ろうとしてくれてるんだ?

 この少女はそもそも何者なんだ?

 

 回り始めた思考を嘲笑うかの如く、男は顔を赤くしながらニヤリと嗤った。

 何で、ポケットに右手を突っ込んで……まさか!

 

「……危ない、ナイフよ!」

「流石、俺の心の中を覗けるんだねさとり。……やっぱ俺の嫁だよ君は」

 

 素早くポケットから手を引っ込めると、男の手には予想通り折り畳みナイフが握られていた。

 チャキン、という音がしてその鋭利な刃が露わになる。

 

「ふーん、玩具ね。赤ちゃんにはお似合いだと思うわ」

「良い加減にしろ!これを分かってんのかお前!?」

 

 男は突き出すようにナイフを構える。切っ先は彷徨うようにガタガタと震えているけど、多分怯えているわけじゃない。

 目が、完全に濁っている。

 危険な薬物を吸引し過ぎてアッパーになっちゃったのかと思うくらい、瞳孔が開いている。

 

「これが最後通告になるぞ!君が引かなければ、その腸から大事な物を引き抜いてでもそこを通る!そして俺は結婚するんだ!」

「遊ぼうってこと?私そういうの得意だわ。でも手加減出来ないし……まあいっか」

「本当に良いんだな!?じゃあ申し訳ないけど……死ねや!」

 

 男はナイフの柄に左手を添えると、少女の胸を突こうと走り出した。

 危ない……!

 僕の蒔いた種だ、助けなきゃ駄目だろ!

 咄嗟に思う僕と裏腹に、思考では何処か大丈夫だろうという気があったのか僕の身体は理性に抑え付けられていた。

 何となく、少女の予想が付いていたんだ。

 

「ホント、お姉様は正しいのね」

 

 溜息混じりに小さく少女が呟いたその時。

 

 男の持っていたナイフが、何の前触れも無く折れた。

 キン、と刀と刀で斬り合ったような金属音が鳴り渡ると、空中で鋭い刀身が蛍光灯の光を反射し、クルクルと回りながら甲高い音を立てて折れたナイフの刀身は床へと転がり、僕の1mほど脇へと投げ出された。

 

 ……一体、何だっていうのさ。

 こんなの非常識だ。

 改めて見ても少女の手には何も無い。完全に無手。

 なのに魔法みたいにナイフの刀身は折れた。クッキーを2つに分けるより簡単に、ポキリと。

 

「なっ……!」

 

 驚いたのだろう。

 男は走っていた足を急激に止めようとしたせいか、そのまま足が絡まってバランスを崩した。顔面が思い切り地面へと吸い込まれ、骨とフロアタイルとがぶつかる鈍い音が周囲に木霊する。

 

「残念。ボムの用意が疎かだったわね。残機はゼロ、あなたはコンティニュー出来ないのさ。……なんてね?」

 

 言って、少女は洗面台に置かれていたトートバックを弄ると帽子を取り出す。

 ふんわりとした、ドアノブカバーみたいな帽子。

 その奇っ怪な形状に帽子と呼んで良いのか分からない、だけどそれ以外に呼びようがないから帽子。

 

 

 僕は、その帽子を知っている。

 

 

 少女は手に持ったそれを無造作に頭に乗せると、コチラへと向き直った。

 

「古明地さとり、よね?ちょっとお姉様が呼んでるから来て貰える?」

 

 ───フランドール・スカーレット。

 紅魔の妹。気が触れた紅。

 少女は出口の方を指差すと、用済みとばかりに帽子を脱ぎ去った。

 

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

 

 男は呼んだ警察に捕まえてもらった。

 と言ってもその場を見たわけじゃない。フランの姉が既に110番してたらしく、トイレから出て直ぐに警官とすれ違ったのだ。

 罪状は恐らく危険物所持だけになるだろう。何せ僕たちは時間が惜しいからとあの場を早々に抜け出したので、つまりは警官に事情を説明してない。だから暴行未遂とか殺人未遂とかは無かったことになる。

 

 あんな奴がいるなんて危ないけど、でもそのせいで時間を取られるのも何だか癪だ。

 それに目の前を歩くフランのことも気になる。

 お姉様と彼女は言っていたから、恐らくレミリア・スカーレットもいると見て良い。

 ……この現象は、姉妹じゃなきゃいけないみたいな縛りでもあるのだろうか?

 んな訳ないか。アホらし。

 

「はぁ……。先程はありがとうございます。スカーレットさん、で良いですか?」

「フランで良いわ。あなたこそさとりで良いの?」

「好きに呼んでください」

「じゃあさとりね」

 

 あっけらかんとフランは口にした。

 ……それにしてもさっきの攻防。

 ナイフをいとも容易く薔薇を手折るかのように壊したあの力。

 本来なら、あんな程度じゃないはずだ。

 以前として前を進むフランの背に僕は目を向ける。

 ゲームの弾幕ごっこだと大して活用されてないけど、設定だけ見ればフランの能力は驚異的かつ脅威的だ。

 ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。

 それは物であれば、何であろうと破壊することが可能というチートみたいな能力。

 概念的には型月の直死の魔眼と似た原理であるらしい。曰く、物には全て目が有ってそれを潰せば物が壊れると。

 

 でも。

 それが、ナイフが折れる程度で済むものなのか?

 隕石すら破壊し得る能力なのに?

 ……そんな訳がない。

 能力のデチューンは、フランにも適応されていると考えても良いのだろう。

 

「……貴方も、憑依なのね」

(……え、何で分かったのこの妖怪!?)

「なるほど……やはり」

 

 心が自然と流れてきた。

 全く、妖怪はお互い様だろうに。

 いやヴァンパイアみたいな西洋妖怪は日本の妖怪とは違うのかな?まあいいか。

 とにかくフランが憑依であるのは確定だと思う。

 

「"そういやさとり妖怪って心読めるんだった!"…………はい、その通りです」

「"喋りづらいから止めてほしい"…………すみません、この能力はパッシブで発動するので私が意識して止めることは出来ないんです」

 

「やり辛いわ!心を読むのは構わないけど読んだ言葉を一々口に出さないでくれる!」

「ふふっ、そうですね……」

 

 ちょっと楽しくなってしまった。

 ウチのこいしは心読めないし、気付けばどっかに消えてるからこういうのは何だか新鮮味がある。

 

「……そう言えば。さっきの前口上って何ですか?」

「前口上?」

「はい。これが人間……飲み物以外で見たことなかったけど……とか。あなたがコンティニュー出来ないのさ!とか」

 

 あの時は雰囲気も相まってさながら物語の登場人物(実際そうなんだけど)に見えたけど、フランはフランでも中身は普通に人間のはず。

 フランは「あ〜」と思い出したくない事を引っ張り出されたかのように、端切れの悪い声を出した。

 

「アレね。ほら、あなたも知る通り私ってフランドールじゃない?」

「そうですね」

「ああ言っておけば多少はあのオタクも怯むかなって……まあこの姿じゃ効果無かったけど」

 

 そう言って照れくさく顔をほんのり赤らめた。

 もしその姿が少女のものじゃなくて悪役レスラーみたいなおどろおどろしい男のものだったら得体の知れなさから恐怖感があったことだろう。まあその考えは分かる。超分かる。一理あるよね、うん。

 

(……ってのは2割くらいで、本当は原作のフランみたいに格好良い言葉を言いたかっただけだけどね)

 

 ───でも、もう(さとり)の能力を忘れたのかな?

 心は素直で結構。うんうん、分かるよ、分かる。大いに分かる。あんな状況になったらロールプレイしてみたくなるよね。実際。

 

「……なに唐突にニコニコしてるの。気色悪いわ」

「いえ、お気になさらず。あと一つ、お聞きしていいですか?」

「……うん、別にいいけど」

「何であの場にいたんですか?」

 

 そう言ってフランの表情を伺うけど、変化はない。

 あの時、あの場にいるのは幾ら何でも都合が良すぎる。まるで未来を知っていたのか、或いはマッチポンプでも仕掛けたのかと勘繰るくらいには。

 

 フランは井戸端で世間話でもするみたいにあっさりと唇を動かした。

 

「あ〜そんなこと?簡単よ?お姉様の能力で、あなたの運命が視えたの」

 

 一言で僕は合点が行った。

 レミリア・スカーレットと言えば、語るに外せないのは運命を操る程度の能力だ。

 その名の通り、運命を操る程度……らしいけど実態は不明だ。何せ東方作品内で明確に使用された事が無いのである。

 恣意的に運命を操れるのか、それとも未来予測程度の事しかできないのか……その辺りも分からない。

 最も今までの経験則から能力がチューンダウンされているのであれば、大掛かりな事は出来ないと見て良いのだと思う。

 …………にしても他の能力に比べてやっぱさとりの能力って微妙じゃね?とか思っちゃったのは秘密である。運命だとか全てを破壊だとか、紅魔御一行が中二的かつ強すぎるだけかもしれないけど。

 

 そこはかとなく自信喪失していると、不意に頭に元気にクレープ屋へと向かった少女の事が浮かび上がった。

 

「……あ、こいし忘れてた」

 

 

 

 

 

 フランに事情を説明して、フードコートに戻るとこいしはさっきまで座っていた窓際の席に座って不満げにクレープを食むっていた。

 目蓋には涙が微かに浮かんでいて、僕の姿を発見するとクレープをテーブルに置いた。

 

「お姉ちゃん!何処行ってたの!」

「ごめんなさいこいし。ちょっと、色々有ったのよ」

「ちょっとって何よ!?しかも横の女の子は何なの!?彼女?彼女なの!?」

「落ち着きなさい。こんな少女に手を出そうものなら私は捕まってしまうわ」

「えー。それあなたが言うセリフ?」

 

 心外とばかりに横目で見てくるフランを無視しながら僕は席に座った。

 こういう時、先ずは紹介からだろう。

 ヤバい人に襲われたとかこいしに話すわけには行かないしね。

 

「紹介するわ。こちら紅魔郷のフランドール・スカーレットさん。それでフランさん、こちらが私の妹の古明地こいしです」

「フランドールだよ、よろしくね?」

「え、フラン?東方紅魔郷のExで私を苦しめたフラン?」

「違うわ。それは分身よ」

「な〜んだ。そうなの」

 

 おいフランドール。

 面倒臭いからって適当言って躱そうとするな。純粋なんだからねウチのこいしは。

 

「私は古明地こいし。ねえ、一緒に遊ばない?」

「良いわね!……でもその前にアイツの頼み事聞かなきゃいけないから」

「残念。じゃあその後で良いわよ」

「何やる?弾幕ごっこ?」

「ここでやるの?」

「やっぱ止めるわ。お姉様が五月蠅いもの」

 

 そもそも君達弾幕ごっこ出来んの?とか思ったけど口には出さない。出したら負けな気がした。

 にしても、現実になろうとレミリアのカリチュマっぷりは健在みたいだ。普通にアイツ呼ばわりされてる。相変わらず舐められてるなぁ、それともフランが舐めてるのか。まあ会えば分かる話か。

 

 これで、4人。

 古明地さとり、古明地こいし、フランドール・スカーレット、レミリア・スカーレット。

 現実ではなんの関連性も無く、作品内でも姉妹という点を除いてはなんの相関性も無いキャラクター。

 徐々に、真相に近づいている気がした。

 

 




本編で説明するか分からないので書いちゃいますが、フランはシャツとロングスカートの下に頑張って虹色の翼を畳んで隠しています。

次回:れみりあ


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問9:空気中の音速を340m/sとする。カラオケの一室から情熱的に歌った際にエレベーター内で聴こえるまでの時間を求めよ。また部屋からエレベーターまでの距離は495mとする。

沢山の感想評価めっちゃ嬉しいです。ありがとうございます。

あとがきにかなり大事な事が書いてあります。



 大量の服を片手にショッピングモールから出ると、僕とこいしはフランに連れられて駅方面へと歩いていた。

 まだ買い足りないものがあったりするけどその辺は後でも大丈夫。それよりこっちの用件のほうが先だ。

 僕たちはこの現象に何一つ手掛かりを見つけられていないけど、僕やこいしと比べて強大な能力を持つレミリアなら何か掴んでいるかもしれない。進展するかもしれないのだ、この現状から。

 

「フラン〜。どこ行くの〜?」

 

 こいしは前髪を弄りながら、気怠げに口を開いた。

 

「後もうちょっとだから」

「ちょっとってどのくらい?」

「ん〜5分」

「ホント?」

「ホントよホントよ」

 

 フランは振り向かずに適当にいなす。

 歩いている内に景色は駅前通りのものに変化していた。ショッピングモールへと至る入口に当たるこの通りは見てみてもあまり大したものがない。個人の商店やチェーンの飲食店、あとはネカフェやらこじんまりとしたゲームセンターやら。極めて普通の街並みだ。

 僕はそんな風景に溜息を溢しつつ、フードが外れない程度に空を仰いだ。

 日は既に沈みきり、陽の余韻が残る天空は深い藍色へと移ろっている。あと1時間もすれば夜は更けて夜が空を染めるだろう。

 帰宅客で賑わう通りを前1人、後ろ2人のフォーメーションで歩く。

 

「……何だか私たち、注目されてない?」

 

 こいしは周りを少し警戒するように目を細めて呟いた。

 訂正するなら注目されてるのはフランと僕であってこいしは例の如く認知されてない。

 冷静に考えよう。

 ヘンテコなシャツを着てデカいマスクを着用する金髪の少女に、デカい黒パーカーを着て俯きがちに歩く僕。

 注目されて当然だった。

 この場合「あれ、何か変な女の子たちがいるなぁ」みたいな感じだろうけど。

 

「着いたわ。ここよ」

 

 唐突に足を止めて、フランは視線を右手の建物へと向けた。

 それに釣られて首を回すと、そこにあったのは5階建ての古色蒼然としたビル。店頭に出ている綺羅びやかなネオンで囲われた看板を確認すれば端的に、カラオケ屋だった。

 

「……フランさん、歌うなら日を改めた方が」

「違うわよ。……全くお姉様は何でここを合流地点にしたのかしら……?」

 

 ブツブツ言いながらも自動ドアを潜っていくので慌てて置いてかれないよう着いていく。

 中では受付係がカウンターの奥でスマホを弄りながら突っ立っていた。やる気無いのがストレートに伝わってくる勤務態度だ。

 店内は一見して少々小汚い風貌で、全体的に暗い雰囲気だ。少なくとも景気の明るそうな店ではないね。

 フランがカウンターの前に立つと、漸く気づいた店員はスマホから目を話した。

 

「らっしゃませ〜」

「フランドール・スカーレットよ。レミリア・スカーレットのいる402号室に通してもらってもいいかしら?」

「……あ、はい。お連れさんですね。確認取れたんでいっすよ〜」

「ありがと」

 

 雑過ぎない?

 小学生の家のお手伝いだってもっと真面目に仕事するからね?

 

 この店の適当さ加減に戦慄しつつほぼ顔パスで入ると、短い廊下の先にあったエレベーターのボタンを押した。

 何処かぎちぎちと不安な音を立てながら開くエレベーターの扉に内心乗りたくないなぁと思いつつ敷居を跨ぐ。

 エレベーター内部も壁に貼り付けられた防音シートのようなものが剥がれかけていたり、中で注文できるメニューの書かれたポスターに落書きされてたりとまさに荒れ放題。ドラマだったらヤンキーの溜まり場にでもなってそうな程のアングラ感が醸し出されている。

 

「……大丈夫ですか、ここ」

「問題ないわ……多分」

 

 案内してる本人が食べたパンに百円玉が入っていたみたいな、飲み込めない表情しちゃ駄目だと思うんだ。

 と、不安そうなフランの声音に危惧していたらこいしに服の袖を引っ張られた。

 

「お姉ちゃん、ここ何?」

 

 そっか。こいしはこういう店にも来たことが無いのか。

 

「カラオケよ。歌を歌って喉を鍛えたり社会人が飲み会の終わりに「じゃあいっちょ二次会やりますか!」と言って特に何の憂慮もなく安直に選ばれることの多い場所よ」

「へ〜」

「なにその偏った知識……」

 

 因みに僕は前者でのみの利用しか経験がない。

 喉を使わないとちゃんと喋れなくなるんじゃないかって懸念があるんだよね。これが引きこもりの性だったりする。

 

 チーン、と軽い電子音と共に再び重々しく扉が開くと微かにヤニ臭い空気が流れ込んでくる。

 カラオケルームは防音とは言っても完全ではない。

 このフロアにあるのはパッと見だと5部屋程度で、そこから色んな音が発せられていた。客がいる部屋もあるけど、大方勝手に流れてるデモ映像だろう。店内放送も相まってパレットに全色出してサラッと一回筆で撫でたような混沌とした喧騒感にげんなりしながらエレベーターを降りる。

 

「402……402……あったわ」

 

 フランの歩いていく方向に、遠目に402と書かれたプレートが曇りガラスで出来た扉に掛かっているのが見えた。

 近づくに比例して402号室から流れる音楽が鮮明に聞こえてくる。

 

「これは……」

 

 思わず口から突いて出てしまう。横ではフランが頭を抱えていた。

 聞き覚えのあるメロディー。

 これは……亡き王女のためのセプテットだ。

 だけどこの歌はそのボーカルアレンジ。

 シンセサイザーが激しく鳴り響き、落ち着きがありながらも高い歌声が部屋から漏れ出て鳴り響く。

 

 東方Projectはキャラも人気があるけど道中を飾るBGMも幻想的で、同人で挙ってアレンジされるレベルだ。中でも東方紅魔郷は旧作を除けば最初のナンバリング作品で、滑らかで上流貴族を思わせる亡き王女のためのセプテットや幻想的かつ猛々しいトーンのU.N.オーエンは彼女なのか?などを筆頭に、そのBGMはゲーム自体が2002年に発売されたにも関わらず今でも多くのサークルがアレンジして東方例大祭やコミケなどで頒布している。

 

 今部屋から聞こえるのもそんなアレンジの中の一つ。

 防音壁で隔てられてても尚、ノリノリで熱中して歌っているのが丸分かりだ。

 

 呆れるようにフランはやれやれと頭を横に振りながらドアを押した。

 

「お姉様、連れてきたわ」

 

 ドアが開いたことで曇りガラスでぼんやりとしていた容姿の輪郭がくっきりと映し出される。

 中には少女がいた。

 湖に染めたような銀色の癖っぽい髪は肩まで伸びていて、真っ赤な瞳は真ん丸と広げられ、その手はマイクを斜めに持ったまま再生停止ボタンを押されて止まってしまったみたいに微動だもしない。

 服はフランと似たような感じだ。

 大きめのTシャツにロングスカート。フランと違ってシャツには何も書かれてない。

 

 レミリア・スカーレット。

 帽子も被ってないし服も違うけど、間違いない。

 

 ノリノリでヒトカラしてる途中だったようで、レミリアは針で突いた風船みたいに息が漏らす。依然音楽は鳴り止まず、激しいアニソン系の電子音が無情がスピーカーから放出される。

 

 空気が凍っていた。

 

 ガチガチガチ、とレミリアは錆の浮いたブリキ人形みたいな動きでフランの方へと向いた。

 本当にもう、何も分からないんだけどこの状況、とでも言いそうな青褪めた表情を貼り付けて訥々と喋り始める。

 

「ふ、フラン?カラオケ入る前に、メール送ってって言ったわよね?」

「え?あ〜そう言えば言ってたわね。ごめんお姉様」

「ちゃんとしてよフラン!どうすんのよこの空気!?私の株価がストップ安よ!?」

 

 備え付けられた端末の楽曲停止ボタンを連打しながら言う。

 なるほど、このレミリアはカリスマ(笑)の方だったかぁ。

 半目で見ているとこいしがボソリと呟く。

 

「……お姉ちゃん、レミリアって面白いのね」

「コラこいし、紅魔館のトップよ。一応"さん"を付けなさい。」

「え〜でもあの人、なんか"さん"って感じがしないわ」

 

「ほら見なさい!私、初対面の幼女に舐められてる!しかもその地霊殿の当主みたいな奴にも"一応"とか言われてる!」

「でもお姉様、実際レミリアを象った何かだし一応で合ってるわよ?」

「そりゃそうだけど!って言うか何かって何!?私たち本当の姉妹よね!?」

「スカーレット姉妹なんだから当たり前じゃん」

「そうじゃなくて!実際に血縁関係あるでしょうが!」

「お姉様煩い、さとりとこいしに迷惑よ」

「うぐ…………!何この私が悪いみたいた感じ……!」

 

 心を読むまでもなくレミリアはこんな感じっぽい。

 どうやらこの2人、紅魔のみならず中の人も姉妹同士らしい。思わずこいしと目と目が合う。

 

「お姉ちゃんも私と姉妹だからね」

「いや違うわ。違うから」

 

 ここぞとばかりに僕の肩を抱くのは止めてほしい。なんで対抗意識出してんのさ。勘違いされるでしょうが。

 

 コホンと、レミリアは場の空気を入れ替えるように咳を一度する。

 

「さて、貴方達が来るのを待ってたわ」

 

 うわ。無理矢理流れを持ってこうとしてる。

 外れた関節を力任せに戻すくらい無理矢理正話を正そうとしてる。

 

(お願い……!これに乗ってくれないとまたドリフが始まっちゃうし私の財布が延長料金で終わっちゃうから……!!)

 

 流れてきた心に思わず溜息をついてしまう。

 この後に及んで財布の心配って……まあいいけどさあ。レミリアも中身中学生かも分からんし。

 このままだと一生駄弁ってしまうのも容易に想像が付く、仕方ないから乗ってあげるか。

 

「初めましてレミリアさん。私は古明地さとりです」

 

 名乗ると、頷きながらレミリアは自分の顎を撫でる。

 

「知ってるわ。地霊殿の主よね?私はレミリア・スカーレット、紅魔館の当主よ」

「そして私がフランちゃん」

「私はこいしだよ」

「はいはい。妹組はあっちで遊んでなさい」

 

 ちぇ、とフランは舌打ちしながらカラオケルームの座ってた場居の反対側に行ってこいしもそれに続いた。

 紅魔で一番怖いのあの子じゃないの?性格的にも。狂気は無いけど何か地味にグレてる気がする。

 

 横目で2人の姿を見つつ、僕は座ると机に腕を置いた。冷房で温度が下がっていて、触れると腕がヒンヤリとする。

 

「本題に入る前に1つだけいいですか?」

「いいわよ。どうぞ?」

「先程は助けて頂いてありがとうございました」

 

 僕は頭を下げた。

 もしレミリアが運命を紐解いてくれなかったら今頃どうなっていたか、想像したくない。あの男のことだ、真っ当な手段で僕を連れ去ろうだなんて思わないはず。それこそアニメじゃないけどクロロホルムみたいな危ない薬物を使ってきてもおかしくなかった。

 

「別に良いわよそのくらい。私は視ただけ。実際に運命を縫い合わせたのはフランよ」

「いえ、それでも貴方がいなければ私は五体満足ではなかったでしょう」

 

 ひらひらと手を振るレミリアの真紅の瞳を見つめる。

 やがて観念したように、はぁ、と息を漏らした。

 

「分かったわ……強情ね。互いの納得の為に貸し1つ、ということにしときましょう。この話はそれで終わり。貴方もそれで良いわね?」

「はい。異存は無いです」

「なら本題に入りましょう。私が貴方を呼んだ理由よ」

 

 ドリンクバーから持ってきたのか、レミリアはストローの刺さったコーラを片手に混ぜながら口を動かす。

 

「用件は3つ。1つに情報共有、1つに協定締結よ」

 

 なるほど、まあ予想内の提案だ。

 こうして同じ身の上になっちゃってる訳だから2つとも提案してくる理由の妥当性は叶っている。

 ただ協定締結というのは中身が些か分からない。

 

「……前者は分かりました。しかし後者については細部の確認をしなくては承諾出来ません」

「そうねぇ……丁度良いわ。明文化してなかったから今ここで作っちゃいましょう」

 

 そう言うとレミリアは壁に貼り付けてあったチラシの角を掴むとセロハンテープを無視して強引に破り、それからビリビリに剥がしたチラシを裏面にひっくり返した。

 

「あの。それ、良いんですか?」

「良いのよ。そういう店だもの」

 

 どういう店なんだ。勝手に貼ってあるポスターをメモ用紙にして良いとかどういう店なんだ。

 混乱しつつも当然のように懐から出したペンで書き始めたレミリアにまあいっかと流すことにした。

 

 特に悩むこともせずレミリアは口火を切った。

 

「まず、これから毎日密に連絡を取り合うってのはどうかしら?」

「良いんじゃないでしょうか」

 

 僕は間を置かずに肯定した。

 賛成だ。

 これからどういう局面に陥るか分からない以上、逐一情報の共有化は図った方が良い。

 レミリアは僕の言葉に首を縦に振ると、ボールペンでサラサラと書き記す。

 

「決まりね。貴方からは何かあるかしら、古明地さとり」

「そうですね……。相互防衛という条項を取り入れるのはどうでしょう」

 

 マイクでチャンバラし始めたこいしとフランに注意しつつ、僕は口にした。

 相互防衛。

 もし一方が第三者から襲われた場合、もう一方は襲われた方に加勢するというものだ。日本とアメリカが批准している条約にもあったりする。

 

 レミリアはそれを聞いて、難しく眉を顰めた。

 

「それ、貴方達に有利な条件じゃなくて?私とフラン、特にフランは戦闘に秀でた能力を持ってるわ。比べて貴方達にはそれに値する能力が無い。貴方は心を読む能力、妹の古明地こいしは無意識を操る能力。どちらも戦闘に役立つとは到底思えないわ。結果的にその協定を共有した場合の負担は此方に偏っている」

「勿論此方も把握しています。ですから、もう1つ加えたい条項があります」

 

 冷静に舌を回す僕に怪訝そうに首を傾げる。

 

「条項、ねぇ。聞くだけ聞いてあげるわ」

「積極的な情報開示です」

「それは情報共有とどう違うのかしら」

「私とこいしが得た情報は全てそちらにお渡しします。前者との相違点は、渡す情報の選択権が此方には無くなるという点です。無論そちらは渡す情報を吟味されて構いません」

「……つまり。情報と武力を交換したい、と」

「その通りです、レミリア・スカーレット」

 

 レミリアは眉間に皺を寄せながら、ストローでコーラを吸った。

 僕達に足りないのは防衛力だ。

 先の襲撃を思い出せば分かるように、僕もこいしも襲われたら抵抗する術がない。勿論催涙スプレーだとかスタンガンだとかを携帯していればその限りじゃないけど、それ以前に。

 そもそも僕達に敵がいるとして、その相手はそんな人間然としたものなのか。

 

 さて、レミリアはこれを受け入れるだろうか。

 レミリアの思考はグルグルと回転している。地頭がかなり良いみたいで、あっちこっちと突拍子も無く場合分けされたシーンに思考が飛ぶせいで僕では付いていけない。

 

 客観的に考えて、この取引で重要なのは信頼関係だ。

 情報を全て渡す。言葉にすれば簡単だけど、この取引には信用リスクが常に付き纏う。即ち僕が一部分の情報を隠蔽して「これで全部です」とレミリアに提示することが出来るという事で、レミリアからすれば僕が裏切る可能性も考慮しなくてはならないのだ。

 その場合楔になるのが信用。

 僕が正々堂々、取引を果たすのをレミリア信じなくてはならない。つまり僕にイニシアチブがあると言って良い。

 その優位性をどうレミリアへと移転させるかが鍵となる。

 ここはこの交渉のターニングポイントになる。

 僕は悟られないように気合を入れ直した。

 

 一定の思考を終えて、レミリアは俯いていた顔を上げた。

 

「貴方がこの約束を反した場合、私はそれを観測する術が無い。これは不合理じゃなくて?」

「……レミリアさん。貴方は運命を操る程度の能力を持っていますよね?」

「突然何よ?」

 

 僕は第三の目がある場所を服の上から撫でながら、乾かぬ間に舌を回す。

 

「貴方は未来が多かれ少なかれ視えているのは分かっています。それは世界線の分岐の瞬間も例外ではないのでは?」

「……なるほど。つまり私が能力を使って、そこで観た未来の貴方が出した情報の数にブレが生じていたり情報の質に差がある場合は容赦無く切っても良いと?」

「はい。私は旧地獄の管理者、そこには鬼だって沢山います。知っていますか?鬼は嘘に五月蝿いんですよ?」

「それは『古明地さとり』の話でしょ。貴方じゃない。加えて問題の解決にはなってないわ。貴方が元々騙す気なら分岐点など発生する道理が無い。よって私は契約不履行を感知出来ない」

「それは、私を信じて下さいとしか言えません」

 

 その言葉にレミリアは再び考え込む。

 前髪を触りながら、天井に備え付けられたミラーボールを凝視している。

 正直、手札は出し切った。

 僕が裏切らないという完璧な確証をレミリアに与えることは不可能だし、その疑念をどうにか和らげるので精一杯。

 最初からこの提案を蹴るか受けるか、レミリア次第なのだ。

 

 長い沈黙。

 フランとこいしが会話してる最中にも、思考が加速する。

 

 ミルクみたいに白い僕の首筋に一筋の汗が滴った時、レミリアは髪をガシガシと掻いた。

 

「う〜もう考えてもしょうがないわ!貴方はこの前まで一般人だったはずだし、私達を裏切って得られるメリットも無い!」

 

 自分を納得させるように呟いて、コチラへと視線を送った。

 

「オーケー分かったわ。認めましょう、その条項」

 

 

 




 次回からの内容に大きく関わることです。少しだけネタバレ含みます。

 非常に話しにくいことなので決めてからも伸ばし伸ばしにしていたのですが、このお話の世界での東方Projectシリーズ一連の製作者はZUN氏ではありません。次話以降の内容ですが、先に言ってしまうと製作者は不明と言うことが広く認知されています。
 何故このような設定になってしまったのかと言うのはネタバレになってしまうので控えますが、この作品の根幹に関わる点になる予定なので完結させるにあたって変えられなくなりました。
 不快であったり受け入れ難いと感じた方は申し訳ございません。
 




キャラクター紹介

・古明地さとり
可愛さに惚れてゴスロリ服を買ってしまった中身男子高校生。女装趣味は今も昔も無い、はず。カラオケは人並みクラスに下手。

・古明地こいし
フランに対して物凄い親近感が湧いている。それと同時にさとりの妹だという自覚が増して、その地位の維持を企む。カラオケはやったことないがアカペラは上手い。

・フランドール・スカーレット
新キャラその1。憑依初日に、あらゆる物を壊す程度の能力の実験中に誤ってお気に入りのフィギュアを粉々に砕いてしまってから自分の部屋では使わなくなった。レミリアの中身の本物の妹。

・レミリア・スカーレット
新キャラその2。ネットサーフィンをしていたら偶然さとりが写ったパパラッチ写真を発見、運命を視てみたら本物と判明。何者かにショッピングモールに襲われるという事は分かっていたのでフランを行かせた。その足で密談場所を抑えにヒトカラに行く。前回の功労賞。


次回:情報共有


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問10:質量Nの物体Fを地面から100mの位置から初速α、加速度gで投げ上げた場合の最高点の高さを求めよ。ただしこの物体は空を飛べるものとする。

場面が全然移らない……。
長くなりそうなので無理矢理途中で区切りました。


「ありがとうございます」

 

 内心ホッと息をつく。

 大きな成果を得たと思う。これでフランという武力的な後ろ盾を僕達は得ることに成功した。

 

 ───何でこんなに回りくどいことをしたのか?

 直接フランに頼めば「そんなこと?別に良いわよ?」とはにかみながら八重歯を覗かせて快諾するかもしれない。そしてその場面が来たらちゃんとその口約束を果たすかもしれない。

 でもそれじゃ駄目なんだ。

 世の中ギブアンドテイクで出来ていて、提供した労力の分がちゃんと返って来ないと信頼関係がいずれ破綻する。トラブルが起こる。

 僕はそう思ってるし、基本的にそう考えてる。

 だからこそ対価を明確にして、先の憂いを経ったのだ。

 

「全く……無い腹を探すなんて辛い立場ね」

「同感です」

「貴方は人の腹を読む側でしょうに……まあ良いわ、続けましょう」

 

 その時、ピロロロロッ、と壁に備え付けられた内線電話からけたたましい音が鳴り響く。

 時間ね、と言ってレミリアは一瞬何か苦いものでも口に含んだような嫌そうな表情を浮かべて受話器を取ると、数言ほど言葉を交わして直ぐに受話器を戻した。

 

「大丈夫ですか?」

「え、ええ。問題無いから続けましょう」

 

 微妙に鼻がかった声でそう答える。

 

「分かりました。改めて協定の話に戻りましょう。他に何かありますか?」

「私からは後1つ、あるわ」

「……何ですか?」

 

 強調するように区切って言ったレミリアに僕は視線を投げ掛ける。

 その神妙な顔付きに、僕も更に真剣にならざるを得ない。

 

「確認として、私達は東方Projectのキャラクターに先日突然なってしまった。それは同じよね?」

「はい。朝起きたら、既にそうでした」

「ある物事が変化するときには必ず理由があるわ。森羅万象、それだけは絶対よ。だからこそ、今大事なのは何故、じゃなくて誰がこの現象を起こしたのかなの」

「誰が、ですか……」

 

 そこに察しが付いていれば僕も苦労していない。

 誰がなんて検討が全く付かないし、判断材料が1つもないからこそこうなってるのだ。

 真紅の瞳はそんな僕の思考を見通すかの如く、槍みたいに僕の身体を貫いた。

 

「確かにこれは超自然現象だわ。普通の人間には到底無理な所業なのは自明の理。しかし私は何かしらの理由があると仮定しても一貫して東方Projectのキャラクターである必要性は皆無だと思うのよ。全員そうなのかは分からない、でもここに集まった四人は少なくとも東方キャラ。偶然よりも必然を疑った方が早いわ。だから東方キャラで統一されている、そこに何か取っ掛かりがあるのよ」

 

 そう言ってコーラを啜った。

 カラン、氷がグラスに当たって転がる音が部屋に響く。

 

「東方キャラで統一されている……。何かしらの目的を果たす為には東方キャラでなくてはならない、または東方キャラしかこのような憑依現象の条件を満たせない?」

「ええ。違いないわ」

 

 個人的には後者ね、と付け足すようにレミリアは口にする。

 しかし分からない。東方キャラであるのが必要条件だろうと十分条件だろうと、動機が不明過ぎる。

 例えばもし好きなキャラを現実に呼びたいとかならば、僕の近くに元凶がいなくては説明が付かない。

 

「まあ目的なんてこの際どうでも良い。問題は、誰がやったか。……私が思うに一番怪しいのは、結局はこのゲームの製作者なのよ」

「製作者……ですか」

 

 ピンとは来てないけど、口で噛み締めるみたいに言えば何となく関係している気がした。

 

 東方Projectの製作者、その正体はこのゲームの人気さに反比例するくらい不明だ。情報は皆無と言って良い。

 イベントでは一切姿を見せず、ブースでは売り子が一人で捌くのがいつもの光景。取材も拒否し、完全にベールで覆われ尽くされた人物。

 博麗神社から肖って神主と便宜的に呼ばれてるけど、その正体を知るのは売り子しかいないと言われている。

 

 製作者ならばまあ、東方という枠に拘る理由がありそうな気もする。気がするだけで何一つ確定的な事実は無いんだけど。

 

「確かに……分からない話ではないですが」

「私だって半信半疑よ?でも手元にある情報から推測するのはこれが限界なのよ。で、ここからが協定の話になるわ」

 

 コトン、とグラスを机に置くと両方の指を絡めて肘を机に乗せる。

 

「貴方達には東方例大祭でその辺りを探ってほしいのよ。確信を得る為にね。その間に私達は仲間を探す。要約すれば、東方例大祭において私達は共同作戦を行う、これが3つ目の協定よ」

「良いですよ」

「……ヤケに返事が早いわね」

「元々行くつもりでしたから」

 

 ペンを走らせると、レミリアは紙を手に取り満足げに自分の書いた文字に頷いた。

 

「なるほどね。まあ、私からは以上よ」

「私も無いです。では、協定はその3つということで宜しいですか?」

「異存は無いわ」

 

 カチッ、とペンを仕舞う音。

 これで大体、話すことは話したと思う。

 

 ……いや、1つ残ってることがあったな。

 

「レミリアさん。用件は2つじゃなくて、3つでしたよね?」

 

 情報共有と協定締結で2つ。

 ……じゃあもう1つは何だろう?

 レミリアは吃りながら肯定する。

 

「え、ええ。そうだけれど……」

「"延長料金で遂に支払い金額が財布の総額を越しちゃったから不足分払ってほしい"…………ですか。ええ、そうですか」

 

 流れてきた思考を紐解けば、随分現金な事実が明らかになった、

 この似非ロリ吸血鬼、あろうことか最初の時点から僕に支払いを押し付ける気満々だったみたいだ……!

 

「こ、心を読んだわね!?この人でなし!鬼!」

「鬼は貴方でしょうに……」

 

 辟易とした気分になって、溜息を吐いた。

 払うのは別に良いよ、良くないけど許容するとして。

 

「この状況も運命を操って出来たもの……だったりしないですよね」

「そ、そこまでしないわよ。それに私の能力にそこまでの力は無いわ。出来るのは精々不確定の未来を見通す程度。鮮明に見える時間距離は1時間以内に限定されてるのよ。それ以上の未来を見ようとすると汚い川を泳いだみたいに先の景色が曖昧模糊に濁ってピントが合わないからやらないわ」

 

 口を尖らせて言う。

 やはり能力のデチューンはされているみたいだった。誰が何の為に能力の制限を掛けているのかは分からないけど、今はありがたい。

 しかし1時間先までの未来を見通す、かぁ。

 ショッピングモールで僕が襲われる事を知ったのも1時間以内の話ということになる。

 

「まあ、支払いしてくれれば貸し借りは無しって事でいいわよ」

「はあ……そうですか」

「元々そういうのは好きじゃないしね、私」

 

 腑に落ちないけど、僕は頷く。

 結局お金で解決してしまった。貸し借りがイーブンになるのは確かに良いことだけど何となく小骨が喉に引っかかる感覚がある。

 レミリアは脱力するようにソファーにどっぷりと座った。

 

「用件2と3は終わりね。後は情報共有しましょ」

「……そうですね。まずはそちらの能力について知りたいです。具体的に、どの程度原作より性能ダウンしているのかを」

 

 あ〜それね、とレミリアは親しい友人にでも話しかけるかのような軽い声音で紡いだ。

 

「私の能力はさっき話した以上の事はないわ。フランに関してはまあ、ある一定質量以上の物は壊せないってとこかしら」

「一定質量、ですか」

「ええ。10kgを超えるものは破壊出来ないと言っていたわ」

 

 チラリと僕はこいしとトランプで遊んでいるフランのことを確認する。

 

 たった10kg。

 人間1人どころか、ちょっとした小動物すら壊すことも出来ない。

 ───それなのに、僕を庇うように男の前に対峙したのか。

 

「ま、そうは言っても実際はそんな法則有ってないようなもんね」

「どういうことですか?」

「貴方、仮に車がここにあるとしてそれが一つの物質から出来ていると思う?ボディー、エンジン、タイヤ、マフラー、シート。更にそれを分解すれば基盤やらネジやら、沢山の部品が出てくる。簡潔に言えば、世の中の有機物は単体が集まって構成されているのよ」

「その1つ1つを壊していけば、何れは大元も破壊されると」

「そゆこと」

 

 例え大きなものであっても、構成要素を破壊していけばそれほど時も要さず機能不全を起こす。タイヤに穴を開ければ車は上手く走れなくなるように、心臓の細胞をプチプチと壊していけば人間に不可逆的なダメージを与えられるように。壊せる。壊せるんだ、きっと。

 

 レミリアは金色の髪を見ると、目を細めた。

 

「あの子のそれは本物なのよ。過程は有れど結果は同じ。時間を掛ければ完璧な破壊も容易い、原作同様ね」

「なるほど……理解しました」

「じゃ、こちらからも質問良いかしら?」

「はい。どうぞ」

「貴方達の関係は何なの?見たところ仲が良いようだけど」

 

 僕とこいしの関係。

 ……正直、バッサリと言えば。同じ立場というだけだ。

 この状況が終了すれば、僕たちの数奇な巡り合わせも終わるだろう。

 

「……能力で分からないのですか?」

「分からないからこうして聞いてるんじゃない。心が読める癖に悪趣味ね」

 

 …………確かに。本当に知らないみたいだ。

 無難な言葉を掻い摘んで、たっぷり数秒置いてから息を吐く。

 

「私とこいしは姉妹ですが他人です」

「へえ、そうなの」

「今は一身上の都合もあってこいしは私の家に泊まっていますが、血は繋がってないです」

 

 面白そうにレミリアの口元は弧を描いた。

 

「貴方も変わってるわね、女の子のなのに他人を簡単に家に上げるなんて。見た目に沿わず温情深いのかしら、それとも善人志望?」

「私は男ですよ?」

「……………………………………え?」

 

 500年もの歳月を生きてきた幼い吸血鬼は、大層な時間を使って言葉にもなってない、吐息にも似た音を発した。

 ポカンと、何か理解できないものでも見てしまったかのように目を大きくする。

 心を読まなくても分かる。メチャクチャ動揺してる。

 

「お、男……?」

「ええ。今はご覧の通り少女ですけど……安心して下さい。こいしはちゃんと女の子ですよ」

 

 レミリアはカッと目を見開いた。

 

「へ、変態…………変態よ!変態じゃない!」

「ち、違います!?不可抗力ですから!」

 

 FXで全財産溶かしたような目をしたと思ったら急に糾弾され始めた件について。

 変態変態連呼しないでよ!ほら、脇で遊んでた二人がこっち向いてるから!

 気持ちは分かるよ?分かるけど僕の事情を慮って欲しいんだマジ。

 

「私だって好きでなったわけじゃないんですよ!それに私の本来の性別くらいパパっとその大層な能力で見通せば分かるじゃないですか!」

「能力で過去の事は見通せないわよ!運命っていうのは人の意思を超越してやってくる将来の吉凶禍福の巡り合わせの事を言うの!だから貴方がカマでも知らないわよそんなの!」

「カマじゃないです普通です!」

「え、お姉ちゃんカマだったの?」

「カマじゃない!」

「女の子が好きなの?」

「そうだけど違うわこいし!」

「じゃあ男が好きなのね」

「だから違うわよ!」

 

 こいしまで面白そうと思って乱入して来ないでよ!今めっちゃ面倒くさいんだからね!

 こいしが来たということは、つまりフランも側にいるということで。

 見てみれば、不思議そうに首を傾げるフランがこいしの後ろから出てきた。

 

「別に良いじゃない。男だろうと女だろうと。私もバイ(可愛い女の子好き)だし」

 

「「「………………へ?」」」

 

 間抜けに響く、疑問符の三重奏。

 ……今、なんか凄いことカミングアウトしなかった?

 

 フランは再び首を傾げながら「え?私そこまで変なこと言ったかしら?」

「……変というか、驚き十割と言うべきか」

「ふ、フラン?それホント?ホントのホントのホント?」

「お姉様、私は嘘を吐かないわ。それにここには便利な悟り妖怪がいるじゃない」

「古明地さとり!さっきの協定よ!フランの心を読みなさい!今!すぐに!」

「まあいいですけど……嘘をついてる気配は無いですね」

 

 レミリアすら知り得なかった真実に、今までの空気がガラリと変わる。

 僕としては恋愛対象なんて別に好きになった人を好きになれば良いと思うし、どうでも良いけども。そもそも恋愛したことないし。

 でもレミリアは違うようだ。

 現にブツブツと「フランが女の子のお嫁さんに……でも男に奪取されるのも嫌だけど……」とか言い始めた。普通に気味が悪い。シスコンかよこの人。

 

「お姉ちゃん、バイって何?」

 

 あ〜こいしには分からないよね。だよね。

 でもその穢れを知らぬ純粋無垢な質問は僕に効くから止めてくれないかな。いやホント。

 

「こいしにはまだ早いわ」

「へ〜。教えてフラン」

「男も女も好きになれる魔法の言葉よ」

 

 あのさぁ、人が折角飛んできた豪速球を受け止めようとしたのに無理矢理打ち返さないでよフラン……。

 人を好きになるのって奥が深いのねー、とかこれまた微妙にズレた事を言い出すこいしに肩を竦めつつレミリアの方を確認する。

 

「フランが同性と結婚フランが同性とハネムーンフランが同性と新妻生活」

「あの、レミリアさん……?大丈夫ですか?」

「私は大丈夫よ。ノーマルだもの。でもフランと結婚するかもしれないわ。だって私は長女だから。長女は妹の責任を取る責務があるのよ、長女だもの」

「ダメみたいですね」

 

 グルグルと目を回すレミリアの眼前で僕は手を振ってみる。反応が無い。ただのヴァンパイアのようだ。 

 

「レミリアさん、気を確かに持って下さい。フランさんはバイと言いました、即ちまだ決定的な同性愛者という訳ではないという事です。好きな相手次第で恋愛対象の性別が変わるということは、男と恋愛することだって十分考えられます」

「…………でもそしたらフランが男とくっつくじゃない。それはそれで嫌よ」

 

 うわっ、この人面倒っ。

 シスコンって初めて生で見たけどこんなに面倒なんだ。思わず一歩後退っちゃったまである。

 

 そんな本音(?)が聞こえたのか、フランはぶすっと顔を歪ませた。

 

「お姉様にとやかく言われる筋合いは無いわ。……大学2年にもなって処女の癖に」

「フラン!?そういう事を何で言っちゃうの!?」

 

 小首を傾げるこいしを尻目に僕は部屋の薄汚れた壁を見た。

 居辛い。こういう話題に着いてけないから曖昧に笑って誤魔化す。

 女三人集まれば姦しいとは言うけど、殊にスカーレット姉妹に関しては二人でも姦しい。

 と言うか大学生だったんだレミリア。なのにカラオケの延長料金すら払えないんだレミリア。

 

「言われたくないなら恋人の二人や三人作ればいいじゃない」

「そんなに出来たら苦労しないわ……ってそんな事どうでも良いのよ。話が逸れ過ぎよ全く」

 

 レミリアはマラソンを走りきったよりも深い疲れを見せながら溜息を吐いた。

 漸く元の話に戻れる。

 ……でもまた無関係な話に流れたら嫌だなぁ。

 一縷の不安を感じた僕は話の主導権を握るために口を開いた。

 

「他に何か聞きたいことはありますか?」

「他に、ねぇ……」

「さとりは彼氏いるの?あ、彼女か」

「いませんけど何か」

「ふーん。お姉様にピッタリじゃない?」

「フラン、その話題は終わりよ。終わり。真面目になさい」

 

 へーい、とフランは面白くなさそうに口を結んだ。

 レミリアにしては粗雑な言葉だ。本当に鬱陶しく思ったのだろう、シスコンだけど〆るところは〆るようだ。

 

「そういや貴方、今何歳なの?」

 

 思いついたかのように八重歯を光らせてレミリアは言った。

 身の上の話はあんまりして無かったね。どうでも良い身の上話は散々してた気はするけどそれはノーカンとして。

 

「今年高校生になりました」

「あら、存外に若いわね。一緒にワインでも飲もうかと思ったのだけど、如何かしら?」

 

 何で未成年と分かった上で誘ってくるのか。

 僕の中のレミリアのイメージが駄目大学生と凋落してきたのを声音に包みつつ、僕は喉を震わせた。

 

「遠慮します」

「つれないわね……。他に聞きたい事はない?」

 

 レミリアは目を細めながら緩慢に指を絡めた。

 聞きたいことと言われても……。

 粗方、現状に関しては共有出来たし能力についても理解した。他に知りたいことと言えば……。

 

「……そうです。貴方とフラン、実際血が繋がった姉妹なんですよね?」

「ええ。その通りよ」

「何で貴方達、互いにその姿の名前で呼んでいるんですか?」

 

 

 

 




本編よりサブタイで悩んでる。

次回:帰宅(の予定)


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問11:二国間協定とは何か簡易に説明せよ。またTPPについて古明地さとりとレミリア・スカーレットの会話を例に用いていて具体的に説明し、言及せよ。

やっと買い物編が終わります、長かった。


 口にしてみれば、余計にその疑問は風船みたいに膨らんだ。

 姉妹であるなら互いの名前で呼び合うはずなのに、フランとレミリアがガワの名前で呼んでいるのは何故か。想像を働かせても分からない。

 

 何でかレミリアはキョトンとした顔を張り付けて、それから思案するように俯いた。

 

「…………気付かなかった」

 

 強張った顔で、そう低い声で囁いた。

 

「……え?」

「気付かなかったの。気付かなかったわ!今指摘されるまで、私は微塵も疑問に思わなかった!」

 

 それ、は。

 頭を上げたレミリアと目と目が合った。紅の双眸と視線が交わる。

 部屋は空調で温度が保たれているのに、慄くようにその額からは玉の汗がツーと流れていた。

 幾許かその状態が続いて、何かを察したようにレミリアは虚空を見つめて、再び僕へと視線をスライドさせる。

 

「いや、もしかして……」 

「どうかしました?」

「貴方、自分の名前を言ってご覧なさい?」

 

 冷徹な瞳から繰り出された言葉に僕は分からないながらも、小声で紡ぐ。

 

「古明地さとりですけど…………!?」

 

 ───どういうことなんだ。

 僕は確かに本名を言ったつもりだった。

 綾辻廣弥(あやつじひろや)

 珍しい名字に、妙に難しい漢字の入った名前。

 でもそんな文字列は口から出て来ず、代わりに出てきたのは僕の良く知る架空のキャラクターの名前。

 冷たい手で心臓を鷲掴みにされたような、酷い不快感を覚える。

 

「……やっぱりね」

「これは……?」

 

 確信が練られたレミリアの物言いに、反射的に聞き返す。

 

「本名が、口から出せないのよ」

「何でそんな……」

「分からないわ。でも私の感覚だけで物を言うなれば、同一化が起きてるのかもしれない」

「同一化、ですか」

 

 ……同一化といえば。

 他人の感情とか行動とかを学習して、自己に取り入れ模倣し変容していく心理的過程のことだ。

 でも僕が、身体だけではなく精神まで古明地さとりになりつつある?

 

「そんなことが、ありえるのですか」

「さあ?分からないわよ……。あくまで推測よ推測、考え得る可能性の一つに過ぎないわ」

 

 つまらなそうに、はたまた物憂げな表情で、レミリアは前髪を捻る。

 

「ただ、私の口調がレミリアに寄ってるのもそのせいかもしれない。預かり知れぬところで同一化が進行してるという仮説を否定する材料は私達には無いわね」

「……では、この状況を放っといたら本当に外見通りのキャラになると?」

「それこそ分からないわよ。しかしまあ、もしそれが真なら私達にはそう多くの時間は無いでしょうね」

 

 その為の協定よ、そうレミリアは窓越しに浮かぶ月に語りかけた。

 

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

 

 微妙に高いカラオケ料金に涙目になったレミリアを哀れんだ僕が全額支払うと、ボロいビルの一角から僕たちは再び街へと繰り出した。

 既に夜の帳は完全に降り切っている。月は天高く上り、生暖かい空気の遥か上空では星々が瞬いていた。

 パラバラと帰宅していくスーツ姿の社会人とすれ違いながら紙袋を手に駅へと向かう。

 

「あの、レミリアさんはどちらにお住まいなんですか?」

 

 無言の間に耐えれず、ついおずおずと聞いた。

 

「貴方達と同じ最寄駅よ。方向自体は反対だから少し遠いけれども」

「何で家を知ってるんですか……」

「それも運命よ」

 

 ハイハイ、能力と。

 万能過ぎるでしょレミリアの能力。

 僕のと交換してほしい。てか僕の能力は悟り妖怪だから分かるにしても何でレミリアは運命を司る能力なんだろう。ヴァンパイアなのに。格差を感じる。

 

「思ったんだけど、レミリアもフランも髪の毛隠さないのね」

 

 二人の姿を凝視してからこいしは淡々と言葉を漏らした。

 言われてみれば、確かに。

 目立つ帽子こそ外しているものの金髪銀髪というのは目立つ。現にここに来るまでと同様、対向者の視線を感じる。

 フランは当然とばかりに飄々と答える

 

「面倒だもの。流石に翼は不味いから頑張ってるけど、髪くらいどうってことないわ。それに金髪なんてその辺のチンパンジーが良く染める色じゃない」

「フラン!口を慎みなさい」

「ごめんなさいお姉様」

 

 レミリアに一喝され、素直に謝るフラン。でもその表情筋はピクリとも仕事をしていない。

 うん。絶対反省してないなこのロリ。

 ……まあそれは置いといて。

 こいしの疑問も分かる。僕なんか黒いパーカーを着てフードを奥までずぽっと被ってる訳で。

 

「レミリアさんは銀髪ですよね。目立ちますけど、隠さないんですか?」

「私の場合は逆を狙ったのよ。ほら、帽子を被っていないレミリア・スカーレットなんて正しく認識されないでしょ?」

「私はしましたけど……」

「そりゃそうよ。貴方は私と同じく憑依をしてしまった人間、それにフランの事を先に見ていたのだから容易に想像できるでしょ」

 

 そう言われると反駁は出来ない。

 ショッピングモールの時点でレミリアが居ることはほぼ分かっていたし、カラオケルームで見た時も驚きは無かった。別の驚きはあったけどね。

 だが、懸念はもう一つ。

 

「ですが、金髪と銀髪の少女が歩いていたらこうして注目を惹きます。その内勘付いて接触する人もいるのではないでしょうか」

「その時はコスプレで押し通すわよ。それにリスクを取る分リターンもあるわ」

「リターンですか?」

「ええ。他にもこの状況に陥った人がいたら話し掛けてくるかもしれない、というリターンがね」

 

 可能性は、あると言えばある。

 僕だってこいしより先にスカーレット姉妹を見かけていたら話し掛けていたかもしれない。

 

(───まあこんなの建前だけど。だって面倒じゃん。変装とか。ただでさえ羽隠すので精一杯なのに)

 

 しっかし。

 心の読めない覚り妖怪だったら僕を騙せたかもしれないね。

 フレンドリーファイアする趣味は無いから口にして言う気はないけど、誰も彼も僕がさとりである事を忘れがちだね。こいし以外の心は手に取るように汲み取れるというのに。

 

 改札内に入ると、取り留めのない話をしながら階段を上ってプラットフォームに立つ。

 構内に吊り下げられた時計で時刻を確認すれば、午後7時。道理で外が暗い訳だよ。

 

「夜ご飯、どうしようかしら」

 

 主婦みたいな独り言が漏れた。何時もならこういう時、適当に牛丼屋とか入って済ませてしまうんだけど今はこいしもいるしなぁ。

 レミリアも疲れたように自分の肩を解しながら反応した。

 

「そうねぇ。ねえフラン、冷蔵庫に何かあったかしら?」

「覚えてないわ。ビールならダース単位であるけど」

「流石にお酒でお腹は満たせないわよ」

 

 揶揄するようなフランの返事にレミリアは溜息を吐いた。

 ウチの冷蔵庫は何があったっけ。……覚えてないけど昨日買い出しに行ったばかりだから沢山食材はあるはず。

 

「お姉様、私寿司食べたい」

「そんな贅沢する余裕無いわよ……!」

 

 紅魔館が爆破された後みたいなやり取りを聞きながら、線路の向こうで光の点となった電車が近づいて来る様子をぼんやりと見つめる。

 次第に大きくなる光と、明瞭になる輪郭に目を細めているとガタンゴトンとスピードを緩めた電車がホームへと進入して来る。

 車内にはそこまで人がいなかった。この手前の方はかなりの人口を抱えた住宅街だけど、この先はもう過疎地域一歩手前だからだ。

 終点まで約30分、東京までは一時間弱。地理的に妥当なとこだと思う。

 

「電車って凄いわ……1分のズレも無いなんて」

「なにそれ。こいしは乗ったことないの?」

「今日初めて乗ったわ」

「そうなんだ。不思議な家庭環境ね」

 

 フランは内心(電車に乗ったことないなんて……面白え女)とか呟いてたけど口に出してないからまあセーフ。思考が完全にサブカル女のそれだよね、実際。

 

 電車に乗ると、控えめに顔を上げつつ空いている席を探してみる。

 1つや2つならともかく、4人連なって座れる席は無い。

 レミリアが「あそこで立ってましょう」と閉まっているドアの前に行こうとするのを手で制す。

 

「あそこの2つ空いている席の右隣りに座ってる美男美女のカップル、次の駅で降りますよ」

「貴方の能力、こういう時に便利よねぇ」

 

 もし僕がちゃんと学校に通う高校生で、長距離通学ならとても重宝したことだろう。

 ただ生憎高校までは家からバスで10分、歩いても40分。

 宝の持ち腐れとはまさにこの事だった。

 

 僕は吊り革を握ろうとカップルの前に立つ。冷房が身体に降りかかって、思わず握ってない方の手を袖の中に入れる。所謂(いわゆる)、萌え袖。別に何か狙ってる訳じゃないけどあざとい、我ながらあざとい。

 僕は無言で吊り革を掴もうとして、スッとすり抜けて僕の手が空を切った。

 …………アレ。

 

「お姉ちゃん……それは無理だと思うの」

「…………そうだったわ」

 

 僕は上を見て、漸く理解した。

 癖で握ろうとしちゃったけど、客観的に吊り革に手が届くはずがない。伸ばしても伸ばしても精々吊り革の下の部分を掠めるのがやっと。背伸びして何とか輪っかを掴めるのが、今の僕の身長だった。

 

「お姉ちゃん座らないの?」

「ええ、こいしが座りなさい」

「分かったわ」

 

 こいしは未だ珍しい物を見るみたいに電車内を見回しながら席に座った。

 隣でも似たような会話があったようで、レミリアがこいしの隣に座る。

 

「さとりも座らないの?」

「はい。まあ理由は特に無いです」

「あら、似たもの同士ね。私も同じ」

 

 そう言ってフランは穏やかに笑って、鉄のポールを握った。

 程なくして電車は動き出して、揺れる車内に抵抗すべく足で踏ん張る。

 

 何となくカップルの方を気付かれないように見遣る。

 

(ハル君……横顔も可愛い!いけないいけない、私なんかがそんな事を考えたら。私は姉、ハルの姉なのよ)

(フユ姉さん…………駄目だ、早く帰らなきゃ。こんな事を考えてるなんてバレたらそれこそフユ姉さんに合わせる顔が無くなる)

 

 ……どうやらとっても複雑な関係のご様子。

 羨ましいとは別に思わない。思わないったら思わない。ラノベ主人公に憧れる年齢はもう過ぎ去ったのだ、と僕は思い込んだ。

 

「……チッ」

「"ぎゅっとしてどかーん、してやろうか"…………フランさん?駄目ですからね?」

 

 小さく舌打ちをするフランに間髪入れず指導を入れる。

 怖い。この妹怖すぎる。

 狂気に狂ってるはずじゃないのに、ナチュラル狂気を感じる。

 

「冗談よ冗談、するわけ無いじゃない」

 

 あははは、とフランは軽やかに笑って僕は溜息を吐いた。

 心の中の声なんだよなぁ……。

 

「こういうのはレミリアさんの役回りでしょうに」

「私は楽だから良いけれどね」

「私は良くないです。元からこうなんですか?」

「まあ……元よりまだマシかも」

 

 元よりマシってどういうことさ。

 不穏な一言が胸を掠めるけど、思考を深める前に減速していた電車がゆっくりと止まった。

 心を読んだ僕は譲るようにスペースを空ける。すると前に座っていたカップルは立ち上がり、電車から降りて行った。

 

「ふー。やっと座れるわね」

 

 僕は無言で相槌を打って、同じく座る。

 シーツは人の座っていた温もりで生暖かい。残り香が鼻孔をくすぐる。

 湿度の籠もった涼しい風が車内に流れ込んだ。

 

 

 何の気無しに力の無い会話を30分ほどしていると目的駅には容易に着いた。

 開いた扉を潜って、蛍光灯で明るいプラットホームへと立つ。心地の悪いモワッとした空気が髪を撫で上げる。

 

「……古明地こいし、貴方今日もさとりの家に泊まる気?」

 

 階段を上ろうと足を上げたところで、一筋の悪寒が身体を走った。

 

「うん、そのつもりだけど」

「今は童女と言え、元が男の家じゃ辛いものもあるでしょうに。……私の家に来ないかしら?フランと二人で暮らしてるから、性差で悩むこともないわ」

 

 こいしは肯定も否定もせず、段差を越えようと右足を上げた。

 

 …………道理だ。

 僕は男だ。外見が少女のそれになろうと、精神に変異を来した訳じゃない。

 頭で僕はそれを理解した。理解しても砕けない感情があった。

 感情を解体して正体を掴もうと躍起になる。この心に鉛が沈んだような感情は何なのか。どう出来ていて、何でシナプスまで作用しているのか。

 

 分からない。

 何も分からない。

 一つ確かなのは、僕は古明地こいしに執着心のような、何か醜い感情を投影していると言うことだ。

 

「こいし、レミリアの言う通りです。男の家ではなく女の子の家に泊まるべきよ」

 

 感情を噛み締めて飲み込んで、ザラザラとした口内を無視して僕は言った。

 こいしの考えている事が分からない。

 当たり前だ。そういう風に出来ているのだから。

 何時もならばその方が接しやすいと大した思考もせず受け入れていたのに、今はそれが恨めしい。

 

 他人の感情なんて至極どうでも良い。両親が亡くなってからはより顕著に、一人で生きてきた。これまでの軌跡だってそれなりの日々を過ごしてきた。

 幸福だったかどうかは分からない。慣れた日々に流されるのは不自由もなく、でも幸福も無く。

 虚ろな僕の日常はそれでも悪いものではなかったはずだ。

 

 だけれど、僕の内側でそれをブチ壊す何か、知らない情動が芽生えているのかもしれない。

 

「……私はお姉ちゃんの家に泊まるわ」

「……へ?」

 

 何の迷いも無いみたいに、こいしは唇を戦慄かせる。僕は素っ頓狂な声を上げた。

 レミリアは心配そうに眉を上げた。

 

「私が口を出すべきか迷うけれど、暮らし辛いんじゃないの?」

「いいえ。そんなこと無いわ。お姉ちゃんは私が居ないと駄目なんだから」

 

 だ、駄目……って。

 人をそんなクズ男みたいな扱いして欲しくないんだけど………………否定出来ない。片付けとか掃除はこいしだし、風呂まで介抱されてるし。

 静かに項垂れていると、階段のてっぺんに足を付けた。トン、と踵が床を鳴らす音が響く。

 

「それに、私達は姉妹。お互い助け合うべきだと思うわ」

 

 意識してるのか、こいしは片目を瞑り僕へとウインクを飛ばした。

 

「…………そこまで言うのなら、もう何も言わないわ。為すがままになさい。その先に果実が実ることを願ってるわ」

 

 御機嫌よう、とレミリアは反対方向へと歩んで行く。二回改札から出れば閑静な住宅街だ、そこにレミリア達の家があるのだろう。

 

「じゃあねこいし、また明日」

 

 フランもそう言うとレミリアの後へと続いた。

 また明日という言葉がそこはかとなく引っ掛かるけど……大した意味は無いか。フランだし。

 

 分かりにくい言い方だったけど、あれはレミリアなりの励ましの言葉だったのだろう。

 為すがままになさい、か。

 偶には本物っぽいことも言うじゃん、あの吸血鬼。

 

「……帰りましょう」

「うん、帰ろ」

 

 暗くなった夜道。

 心許ない足元をしっかり踏み締めて、帰途へと就いた。

 

 




これで男物の服を着るさとりは居なくなった(精神的女装)

次回:日常生活(たぶん)
ちょっと時間開くかも


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番外①:古明地こいしは覚られない。

今回は2つ投稿してます。
番外編、こいしの心中です。



 思えば、全てが偶然で出来ていました。

 あの日のあの昼下がり、私が公園を訪れたのは特に大きな理由はありません。

 

 市で一番大きいのよと母親がいつも胸を張って言っている由緒正しき系譜を持った家から抜け出すのは何時もならば不可能ですが、古明地こいしとなった私には自動販売機でジュースを買うより簡単な事でした。

 

 

 古明地こいし───ではなく、私の名前は雛菊千里(ひなぎくせんり)。自分で言うのは少し抵抗がありますが、私が生きてきた所はかなり恵まれた環境だったと思います。父親は年商10兆を誇る雛菊ホールディングスの社長、母はその秘書をやっていて、家事はと言えば家政婦を正式に数人雇って広い屋敷を管理しています。

 

 幼い頃からピアノ、バレエ、英会話、テニス、水泳、書道…………思い付く限りの習い事は経験してきました。お陰で同級生と比べて出来ることは多いです。それが良い事なのか悪い事なのかは私には分かりませんが。

 でもそのせいと言うか、有り体に言って私には時間がありませんでした。

 放課後は常に習い事。学校が終わる午後3時頃になると家の車が校門前に止まるから無視する訳にも行きません。サボったら無関係の使用人が雇用主である両親に責められることになるからです。土日も同様です。

 

 そんな事情もあり、私に友達と言える友達は居ません。学校でお喋りをする相手も殆どいません。

 小説だと良くそういう立場の登場人物はいつも憐れまれるべき、或いは悲しい人間として描かれてるんですよね。……所詮は創作だとは思いますけど。どうせ私に友達の有無の是非を測ることは出来ませんし。

 そんな中学校は楽しいかと言えばまあ、楽しいです。勉強に忌避感が無いからでしょうか。中学受験して、中高大一貫のエスカレーター式の学校に通わされている今の学校の学業レベルは高くやり甲斐はあります。逆に言えばそれ以外の娯楽が無かったという事実にも繋がるわけですけど。

 

 しかし。

 ある日、私の世界が変わりました。

 

 朝起きると全く知らない少女の姿。

 黒くて長かった髪の毛はいつの間にか変貌を遂げていて、顔形も違う。身長も私より若干小さいです。胸は……まあ、勝ってるかな?

 

 不思議な事に戸惑いはあんまり無かったです。

 代わりに身中で燻ぶったのは好奇心。

 ……この少女について、私は知りたい。

 

「……なに、これ」

 

 部屋にある立ち鏡を眺めていると、自然と脳裏にこの少女についての知識が浮かび上がってきた。

 なんでも古明地さとりという姉がいて、一緒に地霊殿という場所に住んでいたらしい。

 ペットに…………烏に猫?人間の形をしてるけど、どういうことでしょう。

 

 分からなかったので一旦思考の隅に置いておきます。

 大事なのは、この古明地こいしは能力を持っていると言うこと。

 曰く「無意識を操る程度の能力」、使い方も自ずと分かりました。

 

 

 直ぐに私は部屋を出ると、廊下を掃除機でかけていた使用人の目の前で手を振ってみました。しかし気づく様子はありません。

 

「おはようー」

「……な、だ、誰ですか!?」

 

 声を掛ければ私の姿に気付いて、使用人は慌てて2歩後退りました。無理もないでしょう。誰だって目の前に人が現れたらそうなります。

 しかも、今の私の姿は古明地こいし。

 この屋敷の人間では無いんです。

 一抹の寂寥感を懐きつつも、私は認識を逸す。

 無意識をズラして、姿を隠す。

 

「あ、あれ!?今の女の子は一体……」

 

 戸惑う使用人に罪悪感もありましたが、また何か言うと私の存在がバレてしまうかもしれません。

 心の中でごめんねと会釈して、その足で初めて私は一人で外の世界へと出ることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 外の世界は私の想像以上に広くて、色彩豊かでした。

 知らない物、知らない景色。全てが眩しくて、新鮮で。

 これが、自由の味。

 世界はこんなにも素晴らしかったんですか……。

 

 

 縦横無尽に綺麗な道路も汚い街並みも関係なく見て歩いて、吐く息すら忘れそうになるほどに走って、ふと止まった。

 

 これからどうしましょう……。

 当然の事ながら、私にはツテがないです。

 雛菊千里としての私ならともかく、古明地こいしとしての私に知り合いなど皆無。……雛菊千里としての私も両親以外に頼れる人が居ないのが悲しいところですが。

 

 朝からずっと歩き回っていた私は休憩がてら閑散とした駅前のベンチに座ります。一個隣のベンチには新聞用紙を顔に乗せてガーガーとイビキを立てて寝ているタンクトップの中年男性を尻目に、太陽を見上げました。

 今日は一日通して晴れ。先程スマホで見た情報はしっかり正確なようです。

 だからか喉が水分を求めるように神経を通して訴えかけてくるのは必然でした。気温は5月平均並みで、そこまで高くはないのですがずっと日向で動いたからでしょう。

 

 立ち上がって、私は道路脇にあった自動販売機に視線が引かれました。

 自動販売機、外では一度も使ったことはありません……。

 恐る恐る一万円札を挿入口に入れてみます。

 

「きゃっ!」

 

 自販機は一万円札を飲み込むと咀嚼するようなガッガッガッという音を立てて、すぐさま一万円札が挿入口から戻ってきました。

 ボタンを押しても出てこない……もしかして、購入に失敗してる?

 

「おかしいわ。折り目も無い一万円札なのに」

 

 確認してみても、一万円札に何の異常も見られません。

 自動販売機が壊れているのでしょうか……。

 他の一万円札で再トライしても同じ挙動を繰り返すだけ。やはり壊れているみたいです。

 

 ……仕方ないです。別の自販機を探しましょう。

 私は前から来る人を避けながら自販機を探そうと歩き回ります。

 直ぐに違う自販機は見つかりました。流石自動販売機大国日本、万歳ですね。

 

 早速一万円札を入れてみる。

 スルリスルリと一万円札は飲み込まれていき、再び自販機はペッと痰でも吐いたかのように一万円札を吐き出しました。

 ……ちょっとムカっと来ますねこれ。

 きっとこの自販機も壊れているのでしょう。と言うかこの周辺全域の自販機が壊れていても可笑しくありません。他の筐体で購入しても同様のことが起きるに違いないでしょう。

 

 見切りを見つけた私は、その場を後にしました。

 

 

 

 そう言えば、思い出しました。

 公園には飲水用の蛇口があるらしいです。本やテレビで見たから知っています。

 何でも水がタダで飲める他に、沢山遊具があるようで少しワクワクしてきます。

 流行る気持ちに我慢出来ず、私は立ち上がって歩き出す。

 

 スマホで検索すれば、公園は小さいものが駅から少し遠くにありました。

 大きい公園が良いと思って探し続けますが、ただこの辺りは住宅街。大きな公園は10kmも先で、流石に歩いて行けません。

 

 結局小さな公園に行くことにします。

 20分ほど歩いて、公園が見えてきました。

 ちっちゃな公園は、本当に小さいです。

 住宅街の空いたところに無理矢理嵌め込んだみたいなサイズで、遊具も数える程度。滑り台とか、ブランコとか、そのくらいしかない公園です。

 脇に飲水出来る蛇口があったので思わずガッツポーズ。私の推理は間違ってなかったのです。遊具が少ないのは残念ですが、イーブンイーブンと言ったところでしょうか。

 

 蛇口を上向きにして、口に近付ける。確かなんかの教科書の絵で、蛇口から水を飲むにはこうすると書いてありました。実践するのは初めてですが、蛇口から吹き出した水は意外と簡単に私の口の中を冷やしていきます。

 私は数秒ほど水分摂取に興じて、顔を上げます。

 本当はもうちょっと飲みたいですが、或る程度喉が潤った事で私の好奇心は既に水からあるものに移ろっていました。

 

 私が来た時からブランコには先客がいたのです。

 

 その先客は明白に、私の知っている人でした。

 正確には、古明地こいしの知っている人でした。

 

 薄紫でちょんちょんとカーブして跳ねた髪の毛、高級な陶磁器みたいに白い肌色、正面から見ればその顔立ちはまさしく古明地さとりでした。

 黒いパーカーだけは正直、ダサいと思いますけど……。

 

 それから後ろに回り込んで、能力を解除すると私は声を掛けました。

 

「お姉ちゃん?」

 

 

 

 

 

 

 

─────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 その後、お姉ちゃんと暮らすことになりました。

 私が頼み込んだのです。

 一度は逃げてしまいましたけど、お姉ちゃんは追いかけてきた。私を見捨てずに、どこにいるかも分からない私を。

 

 そう、お姉ちゃんだから。

 

 足を痛めても、フードが外れてしまっても、走れなくなってもお姉ちゃんは私を探してくれた。父や母も、使用人だってそんなことはしてくれません。

 両親は私にとっていつもテーブルに添えられた観葉植物の一つくらいの役割ほどしか果たさないし、使用人は元よりお金で雇われてる労働者です。彼らに情動を要求するのも出来ないでしょう。

 両親と仲が悪い事はないですが、淡々とそういうものなのです。過保護な両親は私という私有物が傷付くのを恐れているだけでそれ以外の理由はありません。無機質な灰色のビー玉の如き瞳は私を子供ではなく、投資をする価値ある人形として映しているに違いないのです。

 

 嫌いじゃなくても、愛情があっても、私は両親が苦手です。

 

 だからでしょう。

 私は無意識に期待をしてたのかもしれません。

 中身が赤の他人だろうと、お姉ちゃんならば私を見つけてくれると。助けてくれると。寄り添ってくれると。無条件に、無意識に、古明地こいしに手を差し伸べてくれると。

 お姉ちゃんだけは無意識を歪めず、私を私と正しく認識できるよう能力を使いませんでした。

 

 その一縷の淡い期待は二度目の邂逅を以て果たされました。

 

 お姉ちゃんが公園で見つけてくれた時、新鮮で、私の心がポカポカと暖かくなりました。

 感じたことの無い温もりの抱擁。

 雛菊千里としての人生では味わうことの出来なかっただろう、安らかな高揚感で身体が火照りました。

 徐々に胸が熱くなってくる。けど、嫌な感じはしません。

 ……きっと今まで生きてきた世界が合って無かったんです。

 雛菊千里としての自分より、古明地こいしとしての自分の方が私に適合している。正しい正位置の存在なのです。

 

 私は古明地こいしで、お姉ちゃんは古明地さとり。

 それはきっと永劫に不変。

 後から東方Projectというキャラクターに憑依してしまったということを知っても、私は特段思うことはありませんでした。

 

『私たちは、姉妹。お互いに助け合う関係性であるべきなの。だから、ね……私と一緒に帰りましょう?』

 

 夕暮れを背にした公園でのお姉ちゃんの言葉。

 その言葉はきっと嘘偽りなど無く、古明地さとりはお姉ちゃんでした。

 

『……ねえお姉ちゃん。私と友達になってくれる?』

『……何言ってるのよ、姉妹じゃない』

 

 お風呂での一幕。

 お姉ちゃんはそう言って恥ずかしそうに目を伏せました。

 ……嬉しかった。

 家にも学校にもピタリと嵌まれる居場所の無かった私に、お姉ちゃんは居場所をくれた。

 

 それでも私の凝り固まった猜疑心は蛇みたいにお姉ちゃんへと向かったこともあります。お姉ちゃんは無条件に優しく、誰にでも等分の慈愛心を分け与えるのかと。

 でも、違います。

 ボロ汚いカラオケ店で出会ったレミリア・スカーレットさん。お姉ちゃんは彼女を自分のテリトリーへと寄せ付けようとしませんでした。対話をしても、深入りすることはしませんでした。

 仰々しく、互いの取り決めに協定なんて硬い言葉をレミリアさんは使用されたのに何の疑念無く、受け入れたのがその証拠です。

 

 何より心を読めるお姉ちゃんは他人を恐れています。……いえ、恐らく古明地さとりになる前から他人を怖がっていたのかもしれません。

 そのくらいにお姉ちゃんは他人と言うのを忌避している節があります。忌避と言うのは言い過ぎかもしれませんが、それでも積極的に避けているのは明らかです。

 私に会ってからのお姉ちゃんはまるでライオンに睨まれて震える草食動物みたいに日々を過ごしています。

 特に外に出る時なんて、心を読まずとも理解出来ます。外界に慄いていると。キョロキョロと見回す姿は庇護欲すら感じる程です。

 それだけ畏怖している。この現状に。

 

 なのに私に笑顔を向けてくれる。

 居場所をくれる。

 他人なのに、心は花崗岩みたいに脆い癖に。

 

 ……返さなきゃ。

 与えられているだけじゃ、駄目です。この立場を享受しているだけじゃ、駄目なんです

 私は妹。古明地さとりのたった一人の妹。

 私はお姉ちゃんを守らなきゃならない。

 

 

 

 

 

 

 ───だから。

 ───だから、だから、だから!

 

 

 

 

 

 

 私は、古明地こいし。

 

 望むべくして、古明地こいしを私は名乗ります。

 14年間もの人生で添えられ続けた雛菊千里という名を取り払い、古明地こいしを名乗ります。

 

「こいし、その……」

「あ、お風呂ね。了解。ちょっと待ってて」

 

 今日も私は古明地こいしとして歩む。

 

 それが私の幸せなのだから。

 

 




ヒント:自動販売機で一万円札は使えない

このssも5話くらい投稿してエタるだろうなぁと思っていたので現状にびっくりしてます。


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2章 古明地さとり(偽)と艱難
問12:綿産業に関して、1000年から2010年までを第一期から第四期に分けて世界的視点で説明せよ。或いは古明地さとりの可愛さを記入せよ。


遅れました、ごめんなさい。
グダります、ごめんなさい。
今日は番外編含め2話投稿しています。


 翌朝。

 

 カーテンから漏れる、掠れた太陽の光が目に入ってきて僕は目覚めた。

 

「暑いわね……」

 

 今日こそはとちゃんと布団を用意したのにも関わらず寝床に入り込んで来たこいしを剥がして、僕は起き上がると伸びをする。

 腕を頭の上まで持っていたついでに髪の毛をクシャッと掴んでみると滑らかな生糸みたいな感触が手のひらを走る。

 

「……古明地さとりですか」

 

 憑依が始まって3日目、未だに治す方法は分からず。自然治癒にも期待できそうにない、駄目だこれ。どうしよう。

 

 クヨクヨ考えても何も分からない。

 溜息吐いて、窓の外側を見てみる。

 今日の天気はすこぶる快晴……じゃないみたいだ。空の向こう側に浮かぶ鉛筆で何度も塗り潰したかのような黒い雲は方角的に此方へと流れてくるだろう。

 スマホで天気を検索しても僕の予想通り、本日は晴れのち雨。一番どう過ごすか迷う天候だね。

 

 朝の6時に起きたからと言って無趣味な僕にやる事も無く、冷蔵庫から買い溜めしていたパックコーヒーの中身をコップに注ぐと働かない思考でベランダを開ける。朝の爽やかな木漏れ日と共に内外の気圧差でゆるかな風が室内へと吹き込んだ。

 

 ベランダにある木製のチェアに座って手前の快晴を肴にコーヒーを煽る。

 

 思えば、一昨日にこんな事態になってから引きこもってたニヶ月とは比較できないほど色々とあった。

 初日はこいしと出会って、他人とは思えず何故か家に泊め始めた。

 昨日はショッピングモールに行って変な人に襲われて、そこでフランとレミリアに会った。本当の姉妹とか言ったけど、ホントなら全然性格似てないなぁと思う。

 だいぶ端折っても濃い日々である。

 そしてその三日目。水曜日となる本日。

 世間的には漸く平日の半分で、学校や会社などで忙しい人たちも少し肩の荷が下りてくる曜日だろう。

 

「まあ、関係ないけど」

 

 現役引きこもり高校生的には普通の休日なんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 こいしは8時頃になるとモゾモゾと起き出した。

 丁度その時間に朝食が出来上がっていたので、朝食の出来た匂いで目が覚めたのかと勘繰るほどのタイミングの良さだった。

 

「お姉ちゃんおはよう……」

「おはようこいし。良い朝ね」

「ええ……二度寝に良い朝だわ。おやすみ」

「起きなさい。起きなさいこいし」

 

 違ったみたいだ。眩しくて起きただけだこれ。

 僕は寝入ろうとするこいしをゆさぶって起こすと、その足で朝食の席に着く。こいしもフラフラと卓袱台の前に座った。

 

「いただきます」

 

 手を合わせて、ロールパンに齧りつく。ふんわりとした食感が口の中に広がり、生地に練られたバターの芳醇な香りが鼻腔から抜けていく。

 朝ごはんをゆっくりと食べながら、脳内でどうでも良い事を考え始める。

 地霊殿ではこうしてご飯を食べる時、いただきますとか言うのだろうか。

 覚り妖怪は日本の妖怪だから言うのかもしれない。語源として、この言葉は自然の実りや食材への感謝を表したフレーズであり、原始的でアニミズム的な側面を含んでいるから、つまり近代的な考え方に従属するものじゃない。どちらかと言えば先時代的な思想によるものだ。

 けど「いただきます」という言葉が挨拶として用いられ始めたのは一説によれば昭和中期とも言われているらしい。もしこの世界に古明地さとりが居たとして、昭和中期に日本にいたのだろうか?

 うん、まあ多分居ただろう。

 ただし幻想郷の旧地獄という酷く辺鄙な場所だろうけど。

 

 結論、地霊殿では食前の挨拶は無い。多分。

 

「お姉ちゃん、今日はどうするの?」

 

 朝から一つ真実を暴いて満足げな僕にこいしは不思議そうに首を傾げつつ、その疑問を形にすることなく別の話題を振った。

 

「そうねぇ……」

 

 正直なところ、何も考えてない。

 例大祭は日曜日。まだ少し先だけど……ん?

 何かを忘れているような。

 

「……あ、カタログ」

「カタログ?」

 

 突いて口から出た言葉をこいしはオウム返しするように繰り返した。

 そうだよ、なんで忘れてたんだろう……!

 例大祭の入場にはカタログが必要なんだ。

 カタログには例大祭に参加するサークルの詳細が書いてあって、入場する際にはそれを頭上に掲げて例大祭の運営さんに見せる。無ければ現地で買うことになる。

 

「カタログよカタログ。例大祭の」

「……あ〜、そう言えばサイトに書いてあったかもしれないわ。入場には必要って。お姉ちゃん知ってたの?」

「ええ、絶対に買わなきゃならない本だわ」

 

 一応、現地でも買えるけど場合によってはそこそこ長い列に並ぶ可能性もあるから避けたいところだ。

 

 何より今の僕の姿。

 古明地さとり。

 今まで外で何度かその姿を意図的では無いにせよ、白日の元に晒したにも関わらず大きな問題に巻き込まれなかったのは一概に古明地さとりの知名度に助けられたに他ならない。

 

 もしこれが少年ジャンプの有名キャラなら僕はもっと目立っていたに違いない。

 もし国民的アニメの猫型ロボットだったら更にヤバい状況下だったと想像は容易い。

 もし夢の国の住人とかだったら……うん、もう考えたくない。あと著作権に厳しいからこれに関しては訴訟されそう。良かった夢の国のキャストになってなくて。

 

 脱線してしまった。

 ともかく、古明地さとりは一般的には知名度が低い。所謂、オタクへの影響力はあるけどその他の層は名前を聞いても「え?誰なんですかそれ」と首を捻ってまあどうでも良いかと思い直すだろう。

 しかし。

 東方例大祭は違う。

 その名が冠する通り、東方(・・)だ。

 新キャラならまだしも、古明地さとりを知らない例大祭参加者なんてほぼ居ない。ゼロに等しい。何なら「小5ロリね〜分かる。分かるよ、俺めっちゃすこ、東方ロリと言えばの5本の指に入るよね〜」とか言ってる参加者がノーマルだったりする。

 

 僕たちの目的は例大祭で同人誌を漁る事でもなければブースを冷やかす事でもない。

 この奇っ怪な現象のチップを見つける為に参加するのだ。

 だから、幾らコスプレのフリをするとしても。現地で長い時間並んで正体が露見するリスクは絶対に無い方が良い。

 

 ロールパンのつるっとした表面にいちごジャムを塗りながら、視線をパンに向けてこいしは口を開いた。

 

「ふーん。カタログってどこに売ってるの?」

「それは行ってからのお楽しみよ」

「えー?どうせ本屋とかでしょ?」

 

 そう言ってこいしはつまらなそうにパンを齧った。

 ただ、その辺は安心して欲しい。

 確実にこいしが人生で一度も行ったことが無い場所だからね。

 

 

 

 

 

 

 

─────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝ごはんを食べ終え、色々と家事も終えて一時間後。

 

 僕は買ってきた服を目の前に苦悩していた。

 それはもう、ド忘れしてしまった英単語をどうにか捻り出そうと躍起になった受験生みたいに苦悩していた。

 

「着替えないの?」

「ちょっと待ってこいし、もうすぐ終わるから」

「そう言って30分経ったわよ?」

 

 じゃあもう30分待ってほしい。

 可愛らしいトップスや、ヒラヒラとしたスカートを床に並べて頭を抱える。

 

 そもそもの僕の失点は、昨日ジーンズやチノパンを買わなかったことだった。

 並ぶのは全てスカート。長さに違いがあれど紛うとことなく女性用のスカートだ。ついでにゴスロリドレスもあるが、流石に普段着として使うには論外なので畳んで衣装棚に仕舞ってある。

 

 悔やむべきはやはり昨日の買い物だ。

 あの時僕はこいしの着せ替え人形となってしまった。意志の弱さから、こいしに折れてしまったのだ。

 そうして一旦着せ替え人形と化してしまったせいか、僕の思考は自然と女性用の服を選出しようと手に取って購入してしまった。

 果てはゴスロリドレスまで買っちゃう始末……ホント、どうしよ。

 

「今更悩んでるの?スカートなんて昨日も履いていたじゃない」

「元から履いていたのとは別よ別」

 

 確かに古明地さとりという、キャラクターとしての衣装なら恥ずかしさはない。何でか良く分からないけど、自然体だからなのかな。

 でも新たにこういう服を手に取ると、嫌でも女装という単語が脳内を過るんだよね……。

 

 こいしは深く溜息を吐くと、やれやれとばかりに首を横に振った。

 

「思い切りが悪いのねー。お姉ちゃんなら何着ても違和感無いのに」

「心の問題なのよ」

「そんなのお燐にあげれば良いのよ」

「お燐はそんなの食べないわよ」

 

 適当に相槌を打ちつつ、広げたスカートを眺める。

 2分くらい触ったり見つめたりして時間を無駄に過ごす。

 その間に分かったのは僕がこのスカートを履くのを嫌がっているということ。取り忘れた値札の書かれたタグがまだ残っているということ。あと何かもう、通販で服買おうかなあということだった。

 

「お姉ちゃん、着替えないとお外に出れないわ」

「分かってるわよ。分かってるけどね」

「…………ちょっと目を瞑って貰って良い?お姉ちゃん」

「え?何で?」

「いいから、いいから!」

 

 問答無用!

 そう言わんばかりにこいしは困惑している僕の瞼に人差し指を伸ばし、僕は反射的に咄嗟に目を閉じた。

 何なんだろ一体……?

 よしおっけ、と呟くと瞼の上に置かれていた指の熱が無くなる。

 

「そのままね〜」

 

 そのままって言われましても……。

 視界を奪われるとか、まるで風呂に入るときの構図だ。

 

 その直後のことだった。

 ふわりと腰から勢い良く布が取れる音。風が直に皮膚へと当たって、身震いする。

 

「ちょ、こいし!?」

 

 1秒して、僕は悟った。

 ……寝間着にしてたズボンを脱がされたと。

 

「だって遅いんだもの。こんなんじゃ一生外行けないわ」

「だからって強引よ強引……!」

「別に良いじゃん。それに恥ずかしがり屋なお姉ちゃんの為に目を瞑らせたし、私結構忖度してるよ?」

「忖度してないわよ!ちょっと、ドサクサに下着まで……!」

「安心してお姉ちゃん。丁寧な仕事を心掛けるわ」

 

 そういう問題じゃない!

 思わず目を開けようとして、弾かれたように眉間に力を込める。

 駄目だ。今開けたらさとりの裸体を直視することになってしまう。それは避けなきゃならない。

 僕がそう判断している間にもこいしは手を止めない。ハキハキと、楽しんでるんじゃないかと疑うほどの手際の良さで服を取り去る。

 

「こ、こいし……!」

「大丈夫、大丈夫よお姉ちゃん。着替えは私が全部やってあげるからお姉ちゃんは手を上げてくれるだけで良いの。そのついでに下着も替えましょうね?」

 

 

 

 

 …………僕は、無力だった。

 こいし相手に力任せに振り解くことなんて出来ず、それ以前にそんな力は今のこの身体には存在せず。

 服を完全に取りされ、素早く新しい服を着させられた僕が次に何をしたかと言えば鏡の前で落ち込んでいた。

 鬱だ。

 とても鬱だ。

 後何日こんな思いをすれば神様は納得してくれるのだろう。

 長年培われて来た男としてのアイデンティティがいとも容易く崩れていく。

 そろそろ泣きたい。泣いたってバチが当たらないと思うんだ。

 

「お姉ちゃん、可愛いわよ」

「…………ありがとうこいし。でも嬉しくないわ」

 

 何とか現実を受け入れようと瞼を僅かに開けると、僕の服装はその辺を歩いている女子大生みたいな格好になっていた。

 袖口が大きく、首襟が波状に立った黒い服にグレイチェック柄のスカート。服だけ見れば大人の女性っぽい出で立ちでも、さとりの幼い顔立ちに小さな身体、気怠げに細められた瞳と癖っぽく跳ねた薄紫の髪の毛がどうしようも無いほど少女っぽさを演出していた。

 もっとも、髪を隠すために今回は帽子を被るけど。

 

 ……うん、言い訳が出来ないくらい似合ってる。

 僕が古明地さとりじゃなかったら赤面して可愛いねとか口走っちゃうかもしれないくらいには可愛い。 

 ……アレ、何だろう。我ながらこの余裕のある感想。

 そんな思考回路で良いのか僕。

 自分自身に問いかけながらも、理解したのは順調に僕もこの状況に慣れつつあるという事だった。

 

「お姉ちゃん、私も準備終わったわ」

 

 そう言うこいしの服装も普段のと変わっていた。

 こいしは水玉模様のワンピースの上に白いTシャツを着ていて、また普段とは違う印象だ。

 

「こいしも似合ってるわ……ところでそれファッション?」

「ファッションらしいわ。ネットで見たの、良く分からないけどこういう着方がトレンドらしいのよ?」

 

 とは言うけど、そのこいしの表情もはてなマークがありありと浮き彫りになっている。

 鏡で確認しても自信無さげにポーズを仕切りに変えて違和感を確認している。

 ……僕的にも、そのファッションは良く分からない。

 

「……シャツは脱いだ方が無難だと思うわ」

「……かな」

 

 最近のファッショントレンドって紅魔郷ルナティックより難しいのね、そう静かに溢したこいしに僕は流石に首を振った。

 

 




登場人物

・古明地さとり
本名は綾辻廣弥。3日目になって段々慣れてきる自分にちょっぴり恐怖感を抱いている。元は東京在住。アイスクリームは素早く食べる派。

・古明地こいし
この状況を割と楽しんでる。本名は雛菊千里。アイスクリームは舐めて食べようとする派(失敗していつも手をベトベトにしてしまう)



サブタイで2時間悩みました。悩みすぎて大学のとある講義の期末試験の問題になりました…。


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問13:古明地姉妹がアニメショップに行くことを一時間前に知ったスカーレット家は古明地姉妹が辿り着く前に先んじてアニメショップに辿り着けるか、○か✕かで答えて理由も書きなさい。

早期完結を目指しているのに増える蛇足


 東方例大祭のカタログは基本的に書店には置かれていない。ゲームや同人グッズを取り扱う、いわゆるアニメショップに陳列されているのだ。

 結論から先に述べれば、都会でも無い僕の住処付近にそのような二次元チックな店は無いから、昨日の外出に引き続き今日も少し遠くへ出かける必要があるのだった。

 

「今日も電車ね〜」

 

 こいしが楽しげに笑いながら電車内へと乗り込む。

 朝の11時の社内はガランとしていて、空いてる席は簡単に見つかる。……いや、11時って昼なのか?個人的には朝派なんだけど、昼と言われれば昼だ。太陽も眩しいし。

 

 僕は青い布地のシートに腰を掛ける。こいしもあとを追って、僕の左隣に座る。

 電車が動き出すと、対面に嵌ってある窓硝子から太陽の光が刺々しく差し込んで、明確な熱とともにスカートを照らした。

 何か話題でも振ろうかどうか迷ったけど、結局車内の穏やかな空気に流されて止めて、することも無いので外の景色を楽しんでいると、こいしはこちらを覗き込んだ。

 何から話したものかと、探るような瞳に僕は曖昧に笑んでいるとおもむろに口を開いた。

 

「お姉ちゃん、どこまで行くの?」

「横浜よ。そこなら売ってる店があるらしいから」

 

 と、ネットで軽く調べた情報を言う。

 因みにあるらしいと予防線を張ったのは本当に伝聞系だからで、何故なら僕は横浜に行ったことがないのだ。当然。だって一人暮らししてからロクに外出しなかった訳だし。神奈川全然分からない、マジで。

 じゃあ前住んでたところは分かるの?と聞かれても白旗あげちゃうのが引きこもりの辛いところだったりする。

 

「へー。横浜。行ったことないわ」

「寧ろこいしはどこならあるのよ」

「んー、カナダとかオーストラリアとか?」

「スケールが違う……」

 

 日本の枠組みから飛び出ちゃってるじゃん。

 え、もっと無いの?北海道とか沖縄とか。

 気になりはしたけどこいしに聞いても「日本の都市?そんなのどれも似てるし覚えてないわ」とか返ってきそうだったので口を噤む。僕も行ってみたいよ海外、特に北欧ね。

 こいしは一度瞬きをして、首を傾げた。

 

「横浜って何があるの?」

「そうね……みなとみらいとか中華街かしら?」

「みなとみらい! 名前からしてカッコいいわ!」

 

 目を輝かせるこいしには申し訳無いけど、僕は横浜を全然知らない。

 だからそんな純粋無垢な瞳を向けないでくれ!

 知名しか分からないんだよ僕は!

 

 頼むからこれ以上掘り下げて聞かないで、という健気な願いが通じたのか、こいしは話を変える。

 

「そう言えばお姉ちゃんの能力、心が読めるんだよね?」

「藪から棒にどうしたの」

「いや、なら私の心も読まれてるのかな〜って」

 

 そうか、こいしにはこの事は言ってなかったっけ。

 加えて東方について知ったのは一昨日、知らなくて無理もないか。

 

「確かに私は心を読めるわ。でもねこいし、貴方の心だけは絶対に解錠出来ないの」

「え? そうなの?」

「第三の目を閉ざして無意識を渡る。心すら無意識の大海に浮かばせて流す貴方に、意識の表層を掬い揚げようとする私の能力は通用しないわ」

「へー、じゃあ私は対お姉ちゃんメタ装置だった訳ね」

「違うから。私をメタってどうするのよ、メタるなら霊夢か魔理沙になさい」

 

 何故か私を嵌めようとしているこいしに思わずツッコむ。

 てかメタ装置ってなんだ。確かにこいしに関しては心を読めないけど、そもそも戦闘力ゼロの僕は一般人相手にしても簡単にやられてしまうと思うからメタも何も無いと思う。

 だからって霊夢も魔理沙もここにはいないんだけどね、多分。可能性は残るから予防線は張っとくけど。

 能力の話題なんてものを今更振って来られたので僕は少し考えて、意図がやはり分からないので本人に聞き返すことにした。

 

「いきなりどうしたのよ。能力なら最初に確認したし、なんなら地霊殿をプレイして知ったんじゃないの?」

「いや、そうなんだけどさ」

 

 こいしは珍しく言いづらそうに、口内でモゴモゴと言葉を溜め込んだ。

 見守っていると、訥々と話し出す。

 

「……能力、成長してる……と思うの、私」

「……成長?」

 

 身長……のことじゃないね。

 そこはかとなく嫌な予感がして、感情とは裏腹に脳細胞が激しく震え立った。

 だがそれだけだった。

 思考は袋小路の回答に繰り返し行き着いて、けどその意味を理解する事は出来ない。

 こいしは神妙に頷いた。

 

「無意識が発達してるの」

「……無意識って発達するものなのかしら?」

「分かんない。分かんないけど、段々能力が勝手に作動するようになっちゃってるの」

 

 電車がレールの継ぎ目で振動して、それに合わせて髪が揺れた。

 目に掛かった前髪を払うこいしの表情は不安げに影を落としていた。

 

「勝手に作動……。それってもしかして、能力の制御が効かなくなってるということ……?」

「そうよ。今まで意識的に相手の無意識を操っていたのに、今日になって無意識に無意識を操るようになっちゃったみたい」

 

 下手なジョークを誤魔化すみたいにカラカラと笑う。

 …………冗談だよね?

 こいしの言葉を咀嚼し切れず、心中で反芻する。

 能力が制御不能になる、その可能性を考えたことがないと言えば嘘になる。この容姿も能力も、全て突然何かから転じて出来たもので、本来の自分の所有物じゃない。

 

 だけど、意図的に僕は考えないようにしていた。

 怖かったからだ。

 

 古明地さとりという戸籍も無ければ架空の存在である少女に成ってしまった時点で僕は混乱していたし、危機感にも包まれていた。早くどうにかしなきゃと、その事実に齷齪と対処する為だけに思考の殆どは持ってかれたし、能力については敢えて深く考察をしていなかった。精々本物じゃないのだから能力がデチューンされているのだと思っていた。

 

 こいしの顔を見て今まで無視していたツケを突きつけられる。

 その判断は間違いだったのだ。

 

「お姉ちゃんはどうなの? 大丈夫?」

 

 こいしの言葉はのっぺりとしている。それでも隠しきれない不安感からか、矢鱈と髪の毛を弄っていた。

 僕は……どうなのだろう。

 恐る恐る、能力を確認する為に頭の中で起きている事柄を紐解いていく。

 

 古明地さとり()は半径5メートル以内の人間の心が読める。意識を覚れる。それは一昨日人に近づいたり離れたりして確認した通りだ。

 

 そして今、僕の脳内は陸風から海風に変わる節目みたく凪いでいる。人の思考が僕へと流入していない証だ。

 改めて目視で確認すれば、5メートル以内にこいし以外の人はいなかった。一番近くにいる人でも8メートルは離れている。

 ……能力の拡張とも言える現象は、僕の身には起こっていない事を意味している。

 

 つまり僕は一昨日から変化していない。

 こいしの言葉を借りるなれば、能力は発達していないということで───。

 

「私は大丈夫よ。こいし、問題は無いの?」

「良かったぁ……」

 

 僕の言葉をスルーして、こいしは胸に当てていた手を下ろす。

 断続的に射し込む日光で明度が上がったり下がったりする顔に、心底安心したような、満面の笑顔が浮かぶ。

 ……そんな、心配してくれてたんだ。

 

「フランさんとか、レミリアさんにはその事を連絡したり」

「してないわ。お姉ちゃんが一番だもの」

「……因みに、体調は?」

「ん、すこぶる健康。あくまで私が何もしなくても私の存在が他の人から認識出来なくなるだけだから、問題っていう問題は無いかな」

 

 それはかなり問題だと思うけど、と溢れそうになる本音を僕は喉に押し込んだ。

 本人がそう思ってるなら、そっちのほうが良い。

 未知の不安に肌を震わせるよりは強がってるほうがよっぽど健康的だ。

 

「無理なら私に言いなさい、絶対に何とかするわ」

 

 こいしは波一つない薄ピンクの綺麗な爪が付いた、ほっそりとした白い指で僕の手を弱い力で掴むと。

 

「ありがとね」

 

 とだけ言って、まっすぐ窓の外を見つめた。

 

 

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 

 

 

 横浜駅は東京に劣らず、複雑怪奇だった。

 まず改札口が4つある。その内2つが中央の大きな通路に繋がっているのに対して、他2つ───北改札と南改札───はそれぞれ独立した別の場所に繋がっている。

 僕とこいしが乗っていたのは、12両編成の最後尾の車両。一番近くにあった階段をとんたんと下りてみれば北口改札だった。

 

「お姉ちゃん、それでアニメショップってどこにあるの?」

「東口だけど……少し待って」

 

 改札から出てしまった僕は、仕方無しにスマホを取り出す。

 目的の店は東口のはず。

 けど東改札なんてものはどうやら横浜駅には無いからして───。

 え? 本当に何処なの。

 

「どう?」

 

 僕は使ってない片手を上げてこいしの声に答えつつ、スマホとにらめっこする。

 2分くらい探して、漸く東口がどうにも中央通路にあるらしいことを僕は理解した。

 

「ちょっと分かり辛いけど……ここからなら地下から行く方が早いわね」

「そうなの? じゃあ行きましょ」

 

 すました顔でこいしはそう言うと、地下へと降りるエスカレーターの方へと歩き出した。慌てて僕も着いていく。

 エスカレーターに乗って、GPSで現在地と照らし合わせたスマホの地図と見比べる。

 

「あっちね」

 

 こいしを追い越して、僕は往来する人々に交じる。

 少し歩くと、再びエスカレーター。

 歩幅に気を付けて、確認しながら段差に乗る。

 

「へぇ、こんなに広いのね駅って」

 

 見渡すと、こいしは一つ一つをジッと見るように目を細めて言った。

 本当に駅とか全然行ったことなかったんだろうな、とか関係ないことが頭をよぎる。

 ふっ、と軽く息をついてこいしはうっすら微笑んだ。視線は上に吊られた案内掲示板へと釘付けになっている。

 

「あっちが東口らしいわ」

「ええ、ありがとうこいし」

 

 僕は案内掲示板に従って足先の方向を変えた。

 駅構内を抜けて、再び階段を上ってスマホを確認してみる。

 ……よし、大体分かる。

 

 アニメショップまでは駅から5分、とウェブサイトには書かれていたけどそれは確かだったみたいで。

 感覚的に本当にそのくらいの時間。

 僕とこいしはアニメショップへと到着した───。

 

「ご機嫌よう。さとり、こいし」

「…………帰りたい」

 

 何故か、その入り口前の柱にレミリアとフランが居た。

 

 

 

 

 

 

 殊に、この二人はアニメショップを背に立っているからか何だか凄く目立っていた。

 幼女とまでは行かずとも、年半ばの少女が二人。しかも金髪と銀髪の超美少女。

 どう考えても迂闊だなぁ、と思ってふと我が身を見る。

 …………この容姿じゃ僕も人の事、言えないよなぁ。

 取り敢えず僕は訊く。

 

「何でここに居るんですか?」

 

 純粋な疑問だった。

 それに答えようとしたのか、レミリアの口角が上がったのを僕は手を制して。

 

「"能力で先読みして来たのよ"…………ですか。メールくらい送ってください。何の為に連絡先を交換したんですか」

「出会って早々心を読まないでちょうだい!?」

「ごめんなさい、気になったので」

 

 まあ勝手に流れ込んでくる以上、読む読まないとか無いんだけどさ。嘘も方便ってやつかもしれない。

 と言うか答えになってないじゃん、今の回答。

 レミリアは優雅というか、気品のある表情を取り戻すと「ふーん」と鼻を軽く鳴らす。

 

「シックな服装ねえ、帽子は違和感あるけど似合ってるじゃない」

「ありがとうございます。そちらこそ……」

 

 僕は歯に物が挟まったみたいに言葉を止めた、というのも目線を落とした瞬間に出すお世辞が宇宙の彼方へぶっ飛んだからだ。

 短いジーンズで織られたホットパンツと焦茶色のカーディガンは良いんだけど、カーディガンの下にあるシャツ。何故か「酒はチカラだ 病は気からだ」という黒い文字が筆で書かれたようなテイストがプリントアウトされている。気になって横目で見ればフランの服には何も書かれていない。

 

 ……そう言えば、フランも昨日は変なシャツを着ていた気がする。この良く分からない感性は姉妹共通のものなのだろうか。

 

 話が飛んでしまった。

 僕は口の中で行き場の無くなった息を溜めて、その後見ているのも恥ずかしくなったので俯いた。

 

「……良いセンスですね。光ってます。はい」

「ならアスファルトじゃなくて服を見なさい服を」

 

 共感性羞恥って本当にあるんだ……。友達居なかったから知らなかったな……。

 

「フラン、それでどうして来たの?」

 

 こいしの声に僕は顔を再び上げる。

 フランは「えっとね」と思い出そうとしているのか少し間を置くと、

 

「朝ごはん食べてたらお姉ちゃんが「あ、私もカタログ買ってないわ!」とか突然言い出すから遂にキ○ガイになっちゃったのかなぁ? とか思ってたんだけど、聞いたら何か意外に正当な理由っぽいから」

 

 と、少し気怠そうに言った。

 

「なるほどー、それでついてきたの」

「そうよ? でもこの生物が貴方たちを待つとか言い出したのは予想外だわ」

 

 嬉しそうに頬を緩めたこいしに微妙な顔になるフラン。

 ……レミリアはキチ○イだのこの生物扱いだのされていたのは気にしてないみたいだ。

 その心を読んでみると(フランがこういう口調なのも元のフランのせいだし、気にしてたらキリが無いわよねぇ)、とのこと。因みにフランを覚ってみれば意図的にあの単語を使っていたことが分かった───言わぬが華、だろう。

 

「何分くらい待ってたの?」

「うーん……10分くらいかしら。でも何か疲れたわ、買って早く帰りたい」

「じゃあフラン、一緒に行きましょ!」

 

 こいしはフランの手を引いて、開く自動ドアの中へと吸い込まれて行く。中から吹いてきた冷房の風がくすぐったいながら、少し心地良かった。

 にしても。見た目と違わず意外と勝手気ままに行動するよなぁ、あの子。

 

 二人の背中を追いながらレミリアがボソリと呟く。

 

「……お互い、苦労するわね」

「私はレミリアさんよりは苦労してません。こいしは良い子なので」

「うーん……物は相談なんだけどこいしの爪の垢、貰えないかしら?」

「煎じて飲ませても変わらないと思いますよ」

「そりゃそうよねぇ……」

 

 ……意外とさっきのフランの言葉、気にしてるのかもしれない。

 これからは少し優しく接しよう、そう決意しながら僕もアニソン流れる店内へと足を踏み入れた。

 

 

 




感想、評価、お気に入り、誤字報告など、毎回ありがとうございます。
因みに感想が一番嬉しいです。


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問14:たけし君は昼食で一皿1250円のオムライスを食べ、お腹が一杯だったので20%残しました。そこでたけし君は残った残飯の分返金を求めました。たけし君の手元には幾ら返ってくるでしょうか。

例大祭参加します!!!!


一般で。


 カタログは容易に手にはいった。

 三階のレジ横に、売れることを見透かすかの如く山脈となって積み重ねられていたからだ。

 お値段およそ1500円、昨日の中国人観光客よろしく衣類爆買いキャンペーンで使ったお金と比べれば非常にお安い。人数分ということで2冊買った。

 こいしはその表紙を見つめて表情を変える。少し不満げのような、期待が外れたような。

 

「原作と違うわ、この霊夢の顔。魔理沙の顔も」

「そりゃデフォルメされているわよ。原作絵も良いけれど、少し癖が強いもの」

「……まあ可愛いから、いいや」

 

 と言いつつ、ストンと落とすようにビニール袋に入れる。いいや、とか言った人の扱い方じゃないよねそれ。

 一方でレミリアとフランもカタログの入った袋を片手に、今度は漫画棚を見ている。特にフランが。

 

「え、もうこのシリーズ新刊出てる……!買うしかない……!」

「フランさ、さっき早く帰りたいとか言ってなかったっけ?」

「え、ちょっと邪魔しないでくれるかしらお姉様」

 

 ぞんざいな口ぶりで、フランはレミリアとは逆方向へと歩いて行った。

 

「何しに付いてきたのでしょう……あの二人」

 

 首を傾げつつ、構わず僕は無視して置いていくことにした。もうここに用はないのだ。

 

「えーお姉ちゃん、もう行くの?」

「ええ、長居は無用よ」

「……まあリスクを考えたら仕方ないね」

 

 うんうん、漸くこいしにもリスクヘッジの意識が生まれてきたようで何よりだ。

 と、僕が内心ほっとしていると袖を引っ張られる。

 

「ところであっちのコーナー何かしら? R18? 何の略称なんだろ?」

「………………まだこいしには早いわ」

「え〜」

 

 最近同じ事ばっかり言ってる気もする。でもしょうがない、純粋無垢畑出身の女子中学生にエロ同人誌を教えるのはかなり抵抗があるのだ。花壇をアイゼンを巻いた長靴で荒らすような、そんな忌避感。

 ただの男子高校生(引きこもり)には荷が重いので気になったらあとで親に聞いといて、と責を丸投げしようとして再度袖を引っ張られる。

 

「ねえねえ、でもフランは入ってったよ?」

「……あの子は常識に囚われないから」

「それなんて東風谷早苗?」

 

 きっと僕の表情は苦虫を潰したみたいな仏頂面になっていることだろう。

 

 余計な事をしてくれたフランを恨めしく睨みながら、エスカレーターで下の階へと下りていく。下りていく途中に上から大きな声が聞こえて、駆け下りるようなドスドスとした音と、それから少ししてフランの手を引っ張ったレミリアが背後から現れた。

 

「何で一言も言わずに先に行くのよ……!」

「あれ、レミリアさん。来たんですか」

「そりゃ来るわよ! 何のためにえっちらおっちらここまで来たと思ってるのよ」

「てっきり趣味かと」

「それはフランだけよ!?」

 

 フランはそうなんだ。いや、サブカル趣味は何となく知ってたけどさ。

 

「お姉様。私もうちょっと探りたいのだけど」

「貴方は我慢なさい。遊びに来た訳ではないのよ?」

「私も違うわ。実った果実を収穫する為に来たのよ」

「駄目だこの妹……もう手遅れだった」

 

 レミリアは額に手を当てて項垂れた。

 先ほど僕たちを待っていたときはまた別種の不満げな表情を隠さず、フランは足元を見下ろす。よく見ると履いてるものが運動靴に変わっている、赤いローファーでは目立つと買い直したのだろう。

 

 外に出ると丁度昼時。時計がてっぺんを回り、更に長針が半周した頃合いだった。

 取り敢えず昼ご飯を食べよう、とこいし、それと何故かついてくるレミリアにフランと話が合い道端にあった値段のリーズナブルな洋食屋に入る。

 メニューを見たフランが首をひねる。

 

「ここ、洋食屋じゃなくてオムライス屋じゃん」

「……本当ですね。オムライス以外のメニューがサラダしかないのね」

 

 メニューを取ってみて、フランの言葉が真だと分かった。

 ケチャップやデミグラスソースやホワイトソース、あるいはバターライスやケチャップライスと種類はあれど基本オムライスのようだ。

 

「私ラーメンのほうが良かったわ。豚骨のやつ。脂ぎっててニンニク増せるやつ」

「貴方はまたそういうのを好む……フランは少し黙りなさい」

 

 呆れ顔を通り越して最早反応するのも面倒とでも言いたげな無表情でレミリアはフランから目を離した。

 その対面に座るこいしは、と確認すれば期待通りぽかんと頭の上に「?」と疑問符を浮かべている。良かった。こいしは二郎系だの家系だのとは無縁にそのままでいてくれ頼む。

 僕はメニューを捲ろうとして、

 

「お姉ちゃん、ラーメンってなに?」

 

 と、こいしの言葉で手が止まる。

 

「え? こいし、貴方ラーメンを知らないの?」

「麺類ってのは分かるわ。名前的に」

「何というか、今時珍しいわね」

「人生495年分は損してるわそれ」

 

 自分の元ネタと掛け合わせるな、しかもそれ人じゃないし。

 いや、にしてもお嬢様だというのは知ってたけどまさかラーメンすら知らないなんて……。他にもこいしは知らなくとも世間一般的にはメジャーな物事が色々とありそうだ。

 フランは足をフラフラとバタ足させながら口を開いた。

 

「じゃあさ、今度食べに行きましょ? 美味しいわよラーメン」

「いいわよ。でも何処に行くの?」

「こいしは胃袋に自信はあるかしら?」

「フランさん? ウチのこいしにそっち系のラーメンを薦めるのは辞めてくれますか」

 

 思わず口を挟んでしまう。

 胃が大きいとか小さい以前に、ラーメンを知らない人間に二郎系を薦めるとか頭狂ってるでしょ。そりゃフランドール=スカーレットは狂ってるけども。

 ラーメンの基準が二郎系(それ)になるのは流石にヤバい。下手したら一生嫌いになるレベル。それこそ人生損してるって多分。

 

「フランさんに変な固定観念を植え付けられても困るし、今晩はラーメンにしようかしら」

「おー! 楽しみだわ」

 

 変なって何よ……、とブツブツ文句を垂れるフランは無視してこいしの髪を撫でる。つやつやとした手触りに、猫みたいに目を細めたこいし。アニマルセラピーならぬこいしセラピー。いや寧ろこいしがセラピストなのかもしれない。滅茶苦茶に癒やされる……。

 

「あなた達ねぇ……。これからお昼を食べようってときに何で夕飯の話をしてるのよ」

 

 冷たく整った相貌をむっつりとさせて、レミリアは店員を呼んで注文を取った。次いで全然注文を考えてなかった僕たちも急いでメニューを決めて店員に伝える。

 

 店員が去ると同時に、こいしがメニュー表を脇に立て掛けた。

 

「そう言えばお姉ちゃん、能力の話ってレミリアたちにしたっけ」

「ああ、してなかったわね」

 

 と云うのもつい先程、電車内で交わされた話。

 こいしの無意識が無意識に他人の無意識を手繰っているという、あの話だった。ややこしいなこれ。

 レミリアは不審そうに眉を顰めた。

 

「能力の話?」

「こいしが能力の進化を訴えてるんです」

「進化……ねぇ」

 

 別に明々と歓喜してたり嬉々としていた訳ではないけど、それまで弛緩していた表情を強張らせた。

 

「一応、先んじて言っておくけど私たちにはないわ。フラン、そうよね」

「ええお姉様。まあ私の能力は壊さないと確かめようがないから、分からないけど」

「あー、そうね。でもだからといってそこら辺の路駐してる車とか壊す訳には行かないし……まあ置いておきましょう。多分大丈夫よ、ええ」

 

 ……何だか不安が残るけども。

 とにかく紅魔組は異常が無いようだった。無いと仮定しよう。そうしないと更に厄介な状況という事になってしまうから考えたくない。

 

「それで、能力が進化したと言ったけれど。どういうことかしら」

「えーっと。簡単に言いますと。昨日までは他人から自身の姿を隠すために能力を意識的に使用していたのですが、今日聞いた話によれば無意識に使用してしまうらしいです。十把一絡げに言ってしまえば、能力のオンとオフが反対になってしまっている、ということです」

「なるほどねー……。原因に心当たりは?」

「───こいし、どう?」

「ないわよ? 何なら私の昨日までの生活を羅列してみる?」

 

 こいしは少し物憂げに目を萎ませた。

 何とも感じていないような振る舞いをしているけど、こいしだって今の状況に不安を感じないはずがない。アニマルセラピー扱いするだけじゃなくて僕もこいしをフォローしていかなきゃ、と思って拳に力が入る。

 レミリアは溜息を一度ついて、

 

「結構よ。もし原因が生活習慣なら同じ住居で生活していたさとりにその兆候が無いのはおかしいわ」

 

 と、何故か八つ当たり気味に僕は睨みつけられる。

 まるで「全く……厄介な問題を持ってきたわね」とでも言いかけて、寸前で喉奥に呑み込んだみたいな顔つきだ。実際は心を読んでるから、みたいな、という言葉は適切じゃないけどまあそれは大した問題じゃない───。

 

「───それでどうです。情報を一つ提供した訳ですけど、私への警戒は少しは薄くなりましたか?」

「……やっぱり気付かないフリをしてたのね、流石は覚り妖怪。凝固した血液より腹黒いものね」

「失礼ですね。不信感を隠そうとした貴方よりは幾分かマシですよ」

 

 こいしやフランには悪いけど、この場の空気を悪くしてでもレミリアとは話さなくてはならないことがあった。

 

 まず前提として、レミリアは僕のことを密かに疑っている。

 それに気づいたのは偶然だった。昨晩の帰宅路、唐突にレミリアがこいしを自分の家に来るよう話をしたのは未だに記憶に鮮明に残っているだろうか。

 そのときは別に疑問は感じなかった。そもそも感じる余裕も無かった。こいしが居なくなると思って取り乱して、僕の思考は外野にまで及ばなかったのだ。

 けど家に帰って考えてみればやはり妙だと思った。幾らなんでも既に僕の家で居候しているレミリアからしてみれば他人を、スカウトするみたいに自分の家に引き入れるなんて、と。そうして考えてみれば僕は異性だから暮らしづらいというもっともな理由も建前に思えたし、思い返してみればレミリアはこいしが居候している理由を知らない。加えてこいしの年齢だって僕はレミリアに教えていない。

 それらを鑑みれば、些かあの提案は性急過ぎなのだ。突飛と言っても過言じゃない。

 

 極め付けは僕たちが外出するのを見越したように着いてきたこと。

 運命を読んでアニメショップへと先んじていたのは本当だろう。

 しかしその動機。例大祭のカタログを買うためというのは嘘ではないにせよあくまでついで、本命はきっと僕を監視するためだ。その対象からこいしは外れている。

 

 そう、レミリアは古明地さとりだけを警戒しているようなのだ。

 

「全く……。貴方の前では考えないように、あるいは別の思考でカモフラしていたのに。何でバレたのかしら」

 

 レミリアは先程よりは大きなため息を一度すると、持ったコップをぐるぐると回しながら言った。中に入ったロックアイスがからんころんと音を立てる。

 

「論理的思考ですよ。決定的なミスはこいしを私の家から離そうとしたとき、あれは話題の切り方が強引過ぎでしたね」

「それは認めるわ。なんたってその子、運命を視ずとも貴方にゾッコンなんだもの。切り出す機会が無かったのよ」

「それであんな話題転換ですか。迂闊でしたね。まあ良いです……それより。私を警戒した理由、話してもらえませんか?」

 

 僕はレミリアを覚りながら、そう口にした。

 無意識にでも周りの心を掃除機で吸うみたいに覚ってしまうこの能力だけど、更に意識を集中すれば絶対に聞き漏らすことはない。一言一句、口だけでなく心の声まで搾り取らせてもらおう。

 

 はぁ……、とレミリアはコップをテーブルの上に置くと、手を太ももの上に乗っける。

 そして、話し始める。

 

「昨日。私はこの現象は東方Projectを開発してる人間が怪しいと言ったわよね」

「覚えています」

「実はもうもう1つ、犯人候補の可能性を捨てきれない対象がいたのよ」

「……同じく、憑依した人間ですか」

「その通りよ。正解の拍手は要らないわね」

 

 あっけからかんと、歯に衣着せずに言った。

 僕を警戒してた事実から予想は何なく出来ていた。

 他人の姿形を非現実のキャラクターにするなんて普通の人間ならば到底出来ない。しかし仮に、それが出来てしまったとしよう。

 もしそんな能力が発覚し、発動してしまったとき、一番最初に誰を架空のキャラクターにしてしまうだろうか。

 その答えは自分以外にほかならない。普通の人間なら初めから他人で試そうとはならないはずだ。

 

 補足として、本当にそんな人間が存在するのならばこの近い地域で憑依現象が起きているのも納得できる。

 こいしは歩いて僕の近所まで来たからして、僕の家とこいしの実家の距離はそう遠くはない。最寄り駅が同じスカーレット家も然りだ。

 

「……それで、私が黒幕だと警戒した訳ですか」

「そうね。普通に怪しいのよ貴方、唯一男だったり高校生と名乗るくせして妙に理知的だったり。完全に猜疑心を捨てるのは無理よ」

「ついでに、こいしが違うと思った理由も聞いて良いですか?」

「それこそ貴方はわかっているんじゃないの。あんな感情の発露が大きくて、物事を知らない子が黒幕だなんてあり得ないわ。もしそうなら物凄い役者よ役者、アクトレスになった方がいいんじゃないかしら」

 

 まあそんなことだろうとは思った。

 電車すら乗ったことなかったと宣うこいしにこんな事件を起こすのは第三者から見ても不可能なのは明々白々としている。

 逆に、僕を怪しむポイントは何個もあったというわけで。

 

「まあ、レミリアさんの推理はハズレとだけ言っておきます」

「それは残念ね。残念賞のティッシュくらいくれるかしら」

「卓上にナフキンがあるのでそれで良いなら」

「つれないわね」

 

 軽口を叩き合うと、区切り良く丁度料理が運ばれてきた。

 プレートに乗ったオムライスは湯気を放つほどの熱を醸し出していて、ライスを紡錘形に包んだふわふわの卵の上にデミグラスソースが惜しげもなくかけられている。

 

「……食べましょうか。冷ますのは勿体無いです」

「同感ね」

 

 

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 

 

 オムライスは中々美味しかった。見た目以上の味で、しかも食べてみればボリュームもある。また機会があれば行ってみたいなここ。

 

「美味しかったねお姉ちゃん」

「それは良かったわね」

 

 満面の笑みを浮かべたこいしに、う〜ん、百点満点!

 ナフキンで口元を拭きつつ前に座る紅魔二人娘を見てみた。

 レミリアは優雅にスプーンを手に、未だ食事を続けている。しかし皿の上までは優雅と行かなかったようで、ぐちゃぐちゃに撹拌されたような卵にテーブルクロスに落ちに落ちた米粒。幼稚園児か己は。一方のフランは普通に食べ終えていた。

 

「結局さっきの話は何だったのよお姉様。聞いてたけど宙ぶらりんで気持ち悪いわ」

「ちょっと待ちなさい、まだ食べてるから」

 

 小さく掬いながらもぐもぐと食べるレミリアに、フランは駄目だこれとばかりに肩を落とした。代わりにこちらへと視線を向ける。

 

「ごめんなさいね、お姉様が粗相をして」

「んぐ……、ちょっとフラン? 私は疑っただけよ」

「いえ。私はあんまり気にしていないので、()()()さんはお気になさらず」

「ねえ、それむっちゃ気にしてない? 凄い気にしてるでしょ?」

「そっかー、良かったわ。私はさとりのこと信じてるからね」

「ありがとうございます。私もフランさんのことは信用していますよ」

「え、眩しい。なんなのよこの疎外感」

 

 フランとの信頼関係を確かめ合うと、僕は漸く食べ終えたレミリアに目をやった。

 

「これで3対1となりますけど、どうしますかレミリアさん? 私のこと、まだ疑いますか?」

「何それ!?卑怯よ卑怯、さすが古明地汚いわ!」

「私もお姉ちゃんも汚くないわよ?毎日お風呂に入ってるんだもの」

「え、いや、そういう意味じゃないのだけど……」

 

 純粋というか、天然なこいしの言葉にたじろぐレミリア。気持ちは分かる。天然ウナギより天然だからねこの子。同情はしないけど。

 レミリアは今日何度吐いてるか数えるのも億劫になるため息をつくと、呟くように唇を動かした。

 

「……分かったわ、分かったわよ。猜疑心を持ち込むのは止めるわ、これで良い?」

「はい、感謝します。正直やり辛かったので」

「貴方は心を読めるもの、そりゃそうね。謝りはしないけど」

 

 と、話も纏まったところでレストランから出ることと相成った。

 

 

 




もうちょっとしたら展開が大きく動いてほしい(願望)

PS.サブタイのせいで更新が遅れてます、誰か僕の代わりに考えて…。


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問15:M銀行に元本514万円預けたとする。金利4.95%、半年複利の場合、5年後に引き出したとき純増は幾らか。

初投稿です。


 その後のこと。

 僕とこいしはレミリアとフランと共に再び地元(というより下宿先)に戻ることにした。本当はそのまま変装用の帽子とかカツラとか見たかったんだけど、手持ちがヤバい。連日の大きな出費。一介の高校生でしかない僕にはそろそろ負担で。まあ端的に、ピンチだった。

 だからそう、節制。

 節制が緊要である。

 幾ら口座にお金があると言っても、使えば無くなる。それを補填する方法はバイトしたり親族にせびったりと2つあるけど、今の僕の姿じゃバイトできないし親族にせびるなんか論外だ論外。ただでさえ生活費貰ってるのにこれ以上貰うなんてあり得ない。

 

 そんな訳で節約する為に変装グッズを諦めて帰路についた僕たちは、再び昨日と同じように駅で別れた。

 

「これは……貴方の選択次第で虹色に変われば、漆黒にも染まる。まあ、くれぐれも選択を間違えないことね」

 

 と、これはレミリアが別れ際に気取って言っていた言葉。

 意味深な言葉ばかり残していくけども本当に中身はあるんだろうか?

 僕は心は読めても感情までは覚れない。その時のレミリアの内心は淡白なもので、夕食のことについて考えていた。

 

 ……まあ、考えるだけ無駄だろうなー。

 僕はレミリアの行動を推察しようとするのを諦める。

 既に十全に知っていることだけれど、何故か僕らの口から出てくる言葉はその憑依してしまったキャラの口調になっている。僕の場合は文学少女のように、こいしの場合は掴み所の無い天然少女のように。

 レミリアだって無駄に偉ぶったような、背伸びしようとしてる幼い貴族みたいな話し方だ。逆にフランは天真爛漫な自由人といった感じ。

 口調から慮るに、共通しているのは原作というより二次創作から強い影響を受けているということだ。原作東方なんかどちらが先に相手をdisるかのさながらラップバトルで、もし原作のキャラ口調が適応されてたなら今頃こんなに容易に意思疎通出来たはずがない。大体「亜阿相界」って何さ。「貴方がコンティニュー出来ないのさ!」じゃないよ、ちゃんと会話して。

 

 駅から家までの道のり。

 徒歩にして、大体十分。ここなら高校に登校しやすいだろうと選んだはずが、引きこもるだけの毎日になってしまって若干の罪悪感の残るアパート。

 ……アパートまでの道は、至ってシンプル。大きな道沿いに歩いて、一回交差点を右に曲がる。また少し歩いてすぐ自宅だ。

 

 特に何もない道のり。

 そんな中、こいしは路傍で立ち止まった。

 

「………………そう」

「どうかした?」

「何でもないわ」

 

 数秒ほど、こいしの視線が奪われた先を僕は目にする。

 身の丈以上のコンクリート塀の前に立つ電柱、その表面に紙が貼られていた。シワ一つ無い、多分貼られたのはつい最近だろう。

 チラシはワードかパワーポイントか何かで書かれたのだろう、中央には誰かの写真が貼られていた。証明写真のようで、何も表情を覚らせないような能面っぷりに、長い黒い髪。着ているワンピースとか、撮られるのに慣れた出で立ちとか、何となくだけど令嬢に感じた。

 どうやら探し人のようで、見かけた方はこの番号までと携帯電話の番号が記載されている。

 名前を確認している間にもこいしが先に歩き出したので慌てて追いかける。

 

 何処となく、こいしの表情は複雑そうだった。

 明らかに先程までとは違って、唇を固く結んでいる。視線を前一直線にしか向けず、と思えば何も無いコンクリで舗装された地面をドリルで抉っているみたいに見遣る。

 

「ねえこいし」

「……なに? お姉ちゃん」

「さっきのチラシ、聞いても良いのかしら」

 

 思い悩んだ様子のこいしに僕も見て見ぬフリが出来ず、自分が力になれるかどうかなど度外視して口が衝いてしまう。

 こいしは躊躇うように無言を貫いて、それからポツポツと語る。

 

「あれはね、お姉ちゃん。私なの。他でも誰でもない、唯一無二で無二無三の私。古明地こいしじゃなくて、この世界に生まれ落ちて普通に生きてきた私」

 

 たどたどしく言うその口調に、僕は頷く。

 何となく予想が付かなかったかと言えば嘘になる。

 

「雛菊千里……だったかしら。それが本当の貴方の名前?」

 

 ついさっき見た探し人のチラシを思い返しながら呟くと、こいしは首を傾げた。

 

「そうだっけ?」

「え?」

「あ、多分そうね。雛菊千里。多分私のことだわ」

「……どういうことなのこいし」

「ん、何が?」

「貴方、その言い方。まるで本来の自分を忘れてしまったみたいな……」

 

 邪気の無い眼でこいしは言う。

 僕は綾辻廣人。姿形、口調が変われど生まれ持った名前が流転した訳じゃない。自分の名前は今まで歩んできた人生にコルクボードに刺すように釘打ってある。

 こいしは曖昧模糊に、僕の疑念を溶かそうとするみたいに笑う。

 

「ちょっとピンとこなかっただけだって。しょうがないじゃん、あの私の写真なんか不細工だったんだもん」

 

 露骨に話題を逸してきたなぁ。

 でも今追及してもきっと僕は何も出来ない。敢えて話に乗っておこう。

 

「写真の写り具合とか今いいでしょ」

「チッチッチ。そういうことには行かないんだよお姉ちゃん。女の子は気になるものよ?」

 

 は、はぁ……。

 女の子、とか言われても僕にはわからない。

 

「大丈夫よ、あの写真は可愛かったわよ」

「そ、そう? ちょっと嬉しいかも」

「嬉しがるんじゃないわよ……。それよりこいし、貴方なんで探されてるの?」

「へ? ああ、そりゃアレだよ。私何も言わずに家飛び出してきたからさ」

「はぁ?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げる。

 一言残さず家から飛び出してきた?

 こいしの家がとんでもなく大金持ちなのは僕も知ってる。そりゃそうなるよ、書き置き残しても探されるだろうけどさ。

 

「だって無意味じゃない。姿声言葉、全部借り物なのに親の前に出ても私と認知されないし。それにあのポスターを貼ってるのもきっと家の従者に違いないわ、そんな大事じゃないもの」

「普通、娘が失踪したら大事ですけど……」

 

 とか口が滑って溢れてもこいしの顔色は変わらない。傷一つない、高価な宝石みたいな相貌。

 

「……親の様子、気にならないのかしら?」

 

 口滑らしついでに付け加えて言ってみると「え? 何でそんなことしなくちゃならないの?」と言わんばかりの間の抜けた表情で首を傾げる。

 

「別にいつも通り過ごしてると思うよ? 朝起きて、新聞読んで、出社して、夕方に帰ってきて書斎に籠もる。そんな閉塞的な日々をね」

「それでも貴方の親よ? そんなこと思わないけど」

「お姉ちゃん。人間の本質ってね、そう簡単に変わらないの。家が災害で壊れても、ギャンブルで全財産失っても、知り合いに手痛い裏切りを受けても、どうしようもなく不変なの。素手で鉄の塊に殴るのと同じ、何にも変わらないわ。でもね、それは当然よ? 変えられない性質によって似たような不利益を被り続けるその愚かさこそが、人間たらしめているんだもの」

「……こいし?」

 

 その言葉に、まるで妖怪が人間の生態でも語っているかのような淡白さに、僕の背筋は仄かに凍えた。

 こいしの両親に対する諦観は知っていたけど、ここまでだっただろうか? 両親に対して、本人の口からは過保護と評していたはず。なのに不変? 愚か? 何を言っているんだ。

 

「どうしたのお姉ちゃん」

「……いえ。何でも、ないわ」

 

 妖怪みたいに白い肌をしたこいしに僕は首を振った。気を取り直さないと。

 少し溜めて、僕は慎重に言葉を選んだ。

 

「こいしはそう言うけど、仮に両親が元から心配していたらどうするの。こいしがいなくなってからじゃ無くて、元より心配性だったら。過保護なんでしょ貴方の両親、それこそ不変よ? いなくなったら探すに決まってるわよ」

「ん〜。想像付かないわ。従者に命令して、自分たちは何もしていないわよきっと」

「それは確定的に明らかなの? 貴方は、古明地こいしではなく"雛菊千里"はその光景を実際に見たのかしら?」

 

 そう言えば返す言葉が無いだろうに、それでも猜疑心に囚われて何かを言い返したい複雑な顔色がこいしの面に浮かぶ。

 

 こいしの言葉はどこかバイアスが掛かったかのように、妙に両親を信用してなかった。それが僕にはイマイチしっくり来ない。何なんだこの違和感は。さながらそこに有るべき歯車が一つかけたような、そんな些細な疑問。或いはオートマチック車にクラッチペダルがあるような、そこに無かったものが外から付け足されているみたいな、不思議と感じる齟齬。

 考えても違和感の正体は掴めない。ただ、何かがおかしい。当然、古明地さとりに憑依してしまったこの状況を指しての言葉じゃない。古明地こいしの様子だ。

 

「見てない、見てないけど」

「見てないなら貴方に断言する資格は無いわ」

 

 思考を巡らせているとこいしが口を開いたから一旦思考を中断する。……ちょっと強く言い過ぎたかもしれない、けどそれは今必要な事だ。

 僕はこいしの瞳を釘刺して言う。

 

「そう。貴方はきっと確認する必要がある。貴方の両親の意思を。そして偏見を取り払って、事実だけを理解する義務があるのよ」

「……そんなの、どうやって」

 

 こいしは感情の高ぶりを抑えるように唇を戦慄かせる。

 方法なんて、決まってる。

 

「簡単なことじゃない。忘れたのかしら、こいし。私の能力は心を読む程度の能力(サイコメトリー)よ?」

 

 僕は近付けば問答無用で人の心を読む事ができる。こいしと違い、第三の目を開けたままの覚り妖怪所以のものだ。唯一こいしには一切合切効きやしないのだが、他の有象無象───レミリア・スカーレットやフランドール・スカーレットさえも含めて───の心は何一つ澱みなく、さながら障子を隔てて一枚向こうに大声で話される独り言を聞くみたいに、完全無欠に覚れる。覚れてしまう。非常に奇妙な事にだ。

 そんな或る種、心を持つ生命体に対しては完璧に作動する能力はこいし(雛菊千里)の両親にも実験するまでもなく作用するだろう。そこまで考えて、ふと僕は虚しくなった。ここまで事柄に自信が持てた事など、僕の人生で一度足りともあっただろうか? いや無いだろう、判断を下すのに一秒すら回顧する時間は要らない。僕は馬鹿だった、ホントに馬鹿だよ。唾棄すべき愚かさだ。あるはずが無い。僕にとって自分は蔑ろにすべき対象で、自信も傲慢も全て0になるまで切り捨てて生きてきた。なのに、突然降って湧いてきた能力に自信を持つ───?

 この3日間の混乱で自分を見失っていたみたいだ。無意識に自我を迷わせていたのはこいしじゃない、僕だ。僕は古明地さとりじゃない。何れはこの能力だって無くなる。そもそも他人を覚れるなんて、本来普通の人間にあってはならない過ぎた力。そんな本来有らざる力に自信を持つとか、それこそまるで本当に僕が古明地さとりみたいじゃないか。

 

「……お姉ちゃんが会いに行くの? 私の両親に」

「妹の為よ? それに私だけじゃなくて貴方も行くのよ」

 

 自虐に浸りながら発した言葉は、そこはかとなく冷たく響いた。

 

「だってどうやって会うの? 今の私はあの人達の娘じゃないわ、会ってくれるとは思えないよ」

「方法ならあるわ。こんな幼い容姿で、貴方(雛菊千里)だから可能な、簡単な方法が」

 

 口を回しつつ、少しこいしに申し訳なくなる。こんな事を言ってる間にも僕は何者にもなれない自分に失望しているからだった。古明地さとりを騙ることでしか存在証明が出来ない。それはどれだけ無味で惨めで虚ろなのだろう。モラトリアム人間、いや、今はモラトリアム妖怪か……。

 空を仰げば、雲は今にも天から涙を零しそうなくらい、泥濘のように世界を覆い尽くしていた。

  

 

 

 

 

────────────────

 

 

 

 

 

 そうして小雨が降り出した頃、こいしの案内でやってきたのは雛菊家なのだが。

 デカい。デカ過ぎる。

 率直に、脳裏でそんな感想が浮かぶ。IQ2くらいの感想だけど自己弁護しよう、これは仕方がない。

 僕は東京ドームとか有明国際展示場とか幕張メッセとか行ったことないけど、例えるならそれくらいあるんじゃないかってくらい広い。無論想像だけども、明白なのはこれまた大きな正門越しに見える庭の向こう側に建つ洋式の屋敷が一般住宅じゃ考えられないほど果てに位置してることだった。屋敷からこの正門まで歩いて5分? 10分? どちらにせよ一般人の住める家じゃない。貴族、下手したら中世の王族の屋敷レベルかもしれない。金持ちとは聞いてたけどここまでとは……。

 圧巻の敷地に呆気に取られているとこいしは言う。

 

「一応、ここが私の家だよ」

「…………まあまあね」

 

 僕の返答は何故か、ツンデレキャラが主人公を渋々認めるみたいな、少し背伸びした言葉だった。いやなんで? 何が「まあまあね」なの? 越前リョーマだってこんな馬鹿デカい屋敷見たら余裕ぶったこと言わないよたぶん。

 ……まあどうせ、無意識に返したせいで古明地さとりの部分が色濃く出てしまったのだろう。地霊殿も多分このくらい広いし。見たことないけども。張り合うくらいだから広いんだろうきっと。

 

「で、押すの? 私は嫌よ? 家出は良くても自分の家のインターホンを押すのだけはダメな宗教に属してるもの」

「そんな部分的に不便な宗教無いわよ……。いいわよ別に、私が押すから」

 

 そう言って僕はあんまり躊躇わずに押す。別に気負う理由だって、ちょっとはあるけどそれ程でも無いし。敢えて言うなら屋敷の圧迫感はヤバい。

 数秒して、スピーカーから若い女の人の声が聞こえてきた。

 

『はい、どちら様でしょうか』

「ええと、私とこの子は雛菊千里さんの友達なんですけど……今いらっしゃいますか?」

『失礼ながらお嬢様とのご関係は?』

「学友です」

『はい、正門まで参りますので少々お待ち下さい』

 

 プツリと音が切れる。やけにクリアに声を拾うマイクだったなぁ、こんな所にもお金を掛けるのは流石金持ちと言うべきなのか。

 ともかくこれで作戦の第一段階は完了だ。概要を語れば雛菊千里のクラスメイトとしてこいしの家に潜入しその両親と会う、そんな簡単な作戦を今遂行しているのである。目的はシンプル、その両親の本意を覚りに行く。作戦自体の穴も少なく今のとこは完璧。一応ある程度はこいしとも話して設定の齟齬が出ないようにしてる。と言っても設定なんて僕たちは雛菊千里のクラスメイトで、仲良し姉妹で共に帰宅部ってことくらいだけど。

 それにしてもお嬢様! お嬢様だってよ!

 思わずこいしの顔を覗いてしまう。

 

「ん? 私の顔になにか付いてるかしら」

「……目と鼻と口は付いてるわ」

「何それ」

 

 古明地こいしなのでやはりアイドル顔負けなほど端正な顔付きはしてるけど、正直お嬢様感は薄い。中身は多分そうなんだろうけど外見は完全に好奇心旺盛な少女だ。いや、中身もどうなんだろう……あんまりお嬢様感は無いかもしれない。

 すると、一台の車が敷地内からコチラへと走ってくるのが見えた。ゴルフ場とかで見るようなあまり速度の出ない車だ。ゴルフカートとか言うんだっけ。物珍しく見てると、こいしが「ああ、堀田ね」と納得げに相槌を打った。

 

「堀田? あの運転してる人の名前かしら」

「うん。この家の筆頭メイド」

「何なのその凄い中世感ある肩書き……。現代ミステリー小説出てくる洋館だってもうちょっとマシな設定を作るわ」

「そうかな? じゃあ筆頭執事とかも駄目ってこと?」

「駄目じゃないわよ……」

 

 駄目って訳じゃないけど、ただ無茶苦茶異世界ファンタジー感があるだけに戸惑う。馬鹿デカい屋敷とかメイドとか執事って概念でもうアレなのに筆頭って。マジにここ日本の家なの?

 正門まで来たゴルフカートからメイドさんは降りて、門の横にある来客用扉を開けた。

 

 




全然更新なかった間にも感想とか評価とかお気に入りしてくれた人全てに感謝してます、ありがとう。

本編にはあまり関係ないですが深く考えた結果プロットが壊れたのでいま練り直してます、辛い

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