限界灰域のデトリタス (小栗チカ)
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プロローグ

ここは廃都。

人の飽くなき夢と欲望とが行き着き、唐突に途絶えた、その成れ果ての地。

陽光は、群れてそびえる建物と灰域によって遮られていつも薄暗く、紫に白に発光する謎植物が生い茂る様は、この世の光景とは思えぬほどだ。

初めて任務でここを訪れた時、一緒にいた仲間がこんなことを言っていた。

 

「まるで深い海の底だ」

 

私は海の底を知らない。

そもそも、海を見たことがない。

水辺と言えば、ここよりさらに奥にあり、私たちが暮らす深層と呼ばれる場所の大きな湖が思い浮かぶ。

灰色と紫に煙る空と、武骨な建物が突き刺さり、わずかな日の光を反射しながら揺らぐ水面。

風が吹けば濡れた土と水の匂いを感じ、水面を揺らして陸地を洗うその音。

私の好きな場所だった。

かつてミナトにいた頃のお気に入りの場所、任務で度々訪れていた鉱山の下流域と少しだけ似ていたから。

だから、興味を覚えて、独り言だったろう彼の台詞に反応した。

 

「海の底、知ってんの?」

「いや、子供の頃に見た映像記録でしか知らないよ」

 

彼は、フードに手を入れて頭をかいた。

私と同じく、ゴーグルにマスクをつけたその表情はわからない。

彼が言うには、彼の生まれ育ったサテライト拠点は、この地の環境や生態系を調査、研究をしていた場所だったらしい。

 

「その時に見た深海の映像と雰囲気が似ていてさ。ここを舞う灰と光が、まるでマリンスノーのみたいだなって」

「マリンスノー」

「海底に降る雪。こんな感じの綺麗な風景だよ。ま、その正体は生物の遺骸や排泄物、分解物の欠片らしいけどな」

「せっかく綺麗めの名前なのに、それを言っちゃうかー」

 

私が呆れ半分で言うと、彼は肩をすくめた。

 

「ぶっちゃけこの灰は、喰灰の排泄物のようなもんだ。食ったら出す。当たり前のことだろ」

「そうだけどさー」

 

彼の言葉に、この現実味のないせっかくの風景が途端に色褪せそうだった。

 

「グレイプニルがしきりに灰域を浄化するだの、清浄な土地を手に入れるって言ってたの、そういうことなの?」

「さあね。俺らを踏みつけにして悦に入っている連中の考えなんて知らんよ」

 

彼は、感情を感じさせない声で応えた。

私たちがそうして無駄話をしている間にも、ゴーグルの向こうでは、白く輝く粒子が降り注ぎ続ける。

彼は顔をあげた。

 

「この灰がさ、天と地のどこにも安住の場所がなくて、沈むしかない俺たちのようだなって、ここに来る度に思うんだよ」

 

彼の言葉が寂しげに聞こえたのは、この風景によるものか。

人類の天敵アラガミを屠る術を持ち、灰域に対抗する肉体を持つ、地上でも力のある生物の一つとも言える私たちだが、実際は、数多いる人やゴッドイーターたちに虐げられ、使い捨てられる存在だった。

と、比較的大きめの粒子が目の前に降ってきて、おもわず手に取る。

しかし、それはあっさりと形をなくして消え去ってしまった。

ああ、なるほど。

彼の言わんとするところは理解できた。

でも。

でも、世界と人の有り様を嘆いたまま沈んで消えていくのは、ちょっと悔しいなとも思った。

彼に歩み寄り、その背を軽く叩く。

 

「ほら、元気だして回収作業の続きしよ。この仕事終わったらマリカも交えて一杯奢るからさ。ね」

「それ、お前が飲みたいだけだろ」

 

寂しげな様子が消えて彼が笑った。

ちょっとだけホッとして言葉を続ける。

 

「そうだよ。ここに来てから覚えたけど、あれはいいものだねい。いらないの?」

「いる。せっかくの奢りだ。高いの頼もっかな」

「子どもがいるんで、お手柔らかにお願いしたく」

「子持ちは大変だねぇ」

「子持ち言うな」

 

言い返した時、通信が入る電子音が鳴った。

 

《潜航開始から十五分が経過》

「おっと、少しピッチ上げたほうが良さそうだな」

「そうだね」

 

彼は長刀の神機を肩に担ぎ、気を取り直したように言った。

 

「んじゃま、引き続き灰底(かいてい)探索を続けますか」

「オッケー。案内よろしくね、センパイ」

「ほいきた。しっかり着いてこいよ、コウハイ」

 

私も神機を担ぎ並んで歩き出した。

 

 

ここ数十年の人類史を、少しだけおさらいしよう。

二千五十年代に、突如として現れた神の名を冠する人類の天敵『アラガミ』に対し、人類は、アラガミに攻撃可能な生体兵器『神機』と、それを操る兵士『ゴッドイーター(GE)』を生み出し、押し迫る人類存亡の危機を辛くも切り抜けてきた。

しかし、二十二世紀が視界の端に見えるようになった頃、空気中を漂い、あらゆるものを喰らって灰にする未知なる脅威『灰域』が各地で発生。

この脅威に対し、かのGEの力を持ってしても及ばず、GEを束ねていた『フェンリル』による体制もついに崩壊。

後に『厄災』と呼ばれるこの事態を皮切りに、守護者を失った人類は、再び存亡の危機に瀕していた。

しかし、それでも生き延びた人々は、各地で地下拠点『ミナト』を建造。

さらには、灰域に対抗する対抗適応型ゴッドイーター、通称『AGE』を生み出す。

そしてこの地では、フェンリルの生き残りによって組織されている『グレイプニル』を中心に、地表を覆う脅威に抗い続けていた。

 

月日は少し流れ、クリサンセマムの鬼神と呼ばれるAGEと、その仲間たちによってフェンリル本部を取り戻した人類は、この灰域を浄化しようと『灰域捕喰作戦』を決行することになった。

しかし、灰域を捕喰する兵器『オーディン』の起動にはAGEの力が必要であり、しかも起動したが最後、AGEは消滅してしまうものだった。

このお達しに、虐げられ続けたAGEたちは当然反発し、各地でグレイプニルに対して反乱を起こした。

私たちがお世話になっていた、AGEのみで構成される武装集団『朱の女王』も、その渦中に飛び込むことになった。

しかし、朱の女王は劣勢状態となり、私と子どもたちは、お世話になった人々や友人、仲間に見送られて拠点を脱出することになったのだ。

悲観的でロマンチストだったあの彼は、彼女と共にベースに留まって戦うことを選択した。

てっきり二人で逃げるものと思っていたが、二人は厄災が起こった頃からここのお世話になっていて、今更離れられないと告げた。

逃げる当日、神機を担いで見送りに来た二人は、表向きはいつも通りだった。

 

「まあ、ビビって土壇場で逃げるか、投降するかもしれないけどな」

「その時は、私にもちゃんと声かけてよ」

「もちろん。俺、運ないじゃん。一人だと絶っ対にやらかすか、絶対に巻き込まれる自信あるぞ」

「そんな自信はすぐに捨てろ」

 

自分の運のなさを、何故か自信満々にアピールする彼に私が突っ込むと、ゴーグルの向こうの目が笑った。

 

「だから、マリカの側にいてその強運にあやかろうと思っているんだ」

「あんたの運の悪さと、引きの弱さはわかってるからね。仕方ない。相席を許そう」

キッティ(ありがと)。マジ頼りにしてっから」

 

そう言って、彼は彼女にくっついた。

仲がいいのは結構だが、今日この日まで見せつけてくれるな、このカップルどもめ。

見守る子どもたちの視線を受け、私は手を差し出した。

 

「じゃ、私は行くよ。二人とも仲良く元気でね」

ナハダーン(またね)、サイカ」

「またみんなで飲みに行こうな」

 

そう言って握手をし、お別れとなった彼らの心には、どんな思いがあったのだろう。

生きてまた会えたら、三人でお酒を飲みながら話を聞きたい。

私は生き延びることを改めて決意する。

途中で脱出ルートへ誘導していた顔見知りの女AGEと会った。

 

「そっか、お前も逃げるクチか」

「うん。……ゴメンね」

「いや、責めてるわけじゃねえよ。お前らがここで沈むには、若すぎるからな」

 

子どもたちを見て笑って言う彼女もまた、私よりも若いのに。

口が悪くて、戦闘においては真っ先に先陣を切る猛々しさもある反面、子ども好きで仲間思いの優しく不器用な女性だった。

 

「あんたは残るんだね」

「ああ。ここには事情があって逃げられない連中もいる。守ってやらんとね」

「そう。くれぐれも気をつけて」

「お前らもな」

 

握手をして彼女と別れ、逃げる人々で混雑する道を進んだ先で会ったのは、このベースで唯一、子持ちのラベルを無視して私と寝る関係となった男だった。

彼もまた、脱出ルートを案内をしているらしく、それが済んだら逃げると言っていた。

そうして案内された先は、建物と建物間にある人気のない細い道路だった。

疑問に思って尋ねると、主なルートは人がいっぱいで進むに時間がかかり、ルートを分散して案内するよう、伝えられているとのことだった。

 

「ここを道沿いに進めば廃都へ出る。まだ連中はここまで来てはいないが、そう長くは持たんだろう。急ぐに越したことはないが、大型のアラガミも多く潜んでいる。気を付けて進め」

 

そして、手持ちのポーチから平たい箱を取り出し、私に差し出した。

 

「持っていけ。最悪の事態を回避するお守りだ」

「指輪の類いじゃなさそうだけど」

「それはそれでロマンだが、残念ながら指輪で最悪は回避できんよ」

「だねい」

 

私は小さく笑って受け取り、箱の中身を確認して思わず息を飲んだ。

 

「ちょっとこれ」

「火事場のどさくさに紛れてちょろっとな」

 

彼は、いつもの爽やかなお兄さんの笑顔ではなく、不敵で、イタズラを成功させた子どものような笑顔を見せた。

箱の中身は、正規のルート以外では一般のAGEには決して手に入らない、厳重に保管されているはずの代物だった。

それを土壇場とは言えくすねた彼は、一体何者なのか。

私は、よほどのシロモノでない限り、男から求められれば寝れる女だ。

男の素性や属性は全く気にしない。

しかし今回ばかりは、彼の素性と、ここまでしてくれる理由を聞き出したい欲求にかられた。

 

「……お礼をといきたいところだけど、そんな時間はなさそうだね」

「その体に未練はあるが、今は互いにこうしている時間も惜しい。早く行け」

 

私が気付いたように、彼もまた気付いていたのだろう。

ベース全体を取り巻く空気が、さらなる混乱と危機をはらんで飲み込もうとしている様を。

私は箱をポケットへしまうと、神機を軽く持ち上げた。

 

「わかった。それじゃ、また今度ね」

「ああ。気を付けてな」

 

これから任務に行くようなノリで挨拶をし、笑って手を振る彼に背を向け、廃都へ向かう道を進み始めた。

不安がないと言えば嘘になる。

でも、きっと大丈夫。

私は子ども四人を連れ、ペニーウォートの灰嵐を凌ぎ、生き延びることができた。

だから、今回もきっと乗り越えられるだろう。

楽観と慢心と無責任を鍋で煮込んだ、ベリーのジャムより甘い平和ボケした考えでこの旅に臨んだ。

だが、ここはただの灰域にあらず。

私たちAGEでも、灰域適応技術がなければ数十分ともたずに飲み込まれる限界灰域。

おまけに、人同士の戦乱がこの地に及ぼうとしていた。

みんなを守る。

みんなで生き延びる。

それがいかに困難なことであるか。

この時の私はそれを正しく知らなかったし、それどころではなかった。

やはりベース(ここ)はダメだった。

ならば、自ら選んで進むと決めた目的地で、今度こそ私の望みを果たすのだ。

 

廃都へ進んだものの、当然一筋縄ではいかなかった。

倒壊した建物や車、瓦礫の山、陥没した道路は行く手を阻み、濃い灰域は視界を狭め、耐性のあまりない子どもたちの体力を着実に奪い取った。

極めつけは、廃都一帯、灰域を耐え抜いた精鋭とも言えるアラガミが、我が物顔で闊歩する巣窟になっていることだった。

障害物を乗り越えたり、アラガミをやり過ごしたりしながら進むが、大人のAGEですら難しい道のりだ。

子どもへの負担は相当なものになっており、こまめに休憩を挟み、励ましながら時間をかけて安全確実に前進する。

そして今また、足止めを食らっていた。

私たちがこれから進もうとしている道路に、白くしなやかな大型のアラガミが、小型種を貪っているのが見えたからだ。

私一人では、子供を守りながら戦うことも勝つこともできないであろう。

古代の英雄の名を持つ白き炎のアラガミ、ハンニバルだった。

瓦礫の山に隠れながら、私たちはハンニバルの様子を見守る。

 

「サイカ、みんなの息が切れている。進むペースを少し落としてほしい」

 

傍にいた最年長の子どもの発言に、私は頷く。

 

「うん、分かってる。でも、アレをやり過ごした先に休憩所があるから、今日はそこまで頑張ってほしい」

「あれ? 今日はもうおしまいか?」

 

左脇にいる別の子どもの発言に、私はさらに頷く。

 

「今日は様子見と慣らし運転のつもりでいたからね。今日は早めに休んで、明日以降頑張ることにしよう」

 

言って私は、体をひねって背後に寄り添うお下げ髪の子の顔に手を触れた。

 

「大丈夫? 痛いところはない?」

「ウィ。でも、ここで少し休めてちょっと良かったかも」

「ゴメンね、無理させて。でも今日は後もう少しだからね」

「まだ大丈夫。頑張って着いて行くよ」

「メルシー。頑張ろうね」

 

マスクとゴーグルに覆われた顔を撫でると、彼女は頷き、私は再び前を向いた。

ビルとビルの狭間に差し込む光は、灰域に霞みながらもオレンジ色の光を投げかけてくる。

マスクをとって水を一口飲み、再びマスクをつけて前方へ注意を払う。

 

「サイカー、行ったよ」

 

小声で言うのは、背に背負う最年少の子どもだった。

小型種を跡形もなく貪り白い巨体が、ビルの向こうへ姿を消し道が開く。

今が通過するチャンスだ。

 

「よし、みんな行くよ! 集中してね」

 

私と子どもたちは、瓦礫の山を越えて再び前進を始めた。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
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灰底の都 1

日の暮れた廃都の路地裏。

深い青に染まる廃墟の風景を照らすのは、謎植物の発光する白と紫の光だ。

ベースにいた時に聞いた話では、かつてここは繁華街で、夜は様々な色の明かりが煌々と灯り、多くの人が行き来する大層賑わっていた場所だったらしい。

今ではそんな面影はほとんど残されておらず、人っ子一人いない陰鬱で危険な場所となっていた。

多少無理をしても今日中にここを抜けたいと思っていたが、子ども四人を抱えてはそれもままならず、しかも行く先の道路とその迂回路には、アラガミが一体ずつ陣取っていた。

どちらも中型種、一体ずつ油断なく立ち回ればどうにか切り抜けられるだろうが、この先の行程を考えると、ここで戦うのはできれば避けたい。

なので、建物の影から様子を窺っている真っ最中だった。

 

「サイカ」

 

声を潜めて私の名を呼ぶのは、この場において一番最年少の子だった。

 

「どうしたの」

「あれは何ですか」

 

私の腰にしがみつきながら、行く手を塞ぐモノを指差す。

餌場でうずくまる丸い異形。

馴染み深く、見ようによってはユーモラスな、しかしこの灰域には珍しい姿だった。

何故か敬語で生真面目に尋ねる子どもに、私も敬語で返す。

 

「あれはアラガミです」

「お名前何て言いますか?」

「コンゴウです」

「コンゴー」

 

ちょっとイントネーションが違うけど、そこはまだ六歳のお子様。

細かい指摘はなしの方向で進める。

 

「コンゴー」

「そう、コンゴウ。丸くてムキムキなおサルのアラガミです。でも、ただのおサルなアラガミと思うなかれ。背中にパイプが付いているの見える?」

ヨー(うん)

「あのパイプから空気を取り込んで、それを弾にして敵を攻撃することもできるの。それが、めっちゃ命中率が高くてね」

「強い?」

「強いよー。でも、あのおサルの厄介なところは耳の良さ。ちょっとでも大きな音を立てたら、あっという間にバレて仲間を呼んじゃうから、こうして隠れている時は気を付けるように」

「ヨム」

 

元気よく返事をしようとする彼のマスクを慌てて塞ぐ。

私の周囲にいる子ども三人が、一斉に私たちの方を向き人差し指をマスクに当てた。

 

「シーッ!」

 

見れば、コンゴウは何かを察して周囲を見渡すが、しばらくすると餌場に再びうずくまった。

どうやら気付かれなかったようで、一安心だ。

 

「静かにね」

 

彼はゴーグルの向こうで目を丸くし、ウンウンと頷いた。

素直でよろしい。

マスクから手を離すと、左手側にいる子どもが袖を引っ張った。

 

「ねえ、オレも聞いていい?」

「はい、何ざますか」

「あれはなんていうの?」

 

そう言って迂回路を指差す先には、別の餌場でうずくまる角の生えた大きな背中と、その背に繋がる太い尻尾が見えた。

 

「あれはバルバルス」

「バルバル?」

 

腰にくっつく子が会話に入ってくる。

 

「バルバルス」

「バルバル」

「バルバルー」

 

訂正するも、子ども二人は楽し気にバルバルバルバル言い続ける。

そう呼びたきゃ呼べばいい。

大人でもバルバル呼びする人はいたし、恐らくは通じる。

 

「バルバル強い?」

 

左手にいる子が見上げて尋ねるので、私は頷く。

 

「強いよ。特徴は、見てわかるように左手のドリルだね」

「ドリルっ」

「ドリル、カッケーなあ」

「そうね。人に向けなければね」

 

ドリルのロマンとやらがわからない私は、雑に同意した。

 

「あのドリルを使って地中に潜って飛び出しながら攻撃したり、ドリルで地面を抉りながら範囲攻撃をしたり、シンプルに延々と振り回したり。あれと戦う時は、とにかくあのドリルを先に壊すことがお約束かな」

「耳はいいの?」

 

尋ねるのは、神機を持つ右手側にいる子だ。

ここにいる全員、マスクとゴーグルにフードを被っているため、顔立ちはハッキリと分からない。

だが、そのフードから出ているダークブロンドのお下げ髪と、ゴーグルの向こうに見える目の輝きは女の子のものだ。

 

「感覚はそこまで鋭くないよ。どちらかと言えば、比較的戦いやすいアラガミなんだけど、アイツうるさいから、コンゴウが気づいて合流する可能性がある」

「そっか。厄介だね」

 

小さくため息をついたらしいその肩に、私は安心させるべく手を置いた。

 

「大丈夫。ここで大人しく待っていれば、いずれ餌場から離れる。そしたら、素早く通り抜けて予定の休憩地点まで進もう。後もうちょ」

「ぶぇっくしょーい! うぇーい」

 

私の言葉を遮り、マスクをしているにも関わらず、この通路の空気を震わせる盛大なくしゃみをしたのは、左手にいる子だった。

私を含めた皆の視線を受け、彼は小さく縮こまる。

 

「……ゴ、ゴメン。わざとじゃ、ない、よ」

「うん」

 

私は深く、内心で歯を食い縛りながら頷く。

 

「うん、仕方ないよね。生理現象だもんね」

 

ここまでの努力が水泡となった上に、事態の悪化を予感しながら言うその背後で、最年少の子が外套の裾を引っ張った。

 

「バルバル気づいてないよ」

「そうね。バルバルは気付かない」

 

頷き、本来向かうはずだった通路へと視線を向ける。

 

「でも、アイツは気付くんだよ」

 

餌場で夕食を楽しんでいたはずのコンゴウが、こちらをバッチリと見ていた。

どうしようもない空気が流れる中、最年少の子が、咄嗟に背中に隠れた。

そして顔を出し、コンゴウに向かって口を開いた。

 

「……テルべ(こんばんは)

「ちゃんと挨拶できるなんて凄いなー、偉いぞー」

 

自棄っぱちで誉めた瞬間、コンゴウは胸を叩き、両腕を上げながら屈伸して、この周辺に咆哮を轟かせた。

 

「走れ!」

 

その声に負けじと私は叫び、背に寄り添う子を背負い、左手側の子を小脇に抱えて、先程来た道を駆け出した。

 

「アルビン!」

 

後ろに付いてきている、子どもたちの中で最年長の子を呼ぶ。

 

「クロエのフォロー!」

「オケイ!」

「クロエ、苦しくなったら言って。我慢して酷くなる方が、よっぽどマズイからね」

「ウィ!」

 

駆けながら指示を出し、逃げることに専念する。

とは言え、子ども二人と荷物、そして神機を抱えているので、いつものように走ることはできない。

仮に全力疾走できても、後続にいる子どもたちを置き去りにはできない。

 

「サイカ、コンゴー何かするー」

 

荷物と一緒に背に掴まっている子が指摘するが、端的すぎる。

聞き返そうとして、しかし即座に思い至った。

例のエアボムだ!

 

「アルビン、クロエ、合図したら全力疾走! ダニー、ビャーネ、頭伏せときな!」

「ヨー」

「あいさー!」

 

そうしている合間に、背後から砲撃音がした。

そして、私の周囲に風が巻きおこる。

 

「今っ!」

 

二人が私の横を走り抜けると同時に、私は振り返り、右手の神機を振り上げ片手で盾を展開。

 

「残念!」

 

ナイスタイミングでガード成功。

私の腕では、中々珍しいことだ。

即座に盾を閉じて、前を走る二人を追って再び走り始める。

 

「サイカ」

 

小脇に抱えているビャーネが声をかけてきた。

 

「はいはい、なあにっ?!」

「あのさ、オレのせいでこんなことになっちゃたけどさ、……アタシのこと離さないでね。一人にしないで」

 

……コイツ。

子供心に責任を感じ、不安になる気持ちはわかる。

だが、それをよくも、そんなふざけた言い回しで言えたものだ。

てか、どこで覚えた。

 

「ビャーネ」

 

走りながら、小脇に抱えたふざけた存在に呼びかけた。

 

「そんな軟弱なふにゃチンは、今すぐコンゴウの元へ叩っ込む!」

「こむ!」

「いやだあああっ!」

 

叫ぶビャーネに構わず、私は言葉を続ける。

 

「揉まれて轢かれて潰されて、メンタルムキムキなるまで家に上げない!」

「ない!」

「ムキムキ! オレ、メンタルムキムキのマッチョメェン、だよっ! でもさ!」

「挽回したいなら今は黙って生きろ!」

「生きる!」

 

そうして先行する二人を追うが、前の二人のペースは明らかにダウンしていた。

アルビンはともかく、体の弱いクロエは、顎が上がり大分苦しそうだった。

おまけに、背後からはコンゴウ以外の足音も聞こえてくる。

 

「サイカー、バルバル来てるー」

「うん! 派手にやらかしてくれたからねっ」

 

背負うダニーに答え、神機を持つ腕を伸ばすとクロエの体を抱き込み小脇に抱えた。

 

「重っ」

 

思わず走る足の動きが鈍った。

荷物や厚手の服のせいもあるが、彼女自身が想定外の重さだったのだ。

彼女を最後に抱えたのは、数年前のこと。

当時からしっかりバージョンアップしていたわけだ。

私の思わず口に出た発言に、息を切らしながら彼女は体を小さく丸めた。

 

「ご、ごめ……」

「許す! その調子で肥え太って、健康に丈夫に逞しくなりなさい」

「ウィ」

 

重さに慣れ、再び足は路面を力強く蹴り出した。

子ども三人とその荷物、私の荷物と神機を抱えて走り続けられるのは、ひとえに超人的な肉体を持つAGEだからだ。

それが幸か不幸かはわからない。

 

「アルビン」

 

最年長の少年の横に並び走る。

 

「何」

「あんたはまだ大丈夫ね」

「うん。って、あんたヤバいだろ。定員オーバーすぎだろ」

 

私の様子を見て、ゴーグルの向こうの彼の目元は引きつっていた。

ドン引きする余裕があるとは頼もしい。

その余裕振りに便乗させてもらおう。

 

「そのとおりっ! てなわけでっ! あんたはこの先苦しくなっても、その足で私に付いてきなさい。できるね」

「ヤ!」

 

即答して頷く彼に、私も頷き返した

 

「よし! しっかり付いてきなさいよ!」

「がんばれー」

 

ダニーの声援を受け、私たちは暗い路地裏を走り抜ける。

こうして、命がけの逃走は三十分ほど続き、根負けしたらしいアラガミが退散したことで幕を閉じた。

 

 

私とこの四人の子どもたちは、かつて『ペニーウォート』というミナトで同じ牢にいた仲間、コジャレた風に言うならルームメイトだった。

ミナトの環境は最悪で、何か虐げ下に見なければ安心できない、大人の形をした子どもの下衆な理不尽が横行していた。

私も例外なくその餌食になっていて、私は、皮の鎧を常に装備したサドでペドな粗チン連中と、やっぱりサドでペドでヒス持ち女どもの憂さ晴らしと性欲処理が主な仕事だった。

心が着実にすり減る日々の中で、私は気づいた。

いや、天啓を得たというべきか。

私はコレが好きだ、という事実に。

それに気づけたことは、本当に不幸中の幸いだったと思う。

連中は何をどうしたところで楽しむわけだし、それなら私も勝手に楽しめばいい。

奴等のために、心をすり減らして苦しむなぞ真っ平ごめんだった。

その日から、好きこそ物の上手なれ、をそのまま実践した。

戦闘はからっきしだったけど、こちらの方はもしかしたらSSS+、いや、これは言い過ぎか。

世界は広く、数多の男と女がいるのだ。

それでも、Sくらいは取れるかもしれない。

ある日、セックスに耽る私を見て、看守の一人がうすら寒そうにこんなことを言った。

 

「どんだけ好きモノだよ、このメス犬。将来コエーよ」

 

己と己の所業を棚に上げ、人を貶して見下すことにかけては確実にSSS+を取れる連中だった。

内容は違えど、虐待を受ける日々に心と体を壊していくAGEがいる中で、私がここまでこれたのは、こんなだったからだと思っている。

おかげで仲間を守り、待遇改善に幾ばくかの貢献もできていたのだから、世の中何が役に立つか本当にわからない。

で、数ヶ月くらい前、ミナトが灰嵐に襲われた。

私は四人の子どもたちと共にミナトを脱出した先で『朱の女王』に拾われた。

悪名高きテロリスト集団に助けられ、そこで生活をすることは、もちろん複雑だった。

夢のような風景に漂うきな臭さは常に感じていたし、朱の女王(ここ)に所属するAGEたちの凶行と、たまに見かけたバランの人たちの印象の悪さと得体のしれなさは、不安を煽って止まなかった。

だが、拠点(ベース)の人たちは基本的にはいい人たちだった。

『普通の』日常生活を知らない私に、家事全般を教えてくれたり、食料や日用品をお裾分けしてくれたり、私が任務で不在の時は子どもたちの面倒を見てくれた。

ここまでされて、警戒心を持ち続けることは私にはできなかった。

そうして子ども四人とささやかな、平和で賑やかで忙しい生活を送っていたのだ。

 

しかし、そんな日々は『グレイプニル』の灰域捕喰作戦のAGE徴集によって終わりを告げた。

そのお達しに、各地でAGEたちは当然猛反発し、灰域やアラガミそっちのけで人同士が争う事態に発展した。

そして、中立を保っていた『バラン』の協力を得た朱の女王は、ついにグレイプニルとの全面戦争に突入。

でも、そのバランが離反したことで、数に勝るグレイプニル側に勝利の天秤は一気に傾いた。

その報はベースでも知れ渡り、戦火が及ぶことをいち早く察した人々は、居住区内の人々を対象に、ベースからの脱出を希望する人を集めて逃がすことになった。

それは、無謀としか言い様のない賭けだった。

限界灰域を生きる術を得ているとは言え、それは、どっかの博士が作った灰域適応技術のおかげだった。

そもそも偏食因子が切れたらおしまいだし、仮に偏食因子はあっても、救助される前にアラガミやグレイプニルに遭遇したり、水や食料が尽きたらやっぱりおしまいだったから。

だが、ここにいても待っているのは、人同士の血まみれの闘争か、この地域の浄化のための生け贄の道のみ。

私は悩み、子どものことや、敵とは言え人に神機を向けることへの激しい抵抗があったこと、そしてある望みのために、周囲の人たちの背を押される形でベースの脱出を選択した。

 

その選択に、子どもたちは概ね賛同をしてくれたけど、アルビンとビャーネから徹底的に突っ込まれ、クロエが自分の体調から不安を訴えたのは当然だった。

しかし、説得に難航したのはダニーだった。

ここから離れるのは嫌、みんなと離れるのも嫌、痛いのも苦しいのも死ぬのも嫌という、あまりにも正直すぎる反応に、私はもちろん子どもたちも頭を抱えた。

結局、嫌々モードのまま強引に連れて行くことになったけど。

そして昨日、お世話になった人たちに別れを告げ、励まされ応援されながらベースから脱出し、この廃都に辿り着いた。

昨日は慣らしと様子見で進み、今日はある程度は距離を伸ばせるかと思いきや、子ども連れではそうはいかず、予定のルートよりもだいぶ外れた場所に流されてしまっていたのだった。

 

 

路地裏にある、小さな雑居ビルの前にたどり着いた。

上の階は巨大な謎植物が居座り、これ見よがしに光って居住権を主張していたが、地下はほとんど侵食が進んでいない。

廃都にはいくつか朱の女王AGEたちが利用していた休憩所があって、ここもその一つだった。

ベースを脱出して二日目の夜。

今夜はこの休憩所で休むことにした。

ここまで細かく休憩を取りながら歩いていたが、先程のこともあって子どもたちの体力は限界だったのだ。

子どもたちと荷物を下ろして扉を開け、玄関の壁に神機を立て掛けると、部屋に備え付けのランタンに火をつけた。

すると、たちまち見慣れた風景が広がり、思わずホッとする。

一晩だけなら問題なく休めそうだった。

私の背後で、アルビンが背負っていた荷物を放り投げ、そこに崩れるように身を投げ出した。

そのまま平たくなって溶けそうな彼に、クロエが心配そうに寄り添う。

 

「ちょっと大丈夫?」

「大丈夫、だけど、大丈夫、じゃ、ない。疲れた」

 

アルビンは息も絶え絶えに答えた。

私に付いて頑張って走り続けてくれた彼。

間違いなく本日のMVPというやつだ。

 

「凄い汗。拭かなきゃ」

 

彼の体を触ったクロエが、慌てて自分の荷物からタオルを取り出して彼に差し出す。

私は、荷物を部屋に入れながら声をかけた。

 

「アルビンお疲れ。よくついて来れたね。頑張ったじゃん。汗を拭いて着替えときなよ」

「……わかった」

 

彼は体をノロノロと起こすと、クロエからタオルを受け取り、フード、ゴーグル、マスクの順に取り外し、顔の汗を拭き始めた。

 

「みんなもお疲れ様。よく頑張りました! ゆっくり休もうね」

 

他の子どもたちも、ほっとした様子で荷物を下ろしてぺたりと座り込む。

ビャーネが、自分の荷物から水筒を取り出して私に掲げた。

 

「ねえサイカ、水飲んでいい?」

「いいけど、飲み過ぎるとご飯食べられなくなるから程々にね。クロエ、ダニーを見てやって」

「はーい」

 

バスターブレードの柄頭にフードを引っかけると、荷物を広げ、やはり備え付けのストーブに火を付け夕飯の準備を始める。

夕飯と言っても、缶詰を温めたもの──チキンと豆とニンジンをコンソメで煮たもの──と、お湯で戻すフリーズドライの野菜スープ、塩味のビスケットといった、いわゆるレーションと呼ばれるものだ。

ストーブとその炎を見つめる年少組と、食前の薬を飲みながら、彼らをさりげなく監視するクロエ。

しばらくして、着替えたアルビンがこちらへやって来た。

 

「サイカ、ここは俺が見ておくから着替えたら」

「ありがとう。服はどうした?」

「出しっぱ」

「オッケー。干しとく」

 

替えの服とロープを持って、部屋の隅へ移動。

体を拭き着替えている間にも、小さくお腹が鳴った。

緊張の連続で意識が向いていなかっただけで、やっぱりお腹は空いていたのだ。

見れば、子どもたちが湯煎中の缶詰に釘付けになっていた。

それなりの距離を今日も歩いた。

ちゃんと暖かいものを食べさせてあげよう。

 

「ねーまだー? お腹すいたー」

「後もうちょっとだ。食器でも出しとけ」

「ヨー」

「クロエ、俺の分も出しといて」

「ウィ」

 

着替えて服を干している間に食事は完成し、取り分けて皆でイタダキマス。

そして、黙々とがっつく子どもたちに声をかける。

 

「どう? 美味しい?」

ヒュバー(美味しい)!」

 

即答するダニーこと、ダニエルは、恐らく元いたミナトのペニーウォートでも最年少のAGEだったのではないかと思う。

私同様、適合試験は甲判定。

元々この地の出身らしく、それにちなんだ言葉を混ぜて話すのが特徴。

甘えん坊、泣き虫、臆病、無邪気と、いわゆるマスコットキャラのような存在だ。

ただ、実際の年齢より幼い言動をしているのは、明らかにおかしい。

恐らくだが、適合試験のショックに幼い心が耐えきれず、退行現象のようなものが起こったのではないか。

隣の牢にいた同期の男が、一緒に任務をした時にそんなことを言っていた。

 

「オレはサイカの作ったミートボールが食いたいな。マッシュポテトとベリーのソースをつけて」

 

にこやかに笑って調子のいいことを言うメガネは、先程くしゃみでやらかしたビャーネだ。

口と手がよく回るお調子者のムードメーカーにして、運が良いのか悪いのか、たまにやらかしてしまうトラブルメーカーでもある。

コイツは私同様、適合試験による記憶障害の影響で、実際の年齢やら身元は不明だが、明らかにダニーよりは年上だ。

 

「ぼく、カレーがいい!」

「カレーもいいな。揚げたチキンと一緒に食いてー」

「食いてー」

 

弟分のダニーとカレーで盛り上がりそうになる中、私は口を挟んだ。

 

「さっきも思ったんだけどさ、どこでそんな言葉を覚えてんの?」

「コンゴウに教えてもらった」

「あんた、知り合いにコンゴウがいんの?」

「最後に会ったサイカの友だち」

「……えっ、彼? でも何でコンゴウなの?」

「マッチョだから」

「マッチョをコンゴウと置き換えるのはやめろ」

 

四人の中で一番気が合い、話が盛り上がるのもコイツだ。

 

「美味しいけど、甘いものも食べたいな」

「そうね。でもまずは、ご飯を完食してからだよ」

「はーい」

 

食後のデザートを所望するのは、子どもたちの中で唯一の女の子、クロエだ。

見かけはビャーネと同い年くらいだが、精神年齢は明らかに年上の人形のような美少女。

手芸と裁縫と園芸が大好きな女の子だが、体が弱くて大人の男が大の苦手でもある。

大人の男が苦手なのは、間違いなくペニーウォート時代の影響によるものだ。

ベースに来てから、体調とともに少しずつ改善してきていたのに、また流されることになってしまった。

彼女のためにも、早く落ち着いた場所へ連れて行って上げたいと思っている。

 

「……赤いのと緑のはいらないな」

「食え。これでも取り分けの時に減らしたんだよ。お残しは認めません」

「何で厄災の時に滅びなかったんだろ」

 

忌々しげに言うアルビンに、私は小さくため息をついた。

 

「そうなる前に対抗適応型の野菜が出てきて、あんたの前に立ちはだかったって。諦めて和解しな」

フィット(クソ)! 往生際の悪い奴らだ」

 

木っ端な悪者のようなことを言うのは、本日のMVPアルビン。

子どもたちの中では最年長の十一歳で、年不相応にクールなリアリストで、これも間違いなくペニーウォート時代の影響によるものだ。

シャイで人見知りなところはあるが、忍耐強く面倒見も良い。

一人前のAGEほどでないにしても、子どもたちの中では群を抜いて力があり、私との付き合いも長い。

この中では一番頼りにできる存在だ。

と、ダニーが身を乗り出した。

 

「ぼく、赤いのも緑のも食べられるよ」

「あげようか、ほら」

「あげるなバカ」

 

負けず嫌いの野菜嫌いなところは、年相応だ。

暖かい食事をとったことで、子どもたちもようやくリラックスできたようだった。

ベースにいた時は、当たり前のように見てきた光景だったが、それがどれほどかけがえのないものだったか。

まるで、水面に揺らいで瞬き消える陽光のようなものだ。

大きなうねりには逆らえず、灰はただ流され沈むのみ。

そこまで思って、思わず自嘲する。

らしくもなく感傷的になっているじゃないか、サイカ・ペニーウォート。

今さら怖じ気づいたか。

 

「ごっそさーん!」

「ノンニー」

「ごちそうさまでしょ」

 

子どもたちの声に視線を上げた。

年少組は夕飯を完食し、隣のクロエも、野菜嫌いのMVPも何だかんだで完食間近だった。

さて、気持ちを切り替えてと。

私は立ち上がって荷物の元へ向かうと、タオルに包まれた瓶を取り出した。

 

「では、全員食べ終わったら、お待ちかねのお茶にしようかのう」

 

芝居じみた調子で言うと、その瞬間、子ども四人の目が一斉に私に、正確に言えば瓶に向けられた。

 

「ヒッロ!」

「ジャムだ!」

 

目を輝かせ喜びの声をあげるお子ちゃま二人と、叫ばずとも目をギラつかせる小娘と、食べるペースが跳ね上がる野菜嫌い。

ヘッ、わかりやすくてチョロいガキどもだぜ。

 

「色からしてブルーベリー?」

「いんや嬢ちゃん、これは女王のジャム(クニガタルヒッロ)じゃよ」

「キタコレ!」

 

メガネが歓声を上げた。

女王のジャムとは、ブルーベリーとラズベリーをミックスしたジャムのこと。

何でそう呼ばれているのか諸説あるらしいが、古くからこの土地で人気のあるジャムだったらしい。

そして、私たちが住んでいた居住区内でも、大人から子どもまで圧倒的な人気を誇るジャムだった。

私が手にしているのは、お裾分けされたベリーで自作したものだ。

 

「準備しよ、準備!」

「ヨー!」

 

いそいそと夕飯の片付けをし、お茶の準備を始めるお子ちゃまたち。

こういう時だけ積極的になりやがって。

その積極性で、居住区にいた時も家のことを手伝って欲しかったものだ。

アルビンとクロエは頑張ってくれていた方だが、それにしても現金なガキどもである。

私も夕食を食べ終え、宣言通りみんなの取り皿にスプーン山盛り一杯のジャムを与えた。

 

「おー、いっぱいだ!」

「昨日から頑張ってくれていたからのう。明日も大変じゃから、これ食べて元気出して行くんじゃぞ」

「はーい」

 

死ぬ気で完食したらしいアルビンの皿に、ジャムを多めに乗せた。

 

「本日のMVPには、増し増しにしてやろう。ほれ」

タック(ありがとう)

 

無表情に答えるアルビンに、内心渋面となる。

……愛想のない奴め。

ジャムを受け取った彼らは、紅茶に混ぜたり、先にジャムを食べてから紅茶を飲んだりと思い思いに楽しんでいた。

表情からして、嘘偽りなく好評なようで何よりだ。

私も一口、口に含む。

あ。

軽くイった、かも。

ついでに、体の要求のままにがっつきそうになる衝動をどうにかこらえた。

濃厚な果実の甘味と酸味が口と舌に心地よく、息を吐き出せばその芳醇な香りが目の前に広がる。

その香りに、居住区の平和な生活が思い出され、ほんのちょっとだけしんみりした。

我ながらジャムは上手くできていた。

作り始めた頃は、火加減を誤って鍋底を焦がしたり、分量が適当すぎてベリーの砂糖煮になった時もあったが、その当時に比べれば明らかに腕は上がったと思う。

胸を張れるほどではないけれど。

作れる料理の数も増え、最近はここから東にあったという大国の料理も教わっていたが、こんな時代のこんな世界では、直近の予定すらもままならない。

 

お茶の時間が終われば、後は寝る準備をして寝るだけだ。

だが、洗顔と歯磨きを面倒臭がるお子ちゃまと、眠くない遊びたいと駄々をこねるメガネと、髪を拭きたい編み物の続きがしたいと訴える小娘とで、どうにも一筋縄ではいかない。

ふ、餌がなけりゃ発揮できぬカリスマよ。

それでもどうにか、寝袋に入ってくれた彼らに声をかける。

 

「明日は夜明け前に出発して、ここを抜けるからね。起きられなかったら置いてくよ」

「やだー」

「じゃあ、寝ましょう。おやすみなさーい」

「ユオタ!」

「ボンニュイ」

 

挨拶する二人の横で、ビャーネがこちらを見ていた。

 

「サイカ」

「うん?」

「良い夢見ろよ」

「寝ろ」

 

言いつけ、ストーブの前に戻った。

何だかんだ言っていた彼らも、やっぱり疲れていたようで、あっという間に眠ってしまい、部屋は一気に静かになる。

残ったのは、ストーブの向こうで、ジャムを溶かしたお湯を飲んでいるアルビンだけになった。

 

「サイカ」

「うん?」

「明日の予定を聞きたいんだけど」

「あの三人に言った通りだよ。明日の夜明け前に出発。できるだけ早くここを抜ける」

 

私はストーブに燃料を追加しながら答えた。

 

「ここを出たら、アジトへ行く予定だけど」

「それなんだけどさ、アジトって頼れんの?」

「そりゃ頼れるでしょ。一応、所属しているわけだし」

「そうじゃなくて」

 

アルビンの表情が厳しくなった。

 

「連中はさ、オーディンとやらを動かすために、この地域一帯のAGEを根こそぎ連れてきたいんだろ。だったら、ベースを落としたら次は各地のアジトだ。それどころか、数にものを言わせて同時に攻めているかもしれない。そんな所に行って本当に大丈夫なの?」

 

険しい表情のまま、アルビンは言葉を続ける。

 

「そもそもさ、本当にここを抜けられるの?」

「アルビン」

 

彼の言いたいことを察して少し語気を強めると、彼はうつむいた。

 

「……ビャーネのせいにしたいわけじゃないよ。あれは、本当に仕方なかったんだから。でも、今日中にここを抜けたかったのは、ここの包囲網が完成する前に、廃都から出たかったからだろ。俺たちがこうしている間にも、主要な航路や道路を確実に封鎖しているだろうし、ここに部隊を送り込んでいるかもしれない」

「そうだね」

 

アルビンの言葉に私は頷いた。

コイツの指摘と危惧は、憎らしいほどに正しく的を射ている。

年不相応にリアリストだと評しているのは、こういうところだ。

そして、こういう時のコイツは、

 

『大丈夫、諦めなければ何とかなるって!』

『進んでいけばどうとでもなる! 俺を信じろ!』

 

という根性論や理想論、勢いに任せた発言、説明を省くようなことをすると、途端に不信感を露にして反発するタイプだった。

まあ確かに、理解のできる反応ではある。

子どもながらに状況を把握し、最悪を想定して準備をしておきたいと考えているのに、それを子どもだからと誤魔化そうとするのは、さてどうなのかと。

もちろん状況にもよるが、こういう時のコイツの対処法としては、変に誤魔化さず、手間でもちゃんと説明してやる必要があった。

 

「あんたの言うとおり、状況は思わしくないよ。予定よりもだいぶ後ろへ流れちゃったしね」

「だよな」

 

アルビンはため息をついた。

 

「持っているラジオ、ここだと使えないからあれだけど、主要な航路や幹線道路の封鎖も多分とっくに完了している。ただ、ここへの部隊の投入は、少なくとも今夜はもうないだろうと思っている」

「何で?」

「さっき見たでしょ。アラガミがいるから。ぶっちゃけ巣窟なんだよ、ここ」

 

現時点で、私たちは運良く回避できているが、ここには多くの大型種が潜み、音に聞く灰域種の目撃例もある。

おまけにここは限界灰域で、私たちがここでのんびりとしていられるのは、灰域適応技術のおかげなのだ。

それらのない彼らが、見通しの悪い夜に、大型もしくは灰域種のいるこの土地へ、AGEを拿捕する部隊を送るリスクの高いことは多分しない。

そんな風に説明したら、彼は頷いた。

 

「少なくとも今夜は大丈夫だけど、明日から事態はより深刻になるわけだ」

「結局のところ、今回は時間との戦いだからね。だからと言って、あんたたちに無理はさせられない」

「うん。俺とビャーネはまだいけるけど、クロエとダニーはもたない」

 

アルビンは言って、カップから目線をあげた。

 

「それと、道路が封鎖されていたらどうするの? アラガミでもけしかけて突破するの?」

「悪くないアイデアだけどね」

 

笑って言うと、彼は苦々しい表情を浮かべた。

 

「冗談だよ。俺たちがいる以上、この手はリスクが高すぎる」

「うん。できれば最後の手段にしたいね。だから、地下の水供給施設を使おうと思っている」

「水供給施設?」

 

聞き返す彼に頷く。

 

「ここのインフラの名残だよ。地下に上下水道があってね、任務で近道として使っていたことがあったんだ」

「安全なの?」

「灰域濃度が高いことを除けば、潜んでいるのは小型のアラガミだけ。通り抜けるだけだったら、クロエの体にもさほどの影響はないはず。アジトへ向かうかの判断は、ここを出た時の状況を見てからにするよ」

「そうか。わかった」

 

アルビンはカップをあおると立ち上がった。

 

「話してくれてありがとう。そろそろ寝る」

「うん。ちゃんと歯磨きしなよ」

「わかってるよ」

 

煩わしそうに言って、子どもたちの所へ向かおうとする彼の背に呼びかけた。

 

「アルビン」

「何?」

「ミナトの時からそうだったけど、あんたには苦労かけるね。私がもっと強ければ、楽させてあげられたんだけどね」

「それを言ったら、俺らはただの子どもで、大人(あんた)の足を引っ張らないようにすることしかできないよ」

 

彼は振り向き、生真面目な表情で私を見た。

 

「あんたが潰れたら、俺たちも自動的に潰れる。この灰域を、子どもだけで渡っていくのは不可能だ。だから悪いけど、連れてきた以上は弱っちくても頑張ってくれ」

 

逆に発破をかけられてしまったか。

その言葉に、私は深く頷いた。

 

「最大限、努力させてもらいますとも。明日もフォローよろしく」

「わかった」

「ありがとう。グナッ(おやすみ)ドロム ソート(良い夢を)

「グナッ」

 

そうしてアルビンも眠りにつくのを見計らって、大きくため息をついた。

そして、何とはなしに天井を見上げる。

アルビンには助けられっぱなしだ。

彼の言動は、人によってはノリが悪くて面倒で煙たい、目の上のたんこぶに違いない。

大人から見ても、生意気なマセガキと見られても仕方がない。

でも、そのおかげで私は、自分の在り方を改めて認識することができたのだから。

 

そして思うのは、ヴェルナーさんのことだった。

ペニーウォート周辺の灰域で私たちを助けてくれた、紛れもない命の恩人だ。

虐げられたAGEたちに寄り添い、彼らに安心して生活を送れる居場所を作る。

その夢と理想に向かってひた走るその純粋さと情熱的なその姿はカッコよかった。

ぶっちゃけタイプだ。

あの身体は深層の至宝と呼んで相応しいもので、食いたかったし食われたかった。

だが、彼は理想を重んじるが故に、現実的な視点をもってブレーキをかける力が弱く、地に足をつけることができなかった。

いや、虐げられたAGEたちに寄り添い続けていた彼には、ブレーキはあってもかけられなかったのかもしれない。

そんな危うさも含め、ベースの人々は彼を心から信頼し、信奉し、その存在に熱狂していた。

己の理想と彼らの思いを燃料に、浮き足だったまま走り続けた結果がこれだった。

ベースの一部の人が危惧していたように、現実に生きる人の命と生活を天秤にかけられる、地に足のついた強かなバランによって足元を掬われ、取り返しのつかないことになってしまった。

彼にこそ、アルビンのような本当に現実的な側面から、忌憚のない意見をもってブレーキ役となる存在が必要だったろうに。

仮にいたとしても、ヴェルナーさんに聞く耳と心の余裕がなければ意味はないのだが。

 

視点をストーブに戻し、すっかり冷めてしまったお茶を一口飲む。

この容赦のない現実は、私にある選択肢を用意させていた。

アルビンには言わなかったが、もしグレイプニルの部隊に遭遇することがあったら、素直に投降をする選択肢だ。

せっかく逃げたのに意味がないではないか。

そう思うが、事態があまりにも急激に進んでいて、弱いものには付いていけない状況になろうとしていた。

もちろん、投降した先に待っているのは、オーディンの動力源になって死ぬ未来だが、じわじわと時間をかけて苦しみながら死ぬよりマシなのではないか。

だがそれは、本当に最後の選択肢だ。

私の持てる全てを出し切って、その上で捕まるというのなら、それはもう仕方がない。

人事を尽くしての結果なら、無念ではあるが諦めもつくというものだ。

お茶を飲み干し、私は立ち上がった。

神機の整備をするため、出入り口の壁に立て掛けたバスターブレードに足を向ける。

戦闘同様、あまり得意ではないのだが、アラガミに喰われて死ぬ未来だけは、AGEの端くれとして全力で避けたいところだった。




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
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灰底の都 2

日の出まで後二時間ほど。

ベースを脱出して三日目を迎えた。

 

「おはよー」

「フオメンタ」

「はい、おはよう。着替えて顔拭いてきな。そこに洗顔一式置いてあるからね」

「あいさー」

 

朝食の準備をしている間に、その匂いが目覚ましとなったのか、子どもたちがぞろぞろと起き始め、身支度を始めた。

子どもたちの体調は概ね良さそうだが、アルビンの動きが少々ぎこちない。

昨日の全力疾走で筋肉痛にでもなったか。

ひとまずそれは置いておいて、湯煎した朝食を取り分ける。

本日の朝食は、缶詰を温めたもの──チキンと複数の野菜と豆をトマトソースで煮込んだものらしい──と、塩味のビスケット、鶏肉のパテ、そしてお茶だ。

みんな揃ったところでイタダキマス。

 

「タマネギ、ピーマン……」

「これでも減らしたからね。食えよ」

「みじん切りだったら、まだいけたのに」

 

アルビンは嘆きながら、それでも口に運んだ。

しかしこのレーション、味もさることながら、栄養のことも考えて作られているようだ。

もっと持ってきたかったところだが、人一人、それがAGEだったとしても持てる量は限られる。

車があればもっと持ち込めたかもしれないが、今度は燃料の課題が出てくるし、そもそも限界灰域に耐えられるような素敵なシロモノは、一般庶民には持ち得ないものだった。

荷物の梱包と輸送は、古今東西から尽きぬ課題であるが、まさか大雑把な私がその課題に取り組むはめになろうとは。

ついでに言えば、地味にストレスになる課題だった。

食事を終え、私は改めて今日の予定を皆に告げた。

 

「昨日も触れたけど、今日こそはここを抜けます。アラガミの他にもグレイプニルの部隊が展開すると予想され、昨日や一昨日以上に大変になるでしょう。なので、怪我には気をつけて、皆で助け合いながら頑張って進みましょうね」

 

そして、クロエへ視線を向ける。

 

「体調がおかしいなと思ったら必ず言うようにね」

ダコール(了解)

「ぼく、クロエのこと見てるから」

 

クロエの横で、ダニーが名乗りをあげた。

 

「ちゃんとごほーこくしますぞ」

「ダニーったら、まずは自分の心配をしないさいよ」

 

クロエが呆れて言い、私は笑ってダニーに頷いた。

 

「それは頼もしいですな。よろしくお願いしますぞ」

セルバ(りょうかい)!」

「ビャーネ、二人を見てあげてね」

「わかってるって」

 

ビャーネも笑って頷いた。

身なりと荷物を整え、部屋の片付けを済ませる。

そんな中、足の筋肉に沿ってテープを張り付けているアルビンに声をかけた。

 

「やっぱり筋肉痛は免れなかったか」

「うん。でもこれでいけるよ」

「そっか」

 

正直な話、彼が使えなくなると、この旅の続行は不可能に近いレベルになる。

この人数での旅を可能にしているのは、彼の運搬能力があってこそなのだ。

すると、ビャーネが頭の後ろに手を組んで言った。

 

「どっかで車でも落ちてりゃいいのにな。そうすりゃ、もっと楽にできるのに」

「車なんて貴重品、落とすバカいないよ。仮に落としたとしても、アラガミと灰域が見逃すはずないだろ」

「だよなー」

 

野菜嫌いのリアリストの言葉に、お調子者は肩を落とした。

私はその背を軽く叩いた。

 

「ま、できる範囲で頑張ろう。それじゃ、もう一度忘れ物がないか確認して。そろそろ出かけるよ」

 

子どもたちがそれぞれに返事をし、私は外の様子を見るため神機を手にして、音を立てずに外に出た。

夜明け前の廃都は、未だ謎植物の光が目映く、街灯の代わりとなって周辺を照らしている。

周辺にアラガミもグレイプニルの部隊もいないようだ。

皆を呼び寄せ、私は入れ違いに休憩所に戻ると、ストーブの消火を確認して荷物を背負い、改めて道路に出た。

 

「昨日話してた水供給施設へ行くの?」

 

横に並んだアルビンの言葉に私は頷く。

 

「うん。ここから南西にあるよ。最短で進むつもりだけど、アラガミとグレイプニルの動き次第では迂回をすることになる。とは言え、なるべく早く着きたいね」

 

その施設が押さえられたら、この旅と私たちの命はいよいよ詰み寸前になる。

アラガミをけしかける無謀な策には、頼りたくないところだった。

アルビンは頷いた。

 

「わかった。殿は任せて」

「オッケー。では出発!」

 

こうして、三日目の旅はスタートした。

日の出ていない内は、順調に距離を稼ぐことができたが、空が白み始めた頃、周辺の雰囲気が徐々にざわつき始めるのを感じた。

そして、大通りを横切ろうとして周囲を確認した時、舌打ちしたい気持ちにかられた。

 

「ねえ、あれって」

「グレイプニルだ」

 

クロエとビャーネが声を潜めて言うように、限界灰域用の装備を身にまとったグレイプニルの兵士が、小走りに大通りを通過していくのを見送った。

やはり、日の出を待って部隊を投入したか。

 

「サイカ」

「もう少し様子を見る。続いて奴らが」

 

アルビンに答えていたその時、目端に何かを察し、思わずそちらに顔を向ける。

と同時に、ダニーが服の裾を掴んだ。

 

「何か、おっきいのいる」

「うん、いるねえ。ヤバそうなのが」

 

グレイプニルの兵士たちが向かった先に、何かいる。

奴等、気づいているのだろうか。

気付いて向かっている風には見えなかったが──。

と、朝の静寂な空気を震わせる、太く猛々しい遠吠えを聞いた。

続けて聞こえてきたのは、グレイプニルの兵士たちの悲鳴と怒号。

左右を確認して、身を潜めている建物から身を乗りだし、声のした方向に目を向けた。

思わず顔をしかめる。

 

「マルドゥークか」

 

白い体毛に赤く輝く触手、前足を白い装甲で覆った、炎のごとき赤い感応波を迸らせる四つ足の獣。

よりよって朝イチで大型種、しかもコイツが出てくるとは。

 

「ワンワン。白くておっきいワンワン」

「でっけえ。前足太ってえ。もうあれだけで強そうなんだけど」

「うん、昨日の二匹とは比較にならないほど強いぞー。動きが素早くて、あの前足の連続お手つきを食らったら、ただじゃすまない」

 

私にくっついて観察する年少組に、半ば自棄になって解説する。

 

「あの前足を覆っている白いの、ガンドレットって言って、あそこから炎を産み出して、範囲攻撃や遠距離攻撃を繰り出してくるんだよ。しかも固くてね、あれ」

「じゃあ、どうやって倒すの?」

「それは──」

「サイカ!」

 

後方に気を配っていたアルビンが、小さくしかし鋭く声をあげる。

咄嗟に子どもたちもろとも建物に身を潜めた。

しばらくすると、グレイプニルの兵士たちが大通りを全速力で走って通過していく。

恐らく、マルドゥーク鎮圧のために先の連中が増援を呼んだのだろう。

 

「タック、アルビン」

ヴァソゴッ(どういたしまして)。どうするの?」

「ここからすぐに離れる。アイツは本当に厄介だから」

「何で?」

「アイツ活性化すると、周辺のアラガミを呼び寄せる力を出すんだよ」

 

その言葉に応じたわけではないだろうが、遠吠えと共に、肌身に不快な感触が押し寄せてきた。

来た、感応波だ。

 

「耳いだーい! やだー!」

 

ダニーが声をあげてうずくまった。

適合試験で甲判定だったダニーは、他のAGEと比較しても感応現象に対する親和性が高い。

だが、幼いゆえにそれに抵抗する力がまだ弱く、まともに煽りを食らってしまうこともあった。

私は半ベソのダニーを抱き上げ、軽く背中を叩いた。

 

「あー痛いねーやだねー。すぐ収まるから、ちょっとだけ我慢しなー」

 

宥めていると、背後から唐突に気配を感じた。

硬く舗装された道路が盛り上がり、そこから出てきたのは、

 

「ドレッドパイク!」

「ちょっ、やだ何で!」

 

叫ぶビャーネに、クロエが悲鳴をあげた。

一匹どころじゃなく、その背後から何匹も何匹も涌き出てくる。

マルドゥークの感応波に応じて出現したのだろう。

マズい!

左右を建物に阻まれ、迂回するために後退することもできなくなった。

咄嗟に大通りを確認する。

左手にはアラガミとグレイプニルの兵士たちが激戦を繰り広げていて、どちらも見つかったらおしまいだ。

右手側には、現状人影もアラガミもいない。

左手側で、互いが互いに集中している今がチャンスと思えた。

 

「通りを突っ切るよ。足元には十分気をつけて。アルビン先行! 行くよ!」

「オーケイ!」

 

私たちは通りに向けて、全力で駆け出した。

八車線のとても広い道路は見通しもよく、今まで狭い路地裏を歩き続けていたため解放感があった。

しかしそれは、見つかりたくない相手に見つかるリスクもはらんでいる。

一刻も早く渡りきりたいのに、五十メートルにも満たない距離がこれほど遠く感じられるとは。

道路の半ばまで来た時、クロエの前方のアスファルトが盛り上がった。

 

「キャアッ!!」

「クロエ!」

 

悲鳴を上げるクロエを、咄嗟にビャーネが腕を引いて彼女を引き寄せ、私は片手でダニーを抱えつつ神機を捕喰形態にして突き出す。

現れたドレッドパイクに神機が食らいつくと、走る勢いのまま大きく振りかぶった。

そして、そのまま一気に振り抜くと同時に捕喰形態を解除、緑の塊を放り投げる。

よし、これで──!

 

「AGEだ! AGEがいたぞ!!」

 

右手から声が上がった。

グレイプニルの兵士たちだった。

恐らくは、マルドゥークへ鎮圧のために駆けつけた兵士たちだったのだろう。

旅の三日目にして、ついに一番見つかりたくない相手に見つかってしまった。

 

「足を止めるな! 走れ!」

 

鋭く叫ぶと、前を行く三人は先程よりもさらに速度を上げて駆け出す。

私も大急ぎで駆け出した時、抱えているダニーが後ろを指差した。

 

「サイカー、バルバル来てる」

「バルバル?!」

 

振り向く余裕はないが、耳を済ませば確かに昨日の夜にも聞いた足音が──。

ああもう! 何でこんな時に出てきて……マルドゥークかーそっかーアハハー、あのバカ犬め!

 

「ドリル、地面にさしてる!」

 

氷塊の範囲攻撃!

ここは足を止めてガードするしか!

しかし、氷塊は来ないどころか、右手側から兵士たちの悲鳴が聞こえてきた。

右手を見れば、氷塊に吹っ飛ばされた兵士たちに向かって、一気に距離を詰めたバルバルスが、ご自慢のドリルで兵士たちを蹂躙していた。

どうやら奴は、兵士たちを攻撃目標にしたようだった。

バルバルスの相手は、連中にお任せして走り続ける。

 

「みんなこっち!」

 

既に車道を渡りきって路地裏へ逃げ込んだアルビンが手を上げている。

そこに、ビャーネと手を引かれたクロエが飛び込むのを見届け、私は全力で車道を渡りきった。

 

「そのままその道を進んで!」

「ヤ!」

「バルバルがんばれー」

 

ダニーが声援を送る声とともに、私は路地裏へと駆け込んだ。

再び子どもたちを先に行かせて走り続けるが、不意にアルビンが足を止めた。

息を切らしながら、険しい表情で振り向く。

 

「向こうの道路に小型のアラガミがいる」

「何匹」

「赤いクモ四匹」

「オッケー。掃除するからダニーを頼んだ」

 

ダニーを預けると、神機を両手で構えて通路に飛び出した。

クイック捕喰から、バースト。

ステップの範囲攻撃でオラクルを吸収しつつ、バーストが切れそうになったら捕喰をする流れを繰り返し、片付けは完了した。

この道路を渡りきれば、水供給施設の出入口まで後もう少しだ。

皆を呼び寄せて、道路を渡ろうとした時だった。

 

「いたぞ! こっちだ!」

 

グレイプニルの兵士たちがこちらに駆けつけてくるのが見えた。

さっきの連中が報告をいれたのだろう。

職務に忠実で大変結構なことだよ、クソったれが。

 

「走って!」

 

子どもたちも懸命に駆け出すが、先程よりもスピードは落ちていた。

それでも道路を渡りきったものの、足がもつれたアルビンが転んでしまった。

 

「アルビン!」

「くっそ! こんな時に!!」

 

手を貸して起き上がらせている間に、グレイプニルの兵たちが行く手を封鎖し、私たちは建物の壁へと追いやられた。

 

「神機を捨てろ! 抵抗するなよ、薄汚い野良犬どもめ」

 

兵士の恫喝に、私は神機を足元へと落とした。

子ども背後へ庇い、周囲をさりげなく観察する。

左手後方に路地が見えた。

スキがあったら逃げ込めるのは、あそこか。

……素直に投降するんじゃなかったのか?

この期に及んで、まだ未練とか執念のような気持ちが残っていることに、我ながら驚いた。

 

「AGEを発見、捕獲した。メス犬一匹とガキ四匹だ。最初の収穫としちゃまあまあってところで──」

 

リーダーらしき男が、誰かに報告をし、改めてこちらに向き直った

 

「朱の女王に荷担する重犯罪者のAGEは、本来なら即刻銃殺刑だが、今回は世界を救う英雄になってもらうのがお上の意向だ」

 

リーダーが言い、手にした銃をこちらに向けた。

子どもたちが背後で身を縮め、私に寄り添う。

 

「無駄な抵抗はするなよ。傷つけるなという命令は受けていない。逆らう狂犬にはきつい仕置きをくれてやるからな」

「ふざけんな!」

 

背後から叫んだのは、ビャーネだった。

ゴーグルの向こうで緑色の目に怒りを灯して兵士を睨み付ける。

 

「何偉そうに吠えてんだよ。その野良犬がいなきゃ、自分の身一つすらも守れねえクソ雑魚のくせに」

「ビャーネ!」

「黙れ!」

 

窘めようとする私を遮り、その銃口をビャーネに向けた。

 

「その臭い口で何か言ってみろ! 今度は容赦なく頭を吹き飛ばすぞ」

「……生きて私たちを連れていくのが仕事じゃなかったんですか?」

「お前はともかく、そのガキどもはオーディンの餌としては量がそもそも足りんだろうからな。ここで一匹や二匹消えたところで、どうということもない」

 

この!

腸が煮えくり返る思いに耐えている間にも、連中は余裕綽々といったところで距離を詰めてくる。

 

「う、うう……」

 

私にしがみついていたダニーが身じろぎし、

 

「う、う、うわああああん! やあだあ! もうこわいのやあだああああっ!」

 

そして大声で泣き出した。

恐怖がピーク達し、歯止めがきかなくなってしまったのだろう。

安心させてやろうと屈んで腕を伸ばした時、再び銃声がした。

 

「ヒッ!」

 

泣いていたダニーが小さく悲鳴を上げる。

兵士が発砲した弾は、ダニーの足元近くに着弾し、跳ねた。

 

「うるせえよ、ガキ! 甲高い声でギャーギャー喚くんじゃねえっ!」

 

ドスのきいた恫喝に、ダニーが完全に固まってしまった。

そして、履いているズボンが見る見る内に濡れていく。

恐怖のあまり、漏らしてしまったのだ。

 

「見ろよ、あのガキ、ションベン漏らしてやがるぞ」

「ウフフフ。そーんなに怖かったのかなー、男の子なのに恥ずかしいねー」

「ちょっとやめなよ、AGEとはいえちっちゃいのに可哀想でしょ」

「可哀想なもんかよ。躾のなっていない野良犬は、これだから困るんだ」

 

弱い子どもを口々に嘲り罵る彼らの姿に、頭がクラクラした。

今、見聞きしているこの光景が信じられなかった。

こいつら、本当に正規の兵士なのか。

ミナトの看守どもに負けない下劣さは、一体何なのか。

ああ、これが悪趣味な夢なら良かったのに。

 

「あいつら!」

 

アルビンが珍しく怒りの声を上げるが、その腕を掴んだのはクロエだった。

ゴーグルの向こうで涙目になりながら、首を振る。

怒りと恐怖に震える私たちを見下し、リーダーとおぼしき男が告げた。

 

「さあ行くぞ。そのションベン臭えガキを車に乗せるのもあれだから、途中でマルドゥークの元に捨てていこうか」

「てめえっ!!」

 

冗談めかして言う兵士に、ついにキレたビャーネが身を乗り出すが、銃口を向けられ動きを止めた。

 

「動くなよガキ。先にお前がマルドゥークの餌になるか?」

 

マスクをしていてもわかるほどに顔を歪ませるビャーネと、ゴーグルの向こうで絶対的な安全圏から弱者をいたぶり楽しむ兵士の目を見て、今の今まで耐えてきた私の中で、何かが蒸発し消え去った。

それは、彼らに投降するという最後の選択肢だった。

ダメだ、コイツら。

落胆と失望をもって悟る。

こんなクズどもを雇っている組織に、子どもと命は託せない。

そして、そんな組織のために使う命など、ここに降る灰の欠片ほどもない。

私は、決して上等なイキモノではない。

看守相手に尻尾を振り、体を開き続けた文字通りのメス犬だ。

私を侮辱するならまだしも、子ども相手によくもこんなことを。

……人は、人は自分の安全と正義に酔うと、こうまで醜悪になれるものなのか。

こんなにも無慈悲で無責任なガキに成り果てるのか。

ペニーウォートから溜め込んできた怒りと憎悪に火がつき、その炎は、粘土のように柔らかかった私の『神機を人に向ける』覚悟を固めた。

こいつらから逃げるのは不可能だ。

仮に逃げられたとしても、数に勝る彼らは応援を呼び、今度こそ本当に詰みになる。

その後のことなど想像もしたくなかった。

ならば、全力で潰すしかない。

猛る感情とは裏腹に、頭は冷たく状況を見定める。

私たちを弱者と見なして気が緩んだのか、奴らの包囲網に綻びが生まれていた。

ならば、こちらでその綻びを確実なものにするだけだ。

私は口を開いた。

 

「ま、待ってください! 兵士さん」

「何だメス犬、いつ口をきいていいと言った」

 

上から睨まれ、私はビクつきながらも、何とか口を動かした。

 

「ご、ごめんなさいごめんなさい。あの、投降します。貴方たちの言うことを聞きますから、一つだけ、一つだけでいいのでお願いを聞いていただけませんか」

 

私は、卑屈な負け犬を装ってリーダー格の男に声をかけた。

 

「野良犬の分際で人様に」

「この子たちに一声かけさせて下さい」

 

男の台詞を遮り、膝を付いて惨めなほどに懇願する。

 

「大人しくするよう、皆さんの言うことを聞くようにちゃんと言い聞かせますから、どうかお願いします」

 

必死にすがって媚態を滲ませ、怯えて嗜虐心を煽りながら、男の顔を見上げる。

 

「お願いします。兵士さん」

「……一分だ。さっさとしろ」

「ありがとうございます」

 

喜ぶ間もなく、私は子どもたちの方を向いた。

 

「アルビン」

 

屈んだその体を抱き締め、右耳に小さくそっと囁いた。

 

「いけそう?」

 

すると、彼の腕が動いて、私の背中を二つ叩いた。

負けず嫌いもここまでくれば上等だ。

 

「スキを作るから左手の路地へ逃げて」

「わかった。言うこと聞くよ」

 

アルビンは、殊更大きな声で答えた。

そうして子どもたちを抱きしめ、一声かけていく。

ビャーネとクロエには逃げることを伝えたが、ダニーはさすがに無理だった。

 

「お兄さんたち、大人しく静かにしていれば、もう怖いことしないって。お仕事の邪魔をしないように、大人しく良い子にしていようね」

「……ん。わかった。もう泣かない」

「よし。ダニーは強い子だもんね」

 

抱き締めた背中を軽く叩くと、ダニーはしゃっくりしながら頷いた。

そして、兵士の方を向いた。

背中に手を回し、指を三本立てて腰を一つ叩く。

三秒後に行動開始。

アルビンが服を払うしぐさで応じた。

そして、私は屈んだまま上目遣いで兵士を見つめる。

 

「ありがとうございます。これで十分です」

「ふん。最初から生意気な口をきかずに、大人しくしてりゃよかったんだよ。よし、それじゃあ行くぞ」

「はい」

 

頷いた瞬間、アルビンが動いて地面に落ちている神機をこちらに向かって蹴りつけた。

滑ってくるそれをキャッチしながら荷物を外し、立ち上がると同時に盾を展開。

ダイブで左手側の、すっかり気が緩んでいた隙ができていた兵士に突っ込んだ。

アルビンが、私の荷物とビャーネを抱えて路地へと走り出す。

 

「アルビンに続いて!」

「わかった!」

「この、メス犬がっ!!」

 

クロエの腕を引き、ビャーネがアルビンの後に続く。

兵士たちが次々と銃を構えて発砲するが、残念、壁盾(タワーシールド)はびくともしない。

子どもたちが路地へと逃げ込んだのを確認し、私は声を張り上げた。

 

「路地のどこかに隠れて! いいと言うまで出てきちゃダメっ!」

 

そして盾を展開したまま、ポーチからアンプルを取り出した。

虎の子の強制解放剤と回復錠。

自分の体力と引き換えに、強制的にバーストすることができる。

戦闘が得意でない私は、バーストせずに複数の対人戦闘は無理だ。

なら、バーストアーツの力でコイツらを倒すしかない。

躊躇ったのは一瞬、すぐに双方の薬を使った。

バーストした勢いのままに、神機をバスターブレードに切り替えるとステップを踏んでクソガキどもに向かう。

刃ではなく、背の部分を向けたのはせめてもの情けか。

大きく薙いだ刀身に、肉が潰れ、骨の砕ける感触が伝わってきた。

だが、その感触に私は動揺した。

や、やわらかっ……!?

ふかしたジャガイモを潰すような、呆気なさ。

まだ採れたてのベリーの方が歯応えがあるだろうに。

容易く、頼りなく、あまりに儚い手応えに全身が総毛立った。

な、何これっ!?

バーストの高揚感を打ち消す、冷たくおぞましい未知の感触だった。

苦痛と恐怖の悲鳴を上げて倒されていく兵士たち。

だが、止められない。

現に彼らの銃弾は、私の服と肌を裂いていく。

止めたらやられるのは、こちらとて同じなのだ。

なのに、この胸糞の悪さは何だ?!

無我夢中で戦い、バーストが切れた頃には、兵士側に立っているものは誰もいなかった。

優位を誇っていた威勢のよさは、微塵の欠片もなく倒れ伏している。

私は神機の刃をおろし、それを見つめた。

何なのコイツら。

あれだけのことを言っていたくせに、何で、何でこんなに弱いの?!

動揺する私の耳に、呻き声が聞こえた。

 

「この、バケモノめ……」

 

倒しきれなかった兵士の一人がノロノロと立ち上がる。

 

「よくも、よくも仲間をやってくれたな!」

 

怒りと憎しみを持って叫ぶ兵士に、私は衝撃を受けた。

仲間。

ああ、仲間を倒されて怒っているのか。

私は呆然と彼を見つめる。

散々私たちを見下し嘲笑ったその下衆な心に、仲間のために怒り、勇気を奮って敵に立ち向かう心もあるのか。

人の心の地平において、それらは並んで両立をするのだという至極当たり前の事実に、私は顔をしかめる。

こいつらは弱者である子どもたちを見下し、嘲ったクソガキどもだ。

痛い目にあって当然の相手なのに、何でいきなりコイツらが正義の味方っぽくなってんの。

何で私が悪者のようになってんの。

 

「おおおおおっ! 仲間の仇!!」

 

銃を構える兵士に、私は瞬時に間合いを詰めて盾を展開。

放たれた銃弾を装甲で受け止め、そのまま掬い上げるようにして刃を振り上げた。

バーストは切れている。

手加減もかなりした。

なのに兵士は呆気なくふっ飛んで、地面に叩きつけられる。

そして、今度こそ動かなくなった。

 

『バーストアーツは、使えば使うほどアラガミに近づいていくって話だ』

 

不意に思い出したのは、隣の牢にいたリーダーの男の言葉だった。

 

『灰域でアラガミと戦うために必要な力とはいえ、無理やり人外にさせられてこれとは、何ともやりきれない話だよな』

 

皮肉げに、寂しげに呟いた彼の言葉に、私はついに思い知る。

そうか。

私たちが彼らと同じ人の心を持っていても、彼らからしてみれば、私たちは人の形をした得体の知れない力を持つ未知のバケモノだ。

おまけに、皆の尊敬と憧れの花形だった立場を、灰域の発生とともにAGEに奪われた思いはいかばかりか。

彼らが私たちを虐げるのは、自分達が弱いことを本能でわかっていて、そんな自分を許すことができないからだ。

しかもその未知は、取り除くことができない。

だからこそ、恐怖と暴力をもって管理下におき、見下し痛めつけることで、目の前にある未知と不安を解消しようとしている。

自尊心を守り、安全と安心を得たいという、人なら誰しもが持つ望みのために。

 

そうとも、だからこそ私は戦ったのだ。

仕方ないではないか、こうしなければ私たちは捕まっていたのだから。

奴らは私たちを虐げた上に、血も涙もなくオーディンの餌にしようとしているじゃないか。

自分の命を、子どもたちを守るためにはやむ得なかったのだ。

だがそれは、この兵士たちも同じようなことを問われたら、同じようなことを答えたに違いない。

何て身勝手で、弱くて幼い人の心か。

救われないのは、力を持つ私たち(AGE)ですらもそれを克服できずに、人を傷つけ新たな憎しみを生み出す連鎖から逃れられないことだった。

力を持つ分、私たちの方が遥かに罪深い。

一方的に蹂躙できる力を持っておいてカワイソーな被害者面か、虫がよすぎるだろ。

私は神機を握りしめ、歯を食いしばる。

 

「クソッ!」

 

知りたくなかった。

自分自身が、こんなにも幼く弱い心を紛れもなく持ち、理解できてしまうことなど、こんな形で知りたくなかった。

 

「クソがッ!」

 

どうすんの、どうすんだよこれ!

その時、目の前に倒れている兵士が動いた。

 

「この、野良犬のバケモノめ」

 

気絶から覚めた兵士は顔を上げ、私を見上げる。

割れたゴーグルから見える青い目は、怒りと痛みと狂気をたたえて輝いていた。

 

「俺たちから逃れたところで、お前たちにはもう、行く所も帰る所もない。野良犬らしく、この灰域で野垂れ死にすればいい。死ね。苦しみ抜いて死ね!」

 

とっさに顔を蹴飛ばし、兵士は再び気絶した。

言い付けを守らない悪ガキの気配が、こちらに来ているのを感じたからだ。

 

「サイカー!」

「ダメよ! ダニー!」

 

声のした方に体を向けると、こちらに駆け寄ってきたダニーが、私の視線を受けたとたん体を竦めた。

続けて追ってきたクロエもダニーの肩に手をのせたまま固まる。

 

「いいと言うまで出て来るなって言ったよね」

「……ごめんなさい」

 

語気を強めて言うと、二人はションボリと項垂れた。

心配してくれたのはありがたいが、安全の確認が取れるまで待って欲しかった。

そう伝えると、二人は揃って頷き、

 

「そっち行っていい?」

「いいよ」

 

頷くと、二人はパタパタとこちらへやって来た。

 

「怪我してる。手当てしないと」

「少し休めば治るから」

「そういう問題じゃないでしょ」

 

そこに、荷物を抱えたアルビンとビャーネがやって来た。

 

「サイカ、大丈夫か?」

「うん。かすり傷だよ」

「そう」

 

そしてアルビンは無表情に、倒れている兵士たちを見た。

 

「……殺したの?」

「寸でで止めたよ」

「そうか」

 

アルビンは頷き、隣のビャーネを見た。

 

「俺とビャーネで、奴らの装備から使えそうなの探してくる。少し休んできたら」

「……わかった。気絶から覚めるかもしれないから気を付けて」

 

二人は頷くと、倒れている兵士の元へ向かった。

……子どもにこんなことさせるなんて、本当にどうしようもないな。

 

「サイカ、ここ、すわれるよ!」

 

ダニーが手を降る場所は、庇のある街路設備だった。

文字が書かれていたとおぼしき謎の長方形のモニュメントと、煤けたベンチが置かれている。

最低限の雨風は凌げそうな、一休みするにはよさそうな場所だ。

周囲に危険がないことを改めて確認し、私とクロエは荷物を持ってそちらに移動した。

ベンチに座るやいなや、ドッと疲れが押し寄せてきた。

やっぱり、戦いは苦手だ。

自分には絶望的に向いていない。

看守ども相手に、セックス三昧している方が万倍もマシだった。

ふと、私は思い至ることがあり、クロエに声をかけた。

 

「そういえば、ダニーのズボンは?」

「密閉できる袋に入れておいたよ」

「メルシー」

「めるしー」

 

私に続いて、彼女の故郷の言葉で礼を言うダニーに彼女は小さく笑った。

 

ドゥリアン(どういたしまして)。後で洗えるといいんだけど」

 

メディカルキットで、私の傷の手当てをしていたクロエが、ふと手を止める。

 

「あ、ここ綿が出ちゃってる。後で直さなきゃ」

「これくらいならテープで」

「ノン! そんなダサいの許さない」

 

私の台詞を遮り、クロエはキッパリ拒否した。

服の修繕のためにテープを使うのは、ペニーウォートのAGEたちの間ではよく見かけるものだ。

しかし、お洒落が大好きなクロエの美学には反する行為のようで、それを見かける度に苦々しい表情をしていた。

 

「テープを張り付けるくらいなら、ウサギのアップリケ張り付けるからね」

「ぼく、クマさんがいい!」

 

私の隣で元気よく身を乗り出すダニーに、クロエは小さくため息をついた。

 

「ダニーの服、どこも壊れてないでしょ」

「えー、ぼくのもつけてほしいー」

「じゃあ、サイカの服を直した後に、時間があったら付けてあげるね」

「ホント? やくそくだよ」

「ウィ、約束ね」

 

さっきの出来事がまるで夢のように思える。

だが、妙な感覚があった。

クロエとダニーが私に触れる度に、居心地の悪さと名状しがたい感情が喉元に競り上がってくる。

……何だろう、これ。

違和感の正体を探ろうとした時、

 

「サイカ!」

 

アルビンとビャーネが、慌てた様子でこちらにやって来た。

その様子は、尋常ではないことが起こったことを明確に告げている。

 

「どうしたの?」

「これ」

 

アルビンが、手に持っていたものを見せる。

私たちが持っている民生品とは違う、厳つい形のラジオだった。

ノイズが混じり音飛びはあるものの、男性の声がしっかりと聞こえてくる。

 

《繰り返します。つい先程、グレイプニル広報から、今朝がた、バランによる情報をもとに、グレイプニルの鎮圧部隊が朱の女王の本拠地を襲撃したとの発表がありました》

「えっ」

 

クロエが顔をひきつらせる。

……そうか、ついにこの時がきたか。

 

《なお、この襲撃に際し、グレイプニル側の現在の死傷者は、ゼロとの情報が入ってきています》

「何それ。ありえねーだろ」

「情報操作だよ。あのジイさん連中が、自分達に不利益になる情報を流すわけないだろ」

 

ビャーネの言葉に、アルビンは素っ気なく言いきった。

十一歳とは思えない、このひねくれた言動はどうしたものか。

 

《本拠地に潜伏していたAGEたちですが、関係筋の話では、グレイプニルに対して抵抗は続けているものの、拿捕した者から順に本部へ移送を開始しているとのことです》

「みんな大丈夫かな。酷い目にあってないかな」

 

胸に手を当て、悲しげに目元を歪めて言うクロエに、私は目を伏せた。

即答できなかったのは、私の中に残っているなけなしの情か。

 

「どちらも無傷じゃすまないだろうね」

 

それでも辛うじて言った言葉は、恐ろしく苦かった。

そして、自分の言葉に私はベンチから立ち上がる。

 

「すぐに出発するよ。ベースへの襲撃が始まった今、ここにいられる時間はもうほとんど残っていない。私達は、頑張って逃げ延びましょう」

 

子どもたちは頷き、それぞれに準備を始めた。

荷物をまとめ直して背負うと、ビャーネが両手に何かを抱えてこちらに走ってきた。

 

「サイカ、これ持ってきたいんだけど」

 

ビャーネが見せたのは、一見ただのガラクタたちだった。

一目でわかったものもあったが、先程の戦闘で壊れたものもあり、何に使うかはわからない。

 

「またいっぱい取ってきたね」

「これでも厳選したよ」

「ふーん。……双眼鏡、ライター、針金と」

「トランシーバだよ。壊れたのを修理すれば使えるようになるかもしんない」

 

ビャーネはいつになく真剣な表情で私を見つめる。

 

「無線通信が使えるようになれば、これからの旅に何かと便利だと思うんだ。これ、軍用だから性能もいいし。オレ、こういうの好きだから、試してみたい」

 

ビャーネの表情に、彼が何をしたいのかがわかった。

彼なりに、自分のできることで昨日の失敗から挽回しようとしているのだ。

その機会を無くすようなことはできない。

私は頷いた。

 

「いいよ。やってみな」

「うん! ありがとう!」

 

ビャーネの明るい笑顔に、私は笑顔を返しながらも胸に鋭く重い痛みを覚えた。

クロエやダニーと接している時にも感じたものだ。

……本当に何だろう、これ。

しかし、思いを巡らす余裕はなかった。

荷物を持ち、マスクとゴーグルをつけ直した子どもたちを引き連れ、道中に湧いて出てきた小型のアラガミを倒しながら水供給施設へと急ぐ。

そして、太陽が真上に上がりきる前に、無事に施設までたどり着いた。

人には見つからずに済んだのは、不幸中の幸いだ。

鍵を壊して建家に入り、ポツンと設置されているマンホールの蓋をあけ、中の様子を確認した。

発光する謎植物が生い茂っているが、通行に問題はなさそうだ。

子どもたちと荷物を降ろし、蓋を閉めて廃墟の地下道を慎重に進む。

 

「クロエ、まだ行けそう?」

「大丈夫!」

「オッケー。皆も苦しくなったらすぐに言ってね」

 

声を掛け合いながら、謎植物に照らされた通路を歩き続けた

小型のアラガミがいないのは、マルドゥークに呼び出されて地上に出たからだろうか。

通路の壁の至るところには、先人たちが残した行先と方向を示す目印と、簡単な一言や絵などが書かれている。

と、ビャーネが立ち止まった。

 

「なあ、サイカ」

「ん?」

「これ、何て書いてあんの?」

 

ビャーネが照らす光の先に、文字が書かれていた。

この地の言葉と、アルビンの故郷の言葉が混ざった文章のようだ。

私とダニー、アルビンとで協力し、私たち知る数少ない語彙と限られた時間で翻訳を試みる。

そして翻訳できた内容を一言で言うなら、

 

「この地の山、谷、浜辺、住んでいるみんな、サイッコー! ってとこかな」

「乱暴すぎだろ」

 

ゴーグルの向こうで座った目をして言うアルビンに、私は眉をひそめる。

 

「でも、わかりやすいでしょ」

「わかりやすーい」

「ほら」

 

ダニーがはしゃいで言うのをうけ、私は胸を張る。

反論しようとするアルビンの肩を、ビャーネが手を置き首を振った。

 

「やめとけよ。サイカが雑なの、わかってるだろ」

「そうだけど」

「サイカ、謝ったほうがいいと思う」

 

クロエがきっぱりと言い切った。

 

「え? 誰に?」

「いろんな人に」

「いろんな人って……、何で?」

「いいから、謝って!」

 

ダニーを除いて、無言の圧力をかけてくる子どもたちの視線に耐え切れず、私は渋々口を開いた。

 

「えっと、……ゴメンなさい」

「ゆるしましょー」

キートス(ありがとう)! ダニーは優しいね!」

「それほどでもあります」

「あるんかーい」

 

私たちのやり取りに、三人の子どもたちはため息をつき、文字の書かれた壁に向き直った。

 

「この地の、有名な詩なのかな?」

「多分ね」

「残しておきたかったのかな」

「だな」

 

子どもたちは、感慨深くその文字の描かれた壁を見つめた。

この地と、そこに住む人々を高らかに讃える内容からして、恐らくはフェンリル体制以前に作られたものだろう。

フェンリル体制時に、こんな詩は恐らく書けない。

 

「サイカ、そろそろ行こう」

「よし、みんな行くよ」

 

アルビンに促され、私たちは再び歩き始めた。

壁面の文字を頼りに、小休憩を挟みながら歩き続けて二時間以上、ようやくゴールに到着した。

ここから先は謎植物で通路自体が塞がれて使えず、ここの出入り口が廃都から最も遠い場所になる。

穴が塞がれていないか確認するために、子どもたちを待機させて梯子を上った。

何事もなければいいのだが。

蓋は呆気なく動き、思わずホッとした。

そっと動かし、外の様子を確認するが、何者の気配もなさそうだった。

蓋を大きくあけ、地上に出る。

パッと見、先程の風景とはあまり変わってはいない。

灰域で白く霞み紫の光が灯る街並み。

しかし、商業施設らしい建物の数は減り、建物自体の高さも随分と低いものが増えていた。

かつての厄災と、その後の混乱によって至るところで崩壊が進んでいるが、ここが廃都の周辺にある住宅地、廃棄されたサテライト拠点であることは明白だった。

 

「サイカ、大丈夫か?」

「大丈夫! ゆっくりでいいから、気をつけて上がってきな」

 

子どもたちを呼び寄せると、続々と穴から出てきた子どもたちは、初めて見る光景に声を上げた。

 

「おー、何かさっきとは違った感じ?」

「お家ちっちゃいね」

「だな。……ん? あそこ広場か」

「どこー」

「ほら、あそこ」

 

水を飲みながら、物珍しそうにキョロキョロするビャーネとダニーに構わず、アルビンが私に声をかけた。

 

「日没までまだ時間があるけど、どうするの」

「ここから少し歩くと丘陵地帯があって、そこに展望台がある。ベースも含めて周辺をちゃんと確かめたいと思っているんだけど」

「距離は?」

「二キロちょっとかな」

「わかった。でも、少し休憩させて欲しい。クロエがへばっているから」

 

見れば、クロエは肩で息をしながらペタリと座り込んで水を飲んでいた。

私は大きく頷いた。

 

「もちろん。一時間休憩ね。その後に展望台へ行って状況を確認したら今日はここまで。どこか良さそう場所を探して休むことにしよう」

「休憩所みたいなとこはないの?」

「あるかもしれないけど、ここから先は私も詳しくは知らないんだ」

 

アルビンは小さくため息を吐いた。

 

「侵食されていない屋根と壁のある建物があるといいけど」

「贅沢者め。そんなのレア物件だよ」

 

私は笑って言うが、アルビンは生真面目な表情を変えなかった。

 

「妥協はしたくない。疲れの取れ方が全然違うから」

「まあね」

 

そうしてみんなを呼び寄せ、ビャーネが見つけた広場で休憩を済ませると、アラガミをやり過ごしながら崩れた装甲壁を越え丘陵地帯へと向かった。

灰色と紫に煙る景色は、傾く陽光に照らされオレンジ色に染まっており、常よりも明るく温かく見える。

丘陵地帯は背の低い謎植物が生い茂るものの、遮蔽物がないため強風を遮るものがない。

ダニーが突風で転がりそうになるのをとっさに支えた。

 

「キートス!」

エイ ケスタ(どういたしまして)

 

緩やかな坂道を道なりにグイグイと登っていき、程なくして目的地の展望台まで到着した。

そして、ベースの方角に目を凝らし言葉をなくした。

ビャーネも、私の横で早速双眼鏡を構えて身を乗り出す。

 

「あれ、ベースか」

「うん」

「……そんな」

 

声を上げるビャーネに、感情なくアルビンは応じた。

その横でクロエが両手を組んで、涙目でそれを眺める。

林立する建物と、風に流れていく灰域は濃いため、ベースの全容は見えない。

しかし、遠目にも火の手が上がり、煙が立ち上っているのが見えた。

先程の放送では襲撃を始めたと言っていたが、AGEたちの抵抗は今も続いているのだろう。

ベースに残ることを選択した友人たちは無事だろうか。

数ヶ月という短い期間ながら、平和に過ごしていた馴染みのある景色が今どんな状態になっているのだろうか。

それらを想像するだけで気が重く沈んだ。

強く吹き付ける風が、ベースの姿を曖昧なものにしていく。

まるで、流され沈んでいるかのようだ。

灰域の最果てにして最奥だったはずなのに、崩れながらさらに光すら届かぬ水底へ沈んでいくように見えた。

誰一人として声を出すことなく、その様を眺めていた所に、私のフードの裾を引っ張る気配があった。

 

「ダニー。どうしたの?」

「ね、あそこにいた人たちはどうなったの?」

 

調子はどこまでも無邪気なのに、その問いかけは無慈悲なものだった。

咄嗟に言葉に出来ずに黙る私に、ダニーはさらに言葉を続ける。

 

「死んじゃったの? 何でにげなかったの?」

 

……何でこんなに答えにくい、大人相手でも口にするのを躊躇う質問をするのだろうか。

子どもだからか、そうか。

私は考えたけど纏まりきらず、それでも何とか口にした。

 

「わからないな」

「わかんないの?」

「うん。襲ってきた人に連れられたかもしれないし、戦って死んだかもしれないし。……逃げなかったのは、色んな理由があると思う。大切な人や仲間を守りたいっていうのも立派な理由だよね」

「ヨー」

「それと、自分の命の使い方は自分で決める。それを戦って反抗することで、相手に伝えたかったからだと思うよ」

 

私は視線を再び霞むベースへと向ける。

 

「自分で決める」

「うん。襲ってきた相手は、この土地を綺麗にするために、私たちの命をよこせと言ってきた。でも、私たちだって生きたいし、命を懸けるのなら、それは誰かに命令されたからではなく、自分で決めたかったの。でも、決めさせてもらえず、強引に連れていこうとした。だから、勝ち負けとか関係なく戦って抵抗して、自分の意志を貫こうとしたんだと思う」

 

案の定、ダニーは理解できていない表情をした。

私自身、考えがまとまりきれていないのに、子ども相手に分かりやすく説明するのは難しすぎた。

 

「何で、みんな人とたたかっているの? ぼくたちがたたかうの、アラガミでしょ? 何で?」

 

だから何で、立て続けにそんな質問をしてくるのか。

ダニーを除いた三人の子どもの視線が、同情の色を帯びて私を見ている。

だが、私は見逃さなかった。

この三人もまた、私の真意をはかろうと、細心の注意を払って聞き耳を立てている。

子ども、怖い。

ただ一人の年長者として責任重大な中、私は考えをまとめ、言葉を選びながら話し始める。

 

「誰かを犠牲にしても生きたい、守りたい、安心したいって、必死だからだよ」

「そのせいで、みんなかなしい思いしてるのに?」

「うん」

 

脳裏に浮かぶのは、廃都で対峙した下衆な兵士たちと私だった。

 

「何もかもが余裕がなくて、自分のことで手一杯なの。不安で怖くて、早く安心したいと思っている。だから、分かりやすい手っ取り早い方法で強引に解決しようとして、こんなことになっているんだと思う」

「……よくわかんない」

 

やっぱり難しかったか。

私は苦笑した。

 

「ごめんね。わかりやすく説明できなくて。わかりやすく話せるように、もうちょっと考えてみるね」

「いいよ。ぼくも、もっと勉強するー」

「そっか。ダニーは偉いね。私も勉強しないとね」

「ねー」

 

ダニーの頭を軽く叩くと、彼は嬉しそうに腰にしがみついてきた。

途端、またしても胸が傷んだ。

ベッタリと油汚れが張り付くような感覚は、ダニーに嫌悪を抱いたからではない。

それだけは確実で、でも、明らかに自分が汚れたと感じるこれは何だ?

 

「サイカ、そろそろ日が落ちる。戻らないと」

「うん、そうだね」

 

アルビンの声に我に返ると、私はそっとダニーを引き離し、子どもたちを見渡した。

 

「じゃ、さっきの場所まで戻って休める場所を探します。しばらく歩くことになるけど、後もう一息頑張りましょう!」

 

子どもたちは元気に応じ、アルビンを先頭に来た道を引き返し始める。

クロエは、しばしベースを見つめていたが、一つお辞儀をして皆の後について歩き始めた。

それを見届けた私は、改めて周辺を確認し、子どもたちの後に続いて歩き出そうとした時だった。

 

『俺たちから逃れたところで、お前たちにはもう、行く所も帰る所もない』

 

不意に思い出したのは、先程の下衆な兵士の声。

 

『野良犬らしく、この灰域で野垂れ死にすればいい。死ね。苦しみ抜いて死ね!』

 

思わず動きを止める。

日は地平の向こうへと姿を隠し始め、ますますベースはその形を曖昧なものにしていく。

風と灰域と闇の向こうへ消え去ろうとする姿に、拳を握りしめた。

そうか、あの男が言っていたのはこのことか。

思わず鼻で笑った。

呪いの一言であるはずなのに、まるで激励のように聞こえるのはどうしたことか。

……ああ、上等だとも。

子どもたちと共に足掻いてもがいて、必ずたどり着いてみせる。

それは、無念の天の果てか絶望の地の底か。

それとも、目指すミナトか。

私は右手を左胸にあてて、ベースに向けて一礼した。

束の間とはいえ、人らしい平穏な生活を与えてくれた人と場所に感謝の意を捧げ、子どもたちを追って再び歩き出す。

逃げ帰る場所は最早なく、生きるための旅が本当の意味で始まったのだった。




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
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幕間 1

記憶に存在する先輩たちは、実に個性豊かだった。

明るくて強くて皆を引っ張ってきた人。

綺麗で優しくて子供の扱いが上手かった人。

賢くて物事を教えるのが上手かった人。

みんなの調停役として気配りが上手かった人。

牢に入れられ、過ごした時期は違えど、彼らには共通点があった。

彼らはみんな、記憶をなくした私を邪険にすることなく、仲間として受け入れてくれた大人だったということだ。

この環境が、今の私を形作っている大切な要素であることは疑いようがない。

 

私と同い年くらいで、同じ時に牢に入れられた友人と共に、そんな先輩たちに守られて、あのミナトで過ごしていた。

当時から、私を見る看守の視線は怖くて、身の毛がよだつ程に気持ち悪かったけど、必ず先輩たちが守ってくれた。

私たちは、そんな先輩たちに憧れていた。

特に一番年上の男の先輩と、彼を支えていた女の先輩は、子供心にも強くて、カッコ良くて、綺麗に見えた。

戦闘訓練の休憩の時、友人たちと先輩の話で盛り上がった。

話の締めは、いつかあんなふうになりたいね、だった。

 

でも、私たちは程なくして知った。

命令違反をした先輩が、懲罰室で散々暴力を振るわれていたこと。

皆が寝静まった夜、女の先輩が声もなく泣いていたことを。

早く大人になりたい。

早く強い大人になって、先輩たちを助けたい、守りたい。

寝て起きたら、強い大人になっていればいいのにと、友人は悔しそうに言っていたが、現実の私たちは守られる子どものままだった。

私たちを守り続けた先輩たちは、体と心を壊しながら一人、また一人と力尽き、牢へ戻ってくる先輩は誰もいなくなった。

それでも生き続けた私たちだが、リーダーになっていた男の友人が死に、ついに私たちが矢面に立つ時がやってきた。

 

「私たちでみんなを守るの」

 

男の友人の死を告げた彼女は、血の気の引いた真っ白な顔で言った。

私たちが守らなかったら、仲間や子供たちを守る人は誰もいない。

だから、大人になってみんなを守るの。

一人じゃ無理だけど、私たち二人ならきっと大丈夫。

不安はあった。

私は男の扱いはそこそこに得意だが、子どもは彼女ほど好きではないし、扱いもそれほど得意とは思わなかったから。

だが、彼女と一緒なら、きっと先輩たちのような大人になれる。

そう信じ、私は彼女と約束を交わしたのだ。

二人で大人になろう。

みんなを守ろう、と。

戦闘が得意だった彼女は、憧れていた先輩の神機を引き継いで、灰域でアラガミと果敢に戦い、私は友人を含めた子どもたちを性的な暴力から守り、待遇改善のために、今までより熱心に看守たちの相手をするようになった。

昼夜問わず看守たちの相手、たまに戦場で小銭稼ぎ、隙間時間は子どもたちの面倒を見たり、データベースを使った勉強をしたりと、我ながら随分と頑張っていた。

下衆な看守や大人の相手を積極的にする私を、友人は何度も何度も止めたけど、戦うより下衆な人やGEの相手の方がはるかに適正はあったし、待遇面での効果はあったと思う。

 

「私は大丈夫だよ。戦うよりこっちの方が得意だもん。適材適所。得意な分野でみんなを守ろう」

 

友人が諌める度に私が笑って言うと、彼女は何かを我慢するように口を真横に引き締め、しっかりと頷いた。

そんな私たちの努力を嘲笑うかのように、仲間や子どもたちが消えていく中で、それでも頑張ってこれたのは友人がいたからだ。

だが、戦いを得意とし、ミナトで一目置かれるほどの目覚ましい活躍をしていた彼女も、体が決して強いわけではなかった。

その上に粗悪な偏食因子を打たれ、体調が著しく悪い中で出撃した彼女は、ついに戦場で倒れた。

 

「ゴメンね、サイカ。あんた一人に任せることになっちゃって。でも、もう無理みたい」

 

彼女は泣きながら謝り、私の手を握った。

 

「悔しいよ。生きたい。あんたやアルビンたちと一緒に生きたいよ」

 

無念と共に子どもたちを私に託し、彼女は青い空の下で散った。

あれから数年経った現在、私は先輩と彼女が使っていた神機を担ぎ、紆余曲折がいきすぎて、子どもたちと限界灰域を旅するはめとなっている。

明らかに、かつて憧れた先輩たちより年上になった今の私は、先輩たちのような大人になれているのだろうか。



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遺された街 1

「ねえ、サイカ」

「なーに?」

「サイカの好きな色って何?」

 

夕食の準備をしていると、ランタンの明かりを手元におき、昼間の宣言通り、ベンチで私のジャケットを繕っているクロエが声をかけてきた。

 

「好きな色?」

「そう」

 

鍋のお湯が沸騰し、ストーブから下ろした。

 

「言ったことなかったけ?」

「あったかもしれないけど、忘れちゃったから」

「そっか」

 

そして、缶詰を五つ鍋に入れる。

しばらく待てば、しっかり温まってメインディッシュの完成だ。

 

「私の好きな色は」

「あ、白と黒はなしね」

「わかってますよ」

 

そしてクロエに向き直った。

 

「私の好きな色は」

「シアン! マゼンタ! イエロー!」

「うるさいよそこ」

 

私の言葉を遮ったのは、やっぱりランタンの明かりを手元に置き、クロエとは別のベンチに分厚い手帳を広げて書き物をしているビャーネだった。

奴の周辺には、兵士たちから無断で頂いてきたガラクタで散らかっている。

分解して、その中身を書いているらしい。

私はビャーネの方に向いた。

 

「突然何を言い出しているのか、お前は」

「シキリョウのサンゲンショク」

「何それ」

「色を表現する基本色のグループ一つ。シスターから聞いた」

 

ベースの居住区には勉強を教えているシスターがいて、私が任務に出ている間、子どもたちがお世話になっていた。

ビャーネは手帳から顔をあげ、メガネをかけた顔に屈託のない笑みを浮かべた。

 

「オレはレッド、グリーン、ブルーが好きだよ。シキコウのサンゲンショク」

「聞いてないよ」

 

子どもたちの中でも一番好奇心が強く、知識欲旺盛なのもコイツだったりする。

たまに、私の知らない知識すらも取り込んで口にしているのだが、その供給元は様々だ。

私の雑な対応にも慣れっこな奴は、首を傾げた。

 

「それで、サイカの好きな色は何?」

「それを言おうとしてたでしょ。私の好きな色はね」

「お湯沸かさなくていいの?」

「……沸かすよ。沸かしますとも」

 

手元が止まっていたことを見逃さずに突っ込むのは、床に寝袋を敷いてストレッチをしているアルビンだった。

水の入ったやかんをストーブに置くと、アルビンに顔を向けた。

 

「転んだケガは大丈夫なの?」

「擦り傷と青あざだった。寝て起きれば治る。あんたこそ大丈夫なのか」

「さっきクロエが手当てしてくれてからね。明日の朝には、ツルツルのピカピカだよ」

 

傷が人よりも早く癒えるのは、最新の医療キットのお陰もあるがAGEの回復力あってこそだろう。

それが幸か不幸か、やはりわからない。

私の言葉にアルビンは頷いた。

 

「そう。それで、好きな色は何」

 

コイツら、本当にマイペースだな。

ふと、視線を感じてそちらを見た。

クロエにくっついて彼女の作業を見ていたダニーが、期待に満ちた表情で私を見ている。

何をしたいのかわかり、私は期待に応えることにした。

 

「ダニーの好きな色は何ですか」

プナイネン()ケルタイネン()ビヒレア()スィニネン()!」

 

待ってましたとばかりに答えるダニーに、思わず私は笑った。

 

「奇遇ですな。私もその色が好きですぞ」

「おー、おそろいですな!」

「ですな」

「シンリヨンゲンショク!」

「はいはい」

 

私はストーブに目線を戻した。

そのままクロエに声をかける。

 

「好きな色を聞いてどうするの?」

「うん、アップリケの色の参考にしようと思っていたんだけど」

「……つけるんだ?」

「だって言ったでしょ。でも、サイカの好きな色のウサギはいなかったから、白にしようかなって。でも黄色に白は目立たないし、かといってピンクはちょっと違うし。うーん。……ウサギの下に赤いフェルトの土台をくっつけようかな」

「お任せしますよ」

 

クロエは、ベースで生活をするようになってから手芸や裁縫が趣味になっていた。

好きなことをさせることで、息抜きにもなるだろう。

 

「ぼくのクマさんはー」

「サイカのが終わってからね。黄色でいい?」

「他に何色あるの?」

「白とピンクと茶色かな」

「全部!」

「一つだけ」

「ノニ……」

 

実に平和なやり取りだ。

火の元を調整し、周囲を改めて見渡す。

展望台から住宅街へ戻った私たちは、今晩の寝泊まりする場所を探し、しばし歩いてこの場所を見つけた。

拠点の公共施設だったらしいこの建物は、対アラガミ装甲壁が使用されており、灰域の侵食は免れていないものの、雨風を凌げる屋根と壁がある、夢のような理想の物件だった。

恐らくだが、避難所(シェルター)としての役割もあったのだろう。

そして、ここを休憩所にしていた先人たちもいたようで、施設内にはその痕跡が残されていた。

密かに危惧していた遺体がなかったのは、灰域に喰われたのか、先人たちがいずこへ埋葬してくれたのか、そもそも無人だったのか。

ストーブの他にも古ぼけたベンチや、ちょっと臭うがトイレもあった。

窓はないが、そもそも広くて居心地も良く、諸々の課題をクリアできれば、しばらく滞在しても問題のないレベルだった。

各々が自由に過ごす中、夕食が完成。

本日は、カレー風味に味付けされたチキンと野菜と豆を煮物と、フリーズドライのスープ、ビスケット、ティーパックのお茶だった。

 

「カレーだ!」

イッピー(やったー)!」

 

喝采をあげるおガキ様たち。

厳密にはカレーではない。

カレー風味なのだが、存分に喜ぶがいい。

缶詰のレーションは、もう残り一食分しかないのだから。

一番食事らしい食事が無くなるのは痛いが、五人分ともなれば大きな荷物になっていたのも事実だった。

本当に、この世はままならないことばかりだ。

食事が全員に行き渡ったところで、私は子どもたちを見渡した

 

「今日も色々ありすぎたけど、みんなよく頑張りました。お疲れ様です! 廃都を抜けた記念にこのメニューを選びました。おまけに貴重な食料です。おかわりもないので、しっかり味わって食べるように」

 

元気な返事とともにイタダキマス。

無言でがっつく子どもたちに続いて食べ進めるが、そのスピードは中々上がらない。

味が悪いわけではない。

むしろ美味いのだが、……昼間のこと、引きずっているのだろうか。

だとしたら、あのミナトの出らしからぬ繊細さじゃないか。

なあ、サイカ・ペニーウォート。

そんな殊勝な心を持ち合わせているほど、上等な人間だったのか?

……多分疲れすぎて食欲不振になっているのだろう。

ずっと気も張りっぱなしだし。

しかし、食べなければ体がもたない。

スープだけでも食べてしまおうと具を掬い、咀嚼することを機械的に繰り返す。

 

「ヤバ、もう食っちまった」

「オレも……」

 

アルビンとビャーネが呆然と空の皿を見つめる。

クロエが呆れたように二人を見た。

 

「ちゃんと噛んで、ゆっくり食べれば良かったのに」

「そうしたよ。いつもよりゆっくり食べましたー」

「ぼくも、もうちょっとで食べおわるよ」

「え、何で?!」

 

驚くクロエだが、彼女もいつもより食の進みが早い。

理由は予想がつく。

今日の移動距離は、この三日間で一番長かった上に運動量も結構なものだった。

おまけにコイツら全員、食べ盛りの育ち盛りだ。

消費カロリーに対して摂取カロリーが少なく、軽い飢餓状態っぽくなっているのだと思う。

比較的スローペースで進んでいるのは、安全面の考慮など様々な理由があるのだが、カロリー消費を押さえるのも理由の一つだった。

食料事情が悪化するこの先、こんなんで大丈夫だろうか。

この旅で、幾度となく感じてきた不安を今また覚えるが、後戻りはもうできない。

私は息を一つ吐いた。

 

「お皿よこしな。私のあげるから」

「いいの?!」

「いいよ。でも、これで本当に今日はおしまいだからね」

「ありがとう!」

 

喜色満面にビャーネが皿を差し出す。

 

「サイカが行き遅れたババアになったら、オレがちゃんと面倒見てやっから!」

「ハハッ、余計なお世話だ」

 

そうして、二人の皿に煮物とビスケットを分け与えた。

礼を言って皿を受け取ったアルビンが、眉間にシワを寄せ私を見た。

 

「ねえ、何か俺の方にアレが多いの」

「気のせいだよ」

 

アルビンの台詞を遮り、私は言い切った。

実際、ビャーネより野菜が多めになったのは意図したものではあるが、悪意からではない。

間違いなく善意からである。

口を思い切り曲げ、恨めしそうに私を見る奴だが、やがて諦めたようにため息をついて食事を再開した。

私は残ったスープを飲み干し、改めて子どもたちを見た。

 

「食事が終わったら、お茶しながら明日からの予定を話すからね。食べ終わったらちゃんと片付けをして待っているように」

 

言って立ち上がると、ダニーが私を見上げた。

 

「どこ行くの?」

「ラジオの電波が入るか調べてくる。アルビン、火の元お願い」

「わかった」

 

そうして私が持ってきた普通のラジオと、兵士たちから頂いたラジオを持って周辺を歩いて回った。

普通のラジオは全くダメだったが、軍用ラジオの方は玄関付近で辛うじて音声を拾えた。

ノイズと音飛びが酷い中で、真っ先に聞き取れた情報は、朱の女王のアジトが襲撃を受けて無力化されたことだった。

予想はしていたとはいえ、思わず落胆する。

ダメ元でかけていた頼みの綱が切れた。

これで、今ある装備で限界灰域を越えて、その先まで進まなければならなくなったわけだ。

せめて、食料だけでも貰いたかったなあ。

その後も酷いノイズの中、どうにか幾つかの情報を得て私は子どもたちの元へ戻った。

子どもたちは私の言い付けを守り、すでに食事を終えて片付けも済ませていた。

アルビンと壁に地図を貼り付け、お茶と昨日の残りのジャムを渡し、改めて子どもたちを見る。

 

「はい。では明日の予定を言う前に、幾つか情報を共有するね」

「グッドニュース?」

 

茶化すビャーネに、大きな身振りで首を振り肩をすくめる。

 

「ハードでバッドでゴーなニュースばかりでーす」

「オォウ、ジィザァス」

 

メガネを持ち上げ、大袈裟に片手で顔を覆う通常運転のメガネはさておき、私は情報の共有を始めた。

 

「各地のアジトがグレイプニルに襲撃で陥落したと、ラジオの放送で言っていました。これで、現時点で私たちが頼りにできるものは完全になくなりました」

「やっぱ、そうなったか」

 

ため息混じりに言うアルビンの横で、クロエの表情が不安げに歪んだ。

 

「アジトの人たち、無事なのかな」

「彼らの目的はAGEを捕まえること。下手に抵抗をしなければ、当面は無事でいられるでしょう」

「だといいけど」

 

クロエは小さくため息を吐く。

外見はツンとして気の強そうなクロエだが、心根はとても繊細で優しい子だ。

それに、朱の女王での生活で一番恩恵を受けていたのも彼女だった。

体が弱い彼女を、周囲の人たちは気遣い親切にしてくれていた。

前のミナトでは、体が弱いことで冷遇されてきた彼女にとって、それはとても嬉しいことだったに違いない。

だからこそ、朱の女王に対しての思い入れも強いのだろう。

彼女にくっついていたダニーが身を乗り出した。

 

「べルナーおじさんは、だいじょぶ?」

 

ダニーの言葉に私は首を振った。

 

「ラジオの情報では触れていなかったね」

「わからないってこと?」

「まだ無事ってことだよ。もしヴェルナーさんに何かあったら、絶対に情報が出てくるはずだから」

 

私は腕を組んだ。

 

「ヴェルナーさんの行方に懸賞金がかけられている。今も血眼になって探しているでしょう」

「必死だねえ」

「ボスだからね。彼が生きている限り、彼を慕う人々は決して諦めないよ」

 

ただ、ヴェルナーさんの性格からして、ベースから逃げたとは思えない。

恐らく、まだベースにいる人々を守るために頑張っているのだろう。

だとしたら、見つかるのは時間の問題だった。

しかし、私たちにはどうすることもできない。

気持ちを切り替えて、子どもたちを再び見渡す。

 

「みんなのことは心配ですが、私たちはそれ以前に、自分達のことを真っ先に心配する必要があります」

 

そうして壁に貼り付けた地図に向き直る。

 

「ベースを脱出して今日で三日が経ちますが、今はこの辺りにいます」

 

言ってベースのあった場所から、下の方へと指を滑らせた。

 

「あんま進んでないね」

「アラガミと灰域濃度の高い場所を避けたり、障害物を越えたりと、深層と廃都で時間がかかっちゃったからね」

「それに西の方へ流されているよね」

「まあね」

 

アルビンとビャーネの指摘に頷く。

 

「ただ、そうなることはわかっていました。ここで、ちょっとおさらいをしましょう」

 

私は再び地図を指し示す。

 

「この地域の主な航路は四つあります。クリサンセマムやバランへと繋がる北の山岳ルート。この地域の大動脈であり、フェンリル本部からアローベッド、ダスティミラーへ通じる湖水ルート。限界灰域を南東へ縦貫するルート。そして、私たちが今いる西のルートです」

「西のルート以外は、必ずどこかでアローヘッドに通じているのが憎いよな」

 

顔をしかめるビャーネに、アルビンはあきれた表情を隠さずに頷く。

 

「領地決める時に上手いことやったんだろ。抜け目のないジイさんどもだよ」

「抜けるのは髪の毛だけってか」

「総督のジイさんはフサフサだったぞ」

「何それ。ホントに抜け目ないの? ズルくね?」

「あんたたち、その辺にしときな」

 

少し語気を強めて窘めると、二人は不服そうな表情を見せるも、素直に口をつぐんだ。

目の敵の大人とはいえ、褒められたものではない言動だ。

何でこんなに世間と大人を皮肉る、生意気なマセガキになってしまったのか。

……ペニーウォートのせいだな、間違いなく。

と、ダニーが元気良く手を上げた。

 

「はい! 西へ進むとどうなりますか」

 

私はダニーに体を向けた。

 

「未踏灰域に入ります」

「ミトーカイーキ」

「うん。未踏と呼ばれるだけあって、航路もなく正確な情報も全くありません」

「ノニー」

 

分かりやすく眉を寄せるダニーに、私は腰に手をあてた。

 

「地続きにはなっているようだけど、限界灰域が延々と続くかもしれないし、怖ーい人たちが居座っているかもしれない危険な場所です」

「余裕があったら探索してみたいよなー」

「ちょっとこわい。でも行ってみたい」

「未踏灰域の探索は、組織の力が必要不可欠だよ。今の私たちじゃ余裕があっても無理だね」

「ですよねー」

「ノニ……」

 

テンションが落ちるビャーネとダニー。

お子様二人は、見知らぬ土地と航路に興味があるらしい。

らしいと言えばらしいのだが、……話がそれたので元に戻そう。

 

「そもそも目的地から離れるため、これ以上西へは進めません。なので、山を沿うようにして南東へ進むことになりますが、ここで私たちの行く手を阻む最大の障害があります。わかりますね」

「灰嵐」

 

示し合わせたかのように四人揃って口にした単語に、私は深く頷いた。

 

「イクザクトリー! ラジオの情報では、未だ行く手の灰嵐は消えていないようです」

「まだ残ってんの。しぶといな」

「自然のものにしても、人が起こしたものにしても厄介すぎだよね」

「ホントな」

 

子どもたちががぼやく。

ベースから脱出する数日前に、ここから南東の方角に灰嵐が発生した。

この灰嵐こそが、縦貫ルートを塞ぎ、私たちの歩みを遅々としたものにしている最大の要因だった。

前門の灰嵐、後門のグレイプニル、それに関係なく存在する灰域とアラガミとが、私たちの旅の難易度をそれぞれに上げているのが現状である。

 

「ただ、灰嵐については、明日中には消えるだろうと予想しています」

「発生してから、そろそろ一週間くらいか」

「うん。明日は晴れるそうなので、ここを拠点にして、灰嵐の様子見と水を補給しに行こうと思っています」

「お水ないの?」

「非常用を除けば、明日の朝でほぼ空になります」

「だいじょぶなの?」

 

心配そうなダニーに、私は安心させるように笑った。

 

「大丈夫にするために、明日はお水を汲みにいく必要があるのです。今日行った展望台の先に湖がありました。距離は少しありますが、十分に往復できる距離です。お水を補給して明日以降に備えましょう」

 

水さえあれば、深層でも使っていた浄水器があるので、飲料水を得ることは容易だった。

クロエが控えめに声をかける。

 

「ねえ」

「うん?」

「ここでしばらく過ごすことは」

「それはできないよ。食料と偏食因子の問題があるからね」

「そうだよね」

 

クロエの提案は、救助のあてがあれば間違いなく選択肢に入っていたし採用もしただろう。

水と暖があれば、食料がなくてもしばらく生きることはできるし、下手に動くより安全だ。

だが、確実に動けなくなる。

救助のあてもなく、アラガミが襲ってきた時に逃げることすらできないのは非常にまずい。

さらに、偏食因子がきれてアラガミ化することだけは、絶対に避けなければならないことだった。

 

「なので、灰嵐が消えたらガンガン歩くから、体調には十分気を付けて下さい。特に足! 大事にするように!」

 

四人は返事をし、クロエ主導のもと寝る準備を進める中、アルビンが地図を前にして表情なく口を開いた。

 

「一つ聞いていい?」

「何?」

「灰嵐が消えた後、南東へ進むのはいいよ。でも、これはどうするの?」

 

そうしてアルビンが指差した場所は、限界灰域を抜け未踏灰域の南、東にアローヘッド領が接する大きな湖だった。

この旅最大の難所である。

 

「湖を回りこめたらよかったんだけどね」

「仮に回り込めたとしても、湖のでかさを考えると相当な距離になる。どこかで橋なり船なりあればいいけど」

「こればかりは、実際に行ってみないとわからないよ。とりあえず、今は灰嵐をやり過ごすことを考えましょ」

「わかった」

 

アルビンは頷き、地図を眺めて吐息をもらす。

 

「限界灰域と未踏灰域。それを抜けた先が、よりにもよってペニーウォートとは、何だかな」

 

アルビンは言い、ペニーウォートの領内を指で弾いた。

私たちの旅の目的地は、ペニーウォートを経由した先にあるダスティミラーである。

グレイプニルに対して独立した地位を保っているかのミナトなら、私たちを保護してくれるのではないかと思ったからだ。

アローヘッドを無難に通過する術がないため、恐ろしいほどの遠回りとなってしまうが、こればかりはどうしようもない。

寝る準備を済ませ、寝袋に入った子どもたちに私は声をかけた。

 

「明日は、日の出とともに起きてもらいますからね。起きなかった子の朝ご飯はありませんよ」

「やー」

「じゃ、しっかり寝てちゃんと起きるように。おやすみ、グナッ、ユオタ、ボンニュイ」

 

それぞれの言葉で挨拶してしばらくすると、昨夜同様、子どもたちはすぐに眠ってしまい、周囲が一気に静かになった。

空気も、どこかしら熱を失ってひんやりと感じる。

ストーブに燃料を少し投入し、その火を眺めた。

今夜は随分すんなり寝たな、アイツら。

今日一日ハードだったし、連日限界灰域を歩いて疲れもたまっているのだろう。

子どもたちに、ここまでさせているのだ。

私も頑張らないと。

 

ふと思う。

私一人で子どもたちを守るのは、ペニーウォートの灰嵐の時以来ではなかろうか。

ペニーウォートの牢にいた時は、一番最年長の先輩として子どもたちを守ってきたが、あそこには他の牢の仲間もいて、できる範囲で手助けをしてくれたし、私もそうしてきた。

朱の女王のベースで生活するようになってからは、シスターを始めとした周囲の人々が気を配ってくれたし、私もそれに頼ってきた。

だからこそ、強くもなく子ども好きでもない私でも、どうにか守ることができていた。

しかし今は──。

ベースでの『普通の』生活を送ってきて、常々思っていたことがある。

それは、子どものいる親の凄さ、そして恐ろしさだ。

嫌われようと、疎まれようと、雑に扱われようと、報いがなかろうとも、何故、自分の時間を費やして子どものために動けるのだろうか。

しかも、確実に十年以上、下手したらもっと長く子ども支え続ける意志は、どこから生まれてくるのだろうか。

何故、そこまで頑張れるのだろうか。

私は親を知らなければ、家族も知らない。

だからこそ理解ができないのだろうし、親子の生活を目の当たりにして、私は親にはなれないなと、つくづく思っている。

こんな私が、子どもたちを守り抜けるのだろうか。

いや、現実問題、守らにゃいかんわけだが。

……神機の整備しよ。

ベンチから立ち上がった時、子どもたちの寝ている場所の気配が動いた。

寝袋姿のビャーネが起き上がり、半分眠っている顔でこちらを見ていた。

 

「サイカ」

「何、どうしたの」

「トイレ」

「どうぞ行ってらっしゃい」

「……ついてきて。怖い」

「わかったから二足歩行して。今のあんたの方が怖いわ」

 

寝袋を被ったまま、器用にこちらに這いずってくる生き物に言った。

見知らぬ建物の上に、昨日と違ってトイレまで距離があるので、火の明かりが届かない。

そしてコイツは、いわゆる幽霊の類いが大の苦手だった。

寝袋を脱いだビャーネは、頭にヘッドライトをつけ、私は水の入った水筒──流す用──と濡れタオル、ランタンを手にし、トイレへと向かった。

通路は荒らされた形跡もなく、設備の経年劣化は進んでいるものの比較的綺麗だった。

トイレに到着すると、水筒とタオルを手にし、扉に手をかけたビャーネは私を見て微笑んだ。

 

「トイレが終わるまで、決してのぞかないで下さいね」

「はいはい、行ってらっしゃいよ」

 

芝居じみた調子で言うビャーネに、私は手を振る。

ちんこは大好物だが、子どもちんこはお呼びじゃない。

と、ビャーネが突然私にすがり付いた。

 

「でもちゃんと待っててよ! 置いてかないでね! アタシを一人に」

「さっさと行け! メガネかけてないんだから、足下気を付けるんだよ」

「ウィ」

 

奴はすごすごとトイレの扉をあけ中に入った。

全く、ふざけた奴だ。

溜め息を吐いたその時、目端に何かが動いたのを察して視線をそちらに向けた。

突き当たりの通路を歩く人影、おまけに透けている。

……いるのか、ここ。

私の視線に気付くことなく、それは通路の向こうへと消えた。

普段はオフ状態になっているそれをオンにしてみれば、……おおっと、確かにいる。

このフロアだけでも数人、感じとることができた。

同じような感覚をもつダニーは、気付かなかったのだろうか。

そう言えば、クロエにやけにくっついていたが、可愛い女の子に甘えたかっただけでなく、何となく気配を感じ取っていたのだろうか。

明日、聞いてみようかな。

とりあえず、ここの住人たちは私たちに全く関心はないようだし、こちらから接触する気もない。

放っておこう。

感覚をオフにした時、トイレのドアが開いた。

 

「はー、スッキリ安心っと……あれ、どうかした?」

 

お気楽な調子で出てきたビャーネに私は笑った。

 

「や、何かいたような」

「やめてお願い。オレそういうのマジ苦手なの知ってるよね?」

 

必死な表情で私にしがみつく奴の背中を軽く叩いた。

 

「気がしたって言いたかったんだよ」

「もおーさあー、カンベンしてよー」

「ゴメンゴメン。悪かったよ」

 

言いながら、しがみつくその小さな背中を撫でる。

本当のことを言って、下手に怯えさせる必要はないだろう。

ビャーネを宥め、トイレから離れた。

来た通路を戻りながら声をかける。

 

「そこまでお化けが苦手な理由って何なの?」

「だって見えないし、現実のやり方でどうにかできないだろ。怖いじゃん」

 

ビャーネは唇を尖らせる。

 

「アラガミの方がまだマシだよ。見えるし、神機と神機使いがいれば何とかなるんだからさ」

「そうだね」

「出たら教えてね。オレすぐに逃げるから。後先考えず真っ先にトンズラするから」

「……私を置いてっちゃうんだね。酷いよダーリン」

「すまない。臆病なオレを許してくれ、ハニー」

 

本当に口の回るガキだ。

誰の影響を受けたら、こうなるんだ?

……隣の牢にいたハンマー使いとその弟かな。

ビャーネと仲良かったし。

下らない話をしながら、私たちは元の場所へ戻った。

残した三人は行くとき同様、完全に眠っており目覚めた気配はない。

お化けが怖い、怖がらせた責任とって一緒に寝てと言って聞かないビャーネを傍らにおき、完全に眠るのを待ってから、神機の整備を始めた。

……ここまでのやり取りで感じていた、昼間と同じ違和感は無視することにした。

 




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遺された街 2

ベースを脱出して四日目の朝を迎えた。

今朝は随分と冷え込み、燃料を多めに投入して暖を確保する。

そして朝食の準備をし、子どもたちを起こした。

今日も全員の顔色は良く一安心だ。

本日の朝食は、ビスケットとチーズのペースト、フリーズドライのヨーグルト、レモン風味のホットドリンクである。

残り一食分の缶詰は、今日の夕飯用にとっておくことにした。

グレードダウンした朝食に不満を言うことなく、子どもたちが朝食を食べている間、私はラジオを聞きに玄関前へ向かった。

しかし、昨日の夜は辛うじて電波を拾ってくれていたラジオは、今朝はノイズを流すだけになっている。

灰域濃度が高く、電波を拾えてないのだろうか。

ラジオは諦め、せめて外の様子を伺おうと装甲壁の大扉を少し開いた途端、思わず声を上げそうになった。

謎植物の紫の光が辛うじて見えるものの、周囲は白に染まっている。

まるで深層のような光景だ。

灰域濃度が高いせいかと警戒したが、別の理由に思い至った。

霧か。

だが、厄介なことには違いない。

さて、どうしたものか。

 

「サイカ、どしたのー」

 

視線を外から声のした方に向けると、ダニーが朝食のビスケットを食べながらやって来るところだった。

分かりやすく顔をしかめ、ダニーの顔をのぞきこむ。

 

「歩きながら食べない。お行儀悪いよ」

アンテークシ(ごめんなさい)。いっしょにごはん食べよー」

「うん。すぐに戻るからね」

 

扉が開いていることに気付いたダニーは、口にビスケットを押し込むと、咀嚼しながら私に寄り添い外を見た。

 

「わあ! 真っ白!」

 

ビスケットを飲み込んだダニーは声をあげ、しばし外を眺めていたが、やがて眉を寄せて私を見上げた。

 

「何も見えませんな」

「そうですな」

「アラガミも見えませんぞ」

「驚きの白さですな」

「こわーい」

「怖いねえ。どうしたらいいか考えないとね」

 

ダニーの口元についていたビスケットの欠片を取り除く。

扉を閉め、ふと、昨夜のことを思い出した。

 

「ダニー、一個聞きたいんだけど」

「ノ?」

「ここってさ、いると思う?」

ミタ()?」

「ビャーネが大嫌いなもの」

 

ダニーの顔から笑顔が消えた。

そして、私の服の裾を引っ張る。

屈めということらしい。

私は屈んでダニーに目線を合わせると、ダニーは私にくっつき声を潜めた。

 

「います」

 

やはり気付いていたか。

私は大きく頷く。

 

「そっかー」

「お化けは知らんぷりするようにって、サイカ言ってたから、知らんぷりしたよ」

「そうだよ、連れ去られちゃうからね。二度と皆に会えなくなるよ」

「やだー」

 

ダニーは体ごと首を振る。

 

「私もダニーと会えなくなるのは嫌だよ。あと、ビャーネにこのこと言った?」

エイ(ううん)。ビャーネ、お化けきらいだから、だまってました」

「黙っていて正解です。偉い!」

「にひー」

「ここを出るまではお化けは知らんぷり、ビャーネにも黙っていようね」

「ヨー」

 

私たちは皆の元へと戻った。

朝食を食べ終わった後、一通りのことを済ませると、張り出された地図の前に子どもたちを集めた。

安心させたいのは山々だが、楽観できない状況であることは伝えなくてはならない。

この旅は、子どもたちの協力も不可欠なのだ。

 

「本当ならすぐに水を汲みに行きたいところですが、今朝は霧が発生していて見通しが非常に悪いです」

「真っ白だったよ」

「ダニーの言うとおり真っ白でした。この状態で外に出て移動するのは大変に危険です」

「霧かー」

 

アルビンが肩を落とした。

アルビンは、子どもらしからぬリアリストで理性的な性格だが、決められた予定通りに事が進まないとフラストレーションを感じる性格でもあった。

柔軟性のなさが、彼の弱点であり個性でもある。

私は腰に手をあてアルビンを見た。

 

「天気だけは、誰にもどうすることはできないよ」

「仕方ないって」

「わかってるよ」

 

私とビャーネの言葉に、アルビンは諦めた表情で頷く。

その点、柔軟性の塊のようなビャーネは、現実とその状況の変化をあっさりと受け入れた。

柔軟すぎて、落ち着きが全くないのが困りものだが。

 

「これからどうするの?」

 

クロエの問いかけに、私は表情を改めた。

 

「気温が上がれば収まると思うから、しばらく待つことにします」

「それでも収まらなかったら?」

「その時は、私一人で行きます」

 

そう告げると、子どもたちの表情がなくなった。

私は安心させるため、笑顔を作る。

 

「ここにいれば、安全はほぼ保証されます。むしろこの霧の中、アラガミに襲われた時に、あんたたちを守りながら戦うのは難しい。でも、私一人なら何とかなるから」

「大丈夫なの?」

「いざとなったら、水を捨てて逃げ帰ってきます。だからみんなは大人しく待っていてね」

 

当然、子どもたちを残すことに不安はある。

だが、水は絶対に確保しなければならない。

私一人では得られる水の量は限られるが、往復を繰り返せばいいだけの話だ。

それに、昼前には霧は晴れるだろう。

子どもたちを連れて行くのは、それからでも遅くはない。

ビャーネはメガネを押し上げた。

 

「トランシーバが直れば、離れていてもやり取りができるのに」

「昨日直してたみたいだけど、直るの?」

「直すよ」

 

クロエの問いかけに、ビャーネは鼻をならす。

 

「昨日調べて中身は大体わかった。後はパーツを寄せ集めてくっつければ、多分動く。……少し時間かかるけど」

 

やることは恐らく細かい作業だ。

しかも、この場所は光が指さず暗い上、ビャーネの視力もあまり良いとは言えない。

手間取るのは仕方がなかった。

むしろ驚くべきは、ビャーネの機械がらみの強さだろう。

一桁の年齢であろうに、そうとは思えない知識量と理解力だ。

そう言えば、ベースにいた時も技師の人たちに大層可愛がられていたのを思い出した。

 

「あんた本当に凄いよね。私は機械どころか、神機の整備すら苦労しているのに」

 

素直に褒めた途端、ビャーネの表情がパッと明るくなった。

 

「オレ、もっと勉強して神機の整備できるようになるからさ、そしたらサイカの神機を整備してやるよ。サイカの整備ってさ、もたもたして危なっかしいし、何よりどんくさいじゃん。オレのほうが、絶っ対に上手くできると思うんだよね!」

「ハハッ、やかましいわ」

 

ちょっと褒めたらすぐこれだ。

事実だとしても、面と向かって生意気なマセガキにドヤ顔されたらムカつくのである。

そんなマセガキの筆頭であるアルビンが、冷めた目で私を見た。

 

「じゃあ、霧が晴れなかったら、俺たちはここで待機ってことでいいの?」

「うん。でも、いつでも出れる準備だけはしておいて」

「わかった」

 

アルビンが頷き、この場はお開きとなった。

それぞれが自由な時間を過ごして一時間ほどが経った頃、扉を開けて周囲を見渡す。

周辺は先程より明るくなり、気温の上昇と共に霧も多少は晴れ、避難所の前の広場が見える程度には回復していた。

だが、子ども連れはまだ厳しい。

まずは、自分だけで水を汲みに行くことにしよう。

諸々の注意事項をアルビンに伝え、私は荷物を背負い神機を手に取った。

 

「じゃ、行ってくるからね。絶対にここから出ないように。何かあったら、アルビンの言うことをちゃんと聞いてね」

「オッケー」

「気をつけて。ケガしないようにね」

「モイモイ」

 

子どもたちに見送られ、私は外に出た。

アルビンが扉を閉めたことを確認し、マスクとゴーグルを付けて広場を歩き出す。

先週の今頃までは、こんな感じで子どもたちに見送られて任務に向かっていた。

ペニーウォートでも、ベースにいた時でもそれは変わらなかったが、それがやけに昔のように思える。

……感傷に浸るのはここまでにしておこう。

私は速やかに霧の向こうへと駆け出した。

 

 

私は戦うことが苦手だし嫌いだ。

アラガミは怖いものだし、好きではない。

特に限界灰域では、普通の灰域ではそこそこな小型種でも、固く強く狂暴になっている。

群れる姿はこの世の地獄だし、中型種は元より、大型種ともなれば地獄の釜の底を見るような気持ちになる。

一人では全く勝てる気がしない。

だからこそ深層や廃都では、どんなに時間がかかろうとも迂回し逃げ回っていたのだが、今ここに危機が迫っていた。

水と土の匂いが強く感じられる霧深い湖にたどり着き、浄水器を通して水を汲み上げていたところに、湖からアラガミが出現したのだ。

概ね紫色の流線型の平たい体。

その背にくっつくタービンから風と雷を発生させ、凶悪な歯牙を見せつけ威嚇するアラガミ。

その名はウコンバサラ。

私や友人、仲間たちはワニと呼んでいた。

霧の深い状況において、風と雷と起こすのは居場所が分かりやすい反面、通電してビリビリするのは厄介だ。

AGEのバケモノじみた体でやり過ごせるものの、何度も属性攻撃を食らったらさすがにスタンをしかねない。

濡れた地面は私の足場を悪くするが、相手は水陸両用のアラガミだ。

乾いた地表と同じか、それ以上に動きが俊敏だった。

しばらくは防御に専念して動きを観察し、目が慣れた頃には動きに対処できるようにはなった。

 

繰り返すが、私は戦うことが苦手だし嫌いだ。

基本アラガミは怖いものだし、好きではない。

だが、このウコンバサラは別だった。

子どもたちには隠しているが、ペニーウォートにいた時からのファンである。

地面をしっかりと踏ん張る、ずんぐりとしたお手々と足は可愛いらしいし、ダウンを取るとペタンと腹這いになる姿は、癒しの最終形態と言えるだろう。

方向転換する時にコロンと回転する姿はクールでシャープだし、ひっくり返ってお腹を見せる姿は、ド下手な看守どもより絶頂を覚えるほどだ。

今より数年前、私はこの思いを誰かに伝えたくて、今は亡き友人にカミングアウトをし、熱く語ったことがある。

思いっきりドン引かれたが、それも今となっては良い思い出だ。

しかし、人類の天敵であるアラガミであることに違いはない。

敵対行動を取る以上、討伐する悲しい運命にある。

頭、タービンと結合崩壊させ、その名の由来となるハンマーの形をした尻尾にチャージクラッシュを決めた途端、相手は手足を忙しくばたつかせながら湖へと逃げ出し、あっという間に水中へと消えた。

さすがに水中までは追いかけられない。

私は神機を下ろし、湖を見つめる。

ふ、逃げる後ろ姿も愛らしいことよ。

タンクと浄水器の無事を確認すると、すぐに作業を再開し、程なくしてタンクいっぱいに水が入った。

子供たちに運ばせるなら、後一回来れば十分かな。

AGEの力でたくさん持てたとしても、移動に支障が出たら意味がない。

この旅において荷物の重量は、アラガミ以上の敵なのである。

そしてタンクを担ごうとした時、背後から激しい水音が聞こえ、とっさに振り向いた。

湖から飛び出し、水を滴らせながら霧の向こうで私を見ている巨大な魚っぽいそれ。

巨大な背ビレに、砲頭の形をしているおでこ、そして先程のウコンバサラよりも目立つ乱杭歯。

水陸両用のアラガミの代名詞、グボロ・グボロだった。

 

再度繰り返すが、私は戦うことが苦手だし嫌いだ。

基本アラガミは怖いものだし、好きではない。

例外としてウコンバサラは好きだが、コイツは特に興味はない。

今すぐにでも、その自己主張の激しすぎる背ビレに照射弾をブッパしたいくらいだ。

だが、亡き友人がコイツのファンだった。

どんな理屈かは知らないが、コイツは服の袖のようなヒレで、ずんぐりとした体を支えて移動をする。

信じがたい動きなのだが、友人はそれをストイックで健気で可愛いと評した。

そして、ダウンした時に腹這いになってペシャンコになる姿が、灰域に燦然と輝く生きたオアシスと褒め称えた。

しかし、ウコンバサラのダウン姿を至上とする私にとって、その発言は到底受け入れがたいものだった。

雌雄を決するべく、三日三晩のケンカに突入したこともあった。

ケンカはなしくずし的に終わったものの、今にして思えば、ずいぶんとアホで大人げがなかったと思う。

異質なものを認めて受け入れるには、当時の私たちは幼く若かったのだ。

ほろ苦い思い出を振り切り、私は神機を銃形態に切り替える。

滑るように突っ込んでくるそれをかわしてレイガンを構え、その背ビレに容赦なく照射弾をぶっ放した。

 

 

グボロ・グボロとの戦いは、ペニーウォート時代からの付き合いもあって無難にこなし討伐完了。

水を担いで廃墟の街に戻ると、霧は大分晴れ、霧と灰域の向こうにうっすらと青空が見えた。

見通しもかなり改善されており、解放感のある景色に思わずホッとする。

昨日の展望台までなら、子どもたちを連れても大丈夫だろう。

そこそこに時間が経ってしまったが、ちゃんと避難所で待っているだろうか。

道路を小走りに渡りきった時、南の方角から音が聞こえた。

反射的に建物の影に身を隠し、音のした方向に目を向けると、小型のアラガミの集団、それもかなりの数が一斉に目の前を通過していった。

ベースのある方に向かったようだが、中々見ることのない珍しい光景だ。

ちょっと早い昼食をとりに餌場へ向かったのだろうか。

一目散に突っ走りやがって、怖いじゃないか。

ま、奴らも食うことに、生きることに必死なのだろう。

アラガミがいなくなったのを確認し、私は避難所へと向かった。

問題なく避難所へ到着し、ゴーグルとマスクを外して扉の前に立つ。

対アラガミ装甲でできた扉は頑丈であり、そこそこの力でノックすると、扉が小さく開き、くせのある銀色の髪と緑色の目が見えた。

 

「だれですか」

 

こそこそ隠れながらたずねるダニーに、私は腰に手をあて生真面目に答える。

 

「サイカです。開けてくれませんか」

「本当にサイカですか」

「本当にサイカですよ」

「……今からしつもんします。答えてください」

「わかりました」

 

ダニーなりに用心をしてのことなのか、それともお遊びなのか。

 

「ぼくの、すきなおかしはなんでしょう」

「ガム、グミ、サルミアッキ」

「ノニー!」

 

即答した瞬間ドアが大きく開き、ダニーが飛びついた。

鳩尾にタックルをくらい、思わず息が詰まる。

ヘっ、ガキのくせに良いタックルするじゃねえか。

 

「おっかえりー」

「お疲れ様。……ズボンと靴、大分汚れちゃったね」

「水辺で戦ったせいだよ。仕方ない」

「アラガミ出たんだ。無事で良かったよ」

 

子どもたちが次々と出迎えてくれる中、私は神機を壁に立て掛け、背負っていた荷物と水を下ろした。

すかさずアルビンが水と荷物を持つ。

 

「お疲れ様。無事に往復できたようで良かった」

「何とかね。面倒見てくれてありがとう」

「大したことはしてないよ。ビャーネとクロエは作業してて大人しかったけど、ダニーが建物を探検したいって言い出して付き合ってた」

「へー、どうだった?」

 

報告を聞きながらストーブへと戻り、汲んできた水を早速使って、少し早いが昼食をとることにした。

 

「霧は大分晴れたよ。湖の周辺は無理だけど、昨日の展望台までなら行けるから、水を運ぶのを手伝ってもらおうと思って」

「わかった。すぐに行くの?」

「これ食べたらね」

 

すると、ビャーネが立ち上がって黒い機械を持ってきた。

 

「早速コイツの出番だな」

 

そう言って見せたのは、トランシーバだった。

 

「お、直ったんだ?」

「ウィ、マ ボウテ。さっき、この建物を探索したアルビンに持たせて試したけど、ちゃんと通じたよ」

「うん。少なくとも、この建物内では問題なかった」

「凄いじゃん!」

 

すると、ビャーネは腰に手をあて胸を張った。

 

「尊び敬って! 褒めて!」

「マーベラス! トシ ヒエノ! ヴァ ヘフティ! トレビアーン!」

 

朗々と大きな声で褒め称えると、ビャーネは腰から手を下ろし顔をひきつらせた。

 

「……ゴメン。なんかちょっと、ウザい」

「もう二度と褒めない」

「イッツアジョーク! 褒めて褒めて! メッチャ褒めてマドモアゼェル! あなたの褒め言葉がオレの活力になりまーす!」

 

面倒臭いガキだよ。

今日も通常運転のメガネは放っておいて昼食を食べ終えると、クロエが私のジャケットを差し出した。

 

「はい。ちゃんと直したからね」

「メルシー」

 

受け取り、袖を通そうとして気付く。

補修したあとは目立たず、完璧とも言える仕上がりだった。

赤いフェルトで縁どりをした白いウサギのアップリケも、綺麗にしっかりと縫い付けてある。

 

「あんた腕上げたね。私より上手いよ、これ」

「ベースで、サイカのお手伝いでいっぱい縫ったもん」

「そうだったね。助かってたよ」

「ウィ」

 

笑って言うと、クロエは得意気に、嬉しそうに笑った。

途端に感じた昨日からの違和感。

それを隠すように、口を開く。

 

「でもさ、何か増えてない?」

 

ウサギのアップリケだけかと思いきや、濃いピンクの花と赤いイチゴのアップリケも袖を賑やかに飾っている。

すると、クロエは再び得意気に笑った。

 

「ウサギだけだと寂しかったから、付け足したの。可愛いでしょ」

ソポ(かわいい)

「……そうだね」

 

カジュアルなジャケットが、より一層カジュアルに可愛らしくなっていた。

可愛らしいのだが、自分の見た目を考えるとかなり子どもっぽい。

しかし、頑張って縫ってくれた上に、ニコニコしている二人を前にしてそんなことは言えない。

とりあえず袖を通す。

 

セ ビヤン(いいね)!」

「ソポ!」

「ありがとうね」

 

素直に称賛する二人から、やんわりと視線をそらした。

その先で、メガネがニヤニヤしている。

どうでも良かったが、笑い方が癪に障った。

 

「遊んでないでそろそろ行こうよ」

 

アルビンが呆れて促すまで、メガネの顔面をマッサージ──頬を重点的に──し続けた。

マスクとゴーグル、フードを身につけて、再び廃墟の町に出る。

先程とは違い、子どもたちの会話で賑やかな道中となった。

先程は霧で見えなかった廃墟の町並みを観察しつつ、たまに横切るアラガミをやり過ごしながら歩を進め、先程アラガミの集団が通過した道路が見えてきた。

何気なく渡ろうとして、南の方角から気配を感じた。

 

「あっちから何か来る。いっぱい」

「うん。みんな隠れて」

 

すかさず皆で建物の影に隠れ、様子を伺う。

程なくして、多数の足音と共にアラガミたちが目の前を通過していった。

さっきと同じような光景だが、数がさらに増えている。

 

「何だよあれ」

「あんなにたくさんのアラガミ、初めて見た」

 

呆然と見送るアルビンとクロエの横で、ビャーネとダニーはアラガミの集団移動に興奮していた。

 

「スッゲー! あんなにたくさん、中型種もいたぞ!」

「ねー! バルバルとコンゴー!」

「それと、サリエルにシユウに……、あのモサモサした鳥っぽいのは?」

「ネヴァンだよ」

「ネヴァン」

「ネバン!」

 

楽しそうで何よりだよ、君たち。

先程見かけた連中同様、アラガミたちが必死なのは感じられた。

餌場に向かったと思っていたが、……逃げているのか?

でも何から?

あ、もしかして灰嵐か?!

 

「打ち止めっぽいけど」

「よし。今の内に渡って展望台へ急ごう」

 

アルビンの言葉に頷くと、改めて周囲を確認して道路を渡った。

昨日の丘陵地帯を道なりに進み、難なく展望台へとたどり着いた。

 

セ マニフィック(すごい)!」

コメア(すごい)!」

 

展望台からの風景に、クロエとダニーが声を上げた。

湖のある方角から霧が発生し、ベース方面に向けて流れ込んでいた。

緩やかに、しかし圧倒的な質量で流れていく白い濁流。

まるで雲の上にいるかのような不思議な感覚だった。

 

「なるほどー。町の方は放射霧で、こっちは蒸発霧かな」

「霧に種類なんてあるのか?」

「うん。知ってるのだと五つくらい?」

「他にどんなのあるの?」

 

男子が盛り上がる中、クロエがベースの方を見つめていた。

流れていく霧と灰域で、ベースの姿は全く見えない。

……好きにさせておこう。

そして、ビャーネからトランシーバを渡され、使い方を教わり耳に取り付けた。

 

「それじゃあ行ってくる。みんなはここで待ってて」

「モイモイ」

「気をつけて」

 

ダニーとクロエに頷き、改めて湖に向かって歩き出す。

しばらく進むと、ノイズと共にイヤホンからビャーネの声が聞こえてきた。

 

《あーテステス。サイカ、どう? 聞こえてる?》

 

おー、ちゃんと通じているようだ。

 

「聞こえてるよ。やるじゃん」

《だろ。惚れるなよ》

「ハハッ! 十年後に出直してこい」

 

そうしてやり取りをしていたが、子どもたちから離れ、霧の中に入るとノイズが混じるようになった。

霧だけでなく、灰域の影響もあるだろう。

 

《ノイズ酷くなってきたな。やっぱこの条件だと厳しいか》

「壊れたものを、使えるようになっただけでも大したもんだよ。でも、さすがにこれは気が散るから切るね」

《オッケー。気をつけてな》

 

そして通信は切れた。

静かになったところで周辺の気配を探るが、何も感じられない。

おかしい。

さっき来た時は、何かしらの気配を感じられたのに、それが全くない。

それでも慎重に進み、霧のたちこめる湖へとたどり着いた。

すぐに作業を始めるが、先程のお騒がせ中型種も出てくる気配はなく、水汲み自体も呆気なく終わった。

水を担いで来た道を戻る。

やはり灰嵐がらみだろうか。

他に理由があるかもしれないが、全く思い付かない。

思いを巡らせている内に、展望台が見えてきた。

子どもたちが、設置されていたテーブルを囲んで話をしているようだ。

と、ダニーがひょいとこちらを見た。

 

「あ! サイカ、帰ってきた!」

「はい、帰りましたよ」

「おかえり、早かったね」

「アラガミが全く出なかったからね」

 

アルビンがやって来てタンクを受け取り、テーブルへと向かった。

 

「持ってきたラジオ、どうにか通じたから聞いてたけど、例の灰嵐、航路を沿うようにしてアローヘッドの方に移動しているらしい」

「やっぱり移動してたか」

 

私はため息をついた。

先程のアラガミの大移動は、灰嵐が移動したことで、その周辺にいたアラガミたちが逃げている最中だったのだろう。

湖にいたアラガミたちも、水中深く潜ったか湖から逃げたかのどちらかだ。

 

「明日の明け方までにはアローヘッド領に入って、そのまま消えるだろうってさ」

「そう」

 

ラジオの情報の通りなら、明日からいよいよ本格的に行動を開始することになる。

ここまでの疲れを今日中にしっかりと取って、明日に備えたいところだ。

再び空のタンクと、子どもたちの水筒を持って湖へと向かった。

やはりアラガミの気配は感じられない。

水を汲み終わり、再び展望台へと戻って子どもたちの水筒を渡す。

アルビンが水の入ったタンクを背負った。

 

「どう? いけそう?」

「インゲン ファラ」

「何だそれ」

 

アルビンの応答にビャーネが即座に突っ込むと、言った本人はしばし固まり、そして視線をそらした。

 

「ノープロブレムって意味だよ」

「なるほどー。今度使ってみよーっと」

 

軽いノリで答えるビャーネに、アルビンは居心地が悪そうだった。

わかるぞ、アルビン。

お前、無意識に故郷の言葉が出ちゃって照れているな?

と、私の視線と思うところに気づいた奴に睨まれた。

はいはい、失礼しましたよ。

 

「こういう時便利だよな、AGEの力って」

「そだね」

 

気を取り直して言うアルビンに、私は頷いた。

人の子どもでは背負えない重さの荷物を、AGEの子どもが平然と背負えるという事実は、私たちが人と違うことを証明するものだった。

その違いを、もっと早く本当の意味で理解できていれば、昨日のような出来事は避けられたのだろうか。

準備のできた子どもたちの視線を受け、私は顔を上げた。

 

「じゃあ帰るよ。さっきのようなアラガミの集団に会うかもしれないから、引き続き気をつけていこうね」

 

返事と共に、私たちは街へと引き返した。

そして、アラガミの大移動があった道路を渡ろうとして気付く。

何かいる。

不安と恐怖が心臓を鷲掴みにする感覚に、思わず足を止めた。

クロエと手を繋いで道路を渡っていたダニーがこちらを振り返った。

 

「サイカ、どしたの……」

 

言ったそばから、みるみるその表情が強ばった。

クロエの手を引っ張って、慌てて私のもとへ駆け寄る。

 

「な、何かいる! おっきいの!」

「おっきいのって」

 

手を引っ張られたクロエが困惑してたずねるが、構わず周辺に意識を向け、肝が冷えた。

避難所の方に、それはいる。

 

「アルビン、ビャーネ、戻って!」

 

鋭く呼び止めると、二人は怪訝そうな表情で振り向いたが、私とダニーの表情に急いでこちらにやって来た。

 

「何かあったのか」

「この先にヤバそうなのがいる。しかも避難所の方」

「えっ」

 

声を上げるクロエとビャーネに、アルビンの目付きが鋭くなった。

 

「何がいるの」

「それを確認するために、高い建物から探ろうと思う。ビャーネ、双眼鏡は持っているよね」

「うん」

「よし。北側に何ヵ所かビルがあったから、そちらに行ってみよう」

 

子どもたちを引き連れ、行き来してした道を大きく迂回するように道路を進んだ。

街の北側は、廃都ほどでないにしてもビジネスビルが並ぶ一角だ。

ただ、灰域とその後の混乱で建物の倒壊が著しく路面の状態も悪い。

その上、灰域の侵食が街の中でもかなり進んでおり、昨日、休憩する場所を探していた時に真っ先に候補から外した場所だ。

足元に気を付けつつ周囲を見てまわり、原形をとどめている屋外階段のついたビルを見つけた。

高さも申し分ない。

侵食が始まっている防犯用の金属扉を神機で壊し、クロエとダニーの体調を確認して階段を上り屋上に到着。

早速ビャーネから双眼鏡を借りて避難所の方角を見た瞬間、呻き声を上げそうになった。

白くうっすらと煙る避難所近くの広場に、黒く大きいものが動いていた。

黒くしなやかな四つ足の体に銀色の骨格を纏ったその姿は、美しいと称える人もいるかもしれない。

しかし、その背に生えるのは、巨大な両腕とあまりにも凶悪な爪。

そこから繰り出される攻撃の数々は、高速にして熾烈。

誰が呼んだか『銀に輝く双腕の魔獣』、クロムガウェインだった。

 

「サイカ」

「最悪だわ」

 

隣に来たアルビンに、双眼鏡を投げるように渡した。

表情を見ずともその雰囲気で、アルビンの冷静さに亀裂がはいったのを察した。

 

「んだよ……。何で避難所の近くに──」

 

双眼鏡を外し、手で目元を覆うアルビンに他の子どもたちも駆け寄った。

代わる代わる双眼鏡で確認し、全員が恐怖と不安の反応を示した。

絶句するクロエと、クロエにすがりつくダニーを背にして、ビャーネが喘ぐようにして言った。

 

「やべえ。もし避難所が襲われたら」

「この旅は問答無用で終わりだ。あそこには、この先の旅に必要な装備がおいてあるからな」

 

アルビンの声音に余裕はない。

 

「さあて、どうしたものかな」

 

言ってゴーグルをつけ直し、避難所の方を睨むように見つめる。

やるべきことの最優先は、命を守ること、そして装備の確保である。

そのためには、あのクロムガウェインには避難所から離れてもらわなくてはならない。

そうなると、神機を持つ私の出番となるわけだが、クロムガウェインは非常に獰猛で好戦的な性格だ。

遭遇したら、戦いは間違いなく避けられないだろう。

 

「ここが頑張りどころですかねい」

「待って。様子を見た方がいい」

 

アルビンが私に声をかけた。

 

「あんたに何かあったら、この旅どころか俺たち全員がおしまいだ。日没まで時間はまだ十分にある。ギリギリまで様子見したほうがいい」

 

私の目と耳と肌身で感じるアルビンは、いつもの冷静さを取り戻しているように思えた。

 

「そうだよ。待っている間にどこかに行ってくれるかも」

「サイカ、神機の整備以上に戦うの苦手なんだろ。無理するのは、最後の最後でいいじゃん」

 

子どもたちの言葉に衝撃を受けた。

冷静になっていると思いきや、一番頭に血がのぼっていたのは私だったか。

ああコイツら、よく見て、わかっているじゃないか。

思わず苦笑すると、ダニーが不安そうにこちらを見ていたので、私は安心させるように頷いた。

 

「そうだね。もう少し待ってみようか」

 




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遺された街 3

待っている間に、周辺の地理を確認しつつ居座っていたアラガミを倒した。

仮にクロムガウェインとの戦闘になった場合、乱入されたらたまらないし、離れている子どもたちの安全も可能な限り確保したい。

 

クロ厶ガウェインは、何故か広場の周辺をうろつくばかりで立ち去る様子を見せなかった。

それどころか、広場で居眠りをしだす始末だ。

ビャーネとダニーは、立場を忘れて観察しているが、それ以外の面子の苛立ちは募るばかりだった。

 

「何なのアイツ。何で動かないの?」

「さあ。何か休憩してるっぽいな」

「灰嵐が近づいているのに呑気すぎじゃない?」

「うーん。あの体の大きさと強さなら、どうとでもなると思ってんじゃないの」

 

不安のあまり余裕がなくなっているクロエに、アルビンは宥めるように答えた。

日没まで後一時間を切ろうとしている。

灰嵐の影響からか風も出てきた。

そろそろ決断をしなくてはならない。

日が暮れれば敵は去るかもしれないが、居残る可能性も十分にある。

戦わないことを選択した場合、装備もなく大型種もいる上に、灰嵐の影響がある中で一夜を過ごすことになる。

明日以降の予定に大きな影響が出ることは明白だ。

戦うことを選択した場合、生き残ることは当然として、日没までに決着をつける必要がある。

見通しの悪い中で戦うのは極めて危険だし、灰嵐の影響も無視できない。

だが、討伐なり撃退ができれば、今夜の安全は確実に保証される。

それに、勝機がないわけではなかった。

携行品の余裕は十分にあるし、任務で仲間と何回か戦ったことのある相手だ。

焦らずに落ち着いてやれば、討伐はできずとも避難所から離れてくれるかもしれない。

いや、何としてもお引き取りいただくのだ。

 

「アルビン」

 

アルビンがこちらを向いた。

私の声音に察したようで、その目線は厳しい。

 

「タイムリミットだよ。奴と戦う」

「勝算はあるの?」

「体調も万全で携行品にも余裕がある。初見の敵でもない。時間はかかるだろうけど、倒せない敵ではないと思う」

「必ず生きて帰ってくることを確約できない限りは頷けない」

「……そうだね」

 

アルビンの言うことはもっともだった。

本当に勝てるかどうかはわからない。

だが、覚悟を見せずに待っていろというのはあまりに無責任だ。

私は笑って頷いた。

 

「いつも通り必ず帰ってくるよ。だから待っていてほしい」

 

あのミナトにいた時からそうだったように。

アルビンはしばし私を見つめ、そして頷いた。

 

「わかった。じゃあ、こっちもいつも通り待ってる。荷物貸して。整理しないと」

 

私とアルビンで着々と準備を進めるのを、他の三人は黙って見つめていた。

準備は完了し、子どもたちに段取りを伝える。

 

「私が敵を避難所から引き離す。十分に引き離したところでアルビンに合図を送るから、そしたらみんなで避難所へ向かって。そして避難所に入ったら、絶対に外に出ないこと。アルビンの言うことをちゃんと聞いてね」

 

クロエとビャーネは真剣な表情で頷くが、ダニーが不安そうな表情で私に近づいた。

 

「サイカ、一人でたたかうの?」

「うん。戦える人、私しかいないからね」

「ぼくも、お手つだいできることない?」

 

私は屈んでダニーに目線を合わせると、その肩に手を置いた。

 

「今はアルビンの言うことを聞いて、みんなで待つことがお手伝いだよ。よろしくね」

ニーン(うーん)……」

「お返事は?」

「ヨー」

 

珍しく歯切れが悪い。

私はダニーをクロエに預けると、アルビンを呼んでその耳元に口を寄せた。

 

「ダニーの面倒、くれぐれも頼んだよ。絶対に目を離さないで」

「わかってるよ」

 

どうにも不安は拭えないが、アルビンだけでなく、クロエもビャーネもいるのだ。

大丈夫だと思うことにしよう。

私はヘッドセットを付けると階段へ向かった。

 

「じゃあ、行ってくる。日没までには戻るからね。避難所で会いましょう」

「行ってらっしゃい、気を付けてね!」

「ちゃんと戻って来いよな。アタシは信じて待ってるからねっ、ダーリン!」

「オッケー、マイスイーティーズ」

 

みんなに見送られ、私は飛ぶように階段を駆け降りた。

そして、振り向くことなくダイブで道を進み、道半ばで通信を入れた。

 

「アルビン、聞こえる?」

《聞こえてるよ。感度良好だ》

 

よしよし。

 

「敵の様子はどう?」

《ちょっと待って。……まだ寝てるっぽい。でも、気温が下がってきたから、そろそろ起きるんじゃないかって、ビャーネが言ってる》

「オッケー。その調子でしばらく敵の様子を見ててね」

 

離れていても連絡が取り合えるって、本当に便利で安心だ。

ビャーネの奴、良い仕事をしてくれた。

後で改めて褒めてやろう。

再び広場へ続くダイブで進み、広場で寝そべっている獰猛な黒い塊を発見した。

建物の影に隠れ、様子をうかがう。

 

「アルビン、目標を目視で確認した。これから戦闘に入るから、準備しておいて」

《ヤ! 気を付けてな》

「了解。あんたたちもね」

 

呼吸を整え集中する。

ああヤダな、怖いな。

だから焦らない、無茶をしない。

いつもどおり最初は様子見して、目が慣れたら隙を見て攻撃。

壁盾の展開のタイミングさえ間違えなければ、神機自体は強化も整備もしているのだ。

ダメージはそう受けないし、仮に受けても携行品の余裕は十分にある。

怖いけど大丈夫。

言い聞かせ、神機の柄を握り直した。

意識して深呼吸を繰り返し、一歩踏み出した。

それを繰り返し、目標を観察しながら近づく。

しなやかでなめらかな黒い肢体と、危険で非日常感を漂わせる雰囲気は、人の男であったのなら女受けすること請け合いだろう。

ああ、この動悸と息切れが、興奮のためだったらよかったのに。

だーがー。

その背に生えた腕に仕込んである刃と凶悪すぎる爪は、女を抱くにはあまりに無粋だろ。

私はチャージ捕喰の構えをとる。

途端に溢れ出す黒い異形は、ためらいなくその黒い体に食らいついた。

文字通り飛び起き、ひらりと間をとって怒りの咆哮を上げる奴に、バーストの高揚感に乗じて無理矢理笑顔を作り、努めて陽気に声をかけた。

 

「手荒な目覚まし、ごめんあそばせ。お昼寝の時間は終わりだよ!」

 

それに応じるように奴は巨腕に仕込んだ刃を展開すると、目にも止まらぬ早さで襲いかかってきた。

盾を展開してそれをやり過ごすと、相手を誘導すべく移動を開始する。

離れすぎると、あの身のこなしと刃の餌食になるし、近づきすぎて素早い出のフックも怖い。

適切な距離を保ちながら、この素早い動きに目を慣れないと。

攻撃を凌ぎ、バーストを維持しながら大通りを進む。

そして、アルビンたちを避難所へ向かわせるタイミングがやってきた。

 

「アルビン、今だよ!」

《こちらも確認した。これから避難所へ向かう》

 

この調子で、先程アラガミ達が大移動をした通りまで誘導しないと。

だが、アルビンたちがいる北側へと押されている。

建物と謎植物を蹴散らしながら猛攻を仕掛けてくる奴の一撃、切り裂いた残骸が宙を舞って先程までいたビルに直撃した。

 

「アルビン!」

《だ、大丈夫。全員無事だ。それよりも本当に頼んだぞ!》

「了解! いざとなったら水を捨てて逃げて。後でいくらでも回収できるから」

《ヤ!》

 

南側へ誘導しないと、逃げるアルビンたちが危ない。

銃で誘導するか。

盾を使えないのは怖すぎるがやむを得まい。

一連の攻撃を凌いだところで、とっさに物陰に隠れると銃形態に切り替えた。

即座に銃口を巨大な腕に合わせ、照射弾を浴びせるが、先程のグボロ・グボロの背ビレのように怯みまくってはくれない。

それだけ分厚いお手々と爪じゃ、そりゃ感じないか。

体が温まり、目が慣れたことでどうにか避けられているものの、攻撃範囲の広さと素早い動きに、地味にダメージは受けている。

ああ、早く盾を使いたい。

どうにか南側へと誘導完了。

即座に剣形態へ切り替えると、盾やステップで攻撃を凌ぎながら攻勢の機会をうかがう。

 

《サイカ、避難所へ着いた。全員無事だ》

 

アルビンからもたらされた朗報に、思わず笑顔になった。

 

「ナイス! 絶対に外から出ないようにね!」

《ヤ!》

 

よし!

これで、作戦は六割方成功したようなものだ。

後はコイツを討伐か撃退をすれば、今夜の私たちの安全は確保される。

頑張れ私。

アルビンたちが避難所へたどり着いたことで、敵にしっかりと集中することができるようになった。

このアドバンテージは大きい。

たまに目測や引き際を誤ってダメージを貰ってしまうものの、側面から頭や後ろ足への攻撃を与え続ける。

かの鬼神や、戦いの上手い人から見れば、何とも焦れったい戦いだろう。

灰域が発生する以前からGEに求められたのは、ノーアイテム、ノーダメージの素早い討伐だという。

そんな風習を作った連中に、大上段から飛びかかりの一撃を喰わせたいところだが、灰域が発生し屋外での行動時間が限られる現状においては、それを目指さない理由はない。

でも、これが私の戦い方だ。

無理せず焦らず落ち着いて。

逸る心をなだめながら防御優先で戦い続け、ついに、丹念に念入りに攻撃し続けた後ろ足が結合崩壊を起こした。

 

「よし、キタ!」

 

思わず喜びが声に出た。

へたれた姿をさらす敵から捕喰し、ポーチから地雷を取り出してセットする。

少しでも頭と両腕のダメージを与え、結合崩壊を狙いたい。

そして、チャージクラッシュをすべく体勢をとった時だった。

 

《サイカ! ダニーが外に出た!》

「え」

 

心臓が嫌な動きをした。

え……、え、何だそれ。

アルビンの報告に、全身の高揚感がたちまち消え失せる。

 

「な、何で?!」

《一人でトイレに行くって言って、建物を探索していた時に見つけた裏手のドアから外に出た》

 

私はダウンしている敵を見る。

今は極めて大きな攻撃チャンスだ。

しかし、断腸の思いで私は敵との間合いをあけた。

 

「それ、本当なのね」

《間違いない。裏手のドアの鍵が開いていたから》

「そう」

 

ダニーに対して感じていた不安は的中してしまった。

もっとしっかり念押ししておけば良かった。

焦りと後悔が身を焼くが、それに浸っている暇はない。

 

「急いで荷物を確認して。どんな状態で外に出たか知りたい」

《今、クロエたちが確認している。本当にゴメン!》

「いいよ、確認急いで!」

 

言って、周囲に意識を飛ばす。

しかし、今この場でダニーの気配は感じられない。

 

《サイカ、マスクとゴーグルがない。あと回復薬のセットも無くなっている》

「外に出た時間はわかる?」

《詳しい時間はわからない。でも、十分も経っていないよ》

「オッケー! ダニーは必ず見つける。あんたたちはそこにいて。絶対に外に出ちゃダメだよ!」

《わかった。ダニーを頼む!》

「任せて」

 

サディストな黒いミスターが、ダウンから身を起こそうとしている。

私はスタングレネードを取り出すと、即座に敵に向けて放った。

視界を奪う目映い光と、地雷が作動する音を背に、私はダイブでその場から離れた。

この戦いが始まる前、ダニーは何か手伝えることはないかと聞いていた。

そして、回復薬のセットを持って外に出たことから、ダニーは私のためにこちらに駆けつけていることは間違いない。

急いで合流しないと。

恐らくだが、見知っている上に見通しのよい中央の通りを進んでいるはず。

ダイブを繰り返しながら中央の通りを目指すが、重量のある壁盾のダイブはスタミナの消費が激しい。

着地し、さらにダイブをしようとしたが、無視できぬ程に息が切れ、足を止めた。

顔や首筋を伝って、汗が地面へと滴り落ちる。

早く、早くしないと。

深呼吸を繰り返していた時、張り巡らせた感覚に引っかかるものがあった。

顔を上げれば、小さく動くものが見えた。

向こうも気付いたのだろう、駆け寄ってくる。

 

「サイカー!」

「ダニー!」

 

見つけた!

呼吸が整うやいなや、即座にダイブを再開。

瞬く間にダニーの元へとたどり着き、飛びつくダニーを片腕で掬い上げる。

良かった! 本当に無事で良かった!

 

「サイカ、ぼく」

「敵が来ている。お話は後で聞くから、ちゃんと掴まって」

 

息を切らしながら頷くダニーを抱え、私は即座に走り出した。

まだ距離はあるが、確実に敵はこちらへと向かってきているのを感じた。

避難所へ戻ることも考えたが、せっかくそこから引き離したのに意味がない。

……さっきのビルの近くへ行くか。

あの周辺にアラガミがいないのは確認済みだ。

そこでダニーを待たせるしかない。

北側の通りに出て、先程のビルを目指す。

 

「アルビン、ダニーを見つけた。さっきのビルの近くに待機させるから」

《ああ、良かった……。タック ソ ミュッケッ!(本当にありがとう)

 

足場の悪い道路を走り抜け、先程のビルの前に到着した。

先程の残骸を食らい屋上は完全に潰され、倒壊するまでには至っていないが、待機場所としてはもう使えない。

周辺を見渡し、比較的を形のしっかりした集合住宅を見つけた

扉を蹴り開け中に入ると、ダニーをエントランスの隅に降ろした。

扉から差し込むわずかな陽光に照らされ、長年の埃が光りながら宙を舞った。

 

「サイカ、ぼくね、これ」

 

ダニーが片腕で抱えていたものを差し出す。

回復薬のセットだった。

様々な気持ちが口をついて出そうになったが、着実にこちらに近づいている気配を感じ、それらの全てを飲み込んだ。

ダニーもそれを感じたのだろう、恐怖に顔をひきつらせる。

 

「ダニー。あんたはここで隠れて待ってなさい」

 

私はダニーを抱え込むようにして座らせると、ゴーグルの向こうで揺れる緑の目を見据えて言った。

 

「いい? 今度こそ、絶対にここから出ちゃダメだよ。言いつけを守れなかった時は、痛くて苦しい思いをした上に、もう二度とみんなに会えなくなるからね」

 

涙目で頷くダニーの頬にマスクの上から手を添える。

 

「怖いことに耐えて待つことも立派な戦いだよ。ダニー、一人ぼっちになっちゃうけど、できる?」

 

ダニーは頷き、私を見つめた。

 

「できる。サイカもこわいのに、一人でたたかってるから、ぼくも一人で待つ」

「よし! 約束だよ。必ず戻ってくるからね」

 

私はダニーの頬を数回ムニムニして立ち上がると、建物から飛び出してダイブで敵の元へと向かう。

ダニーをすぐに見つけることができたのは不幸中の幸いだったが、先程のように時間をかけて戦うことはできない。

今はまだダニーのいる周辺にアラガミはいないが、それは絶対のものではないのだ。

できる限り早めに戦いを終わらせなくては。

そして、こちらに向かってきていたミスターに、ダイブで顔面に突っ込んだ。

ついでに空中捕喰をしつつ言い放つ。

 

「手荒な再会、ごめんあそばせ。さあ、さっきの続きといこうか」

 

咆哮と共に活性化する奴の側面に着地し、神機を構えた。

そうか、ミスターは殴打プレイはお好みじゃなかったか、それは失礼。

活性化し、相手の攻撃は一段と速く鋭く重くなる。

しかしやることは変わらない。

盾とステップで攻撃を凌ぎ、スキをうかがうが、活性化したことで攻撃の目測を誤った。

距離を取りすぎて放たれた衝撃波を喰らい吹っ飛んだ。

息がつまり、痛みが平常心をかき乱す。

何とか受け身を取りつつ物陰に転がり込み、回復薬を使った。

大丈夫、回復薬で間に合う傷だ、落ち着いて。

呪文のように言い聞かせ、恐怖で重くなる足に力を込めて踏み切り、ダイブして一気に距離を詰めた。

 

恐怖の時間をやり過ごし、側面からの攻撃を繰り返して、ついに頭の結合崩壊に成功した。

よし! 今度こそ逃さない!

チャージ捕喰から、速やかに地雷を設置。

両腕の結合崩壊を狙って、チャージクラッシュの構えを取る。

もう少しだけ、お休み寝んねしてくれよミスター。

オラクルエネルギーを溜めに溜め、身動きする寸前に刀身を振り下ろす!

頭を巻き込むように振り下ろした一撃は、残念、結合崩壊には至らなかったが、確かな手応えを感じた。

さらに、立ち上がった奴に地雷が発動。

大きなダメージを受けて怯んだ奴は、私から距離を大きくあけ、身を翻して通りを走り始めた。

餌場へ向かう気だ。

その事実に、私は思わず笑顔になった。

ちゃんとダメージを与えられている、こちらの優勢だ。

何だ、やればできるじゃん、私!

ミスターは南東の方角に向かっている。

避難所からもダニーからも距離を離せる好機に、敢えて足止めせずにその後を追った。

街の片隅にある餌場に向かった奴は、早めのディナーを取ろうとしている。

悪いがそうはさせない。

チャージ捕喰をした途端、奴は活性化した。

相手の余裕がなくなってきているのを感じたが、私とて余裕があるわけではない。

度重なる攻撃に、神機を握る手と、それを支える両腕が痺れて感覚がなくなってきている。

だけど、後もう少しなのだ。

耐えてくれよ、私の体。

焦る心を無理矢理押さえつけ、しっかりと敵の動きを見ながら攻防を繰り返す。

 

そして、振り上げた神機が奴の両腕を弾いた途端、両腕が結合崩壊を起こした。

ついにここまで来た!

捕喰でバーストを維持し、チャージクラッシュを食らわせるが討伐に至らない。

焦らずよく狙って。

再びチャージクラッシュをすべく体勢を取るが、奴はダウンから回復し身を起こした。

奴が身を翻して距離を取ろうとするのと、振り下ろした神機の刃が奴の後ろ足に当たったのはほぼ同時。

後ろ足から黒い煙のようなものを吹き出して、奴は無様に転倒した。

チャンス!

スタミナは回復しきれていないが、ここで奴を逃すわけにはいかない。

私はチャージクラッシュの溜めに入る。

これがとどめになる予感があった。

 

ここまで熱烈な攻撃(サービス)ありがとう。

だが、サービスを提供するのは得意だが、受領するのは苦手なご様子。

だからこそ、私のへっぽこサービスでも何とかなったわけだが。

オラクルエネルギーを最大に溜めた神機が、私の心に呼応するように唸りを上げる。

ああそうとも、いつも一辺倒ではつまらない。

主導権を握られ翻弄されるのも中々乙だったろう、ミスター!

渾身の振り下ろしと共に、命を断つ確かな手応えを感じた。

討伐は完了した。

呼吸が整えながら、いつもの癖でコアを回収する。

こんだけ苦労したのに、レア物は無しか。

だが、私たちが一番欲しかったものは手に入った。

それだけで十分だ。

喜びを噛みしめたいところだが、まだやるべきことは残っている。

崩れ去る黒い体をダイブで飛び越え、ダニーの元へと向かった。

 




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遺された街 4

先程の建物に入ると、ダニーが顔をあげて駆けつけた。

 

「サイカ!」

「モイ。約束通り戻ってきたよ」

 

抱きつくダニーの後頭部に手をあて、私は通信を入れた。

 

「アルビン」

《サイカ! 無事か!?》

「何とかね。アラガミも倒したよ。ダニーにお説教をしてからそちらに戻るから」

 

抱きつくダニーの体がビクリと震えた。

 

《そうか、お疲れ様。気をつけて帰ってきてくれ》

 

アルビンの声音には、紛れもない安堵の気持ちが込められていた。

 

《そうだ。逃げる時に水の入ったタンクを一個捨てたから、ついでに回収してほしい》

「わかった。場所は?」

 

場所を聞き出し、通信は切れた。

意識を切り替えてダニーに向き直った。

ダニーのマスクとゴーグルを外し、次いで私自身の顔の装備を外すと、屈んでダニーと目線をあわせた。

その顔はこれから何が起こるが予測できているのだろう、恐怖にひきつっていた。

 

「ダニエル」

 

愛称ではなく名前で呼ぶと、ダニーの全身が強ばった。

 

「何故、私やアルビンの言うことを聞かなかったの?」

 

私はダニーの両肩を掴んだ。

 

「アルビンの言うこと聞いてねって、みんなで待っていることがお手伝いだよって、私言ったよね?」

 

語気を強めて言うと、たちまちダニーの両目が涙で潤んだ。

 

「自分のやったことが、どれだけ危ないことかわかってるの?! 痛くて苦しいどころか、死んじゃったかもしれないんだよ! みんながどれだけ心を痛めて心配したと思っているの!」

 

そして、耐えきれずに泣き出した。

心は痛むが、前兆はあった。

廃都で兵士たちとやりあった時も、言いつけを守らずに私のもとへ来ようとしていた。

ここできちんと言い聞かせなければ、また同じことを繰り返す。

心を鬼にして、さらに言葉を重ねようとした時、

 

「カべリア、エイ、ヤテタ」

 

泣きながら答えたダニーの言葉に、思わず口を閉ざした。

それは、アラガミが発生する前よりもさらに昔、この地を巡って東にある大国と戦争が起きた時にできたとされる標語のようなものだと聞いた。

意味は『仲間は見捨てない』。

周辺の国々が自国のことで手一杯で孤立無援の中、大国相手に戦争をすることになったこの地の人々は、この短い言葉にどれほどの思いを込めたのか。

私にはわからないし、口にしたダニーですらもわからないだろう。

だがその言葉に、ダニーが無茶をした理由の全てがあった。

仲間()を、強敵のいる戦場に一人置き去りしたくなかった。

見捨てたくなかったのだ。

理解した瞬間、胸が詰まった。

胸を占めるのは、紛れもない喜びと己の不甲斐なさだった。

臆病なダニーが、優しさと勇気をもって駆けつけてくれたことは、本来なら喜ばしいことだ。

しかし、他の子どもたちと共に待てなかったのは、子どもゆえの無知と辛抱のなさもあろうが、私が弱くて信頼されていないことの表れとも言える。

仲間を失う不安と恐怖が信頼を上回り、彼を危険で無茶な行動に駆り立てた。

私が弱いばかりにこんなことに──。

己の不甲斐なさに耐え、泣きじゃくるダニーの頬に手を添えた。

 

「私を心配して来てくれたんだね。ありがとう。……でもね、戦場では仲間を守る前に、まず自分で自分の身を守らなきゃいけないの。ダニーは自分一人で、アラガミから身を守れるの?」

 

ダニーは首を振った。

 

「そうだよね。それで怪我をして死んじゃったら、私もアルビンもクロエもビャーネも、みんなが悲しむんだよ。ダニーは、みんなを泣かせて悲しませたいの?」

 

ダニーは、先程より強く首を振った。

 

「だったら、みんなと一緒に待っていなきゃダメだよ。私は弱いから、心配になる気持ちはわかる。でも、それでも、みんなと一緒に信じて待っていて欲しかったの。私だって、ダニーやみんなを見捨てて死んじゃうつもりはないよ。信じて待ってくれているみんなの元に帰れるよう頑張っているし、これからも頑張るから。ね」

 

ダニーは目を擦り、鼻をすすりながら言った。

 

「アンテークシ」

 

私は頷き、ダニーの肩に手を置いた。

 

「うん。ダニーが大きくなって、アラガミから身を守れるようになったら一緒に戦おう。それまでは、絶対に戦場に出たらダメだよ。約束できる?」

「ヨー……」

「よし。じゃあこれでお説教はおしまい。顔を拭いて帰ろう。回復薬は使わせてもらうね」

 

ダニーが顔を拭いている間に、私も回復薬で傷の手当てをした。

改めて見ると、服の損傷が進んでいた。

この体と違って、服は勝手に修繕されない。

クロエがつけたアップリケは無事だが、この調子だとこのジャケットは、いずれアップリケまみれになるだろう。

その様を想像し、苦笑した。

開き直って何度でも繰り返す。

私は戦うことが苦手だし嫌いだ。

アラガミは怖いものだし、好きではない。

群れた小型種や中型種でもビビりまくりなのに、大型種ともなれば最早悪夢の極みだ。

今回は運良く勝てたが、次はどうなるか保証はできない。

本当に本当に嫌なのだが、それを理由に弱いままではいられない。

子どもたちが安心し、信頼して待ってもらえる程度には、実力を身につけなければ。

と、服の裾を引っ張る感覚にそちらを見れば、ダニーが萎れた表情でこちらを見ていた。

 

「ん? どうしたの?」

「アルビンやみんな、おこってる?」

「そりゃ怒ってるよ。ダニーのこと、すっごく心配したんだから」

「……ぼくのこと、きらいになっちゃったかな」

 

またしても涙ぐむダニーに、私はその肩を抱いた。

 

「ならないよ。好きで心配だから怒るの。ちゃんと謝って反省すれば、許してくれるから」

「……ヨー」

「大丈夫。みんなを信じて」

 

ダニーは頷き、ゴーグルとマスクをつけ直した。

私が手を差し出すと、しっかりと握り返す。

私は笑顔で応えた。

 

「さあ行こう。みんなが待ってるよ」

 

すっかり日が落ち、紫の光の灯る廃墟の街を二人で歩いた。

風がずいぶんと強くなっている。

 

「お空すごい」

「うん。お空はもっと風が強いんだろうね」

 

灰域の向こうで暮れる空の色より暗い塊が、恐ろしい早さで流れている。

進路から外れているとはいえ、その周辺に影響がないわけではないのだ。

水を回収して背負い、避難所へ足を向けた時、いきなり突風が吹き付け、同時に体に強烈な負荷がかかった。

何だ? いきなり空気が薄くなったような──。

すると、ダニーが強く手を握った。

 

「ダニー?」

「んん、ちょっと、苦しい」

 

何が起きたんだ?

動揺したのもつかの間、ある予測が閃いた。

灰域濃度が上がっているのか。

確かに灰嵐は近づいているが、こんなに急激に変化するものなのか。

そして、避難所にいるクロエのことを思い出す。

体の弱いあの子のことだ、体調を崩しているかもしれない。

ダニーを抱き上げ、道を駆け出した。

風に逆らい走り続け、避難所の前の広場に出た時、想像を越えた光景を見た。

紫の光のさらに向こう、深い青に沈んでいるはずの遠景に、不吉な赤い光を纏った漆黒の塊が現れている。

……おいおい嘘だろ。

何で、何でいきなり灰嵐が起こっているの?!

しかもあれ、ベースのある方角だ。

何で?!

吹き付ける風に、今まで感じられなかったものを感じた。

怒り、憎しみ、悲しみ、嘆き、絶望、無念。

まさか、あの灰嵐は──。

ダニーが私の首にしがみついた。

 

「ベルナーおじさん、かいらんになっちゃった……」

 

返す言葉が、全く思い浮かばなかった。

私は無言でダニーと神機を抱え直す。

やるせない思いを振り切り、風に逆らって避難所へと向かった。

 

 

この日の夜は、今までと違って静かなものになった。

急激な灰域濃度の上昇で、クロエが体調を崩して寝込んだこともそうだが、ベースで灰嵐が起こったことと、その原因がヴェルナーさんの死によるものだという憶測、そして灰嵐の影響で情報が途絶えたことが、私たちから楽観的な見方を奪っていた。

ダニーの謝罪を含めた反省会もうやむやとなり、夕飯も最後の缶詰レーションの予定だったが、クロエが寝込んでいる手前、明日以降に延期して質素なものとなった。

ダニーは寝込んでいるクロエの側を離れようとせず、アルビンとビャーネの表情も、いつもの生彩さを欠いていた。

ベースの灰嵐が、私たちの方に来るのではないか。

そんなことはない、とは言い切れない。

情報は何もなく、不安は募り、恐怖と焦りが心どころか内臓すら焼くような感覚に、あてどなく動き回りたく衝動をこらえる。

子どもたちのほうが、私よりもはるかに不安なはずだ。

私がみっともなく動揺するわけにはいかない。

家事をこなし、荷物の整理をしながら、灰嵐がこちらへ来ないよう祈ることしかできなかった。

眠る時間になっても寝ようとしない三人に、私は声をかけた。

 

「あんたたち、そろそろ寝る時間だよ。不安な気持ちはわかるけど、今日はもう寝なさい」

「この状態で寝るって」

「眠れないなら、せめて目を閉じて横になりな」

 

私はアルビンに言いつける。

 

「灰嵐が何事もなく通りすぎて、クロエの体調が回復したら、予定通りに明日から長い距離を歩くことになる。今ここで、みんなで元気を無くすわけにはいかないんだよ」

 

不安の表情を浮かべる子どもたちに、私は笑顔を作った。

 

「大丈夫。何かあったら私が起こしてあげる。そして、あんたたち全員抱えて必死で逃げてやるから」

「さすがに全員は無理だろ。……うん、寝るよ」

 

ビャーネが笑った。

その笑顔は固いものだったが、それでもどうにかいつもの陽気さは保とうとしているのはわかった。

いじらしいところもあるじゃないか。

私は笑顔を向けると、ビャーネの顔に手を伸ばし、その頬を撫でた。

 

「明日も元気に頼んまっせ、ダーリン」

「オーケイ、ハニー。グッナイ」

「グッナイ」

 

そしてアルビンに顔を向け、私は笑みを深くして言った。

 

「お前も寝ろよ。明日もあんたにはキリキリ働いてもらうんだからね。本当に頼んだよ」

「わかったよ」

 

アルビンはブツブツ言いながら寝る準備を始め、不安そうな表情で私を見ているダニーに声をかけた。

 

「ダニーも寝ようね」

「クロエのそばでねていい?」

「いいよ。明日、改めてみんなにちゃんと謝ろうね」

「ヨー」

 

三人はマスクをつけ、それぞれ寝袋に入った。

しばらくの間は寝付けない様子だったが、体の欲求には逆らえず、三人とも眠りに落ちたようだった。

せめて、夢の中では平和な一時を過ごしてほしいものだ。

さて、神機の整備をしよう。

今日も数多のアラガミと戦った。

しっかり整備して、明日に備えるのだ。

このバスターブレードは、かのミナトにいた時に、友人と共に憧れ目指した元GEの先輩の得物だった。

先輩の亡き後にそれを友人が引き継ぎ、そして友人が死んだ後、私が引き継いだ。

整備が行き届きピカピカだったであろう神機は、厄災を経て灰域に晒され、過酷な環境で持ち主を変えながら戦い続けた。

そして今、限界灰域を旅する過程で明らかに疲弊していた。

数多の傷が輝きを奪う神機を見つめる。

目的地に着いたら、ちゃんと整備してもらおう。

神機の整備をしながら胸をよぎったのは、ベースにいた友人たちやお世話になった人々であり、私が昨日倒した下衆な兵士たちだった。

 

ヴェルナーさんが、何故灰嵐となったかはわからない。

だが、どんな理由があったにしろ、敵味方関係なく、あの場にいた全ての人々が犠牲になったことは確実だった。

また会おうと言葉を交わした友人たちも、まだあそこにいたのなら、例外なく命を落としていることだろう。

そしてあの兵士たちもだ。

ただ、彼らは別の仲間に救助され、戦線を離脱した可能性もある。

だが、怪我が原因で逃げることもできず、灰域かアラガミに喰われた可能性もあるし、そもそも怪我が原因で死んだ可能性もある。

わからない。

確かめる術もない。

だが、生きていて欲しいと思った。

嘘偽りのない正直な気持ちだ。

奴等は紛れもなく下衆だったが、殺すつもりはなかった。

私は、先輩や仲間や友人から託された子どもたちが大切で、子どもたちだけでも生かしたかった。

そして、その子どもたちを侮辱されたことが、どうしても許せなかったのだ。

せめて、子どもたちだけでも人らしく扱ってくれれば、嘘でも建前でも優しく接してくれれば、大人しく話を聞き投降する道を選んだろうに。

だが、弱い己を認められず、未知で不安な力の塊である私たちを恐れ、下に押さえつけることで安心を得る彼らに、それは酷な話なのかもしれなかった。

そして、彼らが恐れる力を感情に任せて奮った結果がこれだ。

どうすんだよ、サイカ・ペニーウォート。

もしかしたらお前、人殺しの神機使いになったかもしれないぞ。

不意に手元から不穏な音がして、我に返った。

ヤバッ、整備の途中だった。

集中集中。

指先が冷たくなるのを、ストーブで暖めながら神機の整備を続ける。

生きていて欲しい。

加害者でありながらそう願うのは、あまりにも身勝手とは知りながら、それでもそう願わずにはいられなかった。

 

風はより一層強くなり、装甲壁で密閉されたようなこの建物にも、その猛威が伝わってくる。

だが、私の感覚では灰嵐が近づいている様子はない。

猛る感情を感じはするが、それは別の方へ向かっているように思えた。

それはどこなのだろう。

神機の整備が終わり、壁へ立て掛けて戻ろうとして、何かが動く気配がした。

ダニーの隣の寝袋が動いている。

マスクをはずし、起き上がったのはクロエだった。

顔色はまだ白いが、落ち着いた様子だった。

 

「サイカ」

「気分はどう? あ、ダニーが隣で寝てるから気を付けて」

「ウィ。……だいぶ楽になったよ。おトイレと喉乾いた」

「わかった。じゃあ一緒に行こう」

 

クロエは頷き、そっと寝袋を脱いだ。

私の手を借りてゆっくりと立ち上がる。

安静にして体力が少し回復したのか、クロエの足取りはしっかりしており、トイレをすぐに済ませて皆の元へ戻ってきた。

未だしっかりと眠っている男子を起こさぬよう、ベンチへと腰を下ろす。

 

「スープ飲めそう?」

「うん」

「オッケー。すぐ用意するね」

 

深めの器にフリーズドライのスープをいれ、お湯を注いでかき混ぜれば出来上がり。

文明、素晴らしい。

絶えずに残ってくれて本当にありがたい。

 

「はいどうぞ。ゆっくり食べな」

「メルシー」

 

クロエはスプーンでスープを飲み始めた。

相変わらず外は嵐が続いている。

しかし、ここは切り取られたように安全だった。

昨日、クロエがここに残る提案をした気持ちはわかる。

体の弱いクロエには、外の世界はいささか厳しすぎる場所だった。

ここにいれば、そんな世界の厳しさからは逃れることはできる。

しかし、ここは一時的な安全地帯に過ぎない。

居続けることはできないのだ。

やるせない思いでクロエを見て、一瞬息が止まった。

泣いていた。

 

「クロエ」

「ごめんなさい」

 

クロエは涙をぬぐいながら、彼女の故郷の言葉で謝り続ける。

 

「私、体弱くて、みんなの足を引っ張ってばかりで。ペニーウォートにいた時も、ベースにいた時も、今もそう。私、心配ばかりかけて何もできない」

 

クロエは涙をボロボロこぼしながら、歯を食い縛る。

 

「辛いよ。悔しいよ。何でこんな体で生まれちゃったの。AGEになっても全然強くないし、むしろ酷くなってるよ。やだよ、こんな体やだ! いらない! 私だって強くなって、みんなと一緒にいたいのに。みんなに守られたままじゃやだ。可哀想なままじゃやだよ」

 

泣きじゃくるクロエの姿に、私の今は亡き友人の姿が重なった。

体の弱かった友人はある日、体調を大きく崩してしまい、看守に罵声を浴びせられた。

そして、今のクロエのように泣きじゃくって先輩や私に謝っていた。

その時、先輩が言っていたことを思いだし、私はその言葉を拝借することにした。

 

「ゴメンね。その苦しさ、わかってあげられなくて、本当にゴメンね」

 

そして、クロエの背中をさすりながら言った。

 

「でもね、本当ならその体の弱さこそが普通なんだよ。私たちが普通になっている今の世界こそが異常なんだよ」

 

かつての先輩の言い回しや声の調子を思い出しながら語り続ける。

 

「だから、後ろめたく思う必要はないの。本来の普通を守るために、私たちは異常となって戦っているんだから。それにあんただって、その弱いと言っている体で、いつも戦っているじゃない」

「え」

「アラガミよりも強い敵、この異常な世界そのものと頑張って戦っているでしょ。いっぱい泣いて苦しんで、でも生き延びているんだよ。凄いじゃん。それは褒められることだよ」

 

背中をさすっていた手を肩に回す。

 

「あんたも、あんたの体も頑張っている。みんな知ってるよ。今は苦しさしか感じられないかもしれないけどさ、美味しいご飯を食べた時や、暖かい布団で眠れる時、可愛いくて綺麗なものを見た時に感じる喜びも楽しさも、その体があるからこそ感じられるものなんだよ。だから、いらないなんて言わないで、大切に労ってあげて」

 

鼻をすすりながら、クロエは黙って頷いた。

 

「少しずつでいいからね」

 

これで納得したとは思っていない。

かつての友人がそうだったように、今後も繰り返し伝えていく必要があった。

せっかくの顔が、涙と鼻水で酷いことになっているクロエにタオルをわたし、私はあの言葉を送ることにした。

 

「カヴェリア エイ ヤテタ」

「……何、それ」

「この地に伝わる言葉だよ。仲間は見捨てない。ダニーが、あんたたちの目を盗んで私のところに来た理由だって」

「……そうだったの」

「うん。さすがにお説教したけどね。でもね、私だって同じだよ。私はあんたたちを見捨てない。辛かったり苦しかったら、いつもどおり遠慮なく頼って。私もいつもどおりに頑張るから」

 

そうして背中を軽く叩いた。

 

「さ、ご飯食べちゃいな。そして薬を飲んで横になって寝る。いいね」

 

素直にクロエは頷き、ベンチに引っかけている私のジャケットに目を止め、眉を寄せた。

 

「酷いことになってる」

「今のあんたの顔ほどじゃないよ」

「酷い。また縫わなきゃ」

「それまでは黒テープですかねい」

「絶対に元気になってやるんだから」

「その意気だよ」

 

お茶を淹れつつ私は笑った。

食事を済ませクロエは薬を飲み、ダニーを起こさぬよう寝袋へと戻る。

横になるクロエに一声かける。

 

「ボンニュイ、フェ ドゥ ボー へエヴ」

「メルシー、パヘモン」

 

程なくしてクロエは再び眠りについた。

私はベンチの背に寄りかかる。

クロエやダニーの存在は、ともすれば足手まといと捉える人もいるだろう。

だが、私にとっては、平和な日常の象徴であり、普通という概念の目印のようなものだった。

そんな存在を、戦場に近い場所に連れてきている私の責任は重い。

頑張らなきゃだね。

気合いを入れ直し、ジャケットを手を伸ばした。

クロエに直してもらうまではテープで仮止めしておくか。

や、ここは頑張って自分で縫うか。

ジャケットを手に取り、内ポケットにある小箱を手にした途端、胸騒ぎがした。

ベースを出る前に、馴染みの男から受け取った平たく頑丈な小箱。

中身を確認しようと蓋を開け、この日一番、否、この旅で一番の絶望的な現実を突きつけられた。

中身はどこでどうやって入手したのか不明だが、極めて貴重な偏食因子が人数分入っている。

そのアンプルが一つ、砕けて中身がこぼれていた。

頑丈な箱と緩衝材で守られてはいるものの、アンプル自体は脆いものだ。

恐らく、クロムガウェインとの戦いで衝撃波を受けた際、吸収しきれず砕けてしまったのだろう。

大切なものだからと、肌身離さず身に付けていたのが仇となった。

全身の感覚が冷たく遠のき、呼吸すらままならず目の前が暗くなる。

 

まだ大丈夫だと、どうにかなるだろうと思っていた。

偏食因子がある限り、最悪の事態は免れると思っていたから。

だが、目の前の現実は無慈悲に告げる。

最悪は必ずやってくるのだと。

最悪を回避するためには、留まることも、時間をかけて過ごすことも決して許されないのだと。

箱を閉じ、手で顔を覆ってうなだれた。

自分のミスが招いた事態に、泣きたかったが泣けなかった。

泣けば少しは気が紛れるのに。

それでも、一つだけわかっていることがあった。

この場でただ一人の大人として、どんなに苦しくとも頑張るしかないのだ。

私の頑張りが、子どもたちの命を支えているのだから。

だが今夜くらいは、この酷い現実を嘆いてもいいじゃないか。

そう思いはしたが、やはり泣くことはできなかった。

 




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幕間 2

次の任務までそこそこの時間があった。

居住区に戻って仮眠をとるつもりだったが、足は自然と展望公園と呼ばれる場所へと向かっていた。

深層の街を一望できるこの場所は、ここに住む人々の人気の場所で、私にとっても例の湖と並ぶお気に入りの場所の一つだった。

広場では、普段は居住区に住んでいるであろう子どもたちが、マスクとゴーグルをつけ、楽しげな声をあげてボールを追い回している。

清浄だが限りのある地下より、灰域に汚染されていても広々とした外がいいのだろうか。

広場の設備は、灰域の侵食を免れることはできない。

それでも補修が入っているらしい柵の近くには、比較的綺麗なベンチが設置してあって、私と同年代くらいのAGEたちが端末を見ていたり、寝そべっていたりと自由な時間を過ごしている。

彼らを横目に私は柵に手をかけ、空を仰いだ。

深層の空は、思いのほか単調だ。

強く明るく輝く太陽も、風の舞う彩り豊かな空も、重く垂れ込め時に雷光をまとう雨雲も、深く透き通るような夜空を飾る星も、青々と瑞々しく輝く月も、全て灰域によって薄い膜を覆ったように霞み、本来の美しさを伝えるには至っていない。

来た当初は、紫の光と白く煙る幻想的な風景に浮き足立ったものだが、今ではすっかり慣れてしまい、そして物足りなさを感じるようになっていた。

 

かのミナトにいた頃、先輩や仲間、友人の死を見届け、比較的死を身近に接してきた私には、実に後ろ向きな望みがあった。

どうせ死ぬなら青い空の下がいい。

何だかんだで今まで結構頑張ってきたと思う。

なら、頑張った最後に見る風景くらい、壁と天井に囲まれた場所ではなく、人の悲しい顔でも泣き顔でもなく、清々しく美しいものであってもいいじゃないか。

目の前に広がる街の風景と、空模様に小さくため息をつく。

色鮮やかな地上の風景が恋しい。

だが、状況が状況だ。

まずは、がんばって生き延びよう。

そのためにも今は一休みだ。

 

背後が騒がしいことに気付き振り向けば、子どもたちに囲まれている人陰があった。

赤い髪と対照的な深い緑色の軍服に黒いコートを着た偉丈夫。

その姿に心が踊った。

拠点の主にして、私と子どもたちの命の恩人、ヴェルナー・ガドリンその人だった。

彼は警護の人を連れ、子どもたちと話している。

弾ける笑い声と、ヴェルナーさんの笑顔。

過激派テロリスト組織の首領と聞いたら、血と暴力と闘争の象徴、畏怖される存在を思い浮かべるだろうが、今の彼にはそれが当てはまらない。

それどころか、子どもたちを温かく見守るその笑顔は、嘘偽りのない彼の素直な心根を感じた。

だからこそだろうか、何故か違和感があった。

何が? と聞かれるとすぐに言葉にできないのだが。

その彼が不意にこちらを向き、目があった。

とっさに会釈をして、視線をはずす。

だが、予想に反して気配がこちらに近づいてきた。

私はマスクとゴーグルを外し、彼らに頭を下げた。

 

「こんにちは。お疲れ様です」

「ああ。君は確か、サイカ・ペニーウォートだったか」

「はい」

 

彼は、灰域に取り残されていた私たちのことを覚えてくれていた。

先月だったか、私たちの住む居住区を視察に来た時も声をかけてくれた。

私たちが特別というわけではなく、ベースを視察する時の彼は、誰に対しても気さくで朗らかだった。

 

「休憩かね」

「はい。次の任務まで時間があるので、気分転換に散歩に来ました」

「そうか」

 

彼は頷いた。

 

「子どもたちは息災か。何か不足しているものがあるなら遠慮なく申し出るといい。できうる限り、希望は叶えよう」

「ありがとうございます。……では、ダニー、ダニエルが貴方に会いたがっていたので、機会があったら顔を見せて頂けると嬉しいです」

 

我ながら無茶な申し出である。

半分冗談とはいえ、さすがに警護の人の視線がキツくなるのがわかった。

ええ、ええ、わかっていますとも。

だが、ヴェルナーさんは片手をあげると表情を緩めた。

 

「それならお安いご用だ。確か、あの子の好物はサルミアッキだったな。土産に持っていって一緒に食べるとするか」

「いえいえ、そこまでしていただかなくても大丈夫ですから」

 

さすがに慌てて遠慮をするが、ヴェルナーさんは笑みを崩さなかった。

 

「なに、君たちの住む居住区にはしばらく足を向けていなかった。また近いうちに立ち寄らせてもらおう」

「……わかりました。ぜひ」

 

笑顔を作って頷いた。

子どもたちや近所の人は素直に喜ぶだろうし、私もそのステキな身体を服越しに鑑賞できて大喜びというものだ。

彼は私の横を通り、柵に向かって歩きだした。

私は数歩離れてその後に続き、ヴェルナーさん背姿を上機嫌で見つめる。

うんうん、ヴェルナーさん、今日もいい身体してますね!

ああっ、抱きたいし抱かれたいし、貪りたいし貪られたいわー、ンフフッ。

と、警護の人が鋭い視線をこちらに向けた。

私は黙ったまま微笑む。

別にあんたでもいいんだよ?

青臭いし融通はきかなそうだし、ヴェルナーさんほどじゃないにしても、まあまあ悪くない身体してるしな。

すると、その視線に氷のような冷たさが加わった。

嘘ですってば、冗談ですよ冗談!

眉を下げると、彼は呆れた目線を寄こし、顔を前へ向けて仕事モードに戻った。

ふう、さすが警備を担当だけあって察しがいい。

やるじゃねえかボーイ、将来有望だ。

その調子で、頑張って身体作れよ。

さて、ヴェルナーさん本人が気づく前に自重しよう。

彼は柵の手前で足を止め、眼前に広がる風景をしばし見つめ、そして振り返って私を見た。

 

「君たちがここへ来て二ヶ月ほどになるか。どうだね、ここの暮らしは」

「はい。先月お会いした時と変わりなく、忙しく賑やかな毎日です。変化と言えば、やっとこのマスクとゴーグルを身に付けることに慣れたことでしょうか」

「それは結構なことだ。不便だろうが、深層(ここ)で生きるためには必要なものだ。それらがなくとも生きていけるよう、研究は続けているがね」

 

それが花開くのは、近い将来か遠い未来か。

ヴェルナーさんは、再び街の風景を見つめる。

私は、沈黙に耐えきれず声をかけた。

 

「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「答えられる範囲で答えよう」

「ありがとうございます。……貴方は結構な頻度で、この街や周辺を視察されていると聞きました。それは何故ですか」

 

政治的なパフォーマンスもあるのだろうが、人伝に聞いた話では、彼はここを拠点にしてから今まで、週に数回の視察を続けているという。

その熱意は何なのだろう。

 

「大したことではない」

 

彼はふと笑った。

 

「君と同じく気分転換だよ。外出することで強制的に心の換気をしている」

「そうですか」

「無論、情報の収集もかねている。各地区の報告は聞いているが、灰域次第で情況はいくらでも変わる。人の予想を越えてな」

 

彼は表情を引き締める。

 

「ここは私が治める土地だ。私自身が五感の全てを使って、この土地と人々をしっかり把握しておきたいのだよ」

 

そこで話は終わりかと思いきや、ヴェルナーさんはこちらを見た。

 

「後はそう、戒めだ」

「戒め」

「そうだ。己が何者であるか。何を背負っているのか。成すべきことは何か。それを確認し戒めるためだ」

 

組織のトップとして、人々のために慢心せずに責任を果たすため、ということだろうか。

だが、その雰囲気に再び違和感があった。

先程と同じく、嘘偽りのない心情だからこそ感じたものであり、ようやく言葉として形にすることができた。

彼は、この地と人々の向こうに、何を見ているのだろう。

道半ばではあるが、ここは彼とAGE達が望んだ安心して暮らせる穏やかな場所であるはずなのに、何を悲しんでいるのだろう。

それを、たずねることはできなかった。

 




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限界灰域 1

ヤバっ! 寝落ちしていたか。

慌てて目線を上げれば、目の前のストーブの炎は完全に消えている。

大事にならなくて良かった。

思わず胸を撫で下ろすと、再び火を入れ、水の入ったやかんを置いた。

フロア内は、昨夜とうって変わって静かだった。

私物のバックからラジオを取り出して電源をいれたが、やはりノイズを流すだけで役に立たない。

唯一まともに動いている液晶の時計をみれば、あと二十分ほどで夜が明ける時間だった。

ラジオを傍らに置いて炎を見つめながら、思いの外、自分の心が静かなことに気付いた。

もちろん偏食因子の件は、心に暗く重くのし掛かってはいるものの、どうにかその現実を受け入れている私がいた。

寝起きで頭が働いていないのか、少し眠れたおかげで心に余裕ができたのか。

……睡眠って大事だなー。

大きく伸びをして立ち上がった。

さて、子どもたちが起きる前に家事をこなそう。

ベースを脱出して五日目の朝は、こんな感じで始まった。

 

心配したクロエも含め、子どもたちの体調は良好だった。

本日の朝食は、ビスケットとチーズのペースト、フリーズドライのクリームヨーグルト、オレンジ風味のホットドリンクである。

味が変わっただけで、内容自体は昨日の朝食と変わらない。

残り一食分の缶詰は、今日の夕飯になる予定だが、その時私たちはどんな状態になっていることやら。

元気な挨拶とともに、子どもたちが朝食を食べている間、私は外の様子を見に玄関前へ向かった。

装甲壁の大扉を開けようとしたが、何故か開かない。

足を踏ん張り体に体重を乗せて押し開けると、風は強く周囲は何故か暗かった。

疑問に思ったのは一瞬、北の空を見て絶句した。

何だありゃ。

北の空は塗りつぶしたかのように真っ黒だった。

太陽が昇っているはずの東の空も、雲と灰域で光が遮られている。

まさかあれ、灰嵐なのか? やけにでかくないか?

 

「ねえ、風が強いから扉閉めて……何だあれ」

 

やって来たアルビンも、外の光景を見るなり言葉をなくす。

私たちの異常に気付いた子どもたちが次々とやって来て、外を見るなり驚きと不安の声をあげた。

 

「あれ、灰嵐だよね」

「ペニーウォートの時よりもでけえぞ」

「真っ黒ー」

 

北の空ばかりに目が向くが、今日から進む予定の南の空は灰域と雲の流れは早いものの、いつもの空が広がっている。

施設内の片付けと旅の準備もあるから、すぐに出発できるわけではない。

後で改めてどうするか判断しよう。

 

「さ、ご飯食べちゃいな。食べ終わったら今日の予定を伝えるからね」

 

子どもたちは返事をして元の場所へと戻っていく。

扉を意識してそっと閉めると、私の側にいたダニーが服の裾を掴んだ。

 

「どうしたの」

「……ベルナーおじさん、すっごくおこってる。なのに、とってもかなしんでるよ」

 

わずかな火の明かりに照らされたその表情は、悲しげだった。

そもそも子どもは、大人が思う以上に周囲の空気を敏感に感じとっているものだが、ダニーは感応能力が高いこともあって、子どもたちの中でも感受性の高い部類に入る。

灰嵐からネガティブな感情を感じ取り、心を痛めているようだった。

私はダニーの肩を抱いた。

 

「そうだね。でもそれは、ダニーに対してじゃないよ。ダニーがしょんぼりしていたら、それこそヴェルナーさん、もっと悲しむよ」

「ヨー」

「さ、一緒にご飯を食べよう」

 

促し、火の元へ戻った。

ダニーは、ヴェルナーさんを慕っていた。

ヴェルナーさんは、週に何回か仕事の合間に居住区に来ては人々と交流をしていて、その交流の中で、幼くしてAGEとなったダニーのことも気にかけてくれていた。

当初は怯えて私の後ろに隠れてばかりだったダニーも、少しずつ打ち解け、彼と話ができるようになっていた。

彼は父親のようなもので、人々もそれを望んでいる、と馴染みの男が言っていた。

私は、父親というものを知らない。

だが、男性のしっかりした肢体からもたらされる、強さと包容力と揺るぎのないリーダーシップに、安心を覚える気持ちは理解できた。

幼いダニーがそれを求めたとしても、何ら不思議ではない。

そして、彼が虐げられたAGEに寄り添い、守ろうとしていた気持ちは間違いなく本物で、それがダニーにも伝わっていたからこそ、彼を慕ったのだと思う。

食事が終えて後片付けをした後、子どもたちを地図の前に呼び寄せた。

 

「はい。今日の予定を伝える前に、昨日の反省会をしますよ。ダニーから皆に言いたいことがあるそうです。ダニー」

 

呼ばれて、ダニーは私の前に立った。

不安そうな表情で私を見上げるダニーに、私は頷く。

そして、覚悟を決めた様子でみんなの方を向いた。

 

「……きのうは、だまって外に出て、しんぱいかけてごめんなさい。もうしません」

 

ダニーがしょんぼりしつつ言うと、ビャーネが腕を組み眉をつり上げた。

 

「本当に本当に心配したんだからな。クロエなんて半ベソかいてたんだぞ」

「ちょっと」

「本当のことだろ。もう誰かを泣かせるようなことはすんなよな」

「ヨー」

 

萎れた表情で頷くダニーに、クロエは笑って頷く。

 

「私は大丈夫だよ。ダニーこと信じてるもの。もう、黙って危ないことしないでね」

 

クロエの横に立つアルビンが、ダニーに目線をあわせて口を開いた。

 

「今後、こういうことがあったら必ず相談してくれ。話は聞くから」

「アンテークシ」

 

この地の言葉で再び謝るダニーの肩に、私は手を置いた。

 

「うん。これは大人になってからも大事なことだから伝えておくね。報告、連絡、相談をする習慣を身に付けましょう」

 

私は腰に手をあて、子どもたちを見回す。

報告は、お願いをされた人が、お願いをした人に、途中経過や結果を必ずお知らせすること。

連絡は、事実や状況を、関係する人にお知らせすること。

相談は、物事を決める際に、他の人に意見や助言を求めること。

そう伝えた。

実はこれ、相談ではなく、確認とするパターンもあるらしいが、それは別のお話だ。

子どもたちは頷いたが、ビャーネが首をかしげた。

 

「あのさ、一人の時はどうすんの?」

「……覚悟を決めて一人で頑張るしかありませんなあ。でも、そんな状況、そうそうないと思うけどね」

「ま、そうだよな」

 

私はダニーの肩を優しく叩いた。

 

「ちゃんと謝れたね。偉い! このことを忘れずに、同じ失敗は繰り返さないようにね」

「ヨー」

「よし。じゃあ今日の予定を伝えるよ!」

 

ダニーを子どもたちの元へ戻し、努めて明るい声を出した。

 

「残念ながらラジオが使い物にならず、世間のことは把握できません。ですが、あまりのんびりしていられないのも事実です。なので、あの灰嵐は無視、シカト、知らんぷり。今日はここを出て、この領内の南の端まで進もうと思います」

 

私は地図を指し示しながら、話を続ける。

 

「この領内から先の、未踏灰域のことはわかりません。ひとまず、この領内の際が、限界灰域の際と考えています」

「実際はそんなことないよね」

「もちろん。恐らくこの領内から先も、しばらくは灰域が濃い状態は続くでしょう。ただ、進めば進むほど薄くなることは間違いありません」

 

クロエの問いかけに応じると、私は再び地図へと向き直る。

 

「まずこの街を南から出て、山を沿うようにして縦貫ルートを目指します。アラガミやグレイプニルの船などに注意しながら縦貫ルートに入り、途中でルートから外れて南へ。今日は今までで一番長い距離を歩くことになります」

「風が強いのが気になるな」

「うん」

 

アルビンの発言に私は頷く。

 

「風に煽られながら進むことになります。荷物も背負っているから、体の負担は今まで以上に大きくなるでしょう。体調に異変が出たらすぐに言うように。特に足は、少しでも痛くなったら言ってね」

 

子どもたちが返事をしたところで、私は偏食因子の入った箱を見せた。

 

「それと、今後どうなるか予想ができないので、片付けを済ませたあと偏食因子の投与をします。人型コンゴウ、もとい、あのお兄さんに感謝するように」

「ちゅうしゃ、やだな」

 

口を曲げるダニーに、私は眉を寄せる。

 

「じゃあ、アラガミになりますか?」

「やだー」

「私もダニーがアラガミになるのは見たくありません。我慢しましょう」

「ノニ……」

 

予定を伝え終えると片付けと出発の準備を始めた。

概ね片付け終わったところで、子どもたちに偏食因子を投与する。

注射嫌いダニーは、クロエに抱きついての投与になったが、それ以外はスムーズに終了。

流石に慣れたものである。

これでよっぽどのことがない限りは、子どもたちがアラガミ化する危険は無くなった。

箱と注射器を片付ける私に、ビャーネが声をかけた。

 

「あれ、サイカは?」

「あんたたちが寝ている間に済ませたよ」

「ホントでぃすかあ?」

 

冗談めかして言うメガネに、私は肩をすくめた。

 

「本当だよ。ていうか、私がアラガミになったら、一番困るのはあんたたちでしょ」

「だよねー。今でも怒るとメッチャ怖いのにシャレにならないよ」

「……アラガミになったその時は、お前を真っ先に喰ろうてやるわ」

 

茶化すメガネに、私は歯を見せながら笑って言うと、奴は体をくねらせしなを作った。

 

「……ア、アタシ、初めてだから優しくしてね。お願いだから痛くしないで」

「んなの知らん」

「酷え」

「仕方ないじゃん。だってアラガミだもん。現実は非情なのだよ、ミスタービャーネ」

「あーあ、現実パイセンはいつも容赦ねーっすなー」

 

ビャーネはぼやき、丸めた寝袋を枕にベンチで横になった。

私はビャーネに背を向け、子どもたちの体調の安定を待つ間に荷詰め作業を進める。

もちろん、私は偏食因子を投与していない。

先ほどのやり取りは、にわかに現実味を帯び始めた最悪の事態そのものであり、全くシャレになっていない。

だが、一つの光明はあった。

この先の旅は、そう長くならないだろうという予想だ。

距離だけを見れば、後三日ほどで旧ペニーウォート領内に入れる所まで来ており、何事もなければアラガミ化するまでの猶予はあるはず。

そう、何事もなければ。

天候や未踏灰域次第で、どう転がるかはわからないが、それを恐れて立ち止まることは許されない。

ストーブを消火し、ランタンを持って再び扉の前へ向かった。

アルビンがすかさず起き上がり、私の後に続く。

扉を押し開けると、相変わらず風は強いものの、周囲はすっかり明るくなっていた。

北東の空は塗り潰されたように真っ黒だったが、雨が降る気配もなく視界も十分に確保できる。

 

「さっきと変わらず風は強いけど、悪くない天気だね」

 

アルビンが外を見回して言った言葉に、私は決断をした。

 

「うん。ちょっぴり名残惜しいし不安もあるけど、出発することにしよう」

「わかった」

 

アルビンは頷くと、すぐさま皆の元へと向かった。

私は扉をしっかりと開け放ち、神機を床に刺して扉を固定した。

子どもたちが準備をしている間に、周囲の片付けを済ませる。

 

「忘れ物のないようにな。もうここへは戻って来ないから」

「アルビン、おしっこしたい」

「うん。一緒に行こう」

「アタシもアタシも!」

「前から思ってたけど、それサムいしキモい」

「うっせーな。お前も連れションするんだろ、連れション」

「その言い方やめてよ」

 

子どもたちが連れションに行くのを黙って見送った。

パッと見、子どもたちだけでも十分にやっていけそう雰囲気だが、アラガミの対処は私にしかできない。

アルビンが、あと数年早く生まれて神機を持つAGEとなっていれば、この旅ももう少し難易度が下がったろうに。

あーあ、やだなー、私試されているなー。

愚痴モードにスイッチが入りそうになるのを、頬を一つ叩いて止める。

気を取り直し、ゴミをまとめて裏手のゴミ捨て場へと運ぶことにした。

焼却したり地中に埋めずとも、喰灰が喰ってくれるのはありがたいと言うべきか。

 

戻る途中、黒々とした北東の空を改めて観察する。

昨日に比べて、明らかに灰嵐の規模は大きくなっていた。

そして、戦慄を伴う予想が頭に浮かぶ。

もしかして、各地の灰嵐が集まって、音に聞く大灰嵐になろうとしているのではないか。

そして、あの灰嵐の先にあるのは、恐らくはフェンリル本部だ。

だとしたら、フェンリル本部とグレイプニルは蜂の巣をつついたような騒ぎになっていることだろう。

その混乱に乗じて、彼らに見つからずに先へ進めるチャンスではあるが、被害の規模を考えると手放しでは喜べない。

この時点ですでに大きな被害が出ているのに、さらに被害が大きくなるのか。

映像でしか見たことのない、渦中の人物が脳裏をよぎる。

 

エイブラハム・ガドリン。

グレイプニルの最高司令官にして、アローヘッドの領主。

そして、大灰嵐のきっかけとなろうとしているヴェルナーさんの父親だ。

彼もまた、様々な立場の責任を負う大人として、過酷な現実に試されようとしている。

……大人やだなー、なりたくないなー。

ガドリン総督の重責を想像し、ついに愚痴モードにスイッチが入った。

自分の責任など、ガドリン総督のそれに比べたら道端の石ころのようなものだろうが、それでも今の私には十分に重いものだ。

あーあ、やだなー。

食っちゃ寝食っちゃ寝して、男とセックスして、無責任に適当に好きなことだけして生きたいなー。

こう、パーっと奇跡とか起きて、子どもたちだけでも助けてくんないかなー。

 

「サイカ」

 

私の元にアルビンが小走りでやってきた。

自動的に愚痴モードはオフになる。

 

「出発の準備ができた。いつでも行けるよ」

「オッケ!」

 

無論、こんな限界灰域の端っこにいる、ただのAGEと子どもに奇跡など起きるはずもなく、生き残りたくば自ら歩いてゴールを目指す他ない。

避難所では、既に子どもたちが荷物を背負い、マスクとゴーグルを着けて私を待っていた。

私も荷物を背負い、子どもたちを見渡す。

荷物の重さと子どもたちの視線に、我が身と心が引き締まるのを感じ、自然といつもの笑顔ができた。

 

「お待たせしました。それでは、安全第一を心がけ、頑張って歩きましょう!」

 

子どもたちは元気よく返事をし、外へ出ていく。

私とアルビンは、フロアと火の元を今一度確認してから外に出た。

扉を押さえていた神機を外し、扉をそっと閉める。

 

「キートス。モイモイ」

 

扉が閉まる直前、ダニーは暗闇に沈むフロアへ向けて声をかけた。

縁があればまた訪れることもあるかもしれないが、直感がそれを否定する。

もう、ここへ来ることはない。

本当にこれでお別れだ。

結局、ここの住人とは全く関わることは無かったが、何事もなく二泊させてもらったことは素直にありがたかった。

だからこそ思う。

灰域によってここが崩れ去る前に、住人たちが安らかな眠りにつける日が訪れますように。

 

「アルビン、殿お願いね」

「オーケイ!」

 

私はマスクとゴーグルを身に着け、フードを被った。

最後に神機を担ぎ、避難所に背を向け歩き出した。

 

街を出てしばらくは建物が点在していたが、それもなくなると、謎植物が地表を覆う風景が広がった。

今は白と灰色に彩られ、ぼんやりとした単調な風景だが、夜になれば謎植物の光で、さぞ幻想的な風景が見られることだろう。

もちろん灰域濃度は高く、鑑賞するなら相応の準備が必要な、命がけのものになるだろうが。

そして、こんな風景が今もなお拡大をしているという。

地表の人の生活圏は、確実に減り続けているのだ。

 

「街以外の場所でも、ここまで侵食が進んでいるんだな」

「うん。……あの総督のおじいさん、こんな感じの風景を見て聞いて、焦っちゃったのかな」

「あのジイさんはそうは思ってなくても、周囲の人たちが早くなんとかして欲しいって焦る気持ちは、まあわかるよ」

「でも、あの作戦はねーよ。どう考えてもやっちゃダメだろ」

「だよね。もう少しなんとかならなかったのかな」

 

背後の子どもたちの会話を、何とはなしに聞く。

ガドリン総督は、ここまで戦火が大きくなることを予想していたのだろうか。

予想してやっていたとしたら、凄まじい胆力だ。

彼もまた、余裕のない中で精一杯のことをやっている一個人だろうに、そのブレのなさは畏怖すら覚える。

良いか悪いかはともかく、凄いお人だよ、実際。

私と手を繋ぐダニーは、背後の会話に乗ることなく、周囲の風景を興味深そうに眺めている。

しばらく歩いていたその時、甲高い声が耳に届いた。

今まで耳にしたことの無い声にダニーを見れば、ダニーも私を見上げている。

 

「何か言った?」

「エイ」

「だよね」

 

じゃあ何?

顔を上げ、思わず歩みが止まった。

いつ出現したのかはわかりない。

数メートル先に、宙に浮く黒くて四角い小さな物体がいた。

グボロ・グボロに通じる姿だが、あらゆるものが省略、簡略化されている。

何を訴えているのかは知らないが、キュイキュイと鳴き声を上げる様は愛嬌があった。

我が目を疑う。

間違いなく初見にして、記録映像と伝聞で知るアラガミだった。

 

「サイカ」

「なんじゃらほい」

 

手を繋ぐダニーが、目の前のアラガミを指さす。

 

「あれは何ですか」

「あれはアラガミです」

「お名前何て言いますか」

「アバドンです」

「あばどん。あばどん」

 

ダニーはしばしアバドンを見つめ、

 

「……モイ」

 

呼びかけると、アバドンはキョロキョロしつつ鳴き声を上げた。

ハイともイイエとも捉えることができるが、そもそも言葉が通じているか不明だ。

 

「おおっ! あれが伝説のアラガミ、アバドン! この灰域にいるのか!」

「……アラガミのくせに、ちょっと可愛いかも」

「可愛いか? あれ」

 

どうやら後ろを歩いていた子どもたちも、今までにないアラガミに興味津々の様子だった。

アバドンは、厄災が起こる前にたまに目撃されていた希少なアラガミである。

そのコアは貴重であり、誰が呼んだか『幸運のアラガミ』という異名を持つ。

レーダーに反応せず、GEたちの前に現れては、攻撃することもなく直ぐに逃げ出す習性があるようだが、厄災以降、公的な目撃例はない。

かなり貴重な巡り合わせと言えるのだが。

 

「セミニョン!」

 

そう言ってフラフラと前に出ようとするクロエを、私とダニーがとっさに掴んだ。

 

「コラ行くな」

「行くなー」

「でもでも! せっかくだからもっと近くで見たい!」

 

クロエは、小さくて可愛いものや、綺麗なものに目が無い。

かのミナトにいた頃から、そういう類のものをこっそりと集めていたし、ベースでは自分で作ったり、小さな動植物の世話を積極的にしていた。

ここしばらく、そういう類のものとは無縁だった反動からか、珍しく興奮状態になっている。

クロエは目をキラキラさせながら、しゃがんでアバドンを下から覗き込んだ。

 

「あ! お腹の色可愛いー。黒とサーモンピンクの色の合わせがいいね! あれのぬいぐるみを作りたーい。フワフワモフモフに」

 

そう言って立ち上がると、またしてもフラフラと歩きだそうとするクロエの腕を、ダニーと共に掴んだ。

 

「ダメじゃーい」

「じゃーい」

「ええ! なんで!?」

 

そうしている間にも、アバドンは鳴き声を上げ、一目散に山の方に向かって逃げ出した。

 

「あ、逃げた」

「えっ、逃げ足メッチャ早っ!」

「追いかけないと!」

「行くなバカ」

 

追いかけようとするクロエとビャーネを掴んで元の位置に戻す。

アバドンが向かっているあの山、シャレにならないマズいものがいる気配を感じた。

絶対に行かせるわけにはいかない。

 

「サイカー」

 

揃って露骨に不満そうな視線を向ける二人に、私もそれに倣うように顔をしかめて説明をした。

アバドンが、GEに危害を加えたという記録はない。

ただ、その希少なコアに目が眩んだGEたちが、こぞってアバドンを追いかけ回した結果、仲間といつの間にかはぐれたり、敵の巣に飛び込んだり、作戦行動に支障をきたして思わぬ惨事になったりと、人間の自業自得による被害が後を絶たなかったとされている。

そんなアバドンの正式な異名は『混迷を呼ぶ者』。

納得の名付けと言うべきか。

ここまで説明したにも関わらず、クロエは未練がましくアバドンを見つめる。

 

「でも鳴いてるよ。寂しそうだよ」

「てか、あれは呼んでるって!」

「呼んでないし、アラガミに寂しいもへったくれもないって」

「ついてっちゃだめー、めー!」

 

ダニーは言って私の前に出ると、二人の体をグイグイと後ろへ押し返し始める。

 

「ダニー?」

「お前、何でそこまでアグレッシブなんだよ?」

「だって、あばどんが行こうとしているお山、カイーキシュいるもん」

 

キッパリと言い切るダニーに、クロエとビャーネの動きが止まった。

ビャーネがギクシャクと顔を上げて私を見る。

 

「マジか」

「マジだぞ」

「だぞ」

 

ビャーネの顎を掴んで持ち上げると、顔を近づけて目線を合わせた。

 

「ついでにその灰域種に喰われてうろつく、お前の大嫌いな」

「クロエ、ワガママはよそうぜ! 今は目的地に向かうことが最優先だ。脇目も振らずゴーゴー!」

「あ! この裏切り者! 臆病者!」

「うっせー! バーカバーカ!」

「こ、のっ、アン コン(バカ男)!!」

 

私の体にしがみつき、見事な手のひら返しをするビャーネと、あっさり裏切られたクロエとの醜い言い争いが始まろうとしたが、

 

「いい加減にしろ二人とも。遊んでいる余裕なんてないんだぞ」

「……はーい」

 

冷たく言い放つアルビンに、二人は渋々と従った。

いやはや、私の出番がないのはありがたい。

遠くでアバドンが鳴いていたが、やがて白い風景の中に飛び去り消えていった。

それを見届け、私たちは再び風の中を歩き出す。

 

「ねえ」

「ん?」

 

アルビンが、先行する三人の背を見ながら声をかけてきた。

 

「ビャーネたちに言っていたあれ、本当なの?」

「本当だよ。お化け云々は嘘だけど」

 

私はため息混じりに頷いた。

 

「伝わってくるんだよ、あの山からヤバそうな気配がさあ。しかもシャレにならない数で」

「そんなに?」

「うん。もしかしたら、ここらの灰嵐の発生原因って、あの辺に潜んでいる灰域種が原因かもね」

「マジかよ」

「予想だけどね。何であそこに集まっているかはわからないけど」

 

灰域種たちが惹かれる何かが、あの土地にあるのだろうか。

と、アルビンが肩を落とした。

 

「……本当に人の住める土地がなくなっているんだな」

「どれだけ頑張っても、数十年前から人類がジリ貧であることに変わりないよ。よく健闘している方だと思うけどねい」

 

私はアルビンの肩を軽く叩いた。

 

「元気出しなって。今は遠い未来より目の前のことだよ」

「わかってるよ」

「ねーねー、サイカー」

 

アルビンが頷いた時、先を行く三人がこちらに呼びかけた。

彼らの背には、色褪せ灰域に侵食された看板がある。

辛うじて読める文字には、青地に白い文字で矢印と道路名、行き先が書かれている。

厄災前の情報だが、目安としては十分だ。

 

「ここを曲がればいいの?」

「そうだよ。みんな体調はどう? 足は痛くない?」

「だいじょぶ」

「うん、まだ平気」

「よし! それじゃあ、航路目指して頑張って歩きましょう。航路に着いたら、お昼ご飯にしようね」

 

元気な返事とともに、私たちは道路を曲がり東へと向かった。

 

 

航路へ向かう道行は順調だった。

謎植物が生い茂り道を隠す所もあったが、路面の状態は悪くない。

ただ、比較的起伏に富んでおり、風景の表情は豊かだが地味に体力は削られる。

道路から外れた場所では、謎植物の向こうで小型のアラガミが群れを成しているのが見えた。

こちらに襲いかかってくる様子がないのは助かる。

 

「アラガミ、戻ってきてんのかな」

 

中型を混じえたアラガミの群れが道路を横切って行くのを、距離を置いて見ながらビャーネが言う。

 

「逃げた先でさらにヤバいことになってるからな」

「行ったり来たり大変だね」

「てぇーへんだ」

 

アラガミが通り過ぎるのを待って、再び私たちは歩き出した。

時折吹く突風に煽られたり、アラガミ鑑賞会と称した小休憩しながら進み続ける。

そうして航路に近付くにつれ、周囲の見通しは悪くなり、周囲の風景も殺風景になっていた。

灰嵐が通り過ぎたことで、地表のものは根こそぎ持っていかれたか、破壊の限りを尽くされ原形を留めていない。

空気も薄くなっているのを感じる。

周囲の灰域濃度が上昇しているためだ。

私は気を引き締めて、周囲を探りながら歩を進めた。

 

「クロエ、だいじょぶ?」

「うん。お薬しっかり飲んだもの。ダニーは平気?」

「ヨー、平気だよ」

「良かった。何かあったら言ってね」

 

クロエとダニーの体調は安定しているようで何よりだ。

しかし、灰域濃度が上がってアラガミたちも活性化し、獰猛になった奴らとの交戦の機会が増えた。

小型のアラガミの群れをバーストアーツで蹴散らしながら、前へ前へ、焦れったくなるほどのスピードで進み続ける。

しばし歩いて再び現れたドレットパイクの群れをきっちり潰し、銃形態になっている神機を見つめた。

レイガン、群れの討伐には向いてないんだよな。

群れの討伐なら、ショットガンかアサルトの方が向いてそうだが、装備の換装ができる技術も設備も今はない。

それに、中型以降ならレイガンの方がやりやすいし。

いや、遭遇しないに越したことはないが。

神機をバスターソードに切り替え肩に担いだ。

 

「ねーサイカ、あれー」

 

またアラガミかと思いきや、ダニーが指さす先には、灰域でうっすら霞む景色の向こうに広々とした道路が見えた。

間違いない。

 

「うん。縦貫ルートの航路だ」

 

時計を見れば、お昼を少し過ぎた辺り。

中々良いペースだ。

 

「昼食と休憩を取りたいところだけど」

「ここで良くない? こんな設備のない辺境の道路、誰も通らないでしょ」

「まあ確かにね」

 

アルビンの提案に苦笑する。

道のど真ん中でランチタイムをとることになろうとは。

灰域濃度の高い屋外で食事をとることに抵抗はあるが、建物の気配が一切ない以上無いものをねだっても仕方ない。

風が大分静まってきているのが救いか。

私は頷いた。

 

「みんなご飯にしよう」

「休憩だー」

「ごはーん」

 

子どもたちは嬉しそうに荷物を下ろし、折りたたみの椅子を出して腰掛けた。

小休憩を入れても四時間以上歩き続けたのだ。

折りたたみの台とバーナーを取り出し、お湯を沸かして食事の用意をする。

甘いビスケットと塩っぱいビスケット、鶏肉のスープ、ドライベリーのプロテインバー、ホットレモネードだ。

スープも残り二食分となった。

荷物は軽くなるが、心は重くなる。

ままならないなあ。

挨拶とともに、無心で食事にがっつく子どもたちの様子をさり気なく観察した。

全員の体調は良さそうだが、何やらダニーの足の動きが忙しない。

食事が終わるのを見計らって、ダニーに声をかけた。

 

「ダニー、足どうかした?」

「んと、あつい。あと、何か物がはさまった感じ?」

 

まさか。

 

「足見せて」

 

ダニーは素直に靴と靴下を脱ぎ、足を見せた。

予想は的中した。

両足に何ヶ所かマメができていた。

 

「あー、マメできてるねえ」

「でも、いたくないよ」

「うん。でもコイツら、放っておくと大きく育って痛くなるんだよ」

 

すると、ダニーは眉を寄せて私を見た。

 

「コイツら育ちますか」

「育つんですなー」

「ぼくも早くおっきくなりたい」

「焦りは禁物ですぞ、坊ちゃん。先は長いですからな」

 

医療キットで治療し、汗で湿った靴下を履き替えさせた。

他の子たちの靴下もついでに履き替えるよう指示を出す。

 

「ひょー、地面冷てー」

「ちょっと気持ちいいね」

「ねー」

 

足の裏を道路にくっつけて笑顔を浮かべる三人の横で、アルビンは平然とした顔でふくらはぎにテーピングを施し、さっさと靴下を履き替えた。

頼もしく思う反面、複雑な気持ちは拭えない。

他の子どもたちから頭一つ抜けた感があるが、彼もまだ十一歳の子どもなのだ。

彼にも子どもの特権を存分に発揮してもらいたいところだが、私の力不足もあって現状は難しい。

この旅が無事に終わり、全ての荷物を下ろすことができたら、ある程度のワガママは聞いてあげよう。

たどり着くミナトが、それを許してくれる環境だといいが。

私の視線に気づいたのか、アルビンがこちらを見た。

 

「何」

「うん。あんたさ、この旅が終わったら何がしたい?」

 

何となくたずねた一言に、アルビンは呆れた表情を浮かべた。

 

「今は目の前のことに集中するんじゃなかったの?」

「近い将来を思うことはいいことだと思うよ。目標的な意味で」

「……あっそ」

 

何かを諦めたように頷き、思案げに目線を下げた。

 

「したいこと。……ヤバいな、何も思い浮かばない」

「食べたいものとかある?」

「食べたいもの」

 

すると、奴は目線を上げた。

 

「ステーキ」

「いいね!」

「カレー」

「定番だねい」

「クロップカコール、ショットブラール」

「あんたの故郷の料理か」

 

前者はジャガイモの生地で包んだ肉まんで、後者はビャーネも大好きミートボールである。

どちらも作ったことのある料理だ。

 

「あ、備え付けの野菜はいらないから」

「お前ぇ」

「肉という素晴らしい景観がある」

「……うん」

 

コイツ、何言い出してんの。

 

「それだけでもう十分に凄いのに、植物の存在は景観の邪魔、蛇足だと思うんだよね」

「ハハッ! ふざけんな」

「ダメか」

 

奴は舌打ちとともにそっぽを向いた。

コイツの筋金入りの野菜嫌いは、この旅をもってしても治らないか。

ふと何かを思い出したのか、アルビンは再びこちらを向いた。

 

「後は、カネルブッレ」

「ああそうか。そう言えば好きだったね」

「うん」

 

カネルブッレとは、シナモンロールのことである。

店や作り手によって、見た目も味も食感も変わってくるのは当然として、アルビンが好きなのは、パールシュガーがかかり、カルダモンとシナモンがガツンときいた、ほんのり甘くてスパイシーなものだ。

この地とその周辺地域が発祥とされるこの菓子パンは、昔からコーヒーのお供によく食べられていたという。

ベースの店でも売られていたし、自作する人もいた。

作り方を教わった私は、たまにクロエと一緒に試行錯誤しつつ作っていたのを思い出す。

もっと長いことあそこで過ごしていたら、作るのも早く上手くなっていただろうし、店売りのものをみんなで食べ比べすることもできただろうに。

 

「ぼくもすきだよ、コルバプースティ」

 

身を乗り出して話に入ってくるダニーに、アルビンはそちらへ顔を向けた。

 

「ダニーはサルミアッキが一番じゃなかったのか?」

「どっちもすきー」

「調子のいいこと言って。お前がサルミアッキ隠し持って、こっそり食ってるの知ってるんだからな」

「あーっ、なぜバレてるしー」

 

慌てるダニーだが、知らぬは本人ばかり、ダニー以外の全員このことは把握している。

無理を強いているのだ。

食事に影響がなければ、おやつくらい好きにさせるさ。

子どもたちが賑やかにシナモンロールの話で盛り上がるのを、私は白湯を飲みつつ聞いていた。

その光景が酷く眩く見えて、思わず目を細める。

何故、胸が痛くなるのだろう。

何故自分だけ、子どもたちから切り離されたような気がするのだろう。

わからない。

ただ、この旅が終わったらみんなに美味しいものをご馳走してやろう。

特にアルビンには、ちゃんと感謝の気持ちを伝えよう。

そう思った。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
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限界灰域 2

そもそも主要な航路は、厄災前の比較的大きな道路を再利用していることが多いらしい。

縦貫ルートの航路の一部もそうで、元々はアラガミが発生する前に設けられた、国際基準の高速道路を再利用したものだという。

今は巨大な湖によって寸断されているが、昔はここよりさらに南にあった、この地の首都に通じていたそうだ。

行きつけの小さな酒場で、先祖代々この地の出身だという店主と酔客から聞いた話である。

食事休憩を終え、航路へと向かった私たちは思わず立ちつくした。

灰嵐の通過した航路は、灰域に霞む荒野だった。

人が作った建造物はもちろん、謎植物もまばらに生息しているものの、ほぼ原型をとどめていない。

遮蔽物があるとするなら、霞む視界の先に薄らと見える山々だった。

それはここまでの道中で予想はできていた。

しかし、地面は大小の石や岩、瓦礫が散乱するだけでなく、抉られ至るところに陥没しているところもあり、路面状態が著しく悪い。

歩けないことはないが、ペースダウンは免れないだろう。

 

「これは、酷いな」

「……うん」

「ボロボロ」

 

あまりの光景に子どもたちのテンションが落ちる中、

 

「ノオオオウッ! ジーザス、クライスッ!!」

 

ビャーネが叫びながら前方へ走り出し、道の端でしゃがみこんだ。

慌てて追いかけると、ビャーネの座り込んでいる手前に金属の塊があった。

ビャーネの傍らに屈み、それを観察する。

地面にしっかりと備え付けられていたらしく、辛うじて残っているといった感じだ。

 

「これ、まさかビーコンの土台か」

「そうだよ。……うん、わかっちゃいたけどさー、予想もしてたけどさー、見せつけられるとキッツいわー」

 

ビーコンは、電波の送受信や周辺エリアの情報を収集、供出する機能を持った、船の安全な航行に極めて重要な働きをする、航路の設備である。

航路を行き来する船は、複数のビーコンから情報を集約し、安全確認をしながら灰域を航行している。

さながら、灰域という暗闇を安全に航行するための照明灯のようなもので、それのない航路は光の全く差さない漆黒の闇と言っていい。

私やダニーのような個人の感応能力による索敵は、ぶっちゃけ懐中電灯レベルであり、多くの人や物を乗せる船の安全な航行においては光量が全く足りない。

ましてやここは限界灰域であり、深層に住むAGEならともかく、普通のAGEですらも危険なことは周知の通りだ。

そのため、ビーコンの設置は航路として公的に認められる必須条件になっているし、ビーコンを使用するための暗号鍵の売買が大きなビジネスになっている理由でもある。

私たちが使っていたラジオは、無料で使える共有鍵を通してビーコンの機能の一部を利用したものだ。

そして、この航路において灰嵐が通過した場所のビーコンは、破壊され尽くしているだろう。

それは、世間の情報が一切入らない状態で旅が続くことを意味している。

だが、足を止める理由にはならない。

 

「残念だけど、これはもう仕方ないよ」

 

私はビャーネの背中を励ますように叩いて立ち上がった。

子どもたちを見渡し、努めて元気な声で言う。

 

「情報が得られていたこと自体がラッキーだったわけで、そのラッキータイムが終わっただけです。いつも通りに戻っただけ。そして、私たちのやるべきことは何も変わりません」

 

マスクで表情は見えないとわかっていても、それでも笑顔を作った。

 

「今できることを頑張ってやりましょう! 見ての通り、足場が悪いところもあるから気をつけて進もうね」

 

子どもたちは頷き、元気よく返事をした。

健気ではないか。

思わず胸が熱くなる。

そんな子どもたちの思いに、私なりに応えたいところだった。

そして、私を先頭にして航路を進み始めた。

先程に比べてペースは当然落ちたし、小型のアラガミを討伐するにも、足場の悪さで手間取ることが多くなった。

おまけに遮蔽物がないため、子どもたちから距離を離す必要もあり、気を張る時間も増えた。

目の前のザイゴートが実に可愛らしく見える。

気配に鋭く、周囲のアラガミを呼び寄せる厄介な習性があるものの、照射弾を浴びせるか、バーストしてジャンプして横切りしてれば怯んで落ちるから楽だった。

アックスレイダーやドレットパイクと比べて貧弱なのも、へっぽこAGEには大変に嬉しい仕様である。

程なくして討伐は完了し、イヤホンに手を当てた。

 

「アルビン、掃除できたよ」

《お疲れ様。すぐにそっち行くから》

 

ビャーネの直したトランシーバでやり取りできるのは、本当にありがたい。

子どもたちと合流しアルビンから荷物を受け取ると、再び荒れた航路を進み始めた。

三十分ほど歩いた辺りで、手を繋ぐダニーと同時に足を止めた。

懐中電灯レベルの索敵に引っかかるものがあった。

 

「前に何かいるよ」

「うん。でもアラガミじゃなさそうだね」

「音がする。……人?」

 

ダニーの言葉に、背後の子どもたちの雰囲気が強ばった。

グレイプニルの船か、それとも盗賊船か、はたまた訳アリのミナトの船か。

 

「確認する必要があるね」

 

周囲を見渡し、道路の脇に窪地を見つけた。

もう少し掘り下げれば、子どもたちがしゃがんで身を隠せるくらいの穴になりそうだ。

 

「アルビン、そこを掘って隠れる場所を作る。手伝って」

「オケイ」

 

折りたたみのスコップを手にし、二人で掘り始めた。

AGEの怪力のおかげで、地面はムースをスプーンですくうがごとく容易く掘り進むことができる。

瞬く間に、子ども四人が入れる穴ができた。

私はリュックを下ろし、中からプロテインスティックを取り出すと、子どもたちに分け与えた。

 

「それ食べて待っててね。ビャーネ、双眼鏡貸して」

「あいさー」

「それとダニー、サルミアッキは程々に。明日も明後日も旅は続くのに、おやつ無くなっちゃうよ」

「なんでバレてるしー」

「バレバレだし」

 

両手を頬にあてるダニーに答え、子どもたちが穴に入ったことを確認すると、屈んでアルビンに荷物を預けた。

 

「それじゃ行ってくるから、引き続きよろしく」

「わかった」

「行ってらっしゃい。気を付けて」

 

アルビンとクロエの声を背に、私は神機の盾を展開し、風に逆らうようにしてダイブした。

その風の音とともに、人工的な音と人の声が耳に届く。

船と人だ!

そして前方に、ぼんやりと灯る光と黒い人影が見えた。

着地して周囲を見渡し、辛うじて残っていた謎植物の陰にすかさず身を隠す。

ビャーネから借りた双眼鏡で、先程の光と人影を観察した。

風が吹き、灰域と砂埃が流される中、数名の人が車を取り囲んでいた。

着ている服からその正体がわかり、思わず顔が歪む。

見つかったらヤバい、グレイプニルの巡視艇だった。

子どもたちを隠してきて良かった。

安堵と共に疑問が浮かぶ。

灰嵐の後のこんな場所で、何をやっているのか。

この辺りに朱の女王のアジトはなかったし、そもそもここは限界灰域で、長居は命に関わることを知っているはずだ。

 

《サイカ、どうだ?》

 

アルビンから通信に、私は声を潜めて応じる。

 

「グレイプニルの巡視艇だった」

《……そうか。で、連中何をやってんの?》

「それを確認しているところだよ」

 

双眼鏡の倍率を上げると、何やら数人で車を押しているようだった。

エンジンの唸る音は聞こえるが、進む様子はない。

 

「車のトラブルかな?」

 

思わず漏れた独り言に、アルビンが応答した。

 

《状況を教えて》

「はいよ」

 

状況を説明すると、しばしの沈黙の後、再び通信が入った。

 

《ビャーネが言うには、タイヤが溝か何かにはまってスタックしているじゃないかって》

「ああ、なるほど」

 

この地どころか、世界中のどこもかしこもアラガミが跋扈する世界での乗り物は、基本的には装甲車を元にした乗り物が多いらしい。

ミナトの象徴とも言うべき灰域踏破船も、船と言いつつ実際は大型の装甲車であり、このような荒地でも問題なく走行できる仕様となっている。

しかし、今目の前で立ち往生している船は普通の車だ。

手軽に運転できて小回りもきくが、運が悪いと目の前のようなことが起こる。

紛れもない緊急事態だ。

彼らの限界灰域での活動時間を考えると、すぐにでも手助けをしてやりたいところだが、お生憎と彼らに見つかる訳にはいかない。

様子見をしよう。

本当にまずくなったら、……まずくなったらどうするんだ?

しかし、そんな思いが消し飛ぶ気配を察知した。

この先の航路から、こちらに向かってくる。

しかも早い。

グレイプニルの連中は、スタックから抜け出そうと必死で気づいている様子はない。

 

《サイカ、ダニーがそっちに何か来るって》

「うん、知ってる。あんた達はそこで待機。絶対に出てきちゃダメだからね」

《ヤ!》

 

無線に答えている間にも、霞む視界に青く光るものが近付いてきているのが、双眼鏡で確認できた。

こんな時にイヤな奴が出てきたものだ。

青い女の肢体をまとうのは、背中隠して腹隠さずの鎧と、顔を覆う兜。

両腕は光をまとう二股の剣。

下半身は機械化され、その足にくっついたブースターで縦横無尽に走行する。

その高い機動力と、遠近ともに鋭く苛烈な攻撃に付いてくる状態異常。

数多のAGEたちから忌み嫌われるアラガミ、ハバキリだった。

 

「おい! あれ!」

「ハバキリか。何でこんな時に!」

「クッソオオオ! 動けよおっ!!」

 

どうやらグレイプニルの連中も気付いたようだが、これは非常にマズい。

しばしの逡巡。

そして顔を上げ、神機を握ると私は走り出した。

理性はその行動を止め、体もそれに同調する。

猛る感情が、奴らの組織の非道を訴える。

ああ、嫌だとも。

戦うのは苦手だし、ハバキリは嫌いだし、奴らを助ける義理もない。

しかし、彼らの悲痛な叫びと助けを求める声に、私はそれらを無視し盾を展開した。

ハバキリは動きを止め、彼らに向かって剣を向けている。

ハバキリの最大の火力を誇る攻撃、レールガンだ。

ダイブで距離を即座につめた。

仮に逃げることが出来ても、船を破壊されたら彼らはおしまいだ。

ただのGEに、この限界灰域を徒歩で長時間移動することは不可能なのだから。

悲鳴を上げて逃げ出す彼らと、ハバキリがレールガンを放つのと、私がダイブで飛び込んだのは、ほぼ同時だった。

凄まじい圧力と激しい熱量が堅牢な壁盾を襲う。

足を踏ん張りそれに抗するが、思わず呻き声が漏れた。

いつもならさっさと物陰に隠れてやり過ごすレールガンだが、マトモに喰らうとここまでの威力なのか。

シャレにならん!

レールガンの放射が終わり、私は背後の車を見た。

左後輪がガッチリと溝にはまっている。

サドでスピード狂の勘違い女がこちらに来る前に溝から出さないと。

呆然とこちらを見ているグレイプニル兵に向かって怒鳴りつけた。

 

「さすがに私一人じゃ動かない! 生きたかったら手伝え!」

 

言いながら、私は車を押し始めた。

装備を詰んだ車体は思った以上に重く、さすがに私だけでは無理だ。

背後から、ハバキリの気配が近づいている。

 

「早くっ!!」

 

怒鳴りつけると、連中が弾かれたようにこちらにやってきた。

一人が運転席に乗り込むと、声を合わせて車を押した。

車の動く手応えがあった。

 

「動いた!」

「これならいける!」

 

連中が歓喜の声を上げるが、ハバキリはもうそこまで迫っている。

大丈夫焦るな、溝から出して車さえ守れれば、コイツらは生き残れる。

 

「よし! もう一度行くぞ」

「おう!」

「せえの!」

 

唸りを上げるエンジンと共に再び車を押し、溝から脱出した車は少し走って止まった。

しかし喜ぶ間はない。

私は身を翻すと、ダイブでハバキリに突撃した。

 

「おい、あんた!」

「早く行け!」

 

私はハバキリを盾で押し返しながら声を上げた。

 

「早く離れろ! もうドジ踏むなよ!」

 

背後の兵士たちは少し躊躇っていたようだが、すぐに車の元へ向かったようだ。

 

「悪い、後は任せた!」

「……ありがとう。生き残れよ!」

 

そうして車は、エンジン音と共に遠ざかって行った。

足のブースターで即座に間合いを開けるハバキリと対峙しつつ、少しだけ安堵した。

これでいい。

ハバキリは嫌いだが、初見の敵ではないし、体力も携行品にも余裕はある。

昨日の黒いミスターと手順は同じた。

まずは観察して目を慣らす。

隙を見て捕喰、攻撃。

深追いはしない、無理はしない。

そう、落ち着いて。

 

《サイカ、例の巡視艇を確認した。俺たちの前を通り過ぎて行ったぞ》

 

アルビンからの通信に思わず頷いた。

 

「オッケー! こっちはハバキリとやり合うことになったから、引き続きそこで待機してて」

《は? 何やってんの?!》

「理由は後で話す。今のうちにしっかり休憩してて。何かあったら連絡ちょうだい」

《ヤ。気をつけろよ》

 

通信が切れた瞬間にきた、鋭い振り下ろしをどうにか避けた。

あ、危なかったー!

どうにか平静を取り戻し、盾とステップで攻撃を凌ぎながら一通りの攻撃パターンを確認。

捕喰をしてバースト、ステップ攻撃で足を執拗に攻め始める。

ハバキリの攻撃は、一撃一撃はスピーディかつ強烈だが、技を繰り出した後に大きなスキができる。

捕喰して、ジャンプ攻撃で頭を攻めたてた。

敵をしっかり見て、無駄なく丁寧に。

 

《サイカ。そっちに敵が来てるってダニーが言ってる》

 

おかわりが来たか、ついてないなー。

と、ハバキリの足が結合崩壊を起こした。

ヘタレたそのスキに改めて周囲を確認すると、確かに、敵がこちらに来ている気配を感じる。

だが、まだ猶予はありそうだ。

 

「オッケー! 続けて迎え撃つ。あんた達も周囲を十分に気をつけてね」

 

ジャンプ攻撃で頭をとにかく叩き続けると、ハバキリが大きく距離を取った。

右腕を左後方へ引き寄せる独特の構え。

範囲が極めて大きくその攻撃を喰らったらスタンになる、ハバキリの大技の一つ居合切りだ。

だが、ボーナスタイムでもあった。

範囲から離れれば攻撃は喰らわず、攻撃後は大きなスキができる。

後ろに回り込めば背中を攻撃し放題だ。

残念ながら後ろに回り込む余裕はなさそうだが、銃形態に切り替えて頭に狙いを定めた。

ハバキリは居合切りを放つが当然空振り。

頭に照射弾を当てながら近付くと、執拗に攻撃をした甲斐があって頭が結合崩壊を起こした。

チャンス!

捕喰し、ステップ攻撃でオラクルを吸収しながら攻撃を続ける。

フラフラとダウンから身を起こしたハバキリは、身を翻して走り去ろうとした。

その先には、子どもたちがいる。

 

「逃がさないよ!」

 

ステップ攻撃で追いすがった瞬間、両腕が結合崩壊した。

あ、ラッキー!

全ての部位を結合崩壊出来たということは、コイツの命も風前の灯だ。

チャージ攻撃の構えをとりつつ、私の感覚に、おかわりが近付いてきているのを感じた。

これでっ、くたばってっ!

思いが通じたのか、渾身のチャージ攻撃でハバキリの討伐は完了した。

よし! やっぱやれば出来るじゃん、私!

嬉しさを噛み締めつつ、取り急ぎハバキリのコアを回収し、おかわりの到来に備えた。

 

「ハバキリは倒せたよ」

《早いな》

 

アルビンの声に、自然と笑顔になった。

 

「任務で何回か戦ったからね。次に備える」

《わかった。次の敵、ダニーが言うには、ハバキリくらいの大きさだって》

 

中型種か。

昨日お相手したウコンバサラ、グボロ・グボロとの再戦か。

GEの登竜門と言われたシユウ、二足歩行でシャキシャキ攻撃する鳥のネヴァン、人と蝶が不気味にコラボした光と猛毒の使い手サリエル。

そして、廃都で追いかけ回されたバルバルス、コンゴウ。

さて、何が出るのやら。

呼吸を整えながら正面を広く見据えていると、霞む視界からついにその気配はやって来た。

金色に輝く菱形の姿を見た瞬間、自分でもわかるほど気味の悪い笑顔になる。

胸を満たすのは、紛れもない歓喜だった。

そうだそうだ、中型種と言えばお前もいたね。

金色に輝く縞の入った菱形の筐体は、防御形態になると攻撃を無効化するバリアを展開。

その頂点には、金色の輪っかをいただく人の顔。

手足はなく、女性が歌うような雄叫びと、顔の下にある命核と呼ばれる丸いボールから繰り出される遠距離攻撃。

そして、地中から光る蛇を射出して攻撃をするスネークバインドが印象的なアラガミだった。

 

「グウゾウの堕天種だったよ。ソッコーで倒すから!」

 

言いながら、神機を銃形態に切り替える。

コイツは、防御形態をとるとバリアを張るが、活性化すると防御形態を取らなくなる習性がある。

頭を狙って怯ませて活性化、その間に装甲を壊してしまえばレイガンの餌食だ。

ハバキリと比べたら、かなりやりやすい、むしろ好相性の相手だった。

でも、一人で戦うことには変わりはない。

油断せずに、落ち着いていこう。

高らかに声を上げるその頭に向け、私は容赦なく照射弾をぶっぱした。

途端に怯む相手に、口元が歪む。

悪いね、でもお互い様だよ!

威力がドンドン跳ね上がる照射弾を顔面に喰らい続け、奴はついに活性化した。

即座に捕喰してバースト。

 

「さあ、ガンガンいくよ!」

 

私は神機をバスターブレードに切り替えると、バーストで高揚する心と共に大きく跳躍。

その装甲に容赦のない一撃を浴びせた。

 

 

宣言どおり、私にしてはソッコーとも言うべき時間でグウゾウ堕天種の討伐が出来た。

周囲に敵の気配は感じない。

アルビンに掃除の完了を伝え、私はホッと一息をついた。

とりあえず、今回はどうにかなったか。

この調子で進めばいいんだけど……、アルビンからお小言がありそうだな。

肩をすくめ、霞む視界から現れた子どもたちを迎えた。

子どもたちの体調を確認し、アルビンから荷物を受け取ると、

 

「サイカ、何でハバキリと戦うことになったの?」

 

案の定、冷たく尋ねてくるアルビンに私は事情を説明した。

説明をし終えると、アルビンはため息をつく。

 

「人助けする余裕ないの、わかってるよね?」

「うん、そうなんだけどさ。でも、助けを求めているのに放っておくことはできなかったし、それに、いずれにしても戦うことにはなっていたと思うよ」

「そうだけど。でも、でも何でよりによってグレイプニルの連中を──」

「アルビン」

 

私は語気を強めた。

アルビンはハッとして口を噤む。

 

「その言い方はやめな」

「でも」

「気持ちはわかるよ。でも、あんたまでグレイプニルの連中と同じようなことを言うのはいただけない」

 

下手な大人よりも強靭なメンタルを持つアルビンとて、ガドリン総督や下衆なグレイプニルの兵士に、怒りと嫌悪を抱えているのはもう仕方のないことだ。

彼らはそれだけのことを、やらかしているのだから。

だが、普段ならそのメンタルの強さで容易に抑え込めるそれを思わず吐き出してしまったのは、彼の心に余裕が無くなってきているからだと察した。

この旅が始まる以前、戦乱が起こった時から私のフォローを連日頑張っている彼の心は、確実に疲れて消耗しているに違いないのだ。

私は俯くアルビンの肩に手を置いた。

 

「心配してくれてありがとう。ゴメンね。これからは気をつけるよ」

「……俺も言いすぎた。でも、本当に気をつけてくれよ」

「うん」

 

神妙な空気になってしまった雰囲気を切り替えるべく、私は鋭く手を打った。

 

「さあ! あと一時間頑張って歩くよ。そしたら、おやつ休憩をするからね。みんなで手助けしながら進みましょう」

 

笑顔を作って明るく声を出すと、子どもたちも元気よく応じた。

私も元気で大丈夫だ。

まだ笑えるもの。

私を先頭に、再び荒れた航路を歩き始めた。

 

「ねえねえ、アルビン」

「どうした」

 

殿を歩くアルビンとダニーの話が聞こえてきた。

 

「ぼくに、アルビンのお手伝いできること、ある?」

 

繰り返すが、ダニーは感応現象との親和性の高さもあって、子どもたちの中でも感受性が高い。

アルビンがちょっぴり疲れているのを、それとなく察したのかもしれない。

 

「そうだな」

 

アルビンの声が、僅かにだが揺れていた。

あまりに些細な揺れだが、長い付き合いだからこそ気付くものもある。

 

「じゃあ、さっきみたく、アラガミがいないか警戒してくれ。サイカだけじゃなくて、お前のアンテナもあれば安心だからな」

「ヨー! けいかいをつづけますわあっ!」

「まず足元から気を配ろうか」

 

アルビンとダニーがやり取りをしている間に、私はビャーネとクロエを目線で呼び寄せる。

そして、それとなくアルビンのフォローをするように伝えると、二人は素直に頷いた

 

「アルビン、いつも頑張っているよね。率先してサイカのお手伝いしてるし、凄いし偉いと思う」

「俺たちと二つか三つくらいしか離れてないんだろ。基本大雑把なサイカ以上にしっかりしてるもんな」

 

相変わらず余計な一言を付け足すメガネはともかく、子どもたちにアルビンの頑張りが伝わっていることを知ったのは嬉しいことだった。

後でアルビンにこっそり教えてやろう。

 

「あ、でもちょっと細かいところでうるさいよね」

「そーそー。なんつーか、小舅っぽいとこあんよなー」

 

ヒソヒソ言う二人に顔を顰めた。

そう落としてきたか、容赦のないガキどもだ。

ビャーネの言葉にクロエはしばし沈黙し、そして力強く頷いた。

 

「コ、コジュウト……。そう! コジュウト、コジュウトっぽい、コジュウトみたい」

「クロエ、わからない言葉を無理して使うことないからね」

「わかるもん!」

「無理しなくていいんでちゅよー、ミネットゥ(お嬢ちゃん)

「ウッザ! ホントだもん!」

 

小競り合いを始める子どもたちは放っておくことにした。

ふと思い出したのは、先程のグレイプニルの連中との出来事だった。

彼らは、AGEの私を気遣い、礼を言ってくれた。

例えそれが一時のものだったとしても、反射的な応答だったとしても、私には十分な報いだった。

一昨日、廃都で出会ったグレイプニルの連中が、彼らのような人だったら良かったのに。

心の痛みと共に未練がましく思う。

同じ組織に属していても、状況や人それぞれに見ているものや感じ方、思いに違いがある。

そんな至極当たり前のことを再確認出来たことが、とても嬉しかったのだ。

 

この出来事が、私の中にある確信を深めた。

私たちの力とは、人を傷つけるためで、上に立つ者の汚れ仕事をするためでもない。

灰域を皆と共に生き、切り拓くためにあるのだと。

綺麗事の理想論なのは百も承知だ。

しかし、建前という鞘をなくして抜き身の剣のようなAGEが、人やGEと同じ目線で手を携えることはできない。

そしてその鞘は、人に押し付けられたものでなく、己が考え選択した意志を持って自ら纏わねばならないものである。

……うん、まあ、頭でわかっていても難しいわな。

こんな酷い状況だし、余裕もないし、そもそもこの力からして、望まずに押し付けられた人も多いだろうし。

だが、人や物を破壊し蹂躙できる力を持っていることは揺るぎのない事実で、何も知らない他人からしたら、やっぱり未知の存在、バケモノとして見られるのだ。

本当に、この世はままならない。

思わず苦笑すると、怪訝な視線を向けるビャーネと目が合った。

笑ってその小さな肩を掴み軽く揺さぶった。

 

「さっきの件、頼りにしてまっせ、ミスタービャーネ」

「任せてちょー」

 

軽い口調とは裏腹に、ビャーネは私の手の甲をしっかりと握った。

そうして敵が出ないまま歩き続け、一時間が経とうした頃、目の前の航路が二手に分かれているのが見えた。

南東へ伸びる航路は現在よりも幅が狭くなっているが、南へと続く航路の幅はそのままだ。

 

「道が二手に分かれてる」

「ホントだ」

 

見上げるクロエとビャーネに、私は笑顔で頷いた。

 

「アローヘッドと未踏灰域の分岐路だね。今日の目的地まで後もう少しだよ」

「ノニーン!」

「頑張ろうね」

 

検問があるのではないかと警戒していたが、周囲に人の気配は一切感じられない。

喜ぶ三人を眺めていると、アルビンが私の隣に並んで立った。

 

「予定通りのペースを守れているね」

「敵が予想より出なかったことと、風がだいぶ治まってきたことで距離を伸ばせたんだと思う」

「休憩する?」

「もちろん。目的地はもう少し先だからね」

「ヤ。おーい、休憩するぞ」

 

アルビンが子どもたちに声をかける。

航路のど真ん中で折りたたみの椅子に座り、休憩をすることになった。

温かいお茶を飲み、子どもたちの他愛のない話を聞く。

そして、子どもたちの足を確認すると、全員の足にマメができていた。

先程、私が敵と交戦中に手当てをしたようだが、重い荷物を背負い、悪路での長距離移動である。

AGEとはいえ、子どもたちの足に無理をさせているのは明白で、こうなった以上は今以上にこまめに休憩をとる必要があった。

それは、さらなるペースダウンを意味するが、旅がまだ続く以上やむを得ないことだ。

大丈夫、まだいけるから。

骨の髄が炙られるような焦燥感を、その言葉で何とか落ち着かせた。

 

休憩を終えた私たちは、縦貫ルートを外れて南へと向かった。

相変わらず視界は良いとは言えず、道の状態も芳しくない。

たまに出てくる小型種の群れをどうにか倒し、小休憩をとりながら少しずつ確実に前へと進む。

最後のコクーンメイデンを倒し、子どもたちを無線で呼び寄せた。

待つ間に周囲を目視で確認する。

道路の設備だったと思しき照明灯と防音壁の残骸の向こうに、謎植物が大地を覆い尽くしている。

紫の光が舞い、灰域に霞む西の空が鈍い金色に染まっていた。

後二時間程で日没だ。

吹く風の強さはさほどではないが、冷たさを感じるようになった。

そろそろ、この領を抜ける頃だと思うのだが、目安になるものはないし、自分たちの正確な位置もわからない。

ふと、前方に何かの塊が見えた。

倒壊した人工物が、道の端から端まで塞いでいるようだ。

ワラワラとやって来た子どもたちと共に、その人工物に向かった。

ダニーがキョロキョロと、落ち着きなく辺りを見回す。

 

「何かのたてもの?」

「うーん、……門、かな?」

「門? げんかんだったの?」

 

クロエの言うように、道を塞ぐそれは、元々は大きな門だったようだ。

 

「昨日今日で倒れたものじゃなさそうだけど」

「うん、明らかに時間が経ってる」

 

かなり頑丈に作られたそれも、厄災と時間を経て灰嵐に遭遇、ついに倒壊したものだと思われた。

 

「なー、サイカ、これー」

 

道の端を調べていたビャーネが、地面と一体化していたもの指さした。

黄色の地に赤い丸が描かれたものと、午前中にも見た青看板の道路標識だ。

 

「通行止めと……、ああ、ここ検問所だ」

「てことは、着いたってこと?!」

 

テンションの上がったビャーネの言葉に頷く。

 

「そうだよ。ここが領の端っこ。今日の目的地だよ」

「イッエエエス!」

「ユッピー!」

「イッピー!」

 

声を上げて喜ぶ子どもたちをの姿に、思わず笑みが零れた。

ここが、今公式に把握しうる限界灰域の際。

そしてこの瓦礫の向こうは、いよいよ未踏灰域になる。

 

「やっとここまで来たか」

 

隣で感慨深く言うアルビンの肩を叩いた。

 

「お疲れちゃんだよ」

「あんたもな」

 

だが、私もアルビンもわかっている。

ここは通過地点に過ぎない。

この先に、この旅の最大の難関が待ち構えているのだ。

アルビンが、ゴーグル越しに目線を合わせた。

 

「まだ日没まで時間があるけど」

「とりあえず、この瓦礫は越えておこうか。先が見えないし」

「そうだね」

 

と、さっきまではしゃいでいたダニーが、ヨロヨロとこちらに歩いてきた。

歩き方がおかしい。

ダニーが、何かをこらえるような目で私を見上げる。

 

「サイカ、足、とってもいたい」

「見せて」

 

すかさずアルビンが折りたたみの椅子を取り出し、ダニーを座らせた。

靴と靴下を脱いだ足の裏を見、来たるべき時が来たことを知った。

 

「坊ちゃん、ついにマメが各地で反乱を起こしましたぞ」

「ノニー!?」

 

ダニーの両足のマメが幾つか潰れ、皮が剥けてしまっていた。

しかも、指の間にも新たに幾つかできている。

 

「こりゃもう、今日は歩けないな」

 

冷静なアルビンの言葉に、ダニーは悲しげな視線を向けた。

 

「でもぼく、歩きたい」

「無理だよ。これ以上歩いたら、足の裏がこの地面みたくなっちゃうぞ」

「……でも」

「もっと痛くなって、ここから先歩けなくなってもいいのか?」

「やだー」

 

むしろここまで、よく耐えていた方だろう。

二人がやり取りしている間にも、私は荷物から医療キットを取り出した。

消毒液をガーゼに浸しながら、ダニーをチラリと見る。

さて、この坊ちゃん、泣かずに我慢できるかな。

ビャーネとクロエに、ダニーを取り押さえるように命じる。

ダニーは両脇を抱える二人と、私が言ずとも両足を抱えるアルビンを見、そして困惑の目で私を見上げた。

 

「サイカ?」

「坊ちゃん、一刻も早く反乱を鎮めましょう。お覚悟を」

 

周囲の雰囲気に、これから起こることを察したであろうダニーは、涙目で首を振った。

 

「……いたいの、やだ」

「知ってる。ゴメンね」

 

言って、消毒液のたっぷり染み込んだガーゼを患部に当てた途端、ダニーは目を見開き、ネコのような悲鳴を上げた。

その声は、マスクをしているにも関わらず荒れ果てた地平に広くこだました、ような気がした。

 




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誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
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幕間 3

暗闇の中で声がする。

目をそっと開く。

ここはあのミナトの牢獄。

私が育った、人の弱さと悪意の吹き溜まり。

 

「無理だな」

 

浅い眠りから目が覚めた私は、聞こえてきた先輩たちの声に耳を傾ける。

 

「今の俺たちでは、この子たちに安心できる場所を与えられない」

 

昼間の先輩からは想像もできない弱く悲しげな声に、眠ったふりをしながら私も悲しくなった。

 

「俺たちは所詮は隷属の身。どんなに頑張っても外側が変わらない限り、何かしらの奇跡が起きない限りは無理だろう」

「……じゃあ、どうするの?」

 

暗い声で言うのは、先輩を助ける女の先輩だった。

やはりその声は、いつもの優しくたおやかなものと違っていて、涙と感情で揺れている。

 

「……一か八かで連中の作戦に乗るつもりだったが、今日死んだそうだ。隣のガキが目を真っ赤にして言ってた」

「……そう」

 

先輩が身じろぎする気配を感じた。

 

「しかも、自力でエンゲージしたとか何とか言っていてな。……多分、これを機に監視の目も厳しくなる。……消耗戦だよ、フリーダ。何の報いもない戦いの始まりだ」

「エーヴェン……」

 

静かに泣き崩れるフリーダ先輩。

 

「灰域への耐性が低い俺たちは、近いうちに間違いなく死ぬだろう。だがそれでも、命が続く限り戦い、この子たちを守り続けよう。暗闇の先にある未来に、この子たちを託せる人と場所が現れることを信じて、GEらしくな」

 

エーヴェン先輩が優しく、しかし途方も無い悲しみと覚悟を湛えて言った。

私は目を閉じた。

涙があふれ、起きていることをバレないように粗末な寝床に顔を沈める。

記憶のない私を暖かく受け入れ、知識を教え、守ってくれた最愛の大人たち。

ずっと生きて、側にいて欲しかった。

その大きく温かい手を繋いで、暗闇を一緒に歩いて欲しかった。

だが、エーヴェン先輩はフリーダ先輩や他の仲間を庇って死に、庇われたフリーダ先輩は見る見るうちに精神的に追い詰められ、自殺同然に戦いの最中で死んだ。

嘆く私の手を繋いだのは、他の先輩や仲間や友人だった。

私たちは暗闇を進み続ける。

戦死したもの。

実験体として、どこぞのミナトに売られたもの。

役に立たぬと捨てられたもの。

アラガミと化して討伐されたもの。

そのたびに人は補充され、年齢に関係なく同じような命運をたどっていた。

いつしか繋ぐ手はなくなり、それでも暗闇を歩く日々は続いた。

そして、同期の男の友人が、体調を崩した友人を大型種から庇い、それを道連れに帰らぬ人となった。

看守の相手をして牢に戻ってきた私は、帰ってきた友人からその報せを聞いた。

 

「グンナルが死んだ。私を庇って、大型種を道連れにして」

 

血の気の全くない、真っ白な顔で友人は言う。

真っ白で無表情な整った顔は、まるで作り物のようで冷たく怖かった。

奥のベッドで寝ている仲間たちへ意識を飛ばすが、完全に眠っている。

今の私たちの姿を、誰にも見られたくはなかった。

 

「そう」

 

口に出た言葉は、私の内面の動揺とは裏腹に感情がなかった。

友人は構わず、あの言葉を言った。

 

「私たちでみんなを守るの」

 

みんなを守るために大人になるのだと。

一人では無理だけど、私たち二人ならきっと先輩たちのような大人になれる。

その言葉を信じ、約束した。

私は、友人のような子ども好きではない。

性格も子ども相手には向いていないと思ったし、そもそもどのように接すればいいかわからなかった。

だから、二人ならばと同意したのに。

 

「ロー! ローダンテ!」

 

無念のうちに、青空の下で息絶えた友人に私は叫ぶ。

 

「ちょっと止めてよ。一人じゃ無理だよ。私一人でみんなを守るなんてできないよ!」

 

灰域がローの体を食らっていく。

黒ずみ、その形を曖昧なものにしていく。

 

「どうすればいいの、ねえ? アルビンになんて言えばいいの? あの子、あんたのことを慕ってるんだよ。知ってるでしょ。あんたの体調が悪くて心配していたのに。それでも帰ってくるって言葉を信じて待っているのに!」

 

崩れてしまう。

消えてしまう。

例外なく、跡形もなく、何も残さずに。

 

「ロー!!」

 

そうして友人は、塵となって消えた。

どうやってミナトに戻ったかは、記憶が曖昧だ。

泣き崩れた私に、無線の向こうにいる看守は一片の情もなく帰還命令を告げ、それに従ったことは覚えている。

牢で待っていたアルビンは、私の常にない態度とローがいないことで、最悪なことが起こったことを一目で察したと思う。

私が感情なくローが死んだことを告げると、アルビンは息を呑み、そしてグシャリと顔を歪ませて涙をこぼし叫んだ。

 

「嘘吐き!!」

 

帰ってくるって言ったのに、私が守るからって言ったのに、嘘吐き! 嘘吐き!

泣き喚きなじるアルビンに、苛立った看守が罵声を浴びせたが、私は瞬間的に怒り、それに応答した。

 

「うるせえっ! 粗チンは黙ってろ!」

 

今まで一度も出したことのなかった腹の底からの大音声に、アルビンは泣き止み、看守も凍りついた表情で私を見た。

すかさず隣の牢のハンマー使いとその弟が、その看守に向かって何かを言って煽ったらしく、看守の苛立ちの矛先はそちらを向いた。

彼らの口汚いやり取りに構うことなく、アルビンの方を見ると、怯えた表情で私を見つめている。

びっくりさせた上に、怖がらせてしまったか。

やっぱり、子どもの相手は苦手だな。

私はギクシャクと体を動かして膝をつき、無理やり小さく笑顔を作って、涙もそのままにしているアルビンと目線を合わせた。

 

「突然怒鳴ってゴメンね。あんたに言ったわけじゃないから」

 

そして、頭を下げる。

 

「ローのこと、守ってやれなくてゴメンね。私たち二人して、約束守れなくて本当にごめんなさい」

 

声が涙で揺れる。

だが、私は声帯を引き締めた。

彼に頼みたいことがあったから。

それは、今この場でするようなものでは無いと思ったし、たった八歳の子どもへの頼みごとにしては、あまりにも酷くて恥知らずではあったけど。

 

「アルビン、あんたに頼みたいことがあるの」

 

私がそう切り出すと、先程の取り乱し様が嘘のような静かな表情で、アルビンは私を見た。

 

「何」

 

表情とは裏腹に、その声は涙で濡れている。

その声に一瞬ためらい、しかしその青い目を見据えて告げた。

 

「私を助けてほしいの」

 

私一人では、これから増える仲間を守ることはできない。

だからできる範囲でいい、私を助けてほしいと。

 

「こんな時に酷いこと言っているのはわかっているの。それでもお願い。アルビン」

 

頭を下げる私に、彼は沈黙した。

そうしてどれほど待ったか。

 

「わかった」

 

顔を上げれば、そこには表情なく私を見ているアルビンがいた。

アルビンは口を震わせながら開く。

 

「ローが言ってた。私が体が弱くても強くいられるのは、サイカのお陰なんだって。私が元気で戦いに専念できるように、サイカが汚いことも含めてお膳立てをしてくれていたからだって」

 

言いながら、その青い目に見る見る涙が溜まっていくのを、私は息を飲んで見つめた。

 

「だから、サイカが先頭に立ったその時は、俺にも手伝って欲しいって。私は体が弱くて支えられるか不安だから、手伝ってくれたら嬉しいって」

 

静かに泣きながら話すアルビンに、私は言葉をなくした。

あの子、そんなことを考えていたのか。

この胸を満たして溢れる感情を表現する言葉が、この思いを伝える言葉が見つからない。

アルビンは両腕を持ち上げ涙をぬぐい、そして睨むように私を見た。

 

「ローとの約束は守る。ローがいなくても俺があんたを支える。だから先頭に立って、みんなを守って生きろよ。そうでなきゃ、あんたたちのこと一生許さないからな」

 

アルビンの覚悟に私は頷き、ありがとうと、そう一言伝えるだけで精一杯だった。

今に続くアルビンとの関係は、ここから始まったのだ。

時折他の牢の仲間にも助けられながら、徐々に増える子どもたちの手を引いて暗闇を進む。

そして、あの運命の時を迎えた。

脱出のタイミングが悪かった私たちは、救助の船に乗ることが出来ず、灰域をさまようことになった。

休憩しようと瓦礫と神機の盾を壁にして子どもたちを匿っていた時、ヴェルナーさんが見つけてくれたのだ。

それはまさに奇跡。

ヴェルナーさんに導かれ、ようやく人並みの平穏な日々を得ることができた。

先輩たちが話していたことを思い出す。

 

『暗闇の先にある未来に、この子たちを託せる人と場所が現れることを信じて』

 

もしかしたら、それはヴェルナーさんでありここでないのか。

だが、頭の醒めた部分はその考えを即座に否定する。

アレは、理想と呼ぶには足元があまりに疎かで、義憤と呼ぶには抱える怒りがデカすぎる。

針で突けばとたんに爆ぜる虚ろな風船だ。

爆ぜたらその被害は尋常なものじゃないのに、それを諌める奴も止める奴も尻拭いする奴もいない。

ここは、後先考えずに感情に任せて突っ走る、身体がデカくて青臭えガキの溜まり場。

アレはその中でも、多少の管理経験があるに過ぎない。

なあ、サイカ・ペニーウォート。

揺らす手はあっても止める手のない揺りかごに、安心してガキをのせられるか?

違うことはわかっていた。

だが、それでも淡い期待を抱いたのは、間違いなく私の弱さからだ。

期待は裏切られ、人同士の戦いという現実となって私に選択を迫った。

選択の結果はご覧の通りだ。

あの暗闇の底で先輩たちが望んだ人と場所と未来は、未だ見えない。

 




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限界灰域 3

比較的昇り降りのしやすい場所を見つけ、瓦礫の山を超えることになった。

べソをかくダニーを荷物とともに背負い、足場を確認しながら登っていく。

クロエ、ビャーネ、アルビンの順で手を貸しながら、みんなで瓦礫の山の頂上に立った。

高さは大したことはなく、見える景色も今までの風景とさほど変わらない。

西の地平に沈もうとしている太陽の光と、それを遮る灰域を背景に、紫の光が砂埃とともに宙に舞っている。

霞む視界の向こうに、アスファルトが辛うじて残る道路と、残骸と化している道路設備、謎植物、装甲壁の崩れた小規模のサテライト拠点だったと思しき廃墟が見えた。

 

「雰囲気、変わらないね」

「そうだね」

 

私の足元にしゃがんで瓦礫に掴まるクロエの言葉に私は頷く。

予想通り、ここから先もしばらくは限界灰域が続くようだ。

私の右隣に立つビャーネが、双眼鏡で周囲を見ながら唸った。

 

「んー、見えねーな」

「何が?」

「廃墟から先。真っ白だ。霧か?」

「廃墟のアラガミはどうだ?」

 

アルビンの問いかけに、ビャーネは双眼鏡を覗きながら答える。

 

「チラホラいるっぽい。見える範囲では小型種ばっかだ」

「巣になってるか」

「この辺り、巣になるような所なさそーだからなー」

 

アラガミも、安心安全な住処を望んでいるということだろうが、何とも複雑な気持ちになった。

ビャーネ越しに、アルビンが私を見た。

 

「どうする?」

「あの廃墟を今日のキャンプ地にしたいところだね」

「となると、アラガミ連中には全員、出て行ってもらう必要があるけど」

「仕方ない。もうひと頑張りしますよ」

 

言うと、アルビンは小さくため息をついたようだった。

 

「強盗みたいだな」

「話し合いのできる連中だったら良かったんだけどねい。とりあえず、ここから降りようか」

 

そして瓦礫の山を気をつけて下山し、子どもたちも無事に航路に降り立った。

右手に神機、左手を腰に手を当て、暮れなずむ景色眺める。

 

「日が暮れるな」

 

私は目を細め、低く厳かに呟く。

 

「灰域がなければ、たとえ地は荒れ果てようとも、美しい夕暮れの空を臨むことができただろうに」

 

戸惑う二対の視線を感じつつ、シリアスな権力者──イメージは深層で発掘した歴史ドラマだ──の小芝居を始める私。

 

「ビャーネはいるな」

「ハッ。ここに」

 

芝居じみた調子で言いながら、すかさず背後に控えるメガネ。

本当にノリのいいヤツである。

 

「ダニーの荷物を運んでもらいたい。できるな」

「イエス、マイ ロード」

「ねえ、ダニーの荷物頼むのに、その小芝居必要?」

 

冷静に突っ込むクロエと、複雑な視線で私を見るアルビンは無視し、手に持っていたダニーの荷物をビャーネに渡した。

すると、今までダンマリしていたダニーが動いた。

 

「ビャーネ、ソリ(ゴメンね)。キッティ」

「いいってことよ、坊ちゃん。んん?! 結構重い?!」

「大丈夫か」

「ヨー。たまには力仕事もせんとね」

 

アルビンに笑って答えるビャーネだが、今回初めての荷物持ちだ。

いきなり無理をさせるつもりはない。

 

「この先の廃墟を目標に頑張ってみようか」

「オッケー!」

「よし! 辛くなったら言ってね。行くよ」

 

子どもたちは返事をし、私たちは廃墟を目指して歩き始めた。

航路を横切るアラガミをやり過ごし、不運にも遭遇したアラガミを順当に討伐しつつ、日没の時間が迫るに従って輝きを増す植物を避けて道を進み続ける。

 

「なあダニー、お前の荷物、何入ってんだ?」

 

尋ねるビャーネに、ダニーは身動きをした。

 

「うんとね、水とうとー、着がえとー、食き。それと、ねぶくろでしょ。タオルと、歯ブラシ」

「ふむふむ」

「あとね、イスと、道具箱!」

「道具箱?」

「ヨー。ねんどとー、マットとー、かたぬき入ってる」

「はっはー、なるほど粘土かー」

 

どうやらビャーネは、荷物の重さの正体に行き当たったようだ。

ダニーは粘土遊びが大好きで、ベースを脱出する時も持って行くと言って聞かなかった。

少しだけならともかく、持っている粘土を道具箱に入れるだけ入れたのだ。

荷物が重くなるよと言っても聞かず、ついにはギャン泣きするダニーに、脱出の準備で余裕のなかった私は折れたのだった。

 

「そんだけだよ」

ヴヘモン(ホントに)? サルミアッキは?」

「……持ってます」

 

クロエの指摘に、ダニーは荷物にしがみついて観念したように言った。

 

「いくつ持ってきたの?」

「……二こです」

「二箱な」

 

私同様、ここにいる全員の荷物を把握している小舅が言い直す。

 

「サルミアッキ自体は大した重さじゃないけど、そっかー、粘土かー」

「辛いなら俺が持つけど」

「インゲン ファラ。でも、この重さの荷物を今まで背負っていたのか。ダニー、スゲーじゃん」

「ぼく、がんばったよー」

 

大好きな兄貴分に褒められ、ダニーの機嫌が良くなった。

他愛のない会話続ける子どもたちに、私は内心感心をする。

疲れているだろうに、会話のできる余裕がまだ残っているのは、凄いことではなかろうか。

 

「あとで、ビャーネにはサルミアッキ、あげます」

「キッティ」

 

その余裕は、誰一人欠けることなく皆がいるからこそだろう。

会話をしながら緩やかな起伏が続く航路を歩き続け、群青色の空に濃いオレンジ色が映える頃、崩れ落ちている装甲壁の前に辿り着いた。

装甲壁だった瓦礫の陰に身を潜める子どもたちに私は告げた。

 

「それじゃ、中にいる皆さんを追い出してくるから、ここで大人しく待っているように。何かあったらすぐに連絡ちょうだいね」

「ヤ」

「暗いから気をつけてね」

 

そして、私が背負っていた荷物にしがみつき、そっぽを向いているダニーに声をかける。

 

「ダニー、いい子で待っていてね」

「やだ! サイカきらい!」

 

私に対するダニーの機嫌は、未だ斜めのままのようだ。

私はドッと疲れを感じながら肩を落とした。

 

「ミスターダニー、そろそろ機嫌を直してはいただけませんか」

「だってぼく、いたいのやだって言ったのに、サイカいたくしたもん」

「仕方ねーだろ。お前の足の大灰嵐を止めるには、これしかなかったんだから」

 

不謹慎な喩えで宥めようとするビャーネだが、ダニーはそっぽを向いたままだ。

私は小さくため息をつき、そして笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、私のことは嫌いでいいから、アルビンたちの言うことをちゃんと聞いて待っててね」

「サイカきらい」

「私は好きだよ、ダニー」

 

言って立ち上がると、メガネが身を乗り出した。

 

「オレのことは?」

「うん、好き好き、だーい好き」

「おざなり! あのな、あんまり扱いが雑だといつか拗ねるぞ!」

「拗ねるのは旅が終わってからにしておくれよ、マイベイビー」

「まさかのマジレス。それでも愛しているよハニー」

「ミートゥ、ダーリン。じゃあ、みんなよろしくね!」

 

三人が頷くのを見届け、胸の懐中電灯を点灯し、私は瓦礫と化している装甲壁を乗り越えて街中へ入った。

昨日まで過ごした拠点に比べると、その規模はかなり小さい。

半分以下、いや、四分の一もないだろう。

建物のほとんどは倒壊し、謎植物も生い茂っている。

その間に潜む小型アラガミを着実に仕留め続け、慌てて逃げて行くものについては追わずに放置した。

また戻ってくる可能性もあるが、襲いかかってきた時に対処することにする。

オウガテイルの群れが襲いかかってくるのを、バーストして薙ぎ払いながら違和感に気付いた。

意外に数が少ないか。

この周辺に身を潜める場所はほとんどなく、この場所は連中のかっこうの寝ぐらになるだろうに。

 

「アルビン、ダニーにこの周辺にアラガミがいないか探るよう伝えて」

《オーケイ》

 

オウガテイルの群れを討伐し、廃墟の街を歩きながら意識を張り巡らす。

やはりいない。

ついでにビャーネの大嫌いなアレについても探ってみたが、それすらいなかった。

 

《サイカ、ダニーに聞いたけどいないってさ》

「オッケー、ありがとう」

《ん? ……ああ、はいはい》

《……サイカきらい》

 

そうして通信は切れた。

思わず吹き出し笑った。

まったく、ご丁寧なお坊ちゃまだよ。

私は神機を担ぎ、改めて周囲を見渡す。

二重チェックまでしたのだ。

なら大丈夫だろうと思うのだが、警戒を解かない私がいる。

昨日のような装甲壁に囲まれた家は当然なく、家の基礎部分を残す建物が大半だ。

気をつけるに越したことはないということか。

私は一度街の外に出ると、子どもたちを呼び寄せ、改めて廃墟と化した街へと入った。

三方に塀が残っていた敷地を見つけ、子どもたちに手伝ってもらい敷地内を片付ける。

そして、アルビンとビャーネの手を借りてマットを敷きテントを張った。

これで、今日のお宿の完成である。

アルビンが、腰に手をあて完成した宿を眺めた。

 

「やっと使う場面がきたか」

「今までは不要な荷物になっていたからね」

「かさ張って大変だった」

「運んでくれてありがとう。助かるよ」

 

今までと比べたら粗末な寝ぐらだが、一晩過ごすには十分だろう。

 

「かまどはこの辺りに作ればいいの?」

「うん。クロエとダニーもお疲れ様。すぐに夕飯にするから休憩しててね」

「ウィ。あ、ジャケット貸して。縫っちゃうから」

「灯りがあんまりないから無理しないでね」

 

その横でクロエにくっつくダニーは、やっぱりそっぽを向いている。

その様にクロエと声なく笑い、ジャケットを渡した。

そして、アルビンとビャーネに手伝ってもらって夕飯の準備を始める。

言うまでもなくレーションを温めたものだ。

最後の缶詰は、鶏肉とジャガイモと豆をホワイトソースで煮込んだものだった。

そしてこの旅の定番となった主食の塩味のビスケット、野菜スープ、朝と昼にも食べていた残りのパテ。

そしてコーヒーと、ダニー用のココアを用意し夕飯は完成である。

湯煎した缶詰を開けると、ホワイトソースと肉の香りが周囲に漂った。

その豊かな香りに、私を含めた全員の目が缶詰に注がれる。

思わず口の中に溢れ出す唾液を飲み込んだ。

 

「ああ、メシだ」

「うん」

「これぞ、メシだよな!」

「そうだな」

 

感激のためか、目を輝かせながら言葉をなくす男子二人。

やはり缶詰レーションの魅力は、育ち盛りの子どもには抗いがたいもののようだ。

 

「早く食べたい」

「そうだね」

「はいはい、すぐに取り分けますよ」

 

全員分の食事が行き渡り、私は子どもたちを見渡す。

 

「はい。今日は本当にお疲れ様でした! 皆がよく頑張ってくれたおかげで、予定通り未踏灰域に入ることができました。これって凄いことだぞ、みんな偉い!」

 

せっかく褒めているのだが、子どもたちは目の前のご飯に夢中でろくに聞いていないようだった。

確かに、長話は野暮というものだろう。

 

「缶詰のご飯はこれが最後になります。おかわりはないので、しっかりと噛んで味わって食べるように」

 

全員で元気よくイタダキマスをし、子どもたちは無言で食事を取り始めた。

私も缶詰のレーションを食べる。

ジャガイモのホクホク感、鶏肉のはち切れんばかりの瑞々しさときたら。

しっかりと味付けされているホワイトソースが、疲れて強ばった身体中に染み渡るような感触に目を閉じる。

ああ、美味いな、生きているな。

温かい食事をみんなと食べることができる喜びと共に、胸に痛みを感じた。

昼間にも感じた、正体不明の切なさと悲しさは一体なんなのか。

結局、食事が終わってもわからなかった。

 

 

夕食を終え、お腹が満たされたことと疲れから、アルビンとダニーが寝る準備もそこそこに寝落ちた。

もう一個、トランシーバを直すと言って作業をしているビャーネは元気そうだが、私のジャケットを修繕しているクロエは眠そうだ。

ウトウトしては起きるを繰り返している。

 

「クロエ、眠かったら素直に寝なよ」

「だってまだ途中だもん。あともう少し頑張る」

 

見かねて声をかけると、目を擦りながら答えるクロエに、折りたたみのローテーブルで作業をしていたビャーネが顔を上げた。

 

「明日でもいいじゃん。早く寝て早く起きればいい話だろ」

ノ……(そうだけど)

 

言い淀むクロエに、私は追い打ちをかける。

 

「眠れる時に寝ときな。私のジャケットの代わりはどうとでもなるけど、あんたの体の代わりはないんだからね」

「……わかった」

 

自分の体のことを指摘され、クロエは渋々と頷いた。

髪を拭き、歯磨きと洗顔をしてマスクを付けると寝袋に入った。

 

「じゃ、お先に。ボンニュイ」

「ボンニューイ」

「フェ ドゥ ボー へエヴ」

「メルシー」

 

そして横になったクロエは、あっという間に眠りに落ちた。

さて、私も神機の調整をしますかね。

 

「サイカ」

「なあに?」

 

作業を続けるビャーネが、手を動かしながら声をかけてきた。

 

「さっきクロエに言ってたのって何?」

「ん?」

「フェ ドゥ ボー へエヴ?」

「ああ、彼女の故郷の言葉で、良い夢をって意味だよ」

「ふーん」

 

私が子どもたちの故郷の言葉を使えるのは、マルチリンガルだった先輩と、データベースでの勉強、本人たちから習ったためである。

とはいえ、知っている言葉は日常会話程度だし、文法やイントネーションは怪しい。

ただ、相手の故郷の言葉を交えて話したり、習おうとする姿勢を見せると、親しみやすさや仲良くなるスピードが全然違ってくる。

これはかのミナト時代に、先輩や仲間、友人との会話で気付いたことで、私は積極的にその手法で人と接していた。

ビャーネも、私の真似をしているのは見ての通りである。

 

「アイツの言葉ってさ、アルビンやダニーの言葉とは、また雰囲気が違うよな」

「そうね。実際、距離もここからだいぶ離れているみたいだし、生活習慣も違うんだろうね」

 

彼女の言葉が使われている地域は、今どうなっているのだろう。

灰域の発生とともに外界の情報は遮断されており、現状は知る術はない。

ビャーネは手を止めると、小さく息を吐いた。

 

「俺たちの故郷ってどこにあるんだろ」

「あんたはその名前と容姿からして、この周辺の地域っぽいけど。……やっぱ寂しい?」

 

からかい半分でたずねると、ビャーネはムッと口を曲げた。

 

「……寂しくないと言ったら嘘になるよ。ベースにいた時もそうだったけど、たまに話に乗れなくて居心地が悪い時もあるし。誕生日とか故郷とか家族のこととか」

「うん、そうだよね。わかるよ」

 

宥めるように私は頷いた。

アルビンとクロエには故郷の記憶がある上に、無意識に出てくる言葉がそれを裏付ける。

ダニーは幼く記憶障害もあるが、使う言葉から、故郷がこの地であることが予想できる。

しかし、私とビャーネには、故郷を示す言葉がない。

フェンリル体制時代の公用語しか使えない私たちには、故郷の根拠になる材料が乏しいのだ。

ビャーネは真顔に戻って私を見た。

 

「オレはまだ、この名前のおかげで何となーく予想できるけど、サイカはわっかんねーよな」

「わからんねー」

 

私は苦笑した。

名前の響きは、この地の言葉や極東の言葉に近いが、自分の容姿はそのどちらともだいぶかけ離れている。

混血の可能性もあるが、ペニーウォートに来る以前の記憶は欠片もなく、蘇ることもなく、記録も恐らくは消え失せている。

真相は灰域と闇の彼方だ。

 

「寂しくないの?」

 

たずねるビャーネに、私は小さく笑った。

 

「あんたも言っていたけど、寂しくないと言ったら嘘だよね。でも、今は目の前のことで精一杯だし、昔の記憶がないことで特に困ったことも無いし、執着する程でもないかなって思ってる」

「……サイカらしいな」

 

そう言ったビャーネの表情は、複雑なものだった。

その表情に、今までコイツを見てきた知識と経験と直感が、真意を導き出す。

 

「あんた、自分の故郷をちゃんと知りたいの?」

 

すると、ビャーネは驚いた様子で目を見張った。

図星か。

 

「うん、まあ」

 

ばつ悪そうにビャーネは私から目を逸らした。

 

「単純に知りたいってだけで、どうこうしたいって訳じゃないんだけどさ。……ただ、調べてオレの故郷がわかったら、故郷がわかんないの、サイカだけになっちゃうなって」

 

らしくないことを考えちゃってまあ。

しどろもどろに言うビャーネに、私は笑顔を向けた。

 

「遠慮することないよ。知りたかったら調べりゃいいじゃん。手伝いが必要で私に出来ることなら手伝うし。あんたのやりたいようにやればいいよ」

「うん、ありがとう。……暇で暇で死にしそうな時にやる。あっ、そうだ!」

 

奴は表情をパッと明るくして私を見た。

 

「老後の楽しみにとっておくってどうかな?」

「あんたどう見ても、十年も生きていないでしょ」

 

呆れを隠すことなく言葉を続ける。

 

「あんたの老後は、確実に五十年以上は先だよ。どんだけ先延ばしにしてんの」

「だってえー、今はそれどころじゃないしー、目の前にやりたいことも知りたいこともいっぱいあるしー」

「あーはいはい、好きにしんしゃいよ」

「うっすうっす」

 

通常運転に戻ったメガネは、機嫌良く返事をして作業に戻った。

ま、未来のことを前向きに考えられるのはいいことだ。

この状況にあっては、紛れもない強さだと思う。

私は立ち上がり、荷物と共に置かれている神機を手に取り調整を始めた。

 

本格的に闇夜が廃墟を包んだ頃、凪いでいた風がまた少し強くなった。

神機の調整を済ませた私は、外に出てテントの確認をし、焚き火を消火する。

周囲を見渡せば、灰域濃度が上がったようで見通しが悪くなっていた。

クロエとダニーを寝かせて正解だった。

テントに戻ろうとして、吹き抜ける風と灰域に、剣呑なものを僅かに感じた。

ここを巣にし、私が来たことで逃げたアラガミたちが戻ってくる気配もない。

ビャーネが嫌いなアレも、やはり感じれない。

それが逆に不安を煽った。

……もう一度この周辺を見て回ろう。

杞憂ならそれでいい。

テントに戻ると、相変わらずビャーネが作業を続けていた。

 

「ビャーネ、あんたまだ起きてる?」

「うん。でも後一時間くらいかな。いつもの寝る時間になるし」

「そっか。じゃあ一時間、留守番頼んでいい?」

「え?」

 

ビャーネに事情を説明すると、気軽な感じで頷いた。

 

「オケーイ。何かあったらアルビンを叩き起こして、連絡すりゃいいんだろ」

「うん。余程のことがあれば、真っ先にダニーが飛び起きるだろうけど、眠りが深くて気付かない可能性もあるから、十分に気をつけてね」

 

私は縫いかけのジャケットを羽織り、携行品を持って神機を肩に担いだ。

 

「じゃあ行ってくる。寝落ちすんなよミスター」

「あいよっ。気ぃつけてな」

 

テントを出ようとして、背中に視線が刺さるのを感じ、そちらを見た。

ダニーが慌てた様子でモゴモゴと動き、寝袋に顔を埋めている。

どうやら起きたようだが、たまたま目が覚めたのか、それとも異変に気づいて起きたのか。

さすがにビャーネも気づいたようで、呆れた視線を弟分に向けていた。

 

「ダニーのこと、よろしくね」

「わかった」

 

今度こそテントから出ると、胸のライトを点灯して移動を開始した。

発光する謎植物と廃墟の残骸の間を通り抜け、崩れた装甲壁を越えると、謎植物の光すらも飲み込むような闇と灰域が、目の前に広がった。

見ようによっては幻想的な風景は、今は不穏と不安を煽ってやまないものだ。

周囲を見渡す目と、神機を担ぐ手に力が入る。

周囲を警戒しながら装甲壁の周辺をぐるりと巡り、航路の近くまでやってきた。

やはりアラガミはいない。

そして、灰域の濃度が先程よりさらに高まっているのを感じる。

その時、脳裏にアラートが鳴り響いた。

思わず足が止まり、全身が総毛立つ。

南から吹く風に、あってはならないものを察知したからだ。

おいおいマジかよ。

嘘なんだと、間違いなんだと言って欲しかったし、夢ならとっとと覚めて欲しかった。

この先に、灰域種がいる。

同時に、この周辺にアラガミたちがいない理由も察しがついた。

灰域種の存在を恐れて、この周辺から逃げ出したのだろう。

そうか、そういうことだったのか。

私は、右足を一歩後ろへ引いた。

戻ろう、今すぐに。

私を構成する全ての要素が、全会一致でその判断を支持する。

ソレは、まだだいぶ向こうにいて私には気付いていない。

今夜はあの廃墟で待機し、明日やり過ごす方法を考えればいいのだ。

そうして廃墟に引き返そうとした時、またしても有り得ないものを感じ取った。

 

人がいる。

灰域種と戦っている。

自分の感覚を本気で疑ったが、だがいる。

間違いなくいる。

何故、こんなザ・辺境の片隅の、灰域濃度の高い土地に人がいて、こんな時間に灰域種と戦っているのか。

状況がサッパリ理解できない。

自覚できるほど心拍数が上がり、呼吸が浅くなった。

意識して呼吸を整え、心に散らばるなけなしの勇気をかき集める。

……確認しに行こう。

どんな灰域種なのか、明日の対策のためにも知っておく必要がある。

そのついでに、助けられるようだったら助けよう。

無理だったその時は━━。

盾を展開すると、進路を南へ向けてダイブを繰り返しながら進んだ。

この身を切り裂き貫くような感触は、活性化している灰域のためか、それとも別のものか。

ダイブをやめて胸のライトを消し、僅かに灯る謎植物の光を頼りに道を進むと、徐々に周囲は明るくなり、吹く風に音が聞こえてきた。

地響きと、灰域と空気を震わせる雄叫びと、慈悲の欠片も無い砲撃音。

そして途切れ途切れに聞こえてくる、人の男の苦痛と恐怖の叫び。

闇と霞む灰域以外に遮蔽物はなく、身を屈めてさらに奥へと進む。

呼吸が否応なく荒くなる。

もう引き返そうと訴える理性を無理やり押さえつけて前進し、そしてついに、灰域と闇の向こうにそれを見た。

 

闇夜よりも濃い黒の巨体。

背は、塊のような毛に覆われ、鋭いトゲのような突起物が生えている。

全身のいたるところに、切り傷のような緑にも黄色にも見える光が灯っていた。

動きは鈍重。

だが、その巨体を支える足と爪は、強靭に発達して大地をしっかりと踏みしめ、自分の重さを活かした攻撃を繰り出す。

そして、異形と呼べるのはその頭部だ。

三つに分かれ、それぞれがウコンバサラを彷彿とさせる突き出た口を持ち、そこから溢れ出すのは、闇夜を激しく照らし焼き尽くす雷電の輝き。

その姿を見た瞬間、一つの記憶が弾けるように脳裏に広がった。

数ヶ月前、任務で深層の奥を潜行中にアレを見た私は、仲間と競うように逃げたことがある。

AGEを好んで喰らい、ベースでは『禍王』と呼ばれた、あまりに危険な灰域種だった。

しかも目の前にいるそれは、記憶の灰域種よりも確実に一回りは大きい。

助けるどころじゃなかった。

今すぐ逃げよう。

だが、視界に懸命にそれの攻撃を耐え忍ぶ人、AGEの姿が見えた。

絶望的な状況に捨て鉢になることなく、その命を燃やして生きるために戦い続けている。

だが、適合試験甲判定の感応能力は、隠すことなく彼の思いを伝えてきた。

帰りたい。

生きたい。

仲間の元へ、家族の元へ、自分を受け入れてくれた場所へ帰りたい。

彼は心の底からそれを切望し、戦い、助けを求めていた。

猛攻を凌いだそのAGEは、捕喰しバースト。

満身創痍の体で力強く地面を踏み切る。

鋭く鮮やかな短刀(ショートソード)の連撃を受けて相手は怯み、そして雄叫びと共に活性化した。

大音量と大音圧の叫びに吹っ飛ばされるAGEと、灰域がそれに呼応する感覚。

全身が再び総毛立ち、身動きが取れなくなった。

 

さあ、どうするんだ、サイカ・ペニーウォート。

クソ雑魚ボッチのお前が、愚かにも己の全てを投げ打って、あの死に損ないを文字通り必死で助けに行くのか?

それとも、我が身と背負うものを守るために、助けを求める存在を見捨てて賢しく逃げるのか?

いずれにしても、大きな代価を支払うことになる。

時間はない。

今すぐ決めろ。

だが、私はそれでも動くことは出来ない。

しかし、決定的な瞬間が訪れてしまった。

その突き出た口を大きく開き、AGEに飛びかかる灰域種と、とっさに身を引くが凶暴なその口にその身を喰われるAGEの姿。

巨体を縛める鎖が音を立てて解かれ、さらに活性化する灰域と不吉な赤の光を纏って灰域種はバーストした。

その禍々しい覇気と共に、絶望に染まるAGEの思いが伝わってくる。

痛い痛い痛い!

苦しい嫌だ痛い死にたくない死にたくない!

死ぬのは嫌だ!

誰か、誰か助けてくれ!

怒涛の如く押し寄せる痛ましすぎる思いに、私は逆に怖気づいた。

嫌だよ、私だって嫌だよ!

子どもたちを守らなきゃいけないし、こんな出来損ないの根菜類もどきに喰われるなんて真っ平ゴメンだ。

そして、逃げることを選択した。

背を向けることなく、前方に注意を払いながら少しずつ後退を始める。

僅かに残る良心が悲鳴をあげるが、無理やり体を動かして後退を続けた。

後もう少ししたら、ダイブで逃げよう。

本当にゴメン!

でも、恨まないでくれよ。

私だって自分の命は惜しいし、子どもたちがいるのに命懸けの戦いはできない。

いよいよダイブをしようと立ち上がった時だった。

 

イーリス……、ユリアナ……。

 

無残に千切れた悲痛な思いに混じる、彼にとって得がたく価値ある誰かの名前。

それは彼もまた、誰かを背負い守るべきものがいることの証だった。

私は、怒りとともに歯が砕けそうなほど食いしばり、拳を握りしめる。

何やってんだよ。

あのくたばり損ないのAGEが、どんな理由があってこの全く勝ち目のない戦いに臨んだのかは知らない。

だが、背負い守るものがありながら死地に赴いた、紛うことなき、生粋の、褒め言葉でもなんでもない正真正銘の、ガチの大馬鹿野郎だった。

さっさと死んどけよ!

怒りとともに内心で罵倒する。

さっさと死んでいれば、後腐れなく逃げることが出来たのに!!

盾を展開すると、猛る灰域に飛び込んだ。

そして、今まさに死に損ないを喰わんと意気揚々と大口をあける灰域種の面に、渾身のダイブの一撃を浴びせる。

ついでに捕喰して着地。

倒れ伏しているAGEを背負うと、灰域種に背を向け一目散に走り始める。

怒る灰域種の叫びを背に感じ、半分泣きそうになりながら闇夜を駆け抜けた。

何やってんだよ! この馬鹿野郎が!

お前には、仲間や友人から託されたものがあるだろうがよ!

息を切らし、吹き出し流れる汗を拭う暇もなく、私はひたすら足を動かし続ける。

ダメだった無理だった出来なかった。

私は、懸命に戦い生きて帰りたがっている人を見捨てることが出来なかった。

私と同じく守り背負うものがありながら、それでも戦いに臨んだその決断に怒りを持っても、間違っていると切り捨てることが出来なかった。

呼吸の邪魔になるマスクを外し、灰域の混じる空気を存分に吸うことで、走る速度が上がった。

体には確実に悪影響をもたらすだろうが、今は何よりもスピードが欲しい。

巨体に似つかわしくない爆発的な健脚をもって、こちらに迫る灰域種の気配を背に感じる。

それに押されるように、私はさらに足を必死の思いで動かした。

体がさらなる空気を求めて悶える。

その苦しみのただ中で、心の醒めた場所から声がした。

 

サイカ・ペニーウォート。

人殺しの神機使い。

これは形は違えど、あの廃都で、お前が傷つけ死に至らしめたであろう屑どもの焼き直しだよ。

あの時と同じく、お前はこいつを見捨てて我が身と背負うものを守るべきだった。

そうして見殺しにした罪を、人知れず生涯背負い続けて墓場まで持っていくべきだった。

己の身の丈を知る大人が、己が本当に守りたいものを守るために、古今東西やってきたことだ。

なのに、罪を無意識のうちに自覚したお前は、その手段を選べず、さらなる罪を犯せず、背負うことができなかった。

こいつを助けたのは、お前が思っているような小綺麗なもんじゃねえ。

お前の幼さと弱さからだ。

非情に徹しきれなかった代価は、お前が守りたいものを戦場へ引きずり出し、受ける必要のなかった恐怖と痛みと苦しみを、負わせることになるだろう。

その払いの準備は、できているか?

 

《サ……サ……カ! サイ……! サイカ!!》

 

イヤホンから聞こえてきた声に、嘆こうとする心が押し留まった。

私は息を切らしながら応える。

 

「アルビン!」

《繋がった! ……カ、サイカ、あんた、余裕……のに人……助……な!》

 

灰域濃度が高く、通信がまともに通じない。

だが、何故私の状況を知っているのか。

即座にその答えは出た。

ダニーの感応能力だ。

その高い感応能力で私の状況をいち早く見抜き、起きていたビャーネにそれを伝えたのだろう。

アルビンが、怒り呆れているのは当然であり、私は自分のしでかしたことの重さを思い知る。

 

「ゴメン! 見捨てられなかった!」

《あああっ! も……おおっ!》

 

ここで罵声の一つ浴びせないのは、アルビンなりの大人への配慮だろう。

忍耐を知る、本っ当によくできた子どもだった。

 

《ダニー……情報から、……は分かっている。今……あんたの元へ行く》

「ちょっ! あんた何言って」

《……一人で……できる状況じゃないだろ!》

 

アルビンは一喝した。

通信が悪い中、アルビンは早口で簡潔に要点を伝えてきた。

アルビンが、ビャーネが先程直していた無線を使い、ダニーのナビでアラガミを避けながら航路へ出る。

航路を進んで私と合流し、アルビンが持っていく携行品と私が助けた人を交換する。

そして、アルビンがダニーのナビで助けた人を連れ帰り、私は灰域種の相手をする。

 

《討伐はできな……いい。ていうか、できない……ら、餌場へ向か……放置して逃……。後のことは、あんたが帰って……考えよう》

 

通信の悪い中での途切れ途切れの提案に、私は迷った。

だが、アルビンの言うことはもっともであり、全員が生き延びるためには、全員が危険を承知の上で協力しなくてはならない。

巻き込んだことへの申し訳なさと、協力してくれることへの喜びを噛み締め、私は口を開いた。

 

「わかった。気をつけて来て。危なくなったら構わずに逃げるんだよ! みんなによろしく!」

《ヤ!》

 

通信が切れ、ついでにバーストも切れた。

後ろに迫る灰域種をどうにかしたいが、バースト状態ではあらゆるアイテムは効かないだろう。

バーストが解除されるまで逃げ回るしかない。

と、不意に迫る背後の気配が遠のいた。

諦めたか、否、違う! 長距離攻撃だ!

次々と足元に灯る光の輪。

後先考えずに一目散に悪路を走る。

死ぬぞ止まったら死ぬぞ走れ走れ走れ走れ!

背後で内臓を揺さぶる轟音と共に炸裂する雷撃と、それを受けて巻き上がる土煙。

雨のように降り注ぐそれを被りながら猛然とダッシュし続けた。

クソがっ! しつこいんだよ、型崩れのベジタボーめ!

だが、バーストし食う気満々の灰域種は、なおも私に追いすがり、長距離攻撃を間髪いれず浴びせ続ける。

蛇行しながらそれらをかわし、不意に背後の灰域種の猛々しい気配が治まった。

チャンスだ。

追いすがる気配を感じながら、私は即座に立ち止まり、スタングレネードを取り出して背後の巨体にむけて全力で投げつけた。

さらに足元に、ホールドトラップを仕掛ける。

上手くかかるかはわからないが、かかったらラッキーだ。

そして、背後から眩い閃光がほどばしった。

怯む背後の気配に構うことなく、くたばり損ないを背負いなおすと全力で走り出した。

 

《サイカ! 航路まで出たぞ!》

「オッケー!」

 

アルビンの声に私は頷き応じた。

背後の気配が遠のいていくのを感じる。

ここで距離を稼ぎ、いち早くアルビンと合流しなくては。

躓きそうになるのをこらえ、転がるように走り続けていると、目の前に人工の光の輝きと共に人の姿が見えた。

思わず私は叫ぶ。

 

「アルビン!!」

「サイカ!!」

 

この場においては小さく、しかし誰よりも頼もしく信頼できる相棒の姿。

地面を蹴り、飛び込むようにして彼の元へたどり着いた。

 

「これは……!」

 

私が背負うものを見てアルビンは目を見張った。

自分の予想よりはるかに酷い状態のAGEだったからだろう。

私は構わず、くたばり損ないを下ろす。

 

「連れ帰ったら医療キットで応急手当てしてあげて。あと荷物を」

「わかった」

 

携行品を預かり、アルビンの細く小さな背に大人のAGEを背負わせる。

 

「フィット! やっぱ重いな」

「完全に意識をなくしてるからね。行けそう?」

「いくしかないだろ。やってやる」

 

ゴーグルの向こうで、晴れた青空のような目に峻烈な光が灯った。

そして大地を踏みしめ、よろめくことなく立ち上がる。

四人の子どもたちの中で最強のメンタルを誇る男は、一番の負けず嫌いでもあった。

私は信頼と共に頷いた。

 

「ありがとう。任せたよ、アルビン!」

「……生きて帰ってこいよ」

 

アルビンは私を睨むように見た。

 

「ガキにここまでさせといて死んでみろ。あんたと世界を恨んで呪って奴に喰われてやる。ローのことも含めて本気で許さないからな」

 

静かに、しかし鋭く言い切るアルビンに、私は言葉をなくした。

アルビンがここまで協力してくれるのは、決して私のためではない。

私の亡き友人と交わした約束を果たし、私と共に子どもたちを守るためだ。

そんな彼にとって、この事態はさぞ業腹なことだろうが、それでも協力をしてくれる彼には感謝しかない。

その思いを胸に、口元を引き締めて頷いた。

 

「帰ってくるよ、必ず。いつも通りに」

 

そう、いつも通りに。

覚悟を決め、目に力を込めてアルビンに言い放った。

 

「行け!」

「ヤ!」

 

男を背負ってアルビンは走り出し、その背は瞬く間に闇へと消えていく。

 

「ダニー! 聞こえているね」

《サイカ! サイカ、聞こえるよ。ぼくね、ちゃんとみんなと待ってるよ》

ヒエノ(素晴らしい)! ちゃんと反省を活かしてるね! 偉い!」

 

手短に、しかし高らかに褒めた。

 

「アルビンに荷物は預けたからね。医療キットの準備をするようビャーネとクロエに伝えて」

 

幼いダニーの姿を思い浮かべながら、私は言葉を続ける。

 

「アルビンのナビ、頼んだよ」

《ヨー! ぼく、ここでみんなを守る!》

「うん。お願いね」

 

ダニーの力強い宣言に、心の柔らかい部分が痛んだが、それに背を向け振り返る。

さあ、行くぞ。

アレを元の場所まで連れ戻さなくては。

怖気付く心を叱咤し、盾を展開。

ダイブで再びあの異形のバケモノの元へ向かった。

 




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限界灰域 4

そもそも灰域種とは何か。

灰域アラガミとも呼ばれるそれは、災厄とともに発生し、灰域に適応した新種のアラガミとされている。

灰域同様、どんな仕組みをもって誕生したのかはわからない。

そんな灰域種の脅威は、灰域に適応できることもさることながら、GEを捕喰してバーストすることが上げられる。

バーストすることで攻撃力が飛躍的に上昇する他、攻撃パターンも変化し、極めて危険な存在と化すのだ。

灰域と並んで人類の脅威とされていたが、最近になって『クリサンセマムの鬼神』と呼ばれるAGEと仲間たちが討伐に成功し、その快挙と異名が瞬く間にこの地に広がったことは記憶に新しい。

一方で、私がお世話になっていた朱の女王でも、ヴェルナーさんを筆頭に、ごく一部の精鋭に限り安定して討伐することができていた。

つまり、倒すことはできるのだ。

一応、生き物らしいし。

だが、当然誰でも倒せる訳ではない。

ましてや、灰域耐性が高いだけの凡庸なAGE──私のことだ──一人で討伐できる相手ではない。

そんな私に、アルビンが提案した作戦は実に妥当なものだった。

あの黒ずんだ腐りかけのベジタボーが餌場に行くまで、安全第一でひたすらに耐え抜く。

体力が続く限り、時間だけはいくらでもかけることができるのだから。

そして、奴の捕喰だけは絶対に避ける。

あれを喰らったら、全ての終わりの始まりを迎えるだろう。

私が引き起こした危機だ。

協力してくれている子どもたちのためにも、作戦を必ず成功させなくてはならない。

 

物々しい音を立ててこちらに向かってくる奴にダイブで体当たりをし、空中で捕喰。

バーストしつつ着地した。

周囲は闇夜で、なおかつ初見の相手だ。

バーストを維持しつつ、まずは目を慣らし、攻撃パターンを見極めよう。

そして、元の場所まで連れ戻す。

大丈夫、いや、全然大丈夫じゃないけど落ち着いて。

早速私を目標に定めた奴は、攻撃を仕掛けてきた。

突き出た口ごと頭を叩きつける連続のスタンプ、スタンプからの属性追尾攻撃など、異形の頭部に目を奪われがちだが、地味にダメージを食らったのは、体の三分の一ほどを占める尻尾だった。

カラクリも何も無いただの尻尾だが、その巨大さと太さ、振り向きの速さで、広範囲にせり出し、位置が悪いとぶっ飛ばされる。

後ろは危ないと側面に位置取ると、今度は強力な足踏み攻撃。

何を訴えたいのか連発する雄叫びなどに、体力は順調に削られ、距離を取って回復薬を使った。

では、レイガンでの攻撃はどうだろう。

銃形態に切り替えトリガーを引くと、火属性の照射弾を頭部に喰らった灰域種はのけぞった。

お! 効いてるっぽい。

念のためにと他の属性も試してみたが、反応が良かったのは火属性だった。

なるほど、奴の攻撃属性は雷、弱点属性は火か。

苦いものが胸を満たす。

私が持つバスターブレードの属性は氷だ。

灰域種相手に弱点属性で攻撃できないのは痛いが、アルビンが持ってきた携行品の中には属撃薬もあり、レイガンもある。

餌場に行くまでは、これでなんとか持ちこたえよう。

と、奴がその頑強な足で踏み切り、大きく跳躍した。

呆気にとられる私の眼前で、宙を飛んだ巨体が見る見る迫ってくる。

はあっ!? 何だそりゃ!?

とっさに身をひねって躱すが、その巨体の衝撃波を喰らって体勢を崩し、無様に地面に転がった。

……ナンテコッタ。

原始的でアホっぽい攻撃だが、自重のある巨体での威力は半端がなさすぎた。

盾を展開し、ダイブで距離を開ける。

あの攻撃でだけは死にたくないわ。

いや、死んじゃダメなんだよ!

呼吸を整えると、こちらに向かってくる属性攻撃を盾で防ぎ、相手の行動をひたすら観察をする。

 

一通りの方法を試し、観察して気付いたのは、あのAGEの奮闘の痕だった。

その胴や尻尾に激戦の傷が生々しく残っている。

後もう少し頑張れば、尻尾の結合崩壊はできそうだった。

だが、結合崩壊したその後は確実に活性化し、先程見た捕喰攻撃の危機を迎える。

しかし、攻撃を与え続けなければ、餌場に移動することは決してない。

怯む私だが、あのAGEはこの闇夜の中で長時間、たった一人で辛抱強く戦い続けていたのだ。

……頑張って、尻尾の結合崩壊は目指そう。

私も彼もAGEの端くれ、せめて一太刀なりともお返しぐらいはしておきたい。

覚悟を決めると、相手の攻撃を受けて、流して、躱してを繰り返して攻撃の機会を待った。

体をくねらせながらの突進の後に大きな隙ができる。

チャージ捕喰からバーストし、火撃薬を飲んで、尻尾にしつこくジャンプ斬りを当て続けた。

そしてついに、尻尾が弾けるように結合崩壊を起こす。

よし! よし!

ダウンする奴に嬉々として捕喰し、範囲の広いステップ攻撃でオラクルを集めた。

オラクルリザーブをし、アンプルでOPを追加補給。

これで、弱点属性の照射弾を多めに撃つことができる。

奴は予想通り活性化した。

その雄叫びを盾で防ぐが、まさかの三段重ね。

防ぎきったがスタミナが地味に減った。

捕喰攻撃をかわし、活性化時の奴の行動を観察したいところだが、上手くできるか。

敵の頭がこちらを向いた。

大口を開けて迫るが、速い!

ダイブで距離を開けるが、瞬く間に迫ってくる。

スタミナが続く限り逃げ続けるが、奴は執拗だった。

図らずも、子どもたちのいる廃墟からは遠ざかっているが、スタミナが続かない。

ダメだダメだ! 諦めたら子どもたちが!

とっさに奴の左足側に転がると、黒い巨体が通り過ぎていき、しばらく走って奴は止まった。

どうにか凌いだようだが、全く対抗策が思い浮かばない。

わかったのは、活性化すると動きが恐ろしく早くなることだった。

呼吸を整え、汗をぬぐいながら、恐怖と焦りが身を焦がす。

とりあえず、バーストを維持しないと。

だが、奴は振り向き再び私に向かって大口を開くと、見る見る内に距離を詰めてきた。

嘘だろ、まだスタミナが回復しきれていないのに!

脳裏に子どもたちの顔がよぎり、視界が真っ黄色に染まった瞬間、喰われた。

 

灼熱の感触と、落雷が落ちたような衝撃に頭が真っ白になる。

遠くで子どもの悲痛な叫びを聞いたような気がしたが、吹っ飛び地面に叩きつけられ、意識が一瞬飛んだ。

倒れ伏し、今までなかった全身の壮絶な痛みに呼吸すらままならず、立ち上がることができない。

為す術もなく鎖の解かれる音を聞き、周囲の灰域が活性化するのを肌で感じた。

ああ、来る。

来てしまう。

猛々しくも禍々しい黒い霧と赤い光を纏い、体内に蓄えていた雷を轟音と共に放出して奴はバーストした。

その姿は、まるで雷雲の化身。

どうにか立ち上がったものの、視界は狭く、神機は重く、体に力が入らない。

距離を開けて、体力を回復しないと。

体が突き動かす生存本能に従って、ダイブで距離を開け、とっさに取り出した回復球で傷を癒した。

だが、明らかに調子がおかしい。

貴重な万能薬も使ったが、状態異常が解けない。

一体何が起きた!?

体が反射的に横に動いた。

奴が例の連続スタンプ攻撃で迫ってくる。

しかも雷までついて範囲も威力も倍増していた。

慌てて逃げるが体が思うように動かず、大きな一撃を食らって再び地面に転がった。

クソが! メチャクチャ痛えっ!!

どうにか体勢を立て直し、恐怖をもって奴を見る。

これが、これがバーストした灰域種の力か!

違げえよ、サイカ・ペニーウォート。

確かに、奴のあらゆる力は飛躍的に上がっている。

だがこのダメージの最たるものは、今のお前が、ほぼ普通の人間状態になってっからだよ。

……AGEがAGE足らしめる偏食因子が働いていない、否、奴に侵食され続けているのか。

取り急ぎ回復薬で体力を回復させるが、体はやはり重く、感応能力が働いていない状態は治らない。

感覚の全てが鈍く狭く、あまりのもどかしさに声を上げそうになるが、認識する地獄のような現実がそれを許さない。

奴の攻撃をどうにか躱し、構えるには重すぎる盾で防御しながら猛攻を凌ぎ続ける。

これが超人的な力もなく、感応能力もない、普通の人間の視点なんだ。

唐突に気付いた。

こんなにもか弱い存在が、庇護してくれた存在を失い、訳の分からない灰域とアラガミの跋扈する世界に放り出された、その恐怖と絶望。

AGEになる以前の記憶がない私は、今それを理解した。

生きるためという免罪符を掲げ、恥じることなく非人道的な方法でAGE(バケモノ)を生み出し、その力で灰域を浄化しようと必死な理由も。

巨体からまばゆい光に意識が切り替わる。

広範囲の激烈な放電攻撃は、距離があったこともあって無事だった。

さあ、怖気付いてもいいから集中しろ。

人になったのなら尚のこと、この慈悲なき嵐を無様でもいいからやり過ごせ!

 

バーストした奴の動きを、命を守ることを最優先に観察する。

多彩かつ属性攻撃を伴った猛烈な攻撃の数々だが、特に注意すべき攻撃は四つあった。

四つもあった。

一つは、通常時も行った前進しながらのスタンプ攻撃。

一つは、奴を中心に弧を描くように連続でスタンプする攻撃。

どちらも属性攻撃がついて範囲が広く、後者は最後の一発が衝撃波付きの極めて強烈なものだ。

さらに一つは、後退しながら口から吐き出される浮遊機雷。

最後の一つは、先程見た背からの広範囲の放電攻撃。

厄介極まりない遠距離攻撃で、浮遊機雷は緩やかにだが追尾機能があり、背からの放電攻撃は思いのほか出が早い。

そして、基本的にスキは少なく、大体の攻撃にスタンが付く。

唯一のスキは、通常時も行った首を振りながらの突進後くらいか。

ここまで観察してきて、すでにボロボロだった。

回復薬も残り少なくなってきているが、出し惜しみをする余裕は全くない。

距離を開けて体力を回復し、奴を再び見てふと気づいた。

奴の喉元、通常時にはなかった小さく丸いものが見える。

それは、私の持つ神機と同じもののように見えた。

まさかあれ、コアか!?

試しに銃形態に切り替え、それに向かって照射弾を放った。

すると、奴は仰け反り怯んだではないか。

やっぱりそうだ!

バースト時は、コアが露出する。

当然、そこを狙って攻撃を仕掛けたいところだが、あの稲妻の嵐の中を、コアを狙いながら銃で攻撃するのは難しそうだった。

仲間がいたら、狙う価値はあるんだろうけどな。

と、奴が大きく跳躍した。

通常時もやった自重攻撃。

すぐさま横へステップをしてそれを躱すが、奴はゴロリと前転し、着地と共に強烈な雷撃を放った。

盾の展開が遅れてまともにそれを喰らい、私は吹っ飛ぶ。

そして、受身を取れずに謎植物に激突し、強かに右腕を打った。

先程の捕喰攻撃と同じくらいの灼熱の衝撃と、不吉な嫌な音を遠くで聞いた。

右腕の腕輪から襲う激しい痛みに、叫ぼうにも息がつまり視界が滲む。

痛ってえええなっ! 畜生がっ!

落雷を伴ってこちらに向かってくる凶悪な気配に、恥もへったくれもなく横へ転がって、神機を支えにどうにか立ち上がった。

すかさず盾を展開。

偶然にもジャストガードが決まり、ダメージを受けずに済んだ。

再び距離をあけ、回復薬を使う。

右腕の激しい痛みは和らいだものの、腕輪が熱した鉄のように熱く、脂汗が止まらない。

外観に損傷した跡はないが、中に異常が起きたのだろうか。

まさかこんな所で、こんな間抜けで最悪な形で地獄の門をノックしてしまうとは。

 

「ついてねーなあ、おい」

 

思わず口にしたボヤキに次いで乾笑いが零れ、たまらず泣きたくなったが異変に気付いて顔を上げる。

今まで雷雲の化身のように見えた相手が、保存箱の端っこで転がっているベジタボーのように見えた。

気のせいかと疑ったが、一呼吸ごとに五感が拡大、覚醒し、体に力が戻ってくるのを感じる。

悪運の強い女だ、サイカ・ペニーウォート。

初見単独で、地獄の嵐を生きて凌ぎやがった。

だが、次にバーストされたら凌げる自信が全くない。

回復薬も残り少なく、立ち回りには慎重にならざるを得ない。

しかし、腕輪のこともあり、あまり時間はかけられない。

それで焦って殺られたら意味が無い。

諦めず地道に丁寧に。

花も色も華麗さもないが、これが私の戦いなのだ。

 

再び奴が顔を地面に打ち付けながら、こちらにやってきた。

バースト時に比べたら動きも緩慢で、バースト状態で目が慣れた私は比較的に容易にそれを躱す。

弱点であろう突き出た顔に照射弾を当て続け、ステップ攻撃でオラクルを集めてリザーブすることを繰り返した。

もう活性化はしないで欲しいが、ダメだろうなー。

左足を捕喰してバーストを維持し、地味地味な戦いを続ける私の視線の先に何かが見えた。

白っぽい細い糸くずが揺れて動いている。

瞬きをしたが、それが消えることはない。

ベジタボーの雷でもなければ傷でもない。

私の目に何か異常がきたのか。

だとしたら極めてまずい事態だが、今は無視して目の前の敵に集中する。

素早い振り向き攻撃をやり過ごし、ジャンプ斬りを決めた瞬間、地道な努力が実って奴の頭が結合崩壊を起こした!

キタコレ!

歓喜と共に捕喰、バーストを維持し、ステップ攻撃でオラクルを集める。

と、奴の足も続いて結合崩壊を起こした。

キタキタキタキタアッ!!

あのAGEの生きる執念を形にした攻防と、私の地道な努力は決して無駄ではなかった。

確実に奴にダメージを与えて追い詰めている。

後もう少しで餌場に行くところまで来ているに違いない。

生存への希望を胸に、チャージクラッシュの構えを取る。

頼むからそのままダウンしててくれよ。

神機にオラクルが最大に貯められた感触と共にその刃を振り下ろす!

ここまでで最大のダメージを与えた手応えはあったものの、命を絶つには至らない。

大丈夫大丈夫。

ここまで来たのだ、そろそろ餌場へ向かってくれるはず。

活性化して捕喰攻撃をする可能性もあるが、必ず耐え抜いてみせる。

覚悟を決めて神機を握り直すと、奴は立ち上がって身を翻して駆け出した。

活性化しない! 餌場へ向かった!

しかし喜びは一瞬、私の感応能力は恐るべき事実を伝える。

奴は走る。

一直線に、廃墟に向かって!

考えるよりも早くダイブをして奴を追った。

させない! そちらには行かせない!

先のことも慎重になろうとする理性もかなぐり捨て、スタミナが切れることも構わずに、怒りを原動力にタイブを続ける。

先程の糸くずが未だ視界に揺れている。

だが構わずに奴を追い続けるが、ラチがあかない。

再びダイブし奴に体当たりしつつ、スタングレネードを投げつけた。

眩い閃光が闇夜を一瞬照らし、奴はフラつきながら足を止める。

私は赫火の怒りをもってチャージクラッシュの構えを取った。

 

お前、子どもを喰おうとしたな?

傷つき弱った人を喰おうとしたな?

エクセレン!

正しい! 正しいぞベジタボー大正解だ!

この世界は弱肉強食の(ことわり)

弱者を喰らって強者は生きる。

だから、お前の行動は正しい! ブラボーだ!

だがいかにそれが正しく、天と地は認めようとも、私は認めるわけにはいかねえんだよ!

怒りのチャージクラッシュは決まったが、奴はそれでも倒れない。

それどころか奴は、三段重ねの大咆哮をもって活性化した。

ヨダレのように稲光を湛えながら大口を開けて迫る奴の左足に向かってダイブ。

が、手首に看過し得ぬ激痛が走り、目測を誤った。

奴の左足の後ろへ向かうはずが、奴の大口に向かって一直線。

稲光の先へと飛び込む。

しかし何の奇跡か、ジャストガードが決まった。

捕喰攻撃の危機は免れたが、手首の痛みは尋常ではないレベルに達している。

呼吸をするのがやっとの痛みの中、食事を強制的にお預けされた奴の怒りは半端なかった。

活性化し鋭さと重さが増した攻撃の数々に翻弄され、回復薬を使うも遠距離攻撃の連続についにスタミナが切れ、攻撃をもろに受けることになった。

ボロ雑巾のように地面に倒れ臥す私に向かって、奴がやってくる。

手首が痛い。

身体中が痛い。

立たなければ、戦わなくては!

涙でにじむ視線の先に、あの糸くずが見える。

風に吹かれて頼りなく揺れている糸くず。

否、糸くずではない。

それは亀裂のような光だった。

揺蕩うそれに向かい、私は無意識のうちに手を伸ばす。

時間の流れが油のようにドロドロと流れる世界の中で、私は必死で手を伸ばす。

届かない。

だが、奴が来る。

この状態で捕喰されたら、私は死ぬ。

そして、子どもたちと助けたAGEも確実に死ぬ。

一縷の望みをかけ、私はそれに手を伸ばし続けるが、それでも届かない。

嫌だ! 死にたくない!

懸命に伸ばした手を、光をつかむように掬うように握りしめる。

が、空を切った。

絶望が意識と身を浸すより早く、手首の痛みについに意識が途切れた。

 

 

暗闇。

倒れ臥す私の視線の先に光の糸が揺れている。

今にも立ち消えてしまいそうな、炎のごときそれ。

私は、ついに掴めなかった。

私の判断が招いた、この旅最大の危機。

私は間違ったのか。

間違ったのだ。

あのAGEを助けたのは、間違いだった。

倫理や道徳において正しくとも、あの場においては見捨てることが正しい選択だったのだ。

私は、大切なもの背負っていたのに。

一時の情に流されて判断してはいけないと分かっていたはずなのに!

怒り、泣き、自分を責め、そして残ったのはちっぽけな自分と冷たい事実だけだった。

……やはり無理だったのだ。

私一人で子どもたちを守ることなどできやしなかった。

私一人で大人になることなど、できやしなかったのだ。

私はあの雷に打たれて死に、そして喰われる。

子どもたちも同じ運命をたどる。

それだけが堪らなく無念だ。

子どもたちの顔が真っ先に脳裏に浮かび、次いで先輩や仲間や友人の顔が思い浮かんだ。

みんな、みんなゴメン、ゴメンなさい。

謝って済む問題じゃないけど。

でも、私一人では無理だった。

 

では、一人ではなかったら?

 

背から伸びる手があった。

白く透き通り、形が定まらない。

だがそれは、真っ直ぐに、迷うことなく光の糸へと伸びる。

その手は、見覚えのあるものだった。

アルビン、クロエ、ビャーネ、ダニー。

私が背負う子どもたちの、どれにも当てはまるその手は、何度も糸をつかもうとして空を切り続ける。

無理だ。

距離が圧倒的に遠い。

だが、その手は決して諦めない。

それでも、それでもと、懸命に伸ばし続ける。

その様に、私の心に小さな火が灯った。

……私が一歩前進すれば届くかもしれない。

異形の黒が腕輪から滲み出る右腕をどうにか動かし、匍匐前進で一歩進む。

届かない。

ならば、もう一歩。

まだ届かない。

腕輪からの痛みは、もはや悪夢のごとく全身を苛む。

もうダメだ、でも、でも後もう一歩だけ。

両腕に力を込めて前進。

それでも届かない。

だが、後もう少しなのだ。

白い手の指先のほんの少し先、小指ほどの距離。

ならば。

最後の力を右腕に込め、その白い手の腕を掴むと無理やり引き上げる。

そして、その手がしっかりと、光の糸を握り締めたのを私は見た。

 

刹那。

闇の世界は、圧倒的な熱と質量を伴った光の奔流によって打ち払われた。

私の体を形作る全ての細胞が高らかに生の咆哮をあげ、私に戦いの続行を告げる。

立て! 立て! 奮い立て!

やらかした対価の払いは、まだ済んでいない。

それに従い体を起こすと、私を喰わんとしていたベジタボーが怯んで後退するのを見た。

信じられなかった。

この旅では決して有り得ない現象だった。

エンゲージ。

誰かと問われればあの子しかいない。

 

『ぼく、ここでみんなを守る!』

 

感応能力の高いダニーだった。

みんなの中に、私も含まれていた。

私は一人ではなかった。

背負っていたそれは、時に痛みと苦しみをもたらす重荷となっていた。

だが、私に生きて大人の役割を果たし、願いを叶えるための原動力ともなっていた。

エンゲージの力で、バーストが最高レベルになっている。

これもこの旅では有り得なかったことだ。

だが、傷は癒えていない。

倒れた時と同じ状態のままだ。

それは好都合。

残りの回復薬は、帰りの足代だ。

サイカ・ペニーウォート。

人殺しの神機使い。

喜べ!

アレこそはこの地に生を受けた、最強の灰域種の一角。

相手にとってこれ以上の不足はない。

立て! 立て! 奮い立て!

GE(我ら)の存在意義をこの世界に示せ!

 

私は属撃薬を使い神機を銃形態に構えると、距離をとった奴の頭に向けて即座に照射弾を放った。

バーストは最高レベルで、当然与えるダメージも大きくなる。

面白いように怯む奴だが、照射が終わったと同時に当然活性化した。

捕喰攻撃が来る。

三段重ねの雄叫びを見切り、私はダイブで奴の左足へと陣取った。

するとどうしたことか、奴は私を軸にしてグルグルと回り始めたではないか。

思わず口元が歪む。

ここは先程から見つけていた、バースト時以外は、奴の攻撃をやり過ごせる比較的安全な場所だった。

その巨体と体の構造、そして癖なのだろう。

コイツは左足を軸にした攻撃が多く、左足の少し後ろ、尻尾の付け根付近は唯一攻撃のできない場所とってはなっている。

力を溜めた足踏み攻撃も、尻尾の付け根付近にいればノーダメージ。

散々ダメージを喰らいながら観察した甲斐があったというものだ。

通常時の攻撃パターンは、ほぼ観察し見切れたと思う。

奴の通常サービスはネタ切れだ。

クルクル回る奴を捕喰してバーストを維持。

飽きることなく回っていた奴が、フラフラと私から距離を取った。

あきらかに疲れている。

奴は首を上げると、ある一点を見た。

性懲りもなく餌場へ、子どもたちのもとへ行くつもりだ。

コイツはっ!

 

「させない!」

 

地を蹴り、その頭に渾身のジャンプ斬りを叩き込み、その威力に奴は音と砂埃を上げて倒れ込んだ。

身をよじり足を動かすが立ち上がれずにいる。

その時、感応能力が一つの思いを捉えた。

 

喰イタイ。

生キタイ。

 

それは実にシンプルで純粋な、食と生存への欲求だった。

 

痛イ喰イタイ痛イ喰イタイ喰イタイ腹ガ減ッタ喰イタイ喰イタイ痛イ痛イ喰イタイ生キタイ生キタイ!

 

「ああ、そうかよ」

 

私はチャージクラッシュの構えを取った。

そいつは奇遇だな、我らの同胞(はらから)

魔狼を縛める(いかづち)の鉄鎖。

永劫に満たされぬ飢餓を抱えた貪欲な暴君。

口を真横に引き、歯を見せ笑う。

 

()喰いてえ(生きたい)んだよ!!」

 

私の周囲の黒い霧がにわかに活性化した。

それと同時に右手首の黒の異形が吹き出し、私の手と腕を侵食する。

言語を絶する痛みに思わず絶叫するが、意識は飛ばない。

バーストの高揚と侵食の痛みで、頭の中は熱せられたスープのようにグラグラと煮え立ち、乱暴にグチャグチャとかき混ぜ潰される感覚は、まさに生き地獄。

なのに、頭の片隅には醒めた部分がいまだに残っていて、私と私の周囲と、必死にもがき抗う獲物の命を冷徹に見据えている。

そして、黒々とした灰域をまとった神機の赤い刃に、ズルリと、刃よりも鮮やかな禍々しい赤が溢れ出た。

ゆらゆらと不気味に揺れながら、それは伸びて伸びて、遂には長大の刀身をも凌ぐ。

 

あばよ(じゃあね)同胞(ベジタボー)

 

イタダキマス、だな!!

雄叫びを上げる灰域種の口が陽光のように激しく輝き、視界を焼き尽くす。

それに負けじと、私は裂帛の気合いで赤い異形の刃を振り下ろした。

 




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限界灰域 5

周囲に闇と静けさが戻ってきた。

ダニーとのエンゲージも終わっている。

右手に持つ神機の黒い異形が、今しがた倒した灰域種を貪っていた。

アルビンに連絡を取ろうとしたが、未だ灰域濃度が高いせいか無線は繋がらない。

ひとしきり喰って満足したのか、黒い異形はすんなりと武器の中へ収まった。

灰域種の素材をゲットできたが、これらにどんな価値があるのかは分からない。

一匹倒しただけじゃ装備を作るには数が足りないだろうし、今後アレと戦う予定もない。

どこかで売り払うか。

ただの黒い小山と化した灰域種は、徐々に形を崩していき、そして弾けるように灰となって宙へ舞った。

体積があっただけに、その量は多い。

それらが闇に溶けて消えていくのを見届け、大きく息を吐いた。

さてと、帰ろうかな。

残り二つだけ残っていた回復薬を使ったが、当然疲れは取れないし、腕輪の調子も良くはならない。

この件で侵食が大きく進んだの確実だが、でも頼むよ、今しばらくもってくれ。

左手で右手首の腕輪を触ると、顔を上げて盾を展開し、帰路に着いた。

ダイブで闇夜を進むが、航路に入りしばらく進んだところでスタミナが尽きて立ち止まる。

息が整うまでは、徒歩で進むことにした。

体を支え地を踏む足と、担ぐ神機がこんなに重く感じられるとは。

でも早く帰らないと。

子どもたちが待っている。

私のシャレにならない判断ミスで無理をさせ、危険で怖い目にあわせてしまった。

明日の予定にも支障が出る。

ちゃんと謝らなきゃ。

いや、その前にお礼を言った方がいいのか。

私の身勝手に協力してくれたのだ。

嬉しかったし、褒めて労わってあげたい。

朦朧とする頭であれこれ考えながら歩く。

……さっきから考えが全くまとまらない。

解けた糸を寄りあわせるように思考をまとめようとするが、集中力が続かない。

そうこうしているうちに、謎植物の光が灯る崩れた建物が見えた。

何だ、後もう少しじゃん!

勇気づけられ、私はダイブを繰り返して廃墟へとたどり着いた。

息を切らしながら崩れた壁を乗り越え、街へと入る。

後もう少し。

と、足音が聞こえた。

 

「サイカ!」

 

声を上げて走り寄ってくるのは、アルビンだった。

私に寄り添うように体を支えるアルビンを見、口を開いた。

 

「奴は倒したから」

「うん、ダニーから聞いた。後で褒めてやってくれ。アイツ、本当に頑張ったから」

「うん。知ってるよ」

 

私たちは歩き出し、程なくしてテントのある敷地へ辿り着いた。

 

「サイカ! 大丈夫か!」

 

私を見るなりビャーネが医療キットを持ってテントから飛び出し、膝をつく私に寄り添った。

 

「サイカ……!」

 

テントの中でクロエが私を見るなり口を手で覆う横で、ダニーが横になっていた。

 

「ダニーは大丈夫なの?」

「疲れて寝ているだけだから。今はあんたの方が酷い。手当しないと」

 

さらにダニーの横で、助けたAGEが横になっている。

パッと見た限り、容態は落ち着いているように見えた。

ああ、戻ってきた。

戻ってこれた。

生きて帰ることができたのだ。

粗末なテントと人工の明かり。

そして、子どもたちの姿に、私はそれをようやく実感し、その光景に泣きそうになった。

何て儚くて脆くて暖かい、美しい光景か。

嬉しさと同時に湧き上がる痛みと悲しみ。

その正体を、ようやく言語化することができた。

同時に、過去にかいま見たヴェルナーさんの悲しみの理由を知った。

それは、己の罪であり罰だった。

私は汚れている、穢れている。

眩く美しい光の中にあるからこそ見える真っ黒な汚点。

これが罪だ。

犯した罪を自覚できる私には、目の前の大切な存在と、喜びや楽しさを心から共有することはできない。

その傍らに、己のやらかした同情の余地のない所業と、その犠牲になった人々が見えるから。

だが、それでも。

汚れた手であろうとも伸ばさなくてはならない。

触れ合わなくてはならない。

目を合わせて笑わなくてはならない。

それがどれだけの痛みを伴おうとも、目の前の大切な存在を、己の罪の痛みのために拒絶することはできない。

これが罰だ。

ならば、受け入れよう。

私の罪を正しく知った大切な存在が、私を拒絶するかもしれない。

それも受け入れよう。

私は犯した罪の結果を背負い、墓場まで持っていく。

それが、贖いの方法の一つだと思うのだ。

私は神機を地面に置くと、二人を抱き寄せ、クロエと眠っているダニー向かって笑った。

そうだ、最初に言うべき言葉はこれがあった。

私は、その言葉を思いを込めて口に乗せ発した。

 

「ただいま。戻ったよ、みんな」

「おかえり、サイカ」

 

それぞれに返ってくるありふれた言葉に、私は胸がいっぱいになり目を閉じた。

 

 

回復薬で治療できなかった傷を医療キットで応急処置して、私は三人それぞれにお礼と謝罪をした。

クロエは泣き、ビャーネも目を真っ赤にして私の無茶を怒り、帰ってきてくれたことを喜んでくれた。

アルビンは表情なく頷き、生きて帰ってくれて良かったと、ただ一言告げただけだった。

体力も精神力も限界だった三人を寝かせ、私は一人起きて見張りをすることにした。

ついでに神機の整備をしようと、テントを出て折りたたみの椅子に腰掛ける。

周囲にアラガミの気配はなく、風に砂埃と灰域と紫の光が流れる毎度の光景だ。

ただ先程よりも、謎植物の光が輝きを増しているように見えた。

そう言えば、こんな深夜に外に出る機会は深層でも滅多になかった。

神機を持ち上げる。

テーブルのランタンの灯りに照らされたそれは、先程の戦いで見せた猛々しさも禍々しさもなく、昨日よりもさらに傷が増えボロボロになっていた。

先輩と友人から引き継いだ、思い入れのある神機のあまりの姿に心が痛む。

呑気に思いに浸る暇があるならさっさと整備しろよ。

私は一つ息を吐くと整備を始めた。

 

一通りの整備を終えテントを覗いてみると、AGEのハンネスさん──私がいない間に一度気付き、子どもたちが名前と所属のミナトを聞いたらしい。ミナト名前は聞いたことがないものだった──がうなされていた。

額を触れば熱がだいぶ上がっている。

彼の灰域耐性がどれほどのものかは不明だが、灰域濃度の高い場所で長時間、灰域種と戦い続けてただで済むわけがない。

恐らくは、私と同じレベルでヤバい事態なのだろうが、今はできることをするしかない。

彼を起こし、汗を拭いて水を飲ませた。

 

「本当にすまない。ありがとう」

「いいよ。しっかり寝て、少しでも体力を温存して」

 

彼はようようと頷くと、崩れるように横になり速やかに眠りについた。

テントを出て椅子に腰掛ける。

ここまでかな。

ポツリと思う。

彼も私も、周囲の灰域と己のオラクル細胞との戦いを続けている。

私の手首は小康状態だが、残された時間はあまりないように思えた。

……アローヘッドへ向かうしかない。

ボロボロの大人AGEの処遇は、オーディンの餌直行だろうが、子どもたちには猶予があると信じたい。

とは言え、あのガドリン総督が領主のミナトが、朱の女王の元にいたAGEの子どもに安心できる場を提供できるとはどうしても思えない。

子どもたちが安心して生活できる、心あるミナトへ送ってやりたかった。

先輩や仲間たちの戦いと死に報いてやりたかったのに。

だがこれこそが、私が選択した結果なのだ。

神機と膝を抱え込む。

せめて明日いっぱいは持って欲しい。

あと一日、子どもたちを守らせて欲しかった。

 

周囲がヒリつくのを感じて、意識が一気にクリアになる。

夢を見ていた、ような気がする。

ウトウトしていたことは自覚していたが、体の欲求には逆らえずに眠ってしまったようだ。

見張りすらまともにできないとは情けない。

当然、夢の内容は覚えていない。

何となく抱えている神機を見るが、昨日と変わらずボロボロで静かなものだった。

周囲が明るくなっていた。

夜明け間近のようだが、灰域がざわつき落ち着かない。

立ち上がろうとしたが、フラつき力が入らなかった。

体が熱く重い。

こりゃ、本格的に熱が出てきたか。

仕方なく神機を杖代わりに立ち上がり、フェンリル本部のある方角を見た。

昨日同様、真っ黒だった。

でも昨日とは明らかに違う雰囲気を感じる。

決戦前のような高揚感と緊迫感。

灰域捕喰作戦が始まるのか。

もうそんなに大勢のAGEが集まったのか。

やはり、AGEの犠牲は免れないのか。

どうにもならない無力感とやるせなさにため息をついた時だった。

 

「サイカー」

 

眠そうに目をこすりながらダニーがテントから出てきた。

靴を履き、おぼつかない足取りで私の元へとやってくる。

 

「ダニー、眠かったら寝てていいんだよ。昨日頑張ってくれたんだし」

 

しかしダニーはしっかりと首を振ると、私の右手を握った。

 

「ザワザワする。なんかこわい感じがする。だからおきる」

「わかったよ。眠くなったら寝ようね」

「ねないもん」

「そうですかい」

 

私に感じられた異変をダニーが感じないはずもなく、私も外にいることから起きだしたのだろう。

手を握ったダニーは顔を上げた。

 

「サイカの手、あっつい」

「昨日のことで、体の調子がちょっとイマイチでして」

「だいじょぶなの?」

 

途端に心配そうに顔を歪ませるダニーに、私は笑って頷いた。

 

「うん。体も元気になろうと頑張っている最中だからね」

「ねなくて平気?」

「うん。後もう少し頑張るから、応援してくれると嬉しいな」

 

すると、ダニーは力強く頷いた。

 

ツェンッピア(がんばれ)、サイカ」

「キートス」

 

そして、昨日言うことができなかったお礼と謝罪をダニーに告げた。

ダニーは首を振り、気にしてないと応えた。

 

「サイカ、こまっている人助けて、がんばってたたかっているの見えたよ。だからぼく、しんぱいしたけど、信じて待ってたよ」

「うん、知ってるよ。捕喰された時、痛い思いをさせて本当にゴメンね」

 

捕喰された時に聞いた子ども叫び声は、私を心配し感応能力で同調していたダニーのものだった。

私が捕喰された時、その痛みも感じ取ってしまったのだろう。

こんな小さな子に痛い思いをさせてしまって、本当にどうしようもない。

罪悪感が業火のように胸を苛むが、ダニーは首を振った。

 

「もう平気だよ。いたくないもん。それにね、なかなかったよ」

「凄いじゃん。ダニー、強くなっているんだね」

 

その笑顔があまりに眩しくて、私は目を細める。

自覚した罪と罰が、暴動寸前のオラクル細胞と共に我が身を責めるが、私は手を離さない。

私の思いを知ることなく、ダニーは笑顔で頷いた。

 

「ぼくね、もっと強くなって、みんなを守れるようになるね」

「いいね。夢や目標を持って頑張っている(ひと)、私は好きだよ。応援する。でも、まずは自分からね」

 

そうして、私たちは再び黒に染るフェンリル本部の方角を見つめた。

しばらくして、灰嵐の一部が消えたのを感じた。

ダニーが首を傾げる。

 

「……ちょっとだけ消えた?」

「うん。ちょっとだけだね」

 

各地から集まった灰嵐は、ただ集まっただけでなく、互いに共鳴して勢力を増し押し寄せている。

あの灰嵐に、どれほどのAGEの怒りと恨みと嘆きが込められているのか。

カドリン総督を始めとした、グレイプニルの連中は正しく理解出来ているのだろうか。

被害はさらに拡大し、この地を削る川のごとく血は流れ続ける。

どれだけ言葉を重ねても修復不可能なレベルで。

それすら覚悟の上でやっているのだとしたら、本当に凄いしアラガミとは別のベクトルで恐ろしい人だ。

ダニーが手を離し、私の腰にしがみついた。

 

「すごくいやな感じがする。こわい」

「大丈夫だよ」

 

今はまだ。

ダニーの肩を抱いたその時、黒い点が現れたのを感じた。

灰嵐の黒よりも深く冷たく、全てを飲み込み消し潰す絶望の黒。

体が突然重くなり、手首が痛みを訴えた。

これは、灰域濃度が上昇している。

視線を下げれば、ダニーが顔を歪ませていた。

 

「サイカ、くるしい」

 

ダニーの様子に、私は怒りを込めて灰嵐を見やった。

老人会(グレイプニル)の連中め、今度は何をやらかした?!

 

「テントに戻ろう」

 

クロエとハンネスさんの容態も心配だ。

ダニーを抱えてテントへ戻ると、環境の急変にアルビンたちもさすがに起きていた。

 

「一体何が起きたの?」

「わからない。フェンリル本部で良くないことが起こったんだと思う」

「……やることなすこと、ホントにロクなことしないな」

 

ため息混じりのアルビンの言葉は、並々ならぬ苛立ちと理性がせめぎ合っているように聞こえた。

 

「バッカじゃねーの」

 

寝起きかつ寝不足気味で不機嫌なビャーネは、ストレートに隠すことすらせず言い切った。

潔いくらいの物言いだが、関心はできないしそれどころではない。

 

「愚痴は後でいくらでも聞くから、クロエとダニーを看てやって」

 

静かに、だが語気を強めて言うと、二人は不満げな表情を浮かべたが、私がひと睨みした瞬間に行動を開始した。

緊急用の酸素ボンベを取り出すと、ハンネスさんの口元に当てる。

クロエとダニーも使い、これで酸素ボンベも無くなった。

次にクロエが発作を起こしたら、自力で耐えることしかできなくなる。

……本当に、何やってんだか。

思わずため息をつきそうになった時、感覚に引っかかるものを感じた。

ダニーが酸素ボンベを外し、身を乗り出して私に訴える。

 

「サイカ、アラガミがこっちに来るよ」

「え!?」

 

声を上げるアルビンとビャーネだが、ダニーが気付くものは当然私も気付く。

灰域が活性化したことで、獰猛になった連中が朝食を求めてやって来たようだ。

息つく暇もありゃしない。

 

「アルビン、荷物とみんなをお願い。ビャーネはアルビンをサポートしてあげて」

 

子どもたちはそれぞれに返事をし、私は神機を手にしてテントを出た。

侵食が進んでいる手前、あまり使いたくはないが仕方ない。

神機の朝食がきたと思うことにしよう。

やってくるのはひとまず小型種五匹。

量はあってもカスの類か。

敷地の唯一道路に面している入り口に立つ。

足音が近づいてくる。

この足音はアックスレイダーか。

どうかあのクソ厄介な堕天種ではありませんように!

黒い姿が見えた瞬間、すかさず捕喰してバースト。

ステップ攻撃で敵をなぎ払い続ける。

ここは通さない。

絶対に守ってみせる。

体は絶不調のはずなのに、バーストして戦っている時は元気そのものだ。

侵食が進んでいる証拠だろうが、今はそれでいい。

先のことは後回し。

今は目の前の敵を蹴散らせ(喰らいつけ)

第一波は難なくクリアした。

あの灰嵐同様、第二波、第三波がある。

朝っぱらから安飯の食い放題ってか。

 

「ツェンッピア、サイカ!」

「頑張れハニー! 回復薬はまだ少し残ってるから危なくなったら言えよ!」

 

背後のテントからの応援の言葉に、神機を掲げて見せた。

ええ、頑張りますとも。

苦しくとも恐ろしくとも、手首の痛みが無視できないほどになっていても、応援を受けた途端に笑顔になれた。

なら行ける。

私は戦える。

神機をしっかり構え、先陣を切って飛び出したオウガテイルを一撃でなぎ払った。

そうして第二波をどうにか撃破し、第三波の襲来に備えようとした時、それは起こった。

決定的な何かが、フェンリル本部から生まれた。

感応能力が伝えてくるのは、白い女の子どもと、見覚えのあるAGEを中心に光の糸が次々と生み出されている光景だった。

灰嵐の黒に負けない彼らが生み出す金色の糸は、束となり織り成され、綾なす布のように広がってこちらに向かって来ていた。

 

「エンゲージ?」

 

目の前を金色の粒と、七色に輝く光の欠片がゆっくりと昇っていくのが見える。

同時に、灰域濃度が急激に下がっていくのを感じた。

手首の痛みも引いていき、小康状態へと落ち着いたようだ。

第三波のアラガミたちの気配が沈静化し、廃墟から遠のいていく。

それを見越したかのように、テントの入り口が大きく開き、ダニーとビャーネが飛び出して私の横に並んだ。

テントではアルビンとクロエが驚きの声を上げ、呆然と外の様子を見ている。

あれほど苦しそうにしていたハンネスさんも、遠目から見てもわかるほど嘘のように穏やかな表情で眠っていた。

周囲を見れば廃墟全体が、そして瓦礫の向こうに見える荒れ果てた大地が、同じように光を放って多くの欠片を生み出し、空の彼方へ向かっていく。

不意に周囲がさらに明るくなった。

灰嵐という壁が消え失せ、未だ昇らぬ太陽が、それでもその光を持って大空を優しい色に染めている。

朝なのか、夕方なのか、白夜なのか。

時間の判別のできない、まさに夢のような一時だ。

 

「何だ、これ」

 

事の成り行きを見守るしかないビャーネの言葉に、その弟分は首を傾げた。

 

「……白くて赤くて茶色い子がなんかしたっぽい」

「は? 何だそれ?」

「あとね、おでこにトンガリあった。……アラガミ?」

「知らん。てか、何が何だかさっぱりわからんわ」

「ソリ。ぼくもわかんない」

 

そして二人は私を見るが、私は肩をすくめた。

 

「私もわからないよ。まあただ、向こうのゴタゴタは終わったみたいだね」

 

立ち昇る光の欠片にヴェルナーさんと、深層で過ごしたAGEたちの気配を感じた。

灰嵐となって全てを破壊し尽くし、灰と闇の底へ沈むしかなかった彼らの思いは、少しは慰められたのだろうか。

伝わってくる思いがある。

それは、この地に生きる全ての存在が『生きたい』という思いだった。

知っていた。

あのミナトからベース、そして今ここに至るまでの短い旅を通して、私たちはそれを見て感じてきたのだ。

今更な話だった。

だが、もしかしたらこの出来事で、それに気付く人がいるのかもしれない。

醒めた部分が囁く。

なあ、サイカ・ペニーウォート。

洗脳一歩手前のお節介がなきゃ、こんな簡単な気付きすら得ることもできんとは。

一時は地上の覇権を握っていた生物としては、あまりにお粗末な限りだとは思わねえか。

だが、お節介だろうがお粗末だろうが、これからみんなが生きていくためには必要なことなのだろう。

……多分。

そして、光は徐々に薄れ消えていった。

夢のような時間は終わり、後に残されたのは、日の出前の青とピンクとオレンジの混ざった空と、荒れた大地と、廃墟と残骸と、この地で生きる私たちだった。

 

「終わりか?」

「おわり?」

 

そう言って私を見上げる子ども二人に頷く。

 

「終わりです。お疲れ様でした」

 

二人は顔を見合わせ、そして再び私を見た。

 

「お疲れっした!」

「した!」

「はいはい」

「眠いから寝る!」

「ねる!」

「グッナイ、ユオタ」

 

二人は私に手を振り、あっさりとテントへ戻っていった。

感慨に浸る間もない。

全く、自分に正直なガキ共だ。

 

「サイカ、俺とクロエも少し寝るよ」

 

テントから言うアルビンの言葉に、私は頷いた。

 

「オッケー。しっかり休んでね」

「サイカは寝なくて大丈夫なの?」

 

心配そうに尋ねるクロエに、私は笑顔で頷いた。

 

「ありがとう、大丈夫だよ。今日も歩くから、しっかり休んでちょうだいね、マ シュシュット」

「ダコール」

 

ふざけた私の物言いに呆れた様子で笑い、寝袋に入った。

私は水と私物のバックを取り出し、全員が寝たのを確認して、テントの入口を閉めた。

周囲にアラガミの気配は感じない。

コーヒーを飲もう。

バーナーでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れた。

香ばしくどこか甘い香りが、いつもの日常に戻ってきたようでホッとする。

コーヒーを啜っている間に日の出の時間となり、太陽の光がこの地を照らした。

灰域が多少なりとも浄化されたことで、その光と熱が身に染みるように感じる。

見上げる空には、大小の雲がのんびり流れていた。

ベースを脱出して六日目。

いい旅日和になりそうだ。

恐らく今日はその最終日になるだろう。

締めくくりにふさわしい天気だと、寂しくも嬉しく思った。

コーヒーを飲み終わり、口直しに水を飲もうとして気付いた。

雲の流れる青空。

その南の果てから何かが来る。

アラガミではない。

エンジン音を響かせて空を飛ぶアラガミなど見たことも聞いたこともない。

……飛行機か? どこの?

点だったそれは、見る見るうちに形を作っていく。

青空に映える赤い鳥。

アラガミ装甲を纏いながらも、美しい流線型の形をはしっかり保たれ、その翼には四基のプロペラと足のようなものが付いている。

ペニーウォートにいた時、たまに空で見かけた飛行機とは少々異なる姿。

空飛ぶ翼をもつ船、飛行艇だった。

 




後付け
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幕間 4

「ヘイ、ヘーイ! 起きろよ」

 

変な声がする。

てか、もう朝なの?

んー……、体が重いな。

……ゴメン、後もう少し、五分だけ。

 

「いいから起きろ! グ モオオオオオンッ!!」

 

頭に衝撃が走ったと同時に、体が宙に浮いた。

間髪入れずに地面に叩きつけられ、あまりの痛みにさすがに覚醒する。

 

「いっ、たあっ! ……ちょっとあのさ! もう少し優しく」

 

思わず非難の声を上げ、仰ぎ見れば、暗闇の中に見覚えのある神機が、近接形態でフワフワと浮いている。

 

「…………え」

「起きたか、サイカ・ペニーウォート。人殺しの神機使い」

 

……神機が喋っている。

どんな理屈で発声しているのかはわからない。

おまけに人では決して発声することのできない、複数の声が重なり反響したような、今まで聞いた事のない類の声だ。

神機は柄を上に赤い刃を下にして揺れている。

 

「何だよ? まだ起きてねえのか。ならもう一発キメとくか?」

「起きてるから。あまりのことに思考が追いついていないだけだから」

 

凶暴な意志をもって力強く素振りを始める神機に、すぐさま言葉を重ねた。

 

「さっさと追いつけよ。あんま時間ねえんだからさ」

 

やれやれとでも言いたげな様子に、思わず顔がひきつる。

何だこれ。

何なん、この神機。

何でこんなに上から目線なの。

食っちゃ寝するしかできない兵器の分際で何様だ。

体の調子が悪くなかったら、そのコアを全力で蹴りつけているところだが、食っちゃ寝するだけの兵器に頼らざるを得ないのも、悲しいかな、追い詰められた人類の現実である。

その他にもツッコミどころは山とあったが、深呼吸してそれらをどうにか飲み込み、まずは確認をすることにした。

 

「お待たせ。追いついた。あんたは私の持つ神機ってことでいいんだよね」

「ああそうだよ、サイカ・ペニーウォート。こうして接するのは初めてだな」

 

にわかに信じ難いし認めたくもないが、これが私と共に数年間戦い続けた神機の中身らしい。

新たに生まれた諸々の思いは、やはり飲み込むことにした。

恐ろしく苦労した。

 

「そうだね。それで、わざわざこんな場を設けた理由は何?」

「ああ。こうして接する機会は多分もうないから、予告しに来た」

「予告?」

「おう。俺な、近々死ぬ」

「…………は?」

 

死ぬ。

唐突に出た言葉に再び困惑する。

神機は『生体』兵器だ。

だから死ぬのは道理だし、使い方も間違っていないのだろう。

だが、私たちよりも遥かに長いこと生きるようなイメージがあったため、その言葉のギャップが埋められない。

 

「ぶっちゃけ俺、灰域に適応出来てねえんだわ。旧型神機の悲しい宿命ってやつよ」

 

連なる言葉は衝撃の発言なのに、その調子はどこまでもあっけらかんとしていた。

 

「それでも生きてえし腹も減るしで、属性付け足したり省エネモードにしたり悪あがきしてたけど、それもここらが限界だ。もう力がない。形を保てない。近々溶けて潰れて砕け散る」

 

淡々と、あっさりと、自分の死亡宣告をする神機に、私は言葉をなくす。

 

「この旅が終わるまでは、まあ何とか持ちこたえるようにはするが、保証はできないし、終わった後は確実にオサラバだ」

 

様々な思いが脳裏をよぎった。

先輩から友人へ、そして私が引き継いだ大切な神機。

私なりに大切に取り扱ってきたつもりだが、やはり先代の二人と比較しても、戦いも整備も下手くそだった。

目線を下げる。

 

「私のせいだね。もっと上手い人の手に渡っていれば長持ちしただろうに」

「それは否定しねえが、早いか遅いかの違いだけだ。灰域に適応できない俺は、遠からず淘汰される運命にあったんだよ」

 

私の悔いに対して、神機の言葉は明るく軽かった。

 

「それに悪くはなかったぞ、サイカ・ペニーウォート。お前と共にあったからこそ、住処を二度も追われて、二度目は人も傷つけた。結果的には殺したかもな。それから限界灰域を旅して、何か人助けした上に灰域種を喰った。老いぼれ(ロートル)神機しちゃあ、波乱万丈で愉快な老後だと思わねえか?」

 

フラフラ揺れていた神機は、ピタリと動きをとめた。

 

「サイカ・ペニーウォート。お前は旅の終わりまで辛酸をなめることになる。でもそれは、ブレたお前が選択した結果だ。お前の選択は間違っていた。失敗した。だが、お前が望むとおり、ガキ共と生きて目的地にたどり着けば、それらは全て経験と実績、そして学びとなる。終わり良ければ全て良しだ」

 

そして、神機の姿が少しずつ闇へと溶けていく。

 

「今のお前なら、まあ何とかなるさ。頑張れよ、サイカ・ペニーウォート」

「待って!」

 

言うだけ言って消えていこうとする神機を呼び止める。

 

「何だよ?」

「……あんた、たまに私の意識の中に混ざっていたよね」

 

ここまでのやり取りでわかった、一つの気付きを口にした。

目の前の傷だらけの長大な刃がギラリと輝く。

 

「灰域種の時は大分混ざっていたよね」

「キヒッ!」

 

すると神機は小刻みに動いた。

凶悪な歯を見せ笑っているかのように。

 

「キヒヒヒッ! ヒヒャハハハハハッ! そうだよ! お前は感応能力が高えから同調しやすいんだわ。ガラの悪いお前に混ざってりゃあ、気付かないと思っていたが、さすがに昨日は出張りすぎたか!」

「勝手に同調して、意識に混ざるのやめろ」

「生娘の前の穴じゃあるめえし、カテェこと言うなよ。ヤリマンの神機使いのくせに」

 

悪びれもせず堂々とセクハラ発言をする神機に、しんみりした思いは粉微塵に吹き飛んだ。

何これ。

本当に何なのこれ。

思わず片手で顔を覆った。

 

「お前を心配していたのは、ガキ共や死んでいった連中だけじゃなかったってこった」

 

そう付け足された言葉は、やっぱり明るく軽かった。

私の頭の片隅にたまにいた、醒めた思考。

その言葉は常に、揶揄し煽りながら、私の視点を補強してくれる、第三の目のようなものだった。

顔を上げると、神機の姿は既に闇へと溶け込む寸前だった。

 

「サイカ・ペニーウォート、旅路の果てで互いに無事ならまた会おう。ハー エン フィン ツール!」

 

そして神機は、闇の向こうへと完全に消え去った。

取り残された私だが、周囲がヒリつくのを感じて、意識が一気にクリアになる。

夢を見ていた、ような気がする。

ウトウトしていたことは自覚していたが、体の欲求には逆らえずに眠ってしまったようだ。

見張りすらまともにできないとは情けない。

当然、夢の内容は覚えていない。

何となく抱えている神機を見るが、昨日と変わらずボロボロで静かなものだった。

 




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湖のミナト 1

重力の枷を振り切り、空に舞いあがる感覚を機体越しに感じる。

子どもならずとも心ときめく初体験は、体の調子が絶不調な今、その負荷がしんどかった。

だが、程なくして機体は水平に安定した状態になった。

 

フオメンタ(おはようございます)!」

 

操縦席に座るサングラスをかけたパイロットのGE──腕輪に引退したテープが貼られている──が、低く艶のある美声をもって朗々と告げる。

 

「本日は当ミナトの飛行艇をご利用頂き、誠にありがとうございます。短い時間ではありますが、空からの風景を存分にお楽しみください。機長は私キケ。副操縦士はフィリップです」

 

キケと名乗るパイロットが、ふざけ半分に前口上を述べる。

 

「さて、この地は昔、森と湖の地として名を馳せていましたが、岩の地でもあったことはご存じですか。比較的平坦な土地と厳寒な気候が、太古の岩をそのまま残したためです」

 

キケさんは、意気揚々と語り始める。

しかし、肝心のガキどもは窓に張り付き、眼下に広がる景色に興奮して全く聞いていない。

 

「岩は、風や雨、川の侵食によって砕かれていき、最後には砂となりますが、山の少ないこの地は川が少ない。厳寒な気候は、雨は雪となって大地を覆い、川を凍らせ、根を張る植物の動きを鈍らせる。岩を削る要素が少ないため、岩が岩として残りやすいのです」

 

ガキどもに構わず、いや、あえて対抗しているのか、キケさんの弁舌は大きく滑らかになる。

 

「岩といえば、北欧と呼ばれるこの地域の大半は、バルト楯状地(シールド)と呼ばれる巨大な岩盤に乗っかっています。その年齢は三十億年前後。地球の年齢が推定で四十六億年で、私の故郷の大地は二億年から五億年とされていますから、かなり古い岩と言えますね。氷河期時代は分厚い氷に覆われ、海中へ沈んでいたそうです。それが氷河期の終わりに氷が溶けて浮上、今現在も浮上し続けています。この運動は、フェノスカンジアの隆起と呼ばれています」

 

へー、そうなのか。

機体が安定し体の負担が軽くなった私は、座席に身を預けながらキケさんの話に耳を傾ける。

人の話を聞くのは好きだし苦ではなかった。

 

「アラガミが発生する前の記録では、この地には十八万以上の湖があったそうですが、それは氷河期時代の分厚い氷が大地を削った跡なのです。

今はアラガミと灰域によって、森と湖は食い荒らされてしまい、まともに調査もできていません。それでも変わらぬものが確かにある。この地表に存在する岩肌を見る度にそんなことを私は思うのです。いやあ、ためになる上にいい話だなーって聞いてないねーキミタチー」

「私は聞いてましたよ。興味深いお話でした」

 

自棄っぱちに言うキケさんに主張をすると、彼は大きく頷いた。

 

「キートス! あんた、なりは派手なヤンママだけど良い奴だな!」

「ハハッ! うるさいよ。ママじゃねえし」

 

思わず敬語が取れてしまったが、キケさんは気にする風もなく笑い、その隣りに座るやはりサングラスをかけたGEの男──こちらは現役のようだ──が、私の方を向いて両手を合わせた。

 

「ゴメンな。このオッサン、調子に乗ると一言多くなる悪い癖があってさ。しかも、久しぶりに空を飛べる上に、子どもを乗せるとあって張り切ってんだよ」

「そこの副操縦士、いらんこと言うな」

「へいへい」

 

彼は肩を竦めて、前を向いて座席に座り直した。

私は驚いていた。

パイロットたちのこの地に対する知識もそうだが、AGEに対する偏見が全く感じられないことにだ。

早速尋ねると、副操縦士の彼が再びこちらを見て笑顔を向けた。

 

「それはオレたちのミナトに来れば、すぐに分かると思うよ」

「はあ」

「ここであれこれ説明するより、実際に見聞きした方が早く理解ができると思うぜ」

 

二人から明確な答えは引き出せなかったが、少なくともAGEだからと差別はなさそうだった。

とりあえず一安心だ。

と、窓に張り付いていたビャーネが、興奮状態のまま私の方を向いた。

 

「うひょおおおっ、たまらん! 何もかもがたまらん! ねえサイカ、ここ見どころいっぱい過ぎて、オレどうしたらいいの?!」

「落ち着け」

 

私は答えるが、当然奴は聞いていない。

奴はそのテンションのまま操縦席を覗き込む。

 

「ねえねえ、おっちゃんおっちゃん!」

「オレはまだお兄さんだ!」

 

副操縦士の彼が主張するが、ビャーネは全く気にも止めない。

 

「この飛行機カッケーな! どこでいつ作られたの? 主要諸元教えて! 燃料はなに使ってんの? 飛行艇ってことは、水でも離着陸できんだよね? どういう仕組みになってんの? てか、エンジン見たい! エンジン! あとパンフあったらちょうだい!」

「ビャーネ、危ないから座りな」

 

興奮状態でバンバン質問攻めをするメガネに、私は強めに声をかける。

これで聞かなかったら鉄拳を振るってやろう。

しかし私の声に、面食らっていたパイロット達が何故か立ち直った。

フィリップさんがこちらに向けてウィンクし、キケさんはメガネに向けてニヤリと笑った。

 

「おう何だ。お前、飛行機好きか?」

「好き好き! てか、メカ大好き!」

「よおし、ならミナトに着いたらみっちり教えちゃる! だから座れ。だーがー、お子ちゃまが俺の話について来れるかなー?」

「いいよいいよ、ドンと来いやあっ!」

 

興奮状態のビャーネのノリについて行けるとは、このパイロットも相当に明るく元気でノリがいいのだろう。

うるさいのは論外だが、年齢性別関係なく元気なのはいいことだ。

ビャーネは素直に座席に戻り、子どもたちの会話に混ざるのを見届けると、私は自分の右側にある窓の外を眺めた。

窓の向こうには、灰域航行法の及ばない未踏の地が広がっている。

だかどこを見渡しても、森と湖の地と呼ばれた面影を感じることは出来なかった。

 

ここに至るまでの状況を整理しよう。

南の空からやって来たこの飛行艇は、廃墟の真上を何回か旋回し航路に着陸した。

そして、GEとAGEたちがやってきて、ハンネスさんの所属するミナトの者であることを告げると、容態の悪い彼を即座に回収。

私達も一緒に乗せるつもりだったようだが、人数と荷物が多くて断念した。

私達のことも必ず助けると言い残し、飛行機は南の空へと戻っていった。

この件ですっかり目が覚めた子どもたちと片付けと荷詰めをし、本当に来るのか懐疑的になりながらも、みんなでプロテインバーを齧りコーヒーを啜っていると、本当に彼らは戻ってきたのだった。

彼らのミナトは、この先の巨大な湖の向こうにあるという。

文字通り、渡りに船だった。

この旅一番の難関が、呆気なくクリアされたのだ。

湖を渡れればそれで十分だったのだが、灰域種と戦った私と、限界灰域に曝された子どもたちの体調を心配した彼らは、一度ミナトで診てもらうよう提案した。

体調の悪い私を見かねたのが半分、飛行機に乗りたい気持ちが半分とで、子どもたちは私より先にそれに同意し、彼らのミナトへと向かうことになったのだった。

 

「ほら、湖が見えてきたぞ」

「わあっ、おっきい!」

オ ラ ヴァッシュ(すごい)!」

 

子どもたちが歓声を上げる。

眼下に、青空と雲を写しこみ陽光を受けて輝く巨大な湖が見えてきた。

地図で見るのとはまた違い、実物のそれはかなり大きく見える。

おまけに橋も見当たらない。

対岸から彼らのミナトの入口を発見できれば、救難信号で助けを求めることができるかもしれないが、気付かない可能性が高い。

さりとて湖を迂回するのは現実的とは言えず、そうなると山越えか、引き返すくらいしか道はない。

 

「さあ、そろそろ遊覧飛行は終わりだ。着水するから、シートを戻してシートベルトをつけてくれよ」

「えー、まだ乗ってたーい」

「のってたーい」

 

副操縦士のフィリップさんが告げると、下の子ども二人が不満の声を上げる。

 

「気に入ってくれてありがたいが、コイツも朝メシの時間なんでな」

 

キケさんは笑って言い、湖を大きく旋回すると、飛行艇は滑るようにして湖に綺麗に着水した。

その後、船のように水面を進み、人工的に整備された広場までたどり着く。

人と荷物を下ろした飛行艇は、平たく小さな車に引っ張られ、地下の格納庫へと運ばれていくのを、下の子ども二人が目を輝かせて見送っていた。

私は今渡ってきた湖を眺める。

天気がいいにも関わらず、向こう岸が霞んでいた。

ビャーネの双眼鏡でも、ミナトの入口を確認できるかかなり怪しい。

改めて、この湖の踏破が最大の難関であったこと、そして如何に無謀であったかを思い知った。

 

「あ、草が生えてる」

 

隣でクロエが指摘して見れば、謎植物ではない緑の細長い草が、湖に沿うようにまばらに生えていた。

それは、風によって打ち寄せる波に逆らう風もなく、涼しげな音を立ててそよいでいる。

 

「ホントだ。やっと限界灰域を抜けたってことだね」

「うん」

 

深層や限界灰域では、薬に頼らざるを得なかったクロエの体にとって、そこそこに優しい環境にたどり着いたのだ。

その後、十分ほど歩いて見えてきたミナトの入口から、GEと整備士数名が出てきて、神機と荷物を預けた。

しかし、すぐに中へ入れてはもらえなかった。

灰域に曝されている上に、不衛生な状態になっているためだった。

体の洗浄と消毒をし、用意された服に着替え、ようやく未知のミナトのエントランスへと足を運ぶことが許された。

ドアが開いて目に飛び込んできたのは、光に照らされた眩い緑だった。

次いで鼻をついたのは、乾いた荒野では感じられなかった土と草と樹木の匂い。

別世界だった。

恐らくは、生まれて初めて見る緑豊かな光景だった。

天井は高く、円形に象られた白壁のフロアには大小様々な樹木が植えられ、フロアの中央には今まで見た事のない尖った大きな木は青々とした葉をつけている。

床を占める芝生には、石造りの小路が作られ、白い木のベンチやテーブルが置かれており、緑豊かでありながら、人の手がしっかり入った印象を受けた。

 

「何じゃあ、こりゃあ」

「すごーい」

 

ビャーネとダニーがポカンと口を開けるその横で、クロエは感動のあまり言葉をなくし、アルビンですらも目を見張って周囲を見ている。

そして、石造りの小道からやってきたのは、二十代後半か三十代あたりのGEの男と、私と同年代ほどの女、そして年齢不詳の白衣にメガネの女だった。

とっさに私の背に隠れるクロエとダニー。

こういう時のこの二人の動きは恐ろしく機敏だ。

男は、私たち構うことなく親しげな笑みを浮かべて口を開いた。

 

「『カイスラ』へようこそ。私は当ミナトのオーナー、カール・コイブランタだ。このミナトの職員、ハンネスを助けてくれた恩人たちを、私たちは歓迎する」

「カイスラ?」

 

ビャーネが首を傾げて言うと、カールさんは笑みを深くした。

 

「このミナトの近くにある湖に、草が生えているのは見たかい?」

「ゴメン。飛行機見てた」

「そっか。男の子ならそちらの方に興味が向くよな」

 

大人の男が苦手なクロエは、人見知りのダニーと共に私の背に隠れつつ私の服を掴む。

先ほどクロエが指摘したアレか。

クロエの変わりに私は口を開いた。

 

「膝丈くらいの細長い草のことですか?」

「その通り」

 

彼は嬉しそうに頷いた。

その笑顔に、私は引っかかるものを感じた。

この人、誰かに似ているような気がする。

 

「この地の言葉で、水辺の草のグループ名だよ。さすがに灰域内ではその数は少ないけど、それでもまあまあ生きていける程度には丈夫だ。灰域に耐え、厳冬期は凍てつく地中に潜み、春の訪れとともに再び芽吹くこの草のように、この地で長くしぶとく生きていこうという思いから、先代オーナーがそう名付けたんだ」

「そっかー」

 

ビャーネは頷いた。

カールさんは真面目な表情になると、私たちを見回した。

 

「このミナトでは、どんな存在であろうとも、使えるものは何でも使うのが正義であり流儀だ。AGEの君たちに対して差別はないから安心して欲しい」

 

そう言うと、彼の後ろで控えていた白衣にメガネの女性がヘラリと笑った。

 

「万年人手不足で、四の五の言ってらんないってのが本音なんですけどねー」

「オリガさんは黙っててくれないか」

「仰せのままにー」

 

胸に手を当て芝居じみた調子で、女性はおじぎをした。

その時、何か違和感を覚えたが、とっさのことでその正体はわからなかった。

カールさんは小さくため息をつき、そして改めて私たちを見た。

 

「さて、君たちについてだが、深層から限界灰域を徒歩で渡ってきた上に、灰域種とも戦ったと聞いている。朱の女王で施された灰域適応技術があるとはいえ、やはり体調が心配だ。まずは健康診断を受けてもらおう。特に、えーと」

「サイカです」

「サイカさんは急を要すると聞いた。オリガさん、すぐ診てやってくれ」

「オッケーです、ボス」

 

オリガと呼ばれた白衣の女性は敬礼で答えた。

 

「君たち四人は、このお姉さんの指示に従って検診を受けてくれ」

「トーヴェです。よろしくお願いしますね」

 

美人と言うよりは可愛いと呼べる容姿と柔らかく穏やかな声音、屈託のない笑顔は、万人に好印象を与えるだろう。

どこからどう見ても、人畜無害の普通の女性だ。

子どもたちが一斉に私の方を見たので頷いた。

 

「トーヴェさんの言うことちゃんと聞いて、くれぐれも困らせないようにね。トーヴェさん、よろしくお願いします」

「はい! お任せください」

 

明るく朗らかに笑う彼女に、私も自然と笑顔になる。

 

「泣かされないよう頑張ってください」

「……頑張ります!」

 

気合いを入れて彼女は答えると、子どもたちの方を向いた。

 

「それでは皆さんついてきてくださーい」

 

子どもたちは返事をし、素直にトーヴェさんの後に付いていった。

程なくして、奥の方にある別フロアへの扉へと消える。

それを見送り、カールさんが私を見た。

 

「では、私は一度失礼する。検診が終わったら、詳しい話を聞かせてくれ」

「わかりました。お世話になります」

 

カールさんが場を離れ、エントランスには私とオリガさん二人だけとなった。

 

「よし! んじゃあ、サイカちゃんは私の後についてきてねん」

「了解です」

 

白衣を翻してオリガさんは歩き出し、私もその後に続いた。

 

 

オリガさんにここまでの事情を話し、彼女の話を聞きながら検診は滞りなく進んだ。

彼女の話によれば、このミナトの起こりは、フェンリルの一研究組織であり、アラガミが発生する前の、この地の生態系や環境の調査、保全を目的とした研究を行っていたそうだ。

しかし、人口の増加とともに維持が難しくなり、当時の所長が今の場所に、今で言うサテライト拠点の前身ともいうべき地下施設を作った。

所長は拠点の初代オーナーとなり、苦労を重ねながら、この地の生態系と環境の研究と保全に努めたという。

しかし厄災が発生し、初代オーナーと当時のオーナーが死亡。

程なくしてグレイプニルによって灰域航行法が施行されたが、その内容に異議を唱えた先代オーナーが、灰域航行法領域からの離脱を宣言。

混乱の末、独自の行政・財政・立法権限を持つ今のミナトに至ったという。

 

「まーもー、グッチャグチャだったよ。酷い酷い。厄災当時のことを正しく把握できている人なんて、ほっとんどいないんじゃないのかなー」

 

診察と検査を終え、診察室で結果を待ちながら彼女は語った。

ここが拠点と呼ばれていた当時から、彼女はここで医者をしているという。

現在のオーナーがオーナーになる前、尻に卵の殻がついている頃から知っていると笑って言った。

 

「エントランスのあの植物は」

「あれは、このミナトの象徴のひとつだね。アラガミが現れる前の、この地にあった自然の一部ってとこかな」

 

パイロットたちが言っていたことを思い出す。

恐らくこのミナトに住む職員は、程度の差はあれ、この地の環境に関する何かしらの知識を持っているのだろう。

興味があれば、それを学べる環境がここには揃っているのだから。

検査が終わり、結果を待つ間にもオリガさんから色々話を聞いていたが、奥のドアが開いて白衣の男が現れた。

 

「オリガさん、検査結果出たんで転送しときました」

「スパシーバ! ハンネス君はどう?」

 

私は思わず視線を白衣の男に向ける。

この短時間で色々なことがありすぎて頭からすっぽ抜けていたが、先に運ばれた彼はどうなったのか。

私の視線に構わず、男は涼し気な表情で答えた。

 

「ヴァージルさんが言うには、峠は越えたそうですよ。ただ一ヶ月は入院、絶対安静だそうです」

「だろうねー。生きていること自体、奇跡が積み重なっての結果のようなもんだし。彼の日頃の行いかね。いいことはしとくもんだ」

「ですね」

 

そして白衣の男は出ていき、オリガさんは端末を操作した。

ディスプレイに映し出された検査結果を確認している。

私はといえば、少しだけホッとしていた。

どうやら、ハンネスさんは生き延びたらしい。

素直に良かったと思った。

同時に、彼を助けたことはやはり無茶だったし、間違っていたのだとも思った。

何故なら、奇跡の連続で私たちは生き延びたに過ぎず、再現性は全くないからだ。

こんな世界である以上、同じようなことが再び起こる可能性はないとは言えず、その時に、このような奇跡が起きる保証はどこにもない。

山ほどある問題点を洗い出して反省しなければ、次はないだろう。

 

「うーん……」

 

オリガさんは顎を指で触りながら唸り、そして椅子ごとぐるりと一周回って私の方を向いた。

足を組み、こちらを見る眼鏡の奥の青い目は、今までになく真面目だった。

 

「サイカちゃーん、よくないよー。てか、ハンネス君ほどでないにしてもマズイ」

 

さすがにわかっていたことだった。

 

「腕輪ですか」

「うん。右手首の腕輪の中身、よりにもよってオラクル細胞を調整する機構がイかれてる。運が悪いね。日頃の行いに心当たりは?」

「……それなりにありますね」

 

ミナトの大人連中の相手を楽しんでいた上に、あの廃都で兵士たちを傷つけ死に至らしめた可能性が高い。

なるほど、悪行の報いのひとつか。

 

「無傷で大人にはなれないけどさ、悪いことはできないもんだね。で、連日高濃度の灰域を移動して体力と免疫力が低下。そこに灰域種と戦って腕輪が損傷。侵食が進んだわけだ。侵食が比較的遅いのは、サイカちゃんのオラクル細胞の制御の高さと灰域適応技術、それと今朝の出来事のおかげかな」

 

廃墟で見た、あの夢のような光景か。

 

「あれって何なんですか? 何かエンゲージっぽい感じでしたけど」

「詳しいことは調査中。ざっくりわかっている範囲だと、あの光が及んだ地域の灰域が中和されて濃度が一時的に下がったことと、オラクル細胞の不活化かね」

「不活化」

「うん。オラクル細胞の不必要な活性化を静める作用があったっぽい」

 

オリガさんはデスクに肘をつき、ペン型のデバイスをくるくると回す。

 

「そのおかげでハンネス君の侵食も抑えられて命拾いしたんだよ。恐らくサイカちゃんにもその恩恵があったんだと思う」

「……そう言えば、あの光を浴びた時から、手首の痛みが軽くなったし、廃墟を襲おうとしていたアラガミも、大人しくなって引き返していました」

「やっぱそうかー。感応現象の無双っぷりを改めて知るエピソードだね」

 

ペン回しを止めると、オリガさんの表情が再び真面目なものになった。

 

「でだ。今はその無双の力で侵食は抑えられているけど、当然無限に続くわけじゃない。今すぐにでも、ちゃんとした施設と技師のいるミナトに行くことをオススメする」

 

紹介状は書くよ。

彼女は言うが、私は思わず尋ねた。

 

「ここじゃダメなんですか?」

「ダメだねー」

 

彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「さっきも言ったけど、このミナトは万年人手不足なんだよ。腕輪の修理をできる技師がいない。昔はいたよ。でも厄災が原因で死んじゃって、それ以来補充ができていないの」

「じゃあ、腕輪が不調を起こしたらどうしていたんですか?」

「紹介状持たせて、秘密裏にダスティミラーへ行ってもらってたよ」

 

ダスティミラー。

この旅の最終目的地。

 

「このミナトがプチ引きこもりになってからも、あそこの医療チームと技師連中とはやり取りが続いていてさ。AGEに対する扱いも悪くないし、設備も良ければ腕もいい。信頼していいよ」

「そうですか」

 

彼女の言葉に、私は半分上の空で頷く。

そうか、結局そこがゴールなのか。

 

「とはいえ、サイカちゃんはキッズたちのことがあるからね。後でボスと相談しよう」

「わかりました」

「よし、点滴するから、そこに横になって」

 

言われたとおり、私はベッドに横になった。

オリガさんが点滴の準備をする間、私は考える。

私の旅は続くことになったが、子どもたちはひとまずゴールしてもいいのではないか。

少なくともこのミナトは信頼できる。

それは、このミナトの雰囲気と人々を見れば分かる。

朱の女王で常に感じていた、不穏さもきな臭さも感じられない。

最終的に所属するかはさておき、一時的に預けた方が、子どもたちとっては間違いなく安全だし安心だろう。

だが。

私が選んだミナトへ、私の手で連れていくのではなかったのか。

今度こそ、信頼できる大人と場所へ子どもたちを託すために。

それはここでも良いはずだ。

なのに、それでもと思うのは、単純に私のエゴだった。

私は、みんなと一緒にダスティミラーへ、決めたゴールへたどり着きたいのだ。

しかし、無理強いはできない。

子どもたちにちゃんと意見を聞こう。

そう決め、視線をオリガさんへと向けた。

テキパキと点滴の準備を進めるその姿に、またしても違和感を覚える。

よくよく観察をし、ある疑惑が浮かび上がった。

まさかとは思う。

年齢不詳でふざけ半分の言動をし、ティアウス・ピターの頭のような髪型をした瓶底メガネの女なんて、ぶっちゃけ怪しい。

だが医者なのだ。

高い職業意識を持ち、常識と良識と理性を友とした、命と健康の守護者に限ってまさかそんなことは──。

 

「ではでは、ちょいとチクリとしますよー」

 

オリガさんはそう言って太い点滴の針を腕輪に刺した。

痛みはない。

上手い。

だが、屈んで針を刺す時に決定的なものを見てしまった。

 

「じゃあ、大人しくしててね。あ、寝てていいから」

「一つ聞いていいですか」

「何かな?」

 

一瞬ためらうが、疑惑は解消しておきたい。

私は声を落として尋ねた。

 

「オリガさん、きてますか」

「うん?」

「白衣の下に服」

「何だー、そっちか。もちろん着てるよ」

 

彼女は頷き、恐ろしい早さでボタンをはずし白衣の前を開けた。

 

「ほら!」

「しまえ」

 

あろうことか、白衣の下は水着、紫のマイクロビキニだった。

スタイルは抜群にいいし、似合ってもいる。

だが、この場においてはあまりに非常識な姿だった。

その時、診察室のドアがノックと共に開いた。

 

「オリガさーん、例のAGEさんと話を」

 

ドアを開けた整備士らしき若い男が固まった。

患者の前で白衣をはだけ、マイクロビキニを見せつけている女医師。

いついかなる時代の誰がどう見ても、異常すぎるシチュエーションである。

何だ、この状況。

と、固まっていた男が口を開いた。

 

「あ、今日は紫なんすね」

「まーね。今日はほら、お客サンが来るって聞いたからさ、医者らしい知性の高さと、女のエレガントさを演出してみようと思ったんだよねー」

「一応自分のイメージを演出しようとする知性は残ってたんすね」

 

恐ろしいことに男はこの状況に適応していた。

私は、体調不良とは別のところで目眩を覚えながら二人に声をかけた。

 

「あのさ、つかぬ事を聞いていい?」

「何?」

 

敬語が取れてしまったが、構わず続けた。

 

「いつも白衣の下はそれなの?」

「そーだよ」

「信じがたいことにね」

「いやいやいやいや」

 

あっさり頷くほぼ裸族のメガネと、肩をすくめる整備士に思わず声をあげた。

 

「それ、色々どうなの?!」

「衛生面のこと? 問題ないよ。一時間に一回、体拭いてるし」

「そんなことするくらいなら、服着なよ!」

「えー、やだー」

「えーやだー、じゃないよ!」

 

何なの、この瓶底メガネ。

 

「あのー、何言っても無駄っすよ」

 

男の同情を帯びた声に、私は男に視線を向けた。

声同様、私を見る男の顔は同情と諦めが浮かんでいる。

 

「この人、この件で前のオーナーに叱られても懲りなかったって話だし、ヴァージルさん、あ、ここのもう一人の医者なんすけど、データを出せば従うだろうって抜き打ちで検査したんすよ」

「したんか」

「でも問題なかったって」

「マジか」

 

衝撃の事実を告げる男の横で、マイクロビキニのメガネが、腰に手を当て胸を揺らしながら張った。

 

「だってあたし医者だよ。衛生管理は徹底しないとねっ!」

「その格好で言っても説得力ねーよ」

 

呻き、脱力する。

大丈夫か、このミナト。

やはり子どもたちと一緒に、ダスティミラーへ行った方がいいのではないか。

自分の見る目に自信をなくす傍らで、ピター風のほぼ裸族が整備士の男に向き直った。

 

「それで、ユーシュン君は」

「ユーシュエンっす」

「うん、何の用かな?」

「本題に入れそうで何よりっすよ」

 

呆れた調子で言って、男は私を見た。

 

「神機の件でそこのAGEさんと話をしたいんすけど」

「いいよん」

「あざっす。それとしまってください」

 

男は冷静に言い、ベットの近くにあった椅子に座った。

 

「神機を確認させてもらったっすけど、すんません、お手上げっした」

「え」

 

ユーシュエンと名乗る男は説明をした。

元々私の持つ神機は灰域に適応しておらず、灰域に適応しようと無理をした結果、既にボロボロで手をつけられない状態とのことだった。

 

「生きよう喰らおうとする執念っすかね。元は無属性だったのに、形を保とうと元のスロットを幾つか潰して氷属性に変化。凍らせることで形を維持しようとしてたんすよ。ぶっちゃけこれ、凄えことなんすよ。でも、灰域種との戦いで力を使い果たしちゃったみたいで」

 

彼は、極東の人によくある平たく幼い顔を申し訳なさそうに歪めた。

 

「ちょっとでも手をつけようものなら、あっという間に崩壊するようなバランスで成り立っていて、どんな整備士でも手がつけられない状態っすね」

「ジェンガみたいな?」

「言い得て妙っすな」

 

白衣の前をしまったオリガさんが口を挟むと、ユーシュエンさんは頷いた。

 

「そのジェンガも遠からず力を失って自壊する。私らにできるのは、バランスを保つための簡単な調整と、綺麗にしてやることくらいっすよ。力になれず本当に申し訳ない」

「いや、それだけで十分だよ。教えてくれてありがとう」

 

頭を下げるユーシュエンさんに、私は自由な手を振り笑顔を作った。

初めて聞く話のはずだ。

もっとショックがあってもいいはずなのに、私は何故か落ち着いていた。

体調不良で、それどころじゃないせいか。

 

「ユーシェン君の腕をもってしてもダメかー」

「ユーシュエンっす」

 

訂正する年若い整備士に構わず、年齢不詳の女医はため息をついた。

 

「神機もその使い手もボロボロ。本当なら、どちらか片方でも万全の状態にしてから送り出してやりたかったんだけどね」

「え、そうじゃないんすか?」

「残念ながら、そうはいかない事情ができたんだよ」

 

怪訝な顔をするユーシュエンさんに、オリガさんは困ったような笑顔を向けるのだった。

 




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湖のミナト 2

点滴が終わった後、オリガさんと会議室へ向かった。

会議室には、オーナーのカールさんと、私たちを運んでくれたパイロットのキケさん、そして髪に白髪の混じる温厚そうなメガネの男がいた。

メガネの男は、このミナトの副オーナーでヴィリさんというらしい。

着席した私は、ここまでの事情を説明した。

 

「それは本当に大変でしたね」

 

説明をし終えた私に、ヴィリさんが労りを込めた視線を向けた。

 

「数日とはいえ、子ども連れでアラガミに戦乱、そして灰嵐に怯えながら限界灰域を縦断するのは、我々の想像の及ばない苦労があったことでしょう。当ミナトでゆっくり静養をして頂きたいところですが」

「ああ、そうはいかなくなった」

 

カールさんが口火を切った。

 

「サイカさんの腕輪が損傷し、早めに別のミナトへ移送することを、オリガさんから提案された」

「あちゃー、腕輪をやっちまってたのか」

 

渋面で言うキケさんに、カールさんは真剣な表情で頷く。

 

「このミナトに腕輪を整備できる技師がいない以上、他のミナトへ移送することに異議はない。そしてこの近辺に、腕輪の整備のできる設備と技師のいるミナトと言えば、バランとダスティミラーになるが」

「ダスティミラー一択でしょ」

「そもそもバランとは厄災以降、没交渉ですからね」

 

カールさんがヴィリさんに目を向ける。

 

「先般の作戦で、かのミナトもごたついていると聞いたが、連絡は取れそうか」

「問題はありませんよ。あそこのミナトは、最新設備と優秀な人材の宝庫です。まるで夢物語のようにね」

「頼めるか」

「かしこまりました。この後すぐに連絡を取ります」

「オリガさん、紹介状は」

「すぐに用意できますよん」

「そうか。なら、最短で昼前には出れそうな感じか」

 

言ってカールさんは私を見た。

 

「だが、ここで問題になるのは、君の連れてきた子どもたちのことだ。一緒に行くとするなら、彼らの体調次第になる。本来であれば君もそうだが、灰域濃度が低いとはいえ体調不良での山越えと、アラガミ討伐を含めた長距離移動は、人道的に見過ごせない」

「ええ。わかっています」

 

私は頷いた。

それは先程考えていたことだった。

だからこそ、ここで私の意志を表明しておこうと思った。

 

「私は、子どもたちと一緒にダスティミラーへ行きたいです」

 

そして、先程考えていたことをこの場にいる全員に告げると、カールさんは深く頷いた。

 

「そうだな。子どもたちの意見を聞くとしても、できることなら君の願いを叶えてやりたいところだが」

「飛行機で送ってやることができればなあ」

「できませんよ。即アローヘッドの地対空兵器に落とされ、向かった先のダスティミラーの立場も危うくなります」

 

椅子に寄りかかり、手を頭の後ろで組んで言うキケさんに、ヴィリさんは眉を寄せた。

 

「ここが灰域航行法の領域から外れ、その旗頭となるアローヘッドとの外交が断絶している今、向こうからしたら、我々は朱の女王と同じく無法者の集まりです。そんな無法者の車両や航空機が領域内へ入るのは」

「えーえーわかっていますがね、人命がかかっているのに、もどかしいったらねーや」

「気持ちはわかりますが、これこそが、彼らが人々の命と土地と財産を守るために張った枷です。我々はこうなることを承知の上で、その枷から離れたんですよ」

 

そう言えば、オリガさんと腕輪の話になった時、ダスティミラーと秘密裏に連絡をとって行かせたと言っていた。

灰域航行法から外れて自由かと言えば、それはそれで様々な問題があるようだ。

やはり、この世はままならない。

その時、会議室のドアが開き、トーヴェさんと子どもたち、そして理知的なメガネで白衣のイケメンがやってきた。

 

「サーイーカあああっ!!」

 

クロエと手を繋ぎ、べソをかいていたダニーが、私を見るやいなや突進してきて勢いよくしがみついた。

その衝撃に、思わず目を閉じる。

相変わらずいいタックルだぜ、小僧。

衰えた体に超キくわ。

私は気持ちと体勢を立て直した。

 

「ダニー、どうしたの?」

「あの……、それがですね」

 

疲れた様子のトーヴェさんが言うには、どうやら検診の採血で、注射嫌いのダニーがギャン泣きしながら見事な大脱走をして、医療施設内は大騒ぎになったという。

 

「あんなになったの久しぶりだったよ。本当に大変だったんだから」

「メルシー。お疲れちゃんだよ」

 

トーヴェさん同様、疲れた表情で言うクロエの肩に手を置いた時、抱きつくダニーの腕に力がこもった。

 

「白いおじさんとおばさんたち、きらいっ!!」

 

会議室を響かせるその声に、白衣の男はショックを受けた様子で立ち尽くした。

深い影がさした状態で身体が傾く彼に、ビャーネとアルビンが声をかける。

 

「……あー、なんだ、ほら、元気だせよ。おっちゃん頑張ってたじゃん。きっといいことあるって。なっ」

「なんかホント、すみません。悪気はないので」

「うん、ありがとう。いいんだ。わかってるから」

 

子どもに慰められ気を遣われる、いい歳をした医者の姿。

……何だこれ。

すると、隣にいたオリガさんが体を寄せてこっそり耳打ちをした。

 

「彼、ヴァージル君って言うんだけどさ、あの涼しそ~な面構えで、実は大の子ども好きなんだよ。ここ、子どもが少ないからさ、今日はメッチャ張り切ってたんだよねー」

「そうだったのか」

 

抱きつくダニーの背を軽く叩いて宥めながら、黄昏れつつ着席する医者を見つめる。

後で、看護師の人も含めて謝っておこう。

 

「やはり、子どもがいると違いますね。場が明るくなります」

「そうだな」

 

ヴィリさんが目を細めて言うと、カールさんは苦笑した。

私の隣にクロエが座り──クロエもそばにいなきゃやだという、小僧たっての希望だ──、ビャーネ、アルビンの順で着席した。

カールさんがここまでの話を、子どもが理解できて、尚且つ心理的な状態を加味した上で説明した。

 

「サイカ、一人で行くの?」

 

クロエの不安げな声に、ダニーが再びグズる気配を感じた。

ダニーの背を叩きながら笑顔を作って答える。

 

「あんたたちの体調次第だって」

「オレは元気だぞ!」

「うん。わかる」

 

ビャーネの身を乗り出しての主張に、私は頷き、隣のピター風味の女も何度も頷いた。

 

「うんうん、ひと目でわかるよー。いいことだねー」

「確かに君は全くもって問題ないが、他の子はそうはいかないんだよ」

 

続いたヴァージルさんの言葉に、カールさんが反応した。

 

「他の子たちに何か問題があるのか?」

「いえ、概ね良好ですが、やはり疲れが溜まっています。ちゃんと栄養を取って、しっかり休ませてあげたい」

「そうだな」

 

そして、カールさんは子どもたちを見た。

「君たちの意見を聞きたい。君たちはここに留まり、休養をとりながら、復調したサイカさんの迎えを待つという選択肢がある。それまで君たちの安全と生活は保証しよう。それともやはり、サイカさんと共に旅を続けたいかね?」

 

すると、子どもたちは揃って頷いた。

 

「みんなといっしょがいい」

 

ポツリとダニーが言い、クロエが黙ったまま私の服を掴んだ。

嬉しかった。

私と共に歩んでくれるその気持ちが、たまらなく嬉しかった。

この気持ちを忘れなければ、どんなことにも耐えられる。

そう思えるほどに。

カールさんは神妙な表情になった。

 

「オリガさん、サイカさんがここに留まれる猶予はどれくらいある?」

「あんましないですね」

「そうか」

 

すると、アルビンが表情を険しくしてオリガさんを見た。

 

「そんなに悪いんですか」

「早ければ早いほどいいってことだよ」

 

核心には触れずにオリガさんは言うが、敏いアルビンのことだ。

それとなく事情を察したに違いない。

 

「私は、全員揃ってダスティミラーへ向かう方がいいと思う」

 

アルビンが何か言おうとした時、カールさんがそれを遮るように言った。

 

「彼女達は深層からダスティミラーを目指していたが、ハンネスを助けたことでそれが障害となってしまった。なら、それを取り除き、動けぬハンネスに変わって恩返しをしたいと思っている」

 

カールさんは視線を下げた。

 

「それに、離れ離れになって互いに不安な時を過ごすなら、苦しくとも共にあった方がいいだろう」

 

その言葉に、ヴィリさんとオリガさんがカールさんの方を向いた。

彼は視線を上げ、小さく頷く。

 

「オリガさん、彼女、明日中なら持ちそうか」

 

オリガさんはカールさんを見ていたが、頭をかいて答えた。

 

「そうですねー。今日以上にしんどくなることは間違いありませんが、彼女がそれを耐えられるのなら問題はありません。あたしはいつも通り、最善を尽くすまでですよ、ボス」

「ヴァージルさん、子どもたちは一日休ませれば大丈夫か」

「二、三日と行きたいところですが、事情が事情です。信頼出来る保護者がいない中、見知らぬミナトで何日も過ごすのは、安心よりも不安の方が大きいでしょう。オーナーに同意しますよ」

「二人ともありがとう」

 

カールさんは私たちに笑顔を向けた。

 

「決まりだ。君たちは明日、ダスティミラーへ向かってくれ。そのために今日は当ミナトで一泊し、鋭気を養ってほしい」

 

子どもたちが安堵したのを察し、彼は笑顔を深くした。

 

「心配しなくてもいい。彼女は大丈夫だ。この旅の最後まで、君たちと共にあり続ける。私たちはそのために力を貸そう」

 

そして彼は笑顔をおさめ、アルビンに視線を合わせた。

 

「彼女を、そして大人(私たち)を信じてくれ」

 

カールさんの真摯な表情にアルビンは面食らったようだが、やがて生真面目に頷いた。

 

「わかりました。お世話になります」

「よし。では明日のブリーフィングを行う。トーヴェさん、準備をしてくれ」

「かしこまりました、オーナー」

 

トーヴェさんが、信頼をこめた笑顔で頷いた。

 

 

明日の計画と確認が行われた後、その場にいた全員で昼食となった。

内容は、クロエの故郷の料理を取り入れたものだそうで、繊細、複雑、豊潤さを揃え持ったものだった。

この地や周辺の料理が、シンプルかつ高カロリーのものが多いことと比べると、選択肢の多さと高い美意識が感じられる。

ヴィリさんが言うには、このミナトに所属する、この地以外を故郷とする職員から食の改善を強く訴えられ、ならばと彼らの知見を取り入れたとのことだった。

子どもたちはと言えば、そんなものは関係なく大喜びで貪っていた。

こんなに喜ぶなら作ってあげたいが、作るの大変そうだな。

 

「あれ? サイカ、食わないの?」

 

皿を舐める勢いで食べていたビャーネが、目敏く私の皿に目を向ける。

そう、この素晴らしい料理を前にしても、私の食欲は一向にわいてこなかった。

体中の体液が先程の点滴になったかのようで、かすかに感じるその臭いと味が、食欲減退に拍車をかけているような気がする。

 

「残してもいいから、少しでもお腹に入れときな。明日のためにもね」

「はい」

 

オリガさんの言葉に頷いた。

心配そうに見つめる子どもたちに笑顔を向け、スプーンを動かすとノロノロと食べるのを再開する。

せっかくの料理をだったが、やはり先程の点滴の臭いと味しか感じられなかった。

結局半分以上を残して、私はオリガさんに案内されて、今日は病室のベッドで安静に過ごすことになった。

心配する子どもたちをどうにか安心させ、男子三人は先程のパイロットたちとこのミナトの施設を見学に行き、クロエは私の側に居残ることになった。

 

「私、機械に興味ないもん。ここでサイカとお話ししながら編み物する」

「クーちゃん、編み物できるの?」

「は、はい。ちょっと、ですけど」

 

オリガさんに話しかけられ、クロエは戸惑った様子で答えた。

クロエは大人の男が大の苦手だが、大人の女もそこそこに苦手なのだ。

オリガさんは明るく笑った。

 

「凄いじゃん! あたしゃ母親にやらされたことがあったけど、半日ともたなかったよ」

「……サイカは一時間ともちませんでした」

 

何、暴露してくれちゃってんの、この小娘ちゃんは。

遠慮なく爆笑するほぼ裸族に屈辱を覚えつつ、私は言い訳を開始する。

 

「いや、何というか、性にあわなかったんだよ。ちまちまやるの」

 

朱の女王の拠点にいた時、近所に住んでいた女AGEから習ったことがあるのだが、クロエが即ハマったのに対し、私は全然ダメだった。

あまりの単調作業と、その作業の進まなさに、じれったくもどかしくなったのを覚えている。

オリガさんは笑いを収め大きく頷いた。

 

「わかるわかる。根気いるよね。性格出るよ。大雑把で飽きっぽいのはやっちゃあかんね」

 

そうして三人で雑談をしていると、ハンネスさんの奥さんのイーリスさんが、赤ん坊のユリヤナちゃんを抱えてお礼と謝罪にやってきた。

そもそも、ハンネスさんは湖の調査のため、GEの研究者たちの護衛とサポート任務についていたそうだ。

そして、向こう岸で休憩をしていた際に灰域種と遭遇、ハンネスさんはみんなを逃がすため、一人その場に留まり戦うことになったという。

AGEの補充はいくらでもきくが、努力と共に培ってきた知恵と知識は、そうは簡単に補充できないと言って。

彼自身の補充もないというのに、私も含め、本当に大馬鹿野郎だったのだ。

最初は気丈にしていたイーリスさんだが、感極まって涙ぐみ、それが連鎖反応的に子どもに伝わって大泣きし始め、三人で宥めたりした。

 

「ぶっちゃけ、死んで神機と腕輪しか残っていないと思っていたからね」

 

何度も何度もお礼をして出ていくイーリスさんを見送ったオリガさんが、白衣のポケットに手を突っ込みポツリと言った。

 

「彼女が嘆くのは当然としても、心ならずも彼を置いて逃げた人達も、自分たちを責めていたんだよ。でも、サイカちゃんが助けてくれて、彼は奇跡的に生き延びた。あんた達にとっちゃ大変だったろうけどさ、彼が助かったことで、救われた人々も確かにいるんだ。その事は、忘れないでほしいかな」

 

笑顔とともに言ったオリガさんのその言葉は、今までになく重かった。

そして、オリガさんが休憩をのために出ていき、眠気が押し寄せてきていた私も寝ることにした。

 

「ゆっくり休んでね。私はここにいるから大丈夫だよ」

 

その言葉に思わず笑った。

それは、クロエが体調を崩した時に私がよく言っていたものだった。

 

「メルシー。あまり根を詰めないように。眠くなったら部屋に戻って寝なさいよ」

 

私は言って、クロエの返事を待たず目を閉じた。

眠りに落ちるのはあっという間だった。

 

 

夢も見ずに眠り、点滴の時間とのことで起こされた時には夕方となっていた。

結局クロエも、休憩から戻ったオリガさんに起こされるまで眠ってしまったようだが、編み物の進捗は順調らしい。

今月中には完成できそうだと、嬉しそうに笑っていた。

点滴が終わり夕食の時間となったが、私は病室で食事をとることになった。

消化によく栄養のあるメニューだそうだが、食欲は全くない。

それでも明日のためにと、どうにか食べ進めた。

昼同様、半分以上残して横になっていると、夕食を食べ終えた子どもたちが病室へやって来た。

賑やかに午後の出来事を報告をするのを、ぼんやりと聞く。

夕方になって熱が上がり、解熱剤がまだきいていないせいだった。

 

「サイカ、本当に大丈夫なのか?」

 

面会終了の時間となり、心配そうに尋ねるビャーネに私は笑い、その頬を軽く摘んだ。

 

「今日はしっかり休んで、明日に備えるよ。あんた達も夜更かししないようにね。寝坊したら置いてっちゃうよ」

 

子どもたちを送り出し、オリガさんはこちらを向いた。

 

「今更だし脅す気はないけど、この状態は改善しないよ。あたしもやれることはやるけど、覚悟だけはしておいてね」

 

私は頷いた。

私が選択した結果と報いだ。

それがどれほどのものになるのか、正直想像はつかない。

だが、必ず乗り越えてみせる。

再び眠気が押し寄せ、私は目を閉じた。

そうしてどれくらい眠ったのか、気配がして目が覚めた、ような気がした。

人がいる。

私の右手首の腕輪を両手で添え、私を見つめるのは懐かしい人だった。

 

「フリーダ、せんぱい」

 

掠れた声で言うと、彼女は私の大好きだった笑顔で頷き、そして溶けるように消えた。

そうして本格的に覚醒した。

……何故、彼女がいたのだろう。

周囲に視線を巡らすが、闇に沈んだ病室に人の気配はない。

サイドテーブルに置かれた時計を見れば、真夜中まで後二時間ほどの時間だった。

体を起こす。

解熱剤がきいたのか、身体はだいぶ楽になっていた。

水を飲み、トイレを済ませてベッドに横になったが、完全に目が覚めてしまい寝付けそうにない。

エントランスを見てこようかな。

病室でほぼ過し、ここの施設を見て回ることはついに出来なかった。

せっかくだから、この地表では体験できない緑豊かな場所を堪能しよう。

 

ミナトは電力が最小限に抑えられているようで、誰もいない薄暗い廊下を歩く。

一時的に体調が落ち着いているのか、さほど苦労することなくエントランスへ到着した。

緑の茂るエントランスは、やはり電気も最小限に抑えられ薄暗い。

それどころか、覆い茂る緑が濃い闇となり、どこか不気味で得体の知れないもののように見える。

石畳を照らす光がなければ、回れ右をして病室へ戻っていたかもしれない。

だが、人の気配を感じてエントランスを歩き出した。

ついでに言えば、その気配はよく知っているものだった。

開かれた場所に設置してある白木のベンチに、アルビンが座っていた。

 

「サイカ」

グクベル(こんばんは)、アルビン。夜更かし?」

 

笑って言うと、彼は立ち上がった。

 

「あんた大丈夫なのか、寝なくていいのか?」

「寝付けなくてね。トイレのついでに散歩にきたんだよ」

「いや、寝ろよ」

「まあまあまあまあ」

 

私はアルビンの肩を叩き、ベンチに腰を下ろした。

アルビンは軽く睨んだが、素直に私の隣に座った。

私はそびえる緑と、その先の天井からの優しい光を見つめる。

 

「明日も早いし、ここの施設をちゃんと見ることできなかったからね」

「ダスティミラーで治療を受けたら、荷物を取りにまたここへ戻るんだろ。その時に見れば」

「まあまあまあまあ」

「心配して言ってんだけど」

「タック。でも少しだけ、ね」

 

再びアルビンはため息をついた。

私の性格をよくわかっているアルビンは、それ以上は言わなかった。

私は視線をアルビンへ移す。

 

「あんたこそどうしたの。眠れないの?」

「……うん、まあ」

 

珍しく歯切れ悪い返事だった。

 

「何か心配事でも?」

「……体調の悪い先輩がいてさ、心配して寝ろって言ってんだけど、聞いてくれないんだよね」

 

コイツめ。

 

「うんまあ、その先輩は、あんたが本当に心配している気持ちをわかっていると思うよ」

「どうだか」

 

アルビンはそっぽ向いた。

私は苦笑した。

 

「で、その先輩は、あんたにいつも助けてもらって本当に感謝しているの。だから、あんたが困っていたら、力になりたいって思っているんだよ」

 

私は言葉を続ける。

 

「無理に話せとは言わないし、その力を利用するもしないもお任せだけどさ、その準備はいつでもできているよって、思っているから」

「…………」

 

アルビンは黙ったままだ。

わずかな光量に照らされたアルビンの顔は、困惑し苛立っているように見えた。

一言、声をかけようとして思いとどまる。

自分でちゃんと言葉を組み立てて、話そうとしてくれている気配を感じたからだ。

 

「わからない。でも、何かムカつく」

 

そうして言った言葉は意外なものだった。

下手な大人よりも理性的でしっかりしているのがアルビンだ。

だが、この旅の合間に、それが綻んできているのを度々見てきた。

アルビンの、強靭な理性と忍耐強さの真ん中にあって、揺さぶりをかける正体は一体何なのだろう。

疲れとか体調不良ではない、もっと根源的なもののように感じた。

 

「何に対してムカついているの?」

 

私だろうか。

まあそれは今更である。

だが、アルビンは視線を落としたまま首を振った。

 

「……わからない。だから余計にムカついて、頭冷やしにきたんだ」

「そっか」

 

これ以上聞き出すのは、何となく難しそうだ。

旅が終わった後に改めて聞こうと思った時だった。

新たな気配を感じて、そちらに視線を飛ばす。

緑の茂みから、小さな音を立てて車椅子に座った女性がやってきた。

今まで見てきた誰よりも年老いた女性は、私たちに目を止めると車椅子を止めて笑いかけた。

 

イルタ(こんばんは)

「ヒュヴァ イルタ」

 

つられて挨拶を返すと、彼女はにっこりと笑った。

 

「見かけない顔ですけど、もしかして貴方達が、オーナーの話していた深層からのお客様でしょうか」

「はい。お世話になっています」

 

私とアルビンは自己紹介をした。

誰だろうこの人。

パッと見は、体の不自由な小さなお婆ちゃんだ。

だが、意匠を凝らしながらも、コンソールが付き自分で簡単に操作できる車椅子と、上品な身なりとたおやかな所作。

どう考えても私たちとは別次元の存在だった。

 

「ご丁寧にありがとう。昼間にご挨拶できなくてごめんなさいね。私はニナ。オーナーの、カールの祖母です」

 

そう言って、彼女は皺が多く刻まれた顔に、親しみを込めた笑顔を浮かべた。

私同様、夜の散歩に来たというニナさんと話をした。

カールったら、徘徊なんて失礼なこと言ってるけど違うのよ、と笑っていた。

屈託のない態度の彼女に緊張が少しほぐれ、深層からここまでの旅の経緯と、今この場に来た理由を話した。

ニナさんは頷きながら話を聞き、そしてアルビンの方を向いて微笑んだ。

 

「貴方は凄いですねえ。賢くて理性的で我慢強くて。大人でもこんなに強い人はそうそういませんよ」

「……そんなんじゃないです」

 

アルビンは俯いた。

 

「最近はイライラしっぱなしだし。……八つ当たりしないようにしてるけど」

「あら、そうなんですか? でも、それを我慢できることは、やっぱり凄いことですよ」

 

ニナさんの言葉に、アルビンはますます居心地が悪そうだった。

照れているというより、動揺し困惑しているようだった。

と、ニナさんはポンと一つ手を打った。

 

「ねえ、お二方。良ければ、このお婆ちゃんのお散歩に少しお付き合いしませんか。軽い運動は眠りにもいいと聞きますしね」

「え、でも」

「ヨー! 喜んで!」

 

ためらうアルビンの言葉を被せるように、私は調子よく答えた。

アルビンが睨むのを感じたが、当然シカトする。

 

「では決まりですね。大丈夫ですよ。貴方たちは明日早いし、私もこんなですからね。体への負担の少ないコースにしますとも」

 

アルビンに優しく告げ、彼女は私を見た。

 

「でもサイカさん、体調が悪くなったらすぐに言ってくださいね」

「わかりました」

「では、出発しましょう」

 

そう言ってニナさんは車椅子をコンソールで操作し、滑るように小道を進み始めた。

私とアルビンは何となく顔を見合わせ、彼女の後に続いた。

彼女は道すがら、私たちに話しかける。

 

「ここのことは、誰かから説明を受けましたか」

「はい、オリガさんから」

「俺はトーヴェさんと、キケさんたちから聞きました」

「そう。お話が早そうで何よりです」

 

彼女は補足という形で、このミナトの概略を語り始めた。

 




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湖のミナト 3

このミナトの前身にあたる研究所は、アラガミが発生する前の環境と生態系の調査、研究、保全を目的としたフェンリルの一組織として存在していた。

しかし、本部や支部の人口増加によってその維持が難しくなった。

理由は、人々の反発と反対の声だった。

 

「それはそうですよね。動植物の研究や保護に力を注ぐ余裕があるのなら、その余裕を人の保護に回して欲しいというのは、当然の意見ですよね」

 

しかし、初代オーナーとなる所長は諦めなかった。

ならばと、フェンリルから独立した研究所を人から離れた場所に作ることにしたのだ。

フェンリルは、アラガミから人を保護する。

ならば我々は、アラガミから人以外の命を保護しよう。

いつかアラガミが一掃された時に、この地に人だけ残っても寂しかろう。

そう言って。

元々お金を持っていた彼は、その私財を全て投げ打ち、さらに負債を背負ってこの場所に研究所を建造した。

その際に、財務の責任者として招聘されたのがニナさんだった。

 

「当時、私は夫と事業をしていたのですけどね、事業の方針を巡って対立し、何度かの話し合いをもっても溝は埋まらず、夫と別れ、私の持っていた事業も手放し退職しました。子育てもひと段落しているし、さてこれからどうしようかしらと思っていた時に拾ってくれたのが、初代のオーナーでした」

 

ニナさんの経営者としての腕と、お金がらみの強さを聞いていた初代オーナーは、ニナさんを招聘することで、研究所の運営をより強固なものにしようとしたのだ。

 

「本職の合間に、みんなと一緒に土を作って植物を植えて、保護した動物たちの面倒を見て、育てるなんてことをしていましたね。私生活では、息子が色々やらかしたり、母の介護をしたりと、公私共に心休まる暇なんてありませんでした」

 

そう話すニナさんの顔は、苦笑しながらも懐かしそうだった。

個人的には、私生活云々の話を根掘り葉掘り聞きたかったことは内緒だ。

程なくしてエレベーターに乗り込み、さらに地下深くへと降りていく。

 

「それでも、皆さんの協力もあってどうにか負債は払い切れましたし、この研究所の建造と維持と管理、生態系や環境の研究で得た知見は、地下施設の発展の一助になったのではないかと思っておりますよ」

 

知識や調査データ、関連する技術開発は、このミナトの大きな財産となって施設の全てを支えることになった。

 

「ずいぶん深く潜るんだな」

 

アルビンがポツリと言うと、ニナさんは愛嬌のある笑顔を見せた。

 

「ええ。本当はここから先は、関係者以外は立ち入り厳禁ですけど、貴方たちには特別にお見せしましょう」

「いいんですか?」

「いいんです。私はお婆ちゃんですもの。たまには物忘れくらいしますよ」

 

本当にいいのだろうか。

しばらくしてエレベーターは減速し、そして止まった。

ドアが開き、再び無機質な通路が現れる。

いくつかのセキュリティロックをクリアし、今までにない分厚い壁とドアの前へたどり着いた。

それはこの先、とても重要な場所であることを告げていた。

ニナさんは、通路の横にあるドアを開けた。

 

「ここで備え付けの靴に履き替えて、上着を着てくださいね」

 

言われるがまま部屋に入り、靴を履き替え、上着を羽織った。

と、こちらを見たアルビンが、私に向かって無言で手を伸ばす。

そして、上着の内側に潜り込んでいた襟を引っ張り出して整えた。

 

「タック」

「ヴァ ソ ゴッ」

「あら」

 

私たちのやり取りに、ニナさんは目を見張り首を傾げた。

 

「貴方たち、この地のお隣のご出身?」

「この子がそうなんです」

「そうなの」

 

ニナさんは、アルビンに向って嬉しそうに笑った。

 

「懐かしいですね。元夫と初代オーナーが、アルビンさんと同じ言葉を使う人だったんですよ」

 

ニナさんの元夫は、アルビンと同じ故郷の出身で、初代のオーナーは、この地の南にある島の出身だったそうだ。

準備が整ったことを確認し、杖を使って器用に車椅子を乗り換えたニナさんが、最後のセキュリティロックを解除した。

ドアが開いた瞬間、私たちを包んだのは、濃密な生の息吹だった。

エントランスとは比較にならぬほどの、緑と土と水の匂い。

空気が濃く感じる。

肌身に感じる湿気と、靴底から足に伝わる柔らかな土の感触は、恐ろしく新鮮なものだった。

 

「これは……」

「凄い」

 

視界の先は、黒々とした木々が見たこともない量で埋め尽くされている。

背丈の高い木々を、余裕で覆うほどの高い天井はフレームに覆われ、どんな仕組みかは不明だが、星空が広がり、白く丸い月が輝いている。

 

「ここが、私たちのミナトの存在意義にして貴重な財産。初代オーナーと数多の研究者、職員、企業パートナー、そしてこの地の人々が、資産と叡智を結集して守ろうとした、この地の命と記憶の一部です」

 

闇夜に沈む、静かで不気味な樹木の密集地。

水を蓄え、動植物を育み、人々に恵みと恐怖とインスピレーションを与えたそれを、人は森と呼んでいたという。

それは、己の体調不良を忘れさせる衝撃の光景だった。

 

「……綺麗なんですけど、ちょっと怖いですね」

 

思わずこぼした感想に、ニナさんは笑顔を浮かべた。

 

「自然は美しいものとして捉え勝ちですけど、同時に未知と危険を併せ持つ恐ろしいもの、畏怖すべきものです。それを人の手で再現出来ているなら、それはこの上ない喜びですよ」

 

感応現象を使うまでもなく感じる、生きるという意志を持つ、数多の命が共存する世界は、私の持つ語彙だけでは表現ができない。

ニナさんが石畳の道を進み始めたのを、私とアルビンは慌てて追いかけた。

 

「あの、これってどうやって育てているんですか?」

「ここで開発されたシステムで制御されています。アラガミが発生する前の気候を、できる限り忠実に再現するようにしているんですよ」

 

夏至の前後には白夜を、冬至の前後には極夜にして日照時間の調整をし、厳冬期には氷点下に気温を下げて大地を凍らせ、人工降雪機で雪を降らせているそうだ。

 

「凄いな……」

「ええ。でもそのためには、莫大なエネルギーとお金が必要です。エネルギーの問題は未だ解決はできていませんね。その点、お金については私の後任の方がとても優秀な人で、安定した収益を確保出来ています」

「お金も大事なんですね」

「もちろんですとも」

 

アルビンの言葉に、ニナさんは深くしっかりと頷く。

 

「保護する生態系以外にも、ここで生活する研究者や職員、その家族にも安定した快適な生活環境を与える必要があります。私はそれを支えるためのお金を管理し、運用するために呼ばれたんです」

 

責任重大なお仕事だ。

凄い人ではないかと思っていたが、本当に凄い人だったのだ。

エントランス同様、石畳の両側に取り付けられた光に沿って森を歩き、開けた場所に出た。

細長い草が生える岩の大地。

水の匂いがより強くなる。

と、声がした。

人の子供が声を上げたような、存在感のある声だ。

 

「あら、私たち以外にも夜更かしをしている子がいるようですね」

 

見れば、柵に囲まれている岩を抉ったような大きな池が見えた。

岩の影に潜むように、見たことの無い生物が群れをなしている。

どうやら大部分が眠っているようだが、一匹だけ、群れから外れてこちらを見ているようだった。

僅かな明かりに見えるのは、ツルリとした体に灰色のまだら模様。

グボロ・グボロのようなヒレと尻尾をもち、アラガミたちにはない愛嬌のある顔は、クロエやダニーが見たら大騒ぎをするに違いない。

 

「あれはアラガミが発生する以前から、絶滅危惧種(レッドリスト)に登録されていた、この地の固有の淡水のアザラシです」

 

と、そのアザラシなる生き物と目があった。

その途端、慌てて背を向けバタバタと池に向かうと、あっという間に水面に飛び込み姿を隠してしまった。

ニナさんがクスリと笑う。

 

「あの子はまだ子どもで、好奇心は強いけど臆病なんです」

 

んー、誰かに似ているような。

と、小さく水の跳ねる音がして再び池を見れば、先程のアザラシが頭だけを出してこちらを見ていた。

だが、私たちの視線を受けたアザラシは、再び水へ潜ってしまった。

 

「何かあれ、俺の知っている奴に似ているような気がする」

「奇遇だね。私もそう思っていたところだよ」

 

姿形ではもちろんなく、気質の部分で。

無邪気で臆病で泣き虫で、勇気と優しさをもった、あの子によく似ていた。

岩場を通り過ぎると、再び芝生の覆う大地が現れた。

思った以上に奥行きがあり広い。

 

「このエリアの奥も良い場所ですし、隣のエリアの水族館も見せてあげたいですけど、あまり遠くまで行くと帰るのに時間がかかりますからね。この辺りにしておきましょう」

「水族館」

「この地にいた水生生物を管理している場所です。こことはまた違った趣きがありますよ」

 

ほんのりと光を放つ照明灯と、低木に囲われた花々が咲く公園のような場所で、ニナさんは車椅子をとめた。

 

「もう少し、ここのお話をしてもいいでしょうか」

「どうぞ」

「ありがとう。あまり楽しいものではないですけどね」

 

そう前置きして、ニナさんは語り始めた。

 

 

ここの人々は、この地の生態系を守り再現すべく努力を続けていた。

フェンリル本部とは多少はやり合うことはあっても、そこそこの信頼関係を築いていたという。

 

「でもね、厄災が、全てを変えてしまったんです」

 

ニナさんは視線を落とした。

灰域がこの地を覆い、アラガミが発生してもなお生き残っていたこの地の動植物は、ほとんどが喰われて灰と化した。

それは人も変わらない。

 

「灰域から動植物を保護しようとした初代オーナーや、オーナーを継いだばかりの息子が死に、多くの職員が犠牲となりました。フェンリル本部へ出かけていた息子の妻とカールの弟も行方不明となり、消息は不明のまま。私の家族は、カールだけになったんです」

 

だが、襲った悲劇を嘆く暇はなかった。

ニナさんが暫定的にオーナーとなり、このミナトも対応に追われた。

生き残るために、人々はサテライト拠点の地下施設を利用してミナトの建造し、ここの知識と技術は大いに利用された。

程なくして、人々は灰域に対抗するために、さらに人ならざるものを生み出した。

AGE(私達)だ。

同時期に、グレイプニルは灰域航行法を施行し、各ミナトに準拠するよう求めた。

 

「ここも、最初はその領域入る予定でした。でも、その条件は到底飲めるものではなかったのです」

 

その条件とは、今まさに私たちがいるこのエリアを、人のために解放するというものだった。

当時、安全を確保しながら人を収容できるミナトの数は少なく、難民が各地の有力なミナトに溢れている状況だったという。

そのため、グレイプニルは難民を救うために、このエリアを解放することを要求したのだ。

それは、理解できるのだが。

 

「私が灰域で体調を崩してしまって、副オーナーだったカールが、アローヘッドとの交渉にあたりました。付き添ったヴィリが言うには、人の命と数にものを言わせた脅迫紛いのものだったそうです」

 

それだけ、アローヘッド側も焦り必死だったとも言える。

どうにか返事を持ち帰ることができたカールさんだが、すっかり憔悴してしまったという。

 

「カールは思い悩んでいました。当然ですよね。人の命は一番に尊重し守られるべきものと認識されていますから。でもここは、フェンリルが守らぬ命を守るために作られた場所です。そして、限られた土地で懸命に生きる、アラガミや灰域に抗う術のない命があります。

当時からあの子は、優しくて賢くて勇気のある子でしたけどね、多くの命を天秤にかけて選ぶには、まだ幼かったんです」

 

追い詰められたカールさんは、ついに祖母に苦悩を明かした。

汚れることは厭わない。

だが、見捨てる命があまりに多すぎる。

その命と罪を背負いきれる自信が無いと、選択することが出来なかったのだ。

一人の命ですらブレてしまった私に、カールさんの苦悩は察するにあまりあった。

 

「私は悟りました。これこそが、私がこのミナトでの最後の勤めであり、次のオーナーになるカールへの最後の教えになるのだと。私は即日、灰域航行法の領域からの離脱と、領域内のミナトに対し無期限で断交することを宣言しました」

 

それは、難民の受け入れを拒否し、切り捨てる判断だった。

それを、この小さくて上品で優し気なお婆さんがやったのだ。

 

「それで終われば良かったのだけど、アローヘッドの一部の人たちは諦めきれなかった。目の前にいる、困窮している難民を見捨てることが出来なかったのでしょう。彼らがここを襲撃し、乗っ取りを画策していることを聞きました。容易なことだと思ったのでしょうね。事実、ここの戦力なんて彼らのそれと比べたら、吹けば飛ぶ塵のようなものでしたから」

 

彼女はさらなる決断をした。

それは、領域外の戦力に頼ることだった。

 

「私の独断で、私の私財と地下施設の技術提供をすることを条件に彼らと契約を交わしました。AGEで構成された武装集団、朱の女王と呼ばれる組織です」

 

灰域での戦いに不慣れなグレイプニルと違い、灰域に適応した彼らの力は圧倒的だった。

戦いは瞬く間に終わり、グレイプニルは以降、このミナトに手を出すことはなくなったという。

私は、風景を見つめながら話す彼女の姿に、ヴェルナーさんの姿が被るのを見た。

彼女が、景色と共に見ているものが今ならハッキリとわかる。

それは、ここを守るために彼女が犯した罪と罰だった。

 

「私はね、出来なかったんです」

 

彼女は視線を私たちに向けた。

その表情は、空から見たあの湖のように、どこまでも静かで穏やかなものだった。

 

「ここに大地を再現し守るために、どれほどの時間とモノとエネルギーを費やしてきたことか。ここには、遠い過去からアラガミが発生するまでの間、懸命に生きてきたこの地の命の記憶がある。それを守ろうとした人々の意志がある。私はそれを、どうしても守りたかった。捨てるなんてこと、出来なかったんです」

 

ニナさんは、全ての混乱の責任を取ってオーナーの職を退き、カールさんがその跡を継いだ。

カールさんはこのミナトの人達と協力して自治を確立し、様々な問題を抱えながらも今のミナトに至るのだ。

 

私は視線を落とした。

ああ、本当にグチャグチャだったんだ。

みんながみんな、決して譲れない大事な何かを守りたくて、自分に出来ることを必死でやっているだけなのに。

だが、裏を返せば、みんながみんな自分の主張ばかりして譲る気はないのだから、争いが起こるのは当然と言えた。

そして私は、ニナさんがやったことに引っかかりも覚えていた。

難民の件は、人の命を見捨てた血も涙もない対応で、糾弾されても仕方のないものだ。

朱の女王の件は複雑だ。

その当時、その組織が各地のミナトでテロと灰嵐を引き起こし、罪なき人々を脅かす存在になることを、誰が予想出来ただろうか。

そしてその組織は、迫害されていたAGEを守り、私と子どもたちを助け、今に繋がっているのだ。

彼女の行いは、善悪がよられた糸のようなもので、善悪の物差しで断ずることは難しい。

わかるのは、彼女の守ることに対する壮絶な覚悟であり、その結果を背負って生きることの重さだった。

かのガドリン総督を彷彿とさせる、目の覚めるような凄まじい胆力。

今の私には、まだまだ全然、足元にすら及ばない境地に思わず目を閉じた。

すごい人達だよ、本当に。

 

「あの」

 

私の横で、アルビンがニナさんに声をかけた。

 

「何で、そんな話を俺たちに聞かせてくれたんですか」

 

すると、彼女は車椅子を少し動かし、アルビンと向き合った。

 

「貴方に、必要な話だと思ったからですよ。アルビンさん」

「え」

 

戸惑うアルビンに、ニナさんは笑いかけた。

 

「貴方は、どうしてイライラしているのかわからないって言っていたけど、言葉にできないだけで、本当は分かっているのではないですか」

 

その言葉に、アルビンが固まった。

 

「カールの話と、エントランスで聞いた貴方たちの話、ここまでのやり取りから、貴方の今後の課題を知りました。貴方は変化に弱い。いえ、怖いんですよね」

 

私は息を飲んだ。

ここまでの話とやり取りだけで、ここまでアルビンのことを知り得るとは。

驚く私に、企業の経営者として人と接する機会が多く、経験を積んだだけですよと、彼女は笑って言った。

正しく言いきられたアルビンは観念したよう俯き、

 

「……そうかも、しれないです」

 

そうしてポツポツと話し始めた。

変わっていくことがこわい。

変われず進めない自分に、酷く劣等感を感じる。

でも、変わりなくない。

このままでいたいのに。

 

「変わりたくないのは、変わることで、新たに失うものが出来ることがこわいからだね」

 

私が言うと、アルビンは俯いたまま頷く。

アルビンは、今まで奪われ失い続けていた。

家族を、故郷を、人らしい生活を、暗闇で見つけた優しい人達を、初恋の人を。

そして、一縷の望みを繋いだ朱の女王も失った。

 

「許せないんだよ」

 

俯くアルビンの言葉に、怒りが点った。

自分から尽く大切なものを奪っていた存在が許せないと。

ガドリン総督、グレイプニル、ペニーウォートその頂点だ。

でも我慢した。

今はそれどころじゃなかったし、子ども一人ではどうにかなるものではないとわかっていたから。

言って、アルビンは顔を上げた。

青い目に、鮮烈な怒りを宿して私たちを見る。

 

「なのに、今朝の光が言ったんだ。みんな、生きたかっただけだって。でも本音はこうだろ。だから許しあおう、みんなで未来へ進んでいこうって。ふざけんな!!」

 

強く鋭く叫ぶその声に、私は立ちつくした。

アルビンの理性と忍耐の真ん中にあって揺さぶり続けたものの正体を、私は見つめる。

 

「散々奪っておいて、なんだそれ。今更すぎるだろ! 俺から奪ったそれが、どれだけ大切なものだったか、あいつらには絶対にわからない! だからあんなことのうのうとできるんだよ。ああ、我慢するよ、我慢するとも。言っていることは正しいからな! でも、許すなんて絶対出来ないし、仲良くするなんてクソ喰らえだ!」

 

そうしてアルビンは、今まで我慢に我慢を重ねてきた怒りと憎悪を、さらに故郷の言葉で吐き出し続ける。

私もニナさんも、それを見届けることしかできなかった。

ひとしきり吐き出し続けたアルビンは、息を切らして、小さく呟いた。

 

「俺はもう変わりたくないし、無くしたくないんだよ」

 

そう言って沈黙した。

その小さな悲鳴に、胸が抉られる思いがした。

 

「貴方は、本当に強く優しい子なんですね」

 

ニナさんはアルビンの腕に触れた。

 

「奪われ失ったものが、本当に大切だったからこそ、ここまで怒れるのですものね。それをここまで我慢できたのは、紛れもなく貴方の強さであり優しさです」

 

ニナさんの言葉に私は俯き、身を焦がすような胸の痛みをどうにか堪える。

薄々気付いていた私の新たな罪が、暴かれたような気がした。

至らなかった私は、アルビンの強さと優しさに甘えて我慢を強いた結果、彼から子どもらしさを奪い取っていたのだ。

それなのに、先輩風吹かせて恥知らずなことこの上ない。

 

「そんな貴方だからこそ、この課題に取り組んで欲しいと思っています。この課題は、どんな大人でも難しく、勇気と忍耐を必要とする課題です」

 

ニナさんは微笑みを消し、アルビンを見据えた。

 

「貴方から大切なものを奪った全てを、赦してあげてください」

「……え」

 

アルビンはニナさんを見た。

言っている意味がわからない、理解ができない。

そんな表情だった。

ニナさんは深く頷く。

 

「ええ、とても難しいことですよ。だって、貴方から大切なものを奪った犯罪者を赦せと、罰することなく無罪放免にしろと、言っているようなものですからね」

 

そもそも何故人は、許せないという感情を持つのか。

究極のところ、それは損をしたと思うからであり、損を取り返したいと思うのは当然の心理だ。

 

「でもね、私も奪った存在だから言えるんですけど、……返してあげられないんですよ。取り返しがつかないんです」

 

仮に返せたとしても、傷つけた事実は変わらない。

ならばせめて、自分のこの思いを相手に伝えたいと願う。

自分の受けた痛みと苦しみを、相手にも知って欲しいと望む。

罪を認めさせ、罰したいと欲する。

大切であればあるほど、かけた時間と注いだ思いが多いほどその気持ちは強くなる。

これもまた、人の極めて自然な感情だ。

だから、アルビンは首を振った。

 

「嫌だよ……」

 

そして一歩二歩と後ろへ下がった。

その表情は、友人が死んだ時に一度だけ見せた、激しく混乱し動揺した年相応のものだった。

 

「何でだよ。そんなの無理に決まってんじゃん。赦せるわけないだろ! 絶対に嫌だ。赦したくない、赦したくない! あんたが、あんたがそんなこと言うのは、あんた自身が」

「アルビン!」

 

私は強く鋭く呼び止めると、アルビンはこちらを見、顔を歪ませて押し黙った。

ニナさんがこちらを向き、首を振った。

 

「いいんですよ、サイカさん。アルビンさんの言う通り、これは私の懺悔のようなものですからね」

 

そう言って笑ったその顔は、やはり優しく、悲しげだった。

そして車椅子をまた少し動かし、アルビンとの距離を詰める。

 

「私の言う赦しとは、損を損として認めて確定させる行為であり、激しい痛みと苦しみをもたらす、決意と覚悟が必要な行為です。今の貴方にはできないし、私の声も届かないでしょう。でも覚えておいて」

 

風が吹いた。

人工で制御されたとは思えぬ自然な風の動きに、草花が揺れ、葉音が私たちを包む。

 

「赦してあげて欲しいと言う理由は、相手のためでも、みんなのためでも、前へ進むためでも、幸せになるためでもありません。貴方のため。貴方が掲げる正義の刃は、傷つく貴方をさらに傷つけ、いずれ押し潰します」

 

ニナさんの声は、その風が揺らす葉音の間にあってもしっかりと聞こえた。

 

「どこかでその刃を下ろさなければ、自らの正義によって居場所をなくし、遠からず潰えることになりましょう。

人は、貴方が思うほど強くはなく、常に正しく優しくあれるほど、不変ではないのです。私やガドリン総督、あなたの周囲の大人がそうだったようにね」

 

その言葉に、様々な理由で赦すことができずに皆が皆、刃を取って戦うことになった数々の出来事を思い出した。

もしかしたら。

私の脳裏にある予想が浮かぶ。

あの今朝方の光は、その刃を下ろす手助けをするものではなかろうか。

赦しの痛みをほんの少しだけ、緩和させるようなものだったかもしれない。

ただ、抱える怒りと傷が多すぎたアルビンにとって、その正しさと優しさは逆に傷つけることになってしまったが。

 

「もちろん、赦し難きを悪はあり、誅すべき存在もこの世にはありましょう。でもそれは、個人の正義の刃でなく、天と地が認める裁定の刃を持って成されるもの。また別のお話です」

 

ニナさんは、俯き黙るアルビンを労りと慈しみを持って見つめた。

 

「あの光の恩恵を跳ね除けた優しく強い貴方。自らの意志で痛みと苦しみを乗り越えた時、なにものにも変え難い救いを得ることができましょう。生きることを赦すだけでもいいんです。それが、変わり失いながら生きる貴方を赦すことに繋がりますから」

 

再び風が吹いた。

吹く風は肌に優しく、揺れて擦れる葉音は耳に心地よい。

今のアルビンに、それを感じる心の余裕はないだろう。

だが、幾ばくかの慰めになったのか、小さく、本当に小さく頷いたのだった。

 

 

行きとは違い、帰りは無言の歩みとなった。

岩場の池の前を通りかかった際、再び鳴き声が聞こえた。

先程のアザラシが、こちらに向かって鳴いている。

 

「大丈夫ですよ。また来ますからね」

 

ニナさんが呼びかけると、アザラシは一声鳴いて、群れの元へ行ってしまった。

私たちの雰囲気に心配したのか、別れの挨拶か、はたまた別の意図があったのか、感応能力をもってしてもわからない。

 

「私は果報者です」

 

ニナさんは車椅子を進めながら言った。

 

「人の命を見捨て、ミナトを混乱に陥れた私を、ミナトの人々とここの命は受け入れ、赦してくれた。そして、私がいなくてもカールをオーナーとして盛り立て、協力して自治を保ちながら運営できている。それは私たちの悲願、アラガミが発生する前の命と記憶を守り、次の世代へ託すことが出来たということなのですから」

 

深い闇が覆う森を抜け、出口が見えてきた。

私は振り返り、眠りにつくこの地の記憶の一部を見渡す。

最初に見た時は圧倒された光景は、美しく不気味で、悲しく見えた。

このミナトの生い立ちを知ったせいだろうか。

地の底深く、かりそめの大地で生きる行き場のない数多の命。

ここもまた、深層のベースとは別の、いつかは覚める夢の中の楽園なのだろうか。

昼間の光景と水族館なるものを見たら、印象はまた変わるのかもしれないが、それが叶う日は恐らくはあるまい。

 

「サイカさん」

「はい。行きます」

 

名残惜しさを連れてドアを抜けると、ドアは固く閉ざされた。

来た道を戻りエントランスの広場に出ると、ベンチに座っていたカールさんが立ち上がり、腕を組んで仁王立ちになった。

明らかに怒っているカールさんに、ニナさんは小首を傾げる。

 

「あら、オーナー。貴方も夜更かし組なの?」

「ええ、図らずも。ニナさんを待っていたんです」

 

顔をひくつかせてカールさんは言った。

 

「体調が悪いのに、勝手に部屋から出ないでくださいよ」

「だって、眠れなくて退屈だったんですもの。散歩くらいいいじゃないですか」

「子どものようなこと言わないでください」

 

そして、私たちの方を見た。

その目線は厳しい。

 

「どうやらニナさんに連れられて、立ち入り禁止区画に入ったようだが」

「あら、あそこはそうでしたっけ?」

「都合よくボケないでください。あの場所のことは、他の子どもたちも含め口外はしないように。いいね」

「はい。お約束します」

 

私はしっかりと頷いた。

自分で言うのもなんだが、これでも秘密に対しては口の硬い方だ。

アルビンは言うまでもない。

ニナさんは口元を抑えて笑った。

 

「彼女たちなら大丈夫ですよ」

「それを判断するのは私です。君たちも早く部屋に戻って寝るように。特に、サイカさんはしっかり休んでくれ」

「すみません。ご心配をおかけしました」

 

カールさんの隣に車椅子を進めたニナさんは私たちを見た。

 

「それでは、オーナーの雷が落ちる前に失礼しますね」

「雷の発生原因は誰ですか」

「はいはい。グナッ、ドロム ソート」

「グナッ」

 

怪訝な顔をするカールさんに構わず、ニナさんは笑顔で木々の奥へと消えた。

カールさんも挨拶をしてそれに続き、エントランスには私とアルビンだけになった。

 

「じゃあ、私も戻るよ。あんたもちゃんと部屋に戻って寝なさいね」

 

ここまで俯き、一言も発しなかったアルビンに向けて言う。

明日には元に戻っていればいいけど。

 

「グナッ、ア痛っ!」

 

そして背を向け歩きだそうとして、背中に衝撃が走った。

丸いものが背中に当たった感覚。

瞬時に察した。

アルビンが私の背中に向けて、頭突きをかましたのだ。

 

「ちょっと、アルビン」

「……無理だよ」

 

振り向こうとして、アルビンの声に動きを止めた。

その声は濡れて零れ落ちるているかのようだった。

 

「俺には無理だよ。できない。嫌だ。赦したくない」

「アルビン」

 

崩れて壊れそうなアルビンに対し、このままではさすがにどうかと思った。

だからと言って、両手で抱きしめてやることは出来ない。

こんなことをすること自体、アルビンが追い詰められている証拠だが、子どもなりにプライドがあり、負けず嫌いのコイツは屈辱と感じているに違いないのだ。

そもそも、私は過去の悪行で穢れている。

これが正解かもわからない。

しかし今、彼を支えてやるのは私しかいないのだ。

だから振り向き、片手を回して横からしっかりと肩を抱いた。

 

「いいよ。だったらそのままでいいよ」

 

私は静かに言葉をかけた。

 

「あんたの気が済むまで、怒って憎めばいいよ。傷ついたままで、赦せないままでいいよ」

 

アルビンの赦せない奴リストには、私ももれなく入っているだろう。

私は、それを受け入れる。

奪った存在を赦せずに、変われないアルビンを受け入れる。

記憶のない私を受け入れてくれた、今は亡き仲間や友人たちのように。

至らない私を受け入れてくれている、アルビンたちのように。

だからこそ、私はここにいられるのだ。

 

「置いてかないよ。私はここにいる。コーヒー飲んで、イケメン物色しながら適当にやっているからさ」

「……あんたさ、そういうとこがホントに大雑把なんだよ。杜撰なんだよ」

「ごめんねい。でも、さすがに条件はつけようか。大丈夫、あんたは大体出来てる。明文化しておくだけだけだよ」

 

私はその小さな肩を、安心させるように撫でた。

 

「赦せない心で手を上げない。その気持ちを公共の場で口にしない。でもって、我慢できたらちゃんと褒める。我慢できるって、本当に凄いことなんだからさ」

 

アルビンの肩を軽く叩いた。

 

「どうしても我慢できなくなったら、いくらでも話を聞いてやる。だから心配しなさんな」

 

アルビンは一人じゃない。

私がいて、アルビン自身が面倒を見てきた子どもたちがいる。

ニナさんだってわかっている。

ならば、生きていればその先に、私たち以外にも受け入れてくれる存在がいるはずだ。

だから大丈夫。

きっと赦せる、変われる。

私と過去に背を向け、全てを変えてしまった灰域をも越えて、自由に空を飛ぶ日がやってくる。

アルビンに、それをできる力を持っていると私は信じている。

 

「アルビン」

 

アルビンが落ち着くのを待って、私は呼びかけた。

私の彼に対する最後の無理強いを、恥知らずにも口にする。

 

「明日、あと一日だけ、私に力を貸してちょうだい」

 

アルビンは上着のポケットからハンカチを取り出し、目と鼻を拭った。

そして、呼吸を整えるとしっかりと頷いた。

 

「いいよ。約束だから、最後まで付き合う」

「ありがとう」

 

鼻がつまり掠れたその声に、私は肩をしっかり抱き直しお礼を言った。

この旅も、余程のことがない限り明日で最後だ。

頑張ろうね、アルビン。

声にすることなく、私は告げた。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
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故郷 1

暑い、熱い。

寝苦しい。

肌身に張り付く服が拘束具のよう。

右手首から発する熱が全身に押し寄せ、肺と心を満遍なく覆って我が身を苛む。

ああ熱い、腹減ッタナ、暑い、熱イ、苦しい。

アア、腹減ッタ喰イタイ喰イタイ。

……誰だよお前、知らねえよ、腹減ってねえし。

喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ生キタイ。

身の内からガキのように喚く声がうっとうしくなり、振り払おうと寝返りをうつ。

その瞬間、喚いていた声が遠のいて行くのを感じた。

呼吸が楽になり、切羽詰まったものが和らいで目を開く。

腕輪に手を添える人の手。

同じ腕輪を付けているその手は、大きくごつく腕輪を通しても感じられる温かさ。

よく見知った手だった。

亡き友人が特に大好きだった手。

 

「えーゔぇん、せんぱい」

 

何故先輩がここに?

ここ、ペニーウォートだっけ?

先輩は何も言わない。

ただ安心させるように笑って頷き、次に瞬きした瞬間には消えていた。

頭の中は次第に覚醒していき、不調の腕輪を見つめる。

熱が篭っているのを感じるが、余裕で我慢できる違和感だ。

体のダルさは抜けないが、それでも四肢に力が入るのを感じた。

サイドテーブルの時計を見れば、日の出の三時間ほど前。

再び寝返りを打って天井を仰いだ。

うっすらと室内灯が灯る病室。

灰域航行法の領外にあるミナト『カイスラ』。

領外だから、正式にはミナトとは呼べないかもしれないが、地下拠点の総称としてなら、呼び方は正しいと思う。

ここは、地下に深くに昔の命と記憶を閉じ込めた場所。

人の弱さと悪逆を垂れ流したような、あの忌まわしくも懐かしいミナトではない。

今日はそのミナトがあった領地を抜け、旅のゴールへ向かう七日目。

旅の最終日が始まったのだ。

 

室内灯を付け顔と体を拭き、深夜に点滴が終わった際、看護師さんが置いてくれた服を着る。

私が来ていた服は、灰域種と戦ってズタボロの汚れた雑巾同然になっていたので、新しいものを用意してくれたらしい。

誰でも手に入る安価でありふれた服だが、新しい服に袖を通す時の心の踊る感覚はいいものだ。

消毒済みのブーツは今まで使っていたものだったが、これは履きなれていた方が良いのでこれでOK。

洗面台の鏡に映る、黒ずくめの服を着た褐色肌の女を見つめる。

痩せたなあ。

服を着ている時は気のせいかとも思ったが、明るい光の下、大きな鏡で見る自分の姿は、記憶にある姿より明らかに痩せていた。

特に顔周り。

顔色も悪ければ肌の調子もイマイチだ。

肌の手入れをして、好きな色のリップを塗る。

最後に、派手だと言われる原因の一つになっている真っ黄色のジャケットを羽織った。

明るく軽薄な色の力か、気分が上がって笑顔を作ることが出来た。

よし、大丈夫、後もう少しいける。

金とも銀とも白とも見える、中途半端な色の髪をひとなでし、私は部屋を出た。

昨日教えて貰った倉庫に、私たちの荷物が置かれている。

持っていく荷物と、置いていく荷物、廃棄する荷物とで選り分ける必要があったからだ。

 

角の取れた四角い箱型のもの──後で聞いたところ清掃ロボットだそうだ──がゆっくりと通過する薄暗い通路を歩き、諸々あったエントランスを抜け、程なくして倉庫にたどり着く。

ドアが開くと自動的に照明がつき、部屋の隅に消毒済みの札と共に見慣れた荷物があった。

まずは自分の荷物だ。

中身を次々と取り出し、クッカーとバーナーを手に取った。

この旅をして気付いたことの一つに、意外とアウトドアが好きだということだった。

汚れるし、後片付け大変だし、荷物になるしで何かと面倒がついてまわるが、それでも楽しんでいたと思う。

持って帰りたいところだが、体調が絶不調な今、荷物は徹底して減らす必要があった。

なら、全部置いてけばいいじゃんとも思うが、ここへ取りに戻るのは大分先になる。

念の為というやつだ。

と、ドアが開く音がして見れば、アルビンが立っていた。

 

グモロン(おはよう)、アルビン」

 

いつもの調子で声をかけると、一拍おいて挨拶を返しこちらに来た。

 

「早いね。整理に来たの?」

「うん。あんただけだと不安だから」

「信用ないなー」

「今日も体調悪いだろうと思ったし、あんたパッキング下手だし」

「違うよ。私が普通で、あんたが特別に上手いんだよ」

「基準が変わると、捉え方がこうも違ってくるのか」

 

言いながら、やつは隣に座ると自分の荷物を開けて、テキパキと整理を始めた。

来ている服は、私同様新品のものだ。

散々泣いた名残は残っているが、普段通りのように見えた。

いつもなら、私が雑談を振ってアルビンが返すやりとりになるが、今の私にその余裕はなく黙々と作業は進む。

さて、自分の持っていく荷物はこんなものだろうか。

置いていく荷物を元のバックに戻すが、整理する前と同じくいっぱいになった。

廃棄も含めて減らしたはずなのに何故?

押し込むが、うんともすんともしない。

仕方ない、足で押し込むか。

立ち上がり、足を荷物に突っ込んだ瞬間、

 

「ちょっ! 待った!」

 

アルビンが声をかけるのと、ドアが開いてカールさんがやって来たのはほぼ同時だった。

 

「フオ」

 

カールさんは口をつぐみ、私たちをマジマジと見つめる。

一瞬視線を下げ、改めて私を見た。

 

「……何をやっているのだろうか? もしかして、運んでもらおうと中に?」

「いえ、違いますとも!」

 

それはそれでとても愉快な絵面だが、荷物とともに私を運ぶことは、さしものアルビンでも無理だろう。

私は頭を手にやりながら笑う。

 

「荷物整理してて、中身を多少減らしたんですけど、何かいっぱいになっちゃいまして。なので押し込もうと」

「荷物が減ったからって、適当に放り込んだからだろ」

 

アルビンがジト目で言うが、私は眉間に皺を寄せる。

 

「違うよ。コイツら、安心感と解放感から心と態度と体積が大きくなったんだよ。それが人類の弱点なのにさ、そばにいながら学んでないよねー、バカだよねー」

「バカはあんただ。いいから足退かして。詰め直すから」

「はいはい」

 

冷たく言われ、私はバックから足を抜いた。

大袈裟にため息をつき、アルビンはせっかく詰めた荷物を出し始める。

と、視線を感じてそちらを見ると、カールさんが何とも微妙な表情でこちらを見ていた。

 

「……何か?」

「うん、君はなんと言うか……そうだな、カタにはまらない、とてもおおらかな性格をしているんだな」

「いえいえ、それほどでも」

「ソフトに大雑把って言われてっ」

 

言い切る前に、私は足で軽くアルビンを小突いた。

奴は即座に睨むが、私は視線を逸らしてシカトする。

んなことはわかってんだよ、チクショーめ。

カールさんはふと笑った。

 

「そんな君だからこそ、子どもたちは君についていくんだろうな」

「はあ」

 

何を言いたいんだ、この人。

内心首を傾げるが、カールさんはそれ以上言わなかった。

 

「それで何か御用ですか?」

「ああ、様子を見に来ただけだ。昨日のこともあったしな」

「本当にすみませんでした」

「いや、あれはニナさんがやったことだから。君たちは昨日言った通り、口外さえしなければいい」

 

作業しながらでいいと言われたので、お言葉に甘えさせていただく。

驚くべきことに、オーナー自ら荷物整理の手伝いをしてくれた。

廃棄するものをまとめながら彼は言う。

 

「部外者を入れるには、あの場所はまだ弱くてな。灰域に曝されたら、たちまち死滅する命の集まりだ。あまりいい気はしないだろうが、理解してもらえると嬉しい」

 

それはそうだろう。

あそこにある命はただの命じゃない。

この地の命の記憶と、過去の人々の意志を背負っているのだ。

それを守ろうと、神経質になる気持ちは理解できた。

 

「カールさんは今後、あの場所をどうするつもりですか」

 

私が尋ねると、彼はこちらを向いた。

 

「この地の灰域が完全に浄化され、アラガミが一掃されるまで守り続ける。それが、このミナトの誕生理由にして存在理由だからな」

 

それは想定していた答えだった。

これは前振りだ。

今から口に出すことは、彼にとって残酷な問いかけになる。

しかし、私はあえてそれを口にした。

 

「昨日のあの光から、灰域も共に生きようとする雰囲気を感じましたけど」

「ああ、私も感じたよ」

 

あっさりとカールさんは頷いた。

聞けば、あの光の力はAGEのみならず、GEや人にまで影響があったのではないかと推測されているそうだ。

ここまで来ると、すごいを通り越して恐怖すら感じる。

 

「仮にそうだとしたら、あの光はアラガミ発生以前の過去の命に対する絶滅宣告になるな。灰域に適応できない命は、もう二度と地表へ戻ることは叶わない。灰域がどこまで広がっているかは不明だが、いずれ純粋な人類も絶滅危惧種となり、私たちが保護することになるのだろうか」

 

彼は皮肉っぽく笑った。

だが、私が驚いているのは、彼が比較的落ち着いてその事実を受け止めていることだった。

諸々の葛藤があっても良さそうなのに。

 

「希望はないことはないがね、それに向かって飛び立つには、このミナトは体が重すぎる。歩くか潜るかしかできない。なら私はオーナーとして、今できることを精一杯やりながら、命と記憶を次の世代へ繋げる。そして、私の夢を叶えるために努力し続けるさ」

 

思わず目を見張った。

そう言って笑った彼の顔は、先程の皮肉っぽいものではなく、気負った風でもない、明るく屈託のないものだった。

 

「夢ですか」

「ああ、このミナトの将来に関わる夢だよ。おかげで一生、退屈だけはせずに済みそうだ」

 

ニナさんは、ここの命と意志を、次の世代へ託すことができたことを喜んでいた。

確かに、彼女は次の世代へのバトンタッチはできていた。

しかも引き継いだその世代の代表は、新たな展望を持ってミナトを運営している。

私は嬉しくなった。

 

「いい笑顔です」

「そ、そうか」

「はい。自分にイエスと言える人の笑顔です」

 

照れる彼に、私は素直に賞賛した。

それは、私の好む男の人の笑顔だった。

彼は決して、この状況に絶望していない。

飛ぶことはできなくとも、歩くことと潜ることはできるのだと。

自分に与えられた万能でも何でもない、限られた手札で全力で取り組む姿勢。

その夢の詳細はわからないが、きっと大きくて素敵なものに違いない。

私は、そんな夢に向かって頑張っている男の人が好きなのだ。

 

「いやはや、そう言われると何か照れるな、ハハッ」

「そんな笑顔ができるんです。それは、とても素敵な夢なのでしょうね」

「……ああ。オレの大切な夢なんだ」

 

彼は深く頷き、ニッコリと笑った。

年相応の、否、子どものようなその笑顔は、ニナさんとそっくりだった。

と、彼はいきなりガッツポーズをとった。

 

「だからこそ、来たれ若人! 大切な命を守り育てることを使命とし、大いなる野望を成就すべく、日々奮闘するこのミナトで一緒に働かないかっ! 職員は常に大募集中だ!」

 

……えっ、何この人。

突然どうしたの。

 

「業務は多岐にわたるが、福利厚生は有力なミナトに引けを取らない自信がある。実際、離職率メッチャ低いし! あ、そこで灰域のせいで外に出られないせいじゃね? とか言わないように! 限界灰域を徒歩で踏破し、灰域種をソロ討伐した君たちならいつでも歓迎しよう!」

 

……んんんんんーっ?

そして、慌てて補足する。

 

「や、昨日も話しましたけど、灰域種の討伐は、ハンネスさんの頑張りと、アルビンたちの協力があったからで」

「つまり、チームプレイができるということだろう。素晴らしいじゃないか」

「ああ、はあ」

 

何故かテンションが上がって、オーナーの皮が剥がれかかっている彼に、思わず真顔になった。

背後のアルビンですらも、呆然としたマナコで見ているのを感じる。

もしかして彼がここに来た目的って、これなんじゃないのか?

だとしたら何ともまあ、実に素直で正直な人だ。

……確かに、選択肢としてはアリだとは思う。

なので、私は笑って頷いた。

 

「じゃあ、私がダスティミラーから叩き出された時は、ぜひ匿ってください」

「オケイ! だが、体を治してからにしてくれよ」

 

そして彼との雑談を混じえながら荷物の整理は滞りなく終わった。

後は個人で確認するだけだ。

機嫌よく部屋を後にする彼を、私とアルビンで見送った。

 

「あの人、あんなだったんだ」

 

感情なく言うアルビンに、私はからかい半分で笑いかける。

 

「ん? もしかしてガッカリした?」

「いや、ガッカリしたとか以前に驚きの方が強い」

 

アルビンは目線を下げる。

 

「あと、ペニーウォートのさ、俺たちの隣の牢にいたリーダーと、ちょっと似ていたなって」

「……ああ、そうだね」

 

私が頷くと、アルビンは懐かしそうに小さく笑った。

昨日の光の中で垣間見た気がする彼ら。

もし彼らがこの件の立役者だとしたら、大した出世ぶりである。

上手いことやりやがって、羨ましい妬ましい、これからも頑張れ。

と、ドアが開いた。

 

「グッモーニン! オレも手伝いに」

 

元気よく挨拶して入ってきたビャーネは、私たちの姿を見て真顔になる。

さっきもこんなパターンだったよな、とか思いつつ、

 

「グッモーニン。よく起きれたね。偉いじゃん」

 

片手を軽くあげて挨拶をした。

すると、ビャーネがツカツカとこちらにやって来て私を見上げた

 

「拗ねてやる」

「え?」

「朝っぱらからイチャイチャして! この浮気者!」

「は?」

 

何言ってんだ、コイツ。

ふと横目で見れば、アルビンが片手で顔を覆っていた。

何だこれ。

 

「浮気って何」

「いっつもアルビンばっか構ってさ、アタシのことはチョー適当じゃん! アタシなんて、どうでもいいんでしょっ! もういいっ! こうなったら気が済むまで拗ねまくってやる!」

 

話についていけないが、何やら厄介なことになっているようだ。

……体調が悪いっつーに、仕方ないなーもー。

 

「ほらほら、拗ねないでダーリン」

「あっ、やめろっ、このひきょーもにょー!」

 

ビャーネのメガネを頭の上に乗せ、顔を両手で覆うと、いつもの顔のマッサージ──頬を念入り──を始めた。

 

「私にはダーリンの手助けが必要なんだよ。今日は特にね」

「サ、サイカがどんな卑劣な手段を使おうとも、アタシは決して屈しにゃー!」

「いやホント、マジ頼んまっせ、ミスタービャーネ。ゴールに着いたら、いっくらでも拗ねていいからさ。ね」

 

真面目な口調で言うと、マッサージを受けながら、ビャーネの緑色の目は冷静なものになった。

そして、据わった目で私を睨むように見る。

 

「わかった。拗ねるのは延期すうー!」

「ありがとう。ダーリンってばホント優しいんだから」

「でも、もう浮気しちゃダメだからにゃー!」

「しないしない。そもそもしてないから」

「その言葉、信じてるからね。あ、次、耳もお願い」

「何ちゃっかり要求してんだよ」

 

そんな私たちの後ろで、アルビンが呆れたようなため息を吐いたのを感じた。

 

 

その後、クロエとダニーもやって来て、改めて荷物の確認をした。

ビャーネのガラクタやクロエの手芸道具の大半と同様、置いていく候補となっていたダニーの粘土は、半分だけ持っていくことであっさり妥協した。

ギャン泣きして難航すると思っていただけに拍子抜けだが、必ず取りに戻るという言葉を信じてくれたのだろうか。

ともかく、日帰り旅行レベルまで荷物を減らしたことで、全員の荷物の負担は軽くなったはずだ。

それを見計らったかのようにフィリップさんがやって来て、朝食の準備が出来たことを告げた。

 

「サイカさんは診察室な。オリガさんが話あるって」

「わかりました」

 

私は頷き、子どもたちと別れて診察室へ向かった。

 

「ドーブラエ ウートラ! 今日も最っ高に調子悪そうだねっ!」

「モイ。おかげさまで」

 

診察室に入るやいなや、元気に挨拶をする白衣の瓶底メガネは、今日も変わらずティアウス・ピター風味だった。

我ながら意味がわからないが、そうとしか表現の仕様がない。

 

「うん、まあ予想通りの結果だけど、思ったより進行が遅いねー。粘ってるねー、諦め悪いねー。いいよいいよー、その調子だー」

 

検査結果を確認したオリガさんは、相変わらずの調子で言った。

 

「朝ご飯は病室でちゃんと食べてね。オヤツの薬は昨日より量が多くて引くだろうけど、残さず飲むように」

「オッケー」

「それと、ご飯食べたらコールして。最終チェックをするから」

「了解」

 

そして、ふと思ったことを口にした。

 

「そういやオリガさんって、この地の出じゃないよね」

「うん。あたしの故郷はこの地の東側だよ。ああ、さっきの挨拶のこと?」

 

察しがいいのはありがたい。

ドーブラエ ウートラは、おはようございます、らしい。

この地の西側にあるアルビンの故郷の言葉もそうだが、陸続きのお隣同士でここまで言葉が変わってくるとは。

 

「過去には、その当時のトレンドに乗っかって、色々とやらかしたらしいんだわ。合言葉は『プロリタリィ ヴスィフ ストゥラン サイヂニャーイティエスィ!』」

「朱の女王のベースで、そんな話を聞いたことがあるかな」

「この地の古い生まれの人にとっちゃ、今なお語り継がれる武勇譚だよ。外の大きな力から何かを守るって本当に大変なことだし、守りきれたとしたら、そりゃあ誇らしいことだろうしね」

「うん、そうだね」

 

そして、オリガさんと入れ替わるように朝食が運ばれてきた。

昨日の夕飯同様、温かく消化に良い食事だ。

体はダルく食欲もないが、今日は長時間歩く上に山越えがある。

栄養はしっかり取らなくてはならない。

しかし、目につくのは飲み薬の多さだった。

こんなにたくさんの種類の薬飲むのは、恐らく生まれて初めてだ。

思わず引く私に構わず、看護師さんは薬の説明を丁寧にしてくれた。

しかし誠に勝手ながら、三種類目あたりで右から左へと全て聞き流した。

つべこべ言わずに全部飲めば、それでオッケーだろう。

ノロノロと食事をとり、薬を何回かに分けて飲み干す。

ご飯よりも、薬で満腹になったような気がした。

そして、コールボタンを押すと再びオリガさんがやって来た。

腕輪の救難信号の確認をし、ゼリー飲料と色の着いた紙袋を渡す。

 

「お昼は、固形物は無理だろうからこれで。この袋の中身は薬ね。青いのが食間、オレンジが食後だよ。地獄の苦しみの果てにアラガミになりたくなかったらちゃんと飲むように。それと、これも渡しておく」

 

そう言って私の手を取ると、アンプルとケースを渡した。

瓶底メガネの向こうで、笑顔を消した青い目がこちらを見ていた。

 

「これは劇薬に相当する痛み止めー。AGEでもバツグンに効くよ。どうしても侵食の痛みに耐えられなくなったら使って。ただし、侵食を止めるものでもないし、副作用で意識障害や幻覚の症状も出るから移動中は十分に気をつけて。山越え中は使わないことをオススメしておく」

「了解」

「さ、あたしに出来ることはここまでだ」

 

オリガさんは椅子から立ち上がった。

 

「ダスティミラー宛に紹介状は送ってある。後はサイカちゃんの頑張り次第だよ。無事に着くことを祈っているからね!」

「本当に色々とありがとう。また改めてお礼に来ます」

「医者として当然ことをしたまでデス。元気になったら遊びにおいでー。お酒イケるクチでしょ。一緒に飲もう!」

「喜んで」

 

私は頷き、オリガさんと握手をすると、彼女は病室から颯爽と出ていった。

色々ツッコミどころの多い医者ではあったが、親身に診てくれたことは有難かったし嬉しかった。

何だかんだで気も合うし、また彼女と色々な話ができるといいな。

サイドテーブルの時計を見れば、日の出の時間まで後一時間を切っていた。

その三十分前にエントランスへ集合することになっている。

さて、身支度を整えてエントランスへ向かうか。

歯を磨き、リップを塗り直して鏡を見た。

酷く顔色の悪い褐色の女がこちらを見ている。

さあ、行こうか、サイカ・ペニーウォート。

そして、リュックに荷物を詰め、最後に貰ったアンプルをケースに閉まってリュックに突っ込んだ。

周囲の確認をし、リュックを背負ったところで扉がノックされた。

 

「サイカー、迎えに来たよー」

「はいはーい」

 

ドアが開き、既に出発の準備を終えたクロエとダニーがやって来た。

二人は心配そうに私を見上げる。

 

「サイカ、大丈夫?」

「うん。今のところは平気。今日は二人にも迷惑かけるけど、よろしくね」

「ヨー!」

「ウィ。私達も頑張ってサポートするね」

「ありがとう。じゃ、行こうか」

 

二人を促して、私は病室を出た。

 




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故郷 2

明るくなった廊下を歩いてエントランスへ出ると、既にアルビンとビャーネ、そしてカールさん達が待っていた。

 

「フオメンタ。いよいよ出発ですね」

 

ヴィリさんが笑顔で言い、私は頷く。

 

「フオメンタ。ここの方々には本当にお世話になりました」

「いえいえ、ハンネスの代わりに恩返しをしたまでですから。

既に、ダスティミラーへの連絡は済ませています。向こうも貴方の救難信号を受信次第、医療チームを向かわせるよう手筈を整えているとのこと。そこに着くまでが大変でしょうが、くれぐれもお気をつけて」

 

そして、オーナーの顔をしたカールさんが一歩前に進み出た。

 

「一つ情報を。今朝方、ダスティミラーから手に入れた情報では、灰域捕喰作戦は中止になったとのことだ」

「え?!」

 

驚く私たちに構うことなく、彼は話を続けた。

 

「理由は定かではないが、作戦の肝であるオーディンに致命的なトラブルが発生したらしい。再開するか凍結するかは不明だが、ひとまず事態は収束したと見ていいだろう。

だが、君たちが通過する旧ペニーウォート領の治安がかなり悪化しているとのことだ」

「領内を統治するミナトがなくなった上に、今回の一件で、かの総督が敷いた枷も少々緩んでいるのでしょう。違法船が商船を襲撃する事件が多発しているそうです」

 

ヴィリさんの補足に、カールさんの表情が厳しいものになった。

 

「君たちには直接関係はないだろうが、襲撃に巻き込まれる可能性はないとは言えない。君たちを害するものは、アラガミや灰域だけではないということだ。道中は十分に気をつけてくれ」

「わかりました。お気遣い、ありがとうございます」

 

山越えの後も、気を抜けないってことか。

だが、灰域捕喰作戦が中止になったという情報は、間違いなく朗報だろう。

これで、グレイプニルに怯えて道を進むことはなくなったのだ。

そして思う。

クロエの提案を飲み、あの廃墟の避難所で過ごしていたら、私たちはどうなっていたのだろうか。

考えようとして止めた。

今は目の前のことに集中し、反省も含めて旅を終えてから考えよう。

と、緑の向こうから声がした。

 

「ああ、良かった。間に合ったようですね」

 

その声に、ダニーは即座に私の背に隠れ、横に立っているアルビンの体が強ばるのを感じた。

木陰から出てきたのは、車椅子に乗ったニナさんと丸っこい中年男性、そしてオリガさんやイーリスさんといった、私たちと面識のある人々だった。

 

「フオメンタ。皆さん」

「フオメンタ。ニナさん、起きて大丈夫ですか」

「すみません。お止めしたんですが、どうしてもと仰って」

 

気遣うヴィリさんに、丸っこい人が面目なさそうに言うのを、ニナさんは笑って受けた。

 

「だって、部屋に篭って外部の人と直接のやり取りが少ないんですもの。しかも深層からのお客様でしょう。一言だけでも、ご挨拶をと思いましてね」

 

ニナさんは車椅子を操作し、私たちの方を向いた。

 

「あら、可愛らしいお客様たちですこと。初めまして。私はニナ。オーナーの祖母です」

「そぼ」

 

ダニーがぽつりと言うと、ニナさんは笑みを深くした。

 

「ええ、オーナーのお婆ちゃんですよ、可愛らしい貴方」

 

声をかけられ、私の服をつかみながらコソコソと隠れるダニーに視線を向ける。

 

「ダニー、ご挨拶は? できるでしょ」

 

背を軽く押して促すと、ダニーはこっそりと体を半分出した。

 

「……ハウスカ トゥトゥストゥア(はじめまして)。ぼくは、ダニエルといいます」

「ちゃんと挨拶ができるなんて、ダニエルさんは偉いですねえ」

 

せっかく褒めてくれたが、ダニーはすぐさま私の背中に隠れてしまった。

初めての人ということもあるが、周囲に人が多いこと、ダニーが嫌う白い人達がいることで、人見知りスキルが強く発動しているようだった。

ビャーネ、クロエと続けて挨拶をし、私とアルビンも改めて自己紹介をした。

 

「深層から歩いてここまで旅をしてきたなんて、本当に凄いこと。ゆっくりして頂きたいところですけど、事情がおありの様ですしね」

「また荷物を取りに伺いますので、その時に改めてお礼をさせて下さい」

「ええ、ええ。ぜひまた、遊びにいらしてね」

 

その時、隣にいたアルビンが口を開いた。

 

「あ、あの、俺」

 

すると、ニナさんは首を振り、目を細めてアルビンを見た。

 

「焦らずに。大丈夫ですよ」

「……はい」

 

アルビンは目線を落として頷いた。

そしてニナさんは、私の腕に触れた。

 

「サイカさん、子どもたちのこと頼みましたよ」

「はい」

「貴方の旅は、これからが本番です。大変でしょうけど、しっかりね」

 

腕に触れるニナさんの手に力がこもった。

これからが本番?

今日は旅の最終日にして体調は絶不調。

私の真価を試される時、ということだろうか。

疑問に思ってニナさんを見たが、真意をうかがうことは出来ない。

しかし、彼女は湖のような穏やかな視線は、確実に私の何かを見通しているように思えた。

普通の人間で感応能力もないだろうに、ホント凄いし怖い人だよ。

私はその気持ちを隠して頷き、笑顔を作った。

 

「はい。ニナさんも、どうかお元気で」

 

そして、一人一人に挨拶をして回った。

頑張って。

しっかりな。

また会おうね。

目を見て握手をし、励ますように肩を叩かれる。

そんなやりとりに既視感があった。

朱の女王の拠点を脱出する時と同じだった。

だが拠点と明らかに違うことは、人とGEがいること。

そして、このミナトはこれから先も在り続け、再会の希望があるということだった。

もちろん、確実なんてものはこの世界にはそうそうないが、そう信じさせる人の営みがここにはあった。

 

「そろそろ時間だ。格納庫にキケたちが待っている。山の麓まで彼らに送らせよう」

 

そう言ってカールさんは、私たちをエレベーターへと案内する。

ボタンを操作すると、程なくしてエレベーターのドアが開いた。

 

「ではまたな。幸運を」

「はい。ありがとうございました。またお会いしましょう」

 

しっかりと握手をし、私と子どもたちはエレベーターに乗り込んだ

 

ヒュヴァ マトカ(良い旅を)

 

カールさんの後ろでニナさんが笑顔で手を振った。

すると、ダニーが私に隠れながら小さく手を振った。

 

「キートス、モイモイ」

 

こうしてお世話になった人々の姿を見届けたのを見計らったように、エレベーターの扉は閉まった。

 

「また来たいね」

「そうだね。みんなでまた来ようね」

 

クロエの言葉に、私とみんなは頷いた。

エレベーターが格納庫のある階に止まり扉が開くと、鉄と油の臭いが鼻につく。

広々とした空間は柱が一本も見当たらない。

網の目のように鋼材で組まれた天井は、等間隔に照明が設置され、フロア全体を照らしている。

そして、昨日の飛行艇と何台かの大小様々な形の車、そして船が置かれており、緑の多いエントランスと比べて、極めて人工的な印象を強く与えた。

これが格納庫か。

ビャーネにとっては宝物庫のように見えるのかもしれない。

 

「フオメンタ! さあこっちに来てくれ」

 

手を挙げて呼んだのは、キケさんだった。

その横に、神機のケースを持ったフィリップさんと、同じく神機のケースを二つ持ったユーシュエンさんもいて、彼らの後ろには私達を乗せる車が控えていた。

 

「おっちゃんたち、グッモーニン!」

「モイ」

 

小走りでキケさんたちの元へ向かうビャーネの後ろを、ダニーがくっついていく。

 

「二ーザオ。お前たちは今日も変わらず元気っすな」

「にーざお?」

「私の故郷の言葉でおはようって意味っす」

 

説明するユーシュエンさんにビャーネは深く頷き、一拍遅れてダニーも頷いた。

 

「なるほど。二ーザオ!」

「にーざお!」

「そうっす」

「二ーザオ!」

「にーざお!」

「二ーザオ!」

「にーざお!」

「一回で十分っすよ」

 

オリガさんの時といい今といい、ユーシュエンさんは、クールと言うよりは淡白な性格らしい。

その間に、私は車を観察する。

一言で言えば、とても身軽だった。

最低限のアラガミ装甲に、天井部分と側面にはカバーがかかり、十人ほどが乗れる大きさだ。

無駄な装飾は一切なく、窓はビニール製。

しかも濡れた布で拭いたと思しき跡が残っている。

隣で私の服を掴んでいるクロエのテンションが、だだ下がりしているのを感じた。

可愛げも洒落っ気もなく、あまりの実用的な姿にガッカリしているのだろう。

 

「こんな装備で大丈夫なの?」

 

アルビンが尋ねると、フィリップさんは明るく笑った。

 

「ああ、問題ない。この周辺は灰域濃度もアラガミの出現頻度も低い。ここにいる全員、灰域への耐性もある。数時間程度のドライブならこれで十分さ」

「ふーん」

「さすがに冬は装甲車を使うけどな。さ、後ろのドアから乗ってくれ。出発するぞ」

 

車のエンジンがかかり、私たちは車の後ろへ回り込むと、ユーシュエンさんがドアを開けてくれた。

内部も外見同様、無駄な装飾が一切ない必要最低限のものだった。

子どもたちを先に乗せ、私、ユーシュエンさんの順で車内に入る。

最後にフィリップさんが助手席に乗り込んだ。

 

「よし。トーヴェ、いつでも行けるぞ」

≪了解。一番ゲートを解放します≫

「トーべだ」

 

車内の無線から聞こえたトーヴェさんの声に、ダニーが反応した。

フィリップさんいわく、トーヴェさんはこのミナトのオペレーターの一人らしい。

 

≪今日の天気は、北西の風、風速一メートル、一日を通して晴れ。最高気温は十八度。灰域濃度は順応範囲内。ミナト周辺に脅威となるアラガミ反応はありません。皆さん、お気をつけて行ってらっしゃいませ≫

「いってきまーす!」

「トーべ、モイモイ」

≪ナハダーン!≫

 

車は動き出した。

格納庫の端にあった巨大なエレベーターに入りさらに上昇。

ドアが開かれた先のトンネルに入る。

誘導灯が照らす緩やかな上り坂を速度を落とすことなく進み、真っ白に輝く出口が見えた。

思わず目を細める。

そして、一日ぶりに外へ出た。

ビニール製の窓の向こうに、侵食されて燃えているような石や岩、草花の少ない大地が見える。

ああ、現実に戻ってきた。

安堵と落胆が混ざった複雑な気持ち。

まるで、夢から覚めたような感覚だ。

 

「さて、これから一時間ほどのドライブとなる。麓につくまで気楽に過ごしてくれ」

 

子どもたちは外の景色を楽しみ、私は薬が効いているおかげで多少の余裕があり、GEの男三人と雑談をして過ごした。

彼らの故郷もここから遠方にあり、厄災以降帰れなくなっているそうだ。

キケさんは航空機で本部へ物資を運ぶ途中で、フィリップさんはカイスラに物資を運んだその休憩中に、そしてユーシュエンさんは、学者だった両親に連れられてカイスラに来ていた時に被災したという。

 

「ここに来たのは厄災が起こった年で、私は当時いたいけな九歳。両親は厄災で死んで、バタバタしている間に整備士になって、外へ出る必要があったからGEになったっす」

「AGEじゃないんだね」

「私は体質的に、AGEになれる素質がなかったっすから」

 

彼は生まれ育った故郷と同じくらいの年数を、あのミナトで過ごしたのだ。

 

「だからぶっちゃけ、あそこが私の故郷でもいいんすけど、さすがに両親は、故郷へ帰してあげたいとは思っているっすよ」

「まあ、一度は戻りたいよな」

「情報が入ってこないから、余計に気になるってのもある。俺らが生きている間に、何とかなるんかねー」

 

三人はそれぞれに言うのを、故郷を知らない私は感慨深く聞いていた。

アルビンとクロエの故郷もどうなっているのだろう。

今までは、二人とも目の前のことに必死で思いを馳せる暇もなかったろうが、余裕が出来たら、故郷のことを思い返す時がくるのだろうか。

キケさんたち同様、一度は戻りたいと思うだろうか。

……まあ、思うだろうな。

その時、私は側にいるのだろうか。

側にいたとしたら、何ができるだろうか。

 

「そーいや、ポップでサイケなAGEちゃんはどうよ?」

「遠回しに派手言うのやめろ。……私は今まさに向かっていますよ」

「ん?」

 

私は唇の両端を釣り上げた。

 

「ペニーウォート。あそこが私の故郷みたいなものでして」

「ああ、そうか。あんたのファミリーネームはそうだったな」

 

神妙な雰囲気になるフィリップさんとユーシュエンさんとは違い、キケさんの態度は変わらずお気楽なものだった。

 

「これからあんたが登る山の頂上な、ペニーウォート領が一望できるんだよ。今日は天気もいいし、よく見えると思うぜ」

「よくご存知ですね」

「数年前に腕輪のご機嫌が斜めになったことがあってな、精密検査でダスティミラーに行ったことがあったんだ」

 

オリガさんがそんな話をしていたな。

視線を感じて目線を動かすと、ビャーネが窓の方を向きつつ、チラチラとこちらを見ている。

さっきから、道理で静かなわけだ。

 

「あそこはいい噂は全く聞かなかったけど、山頂からの景色だけは抜群に綺麗だった」

「そうですか。それは楽しみです」

「ああ、今日もきっといい景色だ」

 

そこまで推されると、期待値が上がってしまう。

その時、体調が良ければいいのだが。

息を吐いて目線を上げると、珍しく真面目な表情のビャーネと目があった。

いつにない様子に、私は首を傾げる。

 

「何? トイレ?」

「えっ?! マジかよ小僧」

「見ての通りこの車には便所はねーっすよ。あ、空いた容器にするっすか? これとかこれとか」

「ちげーし! 何でもねーから!」

 

そう言ってそっぽを向いてしまった。

そういや一昨日、コイツと故郷の話をしていたっけ。

まだ気にしてたんか、らしくない。

少し眠くなってきた。

一言断り、私は椅子に深く座って目を閉じる。

車から伝わる振動を感じながら、私は眠りに落ちた。

 

 

この地は、山が少ないそうだ。

山らしい山は北部にあり、一番高い山でも千五百メートル以下だという。

これから登る山は、元々は鉱山だったらしいが、標高自体は低く高低差も緩やか、そして灰域とこの地特有の気候から、背の高い雑草も少なく、歩き回るのも容易。

そして、鉱山の跡地ということもあり、道もある程度は整備されているとのことだった。

 

「なんで、子どもでも比較的登りやすいと思うんだわ。アラガミと灰域さえなきゃ、ハイキングにはうってつけなのにな。おまけに、旅の要であるきんきらAGEちゃんは体調絶不調ときた。だから、この山越えには、キミたち四人の協力が必須不可欠だと強く言っておこう」

 

元気に返事をする年少組、気負うことなく普通に返事をするアルビン、私の服を掴んで目を逸らしながらもしっかり頷くクロエと、反応は様々だ。

 

「よーし! いい返事だ。じゃあ昨日のブリーフィングでも説明したが、改めてルートの確認をしよう」

 

麓に到着し、車を降りた私たちは、ボンネットに広げられた地図を見ながら、キケさんから説明を受けていた。

子どもたちが集中して聞いている横で、私もしっかりと聞こうとするが、言葉が次々と右から左へと抜けていく。

頭がぼんやりする。

薬の影響か、熱が出ているせいか。

それでも安全に関わることだからと、いつも以上に意識を集中して話を聞き続けた。

今回私たちが進むルートは、アローヘッド、ダスティミラー、ペニーウォートの領土に囲まれた湖を回り込むルートだ。

山間の道を進む最短にしてわかりやすく、体への負担の少ないルートとのことだった。

 

「山を越えたら、航路に沿って歩けば問題なく目的地にたどり着ける。ダスティミラーの領内に入る前に丘陵地帯があって、AGEちゃんにとってはそこが最後の難所になるだろうが、ここまできたらもう頑張るしかねーな」

 

アルビンがキケさんを見上げた。

 

「ダスティミラーに入ったって何かわかる情報はあるんですか?」

「看板なりなんなりあるはずっすけど、なかったらビーコンを見ればいいっす」

「ビーコン?」

「そう。ダスティミラーの領内は恐らく最新規格のものを使用しているはずっす。多分お前なら一目でわかると思うっすよ」

 

ユーシュエンさんがビャーネに言う横で、フィリップさんが肩を竦めた。

 

「あそこのミナト、色々チートだからなー」

「何で、そんなチートなミナトが中立なの? アローヘッドより凄くね? トップに立てなくね?」

「旗振り役が面倒臭いからじゃないっすかね。責任背負うと何かと不自由だし、失敗したら真っ先に非難の的になるし」

 

あっさり答えるユーシュエンさんに、フィリップさんが呆れた視線を向ける。

 

「お前な、身も蓋もなさすぎ」

「さすがにこれは意地悪すぎる見方だが、俺たちのミナト同様、向こうにもちゃんとした理由があるんだろうよ」

 

キケさんは、歯をむき出してニヤリと笑った。

 

「それにチートだからこそ、AGEちゃんを助けることもできるんだ。そこは大いに利用してやれ」

 

子どもたちに言いながら地図を折りたたみ、私に手渡した。

そして、ユーシュエンさんから神機の入ったケースを受け取る。

 

「出し入れ面倒っすけど、これなら子どもでも運べるっす。置き忘れと盗みに気を付けて」

「ありがとう」

「あと、これもどうぞ」

 

そう言って渡したのはグリップの付いた鉄の杖だった。

 

「本当は二本らしいっすけど、神機持つから一本で。体の負担、軽くなるそうっすよ。向こうに着いたら廃棄して大丈夫っす」

 

杖は思いのほか軽かった。

強度の不安はあるが、一回の山歩きなら十分だろう。

何か至れり尽くせりだな。

 

「本当にありがとう。でも、どうしてここまでしてくれるの?」

 

すると、三人のGEたちの雰囲気が変わった。

明るい日差しが雲に遮られたような、そんな印象だった。

三人は目線を互いに送り、そしてキケさんは静かな表情で言った。

 

「……俺たちは、ハンネスを見捨てて逃げたGEなんだよ」

 

キケさんは言う。

オリガさんの言っていた職員って、この人たちだったのか。

キケさんを隊長に、フィリップさんとユーシュエンさん、そして他のGEたちとハンネスさんは湖の調査に行き、その向こう岸で例の灰域種と接触した。

全員で逃げるつもりだったが、灰域種はしつこく、日没も迫り灰域濃度も跳ね上がって逃げるのも困難になった。

その時、ハンネスさんは気付いた。

灰域種の狙いはAGE(自分)であることに。

ハンネスさんは自分を置いて逃げるように言い、自分はもちろん、他のGEたちを守るため、キケさんは断腸の思いでハンネスさんを置いて逃げたのだった。

 

「逃げ帰った俺たちを、イーリスは責めもせずに気丈に振舞ってくれたけど、陰で嘆いたに違いねえさ。相手は灰域種、おまけに一人だ。当然、他の連中も自責の念にかられてな。明日は他のAGEを連れて助けに行こう、せめて神機と腕輪だけでも回収しようってな」

 

そしてあの光の事件が起こった。

灰域濃度が大幅に下がり、飛行艇で向こう岸を渡ったところ、驚くべきことがわかった。

死んだと思われたハンネスさんの生体反応があったのだ。

大慌てで生体反応のある場所へ向かった先に、私達と、ボロボロだが生きているハンネスさんがいたのだった。

 

「だから、あんたたちは俺たちの恩人でもあるんだ。俺は覚悟を決めていたからいいさ。それが隊長ってもんだからな。でも、他の連中はそうはいかねえ」

「俺はアイツとダチなんだ。オッサンの判断が皆を生かすためとは分かっていても、キツかったぜ」

 

フィリップさんは整った顔を辛そうに歪め、それでも笑った。

キケさんは真面目な表情で私たちを見た。

 

「俺がハンネスを見捨てた事実は変わらない。そして、あんたがどんな思いでハンネスを助けたかは知らない。だが、俺たちは確かに救われた。生きているアイツに直接、お礼と謝罪をできる機会を得られたんだからな。……本当にありがとう、サイカ・ペニーウォート。そして勇気ある子どもたち」

 

私と子どもたちは、何とも言えず黙って彼らを見つめる。

子どもたちを危機に陥れた私の間違った判断に、確かに救われた人がいた。

それは奇跡で、再現性はない。

だからもし、次があったら切り捨て……本当に切り捨てられるのだろうか。

だが、今はそれを考える時ではない。

彼らの恩を受け取り、私たちは先へと進むのだ。

だから頷き、キケさんに手を伸ばした。

 

「ハンネスさんが元気になられること願っています。皆さんもどうかお元気で」

「ああ、気を付けて行ってこい」

 

そうして三人と握手をし、子どもたちもそれぞれに別れの挨拶を交わす。

私はマスクとゴーグルをつけ、同じように装備した子どもたちの方を向いた。

 

「じゃあ、みんな行こうか」

 

子どもたちは元気に返事をし、私たちはは緩やかな上り坂を歩き出す。

ここから先はペニーウォート領になるが、特にそれを示すものは無い。

あっさりとペニーウォート領に入り、しばらく歩いて振り向けば、キケさんたちが手を振っていた。

それを見たビャーネがマスクを外し、調子に乗った笑顔を浮かべた。

 

「おーい! オレたちがいなくても寂しくて泣くなよー!」

「なくなよー」

 

ビャーネの言葉に、同じくマスクをとったダニーが続いた。

 

「うるせー小僧ども! いいから前向いて歩け!」

「へいへーい」

 

キケさんが笑いながら怒鳴って言い返し、ビャーネとダニーは笑ってマスクをつけ、手を振った。

こうしてキケさんたちに見送られ、再び五人での旅が始まったのだった。

 




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故郷 3

灰色の大地に、まばらに生える緑の草と低い木。

大地と同じ色の大きな岩が天に向かって伸びているが、その大半は灰域によって侵食され、燃えているように見える。

まるで火にくべられた薪だ。

黒煙が青空に向かってたなびいている。

 

「何かまぶしいね」

「うん。灰域が薄いと、世界ってこんなに色鮮やかだったんだね」

 

緩やかな勾配の坂を登りながら、ダニーとクロエの会話をしている。

子どもたちの言うとおり、灰域によって陽光が遮られ、全てが灰色にかすむ限界灰域では決して見られなかった風景だった。

深層にいた時は、懐かしく恋しく思っていた風景だったが、今の私には感動する余裕はない。

健康な時なら何ともない坂だ。

実際、子どもたちはヒョイヒョイと登っていく。

しかし私は、歩いて三十分も経っていないのに、既に遅れ始めている状態だった。

体は重く、熱く、なのに寒い。

しんどい。

ただひたすらにしんどかった。

気を緩めれば、身の内から腹ガ減ッタ、喰イタイと大合唱をする声が聞こえて、それが集中力を掻き乱す。

ああ、もう、うるせえな。

腹は減ってねーんだよ、他ならぬお前らのせいでほぼ絶食中だ。

ハハッ、ザマーミロだバカめ、そのまま飢えて死ね!

 

「サイカ、サイカ!」

 

呼ばれて顔を上げれば、アルビンが私の肩を掴んでいるところだった。

 

「大丈夫か。……少し休もう」

「でも」

「こっちも役割分担を決める。あんたは休んでて」

「ゴメンね。この状態で動くのにまだ慣れてないから、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 

そうして道沿いの岩に軽く腰を下ろすと、リュックからタオルを出して汗を拭き、水筒の水を一口飲んだ。

ヤバいな、しっかりしないと。

あと数時間じゃないか。

だがその数時間が、恐ろしく間延びしているように思えてならない。

目を閉じて、目からの情報を遮断する。

 

「五十分歩いて十分休憩な。で、俺とお前でサイカの神機を交代で持つ。俺が三十分でお前が二十分だ。キツかったら俺が長めに持つから言ってくれ」

「オケーイ。任せてちょー」

 

アルビンがみんなの役割分担をしている。

元々子どもたちのリーダーではあるが、昨夜のことは全くおくびにも出さず、いつも通りの頼もしさだった。

 

「ぼくはー?」

「ダニーはアラガミがいないか注意を払ってくれ。いつもどおりで良いから」

「……ニーン」

 

ダニーが言い淀む気配。

 

「どうしたの? ダニー」

「今日は、むずかしい、かも」

「難しい?」

「ヨー。サイカ、具合わるいから」

「サイカが体調悪いと、お前のレーダーも不調になるのか?」

「ぼくは平気だけど、サイカがいないと、ぼく一人になって、よく見えなくなっちゃうから」

「んんー?」

 

ビャーネの問いかけに、ダニーはどうにか説明をしようとしているようだが、ダニーの今の語彙では説明は出来ないだろう。

私は目を開け、子どもたちの方を向いた。

 

「私とダニーは、それぞれがレーダーでビーコンなんだよ」

 

子どもたちがこちらを見た。

 

「二人で索敵して、取得した情報を同調して共有、情報の範囲と精度を上げているの。今日の私は不調で、取得する情報がほぼダニーだけになるから、範囲も精度も落ちるよってことだよ」

「へー、そういうカラクリだったのかー」

「だったのでーす」

 

感心するビャーネに、何故かダニーは胸を張った。

 

「ダニー、あんたはいつも通りでいいよ。私もできる限り気を配るから。でも、みんなもいつも以上に注意して進んで。あんたたちは人じゃない。AGEだ。普通の人やGEより勘は働くと思うから」

 

アルビンは頷いた。

 

「わかった。ダニー、頼んだぞ」

「ヨー! みんなも、たのみましたぞー」

「頼まれましたぞ、坊ちゃん」

 

相変わらずのノリでビャーネが応じた。

その横でクロエが私を見る。

 

「じゃあ、私はサイカとダニーの様子を見ていれば良いんだね」

「ああ。ただ、お前も体調は十分に気をつけて。苦しくなったら言ってくれ」

「ダコール」

 

クロエは真面目な表情で頷く。

アルビンとは微妙に色の違う青い目は、気合いが入っていた。

普段、支えられてばかりの自分を不甲斐なく思っているクロエにとって、自分を信頼して何かを任されることは、とても嬉しいことなのだと思う。

結果、体に力が入っているのは、ご愛嬌というやつだ。

四人の様子を見つめ、私は再び目を閉じた。

前にも思ったが、私がいなくてもこの子達なら十分にやっていける。

たまにフォローするだけで、恐らくはもう十分なのだ。

そう、こんな感じで。

目を開き神機のケースを蹴飛ばすのと、ダニーが表情を強ばらせたのはほぼ同時だった。

驚く三人を後目に、ダニーが私に言う。

 

「なんか来る! 青いの!」

「ネヴァンかサリエルかな。みんな岩陰に隠れてマスクして」

 

言って、私もゴーグルとマスクをつけると、ケースが開いて姿を見せた神機の束を握った。

臨戦態勢になったせいかで、身体のダルさは残るが、頭の中は比較的クリアになった。

向こうはこちらを捕捉しているようで、道なりにこちらへやってくる。

さあ、今日も頼んだよ。

ボロボロの神機に呼びかけるが、特に反応はない。

いつものことだ。

 

「サイカ、これ!」

 

ビャーネが渡したのは、この旅ではおなじみになった通信機だった。

受け取り身につける。

 

「ありがとね。じゃあ行ってくる。荷物頼んだよ」

「ヤ!」

「気をつけてね!」

 

子どもたちに背を向け盾を展開、ダイブで坂を登った。

おー、これ楽だな。

これで山道登ればいいのでは?

ガキ共の目の前でアラガミになって、全員食い散らかす結末を望むなら名案だ。

よし、しんどいけど地道に行こう。

そして、山肌がせまる道に沿ってそれはやってきた。

ああ、やっぱりサリエルか。

全体的に青っぽく、スカートを履いた女の形をしたアラガミ。

優美に宙を舞い、光と毒を自在に操る嫌らしい攻撃を仕掛けてくる。

狭い山道では、攻撃をかわすのが難しそうだが、手持ちの武器との相性は抜群だ。

気合いを入れ、ダイブでサリエルに激突、空中で捕喰してバーストした。

着地してオラクルをリザーブし、距離を少し開けて近接形態に戻す。

まずはスカート、それから足だ。

ジャンプ切りでスカートを狙いまくる。

変態っぽいが、そうとしか表現のしようがない。

と、呆気なくスカートが結合崩壊を起こした。

……あれっ? やけに早いな。

チャージ捕喰して、頭に攻撃を当て続ける。

再び浮上し、ご存知の光の柱やらホーミングレーザーなどの攻撃をしかけてくるが、心無しか威力が弱い。

頑張っているアラガミに、照射弾を当て続けていると、あっさりと頭が結合崩壊を起こして地面に落ちた。

思わず我が目を疑う。

何だこれ、おかしくないか?

捕喰してバーストを維持、積極的攻撃をするまでもなく足も結合崩壊。

瞬く間に討伐が完了してしまった。

えっ、もう終わり?

思わず倒れ伏すアラガミを見つめていると、頭の片隅で何かが閃いた。

ここは限界灰域じゃない。

この場所相応のアラガミってことだ。

数ヶ月とはいえ、限界灰域で戦ってきた私は、すっかり限界灰域の常識が染み付いていた。

慣れって怖いな。

バーストが解け、黒ずみ始めたアラガミを神機で捕喰する。

足リナイ。

腕輪からの激痛と共に唐突に聞こえた声。

足リナイ、コレジャア足リナイ。

モットモットモット喰イタイ。

腹ガ減ッタ喰イタイ喰イタイ。

うるせえな、ここぞとばかりに出てきやがって。

 

≪サイカ、サイカ大丈夫か!?≫

 

喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイマダマダモットモット喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ生キタイマダ生キタイ!

ああああああああああああああああっ!!

うるさいっ!

 

≪サイカ! おい、サイカッ!≫

 

うるさいうるさいうるさいうるさい!

マダマダモットモット喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ!

 

「うるせえよっ!!」

 

たまらず声に出して怒鳴った瞬間、自分のしでかしたことに心が凍りそうになった。

無線の向こうでアルビンが、それを聞いた子どもたちの息を飲む気配が伝わる。

罪悪感と自責の思いが、瞬く間に心を焼き尽くした。

やってしまった。

一人で子どもたちを守るようになってから数年、子どもたちに対して感情のままに怒鳴ることは一度たりともしなかった。

疲れてしんどくて怒鳴りたい時もあったけど、どうにか我慢できていた。

なのに、最低すぎる。

 

≪……ゴメン≫

 

アルビンの謝罪の声に、自己嫌悪で涙が出そうになった。

 

「違う。……違うんだよ、アルビン」

 

私は神機を持たぬ手で顔を覆った。

 

「違うよ、あんたに対してじゃない。あんたは何も悪くない。ゴメンね。私、今ちょっとおかしいんだよ」

 

それでも、泣くのは気力の全てを使って我慢した。

傷つけた側が泣くなんて、あまりにもズルすぎる。

萎れそうになる心にムチを打って、声帯を引き締めた。

 

「本当にゴメン。……アラガミは片付けたから大丈夫だよ」

≪わかった。今からそっち行くから待ってて≫

 

通信は切れた。

身の内から聞こえてきた声は聞こえなくなっている。

この件ではっきりとわかった。

オリガさんが処方してくれた薬は、日常生活や簡単な運動をするにあたって侵食を抑え、痛みを和らげてはくれる。

だが、神機を使えば症状が悪化することに変わりはない。

使えば使うほど侵食は進み、地獄の門をくぐる以上の最悪の結末に近づくのだ。

まだ始まったばかりなのに、もうこれかよ。

体を苛む痛みと熱が、心の余裕を奪い取り悲観的な思いに拍車をかける。

足音が近づいてきた。

ちゃんとみんなに謝らないと。

 

「サイカ!」

「お待たせ。さっきは怒鳴っちゃって本当にゴメンね」

 

やってきた子どもたちに向けて、私は頭を下げた。

 

「大丈夫なのか」

 

常の陽気さはどこへやら、心から心配そうに尋ねるビャーネに頷いた。

 

「うん。心配してくれてありがとう」

 

言って手を伸ばし、ビャーネのマスクの上から頬を撫でた。

 

「クロエとダニーもゴメンね」

「大丈夫だよ。ね、ダニー」

「ヨー。サイカ、元気だして」

「……ありがとう」

 

二人の顔を撫で、アルビンの方をむいた。

その両眼は、いつも通りの冷静なものだった。

 

「さっきは本当にゴメン」

「いいよ、わかってるから。怪我はないよね」

「うん。討伐自体は簡単だったから」

「そう」

 

アルビンは頷き、神機のケースを私に渡す。

 

「しまったらよこして。運ぶから」

「わかった」

 

いつも通りの素っ気のない淡々とした応答は、アルビンなりの精一杯の気遣いだろう。

頑張らなくては。

無様でもみっともなくてもいい。

私が、今唯一やりたいことを成し遂げるのだ。

神機をケースにしまい、アルビンに渡した。

クロエから杖を受け取り、みんなを見渡す。

 

「じゃあ、行こうか」

 

子どもたちに笑顔はなく、ただ何かしらの決意と覚悟を決めた目で頷いた。

 

 

山登りは続く。

子どもたちは時折会話を交わすものの、ほぼ無言でひたすら歩き続けていた。

殿を歩く私も、何とかして子どもたちに気を配り続けるが、手首を震源地にして体を苛む痛みは止むことはなく、集中力が続かない。

オリガさんからもらった痛み止めがあるが、ここで使うのは避けたかった。

と、感覚に何かが引っかかった。

 

「あ。この先に何かいる」

 

ダニーも気付いて声を上げると、先頭を行くアルビンとビャーネが振り向いた。

 

「アラガミか?」

「ヨー。まだ遠いし気付いてない」

「……もう少し進もう。ヤバそうだったら声かけて」

 

再び私たちは歩き出す。

アラガミの気配は確実に近づいている。

しかも複数だ。

安易に神機は使えない。

何とか避けることが出来ればいいが。

山肌に沿ってパイプが連なる道を歩き続け、不意に右手側が開けた。

開けた道からは、侵食され続ける岩山が延々と連なり、アクセントカラーのような緑の植物が点在している。

下を覗き込めば、重機が捨て置かれた広場と大きなトンネルらしき穴が見えた。

パイプ同様、恐らくキケさんが言っていた鉱山の名残だろう。

そしてそこに、黒い塊が蠢いていた。

 

「あれは?」

「アックスレイダーとその堕天だな」

 

ビャーネの言うとおり、タフネスで厄介な小型種アックスレイダーの群れだった。

普通のと堕天種とで群れをなし、雄叫びを上げながら小競り合いをしているようだ。

その数二十以上。

限界灰域なら地獄絵図、普通の灰域でも悪夢の光景だった。

 

「ケンカ?」

「縄張り争いかな」

「ケンカなんかしないで、みんなで仲良く住めばいいのに」

「アラガミにも色々あるんじゃねーの」

「色々って、……ご近所トラブルとか?」

「アラガミに近所ってあんの?」

 

しゃがんで崖の下のアックスレイダーの争いを見守る子どもたちだが、私は警戒を解かずに周囲に気を配る。

これじゃない。

ダニーが察知したのは、コイツらじゃない。

その時、雷を纏う気配を感じた。

しかも三匹いる。

 

「本命が来るよ」

「本命?」

 

途端、雷鳴と共に広場に見覚えのある雷球が降り注ぎ、瞬く間にアックスレイダーの群れを蹴散らした。

 

「え?!」

「なっ、何いきなり?!」

「あっちのおっきい岩から来る!」

 

ダニーの言うとおり、岩場の影から雄叫びと地響きをたて、三体はもつれるように広場へとなだれ込んできた。

 

「マイガッ、ヴァジュラだ!」

「みんな静かに下がって。バレたら間違いなく死ぬよ」

 

私の声に子どもたちは頷き、しゃがみながら静かに下がる。

 

「このまま離れるから、それまでは静かに。いいね」

 

山側まで下がると子どもたちは立ち上がり、哀れなアックスレイダーたちを巻き込んだ崖下の大乱闘は放置して、その場を去った。

しばらく黙って歩き、気配が完全に消えた辺りで声をかける。

 

「もう大丈夫だよ」

 

子どもたちは大きく安堵の溜息をついた。

 

「ばじゅらこわかったね」

「ねー。あのヴァジュラも縄張り争いしてたのかな?」

「かもな」

「アラガミ社会も楽じゃありませんなー」

 

子どもたちが会話を始める。

私のせいで沈んだ空気になって子どもたちだが、アラガミ鑑賞会のおかけで元に戻ったようだ。

これでいい。

うるさいのはあれだが、子どもたちの元気な姿は、今の自分の気力を支える力になっていた。

すっかり、子どもたちに支えられちゃってるな。

情けないと思う反面、子どもたちの強くしなやかな心を嬉しく思えた。

その後もアラガミたちをやり過ごし、途中で休憩を挟みながら道を進んだ。

かなりゆっくりめのペースだが、かなり余裕を持った時間配分をしているため行程は順調と言えた。

今回の休憩で、食間の薬を飲む。

隣に座るクロエが、心配そうにこちらを見ていた。

 

「ん? 大丈夫だよ」

「うん。それはわかるんだけど、薬の量が多いなって」

「ハハ。まあ仕方ないよ。あんたは大丈夫?」

「うん、こまめに休憩とれてるから」

「なら何より」

「ちょっとだけ頑張ろうね」

「ダコール」

 

水を飲みながら、雑談をしている男子たちの様子も全く問題はなさそうだった。

 

「それじゃ、また一時間登るぞ。足に違和感があったら言ってくれ」

 

リーダーアルビンの言葉に、私を含め子どもたちは返事する。

そして、再び山間の道を歩き始めた。

 

「ちょうじょうまだかな?」

「もう少し先だよ。疲れたのか?」

「……岩ばっかでちょっとあきた」

「また山の中に入っちゃったからな。でも岩の形見るのおもしれーぞ。あそこの岩、バルバルに似てなくね?」

「ホントだー、バルバルー」

 

男子組が賑やかに先行するのを、私とクロエは後ろから見守る。

 

「ペニーウォート、どうなってるのかな」

 

ポツリとクロエが呟いた。

その表情は暗い。

 

「気になる?」

「……あそこ、嫌なことばっかだったから」

「そうだね」

 

アラガミも出現せず、薬が効き始めたのか体調が比較的安定しているため、受け答えをする余裕はあった。

 

「あんたにとっちゃ、しんどすぎる場所だったからね」

「……うん。あ、でも、サイカやみんなに会えたことは良かったって思ってるよ」

「うん、知ってる」

 

私はクロエの頭の後ろを軽く叩いた。

 

「もうあのミナトはないよ。灰嵐で滅んじゃったからね。あんたに酷いこと言ったり、酷い目で見る大人はもういないから」

「うん」

「そう簡単に忘れられないだろうけどさ、焦らなくていいからね。私は置いていかない。身体と同じようにマイペースで進んでいこう」

「うん。……ベースみたいに過ごせるといいな」

「過ごせるよ。きっと」

 

クロエの肩に手を回すと、そっと彼女は体をくっつけてきた。

あのミナトは本当に酷くて、体の弱かったクロエにキツくあたる大人は多く、おまけに美少女っぷりからぺドな大人にキモい目で見られていた。

そんな経験から、クロエは大人の男が大の苦手となり、その思いの行き着いた先が、世界と大人に対する恐怖と不信だった。

それでも何とか対応できているのは、AGEになる前の環境の良さと、庇護してきた私や他の牢にいた仲間たちがいたこと、朱の女王で人並みの生活を経験したからだろう。

だからこそ、あのミナトを見ることはとても大切だと思った。

クロエに酷いことをする存在は無くなったのだと、クロエ自身の目で確かめるために。

その後もクロエとポツポツの会話をしながら歩いていると、左手側の山肌がなくなり視界が開けた。

 

「あ! 湖だ!」

「おー! すげー!」

 

子どもたちは走り、クロエも私から離れてその後を追う。

そうして四人は、崖から落ちない距離を保ちながら、その光景を歓声を上げて眺めた。

四方を山に囲まれた円形に近い湖が一望できた。

よくよく見ると渦を巻いているようだ。

そう言えば、ここから東にある山間の湖も渦を巻いている所があった。

 

「グルグルしてるー」

「何で渦巻いているの?」

「海だったら潮の流れで説明できるけど、……昔の洗濯機みたいに、湖底にスクリューみたいなのがあるとか?」

「その例えはどうなんだ」

「でもわかりやすいだろ」

「せんたっきー」

 

ビャーネの双眼鏡を順番に回しながら、子どもたちは飽きることなく湖を眺め、思い思いに会話をしている。

私はといえば、渦を巻く湖を見ているだけで目が回りそうだった。

この調子だと、キケさんがオススメしていた山頂の光景も残念なことになりそうだ。

自業自得の体調不良が、恨めしい限りである。

 

「そろそろ行くよ。頂上に着いたらご飯にするからね」

 

子どもたちを促し、私たちは再び頂上を目指して歩き始めた。

順調に進んでいた道のりは、途中でコクーンメイデンの生息地にぶち当たり、やり過ごすことができずに神機を使う羽目となった。

どうにか根こそぎ倒したものの、侵食が進んで例の声と激痛が体と心を更に苛む。

心配そうに見守ることしかできない子どもたちに、私はどうにか笑ってみせた。

 

「ゴメン。あと少しで落ち着くから、ちょっと待っててね」

 

荒い息を吐きながら言い、身の内の嵐が通り過ぎるのを待った。

その時、熱と痛みと飢えを発する腕輪の痛みが急速に和らいだ。

気配を感じてみれば、懐かしい少年が腕輪を両手で掴んでいた。

グンナル、あんたもか。

私と同い年くらいだった少年は、死んだ当時の姿のままだった。

彫りが深く精悍な顔立ちの少年は、歯を見せて笑い、私の腕を叩くと日の光の中に消えていった。

呼吸を整え、私は顔を上げる。

 

「お待たせ。じゃあ行こうか」

「大丈夫か?」

「何とか落ち着いたよ。今のうちに行こう」

 

アルビンとビャーネの手を借りて立ち上がると、コクーンメイデンの生息地跡を通過した。

ふと視線を感じて見ると、ダニーがもの言いたげにこちらを見ている。

恐らくグンナルの姿を見たのだろう。

私は小さく笑い、人差し指を立てて口に当てた。

ダニーは生真面目な表情で頷き、私の真似をすると、クロエにくっついて歩き出した。

私は歩きながら彼のことを思い出す。

グンナルは、私と友人の共通の友人だった少年だ。

私以上の大雑把さと、男子ならではの喧嘩早さと口の悪さ、遠慮のない性格だったが、仲間思いの優しい奴でもあった。

故郷はこの地から遥か西にある、火山と間欠泉とバイキングと呼ばれる海賊が有名な島だと言っていた。

故郷の話をする彼は楽しそうで、彼の故郷を見てみたいと言うと、いつかみんなで行こうなと笑って言っていた。

常に明るく、真昼の太陽のような存在だった彼も、先輩や仲間たちの死を見送り続け、数年後に自分がリーダーになった頃には、傾き沈む太陽となっていた。

彼は、先輩たちと同じく悟り覚悟を決めたのだろう。

故郷へ帰ることは叶わず、この灰域で散っていく未来を、仲間を守るという責任とともに受け入れたのだ。

そして、彼は友人を守って死んだ。

ミナトでも精鋭と謳われた友人を守ることで、その後のことを託したのだと思う。

そのことを責めるつもりは全くない。

ただ思うのだ。

それでも諦めて欲しくなかったと。

ああ、グンちゃん。

生きていた頃は言えなかったし、恐らく面と向かっては今も言えないだろうけど、あんたが故郷の話をしてみんなで行こうと言っていた時の笑顔、私もローも好きだったんだよ。

半笑いで大きく息を吐き、私は前を向いて歩き続けた。

 

歩き続けていくうちに両側に迫っていた山肌はいつの間にかなくなり、右手には連なる岩山、左手には岩山に囲まれた湖が見える見通し良い道に出た。

恐らく山頂は近い。

全身を襲う熱く鈍い痛みに耐えながら、坂道を無言で登り続ける。

前を行く子どもたちが坂道を登りきり、そして声を上げた。

 

「サイカ! 着いたよ、頂上だ!」

 

ビャーネが叫んで言うのを、私は手を軽く上げて答えた。

待ってて、すぐに行くから。

子どもたちが待っている。

吐く息は熱く荒く、体から汗が噴き出す。

それでもどうにか坂道を登りきると、遮るもののない広場のような場所へと出た。

特に頂上と示すものはないが、眼下には連なる岩山と湖と、オレンジの光が灯る煤けた大地が見える。

みんなで固まって前へ足を運んだ。

 

「ペニーウォートだ」

「やっと、目に見える所まで来た」

 

青く見える山々に囲まれた広い広い大地には、廃墟の街が点在し、航路を走る船が小さく見えた。

 

「あれ、もしかしてミナトか?」

 

双眼鏡を覗くビャーネが声を上げる。

見れば何やら窪んだ場所があった。

ビャーネに双眼鏡を借りてのぞいて見ると、ミナトの入り口の残骸と、大量の土砂を被った施設らしきものが見えた。

 

「……そうだね。ペニーウォートのミナトだ」

 

牢獄で過ごし、行動を制限されていた私は、それをパッと見ても故郷という実感はない。

しかしそこで、AGEたちが日常茶飯事のように虐げられ、多くの仲間たちが犠牲になったことを思った時、その潰れた残骸は巨大な墓標のようであり、人の弱さと悪行のかさぶたのように見えた。

いずれあそこは、人の記憶と同じように時間をかけて風化し、地中へ消えていくだろう。

だが、ミナトが行なった所業は人が人である限り、決してこの世から消えることはなく、人なら誰しもが持つ標準装備としてそこに在り続ける。

私は、双眼鏡を隣のクロエに渡した。

クロエは酷く緊張した表情でそれを受け取り、何回か深呼吸をして恐る恐る双眼鏡をミナトへ向けた。

しばらく黙って見ていたクロエだが、やがて双眼鏡を外した。

 

「……本当に、潰れちゃったんだね」

「そうだよ。あんたのあそこでの酷い夢は、終わったんだよ」

 

私が言うとクロエは頷き、ハンカチで目を押えた。

子どもたちも双眼鏡でミナトを見て、それぞれの表情を浮かべる。

猛る感情を押さえ込んでいるであろうアルビンの無表情と、いつになく真剣な表情で見つめているビャーネ。

そして、ダニーが何も言わずに私の左手を掴んだ。

その表情は複雑なものだった。

語彙の少ないダニーは、自分の気持ちを言葉で表現できず、もどかしそうだった。

私は安心させようと、その手を握り返して笑顔を向けると、ダニーはすがりつくように両手で私の手を掴んで寄り添った。

私たちは黙って眼前の風景を見つめる。

ミナトの残骸も含め、あちこちでオレンジの燃えるような光と、黒い煙が立ち昇っていた。

さながら、大火事の後で今なお燻り続け、灰域によって限られた命しか存在できない大地は、絶望的な風景そのものだ。

なのに、些細なもののように思えてしまうのは、その大地にこうして立てる生物(バケモノ)の傲慢さ故か、それとも、視界の大半を占める圧倒的な青のせいか。

太陽が白く輝く雲一つない空は、いくら目を凝らしてもあまりに高く果てがない。

あらゆる生物の営みと思いを、一切意に介さない徹底した無関心っぷりは、いっそ清々しいくらいだ。

あのミナトにいた頃、どうせ死ぬなら青い空の下がいいと思っていた。

そして今、改めて思う。

やはり、この青い空の下で死ねたらどんなにいいことだろうと。

灰域によって喰われ、瞬く間に灰となって跡形もなく散ることができたなら、それはどれほど潔いことか。

しかし、今はそれは叶わない。

私はまだ、この痛みと重さを背負い、この地上を歩き続けなければならないのだ。

私は子どもたちに視線を向けた。

 

「さ、お昼ご飯にしよう。みんなは適当に食べて時間まで休憩していてね」

「サイカは?」

「私は薬を飲んでお昼寝する。アルビン、一時間後に起こして」

「わかった」

 

子どもたちは広場の真ん中辺りで、輪になるなるように折りたたみの椅子を広げ、ミナトで用意してくれた弁当を広げていた。

私はそこから少し離れた所で折りたたみの椅子に腰掛けると、オリガさんが用意してくれたゼリー飲料と、これが昼飯だと言わんばかりの薬を何回かに分けて飲む。

身の内で喚く声に内心で中指を立ててやり、タオルを顔にかけてそのまま目を閉じた。

頼むよ私の細胞。

胡散臭いオラクル細胞なんぞに負けんでくれ。

私の意識は、呆気なくブラックアウトした。

 




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故郷 4

何かが走り回る気配がする。

タオルを外してそっと見てみれば、私の周囲を走り回る三人の子どもと、私を見下ろす女AGEがいた。

……ねえ、本当に何なの? あの牢にいた連中で同窓会でもやんの? それとも新手の走馬灯か? これ。

子どもたちはそれぞれネナ、ノア、ラウゲ、そして女AGEはエストリズ、リズ先輩だった。

私たちと同じ牢にいた、今は亡き仲間たち。

彼女は私の元にやって来ると、腕輪に手を添えた。

すると、私の周りをグルグル走り回っていた子どもたちも、その手に重ねるように次々と腕輪に手を添える。

痛みと熱が薄れ、呼吸が少し楽になる。

彼女たちは手を離して立ち上がると、子どもたちは笑顔で手を振り、子どもたちを連れたリズ先輩は、小さく笑って消え去った。

私はタオルを再び顔にかける。

リズ先輩。

育ちの良さそうな整った容姿なのに、無愛想で笑顔など稀にしか見ることがなかった、知識が豊富なマルチリンガル。

記憶のない私の先生代わりだった女性で、取っ付きづらいが教え方は非常に上手かった。

しかし、AGEとしての適正は明らかに低く、生前の頑なな態度と愛想のなさは、看守や大人たちの虐待もそうだが、頭の良さゆえの将来に対する諦観だったのだろう。

事実、リズ先輩はアラガミと化してGEに討伐された。

ネナ、ノア、ラウゲは、それぞれ時は違えど、実験体としてどこぞのミナトに売られた子どもたちだ。

彼らがここにいるということは、……つまりはそういうことなのだろう。

胸の痛みとともに目を閉じた。

彼女たちに行われた所業をそれでも赦し、前を向いて進まなければならないという世間の流れに、どう対応すればいいのか。

何となく答えは見えているが、今は眠い。

私はそれに抵抗せず、そのまま眠りに落ちた。

時間通りにアルビンに起こされ、片付けを済ませて子どもたちを一通り見る。

全員体調に問題はなさそうだ。

 

「足は問題ない? 痛くなったらすぐに言うように」

 

子どもたちは元気よく返事をし、私は笑顔を作って頷いた。

 

「じゃあ、午後もよろしくね」

 

マスクとゴーグルをつけ、私たちは山頂を抜けて山下りに入った。

直線距離にしたら目的地まで本当に僅かなのだが、高低差があるためそうもいかない。

やり過ごすことができずに遭遇したアラガミを討伐するごとに、私の体力と精神力は容赦なく削られていき、休憩時間も長くなった。

腹は減っていないというのに、身の内のオラクル細胞は、アラガミを、目の前にいる子どもたちを食いたいと、そして生きたいと恥も外聞もなく訴え続ける。

何という生存への飽くなき欲求か。

このままでは、また子どもたちに酷いこと言うどころか、手を上げてしまいそうになる。

それだけは絶対に嫌だった。

私はその訴えを懇切丁寧に、一切の容赦もなく叩き潰し、全力で抵抗を続けながら無言で私は歩き続ける。

子どもたちが時折声をかけてくれるが、頷き、一言二言返すのが精一杯だ。

腹ガ減った。

叩き潰す。

喰イタイ。

叩き潰す。

アラユルモノヲ喰ツクシタイ。

叩き潰す。

喰イタイ叩き潰す喰イタイ叩き潰す喰クイタイ喰イタイ生キタイ叩き潰す叩き潰す叩き潰す叩き潰す叩き潰す叩き潰す叩き潰す。

そんな努力を嘲笑うかのように、アラガミは容赦なくやって来る。

中型種のシユウが二体。

しばらく待つが、奴らの縄張りらしく、手前の一体が気配を感じて警戒をしているようだ。

よりによって複数戦闘かよ。

大型種でないだけマシと思うべきか。

アアアアアアアアッ! 喰イタイ喰イタイ腹ガ減ッタ!

死ね! 死ね死ね死ね死ね! 今すぐ死ね!!

目を固くつむって内心で叫び、呼吸を整え、ケースから神機を引っ掴んで立ち上がった。

 

「俺たちは向こうの岩場の影まで引き返す。終わったら連絡して」

 

アルビンは私の荷物を引き取り、淡々とした目線で言った。

内心の葛藤を押し込め、私は頷く。

 

「うん。あんたたちの方へ行かせないようにするけど、いざとなったら荷物を捨てて逃げてね」

「ヤ」

 

ダニーが手を伸ばして手を握った。

泣きたいのをこらえているその表情に、私はどうにか笑顔を浮かべ、肩に手を置いた。

 

「サイカ」

「行ってくるよ。レーダー係、よろしくね」

「ヨー! みんなを守る」

「気をつけて行ってこいよ」

「……苦しかったら逃げていいからね。私達も頑張って逃げるから」

「ありがとう」

 

真剣な表情のビャーネとクロエの肩を一つ叩き、神機を掲げると、ダイブでシユウたちの元へ向かった。

侵食が進む。

それでも私は止まらない。

雄叫びとともに手前のシユウにダイブアタックし、捕喰してバーストのいつもパターンで戦闘開始だ。

奥の方にある餌場で、遅めのランチをとっているシユウは気付いていないようだが、いずれ合流するだろう。

合流する前にできる限りのダメージは与えておきたい。

厄災前はGEの登竜門とも呼ばれていたコイツらだが、限界灰域のそれと比べて柔いとはいえ、スキの極めて少ない挙動はやはり脅威である。

これが登竜門だったとは、やはりGEも十分に人間外の存在なのだ。

技量だけなら、私よりも遥かに卓越した者も多くいるに違いない。

ひとまず銃撃で翼手を破壊。

バーストを維持しつつオラクルを集め、今度は頭に狙いをつける。

全身の痛みを堪えながら着実に追い詰めていくが、視界の端でランチをしていたシユウが駆け寄ってくるのが見えた。

何だよ! ゆっくり食ってりゃいいのに!

こちらに滑空してくるのをどうにかかわすが、最初に相手をしていたシユウの鋭い蹴りがきた。

ボロボロの体は重く鈍く、これはかわせない!

これが最後の仕事だ、サイカ・ペニーウォート。

ツケの支払いは、貰った痛み止めを打って誤魔化しとけ。

瞬間、全身に力が漲るのを感じた。

即座に一歩前進して盾を展開。

蹴りをジャストガードしながら、そのまま刃をすくうように振り上げる。

会心の手応えとともに、頭が結合崩壊を起こした。

やっぱちゃちぃな。

頭の片隅で思いながら、ステップ攻撃しつつ距離をあけ、スタングレネードを発動。

火球攻撃の構えを取っていたランチシユウのスタンに成功した。

そしてチャージ攻撃の構えをとる。

これを当てれば前座は瀕死、適当に攻撃してても倒れる。

目論見通り、チャージ攻撃が当たりステップ攻撃を二度三度繰り返して、前座を即座に撃破した。

後はもう一対一の戦いだ。

銃撃と近接攻撃とを使い分けて戦い、おあつらえのようにチャージ攻撃でランチシユウも撃破した。

 

「グッ、ガ、ガアアアアアアアアア!!」

 

漲っていた力が消えた途端、言語を絶する激痛が全身を襲い、思わず絶叫を上げた。

体の支えがきかず倒れ、思考が獰猛な食欲に埋め尽くされる。

モットモットモット喰イタイ!

ココデガキヲ呼ベバ、ガキヲ喰エル。

アアアアア、喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ、骨マデ喰ライツクシタイ!

食欲に飲まれれば、狂気の縁に落ちてしまえばどれほど楽か。

だが、私は無様に体の痛みと苦しみにしがみついた。

ふざけんな!!

この体は私のものだ!

今度こそ……、今度こそ! 子どもたちが安心して過ごせる場所へと連れていき、信頼出来る人々に託す。

無念と諦めのうちに散っていった、先輩や仲間や友人たちの戦いと死に報いるために。

この体はそのためにある。

こんなクソふざけたオラクル細胞なぞに譲り渡すものなど一欠片もない。

死ね! 死に晒せ!!

痛みに耐えきれずに叫びながら、ひたすらに嵐が通り過ぎるのを待ち続ける。

そして、どうにか身の内の食欲は引いていくのを感じたが、痛みと疲れから体は動かない。

ゴーグルとマスクを外し、涙と鼻水を拭うと、通信を繋いだ。

 

「終わったよ……。すぐ来て、薬……」

≪すぐ行くから待ってろ!≫

 

せめて体を起こそうとするが、その間に足音が聞こえてきた。

 

「サイカ!」

 

アルビンが駆けつけると、私の傍らに膝をついた。

 

「ケース……、アンプルを」

「わかった。打てるか?」

 

私はどうにか頷く。

私の荷物を開けてケースを取り出したアルビンは、アンプルと注射器を取り出し薬剤が入った状態で私の左手に渡した。

私は躊躇いなくそれを腕の静脈に突き立て、薬剤を注入した。

注射器を抜き、私は地面に顔を伏せた。

 

「サイカ!」

「ゴメン。少し、休む……」

 

言い残し、私は意識を失った。

 

 

夢か現か定かでない。

死んだはずの先輩と仲間がまたやって来て、私の右の腕輪に触れて去っていくのを見た。

フランツ、アメリー、レックス先輩。

あのミナトの悪行の果てに死んでいった優しい子どもたち。

覚えている。

同じ牢にいた仲間のことは、全て覚えている。

みんな、死にたくなかったろうに。

生きて、それぞれの望みを叶えたかったろうに。

私は、みんなの望みは叶えて上げられないけれど、でも、その死だけは絶対に無駄にはしない。

私が、必ず連れていくから。

そうして夢と現を何回か行き来して目を開くと、先程よりも黄色味を帯びた空が見えた。

平和な午後の空の色だ。

私はタオルを枕に、地面に敷かれたシートで眠っていたらしい。

右手側には放置されている神機。

そして左手側には小さな人の気配。

見ずとも感触でわかる。

ダニーが私にくっついて寝ていた。

悶絶しそうな全身の痛みは消えているが、頭が酷くぼんやりする。

元凶の右手首の腕輪を見れば、外見は侵食が進んでいるようには見えないが、不気味に脈動している感じはあった。

薬が覿面に効いているようだ。

起きよう。

日が暮れる前に、山を下りてダスティミラーへ行かなくてはならない。

そうして起き上がろうとして、ダニーが目を覚ました。

ぼんやりしていた緑の目が、こちらをしっかりと見つめる。

 

「あ! サイカおきた!?」

「起きたよ」

 

そうして私はダニーと共に身を起こすと、ダニーが真剣な表情で口を開いた。

 

「あのね、ぼくね、サイカを守っていたよ」

「……守ってくれていたの?」

 

ダニーは頷き、私に体をくっつけると耳元に口を寄せる。

 

「おばけ、いたので、つれてっちゃわないよう守ってました」

「そう」

 

私は小さく笑う。

 

「でも、今寝てたよね?」

 

すると、ダニーの表情に影が差した。

視線をそらし、ポソポソと呟く。

 

「おばけ、いなくなったあと、ねむいのやってきまして」

「うん」

「がんばってたたかったけど……、ダメでした。ぼく、負け犬です……」

「そっかー」

 

私はノロノロと腕を動かして、俯くダニーの肩を抱いた。

 

「眠気との戦いは、大人でも負けちゃうから気にしなさんな。ダニー、朝から頑張って歩いていたしね。守ってくれて、ありがとう」

「ヨー。サイカ、だいじょぶ?」

「うん。行かないとね」

 

寝ている私たちから少し離れた所で、アルビンとクロエが椅子に座って寝ていた。

だが、ビャーネの姿がない。

視線をめぐらすと、ちょうど岩場の影からウェットティッシュで手を拭くビャーネが出てきた。

こちらを向いたビャーネが、驚きの表情を浮かべる。

 

「あ! サイカ、起きたのか!」

 

慌ててこちらにやって来る。

 

「トイレ?」

「うん、そう。じゃなくて! 大丈夫か?」

「うん。すまないねい、マイダーリン」

「良いってことよ、マイハニー」

「どれくらい寝てた?」

「二時間くらい?」

「そっか」

 

私は頷き、表情を引き締める。

 

「痛み止めが効いている今のうちに、山を下りて先に進みたい」

「わかった。すぐに二人を起こすから」

 

ビャーネが二人を起こしている間に、私は重い体をどうにか動かして神機をケースにしまう。

もう神機で戦うことはできない。

次にこの神機を使った時、確実に最悪の結末を迎えることになる。

仮にアラガミと遭遇したその時は、もうアイテムをフルに使って逃げるしかない。

そして私には、もう逃げる力はほとんど残されていない。

 

「サイカ、平気? 動けそう?」

 

ビャーネに起こされた二人が、私の側にやって来た。

クロエの言葉に私は頷く。

 

「うん。心配かけてゴメンね。だいぶ落ち着いたから、今のうちに進もう」

「わかった。立てるか?」

 

再び頷き、ゆっくりと立ち上がったが、体がふらついた。

どうにか踏ん張りをきかすが、思った以上に力が入らない。

すぐにアルビンが、左側から身体を支えた。

 

「ビャーネ、クロエ、さっき話した通りでいくから」

「オッケーイ!」

「ダコール」

 

さっき話した通り?

すると、アルビンが私に目線を合わせた。

 

「俺があんたを支える。神機はビャーネ、あんたの荷物はクロエが持って先頭を歩く。ダニーはレーダー係を続行。山を下りるまではそれで行くから」

「二人とも大丈夫なの?」

 

尋ねると、二人は力強く頷いた。

 

「オレたちはまだ余裕あるからな。サイカは自分の心配だけしてなよ」

「わかった」

 

二人は笑い、それを見たダニーも歯を見せて笑った。

頼もしい限りだ。

心に力が入るのを感じた。

 

「じゃ、みんなの決めた方法で進もう。よろしくね」

 

クロエが手早くシートを片付け、忘れ物の確認をすると、再び山下りを開始した。

右手に杖、左手にアルビンの支えもあり、どうにか歩ける。

アルビンに声をかけると、一昨日のハンネスさんよりは遥かにマシと淡々と答えた。

とはいえ、やはり子どもに支えてもらっている状態は、心配と情けなさで心が痛い。

これでは、私が連れているのではなく、連れて行ってもらっている状態ではないか。

だが、仕方がない。

焦らずに着実に、一歩進めば生還へと近づく。

この際、ナリなど構ってられなかった。

道中のアラガミをやり過ごしながら進み、空がさらに黄色味が強くなった頃、平坦な道が続くようになった。

砂埃の混じる風の向こうに、灰域に侵食されてオレンジに輝く廃墟の建物の影が見えた。

 

「あれ、街の跡か?」

「ぽいね」

「じゃあ!」

「山越え完了じゃあ!」

「ノニーン!」

 

子どもたちが歓声を上げる。

どうにか日没前に、山越えを完了出来た。

ここまで来たら、本当に後もう少しだ。

私たちは、廃墟の街から少し離れた所で休憩をとることにした。

廃墟の街は、アラガミの住処になっていることが多く、アラガミを排除できない現状では、休憩するには危険すぎる場所である。

子どもたちは地図を広げて、ルートの確認をしていた。

アラガミと遭遇するリスクをとって最短ルートを進むか、遠回りになってしまうが街を迂回して進むか、話し合っているようだ。

私は、子どもたちの提案を確認し、最終判断をすればいい。

椅子に腰掛けて最後の飲み薬を飲み、私は仮眠をとる。

二十分後、アルビンに起こされた私は、片付けをしながら、彼から街を迂回するルートをとること聞いた。

 

「時間はかかるけど、あんたが戦えない上に逃げるのも難しそうだから、安全確実な方法をとることにした」

「私は構わないけど、あんた達は大丈夫なの? 特にあんたの足、結構キているんじゃないの?」

 

アルビンは顔を歪め、そして溜息をついた。

 

「俺だけじゃなくてビャーネの足もマメが反乱を起こしてた。でも応急処置はしたし、クロエとダニーも問題ない。俺たちは大丈夫だよ」

「そう。ルートはいくつか設定してある?」

「うん。ひとまず街周辺の大きめ道路を使う」

 

いくつかのルートを聞き、問題はなさそうだった。

変化に弱いアルビンだが、想定された変化には滅法強いし、仮に突発的なことが起こっても、ビャーネがそれをフォロー出来る。

クロエもダニーも、積極的に協力してくれている。

なら、大丈夫だ。

 

「オッケー。それじゃ行こう」

 

子どもたちは気合いの入った返事をし、私たちは街へ入る道を逸れて、北へと進路をとった。

太陽が傾き、周囲は黄色からオレンジ色へと染まりつつある。

 

「夕やけきれーだね」

「そうだね。深層じゃこんなに綺麗で眩しくなかったもんね」

 

クロエとダニーが言うように、燃えるような鮮やかな夕暮れを見たのは、本当に久しぶりだった。

しかし今の私は、痛み止めと先ほど飲んだ薬の影響で、意識を保つことで精一杯だった。

しんどいのは、隣りのアルビンも、身の丈以上の神機を運ぶビャーネも同様だろう。

無言で黙々と歩き続ける。

と、目の前にトンネルが見えた。

誘導灯はついておらず、黒々と塗りつぶされている。

 

「これが、さっき話してた丘陵地帯を抜けるトンネルだね」

「とんねる、真っ暗」

「ここを、使えば、最短なんだけどなー」

 

息を切らしながらビャーネは言うが、当然進むことは出来ない。

ダニーは兄貴分に訴える。

 

「アラガミ、いーっぱいいますぞ」

「ですよなー」

 

アラガミがいるだけならともかく、巣になっていたら目も当てられない。

呼吸を整えると、アルビンはみんなに声をかけた。

 

「ここから右手に進めば丘陵地帯の幹線道路に出る。少しキツいけど頑張ろう」

 

私たちは幹線道路に向かい、勾配のある坂道を全員無言で登っていった。

途中、南へ向かう船といくつかすれ違う。

ここで救難信号を出せば、恐らくは助けて貰えるだろう。

しかし、腕輪の修理のできるミナトでなければ私は即座に詰む。

悪名高きバランや、AGEの扱いが最悪なミナトの船なら、子どもたちの人生すらも詰む可能性がある。

それでは意味が無いのだ。

隣りのアルビンが何回目かの溜息をついた。

 

「たく、ことごとく南へ向かう船ばかりだな」

「ああ。……あ、もしかしたらこの航路、南へ向かう一通タイプかも」

 

前を行くビャーネの言葉に、アルビンは顔を上げて立ち止まった。

 

「双眼鏡貸して」

「ほい」

 

アルビンは息を切らしながら右手側に顔を向け、ゴーグルを外すと双眼鏡を目に当てた。

 

「それだ。あっちの道、北へ向かう船が見える。んだよ、同じ方向に行く船なら、途中まで乗せてもらおうと思ってたのに」

「しゃーねーよ、大将(タイショー)。ここまできたらもう、意地でも自力で行くしかねーべ。ゴーノースだ」

 

そして再び歩き出す。

私の身体に痛みはないが、出発した時よりも熱く、悪寒は止まらず、右手首の脈動が先程以上に大きく感じられる。

そして、酷く眠い。

気を抜けば、そのまま倒れて寝込んでしまいそうだった。

湖が見えるーと喜ぶクロエやダニーの言葉がずいぶん遠くに聞こえた。

やばい、眠い、意識がもたない。

視界が暗転し、フツリと意識が途切れた。

 

「サイカ!」

 

が、固い地面に身体を打ちつけ、その痛みで覚醒した。

イタタタ、ダメだ、起きないと。

アルビンとビャーネが体を起こしてくれた。

 

「ゴメンゴメン。少し寝ちゃった」

「歩けるか。もしあれだったら背負うけど」

 

私はアルビンの肩に触れた。

 

「大丈夫。歩くよ」

「……わかった。ビャーネ、手伝って」

「ほいきた!」

 

二人に支えられ、私は再び地面に立った。

見守るクロエとダニーに小さく頷き、杖を持ちアルビンに支えられて再び歩き出す。

だが、痛みで覚醒したはずの意識は、再び曖昧なものになっていった。

ああ、さすがに限界なのか。

でも、後もう少しだけ歩かせてくれ。

ゴールはもう目の前のはずだ。

フワフワとした地面を延々と歩き続けているような、錯覚を感じていた時だった。

 

「ビャーネ! これ、ビーコンだよね!?」

 

クロエの声に、前を歩くビャーネは立ち止まった。

神機のケースを地面に置くと、前に向かって走りだす。

 

「お、おおおおおおおっ! イエス! イエエエエエエス! おっちゃんたちの言ってた、ダスティミラーのビーコンだ!」

「……着いたのか」

 

思わず立ち止まったアルビンが、呆けたように言った。

着いた。

その事実に、私は自力で体を支えてアルビンから離れると、即座に腕輪の救難信号を発信した。

これで、本当に来るのだろうか。

しばらく待つが、特に大きな変化はない。

そうしている間にも、右の腕輪は不気味に脈動を続けている。

そしてついに、異形の黒がジワリと腕輪から滲み出始めた。

痛みはなくとも、確実に侵食は進んでいるのだ。

 

「サイカ?」

 

私はアルビンから離れ、オレンジと赤に染まった世界に向かって歩き出す。

 

「助けて」

 

呟く。

 

「助けて」

 

私はもうダメだ。

子どもたちに対して笑えない。

もう子どもたちを守れない。

このまま薬が切れたら、侵食の痛みとオラクル細胞の本能によって、また子どもたちに酷いことを言ってしまうに違いない。

それどころか、もう人の姿を保つことすらできなくなるかもしれない。

そうなったら、私は、私は。

 

ピピッ!

 

耳につけているイヤホンから、無線の音がした。

 

≪こちらはダスティミラー所属の衛生部隊だ。貴方の救難信号を受信した。所属と名前を教えてくれ≫

 

私はぼんやりとそれを聞き、名前を伝え、そして所属は迷った末に、元ペニーウォートと答えた。

 

≪領外のミナト、カイスラから連絡のあったAGEだな。待っていたぞ。今すぐそちらへ向かう。あと少し堪えてくれ≫

 

そうして通信は切れた。

助かった、のか?

そして、体の支えがついにきかなくなり倒れた。

 

「サイカ!!」

 

子どもたちが叫び、駆け寄ってくる気配を感じる。

子どもたちが呼びかけるが答える気力はない。

荒い息の中、霞む視界に気配を感じた。

侵食の進む腕輪に、その気配が手を添えた途端、滲み出ていた黒い異形があっさりと消え去る。

視線で、その手を辿りその気配の正体を見た。

 

「ろー……」

 

黒味を帯びた褐色の髪と、同じ色の目。

記憶を無くした私を明るく受け入れ、あの酷いミナトで共に生き、大人になることを目指したかけがえのない友人。

アルビンにとっても、生涯忘れることのない初恋の人だ。

ああ、あんたも同窓会に出席するクチなのか。

私の役目ももうすぐ終わる。

そしたら私も、一緒に行っていい?

そして、私の意識と視界は闇に包まれた。

 

 

「サイカ、サイカ!」

 

懐かしい声に目が覚めた。

薄暗い部屋。

薄汚れた壁に粗末な最低限の家具。

水滴の垂れる音。

壁に備わっている格子のついた窓から金色の光が差していた。

それを背景に、ローダンテとグンナルが私を覗き込んでいた。

 

「ロー。グンちゃん」

「良かった、起きたか。大丈夫かよ?」

 

安堵の溜息をつく二人に私は頷き、起き上がる。

そして気付いた。

私もそうだが、二人の腕も自由になっている。

思わず、両腕を目の前に持ってきて腕輪を見つめた。

 

「どうしたの? ずいぶんうなされていたけど、酷い夢でも見た?」

「夢」

 

私は呟き、改めて周囲を見渡す。

ここは、ペニーウォートの牢獄だ。

何故ここに?

いや、これでいいのか?

私は混乱しながら頭を働かせ、改めて二人を見た。

 

「……うん。夢を、見てたんだよ」

 

私は二人に話そうとした時、牢の通路から人の話し声が聞こえてきた。

静かにしないと怒鳴られる、と思ったが、何故か看守の姿はない。

 

「おーい、戻ったぞー」

「もどったぞー」

 

先輩たちと子どもたちが、ゾロゾロと牢の中にやって来た。

明らかに定員オーバーだが、二人は意に介さない。

 

「おっかえりー!」

「お疲れ!」

 

神機を担いだエーヴェン、フリーダ、レックス、リズの四人の先輩と、子どもたち。

私の知る仲間達が、この牢に一同に会していた。

 

「どうだった?」

「アラガミ、いっぱいいたけどね、みんなやっつけてくれたの」

「強かったねー」

「ねー」

 

無邪気に話す子どもたちに笑顔を向けていたフリーダ先輩が、ふとこちらを見た。

 

「サイカ、どうしたの?」

「何? 調子悪いの?」

 

フリーダ先輩に続いてリズ先輩が尋ねると、私が口を開く前にローが答えた。

 

「何か、酷い夢を見てたらしくて」

「酷い夢?」

「……何があった?」

 

尋ねる先輩たちと、心配そうに見守る子どもたちの視線を受け、私は夢の内容を話した。

ここにいた皆が死んで、灰嵐でミナトが滅んだこと。

朱の女王に拾われて深層に行ったこと。

しかし、朱の女王も戦乱のただ中に飛び込み、私は子どもたちと逃げたこと。

そしてその旅路を、ポツポツと語った。

 

「何つーか、あれだな」

 

話し終えると、グンナルが腕を組んでこちらを見た。

 

「旅の大半の失敗は、お前の自爆と自業自といってえええっ!!」

「あんたねえ!」

 

身も蓋もないグンナルの感想に、鋭い鉄拳をお見舞いしたローが、グンナルを睨みつけた。

 

「あんたのそういうとこ、本っ当に大っ嫌いなんだけどっ!?」

「やめなさい、ロー。無責任な外野の発言に、いちいち目くじらをたてる必要は無いわ」

「ゴメン……悪かったよ」

 

遠回しに冷たく追撃をかけるリズ先輩に、グンナルはしょんぼりと体を縮めた。

隣にいたレックス先輩が、まあまあと取り成す。

 

「でも、グンちゃんの言う通りだよ」

 

私は俯いた。

 

「私、ちっとも上手くできなかった。結局最後まで子どもたちに迷惑かけて、大変な思いをさせちゃって。先輩で大人なのに、情けないったらないよ」

 

涙が零れそうになって目を拭うと、フリーダ先輩は私の肩に手を置いて微笑んだ。

 

「サイカったら、そんな大変な旅、初めてやるのに、何でもかんでも上手くいくわけないでしょ。むしろ、よく頑張ったじゃない」

「まして、初心者マークのついた大人一人だったんだろ。失敗して間違って当たり前だ。もちろん、その失敗が命取りになることはあるだろう」

 

エーヴェン先輩が歯を見せて笑う。

 

「でも、迷惑かけて恥かいて全員で生き延びたんだ。なら、それを反省して、次に活かせばいい」

「痛い思いをするからこそ必死で学べる。全てが、かけがえのない経験だよ」

 

レックス先輩が労わるように優しく言うと、エーヴェン先輩の雰囲気がガラリと変わった。

 

「言ったろ。終わり良ければ全て良しってな」

 

我が目と耳を疑い先輩を見つめると、先輩の担ぐ凶悪な見た目のバスターブレードがギラリと輝いた。

 

「ん? どうした?」

「……や、何でもない、です」

 

怪訝そうに尋ねるエーヴェン先輩の表情は、いつもの穏やかなものだった。

 

「お前はよくやってくれたよ」

「え」

「俺たちは、お前たちを安心出来る場所と人に託すために戦い続けた。それは、決して叶わない望みだと思っていた。だが、そんなことはなかった」

 

エーヴェン先輩は笑った。

安心したような、憂いの全てが晴れたような、あの山で見た青空のような清々しい笑顔だった。

 

「俺たちは、子どもたちを託せる存在を、守り育てていたんだ。その結果であるお前が、安心できる場所へ子どもたちを連れて行ってくれた」

「無様な出来だけど?」

「途中で脱落した俺たちにしちゃ上出来だろ?」

 

冷めた口調で言うとリズ先輩に、エーヴェン先輩は屈託なく笑って言うと、そうね、とリズ先輩は小さく笑った。

 

「俺達の戦いと死は、無為なものじゃなかった。お前がそれを、生きて証明してくれたんだ」

 

その時、一陣の風が、周囲の風景を吹き飛ばした。

突然の眩い光に目を逸らし、その光に慣れて目を開くと、そこは太陽が今まさに沈もうとしているペニーウォートの大地だった。

 

「ありがとうな、サイカ」

 

私以外のみんなの体が、光の粒子となって天へ上り始めている。

これから訪れる夜空の星になるかのように。

私は悟った。

そうか。

今度こそ、本当にお別れなのだ。

 

「……私は、そちらに行けないんだね」

「ああ、お前はまだそこに。光は差せど太陽は未だ見えぬ絶望の地に。今度は誰かのためでなく、お前自身の旅を続けてくれ」

「先輩」

「焦らなくていい。まずは体を治すのが先決だ」

 

安心させるように先輩は笑った。

 

「ありがとう、サイカ。本当にお疲れ様。元気でね」

 

私の頬を撫でフリーダ先輩は艶やかに笑う横で、リズ先輩も穏やかな表情で言った。

 

「若さという取り柄は一時のものよ。大人になっても勉強は続けなさいね」

「最後までスパルタティーチャーらしい物言いだな。死んでもその性格は変わらんかったか」

「レックス、あんたに言われたくないわよ、このスチャラカAGE」

 

先輩たちは笑い合い、消えかかっている子どもたちも笑って先輩たちに寄り添った。

 

「モイモイ、サイカ!」

「元気でね!」

「頑張れよー」

「飲みすぎ禁止だよー」

「男は慎重に選べよー」

「転んでも泣いちゃダメよー」

「はいはいはいはい」

 

何時どの時も、ガキどもはうるさく優しかった。

そうして、グンナルとローがやって来た。

 

「さっきはあんなこと言ったけどさ、でも、頑張ってたのは知ってるからな。その、……本当にありがとな」

 

ばつ悪そうな彼に、私は首を振った。

 

「いいよ。あんたの性格はわかってる。気にしなくていいからね」

「そっかー! なら良かったぜ!」

「あんた、本っ当に変わらないね」

 

瞬く間に立ち直るグンナルに、私とローは顔を見合わせた。

そして、ローは表情を改めて私を見つめた。

 

「サイカ。ありがとう。ゴメンね、途中で全部任せることになっちゃって」

「……ホントに、大変だったんだからね」

 

愚痴ると、ローは形の良い眉を下げた。

 

「うん、面目ないです。でも、信じてたよ。アルビンも頑張ってくれてたしね」

 

そして、小首を傾げて笑った。

 

「アルビンにもお礼、言っといて」

「嫌だよ」

 

私は即否定した。

目を見張るローとグンナルを、睨むように見つめる。

 

「あんたが直接お礼を言って。あの子は人じゃない。AGEだよ。ちゃんと感応能力の備わっている立派なAGEだ。どんな形でもいいからあの子に会ってあげて」

 

そして、心からの願いを込めて言う。

 

「背負わせた荷物を下ろして、あの子の思いを、ちゃんと終わらせてあげて。あんたにもアルビンにも、それができる力があるんだから」

「……そっか。そうだね」

 

ローは辛そうな笑顔で頷いた。

 

「私も、アルビンから子どもらしさを奪った張本人だもんね。直接会って謝らなきゃだよね」

「そうだよ。散々詰られて泣かれるといいわ」

「酷っ。それが死んだ友人にかける言葉?!」

「酷いのはあんたでしょ。私とアルビンの約束破って、あっさり死にやがって」

「うぅぐ、悪かったよ。でも! 私も、かなり頑張ってたんだよ!」

「知ってるよ」

「じゃあ褒めて! それと、アルビンのトコ行くから励まして!」

「うっわー! ローってば本当に凄いねー、偉い偉い! アルビンの件、よろしくね! 頑張って!」

「嘘くさっ! 心がこもってねーんだよ!」

「お前ら、ホント仲良いのな」

 

グンナルの言葉に、私たちは引きつった笑顔を浮かべた。

お互いに言いたいことは山ほどあるが、既にみんなの姿は消えかけている。

時間切れだ。

グンナルが私の右腕を軽く叩いた。

 

「元気でな。大体のことは、頑張れば大体何とかなる! 大丈夫だ!」

「最後まで適当なんだから。じゃあね、サイカ」

 

ローとグンナルも、先輩たちの元へ向かった。

私は去りゆく皆へ声をかけた。

 

「ありがとう、みんな」

 

エーヴェン先輩は、傷だらけ神機を掲げた。

沈んだ太陽の最後の光芒を浴びて、それは不穏に美しく輝く。

 

ハーデ(じゃあな)、サイカ・ペニーウォート。ハー エン フィン ツール(良い旅を)!」

 

そしてみんなの姿は消え去った。

取り残された私は一人、闇夜に包まれる風景を見つめる。

この同窓会は、あの光の事件の名残なのだろうか。

そして同窓会のついでに、死にかけた私を、死んだみんなが助けてくれたのだろうか。

だとしたら、私の情けなさもここに極まれりだ。

瞬く間に涙が溢れて零れた。

不甲斐なさと、それと同じくらいの感謝を噛み締める。

涙でぼやける目を拭い、星が輝く紺碧に染まった果てのない空を見つめた。

その空に、万感の思いを込めて呼びかける。

さようなら、みんな。

目を閉じ、そして目を開こうとして、目が開かなかった。

どうにか引き剥がすように目を開くと、薄暗い清潔な天井が見えた。

……ここ、どこだ?

周囲を見渡すと、どうやら病室らしいことがわかった。

カイスラだろうか?

……あれっ、いや本当に私、どうなったんだ?

全く状況が飲み込めず、私は途方にくれた。

それからしばらくして、見回りに来た看護師さんから、ここがダスティミラーの病室で、救助されてから二週間以上経っていることを知った。

私と子どもたちの旅は、とっくに終わりを迎えていたのだ。

締まりのない話ではあるが、私らしい結末ではあった。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
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エピローグ

この世にいい男というやつは、確かにいる。

顔がいいやつ、体が良いやつ、頭が良いやつ、運動神経が良いやつ、お金持ちなやつ、優しいやつ、寛大で余裕があるやつ、ストイックなやつ。

他にも条件はあるだろうけど、清潔感があって、この辺りのいくつかのポイントを押さえておけば、よほどの悪食の女でもない限り大体の女は釣り上がるだろう。

では、この全てを兼ね備えているような男がいたらどうだろうか。

このダスティミラーのオーナーがそうだった。

先日お世話になった、灰域航行法の領外にあるミナト『カイスラ』では、このミナトのことを、夢物語のようだとかチートだとか言っていた。

なるほど、オーナーがチートなら、そりゃミナトもそうなっちゃうわな。

私だってホイホーイとつり上がっちゃうわな!

仕方ないよね! うん! 仕方ない!

ダスティミラーの応接室に呼ばれ、オーナーと二人きりとなった私は上機嫌だった。

目の前で、私の犯罪に対する処分を聞きながら、そのステキな肢体を存分に観察する。

いやあ、良いなー、このオーナーマジで良いなー。

ああっ! 食べたいなー食べられちゃいたいなー! んふふーん!

と、オーナーは、冷たく射抜くような片目でこちらを見た。

 

「お前にとって、かなり、重要な話をしているわけだが、ちゃんと聞いているか?」

「イエス! マイ オーナー!」

 

いけないいけない、欲望がダダ漏れていたか、察しのいいイケメンめ、好き!

でも、流石に今この時は自重しよう。

オーナーは呆れたように一つ息を吐いた。

 

「以上のことから、この件に関するお前の処分は、不起訴処分となった。訴えようにも、被害者はこの件と全く関係のないところで死亡扱いとされ、証拠も証言も、お前の話したものしかないからな」

 

あの旅の三日目に廃都で私が犯した罪、グレイプニルの兵士に対する傷害事件は、私が入院中に受けた事情聴取で明らかになった。

調査の結果、あの日、深層や廃都にいたグレイプニルの部隊と、拠点にいた朱の女王のAGEたちは、ヴェルナーさんの死をきっかけに起こった灰嵐によって、全員が死亡扱いとなっていた。

現場の記録も灰嵐で消失し、ベースでのあらゆる出来事は、フェンリル本部に届いていた記録と、深層から辛くも逃げ延びた人々の記憶にのみ存在する。

私が本当に人を殺したのかも、結局不明のままだ。

私が連れてきた子どもたちは、今までのことを仔細詳細に話しても、この件に触れると知らないの一点張りとなり、決して語ることをしなかったという。

そして、私の腕輪と神機に残されている戦闘記録は、腕輪が損傷した上に神機も完全に壊れてしまったことで失われた。

私は小さく溜息を吐く。

 

「話してくれてもよかったのに」

 

私は、この件については体に無理を押しても真摯に対応していた。

それが、今後の私の戒めとなることを望んでいたからだ。

オーナーは頷いた。

 

「そうだな。だが、仮に子どもたちが証言したとしても、お前の処分は変わらなかっただろう」

「そうかも、しれませんけど」

「一番最初にも話したが、改めて認識しておくといい。社会において人が罪を犯したかどうかを決めるのは、その権限を持つ第三者であるということだ」

「はい……」

「やはり、AGE(自分)が怖いか」

 

静かな声で尋ねるオーナーに、私は小さく笑った。

 

「怖いというか……、ええ、そうですね。あの旅を通してちゃんと確認できちゃったんですよ。AGEは正しく、人でもGEでもない、バケモノにより近い生き物だって」

 

灰域で活動可能な肉体と、圧倒的な戦闘能力。

正体不明の感応能力を持ち、GE同様に偏食因子を投与しなければアラガミ化する爆弾を抱えた生き物。

さて、これは人と呼べる存在なのだろうか。

断じて否である。

 

「元々は人で、人の心を持っているから人だって言えるかもしれませんけど、じゃあ人の心の定義って何? ってことなりますし、そもそも視覚に頼る生き物が、目に見えぬ心を普段どれくらい見ているのかって話です」

 

仮に見えたところで、それを受け入れることが出来るのか。

この世はそんな強さと余裕を持つ存在ばかりではないし、常にそれを持ち続けていられる存在ともなれば、さらにその数を減らすだろう。

私の話を、オーナーは否定も肯定もせずに聞いている。

 

「私は人じゃない。紛れもなくバケモノのAGEです。それは事実で変えようがない。でも、そんなバケモノでも、人やGEが信じて受け入れてくれたらいいなと。もちろんバケモノ側も、信頼し信頼されるよう努力は続ける。そうして試行錯誤しながら、違う生き物たちが共にこの世に在り続ける。そうなったらいいなと、私はそう思うんです」

「……そうか。そうだな」

 

私の言葉に、オーナーは目を伏せ小さく笑った。

 

「私もバケモノと呼ばれたクチで、今もそう呼ばれているが、人やGEと共に戦い、共に生き、苦楽を共有してきた存在と場所を知っている。だからこそ、私は今ここに、このような形で存在しているのだから」

「そうですか」

 

私は思わず笑顔になった。

ああ、それは。

それは、何て優しく理想的な世界であることか。

 

「私は、オーナーほど強くないし、周囲の人もきっとそうだと思うんです。だから、そういう風になるための、戒めが欲しかったんです」

 

私はこの際だからと語る。

私は、人やGEを容易く害する力を間違いなく持っている。

目の前の彼のような強靭(タフネス)な心でなく、不安定な心の私は、あの時同様、怒りと感情に任せてその力を振るってしまうかもしれない。

今ここでどんなに誓いを立てようとも、この世界に確かなものなどほとんどなく、この先の未来のことはわからない。

だがそれでも、この世界で皆と共にありたいと願うから、戒めを鞘として自分を律したかったのだ。

しかし、法の裁きを戒めとすることはできなかった。

ならば、己の心を鞘とする、世にも難しい方法で律するしかなくなったのだ。

 

「そこまで心配する必要はなかろう」

 

オーナーは再び小さく笑った。

 

「事件に対し真摯な姿勢を見せたこともそうだが、AGEという自分と社会に対して、どのように向き合い関わるのか。お前のこれまでの証言や発言から、関係者にそれが理解され、更生の余地があると判断された。この処分となった最大の理由はそこにある。

この処分を受けて、これからどう振る舞うのか。それは自分で考えて決めるといい」

「……厳しいなあ」

 

私は眉を下げ笑った。

それは、明確な正解のないイバラの道だった。

でも仕方がない。

それを含めて、私の罪と罰と贖いなのだろう。

私は気を取り直し、オーナーに目線を合わせた。

 

「この件、オーナーが良い弁護士センセイを紹介してくれたおかげで、大変に助かりました。ありがとうございます」

「礼の必要は無い。法に基づいて対処したまでだ。後で請求書が飛んでくるから、キチンと支払うようにな」

「もちろんですとも。あーあ、本当に渡る世間は厳しいですね」

 

オーナーが紹介してくれた弁護士センセイもいい男だった。

顔のよし、頭よし、性格よし、服装のセンスよし、そして妻子持ち。

それは、彼が職務と共に守り背負うものの一つだ。

私は体質上GEになれないから、アラガミから人を守れない。

その分、法律で困っている人々を助け守る。

弁護士センセイに弁護士になった動機について質問した時、そうを話してくれた。

カイスラのオーナーにしても、目の前のオーナーにしても、弁護士センセイにしても、皆何かしらの責任を背負って現実と向き合い、夢や未来に向かって進んでいる。

亡くなったヴェルナーさんも、やり方はともかく、あらゆるものを燃料にして夢と理想に突き進んだ人だった。

私は、そんな彼らのような男の人がたまらなく好きなのだ。

オーナーは手に持つタブレットを操作した。

 

「さて、お前の処分が決まったところで、以前から申請を受けていた件だが」

「あっ! 結婚の?!」

「このミナトとの労働契約だ。それ以外の話は知らん。違うなら帰れ」

「もちろんわかっていますとも! 冗談ですってば」

 

ああんもう、つれないなー、好き!

オーナーは、再び呆れたような溜息をついた。

 

「一年契約で、深層を含めた探索とサルベージ作業を希望とのことだが」

「ええ。このミナトのこと、まだ分からないですし、他のミナトを見て回ってみたい気持ちもありますしね」

 

他のミナトにも、オーナーレベルのいい男がいるかもだしなっ!

私は両手を握りしめて、顔の横に持ってくる。

 

「もっちろーん、オーナーが永久就職してくれってことなら、喜んで受け入れますけどっ」

「私にその予定は無い」

「あははーん、ですよねー」

 

私は手を下ろした。

 

「というか、私との契約、考えて下さっているんですね」

「ああ」

「……理由をうかがってもよろしいですか」

「お前との契約を考える理由は二つ。一つは、お前の連れてきた子どもたち、もう一つはお前の実績だ」

 

オーナーはタブレットをテーブルの上に置き、私をしっかりと見据えた。

 

「まず一つ、子どもたちの件は、今は養護施設に預けているとはいえ、収容人数には限りがあり、将来的にどうなるかはわからない。万が一の時に、引き受ける存在が近くにいる方が望ましい」

「あー、やっぱそれ、問題になっているんですね」

「ああ。こんなことで頭を悩ませる羽目になるとは、十年前は思いもよらなかった」

「人気者は大変ですねえ」

 

小さく溜め息をつくオーナーに、思わず同情する。

ここでいう問題とは、移民難民の受け入れのことだ。

受け入れる土地と人数に明確な限りがあるのに、政治的な施策と立場、知名度や将来性などから、このミナトに流入する人は極めて多い。

私たちだってそうだった。

己の利益のために、人の尊厳を丸無視できちゃうミナトに行く酔狂な存在は、そう多くはないということだ。

ここも施設の拡張は進めているものの、近々移民や難民の受け入れが厳しくなるのではないか。

そんな噂が上がっていると、弁護士センセイから聞いた。

今このミナトに住む人々の生活を守ることは当然であり、その考えは理解出来る。

 

「そしてもう一つ、お前の実績だ。お前は、子どもたちを守りながら深層から限界灰域を縦断し、灰域種をほぼ単独で討伐。外部のミナトの協力を得て、我々に然るべき時と場所で助けを求めることができた。これだけの実績があって、このミナトに貢献をしたいというなら、断る理由を探す方が難しい」

 

私の胸に希望の光が灯った。

 

「じゃあ!」

「まずは体を治してもらわなければ話にならないが、お前がその気なら契約を交わそうと思う。改めて確認するが、このミナトに一年契約で所属するということでいいのか?」

「イエスです!」

 

私は喜び勇んで即答した。

 

「イエスイエスイエースっ! はいもう是非に喜んでっ! ちゃーんと体を治してピッカピカにして、オーナーのために全身全霊で尽くしちゃいますとも!」

「私ではなく、ミナトに貢献をして欲しいのだが」

「またまたもうっ、そんな風に照れちゃってー! でも私、そんな照れ屋さんなオーナーのこと、大好きですよっ!」

「あーそうかい」

 

オーナーは、何回目かの大きな溜め息をつくと顔を片手で覆った。

私はそんなオーナーに構わず両手を組んで喜びを噛み締める。

良かった! 本当に良かった!

ようやく、安心できる場所で働くことができる。

無職からの脱出の目処がついたのだ。

もしダメだったその時は、カイスラへ行くことも検討していたが、当面はここで過ごすことができそうで一安心である。

と、オーナーの上着から端末と思しき電子音が鳴った。

一言断って、オーナーは席を外すと、私に背を向けて二言三言会話をした。

そして、こちらを向いた。

その雰囲気があまりにシリアスで、私の浮かれた心も平常心へと戻る。

 

「どうかされました?」

「……カイスラのオーナーの名前で報せが届いた」

 

一拍おいて、オーナーは端末を内ポケットにしまいながら口を開いた。

 

「カイスラの先代オーナーが亡くなったそうだ。葬儀は既に、ミナトの関係者で済ませたらしい」

 

静かに淡々と、オーナーは私に告げた。

 

 

私がダスティミラーのミナトに救助され、意識を取り戻してから三ヶ月近くが経過していた。

腕輪が損傷し、侵食が進んで極めてマズい状態だった私だが、私のオラクル細胞の制御の高さと、灰域適応技術、そして侵食が予想より遅いペースであったこと、ここの医療スタッフの的確な治療もあって、どうにか一命を取り留めることができた。

侵食が遅かった理由について、ここの担当医はしきりに首を傾げていたが、私にはその理由はわかっていた。

死んだ仲間達が、代わる代わる交代で侵食を抑えてくれていたからだ。

それでも侵食のダメージと蓄積された心身の疲労は大きく、最近まで入院していたが、容態が安定したことでひとまず退院し、単身者用の居住施設で通院をしながら静養する日々を送っていた。

そして今日、私の犯罪の処分も確定し、このミナトのAGEとして一年の契約を結ぶことが決まった。

正式に契約を結ぶのは後日になるが、仕事へ復帰する準備が、ようやく始まったのだ。

 

オーナーとの話を終え、ミナトの行政区画を出た私は、商店が立ち並ぶ区画を歩いていた。

人通りはさすがに多く、様々な人種と年齢の人、GE、AGEが行き来している。

この後、児童養護施設へと預けている子どもたちと会う約束をしているが、待ち合わせの時間まで少し時間がある。

時間を潰そうとしばらく歩いていると、テラスが併設されているカフェを見つけた。

看板に書かれているメニューに、シナモンロール焼きたての文字と絵。

シナモンロールの形は、この地の伝統のそれだ。

懐かしくなり、このカフェで時間を潰すことにした。

シナモンロール一個とコーヒーを買ってテラス席へと座る。

コーヒーは酸味が強く、シナモンロールはシナモンとカルダモンの風味の強い爽やかな風味のものだ。

アルビンが好きそうな味だな。

小さくちぎっては食べを繰り返しながら、私は先程のことを思い出していた。

 

カイスラの先代オーナー、ニナさんの訃報を知り、私のテンションは平常心のまま浮上することはなかった。

古きこの地を知る財界の星が、また一つ落ちた。

オーナーはそう言っていた。

財界とやらは知らないが、私とアルビンにとっては、あのたった数時間の出来事で少なからぬ影響を与えた人だった。

今にして思う。

ニナさんは、自分の残り時間があと僅かだと知っていたからこそ、多少強引ではあっても、私たちに接触し働きかけをしたのではなかろうか。

子どものアルビンに、赦すという選択肢を教えることで、彼女なりに贖罪をしたかったのかもしれない。

アルビンには、ニナさんの訃報を伝える必要があった。

あの子のことだ。

表向きは大きく取り乱すことはないだろうが、言うタイミングをどうするか。

 

「サイカ?」

 

声のした方を見れば、まさにそのアルビンが一人、私を見て立っていた。

 

「あら、アルビン」

 

私が手を振ると、彼はこちらにやって来た。

聞けば、他の子どもたちは興味のある店を見て回っているらしく、特に用事のなかったアルビンは適当に歩いていたらしい。

チャンスだった。

私はアルビンをお茶(フィーカ)に誘い、アルビンを含めた子どもたちの近況話が一段落したところで、ニナさんの話をした。

アルビンは予想通り、表向きは大きな動揺は見られなかった。

 

「体の調子、あまり良くなさそうな感じだったよな。周囲の人も大分心配していたし」

 

アルビンは視線を落とす。

ニナさんのことは残念だけど、私の体の調子が元に戻ったら、皆でカイスラに行ってお礼をしよう。

そう言って話を閉めようとしたが、アルビンは何か言いたげな様子だった。

なので、私は黙ってそれを見守る。

アルビンは視線をあげると、話を切り出した。

 

「あの旅が終わってから、あの人の言ったことも含めて、色々考えていたんだけど、俺、年が明けたら正式にAGEになって、養護施設とあんたから、少し離れようと思ってる」

 

予想外の発言に、私は息を飲んだ。

え? ええっ?

いきなり、どうした?!

一週間前に会った時は、そんな素振りなどなかったのに。

だが、動揺をどうにか飲み込み、アルビンに尋ねる。

 

「理由を聞いていい?」

 

アルビンはしっかりと頷いた。

 

「みんなが嫌になった訳じゃないんだ。むしろ逆で、みんなのことが大切だから、これ以上、俺のイライラに付き合わせたくなくて」

「うん」

「でも、大切なものを奪った連中を赦すこと、やっぱり出来そうにないってのも改めて分かって」

「うん」

「だから、少し距離をおいて冷静になろうって。……みんなと一緒にいると、どうしても死んだ仲間やローのこと思い出すから」

 

アルビンは俯き、テーブルの上に置いた両手をグッと握りしめる。

それは、アルビンの大切なもので、忘れられない、否、忘れたくないから苦しむ存在となっていた。

だから、私は言った。

赦せなくてもいいと。

失ったそれは、それだけ得難く大切なものだったのだから。

いくらでも思い続ければいいし、悲しんで泣けばいいのだ。

疲れて飽きて、自然と手放せるようになるその日まで。

それが叶わないのなら、痛みと共に自分の大切な持ち物として持ち歩けばいい。

そう思っているのだが。

 

「それに俺、強くなりたいって思ったんだ」

 

アルビンは俯いたまま言葉を続けた。

 

「あのペニーウォートの灰嵐から、朱の女王のベースに行って、色々あったけどここに着いた。その間に、大人が大切なものを守るために、頑張って戦ってきたことを見て聞いてきた。

……守ることって本当に大変なことで、どれだけ強くて頭が良くても、準備万端整えて必死に戦っても、守りきれないこともあるってことを知った」

 

そして、アルビンは顔を上げた。

 

「でも、どんなに弱くても間違って失敗しても、迷惑かけて恥かいてみっともない姿を晒しても、頑張って立ち上がって最後まで守りきった姿も見た。

俺は、そういう強さを身につけて、自分と大切なものを守りたいって思ったんだ」

 

アルビンは声を震わせ、それでもしっかりと私を見据えて気持ちを伝えた。

 

「そしたら、俺の無くしてきたものが、笑ったような気がしたんだ。悲しくて辛くて苦しい思い出が、少しだけ軽くなったような気がしたんだよ。

だから、みんなから少し離れて、強くなるためにGEになろうって思ったんだ」

 

私は呆然とアルビンを見つめた。

ああ、なんてこった。

この子は赦せないと言いながら、赦すための一歩を踏み出そうとしているではないか。

赦せない心を認めた上で、自分が本気でやりたいことを見つけて、そのために行動を起こす。

それで十分だ。

十分すぎるくらいだ。

 

「……そっか」

 

私は大きく頷いた。

私から離れていた三ヶ月近くで、アルビンなりにしっかりと考えていたのだ。

この子は、やはりしっかりとした強い子だった。

 

「話してくれてありがとう。あんたの決めたことだから、好きにすれば良いって言いたいところだけど、神機使いになることは、手放しでは賛成できないかな」

「何故?」

 

すかさず尋ねるアルビンに、私は表情を真面目なものにした。

 

「危険で大変だからだよ。あんたも見てきたでしょ。私だって戦うのは苦手だし嫌いだから、本当はやりたくないもん。でも、事情が事情だからやってるだけだし」

 

私は今までの事を思い出しながら話す。

私は、子どもたちには、キチンと腰を据えて勉強できる環境にいて欲しいと。

もちろん、GEの仕事をしながら勉強することは可能だが、GEの仕事は過酷であり、どうしてもそれ以外の勉強は疎かになるだろう。

ミナトから招集なんてものがあるのなら拒否権はないが、そうでないなら、施設内でちゃんと勉強をして、ある程度の知識と判断力を身につけてからと思っている。

そう話すと、アルビンは複雑な表情で黙った。

私を支え続けたアルビンには、私が闇雲に反対しているわけでないことは、十分に伝わっていると思う。

 

「あんたもちゃんと考えていることはわかっている。その意志を否定するつもりは全くない。だから、提案をしたいんだけど」

「何?」

「ひとまず、カイスラに行くまでは保留にしてみない?」

「えっ?! このミナトと契約すること、できたのか?」

 

驚くアルビンに私は笑顔で頷いた。

 

「体がちゃんと治ってからだけどね。オーナーの気が変わらないうちに、正式に契約しようと思っているよ」

「カイスラに行くのは──」

「オーナー曰く、こちらからカイスラへ行くのは、所定の手続きを踏めばOK。でも、向こうがそれを受け入れるかは別だって」

「それは問題ないだろ」

「まあね」

 

よほどの事情がない限り、向こうが私たちを拒否することないと思う。

 

「どんなに遅くても、年内にはカイスラへ行けるようになると思う。その行き来する過程で、改めて仕事を身近で見て欲しいし、AGEやGEの話も聞いて欲しい。その上で、本当に神機使いになりたいか考えて欲しいなって思うんだけど、どうかな?」

「そうか」

 

アルビンは安堵の表情を浮かべた。

それは、自分の意志が無下にされた訳ではないこともそうだが、私の無職の期間に目処がついたこともあるだろう。

 

「わかった。いずれにしても年内は留まるつもりだったし、それでいいよ」

「うん。聞いてくれてありがとう」

 

アルビンは頷いた。

よし、先輩らしく大人っぽいことはできたかな。

私は、この子から子どもらしさを奪った張本人だ。

おまけに、子どもに心配をかけている情けない大人状態ではあるが、それも終わりにしなくてはならない。

頑張りませんとな。

と、手元にあるシナモンロールに目が止まった。

充分に美味しいのだが、入院中にすっかり食が細くなってしまい食べきれそうにない。

アルビンは飲み物しか頼んでいないし、手伝ってもらおう。

 

「ねえ、半分食べる?」

「いいの?」

「うん。手伝って」

「わかった」

 

受け取ろうとしたアルビンの表情が固まった。

同時に私の背中に、鋭い視線が突き刺さる。

振り向けば、口を曲げて座った目をしたメガネがこちらを見ていた。

瞬時に面倒くさいことになりそうな雰囲気を察し、素早く立ち上がる。

 

「この、う」

「ダーリーンっ!! やだやだっ、すっごい偶然だねっ!」

 

私は両腕を広げ、軽やかに迅速にステップを踏んでビャーネに抱きつき言葉を封じた。

先手必勝だ。

もがもがと暴れるビャーネだが、そこは大人AGEのアドバンテージがあり、あっさり押さえ込む。

 

「一週間、会えなくて寂しかったよー。元気してた?」

 

腕に力を込めると、背中を三つ叩かれた。

腕を緩めると、ビャーネが窒息寸前の真っ赤な顔でこちらを見上げる。

私は首を傾げ、改めて尋ねた。

 

「元気してた?」

「今さっきまで、でっかい川だか湖だか海だかを渡ろうとしてたけど、イサムに止められて生還したよ! オレは元気だよハニー!」

「それは良かった」

 

自棄っぱちに言い、ぐったりと私に寄りかかるメガネの背中を軽く叩きつつ、内心首を傾げる。

イサムって何?

 

「何か飲む?」

「……飲む」

「じゃあこれで買ってきな」

 

お金のチャージしてあるカードを渡すと、ビャーネは素直にカードを受け取り、ふらついた足取りで店へと向かった。

よし、面倒事はひとまず回避した。

そして次に来る衝撃に備える。

 

「サーイーカーっ!! モイ!」

 

そう叫んでこちらに突撃してくる塊は、容赦なく全力で私の体にタックルをかました。

ふっ、今週も変わらず元気そうじゃねえか、小僧。

私は耐久試験装置じゃねえんだがな。

 

「モイ、ダニー」

 

私は涼しい顔で、タックルをかました小僧に目線を合わると、それは機嫌良く頬をくっつけてきた。

そして、その後をついてきたクロエもやって来る。

相変わらず人形のような容姿だが、以前と比べて血色は随分と良くなっていた。

このミナトで、医師の適切な治療を受けているからだ。

 

「サイカ、ボンジュール」

「ボンジュール、クロエ。元気そうで何よりだよ」

 

クロエともハグで挨拶を交わし、二人も飲み物を飲むと言って、ビャーネ続き店に入っていった。

そして、三人揃って席につき他愛のない雑談が始まった。

私のシナモンロールは、男子三人に均等に割り当てられ、それぞれの胃袋に収まった。

私が連れてきた子どもたちは、先程から触れているが、現在は児童養護施設に預けられている。

私が入院し、今後の生活や収入の見通しが立っていなかったことなどから、このような措置となった。

今は週に一度、こうして会う時間を作って過ごしている。

 

私は入院中、いくつかの目標を立てていた。

まず体を治すこと。

AGEとして仕事に復帰し、任務をこなしながら、ペニーウォートのミナトに立ち寄って死んだ皆の弔いをすること。

それから、子どもたちを連れてカイスラに行くこと。

そして、あの深層へ再び潜ること。

あの戦乱で散っていたベースの人々を、私なりに弔いたいと思っているのだ。

それらを終えた頃には、子どもたちを引き取る目処もついているだろう。

そう。

私は、子どもたちが一人前になって一人で飛び立てる日まで、傍で見守ろうと決めた。

私には、子どもたちをここまで連れてきた責任がある。

それを最後まで全うすることが、今の私のやりたいことのなのだ。

結局、限界灰域を旅して死ぬような目にあっても、母性や父性が目覚めるどころか理解することすらできなかった。

だが、ここまで付き合ってきた愛着はあるし、大人としての在り方も旅を通してわかったような気がする。

それを頼りに見守っていこうと思っているが、トライアルアンドエラーの連続になるだろう。

 

「ぼく、サーカスはじめて!」

「私も初めてだよ。楽しみだね」

「ねー」

「……ホラー系は、ないよな?」

「さあ? アルビンは?」

「俺も初めてだよ。近くに色んな屋台も出ているみたいだから、見て回りたい」

「いいねー」

 

子どもたちは、今このミナトに来ている移動サーカスの話をしていた。

どこかのミナトのサーカス団が、今回の戦乱で傷ついた人々を少しでも慰め元気づけようと、灰域踏破船に器材を積んで、各地のミナトを回っているらしい。

今はちょうどこのミナトに来ていて、私達はこの後に立ち寄る予定なのだ。

私はコーヒーを飲みながら、明るい表情の子どもたちを見つめる。

この穏やかな日々は、いつまで続くのだろう。

仮に続いたとして、子どもたちが全員手元から離れたあとはどうするのか。

 

『貴方の旅は、これからが本番です』

『今度は誰かのためでなく、お前自身の旅を続けてくれ』

 

今は亡き人達の言葉を思い出す。

法で裁かれることなはかったが、私は、自分の悪行と犯した罪を、背中から下ろすつもりはない。

その上で、私は旅を続けようと思っている。

今は想像もつかないが、誰かに恋をするかもしれない。

何かしらの趣味や、生き甲斐になる仕事を見つけて楽しんでいるかもしれない。

その度に見るだろう。

その景色の向こうにある、私の犯した悪行とその罪を。

その時感じる、汚れと痛みと悲しみこそが罰であり、それでも私は笑うだろう。

それが、罪を贖う一つの方法だと思うから。

私の贖いの旅は、私の体が朽ちるその日まで、もしくはこの星の命が絶えるその日まで、ずっとずっと続く。

その旅路の果てに、あの山の頂で見たどこまで高く果てなき青空があったのなら、それは、何物にも勝る幸福な光景ではなかろうか。

 

〈限界灰域のデトリタス・完〉

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。

これまで投稿した私の一連の作品と比較しても最長の話となりました。
最初からここまでお読み頂いた方がいたのなら、ただただ感謝をしかありません。

今回は、大人と子ども、人の心の弱さと不確かさ、赦しというテーマを柱にして話を書きました。
そもそも、この話を書こうとしたきっかけは、原作のゲームの後半から終盤にかけて『家族』という言葉をしきりに使っていたことに対する疑問でした。
何故、家族にそこまでこだわるのか。
大人と子供が共にある関係は、家族という言葉でしか集約できないのか。
家族や親子といった要素をできる限り排除し、GE3の世界で、大人と子どもでしっかりとした信頼関係は築けるのか。
そんな思いから、決して家族ではない、大人と子どもの関係を書こうとしたのが始まりでした。

親どころか大人の自覚すら薄い主人公と、頼りなく大雑把な大人を支える子どもたちという構図は、最終的には互いに支え合うことで学び合い、それぞれ成長するという、よく見かける話へと落ち着きました。
しかし主人公は、父性も母性も獲得することはなく、大人として子どもを守るという最低限の責任を背負う段階で留めました。

半年近くこの話を書き続け、ネット上では既に出ているであろう気付きですが、ゲーム内で使われている家族という言葉は、極めて感覚的なものであり、実は仲間や他の言葉で置き換えても全く問題はないと思っています。
むしろ、その言葉を受け止める本人次第であるにも関わらず、否定や反論などを押し挟む余地のなさに窮屈で息苦しさを覚え、嫌な意味での家族っぽさが出ているなと思った次第です。
とはいえ、ストーリーのあるゲームですから、ストーリーを進めるためには致し方ないと言えばそれまでなのですが。

今回のゲームでもう一つハッキリと描かれていたのは、AGE、GE、そして人はそれぞれ違う生き物だということでした。
今までのシリーズでは、比較的そこの線引きが曖昧かつ好意的な部分がありましたが、AGEが登場したことで、その歪みを表現出来ていることは素直にいいなと思い、この話でも、そこはしっかりとクローズアップして明確に違うのだということを意識して書きました。
ちゃんと表現できているか不安ですが、今できる精一杯を詰め込みました。
少しでも伝わっていれば嬉しく思います。

今後ですが、ゲームのアップデートを充電しながら見守りつつ、書きたくなったら書くといういつものスタンスでいこうと思っています。
ネタはあるんですけどね。
プロローグで登場した、朱の女王の拠点に居残ることになったAGEたちの話とか、仲間を逃すために灰域種相手に孤軍奮闘したAGEの話とか。
前者はバッドエンド確定のお話になりますが、そんな時代に翻弄されたゲームでは触れられることのないAGEたちを書けたらいいなと。
この話の主人公と子どもたちも含めた、ありふれたAGEたちを『限界灰域のデトリタス』だと思っておりますので。
主人公たちの今後についても、色々考えてはいますが、やはり書くかはどうかは不明です。

取り留めもなくなってきましたので、この辺りで締めようかと思います。
長い上に拙い話でした。
反省すべき点はいくらでもありますが、まずは初の長編をきちんと完結できたことを、自分自身で褒めたいと思います。
冒頭でも触れましたが、最初からここまでお読みいただいた方がいらっしゃいましたら感無量です。
本当にありがとうございます。
GE3の話か、別の話かは未定ですが、何かしらの作品でお会い出来ることを願って、それではまた。


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