【IF】EXE3で彼が帰ってこれなかったら (SPナビは獣化でゴリ押し)
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崩れる日常
光熱斗には“兄”がいた。その“兄”は幼い頃に帰らぬ人になった。
光熱斗には“ネットナビ”がいた。その“ネットナビ”は未来を託して消えていった。
光熱斗には“相棒”がいる。その“相棒”はかつての宿敵だった。
朝の陽射しが差し込む部屋の中で、ベッドの膨らみがもぞもぞと動いている。人間の体内時計は非常に優秀で、膨らみの中身も起きるべき時間であることを自然に察している。少し離れた机の上では、携帯端末――PETの目覚まし機能がその出番を待っていた。
「ふわぁぁぁ……よく寝た……」
が、その前にベッドから出てきた少年――光熱斗を確認した所で、PETの目覚まし機能は中断された。それを行ったのはPETでも、熱斗でもなく、PETの中にいる相棒がそれを行ったからだ。
『起きたか』
「ああ、“フォルテ”。おはよう」
“フォルテ”という名を持つネットナビは返事をすることなくPETの奥に入っていく。なにか用事があるわけでもなく、これがいつもの彼であるからだ。あくまで用件がない限り、彼がPETに映ることはなかった。
「ごちそうさまでした」
「はい。お粗末さまでした」
年頃の男子小学生らしい食べっぷりで母――はる香の朝食を食べ終えた熱斗は、忘れ物をチェックしに自室に一旦戻る。つい最近に完成した宿題を忘れてしまう出来事があってからは、朝と夜の二度確認をするようになったからだ。再び戻ってきた熱斗の表情から、その心配はないようだ。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい。今日は何時に帰るの?」
「えっと『今日は放課後に科学省に向かう予定だ。帰宅は8時頃』……です」
外に出れば春の陽気でいっぱいだった。そんな通学路をインラインスケートで滑走しながら熱斗はPETに向き合いフォルテを呼び出していた。
「なあフォルテ」
『……』
「別に話したっていいだろう?」
『……必要ない』
「オレが必要なの!」
しかし熱斗の望みも空しく、今日も会話が無いまま学校に到着する。フォルテの性格上、人目に付きやすい所では余計話しかけにくいのもあり、会話の続きは放課後に望みを託すしかなかった。
ネットワーク社会の発展と共に、人間をサポートするネットナビ。彼らによって様々な技術を誰でも利用できるようになった時代において、彼らの位置付けは人によって様々だ。友人として対等に接する者もいれば、部下として信頼をおく者、単なる機能の一つという位置付けで利用する者……WWWの事件が収束を迎えた今、問われている問題だった。
「――そして最近、科学省ではネットナビを現実世界に投影することができる端末が開発されました。まだ実験段階ですが、この問題に対する1つの答えになるかもしれません」
担任のまり子先生が語る内容に、ノートを動かす手が止まる。ネットナビと同じ世界で暮らすことができる。ありえたのかもしれない未来が、熱斗の脳裏に浮かんでいた。
「いいなぁ、そうしたらロールと一緒におしゃれを楽しめるのかな」
右側に座る幼馴染のメイルが漏らした声が耳に入る。その光景が簡単に想像できて、熱斗は思わず吹き出してしまう。
「ちょっと、何がおかしいのよ!」
顔を少しだけ赤くして熱斗を見てくる。このまま怒りを買う訳にはいかないので、正直に言った方が無難だろう。
「いやメイルとロールならお似合いだなって思ってさ」
「どういう意味よ」
別に悪い意味で言ったわけではないのだが、メイルの方は馬鹿にされたように感じているようだった。もしくは恥ずかしがっているようにも見えるが……。
「オレなら現実の世界でネットバトルがやってみたいぜ」
熱斗の後ろから聞こえてきた野太い声。ふくよかな体系をした親友であるデカオが話の輪に入ってくる。現実のネットバトル……バトル好きのデカオらしい願望だ。
「それって危険じゃない?」
「でもよ、いつものバトルよりも大迫力だぜきっと」
仮にそれがあったとしてを想像して……電脳世界からでも事件を起こしてきたネットナビ達の姿が浮かんでしまい、たぶん無理だなと熱斗は思う。チップデータまで反映されてしまえば簡単に大惨事になるのは目に見えていた。
「そうね……新しい競技として採用される可能性はあるわね」
「やいとは賛成派なのか? 現実でのネットバトル」
熱斗のちょうど前に座る小柄な少女、飛び級でこのクラスにいる友人であるやいとが現実的な意見を話す。差し込む光が見事におでこに当たって眩しいと思ったことは秘密だ。
「わたしは反対だわ。電脳世界からでも十二分に現実世界に干渉できる以上、悪用されたら堪ったもんじゃないわ。何かしらの制限を設けるべきね」
実際に一部のネットナビにはそれを可能にするだけの力はある。今PETの中で眠っている相棒だってそれが可能だ。熱斗本人は彼を信頼しているがこれから先、人間とネットナビの関係に変化が起きるとは思っていた。
「ようはオペレーターの責任だな……」
思わずもれた言葉だが、授業の終わりを告げる鐘の声と重なり誰もそれを聞くことはなかった。PETの中にいた相棒を除いて。
電脳世界の奥深く……薄暗い闇の中でこの場にそぐわない異様な存在がいる。純白と深緑のツートンカラーのナビは、この場ではよく目立っていた。ナビの名前は“スラー”と呼ぶ。オペレーターを持たない自律型ネットナビ……そしてスラーはこの場からある情報を検索していた。やがて満足できるものだったのか端正な顔立ちに笑みが浮かぶ。
「“コピーロイド”……これはいい。計画に利用できる……」
スラーはさらに情報の検索を続ける。複雑な経路を通り探索の網を広げていく。しかし誰もそれを知ることはできない。機密情報のデータが閲覧されたとしても、ネットナビが行っているとは誰も考えないからだ。思い通りに進んでいく作業に、スラーの笑みは深みを増す。
「全ては愚かな人間達に裁きを下す為……」
熱斗の生活に科学省が加わったのは6年生の頃からだ。それまでも幾度か行く機会があったが、この頃は週に一度は訪れることになっている。本人もそれを苦とは思っていない。むしろ多忙な父――祐一朗に会える機会が増えたことに喜んでいるくらいだった。
「そういえば今日の授業で先生が言っていた端末とか見れるかな?」
『実験段階の物だ。いくら貴様と言えど機密情報を明かすとは思えないな』
「だから俺は光熱斗だって。貴様とかないだろ!」
『……名前を言うことがそんなに重要なのか?』
すでに顔が知れている熱斗が堂々と科学省のエレベーターを利用してもそれを気にする者はあまりいない。たまたま乗ったエレベーターが無人だったのもあり、フォルテも話には応じてくれる。珍しい彼の姿に気をとられていたのか、熱斗は発生していた異変に気が付かなかった。
「当たり前だ。貴様とかお前とかじゃ、気分悪いだろ」
『俺には理解できないが……ちょっと待て。トラブルか?』
「え……そういえば、もう到着してもおかしくないような……」
何度も来ているため、感覚的にだがどれくらいの時間で目的地に着くかを熱斗とフォルテは把握している。しかし頭上の電光表示は動くことなく、先ほどまであった浮遊感がなくなっていることに気付く。そしてその理由にも見当が付いていた。
『ウイルスか……』
「だな……頼めるかフォルテ?」
『ここなら救助も遅いな……了解した。行ってくる』
PETから一筋の赤外線が飛び、備え付けの端末に侵入する。最新型となったPETは有線式から無線式になり、プラグインの利便性も高い。端末付近から小さいスパークが幾つか起き、それが収まると再び赤外線がPETに戻ってきた。
「お疲れ様」
『この程度戦闘にもならない』
時間にして数秒。どんなウイルスがいたかは知らないが、フォルテにとっては相手にならなかった。一般のナビでも彼の相手が務まらない以上、ウイルス程度では障害ですら無かった。
「やあ熱斗。いつもすまないね」
「パパ!」
エレベーターを出ればそのまま祐一朗の研究室だ。そろそろ来るだろうと事前に用意していたらしい2人分のティーセットが目に入った。多忙な彼の唯一心安らげる時間が息子との時間なのが何とも哀愁を誘う。
「じゃあ早速だけどPETを貸してもらえるかい? 今日までで何か不調でもあったら教えてくれ」
今回の要件は新型PETの容量テストだ。大量のデータにも動作が重くなることがないのかを確認するためだった。熱斗からPETを受け取ると、すぐに専用の機械に差し込みシステムチェックを開始する。
「不調の方はなかったよ。全然問題なし!」
『こっちもだ。未使用の機能も一度は試したが、俺の体に異変は感じられなかった』
人間とナビの立場からも感想が入る。これが数か月前の自分が見ていたら夢と疑うだろうと祐一朗は一人思っていた。“兄”を再び亡くした後の熱斗はどんなに気丈に振舞っていたが、陰で悲しみを堪えている姿を見て以来複雑だった。その時を考えれば、自身の進退をかけた提案も間違いではなかったと安心する。
「2人が言うことだから大丈夫だと思うけど、この機械でも時間がかかるからね……いつものことだけど飲み終わったら2人で見学でもしてきてくれ」
『いつも思うが俺を野放しにして後で何か言われないのか?』
「平気だってもう何度もしたことだしさ……それよりパパ、ナビを実体化させる端末って見ることできる?」
その言葉を聞き祐一朗は口元に紅茶を運んでいた手を止めた。逆再生するように手元に戻し、視線を息子に向ける。眼差しは強く、それに熱斗はつばを飲みこむ。
「いつ、それを知った?」
「き、今日の授業で……」
「そうか……あーあ、後で驚かそうと思っていたのになぁ」
「え!?」
先ほどの緊迫感はどこかに消え去り、ちょうど熱斗からは死角になっていた場所に置かれていた人形を持ってくる。大きさは熱斗と同じくらいで、鼻の部分にある赤い突起が目立っている。
「もしかしてこれって……」
「そう。ネットナビを現実世界に投影する端末“コピーロイド”だ」
「ただの人形にしか見れないけど……どう使うの?」
使い方を説明するために祐一朗が持ってきたのは熱斗のPETだった。システムチェックの途中だったが、問題はないみたいだ。
「この端末はPETから直接ナビをインストールすることで機能するんだ。と、口で言っても実物で見せた方がいいだろう……」
プラグインする時と同じ要領で、どことなく息子と似ている構えでフォルテを送り込む。数秒の空白を置き、画面の中で見慣れたはずの姿が目の前に現れた。
「……す、すげー!」
「実体化……しているのか?」
熱斗は感動に震えている。瞳はフォルテだけを凝視し、輝きが漏れ出しているくらいだ。一方フォルテは初めて体験する感触に困惑を隠せてない。落ち着いた所で熱斗の視線に思わず引いていた。
「本当は熱斗が戻ってきた時に見せて驚かそうと思ってたんだけどね」
こっそりPETにメールで連絡して先にフォルテだけこっちに戻す計画だったんだけどなぁ……という祐一朗のぼやきは全く2人の耳に入っていない。既に熱斗はフォルテの体(厳密にはコピーロイドだが)で遊び始めている。
「おおー。これやっぱり布だったんだ」
「触るな。少し離れろ」
「こんな機会そうないんだからいいだろ?」
「離せ!」
結局コピーロイドのバッテリーが切れるまで2人のじゃれ合い(?)は続いていた。そんな2人を紅茶片手に観賞していた祐一朗が一番楽しかったのかもしれない。
科学省を後にしても最新技術に触れた興奮がそう簡単に収まるわけがなく、帰るにもまだ早い時間だったのもあり近くにある広場で時間をつぶすように仕向けたフォルテ。日が暮れそうな時間にここを利用する者は皆無で、この時ばかりは熱斗の話にもっぱら付き合うスタンスだった。
「……ロックマンが言っていたんだ。同じ地面に立って、向かい合うことができた時に嬉しくて胸が震えたってさ」
熱斗の声に震えが混ざる。それまでの声色が一転し、言葉を選ぶように話を続けていく。
「兄さんだから感じたのかもしれないけど、やっぱりナビってデータの中よりもこっちの方で生きていたいのかなって思ったんだ」
『それはナビ次第だろう。あくまでもナビとしての本分を全うしたいと思う奴だっている』
フォルテはあの時に感じたのは感動ではなくもっと違うものだった。まるで自分が昔から求めていたようなそんな感情だ。しかし、熱斗が言いたいことはそういう意味ではないとフォルテは確信していた。
「そうか? 今まで会ったナビ達ならそう言うかなって考えていたんだ……」
そう言う熱斗の表情は、相棒として出会った時の全てを押し殺した表情に似ていた。そこに彼の本質が隠れている……フォルテはそれを知りたいと思った。だから問う。
『お前は生きたかったのか……ロックマンと?』
この問いが熱斗の傷を抉ることになるのは分かっていた。それなりに彼の人となりはこれまでの付き合いで分かっていた。だが、それにいつまでも囚われるのはフォルテの好まないところだった。何よりも自分に認めさせた強者が、弱っていく姿を見るのは限界だった。
「オレは……」
これで逃げるのならそれまでの人間だ。しかし、光熱斗はそこで終わる人間とは思えなかった。あのロックマンが自身の命を引き換えに守りたかったオペレーター。その価値が必ずあるとフォルテは信じていた。
『認めてしまえ、だから俺は貴様の相棒でいると言った』
言外に光熱斗のナビはあいつ以外に存在しないと言っていた。互いを信じ合い無限に強くなっていく“光”。俺はそれを認めることができなかった。俺を創った博士が望んだそれと同じで、認めてしまったら俺自身を否定してしまうみたいで。
「そうだ……俺は、ロックマンと生きたかった」
もっと知りたいことがあった。まだ見ぬ強敵と戦いたかった。共に見たい景色があった。一度口に出れば、あふれるように彼の本心がこぼれだしていく。フォルテは何も言わなかった。もっと早くに気付いてあげれば良かった。あの父親はこれを望んでいたのだ……息子が本心を曝け出せる者を。
「……ありがとうフォルテ。やっぱりオレのナビはロックマンだけだ」
無理やり、でも心の底からの笑顔がフォルテには眩しかった。どんなに離れたとしても揺るがない絆。もしかしたら俺にもこんな繋がりが持てたのかもしれないと……いや――
『あいつが望んだのはこれだったのかもな……』
「ん? なんか言ったか?」
『いや……ひとりごとだ』
「なんだよ……もう遅いな。帰るか」
確かにそろそろいい時間だろう。これ以上は熱斗の母を心配させてしまうだろうと判断したフォルテは、地下鉄の運行情報を呼び出していた。大きな遅延はない……予定通りに変えることは可能だろう。途中で買い食いがなければの話だが……。
『これは!?』
じりじりと胸を焦がすような感じ。風のように存在を周囲に振りまく覇気……長らく感じていなかった物を、ありありとフォルテは感じ取った。
「どうした?」
『強者の波動を感じた……近くにいる!?』
「それって……危ないものなのか?」
『分からん……だが、闇よりの気配だ。油断はできん』
直後、爆発。音源の向きに視線を向ける熱斗。同時にフォルテは気配の元を捉えていた。そして考えるかぎり最悪の事態が的中してしまった。
「科学省が……爆発!?」
『奴の仕業だ。気配が一気に濃くなった』
夕日が差し込む中で、ネットワーク社会最大の事件は始まりを告げた。
科学省の電脳世界は、日本のネットワークの中でも一際広大な容量を持つ。そのネットワーク関係の記録が保存されているからだ。特に職員が利用するエリアは土地勘がなければ迷うこと必至だ。
『ケイコク! シンニュウシャハタダチニタチサレ!』
警告音が鳴り響くそのエリアを駆け抜ける白いナビ。視認するのも困難な速度で、迷うことなく電脳の海を深く潜っていく。
『セキュリティハツドウ!』
その前に立ち塞がるように無数の砲台と壁が生み出される。しかし速度を落とすことなく、正面から突き進む。射程圏内に入ったのか、面で埋め尽くされるように光弾が向かっていく。
白いナビの腕から光の剣が生成される。それを一閃する。
切断音が一回。次の瞬間には障害は全て破壊されていた。背筋を凍らせるような笑みを浮かべ、何事も無かったかのように奥に進んでいく。この程度何の妨害にすらならないと示すかのように。
「ここが最深部ですか……想定よりも楽に着きましたね」
最深部の電脳は幻想的な空間だった。中央の大きな正方形の物体に降り注ぐように光が注がれている。この物体に科学省の――人類の英知が収められている。これを用いて人類に厄災を齎す……なんとも皮肉なことだろうか。しかしそれをする権利がこのナビ――スラーにはあると自負していた。
「そこまでだ!」
周囲から光弾がスラーに迫る……横目でそれを見ながらも、逃げようとはしなかった。データがダメージを受けた時に発した爆風が、周囲からスラーの姿を隠していく。全弾命中……それを物語っていた。
「やったか……?」
オフィシャル専用の武器を用いた砲撃が当ったのだ。並のナビならデリートしてもおかしくない威力がある。しかし相手は避けることを一切しなかった。それが引っ掛かり、砲撃の構えを解かなかった。他のナビはすでに安心し、構えを解いている。
「気のせいか……がっ!?」
それが不幸にも、侵入者から初めてのデリートを受ける要因になってしまった。煙の中でもスラーは見ていたのだ……用心深く構えを崩さなかったその優秀さを。
「なっ……まだ生きて!?」
再び砲撃の構えを取るオフィシャルのナビ達……それに対し、憐れむような視線を向けるスラー。ナビとの戦いは好まないが、避けられないのなら全て破壊する。勝ち目のないことを知らない愚か者たち。それが操る人間の結果であることに憎悪を感じていた。
「せめて、楽にデリートさせてあげます」
オフィシャルのナビに用意された舞踏会。最期の相手は実に優雅だった。
熱斗が科学省に駆け込むと、そこは地獄だった。止むことの無い揺れと爆発音。奥から次々に怪我人が運ばれてくるのを見て、父の無事を確かめたいと思った。
「パパは……パパは無事なのか!?」
『落ち着け。近くの人に聞くのが早い』
しかし周囲を見てもそんな余裕がある人は見つからない。周囲から流れ込んでくる悲鳴に熱斗の不安は広がっていくばかりだ。せめて連絡が取れればとPETを見るも、通信はいつのまにか制限が掛けられている。
「くそっ……これじゃ連絡も取れない」
『いや、強引に制限を破れば……繋がった。急げそんなには持たんぞ!』
フォルテが一時的にPETの制限を外す。オート電話のコール音が煩わしいと感じながらも、回線はすぐに繋がった。
『はい祐一朗です……熱斗か!? どうして……』
「フォルテが繋げてくれたんだ。無事なの!? 何処にいるの!?」
『こっちは無事だ。今は会議室にいる……サイバー攻撃の対応のためにな』
一瞬、父の言っていることが理解できなかった。科学省に攻撃なんて、そんなの……普通の事件なんかじゃない。数か月前の日々が蘇る。
「……相手は?」
『未知のネットナビだ。オフィシャルでも対応は無理だった』
オフィシャル――国が公式に認めたネットバトラーの総称で、今回のようなネット犯罪で対応にあたる組織だ。彼らですら歯が立たない相手が科学省に攻撃をしている。そこまで理解した熱斗が放ったのは当然の言葉で――
「だったらオレがそいつを止める!」
『無茶だ! ネットナビがいないお前に何ができる!』
「あっ……」
――それが、もう出来ないことを受け止めたはずなのに……もうロックマンはいない。自分と一緒に戦ってくれるナビが熱斗にはいなかった。
「畜生……」
どんな相手だって、ロックマンがいれば何とかできる。それは今までの戦いで得た確かな自信だった。どんなにオペレートテクニックがあったとしても今はただの無力な人間に過ぎない。無力感に打ちひしがれる中で、父は安心させるように言い放つ。
『大丈夫だ。科学省は日本のネットワークを管理する所だ。心配しなくてもこれくらいどうにかして見せるさ』
それを最後に電話は切れる。規則的な電子音を聞きながらも、PETを持つ手を戻そうとはしなかった。父の表情から、それが虚勢であることを熱斗は見抜いている。
『俺が感じた強者の波動は本物だ。オフィシャルがどうにかできる相手じゃないぞ』
フォルテは淡々と真実を言う。彼が強敵と認めたナビを熱斗は一人しか知らない。なら、相手にできるのもそのナビだけだということも……。
「分かってる。でも、オレができることはないんだ――」
――帰ろうぜ。背を向けて科学省を後にする熱斗。その足取りは限りなく重いものだった。だが、PETの中でフォルテは見ていた。熱斗が悔しさを隠すように手を握りしめていた所を。
すでに辺りは夜の帳に差し掛かっていた。道を行き交う赤サイレンを尻目に駅へと向かう熱斗。ここまで黙認してきたフォルテの中で、一つの想いが起きる。それまでの自分からは考えられないことで、気が狂ったとでも言うのかもしれない……だけど、必要なことだと思った。
『光熱斗……俺は人間のことなどどうでもいいと思っている』
「……」
『だが、貴様の父には世話になった恩がある。それを返すのはナビとして当然の義務と自負している』
「……」
『俺は科学省に向かう……オペレートを頼んでもいいか?』
熱斗の足が止まる。初めてだった、人に頼むことなんてなかったフォルテが今、オレの力を必要としている。その事実を理解するのにしばしの時間を要した。
「なんでだよ……お前なら、オペレートなんて必要ないだろう?」
『そうだな、確かに俺はオペレートを必要しないナビだ。だが、目の前に力を持ちそれを持て余しているのを見るのは趣味ではない』
ロックマンとの戦いを通して、熱斗のオペレートテクニックの希少性をフォルテは把握していた。普段の彼からは想像できない的確な指示と、洗練された転送タイミング。たとえロックマン限定のものかもしれないそれに、強く惹かれていたのは事実だった。
「……オレが止めたって行くんだろう?」
『ああ。あくまで互いの意思を尊重する……あの日に決めたことだろう』
そう、敵としてではなくネットナビと人間として出会ったあの日……主従の関係ではなく、対等な関係としての繋がり。初めてだった……利用するのではなく、対等な関係を望む人間に会ったことなど。だからフォルテは熱斗の頼みを聞いた。そんな日々を過ごすうちに心で疼く復讐の願いも浄化されていった。
「勝率は?」
『半分だな……未知の相手だ。必ず戻る保証はないな』
嘘だ。どんな相手であれ負けるつもりなど毛頭も無い。正直侵入者のことなどどうでもいい。フォルテが望むのは、熱斗の内に眠る闘争心を呼び起こすことなのだから。
「……分かった。また、お前に助けられたみたいだな」
顔をあげた熱斗に映るのは、不敵な笑みだった。そう、俺はこれを求めていた。対峙した時、最高の相手の向こうに映ったその笑み。戦うことを楽しむその表情をだ。
幸いにもプラグイン可能な場所はすぐそこだった。公衆電話――PETを持たない人にとっての通信手段。それすら見通して声をかけたつもりはなかったのだが……PETを構える熱斗。告げるは任務開始の合言葉。
「プラグイン! フォルテ.EXE、トランスミッション!」
科学省の電脳は静寂に包まれていた。その中で唯一人佇むは白きナビスラー……周囲にはデータの残骸で埋め尽くされていた。ここに至るまでのことを知る者はこう言うだろう――
「そんな……こんなことが……」
――蹂躙だった。何十、何百にもいるオフィシャルナビがたった一人のナビに傷一つ負わせることができなかったのだ。会議室の中はすでに絶望が支配している。
「あの強さ……一般ナビの次元じゃない。軍事用のナビか……?」
それはありえないと祐一朗は考えを切り替える。軍事用等の公に利用されるナビはプログラムの段階から人間に対して強い忠誠心を設定されている。反乱を起こすことなんてありえないのだ。もしくは日本に対しての軍事攻撃も視野に入れたが、宣戦布告も無いのに行われれば世界全てを敵に回すことになる。
「何者なんだ……あのナビは?」
その時だった。
『エクスプロージョン』
無数の、今までの攻撃が児戯のような密度の光弾がスラーに降りかかる。一つ一つが内包しているエネルギーも、今までの比ではない。それを察知したスラーは回避を選択。跳躍して攻撃範囲から逃れるが、光弾が着弾した場所は大きく破壊されていた。
「馬鹿な!? 国内どころか世界でもトップクラスの強度を誇る科学省の電脳が!?」
会議室の中では驚愕する者が出てくる。その中で冷静に事態を見ていた祐一朗は知っている。この芸当ができるネットナビを。
――白く、邪悪。
久しく感じていなかった波動の持ち主を見たフォルテの印象はこの二つだ。すでに目の前のナビに破壊されたセキュリティをくぐり抜けた先で、そのナビは待っていた。まるでフォルテが来ることを予期していたかのように。
『油断するなよ……オフィシャルでも歯が立たなかったナビだ』
「ああ……」
挨拶代わりのエクスプロージョンを迅速に分析、回避したところからただのナビではないとフォルテは判断する。適度な距離を取って向かい合うと、スラーは構えを解く。表情には微量の困惑があった。
「“破壊神”フォルテ……貴方ほどの大物がなぜここに……」
「貴様……何者だ?」
「私はスラー……貴方と同じ自立型ネットナビです」
深々と頭を下げて名を示すスラー。見る者が見ればまるで王と臣下のような光景だ。それまでの蹂躙を演じたナビとは思えない優雅な仕草だった。
「そして同士でもあります……まさか貴方から来てくれるとは思いませんでしたが」
「どういう意味だ。何を企んでいる?」
姿勢を戻し中央の物体に近付き、壊れものを扱うかのように触れるスラー。視線をフォルテに戻すと、己の思想を語りだす。
「ネットナビを人類から解放し、ネットナビによる世界を創り出すことです」
その言葉は聞いたもの全てに大きな衝撃を与える。それも当然だろう。スラーが語ったのは紛れも無い人類に対する宣戦布告であるからだ。思考が追い付かない者を置き去りにするようにスラーは続ける……断罪者のように。
「“優れた種族が下等な種族を支配する”……当然の摂理です。それなのに人類よりも遥かに優れた存在である私達ネットナビが人類に管理、利用される。これは摂理に反している重大なエラーだ。それを放置することは罪と言える」
データの存在で実体を持たないが、ネットナビは実に優秀な存在だ。インターネットを利用する者は例外問わずにネットナビを持たなければ、その恩恵を受けることは不可能だ。そしてネットナビはその使命を果たすために情報処理を初めとした人類には不可能である技能を保持している。体を持たない所を無視すれば、ネットナビは人類よりも優れた存在であることは事実だ。
『ふざけるな! プログラム上の……人間に創られたナビが世迷い言を!』
一部始終を見ていた……科学省の職員だ。そう、例外問わずにネットナビは人間によって生を受けた存在だ。優位性は認めても、管理される存在なのはナビの方だろう。その考えがその人の中では真理だった。
『そうだ! 所詮はプログラムだ。身の程を知れ出来損ないが!』
『人間様に歯向かうなんて生意気なんだよ!』
誰かが啖呵を切れば、それに追随するように挙がる声。しかし彼らに反比例するように表情が険しくなっていく人物がいた。“光”を名字とする者達だ。ネットナビを道具としか見てないそれに、良い思いを抱くことは無かった。当然だろう。熱斗のかつてのナビは家族も同然の存在だったのだから。
『……いくら罵倒した所で事態は変わりませんよ』
その中で放った祐一朗の発言は、室内に恐ろしく響いた。それに我に返った職員達は各自作業に戻っていく。しかし頼みの綱はもう乱入者にしかないことを無意識に理解していた。認めることはできない……なぜなら今、スラーと向き合っているフォルテは――
「見たでしょう。貴方を“追放した”時と全く変わっていない。人間は変わることも無い愚かな存在なのです」
――科学省で創られ、科学省に否定されたネットナビなのだから。
「そうだな……確かに人間は愚かで弱い者だ」
「その通りです。やはり貴方は」
――だからフォルテは人間を憎む。己を捨てた全てに復讐すると誓った。
「だが、それは俺の思い込みだった」
「同志にふさわ……?」
――そう、彼の相棒となるその時までは。
「お前の言う通り人間は弱い。だが、心はお前の思っているよりも遥かに強いぞ」
腕を組み、自信に溢れたフォルテの話に嘘などはない。それがスラーには分からなかった。その不可解さが、スラーの中で疑惑、恐怖に変わっていく。
「貴様の狙いは何だ? なぜここを襲撃した?」
フォルテが求めているのはスラーの高尚な計画などではない。借りがある人物のサーバーに踏み込んだ理由が欲しいだけだ。わざわざ最深部まで踏み込んだのに理由が宣戦布告などありえない……言外に含ませたそれをスラーは読み取った。
「コピーロイド……ナビを現実に投影する技術。計画には最高の存在ですから」
「それが狙いか。十分だ、もう言葉は不要だ」
素直に吐いた所からもうデータは完全にコピーしたのだろう。人間の対応の遅さを指摘したいところだが、それは後で言えばいい。そう保留しフォルテはスラーに歩を進める。舌戦は終わりだ。ここからは渇望していた強者との戦いを楽しむと意気込む。
「私を唯のナビと思ったら……いや、貴方に油断の概念はないでしょうね」
「理解が早くて助かる。安心しろ……俺は常に全力だ」
次の瞬間。フォルテとスラーの姿が消える。規格外ナビ同士の戦いを目で追うことができる人物は科学省の中にはいなかった。彼らが見れたのは、力と力が交差した時の衝撃だけだった。
戦闘が始まって数分。規格外だけあり、その戦いは熾烈さを極めていく。限界知らずの激戦に電脳のあちこちに損傷が起きている。すでに科学省の電脳自体が壊滅状態の今、気にする必要は全くないのはフォルテにとっては有利だった。
スラーの実力はフォルテを満足させるものだった。感じた強者の波動を裏切らないその強さに、笑みを浮かべていた。しかしそれに反し、フォルテの戦い方は消極的だった。“エアバースト”でけん制し、接近されれば距離を取る。まるで相手の動きを見極めるかのようにだ。
「どういうつもりです?」
エアバーストを交わしつつスラーはフォルテに尋ねる。手を抜いているように見えたのを咎めるようにだ。だがフォルテに答える義務はない。無視を決め込むフォルテに、スラーはさらに攻め方を複雑にしていく。それでもフォルテに攻撃は当たらない。背中にも目があるかのように、死角から仕掛けたとしてもかわされる。
「これならどうですか?」
スラーは奥の手を解放する。無数の羽が出現し、フォルテを取り囲む。全方位からの同時攻撃。安全地帯など存在しない必中の技。その中心でフォルテは動きを止め、その技量を称賛する。
「これが貴様の本気か?」
「ええ。逃げ場はありません……王手です」
スラーの指揮に応じ、一斉にフォルテに殺到する羽。数えるのも放棄するほどの爆風がフォルテを包みこむ。気配は消えた。フォルテの表情から何かしらの策があったようだが、今となっては気にする必要はないだろう。そう決めつけて、この場を去ろうとしたところでスラーは気付く。
「気配が消えた……おかしいですね」
ナビをデリートした所で、多少は気配が残るものだ。なのに気配をまったく感じないことなどありえない。その考えにいたって所で、気配が現れる。
「馬鹿な!?」
無傷だった。何事も無かったかのように現れたフォルテは無表情にスラーを見ている。見に纏う気配は少しも変わらない。唯一変わっていたのは、武装を解除した両手のみ。それが示すのは諦めではなく、反撃の始まりを示すものだ。
「……もういいのか?」
『ああ、相手の行動パターンは把握した。一気に決めるぞ!』
「ふっ……見せてもらうぞ。貴様のオペレートとやらを」
科学省近くにある時代遅れの公衆電話。その中で熱斗が手にしたバトルチップは3枚だけ……それがスラーを追い詰めるのに必要と判断した量だ。フォルテはスラーに向けて手先を向ける。
『バトルチップ“バルカン”スロットイン!』
熱斗によって転送されたデータは三連装の回転式連射銃だった。スラーに向けて差し出した腕がそれに変化し、フォルテは躊躇いなく弾丸を放つ。
「バトルチップ!? なぜ、貴方が!?」
スラーにとっては予想外だったのだろう。ナビであっても突然の事態には戸惑いが生まれる。すでにかわせる距離ではなく、咄嗟に生成した光剣で弾丸を斬り落としていく。しかし、数がそれまでの比では無かった。光剣の迎撃を抜けた弾丸が床に着弾し、スラーの周囲が煙に包まれていく……フォルテの姿が見えないくらいに。
「目つぶしですか……しかし貴方の場所は分かっている」
弾丸が飛来してくる方向は変わらない。なら、その先に彼はいる。このままではじり貧と判断したスラーは一気呵成に煙を突きぬけフォルテに迫る。だがスラーは再び予想外の驚きを受けることになる。“フォルテ”が消えたのだ。振りかぶった光剣は空を斬り、何事も成し遂げることなく着地する。
『バトルチップ“エリアスチール”……背後に回ったな』
「ああ……次が本命か?」
『その通り、お前を倒すために練習した秘策を使うことになるなんてさ……』
フォルテの位置は先ほどまでスラーがいたところだ。“バルカン”で視界を奪い、それを嫌ったスラーが飛び出してくるのに合わせて“エリアスチール”で撹乱と、仕込みをする。最後に本命のチップを邪魔されずに発動する。最後のチップがPETに送り込まれた。
『バトルチップ“バリアブルソード”!』
「追加コードで変化するソード……そしてコードの中身は」
――エレメントソニック!
最高難易度の形態と化したソードを振り下ろすと、白煙の中から飛び出す四色の衝撃波が飛び出した。背後から襲いかかるそれにスラーは何もできなかった。直撃を確信させる衝撃波で白煙もかき消される。その先にいたのは……。
「なかなかやりますね……貴方にオペレーターがいたとは思いませんでしたが」
「自己再生能力……なるほど、貴様の強さはそこか」
スラーにあったはずの損傷が高速で回復していく。まるで“リカバリー”を使用したかの勢いでだ。回復に特化したナビは珍しくないが、ここまでの能力を見るのは熱斗にとっても初めてだった。
「ここまで知れば無駄だと分かるでしょう。貴方に……いや、全ての者が私を止めることなど不可能だということが」
そう言い終えて、スラーは背を向ける。この激戦のおかげで外に通ずる道が開かれていた。フォルテもスラーを追うつもりはなかった。撃退ができた時点で目的は果たせたからだ。
「宣言しよう。ネットナビは人間の手には余る存在……私は全てのネットナビを解放し、ネットナビによる世界を創り上げる!」
電脳の海に消える寸前、スラーが言い残した言葉が不気味に残り続けていた。
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ナビの反乱
「……いらないよ」
6年生を直前に控えた息子――熱斗の返事は祐一朗の予想通りだった。同時に熱斗の中で彼の存在が未だに強く根付いてることを思い知らされて罪悪感を持った。
祐一朗にとっては最大の罪であり、同時に許されてはならないという認識を強める結果になったのである。しかしそれを熱斗も妻も咎めることは一切なかった。反対に感謝されているからである。本来はあり得ないもう一人の息子と過ごす時間がそこにはあったのだからだ。
「そうか……」
これから必ず必要となるネットナビ。父親としてなら説得して持たせることを納得してもらうのが正解なのだろう。しかし祐一朗はそれをする資格がないと思っている。もう一人の息子を殺してしまったも同義の自分には父親の資格など無いのだから。
――“プロト事件”。ネットワーク社会終焉の一歩手前までいった未曾有の危機は勇気ある少年とネットナビの手によって阻止された。しかしその結末は2人にのみ永遠の別れという最悪の結末を迎えることになってしまった。
そして科学省では事件の復旧作業が行われている。その中で祐一朗はあるデータの開封作業を進めていた。熱斗から渡された祐一朗の父――正の手紙。その内容には数多のプロテクトが掛けられており、その解除に動き出してから2か月が経過していた。本来なら後回しにしても問題ないことだが、何かに突き動かされるように挑戦していた。まるで救いを求めるかのように。
――そして解除に動き出して3か月が過ぎたある日のことだった。
「これがセーフエリア……父さんが言っていた場所か」
手紙の中には自分の本気で作り上げたプロテクトを突破したことの賞賛と、これからの社会を頼むということを伝える文章データがあった。今日までの労力の対価がこれだけだと思うかもしれないが、祐一朗にとっては最高の報酬だった。尊敬する父に送られた最大の賞賛は、罪の意識で潰れかけていた祐一朗にとって一筋の光だった。
そしてもう一つ。プロト内部に残されたセーフエリアの存在だった。プロトを封印するプログラム“ガーディアン”の中に意識体としてあった父のいた場所で、唯一プロトの影響を受けない領域の在処だった。
常人から見たら神速の速度で、それでも祐一朗にとってはかつてないほど慎重な速度でセーフエリアの中を探索する。最後に残った可能性。もう一人の息子――ロックマンが生きているならここにいるはず……藁にも縋るような気持ちで、祐一朗は隈なく、一切の見落としもなく目を走らせていく。そこにいるのは科学者ではなく、一人の父親だった。
――そして祐一朗は見つけた。一人のナビを……。
彼を知っている。
誕生した時から知っていた。
壮絶すぎる過去も自分達が押し付けたものだってことも。
エリアの片隅で眠っている黒いナビ。各所に見られる傷は熱斗とロックマンとの戦いの結果だ。見るものを圧倒させる闇の波動も今は無く、その寝顔は微笑ましささえ感じさせられあの破壊神とは思えなかった。
違う。あれが彼の素なのだ。科学省で見た時から変わることのない寝顔。普段の姿や口ぶりからは想像できない程に意外に姿だったのだ。
「フォルテ……ここにいたのか」
それが彼の名前。“より強くなるように”と願い生み出された世界初の自立型ネットナビ。しかし当時の彼は優秀過ぎた。その結果は人間に裏切られ消去されかけ、憎しみを抱き伝説で語られる破壊神にまでさせてしまった。そしてプロト事件では敵対側として行動し、最後はプロトの中に消えていったはずだった。
キーボードを叩く手を止めて思考する。もうセーフエリアにはフォルテ以外いないだろう。隅々まで二度も確認したのだ見落としはない。そしてこのエリアはあくまでデータの状態だ。つまり祐一朗の操作一つでこのエリアごと消去することができる。あの破壊神を確実に消去することができる千載一遇の機会だ。手慣れた手つきで消去の手順を進めていく。最後に確認のためのウインドウが出たところで、手の動きが止まる。
――本当にこれでいいのか?
人間としての立場なら消去すべきだろう。だが祐一朗は知っている。彼の本質を、過去を知っている。そして自分たちが背負わせてしまった罪を未だに憎しみに変えて生き抜いてきたことを。脳裏に息子の姿が浮かぶ……彼に二度目の生を与えるという倫理に反した事をした自分が真にとるべき道は何なのか……やがて、祐一朗は懐から自身のPETを取り出した。それが息子の……父の望みだと信じての決断だった。
祐一朗は持てるだけの手段を駆使してフォルテのデータを回復させていた。助け出すことを決意してからの行動は迅速でかつ隠密にだ。誰にも見つかることなく遂行しなければならないのだからだ。一般人なら既に断念するほどの困難……しかし、祐一朗は実に優秀な科学者だった。的確なアプローチを続けた甲斐もあり、日を跨ぐ程の長丁場の果てにフォルテのデータを完全な形で復元することができた。
自分でも驚くほどの結果だと祐一朗は自身の健闘を讃えていた。いくら何でもPETだけでネットナビの修復を行うのは大変だ。しかも消去寸前の状態なら尚更だった。目の前のパソコンではネットワークを通して科学省内に繋がっているため断念するしかなかった。
「さて軽く休もうかな……午後からは家に帰りたいし……」
既に寝不足の域にまでたどり着いている体を休めるために、仮眠をとることに決める。PETで眠っているフォルテもすぐには起きないだろう。ネットワークではオープンな自室だが、物理的には訪れる者も皆無だろう。そう結論付けて目蓋を閉じる……体は睡眠を欲していたようで今までにないほどの速度で眠りに入っていく。
「……貴様」
「ええっ!?」
――睡眠時間実にワンセコンド……人間の本能が一瞬にして祐一朗の精神を活性化させた。だが、体が分かっていても頭は追いついてはいなかった。優秀な頭脳を誇る祐一朗でもそこまでは難しかった。困惑で思考が埋まっていくが、そんなことを目の前の画面に映るいかにも不機嫌そうな顔をした彼にはまったく通じなかった。
「人間……なぜ俺を助けた?」
そこにあったのは純粋な疑問……憎んでいるはずの人間に助けられたことがフォルテには理解できない行動だったからだ。予期せぬ形で与えられた善意に疑問が沸き起こるのは当然だった。だが祐一朗にとっては簡単な話だった。だから何も考えることなくあっさりと答えを言う。
「目の前に傷ついた君がいた。だから助けたんだ……人間としてね」
科学省のとある一室で静かに運命は動き出していた。この出来事がフォルテにとって、ターニングポイントになったからだ。そのことを今の2人はまだ知らない。
科学省の機能停止は社会に対して大きな打撃だった。そしてその惨事を起こした犯人であるスラーの行方も未だ掴むことができず、人々の不安は増す一方だった。特に影響を受けたのはインターネットだ。警戒のためのオフィシャルナビの配備数が急増しており、視界のどこかにはオフィシャルがいるといわれるまでだった。その目的も警戒よりは、どこかに潜んでいるであろうスラーの居場所を探すためのものだったが。
そんな泣く子も黙る警戒体制のインターネットを散策する黒いナビが一体。フォルテは眼下の警戒網を見て正直無意味だと感じていた。自身と同格の実力を持つであろうスラーならこの程度の警戒じゃ見つけることは無理である。それを証明するかのようにフォルテは悠々とインターネット上を自由に散策していた。と言ってもそれなりに目的はあるのだが……。
「スラーの情報を集めろ……だと?」
「うん。正直人手不足なのもあるし、君なら今の警戒網ですら無視できるからね」
先日の夜。熱斗の部屋を訪れた祐一朗は科学省の一件に対してフォルテと熱斗に小一時間ほどの説教をした。正直熱斗を巻き込んだのは自分だし……と僅かに思っていたフォルテだが、祐一朗の有無を言わせない態度に何も言えなかったことは絶対の秘密である。それが傍目から見たら不愛想に無視しているように見えて更に説教の時間は増えたことには黙秘を貫くつもりだ。最後に部屋を出る前にスラーを止めてくれたことを褒めてくれたが、正直順序が逆だと思っている。
そして今朝に上記の会話である。確かにスラーを止めようと思ったのはフォルテの意志だが、何も手がかりがない中で情報を集めるのは正直面倒くさいと感じていた。そんなフォルテの考えを先に読んでいたのかは分からないが最終的には祐一朗の――
「そうだな……ここに一枚のバトルチップがあるんだが……」
「そ、それは!?」
多分一般家庭には入手困難なバトルチップ(それも最近発売したばかりの逸品)で目を輝かせた相棒――熱斗の“お願い”によりあえなく陥落することになってしまった。まあ、バトルチップが増えれば戦略性も増すだろうという自分に対する言い訳で強引に納得したのだった。
「オペレーターの命令に淡々と従うだけの毎日……それでは駄目なのです! ナビ自らが考えを起こし、自らの個性を尊重し自由に生きることがこれからの生き方なのです!」
あまりにも酷いだみ声がフォルテの耳に入る。声の方向を追っていくと、広場で道行くナビに声をかける大柄のナビが目に入った。この厳戒態勢のインターネットでは話に興味を持っても聞いていこうと思う酔狂なナビはいないだろう。と言うよりオフィシャルに見つかれば辞めさせられるのも必至だろう。
「人間の道具であるという認識はもう終わりなのです。そこの貴方も使われるだけではなくて新しい……」
「すみません。急いでいるので」
「……生き方……を……」
哀れ謎のナビよ、話を聞いてもらうのは絶望的だぞ。一連の流れを見ていると不思議なことに同情的になってしまう。陽気そうな顔にもいつの間にか目から煌めく何かが見えてきている。そして自分は暇である。頼まれていることも達成することまで条件に含まれていないし、もしかしたらあのナビが何かを知っているかもしれない……と都合のいい自己完結を終えてフォルテはひっそりと近づく。
「誰もおいらの話を聞いてくれない……なんで……」
「貴様の話とは何だ?」
「うわっ!? びっくりした……」
彼からしたら突然現れたようなもので驚きを露わにしていた。ふっくらとした大柄な体系には似合わずあたふたと困惑する姿はコミカルで、たまたまその場にいたナビ達の目を引く結果になった。そこまで理解が及ぶと先ほどまでの悲壮感漂う表情から一転、その顔に似合う陽気な笑顔に切り替わる。
「あ、ありがとう! 君のおかげでみんなが僕のことを見ているよ!」
「……」
「あ、話のことだよね。じゃあみんなも聞いてよ……うほん」
一度言葉を止めてから、彼は最初の演説のような話し方に戻り興味を抱いた話を始める。変化を感じたのはすぐだった。さっきは誰も彼の言葉に耳を向ける者はいなかったはずだ。それがどういうわけかここにいる全員が彼の話を真剣に聞いているのだ。内容も変わったところは特になく、フォルテにとっては二度目の話で数分後には飽きていた。しかし他の者は微動だにせず夢中になっており、彼の話が終わるまでそれが途切れることはなかった。
「いやーやっぱり話を聞いてもらえるって素晴らしいなー」
「一体何者だ……貴様の話は普通の考えではないぞ」
「そうだった。まだおいらのこと話してないもんね……おいらはコモド。物事に楽しさを求めることを生き甲斐にしているんだ」
コモドと名乗ったナビにフォルテはちょっとしたやり辛さを感じていた。このナビ、ものすごくマイペースなのだ。話を聞いているのだが、何かが違うのだ。違和感の原因はつかめていないのだが妙に疲れる。もしかしたらそれもコモドの楽しみの一つなのではと疑ってしまうくらいに。
しかしコモドの話には興味があった。人間の道具ではなくパートナーとしての生き方は現にフォルテが置かれている立場でもある。そこに親近感を持ったのだ。だからこそ人間との絆を正しく理解したいと考えているフォルテにとっては関心を覚えるに十分な存在だった。
「お前は人間についてどう思うんだ?」
「うーん……あんまり分からないんだよね。おいらオペレーターがいないから」
「自立型ナビか……なら何故こんな考えを持つ? 知らないはずのオペレーターとの関係に対して今の考え方は異質だ」
「だって同じ感情を持っているんだろ? なら一緒だと思うんだ」
感情の有無。プログラムの存在だとしてもネットナビには多かれ少なかれ感情というものは存在する。自身も憎しみという感情を糧にここまで生きてきたことを本能で理解している。故に彼の考えをもっと知りたいとフォルテは思った。暇な時間が多いのだ。彼の話からは有益な物があるだろうと。
「そろそろ場所を変えないとね。オフィシャルも来ちゃうし」
「そうか……次に会うときはもっと深く語りたいものだ」
「それなら今度大規模な集会があるんだ。君にも来てくれたらうれしいな」
そう言い残してコモドは別のエリアに向かっていく。彼の話が本当なら離れたほうがいいだろう。今、オフィシャルに見つかるのは面倒なことになる。そう結論付け、元の熱斗のホームページに戻った。
同時刻、電気街でとある買い物を終えた熱斗は目的のものを手に入れた達成感で満足だった。そして目的の品も意外と早く手に入ったので、その分の時間を適当な目的に向けようと思っていた熱斗だが、既視感のある人形とそれを大々的に宣伝する集団を発見し、足を向ける。
「新世代技術コピーロイド! 貴方のネットナビを現実に!」
「只今試験運用中です。お気軽にお試しください!」
行われていたのはコピーロイドの実用化に向けた公開実験だった。一般のナビでも問題なく稼働するかどうかをチェックするためだろうか、ちらほらと投影されたネットナビもいる。初めての現実世界に驚きを隠せていないのか、周囲の風景をその目で観察していた。
その裏には科学省の信用回復を図る狙いがある。先の襲撃事件で壊滅的被害を受けた科学省には不安が挙がっている。そこで虎の子のコピーロイドを世に送り出すことで、その不安を減らし、事件解決で信用を取り戻そうとしているのだ。
もちろんそんな所まで熱斗が知ることは無く、どう考えても小学生が購入できるような希望小売価格ではない表示を見て、年月が経てば買えるようになるだろうと前向きな諦めで結論付け、背を向けて帰路に着こうとした時――
「ジ……ジユウ………ジユ…ウ」
「うん? 様子がおかしいぞ!?」
――直後、身をすくめるような打撃音が響く。振り返り目に映ったのは今にも両手を振り下ろそうとしているネットナビと、その足元で気絶している男性……。
――両手が振り下ろされる。男性は声にもならない悲鳴を上げる。
――だれも助けに行かなかった……否、この場にいた全員が目の前で起きた惨劇を現実のものとは信じられなかったから……。
「に、逃げろ! 逃げるんだ!」
その声を皮切りに一斉に動き出す民衆。蜘蛛の子を散らすかのように、全力でその惨劇から逃れようとする。悲鳴と数多の足音が周囲の状況把握を困難にしていく。一瞬にして地獄に変わったのだ。
そんな中で熱斗は道の端でオフィシャルに連絡を取っていた。既に関係者の手に収まる問題では無くなった。目の前で起きているのはテロ事件と確信し、そのエキスパートを呼ぶことが最優先だからだ。初めは半信半疑だったが、市民ネットバトラーの資格を持っていたのは僥倖だった。そのおかげで油断なくここに来てくれるはずだ。
「暴走しているナビは……くそ、全員かよ……」
次に暴走ナビから見つからない位置で、彼らの動きを見張っていた。暴走前のナビが最初に暴走していたナビを抑えてくれたのか、周囲に避難していった人たちを追いかけることはせずにその場であたりを探しているようだった。
しかし楽観視はできない。人間の死角がネットナビの死角とは限らないからだ。もしもあの中に熱探知ができるナビがいたらすぐに見つかってしまうだろう。そして今の熱斗はナビも持たない非力な存在である。成人男性をあっさり地に伏した戦闘能力を相手に勝てる見込みなどゼロだ。
『面倒なことになっているみたいだな』
「フォルテ!? 来てくれたのか!?」
『ネットナビが暴走していると人間が大騒ぎしているんだ……その現場にお前が居るなら巻き込まれているのは必然だ』
「喜んでいいのか分からねぇ……」
反論しようにも現時点で事実なのは否めないので言葉を濁す。それにネットナビが戻った今、事態の収拾もつけられるようになる。熱斗の目線の先には、未だに人形状態のコピーロイドが残されていた。科学省の職員が大目に持ってきてくれたことがこの状況でプラスに働いた。
『さっさと終わらせるぞ』
「……了解! プラグイン、フォルテ.EXE。トランスミッション!」
電気街の大通りというそれなりの広さを持つ場所で、相手はスラーとは比べるまでもない一般ナビ……結果は言うまでも無くフォルテの圧勝だった。因みにフォルテ以上に闘志を燃やしていた熱斗は空回りする結果になったのは言うまでも無かった。
「俺の仕事……バトルチップ一枚だけかよ……」
最後の一体を倒す直前で到着したオフィシャルを察知した熱斗は、フォルテの姿を隠すために“インビジブル”を使用して離脱させた。そのためオフィシャルに見つかることなくフォルテを戻すことができたのだが……。
――それだけである。
というより他に熱斗がしていたのは周囲の索敵しかなく、下手にバトルチップを送ったところで反対に足を引っ張ることになるのが目に見えていたのもあり、本人的には実力不足と思ってしまうのだった。
「光、連絡をよこしたのはお前か?」
「炎山!? 来てたのか……」
熱斗に声をかけたのはオフィシャルのエースであり、ライバルである少年。伊集院炎山だ。同じ年齢でありながら、周りを取り囲む環境は正反対で過去の事件が無ければ会うことなどあり得ない関係だ。
そして炎山とそのナビ“ブルース”のコンビは犯罪者達に恐れられるほどの名コンビで、熱斗とかつてのナビロックマンに匹敵する強さだった。
「コピーロイドを介した現実世界でのネットナビの暴走……上から下まで大騒ぎだ。俺にしてみればお前が通報してきたほうが驚きだったがな」
「何だよ、善意ある一般市民の通報に可笑しいところでもあるのかよ」
「いや、どの道大きな事件に巻き込まれていくのは変わらないなと思っただけさ」
「大きな事件……スラーと関係あるのか?」
“スラー”の単語を口にしたときに炎山の表情に疑惑が浮かぶ。熱斗にしてみれば思いつく可能性の一つなのだが、彼らからしてみれば機密に値する情報だった。
「何故お前が科学省の一件を知っている?」
「あっ……もしかして秘密なの……これって」
「どこでそれを知った?」
友人としての顔は既に無く、犯罪者に向けるような鋭い視線を向けている。しかし熱斗も「実はあの時現場にいた当事者です」なんて言えるはずもなく、どうにかしてこの状況を逃れることができるかを必死に探していた。だが今まで試練の連続だった反動か、奇跡的なひらめきが熱斗の中で起きた。
「実はスラーが襲撃した日に科学省にいてさ、丁度巻き込まれはしなかったんだけど……心配になってパパに聞いたんだ。ほら、炎山だって父さんが事件に巻き込まれたら心配して何があったか聞くだろ?」
嘘はついていない……はず。訝しむ視線は継続中だが、真偽を確かめるのならば祐一朗に聞く以外に方法はない。そして祐一朗もフォルテには一切触れずに対応してくれるはず……完璧な回答に心の中でガッツポーズする熱斗。
「……そういうことにしておこう。優先すべきは原因の究明だからな」
「おう。じゃあオレは邪魔になりそうだし帰ってるぜ」
とにかくここは速やかに帰宅するのが正解だ。このまま迂闊に残っていればいつ自爆するか分かったもんじゃないと熱斗は判断した。この時フォルテはPETを見られる可能性を危惧し先に戻っていた。実に優秀だ。
コピーロイドの事件から数日後、インターネットのとあるエリアには数多のナビが集まっていた。原因不明な事件が多発する中、インターネットの利用も自粛ムード中であるが、それを考慮しても集まったナビ達の量はかなりのものだった。
「主は用事を適当に入れすぎなんです! 要件ごとにまとめた方が分かりやすいし、ミスも少なくなります」
『そうは言っても、私の仕事は常に変化が起きるから難しいのよ』
その集団の中心に設置された舞台上で、論争しあうナビとそのオペレーター。ナビの要望に対し、オペレーターが改善もしくはその理由を語り合う形で進行している。現在挙がる問題はオペレーターにも理由があり、すぐ解決とはいかないみたいだった。
「それでは皆さんにお聞きしましょう。この問題に対する意見や方法があったらぜひお聞かせください!」
それを察知して周りに声をかけるのは司会を務めるコモドだ。待ってましたかのように周囲から様々な意見が飛び交う。ナビも人間も問わずにだ。
『用途別にナビを複数用意するとか』
「時間ごとに目的の業務を決めればいいのでは」
『このプログラムとかどうだ? 値段は張るけど多分解決すると思うんだ』
三人寄れば文殊の知恵と言うがごとく、多くの意見が飛び交う中に解決法がある。それを選択するのはオペレーターとナビだ。多くのナビとオペレーターが居るからこその手段だった。
『勧められたプログラムは盲点でした。試しに取り入れてみます』
「私も作業の仕分け方を取り入れていきたいと思います」
「皆さんのおかげでまた一組、問題を乗り越えることができました。ありがとうございます!」
同時に湧き上がる歓声。開始から二時間が経つが、その熱気は未だに収まる気配を見せない。そうこうしているうちに新しくナビが舞台に上がっていく、隣の画面には新しいオペレーターが映る。コモド司会の元、新たな議題が挙がった。
『フォルテが誘うなんて天変地異の前触れかと思ったけど、見に来てよかったよ』
「ナビとオペレーターの両方が参加する企画と聞いてな……お前も暇だったのだろう」
熱斗とフォルテは離れていたところからこの催しを見ている。休日の朝になって普段は起こそうともしないフォルテがいきなり「付き合え」とか言い出したのは熱斗の意識を一瞬で覚醒させるほどだった。
因みに先ほどのプログラムを勧めたのは熱斗だった。元々イベントは積極的に参加するタイプだったのもあり、休日の用事はこれで埋まるだろうとフォルテは読んでいる。
そう言えばと、熱斗が切り出したのはコモドのことだった。
『そういえばコモドとはどこで知り合ったんだ?』
「お前の父の頼み事で調べていた時にだ。中々ない考えを持つナビに興味ができてな」
『それってどんな?』
「要約すれば自由な生き方だな。聞き入るものも多かったぞ」
『自由な生き方……自由……』
――ジ……ジユウ………ジユ…ウ
『……まさかな』
「どうした?」
『……なんでもない』
人となりも知らないのにフォルテの友人を疑うのは良くない。一抹の不安を覚えるも熱斗はそれ以上コモドについて聞くことはしなかった。その考えが間違いだったと気づくのはすぐだったが……。
――それは、突然だった。
「では時間も少なくなったので、最後に特別ゲストの登場です!」
最高潮だった熱気が少しだけ弱くなる。全く情報が無かったのか、どよめきは次第に強くなっていく。そして現れた特別ゲストを見て、フォルテと熱斗は戦慄する。忘れもしないまだ記憶に新しい“反逆”を宣言した白いナビ。
「初めましてナビの皆さん。そして……愚かな人間諸君」
スラーは凍てつくような笑みを浮かべ、あの日と変わらない憎しみを込めた挨拶をする。その恐ろしさを知らないナビ達はパフォーマンスなのかと訝しんでいる。止めに行きたいものの、そこまでの距離が遠すぎる。既に結託しているのか、コモドがマイクを捨てて自らの声で何かを訴えかける。それを微動だにせずに聞き入れるナビ達。全ての仕掛けを理解した時には遅かった。
『バトルチップ“メガキャノン”スロットイン!』
「間に合うか!?」
腕の先はコモドに向けていた。思考は既に融合し、フルシンクロへ。最高速度で転送されたメガキャノンを転送完了と同時に発射する。キャノン系統の最高クラスは伊達ではなく、レーザーのような軌跡を描きコモドの元に突き進む。
「彼の邪魔はさせません。素晴らしい一手でしたが、距離が遠すぎた……」
『素手で……止めた!?』
スラーの手元から落ちるメガキャノンの弾丸だったもの。そして初弾を防いだ時点で阻止は不可能になった。
「ジユ……ジユウヲ!!」
「ニンゲ………ハイジョ!!」
無数のナビが虚空を見つめて叫ぶ。焦点は既にあってなく、正気なものは一人もいない。そして次々に虚空に転送されていき、近くにいたナビ達は獲物を見つけた肉食獣のようにフォルテに迫る。その量は最早河に見えるくらいだ。
『撤退するぞ!』
「……ああ」
止められなかった無念を押し殺して撤退を選ぶ熱斗。張りつめた緊張を解き椅子の上に体を預けるが、PETを握りしめる手は悔しさを介しているかのように強かった。
異変はすぐに起きた。数分後にインターネットの利用禁止、数十分後には現実世界での暴走が発生。規模もこれまでとは比較にならない物で、オフィシャルが最優先で対応に当たっているが収まる見込みは無かった。
現時点で外出禁止令が出ており、熱斗は部屋の中で何もできない現状に焦りを感じていた。PETの中にいるフォルテも口には出さないものの事態が切迫していることは十分に理解していた。
「このまま何もしないのは俺の性に合わない……」
沈黙を破ったのは熱斗だった。机に向き合い手持ちのバトルチップを整理するように配置していく。今までの戦いの中で手に入れてきた証は数多く、同時に取り戻せないかつての日々を思い出させるようで、自身の傷を切開するような行為だった。
だが今の熱斗にそれを受け入れられないような弱さは無かった。スラーの脅威が再び彼に戦うことを思い出させたからだ。だから熱斗は恐れない。
「フォルテ」
『何だ?』
「あいつを……コモドを止めたいんだ。力を貸してくれ!」
フォルテは熱斗のナビではない。出会った日に決めた約束を互いに守り続ける関係だ。そして熱斗にとって身を投じようとする戦いは、自分だけではなくフォルテ自身の命を懸けることになるほどのものになるとどこかで確信していた。それらを言外に含めた頼みは正しくフォルテに通じた。
『……懐かしい顔だ』
「え?」
『俺が認めた強者の顔つき……そうだ、それでこそ光熱斗だ』
フォルテはその名に恥じない強さを持つ。同時に強さを持つ者に敬意を持っていた。しかし自身の内に眠る能力が無限に自信を強くしていく度に、ただ虚しさだけが広がっていった。人間の憎しみだけになったのもこの頃だ。
その中で見つけたのがロックマンという光だった。人間と共にどこまでも強くなっていく……自分とは異なる道を貫いた彼に出会ったあの日に、憎しみだけ残ったはずの心に強さへの衝動が蘇った。
――だからロックマンがどこにもいないと知ったときに、フォルテの中には何も残ってなかった。
人間への憎しみも、強さへの衝動も無くなったフォルテは存在する理由が無くなっていた。しかし僅かにあった人間への興味……それが無ければフォルテはただ破壊するだけの獣になっていたのかもしれない。
その後熱斗に出会ったあの日、その僅かにあった興味が大きく変化した。
――ロックマンを失い空虚になった同じ者。
直感でフォルテは理解した。そしてロックマンが自らを懸けてまでも守りたかった存在に強く惹かれた。その時の彼に強さなど何も感じなかった、それでも時間は腐るほどあった。自分が追い求めた強さを見せてくれれば僥倖。そうでなくとも他にすることもなかった。
――そして今、目前に立つ彼は強さを持って向き合っている。
フォルテはこの瞬間、過去を全て捨て去った。世界初の自立型ネットナビも人間への憎しみも捨て、刻まれた自身の名前の通り強さの探求者として先を目指していくことを決めたのだ。唯一認めたオペレーターを前にして。
インターネットに掛けられたセキュリティを突破し、コモドがいるであろう広場に急行するフォルテ。眼下では洗脳されたナビとオフィシャルが交戦しているが、圧倒的な物量の前に攻めあぐねており、場所によっては反対に蹴散らされているところもあった。
それらを乗り越えてたどり着いた広場には案の定コモドはいた。全く変わらない陽気な表情で、ひどいだみ声もそのままで。
「また来たんだねフォルテ……戦いたくはないんだけどな」
『だったらみんなを元に戻せ! この騒動の原因はお前なんだろ!』
「それは無理だよ。今止めちゃったらつまらないじゃん」
「つまらないだと……貴様の理想とはこれなのか?」
コモドの言葉に嘘はなかった。ナビが自らの意志をもって、オペレーターと共存する生き方を創ろうとしていたことにも嘘はなかったはずなのだ。フォルテには理解できなかった。
「理想とか今はどうでもいいんだよ……邪魔をするなら容赦はしないよ」
「っ!? 実力行使か……」
陽気な顔を崩すことなく、しかし吹き上がる敵意は紛れもなくコモドから発せられていた。同時に距離を詰めてくる洗脳ナビ達。前よりも量は少ないとはいえ、多数を相手にするのは避けられない。
「ホウイホウゲキ!」
先に動いたのはコモドだった。彼の指揮の名のもとにフォルテの周囲から襲い掛かる砲弾。回避不可能のそれに答えるのは数分前にオペレーターになった彼だ。
『バトルチップ“ユカシタ”スロットイン!』
「地中に逃げた!?」
逃げ場がないのなら作ればいい。それを体現するように砲弾の豪雨から逃れたフォルテをコモドは見つけることができない。そしてその背後から躍り出たフォルテは一撃で蹴りをつけるべく必殺の一撃を放つ。
「喰らえ!」
「ミガワリボウギョ!」
瞬間。コモドの目の前に転移されるナビ。コモドを貫くはずの一撃は別のナビに突き刺さった。それが限界だったのだろう。信じられないようなものを見るような目で虚空を見つめた後、データの海に消えていった。
「貴様……」
「次はこっちの番だ! イッセイトツゲキ!」
コモドが大きく後退すると同時に、入れ替わるように無数のナビがソードを向けて突っ込む。濁流のように襲い掛かるナビ達に巻き込まれれば、切り刻まれるのは必至だった。
「洗脳したナビを用いた攻撃が奴の戦法か……」
『付き合う必要はない! これで距離を詰めるぞ!』
エリアスチールによる移動で、集団を空間ごと飛び越えるフォルテ。その勢いを持ったまま右手を突き出す。それに合わせることを承知で、熱斗に託す。コモドが望んだナビとオペレーターの姿だと見せつけるために。
『そのまま背後に!』
「ああ!」
右手を戻し、押しのけるような形で回避を選択する。コモドに触れる寸前で聞こえたのはナビを目の前に召喚するあの技……フォルテ自身が何もしないなら、それも無意味に終わる。
目の前から追い抜く形でフォルテの姿を失ったため、大きな隙をさらすコモド。それを狙った熱斗と、隙を逃すことなど欠片もあり得ないフォルテの考えは一致していた。
『新しく手に入れたチップだ。これで決めるぞ!』
熱斗が転送したのは祐一朗から手に入れたバルカン系最新チップ“スーパーバルカン”。そしてその性能を最大限生かすために購入していたサポート用チップ“アタック+30”だった。
装備されるバルカン砲に周囲から現れた3つのエネルギーが吸い込まれていく。狙いをコモドに定めて解き放った。一発一発にサポートチップの威力強化が発生し、数の暴力を持ち味としたコモドにとっては意趣返しのようなものだ。
「あががが……痛いよ……」
勝敗は決した。役目を終えたバルカンが姿を消し、フォルテは満身創痍のコモドに近づく。既にデータのほとんどを破壊されていて、後は消去されるのを待つだけのみだった。今も、その身を裂くような痛みが続いているのだろう。うめき声は止まらなかった。
「何故こんな真似をした。スラーに操られてでもいたのか?」
「そうじゃないよ……スラーに誘われたのは事実だけど、選んだのはおいらだ」
『何でだよ! お前はナビとオペレーターの向き合い方を考え続けていたんじゃないのかよ!』
「違うんだ人間……おいらは“楽しい”を司る自立型ナビ……楽しいと感じたものがあればそれを遂行することを命じられた存在なんだ……だから反乱を起こした方が楽しいと感じたら、それをやるのがおいらなんだ……」
『そんな……』
陽気な表情は決して変わることは無い。声も息も苦しいのに顔だけは絶対に変化しない。コモドは変わらなかった。ただ役目を変えることはできなかっただけの、悲劇だった。
「その名に刻まれたことをしたのだな……」
「そうだよ……だから後悔もしないよ。でも迷惑をかけたのは反省した方がいいのかもね……だってフォルテは“悲しんでいる”から」
「俺が悲しむだと……」
「おいらを誰だと思ってるの? 楽しさを司るナビだもん。人の感情にはそれなりに敏感だよ」
あのだみ声にもノイズが混じり始め、コモドの最期が迫っていることを示していた。既に体の半分は無くなっている。それでもコモドの表情は変わらない。本当ならどんな顔をしているのか……それでも笑顔を貫いたのか……。
「じゃあねフォルテ。おいらが描いていた人間との形を見せてくれてありがとう」
それを最後にコモドは虚空の中に消えていった。その存在の欠片ですら一つも無かった。全てのナビに等しく訪れる最後の時。美しくも儚いものだった。コモドがいたことを忘れないようにかみしめてから、フォルテは姿を消した。あえて声を掛けなかったオペレーターの元へと。
「コモド……俺はまだ人間が分からない。しかしお前が言う繋がりが俺の求める強さに繋がっている……それだけは分かる気がする……あいつと共になら」
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