レッドシュガー・デッドバレット (八つ手)
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プロローグ
息苦しく、冷たい雨の中


(※本小説、及び本話は以前投稿した1話短編『鉄は鈍く冷たく、涙のように洪水に沈む』(https://syosetu.org/novel/195758/1.html)を参照、及び改稿した設定を用いています。
短編時からいくつかの設定変更、及びブラッシュアップが重なっているために、短編時とは描写等に差異がありますが、ご了承ください)


・今回の(主に新規)登場人物

【五十嵐もみじ(いがらしもみじ)】
 本作の主人公。現在お嬢様高校一学年。
 ハーフパンツと堅実に鍛え抜かれた魅力的な太もも、常日頃誰が相手でも分け隔てなく接する明るい表情が、思春期の死にそうな少年の翼に突き刺さる。
 一部アスリート界隈では彗星のように現れて消えた天才と言われ、勢いで忍びの再来と謳われたほどだが、本人はそう呼ばれることを快く思っていない。
 体育の授業、及びクラスマッチでエースを張るためか、お嬢様高校内なのによくラブレターが届く。

【三輪秀次(みわしゅうじ)】
 A級・三輪隊の隊長。現在普通高校一学年。
 古くからのもみじを最も知る仲だが、もみじは敢えて彼に一部の情報を密かに秘匿しているとのこと。
 通学先では一見寡黙ながらも、芯のある受け答えをナチュラルに他生徒と交わし地味にモテるが、その本性は姉の復讐にまっしぐらのアベンジャーボーイ。
 復讐と添い遂げている現状色恋に興味はあんまりなく、もみじの容姿に誘惑されたことはこれまで一度としてない。
 現在もみじとは仲違い中。

【米屋陽介(よねやようすけ)】
 三輪隊の隊員。現在普通高校一学年。槍馬鹿。
 隊が一緒のことも有ってかよく三輪と一緒に通学しており、その間柄は掛け値ない友人に等しい。
 ギリギリモテないことはないが、モテることよりも日々の模擬戦と実戦に青春の時間配分を優先する戦闘狂。
 ただ人への気遣いはできないことは無いらしい。
 髪型のオールバックを封印すると多分数倍モテる。

【奈良坂透(ならさかとおる)】
 三輪隊の隊員。現在進学高校一学年。
 イケメンで有能そうなオーラを放ち、実際ある程度高水準でこなせてしまうダイアグラム凶キャラ。
 あまりにイケメンすぎて日々女子生徒からラブレターが届くものの、全くモテなくていいと思っている彼は日々心を密かに傷ませる。
 そのため、毎回ラブレターを素材に再生紙を作ることで、地球環境の改善と自意識に貢献しているのだ。

【古寺章平(こでらしょうへい)】
 三輪隊の隊員。現在中学三学年。
 ボーダーの隊員と勉強との両立力は非常に高く、隊員と学生としての時間配分を受験シーズンでも一切変えていない。
 その上で成績は学内トップレベルであり、三輪隊による太刀川マウントに大きな一役を買っている。
 しかし、噂によると愛用している緑フチ眼鏡のフチ色を差し替えられてしまうと弱々しくなり、水をあげないと枯れてしまうようになるとか。

【月見蓮(つきみれん)】
 三輪隊オペレーター。現在お嬢様高校三学年。古くからのもみじを知る一人。
 幽玄な大人のオーラを醸し出す大学受験生。
 そのオーラの質量は推定年齢を十ほど上昇させ、初見の教員から逆に敬語で呼ばわれることも有るという。
 現在もみじとは学内の先輩後輩の仲だが、ボーダーの古く長い付き合いに加えてこのジェネシックオーラのせいで、もみじからは先輩ではなくさん呼びで常時固定されてしまった。
 女子力に応じて無限のエネルギーを獲得している。

【寺島雷蔵(てらしまらいぞう)】
 ボーダーチーフエンジニアの一人。
 トリオン反応によって生じる衝撃波の観測と制御が専門のため、主なトリガーはレイガストとメテオラを担当している。
 古くからのもみじを知る一人であり、同時に唯一もみじが容赦なく牙をむく被害者筆頭でも有る。
 一時期レイガストの改良に忙殺され、爆発的に自らの暴食を肥満を拡大させた、七つの大罪の一つを抱える男。
 半年ほど後に、スラスターの改良(※主犯雪丸)で再び死ぬ運命が決まっている。
 今回は残念ながら登場していない。



『助けて……!!』

 

 大雨に混ざって、湿った血と煙の匂いがする。

 

 ついさっきまで、街中には白い巨大な化け物達が闊歩してた。

 私は逃げるのに夢中で最後まで見ていなかったけど、いつの間にかそれらはバラバラになってた。

 何者かに大穴を開けられたり、切り刻まれたりして、同じく地面に転がっていた。

 

 避難し遅れ、化物の被害を受けて、倒れ伏した人々と同じように。

 

 私はそれをはっきり見ようと思わなかった。

 特に見えた人が死んでいるか、すぐ死ぬものとわかってしまったら、目線を離して放置した。

 そう、()()()()()()だ。

 

 自分が思うより自分の身が可愛かった。

 そうして、情けなくも怪我なく逃れた。

 逃れきってしまった。

 

 呼吸が落ち着かないままに走っているうちにある声が聞こえて、足を止めた。

 その声が聞こえたのはたまたまだったのかもしれない。

 だけど。

 

『姉さんが……!!』

『姉さんが死んじゃう!!』

 

 私はその声を聞いた時。

 

『姉さんを助けてよ!!』

「――――っ!!」

 

 私自身の()()()()()()()()を……ただただ恥じたんだ。

 

 

 

 

「ふっ!」

「ちぃっ!」

 

 重厚、それでいて軽快な激突音が鳴り響く。

 その発生源は一つの部屋にあった。

 構造物や上空のところどころに格子模様が走っているその部屋では、二人が戦闘を行っていた。

 

 一人は日本刀を模した白色の兵器『孤月』を片手で操る青年の男子。

 もう一人はスコップの柄を途中で折って、その箇所を尖らせたような白黒の物体を両手に合計二つ携行している、同じく青年の……女子。

 その短めの柄に紐づくように発生している不思議な半透明の盾が、彼女を守っている。

 

 二人は視界の邪魔にならない程度の黒髪に、ヘッドホン。

 また細部こそ違えど、防弾服が目立つようにデザインされた、ある程度似たような服装を着用していた。

 そのカラーリングは紫と黒を基調としている。

 

「鬱陶しい――――」

 

 男が突如左手にハンドガンを出現させて持ち、同時に女から距離を取る。

 訓練された動きであり、一切の躊躇を感じさせない素早いものだ。

 だが、その後退運動よりも拍子を一つ早く、女が踏み込み、迫った。

 

「しくないっ!」

 

男にゼロインチ近くまで迫った彼女が食い気味な言葉とともに、強烈に盾を上に打ち上げる。

盾の全長は先程は1m程だったが、今は50cmほど。

盾は男の左手を勢いよく跳ね上げ、持っていたハンドガンを吹き飛ばす。

 

「――――んだよっ!」

 

 だが、男の動きは途切れなかった。

 体が跳ね上げられた慣性を利用して、右足で膝蹴りを女の脇腹に向けて放つ。

 彼女はフリーになっている右手の携行物から小さな盾を出しこれを受け流すが、ゼロインチからは遠ざかる。

 男がそのまま後方宙返りに移行し、距離を離したからだ。

 

 ここまでの一連の組み合いに、互いに不意を撃たれたようなぎこちなさはない。

 すでに過去に同じような……或いはそれぞれ動き方の一部分を身をもって体験しているからだ。

 

 今まで何回も、何十回も……いや、それよりも繰り返した()()()のうちの一つ……

 

「いやー、ワー君強くなったねー!隙が甘かったら追撃行こっかなって思ったけど」

「……おまえが進歩してないだけだ。……訓練を怠ったか?」

「バイトが忙しいだけ!」

 

 女は拳を握り、オーバーリアクション気味に否定のジェスチャーを行った。

 高めの声で、可愛げの有る動作。

 一見した男子ならば、思わず頬がゆるむことだろう。

 だがその態度は逆に、彼の寡黙そうな言動を少しずつ過激なものにしていく。

 

「何故俺たちの隊を……A級を抜けた?」

章平(ショー)君が入ったからって前から言ってるじゃん!スナイパー二人に増やす良い機会だったでしょ!」

「戦術のことを聞いてるわけじゃない」

「現場五人構成は無理だー、ってチーム会議でさんざん話したでしょ?」

「なら、A級を辞退する必要は無かったはずだ」

「だって、三輪隊に居ないままでA級だと、気分的に……」

「控えにでもいればよかっただろう。当然バイトするより金は入ってくる」

「それはそれで私、全く仕事できてないじゃん……」

 

 申し訳なさそうなたどたどしさで女が話す。

 それを押し切るように、男は迫った。

 

「何故だ?五十嵐」

三輪(ワー)君あれからずっとそればっかー!」

 

 女……五十嵐もみじは両手を振り下ろし口を大きく開けて叫んだ。

 ワー君と呼ばれる男……三輪秀次はなおも不快な表情を隠さない。

 

 界堺防衛機関、ボーダー。

 四年以上前から、ここ三門市は近界民(ネイバー)とされる存在の侵略、被害を受けていた。

 その驚異を引き受け対処し、以降近界民から市民と街を守っているのが、当時設立されたボーダー。

 及び、ボーダー内で活動する隊員たちであった。

 

 三輪秀次と五十嵐もみじは、このボーダーに設立時から入隊して、先達の優秀な指導を受け最終的に精鋭隊……A級隊にまでたどり着いた。

 二人は三輪をリーダーとした構成チーム『三輪隊』として活動していたが……やがて構成員の増員後、戦術上の問題にぶつかることになる。

 1チーム内の現場班をオペレーティングできる限界超過数である五人、現場班構成数がそこまで膨れ上がった二年前。

 前衛が三人となり柔軟な連携が困難という理由から、もみじは自ら三輪隊を辞退し……そしてA級を辞退。

 チーム無所属のB級フリー隊員となった。

 この経緯は、無論三輪隊の間で十分に話し合ったものである。

 

 だが三輪が知りたかった彼女の辞めた理由は、そんなことではなかった。

 

「なら邪魔だ!」

 

 手すきになっていた三輪の左手上に、再度ハンドガンが構築される。

 その動作を察知したもみじは姿勢を改め、軽めに足を構え直す。

 ハンドガンの構築から間もなく、三輪はハンドガンから黒い銃弾を打ち出した。

 

 直後、もみじの前方に白い巨大な障害物が地面から発生し、そして盛り上がる。

 ボーダー隊員の扱う『トリガー』と呼ばれる武装……そのうちの『エスクード』とされるもの。

 防御用に設計されたバリケードトリガーだ。

 遮蔽物は黒い弾丸を受け止め、着弾点からいくつかの黒い鉄塊を生やした。

 

 この鉄塊を生やす弾丸こそ、三輪の得意とするトリガー『レッドバレット』。

 半透明なシールドなどを透過して弾丸が迫り、着弾物に重さ100kgの鉛の重しを生じさせる。

 弾丸の速度は遅く、トリガー使いの体力そのものである『トリオン』も比較的大きく消耗するものだが……三輪はそれを難なく使いこなす実力を有していた。

 

 エスクードが遮蔽したもみじの視界の左側面に、三輪が銃口を構えて現れる。

 エスクードは物体にトリオンを流して発生させるもの。

 今回は前足……もみじの左足を起点とし、前方へと……だ。

 その構えの裏側を突く動きである。

 

 だがしかし、三輪の視界には、常人には信じられない光景が有った。

 もみじが左足を左90度に大きく広げ、体勢を非常に低くし、ストレッチのような構えから、弾丸のように飛び出す。

 銃口の射線を掻い潜る、高速低空の突貫。

 

 簡単に言うならば、ノーモーションタックル。

 一連の動きは、体の一切のブレなく行われた。

 常人はそもそも最初の足を広げる動きだけで体勢を崩しかける。

 その上でストレッチした状態からクラウチングスタートを行うのは、だいぶ無茶だ。

 トリガー使いは()()()と呼ばれるトリオンで作った戦闘用のボディを構築し身体能力を増強するが……それでもである。

 

「スラスター」

 

 もみじが三輪と盾を密着させる瞬間、左手でトリオンの噴射武装を起動する。

 

 『スラスター』はオプショントリガーと呼ばれ、『レイガスト』という武装と紐づけて使用するもの。

 つまり、もみじが最初から両手に握っているものはレイガストだ。

 強力な盾かそれなりの切れ味の刃のどちらかを生やし、使い分ける事ができる。

 だがもみじのそれは、それは通常の盾剣と形容できるレイガストと見た目を異なった、専用の()()()()()()だった。

 

「ぐお、っ!?」

 

 小さめのシールドを展開した状態でのレイガストのシールドバッシュを三輪はとっさに右の孤月で受け……そして吹き飛ばされる。

 エスクードの遮蔽での視界の不自由は、逆にもみじがこれを行うための誘いだった。

 

「ふっ――――」

 

くるり。

もみじは右手のレイガストの盾を消し、回転を加えながら手を離すと同時に……意識を集中させる。

中空のレイガストの持ち手の後ろに()()が出現する。

そしてそれと同時――――厳密には()()()()()()()、レイガストの柄の先端に()が生えた。

 

「たっ!」

 

 ズガンッ!!

 

 刹那。

 紋様が消えると同時に、釘が三輪の吹き飛ぶだろう位置に高速で射出される。

 紋様状のジャンプ台を出現させ、触れた物体を一気に跳ね飛ばすトリガーは『グラスホッパー』と呼ばれる。

 そして釘と思われるものは、レイガストの()()()()

 盾を消す代わりにレイガストの特定部分に生やすことが出来、通常のレイガストならそれは刃の形を取るが――――これは他でもない改造トリガーである。

 

 スラスターも同時に加えて二重の慣性で打ち出すは、過剰なまでの点火力。

 鍛錬によって中距離までを捕捉できる精度にまで動作を鍛え上げた、鬼殺しの弾頭。

 

 ()()()()()()()

 彼女の必殺技の一つであり、シールド複数ですら容易に貫きかねない重すぎる一撃。

 

 三輪は体勢を立て直し、これをとっさに回避した。

 当たれば彼ですら防ぎようがない。

 もみじの手札を知っている彼は即座に体勢を立て直し、迫るもみじの向きを捕捉すると同時に銃撃し――――

 

 ――――前方から()()()()()()()がプレスしてきた。

 

 もみじが攻撃形態(ブレードモード)のレイガストにエスクードを生やして、スラスターで発射したのだ。

 視界を塞ぎながらも同時に強烈な破壊力を発揮するこの攻撃は、特にレッドバレットに対して強力に作用する。

 重さを増した投擲物は、直撃したトリオン体を一瞬でミンチに変える。

 これも彼女の必殺技の一つであり、何よりもレッドバレットへの回答だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 エスクードを発射した直後のもみじは両手に再度レイガストを防御形態(シールドモード)で発生させて持ち、突撃する。

 中距離戦においては、細かく動き回りながら銃撃を行える三輪のほうが有利。

 もみじに純粋な中距離以上用のトリガー装備はない。

 近づくならば一息に。

 彼女はこれまでこの動きで三輪から期先を制してきた。

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

 自らのエスクードで一瞬だけ閉ざされた視界の中から、()()()()()()()が複数飛び出し、彼女を包囲した。

 

 三輪があの時撃っていたのは、レッドバレットではない。

 『変化弾(バイパー)』……銃手(ガンナー)用の基本トリガーの一つだ。

 曲がり方と方向を指示し、指定したように弾丸を打ち込む曲芸。

 自由に使いこなすには、これまた高い腕前が必要だが――――

 

 もみじの踏み込み先に立ちはだかったバイパーは、彼女の動きの勢いを完全に殺していた。

 多角的に、いやらしく展開された弾丸をレイガストで防がざるをえなかったもみじは、失速を余儀なくされる。

 その瞬間を狙って、エスクードを躱した三輪が文字通り蛇のように鋭く踏み込み、迫る。

 

 一瞬。

 もみじの視界の中で三輪の持つハンドガンと、孤月の切り込む軌道が一瞬だけ重なる。

 

「! やばっ」

 

 レイガストで孤月を防ぐ瞬間、()()()に彼女が気づく。

 だが遅い。

 一瞬だけ孤月と重なったハンドガンは、リロードされている弾丸の種類がすでに異なる。

 

 トリガーのスイッチ技術。

 複数のトリガーの発動・操作は、両手に持つ二つ分までが一般的な隊員の対応力、許容力だ。

 だが、そこに数々のオプショントリガーの発動なども場合によっては絡んでくる。

 複雑化したトリガーの発動や操作の切り替えは、熟練者でさえ習熟を困難とするものだ。

 

 だが三輪は、特にこのうちの()()()()が上手い。

 精鋭とされるA級隊員等は、9割方この手の操作技術の一定段階に到達しているが……その中でも三輪のこの技術は上位に値する。

 非常に大きな武器であり、三輪の最も油断ならない点であり――――

 

「っ!」

 

 気がつけばもみじの左腕に、大きな鉛が三本生えていた。

 300kgの荷重が彼女の左腕に襲いかかり、一気に左側へと倒れかかる。

 

「くたばれ!」

 

 孤月での仕留めのニの太刀が、崩れた守りの隙間に襲いかかる。

 レッドバレットを受けた瞬間に左手のレイガストはもみじの手から離れ、盾も消え去った。

 右手のレイガストによる防御も、この瞬間には角度も支えも、もはや伴わない。

 通常の『シールド』トリガー……空中に発生させられる盾を考慮しても、小さく凝縮したものでなければ孤月なら貫通する。

 ほぼほぼ、詰みである――――

 

 ――――五十嵐もみじが、強化バランス感覚という特殊な才覚(サイドエフェクト)を持っていなければ。

 

 

 パァン。

 

 

 ――――瞬間、三輪ともみじの頭部が、同時に爆ぜた。

 

『『戦闘体、活動限界』』

 

 機械アナウンスが響いた後の数秒間、空間になんとも言えない静寂が訪れた。

 

 

 

 

「うひゃー!もみじの奴やっぱやっべーな!」

「これが五十嵐先輩……ですか。凄まじいですね……」

 

 三輪隊の作戦室に、二つの異なる呟きが有った。

 客室と会議室を兼用された隊室の業務部屋。

 整頓状態を保たれたその部屋の中央にあるデスクに置いてあるノートパソコン……個人用である……を眺めていた二人による呟きだった。

 ノートパソコンには、三輪隊のトレーニングルームで行われている模擬戦が終始中継されている。

 

 紫と黒の服装……三輪隊の隊服を着た男子二人。

 黒髪をオールバックに整え、隊服を半袖に整えたラフな格好をしている攻撃手(アタッカー)、米屋陽介。

 前方45度に尖ったショートの前髪と、緑色のフチ眼鏡が特徴的な狙撃手(スナイパー)、古寺章平である。

 

「まさかあいつ、倒れ込む流れで左のレイガストにオーバーヘッドキックするなんてな!からの頭部に向けてブレード!」

「戦いの時毎回こうなんですか?左手のレイガストを『離してた』のはわざと……なんですよね?」

「おう、わざとわざと。普通なら気づいてもミニシールドで博打するところだぜ?」

 

 秀次のやり方知らねぇと、まず反応すらできねぇよ。

 米屋の呆れと驚嘆が混ざった言葉に、古寺は複雑な表情を浮かべた。

 彼は、かつてここを去った五十嵐もみじが三輪隊を辞めた原因が、自分の三輪隊加入にあると思っていたからだ。

 

「甘いな。今取った行動が博打そのものだ。シールドで防いではジリ貧と変わらない」

「おっ、奈良坂どこ行ってた?てか最後見てたのか」

「たけのこの里を買ってきていた」

「えっ、気遣いそこ??」

 

 同じく三輪隊の隊服で部屋に現れた狙撃手、奈良坂透。

 整った顔立ちを持ち、それと……キノコ頭と呼ばれるような髪型をしている男子。

 だが食べ物の好物は揃ってたけのこ絡みであり、一部のきのこの眷属からは名指しで批難される半ばどうでもいい来歴を持っていた。

 

「ちっ……」

 

 不機嫌な顔が治らない三輪秀次が、トレーニングルームから顔を出した。

 

「おつかれ秀次~!相打ちまで行ったじゃねぇか!良い戦いだったぜ」

「……最後の手を予測できなかった」

「ありゃ事故だって。予期できても予測はきついんじゃね?」

「お疲れ様です、三輪先輩」

 

 三輪にねぎらいの言葉かかった数秒後、

 

「あっ!(トー)君!来てたんだ!」

「五十嵐、試合を見れずすまない。代わりと言ってはなんだが……」

「うわーっ!たけのこの里!トー君気が利くーっ!」

 

 もみじが餌付けされた犬のようにたけのこの里に反応する。

 ……犬にチョコレートを与えるのは毒になるとは決して言ってはいけない。

 

米屋(ヨー)君!ショー君!これ一緒に食べよ!私月見さん呼んでくるから!」

「あっ、はい!わかりました先輩!」

「堅くしなくていいぜ章平?単にKUNOICHI(クノイチ)なだけだしコイツ」

「KUNOICHI?なんですかそれ?忍?」

「昔やってたスポーツ番組の優勝経験組な。最年少」

「ええっ!?そうなんですか!?」

「私は忍者じゃありませーん!!ぷんっ!」

 

 SASUKE。

 スポーツ・エンターテインメント番組の金字塔の一つ。

 近年では放送頻度が激減し知名度が減ったが……かつて数々の運動超人を世に知らしめた、障害突破競争のタイムアタック実況番組だ。

 

 五十嵐もみじはこの番組の女性部門K()U()N()O()I()C()H()I()、そのグランドファイナルを最年少で制覇したかつての伝説の一人だった。

 そのせいか、昔から彼女は()()忍者だのくのいちだのと無理に呼ばれ続け、思わず忍者っぽい髪型であるポニーテールを断念した過去がある。

 他にも忍者を忌避するのは一つ、彼女の中に大きな理由があるが……

 

「ワー君も!一緒に食べよ!」

「俺はいい。おまえとは一緒に食べない」

「……」

 

 三輪が隊の個室……作戦室からもの言わずに出ていく。

 もみじは黙って、苦虫を噛み潰した顔でそれを見たのち、一呼吸遅れて別室へと歩いていく。

 場に残された者達の空気が、一気に重苦しくなった。

 

「……あの二人、いつも会うたびずっとこんな感じですね」

「秀次、こればっかはずっと認めてないみたいだからなぁ……頑固過ぎんだろ」

「あいつらは同期だからな。この心境ばかりは、俺たちには推察は難しい」

 

 今回……久しぶりに三輪隊に顔を出したいと、もみじが三輪に(断られること前提で)個人での模擬戦を提案したのがことの始まりだ。

 常日頃、彼女に対して不機嫌をこじらせている三輪は、珍しくこの提案を飲んだ。

 二人が仲直りするきっかけにつながる、かとも思えたが……

 

「あの……じゃあ……試合中、三輪先輩が五十嵐先輩に辞退の理由を聞いてたのは?」

「あいつまた聞いてたのか……」

「アレ?いつもの癖。ここまで納得しないってことは……なんか別のワケもあんだろうが」

「「「……」」」

 

 一瞬の沈黙。

 

「……たけのこの里。食べて良いんでしょうか」

「月見さんの分は残しとこうぜ。後がこええし」

「だな」

 

 

 

 

「お疲れ、五十嵐ちゃん」

「あっ、月見、さん……」

「彼と仲違いしたままだからって、私にも気まずくする必要はないのよ?」

 

 三輪隊オペレーター、月見蓮。

 ボーダー開設初期から入隊し、古参の戦術指導者として多数からの信頼を集める女性。

 黒髪の長髪で、中央分けの前髪に着こなしたスーツ姿は、ボーダー隊員でも随一の大人の女の風格を感じさせるが……これでも高校三年生で、未成年である。

 高校低学年や中学三年が隊員の割合を占める三輪隊では無論最年長だが、年齢を間違われることが悩みと当人は仲間に語る。

 もっとも同隊員の誰一人としても、未だに彼女を相応の年齢では認識していないのだが。

 

「すみません……」

「謝らなくていいわ。皆、親しい人にほど不器用になるものなの。覚えが有るでしょう?」

「……はい」

「駄目だったら、また時を待てばいいわ。あなたが何か悪いことをしたわけでもないもの」

「そうです、よね……」

 

 月見の悪いこと、という言葉に、もみじは眉を潜ませる。

 彼女の表情の動きを見逃さなかった月見は、少し時間を置いて、こう切り出した。

 

「三輪くんね、「あなたみたいになりたい」って言ってたわよ」

「……えっ!?それは、いつ……?」

「増員する前。米屋くんが加入する少し前ほどだったかしら」

 

 動揺するもみじに、月見は穏やかに口調を丸め、優しい表情で会話を続ける。

 

「……きっと、元々はあなたへの憧れだったのよ。それがほんのちょっと拗ねちゃっただけ」

「ほんのちょっと……なんでしょうか?」

「いずれ仲直りできるレベルはみんなその範疇なの。暗く考えなくていいわ」

「なら、良いんですけど……」

 

 励ましの言葉を聞いても気落ちが戻らないもみじに、「それより」とポンっと肩を叩く。

 とても美しく、初見の人間が絶好調だと錯覚するような満面のその笑みで――――

 

「男子達、あなたの分のお菓子食べきっちゃうわよ?誰がヒエラルキーの頂点か、教えてあげないとね」

「……そうですねっ!!」

 

 十秒後、三輪隊の作戦室内に三人分の恐怖の悲鳴が轟いた。

 

 

 

 

 あいつは、(じん)は……何もせずに俺の前から立ち去った。

 姉さんを助けることもなく。

 

 心の中ではわかっていた。

 もう姉さんは()()()だった。

 誰にも助けることができなかったんだ。

 そんなこと、そんなこと……最初からわかっていた。

 

 虚しさと、怒りと、悔しさと、悲しさで、涙は前よりも一層、目から流れてくる。

 もうどれが雨で、どれが自分の涙なのか、何もわからない。

 崩れた家も、瓦礫も、姉さんも、ひとまとまりにこの涙で包めてしまえばと……何度思ったか。

 そして何より……ここまで起きて何もできず泣き叫ぶ自分に、ただただ抱えきれない嫌な感情が溢れ出す。

 

『ちょっと診せて!』

 

 ――――そんなときに、()()()は現れた。

 

 涙でよく見えなかったが、そいつが何かを決意した強い眼光を持っていたことはわかった。

 奴自身の、或いは余った服をちぎって使い、姉さんを止血して……やることが終われば、ひたすら黙って姉さんを見ていた。

 

『……ごめん』

 

 姉さんが事切れたとわかった時、あいつは数十秒ほど目をつむり、手を合わせて……そして他の転がってる奴にも同じことを始めた。

 

 なんであいつはただの一般人なのに……この状況でこんなことができたんだ?

 

 あいつは誰よりも強い意志を持っている。

 呆然としていた俺は、やがてそんなことを思いだした。

 どうしてもやらなきゃいけないことを、誰に言われずともやり遂げる意志。

 俺は、それが出来るあいつになりたかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 姉さんを殺したあいつらを、あいつみたいに動ける意志で――――絶対に。

 これだけは、俺がやらなきゃいけないことなんだ。

 

「……近界民(ネイバー)は、全て殺す」

 

 姉さんの復讐を終えて――――俺はあいつと、肩を並べて戦いたかったから。

 





【挿絵表示】

(※イラスト制作:俺)

◇五十嵐 もみじ:PARAMETER (TOTAL:52)
・ トリオン:8
・ 攻撃:6
・ 防御・援護:12
・ 機動:9
・ 技術:9
・ 射程:2
・ 指揮:3
・ 特殊戦術:3

・サイドエフェクト:強化バランス感覚


 ボーダー内では木崎レイジ、一条雪丸などと並んでゲテモノ扱いされるダブルレイガスター。
 驚異的な点は、両手持ちしたレイガストで尚も高い機動力を保有し、天才的な体術で相手を翻弄する点に有る。
 レイガストをメインで使用するときの彼女は広い視野を保つと同時に先端的であり、高い防御能力と、対象の隙を突く瞬時の高速行動力を使い分ける。
 チーム戦では必要に応じて、メインサブ最後列のどちらかのトリガーをバッグワームに差し替えているが……一年間ソロだったためか、この期間中、トリガーの構成は全く変わっていない。


Q.なんでもみじのレイガストは手から離れても変形やスラスターが出来てるの?

A.ご都合主g...ゲフンゲフン、A級用改造が施されています。
 雷蔵を酷使した成果により、グラスホッパーとの接触時限定で変形と噴射が可能になっているようです。
 そのため猶予時間はごくわずかで、瞬間的に極度の集中力が要求されます。
 このプロローグの時点ではもみじはB級として扱われているため、ランクポイントが変動する戦闘では使用することはできません。



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前年度:冬
五十嵐もみじ①


・今回の登場人物

【五十嵐もみじ(いがらしもみじ)】
 主人公。星輪女学院一学年。
 レイガスト二刀流を操る変態。得意技はムッムッホァイ。
 物語序盤にして早速落ち込んでいる。

【小南桐絵(こなみきりえ)】
 ボーダー玉狛支部の部隊、A級・玉狛第一(木崎隊)の隊員。星輪女学院一学年。
 組織としてのボーダーが設立される以前からトリガーに触れ続けていた歴戦のトリガー使いだが、思春期の少女特有の気恥ずかしさから、学内では自らをオペレーターと詐称している。
 ボーダー外では猫をかぶって暮らしているがその生態は実際に猫であり、あどけない噂に釣られて騙されては痛い目を見て帰ってくる。
 古くからのもみじを知る一人であり、同学校同学年も相まって、女子では月見と並んで最も付き合いがいい。

【那須玲(なすれい)】
 ボーダーB級隊・那須隊の隊長。星輪女学院一学年。小南とクラスメイト。
 病弱な体質から、一学年内で密かに『那須玲を華()に守り隊』が結成されているが、実際にはもみじ、小南、朝霧の三人が無意識に彼女のナイトになっている。
 守り隊は彼女たちに敵意を抱いているが、那須含めた四人が全員美女のため光量の違いで近寄れず、コンタクトが取れていない。
 そのため那須はこの謎の組織の名前一文字すら認識していないうえ、他三人もこのことを言わないのが暗黙の了解になりつつある。

【朝霧あすか(あさぎりあすか)】
 星輪女学院一学年。もみじのクラスメイト。ボーダー基地中央オペレーター。
 真剣に運動をやって、必ず大地に天災を引き起こすと謳われる破壊神。
 経歴から異常に鍛えられた異常に平気へっちゃらな肉体から、プールを漏水させ、教室のドアを畳返し、クラスマッチではブーストチャージで対戦相手を4m先の大地に沈めた。
 以降クラスマッチでは出禁となったが、当人的にはよくあることなのであまり気にしていない。
 心臓も鋼のように鍛え抜かれている。
 一応運動以外は相当できるらしいが、戦うものでないためか戦術性だけは微妙。



「はぁー……」

 

 セピアめいた風情を引き立たせる校舎の中庭。

 整った植林に、片手で伸ばした親指と人差指程度の長さで顔を出す草の広がり。

 その広がりが無いところには黒土の床が整い、公園のように椅子と机がいくつも敷設されている。

 

 その大気に滲んだ墨色の雰囲気と違和感なく溶け合うように、青春の風に擦れた虚しい心地が、彼女の背筋を沿って、言の葉となって口から飛び出していた。

 

「……つらい……」

 

 中央の額から分かれるように左右に伸ばされた前髪。

 鎖骨程度まで伸ばされた横髪に、後ろ髪はショートにまとめられている。

 総じてボーイッシュな黒髪の持ち主は、黒地のセーラー服と、その上に紫色のカーディガンを着用して、机に上半身を預け、うなだれている。

 

 五十嵐もみじ、16歳。

 星輪女学院高等学校、一学年。

 

 控えめに言って、彼女は傷心していた。

 

 

 

 

 星輪女学院高等学校。

 ここ三門市ではお嬢様学校として有名で、それなりに整った勉才や、経済的に余裕のある家柄の女子生徒が集っている。

 校舎には年代の経過に伴って部分的に修復こそ加えられているが、古くに建設されたゴシック風の様式が味として残されており、非常に趣が深い。

 茶色を主軸に絡め、建造物を淡く染めた統一多色配色(ドミナントカラー)の色合いは相応の歴史の重みを感じさせ、年代層を問わずに多くの人々から人気がある。

 

 五十嵐もみじの勉才は校内でも平均ほどだったが、幾つかの理由からか、経済的には比較的余裕がある部類だった。

 彼女は現在ボーダーから提供される給料と、他のバイトを掛け持ちして金銭を稼いでいるが……本来であれば、金銭で焦る必要性は全くないほどに。

 

 苦学生と言い切れないような彼女が悩んでいる理由といえば、思い当たる理由はそれこそ――

 

「もみもみー、変な顔してるね」

「あ、あすか(アー)ちゃん」

 

 同じく星輪の冬制服で……薄灰色のカーディガンを着用した……たどたどしい足運びでもみじに声をかける女子。

 三編みをカチューシャにみたて後ろ髪をまとめて盛り上げた、シックな黒髪が印象的な彼女は、名前を朝霧あすかと言った。

 もみじのクラスメイトであり、付き合いの良い友人の一人でも有る。

 

「いっつも笑顔が眩しい君が珍しいね。昼飯もかっこんでないし。なにかあったの?」

「……三輪(ワー)君」

「また?」

 

 古めかしい文豪のように流したジト目でもみじを見つめる朝霧。

 すっかり慣れた話題なのか、他校の同学年の男子の名前を出されても、女子高生には一切の動揺が見受けられない。

 

「変なこと言われた?」

「この前模擬戦したら相打ちになっちゃって……一緒におかし食べよって言ってもお前とは食べないって」

「痴話喧嘩かよぐえっ」

 

 茶化しを入れた朝霧の首筋に、やる気のないもみじの手刀が飛ぶ。

 痛みを感じさせない緩やかな速度だったが、懸命な読者諸君なら相手を殺せるモーションであることが理解できるだろう、整った動作だった。

 

「違うの、ワー君はそういうのじゃないの。もっとこう、ひたむきで、一つの物事に向かうことに一途で……」

「うわ、スイッチ入った」

 

 サ○シに呆れ果てたピ○チュウのようなジト目でもみじを見つめる朝霧。

 これまーたどうにもならないやつだよ……と諸手を天に翻す彼女のもとに、偶然にも助け舟が届いた。

 

「あんたら、何やってんの?」

「二人共、今日も仲が良いわね」

 

 二人に声をかけた女子生徒は、どちらも非常に淡麗に上向いた容姿だった。

 

 ラフな口調の女子はクリームの髪色。

 前髪は中央で分けられ、長い後ろ髪の一部にはクセを残していた。

 制服は紅葉色のカーディガンをアクセントにして、自他に常に快活さを印象づけている。

 

 もうひとりの女子の髪色は前者よりも色が薄く、光源によっては淡いクリーム色から、銀髪にまで印象を左右されるようなものだった。

 整ったボブカットと鼻筋、翡翠の如き瞳は、まるで市街に変装して出てきた中世のお姫様のようである。

 髪色に合わせたグレーのカーディガンはモノトーンの調和を引き出しており、冷静に述べて多くの男女を魅了してやまないものと言っていい。

 彼女は体が弱いようなのか、快活な子に支えを頼んで、しがみついてこれに同行していた。

 

小南(ナー)ちゃん、(レー)ちゃん」

「おっ、いいとこに来た。コレが鉛弾(レッドバレット)化してて」

「あー、また秀次のこと?」

「もみじちゃん、いつも親戚みたいに彼のこと語るものね」

 

 小南桐絵。

 那須玲。

 もみじと同学年であり、詳細は違えど、同じくボーダーに所属する正隊員……仕事仲間でも有った。

 同じくこの話題で一切動じない朝霧も、ボーダーでは基地中央オペレーターの一人である。

 普段はもみじと朝霧、小南と那須の四人で昼食の会話グループが形成されており……星輪に入学して以降の七ヶ月間を落ち着かせていた。

 

「で、今度はなにやったのあんたら?」

「チェスかな……」

「へー、チェスね。ルールは知ってるわよ?相手の陣地で兵士が強いやつでしょ?」

「それは将棋だよ桐絵(キリキリ)。あと、なんでも鵜呑みにしないほうがいい」

「へっ?秀次と将棋したんでしょ?」

 

 朝霧の指摘に、聞くものが聞けば卒倒する絵面を文面に炸裂させる小南。

 ぷふっ、と茶目っ気を抑えられない笑みを溢れさせて、思わず那須は口を開いた。

 

「桐絵ちゃん、もみじちゃんはチェスも将棋も趣味じゃないわよ」

「へっ?」

「三輪くんも多分しないんじゃないかしら」

「へっ?」

「キリキリ。こいつは模擬戦で奴と相打った挙げ句、お菓子会出来なかったのがショックだったんだと」

「…………」

 

 何度かの指摘の果てに小南の表情は真顔から、涙を流しそうな憤怒に代わり、やがて真っ先に手が動いた。

 

「…………だーまーしーたーなー!!」

「ぅおぅおぅおぅおぅ~~」

 

 肩を捕まれ、頭が机に激突しない程度の力加減でもみじの上半身が揺さぶられた。

 ちなみに小南は普段学院内では多くの時間で猫をかぶっているため、他の生徒から陰ながらに怪訝の目で見られていたのだが……これを小南当人は一切知る由もない。

 

 

 

「はむっ、あむっ。へー、秀次のやつ、まぁまぁ強くなったわね」

「なんていうか……()()()()()()()()()()()()のかな?って。私、最近はラウンドワン(バイト)ばっかりで」

「何言ってんの、あんたその程度じゃ腕は変わんないでしょ。今でもあたしと普通に戦えるし。普通に単に不調なだけなんじゃない?」

「そうかな……そうかも」

 

 眼前には、己のものを含めた4つの風呂敷が広がっていた。

 四者一様の色合いの布の上には弁当が並べられ、それぞれのペースでおかずが減っていく。

 それと並行して話されるもみじの先日の一見。

 小南は辛口に相槌を打つが、そのやり取りには互いの信頼が見え隠れしていた。

 

「昔っからあんたはメンタルよメンタル。押しが足りないの、わかる?」

「押し……」

「ところでキリキリ。その言い方はまるで恋愛脳だね」

「桐絵ちゃん人付き合いが良いから、そこらへん熱そうよね」

「はぁっ!?何言ってんの!?」

 

 小南には横合いからの茶々を受け流す耐性がなかった。

 赤面して声を荒げ、今にも話題を逸らさんと口を開くが、270度ほどあさってに飛んでいきそうな勢いだ。

 流石に小南が普段被っている優等生の威厳を完全に損ねるのはあんまりと思ったため、那須がフォローに話の筋を戻していく。

 

「ただ、もみじちゃんの動きについていけた……いや、これは言い方が悪いわね。流石にもみじちゃんのような反射神経じゃなかったでしょ?」

「うん。ワー君は前よりも、()()がかなり進んでた。正直言って、してやられたって言っていい……のかな」

「……あいつ根暗だからそういうの得意よね。鉛弾(レッドバレット)も、元はと言えば太刀川にやられまくってたから作った対策だったはずだし」

「そうそう」

 

 根暗という言い方には語弊があるが、()()()()と言い換えれば分かりやすい。

 

 三輪秀次は、五十嵐もみじのような天性の運動センスは持っていない。

 運動が比較的得意では有るが、生身ではあくまで常人の粋を出ない。

 名前の上がった()()()()などをラインナップに飾る……超人的なセンスを持つN.O(ナンバー)アタッカーの最上位が相手では、当然ながら分が悪いのが事実である。

 しかし、それら相手に一定の勝率を残すために、彼は血のにじむような努力を重ねてきた。

 

 弾速が遅く、通常は接近しての戦闘を必須とする代わりに、相手に確実な不利益(デバフ)を発生させる鉛弾(レッドバレット)

 そして、近・中距離間の間合い間隔を制し、即座に発動トリガーを切り替えることの出来る、トリガーの高速運用能力。

 前者を使いこなす後者の腕前こそが、三輪隊の主軸たりうるA級隊員・三輪秀次の卓越した戦闘能力の裏付け。

 彼を彼たりうる、泥臭い鍛錬によって身につけた明確な()()だった。

 

鉛弾(レッドバレット)はぶつけ方次第でどんな相手にも刺さる。ワー君らしい良いトリガーだって、私いつも思ってるんだ」

 

 それは、負ける悔しさを彼から味わう頻度が少なくなくなってきたもみじの内から毎度浮かび上がる、同量の熱量の歓喜だった。

 

 自分が三輪隊を抜けての一年間、停滞した粘つく時を、彼は切り払い、踏みしだき、歩を進めていく。

 その事実を成果として刻み込まれるたび、大きな嬉しさを感じ……同時に虚しく、情けない気持ちが己に強まっていく。

 ――彼と仲直りしたいという一心も、その焦りと誤魔化しの気持ちから来る、己のエゴなのではないか?

 

 もみじは三輪を褒め称えるとき、特に笑顔が強くなる。

 長年の時を共に積み重ねてきた相手に見せるような、ささやかで一番に温かい笑みだということに、朝霧と那須はうっすらと気づき始めていた。

 

 しかし、小南はその裏で膨れ上がっている、彼女の虚無感も同時に看破していた。

 彼女はボーダー最古参の一人であり、同時に、もみじが三輪に持つような付き合いの長さを、もみじにも持っていたからである。

 

「反面、自分は何も出来てないとか言い出すの?」

「……」

「おぉう。キリキリ、君は親しい相手ほどなんか口が刺さるな」

「事実を言っただけよ。コイツ愛想笑いなんかしちゃって、そう言ってくださいって言ってるようなもんでしょ?」

 

 ジェスチャー。

 左手をパーに広げ、そこに右手でデコピンを撃ち込む。

 

「そーいうのを傲慢(ゴーマン)って言うの。別は別で、ちゃんと金稼ぐ仕事するって、アンタがこの一年間選んだことでしょ?しゃっきりしないとアイツも拗ねたままよ?」

 

 選択は選択だ。

 そこに付随する後悔もなにもかもは、全て後天的にラベルが貼られるような価値観でしか無い。

 当時を憐れむだけすることは、その箇所を起点に前へ動き出した別の人間にとって、同時に失礼なことでもある。

 

 悔やむなとは言わない。

 悲しむなとも言わない。

 ただ、憐憫は……やがて己の内にだけこそ収め、前へ進むものだと。

 小南桐絵の瞳は、雄弁にもみじに語りかけていた。

 

「……ナーちゃん、やっぱりすっごい強いね」

「あったりまえよ、あたしは正隊員じゃ一番強いんだから。これくらい言えて当然」

 

 長年の戦闘経験と、それに合わせて相応に膨れ上がった、負けず嫌いな闘争心。

 一見子猫のように生意気な彼女がその実獅子のたぐいであることは、もみじはよく知っている。

 

「あんたが場違いに明るくないと、あたしがこういう固いことわざわざ言わなきゃいけなくなるでしょ?あんまあたしらしくないんだけど」

「ふふっ、ごめんね。ありがと!」

「……まぁ?さっきよりはマシな顔するようになったじゃない」

 

 首を横にひねってもみじから目を背け、赤面を隠す小南。

 お礼を言われればすぐさま照れ隠しに移行する辺りがなんというか、()()()というか。

 

 女子学生特有の大雑把さと戦士としての強さの両方を兼ね備える小南には、もみじは何度も世話になっている。

 それこそボーダーの開設初期、()()()()()()からだ。

 こういった面では、ある意味で彼女にあこがれていると言っても正しかった。

 

「……しゃっきりはできそう、かな。でも」

 

 ――()()を払うために、もう少し考えてみる。

 

 もみじははっきりと、己の現状を口にした。

 今のやり方が、同じ場所で自分が足踏みを重ねていることは変わらない。

 元々もみじは、三輪隊を抜けた後に逃げるようにA級扱いを固辞し、空いた時間を別のバイトで埋めた。

 ……そう、逃避なのだと、少なくとも彼女は彼女自身で考えている。

 

 壁にぶち当たっている現状の己の心境を打破するには、このままでは不足だ。

 三輪に模擬戦で不意を撃たれ、小南からの叱責を経ることで、それは彼女の中ではっきりした部分だった。

 

「ま、そのために何するかまではあたしは知ったこっちゃ無いけどね」

「嘘だよ。懇願されたら絶対昼夜付き合って世話するよ。あ、この前ありがとね備品修理の手伝い」

「うっさいわよ破壊神!?」

「解決したみたいで何だけど、私にも最近悩みが有るのよね……」

「いいよいいよ!レーちゃんなぁに?」

 

 うちの隊の戦術の幅に伸び悩んでて……と、自らの隊の伸び悩みを話す那須。

 小南がズバズバと切り込み、もみじがフォローを入れ、戦術に未熟な中央オペレーターである朝霧が後学のため講義を聞きながら、同時に話をかき回す。

 彼女たち四人のランチタイムのやり取りは軽快で、輝いていた。

 羨み、妬むものが実際に陰から出るほどには。

 

 「……気に入らない」

 

 実際に、もみじのクラスメイトの一人が、そのようにこの光景を見ていたが……

 五十嵐もみじに直接彼女の怒りが炸裂するのは、この半年ほど後を待つことになる……また別の話である。

 




Q.朝霧あすかちゃんって誰?
A.原作では名前が出てるだけのモブなので、ここでは経歴を魔改造したが特に後悔はしていない。

 本作では以降も、ちょくちょく現状で名前が出てるだけのキャラや設定名の独自解釈が発生します。あとオリキャラも少々。
 描写を覆せないほど進んだタイミングで原作側で該当情報が更新された場合、敢えてそれを原作に合わせずにそのまま進めるだろうこと、今後ともご容赦ください。


(※2019/09/06追記)
・小南の設定把握のブレに気づいたため、該当箇所を修正



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五十嵐もみじ②

・今回の登場人物

【五十嵐もみじ(いがらしもみじ)】
 主人公。悩み多きラウンドワンのバイター。
 ダーツでパジェロを当てることを夢見ていた時期もあったが、例の番組が終わったことでその希望は儚く散り失せた。

【信濃川匙(しなのがわさじ)】
 ラウンドワン三門支店長。五十代。
 普段は己の力を三割しか出さないようにシフトを組んで奥の手を温存しておく、絶妙だか巧妙だかよくわからない男。
 身も蓋もなく言えばパトレ○バーの後藤さんに似た容姿を持つ。
 尊敬する人物は、せがた三四郎と武豊。

【迅悠一(じんゆういち)】
 ボーダー玉狛支部のS級隊員。ワートリ界一胃薬が必要な男。
 未来を視て、悪い行方を変えるためにずっと裏工作を繰り返すボーダー最古参の一人として長らく重宝されているのだから、ご褒美に女性のお尻を触ることくらい許してもいいじゃないと思うかもしれないが、社会は許してくれない。
 彼の天敵は、一歩間違えれば己を即破滅させる現代社会そのもの。
 リスキーな報酬には代償が必要だ。
 つらい。

【加古望(かこのぞみ)】
 ボーダーA級隊・加古隊の隊長。
 月見蓮と戦いになる大人の女オーラを作り出すスキルを持つが、そこから発生したボーナスポイントを全て炒飯に極振りしたオフライン不遇職。
 しかし炒飯にポイントを振り分けることを運営神は予測してなかったのか、炒飯で無双する私TUEEEE系隊長が誕生してしまった。
「私、また何かやってしまったかしら?」

【黒江双葉(くろえふたば)】
 ボーダーA級隊・加古隊の新人隊員。
 このときはまだ山由来の地属性が強く、風属性を獲得していない時期。
 いずれ火属性と水属性を獲得し、地水火風カリスマニンジャ高校生として三門市のファッションの頂点に君臨する未来があるとか、ないとか。



 夜の繁華街の如き明かりか、それとも往年のスペースインベーダーや、windowsXP搭載のピンボールゲームのような、青紫の輝く色合いか。

 バブル崩壊前の意匠の一部を引き継ぎつつもモダンに建設され、混沌としたスペースアートワークじみた光景は、年老いて時代に取り残された人間の多くを置き去りにする。

 

 ラウンドワン三門支店。

 現代の若者達が遊戯にふけるところの、つまりは大手ゲームセンターの支店の一つだ。

 広大な敷地に併設されたボーリング場、UFOキャッチャー、運動遊戯施設(スポッチャ)、ボックスカラオケ等……ちゃんぽんとばかりに放り込まれた全部詰めの施設達は、来訪客に広く浅く各娯楽を自然と提供し、飽きさせない構造になっている。

 

 高校生アルバイターであるところのもみじは、この店舗のシフトに無理のない範囲で混ざっている。

 清潔感があり、屈託のない笑みで、自然とした振る舞いで案内を行う――

 その接客力・集客力は中々に高く、ボーダーの隊員勤務でなかったら、高校卒業後に正社員待遇に即格上げされても、全くおかしくはなかった。

 

「ふぅ――」

 

 そのもみじが店員の制服ではなく、私服……つまりバイト明けの一般客として向かい合っているのは、ダーツ場だった。

 上述した大規模な敷設遊技場群に比べると、専有するスペースの小さく設定された、比較的穴場と言える場所である。

 彼女はアルバイトの終わりに毎回、このダーツ場に寄っている。

 

すぅ……――

 

 意識を集中し、視界を一点に凝縮させる。

 ダーツのターゲットの円輪を見つめ瞑想ことで、一年間この場に向き合ってきた彼女の意識は周囲の音を即座に置き去りにし、浮遊するかの如き、全能感のある認識力の拡大を彼女にもたらす。

 その間隔が彼女のもとに訪れるたびに、その中から()をたぐり寄せ、制御を試みる。

 ピント部分をズームした一眼レフカメラのように、正面に向けて意識を拡大し。

 

はぁ……――

 

 ()()()()()()()()()()

 

 限界まで純粋に磨き上げ、研ぎ澄ませた日本刀は、しかして仕上げの工程の是非で使い心地が決まる。

 彼女の意識の指向性は、この瞬時の静寂で一眼レフカメラから、顕微鏡にまでその形を変えていった。

 

 あとは、この体が動くかどうか。

 

……――

 

 彼女の無意識は識っている。

 全身の血液はフラットに巡り、己の重心の中心……正中線が、どのように彼女の体幹を支えているのか、魂で理解している。

 あとはそう……最後の()()だけだ。

 

「――ふっ!!」

 

 全身から、淀みのない瞬間的な動きだけで力あるバネを発現し、右手を真正面に――まるで掌底の如くに中空に叩きつける。

 その先端には、虚空の先の的の中央に向かって放たれるダーツの矢。

 殺傷能力が無いように作られた遊戯用の鏃は、その構造とは裏腹に、いっぺんの狂いもない直線軌道となって――

 

「……あっ」

 

 的の中央から微妙に外れた、半径の真ん中付近の、獲得できるポイントが微妙な着弾点に叩きつけられた。

 

「だめかぁ……」

 

 彼女がこの一年前から習慣として始めたダーツ訓練は、この日、またしても失敗に終わった。

 

 三輪隊を辞めた後に自ら希望してB級に格下げしたもみじは、ボーダー内で個人ランク戦を行わなくなった。

 もみじが保有するトリガーの構成の内、レイガストはA級権限で改造された専用のものだ。

 レーティングマッチ制度で戦いの順位を競う個人ランク戦……厳密には、レーティングされるポイントが変動する類の対人戦でこれは使用できず、彼女は個人戦を自粛せざるを得ないでいた。

 尤もこれは、レイガストを標準のそれに戻せば解消できることだが……

 

 それより当時の彼女が選んだものがアルバイトであり、そしてこのシフト終わりの、30分程度を要するダーツ訓練。

 通常の投げの構えから逸脱し、鏃を殴るように的へ叩きつけるそれは、彼女がレイガストをスラスターで撃ち放つときの構えの一つを彷彿とさせた。

 しかし、未だ納得行く形で、的の中央に鏃が刺さったことはなく――

 

「お、五十嵐ちゃん。今日もやってるねぇ」

「あっ!店長、見てたんですか!?」

 

 落ち着いたような、いたずら好きのような、若干にかすれた男の声。

 へらへらとした表情を浮かべた男は、神出鬼没のようにもみじの背後三メートルほどに存在していた。

 

 いつの間に後ろにっ!?と狼狽するもみじを尻目に、待機されているダーツの矢の元に歩んでは一本の鏃を右手に持ち、かるーい拍子で適当に的に向けてさっくりと投げる。

 

「これ、普通に投げるんじゃだめなの?いつも気になっててさ」

 

 鏃は山なりの軌道を描き、かつ的の中央に導かれるように正確に射止められた。

 ついでに聞こえた「君が集中してるのを単に見てただけだよ」という弁は、このラウンドワンの領域を支配する、尋常ならざる男の語った戯言である。

 

 ラウンドワン三門支店長、信濃川匙(しなのがわさじ)

 白髪のない強力な黒髪を優雅にバックに丸め上げ、五十代の年相応に痩せた頬に顔の輪郭は、彼の放つ独特のにへら笑いに哀愁を漂わせる。

 その上で、ラウンドワンの制服を無理なく着こなす整った体格も併せ持っていた。

 

「普通に投げたら、すぐ中央に当たっちゃうなー、って思ったので!」

「なるほど、縛りプレイ」

 

 拳を握って腕を曲げるもみじの活発な動作に、信濃川はトーンを変わらず、しかし内心感心した返しをする。

 

 彼は自他共に認めるゲーマーとのことで、若い頃は数々のゲーセンを実力のみで荒らした、台風を自称していた。

 だが年を経たある時に嗜好が変わったのか、ゲームセンターを経営することに熱が傾くようになった……という胡散臭い話も、信濃川当人の談である。

 

 彼はしゅびっ、と的を殴るようなもみじの動作を適当に何回か真似をして、数瞬の間をおいた後、口を進めた。

 

()()ね」

「えっ?」

「流れだよ。風向きってやつさ」

 

 俺そういうのわかるんだよ。人生経験豊富なおじさんだから。

 そう言って店の業務をサボっているように振る舞う信濃川店長は、しかし実際にこの日も業務の大半を終わらせており、他の店員の接客対応が間に合っている時間帯を見計らってここでのんびりしている。

 得も言われぬ凄みと、怪しげな説得力を同時に言動から醸し出す五十の細マッチョのおじさんは、賭博場を差配する元締めのような視線で周囲を見つめる。

 

「五十嵐ちゃん、多分俺より詳しい知見も有るっちゃ有るでしょ?そういう雰囲気してるし。要するに勝つ流れさ」

 

 成功の流れとも言う。

 

 勝ちを得られる者と、負けを得続けるもの。

 この字面で何が違うかといえば、それは『その瞬間で持っている負担が違う』ことだ。

 具体的には、抱えている()()()()()()の差である。

 

 スポーツ哲学やエンターテインメント、ハウツー本などに於いて必ずまことしやかに囁かれる理論「悩みがあると弱い」。

 悩みがあると動きが鈍るだとか、精神攻撃に弱いだとか、緊張で眠れないだとか……まぁ、間違いではない。

 しかし、その実際の内実は、悩みごとが脳みそを巣食っている在り方そのものに有る。

 

 人間の脳が一度に思考に傾けられる容量は、人によって効率と大きさに違いがあり、かつ限度が存在する。

 日々、綿のように膨れ上がり、脳髄に巣食った悩みという腫瘍は、この思考のリソースそのものを奪い去っているのだ。

 思考というプロセスを体内の血流とするならば、悩みというのは血管の腫瘍……およびそれによって起こりうる()()()である。

 

 話を戻そう。

 例えば競技や対戦によって、負けを拾った人間が二人居たとする。

 片方はまず負けた原因を図示し改善点を掲げ、もう片方は負けたことをひたすら悔やんだ。

 両者は負けるたびにこの行動を繰り返し、やがて明確な違いが出た。

 前者の人間がやがてより多くの勝ちを得るようになったのに対し、後者の人間は次こそは勝てるはずだと、やがて勝つための努力を放棄してしまった。

 

 現実ではよくある光景だ。

 ストイックに勝ちを拾う人間ほど普段の振る舞いがスマートであり、勝ちに拘泥する人間ほど泥沼に溺れていく。

 特に、理論値が視覚化されにくいギャンブル等では、これは顕著と言えるだろう。

 

 負けという現実、事実は覆せないものだ。

 しかし原因を探り、次回以降に類似したケースに対処する力を鍛え上げることは出来る。

 この工程の最も重要なところは、負けという事象をデータ化し、記録として脳の外に排出することで、脳を酷使するプロセスそのものに区切りを付けられることにこそ有る。

 

 しかし、負けという現象そのものに悩む人間には、それができない。

 肥大化した思考の闇は、決して覆せない現象を頭の中だけでも覆すために、さらなる脳のリソースを後悔と怒りなどの負の感情に費やす。

 その負の感情がさらなる悩みを生み、それを覆すために、更に自分で自分の脳みそを汚染していく。

 結果、そこからの逃避のために競技から離れたり、敗因の研究を怠ったり、目先の勝利にアイデンティティを依存するようになる。

 最悪、人格形成に悪影響を及ぼすと言っても良い。

 

 成功のために必要な能力は、脳みそに余力をもたらす力だ。

 脳みそは人生が続く限り常に使われ続ける器官だが、物事の原因を理解し、解決法を狙って定めることで、効率よく運用することが出来る。

 そしてそのための力は、精神を上向き、物事に正面から向き合う限り、必ず鍛え続けることが出来る――

 

「それが風向きさ。出来るやつと、出来ないやつの違いでも有る」

「……」

「見に覚えあったでしょ?」

 

 地の文ほど細かく丁寧に語ったわけではないが、信濃川はなんとなくでこの持論をもみじに向けた。

 無論、自覚のない人間に理屈を語っても、頭が悩みでいっぱいな金槌な人間から賛同と理解を得ることは難しい。

 広い意味でいえば、今の理屈を語れるようになったこの瞬間こそが、信濃川が意味する『流れ』だったのだが……

 

「近い内、ダーツ(これ)うまくいきそうだったらまた呼んでね?こっちも()()しとくから」

「えっ、店長?」

 

 意味深な言動でもみじを惑わせた直後、すぐさま彼は姿をくらませてしまった。

 

「……店長?むー……」

 

 言いたいことだけを言われて撤退されてしまったのは、中々に鼻につく。

 頬を膨らませて地団駄を踏んだ後店を出て、仕方なくもみじは帰宅の途についたのだった。

 

 

 

 

 翌日。

 

 ずしぃん……

 

 広げた口の中から覗かせた単眼(モノアイ)が無惨にも破壊され、全長何十メートルもの白い巨躯が地面に倒れ伏す。

 首が短く、しかし太くマッシブな草食恐竜のようなフォルムを持っているこの怪獣は、近界民(ネイバー)の捕獲用大型トリオン兵・バンダーだった。

 バンダーは動きは鈍重だが装甲は厚く、その大きさは一般人にとってやはり驚異と言わざるを得ないものだ。

 

 それをボーダー正隊員は、現場では単騎で難なく地に沈める事ができる。

 トリオン兵のモノアイは視覚を司ると同時に弱点でもあり、この機関を狙って破壊することで、速やかに機能を停止させることができるからだ。

 

 「よしっ」

 

 バンダーが機能停止したことを念入りに確認し、もみじは一呼吸を入れた。

 

 

 

 巨大な白い長方形の構造物になっているボーダー本部基地。

 その周囲の町並みは無人の警戒区域となっており、近界民(ネイバー)の出現位置を誘引するための専用の(ゲート)が開発されている。

 警戒区域内に発生したトリオン兵は防衛任務中のボーダー隊員によって速やかに始末され、残骸は本部に回収されて、研究資材やエネルギーに還元されるのだ。

 

 本日も数時間で数体のトリオン兵を撃破したもみじは防衛任務と、基地での報告を終え、帰宅しようと通路を歩き――

 

「よーう五十嵐」

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ひゃあっ――」

 

 唐突の驚愕。

 もみじは半歩即座に前に出て、体軸を背後へと回転させる。

 それはお尻に感じた不快感から速やかに逃れるため――ではない。

 

「せいっ!」

「おぶぇっ!?」

 

 格闘家のような気持ちいいフォルムでもみじから描かれた後ろ回し蹴りが、青色の隊服を着た男性隊員の延髄に直撃し、そのまま爽快に通路の壁に頭部をめり込ませた。

 ギャグ漫画の如くに人体を酷使される絵面を監視カメラに提供し、壁に食い込んだ顔面の持ち主は全身をうなだれる。

 

「……ふーん(うーん)へははひひひーへほえ(目覚ましにいいねこれ)

「やっぱりっ!もうっ!いつもこれやってて親に顔向けできるんですか迅さんっ!?」

 

 迅、と言われた飄々とした青年は「あらよっと」と顔面を壁から引き剥がす。

 正確な己のデスマスクを残した壁面を芸術家のように賛美した後、、もみじの元へ振り返った。

 

「ごめんごめん……でも大丈夫だよ。未来のためのお金はいつでも持ってる」

「セクハラで未来に借金することがそんなに楽しいんですっ!?」

 

 壁面の修理予算と、対訴訟用の示談金。

 それを予め蓄えきっては紫と黒塗りの五十嵐隊員に(故意に)接触し、全ての責任を負った迅隊員に対し、五十嵐から言い渡された未来の結末とは――

 

「おとなしく本部に説教されてきてくださいねっ!私はっ!全くっ!関知しないのでっ!」

「ですよねー……これは鬼怒田さん達にどやされちゃう」

 

 イケメンにのみ許されるゆるきゃらスマイルを披露しながら、壁面の魚拓を消すことを真剣に惜しむ男こそ、迅悠一。

 当人いわく『実力派エリート』で、ボーダー内部に於いて数少ないS()()()()の肩書を持つものでも有る。

 

 ――S級隊員。

 トリガーには通常装備であるノーマルトリガーとは別に、希少である特別な黒色のトリガーが存在する。

 ノーマルトリガーとは比較にならない強力な性能を保有するそれは、()()()()()()()()と呼ばれる。

 そしてそのブラックトリガーを装備・使用することを許された選ばれしものこそが、このS級隊員だった。

 

 迅悠一には、無数に分岐する()()()()()()()()()

 サイドエフェクトと呼ばれる、上から超感覚(S)超技能(A)特殊体質(B)強化五感(C)にランク分けされる、特殊な才能の一つだ。

 もみじにもサイドエフェクトに認定されている才覚は有るがこちらはCランクで、対して迅の未来視(それ)はSランクに認定される、大雑把に超能力と称しても過言ではないものだった。

 

 ……その未来視の力を、彼はたった今セクハラを成功させるために使用したのだった。

 たった今累計十数度目の被害に遭ったもみじをはじめとしたボーダーの女性隊員の臀部は、彼の未来に支配されていると言っても過言ではない。

 なんともちんけ――否、恐ろしきボーダー闇の縮図である。

 

「五十嵐、お詫びと言ったらなんだけど、今日加古さんのところで炒飯パーティーが有るらしいんだ。夕食に困ってたら行ってきたらどうだ?」

「えっ、本当!?迅さんは!?」

「俺は行かないよ。ぼんち揚げ炒飯が作られない限りはね」

 

 加古望(かこのぞみ)と呼ばれるボーダーA級隊員は、炒飯づくり随一の殺手(やりて)だ。

 十分の八の確率で人を炒飯で感動させ……十分のニの確率で、炒飯で人を殺すことが出来る。

 (誘いを断れずに)パーティーで熱心に累計死亡回数を更新するデッド・レコードホルダーが存在する程度には、このデウス・エクス・炒飯は先進的に狂っていた。

 ちなみにもみじが炒飯で死んだ割合は十%ほどなので、わりかし運がいい方ではある。

 それ故に炒飯の魅力に取りつかれ、魔の手から逃れられないのだが。

 

「じゃあ、今度迅さんも一緒に来てくださいね!私もぼんち揚げを食材に買ってくるので!」

「……えっ?……ああ、うん。そうだな」

 

 炒飯の魔力によって一瞬で機嫌を取り戻し、はしゃぎまわるもみじとは対象的に、もみじに気づかせない程度に苦虫を噛み潰した嫌悪感が表情からにじみ出る迅。

 ……未来はもう、動き出している。

 もみじの発言によって今この瞬間……近く最悪の未来の一つが半ば確定したことを彼は直感で理解し、死を受け入れた罪人のように憑き物が落ちた所作で、もみじを後の自分の処刑場へと送り出した。

 

 

 

 

「あら、それ明日だけど」

「えっ!?」

 

 炒飯工房が併設された魔女の窯であるところのA級・加古隊室で、はっきりと隊長の加古はもみじに言い放った。

 

 小南桐絵に近い髪型だが金髪で、後ろのくせっ毛がなく、隊服は半ばの袖服とジーンズが違和感なく繋がり、黒と青紫を基調したデザインとなっている。

 紫色の、腰に巻かれたポーチに履きこなされたブーツは、バストが有りながらにすらりと長身に整った、モデル体型の美を有意義に引き出している。

 唇の左下に付いた一個のほくろがアダルティさを引き立たせ、大人の魅力を感じさせる――

 

 ――半月後に19の誕生日を迎える、()()()である。

 

 大学受験を控えた月見さんを見てもそうだけど、どうやってこのオーラを保っているのだろうかと、もみじは常に疑問に思っていた。

 体幹と筋力の鍛錬?日焼け止めの徹底?炒飯を介して、美容食品を積極的に摂取している……?

 答えは出ない。

 深淵に潜り込むことは死を意味する。

 というか既に深淵の炒飯でもみじも何回か死んでいるが、これは脳の片隅に置いておく。

 

「じゃあ買い出しとかじゃなくて、小早川(ハー)ちゃんと真衣(マー)ちゃんは今日は普通に居ないんですね?」

「そうね。買い出しは明日頑張ってもらうわ……それにしても、まだパーティーのことは言って無かったのに、どうして?」

「迅さんがぼんち揚げ炒飯食べたいって言ってたんですよ!」

「あら、なるほどね!あの人炒飯にやたらこだわりがあるかと思ったら……なんだ、ぼんち揚げの優先度が高かったのね!」

 

 加古は天啓を得た、という顔で拳を掌に叩き「ならぼんち揚げと炒飯なら究極じゃない!他の食材も混ぜましょう!」と発想が更に化学反応(ケミストリー)を起こしだす。

 迅が未来を視ているだとか、そのような可能性の考慮はもうまったくもって問題ではない。

 その先に炒飯があるか、無いかということだけが、この加古望みの三大欲求の一つ……食欲を支配する魔の性質だった。

 そしてとうに炒飯の魔力に飲み込まれたもみじも、迅の結末をもう全く憂いてはいない。

 

 地獄の窯が、蓋を開けようとしている。

 儀式魔法の前動作によって、既に蒸れるほどの魔力を蓄えた儀式の祭祀場が、一日早くにして新たな炒飯の産声をあげようと鳴動を始めんとしたとき――

 

「加古さん……その人は?」

「ふえっ?」

「ああ双葉、その子はもみじちゃんよ。五十嵐もみじちゃん」

「! この人がですか?」

 

 双葉と呼ばれた女の子は、感情の起伏が少なそうな声でもみじに名前に反応した。

 

 金髪のショートで、額が右斜に目立つように揃えられた前髪に、女子では珍しく横髪を伸ばしていない。

 頭のサイズが横に二人分になったかのように、ミドルの後ろ髪をツインテールのボンボンに盛り立てている。

 着ている隊服は加古隊の黒と紫のそれであり、腰から下がショートパンツになっているところが最も異なる。

 部隊員に許された衣装のデザインカスタマイズの一貫だ。

 

「この子……新しく加古隊にメンバーが入ったんですか?」

「そうよ。これからの新人王候補の黒江双葉。黒江(K)だからね、初見からピンときたわ!」

「はじめまして、黒江双葉です。ここが一番オシャレそうだったので入りました」

「はじめまして黒江ちゃん!五十嵐もみじって言います。仲良くしようね!」

 

 二人は礼を交わした。

 

 加古隊は以前まで、戦闘員が二名の構成員で戦っていた。

 A級に入るものの部隊に伸び悩みを感じた彼女は、自らが勧誘する部隊員に拘り望む()()()()()K()の波動を求め、B級の正隊員入隊直後のC級……見習い隊員を偶然観察していた。

 その時に出会ったのが彼女……黒江双葉だ。

 

 一年前まで、黒江と同じ小学校に通っていた、一つ年上の緑川駿という男子の隊員がこの数ヶ月ですっかりボーダー生活に染まったのを見て、それを羨みすぎた黒江。

 先月末に十二歳になることを口実に両親を無理やり説得して、ボーダーに入隊希望の直談判を叩きつけたという。

 ボーダー上層部は小学生が入隊希望することに戸惑いを隠せなかったが、迅が「なんかピンときた」という理由で強権を通し、最終的に基本入隊日の一月を待たずに早期で入隊した。

 後半の経緯を黒江本人は知らないが、小学生が入隊出来たのは多分あの人のせいだろうと、迅を見知ってさっきも苦渋を舐めさせられていたもみじは勘ぐるのだった。

 

「じゃあ黒江ちゃん……クールそうだからクーちゃんでいいや!で、早期入隊だと……対近界民戦闘訓練はやってない?弱いバンダー倒して撃破記録測るの」

「一応やって、11秒でした。駿が4秒だったので私は未熟です」

「ふっつーに早いじゃん!それにもうB級ってことは……一週間で上がってきたんだね!」

「ちなみにクールなコーディネートは私と真衣と杏の三人で頑張ったわ。これからもみっちり教え込んでいくわよ」

「お、さっすが加古さん!」

「ありがとうございます。助かります」

 

 ぺこり。

 素直に加古に頭を下げる、都会のファッションに憧れる12歳。

 中学に入学するその瞬間から、いっぱしのファッションガールとして振る舞うのが目下の目標だという。

 この加古隊で鍛錬を積めばそれも夢ではないと、彼女は意気込んでいた。

 

 彼女の平面的な発言の裏に溢れ出る確かな熱意を感じ、もみじは感心しながらも……しかし、先程の会話に一つの疑問点を残していた。

 

「クーちゃん、私のこと知ってるの?」

「女子で()()が上手い人だって聞きました」

「…………えっ?誰から?」

 

 狼狽するもみじ。

 もみじがレイガストを使い始めて、これまでざっと一年半以上が悠に経過していた。

 彼女が孤月を使っていたのはレイガストが開発される間までだ。

 レイガストが開発されて以降はそちらに乗り換えた以上、孤月時代のもみじを知る人はそう多くない。

 そもそも彼女は孤月を扱うこと自体がそう好きではなかった。

 そのうえ、孤月の個人ランクポイント(レーティング)でも彼女はレイガストに乗り換え後、表示ネームを匿名表示にしてある。

 

 けれども昔は、いや昔も変わらず、実力は必要だった。

 当時腕前を上げるために、タイマン……しかもナイショで完全集中しての特訓に付き合わせた相手は、それこそごく限られた人物しか居ないのだが――

 

()()()って人が言ってました」

「…………」

「今から模擬戦を試してもらっていいですか?」

 

 もみじの心を支配する一瞬の虚無。

 その直後に湧き上がる、背後から同盟者にナイフを突き立てられ、裏切られた血を流した決定的な怒り。

 

 かつての、かげの、とっくんあいてのひとりとして、しんようしてたんだけど。

 わたし、むかし、こげつがつよかったって。

 ほかの、ひとに、いうなって、いったよね??

 

「…………」

「五十嵐先輩?」

「……加古さん、明日炒飯パーティーに太刀川(ター)さん呼んで良い?」

「良いわよ!早めに誘ってもらってきていい?」

「もちろんっ!」

 

 ――この運命を作った迅悠一と太刀川慶は殺す。

 ――死なずとも、死ぬかもしれないという恐怖は絶対に味わってもらう。

 

 ここ数日に特に追い込まれ、限界近くまで悩み抜いたもみじの精神の闇のキャパシティは、ほぼほぼ飽和を迎えつつ有った。

 誰かに敵意を抱くことを好まない彼女が、心の内で二人分の死刑宣告をかまし始める程度には、なんかもうすごい心が疲れていた。

 ついでに黒江のリクエストを断れず、絶望的な内心を隠しつつもトレーニングルームに向かうもみじだったが……

 

 ……精一杯抑えていた彼女の負の感情の一部は、この後で一度溢れ出すこととなる。

 




Q.正式入隊日は1・5・9月だよね?黒江の入隊そこじゃね?
A.ガバは見逃せ(震え声)
 おとなはウソつきではないのです。まちがいをするだけです。
 書いてる内に「これよく考えたら違うやんけ!」と思うことは、プロットを作ってても割とよくある。よくあるのだ。
 誰がそのガバの煽りを受けると思う?(同期入隊の)茶野隊だ。
 次回、装甲騎兵ボトムズ。
 来週ももみじと地獄に付き合ってもらう。



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黒江双葉①

・今回の登場人物


【五十嵐もみじ(いがらしもみじ)】
 主人公。クリードを持ててない系アサシン。
 得意技は致命。

【黒江双葉(くろえふたば)】
 加古隊の新人隊員。
 ナチュラルなクールには憧れるが、如何にも作ったようなクールは大嫌いなので、東京オリンピックの被る傘とかには絶対吐き気を催す。はず。

【加古望(かこのぞみ)】
 加古隊の炒飯。
 他人の別の側面を初めて見た時に思うことは、
 「(今日はこのタイプの炒飯(スタンド)をよく食べてくれそうね……)」

【緑川駿(みどりかわしゅん)】
 A級・草壁隊の隊員。
 ボーダーにハマって、一緒に遊んでいた女の子を置き去りにした、と書くとたいへん罪深い中学一年生。

【太刀川慶】
 A級・太刀川隊の隊長。N.O1アタッカー。
 ふざけた単位をし、ふざけた眼球をした男が、ふざけた強さでボーダーを徘徊するさまはあまりにも有名。
 効率の一切を度外視した孤月二刀流を操るが、彼自身にとっては一番効率がいい動きになるというふざけた存在。
 弱点は論文の締め切り。



「双葉ー!こっちこっちー!」

 

 あたしは、人の飾らない本心が好きだった。

 

 通っている小学校は結構距離が遠い山奥に有る。

 あたしは空き時間にはひとつ上の駿(しゅん)と、木をよじ登ったり、山菜を摘んだり、きのこを見分けたりして、数年をすごしていた。

 特に不満はなかった。

 胃は頑丈になったし、体も他の女子と比べて圧倒的に動く。

 あたしは何ら欲張らずとも、学級随一の活発者(ヒーロー)だった。

 

 高学年になったとき、両親から「中学からは都市部に通えるぞ」と言われた。

 その時にも、特に何も思わなかった。

 強いて言うなら、山と離れるなら、空き時間をどうやって過ごそうかと、他人事のように思ったくらいだった。

 

 六年生になって、駿が居なくなった。

 ひとつ上だったから、先に中学校に進学したのだ。

 あたしは、全く山で遊ばなくなった。

 それから、駿が居なくても出来ることを考えるようになった。

 中学校に行ったとき、あたしには何が出来るんだろうと考えた。

 

 部活動…駿は所属しているんだろうか?

 聞く機会が出来なかったので、考えるのをやめた。

 

 勉強は…あまり好きでも無かったけど、苦手でもなかった。

 というか駿が馬鹿だったので、考えるのをやめた。

 

 やがて本当に、駿が居なくても出来ることを考えるようになった。

 そのときに目にしたのが、ファッションだった。

 

 大人に憧れる子供の心境で、事実あたしは歳から言っても、そういうものだろう。

 といっても、単に着飾ることに呑まれてるような、服に着られているような状態は好きじゃなかった。

 それこそ、本当に大人に憧れていた。

 服を着こなす大人の在り方が有って、初めてかっこいいんだと、そう思った。

 

 中学に行くまで、時は動き出さない。

 もどかしいくらい、この一年が遠い。

 止まったように感じる時を寂しく過ごし、半年以上が過ぎた頃――――

 

「ボーダーってとこ、凄い楽しいんだよ!双葉も来たら?」

 

 久しぶりに電話してきた駿が、こちらの気持ちも全く考えずに言い放ってのけた。

 

「ばびゅーんって体動けるようになるし、俺より強い人もいっぱいいて全然敵わないし、どれだけ居ても飽きない!すごいよ!」

 

 山奥に忘れて置きかけていた感情を、あろうことかあいつが掘り起こしてきた。

 こちらが退屈を過ごしていることを一切考えもせず、単純に魅力だけを少ない語彙力で頭悪く伝えてくる。

 ありていに言って、すごいムカついた。

 

 ただ、あたしよりも動ける駿が「敵わない」と言うのだ。

 想像もできない環境。

 未知の世界。

 トリオンだとかトリガーだとかいうのはイマイチ理解出来なかったけど、兎に角凄いということはよく分かった。

 

 あとは、思い立ったままに動いた。

 中学校に進学するまで、もう待ってられない。

 両親を説得して、十二歳になった途端にボーダー本部に入隊の希望を申し込めるように話をつけた。

 勉強に珍しく力を入れ、先月の末に誕生日を迎え、満を持して電話で申し込む。

 その際、「いや、小学生は……」と惑う声が聞こえたが、これも両親に頼み込んで本部との直談判にありつけた。

 ついでに駿を巻き込んで「駿が誘った」とも言わせた。

 駿は向こうでもなかなか優秀な成績を持っていたのか、それが効いたのかもしれない。

 ゴタゴタしている内、入隊時に行う審査の記録次第で、君の待遇を決めると言われたところまで取り付けた。

 

 トリガーとかいうので強くなった状態の体で、大きい怪獣を十一秒で倒した。

 駿が四秒だったと聞いてものすごく悔しかったが、向こうからすれば四秒も十一秒もあまり変わらないらしく、とても早いとやたら褒めちぎられた。

 

 結論として、ボーダー入隊は成功した。

 

 その直後、如何にもファッションモデルに見えた人……加古さんから勧誘を受けて、隊に入る約束をしたり。

 駿の足下にも及ばない、イケてなさそうな他のC級隊員(見習い)をバッサバッサとなぎ倒していくうち、数日でB級隊員(正隊員)と認められた。

 

 正隊員の居るところには、駿が言った通りの世界が広がっていた。

 あたしより強くトリガーを扱う人、今のうちでは背伸びしても勝てそうだと思えない人。

 そして、勝つことが当たり前と自信を持ちながら、当然のようにそれを実行してくる人がいっぱい居た。

 

 そのうちの一人の太刀川慶という人から、個人ランク戦の十本勝負で十本全部を取られながら、あたしは質問した。

 

「今使ってるこげつ…?刀って、誰から習えば良いんでしょうか」

「誰からでも良いんじゃないか?俺は嫌だけど」

 

 そういうの柄じゃないんだよなー、ずっと切った張ったしてたいんだよなー、とばかりしか言わなかった。

 内心イラッとしたけど本音しか言ってなさそうだったので、切り口を変えてあたしがどんな人から習うのかが似合いそうかと聞いた。

 そう――――似合いそうか。

 今目の前にいるような変な人の名前が上がりそうだったけど、ニュアンスで全てを答えてそうな目の前の人なら、きっと誰かのことをなんとなくでしゃべるはずだ。

 その期待を、彼を裏切ることはなかった。

 

「うーん、五十嵐じゃないか?あいつ、型無しが型を付けて歩いたような奴だし」

「五十嵐?」

「五十嵐もみじって奴。ここ数ヶ月あいつ暇そうな顔してるから、お前一人行ってもなんともないと思うぞ」

「強いんですか?」

「一度本気でやらせればな。出させてみろよ。きっとお前驚くぞ」

 

 ま、俺のほうが強いんだけどな。

 最後にそうさらっと言ってのけて、黒コートのふざけた男は去っていった。

 ふざけていたが、彼は同時にふざけたほどに強い孤月の使い手だった。

 その彼が推すのだから、どれほどの人なのかと思い――――

 

 

 

 

 ――――重心を低くし、逆袈裟にして斬り込む。

 

 視界の先で対峙する黒髪の持ち主が、こちらの拍子に、切り口に合わせるように後方に下がる。

 千鳥足のようで、決して芯を揺らぐことのない幽玄な足さばき。

 

 先程までは、この間合取りにペースを絡め取られて、何度も急所に刃を差し込まれた。

 敵の足を見るな、動作の塊を反射で捉えろ。

 自分の攻撃をずっと続け、相手に空気を握らせるな。

 体を動かしつつ、心の端に忍ばせるように注意を置く。

 

 勢いを止まず、回転を交えた後、横斜めに角度を付けて斬り込みに行く。

 先の袈裟斬りと狙いは同じだ――――面をとって斬る。

 垂直や水平ではない、角度をつけた攻撃は、人には避けにくい。

 

 周囲の遮蔽物(アスレチック)に頼るには、今の位置から更に十何畳も下がらなければいけない。

 太刀川という人はかなり動けたが、あの人が強かったのは兎に角地力だった。

 この人にはそれがない。

 自分もこの瞬間、山で育った感性の利点を半ば封じるが、それ以上に押すことで勝ち目の見える相手だ。

 

 ぐっ。

 

 そう、こちらの間合いが先に整えば、跳んで躱すしか無い。

 相手の体が一瞬、跳ねるために立ち止まる。

 その予備動作が見れるだけで十分だ。

 跳ねて躱したところを、三の太刀で二つに切り落とす。

 

 そうして切り始めが地を掠りそうな横薙ぎを振るい、あたしは想定したとおりに上を見て――――

 

「はい、そこ」

「えっ?」

 

 下から響く声。

 悟ったときには遅い。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()で、体を真っ二つに切り込まれた。

 

『戦闘体、活動限界』

 

 ……無慈悲な機械的なアナウンスの音が聞こえた。

 あたしの体が瞬時に、部屋の機能で再生(さいげん)されることを確認した彼女は、ふー、と息を吐いた。

 

『十本勝負、七対三ってところね』

 

 模擬戦の勝負状況を管理している加古さんのアナウンスが、この部屋…加古隊のトレーニングルームに響き渡った。

 七が五十嵐(いがらし)もみじ……先輩の勝率で、三があたし、黒江双葉(くろえふたば)の勝率であり――――

 

 結論でいえば、()()()は五十嵐先輩には敵わなかった。

 圧勝されたというほどでもないが、狐につままれたような負けを何度か拾った。

 地力の違いだろうか、動きの()()()が上手い。

 最初に三回は勝った……いや、単に動きを見られていて、後からそれ以上の敗北を与えられてしまった。

 確かに、一朝一夕ではない動きをする。

 

「いやー、強いねクーちゃん!あたし、三回も負けちゃうなんて!」

「…あたしは、まだまだです」

「そうかな?他の人だったら、すぐにずばって斬られちゃいそうだけど」

 

 だけど、だけれど――――

 

「――――あなたは、()()()()()()()()()()()

「へっ?」

 

 ――――()()()()()()()()()()()

 

「全力を出してください、五十嵐先輩」

「えっと……これが全力って言ったら?」

「嘘です」

 

 正直なところを言うと、あたしが後半ポイントを取れなかったのは、このことに対する憤りが主だ。

 まっすぐ戦ってくれない。

 まっすぐ戦わないのがスタイル、とも思えない。

 もっとも、そう彼女から言い切るには、この十本勝負一つでは根拠はない。

 だけど、確実に全力じゃない。

 彼女が、恐らく孤月を使ったのが久しぶりだということを考えても。

 これだけは、この見逃し難い直感が告げていた。

 

「本気でもないでしょう。あなたには余裕しかない。あたしは気にいりません」

 

 これは()()()()()ですか?

 

 そう敵意を込めて、孤月の刃の先端を五十嵐先輩に向ける。

 彼女の瞳は、あたしの瞳やあたしの刃に向かない。

 目線をくだっている。

 

 あたしが先程戦った太刀川さんは、今思えば恐ろしく強かったんだろう。

 そして、太刀さばきの一つ一つが、川の()()()()に、奔っていた。

 だからこそ、比較してこの剣を見ればわかる。

 ()っていない。

 彼女には乗っていない。

 自分のための太刀筋をしていない。

 合わせているだけだ。あたしに。

 単に動きを合わせて、あたしに勝利を奪っただけ。

 

 それであたしに勝ったような気分でいたつもりか?

 

「この程度ですか?これで終わりですか?それがあたしが夢見た世界の、戦う人なんですか?」

「クーちゃん」

 

 あたしは、黒江双葉は、怒っている。

 ツインテールにした後ろ髪が震えそうな錯覚を覚えそうなほどに。

 地団駄しては、この格子の入った白い部屋も、地鳴らして、雪崩れた山奥に変えてやろうかと思うくらい。

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あの太刀川って人は、あの人自身が持っている自信の分だけ強かった!そのあの人が勧めた分、期待したのに!」

「クーちゃん」

 

 柄を握っていない、左の拳を痛いほどに握る。

 

 願望が、期待が壊れていくような音がする。

 心の中のそれが鬱陶しくて、あたしはありったけを目の前の人に叫んだ。

 もはや、相手の表情など知ったものか。

 あたしは言いたいことを言うだけだ。

 

「なんで!なんでそんな動きをしたんですか!あたしにはわからない!なんで!敵わないような動きをしてくれない!なんでそんな、そんな――――」

 

「――――錆びたような

「クーちゃんっ!!」

 

 耳に、怒号が走る。

 一度口を閉じかけて……五十嵐先輩が怒鳴ったと理解して、逆に頬がつり上がった。

 一周回って、楽しくなってくる。

 

 ……どうやら、向こうもそれなりに怒ったらしい。

 ああそうだ、これで何も思わないなら、それこそ冷血とでもなんとでも思っていた。

 だが、まだだ。

 さっきからそうだ。

 彼女はうつむいたままだ。

 あたしに目を合わせようとしちゃいない。

 

「……どうしたんですか、五十嵐先輩?なにも言ってくれないなら、何もわかりませんよ」

「…………」

「年下に言われて、何も思わないんですか……思ったんですよね?言ってみてくださいよ」

「…………」

 

 眼中に無いというわけじゃないらしい。

 だけど気に食わない。

 だから言ってやる。

 それで引き下がったらそれまでだ。

 下手なことを言ったら、年上として評価なんかしてやらない。

 だから――――

 

()()()言ってみてください。全力で――――()()()()()()

 

 これで何もしなかったら、所詮そこまでの人だったということだ――――

 

「……」

 

 一息分の時間。

 何も言わない。

 

「……」

 

 もう一息分の時間。

 何も動かない。

 

「――――」

 

 最後の一息分の、時間。

 ああそうだ、なにも――――

 

「加古さん、もう十本分の管理、お願いできますか?」

 

 ! 喋った――――

 

『いいわよ』

「ついでに、終わったらすごい大きな音で合図ください。空気が和太鼓とかみたくで震えるくらい」

『分かったわ。後で耳鳴りしても知らないわよ』

「ありがとうございます」

 

 ふーーーーーーーっ。

 

 目の前の人物が、大きく息を吐いた。

 溜め込んでいた鬱憤をありったけ、吐き出すように。

 長く、長く、長く、長く、長く、長く、吐いて。

 

 上を――――こちらを向いた。

 

()()ちゃん」

 

 僅かな間だけ、会話のための目線の合い方をした。

 ただ、その彼女の目線は、模擬戦の前のときとは――――ましてや、さっきの模擬戦のときとは、まっ反対に大違いだった。

 

 そう……凝固した血のように、あたしを固めて見据えた()()()()()()をしていて――――

 

「もうとっくに嫌いかもしれないけど」

 

 目の前の黒髪の持ち主が、左手を自らの頭にかかげる。

 

 その時に気づいた。

 彼女の耳にかかっているヘッドホンのカチューシャ部分が、実は()()()()だったということに。

 

 かしゃんっ。

 

 バイザーは高機能なのか、左手で目元に傾けられたと共に自動的にひき締まり、目にフィットする丁度いい長さにまで全長を落ち着かせた。

 

『模擬戦、開始』

 

 同時に、機械的なアナウンスが響き、いつのまにか、あたしが彼女に気圧されていたことに気づいた。

 違う。

 先程までとは、確実に――――

 

「私のこと――――もっと嫌いになっても知らないよ」

 

 まったくもって起伏のない声色と同時――――彼女は、鬼神のように。

 一切の躊躇も容赦もなく――――怒涛のように走りきた。

 



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黒江双葉②/五十嵐もみじ③

 ――――剣戟。

 

 数瞬前に、走る音が聞こえた。

 目の前の相手は、たしかに真っ直ぐに、こちらに向かって走り出している――――

 

 「――――」

 「っ!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 気づいたときには彼女よりテンポが遅れて、孤月の受け太刀で対応せざるを得なくなっていた。

 

「なっ!?」

 

 ……今の一瞬だけで分かったことは、()()()の違い。

 先の十戦では全て五十嵐先輩は、こちらに対する対応手で戦っていた。

 ふざけたように様子を見ては、あぶり出したこちらの隙に刃を差し込み、戦闘不能にする。

 だが今の状況は、それとは全く違――――

 

「遅い」

「――――はっ?」

 

 くんっ。

 

 なにか、された。

 いち早く気づく――――いや、気づいただけだ。

 バランス感覚には自信がある。

 客観的にこの瞬間、自分がどうなっているかは理解できる。

 だが、なんで――――

 

「へっ」

 

 なんであたしは、()()()()()()()――――!?

 

 すぱんっ。

 

『戦闘体、活動限界』

「はっ!」

 

 どさり、と地面に再生された五体満足の自分の体が転がり、状況を理解してなんとか冷静になる。

 一瞬で得る情報量が多すぎて、何もわからない。

 あの瞬間、何をした――――何をされた?

 

 

【挿絵表示】

 

 

 「……――――!」

 

 ふと見上げれば、視界の先には彼女が居た。

 無駄な感情の一切を灯さない、絶対的な温度差を感じる瞳。

 その瞳が告げることは唯一つ。

 

 ――――早く、立ち上がって。

 

 あたしが満足に動けるように立ち上がる、その機微と敵意を合図に、あの戦闘機械は再び動き出すだろう。

 こちらの動揺も、この一回のやり取りだけで明らかに荒げた呼吸の一切にも興味はない。

 いや、興味がないと言うより……ひとまとまりに観察されている?

 

 あたしはこの視線を前に、深く考える時間をとることは出来なかった。

 急いで立ち上がり、最初は相手側が見逃すことを信じて後ろに大きく距離を取る。

 彼女は動かない。

 

 ふー、と大きく呼吸をし、相対するバイザーを再び視認した瞬間。

 それが右手の刀の柄の握り方を変え、歩き出した。

 今度は……ゆっくりだ。

 

「(よし……何か知らないけど)」

 

 考えれる。

 頭に熱を入れろ。

 フィジカルの一つならば、駿と鍛えたセンスが確かにある。

 手癖だけで動いては、何の一つすら理解できずにこの十本を完敗で終える。

 その予感が確かに有った。

 

 考えられるとするならば、刀()()を使ったこと。

 直接体が斬られたのは、アナウンスが響く直前の一度きりだ。

 そう、斬られる前に、なんだか吹き飛ばされた。

 この戦いは、孤月一本以外は使えない戦いなのに。

 

 兎に角見るんだ、相手を見て――――

 

『戦闘体、活動限界』

 

「…………えっ?」

 

 気がつけば、五十嵐先輩が()()()に居て。

 いつの間にかあたしは、受け太刀をしきる前に逆袈裟に撫でられていた。

 慌てて、動転した猫のように再び距離を一定に取る。

 

「えっ?えっ!?」

 

 今斬られたときの握り……逆手持ちだ。

 さっき、あの人が歩きだす直前に持ち替えたもの。

 そして、今あたしが下がった間に、また持ち方は元に戻されている。

 

 ……持ち替えて歩いたところまでが、()()()()()……?

 

 そもそも、ここまで何度もやられていれば流石にあたしも気づく。

 なんで()()()接近に気づけていない?

 これは先の模擬戦でも有ったことだ。

 動作の全体を確かに見ていても、反射が間に合わない現象が、ところどころに。

 

「だめだ……正面から見るのは……駄目だ!」

 

 今度は横合いに動く。

 低い身長を有効に使って、トリオン体の身体能力で間合いを稼ぐ。

 大人や年上と違ってこちらに有利なのは、この身長差だ。

 相手は必ずこちらに合わせなきゃいけない。

 山登りで大人に負けなかったのも、この小さい体で、駿と狭いところを競争し続けた成果。

 

 相手は無駄な振り向きはしない。

 逆に言えば必ず一回で足を大きく動かし、こちらに合わせる動作を行うはず。

 その動作の先にこちらの動きを割り込ませて、孤月で先制を得て、一本を取る――――!

 

 相手から三畳半遠く。

 実に百二十度の左横……相手から見て視界の右側の死角、首が曲がりきらないところに来たところで、勝負に出る。

 幸いにも相手からは動いてこない。

 観察に終止している。

 これはこちらにも望むところだ。

 孤月を構え、足の踏み込みを備え、勢いを殺さず、接近に出たところで――――

 

 こちらの接近と同時に、彼女が体当たりしてきた。

 

「!?」

 

 驚愕は更に起こる。

 振り切っていない孤月の()に、肘を撃たれたのだ。

 低めに保っていた、この体に。

 

 手から離れる孤月。

 同時にあたしの体に、残った彼女の体当たりがそのものがまるごと炸裂し、バトル漫画のように建造物の壁面まで吹き飛ばされて。

 

「おまけ」

「かっ!?」

 

 壁に激突した直後、投擲された孤月があたしの胸を壁に串刺しにした。

 

『戦闘体、活動限界』

「は、っぁ――――」

 

 トリオン体の再構築の瞬間は、別物体の座標と干渉しないらしい。

 胸に刃物が刺された感覚ごと壁に突き刺さっている孤月から逃れつつ、あたしは片手を地面に付いて息を荒げる。

 

「ふー、ふー……!」

 

 この短時間で、既に三本を取られた。

 勝てない。

 一回ごとに違う方法で、確実に料理されているのが嫌でもわかる。

 あたしには混乱しか残っていない。

 彼女はあたしを丸裸にするように動く瞬間を見つめ続け、あたしは何も出来ずに斬られ続けている。

 

『苦戦してるわね、双葉』

「っ、加古さん!?」

 

 耳元に加古さんの声が聞こえる。

 個人用の通話か、どうやら向こうには聞こえていないらしい。

 機械の設定をした加古さんが、こちらにだけ繋げたのだろう。

 

『ちょい助太刀。しばらく聞くことに集中して呼吸を整えてなさい。あの子がどうやら、あなたが立ち上がるまでは見逃すのはわかるわ』

「うっ、わかりました……」

『ええ。以降相槌はしないように』

 

 一瞬、五十嵐先輩を見る。

 特に動きはない。

 加古さんの通信が入ったこちらを気にする様子もない。

 ただこちらを見ている。

 その様子にわずかに安堵を覚え、あたしは呼吸と耳だけに意識を傾けた。

 

『というわけで、彼女の情報を知らないのも損でしょ?いい機会だし教えとくわ。と言っても、孤月を使ってるときの彼女にはそんなに詳しくないけど』

 

 ? 詳しくない?

 太刀川さんは、彼女が孤月が強いと言っていたはずだ。

 あの人が強いとわざわざ言ったからには、周りにその評価は広がっているはず――――

 

『彼女はここ一年半以上、レイガストを二刀流で使ってる子よ……盾が出せる武器ね。だから今あなたが戦ってる彼女は、孤月をしばらくぶりに握った状態よ』

 

 へ?

 思わず動揺で相槌を打ちそうになった。

 じゃあ最初の、さっきの模擬戦であたしに三本取られたのは、わざとだと思ってたけど、それだけじゃない?

 ……鈍ってた?

 あたしをあれだけ下せるこの動きで、彼女が鈍っていた?

 

『彼女は元々積極的に点を取るタイプじゃないわ。だから今の模擬戦の最初、孤月で一気に点を取りに行く動きはあたしも初めて見る。それを踏まえた上で聞いて頂戴』

 

 どういうことなのか……?

 加古さんは、自分が確かボーダーに入ってから二年半以上が経っていると言っていた。

 その加古さんが、一年は五十嵐先輩の孤月の動きを見ていて……それで詳しく、ない?

 

『彼女はサイドエフェクト……トリオン能力の優れたものが持つ特別な才能を持ってるわ。あなたも一応、講義でサイドエフェクトは聞いてるでしょう?』

 

 サイドエフェクト――――当人が当たり前のように持つような優秀な能力が、時折これに認定されることがるという、特異な才能。

 一般生活してて他人との違いに気づかないものから、あからさまに他人とは違った個性めいたものまで有るということは、確か覚えている。

 

『あの子のサイドエフェクトは『強化バランス感覚』。文字通りの意味の強化五感(Cランク)の一種だけど、彼女のそれは()()()()()()わ。なにせ――――』

 

 

 ――――あの子、海外で数年慣らした経験もある、()()()()()()だもの。

 

 

 ……加古さんの宣告に、冷や汗が湧く。

 五十嵐先輩がボーダーに入っていない時期のこと…と考えると、多分今のあたしに近いか、そう変わらない年齢のときだ。

 人並みに運動ができるという自負は、例え駿と比較したとしても、自分にはあった。

 でも、あたしが山登りに邁進していた間……彼女は更に上の領域で戦っていた――――?

 

『元々得意なのは、多分あなたと同じ()。ボーダーに入ってからは組合い……向かい合うための技術を鍛えたんでしょうね。あなたはさっき、開始早々に出掛かりで盛大に体のバランスを崩されて、転げ回ったところを一本取られた』

 

 二本目は、あまりに芯がぶれない高度な歩き方で距離感を見誤らせ。

 三本目は、双葉(そっち)の出方の()に割り込むように、低姿勢高威力での超精密なタックル。

 

『――――五十嵐もみじは、体術だけで言うなら、それこそボーダー(イチ)と言っても良いはずよ』

 

 忍田さんの噂を考えると、完全にはそう言い切れないけれど。

 そう加古さんが言葉の端に付け加える中――――

 

 ――――あいつ、型無しが型を付けて歩いたような奴だし。

 ――――(いち)度本気でやらせればな。出させてみろよ。

 ――――きっとお前驚くぞ。

 

 太刀川さんの言葉が脳裏に蘇る。

 あの人は間違いなく、この人のこの状態のことを知っていた。

 その上で「俺のほうが強い」と言い切ったその自信に、今更ながらに驚愕が収まらない。

 

 ……つまり、彼女を真っ向から倒すには、最低でもあのクラスの地力が要る。

 

 それは一朝一夕に手に入るものじゃない。

 猪のように突っ込んでも、先程までの二の舞に終わるだけだ。

 つまり、不可能と言っていい。

 ただこの不可能は、決して無理という意味とイコールじゃない。

 

 加古さんは、先輩がしばらくぶりに孤月を握ったと言った。

 そして、最初の最初の三本は、紛いなりにもこちらが先取している。

 なら無理じゃない。

 

 考えろ――――合わせてくる動きそのものがここまで完璧なら、むやみに二度も同じ戦いをする必要はない。

 武器が違うんだ。

 不意さえ打てれば、必ず戦い方にほころびを出すことができるはず――――

 

『……ここまでね。黒江、そろそろ立ったほうがいいわよ』

 

 加古さんの忠告で、前方への意識を取り戻す。

 その先には、完全にこちらの息遣いを視線で支配した相対者がいる。

 体を待機させているだけで、あたしに向けられた圧倒的な集中力は、決して解けてはいない。

 

――――その相貌が、こちらに立ち上がれと言っている。

 

『健闘を祈るわ』

 

 遂に加古さんからの通話が切れる。

 相手からの挑発……否、確認の視線を断る手段は最早存在しない。

 息を吸い――――吐いて、あたしは腰を上げて据え、両の足を大地に改めて踏みしめる。

 

「……上等です」

 

 動揺は収まった。

 最大の恐怖であった未知は、今この瞬間に存在する理由を失っている。

 あとこの七本で、やるべきことは一つ。

 

 不意でもなんでも構わない――――ひとつだけでも、あたしが上のところを見せて、一本を貰い受ける!

 

「こちらから行きますっ!!」

 

 駆ける。

 歩幅を測りながらも、一息に彼女までの距離を半ば詰め――――跳ぶ。

 

「――――」

 

 こちらを見つめる瞳。

 臨戦態勢の体勢。

 それは何も揺らぐことはない。

 

 だが、真正面から地上戦を挑むよりかはよほど分が有るはずだ。

 視界を惑わされ、バランスを惑わされ、先に()をぶつけられた。

 ただ、勢いがそのまま力にでき、かつ地を這っていない空中からの攻撃なら、幾つかの相手側の手札を削いで対応させることができるはず。

 通せる可能性は格段に上がる……!

 

 いくつかのひねりと回転を織り交ぜ、彼女に軌跡を読まれ難くして、刃を潜り込ませる。

 1番の慣性が乗っている刃を、真正面から――――

 

「ふっ」

 

 ――――叩きつけようとして、相手側の孤月で逸らされる。

 

「!?」

 

 しかも、ただ逸らされているだけじゃない。

 峰のないはずの刀身でそのまま刃を捉え、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、同時に彼女の体も沈みながら――――

 

「かっ!?」

 

 合気道のように、あたしの体を渾身の力で極め、白い大地に叩き落とす。

 その勢いのまま、同時に彼女の半身はあたしの体を床に釘打ちにするように固定させ。

 

 すぱんっ。

 

『戦闘体、活動限界』

 

 あたしの首を斬った彼女は直後に拘束を解き、すぐさま後方複数回転宙返りをしつつ距離を取る。

 その瞬間に逡巡するあたしの容赦は、先程既に自分で斬って捨てられていた。

 

 ――――その着地を狩る――――!

 

 この床は滑らない。

 今まで踏んだどの体育館の床よりも高性能で、トリオン体で構成された完璧なシューズに感謝しながら、寝姿勢から地を滑るように無理やり飛び出す。

 

 幸いにも、ぶっつけ本番で出した最高速は、彼女の足が大地につくまでにその距離を最大まで詰めていく。

 着地際なら当てられる。

 相手が空中にいるなら、根を張ってこちらの動きを受け流すことは出来ない。

 

 響く剣戟の音。

 

「っ!?」

 

 横転するあたしの体。

 

「せっ!」

 

 水平を刈る回転する斬撃。

 

『戦闘体、活動限界』

「(そんな、むちゃくちゃな――――!?)」

 

 ()()()()()()()()()()()……!?

 

 こちらの孤月の動きを支点にして受け太刀し、その衝撃を流れに変換しての低姿勢の着地。

 力の流れを狂わされバランスを一瞬崩したあたしをさもだるま落としのように、そのまますね先、胴体と連続で切り落とした。

 しかも驚愕すべきは――――あのバク宙も誘いか。

 あの勢いの回転の中、的確にこちらの攻撃に揺るぎなく対処できる身体機能が有るということ……!

 

 文字通りの、強化バランス感覚。

 その『文字通り』が、そのままに強すぎる……!

 

「まだ、まだぁ!!」

 

 彼女の勢いが止まりきらぬ間に、復活した体で短く跳躍する。

 距離を取る――――それと同時に空中の軌道上で交差して、斬撃を更に織り交ぜる。

 初めて攻撃をとどめの起点にされず受け流されるだけで終わり、あたしは大砲のように彼女の後方に炸裂するはずを、地摺りの如くに滑っては、百八十度回転して敵に向き直りつつ、勢いを流しきって着陸した。

 

 「(出来る……!今なら……!)」

 

 鼓動が早い。

 経験したことのない領域の頭の回りが始まっている。

 今の着地も当然、これまで自分で試したことのない動きだ。

 

 だがその手本は、目の前の()()()()()()()()()

 

 発想を、イメージを無から生み出すことは人間には出来ない。

 必ず参考元になった物体が有り、映像があり、そして存在が有る。

 過度の情報の大波を、あたしは目の前の海の中で泳いでいる。

 海は生き物、ご機嫌を伺えとはサーファーの定型句だ。

 あたしは今、まるで自然の化け物のような相手から、恵みを掠め取って生きている――――!

 

 津波が迫る。

 夢見がちな想像上の海の化け物が、獰猛な剣の()を向けて――――

 

「(っ! 突き!)」

 

 躱す。

 左半身になって、炸裂する致命を右に素通りさせ、次に備える。

 瞬間、返す刃の引きの斬撃が迫るのを、孤月で受けを間に合わせて防ぐ。

 あたしの持ち方はこの時は逆手。

 これも先程見たことの真似だ。

 逆手持ちは攻撃に向かないが、重心が自分の体に近いため、受け太刀に向く。

 

 しかし、こちらが半身になったのに合わせ、刀の引きに合わせて向こうも左半身の構えになり、姿勢をこちらに潜らせた。

 動きは終わらない。

 落下運動(おちるうごき)を味方につけ、あたしの体の側面へと回り込み、相撲取りのように左手で回しを取りにかかる。

 先ほどと同じ、体術で体幹を殺す動き。

 

「させない――――」

 

 体勢を崩されることは織り込み済み。

 孤月の持ち手をそのまま左へと切り替え、自分が回しによって倒される動きの中、投げ使いと自分の体の隙間、己の背中に刃を回り込ませる。

 刃は地面に突き刺さり、中途半端な姿勢になりつつもこの時の完封は免れる。

 刀身が接触に対して干渉し、五十嵐先輩はこの瞬間、密着しての『殺し』にかかることが出来ない。

 だが――――回しは取られたままだ。

 

「しぃっ――――」

 

 黒髪の女がそのまま百八十度を回り込み、滑るように視界に姿を現す。

 

「っ!!」

 

 刺さった孤月を支点に利用された――――今度は()()()()()()

 あたしの重心は殺されている。

 自由なのは、利用されたと気づいた瞬間に破棄し、右手の手元に握り直す孤月――――

 

『戦闘体、活動限界』

 

 ずんばらり。

 いつの間にか、またも逆手に握り直されていた先輩の近距離斬撃。

 来ることは分かっていても、刃の再構築が間に合わず、受けが成立しなかった。

 

 暗殺者のような構え方となった彼女は、体のバネを利用し、蜘蛛男のようなしゃがみ体勢から一瞬でバク転へと移行。

 三回ほど繰り返して再びあたしから距離を取り、立ちの体制に戻る。

 

 ――――ここまでスコア、零対六。

 

 様々なアプローチを試しているが、それが彼女の土俵で有る限り、あらゆる角度から切り返しを受けている。

 彼女の幅を崩すことは、これまで全く出来ていないと言ってもいい。

 逆に言えば。

 

「……わかってきた」

 

 彼女の幅ではない行動自体は、明確になったと言える。

 彼女はそう――――()()()()()()()()()

 仮に繰り返したとしても、太刀川慶という存在によってあたしは目が肥えている。

 アレ以上の無慈悲な斬りの連打は間違いなく来ないはずだ。

 つまり、斬り合いの土俵に一度でも引きずり込めば……必ず勝機は生まれる。

 

 孤月…トリオン兵器の刃は、切れ味が非常にいい。

 日本刀を持ったことのある日本人というのは非常に珍しく、持ったことのない人間のほうが遥かに多い。

 その剣術の初心者でもトリオン体ならバテず、欠けづらく鋭い刃は、振るだけで容易に相手を切断できる。

 この『攻撃の有用性』から、撃ち込みを当てることが貴ばれ、体術の有用性は直接表に出づらい。

 

 ……思う。

 トリオン体で未だ一週間だけのみ振る舞った自分でさえ、この『武器』の強さは身にしみるほど理解している。

 だからこそ、直接的な体術、という項目は日の目を見づらい。

 いや、日の目は元より見ているが……その意味を実感する者は、恐らくビギナーでは容易に存在しない。

 

 自分は、その高い山を、今直接垣間見ている。

 B級に上がって最も印象に残った戦いは、間違いなく太刀川慶とこの五十嵐もみじだ。

 短い期間で急激にヤスリをかけられたこの意識に、更に短時間での脳みその超回転をかけ、発電所のように光源(ちから)を得ようとしている。

 

 五十嵐もみじ。

 あたしよりも、経験も体の使い方も、何もかも優れた人。

 今、あれほどさっきまで嫌いだったこの人に、尊敬の念が芽生えようとしているのがわかる。

 短気な自覚の有る自分が、ここまで頭を回せているこの瞬間が、ものすごく気持ちがいい。

 武装の強さが目立つこの世界で、フィジカルを最も強くしたそのスタイルに、あたしは理想を感じざるを得なかったのだろう。

 

 ――――だからこそ。

 

「必ず、勝つ」

 

 一本取るじゃない。

 勝つ。

 勝機の光がまさにこの目を穿つなら、その望む逆光を手繰り寄せ、我が目を焼いてみせる。

 眩まずして、何が未知の世界か。

 何が夢の光景だ。

 この熱で刻まれる記憶に負けを残すな。

 勝つための道筋を残せ!

 そのために己を焼け!

 

 残機は四――――リトライの回数は三まで。

 思考はかつて無いほど回り――――トリオン体という超常に追いつく領域にたどり着いている。

 競争で駿の全力を垣間見た時――――それすらも遥かに上回る高揚感と、それを覆う心地の良い冷たさ。

 透き通り、余分な情報が廃された中に、彼女が佇んでいる。

 

「あなたに――――勝ってみせる!!」

 

 体が、思うがままに動く。

 思考を飛び越えて、思考そのままに、他人事のように、気ままに笑うわらべのように、動く。

 この白い空間の戦いの中で――――あたしは自分の中に、ひとえに童心を描いた。

 

 

 

 

 ()()()、という言葉がある。

 思考が澄み渡り、視覚や聴覚、五感からあらゆる不要な情報が排除され、自らに絶対的な浮遊感が与えられるものだ。

 プロのスポーツアスリートは、場合により、自己暗示によってこの感覚を意図的に引きずり出す特訓をこなしているという。

 

 五十嵐もみじは、齢九にして偶然KUNOICHIを制覇した後、十つ頃にはいつのまにか湯水のように湧き出たスポンサー達によって、海外へと放り出された。

 パルクール、ボルダリング、スケートボード、etc...

 天才的な感性はチャレンジによって得られる感覚のそれぞれをスポンジのように吸収し、かつ常在する致命の危機を回避するための極限の集中力の練磨を経て、このゾーンの任意発揮の領域にたどり着く。

 それは、決して悪いことではなかった。

 だが……彼女はそれに頼ることに慣れすぎていた。

 己一人のためのストイックな世界を得るという、その行為に。

 

 天罰が当たったと彼女が感じたのは、日本を発ってから実に三年が過ぎてからだ。

 その時、実家のある三門市に偶然帰省し、久々に両親との団らんを過ごしていた。

 挑戦的で野心的な日々は、彼女を冷静に……悪くいえば傲慢に変えていた。

 若者が成功に浮かれることは、何も珍しいことではない。

 当時十三歳の女子が、数々の成功体験で図太くなっていったことを、誰が責められようか。

 

 ――――否、彼女は己自身を責めるようになる。

 

 突如としての爆音。

 唐突に崩れ落ちる家の天井。

 瞬時に命の危機を感じ集中した彼女は、自分だけが瓦礫を避けることに集中し――――

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 双葉は、最早一切の容赦をなくし、己の限界を越えようと――――彼女の限界を越えようとその刃を、動きを敵に向けていた。

 その体を切断されても、最早いっぺんの怯みも存在しない。

 

 五十嵐もみじは、黒江双葉が戦闘に復帰できると判断した瞬間、迎撃の態勢に移る。

 そこで双葉は、もみじが彼女を切断した瞬間、もみじの動きよりも早く復活(リトライ)し、二の手を繰り出すという戦術に移行した。

 そこには卑怯もなにもない。

 戦闘続行が不可能になった瞬間、戦闘行動が再開できる模擬戦の利点を生かしたゾンビ戦法に過ぎず、それを咎めるものは今この場に居ない。

 

 現在のスコア、実に零対七。

 

 そして、己の損傷に頓着しなくなった双葉が油断しているかと言うと、そんなことはない。

 残機を利用したこの戦法にも、無論限界は有る。

 リトライの回数は決まっており、屍体の如くに無能をさらせば、その意味の一切が即座に断罪されることだろう。

 

 

 半ばの時を損じて敢えて真っ二つにされた双葉。

 その繰り出す逆袈裟斬りが、されど重心と振りを保ったまま肉体が再生しつつ、もみじの元へ迫る。

 

「――――!」

 

 この瞬間、もみじの集中力がこれまでのやりとりの中で、一番に発揮された。

 左手の掌で、孤月を側面から払い除けたのだ。

 そのままもみじは水平に刃を双葉に向けて薙ぎ払い――――右手を切り払われて、しかし()()()()()()()()()()()

 

「はあ、――――っ!」

 

 極限の集中力。

 もみじに引きずられて初めての領域(そら)へと飛び出した双葉が、右手を失うと同時に左手に孤月を握る。

 この瞬間の限定でなし得た第六感が、孤月を瞬時に左手へと再構築させていた。

 体の内側に潜ませている左からの一閃は、次の瞬間もみじを逆袈裟に薙ぎ払う。

 

「ふっ!」

 

 だが、それを容易に受ける元アスリートではない。

 左手の向きと双葉の重心と慣性、何よりも総合された第六感が、サイドエフェクトが告げているとばかりに、逆袈裟の上に体を跳ねる。

 きりもみ回転にすら感じるひねりを双葉の視界の右斜め上で披露し、次の瞬間に癖の悪い両足が彼女の頭部を足蹴にした。

 

「っ、ぐぅううううううっ!!」

 

 歯を食いしばり、地べたを転がる己の体のバランスを即座に探っては、体勢を立て直す。

 その瞬間、視界の――――正面白い点が視えて――――時間感覚が鈍化し、反射神経が覚醒する。

 

ガキィンッ!

 

 投擲された孤月を、重心を備え直し、刀身で的確に受け流す。

 双葉の体勢は崩れず、自らを足蹴にした存在が地上に着地する前に――――走り出す。

 

 着地前に斬りかかることは不可能な距離。

 しかし、戦いの時を停滞させては、双葉に一切の勝利の可能性は生まれない。

 限界まで圧縮した時間を引き出し、斬ることにまで世界を縮める。

 己の天井をこの瞬間超えなければ、勝ちを握るための一手は生まれない。

 

 くノ一の着地する瞬間に合わせ、双葉は残った左手から孤月を投擲する。

 もみじはそれを難なく受け流す――――瞬間に双葉の孤月が崩れ去る。

 

 ――――受ける瞬間に孤月を破棄させて崩し、一手を使わせて再構築した刃を叩きつける、離れ業。

 

 時の感覚を麻痺させて、音を置き去りにした澄み渡った世界は、それを双葉に可能な可能性を示しており――――現に偶然、成立した。

 五分(5%)にも満たない成功率の仕手も、第六感によって得られる成功が凌駕することが有る。

 互いに高めあった集中力の先にある……それは一種のリンクと言っていい。

 

「そ、こ、だぁあああっ!!」

 

 刃が、()()を叩く音が響いた。

 

「っ!」

 

 双葉が、最初にもみじから盗み、教わった極意だ。

 仕掛けの一手で敵を硬直させ、二手目で望むとおりに崩す。

 双葉に柔術は使えない。

 だが刃がある。

 叩くべき存在が有る。

 

 もみじを攻撃しようとして刃で逸らされるなら、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 刃のまっ反対、孤月の()を叩かれ、もみじの孤月が地面へと突き刺さる。

 もみじが確かに受けに回ったその瞬間を、遂に双葉が見逃すことはなかった。

 

 ――――あなたは、()()()()()()()()()

 

 それは考えれば当たり前のことだ。

 柔術において相手の関節や重心を崩す(ころす)行為は、自らの行動によって、相手にそれ以上のリスクを与えられるからこそ行われる。

 だからこそもみじが空中から仕切り直すその瞬間を見極め、一手をすかすための飛び道具を放った。

 その一点において、たしかに双葉のひらめきは成功したと言っていい。

 

 だが、忘れていないだろうか?

 もみじが崩せるのは、何も双葉()()()()()()――――

 

「でぇ、やァ――――っ!!」

「くっ!?」

 

 ゾーンに入って以来、初めてもみじが叫びを上げた。

 双葉に、己の孤月ごと叩きつけられた衝撃から落下運動で己を加速させ、回転しては双葉を弾き飛ばす。

 同時に自らの刀を地獄車のように巻き込んだかと思えば、やがて己の手足、ぬんちゃくのように振り回して手元に手繰り寄せる。

 

「やらせる、かっ!!」

 

 そこに、トリオンの()()が乱入した。

 肩の付け根から瞬時に切り落とされた、双葉の残った右腕。

 それを手段問わずにもみじのもとにもう一つの飛び道具として弾き飛ばす。

 

『トリオン露出過多』

 

 警告が己の肉体に音声として走り、双葉の脳髄を音波として痺れさせた。

 だが知ったことか。

 相手の目の前までこの躯体が保てばそれでいい。

 

「はぁあああああっ!!」

 

 孤月を弾かれたもみじに、空中への跳躍を経て、勢いづいた双葉の刃が迫る。

 だが、それでは五十嵐もみじは崩せない。

 孤月を再構成し、双葉を返す刃で迎撃し――――

 

 ――――その刃を、双葉は受け付けずに、そのまますり抜けた――――

 

「っ!?」

()()()()()()()

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 朧の幻の力を用いた双葉の刃が、遂に――――

 

「が、っ!?」

 

 回避の遅れた、もみじの右腕を、斬り飛ばした。

 

 もみじから露出するトリオンの煙。

 刹那。

 対して残り二つの残機を備えた万全のポニーテールが、手負いの忍びへと目を向ける。

 絶好の好機。

 不意の状況に後方へと下がりだした相手に、備えていた着地を難なく成功させては追いつめるために、足に力を込める。

 

 ――――低く……

 ――――低く…………

 ――――低く――――

 ――――低くッ!

 

 これまで、低身長の双葉の、その低いよりも低い高さから、もみじは攻撃を炸裂させたことが何度も有った。

 それは、通常の双葉には再現できないほど緻密な、サイドエフェクト有りきの基本にして絶技。

 だが、()()だ。

 高まった集中により通じた偶然は、必然を成立させて、そして繋ぐことが有る。

 

 爆発的に力の込められ、爆発した疾走は地を超えて――――韋駄天(かぜ)の如く。

 

 鋭い刃は、遂にもみじの足にまで届く。

 切断はしない。

 だが確実に有効な切り傷を与え、遂に彼女の万全な動きを削いで――――

 

『戦闘体、活動限界』

 

 ――――迎撃の一撃で、双葉の残り二つのうちの、残機の一つが消し飛ぶ。

 

 構わない、よく頑張ってくれた。

 己の体に、己の心に叱咤と礼を述べて、(おのれ)長天(ちょうてん)(ぞう)し、燃やし尽くす――――!

 

 

 ――――斬られた、己の体を見ていた。

 右腕を断たれ、足もおぼつかない。

 バランスそのものはサイドエフェクトによって保てているが、この澄み渡った世界で己の行動範囲に不自由を抱くことは、とても久しぶりだ。

 

 生身では、失った途端に終わりとなるもの。

 故に味わったら終わりであり、絶対に避けなければならなかった感覚。

 

 トリオン体では、自分の体だからと軽視していたもの。

 常に()を見ていた普段の視界が、己の肉体に拘泥することのなかった感覚。

 

 集中は切れない。

 斬られない。

 ああ――――この程度では、私は終わらない。

 今の私を絶つならば、この意識もろともを断ち切ってみせろ。

 大切な死を前にしても決して止まらなかった、この(おのれ)高揚(もみじ)を――――

 

 

「「――――ああああああああああああああああああああああっ!!」」

 

 刃の擦れる音。

 風が切られる音。

 トリオン(しろがね)トリオン(しろがね)が激突し、苦悶の叫びを上げる音。

 

 斬る。

 

 斬る。斬る。

 

 斬る。斬る。斬る。斬る。

 

 斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。

 

 斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る――――

 

 

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ――――!!」」

 

 視えない熱が、視えない痛みが、視えないゆらぎが二人の間で炸裂し、咆哮する。

 傷が掠れ出来て産声を上げ、喪失は時の進みを緩く――――けれど、鼓動の歩みを早くする。

 そこにそれ以上の言葉はいらない。

 これを確かに表現しえるものはない。

 ただ、刃と刃が交わり、軋み、互いを喰らいつくす――――この感覚を。

 

 

 『戦闘体、活動限界』

 

 

 心が通じ合ったと言わずして――――なんと言うのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

『結果、零対十――――五十嵐もみじの勝利!』

 

 普段とは比べ物にならない大音量での結果発表のアナウンスがトレーニングルームに響き渡り、二人は――――

 

「あ、あ、あ、あ――――」

「――――――」

 

 ――――()()()()()()()()、とっくに動きを止めて、泣いていた。

 

「あ、あああああああああああああああああああっ――――」

 

 

 自分の気持ちがわからず、双葉は涙の洪水を抑えられなかった。

 理解が出来ない、制御できずに膨れ上がった思いが、そこにあった。

 その正体を気づけずに、ただ、ただひたすら感情に流されることしか、年相応の彼女には出来ない。

 うずくまって、うずくまって、うずくまって。

 

 ――――“くやしい”と。

 

 思わず、口からそれがこぼれ出て。

 そうして……初めて自分の気持ちを理解して、自分の小さい体を、自分で抱きしめた。

 

 

「――――――」

 

 もみじはその光景を見て、何も思えずに、ただ涙だけが流れた。

 目尻からひたすら溢れ出す大粒の水滴の数々に、答えはなかった。

 ただ、ただ、ながくみじかい人生の中で一年ほど抱いていた、胸をつかえる蓋が消えて。

 

「――――“ばか”だなぁ、わたし」

 

 自嘲めいた言い方とは全く違う。

 久々に心からわらって、白く白くて――――セピアから開放された――――自分が思うより広かったと気づいた、戦う世界(皆の居場所)を――――

 

 

――――そう、改めて見つめたのだ――――

 

 




(※2019/08/22追記)
指摘を受け、該当する黒江の一人称のミスを修正



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黒江双葉③/五十嵐もみじ④

「ごめんねぇ……黒江(クー)ちゃんごめんねぇ……」

「あ、いえ……あたしのほうこそすみません……」

 

 加古隊室には、先程までのトレーニングルームの熱狂が嘘のように、冷や汗を撫でる冷たい風が流れている。

 急速に冷却されたフリーズドライとも言うべき新鮮な申し訳無さが漂った空間で、向かい合った二人はただただ謝罪合戦を繰り広げていた。

 

「痛くなかった?ショックで動けないとかない?」

「なんでですか?」

「こころのいたみっ!」

「いえ……申し訳なさだけですけど」

「よかったー……違うっ!良くない!クーちゃん、本当にごめん……!」

「喧嘩を売ったのはこちらからですし……」

 

 過剰なまでに謝罪を繰り返すもみじに、黒江は申し訳無さよりも、徐々に冷静さを取り戻す度合いが勝りつつあった。

 膝を屈ませて表情を脆くしているもみじを見るたび、自身の気持ちに整理が付いているのがわかる。

 

「あ、悔しさもありました」

「うわぁああああああっ!?」

 

 思い出したように十本勝負への一言を口に出す黒江に、もみじは動揺の大声をあげる。

 

 ……それはそうだ。

 思い返してみれば、あれほどまでに冷徹に、完膚なきまでに彼女をいたぶったのだ。

 あの十本で、白星一本も取らせずに。

 きっと屈辱的な敗北として印象に残られたに違いない。

 酷いところを見せてしまい、今後の未来の交流を半ば内心で諦めつつ、如何にして跡を濁す心地を少なくするかに思考がシフトする。

 

 先程の戦いの中ではすっかり忘れていたが、彼女はまだ新人なのだ。

 自分のためなんかに心の負担を大きくさせてはいけない。

 

 ……等と考えてる内に。

 

「ストイックじゃないわね。勝負に必要なのはスマートさよ?成果と改善の余地だけ研究して、禍根は残さない」

「「加古さん!」」

「必要分を終えた箇所に、それ以上の化粧を加えるのは見栄えが悪いでしょう?」

 

 冷却され、凍りつきかけた空間を、我が物顔でふわついて歩んでくる(?)背丈有る幽霊が声をかけた。

 まるで、映画の上映を終えて冷や汗にまみれた観客の前に舞台挨拶で悠々と顔を出すカリスマ俳優のように。

 

「あなた達、シャドウだけで顔を飾りたいの?それともまさか平安貴族(おはぐろ)?」

「……おはぐろ?なんですか?」

「あーこれ、中学の社会の知識だったかしら?昔の着物の人が、化粧代わりに歯を黒く塗ったことよ」

「え?化粧で塗るんですか?歯を?黒く?」

()()()()()()()()()()?」

「……」

 

 加古が現状を喩えて指摘すると、黒江は沈黙した。

 

「これ以上は()を傷つけるだけ。美容に悪いわ。覚えておきなさい」

 

 因みに、女性が歯を黒く塗り加えるお歯黒は、大正時代から昭和初期には途絶えども、明治までは化粧の風習として続いたものだったという。

 肌の白の見栄え、なけなしの歯や歯茎の保護に口臭の低減のため……。

 古代より続いた慣習であったのだが外国の受けはよろしくなく、明治の文明開化以降、他国の概念に触れた人々の意識の変化に耐えきれず、やがて消滅した文化であった。

 

 無論、加古にそのような知識はない。

 中学校で履修する社会科で触れるお歯黒の知識は、平安時代の貴族の化粧に使われたもの、程度の認識である。

 しかし、現代の目線で見れば、歯を黒く染めて化粧とみなすには、価値観が変わりすぎていると言えるのもまた事実。

 

 時代はめぐる。

 加古は考えにないまでも、そのような『時代にはそぐわない』という無意識な、しかし馬鹿にすることのない奥ゆかしい感情を踏まえて、これを言葉に出し……

 

「――――で、なんの話だったかしら」

「「加古さーん!?」」

 

 そして、話の主題を忘れたのだった。

 

 

 

 

 ……暫くして。

 

「正直なところ、五十嵐先輩には感謝しています」

「えっ?うそっ」

「本当です」

 

 体感温度がようやく戻った隊室で、黒江が切り出した。

 

「自分が未熟だってことがよくわかりました。太刀川さんと戦った時は台風に遭ったって気分止まりでしたが……あなたを紹介してくれた意味は、分かった気がします」

「はぁ……()()()さん……」

「……なんで微妙に顔になるんですか?」

「あー、これは太刀川さんが悪いだけなの。孤月について他の人に言わないでって言ってあったのに」

「なんでですか?容赦ないくらいに強……あっ」

「……わかってくれた?」

 

 もみじの言葉に、黒江はようやく電流が脳裏に閃いたようで、気付きによって表情を呆然とさせた。

 黒江に孤月の全力を見せることを躊躇したのは、他人にあの冷徹な状態を見せることを拒んだに他ならない。

 問答無用で敵を無力化し、流れるように切り伏せることの出来る才能。

 もみじの機動部隊のような隊服も相まって、その風貌は夜闇の暗殺者(アサシン)と言っても過言ではなかった。

 その躊躇の無さ過ぎる瞳を他人に向けるのが嫌だったのだと、黒江は半ば理解しつつあった。

 

「……私ね、普段はレイガスト使ってるんだ。カスタムして、攻撃できるタイミングも抑えてあって……(たお)すことに注力しすぎると、こうなっちゃうことがわかってたから……だから、普段は回りを見れるようにしてるの」

 

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……それは、何に対しての言葉(ねがい)だったのだろうか。

 黒江にはわからない。

 否、判断するだけの情報が五十嵐もみじに対して存在しない。

 当然だ。

 未だ出会って初日。

 いくら二十戦ほど刃を交えて心を一度通わせても――――それだけだから。

 

「私、自分の()()が嫌いなんだ。だからずっと変えようとして……それでも、集中力(たたかい)の一番下敷きに有るのがこれだから、結局変えられない。ひどいんだよ、私」

「そう……なんですか」

「だから私、クーちゃんにズバズバ言われたのはそんなに気にしてなくて……まー、そういうこと言われるよなぁって」

 

 一息を置いて、更に。

 

「責められるのは、当然だと思ってた。人でなしだと罵られるのも、当たり前。だから……これを知らない人に、二度と見せることのないように……って」

「……」

 

 言葉を混ぜることは躊躇われた。

 彼女の言葉は重苦しく、黒江が思う以上に年月の乗った重みだ。

 

 責めたつもりはなく、ただイラついただけ。

 人でなしとなんて、それこそ思っちゃいない。

 だけど、真に迫った何かを感じさせる、重力。

 

 彼女の正体を目の当たりにする前に、彼女に吹っかけた言葉。

 それが如何に軽率だったのかを改めて思い知らせるように、黒江の胸を締め付ける。

 

「だけど」

「――――……!」

 

 心を締め付ける重さを解くように、改めて黒江の顔に向き直るもみじの表情には、笑顔が有った。

 ちゃんと目線が正面、黒江の顔に整っていて……決して紛い物とは言えないような破顔。

 その天使のような微笑みに、思わず黒江は緊張がほぐされる。

 

「どうしてもアレなこと言っちゃうけど……()()()()()の。レイガストを手にとってから、孤月は全く手にしてなかった。だからどうしても全力で集中するのがすっごい怖くて……だからこそ」

「……それでも?」

「クーちゃんが最後まで食らいついてくれたのが、すっごい楽しかった」

「……!」

「私がすっごい怯えてただけだったんだって、教えてくれたから」

 

 ぎゅっ。

 

 もみじの両手が、感謝を示すように黒江の両手を握りしめ、覆い、優しく熱を加える。

 言葉だけでは足りない。

 だから、言葉と一緒にと思って、自然とそう体が動いたから――――

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「――――ありがとね、クーちゃん」

 

「――――!」

 

 炸裂。

 心からの感謝を示されることに、黒江は慣れていなかった。

 そして同時に、本当のもみじの笑顔を見ることにも。

 

 ……これまで彼女と向き合っていなかったのは、もしかすると、あたしの方だったのかもしれない。

 そう思うと、なんだか冷静ではいられなくなっていて――――

 

「そ、それはこちらの台詞ですっ!あのとき、最初から最後まで全力で戦ってくれたから……悔しいけど、悔しいだけじゃない!楽しかったんです!な、なので、その」

「その?」

「い、いやだったとしても関係ないですっ!責任です!これは責任問題ですっ!」

「えーと……クーちゃん?」

 

 あ、うう、うぐぐぐ……と、言葉を歯ぎしりのようにギシギシしている黒江を目の当たりにし、「私おかしなこと言っちゃったのかな……?」といたたまれなくなった心境で、もみじは首を回して周囲を見回す。

 正面から右斜60度……黒江の斜め後背で、壁に背もたれてやたらキマった腕組みをこなしている加古に目が合うと、現状を楽しんでいる余裕のある笑顔で返された。

 あれは若い年下の青春のやり取りを摂取して楽しんでいる顔だ。

 彼女の精神年齢が十は高いのではないかと錯覚させ、同時にこの場に味方は居ない、と痛感するもみじに――

 

「で、でで――――弟子にしてくださいっ!」

「えっ?」

「孤月のっ!その……もっと強くなって、いつか勝ちたいんですっ!!」

「……えっ?」

「あなたにっ!!」

「――――えっ!?」

 

 ……弟子?孤月の?

 

 返答のための語彙力が著しく低下したもみじに対し、黒江は畳み掛けるように真正面からの頼みを彼女に叩きつけた。

 これが一対一のスポーツの試合であれば技ありで一発、一本勝ちも同然である。

 やがてもみじが握っていた両手は気づかぬうちに黒江に握り返され、駄々をこねる子供(小学生なので実際子供だが)のように大きく何度も振り回されていた。

 

「お願いです!もちろん毎回手を抜かなくてもいいですっ!遠慮なんてしなくていいですからっ!」

「うわわっ!えっ!?えっ!?」

「いーがーらーしーせーんーぱーいーっ!!」

 

 ぶんぶん、ぶんぶん。

 

 小学生の語彙なら、この先にカナブンブンとテンポある雑な言葉が続きそうな微笑ましい雰囲気からは、これまで背伸びしていた黒江の、完全にリラックスした小学生の大人気なさが出ていた。

 加古は目の前の光景に笑いをこらえきれないのか、壁に体重を委ねて体を震わせながら、片手で表情を覆い隠している。

 

「あーもう!――――クーちゃん……それにしても、どうして?さっきまであんなに私を嫌ってそうだったのに」

「そ、それはですね、えぇっと……言わなきゃダメなんですか?」

「理由がわからないと私、孤月を使い続ける気分にもならないし……」

「それはダメですっ!」

「えぇーっ!?」

 

 両手を振り子のように上下に振り回す速さが増し、トリオン体でなければ腕がちぎれている領域に突入した。

 どうやらムキになっているのか、黒江は全く加減をしていない。

 

「言わないと、私もこのままただで手を振り回されてるわけにはいかないからね!ほどくよ!」

「ほどきませんーっ!」

「ほどくよっ!」

「ほどくませんーっ!」

「ぷふっ!」

 

 最早もみじと黒江を繋ぐ各々の両腕は、互いが意気地になったことで一種の遠心分離機と化しつつ有った。

 加古はツボに入ったのか、笑いの世界から戻ってきてはいない。

 亜空間。

 ここは精神年齢が下がりまくる異界だった。

 

「あーもう!なんで言わなきゃわからないんですかこのわからず屋先輩!抵抗せずにブンブンされてください!」

「いーや!小学生に負けるほどやわな気力してないからね!このっ!」

「いい加減にしてくださいっ!えいっ!えいっ!」

「振り方を変えるなっ!そういう子にはこう――――」

「まって、やばいやばい、このやり取り死ぬ……!」

 

 加古が過呼吸になりかけたところで、遠慮を放り捨てたもみじによる豪快な投げが決まり、不毛な争いは決着した。

 黒江は地面に拳を叩きつけ、悔しさで吠え面をかく狼のように声をうならせながら、四つん這いで地面に拳を何度か打ち付けていた。

 

「ううーっ……!」

「はい、ノーカンは無効!なんで孤月の弟子になりたいのか、言ってもらうから!」

「投げは卑怯……」

「いいからっ!」

「くっ……!」

 

 とうとう追い詰められ、悔しさと屈辱と赤面が混ざった顔をしながら、黒江が渋々口を開く。

 

「……ったからです……」

「クーちゃん、もうちょっと、声を大きく……」

「かっこよかったからですっ!!」

 

 声が小さいと言われてムキになったのか、暴走機関車は石炭を貪り食い、エンジンを遂にふかした。

 

「あの時の五十嵐先輩がかっこよかったからです!あたし、誰にでも弟子入りを志願する気なんてないですから!この人みたいになりたいって思わない限り!」

「かっこいい……えっ、ク、クーちゃん!?」

「だから戦い方を教えて下さいって言ってるんです!聞こえてないんですか!?」

「き、聞こえてる!聞こえてるから!こ、こんなこと言われたの初めてで」

「なら先輩!おとなしくはいって言ってくださいっ!」

「待って!待って待って!ちょっと落ち着かせて……!」

 

 ぷしゅー……。

 

 一呼吸置いた後、二人は反動で、互いに顔を赤面させながら向き合えず縮こまった。

 「はい落ち着いた?」と、すっかり先程の死にかけた醜態が嘘のように大人のオーラを放ちながら加古が合間に割り込み、こういった。

 

「もみじちゃん、どう?顔を見せて頂戴」

「う、うー……なんですか、加古さん」パシャッ「ぱしゃっ?」

「撮影完了」

「え!?な、なななんで撮ったんですか!?」

「良いから、あなたのこの顔見てみなさい」

 

 

 ――――()()()()()()()()()()()()

 

 

 スマートフォンの画面に写っていた画像は、自分の盛大な赤面と、隠しきれない頬の吊り上がり。

 自分で見たことのない、新鮮な表情。

 

 ……かっこいい、と言われたことが無いわけじゃない。

 運動ができる女子だから。

 星輪の間では学年問わず、体育の授業やクラスマッチでひとしきりに注目され。

 海外にチャレンジしていたころも、ひっきりなしにクールだと褒められて。

 ただ、どちらも芯には響いてこず、何かしら言いしれぬ孤独を感じていた。

 

「……うー……」

 

 それは過度の集中をなるべく隠し続けたボーダーでもほとんど同じことで、隠していても内心平気だったのは、三輪(ワー)君相手だけ。

 彼の前でなら、何故だか明るく振る舞うことが本当の自分だと言い張れた。

 隠しきれなかった相手は小南(ナー)ちゃんか太刀川(ター)さんくらいで、どちらも慕われる相手ではなく、元は同格に近い仲。

 

 ……だから私は、かっこいいって言われ慣れていなかった。

 ひたすら毎日を明るく努め続けても、今の自分にそんなような自信が、どうしても持てなかったから。

 

「……うぅ……」

「……五十嵐先輩」

 

 加古にスマホ爆弾を食らわせられ、話す言葉を失ったもみじに対し、黒江はなんとか気力を振り絞る。

 すっかり冷静さと恥ずかしさが勝り、山あり谷ありで憤慨と照れを続けた彼女は今にもこの黒歴史で卒倒しそうだったが、ここで倒れてしまっては末代までの恥。

 

「返事は……どう、なんですか……」

「うぅ……!」

 

 最後の力を振り絞り、小学生の可愛らしさを無意識に存分に発揮した懇願の表情を見て、もみじは遂に――――

 

「ぅあーーーーーっ!やるしかないっ!やるしかないじゃんこんなのーーーっ!」

「せんぱい……!!」

「もう許さないんだからっ!教える日はもう一切!遠慮無しで!ボコしてやるっ!!」

「! ありがとうございますっ!」

 

 折れた。

 今日一日で重なりすぎた出来事が深夜でもないのに深夜テンションを引き起こし、遂にもみじのブレーキを破壊した。

 やけばちになり、思わずすぐさまガンガンっ、と自分の頭を右の拳で横から叩き始める。

 だが、叩き続ける余裕を与えない人物は、この場に一人いた。

 

「……ふむ、となると、早めに手続きが必要になりそうね」

「? 手続き?加古さん、一体何を?私Kじゃないけど」

「それ以外よ。私の()()()()()()()は知ってるでしょ?」

「そりゃあ、ボーダーで屈指のエンジニア泣かせの加古さんのは――――って、まさか……」

()()()()()()。真衣はトラッパーを選んだけど、双葉はバリバリの前衛。だからやり方はこっちにアタリを付けてあったの」

 

 ……()()()()()()

 

 ボーダー正隊員ではA級に権利が許された、既存トリガーの高度改良……及び、完全試作品の製作のことである。

 試作トリガーを優先して使えるのはA級隊員の特権であり、B級で問題なく扱えると判断された汎用認可品は現状『テレポーター』と『ダミービーコン』のみ。

 それ以外は各A級隊員に合わせたオーダーメイドとしての製作要請がメインだ。

 汎用的なトリガー装備を支給し、トリガー使いの数を売りとするボーダーにとって、特に貴重で、かつ人手の足りなくなる発注事項となる。

 

 そして加古のセットトリガーの構成はこれらが計三つも存在しており、本部のエンジニアを最も敵に回した女として有名である。

 そのほかならぬ加古が告げる。

 

「あなたを、黒江を鍛え上げる立場の新たな試作品モデルアクターにするために、今すぐ交渉しに行きましょう」

「交渉って……」

「決まってるじゃない――――」

 

 ――――()()()()()()()よ。

 

 彼女こそは、誰が呼んだかファントム。

 まさしく文字通りに底知れぬ幽玄な笑顔を浮かべ、彼女は再び全てのエンジニアの人生を過去とするべく、今ここに動き出してしまったのだった。

 

 



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五十嵐もみじ⑤

「ああ、来た来た。鬼怒田さんなら会議室に行ったよ」

「「えっ?」」

 

 本部開発室。

 日々、トリガーに関する研究を行っているエンジニア達の庭。

 作業用デスクの上にはデスクトップパソコンとその筐体、及び数々の研究資料が山々と積み重なり、日々のタスクに生き急いだ会社員達の風情を漂わせる。

 この本部開発室には実験室が併設されており、何か実験を行う時はそちらでトリオンの観察をしつつ、モニターを測るという行程で成果を重ねている。

 

 その()()()()()()を訪ねに来たもみじと加古は、要件を言う前に別のエンジニアに言葉をかけられたのだった。

 

「雷蔵さん?私達まだ何も言ってませんけど」

「僕も何も知らないよ。ただ鬼怒田さん、君たちが来たらそう言っとけって」

「……? 妙ね」

 

 「動きが先読みされている…?」とつぶやく加古に、もみじも加古ほどではないが、同質の違和感を抱いた。

 今日はどうにも起こる物事の密度が多すぎるのだ。

 そのうえで、その発端となった、もみじに最初に接触してきた()()()()――――

 

「……加古さん、まさかこれって」

「……してやられたわね。どうやら、ここまで含めて『想定内』ってとこかしら」

「何の話してるの?」

 

 黒いジャージを着込み、全身……特に腹部に一番の贅肉を抱え込んだ見た目冴えない男は、椅子に優雅に全体重を腰掛けながら首をかしげた。

 

 ――――寺島雷蔵(てらしまらいぞう)

 

 本部開発室所属のチーフエンジニアの一人であり、もみじが普段武器として扱っているレイガストの開発者でもある。

 日々スナック菓子を頬張り、生活が余裕そうなオーラを常に全身の脂肪から漂わせる只者ではないファットマンだが、レイガスト開発時期にはもみじによって過労に追い込まれ、加古にも他のトリガーの調整で過労に追い込まれた過去を持っている。

 つまるところ、この二人の最大の被害者の一人だった。

 

「そうなると……私達、鬼怒田さん戻ってくるまでここで待ってれば良いんですか?」

「うーん……むしろ君たちを会議室に来させろって感じのニュアンスだったけど」

「そうなんですか?」

「これはもう間違いないわね。行きましょうもみじちゃん」

 

 予想以上にガッチガチに構えていることを推測した加古は、もみじの肩を叩いて開発室からの退出を促す。

 振り向いて、加古がわずかに肩肘を張っていることから事態を察したもみじは、息を呑んだ後、寺島に礼を述べて本部開発室を後にしたのだった。

 

 

 

 

「時間通りか」

「そうでなければ困る所ですけどねぇ」

「遅いぞお前達!もっと早く来んか!」

 

 大枠で室内に備え付けられ、三門市の町並みを一望できるガラス張り。

 夜の町並みに合わさるように煌々と黒く染められ、デジタルなアタッチメントを備え付けられた会議机が室内中央で根を張る。

 

 ――――その会議室に入ったもみじ達を出迎えたのは、三者三様の反応だった。

 また、聞こえた声色の持ち主以外にも、他にも何人かの成年の男性達が、席に連なっている。

 その全員が、手慣れたようにブランドの似た、或いは異なるスーツを着込んでいた。

 

 

 顔の彫りが目立ち、途中で左目をなぞる大きな古傷を顔面に一閃され威圧感を誇る、老年期に入った直後の男。

 ボーダー本部・最高司令官――――城戸正宗(きどまさむね)

 

 金に染めた髪色に、ユーモラスな動物……まるで狐やカラス……のように愛嬌を持ち合わせる、高い鼻と、横に広い口が特徴的な男。

 メディア対策室長――――根付栄蔵(ねつきえいぞう)

 

 四十路後半の年齢で頭髪の後退が目立ち始める、一見して悪のお代官のように見える悪党顔と、横に太ましい体格が目立つ男。

 本部開発室長――――鬼怒田本吉(きぬたもときち)

 

 

 如何にも、運動のできる美男子がそのまま出来る大人になったと言わんばかりに整った顔立ちを誇り、目に届くか否かという長さの髪を前に降ろしている男。

 ボーダー本部長――――忍田真史(しのだまさふみ)

 

 髪を雑めに跳ね上げ、眼鏡をダンディズムに着用した、煙草をふかせるのが似合うTHE・中年男。

 ()本部開発室長――――林藤匠(りんどうたくみ)

 

 茶髪をオールバックにし、常に据わった目線と、整った背筋と肩幅から、鍛えられた体格の良さが際立つ男。

 外務・営業部長――――唐沢克己(からさわかつみ)

 

 

 そして、席に座ってこそ居ないがもうひとり――――この大人たちに混ざっても一切気配負けしない、歴戦の飄々とした空気を身にまとった男。

 そう――――S級隊員・迅悠一(じんゆういち)がこの会議室に居座っていた。

 

 

「すみません鬼怒田さん!皆さん!お待たせしました!」

「あら、ほぼ全員集合」

「いやー、ふたりとも驚かないね」

「まぁ……()()()()()()だろうなぁ、とは」

 

 迅からの軽口を受け、少々困り気味に返答するもみじ。

 彼女たちは会議室に来るにあたり、この光景をとっくに想定済みであった。

 しかし、想定済みであることと、実際にこの光景を見て困惑することは矛盾しない。

 

 驚きこそしたが――――これは本部への相談にあたり、近い内に必ず通らなければいけない()()そのものだった。

 

「何おまえたちだけで納得しとるのだ!我々は迅から集められはしても、どういう要件かはまだ聞いとらんのだぞ!さっさと説明せんか!」

「私や皆さんも集められるんですから。何かあるんでしょうねぇ」

「まぁまぁお二方、そう悪いことじゃないでしょ。落ち着いて聞きましょ」

 

 ざわめき立つ鬼怒田と根付、それをへーへー顔で嗜める林藤。

 その様子と、会議室入口の前に立つもみじ達に交互に視線を向け、無言で何かを見定めている様子の唐沢。

 そして、その光景を踏まえて、本部長である忍田が改めて会話を切り出した。

 

「五十嵐、加古。君たちから何らかの要件が有ることは、迅から聞き及んでいる。内容を述べてくれ」

「わかりました、忍田さん」

 

 もみじは息を整えて、改めて会議室に揃う、上層部の面々に視線を強く向けた。

 

「結論から言いますと――――私をA()()()()()()()()()んです」

「「「!」」」

 

 素直に驚く忍田。

 それとは対象的に、驚愕と動揺が表情に先立つ鬼怒田と根付。

 

「なんだとっ!?」

「元A級……といえど、元々それを()()()のも君だ。気が変わっただけでは承知できないよ五十嵐くん。わかっているのかねぇ?」

「無理を言っているのは承知しています。ですが、気が変わったのもまた事実です。具体的な理由も述べますが、私事であることも否定は出来ません」

「なにぃ?」

「ふむ……判断は話を全て聞いてからにしましょう。五十嵐、続きを」

「はい」

 

「私は、本日付けでとあるB級隊員の指導に入ることになりました。加古隊に編入した黒江双葉、という隊員からの師事にあたります」

「黒江くんか。早期にB級に上がった、あの優秀な新人隊員のことだな」

「はい。彼女の指導を開始するにあたり、該当隊の戦術に合わせた方針で指導を行いたいと私達は考えました――――知っての通り加古隊では、戦術の基礎に新型や、改造されたトリガーを用いています」

「五十嵐!おまえまさか!」

「はい。私は一部トリガーの完全な使用権限を頂きたく、こちらに参りました」

 

 鬼怒田の狼狽に表情一つ崩さず、淀みのない言葉と両腕のジェスチャーを交え、もみじは要件を進める。

 

 試作された改造や新型トリガーは、B級であっても一部を除いて公式な戦闘で使用することが出来ない。

 多くのケースで問題なくトリガーを使用するためには、A級という上位の権限は必須なのだ。

 

 ……これから加古隊と深く関わるにあたって。

 加古から話しを切り出される以前に、B級であることが『足かせ』になること。

 もみじには、薄々わかってはいた。

 

「なるほど、確かに過去に例のない事案だ。俺たちを呼ぶのもわかる」

 

 これを聞き、初めて唐沢が口を開く。

 いかにも感心したという風情で、素直に首を上下に振っている。

 そのナチュラルな言葉と姿勢に、嫌味らしさは欠片も感じられない。

 

「つまり今回の問題は、チーム結成を必須とする昇級試験なしで彼女を再びA級と認めるか、ということだ。加古隊に入れようにも――――」

「ははーん、このシーズンは黒江ちゃん(あのこ)()()入っちゃってるしねー。このままもみじを加古隊にぶちこんだら、加古隊は査定上、B級降格が濃厚になる」

「ええ。ついでにイニシャルにKが入っていないもので」

 

「「「「「…………」」」」」

 

 唐沢と林藤による状況整理に、食い気味で持論(?)を織り交ぜていく幽玄なるファントム。

 (事態を混乱させているのはこいつじゃないか?)と、城戸を除いた大人たち全員が一瞬、戦慄と怪訝の目を加古に向けるが……別段彼女はそれを気にした様子はない。

 

 B級降格。

 近年のボーダーではA級への昇格に、B級部隊総出で毎年何度か行われる競技『B級ランク戦』の1シーズン最終順位が1~2位であることが求められる。

 A級チームへの挑戦権が与えられたこの上位部隊が合格条件を満たすことで、晴れてA級として認められることになっているのだ。

 逆に言えば、この挑戦を受けるだろう下位A級チームはB級降格のリスクを抱えている。

 

 また、それとは別に、A級部隊には不意の降格が発生するケースが存在する。

 その一つが、四ヶ月(1シーズン)内での多数B級隊員の編入だ。

 二人以上のB級隊員の編入は1部隊の総合能力に大きな影響をもたらし、そのほとんどが実力の低下による悪影響を生ずる。

 この実戦能力の低下をA級内のランク戦で査定され、A級部隊がB級に降格する可能性もまま出てくるのだ。

 理屈上はB級一人の編入でも降格は有り得、二人で濃厚。三人で確定となる。

 

「イニシャルがなんだかんだというのは知らないけどねぇ?現状の規則に穴を持たせてボーダーの顔であるA級隊員を増やすというのは、広報を始めとした様々なリスクを伴うんだよ。それが例え、元A級の五十嵐くんであってもねぇ」

「トリガー開発の予算にも限りが有る!そもそも加古!おまえが要請し過ぎなのだ!おまえ達には一度じっくり反省してもらわねばならん!」

「いやいや室長方。少なくとも五十嵐くんはこの1年間反省してたんじゃないですか?俺はそう思いますが」

「何故そう思うのだ!」

「そりゃ、俺がラグビーやってたからです」

「理由になっとらんわ唐沢!」

 

 まじめな理由なんですが……と困ったように両の掌を天井に向ける元ラガーマンに対し、燃え上がる炎のように当たりキレ散らかすカチカチ山のタヌキ。

 表情に血管が浮かび上がらないだけマシでは有るが、ストレスに悪いのだろう。

 頭髪に影響が来るのも頷ける怒声である。

 

「まぁまぁ、聞いてみましょうよ。五十嵐くん……君は今回、どうして()()()()()()んだ?」

「…………」

 

 唐沢から意見を振られたもみじは、深呼吸をして体勢を整える。

 

 この場であっても、上っ面で整えた表情で仔細を話すことは簡単だ。

 ボーダーに入隊して実に三年。

 A級だった時期も、そうでない時期も含めて、ここにいる全員は既に見知った存在だ。

 そしてここにいる全員が――――自分も含めて――――いざという時ほど腹芸に精通していることも、とうに知っている。

 真意を見破られないか否かは兎も角として、『そういう戦い』が出来ることは、かつてここに居る全員から少しは学んだつもりだ。

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()

 

 最初に自ら『私事』と踏まえたのだ。

 真意を隠しては、嘘偽りとなんら変わりはない。

 それでは、この場にいる上層部の面々は納得しないだろう。

 だからこそ――吐き出すことを、恐れちゃいけない。

 

「私が黒江双葉――――黒江に指導を懇願されて……嬉しかったからです」

「ふむ」

「私は先程二十戦ほど、彼女と模擬戦を行いました。その時、彼女には新入りのB級としては並外れた才能と……同時に感情の『強さ』を感じたんです。猪突猛進とも言えますが……彼女は一度火がついた思いから目をそらすことがない。私がどれほど容赦なく追い詰めても、どれほど無慈悲に詰め寄っても、どれほど負かしても――――彼女は折れなかった」

「……」

「その彼女に「師匠になってください」と言われたんです」

 

 

「――――私がずっと怯み、竦んでいるわけにはいかないでしょう?」

 

 

 少しずつ、()()()()()ときが来たんだ。

 

 

 三輪(ワー)君も、他の皆も……そして何より、私よりずっと小さな子が、私が止まっている間に、かつての私より大きな一歩を踏み出そうと、歯を食いしばって歩きだしている。

 そこには私がこの一年、忘れかけていたプライドが有る。

 傲慢にも、誰かを抜かして、誰かに抜かれたくないという、独善的な感情。

 毒でも薬でも有る感情だ。

 研げば鋭くなるけれど、浸れば錆びて、ぐずぐずになって、自分がダメになっていく。

 

 ただ自分を磨くんじゃない。

 描くべき理想の自分を目指して、己を磨き上げ続ける。

 それに失敗して、昔私は後悔した。

 誰かを傷つける刃物になってしまった。

 もう、それは嫌だった。

 だけど――――

 

 ――――自分自身を磨けないことが、一番()()()()()()と気づいたから。

 

「だから、()()()()()()んです」

 

 時計の針を、歩みを止めるものは……何人たりと許さない。

 それが、五十嵐もみじの視線だった。

 いつぞやに、この場に揃うボーダー上層部に見せた目の力と、同じばかりの表情。

 それを見て。

 

「――――ようやく、戻ってきたようだな」

 

 沈黙を保っていた最高司令官が、重い口を開いた。

 

「迅。おまえがこうして積極的に我々を揃えたのだ。開発室長やメディア対策室長の想定するリスク以上のメリットを、おまえは()()()()()な?」

「当然。俺には、彼女たちの未来が視えるからね」

 

 重苦しい威圧感を保つ城戸の言葉にたじろぎもせず、実力派エリートは飄々と口を開く。

 その言葉には、揺るがない確信が込められていた。

 

()()()かはまだはっきりしないけど、彼女や、彼女の鍛えた力が、いつかの大きな防衛で必ず役に立つ。大きく被害を減らす力になるよ」

「…………」

「ボーダーにとって最も避けるべきは()()でしょ?信用、信頼、金銭、そして命。俺たちが秤にかけて、必ず守り通さなきゃいけないものだ。それを守るのは、もちろん彼女一人だけなんかじゃない。けど、彼女が絶大な戦力だってことは――――ここに居る全員が知っていることだろう?」

「ならば、私が()()ことと同じだな」

 

 最高司令官は、重苦しい表情を、言の葉の走り方を何一つとして変えない。

 厳格な雰囲気を纏ったまま、厳格な重みを乗せて、振り向く先の五十嵐もみじに、重力を乗せてのける。

 

「五十嵐。我々がおまえに求めるものは簡単だ――――相応の力を示せ」

「はい」

「私はおまえという戦力を()()()()()()()()()()()()()()()()()。場合によっては、単独で任務を与える可能性も有り得る」

「はい」

「今後、ありとあらゆる場所から要求される基準を、期待を、視線を、追及を。それら全てをおまえは当然のように乗り越えて、おまえの意志を貫いて我々の益となるのだ」

「はい」

「出来ないとは言わせんぞ」

「当然です――――そんなことを思わせるために、私はここに来たつもりではありませんから」

「吠えたな」

 

 城戸正宗の眼光は、五十嵐もみじの視界の中央に、槍のように突き刺さる。

 峻厳とも言える……常人であれば息を止めてしまうほどの、重篤な威圧感を生ずる視線だ。

 

 ……ただ私は、この目線が嫌いじゃない。

 むしろ、慣れ親しんだとも感じている。

 鏡を見たように。

 いや、鏡を見たというのは正確じゃない。

 

 『鏡よ鏡。この世で最も美しいものはなーんだ?』と問いかけることの出来るような、そんな鏡。

 そうして問いかけた先に映る――――私の目指す()()の一つではないのかと、こういう時ほど思うことが有る。

 

 だけど、私はこの人を目指すことは出来ない。

 この人は厳しくなりたい人だろうけれど――――私は優しくなりたい。

 その一点において、私と城戸さんには、他でもない決定的な違いが有る。

 

 私が坂の上の、異なる道を見つめているように。

 城戸さんもまた、異なる道の私を、上から見つめているんだろう。

 理解は出来ても、相容れることはない。

 それはきっと、お互いにわかっている。

 

 だからこそ、()()()()と……彼は言ったのだろう。

 

「……五十嵐もみじのA級昇格を承認する。連なって本日付より手続き後、個人(ソロ)A級隊員として可能な権限を行使することも許諾する。以後励むように」

「――――ありがとうございます」

 

 会議は終結する。

 最高司令官によって絶対零度のごとく凍りついた空気から開放され、会議室で固唾を呑んで見守っていた大人たちが、蓄えていた空気を吐き出した。

 鬼怒田と根付は「やれやれ」と今後予想される忙しさに毒づき、唐沢は「明日からが楽しみだな」と笑みを浮かべ、忍田は眉をひそめて、無言だった。

 「桐絵の奴がまた喜びそうだなぁ~」と他人事のように林藤はひとりごちる。

 

「良い啖呵切ったじゃない。ここからよもみじちゃん?」

「……はいっ、加古さん。わかってます」

「ならよし。ああ、それと――――()()()?」

「うっ」

 

 さり気なく無言で会議室去ろうとする迅悠一を見逃すほど、加古望は甘くなかった。

 ……いや、むしろ。

 この場で迅悠一を捕らえることこそ、彼女の()()()()()()()だったならば?

 

「明日――――炒飯パーティーで待ってるわよ?」

「……わ、わかってますって」

 

 先程までの歴戦の強者の余裕は何だったのか。

 というより、もみじはこの時の迅の()()が、あからさまに普段より酷いことにうすうす気づいていた。

 このレベルのそれは、過去一度として見たことが無いと言っても良い。

 おそらく数分の一の()()が当たるのだろうなと、他人事のように思い至って。

 

「……ぷふっ!」

 

 思わず笑いがこらえきれず、不謹慎な声を少し漏らしてしまった。

 

 

 

 

「五十嵐()()

「あ、忍田さん」

 

 会議室から出た後、私は通路で忍田さんから声をかけられた。

 柔和ながらもピンっとした空気を持っていた会議室のときとは違い、今の声と表情には朗らかな雰囲気に満ちている。

 

「城戸さんと向かい合って話すのは酷だっただろう?辛いことをさせてしまったな」

「いえ、私が決めたことですから」

「……そうか」

 

 忍田さんの表情には、安心した笑顔と、憂いの含んだ曇ったものがまぜこぜになっていた。

 ……そう。この人は()()、私のことを知っているから。

 

「五十嵐くん。聞くまでもないと無いことだと思うが」

「はい」

「君がA級に戻るということは、君が『避けていた』物事と目を合わせるということだ。いずれ()()()()()で城戸さんの思惑、ひいては君の古巣とも関わることになるかもしれない。君は……それでも?」

「はい。もう十分逃げ続けたので……今のうちに気持ちを慣らしておかないと」

「そうか……君がそう言うのなら、私に言えることは殆どない」

 

 忍田さんは何か気持ちに踏ん切りを付けたのか、その表情に、格好の付いた一本芯を張る。

 ……優しく、立派な大人の人なんだと思う。

 人を心配するときと、人を送り出す時。

 人をねぎらうときと、人を使う時。

 この人が、全てにおいて特に気を配ってることが、よくわかる。

 

 他人事だけれど……沢村さんあたりが、目に見えてこの人の前で肩肘を張る気持ちが、なんとなくわかるものだ。

 

「頑張りたまえ、五十嵐くん。鍛錬は裏切らない。鍛錬の方法が裏切るだけだ。海外(むこう)で数々のアウトドアスポーツに明け暮れた君なら、それはよくわかっているだろう?」

「はい」

「よく動き、よく考え、心と身体をよく鍛えるんだ。正しさは一定じゃないが、正しさを考え続けることが、君を裏切ることはない」

「……ええ」

「改めて。ここボーダーで君の鍛錬の結びを活かせること。私は誇りに思う」

 

 

 

 “いやぁ……恥ずかしながら、動画配信サイトで君の活躍に釘付けられていたことが有ってね”

 

 “その歳で当時の私よりも機敏に動き、海外にまで出た偉業を……正直言って童心にかえって妬んでしまったよ。はははは!”

 

 

 

 ――――そう開口一番に言われて、三年は経っただろうか。

 

 忍田さんはボーダーでも随一の運動神経を誇ることは有名だ。

 その忍田さんが自ら誰かを『ファンだった』と言うことの意味を、当時の私はよくわかっていなかっておらず、受け止める心境でもなかったけれど。

 

 ……自分のファンの人を直属の上司に持つことは、なんだか良い意味で、こそばゆい。

 最近は、少しずつそう思うようになった。

 

 

「五十嵐もみじくん――――これからも応援している」

「はい――――ありがとうございますっ!」

 

 

 A級個人(ソロ)隊員・五十嵐もみじの戦いが――――今日から再び始まった。

 

 

 



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小南桐絵①


・今回の登場人物

【五十嵐もみじ(いがらしもみじ)】
 主人公。(次話で軽く触れるが)ラウンドワンを辞めた。
 この十二月以降から(当時B級隊員の)雪丸に重篤な影響を与え、後に改造スラスターで空を飛び回る変態を生み出すきっかけになることを彼女は知らない。
 なお原作で登場しない限り、雪丸が直接描写される日は永遠に来ない。

【小南桐絵(こなみきりえ)】
 A級の負けず嫌い隊(木崎隊)隊員。
 料理勝負では必ずカレー対決に持ち込む大人気なさを誇り、二宮隊とのランク戦ではまっさきに辻を狙う大人気なさを誇る。
 但し、辻はA級隊員の女子全員から狙われている人気者なので、この件に関しては誰も大人げないと思っていない。

【三輪秀次(みわしゅうじ)】
 A級・三輪隊隊長。
 こじらせた復讐心が、飾り気のない容姿をガワに歩いていることに定評がある。
 平々凡々とした髪型には地味にこだわりがあるようで、たまたま別の散髪屋で別の髪型になってしまった時、もみじに魂が抜けた表情をされたせいで、いよいよ行きつけの散髪屋以外に行かないことに決めた。
 万一その散髪屋がトリオン兵に破壊された場合、彼は正気を保つことが出来なくなるだろう。

 ……三輪ゴラスイッチ……



 (※迅さん達が死ぬ炒飯番外編はまた今度やります。ひとまずは本編をどうぞ)



 時刻は十八時を過ぎ、十二月である現在の外は当然、夜の暗さに染まり果てていた。

 しかしその暗がりを追い出さんとするように、巨大な建造物であるボーダー本部基地内では、あらゆる活発な光が、煌々と揺らめいていた。

 

 競争。強壮。狂騒。

 都会の冬には季節外れな光色は白のLEDライトによるものか、それともトリオン技術独特の発行によるホワイトか。

 そのやたらめったらに降り注ぐ光を浴び、雪が降る日を珍しがる童のように。

 機械的な大広間(ブース)に中継された映像に、何十人もの少年少女達が、目を凝らしてその光景を見ていた。

 

 個人ランク戦。

 そう、その試合は。

 NO.4アタッカーと、NO.1()アタッカーの――――

 

 

 

 

 ――――もはや、()()()()だった。

 

 

 戦いが繰り広げられている間合いは本来、最低でも片方がサイズを縮めた『スコーピオン』トリガーで肉薄する距離である。

 スコーピオンは変形する白刃のトリガーであり、自由自在に形を変える変幻自在の近接武器だ。

 使い手の体内と緩衝しないため、トリオン体の中からも操れ、体のあらゆるところから枝のように生やすことすら出来る。

 代わりに近接武器(ブレード)の中では耐久力に乏しく、大きく刃を伸ばすと更に脆くなる。

 

 ――――だが、この場にスコーピオン使いは居ない。

 

 激突を繰り返すのは、柄が短く残ったようなスコップが持ち手二つと、刃渡り60cm(小太刀)の二刀流。

 白い刃がおまけと言わんばかりに柄に短く生やされたスコップに、反りがかった光刃が、似合うはずもなく同格な衝突を続けている。

 それら不揃いな武器達の担い手は、両方が十代の女子だった。

 

 カミソリを顔になぞらせるように小太刀が二刀を交差させ、間髪入れずに敵対者を多角的に切り刻む。

 対するスコップの持ち手は、刃という猫じゃらしを正確無比に追い切っている……猫ならざる獅子だ。

 一つ、刃の差し込みを隙ありと見たならば、猫じゃらしを持っている相手の手ごと重心に引き込み、食いちぎる獣の動き。

 しかし、刃の鋭さはそれを許さない。捉えどころのない剣撃は跡を濁さない。

 果てしなく緊張が高まり、息の詰まった攻防が灼熱と見紛う空気感を生み出す。

 

 

 ()()()という言葉がある。

 近年では剣道三倍段などと呼ばれるが、元々は戦国時代、槍と刀の対決の優位度を言い表した言葉だ。

 

 意味は簡単。()()()が長いほうが強い。

 

 近寄るに難い故、崩すに能わず。

 太刀の一撃が届かない距離から、槍が一方的に相手を苛め抜くことが出来る。

 これを覆すには、初段を数字の一として、三倍の段位の実力が刀の使い手に必要とされたという。

 

 

 だが、目の前の光景は如何様か?

 ハンドレンジ程度しか持ち得ないはずの千切れたスコップ二つが、二つの小太刀の攻撃一つ一つを堂々と受け流している。

 

 小太刀は、スコップより長い間合いを活かし、離脱と接近を不規則に繰り返し、ペースを握られないように戦闘距離を操作する。

 対してスコップの持ち手に許される制圧行動は、大きく分けて振り向きと接近のみ。

 攻めに回っては一気に近づき、攻撃を流しては独楽(コマ)のように振り向きながら近づき、相手が刃を振るう間に近づく。

 持ち手の握りを回転させ、掌側か裏拳側か……スコップの柄をトンファーの如くに左右させ、刃の振りを止めて、いなしては、またいなす。

 無慈悲な鉄塊の如き防壁が意思を持ってはバキッ、バキッと、大地を踏み鳴らして迫ってくるかのようだ。

 

 ほぼほぼ互角。

 しかし、武器の間合いの違いがハンディキャップになっている様子はない。

 既に互いの得物が、単純に手足の延長に等しいだけ。

 細かい程度の間合いの違いなど、両者の足かせにもならなかった。

 

 だが両者共にここまでで表向きアクロバティックな動作こそ見せていても――――結局は()()、硬い。

 これが居合抜きの勝負であれば、未だ互いに刃を抜いていないに等しい。

 故に、まだ『動き』はない。

 戦いの映像が中継されているブースの中でも、薄々それを察するものが何人か居た。

 

 

 

「……五十嵐」

 

 そのうちの一人。

 平凡に降ろされた頭髪。

 黒と紫を基調とした隊服の少年が表情筋を僅かに動かして、その映像を睨み見ていた。

 

 

 

 五十嵐もみじ。

 現在ボーダー内レート、個人ランクポイント・攻撃手(アタッカー)4位。

 

 小南桐絵。

 ()()ボーダー内レート、個人ランクポイント・攻撃手(アタッカー)1位。

 

 

「な、なんだあの人……!?」

「No.1アタッカーと何分戦ってるの!?」

「いやいやいや!?持ってるのアレ武器なの?カタログにないんだけど!」

 

 堂々たるNO.1アタッカー・小南と同等に戦い続ける者を、ブースに居る多くの人は知らない。

 考えれば当然だ。

 もみじが個人ランク戦のブースに姿を現すのは実に一年ぶり。

 C級(みならい)隊員の多くが、存在を今日知ったばかりの戦鬼の存在感に圧倒され、大画面に視線を釘付けられている。

 

 だが、彼女は知る人ぞ知るボーダーの申し子の一人。

 B級以上で彼女と関わりのある隊員達は、納得するかのような……或いは、初めてランク戦で垣間見るその戦いぶりに、普段とは異なるギャップを叩きつけられた表情をしたか。

 彼女がA()()()()()()()()()()の持ち主であると知らしめるには、目の前の彼らに見せるは十分すぎる。

 

 ――――()()()()()()()()

 

 今日はもみじも小南も、お互いに勝ちに来ている。

 明日も、明後日も、何より、『決着』がつくまで。

 彼女たちは熾烈を極め続けることだろう。

 今か今かと戦いの中で牙を研ぎ続け、相手を潰す機会を見出すために、途切れぬ気迫を修羅と向ける。

 

 

 

 「――――そこ」

 

 どちらが言い出した好機の言葉だったか。

 

 トリオン体に短髪を設定している小南が太刀筋を鋭く突き立てると同時、弧月の刃をもみじの水月(みぞおち)に向かって鋭く穿ち放つ。

 だがその機微をもみじは見逃さない。

 瞬時に半身になり刺突を躱しながら、仕手を流すために刀身に右手のレイガストの側面を添え――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――――

 

 

 ――――重心を殺しに行く前に、刀身が()()()

 

 

「(! ()()()!)」

 

 トリオン供給をOFFにされた小南の左手の狐月の刃が無惨に崩壊する。

 強度展開を終了したトリガーの挙動には各武器ごとに規則性が有るが、弧月のそれは脆くなり、切れ味を失うこと。

 わざわざ武器を消さずに展開をOFFにすることは、その場だけの手間を省いて納刀をしておくためか……または用無しを意味する行為だ。

 

 一瞬の内の一瞬。

 

 タイミングを穿ち、小南は右から弧月を差し込んだ。

 刺突が裏拳側に回していたスコップの三角形の内に入り――――外側に刃を振り払ってはもみじの左手のスコップを剥奪する。

 相手が武器を持つままであれば体勢を崩させ、手を離せば武器は遠くに去り、確実な防御力の欠如を生み出す。

 次の瞬間、もみじの体勢は、武器は……すっ飛ばされただろうか?

 

 

 ――――両方の現象が起こる。

 

 ――――両方の現象が起きて、小南桐絵の体は遠方に弾き飛ばされた。

 

 

 トリガーの高速切り替え。

 武装を高速でスイッチして、瞬間的に取れる手札の数と対応力を引き上げる……いわば実力者の地力の一つ。

 一切のロス無く武装を切り替える力は、迷いのない動きと、途切れることのない隙の無さにつながる。

 ひいては、強さを底上げすると言っても良い。

 

 

 ラウンドワン三門支店長、信濃川匙に曰く。

 レトロゲームのBGMには、曲自体に、一度に出せる音の数に制限が有った。

 瞬間的な演奏個数そのものに制限が有ったので、一つの音源がなる瞬間『だけ』他の音源を違和感なく鳴らさず、その逆も然りな作曲が求められた。

 制限あるルールの中で幻術(マジック)のように多数の音をかきならしたレトロBGMは、見かけの楽譜以上の魅力を聞くものの耳に提供し、評価されたのだ。

 

 

 ()()()()()

 両手のメイン。サブトリガーで起動・展開できるトリガーの数は二つが原則だ。

 だがこの切替の瞬間だけ、展開できるトリガーの幅は大きく広がりを見せる。

 武装を使い捨てるその瞬間、既に新たな武装を展開する妙技は、ボーダートリガーの限界展開数である『ニ』をその瞬間だけ『三』、または『四』へと昇華させる。

 

 

 五十嵐もみじは左手のレイガストごと体が飛ばされる瞬間にレイガストの強度展開を終了。

 弧月の遠心力に相乗りする形で体を浮かせ――――左足のつま先にレイガストを発生して噴射(スラスター)し、空中捻り後ろ回し蹴りで反対の側面から小南桐絵をぶん殴ったのだ。

 

「っっ!!」

 

 小南はギリギリで左手に逆手持ちで弧月を起動してこれを受けるも――――強すぎる衝撃を殺すことができない。

 戦闘ステージの後方に設定・建造されている構造物が、放たれた小南のトリオン体の重みで幾重にもなぎ倒される。

 もみじの十八番であるパイルバンカーをうちこむには、まさしく絶好の好機。

 

 

 だがその瞬間――――もみじの周囲を破砕する()()が駆け巡り、遂に釘による追撃が発生することはなかった。

 

 

 ……十秒ほど静寂が訪れる。

 その僅かな時間で体勢を整え再び姿を現した両者は、土埃にまみれていた。

 更にもみじのトリオン体は全身から浅めの破砕傷と少量の発煙(トリオンもれ)がうかがい知れ、先の爆発を防ぎきれなかったことが把握できる。

 

「……困るわね。今のあんたならこれ一回で殺しきれると思ったんだけど」

「あははは……一瞬でも反応が遅れてたらミンチだったけどね」

 

 ――――()()()()()()

 

 メテオラとは、射手(シューター)ポジションが多く扱う、着弾時に爆発する白い弾丸だ。

 起動時に立方体状に中空に形成されるそれは、発射するまでの間に分割して細かくすることが出来る。

 これは発射を遅らせたり地面に置いたままにすることで、時間差攻撃や地雷としての運用を可能とする。

 

 近接戦でそれを瞬時に行うは、小南桐絵の歴戦ぶりを象徴するゲームメイク。

 もみじの攻撃によって吹き飛ばされることまでを計算ずくで視界外にメテオラを展開、八方にばらまいておき、相手が攻撃した直後に起爆する、圧倒的手癖の悪さを象徴する手段だ。

 無論その切替は弧月をOFFにした瞬間から行われ、最後に受け太刀に使った弧月も計算づく故に起動が間に合い、後方にあえて吹き飛ぶことが許された。

 その時の違和感にもみじが気づけなければ、彼女はシールドで両防御(フルガード)することもできずに爆発四散していたことだろう。

 

「偶然丸くなれて助かった!」

「もみじ……久々に見たけど、控えめに言っておかしくない?ダンゴムシか何か?」

 

 至近距離から三百六十度を粉砕するメテオラを、全方位に広げた円形のシールドで防ぐことは難しい。

 シールドは面積を広げるほど防御力が低くなる上、デフォルトサイズでももみじの愛用するレイガストより耐久力の信頼性は低い。

 

 しかし、偶然ひねりを加えて小南を蹴った直後だったことが幸を奏した。

 反射で体を丸めたもみじは底面積の円球シールド内に瞬時に引きこもり、損害こそ被るものの五体無事のままで爆発を凌いだのである。

 

 

 今頃、沈黙と驚愕がブースの広い空間を支配していることを、彼女たちは知らない。

 当然ながら、今の超常的なやりとりは、一部の実力者以外把握できている者が居ない攻防だ。

 内容に気づいている者に至っては、その誰もが戦慄の表情を浮かべているほどの。

 

 

 

 ――――……思う。

 

 一年間逃げていた、戦いの空間。

 この前、力を鈍らせたまま三輪(ワー)君に渾身の相打ちと毒舌を拾って不貞腐れていたあの気持ちから、そうあんまり日は経ってない。

 でも、今日この場でナーちゃんと戦えているのは、きっとワー君と……黒江(クー)ちゃん達のおかげだ。

 

 目を覚ました、新鮮な心地を味わう。

 正確には、久々に錆だけを落として、やる気だけが舞い上がってるようなものだけど。

 けど、やる気がなかった頃よりは全然いい。

 最低限、体は覚えていてくれている。

 今は、それだけでも十分だから。

 

「ナーちゃんっ!」

「何?」

「私――――負けないからっ!」

「それはこっちの台詞!でも、まぁまぁ倒し甲斐が戻ってきた感じは認めてやってもいいけど?」

「ありがとう、ナーちゃんっ!」

「ふんっ」

 

 小南桐絵は、表向き鼻を鳴らすように威張る。

 だがその表情には笑みがこぼれ、体もこころなしか浮足立っている。

 

 ……やっと、あたしのクラスメイトが戻ってきた感じがある。

 こいつが何を考えて場違いに明るく振る舞うかは、少しまだ理由を聞ききっちゃいないけど。

 それでも、あからさまに落ち込んでるのをずっと見るよりかは、よっぽど気分がいい。

 

 あんたはそうでなくっちゃ。

 どこもまぁまぁ認めてるけど……友達の顔を見るならやっぱり、笑顔がいいんだから。

 

「あたし、あんたの錆落とすつもりないわよ」

 

 くるくると、現れた弧月の刃が巡りめく。

 両の手元で何度か刀身ごと柄を遊ばせてから、手ぬぐいを締めるように再び強く握る。

 

「あんたを刀の錆にして、堂々とセレモニーを飾るから」

「そう?私にも目標が有るよ」

 

 正面。

 広げた掌の前、瞬時に発生した二つのスコップを力強く掴み、小南を見据えながら彼女の相貌は、飢えている。

 

太刀川(ター)さん、風間さん、そしてナーちゃん。まずは皆からポイントを根こそぎ奪い取って――――ワー君にぎゃふんと言わせる!」

「はぁ……最終的にあいつがターゲットなの最高にあんたらしいわね。あたしは眼中にないってわけ?」

「そんなことないよっ!強い人の方がポイント多く取れるじゃん!」

「言ったわねもみじ……潰す!」

「潰れないっ!行くよナーちゃん!」

「こ・っ・ち・の・台・詞っ!」

 

 戦いの幕が上がり、少女たちは己の武器を手に、駆け巡る。

 渡り鳥が熱気を求め、大地を、海を旅するかのように。ボーダー本部の個人ランク戦ブースは、一年ぶりの闖入者をきっかけに熱気と湧く。

 冬季休暇が始まるまで、恐らくは冷めないであろう、凍えを吹き飛ばす熱狂が

 ――――そこに在った。

 

 

 A級部隊、木崎隊。

 その()()()()()()まで、残り十日を切っていた。

 

 



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小南桐絵②



・今回の登場人物


【五十嵐もみじ(いがらしもみじ)】
 主人公。結局、ラウンドワンに備え付いていた数々のゲームはあまりやらなかった。
 ランクポイントはポイントが多い人から刈り取るのがセオリーと考えているため、この時期明けから、太刀川ほどでは無いにせよ、時折やってくるポイント収穫の死神として恐れられるようになる。


【信濃川匙(しなのがわさじ)】
 ラウンドワン三門支店長。
 あらゆる音ゲーを嗜んで身につけた驚異的な肺活力と、ゾンビゲーを嗜んで身につけた警戒を怠らない常在戦場の心が、神出鬼没の歩法と観察力を生み出したと本人は語るが、真実は定かではない。


【米屋陽介(よねやようすけ)】
 A級三輪隊隊員。
 三輪隊のムードメーカーであり、学力をそれなりに犠牲にすることで、主に三輪の青春を保つ力を得た。
 一説には三輪が自分の知らないところでなにかに楽しんでいることが気になったのか、ボーダー入隊を早く決断したという。
 学力より大事なことが、この世界には満ちるように溢れているとは、彼の心の談。


【風間蒼也(かざまそうや)】
 A級風間隊隊長。
 彼がスコーピオンを欠けさせたところは誰も見たことがない。
 実際には一度でも誰かが見たのだろうが、しかし彼の刃が欠けたという報告や噂話は欠片も広まってこない。
 某隊員がその真実を突き止めるべく風間蒼也本人の観察を始めた直後、背後から背の低い誰かに肩を叩かれて――――




 

 

――――振り返ること一週間前。

 

 

 

「というわけで五十嵐ちゃん、君自由ね」

「え、えぇ……?」

 

 ラウンドワン三門支店。

 A級に復帰したもみじは、ボーダーでの活動時間を増やすため、高校生になってから実に八ヶ月ほど通っていたバイト先であるラウンドワンを辞めるために顔を出していた。

 が、事務室にて店長の信濃川に即刻言い渡された言葉は、まるでこの()()を読んでいるようであり、明日から来なくて良いと言われてしまったのである。

 

「店長……以前から私のこと嫌ったりしてましたっけ?」

「いいや。先日言ったでしょ?流れだよ流れ。そろそろだな、って」

「また、なんでそんな?」

「もともと気慰みでここに来てたでしょ?ぼかぁおじさんだからね、人生経験の長さでわかるものはわかるさ」

 

 信濃川匙は五十代の男性である。

 もっとも、あまり顔にシワも白髪もないため、多くの人は三十路から四十路の合間だと、彼を一見して判断する。

 無論、もみじも以前までは、その多くの人間の内の一人だった。

 

「よく年齢を間違われる僕だから言えるけど、若さってのは意欲さ。エネルギッシュさってのはこう、空気に出てくる。今の君は空気が良い」

「それは……なんとなくわかりますけど」

「だろう?君は他の皆より一段と背負ってて、視野も見えてる。同じ年の他の子よりいくらかも。でもその分、見るこっちも慣れればわかりやすいから、いつも暇な時は影からのんびりと」

「店長、だから他の人によく神出鬼没って言われるんですね」

「まぁね」

 

 頬を某悪徳セールスマンの如く、綺麗に整った白い歯並びをちらつかせる。

 今にも中空に「してやったり」と、ピコーンとした光が浮かんできそうな悪い顔だ。

 

「そゆわけで、シフトの実験を一ヶ月前からしててね。君がいつ抜けても問題ないようになってる。気にすることぁ無い」

「店長……」

「だから、気にしないでいいって」

 

 信濃川から見るもみじは、普段は明るくこそ振る舞うが、内心が暗い印象が強く目立っていた。

 元々が気慰みでここラウンドワンに務めていた、と見えたのも有るが……彼には、もみじが年には不相応な悩みを常日頃から抱えていると思わざるを得なかった。

 故に――――

 

「ボーダーでしょ?前見たら、B級の名簿には載ってたし」

「……知ってたんですか?履歴書に書かなかったんですけど」

「そりゃあ、如何にもガチで何かをやってます的なオーラを、ダーツする度に出してたら気になるさ。ここ三門市で代表的なのと言えば、それは一つだろう?」

 

 三年半以上前に三門市に突如降り掛かったネイバーフッドの襲撃。

 三年以上前に立ち上がった、界境防衛機関ボーダー基地。

 ここ数年で、すっかり三門市は様変わりしてしまった。

 

「アレが有ってからさ、ここも変わったよね。良い意味でも悪い意味でも」

「……」

「――――って感傷に浸るのは大人の特権!やりたいことが決まってるなら、若い子はやりたいことをやれば良いのさ!じゃ、行った行った!」

「おっと」

 

 背中を少しばかり強めに押し出され、上半身をお辞儀する形になったもみじは、足が不動のまま上半身をシームレスに元の位置に戻した。

 

「――――……それ、前に歩いとくもんじゃないの?」

「……つい癖で!」

 

 ……自分の悪癖に苦笑いと冷や汗を浮かべながら、ぐだぐだした空気でラウンドワンから情けなく出ていく女子高生の姿がそこには有った。

 

 

 

 

 

 

 こうして、A級ソロ隊員五十嵐もみじとして、改めて活動を開始した彼女だったが、当然ながら問題は有った。

 

「さしあたっては、得意武器の個人ランクポイントで上位に入るようにしてほしいねぇ。可能なら、攻撃手(アタッカー)で三指に入ることが好ましい」

 

 メディア対策室長・根付栄蔵が出した『課題』は、単純かつ厳格なものであった。

 ポイントレーティングで腕を競い合うボーダーランク戦のうち、近接武器において最上位付近に位置すること。

 恐らくはそれが、彼が周囲に自身を『売り込む』ために必要な条件であると、もみじは理解していた。

 

 

 ボーダー隊員の役割(ポジション)は、当人の最も得意とする武器で分けられるのが基本だ。

 

 近接攻撃武器を操るのが攻撃手(アタッカー)

 トリオンの弾丸を銃を用いて打ち出すのが銃手(ガンナー)

 トリオンを、キューブと呼ばれる塊にして、銃口を介さず中空から打ち込むのが射手(シューター)

 銃の使い手の内、狙撃銃を専門にした者を狙撃手(スナイパー)

 

 他にも万能手(オールラウンダー)、トラッパーと言ったポジションも存在するが……

 十二月現在の時点で、このうち、アタッカーとして最上位のランクポイントを保有する隊員は、その誰もがA級。

 しかも、ボーダー開設時からの初期入隊、或いは――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 

 NO.3アタッカー・風間蒼也。

 NO.2アタッカー・太刀川慶。

 そしてNO.1アタッカーである――――()()()()

 

 

 このうちの三人で太刀川と小南は常日頃から個人ランク戦に張り付いており、反対に風間はあまり個人ランク戦を嗜んでいない。

 ランクポイントは個人ランク戦以外にも、A級やB級ごとの部隊ランクマッチ、防衛任務などでも得ることが出来る。

 風間は姿が透明になるトリガー『カメレオン』の最高峰の使い手として有名だ。

 もともと高い実力を持っていたが、以前開発されたこのトリガーとの噛み合い具合から圧倒的なキリングスコアを稼ぐようになり、またたく間にランクポイント最上位近くへと上り詰めたのだ。

 

 だが、今のこの時期。

 珍しくこの風間蒼也が個人ランク戦に張り付き、釣られて他の隊員達もブースに寄り集う流れから、個人ランク戦はかつてない賑わいを見せていた。

 レイガストで稼いだポイントの低いもみじは、競争が激しいこの時期を、レイガストによってこの者たち最上位アタッカー達に並び立たねばならない――――

 

 

 

「――――というわけで!ポイントありがとー米屋(ヨー)君っ!」

「おまえほんとさらっと言うよなぁ」

 

 よって、もみじはまず挨拶代わりに、バトル大好きな米屋陽介のポイントをかじりまくっていた。

 レーティングマッチ制度は、ポイントが低い者がポイントを高い者を倒した時、より多くのポイントを得られるようになっている。

 反対に、ポイントが高い者がポイントの低い者に負けた時は、多くのポイントを喪失する。

 十回勝負を七対三で米屋に勝利した彼女は、ランクポイント閲覧用に装着した専用の腕時計(クロックウォッチ)から、稼いだポイントを喜々として眺めていた。

 

「こういう時一番気軽にやりあってくれるのはヨー君でしょっ!」

「そうだけどな。でも()は他も格別だぜ?」

「今は?てっきり隊員の数が一年前より増えたから、ずっとこんな感じかと思ってた」

 

 ランク戦ブースは、外の冬の寒さに似合わない熱狂を奮っている。

 もみじはてっきり「ここもここまで賑わうようになったんだなぁ……」と感心したまま観察を終える所だったのを、米屋の一言で状況のズレに気がついた。

 

「あー、一年ここ来てなかったおまえにはそう映っか。A級ランク戦(チームの)見てた?」

三輪隊(そっち)のとこしか見てなかったなぁ……」

「あんがとよ。おまえが復帰したの含めて秀次達に伝えとくわ。っと、それより……今期の始めに、ある隊から爆弾発言が開幕で飛び交ってな」

「爆弾発言?」

 

 ……よっぽどのことじゃないと驚きそうにないけど……。

 

 先日、地雷原であるボーダー上層部に足を運んだもみじにとって、想定する爆弾のハードルはものすごく高かった。

 一歩でも踏み外せば連鎖爆発する戦場のど真ん中から五体無事で帰ってきた彼女にとって、生半可な言葉なぞBB弾の破壊力にも満たない。

 無敵じゃないけど鋼鉄。

 今もみじには、何故かそう言い切れる極端な自信が体内を充満していた。

 

「木崎隊が今期でランク戦を最後にするってな。個人ランク戦ももうやらねーって」

「へぇー、あの木崎隊が……――――えっ!?」

「そう、あの木崎隊がな」

 

 木崎隊。

 驚異のトリオン量に、堅実な判断力と知識によって裏打ちされ、数多い武装の熟練を誇る『完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)』木崎レイジを隊長とした――――A級()()部隊。

 エースに最強のアタッカーである小南桐絵……そう、あの小南桐絵を抱え、数多くの隊員たちの頂点に立つ、王の中の王と言っても良い最強の部隊。

 

 

 そう、星輪女学院のもみじの同学年の……あの小南桐絵を抱える。

 NO.1アタッカーである、あの小南桐絵を――――

 

 

「――――えーーーーーーっ!?」

 

 

 はい、爆発しました。

 

「その様子だと、まじで何も聞いたなかったっぽい?」

「一言も聞いてないよーっ!小南(ナー)ちゃん強気だから全然自分から弱音とかなんか言わないもん!」

「ははは!確かに見栄張ってるからあいつから言わないのも不思議じゃねーよな!」

「ああもうヨー君っ!他人事みたいなこと言って!もっと早く復帰しとけばよかった!」

 

 腕を振り下ろしぷんぷんと怒っている様子はブースの熱狂にかき消されて紛れてこそ居るが、光明さに溢れた愛らしさを隠しきれては居ない。

 わかる者がいれば、遠目からそれが五十嵐もみじだと判断できる存在は、この空間に多少なりと存在していた。

 

「――――五十嵐か。先日の件、聞いたぞ」

「! 風間さん!」

「風間さんおいっす」

 

 もみじと米屋の前に姿を現したのは、今話題の一人、NO.3アタッカー風間蒼也。

 黒髪をラフに整えた、青と黒を基調とした隊服。

 一見してギリギリ中学生と見間違える身長の低さとはかけ離れた冷静さと鋭い目つき……そして二十という年齢を兼ね備えたクールボーイ。

 アタッカーとして言えば、スコーピオンで最も高いポイントを持っている、今話題の隊員の一人、その人だ。

 

「挨拶に来た。一年前からおまえを知っている者に、おまえの復帰を喜んでいない奴はいない。今か今かとおまえを待っているぞ」

「ありがとうございますっ!そういう風間さんも、私に?」

「今日はここまでだ。生身を慣らす時間を取らないと、寝れずに明日以降が崩れる。また明日からだ」

「やっぱ真面目だなぁ、風間さん」

「お前はもう少し学業を頑張ることだ。時折そっちの隊からおまえへの嘆きが聞こえてくるぞ」

「へーい」

「あっ!ヨー君また化学補修したの!?」

「げっ、そういや言ってなかった!お先っ!」

「ヨーくーんっ!?」

 

 弱みを握られ、たまらず逃げ帰った米屋の方向に手をのばすも、もみじが掴むものは虚空だけ。

 普段の米屋相手なら、彼をひっ捕まえては古寺のところに連れて行って説教する作戦が効くのだが……何年も年が上である風間さんの前でそうこうはしゃぐわけにもいかない。

 

「やれやれ。太刀川ほどではないが、ため息が出る」

「太刀川さん……ええ、はい」

「これは言うべきではなかったようだな」

 

 瞬時にもみじの太刀川への苛つきを看破し、風間はもみじへ振る話題を選ぶ。

 

「先程、米屋と話していたことは木崎隊の件か」

「はい……だいぶ驚いちゃいまして」

「俺も聞いたときは内心似たようなものだった」

「風間さんが?」

「ああ。お前も知っていると思うが、あいつらはここで最も()()ボーダー隊員だ」

「(……風間さんが驚いてる姿を想像できないって意味だったんだけど)」

 

 少しばかり目を細めているもみじのことを知ってか知らずか、話は続く。

 

「俺は、あいつらがずっとボーダーを牽引していくものと思っていた」

「東さんとかは?」

「あの人は()()()だ。トリオンの成長期はとっくに終えているから、隊の編成を変えて後塵を拝したり、戦術やトリオンの研究に尽くしている」

 

 一度もみじの元へと振り返り、そしてまたブースの大画面へと振り返り。

 

「木崎隊はそれとは違う。木崎は二十歳だが、少なくとも小南はお前と同じ十六……まだ上にいるつもりだと、俺は思っていた。木崎隊が抜ける理由は聞いたか?」

「いえ、そこまでは」

「支部を立ち上げ、林藤元開発室長が支部長に付くそうだ。そしてランク戦の規格から完全に外れたトリガーを試作し、木崎隊の面々が運用モデルになると聞いている」

「そう、なんですか……」

「あいつらも、東さんに近い()になるということだ」

 

 

 ……林藤さんとは、ナーちゃんとの繋がりでそれなりに話したことが有る。

 常に飄々とした表情と態度を崩さず、それでいてどことなく大人のしっかりとした対応力を持っている。

 ナーちゃんは古くからあの人の世話になっているようで、彼をボスと言って慕っていた。

 その彼が支部長に付いて新しい支部を立ち上げることは、きっと大きなプロジェクトの一つだろう。

 その経緯や構想の推移、展開を、私は予想できない。

 だけど先日からさっきまで……あの人が発した一言に私はちょっとした疑問を残していた。

 

 

“桐絵の奴がまた喜びそうだなぁ~”

 

 

 以前、こっそりあの人が私に伝えたことといえば、私がナーちゃんの同級生になってたのを喜んでた、という内容だったか。

 

 ……思い返してみると、あの時の私は密かに落ち込んでいてばかりで、ナーちゃんが清涼剤だった。

 ずっと、彼女に迷惑ばっかかけてた気がする。

 ナーちゃんは習い事を中学でやめて、高校に上がってから、水を得た魚のようにボーダーでランクポイントを稼いでいった。

 でも、私がポイントを賭けてナーちゃんと一人で戦えるチャンスは、一度としてなかった。

 

 なら、きっとこれは――――最後のチャンスなんだ。

 

「五十嵐。おまえはどう思う?」

「……風間さんはどう思ってますか?」

「勝ち逃げはされたくないな」

「風間さん、案外負けず嫌いですよね」

「俺が今日ここに居る理由だ。おまえはどうだ?」

「私は……」

 

 胸に手を当てて、少しの間だけ、瞳を閉じて。

 そして――――開く。

 

「……私より順位を下にしたいですね」

「五十嵐。おまえは案外負けず嫌いだな」

「……根に持ってます?」

「明日から楽しみにしている」

「風間さんっ!?」

 

 爽やかな笑顔で手を振り、ブースから去っていった風間に乾いた笑いを浮かべながら、もみじは心の内を整理する。

 そう長く日にちは残されていないと、誰の目にもわかるだろう。

 彼女は、決意を新たにする。

 

 ナーちゃんが寂しかった分。

 私が暗かった間も強がっていてくれた分。

 その借金を、今清算するときだ。

 

 両手で頬を叩く。

 叩いて、気つけする。

 

 

「よしっ!」

 

 

 ――――あの頂上から、彼女を全力で、私が引きずり落としてみせる。

 それがきっと――私に出来る、彼女への、友達への最大の礼儀だから。

 

 

「ナーちゃんに――――勝つっ!」

 

 

 目標は、心のすぐそこに有るんだから。

 

 



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