夏は過ぎて金木犀のにおいを感じて立ち振り返ってみれば、秋もそこそこに冬の風。集める葉も増えてきた。落ち葉に火をつけて、律儀に出した膝小僧やあかぎれの兆しの見える手を火にかざす。
落ち葉は最近ではめっきり燃やさなくなってしまったけど、たまにこうやって燃やすと懐かしいにおいがして私は好きだった。夏最後の蚊遣り火のにおい、今年一番の香霖堂のストーブの灯油のにおい。忘れていたのに嗅いだとたんに懐かしくて嬉しくなる。
真っ黒な影が頭に落ちてきた。炎が揺れ、木の棒が落ち葉の下に差し込まれる。続いて不機嫌な声。棒っ切れのような白い足が目の前に立っている。私は彼女を見上げた。黒の、着膨れで丸みを帯びたシルエットが炎に照らされている。思った通り、魔理沙だった。
「芋なら無いわよ」
「分かってるよ」
魔理沙は私の先回りの返事にも意を介さぬ様子でそのまま火の前に陣取った。そして黒い手袋を外すと私と同じように手を火に当てる。
魔理沙はへっ、と気の抜けた笑い方をした。私の顔を見てにやにや笑うとすぐに口を開く。
「なぁ、何をそんなに嬉しそうにしてたんだ?」
「嬉しそうにしてたかしら」
「してたな」
「あぁ、なんだろ。そうね、星座占いが……」
「最高だった?」
魔理沙は意地の悪い顔をして笑った。私はすぐに余計な答えを言ったことに気がついた。彼女を象徴するものの一つとして星がある。因みに大概は破壊の魔法。
なのに星座占いを話題にするなんて愚の骨頂だった。魔理沙は私が彼女に関係のあることを話題にするといやに嬉しそうにする。
「……最低だった、って言おうとしたわ」
「悪かったな」
「ジョークでしょ」
はいはい、と魔理沙は嬉しそうに顔を綻ばせた。少しくらいぞんざいに扱っても、慣れたようにいつもそうする。寒さで彼女の真っ白な頬が赤く染まっていた。そんな魔理沙を見つめ、私はひとつ思い出すことがある。蚊遣り火やストーブの灯油のにおいのように巡り来る季節に合わせて思い出されることだ。
魔理沙のことを《恋の魔法使い》だと形容したのは誰だったか。
私は季節ごとに魔理沙がそうであることを思い出しては目が吸い付くように彼女から離れない。季節を連れてくるような人間。春に桜がすべての人の視線をさらうように、魔理沙はどの季節でも目を引く。
言い得て妙ね。《恋の魔法使い》とは。
「寒いわね、お茶をご馳走してあげるわ」
「右奥にあるやつで頼むぜ」
落ち葉がほとんど燃え尽きた頃に私は言った。私の家の一番良い茶葉を指定してくるなんて、隠し場所を変えなきゃいけないわね。
立ち上がって焚き火の火を消すと、家の中に入り湯を沸かした。魔理沙は慣れた様子で上がり込み、炬燵でみかんを食べ始めている。
「まったく」
「なんだ? お前も食べるか?」
小言が聞こえたのか、魔理沙は土間の近くまでやってきてみかんを私に放った。受け取ったみかんを手の中で弄ぶ。ここで食べる気にはならない。
「ねぇ、みかんよりもっと甘いものが食べたいわ」
「みかんより甘いものだと?」
魔理沙は柱に寄りかかって目を横に流した。「だいぶ甘いと思うけどな」彼女の手の中には剥かれたみかんがあって、魔理沙はそれを一口食べた。そしてあきれたような顔をする。
誰よりも甘い癖に。
「恋の魔法使いでしょ」
私は何気なくそう言った。私の言葉に、魔理沙は不思議そうに顔を上げる。
「恋は、甘いものでしょう」
なんとかしてよ、と見つめると魔理沙はぐるんと目を回した。その動作がわざとらしい。
「恋の魔法使いなんて、初めて聞いたな」
「あれ? そうだっけ」
「誰がそんなこと言ったんだ?」
「それが分からないのよ」
私は不思議な感じがした。確かに私は魔理沙を《恋の魔法使い》であると感じていたのに。彼女がスペルカードを宣言する時、口にするあの、恋符……というのは甘い響きが掛からず、ただその奥に見える彼女の目が優しく甘い感じがする。
今目の前にいる魔理沙も同じ目をしていた。じっと私を見つめ、じりじりと焦がすように微笑んでいた。
「恋の魔法って、甘いの?」
私はその目に我慢ならなくなって口を開いた。上手く息が出来ない。
魔理沙は黙ったま私を見つめ続け、そっと白の靴下のまま灰色の土間に降りた。颯爽と私の前まで歩いてくる。
私より小さな彼女は私の顔を覗き込むようにして、それから、瞼を少し落としてにいっと、微笑んだ。
「試してみるか?」
その言葉はあまりにもふざけていて、表情だって私をからかっているようにしか思えなかった。
けれど強烈に、痺れて、熱が止まない。
魔理沙はくくくっと笑って、それでも妙な色を含んだ目を止めない。どうしたんだろう。頭がぼんやりと魔理沙の言葉を反芻していて、止められない。
魔理沙は私に視線を絡ませて私を通り過ぎていった。そして火を止め、勝手に茶棚の右奥から茶葉の入った袋を取り出すと茶を淹れた。
「茶が入ったぜ、霊夢」
魔理沙はなんともなかったように言った。私だけが、あの彼女の弾幕のように鮮やかに弾ける熱を感じているなんて、認めたくない。
でも、私は先を歩いて土間から居間に上がる魔理沙の白の靴下の裏が汚れて黒くなっているのを見て、自分の身体がどうしようもなく熱くなっていくのを感じていた。
○
甘いにおいが漂っている。魔理沙が今度はきちんと靴を履いて土間に立っていた。私は居間でお茶を飲み、魔理沙の鼻歌を聞いていた。魔理沙は律儀に私の要求に答えようと、何か作るつもりらしい。
さっきの熱が冷めるのにはかなり時間がかかって、炬燵の熱なのか、私の熱なのか分からなくなるようにまだ秋だというのに布団を肩まで被せた。
しかし恋の魔法というのが本当にあって、魔理沙がその魔法を使えて、それでどうしようもなくどきどきしてしまうのなら、さっきの熱は、恋の魔法なのかしら。恋の、魔法。
「霊夢」
土間で魔理沙が私を呼んだ。痛みのように引きつって、私は返事をした。まるで傷が何日にも渡って熱を持つように。
「なに」
「来てみろよ」
立ち上がって土間に下りると、ますます部屋は甘いにおいでむせかえっていた。調理台にはみかんが並んでいた。
よく見るとみかんは綺麗で透明な膜で包まれていて、どうやらみかん飴のようだった。砂糖と水を煮詰めたものをみかんにかけて、固めるだけの簡単なやつ。それでも見た目は綺麗で、私は思わず笑顔になった。
「みかん飴ね」
「そうだ。お前の家に材料が全然ないものだから、こんなものしか作れなかったがな」
「上出来よ」
みかん飴に手を伸ばすと、魔理沙の手が私の手を止めた。冷たい手。ただ、電気を通されたような刺激に私はすぐに手を引いた。
「まだ固まってないんだよ」
「あ、そ、そう……」
私は動揺していた。ぶり返したように襲ってくる熱も、魔理沙の白の靴下の裏のフラッシュバックも、どうでもよくて、今ここにいる彼女の甘い目線と、みかん飴の甘いにおいが、そこに“恋”とも呼べるものがあると私に錯覚させた。そのことに、動揺していた。
「……魔理沙」
「なんだ?」
「今日……寒いわよね」
「え? あ、ああ」
「帰っても、家は冷えてるんじゃない」
「……そう、だな」
「……」
「……もしかして、帰って欲しくないのか」
私は黙っていた。黙ったままでいたかった。
「あー、そうね……泊まってく?」
私は仕方なしに気の抜けたような問いかけをする。魔理沙はふっと力を抜くと、優しく微笑んだ。そうだな、と言ってそれ以上は何も言わない。外堀を埋めているのか、埋められているのか、分からなくなってきた。
つまりそれは、魔理沙が私を好きか、私が魔理沙を好きか、もしくは。
○
口の中で飴を噛み砕く。溶けるのを待てないのか、と魔理沙は言うけれども、お酒を飲んでいるのにいつまでも飴なんて舐めていられない。魔理沙は根気強く最後まで舐めるつもりらしい。飴を頬に寄せ、酒で溶かすようにして舐めている。
私はその舐め方を盗み見ては飴を噛み砕いてお酒を飲んだ。
「もう少し寒くなれば雪見酒なんだけどなあ」
「いいじゃない、月が綺麗よ」
「月見酒をするには寒すぎるだろ」
「お酒を飲めば関係ないわよ」
私は障子を開け、縁側に出た。火照った身体には心地よい。魔理沙も顔だけ外に出したけど、寒いと言って障子を開けたまま中に残った。魔理沙は寒がりだった。
私はお酒を飲んだ。相変わらず私の後ろからはカランカランと飴を舐める音がする。私達は丁度背中合わせに座っているようだった。少し顔を入れて中を覗くと、魔理沙が目を閉じて音を立てていた。
カン、カラカンカン……水っぽい音と、耳に心地いい音が近くでしている。見てはいけないものを見たような気分になった。そのような気分になることを含めて悪いことのような気がする。カン、カラ、カラ……。生唾を飲み込んで、魔理沙の首元ばかり見ている。
「……霊夢?」
魔理沙がゆっくりと目を開け、顔を赤く染めた。白い肌が際立って、赤くなっているのがよく分かった。私はじっと彼女を見て、動かない。
「どうした?」
私は魔理沙を上目で見つめた。カコン、と音がする。私は、そのまま顔を近づけていって、ああ、甘いにおいがする、魔理沙が飴を頬に膨らませて、その様子がひどく目を奪われて、おかしくなりそうだった。
魔理沙の気の抜けた顔に、私は口を開けて息を吐き掛けた。
「うわっ、お前酒くさ……!」
「ふふ、ねぇ、魔理沙あれ試してよ」
「な、なんだよあれって」
「恋の、魔法」
口に出した言葉は粘着質に絡み付いて、勝手に、私をどきどきさせる。それは甘さが錯覚させるなにかのようで、私は魔理沙から目を離さなかった。
魔理沙は考え込んだ後、私に顔を近づけた。
音が、する。
「……酒、くさ」
私は言った。魔理沙は赤く染めた頬を膨らませて笑う。「そりゃそうだ」
顔を引っ込めて、私は空を見上げた。残っていたみかん飴に手を伸ばし、口の中で転がす。歯で潰すようにして噛んで、飴を剥ぐと中のみかんを食べた。甘い。
「ああそうだ、霊夢」
「なによ」
「霊夢、私を恋の魔法使いだって言ったのが誰だか分からないって言ったよな」
「え? うん」
魔理沙は顔を外に出して前髪を揺らす。魔理沙は笑っていた。意地の悪い、それでいて嬉しそうな笑顔。にやにや、笑っている。
嫌な予感がしたのに、身体中が勝手に熱くなっていく。
「あれ、言ったの私なんだよ」
ほら、ね。
嫌な予感は当たった。私を見つめる魔理沙の目、恋の魔法なんか使わなくてもどうにかなりそうだった。いつだって同じ目をしている。彼女はくつくつと笑っている。私も笑って言った。「ねぇ、魔理沙」
「かけて」
恋の魔法。
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