星の詩 - De stella absicht - (津梨つな)
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プロローグ

 

 

 夜空に瞬き、彩る。

 時に小さく、時に大きく。

 

 まるで会話でもしているかのような、暗い海原(スクリーン)に広がる静寂の星達を眺めるこの時間が僕は大好きだ。

 例えそれらが、望まれない結末だとしても。

 

 

 ―――君はまだ聞こえているだろうか。この無数に広がる"星の声"を。

 

 

 

「願わくば…二度と聞こえる事無く、今度こそ幸福な人生を。」

 

 

 

「愛しの我が娘よ。」

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 2019年、日本。

 人類の持つ科学力は目覚ましい進歩を遂げ、繰り返される紛争・戦争に、留まる所を知らない技術力競争。

 付き物と言ってしまえばそれまでではあるが、この地球という惑星(ほし)に深刻なダメージを残しているのもまた事実。

 ここまで人類がやってきたことは果たして、正しい事なのだろうか。

 

 ――と、作り物の青空を見上げ考える。

 

 

 

「…ま、僕にはあまり関係のない話か。」

 

 

 

 オフということもあり、こうしてぼんやりと空を眺めることで時間を浪費、もとい気ままに生活している男。

 …それが僕、高宮(たかみや)誠司(せいじ)だ。歳は今年で26。俗にいう独身貴族ってやつさ。

 先述の通り、今日は"オフ"。実は僕、物書きをしつつ口に糊をする生活を……とまぁ所謂、作家。…その中でも、小説家って呼ばれるやつでして。

 今回の作品も無事チェックが通り、印刷所への入稿が終わったところ。要するに暫くは発刊待ちの暇な期間って訳なんです。

 

 

 

コン、コン

 

 

 

 控えめなノックの音。…普段であれば来客の証だが、今日の場合は相手がわかっている。この家に住む、僕の娘だろう。

 

 

 

「…開いてるよ。」

 

「…し、失礼します……。」

 

 

 

 畏まったような声と共に顔を覗かせるのは、高宮香澄(かすみ)。肩にかかる程の長さに赤茶の髪を下ろした大人しそうな彼女は、今年高校2年生になる僕の一人娘だ。

 …先程、僕は独身だと言ったがこうして10歳下の娘がいる。まるで矛盾の様ではあるが、色々都合というものがあってね。

 正直、ここに来るまで色々と大変な思いもしてきた。でも今思えばそれも全て、今のこの幸せな日々の為に必要なものだったんじゃないか。僕はそう思っている。

 

 

 

「香澄。どうしてそんなにかしこまってるんだい?」

 

「こ、ここの部屋、緊張するんだもん…」

 

「ははは!!そうかそうか…そういや前も言ってたね。」

 

「うん……。ね、リビング行こうよ、()()()()。」

 

「そうしよっか。」

 

 

 

 今のこの状況を説明するためにも、ここまでの僕達の道程を振り返ってみようと思う。

 香澄と僕が()()()()、8年前のあの日から。

 

 

 




週一更新を目標にやっていく事になるかと思われます。
独自設定・世界観が展開されますが、どうぞお付き合いくださいませ。


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回想・過去編
始まり


 

 当時、小説家としてデビューしてから丁度2年経った頃だったかな。

 今の僕と同じように、一つの作品を無事に創り上げた当時の僕。入稿を完了して出版社に寄った帰り、当時よく通っていた喫茶店に寄った。

 この喫茶店は、僕が原稿に行き詰った時や、缶詰状態が続くあまり人との触れ合いが不足した時なんかにお世話になっていたっけ。

 …おかげでマスターともすっかり顔馴染みに。冴えないながらも小説家として奮闘する僕の話をニコニコしながら聴いてくれる素敵な人で、すぐに打ち解けたのを覚えているよ。

 

 …ちょっと話が脱線したね。

 この日も、マスターにいつものエスプレッソを頼み、今まさに入稿してきた事なんかを話していた。

 いつも通りニコニコしていたマスターだったが、途中で妙な物でも見たような顔をして言ったんだ。

 

 

 

「誠司くん。…今日は早く帰った方がいいかもしれないね。」

 

「…えぇ?」

 

「…妙な胸騒ぎがするんだよ。君が大変なことに巻き込まれなきゃいいんだけど。」

 

 

 

 たまに小説について案を出してくれたりする程仲の良かったマスターだ。今回もきっと冗談の類だろうと笑い飛ばそうとした。でも…

 

 

 

「…私の勘は当たるんだ。どうか、どうかいつも通り帰宅できるように…。

 …すまない、変なことを言ってしまったね。」

 

 

 

 あまりに真剣なその表情と声色に、僕は何も言い返せなかった。うまくは言えないけれど、その光景に確かな()()()()のようなものを感じてしまったから。

 その日は結局、マスターに言われるがまま素直に店を出た。

 …まぁ結局帰り道では、少し天気が悪いくらいで他には何も変わったことはなかった。のんびり歩いて数十分。実家から離れて暮らしている自分の部屋につき、シャワーを浴び着替えを済ませた頃にはマスターの言葉も忘れていて…。

 

 その夜。

 気付けば外は激しい雷雨に変わっていた。別段雷が怖いとかは無いが、そこに来てマスターの言葉と表情が脳裏に蘇る。

 ほんの少しだけ予感のようなものを覚えた僕は、ただ只管に荒れる夜の住宅街を眺めていたのだが…その時、一筋の光が家のすぐ近くで爆ぜた。近所にある河川敷、…でもあの場所は…?

 

 

 

「今、橋の下が光ったよな…!?」

 

 

 

 土手と組み合わさり、雨を凌ぐには持ってこいとも言えるような高架下。見間違いでなければ、その部分()()が激しく明滅していたんだ。

 妙な胸騒ぎと、ネタに使えるかもしれないという不純な高揚感に、気付けば僕は傘も差さずに駆け出していた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「確か…この辺りに落ちた…いや光ったような……。…ッ!?」

 

 

 

 辿り着く頃には雷も風も収まり、しとしとと雨が降るのみとなっていた。雨で濡れた草の香りが何とも物悲しい気持ちにさせる。

 恐らくさっき光ったと思われる場所には――

 

 

 

「き、君っ!?こんな所でどうし…っ!!なんだこれ…!?

 全身酷い怪我じゃないか……!まさか、さっきの雷に打たれ…ッ!?」

 

 

 

 ――うつ伏せの形で倒れ込む様に、傷だらけの小さな体を震わせる女の子が居た。

 表情はわからないが、乱れた髪の隙間から見える瞼はきつく閉じられている。

 …ここはそこそこ住宅が密集したエリアであるため、家族で暮らす家庭も多いこともあり最悪の事態が頭を過る。

 万が一に備えて救急車…いや、まずはこの子のご家族に連絡を…!

 

 身元が分かるものはないか、怪我の確認も含めてその小さな体を診てみる。と、そこで気付いたのは、体に刻まれた生々しい傷がどれも打撲や切り傷・擦り傷等であり、火傷等は見当たらない事。怪我の種類から鑑みても、落雷による怪我…という線は薄いと判断するに十分だった。

 手の施しようが無いかもしれない――そんな最悪な事態は回避できたことからほっと胸を撫で下ろす。まぁ、酷い怪我であることには変わりないし、結局やることは同じなんだけど…

 

 

 

「あっ?」

 

 

 

 ポロリ、とポケットから落ちてきたのは小さな四角い布。ハンカチだろうか?

 酷く汚れて黒ずんだそれは、まるで()()()()()()()()()()有様だった。所々破けている箇所も見えるその布、右下にあたる部分になにやら文字が。

 

 

 

「……と…やま、か……み?」

 

 

 

 この子の名前だろうか?

 自分で、油性ペンか何かで書いたのだろう。心許なくゆらゆら揺れる線ではあったが、確かに「とやま か み」と読める。

 …「か」と「み」の間は破れていて読むことはできないが、「ま」と「か」の間に少し間があることから、「とやま」という苗字であることは予想できた。

 はて、「とやま」…?この辺りにそんな苗字の家庭があったかな…?

 普段からご近所付き合いを怠ってきたツケがこんな形で周ってくるとは、と内心歯噛みしながら、救急車の手配を優先して進める。ご家族には安否情報も加味して後で連絡しよう、と。

 

 それから十数分。パーカーの内側に着ていた、濡れていないシャツを破った布切れで体を拭いてやったり簡単な止血を施したり。あとは意識を確認する為と体を冷やさないために、首と背中を支える様に抱き抱えたまま声をかけ続けていた。

 …何かに夢中になっていると早いもんだ。時間というのは。

 幸いなことに、二十分もかからず到着した救急車と病院のスタッフに少しだけ安心を覚えた僕は、促されるまま車内へ。

 ストレッチャーに固定された少女を見守りつつ、二人の消防士さんに状況を伝える。

 

 

 

「…ですから、その瞬間は見ていませんが。…駆けつけたらこの子が倒れている状況で。」

 

「…なるほど、でも確かに、感電・火傷の跡は見られませんね。」

 

「よかった…。雷も凄かったもんですから、心配だったんですよ…。」

 

 

 

 安心する僕を他所に、二人の消防士さんは顔を見合わせる。

 何か変なことを言ったかと訊こうとすると、

 

 

 

「それなんですがね?」

 

「??はい?」

 

「私たちも外に居たので天候は知っていますが… 

 …ここ数時間、雷なんて鳴っていないんですよ。」

 

 

 

 絶句ってのはああいうのを言うんだろうな。僕は自分の体験が幻覚か夢だったんじゃないかと、頭の中が真っ白になった。

 家から見たあの酷い様子は?高架下で確かに見たあの光は?…全て狐にでも化かされていたのかとも思ったが、確かにこの子はこうして救急車に乗っている。

 …全部が全部嘘ではないとしてこの状況は一体?

 納得はいかないが、まともな大人二人が言うんだから間違いや冗談ではないだろう。

 一先ず、この件に関しては後程考察することにした。

 

 

 

「さて、そろそろ着きますので、降りる準備を。」

 

 

 

 市でもそこそこ大きな大学病院へ到着する。

 …僕の頭も合わせて診てもらおうか。や、ふざけている訳じゃなくてこの時は割と本気で思ったんだってば。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 あの女の子。「とやま か…み」ちゃん。

 彼女が治療を受けている間、簡単な状況説明と発見したときの詳しい状況・僕とあの子の関係についての質問を受ける。

 どうやら全身に疎らに散る擦り傷・切り傷の類は、何かしらの刃物によるものと地面で転んで負った傷が殆どらしい。その他目立ったところで言うならば、胸や腹、背中など、服に隠れて見えない上半身部分に多数ある痣。…状況からの推測ではあるが、何かしらの暴行を受けた可能性が高いということだった。

 こんな小さい子に何故…!!親の虐待か何かだろうか?見ず知らずの大人に怒りを覚えていると、向かいの担当者の口から続けて聞かされた言葉は僕に大きな疑問を突き付けるものだった。

 

 

 

「あの子の苗字が「とやま」だと仮定するならば、なんだけどね。」

 

「…はい?」

 

「今この国、日本には、「とやま」という苗字は存在しないんだ。」

 

「…へ?」

 

「ハンカチに書いてあったってくらいだから、何かしらあの子に関係あるとは思うんだけど…。

 それでも、苗字として存在はしていないらしい。」

 

 

 

 珍しい苗字だとかそういうわけではなく。そもそも()()()()()()()()()()と。確かに目の前の彼は言った。

 じゃああれは苗字じゃない…?となると名前のヒントも無しに、真っ新な状態から家族を探すのか…??

 

 

 

「じゃあ、あの子はこの後どうなるんです?」

 

「うーん…取り敢えずは意識が戻るのを待つしかないかなぁ…。

 今は傷も酷いし、事故にせよ事件にせよ、結局のところ本人の話と意志を聞かないとね。」

 

「…あの、僕、付き添って居てもいいでしょうか?

 ご家族の方に連絡が取れるまでの間だけでも。」

 

 

 

 純粋に、目覚めた時独りぼっちじゃ可哀想だと思った。その時の状況を知っているやつが一人いるだけでも少しはマシになるだろうってね。

 その旨を伝えると、担当の彼は目を丸くしながらも続けた。

 

 

 

「…驚いたな。

 勿論付き添うこと自体は問題ないけど、見ず知らずの子だろう?名前も分からないくらいなんだし。

 ……おまけにいつ目覚めるとも分からないってのに、随分とお人よしなんだね君は。」

 

「まぁ、家に帰っても暇なものですから。」

 

「成程ね。」

 

 

 

 素直に理由を言わず、気恥ずかしさを誤魔化すような言い訳染みたことを言うことに特に理由はなかった。

 その辺りの年齢特有の尖った部分だとでも思ってもらえばいいかな。

 その建前のような理由に納得そうな表情で頷く彼。彼が内心どう思っているか迄は分からなかったが、僕の年齢もあってそう特異な理由ではないと感じたんだろう。

 今のご時世、中学を出た後に進学も就職もしない若者が大半だからね。

 …どうやって生活をしているかって?今の世の中はそうだな。まさに"クリエイティブ"という言葉がしっくりくるというか。

 詳しくは面倒だからおいおい説明するとして、簡単に纏めると、何かしらを"創りだす"ことによって報酬が支払われるシステムなんだ。

 僕の小説家という職業もそうだけどね。創るものによってはどこにも提出せずに、()()()()使()()()()だけで報酬が振り込まれたりする。どうやって見ているのか分からないけど、科学ってのはそういうものらしい。

 

 

 

「……ん。……あぁ、わかったよ。」

 

 

 

 インカムのような機械で何やら話していた向かいの彼が、ニッコリしながらこちらに体を向ける。

 

 

 

「粗方の処置は終わったって。

 …一応意識がないうちは、身元不明の特殊患者として扱われる。

 病室は、ええと……うん、いったん外に出て駐車場を挟んだ向かい、C棟の1080号室だってさ。」

 

「あ、ありがとうございます!あ…あの、もう行っても?」

 

「はははっ!!心配だもんね。…行っておやりよ。」

 

 

 

 柔和そうな笑顔に見送られ、伝えられた病室へ向かう。

 運び込まれてから2時間…いや3時間は経っているか。…切り傷や骨折程度なら治っているだろう。

 改めて、科学ってのは凄い。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 走ったために乱れた呼吸と髪を整えつつ病室の番号を確認する。

 "C-1080"…うん、合ってる。

 まるで昔の友人に久しぶりに会うようなそれに似た緊張を纏いつつ、ドアを開ける。

 カラカラ…と控えめな音と共に開けた視界に映る、開放感のある白い壁・天井…それに大きなベッド。

 その大きさは、女の子の体の小ささをより際立てるように見えた。

 近くのスツールを掴み、ベッドの左脇へ。座ってもう一度顔を眺め…その気持ちよさそうな寝顔に癒しにも似たものを感じた。

 

 

 

「よかった…綺麗になって…。

 女の子だもん、顔に傷の一つでも残ったら可哀想だもんなぁ…。」

 

 

 

 途中で看護師さんに呼び止められ教えてもらったが、外傷に関しては()()綺麗に治ったらしい。

 ただ一か所だけ、背中に袈裟懸けのように入った深い傷跡だけはどうやっても治すことができなかったという。

 何でもそれはかなり古い傷らしく、運び込まれた時点で既に"傷跡"の状態だったとか。…8歳で古傷?とも思ったけれど、見つけた状況が状況だけに、こと怪我に関しては何があってももう不思議じゃない。

 何とも哀しい話だけれど。

 

 

 

「あとは目を覚ますだけだね…ええと、とやま…ちゃん??」

 

 

 

 聞こえていないと分かっていてもつい話しかけてしまう。…この現象、名前とかあるのかな??

 ドラマや小説だとここで目を覚ました彼女と目が合って~…なんて、そんなしょうもない期待しても仕方ないか。

 …どうせ暇なんだ。暫くここで寝顔に癒されるのもいいかもしれない。

 すやすやと寝息を立てるその愛らしい姿に、僕の瞼も疲れを訴え始めた。そうか、そういえばずっと動き通しだったなぁ…。

 そのままベッドの空きスペースに突っ伏すように体を預け、ゆっくりと、意識は深いほうへ―――

 

 

 

「…んぅ?ここは―――」

 

 

 

 その待ち望んでいた筈のか細い声にも気づけず、僕は、束の間の休息へと、落ちた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 ぺちぺち、と。肌と肌がぶつかり合うような音が頭上から聞こえる。

 その音に合わせる様に、もぞもぞと何かが動くような感触。

 …あれ?いつの間に寝落ちしてたんだ…?自分が寝ていることに気づくまで、そう時間はかからなかったが。

 それでも寝起きのぼーっとした頭のままでは、今自分がどこにいるのか、どうしてこんな姿勢で目覚めたのか…そして、そこで動いているのが誰なのか、考えることすらできなかった。

 

 

 

「…ん。………んんー?布団?」

 

「……んしょ、んしょ、…あ、おきた。」

 

「…あ?」

 

 

 

 寝ぼけ眼のまま顔を上げ、無表情の彼女と視線を交差させる。

 手遊びをしていたであろう彼女は、じぃぃぃぃっと音が出そうなほどの真っ直ぐな瞳でこちらを見つめ…言い放った。

 

 

 

「あなたも、私に酷い事、するの?

 …おとーさんと、おかーさんは?」

 

「…はぇ?……ッ!あ、きき、き、きみ!」

 

「…私?」

 

 

 

 覚醒直後で酷く混乱している僕と、年齢不相応な程冷静な彼女。

 そのあまりの滑稽さと置かれている状況の恥ずかしさもあり、脳の中は急速に冷却されていった。

 そうだ、どう考えても年長の僕が取り乱してどうする。気付いたばかりで不安なのはこの子なのに。

 まず冷静さを取り戻すために時計を確認する。午前3時35分…。病室に入ったのが2時過ぎだから…一時間も寝ちゃったのか。

 単純だが時間の引き算をしたことによって、漸く平静時の自分を取り戻せた気がした。素数を数えるよりいいかもね、これ。

 

 

 

「…目が、覚めたんだね。」

 

「うん、あなたよりだいぶ先だったけど。」

 

「そっか…。」

 

「……今は、夜?」

 

「うん?」

 

「お外、真っ暗だから。」

 

 

 

 窓の外を指さす。夜だよ――と答えようとして、いや早朝か?という下らない疑問が過る。

 相手は小さな子供だ。そんなこと、些末な問題に過ぎないだろう。

 

 

 

「うん、そうだね。夜中さ。」

 

「そうなんだ…。さっき走ってる時は朝だったのに、不思議。」

 

「走っ…?」

 

 

 

 眠っている間に見た夢の話かな?…それとも、何者かに暴行を受けている間、走って逃げているときの…?

 

 

 

「そ、そうだ、君。一体どうしてあんなところに…」

 

「"君"じゃないよ。…私、かしゅっ…かすみ。」

 

「…えっ?」

 

「かすみ。名前、私の。」

 

 

 

 かすみ―――少女がたどたどしく零したその名前は、不思議なことに何度も呼び慣れたような、懐かしい感覚すら伴って僕の耳に染み入ってきた。

 

 

 

「…そうか。いい名前だね。…僕は誠司(せいじ)高宮(たかみや)誠司っていうんだ。」

 

「…あなたは怖い人じゃなさそうだね。」

 

「もちろん…少なくとも、君を傷つけるようなことは絶対にしないよ。」

 

 

 

 だから安心してほしい。

 安心して、今は休んでいいんだよ香澄。

 

 その時のふわっと花が咲くような可憐な微笑みを、僕は一生忘れない。

 それが、全ての始まりの日だったから。

 

 

 




科学って便利ですね。


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必要なこと

 

 すぅ、すぅ…と。再び整った寝息を立て始めた香澄を残し病室を出る。寝顔の綺麗なことと言ったらもう…。…これくらいの頃は、誰だって天使のように眠りにつく。何れ失うあどけなさとは言え、何とも素敵なものだね。

 向かうのは先程の彼が居る部屋。…とはいえ、案内も無しにズカズカ踏み込む訳にもいかないので一旦受付へ。

 夜間診療用窓口のスタッフさんが気付いて「こちらどうぞ」と小さな声で案内する。

 

 

 

「ええと…さっき運び込まれた女の子の身元の件で…その……。」

 

「あ、高宮さんですね?…少々お待ちを…。」

 

 

 

 どこかに電話を掛ける受付の女性。

 1分足らずのやり取りを経て、再び視線をこちらへ向けると、にっこり微笑んで

 

 

 

「担当の者に連絡がつきました。そのまま奥へ進んでいただき、42番の診察室に入ってください。」

 

「…診察室?」

 

「はい。先程もお話していたかとは思いますが、担当の者が先程まで急患の診察を行っておりましたので。」

 

 

 

 あぁ、あの人、お医者さんだったのか。…すっかり只の事務員さんかなにかだと…。それは置いておいて、指示された42番の診察室へ入る。

 にこっと、人懐っこそうな笑みを浮かべ待ち構えていたのは先程の彼。成程、白衣がとても似合っている。

 

 

 

「目が覚めたんだって?」

 

「あ、はい…。名前も、分かりまして。」

 

 

 

 どこまでの情報が伝達されているのか。今のこの世の中、科学力の進歩は様々な"あったらいいな"を実現している。

 その結果、古き良き時代に必須とされていた「報・連・相」は最早不要となっている。何せ、必要な事項の伝達には人間よりも遥かに精巧で高性能な"頭脳"が一役買っているからね。

 

 

 

「…驚いた。あれほどの幼い子が、パニックも起こさずに素性を明かしたって?」

 

「素性…とまではいかないかもしれませんが、あの子は少々特殊なようで。

 目覚めたあとも、僕に向かって「あなたも私にひどいことをするのか」って…。」

 

「ふむ……。やはり、虐待やネグレクトから来る捨て子かね。」

 

「あと…ええと、先生なら診たかとは思いますが、背中の」

 

「いい、いい、そんな先生だなんて…。僕は医者ではあるが人に知識を授けるのは苦手でね。

 …精々"さん"付け程度にしてくれたまえ。…緊張しちゃう。」

 

 

 

 ペロっと舌を出しいたずらっぽい笑みを浮かべる。…名札を確認する限り、紅茨(べにいばら)さんというらしい。

 僕にとっちゃ違和感が凄い苗字だが、この辺りじゃみんなこんな感じ。…まぁ今更気にしても仕方ないし、続けよう。

 

 

 

「じゃあ紅茨さん、背中の傷はご覧に?」

 

「……見てはいないが。あれは…色々術は施したんだが、どうやっても綺麗にならなかったらしくてね。

 傷自体は古いものみたいだし、悪化する危険性は無いんだがね。」

 

「切り傷…裂傷といったところでしょうか。

 女の子ですし、できれば残らない方が…」

 

「確かにそりゃそうなんだが…。現代の科学が通用しない傷ね。…興味深いんだけどもやっぱり可哀相だよね。

 綺麗に出来ることならしてあげたいが…。」

 

 

 

 言葉を濁してはいるが諦めろということなんだろう。あれだけの傷だ。…整形手術か再形成手術か、何にせよかなりの時間と費用、何なら更なる研究と技術力の発展が必要とされるだろうね。

 …論じてもキリのない話題は一旦置き、今話すべき話題を切り出す。

 

 

 

「まぁ、長い目で見れば…といったところですかね。

 …それはそうと紅茨さん。」

 

「…んー?」

 

「あの子の名前…なんですが。」

 

「おぉ、そうだった。ええと…苗字はとやま…だったよね?」

 

「ええ、とやま。…名前はどうやら、"かすみ"というそうで。」

 

「かすみ…ねぇ。…ちょっとデータベースを通してみようか。」

 

 

 

 言うなり、手元の端末を操作する。…あの端末は、医療と行政の関係者に与えられるものだという。日本というこの国に於いて誰もが持っている国民番号や戸籍。その情報は全て日本国管理のサーバーに登録され、こういった端末からデータベースとして検索・閲覧ができるのだ。

 お陰でこういった身元不明の人間について調べたりする時とても便利、というわけだ。そうそうない場面だけどね。

 

 

 

「……んー…。やっぱり、そんなデータは存在していないな。

 さっきも言ったとおり、"とやま"っていう苗字は存在していないんだ。該当する漢字も常用漢字の中にはない。」

 

「です…よね。」

 

「そこでこの子の今後の処遇についてなんだけど…。

 ご両親が名乗り出ない限り、施設に入るしか無いんだ。ほら、あの水流巻(つるまき)が管理してる身寄りのない人々を集めた…」

 

 

 

 そこまでは想定通りだ。僕の持っている常識であっても、保護者が認められない場合の幼子というのは然るべき施設にて保護されるものだ。

 

 

 

「あぁ。……ええと、両親っていうのは」

 

「名乗り出たら罰せられるだろう。何せ認可されていない苗字を持つ日本人だよ?

 データベースから見られないとなると…相当に重い罪を言い渡されるだろうね。」

 

 

 

 そりゃそうだ。存在するはずのない人間…というより存在してはいけない人間。それも成人した男女となれば、申請漏れどころの騒ぎではない。

 不正入国やら不正滞在と同じようなものだと思ってくれたらいいかな。違法な戸籍を持つって事は、それだけで存在を許してもらえないってことなんだ。

 

 

 

「ひとつ提案なんですが。」

 

「…なんだい。」

 

「彼女を…かすみちゃんを、養子に貰うっていうのは、まずいでしょうか。」

 

 

 

 存在していない人間なら、全く問題のない一人の女の子として、存在を認めさせたらいい。

 その為に考えたことは、僕という親を持つ人間。…つまりは、"高宮の苗字を持つ"かすみちゃんを国民として登録するならば、施設送りにはならないだろうということだ。

 

 

 

「…本当に君には驚かされるね。果たしてそれをして君にどんな益があるかね。」

 

「…そんなものはないですよ。ただ、ここであの子を施設に入れるのは簡単な話です。

 …でもそれは何だか引っかかる。それじゃきっと…だめなんだ。」

 

「ふぅん…?君がそうしたいと強く願うのであれば僕は止めないけどね。

 それができる機関に紹介状も書こう。」

 

「!!…ホントですか?」

 

「あぁ、そこまでは医師の仕事だからね。…ただ、その後の面倒は見切れないからね?

 いくら養子についての規定を満たしているといっても君はまだ若い。…いいかい、小さな子を一人前に育て上げるというのは大変なことなんだ。

 それこそ、筆舌に尽くし難い程にね。」

 

 

 

 わかっている。とは言い切れない。…僕自身まともに親と会話した覚えもないし、愛情というものがどういったものかもわからないから。

 何故だろう。途方もなく無理な事をやろうとしているというのに、絶対にここで離してはいけない存在に感じるんだ。…それほど不思議な力を感じる、それがかすみちゃんなんだ。

 

 

 

「一応聞くけど、君って幼女趣味とかあるの?」

 

「は?…ないですけど。」

 

「…一応、ね。…わかった。じゃあ戸籍登録の窓口と養子を迎える時の手続きの方法だけど…。」

 

 

 

 その後は淡々とした事務手続きと今後の手順について説明を受けた。幸いにも紅茨さんは何度かこの手続きを手配したことがあるらしく、伝手もあった。

 全段階の説明が終わった頃、すっかり凝り固まった肩と背中を反らして伸ばす。

 その姿に何を思ったかクツクツと笑う紅茨さん。

 

 

 

「まったく面白いな君は。…高宮君…だったっけ。」

 

「??…はい。」

 

「さっきの手続きさえ終われば、彼女は()()かすみちゃん、君の娘になる訳だ。

 …もう一度あの子と話してみたほうがいいかもね。」

 

「まぁ確かに、僕一人の気持ちで決めるわけには行きませんし。」

 

「あぁ、ちがうよ。

 …申請するとして、君あの子の名前の漢字知ってるのかい??」

 

「…あ。」

 

 

 

 彼の的確な指摘に少々の恥ずかしさを覚えたが、どのみちかすみちゃんと話をすることは必要だ。…施設の方がいい、そう言うかも知れないしね。

 手短に紅茨さんへ感謝と挨拶を済ませ、診察室を出る。

 かすみちゃんの元へと向かう病院内は、いつの間にか始まっていた診察時間のせいで混み合っていた。今後の期待と不安で頭が一杯だった僕にとっては大した問題じゃなかったが。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「あっ!……ええと、せいじ、さん?」

 

「起きてたんだ。」

 

 

 

 ベッドで体を起こした彼女は、ぼーっとした目をこちらに向ける。

 あれからまた数時間経っている。普通の睡眠時間として考えるには十分すぎるほど眠れたことだろう。

 

 

 

「はい…もう、朝だし。」

 

「はははっそれもそうか。」

 

「…それで、せいじさんは帰らないの?」

 

「…それなんだけど…。君って、どこに住んでるの?」

 

「ええと……。」

 

 

 

 僕の質問に、困ったように視線を彷徨わせるかすみちゃん。しまった不躾すぎたか。

 

 

 

「………私、ここがどこだかわからないの。」

 

「…あぁ、眠ってる間に搬送しちゃったもんね。」

 

「そう、じゃなくて。…あの、お空。」

 

「そら?」

 

 

 

 彼女が指差す方を見る。その作り物の空には、相変わらず科学力を集結させて作られた人工的なオゾン層の模様が透けて見える。

 ()()()()()()()は違和感と気持ち悪さを覚えたが、今となってはすっかり見慣れたものだ…。

 現代の地球は、度重なる環境破壊により様々なものが科学の産物に置き換えられて生き存えている状況だ。…この空を覆うように作られたオゾン層替わりのシールドも、酸素を生み出さなくなった純粋な植物に置き換わる人工植物も、全てが水流巻(つるまき)財閥により生み出されたものだ。

 そのどれもが、僕たち人類を滅亡させないようにとの名目で作り出されているのは言うまでもない。

 

 

 

「私が知ってるお空は、あんな模様なかったの。

 病院だってそう。何回か行ったことがあるけど、こんな機械見たことないんだもん。」

 

「……もしかして、君が見たことある空って。…綺麗な空色一色に白い雲があって。」

 

「そうだよ。…それがお空だもん。」

 

「…じゃあさ、たまに曇ったり、冬には雪が降ったりしたかい?」

 

「ぅ??……うん、そうだったよ。」

 

 

 

 これが運命というやつか。

 最後までかすみちゃんの答えを聞いたとき、僕は一つのシンパシーのようなものを感じていた。というより、共通点を見つけたといった方が正しいか。

 

 

 

「…かすみちゃん。…君はもしかしたら、こことは違う世界にいたのかもね。」

 

「……えっ?」

 

 

 

 冗談を言ったつもりはない。僕は至って真剣だ。

 …普通の大人の人が見たら、小説の書きすぎだって馬鹿にするかもしれないけどね。

 

 

 

「いいかいかすみちゃん。…今のこの世界はね、雨は降れど曇にはならない。そして冬になっても雪は降らない。」

 

「そうなの??」

 

「…あぁ、病院の機械を見ても思うかもしれないけど、科学の発展が凄いんだ。

 雨だって人工的に降らせるから、故障でもない限り決まった時間以外に降ることもないんだ。…だから、曇りも無ければ必要のない雪も降らない。」

 

「そう……なんだ。」

 

 

 

 自分の両親に会えなくなった事実を悲嘆しているのか、それとも単純にこの()()()()()()()に絶望しているのか。

 飽く迄僕の推測で言ってしまったことで多大なショックと混乱を与えてしまったのは確かだし、まずは謝らないと。

 

 

 

「…ごめん、変なこと言っちゃったね。僕は実は」

 

「せいじさんも、違う世界から来たの?」

 

 

 

 子供とは思えない瞳で真っ直ぐ見据えてくる。その顔は先程の僕と同じ、冗談を言っているようには見えない。

 

 

 

「……そうだと言ったら?」

 

「…私、せいじさんと一緒に居たい。」

 

「…そっか。……実はね、それを提案しようと思ってまたここに来たんだ。

 僕の"娘"に、なってくれないかい。かすみちゃん。」

 

「むすめ……。でも、せいじさんはおとうさんみたいにおじさんじゃないよ。」

 

 

 

 歳のことを言われると何とも言えなくなるね。…さっきも紅茨さんに言われたばっかりだけど、父親になるには若すぎるよなぁ。

 

 

 

「確かに十歳くらいしか離れてなさそうだもんね…。じゃあ飽く迄形式上の親子になるっていうのは。

 …君はそうだな…僕のことを"お兄さん"とでも思ってくれたらいいさ。」

 

「…むずかしいことはよくわからないけど、そうしたらせいじさんと一緒に居られるの?」

 

「うん。それは約束できるよ。」

 

「………ん。じゃあ、なる。せいじさ…ええと、お兄さんの"むすめ"になりたい。」

 

「…ありがとう。……それじゃあ、ここを退院できたらおうちに案内するよ。

 …あっ、その前に申請しなきゃいけないのか…ええと、あぁ!名前!そうだ名前だ!」

 

「お兄さん、お兄さんっ」

 

 

 

 さっきも指摘されたばかりなのにすっかり忘れてた。…名前の漢字が必要だったんだ。それも訊かないと。ええと、それに手続きであそことあそこと周らなきゃだし…ええと…??

 養子として僕の傍に来てくれると、実際にその口から聞けたことで舞い上がってしまったんだな。一気に思考は加速し、溜まっているタスクと新たに埋まったスケジュールに、僕の気持ちは最高に高まった。

 …凄いよね。今までにない程の喜びの衝撃だったんだから。その喜びようったら、かすみちゃんの小さな手とか細い声が服の裾を引っ張るのにも気づかないほどだった。

 

 

 

「…あ、あぁ、ごめんかすみ…ちゃん。」

 

「まずは、落ち着こ…?」

 

「う、うん……。」

 

「まずね、私のお名前、かすみっていうんだけど。」

 

「そうだね。」

 

「私、上のお名前は思い出したんだけど、下のお名前の漢字が思い出せないの…。」

 

「上?」

 

「うん。私、とやまかすみって言うの。…ドアとかの"戸"にお山の山。」

 

「戸…山…。成程、この辺りじゃ見かけない組み合わせだな。」

 

 

 

 あのハンカチに書いてあったのはやっぱり名前だったのか。…ちょっと待て、名前の漢字が思い出せないって?

 

 

 

「確かに名前には漢字があったんだよね?…思い出せないだけで。」

 

「うん…」

 

「そっ…か。」

 

「……ねえお兄さん。」

 

「?」

 

「……お兄さんが、考えて?漢字。」

 

「はい?」

 

「……お兄さんが、これからおとうさんになってくれるんでしょ??

 だから…名前を付けて欲しいの。…この世界の。」

 

 

 

 全く不思議だ。小さい子だと思って接していると、今みたいな大人びた物憂げな表情を見せたりする。

 …こんな幼い子が、違う世界に来てしまったことをもう受け止められている。その上で、名前を…?

 参ったね、父親としての初仕事が名付けだなんて。…それでも、ぴったりな漢字がすぐに思い浮かんだのは、初めて名前を聞いた時の不思議な懐かしさも相まってのことかもしれない。

 

 

 

「…実はね。凄くぴったりだと思う漢字があるんだ。」

 

「そうなの??」

 

「…ほら、おいで。」

 

 

 

 両手を広げて一歩近づいてみる。…まぁ、いきなりこんなことされたら普通は引くか怖がるとは思うけど。

 僕の思い浮かべる漢字を再確認するためにも、出来ることなら…

 

 

 

「…ぎゅってするの?痛いことするの?」

 

「…痛いことはしないよ。」

 

「……ん。じゃあ、ぎゅってする。」

 

 

 

 おずおずと手を伸ばしてきてそして――――

 

 ――甘いミルクのような、それでいて澄み渡るような純粋の香りが飛び込んできた。

 

 

 

「…不思議。お兄さんとぎゅってすると、本当におとうさんに包まれているみたい。」

 

「……それはよかった。…香澄(かすみ)

 …君の名前にはこの漢字がぴったりだと思うんだ。澄んだ香り……君の、素敵な匂いだ。」

 

「……香、澄。…漢字はまだ書けないけど、お兄さんのくれたお名前なら嬉しい。

 …ずっと、大切にするね。…"おとうさん"。」

 

 

 

 香澄。…それが君を表す、最も尊い二文字だよ。

 

 

 

 




回想編が第一部となります。一応。


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此処から

 

 

 

 様々な手続きを経て、正式に一緒に住める事になった日。一時保護という形で先の病院で暮らしている香澄を迎えに行く。たった5日ほど会わなかっただけなのに、心臓はバクバク言っていた。

 看護師さんに案内されるまま、初めての景色を幾つも通り抜け……ここか。

 見上げる大きめのドアの上には何も書かれていないプレート。看護師さんによると、最近何故か急増中の身元不明の遺児を、たまたま空いていたここで保護するようになったという。…因みにもともとはリハビリ室だったそうで、成程なかなかの広さがある。

 

 

 

「はい、じゃあ一応手の殺菌消毒だけお願いしますね。」

 

「あっ、はい。」

 

 

 

 シュッシュッと表示にある通り2プッシュ。アルコールであろうそれを両手に馴染ませる。このスースーする独特の感じ、好きなんだよなぁ。

 未だ早鐘を打つ胸を抑える様にシャツの襟元を正し扉を引く。

 

 

 

「失礼しまーす…」

 

 

 

 既に薄暗くなりはじめ、人工の灯りに照らされる室内へ一歩踏み入れると同時に浴びせられる好奇の目。部屋中の子供たちからだった。

 …今思い出してもゾッとするが、あの子達には異様な雰囲気というか、皆一様に普通の子供ではないオーラが感じられたんだよね。達観しきった目というか、綺麗に澄んだ目はしていなかった。

 そんななか、奥の方から一人の元気な女の子が駆け寄ってくる。香澄だ。

 

 

 

「ぅわーいっ!お兄さーんっ!!」

 

「…迎えに来たよ、香すミ"ッッ!?」

 

 

 

 小さな子供と言えどその突進力を侮ってはいけない。ある程度の大人と違い、彼女らには()()()()()()ブレーキがないからだ。本人としてはただ駆け寄って胸の中に飛び込もうと思っただけなんだろうが、身長差とその勢いを想像してみてほしい。

 …結論から言うと、名前を呼び終わる前に()()()のようなピンポイントな刺突を鳩尾に受けたんだ。元より体が丈夫なわけではない僕は、そのまま情けなく崩れ落ちる。

 

 

 

「……おえぇぇぇ…。」

 

「??お兄さん??おなかいたいの??」

 

「んんぅ…だぃ、大丈夫だよ…ははは……。」

 

「そーぉ?…それより、これからお兄さんのお家にいくんだよね?」

 

「……ふぅ。…そうだよ。」

 

 

 

 鳩尾の独特な不快感を伴った痛みもやっと引いてきた。…お腹周りの皆さんが鎮まるまで二分もかかりました。

 

 

 

「…そっかぁ…。ふふっ、これからは、明日自分がどうなるかを心配しないで寝られるんだね。」

 

「……香澄。」

 

 

 

 そうか。…この数日間、僕は色々なものに追われてそれどころじゃなかったからいいだろうけど、この小さな体はどれだけの不安を抱えていたんだろう。いきなり知らない子達と同じ場所に預けられ、僕も、勿論自分の本当の家族も居ない中、僕が本当に現れるかもわからないまま待っていたんだろうか。

 もっと早く迎えに来てやれなかったのかと自分を責めつつも、笑顔を保ちつつその頭を撫でる。

 

 

 

「…そうだよ。安心して暮らせるように、僕も頑張るからね。」

 

「んっ。……ええと、これからよろしくおねがいします。」

 

「うん。ちゃんと挨拶出来て偉いね。……よしっ!じゃあ帰ろうか!」

 

「うんっ。…お兄さん?手、つないでもいい?」

 

「…いいよ。おいで。」

 

 

 

 差し出された子供のヒトデみたいな小さな左手を優しく握る。ただそれだけなのに柔らかく微笑む彼女を見て改めて心に誓ったんだ。

 …これから僕がこの子を守るんだ。絶対、離すもんか。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「さて…と。ここが今日から暮らす家だよ。」

 

「うわぁ……!!!」

 

 

 

 部屋に入るなり、キョロキョロと部屋の中を見渡す香澄。そんなに珍しいものは置いてないとは思うけど、気持ちは分からなくはない。引っ越ししたての何もない部屋が新鮮で見回りたくなるのと同じような感じだろう。

 一応迎えに来る前、昼間のうちに掃除も済ませたし、いくつか収納や食器類なんかも買いそろえた。あと必要なものは追々わかっていくことだろうし。

 

 

 

「お兄さん!お兄さん!!」

 

「なんだい?」

 

「これはなぁに!?」

 

「…あぁ、それは……ふふん、何だと思う?」

 

「えぇ!?…うーんとねぇ…。」

 

 

 

 浴場の入り口横に置いてある謎の箱。…僕も初めて自分で使った時は驚いた"あの家電"だ。うんうん唸るがいい!!

 

 

 

「んと…んと……」

 

 

 

 まるでどこぞの黄色いクマさんのように、頭をとんとんしながら考え込む香澄。…あぁ、いいなぁこのほのぼの感。

 そのまま微笑ましい光景を眺めていると、やがて―――

 

 

 

「わかった!!」

 

 

 

 おぉ、目にキラキラが見えるぞ。漫画みたいだ。

 

 

 

「わかった?」

 

「わかったっ!……チンッてするやつ!」

 

「チン…?……あぁ、"電子レンジ"ってやつかい?」

 

「そう!」

 

 

 

 あぁ、確かあったねそんな家電が。境遇からしても、香澄らしい回答だ。ただ――

 

 

 

「残念ながら不正解だなぁ。…この世界に、電子レンジはないんだ。」

 

「えぇ!?……じゃ、じゃあ、冷たいご飯はどうやって食べるの??」

 

「…君、もともとそんなものばっかり食べてたのかい?」

 

「……うん、お母さんがあまりご飯作れない人だったの。」

 

 

 

 そっか…。じゃない、昔の事を思い出させちゃ駄目だろうに。相手はまだ小さい子供なんだ。一先ず住む場所が確保できたからといって、気持ち迄落ち着く、ましてやもう会えない両親の事を忘れられるはずなんてないんだ。

 話を、もっと楽しい方向に逸らさないと。

 

 

 

「じゃあ正解発表します!」

 

「うん!なぁに??」

 

「これは…洗濯機です!!」

 

「せんたくき…?」

 

「そうだよ。…こんなちっちゃい箱だけど、最大で80kg収容可能なタンク!洗剤や柔軟剤は種類を変える時のみ注いであげればあとは自動で生成してくれる機能付き!

 おまけにモーターも使っていないからほぼ無音!超ハイテク洗濯機さぁ!」

 

「おぉ~!!なんだかよくわかんないけど、すごいんだねっ!」

 

 

 

 そうだろうそうだろう。色々語ったスペックは説明書の丸暗記だけど、本当に不思議な箱だ事。サイズだって膝丈くらいの立方体でしかない訳だし、山盛りの洗濯物がこの小さなボディに吸い込まれていく様はまさに圧巻。正直ちょっと引いた。原理も分からないし。

 ただ哀しいことに、今の会話で"香澄が別世界から来たこと"が証明できてしまった。

 …僕らが暮らすこの地球上に、「電子レンジ」と分類される機械は存在していない。そしてその概念すらない。IHコンロの上位版みたいなものがあるせいで、こと食物の過熱に関しては他の道具を要していないんだ。

 

 

 

「……んぅ。」

 

 

 

 と、家電クイズで盛り上がった後、香澄が目をくしくしと擦りだした。心なしか足元の安定感も失われつつあるように感じる。

 

 

 

「…眠くなっちゃったかい?」

 

「うん……ちょっと、ねむねむ。」

 

 

 

 時計を見やると夜の23時を回ったところ。…確かに子供にはキツイ時間帯かもしれない。予め用意してあった香澄用の寝室へと案内することにした。

 

 

 

「じゃあ今日はもう寝ちゃおっか。」

 

「ぅ…?でも……」

 

「大丈夫大丈夫。今日から君はここに住むんだって言ったろう?

 ベッドも用意してあるから、安心して寝ていいからね?」

 

「ぅぅ……だっこ。」

 

「だっこ??」

 

「ぅん。」

 

「香澄は甘えんぼだなぁ……おいで。」

 

「ん。」

 

 

 

 とてとてとまるでヒヨコのように歩いて来て、開いた両腕の中にすっぽりと納まる。やはり、小さい子のやや高めの体温というのは良いものだ。庇護欲をそそられるというか、守ってあげたくなる反面心が落ち着くというか。

 そっと背中に手を回すと、少し重さが増したような気がした。……耳を澄ませば小さな寝息。ふふ、すっかり脱力しちゃって…。

 起こさないように注意しつつ、香澄用に用意したベッドに寝かせ毛布を掛ける。このまま寝顔を見ているのもいいかと思ったが、相手は飽く迄一人の小さな淑女である。僕は後ろ手でそっと部屋の扉を閉じた。

 

 

 

「おやすみ、香澄。」

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「………ん。」

 

 

 

 日付が変わったあたりだろうか。隣の部屋―――香澄が眠っている部屋から話し声が聞こえた気がして目が覚めた。自分自身そんなに眠りが深いほうではないのだが、疲れのせいか寝落ちしてしまったようだ。

 

 

 

「話し声……独り言か…?」

 

 

 

 壁に耳を押し当て息を殺す。壁伝いに微かに聞こえてくるのはどう聞いても香澄一人の物だ。電話でもしているならばまた別なんだが、時間も時間だし何より通信手段を与えていない。

 

 

 

「……の…は…どうして……?」

 

「……………。」

 

「そう………った、私………まって…」

 

「………………。」

 

「…みて………きっと…ね………んのよ………」

 

 

 

 微かでとてもか細い声は途切れ途切れにしか聞こえないが、合間に沈黙を挟む辺り何者かと会話をしているのは間違いなさそうだ。…しかし相手の声が一切聞こえないのはどういうことだ。

 そっとリビングを抜け香澄の部屋の扉を開け中を覗く――――

 

 

 

「……わかんない…わかんないもん……。」

 

「……………。」

 

「…それって、多すぎるからなかったことにしちゃったってこと?それとも…」

 

「………うん……えっ。」

 

「それは……哀しい、こと、だね……。」

 

 

 

 何ということだ。香澄はベッドに横たわったまま、目はしっかりと開かれ天井を見据えたまま何かと喋っている。

 寝ぼけている様子も混乱している様子も見られない、至って冷静な状態で。

 

 

 

「………えっ、そ、そうなの?お兄さんが?」

 

「!?」

 

 

 

 その顔が驚愕の表情を浮かべたかと思うと、バッ!とこっちを向くせいで視線が交錯する。そしてその緊張漲る表情はやがてふにゃりと崩れ、眠る直前のような子供らしい香澄に戻ったのだ。

 

 

 

「えっへへー、お兄さんだぁ。…お兄さんも眠れないの?」

 

「あ…あぁ…。…香澄、今誰とお話していたんだい?」

 

「お話…?……お星様とだよ!」

 

 

 

 あっけらかんと言い放つ香澄。…()()()。確かに香澄はそう言ったか。

 ……まさか、ここでも"共通点"が見つかるとはね。全く、運命ってのを信じざるを得ないかもしれないよ。

 

 

 

「そっか。……香澄も、星の声が聞こえるんだね。」

 

「うん!!明るい時は聞こえないけどね、夜になるといーっぱい聞こえるの!」

 

「……??そういうものなの?」

 

 

 

 何だか認識の違いが少々起きているようだが、間違いない。香澄も聞こえるんだ。…"星の声"が。

 

 

 

「まあいいや。それでも今はもう夜も遅いし、君も疲れたろう?

 まずはゆっくり休まなきゃね。…明日から、色々忙しくなる予定だからね。」

 

「あした、何かあるの?」

 

「あぁ。色々買い物はしたんだけど、結局香澄が必要だと思うものは揃えられていないからね。

 ここに君も住むからには、必要なものは全部揃えないと。」

 

 

 

 ぱぁっと明るくなる香澄の顔。わくわくが抑えられないといった様子で飛び出した質問は、聞くまでもなく正解の物だったが。

 

 

 

「お買い物っ!?」

 

「ぴんぽーん。…だから今日はゆっくり眠っとかないと…?」

 

「寝る!私頑張って寝る!!」

 

「ん。それがいい。…一人で眠れるかい?」

 

「う!大丈夫だよ!香澄もう大人だもん!」

 

「はいはい…それじゃあ、改めておやすみ。香澄。」

 

 

 

 部屋の電気を消し扉を閉じる。…ふふふっ、わくわくしちゃってからに。やっぱり、自分の物を揃える買い物って楽しいよね。買い物自体が好きじゃない僕でも、必要な物や欲しかったものを買いそろえる時は少なからず胸が躍る。

 ……しかし、星の声か。まさか、世界を移動した人間は漏れなく聞こえるようになるんじゃないだろうね。そうだとしたら、恐らく結構な数の人間が()()にアクセスできるということになる。いや、そもそも香澄はどこでそのアクセス方法を…?

 星の声、買い物、香澄、買い物、香澄、星の声、香澄、買い物、星の声……ぐるぐると思考を巡らせているうちに何だか僕も眠くなってきた。今日は一緒に住み始めた、一歩前進した日として立派に終わらせてやろう…。

 

 こうして、僕と香澄という正に縁で繋がった二人の共同生活がスタートしたんだ。…全ての物語も、ここから始まったってことだよ。この日から今日までのこと、そして今日から未来のことも、ね。

 

 

 

 因みに、「眼が冴えちゃって眠れない」と枕を持った香澄が突撃してくるのは、ここから二時間後の事だった。

 

 

 

 

 




少し短いですが、香澄と誠司の出逢いについてはここで一度終了です。
次回からは回想の時が動き始めます…。


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進む未知

独自設定部分により、現実ともバンドリ世界ともまた違う世界でのお話になります。
いずれ設定集も上げていこうと思っています。


 

 

 

 それからまた時は二月程流れ、ぽつぽつと冷え込む日が出てきた頃。すっかり家での生活に慣れた香澄は持ち前の行動力と漲る活力でこの()()()に順応しつつあった。

 とはいえ、この8歳の女の子をずっと家に置いておくわけにはいかない。…あぁ、言い方が悪かったね。別に追い出そうって話じゃない。要は――

 

 

 

「香澄、おいでー。」

 

「う?なぁにお兄さん。」

 

「急だけど…学校、行ってみないかい?」

 

 

 

 ――学校。…そう、教育の環境だ。

 別に僕としてはこのまま家で一緒に暮らしていてもいいんだけど、香澄の将来の事を考えた時に学習のチャンスをみすみす潰すのは宜しくないだろうし、何より僕以外の人間にも慣れていかないと社交性やら何やらが…と思っての提案だったんだが。

 

 

 

「学校…ってどういうところ?」

 

「ええとね…。香澄と同じくらいの子供がいっぱい居てね?その皆と一緒に、お勉強したり遊んだりご飯食べたり…

 昼間の間だけ、一緒に過ごすんだよ。」

 

「や!!」

 

「……即答だね。」

 

「だってよくわかんないんだもん。」

 

 

 

 ううむ、参ったな。確かによくわからない物事に対して「はい行きます」とは言えない、それは自明の理、火を見るより明らかな話であって。と言いつつも僕も自分の小学生時代の記憶何て殆ど無いし。

 どうしたら学校というものをイメージしてもらえるか……。

 

 

 

「よし。じゃあ学校ごっこやってみよっか。」

 

「がっこうごっこ?」

 

「ん。…ほら、丁度今日はまだ予定が無かったろ?僕と一緒に、学校()()()雰囲気をやってみよう?」

 

「うー……やる…。」

 

「よしよし、じゃあ僕が先生やるから、香澄は学校に来る子供の役ね。」

 

「うん。」

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「はい、じゃあご本の1ページ目を…香澄ちゃん、読んでください。」

 

 

 

 流石に教科書が用意できなかったために絵本で代用する。国語の雰囲気くらいは出せるかと思って…。

 因みに香澄の為に用意した"学校の備品っぽい机と椅子"は、この前通販で買った"家具錬成キット"を用いて5分くらいで作った。うーん、こりゃ家具屋も無くなるわ。

 

 

 

「はいっ!香澄、読みます!」

 

「うん、いいお返事だ。…どうぞ。」

 

「えっと……むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんと、ごくつぶしのひとりむすこがすんでいまいた。」

 

「うんうん、そのまま次のページもいっちゃおっか。」

 

「はい!…むかしむかし…は読んだから、次のこれをめくって…。」

 

 

 

 うーん、何というかこの感じ、凄くイイ。自分に子供ができたのはこれが初めてだけど、今日まで一緒に過ごす中で香澄は沢山成長をしてきたはずだ。

 そのどれもが微笑ましいながらも尊く、見ているだけで幸せな気持ちになるもので……この光景を見られているだけでも、僕の選択は正しかったと思えるくらいだ。

 捲り辛いページを一生懸命剥がし、やっとの思いで次のページへ。

 

 

 

「ええと…ごくつぶしのむすこは、おじいさんとおばあさんのねんきん?をつかいこみ、ぜいたくざんまい。…うーん。」

 

「うん。……どしたの。」

 

「言葉が難しい!」

 

「難しいって言うか、そもそも造語ばっかりだもんね。…穀潰しとか年金とか、そんなものこの世の中にないもんねぇ。」

 

「うん…。」

 

 

 

 全く、何処の誰が考えた創作なんだ。こんなもの子供向け絵本にして販売するんじゃないよ。

 国語の授業は急遽取りやめになりました。

 

 

 

「…さて、香澄ちゃん。」

 

「はいっ」

 

「ここまでやってみて、どうかな?」

 

「はい!」

 

「おぉ良い挙手だ!…はい、どうぞ香澄ちゃん!」

 

 

 

 因みに、授業を始める前に「何かを話すときは挙手をしてから」という学校のルールを教え込んだのも勿論僕だ。学習能力の高い子で全く助かる。

 

 

 

「私は、お兄さんにぎゅーってしたいです!」

 

「……うーん、そう言われちゃうと弱いなぁ…。おいで。」

 

「わーい!!」

 

 

 

 ばふっ!と飛び込んでくるその小さな体躯を抱きとめる。すっかり緊張も無くなったようで、最近は暇さえあればこうして体温を重ねているんだ。

 とはいえ、実際学校に行ったらどうだろうか。当然僕はそこに居ない訳だし、代わりに先生にべったりになるんだろうか。ううむ、それはそれで、今度は僕が嫌な気分になるな。

 少し逡巡したが胸の中ですっかり落ち着いている香澄を引き剥がす。「もっとー」って、可愛いなあおい。

 

 

 

「学校……行ってみないかい?」

 

「…お兄さんは、私が居ると迷惑?」

 

「急に何を言い出すんだ…。そんなことないよ?一緒にいて幸せだし、もっとずっと一緒に居たいと思ってるけど。

 …でもね、迷惑とかじゃなくて、香澄の為にも勉強とかはしていなきゃいけないもので…」

 

「私、お兄さんと一緒に居たいだけなの。だから、お兄さんと一緒ならお勉強もちゃんとするよ?お家でいっぱい本も読むし、それから…」

 

 

 

 必死に指を折りながら訴えかけるその姿に、僕は何とも言えない気持ちになった。果たして勉学という事柄に於いて、"学校"という決められた空間に縛り付けることがそれほど重要な事なのだろうか。この子は勉強を嫌がっているわけじゃない、僕から離れることを、折角手に入れ落ち着き始めた自分の場所から再び離れることを恐れているんだ。それはその境遇を考えたら察しの付くことだし、この必死な様子を押さえつけて無理やり学校へ遣るなんてことは僕にできない。

 

 

 

「えと、えと…えと…それから、それからね?」

 

「わかった、わかったからもう大丈夫だよ。」

 

「え?えっ??怒った?学校行かない私は要らない?やっぱり迷惑?」

 

「落ち着きなさい。…ほら、おいで?」

 

 

 

 一度引き剥がした僕が言うのも少し滑稽だが、パニックを起こしかけている香澄を再度胸元に引き寄せる。

 荒立った感情の波が落ち着くように、この子の事をあまりに考えてあげられなかった自分の軽率な発言を悔やむ様に…静かに背中を撫でつつ続ける。

 

 

 

「…ごめんなぁ香澄。どうしても僕は、立派に君を育て上げようと躍起になってしまう節があるようだ。

 でもそれは必ずしも君にとっては幸せとは言えないもので、ええと…要は僕は、僕のエゴの押し付けをしてしまっていたということになって…。」

 

「……むずかしくてわかんないよ。」

 

「……そうだよなぁ。えっとね。…僕は君が大好きで、君に幸せになってほしいんだ。

 だけど、学校に行けとか、勉強するべきだっていうのは、僕の我儘だったわけだ。…だからね。」

 

 

 

 小さな子供に理解できるように噛み砕いて話すのは難しい。僕が何よりも苦手としていることかもしれない。

 それはまぁ、僕自身の()()()()幼少期というのが思い出すことも叶わないほどの遥か昔にあるから、ということもあるのだが、今ここで語るべきことではないか。

 

 

 

「君の好きなようにしようと思う。でも決して、何でも甘やかすって事じゃない。いいかい?」

 

「じゃあ、がっこういかなくていいの?」

 

「…いいとも。お家で、僕と一緒にお勉強しよう。」

 

「……うんっ!」

 

 

 

 結果として、香澄は小学校から中学校卒業までの数年間を、在宅型学習機構を利用することで修学することとなった。一応中学に上がる際にも再確認したのだけれど、その時にも香澄は僕から離れることは出来なくて。結局このシステムに頼り切る形になってしまった。

 今の時代、勉強一つ取っても自宅で完結出来ちゃうんだからすごいよね。

 勿論、そのシステムを導入するまでも中々に大変な工程はあったがね。身内も居らず、誰にも相談できない僕は僕なりのやり方で辿り着いたって訳だ。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 月の綺麗なとある夜。思わず昔の思い出に浸ってしまうのもこの星空のせい…なんて、誰にともなく言い訳を。

 最近、僕はこうして空を見上げて時間を浪費することが多くなった気がする。勿論、また一つの作品が僕の手を離れ毎日の予定が空っぽなのもあるが。

 …一人の女性として成熟に向かっている香澄が、段々と"親離れ"をしていることも原因の一つだろうな。難しい時期に差し掛かっているのも分かるし、学校へ通ったことのない香澄にとってみれば"僕"という人間が唯一の他人であり身内なんだから。接し方に戸惑いを覚え始めるの無理はない。…もう少し時間が経てば、きっと香澄も素直になってくれることだろう。

 何にせよ、あまり香澄と過ごす時間は無くなってきたように感じる。お陰で僕の話し相手と来たら、この一面に広がる星々と夜空…。あとはこの世界で唯一僕について知っている"友人"くらいか。

 

 

 

「あぁ……あの時はあんなに無邪気だった香澄も、もうすぐ中学工程修了試験かぁ…。」

 

『すっかり大人になって。…この先の事は考えているのかい?セージ。』

 

「まぁ、ね。あの子の将来を考えたら、いつまでもT.R.Y.に頼る訳にもいかないし。」

 

『ははは、君もすっかり立派な父親じゃないか。』

 

 

 

 T.R.Y.――Teach for Refined Youngster's Systemの略。通称"トライ"というらしい。

 要するに在宅学習を支援する機構と用いられるシステム・機材の一式を指す。通常の学校のように学費を支払い、設備を自宅に設置。あとは機材を通して実際の講師から授業を受けたり、仮想現実を用いた体験学習等を通じて定められた義務教育期間を全てカバーすることができるらしい。

 漠然と香澄に自宅学習を…と相談したところ、このシステムを紹介してくれたわけだが、その辺の知識を授けてくれたのも先程から会話を交わしている彼―――

 

 

 

「僕なんてまだまださ。…君が居なきゃこの世界で生きて行く事すら叶わなかっただろうさ。…Michelle(ミッシェル)。」

 

 

 

 ――彼、いや、彼女かもしれないMichelleは僕がこの世界で出逢った唯一の理解者。そして僕の特殊な性質を証明する人物でもある。……そういえば言い忘れてたね。僕も香澄と同じ、「星の声」が聞こえるんだ。

 …Michelleという、星の声が。

 

 

 

『なんだよ、らしくないね。…それで?高校からはどうするんだい?』

 

「あぁ。T.R.Y.も修了したら、今度こそ、生身で学校に行かせようと思う。丁度僕の手も離れ始めているし、社会に出るためには人と交流できるようにならないとね。」

 

『なるほど。君だけじゃ教えられない事を…ってことか。』

 

「うん。それでまた相談なんだけど…。」

 

『女子校?…この辺りにはないよね。』

 

 

 

 相変わらず人の心を読む様な先回りの質問で会話を進めてくる。真面目な話の時はいつもこうだ。Michelle曰く、「君の声を聴いて返事をしているわけじゃないからね。」らしいが…正直よく分からないけど、相手は星だ。現実味のかけらもない話なので、今更これくらいのことに一々引っかかることは無くなった。

 それはさておき、Michelleが読み取ったように僕は香澄を女子校に入れたいと思っていた。勿論香澄自身の意向も尊重するが、ただでさえ人間に耐性が無いのだ。…異性なんて、論外だろう。何れは慣れなきゃいけない事だがね。

 

 

 

「だから、引っ越しも視野に入れているところなんだ。」

 

『ふむ…確かに、大きくなった香澄と暮らすにはその部屋も些か手狭だしね。一理あると言えばある、か。』

 

「ん。……流石に進路相談を君にするのはどうかと思ったけど、生半可なコンピューターで調べるより君の情報の方がよっぽど信用できるからさ。」

 

『あははは、まあね。現状ボクとコンタクトを取れる人間も限られているし、ボクもセージが大好きだしね。全力を掛けて調べ…ん?』

 

 

 

 カラカラとよく笑う星だ。実際に人間として目の前に現れてくれたなら、何の迷いもなく無二の親友になれると思う。そう思わせる何かを、会話の度に感じ取ってしまう程、このMichelleという星は良い奴だった。

 

 

 

「なんだい??」

 

『……花咲川女子学園…っていう場所があって、』

 

「そこにしようか。」

 

『早いね。……最後まで聞き給えよ。"焦る乞食は貰いが少ない"ってね?』

 

「また"別世界"の諺かい?」

 

『そんなとこ。…その学校は名前の通り女子校なんだけども。…ボクの知っている子が入学することになってるんだ。』

 

「…なんだって?」

 

 

 

 Michelleが今まで誰か個人の事を口にすることなんてなかった。それが初めて……「ボクの知っている子」だって?そこについても詳しく聞きたいが、今はまず学校だ。

 

 

 

『あぁ、学校は何の変哲もない普通の学校さ。……それよりその子のことなんだけど。』

 

「何か、あるのかい。」

 

『うん。…多分、その子は香澄ちゃんに積極的に近づいてくると思う。』

 

「……待って、話が見えない。」

 

『大丈夫、いずれ分かることだから。そして、君もきっと、その子と関わることになると思うんだ。』

 

「僕が?意味が分からない。」

 

 

 

 香澄と友達になってくれる位なら別にいい。だけど僕が一体どう関わるって言うんだ?そしてMichelle、君は何を隠してる?何を言いたい?

 

 

 

「まぁ、その学校に進むって決まったわけじゃないしさ、そこは追々…。」

 

『……そうだね。ボクも少し余計な事を言い過ぎたようだ。ごめんね。』

 

「…ちなみにその子って、君とはどういう関係なの?」

 

『…あの子は。…()()()は、君と同じようにボクとコンタクトが取れる人間なんだ。』

 

 

 

 こころ―――それは、その後も、そして今現在においても、僕自身に大いに関わってくる名前だった。その時はまだ、ただの見ず知らずの子供の名前でしかなかったけれど。

 

 

 

「そんな……もしかしてその子も、僕や香澄と同じ…?」

 

『まぁ、そうなるよね。…そう、彼女も、異なる世界から来たんだ。それも、こことは違う日本とね。』

 

「―――ッ!」

 

 

 

 進学や就職で環境が変わることに対してのワクワクを、親の立場でも感じられるなんて。僕はまだ見ぬ"こころ"なる人物に淡い期待を寄せつつ、香澄に通学と引越しの案を切り出すべく準備を始めるのだった。

 

 

 




過去編・回想編は長いプロローグのようなイメージで見て頂ければ。
…こころとMichelleが出てきてからが本番になります。


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未来へ

 

 

 とある日曜日。娘との面談を前に、僕は柄にもなく緊張のピークを迎えていた。

 以前よりMichelleと綿密に練ってきた"進学の提案"。…「女子校」を必須条件として探索や問い合わせを繰り返したが、やはり様々な観点に於いて希望と合致するのは花咲川女子学園一択だった。

 

 

 

『くれぐれも忘れちゃいけないのは、一番大切なのは香澄ちゃんの意思だってことだよ。

 …君は飽く迄父親であって、彼女の主人じゃない。指示も命令も、何なら懇願の類も一切せずに。…自然の事の運びに身を任せるんだ。』

 

「……あぁ。わかってるとも、Michelle。」

 

 

 

 一呼吸おいて冷静さを思い出す。Michelleの言う通り、結局のところ香澄の意思次第なのだ。これは彼女の道であり、人生なのだから。

 …残る僅かな緊張で震える右手を必死で抑え、まだ見ぬ未来を選ぶため選択の扉(香澄の部屋のドア)を叩いた。

 

 

 

「はあい。」

 

「…今入っても平気かい?」

 

「あ、うん大丈夫。」

 

 

 

 何とも素っ気ない対応だ。出逢った頃の香澄なら駆け寄ってきてドアを開けてくれるまでもあったのに。…Michelle曰く、これも成長であり誰でも通る道らしい。そして世の父親は、その姿に必ず肩を落とすらしい。わかる。

 何はともあれ許可は出たわけだし、部屋に踏み入ることにする。

 

 

 

「なぁに?お兄さん。」

 

「ええと……きょ、今日も涼しくて過ごしやすいねぇ。」

 

「??うん。」

 

「……それから…」

 

「どうしたの??お兄さん、何かヘン。」

 

 

 

 知ってるともさ。だって切り出す勇気無いんだもん。…またT.R.Y.を選びたがるんじゃないか、学校なんか行かずに働くとでも言いだすんじゃないか、なんならもう僕の手を離れて独り立ちしたがったり…心配事は無限に考えられてしまうんだからね。こういう時、僕は僕の想像力を恨むよ。

 怪訝そうな香澄の表情からもプレッシャーを受け、僕の胃は早くもキリキリと泣き出していた。父親って大変だなぁ。

 

 

 

「はあ…。香澄、そろそろ中学工程修了試験だけど…調子はどうだい?」

 

「あー…うん。だいじょぶ、だと思う。」

 

「何だ、歯切れの悪い返事だな…。」

 

「だって苦手なんだもん。」

 

「そんな自信満々に言うもんじゃないよ…。それで、少し気が早い気はするんだけども。」

 

「うん??」

 

「……修了認定が終わった後、進路とかは考えているかな?」

 

「………えーっと…。ごめんなさい。」

 

 

 

 言い方が少々きつかったか。少し険しい表情をしたかと思うと、目をきょろきょろと落ち着きなく動かした後に小さく謝られてしまった。ただでさえ小さく華奢なその体もより小さく見える。その背中を丸めた姿なんか正に……ええと、あれは別世界の……そうだ、「アルマジロ」とかいう動物にそっくりだ。

 

 

 

「ああ違うんだ、香澄。…別に怒っている訳じゃあない。

 ……小学校中学校と、僕の傍に居たいからってT.R.Y.を使って学んできたね?」

 

「…ん。……へへっ、ちょっと懐かしいね。」

 

「あの頃も香澄は可愛かった…。……それで、順当にいくと次は高等工程に入る訳なんだが。」

 

「……学校、かぁ。」

 

「ああ。最近は僕と過ごす時間も減ってきただろう?勿論、それは香澄が心身共に大人に向かって成長しているからであって、当然と言えば当然の事なんだが―――

 また脱線しちゃうね。ええと、」

 

 

 

 イマイチ女の子の扱いがわからない事もあり、ついつい余計な事迄喋り自ら話を脱線させてしまうのは僕の悪い癖だ。長い事一緒に暮らして、香澄ももうすっかり知っていることだとは思うが…それでも、こういった真面目な場でやらかすのは本当に不甲斐なく感じる。

 

 

 

「学校、行ってみよっかなぁ…。」

 

「…んん!?」

 

「!?…びっくりしたぁ。……私が学校にいくのって、そんなに驚く事なの?」

 

「い、いや…てっきり、またT.R.Y.が良いって言うもんだと…。」

 

「あー。…えへへっ、お兄さん、外れちゃったねぇ。」

 

「そうだね…。にしても、どうしてそんなあっさりと?行きたくなかったんじゃないの?」

 

 

 

 何か切っ掛けでもあったんだろうか。…いや、ずっと家にいるのに新しい刺激や考えなんて……

 

 

 

「えっとね。私もいつまでも子供で居られるわけじゃないでしょ?

 いつかはお兄さんの傍から離れていかなきゃいけないと思うの。…それが大人になるってことだと思うから。」

 

「……ッ。」

 

 

 

 何だろう。これが成長というやつか。いつの間にか、僕の目の届かないところで育っていた小さな心に気づかされると同時に、無意識のうちに彼女を子ども扱いしてしまっていることに恥を覚えた。

 中学生にしてもう自立を考えているとは。…果たして僕は、同じ時期にここまでしっかりと先を見据えていたであろうか。いや、それは無かった。

 

 

 

「…お兄さん?」

 

「あ、あぁ…ええと、何処まで話したかな。」

 

「私が高校に通うって話だよ。」

 

「そうだったそうだった…。香澄は、行ってみたい学校とかあるのかい?」

 

 

 

 僕の問いに暫し考え込む香澄。やがて考えることに飽きたのか満足したのか、素敵な笑顔で言い放つ。

 

 

 

「ないっ!」

 

「あぁ…なるほどね。」

 

「だってどこの学校も通ったことないんだもん。何が良くて何が悪いのかなんてわかんないよ。」

 

「…ずっとT.R.Y.しか知らなかったもんね。」

 

 

 

 僕はなんと愚かな質問をしたのか。正に愚問……一度も学校というものを体験してこなかった彼女に、"行ってみたい"も何もあるわけがない。

 

 

 

「でもね!…私って、女の子なんだよね?…だから、同じ女の子がいっぱいいるところがいい!」

 

「ん。…女の子がいっぱい、と。…あと他に、そういうのはあるかい?」

 

「んと、んと……あ!」

 

 

 

 今度の思考は短かった。何せコツコツと頭を打った回数はたったの二回。短い思考時間で辿り着けるということは表層意識に近いイメージに辿り着いたということで、叶えたい希望の上位にあたる意見だという事か。

 

 

 

「"ぶかつどぉ"っていうのやってみたい!」

 

「ぶかつどぉ……部活動か。」

 

「あ、そうやって言うんだ。その部活動ってやつ、T.R.Y.で先生に教えてもらったんだけど、新しいことがいっぱいで、毎日ドキドキしてワクワクするみたいなんだ!」

 

「ふむ、ドキドキにワクワクか…。それはとってもいいことだね。うちに居ては味わえない気持ちだ。」

 

 

 

 最初"グリセリン"と同じイントネーションで放たれた言葉が何なのか分からなかったが、成程部活動か…。これはMichelleの教えてくれた特徴データには無かった項目だ。後で訊いておこう。

 それにしても「ドキドキ」に「ワクワク」とは、香澄はどうやら本格的に僕と違う種類の子供らしいな。僕はどっちかというと、「普遍」や「安定」を求めるタイプの子供だったからね。…今でこそ目まぐるしい変化の中にはいるが、それもまた僕個人の"成長"なのだろうか。

 

 

 

「オーケーだ。それじゃあ、僕の方でいくつか学校を当たってみようと思うんだけど…」

 

「あと、制服は可愛いのがいい!!」

 

「……なるほどね。目処が立ったら報告するよ。」

 

 

 

 よかった。すっかり大人に成り切ってしまったのかと思ったけども、子供っぽい可愛らしい部分もあったじゃないか。可愛らしい制服…これもMichelleに要相談案件になりそうだ。

 入る時とは全く違って期待と希望でいっぱいになって僕は香澄の部屋を後にする。香澄の進学、必ず最高の環境を作ってやらないと。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「………なるほど。それらの点を追及しても尚ここが適切なのか。」

 

『あぁ、そうだよセージ。部活動・女子生徒の数・制服の可愛さ…それらを加味しても、やっぱり花咲川は優れていると言える。』

 

「ふむぅ…。」

 

『君もこれ以上の拘りは無いんだろう?もう確定ってことで、良いだろう?』

 

「……なあMichelle。」

 

『なんだいセージ。』

 

「……君は、何かを隠しちゃいないかい。」

 

 

 

 香澄の意思を知った夜。すっかり定例となりつつあるMichelleとの会話にて。予てより微かに感じていたささくれの様な引っ掛かりを、思い切ってぶつけてみる。

 そう思った切っ掛けはいくつかあるが……やはりMichelleがやけに花咲川女子学園を推してくるところだ。なに、僕が勘繰り過ぎているだけならば笑い話で済むことだ。…だがもし、そこに何かの意思があるならば。

 

 

 

『………どうして、そう思うんだい。』

 

「おや、珍しく沈黙が長かったな。…事が思いの外トントン拍子に進んでね、嬉しい反面引っ掛かりもあるのさ。

 まぁ僕が疲れているだけならば一蹴してくれて構わないが。」

 

 

 

 さて、偉大なるお星様の回答としてはどう来るのか。

 

 

 

『……全く、君はかなり慎重で聡明な人間らしい。』

 

「ありがとう。」

 

『ふふっ、君には隠していても仕方が無さそうだね。…確かに、ボクは香澄ちゃんを花咲川に、そして君をあの地に引入れたかった。』

 

「………驚いたな。星一つ分の知能に、僕なんかの疑いが届くとは。」

 

『別段隠しておくことでもないしね。どうせ君以外の人間にボクとのコンタクトは不可能だし、今から伝えることを君が吹聴して回ったところで君がクレイジーボーイ扱いされる以外の弊害はない。』

 

「……僕だけ?こころちゃんとやらはどうした。」

 

『こころは特別なんだ。君とはまた違ったベクトルでね。だから便宜上、君だけという表現で正しいんだ。』

 

 

 

 『こころは特別』――確かにそう言ったか。僕とは特別というくらいだから、何だろう…。僕が稀な"能力"的なものを授かった人間、という意味で特別だとしたら、そのまた別の可能性…ううむ。

 

 

 

『ああごめんごめん。考え込ませてしまったね。……じゃあこの説明でどうかな。君は()()()ボクと話せる人間だろう?』

 

「あぁ、そうだな。」

 

『彼女は…こころは、ボクと話せる手段を持っている唯一の人間なんだ。』

 

「…それは…電話機、のような物かい?」

 

『まあそんなところだね。実をいうとね、ボクは()()()()星なんだ。』

 

 

 

 今まで触れてこなかった友人の深く隠された部分。そこに全ての始まりであり、僕が運命と感じていたものの正体が眠っているとの事だった。

 彼の話を整理するとこうだ。

 

 彼―――Michelleは、一つの惑星ではなく人の手によって創造された「人工惑星」(人工衛星ともまた違うらしい。)。まぁ話の流れ的に察しは付くが、水流巻財閥傘下の企業によって創造されたそれを管理する役目なのが「こころ」という一人の少女なのだとか。

 そのため、コンタクトを取れて当たり前の彼女を抜けば、僕が唯一の"能力持ち"になる。そういう事だったんだ。

 

 

 

「随分と大きな隠し事じゃないか。…成程ね、それで君を通して僕の情報がこころちゃんに、と言う訳だね?」

 

『…あー、それはまた別のルートになる。けど、君達を花咲川に呼び寄せたかったのは確かにこころだ。』

 

「そうか。別のルートとやらも気にはなるが、それは追々わかるんだろうな。…こころちゃんと接触することで。」

 

『まあそんなところだね。すまない、長くなったが、隠し事は以上だ。』

 

「あぁ、話してくれてありがとう。それじゃ―――」

 

『セージ。…ここ迄話してしまった上で、一つ頼みごとがあるんだが。』

 

「…聞こう。」

 

 

 

 何やら深刻そうな声音だ。隠し事は無くなったというのに、今度は一体何だろう。他言無用でということなら、先程Michelle自身が話したように心配することもないと思うんだが…。

 

 

 

『香澄ちゃんが進学して、君もこころと触れ合う様になったら。……どうかこころを救ってほしい。』

 

「そりゃまた結構な頼み事だな。企業の手伝いを、というなら他を当たってほしいんだけど。」

 

『ああいや、水流巻財閥は関係ないんだ。これはこころ自身の問題でね。』

 

「ふむ。」

 

『あの子は……最近妙に不穏な気配を纏っていてね。…恐らくだが、社会的にも人道的にも善くない事をしている。』

 

 

 

 何だか随分と属性を盛り込まれたような子だな。財閥の関係者かと思えば世界唯一の人工惑星に関与しているし、その上犯罪者の気があるって?

 そこまで特殊な人間を、どうして救えようか。

 

 

 

「Michelle。…今まで君と関わってきたから言えることだが、君は不可能なことは試行すらしない性質(タチ)だよね?」

 

『大概の事は結果が見えているからね。』

 

「ということは、僕にならばこころちゃんを救うことができる、として頼み込んでいる訳かい。」

 

『……そう、信じている。』

 

「………ふぅ。惑星一つ分の信頼とは随分重いものを背負わされたな。」

 

『…すまない。』

 

「でもいいさ。君がそうまで言って頼ってくれたんだ。…何とかしてみるよ。」

 

 

 

 正直何かができるとは到底思っちゃいない。こころちゃんについてだって何も知らないんだし、現状何が起きているのかさえ分からない。今は香澄のことで手一杯だし、引っ越しや進学の手続きも勿論ある。

 パンクしそうな程のタスクを抱えてはいるが、今の僕には明確な"進路"が無いのもまた事実であって、当面の行動目標ができるなら、それは不快なものではなかったんだ。

 ――大丈夫、Michelleも居るんだ。僕はきっとやれる。

 

 環境が変わって更なる成長が見込めるのも、ドキドキやワクワクを感じられるのも、香澄だけじゃないみたいだ。

 

 

 

 




いよいよ次からは高校生。
物語の時系列も"現在"に近付いて行きます。
こころはどう物語に絡んでくるのか、誠司と香澄に新天地でどんな出会いが待ち受けるのか。


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その日投げられた賽に

 

 

 

 季節は廻り、春。

 新天地における拠点と言うことで様々な物件を周りはしたが、どれもしっくり来なかった為に断腸の思いで購入したマイホームで迎えたその日は特別なものだった。新しく高校生になる香澄にとって。…そして、僕にとっても。

 

 

 

「お兄さんっ!見て見て!!」

 

「……ほほぅ…これはなかなか。」

 

 

 

 新しく通うことになった「花咲川女子学園」。その制服がまた可愛らしく、香澄も気に入ったようで朝早くから何度も見せてくれる。うんうん、我が娘ながら最高の愛らしさだ。

 因みにこの制服、随分前に届いてはいたのだが…「高校生になるまでは袖を通さない」という香澄の鉄の意思により、今日までビニール袋を被っていたと言う訳だ。

 初めての登校時間までまだ一時間はあるが、のんびりはしていられない。最近気づいたんだが、香澄はどうやら極度の方向音痴らしく……少し不安でもあるのだ。一先ず初日の今日は利用する市電の駅までついて行く事にはなっている、が…。

 

 

 

「お兄さんっ、鞄、見てっ!」

 

「…ん。可愛いよ。」

 

「違うの!あっ、可愛いのは違わないんだけど、中を見てっ!」

 

 

 

 最初は中身も何かしら装飾を施しているのかと不安で覗いたのだが、その乱雑な中身を見て成程合点がいった。学校の持ち物として相応しいか、不足が無いか確認をしてほしいという事か。

 ……ん。

 

 

 

「いいかい香澄。」

 

「なに?」

 

「学校っていうのはね、基本的に関係ないものは持っていっちゃいけないんだよ。」

 

「う???」

 

「…これはなんだね。」

 

「……星だよ!」

 

 

 

 丁寧にサイズ別に分けられクリアファイルに入っていたそれは、星型のシール。それぞれ付箋紙で「がんばる用」「しょんぼり用」「おこ用」「わはは用」と書いてある。

 …これを、学校でどう使うというのかね。

 

 

 

「ええと、おるふ君が言ってたんだけどね。「楽しい事とか辛いことがあったら、それぞれのシールを貼って頑張るんだ」って。」

 

「おるふ君?」

 

「そう!一昨日の夜教えてくれて、それから買いに行ったんだよ。」

 

 

 

 おるふ君…おるふ君か。一応香澄も年頃の娘なわけだし、友達の一人や二人居て当然か。それはそうと、昨日迷子になったと泣きながら帰ってきたのはこのせいだったんだね。シールくらい、行ってくれたら一緒に買いに行くというのに…。

 

 

 

「お友達が出来てたんだね…。…ただ、この星を貼る…といってもだね…」

 

「……だめなの??」

 

「うーん……。」

 

 

 

 あまり公共のものに私物を張り付ける行為は推奨できない、というか最早輩のマーキングでしかない訳で。とは言え、学校に対してここまで前向きになっている彼女に対して水を差すのも憚られる。

 散々迷った挙句、取り敢えず今日は持って行かずに後日策を考えることで回避した。

 

 

 

「そしてこれは…。」

 

「あ。これは……なんだろ?」

 

 

 

 香澄自身も不思議そうに出したのは、銀色の小さな鈴。赤と白のリボンが付いており、アクセサリーとして鞄等に着けても邪魔にならなそうなサイズだ。

 

 

 

「香澄も分からないのかい…。」

 

「うーん、入れた覚えないんだけどなぁ…。」

 

「ま、可愛らしくていいんじゃない?折角だから、鞄に着けちゃうとかどうだい?」

 

「うん、そうする!」

 

 

 

 僕の提案に目を輝かせ、嬉々として取り付け作業に入る。鞄側面の小ポケット、そのファスナー部分に取り付けるようだ。シャンシャンリンリンと音の煩さを懸念したが、つけ終わった香澄が鞄を揺らす分には問題ない程の小さな音色で一安心。「煩い鈴の奴」なんてイメージを持たれるのも可哀そうだしね。

 

 

 

「よし、じゃあ後は問題なさそうだね。…今日はお昼ご飯も要らないんだったっけ?」

 

「うん!午前中で終わりだって~」

 

「そっか。……あ、そろそろ出る時間じゃないかな?」

 

「…ホントだ!!…行こ!お兄さん!」

 

 

 

 僕の手を取り駆け出す香澄。…嗚呼、本当に大きくなった。あの傷だらけだった小さな君が、よくぞここ迄逞しく育ったものだ。思わず浮かぶ涙を悟られないように笑い、好奇心に胸を膨らませる香澄と共に朝の日の下へ。

 …ここからまた新しい生活が始まるんだね。入学おめでとう、香澄。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 香澄の乗り込んだ電車を不安な気持ちで見送った帰り、初対面でありながらもこれからの関係性をかなり意識させられるような人物と僕は歩いていた。見送った後なかなかホームから動けず、もう見えなくなった電車の方向を見つめ立ち尽くしていたところに声をかけてきた女性。彼女は、横澤(よこざわ)神無子(かなこ)と名乗り、名刺も渡された。所属としてそこに書いてあった企業、それは――

 

 

 

「…にしても、あの水流巻財閥の関係者とは…。お若いのに、エリートってやつですか?」

 

「そんな大層なものじゃないですよ~。色々コネがあって、気付いたら入社していたって感じですかね??」

 

 

 

 財閥関係者と言うことで、少し身構え過ぎていたかもしれない。彼女自身はとても明るくフランクで、人当たりの良さが滲み出ている様だ。その異様なまでの話し易さに、気付けばかなりの時間を共に過ごしてしまった。

 

 

 

「…あ、マズい。もうすぐお昼ですよね?」

 

「あ!確かにそうですね!……もしよければ、お昼ご一緒しません?こうして出逢ったのも、何かの縁ですし!」

 

「お気持ちは有り難いんですが…実はもうすぐ娘が学校から帰ってくるので、さっきの駅まで迎えに行かなければ…」

 

「あー……。そう、ですか。」

 

 

 

 しゅん…と、それまでの元気が白昼夢であったかのようにしおらしくなってしまう横澤さん。何だか悪いことをしている気分だ。もしこれが計算の上での行為なら大層な策士だとも思うけど、きっと彼女はそんな人じゃない。まだ出逢って数時間だけど、そんな気がした。

 

 

 

「…ええと、確認してみないと分からないですが…娘もご一緒していいなら、お食事位ならまぁ…」

 

「ほんとですかっ!」

 

「っ!……え、えぇ…まぁ。」

 

 

 

 提案した直後、飛びつく勢いで距離を詰めてくる。コロコロと表情の変わる中々に愉快な女性だ。キュッと握られた手に思わずドキッとし、しどろもどろになってしまったが気には留められていないようだし…一先ず、横澤さんと共に先程の駅へ向かうことにする。

 道中、相変わらず元気に話を続ける彼女のおかげで、随分と水流巻財閥について詳しくなってしまった。帰ったらMichelleとも話してみたいものだ。

 あぁ、そうそう。それとは()の収穫もあったんだ。

 

 

 

「それはそうと誠司さん、高校生のお子さんが居るようには見えないんですけど…結構お若いんじゃないです??」

 

「そう…ですね。子供自体は居ておかしくないと思いますがね…今年で25なので。」

 

「…まじ?」

 

「ええ。まじ……ってやつですね。」

 

「同い年!私!君と!わーい!!」

 

「え?…え??」

 

 

 

 急に上がるテンションに着いて行けずただただオロオロする僕…を尻目に、何が嬉しいのか「わーいわーい」と燥ぐ彼女。本当に同い年だとしたらこの温度差は一体何なんだろうか。二人の間に気圧の谷ができそうである。

 やがて燥ぎ疲れたのか、肩を落としぜぇぜぇと荒い呼吸に変わる。そして苦しそうに顔を上げ、酸欠に喘ぎながらも僕の手をしっかりと捕らえ…

 

 

 

「是非……ご飯……ご一緒……私…」

 

「ひぃっ…!…わ、わかりました!分かりましたから、一緒にご飯行きましょ?ね?」

 

「あと………是非……ため口……で……」

 

「わかりましたから!そのゾンビみたいなのやめてくださいよ!!」

 

 

 

 ひとしきり恨み言?を零して満足したのか、深呼吸を繰り返す。僕はあれ程脅迫染みたランチのお誘いを見たことが無い…。いや、そもそも昼食なぞ香澄意外と食べたことないんだが。

 やがて落ち着いた横澤さんは元の快活な笑顔に戻り、「心配かけたね。」…とバツが悪そうに零した。

 

 

 

「燥ぎ過ぎなんですよ…。あいや、…ごめん、ため口はあまり慣れて居なくて。」

 

「はははっ、堅いよ~誠司君~!」

 

 

 

 うん。やはりこの手の人は純粋に尊敬する。いい意味で距離が近いというか、他人と接する上での上手な距離感を心得ているんだろう。堅過ぎず砕け過ぎず、どうも僕が苦手とする分野に長けているようだ。コミュ力モンスターと心の中で呼ばせて貰おう。

 やっぱりそう言った面も大切な事なのだろうか。水流巻程の巨きな権力の下で動き回るには。…水流巻…心の中で……何やら引っ掛かる様な。

 

 

 

「誠司君の娘さんって、今日が入学式なんだっけ??」

 

「…う、ん。そうだね。」

 

「ってことは、うちと一緒かぁ…。」

 

「あれ?子供はいないんじゃ…」

 

 

 

 先程までの時間で、横澤さんが独身で子供も居ない事は聞いていた。…じゃあ何が一緒なんだ?

 

 

 

「子供じゃないんだけどね。財閥のお嬢様のお世話係も請け負ったりするの。…たまにだけどね。」

 

「財閥のお嬢様ね……。…あれ?」

 

 

 

 ふと。何かが、繋がった気がした。

 

 

 

「あの、横澤さん。そのお嬢様って…」

 

「あっ、もう電車来てんね!!急がないとっ!」

 

 

 

 駆け出す横澤さんに僕の疑問は届かなかった。ただ、これから女性と食事をする…だけではない何かへの予感からか、自分の心音が未だ嘗てないほどに大きく聞こえる。まるで全身の血管が躍っている様な、確かな脈動だった。

 横澤さんに遅れること数秒。ホームに辿り着いた僕が見た光景は―――

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「それでねっ!「その鈴、綺麗な音色ね!」って話しかけてくれたのがこころちゃんだったの!」

 

「へぇ。…じゃああの正体不明の鈴が、香澄とこころちゃんを惹き合わせてくれたって訳かぁ。」

 

「うんっ!これって、運命みたいなもの、感じるよね!」

 

「そうだね。…運命……うん、確かにそんな気がする。」

 

 

 

 帰り道。登校初日から友達ができた香澄はにっこにこで、今日一日あった事を楽し気に話す。それをただ聞く僕だが、正直頭の中は様々な想念が渦巻いているせいで話半分だったと思う。

 あのホームで見た光景。…ホームのベンチに腰掛け談笑する少女二人。よく見知った自分の娘と、独特なカットの前髪が印象的な小柄で金髪の少女。その少女に駆け寄り「お嬢様」と確かに口にした横澤さん。

 …まさか初日で全てに出逢えるとはね。帰ったらMichelleを尋問しなくては。

 

 

 

「あとあとっ、こころちゃんが、今度家に来てって言ってくれたんだ~。」

 

「ん、行ってくると良い。折角友達になれたんだ……いっぱい仲良くしておいで。」

 

「うん!…お兄さんも、一緒に来ない?」

 

「僕は行かないよ。君と仲良くなった友達だし、君だけで行っておいで。…道が不安だったら送迎はするからさ。」

 

「違うの…。…お兄さんも一緒に是非って、こころちゃんが…。」

 

「……僕も?」

 

 

 

 余りに唐突過ぎる展開に、不覚にもリアクションが数秒遅れてしまった。僕も一緒にだって?社交辞令だとは思うその言葉に驚いたのは、何も世界規模の財閥関係者から直々に招待を受けたため…だけではない。食事のあと、連絡先と合わせて携帯端末のアカウントをリンクした際に、横澤さんに耳打ちされたのも同じ内容だったからだ。

 「あとで情報送るから、絶対来てね!」…と、耳がこそばゆさを覚える距離で囁かれたこともあり強く印象に残っている。…横澤さんも綺麗な人だし、何も事情の無い普通の男性であれば色々勘違いをしてしまったかもしれない。

 一体水流巻財閥は何を考えている?あのこころという少女、Michelleとコンタクトが取れるという彼女は、果たして()()()()()()()()()()()香澄に近付いたのか?

 折角出来た娘の友達を疑いたくはないが、あまりにも出来過ぎた話の流れなだけに気になって仕方が無かった。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「なあMichelle。」

 

『………訊きたいことが沢山あるって顔してるね。』

 

「そりゃまあ。」

 

『じゃあまずはどこから答えようか…?』

 

「……まず最初に教えてほしいが…君は何をどこまで知っている?僕に、…僕らに、何をさせようとしている?」

 

『成程核心ってわけだ。』

 

「僕もそんなに暇じゃあないからね。」

 

『はっはっは!パパは大変ってかい?』

 

「はははは…まあね。それに、僕の予想からして笑っている場合じゃないような何かが隠されていると思うんだが?」

 

 

 

 今日横澤さんやこころちゃんと実際に接触し、短い時間を過ごしてわかったこと。水流巻財閥の巨きさを改めて実感した上に、こころちゃんが直接財閥に関与していない事もわかった。

 

 

 

『全く…君がただの人間なのかどうか、時々分からなくなるよ。』

 

「……なあMichelle。本当にこころちゃんは、その……」

 

『うん。確かにこころは水流巻財閥のトップ、水流巻宗一郎(そういちろう)の実娘だよ。…そしてやはり裏でよくない事に手を染めている。』

 

「じゃあどうして違う漢字なんだ…?」

 

『そこも色々と複雑でね。宗一郎は水流巻財閥に娘を関与させたくなかったらしい。…まぁこれも親子の愛の形ってことだよ。』

 

 

 

 こころちゃんのフルネーム。音だけなら違和感はなかったが、使う漢字を聞いて驚いた。

 ――"弦巻"。…察するに、音が同じと言うことは元々どちらかが本当の苗字なんだろう。それを企業化やパッケージ化する際に別の当て字に直すことがある、という話は珍しくない。…それを今回のケースに当てはめるとすると、元々"弦巻"である線が濃厚か。

 

 

 

『水流巻一族については追々分かっていくと思うし、現状あまり深くは話せないんだ。勿論、こころのことも。』

 

「どうして。」

 

『君が特別だからだよ。…事の真相は、君自身の手で露わにする必要がある…って思っていてくれたらいいな。』

 

「……要領を得ないね。」

 

『ごめん。今はまだ、話しても意味が無いことだし話せない事でもあるんだ。…本当にごめん。』

 

 

 

 ここにきてなかなかどうして投げやりじゃないか友よ。…「今はまだ」と言ったか。これから追々、とも言ったな。

 水流巻と関わることに疑問や恐怖は無いが、得体の知れない大きな謎が潜んでいることは十分にわかる。これからは慎重に、かつ大胆に、あの二人を始めとする人々に絡んでいこう。何れ分かることであるならばこれ以上は友人を困らせたくない。

 

 

 

「いや、いいさ。……この件に関してはここまでにしておこう。

 ところでMichelle、実物のこころちゃんは中々に美人だったよ。お人形さんの様だ。」

 

『ん。……ボクもそう思うけど、手を出すなら慎重にね?』

 

「…僕のこと、どんな人間だと思ってるんだい?」

 

『はははっ、らしくない事を言うからさ。』

 

「…余計な事は言うもんじゃないなぁ。」

 

 

 

 友と語らう夜更け。愛する娘の一先ずの新生活に乾杯を。

 これからの未知なる世界に希望を。

 

 今僕が生きている時間まで、あと―――1年。

 

 

 




次で回想編はラストになります。その後は第二部、現代編です。
ご感想・評価等頂いた皆様、大変励みになっております。
これからもどうぞ、宜しくお願い致します。


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福音を齎す

 僕の心配を他所に、特にこれと言った変動や問題にぶつかることなく、あれから半年以上が経過している。…あぁそうそう、特筆すべき点が一つあったね。その出来事により、特に香澄の周囲は大きく動き出した。それも、とてもいい方向にだ。具体的にどういったことがあったかと言うと―――

 

 

 

コンコン

「お兄さ~ん!」

 

「…ん。お入り。」

 

「失礼します!……うぉぉ…」

 

「何だね、変な声を出して…。」

 

 

 

 僕の回想を遮る様に、相変わらず元気いっぱいの愛娘が入室してくる。おかしなリアクションをお供に。

 どうやら彼女曰く、僕の部屋――僕は書斎と呼んでいる――があまり得意ではないらしく、入る度に変な声が出そうになるのだとか。…一体何が香澄をそこまで怖がらせているのか、色々調べはしたが全くわからない。よって、香澄が僕に用事を持ち掛けてくるときは決まって、

 

 

 

「やっぱり苦手だよ……この部屋。なんかモワッとするんだもん。」

 

「臭いって事?」

 

「ううん、こう…雰囲気って言うか、空気がモワッ!って。…私もわかんない!」

 

「はははは…じゃあいつも通り、リビングに行こうかね。」

 

「うん!…じゃなかった、今日は私の部屋に来てほしいなっ?」

 

 

 

 こういう時は決まってリビングに連行されるのだが、この日は違ったらしい。小首を傾げ、小さく「お願い」のポーズをとる香澄に返事をするでもなく頭をぽんぽん叩く。

 「へへへ…」と蕩ける様に笑う娘の跡を付いて行き、部屋の扉を開けると……

 

 

 

「ん。手入れ中だったのかな?」

 

「そうだよ~。さっき弦の張替えが終わったところなのです!」

 

「ほほう、もう一人でできるようになったのか。…偉いね、香澄。」

 

「ふっふーん。私も日々成長してるんだよ~。」

 

 

 

 部屋の中央、ベッドの脇に設けられた作業用の長机。そこに広げられているのは、真っ赤な星形のギターと工具やら部品やら…。香澄曰く「ランダムスター」という名を持つこのギターこそが、香澄の相棒であり変化の証である。

 ――こころちゃんと出逢ったあの日から、香澄の周囲は動き出したようで。その後程なくして、同じ学校でできた友達とバンドを組んだらしい。詳しくは踏み込んでいない問題なので分からないが、全部で五人構成であることと、「Poppin'Party」というバンド名であることは香澄の口から聞いた。

 僕と過ごす時間が減ってしまうのは本当に寂しいことだけれど、その分香澄が大きくなっていくのを感じられるのは何よりもの歓びなんだ。

 

 

 

「……ところで、僕をこの部屋に呼んだ理由は?」

 

「あっ!……じゃーん!!!」

 

 

 

 自信満々に香澄が取り出したのは連絡用にと渡している携帯用情報端末。手のひらサイズの画面と言うと伝わりやすいだろうか。昔携帯電話と呼ばれていたそれは、今や多数の機能を搭載した統合型の端末へと進化した。現代人は、よりスマートでスタイリッシュに進化したそれを「スマホ」と呼び親しんでいる。

 取り出したスマホを、ついっついっと指で操作する。普段はこうして指やペンで直に画面をなぞり操作するのだが、特定のデバイスに接続することで"仮想現実"のような使い方をすることもできる。僕はそっちのパターンで、画面を見ることはほぼ無く、視界に薄く浮かび上がった情報をヘッドジェスチャーや音声・手振りなどで操作している。両手もフリーになるし、常に情報と共に行動できるため便利なのだ。

 

 

 

「んっ。」

 

「…つけろって?」

 

 

 

 差し出されたプラグを自分のスマホに接続する。と同時に脳に直接響いてくる音楽。……ふむ、音楽は詳しくないが、それぞれの楽器が協調することで生まれるハーモニー。そして、仮歌段階ではあるが気持ち程度に乗っている香澄の声。…中々にいい。

 キャッチーなメロディに、不思議と惹き付けられる真っ直ぐな歌詞。きっと昨今の若者に受けるんだろう。僕も嫌いじゃない。

 

 

 

「…新曲?」

 

「うん!有咲ちゃんが曲を書いて、私とたえちゃんで歌詞を考えたんだよっ!!」

 

「ほほう…。相変わらずの分担だね。」

 

 

 

 今挙がった名前は、Poppin'Partyのメンバーのものだ。

 それぞれ簡単に説明すると、まず最初に挙がった"有咲ちゃん"。…この子は、確かキーボードを担当している子で、金髪のツインテールが印象的だった。大人し目な雰囲気で、お兄ちゃん子だと香澄から聞いている。大体の作曲を担当するのが、この有咲ちゃんらしい。

 続いて挙がった"たえちゃん"。…僕が直接面識のある数少ない子。凄くしっかりした雰囲気の子だったと思うけど…。香澄が言うには少し不思議な子らしい。どこが、とまでは教えてもらえなかったけど。

 その他にも後二人メンバーは居るんだけど、そこは追々紹介して行く事としよう。そもそも僕もまともに会ったことが無いから、紹介するほどの情報を持ち合わせちゃいないんだよね。

 

 

 

「曲名はもう決まってるのかい?」

 

「んっとね、まだ決まってないんだけど、いくつか候補はあるよ!」

 

「ほう。どんな感じ?」

 

「『丸揚げ』と『迷子の海月』、それから『つまりそういうこと』に『ピンクのくま』…あと、『Money is Power!!』。」

 

「ええっと…これはメンバー全員で一つずつ提案したって感じかな…?」

 

「うん!」

 

 

 

 どこからツッコんでいいやら…。まず、聞いている曲や見ている歌詞が同じなのにここまでバラバラの感性が発揮できるものなのだろうか。このままだと、方向性の違いにより解散、なんてオチがそう遠くない未来に待っている気がしてならないのだが…果たして。

 

 

 

「うん、まあ…喧嘩しないように頑張って、ね?」

 

「うん!皆仲良しだもん、大丈夫っ!!」

 

 

 

 香澄がそう言うならそれでいいや。

 …とまあ、こういった具合で、香澄は音楽を…学校生活を満喫しているようだった。因みに()()こころちゃんとは偶におしゃべりする程度で、特に深い交流はないとの事。気にしていてもしょうがない事ではあるが、相手は大きな組織なのだ。Michelleもああ言っている以上、用心しておくに越したことはないと思う。

 

 …後日、新曲のタイトルは『スタート!』になったと報告を受けた。何があったんだ。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 どうやら今現在、この日本という国に於いて「ガールズバンドブーム」なるものが来ているらしい。その名の通り、女の子達のバンドが流行っていると言う訳なのだが、香澄達もそれに触発されてバンド結成に至ったのだろうか。その経緯は察せる所ではないが、実際問題としてこの街にも多くのガールズバンドが存在しているらしいのだ。

 …僕は今、「その"流行"を是非この目で見に行こう」という横澤さんの誘いを受け、とあるライブハウスを訪れている。ライブハウス「COSMO's(コスモス)」。この街で音楽を始める人間が、一先ずの目標として定めるらしいこの場所は、今やロックの聖地として連日賑わいを見せているらしい。生半可な演奏を是としない厳格なオーナーが経営しているため、演奏する権利を掛けたオーディションでは無数の心が折られたとか…。

 

 

 

「…やけに詳しいね?」

 

「好きなんだよね~バンドとか!」

 

「…横澤さんはやらないのかい?楽器とかは。」

 

「私は……。…うん、ほら社会人ってさ、忙しいじゃない?」

 

「大企業は大変そうだもんな…。」

 

 

 

 その大企業に有給休暇を申請して迄誘ってくれたというのだから来ざるを得なかったわけだが…ううむ、如何せん人混みと言うのは苦手だ。隣に横澤さんが居てくれるおかげで平常心を保っている()()は出来ているが、もしもこの状況に独りだと仮定してみたら…あ、だめだ、泣きそうだ。

 

 

 

「と、ところで横澤さん。今日の催しだが、そんなに有名な人が来るのかい?」

 

「???しらなーい。」

 

「……何も知らないで来たのか。」

 

「まあね。音楽ってだけで楽しそうじゃん。」

 

「限りある休暇はもう少し計画的に使うべきであると提案したい気分だがね。」

 

「はははっ、誠司君お父さんみたい~!」

 

 

 

 お父さん、か。父親であることに間違いはないんだが、君みたいな大きな子供を持ったつもりはないよ、横澤さん。

 

 

 

「ロビーも混んできたし、もう中入っちゃおうか!」

 

「あ?…あぁ、そうしようか。」

 

 

 

 開始時刻ももうすぐだし、と付け加え、僕の手を引く横澤さん。連れられて踏み入れたホール部分では、まだ開始まで少し時間があるというのにびっちりと蠢く人の波…。嘘だろ?ここにあのロビーの人数が加えられるのか??

 ザワザワガヤガヤと最早声なのか音なのか判別も難しいものに埋め尽くされた会場内は、僕にとっては新鮮なもので…

 

 

 

「……すっ……げぇ…。」

 

 

 

 思わず声が漏れてしまうのも仕方がないことだと思った。隣でニヤリと口角を吊り上げる横澤さんに気付き、少し気恥ずかしさを覚える……あまり、見ないでほしいものだ。

 

 

 

「楽しめそう?」

 

「…ん、まあね。」

 

「クールぶっちゃって…。」

 

 

 

 少し楽しみになっている自分を、バレないようにしているだけさ。

 やがて全体の証明が落ち、ピンスポットで抜かれるステージ中央のマイク。そこに一人、背の高い緑髪の女性が歩いてきた時、会場内のボルテージが上がる。最早怒号にも近い歓声の中、その女性は顔面を覆うような長い前髪を左手で搔き上げ一言。

 

 

 

「お前ら……最初からクライマックスだ!!!」

 

 

 

 瞬刻遅れて会場を揺らすかのような熱気が、声となり、音となり、突き上げる腕となりステージへぶつけられる。思わずゾクリと身を震わせてしまうようなその衝撃に、胸の辺りが苦しくなる。…これが興奮、か。

 その一瞬で火が付いた来場客(オーディエンス)に満足が行ったのか、ステージ上の件の女性はニヤリとほくそ笑み…会場を指さす。その指は心なしか自分に向けられている気がして…

 

 

 

「お前らを…いや、お前を虜にして見せる。」

 

 

 

 静かに熱く残した言葉と共に、糸が切れたかのような暗闇に呑まれる会場。直後、色とりどりのライトがステージを輝かしく照らし、そこには各々の楽器を抱えた集団が既に立っていて―――

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「………。」

 

「おーい。大丈夫ー?」

 

「……あ"っ。……あれ?ここは…」

 

 

 

 ライブが終わり、恥ずかしながら少々の時間放心状態だったようだ。横澤さんの必死の呼びかけにて、やっとコッチに戻って来れた。目の前にはいつの間にか置かれていたアイスコーヒーのカップ……ここはどうやらライブハウスに併設されているカフェコーナーらしい。

 アイスコーヒーの苦みに心を落ち着かされ、顔を上げて改めて横澤さんに御礼を……

 

 

 

「全く誠司ったら、ライブが終わってもぜーんぜん動かないんだもの。壊れちゃったのかと思ったわ!」

 

「君、は……」

 

 

 

 目の前で楽しそうにニコニコと話す金髪の少女。その笑顔と対照的に、僕の顔はきっと酷く強張っていたことだろう。…弦巻こころが、どうしてここに?どのタイミングから合流していた?

 勿論、僕が我を忘れている間に合流した可能性は十二分にあり得る。だがしかし、あまりにも()()()()()。その自然さが、却ってこの不自然さを感じさせているのか。…いやそれだけじゃない。

 

 

 

「あたしはこころよ!!って、前にも自己紹介したわよね。…ふふ、誠司は忘れっぽいのね。」

 

「い、いや、名前は憶えてるとも…。…ええと、今訊きたいことが多すぎてだね。」

 

「ゆっくりでいいわ。あたしがぜーんぶ教えてあげるっ。」

 

 

 

 笑顔を全く崩すことなく会話を続ける弦巻こころ。いつ合流したのか、はこの際どうでもいい。どうでもよくなってしまうようなことに、一つ気付いてしまったからだ。

 

 

 

「こころ。そちらの方々は、一体…?」

 

「??そちらって?」

 

「多分、僕はまだ初対面だと思う人たちが、三人ほど見えるんだがね。…できれば紹介とか、してくれないかな。」

 

「あ!花音達の事ね!」

 

 

 

 かのん――かのん、その名前は、恐らく隣で思い思いに過ごしている三人の少女…の誰かの名前だろう。そして名前が分かり紹介もできるということは、この子達も水流巻財閥の関係者と言うこと…か?

 余りに急激に転がりだす展開に、些か訝しげな表情を取ってしまったのだろう。それまでニコニコと成り行きを見守っていた横澤さんが「顔、怖いよ?」とジェスチャーで伝えてきたので慌てて表情を崩したところ、頷きが返ってきた。その後立ち上がり何処かへ行ってしまう横澤さんだったが、誰も気にも留めない。トイレか何かだろう。

 

 

 

「じゃあまず花音から!!」

 

「ふぇ?…ええと…私は、松原(まつばら)花音(かのん)といいまして……こころちゃんと、仲良くさせてもらってるんですよぉ。」

 

「あ、あぁ。…ええと、僕は」

 

「誠司さん、ですよね?えとえとっ、こころちゃんから、ちょこっと聞いてたりしますぅ…。」

 

 

 

 妙におっとりと、それでいて落ち着きなく喋る水色のぼさぼさ髪の少女。ボサボサ、というのは失礼か。…あちこち、自由な方向に跳ねた癖毛、とでも言った方が適当かも知れない。

 どうやら僕の情報はある程度伝達をされているとの事。ならばこちらとしては彼女らの自己紹介を聞きに徹する方が良かろう。

 続いて勢いよく手を挙げたのは、背の低いオレンジ髪の子。

 

 

 

「はいっ!次ははぐみの番だよね!!」

 

「はぐみちゃん、か。」

 

「えぇっ!!この人凄いよこころん!はぐみの名前、当てられちゃった!!」

 

「……ツッコミ待ちかい?」

 

「落ち着いてはぐみ!あなた、一人称を「はぐみ」に設定したじゃないの。」

 

「あっ、そうだったそうだった…。」

 

 

 

 設定…?無理にキャラ作りをしているって事だろうか。

 

 

 

「はぐみはね、北沢(きたざわ)はぐみっていうんだ!」

 

「そっか。……無理してそのキャラクターを演じているのかい?」

 

「……そんなこと、ないよ。」

 

「いやだって、さっき設定って…」

 

「もう!細かい事を気にしていても仕方ないじゃない!…次は、薫の番よ!!」

 

 

 

 追求しようとしたらこころに阻まられてしまった。女の子が相手だし、あまり深掘りすべきことではないのかもしれない。誰にだって、知られたくない秘密や隠しておきたい事情があるものだ。それが大きかろうとそうでなかろうと、他人が容易く暴いては行けない物なのだ。

 次に、妙にキザったらしい長身の男。カオル、そう呼ばれていたか。

 

 

 

「ふふ、初めまして、誠司。…私は、瀬田(せた)(かおる)という、しがない一人の自由人さ。

 …もし呼びにくければ、"カオリン"とでも気軽に呼んでくれたまえ。」

 

「…宜しくお願いします。…カオリンさん?」

 

「はっはっは。君は実に素直な男性だね。…とても素敵だと思うよ。」

 

「これで紹介も終わったわね!みんなあたしの大切な仲間なの!!」

 

 

 

 仲間。その言葉に、先程迄熱狂の中で見つめていたガールズバンド達を思い出す。目の前の彼女らも、バンドマンの集まりなのだろうか。

 

 

 

「仲間っていうと、君たちもバンドを?」

 

「ばんど?」

 

「あ、いえ!私たちはバンドはやっていないんですぅ。誰一人、楽器は演奏できないので…。ふえぇ。」

 

「そっか。じゃあ違う何かで集まったとか、学校の友達とか、かな?」

 

 

 

 確かに、言われてみるとこの子達が音楽をやっている姿は想像に難いかもしれない。個人々々の個性が強すぎて、ある種のサーカスのような賑やかな物の方が合っているのかもしれない。

 

 

 

「まあそんなところだよねっ!」

 

「そう、私達は皆、"大いなる意志"の下に集った、言わば精鋭なのさ。」

 

「大いなる意志、ねぇ…。」

 

 

 

 まあ、要するに仲良しの集まりと言ったところなんだろう。僕も昔思い描いていたものだ。近所の歳の近い子供たちで集まって、世界の悪だとか宇宙からの侵略者に正義の鉄槌を下すため、日夜暗躍するのだ。…もちろん、ごっこ遊びのような微笑ましいものであるが…。

 

 

 

「誠司、あまり真剣に捉えてない顔をしているわね。」

 

「…崇高すぎて着いていけていないだけだよ。」

 

「じゃあそんな誠司にも分かりやすく教えてあげるわね。

 …あたしね。みんなが幸せに暮らせる世界を作りたいのよ。誰一人、悲しい思いをしない、そんな理想の世界を。」

 

「…ユートピア、か。」

 

 

 

 誰もが一度は思い描く理想郷(ユートピア)―――確かに、こころの言うように「誰もが幸せ」で「誰一人悲しまない」、その二点が共存する世界と言うのは正に理想を具現化した世界だろう。だが、僕が思うに、誰かが誰かの理想を具現化させようと動く一方で、世界は確実に歪んでいく。局所的に株価を吊り上げた時にそれ以外が急激な暴落を見せる様に、ユートピアと対面する様にしてディストピアがそこに存在するのである。或いは光と影に准えてみるのも解り易いかもしれない。光が差せば影ができる。影ができるということは、負の影響を受ける部分が必ず出てくるというものだ。つまりその理想は紛い物であって、理想とは飽く迄理想に過ぎないのだ。

 

 

 

「確かに、そんな世界があるなら是非とも見て見たいものだね。…もしも存在できるとしたら、だが。」

 

「できるわよ。それを実現するだけの力があたし達にはあるもの。」

 

「…いくら水流巻財閥が大きくとも、それは無理な話だろう。」

 

「水流巻?…あぁ、お父様の会社の事ね。正直なところ、()()はあたしとは関係ないのよ。」

 

「こ、こころちゃん、そこまで喋っちゃって…いいの??」

 

 

 

 直接の繋がりが無いことは大体見当が付いていた。だが、この花音ちゃんの慌て様は何なんだ?こころは一体何を隠している?

 

 

 

「いいのよ花音。元より、この話をするためにここへ来たんだから。」

 

「……どういうことだ。」

 

「話が逸れちゃったわね。もう単刀直入に言うけど……誠司。」

 

「ん。」

 

「あたしたちに、力を貸して?」

 

「君達の、理想郷作りにか?」

 

「ええそうよ。まだ信じて貰えていないようだけれど、あたし達は必ずやり遂げる。その目的のためになら、あたし達は何だってやって見せる。」

 

「何だって?……じゃあ、やっぱりMichelleの言っていた…!!」

 

 

 

 『社会的にも人道的にも善くない事をしている』――犯罪に手を染めているかもしれない、そう彼は言っていたんだ。正直半信半疑だったその言葉も、ここまで言葉を交わした相手からなら読み取れる。恐らくこの子は、もう何かしら事を起こしているのだろう。

 ただ、目の前の少女は僕の発した言葉に興味を持ったようで。それまで真剣な表情を形作っていた口角をクイと上げ、

 

 

 

「Michelle、ね…ふふっ。」

 

 

 

 不敵に笑った。

 

 

 

「やっぱり、貴方も話せるのね?あれと。」

 

「……ああ。何なら、君の存在は彼から教えてもらったのだよ。」

 

「あらそう?それなら、最初にあなたと出逢った時から薄々は気付いていたんじゃないのかしら。いつかはこうして、邂逅を果たすことを。」

 

 

 

 ああ、何となくではあるがそんな気はしていたともさ。ただ、ここまでおかしな思想を真剣に掲げているとは思わなんだ。

 

 

 

「気付いていたからって、得体も知れない物においそれと関与することはできないがね。」

 

「いいえ、あなたはもう関わってしまっているの。…Michelleという、星の声を聴いてしまっているのだから。だからもう、あたし達の力になるしかないの。」

 

「解せんな。」

 

「………ふふふっ、…いいわ。返事はまだまだ待ってあげる。行きましょう、みんな。」

 

 

 

 こころの声に、他の三人も無表情で立ち上がる。その姿はどれも異質で、何か作り物のような違和感を纏っている。一体こいつらは何をしようとしている?…そこまでして追い求める理由って何なんだ…?

 

 

 

「あ!そうだわ!…将来の仲間である誠司には教えてあげないとねっ!」

 

「うんうん、それがいいよ!こころん!」

 

「そうね。…そんなに身構えなくてもいいわ、自己紹介をするだけよ。」

 

「……自己紹介?…それならさっき済んで」

 

「あたし達の、自己紹介よ。」

 

 

 

 それは、僕と香澄の漸く手に入れた日常が狂い出す、混沌の始まり。

 

 

 

 

 

「あたし達は、"Hello,HappyWorld(ハローハッピーワールド)"。世界に笑顔と福音を齎す為に或るの。」

 

 

 

「Hello…HappyWorld……?」

 

 

 

 

 




回想編ラストでした。
次回より現代編、第二部へと突入いたします。
ここより更に、独自設定が増えてきますので、ご注意くださいませ。


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現在編 - ハロー、ハッピーワールド!
導かれるScenario


 

 

「お兄さん…?眠いの?疲れちゃった?」

 

「……ん。あぁいや、少し思い出していてね。…何の話だったかな。」

 

 

 

 少し、回想に浸り過ぎていたようで。意識を現在に向け直せば、目の前には僕の顔を心配そうに覗き込む愛娘の顔があった。何度も呼びかけて反応が無ければそりゃ不安にもなる…か。

 心配ないとの意味を込めてその綺麗な赤茶の髪を撫で、笑顔が戻ったのを確認したところで各々の椅子に座る。…今の中央にあるテーブルの周りには、ソファが二組とシングルのチェアが四つ置いてある。二人暮らしにしちゃ多いって?まぁ来客用も兼ねていてね…最近じゃ香澄の友達が訪ねて来ることもあり、こんな具合に揃えてみたって訳だ。

 専ら僕が座るのはソファ。黒い革張りの、二人掛けのソファの向かって右側だ。ここから見える窓外の風景がお気に入りで、不思議と無意識の内に腰掛けてしまう場所なのだ。空いている左側は香澄の指定席。たまに二人でダラダラする日なんかも、よくこうして二人で並んで座っている。

 

 

 

「へへ…。んとね、私達もCOSMO'sでライブ出来るようになったでしょ?」

 

「ん。お祝いもしたもんね。」

 

 

 

 COSMO'sと言えば、以前横澤さんと赴き熱狂を肌で感じたあのライブハウス。出演するためには経営スタッフ陣の厳しい審査(オーディション)を潜り抜け、その上で数組の枠に収まるよう抽選も通らなければならない。…一体誰のどんな豪運が作用した結果か、無事に全過程を乗り越えたPoppin'Partyは、一ヶ月後に迫っているCOSMO's五周年記念ライブに出演することが決まったんだっけ。

 

 

 

「あの時はみんなでここに来て、お兄さんの作った美味しい料理を食べて……ふふっ、楽しかったねぇ!」

 

「そうだね…それに皆いい子達だった。」

 

「はっ!…脱線してた。……ええと、それで、今一生懸命練習しているところなんだけど……」

 

「…うん?」

 

 

 

 直前までの緩んだ笑顔は何処へやら。急激に落ち込んだようなハの字の眉に変わり、もごもごと言い難そうに言葉を濁す。まさか、また()()…?

 

 

 

「……蔵?」

 

「ひぅっ。…………うん。…ダメぇ?」

 

「うーん………。」

 

 

 

 恐らく香澄の言いたいことは分かる。分かるが……ふむ。あまり安易に頷ける事でもないやも知れないね。

 科学・工業の発展により都市化の進んだ現代日本。当然ながら都市部の屋外で楽器を練習する場所など無く、屋内についても同様…寧ろより縛りが酷いとも言える。要はこのご時世、バンド活動をすること自体が難しくなってきているのだ。何せ機材一式とは別に、完全防音が成されたスタジオのような"練習場所"も購入する必要があるんだから。

 彼女達Poppin'Partyも例外ではなく、ただの高校生の集まりということで当然そんな資産もツテも無かったわけだ。ではどうして、そんな練習もままならない状況で審査を通り抜けるに至ったか。…それはPoppin'Partyのバンドメンバーである、市ヶ谷(いちがや)有咲(ありさ)ちゃんの一言がきっかけとなったらしい。あ、有咲ちゃんっていうのは以前新曲の件にも名前が挙がった、キーボード担当の女の子の名前だ。

 

 

 

「……沙綾(さあや)ちゃんの家の、蔵みたいな建物があれば…って事で、僕の倉庫を使ったんだったよね。」

 

「うん……。沙綾の家の庭のね、なんかすっごい立派なやつ。…あっ、お兄さんのも立派だったけどね!」

 

 

 

 沙綾ちゃん。フルネームで言うと、山吹(やまぶき)・サジュナ・沙綾(さあや)…確か日本とロシアのハーフだとか言っていたっけ。色白でブルーの瞳が印象的な、とても元気で人懐っこい女の子だった。彼女の実家が確か古物商を営んでいるとの事で、その商材を保管するための蔵を見て思いついたのだろう。有咲ちゃんも含めて、Poppin'Partyのみんなはお互いの家に頻繁に集まっているらしいからね。

 

 

 

「…別に取って付けたように褒めなくてもいいんだよ。…そうか、またあの倉庫をか…。」

 

「……だめ、だよねぇ?」

 

 

 

 正直、僕の倉庫を使うことに全く以て反対はない。それでみんなが上達できるなら、香澄が幸せになれるなら、僕は喜んで貸そう。…ただ一つ引っ掛かっていることがあるとするならば、教育的観念として、欲しがるものを何でも預けてしまって良いものかという点。

 香澄から甘えられるのは大変心地良いものではあるのだけれど、何をしようにも僕に確認を取り僕に頼り、正に僕が居ないと何も始められないような生活を送っているのが現状だ。香澄の将来を考えるという名目で態々居住地を変えて学校に通っているんだし、もう少し自立性というか、自分で考え行動する力も身に着けてほしいというのが本音だ。このまま僕にべったりじゃ、究極の判断が必要になった時に困るからね。

 そういった考えもあり、今回はもう少し粘らせてみることにした。

 

 

 

「……勿論、駄目じゃないよ?」

 

「ほ、ほんとっ?やったぁ!!」

 

「でもね。」

 

「…う?」

 

「練習するのは君たちな訳だし、前回とは違って期日が定まっているわけでも無いんだろう?」

 

「それは………そう、だけどぉ…。」

 

「きっと前回の事もあって真っ直ぐ僕の所へ来たんだろうけど…他で探してみたりはしたのかい?」

 

「う"…。」

 

 

 

 返答に困ったのか図星だったのか。妙な鳴き声のような音を発して固まり、その綺麗な瞳だけがあちらこちらとふらふらしている。

 相変わらず表情に出やすい香澄に安心感を覚えると同時に、どこの誰とも知らない連中にまで全てを曝け出してしまうのではないかと不安にもなってくる。知らない人が相手でもその分かりやすさを発揮するということは、何も隠し事が出来ないということに……と、これを考え出すとキリがないのでやめておこう。

 

 

 

「僕の方でも当たってみるから、ね?」

 

「……うん。」

 

「どうしてもダメそうで、バンドも練習しなくちゃいけなくて…ってなったら、倉庫を使うしかないだろうし。」

 

「………うん。」

 

「…頑張れそうかい?」

 

「頑張る……けど。」

 

 

 

 思えば、明確に香澄の希望を振り切ったのは初めてであったかもしれない。欲しいと言えば全て与えていたし、やりたいことには全力で協力した。だからこそ、中々この一歩目が踏み出せなかったんだし、香澄も甘えて居られたのだろうけど。…ここから香澄がどう動くのか。少しに気になる所ではある、が……今はそれよりも玄関の外からガヤガヤと聞こえる声の方が気になっていた。

 

 

 

「………あと、今日皆が遊びに来たいって。」

 

「…それはまた…来る前に言って欲しかったな…。」

 

 

 

 家じゅうまるで片付いていないってのに。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 「おじゃましまーす」と元気よく入ってくるPoppin'Partyのメンバーを迎え入れ、いつもの様に危ないことはしないようにとだけ釘を刺し自室へ向かう。年頃の女の子が集まっているんだし、僕のような部外者、しかも少し年上の男と言う何とも言えない関係の人間が居ても居心地が悪いだろう。

 ……どうでもいいことかもしれないけど、一人「ただいま」と言って居た気がする。…一体誰がそんなぶっ飛んだ事を。

 折角一人の時間も出来たということで、先程香澄に言ったようにこちらでも練習場所等を当たってみることにする。手元の情報端末を使うのも勿論方法としては間違えていないのだが、僕にはもうちょっと心強い味方が居る。最近何かと疑わしいことが多くなった()だが、結局何だかんだで情報量は武器なのだ。

 

 

 

「……Michelle。」

 

『今日も賑やかだね。セージ。』

 

「ん。……ところで、訊きたいことがあって。」

 

『まぁ、条件的には中々厳しい問題だよね。…僕の方に宛てが無いわけじゃあないが。』

 

「……また水流巻かい?」

 

『そりゃ、ボクは水流巻から生み出された物だからね。ツテもコネクションも、あるとしたら全て水流巻関係になるさ。』

 

 

 

 正直なところ、あまり徒に水流巻との接点を増やすことは好ましいものではない。あの"自己紹介"の日から凡そ半年弱、特に何か行動を起こすでも接触を図る訳でもなく大人しい弦巻こころ…いや、"Hello,HappyWorld"だったか。何を思って行動を控えているのかは分からないが、疑うとするなら水面下で何か事を起こしている可能性もある。そんな火薬溜に火種を投げ込むような真似は極力避けたいのだ。

 とは言え、このままでは香澄達のバンド問題も解決しない訳で……。こんなに頭を悩ませなければいけないのも久しぶりかもしれない。

 

 

 

『ところで、以前セージにしたお願い…覚えているかな?』

 

「…あぁ、弦巻こころを救ってやってほしい、だったっけ?」

 

『うん。……その為にも、水流巻と接点を作るのは悪くない事だと思うけどね。』

 

「そうは言ってもだな、僕の大切な香澄も関わっている事なんだしおいそれと頷くことはできない問題でもあるし…」

 

『……そうか。いや、勿論無理にとは言わない。君が願うならば、全く水流巻と関係の無いスタジオも視野に入れよう。』

 

「そうしてくれると有難いが…まだ、何か言いたそうに感じるがね?」

 

 

 

 一見正直に退いた様に見えたが、彼はきっと何か重要な事を言わずにいる…僕自身エスパーでも何でもないので直感に頼ったものにはなるが、長年の付き合いもありそう見当違いでもなさそうな予感だ。現に、僕の問いに対して暫しの間を挟んでいるし。

 

 

 

『……いやはや、付き合いの長さと言うのは時に残酷だね。』

 

「何故隠したのか、までは分からないがね。」

 

『ははは、いや、正直なのは良い事だよ、うん。つまりだね、ボクという高性能な頭脳を以てしてもやはりそこには葛藤や逡巡が生まれるといった訳だね。』

 

「…ほう、星にも心があると?そりゃ全く面白い見地だが……逸らかそうとすると、後がキツくなるぞ?兄弟。」

 

『ふふふ…あっはははははは!!』

 

 

 

 いきなり笑い出す彼に釣られて笑いそうになったが、奥歯を噛んで堪える。別に笑ってしまっても構わないのだが、今はその空気を許せそうにない。

 

 

 

『いやいや…君と話していると本当に楽しい気分になるよ。セージ。…まるで自分がまだ人間であるかのようだ。』

 

「……()()?」

 

『ははは、冗句さ。……それじゃあ一つ、現状確定している事実を伝えるよ。』

 

「あぁ、そうしてくれ。」

 

『以前Hello,HappyWorldの皆には会ったんだったよね?』

 

「ん、まあね。」

 

 

 

 やはりHello,HappyWorld絡みか。……手遅れな案件ではないと良いんだが。

 

 

 

『実は彼女らも出演するんだ。…COSMO'sの』

 

「五周年記念…ライブか?」

 

『……ん。』

 

「なんてこった……。」

 

『もう、出来てしまっているんだ。接点は。』

 

「…いや待て、確かあの時は『バンドはやっていない』と言っていたはずじゃ…」

 

『こころが何を考えたかまでは分からないけど、香澄ちゃんとは同じ学校に通っている訳だしね?』

 

「あ…。」

 

 

 

 また大切なことを見落としていたようだ。同じ学校の生徒、それもすっかり親睦を深めた友達ともなれば、香澄がバンド活動を始めたことくらい判るはずだ。その上、己の思想実現の為に僕を引入れようと画策している人間ならば?…香澄と言う"繋がり"を作りそこから陥落させていくのは定石とも言えるほど簡単な答えではないか。

 …いや、その一点に視野を狭めてしまうのではまた同じ、見落としが出来た状態での思考となってしまう。もう一つの可能性として、()()()()()()()()()()()()、とは考えられないだろうか。もしもその読みが当たっているのだとしたら、僕なんかよりも真っ先に目指すのは香澄であって、その先に在るのは弦巻こころの思想。"ユートピア"の実現…。

 正直世界がどうなろうと知った事ではないが、こと香澄が絡むのだとしたら話は別だ。僕は香澄を護ると決心したんだし、香澄に何かあってからでは遅い。…確かに"もしも"を考え出すとキリが無いのかもしれないが、愛娘に対して考え過ぎということもないだろう。

 

 

 

「……Michelle。君…謀ったな?」

 

『謀った…?違うね、こうなる運命だったんだ。偉大なる星々の導きによって、ね。』

 

「…僕の娘の人生が懸かっているんだぞ。今は君の詭弁に付き合っている暇はないんだが。」

 

『香澄ちゃんを護りたいという意思はわかるとも。ただそれだけじゃ足りない…その"意思"を"意志"にまで昇華してこその親だろう?』

 

「………僕は、どうすべきなんだ?」

 

『甘えるのは止したまえよ、セージ。君らしくもない。…君の事も、何なら香澄ちゃんの事だって、君には決める権利があるんだから。』

 

「……………はぁ。水流巻のスタジオとやらを借りることはできるのか?」

 

『うんうん、それでこそボクの親友だ。話は通しておくし、こころ達と共用で良いなら格安での提供もできるがね?』

 

「それは、僕が現地に付き添っても問題は無いものなのか?」

 

『勿論さ!保護者が居た方があの子達も安心だろうしね。…それじゃあ、手配を済ませちゃうからね。』

 

 

 

 急激に明るさを取り戻したいつものMichelleの声色に不気味さのようなものを感じつつも、頭の中では次の段階の事を考えていた。どうやら水流巻との接点に関しては、発生の避けられない事象の様だし僕も無力なりにも傍で見ることができる。その件に関しては追々詰めていくとしても、だ。

 

 

 

「あー、その…"手配"についてなんだが…」

 

『ん??……ふふっ、成程やはり君はすっかり父親だね。』

 

「ん。僕には物だけ用意してくれればいい。…どうせ、こころにもそう伝えるつもりだったんだろうし。」

 

『そうだね。繋がりを深いものにするためにも、ストーリーは大切だ。…うんうん、悪くない導入(プロローグ)だよ、セージ!』

 

 

 

 科学の進歩とは時に人をおかしくさせるもので。現在の日本で言うところのスタジオとは大きく分けて二つの意味がある。一つは言葉通りの意味・モノを指し、防音性能を極限まで高めて大音量での作業や楽器の演奏・ボーカリスト達の練習場にと、音に纏わるトラブルをこれ一つで片づけてしまうような部屋の事である。勿論この場合の部屋とは、建築された建物内に用意された一室または建築物そのものを指す。

 ところが、伸びに伸びた科学力により高級ではあるがこれを越えた"もう一つの意味を持つスタジオ"が誕生してしまった。それが「InstantDioramaPackage(インスタントジオラマパッケージ)」…通称"Sta-diO(スタジオ)"。これは手のひら大のメモリーチップのような物で、中に()()()()()()()部屋が丸ごと入っている。今の時代持っていない人は居ないとまで言われるスマホにこれを接続ないし挿入することにより、いつでも部屋のデータをホログラムよろしく投影することができるという代物だ。

 どういった仕組みだかよくわからないが、この投影された部屋には二つの大きな属性が付与される。

 一つは拡超現実。かつて「AR」と呼ばれていた拡()現実とは違い、文字通り現実の空間・体積の概念を超越して投影される。つまり、どう見ても肩幅程しかない空間に数十メートルの部屋を捩じ込ませることも可能と言う訳だ。その場合、外観的には元々スペースが空いていた部分しか映し出されていない映像のように見えるが、実際中に入ってみるとそのデータに欠けは無く数十メートル分の空間が広がっていることが分かる。

 もう一つが存在維持。投影という言葉からわかる様に部屋自体はスマホから映し出される形で指定した場所に現れる。だが部屋となれば、用途はその中に入り込む先の目的になる。…つまり、映し出す為のツールがそこから動けなければただの映像投射に過ぎない訳だ。その問題を解決すべく付与されたのがこの属性で、一度投影を始めたものは使用者が終了の指示を出さない限りそこに存在を維持し続けるというものである。これにより使用者がその場を離れる、投影物の中に入っての作業を行う等を可能としたのである。

 今回恐らく水流巻から提供されるであろうスタジオも、僕が以前Poppin'Partyに貸し出した倉庫も、共に後者の意味でのスタジオとなる。…全く以て発想の段階から狂気じみているとは思わないかね。本当に謎の尽きない製品ではあるが、この世界とは得てしてそういうものらしく、家電一つとってもそうなのだから究明のしようもない。もしかしたら、水流巻の一族が抱える科学者とは魔術師の域まで達しているものも含まれるのではなかろうか。

 

 

 

『じゃあ、向こうにはそういったシナリオで伝えておくけど……本当にいいのかい?』

 

「良いも何も、それが星々の導きなんだろう?」

 

『おや、これまた随分な詭弁を…』

 

「……先が思いやられるね。」

 

『試されるのは君だけじゃない。…ボクも、今度こそは失敗しないつもりだ。だからこそ君に手伝ってもらうことにした。』

 

「巻き込んだ、の間違いじゃないかね?」

 

『結果的にそうだとしても、香澄ちゃんを選んだのは…香澄ちゃんに選ばれたのは君なんだよ。セージ。』

 

 

 

 その後スタジオに関して、僕は香澄に何も伝えなかった。そうすべきだと思ったからね。それでも世の中と言うのは本当に上手く出来ているようで…。

 翌日、学校から帰ってきた香澄とPoppin'Partyのメンバー。彼女たちの口から聞かされたのは、

 

「弦巻こころ率いる『ハロー、ハッピーワールド!』というバンドと一緒に練習することになった。スタジオに関しても彼女等と合同で練習する為問題ない」

 

 との事だった。

 

 Michelleの手際の良さに…そして水流巻の強引とも取れる物語の組み立て方に若干引きつつも、それは水流巻と関係を持ってしまったという事実を突きつけられるような、逃げ場のない日々の始まりだったのだ。

 

 

 




ここから現代編、第二部となります。


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RebuildingAstraea

 

 

 

「まさかご招待頂けるとはね。…今度は何を企んでいるのかな?」

 

 

 

 僕の問いかけに、ふふふと上品に笑う金糸のような髪の少女。

 …今日はPoppin'Partyとハロー、ハッピーワールド!、初めての合同練習日。いつも通り家を出て行こうとする香澄を見送るつもりだったのだが、突如かかってきた電話により同行せざるを得なくなってしまったのだ。

 

『誠司!今日の練習、あなたと例の件についてお話ししたいの!』

 

 …例の件、とやらが何を指すのか見当が付かないほど馬鹿な僕ではない。Michelleの頼みもあるし、向こうが作ろうとしている接点は受け入れていくしかないものだと思っていた。

 

 

 

「企みなんか無いわ。…あたしはただ、誠司とお喋りがしてみたかったの。…深いところまであなたを知りたくて、ね?」

 

「…それは奇遇だね。僕も君についてもっと知りたいと思っていたんだ。」

 

「あら。それは光栄な事ね…!」

 

 

 

 相変わらず何を考えているのか読み取れない深淵のような瞳で真っ直ぐに見つめてくる。よく「疚しいことを秘めている人間は他人の目を見つめられない」というが…その理論で行くと、この弦巻こころと言う少女はただの純粋無垢な無実の少女と言うことになる。若しくは、自らの行いを何ら疑問も罪悪感すら抱かずに行動しているか…。

 まぁ、現状何が起きているか、何をしているか…全て僕は知ってすらいないのだが。

 

 

 

「お兄さんお兄さん。」

 

「…どした香澄。」

 

「あのね、練習だってわかってるけど、初めて他のバンドとも一緒に練習ってなって、私、凄くドキドキしてる!」

 

 

 

 息せき切って駆け寄ってくる最愛の娘。まるで太陽が咲いたような満面の笑みに、思わずこちらまで頬が緩んでくる。頭をよしよしと撫でてやると、一瞬ふやけたように破顔した後に少し赤い顔で「い、今は外だから恥ずかしいよ…」と続けた。

 その様子を見ていたこころがとてとてと歩み寄ってくる。

 

 

 

「香澄!如何かしら?この練習場所は。」

 

「あ、こころん!…なんかね、すーっごくピリッとしてて、ぎゅーん!って感じ!」

 

「ふふふっ、気に入ってもらえたようでよかったわ!…そういえば、さっきりみがあなたを呼んでいたわよ?」

 

「えっ、ほんと!?…じゃあお兄さん、また行ってくるね!」

 

「お?うん。楽しんでやっといで。」

 

 

 

 大層この場所が気に入ったらしい香澄は終始落ち着きが無く、またしても走ってメンバーの元へと向かっていった。

 先程名前が挙がった「りみ」だが、恐らくPoppin'Partyのベース担当をしている牛込(うしごめ)……じゃない、降魔(ごうま)りみの事だろう。どうやら最近、親御さんの再婚により苗字が厳めしくなったと香澄から聞かされては居たが…見て聞く度にギャップのある苗字だこと。

 本人は至って普通の、ふわふわとした女の子である。…何故かこころちゃんによく弄られているところを見かけるらしいが、多分その苗字が影響していると思われる。南無。

 

 

 

「…さて、と。」

 

「……さっきより距離が近いね?こころちゃん。」

 

「ええ、くっつきたくなったの。」

 

「そういうのは、気軽に異性にやっていいことじゃないよ?」

 

 

 

 いつの間にか隣迄擦り寄ってきて、僕の太腿に手を這わせているこころちゃんを言葉で制する。ニヤケ半分、何かを探るような表情のこころちゃんは数秒言葉を選んだあと、「やり方を間違えたかしら。」と手を引っ込める。

 

 

 

「全く、それも僕を引き入れる為の策略かね?」

 

「それもあるけど…あたしは純粋に興味があるのよね。あなたに…誠司に。」

 

「僕に興味…か。はははっ、只のしがない物書きだよ、僕は。」

 

「それは()()()()誠司の話でしょう?」

 

「…!」

 

 

 

 すーっと冷たいものが背中を走る感覚だった。いや待て、もしかしたらそのことだって、Michelleに聞いただけ…と言うことだってあるじゃないか。ここは冷静を装って…

 

 

 

「あら、ビンゴってお顔ね。ふふっ、誠司って可愛いわね。」

 

「こっちの?っていうのはよく分からないけど、僕はずっとただの小説家を……ッ!?」

 

 

 

 背中に押し当てられる物々しい金属の感触。…そうか、映画や小説なんかではよく見る光景ではあったが、実際に経験できる機会があるとはなぁ…。

 成程成程、目の前の少女の少女らしからぬ妖艶でミステリアスな雰囲気につい目を奪われてしまっていたが、見渡せば厳つい黒服の連中に囲まれているでは無いか。水流巻お抱えのSPか何かだとは思うが、その明確な敵意が自分に向けられたとき、人はこうも震える物なのかと思うくらいの緊張に包まれた。

 

 

 

「……あたしね、隠し事とか嘘って大嫌いなのね?でも、誠司は大好きなの。…これって、困っちゃうわよね。」

 

「おや、てっきり二人きりで素敵なお喋りが出来ると思っていたんだがね。…これじゃあムードも趣もあったもんじゃないなぁ。」

 

「ふふっ、誠司のそういうユーモアなところ、あたしはとても気に入っているわ。…だから、できるならば誠司には生きていてほしいのよ。ずっとね。」

 

「………僕の事を、調べたのかい?」

 

「…最初から素直にお喋りしてくれたらそれでいいのよ。」

 

 

 

 こころちゃんがチラと黒服の一人に目線をやると、まるで壁の様に僕らを隔離していた漆黒は嘘であったかのように消え失せた。…一体どういうイリュージョンを見せられているのかと思いもしたが、同時に自分がどのような状況に誘い込まれてしまったのかも理解せざるを得なかった。

 あまりにも、迂闊だったのかもしれない。相手がこれ程の大物なわけだし、もっと準備して然るべきだった。

 

 

 

「あら、そんなに固くならなくても大丈夫よ。よっぽどの事じゃない限り、誠司を手に掛けるようなことはしないわ。」

 

「…さすがは水流巻の黒服。洗練された動きだったね。」

 

「ええ、精鋭中の精鋭だもの。」

 

「そっか……ところで、一つ気になっていたんだけど。」

 

「なあに?」

 

「…今日、練習と言う名目で集まったわけだよね?」

 

「そうよ?」

 

「こころちゃんも練習したほうが、違和感無いんじゃないのかね。」

 

 

 

 正直なところ、先程からPoppin'Partyの視線が刺さる様に感じられるのだ。そりゃそうだ。合同練習と聞いていたもう一つのグループが音一つ出さずに佇んでいる上、バンドメンバーの父親が少女に絡まれているのだ。滑稽な事この上ない。

 

 

 

「誠司。」

 

「ん。」

 

「あたし、その呼び方好きじゃないわ。」

 

「こころ…ちゃん?」

 

「それ、()()()()()の誠司の呼び方でしょう?…普通に呼び捨てがいいわ。」

 

 

 

 そこまで分かりやすい人間だったろうか僕は。確かに、香澄の手前友達を呼び捨てにするのもどうかと思いちゃん付けで呼んではいたが…。

 お気に召さないならやめておこう。呼び方一つで存在が消されるかもしれない相手なのだ。長いものには巻かれ、絶対的な権力には屈するしかないのが僕と言う存在なのだ。

 

 

 

「わかった。…で、こころ。練習は?」

 

「そうね……。正直、あたしに練習何て要らないのよね。だからもう少し、誠司と一緒に居たいのだけれど。」

 

「僕としては少し肩の力を抜く時間が欲しいのだけども?」

 

「あら?…ならあたしにも娘だと()()()接してくれていいのよ?」

 

 

 

 こころは、僕の事をどこまで調べ上げているのだろうか。今の言い回し一つとっても、何かを知った上で揶揄っているのか唯一つの提案として何気なく口にしているのか図りかねる。

 この少女は、結局のところ何処まで行っても謎なのだ。

 

 

 

「娘…ね。」

 

「香澄と同じように接してくれたらそれでいいの。簡単でしょう?」

 

「……それは、何か目的があって言ってることなのかい?」

 

「嫌ね、何でも勘繰り過ぎるのは良くない癖よ、誠司。」

 

「君が相手ならいくら疑っても足りないくらいだと思うがね。」

 

「……あたしね、お父様の顔を知らないのよ。」

 

「………何だって?」

 

 

 

 確かにあれほど大きく成長してしまった企業の頭ともなれば、肉親と過ごす時間が無いというのも頷ける話ではある。だが、全く以て知らないということはあり得るのだろうか?故人でもあるまいし。

 

 

 

「だから父親の愛情ってものに興味があるの。…これを教えてくれたのは香澄だし、あの子には感謝しないとなのだけど。」

 

「だからって、他人の父親にそれをもとめてもどうなるものでもないだろう?…それは仮初に過ぎないじゃないか。」

 

「あら、あなたがそれを言うのね。」

 

「……。」

 

 

 

 確信を得た。この子は、水流巻は僕について確実に情報を抑えている。それが誰の手によってどう齎されたものかは分からないが、きっとどこかで調べ上げているのだろう。国の管理システムを構築したのがそもそも水流巻財閥なのだ。今更何を驚こうか。

 

 

 

「…何が望みだ?」

 

「頭をね…撫でてほしいの。」

 

「頭?…何でまた。」

 

「さっきの香澄が…羨ましく見えたのよ。」

 

「………それだけ?」

 

「それだけよ。」

 

「うーん…。」

 

 

 

 その他にも何かしら狙いはありそうなんだよな。それに、先程迄の強引さが何であったのか分からなくなるほどの懇願。今のこころからは「させる」という気が全く伝わって来ず、「してほしい」という純粋な想いが見える。

 

 

 

「ね、いいでしょう?撫でてくれたらちゃんと練習もするし、何ならもっといい子になるわ!」

 

「…ふふっ。」

 

「な、なにがおかしいの!」

 

「いい子になる、か…。本当になるんなら喜んで撫でるがね?」

 

「……おねだりする時は、そういう物だって…神無子が。」

 

「横澤さん、かぁ…。」

 

 

 

 あの人は一体何を吹き込んでいるんだ。

 

 

 

「いいでしょ?……して。」

 

「おねだりは別にいいんだけど、タダでする訳にはなぁ…。」

 

「……いくら払えばしてくれるの?」

 

「ああいや、お金が欲しいわけじゃないんだが……そうだな。それなら、この機会(チャンス)交渉(ネゴシエーション)の場として使わせてもらおうかな。」

 

「…ふーん?一応、話は聞いてあげるけど…あまり大層な事は求めない方がいいわよ?」

 

 

 

 身に余る望みは捨てろという事だろうか。或いは、身の程を知れと。

 とは言え、僕が望むことは至ってシンプルで。

 

 

 

「僕を勧誘したり調べ上げたりするのは良い。…でも、香澄は関係ないだろう?香澄は何も知らない子供なんだ。」

 

「それで?」

 

「香澄は、君のやっている活動や思想に巻き込まないでほしい。」

 

「……そう。」

 

 

 

 先程一瞬見せた年相応の少女としての表情はまた影を潜め、如何にも自信に満ちた"活動家"としての顔つきに。そのまま目を閉じ何やら考えているようだ。

 

 

 

「誠司。あなたは幾つか見落としているのよ。」

 

「見落とし?」

 

「ええ、見落としているのか故意に目を逸らしているのか…それは誠司にしかわからないことだけれど、香澄は普通の、何も知らない子供なんかじゃない。そうでしょ?」

 

 

 

 香澄の、僕の娘のことも調べ上げたというのか。……まぁ、こと香澄に関してはペラペラと自分で話してしまっている可能性も否定はできないが。

 あれはお喋りさんだから。

 

 

 

「彼女もまた、星の声が聞こえるのよね?」

 

「…ああ。」

 

「それも、誠司とは違う声が聞こえるのよ。…勿論、あたしとも違う。」

 

「…そうなのか?」

 

「あら、余計な事を言ってしまったかしら。」

 

 

 

 僕とは違う声が聞こえている…だって?きっとこころの口振りからして、僕とこころは同じものを聞いている可能性が高い。

 Michelleという共通の存在も居ることだし、案外僕とこころは似た性質の生き物なのかもしれない。考え方は全く似ちゃいないが。

 

 

 

「だとしても、だ。香澄は僕の娘なんだから、彼女を安全に、立派に育て上げる義務が僕にはある。父親だからね。」

 

「……何だか、面白みのない回答ね。興醒めだわ。」

 

「まあ待つんだ。これは交渉だと言っただろう?話はまだ終わっちゃいない。」

 

「どんな素敵な提案があるのかしら?」

 

「……僕はある人から、君の事を頼まれていてね。救ってほしいと。」

 

「救う…?」

 

「あぁ。…最初は、まだ子供の君が危ない目に遭わないように面倒を見てくれと言う意味かと思っていたが…どうやら違うんだと最近気づいてさ。」

 

 

 

 Michelleはこころを()()救ってほしいとは明言しなかった。彼ほどの存在が、結末も正解も分からない訳がないのに。…ということは、何かを知っていてそれを敢えて隠す…若しくはそこから目を逸らしていたのかもしれない。

 

 

 

「あたし、別になーんにも困ってないわよ?」

 

「その、自覚がないところも含めて危なっかしいんだよ、君は。」

 

「それじゃあ、あたしを助けてくれる…っていうのが、香澄を巻き込まないための条件かしら?」

 

「ああ。…何分、これは友の頼みでもあるんでね。一度請け負った以上、絶対に君を救って見せる。……だから、香澄だけは裏の事情について何も知らないまま生きさせてやってくれないか。」

 

「………そう。…ホント、憎らしいほど愛されているわね。香澄。」

 

 

 

 そう零すこころの目はどこか遠く、とても十代の娘には浮かべられないような擦れ切った哀愁を纏わせていた。視線の先には、相も変わらず楽しそうに楽器を弄るPoppin'Partyの姿が映っているのだろうか。ありのままに今を楽しむ、彼女らの姿が。

 やがて「ふふ」と小さく笑うと、観念した様に肩をすくめて言った。

 

 

 

「ええ、その条件で行きましょう。あたしは香澄に手を出さない。勿論Hello,HappyWorldの事も知られないように、一人の女子高校生として接するわ。」

 

「…本当かね?」

 

「本当よ。…あたしだって、あんなに眩しい程無邪気な子に出逢ったのは初めてだもの。できることなら、一時だけでも、純粋な友達として同じ時を過ごしたいわ。」

 

「………こころ、君は」

 

「今はまだ駄目よ。…誠司が知りたいことは、誠司があたしのモノになってから教えてあげる。……どうせ今はまだ、Hello,HappyWorldには交わらないんでしょう?」

 

 

 

 気味が悪いほど見透かされているな。確かにこころの言う様に、僕は現状Hello,HappyWorldに与する気は無い。そもそも実態の掴めない団体ではあるし、所属迄至ってしまえば動くに動けない状況さえ作られて仕舞い兼ねないからだ。

 香澄を護りこころを救うために協力するというのにその両方を反故にしてしまうようなことでは本末転倒もいいところであるし、何よりも僕のポリシーに反する。きっとこの子達を救うことが、僕が今ここに生きる理由だと思うから。

 

 

 

「君のモノになるかどうかはまだわからないが……一応、これからも親子共々宜しく、でいいのかな?こころ。」

 

「ふふふっ、やっぱり誠司は面白いわね!…あたし、本当にあなたが好きよ。」

 

「大人を揶揄うない…。」

 

「それじゃあ、約束の…」

 

 

 

 もう我慢できないと言った様子で、頭頂部を差し出してくる。暫く撫でないでいると不思議そうに上目遣いで見て来……目が合うと微笑んでまた頭を差し出し…を二度程繰り返した。

 その光景に、もう我慢できないのはこちらも同じで。

 

 

 

「ぷっ…」

 

「???」

 

「あっはははは!!!」

 

「え?えっ??…な、何か可笑しいことをしたかしら??」

 

 

 

 堪え切れず噴き出してしまった。いやはや、ここ迄素直な笑いが込み上げてきたのは何時振りだったか。

 

 

 

「いやいや参ったよ…。君ときたらそう言うところはまるで子供なんだからさ!!」

 

「…??だ、だって、頭なんか撫でてもらったこと無いんだもの!…どう待てばいいか分からないのよ!」

 

「ははっ…いいんだよ、されるがままで。…何でもかんでも自分から行動(アクション)を起こす必要はないんだ。…黙っていれば降ってくる幸せもある…ってことが、きっと解る筈だよ。君にも家族が居ればね。」

 

「ぅ…??…わぷっ。」

 

 

 

 言いながら彼女の頭頂部に左の掌を乗せる。驚いたのか、空間を潰したような間抜けな声が漏れたが、心地よさが勝ったようで…大人しく僕の胸に寄りかかりリラックスした表情を浮かべている。

 ふわりと甘い香りが漂うその金糸を梳くように撫でてやれば、うっとりとしたような彼女の声が聞こえてくるのだ。

 

 

 

「……あぁ。存外、素敵なものだわ。暖かくって、優しくって…まるで醒めることのない夢に、酔ってしまいそうになる程に。」

 

「……それは夢なんかじゃないんだこころ。君が望むのなら、僕は出来る限りの愛情を君に注ごう。…父親のように、家族の様に。」

 

「ふふっ、あまり大きく出ない方がいいわ。……この体は、とても貪欲に作られているもの。」

 

 

 

 本来幼い頃より受ける筈だった家族としての愛情を一切知ることなく育った少女。その体が一度甘味を知ってしまえば、その後の貪欲さは想像に難くない。

 それでも、僕は君を救うと決めたんだからね。それでも、僕は君を―――

 

 

 

「あぁぁーーー!!お兄さんが、こころんと仲良くしてるぅーー!!!」

 

 

 

 とても安らかな気持ちになった矢先、僕の実の…いや、この言い方には語弊があるな。僕の最も愛する娘の劈く様な声が上がった。

 驚きそちらを見やれば震える指先でしかとこちらを指差す香澄の姿が。余程の衝撃だったのか、顎が外れそうな程開けられた口からは可愛らしい八重歯迄もが見えている。

 その声に周囲も何事かと視線を動かし、一度香澄を経由する様にして僕達に辿り着く。……わっ、と二バンドに囲まれ、"なでなで"をせがまれるまで、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「如何致しましょう、総帥。」

 

「あら、()()()じゃない。…どうしたの?こんな夜更けに。」

 

 

 

 余程夜目が利く者で無ければ見過ごしてしまうような暗がりで、二人の少女は言葉を交わす。

 互いに相手を直視することは無く、触れ合っている背中で存在を確認するのみである。

 

 

 

「いえ…高宮誠司と距離を縮めたまでは良いのですが、この後どう引き込んで行くのか、差し支えなければ方針を伺いたいと思いまして。」

 

「…そうね、正直何も考えてないのよ。」

 

「…左様でございますか。」

 

「お前達は何も気にしなくていいわ。…今はただ、一刻も早く演奏技術の習熟と人格の定着だけを目指すべきよ。」

 

「はっ。」

 

 

 

 かのん、と呼ばれた少女は酷く俊敏な動作で傅く。背を向けている状態であるとは言え、二人がどのような関係にあるかは一目瞭然。その主従関係に、乱れが生じることは有り得ないのだ。

 

 

 

「……こういうとき、()()ならどう言うかしらね。」

 

 

 

 言うや否や、恐らく主であろう少女がパチンと指を鳴らす。傅いていた少女はその音にビクリと体を震わせ――

 

 

 

「……ふ、ふえぇ…こころちゃん、私、がんばってドラム練習するね…?」

 

 

 

 ――顔を上げ振り返りし時には()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「…………頑張りなさい。」

 

「う、うん!…それじゃぁ、おやすみ…だよ。」

 

「ええ。」

 

 

 

 暗闇の、更に深い所へと消えていく"花音"。その姿を見送ってか、一歩また一歩と唯一の明かりが差し込む窓辺へ歩を進める主の少女。

 彼女が小さな出窓の前に差し掛かった刹那、やや青みを帯びた月光にその金糸の様な艶髪と信念と哀しみを湛えた相貌が照らされ、浮かび上がる。

 

 

 

「……もう、すっかり分からなくなってしまったわね。…何もかも。」

 

『やぁ、こころ。…何だか酷く高揚しているようだけど?』

 

「Michelleね。…いえね、あなたの言う通り、とっても面白い人だったから。」

 

『そうだろう?何せ、"移ろいの星乙女"が選んだ人間だからね。』

 

「あたしや誠司とは違う存在、"移ろいの星乙女"…か。RebuildingAstraeaとも言ったかしらね。」

 

『あぁ、水流巻の一族が"アストレア"と呼ぶ、彼女さ。』

 

「ふふっ、これからどうなるのかしら。…あたしの願い、神様にも届くと良いのだけれど。」

 

 

 

 

 

 弦巻こころ。十代半ばにして類稀なる人望と行動力・勘の良さに豪運を兼ね備えた少女。

 革新結社「Hello,HappyWorld」の総帥にして、唯一無二の狂人である。

 

 

 

 




長らく間が開いてしまい申し訳ありません。
不定期とはなりましたが、投稿に関しての報告等はTwitterでも行っておりますので、そちらを参照頂けたらと思います。

まだ、続きます。


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