死がふたりを分かつまで (ナイジェッル)
しおりを挟む

番外 短編集
SW2―その出逢いと共に―


 番外は本編に関わらない単体のSSコーナー
 この「その出逢いと共に」はPixivにも投稿しているSSです
 息抜きに作ったものですので、どうせならこのSS内にも掲載しようと思った次第


 当方は、いったい何をしているのだろうな。

 なぜ、我が剣が世界を救わんとする者達に向けられる。

 なぜ、我が肉体は彼女らを殺さんと動いている。

 いや―――分かっている。己に問わずとも、己が一番わかっているではないか。

 もはや自分でも止められぬ。

 真なる強敵と出会えず、立ち塞がる悪は悉く打ち滅ぼした。振り向けばそこには屠ってきたものの残骸が残り、当方の胸には虚無のみが残る。

 気が付けばこのざまだ。良くも分からん悪行を肯定する組織に加担し、それが正しいのだと理屈を並べて剣を振るう。

 ならば、今の我が身こそが邪悪な怪物だ。あの原初の女神の片割れとはいえ、事情も知らなかったであろう娘を利用しようとしている。これを悪と言わずしてなんという。少なくとも、当方の生き方からすればその行いこそ悪である。

 今日この日まで自身が最善だと思い行動してきたことは、所詮逃避でしかなかった。何が女神を討ち滅ぼした神殺しか。何が竜殺剣か。そんなもの、聞いて呆れる。

 

 「なんてエグイ剣檄ですか、まったく!」

 

 そんな邪悪に立ち向かうセイバークラスを謳うアサシンの少女。その容姿は可憐なものだが、内に秘めたるは竜の因子。手に持つは天上を照らす聖剣。

 出会った瞬間、理解した。この者は当方が求めていた強者なのだろうと。聖剣の頂点に誘われるように、魔剣の頂点たるグラムも呼応する。

 今まで夢見た相手のはずだ。心が猛るはずなのだ、本来ならば。

 しかし今の当方にはその熱はない。この機動要塞の動力源を守護する悪にそんな心は必要なく、既にさび付いている。

 

 「当方の剣檄を括目せよ。貴殿ならば、超えられるはずだ」

 

 竜種が激減し、それでもなお強敵と打ち合う為に得たアスカロンの力。竜属性付与は、元来の竜属性持ちには適用されず、裏返った。その為、グラムが持ち得る竜殺しの力は機能していない。更に魔道に堕ちた当方の剣は輝きを失せている。今あるのはただの暴力装置。

 

 「当方程度の邪悪を振り払えなければ、世界を、原初の女神を倒そうなど夢のまた夢。ここで超えられぬというのであれば、その聖剣も宝の持ち腐れ。失せよ」

 「なにをー!? 好き勝手言ってくれますね! この魔剣使い!魔道に堕ちる魔剣使いなんて二流ですよ二流!」

 「否定する。当方は、三流の魔剣使いゆえ」

 

 一閃。上腕の筋。

 二閃。大腿部。

 三閃。心臓。

 

 一呼吸のうちに三連撃。そのどれもが必中必殺。

 ヒロインXと名乗る彼女は反応こそすれ、捌き切ることなく切り刻まれる。

 心臓への一撃は致命傷だ。そこは護り切るべき箇所だった。

 それでも彼女は動き続ける。どうやら痛覚を感じていないようだ。鋭すぎたが故の福産物だが、構わない。そのまま動き続けることができるのなら、貴殿は当方に勝機がある。

 

 「貴方は、なんの為に戦ってるんですか!?」

 「真の強敵と戦う為」

 「嘘ですね! 何故なら最強無敵の私と戦ってても全然楽しそうじゃないですもん!」

 「感情を表に出さないだけだ」

 「なら、剣はどう説明するんです!」

 「……剣?」

 「数多のセイバーを抹殺してきた私にはわかります。貴方の剣筋は真っ直ぐで、純粋で、綺麗なもの。でも、その中に混ざる不純物! 迷い、戸惑い、そして自責の念!そんな面白くもない、楽しくもないものを背負って!」

 「―――」

 「私を見なさい、魔剣使い! 騎士道の礼節すら見失いましたか!?」

 

 なにを言うか。貴殿の方こそ、真っ直ぐな性根をしているだろうに。このような男を、この僅かな剣檄の応酬で見抜ける心こそ、純粋たるものだろうに。

 

 「非礼を詫びよう。聖剣使い。だが、これが今の当方故に。そして、もう一つ」

 

 どこまでも強く、しなやかで、これまで戦ったどの戦士よりも強き少女。

 最期の戦いがかの聖剣使いで締められる僥倖に感謝を。

 

 「当方は、騎士ではない。戦士だ」

 

 魔剣一閃。

 賞賛と共に斬り払うは二度目の霊核。

 鮮血が宇宙空間を舞い、魔剣使いは聖剣使いを下す。

 

 

 ◇

 

 

 

 致命傷。ええ、これは致命傷ですね。分かっていましたとも。かの魔剣使いの攻撃が己の命を幾度となく脅かしては、その命に届きうる一撃を見舞っていることなど。特に先ほどの心臓狙いの刺突。あれは、洒落になりませんね。回避不可能、防御も間に合わなかった。これが竜殺剣の力。見事としか言いようがありません。

 

 「ごふッ……」

 

 おかしいなぁ。竜属性が裏返り、竜殺剣が竜殺剣たらしめる竜に対する特攻を無力化しているはずなのに。ここまで鋭かったら有利不利の問題ではないのかもしれません。実際そうですし。

 

 「なにしてくれてるんですか……せっかくのパワーアップユニフォームが血塗れです。これじゃあブラッドフォームです」

 「ならばもう一段階、強くなれば問題は解決する」

 「なりませんよ天然ですか」

 「貴殿ならば為せる。更なる高みに至れる力がある」

 「いい加減、その過度な期待の押し付けが鬱陶しくなりますカリバー!」

 

 膝をついた状態になり油断を誘い、更にはX話術により意識を逸らす。そこからの不意打ち! まさに正々堂々とした闇討ち戦法。これこそヒロインXの王道!

 

 「不意打ちなど、貴殿に相応しくない」

 

 私渾身の不意打ちカリバーを竜殺剣は蒼く光るダガーの刃で受け止めた。どんな業物でもよっぽどの神秘を帯びていなければ真っ二つにできるエクスカリバーを片手で、しかも不意打ちをより早く理解しながらの対応。このセイバー、やはり只者じゃない。

 

 「私のモットーは清く正しく正々堂々の闇討ちです。相応しくないわけがない!」

 「矛盾の塊のような言葉だ。しかし貴殿の魂は、それこそ騎士道に則った正攻法なのだろう。慣れぬことをするから失敗をする」

 

 むっ……確かに今まで正々堂々の不意打ち、闇討ちは悉く失敗した記憶が。いやでも最終的に天誅下せているのだから問題ないはず。

 

 「ではこれはどうですカリバー!」

 

 私は奥の手たるもう一振りの黒のエクスカリバーを召喚して胴体目掛けて切り裂く。まさかもう一振りあるとは思いもしなかったでしょう。思わないはずです。光と闇が合わさり最強に見えるこの二振りのエクスカリバーを見て生きていたものはいません!

 

 「再度通告する。慣れぬことはしないことだ」

 

 今度は魔剣で弾く竜殺剣。まるで油断していなかったと見えます。

 慢心、油断、傲慢を斬って捨てたようなバトルマシーンぶりにXもドン引き。

 いったん距離を取って態勢を立て直す。なんにしても二度も不意打ちが失敗したなら下がらなければ反撃がすぐに来る。

 

 「これだけの力がありながら魔道に堕ちるなど、セイバー慈悲なし殺すべしの前に許せませんね……」

 「当方も許せんさ……この身はどこまでも堕ち切っている」

 「先ほどから慣れないことをするなと言いながら、貴方が一番その言葉が似合っています。慣れない悪役ムーブなんて時代遅れなんですよ」

 「肯定する。なにしろ当方は2000年前のシグルドという男の残骸みたいなもの」

 「銀河を救った特攻女神Aチームの名が泣きますよ」

 「既に枯らせるほど泣かせている」

 

 ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。頭が良いセイバーはこれだから厄介なんです。

 

 「本気で怒りました! 貴方はこの剣の錆にしてくれます!」

 「その意気やよし。当方もこの拳をもって幾らでも歓迎しよう」

 

 彼はグラムを逆手で持ち、空いた左手を前に出して構えた。

 拳によるステゴロと魔剣による斬撃。そして短剣による繊細で変則的な闘法。

 これが彼本来の構え。剣士でも騎士でもない。このバトルスタイルは確かに戦士。より効率的に相手を壊すもの。

 隙がないのは当たり前。しかしこのまま時間を無為にしていけば私の敗北色が濃厚になるだけ。

 私はヒロインX。敗北するのは、アーチャークラスのサーヴァントだけと決めている。

 

 「……行きますよ、不器用な人」

 「来い」

 

 私は踏み込んだ。あの死地とも言える竜殺剣の間合いに。

 既に私も死に体。無事では済まない。でも、ありがたいことに痛みはない。痛みがないということは、その傷を気にせず動ける、それ即ち万全状態と依然変わりなし理論。完璧です。ロジカルな思考です。

 聖剣一閃。狙うは首。如何なるタフネスさを持つサーヴァントだろうと、首を断たれればそれまで。頭と胴の泣き別れを狙うが、当然そのような見え透いた攻撃は迎撃される。いとも容易く弾かれた……が、今度は脚部に向かって黒のエクスカリバーを刺突。それも払われた。上等、ここまでは計算通りです。何も一瞬で決着がつくなんて思ってはいません。

 

 「ここからは、我慢比べです………!!!」

 

 左右右左下左下左上右右左右右左下上下下上右とあらゆる方面から不規則に連撃を繰り出す。

 一見ハチャメチャのように見えますが計算され尽くした収斂の剣檄です。本当です。

 

 「っ……!?」

 

 流石の竜殺剣も予想外な攻撃に驚きながらも対応する。対応しちゃう辺りが出鱈目ですが、それでも私は押し通す。左に体を捩じり、勢いよく光と闇の聖剣をぶつけることもした。魔力放出で目晦ましをした後に袈裟斬りも試した。ありとあらゆる視点、経験、発想から生まれる戦術を次から次へと叩き込む。

 

 「今こそ、私は限界を超えてみせますよ……見ていていくださいね、マスターくん! えっちゃん!!」

 

 貴方は確かに強い。六剣客……いえ、ユニヴァース世界見渡しても貴方と相対できる猛者は私を含めて極わずかでしょう。それこそ2000年生き続けても貴方のお眼鏡に適う相手がいなかったのも道理というもの。それほど貴方は強い。

 ですが、そんな貴方になくて私にあるものは明確だ。

 それが友であり、仲間です。

 

 「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 この戦いの後、傷を癒してくれる存在が貴方にはいますか?

 この戦いの後、一緒にカップラーメンを啜れる相手は貴方にはいますか?

 いないでしょう。何故なら貴方は、ただただ孤独に突き進んでしまった。

 寄り道もせず、近道も、遠回りも、それこそ息抜きさえせずにただ走り続けた。

 そんな真面目な戦士の王だからこそ、その疲れを癒してくれる相手が必須だった。

 道を踏みはずしていい。私もこっそり悪いことをしたこともあります。

 その過ちを修正してくれる人間、気付かせてくれる人間がいれば人はどこまでも道を踏み直せるのだから。

 

 「友情!努力!勝利!そのどれか一つでも欠けたセイバーに私は負けない!」

 

 熱を込めよ。思いを込めよ。この世界の戦況とは常に!勢いと信念貫くものに運命は味方するッ!!

 

 「聖剣……使いッ!」

 

 竜殺剣はその精鍛な剣技を持って私の応酬を裁いている。ここまで来れば勝利確定イベントもかくやというのに、そのまま行かせてくれない辺りは流石魔剣使い。最強足り得る技量を持つ、どこまでも生真面目な彼らしい。

 ですが、貴方の剣には本来あるべき熱が籠っていない。もし、もしも貴方が魔道に堕ちる前ならばこの勝負の情勢は変わっていたでしょう。だから、もし次戦う時は―――大英雄シグルドとして相対してください。私も勝ち越しを譲らないように誇りあるセイバークラスとして戦いましょう。

 

 そして、遂に終わりは訪れた。

 猛攻の果て。激戦の果てに辿り着いたのは静寂だ。

 鼓膜を振るわせた魔剣と聖剣がぶつかり合う爆音も、目を焼かんとばかりの強烈な火花も。

 全てが過ぎ去った。

 あるのは霊核を貫かれた竜殺剣。その霊核を貫いた私。手応えは、言うに及ばず。

 広大な砂漠から一粒のダイヤを見つけるが如き奇跡の末の決着だ。

 

 「………今回は…私の、勝ちですね……竜殺剣………シグルド」

 

 「肯定する……そして、当方の敗北だ」

 負けたはずのシグルドは、とても満足した顔で頷いた。

 どこまでも晴れやかで、心の底から解放された、そんな男の笑みと共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 当方が敗北した後、復活を果たした原初の女神は無事『第二の特攻女神Aチーム』的な彼女達に討ち滅ぼされた。それによりユニヴァース世界にはまた一つの平穏が訪れた。何度も存亡の危機になっては存続するこの世界はまさしく図太い星の元で生まれたのだろう。

 そう感慨深く思い耽りながら、何処かとも分からぬ辺境の地に、元竜殺剣シグルドは立っていた。あの激戦の後死んだと思われていた当方だが、実は生きていた。それもそのはず。あの時点では原初の女神による死なずの呪いは健在だった為だ。

 とはいえ、実はまだ生きていますなどとはとても言えぬ雰囲気。謎のヒロインXの霊核もドチャクソに破壊し尽した手前、まかり間違ってもそのような能天気なことを言えるはずもなく、運命に赴くままこの辺境の地に流れ着いた。

 当方は多くの罪でこの手を濡らしてしまった。もはや幼子に触れることすら禁忌するほどの大罪だ。今更、何を想い、何を信じて剣を振るえばいいのかも分からない。

 それでも死ぬことは許されない身だ。生き延びたからには責任が伴う。当面は贖罪の旅をして、自分の為すべきことを見つけるしかあるまい。

 先が見えない当方はともかく歩き始めた。流れ着いたこの星は既に死滅していた。かつて文明があったことは周囲の廃墟を見ればわかるが、生存者の気配もない。既に捨てられた星と見て間違いないだろう。

 であれば、長居は無用。珍しく、幸運にも宇宙船の墓場なる場所も見つけることができた。ここの廃材を組み合わせ、この星から脱出しよう。そこまでの算段は整った。整ったのだが………。

 

 「これはまた、訳ありの気配が漂うな」

 

 宇宙船の墓場にて明らかに怪しげな。もとい、他の残骸とはどう見ても異なる、異世界の文明めいたポッドが一つ墓地に埋まっていた。宇宙船の廃棄物で見えなくなっていたのだろうが、掘り起こしてみると如何にもオーバーテクノロジーで編み込まれたものだと分かる。

 

 「風化していない……が、最近のものでもない。この形式は今まで見たことがないが……我が叡智でも解読できんか」

 

 大きさは人一人分。強度は拳で軽くノックするように叩いてみて分かった。かなりの堅牢だ。開閉できるボタンもない。しかし、これは脱出ポットにも似ている。もしかしたらこの中にはコールドスリープか何かで眠りについている人が存在するやもしれん。

 

 「見過ごすわけにもいかんか。であれば、是非もない。ここで確かめる」

 

 中に人がいれば助けねばなるまい。もしそうではなく、災厄を招くものであればこの場で処断すればいいだけのこと。

 シグルドは堅牢なこのポットを魔剣グラムで叩き切った。無論、中に人がいることを前提で、表面だけ切り取るように、中身に傷が入らないラインを見極めての斬撃。

 

 「………」

 

 そして、ポッドの中からは予想通り、一人の人型が横たわっていた。それまではいい。だが、問題なのはその姿形だ。

 美しかった。今まで見たどのような景色、造形物、サーヴァントよりも、その横たわる女は美しかったのだ。

 この当方が、見惚れた。あろうことか思考が停止した。今までにない衝撃が当方の脳内を揺さぶっている。

 

 「う……ん………」

 

 それを横目に絶世の美女は眠りから目を覚ました。まだうたた寝めいているがその長く白い髪を揺らし、淡い唇を震わせながら、生命活動を顕わしている。

 

 「あ……なた……は?」

 

 目をゆっくりと開いた女は、シグルドを見た。シグルドもまた、女の瞳を見た。

 これがファーストコンタクト。

 竜殺剣シグルドが、英雄シグルドとなるきっかけ。

 辺境の地で出逢った人生の分岐点。

 

 「当方は―――シグルド」

 「しぐるど……さま」

 

 女は噛み砕くように、己の名を呟いた。

 まるで幼子が初めて得た宝を大事にするように。

 

 「貴殿の名は、なんという」

 「わたし……わたしは………ブリュンヒルデ、と…申します」

 

 この出逢い。

 この邂逅こそが、全てを決めた。

 後のユニヴァース世界にその名を轟かした、夫婦伝説の始まりである。

 




 ブリュンヒルデと出会っていないシグルドは2000年の月日で摩耗していった
 その結果が闇堕ちの竜殺剣
 ブリュンヒルデは大切なものを貰ってばかりと言っていましたが、シグルドもまたブリュンヒルデから大切なものを多く貰っていた証明なのかもしれませんね

 Fate/staynightからエクスカリバーとグラムの関係性は示唆されていました
 SN武器欄曰く、聖剣の頂点がエクスカリバーなら魔剣の頂点はグラムであり、グラムこそが騎士王の天敵であるのだとか
 セイバーウォーズ時空ではありましたが、この聖剣魔剣の頂点対決を見れただけでも満足でありました
 ブリュンヒルデと出会わず、悪の組織に身を置いたシグルドが世界を救おうとする聖剣使いに敗北するまでが最高のシナリオです(しみじみ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もしオフェリアがシグルド(純正)を召喚していたら

 これはもしオフェリアがシグルドを最初から召喚できていたらというIF
 スルト好きなんですがこのSSでは大人しく鎮火中


 人は、明確な死を前にすると色々な本性が滲み出る。

 自らが受ける結末に狼狽する者。その理不尽に怒る者。そして、静かに受け入れる者。

 世界を救うための道具たるコフェインの中で燃え盛る炎に身を焼かれる女は、どうだったか。

 

 ……恐らくは達観していたのだろう。

 

 己が持つ魔眼で生存を模索してはいた。どうすれば生き残るか足掻きはした。

 それでも、ダメだった。稀有なる魔眼はオフェリア・ファムルソローネという少女の死を映す。

 どう選択しても、どう効力を発揮しても、待っているのは暗い死であると。

 嘆きは忘れ、慟哭を放つ力もない。

 小さな棺桶に閉じ込められた女は惨めに死ぬだろう。

 時計塔で現代の戦乙女だなんだと持て囃されてはいたが、そのような称号は不釣り合いだとオフェリア自身は思っていた。そして、それが事実であるかのように、今オフェリアは死のうとしているのだから笑い者くらいが丁度いい。

 母の期待も、父の期待も、周囲の評価も。

 全てが煩わしかった。自分なりにその多大な期待に応えようと努力はしたが、心の奥底では耐え切れずに折れそうになっていた自分がいた。誰かに助けを求めていた。そんな自分ともこれで最期だ。そんな嘲笑じみた笑みを浮かべるのが精々できること。

 そう。あの運命の炎の中で。魔眼が捉えた、一人の青年の傷らだけの背中と奇跡を目にするまでは。

 

 『それが、人に出来ることならば』

 

 オフェリアの存在意義は、あの日、あの場所で決まった。

 空っぽだった自分が命を賭してでも何かを成し遂げたい。力になりたい。

 そう思える瞬間を―――地獄と共に得たのだから。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 場所は神霊スカサハ・スカディが治める氷結の城の最奥。

 一ミリもブレがない、水銀で刻まれた召喚陣の上にオフェリアは立っていた。

 霊長の守護者。サーヴァントの召喚。触媒はオフェリア自身。

 来るべき生存競争を勝ち抜く為に必要な騎士の召喚を夢見て、第二の生を授かりし戦乙女は呪文を口にする。

 

 「―――サーヴァント、セイバー。我が真名をシグルド。貴殿がマスターか?」

 

 現代の戦乙女は、その渾名に相応しき最強のサーヴァントを引き当てた。

 鬼、もしくは竜を連想させる黒き仮面。紅き魔剣。他者を寄せ付けぬ魔力。暗殺者めいた武装に、その身から嫌でも感じられる極上の神秘。あらゆる障害を悉く切り裂かんという覇気すら見える、北欧最大の大英雄。

 その蒼き瞳(・・・・・)は、召喚者であるオフェリアを見つめ、問うた。

 魔力パスで誰がマスターなのかは一目瞭然。それでも、シグルドはファーストコンタクトにてマスターの是非を問う。それは招かれた英雄として行うべき最初の礼儀であり、使い魔(サーヴァント)という形で現界した者の務め。

 オフェリアはあまりの圧に唾を呑み込み喉を鳴らした。

 決して敵意など向けられていないのに、そのサーヴァントがこの場にいるというだけで飲み込まれそうな圧倒的存在感。これはまるで最初に相対した神霊スカサハ・スカディの神気に当てられた時のようだ。

 それでも、オフェリアは物怖じして身を退くわけにはいかない。

 一歩後退るのではない。一歩前進して、現代の戦乙女は胸に手を当てて堂々と宣言する。

 

 「ええ―――私が、貴方のマスター。名をオフェリア・ファムルソローネ。この北欧異聞帯(ロストベルト)の管轄を任されたクリプターの一人です」

 

 北欧異聞帯(ロストベルト)。クリプター。

 勢いよく名乗ったは良いものを、肝心のこの世界の説明を取っ払っての発言。

 我ながら迂闊。自らの未熟を恥じるばかりだが、目の前のセイバーはその汚点を汚点とすら思っていなかった。何故なら、理解したのだから。この世界の理を、その神々の叡智を持って。

 

 「我が叡智が状況を把握。現状況の大まかな仔細を承認。本来の歴史から別れ今日に至るまで続きし世界の可能性異聞帯(ロストベルト)。そして大本の汎人類史から袂を分かつ魔術師の一翼。貴殿のような若き乙女が、その重責を背負い立つか」

 

 シグルドは冷静にこの世界の有り様を言い当てて見せた。

 かのオーディン、ロキの二柱を捕らえ、あまつさえ天界に身代金を要求したとされる北欧の小人の成れ果て(ファヴニール)

 シグルドはその悪竜に至りし者を討ち倒し、心臓を喰らいて窮極の叡智を手に入れた。常人が目に写るモノ以上のモノを、彼は見ている。そして識ることができる。

 

 「確かに貴殿はシグルドを召喚した魔術師である。そして当方はセイバーのクラスを以って現界した使い魔なのだろう。であれば、一介の正常なる聖杯戦争であればこの時点で主従関係は成立するものと心得る」

 

 令呪を宿した魔術師(マスター)使い魔(サーヴァント)を召喚する。その点においてシグルドに認識に誤りはない。

 だが、彼が真に問いたいのはそのような単純な話ではない。事実、彼は正常な聖杯戦争であれば既に主従関係は成立するものと言った。逆に言えば、これは正常ではなく、異常(イレギュラー)な状況であり、この段階ではまだオフェリアをマスターと認識していないということ。

 

 「貴方は、私をマスターと認めていないのですね」

 「否。見定めているにすぎない」

 「それは貴方が汎人類史の英雄だからですか?」

 

 召喚した時の手応えでオフェリアは分かっていた。

 この男は確かに北欧最大のシグルドなれど。この世界に根差した異聞帯のシグルドではないことを。

 

 「肯定する。我が魂、我が肉体は汎人類史に刻まれし男の影法師。異聞帯に下るのであれば、それ相応の道理を求めて然るべき」

 「では、交渉の余地はあると」

 

 シグルドは静かに頷いた。

 ならば、簡単なことだ。至極シンプルな答えしかオフェリアには持ち合わせていない。

 

 「私は、私の命ある限り―――(オフェリア)という存在を救い取ってくれたお方に尽くすのみ」

 

 オフェリアの魔眼はキリシュタリアの奇跡を見た。

 オフェリアの魔眼はキリシュタリアの選択を観た。

 オフェリアの魔眼はキリシュタリアの決断を視た。

 

 本来であれば、あのまま棺桶の中で死に絶える運命だったオフェリア達を彼は助けた。

 ただ助けたわけではない。あの苦痛というのも口にし難い試練を全て背負い、そして成し遂げた。

 彼は自分達にそのことを決して伝えなかった。誇るべきものを敢えて彼は尊大に語らなかった。

 英雄の魂に勝るとも劣らないその在り様に、オフェリアは魅入った。あの男は失ってはならない存在だと確信したのだ。

 

 「その確固たる決意は自らを救った者が正義であると……そう確信しているが故か?」

 「それは違います。彼の意思に正義も悪もない。そして何より私も彼が正義であるとは思わないし、彼も自らを正義であるとは口にしないでしょう」

 「ならば貴殿には何がある。何を想ってその役目を務める」

 「彼の真なる目的は未だ理解し切れていないけれども……私はキリシュタリアに命を救われた。可能性を見せてくれた。私がクリプターである理由は、それで十分です」

 

 シグルドの度重なる問いに対してオフェリアは臆することなく応え続けた。

 きっとあの爆発の中に身を焼かれるまではこれほど堂々とは言えなかっただろう。

 これも瀕死でありながらも尚、立ち上がり続けた男の背中を見ていたから。

 あの領域に至れずとも、少しでもその後ろについていきたいと思えたから。

 今、こうしてオフェリアは一歩も引かずにシグルドの見定めに応じられる。答えられる。

 

 「了解した。これにより問答を修了とする。ではーーーー」

 

 シグルドは手に持つ魔剣をオフェリアの前で振り上げた。

 この瞬間、オフェリアの覚悟は決まった。

 

 「(嗚呼、私はここまでなのね)」

 

 魔眼を発動させるより早く、指先を動かすよりも早く。オフェリアの首はシグルドによって切断される。

 所詮、己はここまでの器だったということ。サーヴァントとの問答の末に殺されるのであれば、もはや語ることなどない。

 せめてこの男がキリシュタリアの障害にならないよう、潔くパスを絶ち、自滅させることしか思い浮かばないのだから。

 そんな覚悟を持って相対していたオフェリアに、シグルドはその魔剣を彼女の首に……ではなく、彼女の前の床に突き立てた。

 

 「貴殿をマスターと認めよう、オフェリア・ファルムソローネ」

 「………え?」

 

 命を賭すつもりだったオフェリアにとってそれは不意打ちだった。

 それに先ほどまでの厳格に満ち溢れた男の声に、僅かではあるが物柔らかさが宿った気がする。

 

 「この戦いに善悪はない。異聞帯が悪であり、汎人類史が正義であるわけでもない。この世界が生まれ、民草が生き続けた歴史を築いたその時から、一つの生存競争の枠組みが完成している」

 

 シグルドは語る。

 この世界が滅ぶべき悪ではないと。

 

 「もし貴殿が己らを正義と嘯くのであれば、貴殿をマスターとは認めず汎人類史の英雄として自害し果てたところ」

 「見限ったとしても、私を殺さないつもりだったのですか」

 「マスター殺しは禁忌すべき行いと認識する。それは呼ばれた者の最低限度の節度。無論、殺戮を好む者であれば話は別だが……貴殿はそうではあるまい?」

 「……魔術師ですから。人を殺したことはあります。ですが、人を好んで殺めるほど酔狂ではないですね」

 「それで良い。貴殿は、魔術師と言うにはあまりにも優しすぎる」

 「私に優しさなど無いと思うけど……もし貴方の認識であると言うなら、それは侮辱とも取れますよ、セイバー。魔術師とは非情な生き物でなければいけないのだから」

 

 【魔術師は非情でなければならない】

 そうでなければならないと思っている時点で、オフェリアは魔術師として人間寄りすぎる。

 本当に非情な者とは、そのような言葉は出てこない。真なる非情者とは、決して己の行いに倫理を当て嵌めたりはしない。常に己の行いに揺らぎを持たない強く冷徹な心を持つ者でなければ。

 

 「不快に思われたのならば、非礼と詫びよう」

 「いえ、いいの。私が魔術師として未熟なのは重々理解しています」

 

 シグルドに甘さを指摘されたと思ったオフェリアはその欠点を直そうと肝に銘じた。

 彼は決してオフェリアに未熟だと言ったわけではなく、その優しさこそがオフェリアの長所であると思っているのだが……敢えてシグルドは訂正しなかった。今の彼女は自らを見つめ直し、そして成長できるのだと信じて。

 

 北欧最大の英雄シグルド。

 汎人類史の英霊でありながらも、異聞帯(ロストベルト)のマスターに仕えると決めた男。

 神々の叡智はこの世界の絡繰りを見た。そして、悟る。

 この世界はオフェリア同様優しすぎる世界。

 炎の巨人王の焔に晒されることなく、民草を苦渋の選択で殺める必要もない、まさしく北欧の神々が夢見た理想郷のような世界。

 だからこそ、脆く儚いものだとシグルドは感じた。

 果たしてこの世界はこの先訪れる脅威に耐えられるか否か。

 

 「(いや、それよりも早くこの世界に訪れるは汎人類史の生き残りか)」

 

 本来はシグルドも彼方側。

 それでも、決めた。決めたのだ。

 マスターに呼ばれたサーヴァントだからというだけではなく。

 己を求め、そして為すべきことを為さんとするか弱き女の力になると。

 この行為を汎人類史への叛逆、裏切りと捉われても致し方ない。

 されども、目の前の今にも折れそうな人間を見捨てることこそ、シグルドの矜持が許さない。

 

 ―――願わくば、どうかこの娘に幸あらんことを―――

 

 世界は何処までも残酷であることを誰よりも知っている男は、その現実を知りながらも願わずにはいられない。

 せめてこの太陽の魔剣が彼女の道を少しでも照らさん。そう、この場所にて彼女に誓ったのだ。

 

 「オフェリア。我がマスター。貴殿に降り掛かるあらゆる災厄は当方が請け負おう」

 「……いいえ。それではダメ。この責務は貴方一人に押し付ける気はありませんし、譲る気もない」

 「ほう?」

 「だから―――私と共に歩みなさい、シグルド。私の最強の騎士。貴方の力は、私の弱さを支えてくれる。だから私も貴方のマスターとして、微力ながらも力を尽くす。それが、主従というものでしょう?」

 

 この時見せたオフェリアの笑みはどこまでも健気で、それでいて強かった。

 心身ともに疲れ果てているであろうその状態でここまで言われたのだ。

 これに応えなければサーヴァントとして失格だ。

 

 「この異郷の地にて貴殿に召喚されたことを喜ばしく思う」

 

 彼女を死なせてはならない。

 彼女を守らねばならない。

 

 「如何様な命令でも構わない。速やかなる遂行を約束しよう」

 

 戦士の王は、北欧の世界にて忠誠を誓う。

 

 




 オフェリア……最初見た時から幸薄そうだなって思ってたけど
 イメージ構成自体が「死ぬこと前提」のキャラ像だったという衝撃の事実(FGOマテ
 そりゃ幸薄く見えるよねって……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

慎二&イアソンが逝く第五次聖杯戦争

 「なぁマスター。俺達は、この戦いでどうなると思う」

 

 現代の地方都市、冬木市のビル群の一つ。その中でも一際高い高層ビルから地上の街を見下ろす男は己のマスターに問う。

 美しい金髪を風に靡かせるその男は、どこへ居ても目立つであろう時代錯誤な古代の黄金鎧を着込んでいた。それでもその鎧は決してコスプレのような作り物ではなく、純金製の立派な本物であると見た者は語るだろう。

 映画の撮影のワンシーンだろうか。そう思わせる気取った態度と言葉にもう一人の男は頭をガジガジと片手で掻いて呆れるように答えた。

 

 「三流のサーヴァントじゃなけりゃあ、今頃僕は華麗な戦歴と共に優勝間違いなしだったよ」

 

 金髪の男の隣に立つ青髪の青年はどこか滅入っているような雰囲気すら感じられる。

 例えるなら人生最大のビッグイベントに乗り遅れたかのような。

 宝くじで一億円当たったと思ったら番号一桁違ってたかのような。

 そんな雰囲気。

 

 「奇遇だな。俺も自分のマスターがド三流じゃなかったら今頃無双してたところだわ」

 

 金髪の男は口元を引き攣らせ、額に血管を浮かばせながら己のマスターに苦言を呈す。

 

 「ハッハー! ナイスジョーク!」

 「お前には負けるなマスター!」

 

 いきなり馬鹿笑いする二人の男達。

 そう、彼らは運命から見放された阿呆共。

 よりにもよって、なんでお前なんかがと言わんばかりに大笑い。

 

 「はーっはは……ひー………ふふ……はは………ざっけんなよ畜生! お前イアソンなんだろ!? あのアルゴー船の船長なんでしょ? え、なに? 満足に戦えもしないのこのスカタン!!」

 「おーまーえーがーちゃんと魔力を送ってくれたらもちっとマトモだわへっぽこやろう!! なんだこのひょろがりパスはアァン!? こんなおやつにもなんねぇ魔力でどう戦えってんだ!」

 「それをどうにかするのが大英雄の役割だろ! あーそれともお前は大英雄じゃなかったんだー! イアソンって結構有名だと思ったけどそうでもなかったんだねー! お前が来たっていうから喜んでたのにとんだ大外れだよ!!」

 「なんでもかんでも英雄だからってどうにかなると思うなよシンジィ!」

 「夢くらい見させてくれよライダーァ!!」

 

 喚き合う主従。どうしてこうなった。

 間桐慎二の聖杯戦争はこんなものではなかったはずだ。

 強いサーヴァントを妹に召喚させて、それを奪い取って、間桐家の正統後継者として一切の失敗なく勝ち進む。それこそが正しい約束された勝利の未来図だった。

 それなのに、序盤からコレ? なんだこれ、どういうこったこれ。

 召喚された男はかのギリシャ神話の大英雄イアソン。その輝かしい逸話からして女絡みの内容を除けば何も問題ないサーヴァント。まさしく間桐家の男児に相応しい英雄……そう、思っていた。

 蓋を開けてみればコレだ。やれ前線で戦わせるな。やれマスター使えない。やれ現代を案内しろ。サーヴァントとは思えない我儘なオーダーばかり。しかも言うだけ言って観光気分。なんでそんなにお気楽にいられるのかと思っていたが、最近ようやく分かってきた。

 

 「(こいつ、戦うことを諦めてやがる……!)」

 

 ライダーのステータスは悪くはない。それどころか固有スキルも平凡ではないユニークなものばかりだが、戦士としての技量が明らかに低い。

 元々ライダークラスは宝具を駆使して戦う者。宝具無しの白兵戦で物を言わすクラスではない。例外もあるのだろうが、少なくともイアソンは明らかに宝具依存の英雄。悔しいが、偽臣の書で縛っているだけでしかない慎二にそのポテンシャルを十全に発揮できる力はない。それは認めよう。

 しかし、しかしだ。まさかここまでの腑抜けとも思わなかった。戦う前から戦意を喪失するなど、英雄にあるまじき態度。少なからず英雄という存在に憧れのような憧憬があった慎二からすれば、失望するに余りある。

 

 「……もういい。ったくなんなだよお前。何が悲しくて男二人で高層ビルの上から街を眺めなきゃならないの? どうせなら美女とこういうところで街を一望したいんだけど。ここで何がしたいんだよ」

 

 どうしても見たいというから連れてきた、冬木市が誇る最大規模の高層ビル。そこから見る町々の光は夜空を明るく照らしている。こんな場所にライダーは何を求めているのか。

 

 「なにってお前……はぁ……そういうところだぞ、シンジ」

 「はぁ? なに、また喧嘩したいわけ?」

 

 マスターとサーヴァントとは主従関係ではなかったのか。ここまで生意気なサーヴァントがいていいのか。そう思わざるを得ないのだが、その数秒後のライダーの言葉に慎二は言葉を詰まらせる。

 

 「戦場を把握する為に決まってるだろ(・・・・・・・・・・)。なんも知らない場所での殺し合いだぞ? 一度、全ての立地を頭に叩き込むに相応しい場所を求めるのは当然だ」

 「おま―――」

 

 ここにきて、いきなりの英雄思考。散々そこらへんに連れ回されたのはその為だったのか。そしてこの高層ビルに来た理由。それが、今まで練り歩いたところを踏まえて何処に何があるか、どういう場所なのかの総括。

 

 「いやそういうことは最初からそう言えよ!?」

 「言わんでも分かると思ってたんだがなぁ……俺のマスターなら」

 「なんだとゥ!!」

 

 やっぱりこいつ嫌いだ。

 

 「シンジ……マスターの役割がなんなのか、お前は分かるか?」

 「そんなの、決まってるじゃん。勝つことだよ」

 「ちげぇよ。それは結果で、行うのもサーヴァントだ。もっと単純なこと……生き残ることだ」

 「なんだそりゃ」

 「今、甘くみたな? 生き残ることを。当たり前すぎて疎かにしやがった。そういう奴は早死にする。こんなバカげた戦争だと特にな」

 

 ライダーは、先ほどまでとは打って変わって真面目な声で、真面目な面で、そんなこと言った。

 まるで説教されているようで気に食わなかったが、反論できる要素がなかった。

 【死ぬ】

 殺し合いなのだから、殺しもするし、殺されもする。その当たり前の前提を慎二はハッキリ認識できていたかといえば、否だった。自分が死ぬはずがない。負けるはずがない。そう信じて疑っていなかった。

 果たしてこの状況で最初の頃と同じことが言えるのか。頼みの綱であったサーヴァントが使い物にならない。それでも聖杯戦争に参加してしまっている。今更後には引けない。厳密には聖堂教会に駆け込めば、辞退こそできるがそれでは間桐慎二のプライドも死んだも同然。遠坂凛にも無論知られてしまうだろう。

 それだけはできなかった。最初から、慎二に退路はない。では突き進むにおいて、己が死ぬ確率はどれだけあると思う。このサーヴァントとマスターで最後まで生き残れることができるのか。その自信は、今も保てるのかと。

 

 「指揮官(マスター)の心得ってものを教えてやろう……まず最初に、生き残ることだ。次に、何が何でも生き残ることだ。ここでの知識、地形、常識全てはマスターの方が詳しい。それらを加味した上で指示できるのもマスターだけだ。そいつが真っ先に殺されたら終わり。マスターを要石としているサーヴァントも終わったも同然」

 

 マスターとサーヴァントは二人三脚。この戦争中は一心同体でなければならない。その上で非力な人間でしかないマスターができるとしたら、生き残ることに他ならない。

 

 「俺達は確かに最悪のチームかもしれねぇが、生き残っている限りは負けはねぇ」

 「……なんだよ。負け犬思考じゃないか」

 「お前の大好きな勝つ思考だ。真正面から勝つだけが全てじゃねぇってことだ」

 

 そんな脳筋はバーサーカークラスだけで十分だとライダーは言う。

 

 「(なんだよ……意外とちゃんとしてるじゃんか)」

 

 慎二は少しだけ、ライダーを見直した。口には絶対に出さないが。

 

 「ふふっ。素晴らしいご高説ね。でも無意味になるわ。本当にざんねん」

 「「!?」」

 

 背後から不意に聞こえた少女の声。

 慎二とライダー以外がこの立ち入り禁止のビルの屋上にいる筈がない。

 では警備員か? それこそあり得ない。少女の警備員など、いてたまるものか。

 条件反射で二人は背後を振り向いた。

 

 そこには赤い眼を宿し、長い銀髪をもった人間離れした美しい少女と。

 絶望の巨人が立っていた。

 

 「………嘘だろ、おい」

 

 イアソンは目を見開いた。

 

 「あら、その反応……もしかしてバーサーカーのお知り合い?」

 「どうなってる。アイツが、人間に使役できるわけが……お前、何者だよ!」

 「おい、ライダー! あのバーサーカーのこと知ってるのか!?」

 「知ってるもの何もあるか! アイツはやばい、アイツだけはヤバい!」

 

 ライダーに限った話ではない。どのような英雄が相対したとしても、あのバーサーカーを前にしたら、あらゆるサーヴァントが等しく塵芥となる。

 その強大さ故に普通のマスターであれば一瞬で干乾びるであろう器。万夫不当の大英雄。その代名詞。だからこそ召喚はされても扱いきれるものではないとライダーは踏んでいた。

 仮に、仮にだ。どれだけ不運と不運が重なろうともその存在が同じ聖杯戦争で召喚されて、敵対したとしても。まず間違いなくソレを呼んだマスターは自滅する。その存在を扱いきれることなく、召喚した瞬間に終わるはずだ。

 それなのに目の前の少女は完全にその存在をコントロールしている。それも更に魔力を喰らうであろうバーサーカーのクラスで召喚しておきながら。

 

 「くそったれ、最悪だ。俺達が最弱陣営なら、奴らはまず間違いなく最強の陣営……!」

 「ライダー! なに弱気なこと言ってんだよ!」

 「バカ野郎! お前、アイツは、あのバーサーカーはなぁ!!」

 

 ライダー如きが立ち向かえるもんじゃない。なにせあのサーヴァントは。

 

 「大英雄ヘラクレス……だもんね」

 「へ?」

 

 少女から明かされたバーサーカーの真名。それを聞いた慎二は呆気にとられる。

 

 「……ふん、自らバーサーカーの真名を明かすとは傲慢がすぎないか?」

 「もし貴方が私の立場だったら、きっと同じことをするのでしょう?」

 「生意気なガキめ……!」

 「その生意気な子供に今から貴方達は蹂躙されるの。せめて上手に踊ってね」

 

 イアソンは心の中で銀髪の少女の評価を訂正する。

 生意気どころではない。悪趣味なマスターだ。

 ヘラクレスを召喚し、従えていることに大きな自信と慢心が滲み出ている。

 それはそうだろう。誰だってヘラクレスが仲間ならば勝ち誇るに違いない。

 尤もそれができるのは世界でただ一人、このイアソンだけだと思っていたが。

 

 「逃げるぞ、マスター!」

 

 どうあれ最悪な事態に変わりはない。

 戦うなんてありえない。一秒よりも先に瞬殺されるだけだ。

 

 「え、おい!? 首根っこ掴むなっていうかここビルの屋上ぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 イアソンは慎二の首根っこを掴んでビルから飛び降りた。

 重力に従い自由落下する最弱主従。

 

 「おいおいおいどうするんのコレ!? 地面とキスしちゃうよこれ!?」

 「黙ってろマスター! 舌噛むぞ! 出てこい、我が誉れたるアルゴー号!」

 

 ライダーは帯刀していた剣を引き抜き、虚空を引き裂く。

 その空間はパックリと割れ、その次元の中からは船影が写される。

 今こそ現れるのだ。現代に甦れ、古代ギリシャにその名を刻みし栄光の象徴!

 

 「おお!」

 「その緊急脱出用ボート、アルゴーJr(ジュニア)!!」

 「えぇぇぇぇ!?」

 

 実際に出てきたのは伝説の巨大戦艦アルゴー号―――ではなく、その船に搭載されていた小舟であった。勿論 小舟だけあってだいぶ小さい。大人二人が乗れる本当に緊急脱出用のボートである。

 それに乗ったライダーはすぐさまその小舟になけなしの魔力を送り、空を駆ける神秘を与える。するとアルゴーJrは光を灯して確かに空を飛んだのだ。本物のアルゴー号ならば更なる速度を出せるのだが、所詮はその船から付随されたもの。空を飛べるだけでも上等だ。

 

 「うっそだろ、そこはアルゴー号じゃないのかよ!」

 「文句言うな突き落とすぞバカマスター! 魔力が足りねぇんだよ魔力が!」

 

 小舟を出して空を飛べてる自体ありがたく思え。

 

 「あははははは、なるほどね! その小さなお舟、アルゴーJrっていうの!」

 

 どこからともなく木霊する少女の笑い声。二人は引き攣った表情で周囲をバババっと見渡す。

 ―――いた。

 あのバーサーカー、ビルとビルの屋上を尋常じゃない速度で飛び移って追ってきている。

 かつての盟友にも容赦なく追跡するギリシャ最大の英雄。今まであれほど頼もしかった存在が今では死神など生温く感じる。ああ、これが敵がこれまで見ていたヘラクレスの姿なんだなって半ば現実逃避に至りかける。

 

 「貴方がイアソンね! バーサーカーと一緒に旅をしたアルゴー号のキャプテン!」

 「ああそうだよ、真名看破ご苦労様! だが俺の真名を看破したところで美味しいことなんてなんにもないからな! 俺弱いし!」

 「そんな卑屈にならなくていいのよ、ライダー。私、これでもかの大船長イアソンとお会いできて光栄だと思ってるんだから!」

 「そうかい、ありがとよ! ならそいつの船長ってことで見逃してくれるのか!」

 「まさか。ちゃんとバーサーカーの斧でミンチにして土に埋めるわ」

 「こっわ!?」

 

 恐ろしすぎる。なんだあの少女、まさかヘラクレスを上手く使えるのは私なんだからとでも思っているのか。もしそうなら声を大きくして反論してやりたいところだが、ぶっちゃけ今はそんな余裕はない。

 分かったのだ。今ここでアレに捕まれば死ぬだけでは終わらない。きっとありとあらゆる尊厳破壊を行使してくるに違いない。その上で殺されるのだ。絶対に勘弁だ。あんなサイコロリに捕まって堪るものか。

 

 「シンジ! これを受け取れ!」

 

 最終手段だ。これだけは使うまいと思っていたが、仕方がない。

 もはや見栄を張っても仕方がないところまで来ている。

 

 「これって……(オール)?」

 「そうだ」

 「………まさか」

 「そのまさかだ」

 

 慎二は理解した。何のためにライダーがこれを手渡したのか。そして今から何をさせられるのか。

 

 「死ぬ気で漕げマスタァァァァァァ!!」

 「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 二人の男は必死で漕いだ。全力で漕いだ。

 (オール)は小舟のサブエンジン。魔力をより効率的に小舟に伝導させ、速度を加速させる奥の手。

 漕げば漕ぐほど船は前に進む。道理である。

 見方によればただ漕ぐだけで空を駆ける小舟の速度が上がるのだから、生き残る為ならばこの(オール)に縋るしかない。

 問題があるとすれば―――。

 

 「あははははは! なにあれ、なにあれ!?」

 「………」

 

 その間抜けな絵面はプライドをズタボロにしていくのだ。

 しかも違和感を持つほど速くなる。まるで執念が速度に現れているかのように。

 生き残る為に全てを投げ打って漕ぎまくる二人の姿に銀髪少女は大いに受けた。

 そして、そんなかつてのキャプテンを見たバーサーカーは―――少し、微笑んでいたのかもしれない。

 

 

 「「くそったれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」」

 「「死んでたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」

 

 

 これは余談ではあるのだが。

 この夜、冬木市の空に正体不明の飛行物体が現れ爆走しているという多数の目撃証言があり。

 とある聖堂教会所属の監督役神父が徹夜して(・・・・・・・・)揉み消しに掛かったとのこと。




 あの二人、ぜったい相性良いだろうなとワカメ食べながら思いついた短編SS
 ご感想とかがあれば……いいな?
 そんな気持ちで書いた息抜きSSです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アカイアの知将/トロイアの知将

 それは、圧倒的な力の蹂躙だった。

 相手はアカイア軍。ギリシャが誇るありとあらゆる歴史に名を連ねた英雄連合。

 オデュッセウス、大アイアス、パトロクロス、アガメムノン、そして―――アキレウス。

 彼らは我が国の王子パリスが略奪せし姫君を救うべく同盟の誓いの元にこの都市国家『トロイア』に攻め込んでくる。

 そう、正義の名のもとに。

 大義名分は彼方にあった。兵士の士気の高さも窺い知れる。

 

 「うおおおおおおおおおおお!!」

 

 そんな軍勢相手に、兵士の一人でしかない男は槍を以って突貫する。

 これでは死にに行くようなものだと彼は自嘲する。

 されども、戦わなければ滅ぼされる。誰か一人逃げだしたら、それだけで瓦解する。

 これはそういう戦争だ。

 綱渡りも綱渡り、首元にナイフを突き立てられたまま戦っているようなもの。

 馬鹿らしい。ああ、本当に馬鹿らしい。

 勝ち目のない戦い、死にに行く戦い、絶望的な戦い。

 兵士の命で紡がれた一日一日が、どこまでもか細い。

 普通の都市ならば一夜で終わるであろう戦力差。それを持ち堪えさせているのは、我らが総大将、輝く兜のヘクトール。

 無能の元で死に行くのは御免だ。だが、あの人の元でならば。

 一筋の希望を信じて戦い抜ける。そう思えた。だから戦えている。

 

 「おらァ!!」

 

 槍を(しな)らせ、アカイア軍の兵士を打ち倒す。

 屈強なアカイア軍の兵士は一人一人が精強無比。ジリ貧のアカイア軍とでは練度が違う。

 皮肉なことに、この劣悪な環境こそトロイアを強くさせた。

 どうやったら倒せるか。どうやったら有利になるか。

 それを訓練ではなく、実践で繰り返し、生き残った一握りの兵士は生中なことでは倒されない。

 

 「どうしたどうした掛かってこいやァ!!」

 

 アドレナリンが沸き立つ。

 血が沸騰する。

 今、自分は名無しの兵士ではなく、英雄の如き振舞いをしても許される。

 そんな麻痺すらも覚える。これこそが死臭濃き戦争。

 

 「おう、やってるなぁ命知らず!」

 

 仲間の兵士が自分と合流した。

 

 「生きてたか死にぞこない!」

 「まだ生き残ってるさ、死にたがり!」

 

 一介の兵士でしかない男達がこうして知人の仲間と戦場で再会できるのは本当に稀だ。

 なにせこの一瞬一瞬でも人が死んでいるのだから。

 

 「アカイア軍の奴らめ、性懲りもなく!」

 「正義を背にした軍ほど厄介なもんはねぇ」

 「違いない。まったくパリス皇子はとんだ災厄を運んできてくれた……!」

 「なっちまったもんは、しょうがねぇさ!!」

 

 そう、なってしまったものは仕方がない。

 戦争なんてどんな理由から発生するかも分からない。

 遅かれ早かれこうなっていたのかもしれない。

 なら、もう為ってしまったことに対して精一杯対処するしかない。

 それが兵士というものだ。

 

 トロイアの兵士は槍を振り続ける。近づいてきたアカイアの兵士を背中を合わせて屠りながら、終わりの見えない戦いを続ける。

 一体いつまでこの戦いは続くのか。一体いつになったら彼らは諦めてくれるのか。トロイアはどうなってしまうのか。

 恐ろしい。戦いの中でさえ、その不気味な気色悪さがぬぐえない。

 

 『アキレウスとオデュッセウスが出てきたぞォ!!!』

 

 伝令が大声で叫ぶ。

 絶望の鐘の音を鳴り響かせる。

 この合図は、まさしく撤退の意。

 勝てるわけがない。死神の鎌がすぐそこまで迫ってきている。

 

 俊足のアキレウス。この戦争最強最大の大英雄。

 彼と相対したトロイア側の英雄は等しく皆殺しにされている。

 ただ一人。知将ヘクトールを除いては。

 

 「ヘクトォォォォォルゥゥゥゥゥゥゥ!!!」

 

 ヘクトールに友を殺され、それでもなお殺せずに逃げ回られているアキレウスは声にもならない怒号を鳴り響かせて戦場を駆け回っている。

 その様はさながら芝刈り機。名有りの英雄も、名無しの兵士も、彼にとっては関係ないと言わんばかりに血祭りにあげている。

 あの男一人で戦場が滅茶苦茶になる。トロイア側の戦力が一気に削がれていく音が絶え間なく続く。

 まさしく無双。武力においては、この戦場で彼に敵うもなどいやしない。

 そして彼と双璧を為す英雄がもう一人いる。彼もまた、強大な力を、神の如き力を振るう者。出逢えば死を意味する。

 そんな英雄がまだ一人いる。

 

 「おい、やべぇぞ―――逃げ!!」

 

 先ほどまで背中を預けていた男が、光の中へと消えた。

 断末魔さえ許されず、魔力の渦に飲まれ肉体が消滅した。

 

 「あ、あああああああああ!!」

 

 こんなに呆気ないものなのか。

 あれだけ奮闘していた戦友が、こうもあっさり死ぬのか。

 魔力光で人間を蒸発させるなど、トロイア戦争が如何に人外魔境とはいえ限られている。

 

 「オデュッセウス……!!」

 

 鉄の男。鋼の男。鋼鉄の男。

 知略に於いてヘクトールに追随する軍師。

 それでいて戦いにおいても無類の武勇を刻み込む大英雄。

 その男が放つ魔力砲で、先ほどまで共に生き、喋り、戦っていた友を殺された。

 怒りが沸くよりも、その武力の差により恐怖が先に身を振るえ刺す。

 

 「許せとは言わん。これも、戦争。憎みたければ、存分に憎め」

 

 鉄仮面を装着しているオデュッセウスの表情は兵士には見えない。

 激情、憤怒ではなく、憂愁すらも感じられる。

 

 「……さっき、アンタが殺した男には帰りを待ってる妻がいた」

 

 優しいやつだった。そして強い兵士だった。

 

 「あんな、言葉一つも満足に言い切れない最期を迎えていい男じゃなかった!!」

 

 理不尽だ。理不尽がすぎる。

 男は槍を強く握りしめる。

 今すぐ逃げれば、それで済むはずなのに。

 本能はこんなにも震えているのに、なんで逃げないんだこの体は。

 

 「戦争とは、何処までも残酷だ。どちらが悪か善かではなく、譲れぬ信念のもとに相手を駆逐する。もし善悪があるとすれば、この戦争こそが―――度し難い、蟲毒」

 

 そんなことは誰もが知っている。

 この戦いは救いようがないものなのだと。

 それでも戦い続けなきゃならないのは、戦わなきゃ滅ぼされるという事実があるからだ。

 

 「戦場に出たその時から、我らの命は等しく等価。その背景に何があろうとも、殺し合いには意味を為さない。だからこそ、殺されてはならんのだ。死にたくなければ生きろ。護りたければ、守れ……殺した俺が言うべき言葉ではないのだろうがな」

 「そう言って、俺を見逃すつもりはないんだな」

 「お前を逃がせば、俺の仲間に被害が出る。戦争の常だ。無論、捕虜となるのならば話は別だが……お前は、そのつもりは全くないのだろう? 名も知らぬ兵士。その手の槍は、今も俺に向いている」

 

 ああ、本当に俺はバカだ。

 なんで逃げない。なんで背中を向けない。

 

 「ダチを殺されて、黙って命乞いしたら……俺は、生き恥だ」

 「殊勝な心掛けだ。俺ならば、例え生き恥を晒しても生き残る選択を取る」

 「生憎と、生き恥を晒してまで生き残る理由もないんでな」

 「………そうか。それは、悲しいことだ」

 

 オデュッセウスは腕に魔力を集中させて、一刃の光剣を生成する。

 

 「さらばだ」

 

 せめて苦しまずにと思ってか。それとも敬意を払ってのことか。

 オデュッセウスは自らの手で男を殺そうと直接剣を振り下ろす。

 

 「おいおい、そう簡単にうちの優秀な兵士を殺されちゃあ堪らん」

 「………貴殿は」

 

 オデュッセウスと名もなき兵士の間に、一人の男が割って入った。

 例え鉄であろうと容易に溶かすであろう魔力刃を難なく止めた不壊の槍。

 深緑の色素を埋め込まれたトロイア総大将の戦装束。

 黒漆の光沢を魅せる異形なりし右腕の籠手。

 

 「ヘクトール様!?」

 「なにボケっとしてんだ、早く逃げろ」

 「ですが、貴方は総大将なのですよ!? 何で俺なんかの為に!」

 「バカ野郎、お前もトロイアの民だろうが。その血肉は、云わば俺の血肉だ。自分を自分が助けて何が悪い」

 

 理由が無茶苦茶だ。

 

 「良いからはよ行けって。相手はオデュッセウス、いつまで食い止めてられるか分からん」

 「俺も戦います!」

 「言っちゃなんだが足手まといだ。俺のことを想うなら、はやく他の仲間を引きつれてトロイアの城壁まで全力で走れ! アキレウスとオデュッセウスが出てきた時点で、今回の戦闘は終わりだ!!」

 「――――――!!」

 

 【俺のことを想うならば】【足手まとい】

 そんなことを言われたら、引き下がるしかない。

 兵士は歯を食いしばった。

 ヘクトールに助けてもらったこの命、無碍にすることこそ彼への侮辱と理解したから。

 

 「………ご武運を!!」

 

 ただ、それだけしか言えなかった。

 英雄と英雄のぶつかり合いに、兵士の存在は意味を持たない。

 むしろ弱点ともなり得る。その事実が悔しくて、同時に情けなくて。

 兵士は槍を投げ捨て、撤退した。武器を手放し、自由になった両手で今も息のある仲間を担いで。

 少しでも多くの仲間を連れて故郷に帰る。それが、今自分にできる為すべきことなのだと。

 

 

 「いやぁ、待ってくれて助かるよ……オデュッセウス」

 「貴殿から目を逸らしてまであの兵士を始末する理由はない。隙をつかれるリスクを考慮すれば、見守ることしかできなかったと思ってもらえればいい」

 「ま、君がそう言うのであれば」

 

 果たして甘いのはどちらの方なのか。

 心も鉄と思いきや、存外慈悲深いところもある。

 

 「ヘクトール殿。貴殿がこの戦場に出てくるとは」

 「あんたらに兵士を蹂躙されちゃあ堪ったもんじゃないんでね。ここは俺の国だ。そう好き勝手させられない」

 「……貴殿を討てば、戦争は終わる。俺も妻の元にも帰ることができる」

 「俺も妻帯者なもんでね。簡単にはこの首はやれねぇさ」

 「儘ならないものだな」

 「戦争だからねぇ」

 

 先ほどの兵士も言っていた。

 オデュッセウスが殺した兵士には、帰りを待っている妻がいたのだと。

 

 「俺は、国と国の戦争が嫌いだ」

 「同感だ。狂人くらいだろうさ、こんな戦いが好きなんて抜かすのは」

 「……前々から思っていたが、貴殿とは気が合うな」

 「ああ、本当に」

 「今は立場故に無理な話だが、もし……共に語らえる日が来たら」

 「酒でも飲み交わそう……だろう?」

 

 ヘクトールの返しに、オデュッセウスは仮面の奥で静かに微笑んだ。

 惜しい。時代が時代でなければ、良き友になれただろう。

 アキレウスの親友にしてオデュッセウスの戦友であるパトロクロスを殺した男ヘクトール。

 こうして相対し、会話をすればここまで気が合う。

 戦争の恐ろしさはまさにこれだ。

 人間として憎めなくとも、好ましいと思えても、刃を向けねばならない。

 

 オデュッセウスは緩やかに拳を握り、構えを取る。

 ヘクトールはその長大な槍をオデュッセウスに向ける。

 

 両名共に知将ではある。

 そして同時に優れた武勇を持つ戦士でもある。

 こうして戦場で出逢えば、為すべきことは決まっている。

 

 アカイア軍が誇る知将オデュッセウス。

 トロイア軍が誇る知将ヘクトール。

 

 間合いを測り、相手の懐に踏み込もうとしたその瞬間。

 流星が、その場に着弾する。

 

 「見つけたぞォォォォ……ヘクトォォォォォォル」

 

 狂戦士(バーサーカー)

 華々しいはずの英雄の姿はソレにはなく。

 怒りに飲まれ、狂気すら感じる、破壊の権化がそこにいた。

 じろりとアキレウスの眼球はヘクトールを捕らえた。

 広大な砂漠から一個の宝石を見つけたような、十年来探し求めていた何かを見つけたような。

 そんな狂うばかりの執念が籠りし眼でヘクトールを映す。

 これには流石のヘクトールも唇を引き摺らせる。

 

 「……こりゃヤバイ。悪いなオデュッセウス、オッサンは逃げるわ」

 「逃がすとでも?」

 「さっきの兵士は逃がしたのに!?」

 「言ったはずだがね。この戦争を終わらせるには、貴殿の首がいるのだと」

 

 一対一ではなく、二対一。

 オデュッセウスは別にそれでもかまわない。

 あくまで戦士が本懐ではなく、知将としての在り方こそがオデュッセウスの役割。

 正々堂々などという言葉なぞ犬にでも食わせてしまえと言わんばかりに言い放つ。

 

 「ヘクトォォォォルゥ………!!!」

 「盟友の制御は俺がする。覚悟せよ、輝く兜のヘクトール殿よ」

 「憎たらしいほど有能な判断だなぁ、オデュッセウス……!!」

 

 格上の英雄二人から撤退を決意するヘクトール。

 今度こそ終わりにしようと責め立てるアキレウスとオデュッセウス。

 この似たような構図は、10年続いた。

 同じことを繰り返し、ジリ貧となり、疲弊し、それでも愚かにも戦い続けた。

 

 

 

 トロイア戦争。

 それは古今東西、あらゆる英雄が集いし大戦争。

 

 あるモノは大切な者を失い。

 あるモノは大切な者を護り。

 あるモノは大切な者を取り戻し。

 またあるモノは、大切な者の元へと還る為の戦い。

 

 半神が増えすぎたが故に決議された神々の代理戦争とも言われる、血塗られた歴史。

 それでもあの戦場で戦い抜いた者は皆、等しく必死だった。

 心も体も鋼鉄の男と言われた男でさえ。

 

 きっとあの戦争で何かを得られた者は少ない。失った物の方が多いだろう。

 

 「それでも、こうして貴殿と酒を飲み交わせる縁を結べたのならば」

 「無意味なものではなかった……と、思いたいねぇ。オジサンはもう懲り懲りだけど」

 「違いない。ああ、本当に違いないさ」

 

 今や汎人類史最後の砦、ノウム・カルデアの一室で酒を飲み交わす壮年の二人の男。

 彼らの何気ない飲み会は、あの血濡れた歴史の末に叶えられた何気ない約束。

 きっと果たされないだろうと諦めていた、他愛のない夢。

 憎しみもあり、蟠りもあり、そして達観もあった、あの戦争を経験した英雄達は今日も過去の話、召喚後の話、未来の話を語らう。

 

 この運命(Fate)に、感謝をと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本編
第01戦:北欧の竜殺し


 これはとある男と女の世界を賭けた知られざる歴史。

 歪んだ世界の狭間で繰り広げられる人と神の抗争の痕跡。

 

 戦士の王と謳われた男。戦乙女の最高傑作。

 どの世界においても血塗られた歴史を持つ者たち。

 悲恋を形作る伝承の紡ぎ人。人類史において「そうあるべし」と定められた概念。

 巻き込まれるはこれもまた運命に翻弄されし大神の生み出した天女達。

 様々な意思が交錯し生まれるは第二のエッダ。新たな神話。

 

 権能を携えし機能に飲まれ、成れ果てた女が世界を変える。

 あらざる歴史改編を受けた世界の悲鳴に竜殺しの男が招かれる。

 この再会は必然だ。偶然などであるものか。

 

 人は識る。愛の深さを。

 世界は謳う。愛の無力さを。

 運命は織る。愛の無秩序を。

 

 その世界に集うは英雄達の魂。

 果てなき抗争に無想の念が招かれる。

 人類を救うべしと定められた英雄は剣を取り、覇を鬩ぎ合う。

 

 人智を超越するは神の力。

 争うは超常に達する魔剣使い。

 

 これは北欧における神と人との混じり合い。

 人は人であるが故に争い、

 神は神であるが故に権能を成す。

 

 なにをもって世界は形作られるのか。

 なにを定義して人は人足らんとするのか。

 

 

 出逢いの果てに、愛憎の果てに。

 彼らの物語は帰結する。

 

 

 

 

 

 

 

 ◼️

 

 

 

 

 

 大いなる父。北欧の大神。主神オーディン。あの一柱によって、戦乙女(ワルキューレ)はこの世に産み落とされた。

 かつて14000年前、神々の原型を滅ぼし尽くした巨神の遺物により、それは為された。ヒトのように未完成のまま産まれ、未完成のまま生を終えるものではなく、完璧な肉体で産まれ、朽ち果てることのない、俗に言えば不老不死の生命を与えられた。

 全ては、(きた)るべき運命、神話の終焉(ラグナロク)に備える為に。より多くの勇士の魂を楽園へと誘い、オーディン指揮下の軍勢に加える為に。

 つまるところ、戦乙女(ワルキューレ)の存在意義とはより多くの質の良い魂を集め、貢ぎ、世話を行い、精強に育て上げること。ソレだけでしかないのだ。それ以外の機能はインプットされていない。ある程度の思考の自由はあるものの、基本、大神オーディンの御心のままに動く人形。それが戦乙女(ワルキューレ)の本質だった。ただその中でも一際高性能かつ戦乙女(ワルキューレ)の見本となる一体がいた。

 

 戦乙女(ワルキューレ)初号機にして全戦乙女(ワルキューレ)の長女―――ブリュンヒルデ。

 

 戦乙女(ワルキューレ)の姉妹達は皆、ブリュンヒルデを敬愛していた。尊敬していたのだ。

 無理もない。彼女は肉体から精神まで、全てが特別だった。

 元来の戦乙女(ワルキューレ)は最高峰のAランクの神性を与えられている。半神としては最高純度を誇っていた。しかしブリュンヒルデは違う。彼女は、更にその上を行く。もはや次元が違っていた。

 ブリュンヒルデには生粋の女神と相違ない「女神の神核」が備えられていた。その神核は純真な神そのもの。半神などとは名ばかりの、紛れもない神霊の印。

 原初のルーン。全ての戦乙女(ワルキューレ)が有する、神代の魔術。飛行は勿論、高速移動から上級宝具すら防ぐ、極上の神秘。その神秘すらも、ブリュンヒルデに備え付けられていたものは質が違った。所詮、戦乙女(ワルキューレ)の妹達が使う原初のルーンは大神オーディンが使うもののほんの僅かな一端でしかない。だがブリュンヒルデは、彼女だけは、原初のルーンが持つ全ての性能を発揮できる。そういう風に、特別に設計されていたのだ。

 英霊二体分の霊基、特別な肉体、神霊にしか許されぬ権能。数えれば数えるほど、戦乙女(ワルキューレ)の妹達とは一線を駕す。

 

 「なのに、なぜ―――」

 

 その言葉をいったい誰が放ったかは分からない。されども、その言葉は全ての戦乙女(ワルキューレ)の気持ちを弁解していたのは明白だった。

 何故ならこれまで誰よりも規則正しく、誰よりも多くの魂を大神オーディンの指示通り回収していたブリュンヒルデが、突如、何の前触れもなくその命令を破った。他でもない、オーディンその人の勅令を無視し、別の結果を齎した。

 それが全ての始まりだった。あの瞬間、ブリュンヒルデは戦乙女(ワルキューレ)としての素質、権利、資格の全てを剥奪され―――天界から追放されたのだ。

 その知らせを受けた時の戦乙女(ワルキューレ)達の表情たるや、もはや悲壮感以外表現することができなかった。自分達を無機質な生命体だと思っていたのに、あの瞬間ばかりは、自分たちはヒトより脆くなったと自覚できた。

 何度繰り返してもブリュンヒルデと同期できなかった。戦乙女(ワルキューレ)ならば、己の思考を共有することができるのだが、その時すでにブリュンヒルデとの同期は不可能となっていた。これはつまり、ブリュンヒルデが戦乙女(ワルキューレ)でなくなっていたことの証明に他ならない。何故、何故、何故、何故、何故、何故――――!!

 

 「はぁ……はぁ………ここ、は?」

 

 そして金髪の戦乙女(ワルキューレ)は悪夢から覚めるが如き勢いで目を覚ました。

 

 「いったい、なにが……」

 

 戦乙女(ワルキューレ)の一体、スルーズは状況が認識できなかった。先ほどまで、自分はいったい何を? 遠い昔の、在りし日の過去を閲覧していたような気もするが、はっきりしない。いや、もはやそのようなことは些事である。今はスルーズが何処にいて、どのような状況下に置かれているかを知る方が優先順位は高い。

 とはいえ周囲を見渡せども、そこは大樹が生い茂る森の中としか理解できない。何よりこの森から溢れ出る魔力は異質―――少なくとも、安全圏とは言い難い。そんな場所に、自分はなぜ倒れていた? 何が起こっている?

 

 「オルトリンデ……ヒルド…同期不可? 代替召喚もですか……これは、この森の魔力のせい?」

 

 本来であれば姉妹三機で活動する戦乙女(ワルキューレ)。その特性もこの特異な魔力に阻害されており、妹のヒルドとオルトリンデとも同期できなくなっている。これは由々しき事態だ。最悪、魔力を多少消費しても彼女達をこの場に召喚し、状況打破の論議を設けたかったというのに。

 

 「おまけに、白鳥礼装まで……」

 

 飛行ユニットである背中に装着された羽も満足に機能しない。長女ブリュンヒルデや女神スカディなら、自前の魔力放出なり原初のルーンなりで飛行できたかもしれないが、流石に完全な彼女達ほどの機能を妹たちは有していない。所詮、自分達はブリュンヒルデの劣化品でしかない。

 

 「魔力供給はこの大地から細々とですが、私に流れている……これは、所謂はぐれサーヴァント……召喚した術者はなく、この星が自動的に召喚したイレギュラー……神に最も近いとされる戦乙女(ワルキューレ)が、ヒトの英雄と同じ扱いを受けるなんて笑えないですね」

 

 なにかしら縁があっての召喚なのだろうが、それすらも分からない。全知とされる存在がこのざまだ。サーヴァントとはかくも不便な存在か。

 

 「(マナの濃さからして時代は神代…………しかしこの懐かしさすら覚える感覚はいったい……)」

 

 神代は強力無比な幻想種が巣食う時代。唯の魔術師も古においては魔法使いにカテゴリされた者が殆どだ。今のこの不完全な状態で居座り続けるのは危険極まりない。

 

 「それに加えて、この状態は深刻ですね……私に備わる多くの機能が停止及び低下している」

 

 一:己の真名は戦乙女(ワルキューレ)が一体、スルーズ。

 二:戦闘機能、万全に程遠く。礼装不備、魔力も十分とは言いがたい。

 三:オルトリンデ及びヒルド、同期不可、代替召喚・同時召喚不可。

 四:宝具展開不能。偽・大神宣言(グングニル)展開可能。ただし本来の出力の維持は魔力不足により困難。

 

 ………これは笑えない。これでは高く見積もってもB級サーヴァントといったところだ。

 

 「状況が依然つかめないですが、とにかく調べないことには何も始まりませんね。ここに居座り続けたところで事態が進展する希望などないのだから」

 

 スルーズは重い腰を上げて立ち上がった。そして改めて周囲を見渡す。

 濃いマナ、神代の香りが立ち込める樹海。その大樹一つ一つが樹齢何百年、何千年と見受けられるほど巨大で、どれもこれもが大木と言わんばかりのスケール。当然ヒトの気配はなく、神獣、魔獣の魔力もこの特別異様な魔力によって把握できない。

 スルーズは最大限の警戒を持って歩を進める。魔力のパスはこの世界そのもの。それでも供給されている魔力は必要最低限とか細いものだ。戦闘にでもなれば、よほど巧く戦わない限り、すぐにガス欠になる。特に高い神性を持つ戦乙女(ワルキューレ)は特別燃費が良いと言えるわけでもなく、このような状況下で身をおくこと自体、天空の存在たるスルーズにとっては未知の経験だった。

 歩く。歩く。歩く。いつも当たり前に浮遊して移動していたスルーズは煩わしそうに脚を動かす。体力の消耗こそないが、こうも面倒な手順を踏んで移動することに苛立ちを覚える。なにせ行けども行けども生い茂る草木ばかり。たまに引っかかる蜘蛛の巣はスルーズの神経を逆撫でさせる。いっそのこと大声で叫んで自分の存在を周囲に知らせてみるか?

 

 「バカですか私は……」

 

 愚作中の愚作だ。味方どころか敵ばかりである可能性が大いになるこの現状、魔獣の類いが生息する危険性が極めて高いこの現実を前に、自分の存在を声を高らかに上げて知らせる? 最悪の結果しか見えないではないか。スルーズは一瞬でも過ぎってしまった選択を強く非難した。

 そうした自問自答を繰り返しながらスルーズは歩き続け、ついに、草木以外の目を引くモノを見つけた。しかしそれは、スルーズが今置かれている状況が如何に悪いものかを知らせるものだった。

 

 「魔獣の死骸……」

 

 派手に喰い散らかされたと思われる魔獣の亡骸。神代に生きたスルーズにとって特別珍しいものではないが……この魔獣は、いったい何に襲われた?(・・・・・・・・・・・)

 

 「この死骸、まだ新しい。数時間前に死んだか…・・・この鋭い爪傷に、焼け焦げた痕……魔獣もそれほど弱小な個体ではないように見えますが、この破壊の痕跡からして、一方的に蹂躙された?」

 

 力が拮抗したモノ同士の生存競争であるならば、もっと抵抗した痕跡が残っている。しかしここにはそれがない。であれば、答えは明白だ。狼が羊を貪るように、この魔獣も手も足も出ずに殺されたことに他ならない。

 

 「………これは!」

 

 スルーズの背筋に悪寒が走る。もはや暢気に死骸の検証をしている場合ではない。この死骸はまだ新しい。それはつまり、まだこの近くにこの魔獣を狩った存在がいるということ!

 

 「 ■ ■ ■ ■ ■ ! ! 」

 

 彼女の動きが手遅れであると知らしめる咆哮がこの大樹の森に響く。

 敵はどこだ。右か、左か、この大きすぎる大木のどこかに隠れているのか。

 いや、その何処でもない。相手は地を這う魔獣ではない。

 

 「この魔力、まさか!!」

 

 知っている。スルーズはこの独特で、高く、強い、幻想の魔力を知っている。

 

 「竜種ッ!」

 

 そう叫んだ時、上空から一球の火炎が飛来する。

 

 「ッ………!!」

 

 スルーズはすぐに力いっぱい大地を蹴飛ばした。今まで白鳥礼装で空を自由自在に飛んでいた存在が、土を踏みしめ、情けなく感じるほど全力で回避行動を取った。それは仕方ない。でなければ、数秒後の未来は死のみである。

 そのあり得たかもしれない未来を証明するように、先ほどまでスルーズがいた場所は大きな音と共に地面が抉れ、更には純度の高い魔力の炎がこれでもかというほど燃え上がっている。あんなものをマトモに喰らえば消し炭では済まされない。

 

 「神代だとは把握していましたが、まさか竜種が生息するほどの神秘を残しているとは!」

 

 竜種。それは最強の幻想種の一体。その鱗は剣を弾き、その吐息は全てを焼き尽くし、一呼吸するだけで高純度かつ多量の魔力を生成できる、神秘の化身。無論、そうだとしても遅れを取る戦乙女(ワルキューレ)ではないのだが、今この状態で戦うのはあまりにも分が悪すぎる!

 

 「この私が、なぜこのような無様を……!」

 

 空を舞い、万能を振るい、畏怖されるべき存在が、今やそこらにいる人間と同じように圧倒的な幻想を前に逃げている。こんな屈辱があるか。これではまるで堕天したかつての戦乙女(ワルキューレ)と同じではないか。しかも相手はドラゴンではない。最強の幻想種とはいえ、たかがワイバーンだぞ。今まで散々刈り取った獲物を相手に、まさか狩られる立場に転じようなどと誰が思うのか。

 

 「■■■■!!」

 

 ワイバーンは吠える。と、同時に次なる炎弾をスルーズに向けて撃ち込んできた。その弾速たるや、もはやのろいと言えるはずもなく、音速を超える速度を持って飛来する。

 

 「(これは、不味い)」

 

 このままではわけも分からない状態で召喚されて、わけも分からないところで、わけの分からないまま殺される。こんな理不尽があってたまるか。せめて何か意味を見出さなければ納得できない。

 

 「オルトリンデ……ヒルド………ブリュンヒルデ、お姉様ッ!」

 

 スルーズは叫んだ。最期に、最愛の妹達と、最愛の姉の名を精一杯。それが情けないというならば笑うがいい。その行為を惨めだと思うなら見下せばいい。それでもスルーズは叫ばずにはいられなかった。人形と揶揄されてきた存在が、ヒトと同じような行動を取ってしまったことは、不思議と嫌ではなかった。これが足掻こうとする意思なのかとすら思えた。

 そしてその声に応えるものが―――いた。

 

 「貴殿の叫び、不肖ながらもこの当方(・・・・・)が承った」

 

 決して届くはずがないスルーズの声。それでもその悲鳴を耳にした存在。

 彼女の声に招かれた存在が、音速を超えていた筈の炎弾の前に、スルーズを庇う形で現れた。

 

 「あ……あ、なた……は」

 

 スルーズは空いた口が閉まらなかった。それほど、その存在が衝撃的過ぎたのだ。

 全体的に黒く纏まった隠密仕様と思われる鎧。

 腰部に八本ほど装着されている鋭き短剣。

 腰部に持つ武装は魔剣カテゴリ中最強に位置する、赤き竜殺しの魔剣/太陽剣。

 そして顔を覆い隠す鬼とも竜とも取れる異形の面。

 正体不明の暗殺者といった風貌の男は、高純度で編まれていたはずの炎弾を容易く切り裂いた。当然だ、あの男は、神々の魔術のみならず、神々の複合盾すらも一撃で壊した大英雄。如何な竜種といえども、もはや格が違う。

 

 「上空、敵確認。高度測定、原初のルーン起動。飛翔のルーン、発動」

 

 制空権を取るワイバーンを把握した瞬間、男は神代の魔術を即座に起動した。原初のルーン……現代には残らず、秘法にして秘宝の魔術。大神オーディンが解き明かしたこの世の理。そしてあの男は、戦乙女(ワルキューレ)最高傑作のブリュンヒルデが持つ原初のルーンの技術を全てモノにした怪物。飛翔のルーンも当然、持ち合わせているだろう。

 

 「種族:竜種。タイプ:ワイバーン。全敵数:一体。これより駆除を開始する」

 

 男は脚に魔力を溜め込み、爆発的な破裂音と共に空を駆けた。その速度は先ほどの炎弾とは比べられないほど早い。

 

 「悪く思うな」

 

 男の速さにまるで反応できていないワイバーンは紅い剣により首を両断された。強靭な鱗まるで役に立たず、木偶を斬るより簡単だと言わんばかりのあまりにも呆気ない決着。肉体と首が分かれたワイバーンはそのまま森へと失墜していった。おそらくあの死骸は森の養分、もしくは他の魔獣たちの血肉となるだろう。

 一戦を秒殺という形で幕を下ろした男は、多くの血に濡れた剣を虚空に薙いだ。びしゃり、と歪な音を立ててその剣に付着した血液は振り払われる。

 そして男は振り返り、ゆっくりとスルーズの元まで歩み寄る。

 

 「貴殿の命、紡げたことを嬉しく思う。妹御、怪我はないか?」

 

 堅苦しい口調。仮面の奥からでも分かる、鋭き眼光。全てを見透かすが如き叡智の持ち主。

 ああ、知っている。知っているとも。スルーズは、この男をよく知っている。

 フラクランドの王たるシグムンドと、エイミリ王の娘ヒョルディースの子。

 力、頭脳、すべての技能と能力に於いて余人に余る無双の英雄として語られる兄弟達のなかで最も優れ、魔術のみならず魔法にも長けた者も含めた全ての人々が『彼こそ誰よりも優れた気高き王』と讃えられた男。

 大神の試練を経て王シグムンドが得た魔剣グラムを、自ら新生させた剣士。

 最高の神馬の裔たるグラニを永遠の友とする人間。

 フンディング王に連なる軍勢を打ち倒し、父王の仇討ちを成し遂げた歴戦の猛者。

 グニタヘイズの食欲たる輝きの悪竜現象(ファヴニール)を単身で斃した勇士。

 竜の心臓を口にして、無敵の力と神々の叡智を手に入れた窮極の人。

 地上に並ぶものなき存在。各地歴代のあらゆる王よりも誇り高く、誰よりも自分自身に厳しく、黄金を惜しまず、敵に後ろを見せるものを潔しとせず、颯爽と立ち続ける者。

 

 「シグルド………ッ!」

 

 スルーズは親の仇を見るように、唇を噛み締めるように、唸った。

 命の恩人である以前に、この男を認められないとスルーズは改めて理解する。

 非合理的にも程があるが、思ってしまうことは仕方がない。

 なにせ、この男は我が最愛の姉へと手を伸ばした憎き男(・・・・・・)なのだから。

 




 今作は主にFate/prototype 蒼銀のフラグメンツおよび蒼銀特典小説に登場したシグルドを見本にしています。
 ただ蒼銀で出てきたものの詳しい描写のない神馬グラニ、レギンの兜、無敵の力等々の描写は不確かなので控えています。もしFGOで出てきたらどんな設定になるのか想像もつかない……。
 もう一年前になりましたが、ゲッテルでシグルドが出てきた時の感動たるや数年分の待ち焦がれた歓喜一色。この思い、まさしく愛だ!

 粗さが否めない文章力ではありますが、読んで頂ければ幸いです。
 ご指摘やご感想等がありましたら是非!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第02戦:招かれた理由

 戦乙女(ワルキューレ)は強靭な勇士を好む。強き武を持つ英雄を好む。志が高い人間を好む。そういう風に設定されている。ヴァルハラへと導く為に、その条件を満たした常人を超えるヒトに惹かれるように効率よく作られている。

 だが、その設定にも例外がある。心の底から、相容れない。もしくは、許さない。

 そう強く思った者には例え勇士だろうがなんだろうが拒絶的な反応を起こす。無論、元々ヒトとしての感情が表へと出ない戦乙女(ワルキューレ)にとってそのような存在はそうそう現れないイレギュラーだ。私情を挟むほどの相手など、いようはずもない。そう、いるはずもないのだが――――。

 

 「シグルド………ッ!」

 

 その数少ない、本来であれば有り得ないはずのイレギュラーがスルーズの目の前にいた。

 この男、シグルドこそ、戦乙女(ワルキューレ)全員の総意からなる拒絶対象。許されざる者に属するのだから。

 

 「立てるか、妹御」

 

 そうとも知らずに男は図々しく手を差し伸べる。

 尻餅をついたまま立ち上がろうとしないスルーズを見ての行いなのだろう。

 

 「(私が腰を抜かしたとでも思っているのですか……!)」

 

 ああ、なんて礼儀正しく、紳士然としている男だ。その貌と圧倒的な強さを前にしたら、多くの女が彼に寄り添うが如くその手を取るだろう。その中に最愛の姉ブリュンヒルデも含まれていると思うとそれだけでも腹立たしい。

 

 「……結構です」

 

 スルーズはその手を無視して自分で立ち上がる。助けてもらった礼も言わず、差し伸べた手も振るいのける。まったくもって彼女らしくない。彼女らしくない行動だが、この男の存在がスルーズをそうさせるのだ。

 

 「なぜ、貴方がここにいるのです。いえ、ここが何処で、なんの為に私達サーヴァントが召喚されたのか……まさか、知っているのですか」

 「貴殿の問いは、後ほど。今はこの場を去ることを優先する。先ほどのワイバーンを皮切りに、この場所に多量のワイバーンが迫っている。仲間の血の匂いに誘われたと思われる」

 「貴方は竜殺し(ドラゴンスレイヤー)でしょう。多量のワイバーンであろうと物の数ではないはず」

 

 多少の嫌味を含んだ言い回しをするスルーズだが、それにシグルドは冷静に応えた。

 

 「本来であれば、な。当方も貴殿と同じく、マスターを持たぬサーヴァント。後々のことを考えればこそ、長期戦は可能な限り避けることを推奨しているに過ぎない」

 「なッ……」

 

 ではあのワイバーンを屠った戦闘は、自分と同じ条件下で行われたというのか。

 バカな、如何にシグルドほどの大英雄とはいえ、魔力供給も、ましてやマスターの存在もなくあれだけのスペックを引き出せるなど容易なはずがない。それとも、総合スペックの自力が自分程度では比べるまでもなく、まるで違うとでもいうのか。

 

 「話は後と言った。動けぬのなら、担ぐことも念頭に入れるが、如何か?」

 「じょ、冗談じゃありません! 走ることくらいできます!」

 「ならば好し。この先に当方の拠点がある。そこまで一時撤退を行う。行くぞ」

 

 シグルドは方針を決めたならば行動に移すまでのラグが無いに等しい。キビキビした言動相応に、動きにもどん臭さというものがない。スルーズがついてこれる範囲で出せる最速のスピードで彼は駆ける。進軍が神速に例えられる彼は、撤退すらも脱兎に負けぬ素早さがあった。

 

 駆ける。

 駆ける。

 駆ける。

 

 大木から草木から、まるでそこに障害物など元から無いとすら思わせる動きでシグルドはこの森林を駆け抜ける。その動きは鮮麗されており、人生経験から裏打ちされた武人としての基礎能力の高さを表している。

 対してスルーズは彼に突き放されないように喰らいつくのがやっとだ。無駄な動きをしながら走破しているのは理解している。常に浮いている存在だとしても、最低限の運動機能は備わっている。ただ、それだけなのだ。シグルドのように訓練された戦士でもなければ、こういった場所での走行に対しても経験がないスルーズにとって、シグルドと同じ動きをしろというのが土台無理な話。それでもついていけているのはスルーズの力によるものではなく、スルーズがついていける程度にシグルドがスピードの加減してくれているからに他ならない。

 

 「(カンに触る気遣いを……!)」

 

 彼の優しさはかえってスルーズにとっては屈辱だった。そこまで加減させている己と彼の性能差がありありと理解させられるからだ。

 分かってはいたが、あの大英雄と比べて自分はどこまでも劣っている。この短い時間だけでも分かってしまう。それが何よりも悔しくて仕方が無かった。

 

 「息が上がっているが、大丈夫か。ペースダウンを求むのならば」

 「しなくて良いです! 余計なお世話を焼かないでください!」

 

 絶対にこの男の手だけは借りるものか。心を許してなるものか。

 スルーズはこれまで感じたことのない熱で思考を沸騰させる。

 

 「ならば、良い。はぐれるなよ妹御」

 「貴方に義妹と言われる筋合いはありません……!」

 

 スルーズの怒鳴り声に、シグルドはふっと笑った。いや、素顔こそマスクで分かりはしないが、絶対に今笑ったに違いない。どこまでこの誇り高き戦乙女(ワルキューレ)を笑えば気が済むのか。

 

 「む―――」

 

 シグルドは進んでいる先、前方に何か待ち構えていることに気づいた。あれは、キメラか。まさかワイバーンだけではなく、キメラまで蠢いていようとは。スルーズは改めて自分が召喚された場所が特異な世界であると再認識させられる。しかもあの巨体、10m級はあるか。

 

 「このまま進めば対敵しますよ!?」

 「肯定する」

 「道を変えるべきでは!? 著しく機能が低下した今の私達では―――」

 「問題ない。むしろ、都合が良いと言うべきか」

 

 そうシグルドは言うや否や、腰に装備していた二本の短刀を手に取った。

 

 「アレも神秘を多く内包した魔獣モドキ。キメラの肉を食せば魔力に還元される。故に、ここで魔力源を確保することを推奨。これより実行する」

 

 彼は一気に加速する。先ほどまでの前線の離脱に掛けた速度とは比べ物にならない爆発的な速度。あまりの速度に仮面の瞳から溢れる蒼色の眼光は線を描き、軌道の軌跡を残していく。

 

 「■■■!」

 

 それでもキメラとて愚鈍な魔獣ではない。鼻だって獣より数倍効く。すぐに自分に接近してくる対象を探知する。しかし、探知したからといって、対応できなければ意味は無い。

 シグルドはグラムでもない短剣で素早くキメラの喉を掻き切った。鮮血が宙を舞うが、それでもキメラは止まらない。腐っても魔獣、そこらの獣より生命力は極めて高い。

 

 「悪く思うな」

 

 だが、それだけだ。その類い稀な魔獣としての生命力も、シグルドは狩り尽くす。彼は目にも止まらぬ短剣二刀の斬撃により瞬く間にキメラを解体していく。

 その力はサーヴァント屈指の筋力を有し、技量に関しても北欧最強を誇る大英雄ならば、たかが魔獣如きでは手間取るはずがない。しかし、そうだとしても、スルーズは納得できないことがあった。

 

 「処理、完了」

 

 シグルドは綺麗にキメラを解体した。もはや戦った、ではない。一方的に狩った、である。

 キメラは結局何一つ抗うこともできずに為されるがままに肉の塊と化した。狩猟ついでに下処理すらも済まされてしまったキメラには同情の念を抱かずにはいられない。

 彼は原初のルーンを生肉に刻み込む。するとあれだけ大量にあった肉は徐々に縮小し、手のひらサイズにまで小さくなった。これで持ち運びやすくなったとシグルドはのたまう。

 なるほど、マイナーな原初のルーンの術式でさえ習得しているというわけか。流石、ブリュンヒルデのルーン全てを吸収しただけはある。もはや何でもありすぎて驚くのもバカらしい。

 それにしても、この魔術行使に先ほどまでの動き。やはり確認しなければ気が済まない。スルーズは鋭い視線をもってシグルドを睨んだ。虚言は許さない。全て見抜くと言わんばかりに。

 そして問うた。

 

 「………貴方は、本当にマスターがいないのですか?」

 

 全てにおいて、とてもマスターがいない状態による戦闘とは思えない。更に魔術の行使までできるときた。シグルドがスルーズと同じはぐれサーヴァントで、か細い魔力を大地から借り受けている身ならば、いったい何処からそれだけの魔力供給が為されているというのか。

 

 「無論、マスターはいない」

 

 最初と変わらない返答。しかし、その言葉の先には続きがあった。

 

 「貴殿の質問の真意。概ね理解した。サーヴァントという仮初の肉体。本来であれば、マスターの魔力供給がなければ真価を発揮することは困難。では何故、当方が淀みなく魔力を得ているのか……それは」

 

 シグルドは己の心臓に手を当てて、種を明かした。

 

 「当方が自ら魔力を生み出しているに他ならない」

 「―――は?」

 

 スルーズは驚かまいと誓った矢先、心の底から、驚愕した。

 あまりにも出鱈目な発言に、声を喪うほど。

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 場所は移り、今現在、スルーズはシグルドの隠れ家にいた。所謂洞窟の中である。

 この広大な森には天然自然で構成された、断崖絶壁の岩壁も存在した。そこに目をつけたシグルドは自らの拳でその岩壁の一部を砕き、掘り進め、道を開き、洞窟を形成していった。

 故にこの洞窟は自然にできていたものを拠点としたわけではなく、一人の英雄が一から作った人工の洞窟。そしてここから半径100m先には原初のルーンによる探知結界を隠蔽して設置しており、洞窟の入り口も身隠れのルーンで隠している。

 おまけに魔力が堪りやすい霊脈の上にいる為、魔力回復も外と比べて早い。まさしく理想の陣地と言える。これもキャスター適正すら持つとされる最優のセイバーだからこそ為せる業なのかもしれない。認めたくは無いが。

 洞窟の最深部。シグルドは掘り進めた長き通路を越えた先にある内部の直径4~6mほどの空間はある一室で、スルーズとシグルドは体を休め、各々の情報を提示し合っていた。というより、一方的にスルーズが問い、シグルドが応える流れとなっている。それもそのはず、スルーズは殆ど情報を持ち合わせいない、数分前に召喚されたばかりのサーヴァント。対してシグルドは長らく召喚されて月日が経過しているというのだから、まず情報量の差が圧倒的だ。それを差し引いても、スルーズは聞くべきことが山ほどある。

 

 「悪竜現象(ファヴニール)の……心臓」

 「然り。当方は生前、自らの肉体に改造を施した。それが、竜種改造。竜と同じ肉体を構成し、竜と同じく魔力を生成する者」

 「マスター不在であっても活動できる……サーヴァントとして現界しているのに、魔力そのものを自ら生み出す。そんなことが……いえ、実際にそれを為している以上、認めるしかないのでしょう」

 

 この男はサーヴァントという存在の定義すらも揺るがしかねないことをしている。勿論、サーヴァントの中には燃費の良い英霊もいるだろう。単独行動をもつアーチャーなどが良い例だ。

 しかしこの男はもはや燃費がいいとか、そういった次元を超えてしまっている。

 

 「ですが竜を狩る者が竜と同じ怪物とは、皮肉なものですね」

 

 シグルドのやっていることは同属殺しにも等しい。竜の因子を取り込み、竜と同じ心臓を手に入れ、竜を狩る。手段を選ばず、目的を為す為に力を得た欲深さは見るに耐えない。

 

 「肯定する」

 

 そんな事実を彼は背けることなく受け入れた。まるで淀みが無い返事。あまりにも面白くない。

 

 「当方は悪竜現象(ファヴニール)となる資格を有するのだろう。この力も過信すれば、奴の二の舞になりかねん。コレはそういう力だ」

 「……ふん。貴方の魔力の事情は理解できました。しかし解せない。それならば、今の貴方は先ほどのワイバーンの大群も滅殺できたのでは?」

 「そこまで万能ではない。マスターがいなければ、力を出し切れないのも事実。それは竜の心臓も例外ではなく、あくまで最低限の力は発揮できるだけにすぎない。魔力とて、はぐれの身の上では一度尽きれば回復するまでにソレ相応の時が要る。仮にあの軍勢を滅ぼしたとしても、その際、イレギュラーが起これば事態は一変する」

 

 そう、例えばワイバーンの群れを処理した後にドラゴンの群れが出てくれば、如何にシグルドと言えども万全ではない状態で対峙するにはリスクが高すぎる。目の前の問題だけ対処できたとしても、その次、その次の最悪の状況を想定するならば、あの場は逃走の一手に限っていた。

 それにシグルドは本人の前では決して言わないが、なにより、あの場にスルーズがいた。一人ならともかく、人一人を護りながら戦わねばらないリスクがあるのならば尚のこと、無意味な戦闘は避けるべきだと判断したまでのこと。

 

 「……分かりました。もう十分、貴方の能力は聞くことはできました。これ以上、際限なく聴取することは不躾と云われかねない」

 「貴殿なれば、当方は如何様なことであろうと聞かれれば答える。そこに後ろめたさを覚えることは不要」

 「甘いのですね。私がブリュンヒルデお姉様の姉妹機であるからですか?」

 「無論。如何な当方となれど、ここまで情報を開示したのは一重に貴殿が妹御ゆえ。信用に値しない、見知らずの他人であれば、誤魔化しもする」

 「前から思っていましたが、貴方に妹御呼ばわりされる筋合いはありません。訂正を求めます」

 「ではなんと呼べばいい」

 「……スルーズです。私の真名は、スルーズ。誇り高き戦乙女(ワルキューレ)が一体。貴方が先ほどまで己の情報を口にしたことを考慮して、私も、信用の証として真名を明かします」

 

 あくまで信頼ではなく、信用。手を組むだけの間柄。決して親しみを持っているわけではないと念押しして、彼女は己の真名を明かした。

 

 「スルーズ……ふむ、なるほど。ブリュンヒルデの妹御、戦乙女(ワルキューレ)とは理解していたが、そうか。貴殿がスルーズだったか」

 

 シグルドは噛み砕くように彼女の名前を呟く。その様子は、何か思い当たる節があるかのようだ。

 

 「スルーズ……貴殿の名は生前のブリュンヒルデからよく聞いていた」

 「!?」

 

 思わぬ言葉にスルーズは息を詰まらせる。

 

 「ブリュンヒルデお姉様が、私のことを!?」

 「ああ。しっかり者で、妹達を引っ張ることのできる、天性の長女肌だったと。それでいて誰よりもブリュンヒルデに甘え、泣くことも少なくは―――」

 「いえ、もういいです! 恥ずかしいので止めてください!!」

 

 スルーズは今までにない大声でシグルドの言葉を静止した。幼少期の頃を語れることほど恥ずかしいというものではない。まさかブリュンヒルデが身の上話をしていたとは。

 

 「はぁ……はぁ………話を変えます」

 「了解した」

 

 この件はあまり触れない方がいいだろう。朴念仁であるシグルドでも理解できた。

 スルーズは息を整え直し、改めて仮面に覆われたシグルドの面を向かって言葉を発する。

 

 「―――今からが重要なことです。大変遅くなりましたが……いったい此処は何処なのです」

 

 そう、先ほどまでの質問はあくまでスルーズがシグルドに抱いていた疑問。そして今からは、この世界に対する疑問だ。なによりスルーズには確信があった。シグルドならば何かを知っているだろうということを。シグルドが有する魔道具『神々の叡智』は、あらゆる事象の本質を曝け出すのだから。

 シグルドはスルーズの本題に、ほんの一瞬動きを止めた。あまりにも彼らしくない、迷いに近い反応。ソレを見たスルーズは、恐らくこれから彼の口から言われることは、きっと自分にとっても大きな意味を持つと分かってしまった。

 

 「ことの顛末に関わる本題となれば、いつまでも叡智を被り続けているわけにはいかんか」

 

 彼はそういってマスクに手を当てた。

 すると―――ガシャンッ、ガシャンッッ、ガシャンッ、プシュゥゥゥゥゥッッッ!!

 まるで聞いたことのない音を立てて鬼の如き仮面が変形していく。眼球を覆う透明の硝子が現れ、細くしなやか、それでいて強靭なフレームが形成されていく。そして仮面は最終的によりコンパクトになり、現世でいう、「眼鏡」と呼ばれる道具に変わった。

 今まで仮面によって素顔が隠されていたシグルド。その仮面は眼鏡となり、シグルドの整った顔がスルーズの目に映る。しかし、ようやくお披露目となったシグルドの素顔だが、それよりも気になりすぎるのが先ほどの変形機構。ぶっちゃけインパクトの全てをそちらに持っていかれた。

 

 「(えぇ………)」

 

 スルーズは呆気に取られた。いや取られるだろ。なんなんだソレは。てっきりスルーズはあの仮面こそ無敵の加護がついているとされるエギルの兜なる宝具とばかり思っていたのに、実は神々の叡智そのものだったとかなんの冗談だ。しかしシグルド本人はふざけている様子も無く、いままで通り、真剣な雰囲気を出している。ああ、この男はこういう性格か。真面目な天然という、そういった部類の人間か。色々とペースを乱してくるスルーズの苦手なタイプである。

 

 「驚かせてしまったな。これは酔狂でつけているものではなく、実際は様々な機能がついているのだが、それはまた後ほど説明しよう」

 「(結構です)」

 

 喉まで出かかった言葉を反射的にこらえた自分を誰か褒めて欲しい。オルトリンデやヒルド辺りなら絶対に突っ込んでた。

 スルーズは気を取り直して、意識を眼鏡からシグルドの言葉に集中させる。先ほどの出来事は忘れようと誓ったが故の迅速な意識の切り替えだった。シグルドも全く気にしていないように、普通に説明に入った。

 

 「この世界は本来有り得ぬ世界線の一つ。魔術師が言うなれば特異点と呼ばれる世界だ」

 「特異点……世界の歪み……」

 

 スルーズが大神オーディンの元で戦乙女(ワルキューレ)として機能していた頃のことだ。ヴァルハラの魔導書庫でその情報を得たことがある。あまり起こりえないイレギュラー中のイレギュラーとのことだが、一度大きな特異点が生まれれば呼び水の如く連鎖的に発生することもあるという世界の歪み。その大半が歴史に大きな影響を及ぼすことなく、泡のように消える些事であると言われるが、ごく一部のものによっては、文字通り人類史の滅亡となる人理の危機となる。

 

 「詳しい年代は不明。だが、この世界の大きな分岐点は既に把握している」

 「そこまで分かるのですか? その神々の叡智は」

 「否定する。分岐点を把握したのは神々の叡智の力ではなく、分岐点と確定できる存在と遭遇しているからに他ならない」

 

 シグルドはスルーズと異なり三ヶ月もの前からこの世界に一足先に召喚されていた。そこでスルーズと同じように「なぜ自分が召喚されたのか」という理由を探し求めていた。その過程でシグルドは出会った。

 

 「スルーズ。貴殿と当方。互いに召喚されるに辺り、共通点があるとすれば何があると思う」

 「私と……貴方の共通点?」

 

 おかしなことを聞く。元よりシグルドとスルーズの間に共通点などない。性格も、戦闘力も、生物としての基礎も、種別もバラバラだ。合致するものなど無いに等しい。だが世界はシグルドとスルーズを召喚した。ならばそれに何かしらの意味を持つはず。なんだ? シグルドとスルーズが共通する要素とは……いったい、なんだ?

 ぞくりと、背筋を撫でる悪寒がした。

 いや、違う。性格でも無い、戦闘力でも無い、出自でも無い。あるではないか、ひとつだけ。シグルドとスルーズが共通して持っているものが。

 

 「(えにし)……」

 

 最も尊敬している女性の顔がスルーズの脳裏をよぎる。最悪のシナリオが嫌でも想像できてしまう。あらゆる理論(言い訳)を駆使して脳内で必死にその可能性を除外しようとするスルーズだが、それをシグルドの言葉は許さなかった。

 彼は言う。見てきたものを。得てきた情報を。そして現実を。決して慰めの言葉など彼は言わない。どんな現実であろうとも虚偽では飾らない。

 

 「当方は既に一度、その存在と出会った。我ら二騎が召喚された理由そのものと」

 

 シグルドは語る。この世界の王を。

 

 「アレは外的要因にて神たる権能を取り戻した本来の在り様。星の一欠けら」

 

 もし、彼女が何らかの要因により辿るべき運命を辿らなければ。

 もし、彼女が何らかの原因により運命の男と出会わなければ。

 もし、彼女が何らかの問題によりラグナロクを超えて生き残っていたならば。

 

 「名を神霊ブリュンヒルデ。今はこの世界に残る、唯一無二の神の柱だ」

 

 スルーズは理解した。これから自分の槍は誰に向けられるべきなのか。そして、誰に槍を向けられるのかを。

 

 

 




 シグルドの眼鏡は神々の叡智、もしくは叡智の結晶と呼ばれる魔道具。
 まだシグルドのビジュアルが判明する前は眼球を覆う硝子の結晶と描写されていました。

 シグルド及びブリュンヒルデの絵師である三輪士郎氏から「実はシグルドの第一再臨のマスク、叡智の結晶が変形したものです(意訳」と言われた時の衝撃たるや。

 またイラストつきで説明されたその仕組み、あまりのSF機構っぷりにわいドン引き。北欧神話脅威のオーパーツである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第03戦:神霊ブリュンヒルデ

 スルーズが召喚された魔の森林。その遥か南方に只管進めば、一つの高山が聳え立っていた。氷食尖峰 (ひょうしょくせんぽう)と呼ばれる特殊な形状をした、山頂部が鋭く尖ったピラミッド型の岩峰。本来であれば氷河により谷が削られてできた圏谷が、複数方向から山を削ってできるものなのだが、あの高山は違う。たった一人……否、一柱が一瞬にして形成した氷食尖峰型の『城』である。

 その周辺は雲を超え、成層圏すらも届きうる神々しい火柱で360°全方位を囲むようにして護られており、神獣であろうとも無断で立ち入ることは叶わず。そして《彼女》の許しを得た存在のみが滞在を許される神の不可侵領域。

 

 「―――また、私の世界に招かれざる客が訪れたのですね」

 

 山頂部に堂々と建設されし氷の古城。その最奥、城内にて煌びやかな王座に座す存在が無表情でその事実を告げた。

 ソレは女の形をしていた。ソレは人の形をしていた。されども、その存在は人間にカテゴリされるものに非ず。自然の擬人化。星の一部である神と呼ばれた一柱。

 髪は雪より白く。貌は人形よりも無機質なほど整っており、もはや現実味すら感じぬ造形美。細部にあしらわれた魔銀(ミスリル)の鎧はこの世のものでは存在し得ない神秘を纏っていた。

 神霊ブリュンヒルデ。

 女神の神核を有する女。半神でありながら生粋の女神と同じ純度を誇る神霊。正しき歴史であればその神核は大神オーディンに封じられ、開くことはないとされていた権能の権化。ソレが今、正しく神核を稼動させ、異例にも神としての側面を発露させている。

 

 「最初に現れたのはあの男、シグルドなる者。あの男と同類……サーヴァントと呼ばれるものか」

 

 神霊ブリュンヒルデが目を閉じ、思い返す。この不可侵と思われた城に堂々と単騎で挑んできた勇者。万全でもないだろうに、この城の最奥まで辿り着いた男。あの英雄は、度し難いほどの器ではあった。この身を自らが知るブリュンヒルデではないと分かった上で、語りかけてきた。それを一蹴しても、あの男は最後まで剣をブリュンヒルデに向けなかった。それを評価してブリュンヒルデも一度は彼をこの城から去る過程を見逃した。一度も交戦することなく、ただ互いに存在を確認し合い、今は戦うべきではないと言い放ったシグルドを背後から消しかけることなく、見送りさえした。敵ながら肝の据わった者だと呆れたが故の気まぐれだ。

 だが、二度目はない。今度出会えば、シグルドを消滅させる。これは決定事項だ。敵と分かれば、残る手段は殺すのみなのだから。そしてそれはシグルドも同じであろう。和解が成立しないのであれば、二度目の訪問はまさしく襲撃。シグルドもソレ相応の覚悟と準備を経てブリュンヒルデの命を取りに来る。

 

 「来訪者は英雄シグルドと共に行動している。であれば、是非もありません。この世界を脅かす脅威は粉砕します。悪しき文明の徒は、悉く破壊せねばならない」

 

 ブリュンヒルデはこれまでに多くのオーディンの命令に従ってきた。正しく稼動し、正しくその役割を全うしてきた。その姿はまさしく戦乙女(ワルキューレ)の模範足りえた。誰しもが彼女の完璧を認めた。されども、結局は、人の意思を持つ兵器。真なる完璧など元より無かった。

 一度だけ。生涯に一度だけ、オーディンの使命に逆らい、自分の判断で決定を下したことがある。その生涯最初にして最後の指示を破ったが故に、オーディンに力を封じられ、焔の館に封印された。

 それで、終わりだ。本来焔の館に至るべき勇者はこの世界では生まれず。あるべき歴史から外れた神話に取り残されたブリュンヒルデは眠り続けた。

 そして時は来た。あの終焉を。ラグナロクを。

 炎の巨人王の出現で神も、巨人も、なにもかも、全てが消え去った。それでもブリュンヒルデが生き残れたのは大神オーディンが焔の館に刻んでいた原初のルーンの加護ゆえ。鉄壁の封印は、なんの皮肉かあらゆる焔を断絶するシェルターの役割を果たしたのだ。

 北欧世界は消滅し、ブリュンヒルデもまた、そのまま起きることなく化石となる運命だった。

 しかし、奇蹟は起きた。廃れるだけの眠り姫の下に、次元の(ヒズミ)が降ったのだ。

 ここではない世界線にて、人理が焼却され、不安定となり、それはあらゆる世界に外部的な問題を齎していた。ブリュンヒルデの目覚めもまた、その歪みによるものに他ならない。

 ブリュンヒルデが目覚めるだけならまだいい。力を封じられたブリュンヒルデであれば、まだ戦乙女(ワルキューレ)の範疇に留まっている。しかしブリュンヒルデは目覚めると同時に己に架せられた封印も開封してしまった。何故ならば、それだけ次元に緩みが生じていたからだ。正しく人理が機能していたならば、ここまでの封印解除は許されなかった。しかし、特異点なりうる世界の歪みはそれすらも認可してしまう。

 ヴァルハラへと送る装置だったブリュンヒルデ。その送り先であるヴァルハラも今や消失した。ヒトの魂を届ける先がない。神代の終焉(ラグナロク)を終えた巨人王スルトも運命に則り、あの一閃を放った後に鎮火された。目覚めたはいいが、その先はまるで存在意義の困窮。倒すべき存在も、指示を送る存在もいない。ただ一柱だけ生き残ってしまった。

 先が無いのであれば、ブリュンヒルデはどうするべきか。そして彼女は永い時を経て独自のプログラムがその答えを導き出した。神霊としての答えを出してしまった。

 

 「(私は私の為すべきことを為しているに過ぎない。それでも我が行いを認められぬというのですね。英雄シグルド)」

 

 神霊ブリュンヒルデはシグルドの存在を知らない。そもそもあの一度目の邂逅以外、遭ったことなどない。運命の男と遭わないまま封印されていたものが神霊ブリュンヒルデなのだから、交わる接点など始めからないのだ。

 故に、ブリュンヒルデはシグルドを前にしても動じはしない。揺るぎもしない。このブリュンヒルデは第三者の介入程度でそのあり方を曲げることなどない。

 

 「ヒトは、脆い。ヒトは、弱い。この世界で勇士は生まれず。なればこそ、有限資源なるヒトは神の手で管理せねばならない」

 

 勇敢なる勇士はこの世から姿を消した。それでもその勇士を生み出せる母体は存在する。その者達を護り、育て、配合(・・・・)し、生誕させる。この氷食尖峰で。第二のヴァルハラとして。

 彼女は決めたのだ。神も巨人も存在しえぬこの地で生き残った種族人間を強く長く存続させるのだと。その為には超越種による管理が必要なのだと。

 故に神霊ブリュンヒルデは号令を下す。いつものように。

 

 「私の愛しの戦乙女(ワルキューレ)よ。ヒトを回収しなさい。この地上に残るヒトを。無論、質の高い勇士を生み出す優秀なつがいを選別し優先するのです」

 

 それが例え夫婦の片方だけが勇士を生み出すに優秀であれば、これを引き裂き、別のつがいに宛がう。それが例え、ヒトが拒否しようとも、強制するのみ。全ては優秀な勇士を生み出す為に必要な過程だ。この行いを妨げるものは何人(なんぴと)も許されない。

 氷食尖峰に待機していた戦乙女(ワルキューレ)達は指令伝達を受け一斉に行動を開始する。その全ては大神オーディンが創った元来の戦乙女(ワルキューレ)ではなく、ブリュンヒルデが創りし精巧な兵士。それ故に独自のネットワークを持つ、新世代の乙女達。彼らの力はオリジナルの戦乙女(ワルキューレ)にこそ劣るものの、数は多い。生身の人間が対抗できる存在ではないのは明らかだ。事実、これまでこの世界の人間達は為すすべもなく、回収され続けてきた。対抗できるとすれば、今や一つしかない。

 

 「追記命令。サーヴァントなるものが妨害してきたその時は―――殺しなさい」

 『『『『『お姉様の御心のままに』』』』』

 

 飛び立つは美しき美貌を持つ天使の如き女たち。されどもその役割は人の温かさを持ち得ぬ機械が如き人形。右手に持つは黄金の槍。左手に持つは円状の盾。人如きを相手にするには過剰戦力と言わざるを得ない装備。

 これまで通り、彼女達は一方的にヒトを攫うだろう。回収するのだろう。

 しかし、彼女達もじき知ることになる。その魔術師であろうとも蹂躙できる破格の装備は、過去一人の男が容易に粉砕してきたことを。あの膂力、あの技術、あの魔剣を前にすればまるで意味を成さなかったことを。サーヴァントなるものの妨害が、如何に理不尽じみた脅威であることを彼女達はその身をもって知るのだ。英雄という存在を。




 ネロ祭では権能等も持っているが封印されているとのことことで、それらを開封し、更に女神の神核も本格稼働して程よくラスボス風味にした神霊ブリュンヒルデ。

 神霊ブリュンヒルデの行動理念は「より長く人類を反映させること」

 なお能力値が高く、適正の良いものを勝手に選び強制的に結ばせる究極のお節介機構。人間の意思を無視するのは神の特権と思ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第04戦:生前の思い出/記録

 神代の終焉(ラグナロク)を超えた先に構成された神霊ブリュンヒルデ。

 人間の収集。配合。そして新たなる勇士生成。人類の長期の継続管理。

 神代の地続き。更なるヴァルハラ。

 人理の不安定から生まれた奇蹟と捩れ。

 シグルドから大まかな説明を受けたスルーズは放心状態に近かった。人理がこうも緩み、歪みを生じていることに危機を感じる前に、愛する姉に槍を向ければならない、今の立場が耐えられないほど苦痛でしかなかった。

 

 「貴方は、どうするつもりなのですか」

 

 スルーズは問う。竜殺しの大英雄。ブリュンヒルデの運命。切り裂かれた想い人。貴方は暴走したブリュンヒルデを相手に何を為す? どのような帰結を望む。

 仮面は外され、その整った顔は正しく不動。スルーズの問いに一切の動揺が見られず。その何十にも重なる螺旋の瞳はまっすぐとスルーズを射貫いていた。問うた側が逆に試されているような感覚に襲われる。

 

 「無論、ブリュンヒルデを止める」

 「それはお姉様を破壊することになっても?」

 「当然だ」

 

 静まり返る洞窟内。原初のルーンで刻まれた灯りは煌々とシグルドの貌を照らすが、まるで迷いの相が見えない。

 恐ろしい。恐れを知らないとされる戦乙女(ワルキューレ)がこの男を恐ろしいと感じた。きっとまだスルーズの方が人間味があるのだろう。まだ感情というものが垣間見えるに違いない。

 だが、この男は違う。まるで心が凍てついた氷でできているかのような、そんな冷徹さを感じずにはいられない。

 

 「この世界は北欧世界の名残がある。同種の神代ではあるものの、我らの知る神代とは異なりがある。恐らく神代の終焉(ラグナロク)を超えた後に神霊ブリュンヒルデが創生した世界。それはつまり、神代という名の世界そのもの」

 

 シグルドは淡々と現状を語る。そこに温もりなどあろうはずもなかった。

 

 「この世界が極少の特異点なれば、何もせず放置してもただ泡が弾けるように消滅するのみだが……この規模となると拡大し続ける。そうなれば人類史にどのような悪影響があるか、理解できぬ貴殿でもあるまい」

 

 今はまだ特異点の範疇にある。しかしこのままでは、正真正銘、汎人類史にとって変わる歪みになりかねない。それは一つの地球に二つの世界が同列に並ぶということ。そうなれば元ある世界は押し潰され、新しき世界が基準となる。今生きる人理が崩壊する。不幸中の幸いか、まだこの世界が創生されて間もない。後腐れなく正しい世界に戻すのならば、今しかないのだ。

 

 「そんなことは分かっています……!」

 

 何故この男はそんなにも冷静でいられる。論理的で話すことができる。人とは感情的な生き物の筈だ。情があり、愛があるはずだ。シグルドとブリュンヒルデの結末を知るスルーズは、彼が如何にブリュンヒルデを愛していたかを知っている。知っているが素直に認めることができなかった。しかし、今はどうだ。本当にこの男はブリュンヒルデを愛していたのかすら分からなくなってきた。

 

 「貴方は……どうして、そんなにも平然としていられるのですか?」

 

 分からない。どこまでも心に波を打ち立てない彼が、分からない。そんな思いが臨界点にまで達した時、スルーズはついに口にした。

 

 「相手はブリュンヒルデお姉様なんですよ? 貴方が愛した女性ではないのですか」

 「肯定する。ブリュンヒルデは我が人生において、最も大切な愛そのもの。それに偽りはない」

 「ならばなぜ、彼女に刃を向けられる!? そこまで落ち着いてられるのですか!!」

 

 スルーズとて理解している。アレが自分たちの知るブリュンヒルデではないことくらい。スルーズだって分かっている。特異点を消し去るには原因を廃さなければならないくらい。しかしそれでも納得しきれないのが人の情というものではないのか。それを分かった上で悩むのが人としての在り様ではないのか。

 スルーズの悲痛な言葉にシグルドは少しばかり目を見開いた。そして、小さく微笑んだ。

 

 「貴殿は正しく人の心を持っている。当方よりも、遥かに」

 

 それは羨むかのような声だった。

 

 「当方は元より感情を表に出すことを苦手とする無骨な男。このような場面であっても、シグルドとしての機能は感情の波なる動きを良しとしない。たとえ、愛する者と同一存在を討とうと決めた時であろうと、当方の表情には何一つとして映さないだろう」

 

 それはまるで戦乙女(ワルキューレ)よりも機械的な話だった。この男は、感情の発露を自ら許していないように言う。この男は、為すべきことを為す。ただそれだけに特化した英雄なのだ。

 

 「許せ、スルーズ。貴殿に不快な思いをさせたことを。そして貴殿の疑惑。当方がブリュンヒルデを討つことに何の憂いもないというものも―――否定しよう。我が霊基すら軋むこの痛みこそ証明。脳は理解し得ても、霊核は重く錆付く勢いだ」

 

 シグルドは己の拳を見つめる。あらゆる物理法則を捻じ曲げる膂力を持つその拳は、微かに。本当に僅かに震えていた。それは、本能からなる拒絶反応。彼の心は不動なれど、その肉体からは確かな苦痛が滲み出ていた。

 

 「もし、もしもブリュンヒルデお姉様が此方の言葉を受け入れ、力の行使を停止したら……」

 「あり得ないだろう。アレはもはや、言の葉で止まるほど柔くはない」

 「説得は試みたのですか」

 「無論。されども、あの目を見た。そして明確な断絶がそこにあった」

 あの神霊の目は、かつて知り得た女のそれではない。

 あの言葉の質は、かつて愛した女の鳴りを潜めていた。

 「神霊の在り方はこの世界の在り様だ。その行為を止めよと言うのであれば、息をするなとも同義。その存在意義の否定は神となったブリュンヒルデは決して認められない」

 

 神霊ブリュンヒルデはこの世界で人類の継続の柱となることを選んだ。

 止めたくば破壊せよ。それが彼女の返答。長くはない、短い返し。それ以上の言葉に意味はない。

 

 「故に、許せ。当方は……ブリュンヒルデを討つ」

 

 それがブリュンヒルデが望むシグルドという英雄。

 世界を救え。この場にいない彼女なら、そういうだろう。

 自分を救うのではなく、世界を、人を、子供らを救えと。

 

 「私は、貴方ほど冷酷にはなれない。そのような恐ろしい言葉を、口にすることができない」

 「それでいい。それが正しき認識なのだから」

 

 皮肉なものだ。

 人ではなく、神造の兵器である筈の戦乙女(ワルキューレ)があるはずもない感情を抑えきれず。

 兵器ではなく、生身の人である筈のシグルドがあるはずの感情を完全に制御化に置いている。

 これではどちらが兵器であるか分からない。

 

 「私は貴方をまだ認められません。それでも、ええ……その精神性を糾弾したことは訂正します。私は―――」

 「スルーズ。それ以上の言葉こそ、当方は必要としない。あの言動こそ、貴殿の想い。それに触れられたことを当方は嬉しく思う」

 

 シグルドは己の手をスルーズの頭の上まで持っていき、そのまま彼女の頭を優しく撫でた。それは父が出来のいい娘を褒めるように。その手は無骨でゴツゴツしてて、ブリュンヒルデの柔らかい手とは比べようも無いけれど……スルーズには、不思議とかつてのブリュンヒルデの面影を見た。

 だからこそ、その戦乙女(ワルキューレ)の頭を撫でるという本来不敬極まりない許されざる行為を容認してしまったのかもしれない。

 

 「大切な者の為に怒り、悲しみ、そして想う。その感情の発露に間違いなどあろうはずがない」

 

 優しい声色だった。あれほど責務と正義で形作られた男とは思えないほどの、声。

 

 「ブリュンヒルデは、本当に佳き姉妹に恵まれた」

 「…ぁ……」

 

 不意を打たれた。そう、スルーズは思った。

 今まで辛くて、痛くて、我慢していた感情にヒビを入れる、確実な一撃足りえる台詞。どんなに論理武装をしていようとも、容易く突破されてしまうだろう確かな言葉。

 遂に、スルーズの頬に一筋の涙が流れ落ちた。

 そこからの記憶は、スルーズはよく覚えていない。きっと、覚えなくてもいい、覚えるべきではない、そんな不要な情報(ソース)だったに違いない。間違っても、シグルドの胸に飛び込んで号泣しただなんて、有り得るはずがないのだから。絶対に。

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 「忘れてください」

 

 スルーズは洞窟部屋の端っこで体操座りをしたまま、まるで死んだ魚のような目をしてシグルドに釘を打った。その姿からは誇りある戦乙女(ワルキューレ)としての威厳が只管曇っていた。

 

 「忘れないのなら貴方を殺して私も死にます」

 

 念押しするように彼女は言う。これにはシグルドも内心苦笑しながら「承認した」と頷いた。幸いにもシグルドは口の堅い男だ。不必要なことは他言しないという面では信頼できる。

 スルーズは粉々に砕け散ったプライドを拾い集め、パンッ――と、自分の頬を両手で叩いた。人間で言うならば、気合を入れたというべきか。

 

 「持ち直したか」

 「はい。意識を阻害する靄は取り除かれました」

 

 その会話で先ほどまでのやり取りはスッパリ終わった。いつまでのウジウジとしていては戦乙女(ワルキューレ)の名折れ。なによりシグルドの前で情けない姿をいつまでも晒し続ける方がよっぽど不名誉だ。

 

 「了解した。それでは今から」

 「ええ、これからの方針を決めるのですね」

 

 神霊ブリュンヒルデは無策に相対して勝てる見込みなどない。それこそ今のマスター不在で不安定な状態ではとても勝機は見出せない。少しでも可能性を探り当てなければ。ブリュンヒルデをこのまま暴走状態で放置するのは見るに耐えない。それはシグルドとて同じ思いのはず。そう、スルーズは思っていた。それなのにこの男は……。

 

 「食事とする」

 「えぇ………」

 

 スルーズは理解できなかった。サーヴァントとは食事を必要としない存在。今更人間のように食事を取らなければ死なないわけでもあるまいに。それに今必要なことなのだろうかそれは。

 そんな疑念の目を向けるスルーズをよそにシグルドはごそごそと手作りであろう、木製の調理器具を取り出し始めた。料理する気満々である。というかそれはいつ創った。

 無駄としか思えないシグルドの動き。しかし彼の食事に対する行為には確かな理由があった。

 

 「スルーズ。当方はこの拠点に辿り着く前、キメラを狩った時に公言したはず。あの魔獣は、神秘に生きる幻想。我らの活動に必要な魔力源として作用する」

 「ならば生き血を啜ればいいではないですか。わざわざ調理をする手間など」

 

 スルーズの言う通りだ。本来、魔力を得るだけならばそのまま食した方が手っ取り早いし、効率的だ。それは合理的な過程を好むシグルドとて理解しているはず。しかし、そんな合理の鬼が敢えて非合理に走るには理由があった。

 

 「当方は貴殿に問う」

 「はい?」

 「ブリュンヒルデの手料理。我が愛が何を創って、何が得意だったか……知りたくはないのか」

 「頂きましょう」

 

 即落ちだった。

 そう、シグルドが何の為に料理をするのか。それは一重にスルーズの為であった。彼女が敬愛したブリュンヒルデが人界に落ちて何をしていたか。何が好きで、何が得意だったか。所在の情報だけならば、ヴァルハラでスルーズが戦乙女(ワルキューレ)をしていた頃にある程度摑めていただろうが、内情までは詳しくは知らないはずである。それにスルーズが人界に堕ちたブリュンヒルデの名残に触れる機会など無いに等しい。そこでシグルドは記憶を頼りに、ブリュンヒルデの手料理を再現しようというのだ。

 

 「忠告する。当方は無骨極まる男。ブリュンヒルデの調理、方法、理論は熟知していようと、味には違いが出る。妻のように巧くはいかん。許されよ」

 

 そんなシグルドの言葉など気にしないとばかりにスルーズは無言でコクコクと頷いた。凄い勢いで。

 スルーズにとって、ブリュンヒルデではなくシグルドが創る以上は再現度など些細なこと。重要なのはブリュンヒルデが何を作っていたか。それに尽きる。

 

 「お姉様は、人界でも幻想種を当たり前のように調理していたのですか」

 「肯定する。当方が幻想種を狩れば、それをブリュンヒルデがいつも調理していた。普通の獣も、幻想種も、肉にしてしまえば同じだと彼女が微笑んで言っていたのを記録している」

 「む。では貴方は獣を狩るばかりでお姉様の調理は手伝わなかったと?」

 「否定する。とはいえ、あまり調理には加勢させてもらえなかった。「この仕事は私の仕事。シグルドであっても譲れません」とな。精々、獲物を捌く程度は許可が下りたくらいだ。料理をして誰かに振舞うというのは、まさしく彼女の特権。当方も妻の任務を無理に奪うほど無粋ではない」

 

 生まれた頃から戦士の王たる運命を秘めた、大神オーディンの子孫。

 生まれた頃から最高の戦乙女(ワルキューレ)と定められていた、古の女神。

 ヒトならざる力を持つ男と、ヒトならざる力を持った女は、人里離れた森の奥地でヒトと同じ生活を営んでいた。まるで普通の人間のように。

 

 「貴方達は、破滅の運命を約束されていた。それでも、幸せに暮らしたと胸を張れるのですか」

 「無論だ。当方とブリュンヒルデが結ばれれば自動的に破滅の運命を辿ることは知っていたが、受け入れまいと決意していた。共に乗り越えるのだと息巻いていた」

 

 その結果、たとえ運命通り破滅したとしても、後悔だけはしないと決めていたのだ。

 

 「もし当方が運命を回避しようとブリュンヒルデを愛さず道具としていたならば。もし運命を回避しようと眠り続けるブリュンヒルデを放置していたならば。その選択こそ、当方は悔いるだろう。ブリュンヒルデと共に得たものを得られずに終える人生など、それこそ不幸せだと断じることができる」

 

 破滅したから不幸だったのではない。その終わりの過程で得られた金貨に勝る記憶こそ、幸せと言える宝だった。そしてそれは遥か遠き昔の話。それでもシグルドは鮮明に思い返すことができるとスルーズに語る。

 

 「この料理とてそうだ。これはブリュンヒルデとの記憶の証明。妻との縁。一生忘れることのない、幸ある形だ。その手順も全て、余すことなく我ら夫婦(めおと)が共有した記録に他ならない」

 

 鋭き短剣を駆使してキメラの肉を捌き、刻み、団子状に形成していくシグルド。戦士の王がなんたる主婦めいた手つきであろうか。見た目通り手先は器用。食べられる部位と食べられない部位など瞬時に見わけて捌き分けるその手腕は見事としかいえない。

 

 「ブリュンヒルデはありとあらゆる分野の料理を振舞えたが、特に肉料理を得意としていた。恐らく当方が肉料理を好むといったからであろう。その日から嬉々としてミートボールを創ってくれていた」

 「ミートボール?」

 「その名の通り、肉の団子だ。シンプルな工程だが、それ故に手間がなく、下処理の是非で味に直結する。狩りなどを行う際は持ち運びにも困らん」

 「ヒトとは不便ですね。食べなければ死ぬなど脆弱の極みです」

 「生まれながらにして生物として完成している存在にはそう思えるか」

 「ええ。だって、この地上の生物の争いとは得てして食の争い。生命を維持する為に他を殺し己のものとするもの。他の動物より多少は知性があろうとも、ヒトであってもこの原則は変わらない。これを不便と言わずにどう表現するのです」

 「肯定する―――が、食を取るというのはこの地球上で生まれるに辺り、必須項目となる。それを背負い、進むが故に生物は生きることに実直となる」

 

 シグルドは効率を好む。だが非効率を嫌うわけでも、否定するわけでもない。人界で過ごす以上は摂理を学ぶものだと考えている。

 

 「食を取る。その一つの道理を人は護り続けてきた。だからこそ、より巧く、美味く、その行為を意味あるものへと昇華してきたのも人だ」

 

 最初はどの人間も捌いて喰っていた。そして時代は経ち、人は火を使い、焼くことを覚えた。蒸すことも、熟成させることも。どれもこれも、どうせ食すならば楽しく、意味あるものにしたいという想念から為せるものだ。毒があろうとも、毒を取り除いて食べようとするのも人間だ。

 

 「未完成だからこそ生まれるものがある。不便だからこそ、改善しようという意思が生まれる。ヒトとは、そういうものだ。スルーズ」

 「………そういうものですか」

 

 スルーズとシグルドは互いの生き物としての違いに改めて再認識させられると同時に、この時間は意外と有意義なものだとも感じた。どちらがより欠落があるということではなく、どちらのあり方にも明確な意味があるのだと分かるのだから。

 

 「下処理、完了。鍋も鉱石で練成済み。後は火を焚くだけだ」

 「火? その程度、すぐ用意できるではないですか。この火のルーンで」

 

 スルーズはちょちょいと地面に火のルーンを刻んだ。敵を滅するほどの火力ならばいざ知らず、調理に使う程度ならば全く魔力は消費されない。

 しかしシグルドならば、スルーズがせずともさっさと火のルーンを刻んでいてもおかしくはない。まさか一から火を熾そうとしていたのだろうか。

 

 「もしかして貴方は、料理にルーンを使うことを禁忌するタイプですか?」

 

 他者を傷つける魔術を生きることに利用するのを否定する。そんなタイプには見えないが。

 

 「いや、当方は特にそのようなこだわりはない。ただ、火に関しては自らのルーンで刻むことを律しているだけに他ならない」

 「それは何故?」

 「炎は人に営みを与えると同時に牙を向く。無論、他の事象でも同じことは言えるが、特に炎。炎は時に運命すら燃やしかねない」

 

 北欧においても炎は特別な意味を持つ。煉獄ムスペルヘイム。炎の巨人王スルト。そして大神オーディンの愛剣であった太陽剣グラム。どの炎も運命すら狂わす存在。その派生なるは人の使いし火。

 

 「とはいえ、当方とてグラムを使い、太陽の力を解き放つもの。一概には言えんが、ともかく。シグルドという男は炎のルーンだけは使うまいと決めているだけにすぎない」

 「合理的な考えが基盤なくせに意外と拘りが強いのですね」

 「当方とて譲れないものがある。それだけだ。それとしてスルーズ。火の用意、感謝する」

 「いいえ。一から火を熾しても時間のロスですから。それより早く調理の続きを」

 「了解した。とはいえ、後は具材をこの鍋の中に入れるだけだ。すぐに終わる」

 

 いつの間に採っていたのか野に生えていたのであろう新緑のある野菜などを鍋に入れ、完成していた肉団子も一緒に煮込む。キメラとなれば獣臭さも人一倍かと思えばそうでもなく、むしろ良い肉汁の匂いが洞窟を充満させる。

 

 「ふむ。ルーンも問題なく作動しているな」

 

 この室内は洞窟の入り口だけしか空気の出入り口がない。そこでシグルドは予め空気中の気流をコントロールするルーンを入り口に繋がる通路に刻んでいた。より効率よく洞窟内の酸素と外界の空気を循環させる為の仕組みである。

 煙だけ逃がして料理の香りは残す辺りは流石原初のルーン。万能さにおいてはその追随を許さない。

 

 「いい匂い……」

 

 あれほど食事を必要としない思想があったスルーズだが、いざ食事を出されるとつい本音が出てしまった。これは、ついうっかり内心が表に出てしまうほどのものだということか。

 シグルドは木製の椀を取り出し、その中にこれまで煮込んだ鍋の具材、そして出汁を注ぐ。

 

 「遠慮はいらない」

 

 そう言って差し出されるお椀。スルーズはその器から温もりが感じられる椀を素直に取る。これがブリュンヒルデがかつて創っていたとされる料理なのかと思いながら。

 

 「………いただきます」

 

 スルーズは恐る恐るそのスープを啜った。

 戦乙女(ワルキューレ)とはヴァルハラにて勇士に奉仕する存在。無論、料理の味についても手厳しい反応は予想される。はたして無骨なこの手が作った料理がどこまでブリュンヒルデに近づけたのか。シグルドは鉄面皮の如き無表情の下でそのような心配をしていた。もし仮に酷評であるならば、その時はそれはあくまで自分の責任であってブリュンヒルデの料理には何の罪はないという旨の言い訳も考えていたのだが。

 

 「お、美味しい……!」

 

 どうやらその憂慮は無駄に終わったようだ。

 

 「それは重畳。食べれば食べるだけ魔力の貯蔵に繋がる。遠慮なく摂取することを推奨する」

 

 美味だけではない。この神秘が秘められた魔力こそサーヴァントとして動く英霊の活力となる。この行いこそが意味を持つのだ。そして食事はそのまま兵士のモチベーションに直結する。ただ血肉を喰らい、腹を満たしたとてそれが気力にまで繋がるかといえば否。だからこそシグルドは料理に拘るのだ。それが非効率であろうとも戦士として意味あるものだと知っていたから。

 

 「そういう貴方も食べてください。私だけ食べるのも気恥ずかしい」

 

 スルーズは少し頬を赤らめて催促する。これはいらぬ気遣いをさせてしまったとシグルドは思いながら、自らの椀を取った。

 

 「……美味。及第点といったところか」

 「ブリュンヒルデお姉様の料理はもっと美味しかったとでも?」

 「肯定する。我が愛の作る料理と比べれば、な」

 

 嘲笑気味に彼は笑う。

 いつものスルーズであればこれに追い討ちをかけ、罵倒の一つや二つかけてくるのだが。

 

 「いいではありませんか。私は、この料理で満足しています」

 

 どういうわけか、彼女はシグルドの料理を認めたどころか、それに満足したと口にした。

 

 「感謝する、スルーズ。その言葉は料理を提供したものにとって、何よりの賛美だ」

 「ま、まぁ、貴方のような戦いに特化した男がブリュンヒルデお姉様と同じものを作れると思った方がおかしいのです! 私はそこまで期待していなかっただけですから勘違いしないでください!」

 

 スルーズは慌ててそのようなことを言うが、それでもいいとシグルドは満足気に頷いた。

 僅か。ほんの僅かではあるが、深い溝を感じられたシグルドと戦乙女(ワルキューレ)の距離が近づけたと思えたから。それだけでもシグルドにとって満足するに足りるものだ。

 

 「(いつか、お前達に本当のブリュンヒルデの料理を―――)」

 

 黙々と食べるスルーズを見ながらふとシグルドがそう思った瞬間、洞窟の壁に刻まれていた探知のルーンが強く光りだした。

 

 「敵襲ですか!」

 

 先ほどまで食事を楽しんでいたスルーズだが、このルーンの発光を見ては意識も瞬時に切り替わる。

 

 「いや、我らに対する襲撃ではない。このルーンは神霊ブリュンヒルデの拠点付近に設置したものだ。あの城に大きな動きがあれば、ここに反応が来るようにしている」

 「それでは―――」

 「肯定する。どうやら、神霊ブリュンヒルデ配下の 戦乙女(ワルキューレ)が人間を収集すべく動いたようだ。明確な数までは把握できないが」

 「………どうします」

 

 敵の数は不明。だが、確実に敵は動いている。

 

 「この世界の戦乙女(ワルキューレ)は人を殺さない。あくまで勇士の素質があると見極められた人間を回収するに留まっている。命までは獲られることはない」

 

 しかし、それでも見過ごせない点が幾つもある。

 

 「彼らは質が良ければなんでもいいとみえる。夫婦の片方に勇士の素質があれば、それを引き裂き、別の人間と交配させようとする。そこに人の尊厳などない。あるのは神の視点からなる徹底的な管理」

 

 人間に人権はなく、家畜同然の扱い。家族の絆さえも絶ち、本人の意思に背く強制的な性交。どれも許されるものではない。それは物理的な運命の押し付けだ。より相性の良い相手を見繕い、重ね合わせるだけの神のエゴでしかない。

 例えその行いのおかげで人類が長く生き続いたとしても、いつか必ず破綻は訪れる。機械のように性能の良い部品と性能の良い部品を組み合わせるだけで万事解決するほど人間は単純ではないのだから。

 

 「当方は、これなる所業を見過ごすことはできない。それが別の存在だとしても、ブリュンヒルデという女が為すものであれば尚のこと」

 「………はぁ。分かりました、私も同行します。相手が同じ戦乙女(ワルキューレ)ならば、年季の違いというものを教えてあげなければいけません」

 「感謝する」

 「貴方の為ではありません。ブリュンヒルデお姉様の名誉の為です」

 スルーズはぐいっと椀を口につけたまま傾け、最後のスープを胃の中に叩き込んだ。魔力をできるだけ温存する為に、出汁一滴無駄にはできない。

 「ならば、これを渡しておこう」

 「……これは?」

 

 シグルドから渡されたのは一本の瓶。人間がよく実験などに使う細長い試験管のような形をした瓶だ。中身からは紅く輝く液体が入っていた。どう見ても普通の魔術薬ではない。

 

 「キメラの生き血を凝縮し、圧縮し、原初のルーンによる増殖と活性化を促したもの。飲めば一時的にマスター契約時と同等の魔力供給を為せるものだ」

 「このような便利なものがあれば最初から渡してもらいたいものです」

 「そう簡単に作れるものではない。キメラ一体からでもたった二瓶ほどしか生成はできん」

 「なるほど……」

 

 これが敵戦力が未知数である今の命綱というわけか。

 

 「戦乙女(ワルキューレ)の進軍は思いのほか速い。人間の集落を……いや、この世界の都市まで一直線に駆けている。時間はない、当方らも全速力で駆けるぞ、スルーズ」

 「分かっています。白鳥礼装もようやく自己修復が終える。空を駆けれるのならば、貴方にだって遅れは取りません。もう私を気遣い、余計な世話など不要ということを証明してみましょう」

 

 戦士の王と戦乙女(ワルキューレ)。本来手を結ぶことなど有り得ない、数奇なツーマンセル。

 彼らは駆ける。この世界の異常を正す為に。

 そして刃を向けるのは、互いに大切に思い続けた相手―――その別の可能性。

 運命はかくも残酷か。それでも彼らに止まることは許されない。

 為すべきことを為せ。それが、この世界に召喚されたサーヴァントの宿命なれば。




 ブリュンヒルデの得意料理は肉料理。
 ミートボール関係の話は特典小説にて。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第05戦:新生ヴァルハラ

 樹齢何百年という木々が生い茂る魔の森。この世界で暮らす人々はあの森を禁忌の森として認識していた。なにせ一度あの中へ彷徨えば、あの強靭な魔獣や幻想種が当然のように闊歩している光景を目の辺りにすることができるのだから。一般人が入ろうものなら命など蝋燭の火より長持ちはすまい。

 その森を避けるように遠い辺地に聳え立つ巨大な城壁。木造ではあるものの、その造りは古城のそれであり、生半な獣ではとても歯牙にも掛けられないであろうものだということは一目で分かる。なによりこの360°大きく囲まれている円状の城壁には強力な魔術が付与されている。獣どころか幻想種であろうと不可侵の領域。

 これほどの護り。いったい何を守っているのか……言うまでもない。人間である。人間が人間を守る為に作った人間のバリケード。この壁の向こうになる安全圏で人々は生活している。何百何千もの人間が獣に守られながら生を為している、この世界有数の大都市である。

 

 「………紙細工、だな」

 

 誰しもが堅牢と認める城壁を内から見上げている初老の男は溜息を吐いた。彼はこの護りを敷いた魔術師の一人。守護警備を担う、大魔術師に類する男だ。

 彼は彼なりにこの豊かな都市を守るべく為せることは為したつもりだ。一切の妥協はしていない。年甲斐にもなく全力でこの任務に力を注いだ。しかし、それでもまだ、確かな不安と確信が残る。

 

 「結界に穴はなく、抜け道もない。だが、強度が足りん」

 「おいおい魔術師殿。おっかねぇこと言わないでくれよ」

 

 一人ごちる魔術師に通りかかった警備兵が笑いながら近づいてきた。

 

 「魔術師殿は謙遜がすぎる。俺達警備兵はじかにこの城壁の堅牢さを目の辺りにしている。たとえキメラの群れが一斉に襲い掛かってきてもビクともしないだろうさ」

 

 この城壁の上で外を監視する兵士はこの壁を超えられずにトボトボと返る幻想種を数え切れないほど見てきた。その実績を知っているからこそ、兵士達は魔術師を信頼している。

 

 「左様。この壁なれば、ドラゴンの息吹も防ぎ切ろう。上空も不可視の結界を張っている為に、ワイバーン如きでは侵入も許されぬ。そう、設計したのは確かだ」

 「ならなんで強度が足りないと言われる?」

 

 聞けば聞くほど堅牢であることだけが理解できる。

 

 「たとえ魔獣、幻想種は防げたとしても、神の手までは防げまい」

 「ああ、なるほど。そりゃ比較対象が悪いわ」

 

 兵士は頭を掻いて苦笑する。この大魔術師が何に対して警戒し、何と比較して憂いているのか理解したから。

 

 「巨人も、神も。超常の存在が悉く消え去り、人の時代が来たかと思えばなにがどうして生き残っていたのかも分からん最後の一柱。奴の魔の手が、ついにここにも来るってわけか」

 

 終焉(ラグナロク)は過ぎ、多くの超越種が死滅した凄惨な過去。それでも人々は生き残り、後の時代を託されたものかと思っていた。事実、もはや人間がこの生態系の頂点へと君臨したといっても過言ではない。

 それなのに、予想外なことに、たった一柱だけが存命していた。たかが一柱。されども一柱。神の柱が一つでも残っているのならば、人類が総出で挑んだところで勝ち目などない。

 

 「奴は何が狙いなんだ? 麗しい戦乙女(ワルキューレ)を飛ばし、人々を攫ったところでなんになる。もう終焉(ラグナロク)は終わってるんだ。今更人間を集めたところで戦う相手なんていねぇだろ」

 

 巨人の王は死んだ。巨人族もあの戦いで全滅した。あの最終決戦が過ぎ去った今、戦う相手すらいないのに人の戦力なんて必要ないはず。

 

 「戦う為に、ヒトを集めているのではないのだろう。アレは既に戦乙女(ワルキューレ)としての目的を変更している」

 「というと?」

 「憶測ではあるがな。アレは人の繁栄を望んでいるのだ。これからの時代、多くを占めるヒトの時代を考慮して、ヒトが長く永遠に続いていく為の手段を行使している」

 「訳が分からない。なら俺達人間に任せてくれればいい。神の手など必要ない」

 「それは人間の主張にすぎん。神は下の存在の意義など耳になどいれぬ。あるのは使命感。やると決めたら神はやる。それに欲望が強く、破滅に近づきやすいヒトの性質は神はよく知っている。だからこそ管理をしやすいように手を広めている」

 「ハッ、それじゃあまるで籠の中の鳥だ。飼育箱なんぞに入れられてたまるか」

 

 兵士は腰にぶら下げている剣の柄を力強く握り締める。

 人は神々の決定を甘んじて受け続けた。雲の上の存在であった神の運命に翻弄され続けた。そんな時代が長く、永く続いた。これ以上にないほど人類は神々の為に踊って魅せた。

 だから、もう、十分だろう。人類が神々に対して(こうべ)を垂れるのは。

 

 「俺は認めねぇ。たとえその神の言う通りにしていたら人類が長続きするとしてもだ」

 「ほう、それは何故?」

 「そんな繁栄は虚栄だ。長続きすりゃいいってもんじゃない。俺達は俺達の決定で生きていく。それで長続きしないってんなら、そこが人類の限界なんだろうさ。甘んじて受け入れてやらぁ………だがな、これだけは言わせてもらう」

 

 兵士は謳う。

 

 「俺達人間は神に守られ続けてもらうほど弱くねぇってな」

 

 それは小さい存在が放つ力強い宣言だった。人の可能性の具現とも言えた。もしこの場に領主がいたならば、この男こそ英雄なきこの時代で英雄の器足りえるものだと進言してしまえるほどに。

 だからこそ、大魔術師はその輝きを放つ兵士の身を危うく感じさせる。この世界で、それほどの意思を持つ者ほど天上の存在は放置しない。

 

 「君は―――」

 

 逃げた方がいい。そう、大魔術師が忠告しようとしたその時だった。

 『目標地点:到達。魔術防壁及び人間の生体反応多数確認』

 澄んだ声が、この鉄壁に守られし都市に木霊する。

 人々が行き交う騒音で満たされていた都市は、一瞬にして静まった。多くの人間が住まう大都市ではまず有り得ないほどの静寂。人間の本能が思考を停止させたが如く、人々はぴたりと動きを止めたのだ。

 

 『開城を求める。ヒトよ。今すぐこの結界を解き、門を開け』

 

 脳へと直接語りかけてくる美しい女の言葉。まるで穢れを知らぬ無垢な聖女とも思わせる、心地の良い声質。何も知らない人間であればどんな内容であれ操り人形のように指示通りに動くだろう。

 

 「……来たか。遂に」

 

 大魔術師は体を浮かせ、大門ある場所までさも当たり前のように滑空して向かう。

 どれだけの戦力を引き連れているかは知らないが、このまま何もせずに沈黙していても始まらない。問答無用で奇襲されなかっただけマシと思うべきか。それともそんなことをするに値しないと値踏みされたと怒るべきか。

 

 「お、おい!」

 

 魔術により飛行する大魔術師に対して兵士も慌てて追う。重力を無視して鳥のように飛ぶ魔術師とガッシャンガッシャンと重そうな鎧を鳴らしながら全力疾走する兵士。皆が呆然としている中で我を忘れず動けていたのはこの二人だけだった。

 

 「君は来るな。邪魔になるだけだ」

 「はいそうですかと言えるかバカ!」

 「そうは言うが、真っ先に攫われるのは君かも知れんぞ」

 「そりゃ光栄だが丁重にお断りしてやる!」

 「若い、そんなのだから老いぼれを残して皆いなくなるのだ」

 

 大魔術師は意地でも逃げないと覚悟を決める兵士に呆れ果てた。先ほどまでの会話でこの兵士が意思の強い男であるのは重々理解できていた。だからこそ、この男にこそ逃げてほしかった。しかしそれも叶わない。なにせこの兵士自身がそれを拒むのだから。

 ならば仕方あるまい。彼が兵士としての本懐を脱ぎ捨てず全うしたいというのであれば、これ以上の安い気休めの言葉は不要。本当に必要なのは、彼を一つの戦力として認めることのみと魔術師は悟る。

 

 「………やれやれ。私の足を引っ張るなよ、小僧」

 「そりゃこっちの台詞だ魔術師殿! 力みすぎて腰砕けるなよ!?」

 「そのような心配は必要ない。魔術師だからな。腰が砕けても即治療だ」

 「便利だな、それ。この戦いが終わったら教えてくれ」

 「ふっ……君が最後まで残っていたら、魔導の素質があるかどうかくらいは見てやろう」

 

 この歳で弟子を取るのも悪くない。そう、魔術師も冗談ながらに思ってしまった。

 

 「この街に在沖している戦力は心細い。既に戦争を終えた世界だ。元より戦いを忘れた人間も多かろう。対して相手は」

 「戦う為に特化した戦乙女(ワルキューレ)だろ? 笑えない戦力差だ」

 「ああ。しかし奴らはヒトを殺さない。それだけでも唯一の救いと思っていた方がいい」

 「殺さず敵を無力化するなんて、圧倒的な力の差がなければ土台無理な話だがな!」

 

 戦乙女(ワルキューレ)はヒト勇士足りえる素質を生むことができるであろう母体を狙っている。より強き人間を構成できるものを望んでいるのであれば、悪戯に人間を減らそうなどとは考えまい。元より彼らの目的は人類の繁栄。ヒトを殺戮しては元も子もない。

 だからこそ彼らは人間を殺さずに生け捕ることを大前提としている。そして戦いにおいて相手を殺さず生け捕りにすることがどれだけ困難かは言うまでもない。大人と子供。それだけの力の差がなければ到底不可能。同レベルの人間同士の相手では望まずとも死人が出るであろうが、戦乙女(ワルキューレ)は違う。それが可能な存在だ。

 

 「人間は、仲間を殺された時が一番恐ろしい。何故だか分かるか」

 「そりゃ許せないからだろ」

 「そうだ、許せないからだ。殺されたとなると、人は復讐に走る。敵討ちにその心を燃え上がらせる。そして対抗心を募らせる。それが戦争における一つのモチベーションに繋がる。あまり褒められたことではないが、生物として当然の理」

 「………ああ、なるほど。敵を生け捕り、そして新しいヴァルハラに誘う今の戦乙女(ワルキューレ)のやり方は、真に心の底から憎みきれないってことか」

 

 昔のヴァルハラならば、魂を刈り取らなければならなかった。ソレ即ち、殺してでも死んでもらわなければならないということ。戦いが本懐である今は亡きヴァイキング、戦士達でもなければ到底許容できない招き方であった。しかし今の新生ヴァルハラはその工程がない。たとえ攫われたとしても殺されるわけでもなく、今より待遇の良い生活が待っている。むしろ至れり尽くせりなところがあり、それを憎むとなると中々に難しい。

 

 「ヴァルハラに閉じ込められたとして、その中では安住の生活が待っている。それを思うなれば、逆に志願する人間もいるだろう。甘い蜜そのものだ。たとえその選ばれた対象が愛おしい家族と引き裂かれたとしても、相手が生きていると思えば妥協という境地に至りやすい」

 「ハンッ。最初から人間の飼育箱で一生を過ごしたいってのは負け犬の思考だ。牙を抜かれた家畜の人生だ。残された者は愛する者を奪われたと躍起になるべきだ」

 「皆がみな、君のように強くはない。無論、そう思える人間も少なくないだろうが、ともかく。彼らのあり方は人々から憎悪を受けにくい性質にある。これは兵士たちの士気に関わるものだ」

 「殺されないは殺されないで、厄介な話だな………っと」

 

 戦乙女(ワルキューレ)と戦う前に、戦乙女(ワルキューレ)との戦いが何たるものなのか再確認しながら大門にまで駆けていた二人は、ついにその目的場所へと到着した。そこには既に総勢500人余りの兵士が集結していた。この大都市を守る戦力としては、及第点といったところだ。

「めたわけではないな。きちんと各々の持ち場、配置場所に分かれたと見える」

 

 「360°全方位を壁で囲っている都市だかんなぁ。他の護りを手薄にするわけにも行かねぇ……人間との戦い相手には申し分ない戦力ではあるっちゃあるが」

 「戦乙女(ワルキューレ)相手ではほとほと心細い。しかし無い者ねだりしても致し方ない。外敵に対する訓練通りに動けただけ上出来だと思うべきだ」

 

 烏合の衆と言われればそれまでだが、民間人の兵士を含まずにこの戦力を保持しているだけでも上等と言える。しかし、先ほどまでから戦乙女(ワルキューレ)側になんの動きも見られない。この門の向こうでいったい何をしている。

 

 『―――門を、開けないのですね』

 

 また、美しい声が脳に直接響く。

 

 「賢明な対応を期待していましたが、この都市は我々に歯向かうものと判断します」

 

 分かった。分かってしまった。ただただ戦乙女(ワルキューレ)は自分たちが大人しく門を開くのを待っていたのだ。それが当たり前なのだと。それが当然であるのだと言わんばかりに、待っていただけ。

 そして此方に開く気がないと分かれば、もはや彼女達の動きに迷いはない。

 

 『この愚考こそ、我々の存在意義の証明。愚かなヒトは、我々の手で管理するべきもの』

 

 神の考えこそ絶対な正義というプログラムが透けて見える。対して此方の意思はまるで無視。傲慢を通り越して呆れ果てる。こうも無機質な対応を受けるとおぞましいとすら思える。

 

 「気合を入れろ、小僧―――来るぞ」

 「ああ」

 

 大魔術師と兵士の会話は、短かった。

 ただその会話を皮切りに………轟音。鼓膜を破るかの如き爆音と共に、正門が砕かれた。まるで結界は意味を成さず、てこずることもなく、粉微塵に吹き飛ばされたのだ。

 ああ、やはりあの程度の結界では通用しなかったかと、魔術師は溜息と共に破られた正門を見据える。分かってはいたことだがこうも他愛もなく破られると大魔術師としての看板も下ろしたくなる。

 

 「この地にもはや勇士は存在せず」

 「されどもその勇士になり得る可能性は確認できる」

 「回収。可能性は須らく回収すべし」

 「命は取りません。ですが、歯向かうのであれば、行動不能になって頂きます」

 

 彼女らは一糸乱れぬ歩調でコツコツと甲高い音を立てながら歩き、立ち込める爆発によって舞った粉塵の中から堂々と姿を現した。

 それは、美しい美女の軍勢であった。

 あまりにも現実離れした光景に、誰も彼もが唾を飲み込んだ。

 

 「お……おお」

 

 兵士はその圧倒的な神気を前に、震える足に、喝を入れた。その意気込みは喉を通り越し、声に出して、勇気を振り絞らんと口を大きく開け―――。

 

 「オオオォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

 

 叫んだ。静まり返った皆に届くように、自分の心に届くように、声を張り上げた。腰にぶら下げた剣を掲げ、鼓舞を全体的に広めるように、己が強き意志を証明した。

 それにハッとなり、我に返ったほかの兵士達。そして彼らも、彼に負けじと武器を掲げた。彼の鼓舞に応え、共鳴し、士気を地の底から天に昇る覚悟で声を張り上げた。

 

 「「「「「「オォォォォォォォォォォ!!!!!」」」」」

 

 足踏みを! 剣を鳴らせ! 神に魅せつけろ、人の意地を!!

 たった一平卒の行動が畏怖により身を縮こまらせていた軍隊に火を点した。

 

 「小僧め、やりおる」

 

 大魔術師はニヤリと笑った。陰湿な魔術師には到底真似できないことだ。

 「だが、奴らにも目をつけられたぞ」

 都市の兵を鼓舞した兵士を見た瞬間、戦乙女(ワルキューレ)の目が明らかに変わった。それは獲物を見定めた瞳。対象を定めた、獣の目だ。

 

 「驚愕。同調。この世界に勇士そのものの資格を持つと思われる人間を補足。同時に他のヒトも優れた勇士の素質を確認。終焉(ラグナロク)後、初めてのモデルケース」

 「武装展開。武装展開。ただちにこの都市を落とします」

 

 此方の士気の向上に伴い、戦乙女(ワルキューレ)も認識を改めた。今この場にいる人間は須らく、自分達の喉を掻き切るに足る戦士であると。そして同時に、自分達が求めていた勇士の素質を強く持つ対象であることも。

 構えられるは黄金の槍。銀製の盾。殺さずに捕縛しろ。この命令(オーダー)が今ほど窮屈であると感じたことはないだろう。

 

 「やれやれ。原初のルーンを持つ戦乙女にどれだけ通ずるかは分からんが、私も気合を入れるとしよう……ククッ。魔術師が気合とは、私も感化されてしまったかな」

 

 大魔術師としてのプライドか。

 それとも人間としての意地か。この雄叫びを上げる兵達を見て、人界と乖離した場所に生きた魔術師の胸にも熱い何かが燈った。

 

 「私が君たちの肉体、武器、その全てに魔術的付加(エンチャント)を与える! 存分に暴れろ、人間ッ!!」

 「「「「「おっしゃあああああああああああああああああ!!!」」」」」

 「「「「「これより交戦を開始します。迅速なる無力化を、ここに」」」」」

 

 神の徒と人の軍。

 その力の差は絶対的なものであるはず。

 生まれたその時から生物としての優劣は決まっている。

 それでも彼らは武器を取り、叛逆する。

 誰のためでもない。己自身の尊厳の為に、彼らは挑むのだ。

 そうでなければ―――人としての矜持に反し、人ですら無くなるのだと理解しているのだから。

 

 

 




 名もなき兵士、名もなき魔術師。勇士はここから生まれる。
 物語でも主人公や名ありのキャラではなく無銘のモブが活躍するシーン、かなり好み。FGOなら剣豪の武将やオケアノスの海賊の命張った活躍が良い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第06戦:ヒトの矜持

 神霊ブリュンヒルデによって創造された戦乙女(ワルキューレ)は理解できなかった。何故、彼らヒトは抗うのか。何故、我らの言葉を受け入れないのか。

 ヴァルハラに選ばれし人間はその寿命が尽きるまで安寧の生を約束される。使命があるとすれば、相性の良い異性を苦労なく宛がわれ、獣の本能のように性交を行い、子を為すだけの簡単な仕事のみだ。それになんの不満があろうか。

 喰い、寝て、子を増やす。その繰り返しを行うだけで生を全うできる。命を脅かされることなく、ヴァルハラで行き続けることができる。生命の危機から最も遠い場所。そこがヴァルハラだというのに。

 

 「理解不能。貴方達はなぜ抗う」

 

 戦乙女(ワルキューレ)の一体は今も抗う兵士に問う。この男こそ先刻このヒトの軍を鼓舞し、士気を向上させた者。勇士なきこの時代で勇士そのものの資格を持つヒト。それほどの素質を持ちながら、大局も理解できない愚者でもあるまいに。

 

 「誰が好き好んで飼育小屋に行く阿呆がいるかってんだ、この野郎!!」

 

 兵士は叫び、健気にも剣を振るう。その動きは実に単調。神代の魔術師による魔力ブーストは見られるが、動きそのものは一兵卒に過ぎない。だが、そこには自分達では計れない何かがあった。魔力でもなく、神気でもなく、もっと根底にある、計器では計れない何かが。

 

 「無駄な過程です。無駄な抵抗です。大人しく我々についてくれば、痛い思いもせずに済むものを」

 

 戦乙女(ワルキューレ)は黄金の槍を軽く振るい、兵士が振るう剣の軌道を反らす。そして銀の盾で兵士の胴目掛けて強く殴打する。刃が無いとはいえ、半神が放つ一撃だ。兵士の肉体はたまらず後方まで吹っ飛ばされる。

 

 「ごッ………」

 

 兵士は壁に衝突し、崩れ落ちる。

 

 「臓腑にダメージ蓄積。肋骨二本に亀裂。加減はしましたが、やはりヒトは脆い」

 「ぐ……ぬぅ………」

 

 彼は両手を地面について体を痙攣させている。すぐに立って再度立ち向かおうという気概だけは伝わるが、ヒトの身体はそう簡単に思い通りに動いてはくれない。

 

 「理解できたでしょう。これがヒトの限界です。我々が軽く突くだけでこの始末」

 「なにを……まだ、まだだ!」

 

 痛みを押して兵士は立ち上がるが、口からは一筋の血が垂れている。臓器にダメージがある証拠。

 

 「我々が約束しましょう。今のような痛みも、これから先の貴方の人生において訪れることはない。辛いことも、痛いことも、未来永劫排除しましょう。貴方は大切な―――」

 「資源だから、だろう?」

 

 美女の甘言を兵士は切って捨てた。

 

 「お前達は俺達をヒトとして最高の暮らしを提供してくれると宣うが、その実、ヒトとしてのあり方を一切見ちゃいねぇ」

 「ヒトのあり方………?」

 

 「そうだ、ヒトのあり方だ。確かに俺達は脆い生き物だよ。幻想種にだって食い殺されて当然のか細い命だ。あんたらみたいに不老でもない。時間が過ぎれば老いる。肉体も脆弱になるさ」

 

 だからこそ子孫を残す。次へと繋げる命をこの世に産み落とす。男も女も、どっちも欠けてはならない。互いに寄り添い合い、助け合い、そして次世代へ繋げていく。

 

 「その短い寿命と脆い肉体を背負ってるからこそ、人間は今を必死に生きてるんだよ」

 

 誰しもが明日には呆気なく死ぬかもしれない不確定な生を理解しながら進んでいる。

 誰もが病にしろ、殺されるにしろ、そんな理不尽な出来事を常に抱えて立っている。

 

 「どんなに苦しい人生であろうとも、自分で決めた自分の道を行く。たとえそれが間違っている選択の連続であろうとも、それでもヒトは噛み締めながら進んでいく。その過程を得てこそ、ヒトの歴史だ。ヒトの人生だ」

 

 間違った選択をしたから、次に活かそうという意思が生まれる。後悔があるから、その苦い記憶を乗り越えねばならないと思える。そしてそんな過酷な人生の中に、少なからずある幸せがあるからこそ、人はその一瞬一瞬を充実した記憶として刻むことができる。

 

 「だから、あんたらの提供するヴァルハラってのには刺激がない。ただ飯を与えられて『生かされている』だけだ。少なくとも俺は『生きたい』んでね。自分に恥じない生き方をしたい。悪いが、最後まで抵抗させてもらう」

 「愚か」

 「おいおい、人間を集めているくせに知らなかったのか?」

 

 剣を構え直し、戦乙女(ワルキューレ)を見据える兵士は意地悪い笑みを浮かべて言った。

 

 「人間は愚かな生き物筆頭だぜ?」

 「――――」

 

 その言葉を聴いた後、戦乙女(ワルキューレ)は、動きを止めた。もしかして、もはや理解できなさすぎて戦う気も失せたのか?

 尤も、そう少なからず思ってしまった兵士はなかなか能天気と言わざるを得ないが。

 

 「勇士足りえるヒトの観察、終了。これ以上の会話は不要と判断。各種同固体、同調。対応変更。繰り返す。対応を変更せよ」

 

 沈黙したかと思えば、今度は小さな声で独り言を喋り始めた。

 

 「なにぶつくさ言ってるんだ……?」

 「馬鹿者、あれは誰がどう見ても良くない予兆だ」

 

 いったいいつの間に。この都市お抱えの大魔術師が自分の隣に立ってそう言った。

 

 「大魔術師殿!」

 「すまんな。早く助力してやろうと思ったが、流石に手が足りんかった」

 

 大魔術師は負傷した兵士の肉体に治癒魔術をかける。先ほどまで疼いていた痛みが徐々に軽くなっていく。これが魔術師の扱う神秘。この身で受けたのは初めての経験だ。

 

 「ありがうございますッ!」

 「感謝など必要ない。それより、周囲の戦況だが」

 「やはり芳しくないってところですか」

 

 大魔術師が直接言わずとも、周囲を見渡せば分かる。この都市の地面に倒れ伏している多くの人影は此方の兵士であり、戦乙女(ワルキューレ)らしきものが見当たらない。それはつまり、こちらの被害が大きくなる一方で、戦乙女(ワルキューレ)の戦力は一つとして削れていないことに他ならない。おまけに火の手まで上がってきている。ヒトを殺さないことは殺さないのだろうが、鎮圧する為ならば手段も選ばないということだろう。

 

 「皆もよく踏ん張ってくれているが、どうにも、このままでは押し切られるのも時間の問題だ」

 「瞬殺されてないだけマシとでも?」

 「あの半神の群集相手にここまで粘れているのなら勲等賞ものだ。次の世代に語り継がせてもいいくらいだ。まぁ、一方的に圧されている負け戦であるからそこまで威張れはしないがな」

 

 戦乙女(ワルキューレ)の武装はどれも一級品の魔術礼装が玩具に見えてしまうほどの神秘を有している。それどころか戦乙女(ワルキューレ)本体も特別製だ。とてもそこらの幻想種とじゃあ比べる対象にもなりはしない。それに対して此方は人間の兵士が大部分の戦力。武装も鉄の剣に魔術付与を与えただけの付け焼刃。もとより勝ち目の無い戦いではあった。

 

 「もう十分この街の為に誠意は尽くした。逃げるならば、今しかない」

 

 戦わずして兵士としての役割を放棄するばらば、卑怯者と罵られても致し方ない。しかしこの絶望的なまでの戦力差においても勇敢に立ち向かい、役目を果たそうとしたのなら、勝てぬと悟り逃げたとしても誰も非難はしないだろう。いや、する人間もいるかもしれないが、少なくとも義務は果たしている。それにこれは血みどろの戦ではないのだ。誰も死者はいない。それだけでも随分と優しい戦いだ。命を賭けるほどの理由が何処にある。このまま戦い続けたとしも勇敢ではなく、蛮勇。なんなら戦略的撤退という理由付けをしてもいい状況だ。

 大魔術師は戦況をよく見ている。根性論ではどうにもならないものだと理解したならば、すっぱり諦めて次なる打開策を模索してこそ潔い生き方だと知っている。

 しかし、哀しいかな。兵士はそこまで賢くは生きられない。特にこの一兵卒は、特別頑なだ。

 

 「悪いが、大魔術師殿。俺はさっきこいつらにヒトの人生を何たるかを教えてやっちまった。まぁ俺流の主観による俺の理論だが……そんな偉そうなことを半神に言った手前、今更逃げられねぇよ。というか、民が攫われると分かっていて逃げるとか格好悪すぎて嫌だ」

 「分かってはいたが、強情がすぎるぞ兵士君」

 「俺は俺なりに自分の生き方に恥じない人生を歩みたいんでね。この大一番、胸を張れない選択肢なんてごめんだ」

 「やれやれ。根暗な魔術師には理解できん」

 「それで結構。それよりも大魔術師殿こそ逃げてくれ。役目を果たしたというなら、大魔術師殿こそ相応しい」

 

 大魔術師も良く見れば満身創痍。顔色も優れていない。いつもの余裕綽々、飄々とした態度がナリを潜めている。今まで逃げず、隠れず、兵士全体をサポートしてくれた証拠だ。魔術師は卑怯で誇りも無いと言われているが、それこそまさか。この大魔術師のどこが卑怯者であろうか。

 

 「私は逃げんよ。戦乙女(ワルキューレ)の使う原初のルーンをもっと拝みたいからね。そう、これは魔導の研鑽の為、必要な行為だ。言っておくが感情で動く君とは違うよ」

 「言い訳が下手すぎてこっちが恥ずかしくなるから止めてくれないか、大魔術師殿」

 結局、互いに逃げる気は無いということだ。まったく笑えない。いや、ここは笑うべきなのでは? あまりにも馬鹿馬鹿らしくて笑わってしまえるのだから。

 「そら、君がモタモタしているから囲まれたじゃないか」

 「おおっと」

 

 気がつけば兵士と大魔術師の周囲を10騎もの戦乙女(ワルキューレ)が包囲していた。とても兵士と初老の老人を捕まえるにしては過剰に過ぎる。

 

 「逃げ道は文字通り塞がれたな」

 「ハラを括るしかないですなぁ」

 「もうハラを括りすぎて捩れてしまいそうだよ、私は」

 「おっ、それ魔術師ジョークですか大魔術師殿」

 「笑えるかね?」

 「笑えないです」

 

 兵士と大魔術師はそんな会話を交えながら剣と杖を構えて背中を預け合う。退路を断たれたら覚悟もより決まるというもの。

 

 「「「「もはや会話は不要。これよりヴァルハラにお連れします。優秀な資源(ヒト)よ」」」」

 

 一斉に構えられた黄金の槍。矛先は迷い無く、兵士と大魔術師に向けられている。

 それでも二人は怯むことを知らない。なればこそ、不敵な笑みを浮かべるのみ。

 

 「生憎だが、間に合ってる。この答えは変わらねぇ」

 「私も魔導の研究に忙しくてな。ヴァルハラでは、とてもじゃないが我が修行場としては不釣合い。丁重にお断りさせていただく」

 「「「「拒否権、認めず。お覚悟を」」」」

 

 10騎の戦乙女(ワルキューレ)は同時に動いた。まるで目にも止まらぬと言わんばかりの初動。兵士の剣よりも早く、大魔術師の術式展開よりもなお早く。いったい何をされたのかも理解できぬまま、意識を刈り取る。その意義を籠められた動き。

 事実、二人はまるで意識が追いつかなかった。ただ分かったのは、自分達の動きでは到底彼女達には抗えないということ。せめて一太刀でも浴びせることができたならば、自分の無力さの慰めにもなるだろうにと無念を抱く兵士。

 一秒後よりも更に速いコンマの未来。最後まで抗い続けた兵士と大魔術師は力及ばず戦乙女(ワルキューレ)によって大地に組み伏せられる―――はずだった。

 

 「多勢に無勢。貴殿らの行い、看過するに及ばず」

 

 上空から聞こえた男の声。そして降り注ぐは短剣の雨。その全てが戦乙女(ワルキューレ)の武装を次々と砕いていく。あの魔術礼装の域を超える神の武装が、まるでいとも簡単に。

 

 「されども無用な殺戮も確認されず。故に、貴殿らを殺めるまでにも至らないと判断」

 

 彼女達の武器を破壊した者は上空から地面に、音を立てずに着地した。そしてその男の後姿は、兵士から見ても異質な圧を纏っていた。まるでこの世のヒトではなく、されども亡霊と言うにはあまりにも存在感が強く。分かるのは圧倒的なまでの『強者』であること。助けてもらった礼すらすぐに言えないほどの、生物として別次元にいる存在だと本能が叫んでいる。

 

 「まさか、そんな―――」

 

 何者かも知らない兵士と違い、大魔術師はその存在を知るが故に呆気に取られていた。こんな奇蹟があろうか。こんな都合のいい話があろうか。まさか、伝説の魂が形を成して現界していようとは誰が思う。永き魔導に生きる大魔術師でさえ、書物でしか知りえず、実物を見るのは初めてなのだから。

 

 「貴様……」

 「同調開始。全戦乙女(ワルキューレ)に告ぐ。現れた、あの男が現れた」

 「武装破損確認。これより原初のルーンによるサブウェポンを展開する」

 

 武器を壊されたとはいえ、戦乙女(ワルキューレ)も生粋の戦闘人形。なにも槍だけが武器ではない。すぐさま魔術刻印を起動させ、男から距離を取る。とはいえ、分かる。分かってしまう。今、戦乙女(ワルキューレ)達が最大限の警戒を取っていることを。今まで兵士達が束になっても淡々と処理してきた彼女達が、格下を格下としか思わずあしらってきた彼女達が、明らかに『危機』を感じていることを。

 

 「敵味方識別確認」

 

 男は腰にぶら提げていた短剣を引き抜き、構えた。表情はまるで読めない。黒く塗られた仮面の奥底にある瞳が蒼く輝くのみ。それがより一層、不気味な威圧感を醸し出している。

 

 「此方の戦闘態勢は完全である……来い」

 

 そして始まった。今までヒトに対して圧倒的な強者であったはずの戦乙女(ワルキューレ)が、どうしようもない弱者へと転化する時間が。もしこの戦乙女(ワルキューレ)達に人並みの感情があるとすれば、それはきっと―――恐怖と言うのだろう。




 ヒーローは遅れてやってくる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第07戦:戦士の王

 かつて、北欧神話には魔術に長けた大魔術師の他に、魔法に長ける魔法使いがいた。皆、例外なくたった一人の男を『この勇士こそが戦士の王』と讃えた。

 何故だ。神の法すら支配下に置く極少数と限られた魔法使いほどの存在が、何故その多くがその男を戦士の王と認めたのか………言うまでもない。圧倒的だったからだ。その素質、能力、技量、全てにおいて、彼は王の中の王と認めざるを得ない存在だった。だから讃えられた。

 そんな多大な評価を一身に受けた男は、自分の地位に酔いしれることなく、受け入れた。自惚れたわけではない。皆がそう言うのであれば、そうなのだろうと感じただけ。男はただ為すべきことを為す。その過程で何をどう評価されようが、どうでもよかった。極論、最弱の戦士と言われても良かった。周囲がそう言うのであれば、そうなのだろうと思うだけなのだから。

 ただ、事実は常に一つのみ。男の力は、装飾で飾られた鍍金に非ず。それが最強か、最弱かは、その身で受ければ理解できるだろう。そして皆は口を揃えて言うのだ。この男こそ、この北欧世界において、最も強き人間であるのだと。

 そして恐ろしいことに。この評価は悪竜現象(ファヴニール)を討ち果たし、莫大な魔力を生成する竜の心臓、無敵と謳われるレギンの兜、神々の叡智の結晶を手に入れ、戦乙女から原初のルーンと半神の戦闘技術を全て継承する前の情報である。つまり、全盛期のシグルドは、当時の魔法使い達すらも知らない、更なる次元に到達していたことを意味する。

 

 「悪いが、瞬殺させてもらう」

 

 その男、シグルドは物事を誇張しない。言の葉に偽りや見栄を塗りたくるのは得意ではない。であれば、口にしたこと全ては、実際に実行できる確定事項と知れ。

 一歩目。シグルドはその場から姿を消し、それと同時に取り囲んでいた10騎の戦乙女(ワルキューレ)のうち一騎の腹に短剣の柄を(ミゾ)に死なない程度に叩き込む。

 

 「がっ……!?」

 

 その瞬間、感情がないはずの量産型の戦乙女(ワルキューレ)が目を見開く。

 戦乙女(ワルキューレ)の瞳は全ての戦乙女(ワルキューレ)とリンクされている。つまり、その人数分の瞳が視覚を得る。身じろぎ一つとて見失うはずがない。それなのに、この男は!

 

 「迎撃―――!!」

 「遅い」

 

 二歩目。他の戦乙女(ワルキューレ)が反応する前に更にもう一騎の頭を手で鷲掴みにし、地面に叩きつける。

 

 「「「貴様―――――」」」

 

 後は、何も難しいことはしていない。先ほどと同じ作業を繰り返し、残りの8騎を無力化する。

 抵抗するどころか、構えを取ることすら叶わない圧倒的な実力差。

 

 「他愛ない。妹御であれば、迎撃の構えは取れていたぞ」

 

 この間、一秒にも満たないであろう、極限の超速世界。戦乙女(ワルキューレ)は何をされたかも分からないうちに戦闘不能となった。彼女達を完膚なきまでに破壊しなかったのは、シグルドの情によるもの。もしこれで彼女達が民を虐殺し、魂を回収していたものであれば容赦などされなかっただろう。

 

 「すげぇ……あの戦乙女(ワルキューレ)を、ああも簡単に……」

 「無力化するなど、いったいどれほどの……」

 

 兵士と大魔術師はその刹那の時間で終結した戦闘にただただ驚くばかりだ。自分達が戦乙女(ワルキューレ)に殺さずに手加減されていたように、あの仮面の男もまた、戦乙女(ワルキューレ)を殺さずに手加減していた。それは即ち、殺さずに戦闘不能にできるだけの力の差があることに他ならない。事実、無傷で彼女達を無力化した目の前の現実こそが全て。ここまで来ると頼もしい以上に恐ろしく思える。そもそもこの男が味方かどうかすらも判断がつかない現状だ。警戒してしまうのも無理はない。

 

 「貴殿はこの街の警備兵か」

 「は、はい!」

 

 問われた兵士はつい声を震わせながらも返事をした。

 

 「この戦力差でよく戦った。貴殿らに敬意を」

 「い、いや! それよりも、あ……アンタ……じゃない、貴方は、我々の味方と信じてもいいのか」

 

 兵士は勇気を振り絞って仮面の男に問うた。先ほど助けてもらった矢先にこの不躾な問いだ。もし味方であっても首を飛ばされたとしても文句は言えない。しかし、それでも確認しなければならなかった。それが警備兵たるものの任務の一つなのだから。そして仮面の男はその問いにこくりと頷いた。

 

 「安心されよ。当方は、貴殿らヒトの味方である。とはいえ、味方である証拠は持ち合わせていないゆえ、外敵を迎撃する行動にて証明を示させてもらう」

 「それは心強い。流石、霊長の守護者。英霊というべきか」

 

 大魔術師は仮面の男の正体を即座に看破した。

 霊長の守護者。英霊。その言葉に仮面の男の蒼き瞳は大魔術師の方を向いた。

 ただ見られているだけでこの圧。恐らく深い意味は無く、興味本位で見つめているだけなのだろうが、それだけでこの仮面の男と人間の断絶された次元の違いを肌で感じることができる。

 

 「………貴殿は」

 「この都市の守護を仰せつかっている魔術師でございます」

 「魔術師……委細承知。英霊なるものも知っているのなら、話は早い」

 「実物を見るのは初めてですがね。なるほど、そこらの使い魔とはまるで純度が違う。まさしく高純度な魂。魔法使いですら御しきれぬと言われた、人理の守護者」

 

 文献で何回か読んだことがある。この星の滅びの抑止。異常事態にのみ顕現する英雄の魂。それが英霊だと。

 

 「英霊が現れたということは……この世界は、狂われたか。いや、もしや―――元より」

 

 大魔術師ゆえに察しが良い。良すぎる。それは美徳であると同時に、真理に近づきすぎる。

 彼がこの世界の異変について熟考しようとしたその時、街の四方から爆発が鳴り響く。

 

 「ちっ。落ち着いて考える時間も与えてくれんか」

 「これより当方が戦乙女(ワルキューレ)を無力化する。貴殿らは己の身と民の安全を確保されよ」

 

 仮面の男はそう言い残してこの場を後にした。のんびりと会話を交わすこともなく、この迅速な離脱。あの男は根っからの戦士と見える。

 

 「………」

 「少年。呆けてしまうのも理解できるが、己が役割を忘れたわけではあるまい」

 「わ、分かってる! 言われるまでもなく民の保護、それが最優先だ!」

 「ならばよし……だがまぁ、誇れよ兵士」

 「へ?」

 「君が皆を鼓舞したおかげで今もここは持ち堪えている。それ故に、かの英雄が此処に現れるまでの時間を稼げた。一見無謀にすら見えた我々の足掻きは、意味あるものだった。それだけは、胸を張れる」

 

 それは大魔術師なりの気遣いだった。たとえ手痛く敗北を喫せられたとしても、その奮闘には確かな結果を生んでいると。だから気を落とすなという、彼なりの労いだった。

 

 「大魔術師殿……俺」

 「うむ」

 「魔術師ってもっと陰湿でネチネチした存在だと思ってました。なんかほんとイメージ違ってびっくりだ」

 「余計な世話だ戯け」

 

 この兵士は大物になる。いや、いずれは遥か古に潰えた英雄になるのやもしれん。そう魔術師は呆れながら心の中で呟くのだった。




 あの兵士は無名であるからこそ意味があると思うのです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第08戦:オリジナル個体

 勇士の魂ではなく、より優秀な魂、肉体を選別して保護するというこの世界の戦乙女(ワルキューレ)の在り方。その存在意義にスルーズは嫌悪を抱くわけでもなく、ただただ受け入れ、納得はしていた。

 既に終末を超えたこの世界に勇士を集め、兵士にする理由がない。そもそもこの世界には勇士たらんとする人間が極めて少ない。戦う相手も人材もいないのなら、人をより存命させることが神霊ブリュンヒルデの決断であれば、その手足となる戦乙女(ワルキューレ)もそれに従うのは道理だ。

 世界が違えば歴史も変わる。歴史が違えば戦乙女(ワルキューレ)もまたその変化に合わせて有り様を変えるもの。

 しかし、寂しいものだともスルーズは思う。

 

 「この程度で戦乙女(ワルキューレ)とは笑わせる」

 

 そう吐き捨てるスルーズの足下には折り重なる大量の量産型戦乙女(ワルキューレ)。オリジナル個体の一機であるスルーズと量産型とでは性能そのものが異なる。特に数を揃えて一体一体の精度がオリジナルに劣る量産型が、そう易々とスルーズに敵うわけもない。

 

 「確かにこの世界には勇士となる人間はいない。だからこそ物量を重きにおいて製造された戦乙女(ワルキューレ)。私達のような汎人類史のオリジナル機体よりも性能がディチューンされているのは致し方ないですが、それにしてもこの体たらく」

 

 仮にも高い神性を持つ半神だろうに。原初のルーンを搭載されている存在だろうに。この戦力差でスルーズ一体満足に破壊もできないとは肩透かしもいいところだ。

 

 「識別把握。情報所得完了。個体名スルーズ。異世界の姉妹機、恐らくはより高度な戦乙女(ワルキューレ)タイプと断定」

 

 まだ倒れていない戦乙女(ワルキューレ)は変わらぬ表情でスルーズを解析する。この力の差、そして大量の姉妹たちが倒されているこの状況で顔色一つ変えない辺りは流石戦乙女(ワルキューレ)。その機械が如き冷静さは此方と何も変わらない。

 

 「シグルドの方はすでに無力化が終えている。私も遅れるわけにはいきません」

 

 別に競い合っているつもりはないが、出遅れているという事実はスルーズにとっては些か気になるもの。力の差を見せつけられている気すらするので、いちいちこのような雑兵相手に手こずってはいられない。

 その思いこそスルーズの慢心であった。

 

 「「「捕縛式、作動」」」

 「!?」

 

 残った量産型戦乙女(ワルキューレ)三体が即座に魔術を行使する。この魔力量は、おそらく大魔術クラスの詠唱。本来ならば数節に渡る詠唱が必要のハズだが、彼女達は腐っても戦乙女(ワルキューレ)。原初のルーンは詠唱行使が必要な大魔術すらシグナルアクションで行使する。それを三体同時。これは、拙い。

 スルーズの足元に浮かび上がる魔法陣。これを本能で危険と判断したスルーズは空を駆ける回避行動を取ろうとする。しかし時すでに遅し。その魔法陣からは大量の鎖が飛び出し、スルーズの足に絡み拘束する。

 

 「くッ……」

 

 一体だけの拘束術式ならばスルーズとて対応できる。高い対魔力を有しているのだからどれほどの大魔術であろうとも無力化は可能。しかし三体となれば話は別だ。より強固な魔術式になり、注がれる魔力量も単純計算で三倍。

 

 「私ともあろう者が油断するとは」

 

 実に情けない。こんな姿はシグルドに見せられない。戦乙女(ワルキューレ)の品位を傷つけかねない失敗である。どうか今このタイミングでこちらに合流しようと近づいてくるなよとスルーズは強く願ったが、それを空気読まずぶち壊してくるのがあの男。

 

 「(あの男、こちらまで近づいてきている……!!)」

 

 大方全ての敵を一掃したのだろう。シグルドはあれほどあった魔力反応のほとんどを無力化し、残存勢力が残るスルーズの居場所まで近づいてきている。このままではこの痴態を目の当たりにされる上に二度目の救出劇が始まりかねない。そんなものはスルーズのプライドが許せなかった。自分たちのブリュンヒルデを攫った男に一度ならず二度までも助けられてたまるかという意地がスルーズに芽生えた。

 

 「対象を破壊します」

 「霊核の位置確認」

 「これより上位個体の無力化を開始します」

 

 捕縛に成功したとみた量産型戦乙女(ワルキューレ)三体は光輝く黄金の槍を顕現させ、その息の根を止めんがために一斉にスルーズの元まで駆けた。とどめはより確実にするため、物理による破壊を選択したのだろう。その判断は正しい。原初のルーンとはいえ、スルーズほどのオリジナルの上位個体となればたとえ直撃したとしても決定打にはならない。しかし此方とてそう簡単にやられるタマでもない。

 スルーズは懐から小さな瓶を取り出した。それはあのシグルドから授かったキメラの生き血から生成した魔力活性化の秘薬。

 

 「こんなものに頼りたくはなかったですが、背に腹は代えられません」

 

 シグルドの道具頼りというのは気が引けるが、このままやられては元も子もない。スルーズは意を決してそれを飲み干す。

 その瞬間、スルーズの肉体に魔力が迸る。あれほどか細かった大地の魔力供給とでは比べ物にならない魔力がスルーズの肉体を駆け巡る。

 これならば、彼女達を呼べる。(・・・・・・・・)

 

 「同位体、顕現開始―――来なさいッ!!」

 

 量産型戦乙女(ワルキューレ)の槍がスルーズの胸に届くであろうその刹那。激しい魔力の渦と共に顕れるは二体の戦乙女(ワルキューレ)。彼女たちは無言で三体の量産型戦乙女(ワルキューレ)による刺突を黄金の槍にて弾いた。否、弾いただけに留まらず、量産型戦乙女(ワルキューレ)の黄金の槍を粉砕したのだ。

 

 「ふーん。確かに私達の持つ偽・大神宣言(グングニル)と同じ……だけど、お父様の創った量産品よりも更に量産品って感じだね。これじゃあ偽・偽・大神宣言(グングニルレプリカ)だよ。同じ黄金の槍でも練度が違うからこうも簡単に砕けるのさ」

 「きっと、ブリュンヒルデお姉様はそれほど本気で武装に関しても、この戦乙女(ワルキューレ)たちに関しても作っていないのだと思う。勇士がもはやこの世界において絶滅危惧種となっているのなら、戦力自体もそこまで念入りにする必要もない。数さえあれば事足りるのだから」

 

 ピンク髪の女とフードを被った女はそう言いながら量産型戦乙女(ワルキューレ)を評する。これではお話にもならない、と。

 

 「スルーズも珍しく油断したね。こんな相手に苦戦するなんて」

 「それに関しては言い返す言葉もない。しかし無駄口を叩く時間もない。今の私では貴女達の顕現はそう長く持たない、早急な無力化を」

 

 マスターが存在しても三体同時顕現は魔力的に厳しい戦乙女(ワルキューレ)。今はシグルドのドーピングが効いているからなんとかできているが、もはや一分と持つまい。その間にどうにか残る残存勢力を無力化しなければならないのだ。

 

 「はいよー」

 「分かりました」

 

 ピンク髪の戦乙女(ワルキューレ)ヒルドとフードを被った戦乙女(ワルキューレ)オルトリンデは制圧に動く。一分もあれば、この程度の敵など問題なく無力化できる。それが上位個体たる戦乙女(ワルキューレ)の力であり、量産型如きが敵う道理などない。

 もし、彼女達にこの劣勢を覆す力があるとすれば、それは人のように己の限界を超えるものでなければ務まらないだろう。

 

 

 ……………

 

 …………

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 「無事だったか、スルーズ」

 「誰にものを言ってるのですか。私がこの程度の相手に後れを取ることなどあり得ない」

 

 シグルドがスルーズのもとに到着する頃には、すでに彼女が担当している場所は制圧を終えていた。量産型戦乙女(ワルキューレ)も一纏めに拘束されている。これはシグルドが生かして捕らえよとこの防衛前に口にしていたからに他ならない。もしその言葉がなければ捕らえることなく破壊している。

 

 「そちらの方は」

 「抜かりない。敵方の戦乙女(ワルキューレ)も一部捕らえている」

 「残りは?」

 「恐らく撤退の指示が出たのだろう。残存勢力は神霊ブリュンヒルデの元まで帰還していった」

 

 シグルドは戦う意思のない者まで追撃することはないと言う。それにスルーズは眉間に皺を寄せる。つまり敵になるものをこの男は生かして返したのだ。無力化して捕縛するならまだしも、戦闘力があるものをわざと見逃すとは。

 

 「やはり破壊はしないのですね」

 「殺めるには道理が足りん。彼女らはあくまで新たなヴァルハラまで彼らを連れて行こうとしただけで、人々を殺してもいなければ非道な行いもしていない」

 「甘いですね。戦乙女(ワルキューレ)を人として扱っているのは些か甘すぎます」

 「何も考えもなく彼女たちを捕らえようなどとは考えていない」

 「……利用価値があると?」

 「彼女達は我らのようなサーヴァントではない。この世界で生まれ、肉体を持つ戦乙女(ワルキューレ)だ。自身で魔力を生成する力がある。であれば」

 「なるほど……マスターの代わりというわけですか。彼女達と契約し、それでこのマスター不在からなる今の魔力不足を補うと」

 「肯定する。見たところ彼女達の魔術回路は一級品。ヒトの魔術師よりも適正値も高い。マスターとしての機能は十分に果たせる」

 「彼女達は独自のネットワークを形成しています。捕縛した彼女達の設定を一度リセットし、私と同期させましょう。上手く同期の調整を行えば、彼女たちをマスターに仕立て上げ、オルトリンデやヒルドを顕現させられる……しかしこの人数となると時間を要します。おまけにブリュンヒルデお姉様の創った戦乙女(ワルキューレ)。製造過程自体が私達と違う可能性もある。それらの解析を踏まえれば三日ほどかかるかもしれません」

 「上出来だ」

 

 できるのであれば時間を幾ら使ったところで有意義なものになる。少なくともこの魔力不足の状態で神霊と化したブリュンヒルデと競い合うには無謀というもの。

 

 「彼女達を我らの拠点につれていく。このヒトが住まう街で行うわけにもいかん」

 「分かりました。しかしこの人数です。馬車か何かあれば運送も楽なのですが」

 

 捕縛した量産型戦乙女(ワルキューレ)ざっと見ただけで10人はいる。これらを二人であの隠れ家まで運ぶとなると骨が折れる。

 

 「お困りですか? えーと、えいれい? でしたっけ」

 

 そんな二人に声をかけたのは一人の兵士だった。シグルドはその顔に見覚えがある。先の戦いで勇敢にも戦乙女(ワルキューレ)と剣を交えた青年だった。

 

 「貴殿はあの時の」

 「その節はどうも。助けていただきありがとうございました」

 「礼は不要。当然のことをしたまでだ」

 

 どうやら彼も無事責務を全うしたらしい。体の至るところが傷だらけ、立っているのもやっとだろうに気丈に振舞っている。彼がいたからこそ、シグルドやスルーズはこの都市の救援に間に合ったと言っても過言ではない。そしてそんな彼を彼女が見過ごすのもあり得ない。

 

 「シグルド、シグルド」

 「どうしたスルーズ」

 「あの者から勇士なる素質を感じます」

 「我慢だ。戦乙女(ワルキューレ)としての本能を抑えてくれ」

 

 かの兵士を見たスルーズは頭の羽をピコピコと動かしながら兵士を見る。その目は獲物を見つけた猛禽類のそれに近い。

 

 「あのー」

 「すまない、自己紹介が遅れた。当方の名はシグルドという。この女性はスルーズ。貴殿らを襲った戦乙女(ワルキューレ)と酷使しているが、心配はない。当方の仲間ゆえ」

 

 スルーズの内心はもはや勇士勧誘という一種の本能が働いているのは流石に言えない。警戒されるだけだ。

 

 「……分かりました。ではシグルドさん、スルーズさんと」

 「貴殿の名は?」

 「俺は名乗るほどのものではありません……」

 

 そう言って青年は顔を伏せた。何をそこまで卑下することがあろうか。彼は十分な働きをした。むしろ胸を張って言うべきだ。

 

 「貴殿は―――」

 「そう、俺はただお二人が何か悩んでいるのでお声掛けをしたんですよ」

 「む」

 「では馬車と馬を用意してください。できれば10人ほど積載可能なものでお願いします」

 「スルーズ……」

 

 遠慮というものを知らず、ズバリと要求する戦乙女(ワルキューレ)

 

 「その程度お安い御用ですよ! すぐに用意します!!」

 

 そう言い残して兵士は走り去ってしまった。

 

 「まぁ、何はともあれ問題は解決したか」

 「あの勇士の魂はまたいつの日かヴァルハラに連れていきましょう」

 

 なにやら目の前の問題を解決した矢先、別の問題が発生した気がする。

 そう思わざるを得ないシグルドであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第09戦:新たな竜殺し

 神霊ブリュンヒルデは古城の王座に座して現状を整理していた。まず目下にある問題。それは優れた人間の回収に当たった戦乙女(ワルキューレ)の敗北。元よりオリジナルの姉妹たちの劣化複製に止まっていた彼女達にこれ以上の戦果を期待するのは酷というもの。そしてこのまま続けても被害が拡大するだけだと判断したブリュンヒルデは兵をあの大都市から引き上げさせた。おそらくどれだけの戦力を投入しようと、シグルドには勝てまい。それよりも気になることがあった。

 

 「数が合いませんね」

 

 出撃した戦乙女(ワルキューレ)の数と、帰還した戦乙女(ワルキューレ)の数の不一致。無論、討伐されているのならば数が減っているのは道理だが、あの戦いにおいて戦乙女(ワルキューレ)が戦死した記録はない。なにせ彼女達を創ったのは他でもないブリュンヒルデだ。霊核が消滅すれば自動的にブリュンヒルデが感じ取れるように設計されている。であれば、答えは一つしかない。

 

 「(捕縛されましたか……)」

 

 娘達は殺さずに生かされている。そう判明すればブリュンヒルデはすぐに戦乙女(ワルキューレ)達の同期に介入を試みた。

 

 「(ネットワークも断絶されている)」

 

 案の定、10体もの戦乙女(ワルキューレ)の同期が不可能になっている。返答はおろか通信もままならない。

 

 「あちらにはスルーズもいましたね……ふふ、流石お父様の創りしオリジナル」

 

 捕縛した戦乙女(ワルキューレ)で何をするつもりなのかはブリュンヒルデもすぐに理解できた。彼らはマスター不在な身であるがゆえに常に魔力不足に陥っている。それを解消するための手段として娘たちを生け捕りにした。そして戦乙女(ワルキューレ)の特性を良く理解できている上位個体に命令権を移し、仮初のマスターに仕立て上げる。戦力の一部として活用する。無駄のない有効利用だ。

 ブリュンヒルデの勢力にとってたかが戦乙女(ワルキューレ)の10体程度、大した痛手にもなりはしない。しかし、それを別の目的で利用されるのであれば十分な脅威となる。特に、大英雄シグルド。あの男が万全の力を振るえるまで環境を整わせるのは拙い。

 となれば、これは大きな損失だ。圧倒的有利な戦況を、一部だけとはいえ引っ繰り返された。

 

 「そう易々とは思い通りにいかせてはくれませんか」

 

 ブリュンヒルデは思い浸る。このイレギュラーをどう受け止めるべきか。そもそも何故彼ら英霊が呼ばれたのか。自分の行動が過ちであり、それに対応するべく世界が彼らを呼び寄せたと考えるのが妥当ではあろうが、それを認めては神霊ブリュンヒルデの存在意義の根幹が揺るぐであろう。

 この世界は生きている。たとえ正道から外れようとも、この世界の歩みは確かな一歩を刻んでいる。言わば道半ばの道程。本来なれば神は滅び、人類だけが生き残るという過程の中で、唯一人類に干渉できる神が残った。

 であれば、この世界はこの世界なりに最善を尽くす。それが永遠の眠りから覚め、残されたブリュンヒルデの胸に灯された大前提。そう易々とは破壊されては堪らない。

 

 「此方も策を講じるべきですね」

 

 抗おう、この運命に。神たるものは全能であらねばならない。半神なれどもこの身には12000年前の神々を屠った異星のカケラと女神の神核を宿している。そして権能すら携える我が身は神と同義。無尽蔵な魔力も、無限の叡智もこの理の中にある。

 

 「英霊には英霊を。星が彼らを呼ぶのであれば、私も呼ばせてもらいましょう。それでフェアですよね? 英雄シグルド」

 

 度重ねて宣言しよう。神は全能である。その力は、人類の防衛機構にも手が届く。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 あの防衛戦から二日が経過した。今のところ、神霊ブリュンヒルデに大きな動きはない。戦乙女(ワルキューレ)も不気味なほど沈黙を守っており、一時的にではあるがヴァルハラへの連行を止めている。無論、それにはそれ相応の理由があるだろう。そう、例えば―――戦力を調整、増強させている可能性。

 

 「(恐らく神霊ブリュンヒルデは我らの動きに気付いている。となれば、当然彼女は対策も立ててくるだろう)」

 

 静かに、されども着々と対策を仕上げているブリュンヒルデに対し、シグルドもまた敵方の動きを読んでいた。

 

 「(不自然に鹵獲された戦乙女(ワルキューレ)。同期を断ち、完全な個体として確立させたとなれば、如何な愚者であろうと気付かないわけがない。それがブリュンヒルデであれば尚のこと)」

 

 拠点に戻ったシグルドは量産型戦乙女(ワルキューレ)の調整をスルーズに任せ、一人黙々と地面に魔法陣を描いていた。それはただの魔術に在らず。現代魔術? それとも更に古い中世魔術? 否、否だ。シグルドが大地に刻み込んでいるのはそれらの真新しい術式ではない。これこそは神代の御業。シグルドが持つ技能の一つ。この術を持って活路を開く算段を立てていた。

 

 「(我ながら危険な賭けだ。習得してはいたものの、実際にこの術式を使うのは此度が初)」

 

 分かっていた。このような見え透いた動きをすればブリュンヒルデの警戒レベルを上げることは。しかし避けても通れなかった。確実な魔力のパスを繋げなければ例え勝機があっても拾えぬであろう現実。そこに唯一、その問題を解決できる糸口が目の前に現れた。これを活用しない手はない。そしてハイリスクハイリターンの先には、致命的な欠点と共に明日に繋がる光明を灯すと信じて。

 

 「(やれるか……セイバーのクラスに現界した我が身に)」

 

 そもそもサーヴァントは生前の劣化複製だ。所謂影法師のような存在だ。英雄という存在が英霊となり、その英霊の力を人の身で御し得る為に調整されたクラスという箱。そこに当て嵌めることで本来成しえない英霊召喚は形となる。今回、シグルドを召喚せしめたのはこの世界であり人ではない。しかしそれでもセイバーというクラスに入れられているのだから、ある程度の制限はかかる。それがサーヴァントというもの。英霊そのものではなく、それに準じた摸作を作り出す。

 本来、この魔術は生前に得たものだ。生前に得たものを使って不備があるはずもないが、今現在セイバーとして召喚されているシグルドは魔術の技能がオリジナルよりも落ちていることは間違いない。もし生前と同じように魔術を使えるのならば、それはキャスタークラスに現界した時に他ならない。しかし無いもの強請りしても始まらない。今ある力を最大限に活用しなければならないのが今の状況だ。この博打に勝てば、この先での戦いで大きな力となる。少なくとも神霊ブリュンヒルデが行うであろう更なる脅威に備えることができるのだ。

 

 「当方が運頼みとはな」

 

 自身の無力さに苛まされることは少なくないが、この戦いはどれだけ不確定要素が絡むものがあろうとも片っ端から試していくしかない。余裕を見せられるほど、この戦いは甘くはなく。同時に我が人生においても、余裕をもって当たった戦いなどない。

 

 「シグルド」

 

 戦乙女(ワルキューレ)の調整を行っていたスルーズが奥の部屋から現れた。あの様子だと、最低限の準備は整ったらしい。

 

 「先ほど3体の戦乙女(ワルキューレ)の調整が終わりました。ただ残る7体はまだ一日掛かりそうです」

 「十分だとも。3体も調整が終えているのならば、問題はない。まずは当方と貴殿でその3体のうち2体とパスを繋ぐ」

 「私の方は調整ついでに既に設定を終えています」

 「了解した」

 

 仕事の早いスルーズは自分のすべきことを見極めた後の動きが兎も角的確だ。言うまでもなく、迅速にその場その場の最善を尽くしてくれている。憎いであろうシグルドの提案及び指示にも従ってくれているのは彼女のその冷静な思考と判断力に他ならない。

 

 「そしてこの娘が貴方の代替マスターとなります」

 「………」

 

 スルーズが連れてきたのは鹵獲した量産型戦乙女(ワルキューレ)の一体。恐らくはスルーズ系統の戦乙女(ワルキューレ)だったのだろう、フードに隠されたその素顔はスルーズによく似ている。調整が早く終えたのも同系統に近い存在だったが故だろうか。

 調整が終え、スルーズとシグルドの識別が味方と設定されたこの少女に危険はない。と、同時に今では頼れる仲間となっている。しかし彼女の目にはシグルドに対する不審な目があった。スルーズと同期しているためだろう。彼女が持つ潜在的なシグルドの抵抗意識がその目に現れている。

 量産型戦乙女(ワルキューレ)はシグルドを若干警戒しながら足のつま先から顔までジロジロと見て、一息ついてからシグルドの前に立った。彼の神気はオーディン由来。それを前にして臆さず眼前に立つ胆力。心がないからその場に立っているのではなく、明確な意思を持って彼の前まで出てきた。

 

 「私、貴方がなんとなく……嫌いです。生理的に」

 

 量産型戦乙女(ワルキューレ)の開口一番がこれである。

 

 「同期は成功していますね?」

 「確認する必要もないな」

 

 少し得意げにするスルーズであるが、確かにこれは成功しているとみて間違いない。

 

 「貴殿が当方に向ける疑念は本物だ。その想いは恐らくスルーズを含めた戦乙女(ワルキューレ)全員が持つもの」

 

 シグルドとは彼女達の慕って止まないブリュンヒルデを自身の不甲斐なさゆえ悲しませた男の名だ。好かれる要素など元よりない。

 

 「しかしだ。シグルドもまたブリュンヒルデを想う者。貴殿の助力なくして、この戦いに勝機はない。貴殿にとっては業腹ではあろうが、協力を要請する」

 「……従え、ではないのですね」

 彼女は意外なものを見る目でシグルドを見た。その瞳は警戒から興味に変わっていた。

 「仮に力付くで従えたとして、それが後の戦闘においてプラスになることはない。戦の基礎は味方との信頼から得るものと心得る」

 「………」

 

 差し出されるはシグルドの右手。それは友好の証であろう握手をシグルドは求めていた。この手を取るか取らないかは彼女自身。そこに強要はない。

 されど戦乙女(ワルキューレ)はすぐに手を差し出さかった。顎に手を当て、少しの間があった。その間で彼女が何を考えているのかはシグルドには分からない。しかし熟考してくれているのは理解できる。

 

 「……分かりました。貴方のことはまだ苦手ですが、これから好ましく思えるよう努力しましょう」

 

 渋々という風に差し出された右手。されどもその行為は彼女なりに考えた結果からくるもの。シグルドは確かにその手を握り、感謝の念を送る。

 

 「そして条件が一つ」

 「それは?」

 「私に名をください」

 

 戦乙女(ワルキューレ)はそう言ったシグルドを力強く見つめた。

 

 「私達は元よりブリュンヒルデ様より数あれという目的に沿って作られた量産された戦乙女(ワルキューレ)に過ぎません。上位個体のような名も当然ない」

 

 優れた人間を回収するだけの任務にそこまでの性能が必要なかったが故に生まれた量産型。名などあろうはずもなく皆が無銘である。

 

 「あの方の下で稼働している際はこのような願いなど生まれなかった。しかしその繋がりを絶たれ、こうして『個』が許されている今の私は違う」

 

 自由の身となった部品。本来の目的から逸れた端末。そこから現れてきたバグ。無視する事はできる。だが、このざわつきは気持ちが悪い。

 

 「貴方が私をここに連れてきた。貴方があの輪から私を引き抜いた。そしてその貴方が私の力を求めている」

 

 これは等価交換。否、これは願いだ。

 

 「貴方が責任を持って私に名を付けてください。大英雄シグルド」

 

 量産型戦乙女(ワルキューレ)ではなく、オリジナルの上位個体と同じように。

 意味のある名を。

 この世に生まれ、活動している証を。

 

 「貴殿の願望、確かに承認した」

 

 シグルドはこの女性の名に何を託す。何を授ける。

 この願望はあって当たり前の願いだ。シグルドは彼女を連れ出した者として責務が確かに存在する。

 可憐な名がいいか。可愛らしい名がいいか。それとも戦に連なる戦士に相応しいものがいいか。

 どれを選んだとしても彼女は受け入れるだろう。どんな名であろうとも、その真名を大事にするだろう。

 だからこそ、シグルドは慎重に選ばなければならない。伝えなければならない。その真っ白な心に確かな色彩を与える者として。

 

 ………

 ……

 …

 

 そして大英雄は決めた。決断は早いとは言えなかったが、それども安易な決定ではない。

 シグルドは彼女の目を逸らさず、力強く宣言する。

 

 「貴殿の名はトイネン・アスラウグと名付ける」

 

 この名はシグルドにとっても、ブリュンヒルデにとっても重要な意味を持つ名。

 

 「トイネン・アスラウグ……それが、私の新しい名」

 

 噛み締めるように彼女は呟く。

 

 「シグルド、その名を彼女に与えるというのですか」

 

 そこに割って入ってきたのは今まで静観していたスルーズだった。

 

 「その名は軽々につけていいものではないはずです」

 「否定する。あの名は当方にとっても決意の現れ。容易につけたものではない」

 

 シグルドはいつも通りの澄ました声でそう答える。それでもスルーズはその名の意味を知るが故に呆れ果てていた。この男は愚直すぎる。いくら名が大切だからとはいえ、よりにもよってその名を選ぶとは。

 

 「……入れ込みすぎて、あの娘を庇って脱落しないでくださいね」

 「心得ている」

 

 アスラウグ。それはシグルドとブリュンヒルデの愛娘の名だ。家族が揃って出会える日がついぞ無かった子供の名だ。それにトイネン(第二の)を組み合わせることにより第二の娘とも取れる名をあの女に授けた。この意味の重さはスルーズなどよりもシグルド本人が一番理解していること。

 名とは意味と同伴する様に力強い力が宿る。魔術世界でも言霊と知られているように、超常の英雄が戦乙女につけたとなるとその重みは別格だ。

 恐らくは、シグルドにとってその名には彼女も護るという意味合いが含まれている。ただの道具としてではない。一人の仲間としての守護の意味が。

 

 「はぁ……もういいです。好きにしてください」

 

 この男と生活しているとその自分の道を征く精神性に思いやられる。よくブリュンヒルデはこんな男について行ったものだと思ってすらくる。

 

 「それで、もう一体の戦乙女(ワルキューレ)はどうするつもりです」

 

 スルーズは思考を切り替えて次なる課題を提示する。既にシグルドとスルーズのマスターの代わりは二体の戦乙女(ワルキューレ)で賄えている。なら残る一体は何に使おうというのか。

 スルーズの問いにシグルドは地面に(ゆび)を指す。その指先が示すものにスルーズの目が行き、そして気付いた。この隠れ家は洞窟の中。ルーンによって光が灯されているとはいえ若干床が暗く見えづらい。それ故に気づかなかったが、この部屋の床には魔法陣が刻まれている。それもこの術式は見たことがある。あのオーディンが持ち得る原初のルーンの中でも最上級。

 

 「原初のルーンによる英霊召喚陣……」

 「残る一体の戦乙女(ワルキューレ)には今から召喚する英雄のマスターを担ってもらう」

 

 流石に令呪までは用意できないが、要石となるマスターさえあれば理論上は可能だ。かつてブリュンヒルデに伝授されたルーンの一つであり、ついぞ使うことのなかった秘奥。それが今、こうして運命を切り開く力となる。

 

 「だが気をつけろ、スルーズ。この召喚陣はあくまでサーヴァントを呼び出すもの。それを律する令呪がない。それ即ち」

 「本来抑止力となり得る枷がない。もし仮に召喚された者が敵対の意思を表せば、無傷で御すことはできないということですか」

 「そういうことだ。この召喚はそれらのリスクも抱える諸刃の剣。さらには触媒がない為、誰が召喚されるかは予想もできん」

 「触媒がないとなると召喚者に近しい感性を持つものか、縁による作用が強く出ると聞きます。もしかしたらブリュンヒルデお姉様が召喚される可能性もあると」

 「……そうなれば、喜ばしいがな」

 

 実際誰が呼ばれてもおかしくないのだ。例えばシグルドの父であり、同じく大英雄と称えられたシグムンドが召喚される可能性もある。もしくはシグルドの兄弟達などもあり得る。もしこの召喚が特殊な『門』を携え、所縁のある英霊との関係をストックしている影の国の女王であれば、狙った英霊を自由自在に召喚できただろう。しかしシグルドは生粋の魔術師でもなければ、北欧の神と繋がる影の国の女王でもない。そこまでの器用な真似はできないのが現実だ。最も誰が来ようとも戦力足り得るのであれば問題はない。されども、もし何かの手違いにより悪なる者が這い出た時は対処も迅速に行わなければならない。そのリスクを承知でシグルドは召喚を行うと決めた。決めたのであれば、後は行動に移すだけだ。

 

 「召喚自体は当方が行う。この召喚法は大神オーディンの由来故、ルーンを刻んだ者が行わなければ機能しない。サーヴァントが召喚され、その英霊が此方に協力的なものと判断することができた後に三体目の戦乙女(ワルキューレ)にマスター権と魔力パスを譲渡する手順を取る」

 

 シグルドは召喚陣の前に立ち、己の右腕を前に出す。

 そして左手で腰にぶら下げていた短剣の一本を抜き取り、その右腕を軽く斬り裂いた。竜の炉心から溢れる魔力の濃い血は召喚陣の上に滴り落ちる。

 

 「これより召喚の儀を開始する」

 

 シグルドの開始の合図にスルーズとトイネンは無意識に構えた。この召喚が果たして上手くいくかどうかの見極めは困難。ならば最悪の事態を想定して然るべき。シグルドもまた武装を展開し、召喚にあたっている。

 

 「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公」

 「降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 「閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 「繰り返すつどに五度」

 「ただ、満たされる刻を破却する」

 

 シグルドの魔力炉心は脈動し、その破格の魔力回路は淡い青藍色となって竜殺しの肉体を隅々と灯す。

 

 「――――告げる」

 「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 「大神の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 オーディンが首を吊って手に入れたとされる世界の真理。その最奥こそがこの魔術。あらゆる魔術の成し得る奇跡は原初を辿る。

 

 「誓いを此処に」

 「我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 「汝三大の言霊を纏う七天」

 「抑止の輪より来たれ」

 

 我が父シグムンドでも、技量を競い合った兄弟達でも良い。神の加護あればブリュンヒルデとも出逢えよう。この召喚は戦いを運命付ける決定的なもの。故にシグルドも願おう。聖杯があるわけでも、聖杯戦争であるわけでもない、ただ世界を救うだけの戦い。無償の世界修正の旗に集う勇士を、肩を並べ得る戦士を。

 

 「天秤の守り手よ―――!!」

 

 最後の詠唱を終えた瞬間、原初のルーンで刻まれた召喚陣は一際強く、目が潰れんばかりの光が隠れ家たる洞窟全土を覆った。

 シグルドはその発光の中、一人動じず、動かず、召喚の行く末を刮目する。

 ズグンッ……と、竜の炉心に強烈な刺激が疾った。この感覚は懐かしさすら感じる、かつてあの悪竜と相対した時のもの。否、更に親近感すら感じるこの共鳴じみた何か。魂自体が召喚した者に反応している。

 

 そして、その存在は光に中から悠然と現れた。

 

 190は優に超えるであろう、壁の如き筋肉質の肉体。

 雪のように白い髪は腰の辺りまで垂れ、褐色の肌と合わさってよく際立っている。

 その目は戦士としての自負の強さを持ちつつ、奥行きのある心を表す淑やかな瞳。

 何より彼という存在を強調するはその手に持つ長大な西洋剣。シグルドはその剣を初めて見たが、分かる。分かってしまう。姿形は違えど、その剣は、後の世で大陸を渡り受け継がれた我が宝具の形の一つ。

 あの剣を持つ者は限られている。そして彼から感じる竜の鼓動を含めれば、もはや一人しかいない。

 その者はネーデルランドの王族。神の血も引かぬ人の身でありながら、神代去りし世界にて尚も猛威を振るう悪竜現象(ファヴニール)を打ち滅ぼした者。数ある剣の英霊の中でも間違いなく選りすぐりと言えるだろう勇士。

 

 「セイバー ジークフリート。世界修正の要請を聞き、召喚に応じ参上した。竜を殺すしか能のない男だが、微力なれども貴公らの力となろう」

 

 

 二人目の竜殺し(ドラゴンスレイヤー)が、ここに顕現した。




 英霊召喚の術式はスカサハ体験イベントで披露された原初のルーンを参考としています
 スカサハはフェルグス、ディルムッドなどの縁が深いケルトの戦士を召喚しましたが、此度はシグルドと同質の魂を持つジークフリートの召喚と相成りました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10戦:ニーベルンゲンの歌

 それは遥か昔の英雄譚。

 源流は北欧神話の伝承エッダに連なるモノ、もしくは同じ源流を持つ固有の伝説だともされた。

 

 【ニーベルンゲンの歌】

 

 主人公とされるは竜殺しの大英雄ジークフリート……ではなく、その妻であるクリームヒルト。

 かの女の長きに渡る復讐劇。

 愛すべき夫を暗殺したハーゲンという男の命を刈り取るまでの壮絶な物語。

 そう、ジークフリートはあくまでクリームヒルトの復讐動機にすぎなかった。

 愛してやまない男の死を悲しむ女のキーマン。それがジークフリートのポジションだった。

 されど、多くの人は語るであろう。ジークフリートが主人公ではないのかと。

 彼はまさしく大英雄たる武勇を多く打ち立てた。物語では早期に退場してしまったが、その存在感は誰が呼んだとしても記憶に残る英雄像そのもの。

 伝承において竜殺しの記述は僅か。しかし彼は人類史に竜殺しの一人として名を連ねた。伝承が少ないということは、その裏で何があったか、またはどのような出来事があったか曖昧ということ。裏を返せば、人々の知らぬ彼だけが知る彼の物語があったということ。魔術世界であればその真相こそが神秘となり要となる。

 時が過ぎればエッダの物語が混合して生まれた世界でも名を馳せた戯曲の原料にもされた。時が過ぎれば過ぎるほど後世で伝承は変化し、元来たるその在り方は難解を極め、ついにはシグルドとジークフリートの境界線をあやふやにしてしまうほどの洞調律を生んだ。

 それほどジークフリートという英雄は多くの人を魅了した。

 バルムンクという宝剣の入手。

 ラインの黄金なる富の獲得。

 軍勢を相手に無双の活躍。

 美しき女との愛。

 どれを取っても栄光と言う名の王道を歩みし者。英雄の道を突き進んだ男。

 驚くべきは彼の素性だ。

 北欧神話のシグルドが大神の末裔であり、勝利と破滅を約束された生まれながらの英雄なれば。

 ニーベルンゲンの歌のジークフリートはどこにでもいる貴族の人間。その一人にすぎない。

 確かに彼はただの人間だ。皇子ではあるものの、神の血を引いているわけでも、特殊な出生が隠されているわけでもない、生粋の人間でしかなかった。

 それこそが彼の異常性だった。

 ただの人間が剣を持ち、竜を殺した。あの多くの戦士が挑み敗れたドラゴンを討伐せしめた。

 特別な力を持たない人間だったころでこの強さ。ならば、悪竜の血を浴びて新たな力を得た男がどうなるかなど、赤子でも分かる真理。ニーベルンゲンの歌において彼は不死身の大英雄として刻まれた。

 傍から見れば彼は完璧な英雄として映っただろう。栄光があり、苦楽があり、愛があり、没落があった。

 徹頭徹尾、英雄の要素が持ち得る起承転結の人生。

 されどもその男は、華々しいと謳うにはどこまでも、人間と言うには、あまりにも―――機械的すぎていた。

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 我が人生は名も知らぬ無辜の人々の願望を叶え続ける毎日だった。

 賊を討伐してくれと請われたら言われるがまま賊を皆殺しにした。

 領主を殺してくれと言われたらその言葉に従い、領主を殺した。

 皆はその不死身不敗の男を惜しみなく讃えた。

 その男もまた静かに称賛を受け入れた。

 

 ただジークフリートは名声に酔いしれていたわけでも、誇らしいわけでもなく、己の人生がその為のものであると漠然に思っていただけに過ぎない。それで世がより良く回るのであれば、それにこそ意味を感じ従うまでのこと。

 助けてと言われれば助ける。殺せと言われば殺す。義兄の願いではあったが、女を屈服させろと命じられればそれに準じた。組み伏せた女の気持ちなど意に返さず。その様はまさしく生きた願望器そのもの。

 

 その男にとって、命の価値は等しく等価だった。

 

 ある時いつもの酒場にて酒を酌み交わした友であり、優れた武勇をも持つハーフエルフのハーゲンは愚痴るようにこう言った。

 

 『お前は他者の願望の善悪を考えたことはあるか。真意を探ろうとしたことはあるか?』

 

 彼が言いたいことは不死身の英雄ジークフリートも理解した。

 その叶えた願望の数々に悪があったのではないか。善悪を自分で判断して裁量したのか、ということだ。

 それもそうだろう。

 例えばジークフリートが討った賊はもしかしたら義賊だったのかもしれない。ジークフリートが殺した領主の黒の噂はその領主の座を欲した者達の狂言だったのかもしれない。

 その願いが正しいものであるか、邪悪なるものかの判断は直接手を下す者にも必要だ。

 言われるがまま無機質に願望を叶え続けるなどという在り方は破綻している。倫理道徳などそこに存在しないのだから。

 ジークフリートは敢えて善悪を測ることはしなかった。

 誰かにとっての正義は誰かにとっての悪となる。誰かを救うということは誰かを救わない。

 完全な善などない。対象によってその有り様は反転するものだ。

 全てを区切り、願望を叶えるなどジークフリートで持ってしても手に余る。だから目の前にある願いだけを優先して応えてきた。

 別にそれが絶対的に正しいものだったと信じていたわけじゃない。それしか知らなかったから、その天秤を重きに置いただけだ。

 

 『いいか、友よ。100歩譲って善悪を決めかねるのは良い。虫唾は走るが、それがお前の在り方であり、その理の中で剣を振るうのはお前自身だ。外野がとやかく言える立場でもないのだろう』

 

 ハーゲンが持つジョッキの取手を軋ませる。どのような鈍い男でも分かる。彼は怒りを抑えつつ、諭そうとしている。この生きる願望機と成り果てた友に対してだ。

 このまま行けば待つのは惨たらしい最期だけだと、彼は忠告する。それがジークフリートに今更言ったところで生き方は変えはしないだろうと分かったうえで、それでも言わずにはいられない友としての想いだった。

 

 『だがな……これだけは言わせてもらう』

 

 ジークフリートが如何に不器用かを知っている男は、せめて譲れない友情の証を口にする。それがいつか彼に伝わると信じて。

 

 『お前自身から来るお前だけの願望は必ず全力で応えろ。それを成し得ていけば、いずれ辿り着く』

 

 あの言葉はジークフリートの心に浸透するように溶けていった。

 生前は遂ぞ叶うことのなかった話ではあるが、ジークフリート自身もその自身が力を十全に振るうに納得できる願望を求めていた。

 生きている間は変えることのできなかった在り方だが、第二の人生がもしあれば、今度こそ確立させたいのだと思えるほど。

 英霊の座に召し上げられた後もその想いは強く刻まれた。そして時系列が存在しない座に記録された聖杯大戦という激動を知る。

 その召喚に応じて得たものは記憶ではなく記録として残るに過ぎないが、その記録であってもジークフリートに大きな影響を与えた。元々無色に近い男の感性を変えるには、記憶と似て非なる記録だけでも十分すぎるほどの色を持たせたのだ。

 なにせ自分の意思で救いたいと思ったから救った、誰でもない自分自身がそうしたいと思って行動した数少ない……いや、初めての出来事。

 あの体験は、嗚呼、きっとジークフリートという英霊を確かに動かしたのだろう。

 まさしく生きた願望機などではない、一人の英雄として。

 

 《この、感覚は》

 

 英霊の座に刻まれたジークフリートに世界からの干渉を感じた。此度の戦場は聖杯という報酬はない。ただ世界を救えという願望。要請。

 例え世界を救ったところで見返りがあるわけでもなく、あるのは責務のみ。

 

 《力になれるのならば、是非もない》

 

 竜殺し(ドラゴンスレイヤー)は迷わなかった。迷うはずもなかった。

 世界を救う。

 ただの亡国の皇子には過ぎた課題だ。されどもその召喚、引き受けた。

 不死身の英雄としての力を振るい、何かを為せるのであれば喜んで力を貸そう。

 

 「セイバー ジークフリート。世界修正の要請を聞き、召喚に応じ参上した―――」

 

 これは他でもない、己自身が望んだ願望でもあるが故に。

 万夫不当の大英雄は再び(ツルギ)を抜き放つ。




 ハーゲンのイメージはジークフリートの幕間基準。
 ハーゲンはハーフエルフではないかという伝承があったり、半分怪物の血が混じっているという伝承があったりします。
 ニーベルンゲンの歌における最重要キャラの一人。
 アポクリファのアニメやコミックでハーゲンの耳がエルフ耳であると確認されたのでハーフエルフ説を採用(公式で明言されたわけではないのであくまで憶測)

 本来サーヴァントの記憶は英霊の座本体に大きな影響を与えないものなのですが、そこはFGO基準にしています。

 噛めば噛むほど味がある、好きになる。そんな大英雄だと感じてやまないジークフリート。
 実装当時はあまりにも低いゲーム性能故に弄られていましたが、今やそれを払拭して余りあるドラゴンスレイヤーっぷりに全マスターが惚れた。
 このSSでも頼れる大英雄のイメージ通りの活躍を描けたらと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11戦:悪竜を殺した英雄

 特異点に召喚されたばかりのジークフリートはまずスルーズと名乗る戦乙女(ワルキューレ)から今に至るまでの過程の説明を受けた。ジークフリートはあくまで世界修正の目的しか知らされずに召喚に応じたに過ぎない。その為、現状の細やかな把握はその場で取得しなければならなかった。

 

 「神霊ブリュンヒルデ及び戦乙女(ワルキューレ)の撃破。それにより世界の修正を行い、汎人類史への影響を抑える。それが此度のオーダーで間違いないだろうか」

 「肯定する」

 

 ジークフリートはこの世界で待ち受ける試練と目的を再度シグルドに確認を取り、彼もまた短く肯定の言葉を発して頷いた。

 彼の生まれた時代では考えられないほど濃密なマナ溢れる神代。その大地にもいち早く適応した彼は、この世界においても万全の力を振るえるだろう。

 事実、シグルドも彼の鍛え抜かれた肉体を見てつい戦士の血がざわついたほどだ。

 悪竜の血を浴び、不死身の身体となった伝承は聞き及んでいた。その古傷一つない鋼の肉体こそ不死の証明とみて間違いない。

 

 「まさか神代における竜殺し(ドラゴンスレイヤー)と名高い英雄シグルド殿と肩を並べられる日が来ようとは」

 「それは此方とて同じこと。よくぞ我が召喚に応じてくれた、ジークフリート殿。聖杯のような上等な報酬も渡せない現状に申し訳なく思う」

 「何を言う。貴公と共に戦えることこそ戦士の誉れ。ましてや世界を相手取って事を成す道程に俺が呼ばれた事自体が僥倖。如何なる金銀にも勝るものだ」

 「貴殿ほどの英雄からその賛辞、当方には過ぎたるものだと感じて止まないな」

 

 二人はこれから共に死線を潜る相手と固い握手を交わした。

 

 ………

 ……

 …

 

 

 召喚された洞窟奥地から場所は変わり、今現在シグルドとジークフリートは隠れ家の洞窟入口前にて夜空に浮かぶ星の下で酒を飲み交わしていた。

 彼らは互いに社交性が高く、打ち解けるのにそれほどの時間は必要なかった。元々同質の魂を持つ英霊。気が合うのはある意味必然だったのかもしれない。

 

 「似通った伝承を持つ竜殺しがこうして酒を酌み交わせるとは。聖杯戦争でもなければ叶うことはなかっただろう」

 「こうして殺し合うことなく、最後まで仲間として手を取り合えるのもまた、聖杯戦争でもってしても叶わない。この奇跡に感謝を」

 「ああ、感謝を」

 

 あの大都市を救った返礼として若い兵士がシグルドに献上した酒は二人の五臓六腑に染み渡る。

 

 「旨いな……」

 

 これほどの美酒、生前でも飲んだことがない。

 麦が違う、土地が違う、製法が違うという問題ではなく、もっと根本的なところからジークフリートの知る酒とは違っている。それでいて体が受け付けないどころか嬉々として迎え入れるが如き口当たりの良さ。この飲みやすさたるや驚嘆に値する。

 

 「神代の酒だ。真エーテルからなる世界の仕組みは神代以降のものとはまるで違ってくる。この芳醇な味わいも、本来なら失われているものだろう」

 「召喚されて早々、良い経験をさせてくれる。酒に溺れたことなどなかったが、これならば心ゆくまで酔えるかもしれないな」

 

 生前のジークフリートはどれだけ度数の高い酒瓶を平らげても夢心地となるまで酔うことはなかった。しかしこの神酒は別格だ。あのファヴニールでさえこの酒を樽ごと飲み干せば泥酔するに違いない。

 嗚呼、もしこの場にハーゲンもいたらとジークフリートは思う。我が友にもこの酒の味を教えてやりたい。必ず驚愕と共に飲み干すだろうところまで容易に想像できてしまう。

 

 「生前に経験できなかったことを死後に体験できるのもサーヴァントの醍醐味と聞く。されどもジークフリート殿、気を付けられよ。竜の力を持つ者は酒に酔わない方が身のためだ」

 「ほう…と、言うと?」

 「東洋の龍も、西洋の竜も、酒を飲み干し、泥酔したが故に首を落とされた伝承が数多く残っている。当方も貴殿も今や竜そのものと言える存在となった。つい酔い潰れでもしたら、その時は首と胴体の今生の泣き別れとなる可能性も少なくはないぞ?」

 

 古来より竜種は正攻法で倒せるものではないと記されていた。勿論、かのベオウルフやジークフリートなどの一部例外はあるものの、本来ならば絡み手を使うのが常。その常套手段とされるのが酒による泥酔だ。

 如何に強大な力を纏っていようとも、酔わせてしまえば此方のもの。纏まらぬ思考しかできない相手の首を取るなど容易い。

 

 「ふむ、確かに竜殺しが竜と同じ死にざまを晒しては恥か。しかし今の俺は、それでも安心して飲める」

 

 酒による泥酔の話を聞いたハズのジークフリートだが、彼は構わず神酒を更にもう一杯飲み干した。躊躇いもなく。

 その行為は自分ならば平気であるという意思表示か。

 それともそのような話に意味はないという強き示しか。

 否。どれも否だ。ジークフリートは確かにシグルドの話を聞き、納得した。我が身も同じ過ちがあれば笑えぬと宣った。

 分かったうえで酒を飲み干し、酔いを加速させる。その意味とは、つまり。

 

 「何故ならば、貴方が俺と共にいるからだ。俺が無防備を晒そうと、英雄シグルドがいればこれほど安心できるものはない」

 「嬉しいことを言ってくれる……が、当方も酔えば話は違ってくるが?」

 「ふっ、それこそまさかだ。貴方は北欧神話に於ける神代の人間。この神酒よりも強いものを幾らでも口にしているはずだ。この手の酒に手慣れているのは愚鈍な俺でも分かる」

 「なるほど、確かにこれは杞憂であったな。それだけこの酒を口にして頭が回るのならば、酔い潰れることもないだろう」

 

 シグルドは苦笑して空になったジークフリートの盃に神酒を注いだ。

 満月の光は人工の照明などより明るく、雅さを兼ね備える。その月下の元で勇士と飲む酒はまた味以上の旨味を惹き立たせるものだ。耳を澄ませば風の程良い風切音が聴こえ、狼の遠吠えも雄々しく木霊する。

 元より人間とはかけ離れた人種であったシグルドは神馬グラニくらいしか心通わせる友はいなかった。ブリュンヒルデと共に飲む酒こそが絶世の美酒と信じていたが、なるほど。この男と飲む酒もまた特別だろう。

 

 「折角だ。貴殿のバルムンクを見せて頂いても? 稀代の名剣、是非この目で見てみたく思うが、如何か」

 

 旨い酒があるのならば、それに見合った肴もいる。それはなにも食べ物である必要もない。趣向があれば、それは肴たり得るのだ。

 シグルドの提案にジークフリートは驚いたように目を見開いたが、すぐに不敵な眼差しとなってバルムンクを鞘ごと現界させる。

 

 「構わない。その代わりに俺は魔剣グラムを拝見しよう。我が宝具のルーツなれば気になるのは当然というもの」

 

 自分の命とも言える宝具を他者に渡す。この行い自体、本来あり得るものではない。そう簡単に他者に触らせていいほど英霊の魂である剣は安くないからだ。しかしその相手が信頼できる仲間であれば話は変わってくる。

 ましてや聖杯を奪い合う聖杯戦争という枠組みからも除外されたこの戦線の中で、裏切りもなにもない。

 

 「「では」」

 

 シグルドはグラムを。ジークフリートはバルムンクを互いに手渡した。酒の摘みにする話題としては勿体無いくらい極上のものだろう。

 もし著名な作家、もしくは絵師がこの場にいたならば、このシーンこそを食い入るように観察し、インスピレーションを働かせていたに違いない。

 

 「ほう……」

 

 シグルドは大剣バルムンクを軽々と片手で持ち上げ、じっくりと握り締めた上でその構造を把握する。そして柄を軽く捻るとカシャンと音を立てながらその柄部分が下がり、蒼久と輝く宝玉が姿を現した。

 

 「(柄から異様な魔力を感じると思っていたが、なるほど。真エーテル(・・・・・・・)か)」

 

 神代に存在した第五真説要素。西暦以前の地球に存在したマナの結晶。西暦後の人間がこのマナに触れるだけで死滅する神秘の塊。おそらくこのバルムンクは神代で失われた魔力を刀身に纏いて放つ対軍宝具と見た。

 力の源を柄の中に隠し、剣に伝導させる仕組みとは、なかなか手の込んだ工夫。まさしく神代が終わりし時代の生き残る術がこの剣には詰まっている。

 

 「見事な宝具だ。まさしく竜殺しを成し得るに相応しい武装と認識する」

 

 神代の宝剣に勝るとも劣らない。鍛冶師としての面を持つシグルドは叡智の結晶を光らせてそう断言した。かの悪竜現象(ファヴニール)の一体を討ち果たすに足りる兵装だ。

 対してジークフリートはグラムをじっと見つめていた。

 この溢れんばかりの魔力。紅き刀身は脈を拍つかのように鼓動する。されどもこれが本来の姿というわけではないのだろう。まだ奥底に隠された太陽の如き……否、太陽の具現たる熱を感じる。

 

 「これが大神の魔剣グラム。魔剣のカテゴリの中で最強と謳われた代物……」

 

 聖剣のカテゴリの頂点とされるものが音に聞こえし騎士王の剣なれば。

 魔剣のカテゴリの頂点とされるものがこの禍々しき戦士の王の剣である。

 北欧神話の稀代の名剣。更にその剣はシグルドの手によって新生された、つまりは打ち直されたと聞く。

 いったいどれほどの鍛冶師としての技術があれば神霊の神剣を復元できる。否、復元するどころか更なる高みへと昇華することができるというのか。この技術であれば高名な鍛冶屋として人類史に名を刻むこともできただろうに。

 

 「眼福とはまさにこのこと。魔剣の頂点、確かにこの目に刻み込んだ」

 

 短い時間なれども、その宝具の隅々を楽しんだジークフリートはシグルドにグラムを、シグルドはジークフリートにバルムンクを返還した。

 

 「貴方は己の背中を預けるに相応しい英霊だと再認識した」

 「光栄だ。この魔剣に賭けて、その期待に応えよう」

 

 二人の竜殺しは一日と経たずにその関係性を確かなものにしていく。

 戦争とは、戦いとは、敵を屠るよりも大事なことが多くある。

 孤立無援の戦いであるならばいざ知らず。背中を預け合える仲間がいるのであれば、第一にすべきことは信頼関係の構築である。それは初歩の初歩であり、どのような戦いよりも難しくもある。特に我の強い英霊となれば一蓮托生と成すまでには時間がかかるもの。しかし彼らは違った。

 孤独の戦いを知っている彼らは、その孤独を知るが故に一人では決して届かない領域を知っている。そしてその届かない領域に手を伸ばすことのできる手段足り得るのが仲間というものだ。

 

 「明日からは更なる激戦が待っていよう。その時こそが、貴殿との初の共同戦線。今に至るまで互いに美辞麗句は語り尽くした。であれば」

 「言の葉が不要の戦場にて、その讃美に勝るとも劣らない成果を打ち立てる。我らの武の信用はそこで生まれる」

 「肯定する」

 「望むところ」

 

 シグルドとジークフリートは今宵最後の酒を喉に流し込んだ。

 神霊ブリュンヒルデとの戦力は天と地の差。絶望的な戦況下の中でも二人の英雄はまるで気負いをせず、この戦いは必ず勝利するものだと信じて疑わない。

 それは慢心からくるものか。それとも現実逃避か。

 否、否である。

 彼らは自然体に身を任せているに過ぎない。

 己が抱く自信以上に、どのような兵力差も尽く打ち破れる力と意志がある。そうでなければ英雄とは言えず。そうであるからこそ数多の武功を打ち立てることができたのだ。

 

 されども侮ることなかれ。シグルドがジークフリートを召喚したように、神霊ブリュンヒルデもまた新たな手段を講じている。

 この戦いは超常にして人ならざる者達の戦い。そこに人類が持つ常識は、一つとして入り込む余地などないのだから。




 FGOで共演するたびに仲良くなっていると思うシグルドとジークフリート
 個人的に安心する組み合わせです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12戦:竜狩り

 戦乙女(ワルキューレ)の襲撃を受けた都市に戦死者は出ない。殺し、魂を回収することを目的としていない彼女達は決して人間を殺すことはない。しかし、それでも被害が全く深刻ではないと言えば嘘になる。

 人間が抵抗あれば彼女達も力を振るう。その戦闘の果てに破損された家々は今も痛ましく残っている。奇跡的にも戦乙女(ワルキューレ)を撃退できた人間達はそこで終わりというわけではなく、復旧作業にも力を入れなければならない現実があった。戦い、反抗し、凌ぎきればそれで終わりというほど世の中は単純にできてはいないものだ。

 

 「ただヴァルハラへの誘いを受け入れていれば、抵抗などしなければ、このような被害も遭わなかったというわけか」

 

 近隣の町で被害にあった街を見て回っているジークフリートは、屋根やら壁やらが砕け散り、風通しの良くなった家々を見てそう言った。

 彼の言うこともまた一つの事実だ。無抵抗でいれば、このような災害の如き被害に遭うことなどなかった。シグルドもまた、それを否定しない。

 それでも彼らは抗った。幼子でも分かる(ことわり)を理解しながら、抵抗をした。その行いに何の意味を持つのかは、生粋の神には理解できず、人でしか分からない。

 

 「貴殿はどう捉える。彼らの抵抗は無意味と取るか。それとも蛮勇と見るか」

 

 シグルドは彼の隣に立ち、今も復興作業に勤しむ人間たちに目を向けながら問うた。

 隣人と手を取り合い、老いも若いも分け隔てなく助け合う。シグルドにとってはこの在り様こそ意味あるものだと感じている。

 彼らは理想郷に赴き、何不自由のない生活よりも人として、また家族と共に生きることを選び足掻いた。だからこそ彼らはあれほどまでに悔いのない表情を浮かべている。神代の人間だから屈強というわけではない。彼らのコミュニティが築き上げた絆がそうさせている。

 

 「人類は神に管理されるほど弱くなどないのだろう。この反抗が無意味であるはずがない」

 

 ジークフリートもまた、彼らの在り方を肯定した。

 自ら望んでヴァルハラを望む者を否定しない。それも一つの選択だ。安全圏で生き続けたいと思うのも分かる。

 だが、ヴァルハラに赴くことを否定した人間を無理やり連れ去り管理するなど神の傲慢以外の何物でもない。お節介の領域を超えている。

 

 「神なる者とは対峙したことのない俺だが、剣を向けるには相応すぎる理由ができた」

 

 ジークフリートはシグルドと違い、神々が生きた神代の生まれではない。それゆえに神がどれほどの存在であるかも理解し切っているわけでもない。しかし、彼らは抗っている。この状況をどうにかしようと足掻いている。ならばジークフリートは彼らの願いを勝手ながらも受領しよう。相手がどのような存在であれ、理由と理屈がそこにあれば斬ることに躊躇わない。

 

 「肯定する。彼らは彼らの生きる道があり、それを切り開くのも彼ら自身。そこに超常の者の介在は不要」

 

 人と神の共存ならばまだ納得できる部分はあるが、一方的な押し付けとなる加護は却ってその人類の為にもならない。今こうして彼らが抗っているのが何よりの証拠。まだこの世界は神に屈してはいない。

 

 「……む。スルーズの方から念話が入った」

 

 現地民の復興を見守っていたシグルドに偵察に出ていたスルーズから連絡が入る。

 既にシグルドが神霊ブリュンヒルデの所在周辺に仕掛けていた探知のルーンは破壊され、彼らの動きが掴みづらくなっていた。そこでスルーズは安全圏から彼らの動向を探り、何か動きがあれば随時シグルドに連絡するよう対策を打っていたのだが、さっそく何かがあったらしい。

 

 『シグルド。神霊ブリュンヒルデの城から十数の戦乙女(ワルキューレ)が飛び立ちました』

 「向かっている場所は」

 『そちらの真逆の方角ですね。ですがこの程度なら、私達で対処できます』

 「当方もそちらに向かう。深追いはーーー」

 『対処できると言いました。以上です』

 

 若干不機嫌とも取れる口調でブツンと切られる念話。異論を挟む余地すら与えてはくれない。

 

 「嫌われているな……」

 「どうかしたのか、シグルド殿」

 「いや、敵方に動きがあったという報告を受けたのだが……自分たちで対応できると」

 「ああ……なるほど。彼女も信頼して欲しいのだろう。自分達の力を」

 「理解はしている。あまり心配を要してはスルーズら戦乙女(ワルキューレ)の侮辱となるのだということくらいは」

 「だが、放っておけるわけもないか。行くのか?」

 「敵方の出方が変わっている可能性が高い。彼らも我々の妨害があることを見越して動いている。スルーズ達を信用していないわけではないが、念のためその場に向かう」

 

 そんなことをすればまたスルーズに嫌われるかもしれない。自分たちはそれほどまでに信用できない戦力なのかと憤る姿が簡単に想像できる。それでもシグルドは向かう。彼女達は、ただの戦力ではない。シグルドにとっては大切な義妹なのだ。

 

 「了解した。俺としてもこの剣を振るう機会を欲していたところだ」

 

 ジークフリートもまた、剣を振るう舞台を待っていた。この異世界に召喚されたのならば、剣を振るい、結果を残さなければサーヴァントである意味もない。尤も、ジークフリートとシグルドが出張らなければならない事態はできるだけ避けてほしいところではある。

 それでも嫌な予感程当たるものだ。それは戦士である二人はよく理解していた。

 

 

 

 結果、その予想は見事的中することとなる。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 「うーんまぁこんなもんだよねェ。今の君らじゃ準備運動にもならないよ」

 

 桜色の長髪をふわふわと揺らしながらヒルドは量産型戦乙女(ワルキューレ)の羽根を破壊し墜落させていく。その様は余裕すら見えていた。

 

 「魔力のパスも潤ってるし、これならどれだけ戦ってもヘタることないね!スルーズ!」

 「ええ。マスターを人間ではなく戦乙女を選んで正解でした。質がまるで違う」

 

 共に空を駆けるスルーズも己の機体性能を確認するように空を舞い、そして次々と苦もなく敵を打ち倒していく。

 

 「オルトリンデの方はどう?」

 「問題ないです。というより、私が出る必要が現状ないことに正直驚きです。まさか戦闘で暇を持て余すことがあるなんて……」

 

 彼女達は鹵獲した五体の戦乙女(ワルキューレ)に複合的な魔力パスを繋ぎ、マスターの代替えとして使うことによりスルーズ、ヒルド、オルトリンデの三体を同時に現界させるという荒業を実現した。これにより戦力増強は元より、永続的な魔力供給を確保できた。

 無論、普通の人間がマスターならこのような負荷のかかる裏技めいたことは不可能だ。精々宝具開放の一瞬だけが関の山だろう。しかし今の彼女達のマスターは戦乙女(ワルキューレ)だ。量産型とはいえ実在する彼女達の神性及び魔力生成能力は飛び抜けて高い。それこそオリジナルの戦乙女(ワルキューレ)を三体同時現界させてもお釣りが来る。

 そんな万全の彼女達からすればもはや量産型程度では相手にならない。彼女達も最高位の神性を有する死神めいた存在。本来サーヴァントとして召喚できる存在ではないことも含めて、規格外たり得る力を取り戻している。

 

 「しかし気になりますね……彼女達は何処に向かっていたのでしょう」

 

 スルーズの知覚能力を用いてもこの周辺に人が住む集落などない。どこを見渡しても森林で覆われ、それこそ人っ子一人としていない。いったい彼女達は何の目的で?なんのために?

 

 「狙いはヒトではない……?」

 

 嫌な、とてつもなく嫌な感覚がスルーズを襲った。

 だが―――致命的に気付くのが遅かった。

 地上から突如として感知される莫大な魔力反応。しかし地上を見渡しても敵影はない。なら、どこだ。この魔力はいったい何処から―――!

 そのスルーズの焦燥を感じ取るように、その存在は動いた。

 地上にある森の至る箇所から上がる炎の柱。

 一瞬にして炭化する深緑の大地。

 巨大な地震は近辺の山々を揺るがす。

 

 「そんな、あれは……!」

 「なんで!?」

 「………!!」

 

 大地から姿を現したのは、炎を灯す巨大な人型。その全長は優に人間の建造物を超え、小山にも匹敵する。手に持つは灼熱を宿す業槍。過去、多くの幻想種が、戦乙女(ワルキューレ)があの槍にて貫かれ、焼かれ、蹂躙された。

 忘れるわけがない。知らぬわけがない。あの存在は、あの人型は!

 

 「「「巨人族ッ!!」」」

 

 かつて神々と争い、共に滅びたハズの幻想。それが今、炎と共に顕れた。

 

 「巨人族の召喚陣!?ブリュンヒルデお姉様が用意したの!?」

 

 ヒルドが悲痛な声で叫ぶ。同期しているスルーズにもヒルドとオルトリンデの苦き感情が伝えられる。あれほど命がけで屠ってきた存在を、よりにもよって心から信奉するブリュンヒルデが呼び寄せたのだ。動揺しないわけがない。

 

 「(お姉様……貴女は、そうまでして!)」

 

 スルーズは理解していたはずだ。あのブリュンヒルデは自分たちの知るブリュンヒルデではないことを。オルトリンデやヒルドだってそうだ。頭では理解していた。それなのに、いざこうして非情な行いを迷いなく行う神霊ブリュンヒルデの所業に、ショックは隠せない。頭は理解できても心は納得できていない。まるで人間のように。

 

 「■■……■■■■!!!」

 

 炎の巨人は上空で己を見下ろす戦乙女(ワルキューレ)に向かって大きく吠える。あの巨体から発せられる声量はもはや人界のものに在らず。ただの咆哮は空気を震わせ、振動を起こし、明確な物理ダメージを生み出す。

 

 「ッ散開!!」

 

 スルーズはすぐさま回避行動を取った。ただの咆哮と見て侮るな。アレすら、まともに受けたら体が粉々になるのだから。

 事実、スルーズ達が先ほどまでいた場所に存在した雲海に大きな穴が開いた。あの雲まで射程が届く脅威。そして容赦なく貫く衝撃波。あのままあの場所に留まっていたら墜落していただろう事実だけが現実に残る。

 一挙手一投足全てが凶器。この出鱈目な存在こそが、巨人なのだ。

 

 「巨人を召喚するなんてどういう理屈!?」

 「原初のルーンには巨人を操る(すべ)も存在する。その更なる最奥。ばかばかしい力です」

 「どうするのスルーズ!」

 

 どうであれ巨人の一体が蘇った。あの存在は天変地異に等しい。ただ歩くだけで大地は揺れ、武器を振るうものなら山が消し飛ぶ。近くに人間がいなかったからまだ良かったものの、街の一つでもあれば一夜も持たない

 

 「……私達で対処します。撤退するにはあまりにも看過できる代物じゃない」

 「うわぁ……スルーズならそう言うと思ったぁ……」

 

 ヒルドは頭を抱える。

 

 「シグルドの到着を待つべきでは……今はジークフリートもいます」

 

 オルトリンデの提案は確かに最善に近い。

 あの大英雄であれば、例え山ほどの巨体を持つ巨人であろうとも涼しげな顔で討ち滅ぼす。

 アレは、そういう存在だ。太祖オーディンの血脈にして大英雄シグムンドの子。

 北欧神話最強の戦士の王。魔術師のみならず魔法使いすら認めざるを得なかったオーディンの最高傑作。

 それに付け加えて不死身の大英雄ジークフリートも新たな戦力として加わった。あの二人が手を組んで掃討するのであれば、凡その敵など歯牙にもかけないだろう。

 

 「いいえ。彼らを待っている間に被害は広がる。その前にこの巨人は私達の手で屠り去ります」

 

 決してこれは私情ではない。シグルドの到着を待つなどという選択を超える、最善足り得る判断の元だ。

 

 「ううーん……まぁ、やれなくもないけどさぁ」

 「私はどちらでも。しかしシグルドに良いところを持っていかれるのは癪なのも確か」

 「オルトリンデまで…はぁ、分かった、分かったよ。やろう! 私達だけで!」

 

 やると決めたからにはやり通す。

 元々この場所にまんまと誘い込まれたスルーズ達の落ち度。その尻ぬぐいをシグルドやジークフリートにしてもらおうなどという思いこそ弱さの源泉。あの英雄達の力を借りれればより安全で確かな結果が生まれるという軟弱な思考。それは今後の戦乙女(ワルキューレ)の在り方に悪影響を与え続ける。

 

 「巨人狩りの戦術、忘れていませんね?ヒルド、オルトリンデ」

 「忘れるわけないじゃん。私達は常に同期している。このネットワークが切られない限り、私達は同一個体なんだから」

 「とはいえ、生前と比べて人数も少ないですよ。私達三人だけで巨人狩りをするなんて初めてでは?」

 「なら、そのスリーマンセルで最も最適な戦術を戦闘の中で構築します」

 「無茶苦茶だよねぇスルーズ。本当に同期してる? バグってるとこない?」

 「無駄口を叩いてたら、すぐに落とされますよ。ヒルド」

 「え?」

 

 間抜けな声を出してヒルドは巨人のいる地上を見た。

 そしてヒルドの瞳には巨大な岩が視覚一杯に映された。

 

 「おああああああああ!?」

 

 ヒルドは悲鳴を上げながら回避行動を取った。スキを突かれてもヒルドとてオリジナルの戦乙女(ワルキューレ)の一体。一秒後に潰れたトマトのように粉砕される未来をギリギリのところで防ぐことができた。

 

 「死ぬかと思ったんだけど!?」

 「巨人の投擲です。当たれば即死でしょうね」

 「くっそぅあの脳筋ゴリラめ!」

 「第二波が来ます」

 「ひぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 巨人は飛行能力がない。大地に足をつけて戦うことしかできない。

 なら空を飛ぶ存在に対してどうやって攻撃を届かせる。

 巨人が出した答えは至極単純にして明解。

 人が飛び道具を使い鳥などを撃ち抜くように、巨人もまた投石という技を用いて戦乙女(ワルキューレ)を狩る。その威力は遥か未来にて人類が到達するミサイルなる兵器に相当し、球数はこの地上に無限にある。つまり弾切れがないトリガーハッピー状態。

 当然、巨人はその力を何の躊躇もなく行使する。ただ投げて敵を撃ち落とすだけの簡単な作業だ。止めない理由がない。

 戦乙女(ワルキューレ)は全速力を持って回避にあたる。かすりでもすればその部分は文字通り抉れる。巨人が投げるものには全て神秘が宿される。なにもかもが出鱈目で、スケールが段違い。これこそが圧倒的質量を持つ巨大生物の特権だ。

 散弾のように細かい石が見舞われることもあれば、一軒家ほどの大岩が飛来してくることもある。まったくもって無茶苦茶の限りを尽くしてくる。

 

 「相変わらず品のない戦い方をする……!」

 

 スルーズは忌々しげに舌打ちし、回避行動を取り続ける。ただ周囲のものをバカの一つ覚えみたいに千切っては投げ、千切っては投げ。そこに勇士のような鮮麗された技量もなければ、高度な戦略もない。あるのはただの暴力装置。野蛮此処に極まった荒業は効率的ではあるものの、品性に欠けていた。見ていて楽しいものでもない。

 とはいえ、このまま回避行動に努めていても戦況は変わらない。こうしている間に周囲の環境が根こそぎ破壊されてしまう。

 

 「ヒルド!オルトリンデ!」

 「「了解!!」」

 

 スルーズが作戦を口にしたわけでも、次動くべき指示を送ったわけでもない。それでも二人はスルーズが自分たちの名を叫んだだけで二つ返事で了承した。もはや言葉を介さなくとも、各々の役目は理解しているが故。

 スルーズは炎の巨人を錯乱するように加速し、目を引き付ける。

 一部の巨人王を除き、一介の巨人に高度な知能はない。敵の行動に裏があるなどと欠片も想像できない。だからこそ、思うように、清々しいほど簡単に乗ってくれる。

 

 「■■■―――!!」

 

 加速したスルーズを仕留めんと炎の巨人は集中して投擲し続ける。この時点でオルトリンデとヒルドのことなど眼中になくなった。戦い方が粗ければ、足元もお留守になりやすいものだ。

 

 「オルトリンデ!」

 「うん!」

 

 ヒルドとオルトリンデは炎の巨人の脚目掛けて偽・大神宣言(グングニル)を投擲する。無論、ただの投擲ではない。原初のルーンによる筋力強化及び物理攻撃力の強化を施している。

 ブリュンヒルデが扱う真なる原初のルーンではないが、それでも戦乙女(ワルキューレ)が扱う原初のルーンもまた、大神に連なる極上の神秘。そこらの大魔術師と比べても桁が違う。

 

 「――――!?」

 

 偽・大神宣言(グングニル)は見事、炎の巨人の大腿部を大きく抉りながら貫いた。

 あんな化け物でも痛みはあるのか、炎の巨人は悲痛な声を漏らす。

 

 「その首、頂きます!!」

 

 両膝を付き、大地に両手をついた炎の巨人に好機とばかりにトドメを刺しに行くスルーズ。

 ただでさえ鈍間な巨人の機動力を削いだのだ。今こそあの図太い首を切り落とす。

 されども忘れるなかれ。

 あの巨人はただの巨人ではない。炎の巨人であることを。

 炎の巨人とは即ち、巨人王が一体スルトの眷属に他ならず。

 であればこそ、その力は曲がりなりにも巨人王の一端を宿すものと知れ。

 

 「■■■■■ッ」

 「蒸気!?」

 

 命の危機を察したのか、炎の巨人は全身から大量の蒸気を発した。その熱は優に人を溶かすほどのものであり、如何なスルーズと言えども無策に突貫するにはあまりにも熱量が多すぎる。

 スルーズが取った選択は一旦距離を取ること。今の炎の巨人は何を仕出かすか未知数。馬鹿正直に挑んだ場合、どのようなイレギュラーがあるか分からない。

 警戒していた。警戒していたのだ。スルーズは決して油断することなく、敵の出方を観察し、構えることができていた。その選択も心構えも一切のミスはない。

 それでも。

 炎の巨人の動きはあまりにも常軌を逸していた。

 怒り、猛る炎の巨人の取った行動は極めて単純だった。

 かの巨人は膝をついた状態から力強く立ち上がる。

 そしてスルーズを改めて見つめ―――跳躍した。

 

 「「「跳んだ――――!?」」」

 

 あの巨体で、あの重量で、あの巨人が、飛んだ。

 人がジャンプするように、重々しくではあるが、確かに炎の巨人は跳んだのだ。

 あまりの光景にスルーズは絶句する。しかし呆ける暇など与えてもくれない。

 届いている。

 跳躍、そして炎の巨人が持つ槍のリーチ。

 上空のスルーズを仕留めるには、十分すぎるほどの距離を詰められた!!

 

 「■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 バカげた動きに、バカげた質量。その二つが合わさった山をも潰す一撃をたった一人の戦乙女(ワルキューレ)に向かって振るい落とす。

 

 「(これは躱せないッ!!)」

 

 瞬時に理解できた。この一撃は回避が間に合わないと。

 

 「「スルーズ!!」」

 

 それでもオルトリンデとヒルドが割って入ることはできた。

 

 「バカですか貴方たち!?」

 「いいから前を見て、来るよ!!」

 「原初のルーンを展開してください、スルーズ!はやく!!」

 

 命を投げ出す行動を咎める暇もなく襲い掛かる巨人の一撃。スルーズはオルトリンデの叱責に意識を切り替え原初のルーンを虚空に刻んだ。

 選ぶは上級宝具をも防ぐ結界のルーン。今はヒルドとオルトリンデが共に刻んだことにより三重の結界を張ることができる。これで持ち堪えなければ、自分達の命は塵に帰るのみ。

 炎の巨人が叩き付ける剛槍。戦乙女(ワルキューレ)三体が張る上位結界。

 ぶつかり合えば、周囲の被害は壊滅的なものになるのは必定。当然のように二つの矛盾の衝突から衝撃波が生まれ、辺り一面を悉く吹き飛ばした。

 余波でこれだ。その中心にいる者達への衝撃は、その二次被害を大きく上回る。

 

 「――――」

 

 その圧倒的なまでの破壊を生み出した炎の巨人は固まっていた。それは決着がついたことから来る勝利の余韻……ではなく。動こうにも、動けなかったのだ。

 それもそうだろう。今の彼は、原初のルーンで束縛されているのだから。

 

 「この、怪物め……」

 

 動けなくなった巨人を前に、あの一撃を紙一重で防ぎ切ったスルーズは血塗れの状態で吐き捨てた。その肉体は痛ましいほど傷つき、美しい金髪も一部が焼け焦げていた。

 

 「うぇぇぇ……死ぬかと思ったぁ」

 「損害多数。一部機能低下及び停止。魔術回路の幾つかが崩壊。これは人間で例えるなら死に体ですね」

 

 同じくヒルドとオルトリンデもボロボロの状態でその姿を巨人の前で見せた。

 完全に防ぎ切ることができなかった三人は見るも無残な姿に。それでも未だ健在に変わりなく。

 対して炎の巨人は両脚を撃たれた状態で無理やりあの跳躍を行った反動で体の節々からは悲鳴が上がり、その弱った状態に重ね掛けの束縛のルーン。もはや最後の一撃も打ち終えた巨人に起死回生の力など残っていない。

 

 「消え失せろ、巨人族。貴様の存在は、あまりに許容できるものではありません」

 

 スルーズは躊躇いなく炎の巨人の眉間に偽・大神宣言(グングニル)をぶち込んだ。なまじ人間と同じ構造を持つ巨人は、英霊とも同じように、脳と心臓に霊核を宿している。そのどちらかを破壊すれば、活動は停止する。弱点が分かれば倒せない存在ではなく、不死身の属性を持たぬ巨人は力なく消滅した。

 

 「巨人討伐、完了。見ましたか、シグルド。貴方の力など必要……なかった…で……しょ…う………」

 

 消え失せた巨人を見届けたスルーズは勝ち誇った顔で気を失った。

 

 「ちょ、スルーズ!?」

 「同期が切れました。完全に気絶しています」

 「冷静に分析している場合かー!スルーズ落ちてる、地上に落ちてる!!」

 

 気絶したなら空を飛び続けることも不可能。当たり前のように地上に向かって真っ逆さまなスルーズをヒルドは血相を変えて回収しに向かった。

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

 炎の巨人との戦いが終わった戦場は、一言で言えば何もない場所に変わり果ててしまった。

 あれだけ自然豊かな森も炎の巨人の暴力的なまでの行いにより焦土と化した。雑草一つとして残ってはいない。

 炭化した世界。

 巨人一体でこのざまだ。戦略兵器か何かと思わざるを得ない脅威を改めて認識した。

 ヒルドはこの現実を見て、焦りを積もらせる。

 

 「これは決着を急がないといけないかもだ」

 

 時間が経てば立つほど神霊ブリュンヒルデはその権能と原初のルーンを用いて戦力を増強し続ける。今でこそ量産型戦乙女(ワルキューレ)なんてものを創造して数をこなしているだけだが、放置しておけばその分脅威度は増すばかりだろう。いつまでも悠長にしてはいられない。

 

 「ともかく、はやくシグルドたちと合流しなきゃ。スルーズもこんなんだし」

 

 すっかり力尽きてしまったスルーズ。彼女もこのままにしてはおけない。すぐにでもアジトに戻り、魔力の回復に努めてもらわなければ。

 ヒルドはやれやれと溜息を吐いて、そんなスルーズを背中に背負う。まるで在りし日のブリュンヒルデが自分達にしてくれたように。

 

 「オルトリンデ―、そろそろ行くよー。もう空を飛ぶ魔力も残ってないから歩いて帰らないといけないんだからねー。のんびりしてたら日が暮れ―――」

 

 ヒルドは振り返って後ろにいるはずのオルトリンデに声をかけたのだが。

 

 「おいおいもう帰っちまうのかよ嬢ちゃん達。せっかくの勝利だ。もちっと余韻に浸っても罰は当たらないんじゃないか? いやはや噂に違わぬ生真面目っぷりだねぇ戦乙女(ワルキューレ)ってのは」

 

 その目に入ったものは、音もなく倒れ伏していたオルトリンデ。そして、見覚えのない金髪の偉丈夫。彼の手に持っているのは紅く濁った二振りの長剣。今までなぜ気付かなかった。あれほどの存在に、なぜここまでの接近を許した。聞かなくても分かる。問わなくても分かる。

 この男は、敵だ!!

 

 「俺を見るや否や距離を取ろうとしたその判断力は良し。だが、良いのかい嬢ちゃん。後ろにはもっとおっかないサーヴァントがいるぜ?」

 

 偉丈夫の忠告は、事実だった。

 バックステップで距離を取ったヒルドだが、その背後にはもう一人の敵がいた。

 

 「誰がおっかないですか。誰が」

 

 凛とした声。まるで聖なる者に連なる気品ある井出立ち。

 されども威風堂々とも取れる芯の強き闘志。

 神に仕える戦乙女(ワルキューレ)だからこそ分かる。

 この聖威―――聖人か。

 

 「まぁそう構えなさんな。蛮族じゃあるまいに、いきなり現れていきなり襲おうってほど俺達もそこまで野蛮じゃない。そこの姉ちゃんは知らんがね」

 「いい加減になさい、バーサーカー。あと外面だけだと貴方の方がよっぽど蛮族っぽいですよ」

 「おいおい聖人様が外見でとやかく言うのは良くないぜライダー」

 「貴方が最初に売った喧嘩でしょうに」

 「ほらな。見かけに騙されんなよ嬢ちゃんがた。そいつぁ根っからの喧嘩師だ」

 

 言い合っているように見えるが、その実どこか気さくで、余裕がある会話。

 まるで自分達を脅威と見なしていないのか。

 

 「ともかくだ。まずあんたらに言いたいことは一つ」

 

 バーサーカーと呼ばれた眼前の偉丈夫は刃を向け、ライダーと呼ばれた聖女はゆらりと十字の杖を召喚する。

 

 「無駄な抵抗はしないことだ」

 

 前も、後ろも退路はない。身を隠す場所も、炎の巨人との戦闘でこの一帯が更地になったことにより無いに等しい。仮に逃げ遂せたとしてもバーサーカーの近くで倒れているオルトリンデは見殺しにすることになる。

 

 「……ヒルド、もういい。私を下ろして」

 「スルーズ! 目が覚めたの!?」

 「この異常な圧を感じて起きないほど愚鈍ではありません」

 

 ヒルドの背中に負ぶわれていた彼女はフラフラとしながらも地面に足をつけ、武装を展開する。

 まだスルーズの闘志はまだ消えていない。

 

 「……起きた時の状況が最悪すぎて悪夢かと思った」

 「現実だよ。間違いなくね」

 「敵は二体?」

 「今のところ」

 

 二人は互いに背中を預け合って構えを取る。

 

 「いいですね。この状況下においてもまだ戦意が衰えていない」

 

 ライダーは感心するように頷くが、その目は獲物を狩る狩人そのもの。聖者がしていい眼差しではない。

 

 「戦意がない相手ならば贈ってあげられる慈悲もあったでしょう。ですが、まだ戦う意欲があるというなら話は別」

 

 聖人は謡うように言葉を並べる。それは本心であるのだろうが、どこか凍てついていた。

 

 「タラスク(・・・・・・)。おいでなさいな」

 「「――――な」」

 

 タラスク? 彼女は今、タラスクと言ったのか。

 彼女が呼んだ存在を知ったスルーズとヒルドは言葉を失う。

 その名は、竜の名だ。

 かのキリスト教に深く、根強く残る伝説の幻想種。

 悪逆を尽くしたその竜は一人の村娘によって、武力ではなく祈りのみで心を改めた伝承を持つ。

 ライダーの呼びかけに応じるように、その竜は地中から姿を顕わした。

 強靭な甲羅上の外殻、竜と言うにはあまりにも特異な姿。ドラゴンというより亀に近い風貌だが、その魔力の純度、神秘の濃度は紛れもなく竜種。

 

 「ライダー……貴女の真名は」

 「そう。私はマルタ。しがないのサーヴァントです」

 「ふざけたことを。聖女マルタがただのサーヴァントであってたまるものですか」

 「ちなみにそこの金髪マッチョはベオウルフです」

 

 さらっとバーサーカーの真名暴露に皆が固まった。

 

 「おい!? さっきの腹いせか!? 嫌がらせで仲間の真名喋るのかお前!!」

 「ほほほほ。口が滑りましてよ」

 「似非お嬢様ぶってんじゃねぇ!」

 

 あの驚きようはフェイクでもなんでもなく本当に本物らしい。

 なんてことだ。まさか、あの竜殺しの大英雄にして賢王と名高いベオウルフがバーサーカーの正体とは。

 

 「はぁ……まぁいい。真名がバレたところで……」

 「なんの問題もありはしない、ですね?」

 「ハッ、良い根性してるぜ聖女様」

 

 なんやかんやでマルタもベオウルフも仲間割れする様子もない。

 多少はいがみ合い、あわよくばつぶし合ってほしかったが、流石にそう簡単に物事は運ばないものだ。

 

 「ベオウルフ」

 「ああ、分かってるよ。お喋りが過ぎたな」

 

 マルタとべオウルフは視線を改めてスルーズとヒルドに向ける。

 いよいよ、動く。

 竜殺しと人類史に刻んだその武力が、半損状態の戦乙女(ワルキューレ)の命を狩らんと動き出す。

 

 「そんじゃあ、まぁ、なんだ。弱ってるところを叩くのは趣味じゃねぇんだが、これも作戦らしいからよ。サーヴァントがそう簡単に命令違反するわけにもいくまい? そんなわけだから」

 

 ベオウルフは剣を構え、タラスクも唸り声を上げる。

 

 「悪く思うなよ」

 

 絶望が―――来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 炎の巨人:FGO四周年記念映像CMの巨人のサイズを参考
 ベオウルフ:言わずと知れた竜退治の源流
 マルタさん:祈りで竜を改心させた麗しい聖女


 次回から遂にサーヴァントVSサーヴァント戦、始まります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13戦:四騎の竜殺し

 古今東西、竜殺しの逸話は少なからず存在する。それこそ北欧神話の竜殺しシグルド。ネーデルラントの竜殺しジークフリート、竜殺しの聖人ゲオルギウスなどが著名である。

 それでも数は限られている。多くの伝承が跋扈するこの人類史においても、竜殺しというのは不変の名誉たらしめる。故に多くの英雄が挑み、多くの英雄が散った。その中で極僅かな英雄が竜殺しを成し、大英雄と謳われるまでに至る。

 竜に特化したから竜を殺せたんじゃない。竜を殺すほどの力を持った英雄が竜を殺せたのだ。

 だからこそ、竜殺しの英雄は皆―――強大な力を有している。例外なく、全員がだ。

 

 「……ぁ………ぐ…」

 

 これほどまでか。これほどまでの力か、竜殺し。

 スルーズは自身の血で作った水溜まりのなかで倒れていた。

 まるで歯が立たなかった。炎の巨人との戦闘で疲弊していたとはいえ、手も足もでなかった。

 いや、違う。仮に疲弊しておらず、万全の状態で挑めたとしても勝利できていたかと言えば、否だ。認めたくはないが、結果は同じだっただろう。矛を交えたら嫌でも理解できてしまう実力差があった。

 せめて刺し違える……そんな願いすらも届かせてはくれない。この不条理なほどの強さこそが、竜殺しに至った英雄の壁。腐っても半神である戦乙女(ワルキューレ)をも、歯牙にも欠けぬ圧倒的武力!

 

 「やれやれ。ようやく倒れてくれたか。あの瀕死からよくもまぁあれだけ動けたもんだ」

 

 ベオウルフは岩に腰を下ろして葉巻を取り出して一服している。

 我ら戦乙女(ワルキューレ)を完全に無力化したと判断しての休息か。

 その行為自体がスルーズに敗北したという事実を浮き彫りにする。率直に言って屈辱以外のなにものでもない。

 

 「タラスク……手加減でもした?」

 「ぐるるㇽㇽㇽ」

 「ふふっ、そうよね。貴方にそんな器用な真似なんてできないわよね。となると、凄いわ。タラスクを相手にして五体満足でいられたのは貴女達が初めて。誇りなさい、戦乙女(ワルキューレ)

 

 ここまでボロボロにしておいてよく宣う。第一、再起不能レベルにまで蹂躙しておいて誇れなどと、聖女でも冗談は言うものだ。本心からくる言葉なのだろうから猶のことタチが悪い。

 こちらは指一本動かない。オルトリンデもヒルドも同じく倒れ伏し、身動き一つ取れないまでにダメージを負わされた。

 竜鎮めし聖女マルタ。竜殺しベオウルフ王。尋常ならざる彼らが呼ばれた理由は明白だ。

 

 「貴女達の……目的は………」

 「おうよ。北欧最強と名高い大英雄、シグルド。その討伐だ。俺達が呼ばれたんだ、そりゃ竜を狩る為さ」

 

 シグルドは竜殺しであると同時に竜そのものでもある。

 竜の心臓を食べた彼は、竜の炉心を、神々の叡智を得た。

 強者を更に最強たらしめる力を有したと同時に、竜の属性もその身に宿る。

 それは即ち、逆に竜殺しの対象にもなるということ。

 

 「本当は俺達二人……いや、タラスクを含めれば三体の戦力で北欧の竜殺しを狩る予定だったんだ。俺に、聖女マルタの拳、タラスク。北欧の竜を狩るにゃあもってこいだ」

 「あの、私を含めないでくださります? 拳とかよく分からなくってよホホホ」

 「大根役者ばりに猫被ってる聖女様はおいといて……理念には反するが、袋叩きを狙っていた」

 「では……私…たち……は」

 「あいつを釣る餌だ」

 

 ベオウルフは非情にもその事実を突きつける。

 敵ではなく、撒き餌として利用する。その為に戦乙女(ワルキューレ)を誘い込み、潰した。

 己の不甲斐なさに悲しさを通り越して怒りを覚える。何が誇り高き戦乙女(ワルキューレ)だ。敵の思惑にまんまと嵌り、利用されてよくもまぁそのような鍍金を掲げることができたものだ。

 

 「しかし、誤算はあった」

 

 本来三体がかりで仕留める手はずだった。

 竜を狩るのは竜殺しの役目。より確実な手を使って挑むのが定石というもの。

 しかし相手もまた、ただ狩られるだけの竜ではなかったということだ。

 忘れてはならなかった。ベオウルフ、マルタが今から狩ろうとしている竜はただの竜ではない。

 人型の竜であると同時に、優れた魔術師だったことを。

 

 「まさか……竜がもう一体増えてるなんてなぁ」

 

 ベオウルフは嗜んでいた葉巻を噛み砕き、立ち上がった。

 敵影あり。それも、二つ。

 炭化した場所に堂々と姿を顕わした二人の戦士。

 この見晴らしのいい場所では奇襲もできぬと踏んで正面から来たのか、それとも性分故に真っ向から現れたのか。どちらにしても清々しい闘気。これは出迎えなければ罰が当たるというもの。

 ベオウルフはもちろん、マルタ、タラスクも迎え撃つ形で前に出た。

 彼らは自然と横一列となり、その姿はまるで決闘を待つかのコロッセオの闘士のようだった。

 

 「(人型の竜とはよく言ったもんだ)」

 

 ベオウルフはゆっくりと近づく二人の存在を感じ取り、舌を巻く。

 ドラゴンとは巨体で、力強く、それでいて圧倒的な畏怖を齎す存在。

 しかし人の形をしたソレらは巨体に在らず。されども、ドラゴン特有の圧を持つ。

 これは竜殺しの英雄であるからこそよく感じ取れる感覚だ。

 竜そのものが人の皮を被った化物。竜の力を用いて、なおかつ人の技量を持つ者。

 ドラゴンよりもなお厄介な相手だと理解できる。それも二人。どちらかがシグルドであることは間違いない。であれば、もう一人は誰だ。何者だ。

 そして遂に、二匹の人の形をした竜はベオウルフ、マルタの眼前まで辿り着いた。剣を抜いて振り下ろせば優に届くだろう距離。

 そんな距離の中で四人の戦士は目を逸らさずにいる。

 暫しの沈黙。そして表情も読め仮面の男がこの場で最初に開口する。

 

 「既に知れているが故に名を語ろう。当方はセイバークラスによって現界した者。真名シグルド」

 「ほう……アンタが」

 

 黒装束に身を包み、仮面で顔を隠している男がシグルド。

 なるほど、先ほどまでは気付かなかったが、この距離だからこそ分かる。彼からは同郷の匂いが、更に言えば確かな北欧の神の神性を感じる。偽っているわけではなさそうだ。

 

 「なぁライダー。そこで倒れてる戦乙女(ワルキューレ)に俺達の真名バレちまったからよ……どうせ念話とかで伝えられて知られるくらいなら、俺達も自分で名乗った方が後味がいいと思わんかね?」

 「良いでしょう。かくいう私も、真名を知られたからといって困ることなどありません。正面からねじ伏せれば済む話ですから」

 

 元より正体を隠して戦うというのも好きではない。名乗られたら名乗り返すのも王としての務め。

 

 「バーサーカーのクラスにて召喚された。真名ベオウルフ。良き闘争を」

 「ライダークラスに選ばれました。真名マルタ。お手柔らかに」

 

 ベオウルフとマルタ。二人は真名を自ら明かした。

 その名を聞いたシグルドともう一人の剣士は成程と言わんばかりに頷いた。

 

 「竜を殺した者が竜殺しと戦うことになるとは……因果、だな」

 「その為に俺達は召喚された。人にして人ならざる英雄を狩る為に。だが、そちらの竜の匂いがする戦士は話になかった。あんたが召喚したのか?」

 「肯定する」

 「ほう。それで、その戦士は真名を名乗らないのかい? あんたも、俺達も、全員が真名を口にしたが……それとも、言えない理由でもあるのか。例えば、かのアキレウスのように真名がそのまま弱点が露呈する、なんてな」

 

 安い挑発だ。言ったベオウルフ本人が内心で苦笑する。

 英雄の自尊心を燻る煽りなんて元来ベオウルフが口にしたことはない。きっとローマの知将カエサル辺りが聞けば鼻で笑われるだろうカマかけだ。

 それでも180cmは優に超える白髪の戦士は静かに頷き、そして―――。

 

 「申し遅れた。我が名はジークフリート。セイバーのクラスによって現界した。かの大英雄ベオウルフ、聖女マルタと刃を交えられるこの一時に感謝を」

 

 不敵な笑みを浮かべていたベオウルフはつい目を見開いてしまった。

 じっくりと此方の様子を伺っていたマルタも一瞬で雰囲気が変わった。

 

 「(ジークフリート……あの不死身の竜殺しジークフリートか!?)」

 

 ベオウルフは危うく声を上げて驚きそうになった。

 いや、改めて思えば合点はいく。

 竜の血を浴びて不死身となった男の伝承は、北欧神話のシグルドの伝承と似通っている。その魂そのものが同じく似ているのであれば、シグルドが召喚した際彼が呼び寄せられるのも道理。

 

 「おいおいこんな安い挑発に乗ってくれるなんてお行儀がいいってもんじゃねぇぞジークフリート。その真名が露呈する意味はあんたが一番分かっているはずだ」

 

 ベオウルフもマルタも真名が知られたところで大きな問題はない。しかしジークフリートは違う。真名を知られることの重みがまるで違ってくる。

 彼は、不死身だ。不死身だが、ある一部だけは生身の人間と大差はない。

 真名が知られるということは、その致命的な弱点が浮き彫りになることを意味している。

 挑発に乗って口にするほど軽いものではないはずだ。

 

 「いや、ただ俺は俺の矜持に従ったまでのこと。そこの聖女マルタの言う通り、真正面から捻じ伏せれば問題などない。そう、思ったまでのことだ」

 「「――――」」

 

 これは煽りか。否だ、彼は心の底からそう思っている。だから嫌みが感じられない。

 あまりの素直さにベオウルフもマルタも鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

 シグルドばかりが獲物だと思っていたが、いやはやどうして。

 この闘争は、間違いなく御馳走だ。グレンデルとの戦いよりも、名もなき火竜との戦いの時よりも、心の底から歓喜できる、最高の戦いになるとベオウルフは確信した。

 

 「ククッ」

 「あはははっ」

 

 笑え。笑ってしまえ。

 これは良い、最高の獲物だ。最強の敵だ。

 ベオウルフも、マルタも、闘争本能が高ぶってきた。

 そしてそのボルテージが頂点に達した時こそ。

 

 「「上ッ等ッッ!!!」」

 

 開戦の合図となる。

 

 

 

 後にその戦いを見届けたスルーズは語る。

 あの戦いは、まさしく新たな【神話】であったと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14戦:ドラゴンライダー

 「タラスクッ!」

 

 開戦にて一番手を務めたのはシグルドでも、ジークフリートでも、ベオウルフでもない。

 肩書では誰よりも争いに向いていないと思われた聖女マルタだった。

 その凛とした声は炭化した一帯に満遍なく響き渡り、兵士達の奮い立つ怒声のものとはまた別の品格すら感じられる開戦の合図。十字の杖の切っ先は迷いなく竜殺しの大英雄二人に向けられ、その声に真っ先に続く者は常に決まっている。

 

 「■■■■■■■ッ!!!」

 

 竜の判断は迅速だった。タラスクは即座に己の甲羅に頭と六肢を引っ込め、猛スピードで回転しながら宙を舞った。脚を引っ込めた殻の穴からはジェット機構さながらの魔力噴射。竜の炉心を持つであろう竜種ならではの魔力量の暴力。あの六つの穴一つ一つが一種のスラスターの役割を担い、更に回転速度を上げて飛行するという竜殺しの二人も見たことのない奇天烈な飛行方法。物理法則ではまずありえないのだが、彼こそは神秘色濃く残していた神代の申し子。そのような法則には縛られない。

 

 「圧壊!」

 「■■■!!」

 

 マルタの指示にタラスクは呼応する。

 遥か上空まで上昇した竜はそのまま勢いを殺さず、彼ら目掛けて落ちて―――否、突進を仕掛けてきた。

 巨大な甲羅が音速を超えて飛来するその光景はまさしく大きな壁が突っ込んでくるようなものだ。面が広い分、完全に回避するのは難しく、迎撃もまた堅牢な甲羅がある為に容易ではない。

 生中な戦士であればこれだけで戦意を喪失する。そも、竜種を相手にするのだ。普通の人間ならばその事実を受け入れられず降伏を懇願してきてもおかしくはない。

 されども彼らが相手するのは天下無双の大英雄。それも竜を殺すことにかけては右に出る者なしと謳われたプロフェッショナルだ。無論、この程度で怖気るほどヤワな男たちではない。

 

 「あれが噂に名高い竜種タラスク。今まで見たどのドラゴン、ワイバーンとも異なるな」

 

 シグルドはその出鱈目な速度で突進してくるタラスクを見上げながら興味深くその造形、能力を観察する。叡智の結晶を通して映し出されるその螺旋の瞳はどこまでも冷静だ。脅威よりも好奇心の方が勝るほどに。

 

 「どう見ても亀に見えるが……そういうものも、いるということか」

 

 ジークフリートは腕を組んでただそこに立っている。両名ともに動く気配がない。

 タラスクはこんな相手は初めてだと内心で思った。この技を仕掛ければどのような者であろうとも回避行動を取る。しかし彼らからは避けようという意思が感じられない。

 

 「シグルド殿」

 「了解した」

 

 ジークフリートの声かけに、シグルドは頷き、短剣を取り出す。蒼き光を灯すその剣は確かに強烈な神秘を感じるが、所詮は剣。まさかあの小さな剣で我が突進をどうにかしようなどというのではあるまいな。

 もしそうなのであれば、実におめでたい頭をしている人間だとタラスクは思う。そのようなもので対処できるほど、竜種の攻撃は甘くなどないッ!

 タラスクは絶対の自信をもって突貫を敢行する―――のだが、予想外のことが起きた。

 シグルドはその短剣を宙に放り、その柄を殴った。アッパーカットの要領で打ち上げられた短剣は回転して突撃するタラスクの甲羅に当たった。ただ、それだけのことだ。それだけのことなのに、その衝撃はタラスクの予想を大きく超えていた。

 

 「――――!?」

 

 まるでマルタに本気で殴られた時のような衝撃。軽く弾いてやろうという思いを真っ向から吹き飛ばす重さがあった。高速回転から生み出される高速飛行は、たった一撃の短剣でバランスを崩されたのだ。そして本来シグルドとジークフリートに直撃する場所から僅かにずれてしまい、何もない大地に激突する。

 結果、大きな砂埃を生み出し、辺り一帯の視界を大きく遮ってしまった。

 

 「■■■■(舐めた真似を)……!!」

 

 誇りある一撃を逸らされた上に、視界を潰すことに利用された。あの二人が余裕をもって動かなかった理由がこれか。この算段を立てていたのか。自分が空を飛び、突貫する行為に至ったところから!すでに!この対処法を思いつき、実行した!!

 屈辱だ。防がれるだけならまだいい。回避されるのも想定内。だが、最小限の動きにより最大限の利用を受けたのであれば話は別だ。幻想種最強の肩書を持つ竜種がこのような恥をかかされては沽券に関わる。

 このまま終わらせてなるものか。すぐに態勢を立て直し、火炎でもなんでも放ち、この砂埃を取り払う。そして今度こそ奴らを潰す。そうでもしなければマルタに顔向けもできない。

 

 「残念だが、貴殿はここで大人しくしてもらおう」

 「!?」

 

 どこからか声がした。されども振り返る余裕すらなく、タラスクの周囲には五本もの短剣が囲いをする形で突き刺さる。自分にではなく、その周囲に? あの瞬間こそ、己に攻撃を仕掛ける絶好のチャンスだったはず。それを押してまで直接攻撃せずに短剣で囲いを作った。いったい何をするつもりだ。

 

 「■■■■!!」

 

 なんにしてもこのままでは拙いことはドラゴンの本能で理解できる。すぐさまタラスクは飛行形態を取り脱出しようとする。制空権さえ押さえればやりようは幾らでもある。だが―――。

 

 「■■!?」

 

 何もないはずの空間にその脱出を拒まれた。このタラスクの巨体をモノともしない見えぬ壁。

 まさかこれは。

 

 「動きを一時止めて思案するか。危機を感じて瞬時に飛び立とうとした行動力を鑑みても知能は高い。聖女マルタが使役する竜なだけはある」

 

 また憎たらしい声がする。その声のする方向に目を向けると、そこには蒼い目を光らせて立つ竜殺し(ドラゴンスレイヤー)の姿があった。

 

 「この結界は原初のルーンで編まれている。よほどの宝具でもなければ打ち破ることはできん。尤も、竜種である貴殿なれば破壊も可能やもしれんが、暫しの刻は必要だろう」

 

 そんなことは言われずとも理解できる。

 不可視の結界と肉体が衝突した瞬間、分かってしまった。この結界の強度は並大抵のものではない。恐らくは神代に通ずる御業。打ち破るにしても時間がかかる。その間、マルタはタラスクという戦力が削がれる状態となってしまう。

 いつぶりだ。このタラスクが身動きを、自由を奪われたのは。竜種をこうも容易く籠にぶち込む、目の前の男は本当に人間なのか。俄かに信じがたいが、そこでようやくタラスクは理解した。

 脆弱な人の中に極稀に現れる規格外の存在『英雄』。

 マルタがそうであるように、この男もまた埒外の傑物。舐めていたわけではない。油断していたわけでもないが、覚悟が足りなかったのは認めよう。この存在を前にすれば、己の自慢の甲羅も砕かれる覚悟を灯さねば釣り合わないのだと。

 

 「■■■■■■■■■■■■■(何が人間だ、人型の皮を被った悪竜の化物が)

 「当方は人と定義されている。例え竜に言われようとも、な」

 「■■■■■■(竜の言葉が分かるのか)

 「能力の一つゆえ」

 

 ますます竜ではないか。竜の言葉を理解する人の子よ。

 その目はなんだ。螺旋が瞳を形作っているかの如き紋様を持つその眼は何を映している。

 人は、そのような目をしない。少なくとも自分の知る人という種族は、貴様のような冷たき目をする存在ではなかった。

 

 「■■■■■■(なら、これだけは言ってやる)

 

 竜の言葉すらも理解できる竜殺しに忠告する。そう、これは忠告だ。決して負け惜しみではない。

 

 「■■■■(姐さんは)……■■■■■■■(俺がいなくともヤベェお方だ)■■■■(俺を一時的に)■■■■■■■■(封じた程度で勝った気になるなよ)

 「姐……?」

 

 タラスクの聞きなれぬ「姐さん」という言葉にシグルドは一瞬だけ意識を向けた。

 その一瞬を彼女は決して見逃さない。

 

 「よくもうちのタラスクを籠に入れてくれたわね!」

 

 ドスの籠った声でシグルドの背後に現れたのは聖女マルタ。

 振りかぶるは十字の杖。

 装飾もさることながら、その杖は宝具に勝るとも劣らない神秘を宿している。

 それを彼女は―――躊躇いなく、鈍器の如くシグルドの頭に叩き込んだ。

 

 「チィッ………」

 「この膂力。貴殿、聖女でありながら闘士か」

 

 マルタは大きく舌打ちをする。

 確かに頭を狙って叩き込んだが、寸でのところでシグルドは片手でその杖を掴んだ。

 自慢の一撃を防がれた。それにこの杖から伝わる竜殺しの筋力、勢いの乗った殴打を難なく掴む握力。その全てが明らかに人界の域を超えている。

 

 「不意打ちを狙った一撃だろうに、敢えて攻撃宣言を口にする。聖女マルタは正々堂々……もしくは、裏をかくということが苦手な人種とお見受けするが、如何か」

 「ふんっ。私は聖女と言うにはあまりにも未熟。己を清くなどとは思っていません。それでも、皆が聖女として私を慕ってくれるのなら、それに恥じない行いをするだけです」

 「聖女は杖を振り回しはしないと思うが」

 「それはそれ。これはこれです。私のようなひ弱な女でも自衛できるという証明とでも思ってください」

 「………そういう、ものか」

 

 それにしてはマルタが持つこの力はなかなか強い。ライダークラスでなければ更に筋力の能力が上がりそうなものだが、そこは敢えて言わぬが華。悪意のない賛美が時に相手を怒らせる時もある。

 シグルドはただの戦士として接しよう。戦場においては女も男もない。全ての命が等価で傷つき、消え去るものなのだから。

 

 「このマルタ、第二の生にて第二の竜退治を成して魅せましょう」

 「ほう」

 「ただし、今度の竜退治はかつての十倍は荒くなりますが」

 

 マルタの腕に力が入る。この人の形をした竜は、自分を律し続けて倒せるほど甘くはない。ならば、最初から全力で倒しに行くしかあるまい。聖女としての面だけではなく、一人の女としての面だけではなく、竜を制した存在として。

 

 「ご容赦くださいな!!」

 「ぬ……!?」

 

 マルタはそのまま杖を振り抜き、シグルドを吹き飛ばした。まさか更に威力が上がると思わなかったシグルドは宙を舞うが、すぐに態勢を立て直して難なく着地しようとする。しかし、それをマルタは許さない。

 

 「そこ!」

 

 マルタは祈り、対象の着地地点の空間を歪ませる。

 咄嗟に短剣を構えて防御態勢をも取るシグルドだが、遅い。

 

 「食らいなさい!!」

 

 マルタの指定した空間は大きな破裂音と共に爆散する。これが聖女マルタの奇跡の一つ。

 杖が定めた空間に歪みを発生させるほどの祷り。それを前にすれば回避も困難。着地狩りを狙って放てばこれこの通り。かの竜殺しと言えども回避はそう簡単ではない。

 

 「タラスクは今のうちにその結界を破壊しなさい。ひたすら暴れ続けたら幾ら強力な封印術も綻びが生まれる。さっさとその檻から出てこなかったから拳骨食らわせるわよ!」

 「■■■■(了解しましたー!!)!!」

 

 タラスクは再度突貫形態に移行し滅茶苦茶に暴れ回る。このままタラスクが解放されればマルタも真名解放が行える。そうなれば一気に畳みかけることもできるのだ。

 現状、あのシグルド相手にマルタ単体で挑むのは幾らなんでも無謀が過ぎる。ベオウルフの援護があればまだ話は違っていたのだろうが、その相棒も分断されていてサポートを受けられない。彼方も彼方で相手があのジークフリート。恐らくマルタの援護まで手は回らないだろう。

 

 「なるほど。十字架を掲げて祈ることにより生まれる魔術式。見たところ発動するまでの過程は皆無。結果だけを発生させている。故に初見での回避は困難を極める。躱し切れぬわけだ」

 「普通に無傷で喋らないでくれる……結構手応えあったのに」

 

 何食わぬ顔で魔力が爆散した場所からシグルドが姿を顕わす。

 よく見ても埃が微妙にその衣類についているだけで、ダメージらしきものが見当たらない。

 

 「(あの攻撃では決定打にならないか)」

 

 何かしら防御宝具があるのか、それとも単純に頑丈さもサーヴァントの中で最上位か。どちらにしても化物じみている。

 マルタは炸裂させたのだ。祈りを、魔力を。シグルドはそれに直撃した。であれば手傷の一つや二つ期待してもいいものだが、ああも無傷で何食わぬ顔で対応されては十字架も泣くというもの。いや別に攻撃の為にあの人から託されたものではないから泣きはしないけども。

 

 「貴殿は何故ブリュンヒルデの召喚に応えた」

 「私は世界を救いたいって本心からの願いを聞き入れたから応じました。まさかこんな仕組みになってるなんて予想外ですが」

 

 世界を救いたい。人類を救いたい。その純粋な願いを受け取ったからこそマルタは召喚に応じた。しかし蓋を開けてみれば神霊ブリュンヒルデの人類統制の足掛かりに使われるための召喚。純粋な願いであるのは間違いなかったが、そこを知らずに釣られたのだから呆れられても文句は言えない。

 

 「ならば尚のこと、彼女に従う道理が欠ける。聡明な貴女であれば分かるはずだ。このままこの特異点が膨張すれば、元の汎人類史にも影響が出てくる」

 「分かっています。そのようなことは。ですが、ええ。悔しいことですが、サーヴァントとして呼ばれた私は純粋に逆らえない。令呪を超える命令権が肉体に宿っています。思考も、体も、貴方達を排除することに徹底してプログラムされている。ベオウルフもそうでしょう」

 「貴殿らほどでも、か」

 「彼女は完全に神霊の時代に戻っている。否、ifなる彼女は神霊の力が継続している。一介のサーヴァントが、ましてや召喚の招きに応じたサーヴァントが抗える術はありません」

 

 マルタは杖を手放し、シグルドの前に出る。

 武装を解除したということは、降参の意味か。それとも。

 

 「だから、せめて貴方達を見定めます。神に挑むのですから、私達に負けるようでは夢のまた夢。そうは思いませんか?」

 「………不器用なお方だ」

 「これが性分ですので。どうせ逆らえないのなら、逆らえないなりの足掻きをします。どうか」

 

 マルタは拳を握りしめる。

 

 「世界を救うに足る勇者か、私達に証明してください。英雄シグルド」

 

 杖はマルタの力を律するもの。

 杖はあの方から託されたもの。

 杖はお淑やかであれと願われたもの。

 それを離したのであれば、答えは一つ。

 本来のマルタが再び力を示されるということだ。降参の意などであるものか。

 

 「モーセ様。ヤコブ様。お許しください―――」

 

 杖を置いたマルタに残されたものは、ただ純粋な武のみ。

 そこには相手に対する憐れみはなく、慈悲もない。聖人としての役目を一刻のみ薄め、拳を使わねばどうにもならぬ強者と認めたが故に。

 竜の鱗を剥がし、竜の肉を断ち、竜の甲羅を粉砕するマルタが本来持っている力の全力開放。

 この力を前にタラスクも轟沈した事実を知れ。

 

 「このマルタ。拳を解禁します」

 

 その拳は、竜をも挫く。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15戦:愛知らぬ哀しき竜よ

 伝承上において、聖女マルタはベタニアという町で生まれ育ったどこにでもいる町娘として生を受けた。その時点では神の血を引いているわけでも、特殊な王族の元で生まれたわけでもない、ただの人間だ。

 その何処にでもいる町娘は、救世主の言葉に導かれ、信仰の果てに世界有数の聖人となった。

 竜を鎮めたのも争いを生む武力ではなく、一切の不浄なき祈りによるもの。それがシグルドの知る旧約聖書の聖女マルタだ。

 

 「認識を改めねばなるまいな」

 

 シグルドは今目の前にいる聖女マルタを見て、そう言わざるを得なかった。

 杖を手放した彼女は拳を握り、脇を締め、隙のない格闘家さながらの構えを取っている。

 拳を交えるまでもなく、理解できる。その様は武闘家の見様見真似ではない。形だけのこけ脅しでもあるものか。体の重心の置き方は女性の体格を考慮されており、理に適っている。この一瞬一瞬においてもブレは見られず、足の運びも上等なもの。恐らくは何かしらの武術を基にしている。それも、かなり歴史のある古代の闘法。

 

 「認識を改める。貴方は今、そう言いましたね」

 「無論だ。その姿を見せられては、もはやただの聖女とは思うまい」

 「なら、貴方も見せなさい。貴方が持つ闘法を」

 「む?」

 「とぼけるのは無し。私が貴方の拳に気付かないと思って?」

 

 マルタは気付いていた。英雄シグルドが剣を振り回すだけが得意の男ではないことを。

 動きを見ればわかった。あの男は、剣士の皮を被っているにすぎないと。

 セイバー(剣の英霊)は皆が皆、騎士であるわけでもなく。ましてや剣のみが戦う手段というわけでもない。

 その本質は、自分と同じ―――拳を武器とする者。

 

 「……了解した。貴殿の誇りに劣らぬよう、当方もまた、拳にて迎え撃とう」

 

 シグルドは指摘通り、本来の在り方を明かすことを決意した。

 戦士たるもの、己の手の内はそう簡単に晒すものではない。

 しかし戦士には時として矜持を示さなければならない時もある。

 今がまさにその時だろうとシグルドは思う。

 彼女は己を試している。

 逆らえない身の上で戦っている今。できることは限られている。その限られた選択の中で、唯一できることが世界の命運を預けるに足るものかどうかの選定。

 さすれば、シグルドもまた、力を見せねばなるまい。

 それが聖女マルタに対する礼儀なれば。

 

 「限定解除」

 

 シグルドは己のマスクを一部解除する。フルフェイスで隠されていた顔の一部が露出する。

 それだけではない。

 シグルド自身の魔力の桁が二つと跳ね上がり、最小限に留めていた鎧の武装も新たに展開される。

 先ほどまでが隠密機動を主とした兵装ならば、今のシグルドの姿はより戦闘に特化させた姿。

 マルタは文字通り魔力の桁が増えたシグルドに対して武者震いを抑えきれないでいた。

 

 「あら、良い面構えじゃない。でも顔をまだ半分隠しているのはシャイだから?」

 

 それでも余裕を崩さない。常に、優雅に、大胆に。これが今のマルタが持つ信条である。

 

 「この姿こそ拳を振るうに最も適したもの。貴殿が望む、最適解だ」

 

 シグルドもまた右手を前に出し、左腕を腰辺りにまで下げて、構えを取る。

 

 「(上等。やってやろうじゃない)」

 

 彼はまだ力を残している。恐らく今の姿が、マルタに出せる力の一端。

 舐められているわけではない。今後の神霊ブリュンヒルデとの戦いを前に全てを曝け出すわけにはいかないという彼なりの配慮。しかし、それでもこのマルタ相手に出し惜しみをしていることに変わりはない。

 確かにこの英雄は神殺しを為せる力があるのだろう。試さずとも、そのくらいは分かる。それでも、マルタにだって意地がある。責務がある。このまま何も手ずから確認せずに散るわけにはいかない。拳を交えてこそ分かることもあるのだ。

 

 「それじゃあ、行くわよ! 優男ッ!!」

 「此方の戦闘準備は万全である。来い」

 

 まず先行を仕掛けたのはマルタだ。元々勝気な彼女は敵の出方を見るなどというまどろっこしいことはしない。常に全力で捻じ伏せる。それができてこそ聖ヤコブ神拳伝承者。

 

 「シッ―――!」

 

 マルタが最初に繰り出した技は右腕から放つ最速の拳、ジャブだ。

 決して勢いをつけず、最小限の動きから放たれるそれは威力こそ微量だが、その初動から拳速まで最も速き拳とされている。なにより最初に相手との適正な距離を測る牽制の意味もあり、次弾の大技にも繋げられる基礎中の基礎。

 更にマルタが放つジャブは人間が放っているものとはわけが違う。人間のプロでさえその極められたジャブの初動からヒットまでのスピードは約40~50㎞とされている。しかし英雄にして英霊にまで昇華されたマルタのジャブは音速を超える。それがサーヴァントという存在であり、人間の埒外にある物理法則から成り立っているが故。

 それでもシグルドは難なくマルタのジャブを裁く。音速の壁を突破した音を鳴り響かせながら放たれた最速の拳を初見にて対処する。これが可能なものは星の数ほど存在する英雄の中でもどれだけいるか。ベオウルフが今の彼を見たら目を輝かせて挑みに行っただろう。

 だが、これに驚いて手を止めるほどマルタも愚鈍ではない。この程度の拳が捌かれるのは想定の範囲内。むしろジャブ程度ちゃんと対応してもらわなければ肩透かしもいいところだ。

 しなやかな脚から生まれるステップを小刻みに刻み、一定の距離間を保ちながらジャブを連続で数発見舞う。隙が少なく、連発できるのもジャブの魅力の一つ。

 シグルドはこれも余裕をもって捌いていく。

 

 「(恐ろしく目が良い……いや、それだけじゃない。動きを予め予測して動いている?)」

 

 こうして拳を交わし合うのは今回が初めてだ。過去、シグルドという英雄と出会ったこともなければ戦ったこともない。そんな初対面であるにも関わらず、予測され、合わされる。まるで鏡とシャドーボクシングをしているかのような錯覚に陥る。

 

 「では、これはどう!?」

 

 そのシグルドの目に向かってジャブを一発。捌かれてもいい、一瞬だけ視界を遮れば事足りる。

 次は、強力無比の左ストレート。ジャブを織り交ぜることで相手を惑わし、視界を遮り、その隙間を縫うように放つ最高の一撃。

 

 「シッ……!」

 「なッ―――」

 

 同じくシグルドは右ストレートを放っていた。しかも狙った場所はマルタの左ストレート。タイミングを合わせてきたのか、あのジャブの応酬をものともせずに。

 マルタの左ストレート。シグルドの右ストレート。

 強烈な拳と拳が衝突し、彼らの周囲を覆っていた砂埃が全て吹き飛んだ。

 

 「痛ァ……!!」

 

 放った拳に装着されていたガントレットに亀裂が入り、苦悶の表情を浮かべたのはマルタだ。

 体格は勿論のこと、筋力においてもシグルドとマルタでは文字通り次元が違う。そういった身体能力が格上の相手にはテクニックで駆け引きをするのが常。真っ向からの力比べなど愚の骨頂。

 それはマルタも理解していた。だからこそ距離を測り、間合いを見計らい、技を交えていた。それをシグルドは彼女のテクニックという駆け引きから純粋な筋力のカチ合いに無理やり落とし込んだのだ。

 

 「(大技狙いのカウンター! それに乗じて拳の破壊ッ! この男、見かけによらず……!)」

 

 狡猾? 卑劣? いや、これはまさに人体を効率よく破壊する術を得ている機械が如き。

 

 「ッ……!!」

 

 一度息を乱したマルタを見逃すシグルドではない。

 これを皮切りに彼は防戦から一気に攻勢に転じた。この男……見極めも早い、先ほどまでの流れを狂わせられる!

 シグルドはステップを刻むのではなく、その強靭な筋力を用いて大地を踏み砕いた。

 地面は大きく揺れ、足場となっていた場所は粉々に割れた。

 態勢を崩したマルタに即死の風を匂わせるボディブローが迫る。

 

 「舐めるなッ!」

 

 マルタは一喝して、なんと態勢を崩したままその一撃を両腕をクロスして受け止めた。

 ミシリと骨の軋む音を立たせながら、それでも折れるには至らず。

 如何な大英雄の拳と言えど、かつて竜を拳で鎮めた聖女の両腕を一度に折ることは不可能。

 マルタはそのまま衝撃を抑え込むのではなく、わざと後方に吹っ飛ばされることにより威力を殺すことを選んだ。ただし、100mを超える距離をだが。

 

 「(なんてバカ力……体ごと持っていかれたけど、それでも距離は取れた。ここからは仕切り直し!)」

 

 良い威力だ。素晴らしい一撃だ。そうでなければこうも遠くまで吹っ飛ばされるわけがない。拳に籠められた想いもいい。彼の純粋さと愚直さが伝わってくるようだ。

 これだから拳の交じり合いはやめられない。信者達にはとても見せられないが、この命の賭けたステゴロは歓喜を隠しきれない。まったくどうしようもない己の業。これで聖女と信じられているのだから聞いて呆れる。

 だが、それでも足を止めるわけにはいかない。理由にもならない。

 

 「ハンッ、楽しくなってきたじゃない!!」

 

 爆速。それはまさにマルタがダイナマイトを爆発させたかのような破裂音を立たせて地面を蹴った。シグルドのように大地を蹴り、相手の動きを封じる為に要するのではなく、純粋に加速する為の手段。それも一度や二度ではない。連続して大地を蹴り上げ、速度を上げていく。

 向かうはシグルド。放つは拳。狙うべきは頭。

 殺意しか籠らぬ狙いを見据えてマルタはシグルドに向かって全力で駆ける。

 

 「―――これは」

 

 シグルドもこれには驚嘆の声を漏らす。

 確かに、これは速い。並みのサーヴァントであれば抵抗もできずに一撃を貰うであろう速度。

 かの人類最速の大英雄アキレウスも彼女の走りを見れば見込みがあると太鼓判を押すだろう。

 

 「しかし、直線的すぎる」

 

 速度を引き換えに失ったものもある。それが敵を翻弄する足さばき。

 如何に早かろうと真っ直ぐ来ると分かれば対処するのはそれほど難しいことではない。

 シグルドは構える。狙うはカウンターによる鳩尾。

 あれだけスピードが乗った一撃だ。このカウンターが決まれば勝負もつくだろうと思っていた。

 その思惑を、マルタは―――超えてきた。

 

 「なに?」

 

 速度に全てを捧げていたと思われた突進の最中、マルタは姿勢を下げ、シグルドの頭ではなく胴体を狙ったタックルに変更した。まさかあの速度の中で狙いを変えてくるどころか、動きに変化を齎すとは思ってもいなかった。

 

 「そぅら!!」

 「ぐォッ!?」

 

 不意を突かれたシグルドは爆速のタックルをその身に受ける。

 この衝撃は悪竜現象(ファヴニール)の頭突きに勝るとも劣らない。

 

 「おらァァァァァァァァ!!」

 

 シグルドの肉体はそのままこの炭化した大地を抜け、近隣の山まで吹き飛ばされ続ける。いや、これはもはやマルタに延々と引き摺られているようなもの。

 マルタはシグルドの胴から離れず、タックルを収めずただひたすら彼の身体を木々や岩にぶち当て、山の麓まで勢いを落とすどころか加速した。

 

 ――――ズドォォォン――――

 

 山の麓に直撃し、巨大なクレーターを山肌に形成するその威力、もはや語るのも馬鹿馬鹿しい。

 これは、英霊どころか幻想種であっても挽肉(ミンチ)必至の猛撃。無事で済むはずがない。

 

 「………化物ですか、貴方は」

 「それは、此方の台詞だ」

 

 クレーターを形成した山肌からはパラパラと小石が落ち、静けさを取り戻した世界で、シグルドとマルタはいた。二人そろって土砂やら切傷やらで汚れているものの、人の形をしていた。そう、あれだけの攻撃を受けてなお、シグルドはまだ人の形を保っていたのだ。

 マルタは反撃が来る前にシグルドから離れ、構えを取り直す。手応えはあった。あってこれなのだ。常識が通じないにしても限度があるだろうに。

 

 「随分と引き擦り回してくれた」

 

 山の壁に埋め込まれたシグルドはゆっくりと動き出す。その足取りからは深刻なダメージを受けている風には見えない。ただのやせ我慢が、本当にダメージが入っていないのか。

 どちらにせよ、まだ余裕を見せることができる余力があるということだ。その事実に変わりはない。

 

 「なんてタフネス……」

 「体の頑丈さで言うならば、ジークフリート殿には遠く及ばない」

 「言葉を失うわ、貴方達の出鱈目さには」

 

 恐らくシグルドは筋力及び耐久力が人類史の中でも頂点に位置する一人。生中な攻撃など通じるはずもなく、逆に一撃貰えばそれ即ち致命傷に繋がる痛手となる。

 

 「でも、こちとら硬い存在を砕くのは慣れっこだっつーの!」

 

 マルタは破壊された拳を握りしめて再度迫る。

 シグルドという男がサーヴァントの中でも飛び抜けた耐久力を持っているのは理解した。

 ただ、それだけだ。

 マルタは生前からタラスクの最硬の甲羅に数えきれないほど拳をぶつけ鍛えてきた。そのたびにタラスクが涙目になってた気もするが、涙目になるということは効いていたというこうことに他ならない。つまりマルタの拳は大方のサーヴァントに効く。少なくとも防御宝具を持たない相手ならば、効かないなんてことはあり得ない。

 

 「(せい)ッ!」

 

 マルタは跳躍し、回し蹴りをシグルドの顔面目掛けて放つ。

 脚による一撃は、拳の一撃よりも威力は高い。あの鍛え抜かれた足から放たれてる回し蹴りは直撃したら脳を揺らされるどころではない。生中な人間であれば首から上が消えて無くなるだろう。

 シグルドであれば堪え切れたかもしれないが、それでもバカ正直に受けるなんて命知らずなことはしない。どの攻撃も直撃する前に腕で防ぎ、弾き、そして追撃を加えるのみ。

 マルタの脚撃であってもシグルドの防御は突破できない。そんなことは、マルタも理解している。何も初撃で決めようとしなくてもいい。格闘において要たるはその次、その次に繋げていく連撃だ。

 

 「(せい)やァ!!」

 「……!」

 

 回し蹴りを弾くと、間髪入れずにその反動を使って更なる脚蹴り。これもまた頭を狙ったもの。大振り故にカウンターも狙えるかと思っていたシグルドだが、想像以上に一撃一撃の隙が少ない。そしてこの威力。鎧を通してでも伝わってくる衝撃は超人的な膂力を持つシグルドであっても無視できるものではなかった。

 

 「重く、いくわね!!」

 

 流れるような追撃。今度は裏拳突きが放たれる。

 

 「ふッ……!!」

 

 シグルドはそれに合わせて正拳突きを放った。

 マルタの裏拳突きは予め予測できていた。マルタの筋肉の肉付きを見れば上半身、腕部をより重点的に鍛え上げられているのは分かっていた。その為に脚も、体幹も土台となるよう作り上げられていることも。

 連撃は確かに息つく暇もない美しいものだが、何がくるかを予め予知していれば、それに合わせてカウンターを用意できる。今度こそその血だらけの拳を使用不可能にするべく。

 

 ゴキンッッ!!

 

 拳と拳がぶつかり合った音とは思えない異常な衝突音。マルタの拳からは歪な音が聞こえてくる。骨が砕ける音だ。先ほどの拳の破壊を超える、複雑骨折に至る致命的な結果。これによりマルタの拳は―――。

 

 「その拳、欲しいならくれてあげる!!」

 

 生きていた。複雑に、細かく、骨が出るまで破壊されたはずのマルタの拳はどういう原理か手を広げ、シグルドの拳を受け止める形で縫い留めた。

 シグルドがマルタの裏拳突きを予知していたように、マルタもまたシグルドのカウンターを読んでいた。読んでいた上で右の拳一つ犠牲にしてシグルドの拳を封じたのだ。しかしその痛みは尋常なものではないはずだ。サーヴァントとはいえ痛みは感じる。肉がへしゃげ、骨が飛び出るほどの損傷は脳にも甚大な衝撃を与えるはず。それを覚悟で、この聖女は放ったというのか。

 

 「喰らいなさい。私の、特大ハレルヤを!!」

 

 本命は、右腕から放たれる裏拳突き。これが本命か。

 左腕を犠牲にして次に繋げる玉砕覚悟の一撃。それは決して侮れるものではなく、タイミングも完璧故に対処できる代物でもなかった。甘んじてシグルドはその一撃を受け入れることを望んだ。

 彼女が狙った部位は我が心臓。竜の炉心が稼働する霊核を砕ければ、勝敗は確かに決するのかもしれない。されども、聖女よ。優しき女性よ。貴殿は狙う箇所を誤った。

 

 会心の一撃だった。マルタの拳は深々とシグルドの心臓を捕らえ、撃ち抜いた。右腕を犠牲にして繋げた一撃。シグルドは防御する素振りも見せなかったが、これで詰み。

 普通ならば、そうあるべきなのだが。マルタは確信する。

 

 「貴方……この、心臓は!」

 「如何な貴殿と言えども、他者にその部位を長く触られるのは抵抗がある。下がられよ」

 

 心臓が潰された筈のシグルドはまるで効いていないかの如く振舞い、そして返しとばかりにマルタの渠目掛けて蹴りを入れた。胃の中のものが逆流するのではないかという衝撃を受けたマルタはそのまま後方に吹き飛ばされる。

 

 「(なに……あの、心臓は……私が潰した?いや、元々彼の心臓は………!!)」

 

 違和感しかない手応え。答えが見えない。何かがある。

 シグルドの心臓は、普通のサーヴァントが持ち得るものとは何かが違う。

 それは竜の炉心だからとか、特別だからとかではない。そんなプラスに働きかけるようなものではなく、呪いに近い何か。それにしては呪詛のような悪意はなく、むしろ呪いであれば先ほどの聖なる魔力纏いし裏拳突きで浄化されるはずだ。

 

 「貴方……元より心臓に致命的な欠陥を抱えていたのね」

 

 蹴りを撃ち込まれた渠を庇いながら、マルタはゆっくりと立ち上がる。

 拳が彼の心臓に触れた時。血の温かさではなく、炎の熱さを感じ取った。

 それが何を意味するのかは、マルタは理解した。

 

 「否。欠陥という認識は誤認。我が炉心は常に正常に機能している。先ほどの一撃も、治癒のルーンによって即時修復したに過ぎない」

 「……そう。口にするのは無粋。きっとその心臓は、貴方にとって特別なものなのね」

 「多くは語れぬ我が信条。それを汲み取る貴殿の度量に感謝を」

 

 マルタはそれ以上、詮索するのをやめた。

 大事なのは彼の心臓を潰しても彼は決して止まらないということ。

 彼の肉体に隠された真意ではなく、敵としてただただ倒す手段を模索しろ。

 

 「ライダーの霊基で貴方に挑んだところで勝機は見えない。さっきまでの拳のやり取りで実感しました」

 

 ルーラークラス、もしくは三大騎士クラスのどれかに該当していればもっとマシだったのだろうが、騎乗兵として召喚されている今のマルタでは白兵戦においてシグルドには敵わない。それを肌で感じ取れた。このまま続けても待っているのは敗北の二文字。

 であれば、そろそろ決め時だ。

 

 「最大火力で勝負を決めましょう……タラスク!!」

 

 山を揺るがすほどの怒声。そして後から聞こえてくるスラスターの轟音。空を仰げば猛スピードで向かってくる円盤状の飛翔体が目に入った。あれは、先ほどまで封印されていたマルタが従えている竜タラスク。

 

 「■■■■■■(おまたせしました姐さん)

 「来て早々悪いんだけど、仕掛けるわ」

 「■■■■■■■(仕掛けるって、まさか)

 「ええ。拳を交えて分かった。あの男には、最強の一撃が相応しい」

 

 ジャブでは話にならない。ストレートでも捌かれる。また蹴り技をしようものなら此方の機動力を殺す為に容赦なく折ってくるだろう凄みもある。ならば、答えは一つだ。英雄であれば、この一撃に誇りを乗せ、打ち倒してこそ。

 

 「来るか……」

 

 シグルドもまた、構えた。

 何が来るか予想できたが故に。

 またそれを真っ向から迎え撃つ為に。

 

 「この威、この業を持って貴方の裁定を行います」

 

 マルタの内から膨大な魔力が膨れ上がる。

 この兆候はサーヴァントであるならば、宝具解放に他ならない。勝負をつけにきている。

 

 「タラスク!」

 「■■■■(了解)!」

 

 マルタはタラスクの背に跨り、タラスクもそのまま空へ上昇する。

 距離を取って態勢を整えるのではなく、あれも一つの攻撃に移る前段階。

 

 「あれがドラゴンライダー……竜と人が心を通わせ、竜種に騎乗する稀有な才能」

 

 本来竜種とは誰にでも乗れる存在ではない。シグルドも人の造形物、馬などの動物、神の使いたる神獣は乗りこなせることはできるが、竜種を乗りこなせることはできない。

 竜を殺せても、竜と心を通わせることができなかった者が竜殺しならば。

 竜を殺さず、竜と心を通わせることができた調伏師の面を持つ慈悲深き者のみの特権。

 優しき心を持つ聖人。シグルドにはない、マルタの持つ力。その能力に、シグルドはふと笑みを浮かべてしまった。

 

 「(これから自分を滅しに来る者を前に、笑みなどと)」

 

 ああ、笑えるほど羨ましくも思ったのだ。

 弟の仇を討つために神霊を捕らえ、天界に牙を向いたあの悪竜現象(ファヴニール)とも、もしかしたら和解の道があったのかもしれないと馬鹿な妄想を考えてしまったほどに。

 

 「愛を知らない哀しき竜……ここに」

 

 空を見上げればマルタがまたあの十字の杖を手にしているのを見た。

 そして、その杖で。

 

 「星のように! 愛知らぬ哀しき竜よ(タラスク)!」

 

 高速回転するタラスクの甲羅をこれ以上にないほど力強く殴打した。

 竜の炉心からくる魔力のジェット噴射で推進力を高められたスラスターに、聖女マルタの膂力が組み合わさり、更にタラスク自身の重量でかかる重力の重みが重なる。

 倍々効果から生まれるその一撃は対軍宝具に相当する。竜属性を持つシグルド相手ならば、その殺傷力も高まるだろう。

 あのようなものをマトモに喰らえばシグルドとてただでは済まない。だからこそ、シグルドも選ぼう。あの一撃もろとも、敵を殲滅する手段を。

 

 「絶技用意」

 

 眼前に召喚するは魔剣の頂点グラム。

 原初のルーンにより空中にグラムを固定し、標準を定める。

 今からこの魔剣は剣としては使わぬ。剣ではなく、弾丸として使うのだ。

 これがシグルドが生み出した最適解。魔力砲で敵を屠るのではなく、刺し抉る魔弾で貫く。

 

 「太陽の魔剣よ、その身で破壊を巻き起こせ」

 

 聖女がドラゴンを鎮めた清きものなれば、我が身は竜を惨殺せしめた魔剣使い。

 聖女マルタに賞賛を。聖女の伝承に敬意を。

 されども、その在り方そのものが竜殺しとは相容れぬ。

 

 「壊劫の天輪(ベルヴェルク・グラム)

 

 竜よ、滅ぶべし。

 竜殺しの魔剣はただその事実のみを語る。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16戦:鉄鎚蛇潰

 シグルドとマルタの戦闘が激化する最中、ジークフリートとベオウルフもまた、刃を交えていた。

 その剣檄の応酬はまさしく大英雄と大英雄のぶつかり合いに相応しく。一撃一撃が余波で大地が抉れていく。もし近くに生物が存在すれば、それはただの余波のみで四散する羽目になるだろう圧倒的な武力の衝突。

 二人はシグルドとマルタのいる場所から遠ざかりながら戦闘を繰り広げている。おそらく互いに相棒の戦いを邪魔しない配慮もあってのことだろう。それでも移動しながら周囲に破壊を巻き散らすその様はさながら災害に等しい。

 ベオウルフは歓喜した。あまりにも上質な敵に闘志が震えていた。

 元々たった一人の敵を数人で袋叩きにする命令自体がいけ好かなかった。肉体と心を完全に掌握されようとも、闘争本能だけは護りたかった。その願いは、叶った。叶ったのだ。今こうして大英雄ジークフリートと剣を交えることができる僥倖に感謝すら覚えている。

 

 「おらァ!!」

 「はぁァ!!」

 

 ベオウルフの紅き魔剣が、ジークフリートの白き魔剣がぶつかり合う。

 見よ、ジークフリートの鋭き剣閃を。

 類まれない天武の才、鍛え抜かれた洞察力。未知なる敵との戦闘経験。

 その全てが彼の剣には籠っている。籠っていなければ、ベオウルフの太刀筋など見切れるはずがないのだから。

 

 「(ハッ、これがジークフリートの剣かッ!この最適解を悉く捌いてやがる!!)」

 

 実のところ、ベオウルフは剣術に長けているわけではない。大英雄たらんとする最低限のものを有しているが、同格のものとの戦いとなると一歩劣る程度。それは他でもないベオウルフ本人が認めているところだ。

 所詮、ベオウルフにとって剣などは自身の最優の武具でもなければ誇るべきものでもない。

 それなのに何故ベオウルフがこれほどまでの剣檄を放てるのか。ジークフリートの剣と互角に渡り合えるのか。

 その答えは、ジークフリートもすぐに辿り着いた。

 

 「その剣技、まさか……」

 

 ジークフリートは打ち合う中でベオウルフの筋力の動き、繰り出される型を観察し、理解した。

 ベオウルフは力強く、ただ力強く剣を振るっているだけだ。そこに技術も研鑽もありはしない。

 それでいてこの明確で鋭利な太刀筋。明らかに矛盾している。

 であれば、答えは絞られてくる。不可思議な現実とは、常に神秘に通ずるのだから。

 

 「その紅き魔剣によるものか!」

 「ご名答!」

 

 ベオウルフが持つ紅き魔剣が一振り『赤原猟犬(フルンディング)

 この魔剣は所有者にとって最適解の斬撃を自動的に繰り出せる代物だ。

 ベオウルフの驚異的な膂力が加味されたそれは、ただの剣檄に非ざず。敵の武器をそのまま叩き潰す防御不可の絶対的な破壊を招くもの。そう、本来はそのような代物のはずなのだ。

 

 「俺の魔剣と俺の膂力。その両方を掛け合わせた斬撃をここまで対処できるやつァそう多くねぇってのによ! こいつはベオウルフの立場がねぇなオイ!!」

 

 武器ごと粉砕するはずのそれを、ジークフリートは耐え抜いている。一撃一撃をいなした上での反撃。それまではいい。問題なのは、ベオウルフの剣閃をわざと攻撃を受けた上で強力なカウンターをしかけてくるその異常なまでの肉体の堅牢さだ。

 

 「それにその体くそ硬ェな……俺の自慢ってほどでもねぇが魔剣の一撃をまともに食らって掠り傷一つで済むか普通? いや実際に打ち込んでみると、なるほど。確かにこいつは不死身の英雄だ。死ぬことがねぇんだからよ」

 

 おそらくある一定のランクに到達していない攻撃は全て問答無用で無力化される。一部の手応えがまるでなく、傷一つついていないのがその証明だ。

 仮にその一定のランクを超えた一撃を直撃させてもダメージは微々たるもの。本来ならば致命傷に届くはずの攻撃は減算され、微小のダメージに留まっている。

 これがジークフリートの不死身の正体。生中な攻撃をシャットアウトする超硬度の防御圏。

 あの鉄壁の護りに例外があるとすれば、それこそ背中の一部のみ。伝承通りであればジークフリートはその箇所だけは生身の人間のままのはず。

 

 「(いや、背後を取るのは普通に無理だな)」

 

 数十にも渡る打ち合いをすれば嫌でも分かる。あの大英雄が容易く背後を取らせてくれるとは到底思えない。当然警戒もしているだろう。来るとあらかじめ分かっているのであれば、それこそカウンターの餌食にもなりかねない。

 

 「(へっ。自分の真名をバラしても平気って面をするだけはある)」

 

 弱点を知られたところで大差はないのだ、あの男にとって。

 ただ真正面から戦うだけならば当然のように圧倒すれば事足りる。

 背後を取らせる余裕も、隙も、一切与えないという自信の表れ。

 

 「では、種が割られたからには戦い方も変えよう」

 

 その言葉を皮切りに一気にジークフリートの戦い方は変化する。

 

 「おいおいマジか……!」

 

 先ほどまでジークフリートはベオウルフの攻撃を剣で弾けるものは弾いていた。しかし彼はいきなりその防御を捨てた。まるでベオウルフの剣檄に目もくれずに前進し、より力の籠った一太刀を繰り出してくる。

 

 「これが本来の竜殺しジークフリートの戦い方か!」

 

 剣で弾かずともその肉体は剣を通さない。通したとしても掠り傷。その最高峰の硬さを前面に活かした剣。それがこのごり押しとも言える防御不要の突貫。嫌みすら感じられない、清々しいほどまでに単純で、呆れるほど有効な戦術。

 

 「(そこらの脳筋の太刀筋ならばまだ脅威とは言えんが、この戦法をジークフリートほどの英雄が行ってくるのは流石に反則じみてやがる。こっちは一撃でも貰えば致命傷。対して奴は軽傷以下の掠り傷。バケモンの戦い方だぞこれは)」

 

 人型の竜がどれほどのものかをその身をもって体験している気分だ。

 自身の一定以下の攻撃は無効化されるのに、彼方側は一方的に攻撃を放てる。

 これほどバカげた戦いはない。

 しかし、こちらとて竜殺しを成した者。生前老いても竜を屠れるのならば、全盛期に当たる今の我が肉体も当然、竜を屠れて然るべき。

 

 「(貴様は確かに強い。だが、その戦法は俺にとっても好都合だ)」

 

 ベオウルフの宝具はなにも赤原猟犬(フルンディング)だけではない。

 この自動的に最適解の斬撃を繰り出す左手に持つ魔剣は常時発動型の宝具。そしてもう一つの魔剣。右手に持つ『鉄鎚蛇潰(ネイリング)』こそ、英雄の真名を晒すに相応しい真名解放型。

 

 「何かを行う前に押し切らせてもらう」

 「そうツレないこと言うなよジークフリート。闘争は楽しんでこそだ」

 

 生真面目なジークフリートはまるで意に返すことなく斬撃の速度、重さを高めていく。

 それでもベオウルフはこの応酬を嬉々として受け入れる。

 こんな血肉沸き立つ戦いができるとは最高の一言。最初は下らない理由で召喚され、英雄であるにも関わらず世界を守らんとする者と敵対しなければならない立場を恨みすらしたが、この全力で戦える今を想えば帳消しにできて余りある。セイバークラスで召喚されていれば自身の王としての倫理に従い、自決するだろうが、狂うべきバーサーカークラスで召喚されたのならば、思う存分狂戦士として暴れてやろう。

 

 「そら、攻撃が効きにくいからって大振りになりすぎてんぞ!」

 

 ベオウルフは手首に巻き付かせていた鎖でバルムンクの刀身を受け止め、その隙に強烈な蹴りをジークフリートの顔面にぶち込んだ。その結果、ジークフリートの足は地から離れて宙を舞う。あまりにもベオウルフの蹴りが凄まじく、衝撃を殺し切れなかったのだ。

 

 「ただの蹴りじゃダメージは与えられねぇ。それでも衝撃までは無効化できまい!!」

 

 宙を舞うジークフリートの方向にベオウルフは跳び、そこから更に彼の胴体目掛けて踵落としを見舞う。ジークフリートの肉体は弾丸もかくやという速度で地面に激突し、大きな砂埃を上げた。

 普通の人間であればこの顔面の蹴りで頭は砕け、胴体に対する踵落としで真っ二つに割れる。それこそ幻想種の竜種であろうと例外ではなく、絶命させるに申し分のない連撃。

 それでも、ジークフリートを殺すどころか傷を入れられるかどうかも怪しいところ。まさしくその代弁と言わんばかりに砂埃の中から蒼い光が溢れ、ベオウルフを切り裂かんと襲い掛かる。

 

 「(真名解放……いや、これはただの魔力の照射か!)」

 

 向かってくる蒼い光は純度の高い魔力の塊。それにこの感覚、恐らくあの魔力はただのエーテルではなく真エーテルの部類。防御宝具を持つ者でもなければ直撃すればそれだけで致命傷とみた。

 ベオウルフは魔剣を握りしめてその魔力の塊を迎え撃つ。真名解放であればいざ知らず、限定的な魔力照射であればこの程度……!!

 

 「ふんッ!」

 

 紅い二振りの魔剣はその魔力照射を塵へと変えた。宝具としての神秘は真エーテルの乗った魔力照射だろうと簡単に屈することはない。尤も、鉄鎚蛇潰(ネイリング)の方はひび割れが酷くなってきたが。

 砂埃が引いた先には依然軽い切り傷のみのダメージで収まっている竜殺しの姿があった。そしてその両手にはバルムンクの柄が力強く握られ、刀身からは目を潰さんとばかりに眩い光を放っていた。

 

 「我が斬撃、捌き切れるか」

 

 ジークフリートは虚空を斬る。斬った瞬間、蒼き光は剃刀の形に収束し勢いよく弾き出された。

 光を伴う斬撃。先ほどの魔力照射をより殺傷力を高められた一撃。敵を容易く切断する死神の鎌。

 いや、違う。一撃どころかではない。彼は連続してバルムンクを振るい、十数もの光の斬撃を繰り出した。

 

 「ちぃッ! 大英雄サマは中、遠距離もこれこの通りってか!!」

 

 ベオウルフは悪態を吐きながらその光の斬撃を魔剣で捌き、受け止め、どうしても防御が間に合わんと判断した時のみ回避に専念した。あんなもの一発でも貰えば体の一部が切断される。

 

 「うらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 飛び道具がないベオウルフの最善。それは近接戦闘に意地でも持ち込むことだ。

 気迫の乗った勢いでジークフリートの元まで駆け抜ける。

 無論、優位性をみすみす逃すものかとジークフリートも斬撃の弾幕を張ってきた。彼としても近接戦闘を得意とするところだろうが、ベオウルフに中距離、遠距離の武装がないのならばそれを活かさない手はないという判断だろう。

 なるほど。礼儀正しく、そして正々堂々と戦う騎士であると同時に戦場を確実に生き残る戦士としての判断も兼ね備えている。こういうタイプが一番厄介だ。そして、ベオウルフ好みでもある。

 

 「はっはァ!てめぇみたいなやつを、真正面から捻じ伏せてこそよォッ!」

 「抜けてくるか………!」

 

 真エーテルの斬撃の嵐をベオウルフは満面の笑みで潜り抜ける。これにはジークフリートも舌を巻く。かつてジークフリートが生きた時代、あの世界ではこの砲火を前にして軍勢すらも成す術なく瓦解した。それをこの男、ただただ肉体のポテンシャルのみで突破するか。なんという男だ、これが同じく竜殺しを為した英雄の力。

 ジークフリートのバルムンクとベオウルフの鉄鎚蛇潰(ネイリング)は再び火花を散らしてぶつかり合った。完全に間合いを詰められたのだ。

 

 「いよぉ。さっきまではよくも地獄を見せてくれたなぁジークフリート!」

 「それを高笑いしながら突破してきたのは誰だ」

 「俺さ。俺を誰だと思ってやがる、ご同輩!!」

 

 共に人間の身で竜殺しを為しえた者。

 共に国を持つ皇子であった者。

 共に超常なる剣を持ち、振るう者。

 

 「俺は今、この一瞬一瞬が楽しくて仕方がねぇのさ。あんたもそうは思わないか?」

 「俺の剣には世界の命運が掛かっている。愉快などとは、口が裂けても言えるものか……だが」

 「だが?」

 

 ジークフリートはバルムンクを握る柄に更に力が入る。

 

 「ベオウルフ殿。貴方に出逢えたことに関しては、喜ばしいと思う。かのベオウルフ王の闘争をこの身で受けられる名誉、英霊の座の記録に深く刻まれるだろう」

 

 ベオウルフは目が点になった。それは明らかな隙になりかねなかったが、この大英雄から発せられた言葉に不意を突かれたのだ。驚かない方がおかしい。

 

 「……あんたは良い男だ。相手してて小気味好ってもんじゃない。かのクリームヒルトがアンタを失って悲しみに暮れたのも納得ができるってもんだ」

 

 ジークフリートの妻は自らの夫を失い、何年も喪服で生活したという。それはただ悲しみに浸るだけではなく、その最愛の夫の命を奪った男に復讐すると誓った為だと言われている。確かにこの男から寵愛を受ければ、その意気に至るのも頷ける。

 剣技は秀麗。闘気は澄み渡り、それでいて堅実な芯を持っている。そこから汲み取れるジークフリートの誠実な性格。こうして命を取り合う間柄であっても真顔で誉め囃すのはどうかとは思うが、これも彼なりの強みなのだろう。

 

 ビキッ。

 

 不意に不穏な音が二人の耳に確かに入った。刀身が歪み、そしてひび割れる音だ。

 戦場でこの音を聞くということは、終幕が近いということに他ならない。

 

 「……鉄鎚蛇潰(ネイリング)め。遂に限界が近づいてきたか」

 

 これまで幾度となくジークフリートの猛攻を受け止めていた鈍器が如き魔剣鉄鎚蛇潰(ネイリング)。この紅き魔剣は斬撃を受けるたびに刃毀れが起きていた。そして遂にその耐久は底を突こうとしている。折れるのも時間の問題だろう。それこそ数秒後に折れてもなんらおかしくはない。

 傍から見れば、武器の性能差で押されているように見えるだろう。ベオウルフの頼れる武器が、今にもジークフリートの大剣に敗北しようとしているように見える。しかしそれは錯覚だ。これは予定調和に等しい。

 

 「この音こそ、死合いの幕を下ろす鐘の音だ。魔剣ごと両断させてもらう……!」

 「勝ちを急いでもロクなことにならん。爺まで生きた老骨の言葉だ」

 

 二刀流のベオウルフの戦闘スタイルにヒビを入れるのであれば、どちらかの武装を破壊すればいい。ジークフリートの考えは、ある種正しいものだ。誰だって敵の獲物は取り除きたいと思うのは真理。それが宝具であるならば尚の事、何か仕出かされる前に対処しようとするだろう。

 しかし、こうも考えなかったのだろうか。

 英雄の象徴とされる伝説の武具、宝具がこんなに易々と刃が毀れるのかと。

 おかしいと思わなかったのか。あまりにも出来すぎていると。

 

 ―――バキンッ―――

 

 そして、遂に折れる寸前まで傷ついた鉄鎚蛇潰(ネイリング)が折れた。

 ベオウルフの顔はその時焦っていたか? 拙いと冷や汗を掻いたか?

 違う、まるで違う。

 

 「この音こそ、死合いの幕を下ろす鐘の音と言ったな。その言葉、そのまま返すぞ」

 

 己の宝具が折れた時のベオウルフの顔は、まさしく獰猛な獣が、苦労して追いかけていた獲物の首を噛み切る際に見せる狂喜の笑みに満ちていた。

 

 「その不死身、殺させてもらう」

 

 折れた筈の鉄鎚蛇潰(ネイリング)からは、朱黒い魔力が溢れ出し、次第にそれは魔力の刃となって顕現する。

 圧縮された高密度の魔力の塊。今まで容易く刃毀れしていた魔剣とは思えぬ狂ったほどの圧力。

 ジークフリートは総毛立った。この魔剣は、拙い。

 すぐさまバックステップで距離を取ろうとするジークフリート。

 ただ、この瞬間をこれ迄待っていた男がそれを許すと思うなかれ。今更後ろに下がったところで何になる。気付いたところでもう遅いのだ。

 

 「おら、何処へ行くんだい。竜殺しの大英雄」

 「ッ!?」

 

 ベオウルフは分かっていた。鉄鎚蛇潰(ネイリング)の力を目にしたジークフリートが後ろに下がることを。

 予想できていた。あの男が己の不死身を過信せずに回避を選ぶことを。

 理解しているのだろう。今のこの折れた鉄鎚蛇潰(ネイリング)は、その強固な不死性を打ち砕くと。

 だから、仕掛けさせてもらった。ジークフリートの脚に鎖を巻き付け、逃げられないように。

 

 「鉄鎚蛇潰(ネイリング)を折ってくれた礼だ。この一撃、タダで奢ってやる。存分に喰らって逝きな」

 

 

 ―――刹那

 

       紅き閃光が  世界を  染めた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17戦:ベオウルフ王

 悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)

 それはジークフリートが不死身の竜殺しと謳われる所以。彼が持つ最硬の鎧。

 生前、シグルドが討ち滅ぼした北欧神話の悪竜現象(ファヴニール)とは似て非なる悪竜現象(ファヴニール)を討伐したジークフリートは、その血を体に浴びたことにより竜の炉心と不死身の肉体を手に入れた。

 この常時展開型の宝具はAランク以下の攻撃を完全に無効化し、仮にAランクを超えた攻撃であってもその威力を大幅に減少させ、Bランク分の防御数値を差し引いたダメージとして計上する破格のもの。敵の宝具だろうと機能し得るが故に彼に致命傷を与えることなど至難の業。

 まず彼の生きた時代でこの鎧を突破せしめた者などいない。だからこその不死身。殺せる者がいないからこその不死の称号。

 ただし、弱点もある。その一つが背中だ。竜の血を浴び損ねたその箇所が唯一悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)の効力が届かぬ弱点。剣であろうと弓であろうと傷一つ付かぬ無敵の身体ではない、生身の肉体。真名がバレたならば真っ先に狙われるであろうアキレス腱。

 そしてもう一つが『竜殺し』の存在だ。

 ジークフリートは竜殺しであると同時に竜でもある。なにせ肉体も心臓も竜の因子によって変貌しているのだから、人型の竜と言っても過言ではない。

 本来宝具に対してB+相当の防御ボーナスを得ることができる悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)だが、竜殺しの宝具であれば話は別だ。その倍加分の防御力は機能しない。更にAランクを優に超える宝具の一撃となれば、如何に不死身と謳われた肉体でもただでは済まない。

 

 「俺の鉄鎚蛇潰(ネイリング)はそれほど質の高い宝具じゃねぇ。普通に真名解放を行ったところで大した威力は望めない」

 

 ベオウルフは折れた愛剣を惜しむ素振りもなく捨てた。

 紅い粒子となって消え去った宝具はまさしく本懐を遂げたと言わんばかりの散りざまだった。

 

 「だがらこそ、こういう扱いしかできん。鉄鎚蛇潰(ネイリング)も本望だろうがな」

 「ぐ………」

 「お前のような強者に一矢報いれたのならば尚のことよ」

 

 ジークフリートは心臓部を斬り裂さかれ、地面に膝をついていた。

 止めどなく溢れる鮮血は血だまりを作り、その傷の深さを如実に語っていた。

 あの一撃はまさしく致命傷。この威力はBランクの宝具が出せる威力ではないのは誰が見ても明らかだった。

 傷の深さは心臓の表面が露出するほど。如何に悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)でも、この霊核が剥き出しになった内部を穿たれれば死を意味する。

 

 「流石に効いたようだな。安心したぜ、不死身の竜殺し」

 「…折れたのではない……折れる為の、宝具か………」

 「その通り。赤原猟犬(フルンディング)が自動的に最適解の斬撃を繰り出せる魔剣ならば、鉄鎚蛇潰(ネイリング)は一撃必殺の魔剣。その刀身のキレ味は最悪。棍棒そのもので、そのくせ酷く脆い。だがこれはあくまで仕様だ。そうなるように作られている」

 

 英雄のシンボル、奥の手を自ら破壊し、その代償に強大な破壊力を生む壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)の亜種。自ら破壊するのではなく敵に破壊されてこそ意味があり、その威力は魔剣がこれまで受けてきた自損域によって変動する。

 ならばBランク宝具が一時的にAランクを大きく超え、悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)をも屈服させるには余りある。まさしく使いどころが難しいが故に、そのリターンが莫大。そういう宝具なのだ、あの鉄鎚蛇潰(ネイリング)という魔剣は。

 

 「竜殺しはあんたの専売特許じゃないってこった……!」

 

 ベオウルフは鉄鎚蛇潰(ネイリング)がジークフリートに残した傷である心臓部に目掛けて赤原猟犬(フルンディング)を刺突した。今のジークフリートは背中だけが弱点ではない。剥き出しとなった心臓部位も絶命至らしめるアキレス腱となったのだ。

 

 「くっ……!」

 

 膝をついている場合ではない。このまま死んでは召喚された意味がない。召喚に託された願いを踏み躙ることになる。それは、ジークフリートの心が許さない。盟友シグルドと共に目的を果たすまでは、死ねるはずがない。

 ジークフリートはバルムンクの真エーテルを限定的に開放する。その魔力の奔流は光の壁となり赤原猟犬(フルンディング)を弾き、己を守る防壁となる。

 如何に有利な戦況になったとはいえ、勝つことに前のめりすぎれば手痛い反撃を受ける。戦士としてだけではなく、一国を統治した王としての側面がベオウルフを冷静にさせる。

 彼は一旦距離を置き、真エーテルの光の壁が消えるのを待つことを選んだ。

 

 「剣一つで多芸なこった」

 

 魔力照射、光の斬撃、そしてこの魔力の奔流を利用した即席の壁。攻防一帯とはまさにこのこと。なによりその多機能に渡る能力を要所要所で使い分けるジークフリートの判断力。流石、英雄。伊達に死線を潜り抜けてきているわけではない。

 

 「はぁ……はぁ………」

 「それでも手前とて人間よ。その深手で何度も多くのことはできまい」

 

 光の壁が消失し、ジークフリートが再びベオウルフの眼に写る。しかしその男はもはや満身創痍。心臓が直接傷ついていないにしても、その周囲の肉はゴッソリ削がれている。普通の英霊であればまず再起不能と見ていいだろう深手だ。それでも立てているのは、一重に大英雄ジークフリートだからだろう。

 血が噴き出しながらも立つ今の竜殺しは手負いの獅子だ。警戒することはあっても侮ることなどあり得ない。弱点たる踵を射抜かれ、更には心臓すらも潰されたにも関わらず暴れまわった大英雄アキレウスの伝承のように。

 

 「……ッ……はァ……っ」

 

 心臓が抉られる一歩手前までの深傷を受けたジークフリートは息も荒い。ここまでの致命的な損傷を受けたのは背中を刺された死因以外では生まれて初めてだろう。

 ベオウルフはゆっくりと、確かな歩を刻みながらジークフリートに近づいていく。今こそ竜を滅さんが為に。

 だが、ベオウルフには一つ誤算があった。先ほどの魔剣の一撃は確かに竜殺しに致命傷を与えたが、それと同時にチャンスも与えていたことをその身で知ることになる。なにせ、相手はあの不死身の大英雄ジークフリート。そこらの英雄とは地力が違う。

 

 「……よし………慣れ……た(・・・・・)………!」

 「なに?」

 

 ベオウルフは己の耳を疑った。

 今この男はなんと言った。慣れた、と言ったのか?

 あれだけのダメージ、痛み、苦しみを慣れたなどという言葉で済ませられるものなのか。

 

 「いくぞ、ベオウルフ王」

 

 ベオウルフの疑念に応えるようにジークフリートは動いた。それも、今まで打ち合ってきた中で最も挙動が少ない動きで、あれほど一挙手一投足が大味だった大剣士とは思えない静かさで、ベオウルフの前まで近づいた。

 

 「(はや―――!?)」

 

 気付けば、目の前にいた。そんな感覚すら覚える間合いの詰め方。今までジークフリートの動きを見失うことがなかったベオウルフが、ただ目の前に近づくジークフリートを知覚できなかった。

 

 「ちぃ!」

 

 ベオウルフは舌打ちをして赤原猟犬(フルンディング)を握りしめて迎撃……否、間に合わない。既にジークフリートは大剣を両手で抱え、振り上げている。後はただ降り下げるだけの動きに移っているのだ。全てが早い。間合い詰めだけではなく、その攻撃に移るまでの行動全てが全くの別人。

 

 「はぁぁぁぁ!!!」

 「ヌォッ!?」

 

 振り下ろされた大剣の一撃を魔剣にて受け止める。受け止めるが、そのまま魔剣ごとへし折られそうになる圧があった。この男、膂力までもが倍加されている……!!

 

 「いったい、なにが……!」

 

 できる限り威力を地面に流そうとするが、その地面もジークフリートの剣圧に耐え切れずけたたましい音を立てて陥没する。威力を、殺し切れない。

 

 「貴方のおかげだ、ベオウルフ」

 

 半死人とは思えぬ力を発揮し続けるジークフリートは、ベオウルフの疑念に応える。それは余裕があるからではなく、戦士としての感謝を込めた心意気があった。

 

 「我が竜の心臓。サーヴァントとして呼ばれた際に、その機能の大部分が停止していた。これは英霊からサーヴァントという枠組みに押し込まれた為の弊害。俺だけの問題だ。それゆえに竜の炉心はろくに動かず、力も十全に発揮できなかった」

 「それが手前の大出力と何の関係が……まさか!」

 「そうだ。先ほどの一撃だ。あの桁違いの魔力を竜の炉心間際まで迫られた。直撃こそしなかったが、確かに魔剣の魔力は我が心臓に影響を与えた」

 

 ベオウルフは見た。ジークフリートの心臓を。

 そして理解した。あの剥き出しの心臓から流れ出るバカみたいな魔力の鼓動を。

 

 「竜種は、ただ息をするだけで魔力を生成する存在! その竜の炉心を、鉄鎚蛇潰(ネイリング)が叩き起こしちまったのかッ!」

 

 本来であれば、眠っているままだった筈の竜の心臓。それに莫大な魔力の一部が衝撃となってショック療法に近い効果を生み出した。その結果、不完全な炉心には火が灯り、動くはずがなかったエンジンは勢いよく吹き荒れる。この快調と言わんばかりの動きはその為か。

 

 「俺は運に好まれる性質ではないが、この戦いにおいては幸運だったようだ」

 「抜かせ、心臓が露わになっていることに変わりはない!」

 「そうだとしても、それだけの話だ。今のこの全力と比べれば、些細なこと―――!!」

 

 ジークフリートの魔力は高まりを見せ、それに続くようにバルムンクの刀身も輝きを増す。不味い、これは切れ味すら向上しているのか。このままでは如何に赤原猟犬(フルンディング)と言えども耐え切れるものではない。

 

 「おおおおお!!」

 「………ッ!!」

 

 紅き魔剣はバルムンクの輝きに屈するようにひび割れ、折れるに至る。それだけに留まらずベオウルフの肉体をも袈裟斬りに切り裂いた。先ほどの意趣返しとでも言うつもりか。これで決まったと思ったか。ふざけるな、ふざけるなよ。

 

 「この程度で殺し切れると思うなァ!」

 

 ベオウルフは折れた赤原猟犬(フルンディング)の柄でジークフリートを殴り飛ばす。折れても使える、それがベオウルフの扱う魔剣のポリシーだ。ただ折られただけで終われるほどヤワな剣じゃない。

 とはいえ、もう赤原猟犬(フルンディング)は使えない。傷つき、自壊することにより真価を発揮する鉄鎚蛇潰(ネイリング)とは異なり、赤原猟犬(フルンディング)は最適解の斬撃を誘導する機能しか備わっていない。実質先ほどの一撃が最後の魔剣の悪あがきだった。

 

 「へへッ。くそったれ、やってくれるじゃあねぇか竜殺し」

 「……その深手を負っても、貴方は笑うのだな」

 

 互いに距離を取り、仕切り直す二人の竜殺し。双方ともに呼吸が粗い。

 ジークフリートは心臓付近を抉られ、ベオウルフは胴体を袈裟斬りにされた。

 負傷度合いで言うならば二人とも同等のダメージだ。どちらも余裕はない。

 それでもベオウルフは笑う。笑みを絶やさない。この瞬間、一瞬一瞬が幸福であるかのように。

 

 「ったりめぇよ。闘争本能のボルテージは今まさに最高潮ってやつだ。これ以上にないほど今の俺は高ぶってる。ここで高ぶらなけりゃ、それこそ戦士として失格よ……だが、アンタはそのままでいいのかもな。俺とは背負っているものが違う」

 「貴方は………」

 「全部(みな)まで言うなよ。そいつァ無粋ってもんだ」

 

 ベオウルフは拳を握りしめる。

 

 「俺はこの世界の為にと召喚されたサーヴァント。アンタは本来あるべき人理を守る為に召喚されたサーヴァント。それ以上でもそれ以下でもない、分かりやすい立場だ。あれだこれだとなにを語る必要があろうか」

 「………了解した。大英雄ベオウルフの屍を超えて俺は俺の役目を全うしよう」

 「そうだ、それでいい。それでこそ英雄よ。だからこそ、この拳を振るうに値する」

 

 立ち上がり、剣を構えるジークフリートにベオウルフは歓喜する。

 この戦い、どちらが悪というわけではない。どちらにも守るべき世界がある。

 常に戦いとは善悪などという単純な括りに収まることはなく、争いとは互いの正義と正義のせめぎ合いに他ならないのだから。

 

 「死力を尽くそうぜ、ジークフリート。この世界を賭けた戦いにはその価値がある」

 「否、世界云々ではない。俺にとっては貴方との戦いにこそ価値がある」

 「嬉しい口説き文句だ。戦士ならば惚れちまうぜ」

 

 ジークフリートは不屈の闘志を沸かせ立ち上がった。そしてその200cmは超えるであろう巨大な(ツルギ)を再び振り上げ、上段の構えを取る。

 

 「宝具を抜くか、ジークフリート」

 「貴方は如何する。既に魔剣二振りが塵へと帰った今、降伏でもするのなら受け入れるが?」

 「余計な気遣い痛み入る。生憎俺は剣が専門じゃないんでね。あんたも知ってるだろう? ベオウルフが何を持って竜を殺したかってことくらいはよ」

 「ではやはりその両腕こそが、英雄ベオウルフの」

 「おうともさ。今こそ魅せてやろう。俺の本来の宝具を」

 

 体温を上げるベオウルフの肉体。皮膚はより赤く……否、黒く変色していく。金色(こんじき)の刺青はギラつく光を放ち、全身からは魔力が放出される。竜を屈服せしめし腕こそ我が至宝。我が宝具。

 古今東西に散見される財宝を蓄える竜の伝承。その最古の源流とされるベオウルフの竜殺し。

 竜殺しに挑んだ時の己は既に全盛期が遠く過ぎ去っていた老獪の時代。国の繁栄の為に良き王として志し、統治し、それこそ心燃える闘争から遠ざかるを得なかった残りカス。とても竜を殺せる体力もなかった。それでも、相打ちとはいえ竜殺しを為しえたのは、部下がいたからだ。あの何の力もない小さき兵士が、勇気を振り絞り、共に竜退治に逃げずについてきてくれたからだ。

 勇気づけられた。王が、兵士にだ。あの若き兵士が命を投げ打って戦う姿を見て、老骨に過ぎなかったベオウルフ王はその時に限り、若き戦士ベオウルフとしての気力が蘇った。

 この拳は、その勇気をくれた兵士の背中が宿っている。この拳は、ベオウルフという英雄の誇りに他ならない。

 

 「散々斬り合った果てに待ってたのが竜殺しジークフリートとベオウルフの宝具の早打ちか。へっ、あのビリー・ザ・キッドでもあるまいにな」

 

 ベオウルフの宝具『源流闘争(グレンデル・バスター)』は二振りの魔剣を失うことで初めて使用が許可される特殊な宝具。生前のベオウルフが有していた規格外の筋力をサーヴァントでありながら呼び戻し、そのまま使用できるという生前の劣化でしかないサーヴァントという枠組みの根幹そのもの覆すもの。

 放てば決まる。拳による一撃は宝具の発動においても極めて単純で原始的。だからこそ速い。

 

 「異なる英雄の象徴と象徴の競い合い。サーヴァントの決着は宝具の撃ち合いによって帰結する運命にあるのだろうな。尤も、誰もかれもが自分に納得できる終わり方ができるわけじゃない。それを思えばこそ、今はこの終焉に感謝を抱こう」

 

 対してジークフリートの宝具もまた、対軍のカテゴリのなかで最速の称号を有する『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)

 恐るべきはその発動し放つまでのタイムラグの無さだ。更に速射も最速足り得る恐るべき追撃能力も有している。

 サーヴァントとして現界した折に竜の心臓の大部分が機能停止してしまっているジークフリートだが、今はその枷から解放されている。つまり英雄屈指の最速の一撃が全盛期と同じように放てるということ。これほどの好条件はなかなかない。

 

 「此度はこんな出逢いになっちまったがよ。今度会うことでもありゃあ、なんだ。もうちっとゆっくり酒でも飲み交わして」

 「竜の肉でも喰らって語り合おう……か?」

 「おう! なんたって数少ない竜殺し仲間だ。きっと話も合うぜ、俺達」

 「同感だ。その時はシグルド殿も、マルタ殿も加えよう」

 

 異なる時代、異なる竜を討伐せしめた二人の竜殺し(ドラゴンスレイヤー)

 酒を酌み交わせば必ず気に入る。英雄譚は違えど成したことは凡そ同じ。

 苦労話でもいい。世間話でもいい。それこそ、互いの武功を褒め合い高め合うのも通だろう。

 しかしそれはまた別の機会だ。星の導きがあるならば、また出会えよう。世界の命運を左右する、大きな戦いの渦のなかでも。それが縁というものだ。

 

 「……あばよ、ジークフリート」

 「さらばだ、ベオウルフ」

 

 最後に交わした言葉は短く。

 されど、その思いはどこまでも気高く。

 人のまま竜を屠りし誉れある二人の男は、次なる再会を信じて。

 

 「源流(グレンデル)―――!!」

 「幻想大剣(バル)………!!」

 

 果たしてどちらが先に放ったのか。

 果たしてどちらが先に一撃を与えたのか。

 洛陽を迎える黄昏の光と、闘牙が極めた拳の輝き。

 

 竜殺しと竜殺しの極限に至し死合は、光と共に幕を閉じたのだった。

 

 

 

 




 祝⭐︎お気に入り件数100人突破! 更には身に余る評価も頂き誠にありがとうございます!
 正直、まさかシグルド主体のSSをここまで多くの方に読んで貰えるとは思いませんでした。
 丁寧な誤字脱字のご指摘や様々なご感想も多く頂き、感極まるばかり。
 これらの声一つ一つを余すことなく自分のモチベーションの糧としていきたいと思います。目指すは完結という終着点……!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18戦:北欧の巨人

 かつては量産型戦乙女(ワルキューレ)の一騎にして現在はシグルドのマスターであるトイネン・アスラウグ。彼女もまた、スルーズの救援の為に戦場に馳せ参じた一人。

 しかし、トイネンは戦地に合流早々、理解した。その身の無力さを目の当たりにした。

 『竜を鎮めし聖人マルタ』『竜殺しの源流ベオウルフ』『北欧神話の竜殺しシグルド』『不死身の竜殺しジークフリート』

 計4騎の竜を制した伝説の英雄たち。その殺し合い。

 もはや、戦いのスケールが違っていた。あの殺し合いの中に参戦しようなどという考え自体が烏滸がましいと断言できるほどの次元違い。たかだか量産型が交えたところで何が変わろうか。むしろシグルド、ジークフリートの足手まといにしかならないと分かってしまう。

 

 「これが……竜殺しの殺し合い」

 

 神霊ブリュンヒルデが構築した戦乙女(ワルキューレ)のネットワークから脱したからだろうか。それともこれが本来自分が持つバグなのか。

 一人の女として新生したトイネンの心の中には確かな畏怖なる念が宿っていた。

 機械的に如何なる相手にも命を惜しまず挑めていた戦乙女(ワルキューレ)の機能が欠落しているのが分かる。

 これが恐怖。人ならば誰しもが持ち得る、当たり前の感情。

 

 「(この世界のヒトは、これほどの恐怖という感情を抱えて戦っていたのですか)」

 

 思い返すは神霊ブリュンヒルデの選定を拒み抗ってみせた人間たちの顔。

 恐らくヒトが戦乙女(ワルキューレ)に向ける感情もこれなる恐怖と同質だとトイネンは気付いた。

 今の自分と彼らとでは決定的に違う何かがある。

 そうだ、彼らは決して恐怖に飲まれていなかった。彼らの表情は恐怖とはまた別の感情が垣間見えていた。

 いったいなんなんだ。こんなにも恐ろしい感情を、ヒトはどのようにして克服している。

 機械然としていた超常の存在であったトイネンは未だその境地に至らず。ただ自身の無力さだけが明確に把握できた。

 

 「……いえ、この自己の問答は今必要なことではない」

 

 焦る必要はない。感情の理解はゆっくりとでいい。今は自分にできることをするだけだ。

 元より己の目的はスルーズ達の救助。そして今の役割はシグルドに円滑な魔力供給を送るタンクとしての機能の維持。どうであれ最低限の仕事を為すことが最優先だ。

 

 「(お姉様達は……いた!)」

 

 力なく倒れ伏している三人の戦乙女(ワルキューレ)。ピクリとも動かず地に這いつくばっている彼女達の姿は言葉失うものがあった。自分のような量産型とは比べ物にならないほどの性能を有しているオリジナルが全員倒されたのだ。それだけでもあの戦いが次元違いであると決定づけられる。

 それでも、彼女達は最後まで戦った。恐怖で足が竦んでさえいたトイネンとは性能以前に違うのだということも再認識させられる。

 トイネンはすぐに三人の元に駆け寄り、無事を確かめる。

 

 「スルーズお姉様、ご無事ですか!」

 「う………トイ…ネン……?」

 「良かった、意識があるのですね……」

 

 唯一意識を保っていたのはスルーズだった。彼女は呂律が回らない舌で、しっかりと自分の名前を呼んでくれた。それがまた、こんな状況で思うのは場違いかもしれないが……嬉しかった。量産型の自分を一人の個体として見てくている彼女の言葉に、少し勇気づけられた。

 

 「ここは危険です。今すぐ、安全圏までお連れします」

 

 後方に待機していた仲間の量産型戦乙女(ワルキューレ)も呼んでこの場を離脱する。

 このままこの場所に居続けていたらいつ巻き添えを喰らうか分からない。

 既に雌雄を決する勢いにまで達している四騎の竜殺し。光の斬撃でも飛んできて吹き飛ばされたら堪ったもんじゃない。

 

 数キロ離れた場所までスルーズ達を運んだトイネンは、一息つく。ここまで離れたら大丈夫だろう。恐らく。たぶん。きっと。

 

 「トイネン…ありがとう……助かり…ました」

 「いえ、これも私の役目。それよりも、傷の具合はどうですか?」

 「ええ……なんとか、原初のルーンで少しずつ回復しています……シグルドのように……すぐに完治させることはできませんが、もう少し時間を要すれば完治……できる…見込み…です」

 「良かった……」

 

 だいぶスルーズも喋れるだけの余裕が出てきた。この分だと、確かに完治まではそう時間も掛かるまい。

 

 「では―――ここは他の戦乙女に任せて、私はまたあの場所に戻ります」

 「トイネン……!?」

 「大丈夫。あの戦いに割って入ろうなどとは思っていません。私はただ、まだあそこで倒れている量産型戦乙女(ワルキューレ)……私の元仲間たちを、戦力に引き入れることができるならそうしたい。それだけです」

 

 未だに神霊ブリュンヒルデに付き従う敵方の量産型戦乙女(ワルキューレ)。元は自分も彼らの一部だった。それをシグルドとスルーズによって群から個へと生まれ変わりはしたが、それでも彼女達は今まで共に在った片割れである。助けられるならば助けたい。仲間にできるのならば仲間にしたいと思ってしまう。

 これは自分のわがままだ。皆が皆、トイネンのように個体になって幸せであると思うわけではない。それでも、彼女達にだって選択肢はあるのだと、知ってもらいたいのだ。

 

 「……分かりました。止めは……しません」

 「! ありがとうございます、お姉様!」

 

 そう喜んでトイネンは再びあの戦場に戻っていった。その後ろ姿を他の戦乙女(ワルキューレ)に支えてもらいながらも、見送ることしかスルーズにはできなかった。

 

 「(きっと、ブリュンヒルデお姉様は……もう自らが生み出した戦乙女(ワルキューレ)の離反は許さないでしょう)」

 

 スルーズの予想が正しければ、今飛び立ったトイネンに待っているのは悲しみだ。トイネンが抱いている希望ではない。

 

 「どうか、呑まれないように……トイネン……アスラウグ…」

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 

 「他の戦乙女は………」

 

 恐らくスルーズ、ヒルド、オルトリンデが倒れていた近くに量産型戦乙女(ワルキューレ)も倒れている。少なくともスルーズ達と戦って敗北したというのなら、そう遠くにはいないはずだ。

 

 「見つけた……!」

 

 仰向けに倒れている量産型戦乙女(ワルキューレ)達を幾人か発見。少し喜びを抑えながらもトイネンは彼女達に駆け寄った。これまで通りの方針なら、スルーズ達は彼女達の武装の破壊にだけ専念し、本体へのダメージは極力抑えているはず。意識はないにしても、機能は生きている。

 

 「…………え?」

 

 そう、生きている筈なのだ。しかしトイネンが駆け寄った量産型戦乙女(ワルキューレ)は―――死んでいた。

 物言わぬ人形。こと切れた生命体。目を開け、瞳孔が開いたまま彼女達は絶命していた。

 

 「機能が停止している……なぜ? 本体に致命的な傷は見受けられない。この程度の損壊で機能停止にまで追い込まれることなどありえない!」

 

 掠り傷くらいはある。無傷じゃないのは確かだ。それでも、この程度のダメージで量産型とはいえ戦乙女(ワルキューレ)が死ぬわけがない。外的損傷などたかが知れている。人間だって擦り傷で死ぬことはないのに、どうして。何故。

 

 「(まさか、ブリュンヒルデお姉様が)」

 

 殺した。いや、戦闘力を無力化された際は自己崩壊するようプログラムされていたのか。

 触れてみれば、分かる。この量産型戦乙女(ワルキューレ)達を調べればすぐに真実が浮き彫りになる。

 でも、怖い。どうしようもなく、怖いのだ。

 こんな恐怖なる感情は今まで抱いたことがなかった。今までならただ淡々と処理して記録するだけで済んでいた筈だ。

 自分達を生み出した神霊ブリュンヒルデが、自分たちをこうも簡単に切り捨てるのか。

 合理的だ。とても、合理的な処置だ。それは分かる。

 一部の兵力が奪われ、利用され、刃を向ける。その成果がトイネン・アスラウグであれば、猶の事ブリュンヒルデも対抗策に打って出る。して当然のことをしているにすぎないのに、なぜ心がこんなに痛むのか。

 トイネンは恐る恐る機能停止した彼女達に触れる。原初のルーンで内部を調べる。

 案の定、自立崩壊プログラムが構築され、作動した形跡があった。トイネンの予想は、当たっていた。当たってほしくなどなかった。

 

 「………ごめん、なさい」

 

 ふと漏れた言葉。謝罪の言霊。

 なぜトイネンは彼女達の前で、死んだ同胞の前でその言葉を口にしたのかは分からない。

 自分がシグルド達に捕獲されなかったら彼女達は死なずに済んだとでも思ったのか。

 感傷的すぎる。このバグは、致命的だ。それでも思わざるにはいられない。彼女達の悲運を。

 

 トイネン・アスラウグは忘れていた。その未熟な精神性故に。まだ生まれたばかりの純粋な感情に振り回されているが故に。

 忘れてはならなかった。ここは今もまだ、戦場の只中であると。

 悲しむ戦乙女(ワルキューレ)に戦場は立ち止まってなどくれない。たかが一人の女の葛藤に、戦場は終わってはくれない。そして、戦況とは目まぐるしく変わるものだ。

 

 神霊ブリュンヒルデの対応策は一つに非ず。もし量産型戦乙女(ワルキューレ)が霊核を破壊されずに機能を停止、または自滅プログラムを行使したならば、もう一つの術式が発動するように組み込まれていた。その仕組みも、トイネンが更に念入りに調べておけば事前に分かっていたかもしれない。それでもしなかったのは、トイネンのミスである。

 

 「なっ!?」

 

 機能停止した筈の量産型戦乙女(ワルキューレ)達の身体に異変が起こる。それに気づいたトイネンだが、もう遅い。術式は作動した。

 巨人たち(・・・・・)を呼ぶ、原初のルーンの発動である。

 彼女達は身体の穴という穴から溢れ出る炎に包まれ、深紅の炎で形成された卵状の形態に移行した。それは蟲が孵化する前の繭のようだった。当然、トイネンはその場からすぐに離れた。迅速に。

 その一秒後、複数の卵が爆発し、巨人を召喚する魔法陣を構築。瞬時に、巨人族が多数召喚された。その数は10を超えている。

 

 「「「「 ■ ■ ■ ■ ! ! ! 」」」」

 

 神に呼ばれた巨人族の産声。

 神と対立していた種族が、神に召喚される。なんという皮肉か。彼らも本意ではないだろうが、召喚物は召喚者の命令は絶対。その召喚者が神であればその拘束力など人の比ではない。その証拠に彼らは召喚者ブリュンヒルデの指示に従い、敵勢力に狙いをつけていた。

 その時、この一連の処置を目のあたりにしたトイネンの心には、生まれて初めて黒い感情が灯された。それは悲しみなどという感情ではない。そのような、優しさから生まれるようなものではない。

 この激情は、自分でも制御できそうにない、この感情こそは―――【怒り】と呼ぶのだろう。

 

 「戦乙女(ワルキューレ)の遺体を贄として利用し、あまつさえ巨人を呼ぶ……お姉様………いえ、神霊ブリュンヒルデ! 貴女は、いったいどこまで私達を使い潰せば気が済むのですか!!!」

 

 使えなければ切り捨て。

 利用されるのならば廃棄し。

 その上で、巨人を呼ぶ為だけの装置に仕立て上げる。

 

 生み出した者は、何をしてもいいというのか。

 生み出された者は、ただ消費するだけの存在というのか。

 

 ふざけるな、ふざけるなよ。そんな理不尽は認めない。認められない。

 精神回路を焼き尽くさんばかりの激情の波は、トイネンの思考から冷静さを剥奪していく。

 すぐ分かるはずだ。この戦力差、勝てるわけがないと。

 今すぐこの場から逃げる。それが最善であるはず。それでもトイネンは選択できなかった。

 後ろを見せたくない。逃げたくない。臆したくない。

 この感情は訴えている。今、この場で引いたらアスラウグの名に瑕がつくのだと。

 

 「■■■」

 

 巨人はトイネンを見下ろし、超大な獲物たる大槍をゆっくりと振り上げた。人間が蟻を潰すように、巨人もまたトイネンを叩き潰す気だろう。取るに足らない、小さき女を。ただ腕を上げ、下ろすだけで全てが終わる。事実囲まれ、逃げ道のないトイネンにとってはその行動自体が死刑宣告に他ならない。

 トイネンはスルーズ達オリジナルのように原初のルーンは扱えない。あくまで限定的な力しか引き出せない。恐らく、結界を張ったところで数秒も持つまい。それでも原初のルーンを起動させたトイネンは、円状の結界を張った。見る者によってはあまりにも薄い防御壁。頼りない防衛ライン。

 何もしないで諦めるより、何か行動を起こし、抗ってこそ戦乙女。自分はただ生まれて消費させられるだけの存在ではないという覚悟の表れでもあった。

 規格にない魔力を原初のルーンに注ぎ込む。より厚く、より強固にするために、魔術回路の魔力を全力で回転させる。

 

 「■■■?」

 

 巨人は大槍を振り下ろしたが、感触が違うことに疑問を持つ。

 人を叩き潰した瞬間はもっと柔らかく、何かが小さく破裂する感触を伴う。

 この感触は、それとは違う。硬い、なにかを踏んでしまったかのような感触。

 そこでようやく相手に自分の叩き潰しが防がれているのだと理解する。

 

 「■■■」

 「■■」

 「■■■■」

 

 ほかの巨人達は呆れたと笑っている。こんな雑兵に何を手こずっているのかと。

 確かに、雑兵だ。弱き女が一人だけ。たかが雑魚と思って処理しようとしていたのが過ちだったか。ならば、もう少し力を加えてやろう。

 巨人は大槍に自身の体重を乗せて更に力を入れた。炎の巨人ほど強大かつ巨大ではない一介の巨人兵だが、それでも小山ほどの巨体を有している。その質量を一転に集中すればどうなるかなど、戦乙女(ワルキューレ)の小娘共もよく理解しているだろう。

 

 「あぁ……あああ!」

 

 ガラス細工の小賢しい結界にヒビが入る。この感触は良い。もうすぐ割れると分かる、破壊する一歩手前。

 不敵な笑みを浮かべる巨人。弱者を踏み潰すのは巨人の特権だ。何をするにしても、巨体はそれだけで力となる。大きなものが強く、小さきものが弱い。赤子でも分かる自然の理。

 殺した後はどうするか。食べてみて、咀嚼すれば旨いだろうか。旨いだろうな、なにせ女の肉だ。それも戦乙女(ワルキューレ)の肉だ。不味いわけがない。

 

 「■■■■」

 

 決めた。この女は原型を留める程度に殺して、食べるとしよう。

 

 「その下卑た笑み、見るに堪えん」

 

 不意に男の声が聞こえた。どこまでも軽蔑したような、そんな声色。巨人の言葉ではない。であれば、誰だ。この声の主は、誰なんだ?

 巨人は振り向いた。振り向いたその行動が、巨人の最後の動きとなった。

 

 閃光一閃。

 

 大樹に勝るとも劣らない密度と太さを持つ巨人の首が、断ち切られた。意識を刈り取る死神の鎌の如き手際。嗚呼、そうか。この男。この男が――――。

 

 「貴殿らを迅速に狩る。如何な当方と言えども、同胞を嬲られて何も思わないほど冷血な男ではないのでな」

 

 憎きオーディンが最も寵愛を与えた人間。英雄になるべくして生まれた大神の最高傑作。北欧神話における英雄の頂点。あの終焉に終ぞ現れず、冥界にて魂を封印された大英雄。

 巨人達の本能が震え上がる。彼の神気は間違いなくオーディンのもの。手に持つはオーディンが所有していた稀代の魔剣。であれば、我らが鋼の如き首を断ち切ることなど造作もあるまい。

 

 「■■■■!!」

 

 だが、分かる。分かるぞ。巨人としての本能がシグルドの脅威を肌で感じ取れるように、今のシグルドが多少の疲労を背負っていることも分かる。十全のシグルドではないならば、数の暴力で押し通せば一掴みの勝機はあるかもしれん。なにより、憎き大神の末裔を目の前にして足を竦ませていては巨人の名が泣くというものだ。

 巨人達は先ほどまでの余裕を斬って捨てた。今からは、まさしく生死を賭けた戦いとなる。弱者を甚振(いたぶ)って悦に入る時間は終わりを告げている。

 一体の巨人がその巨大な腕を用いて力強く拳を放つ。

 

 「!?」

 

 されど――――黄昏の斬撃によりその大いなる腕の肘から下が切り落とされた。

 敵はシグルド一人だけではなかった。もう一人、この大地に竜殺しが残っていたのだから。

 

 「どうやら聖女マルタは討ち取ったようだな。シグルド殿」

 「ジークフリート殿、そちらも無事……とは言い難いか」

 

 横から割って入ったもう一人の竜殺し。巨剣を軽々と振るうその膂力、巨人外殻を難なく切断する真エーテルの斬撃。ネーデルラントの大英雄ジークフリートが今、シグルドの元へと背中を預ける形で帰還した。

 しかしその姿はもはや無傷とは言い難く。胸の中心は大きく抉れ、心臓部分は露わになり、心音を刻む姿が見て取れる。誰が見ても重症であるのは明らか。

 

 「動く分には申し分ない。むしろ、快調だ。心配は不要」

 「……そのようだ。竜の炉心に再び火が灯ったか」

 「ベオウルフ殿のおかげだ。これにより我がバルムンクはより全盛に近づいた……!」

 

 一振り。ただの一振りで、巨人の一体が光に飲まれ、塵芥へと還った。

 巨人族というだけでその神秘は高く、ただの投擲にすら神秘を宿す存在が、たったの一撃でこの世から姿を消した。対軍宝具の中でも面攻撃に優れている上に、初動が恐ろしく速い。

 

 「ほう……真名解放を持ち要らずその威力と速度。ベオウルフ殿は貴殿に確かな希望を残して逝ったと見える。ならば、此方も後れを取るわけにはいくまい」

 

 今度はシグルドが動いた。既に肉体制限を一部解除したシグルドは双眸を覆う仮面が半分取り除かれ、装備も新たに開帳されている。その動きもまた、これまで通りのものとは比較にならず、英雄シグルドの機能の一端が垣間見える。

 原初のルーンにより脚力を強化。ケルト神話の大英雄クーフーリンはキャスターで召喚された際、その微力な筋肉をルーンで補い最上級にまで仕上げたという。であれば、セイバーシグルドのポテンシャルを基にその原初のルーンによる強化を行えば、どうなるか。

 それは巨人がその身をもって味わうことになる。

 

 「■■■■!!」

 

 巨人の槍による刺突。その巨大さ故にまるで壁が迫るような圧迫感を生み出す巨体に恵まれた者が織りなす一撃。例えキメラであろうともゲイザーであろうとも容易に潰されるであろう脅威の具現。

 されども、その程度では今のシグルドを仕留めるにはあまりにも力不足。まるで見合っていないと言わざるを得ない。

 シグルドは短剣も魔剣も不要とし、自然体でその一撃を迎え入れる。そしてあろうことか巨人の刺突をぶん殴った(・・・・・)

 

 「「「「■!?」」」」

 

 槍の矛先は粉々に砕け、その衝撃は槍全体に広がり、軋みを上げた。

 信じられない。どよめきが巨人から溢れ、なによりその一撃を放った巨人は唖然としている。

 

 「戦士が戦場で呆けてはならない。その一瞬が、命取りになるのだから」

 

 気付けばシグルドが槍を放った巨人の目の前まで跳躍し、拳を構えていた。既に先ほどの威力を内包していると思われる一撃を繰り出す準備が整われていた。

 もはや逃げられない。巨人は唖然とした後に、達観の域に入る。その行動こそが、死を受け入れた行為に他ならない。命乞いをしなかっただけ、マシなものだろうと巨人は嗤う。

 次の瞬間、巨人の頭部は弾け飛んだ。紅い鮮血が大量に溢れ、その誇りある巨体は敗北を受け入れたように倒れ伏す。

 

 「貴殿らは戦乙女とは異なり放置すれば人を喰らう。人に害を為す。それを当方は看過できん。許せとは言わん。存分に恨め」

 

 血に濡れたシグルドは公言する。

 一匹たりとも……逃がしはしないと。

 

 そこからの経過は、もはや語るに及ばず。

 あの焦土の大地に残されたのは、ただ物言わぬ巨人達の骸の山だけなのだから。

 

 

 ◆

 

 

 

 場所は変わり、そこはシグルドとマルタが死闘を繰り広げた山の麓。その森林生茂る場所にて、マルタは大樹に体を預け、息が今にも絶えそうな状態で座り込んでいた。

 脇腹は抉れ、聖女の象徴たる純白の衣は血により赤黒く変色し、顔色も頗る悪い。

 致命傷。命が今にも消えんとしているサーヴァントの成れの果て。

 相棒のタラスクは既に絶命している。魔剣の一撃にあの強靭な盾も打ち砕かれた。その上にマルタすらも穿ち切った。

 

 「……トドメを刺すことなく去るなんて、酷い人」

 

 人思いに滅殺し尽くしてくれたら良かったのに。それでも敢えてせずにこの場を去ったのは、きっと自分のトドメよりも大事な出来事が起きたからに他ならない。

 勝負の決着よりも、他者を気遣う。戦士の王と謳うには、あまりにも正義漢が過ぎているとマルタは思う。

 まぁ実際、もうすぐマルタは消滅する。トドメを刺そうが刺さまいが結果は同じ。であれば、シグルドが他の用事を優先したのもまた正しい。

 

 「ひでぇナリだ。手酷くやられたな」

 「……ベオウルフ王。貴方は人のことを言える立場ですか?」

 「ハッ、違ェねぇな」

 

 マルタの前に現れたのはジークフリートと戦ったベオウルフ。彼もまた、竜殺しに敗北し、そしてトドメを刺されることなく残った者。生き残ったのではなく、残っただけ。彼もまた死が近い。

 体の約7割が炭化したその体でよく動けるものだ。持ち前の根性と戦闘続行が為せる業か。こうしてマルタの場所まで来たのは、共に召喚された仲間ゆえか。

 

 「貴方も律儀ですね。見かけによらず」

 「これでも賢王として名が通ってるからな。仲間を看取るくらいはせねば名折れよ」

 「その様子では貴方の方が先に朽ちそうですが?」

 「男は一度決めた事は意地でも通す生き物だ。安心しな」

 「………そう。本当に、バーサーカーとは思えないわね」

 「自覚している」

 

 マルタは苦笑し、ベオウルフは笑う。

 

 「良き闘争だった。生前でもこれほど血肉が滾った死闘はなかっただろう」

 「私もです。もし次の機会があれば、別のクラスで召喚されたいですね。次は負けません」

 「俺もさ。リベンジはいつか必ず……ああ、そうそう。お前にも伝えなきゃならんことがあったんだ。大事な話だ」

 「あるのでしたら手短に。大事ならば尚のことですよ。もう、私は消えますから」

 

 エーテルで構成された肉体は今にも霧散しようとしている。

 マルタの霊核はかの対城宝具により破損させられているのだ。むしろ、よくぞここまで持ったと思う。

 ベオウルフは消えゆく彼女に、最後の言葉を贈る。

 

 「ジークフリートからの伝言だ」

 「?」

 「今度出会う時は、共に酒を酌み交わそう……俺も、アンタも。竜殺し宴会のお誘いだ」

 

 それを聞いたマルタは目を丸くした。

 ベオウルフとジークフリートは、あの戦いの中でそのような約束を取り付けたのか。

 それはさぞかし気持ちのいい闘争だったのだろう。そして、なんと夢のある誘いだろうか。ましてやこれを断れる英雄など、いようはずもない。

 

 「それは、楽しみです。私はこう見えても、お酒には強い方ですから…………」

 

 そのマルタは光となって消滅した。満面の笑みを浮かべて。

 それは聖女としての微笑みではなく、一人の勝気な町娘としての顔だった。

 

 「ハハッ。そうだろうと思ったぜ。絶対、アンタは酒に強いと確信してたね……俺は」

 

 マルタに続くように、ベオウルフも痛快と言わんばかりの大いに笑った。

 その刹那、彼の全身の肉体が遂に崩れ去り、灰となって空へと舞った。

 

 これにてサーヴァントとして呼ばれ、サーヴァントとして戦い、サーヴァントの役割を全うした王と聖女はこの世界から退場した。

 彼らは元より死人。その衣服も、肉体も、この世には最初から無いと言わんばかりに何も残さない。残せるとしたらそれは戦いの痕と、関わった相手との縁のみ。

 だが、それだけで十分なのだ。多くを残す必要などない。

 必要なのは、確かな希望。そして、思い。

 これだけ残すことができたのならば、何も無念とはならないだろう。

 

 英雄の魂は、確かにあの二人の竜殺しに託された。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19戦:貴女には渡せない

 玉座にて、神霊ブリュンヒルデは静かにシグルド達の戦闘をその瞳で眺めていた。特に魔術を使って映像を虚空に写すのではなく、瞳の奥にて直接念写している。

 この世界は神霊ブリュンヒルデが管理する場所。シグルドの隠れ家のようによほど巧く隠蔽でもしなければ、常に彼女の監視下にあり、捉えられないものはない。

 自らが召喚した大英雄二騎が敗北したのも、その眼は確かに見届けていた。

 

 「竜殺しベオウルフ王に聖女マルタ。二人同時に戦えば如何にシグルドと言えどもとは思ってはいましたが、やはり戦力となる仲間のサーヴァントを呼んでいましたか」

 

 数体もの強奪された戦乙女。その使い道など限られている。

 戦力としてでは量産型がいくら囲もうが微力でしかなく。

 であれば、大量生産された物とはいえその恵まれた棒大な魔力からなる魔力供給源とするのは想像に難しくない。というよりそれしか考えられなかった。

 あのシグルドの戦いぶりからして魔力の問題は解決済み。戦乙女(ワルキューレ)が三体同時召喚されているのを見るに、シグルドだけではなくスルーズもまた量産型戦乙女(ワルキューレ)をマスターとしているに違いない。そして新たな竜殺しジークフリートの召喚。

 はぐれサーヴァントの一体でしかなかった彼は滞りなく戦力と力を蓄えた。もはや最初に出逢ったシグルドとは脅威度が大きく更新されている。

 これが神々の叡智を持ち、あの大神オーディンが計画的に生み出した存在。とても人とは思えない。

 

 「………シグルド」

 

 噛み締めるようにその名を口にすると、神霊ブリュンヒルデの中の何かがズレそうで、禁忌感すら覚える。

 最初に出会った時もそうだった。あの時、なぜ背後から撃たずに身逃したのか。なぜ、彼の活躍にこうも胸が心地よく思えてしまうのか。神たる己にそのような感情が残っていていいものか。

 奴は敵だ。己の障害だ。それ以上でもそれ以下でもない筈だ。並行世界のブリュンヒルデがバグを起こして恋した男になぞ、なんの価値があろうか。むしろ忌むべき存在でなければならない。

 

 「貴女はあの男のどこに惹かれたと言うのですか……ランサー(・・・・・)

 

 神霊ブリュンヒルデは玉座にて自らが召喚せしめた槍兵を見下す。

 その槍兵はブリュンヒルデと瓜二つだった。神霊ブリュンヒルデよりも装飾が少ない鎧、低い神格と明確な違いがあるものの、その女は正しくブリュンヒルデその人。

 彼女は槍を携えたまま動かず、自分を見下す神霊ブリュンヒルデを見上げた。神霊ブリュンヒルデのランサーを見る目が冷ややかであると同時に、そのランサーも神霊ブリュンヒルデを見る眼差しはどこまでも冷たかった。

 それは召喚者と使い魔の関係に非ず。水と油。相容れぬ者同士の邂逅に他ならない。

 

 「私が如何にそれを口にしても、今の貴女には理解出来ないでしょう。理解する気もないのだから……そも、自ら生み出した戦乙女にあのような細工を施す非道に分かる筈もない」

 

 ランサーも見ていた。あの戦いを。シグルドの戦いを見守る一方で、神霊ブリュンヒルデが生み出した戦乙女の末路もその目に刻み込んだ。

 如何に彼女たちが自分の本当の妹たちではないにしても、あのような扱いをされて快く思えるはずがない。

 

 「ええ、たしかに。バグを起こした者に聞いたのが愚かでしたね」

 

 穏やかな口調。静かな声量で会話を交える二人ではあるが、その言葉の奥には明確な刺があった。煮え滾る怒りとも言えるランサーの言に、神霊ブリュンヒルデは無頓着に答えるのみ。

 

 「そのバグたる私を敢えて召喚したのは……私のシグルドを殺させる為ですね?」

 

 ゆっくりとランサーは構える。

 槍の矛先を神霊ブリュンヒルデに向ける。

 その行いは、明確な敵対行為。

 

 「半分正解です。貴女は確かにシグルドを確実に仕留める為に召喚しましたが、別に貴女単体での戦果は期待していません。能力自体は、貴女はシグルドよりも大きく劣っているのだから」

 

 ブリュンヒルデは記憶を失ったシグルドと決闘を行った際、僅か三合撃ち合うだけで敗北した。伝承上におけるブリュンヒルデがシグルドを殺せたのも、姦計があったから為し得た奇跡にも等しい。個体差で言えば明らかにシグルドの方が上をいく。

 

 「それはそうでしょう。彼は元より完成されていた窮極の人。その男に、私は戦乙女の戦闘法と原初のルーンを授けた。私如きが真正面にて勝てる道理はない」

 「それでも、貴女にはその槍がある。生前は持ち得ず、後の伝承により生まれし概念宝具が」

 「………貴女が欲しているのはこの魔銀の槍ですか」

 

 神霊ブリュンヒルデは頷き、肯定する。

 

 「ランサー。それは貴女には過ぎた力です。より高次の存在である私が使ってこそ意味がある」

 「ふざけないでください」

 

 神霊ブリュンヒルデの戯言を斬って捨てるランサー。

 彼女は許せなかった。仮にもブリュンヒルデという存在が、愛を理解せず力だけを奪い取る?シグルドへの燃え上がるような恋を、愛を、ただシグルドを倒すという矮小な目的の為に利用する?

 そんなことは断固として認めるわけにはいかない。如何に人類の認識により歪められ、英霊の座に持ち込まれたシグルド殺しの機能だとしても、その源泉は間違いなくシグルドとブリュンヒルデの愛。それを他人に使われて良い顔ができるはずもない。

 

 「貴女(ブリュンヒルデ)には渡せない。貴女如きが、使っていい力ではない」

 「貴女(ランサー)に拒否権があるとでも?」

 

 神霊ブリュンヒルデは別にランサーの許可を欲しいとは思っていない。

 必要だから奪うのみ。

 

 「忘れましたか? あのベオウルフ、マルタほどの英雄であっても……召喚者であり、権能を有する私には逆らえなかったことを」

 

 そう、もし簡単に叛逆ができるのならばあの二人は素直に従ったりなどしなかった。少なからず、ある程度の抵抗が見られたはず。それすらも許さないのが、神霊たる所以。本来封印されているはずの女神の神核すらも本格稼働している今の神霊ブリュンヒルデに召喚物が逆らえる道理などない。

 

 「そしてこの城は結界を張り巡らしている。貴女が召喚されたことをシグルドが感知することもないでしょう。つまり、貴女は籠の中の鳥でしかない」

 「………憐れですね」

 「なに?」

 「私も、ブリュンヒルデですよ?」

 

 ランサーが不敵な笑みを浮かべた。それは傀儡が出せる笑みではなかった。

 

 「貴女が一番理解しているはずです。この身の封印は、解こうと思えば解けるものであると」

 

 ランサーの肉体から蒼き焔が噴き出す。その出力は徐々に高まりを魅せ、魔力も尽きるどころか止めどなく溢れている。一介のサーヴァントが出せる力を大きく超えている。

 

 「バカな。貴女、自らの魂を」

 「ええ。炉心の燃料にしています」

 「―――正気ですか」

 

 確かに本来の力を取り戻せば神霊ブリュンヒルデの強制力は弱まる。存在が対等になればなるほど神霊の優位性は相殺される。しかしそれを実行に移すには圧倒的にランサーは出力が足りない。魔力が足りないのならば、封印も解けず、サーヴァントに押し留まれている力だけが上限になる。

 このペナルティを突破するならば、それこそ霊核を砕いて魔力に変換するしかない。だが、そんなことをすれば自滅し消滅する。そんなことはランサーが一番理解しているはずだ。

 

 「自ら命を削り、力を解放する? それもシグルドという最愛がいるこの世界で? 生きて会おうと思うのが人間の正しき選択ではないのですか。この奇跡を前に自害を選択するなど、狂気に染まったか英霊ブリュンヒルデ!」

 「私たちの愛は常に狂気と共に。貴女には、分からないでしょう」

 「分かるものか……やはり貴女は狂ってしまっている! 壊れている!」

 「だから、貴女は憐れなのです。本来得られたであろう愛を知らぬ悲しき神よ」

 

 ランサーの姿が変わる。

 鎧の質が、姿形が神霊ブリュンヒルデに迫る。

 純白の鎧は魔を照らす魔銀の装束。戦乙女のなかでブリュンヒルデだけに許された兵装。

 ランサーである彼女がそれを身に纏うなどあっていいはずがない。それでも現に今彼女は神霊ブリュンヒルデと同等の存在にまで昇華されたということは。

 

 「そこまでして私を止めたいか!」

 「今の貴女にこの力をみすみす渡すくらいなら」

 「どこまでも愚かな……!」

 「女でも、意地を通さなければならない時がある。今がまさにその時ですから」

 

 ランサーは槍を少しずつ大きくしていく。これだけの拒否をしておきながら、それでもなお、神霊ブリュンヒルデを愛するというのか。

 

 「英霊の座に刻まれた記録によれば、私を呼んだかつてのマスターはこう言いました」

 

 ランサーにとってはそれは恐ろしき記録。記憶ほどはっきりしたものではなく、現実味も帯びないただの記録ではあるが、確かにブリュンヒルデの根幹に刻まれた確かな情報。

 1991年の聖杯戦争。あの場所で、ランサーとして召喚された戦乙女はあの男と出会い、狂わされた。とても苦く辛い体験だったと思うが、あの時ほど我が槍の真価を発揮できた場所もなかった。

 マスターは謳うように言った。我が槍を求めて、我が槍の極限を語った。

 

 「愛深まれば、私の槍は神すらも殺す」

 

 ここは世界から断絶した孤高の城。もはやシグルドに私が召喚されたことも気づくことはないというなら、是非もない。

 今ここでランサーが行えることは、少しでも彼にバトンを繋げること。世界の命運を前にすれば、我ら夫婦の再会は持ち越しとなる。シグルドもきっとそれを望むだろう。

 

 「……最期の戯言は、それでいいですか? ランサー」

 「ええ。ここからは、存分に愛し合い(殺し合い)ましょう。神霊ブリュンヒルデ」

 

 彼女こそシグルドと出会わなかったIFなる私。焦がれるほどの愛を得られなかった悲しき私。悲恋という形で歴史に名を刻まれた私でも、こういう生き方もあり得たのだろうと受け入れはする。

 嗚呼、それでも。私はシグルドと出逢えて良かった。たとえ神から人に堕とされても、父から見放されても、あの出会いこそブリュンヒルデの存在表明。あの炎で死に絶えた惨劇を超えてもなお、私の想いはどこまでも固くなる。

 シグルド。愛しのシグルド。直接再会はできないであろう愛しの人。せめて、せめて、この私が遺したものを受け取ってください。きっと貴方の役に立つ。

 

 

 

 覚えていますか、シグルド。

 貴方と私の最初の出会いを。

 鎧は砕かれ、生まれたままの姿で貴方と目を交わしたあの日を。

 私は貴方に「何故ここに来たのですか。私と結ばれれば貴方は破滅するのに」と問うた。

 それに貴方は「破滅の予言に逆らい、ブリュンヒルデなる女は救いはしても愛さないつもりでいた。当方は為すべきことを為すまで」と言った。

 

 その時、私はフラれたのだと思ったのですよ?

 年甲斐になく生娘みたいに泣いたのですよ?

 

 それでも、その言葉の続きに貴方は私を愛してくれると言ってくれた。

 一目惚れだったと。そう言って。

 あの時の衝撃も。愛しさも。嬉しさも。今でも覚えています。

 私たちは確かに最後は予言通り破滅した。だけど、決して後悔なんてしていない。

 

 私の愛。シグルド。

 貴方が貴方であるならば、迷わないで。立ち止まらないで。

 

 これまで通り、今まで通り。

 為すべきことを、為してください。

 

 私の、私だけの。

 愛しのあなた―――。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 激戦を経て、無事シグルド達はアジトに戻り、その受けた傷を霊脈の力を借り受け、そして原初のルーンによって癒していた。ジークフリートは心臓が剥き出しになっていることもあり、早急な修復が必須。スルーズ、オルトリンデ、ヒルドの三人も炎の巨人とベオウルフ、マルタとの連戦により重傷。最初に鹵獲して仲間にした戦乙女はトイネンの指示のもと彼らの治癒に明け暮れている。

 であれば、拠点の防衛及び見回りはシグルドが適任だった。

 

 「…………ブリュンヒルデ?」

 

 神霊ブリュンヒルデに感づかれないように隠匿のルーンを用いて姿を消し、アジト入り口の前で門番の役割を担っていたシグルドはふいに空を見上げた。

 心臓が、急に熱くなった。厳密に言えばブリュンヒルデの炎が灯された竜の炉心が。

 何かと共鳴している。否、何かではない。この炎が反応するとすれば、それはあの女性しかいない。

 それでも彼女の存在は感知できない。もし我が愛が召喚されたのなら、すぐに分かるはずなのに。

 

 矛盾だ。

 

 ブリュンヒルデから受けた焔は共鳴するも、魔力や霊気には全く感じていない。

 

 「…………」

 

 何かが起きた。何かが起きている。

 これはシグルドの第六感か。叡智に依らない根拠なき仮説ではあるが、恐らく神霊ブリュンヒルデが何かをしている。それを知り得る術も今のシグルドにはない。千里を見渡せる瞳があれば話は別だが、その類まれぬ力は血族の一人が持っていたにすぎず、自分は持ち得ていない。

 

 「当方は、どこまでも無力だな」

 

 焦燥はない。それが無益だと分かっているから。

 尤も、もどかしさがないと言えば嘘になる。動けるのなら、今すぐ動きたい。あの城を目指し、再びあの神霊と対峙したいという欲求がある。

 

 「(まだだ……まだ、準備が整っていない今動いたところで意味はない)」

 

 神々の叡智は自身に訴える。無意味無作為に動けば犬死となると。救えるものも救えず、為すべきものも為せはしないと。それがまた事実であるのだから歯痒いと思うほかない。

 

 「神霊ブリュンヒルデ……今はまだ動けずとも、決戦の日は近いぞ」

 

 温存するべきは力。

 整えるべきは布陣。

 狙うべきは最適解。

 

 既にシグルドは打開先を見出している。ただそれには幾つものピースが必要だ。

 この圧倒的不利な局面で、その欠片を埋め合わせることにより起死回生の一手に繋がる。

 英雄だけでは足りない。今の自分達だけではこの戦況は引っ繰り返せない。

 シグルドは知っている。

 神霊が見向きもしなかった存在が、重要な役割を齎すのだと。

 超常の存在を打開させるのは、いつもその存在があってこそなのだと。

 

 「我が愛。許せ」

 

 お前は好きな女の窮地を察していながら動かなかった冷徹な男と罵ってくれ。

 お前の愛を受けるには分不相応な男だと言われても仕方なきことだ。

 

 「………む?」

 

 何かが近づいてきている。小さき鳥類……いや、それにしてもこの速度は異常だ。とても生きた鳥が出していい速度ではない。それが真っ直ぐ、このアジトに向かって飛来してくるのをシグルドは捉えた。

 まさかバレたか。神霊ブリュンヒルデの偵察か。

 いや、それならば偵察などという遠回しな行動をあの神はしない。するとしたら、総戦力による蹂躙。それに高速で接近するソレからは敵意が感じられない。仮に偵察ならばここまであからさまな動きはあり得ない。

 この隠蔽のルーンを介さずに自身の存在を知ることができる存在。それは共に深い縁を刻んだブリュンヒルデだけだ。ならば、あの鳥は、まさか―――。

 

 シグルドの目の前に着地したソレは、魔銀で形成された至極色の小鳥の使い魔。内包する微かな魔力は、愛する女のもの。この距離まで気付かなかったのは、この鳥自体に隠蔽のルーンが刻まれていたからか。

 

 「お前は………」

 

 シグルドは、思い出す。あの小鳥と戯れたくとも戯れることができなかった女の姿を。

 戦乙女から人に堕とされて間もないころ、動物と接することに難儀していた女の姿を。

 生前の彼女はただ小動物に触りたかった。幼子のように、愛らしい小鳥に触れたかった。

 その純粋な思いとは裏腹に、小鳥は逃げる。ブリュンヒルデが近づけば、一目散に逃げた。

 それにブリュンヒルデは悲しんだ。どれだけ仲良くしようと近づいても、心を通わすことができないと悩みを持っていた。

 

 『それはそうだろう。戦でもあるまいに、鎧を着込みながら近づけば逃げるは道理。小鳥とて怯えもする。いや、小鳥だからこそその点警戒心が強いと言える……まずは、その武装を外してからだ。さすれば小鳥とも触れ合えよう』

 

 あの頃のブリュンヒルデは赤子のようだった。知識はあれど、感性は無知に等しく。超常の存在だったからこそ、世界の理の外で存在した者だからこそ、自然との接し方が疎かった。そんな彼女は常に鎧を着て行動していた。

 鎧とは、戦う準備段階ともいえる。そんな姿で小動物に近づけば逃げるのも致し方ない。ただそれを伝えただけなのに、ブリュンヒルデは大層喜び、実践した。

 あの日からか。ブリュンヒルデの肩に小鳥が乗っているのが日常となったのは。

 今、目の前にいる小鳥の姿をした使い魔は、その小鳥と似ている。いや、まるでそれを模したかのような瓜二つ具合。

 

 「……つくづく(・・・・)にはもったいない女だ」

 

 つい、素が出てしまうほど感じ入ってしまった。

 ブリュンヒルデは、今も想像を絶する境遇の中にいるのだろう。

 そんな中でさえ、お前はシグルドを想うのか。

 この小鳥は俺に冷静さを保つ為のものか。

 ならば、その信頼に応えなければ夫ではない。男ですらない。

 

 「お前がこの世界に呼ばれたことは確信した。そしてお前は当方にこう言うのだろう」

 

 それは、シグルドがブリュンヒルデと出会ったあの場所で。

 ブリュンヒルデに対して言ったあの言葉。

 

 「為すべきことは為せと」

 

 そうだ。

 今も、昔も、シグルドという男はその想いの元で動くのみ。

 

 神霊ブリュンヒルデはシグルドを確殺する為にIFのブリュンヒルデ(ランサー)をこの世界に呼び寄せた。

 ブリュンヒルデという英霊が持つ宝具『死がふたりを分断つまで(ブリュンヒルデ・ロマンシア)』を手に入れる為に。

 しかし、神は知るだろう。その行為こそがシグルドの炎を強くする動力源になると。

 合理的に物事を考える神に精神という非合理な要素を理解することはできない。

 もしシグルドの愛したブリュンヒルデが召喚されたらどうなるかを分かっていなかった。

 一度切り裂かれた男と女。されども幾度となく惹かれ合う雌と雄。

 

 二人の想いは神をも凌駕する。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 「ほうほう。これはまた、奇怪な世界ができたもんだな」

 

 華咲き誇る野原にて、北欧の美しき山々を見上げながら男は一人ごちる。

 フードで顔を隠しているその男は表情こそ見えないが、唯一見える口元は緩み、笑みを浮かべているようにも見える。

 

 「神霊ブリュンヒルデ……神霊ねぇ。あの娘が十全に機能していることこそ異常。この世界もまた、あの焔燻る北欧と同じく異端そのもの。まったく因果としか言いようがない」

 

 金属を身に着けておらず、蒼く光る魔力回路が張り巡らされた外套を羽織るその男は何かを見ていた。人間には知覚できない先の物語を。この世界の行く末を。この世界の顛末を。

 

 「(世界が呼んだのはシグルドと戦乙女(ワルキューレ)。ふむ、カードとしては申し分ない)」

 

 ドルイドの杖をコンコンと大地に軽く叩き付け、この世界で何が起きているかを理解する。

 それと同時に、己が何をするべきかも理解した。

 

 「(既に戦闘が幾度となく行われ、神霊ブリュンヒルデは手駒の二騎を屠られた。シグルドが召喚したジークフリートもいるならば、まぁ当然の結果。神霊ブリュンヒルデも手段を選ぶこともなくなり、もう一体のブリュンヒルデを召喚するも反旗を翻されるか)」

 

 憐れ。より自分の北欧世界を安定させようとしているだけというのに、ここまで世界は神霊ブリュンヒルデに牙を向く。前途多難とはまさにことのこと。それに付け加えて俺の召喚だ。如何な神と言えども、骨が折れよう。

 

 「ここまで追い詰められたならば、神霊ブリュンヒルデも本腰を入れざるを得ない。どれ、果たして俺の導きなど必要なのかは疑問なところだが……ここは一つ仮初の森の賢者としての役割を果たそう」

 

 男は歩み始める。目指すはシグルド達のいる拠点。

 神霊ブリュンヒルデはまだ見つけられていない辺りは流石シグルド。

 しかし、この賢者の目からは逃れられん。シグルドがその血を継いでいる時点で、男の目からは逃れられない。

 

 「今は(・・・・)ドルイドの導き手として、一介のキャスターとして……知的に行きますかねぇ」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20戦:アスラウグ

 大量に鍛造された戦乙女(ワルキューレ)が最初に目にしたものはなんだったか。

 温かな父か。愛すべき母か。

 否。全く以っての否である。そのようなものは人だけの生誕。鍛造という名の通り、戦乙女(ワルキューレ)は決して母の腹から生まれ出るものではない。

 より効率的に多くの個体をバランス良く、そして乱れのないように神殿内部で造られたのだから、初めてその女が見たのは無機質な神殿内部の機構か何かだろう。

 それに戦乙女(ワルキューレ)は人間のように一から赤子の姿で生まれ出るわけではない。生まれたその時から全盛期の成人となり完成されている。

 人格も、肉体も、精神も。全て統一されて最初から生み出されている。生み出された瞬間戦力の一つとして数えられるのだから、成長という概念が存在しない。

 今思えばあれほど不気味なところはなかった。

 トイネン・アスラウグは地下に作られた拠点内部の一室で休息を取りながら、ふとそう思う。

 シグルドに倒され、スルーズに調整された量産型戦乙女(ワルキューレ)はもはや神霊ブリュンヒルデの束縛から解放されている。

 思考の自由。行動の自由。存在の自由。

 あらゆる自由が女に与えられた。そして名前さえも手に入れた。

 もう一介の傀儡などではない。もう命令されるだけの人形ではない。それは喜ぶべきこと。今までにない個体としての喜びは確かにトイネンに多感な心を育ませた。

 だが、その感情の発露は時にして暗き心すらも育ち得る。

 

 「ッ………!」

 

 まただ。またあの光景が脳裏に蘇る。

 力なく倒れた戦乙女(ワルキューレ)。自害の強要に近い機能停止措置。そして巨人の召喚の為に生贄にされた彼女らの末路。

 もし、もしもシグルド達が神霊ブリュンヒルデの呪縛から解放してくれなかったらあの中の一体になっていたかもしれない。そう思うだけでも恐ろしさで身が震える。それと同時に、やるせなさと確かな怒りがトイネンの心を舐る。

 

 コンコン

 

 恐怖と怒りが混ぜられたかのような気持ちの悪い感情に浸りそうになった時、ドアのノックが鳴った。

 こんな自分にいったい誰が?とトイネンは疑問を抱きながら玄関を開ける。するとそこには自分たち量産型のオリジナルが一体、汎人類史において清き正しきヴァルハラ活動を行っていた金髪の戦乙女(ワルキューレ)が立っていた。

 シグルドが己をあの呪縛から解放した者ならば、この女性こそ自分を再び調整してくれた恩人。

 先日の戦いで負傷し寝込んでいた彼女だが、どうやら動けるほどに回復したようだ。まだ完全に修復しきれていないトイネンとの基礎ポテンシャルの違いが良く分かる。

 

 「お休みのところ失礼します……大丈夫ですか? トイネン」

 

 スルーズはいつもよりも穏やかな口調で自分を案じた言葉を投げかけてきた。

 不思議とその言葉には言葉以上の何かを感じた。

 彼女は、傷だけではなく、別の何かも心配しているのだと。

 

 「……はい。翌日には、完治すると思います。ご心配おかけして申し訳ありません……スルーズお姉様」

 「いえ、いいのです。むしろあの戦いに五体満足で生き残れたことを幸運に思うべきです」

 

 確かに、あの戦いは壮絶を極めた。この世界で格上との戦いに興じたことがなかった神霊ブリュンヒルデが生み出した戦乙女(ワルキューレ)。それが巨人を複数相手にして今も活動を続けられていること自体が奇跡。負傷程度で気を落としていては贅沢がすぎる。

 

 「ところで美味しい料理を持ってきたのですが、一緒に食べませんか?」

 

 なにやら良い匂いがすると思ったらスルーズは肉の塊がふんだんに入った豪快な料理が盛り付けられたお皿を手に持っていた。まさか、スルーズが自分のために? いったいそれに何の意味が含まれているのか。毒見役の指名か?いや、そんなことをする意味こそない。自分達は食事を取らずとも生きている存在だ。それはスルーズとて同じであり、そんなことはスルーズ自身がよく知っているはず。

 人の行為というものに疎いトイネンは的外れな考えをしながらその料理を凝視した。

 

 「私達は戦乙女(ワルキューレ)です。食事を取らずとも……」

 「やはりそう言うと思っていました。それでは知見が狭まるばかりですよ?」

 

 そうスルーズは言ってぐいぐいと部屋の中に入ってきた。

 

 「8畳以上の空間に木製のテーブル、ベッド、机に椅子……やはりどこの部屋も同じ作りと広さ。あの人はどこまで凝り性なんでしょうね。ここで永住するわけでもないのに、ホテル顔負けの設計になっている」

 

 スルーズの言う通り、この拠点はシグルドが手掛けた仮住まい。一時的に身を隠せていればそれでいいだけの場所。それなのにシグルドはスルーズ、オルトリンデ、ヒルド、ジークフリート、鹵獲した戦乙女(ワルキューレ)全員分の寝床を提供しているどころか家具一式を用意していた。明らかに仮住まいの域を超えてしまっている。

 

 「まぁいいでしょう。今は甘んじて使わせてもらいますか」

 「あ、あのスルーズお姉様?」

 「ほら早く食べなさいトイネン。料理が冷めてしまいます」

 「あ、はい!」

 

 トイネンは別に食べるとは答えてないのだが、部屋にまで入ってこられたらもはや食べるしかないだろう。きっとこの行為にも何かしら意味があるに違いない。

 彼女はテーブルに置かれた肉料理に恐る恐る手を付ける。スルーズから差し出されたフォークとナイフを器用に扱い、肉の塊を削ぐ。食べるという行為は不要なれど、腐っても勇士接待が本来の役割である戦乙女(ワルキューレ)。この手のマナーなり食文化なりは生まれた時からインプットされていた。

 

 「(柔らかい……)」

 

 力を全く入れずともナイフは肉を簡単に切り分けることができる。

 そして一口サイズに切り分けたら、その一つをゆっくりと口に運ぶ。

 

 「―――――!」

 

 刹那、強烈な旨味が口に広がる。否、旨味という概念すら知らずにいたトイネンにとってそれは言葉では表現できない未知なる体験。

 生まれてこのかた、食べるという行為を一切しておらず、常に魔力生成で生体維持を賄っていたトイネンからすれば、このインパクトはそうそう予想できるものではない。

 

 「驚きましたか? それが、ヒトで言う美味しいという概念です」

 「おい……しい……これが」

 「戦乙女(ワルキューレ)の記録には入っている。それがなんなのかを知識では知っている。でも、実際に体験すればそれらの知識は所詮はデータでしかないことが分かるでしょう」

 「………」

 「またそれが生きるということです。神霊ブリュンヒルデの輪から脱し、一つの生命として生きると決めたのならば、この程度の『生物として当たり前の感覚』は養ってて然るべきですよ?」

 

 なるほど、確かにそうだ。

 もはや自分は一つの生命体として成り立っている。ならばその世界で生きる生命の自然の理に従わなければそれは異物として映るだろう。

 食べることを知らない人間などいないし、美味しい/不味いといった味覚が未体験なままなのは未成熟な証拠だ。

 

 「まぁ、細かいことはいいのです。美味しいと思っているのなら、それでいい」

 「これは……いったい誰が」

 「忌々しいですが、シグルドです。不味ければ嫌味たらしく文句を言っておくつもりでしたが」

 

 冗談のようにスルーズは言う。

 

 「ともあれ感謝なら、シグルドに」

 「……はい」

 「先ほども高説じみたことを貴女に言ってしまいましたが、これもあの男からの受け売りです。まったくもって腹立たしいことですが、シグルドの言葉にはある程度耳を傾けていた方がいいでしょう。人として生きるのならば、存外役に立ちます」

 

 スルーズは口々ではシグルドの悪口を口にするのに、よく台詞の意味を噛み砕いていくとそれはどこか認めている感じがする。最初にスルーズと同調した時もそうだった。シグルドに対する苛立ち、不満の感情がトイネンに流れてきたと同時に、認めざるを得ない部分もあるのだという認識も感じられた。

 

 「スルーズお姉様は……シグルドのことはあまり嫌ってはいないのですね」

 「……………ノーコメントでお願いします」

 

 長い、本当に長い沈黙の末、笑顔でスルーズは答えた。

 同調しなくても分かる。これ以上こちらから踏み込むのは危険だと。

 ならば流れを決めよう。ここからが重要だ。

 

 「では本題をお聞きします、スルーズお姉様。私に向けた本当の要件とは、なんなのですか? まさか料理の味を知ってほしくて……等ではないのでしょう?」

 

 シグルドの料理を持ってきて、それを食べて味覚を教える。そんなことの為にわざわざ足を運んだとは思えない。

 

 「……恐らく、決戦の日は近い。貴女もそれは薄々感づいていますね?」

 「ええ。それは、勿論。先ほどの戦いでも理解できました」

 

 日に日に神霊ブリュンヒルデの攻勢は強くなるばかり。このまま現状を維持しても得策ではない。それはシグルドも分かっていることだろう。

 基本的に自分達は劣勢だ。戦力も、地の利も、世界の理すらも相手の方がよく熟知している。

 

 「貴女には、決戦の前に伝えておくべきことがあります。心残りのないように。今から伝えるこの事実を、せめて今、心穏やかでいられる現状況で授けられるように」

 「それは―――」

 「貴女の名前。アスラウグという名の意味を」

 

 スルーズは知っている。

 今目の前にいる量産型戦乙女(ワルキューレ)に授けた名の意味を。

 スルーズは知っている。

 今目の前にいる女が憎悪という感情を身に窶しかけていることを。

 

 だから、せめて。

 スルーズが知っている、彼女の名の由来を教えよう。

 この行為が彼女の心の闇を少しでも照らしてくれることを信じて。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 これはまだシグルドとブリュンヒルデが破滅の運命に至る前の物語。彼らが幸せを謳歌していた、華々しくも儚い希望の残滓。

 あの二人は人里離れた森の奥地で、二人で住まうにはあまりにも広すぎる城で寝食を共にしていた。そして静かな森の中で、シグルドとブリュンヒルデは幸せに過ごしていた。

 朝には山の獲物を狩って、昼には教師として勤め、夜には酒を酌み交わしながら肉を口にして、日の終わりには必ずと言って良い程に互いに貪って。

 一日も欠かさず行われた性行。それは生命を持つ者であれば当然行う、生殖行為。

 破滅の運命が約束された二人は、その破滅を打ち破ろうと誓っていた。それでも無意識のうちに「後の世界に残すべき愛の結晶」を求めていた。

 堕ちて人間となったとはいえブリュンヒルデは戦乙女(ワルキューレ)だ。人間とは構造自体が違う。シグルドもまたオーディンの血を受け継ぎ、竜種改造にも手を出した半神半竜の男。普通の男と女ではない二人が幾ら性行したところで、赤子を産み落とせる確証はない。仮に生まれたとしてもそれが真っ当な人間種になるかも定かではない。

 それでも二人は愛の結晶を求めた。求めて止まなかった。深く深く愛し合ったが故に、決して諦め切れるものではなかったから。

 だからこそ、その想いは通じたのかもしれない。神にではなく、生まれ出たいと思ったであろう我が子に。

 

 『シグルド……ああ、シグルド………私の…赤ちゃんは………』

 『―――よくぞ耐え抜いた。お前と当方の子は、無事生まれた。この暖かさは、この心臓の鼓動は、確かにこの世界にて生を受けた。誰にも穢されぬ、健全無垢なる魂をもって』

 

 短くも長きに渡るブリュンヒルデの苦痛の末に。母たる強靭な精神に支えられた母体は健全な赤子をこの世に産み落とした。それに立ち会ったシグルドはその出産が終わるまで瞬きするのも惜しいと思った。そして何もできず、ただ苦しむブリュンヒルデの手を握ってやれることしかできない己の無力さを初めて知った。

 

 『嗚呼………良かった…』

 

 汗が大量に噴き出て、体力も多く消耗していたブリュンヒルデは震える手で己の赤子を抱いた。例え皿一枚持つ体力すら残っていなくても、この子だけは決して落とすまいと力強く思いながら。

 

 『その仔は女子(おなご)。せめて我々のような戦場ではなく、平和な余生を送らんことを』

 『ええ、ええ。私達の愛娘。その生涯は、幸せで埋め尽くされたものであると願っています』

 

 神々の戦争も。終焉(ラグナロク)も。決してこの子の人生には関わらぬように。

 そうシグルドとブリュンヒルデは世界に祈った。

 もし生まれてくる子供が女であれば、その時の名前もとうの昔に決めている。

 

 『幸福が約束された女(アスラウグ)。お前は人よりも賢くなくともいい。強くなくともいい。運命に囚われることなく、お前がお前足り得る人生を歩んでくれれば……当方らは、それだけで満ち足りる』

 『できれば、ずっとこのまま抱いていたい。このままずっと貴女と一緒に余生を送りたい。でも、ごめんなさい。私達が破滅の運命を乗り越えたら必ず、迎えに行くから』

 

 シグルドとブリュンヒルデはアスラウグを優しく抱き合った。この感触を忘れまいと、再び三人そろって触れ合おうと決意して。

 破滅の運命を約束されている男と女の元で、まだ生まれて間もない赤子が一緒に暮らすのはあまりにも危険だった。もしも何かが起きた時、恐らくアスラウグまでその呪詛が及ぶだろうことは簡単に予想できる。

 シグルドとブリュンヒルデは事前に話し合い、決めていたのだ。この愛娘を別の場所に移し、第三者に育てて貰うのだと。そして破滅の運命を克服した時、改めて迎えに行くのだと。

 

 『不出来な父であることを許せ、我が娘』

 『情けない母であることを許してください――アスラウグ』

 

 そしてアスラウグは生後間もなく、人里に委ねられた。その身分と神秘を隠し、封印して。

 後は伝承の通り、彼らは破滅した。シグルドは死に、ブリュンヒルデも死に絶えた。

 あの運命は二人だけに留まらず、より多くの人間が巻き込まれ、その血が大地に降り注いだ。

 一説には、ブリュンヒルデの火葬は天まで届き、ラグナロク開戦の合図となったとされる。

 この惨劇を見るに、愛娘アスラウグを逃がすという二人の判断は決して間違いではなかった。

 それでも彼らは間違いなく娘と交わした約束を反故にした。その事実は変えようのない事実。

 生きて再会する。

 その最初にして最後の約束を、果たせなかった。

 

 アスラウグという名はシグルドのやり残した後悔。果たせなかった約束。

 ブリュンヒルデとはまた別の―――男の寵愛を受けるべき者の名前に他ならない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 スルーズは語った。トイネンの名前に籠められた意味を。アスラウグに託された思いを。

 

 「………何故、シグルドは私にその名を…」

 「貴女は個人として正しく生きたいと思い、そして名を欲した。他でもない、シグルドに対して。そして彼は彼で、己が考え得る最大の返礼にてそれに答えた。それがトイネン(第二の)・アスラウグだと推測します」

 「それでも、それでもです。こんな、一介の量産型に―――」

 「その考えはシグルドへの侮辱となりますよ。彼は少なからず、時間を置いて熟考していました。きっと他にも名前の候補が上がっていたに違いありません。それでも敢えてその名を貴女に授けたということは、それ相応の覚悟があってのことでしょう」

 

 シグルドがトイネンに名前を授けたあの時、スルーズもまたシグルドに問うた。『その名は軽々につけていいものではない筈です」と。それに彼は『否定する。あの名は当方にとっても決意の現れ。容易につけたものではない』と答えた。

 

 「貴女を戦力だけではなく、仲間として。守るべき家族として受け入れたことを知ってほしかった。きっとその意味は、貴女のこれからの道を照らす光となる」

 

 スルーズは先の戦いでトイネンが何を見て、何を経験したのかを知っている。神霊ブリュンヒルデの悪意無き所業が幼すぎるトイネンの純真性を犯すものだと分かっていた。

 お節介なのだろう。このまま悩み、苦悩し、自分の力でそれらの悪意を振り解いていかなければならない時なのかもしれない。それでも、せめて。何も知らずに決戦に赴く前に。己の人生を決めた名の由来くらいは、教えてもいい。そう思えた。

 

 「(戦乙女がこのような思考に至るなど……それこそ、致命的なバグなのかもしれませんね……シグルドの悪影響を受けすぎましたか)」

 

 スルーズは己のらしくない行動に対して冷静に分析する。

 それでも悪い気はしなかった。まるで、かつてのブリュンヒルデになれたかのようで。

 

 「貴女の人生はこれからです。きっとこの先も、辛い現実を見ることになる。そんな時、挫けそうになった時は、シグルドから与えられた自分の名前を思い出しなさい。アスラウグとは、幸福が約束された女。その言霊は、貴女を常に護り続けているのだから」

 

 

 

 …………

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 「先を越されたか……」

 

 シグルドはトイネンの扉の前で立ち往生していた。部屋の中からはスルーズとトイネンの談笑などが漏れ出ている。もはや入るタイミングも完璧に失ってしまった。傍から見れば乙女の部屋前で固まっている不審者である。

 

 「(トイネンの様子を見にきたが、まさかスルーズがここまで手を回すとは)」

 

 活力が出る料理を作ってほしいとスルーズに頼まれた時に気付くべきだった。あれはスルーズ自身が食べたかったのではなく、トイネンの為に用意させたもの。

 料理を提供し、緊張を解した上であの話を持っていくとは。やるなスルーズとシグルドは舌を巻いた。堅物でしかない自分ではあそこまで上手くはいかないだろう。

 

 「総合的に見て、当方の出番はないと判断。退去する」

 

 シグルドは静かにその場を後にした。

 

 

 スルーズの心境の変化。トイネンの不安定ながらも前に進んでいる心の在り様。

 シグルドにとってこれは歓喜するべき成長だ。

 このまま行けば彼女らはの精神性は―――かつてのブリュンヒルデが至った人の感性に辿り着くだろう。

 

 

 

 

 




 自由を手に入れ、名前を欲した一機の量産型戦乙女(ワルキューレ)にシグルドが贈った名前『アスラウグ』。恐らく彼が知り得る中でも最高の言霊が宿っているでしょう。

 蒼銀のフラグメンツ及びFGOでは伝承に存在するシグルドとブリュンヒルデの娘アスラウグについての詳細は一切判明していません。
 型月世界にアスラウグは存在するのかもしれない。存在しないのかもしれない。そんなシュレディンガーの猫のような娘。
 あくまでこのSSでは第09戦から一貫して伝説通り存在したという流れでいきます。だって魅力的なんだもの。ロマンですよ、悲劇に見舞われた二人の娘なのだから。

 奥様は魔女な血斧王エイリークはシグルドとブリュンヒルデの遠い子孫だったりする。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21戦:賢者の導き

 サーヴァント、ベオウルフとマルタの召喚による一大戦力の投入。鹵獲対策として行われた戦乙女(ワルキューレ)の自害。そして巨人族の召喚。日に日に神霊ブリュンヒルデの対応が厳しいものになっていると実感せざるを得ない今、どれだけ早急に決着が為せるか否かが焦点となっている。元より後手に回っていては詰むのは明白な戦況。それはシグルドも理解できていた。

 

 「これ以上、神霊ブリュンヒルデに時間の猶予を与えることは得策ではない」

 

 洞窟拠点の最奥で行われた作戦会議。シグルドの発言に皆が頷いた。

 ジークフリート、戦乙女(ワルキューレ)の傷は癒えた。あの激戦から既に二日。状況は刻一刻と変化している。

 

 「我々の利点は相手の拠点を知り得ていること。そして神霊ブリュンヒルデがまだ自分達を補足しきれていないことに尽きる」

 「だが……見つかるのも時間の問題だな」

 

 ジークフリートの言う通り、これだけの大所帯となれば動きを察知されやすくもなる。幾ら原初のルーンで隠蔽しているとはいえ、神霊ブリュンヒルデもまた原初のルーン使い。いつまで誤魔化し切れるか分からない。

 

 「猶の事、残された時間は少ないと認識する。此方にアドバンテージが少しでも残されている状況で、尚且つ最大戦力で事に当たらなければならない。そして昨夜神霊ブリュンヒルデの城に偵察に向かったトイネンから報告があった……あの城が何かしらの戦闘で損壊していた痕があったと」

 

 シグルドの報告に皆が反応する。

 それもそうだ。あの鉄壁の城に異常があった。それは何かしらのイレギュラーに見舞われているに他ならないのだから。

 

 「詳しいことはまだ不明だが……少なからず、神霊ブリュンヒルデにとって喜ばしくない事態が起きていると推測される」

 

 尤もそれが何なのかは、シグルド自身は大方のことを知っている。いや、予想できていたというべきか。

 難攻不落の要塞が外部から突破された形跡がないのならば、内部から発生した歪みであることは間違いなく。

 二日前にシグルドのもとに現れたあの鳥から推察するに、恐らくその損害を出しているのは英霊ブリュンヒルデだろう。

 それでも敢えて詳細を省いたのはソレがあくまで予想であり確定要素ではないことと、スルーズ達に大きなショックを与えない為。

 

 「敵にとって不測の事態が起きているのであれば是非もない。この機を逃す術はないだろう」

 

 ジークフリートはシグルドの方針を肯定した。

 元より不利な状況下での戦いだ。守りに徹し、様子を見続けていても勝機はない。むしろ取り零すこともあり得る。

 

 「……しかしあの炎の壁をどう突破するつもりですか。アレは神霊の炎。北欧神由来のファイアーウォール。近づくだけでもその身を焼かれます」

 

 スルーズの言う通り、あの城を360°覆い被さるように展開されている炎の壁は生中な攻撃では突破できない。あの防壁を突破できないことには攻勢に転ずることも難しいだろう。

 

 「当方は生前、あの炎の壁を突破したことがある。対処の仕方も理解しているつもりだ」

 「皆が皆、貴方のように強くはありません。シグルドが突入に成功しても、他の戦力がそこで足止めを受けます」

 

 かつてシグルドは神々の盾を、大神の最期のルーンを破壊した経験がある。

 しかしそれはシグルドの能力があってこそ。ジークフリートならまだしも、ほかの戦乙女(ワルキューレ)に同じことをせよと言われても土台無理な話だ。

 一部箇所が破壊できて侵入できたとしてもそれは人一人分。炎の壁は速やかにその箇所を修復してしまうだろう。

 

 「ですから根本的にあの焔を断たねばなりません」

 「無論、理解している。そこで要となるのが……人間だ」

 「人間?」

 「量産型戦乙女(ワルキューレ)に襲われたあの街で出逢った兵士と魔術師を覚えているか? スルーズ」

 「……ええ。勇士足り得る資格を持った良き兵士。忘れるわけがない」

 「彼らにも協力要請を出している」

 「いったいいつの間に………それでも、それでもです。彼は優秀な兵士ですが、たかが人間の協力であの壁が無力化できるとでも?」

 「神に等しき貴殿らならばそう思うと信じていた。だからこそ、彼らはこの戦いの要になる」

 「それはいったい……」

 

 何を根拠にそれほどまで彼らを信じられる。

 神性もなく、英雄でもなく、それこそ量産型の戦乙女(ワルキューレ)にすら劣る人に。

 

 「分からねぇか、お嬢ちゃん。それが神の落とし穴だとそこの男は言ってるのさ」

 「「「!?」」」

 

 突如として割って入ってきた男の声。

 シグルドではない。ジークフリートでもない。

 ではこの声の主は誰だ。

 

 「「「侵入者か!!」」」

 

 スルーズ、オルトリンデ、ヒルドは光の槍(グングニル)を召喚し、声が聞こえた場所に立つ男に向ける。

 その男はフードを深くかぶり、顔を見せず、壁にもたれ掛っていた。

 いったいいつの間に。何時からそこにいた?

 

 「待て。その男は当方が招き入れた」

 「シグルド!?」

 「先日、この拠点まで辿り着いたはぐれサーヴァントのキャスターだ。事前に伝えるつもりだったが、せっかくだから驚かせたいという本人の要望ゆえ伏せていた」

 「そういうことだ。だからあんまりシグルドを怒ってくれるなよ、姉ちゃん方」

 

 キャスターはカラカラと笑う。

 それでも戦乙女(ワルキューレ)は笑えるはずもなかった。

 気付かなかった。気付かなかったんだぞ。今ならば知覚できる。この男も勇士だ。

 問題なのは、勇士がこれほど近くにいて戦乙女(ワルキューレ)が一切気付くことができなかった事実。

 それに気になることは他にもある。

 

 「貴方から感じる神性は……」

 「おうよ。原初のルーンこそ使うが……北欧のじゃねぇよ、俺は。ケルト由来だからな」

 「………合点が行きました。ここまでのルーン使いであり、ケルトの神性を持つ勇士となれば一人しかいない。光神ルーの子、アイルランドの光の御子―――クー・フーリン」

 

 原初のルーンとは大神オーディンが編み出した真理。それを扱えるのは直属の娘である戦乙女(ワルキューレ)、英雄シグルド、そして女神スカディとその影であり同一存在として知られるケルト神話のスカサハ。その弟子も原初のルーンを受け継いだと聞く。それが噂に名高いケルト神話最強の英雄。

 

 「ちなみに言うと、さっきから黙ってるそこのセイバーは気付いていたぞ。気付いた上で俺の悪ふざけを無視しやがった。見た目のわりに冗談が通じるみたいで安心したぜ」

 「ジークフリート!? 貴方、分かってて黙ってたのですか!?」

 「敵意がなく、そもシグルド殿も気付いていた……それらを加味すれば味方であるのは分かっていた。だからこそ自ら名乗り出るまで見て見ぬふりをしていただけなのだが……すまない」

 「なんて不甲斐ない……気づかなかったのは私達だけ……!」

 

 悔しさ以上に情けなさが先に来る。

 してやったりと微笑むクー・フーリンだが、改めて彼はシグルドと目を合わせた。

 

 「はぐれサーヴァントだった俺を潔く招き入れてくれたシグルドには感謝している。本職のランサーではないが、それなりの働きはするぜ。その為に俺はこの世界に呼ばれたんだろうからな」

 「………」

 「どうしたシグルド。俺の顔になるかついてるか?」

 「……いや、言動を控えよう。今はその力、ありがたく使わせてもらう」

 「おう、存分に使ってくれや」

 

 ここにきて戦力の増強は確かに頼もしい。既にここの霊脈はジークフリートを一体召喚したことにより力が弱まっていた。新しいサーヴァントを呼ぼうにも出力不足。こうしてはぐれサーヴァントを味方に加えられた僥倖に感謝しなければならない。

 ショックから立ち直ったスルーズは頭を押さえながらそう自分に言い聞かせる。

 

 「……それで、作戦は? 時間はもう掛けられないのでしょう?」

 

 スルーズの言葉にシグルドは頷く。

 

 「今から、神霊狩りの作戦を述べる。決行は―――夜明けと共に」

 

 

 …………

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 

 

 ――これは会議が始まる2時間前の話――

 

 

 

 

 

 

 

 

 「………何者だ」

 

 拠点前にて門番の役割を担っていたシグルドはすらりと短剣を抜き放った。

 フルフェイスに可変した叡智の結晶越しに映されている彼の視界には誰も見えていない。

 目の前には広大な森林、背後には拠点に通ずる岩壁。

 人の影どころか、隠蔽のルーンにより隠されたこの一帯に人が近寄れるわけもない。

 それでもシグルドの直感が告げている。

 この領域に誰かが侵入している。そして己を観察しているのだと。

 誰だ。どこから。それとも気のせいだとでも?

 度重なる難敵との会敵により神経が敏感になったとでもいうのか。

 否、否である。そのような不備は我が肉体に起こり得る可能性は少ない。自動攻撃及び自動防御を司る我が身は確かな違和感を感じている。

 魔力感知のルーンに何かが引っ掛かっているわけではないが、それでもこの言い知れぬ気持ち悪さは確かに存在する。

 

 「すぅぅ……ふー………」

 

 シグルドは大きく息を吸い、集中する。

 叡智の結晶を第一段階から第二段階まで移行し、フルフェイスからマルタと戦ったあの姿に戻る。臨戦態勢とも言えるが、我が本能が囁く。今すぐ手を打てと。

 静かだ。どこまでもここは静かな拠点。神霊ブリュンヒルデの目を欺き続ける要たるアジト。動物の吐息も聞こえぬ無音の世界。あるとしたら、この絶壁を掘り進めた拠点の奥で休養を取っている者達の息遣い。それ以外の音は―――あっていいはずがない。

 

 「識別確認」

 

 如何な達人と言えど、気配を殺すことはできても存在自体を無にできるわけではない。

 何も違和感を覚えない者であれば終始気付かないままであるが、シグルドはその違和感に気付いた。

 息を殺すことも。音を殺すことも。魔力を殺すことも。

 どれだけ隠蔽が得意だとしても限度と言うものが存在するのだから。

 

 シグルドは林間目掛けて短剣を一本、投擲する。

 適当に投げたにしてはあまりにも淀みなく、迷いなく、真っ直ぐ飛ばされたそれは樹木の一本に突き刺さる。

 これは警告である。場所は特定したという最初にして最後通告。

 

 「次はない。初弾は加減したが……二撃目はその樹木を貫通し、貴殿の肉体に風穴を開ける」

 

 事実、シグルドの膂力であれば短剣が樹木に突き刺さって終わるなどあり得ない。

 二撃目こそ樹木を薙ぎ倒し、此方を監視するアンノウンを討ち取るだろう。

 だが敵意がないのもまた事実。その正体を見極めなければ、初見必殺は宜しくない。

 

 「そう殺気立つなと言いたいところだが、成程。殺意は収めている。ただどうしようもない苛立ちは隠し切れていないな。お前らしくもない」

 

 短剣が投擲された樹木近くの林間から、男は現れた。

 フードを深くかぶり、蒼の外套を羽織るその存在は人の気配に非ず。

 なんらかの術を行使している為か、その魔力をうまく探ることはできない。

 だが、間違いなくその者はサーヴァント。シグルドの叡智はその男の構成物質がエーテル体であると看破する。

 

 「(当方を知っている……?)」

 

 男は口にした。お前らしくない(・・・・・・・)と。

 それはシグルドを生前から知るものでしか口にできない言葉だ。

 それでもシグルドは彼を知らない。あのような装束を身に纏う知古はいなかった。

 というより、生前のシグルドは人間と接したことはそう多くなく、仮にもサーヴァントとして召喚された者であるならば、その強烈な存在感を忘れるわけもない。

 では誰だ。目の前の男は、いったい。それに男から感じられる微かな神性は異国のもの。シグルドとの共通点はますます遠ざかる。

 

 「……改めて問う。貴殿は、何者だ」

 

 シグルドは無意識にグラムを召喚し、その柄を握ろうとしていた。

 本当にらしくない。今まで、初対面の相手に対して魔剣グラムをいきなり抜こうなどということはなかった。

 

 「お前の血が一番知っているのではないのか? シグムンドの子よ」

 

 フードを脱ぎ、その容貌を露わにする男。

 紅い眼。蒼い髪。獣の如き獰猛さと全てを知る賢者が同居したかのような佇まい。

 何故だ。この男、見たことはないが、確かに知っている。

 己は、この存在と直接会ったことはないが、確かに縁が結ばれているのだと感じられる。

 まさか。先ほどの何者かである問いに答えた己の血というヒント。考えにくいが、この者は―――。

 

 「……貴殿……否、御身は……まさか」

 「正体は明かしはしたが……その名で呼んでくれるなよ。今はしがないのケルトのキャスター。かの勇士の肉体に仮住まいさせてもらっている身なのでな」

 

 ケルトのキャスター。その肉体に仮住まい。

 もはや確定的となった。

 

 「如何にこの世界が特異点から逸脱し始めているとはいえ、御身(大神)の介入はあるとしてもまだ先の段階のはず。戯れにしては些か度が過ぎている」

 「戯れで来るものかよ。俺……いや、(・・・・)は世界に呼ばれた。そして私もそれを受け入れた。ただそれだけのこと」

 「大神の目的があってこの世界に現れたわけではないと?」

 「ああ、約束しよう。今はこの世界に呼ばれた一介のはぐれサーヴァントとして動くのみ。お前なら分かるだろう? この身に流れる神性は正しくケルトのものなのだから」

 

 確かに、シグルドが彼から認識できる神性はケルトのもの。

 オーディンの神秘は―――今のところ、感じられない。隠していることも考えられるが。

 

 「………その肉体の持ち主もかなりの(つわもの)とお見受けする。本来の人格はどうされた」

 「この優れた器の名はケルト神話最大の英雄クーフーリン。人格からも協力を得ているが、『今回はアンタの好きにやってくれ。他神話のゴタゴタに付き合うのは面倒だ』と不貞寝している」

 「クー・フーリン……依り代としてはこれ以上にない勇士を選ばれた。それに最高神と肉体を同居していてその胆力。見事」

 「そうだろう? 文句なしの勇士だ。協力の褒美にヴァルハラに送ろうと思ってたが……」

 「ケルトの光神との抗争になりかねないと?」

 「うむ。スルーズらにも他の神性持ちはヴァルハラに送るなと託けている手前、私が率先して破るわけにもいかん」

 

 そう、例え魅力的な勇士であっても北欧外の神性持ちは原則としてスカウトを行っていない。

 それは即ち他神話の神に対して勝手に所有物をひっこ抜くが如き行い。

 神と神の因縁は不毛。同郷の神同士でさえそうなのだから、他神話になると更に厄介だ。

 

 「妹御らには?」

 「内密に頼む。アレに余計な影響を与えたくはない」

 

 大神オーディンの顕現で狼狽するスルーズが目に浮かぶ。

 

 「私も多くの世界を渡ってはいるが、このような世界もあるのだから世界は面白い。凡そ、ブリュンヒルデに埋め込んだ巨神(セファール)の欠片が暴走……いや、自己進化を果たしたか?」

 「巨神(セファール)……神々の叡智にもその存在は記録されている。異星から来たりし先兵。文明を破壊し、神々の元型を悉く滅ぼした光の巨人。それは原初の巨人ユーミルと後世に伝えられ、かの巨人王スルトもソレから派生したものだと」

 「そうだ。アレは、その巨神の神秘を内包している」

 「御身は何故その力を使いワルキューレを生み出した」

 「なに、ただの興味本位。使えるから使った。ただそれだけのことだ」

 

 クーフーリンの肉体を借りている大神は陽気に笑う。

 これが、魔術神の行動原理か。

 かつて自らを滅ぼさんとした敵でさえ、知識欲が勝り、利用する。

 この叡智でもってしても、目の前の神の底が見えない。

 

 「ともあれ、アレの暴走は私の責任でもある。こうして世界によって召喚もされた。かつての極東の都市ではこの肉体の主がよく働いてくれたのだから、今回は私が導き手となろう」

 「………」

 「その眼は信用していないな、シグルド。我が末裔でありながら源流を訝しがるのは宜しくないぞ」

 「当方は神の愛を信ずる者。なんであれ、星の触覚足り得る神は星の意思と言っていい。だからこそ大地には神々の愛が育まれていると考える……が、大神自らが手を貸す? 神は、人を愛でたとしても直接は助けないものだと当方は認識している」

 「頭の固い奴め。お前は確かに私の最高傑作……優れた一族から、選りすぐりの血脈と祝福を以って生まれた存在だが、如何せん性格がシグムンド譲りすぎる」

 

 信奉はしているが信用はしていない。

 少なくとも全幅の妄信的な喜びは見られない。

 それがシグルドの目の前のキャスターに対する評価。

 それでも彼の力は絶大だ。力が制限されているとしてもその叡智は無視できるものではない。

 

 「勿論、私とてただ働きする気はない。私が生み出した最高傑作のお前たちの行く末を千里の瞳ではなく、直接鑑賞させてもらうのだから」

 「協力するのはその対価とでも?」

 「そう思ってくれても構わん。鑑賞料は高くしておこう。なにせ、力を落としているとはいえ魔術の神がお前達の味方をするのだ。本来ならばお釣りがくるレベルのはずだろう」

 

 猫の手も借りたい現状、この提案は確かに破格。

 

 「………有難く、御身の力をお借りする」

 「任せたまえ」

 「ただ、御身に問いたいことが一つある」

 「なんだ?」

 「神にとってこの世界は理想ではないのか。むしろ、手を貸すのであれば彼方につくのが自然。なのに何故、神の長が此方に?」

 

 正しき北欧の神代(テクスチャ)は終わりを告げた。

 スルトによって世界は焼かれ、生き残った人類が未来を担った。

 この世界は違う。神があり、真エーテルが残り、終焉を乗り越えている。

 神にとってこの世界は都合がいい。上手く利用すれば正史にとって代われるものにもなる。

 そのチャンスを前にして、大神は後押しするどころか不出来と断じ、処罰しようとしている。

 その胸の内を聞かないことには、シグルドのオーディンに対する認識にもまた懸念が残る。

 

 「知れたことよ」

 

 男は神霊ブリュンヒルデが城を構える方向を見据えて、こう宣った。

 

 「あのようなヴァルハラは認められぬ」

 

 神が人間を自ら管理し、生殖させ、その中でも出来の良い個体を重宝する神霊ブリュンヒルデが打ち出した新たな楽園(ヴァルハラ)

 

 「ヒトは過酷な環境に置いてこそ命の輝きを発露させる。生温い環境下で増やしたところでなんになる? あのまま行けば今は良くともいずれ袋小路に突き当たる」

 

 人間は闘争があってなんぼの生き物だ。

 戦争を果てることなく繰り返し、その中でも一際輝く黄金の魂。

 それこそが真の勇士足り得る。

 

 「まぁ、完結に言うとな―――気に入らないだけだ。我が娘のやり方が、な」

 

 どこまでも、その男は超常の存在である。

 かつての神霊と巨人の娘であるスカディはオーディンをこう評した。

 『あの男は良い男ではあるが、人間の弱さをまるで気にする素振りも見せぬ』と。

 大神は人の弱さを許容しているのではない。人の弱さを無価値と断じているに過ぎないのだ。

 だからこそ、ただ品質を求めるだけの神霊ブリュンヒルデのやり方が気に食わない。あのようなやり方は大神の意志に反する。

 ただ、二柱の似ているところがあるとすれば、それは―――どちらも、人間そのものの視点から立たず、神の視点から物事を考えているところだろう。

 

 尤もそれが、神が神たらんとする証明なのかもしれない。

 




 キャスニキ=オーディン説が根強くなってきている昨今。
 果たしてこのネタを積極的に使うべきか使わないべきか悩みに悩みました。
 バレンタインのキャスニキ、紫式部のイベント、絆礼装(ユグドラシル)
 そしてFGOマテリアルでのシグルド→キャスニキへのコメント……。
 疑いは深まるばかりですが、如何せん公式からのハッキリした動きがない。
 それにキャスニキもキャスニキで

 ・オーディンがキャスニキの演技をしている状態
 ・オーディンの力を借りてる状態で主導権はキャスニキ状態
 ・オーディンとキャスニキが混ざっている状態
 ・各々共有して使い分けている状態

 と、キャスニキ=オーディン説にも諸説あるので難しい。
 今回は一応オーディンとキャスニキが一つの肉体で使い分けてる説を採用。
 例えるならライネス/司馬懿の関係性で行こうかと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22戦:親愛なる友よ

 この特異点の核は神霊ブリュンヒルデだ。それは誰もが承知している。

 神霊は神霊であるだけで万能だ。聖杯戦争でもし仮に神霊が呼ぶことができれば、聖杯など必要ないと言われるほど。

 なにせ、その存在自体が万能の願望器に匹敵する。

 アレはそういうものだ。存在するだけで人智を超越した奇跡を起こすことができる。

 だからこそ、この神代は今もこうして継続しているのだろう。

 本来消え去るものであった神代が此処にあり、真エーテルが充満する大気。

 ジークフリートは、自らの心臓が小気味よく脈動することができるこの世界こそ、自分の知る生前の世界とはまるで違うのだと身をもって感じ入ることができる。

 ベオウルフによって起こされた竜の炉心はすこぶる快調だ。真エーテルが尽きぬこの世界にいるだけで魔力の生成が滞ることなく行われる。

 逆に言えば、これほどの世界を維持する存在が相手だということ。

 敵は強大。竜の炉心が満足に動けるようになったとしても、決して楽観視できる相手ではない。

 いや、それよりも想うところは別にある。

 神霊ブリュンヒルデは、神霊である以前にブリュンヒルデという個体だ。

 英雄シグルドの伝承は知っている。大抵の英雄譚は、英霊の座で共有されるもの。

 彼に欠かせない女性こそ、ブリュンヒルデであるはず。

 

 「………余計なお世話というものか」

 

 彼はきっと、とうの昔にその葛藤と決着をつけているに違いない。

 自分の知るブリュンヒルデと、神霊ブリュンヒルデは違うものであると言うか。

 もしくはブリュンヒルデだからこそ、自らの手で止めねばならないと覚悟しているか。

 どちらにしても、かの大英雄は歩みを止めることなく、刃を鈍らせることもなく目標に突き進むだろう。

 それは人として強くあると同時に、どこか悲しみを背負う覚悟。

 彼の思いに寄り添える者はいない。その葛藤や決意は彼だけのモノであり、誰それと共感できるほど生易しいものである筈もない。

 ならば、ジークフリートは何を想う。何ができる。

 召喚されたばかりの頃は、今度こそ己の正義を全うすることを第一目標としていた。

 誰かに言われたから従うのでもなく、周囲の願いに応えるだけではなく、純粋な自分自身の思いに従って目標を達成する。

 世界を救う。この目的にのみ注力しようと思っていた。

 そして今、ジークフリートは一つの願望が生まれようとしていた。

 それこそが生前で叶えることができなかった彼が起源とした願い。

 ハーゲンが伝えたかったであろう、本当の人としての在り方。

 

 「俺は―――友の助けとなりたい」

 

 ジークフリートの口から出た言葉は、決して金言と言われるほどのものじゃない。

 誰しもが一度は思うであろう思いにすぎない。

 ただ、ジークフリートにとってはそれで十分だった。

 自分が何をしたいかと明確になれば、それだけて満ち足りるもの。

 これだけは譲れない、胸を張れるものだ。

 それを確信したジークフリートは己の部屋にてバルムンクを抜き放ち、床に突き立てる。

 剣を前にして彼は目を瞑り、瞑想を始めた。

 最終決戦はもうすぐそこまで来ている。

 ならば、少しでも自らの刃を研ぎ澄ませる方法を取る。

 その一つこそが、この特殊な瞑想。

 バルムンクに記録されている存在を精神世界で呼び覚ます。

 今だからこそジークフリートが相対しなければならない生前の人間。

 それは―――――。

 

 …………

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 ジークフリートは瞑想の世界へと没入した。

 そこは、物という物が一つも存在しない漂白の世界。

 土も、建築物も、雲も、太陽さえも存在しない、白紙のような心象の具現。

 この場所こそがジークフリートの心の中ともいえる。

 まさしく、何もない。

 伽藍洞の心に他者の願望を嵌め込み、行動理念を決め、そして実行してきた英雄の心。

 

 『お前が、俺に語りかける日が来ようとはな』

 

 その何もない空間に突如としてジークフリートの眼前に現れたのは、エルフ特有の尖った耳を持つ一人の男性だった。

 彼はぼろ雑巾のような外套を羽織り、手には黒く染まったバルムンクが握られていた。

 

 『……フン。生意気に良い眼をするようになった。死んでようやく何かを掴んだか、阿呆め』

 「馬鹿は死んでも治らないと聞くが、どうやらそうならずに済んだようだ。(ハーゲン)よ」

 『それを人は馬鹿と言う。何もかもが、遅すぎたんだよジークフリート。その誰もが抱く当たり前の感情をさっさと芽生えさせていればあんな悲劇も起こりはしなかった』

 「そうだな。俺は、どこまで行っても手遅れで、人に対する関心が薄かった。自分に対する在り方さえも……蔑ろにしていた。だからこそ、俺は今度こそ自分の信じた道を突き進みたい」

 

 ―――お前自身から来るお前だけの願望は必ず全力で応えろ。

    それを成し得ていけば、いずれ辿り着く―――

 

 ハーゲン。お前が諭してくれた言葉だ。

 友よ。お前の言葉があったからこそ答えを得られるキッカケに手を伸ばすことができた。

 

 『聞けば聞くほど憎たらしい。つまり俺はようやく手に入れた自らの道を突き進む為の通過点。そして取り戻したばかりの竜の炉心の稼働訓練と言ったところか』

 「理解が早くて助かる」

 『………いいだろう。お前の酔狂に付き合ってやる。その覚悟が張りぼてか否かを確かめるにはいい機会だ。その剣檄が生前のような伽藍洞のままであれば、そのまま叩き切る』

 「大きく出たな、ハーゲン」

 『当たり前だ。俺は、二代目の魔剣使い(担い手)。お前が遺したバルムンクを引き継ぎ、あのクリームヒルトが手引きしていたアッティラ大王の軍勢を喰い散らかした者』

 

 ハーゲンは軽々しくバルムンクを片手で持ち上げ、その切っ先をジークフリートに向ける。

 

 『この剣の使用年数は俺の方が長い。戦争を回避する為だなんだと御託を並べて自ら死を選んだ、臆病者の何倍もだ』

 

 ニーベルンゲンの歌はクリームヒルトの復讐の物語。

 あの物語の主人公がクリームヒルトであるならば、ハーゲンこそは主人公の対を為す最大の敵。

 であれば、武勇伝は事欠かさない。強大な敵であるのだから、それを誇示するほどの逸話が残されているものだ。英雄譚であれば、特にそれが顕著に表れる。

 

 『そして俺は普通の人間でもない。それはお前も理解しているな?』

 「ああ。だからこそ、お前にしか託せなかった。俺の後始末を」

 『あの時ほど俺の出自を憎んだことはなかったさ。この、ハーフエルフの血をな』

 

 ハーゲンは魔力回路を稼働させる。

 その回路は魔力という燃料を淀みなく満たされ、それは光となって全身に隈なく回路の紋様が現れた。

 

 『行くぞ』

 「来い」

 

 刹那、ハーゲンは魔力を暴発―――否、魔力を放出させた。

 魔力放出。

 内なる魔力を爆発的に排出することにより、ジェット噴射の要領で身体能力を底上げする力。

 ただの少女ですら、魔力放出を巧みに使うことにより大英雄クラスの英霊と相手取ることができる破格の能力だ。それを男にして戦士でもあったハーゲンが使えばどうなるか。

 

 『まずは、一撃だ』

 

 音速の踏み込み。

 一歩が音よりも早く、そしてジークフリートとの間合いの距離を一気に詰めた。

 大剣バルムンクという重量ある獲物を以ってこの速度。ハーフエルフの持つ膨大な魔力とハーゲン自身がフン族との殺し合いの最中で鍛え上げた動体視力が合わさって為せる歩行。

 大概の相手ならば、このまま黒きバルムンクの刺突によって心臓を貫かれて終わる。

 だが、ジークフリートもまた大英雄。

 英霊の座に召し上げられた武闘派の英雄であれば、音速の踏み込みなど標準的だ。驚くに値しない。

 

 「一撃目から心臓か。遊びがないな」

 

 ハーゲンの刺突に対して、ジークフリートは手の甲を払っただけで弾いた。

 仮にも宝具の一突き。それを肉体一つで弾ける英雄などそうはいない。

 悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)

 数ある防御宝具の中でも頭一つ抜きん出ている概念の鎧。

 不意打ちで放った攻撃はAランクに届かなかったのか、掠り傷すらつけた感触がない。

 

 『涼しげな顔で対処してよく(のたま)う』

 

 この程度の一撃でどうにかなる相手ではないと、そんなことは誰でもないハーゲンが一番よく知っている。

 

 「今度は此方から行かせてもらう」

 

 ギチッ………―――

 ジークフリートが両手でバルムンクの柄を力強く握りしめた音が、この無音の世界に響き渡る。

 筋骨隆々の大男であるジークフリート。その腕の太さも、ハーゲンの二倍はある。まさしく鍛え抜かれた戦士の腕。それに加えて、竜の炉心から溢れ出る無尽蔵の魔力。

 剛の(かいな)を更なる高みに連れていくは竜の(魔力)

 繰り出されるは、空間すら容易に切り裂く大英雄の一撃。

 ジークフリートはハーゲンの頭上から大剣を容赦なく降り下ろす。

 これは『真向斬り』である。

 頭蓋骨を鼻の線に沿って斬る、高等剣術の一つ。

 シンプルながらも実戦で使えば純粋であるが故に強力無比。

 今のジークフリートが扱えば、それこそ宝具の一撃にも匹敵するであろう剛力の剣。

 

 『遊びがないのは、お前の方だ……!』

 

 まともに受ければ両断される。

 そう確信させられる一撃を、ハーゲンは剣と剣が交わる一瞬、自らのバルムンクを傾けて勢いを逸らした。

 ハーゲンに直撃することなく地面に叩きつけられた真向斬り。

 その一撃を受けた地面は凄まじい音を立てて穴が開いたのだ。

 

 『これは、両断どころでは済まなかったか』

 

 体が真っ二つになるだけならまだいい。もし仮にアレを受けていたら、肉片一つ残らず消し飛んでいた。そんな領域の一撃だ。

 

 「まだ竜の炉心の制御が甘いな。無駄な力が入りすぎたか」

 『………ハッ。面白い!』

 

 本当にこの男は友を使って力を調整するつもりだ。

 ジークフリートは基本、他者に対して腰が低い。どんな相手にも礼儀は尽くすし、不要な言葉は投げかけない。ただしハーゲンは例外だ。

 親友であるからこそ、無茶を頼める。生前も、今も。その関係は変わらない。例えそれがバルムンクの記録から複写されたハーゲンの幻想に対してもだ。

 

 『お前の能力は重々理解している。だからこそ、その欠点も誰より熟知しているつもりだ』

 

 ハーゲンは魔力を高め、魔法陣を展開した。

 

 「………!」

 『お前が生きた時代の魔術師では俺の術式を理解することもできないだろう』

 

 詠唱破棄から行使するは大魔術の一つ。

 エルフ特有の異界の言霊から発せられて発動するソレは、巨大な魔力の塊を生み出しジークフリートの肉体に直撃した。

 

 『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)は上級の一撃でなければ攻撃が通らない。しかし効くのは別に剣だけではない。魔術も効く。かの聖ゲオルギウスのように魔術を無効化する術を持たない』

 

 ジークフリートは爆炎の中から姿を顕わした。

 殆ど無傷ではあるが、それでも掠り傷が所々見受けられる。

 先ほど放ったのはAランク級の魔術。ジークフリートはその攻撃を無効化し切ることができずに、若干のダメージを負った。尤もAランクの攻撃が通ってもBランク分のダメージを差し引かれるのだから殆ど微々たる負傷だろう。

 しかし、それでも魔術であってもきちんとダメージが通ることは再確認できた。

 

 「この程度で」

 『どうにかなるとも』

 

 ハーゲンは更なる魔術式を展開する。

 

 『攻撃魔術が効くということはな。捕縛系の魔術も効くということだ』

 

 新たなに呼び出したものは光の鎖。

 

 『お前の動きを封じた上で背中を刺してやろう』

 「そう来るか」

 

 光の鎖は蛇の這い擦りのような軌道を描きながらジークフリートに迫る。

 魔術は直撃すれば効く。魔術に対しても悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)が機能するとはいえ、単なる純粋威力だけではないのが魔術の恐ろしいところだ。

 例えダメージが通りにくくとも、ハーゲンの狙っているような捕縛式や呪いの類いはダメージ換算に含まれないことからそのまま効いてしまうのだから。

 尤も、直撃すればの話だが。

 ジークフリートは冷静にその光の鎖を迎え撃ち、バルムンクで断ち切った。

 

 『ああ、分かっていたさ。お前が魔術を壊すことなど造作もないなど』

 

 ハーゲンが狙っていたのは魔術による捕縛ではない。

 あくまで先ほどの魔術は囮。本命を隠す為のフェイクに過ぎない。

 時間を稼いでまでハーゲンが狙っていたものとは―――。

 

 「………それは」

 『お前は知るまい。バルムンクには、こういった使い方もできる』

 

 ハーゲンの持つ黒きバルムンクは刀身を鈍く光らせていた。その剣から感じ取れる魔力は異常な質と量を兼ね備えられている。まるでジークフリートが持つバルムンクとは別物。

 ハーゲンのバルムンクとジークフリートのバルムンクは同じものだ。性能に差異はない。あるとすれば、所有者独自の使用方法に他ならない。

 

 「魔力を刀身に集約し、暴発一歩手前で維持しているのか」

 『ああ。このバルムンクは真名発動に際し、外部に真エーテルを掃射する機能を持つ。ならば、こうも考えられた。放射する機能を敢えて封じ、魔力を刀身に臨界まで溜め込み、押さえつけたままの状態で振るえばどうなるかと』

 「本来拡散して放たれるべき魔力は刀身に集約され、一つの極限の刃となるか」

 

 器用な芸当だ。バルムンクにそのような使い道があったとは。

 

 『お前が死んだ後、俺はフン族にひたすら追い回された。時には人の往来が激しい都市でさえ、奴らは見境なく襲ってきた。分かるだろう? そんな場所でバルムンクの真価は発揮できない』

 「周囲を巻き込むからな。バルムンクは人々が住む街ではまず使用が制限される」

 『だからこそ、対人の機能を俺は求めた。より無駄のない、効率的な使用法を』

 「それがその力か」

 『準備するには多少の時間は掛かるが、一度成立すれば後は容易い。この形態を維持したまま、敵を屠る。それだけ……だ!』

 

 再びハーゲンはジークフリートに向かって駆ける。

 相変わらず速い。如何なる間合いも瞬時に詰められるその脚力はジークフリートをも唸らせる。

 そして今度は速いだけではない。その手に持つ剣は、今や悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)をもってしても危険を感じざるを得ない一撃必殺の圧がある。

 同じバルムンクとはいえ、今の強化されたハーゲンのバルムンクをそのまま受け止めれば折られる可能性すらあるその一撃を、ジークフリートは―――。

 

 『バカな………』

 

 ハーゲンと同じく魔力を刀身に集約し、バルムンクを強化することによって真っ向から受け止めた。

 

 「すまないな、ハーゲン。お前の技、使わせてもらったぞ」

 『見ただけで……写したというのか』

 「試したら出来ただけだ」

 『一歩間違えれば自壊する技だぞ!?』

 「生憎だが、俺もまたバルムンクの担い手だ。確かにお前ほど長く使えなかったが、コレの癖は分かっている」

 

 それを最後に、ジークフリートは素早くハーゲンの胴体を切り裂いた。

 奥の手を破られただけならまだしも、一瞬でコピーされた上に実戦で使われた。その驚愕は早々に抜けるものじゃない。それがハーゲンを支えていたものであるならば猶更だ。

 

 『ぐッ……俺を迷いなく、斬るか………俺が幻影だから……か……?』

 「否。俺は、お前が友であることを認識した上で斬った。これは、俺の覚悟だ。どのような者が相手であれ、迷いはしない。俺の願望を叶えるために、その屍を超えていくと決めた」

 『………クク…愚問、だったな』

 

 ハーゲンは吐血しながらもにやりと笑った。

 不機嫌な顔をすることが多い男だが、だからこそ笑う時は―――本当に心の底から笑っている時のみだとジークフリートは知っている。

 

 『もう少し、斬り合えるかと思ったんだがなぁ……流石は、我が国が誇る竜殺しといったところか』

 「紙一重の戦いだった。実力が拮抗していたからこそ、一瞬の駆け引きが重きに置かれるものだ。選択を間違えれば、それこそあの土壇場で俺がハーゲンの技を使いこなせなければ、負けていたのは俺の方だった」

 

 短き斬り合いの中で、ハーゲンは魔術や心理を巧みに使い分けた。

 ジークフリートもまた、それらの技術を真っ向から受け止め走破した。

 互いに持てる技を駆使して全力でぶつかり合ったのだ。

 これを死闘と言わずしてなんという。

 

 『満足だ。俺は、バルムンクから投影されているだけの幻にすぎんが、それでも、お前の確かな変化を喜ぼう』

 「すまない。こんな俺を、お前はいつも友として在り続けてくれた。それを俺は、そんな友の気持ちを踏み躙り……自殺の手段として利用した」

 『幻影に言っても意味はないさ。それに、謝る必要もない。お前が、自分の心から生まれたお前だけの願望を、望みを得れたのならばそれでいい。それだけで、十分だ』

 

 ハーゲンの肉体が光となって消滅し始めた。

 まだ、色々と語りたいことが山ほどあるというのに。

 

 『時間が差し迫っている。手短にだが、お前に託すものがある』

 「なに?」

 『俺はお前が持つバルムンクの記録から再現された幻影だ。だからこそ、ハーゲンの記録も刻まれている。そして、お前がこうして瞑想を通して俺を呼ぶこともハーゲンは分かっていた……いや、信じていたというべきか。我がオリジナルながら中々捻くれている』

 「ハーゲンが………」

 『もし夢半ばに倒れそうになった時、魔力を回した上で【■■■■■■】と叫べ』

 「………!!」

 

 それは、ジークフリートの知っているモノだった。ハーゲンに引き継いだある宝だった。

 扱い方次第では国も亡ぶであろう強力な力。それを呼び寄せる鍵。

 それこそはジークフリートが現界した際では持ち込むことができなかった宝具。

 逸話としてはジークフリートという英霊に欠かせない英雄の象徴の一つであったのにも関わらず、何故持ち込めなかったのか。

 あくまで知名度の問題か、あるいは別のサーヴァントクラスに当て嵌められたら付属するのではないかと思っていた。

 そうではなかったのだ。

 

 『預かっていたものは確かに渡したぞ。後はお前次第だ』

 

 ハーゲンは首元まで肉体が消えていた。もう数秒も持たず消え去るだろう。

 そして最後とばかりに、彼はこう言い残した。

 

 『ようやく手に入れたその自我、その欲を……決して手放すなよ。親友』

 

 その言葉を最後に、彼は完全に消滅した。

 

 生前どこまでも友を想っていた男は、正史の歴史にて裏切りの英雄として名が刻まれた。

 どのような理由があったとしても、ハーゲンがジークフリートを殺した事実に偽りはない。

 それにより彼の妻クリームヒルトに死するその時まで憎まれ、人生の大半を復讐という名の憎悪を向けられた。それこそがニーベルンゲンの歌の骨子だ。

 それでも、例え歴史に汚名で塗りたくられたものであっても。そこに友との友情がそこにあるのなら、それだけで満ち足りる。悔いはない。

 

 もし仮に心残りがあるのだとしたら。

 

 何も知らされず復讐者へと成り果てた女が見せたあの痛ましい涙、慟哭、怒り。

 あれだけはどうにも、ままならんものだ。

 

 

 

 

 




 ご感想お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23戦:約束された決戦

 場所は神霊ブリュンヒルデの根城。戦乙女(ワルキューレ)の総本山。

 氷食尖峰型の高山の頂点に聳え立つ城をギリギリ目視できる岩陰に、この世界に生まれし一介の大魔術師と兵士は辿り着いていた。

 

 「あれが、神様の家か。ずいぶんと御大層な守りで固めてやがるな……」

 

 兵士の青年は見た。

 高山を360°隈なく覆うファイヤーウォール。

 天にも届かんと言わんばかりの焔の壁。

 近寄るモノは悉く灰になるであろう、強力な魔力の障壁。

 

 「まさしく神の壁だな。アレは魔術師が幾ら集結しようとも形成できるものではない」

 「あんなもんをどうにかする大役を俺みたいな兵士に頼むって本当にどうかと思う」

 

 この兵士と魔術師はかつてシグルドに助けられた都市の人間。そして彼と会話もした者達。

 シグルドに恩義は感じている。助けられた手前、その大恩に応えたくなるのも人情というもの。

 だから、そんな英雄に『貴殿らの協力が必要だ』と言われた時は嬉しかった。

 こんな小さな自分でも何かしらの力になれる。

 そう思えばこそ、快く了承したのだが……まさか、あの強大な壁を打ち破るキッカケの一助に任命されるとは思わなった。

 

 「預かった魔剣を霊脈まで運び、日の出と共に突き立てる。言葉にするのは楽ではあるが、実際はこれだ。神霊の本拠地ってんなら戦乙女(ワルキューレ)はそりゃワラワラいるだろうさ。一体にでも見つかれば作戦が露呈する」

 「私がいなければとっくの昔に見つかっていたがな」

 「感謝してます、してますよ。大魔術師殿の身隠しの魔術がなければ確かに見つかってた」

 

 老齢の魔術師は敵の勢力圏に入ってからずっと姿と魔力を隠匿する魔術を行使し続けている。

 その魔力の消費から来る疲労も少なくないというのも魔術師ではない人間でも分かる。

 そうなれば体力も自然と落ちる。普段はふわふわと宙に浮けるだろう神代の魔術師も今は地に足をつけ、普通の人間と同じように歩かねばならない状態だ。

 兵士の役割はそんな魔術師を担ぎ、補佐するもの。魔術師だけではなく、携帯食料もシグルドから託された魔剣も全て兵士が運搬し、運ばねばならない。

 大人数では見つかりやすく、その人数分魔術師も身隠しの魔術範囲を広げなければならないことから二人組(ツーマンセル)での任務決行が決まった。

 

 「おかげで功を奏した。奴らもまだ此方には気付いていない」

 「なんとか間に合ったしな……後は、霊脈の起点にコイツをぶっ刺すだけだ」

 

 兵士が袋から取り出したのは灰色の魔剣。

 地脈をかき乱す原初のルーンが刻まれた、地殺しの剣。

 今は封印が施されている故にその独特な魔力を抑え込んでいるので見つからずに済んでいる。

 

 「あの焔の壁は地脈から魔力を吸い上げ、形成している。であれば、その地脈を狂わせばその完璧な護りに綻びが生じるか……道理よな」

 

 魔術師から見てもあの壁は破格そのもの。物理的に抉じ開けるとなると、それこそシグルドクラスのモノに限られる。しかしそれでは意味はない。

 今回は総戦力戦。シグルド一人だけではなく、スルーズらの仲間も突入しなければならない。

 

 「我々が鍵を開け、彼らはその開いた門を全力で潜り抜ける。誰一人として欠かせぬ大仕事。人間に過ぎた任だと思っていたが、いやはやいざこの大命を前にしたら存外胸が高まるものだ」

 

 戦力として加わったところで何の役にも立たぬであろう人間。

 だからこそ、神霊はその存在に眼中にない。

 足元を見ぬ神の驕り。神の盲点。

 シグルドは決してその欠落を見逃さない。

 その人間が突破口を開き、主戦力を敵陣営内部に送り届けるジョーカー足り得る。

 

 「もうすぐ夜明けだ、魔術師殿」

 「そうか。遂にか」

 

 そうこうしているうちに地平線の彼方に光が漏れ始めた。

 この瞬間こそが、待ち望んだ開戦の合図。

 火ぶたを切って下す大役、見事務めて見せようとも。

 

 「行くぞ小僧。我らが人間の矜持、天上で見下す神めらに魅せてやろう」

 「おう! てかアンタそんなキャラだったっけ魔術師殿」

 「このような大舞台に招かれたのだ。心の高揚を抑えるなという方が難しいというもの」

 「ハッ、違ぇねぇ!」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 日の出が姿を顕わす一時間前。

 作戦が開始される残り僅かな時間。

 シグルド達は未だ、神霊ブリュンヒルデの城より遥か遠くの隠れ家から動いていなかった。

 シグルドの隠れ家から神霊ブリュンヒルデの城を目指すのであれば英霊の速力であってもそれなりに時間がかかる。

 兵士と魔術師が結界の一部を弱体化させる刹那のチャンスをものにするならば、彼らは既に城近くまで接近していなければならないはず。

 それなのに彼らは動かず、日の出をその場で待っていた。

 となれば、それ相応の意味がある。

 その場所から城まで歩かず、走らず、待機していても間に合う理由がそこにある。

 

 「………シグルド…あの、これは……いったいなんですか?」

 「見ての通り、弓だが?」

 

 いや「弓だが?」じゃないよ。

 スルーズが見たのは、隠れ家の前方にある森を広範囲に切り開き置かれている全長100mに及ぶ巨大な『弓』だった。

 木材で作られているというより、グラムの放つ紅き宝石の如き鉱物で出来ているようにも見える、摩訶不思議な材質で構成されたソレは、まさしく規格外な弩弓そのものである。

 

 「まさかとは思うのですが……」

 「察しがいいなスルーズ。そうだ、この弩弓を使用し、此処からあの城まで一気に移動する」

 「正気ですか!?」

 「肯定する。なに、この弓は原初のルーンで編まれている。性能に不備はない」

 

 そういう問題ではないだろう。

 

 「オ……クー・フーリン殿。弓は完成した。番えるべき矢は貴殿の担当。準備は如何か」

 「そう急くなよ。矢なんてもんは、コイツを代用すりゃ一発だ」

 

 どこからともなく現れたキャスター。

 ケルト神話の大英雄クー・フーリンは片手で原初のルーンを軽く刻み、ある巨大なものを呼び出した。

 それは森の賢者であるドルイドの魔術師に相応しい、木の巨人。

 胴体に人間を詰め込む檻を兼ね備え、やろうと思えば膨大な魔力から火を起こし、全てを灰燼に帰す恐るべき人形。

 その大いなる巨大人形は召喚された瞬間、瞬く間に姿を変え、未来の人類が編み出したロケットなる形を取った。

 まるで弓に宛がいやすいように。如何にも遠くまで飛べますと言わんばかりに。

 

 「ドルイドの対軍宝具……名をウィッカーマン。本来は攻撃、拘束用の代物だが、俺達を運ぶ箱舟兼弾丸の元にするにおいてこれほど適任な素材はねぇ」

 「………破天荒すぎる」

 

 シグルドが作り出した長大な弩弓。クー・フーリンが呼び出した箱舟の材料とするウィッカーマン。

 神霊ブリュンヒルデの焔の壁を突破する為とはいえ、その仕掛けがあまりにも出鱈目なものだった。

 

 「シグルドの弩弓がカタパルト。クー・フーリンのロケット改良型ウィッカーマンがシャトル。日が昇ると共に私達が搭乗したソレは、真っ直ぐ神霊ブリュンヒルデの焔の壁までミサイルと化して射出される……それで間違いないですね?」

 「肯定する」

 「おうさ」

 「いやバカですか!? 力技にも程がある!!」

 「なーに、叡智だなんだと言っても最後に頼れるのは強引な特攻だぜ戦乙女の姉ちゃん」

 「向こうでは既に頼れる仲間が準備を進めてくれている。当方らはこれに乗り、身を任せていれば刹那で城内だ。安心されよ」

 

 本気だ。この二人、本気で言っている。

 この棺桶と化したロケット型ウィッカーマンに自分達は乗り込み、あの業火の壁目掛けて射られる。これほど恐ろしい移動手段がこれまであっただろうか。安全性の欠片もない。

 

 「まぁ、流石にウィッカーマンも神樹とはいえ木の宝具。このまま移動手段として使っても不安だというのも分からんではない」

 

 それだけじゃないんだが。恐らくは音速を優に超える速度で移動させられること自体が恐ろしいのだが。

 

 「ではクー・フーリン殿」

 「おうよ。最後の仕上げと行くか」

 「これならば、スルーズ達も安心できよう」

 「合わせろよ……シグルド」

 「言われるまでも無い」

 

 シグルドとクー・フーリンは息を合わせて虚空に指を走らせる。

 次々と宙に刻まれるは原初のルーン。

 あらゆる現象事象をシグナルアクションで為し、その効果も現代魔術の比ではない。

 凡そ万能と言える魔術を二人はあろうことか同時に発動させ、組み合わせている。

 本来魔術とは単体で成立するもの。例外こそあれ、原初のルーンでの術者二名による共同作業など聞いたことも見たこともない。

 

 「(私達も知らないルーン……!?)」

 

 驚くべきは内容ではない。

 戦乙女(ワルキューレ)すらも知らないルーンを何故、竜殺しと異郷の魔術師が知り得ているのか。

 練度とてそうだ。正式なオーディンの娘を差し置いてこの正確さ、精錬さ。

 全てにおいて、オリジナルの戦乙女(ワルキューレ)を上回っている。

 人間のようなつまらないプライドなどないと思っていたが、こればかりは己の自尊心を燻らせる。

 

 「ウィッカーマンの木々は骨子となり、原初のルーンは装甲として機能する」

 「鋼程度では耐久が間に合わん。魔銀を使うぞ」

 「了解した。魔銀錬成、久しく行っていたなかったが合わせて魅せよう」

 「よし、よし、良い感じだ」

 

 凄まじい速度でウィッカーマンが加工されていく。

 木々が露わになっていた外装は魔銀により覆われ、形はより精密な矢の形に変わる。

 確実に神霊ブリュンヒルデの城にぶっ刺す。そんな気概すら感じられる。

 しかし弓と矢が完成したところで、それを放つ者がいなければ始まらない。

 これだけの巨大な兵器だ。それこそ巨人でもなければ扱うことなどできまい。

 そんなスルーズの内なる疑問を知ってか知らずか、シグルドは完成した矢の次にその弓矢を放つ装置を準備し始めた。

 

 「炎の巨人ほどの巨体があれば、丁度か」

 「ああ。流石にその質量となると、俺達だけでは出力が足りん。スルーズ、お前も見てないで手伝え。その原初のルーンは飾りではないんだろう?」

 「はい!?」

 「今から土くれの巨人を創り出す。俺とシグルドだけでは限界があるから手伝えと言ったんだ」

 

 無茶苦茶なオーダーだ。

 

 「ぶっつけ本番で行くぞ!」

 「ちょ、クー・フーリン様!?」

 「落ち着けスルーズ。当方がサポートする」

 「貴方もなに当然みたいに!」

 

 この男達、あまりにもマイペースが過ぎる。此方の話を聞きもしない。

 

 「ああもう! 本当に貴方達は……!!」

 

 いきなり巻き込まれたスルーズではあるが、それでも大神オーディンの娘。

 情けない姿は見せられない。即興ではあるが戦乙女(ワルキューレ)の名に懸けて遅れは取りたくない。

 そして知るのだった。この二人が、見ていた以上に高度な御業を行使していたことに。

 さも当たり前のように為していた技巧が想像以上に難解であったことに。

 スルーズは若干泣きそうになりながらもそれに喰らいついた。

 さりげなく彼らから距離を置いて避難していたオルトリンデとヒルドは許さないと誓って。

 

 

 

 …………

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 「凄まじいな……これは。これが神代の魔術か」

 

 中世の騎士であり、神代の生まれではないジークフリートは天高く聳える土くれの巨人を見て率直な感想を口にした。

 まず己の知る生前の世界では見られないであろう神秘の具現がそこにあった。

 

 「まったく神代というのは想像の埒外なものを見せてくれる」

 「いえ、流石にこれほどのものは神代でも早々作りませんよ……はぁ」

 

 関心するジークフリートをよそにぐったりと倒れ込んでいるスルーズ。

 魔力というより創造に用いた集中力が桁外れだった為か、疲れの色が透けて見える。

 これから決戦だというのに大丈夫なのだろうか。

 

 「ははは、この程度でへばってるんじゃないぜお嬢ちゃん。アンタを設計したオーディンが見たら『そのような作業にも絶えられないような生中な設計はしていないはずだが?』とか思われちまうんじゃないか?」

 「く……なにがこの程度ですか。というよりなんでそんなに余裕なんですか貴方達」

 「余裕もなにも、泥遊びで疲れる奴がどこにいるって話なのさ。ちょいと量が多かったもんだから手助けしてもらったが、工程自体はそう難しいものじゃない。なぁシグルド」

 「いや、当方も少なからず疲労がある。みなが皆、貴方のように熟練した練度では扱えない」

 「そんなもんかねぇ。まぁ、セイバークラスにランサークラスでの原初のルーン行使だ。それでこの形まで持ってこれたなら上等……っといけねぇ。ほらさっさと乗り込めお前ら! 作戦開始の時刻まで時間がねぇぞ!」

 

 森の賢者はウキウキしながら全員ウィッカーマンの中に押し込んだ。

 

 「意外だ。貴殿は、そのような性格であったのか?」

 「クク、器に引かれているのかね。いや、違うか。純粋にただのサーヴァントとして活動できる今が楽しいのやもしれん」

 「ほう?」

 「たまにはこういった役割も悪くないってこった」

 

 クー・フーリンを演じる神は、ニヤリと笑った。

 シグルドはそんな神に不遜にも微笑ましく思う。

 大神とは、所謂全能の神だ。不可能なことなど何もない、全知全能の化身。

 それ故に心は不動。多くを為せるが故に起こり得る事象全てが何の刺激にもなりはしない孤独感。

 今の彼は、その自由にして不自由な枷から解き放たれていると言ってもいい。

 

 「全員、安全ベルトを体に巻いたかァ!」

 

 賢者の確認に全員が頷いた。

 

 「ならば良し―――総員 歯を食いしばれよ。こっから俺達は矢となり音速を超え、光速に至りて焔の壁を穿ち射る!!」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 日の出が顔を顕わす十秒前。

 

 「やれ、小僧………!」

 「おう!!!」

 

 兵士と大魔術師は、己の役割を全うする。

 兵士は袋から魔剣を取り出し、封を施された符を破り捨てた。

 そして大魔術師が施した身体強化の恩恵をフルに活用し、全力で霊脈の起点まで疾走した。

 

 「「「「ヒト!?」」」」

 「「「「そこで何をしている!!」」」」

 

 身隠しの魔術以外の魔術の行使。そして隠れる気が微塵もないであろう音も憚らず全力で駆ける人間に戦乙女(ワルキューレ)が気付かないわけがない。

 異常を察した量産型戦乙女(ワルキューレ)は二人を認識して一斉に動き出した。

 

 「「遅いんだよ、人形……!!」」

 

 時は満ちた。

 兵士は霊脈の起点の一つである霊脈の大地に、魔剣を深々と突き刺した。

 

 「貴様ら、いったい……な、これは!?」

 

 量産型戦乙女(ワルキューレ)の問いの答えはすぐ現実となって現れた。

 絶対的な防御機構、神々の焔の壁。その一部が、揺らめき、出力が不安定となっている。

 しかしこの程度の揺らぎ程度で強度が脆くなろうと、それでもなお、人間の手でどうにかできる代物でもない。

 そう、人の手であるならば。

 人であり人を超えた英雄の手であれば―――その揺らぎ、その強度の低下は、致命的な穴となる。

 

 ドォォォォォォォォンッ―――………!!!

 

 刹那。ほんの刹那の間に、その奇蹟は為された。

 絶対不可侵の焔の壁。その揺らぎを悉く貫通し、通過した巨大なものがあった。

 

 「馬鹿な……!」

 

 量産型とはいえ腐っても戦乙女(ワルキューレ)。この城に繋がる氷食尖峰山に近寄る巨大な物体などあれば体を盾にしてでも止める。

 ならば、何故素通りさせたのか。

 言うまでもない。分からなかったからだ。感知できなかったのだ。

 あまりにも速すぎたソレは、量産型戦乙女(ワルキューレ)のセンサーに感知される間もなく、音も何もかもを置き去りにして着弾した。

 

 

 ◆

 

 

 

 「―――来ましたか」

 

 ああ、山が。城が。少し、揺れた。

 来たのですね。来てしまったのですね。

 愚か。実に、愚かしい愚行。

 神をも恐れぬ蛮行と言えましょう。

 

 「私は、許します。貴方が私の前に立つことを」

 

 むしろ、この時を待ち望んでいたかのよう。

 ふわふわしたこの感情。溢れ出るこの激情。

 コントロールすることもままならない、愛情。

 

 「愛しの……シグルド」

 

 シグルドを愛おしいと思う私は誰?

 神霊ブリュンヒルデ?英霊ブリュンヒルデ?

 二人のブリュンヒルデが交戦した後のこと、よく覚えてないの。

 今の私は、果たしてどちら?

 

 「ええ、ええ……どっちでもいいですよね。そんなことは」

 

 ■■ブリュンヒルデは朗らかに微笑む。

 ずっと会えなかった愛おしい存在を前にした、生娘のように。

 

 「貴方を存分に愛す(殺す)ことができるのなら、それで()いのですから」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24戦:悪竜現象

 「着弾確認。目標地点到達。(みな)、無事か?」

 

 シグルドは突入により派手に崩れた城の瓦礫を軽くグラムを振るって吹き飛ばした。

 隠れ家から射出され、瞬きした次の瞬間には既に目的地へとぶち当たったシグルドとクーフーリン手製の弩弓カタパルトの剛矢。

 その性能は言うに及ばず。

 兵士と魔術師が神々の炎の壁の一部を揺るがせ、その刹那の隙を縫い通すスピードと精度。

 結果だけ言えば、侵入は成功した。

 シグルド達を運んだ巨大な矢は神霊ブリュンヒルデの城に深々と突き刺さり、全員を欠けることなく送り届けた。送り届けたのだが……。

 

 「し、死んでしまいます……」

 「生きた心地がしないよぉ」

 「………吐きそう」

 「一瞬気を失った気がする……」

 

 スルーズ、ヒルド、オルトリンデ、トイネンは目を回しながら瓦礫の中から這い出てきた。

 外傷は見られないが、その光速に至りし速度の反動がそこにあった。

 音速飛行を常とする戦乙女(ワルキューレ)であっても、流石に今回の無理やりな移動方法には参ったと見える。

 

 「それでも音に聞こえし戦乙女(ワルキューレ)か。もうここは敵さんの腹ン中だぞ。ジークフリートを見習えジークフリートを」

 「いや、それは買い被りすぎだ。流石に平衡感覚に狂いが生じている」

 

 シグルド、ジークフリート、クー・フーリン、スルーズら戦乙女(ワルキューレ)にトイネン・アスラウグ。

 トイネン以外の量産型戦乙女(ワルキューレ)は協力に応じてくれた兵士と魔術師の救出に向かっている。

 実質、この七騎が神霊ブリュンヒルデの城を落とす全戦力となっている。

 はっきり言って無謀極まりない。超常たる神の城にたったの七騎だ。戦力差は依然開きがある。

 特に神霊ブリュンヒルデの私兵たる戦乙女(ワルキューレ)もまた、前回戦ったものと質が異なっていた。

 

 「ちっ、流石に早いな」

 

 クー・フーリンは舌打ちをして周囲を見渡す。

 いつの間にやら、城内にいた敵の戦乙女(ワルキューレ)が自分達を包囲していた。

 

 「見たところ外の警備に比べて性能が良さそうだ。直属の近衛兵ってところかね」

 

 今まで見てきたのはあくまで人間をヴァルハラに送るだけの量産型。

 此処に配備されている戦乙女(ワルキューレ)は、それこそ防衛及び戦闘に特化したタイプ。

 その証拠に彼女らが持つ武器は槍だけに非ず。

 剣、弓、鉄球、鎌とその戦乙女(ワルキューレ)に応じた武装が施されており、魔力だけ見ればスルーズらオリジナルと大差がない。

 

 「彼女達に構っている時間はない。玉座まで駆け上がる」

 「シグルド殿と同意見だ」

 「なら、こっからは競争だ。足の遅い奴はもれなく敵の足止めってことでいいか?」

 「「異論無し」」

 

 シグルドを含めた三人の男達は一斉に動いた。

 既に索敵のルーンを行使していたシグルドとクー・フーリンはどこが玉座まで繋がっているか把握している。その動きに一切の迷いはない。

 

 「オルトリンデ、ヒルド、トイネン! 私達も出遅れるわけにはいきません!」

 「了解! お姉様の目は私達が!」

 「覚まさせる!!」

 「私は、このトイネンの名に誓って!」

 

 彼らに遅れまいとオリジナルの戦乙女(ワルキューレ)達も白鳥礼装を用いて高速飛行を開始した。

 

 『城内に侵入者』『城内に侵入者』

 『カテゴリ:英霊』『カテゴリ:英霊』

 『捕縛不可:殲滅』『捕縛不可:殲滅』

 

 神霊ブリュンヒルデの城に侵入した七騎に対し、城内の兵力は捕縛ではなく、排除を選んだ。

 戦闘特化型の戦乙女(ワルキューレ)は侵入者を抹殺するべく、その膨大な魔力を羽根に注ぎ込み、全力で追跡する。

 

 「馬鹿正直にケツを追ってくるか。やはりちょいとばかしオツムが足りねぇな。そこは多少のロスを承知で敵の出方の一つや二つ、見るもんだ」

 

 クー・フーリンは通路を走りながら壁にルーン文字を刻んでいく。

 

 「「「ッ!!」」」

 

 戦闘特化型の戦乙女(ワルキューレ)達はその刻まれたルーンを見て立ち止まった。

 その判断は正しい。それから一秒にも満たない間で、彼女達が通るべき通路に焔の壁が立ち塞がった。

 本来であれば焔弾を放つ魔術を炎の壁として活用するクー・フーリン。

 これは簡易的な神の壁。まるで昔作ったことがあるかのような精巧さである。

 

 「ちょろいもんだ。やはり、私……ではない。かの大神が創りし戦乙女(ワルキューレ)とでは比べ物にすらならねぇな。製作に用いた理念、時間、手間。そのどれもが甘すぎる」

 

 クー・フーリンはそう言い残してその場を後にした。

 これならば、多少の時間は稼げるだろう。

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 「気付いているか、ジークフリート殿」

 「ああ。城内に入るまでは気付かなかったが、これは……」

 

 玉座まで突き進むシグルドとジークフリートはこの城内に蠢くいくつかの魔力を肌で感じ取っていた。

 

 「この先で待ち構えている巨大な魔力。そのうち英霊の魔力が一つ。そして、悪竜(・・・・・)の魔力が一つ。この城に潜伏していたか」

 「まさか悪竜現象(ファヴニール)まで従えているとは。しかしなんだこの魔力は。俺が対峙した邪竜とは異質の魔力。俺が討伐した竜では……ない?」

 

 ジークフリートは己の胸に手を当てる。

 悪竜現象(ファヴニール)と密接な関わりがあるジークフリートは、その竜が現界した際は嫌でも魂が気付くようになっている。それはファヴニールもまた、同じこと。

 されど、おかしなことにこうして認識した上でもこの先から感じる邪竜からはその縁が感じられない。

 

 「この世界が北欧から続く神代なれば、そこに呼ばれる悪竜現象(ファヴニール)もまた、北欧に連なるモノなのだろう。ならば、この先に待つ邪竜は―――当方が討ち果たした邪竜に他ならない」

 

 ジークフリートがその邪竜に対して縁を感じられないのは当然だ。

 人の大欲。人の身を超えた者。その始まりの邪竜こそが――――。

 

 「来るぞ!!」

 

 巨大な魔力反応。明らかな殺意を感じ取ったクー・フーリンは叫んだ。

 

 「オルトリンデ、ヒルド!!」

 「分かってます!」

 

 オリジナルたる戦乙女(ワルキューレ)は原初のルーンを発動。

 

 「シグルド、合わせろ!」

 「言われるまでもない!」

 

 シグルドとクー・フーリンも原初のルーンを起動させた。

 この場、この瞬間に選ぶべきルーンは上級宝具すら防ぐ防御結界。

 一本道である通路を突き進むシグルド達はまさしく格好の獲物。回避する場所などないのならば、防御するほかに道はない。

 咄嗟のことで何もできなかったトイネン・アスラウグは見た。

 仮に自分も動けたとしても、量産型でしかない己に何ができようか。

 なにせ、視界一杯に広がる業火が差し迫っていたのだから。

 その威力、魔力ともにたかだがトイネン一人の助力があったところで何も変わらない。

 暴力の権化と言わんばかりの圧倒的な火がシグルド達が突き進んでいた通路を悉く覆い尽くした。

 

 「これは、忌々しい記憶を引き吊り出されるかのようだ……!」

 

 結界を張り、難を逃れたクー・フーリンの皮を被った大神は悪態をつく。

 無礼にも初撃からブレスを吐いた邪竜は、オーディンとも縁深い。

 

 「急げ! 今はまだジャブの領域だ! 二撃目は更に火力を上げてくるぞ!!」

 

 だからこそ分かる。この程度の火力など欠伸にも等しいのだと。

 舐めた真似をしてくれる。天界に身代金を要求するほどの邪竜。更に傲慢に磨きが掛かったか。

 

 「ジークフリート殿! 当方の手を!」

 「ああ!」

 

 シグルドは早駆けのルーンを自身の脚に刻み、脚力を上げた。そして原初のルーンが使えず素の速度で後れを取るジークフリートに手を差し伸べ、一気に通路を駆け抜ける。

 

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 

 「ここは……」

 「外か? いや、空間を歪ませて広くしているのか」

 

 通路を抜けた先にあったのは、巨大な空間だった。

 恐らく城の内部の空間を歪めているのだろう。この城の本来の広さを歪め、暴れるにあたって何も問題ないように設定されている。

 それこそ、竜種が天高く飛んでも何も支障がないほどに。

 

 「待っていたぞ。英雄シグルド」

 「やはり貴殿か。ファヴニール……否、全ての悪竜の祖。ファフニール」

 

 そこで待っていた者は、巨大な邪竜――ではなく、人の形をした一人の男だった。

 ジークフリートの髪質に似た長き黒髪、深緑の瞳に、褐色交じりの茶色き肌。

 人の形を成しているが、そのうちに秘めたるは竜種の頂点に位置づけられし者。

 

 「俺をその名で呼ぶのは今やお前だけだ、人間」

 「貴殿が本来あるべき人の形を模しているのならば、それ相応の名で答えるが礼儀」

 「ふん。相変わらず律儀な奴だ。なに、こっちの方が人語は喋りやすいのでな。じきに邪竜へと姿を変えるが、その前に貴様と言葉を交わしたかった」

 「律儀なのは其方も同じこと……なぜ神霊ブリュンヒルデの元につく。貴殿は正しく神に敵対するもの。天界に仇名す者。北欧の神格に付き従うほどその怨嗟も浅くはあるまい。神霊ブリュンヒルデの束縛も貴殿ならば断ち切れよう」

 「あの女もまた、北欧の神に運命を、己が人生を捻じ曲げられた存在。その哀れさを知ればこそ、同志と言えんわけではない。それに……今、奴は神霊というには些か歪な在り方をしている。(・・・・・・・・・・)

 

 神霊というには歪な在り方だと?

 シグルドは確かにそう耳にした。

 おかしい。最後にシグルドが目にしたブリュンヒルデはまさしく神霊だった。あれこそはファフニールが最も忌み嫌う無機質な神性そのものだったはず。

 今、ファフニールが語った神霊ブリュンヒルデとシグルドが見た神霊ブリュンヒルデに相違があるとすれば……それこそファフニールがブリュンヒルデを許容している要素の一つであるならば、いったい彼女の身に何が起きている。

 

 「あと俺は神とは違い義理深いのでな。裏切り、策謀は最も忌み嫌う。大神ならいざ知らず、小娘のわがままを聴いてやるのも一興よ」

 

 仮にも神霊を小娘と宣うか。

 なるほど尊大だ。そして傲慢でもある。

 全てを下に見ているからこその言葉。子供の駄々を聴く大人の如し。

 そしてそれだけの言葉を吐ける実力が、目の前の男にはある。

 ただし、その大層な言葉を嘲笑にして伏す存在が、ここにも存在した。

 ケルト神話の大英雄クー・フーリン。その霊器に潜みし、大神の意志。

 かつてファフニールに煮え湯を飲まされた者が、前に出る。

 

 「ハッ、邪竜如きが何を偉そうに。大層な御託を並べて結局はシグルドと殺し合うことが目的なんだろう? なにもおかしいことはない。利害の一致。ただそれだけだ。自分の欲と雇い主の命令が同じだっただけの話だ。人間らしい浅ましさを未だ残しているとは驚きだ、ファフニール」

 「………貴様」

 

 ファフニールは目を細めてクー・フーリンを見た。

 それは無礼千万な物言いをする英雄を敵視する目ではない。

 何かを感じ取った瞳だった。

 

 「なるほど、なるほど。神性が異郷のものゆえ、まったく気づかなかった……クク、ハハハハハ! これこそ縁よなぁ! まさか、八つ裂きにして貪り喰いたいと思っていた獲物が、二匹! 雁首揃えようとは思わなんだぞ!!」

 「抜かせ元人間が。貴様の悪意が後の世界に大きな悪影響を及ぼした。悪竜現象(ファヴニール)とはよくぞ名付けた。シグルドが貴様を殺して終わったかと思えば、その呪いは北欧に伝染した。否、北欧を超え、他国にまで手を出した。身の程を知らぬ阿呆のやらかしほど厄介なものはない」

 「神が今更 人の味方面か!」

 「いいや。我々は人の味方でもないし贔屓もしない。あるようにあるだけ。こうして俺がお前の前に立っている理由。それはな―――不遜にも(・・・)を人質にした挙句、天界に身代金を要求するなど舐めた不敬を働いてくれた礼をする為だ……!」

 「テメェが俺の弟を皮財布にしたのが元凶だろうがクソ野郎がァァァァァァ!!!」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 「いいのですか、シグルド! あの二人に任せて私達だけ進んで!? ジークフリートとクー・フーリン……いえ、きっとあの方は!」

 「だからこそだ。あの場において、彼ら以外に任せられる者はいない」

 

 シグルド、スルーズ、オルトリンデ、ヒルド、トイネン。

 この五人を前に進める為、竜殺しの大英雄と森の賢者はあの場に残った。

 存在違えど悪竜現象(ファヴニール)を打ち倒した経験のあるジークフリート。

 ファフニール自身に深い因縁を持つクー・フーリンの殻を被った魔術神。

 シグルドは何としてでも神霊ブリュンヒルデの元に至らなければならない故、あの場に残ることはできなかった。

 いや、あそこで足を止めることをあの二人が許さなかったと言えば正しいか。

 

 『知っての通り、あのくそ生意気……失礼。あの邪竜とは浅からぬ縁がある。ここで過去の汚点を清算するにはいい機会だ。お前は先に行け』

 『竜となればこの場は俺に任せてもらおう。なに、俺もまた竜殺しだ。神を斃した竜が相手とはいえ、その称号に恥じぬ戦いをしよう。すぐに倒して追いつくさ』

 

 そう言い残して二人はあの場所に留まった。

 彼らは己に道を託したのだ。

 そうである以上、託された者として何か異論を発することは彼らへの侮辱。

 なればこそ、彼らを信じるしかない。

 あのファフニールの強大さは身をもって経験している。

 それでも、彼ら二人ならば竜殺しを為す。

 そう信じて前に進むことこそが、彼らへの礼儀だ。

 

 「まだ、この先で正体不明の英霊が我らを待ち構えている。意識は切り替えよ、妹御らよ」

 「……貴方に妹と呼ばれる筋合いはない。そう、最初の頃に言ったはずですが?」

 「ああ、その調子だ。緊迫した時こそ、精神はできる限り平常でなければならない」

 

 この時、シグルドは嘘をついた。

 更にこの先で待ち受ける正体不明の英霊。

 正体不明。そう、口にしたシグルドだが―――彼の霊基が、囁いている。

 

 これ以上進めば、お前は過去の咎、過去の不義理、過去の裏切りと出会うのだと。

 

 

 ◆

 

 

 

 「いやぁ、助かる。ああ啖呵を切ったのはいいが、なにぶん力の制約が課されていては単騎では分が悪かったと思っていたところだ。英雄ジークフリート」

 「俺は世界の修正と、友の助けになる為に此処にいる。感謝されるほどのことはしていない。北欧の大神よ」

 「その口ぶりからして随分と前から感づいていたのか? 竜殺し」

 「最初から気付いていたわけじゃない。戦乙女(ワルキューレ)すらも知らぬルーン魔術に、ところどころ垣間見えた超常の瞳。喋り方も本来のものではないだろう違和感。純粋なケルトの戦士ではない、ということだけは途中で理解した」

 「上出来だ。良かったらヴァルハラに来ないかい? 異郷の神性を有していない大英雄。大歓迎だ」

 「丁重にお断りする」

 「そりゃ残念。気が変わったらいつでも声をかけてくれ」

 

 手ひどくフラれたものだと賢人は笑う。

 

 「いつまでくっちゃべってるつもりだ、大神」

 

 痺れを切らした男は静かに口を開いた。

 その言葉は言霊となって重圧に似た圧を二人に与える。

 

 「ふん。言の葉の重圧……大神()の真似か。このような挑発、格下くらいにしか使えんぞ」

 「なら使いどころは正しいな。目の前の相手は格下なのだから」

 「言うようになったな元人間。シグルドに負けて口喧嘩の鍛錬でもしていたか?」

 「ほざけ。貴様を殺した後はシグルドも殺す。神なぞはいわば前菜だ」

 

 男はそう宣言した瞬間、体から膨大な魔力を放出した。

 これは殺し合いの合図。容赦なく相手を踏み砕く予兆。

 

 「あの時は死ぬほど後悔したぞ、大神。貴様とロキとヘーニル。あの三柱は生け捕りにするのではなく、その場で速やかに殺しておくべきだったとなぁ!!」

 

 怒りの咆哮と共にファフニールは巨大にして強大な竜種に変容した。

 今までの悪竜現象(ファヴニール)とはわけが違う。

 北欧のみならず世界で見られた人間が悪竜へ姿を変える現象。その大本。元凶を生み出した人間。

 神霊すらも捕縛する、森林の怪物。天界に仇名す、強欲の化身。

 それこそがファフニール。世界に混沌を齎した邪竜である。

 

 「大神。貴方はいったい彼になにを………」

 「うむ。私はかつてロキたちと世界ぶらり旅している時期があってな。その道中でえらく粋の良い珍しいカワウソを見つけたんだ。食料にも丁度いいと思ってロキの奴が狩ったんだが……そのカワウソの正体が魔術で擬態して水遊びしていたファフニールの弟だった」

 「………」

 「神の目すら欺く見事な擬態だった。尤もそれが原因で私達は気付かずそのカワウソを掻っ捌いて喰った。皮は財布にした。それを宿先の店員……まぁファフニールに見せて恨まれた。以上」

 「それは、恨まれて当然では?」

 「神を欺いた不敬ものがいけない」

 

 ジークフリートは急激に胃が痛くなった気がした。

 もうこの男だけに任せてもよかったんじゃないかというほど聞いたことに後悔したのは秘密だ。

 

 【殺す、殺してやるぞ……オーディン……!!】

 

 竜に変貌したことにより、その言葉一つ一つに魔力の重みが更に付加されている。

 人の言葉を喋っていながら、その意味は幻想種にも伝わる邪竜の言霊。

 

 「貴様とて神霊ブリュンヒルデに呼ばれた使い魔の身。生前のような力は出せまい」

 【権能も使えぬであろう英霊の霊基に収まっているのは貴様も同じことだ!!】

 

 仲間は大神。敵は神すら捕縛した怪物。この場をシグルドに託された誉れ。

 全てが生前含めて最大規模の戦いとなる。命を張らねば、この命はすぐに絶えるだろう。

 まさしく一世一代の大勝負。気を引き締め直さなければ―――死ぬ。

 

 「竜殺しが一人、ネーデルラントのジークフリート。北欧の神話体系に連なる神と竜よ。その因縁共々、この場で断ち切らせてもらう!!」

 

 忘れるな。どのような超常の存在とはいえ、ファフニールが竜種であることに変わりはない。

 敵が竜である限り、ジークフリートに負けはない。

 それは竜殺しの概念であるからではない。ジークフリートが、ジークフリート足らんとする誇りがあるからだ。

 なにより、なによりだ。

 シグルドが倒せて、ジークフリートが倒せないでは格好がつかないというもの。

 遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。

 

 我が武勇、我が誉れ、北欧神代の英雄に劣らぬと知れ。

 




 元々ファフニール(ファヴニール)とは北欧神話に登場するキャラクターのことを指します。
 それが型月ではファヴニール(悪竜現象)と一つの現象と化していました。
 シグルド、ゲオルギウス曰く「人が人の身を超える大欲を抱いた時に発生するもの」
 なぜファヴニールが現象と化していたのか、そもそもどういった経緯でそうなったのかは未だ公式では明言されず、不明なところがあります。
 このSSでは北欧神話のファフニールが討伐された後、呪いとなって世界に拡散した。それが人が竜に変貌する現象、悪竜現象(ファヴニール)になったのではないかと考察したものと定め、ぶち込んでみました。俺を斃しても第二、第三のファヴニールが現れる的なイメージで。
 また人間どころか巨人王スルトにまで悪竜現象(ファヴニール)化があった。人間だけではなく巨人にまで効力が及ぶ辺り、とても興味深い事象です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25戦:神は理不尽にして非情

 許さん。許さん。許さん。決して許してなるものか。許せるものである筈がない。

 嗚呼、思い出す。今でも鮮明に思い出すことができる。あの悲劇の始まりを。

 

 『うむ、ようやく見つけた()き宿だ。ここで泊まらせてもらうとするか』

 『ヒューッ! やっと休みかよオーディン!流石に俺もクタクタだぜ!』

 『ウソおっしゃいロキ。神が疲れを知るはずがないでしょう』

 『ヘーニル。アンタはノリが悪い! こういうのは雰囲気で楽しむもんでしょーが!』

 『まったく、演技も過ぎれば道化になりますよ』

 『道化で結構! 俺は常にそうありたいね! 冷静沈着なんて肌に合わねぇのなんの!』

 

 静かに細々と営んでいた我が宿を訪れたオーディン、ロキ、ヘーニルの三柱。

 最初は我が宿の評判が遂に天界にすら届いたかと喜びもした。

 神への接客など初めてだと。失礼のないように出迎えようと。

 ああ、ここに弟がいれば良かった。きっとアイツも神が客としてきたと知れば喜ぶだろうと思っていた。

 

 『ロキ。まずはこの者に金を』

 『ほいほい。ちょいと待ってなァ。今新調した財布から出すからさァ』

 

 神も現世の金貨を持つのか。てっきり神故にタダで泊まらせろと言われるかと覚悟していたが。

 人の世に出れば人のルールを守る。それが今こうして旅をしている神たちの決まり事か。

 こちらとしては大変助かる。それに神から頂ける金貨はさぞ祝福も詰まっていることだろう。

 ああ、財布もきっと天界の素材などで出来ているに違いない。

 はてさて。どんなものなのか―――え?

 

 『じゃじゃーん! 見てくれよお兄さんコイツをよ! この近辺の川でとっ捕まえた活きのいいカワウソの皮を剝いで作ったもんだ。いいだろう、イカスだろう!? なぁ、ほらほら!』

 

 ロキが自慢して見せてくる皮財布。

 しかし、そのカワウソの皮はどこかで見たことがある。

 いや、ウソだ。ウソだ嘘だうそだ噓だ……そんなことあるはずがない!

 無邪気にそれを見せつけるロキの声などファフニールには届いていなかった。

 ファフニールの瞳孔は開き、その皮財布一つに焦点が集中していた。

 ああ、そんなハズがないと思いたいのに。

 こんなことがあるわけがないと信じたいのに。

 その皮財布に用いられたカワウソの皮は、よく弟が見せてくれたカワウソに化けた時のものにそっくりだった。

 

 『しっかしこれが妙でなぁ。皮を剝ぐ時、普通の獣とはちょいと違う感じがしたんだわこれが。なんつーか……ああ、そうそう! まるで人間(・・・・・)の皮を剝いだ時みたいな感覚だったんだよ!』

 

 そのロキの言葉を最後に。

 ファフニールは、絶望から怒りに。怒りから殺意に変わった。

 ありとあらゆる感情がどす黒い何かに染まっていった感触は、今も忘れられない。決して。決してだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 【■■■■■■■■■■!!!】

 

 邪竜の咆哮。ただの咆哮がこの次元歪めし広域空間に響き渡る。

 叫ぶ。それだけでも魔力が付随しているのだから、これも一種の外敵攻撃にすら発展する。

 ジークフリートは耳を防ぐこともせずファフニールの元まで駆ける。

 この些細な威嚇ですら攻撃ならば、悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)の効果範囲に至る。

 流石にただの咆哮がAランク級攻撃になるわけもなく、ジークフリートは意に介することなく接近できる。

 

 「おおおおお!!」

 

 様子見はいらない。加減も必要ない。

 ジークフリートは全神経、全筋力を用いてバルムンクを振り抜いた。

 真エーテルも出し惜しみのない光を放ち、刀剣から放たれた光は熱量を帯びて邪竜を呑み込む。

 

 「おお、いきなり黄昏を放つか」

 「当然だ。かの邪竜が相手ならば、もはや初手から全力で行くが筋」

 

 あの邪竜は、一つの神話体系の頂点が一体。

 主神クラスの神霊を生け捕りにしたとされる、生粋の怪物。

 このような相手に余力を残した戦いができるほど驕っているつもりは微塵もない。

 

 「だが、それならば分かってるな」

 「あの程度の攻撃では倒し切れない……か?」

 「おう。そら、来るぞ……!」

 

 バルムンクの熱線に飲まれたファフニールは何事もなかったかのように活動を開始する。

 傷は―――ない。全力の一撃を諸共に受けた筈だが、掠り傷一つすら見当たらない。

 仮にも竜殺しの剣による熱線だぞ。普通の竜種であれば掠り傷どころか致命傷になるはず。

 

 【―――灼熱竜息・万地融解(アカフィローガ・アルグリーズ)

 

 お返しとばかりに、ファフニールはその巨大な口から高圧縮された魔力の獄炎。

 比喩なく万物を融解せしめんとするその吐息は、容赦なく小さき二人のサーヴァントに向けられた。

 

 「ジークフリート、私の後ろまで下がれ!!」

 

 賢者は懐から原初のルーン文字が刻まれた石を取り出し、迫り来る火炎の前に勢いよく投擲する。

 これこそは魔術の神、大神オーディンが手に入れ、形と成した原初のルーンの力の一端。

 たとえ竜種の吐息(ブレス)であろうと、英霊の上級宝具であろうと決して破られぬ結界術。

 その石を起点に光の壁が生み出され、灼熱竜息・万地融解(アカフィローガ・アルグリーズ)を完全に遮断した。

 賢者はそれに喜ぶことも、誇ることもしなかった。むしろ屈辱だと言わんばかりにファフニールを睨む。

 

 「此方は全力で相手してるというのに彼方には驕りが見え隠れしている。対軍級程度の吐息(ブレス)など、奴にとってはそう強力な攻撃でもないだろうに。ましてやこの私を確殺したいのならこの攻撃は文字通り舐めている」

 「そうだろうか……俺には、英霊を確実に鏖殺して足りる一撃に見えたが………」

 「あの程度の攻撃でそんなことを口にしていては先が思いやられるぞ。決して侮るな。忘れるな。アレはただの邪竜ではない。全ての悪竜現象(ファヴニール)の大本だ」

 

 使い魔として呼ばれた以上、生前のような猛威こそないだろうが、それでもかつては神霊を捕らえた者。たとえ弱体化していた状態であろうとも、ここ一帯を更地にして余りある力を持っている。

 

 【貴様らは黄金に呪いを含ませ、俺を陥れた……何が賠償金だ、何が正義だ!!】

 「それはロキの行いであって私は無関係な筈だが?」

 【黙れ! 貴様らのせいで、俺は……弟を手にかけてしまった……!なんという悪趣味な!!】

 「あー、まぁ、なんだ。ロキを本気にさせた貴様が悪いのだ。アレは敵にしたら本当に面倒くさいというか、まさしく最悪だからな。その身をもって知っている」

 

 神話曰く、ファヴニールは弟を殺した三柱を生け捕りにし、天界に賠償金を要求した。

 それは正当な行いだった。弟を無惨に殺された身内が相手に償いを求める。対価を要求する。

 何も間違ってはいない。神だから何をやってもいいなどあり得ない。

 その考えもただの人間であれば不遜極まりないが、ファフニールとその弟フレイズマルは天界を相手取れる力を有していた。それこそ主神を捕らえられるほどの。

 力関係は対等だった。その場で怒り狂ってオーディンらを殺さなかった慈悲もあった。

 なのに、神々はファフニールを陥れた。

 ファフニールに与えた身代金の黄金の中に、呪いの指輪を忍ばせたのだ。

 それは黄金に欲を持たせる呪詛。それに掛かったファフニールは弟のフレイズマルを殺してしまった。

 

 「先ほどからの話を聞いていると、贔屓目で見ても神々の行いが元凶に見えるのだが」

 「ネーデルラントの竜殺し。神とて過ち……ではなく、ちょっとした悲しい事故も起こり得る」

 「絶対に自分達が悪かったと言わないのだな」

 「神だからな」

 

 これは恨まれても仕方ない。

 ジークフリートは強大な敵である筈のファフニールに深く同情した。

 

 「ともあれ、ロキが贈った呪いとの相性も良かったのだろう。奴は己の欲に従い世界中から様々な財宝を収集した。その中には人界には手に負えないものまであり、もはや看過できないほど力をつけた。元々が強かった上に最強の幻想種にまでなってしまっては手に負えん」

 「………後始末をシグルド殿に押し付けたのか」

 「人聞きの悪いことを言うな。私はただ素晴らしい素養を持つ一族から選りすぐりの勇士を選出し、その者の子に更なる祝福を与えただけだ。シグルドがあそこまでの力をつけたのも、遠回しで見守った私のおかげだ。その対価として我々の後を託して何が悪い」

 「…………」

 

 もう、あまり彼らの事情を知るのはよそう。剣が鈍りそうだ。

 

 「……これが神か」

 

 人と同じ言葉を喋り、人のように思考する存在ではあるが、根本的に人とは異なる。

 彼らの理念に己の過ちなど存在しない。

 例え自分達の行いによってどれだけの人間が苦しもうとも、そこに向ける意識がないのだ。

 人の括りで言えば自己中心的。神の括りで言えば、彼らの決定こそ正義であり正しさ。星の答えとなる。

 

 【シグルドとは異なる竜殺し。悪竜の呪いをその身に宿す嗣子(ファヴニール)よ。貴様も知ったであろう。あれこそが神の本性だ。共に戦うに値しない、下種の極みだ。それでもなお、貴様は俺の邪魔をするか?】

 

 確かに、大神の為に戦うのであれば、剣を収めるのもあっただろう。

 命令されるがままに剣を振るっていた生前ならまだしも、今の己は自分の判断で剣を握るか否かを決めることができる。

 それでも―――。

 

 「俺は、神の為に戦っているのではない。友の為に戦っている」

 

 合流すると約束したのだ。

 先に待っているであろうシグルドに追いつくと。

 

 「許せファフニール。貴様の怨み、確かに心に来るものはあるが……俺も、俺の望みの為に押し通らせてもらうぞ」

 【生き残る最後のチャンスを貴様は逃した。事実、その解答は自殺となんら変わらない。友との義理の為に死にたいのであれば、もはや何も問うまいよ。そこの愚かな大神諸共、朽ち果てよ】

 

 それに、シグルドはこの場に残らせていた方がまだ救われただろうとファフニールは心中で吐露した。

 ファフニールはこの城に招かれた客人の一人にすぎない。

 もう一人、シグルドを出迎える為に用意された者がいる。

 

 【(神とはどこまでも非情なものよ)】

 

 その者は、シグルドと最も深い縁を持つ存在。

 太祖オーディン、宿敵ファフニールなどよりも物理的にも、魂的にも繋がった(・・・)

 アレをよりにもよってブリュンヒルデが用意したのだ。神とはかくも悪趣味な趣向を持つ。

 ファフニールは同情していた。自分と相対するのではなく、先を急ぐその背中を見て。

 

 【(お前を殺すのは俺だ。つまらぬところで躓くなよ、シグルド)】

 

 かつては己を殺した者とはいえ、シグルドのことはオーディンなどよりよほど好感が持てた。

 だからこそ、この手で殺すと決めていた。

 神々に対するような憎悪による殺害ではない。自分を打ち負かした者に対する敬意を以って。

 ファフニールは決してシグルドの身を案じているのではない。

 

 『俺を殺した者ならばつまらぬ死に方だけはしてくれるな』

 

 ただそれだけの話である。

 

 

 

 ■

 

 

 

 シグルドは神霊に匹敵するファフニール討伐を買って出たジークフリート、クー・フーリンを残し、神霊ブリュンヒルデの玉座を目指し回廊を突き進んでいた。

 生前ではあり得なかった状況だ。

 神馬グラニを唯一の友とし、誰からも助けを請わず、任せず、己の力のみで物事を解決してきた男が誰かに全幅の信頼を以って託し、託されるなどと。

 彼らに対して不思議と心配はなかった。ここであの二人の身を案じることこそ、彼らの能力を信じていないという裏切りに繋がるが故に。

 

 「シグルド。貴方に改めて聞きたいことがあります」

 「……応えよう、スルーズ」

 「貴方の決意は変わらず……なのですか」

 

 シグルドの後ろから共に前へと進むスルーズは不意にシグルドに質問を投げかけた。

 それは、神霊ブリュンヒルデと相対した場合の対応についてだ。

 この世界を修正するために神霊ブリュンヒルデを殺めるつもりなのか否か。

 未だに踏み切れないスルーズに対して、シグルドの返答は変わらず、迷いもなかった。

 

 「変わりはない。当方は神霊ブリュンヒルデを斃す」

 「ならば、続けて問います。それは英雄としての使命感からですか?」

 

 汎人類史の継続の為にブリュンヒルデを殺すのか。

 英雄としての矜持がそうさせるのか。

 それとも―――。

 

 「否。英雄だからではない。当方がシグルドであるからだ」

 

 英雄の使命感ほど大層なものではない。

 ただ、どこにでもある人間の感情にすぎない。

 夫婦の片割れが仕出かしたことを収めるのは、いつだってその伴侶である。

 たとえそれが平行世界の別存在であろうとも変わりはない。少なくともシグルドにとっては。

 

 「彼女を止める役目は当方だけのもの。他の誰にも譲りはしない」

 

 たとえそれが命を絶つことであっても。

 

 「ふん、聞いていればなにさ。お姉様と一緒にいた時間は私達の方が長かったんだからね!」

 

 話を静かに聞いていたヒルドは声を上げた。

 

 「そうです。ブリュンヒルデお姉様は貴方だけの特別な人ではありません」

 

 オルトリンデもまた、それに続いた。

 

 「だ、そうですよシグルド。この場において貴方だけがお姉様を止める役目を担っているとは傲慢がすぎる。私達にもその重荷を背負う資格があります。ブリュンヒルデという存在を愛しているのは、私達も同じなのだから」

 

 スルーズは知っている。

 ブリュンヒルデがどれだけ優しかったか。

 ヒルドは知っている。

 ブリュンヒルデがどれだけ妹達を愛していたか。

 オルトリンデは知っている。

 ブリュンヒルデがどれだけ自分達を案じていたか。

 

 確かにあの神霊ブリュンヒルデは自分達の知るブリュンヒルデではない。

 それでも、彼女は確かにブリュンヒルデなのだ。

 シグルドが神霊ブリュンヒルデを自らの手で止めようと決心しているように。

 戦乙女(ワルキューレ)もまた、彼女を自分達の手で止めたいと思っている。

 この思いに優劣などない。

 それをただ一人だけのものと思い込むのは、認められない。

 

 「ふ……そうだな。それこそ、肯定せねばならぬことだった」

 

 シグルドは知らず知らずのうちに自惚れていたのだと苦笑した。

 生前はこうまで愉快に思えることは少なかった。

 ブリュンヒルデ以外に笑みを浮かべること自体、まずありえなかった。

 それが今やこうして間違いに気づき、苦笑すらできてしまう。

 ああ、そうだ。

 自分には、こういったことを言い合える仲間がいなかったのだから。

 

 「………私は、分からない。貴方達のようにブリュンヒルデを知らないから」

 

 トイネンは思い返す。

 神霊ブリュンヒルデが自ら生み出し、捨て駒にしてきた量産型戦乙女(ワルキューレ)の末路を。

 トイネンもその消耗品の一人としか見なされず、消費されてしまうはずだった一機だったことを。

 

 「それもまた事実だ、トイネン。お前の思いは間違いではない」

 「シグルド……」

 「許せとは言わん。憎めとも言わん。お前は、お前の心に従って槍を振るうがいい」

 「………はい!」

 

 トイネン・アスラウグは何かが吹っ切れたように頷いた。

 自他ともに認める、トイネンの心の未熟さ。

 未だに人の心を理解しきれず、憎しみ、愛しさ、妥協を定められぬ魂。

 それ故に、成長できる。

 この戦いの中で何か新しいものを掴めるのなら、こう思うべきか。

 神霊ブリュンヒルデは自分が個を得る為の壁なのだと。

 その壁を越えて、その先にある未来にこそ、トイネンが望む新しい自分があるのだと。

 

 「度し難い男だ。貴方はそう言って、女を惑わせる」

 「「「「!?」」」」

 

 皆が目的を一つにしようとしていた中で、突如として聞こえた女の声。

 スルーズでもなく、ヒルドでもなく、オルトリンデでもなく、トイネンでもない。

 では、この声の主は誰のもの? 言うまでもない。敵のものだ。

 声の主はすぐそこにいた。スルーズの背後だ。

 

 「だから貴方は女を守れない。昔も、今も」

 「あ―――」

 「このように」

 

 紅き剣閃がスルーズの背中を切り裂いた。

 白鳥礼装を破壊され、失墜するスルーズ。いや、白鳥礼装だけではない。

 その光の翼を貫通し、彼女の肉体にまで傷をつけていた。

 Bランク以下の物理攻撃を防ぐオリジナルの戦乙女(ワルキューレ)の肉体をいとも簡単にだ。

 

 「スルーズ!」

 

 シグルドは墜落するスルーズを地面に激突する前に受け止めた。

 しかし、これは明らかに致命傷。霊核に届いてはいないが、それも紙一重の話。

 あと少しスルーズの反応が遅れていたら確実に霊核は貫かれ、死んでいた。

 

 「お前、よくも!!」

 「新手の戦乙女(ワルキューレ)ですか!」

 「よせ、ヒルド!オルトリンデ!」

 

 シグルドの静止を振り切り、ヒルドとオルトリンデはスルーズを傷つけた女の元まで駆ける。

 

 「戦乙女(ワルキューレ)? その問い、半分正解。半分―――不正解」

 

 フードを深くかぶった女は宙を浮いていた。

 おそらくは原初のルーンの飛行。そして先ほどまで気配を隠していたのは身隠しのルーン。

 これほど高度な原初のルーンを扱えるのは、オーディンが手掛けたオリジナルの戦乙女(ワルキューレ)、ケルトの英雄師弟、シグルドくらいなもの。

 ならば、この女もまた戦乙女(ワルキューレ)の一人? それとも影の国の女王?

 いや、そのどれも違う。この気配は今まであったことがないものだ。

 

 「「はァァァァァァ!!」」

 

 ヒルドは左から、オルトリンデは左から高速の刺突を放つ。

 原初のルーンで筋力を強化している戦乙女(ワルキューレ)の全力の突きだ。

 速度、威力共に初見で対応することは困難。それも二人同時という手数の多さもある。

 何者かは知らないが、その正体を知る前に、まずは倒す……!

 

 「グングニルとはいえ、所詮は量産品。私を仕留めるには些か質が足りない」

 

 一瞬だった。

 黄金の槍(グングニル)が折れ、神鉄の盾が粉砕されるまで、一秒と時間は掛からなかった。

 ヒルドとオルトリンデは驚く暇もなく、そして一撃も与えることができずに吹き飛ばされる。

 そんな最中、トイネン・アスラウグはその場でまた何もできずに棒立ちになっていた。

 オリジナルの戦乙女(ワルキューレ)達が次々と倒されている中で、トイネンは身動き一つ取れなかった。

 

 「裏切り者がいましたね、そういえば」

 「………あ」

 「呆けた口に、理解が追い付いていない思考。所詮は量産型」

 

 気が付けば、死神が、そこにいた。

 フードを深くかぶり、素顔を見せぬその女性はトイネンを見下していた。

 そのフードの奥から見える紅き目は、憎悪を物語っていた。

 誰に対しての悪意か。いや、これはトイネン・アスラウグに向けられたもの。

 何故だ。何故、彼女はその憎悪に孕んだ眼光をトイネンに向ける。

 このような英霊と一介の量産型でしかないトイネンとの因縁など、あろう筈がない。

 仮にあるとすれば、そう、他の量産型にはないもの。トイネンにしかないもの。

 

 「それにしても傑作ですね、第二の(トイネン)・アスラウグ。貴女のような者が、アスラウグの名を語るのだから」

 

 彼女の執着は、ソレだった。

 他の量産型戦乙女(ワルキューレ)にはなくて、トイネンにあるもの。

 それが―――名前だ。

 

 「死ね」

 

 シンプルな死刑宣告だ。

 フードの女は有言実行とばかりに瞬時に紅き剣を顕現させ、トイネンの首を狙った。

 不意打ち。否、仮にこれが不意をついたものではないものだったとしても、トイネンには反応できなかっただろう。

 ノーモーションからの神速の首飛ばし。この攻撃を初見で対応できるものなどいない。

 ましてや、このタイミングでトイネンを守れるものなど――― 一人だけ……いた。

 神速すら割って入れる、北欧最強の英雄が。

 フードの女の紅き剣は、まるで瓜二つのシグルドの紅き魔剣によって阻まれたのだ。

 しかしその行為こそが、フードの女の逆鱗に触れることとなった。

 

 「助けるのですね、その娘を」

 

 フードの女の殺意は更に加速する。

 殺意の対象がトイネンからシグルドに移り変わる。

 否、トイネンに憎悪しながら、シグルドには特大の殺意をぶつけている。

 

 「…………お前は」

 「ええ、ええ。私は実に最悪の気分ですが、敢えて名乗らせて頂きます」

 

 女は深くかぶっていたフードを脱いだ。

 その隠された素顔を晒した時、トイネンは息を呑んだ。

 神霊ブリュンヒルデ。その神霊と瓜二つの顔が、そこにあったのだ。

 髪は白く、眼は螺旋の瞳孔を持ち、顔立ちこそブリュンヒルデではあるが、その憎悪に浸された表情は凡そ神霊ブリュンヒルデは決して見せないであろう悪鬼が如き鋭さ。

 

 「私は此度の特異点にて召喚された槍兵(ランサー)

 

 その女の名は―――。

 

 「クラカ。またの名を、アスラウグ(・・・・・・)

 

 ブリュンヒルデと瓜二つであるのは当然だ。

 シグルドと同じ目をしているのもなんら不思議はない。

 彼女こそは、真なるアスラウグ。

 戦乙女と戦士の王の寵愛を一心に受けた女。

 そして。

 

 「こうしてお会いするのは初めてですね、シグルド。さっそくですが―――死んでください」

 

 シグルドを殺す者だ。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26戦:守れなかった約束

 アスラウグは、物心がついた時から両親の顔も知らずに生きてきた。

 養父に小さくて狭い、竪琴の中に隠され、放浪の旅の中で育ってきた。

 行き先も、辿り着く場所も知れない不確定な旅路。

 分かっていたのは、後に告げられた事実。

 アスラウグの父がかの大英雄シグルドであり、母が元戦乙女(ワルキューレ)のブリュンヒルデだということ。

 

 『――ああ、そうなんだ』

 

 物心がつき、幼子から少女へと成長したアスラウグに養父のヘイミルはその事実を伝え、アスラウグもまた静かにそれを受け入れた。

 道理であったからだ。

 

 何故、一人の女でしかない自分は竪琴に隠されて育てられてきたのか。

 何故、人の目を遠ざけて生かされていたのか。

 何故、一つの場所に留まらず、旅をして居場所を転々としていたのか。

 

 簡潔に言えば、他者に知られない為だった。

 あの二人の血筋となれば利用価値など腐るほどある。

 その証拠にアスラウグに流れる血は北欧の神性と竜の因子が刻まれている。

 正しく育てば強力な兵器になろう。血筋を誇れば王女ともなるだろう。

 そのような手から、養父ヘイミルは遠ざけてくれていた。

 全てはシグルドとブリュンヒルデとの約束を果たす為に。彼らが帰るまでアスラウグを護る為に。

 

 ―――父と母はお前を迎えに来る―――

 

 養父はシグルドとブリュンヒルデの約束をアスラウグに打ち明けた。

 物心つく前に離れ離れになった血の繋がった親との約束。

 それが、アスラウグにとって生きる活力になっていた。

 会ったら何を言おう。何を聞こう。何をしよう。

 アスラウグに夢ができたのだ。

 それこそシグルドとブリュンヒルデと共に過ごせる日常に他ならない。

 

 尤も、その夢が叶うことなどなかったが。

 

 待てども、待てども。

 彼らはアスラウグの前に現れることはなかった。

 養父が死に、欲に塗れた老夫婦の元に身を置いた。

 両親から残された唯一の贈り物であるアスラウグという名もクラカに変えられた。

 

 波乱万丈な人生ではあった。

 しかしそこに本当に望んでいたものなどなかった。

 大国の王に惚れられ、試練をも乗り越え、子供さえ身籠り、産んだ。

 

 ≪蛇の目のシグルド≫

 

 愛しき我が子。

 終ぞ再会が叶わなかった偉大なる父の名を与えし(おのこ)

 その整った容姿、威風すら感じられる蛇の如き瞳。

 直感、本能で理解した。

 

 『きっと私の父はお前に似ていたのだろうね……ふふ。男前だな、蛇の目』

 

 己の容姿は恐らく母ブリュンヒルデに似たのだろう。

 そして自分の子供は父シグルドに似たとみた。

 皮肉だな。

 実際に会えなかったが、その生き写しの顔がそこにあり、疑似的に両親と逢ったかのような感覚を得るとは。

 

 力を手に入れた。

 男を手に入れた。

 地位を手に入れた。

 息子を手に入れた。

 

 これ以上何を望むのかと人は言うだろう。

 だが、それでも望まずにはいられない。

 自分を産んでくれた存在に。物心つく前から、自分を愛してくれていた存在に。

 一度でもいい。

 

 もし、機会があれば。

 もし、奇蹟があるのなら。

 

 『私は逢いたいです……父さん……母さん』

 

 幼い頃。

 星を眺めてそう願っていた。

 毎日、欠かさず。

 それが意味のないことだと知りながら。

 

 その時、アスラウグは思ってもいなかった。

 まさかその願いが死後に叶うなどと。

 それも、感動の再会などというものではない。

 母に仕える駒として呼ばれ、父を殺す為に送られる処刑台として。

 

 つくづく、神とは非情なものだとアスラウグは笑った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 酷い再会もあったものだ。

 シグルドは血の海で笑う、愛娘を見て目を細めた。

 本来であれば、生前で出逢わなければならなかった。

 本当であれば、武器を手放し、その(かいな)で抱きしめてやりたい。

 そんな感情を許さぬはアスラウグの瞳。そして明らかな敵意。

 彼女の手にあるは自身が持つものと同じ、魔剣グラム。己の死後、亡骸の後に手に入れたか?

 

 「ふん。娘との再会に驚くことなく、冷静に私の戦力を把握しますか」

 「驚愕はない。既に覚悟はしていた」

 「私が召喚されていたことを知っていたと?」

 「肯定する……親子、だからな」

 

 知っていたとも。

 同じ世界に呼ばれたならば、魂がざわつく。

 例えブリュンヒルデが、アスラウグが、どれだけ離れた土地で召喚されようとも、シグルドは気付くだろう。

 

 「……なら、もう一つの覚悟もしているのですね」

 

 アスラウグは魔剣グラムを握りしめる。

 これこそはシグルドとブリュンヒルデが火葬されたという墓場から掘り起こし、手にした宝剣。

 元は大神オーディンの愛剣が一振り。

 神の盾を切り裂き、竜を滅した魔剣こそ、シグルドを屠るに相応しい。

 

 「私に、この場で斬り伏せられることも!!」

 

 アスラウグは動く。

 竜の因子と大神の神性を持つシグルドと、セファールの欠片と大神の神性を持つブリュンヒルデ。

 共に窮極とも言える能力を持つ存在。そのサラブレットなれば、能力の高さは推して知るべし。

 

 「……!」

 

 流石に速い。

 あのシグルドが、一瞬姿を見失った。

 その一瞬が命取り。それが戦場の常。

 気付いた時には既にアスラウグは拳が届くまでの間合いまで近づいていた。

 彼女の手は炎を纏い、殺傷力を底上げした拳が瞬時に出来上がる。

 

 「ルーン魔術……原初のルーンではないな。独学で得たか」

 「侮るな。原初でなくとも、この魔術は神代のものなのだから!」

 

 焔を灯した拳が迫る。

 カノは拳の強化。アンサズは焔の発現。

 二つが折り合わされば、鉄を溶かし、岩をも砕く剛拳となる。

 さりとて所詮は魔術。如何にルーンであろうとも、対魔力Aを有するシグルドには効果は発揮しない。

 案の定、その強烈な拳はシグルドの身体に当たる前に蒸発し、霧散した。

 意味のない行動だ。三騎士相手に直接的な魔術など。

 

 「(いや、否だ)」

 

 意味のない行動?

 あの娘が、効かぬと理解して無作為にそのような動きを取るわけがない。

 事実、シグルドは効果がないと理解しながらも警戒せざるを得なかった。

 無力化できるとしても、曲がりなりにも神代ルーンによる攻撃だ。無防備に受けることは好ましくなく、それは対魔力に依存した慢心になる。

 故に、意識を少なからずその技の警戒に割いた。割かねばならなかった。

 

 「(本命はこの霧か)」

 

 カノ・アンサズと対魔力の衝突により生まれた霧。

 視界を曇らせる二次効果を利用した姿隠し。

 地の利を得ようとするその魂胆、戦い慣れの証左。

 

 「そしてこの奇襲を扱う者は、好んで背後を取る」

 

 上手く霧で身を隠しているが、気配を殺し切れていない。

 背後から感じるアスラウグをシグルドは―――斬ろうとした。

 世界を脅かすのであればブリュンヒルデであろうと斬ろうとする男だ。

 生前ならばいざ知らず、娘に対して躊躇する心も抑え込める力がある。

 しかし、アスラウグはその非情さも計算の内に入れていた。

 

 「な、シグルド!?」

 

 シグルドの剣先が捉えていたのは、アスラウグではなかった。

 いや、アスラウグではあるのだが、違う。トイネン・アスラウグだ。

 シグルドがアスラウグの気配を感じて斬りかかろうとしていた相手は、トイネンだったのだ。

 彼女は斬りかかろうとしたシグルドに驚き、シグルドもまた攻撃動作を止めることができた。

 

 「気配を移したか……!」

 

 ルーンによる気配移譲。

 己の気配を他者に付与し、視覚を封じた場所での同士討ちを狙った奇策。

 味方を殺させることで精神的なダメージと、戦力低下の二つの効果を齎す。

 上手くいかずとも、攪乱するにはこれ以上ない戦法だ。

 

 「トイネン、貴殿は妹御らを連れてここから離―――」

 

 離脱しろと言い終わる前に、アスラウグは次の手を取っていた。

 ゆらりとトイネンの背後に見える影。

 艶めかしく煌めく紅い刃。

 アスラウグが持つグラムの切っ先が、トイネンを捉えていた。

 

 「女によって破滅する。それが、貴方の起源なのかもしれませんね」

 

 アスラウグはそう云い放って、グラムを振るった。

 その結果が何を産むのか、何が起こるのかを理解して。

 

 全ては、シグルドを討つ為に。

 

 アスラウグはありとあらゆる手を尽くす。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 神霊ブリュンヒルデ。愛娘アスラウグ。そして、この悪竜現象(ファヴニール)が祖ファフニール。

 この世界はシグルドにつくづく手厳しい。

 怨敵でありながらも、人の心は未だ残っていたファフニールはこの先で愛娘と戦っているだろうシグルドの心中を察した。

 目の前で剣を振るい続ける勇者ジークフリートがファフニールの後継、悪竜現象(ファヴニール)と魂が強く結びついているように、ファフニールもまたシグルドと魂が結びついている。

 切っても切れない因果の果て。因縁の糸は互いの感情が共鳴しやすい。

 だからこそ、分かる。

 故にこそ、理解できる。

 

 【(揺らいでいるな、英雄シグルド)】

 

 シグルドの魂から絶えず伝わってくる微かな感情の波。

 あの男が冷静さを欠かさない英雄であることは知っている。

 鉄の心、鋼の精神。

 それがあるからこそブリュンヒルデを討てる。殺せる。

 かつての男ならば、だ。

 

 【(お前は女と関わりすぎた。シグルドよ……人の愛情に触れすぎたのだ)】

 

 (ファフニール)を討伐せしめた頃のお前は、まさしく機械のような男だった。

 不気味なほど感情を出さず、氷河の悪魔にも引けは取らぬであろう鉄面皮。

 その面のなかまでも冷たく閉ざされた、戦士のそれ。

 シグルドと対峙した悪竜は恐怖を感じた。

 オーディン、ロキ、ヘーニルの三柱でさえ捉えたこのファフニールが、確かに恐怖の感情を抱いた。

 しかし、こうしてこの世界で現界し、再会を果たしたシグルドは自分の知るかつてのシグルドとは大きく異なっていた。

 

 【(この者達が、まさしくそうだ)】

 

 孤高の戦士の王であったシグルドが、仲間を引き連れていた。

 背中を預け、頼り、そして任せて先を行く。

 あの頃のシグルドでは考えもしなかった変化。

 

 【これも、お前の目論見通りか? ロクデナシの大神】

 「さてな。なんのことかさっぱりだ」

 【狸爺め……では質問を変えよう。アレは、お前の望んだ英雄か?】

 

 ケルトの英雄の皮を被った大神に向けて剛爪を放ちながら、ファフニールは問う。

 女を知り、仲間を知り、娘すら授かったあの男は、一人の戦士としての純度を明らかに落としつつある。

 余分な感情を育み、生粋の戦士から一人の男へと変化し続けている。

 それはシグルドを生み出したオーディンが望んだことなのか。それともイレギュラーなのか。

 

 「アレは、能力においては最高傑作のヒトではあったが、その人生そのものは出来損ないであった。私が望む理想の戦士から脱線していたのも事実」

 

 だからヴァルハラに呼べなかった。

 戦士として戦場で果てるのではなく、愛憎故に殺されたのだから。

 

 「ただ、見届けたくなった。出来損ないの戦士と出来損ないの戦乙女……存外、計算外な価値を生み出すやもしれん。尤もその一つが、アスラウグではあったがな」

 【度し難い。やはり貴様は度し難いな、大神。人間の方がよほど可愛げがある】

 

 人の人生を神の目的の為なら容赦なく実験し、実験し、価値生めば讃え、価値なくば興味を失う。

 多少の道理を期待した此方がバカだったか。

 

 【……早く貴様らを片付けなければ間に合わんな】

 

 シグルドの心が揺れ続いている。

 なにせ愛娘との殺し合いだ。

 覚悟はしていても、殺す決意を固めても、その心の奥底にある愛情は誤魔化せない。

 ブリュンヒルデと出会う前のシグルドであれば心の揺らぎもなく殺せているだろうに。

 

 人の心を知ったが故に、シグルドは窮地に立たされるだろう。

 

 【―――!】

 

 何かが、大きく動いた。

 シグルドの魂に確かな亀裂を感じ取ることができた。

 

 【ちぃッ、阿呆め】

 

 ファフニールは焦燥を覚えた。

 早くこの者達を滅してシグルドの元に向かわなければ、奴を殺せる機会が、失われてしまう。

 いっそのこと、こいつらを放置して己もシグルドの元へ向かうか?

 そう思案した中で、ファフニールの顔面に巨大な木の拳がぶち込まれた。

 

 【ごッ!?】

 

 これは、ドルイドの魔術か。

 だがこの程度の魔術を今更―――!

 

 「さっきから意識をシグルドに向けすぎだな。足元がお留守だ、ファフニール。こっちにも竜殺しがいることを忘れちゃいないか?」

 

 ダメージが通らなくとも体勢は崩れる。

 体勢が崩れれば回避もまた難しくなる。

 巨体故に、それはより致命的になりやすい。

 そこを付け入らない英雄は―――いない。

 

 「邪竜、滅ぶべし」

 

 ああ、そうか。そうだったな。

 お前もまたシグルドと縁を結ぶものだった。

 ネーデルラントの竜殺しジークフリート。

 眼中になかった男が、今ここで初めてファフニールの眼に写る。

 

 「幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!!」

 

 その、黄昏と共に。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27戦:竜の炉心

 まさしく悪竜を滅ぼす一撃だった。それは嘘偽りのない、ファフニールの評価。

 迫り来る黄昏からは圧縮された真エーテルの魔力の渦を感じ取れる。

 更に特筆すべきは竜への呪い。人理がそうあるべしと定めたが如き、悪竜への殺意。

 なるほど、この一撃はただの悪竜現象(ファヴニール)には荷が重かろう。擦りでもすればそれがそのまま致命傷になりかねない。

 

 【良き剣だ。竜殺しの肩書、伊達ではないことは認めよう】

 

 黄昏の光はドーム状に広がり拡散する。より効果的に、より広範囲に射程範囲を広げ、レンジを高めていくためのものだということが分かる。逃がす気は毛頭ないと言わんとしているようだ。

 ワイバーンが100匹いたとしても一網打尽荷される。ドラゴンが数体いたところで結果は変わらない。ことごとく滅ぼされるだろう。

 尤も、ただの竜種、悪竜現象(ファヴニール)であれば、だが。

 

 【悪くはないが―――心の臓には届かん】

 

 ファフニールは直撃した。あの滅竜の一撃を回避することなく生身で受けた。

 少しでも当たれば、そのまま致命傷になるものを真っ向から受けたのは回避を諦めたが故か? 生存を手放したが故か?

 否。断じて否である。

 ファフニールにとってそれは、回避する必要がなかった。(・・・・・・・・)それに尽きる。

 

 「……これほどか、悪竜の祖」

 

 ジークフリートには手応えがあった。直撃させた、確実な手応えが。

 しかし、深傷を負わせたという手応えは、まるでなかった。

 これまでありとあらゆる悪竜を滅してきたバルムンク。

 その実績、戦果は確かな誇りとも言えた。

 こと竜種に対しては一撃必殺。その看板は、この場を持って返上せねばならない事態が起きた。

 

 「竜翼ひとつ抉れぬとはな」

 

 健在。バルムンクの真名解放を受けたはずのファフニールは、未だ健在。

 大神の賢者が生み出してくれた絶好のチャンスを物にして、確実に直撃させるに至る一撃を確かに繰り出したはずだが、あの悪竜は倒れることなくそこにある。

 驚きはないと言えば、嘘になる。元は大神を捕らえるような存在だ。一筋縄ではいかないことは理解していた。理解していたが、まさか自慢の一撃を受けてダメージらしき様子すら見えないとは思わなんだ。

 

 「ちっ、憎たらしい奴だ。可愛げがない」

 

 込み入った事情になっているのだろう、クー・フーリンの肉体を借りている大神オーディンも舌打ちをした。

 

 「今の奴は生前ではないが故に、多少の無敵性は剥がれていると踏んでいたが……流石に甘く見積りすぎていたか」

 

 腐ってもファフニール。使い魔として現界している身でもその力は埒外である。

 何かないか。決定的な一撃たり得る手は。

 そう模索し、ファフニールを睨むオーディン。

 かつて煮湯を飲まされた者として、このリベンジマッチは神の矜恃としても負けられないのだ。

 

 「……む?」

 

 そして、気付く。

 大神故の優れた観察眼が、それを見抜いた。

 

 「ほうほう、なるほど。やはり今の貴様は所詮使い魔に身を窶した存在にすぎんのだな」

 「どうした、オーディン殿」

 「奴の胸部……心臓部分をよく見よ」

 

 オーディンが指差した場所を目で追ったジークフリート。

 そこには、微かな違和感が見て取れた。

 巨大な体躯を有するファフニールからすれば、もはや染みにすら見える小さな点。

 戦士たるジークフリートは、すぐに気づいた。

 あれは古傷だ。

 何者かがファフニールに絶命に至る致命的な一撃を与えた証拠そのものだ。

 

 「シグルド殿か……!」

 

 北欧の伝説において、かの悪竜を滅した竜殺し。

 大神の末裔シグムンドの子シグルド。

 彼がファフニールを討伐した際の傷が、そこにあった。

 

 「分かりやすい弱点だ」

 

 賢者は笑う。ここまでお誂え向きな急所はないと。

 攻略不可能な敵だと思ったが、実際は違う。付け入る隙はある。

 

 【………気づいたか。いや、気づいて当然か】

 

 ファフニールも不敵な笑みを浮かべた。

 それは弱点を知られたが故に苦し紛れに笑っているのではない。

 知られた上で、尚も負けはないという自負の現れ。

 

 「何故その傷を隠さなかった。お前ほどのものなら、隠匿するのも容易かったろうに」

 【そのような小物じみたことはせん。それにこれは戒めよ。隠しては意味がない】

 「ほう、戒めか」

 

 ファフニールは遠い目をして語る。

 かつての恥辱を。

 

 【正直に言おう。あの時の俺は、侮っていた。神すらも捕らえた俺が人如きに屈するわけがないと。自惚れていた】

 

 主神含めた名のある神々を生け捕りにした実績。

 非力な人間がどれほど優れていてもたかが知れているという慢心。

 全てが重なり、半端な覚悟であの男と対峙してしまった。

 

 【だが、二度目はない。もう二度と、遅れは取らん】

 

 ファフニールは内に秘められている魔力を段階的に放出し始めた。

 今までも十分すぎるほど、それこそ聖杯に比肩する魔力を誇示していた悪竜は、事もあろうに更にその先の段階にまで足を踏み入れていたのだ。

 

 「欲深まればここまでに至るか。レギンめは貪欲で扱いやすかったが、もはやファフニールは悪食よ。手がつけられたものではない」

 「悠長なことを言っている場合ではないと思うが……!」

 「然り。先手先手を打ち続けなければ、これはちと我らが塵になる方が早そうだ」

 

 賢者はそう軽口を叩いてからの行動は迅速だった。

 

 「奥の手の術式を編む。私は大神だが、今は依代の力を借りている身だ。早期決着が望ましい」

 「つまり俺にかかっているということか」

 「頼りにしているぞ、竜殺し(ドラゴンスレイヤー)。うまくいけば、ヴァルハラのVIPルームに招待してやろう」

 「いや、遠慮しておこう。俺は、華美装飾に彩られた場所よりも……クリームヒルトが待つあの家がいい」

 「ならば臆せず行くがいい。その女に胸を張って自慢できる男の仕事ぶりを見せてみろ」

 「言われるまでもない!」

 

 ジークフリートは駆ける。ネーデルラントにおいて無双の英雄と謳われた男の全力疾走。

 流石に神速、全英雄のなかで最も疾いと言われるアキレウスほどではないが、その速度たるや並いる英雄の中でも上位に食い込むだろう。

 

 「(な……)」

 

 それに一番驚いたのは他でもない、ジークフリート本人だった。

 

 「その勇姿への褒美だ」

 「これは、心強い!」

 

 竜殺しジークフリートの竜の心臓(・・・・・・)が動いている。

 サーヴァントとして召喚された時から、生前のように動くことなく、沈黙していた炉心。

 所詮、英霊の分身体であり、弱体化は避けられないサーヴァントの身だ。竜の炉心が動かないことは仕方のないことだと諦めていた。

 その心臓が、炉心が、今脈動している。過剰かつ過大な高純度の魔力が生成され、それはジークフリートの肢体を駆け巡る。

 脚が、軽い。今までどこか欠落していた気持ち悪さが解消され、生前と同じ身体能力を再現できる。おかげで、この速度をサーヴァントでありながら実現できている。

 

 【小賢しい!】

 

 ファフニールは素早くなったジークフリートに竜の鉤爪で迎え撃った。

 どれだけ堅牢な肉体で護られていようとも、その強靭さは悪竜現象(ファヴニール)から生まれ出たもの。

 全ての悪竜の祖であるファフニールからすれば、そのような概念防御など造作もなく捻り潰せよう。

 

 「おおおおお!」

 

 速度に勢いがついているジークフリートは、迫りくる巨大な竜の一撃を回避することなく、真正面からの衝突を選択した。

 竜殺しの剣撃。悪竜の一撃。

 二つの人界ならざる力と力の激突は突風を巻き起こすだけには止まらず、空間に歪みさえ生もうとしていた。

 物理衝突だけではない。最強の幻想種であるドラゴンの魔力の衝突なれば、空間が歪む程度はある意味当然。ここから先は天変地異の領域に突入している。

 

 【俺の一撃に耐えるか……人間!】

 「すまないが、その先を征かせてもらう!!」

 

 鬩ぎ合う剣と鉤爪。拮抗していたかに思われたその時だった。

 ジークフリートはバルムンクの真価を見せる。

 

 「我が炉心と真エーテルの結晶。この二つがあってこその竜殺し。今こそ英霊の座に刻まれし滅竜の極地、この世界にて振るわんッ!!」

 

 ジークフリートの竜の炉心は絶え間なく魔力を生成する。

 ジークフリートのバルムンクはその魔力と同調し、刀身により強力な魔力を放出する。

 全てが奇跡的に相性が良かった。

 武器も、体質も、その目に見えぬ才覚すらも。

 サーヴァントではその力は見せようにも見せられぬ制限がかけられられていたが、もうその制約もない。思う存分、ネーデルラントの大地を灼いた光を御照覧あれ。

 

 「幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)

 【何度やろうと―――!】

 

 この時、ファフニールは己の選択が過ちであることを悟る。

 あれほど慢心はないと豪語しておいて。

 あれほど油断はないと断言しておいて。

 たかが。

 たかが一回、軽傷で済んだだけのジークフリートの宝具を軽んじた。

 防御を取らずともこの程度。

 他のファヴニール程度ならまだしも、大本たるファフニールには大きな効き目などない。

 そう、思い込んでいた。

 

 「圧縮、収束―――!!」

 

 ジークフリートは斬撃を飛ばさなかった。

 あの半円球の黄昏を放つのではなく、刃に押し留めたのだ。

 

 【(拙いッ!!】

 

 一時的とはいえ、力で押し負ける。万象切り裂くファフニールの鉤爪が、弾かれた。

 無防備になった肉体。不遜にも眼前まで迫り、駆け上がる竜殺し。

 先ほどの幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)が対軍、広範囲殲滅に特化したもなれば。

 刀身に収束されたアレこそは、単体を滅殺するに特化したもの。

 更には大神の加護。動きの初動が、速度が―――今ままでの比ではない。

 効かぬと高をくくっていたが故に、対応が、間に合わんッ!?

 

 邪竜、滅ぶべし。

 

 その言葉と共に、ジークフリートの刃はファフニールの古傷を捉えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。