鎮守府におじいちゃんが着任しました (幻想の投影物)
しおりを挟む

着任

ああ、最悪の日だった。
あの時のことは忘れねえさ。

俺達の提督が、仲間が……沈んだんだ。

―――とある軽巡洋艦の手記より


 本日は晴天なり。

 そんな空にイラつきを抑える事が出来ようか? いや、出来る筈がない。

 

「伏見様、パプアニューギニアより入電。ラバウル基地が壊滅したようです」

「そうか」

 

 ガタガタと揺られる事数時間、呆れるほどの快晴を望んでいればそんな声が聞こえてくる。長い黒髪に理知的な眼鏡が似合う任務報告役の……名前は何と言っただろうか。いや、そもそもこの役に就いた者は名前を剥奪されるのだったな。

 

「伏見様、単冠湾(ひとかっぷわん)泊地より入電。停泊していた再編成中の南雲機動部隊が戦艦級フラグシップ個体の群れと遭遇、最終防衛ラインを引いて人員と最小限の艦娘のみが脱出に成功したようです」

「交戦中の艦娘はどうなった」

「最初期の不意打ちで加賀が轟沈。赤城、蒼龍が大破。飛龍は小破状態ですが、全艦死力を尽くして全艦載機を離陸させました。時間稼ぎが終わるころには全て沈むかと思われます。これによって、世界に残存する航空母艦娘は事実上20艦を下回りました」

「……まだ地域開拓へ手を伸ばせる艦娘運用基地はどれほど残っている?」

「本部に近い横須賀、タウイタウイ。そしてこれより伏見様が…いえ。伏見()()が向かっておられる“リンガ泊地”のみとなります」

 

 外の景色は変わり映えしない。さざ波を立てる海面は我ら人間の脅威しか棲まない死の水へと変貌を遂げている。「奴ら」が何故、川にまで登って来ないのか。陸に上がらず海域からの砲撃によってありとあらゆる生物を殺戮しようとするのか。学者に任せるべき話題ではあるが、是非とも聞いてみたいものだと思う。敵との対話など幻想に過ぎないが。

 運転手はずっと無言だ。私も、聞かれない限りは何も答えてはいない。まぁ、当然といえば当然なのだろう。私がこの泊地への移動に要した人数は100人以上。護衛の艦娘は6艦で両脇を固めた2隊編成。だと言うのに、生き残ったのは私とこの任務係、そして20人余りしか居なかったのだから。

 

「時に、彼らはどうなった」

「……現地住民への残存資源の譲渡によって寝食の場を確保した模様。本部から安全な航路が開けるまでその地で現地への協力者として過ごすようです」

「そうか」

 

 つまるところ、安全な航路など拓ける筈がなく定住の道を選ぶしかない。

 車の揺れが止まった。

 

「港に着きました。ご武運を、伏見提督」

「任務御苦労」

 

 車を降りて対面する。海軍式敬礼によってその場を後にし、任務係は古めかしい基地の扉に手を掛けた。年端も寄る体には音ですら敵になるらしく、聞こえてきた軋んだ木の音が頭の中を嫌に反響してくる。多少の頭痛を覚えたが表情に出す様な真似はしない。

 軍刀に手を掛け、腰から鞘ごと取って杖代わりに。コツコツとした音を響かせる。静まり返った廊下は忌まわしき敵「深海棲艦」でも潜んでいそうなほどに静寂の不気味さを漂わせていた。何かが居たとしても、それは敵ではなく「艦娘」達になるのだろうが。……いや、別の意味では私は彼女らの敵になると言う見方もあるだろう。

 

「では、私は此処で」

「うむ。これより本部との仲介役としての機能を果たしてくれたまえ」

「しかし、ここまで来て言うのも何ですが」

「よいのだ」

「……差し出がましい真似をしたようで」

 

 「任務係」も敬礼をし、一つの部屋の中へ消えていく。

 さあ、これからは私の仕事だ。デスクワークばかりで現場に出るのは久しいが、所詮は世界と共に寿命にて朽ち果てるのみの運命。何とかなるだろうと気楽な考えが浮かぶ。年老いた手に比例し、額にも同様の皺が寄って行く感覚があった。

 司令室に荷物を置き、艦娘たちが待機する宿舎の合流通りを抜ける。その奥にあった向かい合うように隣接した食堂と風呂場のうち、食堂の暖簾をくぐりぬけた。

 

 

 

≪提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮を執ります≫

 

 その放送に、基地が震撼した。

 

≪新提督を紹介するため、艦娘の皆さまは食堂へお集まり下さい≫

「……これって、後釜が来たってことかよ」

「いいんじゃないかしら~? どんな人か興味あるし」

「認めねえ…!」

 

 とある個室。二つの影が、揺れ動く。

 全体的な黒い印象に加え、紫色のアクセントが加わった配色の存在。気だるさを隠そうともせずに、その目に光を失ったまま二つの艦は動き始めた。

 

 

 

 ある種、壮観だな。他愛もない考えが浮かんでくる。

 食堂に集まった人型は大小含めて36名。20年ほど前の全盛期を誇っていた各基地と比べれば、総数は半分にも満たない少なさである。しかし、その時と何よりも違うのは目の前の者達に覇気がほとんど感じられないと言うことだ。

 艦娘。この世の人あらざる存在であり、突如として出現した人類の天敵深海棲艦と唯一交戦可能な海上運用兵器。陸上においても人間を遥かに超えるスペックを誇る彼女らは、開発当初目覚ましい活躍によって世界の覇権を人類に取り戻してくれるかに思われた。

 彼女らの特性もその期待を膨らませる要因と成っている。生まれた当初から深海棲艦に対抗しうる実力を持ちながら、戦いを経るごとに成長し、沈むことなく帰ってくる事で対策をも自発的に練る事が可能な自立成長人型兵器。スペックにおいてはカタログ通りの結果しか出さない深海棲艦を遥かに上回っている。時折現れるエリート級・フラグシップ級と呼称される特異個体が現れたとして、それをも凌駕可能な可能性を秘めた人類の希望。

 少し前まではそう、思われていた。

 

「…小娘どもが、どいつもこいつも死んだ目をしおって」

 

 確かに、一つ一つを見た場合は深海棲艦に勝るだろう。だが我らが天敵は、天敵と呼ぶに相応しい所業を以って我らに脅威を見せつけた。此方側は、いつ途切れるとも知れぬ資源を分配運用していた。だというのに深海棲艦共は無限に等しい物量、波状侵攻によって一個体の優劣という差を吹き飛ばした。通常6()編成に対し、あちらは30()以上での集中砲火。運良くその場での轟沈を免れる艦娘は居たが、それすらも帰還航行中に力尽きた。

 そうして絶望を再び人類に送りつけた深海棲艦は、たった数十年という時間で我々を絶滅の淵に追い込んでいる。進化するのが人間の特徴と提唱した者がいたが、結局艦娘の改良手段すら見つからず、逆に当時と比べてブラックボックスだらけとなった艦娘を扱うのが現状である以上人間は進化どころか退化している。僅か数十年で、最新鋭の兵器はオーパーツと化してしまった。

 人類は今、ひたすらに完全敗北の道を歩んでいる。

 

 この感情は目の前の艦娘どもにも言えることなのだろう。誰もかれもが意気消沈し、誰も此方に目を合わせようとはしていない。前提督がいたコイツらにとって、新しい提督など眼中にすらないと言う事か。艦娘は軍人ではなく、軍によって運用される兵器であるため上官への無礼というお題目で取り締まることはできない。だが、何をすべきなのか思い起こしてやらねばなるまい。それができなければ私が此処に来た「意味」が無い。

 

「注目! 私がこのリンガ泊地に新任した提督、伏見(ふしみ)丈夫(ますらお)である。このたびは前提督の二階級特進後、適任者がいないと言う事でこの辺境の前線に送られた。もはや世界はこの泊地を含め、対抗できうる基地は3箇所しか残されてはいない。我らの敵、深海棲艦を最期の時まで打倒するため、貴艦らの活躍を期待する!」

「…………」

 

 空気を震わせる様に、叱りつけるような声色で艦娘どもへ発破を掛けるが、その目は全て反抗的なものだった。ふん、どうせこのような枯れた老人一人の戯言、聞くに足らぬと言ったところだろう。

 ならば誰か一人が嫌でも耳を傾けるよう長々と演説でも披露するとしよう。

 

「なお、この基地の配給については私が就くと同時に一新する予定だ。もはや資源が限られてしまったこの世の中、貴艦ら艦娘を運用するのにも一日の消費量は限られるのが現状。故に、これより出撃に出る際の配給は―――」

 

 

 

「…ねえねえ」

「なに?」

 

 川内型3番館として頑張って来たけど、結局活躍の場もくれないまま死んだ前提督の次は、お固い軍人頭みたいな提督。長々と話し続けてるけど、だーれも聞いてなんかないのにねえ。そろそろ私か駆逐艦の子たちが動かないと、あの人殺されちゃうかも。前の提督が可愛がってた戦艦とか、正規空母の人たちがなーんか暗い空気出し始めちゃってるしさ。

 ここはあんまり実力も無い那珂ちゃんが頑張って、ヘイト稼いでおかないと本当に提督さんが殺されるかもしれないから。

 

「あの人、そろそろ黙らせないとヤバいかなって」

「そう? ……まぁ、確かに金剛あたりがヤバめな空気だけど、どうせ演説に夢中で艦娘たち(こっち)なんて見て無いと思うよ。多分あの人も軽巡洋艦(私たち)を使うのは何処にあるかも分からない資源探しに行かせるだけじゃないの? それだったら、別に助ける必要もないと思うなぁ」

「うーん、でもまぁ。ちゃんと私たちを取り扱う(プロデュースする)ぐらいの器量は欲しい所だよねぇ。軽巡洋艦を卸せなくちゃ、金剛さんたちは無理だと思うし」

「…那珂? あんた何するつもりよ」

「保険かけとくの」

「解体は無いと思うけど、あんたも好んで憎まれ役引き受けるなんて凄いわ」

 

 川内が言っている間に、チョチョイと資材を拝借したうちの天然ゴムを加工。これで那珂ちゃん特性ゴムボールの出来上がり! あ、アイドル路線の私はいやらしい意味なんか持ち合せて無いからねー。

 

「ちょ、馬鹿。流石にそれはやめときなさい。せめて駆逐艦以下に抑えないと」

「それっ!」

「あっちゃー……」

 

 同型の姉妹艦「川内」が止めるも、髪型のお団子が特徴的な「那珂」という艦娘が放ったゴム弾は伏見提督へと向かう。当然、人間を遥かに超える彼女が指ではじいただけでもゴム弾は恐ろしい速度を持っており、故にその結果が訪れるのも当然であった。

 演説中の伏見提督の左腕に直撃し、彼の腕からは骨の異常をきたす音が響き渡る。

 

「あ、やりすぎちゃ――」

「―――だが、我々は決して抗う事を止めてはならぬ」

「へ?」

 

 新しい提督さんは何事も無かったかのように演説を続けている。

 これじゃあ、せっかく注意をひいたのにますます他の子たちから恨みを買っちゃうだけなんじゃないの? もう寿命()も長くないかもしれないのに、どうしてそんなに死に急いで、

 

「忘れるな、諸君らは人間の手によってかつての大戦時代より蘇った兵器だ。兵器としての存在理由を決して忘れるな! 戦う者となる以上、諸君らを製造した者達の想いがその体全てに込められている事を理解できないのならば戦場に出ることすら許さんっ!! いまや国の定義が崩壊した世界、戦う事の出来る君たちが弱者にとって縋る存在である事を覚えておけ! ……私からは以上である」

 

 那珂は信じられなかった。あんな老人が、しかも恐らくは腕の骨は折れるどころか砕けているのだろうに。それでも苦悶の表情も声すら上げずに己の演説を最後まで続けている。あれほどの年を軍人として生きているなら、この空気に漂っていた敵意の意味も感じ取れているはずなのに。

 呆然としている那珂を含め、一部始終を見ていた艦娘の何人かが呆気にとられたようにしていたが、提督の「以上」という言葉に反応して解散しようとする。

 その時であった。

 

「待て。貴様らにはまだ通達すべき事項が残っている」

 

 一喝の声。深海棲艦と戦っている彼女達にとっては脅威にすら思えない、ただの音の大きな振動。その筈であるのに、ぴたりと36艦の解散の流れは止められる。

 

「知っての通り、先ほど指揮をとらんとする私に狼藉を働いた者がいる。更に、その者は私が演説中であるにも関わらず、同型艦との私語に興じていた。……言うまでもないな? 川内型3番艦、那珂。君のことだ」

「……はい」

「誰もかれもが私のことを認識すらしようとしない中、貴艦の行動は私の目によく映っていたぞ。何か弁明はあるかね?」

「ありません」

 

 今はそう答えるしか無かった。

 結局は無意味だったのかな、と那珂は内心落ち込んでいた。前提督との関わりは他の艦娘と違って薄いものだったが、それでも仲間内から批判されようとも遠征で何処にあるかも分からない資材を探すのはもう嫌だった。仲間が人間を殺す様を見るのも嫌だった。

 それでも、行動が行動だ。あれが伏見の命を結果的に救う行動となっとしても、やってしまったからには相応の判断を待たなければならない。これが平均的な重巡洋艦以上の実力の持ち主や飛び抜けた性格の艦娘であれば反論もしただろうが、彼女は大人しく伏見の言葉を待っていた。

 

「よかろう。では、那珂を第一艦隊の旗艦に任命する。第一艦隊の正式な編成は後日張り出しておくため、明日の昼までに掲示板を確認しておくがいい」

「え?」

「嘘でしょ…!?」

「提督! それなら前提督の指揮の下、第一艦隊にいた私の方が!!」

「これは決定事項だ。諸君らは確かに兵器として命令を待つことのできる優秀さがある。しかし、艦娘はいつ襲って来るやもしれん敵の喉を一匹でも多く食い破る事を目的とされている! よって、最も自発性のあった軽巡洋艦・那珂を第一艦隊の旗艦へ任命した。なにもおかしくはあるまい」

「しかし!」

「くどいぞ、いくら戦艦と言えども反論しか出来ぬようであるならば運用は当分先だ。さて、今度こそ解散だ。なお、那珂は明日より秘書官としての仕事を兼ねることとなる。その説明に移るため、一三○○に司令室へ来るように」

 

 無事な右手で軍刀を杖代わりにし、伏見はその場を去っていった。

 何人かが恨めしげな視線を那珂に浴びせかけながら、次々と食堂を後にしていく。最後にこちらをちらりと見ていた雪風を最後に、食堂には那珂と姉妹艦である川内だけが残された。

 

「……夢じゃ、無いよね?」

「みたいだね。あーあ、羨ましい。私も一発ビシッとやっとけばよかったかも? それじゃあ可愛い妹に一つお願い、新しい提督さんに私のこと推薦しておいてもらえるかなー」

「ええー? 一緒に話してたんだから無理かもしれないけどいいの?」

「いいの! 駄目だったら直談判するからさ!」

「はーい。それじゃあまた夜に会おうね」

「どうせ夜なら夜戦が良いのにね!」

 

 ばいばーい、と手を振って川内も自室に戻って行った。

 まだどこか信じられない、と言った風の那珂はふと時計を見る。時間は12時56分。意外と提督は時間を無駄にしないお方のようだった。

 

「もしかして、ヤバい…? 急がなきゃ!!」

 

 あたふたと人並みの速度で廊下を駆ける彼女を、まだ部屋に辿り着いていない戦艦・空母の艦娘たちの一部が睨みつけてくる。そのプレッシャーに一瞬肝を握りつぶされたかのような錯覚に陥ったが、彼女は生唾を飲み込んで何とか空気を誤魔化し、その場を逃げるように走りぬけた。

 何故か長く感じたあの視線の一帯をくぐりぬけ、司令室に辿り着いた頃には、那珂の動力炉は不規則で危なげなシグナルを発しかけている。部屋に入る前に時間を確認、自分のみなりを手で少し整え直した那珂は扉に手を掛け、入室する。

 

「一三○○。軽巡洋艦那珂到着しました!」

「うむ」

 

 敬礼と共に彼女は伏見の姿を発見する。彼は今、上着を脱いで腕の肌を晒しているようだった。那珂が弾いたゴム弾の当たった箇所は息を飲むほどに醜く腫れあがり、皮膚を突き破った骨の欠片が顔を覗かせている。

 那珂は顔が青ざめた。まだ30程の年齢ならともかく、目の前の新提督はどうみても60代以上である。そんな老人がロクな病院にも行けないこの辺境で大けがを負って、折れた腕を元通りに動かせるかと聞けば答えはNOとなるに決まっている。着任当日に、自分は彼を傷つけているのだと当たり前の様な実感がわいてきていた。

 

「あの、提督さん……」

「自分がしでかした事には、責任を持てるかね」

「え? あ、そのお……はい」

「では、せめて応急処置位はしてくれたまえ」

「は、はい!」

 

 こんなの那珂ちゃんのキャラじゃないよ~。などと内心嘆くも、那珂は自分の中にインプットされている骨折した者への処置方法に従って伏見の腕を治療して行った。しかし、明らかに痛みが生じているであろう行為の途中であっても、目の前の老人は眉ひとつ動かさない。

 どこか人間離れした不気味さを感じると同時、前の提督と同じくこの伏見という老人は同じ人間であると何故か自信を以って答えられる。既に彼自身で用意してあった添え木などを巻き、包帯でつり下げる様な一般的な骨折のイメージに近い形と成って応急措置は終了した。

 

「艦娘は必要な情報と判断された知識を製造当初にインプットされている。この機能の支障はないようだな。……ふむ、私の腕はこれでいい。君にはこれより、秘書艦としての仕事をするにあたって必要な事を説明する。それと、指揮の際は如何なる艦種の艦娘であろうと君に従わせるが故、出撃の際は遺憾なく指揮能力を発揮してくれたまえ」

「え、えっと」

「貴艦の私語で十分だ、とも言わんが。片肘を張らなくとも良い。君も兵器であるからには常に冷静な判断が可能な状態に保っておくべきだ。いいな、君もまた兵器であることを忘れるな」

 

 うむ、少々固すぎたのかもしれん。那珂もこれでは秘書艦としてやっていくには連携に支障をきたす可能性があるな。兵器であれど、感情がある以上は己で統制可能なよう情緒を軍人と同じく鍛える必要がある。結局、人間同士の争いが船同士の戦いになっても軍人のやる事は変わらないらしい。

 それだけに、前提督は艦娘たちをこの様に野放しに育てるとは何を考えていたのか、まったくもって理解しがたい。家族ごっこでもしているつもりだったのだろうか。彼女らは兵器としての本質を決して取り除く事はできないと言うのに。

 

「まずは改めて自己紹介させて貰おう。私は伏見丈夫だ」

「ええっと、軽巡洋艦・那珂ちゃ……那珂、です」

「なんとも不器用な物だな。了解した、君は素のままに喋って構わない」

「え、いいの?」

 

 掌を返すのが早い奴だ。艦娘というのは、もしや全員こうであるのだろうか。

 だが艦娘の提督と言う立場に立った事が初めてである以上、仕方が無いとも言えるかも知れんが、ずっとこの調子だと信用を作るまでは人間は一人残らず殺されている可能性が高いな。まるで甘やかしたかのようなこの基地の艦娘には、飴と鞭の使い訳から始めた方がいい様だ。

 

「ぷっはー! よかった、このまま息苦しくて死んじゃうかと思ったぁ」

「……もっと現場の視察を重ねておけばよかったか」

 

 書面上では理解しきれない「個性」は随分と厄介な存在だったようだ。

 

「え、なにか言った?」

「いいや。だが私語を許したからと言って、仕事を放棄できるわけではない。まずはそこの棚に積まれた書類整理から始める。こちらから本部へ送る書類は既に机に並べてあるので、君にはしばらくは前任提督の資料と、ここに所属している艦娘の資料を集めてもらいたい。その度質問をするため、手伝ってもらうが構わないかね? この左腕の件も含め、情けないことに私は君の手を借りる他に手段が無いのだよ」

「はーい! それなら那珂ちゃんにまっかせて! 艦隊のアイドルを一人占めなんて提督さんもファンの皆から嫉妬されちゃうかもよ~?」

「では、早速前任者の出撃記録から探してきてくれたまえ」

「那珂ちゃん無視された!?」

 

 やはり想像以上に、艦娘というのは騒がしい。女三人寄れば姦しいといえ、一人でこれでは老体ではついていけないかもしれないな。だが、諦めるわけにはいかんのだ。そのためには君たちが沈もうとも、私は艦娘を運用し続けなければならない。

 それこそ私が海軍本部で見つけた罪。その贖罪のため。この命を最後まで浪費しようと、必ず為さねばならない覚悟を以ってこの戦場に赴いた。表向きは「廃棄」されたこの基地にて、君達と言う存在は既に各方面から認知の外であると言えばどうなるのだろうな。更には任務係にも、ここまで私を連れて来てくれた殉職者達にも無益な運命を共有させてしまったことは確かだ。だが私は、だからこそこの基地から決して身を引こうとは思わん。

 リンガ泊地。見捨てられた土地であるからこそ、私の宿願を果たすことができる。本部での私の後任は上手くやってくれているだろうか? 不安ばかりが募り、そして老いた身にはたったアレだけのやり取りで激しく体力を削り取られてしまっている。上手くいくかもわからん賭けでしかないが、この身を賭してやるしかない。

 

「だからこそ……命尽きようとも」

「新しい提督さーん、前の人の出撃記録あったけどどうするのー?」

「…机の左端に置いておけ。必要な際は君に運んでもらうが、転ぶ・忘れるといった下手なミスは許さんぞ」

「き、厳しいお言葉……でも那珂ちゃんはセンター貰ったんだから頑張るの!」

「艦娘の資料は机の右側に分けておけ。私が書きあげた報告書には手をつけなくていい」

「はーい!!」

「一六○○に一時休憩。ただし、貴艦は部屋で待機だ」

「はーい!!!」

「……その資料は右だ」

「ふ、ふえええええ!!」

 

 凄味の籠った鋭い眼光で睨みつけられ、那珂は涙目になりつつも資料運びに勤しんだ。前提督が居なくなってから静寂を住まわせていた司令室には、再び以前の様な活気があふれ始めているようにも思えたが、その活気は以前の様な温かみは無い。どこか無機質な空気を感じさせる、偽物の薄っぺらい怒号と薄っぺらい悲鳴ばかりであった。

 人知れず、しかし当然のごとく。以前の提督を慕っていた艦娘は人間を遥かに凌駕した聴覚を用いて部屋の壁越しに騒がしい司令室の惨状を耳に入れる。そうして彼女達の目に浮かんだ感情は様々ではあるものの、誰一人として温かみのある色を宿したものはいない。冷たい、水の底のような刺々しい殺気をにじませる者すらいた。

 ある艦娘は認められなかった、前提督が仲間と共に沈んだことが。ある艦娘は認められなかった、あのような血も涙もない老人が自分たちを兵器と決めつけている事が。ある艦娘は認められなかった、以前は役に立たなかった軽巡洋艦如きを伏見の愚かさに。

 伏見はその負に満ちた感情全てを予見していた。同時に、演説時に艦娘たちの浮かべた視線を思い出していた。自分を通して別の人間を見る艦娘、自分自身を見つめながら居ない者として扱った艦娘。誰もがこの地に来た自分を歓迎していないのだと。

 

「だからこそ、都合がいいのだよ……」

「何か言ったのー!?」

「いいや」

 

 兵器である艦娘の耳は200メートル以上離れた人間の呟きを壁越しでも見逃さない性能だ。聞こえているだろうに、と再び呟いた伏見は薄く笑って偽の報告書を書きあげて行く。故に、彼は偽物の明るさを見せつけてくれている那珂に対してこれでいいのだと思い続ける。

 このままであれば、自分が失われても誰も悲しむ者はいないのだから、と。

 

 罪に捕らわれた老人はどこまでも深く、深淵の謎を追い詰めてしまった。自分達の敵の真実を知り、故にこそ先人たちが成し遂げた悲願を達成しようと10年の月日を費やした。古希もとうに過ぎ、ようやく目標へのとっかかりを得た。伏見にとって、リンガ泊地はいまこの時より巨大な墓場となる。彼の死への夢は確かに、確実な第一歩を踏み出していたと言えるであろう。

 その墓場の先に彼の望むものが手に入るかどうか、そればかりは決して分からない。彼が紡ぐのは己の寿命を賭した敗北の物語。この始まりにおいて彼らの味方と成り得る筈の艦娘たちは皆、決して伏見丈夫という男を認めてはいなかった。

 

 




後書きではゲームで言うところの縛り内容を番号振って一話ごとに記して行きます。

 難易度:高
・建造及び生産は十数年前に知識ごと失われており、艦娘が新造されることは無い。


1/16加筆
 那珂が提督を骨折させた行動に動機の描写が無かったため一部修正加筆。
 それでも足りないようならさらに修正もあり。
 描写能力が無くて申し訳ありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

文句

 艦娘たちは本当に頑張ってくれる。
 いつも頑張ってる間宮さんには悪いが、彼女たちには戦場でも元気でいてもらいたい。だから今回の作戦では彼女に付いて来て貰おう。そうすればきっと、みんな笑顔で帰れる筈だから。

 ―――作戦前、リンガ泊地前提督の手記より。


 その日の朝、掲示板前には()だかりができていた。

 ざわざわと決して小さくはない声量が記されている事の重大さを物語っている。ある者は噴気に顔を赤くし、ある者は信じられないと言わんばかりに青ざめている。もっとも、青ざめている艦たちには戦艦や正規空母と言った大型艦達の恨めしい視線が向けられているから、という理由もあるのだが。

 

「何事かね。これでは食堂にすら行けんが」

 

 その光景を遠くで見つめながら、隣に居る者へ尋ねてみた。彼女はこうなる事を予測していたかのように額へ手を当てている。まぁ、自分自身でこうなるよう仕向けたのだから性質が悪いのは私であるのだろう。

 

「えっとぉ……やっぱり提督さんの決定に皆さん不満、かも?」

「不満なのは君とて同じだろう。旗艦以外の面子で君が嫌がる者を選出したのだから」

「……はぁ。提督さん、どうせ絡まれそうだし裏道抜けて行こっか」

 

 そう言って、那珂は駆逐艦・軽巡洋艦の宿舎と通じている方の通路へ私を案内した。

 

 この鎮守府はかつての「第二次世界大戦」の折にて使用していた箇所へ再建された。リンガ島のスマトラ島側、三日月の様な弧を描いた広大な自然の島の中で建設されたこの箇所は、内海の様に入り組んだ仕組みをしている事もあって深海棲艦の襲来はほぼ無いとも言えるだろう。だからこそ、我々海軍はここを再び拠点としたのだ。

 そして、鎮守府自体も相当に広い。再建と称した港・艦娘用宿舎などを増設したおかげで大きな学校ほどの規模にまで拡張されている。よって私はまだ、こうして軽巡洋艦娘・那珂の手助けが無くば遠回りの道であっても碌に歩き回る事すら難しい状況下にある。老いてばかりの頭が新たな事象を覚えきれてはいない。つまりは耄碌したと言っても過言ではなさそうだが否定はできない。

 そうこうしているうちに、彼女の案内の下食堂へ辿り着く事ができていた。

 

「それじゃ、提督さんはゆっくりしてて」

「そうさせて貰おう」

 

 そうして那珂は去って行く。艦娘はこのご時世には非常にありがたいことに、人型をしていても「燃料」の補給さえ有れば食事を必要としない。食事と言う行為そのものは可能であるのだが、艦娘は一種の嗜好品としてしか楽しまない。よって各地の提督はここ十数年は艦娘へ「食事を与えた」という記録は無いらしい。

 まったく、ありがたいものだ。しかし同時に、ここまで都合のいい造りに甘えているからこそ我々人類は天敵となった深海棲艦に勝てないのではないかとも思ってしまう。まぁ、そのような戯言を覆す為に私は行動を始めたのではあるが。

 

「……おちおち食事も取れんとは」

 

 ここは食堂、故に艦娘たちの中でも異彩を放つ「給糧艦・間宮」が人間用の食事でも作っているかと思ったが、その給糧艦ですらも前提督は沈めてしまったらしい。最前線での連日を伴う作戦内容だったと記されていたが、勝利に酔いしれ艦娘のコンディションをいち早く整えたいという我欲のために諸共沈めてしまうのは愚かとしか言いようがない。

 戦力は限られている。この隔絶された遥か故郷とは離れた地で知っていたかは分からないが、少しでも艦が沈む危機になれば潔く引くのが今の常識だ。

 

 心の中で愚痴をこぼすことしかできない自分に嫌気がさしながら、フライパンの中で踊る西洋の料理に目を向ける。家事一般、その他単純な調理はまだ若かりし頃に海軍から叩き込まれている。絶える事無き継続を力とし、このリンガ泊地への就任まで数日のブランクはあったがこの腕は本日まで衰えてはいないようだ。

 さぁ、いざ。食事に感謝を込めて食べようとした瞬間、騒がしい足音が食堂の入口から聞こえてきた。

 

「HEY! ミスター・伏見。ちょっと物申したい事があるネ!」

「…戦艦金剛、その姉妹艦比叡か。何用だ」

 

 食事の手を止め、フォークを下ろす。この年でも喉を詰まらせない限りは食べ続けようと誓った好物のスパゲッティをお預けにされるとは……ふっ、艦娘どもは本部の部下とは大違いのようだ。

 

「私を第一艦隊に入れないって勝つつもりあるんデスか? それどころか、第二艦隊も含めて駆逐と雷巡、軽巡、重巡しか名前が挙がってませんネ!」

「……我々の鎮守府を含め、もはや人類は壊滅状態。それを知らぬわけでは無かろう?」

「だからこそ! 私が一番に深海棲艦を―――」

「先日の演説にて、そのような激情に呑まれるようでは運用は当分先だとも含みを持たせたつもりだったが伝わらなかったのかね?」

「ミスター、何も知らないアナタが軽々しく!」

「喝ッッッ!」

 

 比叡は付添い、と言ったところだろう。

 だが、後方の入口に控える者たちにも言っておかなくてはならん。

 

「現在、一部を除いて正規空母と戦艦は前提督の仇を討つために勇み足を踏んでいる。……それは正しい感情だと言おう。本部の者たちにも勝るやる気であるとも認めよう。だが、貴艦らは我ら人間が運用すべき兵器である! 兵器である貴艦らは我ら人間の手によって運用されなくてはならぬッ!!

 感情は艤装へ影響を与え、いらぬ轟沈への可能性を生む! 現状、一艦たりとも諸君を沈めさせる事が認められぬ以上は再び周辺海域の順当な制海権を握ることこそ第一の目標! 故に金剛ッ、貴艦の意見を通すわけにはいかんのだ!」

「……認めないネ。私の提督はもっと…!」

「そうとも。貴艦は私がここにいる事を認めていない事実も重々承知している。そして後方に居る諸君らの意見も同様に却下である。その目を見れば何を言いたいかくらいは分かっているが、現状を変える事はせん。新たな任あるまで待機せよ」

「ミスターッ!」

「何度同じ事を言わせるつもりかね。戦艦比叡…後始末を命ずる」

「は、はいっ! お姉さま、今回は諦めてください……」

 

 椅子に座り直し、我儘戦艦を引っ張って行く戦艦比叡の姿を横目に食事を再開する。

 うむ、材料が合成の物が少ないためか久方ぶりに上手いスパゲッティを食べた気分だ。青空の広がる今日はまた厄介事が起こると思ったが、存外に良い日になりそうだな。

 

 

 

 

 数刻ほど経過した昼の掲示板前は、任務係が張り出した当初の人だかりは無くなっていた。しかし、遅めに目を覚ましたのであろう一人の人物が内容を見てうげ、としたおおよそ少女に似つかわしくない声を零す。

 がっくりと肩を下げた彼女を、人類は「重雷装巡洋艦・北上(きたかみ)」と呼んだ。

 

「那珂と川内はともかく、駆逐艦? うっざ」

 

 気だるげな声と共に、半目の視線が紙を睨む。

 北上が見ている第一艦隊の編成には、旗艦・那珂を始めとして川内・北上・初春・吹雪・雷。以上6艦の名が記されており、彼女らは前提督のもと遠征か待機ばかりに時間を浪費していた人物である事を北上は思い出す。

 ぼーっと見つめている彼女としても思う所があったのか、眉間に皺を寄せる彼女へ近づく影があった。

 

「重雷装巡洋艦、北上か」

「おっ、新しい提督じゃん。伏見丈夫だっけ、改めてよろしくねぇ」

「……最早何も言うべきではない、か?」

「どしたの」

「いいや、気にする事はない」

 

 北上へ声を掛けたのは話題の人物、伏見丈夫その人であった。

 こうして対面している彼女自身、あまり提督そのものに対しては強い興味関心も無かったのだが、こればかりは訪ねておかないとならないかもしれない、と言った使命感から口を開く。北上の言葉は、伏見を驚くに値させるものであったが。

 

「そう言えばこの構成さー、気になるんだよね」

「不服か?」

「ちっこい奴ら苦手なんだよね。ってのはともかくさ、もしかしてポイント稼ぎから始めてんの? 初春と吹雪はともかく雷は前提督をお気に入りにしてた(・・・)方だからさ、混ぜていって少しずつ懐柔してこうって魂胆でもあるわけかなって」

 

 初めてその目を、伏見へ向ける。

 探るような、面白がるような好奇の視線にさらされる伏見は平然と言葉を返した。

 

「いや、単純に錬度が足りていない艦娘を近隣海域にて実戦慣れさせようとしたまで。と言っても、貴艦のような輩は納得しないのだろうな」

「あったりい。場合によってはあらぬ噂でも青葉に流してやろうと思ってたよー。私としてもお通夜ムードはいい加減勘弁願いたいトコだから。……まあ、あんたみたいな堅ブツが卑しい考えするワケないよね。んじゃ、作戦開始にまた会いましょ」

 

 眠そうな顔を隠そうともせず、北上はすたすたと廊下の奥を歩いて行く。あのやる気のなさは、重雷装巡洋艦としての運用当初には既に空母全盛期時代へと移行していたため、かつての「北上」が実戦で使用されたのは「特攻兵器・天元」の為にしか扱われなかったことへの表れなのだろうか? そんな伏見の疑問は、すぐさま公務へと切り替えられた。

 

 なにもかもが、今のところ「上手くいっている」。

 他人から見られれば何を馬鹿な、と思うかもしれないがこの位の温度差が丁度いい。伏見はそうする事でしか選べない道を選んだ事を再び後悔しそうになったが、後悔などあの海に二人が呑まれた時から置いて来た。

 ……さて、午後までの時間はあと5時間か。まだまだ長い午前中は那珂を秘書とした情報整理に費やす為に奮闘せねばなるまい。既に私の身長よりも高く積まれた書類も、この「襲撃のない鎮守府」として有名なリンガ泊地ならばゆっくりと消費できるだろう。

 我が身の寿命を考慮してもまだまだ……問題など何一つとして無い。公務と私事、その両方を悟られぬよう、好かれないように過ごして行くのは中々に大変そうだ。

 

 掲示板の地図を確認して、伏見は真っ直ぐと執務室への道を歩く。堂々と鎮守府の廊下を歩く彼の姿は艦娘たちからしてみれば図々しいことこの上ないが、彼自身も配属されてきた以上は彼女達の不祥事や敵意を受け止める他に道はない。

 それからすぐ、己の拠点となった執務室に戻った伏見が目にしたのは既に公務へ付く那珂の姿。仕事と割り切っているのか、はたまた別の要因が彼女を働かせているのかは定かではないが、戦闘以外では軍規に縛られない軍の汚点とも成りうる可能性を秘めた艦娘にしては随分と殊勝な態度である。

 だからと言って伏見は贔屓目もなく、那珂がせっせと運ぶ書類が積まれていく机を前に座りこんだ。

 

「時間厳守とは、噂に聞く艦娘の自由奔放さも最期までアテにはならんようだ」

「那珂ちゃんはー、艦隊のアイドルだからねー。アイドルはスケジュールに忠実、自分の体調管理、己を高める上昇志向を保たないと駄目なんだよー!」

「……理由や動機はどうあれ君の様な中立がいる事で私も職務が全うできる。その点に関しては感謝しよう」

 

 今は那珂だけであるが、いずれ私の指揮下にある艦娘が秘書を務める際には全員に勤務開始時間を記してもらうつもりで設けた名前のリストが執務室の扉に掛かっている。それを見れば、那珂は提示した時間の30分前から入室していたようだ。

 

「だったらご褒美くらい欲しいかなぁ、なんてねっ」

「では褒美だ。このような辺境では咎める者もおらんだろう。これより30分の休憩を入れる」

「えっと、実質勤務時間変わらなくない?」

 

 そうは言いつつソファの一つに那珂は座りこんだ。

 

「世界情勢は芳しくないが故に、いまやどの鎮守府であろうと人材を休ませるわけにはいかん。だがここは指定した時間のみ全う出来ればお咎めは無しにしようと思っている。…どうだ、他と比べれば極楽ではないか」

「へぇー……他って、そんなに」

 

 本部への偽報告書を書きながらに答えていれば、呆気にとられたような彼女の声が聞こえてくる。少なくとも「廃棄」が決定されたこのリンガ泊地ではあるが、前提督が沈む前はまだ本部との通信はとれていた筈だ。だと言うのに、艦娘へ何も話していないのか?

 いや、贔屓にしていた戦艦や空母の娘達にのみ話していた可能性がある。全体の士気に関わる問題であり、なおかつ事実を知って戦えなくなる戦闘要員がいるならば自分たちが捨て札に等しい存在だと態々知らせる事もない。時には嘘をつくからこそ、大戦果を上げる報告例も少なくはないのだから。

 

「提督さん」

「なにかね」

「ここに来た時、もう戦える鎮守府は3箇所しか無いって言ってたけど……いま世界はどうなってるのかな」

「……深海棲艦が蔓延る地域は全滅。人類は陸地に押し込められ、狭い孤島に住んでいた全ての生物は深海棲艦の陸を狙った砲撃によって灰塵と化した。海軍本部の置かれた横須賀、列島ではあるが入り組んだ地形の内海にあるタウイタウイ、このリンガ。これら以外の鎮守府は敵によって今や廃墟となったか、放棄せざるを得ない状況下に追い込まれた」

「人類はさ、勝てるの?」

「このままでは負けるであろうな。いいや、領分を弁え棲み分ければ……陸の中央に身を寄せ合えば、人類は生き残る事は出来るだろう。いつ進化し、襲ってくるとも知れない深海棲艦の脅威に怯えながら…な」

 

 改めて語れば、随分と滑稽だ。知恵があったからこそ、弱肉強食の世界を人類の祖先は生きながらえてきた。単なる暴力へ抗う事ができた。それが今となっては、人類史の真逆を歩んでいると言う事になるのだ。知恵は力の前にひれ伏し、恐怖を克服する技術は理性のない怪物に踏み荒らされる。そして対抗するための技術の結晶である艦娘すらも、人類の制御の手からは遠く離れて行ってしまっている。新たな艦娘の製造法が失われる、という事実によって。

 

「そっかぁ……大変だね」

「そのために諸君らを利用するのだよ。時には保身のために、時には犠牲の為に……そうして我々人間は、この地球に“住む”と言う暴挙を実感し、理解を忘れる。常識というものが根付いた時点で、滅びる定めは決まっていたのかも知れんな」

 

 逆に言えば、このリンガに駐屯する艦娘たちは誰一人として沈ませるつもりはない。もちろん口にはする筈もないのだが。

 恐らく、将来的には私たち人類が尻尾を巻いて逃げることで、この地に残る艦娘たちは新たな選択を迫られることになるだろう。いまごろ、この鎮守府に来るため経由した漁村もアレだけの深海棲艦からの追手を引き連れてしまったからには砲撃によって人間が残っていない筈だ。

 実質、このリンガ島に残った「人間」は私一人となっていることだろう。だが、彼らの犠牲を乗り越えてもこの地でなさなければならない事がある。死する前に地獄を経由し、死した後に地獄の大地へへばりつく覚悟などとうに決めているのだ。

 今日の分となる偽物の報告書を書き終え、また引き出しにそれを仕舞う。そして那珂の積み上げた前提督についての書類へと手を伸ばせば、これまでの戦績について書かれたものの一部が記されているようだった。

 

「……やはり、この地にあるか」

「……うん、休憩おーわりっと! それじゃあ提督さん、あらかたの資料は分けておいといたから必要になるのがあったら言ってね。どの高さにそれがあるか、ちゃーんと一枚一枚覚えてるんだから!」

「兵器運用され、前線の状況をも伝える役目を持つ艦娘がデータを蓄積するのは当たり前だ。そう誇る事でもあるまい」

「ちょっとは女の子に対する気遣いが欲しいかなぁ」

「必要ない。今は秘書として、後の出撃には兵器としての役割を全うしたまえ」

「出撃、かぁ。そういえば前の提督が死んでからは誰も海に出て無いなぁ」

「今回の編成にある艦娘に関して最新のものを」

「あ、はーい」

 

 軽い口を叩きながらも、軽巡那珂が行動理念とする「アイドル」とやらの几帳面さのおかげで無駄話の傍ら仕事はスムーズに進んで行ってくれる。

 どこまでも人を気遣いのが上手い奴だ、とは思っても口には出すような真似はしない。那珂とて、先ほどの「やはり」という言葉に何らかの察しはついているのだろうから。

 

 伏見がそんな事を思っていると、那珂がふと何かに気付いたように扉へ目を向ける。それから3秒後には伏見も聞こえてきた慌ただしい足音に気がついて―――扉がバンっと勢いよく開かれた。

 

「あ、ああ新しい提督さん! 私が第一艦隊所属って本当に間違いじゃないんですよね!?」

「……特型駆逐艦、吹雪型の1番艦・吹雪だな。確認もせず入室とは感心できんな」

「え、あっ! とっ特型駆逐艦の1番艦、吹雪です! 申し訳ございません!!」

 

 海軍式敬礼は最初期の特型駆逐艦として建造されたからであるのか、実に整った見事なものだ。非の打ちどころなど見当たらないが、それ故に他の面がおざなりになってしまっている。

 まず、走ってきたからかセーラー服の襟が跳ねて曲がっている。首からつり下げた艤装の一つである12.7cm砲も背中の艤装と擦れ合ってガチガチと音を鳴らしていた。那珂がその点を指さして指摘すると、彼女は慌てたように身だしなみを整えたようだが。

 

「そ、それで提督さん……」

「間違いはない。駆逐艦は初春、雪風、望月を除き残りは全て特型の艦娘が現存している。諸君らの中でも基準となった君を第一艦隊とすることで私なりに新たな風を吹かせようと言う魂胆もある。だからと言って、今後しばらくは貴艦を第一艦隊から外すつもりは持ち合わせているわけではないが」

「そうですか! 良かったぁ!」

 

 よほど実戦に飢えていたのか、はたまたこの吹雪なりの理由があったのかはまだ分からないが、それだけ聞いてすぐに礼と共に彼女は止める間もなく退室していった。正しく吹き荒れる吹雪そのもの、という言葉遊びはともかく、自分の納得のみで帰られては心にわだかまりが残されてしまうのだが。

 …いいや、この私への気遣いを彼女らが考える筈もないか。そもそも駆逐艦・吹雪の反応も私個人に対する感謝ではなく己へ向けた喜びを表現するかのようだった。相も変わらず、あのような前提督を慕っている者には私自身を認識すらして貰えないらしい。まったくもって心を痛める現状だ。

 

「……改めて、吹雪型駆逐艦の資料を」

「どーぞ」

 

 気を取りなおして那珂の手渡した資料へ目を通して見る。

 その結果……どうやら、前提督は着任当初に手酷い失敗を繰り返していることが判明した。吹雪に続き、姉妹艦である吹雪型は白雪を除きこの艦隊に所属している。だが白雪は、前提督の着任から3ヵ月後に轟沈しているとの記録がある。

 それから吹雪自身の動向について書かれた、報告書としては不釣り合いな主観の入り混じる前提督が記す内容には以下の事が書かれていた。

 

 

 7月中旬 初雪を沈めてしまった次の日、まだ吹雪は自室に籠って出てこない。姉妹艦に対話を頼んでみたが、うずくまって動こうともしないらしい。早く元気になって戻ってこい。必ず信じているからな

 

 8月上旬 ようやく吹雪が笑顔を見せてくれた。ぎこちない動きや、海に出るたびに見せる震えはまだ怯えているのかと思ったが、本人から聞けば初雪の仇打ちだと張り切っているらしい。もう誰も沈ませたくない。危なくなったらすぐに撤退を切りだそう。

 

 10月下旬 初雪が沈んでから初めて不利な状況下に陥ったため、撤退を命じたにもかかわらず、吹雪は他の子から離れて戦い続けようとした。ずっと思いつめていたのに気付けなかったのは自分の失態だ。しばらく彼女は出撃する艦隊から外すことにする。

 

 12月上旬 吹雪が無理をしないと約束してくれた。あの作戦から帰還したらまず彼女を第一艦隊に戻して、近海の不安を取り除くため出撃させることにしよう。

 

 

 そして前提督は、この翌年2月に決行した「作戦」とやらによって死んでいる。

 吹雪を選んだのは早計だったかという考えとは別に、今ばかりは主観のあるこの記録に感謝したい。早めに駆逐艦・吹雪が琴線とする内容を知る事ができたのだ。これも利用次第ではあの駆逐艦の発破を掛け、いざという時に此方の命令を決行させる手札にもなる。

 

「あとは貴艦らの判断次第、か」

 

 これから吹雪を率いる艦隊の旗艦となる那珂へその資料を渡した。

 

「……わぁ、いつだったか騒がしいと思ったらこんなことになってたんだ。那珂ちゃん的には初耳かも」

「貴艦に吹雪の手綱は握れるかね?」

「んー……頑張ればいけるかも」

「ハッキリさせたまえ」

「出来るよ。那珂ちゃんもぉ、同じ艦娘だもん」

 

 こうも断言できるとは、まぁ此方の真意を理解してくれているならば更に恩の字だ。だが野望まで知られるわけにはいかない。これもまた難しい匙加減だと、ほとほと自分に対して呆れかえる他はない。

 また別の資料に目を通して行くが、随伴する駆逐艦である初春や雷にはこれと言った問題点は見当たらない。ただ、暁型3番艦・雷に関しては前提督と積極的にコミュニケーションをとってあるような内容が書類に書かれているため、吹雪とはまた違った形による衝突は避けられないだろう。

 もっとも、暁型で厄介さを極めるのは4番艦・電の方であろう。秘書としての仕事をつかせていたような記録はないものの、こと日常的な面において電との接触は多く、前提督の日記においても電の話題が占める割合は多い。場合によっては艦娘・電としての種族的特有の感性を持っているという点から、自己崩壊を起こしていたとしてもまったく不思議ではない。だと言うのにまだこの艦隊に現存していると言う事は、つまり……

 

「では任せよう」

「任されましたっ。ようやくそれっぽい事が出来るんだから、那珂ちゃん頑張っちゃう」

 

 いや、今目を向けるべきはこの電を運用可能な状態に戻す手札と成りうる雷に対する考えをまとめるべきだ。予定している明日の初出撃において、私が成すべき事は山のように残っている。

 

「そういえば提督さん、資料積む時は年代別に分けといた方がいい? さっきから那珂ちゃんがバラバラに持って来てから探すとき以外は自分で頑張ってるけど、ほら、左手が……ね? いまの提督さんは不自由だから」

「確かに、どこぞの軽巡洋艦のおかげで私の腕は現在再起不能だが問題はない。必要な物を貴艦に頼んだ方が早く、正確であるからな」

「そう? じゃあまぁた那珂ちゃん内容覚えなきゃなんないのぉ……」

「艦娘の性能と人間の出来の違いを今更嘆くか。私に投げる言葉こそ、その全てが本心でもあるまい」

 

 現に、私の事を提督と呼びながらも敬称をつけているのがその証拠だ。あらかた艦娘はその艦によって独特の性格が建造当初より根付いており、その全てがある程度の範囲から逸脱したという報告は本部に居る時でも聞いた事が無い。

 だからこそ、那珂が私の事を「さん」という敬称で呼んでいる以上、彼女は真にこちらを信用し、言葉を交わしていると言う訳でもない。一昔前の「信頼し合う関係」にある提督からしてみれば深刻かも知れんが、私の場合は互いにそれを理解し、必要以上に近づこうとしないのだからある意味理想的な立ち位置であるとも言える。

 ……もっとも、那珂のアクションが無ければ初めの演説にて私と言う存在を艦娘たちに認知させることはできなかったであろう。感謝すべきであるのに、心の底からその感謝を伝えるべきではない私の立ち位置と、一定以上の立ち寄りを拒む那珂の心情。ままならんものだ、と思うしかない。上辺ばかりの明るさを周囲へ見せつけながら。

 

「軽巡洋艦・那珂」

「はいはーい」

「北上はともかく、川内と貴艦には明日の出撃を率先して引っ張ってもらう必要がある。部屋に戻った際に話しておいて欲しいのだが、川内と共に駆逐艦の引率に関しては君たちに任せたい。できると言った手前、出撃後には良い報告を待っているぞ」

「まかせて! ああ、でも提督さんが何したいのかはいずれ話した方がいいと思うな」

「考えておこう。それから、本日の間に見ておく資料を述べるのでそれらを纏めてから本日の職務を切り上げても構わん。戦いが本分となる兵器に事務仕事を任せてばかりでは明日に差し支えるやもしれん」

「やたっ!」

 

 その後、那珂に取りそろえて貰った十数枚の資料を手に、執務室には紙をめくる音だけが残った。カサカサと曲がる荒い藁半紙は軽いが、時間による劣化が激しく、黄ばんでいる事もあっていくつかの文字が霞んでいる。

 だが読み取れた内容は非常に大きい。手にしている駆逐艦・電に関する資料は提督から見た視点では猫可愛がりに甘えるだけの、ただの女の子としてみなされていたらしい。それが奴ら兵器にとってどんな残酷な事かも理解できていなかった、という点だけは深く理解できた。

 溜息と共に、近くにある内線を繋ぐ。

 

「任務係か、至急頼みたい事がある」

≪どうなされました≫

「駆逐艦・雷と電、そして吹雪に関して別の鎮守府から送られた客観的意見(・・・・・)に基づいた資料を探せるかね?」

≪了解しました。伏見さ……提督。それから、これは私の意見ですが、内陸の方にその左手を何とか動かせる様にはできる医者がいるようです。連絡を取りますか?≫

「確かに、治しておくに越したことは無い。其方とも取りつけておいてくれたまえ。時間はどれだけかかっても構わん」

≪迎えは此方に乗った時と同じ者を寄こさせます。では≫

「うむ」

 

 内線を切る。

 だがやはり、明日に控えた出撃の問題が直前になって浮かび上がってきた事が恨めしいものだ。出撃まで伸ばすと言う手段もあったかもしれないが、後続の提督として着任した以上艦娘たちを扱わなければならない身としては早々に艦娘たちの運用方法を習得し、艦娘たちを私の指揮下に入れなければならない。それが前提督の事を引きずっている艦であってもだ。

 

 




今回の縛り公開内容

 難易度:中
・敵の深海棲艦は全てエリート艦以上しか存在しないが、夜において赤と金のオーラは敵の居場所をいち早く発見するマーカーになる。

p.s.世界そのものが難易度ハードコアからヘルモード


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

永戦

私たちは、新結成された第二艦隊の配属のようですっ。
今回の提督さんはぶっきらぼうだけど、色んな謎が秘められてるみたいでとっても楽しみ。
その秘密を暴いて、艦娘の皆さんに知らしめたらどんな顔をするのでしょうか?

 あの、私たちの提督をコケにしてくれたおじいさんは。

―――とある重巡洋艦の手記より


 港は外側に対深海凄艦を想定したいくつかの防護装甲、それらに守られるように倉庫が立ち並んでいる。鎮守府は海に面した場所からは少し離れた位置にあるため、ここまで深海凄艦が攻めてきたとしても対応は十分に間に合う距離だろう。

 吹きすさぶ潮風が骨の節々を軋ませる。素のままでは、老いた目が遠くを見通すことすら難しい。だが、我ら人間は天敵との直接戦闘による職にはあぶれている。戦うのは我ら人間の乗った戦艦ではなく、自ら考え、行動が可能となった艦娘たち。目は必要ない。私はただ、頭脳となるだけでよいのだ。

 

「本日もまた澄み渡る快晴。絶好の出撃日和であると言えよう!」

 

 私の声が立ち並ぶ倉庫を通じて響き渡る。

 しかし、目の前に居る艦娘たちといえば那珂、川内、北上を除く駆逐艦たちは誰一人として私のことを歓迎するような態度では無いらしい。吹雪、雷、初春の三艦は吹雪以外で二度目の対面となるのだが、これでもかと乗せられた負の視線がこの身に突き刺さっている。

 私は意に介さず、ただ出撃を促した。

 

「これより近海への出撃を開始する」

 

 本当ならば任務係が用意した資料を元に作った深海棲艦討伐用の航路もある。しかし、この度に通るのはそれらを避ける様な道だ。那珂にはすでに伝えてあるが、あの不思議そうな表情は何だったのだろうか。

 それは、次の言葉を中断させられることで理解した。

 

「では、貴艦らの武運を祈って――」

「…あれ、提督さんも一緒に行くんじゃないの?」

「う、む?」

 

 一緒に、行く?

 確かに前提督は同じく彼女ら艦娘に乗って出撃していたようだが、艦娘は己の意志を持って判断、選択が可能な自立兵器の筈。そこに私が共に乗って行く必要は無い筈だが。

 

「提督さんが私に乗ってー、そのまま指揮を執ってくれるのが普通だよ?」

「だが、その間に私の成すべき仕事がある。貴艦の助けなくとも、既に資料は整っているため重巡洋艦の者に秘書を依頼するつもりだったのだが」

「ふぅーん。それが那珂の言ってた伏見さんの常識ってヤツ?」

「そうだ。人員が足りない場合は艦娘自身の判断によって出撃を行わなければならない。私が居なくなれば、実質鎮守府を取り仕切る者が消え整い始めた場が乱れる恐れがあるのでな」

 

 初めて言葉を交わすことになる川内からの疑問。それに答えてやれば、どうやらこの方式は知らなかったのか那珂を含めた全員が新しい物を見る様な視線になっているではないか。

 艦娘たちの自主性も縛るばかりでは士気に関係する、と言う事は重々承知している。だからこそ、未だ不安定なこの鎮守府から私が空けるわけにもいかないのであるが。

 

 考えが抜け出ないままにある中、私の耳に気だるげな声と共に一つの提案が舞い込んだ。

 

「じゃーまずは、前の提督がやってた事を体験してみたら? 新しい方法が気に喰わないって子もいるみたいだしさー? ねぇ、(らい)ちゃん」

(いかずち)よっ!」

 

 身を乗り出すように反発したのは小柄な茶髪の少女。快活そうな見た目とは裏腹に、此方を見つめる敵意に溢れた視線が年頃らしさを全て台無しにしている。

 対して、北上はひらひらと手を振るばかりであった。

 

「あーごめんそうだったねー、うん」

「重雷装巡洋艦北上、仲間との不和を生む発言は慎みたまえ」

「あ、はいはーい」

 

 その目を合わせて叱りつけようと、北上は一向にその態度を改めるつもりはない。

 艦娘は製造されたその時より性格が固定されているため、一度心に決めこんだ者へ考えを変えるよう強いても時間がかかるとの報告もある。ならばこのままで「北上」という艦娘を扱っていかなければならない。これも一つの試練とでも言うべきなのであろうか。

 だが頭ごなしに下の者の意見を却下してばかりでは過去の記録において数多に存在した「銃殺者」達と同じ末路を辿ることになる。何一つとして、失敗は許されんのだ。

 

「さて、いつまでも駄弁る暇もない。ここは北上の意見に賛成する形で出撃する事にしよう。以降の出撃に関しては此方の判断とする。異論はあるかね」

「ないよー」

「持ち合せてはおらぬ」

「では、いざ!」

 

 軍刀と共に右手を振り上げる。続いたのは那珂と川内、顔の辺りまで上げた北上と、突然の勢いについてこれなかったながらも手を上げた吹雪の四艦のみであるようだ。

 先ほどから初春は見定める様な視線を投げかけるばかりであり、雷は深海棲艦へ向けるべき殺気を此方へ叩きつけている。怨敵は深海棲艦であるだろうに、よもや人へ向けるとは……予想通り過ぎることもあるが、前提督の手腕を本気で疑うべきではないのか?

 では、と那珂へ声を掛けようとしたところで私の体は横に引っ張られていた。

 

「それじゃ、那珂ちゃん現場はいりまーす!」

「む、おぉ…!?」

 

 そして旗艦となる那珂が私の手を引き、海へ――!?

 いや、これが噂に聞く艦娘の……

 

 那珂の姿が光に包まれ、それは港の一角を覆い尽くした。那珂が向かった海面は大きく波打ち、桟橋近くの海水を溢れかえらせてはコンクリートで舗装された岸壁へ打ち付けては撒き散らした。

 提督――伏見丈夫は、その隣に居たからこそ目を見張り、その変化を視た。

 

 那珂の人の形は崩れていく。人の体は全体の皮が裏返り、細かな機械部品が敷き詰められた鉄の棒へ変化した。頭・足・体・そして艤装がそれらの上へと昇って行き、内側から迫り出した人の形を越えた量の鉄塊が艤装の周囲を肥大化させる。丁寧に折り目のついた紙が広げられていくように、彼女の体は日本の魂を受け継ぐ戦いの道具へと変貌を遂げる。

 

 信じられない、と言うのが最初の印象。

 美しい、と思ったのが私の本心。

 

 朽ち果てる人々の心とは裏腹に、変わらず大日本帝国の息吹を感じさせる艦隊決戦の意志。進めば掻き分けられる海の潮騒が織り込められし鼓動。最初の光は雷鳴の如き素早さにて切り替わる表れ。

 気付けば私は、艦橋の一室へ収められている。現代の計器類から比べれば古く、しかし生命を感じさせる計器の光。独りでに回る舵。高く、積み上げられた艦橋の高さは我々の歴史を詰め込んだかのごとく湾岸を見下ろしている。私もまた、初めて見る、ソレの名は

 

「艦娘の“戦艦形態”……」

 

 艦娘が人型・船型入り混じる深海棲艦へ対抗するために得た姿は二つ。

 人の形へ船の艤装を取りつけた「艤装形態」。

 船そのものとなり、大戦時以上の性能を誇る「戦艦形態」。

 この二つの形態を使い分けることが、戦闘を大きく左右するとも言われている。

 

 対し、深海棲艦が持つ姿もまた二つ。

 人の姿を模したおぞましくも妖艶なる「擬装形態」。

 軍艦の面影を残しながら禍々しい威圧を放つ「棲艦形態」。

 この二つの形態にて、当初の人類は数多の攻撃に翻弄された。

 

≪マイクチェック……感度良好っ! ひっさしぶりの軽巡那珂ちゃん進水だよー! さぁ提督さん、他の子たちにも≫

「う……うむ」

 

 那珂の通信系統が電力とも異なる未知の力によって通信管制を繋げる。

 そう。私はただ、ふるまえば良いのだ。この兵器共の手綱を握る提督として。

 

「川内、雷、吹雪は艤装形態にて軽巡洋艦那珂へ乗り込め。同じく棲艦形態の敵へ先制を取るため、北上及びに初春は戦艦形態となり旗艦・那珂へ随伴せよ。単縦陣にて出港する、遅れるな」

 

 とりあえずは全員が此方の命令通りに頷き、北上と初春が戦艦形態へと変化、那珂の両隣にある桟橋へ北上と初春が飛びこんだ先からは駆逐艦・軽巡洋艦一隻分の排水量が分かるほどに潮を撒く。重々しくも厳格なる姿を現した二艦は静かに那珂の横へ佇んだ。

 

「出港路良好、微速前進! 第一艦隊、出航!!」

 

 那珂に続き、無言で初春・北上と単縦陣にて波を掻き分け鉄の船が進み始める。全ての人の手が必要な計器は自動で光を放ち、スイッチが切り替わる。

 そうだ。これは彼女らにとっての常識であり、私の様なものがいることこそ異端。なにもかもが那珂という艦娘の意志によって搭乗員の仕事全てが行われる船の中で、遥かなる母なる海へと運ばれる私自身が、忘れることなど許されない第一歩を踏み出しているのだと確信した。

 

 

 

「……現在敵影無し」

 

 現在は海上、明け方より数時間後の一三○○。

 双眼鏡を構えて海の向こうを見つめるが、敵らしい影は見えない。

 再び那珂の通信管制を開く。

 

「本艦隊は東シナ海を経由し、パレンバンまで向かう。200キロ以上の航行となるだろう」

≪い、いきなり? 随分真っ直ぐ進むなぁって思ってたら……≫

「我々はパレンバンの油田跡にて“妖精”を捜索し、艦娘用資源としての確保を予定している。その後は遠征艦隊のルートに組み込み、安定した燃料の供給ラインを構築の予定である。無駄足になったとしても対潜水深海棲艦を考慮し、侵攻予測海峡に機雷をばら撒きながら帰還する」

≪ただの出撃では無い……ということかや?≫

 

 通信を通じて、二番目に続く初春の探るような声がある。

 これは出撃前に周辺海域の掃討としか言わなかったことへの疑いだろう。

 

「その通りだ、初春。過去にも出撃の際に廃鉱から妖精を見つけ、鋼材資源の確保という記録もある。そして貴艦ら艦娘の戦艦形態は人員を必要としない以上、格納庫は空く。パレンバンは大戦時において優秀な油田だったことから含め、諸君らの轟沈が無い限りは当面における燃料資源を入手可能な航海になるであろう。なお、無謀に敵の群れを探して突っ込む予定も無い。……その辺りを理解しているかね、軽巡洋艦・川内」

≪夜戦になったら突っ込もうかと思ってましたー。でも帰る頃には夜になってるよね?≫

 

 甲板からこちらを見上げながら言うのは川内。視線に期待を込められようと、如何に深海棲艦を一艦でも多く沈めなければならないのが世界情勢と言えど、現在の我々であるからこそしなければならん事もある。

 彼女にはこらえてもらうほかあるまい。

 

「……それはともかく、私が乗ってしまった以上、この初となる出撃を遠征にも近しい行為で終えるとなれば、真実を知らぬ艦娘が以降の我が指揮を疑うのは必須。だが出撃という事実の中で資源確保が付いてきたのならば“幸運”という言葉で片がつき、幸先のいい結果であるとも知らしめることが可能だ。無論、この事は後に私自ら公開する事項であるが、その時まで極秘とする。貴艦らの賢明な判断を期待しよう」

≪はーい≫

≪はいはい≫

 

 当の始めから騙しているのだから、ここで小さな嘘をつくことに問題は無い。少なくとも、先の発言でこれまで十分な燃料を補給できなかったのであろう川内の声色は上気している。

 我ら人間と、兵器である艦娘。あり方は違えど、人間に近しい感情を持つのであれば腹いっぱい食えることを喜ばない者はいない。これまで貧しい食生活であった者であればその喜びもひとしおであろう。隠し通す意味もない。

 

「いつ敵艦隊が現れるとも知れぬ。リンガの特徴でもあった周辺海域への襲撃が無いという実績に期待するしかないが、この世界はそう甘くもない。そもそも、対抗戦力と成りうる艦娘の補給ができないとあっては制海権を握ろうなどと夢のまた夢。だからこそ、この様な下地を積まねばならぬ。駆逐艦・雷、承服しかねるとは言うまいな」

≪分かってるわ、伏見さん。分かってるわよ……≫

 

 那珂の甲板で待機する雷の呟きが通信に乗って聞こえてくる。感情を押し殺す、なんとも不服そうな声色だ。それほどまでに我が指揮下に下るのが不満であるのか、はたまた敵である深海棲艦への攻撃的行動を制限された事が不服であるのか。

 ただ、此方に投げかける言葉全てに敵意が乗せられているのは間違いない。初春の反応はまだまだ私の事を伺いつつも見極めの段階に入っていると言ったところだ。吹雪は、もはや何も言うまい。

 

「……駆逐艦・吹雪。此方から敵影は観測されていないが、其方はどうかね」

≪……え? は、はいっ。左右共に敵影ありません!≫

「了解した。ソナーにも反応は無いが……軽巡洋艦・那珂!」

≪なぁにかなっ? 提督さん≫

「現在35ノットで航行中であるが…速力を上げろ(・・・・・・)。敵影は無くとも今回ばかりは急がねば、何かが起こるやもしれん」

≪フルスロットルまで行っちゃう? タービン破損の危険もあるけど≫

「いいや、軍艦ではなく艦娘としての通常航行速度だ。このような老体など気にするな」

≪那珂ちゃんりょーかい。川内に初春ちゃんもちゃんとついてきてね≫

「……っ」

 

 那珂の船体が揺れ、体に掛かる慣性が癒えない左手を襲う。

 艦娘は艤装形態・戦艦形態のどちらであっても性能が違う、と言う事は無い。ただ深海棲艦への形態対応によるものであり、資源を運べるか、はたまた人型として成せる仕事があるかによってしか違いは無く、性能と言う面では何一つ違いは見られないであろう。

 

 しかし、深海棲艦は既存の軍艦しか持ち得なかった頃の我々を圧倒する速力、砲撃力、堅牢な装甲にて人類を圧倒した。対して、錬度さえ積めればそれらを圧倒する事が可能な艦娘が、いつまでも原型となった艦の性能のまま甘えていたのだろうか? その答えは否であった。

 速力は元艦の2~3倍程度となり、特殊な艦娘用資材「鋼材」を用いる装甲は従来の装甲板より圧倒的な強度を誇る。砲撃の威力は中破させる事すら難しかった深海棲艦の駆逐艦を容易く轟沈・爆散させるほどにまで。

 私が本部で報告を見ている時は、本当にあの若かった頃から我々の扱う兵器が変質して行ったのだと実感したのを覚えている。だからこそ、この年になるまで、艦娘の前線を経験できなかったのは残念だと言ってもいい。

 

 どちらにせよ、航行速度が上がるのは今の私にとって喜ばしいことだ。

 何度も私の命を、私の命運だけ(・・)を救ってきたこの突如とした悪寒。これが私の身を急がせる。この後に待ち受ける残酷な運命よりは軽くも、しかし看過するにはあまりに忍びない危機が待ち受けているとこの身を急かすのだ。

 

「……まさか、な」

≪聞こえておるぞ、貴様。なんぞ、気になることでも?≫

「ただの悪寒だ。故に、急がせた。この判断に申すことでもあったか、駆逐艦・初春」

≪とくには、なにも≫

 

 まだまだ探りかねるように、初春の声が耳を打つ。これが艤装形態でいたならば、自前の扇子で口元を隠すことでもしていただろう。

 しかし、初春は前提督との接点も薄く、報告書にも名前があまり上げられていなかったが故にその真意を測りかねる。此方の技量を疑うような言動を見せては、この度の私の呟きへは反応する。駆逐艦・雷のような敵意こそ見えないものの、この初春が我が身に求める何たるかを理解するのは未だ難しい。

 何を目的とするか、艦娘全員のそれを理解せねば私の目的のために彼女らと「取るべき距離」を分かるのも到底不可能だ。決して踏み入れられず、かと言って極端にも遠ざからない心の距離。今のところ言葉を交わした艦娘の中では、初春は捕え所のない強敵と言ったところであろう。

 

 ただ、真なる敵が控えているからこその悪寒が止まらない。右手にある杖代わりの軍刀へ握る力を強め、この悪寒の正体を探るためにも、この航海の行方を知るためにも、私はただ、双眼鏡越しに陸地が見え始めた先を見つめ続けた。

 

 

 

 冷たい海の底。彼女らが現れることを予測できる者はいない。

 まるで木枯らしのように、己の脅威の訪れを知らしめては青々と茂る葉肉を萌ゆる枝ごと切り落とす。地に落ちた命はただ失われ、糧ともせずに木枯らしは世界を回る。

 故に気付く者などどこにもいない。

 木枯らしは何もかもを知っていた。風のうわさに聞けぬ場所は無く、世界を回る風は冷たい言葉を落とし往く。獣は風の運んだ血の匂いを嗅ぎ付ける。泡立て、冥い海の底より現れ出でしは我ら人類の敵。

 

 

 

 パレンバン、油田跡に私たちは来ている。那珂さんと一緒に港で待つ新しい提督……伏見(ふしみ)丈夫(ますらお)。彼は、今までの私たちの苦労や、私たちの司令官の全てを否定する災厄。少なくとも私はそう思った。

 私たちは何もかもが手探りで、古い断片的な情報から実際の出撃でマッピングをしながら周辺海域の資源を探していた。でも、そこにいた妖精さんは大抵が一回限りでしか採れないのだと言って消えていく。

 それでも、本部から備蓄が届かないからって新しい資源を見つけるたびに私たちは一緒に喜びあって、支え合って、この海域を何とか生き延びてきた。それでも仲間は何人も沈んでしまったけど、その分私たちは頑張っていた。……その筈だった。

 

 その司令官との頑張りは、この油田を見たら…全て馬鹿にされたんだと、否定されたんだと思ったの。だって、こんな……

 

「やっほー! 資源いっぱいじゃん! ねえ妖精ちゃん、ここってどれくらい採ってける? ……え? 私たちいっぱいに持ち帰っても十数年保つ!? やったぁバリバリ夜戦しほうだいじゃん!! 追撃し放題っ!! ……ん、どしたの雷。元気ないなぁ」

 

 上から覗きこんでくる川内さん。

 私たちの司令官が死んでも、そんなに悲まなかった人。

 だからこそ、私たちの頑張ってきたことを、司令官がやってきた功績を全て塗り潰す様なこの補給物資の山にどう感じているか聞きたくなった。

 

「川内さんはこれでいいの?」

「あちゃぁ、やっぱりまだ引きずってたかぁ。でもねぇ雷? どうせ私たちもずっと一緒にいれる訳じゃないよ。別れるのが早かったか、遅かったか、私たち艦娘にとってはそれだけでしょ?」

「それは…!」

 

 否定、できなかった。

 司令官は、人間で。私たちは艦娘。人間は成長して、変わって、老いて……。

 でも私たちは、鋼材が腐食して崩れ落ちるまではずっとこのまま。

 理解したくないのに、頭の中ではそれが当たり前だなんて言っている。そんな自分を解体してやりたくて仕方ないのに、司令官の笑顔が浮かんで…壊れそうになる。

 

「とにかく積んじゃおっか。妖精ちゃん、港の方までお願いねー」

 

 悩んでいる間に、川内さんはこの油田に居る妖精さんを誘導している。

 帰路につきながら、こっちに視線を投げていた。

 

「ほら、とにかく帰るよ。あっちが死ぬか、時間が解決するかは分かんないけどさぁ。私たちはあの伏見って提督さんが言うとおり兵器なんだから、深く考えたらそこで負けだよ」

「……そう、かもしれないわ。だけど、諦めたりなんて出来ない! 認めるなんて、私の感情が許さないの!」

「ふーん。そんなに思いつめるんなら、戦わなくてもいいんじゃん? 私たちの“作られた理由を理解したくないんなら、背きたいんなら戦わせない”って提督さんも言ってたし。それにさぁ、多分あれ、那珂からの受け売りだけど」

 

 川内さんはこっちを見つめて、言った。

 

「私たちを沈ませない照れ隠し、だってさ。あのお固い軍人頭だから、ぱっと見で女子供をストライクな私たちは覚悟が伴って無い限り、戦場に出したくないんじゃないかな」

 

 ………そういう、事なの?

 

 

 

「燃料資源は、言うまでもないようだな」

「大漁大漁~♪ この川内さまが見つけてきたんだから、これ以降はちょっとくらい融通聞かせてもらえるよね?」

「君にとっては残念かもしれぬが、乏しい鎮守府の現状を考えたまえ。君一人で世界が回っているわけではないのだ」

「そりゃそっか。まぁこんだけ取れれば満足って感じかな」

 

 港で無言の那珂と待つ事、およそ30分。

 地上をも艦娘の持つ性能を十全に発揮し、即時油田跡から帰還した川内の背後には大量の「燃料」と呼ばれる艦娘用資源が中空に浮いていた。どうやら、艦娘専用の艤装・補給物資・整備工場には我ら人間には見えない「妖精」という種族が今ここに存在しているらしい。

 任務係のように特殊な施行をされた者であれば見えることもあるが、基本的に人間の目には入らない。その艦娘以上に歴史が深く、不可思議な存在が我々に手を貸してくれている事を恐れるべきか、はたまた喜ぶべきかは軍の中でも意見が別れていた事を思い出す。

 

「しかしこの量は……北上・那珂・初春の三艦に収まるのかね」

「んー、ちょっと欲張ったからなぁ。雷を戦艦形態にしたら余った分は収まるかな。甲板に置いても良いって言うんなら別だけど」

「深海棲艦の砲撃で自爆する気でもないのであれば、それが賢明な判断だな。では聞いての通りだ駆逐艦・雷よ、戦艦形態にて三艦余剰分の燃料を収めておけ」

「……」

「どうした、返事が聞こえんぞ」

「分かったわ」

「…………」

 

 あまりにもぶっきらぼうな物言い。まだ慣れんうちはともかく、上官に値する私に対してこれでは他の場所では営倉行きは免れない。

 だがここは、既に廃棄が決定されている。実際は軍部に従わなくてもいい場所であるが、私が無理を通したことで此処の後任に収まった形だ。

 疑いをもたれない程度には、多少の軍規を残して行かなければならない。匙加減を間違えぬよう、心の内を悟られぬようにせねばならぬ、か。老い先短い身としては、未来を危惧せねばならぬと言う皮肉な話だ。

 

 だが、結局雷は命令通り戦艦形態へと変化し、その甲板に浮遊する燃料資源が移動して行く。余談ではあるが、ポルターガイストと呼ばれていた現象の正体は妖精ではないのかと疑わずにはいられない。

 

「ん、提督。積み込み終わりました」

「よし、現時刻を以って我々はパレンバンを出発し、我らの鎮守府へと帰還する。“行きはよいよい、帰りは怖い”が常であるため、深海棲艦の出現には重々注意されたし」

「了解でっす。そんじゃ帰ろっか! そろそろ夜だもんね~」

 

 川内の様子は朝と比べても、目に見えて上機嫌である。

 そもそも軽巡洋艦・川内の軍艦時代はその大半を夜戦による出撃で過ごしたという記録がある。それが、重巡洋艦と比べさほど夜戦能力もない彼女に夜戦という言葉を染み込ませる要因になったのやも知れん。それに意味が存在するかと問われれば、戦いの気兼ねがある分扱いやすいだけであると言えるのだが。

 

 しかし、やはり雷はこの私への敵意を深めたようだ。

 最近の若造では、調べなければ知る筈もない本部の情報。半世紀以上前の第2次世界大戦に関しての資料。かつてより継続して使われることになった各鎮守府の背景。本部より飛ばされた前提督では階級の問題もあって情報は引き出せなかったであろう。パレンバンの油田がリンガ泊地の主な補給源であったなどと。

 だからこそ、補給所を知らないが故に捜索に努力を積み重ね、前提督との思い出でもあったそれらをたった一つの情報で覆してしまった私を敵視する。しかし、理にかなっているからこそ命令から背く様な真似もしない。何かと、那珂と同じ価値観の川内を向かわせたのは正解だったようだ。

 

≪提督さん≫

「うむ、格納庫内の燃料はしっかり積まれているな」

≪こちら初春。問題はないぞ≫

≪私んとこもパンパンだよー≫

 

 問題は無い、とのこと。

 自分と気の抜ける北上の返答には注意を呼び掛けておくとして、とにかく今はすぐにでも帰らねばなるまい。なにより、この悪寒が何故か先ほどよりもずっと強まって来ているのだから。

 

 そして私は、まるで風邪にでもかかったかのような背筋の寒さが、決して間違いではない事を知った。行きはよいよい、帰りはこわい。我々の恐怖を体現したかのような深海棲艦が、この不安を嗅ぎつけない筈もなかったのだ。

 

 

 

 それは何よりも突然だった。

 深海棲艦、という言葉は何よりも奴らに相応しいと、改めて思い知った瞬間。

 暗くなった航路を、那珂に取り付けられていた望遠鏡を覗いていた時にようやく気付く。その先に待ち受けていた、海の底より発生していた不自然な8つの気泡に。

 

 あの大戦の頃より、艦娘たちが現れてから通信機能はリアルタイムで我らの言葉を通し、伝言よりも間違いなく正確に命令を伝えられるようになっている。だからこそ、私は叫んだ。

 

「敵艦見ユ! 敵は我らに向かうものの如し!」

≪えっ!? ……あ、今ソナーの範囲内に入ったよ! みんな、気をつけて回避行動!≫

「敵影を確認。どうやら偽装形態3、棲艦形態5の構成。駆逐艦・初春及びに吹雪は攻撃準備。川内は吹雪と距離をとって待機だ」

≪イヤッホー! マジで夜戦きたぁぁぁ!!≫

≪吹雪、行きます≫

 

 私の言葉に、吹雪と川内が那珂の甲板から降りて海面に立った。

 まだ命令の内に従ってくれているが、吹雪は既にその声からして震えている。

 厄介なことにならなければ良いが。

 

「北上、雷を隠しながら左舷の魚雷を放つ準備を。機は此方が判断する」

≪はいはーい、っと……よし、いつでも撃てますよー。雷もちゃんと守られててね≫

「初春も北上と同時に魚雷発射。目標は奥の棲艦形態の空母ヌ級だ」

≪よかろう、わらわの妙技とくと見届けよ≫

 

 敵は真っ直ぐに此方へ向かっている。

 そして、双眼鏡でも視認可能なほどに奴らはその姿を現した。

 

 船体から立ち上る赤いオーラは夕暮れのように夜の海を照らしている。生物が織り交ぜられたような、実際に破壊行動が可能な船首を持つのは駆逐艦イ級とハ級のおぞましき姿。これほど距離が離れていても、異様なまでに練られた殺気が私の肌を貫いてくる。

 徐々に両者の距離が詰められていく中、望遠鏡を覗きこんでいればその駆逐艦の黒い装甲甲板から二つの小さな影が下りたのを確認できた。その姿は、重巡洋艦・リ級と呼ばれる我らの天敵。駆逐艦の甲板から飛び降り、海に足を着けて立つ……瞬間(いま)だ。

 

「発射」

 

 無言で北上の左舷から魚雷が投下される。

 彼我の距離は宵闇で見えないが、あちらは「匂い」とやらで此方を。此方は赤いオーラの光であちらを観測している。だが、光っている分敵の行動が観測できるのは大きなメリットである。

 だからこそ、前提督の出撃記録の中でもずば抜けて運用回数が多かった北上が間違える筈もない。予想通り、四隻の駆逐棲艦は魚雷弾着によって着弾地点を一瞬浮き上がらせたかと思えば、そこから真っ二つに折れる様にして海の中へ沈んで行く。だが逆に言えばこちらの艦娘もああなる可能性はある。油断はならない。

 

「着弾観測。予定通り重巡リ級を擦りぬけ、駆逐4隻は轟沈。流石だ」

≪褒めるのもいいけどさぁ……≫

「分かっている。吹雪、川内は重巡リ級へ魚雷発射。機銃で牽制しつつ挟撃の形で逃げ場をなくせ。那珂は軽空母棲艦・ヌ級へ射程距離に入り次第砲撃を開始せよ」

 

 幸いにもヌ級はどちらも浮上途中で艦載機を飛ばしてきてはいない。少々焦る判断となったが、リ級を順調に撃破できれば棲艦形態と偽装形態にある2隻のヌ級を沈めてこの場を勝ちぬける事が可能だろう。

 

 そして吹雪、川内の両名が魚雷発射管から魚雷を落とし、リ級を挟むように海面を走りだした。まるで浅瀬を走っているかのような彼女たちは、しかし確実に我ら人間では立つ事も出来ない海面を蹴り、踏みながら海面を走破する。

 

 やはりというか、物量の身で我々を圧倒した深海棲艦のリ級二体は予想通りまとまって、単純に此方へ走って来ている。そこへ三角形を結ぶように発射された吹雪と川内の魚雷が襲いかかり、効果が薄いようにも見える機銃の衝撃がリ級の足を止め、魚雷を直撃させる。

 人の形をしたリ級は地雷を喰らった人間のように片足を吹き飛ばされ、そこを容赦なく主砲を押しあてられながら艦娘たちによって頭部を吹き飛ばされた。それでも、まだ動くのが深海棲艦の面倒な所。そうして川内は半ば作業的に、吹雪は妄執的なまでにリ級の体を破壊して行った。

 

 これでようやく敵はヌ級のみ。まだ浮上が終わったばかりのヌ級が艦載機を飛ばすのが早いか、はたまた――――

 

≪あ、あぁっ!≫

≪やっば! 提督さん、吹雪が艦載機の直撃食らった!≫

「なに?」

 

 改めて夜の中を望遠鏡で見れば、高角砲で艦載機を打ち落としながら中破状態にある吹雪を庇っている姿があった。しかし、川内の対空機銃はいくつか擦りぬけてしまっている。

 これが示すのつまり、ヌ級が明確な意思を持って艦載機を棲艦と偽装で混ぜて来ていると言う事。まさか、

 

「那珂、川内の上空へ対空砲撃開始せよ! 北上は右舷の魚雷をヌ級へ! 川内は艦載機の撃墜次第、此方へヌ級の照準が向いている間に接近し、主砲を放て。吹雪は同じタイミングで後退し那珂の影へ隠れていろ」

 

 那珂の砲台が高速で回り、川内の上空へ機銃による連続射撃を開始。それによって艦娘用に強化されている砲門のけたたましい音が夜の海を覆い尽くした。

 北上はまた、正確な狙いでヌ級へ魚雷を放つ。例によって人間の使うものより速度が大きく上昇した魚雷群は1分後に棲艦形態のヌ級へ到達し、5つもの着弾によって跡形もなくヌ級の船体を破壊する。

 あと、一艦。それさえ沈めれば――――――なに!?

 

「戻れと言ったのが聞こえなかったのか、吹雪!」

 

 川内よりも早く、艦載機の爆撃が終わらない内に吹雪がヌ級へ動いた。

 確かに川内と吹雪だけが艤装形態であり、彼女らが唯一のヌ級への攻撃手段である。しかし、吹雪の射程と敵艦載機では敵に利があり過ぎる。

 

≪沈める、沈めてやる…!≫

「川内、あの馬鹿者を援護しろ!」

≪そうは言ったって……ああもう! 那珂、ちゃんと当ててる!?≫

≪当ててるけど、相手も逃げるんだから……よし、墜とした!≫

≪よっし川内、いっきまーす!!≫

 

 そうこうしている間に、吹雪の元には既にヌ級の艦載機群が向かってしまった。

 川内が追い縋るが、奴らのスペック上の航行速度はそれほど変わりない。そして川内が援護するには理不尽なまでに距離も空いていて、吹雪の装甲が艦載機の攻撃に耐えきれる訳でもない。

 来るべくして、その瞬間は訪れてしまった。

 

 吹雪がギリギリ射程圏内に入った瞬間、両手で12.7cm砲の艤装を構えながら砲撃を開始。魚雷発射管も同時に開かれ、碌に狙いが付けられないままヌ級方面へとむかう。だが、吹雪の上空には18にも連なる艦載機群。

 ヌ級が吹雪の砲撃で轟沈するのと同時、艦載機群は吹雪へ攻撃を浴びせて消滅する。残った弾丸は消えることなく、彼女の体へ吸い込まれるように向かっていき―――

 

 着弾、その度に幾度か体を震わせて、彼女は崩れ落ちかけた。

 その手を追いついた川内が掴み、海へ沈む前に引き上げる。だが彼女の意識は既に無い。沈むまでとは行かなくとも、「大破」と称される状態であるのは誰の目から見ても明らかであった。

 

≪……こちら川内。吹雪を確保したから、引航するね≫

「吹雪は戻り次第、まだ寝かせる場所のある雷の格納庫へ。そこで妖精に診させておくといい。何者にもなりうるのが妖精の本分だった筈」

≪ドックの妖精さんより効果は低いけど、そっか。そう言う方法もあったんだ……≫

≪危うく、また仲間が沈むところじゃったのう……貴様。いや、提督殿。まだ錬度の足りておらぬこの艦隊でよくぞここまで≫

「世辞はいらん。危うく一隻が沈みかけた私の手腕などこの情勢では何の意味もない」

 

 …不味い。中途半端になったからこそ、初春の「見極め」は距離を近くしても良いと言う判断につかせてしまったようだ。那珂と違い、実力で認めてきたからには命令には従う程度なのだろうが、距離をこのまま縮めさせてしまう危険もある。

 それもあるが、吹雪を完全に卸しきれなかった事が悔やまれる。思えば、最初から指揮に従っているようで、いざとなれば独断をしようとするのは感情に任せた命令違反者の常套手段だ。最後の最後で、雷を吹雪のストッパーとして配備しておく方が良かったのかもしれん。

 

「……あの、馬鹿者め。私の指揮に従わないとは何事だ」

 

 艦橋の椅子に座りこみ、頭を抱え込む。

 どうにも前線を離れていた時期が多過ぎたせいか、艦娘と言う物を初めて指揮下にもったからか。いや、恐らくその両方が原因で私自身の能力も大きく減衰している。川内も同じく艦載機に晒されていたこともあって小破状態にあるが、中破に陥った吹雪を大破にまで貶めたのは明確な此方の判断ミスなのは間違いない。

 ……なんにせよ、現状は危機を乗り切った形になる。座ったまま、次の指示を出すことにした。

 

「とにかく、この鎮守府との距離が50キロもない海域で深海棲艦と一度遭遇した以上、二度目の出現は恐らくないであろう。海底も深海棲艦が出現しない一定の高さに入った。後は吹雪の無事を祈りつつ、帰還するぞ」

≪了解。……それにしても、やっぱ駆逐艦ってアレだね。私には理解できないかなぁ≫

≪提督さん、この位の想定外はいつもの事だから大丈夫だって。那珂ちゃんも、遠征中にあの子以上に傷ついた事はあったけど皆が引き上げてくれたから沈む事は無かったよ?≫

「そうか、そうだな」

 

 嗚呼、いかんな。

 艦娘たちを一隻たりとも沈ませないことも私の目的とはいえ、少々それに思考が傾き過ぎていた。

 

「では吹雪は妖精に一任する。また、我々は幸いにも燃料を運ぶ戦艦形態は無傷でくぐりぬける事ができた。艤装形態の艦娘は傷を負ったが、傷は浅い」

 

 現状を確認するように報告する。

 分かっている。これは私の自己満足だ。

 

「付き合わせた手前、私は貴艦らの無事を嬉しく思う。だがこれより先の出撃は前提督が戦艦達に経験させたもののように、今回より熾烈な物となることは必須。よって私は、己が下した指揮によって存分に君たちの力を使わせてもらう。仲間を見捨てる命令があったとして、それにすら従いたまえ。それが貴艦ら兵器が我々人間に示すべき義務である」

 

 故に、その真意の一端を覗かせよう。彼女ら艦娘にも真実を知る権利はあるのだから。

 

 

 

 それから、夜も更けた頃。ようやく私たちは鎮守府に戻ってくる事ができた。

 およそ一日を掛けたこの出撃は、やはり艦娘たちの判断であっても十分に対応可能なものだった。しかし、艦娘が気付かなかった点があったのも事実。これより先は私が旗艦に搭乗した出撃と、搭乗しない出撃を分けて行くことになるであろう。

 

 そんな、未来の事ばかりを考えていたからなのであろうか。

 いいや、私は目の前の光景に一瞬でも逃避したくなってしまったのだろう。

 こうも厄介事ばかりが起こると言う事は、私の決断した年は厄年であったと証明するようなものだ。……いいや、いい加減に目の前の現実を見つめなければなるまい。

 

 

 赤々と燃え盛る深海棲艦の残骸、かつて整えられていた桟橋は幾つも破壊され、港の形は無残な瓦礫へと成り果てている。応戦するのは数多の艦娘、侵攻するのはおよそ20以上の敵影。

 重厚な護衛艦隊として任務係に発表しておいたのが功を奏したのか、私の考え組んだ第2艦隊が主となって奴らの侵攻を食い止めている。だが、圧倒的な数に加えて3隻の空母系、7隻の戦艦系が圧倒的な火力と制圧力で艦娘たちの反撃を許さない。

 

 嗚呼。鎮守府の港は戦火に包まれているらしい。

 




今回の縛り内容公開

 難易度:高
・妖精は人間に見えず、艦娘用資源は過去に一度発掘された場所でなければ入手不可。
  よって、本部からの資源備蓄(5分で5ずつ)は無い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

電撃

いつからこうなったのか、もう忘れちゃったな。
電の笑顔には、みんなが笑ってくれていました。
司令官さんが沈んだ後も、落ち込んだ雷のために笑っていました。
でも、どうして雷は電のほっぺを叩いたのですか?
電はとっても悲しいのです。

新しい司令官さんにも、ちゃんと笑顔を向けられるよう練習をするのです。

―――とある駆逐艦の絵日記より。
  クレヨンで描かれた絵は真ん中を黒く塗りつぶされた丸だけであった。



 私たちが鎮守府で「任務係」っていう女の人に事務仕事を手伝わされてる時だったかしら。そうね、ちょうど私が第二艦隊に配属出来ると知って舞いあがっていた頃だと思う。

 あまりにも唐突に起こったせいで、勘違いしちゃった。この私がよ? ただの地震と間違えるなんてダメよね。それもまあ、すぐに聞こえてきた砲撃特有の炸裂音が違うって証明してくれたのだけど。窓を開けていたから分かる硝煙の匂いと、爆発物特有の熱波。そこから見えた、鎮守府に打ちこまれた魚雷が破壊した桟橋の残骸が敵の襲撃を物語っていたわ。

 

≪緊急事態が発生しました。鎮守府に向けて深海棲艦が接近中。反応は二十五。第二艦隊は旗艦を天龍とし、すぐさま迎撃へ向かって下さい。伊19と伊168の2隻は潜水用ドックへ、指示あるまで待機を。第二艦隊はこれより提督が帰還するまで私が指揮を執らせていただきますのでご了承ください。繰り返します≫

「おい、なにぼうっとしてんだ足柄! 早く行くぞ!」

「分かってるわよ!!」

 

 前には無かった、多少は正確な敵の情報。艦種も不明だけど、この海域に入って来たのが25体なら、私たち第二艦隊で十分対処は可能。そう思って意気込んでいたわ。この魂が艦娘と成る前、英国から「飢えた狼」なんて、敵艦(エサ)を貰えずやせ細った皮肉みたいな大層な名前を貰っていた私が、この敵の出現に舞いあがらない筈もないものね。

 でもそれは、すぐに間違っていたんだって身を以って知ることになった。少なくとも「提督」の才能を持った人間も近くにいない艦娘が、単身代行の指揮の下で上手く動ける筈もなかったの。

 その結果が、防戦一方になり果てるのも仕方が無いなんて、言い訳よね。

 

 

 

 見えてきたのは炎上する鎮守府周辺の倉庫。いくつかの大きな船影に視界の確保を邪魔されているが、見えているだけでも空の倉庫ばかりが燃え上がっているので大した被害にはならないだろうという判断ができる。しかし着目すべき点はそんな場所では無い。

 双眼鏡から見えた敵の艦隊は半円状に海側から鎮守府を囲い、一斉に砲撃を仕掛けているようであった。任務係が有事の代理指揮を執っているのか、私の選出した第二艦隊の面々がソレに応戦し一応は艦娘としての働きを見せてはいるが、逃げ場もほとんどないあの地形では思うように立ちまわれていない。加えて、陸に居る時点で不利であると言う事は覆せていないらしい。

 

≪あちゃー、本部の奴ら全然動けてないねえ≫

≪伏見さん。早く助けにいかないと電たちがっ!≫

 

 双眼鏡を見る限り、艦娘たちは艤装形態でしか応戦できず、戦艦形態になる空間もないがために敵の棲艦形態である敵砲撃を見過ごさなければならない羽目に陥っている。艤装形態である限り、艦娘自体は棲艦形態の攻撃全てが擦りぬけているが、問題は鎮守府そのものが無くなってしまう可能性だ。こうなれば、味方の補助のため此方から敵の隊列を崩すことしかできないのであるが……下手を打てば此方の攻撃が鎮守府を危機に陥れることになってしまうであろう。

 

 だからと言って、何もしないと言う訳ではない。

 失敗やリスクを恐れて何もしないのであれば、それは深海棲艦と戦う事そのものを放棄している事と同義であるのだから。マイクに口を近づけ、早速我らが兵器へと命令を下す。

 

「旗艦那珂、本部との回線を開け」

≪あ、うんっ!≫

「……聞こえるか任務係、こちら艦橋、伏見。二一○四、帰還した」

≪繋がりました。こちら任務係。艦橋へ敵情報を送ります≫

 

 発達した電子技術。艦娘・那珂の艦橋にある機器には本来の「軽巡・那珂」には取り付けられていない筈のモニターが邪魔にならない程度に増設されている。そこに表示されたのは鎮守府の状況と、応戦する艦娘の名簿。そして敵艦の艦種と数だった。

 

 敵の情報は端的に言って、戦艦7隻・軽空母3隻・重巡洋艦4隻・駆逐艦8隻・潜水艦3隻といった編成らしい。一体どこから入り込んだのだと頭を痛めたくもなる内容だが、襲撃された事実が悩んだ所で消え去るわけでもない。

 幸いにも真正面からの襲撃のみで、他の港には深海棲艦の反応は無いようだ。となれば、まず優先すべき事は積み荷を乗せ、なおかつこの状況下で戦力にならない低火力の艦を先に鎮守府へ届け、戦艦を運用するための燃料を確保する事だ。そしてその燃料は、雷一艦のみであっても1ヶ月は保てるだろう。

 

「初春、吹雪を乗せた雷を護衛し別の港から鎮守府へ燃料を届けろ。多少遠回りになるが貴艦ら艦娘の運動能力ならば問題は無い筈だ。川内は戦艦形態となって此方の戦列に加われ。那珂、北上と共に外側から棲艦形態の敵へ仕掛けて注意と足並みを分散させる。鎮守府側の第二艦隊が形態移行するための場所を確保せねばならん」

≪まて、提督殿。妾もせめて攻撃に加わらなければ戦力が足りぬのではないか?≫

「自分の状況を確認したまえ。回り込んだとして追手が無いとも限らん。加え、貴艦には爆雷投射機を積んでいる。移動と共に潜水艦の動きを牽制していかなければならん」

 

 そればかりか、初春への追手があった場合、残りの魚雷をばら撒く事で水上の敵にも牽制も出来る。他にも、敵魚雷や追手に対して、開発が打ち止めになった「戦闘機」のフレアにも似た効果を発揮できるだろう。あまり駆逐艦の火力や装甲が乱戦に耐えられない以上、早々にこの場からは撤退させておかなければならん。

 

≪…ふむ、意気込んだ妾が浅はかであったか。心得た≫

「理解したようでなによりである。北上は戦艦を狙え。あちらに注意が向いている以上、またとない不意打ちの機会だ。なお、照準・発射についてはそちらに一任する。沈めきれなかったとして、数を撃て」

≪ふふん、この北上さまが下手打つとでも思ってんのー? ガッチガチな命令に縛られるよりはマシだけどね。ああ、でも重雷装巡洋艦はただの魚雷散布機じゃないことも覚えておいてよ? 主砲だってアイツら殺す為の武器なんだから≫

「重々承知しているが、現在貴艦の役割は非常に大きなものとなる。それから川内、敵空母の艦載機が北上に直撃してしまえば魚雷の発射も出来なくなる。貴艦には今作戦において重要な北上の護衛を命ずる」

≪えぇっ私ハエ叩きじゃないんだけど!? 主砲撃たせてもらえないの!?≫

「なにも要となるのは北上だけでは無い。貴艦の働き次第では優遇措置も考慮しよう」

≪……ならいっか。その言葉忘れないでよっ!≫

「二隻は弾薬を全て使い切るまで攻撃の後、敵射程範囲外より外周を回って鎮守府へ。この場は第二艦隊に任せつつ、不測の事態を考慮し即補給に移れ。特に、この場においては夜戦慣れした川内の慧眼が重要だ」

 

 そう言えば、己の能力を認められたが故か川内の機嫌は良好なものになった。扱いやすくて実に助かる。とは言いつつも、艦娘の中でも戦闘を重視する者は眼前に餌を釣り下げておけばすぐさま喰らいついてくるのは有名な話だ。そして、統計的にも戦果を上げてくると言うのだから、実損もない。

 つくづく優秀な兵器たちであると感心できるが、期せずしてそれらを数のみで圧倒する事が可能な深海棲艦の恐ろしさをも今一度噛みしめることになった。

 

「那珂、機を見計らい敵艦隊の中に突入せよ。“出撃帰り”にこの様な仕事を頼んだ以上、己の業を越える働きを期待する」

≪持ちあげられちゃってもアイドルの那珂ちゃんには当たり前でしか無いんだからね? ん~…でも、カッコいい路線にも踏み出せるなら那珂ちゃん頑張っちゃいます!≫

「その意気やよし。では、作戦開始。各自行動せよ」

 

 了解の意を示し、それぞれの思惑がある中で六艦は動き始めた。

 ただでさえ防御の低い艦がバラバラになる作戦。理性も知性もない深海棲艦を相手にするには「誘導」という言葉一つあるだけでも有り余る作戦だ。だが、奴らは突如として安全海域である筈のリンガ泊地鎮守府を直接襲撃してきた異常行動を行った者共。功を奏すかどうかは、天のみぞ知る、と言ったところか。

 

 再び双眼鏡を覗きこむ。

 流石と言ったところか、これほどまでの戦力を残しているリンガの艦隊は熟練度が高いらしい。まだ天龍率いる第二艦隊に大きな損傷は見られないが、戦い始めてそう少なくもない時間が経過しているのだろう。

 そう、我々は深海棲艦の持つ「物量」というものに敗北を喫してきた。ちょうど目の前の光景のように、圧倒的な物量が一定水準の砲撃を延々と吐き出し続けるがために苦戦と敗戦を強いられてきたのだ。

 だが、現在の敵艦数は二十五程度。ここの熟練度が高い彼女らにとって、その程度の数しか居ないのだ。攻撃できない現状を一度でもひっくり返してしまえば、後は彼女達の独壇場となるだろう。ただ、着目すべきは敵の戦艦群。あれほどまでに戦艦が群れているのは、少なくともここ数十年に残っている記録の中では見当たらない。やはり、このリンガ泊地周辺に私の追い求める物があるのだろうと、確信を持つ事ができた。

 だから今は、君たちは誰も沈まないでおくれ。私の悲願のためにも、保っておかなくてはならない距離は離し過ぎても失敗に終わってしまうであろうから。

 

「……こちら那珂艦橋。任務係、燃料が到着次第、戦艦二隻の運用手配をしておけ」

≪本部より艦橋へ。了解しました≫

「手配してほしいのは―――」

 

 

 

 

 深海棲艦。

 改めて、彼の初出撃によってほとんどの艦種を見せつけてくれた人類の天敵は、その中に憎悪と狂気を含めるばかりである。その有様こそが知能を持たない飢えた怪物と彼女らの行動原理を決定し、生きとし生けるものへの攻撃を繰り返させる原動力となる。

 故にこそ、ただ只管に眼前の艦娘たちへの砲撃と、その奥に控える生体反応が詰まった建物…鎮守府への攻撃をやめなかった戦艦級は気付く事など出来なかった。いいや、もし電探を搭載していたとしても、「彼女ら」が動いた時点で運命は定められていたのだろう。

 ただ、冷たい死へ向かう運命が。再び、海の底へ沈められる運命が。

 

 一体の赤いオーラを纏う戦艦ル級が感じたのは、ふわっと浮き上がった感触。重厚な棲艦形態の体は一瞬の浮遊感を体感して、次の瞬間には船底へ言い様のない痛みと熱が同時に発生した事を実感しながら、自分自身の体重で船底から真っ二つに引き裂かれた。

 魚雷が作り出す、特有の破壊現象。着弾点の重みを耐えきれなくなった船が見せる、特有の崩壊現象。何よりも支えきれなくなった自分自身に耐える事すらできなくなった一隻の戦艦は、せめてもの抵抗だと言わんばかりに砲塔を向けようとして、残った船体全てに響いた続けざまの爆音によって、その時より久遠へと意識を沈めた。

 そうして沈んだ戦艦の周囲にもまた、同様の現象が起き始める。

 一体の仲間の死。それに気付いて対処しようとして見れば、感知したのは数えきれない魚雷の数。まるで包んだ絨毯を広げるかのような連続雷撃に反応ができたのは極僅かな、金色のオーラを纏った3隻のみ。しかしその内の1隻を含めて、猛威を振るっていた筈の深海棲艦・戦艦ル級、タ級ら4隻は「北上」の攻撃が通じる棲艦形態であったために、己の体が崩壊して行く虚しさを狂おしい怒りの意識の中に感じながら、怪物としての生涯を終えていった。

 

 それら敵戦艦を撃沈させた北上は、想像以上の自分の戦果に艦となった体の意識内にて口笛を吹いた。あからさまな自分自身に対する拍手代わりの報酬である。

 熟練度が高く、なおかつ出撃前にこのリンガ泊地に現存する中でも優秀な魚雷装備を載せられていた北上。かつての史実に基づいた大戦時とは違い、艦娘となってからは数多くの海域で活躍を見せる彼女の実力はこの海においても遜色のない…いや、他をも抜き去る大戦果を上げている。

 昔の人間同士の戦いとは別に、彼女の牙は放たれれば全てを穿ち、その数に応じて信頼を勝ち取れるだけの戦績を残す。されどここリンガ泊地にて生き残った北上は、それらを当たり前だと自負しながら己の研鑽を止める事は無い。なぜなら彼女も失った「あの時」より、初めて持ち始めた、己を磨かねばならない理由があるからだ。

 

 そうして沈みながらもしっかりと鎮守府以外の敵に深海棲艦が気付いたことがきっかけとなったのだろう。点在していた棲艦形態の敵軽空母からいくつかの艦載機が飛ばされ始めた。魚雷を主として扱うように改装された北上にとって、この艦載機による機動部隊こそが史実においての退場となった原因であり、天敵でもある。

 だからこそ、これを見越していた提督の采配を受け入れた川内が北上の活躍を妨げようとする艦載機(ハエ共)を対空砲で撃ち落とす。攻撃もせず、ただ来るとあらかじめ分かっているのならば、艦娘としてその役目を果たすのは赤子の手を捻るよりも容易かった。なにより、先ほど吹雪を救った時の撃ち落とす感覚(慣れ)が川内に確かな感触として残っている。

 

 北上は川内に頭上を任せ、艦載機に構うことなく自分の仕事を果たし続けた。片弦20門。計40もの魚雷発射管から余すことなく魚雷を撃ち切り、再装填。フラグシップ級のオーラを立ち上らせる敵戦艦をも傷つけていく。

 しかし北上は、ここで自分の役目が終わった事を自ずと理解した。

 

≪ねぇ川内、魚雷ぜーんぶ打ち終わったのって凄い久しぶりなんだけど≫

≪私に言われても知らないって。ほら、この艦載機落とすの手伝ってよね≫

≪それもそっか。こっちも沈みたくは無いもんね≫

 

 あまりにも軽い言葉を出す彼女は、しかし川内と共に重い鉛玉が砲塔から吐き出され始めた。軽巡洋艦型二隻による、意志を持った対空砲の発射だ。

 未だ飛行方法が解明されていない、怪物の様な見た目をした敵艦載機は次々と撃ち落とされていき、爆撃を仕掛けようとする不届き者は己が持つ爆薬の誘爆によって仲間を散らしながらこの二艦を優位に置いてくれていた。そうして掃射され続ける弾丸の雨がやんだ頃には、空気を震わせる空の邪魔者は全て消え去った。

 二艦の対空砲塔が役目を終えたと言わんばかりに低角度へ回り、所定の方向に戻される。その場から離脱するためにタービンの回転数を少しずつ上げながら、またもや北上による呑気な会話が始まった。

 

≪さて、仕事も終わったし安全なところにでも行っとこうよ≫

≪あーあ、結局主砲に回す“弾薬”無くなっちゃったなぁ……夜戦したかったのに≫

 

 二艦は弾薬が切れたことで、少なくとも重巡洋艦の砲撃射程範囲から逃れられる場所まで戦線離脱を行う。通常の軍艦では有り得ない旋回速度、有り得ない航行速度を保ちながらも、その格納庫いっぱいに蓄えた燃料を届けに陸へと向かう。

 こうして一つ、役目を終えた艦の働きによって、戦局には大きな変化が訪れていたのだった。

 

 

 

 戦艦が五隻轟沈。残った二隻のフラグシップ級は何を思ったか、偽装形態へ成ったことで敵の懐に潜り込めるだけの空間が海にできていた。

 この光景を見ていた第二艦隊は、敵の隊列に生じた隙を突く形で一斉に砲撃を行った。敵は玉砕も恐ろしくも無いためか、こちらを取り囲んだまま動こうともしていない。だからこそ、戦艦形態時に受ける戦艦級の反撃の脅威が無くなったこの時こそが天龍たちにとって狙い目となる。

 

≪旗艦・天龍、及びに第二艦隊は攻勢に移ってください≫

「一度喰らい付いたら離さないわよッ! 左翼は任せなさい!!」

「よっしゃ、戦艦どもの隊列が崩れた!」

「青葉ちゃん、摩耶ちゃんも一気に突っ込んじゃって~!」

「っし! あたしの出番だなッ!!」

「青葉、行きます!」

 

 一気に間合いを詰めて、反対側は足柄に任せながら龍田と一緒にあのウザったい駆逐艦共から仕留めに掛かる。ようやく俺達のターンが回ってきたみたいだなと思う。砲撃と一緒に、近くに居た偽装形態の駆逐艦を斬り捨てながらに思考する。

 あっちで活躍している足柄みたいに、重巡洋艦は火力や装甲は戦艦にこそ及ばないものの、この軽巡洋艦以下から正面の撃ちあいになったとしても生き残ることができる装甲などが自慢だ。それにアイツら摩耶と青葉が形態変化したことによる排水量は合わせて24,159トン。その大質量が齎した波は水しぶきを撒き上げて敵の視界を防ぐばかりか、近くに居る深海棲艦の船体を揺らし、敵同士の接触で傷をつけていってやがる。

 戦局の反転。このままなら、イケる。数で押されていたが、やっぱりアレだけの死線を潜り抜けた俺達なら絶対に勝つ事ができると確信した。

 

 青葉と摩耶。同じ重巡でも足柄と違って、目に見えて戦闘に飢えた様子もない二人はあんまり前線には出なかったが、重巡洋艦のパワーは艦娘なら誰でも理解している。それに、自分が情けなくなっちまうが……棲艦形態だったら絶対に勝てないフラグシップ級戦艦が形態変化してくれたことで、青葉の影に隠れながら駆逐艦三匹を悠々と葬れた。

 案外、この編成だと動きやすいもんだなと楽観する。だが……そうして調子に乗ってきた所で、罰でも下ったとでも言うのだろうか? 後ろから艦載機で戦況を伝えていた最上から大音量の通信が響き渡った。最悪の知らせと一緒に。

 

≪青葉さん! 戦艦級に狙われてる!!≫

「―――はぁ? おい、最上テメェ何言ってん」

 

 馬鹿にしたのが間違いだった。

 冗談なんかじゃ、なかった。

 

 まず、俺達の常識として艦娘と深海棲艦には「戦艦形態と棲艦形態でのみ攻撃は通じる」「艤装形態と偽装形態でのみ攻撃は通じる」って、面倒臭いがジャンケンみたいに変わらないルールってのがある。

 艦娘の攻撃には「浄化の力」が、深海棲艦の攻撃には「穢れの力」があって、俺達みたいな「軍艦の魂」は霊的存在が具現化した特殊な存在は、他の生物と根本的に違う存在の階梯ってのがある。そう言うのも含めて、俺たちが生まれた当初から「知識」として頭の中に埋め込まれている。

 だから、さっきまではスペースもないし棲艦形態の戦艦級の攻撃に晒される危険があったから、みすみす死にに行くだけの形態変化をする奴はいなかった。だから、今この時に反撃を仕掛けようとしたんだ。なのに、

 

「青葉ぁっ!?」

「青葉ちゃん!」

≪ああああぁぁぁあああぁぁぁ!≫

 

 目の前で、黄色いオーラを発するル級から撃ちだされた砲撃が青葉に直撃する。

 船尾に浴びせられた爆発はタービン周りを全焼させ、戦艦形態の青葉を容赦なく海の底へ沈めようとしている。例え沈んでも引き上げられる鎮守府の目の前だからとか、そんなんじゃなくて、ただ青葉の体が修復すらできないほどに破壊されてしまう―――?

 認めない。認められない。やらせてたまるかよ。

 だけど、それもこれも、こんな襲撃も、全部「アイツ」が来たからじゃあないのか? いや、そんなことより、もう敵のフラグシップ戦艦は次弾装填を終えている頃かもしれない。このままじゃ、青葉が沈んでしまんじゃないのか? 駄目だ。間に合わない。また、俺は何もできないのかよ―――

 

「あ、青葉ぁぁぁあ!!」

 

 今度は、目の前で仲間が沈められる。そう思うと、叫ぶしか無くて、それでも此処から走ったところで間に合う筈もなかった。既に海面に立つル級の砲塔は全て青葉に向いていて、一層強くなった穢れの波動が青葉を殺そうと吐き出される――――その、直前。

 

≪那珂、轢け≫

 

 巨大な船体が、直接二体のフラグシップ戦艦級を踏み潰した。

 聞こえてきたのはいけすかない、しわがれていても重厚さが感じられる老齢の声。俺達の提督が死んだ事を馬鹿にするように、代わりなんて幾らでも居るんだって言ってきたような新任のクソジジイの声。

 だけどそのジジイが乗った那珂が、最高のタイミングで青葉の危機を救った。

 

≪ぐ、うううぅぅぅうう……っ!≫

≪重巡洋艦青葉、すぐさま艤装形態へ移り、そのまま海へ沈め≫

≪ぁ……なに…を…っ?≫

「なっ! 何言ってやがるクソジジイ!!」

 

 こっちの叫びも無視して、あのジジイは淡々と馬鹿みたいな命令を下しやがった。

 

≪伊号型潜水艦二隻は沈みきる前に重巡青葉を回収に向かえ≫

≪ひゃっ!? ハ、ハイ!≫

≪天龍型二隻は那珂の左舷をカバーしつつ、敵を行動不能にせよ。那珂、全砲門を右舷に集中! 最上は艦上攻撃機を飛ばし撃ち漏らしの掃討≫

≪那珂ちゃん了解っ! いっけぇぇぇっ!!≫

 

 あえて沈ませて回収する。確かに沈んでから見捨てられて、完全に機能停止するまでが艦娘にとっての「轟沈」ではあったが、そんなのは盲点でしかねえ。つうか、いくらなんでも誰も思い付く筈もねえだろ。そう思っていところで、摩耶の砲撃音がまた俺の意識を戦場に引き戻した。

 摩耶と青葉が形態変化して、また那珂が全速力で突っ込んだことでまだ海中の海流は大きく乱れたままだ。これならあっちも魚雷は撃たないだろうし、撃ったとしても当たらない。潜水艦の薄い装甲でも「攻撃せず助けるだけ」なら青葉を助けられる確率が跳ねあがる。

 那珂はあのジジイの言葉を疑っていないようで、すぐさま真横に居た棲艦形態の敵を砲撃し始めた。いくらか反撃を喰らっているが、繰り返す衝撃で奴らも動揺してるのかまともに那珂に攻撃が当たってすらねぇ。攻勢に転じようとしても青葉が攻撃されて有耶無耶だったのに、完全に戦況を、攻勢へひっくり返しやがった。

 

「………」

≪呆けている暇は無い。分かっている筈だ、軽巡洋艦天龍! 龍田!≫

「あ、あぁっ!」

「ハッ!」

 

 いつかのような、懐かしい提督の命令による強制力。それが俺達の体を巡って、頭で何かを思うよりも先に、那珂の左舷側に居た敵を斬っていた。偽装形態の重巡リ級と駆逐イ級に、俺達天龍型特有のメカニカルな近接武器を叩きつける。龍田に残骸を蹴り飛ばしながら、あちらからも飛んできた偽装形態の駆逐艦を一緒にぶった切った。

 それから、すぐに砲口を反転。龍田の不意を討とうとしていたリ級の左肩から右の腰まで、胴体から真っ二つに引き裂く。放り投げたリ級の残骸には、念を押して最上の飛行甲板から飛び立った瑞雲が爆撃で偽装形態の敵を微塵も残さず焼き切った。鼻に香ってくる硝煙の匂いは、先ほどまでの悲劇があったにもかかわらず、否応にも俺の気分を高揚させる。

 そうしているうちに、またあのジジイの声と、任務係とか言う奴の声。それから沢山の仲間たちの声が共有通信から響いてきた。

 

≪こちら艦橋、伏見だ。伊号型潜水艦二隻、状況を報告せよ≫

≪イムヤよ、青葉さんは回収したわ。でも敵艦が……≫

≪お爺ちゃんと那珂が轢いたフラグシップが2体とも海面に浮上してるの! ダメージも入ってないみたいだしメッチャヤバいの!!≫

≪本部より艦橋へ。初春・雷が無事に燃料を持って本部に到着しました。吹雪はすぐさま入渠させてあります。ご希望の二艦は弾薬と燃料の補給が完了次第其方へ派遣しますのでしばらくお待ちください≫

≪本部に到着次第、すぐさま回収させた青葉を入渠させろ。伊号型二隻は敵が態勢を取り戻さないうちに即座に帰還、反転及びに迎撃の必要は無い。各艦、浮上するフラグシップ二艦の動きに注意を払いつつ敵軽空母を優先目標とし掃討を開始。重巡洋艦・足柄は那珂の右舷にいる敵を遠慮なく薙ぎ払え。役割の衝突が無いよう注意しつつ、貴艦らの攻撃方法は一任する≫

「やっはぁぁぁぁ!! 撃っても良いのね? いいのよね!? さぁ、撃てぇー!」

「天龍ちゃん、いまはッ」

「分かってるさ。戦艦の奴らが来るまで時間稼ぎと本命以外の掃討だよなッ!!」

 

 最後の駆逐艦を蹴り飛ばし、空に浮かせたそれを龍田と並んで砲撃する。那珂から見て左舷に残存する敵は偽装形態の潜水艦2隻。反対側には残る1隻の棲艦形態がいる。となると、万が一を考えて俺たちは潜水艦を排除しなくちゃならないってことだった。

 

≪本部より第二艦隊旗艦・天龍へ。龍田と4時の方向へ船首を向け、微速前進。爆雷投射を行ってください≫

「……爆雷用意(よぉーい)ッ!」

「爆雷準備完了よ~」

≪投射≫

 

 背中の艤装に積んだ爆雷投射機から爆撃が放たれる。間の抜けたぽちゃぽちゃという水面が跳ねる音が耳に響いたが、それからしばらくして深くまで潜って行った俺達の攻撃が水面よりも下を振動で震わせた。爆撃直後でこっちから敵反応は分からなかったが、淡々と読み上げる「任務係」とか言う奴の声が潜水艦の脅威が去った事を証明した。

 

≪命中確認。敵潜水艦カ級二隻は撃沈しました。投射を切り上げ、共に速度を上げながら敵反応から離れた地点でターン。これより三○秒後、前線に戦艦が到着するまで裏取りと待機をお願いします≫

「三十秒……」

 

 遂に、燻らされていたアイツらが運用されるのか。

 そう思いながら、少し思考にふける。いまこの時は第二艦隊とか、艦隊の括りも関係ない。俺たちを含めてこの海域には10隻以上の艦娘が溢れている。鎮守府にいるあの任務係(オンナ)からの情報提供があったとしても、途中から来たに過ぎないあのジジイは必要最低限の時間で的確な判断を下してきやがった。

 これまたいらただしい事に、晴れてあのジジイの有能さは知らしめられたってことだ。それを兵器として、俺も心のどこかでソレを認めちまってるのが悔しい。前の提督より、こうして沈まないようにしながらも、確実に活躍の栄誉と自己判断も可能な役目をくれる指揮で戦場を駆けまわれることに喜びを感じちまった。ソレは多分、隣の龍田も同じなんだと思う。

 

「天龍ちゃん。もう、引きずれないのかもしれないわ」

 

 あのアイツが、こんな事を言う時点で。

 

「ああ……そうだなぁ。認めちまったんだ。兵器としての俺が。だったら、それに従うしかねえ。兵器である事を思い出させてもらったおかげで、そんなのは十分に分かってるさ!! そりゃなぁ!!」

「そう、ね……」

 

 伏見丈夫。俺たちの新しい提督。

 俺たちを優位にただ優しく扱うんでもなく、その状況を使って敵を陥れて、ある程度は俺達独自の判断でも活躍できるように戦況を操っている。その実力は、対艦巨砲主義しかできないぽっと出の提督じゃ真似できない、それでいて安全ロープのついた綱渡りをするような安心感のある指揮。

 結局、俺たちが持っていた「提督」への感情は、雛が親鳥を見るようなもんだったのかもしれねえ。だけど、感情を持っている以上、そう思った自分が恥でしか無いとも。その「提督」への追悼の感情が正しいんだとも心が訴える。最悪の板挟みだ。

 だが、兵器としては、製造(存在)理由としては今の方がずっとマシらしいな。あのクソムカつく澄ました顔のジジイに対して、そこだけは認めなくちゃならねえ。認めなかったら、今度は兵器としての俺自身が俺を許せなくなっちまう。

 ただ、それでも伏見とか言うクソジジイは気にいらない。幾ら有能であっても、俺達の提督をただの情報源にしか思っていない様なヤツは、俺が「感情」あるモノとして、心を許しきったら駄目なんだと本能から思う。

 だが戦場では、ちゃんと従ってやる。そこだけは、俺も譲らないでやるよ。

 

 

 

 残った深海棲艦から発せられる、底冷えのする様な殺気が、視線がこの身に集中している。艦娘の様な仮初の命ではなく、ちゃんとした一つの人間としての生命を持った私を、深海棲艦共はいたくお気に入りのようだ。この年にもなって人気者とは辛いばかりだよ。

 だがその中に混ざっているのは、殺意に匹敵しない敵意。ツンケンと尖りながらも、憎みきれない意志があると言う事はつまり、この指揮する艦娘の中の誰かが私に改めて敵意を持ちなおしたという証拠でもあろう。気にいらない上司へありありとした不満を見せる部下とまったく同じだ。むしろ、軍規に逆らおうなどと考えている辺り微笑ましいとすら見える程のひよっこが良く発する敵意だ。

 だが、力を持った艦娘どもが発するソレは面白いように「質」が違う。独特の気配は戦いに秀でていない人間にすら伝わり、まるで艦娘たちが持つ強烈な特徴そのものを目に見えない感情ですら形に当て嵌められているようにも思えるのだ。

 その中でもやはり、戦艦級ともなると高速戦艦・大戦艦は揃って鋭く引き絞った様に照準を合わせてくるものだ。戦場では心地よい、そんなありありとした戦う実感を思い起こす者共。

 

≪金剛型戦艦一番艦。金剛、到着したヨーッ!≫

≪長門型戦艦二番艦の陸奥よ。私は何をしたらいいのかしら≫

 

 鎮守府から走ってきた二隻の戦艦。このリンガ泊地に現存する全ての艦娘の中で最も高火力を誇る五隻の中でも抜きんでて実戦経験率が高い二隻。双眼鏡で陸奥の第三砲塔の異常が無いか確認しつつ、私はただ無感情に指示を下すことにした。

 

「那珂の両側面より敵フラグシップ級が浮上した。なお、形態に関係なくあちらの砲撃が此方に通じるらしく、戦艦形態は不利と思われる。戦艦陸奥は後方に控えさせた足柄と、戦艦金剛は天龍、龍田と追撃の形で仕留めよ。潜水艦を相手にできん以上、重巡摩耶は弾薬が心許無い。即座に戦線離脱せよ」

≪はいはい。命令なら仕方ねーな≫

≪ハッ、Flagship如き早々に沈めて見返してやりマース!!≫

≪足柄、立ち周りのフォローは任せるわね≫

≪仕方ないわねっ! 主役は譲るわよ陸奥!!≫

 

 二手に分かれて戦艦級と交戦を繰り広げた二隻から視線を外し、残る潜水カ級の動きに注目する。元より、ここは海岸近く。荒れに荒れた海流もすぐさま収まり始めた以上は対潜能力を持たない艦をすぐさま下がらせなければ青葉の二の舞である。

 

≪提督さん、戦艦級二隻に加えて潜水カ級が残ってるけどどうするのっ?≫

「敵位置は掴んでいるが、あちらは偽装形態だ。那珂は万が一にも戦火に巻き込まれないよう前進し、深度を上げた棚台のある陸へ船体を寄せたまえ。下からの攻撃では敵も貴艦を狙えなくなるであろう。艤装形態の最上は艦載機を飛ばし撃ち漏らした敵潜水艦を早々に仕留めよ。現在那珂を挟んで反対側に居る天龍、龍田の注意をそらすわけにもいかん」

≪わ、分かったよ。行って、皆!≫

 

 マイクから離れる。私は、自然とその言葉を呟いていた。

 

「さて……勝った、か」

 

 これでもかと確信を胸に、これから一方的な戦いが行われるのであろう戦場を、那珂の艦橋から見渡した。

 

 今回こちらへ寄越した金剛、及びに陸奥。この二隻は前提督の指揮の下では故・長門及びに故・榛名に並ぶ最高の火力を持つ戦艦だ。第一部隊への配属は高速戦艦運用の際と拠点防衛で使い分けられ、そして前提督が六艦編成で例の「作戦」とやらに行く際は外された現存する五隻の戦艦のうちの二隻でもある。

 だがやはり、その年季と経験の差が他艦とは圧倒的な差が目の前の戦闘から分かる。戦果を記した資料には、人類の生存ではなく己の階級のために縛りつく馬鹿どもが書いたソレとは違い、愚かしいほどに真っ直ぐな前提督の人柄を映したように決して虚偽など含まれてはいなかったらしい。

 

 海面を駆け、一直線の単純な航行を見せたかと思えば、およそ戦艦の敵の砲塔そのものへ副砲による精密な砲撃。敵を沈めるに至らない筈の砲撃は、部位破壊には十分な火力を成し遂げた。加えて、さらに驚異的であるのが、敵が砲撃をする直前だったという点。そして、後方に控えた援護艦も語らずして連携を取っていたこと。

 金剛と陸奥。記録によれば、艦型は違えど同じ海を駆けた数は数百に匹敵する。そして此処に居る艦は最低でも十度以上、アレらと部隊を共にしてきた経験があった事を思い出す。ソレから見せられたのは流れるような「作業工程」であった。

 

 足柄の砲塔が十門全て火を噴いた。狙いはダメージではなく、あくまで補助に徹して行動不能に陥らせる事。先ほど行った那珂の突撃は不意打ちであり、一時的に行動不能へ陥らせたに過ぎなかったのだが、戦艦にとって止まった的を狙うのは即ち一撃決殺を意味する。

 軽巡洋艦・天龍たちの力任せに振り抜いた剣と薙刀が敵戦艦の両腕を艤装ごと切り落とし、敵の切断面から火花が飛び散った。この暗い海の中で「マーキング」を終えた軽巡二艦は離脱し、すぐさま先ほど仕留めたのであろう敵潜水艦二隻の残骸に身を隠して砲撃を逃れる。足柄は重巡の馬力で敵の残骸を持ち上げながら盾にし、その場を後退していたので戦艦が戦える場所はこれにて完成する。

 そして相対したのは二隻二対の戦艦同士。片や満身創痍、片や万全の状態で砲塔を向けあい、恐るべき威力を発揮する弾丸を炸裂させんと向き合うが、その位置は完全に敵を追い詰めた形。もはやフラグシップ級の脅威など、微塵も感じさせない必勝の布陣であった。

 

≪終わりよ≫

≪Fire!≫

 

 無慈悲に撃ちこまれる主砲は、敵の体に吸い込まれるように着弾、爆裂。

 そう、記録ではこの頼もしき二艦が沈めた敵フラグシップは総計二百以上にも上る。青葉を沈めかけたあの砲撃の威力も十分に彼女らは知っており、故に油断もなければ慈悲もない。ただただ、フラグシップ級戦艦という敵の一挙一動の隙を完全に突き、何一つとして行動させずに敵を殺す。敵の死を証明するかのように、フラグシップ級戦艦がいた海面は黒い煙が立ち昇るばかり。その残骸ですらも、戦艦艦娘の火力の前では残らない。

 はて、恐るべきは場を用意した戦艦の活躍と言うべきだろうか。伏見はそのような事を思いつつも那珂の艦橋から通信を開き、作戦完了を告げることにした。

 

「作戦、終了だ。各艦は警戒を怠らずに帰港せよ」

≪北上でっす。こっちももう戻ってもいい? 燃料が重いんだよね≫

≪…天龍、第二艦隊帰港するぜ≫

≪金剛帰還しマース! さてミスター、そろそろ考えてくれるネ?≫

「貴艦の主張は理解したぞ金剛。第三・第四艦隊の編成を近日発表し、近いうちに貴艦との面談の場も考慮しよう」

 

 想像以上の戦果を上げたからには相応の褒美が必要になる。正規の軍人ではなく、しかし意志を持って戦いに臨んでくれた兵器への対応として、決して無碍にしてはならぬ道理であり、当然のことだ。だが反対に、想像通りの戦果でしか無かったのならばそれを当然としなければならん。

 リンガ泊地所属の艦娘は36艦。個人で運用する身として、あまりにもアレら艦娘は多い。しかし艦娘の全てを把握しておかなければ私の悲願も達成されることは無い。金剛、はともかくとして注意を配らねばならんのは天龍、そして陸奥だと言う事を理解した。吹雪に関しては既に対処法がある。気にする事もないだろう。

 

 タラップを降り、陸地から鎮守府へ歩き始めると艤装形態へ移行した那珂が後ろから付いてきた。彼女が居なくなったことで波が穴を埋めるように押し寄せ、海岸に大きな水飛沫が上がる。…これからは形態移行の際、大型艦の近くに居る事は控えねばならぬ、か。

 

「……いいや、問題はまだまだ残っている、か」

「今日は本当にお疲れさまでしたー! 地方巡業の後に大ステージに立てるなんて那珂ちゃん思わなかったなあ。しかも戦艦相手に英断を下した提督さんはカッコよかったよ!」

「心にもない事を言うな。慰労なら本来の役目を与えられなかった川内にでも振っておくと良い。貴艦はこれから朝まで不意になった書類整理の手伝いだ」

「えっ、メイクは? お風呂は?」

「まず兵器として必要のない行為は自由時間に済ませておくべきであろうに。今回は持ち帰った燃料の統計に加え、吹雪・青葉の大破によって修繕に掛かる時間と状態の確認次第では予定を組み直す必要もある」

 

 そうだ。予定は組み直さなければならない。

 決して思い通りの方向そのままでは無い。多少のずれがあれば、計画を達成に合わせて微調整する必要がある。ソレを怠った者の悉くが、小さな亀裂から崩壊させてしまう光景など腐るほど見て来た。軍の上層部にはそのような内情が溢れているのだからな。

 

「だが、まずは」

 

 この腕の治療からだ。

 リンガ島の奥地に居ると言う、「医者」を訪ねなければなるまい。

 

 

 

 

 ぐるぐると、顔を書いて今日の分は終わりなのです。

 司令官さんの顔は……えっと、どんなでしたっけ? もうずっと見てないから、思い出せなくなっちゃったなぁ。本当なら、電たち艦娘は物を忘れるなんて事は無いのに。駆逐艦の中でも、やっぱり欠陥なのかも。

 

「………………」

 

 新しい司令官さん。すっごく厳しそうなおじいちゃんで皆が心配です。演説の時は声がびりびりしてたから黙るしか無くて、すっごく怖くて目だって合わせられません。こんな臆病な電を、どうするのかも心配です。

 心配です。みんなみんな、電はとっても心配なのです。

 

「…………」

 

 そう言えば電の声って、どんなのでしたっけ?

 




縛り内容公開(今回はオリジナル設定の中のもの)

 難易度:高
・深海棲艦の一部に限り、形態に関係なく艦娘に損傷を負わせることができる。


この世界の常識
    攻 撃
棲艦形態 →○戦艦形態  偽装形態 →○艤装形態
戦艦形態 →○棲艦形態  艤装形態 →○偽装形態
棲艦形態 →×艤装形態  偽装形態 →×戦艦形態
戦艦形態 →×偽装形態  艤装形態 →×棲艦形態


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

剥面

被害状況報告。
重巡洋艦・青葉
タービン含め駆動系の全損、またそれによる形態移行の問題は無し。
復帰には妖精を総動員させ一六時間を要す。
駆逐艦・吹雪
艤装の大破と弾薬の誘爆による内部被害。外傷は甲板の損傷のみ。
復帰には二時間を要す。
以上

―――とある妖精の報告書より。



 入渠。

 傷ついた船をドックへ押し込み、そこにいる妖精に損傷個所を埋める艦娘用資源の「鋼材」と「燃料」を使わせる特殊な施設。全ての艦娘運用基地に設置されているが、場所によっては広さと効率で大きな違いが生じてくる。

 ここでは艦娘たちが艤装形態になって治療を受けており、どのような損傷を負っていたとしても沈んでさえいなければ必ず戦線復帰させることが可能であると聞かされている。かつての大戦中、不死鳥と呼ばれた駆逐艦・響の再現を全ての艦でこなすことができ、なおかつ通常の艦船であれば数ヶ月を要するような損傷も、艦種に関係なく必ず1週間以内に治す事ができると言うのだから、つくづく艦娘とは都合の良い存在だ。

 

「気分はどうかね、重巡洋艦青葉」

「さて、どうですかね。あはは、そっちの失態を死神とでも書こうかと思ったんですが、これは自分で油断した結果ですからね。惨めな気分とでも言って差し上げましょう」

「…妙な光景には違いない。両足を亡くした人型が、陽気に笑っておるのだからな」

 

 入渠をしている間は、別段厳重な装甲壁で仕切られていると言う訳でもない。

 艦娘の意識がある中で修復が進むのだが、私の目には見えずとも「鋼材」と「燃料」を持った妖精が青葉にそれらを寄せていき、光を纏って消失する。すると、失った患部や艤装の損傷個所が少しずつ盛り上がり、元の形を取り戻すという仕組みらしい。

 現に両足(タービン)を破壊された青葉の両足にある断面からは機械らしき構造が見えていて、鋼材が消える度にミリ単位で脚が造られている。バチバチと火花を散らす断面には痛覚があるのか聞いてみれば、痛いという感触はあっても耐えられる程度らしい。

 

「この様な場で失礼しますが、青葉型重巡洋艦一番艦の青葉と申します。以降お見知りおきを」

「改めて、伏見丈夫だ。諸君らの新たな提督に――むっ!?」

 

 がっちりと握手を酌み交わすが、触れた瞬間バチンッと電流が腕に奔る。

 あくどい笑みを浮かべる青葉の手を見てみれば、そこも傷ついていたのか表皮の剥がれた掌には銀色の金属光沢が見られた。恐らくあの損傷個所にわざと私の手を当て、意図的に電流を流したのだろう。これまで死に体であっても、艦娘を持ち上げた者が漏電による感電を喰らったという報告は無い。

 

「まぁ、助かった事には感謝しますがそれだけです。あの深海棲艦ってあなたが連れて来たんじゃないですか?」

「可能性を考えれば否定はせん。私が初めてリンガ島に辿り着いた時は深海棲艦を振り切る形となってしまったからな」

「ふぅーん。責任を取れ、と言われても反論しません?」

「部下の失態は上司の失態であり、上司の失態は当人の責任だ」

 

 艦娘らしい、あまりにも機械的な瞳が此方を見上げて来た。

 こうして見れば艦娘とは造られた物であるという実感がわいてくるが、しかしそれに感情というものが搭載されている事が不可思議であり何とも言えぬ気持ちにさせられる。

 

「ふぅ~……詰まらないですねぇ。固すぎるって言われた事ありません?」

「耳にタコができるほど言われている。変えるつもりもない」

「ハァ、もういいです。認めますからさっさと何処にでも行ってください。一人寂しく修復に専念したいですし、装備の点検もしないといけません」

「そうか。復帰の報告書を待っている」

 

 何故か足場が悪いドックでは歩くのは困難を要する。

 軍刀を杖代わりにし、私はドックを後にすることにした。

 

 それから、いつもの執務室に行く途中で掲示板を見やれば、第三艦隊と第四艦隊を記した新しい紙が張り出されていた。艦娘の開発と同時に上昇した人類側の技術であるが、この資源不足の鎮守府ではあいも変わらず藁半紙を使用している。そこに機械的に登録された文字を打ち込む機械でコピーを作り、掲示板に張り出す。このような老体では、付いて行くのが困難になるほど時代は進んだものだと実感してしまった。

 さて、その足で執務室に到着してみれば既に那珂が書類整理を終えたのか一息ついている姿があった。前提督就任の一周年記念に金剛が持ってきたという紅茶を入れる器具を器用に使い、実に美味そうに一杯を飲んでいる。

 此方に歩いてくる音に気付いていたのだろう、すぐさまカップを置いて私へ略式の挨拶を送ってきた。

 

「おはようございますっ! ○八○○、お早いですねっ」

「うむ、おはよう。しかし……」

「しかし?」

「艦娘が飲食する姿など初めて目にしたよ。存外、人と変わらず美味そうに飲めるのか」

「味覚はあるから。提督さんも一杯いる?」

「いや、いい。既に食堂で済ませている」

 

 ここ数十年の記録では艦娘に飲食させた提督はいない。だが、何と言っても人に似せられた兵器である彼女らだ。自発的に飲食を行ったとしても何ら不思議ではあるまい。だが、問題になったのは人間と酷似した点かもしれん。あのような姿を見せてしまえば、公平を貫くべき提督連中が情に訴えるなどと言った不必要な手を伸ばす可能性もあろう。

 

「先に言っておこう。本日は第一、第三艦隊を海洋へ派遣する」

「じゃあ提督さんは?」

「この腕の治療だ。その間、敵の再襲撃に備え鎮守府周辺海域へ進出し機雷を撒いて来てくれたまえ。昨夜のうちに襲撃予想点を決めてあるが、諸君らが必要だと思えば機雷のポイントを追加しても構わん。ただしその場合は報告書に漏れなく書いて提出しておくこと。詳細はそこの机にある書類に目を通しておけ」

 

 机に向かいながら任務を下し、最低限の荷物を持った。

 

「本日の職務はそれだけでいい。帰還後は自由にして構わんが、先日の襲撃が再び起こることも想定される。警戒だけは怠るな」

「わっかりましたー。それじゃいってらっしゃーい」

「調子のいい事だな。実績が無くば怒鳴り散らしていた所だ」

 

 扉を閉めれば、もはや那珂の言葉は聞こえなくなる。

 先日の那珂への乗船。やせ我慢で強がってはいたがああも揺れ、塩気を帯びた風を受け続けていれば患部は酷く痛みを発していた。老いたおかげで色々と神経も鈍くなり、鈍痛を隠し通すことはできたもののやはり放置すべきでは無いな。怪我(これ)は。

 軍刀の鞘で地面を突き、衰えた脚と片手で体重を支える。この広大な鎮守府に人間大の存在が三八名しか居ないためか、玄関へ通じる道は恐ろしく物寂しい雰囲気に包まれていた。コツコツと廊下に響く音だけを聞いて玄関を開けば、予定通り任務係が待ち受けていた。

 

「任務係、待たせたようだな」

「いえ、迎えも来ました。乗り込みましょう」

 

 車のドアを開いて貰い、またあの運転手がいる車へ腰を落ち着ける。

 それなりに固いシートは背中の骨に当たって少し痛かった。

 

「内陸の医者がいる所まででしたか」

「ああ、今回も頼む」

「では出して下さい」

「了解しました」

 

 エンジンが掛かって、車はほとんど整備もされなくなった道路跡を走りだした。乗船した時とはまた違った揺れが患部を襲うが、数時間も揺られ続ければその痛みは十分こらえる事ができるようになる。嫌な汗が止まらないのは人間として当たり前だと思っておけば問題は無い。

 

「時に、私たちが到着した港町はどうなった」

「…直後に深海棲艦が襲って来ましたが、すぐさまある程度の壁がある所に避難しましてね。損害は十五人と家屋だけですよ」

「そうか、何人かは生き残っていてくれたか」

「一度命を投げ出す様な真似をしたもんです。そりゃあ、生き残り易いでしょう。……まぁ、囮になった彼らの犠牲は忘れちゃならないんですが」

 

 運転手の話では、このリンガ島で生きている人間は百人には届いていないが、それでも深海棲艦の脅威から逃れられるよう少し内陸に集落を移したらしい。一緒について来てくれた船員の内、何人かは提督業に就いた私に期待を寄せているのだとか。

 

「かく言うわたしもその一人でしてね。奴らを葬るためにこっちに来た伏見提督には期待しておりますよ」

「了解した。守るべき民の言葉を頂いた以上、奮闘せねばならんな。それに先日の襲撃を退けたことで、ある程度深海棲艦側の戦力は分かったつもりでもある。寿命が尽きるまでこの身は戦いに捧げられる心づもりだ」

「ソイツはありがたい。……そろそろ目的地ですが、大きな揺れにご注意を」

 

 運転手の言葉通り、ガタガタと砂利だけが敷き詰められた道を車が走った。揺れと言うよりも、何とも言えぬ折れた骨の痛みが嘔吐感にも似た気持ち悪さを催させるが、幸いにも胃の中身がぶちまけられる前に車は止まった。

 片腕で額を覆っていると、いつの間にか降りた任務係が此方側のドアを開けて外で待っていた。

 

「座標に間違いはありません。こちらへどうぞ」

「うむ、君は此処で待っていてくれたまえ」

「了解しました。お気をつけて」

 

 海軍式敬礼で見送った運転手を残し、安定しない凹凸が目立つけもの道を歩く。とてもではないが、鬱蒼と生い茂る木々や草花はどこぞの密林地帯を連想させるもので、辺りを見回せど家屋の一つどころか人間の建造物一つすら見られない。

 だが任務係が確信を以って此処だと言うのならば、私は付いていくほかないのだろう。遅々とした歩みであれど、確実に一歩一歩この密林地帯の中を走破して行った。

 

「ここですね」

 

 無言で目的地に向かう事、実に十数分は経過したであろうか。

 私たちはこの島の中でも類を見ない、随分な巨木の下に辿り着いた。双子葉類の一般的な樹木のようだが、生憎と生物学や植物系の知識を習得しているわけでは無いのでその正体を看過する事は叶わない。

 だが、何と言うべきか。感じられるのは神々しいといった感覚的なもの。言葉ではとても言い表せない、恋心にも似た複雑な感情だ。無論、私は木に恋しているなどと言った樹木性愛(デンドロフィリア)では無いのであくまでモノの例えだが。

 ソレはそうとして、気になるのは此処にあるのは周辺の樹木とこの大樹のみ。とてもではないが、医者がいるようには見えない点だ。任務係に視線を移す前に、しっかり言葉としてそれを伝えてみるとしよう。

 

「…確か、電話で連絡をとっていたのではないのか?」

「ここで間違いありません。それでは皆さん、この方が伏見提督です。どうか治療をお願いします」

「……うん?」

 

 目には見えずとも、しっかりと質量を持った何かが上から落ちて私の体に乗っているらしい。人間に危害を加えず、むしろ恩恵を齎す超常現象にも等しきこれは、どうやら「妖精」のようだと確信した。

 

「医者、とはここの妖精の事だったか」

「流石にお医者様でも提督のその怪我は治すことはできません。死ぬまで後遺症は残るでしょうが、動かせるようにはなる筈です」

「正直な物言いで助かる。私はこれに体を預けておればよいのだな」

「はい」

 

 その言葉で納得し、近くの切株に腰を下ろした。

 任務係は人間でありながら、艦娘と同じく「妖精」の存在を認識することが可能だ。当然会話と言う行為も可能であり、艦娘を覗いて唯一妖精と接触を取れる役職として「任務係」は抜擢されている。それらしい艤装もないが、艦娘の一種だと海軍では噂されているようだが、まぎれもなく人間であることは証明されているので反旗を翻される心配は、よっぽどの事が無い限りは無用だろう。

 

 それはそうと、この「治療」は随分とまあ、不可思議だ。

 巻かれていた包帯が取り除かれ、ほとんど壊死した部分やら、骨が突き出そうなほどに張っている、醜悪で老いぼれた患部の皮膚が露わになる。その腕の上では目に見えない何かが駆けまわっているのか、チクチクとした感覚と共に皮膚が一文字に斬りかされて言った。

 そしてグシャグシャになった腕の中身が露出する。なるほど、こうなっても痛みを感じないと言う事から察するに、治療方法は人間のそれとたいして違いは無いらしい。

 

「…む」

 

 そう思っていたが、違った。

 骨は取り除かれ、一旦体の外に出たところで滞空している。そして周辺の肉を傷つけていた破片が取り除かれると、一瞬傷口の中身がひんやりとした感触に襲われた。その瞬間、今度は熱が発生して盛り返すように穴をあけられた肉繊維が再生して行く。

 次いで骨の欠片が再び体の中に戻って行き、まるで正解を知っているジグソーパズルのピースが嵌めこまれていくように一本の不格好な人間の骨の形を取り戻した。最後はジッパーを閉じたかのように切れ目が収まり、壊死した細胞の名残だけが怪我の後だったと言わんばかりにふんぞり返っていたのだが、それすらも妖精達は許せなかったのか元の黄色人種としての肌色さえも取り戻された。

 

 左腕に乗っていた重さは少しずつ飛び去って行き、解かれた包帯がいつの間にか清潔な状態で戻され勝手に患部を巻いて行く。最初の様にごつごつとしたものでは無く、ほとんど目立たないように軽く巻かれたそれが治療の完了を物語っていた。

 

「……指先を僅かに動かすのが精いっぱいか。まだ、少し痛むな」

「ですが凄まじい物ですね。妖精とは」

 

 そう言えば、任務係が近くで見ていたのだったか。

 

「すまないな、こんな老人の醜い怪我を見せてしまった」

「いえ、軍病院でこの様な光景は慣れております。……おや、どうやら何人かの妖精方がこちらに来て下さるそうです。鎮守府の正式な人間は伏見提督だけですし、いざという時のために引き取ってはどうでしょう? 損にはならないと思います」

「いや、ありがたい。ただでさえ人手が無い、来る者は拒まず受け入れよう」

 

 しかしこれはまた、珍しい。こう言った自然界に住む妖精はめったなことでは居住区を離れない。よほどの危機に陥った時にしか、住処を移動しないとは聞いていたが。……いいや、それほどまでにこの世界の現状は危機に溢れていると言う事なのだろう。横須賀にいた時も、いつの間にか艦娘たちの整備事情は前年度とは比較にならないほど潤っていた。

 世はまさに世紀末とは、前天皇陛下も素晴らしいお言葉を残して下さったものだ。

 

「……妖精よ、感謝する」

 

 恩を受けたならば、報いること叶わずとも例だけは言わねばならん。

 ほぼ無償の恩恵を授ける妖精達には、それは意味のない事だとしても。

 

「用事も済んだ。鎮守府へ戻るとしよう」

「はい、ではそのように」

 

 ほとんど治ったと言っても、やはり先ほどの通り動かせるのは指先程度だ。再び任務係の手を借りながら、この緩急の激しい悪路を戻った。再び数時間を要する移動、その際の酔いを催す運転に辟易しながら、ではあるが。

 

 

 

 同日鎮守府内。

 第一艦隊、第三艦隊に抜擢された者たちを除いた二十四隻の艦娘が有り余る暇を潰す為に没頭するなか、まだ前提督の沈没のショックから抜け切れていない者達も己の部屋に引きこもったり、何らかの心的外傷にも似た症状を負っている者は同系艦や仲の親しい艦娘からメンタルケアを受けていたりしている。

 その中でも、特にイラつきと言う感情を抑えきれない者たちがいた。驚いたことに、提督としての手腕を完全に疑っているそれらの艦娘に共通するもの、それは―――

 

「……第四艦隊に名前が挙がっとるの、おる?」

 

 元となった艦首の模様を模した帽子。艤装の一種でもあるそれを揺らしながら、小柄な少女が同じテーブルを囲う四つの人影に問う。されど彼女らが返した答えは全て否を示すものであった。

 頬杖をつくものや、背を伸ばして律儀に座っている者。個性様々ではあるが、その全員が横に首を振った結果に、唯一中でも小柄な彼女は体の底から息をつくことしかできなかった。

 

「なんやの、伏見の爺ちゃんはうちら“空母”に恨みでもあるんとちゃう?」

「それは考えられないわ。任務係の人に経歴を見せてもらったけど、あの人の家族が死んだのは深海棲艦が原因じゃなくて事故だったようだし」

「“ボーキサイト”の不足が原因じゃない?」

「ここのところ出撃すらしていないのに不足ねえ。提督が沈んでからも私たちの出撃に必要な分は残っている筈よ。ほら、今期の資材決算概要。あの伏見ってお爺さん、マメな気質だからこう言うのが分かり易くっていいわね」

 

 空母の一つ、加賀が渡した資料に後の四人は目を通した。

 それによれば、ボーキサイトの備蓄量は例え全艦載機が落とされたとしても二巡出来る程の量が蓄えられているらしい。これより、航空艦船が全盛期だった「かの戦争」より受け継いだ空母艦娘たちは、今も戦艦をも超えられる実力すら持ち合せているというのにこの才を余らせる伏見の判断がなおさら納得できなくなったようだ。

 

「赤城さん」

「何もそこまでは必要ないと思いますが、飛ばしておきましょうか?」

「私からもお願いっ! ちょっと納得いかないのよね」

「一応、飛龍さんもお願いします」

「分かりました!」

 

 おもむろに加賀が立ちあがり、部屋の窓を開ける。

 すると、名を馳せた正規空母である飛龍と赤城の魂を受け継いだ艦娘らは、それぞれ矢を番える。数ある経験によって一握の迷いなく射られた矢は、彼女ら二隻の残心と共に艦載機へと姿を変える。プロペラが空気を切る重い音を響かせながら、ミニチュアサイズの「彩雲」と呼ばれる戦闘機は空を駆けていった。

 

「上司がスパイじゃないかを疑う映画みたいよね。映画なんて見たこと無いけど」

「ばれたら碌なことにならないのは確実だと思いますよ。なんにせよ、結局は私達も戦場に出たい思いは変わりませんけどね」

「そらそうやろ飛龍はん。前の提督さんは優しゅうて楽しかったけど、やっぱしうちらは人間サマの手で造られた兵器や。もう仲間が造られることは無いちゅうても伏見の爺ちゃんが言うた通りに戦わな艦娘なんてやっとられんわなぁ」

 

 戦いに生きて、戦いに死ぬ。

 兵器として造られただけでは無い。艦娘とはその全てが等しく大日本帝国海軍が所有していた、国に命を捧げる軍艦乗りの意志や軍艦そのものに与えられた意味を一つの疑似生命体として蘇らされたものだ。

 戦う姿は北欧の戦乙女に引けを取らず、男女を問わず魅了する魂そのものの輝き。人々を誑かす女神は、しかし人々に尽くすことでしか存在意義を保てない。正しく神仏の様な人間の想像の中でしか「生きる」事ができないのである。そう言った考え方を以って「艦娘とは軍艦の付喪神である。故に戦いの魂だけを持ち合わせているのだ」と提唱した研究家もいた。勘違いであったとしても、それを裏付けるように、龍驤や飛鷹型の軽空母は陰陽道に用いる式神の伝承にも似た方法で艦載機を作り出すことで知られている。

 

 此処にいる龍驤もまた同じ。この鎮守府唯一の軽空母として生き残り、そして正規空母の四人を見上げる様にして椅子から足をブラつかせている幼子の様な姿をしているが、その身に秘める闘志は好戦的な戦艦娘にも匹敵するほどであろう。

 

「そう言えば、伏見さんの事誰も提督って言いませんよね」

「……ハァ、今更何言ってるの赤城さん」

 

 赤城の発言に、瑞鶴を筆頭にその場の全ての艦娘が当たり前だろうと息を吐いた。

 

「昨日の襲撃覚えますよね、長らくこの鎮守府にいますけど、私の知る限りあんな事は一度だって無かった。でもあの人が来てからはこんな入り組んだ列島の内海にまで深海棲艦が来たんですよ? いくら奴らの破壊衝動が旺盛だって言っても、流石にあの数はおかしいですって」

「そうね。青葉から聞けば、あのお爺さんは引き連れてきた事に対して心当たりはあるそうよ。もしかしたら生まれながらに奴らの気を引く体質でも持ってるのかしら」

「だとしたら傍迷惑この上ないわよね」

「まぁまぁ皆さん。不満ばっかり言っても私たちが出撃できるわけじゃありませんよ。まずは私から直談判しておきますから結果を待っていてください」

「赤城はんがそこまで言うんなら、不毛な愚痴り合いもここまでにしよか」

「直談判かぁ~。私たちが軍人じゃないからこそ通じる手段よね」

 

 下手に上官への不満を聞き届けられようものなら、最悪死刑に処されてもおかしくは無い世界観である。深海棲艦と言う日夜消えない脅威があるからこそ、自覚が足りない人間は軍において最も必要のない存在となってしまうからだ。艦娘という人間の括りに入れられない存在であるからこそ、上司への提言が許される。そして実際に戦う者としての視点を聞き入れることで、有効な作戦が生まれるというのもまた、この世界においての常識だ。

 

「ではまた今度。いざ配属されたとしても誰一人欠けない程度に頑張りましょう」

「せやな。ほなさいならっと」

「さようなら」

 

 空母艦娘はテーブルから解散した。

 次に訪れたのは完全な静寂。給料艦間宮すら沈んでいなくなった食堂はもはや、手入れする人間もおらず寂れるばかりなのであった。

 

 

 

 肩はともかく、肘と指先が中々に動かしづらい。筋繊維がやられていたのは指を動かす際の激痛から想像できていたが、それ以上に痛みすら感じずただ動かす感触も無いのに自分の左手が動いている現状が気持ち悪い。急速に治したことで生じた熱や痛みだけは遮断できる妖精特有の治療後の現象らしいが、左腕が自分の物ではない様な感覚は早々に治ってほしいものだと願うばかりだ。

 それはともかく、あの鬱蒼とした湿気に覆われた草木の楽園から帰って来たのは質素な木造の部屋。潮の匂いが近くにあると心安らぐのはありがたいが、一ヶ月も過ぎた頃にはそれが当たり前となってしまうのだろうなと考えて、物悲しくもなろうものかな我が老体。とりとめもない事ばかりが頭をよぎった。

 

「皮肉としては面白くとも何ともないが、中々に骨が折れることこの上ないな」

 

 向かい合った机にある書類を整理し、目を通し、このリンガ泊地にて起こった全ての過去を紐といて行く作業は非常に辛い。照明の位置と身長が合っていないのか、自分の影で薄暗くなってしまう報告書を読み続けていれば目を必要以上に酷使してしまった。それもあとどれだけ続くのか、考えただけでも頭が痛いが、これをやらねばリンガの現状を把握するなど寝言にすらならん。

 加え、いつも秘書としての職務を全うしてくれる那珂の帰還はまだらしい。機雷をバラ無くだけの仕事だと侮るなかれ、近海にまで接近してきた深海棲艦と戦いを繰り広げる可能性の方が、何事もなく帰って来るよりも非常に高い。

 

「……今日のノルマは、これで終わりか」

 

 長らく人の上に立つ仕事をしながら生きていれば、二つの物事を考えながら事務処理なんて事も出来るようになった。逆にこうして行かなければ狂いそうにもなる戦場が何処にでも待ち受けているこの世界には憎しみしか抱きようもない。

 せめてまだ自分の足で歩けるうちに、此処に来た望みを達成したいものだ。そう思って立ち上がろうとしたところで、部屋の外から騒がしい足音が聞こえてきた。

 

「伏見さん!」

「…駆逐艦・雷。軍の所有物である兵器としての性質上、貴艦ら艦娘にはせめて最低限の軍事的行動を踏襲してもらおう」

 

 第一艦隊に属している雷だが、機雷の設置には軽巡洋艦以上の奇襲対策部隊を送りだしているので装甲面に不安が残る駆逐艦は鎮守府に残している。その雷は随分と取り乱しているようだが、ここは経過をみることとしよう。

 

「そんな事言ってる場合じゃないの! 電が、電が大変で、艦娘同士じゃどうにもできないみたいで、それで…!」

 

 言っても聞かぬか。しかし…そうか、ヤツについての話題だったか。

 電。特Ⅲ型、もしくは暁型駆逐艦4番艦を務める艦娘だったはずだ。

 だがこの様な傾向はあまり好ましくない。何を思ったのか、口頭ではあれほど避けていた私を最初に頼ろうとするとはどう言った心境の変化であろうか。なんにせよ、全体の士気に関わるのならば余りにも深刻な事態は払拭しなければならない。

 軍刀を杖代わりに、立ち上がった。

 

「と、とにかく―――」

「報告せよ。まずはそれからだ」

 

 順を追って、彼女自身の口から真実を語らせる。上から与える圧倒感で必要以上に取り乱さないよう押さえつけるのも忘れてはならない。戦場においてこの様に取り乱されたのでは、先行き不安もいい所だ。故に如何に幼い人格が搭載されていようと、駆逐艦とて心的な成長はするのだからなるべく自発的に内面を鍛えさせる必要がある。他の感情的な艦娘と違って、駆逐艦の一部はこうして手が掛かるのは一部の報告書で読んだことがあったが故の判断だ。

 

「……司令官が沈んで、電は無理して笑おうとしていたの。でも、司令官さんが沈んだ後もずっと、笑っていたの。私は電を叩いて、なんで笑ってるのって、そうしたら、電が、何も喋らなくなって、笑ってて」

 

 なんとも拙いものだ。しかし、断片的なその報告を聞く限りはPTSDの逃避現象にも酷似していることを察する事ができた。確か電は資料の通りならば、気弱ながらも敵艦へ手をさし伸ばそうとする艦種だったと記憶している。その分他人の感情に影響されやすく、過酷な環境ならば純粋故に持ち合せる腹黒さを前面に発揮する個体もいたとの報告があった。

 どうやら此処の個体はそうした精神のフラストレーションに耐えきれず自我の一部が崩壊した、と言ったところか。しかし最初期の演説時には引き締まった表情をしていた筈。私が着任してから、その変異は発症したと見るべきであろう。

 

「その状態はいつから続いている」

「数日前から、突然」

「了解した。本日の間にその精神異常に回復が見られない場合は、後日か本日末に任務係を通して相談の時間を組むよう申告せよ。異常が見られた際、己にできる事は何かしていたかね」

「伏見さんのところに、そのまま来たけど」

「姉妹艦は疑似的な親愛の絆が築かれていると聞く。まずは姉妹艦としての精神鑑定の後、効果が見られないもしくは更なる異常が発覚した際に我々に話を通してくれたまえ。こちらは人間であり、精神構造が違うのだ。治せるかどうかの論文すら書かれていないのが人間側の現状だ」

 

 ここは突き放す他ない。所詮、艦娘は戦いの中に美しき魂の輝きを見出す兵器。反対に、我らは醜くも生を掴むために足掻く人間風情。決定的な精神の根底の違いがある以上、知識もなく安易な経験のみでの治療は悪化の一途を辿るのが通例である。

 

「では後日。再び見える事が無いよう、ささやかながら祈らせてもらおう」

 

 願わくば早期の解決が齎されんことを。

 なんにせよ結論を言ってしまえば、我々の手を借りずとも自分たちで解決した方がわだかまりも微妙な距離感の変動もない。つまり私の望む理想的な心的距離を測り易い。とはいっても、私の予感は明日また雷が執務室に乗り込んでくる事を確信していた。

 茫然と立つ彼女を残し、私は執務室の扉を閉める。それから少し歩き、中庭が見える廊下に通りかかった所でバタンっ! と扉が開け放たれ、反対側を雷が走って行く気配があった。

 

「罪深きは我が身なり、などと感傷に浸るわけにもいくまいよ」

 

 くっ、と己へ向けて嘲笑を送る。

 我が愛しき我が妻と息子が生きてさえいれば、このような偏屈で頑固な翁へ成り果てることも無かっただろう。とっくの昔に軍をも退役し、内陸のどこかで深海棲艦の影も無く平和に暮らしていた筈だ。だが―――

 

「む、軽巡洋艦・天龍か。艤装を持って何処に行くつもりだ」

「……ん? なんだ、伏見のジジイか。ちょっとした訓練だよ」

 

 砲撃を主とする軍艦の中であっても数ある艦娘の艤装形態には珍しく、艤装に「近接武装」が再現された艦がいくつか存在する。船の錨をそのまま鈍器として扱う事も出来るが、天龍型や伊勢型は斬撃武器としての近接艤装を装備しているのが特徴的な事で知られている。軍艦の馬力を再現した艦娘の恐るべき膂力。それをそのまま腕力、遠心力と上乗せして刃に乗せるのだから、敵艦が余程の装甲を持たぬ限りは断てぬ者などほとんどない。

 そう言った意味では、こうして軍刀を持ち歩くほどに剣を齧った者として天龍の訓練風景と言うのが酷く気になったのは否定しない。老婆心ならぬ老爺心が働いたとでも言えば正しいか。

 

「その訓練とやら、見せてもらうが構わんな」

「ああ? まぁ人がいた所で鈍るもんでもねーし別にいいぜ。アンタは気に食わねえけど、俺の剣がこれからの戦いに活かされるってんなら存分に見せてやる」

「弾薬の消費が無く、折れぬことで有名な艦娘の近接艤装は聞き及んでいる。今後の検討価値があるか否か、存分に拝見するとしよう」

「ハッ、偉そうにしやがって。実質はまだテメエが“提督”じゃあ無いって気付いてんのか? 下手に戦艦共の喧嘩を買えば殺されるぜ」

 

 そのような事は分かっているとも。

 

「だが貴艦のような艦娘であろうとなかろうと、天の迎えがそう遠くない私には死など恐れるに足りん。既に命は我が心の君主に捧げ、我が心は天の国に待つ我が妻へ預けてある。此処にあるのは口ばかりが達者な抜け殻に過ぎぬやも知れぬな」

「言葉通り口の減らないジジイだな、オイ」

「もう数年も経てば口すら開けぬわ。ああ、これは独り言だが……死に際のジジイらしい我儘に貴艦らを振りまわす予定ではあるが、一隻たりとも沈めるつもりは無い。とだけ呟いておこう」

 

 そう言ってしまえば、此方の事は使いつぶすことも辞さないクソジジイだと思っていたのか天龍の間抜け面を拝ませていただいた。普段の顔が整っているだけあって、こうして若い女子の恥も外聞も投げ捨てたような表情を見るのは中々に楽しいものだ。

 

「ハ、アハハハッ! なんだそりゃ。随分デケエ独り言だな、ボケてんのかクソジジイ」

「さて、な。七十も越えれば忘れっぽくていかん。私は何か言ったかね」

 

 写真も無ければ、もはや妻の顔すら忘れてしまった不肖の夫だ。これでボケが始まっていないと言うのならば、一体どれだけ忘れやすい老人にボケという現象が始まるのやらわかったもんじゃあ無い。

 だがこうした砕けた態度はアタリだったらしい。随分と機嫌を良くしたのか、天龍の訓練場に来るまでの間は軽口を交わしながらバシバシと背中を叩かれるばかりだった。艦娘の腕力を忘れているのか、恐らくは後で医療妖精にまた世話になる必要があるだろうが、無礼講と言う事で忘れてやるとしよう。

 

「ん、今日は日向いないのか」

「ふむ、確かに伊勢型も近接艤装を発現させていたな。普段は組み手を?」

「資源が余ってるときはほとんどガチだ。まぁいいか」

 

 あたりを見回した天龍は刀身の紅い剣を鞘から抜いた。抜き身の真剣で訓練とは珍しいが、だからこそ何をするのか皆目見当もつかん。艦娘の身体能力は人間のそれを凌駕しており、古い映画の中にあるような地上から2階に飛び移ることすら軽々やってのけるというのは有名な話だ。

 

「よっし、見てろよクソジジイ!」

 

 

 

 

 呆れた。

 何度でも言おう、呆れ果てたと。

 こんなものは訓練では無く、ただの危険なお遊びだ。深海棲艦の堅牢な外皮を切り裂く剣を、お手玉のように使って投げては手に取り動く標的を切りつける。馬鹿ではないだろうか。

 投げている時に弾かれてしまえば武器も無くなってしまい、大きな隙も生じてそのまま砲撃されかねない。深海棲艦とて戦略を執る様な知能は無くとも戦いの中で敵の武器を破壊するという発想は持ち合わせているのだ。

 

「先日の戦いにて拝見させて貰ったが、やはり貴艦の戦法は危なっかしいことこの上ない! ここまで生きながらえてきたのが不思議なくらいだが、報告書には出撃の際僚艦が助けに入ったとの記述が必ず見受けられる理由をよく理解させて貰ったとも! 剣は貴艦にとっては軽いものかもしれぬが、己の命を繋ぐための道具を簡単に手放すとは何たる心持ちか、それだけは理解できそうにもないなッ!!」

「おい、今にもくたばりそうなんじゃ」

「この未熟者(ひよっこ)め、口を開く権利があるとでも思っているのかッ!」

「うっ……」

 

 実力と運だけはそれなりにあるのだから止める者も少なかったのだろう。こればっかりは余計に性質が悪い。姉妹艦の龍田に関しては、そう言った龍田という艦娘の性格上分かった上で放置していたと予測される。これでは厳格な人格を搭載されているらしい日向の方も心配でならん。

 天龍は戦場の中で散ることを良しとする武人の極みでありながら、どこか軽い性格があることでも知られているのと同時、その性格こそが短絡的な行動へ繋げてしまう原因ともなるのはこれまでの歴史が証明している。だが強制できないと言うほどでもない……また、余計な手間を掛けることになるやもしれぬが、一度でも誓った以上は己自身を裏切ることなど出来もしない。

 

「剣は私が教えよう。それから基礎の“知識”だけでもしっかりと叩き込ませて貰う。これより一週間以内に近接艤装に関する講習会の予定を組むので、掲示板に張り出された後は予定された場所に集合せよ。口頭の説明では以上だ、追って連絡を待ちたまえ」

「お、おう。でも伏見のジジイよぉ、歩くのも杖代わりにしてんのに剣何か」

「最早振れずとも、知識と心構えを教えるだけで諸君らの武器の軌跡は必ず変わる。余計な仕事を増やす私の心労を増やす事が出来て、さぞ私の事を快く思わない連中は恐らく喜ぶであろうな、まったく」

 

 艦娘に砲撃の知識は確かにあるだろう。自分の過去の艤装をそのまま再現されているのだ、自分の体の一部を扱えないなどと、赤子ではあるまいに。

 だが近接艤装は謎が深い。最早失われた製法の文献なども見つからない事から、近接艤装を再現された艦娘が何故それらを十全に扱える知識を持っていないのかも解明されていない。こればかりは、人間側から教えていくしかないと聞き及んだことがある。

 

 この老体、時間も遅いだけあって事務は流石に体に堪えるが故に寝室に向かう。心なしか、いや自覚できる程に自分は無駄に足音を立てて歩いている事が分かった。

 

「駆逐艦は電と吹雪、軽巡洋艦は天龍、先ほどから私をつけて飛んでいる二機の彩雲は空母か? 後は重巡洋艦の青葉に戦艦の金剛……まだ着任して一週間も経っていないと言うに、どうしてこうも問題ばかりが迷い込む? 前提督はそれほどに無能であったのか、心労ばかりを増やしおって、若造が! ……ああ、いかんな。まったくもって苛々が収まらん」

 

 思わず頭の中で考えるべき悪態をつく伏見と同じ廊下にいた者は、幸いか誰一人としていなかったようである。伏見は治したばかりの腕を擦る様にして組み、再び思考の中に没頭し始めた。

 

 嗚呼、全てを適切に考えなければならないと言う現状が更に私を苛つかせる。中でも明日にでも迷いこんでくるであろう、駆逐艦・電の問題解決が主となる可能性が高い。このままでは寿命の前に心労で倒れるやもしれぬと、頭によぎった考えを否定することなど出来ようか、いや出来る筈がない。

 私の目的を果たす為に、艦娘たちは十全の状態でいて貰わねばならん。如何なる事態においても万全の態勢を整えられるようにせねばならん。この願いの先に、世紀に語り継ぐかの如き戦乱が待ち受けている事は間違いないのだから。

 

 




今回の縛り内容公開

 難易度:低
・艦娘は建造時に知識を植え付けられているが、中には自分の艤装を十全に扱えないケースが存在する。現状確認されているのは近接艤装をもつ天龍型と伊勢型のみ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

犠牲

遠  に忘  れ、 われた。
私が すの  遥か   に信じ   いた 一  法
確か  、  身を以   るがい

―――左手を這わせたように血で塗られ、裂かれ欠落した手記より。




 

「潮にも匂いの違いはあるのだな」

 

 この清々しい潮の香りと違い、私が本部に居座っていた時は、息が詰まるような思いだった。毎日のように血の匂いが充満し、大破した艦娘が垂れ流すオイルが黒々と通路に足跡を残す。その次の日には再び戦場に駆り出され、時にはその数を減らして戻ってくる。それを私は、ずっと高い場所から見下ろすことしかできなかった。

 軍部には女子供は誰一人として存在しない。なぜなら艦娘は兵器であり、性別があるかないかと言う生物としての扱いはされていなかったからだ。私もまた、生産能力があるならともかくただの目の保養程度にしかならない美女、美少女揃いの艦娘は、軍人に余計な同情を生ませるだけだとして遠巻きに眺めてはこの世の不条理さを嘆くばかりであった。

 実際に艦娘の容姿端麗とした姿に劣情を抱いた輩もいたようだが、生憎と霊的な存在でもある艦娘に危機を察知されたのか触れられる事すら叶わず、更には駆逐艦とはいえ貴重な兵器の搭載人格を歪ませた容疑として罪に問われ、銃殺刑に処されていたのだったか。相手が駆逐艦と言う時点で黒いうわさの絶えない少将であったが、生憎と少将程度なら幾らでも挿げ替えが利く人材がそろっているのが海軍本部だ。

 さて、私は潮の違い一つで何を此処まで思い出しているのだか。どうにも年を重ねるにつれて弱くなるのは体ばかりではなく、記憶に浸りたくなる症状を引き起こすほど精神も弱っているらしい。年はとりたくないものだと文句をつけてやりたいものだが、ここまで年を取ったのだから自分を無価値として扱う事ができるようになった。人間とは、自分一つで難しいものだと思いつつ、洗面台で冷えた水をピシャリと顔に当てる。

 

「動作に異常は無し。本日もまた、晴天也」

 

 足腰が弱っていても、鍛え続けた肉体が急激に使えなくなるわけでもない。稼働できる範囲で無理のない柔軟と、歩くための体操をひと通り済ませる。それから部屋に持ち込んだ軽い朝食のパンを毟って喰らい付くと、水をのどに流し込んだ。こうして補助しなければ、乾いた物を食べる度に咳が出る。体の外側はともかくとして、叫ぶ事もある職業柄か喉はすぐに痛めてしまうこともあって、労わらなければならん。老いた今となっては昔のようにはいかないのだから、そのあたりが今後気をつけたいところだ。

 

 本部にいた頃と謙遜無く殺風景な私室の扉を開け、廊下へ足を出したのだが違和感があった。整備をする人間がいないためかギシギシと鳴るほどに痛んでいたはずの廊下は、新品同様の板張りになっている。くすんで白っぽくなっていた木目の板にはワックスを塗り直したかのような輝きが見られる。それどころか、硬質で体重を預ける安心感すら生まれているではないか。

 

「おはようございます伏見提督」

「うむ、おはよう」

 

 驚いていれば、隣にいるのは任務係。

 我々がリンガに到着する以前に決めたことであるのだが、着任初日よりの取り決めにより、この定時に日ごとの予定を見直し、時には訂正する形として鎮守府を取り仕切るようになっている。通常の組織ではこのような細々としたものは無かったが、元より地方の大型鎮守府は提督の性格によって組織運営の形が大幅に違っている。それでも纏める事が可能だと言うあたり、本部にいた頃は中間管理職の者たちには頭が上がらない想いでいっぱいだった覚えがある。

 

「本日の勤務は遠征による第三・第四艦隊の反応を記録する事でよろしいですね?」

「そのことだが、日程には艦娘たちの精神状態の見直しと、今後の運用に関して当面の見送り処置があるか否かの判断による微調整も加えてもらえるかね。想定内の差異だが、予定の組み直しが必要になった」

「はい、ではそのように」

「それともう一つ聞きたいのだが」

「はい?」

 

 予定の組み直しを想定しているであろう彼女を引きとめ、尋ねる。

 

「鎮守府の変貌はやはり、先日に調達した“妖精”の仕業かね」

「はい。西欧でいうブラウニーという妖精と同じく、妖精は須らく特化した技能と共に他の妖精種の役割を補える能力を所有しております。その中に食事を除いた家事一般能力も含まれており、掃除はおろか大工の真似ごとも可能であると記録されています」

「なるほど、応対御苦労であった」

「いえ」

 

 機械的な一礼と共に任務係の姿は遠ざかって行く。彼女もまた、これから毎日こちらの思惑の為に管制室にてオペレーターの振りをしていてくれるのだろう。志を共にした同士として罪を共有しくれると言うのだから、彼女を含めて必ず己の行いに道連れは無くさなければならないと今一度此処に想いを刻みつけておくとしよう。

 ギチ、と不安なものではなくコツコツと安心できる音を出すようになった床の感触に、必要だった警戒の一つを手放しても良くなった安堵感を抱きながら向かう執務室への足取りは自分でも驚くほどに軽かった。自分の目に見えないものへ対する不信感はあれど、それ以上の実績と言う安心が強いのは私自身がその恩恵を説明される以前に味わっているからだろうか。

 もはや使う機会すら消え去ったかもしれない軍刀(つえ)を突き、執務室の扉を開く。今日に限っては最近の騒がしさの原因でもある秘書艦・那珂の手を借りるのは昼からだ。静かな執務室の椅子に腰を掛け、軍刀を専用の台に立て掛ける。どうやら、この前提督に合わせてあった高さの椅子も、妖精の仕業か自分の身長にしっくりくるものに改良されているようだ。

 

「……はぁ」

 

 左腕に痛みは無いが、動かすにしては以前の様な自由さは感じられない。指の先くらいなら僅かに動かせるが、どこか機械よりもぎこちなさが目立ってしまって仕方がない。

 さて、今日の業務に励むとしよう。今のところは提出するつもりすら無い偽証の報告書を書くに留まる程度の使い道しか無いインクを取り出し、机の隅に置いてこれまでの積み上げられたリンガ泊地の歴史に目を通し始めた。いくら自由に動かせないからと言って、左手を常に釣り下げておかなければならない不自由さよりは断然マシな感覚は、以前の窮屈さを感じられない。

 それから、頭の中に必ず留めておかなければならない内容を幾つほど目に通した頃だろうか。時刻にして○七○○を過ぎたほどに、執務室の扉が躊躇いがちにノックされた。

 

「入りたまえ」

「特Ⅲ型駆逐艦の雷です。先日の言葉に従い、任務係に話を通してからお目通しを許可されて…されました」

「そうか、ではまず書類をこちらに」

「はい」

 

 ぎこちない敬語と共に、手渡された数枚の書類を受け取りながら雷の様子を伺ったが、昨日よりは落ちついているようだ。駆逐艦・雷は昨日と変わらない不安感には溢れているものの、現在目を通すべきは彼女自身ではなくこの任務係が手掛けた書類の方だろう。

 徹頭徹尾読み進んでみれば、電の状態は悪化する事も無ければ治る見込みもない不変とのこと。戦えない艦、というものがあれば私の信条からは作戦にすら参加させないのが吉であるのだが、部下であり大事な兵器である艦娘の整備を怠るのは私の矜持に反する。

 なんにせよ、相当に深刻な問題とならない内に解決すべきと結論を出した。

 

「了解した。では同型駆逐艦の電を此方へ呼びたまえ」

「連れて来るって……でもあの子は」

「実際に見たわけではないが、そちらに割り振られた部屋と比べても此処は広く、日光を取り入れられる。開放的な条件としては応接室としても利用可能である点を見れば、精神鑑定の真似ごとの役には立つだろう」

「……伏見さんは、どう思ってるの?」

「さて、私は精神科医では無いから分からぬよ。しかし情報を統合した結果でやれる範囲は善処するつもりだが……うむ、これ以上の問答は無駄だな。とにかく連れて来なければ自体も進展することはない」

「分かったわ。それじゃ、失礼します」

 

 机の前まで来ていた雷は一礼してから扉を閉める。

 しかし、電がああまで精神に異常をきたしているのは前提督との信頼関係が破壊されたと言う理由もあるだろうが、元々が気弱で姉妹に精神の支えを頼る傾向にある電ならば雷以外の姉妹艦がこの鎮守府に居ないことも原因の一つとなっているのだろう。

 この鎮守府は狙ったかのように、姉妹艦がいるからこそ精神の平静を保てるような艦が多いことに反し、その天秤の片方となるべき艦が圧倒的に少ないという特徴がある。それがこの鎮守府そのものに漂う不信感の根幹の一つともなっているのは言うまでもない。大戦時代に単独航行の後生還した艦ならばそう言った問題点も余り取り上げられないのだが。

 どちらにせよ艦娘となってから精神的な妄執や執着を見せ始めたケースは少なくは無い。ここには居ないが、北上と同じ姉妹艦であり、重雷装巡洋艦である大井が筆頭として挙げられる。

 ともすれば、こう言った精神疾患の解決策には姉妹艦や大戦時における共闘した艦の存在が不可欠であるとも言えるのだが、生憎と暁型の艦娘がリンガ泊地には雷と電しか残っていない。昔はまだ安全で在ったのだが、30年前を境に遠征中に襲われ、轟沈させられる事も多くなったこの時代、こうして錬度がそれなり程度の駆逐艦が生き残っている場合はよほど海域に出されない様になった、という背景を知ることができる。もしくは、その姉妹艦を沈めてしまったがために残りが海と戦いを恐れはじめたか。

 そして―――いかん、と頭を振った。

 今この時に使用すべき事を考えようとするのだが、この無駄に人生経験を積んだ頭では、次々に連想するような事を芋づる式に知識や記録を引っ張りだしてきてしまう。駆逐艦の状況から鎮守府の運航状態を連想する? そんなもの、他地方の鎮守府から送られてくる報告を受け取る時にのみ考えていればいい。今はまったく必要が無いであろうに。

 

 伏見は再び無心を取り戻す為、ゆっくりと瞼を閉じつつ息を整える。年を食ってからは自分への怒りを主とした感情的な方面に流されつつある、という自覚と共に暦年で培ってきた老士官としての己を被るためであった。

 ふと気がついた頃には、新品となった床板を鳴らす音が彼の耳に入ってくる。二度目の訪問となる雷は、その傍らに一般的に妹として扱われる駆逐艦・電を引き連れていた。

 

「あ、ノック忘れてた」

「……今回ばかりは仕方あるまい。さて、まずは座りたまえ」

 

 髪がしだれかかっているせいで影に隠れた目元は見えないが、雷と違って快活な様子は見受けられない。どこか、実戦に怖気づいて腑抜けた新兵のような空気があるようだが。

 しかし、これは雷の言っている異常とはかけ離れている。「常に笑顔を見せている」ことと、「ほとんど何も話さない」というのが現状の駆逐艦・電に起こっている精神異常の筈であるが。

 

「さて、こうして余分な者がいない場での対面は初となるか。知っての通り、私は伏見丈夫と言う。今回、貴艦がこの場に連れてこられた理由のほどを理解しているのかね?」

「………」

「ふむ」

 

 話しかけてみれば、そこでようやく件の彼女と目が合った。

 顔を上げた電の顔は、なるほど。確かに幼くも絶対に自然では見受けられない可愛らしい顔つきで在り、自立兵器としての扱いにされる艦娘・電としての特徴と何ら違いは見受けれらないようにも見える。だが、コレの瞳は何の光も受け取っていないようだ。

 どこまでも機械的で、まるで鏡面になった望遠鏡を除いているかのような無機質さが感じられる。そのくせ顔に張りつけて固定した笑顔は綺麗なもので、艦娘が列記とした生命ではなく疑似生命体、かつ造られたものであると言う違和感をありありと発している。

 

「これは重症だな。電よ、私が見るに貴艦は兵器としての役割しか持てていないようだ」

「…………」

「伏見さん、それって」

「少しの間、コレと話をさせてもらいたい。貴艦は黙っていたまえ」

 

 雷の口を指揮官命令で黙らせる。仮にも、提督という新たな指揮官であると演説の場で公表したためか、艦娘の未だ解明されていない「提督の命令に従う」と言う強制権が働いたらしく雷はその場で沈黙を保つようになった。やはり、艦娘は人間が扱う道具であるという範疇から抜け出せないらしい。なんとも愛おしくも、憐れな存在か。

 目の前の電もまたそのうちの一つ。そう思わずにはいられないのは、老獪になったが故に新たな人間の可能性を模索するため、愚かしくも感情面へ手を伸ばし始めた失態があるからであろう。

 しゃがれ始めた声で、なるべく語りかけるように私は言の葉を紡ぐ。

 

「何度も言うが、私は諸君らリンガ泊地に残りし全戦力をそのまま艦娘と、貴艦らが扱う艤装の武具を含めて兵器と勘定している。だが、戦場において自ら力を発揮させない兵器は扱うつもりは毛頭ない。私の扱う作戦では一隻一隻が重要な役割を果たし、かつ予備などと言った艦を扱う余裕もないからだ」

「…………」

「この困窮に満ちた世界において、戦う事を望まれ、戦いにのみ存在価値を見いだせる諸君ら艦娘が戦わないのであれば、戦いから遠ざけられたのであればそれは部屋の一角を埋めるゴミでしか無い。もしくは、観賞に堪える人型の像であろう。私の場合は、当然ゴミと同義に扱う」

 

 優しげな口調とは反面、脅すように言えども電の表情も呼吸の音すら聞こえない。だがここで諦めることは許されん。私の目的に艦娘は必要不可欠の要因であり、その全てが指揮権を用いることで渋々動いてくれる程度の服従を見せてもらわなければならないのだから。戦力は、意志を投げる程度でも確保しなければならない。

 

「さて……話は変わるが、リンガ泊地において、貴艦は前提督と随分懇意にしていたとの記録があった。そこから推測したのだが、雷が悲しみの感情を押し出していたおかげで、貴艦は雷の精神衛生を保とうと己なりに行動したのではないか? しかし、それは伝わらずに雷は貴艦へ反射的な攻撃行動を行った」

「……それって、伏見さん。じゃあ私は」

「では今回の事変が起きた推察を始めよう。先の事柄が発生した結果、“小さな親切大きなお世話”となってしまったために心を閉ざした。電は軍艦時代、雷と共に敵乗組員370余名を救出した歴史があったためか、軍艦の魂が艦娘として蘇った際には必ず心優しいと呼称される正確に固定され、製造される。しかしその反面、周囲の影響や感情による人格への変質が起こりやすく、悪意のみに晒されるような鎮守府では策謀に長けつつも口調が変わらない性悪な個体への変化も報告されている。今回の件は、こう言った変質した新たな例といった所か」

「…………」

「ふむ、これでも反応は無しと。予想は出来ていたのだがな」

 

 事実と推察をバラバラに並び立てる。話題をあちらこちらにすることで心の揺さぶりをかけてみたが、精神構造は人のそれに似通いつつも本質が違っているのならば……さて、確かに艦娘は扱いが面倒だと嫌と言うほど実感できた。

 だからこそ、またリスクを負いかねない行動をする他に手段は無いようだ。

 

「さて、ここで雷。貴艦にやってもらいたい事がある」

「……え」

「艤装の手入れはされているようだな、何よりだ」

「ちょっと、伏見さんまさか」

 

 流石に気付かないほど愚鈍では無いということか。

 

「特Ⅲ型駆逐艦の雷は、今この場で電を砲撃処分したまえ」

「―――ッ! そんなこと! できるわけ無いじゃない!!」

「使えない艦に割く資材は残っていない。無理に盾として扱うよりはまだ救いがあろう。なに、この部屋が荒らされようとも妖精が修復してくれる。私の身を気遣う必要もない」

「ふざけないでっ!」

 

 立ち上がった雷の主砲が仰角を変え、対面するように此方を向いた。

 装填された「弾薬」の重い音が耳に入ってくる。艤装形態の艦娘の威力は戦艦形態のそれと全く謙遜の無い威力を発揮する事を考えれば、私の体など血の詰まった肉袋でしか無くなるであろう。

 

「ふむ、上官に向かって何のつもりかね」

「私は軍人じゃないわ、あなたの言う兵器よ! だったら、兵器らしく殺したって」

「確かに、艦娘は深海棲艦の脅威が表面化するまでは対人戦争においても利用されたとの話を聞く。しかし、今ここで撃つのは私では無く貴艦の隣にいる電かと思われるのだが」

「妹を殺させなんてしないし、殺さない。電は戦えないかもしれないけど、それでも処分する権利なんて誰にも無い!! だからっ」

「…その分私は、老い先短く死んだとしても誰も悲しまない。那珂に至っても恐らくは業務から解放されたと喜ぶであろうな。おお、確かに考えれば私こそいなくなった方が益のある存在ではないか! そうではないかね、駆逐艦・電。このような高説を垂れるばかりの死に損ねた老害が貴艦の耳を痛めることも無い」

「そうよ、確かにその通りじゃない」

「……ふむ、仕方が無いな。まったく、的は敵艦と違って一メートルも離れていないというに、こうも震えていては当たる筈もない。どれ―――」

 

 立ち上がり、雷の艤装についた砲塔を二つ掴み取る。何処に当てようと、運が良ければ失血性ショックで死に、普通に考えれば砲撃の爆発で上半身くらいは吹っ飛ぶだろう。

 使用者の動揺を隠せないのかは知らないが、仰角を変えない砲塔を自分の頭と心臓に向け、本当に対面した雷を見下ろした。

 

「これで、当たるだろう」

 

 言ってやれば、決心などある筈もなく小娘の精神でしかない雷には固まるしか選択肢は無かったのだろう。戦場に出たことはあってもその凄惨さまでは理解しようとせず、敵を殺すこと、モノを殺すと言う行為に納得できていない新兵。それが雷の正体、そして電の気がける懸念の一つでもあったのかもしれない。

 だが、今となってはもう後には引けない。これによって、少なからず兵器としても、兵士としても雷は命を奪うとは何かを理解するだろう。

 

「撃ちたまえ、それが貴艦の選択だったのであろう」

「……ッ」

「撃て」

 

 再度言う。雷が掴みかかってくる。

 

「なによッ! なんで」

「貴様の意志なぞ聞いておらん」

 

 だからこそ、掴んだ砲を揺らして言葉を叩きつける。

 体ごと揺れてよろめいた雷の顔を上げさせ、言い放った。

 

「撃て!!」

 

 雷の瞳孔が狭まった。掴んだ手から心音にも似た何かが伝わってくる。激しく波打つ動機は彼女が極度の緊張にある証明だった。暁型の艤装にはトリガーと言うものは無い。彼女たちの意志がそのまま引き金となる。より高く、より昂ぶった感情はその視線と共に伝わってくる。彼女にあるのは戸惑いと驚愕のみ。たったそれだけでも、自衛の手段として艤装は命令を受け取ってくれる。だからこその、重い殺人への後悔が瞳へ浸る。

 

 一瞬の爆音。駆逐艦の小口径の砲らしい、しかし軍艦として相応しい砲撃が目標へ向かって放たれる。徹甲榴弾の被帽は、従来捉えるべき船体よりも柔らかな的を間違えることなく貫通、即座に炸薬が轟音と共に目標を燃え上がらせて破裂、炸裂。

 至近距離の爆風に人間の体は耐えきれず、足を地上から浮かせて執務室の壁へと吹き飛んだ。ゴロゴロと軽い人体は転がり、衝突。ピクリとも動く気配は無い。

 どこか他人事のように、この惨状を作りだした雷は茫然とこの光景を見ていた。木造の執務室は窓と壁を破壊され、窓のあった場所を起点として未だ火の手を広めようとして燃え盛っている。異変に気付いた妖精が集まり始め、必死に消火活動を始めようとしていた。

 こんな、こんな事があるのか。そんな信じられない面持ちを隠そうともせず、雷が立っている場所にはもう一つの影が見受けられる。雷の体に覆いかぶさる様にして、その左手には伏見へ向けられていた砲塔が握られている。無理な力をかけたためか、その砲塔の根元は関節が外れた腕の様にぐらぐらとしていたが、そんな事が雷の意識を茫然とさせていたのではない。

 

「………す」

 

 聞いたのは何時振りだろう。その場の当事者でありながら、まるで映画を見た観客の様に乖離した意識がふっと思いついた言葉と共に戻ってきた。

 思い出す、彼女との日々。暁と響の居ない鎮守府では吹雪型の先輩に気を使いながら、それでも楽しく司令官との戦いの日々を生き延びてきた。数年かけて、周りで何人も仲間が沈んで行く中、自分の精神の支えとなってくれたあの声の持ち主を。

 

「雷、は。あんな人、を」

「い、なずま」

「雷は、誰も殺さなくていいんです」

 

 パラパラと崩れ落ちる、消化された木くずの破片。それは彼女の上に降りかかって、それでも彼女は、駆逐艦・電は姉である雷を見つめていた。焼けた煤で汚れながら、雷は彼女の口から発せられる言葉の一つ一つを噛み締めるように目を閉じて―――電を抱きしめた。

 

「ごめんね、はたいてごめん」

「電も、雷を泣かせてしまいました。みんなのためって考えて、でも……っ」

 

 それ以上は言葉なんて出てこない。ただただ、二人が自分自身を忘れていない事を喜びあって、かけがえのない互いを抱きしめ合うことしかできなかった。

 

 

 

「ぐ、むぅ……」

 

 三半規管が揺れているらしい。視界はぐちゃぐちゃで定まりようもないし、特に治したばかりの左手はくっついているかも分からない。まるで昔、妻にせがまれて乗った遊園地のコーヒーカップに乗った後の様なフラフラとした感覚だった。それが抜けきらないうちに、それでも立ち上がる。

 右手で頭を抱えて、なんとか壁に寄り掛かったことで輪郭のはっきりしない二人の人影が見えた。徐々にハッキリになって行く視界の情報を信じるのならば、目論見の方は半分くらいは成功したらしい。半分、と判断を下せたのは自分の身に降りかかる冷たいまでの敵意に他ならない。

 

「……は、ぁぁぁ」

 

 安堵の息は、自分でも信じられないくらい年不相応で若造のようなものだった。

 あの砲撃の一瞬、心の檻の中から我を取り戻したらしい電が雷の砲塔を斜めにずらした光景を思い出す。砲弾は左肩の上を通って壁に命中し、爆風は背中をしたたかにうちのめして私の体を吹き飛ばしてくれた。そして首から打ちつけて転がった時は死を覚悟したものだが、存外に人間の体は丈夫らしい。骨の一つも折れず、擦り傷で済んだ体を見て再び息を吐きだした。

 しかしだな、と。そう意識を切り替えて、抱き合っている二人に視線を戻す。そこで、腰に来ている痛みに耐えきれず結局壁を背にしてずりずりと座りこんでしまった。流石に巨大な体を持っていた艦そのものの敵意を、この弱り切った体で受けるには度胸と体力がもたん。それは駆逐艦であっても全く変わらない事実であろうに。

 まごうことなき、殺気にも似た敵意を私へ向けるのはやはりと言うべきか、姉妹のために己を取り戻したばかりの駆逐艦・電だった。それはなんてことをさせようとするのか、もう人間を殺す必要が無いのに、深海棲艦だって仲間になるのかもしれないのに、一切の情を挟む余地なく艦娘の心を傷つけようとした、そんな「非情な提督」な私に対する怒りも含まれているのだろう。

 しかし、感情操作などと言う神にも等しい所業を愚かにも人の身で再現できるとは毛頭思っていないが、一定量の恨みつらみを抱かせるのは存外にやればできるものらしい。できれば殺意を持つくらいが望ましかったのだが、性根が優しい設定として建造される電では私が求める負の感情を抱くには至らなかったようだ。

 

「………ぐ」

 

 足が痛い。元から年をくうだけのポンコツになりかけていた足は、先ほどの衝撃でなおさら使い物にならなくなっているようだ。幸いにも無事だった書類を収めてある棚に体重を預けながら、みっともなく壁へ体重を預けて移動する。

 そんな私から庇うように雷を遠ざけようとする彼女の行動を敢えて無視して、私は何とか所定の位置、提督が座る椅子へと体重を預ける事が出来た。

 

「……駆逐艦両名、用件は済んだのであろう。さっさと宿舎で休養を取れ」

「はい、分かったのです。それじゃあさようなら、おじいちゃん」

「伏見さん、その」

 

 何かを言う前に、電は雷を引き連れて執務室の扉を閉めて行った。最初に此方へ連れてこられた時とはまるで逆ではないかと苦笑が絶えん。さぞかし、この部屋の修復に取り掛かっている妖精どもにとっても、私の笑いをこらえようとする姿は滑稽で可笑しい者に見えている事だろう。

 はは、なんだ。体一つ、命一つ賭けるだけで事が上手くいくのならこれからも賭けて行く方がよさそうだ。どうせ何時でも捨てられる命なぞ、どこで消費しきろうが、目的が達成できないのであれば同じことだ。

 

 頭を振って、肺を飛びはねさせる様な失笑に身を任せていると時計の針はそれほど多くの時間を使っていないのだぞ、と自己主張している事に気がついた。まだ○八○○、朝に話が持ち掛けられてからほんの1時間の間に、電は心変わりをして見せた。立ち直って見せた。それどころか、此方に敵意まで飛ばしてくると来た。

 

「こんな愉快なものが艦娘か、人間なんぞとは比べ物にならぬほど高尚な存在ではないか。ええ? そうは思わんか、そこな妖精どもよ」

 

 私に妖精の姿は見えることは無い。声すら聞く事も出来ん。だが、妖精どもの持っている木片はその場で止まって方向を変えたと思えば、次の瞬間にはまた動きを再開する。こんな狂った老人の考えなど、耳も貸したくないと言う訳ではないだろうが、まぁ理解の範疇の外にあると言う事は良く理解させて貰った。

 昇った日の光、それはまだ塞がっていない穴から私の全てを見透かしているように照らしてきたが、見たいのならば存分に見透かすと良い。どうせ貴様は軍艦と違い、艦娘のように意志を持つ訳でもないのだ。それに加え、もしも目的が果たされたのならば白日の下に晒される日は必ず来る。それともなにか、ジリジリ照らしてくる日光で私の弱った体を焼くつもりかね? 嗚呼―――ここまで考えた自分が何よりも馬鹿馬鹿しい。喋らぬ相手に何を思っているのだ。妄想癖の激しいジジイになんの意味がある。

 

 考えを断ち切る様にコンコン、扉から音が聞こえてくる。

 続いて返事を待たずに開いた戸の隙間からひょっこりと頭を出す者がいた。

 

「……提督、なんかあったのー?」

「ノックまでしたのなら、せめて確認はしておけ……」

「いいじゃん。駆逐のやつらと面白いことしてたみたいだし」

「面白いか、確かに寸劇としては傑作だったやも知れんな」

「ふふん、皆に聞こえちゃってたよ。艦娘の聴力はソナー並みだしね」

「知っている。どんな小声で言っても貴艦らには筒抜けであることもな」

 

 話していると、頭の中がようやく落ち着いてきた。

 書類に手を伸ばそうとすると、横から細い手が盗って行った。

 

「ふーん、私らのこと勉強してるんだ」

「そうだ」

「ふむふむ、懐かしいねぇこれ。4年前の中規模殲滅作戦の概要かぁ」

「書類を返して、それから此方を向きたまえ。まず、貴艦は何を聞きに来た?」

 

 回りくどい事はするなと目で訴えれば、北上は書類を投げて此方に寄越す。机から落ちない内にそれを取ろうとすると、腕を掴まれ吊りあげられる。机に腰掛けるように此方を見る北上と視線が合った。

 

「妖精、ちょっと音ふさいで」

 

 敵意は無い。だからといって憐れみすら感じられない。ただそこにいる私を見つめるだけの、馬鹿をやらかしたものへ送るような、仕方が無いという感情だけが込められていた。

 

「これでいっか。もう他の艦娘にも聞こえない内に言っとくよー?」

 

 ヘラヘラ笑う北上の真意は知ることなど出来ない。ただ、私にとってはあまり良くない方面へ話が向いている事だけは理解できた。それだけあって恐怖は湧きあがり、冷たい汗が背中と額から湧き出してくる。

 北上は、まさか真意を知ったとでも言うのだろうか。いや、ならば逆に好都合か。

 

「提督さぁ、いっちょまえに悪人気取ってるみたいだけどやり過ぎると本当に死ぬよ。それなりに仲間死んでるし、ここに人がいた時の事もあったから私は分かるんだけど、わざわざ後2年も無い(・・・・・)寿命を使ってまで何がしたいのさ」

「……そう、か。1年あれば良いと思っていが、2年もあるとは」

「話聞いてるー? とにかくそっちが何したくて此処の奴ら助けて、自分が恨まれようとしてるのかは知らないしどうでもいいけど、自爆に巻き込む事だけは止めてほしいんだよね。戦いの中で沈むんならともかく、変な事故で沈んじゃったら大変なことになるから」

「成程、貴艦もそれを知った口か」

「そ。だからちょっとした忠告程度に言っといたの。多分那珂も気付いてるけど……ああそっか、あえて何人かに気付かせようとしてる訳? あちゃ、こりゃ一本取られちゃったかな。とにかくさっ」

 

 パッと掴まれていた右手が放される。手の形をした痣を残した右手を痛みに耐えながら懐に戻すと、今度は北上の顔が目の前に迫って来ていた。

 

「アンタも、無理しない方がやろうとしてること成功すると思うよ」

「……そうか、成程。心に留めておこう」

「駄目だこりゃ」

 

 頭を小刻みに揺らしながら、知ったように言い返す。

 これは……不味いかもしれない。北上に情報が与えられないよう警戒しなくてはならん。今は此方を見届ける程度の関心らしいが、下手に距離が近くなってくれば目も当てられん事態になることは必須だ。

 

「妖精、もーいいよ。……んじゃ、せいぜい頑張って」

「そうするとしよう」

 

 僅かばかりの激励は素直に受け取ると、意外そうな顔をして北上も部屋を出て行った。見届け、痛む体を抑えながら帽子の下に蒸れた汗を妻から貰ったハンカチで拭き取って行く。これ以上、妻の様な犠牲者を出さないためにも、我が子の夢のためにも、一家の大黒柱だった身としては最後に果たすべき約束がある。

 それまでは決して死ぬことは許されん。例え誰かがもういいと止めてきたのならば、この短い寿命を削ってでもやり遂げて見せよう。

 

 それから約30分、あれほどボロボロだった執務室は、まったくの元通りになっていた。感心すべきは妖精の手際の良さか、はたまたこの世のものとは思えない現象に恐れおののくべきであるのか。感想を抱く事に置いては、何をすべきか分かったものではない。

 だが一つだけ、この妖精達にはもう一つの仕事を果たしてもらわなければならない。先日世話になったばかりで申し訳なく、また非常に恥ずべきことではあるのだが、使えるものは全て使っておいて損は無い。

 

「……妖精、修復が終わったのなら今度は此方の怪我を頼みたい。聞こえているのならば、是非とも」

 

 痛みは誤魔化しきれるものではない。骨は折れていないが、全身が軋みを上げるように悲鳴を上げているのならば早々に治さなくてはならない。なぜなら、あと数分もこの痛みに私が耐えきれる保証も無く、ただ痛みに呻き叫ぶ未来が約束されているからだ。

 




今回の縛り内容公開

 難易度:高
・艦娘は提督の「指揮権」に従う性質を持つが、提督他人間への危害を加えられないわけではない。明確な殺意を向けられた場合、どんな立場の人間であっても碌に抵抗もできず殺される可能性が高い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽装

それはいつも、深く忍び寄る。
我々の理解を超えて、なおも我々に牙をむく。
捕縛をすればたちどころに自爆し、
人の手で撃破を掲げれば不可思議が殺意と成る。

我々は、神の怒りをこの身へ受けたのだろうか。
ああ、ならば崇めよう。その怒りを鎮めたまえ。

―――砲撃された深海信仰教会信者の勧誘文より


 騒がしくも快活な女子の声が部屋に響いた。仕方ない、仕方ないと愚痴のようにつぶやくそれは、人の形をした艦船そのもの。魂を機械の体に収めつつ、新規の製造なくして過ぎた数十年の時を、そのころより変わらず在り続けた者の声であった。

 

「まーた無茶しちゃって!」

「すまぬな、怪我は治れど手が痺れたままとは思いもよらずと言ったところだ」

 

 肩をすくめる自称アイドルとやら。はたして苦笑代わりに吐き出された、ふんすとでも表現すべき鼻息はアイドルという職に必要なものかどうか。普段の言動を鑑みるに、それはないと言わざるを得ない。

 

「調子の良いことばっかり言ってもダメだよー。ちゃんと治さないとね、私たちの提督さんなんですからっ」

「ふん、確かにその通りらしい」

 

 また、考えとは正反対、器用なことに仮面だらけの会話が私の口から洩れている。

 事務仕事の大半はフェイクなため、那珂には書類を持ってこさせるばかりかこうして私の前に並べさせる仕事も追加させることとなってしまった。まるで介護施設の老人の様にも見える現状に、生涯現役を唱えるこの身としては苦笑を呈すばかりである。

 それはそうと、先の雷の砲撃によって破壊された執務室であったが、現在は妖精の不可思議な働きによってほとんど元通り部屋の形を取り戻している。まだ作業中なのか私の目では視認不可能な妖精の手によって道具だけが浮いている様子が見えているのだが、作業状態から推測できる限りでは残るところ壁紙の貼り直しだけと言ったところか。

 こうした様子を見るたびに思ってしまう。内部抗争などせず、これほど本部の人間連中も優秀だったのなら今頃は深海棲艦の脅威すら跳ねのけていたやも知れぬというに、まったくもって嘆かわしいばかりだ。

 その本部に属していた私が言ったところで、説得力の欠片もないのは滑稽なばかりであろう。自分の事を棚に上げる行為とは自嘲するほど理解している。小さな自己分析の結果では、我が身こそは都合の良い存在であるという認識らしい。これでは老害と言われても仕方あるまいに。

 

「ああ……ところで、これはいつの作戦かね」

「それくらい入力日見れば? ってあれれ、日付ぼやけちゃってる。えっと旗艦が北上さんの時だから」

 

 湿気で多少はやられたか、文字が霞んで見えなくなった箇所を訪ねる。

 すると、那珂は少しばかり悩むそぶりを見せた。その膨大な脳内回路から情報を引き出すのに手間を喰っているのか、はたまたこの記録がよほどに古い記録なのか、または情報量が少ない記録であるのか。完全に静止した彼女の再起動を待っていただけで数十秒ほどの時間を要し、直後顔を上げて視線をよこした彼女の口は懐かしむような感情に染まっていた。

 

「2年前の出撃だね。そこで初めて深海棲艦に囚われていた大井さんと出会ったんだ」

「内容を見る限りはあの大井と、東シナ海で、偶然に? それはまた運命的な事だ」

「……偶然かもしれない、なーんて言っても提督さんには通じないよねっ」

「はてさて、まったくもってだ。加えてこの作戦を指揮した者の名も覚えている。まさか引航を見限ったと報告されていた“あの大井”がこちらに来ていたとはな。もっとも、こちらの記録には」

 

 すっと取り出すのは報告書の中でも私が重要だと感じた書類だ。

 艦娘の轟沈記録。二十余りのそれらは、紙束として執務机の引き出し中段の中に積まれている。その中から取り出した一枚こそが、こうして目の前に薄っぺらい存在証明として我々の間へ置かれる。

 さて、ここからはいつも通りの化かし合いだ。

 

「一年前の轟沈記録、小規模作戦において編成された4隻編成による出撃。当時旗艦であった北上と殿(しんがり)の雪風が前提督と共に帰投し、同伴していた大井・島風は敵砲撃の雨によって機関部を損傷、報告内容によれば自ら囮を買って出ることで帰投した上二隻の被害を小破に留めた後、没する。内容は多少日記染みた内容だったが、おおむね流れはこうなっているな。結局は沈んでしまっているか」

「まぁあの提督だし泣きながら描いてたんだろうね。でもねぇ提督さん、残念だけど那珂ちゃんはね、ぜーんぜんその時のこと知らないよ?」

「知らぬのは承知の上だ。だが私が聞きたいのはこの作戦に赴いた前任者の心情ではないのだよ。何故、建造技術が失われた艦娘を沈めてまでこのような作戦を決行したのか……そうまでして手に入った()()とは何だったのか、そして手に入れたソレの所在は現在何処であるのか、だ」

「そのために、私が来るまで待ってたんだ? 業務どおりに仕事に来るいたいけな少女をそんな目的のためだけに通わせるなんて、おさわりもあったらファンの子が黙っていないよ?」

「さて、気になる事を見つけては、それを探らずにはおられん性質でな。これも私と付き合っていくからには慣れるべき性分であると納得してもらいたい。既に何度か言ったかもしれぬが」

「……まぁいっか。さっき言ったとおり、そんなには那珂ちゃんは詳しくないのだっ! なんて言うけど、ホントは手に入った物の方を知らないんだよねぇ。何かと貴方と一緒で、秘密の多いヒトだったからなぁ。感情はすぐに出すけど」

 

 言葉の選び方にすっと違和感を感じる。見上げると、こちらに視線を寄越す那珂の顔があった。この時において適切な解答をしなければ、恐らくは気心が知れた程度の友好関係でしかない那珂ははぐらかすに終わるだろう。

 ともなると、答えるべきは言葉そのものへの疑問だろうか。

 

「分からない、ではなく知らないとは、つまりそういう事か。やれやれ」

「うん、まぁ簡単だったけど意図を察してくれて嬉しいな。馬鹿正直に言っておくと正解ってのは“何かの情報”だね」

「情報、なるほど。これ以上は聞くまいよ」

「私、那珂ちゃんも文字通り何かの情報って事しか知らないから、これ以上は何も言えないけど」

「いいや、謎解きというものには前進が必要だ。そしてその前進のためには僅かながらも足がかりが必要だ。さもなければその場に踏みとどまるか、はたまた滑って転ぶのみに終わってしまうであろうな」

「わぁ、提督さんって頭固いと思ってたけどそんな言い方もできるんだ」

「ただ単に年を食っているだけでは無い。少なくとも、そう遠くは無い過去に老害と多くの者に陰で罵られる程度には人の心を熟知しているつもりだ。あえて呼ばせるような言動ばかりを取っておったのだからな」

 

 返すのは己への皮肉に満ちた解答。無意識では唯我独尊に人を動かしているといわれているらしいが、私の人格といえば作戦後、行動後になってようやく後悔や自身への戒めを自覚する程度の器でしかない。

 なんという矛盾。このような立ち振る舞いに反し、小賢しくも戦果だけは上げて来たおかげで文面上でしか戦果を確認しなかった事勿れ主義共(じょうかんたち)は我が身をそれなりに高い地位へと押し上げてはくれたが、人間が前面に出て戦う時代では無かったがために訓練などを見回るたびに私は陰口を広められてきた。それから、私は計画のためにまずは人間の心からだましてみたところ、こう呼ばれるようになったのだ。

 ―――ああ、ユートーセージジイがまた来たぞ、と。

 まったく、ほんの数週間前に言われていただけの出来事がこうも懐かしく感じるとは、リンガ泊地へ向かっていた航海を長く感じるようになった「あの出来事」が挟まっていたためだろうか。

 いや、逃れてからは数日がほんの数分のように感じていたな。アレと会ったからこそ、私はこの地にて目的を達するのだと確信を持てるようになったのだったか。これだけは忘れてはならぬというのに、この脳は朽ちるのみか。盛者必衰よ。

 

「本当に那珂ちゃんの提督さん達はさぁ」

 

 那珂の言葉で、記憶の海から帰還する。

 ふと目に入るのは呆れたような表情の那珂。しかしその瞳だけが大きな何か負の感情を帯びて怪しい輝きとなっている瞬間。

 

「だーれも、艦娘に秘密を明かしてくれないんだから」

「ならば、頼られるようになるまで精進をすべきであろう」

 

 書類をまくる手を止めず、視線も合わさず言ってやれば、那珂はそれはそれは感情のこもった重いため息をついて見せた。

 

「そう言ってる提督さん自身も明かさないうちの一人だしー、那珂ちゃんも伊達でアイドル名乗ってるんじゃないんだけどなー。でもやっぱり目指すはトップ、かな?」

「さて。話の脈絡すらない上に、生憎とそういった類の娯楽に余裕を作った人生は歩めておらんものでな。私から言えることは薄く濁った年の功とも呼べぬ人生から来る経験則だけだ、それも答えるには明確な話の方向性が無ければ……とてもではないが、この耄碌したジジイの頭では質問の理解すらできぬよ」

「だーいじょうぶっ! これは那珂ちゃんが考えることだからー。それよりもさ、お仕事始めまーす!」

「ああ分かった、よぉく理解したとも。では狐狸妖怪の化かし合いは此処までにして通常業務へ戻るべきか。しかし、既に書類に関しては大方分別が終わっておるのだよ。故に貴艦には本格的に記憶と報告書の照らし合わせのために付き添ってもらうとしよう」

 

 これは中々効果があったのか、お熱い「逢引き」の誘いには随分と困ってくれたようで、那珂はこれまた兵器には程遠いうんざりとした表情を見せた。だからと言って前線へ送り込む躊躇など持ち合わせるような気兼ねも持ち合わせてはおらぬし、まさか色恋がどうとかをほざく経験も年齢もとうの昔に過ぎ去っているのだが。

 それからしばらくの間、通常の業務において怪しげな出撃記録、遠征記録に関してはあえて先送りにするような態度を崩すことなく表面上の仕事をこなしていたと思えば既に時刻は夕刻に差し掛かっていた。本日の予定としては、深夜帯までいけば後は楽しい楽しい暗躍の時間だ。そこに多少の理解をさせてある信頼を置く艦娘であったとしても、同席させるのはまだ計画段階としては早すぎる。早々に、本日は業務終了のお告げとともに引き払ってもらうこととなった。

 

 

 

 ヒトキュウマルマル、麺類と魚類だけが豊富な食堂に訪れる。

 もはや毎日のこととなった一人だけでの食事風景ではあるが、ぼろを出す可能性も低いことから逆に安心できる。時折年のせいで痛めた箇所の疼きや痛みといったものが再発しては喉に食べ物を詰まらせて咳を吐き出してしまう。

 そして咳は更に肺を痛め、これ以上の被害が出る前にコップを引っつかんで水を流し込む。精神で押さえつけた咳の違和感が胸の内へ襲い掛かってくる。最後に二、三ほどの小さな咳でようやく落ち着き、若き頃とはかけ離れた皺だらけの顔を覆って食事の手を止めた。ようやく落ち着き始めたが、少しばかり喉の異物感が取れていないようだ。

 

「む、ごほっ……いかんな」

 

 何度も咳を鳴らして声にならない「あ゛」と「ん゛」を繰り返す。

 喉の調子を確かめながら、食べ続けるうちに「好物になっていた」麺類の食事へ再度手をつけた。いくら生涯現役を噂されている元気な上官であっても、行き過ぎた加齢が齎す肉体の衰えは誤魔化せない。

 健康のラインを保っているとは自負している伏見ではあったが、本当のところは常に長さを二分させた麺類や、形式的には流動食に近いものではないと喉を簡単に通り過ぎてはくれないようになってしまっているのが現実。一人で飯を食うにも、どうしても時間がかかってしまうのは近年の彼の悩みであった。

 軍人たる者、いかなる時であろうとすぐさま戦場へ駆けつけることができねばならないというのに、伏見の体はもう休めと言わんばかりに反抗しているのだ。それを、他ならぬ彼自身が嫌っているというのだから何とも言えない。ちなみに、このご時世彼程の高齢となった軍人は大抵が使えないと評されて上から直々に辞めさせられているか、もしくは事務処理程度にしか配属させてはもらえない。人材がかつての大戦時よりも圧倒的に不足している軍部であるからこそ、老人であってもギリギリまで使って「いた」のだが。

 

 何とか私の喉を通ってくれた食物に手を合わせて感謝の念を送る。冷たい水道水を両手に浴びながら、伽藍と静まり返った食堂には私が水場を使う音のみが響いていた。片付ける皿のカチャンと鳴る甲高い音は無性に寂しさを自己主張しているようにも聞こえる。もっとも、その孤独な音の中に他人の音が紛れ込むのならば、話は別であろうか。

 

「あら、いらしていたんですね提督」

 

 足音、食事を必要とせず、本当の娯楽程度にしか食事という命のやり取りを行わない艦娘の一人だろうか。この食堂には訪れることが無くなって久しいのであろう寂れ具合の中、昼の時間になれば必ず私はここに来る。だからこそ、食堂へ訪れる艦娘がこうして私に直談判を望む者しか来ないのは明白だ。

 

「何の用かね、正規空母・飛龍」

「頼みごとじゃないですよ? ちょっとお尋ねしたいなって思いまして」

 

 にこやかな笑みを浮かべているが、その腹の中は尋ねるまでもなかろう。

 そうだ、出撃と呼べるような行為は幾度かあれど、空母系統は私はまだ率いた記憶はない。艦娘の起源とはすなわち軍艦、戦うことを至上とする。だというのに個人の采配で戦いの場を減らされれば意思を持つ物体として不満も蓄積するというものだ。

 軍部でまかり通ってきた鉄仮面はまだ外してはいない。内心では大いなる苦に満ちた息を吐き出しながらも、橙色の改造道着に身を包む正規空母の艦娘を見やる。しかし、対面してみれば不思議と大きく見えたのは幻覚か、はたまたその熟練の経験が為せる威厳であったか。我が老いぼれの命は常に薄氷の下にさらされていることを自覚させんとする勢いが、無言の飛龍からは発せられているようであった。

 

「どうして私たちを、出撃させないのでしょうか」

 

 いやまったく、この劣勢を極めんという時世に沿う常識に満ちた質問だ。無論、私はこの中では異彩と異形に満ちた排斥される者のうちに入るのであろう。それもそうだ、かつての大戦は人の手による更なる発展があれば、航空部隊の活躍に軍艦の役割は持っていかれていただろう。

 その先駆けたる空母を活用しないということは、つまり自らに枷を課して死を追い求めているようなものだ。艦娘の総司令・提督たる者が取るべき判断としては大いに間違っていることは確固たる事実であろうか。

 

「ふむ、まだあるのならば先にすべて話してみたまえ」

「では……幾つか尋ねたいことが、確か航空巡洋艦の最上さんはあの形態無視をする戦艦の出現時、迎撃に運用なさいましたね。あの時艦載機はちゃんと発着艦されていたことから、私たちの出撃にも問題はないように思えますが」

「ああ、乱戦時における敵潜水艦は脅威故の判断。あの混戦し始めた戦中、水上機の偵察・牽制能力は必要だった。空を飛び、それぞれが己の意思で的確な位置への攻撃が可能な航空機は戦力として申し分ない」

「……そこまでわかっていて、どうして空母を活用しようとは思わないのですか? 確かに戦艦形態を含め、その幅や脆さは航空能力を失くしても戦える航空巡洋艦には汎用性として劣っています。確かに適材適所という言葉もあります、ですが私たちは」

「ふむ、航空機の修理に必要な“資材:ボーキサイト”は足りている。飛ばすために必要な多大な燃料も、これから輸送路を確保できるならば運用は十分以上に可能だろう。そして広大な海の中、敵を殲滅させるための強大な戦力としても有用性は計り知れない、それが空母艦娘というわけだ」

「そこまでわかって、どうして」

「どうして、そう来たか。ならば君は知っているかね? 圧倒的に足りないものを」

「……それは、その」

 

 間が、始まる。

 ここで分からぬようであれば、的確な随時判断が不可能として出撃はさらに難しくなるものだろうが、どうであろうか。老いぼれの腐りかけた脳味噌が弾き出したのは、現在の資料や報告書を漁っていたときに偶然気がついた程度の答えでしかない。

 永遠に柔軟かつ高度な判断が可能な艦娘という存在である以上、そう答えには困らないはずであるが―――さて。

 

「あっ……失礼しました。確かにこちらの落ち度だったみたいです」

「ほう。ほう。だが、潔かろうとこの度に関しては其方へ苦労と時間をかけるやもしれんな。こればかりは可能性の問題であるが故、空母が海を走るのは何時になるやら分かったものではないが」

「いいえ、此方も勝手ながら丈夫(ますらお)さんの評価を改めさせていただきますね。このことは、すぐにでも他の方にも伝えておきます。きっと納得せざるを得ないでしょうから」

「それはそれは、宜しく伝えておいてくれたまえ。私は“事”が無ければ執務室にて次期の案を練っている。臨時の際は掲示板か放送を定時に行うため、逐次確認を怠るな」

「飛龍、了解しました」

 

 こちらに向けられるのは海軍式敬礼。そして瞳の奥に秘められた悔しそうな感情の光。こちらへの挑発を込めた接触だったのだろうか、それとも単に艦娘として出撃を望んでいたのだろうか。それは人の心を読める訳でもない私には何一つ知りえないが、恐らくはあやつの望んだ結果とは程遠い終わり方だったのであろう。

 食堂から遠ざかる足音の不規則さは、この静寂に満ちた空間ではいやに耳に残って聞こえてくるではないか。はて、嫌われてしまっただろうか。ならば此方としては良い結果になったというべきだが、空母連中はその搭載された人となりから「有能な人物」には敬意を払うだけの感情と人格を持ち合わせている。己の失態をフォローするような輩であれば、なおさら信頼とやらが芽生えるらしい。

 全くもって、ややこしいことだ。普段が近づきがたいだけあって、高嶺の花も一度摘み取ってしまえば他の花と同じく愛でる人間は全員に当てはめられてしまう。人間らしさがあるという事はすなわち、そういった「雰囲気」を辺りに撒いてしまうという事。そういったことで、私自身の評価が上がってしまっては身も蓋もない。

 この際なのだ、はっきりと思い起こしておこう。私は、消えたとしても誰もが悲しまない存在でありたい。すでに親しい人物には気の毒だと、残される側の気持ちが分かっているからこそそう思う。だが、そのような人の感情ごときで終わるような使命をこの頼りない胸に抱いてリンガ泊地へと来たわけではないのだよ。

 と、洗い物がまだ途中だったか。冷たい水は身に沁みるが、日本よりも南に属するリンガ島はまだまだ暖かい。もはや季節の境すら、気にせず戦い続けてきた日本人、そしてこの世界に住む者たちの為に、私は。

 

 

 

 頭の中では悔しい、と思うと同時に恥ずかしいとばかり思ってしまう。そうだ、こんなに単純なことにいったいなぜ気づかなかったのか。そもそも、本部との距離が開きすぎて前の提督くらいしか本部との繋がりが持てていなかったのに、どうしてこんなに私たちは戦うことばかりを考える、視野の狭い選択をしてしまっていたのだろう。

 特に空母は、資源なんかよりも圧倒的に足りないものがあるじゃない。資源があっても、私たち空母が「戦い」を行うために必要なものが。

 

「あら、お帰りなさい。どうだったの」

「気づいている人、多分いないと思います。完全に私たちが忘れてること指摘されましたぁ……」

「うちら艦娘が忘れる事? そない大層なもんあったかいな?」

 

 龍驤の疑問はご尤も、と言わざるを得ない。以前より皆が知ってのとおり艦娘というのは見た目が生身に見えてはいるものの、その皮膚をはがしてしまえば機械部品が見えるアンドロイドのようなものだ。それが電子的な脳に貯めた記憶は、人間の技術をはるかに上回る絶対的な記憶容量・引き出し能力を所持している。

 故に、伏見は那珂を秘書として扱う際にその完全な記憶力を当てにした書類と記憶との照らし合わせを行っているのだ。だが、そんな艦娘も感情を持っているからこその失態というものがある。

 

「私たちの艦載機って、動かすのに何が要ります?」

「そりゃ燃料に…うちら艦娘のパワーやろ。それから……あ」

 

 漏らした声は幼げなもの。他でもない、質問した龍驤自身が納得していた。

 

「この鎮守府、長門さんたちが沈んでからは減ってますよね? “妖精”の数」

 

 裏打ちするように言ってみれば、案の定。

 加賀さんみたいに感情が表に出にくい人でも分かりやすいくらいに動揺してる。一瞬口がひきつるのを見逃さないのが私たち艦娘ですよね。確かに妖精は死にませんけど、遠いところにいれば帰ることもできずに「いなくなる」事は普通にあり得ますから。

 鎮守府から遠く離れた洋上で、沈没した艦娘に乗っていた妖精は戻ってこないのは当たり前です。それが、大規模出撃計画で万全の準備を整えて、妖精も多く搭乗させたのなら沈没した分減る数も大きいのは自明の理と言わざるを得ません。

 

「そう、そうだったわ。私たちは一人で戦ってるわけじゃないもの。どうして気付かなかったのかしら、こんな単純なこと」

「加賀、多分だけど私たちも焦ってたんじゃないかと」

「焦っていた……そうね赤城さん、その通りだわ。……ところで、五航戦のあれは? 姿が見えないようだけど」

「ドックで追加の燃料汲みにいっとるで。前に補給したんは3週間前や言うとったし」

「出撃できない現状がわかった以上、無暗矢鱈と燃料の貯蓄を消費して無ければいいけど」

「瑞鶴さん、ある意味一番好戦的ですもんね」

 

 ある意味、満場一致で同じ結論に至る空母四隻。

 だが出撃できない理由が理由だけに、これより先は当分出番も来ないという事を知ったからか、その空気も重かった。結局のところは提督の手腕に期待を寄せ、妖精が存在するであろう、至る人の手が加えられた場所から運よくパイロットになりうる艦載機妖精を見つけてくることを祈るのみである。専用の妖精でなければ、彼女たちの指揮に耐えうる操縦技術は生まれないのだ。

 何もさせられなかった時よりも、改めて何もできない現状は戦うために作りだされた兵器としては歯がゆいばかりである。この勇み足から浮いてしまいそうな現状を、果たして伏見が止められるのかどうかは今のところ、まだ分からない。

 

「補給完了! それで、当然出撃案件もぎ取ってきたんでしょ!?」

「……はぁ」

 

 誰が息をついたかは言うまでもなく、全員である。

 当たり前のように予想を裏切らない、一番の危険要因を前にした空母艦娘。満ちた疑惑と焦燥の香りは霧散したものの、やりきれない思いばかりが込み上げてくるのであった。

 

 

 

 飛龍の直接訪問から数日、とくに何事もない穏やかな日々が続いた。

 ちょうど伏見が職務に慣れを感じ始めるころ、というべきであるのだが何度も言うように職務の大半はフェイクでしかない。本部への報告もなく、この途絶されたリンガ泊地にてしたためられるのはポーズをとったインクの付いた紙きれ。

 パラパラと傷の残るしわがれた腕で報告書へ目を通し、一人の老人は喉に引っかかったような吐息の音を部屋へ浸透させる。されどほんの少しの違和感がある。正体を探ってみれば、その横には着任初日からいつも控えていた秘書艦の姿が今は無いようだ。

 

「だからと言って、よもや貴艦が訪れるとはな、苦手意識ばかりがあると思っていたが」

「え、来ちゃだめなんですか提督?」

「いいや構わんよ。今回は軽巡洋艦のみ遠征に出しておるのだから、駆逐艦の貴艦が来たことは何らおかしくはない」

「この書類、どっちに片付けます?」

「それは燃やしてかまわん。ごみ箱だ」

 

 パタパタ、と駆け回るのは吹雪型の1番艦、吹雪。

 今回遠征に派遣した那珂の代わりにと掲示板へ秘書艦の募集をかけてみれば、後にも先にも定時にこの執務室にてあ奴だけが待っていた。そつなく何でもこなし、時代遅れと言わざるを得ない性能の吹雪型であったとしても、人間と比べてみればあまりにも優秀であると言わざるを得ない、少女の形をした兵器。

 

「……提督さん、本部にいたんですよね?」

「む? あぁ、そうとも」

「じゃあ、前の提督さんのことって知ってます? 私、書類も弄るの初めてで……まだ名前すら聞いたことないんです。でもリンガ泊地へ派遣された提督さんなら、前任者の人のことわかりますよね?」

「さて、どうだったか……」

「え?」

 

 なにも、私は彼の後を継ぐためにここへ来たのではない。私の目的の達成がこのリンガ泊地ならばちょうどいいと思ったからこそ、計画に取り入れたからこそこの地へと訪れたのだ。前任者もまた、私がここへ渡るための様々な意味における「先人」であることは確かだが、その名前や素性には全くもって興味はない。

 ただ、与えられた役目すら果たせなかった。そして今そそぐべきではない愛情を艦娘たちにそそいでしまった愚か者。あと50年は早く生まれていれば、賞賛されていただろうにと思わずにはいられない。

 だがそうであるからこそ、私はこの惜しい人物をあくまで先人であるという認識から外さないために多くの情報は得ていない。彼に関してわかるのは、この古びた報告書を通じて見れる彼の功績と、求めようとした「もの」だけだ。

 

「残念だが、忘れてしまったらしい。この老いぼれの頭ほど頼りないものもあるまいよ」

「……そうですか、せめてご家族の方には」

 

 ぼそ、ぼそ。吹雪の声は、艦娘ほどの聴覚を持たない私には聞こえなかった。

 彼女が何を言ったのかは、まったく分からない。だが耳に入れる必要はなくとも、その能面の如く凍らせた表情からは何を思うかくらいは読み取れる。今日のうちに、この駆逐艦・吹雪の本質の一端を垣間見れて運が良かったというべきか。

 今後、吹雪との接触は細心の注意を払わなければ距離感にずれが生じてしまいそうだ。今のうちに、彼女への対応を考えておくとしよう。

 

「ところで吹雪よ」

「あ。はっ、はい!」

「同型艦の白雪、深雪からは言伝は預かってはおらんか?」

「えっと……特には、何も。今の提督さんのやり方は前みたいに優しくはないですが、この上なく効率的ですし、“燃料”の補給も安定しているので緊急出撃時に名前が呼ばれればそれでいいって感じです」

「それは、どういう意味での発言かね?」

「ええっと、自分の実力は分かったうえでのことですね。だから、私も最初にお聞きしたじゃないですかぁ。私で本当にいいんですかって」

「なるほど」

 

 ただ運用する兵器ではない、己の意思をもって、己自身を運用できる兵器。それが艦娘と一般的に呼ばれるものだ。あれらは自己の姿が形成されたその時より、成熟し固定化された性格・人格を持ち合わせており、同時に人間を凌駕する自己管理能力をも持ち合わせている。

 そして擬似的にも生きている要素を取り入れたのか、艦娘という存在は「戦うごとに強くなる」という成長要素をも持っている。ただ、機械の体を持つ限界であるからか上昇できる能力値にもある程度の上限はあるようだが、それすら感じさせないほど経験(レベル)の差は大きい。

 だからこそ、私は吹雪を選び、抱えている問題を除けば第一艦隊としての活躍もまた間違いないと確信している。それが、目的に結びついているかどうかは別として、一刻も早く全艦を十分に戦えるようたたき上げるための足掛けに、吹雪という1番艦の存在は必要不可欠なのだ。

 

「なにも、問題などありはしない。貴艦を選んだのには相応の理由があり、私自身の判断は何一つ間違っておらぬと断言しよう。たとえ一時的な敗北がその先にあったとしてもだ」

「……提督さん」

 

 帰ってきたのは、胡散臭げなものを見る目。

 それもそうだ。これまで出撃は両手で数えるほど。編成した出撃用の艦隊はたったの4艦隊。そして遠征に出す艦娘は決まってバラバラな組み合わせ。統一性のない、まるで手探りのような現状で唯一私の判断が出した功績といえば艦娘用「燃料」の安定供給のみ。

 これだけの例を知ったうえならば、私の評価は妄言を騙る、夢見がちな死にかけの翁で決定する。そんな輩が語ったことに、信頼性もなにもありはしない。

 

「人を指揮する、それと全く違う軍艦そのものへ命令を下すのはまだ慣れておらんのだ。大目に見ろ、小童」

「そういうことにしておきます。……ところで、手が止まってるますけどちゃんと業務やってるんですか?」

「もちろん、本部へ送る分はすでにしたためてあるとも」

「提督さんが、隠し事の多い上に無能な人だったら流石の私でも怒りますよ!?」

「ふむ、初めて見たな。貴艦が怒りの感情を見せるところは」

「話そらしても無駄ですからね。那珂さんはどうか知りませんが、私は監視と評価の意味も込めてこっちに来たんですから……あ」

「言われずとも知っている。一部はともかく、人間というのはそこまで愚鈍な精神を持ち合わせているわけではない」

 

 こうした、固定化された「ドジを踏むという性格」を持ち合わせている兵器というのは実に頼りない。なぜこのような人格を搭載したのか、是非とも一世紀前の開発者に聞いてみたいところだが開発者自身がたった100年の歴史に埋もれてしまっているのだから聞きようもない。

 元来より女性名詞が使われるからこそ、魂をおしこめる機械の体が女性系になったのは頷けるが……いや、今考えるのは詮無きこと。艦娘の発生理念がどうあれ、私は深海棲艦の脅威に大した「備え」をしなければならぬ、か。

 

「……また手が止まってます」

「そうかもしれんな」

「真面目にやってくださいよ! 指揮してる時は凄いなって思ってたのに、私の抱いてたイメージ台無しじゃないですか」

「そちらの価値観を押し付けられ、なぜ私が変わらねばならん? 理想を抱くのは、現実を知ってからしたまえ。戦場に関しても勝手な暴走、あまつさえは上官に向かって意見の押しつけか」

 

 そう言ってやれば、いいようもなく慌てだす吹雪の姿は、やはり「規格書通り」の人格がもたらす、想像以内の反応だった。いくら人の感性が変化に富んでいるとはいえ、記録が取られ続けた数十年間、その思考・理念・人格がすべて規格通りというのならば、それらを記録しまとめた書類を読めばおのずと返ってくる反応をコントロールできる。

 まだ艦娘の替えが効いたころ、感情や人格といった内面的な差異の記録実験が行われていたというのは本部に60年以上属していたものなら全員が知っている有名な話だ。そこまでいなくとも、記録に残っている以上閲覧したものは皆知っている。

 見目麗しい女性の姿をしていたとしても、我々にとっては人間の開発した唯一の防衛手段であり、攻撃手段たる兵器。道具に過ぎない。ゆえにどう扱おうとも問題はないというのがそのころの見解だったらしい。今でも、その認識はあまり変わってはおらぬが。

 

「では、不必要な書類の処分をしておけ。残りは私が管理する」

「はーい、焼却炉ってまだ使えましたっけ?」

「使えぬようなら妖精に頼め、壊れた程度なら極少量の“鋼材”でも代用は可能だったはずだ」

「えっ、私たちの資材ってそこまで万能だったんですか?」

「艦娘と妖精が出現してからどれだけの時間が経ったか、貴艦も数十年稼働している個体ならば知識として知っていてもおかしくはないと思うが」

「いくら何でも知りませんって。ああもう、気になるけどもうこれ片付けたら今日は部屋に戻ります。提督さん、意外と口が回るから疲れちゃいました」

「そうか、お勤め御苦労」

「お疲れ様でしたっ!」

 

 ばたん、と語尾を強めて吹雪は退室する。神経を逆なでするような言動も、控えねばまた電の時のように危ない橋を渡らなくてはならなくなる。それに関しては構わないが、生存できる確率が極端に少ないのなら、成功する確信がなければその展開にまで態々持っていく必要もない。

 体制を整え座り直し、ゆっくりと腰を伸ばして息を吐く。

 ぽきぽきと鳴った関節と、その些細な動作で生じた痛みに眠気を吹き飛ばされながら、書いていたようででたらめな業務の紙を丸め、ごみ箱へ投げ捨てる。あまりにもゆったりとした時間を過ごしてきたが、深海棲艦の脅威が去ったわけではない。何度も何度も忘れそうになる事実は、私が穏やかな時を過ごす時間だけ人類を追い詰めている事だろう。

 それだけは、理解した上で時間を「使わなければならない」。まったくもって、こちらの精神が削り取られそうな話である。

 

 ぼおおお、ざぱん、と窓の音から大きな二種類の音が聞こえて、襲撃以来新設した桟橋あたりで独特の発光が見える。そして大きな駆動音は足跡に代わり、倉庫方面へ向かう金属がカンカンと打ち合う音と別れて鎮守府へ迫ってきた。

 歩くたびにギシギシと不安げな音を聞かせた廊下は、老朽化した木が軋まない、堅い音で歩く者の気配を知らせてくる。部屋の前で立ち止まったそれは、二回のノックを鳴らしてドアノブを回した。

 

「旗艦、軽巡洋艦那珂! ただいま帰投しましたー」

「……任務御苦労、すぐさま入渠に移れ」

「はーい」

 

 間が空いたのは、覚悟が足りなかったからか。鎮守府海域周辺の機雷設置任務より帰投した軽巡洋艦那珂、その腕を失くした痛々しい姿は深海棲艦の脅威が迫っていることを知らせていた。

 打った内線の数秒後、警報が鎮守府を赤く染め上げた。

 




縛り内容公開

 難易度:低
・艦娘はどこまでもスペックに忠実。その性格すらも。
 そのため、性格を掌握した者は実質的に艦娘を洗脳せずに操ることが可能。
 ただし、どのような基準で選ばれるかもわからない提督のみに適応される。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

道程

撤退は許されない。
皆ここで散る事こそ、正しき未来を――
  嫌だ、死にたくない! オレを故郷に返してくれ! なんだこのさくせ

繰り返す、撤退も、敗北主義者もこの地にはいらん。
皆、死ににいけ。それが未来だ。

―――再編成された南雲機動部隊作戦基地跡、音声記録より。


 戦況は芳しくない。そうした判断を下すに足りる情報ばかりがなだれ込んできた。那珂率いる軽巡洋艦の機雷設置用臨時艦隊は、鎮守府より760kmほど離れたマレーシア本島と北スマトラ海域の間、つまりはマラッカ海峡より襲撃を受けたとのこと。平均水深は約25メートルしかない、この浅く狭いかつての輸送航路は、人類が深海の脅威に脅かされる以前には盛んな輸送に使われていただけあって、航行するにしても快適この上ない。かつ、この鎮守府聳えるリンガ島へ直結しているということを踏まえれば敵へ来てみなさい、と案内するようなものだ。

 とはいえ、世界地図上で見れば確かに内陸地への入り組んだ地形であろうとも、その間を大型の艦が通り過ぎるのはたやすい。縮尺を見ればわかるとおりに、有り得ないが、数キロメートルもある幅の船でない限りこの地形を突破できないという事はありえない。

 

 起こるべくして起こった強襲。まだ艦娘を率いるのに慣れていないと言うのは言い訳に過ぎない。深海の脅威は今のところ地上に及ばず、なおかつここ数日はあちらから打って出てくることがなかったと安心しきっていたのも護衛・引航させる艦を控えさせなかったこちらの落ち度に違いない。

 なおも進撃は続いている。だが、一つだけいい情報をも取得した。敵は航行速度が比較的遅い艦が多く、またなれない浅瀬での活動は動きが鈍っているのか、常時2馬身の差をつけるようにして逃げ帰ることに成功したと那珂からの報告を受けている。

 だが、相手は圧倒的な深海棲艦勢力。悪い情報ももちろん存在した。

 続けざまの報告によれば、その大半が黄金の瘴気を撒き散らす戦艦型。現在は敵も棲艦形態による湾岸の破壊行為を行いながら、こちらへゆったりとした足取りで向かっているそうだ。勝者を気取った余裕か、はたまた手当たり次第に生命という生命を破壊し続ける深海棲艦の特性に従ったまでに過ぎぬのか。あの怪物どもの思考を読み取ることなど到底不可能であるが、今はこの鈍足という事実に感謝して攻撃艦隊の編成と防衛陣形を組まねばならぬようだ。

 執務室のマイクへ指を伸ばし、警報と赤光飛び交う鎮守府へ命令を下す。

 

「各艦娘へ通達。陸奥、伊勢、日向、金剛、比叡。この泊地に存在するすべての戦艦に加え、水上機母艦千歳を加えた6艦を当鎮守府の臨時第1戦隊へと制定する。鎮守府内の担当艦娘以外の全妖精は千歳の艤装へ集中、水上機へ乗り込み千歳の号令に従え」

 

 突如、横のランプがカタッと音を立てて揺れた。目には見えぬ確かな質量がちいさな足跡を立ててドックに向かい、命令通りに妖精は戦闘準備に取り掛かったようだ。

 

「続いて吹雪型全3隻は川内を旗艦とした第一艦隊右翼側の水雷戦隊を組め。初春、雪風、望月、叢雲は阿武隈を旗艦として左翼側を。以上の艦娘以外は空母系を除いて鎮守府前にて迎撃体制をとれ。恐らく、狙いはこちらに集中するだろう。敵航空機の襲来に備えて網を仕掛けるのだ。煩いハエに決して我らの海を、我々の空を好きにさせるな。敵情報に関しては艦娘の同調を用いて把握、以降は同調を繰り返し戦場を掌握せよ。各艦配置につき次第、行動開始」

 

 ドタドタと騒がしい足音が増え、それからシン……とこの基地に静寂が訪れた。

 港からは船の騒がしい動力の音が響き渡り、これから戦いが始まるのだと予感させるような、子ども時代の出港する軍艦を見送った風景が、あの懐かしい光景が思い浮かぶ。戦艦形態の艦娘を見送ったあの光景から一転、今度は私自身の手で艦娘を率いて戦うことになろうとは、実に人生とは数奇なものだ。

 だが、私自身は鎮守府に残り続ける。最前線に立つには、あまりにもこの身は老いさらばえたということを、前回の出撃で身を以って知ったからだ。何とも、かつての大日本帝国のやり方とは程遠いか、知らずのうちに顔も知らない天皇陛下へ皮肉気な嘲笑が漏れてしまう。忠誠など、在ったものか。無形の神こそ存在しても、有形の生き神などあるはずもない。死ねば皆、同じ肉袋なのだから。

 

「だが、それ故に死ぬわけにはいかぬよ」

 

 再認識するようにつぶやいた言葉。もう似たようなことを何度言ったかも覚えてはおらん。年を取りすぎると同じ言葉でも、繰り返して言っておきたいような衝動に駆られるとでも言うべきか。

 本来、軍艦の提督という立場にありながら、戦いであるというのに旗艦へ搭乗せずに通信機器を前にして指示を飛ばすだけの役回りか。最前線の指揮は大いに乱れるであろうし、鎮守府近海に敵艦載機や強襲部隊が襲ってきても、資格情報がないためにろくな戦況判断など望めんだろう。艦娘達には多大なリスクを負ってもらうことになるが、まぁ今回ばかりは仕方がない。一隻たりとも無駄にする気はないが、いざとなれば。

 不穏な空気が近いだけに頭の中には剣呑な考えばかりが浮かんでくる。ただ、限られた期間しか与えられていないこの老体には、その一刻すら惜しい。目的の先には己の滅びのみが待ち受けているとも重々承知の上だ。だからこそ、私は。

 

「……秘匿回線だ、繋いでもらえるかね」

「…………」

 

 重ねて言うようだが、私には存在もしているかすらも分からない、妖精への問いかけ。だが、やはり私の周りには一匹ほど残っていたようで、スピーカーからは砂をひっかいたような一瞬の乱れた音。誰、とも言っていないだが、不思議とそこにいた妖精に意図のすべてが伝わっているような気がして、私は次なる言葉を紡いだ。

 

「軽空母、龍驤。誰にも悟られず執務室に来てもらいたい」

 

 そろそろ、動き出さなければならんのだ。

 

 

 

「Hmm……」

≪お姉さま、提督の指示なのですから……≫

「でもネー、いきなりの全員出撃? それも邪険にしていた私たちをヨ? 私たちがいると邪魔だから、追い出したようにしか思えないネー」

≪疑るばかりでは何も生まんが…同感だ≫

≪あら、そうかしらね。おじいちゃんにしては良くやってる方だと思うけど≫

≪≫

 

 金剛の呟きに、日向が同意を示した。伊勢や陸奥も、やっぱり意見としては伏見がそれぞれ艦娘に別々の印象を与えていることを示してるようだ。

 出撃指令後、鎮守府から、艤装形態のまま戦艦5隻、水母1隻として繰り出されたこの艦隊は、左右に伏見が指示した水雷戦隊を侍らせながら戦いへの経路を進んでいる。しかし、全員が艤装形態のままであるのは、大きな船影である戦艦形態のままであれば敵から発見されやすく、先制攻撃を受ける危険性があるからの処置。されど、どちらの形態でも航行速度が変わることもないため、艦娘という存在がいかに戦術的・戦略的価値の高い兵器だということを示しているのかがよく分かる。

 とは言うものの、搭載されているのは少女や女性の人格。それも空想上にしか存在しないような「個性的」な人格ばかりである。設定されたそれからほとんど逸脱しないが故に、彼女らは常に利用しやすいものとされているのだが。

 

≪そうですね、敵フラグシップ級の中には形態に関係なくダメージを与えてくる輩がいるようですが、私たちは結局のところ相手に合わせるしかできないんですし、ともかくいつも通りに“提督が居なかった日々通り”に殲滅していけばいいと思いますよ≫

≪そうは言ってもねぇ、千歳。実戦でこれだけ沢山飛ばすのは久しぶりでしょう? あなたは無理しないで下がってていいわよ≫

≪陸奥さんのお言葉に甘えたいですが……提督の判断次第です。いつも通りですが、今回は通信で提督の指示もあった事ですし≫

≪あ、そうよね。あらあら、さっき自分で言ってたのに大切なこと忘れちゃってたわ≫

 

 疑ることをしないというわけでもない。ただの道具としては終わらないのが艦娘という存在であろうか。そうしてふぅ、と陸奥のため息が通信越しに響き渡る。

 金剛はふと、これを聞いているはずの伏見がまだ何も反応を示していないのは、一体どういう事なのかと首を傾げざるを得ない。と思ったその時、あのしわがれた声が聞こえた。

 

≪おおよそ、数時間後に戦闘海域に到着する。こちらの合図で千歳は偵察機を発艦させろ≫

≪分りました、提督≫

≪それから、前線に出ている君たちには頼みごとがある。何、簡単なことだ≫

「……All right、ミスター。私たちは何をするんデスか?」

≪那珂の報告から推測したにすぎぬが、まぁ知っておいて損はない。調べてもらいたいのだよ、戦闘中、君たちが敵に関して感じたこと、どんな細かな情報であっても、各々の視点からそれぞれ報告書を提出してくれたまえ。件の形態変化の常識が通じない敵艦もいたならば、その数も事細かに記してもらいたいのだ≫

≪わかったわ、じゃあおじいちゃんは指令室でふんぞり返って待ってなさい。いい戦果を報告してあげる≫

≪……ふむ、こちらの身を案じてくれているのはとくと理解させていただいた。不敬な口をたたいたことは不問にしよう、戦艦陸奥≫

≪あら、どうもありがとうね≫

 

 返答を訊く前に、本部のいささか型が古いマイクのノイズ音と一緒に通信が断ち切られた。これを、艦娘たちは「指示は最低限なため、自由に戦え」という意味であると受け取り、同時にまだ実戦経験の薄い水雷戦隊の両翼は提督の指示がないことに不安を覚えているらしい。

 だが、指揮系統は提督不在の際にも深海棲艦と場数を踏んで渡り合ってきた戦艦級が味方にいる。戦いの渦中にいることで総合的な判断力は劣るだろうが、「この程度」の規模の敵ならば後れを取ることはまずないといっても過言ではない。知らず、口許を緩めたのはこの14隻の中にどれほどいたであろうか。戦いの砲火が交わされる時は近く、その戦意に呼応した兵器共は無意識の内に己が本分を呼び起こし始めていたのだろう。

 

 

数時間後、敵側の先制で攻撃は開始された。

 始まりは敵の先制空爆だった。桜花特攻をも厭わぬ小さな偽装形態の艦載機の群れの中心に、覆い隠されるような形で包まれていた棲艦形態の爆撃機。早期の発見、形態の違い、機銃の掃射による対応で直撃する危険なダメージはなかったものの、巻き起こる爆風による視覚阻害まではさすがの彼女たちであろうと影響を受けずにいられるというわけではない。

 当たり前ではあるが、それだけで終わることなどない。第一波をしのぎ切り、ほぼ無傷で潜り抜けた艦娘に待ち受けていたのはさらなる絶望。前回に比べ、おおよそ二、三十に匹敵する敵戦艦の群れ。まるで水平線から顔を出す太陽のように、見渡す限り黄金のオーラが立ち上るさまを見つけた瞬間、艦娘たちから優越的な笑顔は消えた。続けざま、当たることも何も考えない、知能を感じられない砲撃の嵐。ただ外敵を見つけたからと言うように、風を裂いて飛んでくる巨大な棲艦形態の砲丸が勢い良く水柱を立たせたことで、海を大きくうねらせ、バランスを崩された艦娘を偽装形態の深海棲艦が追い打ちを掛けるように鉄の雨を降らす。ゆっくりと、その航行速度の遅さでじわじわと、隊列を崩すことなく迫ってくる敵の姿は吊り天井をも想起させられる。

 されど、金剛型の砲塔は回った。横に87度、連装砲は縦に40度微調整。距離を測り、電探の情報が艦娘のネットワークを通じ、情報は絶えず更新、リンクされる。荒れる波にあおられながらも、ひときわ大きな津波が艦娘を襲う。強大な質量は、艦娘の形態に関係なく甚大な被害を与えるであろうことは確実。これすらも、深海棲艦は狙っていたとでもいうのかと、この場に第三者がいればもはやこれまでと己の蛮勇を呪ったであろう。

 されど、この場にいるのは兵器。艦娘であった。

 

≪砲撃、始め≫

 

 指揮()の声が響き渡る。

 壁となった波のカーテンは円形に抉り取られ、鉄の塊が空けた幾つもの穴からは爛々と輝く殺意の目を覗かせる。ひときわ、喉を無理やり通り過ぎたような声が、兵器の電源を蹴り起こした。爆音が艤装を揺らし、搭乗員(妖精さん)が次弾装填、艦娘がトリガーを引き絞る。敵棲艦形態の姿を発見した瞬間、金剛は光に包まれ大戦艦金剛へと姿を変える。艤装形態の時とは比べ物にならない音の暴力が、静寂なる海を砲火の戦場へと誘った。

 激戦、勃発。それか、数時間前にまた時はさかのぼる。

 通信を切った伏見は―――?

 

 

 

 音声を切った。周囲が見えていない状態では、私の指示を聞くよりも彼女たちの独断で動いた方がいいだろう。元々最上位の指揮系統が挽回した状態でも数カ月もの間深海からの脅威を退けてきた彼女たちにはこの程度、すでに慣れきったものであるに違いない。指揮官などいらぬのか、と苦笑が漏れる。わかっているとも、その戦果は、これまでずっと処理・整頓していた過去の報告書や資料によって裏付けされたものなのだから。

 さて、先程から訪れていた「龍驤」だが、ふてくされた表情でこちらを見やっているようだ。

 

「なんやの、この基地唯一の軽空母。そんなウチだけ呼び出すなんてよっぽどのことやないと思ってみれば……これ見よがしに。当てつけかいな? あーあ、ウチも飛ばしたいなー」

「全くそのつもりはなかったのだがね。ただ、先ほどの陸奥と同じく口のきき方には気を付けたまえよ」

「謝らんあたり流石やわ、と言って欲しかったん? 爺ちゃん、所詮は本部との繋がりもほとんどあらへん。お山の大将気取って……ああ、ちゃうな。お山の大将に自らなろうとしとるんや、その目的がなんか知らんけど、変な使い潰しはごめんやで」

「だが、使われてくれるつもりはあるわけだ。驚いた、良い心がけではないか」

「ウチらも道具でしかあらへんからこそ使われたいんよ、結局はなぁ。ただ、意思のある道具っちゅうことで使い道を正しくしてほしいだけやで。被造物に深い意味なんぞありはせんのや」

 

 悟ったかのように振る舞う龍驤。これが、兵器という久遠の存在でなければ容姿と言葉の差異に、我々はこのような時代を歩んできたことを後悔していただろう。それほどまでに、人に近い形のものが見せる憂いというものは、人間の、ひいては私の心を揺り動かしかけた。

 

「……ほんなら、本題に入ろか」

「そうだな、君ならばこれからの特務を言い渡すことができそうだ」

「どうせ待っとるんは数十秒後か、数十年後の破滅や。ええで、どんな無茶ぶりにも……戦いさえついてまわっとるんやったら受けたるよ。誰かに言うたりもせん」

「幸先がいいとはこのことか、では天運がいいうちにさっそく行動に移すとしよう」

「ウチとしては那珂あたりがこういうのするんやないか思とったけどな」

「さてな」

「ケッ、食えんなぁ」

 

 一泊の間を置く。この兵器である空母・龍驤の覚悟を決めさせるというのもあるが、私の喉を休める意味合いをも持っている。だが、難儀なものだ。ほんの数秒に過ぎないこの感覚がなんともいえぬ重圧感として私の口を塞ごうとはするが、舌が潰れ顎が砕けることも厭わず伝えなければならぬのだ。

 

「別方向への哨戒、という形でこの……海図の点にいくらか飛ばしてほしい。目的は情報収集、といったところか」

「なんやの、ハッキリせん作戦やめてくれん?」

「私とて確証が持てているわけではない。だが、得たものによっては深海の脅威を堅実ながらも退かせることも可能であろうよ」

「あのな爺ちゃん、ウチの予想でしかないけど―――」

 

 次なる言葉を手で制す。

 わかっているとも、だからこそ、続きは言わせんよ。

 

「貴艦は命令に従えばいい。口外せず、特務を達成し戻ってくること。私はそれだけを願っている。成功の合否はともかく、行ったことにこそ意味があるのだ。いやなに、今回はほんの3時間もあれば済む。あ奴らが出撃から戻るころには、使用燃料の残量も“初の全員出撃で計算を間違えてしまった”とでもいえば、私の耄碌さに拍車がかかったのだろうな、と悪意はこちらに向くであろうよ」

「ああ、やっぱり。最初のスピーチん時から思うたんやけど、爺ちゃん進んで嫌われるんが目的かいな。ウチら道具ごときに優しいこっちゃ……いつか言うとった、家族に重ね取るんとちゃう?」

「ふむ、否定はできんな。それよりも、上司としては与えた仕事を速やかに部下にはこなしてもらいたい」

「はいはい、ウチに任せとき。ドックに集まっとる妖精借りてくで」

「遂行方法はそちらに一任しよう。ああ、できれば追加任務として妖精の確保も頼みたいのだが――」

「……気が向いたらな」

 

 手を振り、去っていく背中は扉の向こう側へと消えていった。ギシリと綿も傷み始めた椅子へもたれかかり、埃っぽい執務室の空気を肺ヘ満たして、大きく吐き出す。

 これからは、艦娘の聴力にはより一層気をつけなければならないらしい。

 

 

 

 

 

 

「こちらが報告書ネ。戦績は言うまでもなくMission completeヨ」

「ご苦労、下がっていいぞ」

「私もこれ以上、ミスターが提督の椅子に座る姿を見たくはないネー」

 

 白い改造巫女服の袖がドアの向こうへ吸い込まれ、バン、といささか乱暴に扉が閉められた。騒音に因る、ただでさえ短い寿命を減らすような行為、上司に当たる私への不敬、通常の海軍、無能な自分勝手な上司ならば罰せられ、投獄されることも少なくはない状況であるが、あの金剛自体が兵器という身分、そして私もそれを容認しているという現状に、一昔前のしゃがれた悪役のような笑みが込み上げてくるのを抑えることは叶わなかった。

 それよりも、今はこの紙の束に目を通すべきであろう。はやる気持ちを抑えられず、すぐにでも、と言わんばかりにそれらに手を伸ばす。

 

「ほぉ、こちらへどんな当て付けを送ってくると思えば、なかなかどうして……」

 

 今度は、違う意味での微笑が口元をゆがませる。皺の刻まれた自分の顔は、それにより更に見れたものではないものとなっているだろうが、私がそんな些細なことを気にする程乙女な思考回路を持ち合わせているはずもない。すぐさま、書類へと没頭した。

 

 数日前の戦闘報告書。沈めた敵艦の数、種類、そして個人的に頼んでおいた敵の特徴がこれでもかという程、「余白も見えないほど」ちりばめられていた。事細かで、どんな小さな情報も欲しい我が身としては嬉しい限りではあるが、本部の報告書を録に読みたくもない腐りきった事務職の輩にとっては、なるほど、最大の苦痛となるであろう。

 だが、今回ばかりはどのような意思が込められていようとも、この報告書一枚一枚が非常に貴重なものには違いない。一部、報告書にしては前任の提督の影響か、文面上の口調が日記形式というか、一人称形式のものや「でした、ます」などが手に取った中でもちらほらと見受けられる。戦艦など大型艦連中はまだマシと言えようが、経歴上の出撃回数、及びに常務が少ない駆逐艦系統の艦娘は、特にそういった傾向が多いらしい。艦娘の起動時には搭載されているはずの基礎情報には、一通りの常識や知識は詰まっていても、艦種の大きさによってはバラバラであるようだが、まったくもって難儀なことだ。

 一枚一枚、丁寧に片付けていきながら次の一枚へと手を伸ばしたところで、不意にドアの方から音が聞こえた。先ほどの金剛の乱暴な締め方のせいか、少しノブのあたりを弄るようにやかましくなり、そして4秒後には扉が開く。

 集中を途切れさせられた身としては文句の一つも言わなければ、と方向転換してみれば、そこには知った顔が除いていた。

 

「よークソジジイ、暇か?」

「見ての通りだが、なにかね」

「最近資材不足で艤装がなぁ、点検の妖精も一新されちまったせいでなーんか違和感あるんだよな。そこんとこ融通通らねえか直談判しにきた」

 

 男らしい態度でニカッと笑うのは軽巡天龍。ここを訪れた理由としては最前線で戦うものとして正しいものに思えるが、この小娘がそんな真っ当な理由付けをしてくるわけもなかろうて。

 

「嫌がらせも程々にしておきたまえ。提督命令で謹慎でも言い渡されたいのかね」

「げっ、バレてるし。だけどよ、艤装云々はマジだぜ」

「……分かった、少しそこに座って待っていろ」

「話がわかるジジイで助かるぜ」

 

 不敬の言葉に関しては今更だ。前提督に関してはある程度吹っ切れたようであるが、私に対する態度としてはこれを崩すつもりもないらしい。だが、これも元はといえば艤装をサーカスのように扱う天龍自身の責任もあるはずだが……。

 思わず、ため息を吐く。余計な愚痴も、年をとるごとに増えてきている。己の最優先されるべき目標があったとしても、脳が衰えたせいで余計なことばかりに働かせてしまうことが多い。

 立ち上がり、埃が綺麗に掃除された分厚い一冊の本を手に取る。目録を見ながらある頁を開き、そのまま天龍へと手渡した。

 

「そこに艤装のデータを妖精に譲渡する方法が書いてある。必要だと思ったのなら、各員分のコピーを取って配布しておくといい」

「おっサンキュ、知らない奴も多そうだしそうしとくぜ。ありがとなー」

 

 嵐のように立ち入り、嵐のように去っていく。天の気まぐれとでも言うべき気性はその名が通じるところから来たものか、ギシギシと潮風に当てられた関節を傷ませながら歩けば、慣れ親しんだ苦痛に老いを何度も確認させられる。

 あと数ヶ月もすれば立ち上がるのすら億劫になるであろう。そして、残りの時間は寝たきり提督の完成というわけか? いや、自嘲に過ぎるな、忘れてしまおう。

 

「……ふぅー」

 

 座れば、椅子との間に根が張りそうな心地よさ。

 もっとも楽な体制となるのが、現状この椅子に座ることだった。

 されど心が晴れることなどない。陰るばかりが心境の、腐れ爺とはどこに需要があるのやら。後悔ばかりを書き綴るのはいささか飽きてきたところだが、よもや目的までもを飽きたとは言えぬのが生きる辛さというもの。

 さて、続きを拝見すべきかと読み始めるのを再開した瞬間、書類を捲る手がひた、と止まる。ちらりと目に入った一文は探していたものとは程遠くも、関連性も近からず、されど深海棲艦のものであるということには違いない。

 絵日記である。いや、正確には絵日記地味た報告書か。語尾もそれらしさなど全くないのだが、完全な一人称視点を通じて描かれた出来事は事細か、かつとある事象一点にのみ絞られた報告が成されていた。その筆者は、幸運と奇跡を謳われし駆逐艦、呉の雪風。

 

 かの大戦争の折、数多くの武勲を打ち立てた艦は、意外なことに最も武装が小さく耐久力も低い、されど速度がある駆逐艦という艦種が挙げられる。鬼神綾波、佐世保の時雨、このような呼び名すら存在している。最も、その武勲に反して穏やかな性格の持ち主ばかりが艦娘の現状ではあるが。

 

 さて、あの雪風。幸運とは己の生き残り以外にも発揮されたというのか、はたまた様々な憶測が灰色の脳細胞を巡るが、私の頭はそれらをすべて隅に追いやり、ただただその報告書の内容に、その「絵」に見入っていた。

 

「……姫、か。なるほど、姫君直々に、あちらから来たとはな」

 

 姫。それは、そこに棲む姫。

 深海棲艦の中でも、唯一言語らしき呪怨を紡ぎ、艦娘ひいては全ての生物に怨念の砲弾を浴びせかけてくるという災害のような存在。棲艦形態の姫は、およそ船としては機能しないような兵装のみで組み上げられた物体として知られており、偽装形態になった姫、ひいてはその下位種であるとされる「鬼」もまた、自身は兵装と完全に分離された美しくも畏ろしい美女としての姿が確認されている。

 元々はかの大戦争に起因した場所でのみ存在が確認されていたが、その発生起源は明らかとされていない。いつの間にか発生し、掃討された後はいつの間にか「分解」されている。そんな謎に包まれた存在であるというのが、「海軍大佐以下」の持つ情報の全てである。

 

 ……ようやく突き止めた、ここに来た甲斐があったというものだ。

 くっくっ、と喉をつっかえたような笑いが込み上げてくる。声に出すような愚行は犯さん。あの艦娘共に知られてはまた面倒なことになる。動機が激しくなる心臓を抑え、書類へと視点を戻してみれば―――

 でるわでるわ、雪風の報告書から「姫」の字を探してみれば、事細かに記したもの、たった一度撃破したというだけのもの、敵艦と姫の動きの共通性を見出したもの。まるで輝石しかはいっていない宝石箱の中身をひっくり返してみたような有り様だ。

 

 自然と首が頷いてしまう。一つ一つを目にする度、顔に刻まれた皺が幾重にも重なっていくのが止められない。見難い皺くちゃの怪物が誕生してしまうほどに、嬉しさと悲願への結びつきが強まってくる。

 漏れ出てくる笑みは暗闇で響けば恐怖そのものであろうが、抑えることなどもはや不可能だった。最初にして、最大の足がかりが手に入ったのだ。龍驤を使う方向性もこれにて定まった。

 

「はっはっはっはっはっ………これは、これは……素晴らしいではないか」

 

 首を振り、少し目を瞑る。

 しばし訪れた静寂が、この部屋の寂しさを表しているかのように。

 自分の意識もまた、遠のいていく……。

 

 

 

 

「どもー、遅れちゃった……って、あれれ」

 

 キィ、と開け放たれた扉の先には、ほんとうに嬉しそうな顔をして眠っている提督さんの姿が。あまりにも満足そうなものだから、一瞬ついに死んじゃったのかと思ったけど、別にそういうわけでもないみたい。

 そぉーっと近づいて、手に持っていた報告書と机の上にぶちまけられたものを見比べてみると、提督さんが自分である程度分けたのか、姫の報告があるものとそうでないもの、それから細かいカテゴリに分けた、法則性のある散らばり方をしてるみたい。

 

「むー、こういうところがテキトウなおじいちゃんっぽいよね提督さん。こんな完璧超人の那珂ちゃん以外だったら、多分こうしてくれないよー?」

 

 聞こえてないのはわかってるけど、自慢するようにして自曲の鼻歌を歌いながらみんなの報告書をそれぞれに分けていく。提督さんが握ってたのもそっと取っちゃって、「姫」のまとめるほうに含めて整頓してあげた。

 さすがに机の中身は提督さんが隠しながら入れてるから、机の端に付箋を貼って並べておくしか無いけどね。

 

「…………」

「こういう姿見ると、ただの人間なんだよねー。あなたも」

 

 老人特有の触るとペタリとする肌には触れず、妖精さんを呼んで執務室のソファに寝かせてもらう。主を失った椅子が寂しげに揺れたけど、もう私はそこに前提督の姿を幻視することもなくなってる。

 思い出にひたるなんて人間みたいな真似、私たち艦娘にはおおよそ似つかわしくはないけれど、提督が優し(偽善に)過ぎたから、こんな感情を持つにまで至ってしまった。悪いものである、とは言い切れないのも優柔不断さを受け継いだせいかもしれないね。

 

「おやすみ、獣なんてもういらないから。今はおやすみなさい」

 

 本当の姿を観ることはなかったけど、沈んだ彼を思い起こせば、分かる。最後の時が訪れるよりも早く、私たちが慕っていた提督はどこにもいなかったんだって。

 あの時からここの艦娘は変わってしまった。なんて、私が言えたギリじゃないけども。

 




縛り内容公開


 難易度:無意味
・製造直後の艦娘は、一度出撃するだけで最適化される。
 しかし、この世界における艦娘製造技術は失われているため、この利点は現存する艦娘に適用されることはない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

休息

私はかつてないものを見た。
そこに至ることは罪であるのか。
いや、この世こそが人間の作り出した罪なのだろう。
ただ、深海より這い上がりし脅威は……恒久的な災害でしかないのは確かだ。

―――焼け焦げた紙片、その再生文より。



 

 暖かな陽光。人間のみならず、一部を除いたありとあらゆる生物がその身に恩恵を受けし暖かなる光が瞼の奥をじりじりと照りつけた。ゆっくりと双眸が開かれたとき、陽光以外のふわりとした温かさに身が包まれていることに気づいた。

 

「毛布、か」

 

 おそらくはここを訪れた艦娘の誰かが、もしくは任務係がかけてくれたのだろう。寝起きで力の入らない手で少し横にずらし、起き上がって時計を見る。短針は7を指しており、結局のところは「健康な生活習慣」を送ってしまっているらしい。

 自分が正規の軍人、ひいては最前線で使いつぶされるような人材であったならばこのような体たらくを晒してはいなかっただろう。いくつもの報告書の上でしか確認したことのない赤の他人の死を集計された紙をめくっていた日々を思い出し、故にこそここに来たのではないかと、小さく息を吐く。

 

 本来の地位も、なにもかも、投げ捨てて。元より、その場に己がいることこそおかしいのだと言い訳を心の中で反響させながら、後悔ばかりを胸に抱いた結果が。

 

 のそり、と老人は椅子を揺らした。

 体のあちこちをパキパキと鳴らして、畳んだ毛布を机の隣に置いて。部屋を出ていった彼を、執務室の世話担当の妖精だけが見送っていた。どこか不安げな表情は、決して人間である伏見には見ることはできない。

 

 

 

 本部との通信を仲介するためには、本来電波の届かない離島などであっても艦娘の「霊的な技術」から確立された通信システムが使われている。電力を必要とせず、それぞれの施設にいる妖精をそれぞれのアンテナとして利用されたこの仕組みは、秘匿度が高く人間を前提とした戦いが繰り広げられてもなお重宝されている、軍部の独自技術である。

 

 しかし、そのためにはやはり機材の類は必要となる。大陸を超え、ほぼロスタイムもなく高精度な通信をするためには妖精専用の施設が用意されており、それは人間であれば建物を新たに必要とする規模を、妖精用に一つの6畳間ほどにまで縮小された形でそこにあった。

 

 そして、この鎮守府に来て以来、寝泊りも日中も夜間も、何か事態が起こらない限りはそこから動かない者がいる。それが任務係と伏見が呼んでいる存在であり、姿形こそは人間と大差もないが、決して人間ではない存在。だが艦娘というわけでもなく、どこか中途半端な存在である。

 そんな彼女が、自身の背後にある扉が開かれる音を聞いて振り返れば、そこには日本から自分を連れ出した存在であり、現在の自分の上司となる人物が立っていた。

 

「お疲れ様です」

 

 彼を認識した彼女は、行動をインプットされた機械のように定型文を述べる。

 どこか無感情に頷いた伏見は彼女のそばへ行くと、無数にちりばめられたボタンの中から一つを迷いなく押し、その部屋の機能を活動状態へと変える。低く唸るようなモーター音もなく、動力音もなく、ただ光がともっていく機材に若干のまぶしさを覚えながら、口を開いた。

 任務係の隣に座り、老いてより鋭さを増した視線で任務係を見る。

 

「おはよう、早速だが前回の出撃における映像記録を出してくれたまえ」

「了解しました。前線の映像ですか?」

「うむ、姫が出たとの報告が入った」

 

 そうでしたか、と本来ならば大事であるはずの存在を無視するように平坦な声で任務係は告げる。近くの妖精に指示を出しながら艦娘の視界を通じて記録された映像の中から履歴を洗い、もっとも映像が鮮明であるものを引っ張り出し、少ない言葉ながら伏見の望むものであろう記録が正面モニターに再生される。

 

 浮かんだのは先日の光景だった。

 いくつもの砲撃音、弾け飛んだ敵の身体(せんたい)。ぱらぱらと降り注ぐそれを荒波ごと掻き分けて、海上をスケートのように進み、陸上選手のように踏みしめて駆け抜けるのは今回の作戦の要となった艦隊の姿。時折左右からちらりと見える布や、長い茶色の髪の毛から察するに、これは戦艦金剛のものであるのだろう。艦船の一部がくっついたかのような砲塔が視界の下側から姿を現し、片手で狙いをつけられてから敵の死を告げる鉄塊をいくつも吐き出している。

 

 艦娘が持つ浄化の力。聞こえはいいが、結局のところはそういった力が付加されただけの砲弾を敵へぶち込み、破壊するだけだ。怨念が何処に行ったか、など戦いのさなかに考えるのは愚者の極み。奴らはどこからでも現れ、浮上する。奇跡的にこのリンガ泊地において不意を打たれるを事は無かったが、本来ならば確認した敵影が2倍にも3倍にも膨れ上がったとしておかしくは無い。

 だが、今回はそんな事は無かったのだろう。轟砲がひどく耳の奥底を打ち鳴らし、目に見える重巡洋艦を悉く蹴散らした主力戦艦たちは、敵がひしめきまるで黒い壁のようにも見えるその向こう側に、異様なまでに映える「白」を視界へと収めることになった。

 

「映像、止めます」

 

 ぼんやりと、真っ白な亡霊がモニタに映る。

 赤く輝く瞳と武装は、金剛ではなくこちらを睨みつけているようだった。

 

「確かに興味深い。吸い込まれそうな威容…これが噂に聞く“姫”か」

 

 映像越しでなお、妖艶かつ禍々しく、そして荒ぶる波動が感じられる。深海棲艦の根源である怨念とやらが渦巻いているのか、はたまた別の何かがあるからなのか。それは未だに理解も解明も成されていないが、この姫の発生によって一つの事実が挙げられる。

 それは、姫が根城とする「深海棲艦の工廠」の存在。時にはその姫や、鬼そのものが泊地・拠点そのものとなる例もある。だが、須らく姫クラスの出現に際して深海棲艦が無限に生み出されるような工廠を起点とした根城が作られている筈だ。

 

「任務係。近海、いや先の深海棲艦が襲撃してきた方向に生き残った人類の生活拠点はあったかね?」

「しばしお待ちください」

 

 カタカタとコンソールを叩く任務娘の上方、建物の上方で妖精がアンテナの向きを変え、そのアンテナそのものと同化する。やがて送られてきた情報を任務係がモニターに表記すると、妖精は同化を解いて外部点検を再開した。

 

「10年前は救援物資すら運び込まれないほど、点在する小さな諸島に住民が脱出できず固まって“いた”そうですが、現在は妖精の観測が不可能な状況に陥っています。とくにジャミングが酷いのは海図で言えばディエゴガルシア島周辺みたいですね」

「旧米軍基地跡か、深海の奴らの手段はいつになっても変わらんな」

「ですがそれで押されているのが現状です」

 

 淀みなく答える任務係に対して、苦笑を返す。

 

「全く、違いない」

「……米軍と言えば数少ない艦娘保有国の一つですが、日本を含め全世界、現在は妖精通信による交流しかできていません。各国に手を伸ばした建設基地が、海洋に放置されていればそのほとんどが浸食済みでしょう。沖縄も例外ではありませんでした」

「うむ、いやというほど分かっているとも」

 

 それこそ、と続く台詞は胸にしまっておいた。言ったところで意味が無い。

 そう、任務係の言うとおりではないか。

 日本列島はアメリカではなく深海棲艦の手に渡り、北方領土はロシアではなく深海棲艦に侵略され、尖閣諸島は中国ではなく深海棲艦に奪い取られてしまった。現状、離島孤島の基地や施設といったものは、深海棲艦の世界に作り替えられ補給基地として扱われているか、姫や鬼が出現して根城とし、新たな尖兵の生産工廠へ作り変えているか、どちらにせよ気分のいい話ではない。

 放っておけば更なる被害が拡大するため、ほぼ全世界を見渡せる妖精の観測が不可能な地が現れたのならば人間勢力は艦娘を動員し、各地にいる提督や各国の隔たりなく協力・団結して姫・鬼の討伐を行っていた。だが、その輝かしい人類統一の栄華もほんのわずかな夢。今となっては、自国の安全地帯に引きこもり、わずかに残された戦力で自分の国を必要以上に侵食してきた深海棲艦を必要最小限に撃退・討滅することしかできてはおらん。

 だが、呼応するかのように大人しくしていた奴らは、ついにここで姿を現した。姫が発生した以上、その姫を一体倒せば終わり、ということはない。本部の記録を見た限りの情報ではあるのだが、大本となる本土の生産施設ごと艦娘の浄化の力(ほうげきのあめ)で焼き払わねば、いくらでも新たなる姫が湧く。

 つまり、少しずつ進撃しつつ、我らは限りある資源を消費し、倒せるかどうかも分からない確率を繰り返しながら大本を叩きに行かなければならん。過去、多くの艦娘が失われ、一部の「提督」は最初からある艦娘を囮にし、ただひたすら湧き出る…いや、強く生まれ変わる姫や鬼を延々と叩き続けたという話もある。そうでもしなければ滅しきれないしつこさ、ということだ。

 

「進行方向と進撃速度、第二波がくるのは近い、か」

 

 任務娘は私の言葉に何も答えない。

 艦娘は一度戦闘に出せば最適化されるとはいえ、奴らの搭載された人格はあくまでも「人間らしい」それ、でしかない。長らく出撃させなければ鈍ることもあり、また扱われずに埃を被った兵器は不調を訴えることすらある。生きた兵器とはいえ、モノである以上すべてが好都合というわけには行くはずがない。劣化もなく幾度となく、そして回収のたびに最高の形で扱い続ける兵器や道具など、空想の中でしか訪れない。

 それが兵器。艦娘もまた、これに適用されるばかりか、あれらは人的資源としての面も併せ持つ。ただの物的資産としては図りきれない異形の塊。その見目麗しい外見ばかりがちやほやとされる時代はとっくの昔に過ぎ去った。

 もっとも、この泊地に生き残っている艦娘たちがそうであるのかは分からない。

 

「正直なところ、どうなのかね。敵の泊地がこちらへ再度戦力を寄越してくるのは」

「こればかりは憶測でしかありません。ですが」

 

 彼女が眼鏡の奥で、感情を悟らせぬ瞳を光らせる。

 

「一か月は最低でもかかるでしょう。それまでの間、こちらも資源を蓄えなければなりません」

 

 一か月、ひと月ときたか。

 こちらは戦力の増強すらできず、そして減るばかり。だがあちらは無限の兵団。さらにはたったのひと月で戦艦などを大量に作り上げてくる。戦争どころか、ただの競い合いですらこの量という差は巨大すぎる壁となるだろう。

 だがその練度には大きな差が開いている。こちらが上、あちらが下だ。前回の出撃で姫を相手にして、大破した艦娘が一隻も居ないことがそれを裏付けている。

 

「言わずともあれらは気づいておるだろうが、艦隊に通達を頼む」

「わかりました。伏見提督」

 

 ひとつ頷き、私はその場を去った。

 酷く疲れそうだ。これからのことを考えると、肉体的な寿命よりも先に命運として待っている筈の寿命が縮みあがり、今にでも不慮の事故が発生してわが身を散らすのではないかと考えるくらいには、やはり私は疲れているらしい。

 ゆったりとした足取りで、時折廊下を走る艦娘の何名かとすれ違う。あからさまに視線を寄越さないものもいれば、青葉などはわざとらしい声色で短い挨拶をかけてくる。

 

 かつかつと軍刀でならされる床音ばかりで、他「人」の足音も聞こえなくなった頃。ようやく私は執務室にたどり着いた。

 やけに静かであるのは簡単な理由だ。近くに私室を取っていた艦娘は配慮のつもりか、はたまた嫌悪の感情か。この私が勤務する部屋の周辺からは立ち退き、艦娘用の寮へと拠点を変えているため。私に前面の信頼を置いている者など一人としていない。

 

 置かれても困る、と思う私自身ひねくれているとは自覚しているのだが。まぁそれは今となってはどうでもいい。呼べば応じ、来るときには来る、それさえ出来ていれば、この俗世とはかけ離れた本部の手も及ばぬ孤島に、堅苦しさを極めたような理論も必要なかろう。とはいえ、海軍に長らく勤務していた私がそのように砕けるわけにもいかず。従えるのは人間ではなくなったが、これからも憎まれていかねばどうにもならん。

 

 苦笑ばかりがもれるのは年を取った証か、自嘲の念ばかりが押し寄せる。ますますこういった、肉体的な劣化を頭の何処かで必ず言い訳がましく使うようになった。

 だが憎しみか。そんな言い分もまたこのための布石だったのだろうか、大分見慣れた仕事部屋の戸を開ければ、想定外の光景があった。私は思わずと言った無意識の言葉を放つしかなかった。

 

「何? 君は」

「こうして顔を合わせるのは初めて、ですね」

 

 接点など、当の昔に千切れたのだとばかり思っていた。あれだけの仕打ち、心理に働きかけた無礼。兵器として扱うことに何ら問題も、その反対意見すら抱かなかった。だが、自己としての意志ある生物としては最低と罵られても仕方のないマネをした相手。

 だが、そのはずの「これ」が、どうして私の前に立っているのか。あのときに見えた瞳は確かなる人間という種族への絶望、そして悲観。艦娘という立場を最大限まで利用されることに反抗的な意識まで持ったとしてもおかしくはないはずだ。

 

「場所を変えてもいいですか? 電にお気に入りの場所があるのです」

「む、構わんが……」

「よかったのです。ではいきましょう」

 

 手招きされるままに、何を考えているのか表情が、いやその感情すら読めない。完全に固まっている顔の娘に導かれる。深海の脅威への対策。それも頭に浮かんだが、付き合いのある任務係のことだ、少しはあちらに任せても罰は当たるまい。

 いくばくかの予測を立てては、それらをすべて破却する。今はただ、この目の前にいる不可思議な存在に対して話を聞かねばならないだろう。そして、叶うのならば……前提督について少しばかりの情報が得られるだろうか。

 

 奥へと案内される。人の気配もなく、この手にある鞘に収まった杖替わりの軍刀。それが鳴らすカツカツという音がやけに響く。鎮守府施設の裏手を通り、今はまだ納めるべき資源もない多くの倉庫の中を歩けば、「これ」はひとつの空の倉庫を指さした。「ここにしましょう」と抑揚のない声で告げられ、逆らうことも無いのでそれに従うことにする。

 重々しい巨大な倉庫の扉を片手で開ける姿は、やはり人間ではなく艦娘という異形の存在であることを今一度認識させる。私が続けて入り、まるで逃がさないと言わんばかりに閉められた倉庫は闇に満ちた次の瞬間、その艦娘が艤装から分離して置かれた探照灯によって照らされた。

 

「ここなら、落ち着いて話ができますね。おじいちゃん」

「……なに、この矮小な身は貴艦の前では、とてもではないがね。逃げられはせん」

「それでも、です。電は個人として聞きたいことがあって」

 

 それで、こうしたというわけである、と。

 言い聞かせなくとも、姉妹の心を弄んだばかりのこの老害に言いたいことがあるなど分かり切っていた。だが、少しばかり腑に落ちないのは「聞きたいこと」であるという点だ。言葉尻の弱い、そんな恨みつらみを吐き出すのではないかと、従来の「電という艦娘」の性格から想像していたのだが、少しばかり当てが外れる。

 これも、前提督に可愛がられていたためであろう。心を持つ人間として扱われ、そして兵士として送り出されて来た艦娘の中には、いくらかこのように文面上のスペックでは想像しえないことがあってもおかしくはない。

 私もすべてがカタログ通りなどと、思ってはいない。あの時に心理誘導を行ったこの身ではあるが、あれは単なる偶然にすぎぬ。

 

「ほう、それは随分と大切な話のようではないか」

「とっても大切なことなのです。とっても」

「とても大切なこと。成程、是非とも答えられる限りは答えよう。私のように耄碌寸前の半死人に答えられるものであるのならば」

あなた(・・・)、は」

 

 もったいぶるように、それでもその言葉を重く吐き出した。

 目の前の兵器は、人ひとりなど造作もなく片付けられる威圧を抑え込んで。まるで寒さに震える赤子のように。見れば見るほどに、憐れむべきではないかという感情を誘発するような声色で。

 震えておった。まるで見た目通りの幼子のように。だが決して手を差し伸べようとは思えない、そんな感情が私の中に確固たる要として存在する。その製造された理由と、人間に似通ったものでしか無いという言い訳じみた真実を知っているのからこそ。

 

 私は、その問いを悠然と受け、返す準備を整えた。

 

「あなたは、電たちの敵ですか?」

 

 敵を射抜くかのような瞳だ。成程、スペック通りではないというのは面白い。

 探照灯の強い明かりを受けてもなお、その目は鈍い輝きしか纏えない。どれほどまでに「我が身」が罪深いか、刻みつけるように答えるとしよう。嗚呼いかんな、思わず汚らしい笑みがこみ上げて来るのを抑えられなくなりそうだ。

 そうだ、ひねり出すように、答えねば。

 

「私は紛れもない味方だ。貴艦らの敵では、断じて無い」

「そう、ですか」

 

 納得したような、それでいて相手に聞くべき問いに対して、自らで答えようとしている表情を浮かべている。大方、そういったところだろう。

 だが同時に少しばかり落胆する。駆逐艦、電の心は、やはりどうあがいても「植え付けられた優しさ」を取っ払うことなど出来ないのだろう。こうして答えただけで、電という艦娘に搭載された感情はまるで決まっていたかのように悩みを見せる。しかしそれが艦娘なのだ。

 この駆逐艦の場合は、優しさを強制され、矯正されている。

 あの時のように心がいくらか壊れていれば、まだ「人らしい」と言われただろう。だが私が「直してしまった」からには、この哀れなる兵器はいつまでも答えを変えられない自問自答に陥ることになる。

 使えなくなることはなるべく避けねばならない。私が死んだ後ならどうでもいい。

 だが、今はまだだ。

 

「私は」

「?」

「深海棲艦共を必ず殺し尽くさなければならない。奴らの発祥は不明、その似通った姿形から恨みを溜め込んだ艦娘がその正体なのかもしれない、そんな噂が真実であったとしてもだ。敵として現れたからには、慈悲もなく殺す。その領海を奪う。それが、私という人間の出せる答えだ」

 

 設定された言葉のように、「沈んだ敵もできれば助けたい」そういった発言をする駆逐艦:電という個体は数多く存在する。それだけではない、艦娘というのは同じ艦艇である限り、必ず共通して固定された台詞を持っている。

 そしてその言葉は、その艦娘に搭載されている心のあり方と全く同じであるのだ。

 この駆逐艦に、このような言葉を投げかけたのは此奴のあり方に真っ向から反対するような行動を私は続けていくという宣言だ。

 

「……わかりました、おじいちゃん」

「軍人ではなく兵器である貴艦らに、最早呼び方に関しては目を瞑ろう。だが、私が白だと言えば白と言え。黒だと言えば、たとえ白だとしても黒と納得させよ」

「はい……」

「だが、貴艦らはこの私の闘いが終わるその時まで、一隻足りとも沈ませるつもりはない。私の思い描く死への旅路に、貴艦らの先導は必要ないのでな」

 

 軍刀の鞘を強く、地面に叩きつける。

 それだけで何を言いたいのかは察したのだろう。製造され、そうであることを決定づけられた目の前の存在は、重苦しく閉じた倉庫の扉を今一度、その小さな手から発揮されたとは信じられない怪力でこじ開けた。

 不安げに見上げる姿は、この鎮守府近くにあるあの村にいた幼子と見まごうばかりに、精巧に作られている。深海棲艦と人間、そして私とこの艦娘。一体何がこの世界にとっての害悪であるのか、わかり切った答えを胸に抱きながら、私は倉庫を後にした。本当であるならば、兵器から流れてはいけない嗚咽の声を背中に受けても、足は止められんのだ。

 

 

 ――結局のところ、前提督の目的その他を聴くことが出来なかったか。

 ある意味で吹っ切れた心のままに、髭を撫でては潮風を身に受ける。港の方に目を向ければ、資源が溜まり始めた最近になって余裕が出てきたのか、艤装を装着し、模擬弾を装填し、海上を往く艦娘たちの鍛錬風景が見えた。

 一度の戦闘で最適化され、その艤装を十全に扱えるようになったとしても、アレラはある程度の自己進化を許された生きた兵器とも呼ばれているように、戦闘をこなす、演習で艦隊同士を戦わせる。そうして、戦闘行動が模範的なものから独自に発展していく。

 

 だがその戦い方は、かつての軍艦のような側面砲撃を主としたものでもなく、人間のように隊列を組んだ戦闘行動であるとも言い切れない。悪く言えば物語や創作のように、良く言えば常識を覆すような闘いとなっていく。

 戦艦形態、艤装形態。この2つの形態を持っているということからも、その変化すらも戦術と敵の予想を欺くような形で取り入れる。パレンバンからの帰投の際、那珂の戦艦形態で、敵の偽装形態戦艦級を押しつぶした時がいい例だ。深海棲艦と銘打っておきながらも、奴らは体勢を立て直し海上で攻撃態勢を取れなければこちらへ攻撃できないのだから。

 だがなぜ、奴らは行動できない海の底から這い上がるようにして襲撃してくるのか? その疑問の答えは、まだまだ此奴らに話すべきではないだろう。

 

「あれ、伏見さんじゃん。よーっす」

「重雷装巡洋艦、北上か」

「前と同じ返し方だね」

 

 言われてみれば、あの廊下で会った時もそうだったか。

 

「それよりまた考え事? なんかすっごい皺寄ってたけど」

「そうだな、少しばかり考えていたよ」

「年取ったら頭固くなっちゃいそうだもんね、あーやだやだ」

「まったくだ。考えなくともいいことまで、無駄に思考を巡らせてしまう。年は取りたくないものだ」

「……何か、皮肉とかには反論しないよねぇ」

「本部にいた時より、下官・上官問わず影で囁かれていれば」

「うっわ、そりゃ嫌でも慣れるかもね」

「…そういうことだ」

 

 言葉を先に掻っ攫っていく。どこか浮かんでいるようで、話しやすい。それでいて甲標的を装備し、高い殲滅力を持つ艦娘として「北上」やその姉妹の名は話題に上がることがあった。尤も、それも前時代の話ではあるが。

 だがその噂に違えず、多少の口悪さはあるとしてもこの軽巡洋艦はまだ話しが通じやすい類ではあるだろう。戦闘の際に見せる牙が、こちらに向きさえしなければ。

 

「そうそう、あんたが来てからさ。那珂とか天龍とか、影響受けた連中が必死になってるんだよね。訓練見てく? ちょうど軽巡連中が使う時間だし」

「ほう、時間は問題ない」

「いいね。んじゃ、あっち……って、見える?」

 

 首を振って、無理だと答える。

 北上が指をさした方向は、私の目ではかろうじて人の形であると見える程度の距離だ。隣のこやつは失敗したか、などと頬を掻いて冷や汗を流している。私としても艦娘独自の訓練とはどのようなものか、天龍への剣術の心得指南とはまた別の形を見ることができれば、何かを得られるかもしれないかと期待していたが。

 

「仕方あるまい。人間の限界だ。では、私は執務室に」

「あ、あの司令っ!」

「む」

 

 今日は台詞を遮られることがどうにも多い。

 何事かと声のした方向へ目線を下ろせば、そこにはこれまで交流が殆どなかった艦娘があるものを差し出していた。頭身は随分と低い。片手でそれを、手にとった。

 

「これ、使って下さい」

「艤装の、双眼鏡?」

「はいっ! こうして顔を合わせるのは初めてですね!」

 

 双眼鏡を手渡した後、しっかりとした海軍式敬礼。

 初期の頃より頭に装備された艤装、22号対水上電探が特徴的な駆逐艦・雪風である。表情の読めない朗らかな笑みをこの老いぼれに見せながら、何食わぬ態度で雪風は言う。

 

「それなら人間にも使えると思いますので!」

「そうか、助かる」

 

 積もる話があるのかもしれないが、後に回せばいいだろう。双眼鏡を覗き込み、近くの係留柱(ビット)に腰を下ろす。軍刀をこちらに凭れさせ、鍛錬を行っている軽巡洋艦とやら見始めることにした。

 

 

 本日の波の揺れは、どうやら穏やかであるらしい。

 そうした海上に波紋と飛沫を上げて突き進む幾人かの姿。軽巡洋艦の艤装に身を包む艦娘たちである。艤装形態にて射撃訓練をしている中には、伏見の見慣れた三隻――天龍・那珂・川内――の姿もあった。残りの五隻はまだ、彼とろくに会話も交わしたことのない艦娘たち。今のところは伏見が見えなかったように、戦艦形態での訓練を行っている者は居ないらしい。

 

 ここで、動きがあった。

 水上に立つ数十の的は、最初は全て伏せていた。だが、深海棲艦の動きに似せたのだろうか、突如としてそれらの幾つかが勢い良く垂直に立った、と思った瞬間にその中央から的部分を破壊される。

 外れた弾が勢い良く飛沫を上げる様子も見受けられない。艦娘たちの表情は皆様々では有ったが、一様にして真剣味を帯びている。砲撃の力強い音は、港で観察している伏見の耳にも残響として届いていた。

 隊列を組み直し、現存する鎮守府の八隻ある軽巡洋艦は、4:4に分かれて一列を作る。中央に護衛するべき艦がいる時の陣であろうか、その間隔を守りながら進み、また突発的に中央側に出現する的は破壊した後、その残骸が障害物とならぬよう破片すらも爆風で吹き飛ばす。

 

 (てき)が跋扈する海域の端まで到達した時、八隻の艦娘は進行した方向とは逆側を守るように列を成す。その瞬間、破壊されずに残っていた全ての的が乱立し――

 

 全艦、()ぇッ!

 

 とある艦娘の号令とともに、艦娘の艤装として取り付けられた砲台全てが破壊の嵐を生み出した。ドミノ倒しのように艦娘に近い場所から的は粉々に破壊されていき、最後は一つたりとも残ることはない。

 護衛するだけというのは最早人間にしか通用しない。出会う深海棲艦、なるべくその全てを殲滅することが艦娘に対して第一に遵守すべき命令として与えられる。それは前提督からの教えでもあったのか、伏見が命じた覚えがなくとも、種類を変えつつも一貫して敵艦隊の全滅を目的とした訓練であることは間違いなかった。

 それからは静けさとともに、第二波を警戒する態勢。だが、的も上がらず向こうでしか聞こえない訓練終了の合図があったのか、艦娘たちは一様に張り詰めた空気を霧散させて、各々を励ましあう。

 

「本日の訓練はここまでのようですね」

 

 雪風の声が隣から聞こえる。

 伏見の意識は、そうして双眼鏡のこちら側へと引き戻された。

 

「礼を言う」

「いえ! 司令(しれい)のお役に立てたのならば光栄です!」

「あれ、あんた前提督のこと気に入って…あぁ、そういうこと」

「何ですか? 北上さん」

「ナンデモナイヨー」

 

 誤魔化すように言う北上の真意を、私は理解していた。

 駆逐艦雪風。かつての大戦にて終戦まで生き残った数少ない艦艇の魂を受け継ぎ、艦娘としてもなお未知数の幸運艦としての名を馳せている。その製造数は非常に少なく、日本所有の鎮守府に一隻あるかないか、と言ったところか。

 そして何より、他の艦娘と同じだ。

 私の呼び方が、前提督と見比べていることはすぐに分かった。資料通りでしか無い艦娘という存在は、やはり人事とは全く違う。そう思い知らされてばかりだ。

 

「貴艦はなぜここに?」

「電さんが司令を連れて行ったので、気になりまして!」

「そうか、では聞こえていたかね?」

「はい! これからもよろしくお願いしますね!」

 

 元気いっぱい、というべきか。

 その雪風に対して、北上の反応は苦笑いといったところか。

 

「……まぁなんて言うか、雪風はこんなんだよ。伏見さんは手綱握れるかな?」

「無論、艦娘は艦娘でしかなく、その逸脱は残念ながら報告されておらん」

「だよねぇ」

「北上よ、貴艦もそれに含まれていることは忘れるな」

「知ってる」

 

 そう、それを踏まえての対応だ。北上にはこれといった注意も、忠告もする必要はない。当人がそうである態度のままに当たれば、あちらはそれを理解した上でそう動くのだから。

 

「ふむ、忘れる前に言っておかねば。駆逐艦・雪風に命ずる」

「何でしょうか」

「貴艦所属の第四艦隊は後日、遠征を予定しているのでな。詳細は本日一五◯◯、任務係のアナウンスに従い、集合場所を伝える。同じく第四艦隊所属の艦娘へ事前に伝えてもらいたい」

「了解しました! それでは行って参ります!」

 

 恐らくは、あれも那珂やこの北上と同じ手合、か。

 いや、憶測ばかりを立てても仕方があるまい。

 係留柱から、軍刀に力を込めて立ち上がる。座り込んでいたのだろう、こちらを見上げる北上に、時間を取らせたと言ってその場を去ろうとした。だが、聞き逃すことの出来ん一言が我が耳を打つ。

 

「そういえばさ」

 

 声を、かけられる。

 

「龍驤に頼んだもの、見つかった?」

「……いや、だがいずれは」

「そっか」

 

 ……まったくもって油断ならん。艦娘の聴力というべきか、情報収集能力は対人戦で役立てようという案が引っ切り無しに出てくるわけだ。納得せざるを得まい。いったい何度、このような身のすくむような体験をしなければならぬのか。

 

「でも気をつけてよね、あたし以外にも気づいてる奴はたくさんいるし、何考えてるのかもわからないのもいる。この会話だって、あそこの軽巡連中にも聞かれてるんだから」

「心に留めておこう。忠告感謝する」

「ふふーん、やっぱ北上様は役に立つよね。ま、あとどれだけ保つかわからないけどそれなりにやってこっか。じゃあね~」

 

 ある意味で、一番読めない相手かもしれん。

 含み笑いを持たせている、あの飄々とした態度にはやはり北上という艦娘の性格がそのまま浮き出ている、が、先の電のことでも解決し切ることはなかったように、艦娘というのは制御できたとしても操作することは難しい。

 搭載された感情とはいえ、それは感情に違いない。人間味を帯びた、状況判断が可能な性能の良い欠陥兵器。そしてただ、唯一の深海棲艦への対抗が可能な浄化の力を持つ存在。

 

「気を引き締めなければ、食われるのはどちらからが先か」

 

 頭を振って、その考えを否定する。

 食われる、などと。喰らい尽くすのは人間(こちら)の領分だ。何もかもを食い尽くし、敵対する者は利用し、エコだ効率的だと見かけは綺麗な言葉で飾りながら、放っておけば腐臭を放つ存在へと昇華する。それが、我々人間の長所であろう。

 

 足取りは重い。緊張から来ているのか、はたまた私自身の負い目から来ているのか。かつて那珂に傷つけられた傷跡が、これこそが私が生きる罪深さであると言わんばかりに幻痛を発してきた。後遺症はあるといえ、精神にまで語りかけてくるとは実に獰猛なものよ。

 そうだ、あの時よりこの日まで、龍驤からの報告は芳しくない。

 見つけるべきものを詳しく伝えていないというのも拍車をかけているのだろうが、それでも手がかり一つ、このリンガの近海では見つかることはなかった。代わりに、伏兵として忍んでいたと思しき深海棲艦ならば見つかったが。

 

 私の持つ真実も、いつかは伝えねばなるまい。だが、それが明かされるのは私の探しものが見つかったその時からでなければならない。ただの詭弁だとは分かっている、だが、そうでもしなければ――

 

「……いかんな、年は取りたく無いものだ」

 

 ああ、全くだとも。嘆かわしい。

 




縛り内容 ではなく、公開情報

任務係は一般に言う「大淀」という艦娘ではない。
だが、同時に純粋な人間でもない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

転換

不変であることは確かだった。
だが私は注目すべきところを間違えていたのだ。
願わくば、我が道の後を草花が覆い隠してくれることを望む。


―――お団子ヘアの軽巡洋艦が発見した机の手帳より。


 姫の確認から、4日という時間が経過した。

 そして、未だ新提督:伏見丈夫(ふしみますらお)のことを怪しい企みを持つくたばる寸前の狸だと考えている艦娘は、金剛たちを筆頭とした含めたリンガ泊地の36隻全艦。一定の理解を示したような者もいるかもしれないが、だからといって心の底まで全てを預けているわけではない。それは親しい態度を見せているようにも見える那珂ですらも例外ではない。

 だが、彼女たちは同時に意識を持った兵器でもある。このような不和が作戦行動や戦闘行動の中でどのような結果を生むかは知っている。だからこそ、そのような上官への不当な感情を抑えつけ、表面上は取り繕うに越したことはないとして、伏見の指揮下に拠る戦闘指示にしたがっているのは兵器としての存在理由からか。

 人のように似せた部分は一定以上の拒否を持ち、道具としては受け入れる面を併せ持つ。それはまさに場の空気に合わせる事ができる人間のようであるが、そうしたあまりにも極化した行動は人間の理解を超えていると言える。

 

 ため息がひとつ。

 

 人間として異常と見える行動も、艦娘としては正しいのだろうか? 予め型に嵌められた性格や意志をコントロールしようなどと試みる我が身にとっては、正しさなど要らんだろうが。罪の意識を感じているつもりだろうか、余計なことばかりが頭をよぎる。

 純白の軍服に見を包んでしまえば、この身は鎮守府の提督だ。艦娘を指揮し、ここ数十年終わりすら見えなかった深海棲艦たちへ猛烈なアプローチを掛ける役職。時に司令部ごと爆撃され、時に艦娘とともに出撃し、時に勝利をもぎ取り酔いしれる。

 艦娘という仕組み全てが解明されていない不可思議な兵器を運用するため、軍部、時には一般人の中から「艦娘を扱える」と判断された人物が抜擢・推薦されて提督という名を冠する。そして各方面へと飛ばされた彼らは独自のコミュニティを形成し、だがその大本のどこかは本部へと繋がって、伝わったその情報は上部から多くを濾過(いんぺい)され下のものへと伝えられていく。だがそれも昔のこと。今となっては多少の融通は人間である以上効くらしいという論の元、一隻・また一隻と使い潰されていった。

 ふと、見ていた夢は覚めた―――

 

「おはようございます、伏見提督」

「おはよう、任務係」

 

 目覚めとしては最悪の部類に入るか。椅子に座ったまま寝てしまったようだ。関節が凝り固まって仕方がない。眠気を叩き落として朝方のルーチンワークに入り、軍服へ袖を通す。立てかけていた軍刀(つえ)を手にとれば、ようやく執務室へと行くための準備が整った。力を入れる度に悲鳴を上げる体を無視しながら、横目で任務係へ視線を移す。

 ようやく、と言ったところか。こやつが自室に来るとなれば何かしら事態が動いたことを知らせているようなものだ。

 

深海棲艦(やつら)はどうなった。まだ三週間ほどの時間があるのではなかったのかね」

「どうやら“姫”のいる海域とは別のはぐれ艦隊のようですね。南のバンカ島から進軍している模様です。相手がどのような考えかはわかりませんが、反対側からの軍勢は今のところ姿を見せておりません」

「ふむ」

 

 我々の交戦模様を奴らが見ていたとするならば、発想としては北がダメなら南から、と言ったところだろうか。いや、単に奴らが南から人間の気配を感じたとも考えられる。

 艦娘と同じく、悪しき思考のままに触れることが出来ない深海棲艦の思考回路等は未だに解析されていない。鹵獲しようにも死体であるにもかかわらず、生者が近くに寄れば爆発または侵食するため近づくことも出来ないというのが正しいか。理解する前にあちらが理解させないという徹底された使い捨て。如何に不気味な存在が敵であるかを思い知らされるものだ。

 

「して、敵の編成は?」

「確認できたのは、22隻です。戦艦級は5隻を確認、空母らしき敵は見当たりません。残る17隻は全て軽巡洋艦以下とのこと。なお、現状確認できていませんが、潜水艦がいることも予想されます。提督、どうなさいますか?」

 

 平均的な敵の量。いや、かつての本土への強襲と比べてみればまだまだ少ないほうだろう。50隻を越える敵艦が訪れていないのならば、まだまだ奴らもまとまって潰すに値しないと考えているのか。

 なんにせよ、目の前の敵より今後の計画だ。問題はどうやって()()()奴らの本拠地へ赴くかということだが。あいにく私は長期に亘る決戦は得意ではない。奇襲・奇策による短期決戦、早期決着が私の領分である。今は奴らの進行を歯牙にも掛けぬ防衛が可能だが、所持弾薬を使い切る戦い方はその場においては強くとも継続できるわけではない。

 艦娘における「資材」が有限である以上、戦い方を改めなければならぬであろう。いくら現状の「資材」が豊富といえど、尽きる時は尽きるもの。一ヶ月後までに少しでも全力を出しきるための手持ちを蓄えなければならん。

 

 故に、仕方あるまい。今回ばかりは大型艦の運用は見送ろう。もっとも、ここまで生き残ってきた艦娘ならば早々不意を打たれない限り、指揮下にあるうちは損傷するとも限らんが。

 

「今回運用するのは重巡洋艦、潜水艦、軽巡洋艦、駆逐艦。そして泊地周辺に観測機等を警戒した対空砲を設置し、余った妖精の人員をそちらに送ってもらいたい。だが、奴らの本拠地への進攻準備、そして警戒は怠るな」

「了解しました。それでは入渠用ドックの一部を開放し、対空網の設置を行います。以降の変更がありましたら直接こちらにご連絡ください」

「うむ、微調整についてはそちらに任せる」

 

 こちらから出向いての侵攻、という手も考えたが、空母も居ない上に戦艦がたったの五隻ならば、敵からの想定外の動きがないと言い切れない中で手元の流動性を無くす必要もない。「資材」もまた然り。ここまで生き残ってきた重巡洋艦連中ならば容易く落とせるだろう。たとえ敵艦全てに黄金のオーラがまとわれていたとしてもだ。

 今回は万全を期した決戦であり、あの日のように最後まで追い詰められているというわけでもない。気がかりとしては先日、精神状態を揺さぶってしまった駆逐艦・電と、未だ突っ走る傾向のある吹雪のこと。もしくは航空勢力が敵に無いため一方的な蹂躙が可能だと空母の連中も文句の一つが飛び出そうだ。

 

 任務係がメモの書かれたボードを抱き込み、部屋から退出する姿を見送る。さほど音を立てずに閉じられた扉は性格を映し出しているようにも思えた。

 

「……バレておるのならばさほど秘匿せずとも良い、か」

 

 私の計画の前段階として存在する、艦娘の「心」のコントロール。もっとも、先日は電の心をかき乱すのみに会話を打ち切ってしまったのは私の捨てきれない情故か。目的のためには現存する艦娘を一隻でも多く後世へと残したままに、私の命を散らして達成する必要があるのだが、こうも中途半端が過ぎる関係ではな。

 とはいえ、艦娘間における意見や私情の衝突が無く、この古狸を探る一心で一致団結しているというのは明らかな強みだ。アクが出るほどに元々の性格が強く、違いすぎるゆえ、いかに命令に絶対な兵器と言えど手綱を握れなかったという提督も過去にはいたはずだ。それに比べれば私の指揮下はなんと平穏なことだろうか。

 

 戦いが激化し、敵が掃討戦に入ったような段階でようやく得られるのが真の平和。結びつかざるをえない脅威が存在しなかった、はるか昔は、あの大戦よりも前の時代に生きた者達はどのような生活を営んでいたのか。己の生み出した怨嗟に食われつつある現代に生きる身としては、そのような平和を後世へと繋ぎたいものだ。

 

 ―――死に急ぎめ、どうせ自ら飛びにいくのなら、その席を代わってもらいたいものですな。

「…死に急ぎか。逆だな、中将殿。私は十分に生きてしまったのだよ」

 

 本土に置いてきた、あの中将は今どうしているだろうか。性格は擦れ切った軍部の中でも、嫌味が目立つ程度。そして与えられた役職に応じて自ら仕事をこなす様は舌を巻くほどだった。人間として欠陥と呼ばれる側面を隠していないアレならば、おそらくは。

 未来に思いを馳せながらも、自らはその未来を見ることが叶わない。あと20年早ければ、私はこの自ら定めた使命に抗っていたのやもしれん。だが……いや。

 

「……いかんな」

 

 どうにも思考が飛びやすい。あちら、こちらと考えなければならないことに余分な過去を懐かしむ気持ちが混じってくる。本来あるべき姿ではなく、このような呆け事にばかりかまけそうになるから、上層部は腐っている・機能していないなどと言った世迷い言が民衆から絶えんのだ。

 上層部は腐っていたのではなく、万策尽きていたのだなどと、口が裂けても言うわけにはいかぬだろう。ようやく見つけた最後の一手は、この私自らが乗り込むなどといった愚策。これすらも真実の本の一端に過ぎず、また一端ということは真実足り得ない虚言である可能性も高い。だが、それでも私は此処に来た。此処に来て、成すべきことがある。

 

 不意に、こんこんこんこん、とノックが等間隔で四回鳴らされた。

 今更このように礼儀正しく、この執務室に入ってくる艦娘など一隻として居らぬ。当然、こんな分かりやすい真似をするのは私の指示通りに動いてくれたあやつのみだ。すぐさま妖精に防音の指示を出せば、手元のメモに準備完了との走り書きが浮き上がった。

 

「入るで、今回も成果ゼロや」

「分かってはいたが、思い通りとはいかんな……」

「当たり前や。そんなんどこだって一緒やろ」

 

 ふてくされるようにする軽空母・龍驤のやるせない表情を見ながらも、今回の調査も無駄であることには落胆を抱かずに入られない。敵に機密を漏らさない配慮はわかる。だが、なぜ前提督は掴んだはずの情報を本部に送らなかったのか、実に理解に苦しむ。

 ほい、と龍驤から手渡された報告書を受け取る。ほんの二枚に収められた情報の断片は、なんの異常も描かれてはいなかった。命ずるこの私ですら知りえぬ物を探させているのだ。仕方がない、と言えばそうなのだろう。

 

「にしても、爺ちゃんもけったいな奴っちゃなあ。北上はんにバレてるとわかれば、すぐに極秘もクソも無くして捜索命令を出すんや。元々隠す意味も薄いんやったら、コソコソ動かんでも良かったんちゃう?」

「……前提督の遺産、ともなれば“提督”という存在に執着を持つ貴艦ら艦娘が、嫌う私の手に渡らないようにと下手な行動に出る危惧もあった。だが、思った以上に反発も見受けられぬではないか。ならば、今の時点で隠す意味は無いと判断したにすぎん」

「あぁ~……まぁ前の提督はんの掴んだものなら、見たい・見たい思うんは分からんでもないなぁ」

 

 軽空母龍驤は、そう言いながら報告書を机に置いて差し出してきた。口頭で成果なしと言われようと、読まないわけにもいかん。調査した一帯の事細かな情報へ一度目を向けるが、やはり私が当たりをつけているような事態は特に書かれていなかった。

 

「任務ご苦労、軽空母・龍驤。今は休むがよい」

「はいはーい。まぁ、みんなもいくらか諦めとるんやろな。ウチは早々に切った分あんま響いてないけど、電ちゃんや金剛はん。ありゃ相当残るわ」

「で、あろうな」

「ほんならまた後で」

 

 退室した龍驤を見送り、髭を蓄えながら報告書を今一度読みなおす。

 全くもって異常なし。この執務室に隠されていた幾つかの紙片を組み合わせてそれらしい場所を割り出しては見たものの、龍驤の散策も成果はなし。ダミーだったと考えるのが妥当なのだろうか。

 だが、あのような前時代の提督がそんな小難しい事を考えるだろうか? なるほど、確かに現代では通用しない「道徳的」な提督であったのだろう。感情を第一に考え、艦娘を人のように扱い、メンタルを大事にする。ああ、傍から見ればなんと美しい感性の持ち主であろうか。

 ……それが一般人上がりだとしても、成果を出していても、確かに軍という団体に所属していたのならどれほど無駄な行為かであるかは明白だ。大勢を見ず、一時の欠片ばかりを拾い集める者。そんな者が深い考えなど出来るはずがない。

 

「……? まさか」

 

 ともなれば、私のように頭の硬い者が思い当たらない……いや、簡単すぎてその発想に至らないような真似を平気でやってのけるのだとしたら。

 そこまで考え、私はこれまでの龍驤の報告書をまとめた引き出しを開き、机の上に一斉に広げた。カサリと僅かな風を立てて机の上に散らばった一枚一枚には、確かに共通点になると思わしき「船の残骸」が記されている。

 今時、船や鋼鉄の残骸など珍しくもない。どこかで破壊されたタンカーや、深海棲艦発生当時の客船など、海に出ていた凡そ全ての船舶は乗務員・乗客ごと粉々に破壊され、回収しようにも時間も手間もコストに釣り合わないそれが至る所に散らばっている。浅瀬には流れついて地面に突き刺さり、赤茶色の姿となった鋼鉄の欠片が天を向いていることもある。

 

「これは、そうか……任務係。応答せよ」

 

 すぐさまマイクのスイッチを入れる。少しのノイズが走った後に、通信はすぐさま任務係につながった。

 

≪……こちら任務係。どうしました、伏見提督≫

「今そちらに向かう。その間にこのリンガ泊地周辺海域の海図を作成してもらいたい。範囲と尺度は――――」

 

 やるべきことは見つかった。あとは、つなぎあわせたあと残るピースをどのようなペースで集めるか。1ヶ月後の第二波侵攻などという、くだらない雑事はもはやどうでもいい。私が指揮しなくとも、奴らリンガの艦娘が討ち滅ぼしてしまうのは明白だ。その被害の差は、最終決戦で戦艦一隻が中破するかしないかの差だろう。

 鞘と鍔を硬く縛られた軍刀を杖代わりに立ち上がる。気持ち早めの足取りで、任務係の待つ場所へ向かった。

 

 

 

「……何か掴んだみたいだね~、あの人」

 

 伏見の居る執務室から数十メートルは離れた艦娘各々の部屋が立ち並ぶ棟がある。そこには当然、交流用の憩いの場とでも言うべきスペースも存在していた。

 そんな遠く離れている場所から執務室の扉が開き、伏見が杖音を響かせ歩く音を拾うことができるのが艦娘だ。人間よりも遥かに優れた強靭な、破損しようとも轟沈判定という一定以上のダメージを受けないかぎり死なない体。それに加えて生物の域を簡単に凌駕する驚異的な器官・機能を持ち、未知のバイオテクノロジーで外皮を形成し、人間には稀な美貌ばかりを獲得した人の形をした艦船の兵器。人と同じ素材が使われていながら、生命の息吹より生まれいづる事のない機械の体――艦娘。

 特に、軽巡洋艦と括られる者達4人。天龍型軽巡洋艦の二隻、そして球磨と阿武隈。接点も歴史にもほぼ関係のない彼女らは、しかしこの鎮守府においては破壊されなかった艦娘という共通点を持つ。この場にて机を囲んでいる理由としては、それで十分だろう。

 便宜上、彼女らと形容しよう。彼女らが一つの机を間に挟むその理由は、なんてことはない。彼の動向を監視…いや、盗み聞きしていただけである。

 

「ようやくか。まったく遅えぜ、あのクソジジイ」

 

 先の発言への返答。龍田と言われる艦娘に返したのは、姉妹艦である天龍。肩肘をついて頬を潰し、眼帯の方向へと首を傾ける。いかにも不機嫌です、と言わんばかりの表情を崩さずに毒を吐くのは、その言葉そのままの感情が故に。

 姉妹艦故にその根底となる思考プログラムは同じ。いち早く天龍の心情を察した龍田は、しかし天龍とはかけ離れた態度でクスリと笑ってみせた。

 

「あらぁ~? でも提督のことを知りたがってたのは天龍ちゃんじゃない。前の彼がまた居た頃はそれなりにご執心だったのは、忘れてないわよ~」

「ばっ、おま! ……仕方ねえだろ。そういう反応を返しちまうようなルーチンなんだから」

 

 艦娘の事を制御しやすい、と伏見が言う理由の一つだ。艦娘は人間からの、特に提督として認識したものの言葉に好意的なものを、もしくは否定的な言葉を「予め定められた範囲」で返す。もちろん、その際に当人はこれが決定されたルーチンに従った行動であると自覚していながら、その「感情」に逆らえることは非常に少ない。所詮はプログラムが創りだした思考機能だということだ。

 

「クマー、でも球磨たちのことはあざといだとかで否定されて大変だったクマ!」

「いまいちわからない性格してましたよねあの提督! 私の前髪何度も触ってくるしもう大変ったら!」

 

 天龍の態度に苦笑し、のほほんとした言葉を放ったのは球磨型軽巡洋艦の一番艦・球磨。当時のことを思い出したのか、何度も悪戯混じりに前髪を触られていた事に不満を露わにしているのが長良型軽巡洋艦の六番艦・阿武隈だ。

 軍部とは思えぬずさんな体制。それにより選抜された前提督については、ほんとにただの一般人らしさが強かったなあ、と溜息を吐く阿武隈に、だよなぁと戦いをあまりさせてもらえなかった天龍が同意を示す。当時が如何程に混乱であったのかを、これだけの会話で彼女らは表せていた。

 今ほど艦娘の思考の根底も判明していなかった頃の話である。あれから一世紀も経っていないにも関わらず、人類は確実に進歩した解析を艦娘に行えるようになった。

 

「あの頃は提督と艦娘の親密度が高ければ高いほど、力の限界を突破する可能性があるなんて言われてたっけ」

「そんなこともあったわね~。一度の戦闘で最適化されたあとも、人間との絆の強さで更なる上を目指せるとか~。最終的な名称がケッコンカッコカリだっけ~?」

「そうそう、でも結局は……」

 

 ゴソゴソと懐を探った阿武隈が取り出したのは、服の内側に縫い付けられた金属製のリング。そう、先ほど言ったケッコンカッコカリの度重なるシステムアップデートを施された最終形態だ。リングの形は変わっていないが、その内なる形は全く異なっている。

 

「こうして持ってるか、体の内側に入渠のついでに組み込むか。それで済んじゃったんだから、便利なものですよね」

「艦娘と結婚だなんて、夢物語を語った提督も結局は生き物。皆いなくなっちまうんだ。それでも単一で機能してるコイツだけが残ってる。結局絆なんてもんは火薬の足しにもならないってことだな」

 

 そのセリフを言い放つ天龍もまた、側頭部に浮いている電探型艤装の内側に組み込まれたリングを弄る。しかしそれも数秒のこと。すぐさま飽きたように、艤装を定位置に戻して椅子にもたれかかった。顔ばかりは、艤装に隠されていたが。

 

「話がそれちゃってるクマ。今は前提督の遺産についてだクマ」

「そ、そうだよね! ……人間みたいなことしちゃったなぁ、昔語りなんて」

「どっちつかずならどっちの行動とってもいいんじゃねーのか? 難しく考えたって砲雷撃戦の邪魔にしかならねえよ」

 

 腰に挿した艤装に触り、天龍はふと伏見から教わった剣の講座を思い出す。気に食わない顔を思い浮かべた事を振り払うように柄を握り、気を紛らわせるのは果たしていいことなのか。解明されておらずとも、人の手による被造物である彼女らはどこか不完全。だからこそ、その話題を置き去りにすることしかできなかった。

 

「それより、問題はジジイが掴みそうな情報のことだ。結局わけも分かんねぇまま、最終決戦だとかほざいて死んでいった前の提督が残したもの。俺達にすら教えなかった何かの情報だが……どうやって聞き出す?」

「そうね~、一番いい方法はさっさと伏見のおじーちゃんに正面から聞いて教えてもらうことだけど~」

「あの秘密おジジが簡単に教えるとは思えないクマ」

「ですよね」

 

 球磨を肯定する阿武隈に、一同がはぁと溜息をシンクロさせる。

 

「いっそ私が脅しちゃおっか?」

「……提督さんは、艦娘の攻撃程度じゃ怯みもしないと思う。少なくともあたしはそう思うけど」

 

 龍田の発言に反論したのは阿武隈。

 その時全員が思ったのは、初めて伏見がこちらに来て演説をした時のことだ。那珂の気の迷いから生まれた投石攻撃。あれを受けてなお痛みも感じないかのように続けていた。脂汗の一つも見せはしない。彼女らが今まで出会ってきた人間の常識が通じない相手だというのは分かりきったことなのだから。

 それは電が思考異常から脱し、ある程度雷と話せるようになったあの時の行動でも説明はつく。撃て、と己に向けて言い放つような度胸。そして想像の外にあるような結末。いくら艦娘の思考がある程度セットされたものであるとしても、ああまで彼の理想に近づいた結果に持って行ったのは老人故の積み重ねたものがあるからか。

 そこまで頭蓋の中の記録を再生して、球磨は諦めたように首を横に振った。彼女は思うのだ、あまりにも今の会合が無駄であると。

 

「結局、おジジが話してくれるのを待つしかないクマ。球磨たちがいつもそうだったように、また待つんだクマ」

「……だが、もう時間は2年も無いぜ。あいつはこの一年以内に死ぬために行動してやがる。それだけは、分かる」

 

 自らの目的を成し遂げるために此処に来た。そして、北上と交わしていた会話でも言った言葉は当然天龍たちも聞いていた。「自爆に巻き込むような真似はしない」つまり、それは確実に有効打になる特攻を単独で仕掛けに来たと言うこと。

 近い未来、また「提督」が失われる。この感覚は艦娘たちに理解できない感情を抱かせるには十分だったが、それを引き留めようと行動も起こせなかった。なぜなら、伏見という提督がそう望んでいる以上、艦娘はその行動を止めることは出来ないような思考をせざるを得ないのだから。

 プログラムに従うしか無い。哀れで壊れにくい人のような兵器。救いもなく、あてもなく、ただ稼働し続けることしか無くなった日が来た時。彼女らは、そのプログラムを狂わせ自壊(じさつ)を選ぶのだろうか。それとも……?

 

「何にしても、提督さんが情報を掴まないことには始まらないよね」

「それも、そうだな。取らぬ狸の皮算用なんて、非合理的に過ぎねえ」

「それだけ焦ってるのね~、私たち」

 

 視線を交わして、各々は立ち上がっていった。この会話を聞いていた艦娘たちもまた、耳を澄ませる事をやめてそれぞれの「日常」を再開する。

 あまりにも虚無的な艦娘たちの時間は、こうして流れていく……ようにも見えた。そう、見えただけである。人間よりも遥かに優れた機械の性能を有すは艦娘の標準機構。いつものように、彼女らのその耳は、とある一点にばかり向けられている。

 新たなる提督へと、彼女らも抱えたままの謎を解き明かすかの老公のある場所に。

 

 

 

 

 一方、任務係と二人きりになった伏見は、ある部屋を貸し切りにして海図と報告書を見比べ立っていた。

 

「……次は南のポイント。ここにある残骸だ」

「はい、ここには?」

「この文字か」

 

 記された文字を報告書から読み解く。暗号にしてはお粗末な、ただアルファベットや漢字の頭文字を散らしただけのものだった。これに記された船舶や鋼鉄の残骸には、ある程度の文字が書かれているものばかり。

 意図的に配置したのか、それとも偶然この形になっていたから暗号にしたのか。それは私の知るところではないが、執務室で見つかった紙片のヒントを頼りに文字を組み合わせていくと、海図には自ずと短い一文が浮かび上がってくる。

 まだまだ龍驤が調べていない部分があるため、1つほどの単語が連想される程度のひどい虫食い状態ではあるが……それでも足がかりは取れた。

 

「こんなところか」

 

 蓄えた髭を形に添って撫で下ろす。するりと胸元に落ちた手がどかされて、下の文字が顕になる。 ヶ 戦 応。まだまだ抜け落ちた文字ばかりの、この手間がかかるだけの簡単な暗号に、確実に単語と思わる4つの音の並び。1文字が抜けているが、そこから導き出されるのは――――

 

「深海終戦、それとも深き終戦……か? なんだというのだ、この単語は?」

「……造語でしょうか。大本営のデータベースにもそれらしきものは見当たりません」

「なんにせよ、まずはここの文字を確認しなければな。どのような意図があってこのような言葉を作ったのかは分からんが、前任者は一体何を考えておったのだ。或いは無能を装った……いや、早計か」

 

 不満をぶつけるくらいは許してほしいものだ。とにかく、現状できうる限りのことはした。あとは、ゆったりと情報を集めるばかり。焦る必要はない。人間にとっての1日は短いが、私にとっての一日はとても長いのだ。

 キシリと傷んだ関節にしかめっ面を作ってみれば、単に線と点を繋ぐ作業でしか無かったはずであるのにそれなり以上の時間が経っておったようだ。記憶の中の短針との角度は広く、狭い部屋の中での時間は得るものは多かったか。

 

「――お疲れのようですね」

「歳は取りたくないものだな…この身が動けず、未練を残して死ぬことが恐ろしくもある」

 

 恐ろしい、という単語に反応したのだろうか。任務係は意外そうな顔を向けてくる。まったくもって遺憾であるな、この老耄とて人間であることを忘れてはおらんだろうか。ここは一つ問い詰めておきたいところもあるが、こやつもまた私の死策に乗った同士。わざわざ無益な遣り取りをする必要もあるまいよ。

 

「そういえば、伏見提督」

「なにかね?」

「私の事をお話したことはありませんでしたね。どうですか、この後の予定も詰まっては居ませんし、時間つぶしにでも」

「……いいや、悲劇などはもはや常識だ。進む先は命が潰える未来のみであるのだ。少なくとも他人の不幸話を聞いてやるほど人間は出来ておらん。何より君は、それを聞かせて同情でも貰いたいのかね?」

「そうですね、伏見提督の感情の一端ほどでも頂ければ良かったのですが」

「私ほど分かりやすい人間もおらんだろうよ。隠し事はするが、感情の全てはどこかで吐き出さねば潰れるようなジジイだ。それに、君にはすでに見せたはずだが」

「……そうかもしれませんね」

「よく言う。その中に記録されておるのはわかっているとも」

 

 大淀、にも見える任務係。その名を呼んだことは一度もなく、役職によって彼女の存在と立場は成立している。そして、ただそれだけの存在。何があって任務係と呼ばれるかなど、本部に居た身の上であれば幾らでも推測は立てられる。それでもなお聞かせようとは、こやつも正常ではないと申告してきたようなものではないか。

 ああ、痛むな。心臓が痛む。何より頭が痛い。言葉でからかいおって、艦娘たちの耳を遠ざけたか。どこまでが本心か、どこまでが忠誠か。その矛先はどこなのか。私はあえて聞かんでおくとしよう。それが望みなのであろう?

 

「真実の切れ端を引き延ばすのもこれまでだ。千切れる前に整理しておきたまえ」

「了解しました。後片付けは私と妖精で行いますね」

「うむ、私は少し外に出ておくとしよう。港のボラードあたりにいるのでな、要件があればそこまできたまえ」

 

 立ち上がれば、コキコキと骨が鳴った。少しばかり服に圧迫された肺が痛みを訴え、咳が逃げ場を求めて口を通る。……酷くなっているようにも思えるが、当然のことか。環境は良い、妖精が毎夜私の体へ延命かは知らんが療養していることも知っている。だが、私の選んだ行動全て、老体に無理のある外的要因が付きまとっておるのだから。

 

「お体の方は大事になさったほうがよろしいかと」

「子が思春期を抜けられぬ内にも朽ちる体だ。一日二日と命が伸びたところで意味もあるまい。時間はないが、日はある。ああ、心配の余地も無く全て上手くいくとも……全て」

 

 言い聞かせるように言ってしまえば、それは己の原動力に変わる。任務係の視線は未だに読めぬが、多少は私への心配も含まれているだろう。一言、礼を言って扉に手を掛けた。ひんやりと手袋越しに伝わる感触に、脳裏をよぎったのは未来の姿か。

 

 今日は少しばかり風が強い。潮の香りを多分に含む風は、湿り気と生暖かさが強く、それでいて私の体を冷やしていく。久しく会えていなかったが、雨も近いということか。納得と感情を心の中に留めて、日の光も閉ざされつつある空を見る。雲は薄いが、明日起きた頃には降るだろうか。

 

「おや? 提督殿ではないか」

「どこに行こうと鎮守府は鎮守府。変わらぬか」

「何をたわけたことを言っておるのじゃ。ボケるには早かろう」

 

 唐突に現れたのは駆逐艦・初春。古風な話し方と、その時代に合わせたような高貴を表す紫を基調とした全体像。ひとえに幼子を髣髴とさせる駆逐艦が多い中で異彩を放つ艦娘。

 

「さて、さて。雨も近いからのう。せめて宿舎には戻らぬのかえ? それとも濡れネズミに鳴る趣味があるのならば話は別じゃがな」

「これではどちらが老骨かもわからぬな。どれ、貴艦の提言に乗るとしよう」

「珍しいこともあったものじゃ、ほれ」

 

 何のこともなく差し出された手。座り込む私に対して、立つのは初春。なんとも言えぬが、それにすら乗ってやってもいいと思う気分だった。

 

「手を借りよう」

「借りよ借りよ。近いうちに貴様は返せぬ恩を作りそうじゃからな。それの助けとあらば我が力、どれほど貸そうと惜しむつもりはないわ」

「これは参った」

 

 嗚呼、そうか。あの出撃の時より関わらぬと思えばそういうことであったか。予想外という他に感情はない。しかし可能性としては十分にありえる話だった。何せ、偶然にも最善の方向になったとはいえ初春の目の前で私の手腕は発揮されていたのだ。大破した吹雪に注目する者が多い中で、関わりの浅い私を見続けるものも居てもおかしくはない。

 手を貸してもらい、幾分か楽に立ち上がりながらに思う。何が全て上手くいく、だ。この時点で崩れてしまっておるではないか? 自嘲のあまりにクッと笑みが零れた。それも致し方あるまいよ。

 

「提督殿は好意を向けられる事を禁忌としておるようじゃのう。上手く引き出せたわ」

「してやられた、か。望みは……いや、野暮な事を聞いたか」

「安心せよ。妖精の防音を貼っておる。それに、気づいた艦娘もそれなりにはおるのだろう? 今更ではないか」

「………」

「まぁ、わらわも老婆心ながら忠告をしようと思ったまでじゃ」

 

 忠告? おそらく今の私は額にシワを寄せているのだろう。

 面白がるように初春はつなげる。

 

「比叡殿には注意を払った方がよい。あれは時に手のつかぬ暴走を引き起こす」

「そうか、留めておくとしよう」

 

 比叡。戦艦比叡。金剛を姉と慕い、私の目が映した光景の中ではストッパーのようにも見えていた彼女という存在。だが、この駆逐艦・初春はこの瞬間を以って忠言を入れた。それはつまり、比較的最近になって何やら不穏な空気を纏い始めたということか。

 ならば返すことはたった一つ。もちろん、感謝などではない。兵器であり、作られた人格であり、そして戦う物であるこやつら艦娘が気に入りそうな返答。それは――

 

「暇をつぶすには丁度いい。万事計画通りでは詰まらぬよ」

「―――ふ、あはははははっ!!」

 

 案の定、大笑いしてみせる。初春という艦娘の感情の手綱を取ることは出来なんだが、この小娘の琴線は上手くくすぐってやれたらしい。髭が上唇に当たる感触とともに気づくが、私も笑っているようだった。

 

「だが一筋縄にはいかぬぞ? 提督殿は……なんじゃ? 己を痛みつけるのが趣味であったのか?」

「駆逐艦初春よ、詰まらん人間とは言われるが、私は最も楽しい人生を送っていると自負しておるよ。私の生を賭けた一世一代の大事だ。振りかかる障害も多いほうが偉大だとは思わぬか?」

「違いない! まこと天晴な返答に感服したわ。どれ、龍驤殿や那珂殿、北上殿ばかりが目立つのも面白くない。この初春も存分に使ってもらいたいのう?」

「ふむ」

 

 一瞬目を閉じるが、使えと主張する道具を放り投げるは私の性格に合わん。万事、全てうまくいくか……そうだな。ことの起こりから終わりまで、過程のすべてが想定通りに行くはずもない。何度目かもわからぬが、痛感したとも。

 

「よかろう。では、必要とあらば呼び出す。期待を裏切ってくれるな、駆逐艦初春よ」

「委細承知した。悪を被りて舞う提督殿を見るも一興じゃが、やはり当事者が一番よな」

 

 艦娘に丁度いい距離を置く。それは確かに果たされるだろうな、過去の私よ。だがやはり、こやつらも兵器とはいえ意志を持つ。人とかけ離れたと自覚しながらに、何よりも人に近い謎を抱えたまま動く矛盾の塊。

 距離は置けるだろう。だがそれに該当するのは一部を除いて、という言葉を付け加えねばなるまい。そうだな、全て失った後を考えても仕方のない事であった。ならば私なりに無様に踊り狂えばよいのだ。

 明かされぬ謎も多いが、その時の全てに前進を続けようではないか。

 




情報公開



現存艦娘に確認
・指輪状の外付け回路は艦娘の出力を1.5倍に引き延ばすことが可能。
 当初、ケッコンカッコカリと呼ばれた仕組みの成れの果て。
 リングは循環を表し、自己完結を意味する。
 艦娘は兵器であるがゆえに、子孫を残すことは不可能。
 よって愛という子孫繁栄の象徴は艦娘の機能拡張に適用されない。

 ごく一[検閲済み]の自壊を[検閲済み]出力に関しては[検閲済み]とする


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

乱種

セットアップ完了

起動
起動
起動
起動
起動
譏?蜒城浹螢ー起動
起動
起動

全システムオールグリーン
Princess_model04/C8321 ロット認証
仮想自我のダウンロード開始

エラーが発生しました 直ちに全システムをシャットダウンしてください
直ちに――――

Enabled

――――どこかのシステムログより



 近海で艦娘と戦う事と、遠洋まで遥々赴いた艦娘達と戦う事はまるで違う。軍事系統も、数千年の人間の歴史も、全てが深海より訪れた放火によって焼き落とされたこの世界。近海であれば提督自身が生の情報を得られることでの有利もあるが、遠洋にまで、提督が艦娘の一隻に乗ってついていくわけにもいかない。

 空けた鎮守府を艦娘たちが守ってくれるのか、今まで空っぽだったとして、一度そこに就任しているという事実を前に、住民たちの不安は、様々な要因が絡まるが、一つ言える事がある。提督はおいそれと、鎮守府をほっぽりだしては行けないということだ。

 

 湿り気を帯びた海の風が窓から差し込む。崩れはじめた天気はドロドロと入道雲を引き連れ、その向こうには灰色に染まった雨雲を控えさせていた。強くなってきた風がカーテンを暴れさせる前に、妖精たちが窓を締めた。

 

「戦況は?」

「姫級を残して敵艦は全滅した模様です」

「上々だな」

 

 そうは言いながらも、ものを書く手は止めない。

 時間が忙しなく移ろいゆくのは老いたが故か、姫を含む敵艦が現れてはや一ヶ月。待ちに待った敵艦()()()が待ち受ける艦隊決戦。妖精の示す羅針盤に航路をとり、リンガ泊地に在籍する重巡以下、及び軽空母の主要な艦娘のうち、12隻が出撃中である。とはいえ、この鎮守府に属する軽空母はたったの2隻。

 あまりにも少ないものだ。だが、掛け替えもなければ増えることもないこちらの戦力。大事に、そう、大事にしてやらねばなるまい、と。どの口が言えたことか。すっかり己と他人への憎まれ口が上手くなってしまったらしい。

 

 口元への違和感を、髭を撫ぜる動作にて誤魔化して、任務係が見えぬ方の口元を釣り上げた。しゃがれた声が喉を痛めて、ごほんと咳が飛び出す。それが隠しようもない笑いを覆い隠してくれたが。

 

《司令! 敵艦の航行不能を確認しました!》

「最悪答えられるだけの口があればいい。記憶回路だけは壊さぬようにして連れてきたまえ。尤も、捕虜の抵抗次第では貴艦らの裁量で如何様な破壊も容認するが」

《えげつないのう、提督殿》

《球磨たちと同じ量産品のコイツラにかける慈悲もクソもないクマー。思ってもない事言う暇と手が空いてるなら両足と右手ぶっ飛んだ電の曳航手伝えクマ暇人ども》

「ああ、戦闘終了というわけだな」

《被害状況は駆逐艦の雷、吹雪、雪風が小破みたいだねー。中破までいったのは電だけだよ》

《おじーちゃん、私と龍驤で元ディエゴガルシア基地は爆撃(じょうか)も完了したわ》

「了解した、艦隊帰投せよ」

 

 第二陣を退け、敵の喉的までそのまま食い破って今回の事変は終了したと言えるだろう。尤も、世界に無数に存在する深海棲艦の(皮肉な言葉だが)温床を叩き壊したところで世界情勢にはなんら影響は与えられない。

 それはそれとして、各々個性的な通信を隠しもしなくなってきた艦娘達にも思うことはある。

 

「……艦娘相手にはどうにも、軍のしきたりが通用しづらいものだ」

「仕方がありません。艦娘は、かつての軍艦としての記憶すら保有した霊格を有したもの。社会人になりたての人間よりも、圧倒的な個性が発現し、それはこの長い戦争のなかで変わっていませんから」

「何者にも成れなかった君がそんな事を言うとはな」

「共犯者として選んだのは伏見提督自身かと」

「違いない」

 

 湿気で傷んできた膝をさすり、先程まで暖かな湯気を発していた茶を一気に煽る。沈殿していた茶葉の濃い苦味が舌を蹂躙するのはあまり好きではないが、いつまでも残しておくのももったいない。

 ああ、残るべきはこのような老骨ではない。

 

「龍驤」

《わーっとる、ロクな死に方せぇへんで爺ちゃん》

「くっ」

 

 再び龍驤に通信を入れる。成すべきことはしてくれるだろう。前提督の無能さぶりにも呆れ果てるが、それ以上に謎めいているかの青年。彼が残した謎は、さほど重要な案件ではないにしろ……艦娘たちが最終的に、全員が共犯者程度にはなってくれるためには、前提督が残したものを紐解くこともまた、ここに着任した己の課題であろう。

 作戦は終了し、謎への足がかりが一つ進み、万事快調といったところだろうか。いや、そういうわけにも行くまい。元々上に立っていれば、近くにそうした“気配”がくるだけで、自ずと厄介事かどうかの判断はつく。

 

 こん、こん、

 

「入りたまえ」

 

 静かに、間をおいたノックは嫌に部屋に響き渡った。

 補修したばかりの新品同様な部屋が、再びあの惨状となるかどうかはこれからの対応次第だろう。

 

「任務係、下がれ」

「? かしこまりました、伏見様がそう仰るのでしたら」

「さて、君もいつまで扉の向こうにいるつもりかね、戦艦比叡よ」

「………」

 

 金剛型の戦艦として名を知られる船。もっとも、その轟く名を持つ船は4隻揃っているわけではなく、この鎮守府には2隻しか残存していないのだが。任務係と入れ違いに、無言で立場をわきまえない入場を果たした比叡という艦娘は、おおよそ人のような感情を搭載し、こちらを暗い瞳で突き刺してくる。

 思わず、本部の口だけの連中を思い出す。くっ、と笑いかけた口元を歪ませるにとどめて、かの美しき双眸を濁らせた彼女を出迎えた。

 

「さて、本来なら所定の位置にて艦隊を出迎えるうちの一隻である貴艦が、何故ここにいる? ―――という下らぬ質問も控えよう。話があるのは分かっているとも。この時間は何かと艦娘が押しかけてくるのに丁度いいらしい」

 

 わかりきったことをあえて口にし、歪んだ口元をなるべく邪悪に変えて、手で指し示す。

 

「掛けたまえ。妖精に茶を用意させよう」

「妖精さん、コーヒーをひとつ」

「手厳しいものだ」

 

 提督用のデスクから立ち上がり、ギチギチと異音を立てそうな膝を酷使して、彼女と対面できるソファに移動する。どこからともなく、目に見えぬ妖精が運んできたのであろう、浮遊しているかのように新しい湯呑とコーヒーカップが運ばれ、私達の前に置かれた。

 また風通しのいい部屋になってしまえば、勤務中にはこの老骨には堪える。今回ばかりは穏便にすめばいいが、そうはいくまい。目に見えた未来にはやはり己の寿命を縮めるであろう要素しか見えない。苦笑は嘲笑に変換して表に出すが、それすらも目の前の艦娘には表情一つ変えさせる要因にはなりえないらしい。

 

「貴艦の姉、戦艦金剛か。あやつの前ではああも情緒豊かだったが、それが普段というわけだな」

「………」

「話があるのだろう。それとも、このような枯れ木と茶をしばきにきたのか。いや、枯れ木を刈りに来たのやもしれぬ。どうした、何も言わねば老害の長話ばかりが降りかかる土砂降りに晒されるが」

「………」

「仕方あるまいよ、この時ばかりは貴艦の不敬の全ては撤廃してやろうではないか。そら、今の私は近所のおでん屋の暖簾をくぐった先にいた先客だ。愚痴でもなんでも聞いて――――」

「消えてください」

 

 底冷えするような、いや、実際に肝も心臓と共に凍りつきそうな遠当てだ。艦娘が霊的な部分も有す故か、呪詛と殺意が練り込まれた言霊はいともたやすく老骨の息を止めてみせた。息だけではない、生命活動を一時的に阻害したというべきか。

 

 声にならない苦しみが咳となって溢れる。老いて腐る運命を待つ喉の中が、激しく咳き込んだ空気に擦れてさらなる痛みを生み出した。茶を飲んでいなかったのが幸いか、そのまま気管を防いで窒息とはいかなかったが。

 しかし冷静な頭とは裏腹に、体は死期を早められたがゆえか自由がきかん。比叡の前で咳き込み、倒れかける老人の姿はさぞや滑稽であることだろう。

 

「死にませんか」

「ごほッ、ごふっ……ぉ”………は、っぐ」

 

 二度目の言霊だ。だが、かえって冷静さを取り戻せた。

 止まってしまうであろう衝撃がもう一度くると身構えていれば、なんとか持ち直せるものだ。いや、これが火事場の馬鹿力といったところか。一言目から発せられている圧迫感が収まることは無かったが、第二波のおかげで大分楽になった。

 

 しかし、比叡の恐ろしさとはこういうことか。初春の忠告から覚悟していたが、それすらも押しつぶすほどとは。身にしみて理解したという経験はそう何度もあるものではないが、今回のこれは正にその言葉通りの状況だろう。

 

「ご、ぉ……っっさ、てだ」

「………チッ」

「消えろというが、貴艦ら艦娘だけでこの鎮守府は成り立つということか? もしそうだというのなら」

 

 あからさまに眉をひそめて見せた比叡。上官に対する態度というよりは、今は亡き妻が台所に出た害虫へ向ける視線と同じようにも見える。正反対だ、と感じられる。瞳だけではその人物を伺い知ることは到底できないのか、その表情にはあの金剛の前でしていた情緒豊かな様子はもはや見受けられん。

 

「私達はもう足掻く意味すらありません。あなたが来たところで、お姉さまの心をざわつかせるだけ。そして酷い失望とともに朽ち果てるだけです。私達は、いえ、お姉さまと私は、甘く腐り落ちる現実の中に生きてきました。ですから苦味を帯びた夢など、必要ありません。あなたは、必要ありません」

「酷いものではないか。かつて前線の華と歌われた戦艦比叡が末席も、この終わりの時代では熟れ過ぎた果実といったところだ」

「言葉遊びを、しにきたのではありません。これは命令です」

 

 もう一度、“き”の字を形作る彼女の口が、おもむろに閉じられた。困惑した表情の比叡を見る限り、あやつ自身の意思ではないらしい。はて、どうしたことかと悩みかけ、すぐさま思い至る。いるではないか、この鎮守府に、私には見えない小人たちが。

 

「妖精、か。よもや妖精に自制を促されるとは、なぜそこまで腐ったのかね」

 

 痛めてしまった気管には触れられずとも、近しい胸元をさすりながら問う。比叡は忌々しげに目の端を一瞬ゆがめ、口元から何かを引き剥がして右手を大きく上に掲げると、そのまま勢いよく振り下ろし―――

 

 ピタリ、と止まった。

 

「………強制シャットダウン、か。まさか実在しておるとはな」

「流石に見てられないわヨ。妹のこんな姿」

 

 透き通ったような声の持ち主が、音もなく部屋に入ってくる。噂には聞いていたが、こんな機能を扱えるのはこの鎮守府では一隻しか該当しない。ほんの数分前よりも大分青くなってしまった顔を上げると、戦艦金剛が哀しみと、少しばかりの慈しみを込めた視線で目を開いたまま、手を振り上げた姿のまま静止してしまった比叡を見下ろしていた。

 

 戦争が続き、艦娘の機能が解明されてきたころ、提督が持つ権限として標準搭載される、はずだった機能。人にみえる彼女ら艦娘への倫理的で、御大層な理由から、長く実装されることもなく、闇に消えていったはずのそれが、この鎮守府ではまだ生きていたらしい。提督ではなく姉妹艦にその権限があるというのは、なんとも皮肉なものではあるが。

 

「この子、私の提督がいたころからこうなのよネ。製造時の霊格が不安定で、よくよく力と魂が漏れだしちゃうんデース。だから妖精さんが見つけたこの機能を、私だけになってからはつけざるをえなかったのよネ」

「そうか」

「……やっぱり、酷いネ。同情してほしいわけじゃないけどサ、ミスター」

「同情か。何十年前に意味をなくした単語だったか」

「私の提督とは大違い、だからミスターのこと大っ嫌いなんだよネ」

「その割には、以前のように激昂して突っかかって来るわけではないのだな、戦艦金剛」

「ぅ」

 

 バツわるそうに視線をそむけるが、やはり以前の気概が感じられない。金剛に如何なる心境の変化があったのか、そして今回の配置に関して不満はないのか。探照灯の光だろうか、明るくなった窓の外にちらりと視線を移す。艦隊が帰投するまではまだ日がある。ただの巡回の艦娘だろう。

 

「ミスター、比叡になにかしようとしましたカ?」

「危害を加えられたのはこちらではないか?」

「ミスターはつまらないジョークが流行り? 質問をごまかさないでほしいネー」

「ふむ」

 

 推し量るように、視線を鋭くしてくる金剛は停止させた比叡を再起動させたのか。いつの間にか彼女にもたれかかるような姿勢になってリブート状態に入った妹を、守るように強く抱き寄せた。

 人よりも、およそ人らしい光景だ。本土の凄惨な姿を思い出し、機械人形と人間の皮肉が遠い記憶の中で情報をかき混ぜていく。どうにも、思考をそらす悪い癖が出ている。だがまぁ、ここは正直に答えておいたほうが無難か。擦る胸から手を離し、ゆっくりと立ち上がった。ビクリと体を強張らせる金剛が、警戒を引き上げるのも見て取れる。

 

「何のことはない。提督として、戦艦比叡には思うところがあった。先程見せた醜態もそうだが、艦隊としては常に万全を期さねば深海棲艦に打ち勝つことなど到底不可能だ。艦娘は兵器でありながら、搭載された人格面においても規定の人格から大きく逸脱することがあるようであれば修正をかけるのも提督の仕事。なんせ、規定の人格ということはそれが製造された時から、最も安定した状態ということだ」

「話がながいのはアナタの特権? 言い換えれば、メンタルケアをしたかったっていいたいわけデース?」

「そうだ、と言えば貴艦は満足かね」

「……本当に不和とカオスを持ち込んでるのはミスター伏見、アナタじゃないんですカ?」

 

 比叡を支える金剛の手元、比叡の服の皺が深くなる。

 私はにたり、と笑ってやった。

 

「そうだとも。いつでも風は変化をもたらすものだ」

「ッ、やっぱりミスター! あなたなんて大っ嫌いデス!!!」

 

 バンッ、と扉を開け放って比叡と共に向こう側へと居なくなる金剛。着任当初、殴り込んできたときを思い出す光景だった。しかし、今回のことで比叡と金剛を取り巻く状況の断片をしれたのは大きな収穫といえるだろう。比叡に関しては、彼女が来ると完全に予想していわけではないが、この瞬間を利用して艦娘の誰かが直談判を掛けてくることは想定していた。

 そして、おそらく電よりも通常の状態から逸脱した比叡。所詮は一人の人間でしかない私には収まりがつかなくなって来たところに、金剛が飛び込んできたのは嬉しい想定外の出来事であった。嫌うであろうのらりくらりとした態度は、データ通りの感情の振れ幅を見せてくれた。そして、幾ばくかの情報も。

 

 嫌い、嫌われ、利用し、利用され、その果てに私の目的は、人類の勝利はあるのだろうか。いや、勝利などではない。せいぜいが世界規模の嫌がらせといったところか。すでにこの星の支配権は、敵側に傾いているも同然なのだから。

 

《ご無事ですか、提督》

「任務係か、ああいや、無事だとも」

《こちらで計測したところ、どうにも無事とは言い難い身体状態なのですが。もう一度検査いたしましょうか》

「不要だ。己の死期まで口が動くならそれでいい」

《……少し、伏見様と手を組んだことを後悔しました》

「今更だろう。誰も、後には引けんよ。私も、君も、艦娘たちも。……深海棲艦共も」

 

 ぶつりと切れた個人通信のスイッチを切って、どさりとソファに身を預ける。艦娘ひとりと対面するだけでこれだ。体が若ければ、まだマシだっただろう。だが老いた経験がなければ、あの瞬間無様に比叡の前で躯を晒したか、煙に巻くことも出来ないままで終わっていた。

 何が悪かったのか、何が良かったのか。この結果にその二択だけでは答えられないだろう。ただ言えるのは、どちらでもなく、その間をほんの一寸だけ縮められたということ。目に見えない壁の姿を、突起を、道を見据えることが出来た。

 

「夜か」

 

 あとは任務係があとはやってくれるだろう。

 席を立ち、領域内放送に呼びかける。

 

《艦隊の帰投を確認次第、通常警戒体制へ移行。帰投した艦隊は補給と入渠の後、指示があるまでは予定に記されたとおりだ》

 

 当然司令室に誰の返事があるはずもなく、しかし何かを言いかけたものは居たのか、波をかき分ける音ばかりが届く。それも数秒もすれば収まり、静かな鎮守府は赤い光をチカチカと宵闇に語りかけるだけとなった。

 

 

 

 

 

 帰投した艦隊の損傷具合は軽微なものだった。艦娘と同時にもたらされたシステムが修復するのもほんの一瞬で、各々の艦娘は次なる指示を待ち、寮舎の私室や鎮守府での日常、または自主的な訓練を行っているようだ。訓練と言えば、結局の所天龍の剣技についてはほとんど身になる事を教えてやれなかった。せいぜいが正しい握り方くらいか。すでにほぼ完成された艦娘に余計な何かを付与することが、逆に戦果を下げたという報告も少なくはない。一般人あがりの提督からの報告書によく見受けられる文章だったか。

 それはまぁいい。本題は、目の前のガラスケース越しに存在する存在だ。

 

「――ッ―――、―ッ」

「これが姫……通称、飛行場姫か」

「報告によれば、胸元から上しか残さなかったのは駆逐艦雪風の判断とのことです。再生しかけた箇所はコード、内部骨格の先を放火の熱量で溶かして固定。破壊後の提案は軽巡洋艦、那珂の提案だとか」

「なるほどな……それで、ダルマよりと違って起き上がることもないというわけだな」

 

 胸元から上しか存在しない、白肌の人の姿を模した敵兵器。姫、という名前を冠してはいるものの、大量生産された深海棲艦と違ってコストがかかるだけの驚異を秘めており、戦争当時は猛威を振るった名札付きのビッグネーム、だった敵艦だ。今となっては、確立された正しい対処法によって無力化さえ可能な時代遅れに落とし込められているわけではあるが。

 

 しかし深海棲艦という名に違わず、私の姿を……人間の姿を視認した途端、凶暴性は一気に増した。もはや首以外は可動箇所もなく拘束は破れないはずのそれは、常軌を逸した暴れようで拘束具を軋ませる。破壊の衝撃でこぼれ出たカメラ部分がレンズを失いながらも、視神経のように伸びたコードがぶらぶらと揺れている。その反対に収まった目は、かの比叡を彷彿とさせる機械人形らしくない怨念の込められた視線で刺殺さんばかりである。

 

「それで、任務係。情報の解析はできたのか」

「伏見提督の持ち込んだデータとほぼ同じですね。重要度の低そうなデータが差異を示していますが……ただ、気になる点が一つ。こちらを」

「これは?」

「この個体がもつ映像記録です。さすが、敵艦は使っている機材の質が違いますね」

「こういう時、ヤケに饒舌だな君は」

 

 どれどれ、と覗き込んで見ればこの姫級個体が製造された直後の映像らしい。彼女がキーをタップすることで再生されたそこは、深海棲艦共の温床の光景であった。敵が人間ではないためか、こうした映像が残されているのは珍しいことではない。ある意味で、このような超級の個体すらも使い捨てにするのが敵の物量という実力なのだから。

 さて、動いた映像には確かに、気になる点が一つ。私ですら嫌という程注目せざるを得ない存在感を放っていた。

 

「人影、それも」

「深海棲艦は艦娘と同じく、人間の女性を模した形状の偽装形態、もしくは小型化した船の怪物霊のような偽装形態でロールアウトされます。ですので、本当ならこんな人が映るのはおかしいんですよ」

「成人男性、それも軍服か。さて、敵基地を破壊した龍驤たちからそれらしい報告は無かったのだがな」

「これも、伏見提督。貴方の言う目的の一つでしょうか」

「半信半疑ながらも、得た情報の一つではある。拡大はできるか」

「やってみましょう。少々お待ちを」

 

 カタカタと任務係が動画から画像を抜き出し、拡大しては解像度を上げていくを繰り返す。視界の端に写っている程度のその人影を引き伸ばすことで相当画質が荒くはなったが、細部が見える程度にはなった。

 

「……これは、偶然か?」

「どうでしょうか、距離的にも、沈んだという記録的にも、違和感はありませんが」

「しかしこれが事実だとすると、何ということだ。奴らの背後に人間がいたからとして驚くつもりはなかったが、いやしかし、これは困ったな。私の目的が遠のきそうだとは言え……公開しない、というわけにもいくまい」

「そういう誠実なところはいいのですが」

「構わんよ、どうせこの会話も奴らに聞かれている頃だ。ああ、ソレはもう処分して構わん」

「では、そのように」

 

 任務係が押したボタン一つで、完全に機能停止した飛行場姫という個体を見ながらに思う。聞こうとしているというよりも、奴らにとっては目の前で雑談をされているのと変わらんという程度だろう。艦娘の能力は人間の数十倍にも匹敵する。元々が機械的に優れた肉体を持ち、それが霊的な力によって更に助長された状態だ。

 艦娘。今の彼女らにとって、私は敵に近しい。私にとって、彼女らは味方に近い中立の立場だ。もはや味方であるはずの彼女らが敵に回らぬよう上手く立ち回るしかなく、それでいて核心的な言葉を決して表には出してはならない。

 何かを企んでいるということを承知の上で、信頼関係とまではいかないものの、協力を扇がなくてはならない。遠い、遠すぎる道程だ。だが、成さねばならない。この身を突き動かす自らの心に従って。

 

「他に特筆すべき事は」

「特には。もしかしたら、これは伏見提督へのメッセージという可能性もありますね」

「私はヤツのことを深くは知らないが、向こうは私のことをある程度掌握しているというわけだ。これが正しく戦争の情報戦なら今頃この鎮守府は壊滅している頃であろうよ。しかし」

 

 映像を抜き出し、現像した画像を見る。

 額に力がこもる。

 

「行動も、人となりも、謎ばかりだな」

「私としては、敵であったほうがありがたいのですが」

 

 およそ無感情に任務係は言ってのける。出来損ないとしてこの世に再誕した彼女であるが、それゆえに己の職務と自我に関してはクセが強い。そしてココ最近で、普段の調子を取り戻してきたのだろうか。まぁ、当然だろう。なんせ元いた場所と違い、ここは類似品であるとはいえ、艦娘が多く在籍する鎮守府。そして任務係もすでにある程度の交流はしているらしい。

 変化は悪いことばかりではない。悪影響への切っ掛けさえ無ければ。だからこそ、このまま真っ当に、後の世を満喫できる世界を夢見ざるを得ない。飛び立つツバサも抜け落ち、枯れ木を踏むだけで転びそうな老体には過ぎた願いだが、このような願いを抱く程度には覚悟をしてきているのだ。

 

「時間もいいだろう。任務係、このまま全艦へ招集を」

「かしこまりました」

「今度は小石の一つで済めばいいが、さて」

「楽しんでおられませんか?」

「まさか」

 

 馬鹿なことをいう任務係に、笑いかける。

 

「私は、己を賭けてここに居るのだぞ。それ一つで楽しむわけがなかろう」

 

 彼女の返答を待たず、扉をしめて歩き始めた。思い思いの時間を満喫しているであろう艦娘たちの自由時間を奪うのは忍びない? が、それでも今回発見された真実は溜め込まず、この場で公表すべきことだ。この終わりの世において、隠匿と誤魔化しは全て破滅に向かう要因。

 真の目的を隠し続ける私は間違いなく破滅するだろう。だが、その前にこの鎮守府が……リンガ島の住人たちが破滅を迎えるのはよろしくない。彼らは終戦の世を生きなければならない証人達にならなければ。

 

 軋む音も、すっかりとなくなってしまった廊下は、やはり私の目には見えない妖精たちが運ぶ荷物が、忙しなく足元を通り過ぎていく。当初に比べ、出撃や補給を繰り返すうちに妖精の数も大分増えてきた。此度の姫迎撃においても、破壊した敵船から救助したらしい妖精が増え、廃墟に踏み込みかけていた鎮守府も、世界有数の汚れなき建造物の仲間入りを果たした。その姿は、どこか中身以外は小奇麗に見える本部を思い出す。

 

「転機か、道半ばか。できれば後者は勘弁願いたいものだが」

 

 到着した。最初に演説を行った場所とはまた違う、会議室の端の席にギシギシと訴えを続ける腰をどうにか収めた。普段よりも深く、低い椅子に座るだけでも相当な負担となって体を蝕んでいる。あの比叡から受けた、金剛曰く魂を削って行われた言霊は、一種の呪いのように体を急速に破壊していた。

 任務係や、初春などの協力者の提言もあり、妖精と共にいくらかは払ってくれたが、すでに失われた物を取り戻すことは出来ないと言われたのだったか。寿命はともかく、体はすぐにでも使い物にならなくなるだろう。

 そこで、足音に気づいた。ヒールのような形をした艤装等が多いのか、カツカツと尖った音がよく耳に響く。静かながらも、両開きになった扉からはずらずらと十数人の艦娘たちが流れ込んでくる。

 

「さて……突然の招集だが、これだけの人数が集まったことに感謝する」

 

 ここに集まった艦娘は、幸いながら姉妹艦や小さな交友関係のなかでもリーダー格に匹敵する艦は全て視認できた。戦艦からは伊勢、金剛、陸奥。重巡洋艦には青葉、高雄、摩耶、足柄、そして改修されている最上。潜水艦は伊168だけが。正規空母にはリーダー核としてあろうとする赤城。軽巡洋艦組からは那珂、天龍、球磨。駆逐艦は雪風と電、吹雪に初春、そして意外なことに望月か。

 何人かは意外な艦娘も赴いているが、話を聞かせるにこれほど適した組み合わせもない。これなら、先程の情報を受け渡すのも苦労はしなさそうだった。

 

「これはこの鎮守府内にいる全艦娘に通達してもらいたい。まずはこちらの資料画像を見てほしい。前置きではあるが、この上なく分かりやすい理由だと思う」

 

 そうして、リモコンの入力切替から、PCと繋いだコンポーネントの出力から送られる画面に切り替える。動画を流し始めてほんの30秒。そこにいた全艦娘が、何らかの形で驚愕を顕にする。

 そうだろう。私も先程は、驚いたものだ。

 

「見て分かる通り、今回のディエゴガルシア基地殲滅作戦において、敵艦側に新たなる驚異とも取れる存在が浮上してきた。貴艦らは、おそらくこの私よりも遥かに知っている人物であることだろう」

「こ、こんなことが、ありえるノ!?」

 

 映像だけでも衝撃的だっただろう彼女は、伏見の言葉にとうとう耐えられなくなったらしい。机を壊さない程度ながらも勢いよく叩きつけ、伏見を威嚇するように睨みつける。それでも威風堂々とした、眉毛一つ動かさないだろう姿は流石というべきか。

 

「ミスター、あなたがでっち上げた映像だとしたら私はもう容赦なんてできまセ―――」

「金剛、分かってるでしょ。人間と違って私達は艦娘で、少なくとも、この映像データだけは本物に違いないって脳回路の底では結論が出ているはず」

「陸奥さんの言う通り、この動画は間違いなく真実ですね。これから新しい提督がどういうのか、少しばかり様子を見ましょう。あなたの癇癪に付き合っている暇はないから」

「千歳、そういうあんたも不和を生みそうな発言クマ。それに、おジジがなんか話そうとしてるクマ。遮ると邪魔だから黙るクマ」

「はいはーい」

「……では、そんなよく知る彼についての話をしようではないか」

 

 ウォッホン、と小さく喉を鳴らした伏見は、用意していたもう一つのデータ、つまりは切り取り、拡大したほうの画像を、先程流した動画のあったスクリーンに投影する。最初は半信半疑だった艦娘たちも、ようやく気づいたのだろう。忘れられるはずのない提督と、艦娘との間に存在した厚い絆。連想されることで思い返される記憶。無関心を装っていた組も、その認識に至るのにそう時間を有することもなかった。

 

「君たちのよく知る彼からの、いわば挑戦状といったところだろうか。どうにも、こちらのためにそれらしい情報を得た深海棲艦を差し向けるのはヒントのように思えてならない、とな」

 

 続けて語った提督の話に、反応するものはそう居なかった。

 周りを見渡した伏見は続ける。

 

「そこでだ。彼を一度連れ戻してやれ。こちらとしても知りたいことが多い。貴艦らも知りたいのであろう? この男が何故滅びたのか、この男は一体どこから来たのか。その真実は、今こうして炙り出せる状況下にある」

「つまり、伏見のおじいさん。貴方はこういうわけですね」

 

 今まで喋っていなかった電が、やはり暗い闇を宿した瞳で私を見据える。

 

「前、いえ……私達の司令官さんを捕らえよ、と」

 

 ニィ、と口元を釣り上げる。

 

「そうだ。この戦争を集結させる鍵の一つ程度にはなるだろう」

「聞いていましたが、確かに我々が内部分裂しそうな話ではありますね。……ですが、いいでしょう。伏見提督。空母・赤城は貴方の提案に賛成します」

「赤城さん!?」

 

 ガタッ、と立ち上がったのは電だ。私以外を相手にするときは、真っ当な反応を返すらしい。しかし“いいだろう”、とは随分と上から目線なことだ。赤城という艦娘はどうやらこちらを警戒ではなく見下していたらしい。恐らく空白期における仮の指揮系統として一度舞い上がったプライドか。果たしてどうなることか。

 

 艦娘の反応を伏見が見ていれば、少し間をおいて再び手が上がった。北上が、緊張感のない表情で背もたれに体重を預けている。

 

「あたしもさんせーい。ま、結局色々とわかんなかった前のテートクのこと気になってたし? 深海棲艦からのスパイだってなんだっていいよ」

「それじゃ、私も賛成しておこうかしら」

「……賛成、デース」

「もちろん雪風も司令に従います!」

 

 これをどのような機会と捉えたか、次々に上がる賛成の言葉。無垢なるもの、腹に黒い何かを抱えたもの、考えを放棄しているもの、元々となる性格からおおよそ検討はつくが、反対意見はそのまま飲み込まれるようにして消えていった。

 

「さて、反対意見だった諸君。何か言いたいことはあるかね?」

 

 まるっきり悪役だなと、心の底では大笑いしながら実にいやらしい口調で言ってのける。反応は、やはり思った通りのものだ。反対意見を貫こうとしていた電や、意外にも反対側に回った那珂など。数人はバツがわるそうに視線を彷徨わせるばかりで、この鎮守府お得意の提督を困らせる発言はついに上がることもなかった。

 

「それでは改めて通達しよう」

 

 立ち上がり、太刀に体重を預けながらなんとか姿勢を正す。

 

「今後しばらくは通常通り深海棲艦の殲滅をしながら、君たちの前提督の捜索のため数回に渡って大規模遠征を実施する。遠征のメンバーは以前と同じく二日後の朝掲示板に掲載する。遠征目標、及び航路は続報を待て。今回の会議は以上だ。質問は?」

「はい、てーとく」

「駆逐艦・望月か。なにかね」

「ぶっちゃけさ、勝つ意味なくない? なんでこんなことすんの?」

「……さてな。君たちは兵器だ。従っていればよろしい」

「うっわ、そういう返答だけ前の提督と似てるとこあるわぁ。とりあえず権力には逆らえないって分けだね。オーケーオーケー」

「他に質問はないのだな? ……ならば、解散とする」

 

 ケラケラと笑う望月も、やはり腹の底までは見通せない。空白のためか、厄介な艦娘が多いものだと喘息する。もちろん表にはそんな様子は微塵も出さないが。会議室を後にする艦娘たちはそのままこちらに会釈の一つもしていかないが、あの時反対に回った那珂だけは、こちらに一度だけ視線を投げてきた。

 

 ままならぬばかりではなく、前進は確実にしているらしい。昼も中頃だが、今日は、それをしみじみと感じられる一日だったと言える。先に必ずや起こる波乱を乗り越え、降ろし切ることは果たして出来るのであろうか?

 そんな、心の奥底に芽生えた小さな不安の芽も、やはり老いぼれの乾いた土壌では育つこともないようだ。一度決めてしまった意思と心だけが、走り出すのを感じられた。

 




情報公開

現状、リンガ泊地に現存する全三六隻の艦娘達は
前提督の顔と名前を記憶から抹消されている。

全ての思い出は存在するが、その矛盾と違和感を覚える艦娘は存在しない





[データ削除済み]
緊急入電―――基地崩壊 それにより―――の被害がもたらされ―――の機能が喪失
本土の(強制終了)


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。