独特の塩味が肌を燻す。
強い日射しと相まって少し痛い。
広がる空と海,そして巨大な木製の船が縦にゆれる。
流れるモノとヒトとアイルーを見ると,自身の居場所が疑わしくなってくる。
時間と場所は何度も確認した。荷物も業者さんが持って行くところをこの目で確認した。
あと他に必要なものは身に付けている......はず。
(装備のメンテナンスがしたい......)
誰が持っても身の丈に合わない”本”をぶら下げているおかげで,やりたいことができないそのもどかしさについ体が動いてしまう。
___不測の事態に不備が起こるのだけは
___今日に備えて何度もやったことだし
___でも,でもこれが最後の確認だから
ここに来てからずっとこの調子だ。もしかすると,本の存在を理由にメンテナンスをしていないからこうなのかもしれない。
確認すれば少しばかり表情が晴れそうだ。
(不安は晴れないけど)
せめて周りに心配をかけないように振る舞うくらいの余裕は欲しい。
「(๑╹ω╹๑ )ニャッ」
服をついっと引っ張られそちらに体を向けると,手のひらを上にし,片方だけでなく両方の手をこちらに差し出したアイルーがこちらを見ている。
(あー,可愛い。じゃなくて,握手?は片手だから......いや両手でも?)
冴えない考えを羅列していると,アイルーが私の本を少し持ち上げ,首を傾げる。
『語るまでもないでしょ?』と問いかけているようだった。
どうやら本を持っていてくれるらしい。
「!!
ありがとうございます!」
ではお願いしますね〜,と親切なアイルーに本を預ける。
(不安はもう,ないんだけど)
不安はただの寂しさだったようだ。
メンテナンスをササっと終わらせ,この親切なアイルーとおしゃべりしようと心に決める。
___このままでいいけど油を挿した方が
___少し霞んでるから研磨しようかな
___スコープは1.2倍から2倍......3倍の方が
《視点:親切なアイルー》
『手伝うよ』と首を傾げると,お礼の言葉と共に大きな本がボクに渡される。
(伝わったみたいでよかったニャ)
お姉さんがすぐに小物をじっくり見たり,叩いて鳴らしたりし始める。
油を挿したり,磨いたり......
(......)
ハンターさん達とは違う,繊細な手入れについ見入る。
ボクと話していた時は柔らかかったお姉さんの雰囲気が,今は息を呑むような雰囲気だ。
(無表情なのに,楽しそうニャ)
そのためか,ピリピリとした空気ではない。
自然な空気。それでいて厳か。
いつか見た渓流を彷彿とさせる。
本を抱く手に力が入る。
そしてまた,見ることに集中する。
《》
思っていた以上に時間がかかってしまった。優秀なハンターが狩に出ていれば大型モンスターを2体程討伐していただろう。
「(`・ω・´)ニャッ」
「あぁ!ありがとうございました!」
少しだけこの親切なアイルーさんのことを忘れてしまっていた。
(......そうだ!!)
船の方を急いで見る。まだ荷物は運び終えていないようだ。
「時間,ありますか?」
「(*≧∀≦*)ニャッ‼︎」
それから時間の許す限り親切なアイルーさんとおしゃべりを続けた。
「......ってことがあったのニャ!
だからイァンクックにだけは気をつけるニャっ!」
「そうなんですね!ふむふむ......」
本に情報を書き込む。まさかあの大型鳥竜種にそんなことができるとは......
こちらも何か話そうと思い,本をめくって話のネタを探す。
「あぁそうだ!この話は知ってますか?
クルペッコというモンスターの素材で作った笛があるんですけど,
試験的に作られた笛はなんと大型モンスターを呼び寄せちゃうような代物で」
〈ブオォォォォォォォォォ!!!〉
言い終える前に低い角笛の音が響き渡る。
どうやらすべての荷物が積まれたようだ。
(角笛が鳴るなら事前に言ってくれればいいのに)
あれだけあわあわしてた自分がひどく滑稽に思えた。
しかし,それでもこの親切なアイルーさんと巡り会えたことを思うと頬が自然な状態になる。
「時間みたいですね。」
「(´・ω・`)」
ハンターさんの所に戻らなければならないようだ。
(また船で会えると思うんだけど)
随分となつかれたようだ。
「では,また!」
「(*`・ω・)ゞニャッ」
親切なアイルーさんが遠くへ走り出す。
(......)
私も随分と気に入っていたようだ。正直,すごく寂しい。
親切なアイルーさんがこちらへ振り返り,両手を体いっぱいに振る。
こちらもニコっと笑い,片手で本を掲げ,もう片方の手で小さく手を振る。
(おしゃべり楽しかったよ!!ありがとう!)
伝わったかは分からない......いや伝わっただろう。
親切なアイルーさんはまた走り出した。
私も行かなければ。船へ体を向け,そっと歩き出す。
ふと,足を止める。
まだ私は浮き足立っているようだ。
目を閉じ,集中する。
なぜ私はここに来たのか。
新大陸を目指すため。
なぜ目指すのか。なぜそれが新大陸なのか。
それは......じーじが出来なかったことをして,その話を聞かせるため。
私にたくさんのことを教えてくれたじーじに,それ以上にたくさんのことを今度は私が教えてあげるんだ。
そしてゆっくりと振り返る。
今までのことを___
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1話「かわいい孫娘」
アオアシラ :青い体毛の熊。魚やハチミツを食べる。
一角竜 :イッカクのように,鋭い角が1本ある大型モンスター。
ポポノタン :ポポという動物のタン(舌)。
ホワイトレバー:文字の通り,白い肝臓。
《視点:ある少女の祖父》
「♪」
隣で上機嫌な孫娘が不規則に歩き,リズムを奏でる。
「......」
それを横目に見た自分は,2つの意味で内心ため息をつく。
1つは幸せ。もう1つは危惧。
自分がついているとは言え,自然の中へこんなにも小さな子どもを連れてきてしまって良かったのか。
ダメに決まっている。しかし___
ー昨夜ー
「じーじじーじっ,あしたもおでかけー?」
「おぅともさ!
じぃちゃんな,明日は蜂の巣ごと取ってくるからな!おおきいぞぉ〜」
屈んで目線を合わせながら,期待させるように言う。
「ほんとー!?どんくらい?ねぇねぇどんくらい?
こんくらいかな?」
真剣な顔つき。両手で大きさを表現している。
その年で自分で考えようとするとは,やはりうちの孫娘は天才だ。センスもある。
しかし孫娘よ,その大きさは
「きのう食べたポポノタンがそんなにうまかったのか!」
「?
......‼︎ホントだ......」
自身の行動に驚いているようだ。気付けただけでもハナマルあげちゃうぞ!
愛しくなればなるほど息子と張り合いたくなる。
息子よ,狩の腕は親父を超えたことにしていいぞ。武器はハンターボウI,さらには寝巻き姿でアオアシラに挑み5分と経たずにボコボコにされたことは親心で黙ってやる。孫には言うがな。
しかしポポノタンとはなかなかの選択じゃないか。だが面白さが足りない!!
「よぉし!今度はじぃちゃんがホワイトレバーを持ってきてやろう。
ぜっったいに驚くぞ!なんでかは自分で考えなさい」
「むっ」
お決まりの『なんでー?』が言えなくて少し機嫌を損ねたようだ。
よしよし,我ながら上手く話を逸らせたな。今日は調子がいいぞ!
明日の話題は完璧に忘れたみたいだ。
「いらない。」
「......」
!?
どういうことだ!?
なんだ?どうした?
何がいらないんだ?
じぃちゃんか?じぃちゃんは用無しか?嫌か?
パパのほうがいいか?じぃちゃんそれはイヤだ!
あ,ホワイトレバーか?いらないの?
なんでー?おちつけー?
「レバーはいいから,あしたじーじとハチミツとりたい」
「......」
あぁ,孫娘よ。じぃちゃん嬉しくてポックリしそうだよ。
『じーじと』ってもう......!!!
しかしなぁ,大型モンスターはなんとかなるが小型モンスターに囲まれるとなあ。
モドリ玉を使えばいいのだが,それが無いときに自身の力で生き延びる術を身につけて欲しい気持ちが。
先にモドリ玉を教えると,息子のように後々痛い目に合うだろうから止めよ。
息子はいいが孫はいかんっ!
「......」
我が孫娘はきゅっと口を結んでこちらの様子をうかがっている。
モンスターと睨み合う時の緊張感を感じる。
い,いかんッ!早く決断せねばッ!!
『ハチミツとりたい』......か。巣を取りたいとは言わなんだ。
たまたまか?それともハチミツの方がつまみやすいからか?
「やっぱり......ジャマ......?」
じゃ,邪魔ってそんな一角竜並に尖った言い方はしないが......
「アタシね,自分で確かめたい!
本当にあんなにおおきなお肉が舌べろなの?
本当にあのイチゴは砂漠で生きてるの?
絵本にも,じーじのハンターノートにもそう書いてあるけど......けどっ‼︎」
納得がいかないらしい。
前から行きたそうにはしていたが,てっきり
これも血筋か?いや,この年の子が持つ探究心は計り知れない。
どちらにせよ,教え込むにはちょうどいい時期か。
「わかった。」
「ぇ?」
一度立ち上がり,息を吐いてから屈みなおす。
「今度はじぃちゃんからの頼みだ」
不安と期待の入り混じった瞳を,まっすぐな視線で射抜く。
「自然に入ったら常に考えろ」
「見たものと己を信じて,直感で判断しろ」
「決断と行動は同時にやれ」
「自然界の
首を小さく縦に振りながら,硬い表情をさらにしかめる。
多い且つ難しいか。だが印象に残ったものだけを頑張ればいいさ。
じぃちゃんの孫だ。できるできる。
「今からいうことだけは守れッ」
「!!?」
少し力が入ったためか,瞳孔が小さくなった顔が見える。
「死のうとだけはするな」
己が鳴らした残酷な言葉に胸が痛む。
ドンっドンっと脈打つ体は,今まで腐らせていた機能を蘇らせているようだ。
死なない大人にしてやる。
それまでは,おまえのじーじがおまえを必ず助ける。
「しなないよ?」
「なら,お互い誓い合おう。
じぃちゃんは死のうとしない。」
「しのうとしない」
「それは誰が誓ってるのかわからんな」
「?』
「
口を一文字にする孫。微かな沈黙を迎えると,彼女の口の力が抜ける。
言葉の意味に気付いたらしい。賢い子だ。
「ぁ......ぁ......
アタシは,アタシは......」
不安にゆれる瞳を,変わらずまっすぐな視線で見つめる。
「誓えるよ.....
アタシは,死のうとしない。」
「「ふぅ......」」お互い重なるため息に,今度はばらばらに笑う。
「でも」
何とはなしに無言でその場に座る。今日は月も無言を選んでいる。
少女は立ったまま何も言わない。
左手で隣の地面の小石をしゃらららと払う。
そこに賢い少女はゆっくりと音もなく座った。
俯いていて,表情は見えない。
「フルベビ漬け」
モンスターの赤ちゃんを丸々漬けた食べ物。
彼女が唯一初めて見て喜ばなかった食べ物。
だがなぜ今それを?
「あの赤ちゃんがアタシでまだ生きてたら?」
......あぁ。もうそこまで鮮明に感じているのか。
「生きたいのに,どう頑張ってもダメそうで。
でも!諦めたく......なかったら......?」
そんな,そんな不安を抱えながらも決意し,口にした誓いの言葉だったのか......
重い。
それを見抜けなかった自分に腹が立つ。ハチミツを取りに行く程度。そんな気持ちが少なからずあった。すっかり丸くなってしまったのだな,自分は。
だが気付けた。いや,気付かされたのか。
己の胸の痛みはどうやら,甘さ弱さが崩れる日常の予感に悲鳴をあげていただけだった。
寝巻きで熊に挑んだアイツの方がよっぽどましじゃないか。
こちらも負けじと静かに決意を改めた。
そして答える。
「とっても簡単なことだ。だからよく聞け?
誰でもいいから名前を叫べ。それでいい。」
「誰でもって?」
「どうしようもない時はな。決まっていちばん親しい相手の名前が出るんだよ,最も大切な相手の名前だ。」
悪いな息子よ。この子の口はしばらくお前の名を呼ばないぞ。
「もし,もし選べなかったら?」
「それはまだ自分が頑張れる証だ。
その時は自分が一番強いヤツだ。負けることはないな」
「ホント?」
「嘘,と言えば満足できそうなのか?」
「ううん」
「本当のことだ。どうだ?納得したか?」
「ううん」
「なら,どうする?」
「自分で,感じる。ううん,感じて,考える。納得するまでずっと,ずっと......っ‼︎」
夜空に星が川のようにきらめき,地上には雷光虫の淡く青い光の海が広がる。
遠くの火山が不完全な日の出の如く,弱々しく輝いている。
隣には全ての光を掴まんと手を伸ばす,決意に満ちた少女。
(どうりで月がいないわけだ)
知らない
いやこんなものではないだろう。
新大陸。そう言われる未開の地へ行けば,いとも簡単に扇情されると,心が生きると思っていた。
見慣れている筈の景色と少女が織りなす,新しい顔と未知の香り,そして,不安と期待の入り混じった始まりの予感。
そう,始まりの予感。
いつからかそこに行くことが終着点になっていた。あまりにもそこに期待を持ちすぎた。
「ねぇ,じぃ」
もしそれを見た後......自分はどうなっていただろう?始まりを前にして,不安と期待を感じるのだろうか?
「じーじ?」
いや,やめよう。らしくない。この子の不安が移ったか?
「ん」
ついっと優しく服を引っ張られる。「どうした?」と孫娘の方へ上半身を動かし,向き合う。
「......」
少し視線を外される。ど,どうした?
「ううん,なんでもない♪」
急に上機嫌になり,そう言った我がかわいいかわいい孫娘。
(まったく分からん)
決意が足りないのか?なんだ?分からんぞ!?
「なんでもない......のか?」
「なんでもない♪......って言ったら,満足?」
くおぉ‼︎この小娘返してきおったわい!
「い,いや?」
「ふぅん?」
え”っ!その先は聞かないのか?
終わり?なぜそんなにもニコニコしているッ!?
そんなミステリアスな子に教育した覚えは無いぞ!誰に似たんだ?
絵本か?いや,すべて暗唱できるくらいには確認したはずだから問題は無い,ということは分かっている,が。
「やっぱり,じーじはじーじ」
「おう,じーじはじーじだ」
だがな,じぃちゃんも決意したんだ。前ほど抜け目は無いぞ。
「......♪
じーじあったかいから好きー」
こちらの膝に頭を乗せ,腰をきゅっと抱きしめられる。
「んふー♪」
更に顔を
そっかー。じぃちゃんのこと好きかー。
じぃちゃんも好きー。
そうだよねー。けっこう話し込んじゃったからねー。
ちょっと眠いかー。
あしたも早いしー,もう寝よっかー?
じぃちゃんも寝たいー。
「明日は早い,後は分かるな?」
「うんっ!」
いつの間にか孫の頭を撫でていた手を,今度は意識して止める。
お互いに立ち上がり,さっきまで見ていた景色を眺める。
しっかりと感じられる。自分はまだまだ大丈夫そうだ。
「行くぞ」
手をつなぎ,無言で帰る。
明日はスリンガーでどうにかするか。優先するのは生き延びる術だ。
ーとある山の中(冒頭に戻る)ー
決めたことだ。
とはいえ心配は心配だ。
幸い,目的の蜂の巣は近場。ギルドからの緊急連絡も無し。あの熊は時期的にも,別の場所にある蜜を頬張っていることだろう。
茶色い巾着袋を,既になんてことのない木の実や雑草でパンパンにしている孫をみる。
ハチミツ系の採取道具はこちらが持っているとはいえ,見境が無いな。
しかしその姿を見るに,同じものは採っていないように思える。
取るものをリストアップしていたのか?だとすると,いったいそれらで何をするつもりだ?
「ぁ!あった」
大きな声を出しそうになり,慌てて抑えたようだ。
うむ,及第点だな。そうやって走り出さなければ。
「♪」
どうやら探し物を見つけると,じっとしていられないらしい。
まだ比較的に安全な場所のため,近くの場所なら何も言わないで好きにさせている。
そういうことをしっかり身につけさせるのは,安全な場所,危険な場所の区別をはっきりできるようにさせてからだ。
何も分かっていないのにじっとされるのは最悪だ。
「ん?」
「んー?」
そろそろだ。
だが妙な雰囲気が肌に纏わりつく。
「もうすぐだ。だが見えてもそばにいろ」
「......」
緊張感を帯びた顔立ちでくいっと頷く。
何がとは聞かないところ,目的はしっかりと覚えているらしい。
こちらもすべてを緊張させる。
広い場所へ出る前に,この感覚の原因を突き止めたい。
少しひらけた場所が見える。蜂の巣も確認できた。
しかし違和感の原因は未だ明らかではない。
念のために持ってきた片手剣の盾を構える。
「......」
同じように巾着袋を構える孫。片手ではムリだったらしく,両手で構えている。
「ふぅ......」
息を吐き,双眼鏡を掛け,本気になる。
上手くいかないのはいいが,失敗はダメだ。
そう気持ちを引き締めなおし,あらゆる痕跡を探し始める。
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