2086.2.3 1300
西区バベル外周部 旧市街地 工業施設区画
アレンは眼を閉じていた。
濃厚なオイルと錆、薄っすらとした鉛の匂いを嗅ぎ、深く呼吸を繰り返していく。
ディーゼルエンジンの低い地鳴りのような唸り声、冷たい金属音、自分自身の有機的な呼吸音、小さなプレイヤーから流れる古き日の良き音楽。
それらを全て、同時に聞き分けていく。
装甲車の頑強なタイヤが降り積もった雪を踏みしめ、瓦礫を乗り越えていくのを感じる。
ヒーターが故障したため、車内の気温は低い。外は更に寒いことだろう。
身震いし、防寒用のマントの襟を締め直す。
真冬の時期は今だ健在。それを、直感で感じ、把握していく。
最後に深く、深く息を吸い、目を開ける。長時間目を閉じていたせいで少々ぼやけていたが、何度か瞬きをすると違和感が消えた。
狭く、薄暗く、本来ならば重装備の兵士たちが詰め込まれるべき車内だったが、今はアレンと運転手しかいない。
「アレン、そろそろ着くよ~」
運転席から声が掛かった。幼さがにじみ出ている。会話の為に身を乗り出すと、小柄な身体を補うためにと座席やペダルに色々とかさましが施されており、そこに座る少女、シャーリーが見えた。
「合流地点は古い管理ビル、そこにみんないるってさ。アレン降ろしたらしばらくは待機しとくよ。必要なら呼んでって、イリーナに伝えといて~。」
「あぁ了解だ、シャーリー」
短く返事を返し、胸元に着けた短距離無線機のスイッチを入れ、インカムを耳に装着した。
「雪がかなり積もってるけど、そのうち止みそうだね」
「そうだと有難いな。視界が悪い中で《悪魔》に会いたくねぇや」
そう言って、見えないが確かにそこにある天を仰ぐ。
「あたしも車のエンジンのかかり悪くなるし嫌いだなぁ…美味しくないし」
「食うなよ」
シャーリーの下らないぼやきに苦笑しつつ立ち上がる。揺れる車内でも四肢はしっかりと身体を支え、平衡感覚の狂いもない。オールクリア、いつでもいける。
「いやぁふわふわでイケるかなぁって…っと、はい到着~」
車両が止まって後部の大きなハッチが開く。厚い雪雲により、昼にも拘わらず外は車内と同じぐらい少々暗い。
「ご乗車ありがとうございました、お降りの際はお忘れ物と運転者様への感謝をお忘れずに~」
「はいありがとうございました、神様仏様シャーリー様」
「うーわすっごい棒読みー。あのさーあたしさーこれ予定外の運転だったんだよー?」
「はーいはいはーい、感謝してまーす」
シャーリーからの不平不満を適当にあしらいつつ、外へと歩を進める。と、
「アレン」
呼ばれて振り返ると、シャーリーが座席から身を乗り出し、不安そうな表情でこちらを見ていた。栗毛のボブカットにまん丸な眼が特徴の、本当に無害そうな顔立ちだ。
「アレンなら大丈夫だと思うけど…行ってらっしゃい」
「おう、逝ってきます」
車内に風が吹き抜け、《女神》を背負った少女、アレンの顔を撫で、その紅い髪を揺らした。その眼は、誰よりも強く、鋭く、鋼のようだった。
車両を下りてしばらく歩く。辺り一面は美しい雪景色。そしてそのベールの下には、無機質なコンクリートとパイプ群。
周囲を警戒するように見回しながら進むと一階部分の壁が一面ガラス張り、だったのであろうビルが見えてきた。合流地点だ。
「アレン!こっち!」
という声に反応し顔を上げると、二階から少女が手を振っていた。緑のフチの大きなメガネをかけ、ピンクのマフラーを厚めに巻いている。彼女に片手を上げて返し、アレンはそのまま建物内へと入って行った。
一階を通り抜け、二階へと階段で上がっていく。内部は酷い有様で、あちこち瓦礫や割れたガラスなどが散乱していた。
二階の踊り場へと差し掛かると、フードを深めに被った少年と、褐色肌の少女が何やら談笑していた。アレンは二人の顔を確認しつつ、ちらりとその手に握られた小銃を見、怪訝な表情を浮かべた。
「バゼット、マジでお前来たのか」
「まぁね、しばらく動けなかったし。そろそろ身体動かさないと鈍っちゃうわ」
と言ってのける少女、バゼット。背は高めで、小麦色の肌に髪はサイドポニーで精鍛な顔立ち。男っぽい、と言ってしまえばそれまでだが、隣の旦那から小言を言われるのは面倒だ。
「いいけどよ…ジョーイ、赤ん坊は?」
「天使だよ」
と言ってピースするジョーイ。その声は穏やかで、愛が籠って聞こえた。彼の顔立ちは幼いが、その青い瞳が輝く眼は修羅場を潜ってきた者のそれであった。
「知ってる、そういうことじゃねぇよ」
と言い残しつつ、先ほどのメガネっ子にお菓子を投げ渡す。小柄で垢抜けず、背中には彼女の愛用品である大きなリュック、そして銃が並ぶ。
「ありがとアレン!あ、ビスケットだ♪」
「おう、食い過ぎんなよミーナ」
と、ミーナの無垢な反応に背中越しで返しつつ、次の階段を昇っていく。
三階へ上がりきると、また別の少女が駆け寄ってきた。彼女の手にもまた、無骨な小銃が握られている。
「お疲れ様、アレン」
「よぉイリーナ。カルタが愚痴ってたぞ、聞こえてるからデカい声で無線するなってさ」
「あいつの声が小さいのよ」
そういって悪戯っぽくイリーナがはにかむ。黒く長い髪の上からバンダナを海賊のように巻き、その上でこの寒い中でツナギを袖まくりして着ている偉丈夫である。
「状況は無線で伝えた通りよ。探索中、《過激派》を発見、後を追ってたんだけど見つかっちゃってね…」
「ドジ踏んだわけか」
「やめてよその言い方。まぁその通りなんだけど…」
ブーっとばかりに口を尖らすイリーナに笑みを向けながら、他の仲間たちの様子も伺う。
室内にはイリーナ以外に2人。壁際に座り込んでいる青年と、その傍に銀髪の少女がいた。そして二人もまた、当然のように銃を持っていた。ここでは、絶対的に必要だからだ。
アレンは青年の脚を見て、巻かれた包帯に気が付いた。
「トルク、お前脚やられたのか?」
名を呼ばれた温厚そうな青年が、トルクがバツの悪そうな表情をしつつ手で爆発のジェスチャーをする。別に気取ってやっているわけではない。それは、彼の首に出来た大きな古傷を見れば誰でも予想がつく。喋れないのだ。
「退避途中、向こうさんが仕掛けた爆弾が炸裂してね。軽傷で済んでよかったね、トルク」
イリーナが笑顔を向けながら言う。確かに、その程度ならば実に幸運だ。
「だな。トルク、お勤めご苦労さん」
アレンはアレンで、にやっとしながらトルクに敬礼した。
「笑いごとじゃないんだけど」
やれやれ、という仕草をしているトルクの代わりか、隣にいた少女、ノワがニット帽を被り直しながら立ち上がって言い放つ。アレン程ではないがキツめの眼をしており、冷徹な印象を感じる。
「応急手当はした、でも細かい破片が残ってる。破傷風の危険もあるし、これ以上の探索は無理。過激派はともかく、悪魔が来る前に撤退したい」
淡々と語るノワに、イリーナが真面目な表情を浮かべて頷く。
「そうね…アレン、シャーリーは待機中?」
「ああ、近くにいる。必要なら呼べってさ」
「じゃ、さっさと撤収…ってわけにも行かないんだよねぇ…」
そういって腕組みをし、唸りだすイリーナ。アレンはなんとなく察する。
「《土竜》からの依頼か?」
短く問うアレン。それに困った顔をしながらイリーナが応えた。
「うん…ほら、他のチームが前に見つけた、古い軍の工場があったでしょ?あそこ、何があったか覚えてる?」
その言葉に、アレンはすぐピンときた。
「潜水艦…と、ミサイルか」
「ええ、潜水艦はともかくとして…ミサイル、あれね、やっぱりヤバイ奴だったみたい」
肩を竦めるイリーナに、ノワが続けて話す。
「恐らく多弾頭、小さい爆弾を振り撒くタイプ。あんなものを過激派に渡せない」
「そゆこと。で、今回それの回収、っていうか無力化を頼まれたのよ」
「なるほど。つまり俺にそこまで行ってきてくれってわけか」
ようやく合点がいった。本来なら今日はとくに予定もなく、一日寝ているか、ブラブラ拠点を歩いて回るつもりだったのが、急な呼び出しでここまで連れてこられた。何となく予想はしていたが、つまりそういうことだったのだ。
「そーいうことでございます!お願いできますでしょうかセンセー?」
と言ってぶりっ子ポーズをするイリーナ。
「仕方ねぇなぁ…はいはい、承知しましたよ。んじゃ一仕事してきますかね…」
二つ返事で快諾した。そう、仕方ないのだ。何故なら、アレンならば単独で探索を完了出来てしまうのだから。
「ありがとうアレン!後で飴ちゃんあげるね♪」
「俺は餓鬼か」
「いいじゃん、飴美味しいのに」
「あのな…」
突然真顔になったイリーナに対して物申そうとしたが、かわりにため息をついた。なんでこういうとき毎回おふざけに走るんだ、と言いたかったが、その本心が痛いほど理解出来ていた。
みんな、いつでも突然死ぬ。
だから、最後の思い出は、楽しいものでありたいのだ。
「ここか…」
数刻後、アレンは廃工場の中にいた。
この場所も他と代わり映えがしない。瓦礫の山の中に、微かな過去の栄光が垣間見える。工場なだけはあっては大掛かりな機械、プレス機やクレーン、木の根のようにベルトコンベアが大量に並べられている。そして、夥しく天井からぶら下がった電球と用途不明のホース、それら越しにもハッキリ読み取れる壁の大きな垂れ幕。そこには大仰で御立派で、中身の無い無責任な言葉がでかでかと書かれている。
『協調性第一!皆一丸となって頑張ろう!』
「…へっ」
だから何だよ、と『個人行動の権化』が嘲笑する。まぁ、半分文字が読めてないのだが。
その他諸々、同じようなことが掛かれた部屋を抜けていくと、巨大な扉の前に出た。合金製で分厚く、そして厳重に閉ざされたはずのそれは、中央に巨大な穴が開けられていた。
(過激派か)
アレンはより一層注意しながら、内部へと入って行った。
内部は以前確認した通り、巨大な造船所になっていた。本来ならば海の近くに作るべきものだろうが、敵国からの強襲を避ける目的もあり、ここで建造を行っていたようだ。実際、この工場からははるか遠くにある海への巨大な直通トンネルがあり、大昔はそこを通って兵器などを輸出していたようだ。
そして現在、ここには大昔に運び込まれ、修復途中で放棄された潜水艦が一隻残されている。アレンは周囲を警戒しつつ、それへと近づいていった。
作業用の足場を登っていき、潜水艦の上へと渡る。すると、潜水艦上部、海の中から空へとミサイルを放つ発射口が一つ開いているのに気が付いた。
近づいて確認すると、大勢の足跡とクレーンか何かを設置した後もあり、既にミサイルを一本取り出したようだ。
(あぁクソッ、手遅れだったか?)
舌打ちをし、そのまま発射口から内部へと、マントを翻して無理矢理突入した。
潜水艦内部は、泥よりも黒く、闇が支配していた。こういう場合に備えて持ってきたサイリウムを何本か折り、明かりを得て軽く内部を物色する。結果、失われたのは一本だけだったことが確認出来た。
「ま、持ってかれちまったもんはしょうがないよな…」
半分自分へ言い聞かせるように呟きながら、無線のスイッチを操作する。
「こちらアレン、聞こえるか?」
返事が無かったため繰り返すと、返事がきた。
『こちらイリーナ、聞こえるよ』
「今潜水艦の中にいる。で、ミサイルが一本無い」
『うわ、マジで?持ってかれたかぁ…』
あちゃー、と無線の向こう側で頭を抱えているイリーナの姿を想像し、アレンは口元を緩ませた。
「ま、たかが旧世代のミサイルだ。迎撃は楽…って、あいつら弾頭しか持って行ってないな」
放置されたミサイルを眺めていて気が付いた。この艦に積まれているミサイルは大まかに言って、爆発する弾頭部分とそれを運ぶための本体の二段階に分かれている。そしてアレンの目の前には、弾頭部分だけがないミサイルが一本鎮座していた。眉を顰めながら、何となく他のミサイル表面に付着した埃をマントの裾で拭ってみた。
『え?てことは、どっかに設置して爆破するつもりなのかな?』
「さぁな、なんか掘り起こすつもりなんじゃない…か…っておいおいおいおい!」
『ちょ、どうしたの!?』
「これ、核兵器じゃねぇか!」
『はぁ!?核兵器ぃ!?』
アレンの言葉に、イリーナが驚愕の声を上げる。間違いない。アレンが汚れを落とした弾頭部分、そこには確かに、禍々しいハザードシンボルと『Nuclear Weapon』の文字があった。
核兵器。そう、それは旧世代の人間が生み出した、忌むべき究極の破壊兵器。それが死の光を放てば、街1つが容易く消え、人は生きたまま炭になり、残るのは生命を拒絶し続ける地獄だけだ。
「イリーナ、早急にチームを再編成して残りの弾頭を無力化してくれ。持ってかれた奴は今から俺が追ってみる」
潜水艦から這い出しながら口早に報告する。アレン自身、核の威力についてよく知っていた。そんな邪悪の権化を一体何に使うつもりなのか。否、破壊と死以外に考えられない。
『了解!今シャーリーと合流したから、一時間ぐらいで…ッ!』
「どうしたイリーナ!」
突如、無線の向こう側から激しい銃声が聞こえてきた。同時に怒号と悲鳴。そして誰かが叫ぶ声。
『悪魔だぁぁああーーー!』
「!クソがッ!」
その言葉に、アレンは弾かれるように走り出した。
《悪魔》。核兵器以上で以下の存在にして、人類種の天敵が現れた。
工場の中を駆け抜け、ドアを蹴破って一気に外へと飛び出す。その勢いのまま、アレンは廃工場の壁を蹴りあがり屋根へ上がった。
「イリーナ!どこにいる!」
無線に向かって怒鳴りながら周囲を見渡す。幸いにして雪が止んでおり見通しは効く。イリーナからの返事は無かったが、代わりに銃声と、人ならざる者の咆哮が遠くから上がった。その方角を睨みながら、アレンはマントを脱ぎ捨てた。
そして、彼女は意識を己の背中、腰へ回す。
そこには、人類の英知の結晶、自らと家族の敵を粉砕するための武器がある。核兵器とは違うベクトルに進んだ、忌むべき破壊兵器が。
その名は《ヘスティア》。正式名称は《外骨格型核融合炉搭載兵装四型》。
炉の女神の名を冠するそれは、アレンの意志に沿って本体の炉が燃え、脊髄を覆う形で伸びる動力帯が唸ってみせた。
次に腕と足に神経を向ける。太ももの付け根辺りからの両足、右腕は肩から丸ごと義手義足であり、それは無骨で、人のそれとは思えぬ異形であり、鉄鎚同然だった。それらも、アレンの意識をトレースし、大きな三つ指の手が動き、両脚が鋭く強く動き、金属と油圧器の音を鈍く鳴らす。
その身体に背負った《女神》の力を燃やし、アレンが唸る。
「いくぞ」
その言葉を合図に、肩甲骨に当たる部分の装甲が翼の如く開き、轟音を立てて火を噴く。そして、アレンが飛翔した。
空気を裂き、建造物の屋根を踏み潰しながら翔けていく。走り、崩し、跳んで、飛び、アレンが真っすぐ突き進んでいく。最愛の家族の元へと、一羽の紅い鳥の如く。
猛スピードで市街地を走る装甲車にて、イリーナたちは窮地に陥っていた。幸いなのは『悪魔』がやってきたのが、シャーリーと合流し装甲車に乗り込み出した時だったこと。だが、それだけだった。
「しっかりして!バゼット!」
激しく揺れ、断続的な射撃音が響く車内で、イリーナは悲鳴にも似た声を上げながら、バゼットの傷口を塞ごうとしていた。彼女は医師ではないが、それでも応急手当ぐらいは出来る。だがそれはまともな傷の場合だ。バゼットの傷は、もはや傷ではなく切断面だった。それでも、それでも抗っていた。
「ジョーイ!止血剤を!ッ!ジョーイ!」
血の泡を吹き痙攣するバゼットの傷を抑えながら名を呼ぶ。だが、返事はない。彼は車内の隅で座り込んだまま。既に顔は土気色で、腕を無くした肩へと巻いた包帯からは、もう血が滴っていなかった。
「イリーナ!このままじゃ弾丸が尽きる!アレンは!?」
装甲車の天窓を開けて身を乗り出し、自動小銃を乱射しているノワが叫ぶ。隣でトルクが声無く吠えながらショットガンを手に戦っている。
「今手が離せない!でもこっちに向かってるはずよ!」
イリーナも大声で返す。同時にシャーリーも怒鳴る。
「悪魔を振り切れない!このままじゃ戻れないよ!」
「了解!どうにかする!…するしか!」
ノワが歯を食いしばりながら、弾丸がフルで詰まった湾曲弾倉を銃に叩き込む。その眼前には、疾走する車両と同じか、それ以上の速度で迫りくる不気味な存在の群れがいた。
青ざめた身体には一切の体毛がなく、非常にやせ細った人間のようだが、それには頭が無かった。鎖骨部分には鼻の孔か眼かの器官がある。
ラング――そう呼ばれるそれは、楽しんでいるのか、単に獣のように狩りをしているのか。時折それらはこちらを指さしたり、何かジェスチャーをし、甲高い悲鳴のような声で互いに意思疎通をしている。もしかしたら、これは奴らにとってスポーツなのかもしれない。人間狩りとでも言えばいいのか。だがそんな長考を必要としなくても、一つだけはっきりわかる。
あれに捕まれば、死ぬ。
呆気なく、あっさりと、死ぬ。
全身に走る耐え難い恐怖を塗りつぶそうと銃のトリガーを引く。彼女の持つ小銃が弾丸を吐き出し、特徴的な上部機構が激しく前後し薬莢の排出と再装填を繰り返す。
「当たれッ…当たれぇッ!」
願いを吠え、撃ち続ける。その甲斐か、ラングは一匹、また一匹と糸の切れた人形のように倒れ転がっていく。だが、数が多すぎた。
銃撃の間を縫い、ラングの一匹が大きく跳んで装甲車の屋根に掴まった。それは猿のように素早く屋根へ登り、丁度ノワが撃ち漏らした一匹にトドメを刺したばかりのトルクに掴みかかる。トルクは危ういところで反応し、銃を盾にして押し返すが反撃が出来ない。
「トルクッ!」
力を籠め、槍の如く小銃を構え直し、ノワがトリガーを躊躇無く引く。一発、二発、三発と、立て続けに鋼鉄被膜の弾丸がラングの胴体を叩き、貫き、弾き落とした。
窮地を脱したトルクに声をかけようとした、その時だ。
不意に視界の横に何かが来た。ふっと顔を向けると、そこには《悪魔》がいた。
至近距離。ノワが手を伸ばせば、触れられる。そして、それは吠えた。
《走る(Running)牙(Fang)》とはよく言ったものだ。人のアバラに当たる部分が大きく左右に開き、不揃いな牙を持った大きな口が見える。そして、そこから何かが落ちてきた。ノワは何故かそれに見入ってしまった。
「…ミーナ…?」
それが、彼女の最後の言葉になった、かもしれなかった。
突如、ラングの口内へ何かが飛び込んだ。それは一瞬縮むと、小さな爆発と共に全身、火を吐きながら対象の肉を潰し、骨を穿ち、砲丸の如く吹き飛ばしていった。そして同時に視界が閃光に覆われ、熱波を感じ、遅れて音が来た。
眼を開けると、トルクが後方を見ている。それにノワも続く。そこでは、よく見慣れた心強い光景が広がっていた。
装甲車を追ってくるラングの一団の中を、紅い火球が飛び跳ねる。一匹、また一匹と壁や道路に叩きつけられ沈黙していく。間違いない、アレンだ。
真紅の翼が燃え広がり、その鋼鉄の三肢がラウスを潰して回る。
「うおぉぉおぉおおー!」
アレンの雄叫びに呼応するが如く、憤怒と浄化の炎が大地を舐めて疾走する。その右手が骨を砕き、脚が胴を貫き、悪魔達は悲鳴を上げ、肉塊となって火炎の渦へと巻き込まれ消える。
これこそ、《悪魔》達を滅却することを本懐とする《女神背負い》、その最後の一人、アレンの本領であった。
ノワが落ち着きを取り戻すころには、群れ最後の一匹が背骨を踏み砕かれ、大地で削りながら絶命していた。アレンはその勢いをうまく殺しつつ、装甲車の上へと着地した。
肩で深く大きく呼吸しながら、炉の火を抑えていく。強制冷却によって生じた水蒸気を纏いながら、全身に渡った火の力とアドレナリンが沈静していくのを感じ、アレンはノワ達に向き直った。
「悪い、遅れた…みんな無事か?」
「ううん、助かった…私たちは、無事」
感謝の言葉を告げるノワと、隣でサムズアップするトルク。二人の無事な姿に安堵するが、その暗い表情と車内から香る強い鉄の匂いに気が付いた。血だ。
「おいイリーナ、みんな!いるか!?」
慌てて天窓から確認すると、強すぎる血の匂いが鼻を貫いた。中は一面血の海。そして、横たわった誰かと、その傍で座り込んでいるイリーナを見つけた。
「イリーナ!おい…大丈夫か?」
途中から、声が張り上げられなくなった。
「私とシャーリーは平気…でも、バゼットはダメだった…」
俯いたまま、力無く返事をしてきたイリーナ。上からでは見えなかったが、恐らく泣いているのだろう。シャーリーは、何も言わなかった。
ふと、隅で壁にもたれ掛かっている誰かに気が付いた。
「…なぁ、そっちは…ジョーイか?無事なのか?」
アレンの問いかけに、トルクが中へ戻って確かめる。口元に手をやり、喉を触り、そして、小さく首を振った。ジョーイ。バゼットの恋人で、彼女の子供の父親。そんな彼も、あっけなく死んだ。
「…ミーナも」
ふと、アレンの隣でノワも呟いた。彼女の手には、ラウスが吐き出したものがあった。緑色のフチが特徴の、血と唾液に塗れた、ボロボロのメガネ。
アレンはそれを見、生き残った家族を見、両膝をついて天を仰ぎ見た。
三人死んだ。なんてことない探索からの帰還途中の、ほんの僅かな時間で。
ほんの数刻前まで笑顔を見せていた仲間たちが、虚しく逝った。
その事実に、胸の中へ言いようの無い無力感と怒りが沸く。
もはや、もしもあの時こうすれば、などという感傷は無かった。
あまりにも多く繰り返し過ぎた状況。
だがそれでも、何度感じても、決して慣れることは無いのだろう。
感情を殺す気で、アレンは深く、深く息を吐いた。熱い吐息が、凍える空気へと真っ白になって混じり、流れていく。
そして再び前を向いたその視線の先に、彼女には、彼女たちには深すぎる大穴が見えた。
強大な力とその数を誇る《悪魔》に占領され、その跋扈を許したこの大地にて、唯一無二人類が生存を許された場所。いや、生き延びようと足掻く場所。
地下深くへ延びていき、際限無く恐怖から逃れようとする人類のエゴの象徴。
人々はそこを、小さな親しみと、根深い軽蔑を込めてこう呼ぶ。
《バベル》と。
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