魔王の側近、一般人(ショタ)と愛を育む (玲瓏 澪)
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悪魔の王と一般人(ショタ)
平和な生活


———ずっと、一緒だよ———

 

 

 

「あああああ!」

 あの日の彼の発言を思い出し、私はベッドの上で悶えた。

 体をくねらせながらベッドの上で悶々とし、何回も言葉を呟いて、私ははたと気が付く。

 彼が、いない。

「あれ、カノン? カノン? カノン?」

 掛け布団をめくり、彼が中にいないことを確認する。感じるのは彼が普段放つ独特の甘い香りのみ。彼の存在が消えていた。

 慌ててベッドから跳ね起き、室内を見回す。彼が普段寝る前に準備する服が消え、私の分の服しかなくなっていた。

 それと同時に、今まで外の自然音しか入らなかった耳に、包丁で何かを切る音が聞こえてきた。

 私は脱力した。

「良かったぁ」

 どうやら、彼は今朝食を作っているようだ。

 そこでそういえばと思い出す。そういえば、あの日から彼が家事全般をするようになったのだった。

 にしても、少しひどくないか? 起きるのなら、一緒に起こしてくれても良かったのに。

 一人口を膨らませ、膨れっ面で一階のキッチンに下りる。

 すると、そこではフライパンを振るう彼の姿が。

「あ、エスルアさ———」

 足音が聞こえたのか、彼がこちらを振り向き、そして固まった。

「……エスルアさん? どうしました?」

「……起こしてくれなかった」

「へ?」

 私は彼に近寄り、彼の目を覗き込んで続けた。

「朝、私のことを起こしてくれなかった」

「え? あ、ああ、だ、だって、気持ちよさそうに寝てたから———ひゃっ」

 私が彼のお尻を撫でると、彼は面白い具合に跳ね、なんとも可愛い声を上げた。

 ……たまらねぇぜ。

「な、何するんですか!?」

 若干涙目になった彼に、私は笑いかけた。

「今朝の罰」

「毎朝されてるんですけど」

「じゃ、習慣」

「こんな習慣あったら僕が保ちませんよ」

 自分のお尻を撫でながらそんなことを言う彼。私は彼を思いきり抱き締め、彼の頭を私の胸に押し当てた。

 結論、

「———! ——————!」

 顔が真っ赤になった彼。一応息はできるように隙間を空けてはいるが、口は完全にふさいだ。これで、彼が何かを発言することはない。

 私は、彼の額に唇を落とし、続けざまに何回もキスをした。

「——————! —————!」

「え? なに~? 聞こえないなぁ~」

 そう笑っていると、彼は動かなくなった。

 ありゃ、まずい。やりすぎたか?

 そう思い、少し力を緩めると、彼はその隙をついて抜け出した。

 顔真っ赤で涙目になりつつ、彼は叫んだ。

「や、やめてくださいよ! 何してるんですか!」

「いやぁ、君が可愛いからつい」

「ついって何ですかついって! 大体、異性を自分の胸に押し当てるって、女性としてどうなんですか!?」

「君だし別に良いでしょ? で、どうだった? 胸の感触は」

「僕だから良いとかそういうわけではありません! 節操を守ってください!」

「貞操? 私のだったら今すぐにでも君に捧げるが」

「節操! 間違えんな!」

「意味は大体一緒だぞ」

「え、嘘」

 勢いがなくなった今のうちに、私は彼を再び抱きしめた。

 今度は口の部分を空けて。

「だ、だから、やめてください!」

「どうして?」

「ど、どうしてって、恥ずかしいからです」

 そこだけ勢いがなくなった彼の口調に思わずときめき、私は彼の額、頬、唇にキスの嵐をお見舞いした。

 すると、

「も、もうやめて……」

 と、何か私の嗜虐心をくすぐるような状態になってしまった。厳密に言うと、ただでさえ童顔、女顔の彼が、顔を蕩けさせ、涙目になって、上目遣いにこちらを見つめてきたのだ。

 まずいな。押し倒したい。

「カノン」

「な、なんですか?」

「押し倒して良い?」

「だ、ダメ!」

 慌てて体を離し、距離をとる彼。その様子に寂しさを感じていると、私の腹が思いきり唸り声をあげた。

「……カノン。お腹すいた」

「……席に座って待っていてください。すぐできますから」

 ため息を吐いて、彼はフライパンの前に戻った。

 その後ろ姿を眺めて、私は彼に抱き着いた。

「ちょ、ちょっと、まだふざけますか———」

「大好き」

「っ」

 彼は黙りこくり、やがて私の手に自身の手を重ねた。

「……僕も、大好きです」

「ふふ。相思猛愛だね」

「それを言うなら相思相愛です」

「良いの。私達は猛烈に愛し合ってるってことなんだから」

「そうですか」

 苦笑気味に彼が言うのが聞こえる。

 私はその背を、小さな背を抱きしめながら、彼に背負わせてしまった重荷を憂いだ。

「カノン」

「はい?」

「ごめんね」

「……」

 彼が私の言葉に答えることはなかった。

 

 



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リーマス

 

「パンとシチューにはもう飽きた? それなら、柔らかい羊の肉はどうだい?」

「今朝採れた新鮮な野菜だよ! 採りたてだ!」

「熟れた果物はいかが? どれも甘く、瑞々しいよ!」

「かわいいアクセサリーはどう? どれも、この町で一番の名匠が作った作品だよ」

「危険が潜む街道を行くには、優れた武器が必要だ。安いよ!」

「防具を着ていれば、万一のことがあっても大丈夫。さあ、買った買った!」

 数々の露天商が客引きを行う中を、私は進んでいった。

 服装は庶民のもので、簡素な上着にスカートといったものだ。

 歩みを進めていた私だったが、とある店の前で、その足を止める。

 そして、店の主に向かい、私は言った。

「リンゴパイを一つ。砂糖たっぷりで」

「はいまいど」

 店主は喜び勇んでパイを袋詰めし、渡してきた。

 店主の手のひらにお金を乗せ、袋を受け取る。

 手を振る店主に微笑みかけ、私は道を進んだ。

 ここは、王都ローレンから最も遠い位置にある町。名前は確か、リーマスだったか。

 木やレンガでできた建物が立ち並ぶ道。露店が多く存在し、客引きの声が途絶えることはない。それだけ、ここは賑わっているということだ。

 数多の視線を向けられる中、私は石レンガでできた道を進む。太陽が燦々と照らす昼頃。夏ということもあってか、暑くて額に汗が滲む。

 額の汗を服の裾で拭いつつ、私は目的地である宿屋についた。

 扉を開け、中に入る。日光が直接入らない店内は、外よりも幾分か涼しかった。

 だけどまあ、幾分かのため、暑いといえば暑い。

 近くの椅子に座り、店内を見回す。

 今のところ、店内で客は私一人だ。他に人と言えば、この宿屋の主とである親子くらいなものだ。

 その親子の内、子供のほうが私を見ると少し緊張した面持ちで近寄ってきた。

「い、いらっしゃいませ」

「とりあえず、水を一杯」

「はい」

 去っていく子供。思わず、私はその子供の尻を撫でた。

 ひゃっ。という声を上げて、子供は私を睨みつける。

「……やめてください。いつもいつも」

「はっはっはっは。良いではないか良いではないか」

 手をワキワキさせながら笑みを浮かべると、子供は慌てて尻を手で隠した。

 全く、愛らしい奴め。もっといじめたくなるじゃないか。

「こら。あまりうちの子供をいじめないでくださいよ」

 と、苦笑の混じった声が聞こえてきた。

 私は、その声の主を見て、フッと笑う。

「はいはい。でも、おたくの息子さんが可愛いのも問題ですよ」

「まあそうですか。それは失礼。全く、罪な子ですよ」

 口元に手を当てて笑う女性。どうやら、こちらの冗談を冗談として受け取ってくれたようだ。

 まあ、どこかの誰かさんは「そんなの、ひどいよ」とか言っているが。

 まあ、そんなことはさておき、私は当初の目的通り、昼食をとろうとメニューを見た。

「えっと、じゃあ、何にしようかな」

「そうだ。昨日、この町に行商人が来まして。遠方から良い香辛料が届いたんです。夫が、それを使ってなにやら珍しい料理を作ったみたいなのですが、食べていきますか?」

「良い香辛料?」

「はい。何でも、コルフィンとか言う香辛料だそうです」

「コルフィン。へえ」

 子供が持ってきた水を飲みながら、私はその名を反芻した。

「あの、何か変な物なのでしょうか」

 私の様子を見て心配になったのか、女性は問うてきた。

 それに、私は笑みを浮かべて答える。

「いえ、コルフィンとは薬草です。まあ、薬草と言っても、効能は微々たるものですが」

「そうですか」

「ええ。ただ、それでも薬草なので、苦みが強く、料理には向いていないと思っていましたが、そうですか、料理にそれを入れてみたのですね」

「ええ。夫はおいしいと言っていましたし、私も食べてみておいしかったので、ぜひと思いまして」

「ええ、それじゃあ、その料理をお願いします」

「分かりました。待っている間、カノンを使っていただいて結構です」

「ちょ、ちょっと、お母さん———」

「分かりました。では、遠慮なく」

 母親の了承も得たことだし、存分に遊ぶか。

 私は席から立ちあがり、逃げようとする子供、カノンを捕まえ、膝の上に乗せた。

 背後から思いきり抱き締め、カノンの匂いを嗅ぐ。

 主に首の匂いを嗅いでいると、カノンがやけに刺々しい口調で言ってきた。

「あの、気持ち悪いです」

「気持ち悪い? 体調が悪いの?」

「いえ、あなたの行為が、全体的に気持ち悪いです」

 こちらを睨みながらそう言ってくるカノンに、私は思わず、

「あはぁ~~」

「ん。おいしい」

 カノンの耳を唇で挟むと、彼は気持ちよさそうな声で鳴いた。

 なるほど。耳が気持ち良いのか。

「って、何してるんですか!」

 カノンは叫び、膝の上で暴れた。

「ちょ、ちょっと、暴れないでよ。危ないでしょ」

「いや、人の耳噛むこと自体がおかしいでしょ!」

 そう叫びカノン。私は少し考え、首を横に振った。

「ううん。どこがおかしいの?」

「……普通、他人同士がそんなことをしますか?」

「うっ」

 他人。そう告げられ、私は思わず胸を押さえた。

「そ、そうだね。他人。他人だね。私達」

「ちょ、ちょっと、エスルアさん」

 こちらを向いて、少し心配げな表情を浮かべたカノンは、私の肩を揺すってきた。

 だけど、彼が放った言葉は、私の心に会心の一撃を放ち、致命的な傷を負わせた。

「そうだよね。私達、他人同士だもん。こんなことしないよね」

「え、エスルアさん」

「ごめんね。もう行って良いよ」

 椅子を引き、膝と机との距離を空け、彼が出られるようにした。だが、カノンは中々降りようとしない。

「どうしたの? もう行って良いよ。他人だもん。少し異常だったよね」

「……」

 カノンはしばらくうつむき、やがて顔を上げた。

「……キスしてください」

「……は?」

 少しだけ唖然とする私に、カノンは目を瞑って唇を差し出してきた。

 ぎゅっと瞑る彼の目からは感情が読み取れないが、それでも何かをこらえているのは分かる。そして、今彼はキスをしてくれとせがんだ。こんなこと、今まで一度もなかった。

 ……えっと、カノンがキスを望んでいる? どうして?

 分からないが、彼が期待しているのであれば、それに答えなければ。これは、たぶん私の強情な思いかな。

 にしても、こちらから不意を突いてキスをするのは慣れているが、向こうからキスをせがまれるのは初めてだ。少し、いや、かなり緊張する。

 だが、ここは、頑張らなければ。

 私は、同じように目を瞑り、彼の唇に迫った。

 近づくにつれ、彼の息遣いが聞こえる。それと同時に、吐息の感触も、唇を通じて感じ取れる。

 徐々に距離が縮まるのがわかる。彼の匂い、存在感、感触、それらが肌から伝わり、脳に届く。

 そして、私が彼と唇を交合わせる、その時だった。

「……孫の顔が早く見たいわ」

「「っ!」」

 慌てて、私は目を開けて顔を離した。相手も自分と同じように顔を離し、赤面している。

 私は先ほど声を発した女性を見て、少し声に怒気を滲ませながら言った。

「あの、驚かさないでくれませんか?」

「驚かしたつもりはありませんよ。ただ、私はエスルアさんとカノンの間に生まれる子供を見たいなと思っただけです」

「ちょっ!」

 カノンが顔を真っ赤にして女性を見た。

 まずいな。私も顔が赤いぞ。

 カノンと私でなんだか気まずい雰囲気になっている中、女性はテーブルの上に出来た料理を乗せた。

 そのまま去っていく彼女を見送って、私はスプーンを手に取り、料理を口に入れた。

 味はおいしかったが、先ほどの不意打ちを喰らって思考がうまく働かない。そのため、味も良く分からなかった。

 カノンのほうも、向かい側の席に座って、じっと下を向いている。

 その場には、私が料理のスープをすする音のみが木霊した。

 ……。

「カノン」

「は、はい」

 急に背筋をピンと立て、カノンはこちらをじっと見た。

 私はその視線を受けて、先ほどのことを思い出し少し顔が熱くなるも、腰のポーチから袋を取り出した。

 そのまま、カノンに差し出す。

「これ、食べて良いよ」

「これは?」

「リンゴパイ。好きでしょ?」

 袋を受け取ったカノンは、中身を見て顔を輝かせた。

「あ、ありがとうございます。でも、どうしてリンゴパイが好きだってわかったんですか?」

 そう問うカノンに、私は自慢げに答えた。

「ふふん。おふざけで君と七年を共にしたわけではないのだよ」

「そう、ですか。……そうかぁ。もう七年経つんだ」

 感慨深げに虚空を見つめるカノン。それを見て、私は少しだけ胸が温かくなった。

 そうだ。私はもうこの子と七年も一緒にいたのだ。

 当時五歳だったカノンも、今となってはもう十二歳。成人まであと六年となった。身長も、当時は私の太ももまでしかなかったのに、今は腰と腹の中間にまで届くようになった。嬉しいんだか悲しいんだかわからないが、まあ、喜ぶべきなのだろう。身長はそのままで心だけが成長していれば、いろいろと楽しめたのに。

「なにか変なこと考えてますね?」

 ハッと我に返ると、カノンがジト目でこちらを見ていた。

「へ、変なことって?」

「さあ。僕にはあなたのような変態さんの考えることは分かりません。ですが、どうせ碌な事じゃないでしょう?」

「フン。私が考えることはいつも、私にとっては重要なことなの」

「何考えてたんです?」

「カノンの純潔をどう奪おうかなと」

「碌でもねぇ」

 頭を抱えてうなだれるカノン。そうかそうか。私が考えることは頭を下げるほど尊かったのか。わかるぞ。その気持ち。

 とまあ、変態発言をかまし、幾分か雰囲気も元通りになったところで、私は先のカノンの発言の意味を問うた。

「なあ、カノン」

「はい?」

「君は、どうしてさっき、私にキスをせがんだんだ?」

「っ!」

 途端、カノンは耳まで真っ赤にし、再びうつむいてしまった。どうやら、まだそれを聞く空気じゃなかったらしい。

 たまらず、私は咳払いをする。

「ま、まあ、君が答えたくなければ、答えなくて良いが」

「いや、答えます」

 顔を上げて、カノンが続ける。この時はすでに、顔は戻っていた。

「実は……」

 若干うつむきつつ、カノンはぼそぼそと答えた。

「実は、僕があなたのことを他人と呼んだとき、あなたが寂しそうな、悲しそうな顔をしたので、慰めようかなと思って……」

 ……。……。……。

「……。カノン」

「はい」

「……こっち来て。抱きしめたい」

「い、嫌です!」

 再び赤面し、カノンは己の体を抱きしめて椅子を引いた。

「ど、どうしてそんな話になったんですか」

 どうしてって、だって、

「君がなんとも可愛らしくて、抱きしめたかったから」

「はあ!? も、もういいです! あなたのことなんか知りません!」 

 そう言ってそっぽを向くカノン。だが、少しすると顔をこちらに戻し、リンゴパイを食べ始めた。

 パイに口をつけ、すぐに顔をしかめる。

「……ぬるい」

「しょうがないだろ。露店で売っていたのを買ったんだから」

 スープを飲みながら、私は続ける。

「それとも、私が体温で温めてあげようか?」

「具体的には?」

「そりゃもちろん、私がそれを口に含んで、口移しで渡すに決まってるでしょ」

「ぐ、グロい……」

 はて、なぜグロいのだろか。

 肌をさすりながら身を引いているカノンに小首をかしげながら、私は膝の上をポンポンと叩く。

「まあいい。君、こっち来なさい」

「……抱きしめるつもりでしょ」

「正解。わかってるなら来い」

「行きませんよ。誰が行くか」

「君、さっき私のこと他人って呼んで、傷つけたよね?」

「うっ」

 苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべ、カノンはしぶしぶ私の膝の上に来た。

 膝の上に乗ったカノンを背後から抱きしめ、私はスープを飲む。

 そのまま飲み続けていると、カノンが口を開いた。

「あの、エスルアさん」

「どうした? 少年」

「あなたにとって、僕はどんな存在なんですか?」

「……これまた、随分と答えにくい質問をするな」

「すみません」

「いいよ」

 頭を撫で、私は逆に問う。

「じゃあ聞くけど、君は、私にとってどんな存在になりたい?」

「それは、どういう」

「君の頭でよく考えることだね」

「……」

 しばらくパイをかじる音とスープを飲む音が響いた。

さて、どんな答えが返ってくるのやら。

そう思いつつ私はスープを飲み干す。と同時に、カノンは口を開いた。

「……僕は、あなたの中で一番大切な存在になりたいです」

 ……。

「フッ」

「今笑いましたね!? 笑いましたよね!?」

 振り向き、大声で叫ぶカノンに、私はたまらず大声で笑った。

「あはははははははは!!」

「あははじゃない!」

 少し涙を滲ませて叫ぶカノンに、私は彼の頭を撫でて答えた。

「いや、すまんすまん。だって、君の答えがあんまりにも愛おしかったから」

「……僕は、本気ですよ」

「そうかいそうかい」

「信じてませんね」

「まあね。だって、子供の言うことだもん」

 カノンの頭を撫でながら、私は必死に笑いをこらえた。

 だがまあ、彼の歳で異性にこんなことを言うのは、おそらくよっぽどのことなのだろう。いくら年上でも。

「で、どうなんですか。あなたにとって、僕はどんな存在なんですか?」

「私の中でねぇ。そうだねぇ。……」

 そうだねぇ。ううん。存在。カノン。……。……。……。

「あはぁ~。って、僕の耳かじるのやめてくれませんか!?」

 おや、失敬失敬。

「口がすべって」

「どんなすべり方だよ」

 と、何回も顔を真っ赤にしているカノンに、私は笑いかけた。

「答えを出すのは、今でなければ駄目かい?」

「……いえ、別に大丈夫です」

「そう。なら、答えを先延ばしにさせてもらおうかな」

「そう、ですか」

「うん。だって、君も、心の準備ができてないでしょ?」

 そう問うと、カノンはうつむいた。だが、何も言ってこない。どうやらそうらしい。

「なら、まだ君の質問に答えるべきじゃないかな」

「分かりました」

「おや、せがまないんだね」

「ええ。だって、事を急いても、良いことはありませんから」

 そう答えるカノンは、幾分か大人のように見えた。

 そうか。彼ももう十二歳。昔みたいにはならないか。

 喜びとわずかな寂寥を浮かべ、私はカノンの耳元でささやいた。

「じゃあ、私から質問ね」

「ふっ。……は、はい」

 耳元でささやかれたくらいで跳ねるな。

 私は背後からカノンを抱きしめ、問うた。

「もし、私が君にこう問いかけたら、君は了承してくれるかい? もし私が、君に何もかもを捨てて一緒に来てくれって言ったら、来てくれる?」

「ええ、行きますよ」

 間髪入れず、カノンはそう答えた。

「何もかもだよ? 家族も、友人も、愛すべき人も、この町も、すべてを捨てて、一緒に来てくれって言ったら、来てくれる?」

「はい。一緒に行きます」

 私の手に自身の手を重ねて、カノンはこちらを見、笑った。太陽のように、花が咲くように、笑った。

「あなたと一緒なら、たとえ地獄へでも、一緒に、永遠に共に、ついていきます」

「……君」

 カノンの目をじっと見つめながら、私は言った。

「君、実はチャラ男だろ」

「なっ。ぼ、僕は硬派な人間です!」

「その年で硬派とか知ってるんだ」

「そこ? そこ突っ込む?」

 目から真面目な光が消え、カノンは先ほどと同じおふざけモードに移行した。

 かくいう私も、すでに先ほどの真面目モードから変えたのだが。

 カノンの言葉に笑いながら、けれど耳元で囁いた。

「その言葉、忘れないから」

「……僕の質問も、忘れないでくださいね」

 そう言い合い、見つめ合って、笑った。

 お互いが質問をし終えたところで、カノンの母親が食器を片付けに来た。

「あらまあ、これじゃあ、孫の顔は早く見れそうね」

「ちょ、ちょっと、母さん。やめてよ」

 恥ずかしげにそう言うカノン。対して私は、

「はい。必ず、子供を十六人は作ろうと思います」

「あら、期待してるわね」

 と、平常運転な私に対して平常運転な母親だった。

 まあ、カノンがひきつった顔で「じゅ、十六人……」と呟くのは聞こえた。ていうか、君、子供の作り方を知っていたのかい。

 安心なされ、搾り取ってやるから。

「にしても、この先、世界はどうなるのやら」

 と、そう呟きながら向かってきたのは、カノンの父親だった。

「そうねぇ。今は安全だけど、すぐにここも危なくなるのかもしれないわね」

「そうだなぁ。悪い、カノン。少し二階に行っていてくれ」

「えぇ、また?」

 嫌がるカノン。私はその耳元で二・三言呟いた。瞬間、カノンは面白いほど顔の色を変え、二階に向かっていった。

「また、魔法の言葉か」

「ええ、今回も効き目抜群だったみたいですね」

「そうねぇ。でも、じきにその言葉が効かなくなる日も来るわよ」

「ご安心を。その時は、彼を嫁に貰いますから」

「嫁なんだ」

「ええ」

 苦笑する夫婦二人に、私も笑みを返した。

 だが、すぐに夫婦は顔を真面目なものに変えた。

「さて、エスルアさん。どうかな。辺境のほうは」

「今のところ、目立った争いはありません。せいぜい、魔物が進行している程度です。ですが、徐々に苛烈になっているとのこと」

「じゃあ、ここも危なくなるのか」

「かも、しれないですね」

 私の言葉に、父親はため息を吐いた。 

 この大陸は二つの国に分かれている。一つは、人間の王、聖王が治める国、アールリア。もう一つは、魔を統べる王、魔王が治める国、ドールリアだ。

 そして、魔王はこの世界の征服を企んでおり、日々この国に手下である魔物を送り込んでいるのだ。それを抑え、かつ魔王を滅ぼすため、この国では勇者が来るのを待っているとのことだ。伝承によれば、勇者は国の危機に現れるとのことだが、真偽のほどは分からない。

 地図的に、アールリアが西、ドールリアが東に位置する。そして、アールリアの王都ローレンは、西の端に位置している。最も戦いから遠い、平和な都らしい。

 そして、この町リーマスは、アールリアの中で中央に位置する町と言われており、何かあった際に対応できるよう、軍が配備されている。

「この町にいる軍は確かに強いらしいし、毎日訓練をしているが、それでも不安だ」

 父親が弱気な声で言った。まあ、彼の言葉も尤もだ。

 魔王が送り込んでくる魔物は、最下級の魔物でさえ人間一人が立ち向かえるような相手ではない。そのため、二・三人で固まって戦うのが定石となっている。

「なんでも、ドールリア近くの村は魔物に滅ぼされたとか。ここも、どうなるのやら」

 ため息を吐きながらそう呟く父親。だが、母親は顔を輝かせて答えた。

「大丈夫よ。なんでも、この国に勇者様が現れたそうよ」

「勇者様が!?」

 父親が椅子から立ち上がり、母親の肩を掴む。思いきり揺さぶりながら、問うた。

「ほんとか? 本当に、勇者様が現れたのか?」

「え、ええ、そうよ」

「ちょ、ちょっと落ち着いてください」

 あまりの興奮ぶりにわずかに引くも、私も驚いた。

 まさか、勇者が現れたのか。とうとう、この世界に。

「それは、本当ですか? 本当に、勇者様がこの国に?」

「え、ええ。それも、異世界からいらしたんですって」

「異世界から?」

「そうよ。何でも、鉄の塊が空を飛んだり、地面を馬よりも早く走ったり、遠い地からでも瞬時に言葉のやり取りができる小さな箱があったりと、不思議な世界だそうよ」

「へえ」

 それらの用途がうまくわからないのだが。

 まあ、そんなことはさておき、

「だが、それは本当なのか? ただの噂じゃ?」

 幾分か落ち着いた父親の言葉に、母親は自信満々に答えた。

「ご安心を。王都に住む友人から仕入れた、信頼できる情報よ」

 ああ、そういえば、この人王都に友人がたくさんいるんだっけ。

 じゃあ、信頼できるな。

「そうですか。なら、勇者様がとうとうこの世界に来たのですね」

「そういうことね。このまま、魔王を倒してほしいわ」

「そうだな。勇者と、聖剣と、聖鎧と、聖盾があれば、魔王なんてイチコロだな」

「そうですね」

 二人が喜ぶ中、私はどこか遠くで諦観していた。

 二人とも、そんなもので魔王を倒せるなら、もうとっくに誰かが倒しているよ。

 そう思わずにはいられなかった。

 その後も、ここ最近の世界情勢について会話を交わし、時間を進ませていった。

 そして、夕暮れ時。日が沈み始めた時間帯になり、客がどんどん宿屋の中に入ってくる頃合いになったとき、私は宿屋を出ることにした。

 手を振ってお見送りしてくれるカノンに手を振り返し、私は帰路に就く。

 その間、考えることは母親の言葉だ。 

 なるほど。勇者が来たのか。この世界に、とうとう。

 これは、また面倒臭くなってきたな。

 私は深いため息を吐きつつ、世界で最も居心地の悪い場所に帰るのだった。

 

 



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オーディエル

 

 

 禍々しい瘴気が立ち込める城。外観は人間のそれとは比べ物にならないほど古く、朽ち、寂れている。しかし、その様子が更に、その城の恐ろしさを際立たせていた。

 全く、悪趣味な城だ。

 心の中でそう思いながら、私は城門を通る。錆びついた城門は、ギーッという耳に不愉快な音を発しながら開き、私が通るとすぐに閉じた。

 長い橋を渡りながら、私は周囲の景色を見回す。

 空は真っ黒な雲に覆いつくされており、時々紫色の雷が走る。雲の中にぽっかりと浮かぶ月のみが、大地を照らしていた。だが、その月明かりに人を安心させる力はなく、むしろ人を怯えさせるような光を放っていた。

 橋の下を流れる川はおどろおどろしい赤色をしており、時々骨でできた魚や形容しがたい何かが泳いでいる。あまり好んで入ろうとは思えないような川だ。

 橋を渡る最中に、私も服を着替える。いつもの、黒いローブの姿に。

 渡りきると、橋は黒い霧に囲まれ、先が見えなくなってしまった。魔法の霧だ。

 その様子を眺めた後、私は城の中に入っていった。

 敬礼する人骨兵を無視し、私は城内に入る。

 青い炎を発するトーチに、暗い城の中。灰色の石段に錆びついた扉。おとぎ話に出てくるような、そんな城だった。

 中を進んでいると、目的の部屋の前まで来た。

 私の身長よりも大きな扉。その前で、私は言った。

「ただいま戻りました」

 すると、少し間を開けて扉が開いた。ゆっくりと、重々しい音を立てながら。

 完全に開ききり、私は部屋の中に入った。

 背後で扉が閉まる音が聞こえる。

「よくぞ戻った。遅かったな」

 部屋の主の言葉に、私は頭を垂れながら答えた。

「申し訳ございません。魔王様」

「なに、貴様が遅いのはいつものことだ」

 わずかな落胆を含みながら、部屋の主、ひいてはドールリアの主である、魔王は口を開いた。

「それで、何か分かったことはあるか?」

「はい。ございます」

「それは、吉報か?」

 魔王の視線がこちらに注がれる。私に何を望んでいるのだろうか。

「いえ、おそらく凶報です」

「そうか。話せ」

「はい」

 私は、今回手に入れた情報を、すべて話した。些細なことでも、すべて。

 それを聞いて、魔王は唸り声をあげた。

「ふぅむ。勇者か」

「はい。どうやら、異世界から召喚された存在だそうです」

「ほう。異世界か」

 魔王が異世界という単語を口の中で転がす。

 やはり、勇者に興味を持つか。

「異世界から来たということは、この世界についてあまり深くは知らないだろう。教えてやるのも一つの手だな。どちらが上で、どちらが下なのかを」

 声に笑みが含まれる。

 まさか、楽しんでいるのか? 己を殺しに来る存在がこの世に現れたというのに。そうだとしたら、さすが魔王としか言いようがないな。心まで狂っている。いや、己の力を知っているからこそ、楽しめるのだろうか。

 まあ、私には到底理解できる事柄ではないな。

「貴様。この報せを凶報と言ったな?」

「はい」

 己を殺しに来るのだ。凶報だろう。

 だが、魔王は首を横に振った。

「ハッ。貴様もまだまだだな。よくこの報せを持って帰ってきた。これは、私にとっては吉報だ」

 そう笑う魔王。その様子は、新しいおもちゃを与えられた子供のようだ。

 そうか。魔王がそう考えるのなら、それで良い。私には関係のないことだ。

 心の中でため息を吐いていると、魔王が口を開いた。

「本当によくやった。これは、褒美をとらせるに値する報せだ」

「ありがとうございます」

 深く頭を下げると、魔王は椅子から立ち上がり、私に近寄ってきた。

 わずか一歩の差まで距離を縮めると、魔王は私の頬に手を当てた。

「本当に素晴らしいな。貴様は、この城にやってくる愚かな役立たずどもとは大違いだ」

「お褒めいただき、光栄です」

 手を払いのけたい衝動を必死にこらえ、私は心にもない礼を述べる。

 だが、魔王はそれに満足したようで、笑いながら自分の椅子に戻っていった。

「さて、お前に新たな命令を下そう」

 椅子に座り、こちらを見つめた後、魔王はそう言った。

 また、新たな命令か。嫌になる。今度はなんだ?

「そろそろ、人間どもに我々の力がどれほどのものかを知らしめようと思うのだ。そのために、まずはアールリアの都市、オズベルを攻め落とそうと思う」

「オズベルを、ですか?」

「ああ。どうやら、その都市には、アールリアの中で一・二を争うほど強力な軍隊と冒険者がいるらしいじゃないか」

 魔王の言葉に、私は嫌な予感を感じていた。

 オズベルとは、アールリアの中で最も東に位置する都市のことだ。高い城壁に囲まれた要塞都市で、確かに国内随一ともいわれているほどの軍隊を持っているし、高いレベルの冒険者を抱えている都市でもある。

 冒険者とは、文字通り冒険をする者達のことだ。古代の遺跡や深い森に入り、モンスター討伐や薬草集めなどをする人種のことだ。

 そして、オズベルは確かに高い戦力を持つ都市だ。だが、そこに攻め入るということは、

「戦争を、始められるおつもりですか?」

 心なしか、声が震える。一生懸命震えを押さえようとするが、それでも声は震えていた。

 それに気づいていないのか、魔王は頷く。

「ああ、そうだ。勇者が来たのだろう? ならば、この世界について教えてやらないとな」

 見ると、魔王の目の前の机には、地図が開かれている。

 どうやら、私が来る前から、オズベルを攻めるのは考えていたようだ。

「オズベルを攻めるにあたって、そこでの指揮を貴様に任せようと思う」

 地図から顔を上げ、魔王は言った。

「貴様と、貴様の軍の力を試す良い機会だ。存分に暴れてくれ」

「……わかりました」

 頭を下げて命令を受け入れると、魔王はフッと微笑んだ。

「出発は明日。朝に行け。宣戦布告はしていないが、不意を突かれて滅びるような都市ならしなくても構わん。良いな」

「は」

「よろしい」

 魔王はより一層笑みを深くさせ、続けた。

「人間どもに思い知らせてやれ。魔界の王、悪魔の王の力を。良いな。オーディエル」

「は。必ず、オズベルを落として見せます」

「うむ。期待しているぞ」

 邪悪で、陰湿で、醜悪な笑みを浮かべる魔王に背を向け、私は部屋を出ていった。

 

 

 

 魔界の王、悪魔たちの王、オーディエル。炎冷め、すべての終焉を意味する灰を連想させる灰色の髪に、全てを見通す紺色の瞳と全てを害する紅の瞳を持つ。その容姿は絶世、紛うことなき美の化身であり、その白き姿は見た者を惑わせる。双剣の使い手であり、その力は魔界随一。膨大な魔力に力量、技術、オーディエルに勝る力を持つ悪魔は存在しないと言われている。

 人間どもが想像する私の像。まあ、的を射ていると言えば射ているが、誰がこんなことを広めたのだろうか。

 謎に思いながら、私の住む魔界に帰ってきた。

 魔界と一口に言っても、その見た目は千差万別。様々な見た目をした世界が存在している。

 その中で、私が住む世界は名を『惑わしの園』。無数に咲き誇る色とりどりの花の芳香が充満し、いつも月が照らしている。

 そして、園の中心に、私が住む城がある。

 見た目のほうは、まあ、人間の真似だ。特筆すべきところはない。

 ここは、いくつも存在する世の中で二番目に落ち着く場所だ。と言っても、一番と二番とでは大きな差があるのだが。

 城の中に入る。すると、

「お帰りなさい。姉上」

 と、一人の女性が立ち、こちらを見つめていた。

 長い藍色の髪を下し、黒い瞳はじっと下を見つめている。愛らしいというよりは凛々しい顔つきで、女の私でさえ惚れそうな見た目をしている。

 まあ、もともと女の子顔が好きっていうのもあるのかもしれないけど。

 そんなことはさておき、私は目の前に立つ女性に問うた。

「クロノンド。どうした」

「久々のお帰りです。お出迎えをしようと思いまして」

 目線を下げ、決して私の目を直視しないで、私の妹であるクロノンドは続けた。

「ただでさえ、姉上は召使いにお出迎えをさせておりません。ですので、せめて私が、お出迎えをしようかと思いまして」

「そう。お前、随分と暇なんだな。私を殺す算段でも立てていれば良いのに」

 冗談気味に言う。だが、クロノンドはピクリとも頬を動かさなかった。

「いえ、先のような愚行をすることは、もう金輪際ございません」

「冗談だ。お前がそんなことをしないのは分かっている」

 なにせ、お前は既に……いや、やめておこう。

 クロノンドの頭を撫でる。すると、彼女は嬉しそうに目を細めた。まあ、笑わないから不気味になっているだけだけど。

 ひとしきり撫でた後、私は手短に用件を伝えた。

「明日、オズベルという都市を攻め落とす。準備しろ」

「明日ですか」

「ああ。明日、朝には出発との魔王様からの命令だ。すぐに準備しろ」

「は」

 クロノンドは礼をすると、すぐに消えた。どうせ、お得意の瞬間移動でもしたのだろう。

 さてと、私は部屋に戻って、休むか。

 クロノンドが、私に不利になるようなことをしないということは分かっている。なにせ、そうした時の代償を、より深く知っているからだ。よく知り、見、体験した存在だ。よくわかるだろう。

 部屋に戻り、カギを閉める。これで、誰一人としてこの部屋には入れなくなった。

 今日は疲れた。もう寝よう。明日も早い。

 ベッドに潜り込み、目を瞑る。瞼の裏に浮かび上がるのは、一人の少年の顔だった。

「……はぁ、会いたいなぁ」

 こうして眠りにつく際、彼を抱きしめられたら、キスをして、彼に包まれ、息を感じられたら、どれほど素晴らしいことか。今の悩みを、重荷を、全て捨て去り、二人だけで幸せに暮らせたら、どれほど嬉しいことか。

 ……彼に、会いたい。

「……ハッ。何が魔界の王だ。何が悪魔の王だ。これじゃあ、ただのガキじゃないか」

 いや、欲望のままに彼を求めるあたり、雌豚みたいだ。ガキよりももっとひどい。

 そう思い、自分を叱責する。だが、彼を求めるこの欲は、収まらなかった。むしろ、更に肥大していった。

 結局、その日の夜、彼を求める欲が収まることはなかった。

 

 



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オズベル攻め

 今回の話は後々書き直すかもしれません。この話は一応仮です。


 

 

 翌朝。

 鏡の前に立って、私は鏡に映る自分を見つめていた。

 灰色の髪、紺色の両目、それらが、暗いフードの下で光っている。口元はマスクで隠れており、顔は見えなくなっている。

 全身を覆うのは、暗闇を呈する漆黒の鎧。動きやすいよう軽装になっている。背中にはマントがあり、背中を覆っている。

 あとは、これだけだ。

 私は、右手に持った剣を見た。

 直刃の剣だ。冷ややかな刀身は冷気を放っており、青色に薄く光っている。細身で、力自慢の男が本気で折ろうとしたら簡単に折れてしまいそうなほど、刀身は細かった。

 だが、決して折れることはない。この剣は、私の腕も同然なのだから。

 私は意を決して、剣を自身の胸に突き刺した。

 深々と突き刺した刃からは、血の代わりに青白い光が溢れ、空気に溶け込み、消えていった。

 貫通するほど深く突き刺し、私は剣を抜いた。

 ……こうでもしなければ人を殺せないなんて、我ながら哀れなものだ。

 自嘲気味に笑みを浮かべ、私は剣を消す。

 それもこれもすべて、あの子供のせいだ。あの子のせいで、私はこれほどまでに弱くなってしまった。

 今度会ったら、どんなお仕置きをしてやろうか。お尻を叩くのも良いな。いや、もうやめてと懇願するまでキスをしてやるのも良い。いっそのこと、ベッドに押し倒すか。

 ああ。……彼に会いたい。

 全く、剣の力で心を封じ込めたはずなのに、まだ私はこんなことを考えているのか。嫌になる。

 それに、今から私は人を殺しに行くのだ。人を殺した、血に塗れた手で彼に触ると思うと、吐き気がする。

 はぁ。ほんと、自分が嫌いだ。

 一人ため息を吐いていると、扉をノックする音が聞こえた。

 了承すると、扉を開けて、クロノンドが入ってきた。

「姉上。時間です」

「分かった。すぐ行く」

 最後に鏡に映る自分を見て、私は部屋を出ていった。

 城の外に出ると、数多の鎧が目に飛び込んできた。槍を持つ者。剣を持つ者。斧、鎌、槌、その他さまざまな得物を各々が持ち、目を爛々と輝かせ、私の命令を待っている。

 私は、大声で叫んだ。

「今から、我々は人間どもの都市を落としに行く。相手は人間だが、侮るな。弱い生き物ほど、己を守るために狡猾になるものだ。油断して差し出した手に傷を負わないよう、しっかりと、本気で攻めろ。良いな」

 返事はない。だが、彼らの瞳は今すぐにでも人を殺したくてたまらないといった光にあふれていた。

 そうか。それが望みであれば、叶えてやる。

 私は、呟いた。

「さあ、時間だ」

 

 

 

要塞都市オズベル

 

 広い平原のど真ん中にそびえる壁。それらに囲まれた要塞都市オズベル。

 その門の前に、一人の女がやってきた。黒いフード、マスクで顔を隠し、うつむき加減に歩いている。全身を黒い鎧で覆っている、大の大人の男でさえ見上げるようなほど背の高い女だ。

 見るからに怪しい風体の女。門番はたまらず声をかけた。

「お前、誰だ。ここへ何の用だ」

 女は答えない。

「聞こえなかったのか? 誰かと聞いている」

 手に持った槍の穂先を女に向けながら、門番は叫んだ。

 だが、女は答えない。ただ無言で、歩いてくる。

 怪しいと判断した門番たちは、一人を領主の屋敷に向かわせ、その場に残った全員で武器を構えた。弓兵は弓に矢をつがえて女に向け、槍兵は槍の穂先を女に向ける。剣を持った兵士は剣を抜き、構えた。

「これが最後だ。これ以上こちらに問いに答えなければ、攻撃するぞ。答えろ。お前は誰だ?」

 門番の問いに、女は歩きながら答えた。

「我は死神、世界の破壊者なり」

 手を広げ、女は顔を上げる。

 その目は、紺色に光っていた。

「我らは死、万物の終焉なり」

 瞬間、女の背後におびただしい量の鎧が現れた。槍、剣、斧、鎌、弓、盾、人を殺す、もしくは人と争うことに特化した武装をした鎧が現れ、こちらに迫り始めた。

 その数は、おおよそ一万はいる。

 女は叫んだ。

「やれ」

 刹那、鎧たちは一斉に走り出し、門番を襲い始めた。

 いくら武装していたとはいえ、相手を女一人だと思い込んだ門番たちは、突如現れた鎧たちに不意を突かれ、瞬く間に死んでいった。

 屍になり果てた門番たちを見下ろしながら、女、オーディエルは右手に持った剣を掲げ、オズベルを指した。

「さあ、攻城の時間だ」

 その言葉を皮切りに、無数の悪魔がオズベルに流れ込んだ。

 それを迎え撃つようにして、オズベルの奥からたくさんの人間の兵士が現れ、それぞれの武器を構えて突進してきた。

 その中の一人、槍を持った兵士が、オーディエルに向かってくる。

 オーディエルは右手の剣で兵士の槍を後方に受け流し、そのまま槍の柄に刃を滑らせ、兵士の腕を切り落とした。

 悶絶する兵士の顔面を剣で突き、殺した後、オーディエルは周囲を見回す。

 無数にいる悪魔の兵士が、人間の兵のみならず民間人にまでその武器を輝かせている。道は既に、犠牲となった哀れな人間で埋め尽くされており、足の踏み場がなくなっていた。

 次に向かってきた兵士を武器ごと切り裂いて殺し、遠くから弓を撃ってきた兵士に急接近、頭を握りつぶした。

 そうしながら領主の屋敷に向かっていると、突然目の前が開けた。どうやら、大広場にたどり着いたようだ。

 大広場には誰もいなく、閑散としていた。

 おかしいな。普通、大広場に民間人を集めるものなのだが。

 そう不思議に思っていると、頭上から気配がして、オーディエルは後方に跳び退り、先ほどまでいた場所に付き従っていた悪魔を召喚した。

 すると、悪魔は一瞬で金色の光に飲み込まれ、姿を消していった。

「ほう。やはり、悪魔はこの攻撃に弱いのか」

 声が聞こえ、オーディエルはその方向を見た。

 すると、そこには先ほどまで悪魔と戦っていた兵士たちとは見るからに違う装備をした人間たちが立っていた。

 なるほど、冒険者たちか。

「なぜ、悪魔と分かった?」

「私のこのメダルに反応したからですよ」

 冒険者の列から、一人の若い司祭らしき人間が現れた。確かに、胸に光るメダルを帯びている。

 ほう、悪魔を探知するメダルか。確か、人間が開発した新しい装備だったか。

「さすがだな。この街の噂は聞いている。凄腕の冒険者がそろっているそうじゃないか。お前たちもそのうちの者か」

 一人感心していると、背中に大きな剣を背負った人間が叫んだ。

「ああ、そうだ。自己紹介がまだだったな。俺の名はガイム。ここの冒険者ギルドのマスターだ。お前は?」

「ハッ。人間に名乗る名はない。せいぜい考えることだな」

「ほう。こりゃまた、随分と威勢の良い悪魔様だ」

 ガイムと名乗ったギルドマスターは、口元に笑みを浮かべながら背中の剣を抜いた。

「この剣を知っているか?」

 ガイムが手に持つ剣。その剣に見覚えはないが、なんだかあまり好くような雰囲気はしていない。

「さあな。知らん」

「そうか。これはな。デビルブレイカーって名前の剣なんだ」

 大きい剣を試すように振りながら、ガイムは言った。

「それで、その剣がどうした?」

「分からないか? デビルブレイカーはな。悪魔を殺すために作られた剣なんだ。一般の魔物にもよく効くから使っているが、これの本領は悪魔相手に発揮される。例えば、お前とかな」

 こちらを威嚇するように睨みながら、ガイムは続けた。

「今まで数々の悪魔を殺してきた。だが、お前のような女は初めて見た。どうせ、名の知れない弱い悪魔なのだろう? 遊ぼうぜ。この剣相手に、お前がどれほど耐えられるか試そうじゃないか」

 笑いながら剣を構えるガイム。

 ……。

「……ふふっ」

「何?」

 先ほどまで笑みを浮かべていたガイムが眉を顰める。

「お前、何笑ってるんだ?」

「おや、失敬失敬」

 オーディエルはわざとらしく口元を隠し、目を細めた。

「お前の言葉が面白くてな。つい笑ってしまった」

「お前、舐めてんのか?」

 ガイムの目が鋭くなる。戦闘準備をしているのか、その体から蜃気楼のようなものが浮かび上がっていた。

 だが、オーディエルはそれを意に介したそぶりを見せず、更に笑みを深くした。

「申し訳ないが、お前では相手にならんだろう。その場にいる者達を合わせても、余興にもなるまい」

「はぁ?」

 呆気にとられるガイム。すぐにその顔を怒気に染め、叫んだ。

「じゃあ、やってみようじゃないか。御託は抜きにして、さあ!」

 そう叫ぶと、ガイムは剣の切っ先をオーディエルに向け、一気に距離を詰め、攻撃してきた。

 だが、

ガキンッ

 と、甲高い音が木霊し、ガイムの剣は防がれた。

「ば、馬鹿なっ」

 ガイムの顔が驚きに染まる。無理もない。彼の剣は対悪魔専用の強力な武器。その真価は、悪魔の力が強ければ強いほどその効力を増す。

 だと、言うのに、

「なぜ、お前は」

 ガイムは叫んだ。

「なぜおまえは、この剣を素手で受け止めているんだ!?」

 その言葉に、オーディエルは剣を受け止めた左手とは逆の手、右手に一本の剣を生み出した。

「この剣が、なんだかわかるか?」

 オーディエルの問いに、ガイムは一旦オーディエルから距離を離し、答えた。

「いや、知らない」

「そうか。お前は対悪魔用の武器を持っているようだが、悪魔に関する知識はないようだな」

 嘲笑うように言って、オーディエルは剣を目の前で水平に構え、刀身を撫でた。

「この剣は、名をディスレイブという」

「ディスレイブ?」

 ガイムの反芻に、オーディエルは頷く。

「ああ。意味は『縛られる者』だ。この剣はな。物事全てに限界を設けるものなんだ」

「限界を?」

「ああ。物事に限界を設けたり、制限を設けたり、また万物を封印したりな。この剣は、そういった存在そのものを歪める剣なんだ」

 子供が悪戯のタネを披露するかのように楽しげに、オーディエルは答えた。

 だが、オーディエルの笑顔と対照的に、ガイムの顔が絶望に歪む。

「まさか、お前が持つ剣が、ディスレイブだというのか」

「ああ、そうだ。形あるものの存在を歪める剣、ディスレイブ。これが、私が持つ一本目の剣だ」

「一本目?」

「ああ。普段は二本剣を使うのだが、人間相手じゃ一本で十分かなと思ってな」

 だが、これもついでだ。もう一本を生み出そうか。

 オーディエルは左手を前に突き出した。そのままゆっくりと手を握る。すると、オーディエルの手の中に一本の剣が浮かび上がった。

 それは曲刀だった。細身の刀身は炎に包まれ、揺らめいている。ほのかに赤い刀身は、高い魔力を含んでいるのかわずかに景色が歪んでいる。

「それは、まさか」

 ガイムが悲痛の声を上げる。どうやら、私の正体がわかったらしい。

「まさか、お前は、オーディエルか」

「ご名答」

 ニヤリと笑みを浮かべ、オーディエルは嬉しそうに笑った。

 左手の曲刀は、名をアンカルグ。万物の制限を取り払う剣だ。説明は、まあ、使ってみてのお楽しみだ。

 オーディエルは笑みを深くさせながら、剣を構えた。

「さあ、来い。人間。楽しもうじゃないか。どちらが先に屍となるか」

「くっ。行くぞ。オーディエル」

 一時はひるんだガイムだったが、すぐにオーディエルを睨みながら、剣を構えて向かってきた。

 一瞬でオーディエルとの距離を詰め、上段から剣を思いきり叩きつけてくる。剣の重さも乗ったその一撃は、大木を真っ二つに斬るほどの力が込められていた。

 だが、それをオーディエルはアンカルグで受け止め、空いた胴体にディスレイブを叩き込んだ。

 吹き飛ぶガイムの体。広場の端から端まで吹き飛び、地面を数回跳ねて止まった。

 だが、生きているはずだ。威力を制限したのだから。

 咳き込みながら立ち上がるガイム。その姿を見つめながら、オーディエルは言った。

「貴様。先ほど私に向かって弱い悪魔と言ったな」

 仲間の回復魔法を受けるガイムを嘲笑うかのように、オーディエルは見下しながら言った。

「私が弱いのであれば、弱い私に傷一つ負わせられない貴様は一体なんだ? 弱者に寄生する害虫か?」

「くっ、黙れ! 悪魔め!」

 立ち上がり、剣を構えるガイム。

 いつの間にか、ガイムの周囲、ひいてはオーディエルの近くに、冒険者たちが集まっていた。目に闘志を宿して、各々の武器を構えながら。

 その中の一人が言った。

「悪いけど、この街は渡さない。何としても守る!」

「そうだ。悪魔の王だか何だか知らないが、この国は人間の国だ。悪魔に渡してなるものか!」

「うん。私達は、絶対に負けない!」

 などなど、一人を皮切りに何人もの人間たちがそう叫び、魔術師は魔法を、戦士は武器を、それぞれ構えた。

 それを見て、オーディエルは、笑みを深くさせた。

「ほう。面白い。さすが人間だ。雑草のように根性があるな。そこは評価しよう」

 だが、

「根性でどうにかできるほど、この世は甘くないぞ」

 そう言って、オーディエルは二本の剣を構えた。

「さあ、来い、人間ども」

 その言葉を皮切りに、無数の人間がオーディエルに迫った。

 魔術師は杖を振るい大きな火球や氷の矢、雷、土の槍を放ち、戦士は剣や斧を振りかざして迫り、僧侶や司祭は光の力を使って悪魔祓いの魔法をかけ、弓使いは無数の矢を放ち、それぞれが持てる最大級の力をもってして、オーディエルを攻撃した。

 その中には、吹き飛ばされたガイムの姿も。デビルブレイカーを振りかざして、ガイムは先陣を切り、オーディエルに迫った。

「これで、終わりだ。悪魔ぁー!」

 一斉攻撃はあまりにも苛烈で、その余波で近くの建物が壊れるほどだった。

 建物は崩れ落ち、草木は灰と化し、地面はえぐれ、災害が起こった後のように、その場には破壊のみが横たわった。

 だと、言うのに、

「なぜだ」

 煙が充満する広場で、ガイムは叫んだ。

「なぜ、これほどの攻撃を受けて、生きているんだ。貴様はぁ!」

 その言葉に答えたのは、心底落胆し、心底失望した声だった。

「この剣の効果を忘れたか? この剣は、万物に制限をかける力を持つ」

 片腕を振り、煙を弾き飛ばして、傷一つない体を太陽の下で晒しながら、オーディエルは答えた。

「この剣で、お前らの攻撃力に制限をかけたに過ぎない」

「くっ、卑怯者が」

「卑怯か。そうか」

 冷めた目で冒険者たちを見つめて、オーディエルは言った。

「確かに卑怯かもな。だが、力を使わなくとも、貴様らの攻撃で私が傷つくことはなかっただろうな。せいぜいが、鎧が壊れる程度か」

「なに?」

 驚きの声が巻き起こる。それらの声を意に介さず、オーディエルはガイムの言葉のみ反応する。

「この鎧には、なんの魔法もかかっていない。素材も、この世界のものだ。だから、あれほどの攻撃を受ければすぐに壊れてしまう。だから、力を使ったのだ」

「……なぜ、鎧が壊れることを恐れた?」

 静かな問いに、オーディエルはフッと自嘲気味に笑って答えた。

「貴様らに、私の裸を見せたくなかっただけだよ」

「何? それだけか?」

 肩透かしを食らったかのようなガイムの発言に、オーディエルは手を振って答えた。

「ああ。私の裸体を見せるのは、彼だけだと決めているのでな」

「ほう。彼か。悪魔の王にも、慕う男がいるのだな」

 ガイムはすべてを諦めたかのような声で呟き、剣を地面に放り投げた。

「降参だ。好きにしろ」

「なっ。マスター!」

 冒険者の中から声が飛び出す。

「マスター。何諦めてんだよ。まだ戦いはこれからだろ」

「そうですよ! どうしてここで諦めるんですか」

「なぜ諦める、か」

 自嘲するかのように笑い声を上げ、ガイムは答えた。

「俺の剣も効かない。みんなの力を合わせても、こいつには傷一つ与えられていない。これで、どう勝てっていうんだ」

「だが———」

「ギルドマスターの言葉には従ったほうが良いぞ。人間」

 そばの悪魔の言葉を聞いて、オーディエルは声を上げた。

「たった今、報告があった。領主は死んだ。これが証拠だ」

 そう言って、先ほど悪魔が持ってきた首を放り投げる。

 それを見て、冒険者の中からすすり泣く声が聞こえた。

 ガイムが口を開いた。

「もう、全てが終わったのか」

「ああ、貴様らはどうする? 逃げるか? 戦うか?」

「……」

 ガイムはしばし思案顔になり、やがて笑いながら答えた。

「こいつらを逃がしてくれ。頼む」

 そう言って、頭を下げた。

「お前はどうする?」

「煮るなり焼くなり好きにしろ。だが、こいつらだけは、見逃してくれ」

「マスター……」

 冒険者が見つめる中、オーディエルは後ろを向き、ため息を吐いた。

「もう効果が切れたのか。早いな」

「なにがだ?」

「なんでもない」

 頭を振って、オーディエルは自身の背後を指さした。

「近くに冒険者ギルドがある街があるだろう。そこへ行け。幸運を祈る」

「そうか。感謝する。俺はどうすれば良い?」

「知るか。せいぜい、冒険者どもを連れて逃げるんだな。あんたならできるだろう?」

「……見逃すっていうのか」

 あり得ないとばかりに驚きの表情を浮かべるガイムに、オーディエルはフッと微笑んで答えた。

「あんたの力は中々なものだ。次に会うときは、もっと強くなっていることを願うよ」

「……ハッ。できれば二度と会いたくねえよ」

 そう笑って、ガイムは剣を拾い、冒険者を連れてオズベルを出ていった。

 残されたオーディエルと部下の悪魔は、去る冒険者たちの背中を見つめ、元の世界に帰っていった。

 

 

 

「よくやったぞ。オーディエル」

 魔王城に戻った私は、オズベルの領主の頭を持って魔王に謁見した。

 オズベル陥落の報告を受けた魔王は、笑みを浮かべて私の報告を聞き、最後にそう言った。

「さすがは悪魔の王。人間どもの城を落とすのは容易かっただろう」

 嬉々とした声を上げて、魔王は喜びを口にする。たかが人間の都市を一つ潰した程度で喜ぶとは、世界を手中に収めた日には、酒池肉林と大騒ぎになりそうだ。

 冷めた目で見つめる私の視線を意に介したそぶりを見せず、魔王は言葉を続けた。

「さてと、これで準備は整った。あとは、勇者が来るのを待つだけだ」

「こちらから仕掛けないのですか?」

 そう問うと、魔王は口元を歪めながら答えた。

「ああ。何でも、人間どもが読んでいる物語では、勇者は魔王城、つまりここで、魔王と対峙するそうだ。ならば、その通りに事を運ぶのも悪くはない」

 なるほど。つまりただの悪ふざけか。つくづく嫌な奴だな。魔王は。

 心の中でそう思っていると、不意に魔王が立ち上がり、私に近寄ってきた。

 そして、私の頬に手を当て、ゆっくりと線をなぞる。

「事が成就した暁には、貴様にこの世界の半分をくれてやろう」

「……」

「どうした? 半分では不満か?」

「いえ。ありがたき幸せに存じます。魔王様」

 頭を垂れ、礼を述べる。

 だけど、どうして魔王は、自分ばかりそう優遇するのだろうか。これといった成果は上げていないはずなのだが。

 そう不思議に思っていると、背後で扉が開く音が聞こえた。

 振り返ると、そこには黒いローブを来た影が立っていた。

「魔王様。少々、お耳に入れたいことがございます」

「なんだ? その場で話せ」

「はい」

 影は頭を下げながら、言葉を続けた。

「先ほど、アールリアの首都ローレンに滞在していた勇者一行が街を離れたと、報告がありました」

「そうか。どこに行くのだ?」

 勇者と聞いて興味が湧いたのか、口早に先を促す魔王。

 影はそれに答えた。

「はい。なんでも、落とされたオズベルに向かうため、リーマスに向かったとのこと」

「リーマス? それはどこだ?」

「特筆すべき点のない、平凡な町でございます」

「そうか。だが、勇者が来たとなれば、大騒ぎになるだろう」

 そう語る魔王。だが、私は表面には出さなかったものの、思わず唖然としてしまった。

 リーマス。リーマスって、彼がいる町じゃない。そこに勇者が来たの?

 動揺していると、魔王はこちらを向いた。

「勇者が来たとなれば、こちらも準備せねばな。せっかくオーディエルが落としてくれた街を奪い返されては、オーディエルの頑張りが無に帰してしまう。オズベルに軍を配置しろ。指揮はお前に任せるが、オーディエルの指示に従うこと。良いな?」

「は」

 影は一礼して、部屋を出ていった。

 残された私に、魔王は笑みを浮かべて言った。

「貴様は良く働いた。少し休暇をやろう。休め」

「ありがとうございます」

 礼をして、私も部屋を出る。

 どうして、あそこまで魔王が私を優遇するのかは分からない。なにか裏がありそうで怖いな。

 だけど、休暇を貰ったのだから、面豪事は考えずに彼に会いに行こう。勇者のことは、あとで考えれば良い。

 今は、あの子に会って、思いきり慰めてもらわないと。

 私は軽い足取りで、リーマスに向かった。

 

 

 



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飾りつけ

 


 

「ふぅ、ついた」

 いつものワンピースを身に纏った私は、意気揚々とリーマスの門の前に降り立った。

 そのまま町を見るが、なんだか様子がおかしい。町の人が慌ただしく道を右往左往し、手にいろいろと飾りを持っている。 

 どうしたんだ?

「あ、エスルアさん」

「どうも」

 近くの門番が私に気づき、声をかけてきた。

 ちょうど良い。聞いてみよう。

「あの、これは何の騒ぎですか?」

 すると、

「何って、エスルアさんは聞いていないんですか? 勇者様が、勇者様がこの町にいらっしゃるんですよ!」

 と、興奮気味に門番は叫んだ。

 ああ、そういえば、勇者が来るんだったな。すっかり頭の片隅に置き去りにしていた。

「それで、勇者様が来るから、こうして町を飾っているんですか?」

「そうです。勇者様がいらっしゃるんですから、こうしてお出迎えの準備をしないと———」

「おい、なにエスルアさんと話してんだ。こっち来て手伝え!」

 と、遠くから声が飛んできた。門番は私に一礼して、声のしたほうに走っていった。

 そうか。じゃあ、カノンも準備に追われているか。これじゃあ、遊び相手にはなってくれそうにないな。

 そう思い、リーマスを去ろうと背中を見せた、その時だった。

「エスルアさん!」

 と、声が聞こえた。今、この世で最も聞きたかった声が。

 思わず笑みを浮かべ、私は振り返った。

「カノン!」

 カノンは笑みを浮かべて、こちらに走り寄ってきた。

 そのまま私の前で止まる。てっきり私の胸に飛び込んでくるかと思っただけに、少し残念だ。

 まあ、そこは強引に抱きしめたのだが。

 胸の中で彼の体温を感じていると、カノンは顔を上げてこちらを見た。その目は、喜びに染まっていた。

「聞きましたか? 勇者様がいらっしゃるんですよ!」

「ああ、聞いたよ。何でも、勇者様一行が、この町に来るんだってね」

「はい! なので、町の人全員で準備をしているんです。まあ、僕は家の手伝いをしているだけですけどね」

「家の手伝い?」

「はい。お父さんが町の飾りつけに行ったので、お母さんと僕とで宿屋を飾り付けてるんです」

 そうだったのか。つまり、カノンは宿屋にいるのか。

 まあ、それでもカノンが私の相手をしてくれないことは分かっているが。

 半ばがっかりしていると、カノンがこんな提案をしてきた。

「それで、エスルアさん。今暇ですか?」

「ええ、暇だけど」

「なら、僕と一緒に飾りつけしませんか?」

「え? 飾りつけ?」

 カノンは笑顔で頷いた。

「はい。一緒にやれば、きっと楽しいですよ」

「……」

 飾りつけか。やったことないし、考えたこともないな。

 だけど、カノンと一緒にやれるのか。なら、やってみようかな。

「うん。一緒にやろっか」

「はい!」

 こちらの心が癒されるような笑顔を浮かべて、カノンは私の手を引いた。

 カノンに連れてこられ、私は彼の家である宿屋についた。既に外観には花やこの国の紋章が掲げられており、一通り飾りつけは終わっているように見えた。

 ということは、中か。

 私の手を引き、カノンは中に入った。

 中に入ると、椅子の上に立って壁の上部の飾りつけをしている母親が目に入った。

「お母さん。エスルアさんを連れてきたよ」

 カノンの言葉に、母親は振り向いた。

「まあ、エスルアさん。どうしてここに?」

「こんにちは。いえ、カノンに会いたくて」

 頬を掻きながら答えると、母親はニコリと笑みを浮かべてそれに応じた。

「そうだったの。ごめんなさいね。この子は今うちの手伝いをさせてて」

「いえ、構いませんよ。それに、この子に手伝ってくれと頼まれましてね」

「そうだったの。全く、お客様にそんなことを頼むなんて」

 ムッとした表情を浮かべてカノンを見つめる母親。カノンは私の後ろに隠れるように移動し、半身だけだして言った。

「だって、せっかく来てくれたのに帰すのもなんでしょ。一緒に飾りつけしたほうが楽しいのに」

「それでも、エスルアさんは忙しい身なんだから、あんまり困らせちゃダメでしょ」

「けど———」

「けどじゃない」

 少し怒り気味に言って、母親はこちらを向いた。

「ごめんなさいね。この子ったら、あなたに甘えてて」

「平気ですよ。それに、私もこの子に甘えられて幸せですから」

 そこまで言ってハッと口を押える。まずい。本音が出てしまった。

 案の定、母親は私の言葉を聞き逃さず、意地の悪い笑みを浮かべた。

「あらそう。なら、一緒に手伝ってもらえる? 私は夫のほうを手伝いに行くから」

「分かりました。お任せください」

 先の発言をごまかすように胸を張って、私は答えた。まあ、ごまかせてないのは自分でもわかるが。

「そう。じゃあ、あとは任せたわね」

 手を振って、母親は宿屋を出ていった。

 残された私とカノン。ひとまず、私はカノンに問うた。

「それで、飾りつけは何をすれば良いの?」

「はい。壁の修復は済んだので、あとはお花などの装飾を壁にかけるだけです」

 近くの机に置かれていたリースを手に取り、カノンは言った。

 なるほど、これを壁にかければ良いのだな。

「高いところは私に任せて」

「はい。椅子は必要ですか?」

「君、少し私の身長を馬鹿にしてないかい?」

 私、君の身長の倍近くあるのだけど。

 そう言うと、カノンは慌てて謝罪の言葉を述べた。

「ご、ごめんなさい。別に馬鹿にしたわけじゃ」

「まあいい。今度君のベッドに押し入るから、覚悟しときなさい」

「っ! そ、それだけは……」

 戦慄しているのか、鳥肌を立てるカノン。なに、私がベッドに押し入るのがそんなに嫌なの?

「君、私のこと嫌い?」

「い、いえ、大好きです!」

「じゃあ、なんでベッドに入るって言ったら鳥肌立ててんの?」

「いや、それは……」

 言い辛そうに口の中で言葉を転がしながら、カノンはこちらを見上げた。

「だ、だって、エスルアさん。すぐに変なことを言うから、襲われそうで」

 ……。

「……○○○したくないの?」

「ちょ、そ、それを子供相手に言いますか!?」

 慌てた様子で、カノンは大声を上げた。

 いや、だって、

「私、確かに君のことを襲うつもりで言ったけど、もしかして襲われたくない?」

 カノンの目を見つめながら問うと、彼は目を背けて答えた。

「いえ、う、嬉しいですけど」

「じゃあ、どうして嫌がるの?」

「だ、だって、僕、まだ子供で……」

 リンゴ並みに顔を赤くしたカノンは、蒸気が出そうなほど顔を熱くさせた。唇を噛み、恥ずかしさをこらえるように目線を下に向けている。

 何、そんなに恥ずかしいの? しょうがないなぁ。

「わかったわかった。私が悪かったよ。さっきの言葉は冗談だよ冗談」

 全く、この程度で赤面するなんて、初々しい奴め。

「いい加減にしてください。僕だってもう前みたいな子供じゃないんですから」

 抱きしめながら頭を撫でると、カノンは怒ったように口を開いた。

 そうか。なら、

「へ?」

 体を離し、頭なでなでをやめると、カノンは途端に寂しげな表情を浮かべた。

「なに寂しそうにしてるのさ。もう君は大人なんだろ? なら、こんなことされなくても平気だよね?」

「い、いや、それは……」

 口の中でゴニョゴニョしているカノン。

 そうかぁ。カノンも大人かぁ。確かに抱きしめられなくなったり簡単にキスできなくなったりすると寂しい感じはするが、これも成長だ。仕方ないな。

「あ、あの、エスルアさん」

「ん? どうした。青年」

 カノンの目を覗き込むと、彼は涙目になっていた。

「……僕の負けです」

「なにが?」

「僕の負けです!」

 大きく叫んで、カノンは私の手を掴み、自身の頭の上に乗せた。

「な、ナデナデしてください」

「……どうして? 君はもう大人なのだろう?」

「……僕、子供のままで良いです」

 屈辱だ。とでも言いたげに唇を噛みながら、カノンは言葉を続けた。

「子供のままで良いですから、今まで見たく接してください。お願いします」

 ……。

「カノン」

「はい」

「君、実は受け身だろ?」

「何の話ですか?」

「こっちの話だ。さ、飾りつけをしよう」

 立ち上がり、宿屋の中を見回す。あまり広くはないが、飾りつけ初心者と子供じゃ時間がかかるだろう。早くやろう。

「あ、あの、エスルアさん?」

「さてと、これをどう飾り付ければ良いんだ? ……どうした、カノン」

 こちらをじっと見つめるカノンに問いかける。すると、彼は寂しそうに答えた。

「あの、僕が言ったことは?」

「知らない。さあ、早く飾りつけの仕方を教えてくれ」

 そう言うと、カノンは寂しそうを通り越して絶望したような表情を浮かべた。

 はぁ~。これだから、私も君から離れられないんだよ。

 カノンの耳元に近づき、囁いた。

「これが終わったら、たっぷりと遊んであげる」

「ふっ。は、はいぃ~」

 だから、耳元で囁かれたくらいでいちいち跳ねるな。

 

 

 



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今後について

 

 

「そこにはこれをかけてください」

「分かった。……これで良い?」

「ああ! 斜めってます! やり直してください」

「え? どこが」

「そこが曲がってるじゃないですか。やり直し!」

「えぇ? 分からないよ……」

 ったく、紋章でいちいち騒ぐなよ。

 そう内心で思いつつ、私はアールリアの紋章を壁に掛けた。

 その作業を終え、宿屋の中をざっと見まわす。

 天井から下がるのは着色されたガラスを用いたランタンで、色とりどりの光が室内を照らしている。壁には様々な花が飾られ、無機質な木の板に彩を加えている。果物の香りについた香が試験的に焚かれており、濃厚な香りが充満していた。

 これは、カノンの誕生日並みに豪華な装飾だな。

「これを見ると、君の誕生日を思い出すなぁ」

「それ、何年前の話ですか?」

 苦笑して、カノンが問うた。

 あれは確か……、

「四年前だっけ?」

「ええ。僕が八歳のころまでですね」

 そうだ。九歳の誕生日から、本人が恥ずかしがってやらなくなったんだったっけ。

 だが、色ガラスのランタンも、リースも、香も、その当時使っていたものを今も使っている。とっておいたのか。

「僕も驚きましたよ。あの時のものが残っていたなんて」

「私も驚いた。親ってとっておくものなんだねぇ」

 カラフルになった室内を見回して、二人して感慨深げにつぶやく。

 不意に、カノンがこちらを向いて問いかけてきた。

「エスルアさんの両親も、こうして思い出の品をとっておいたりしたんですか?」

「私の親?」

 その質問をされた途端、先ほどまで温かいものが広がっていた胸に穴が開いたかのような感覚に陥った。冷たい隙間風が吹きすさぶ、大きな穴が。

 思わず胸を押さえ、私は答えた。

「どうだろうね」

 私の親は、知らないな。

「エスルアさん……」

 下げていた手が温かいものに包まれる。

 下を向くと、カノンが私の手を両手で握りしめていた。今にも泣きだしてしまいそうな瞳をこちらに向け、心配げに見つめている。

 ……全く、この子ったら。

「大丈夫だよ。私は平気」

 頭を撫でると、カノンは気持ちよさそうに目を細め、笑った。

 大丈夫。今の私には、カノンがいる。カノンだけがいれば、あとはどうだって良い。そうでしょ? 私。

 心の中で慰めるように言葉を発する。幾分か落ち着いた私は、綺麗になった室内を見回して言った。

「さ、準備は終わった。あとはゆっくりしよ?」

「そうですね。ゆっくりしましょうか」

 そう答えたカノン。その頭を、私は羽交い絞めにし、顔を胸に押し当てた。もちろん、口の部分を開けて。

 するとどうなるか。答えは、

「……って、え?」

 私は驚きの混じった瞳で、胸の中でじっとしているカノンを見つめた。

 いや、私の予想では、このまま赤面して「やめてください!」って叫んでもがくかと思った。のだが、今の彼はやけにおとなしい。まるで飼い主に抱かれている猫だ。

 なに、とうとう私の変態性がうつったか。胸の心地よさに目覚めたのか。それとも、私のことを女として意識していない?

 嘘でしょ。そんなことある?

 いや、まさか、そんなことはあるまい。だって、この前カノンは私に言ったじゃないか。私の中で一番大切な人になりたいって。だから、私を女として意識していないということはない。

 じゃあ、どういうこと? なに、本当に私の変態性がうつった? この子も変態になっちゃったの!?

 それはそれで……アリだな。

 とまあ、一人でくだらないことを考えている間も、カノンは私の胸の中でじっとしていた。

 突然な発言になるが、私の胸はそれなりに大きい。カノンくらいの大きさの子の顔が半分以上埋まる程度には大きい。そして、今までその大きさで縮んだことはない。

何を言いたいかというと、カノンが私の胸に心地よさを見出すことはあり得ない話ではない。だから、彼がこの状態でじっとしていることについての理由は、簡単に想像できる。

出来る、のだが、今までの彼の言動を鑑みると、その可能性はおのずと消えていくのだ。だって、この子、恥ずかしがり屋だし。

 だからこそ、こうして固まっていることが不思議に思える。どうしたのだろうか。

「ねえ、どうしたの?」

 思わず問う。すると、

「……エスルアさん。飾りつけを始める前、僕のことを大人って言いました。大人だから、今まで見たく接しないって」

「うん。言った」

 それが?

 目で問うと、カノンは頬を膨らませて、少し怒ったような口調で言った。

「僕、子供で良いです」

「は?」

「僕、子供で良いです!」

 叫び、ぎゅっと私に抱き着いた。

 そのまま、上目遣いにこちらを見て、カノンは続ける。

「その代わり、今まで見たく、何かあったら頭を撫でたり、悪戯したり、いろいろと、してください」

 ……。まずい。

「カノン」

「はい———ひゃっ!」

 思わず力強く抱きしめる。

 カノンの小さく細い体は、私の体に埋まった。

 腕の中に小さな命の熱を感じて、私は目を閉じ、彼の額に口づけした。

「……わかった。今まで通り接するよ。けどね」

 目を開け、カノンの目を見つめる。カノンの、漆黒の瞳を。

「カノン」

 名を呼ぶと、カノンはか細い声で返事をした。

「はい」

 視線と視線が交差する。じっと見つめるカノンの黒い瞳に、私の紺色の瞳が映りこむ。まるで、互いの視線を溶かしあい、一つの塊としているように。

 不思議な引力に導かれ、私は自身の唇をカノンの唇に近づけた。カノンのほうも、唇を近づけている。

 息の香りまでが感じられ、私は頬が蕩けそうになるのを必死にこらえた。カノン。君、吐息まで甘いんだな。

 そして、唇が当たる寸でのところで、私は言った。

「……○○○しよう」

「っ! 馬鹿野郎!!」

 突如叫びだし、カノンは私の腕の中で大暴れした。

 こら、暴れんな!

「なんでよ! なんであの雰囲気でそんな下品なこと言えんの!?」

「いや~、カノンがあんまりにも可愛くて、つい」

「ついじゃないよついじゃ! いい加減にしろ!」

「てへぺろ!」

「てへぺろじゃねぇよ」

 その後も暴れ続けたカノン。まあ、私の筋力にかかれば、カノンを押さえつけることなんて容易いのだが。

 細腕だからって、舐めないでもらいたいね。へへん。

 そんな感じで、顔を真っ赤にしながらも落ち着き、椅子に座ったカノン。その前に椅子を持ってきて座り、私は彼の頭を撫でた。

「悪かったよ。ごめんね? 私のせいです」

「……許さない」

 そっぽを向いてすっかりへそを曲げたカノンは、そのままこちらを見向きもせずに私が仲直りの証として買ってきたリンゴパイを頬張っている。

 にしても、食い方綺麗だよなぁ。口の周りにつけないんだもの。

 ……。

「カノン。お願いだからこっち向いて?」

「嫌です。せっかくの雰囲気を壊したこと、許してませんから」

「そんなこと言わずに、お願い」

 頭を下げる。すると、視線がこちらを向いた。

 すかさず頭を押さえ、こちらに固定する。カノンが暴れようとするのを、力で押さえつける。

「な、何するんですか———」

「じっとして」

 カノンの頭を押さえつけ、私は、

「っ!!」

 口の中に、リンゴパイの甘味とカノンの甘味が広がる。唇の感触が鮮明に脳を刺激し、興奮となって体を熱くさせた。

 強引にカノンの唇を奪った私は、そのまま彼の体を抱きかかえ、羽交い絞めにした。

 小さな心臓が激しい鼓動を刻むのが感じられる。ドキドキしているようだ。

 そう。私のキスでドキドキしてくれているのかな。それだったら、嬉しいな。

 唇を離し、小さな体を解放する。すると、彼はこちらに倒れこんできた。

 すかさず抱きかかえ、彼の瞳を覗き込む。

「……どうして」

 か細い声で、カノンは言葉を紡いだ。

「どうして、キスをしたんですか?」

 どうして、か。

「う~ん。なんとなくかな」

「なんとなく、ですか。いつもそう答えますよね」

 落胆したのか、声のトーンが下がるカノン。この答えでは満足いかなかったようだ。

 ならば。と、私はカノンの耳元で囁いた。

「君が怒っているから、謝罪の気持ちを込めてキスをしました。この答えで満足?」

「僕が、怒ってるから?」

「うん。君が嫌がったらやめようと思ったけど、嫌がらなかったからね。だから、キスをしたの」

「そう、ですか。でも、毎度キスが熱いんですよ」

 愚痴をこぼすように述べたカノン。

 キスが熱い? 

「どういう意味?」

「キスの時間が長いですし、羽交い絞めにしたりしますし、もう少し軽くしてください」

「軽く? 例えば?」

「た、例えば?」

「うん。実践して見せてよ」

 彼を見つめながらそう言うと、カノンは目を瞑り、意を決したようにこちらの唇に自身の唇を押し当ててきた。

 その後、すぐにカノンは唇を離した。一秒にも満たない短いキスだった。だけど、

「……変ね。体が熱いわ」

 不思議と体から熱が発せられた。その熱は私を飲み込むと、すぐに私の体を燃やすように熱くさせた。

 けど、不快じゃないわね。むしろ、心地良いかも。

 これが、恥ずかしいっていう、気持ちなのかな。

 似たような感覚を最近味わったような感じもしないではないが、あの時とは比較にならないほど、体が熱く、顔が熱い。

 だけど、これは、癖になる。

「か、カノン」

 なぜか声が震える。本当にどうしたのかな。カノンの前で声が震えるなんて。

「は、はい。何でしょう」

 こちらを見るカノンも、頬が赤くなっている。彼も恥ずかしいようだ。

 そう、だよね。この子がキスをせがむことはあっても、実際にキスをするのは、ここ一年の中で初めてだもの。恥ずかしいよね。

 けどね、私も恥ずかしいの。

「……キスってさ。恥ずかしいね」

「そ、そうですね」

 ……七年も一緒にいて初めて、キスが恥ずかしいと感じた瞬間だった。

 けど、本当に、癖になる。

「ね、ねえ、カノン。もう一度、しましょ?」

「ど、どうして?」

 こちらを見るカノンの両方の頬に手を当て、私はカノンの顔に自分の顔を近づける。

「私のこと、許してくれた?」

「へ? は、はい。許しました」

「そう。なら、仲直りの証として、しましょ」

「は、はい。わかりました」

 今度は、長い時間をかけて、ゆっくりと。

 私はカノンの顔に自分の顔を近づけた。彼の瞳が私に染まり、息が熱くなる。

 ……不思議。本当は、ここでド下ネタをぶち込もうかと思ったのだけど、今はそんな気が起こらない。むしろ、初心になったかのように、緊張で体が動かない。何かの催眠にかかったかのように体が言うことを聞かず、ただ無心に、カノンの唇に迫っていた。

 そして、互いの唇がぶつかり合う、その時だった。

 

ガラン

 

「「っ!!」」

 慌てて顔を離すと同時に、外から一仕事を終えた男たちが入ってきた。皆、額に汗を掻いて、首にかけたタオルでそれらを拭いながら入店する。

 そして、

「おお! これはすごいな」

「これで、勇者様方をお出迎え出来るぞ」

「きっと、満足していかれるだろうな」

「ありがとうな。カノン、エスルアさん」

 と、口々に満足げな言葉を発した。ちなみに、最後のはこの宿屋の店主であるカノンの父親のものだ。

 全く、雰囲気ぶち壊しやがって。

 先ほどの自分の言動を棚に上げた私は、一瞬ではあるがキッと男たちを睨みつけた。

 たったそれだけで、男たちは鳥肌を立たせ、怯えるように周囲を見回した。へっ。雰囲気壊した罰だ。

 と、一人心の中で笑っていると、カノンの母親も店内にやってきた。

「二人とも、ご苦労様。待ってて、何か作りますから」

 そう言うと、私の制止の言葉を聞かずに台所に向かっていった。

 そのあとを追うようにカノンの父親も向かい、男達は各々席に座った。いつもの光景だ。夜になるとこうして、男達はこの宿屋で一杯やるのだ。

「エスルアさんはどうする? もう帰るのか?」

 男達の中の一人が問うてきた。

 いつもは、男達がこの宿屋に入ってきたあたりで家に帰るのだ。けど、

「いえ、もう少しここにいます」

 今日は、なんだかカノンと一緒にいたい気分だ。

 リンゴパイを食べ終え、椅子から立ち上がったカノンを膝の上に乗せ、背後から抱きしめながら、私は答えた。

 それに、男は笑みを浮かべて答える。

「そうか。なら、俺たちはエスルアさんたちの邪魔をしないよう、端で酒でも飲んでるか」

「そうだな」

「いえ、お気になさらず、私達が二階に行きますから」

「いや、それは少し待ってくれ」

 エールの入ったマグを男達のテーブルに置いて、カノンの父親がこちらを向いた。 

 その目は、真剣なものだった。

「少し、話したいことがある。カノンとじゃれ合うのは、それが終わってからにしてくれ」

「……わかりました」

 今のタイミングでの話。おそらく、オズベルのことか。

 私は頷き、カノンを見た。

「ごめんね。先に二階に行っていて」

「うん。わかった」

 深くは問わず、カノンは私の膝から降りて、二階に向かった。

 残った私は、男達の席に移動し、マグを渡されたマグを口に含む。

 その様子を見て、先にカノンの父親が口を開いた。

「オズベルが陥落した」

 瞬間、その場にどよめきが巻き起こった。皆、口々に不安げな言葉を発している。

 無理もない。オズベルはアールリアの中で一・二を争うほどの力を持った街だ。それが陥落したとなれば、希望の一つが潰えると同時に、戦争の始まりを意味しているということは、この男達にはわかることだろう。

「なんで、陥落したんだ? あれほどの力を持つ都市が、どうしてまた」

 男の中の一人がそう言うと、父親は重々しい口調で答えた。

「……オーディエルという名を、知っているか」

「オー、ディエル」

 口々にその名を口にする男達。だが、その名の意味は知らないようだ。

「オーディエルとは、二本の剣を操る悪魔の王だ。その力は魔界随一。力だけでなく、知識、技量、美貌、その他さまざまな分野で他の悪魔の追随を許さない、強力な魔界の王だ」

「その魔界の王が、どうかしたのか?」

「……オズベルを襲ったのが、そのオーディエルらしい」

 瞬間、どよめいていた男達は水を打ったように静まり返った。

「……まさか、そんなことがあるのか?」

「魔界の王が、オズベルを襲った?」

「嘘だろ。それじゃあ、俺たちはどうすれば良い?」

 ある者は怯え、ある者は諦め、ある者は神に助けを乞いはじめた。それだけの絶望が、彼らを襲った。

 だが、それでもカノンの父親は動じず、冷静に言葉を紡いだ。

「ああ、そうだ。もし魔界の王、オーディエルがここに攻めてきたら、俺たちに勝ち目はない」

「じゃあ、どうすれば良いんだ?」

「そのために、勇者様方を使わせてもらう」

「勇者様方を?」

 父親は頷いた。

「ああ。勇者様方は、その誰もが強力な力を持っているという。ならば、そのうちの一人をこの町に引き留められれば、少なくとも、俺たちが逃げられる時間を稼いではくれるかもしれない」

「そうだとして、この町はどうする? 捨てるっていうのか?」

 一人が問うと、すかさず父親は答えた。

「ああ、そうだ」

「だが、そうなれば———」

「命あっての物種だ。もし命があれば、この町が奪われたとしても、取り返せる。ここで死んでしまっては、もう二度と、この町が俺たちの手に収まることはない」

 静かに、だが威圧のこもった口調で、父親は言った。

 そして、父親は私のほうを見た。

「エスルアさん。あなたの意見を聞かせてくれ。この考え、どうだ?」

「……」

 しばし考え、そして、

「……良い考えだと思います」

 と、答えた。

「確かに、この町の人だけでオーディエルと戦うとなれば、こちらが負けることは必至でしょう。ですから、勇者様を使い、せめて町民が逃げる時間だけでも稼げば、最低でも生き残ることはできるでしょう」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」

 安堵したような声を上げ、父親は背もたれに深く背をつけた。

 だが、

「領主様はご存じなのですか? 勇者様をこの町で抱えることを」

 そう問うと、父親は頷いた。

「ああ。なんでも、勇者様は四十人近くいて、うち主戦力となるのが五名だそうだ。だから、他の三十五人を、それぞれの街や村に配置することが、公に決まったようだ」

「そうですか」

「ああ。だが、誰が来るかは決まっていない。主戦力の五人ほどでなくとも、出来るだけ強い勇者様がとどまってくれれば嬉しいのだが」

 ため息を吐いて、父親は言った。

 それから、背もたれから背中を上げて、笑みを浮かべた。

「申し訳ない。ここに残したのはそれを聞きたかったからなんだ。カノンのことを見てやってくれ。あの子は寂しがり屋だから」

「はい。わかりました」

 椅子から立ち上がり、二階に向かう。

 だが、その途中で、見つけた。

「……カノン」

 二階の階段のそばで聞き耳を立てていたカノンは、私の姿を見るや否や顔を輝かせた。

 そのまま私の手を引っ張りながら部屋に行き、ついた途端に興奮した面持ちで言った。

「ね、ねえ、さっきの話って本当ですか? 本当なんですか?」

「さっきの話って?」

「勇者様の一人が、この町にとどまるって話です」

 聞こえていたのか。

 私は肩をすくめながら、近くの椅子に座り、膝の上にカノンを乗せた。

「ええ、そうよ。本当」

「そうなんですね。どんな人が来るのかなぁ」

 と、嬉しそうに虚空を見つめながら、カノンは言った。

 どうやら、オーディエルの話は聞こえていなかったようだ。 

 安堵のため息を吐いた私。だが、直後に、

「……ごめんなさい」

 と、カノンは謝った。

「どうしたの?」

「実は、お父さんと皆の話、全部聞いていたんです」

 こちらを見上げて、カノンは答えた。

「オーディエルって悪魔が、来るかもしれないんですよね?」

「カノン……」

 震える手を堪えるように私の手に重ね、カノンは言った。

「その悪魔。強いんですよね? 怖いんですよね? 襲われたら……みんな死んでしまうんですよね?」

「……」

「あの、それで、お願いがあるんです」

 カノンはまっすぐ私の目を見て、意を決したかのように言葉を述べた。

「もし、その悪魔が襲ってきたら、エスルアさん。あなただけでも逃げてください」

「カノン」

「町の人を守ろうとしたり、助けようとしたりはせず、逃げてください。お願いします」

 そう言って、カノンは頭を下げた。

 彼の言っていること、それは、

「……君も、見捨てろってことかな?」

「はい。そうです」

 即答した彼の目は、こちらへの心配の念に染まっていた。

「きっと、僕は逃げ遅れるかもしれません。だって、力もないですし、足も速くない。すぐに悪魔に襲われて、死んでしまいます。けど、せめてあなただけでも、逃げてください」

「……」

 カノン。私、私は。

 ……。

 ……どうすれば良いの?

「お願いしますね。エスルアさん」

 そう言って、恥ずかしげにキスをするカノン。

 けれど、その味は、なんだか悲しかった。

 

 

 

「何気落ちなさっているのですか? 姉上らしくありませんよ」

 背後でクロノンドがそう言うが、それに答えるだけの気力が、今の私にはなかった。

 彼のあの覚悟を決めた目。きっと、意思が強いのだろう。あの後、何度君のことを諦めないと言っても、聞かなかった。そればかりか、更に意思は強固になり、首を横に振り続けた。

 結局、あの言葉には答えずに帰ってきてしまった。

 答えられないよ。あの言葉には。全く。

「クロノンド。下がれ」

「は」

 短い返事とともに、背後から気配が消えた。

 これで、部屋には私一人しかいなくなった。

 これで、思う存分思いをぶちまけられる。

 これで、心置きなく泣ける。

 ベッドに倒れこみ、私は泣いた。始めはすすり泣く程度だったが、徐々に勢いを増し、仕舞いには大声で泣き出してしまった。

 どうして、自分は悪魔で、彼は人間なのだろうか。どうして、私は襲う側で、彼は襲われる側なのだろうか。どうして、私は影を歩かざるを得なく、彼は太陽の下を歩くのだろうか。

 どうして、私は悪で、彼は善なのだろうか。これだったら、いっそのこと全てを捨てて逃げ出してしまいたい。

 だけど、そんなことを魔王が許すはずないだろう。私のみならず、近くにいる人も巻き込んでしまうに違いない。

 一体、どうすれば。

 その日、一晩中泣いて過ごした。けど、心の膿が綺麗に出ることはなかった。

 

 

 



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勇者来訪

 


 

「目、真っ赤ですよ」

「え、嘘」

 慌てて目に手を当てる。まあ、それで分かるわけがないのだけど。

 苦笑して、カノンは前を向いた。

「そうですよね。やっぱり勇者様がいらっしゃるとなると、興奮して眠れませんよね。わかります。その気持ち」

「え? あ、ああ、う、うん。そうだね」

 こちらの反応が芳しくなかったのか、カノンはこちらを見て首を傾げた。

「エスルアさん? どうしました?」

「いや、何でもない。気にしないで」

 頭上に疑問符を浮かべる彼の頭を撫で、私は正面を向く。

 場所はリーマス、その大通りだ。様々な装飾が施された大通りは見違えるように綺麗になっており、すっかり勇者のお出迎えムードに包まれていた。

 そして、今日、勇者がこの町に来るのだ。通りの端を固めるようにして町の人が並び、列を作っている。皆、希望に満ちた表情を浮かべていた。

 まあ、そりゃそうだろう。なにせ、勇者が来るのだ。魔王を討伐し、世界を平和にしてくれるかもしれない存在が、この町にやってくる。希望に満ちるはずだ。

 だが、日が沈んだ時間帯に来るとは、予定(昼頃到着)より随分と遅かったな。

「まだかなぁ。まだかなぁ」

 ちっちゃい背を一生懸命伸ばして前を見るカノン。その姿があまりにも可愛く、このまま羽交い絞めにしてやりたくなったが、こらえた。さすがに、公の場所で変態行動をとるわけにはいかない。それに、カノンは勇者が来るのを楽しみにしているのだ。私も我慢しなければ。

 ……だけど、手伝うくらいは良いかな。

「わわわっ! ちょ、ちょっとエスルアさん?」

 背後から抱きしめて持ち上げると、カノンは驚いた声を上げた。

「な、なにしてるんですか!?」

「見づらいでしょ。このほうが見やすいかなって」

「あ、ああ、そうですか。ありがとうございます」

 急におとなしくなったカノンは、小さな声で礼を述べ、通りを見つめた。

 にしても、ちっちゃいし、ほっそいな、カノンの体は。まるで女の子みたいだ。顔立ちも女の子みたいだし、これでワンピースでも着れば、正真正銘女の子だ。

 ……着せたい。マジで着せたい。

「あ、あの、エスルアさん?」

「なに? カノン」

「鼻息荒いですよ」

 ……。

「や、やっぱり下ろしてください!」

「ダメ! お願いだから、このままでいて!」

「……どうして僕はこんな人を好いたんだろう……」

 なんだか失礼な言葉が聞こえたが、まあここは無視しよう。

 カノンを抱きしめ、この子の匂いを嗅いで過ごすこと数十分。ついに、その時が来た。

「勇者様がいらっしゃったぞ!」

 門のところから大きな声が聞こえ、町民の視線が一気にそちらを向く。もちろん、私とカノンもだ。

 声が聞こえてから数秒も経たずに、ざわめきが聞こえ始めた。ある者は勇者の来訪に歓喜の叫びをあげ、またある者は勇者の姿に恍惚のため息を吐く。様々な感情がうごめくが、どれも勇者の来訪を歓迎するものだった。

 どれどれ、魔王を倒すかもしれない勇者様は果たしてどんな奴なんだ?

 やがて、勇者がその姿を現した。

 その姿を見て、小さくだが思わず驚いてしまう。

 黒髪が多いな。目の色も黒だ。時折茶髪がいるが、ほとんど黒じゃないか。異世界は黒が多いのか。

 そう不思議に思っている中、とうとう勇者が私達の目の前を過ぎる。勇者は皆、楽しそうにそばにいる者と談笑していた。

 だが、その中で、一人の勇者と目が合った。その勇者は、他の勇者と同じ黒髪黒目。真面目そうな顔つきで、いかにも正義感溢れるような見た目をしていた。そして、身に纏うのは聖鎧。聖なる神の加護を受けた力ある鎧だ。腰には聖剣が、背中には聖盾がそれぞれ提げられている。

 なるほど、あれが真の勇者か。五名いる主戦力の内の一人、魔王を倒すかもしれない存在。

 つまり、自分とも対峙するかもしれない、危険人物だ。

 くそ。軽率だったな。カノンと一緒にいて忘れていたが、自分は勇者の敵。顔を覚えられたらまずい。

 すぐさま顔をそらす。だが、相手の視線はこちらを向いていた。

 なぜだ。怪しまれたか? それとも、正体がバレたか?

 まさかな。確かにあの男の着ている装備は神の加護を持っているが、私の正体を見破る機能はないだろう。

 それに、今の私は力を封じている状態。そうそう見破れるはずがない。

 そう自分に言い続け、大丈夫と暗示をかける。だが、その言葉が増せば増すほど、心につのる不安は大きなものとなってしまった。

 たまらず、私はカノンを地面に下ろして群衆から遠ざかった。幸い、カノンは勇者の姿に見惚れているようで、地面に下ろされたときは後ろを振り返ったものの、すぐに前を見て、それっきりなにも言ってこなかった。

 素早く路地裏に移動し、息を吐く。これで、ひとまずは安心だ。

 だが、勇者が危険なことには変わりない。すっかりカノンと一緒にいて浮かれてしまったが、奴は魔王の敵、つまり、私の敵だ。そのことを、忘れてはならない。

 仕方ない。カノンは諦めよう。勇者が去ったときに来れば良い。今は、身を隠さなければ。

 そう決め、路地裏を出た。瞬間、

「エスルアさん」

 カノンが目の前にいた。頬を膨らませ、怒ったような顔をして。

「ど、どうしたの?」

「エスルアさん。すぐにどこかへ行っちゃうんですから。さあ、行きましょう」

「え? い、行くってどこへ?」

「僕の家ですよ。もうお夕飯の時間過ぎてますよ。一緒に食べましょ」

「いや、でも私は———」

「ほら、早く早く」

 言い淀む私をよそに、カノンは私の手を引っ張り、宿屋へ向かっていった。

 まずいな。本当は今すぐにでもこの町を離れたいのに。

 この先、どうなるのやら。

 私は言い知れぬ不安を抱えたまま、宿屋に向かった。

 

 



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魔王の命令

 こういった描写が苦手なので、練習が必要ですよね。今後は精進していきたいと思います。
 今回、そして次回の話も、もしかしたら書き直すかもしれません。その時は前書きにてお知らせします。


 

 

 それで、どうしてこうなった?

 自問しながら、私は水の入ったマグを手に取り、一口飲む。一応乾きは潤ったが、それでもまだ、舌はカラカラだ。

 緊張が出ないよう、無表情を装う。けれど、今すぐにカノンを抱きしめないと、緊張でどうにかなってしまいそうだ。

 けれど、今カノンは手を離せないでいた。否、離さないでいた。理由は単純明快。それは、

「それで、勇者様はどこからいらしたんですか?」

「二ホンってところ。ここからで言うと、異世界かな」

 勇者が、この宿屋に来ていた。

 本当は領主の屋敷で食事をとる予定だったのだが、数名の勇者がこの町で食事をとりたいと言って、急遽数名がこの町の食事処で食事をすることになったらしい。

 その数名とは、主戦力の五名。その他、主戦力ほどでなくとも、それなりの戦闘能力を持った四名。計九名だ。

 ここへ来る際、勇者の名前について教えられたが、私が覚えているのは聖鎧と聖盾、聖剣を携える勇者、カトウのみ。その他の勇者の名前は知らない。まあ、知らなくても良いか。

 今、自分が最も警戒しなければならない存在は、カトウのみ。その他の勇者など、どうだって良い。

 さて、今の私の状況に疑問を覚える人もいることだろう。なぜ、敵に接近しているのかと、そう疑問を覚える人もいるだろう。私自身、疑問だ。

 本来、敵の偵察とは低級の存在がするものだ。一種族の王がする仕事ではない。なのに、なぜ勇者と一緒にいるのか。

 その理由は、勇者にあった。

「それで、エスルアさんはどちら出身なのですか?」

 勇者が、勇者カトウが、私に積極的に質問をしてくる。そりゃもう、お前はカノンの相手をしていろと言いたいくらい、しつこく話しかけてきていた。

 本当は今すぐにもこの宿屋を離れたいところだが、カノンからも引き止められてしまい、仕方なくここにいる。

 もしかして、私の正体がバレたのだろうか。いや、まさかな。あの剣の力は神すら凌駕する。人間に負けるはずがない。

 じゃあ安全かと問われれば、否と答える。確かに私は力を封じているが、それでも純血の、純粋な悪魔だ。オズベルにいた聖職者のように悪魔に反応する何かを持っていたら、即座にバレてしまう。

 まずいな。ここで勇者と争っては、カノンに私の正体がバレてしまう。それだけは何としても避けないと。

 ここは、冷静に、慎重に、行動せねば。

 私は言葉を選びながら、カトウの質問に答えていた。

「辺境の村です」

「辺境の村ですか? もしかして、ドールリア近くの?」

「い、いえ、違います」

 なぜドールリア近くだと思った。

「そうですか。いや、それは良かった。ということは、安全な場所なのですね?」

 と、カトウは安堵のため息を吐いた。

 なんだ、ただの予想か。それなら、私に害はないな。

 カトウとは違った方向性の安堵のため息を心の中で吐くと、カトウが更に話を振ってきた。

「にしても、この町は良いですね。人々も優しいですし、町も見ていて面白いですし、良い事尽くしです。王都とは違った趣があって、長居していたいですよ」

「そうですか。それは良かったです」

 心にもない礼を述べると、言葉通りに受け取ったようで、カトウは笑みを浮かべた。

「にしても、まさかカノン君が男の子だとは。初めは女の子だと思っていましたよ」

 と、カトウは他の勇者(圧倒的に女が多い)の話し相手になっているカノンを見て言った。

 確かに。私も、初対面の時は女の子だと思っていた。まさか男だったなんて。あの時は人は外見で判断してはならないと本気で思ったものだ。

「彼は、あなたの弟さんなのですか?」

 カトウの問いに、私は首を横に振った。

「いえ、弟ではありません」

「そうですか。では、従弟とか?」

「いえ、従弟でもありません」

「え。じゃあ、どんな関係なのですか?」

 こいつ。なに人の領域にズカズカと入り込んでるんだ。

「他人にお教えすることでもありません」

 言外に黙れと伝える。だが、私に伝え方が甘かったのか、カトウは引き下がらなかった。

「カノン君、随分とあなたに懐いているようですね。血が繋がっていないとなると、もしかして両親が仲良しとか?」

 はぁ。こいつ、どうしてそんなに私に話しかけるんだよ。

 心の中でため息を吐く。早く、早くこの地獄が終わってくれ。

 てか、どうして私が、敵である勇者の話し相手をしているんだ。こういうのは人間の役目だろう。

 まあ、律義に答える私も、少しおかしいのだが。

「いえ、私の両親とこの家の両親との接点はございません」

「そうですか。ということは赤の他人か。にしても、随分と彼は懐いていますね」

 どこか遠い目でカノンを見ながら、カトウは言った。

 こいつ。もしかしてカノンを狙っているのか? 確かにカノンは見た目女だが、それでも立派な男だ。それに、本人は男色ではない。もしこいつが狙っているのなら、守ってやらねば。

「あの、さっきからいったいなん———」

「カトウ。お前、少し料理を食ったらどうだ? 美味いぞ」

 と、助け船のようなものを出したのは、他の勇者だった。

 カトウはその言葉に笑顔で頷いで、料理を口に入れ始めた。

 よし、この隙だな。

 私は、女勇者たちと仲良く談笑しているカノンの肩を叩いた。

「ほら、良い子は寝る時間ですよ。行くぞ」

「え~。もっと勇者様とお話ししていたいです」

「ダメ。私も一緒に行ってあげるから、行くよ」

「……は~い」

 名残惜しそうに女勇者を見つめたカノンは、そのまま手を振る勇者に手を振り返し、二階に上がっていった。

 さてと、私も行くか。

「あの、エスルアさん」

 不意に名を呼ばれ、私は振り返った。

 どうやら、カトウが呼んだらしい。

「なにか?」

 どうしても口調に棘が混じってしまう。だが、カトウは私の嫌悪感丸出しの言葉を意に介したそぶりを見せず、笑顔で問うた。

「あなたは、まだこの町に滞在するのですか?」

「……どうでしょうね」

 そう適当に答え、私はカノンの元へ向かう。

 背中に敵意のこもった視線を受けながら。

 自分の部屋に戻ると、そこにはカノンがいた。何をしているのだろうか。

「どうしたの?」

「……随分と勇者様と親しく話していましたね」

 こちらを睨みつけながら、カノンは言った。

「そ、そうかな。私としてはすぐにでも離れたかったのだけど」

「ですが、カトウ様は楽しげでしたよ。どうしてですか?」

「知らないよ。そんなこと」

 むしろ、カノンのことについて聞かれていたから、きっとカノンに気があるのかと思った。

 ……ていうか、

「なに、君、嫉妬してる?」

「な!? し、嫉妬なんて、してませんよ!」

 おやおや、これは正解かな。

「へえ、君が一人前に嫉妬かぁ。それも私に。そんなに勇者様とお話ししたかったの?」

 そう問うと、カノンは目を見開き、すぐにそっぽを向いてしまった。

「もう、良いです。知りません!」

 と言って、部屋を出ていく。

 え。なに。私間違ったこと言った?

「ちょ、ちょっと待ってよ。どうしてそんなに怒ってるのさ」

 私に問いに、カノンは怒っているような恥ずかしがっているような謎の表情で答えた。

「……エスルアさんが他の男の人と楽しげに話をしているのが嫌なんです!」

 ……カノン。

 バンと大きな音を立てて扉を閉め、カノンは去っていった。

 ……。

「君、そんなに私に……」

 こりゃ、参ったな。

 嫉妬されるほど好かれているとは、私も嬉しいやら恥ずかしいよ。

 

 

 

「にしてもお前、随分とあの女の人に詰め寄ってたな」

 領主の屋敷。その一室。

ベッドの上でくつろいでいる友人の言葉に、カトウは苦笑交じりに答えた。

「そんなに?」

「ああ。あの人、お前のことしつこそうにしていたぞ」

「そうだったのか。気づかなかった」

 興奮すると相手の心が読めないのは、昔からの悪い癖だな。

 国王から賜った聖剣を撫でながら、カトウは道端で見つけ、宿屋で出会った女性を思い出していた。

 あの女性、名はエスルアだったか。綺麗な人だった。チキュウでは見たことがないくらい美人で、凛として、堂々としていた。

 あれほど美人な人が目の前に現れた。これは、神がくれた好機に違いない。

「絶対、彼女を僕のものにして見せる」

 何度見ても、彼女の美しさは色褪せることはなかった。いつ見ても、何度見ても美しく、立派だった。

 そんな女性の愛が、自分に向けられる。そう考えるだけで、心は高揚し、頭は彼女のことで一杯になった。

「全く、お前ってやつは」

 苦笑する友人を放って、カトウはエスルア相手に思いをはせていた。

「せいぜい、お前を好いている奴らに背中を刺されないようにな」

 そんな友人の言葉に、耳を貸す間もなく。

 

 

 

「お呼びでしょうか」

 勇者がリーマスに来てから一週間。突然呼び出された私は、魔王城にて、魔王に謁見していた。

「ああ。貴様は、リーマスに来た勇者を覚えているか?」

「ええ。覚えております」

 実際に会ってきたのだ。忘れるはずがない。

 あの後、隙あらば一緒にいようとする勇者をなんとか引きはがし、私はこの城にやってきた。全く、あのままだったら、きっとこの城にまで来たことだろう。危ない危ない。

 だが、その勇者がどうしたのだろうか。

「その勇者が、どうかされたのですか?」

「まあ、どうかしたと言えばどうかしたな。実は、勇者が目障りになった」

「はい?」

 勇者が目障りに? あんなに自分を襲ってくるのを楽しみしていたのに。どうして今になって。

「あの、理由をお聞かせくださいますか?」

 そう問うと、魔王は窓の外を見つめながら答えた。

「なにも、勇者全員がというわけではない。主戦力の五名は気になるし、私自身戦いたいと思っている。だが、他の勇者が実に目障りだ。勇者が他に三十五人もいるとなると、気色悪く感じる。まるでネズミのようだ」

「さようですか」

 そういうことか。ならば、他の勇者を消し去るというのか。

「では、他の勇者は殺すのですね」

「ああ、そうだ。そこでだ」

 魔王は笑みを深くさせ、答えた。

「先手を打つために、リーマスに来た勇者を、ひいてはそこの住人を先に始末しようと思う」

「そうですか」

 ……ん? 待てよ。リーマスに来た勇者と住人を始末する?

 ということは、

「まさか、リーマスを落とすのですか?」

「貴様が驚くことでもあるまい」

 真顔で魔王は言った。

 だが、これは大問題だ。

 まさか、リーマスを攻めるのか。だが、あそこには、あの子がいる。

 あの子が、カノンが。

「ま、魔王様。もう少し深くお考えになられてはどうでしょうか」

「……というと?」

 なんとかリーマスを攻めることをやめさせるよう、頭を必死に動かして言葉を探す。

「ここで勇者を殺してしまえば、相手は激怒し、かえって強くなってしまうかもしれません。相手は聖なる加護を受けた勇者。いかに魔王様と言えど、ご無事では済まないかと」

「うぅむ。そうか」

 よし。魔王が考えた。この隙に、なんとかリーマス攻めをやめさせなければ。

「それに、リーマスは敵の住処。そこで争ってしまえば、戦況はこちらにとって不利に働くことでしょう。ですので、ここは一旦、オズベルに来たところを攻めるというのはどうでしょうか」

 だが、

「何を恐れているのだ? 貴様の力ならば、勇者と言えど人間を殺すのは容易いことだろう」

「っ。しかし———」

「それとも、リーマスを攻められない理由でもあるのか?」

「……いえ。ございません」

「ならば、貴様が気にする必要もあるまい。今は一刻も早く勇者の数を減らしたい。準備にはどのくらいの時間がかかる?」

「……二日いただければ。明後日にはリーマスはもちろん、勇者の数を減らせます」

「明日だ。明日には出発しろ」

「っ」

 明日出発。それでは、カノンを逃がすことができない。それどころか、カノンに危険が迫っていることを知らせることができないじゃないか。

「申し訳ございません。二日いただかなければ、勇者を消すのは難しいかと———」

「貴様。魔王たる私の命令に異を唱えるのか?」

 直後、威圧感の伴った眼光が身を貫く。久しぶりに感じる、怒りを含んだ視線だ。

 だけど、ここで折れるわけにはいかない。

「し、しかし———」

「明日だ。それ以上待てん」

 話は終わりだとでも言いたいのか、部屋を出ていこうとする魔王。

 最後に、魔王は言った。

「もし私の命令に逆らったら、分かっているな?」

「っ。はい」

「それで良い」

 魔王は笑みを浮かべ、去っていった。

 残された私は、その場に佇みながら、頭を垂れることしかできなかった。

 

 

 



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リーマス襲撃

 練習しなければ……。



 

 

 鎧を身に纏い、剣の柄を握る。それだけで、自分がエスルアではなく、オーディエルなのだと意識させられる。

 エスルアとオーディエル。私は、果たしてどちらなのだろうか。どっちが本物で、どっちが偽物なのだろうか。

 いや、その自問は意味を成さない。既に答えは決まっている。エスルアは、カノンに接近したいがために自分自身が作り上げた偶像に過ぎない。本当の自分は、魔界の王、悪魔の王、オーディエルだ。

 だから、だからこそ思う。自分が、もし自分が、オーディエルではなくエスルアだったら。悪魔の王ではなく、ただの人間だったら。

 もしそうなら、どれだけ素晴らしいことか。自分が一般人として、カノンと同じ楽しみを、苦しみを、悲しみを、安らぎを感じる。魔王襲来に危機感を覚え、勇者に希望を託す。そして、自分は平凡な一日を過ごし、カノンと一緒に楽しく日々を暮らす。それが出来たら、どれだけ素晴らしいことか。

 ……はぁ。そんなことを夢想しても、現実は変わらない。私は今から、リーマスを、カノンの故郷を襲う。そして、人間どもを殺す。私が、悪魔だから。悪魔の王だから。そして、魔王の僕だから。

 今から数千年前、当時の魔界の王が、突如現れた魔王と呼ばれる存在に負け、それ以来、魔界の王は魔王に仕えてきた。

 そして、今、魔界の王となった私は、魔王に仕えている。

 けど、望んでではない。誰が望んで、あんな奴の配下になるか。これは、王が受け継いできた契約によるものだ。

 けど、それらをすべて捨て去り、人間とともに暮らせたら。そうできたのなら、自分の願望が叶うことだろう。

「姉上。時間です———。どうしました!?」

 横から聞こえてきた、切羽詰まったような声。そちらの方向を向くと、クロノンドが慌てた様子でこちらを見ていた。

 近寄ってきた彼女は、懐から小さな布を取り出し、私の目元を拭った。どうやら、涙を流していたらしい。

「どこか体の優れぬところでもございましたか?」

「いや、気にするな。大丈夫だ」

「し、しかし———」

「平気だ。気にするな」

「……わかりました」

 まだ納得がいかない様子のクロノンドを下がらせ、私は最後の準備をする。  

 剣の切っ先を胸に突き付け、一呼吸おいて突き刺す。淡い色の煙が剣の切り口から漏れ出し、それとともに私の人としての、エスルアとしての感情、思考、感覚が薄れていく。

 人としての感覚を封じなければ人を殺せないなんて、我ながら落ちたものだ。

 だけど、こうでもしなければ、とてもではないが人を殺せない。一度人の情を知ったからには、こうでもしないと……。

 はぁ。行くか。

 私は意識を切り替え、二本の剣を携えて部屋を出た。

 

 

 

「逃げろ。逃げろぉーっ!」

 絶望をかき消そうともがく絶叫、全てが終わりだと本能的に悟りこぼす慟哭、本能の赴くがままに放たれる悲鳴。

 その場を満たすのは、それら負の行動だった。そこに、昨日までの陽気な空気はなかった。

 勇者を歓迎するという垂れ幕や花のアーチ、綺麗に舗装された道や花壇は、今となっては元の様子など見る影もない。

 勇者のお出迎えムードに包まれていたリーマスは、今や悪魔の襲撃によって壊滅寸前だった。人々は逃げまどい、あろうことか衛兵までもが武器を捨てて逃げ出す始末だ。

 全く、これが、私が慣れ親しんだ町の成れの果てなのか。

 オーディエルはわずかな悲しみを抱えつつも、その感情を無視して道を歩いていた。

 いくら逃げ出す衛兵がいると言っても、それはわずか、ほとんどの衛兵は、武器を手にこちらに向かってきていた。

 そして、皆なすすべもなく殺されていく。

 その中には、かつて共に酒を飲み交わした者までいた。皆、私の姿を見ると血相を変え、武器を手に襲ってくる。そして、手下の悪魔に殺されていく。

 殺さないで済む道があれば良いのだが、そんなものがあれば、とうの昔に使っている。オズベルのように逃がすことができれば良いのだが、相手は勇者と接触した町民たちだ。逃がすことは、魔王が許さないだろう。

 くそ。どうして、どうして私がこんな目に。

 オーディエルは心の中で深い悲しみを感じた。おかしい。剣で封じたはずなのに。

 まあ、今は良い。この悲しみを堪えれば、いずれこの悪夢は終わる。

 そして、その悪夢が終わりを迎えた時、私は孤独になる。カノンがいなくなるのだ。孤独以外の何物でもない。

 ……なんだかおかしい。剣で封じたはずの感覚が、なぜ今になって感じるのだ? あの剣の力は絶大だ。並大抵のことで解除できるはずがない。否、解除できない。だというのに、どうして、今私は、悲しいなんて感情を浮かばせているのだ。人間としての感情はここへ来る前に封じた。けど、なぜか今、自分は人の感情を浮かばせている。

 どうしてなの。どうして、今の私はこんなにも……。

「王様」

 短く名を呼ばれ、ハッと我に返ると、目の前から光の玉が飛んできた。

 それを叩き落とすと、前方に見覚えのある人影が二つ。

「ここは、通さない」

 一人は、宿屋でカノンと戯れていた勇者。確か、聖なる力の使い手だったはず。

 もう一人は、まさか、

「貴様、勇者か」

「ああ。そうだ」

 勇者カトウ。聖剣を携え、聖盾を構え、聖鎧を身に纏う、神聖なる勇者。

 人間の希望を一身に背負う存在。そして、魔王を滅ぼすかもしれない存在。

 けれど、こいつがいなければ、こいつがここに来なければ、私はこの町を襲うことはなかった。いや、こいつが現れなければ、私は末永くカノンと幸せに暮らせた。 

 こいつが、こいつがいなければ。こいつは、疫病神だ。

「王様」

 背後から僕の呼ぶ声が聞こえる。だが、今はその言葉はどうだって良い。

 オーディエルは指でこの町の大広場を指さした。

「ここでは手狭だろう。場所を移そう」

 しばし思案した後、カトウは頷き、顎で先を示した。どうやら、先に行けということらしい。

 オーディエルは僕にここで待つよう命令し、自分は広場へと向かった。

 広場へ着くと、周囲の景色が良く見える。そこらじゅうが火に塗れ、建物が崩れ落ちるという、最悪の景色が。

 その広場の中央に立って、オーディエルは後ろを振り返る。

「ここなら、いくら暴れても平気だろう。さあ、始めようか」

「ああ。ここで、貴様を殺してやる。オーディエル」

 勇者はそう叫び、剣を構えた。

「ほう。私の名を知っているのか」

「ああ、知っている。オズベルを攻め落としたのも、ここを襲っているのも、貴様だということがな」

「そうか。ならば、自己紹介は不要だな」

 二本の剣を出現させ、オーディエルはにやりと笑みを浮かべる。

「さあ、来い。勇者よ」

「ああ、行くぞ」

 叫び声とともに、カトウは聖剣を思いきり振り上げ、大上段から振り下ろしてきた。

 それを、オーディエルはディスレイブで弾き返し、空いた胴体にアンカルグを叩き込んだ。

 体を折り曲げ吹き飛ぶ勇者。だが、死んではいない。そのはずだ。聖鎧の力が偽物でなければだが。

「かはっ」

 案の定、勇者カトウはまだ死んでおらず、まだ息をしている。

 金色の光に包まれると、先ほどの攻撃などなかったかのようにすっくと立ちあがった。

 なるほど、回復魔法か。これは、厄介だな。

 オーディエルがそう冷静に判断していると、カトウは剣を構え、雄たけびを上げて向かってきた。

 そして、中腰からの鋭い突きを放ってきた。聖剣の力が上乗せされたその攻撃は、並大抵のものではない。

 それを、オーディエルはアンカルグで背後に受け流し、カトウの腹を膝で蹴り上げた。

 再び体を折り曲げ、カトウは地面に倒れ落ちる。だが、即座に金の光がカトウの身を包み、その体を癒していった。

 くそ、面倒くさい。

 先ほどから回復魔法を使っている勇者を睨むと、オーディエルは一瞬でその勇者との距離を詰め、ディスレイブをその胸に突き刺した。

 そして、瞬時に魔法を封印する。これで、この勇者は魔法が使えなくなった。

 だが、殺しはしない。この勇者は、魔王によって死ぬのだ。

「イシジマさん!」

「大丈夫!」

 カトウの言葉にそう健気に返答するが、この勇者はしばらく魔法が使えない。これでは、戦闘の役に立たないだろう。

 それで良い。この勇者も、カトウも、殺すのは魔王だ。私は、この勇者をここで引き止めていれば良いのだ。

 そう思い、オーディエルは両手に剣を持ってカトウに迫った。

 瞬間だった。

 どこからともなく石が投げられた。小さな石で、力を使って弾き返す必要すらなかった。普通に石は体に当たり、そのまま地に落ちた。

 こんな時に石を投げてくるとは、よほど勇敢なのか、馬鹿なのか。

 オーディエルはそう思いながら、石が投げられた方向を見て、唖然とした。

「ゆ、勇者様を傷つけさせやしない!」

 そこには、カノンが立っていた。両手に石を持って、怯えた瞳をこちらに向け、けれど決して逃げないと言わんばかりに唇を噛みしめて、オーディエルを睨んでいた。

 まさか、逃げ遅れた? 

カノンの両親のことは知っている。二人のことだ。何としてもカノンを生かそうとするだろう。それに、街中を歩いている最中、カノンの両親の姿は見なかった。きっと、逃げおおせたのだろうと思った。

 だが、目の前にカノンがいる。ということは、

「き、貴様、両親はどこへ行った?」

 震える声を押し殺し、静かに問う。

 だか、返ってきたのは、オーディエルの希望を打ち砕く答えだった。

「……死んだよ」

 静かに、けれど確かな怒りを含んだ声で、カノンは言った。

 うつむき、唇を噛みしめ、何かを堪えるように目を瞑った後、こちらを見上げ、大声で叫んだ。

「死んじゃったんだよ! お前の、お前のせいで!」

 わ、私のせい? 私のせいで、カノンの両親を殺した?

 そ、それは、ど、どういうこと? カノンの両親を、私が殺した?

 オーディエルは、視界が徐々に狭まっていくのを感じた。黄昏から夜に移り変わるように、目の前の光が徐々に失せ、代わりに深い暗闇が支配するような感覚に陥った。

 だが、そこは悪魔の王。なんとかその感覚を封じ込め、問いかけた。

「わ、私と貴様の親、何の関係がある?」

「何の関係があるか、だって? ふ、ふざけるな!」

 カノンは大声で叫んだ。

「僕のお父さんとお母さんは、お前の手下の悪魔に殺されたんだ! それも、無惨に、生きたまま!」

「っ」

 それなら、自分も理解している。そう、オーディエルは思った。

 悪魔の残虐性は、人間をはるかに凌ぐ。それは、自身の身をもって痛感した事実だ。だから、生きたまま殺されるということを聞いても、別に驚きはしなかった。

 オーディエルが驚いたのは、それを、カノンが、まだ幼い子供が見ていたということだ。

「……貴様、両親が殺されるところを見ていたのか」

「……ああ、見ていたよ。しっかりと、この目で」

 その時の光景を思い出したのか、瞳に大粒の涙を浮かべ、カノンは堪えるように唇を噛んだ。だが、その小さな身では到底堪えきれないことくらい、分かっていた。

「さ、下がれ、カノン君!」

 カトウが叫び、オーディエル目掛け突進してくる。

 それを、オーディエルは受け流し、空いた胴体に膝を、腕にアンカルグの峰を当てた。

 その攻撃を受け、カトウは思わず剣を手放し、地面に蹲ってしまった。

 それを見て、もう一人の勇者が魔法をかけようと呪文を唱えるが、即座に唖然とする。当たり前だ。呪文が出ないのだから。

 そして、その隙を見逃すほど、オーディエルの配下の悪魔は優しくはなかった。

 一瞬にして、聖剣を失ったカトウともう一人の勇者、そしてカノンは、人間の鎧を模した悪魔に取り押さえられてしまった。

 地面に転がされ、拘束される三人。それぞれ、悔恨、恐怖、憤怒を浮かべていた。

 だが、時すでに遅し、だった。

「王様。この者をどうしましょうか」

 鎧の発した低い声を聞いて、オーディエルは真っ先に、取り押さえられているカノンを見た。

 彼は今、大きな声で「殺してやる」と叫びながらもがいていた。だが、それは意味を成していない。

「王様。この人間は、王様に石を当てるという大罪を犯しました。どうか、この場での斬首をお命じください」

「どうか。お願いします。王様」

 配下の悪魔の言葉を聞いて、オーディエルは今までにないほど頭を動かした。

 どうにか、どうにかカノンを生かす方法はないの? こんなところでカノンを失ったら、私は、私は……。

 ……この先の一生を、どうすれば良いの? カノンを失った私に、この先をどう生きろというの?

 例えようもない不安が胸を襲う。彼を失ったら、彼が消えたら、彼が、死んだら。そんな不安が胸を支配し、そのほかのことを思考の外に追いやってしまった。

 今、この場にいるのはオーディエルではなく、エスルアだった。今の彼女は、魔界の王ではなく、カノンを慕う一人の女性だった。

 オーディエルは精一杯の強気の口調で、部下に命じる。

「そいつは、その子供は、私が殺す。私の手で、直々に殺してやる」

 嘘だ。本当は、殺したくない。だが、このままにしていてはいずれ部下の悪魔に殺されてしまう。これは、ただの時間稼ぎだ。

 この時間に、なんとかカノンを生かすための手段を考えなくては。なんとか、彼を失わずに済む方法を考えなくては。

 オーディエルは、一歩一歩、ゆっくりとした歩調でカノンに近づいた。それは単に、考える時間を確保したかっただけの行為だったが、カノンはその様子に怯えていた。

 だが、彼は気丈にも泣かず、じっとオーディエルを睨んでいた。

 その様子が、彼が本気だと、本気で自分を恨んでいるのだとオーディエルに理解させ、同時に悲しませた。

 ああ。本当だったら、一生、君にそんな視線を向けられずにいたかった。

 だが、すでに今は起きてしまった。今、カノンはオーディエルに、エスルアに怨みの視線を向けている。

「やめて! お願いだから、その子は傷つけないで!」

 背後で勇者が叫ぶ声が聞こえる。先ほど魔法を封じた勇者だ。

 瞬間、オーディエルの脳に一つの可能性が浮かび上がった。それは、可能性と呼ぶにはあまりにも心細く、低く、非現実的だった。第一、これが成功したとしても、その後にちゃんと元に戻せるのかが分からなかった。

 だが、今の状況では、藁にも縋りたいこの状況下では、その可能性はオーディエルに希望を持たせるのに十分だった。

 ゆっくりと近寄り、カノンに目の前にやってくる。そして、右手に持ったディスレイブをゆっくり持ち上げ、カノンの顔を上げる。

 彼は今、最後の力を振り絞り、オーディエルを睨みつけていた。泣かず、震えず、本気で、オーディエルを睨んでいた。

 ……そんな顔、しないでよ。

「貴様、私に石を投げつけたことがどれだけ重罪か、知っているのか?」

 悪魔の王らしい言葉を使い、カノンに問う。

 カノンはオーディエルの言葉を鼻で笑い飛ばした

「ハッ。知らないね。むしろ、褒め称えられる行為だと思ったよ」

 よく言う。本当は、臆病なくせに。本当は、逃げだしたいくせに。

 だけど、ここは、私も覚悟を決めなければ。これは、私の一世一代の、大勝負だ。

「そうか。では、私が貴様に、貴様自身が犯した罪の重さを教えてやるとしよう」

 オーディエルは、ディスレイブを振り上げ、切っ先をカノンの胸に向けた。

 そして、躊躇することなく、カノンの胸にディスレイブを突き刺した。

 カノンは、最後の最後まで、オーディエルを睨んでいた。

 

 



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逃避行

 

 

「っ、はぁっ!」

 深い眠りから目覚めたかのように体を跳ね上げ、カノンは目を覚ました。

 そのまま、周囲に視線を向けて、彼は私に問いかけた。

「こ、ここは?」

「ここは、リーマス、その残骸よ」

 答える声が震える。心なしか、息をすることが辛くなり、胸が高鳴っていた。

 それが、カノンの故郷を滅茶苦茶にしたことへの罪悪感からなのか、作戦が成功したことへの歓喜からなのか、はたまたそれ以外の何かなのか。どれなのかは分からない。それが不快にも快にも感じる今となっては、確かめる術はない。

 だけど、今は、今だけは、それを意識の外に追いやろう。それが、許されざる行いだとしても……。

 私は、いまだに意識がはっきりしていないカノンを見つめた。

 今、彼は私の膝の上に頭を乗せ、横になっている。本当は枕を用意したかったのだけど、今はこれで我慢してもらうしかない。

「僕は、いったいどうしたんですか?」

 舌足らずな口調で問いかけるカノンに、私は首を横に振った。

「ごめんなさい。私にも分からないわ」

 嘘だ。本当は、カノンに何があったのか、何をしたのかを知っている。

 私は、カノンの胸をディスレイブで突き刺した。そして、彼の魂を一時的に封印したのだ。その後、勇者を逃がし、悪魔が全員去っていったとき、アンカルグで彼の魂を解放した。

 勇者の魔法を封印した時に考えた方法で、実際にするのは今回が初めてだった。だから、成功するか不安で仕方なかった。だけど、どうやら成功したようだ。

 そのことにわずかな安堵を浮かべていると、カノンは抑揚のない口調で続けた。

「そうですか。けど、僕は生きているんですよね?」

「そうだね。君は生きているよ」

「……」

 しばらくそのまま横になり続けたカノンだったが、すぐに体を起こし、周囲を見回してから、私を真正面から見据えた。

 その目は、どんな谷よりも、海よりも深い悲しみに満ちていた。

「……夢じゃなかったんですね。この町を悪魔が襲ったのは、現実に起こったことだったんですね」

「……そう、だね。実際に起こったことだね」

 彼の言葉に頷くと、カノンは静かに私の手を取り、自身の首に宛がった。

 そして、

「……殺してください」

 と言った。

 初めは何を言っているのか分からなかった私は、思わず唖然とし、彼を見つめた。

「……どうして? どうして、君は自分を殺してくれと頼むの?」

 そう問いかけると、カノンは感情の失せた目をこちらに向けて、答えた。

「僕は、目の前で両親が殺されるのを見ました。無惨に、生きたまま、体を引き裂かれ、焼かれ、殺されるのを見ました。僕を守るために、死んだんです」

 淡々と語るカノン。その声音、その雰囲気、その言葉は、彼が自暴自棄になっていることを表していた。

 お願い、そんなことを言わないで。それ以上言われたら、私は、私は……!

 だが、カノンは言葉を続ける。

「その時僕は、死にたくない一心で、無我夢中に逃げたんです。そして、この広場にやってきました。そして、魔界の王に会ったんです」

 そうだったのか。彼の両親は、カノンを守るためにその身を犠牲にしたのか。そして、彼は逃げ、ここへやってきたと。

「その時、僕は本気で、こいつを許しはしないと思ったんです。魔界の王、オーディエルは、勇者様を襲っていました。だから、僕は勇者様が逃げられるよう時間を稼ぐために、オーディエルに向かって石を投げたんです。そしたら、僕は他の悪魔に捕まり、最後にオーディエルに胸を刺されたんです」

 そう語ったカノンの瞳に、一つの、一つだけの感情の光が生まれるのが見えた。それが何なのかはわからないが、決して良いものではなかった。

「オーディエルに胸を刺されたとき、僕は思ったんです。このまま死ぬと、どうなるんだろうって。このまま死んだら、お父さんに、お母さんに会えるのかなって、思ったんです」

「カノン……」

「そしたら、死への恐怖が段々と薄れていって、代わりに胸に温かいものが広がったんです。自分は一人じゃない、他にもたくさんの人がいると思って、とても気持ちよくなったんです」

「……お願い」

「このまま死んだほうが、きっと幸せなんだろうなって。誰もいなくなった世界で生きるより、このまま死んだほうがずっと楽しいんだろうなって、思ったんです」

「お願い」

「ですから、エスルアさん。お願いします」

「お願いだからっ!」

 私の手を、ちょうど自身の首を絞めるように宛がって、カノンは笑った。疲れ切り、絶望し、壊れた笑みを、浮かべたのだ。

「お願いします。僕を、殺してください。僕は、楽にしてください」

「お願いだからっ! やめてっ!」

 私の制止の言葉を聞かずに、カノンは更に言葉を続ける。

「僕に、あなたみたいな強さはありません。孤独に耐えられる強さを持ち合わせていません。そんなまま、弱いままこの世を生きるんだったら、あの世に希望を託したいんです。どうか、お願いします。僕を、殺してください———」

「やめてよ!」

 私はカノンを強く抱きしめた。これでもかというくらい、強く、強く抱きしめた。

「お願いだから、そんなこと言わないで。お願いだから……」

「え、エスルアさん?」

 視界がかすむ。まるで水の中にいるかのように視界が歪み、ぼやけ、かすんだ。喉からは壊れた楽器のような音が漏れ出し、口から流れ出す。

 胸が痛い。今までの人生で胸に大きな傷を負ったことは多々あったが、それよりも痛い。

 私は、カノンを強く抱きしめながら言った。

「お願いだから、そんなこと言わないで。殺してなんて言わないで。死にたいなんて、楽になりたいだなんて言わないで。……言わないでよ」

「エスルアさん」

 思考がままならない。なのに、口からは濁流のように言葉が溢れ出てくる。

「私には、君しか、カノンしかいないの。この世で、いや、どの世だってそう。心を許せる相手は、君しかいないの」

「……」

「それなのに、そんな存在である君を失ったら、私は、私は……、どう生きていけば良いの?」

「え、エスルアさん」

 動揺と驚きの声を紡ぐカノン。その言葉を覆い隠すように、私は続けた。

「私は、君がいなきゃダメなの。生きていけないの。君は、私を孤独に耐えられる強い人って言ったけど、私は、君がいなければ生きていけない弱い人なの」

「そ、そんなこと———」

「あるよ。今まで、何度君に救われたか、君の笑顔を見て、君の声を聞いて、君の心に触れて、どれだけ救われたか。きっと、君の想像なんてはるかに超えるよ」

 そうだ。私は、カノンがいなければ生きていけない、弱い女なんだ。

「君、前に私に問いかけたよね? 私の中で、君がどんな存在なのかを」

「え、ええ、聞きました」

「それを、答えてあげる」

 瞬間、カノンの体がこわばるのを感じた。ここからじゃ表情は見れないけど、きっと緊張しているに違いない。

 大丈夫。安心して。

 私は、カノンの耳元で囁いた。

「私にとって、君は自分よりも大切な存在、自分よりも守りたい存在、自分よりも、愛している存在だよ」

「え、エスルア……!」

 こちらを向いたカノンの唇を強引に奪う。少々荒っぽいが、私の気持ちを伝えるにはこれが一番だろうと考えた結果だ。

 唇が触れ合うほどの近距離で、カノンの顔を見る。今、カノンは驚き、喜んでいるように見えた。少なくとも、嫌がっているようには見えない。

 私の答えを聞いて、喜んでくれたのかな。そうだったら嬉しいな。

 長い、長いキスの末、私はゆっくりと、口づけの残滓を感じるようにゆっくりと唇を離した。

 トロンと蕩けた表情を浮かべるカノンを強く抱きしめ、私は言った。

「ごめんね。私、君が考えているような強い人じゃないんだ。本当は、君がいなければ生きていけない、弱い人なんだ」

「そ、そんなこと———」

「ううん。あるよ。現に今、君が死にたいと言ったとき、胸が痛くなったもの」

 私は、決して強い女じゃない。カノンがいなければ生きていけない女だ。

「だから、お願い。死にたいだなんて言わないで。楽になりたいだなんて言わないで。……私を、一人にしないで」

「っ!」

 涙ながらに語る私を見て、カノンは目を見開いた。

 多分、カノンの前でこんなに泣くのは、初めてかもしれない。こんなに弱音を吐くのは、初めてかもしれない。今までお姉さんぶっていたが、それも、今までだ。

 私は体をかがめ、カノンの胸に頬擦りした。

 瞳だけを上に向け、カノンの顔を、真っ赤に染まった顔を見る。

「ごめんね。こんな弱くて、面倒くさい女で。でも、本音なんだ。私は、君が、カノンがいなければ生きていけない」

「……!」

 唇を噛みしめ、何かを堪えるようにじっとしているカノン。拳を強く握りしめ、目をぎゅっと閉じている。

 どうしたのかな。もしかして、私がうるさく感じたのかな。

 言い知れぬ不安が胸を過った瞬間、カノンは目をぱっと開き、私の唇に自身の唇をつけた。

「……馬鹿。馬鹿。馬鹿。馬鹿っ!」

 唇を離したカノンは、すぐにそう言った。涙を流し、顔をくしゃくしゃに歪めて。

「そ、そんなこと言われたら、ひ、一人に、出来ないじゃないですか」

「カノン……」

「場違いな発言かもしれません。失礼な発言かもしれません。ですが、これだけは言わせてください」 

 涙に塗れた瞳をこちらに向けて、カノンは言った。

「……嬉しいです。エスルアさんにそれだけ思われて、それだけ大切にされて、それだけ、愛されて。本当に嬉しいです」

「……」

「僕もおんなじです。僕も、エスルアさんがいなければ、多分、生きていけません」

 自嘲気味な笑みをカノンは浮かべた。

「ごめんなさい。都合の良い話だとは理解しています。我儘な話なのは承知しています。ですが、僕には、家族も故郷も失った僕には、もう、エスルアさんしかいないんです」

「……!」

 私の体にもたれかかりながら、カノンは、言った。

「お願いします。お願い。僕の元から離れないで。いかないで」

「っ! カノン」

 ぎゅっと強く抱きしめ、私はカノンの言葉に答えた。

「うん。いかない。離れない。ずっと、ずっと一緒にいる」

 約束する。もう君を一人ぼっちにしない。

「エスルアさん……。ありがとう」

 安堵の笑みを浮かべるカノン。今までカノンを苦しめていた鎖が解かれたように、彼は心底安心したような笑みを浮かべた。

 ああ、その笑顔を見ると、私も心が落ち着いてくる。

 ……。

「ねえ、カノン」

「はい?」

「私からの問いの答えは、今も変わらない?」

「エスルアさんからの問い?」

「うん。じゃあ、もう一度聞くね?」

 カノンの目をじっと見つめながら、私は問いかけた。

「もし、私が、君に何もかもを捨てて一緒に来てくれってお願いしたら、君は頷いてくれる?」

「……それって」

 カノンの瞳に動揺が生まれる。当たり前だ。カノンはまだ子供。それなのに、こんなすぐに重大な決定を下すことはできない。あのときは、こんなことになるとは思っておらず、すぐに頷いてくれたが、今は違う。きっと、戸惑ってしまうに違いない。

 そう、諦めていた。だが、

「はい。行きます。一緒に行きます」

 と、即座にカノンは答えた。

 その返答に、思わず私が目を見開いてしまう。

「い、良いの? 本当に?」

「はい」

「何もかもだよ? 家族も、親友も、恋人も、故郷も、全てを捨てて一緒に来てくれって意味だよ? 本当に良いの?」

「はい」

 カノンは若干顔を赤らめて、言い辛そうにしていたものの、意を決した様子で言った。

「家族も親友も故郷も、もう僕にはありません。みんな、瓦礫の山に消えていきました。そして、僕の恋人は、初めて恋心を抱いた人は、あなた、ですから」

「か、カノン」

「えへへ。ごめんなさい。急にそんなことを言われても、厄介なだけですよね」

 彼の自嘲気味の言葉に、私は勢いよく首を横に振る。

「う、ううん。全然。むしろ、嬉しい、かな」

 あ、まずい。私の顔も熱くなってきた。夏の熱にうなされているかのような熱さだ。

 だけど、不快じゃないな。

「だけど、本当に良いの? 本当に、君はすべてを捨てて、一緒に来てくれるの?」

「はい。一緒に行きます。一緒に、どこへでも、一緒に行きます。いえ、むしろ、一緒に行かせてください。僕には、あなた以外なにも残っていませんから」

「……わかった。一緒に行こう」

 そこまで言うのなら、私は拒否しない。いや、むしろ喜んで共に行こう。それが、彼にとっても、私にとっても、幸せなことだと思うから。

「実は、ここから遠い森に別荘を持っているんだ」

「べ、別荘!?」

 素っ頓狂な声をあげたカノン。何が彼にそんな声を上げさせたのだろうか。

「え、えっと、どうして急に別荘の話を? っていうか、どうやって別荘を手に入れたんですか?」

「入手方法については割愛するとして」

「割愛するんだ」

 うん。だって、忘れちゃったもん。

 まあ、それはさておき、

「ここから遠い森にある別荘に、二人で住まないかな?」

「二人で?」

「うん。狩りとか得意だし、お金も結構持っているから、しばらくは遊んで暮らせるよ? だから、一緒に、のんびり暮らそ?」

「……僕なんかと一緒に暮らして、良いんですか?」

「それは、どういう意味?」

「だって、僕はまだ子供ですし、もしかしたら、エスルアさんに失礼なこととか、ひどいこととかしてしまうかもしれません。もし、そんなことがあったら———」

 それ以上言う前に、私は自身の胸にカノンの頭を宛がった。

 そうして彼に口を封じて、私は笑みを浮かべる。

「バーカ。私がそんなことを思うわけないでしょ。さっきの言葉を忘れたの?」

 口元を空けると、カノンはバツが悪そうにした。

「い、いえ、忘れたわけでは……」

「全く、これだから子供は」

「ご、ごめんなさい」

「ふふっ。いいよ。別に」

 カノンの耳に吐息を吹きかけ、続ける。

「代わりに、一緒に幸せになろ? 私と、君とで」

「ふっ。は、はい」

 体をビクッと震わせて、カノンは頷いた。

 相変わらず、耳が弱いな。

 前と変わらない彼の様子に安堵していると、急にカノンの重心がこちらに向いた。

 カノンは戸惑いの声をあげた。

「あ、あれ? なんだか、体が重い」

「どうしたの?」

「わ、分かりません。けど、なんだか、眠くなっちゃって」

 そう答えるカノンの声は、確かに今にも眠りそうだ。

 まあ、そりゃそうだろう。目の前で親が殺されるのを見て、知り合いが殺されるのを見て、自分も悪魔に襲われたのだから。精神的にも肉体的にも、疲労は頂点に達していることだろう。

「大丈夫。私は傍にいるから。ゆっくりとお休み」

「で、では、お言葉に甘えて……」

 最後まで続かず、カノンは目を閉じ、すぐに眠りに落ちた。

 スース―と寝息を立てるカノンを見つめ、私は微笑んだ。

「まったく、可愛い寝顔だな」

 純粋で、無垢で、穢れのない顔。安心しきったその表情は、私の心を癒すのに十分だった。

 その寝顔を見つめながら、私は意を決して、ディスレイブを取り出す。

 この剣は、万物に制限を設け、封印することができる。勇者の魔法も、カノンの魂も封じたこの剣に、限界は存在しない。

 ならば、こんな使い方だって。

 私は、眠るカノンを見つめた。あどけない子供の顔を、見つめた。

 まだ幼い子供に、私はひどい仕打ちをしてしまった。さんざん彼を愛していると言いながら、私は、彼を手にかけた。

 だが、それも今日までだ。今後の人生は、彼とともに、彼の傷を癒すために費やそう。それが、私の使命だ。

 そのためにも、この力は今はいらない。いつか必要となるかもしれないが、それまでは、封印しよう。

 ディスレイブの切っ先を自身の胸に向けて、私は力を加えた。 

 私は、もう悪魔じゃない。私は、オーディエルじゃない。私は、エスルアだ。

 魔界の王ではなく、私は、カノンのために生きる一人の人間だ。

 その思いとともに、私は胸にディスレイブを突き刺した。

 

 

 

「なに? オーディエルが、消えた?」

 臣下の言葉に、魔王は驚きの混じった声で反芻した。

「は、はい。リーマスを攻めたオーディエルですが、その後、消息がつかめないと」

「それは、どういうことだ?」

 唖然とした面持ちで、魔王は思考する。

 確かに、オーディエルは自分のことを快く思っていないようだった。だが、自分は彼女に絶大な信頼と愛を注いできた。自分としてはそう思っていた。嫌われるとしても、消えることはないと思っていた。 

 だが、今、この臣下の言葉では、オーディエルは消えたという。自分に報告することなく、忽然と。

 初めは戸惑いを浮かべていた魔王だったが、次に魔王の心に芽生えたのは、憤怒だった。

「……そうか。オーディエルは消えたか」

「っ! は、はい」

 臣下は、魔王の声に滲む怒りを察知し、身を震わせた。

 そんな臣下の様子を気にかけず、魔王は更に言葉を紡ぐ。

「オーディエル。なぜ、なぜ消えた?」

 それも、自分に報告もなく。

 その事実が、魔王の怒りに火をつけた。

 それは、なにもオーディエルに利用価値があるからでも、自分の意にそぐわなかったからでもない。

 自分は、彼女に信頼を置いてきた。それを、彼女は裏切った。その怒りが、魔王を怒らせたのだ。

「……探せ」

「はい?」

「オーディエルを探せ。そして、生かしてこの場に連れてこい」

「は、は!」

「そして、オーディエルの近くにいる者は、皆殺しにしろ。良いな?」

「お、仰せのままに!」

 そう答え、臣下は去っていった。

 残された魔王は、額に手を当てた。

「なぜだ。なぜ、オーディエルは消えたのだ」

 その声は、深い悲しみに満ちていた。

 

 

 



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二人だけの家

 

 小鳥の囀りが木霊する森の中、その奥に一軒家があった。

 二階建てのその家は木で造られており、なんとも味わい深い見た目をしていた。

 周囲の木が家にまとわりつき、まるで抱き合っているかのように支えていた。その枝に小鳥や小動物が乗り、家の中を覗いている。

 緑の葉の代わりとなる赤いレンガの屋根は、日の光を浴びて気持ちよさそうにその身を光らせている。

 心のどこかで、こんな場所を望んでいたのかもしれない。そう思うほど、目の前の光景は幻想的だった。喧噪のある町とは切り離された、静かな世界。自然が住むものと寄り添う、素晴らしい家だった。

「どうかな。気に入ってくれた?」

 隣で、エスルアさんが問うた。

 それに、僕はドキドキする心を抑えるように胸に手を当て、答える。

「はい。とても、良い場所ですね」

「ふふっ。そう言ってもらえると嬉しいよ」

 笑いながら、エスルアさんは芝生の上を歩き始めた。それに、僕もついていく。

 その最中、いろいろな動物が僕たちを見ていた。皆、好奇の視線を向けている。けれど、どれも僕たちを厄介がるような視線ではなかった。

 もしかして、僕たちを歓迎してくれているのかな。そうだったら、嬉しいな。さらに友達にでもなれたら、どんなに良いことか。

 そんなことを考えつつも、ありえないと首を横に振る。交信する手段がないのに友達とは。童話の見過ぎだな。

「こんな家、いつ得たんですか?」

 家を見上げながら、僕はエスルアさんに問うた。

 こんな森の奥にある家なんて、この世界にはそうそうない。あるとしたら、それこそ物好きな連中が造らせたに違いない。けれど、エスルアさんはどちらかというと都会っ子といった感じだから、こんな家を造らせることはしないだろう。だとしたら、誰かが造ったのを彼女が買ったに違いない。

 そう思って、僕は問うた。そしたら、彼女は恥ずかしそうに後頭部を掻きながら答えた。

「実は、私、君と出会った後くらいからこの家を持っていたんだ」

「ずっと前から?」

「うん。夢だったんだ。愛しい人と、こういう静かな場所で暮らすのが」

 愛しい人。そう彼女が言うと、胸がドキリとする。

 全く、不意打ちでそんなことを言うのは反則だよ。

「そうだったんですか。……本当に良かったんですか?」

「何が?」

 こちらを向くエスルアさんを見て、僕は問う。

「僕と、一緒に暮らすなんて。僕はまだ子供ですし、幼稚です。それなのに一緒に暮らすなんて。多分、今後数え切れないほどエスルアさんに迷惑をかけるかもしれません。それでも、本当に———」

 途中から自分で言っていて悲しくなり、思わず目線を下げる。

 すると、エスルアさんが微笑みながら近寄ってきて、僕の頭を撫でた。

「これだけ言っても分からない? 私は、君がいなきゃ生きていけないの。君を愛しているの。それなのに、そんなこと言わないで」

「え、エスルアさん」

「それを言うなら、私のほうこそ、君に迷惑をかけちゃうかもしれない。だって、家事も料理もできない女なのよ。できることと言ったら、敵を倒すことくらい。そんなダメ女でも、一緒にいてくれる?」

 悲しげに問うエスルアさんに、僕は思わず彼女の手を掴み、握って答えた。

「はい。一緒にいます。いや、むしろ一緒にいさせてください」

「カノン……」

「あなたが僕を欲するように、僕もあなたがいなければ駄目なんです。どうか、僕と一緒にいてください。僕を、捨てないでください」

 驚いた顔をしたエスルアさんは、すぐに微笑み、僕の体を抱きしめた。

「うん。捨てないよ。ずっと、ずっと一緒にいる。約束する」

「……ずっと、一緒だよ」

「っ! うん! ずっと、一緒」

 お互いの体を抱きしめながら、僕たちは共に生活することを約束した。

「……さ、長旅お疲れ。中に入ろ?」

「はい!」

 互いの顔を見合わせて微笑み、僕とエスルアさんは一緒に、これから住むことになる家の中に入ったのだった。

 

 

 

 これが、私とカノンの同棲生活の始まりだった。

 



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幸せとは

 

 家の中に入ってカノンが真っ先に向かったのは、キッチンだった。

 駆け足で向かった彼を追いかけ、私もキッチンの中に入る。

「ここが、キッチンですか」

「そうだよ」

「へえ。……おいしい料理が作れそうです」

 微笑みながらそう言うカノンに、私も笑顔を浮かべる。

 カノンの料理か。私は一度しか食べたことがないが、とても美味しかったのを覚えている。それがまた食べられるとなると、楽しみだ。

「楽しみにしてるね。君の料理」

「ええ。今はお昼を過ぎましたから、お夕飯は期待していてください」

「うん。そうする」

 その後、リビングから風呂場、倉庫、トイレと進んでいき、最後に寝室へと向かった。

「へえ、この家、寝室が三つもあるんですか」

 驚きの声を上げるカノン。確かに、一般的な人間の家に三つも寝室はない。

 彼の喜びに満ちた驚きの顔を見ると嬉しくなり、私はニヤけそうになるのを堪えながら答えた。

「うん。それに、まだ空き部屋があるから、増やそうと思えば増やせるよ」

「そうでしたか。ですが、今は増やす必要なさそうですね」

「だね」

 三つの寝室を見て歩き、私は彼に問う。

「それで、どの部屋を寝室にしたい?」

「どの部屋を、ですか?」

「うん。見晴らしとかがだいぶ違うから、どれが良いかなと思ってね」

「う~ん」

 悩むように唸りながらうつむくカノン。少し経って、彼は顔を上げた。

「じゃあ、ここにします」

 そう言って彼が指したのは、家のちょうど入り口に向いている部屋だった。

 確かに、そこから外の景色は良く見えるし、森全体とはいかなくとも、それなりに見渡せる。良い場所だ。

「うん。じゃ、そこにしようか」

「はい。エスルアさんは、どこにするんですか?」

 健気に問いかけたカノンの頭を撫でながら、私は思わずニヤけて答えた。

「君と一緒の部屋だよ」

「そうですか。は!?」

 今度は純粋な驚きの声を上げたカノン。そのままこちらを唖然とした面持ちで見つめ、問うた。

「え、えっと、そ、それはどういう意味でしょうか」

「意味も何も、そのまんまだよ。一緒の部屋で、一緒に寝て、一緒に起きるの」

「え、え、あ、は?」

「なに? それとも、私と一緒の部屋じゃ嫌? 一人が良い?」

 彼の目を覗き込んで問うと、彼は顔をそらし、顔を赤らめて答えた。

「い、いえ、そういうわけじゃ。ただ、その、一人のほうが、えっと……」

「……もしかして、君」

 逃がさないよう彼の頬を両手で挟み、顔を固定させた状態で問う。

「君、ナニする予定なの?」

「!? な、なに言ってるんですか!?」

 そうかそうか。そうだったのか。 

 私は自分でもわかる嫌らしい笑みを浮かべて、カノンの頭を撫でる。

「そうかそうか。君はそれをしたくて一人が良かったんだね? でも安心して? 今後は、私が毎晩シてあげる」

「やめてくださいそう言うの! は、破廉恥です!」

「毎時間が良い?」

「そういう意味じゃない!」

「え!? じゃ、じゃあ、毎分? さ、さすがに君でも耐えられないんじゃないかな……」

「違うってばぁ……」

 一瞬で疲労したカノンに畳みかけるように、私は両腕を使って胸を強調し、問うた。

「お口が良い? お胸が良い? それとも、大人のあ———」

「いい加減にしろ!」

 そう叫び、ポカポカと私の肩を叩くカノン。全く痛くないが、心へのダメージがでかい。

 まずい。押し倒したい。そして、そのまま彼の弱いところを責めたい。

 ていうか、泣かせたい。そんなことを考える私は、アブノーマルなのだろうか。

 自分でもわかる、くだらないことを考えつつ、私は上体を起こし、カノンの頭を撫でた。

「ごめんごめん。君があまりにも可愛くて、からかいたくなっちゃうんだよ」

「い、いい加減にしてください。僕も怒りますよ?」

「はいはい。わかったわかった。ごめんなさい」

「本気で謝ってませんね」

「まあねー」

 手をヒラヒラと振りながら、私は笑った。

 それに釣られて、カノンも笑みを浮かべる。なんだかんだ言って、この子は優しい。

 そこが好きなんだけどね。

 心の中が温かいもので包まれるのを感じつつ、私は彼を寝室の中に入れた。

 そして、そのままベッドにカノンを寝かし、私も潜り込む。

 突然のことに唖然とし、急いで出ようとするカノンを私はベッドに押さえつけた。

「って、なに僕のこと襲ってるんですか!? やめてくださいよ!」

「襲ってるわけじゃないよ」

 笑顔を浮かべて答える私を見て、カノンは徐々に力を抜いていった。

 その時を見計らって、私は彼の横につき、横から彼の体を抱きしめた。

「君、歩いている最中、眠りたかったでしょ?」

「っ!」

 ギクッという擬音が聞こえそうなほどの驚きっぷりだった。

「私が気づかないと思った? うつらうつらしていたの、知ってるんだからね?」

「……バレてましたか」

「当たり前です」

「……ですが、それと僕をベッドに押し倒すことの何が関係しているんですか?」

「分からないの?」

 私の言葉に、カノンは頷いた。

 全く、いつもは利口な子なのに、こういう時に限ってアホなんだから。

「私が寝かしつけてあげるの」

「え? で、でも、他にも見るところがあったり、教えてもらうところがあったり———」

「君が考えていることは、後ででもできます。時間はたっぷりあるんだから、のんびりとしましょ?」

「……わかりました。じゃあ、そうします」

 それ以上の反論はやめ、カノンは私の腕の中で目を閉じた。それからしばらくして、寝息が聞こえてくる。

 その寝顔を見ていると、自分の選択が間違っていなかったと思える。しかし彼には、予想をはるかに超える重荷を背負わせてしまった。唯一、そこが後悔していることと言えた。

 だけど、そんな重荷、私が担げば良い話だ。彼が崩れる前に、私がその肩の荷を運べば済む。私が彼を支えれば、いや、彼を守れば良いのだ。

 どんな外敵からも、どんな相手からも、私はカノンを守って見せる。それが、私の使命だ。

 カノンの安らかな寝顔を見つめながら、私は、心の中で誓うのだった。

 必ず、カノンは、私が守る。

 

 

 

「……あ、あれ?」

 重い瞼を空けて、私はかすんだ視界を何とかすべく、目をこすった。

 どうやら、自分も眠ってしまったらしい。それも、長い時間。外ではフクロウがのんびりと鳴いており、夜の訪れを知らせてくれた。

 顔を下げると、私の胸に密着して眠るカノンの横顔が見えた。あどけないその顔を見ると、こちらが幸せな気分になる。

 彼の頬を撫でながら、私は呟いた。

「君は、本当に素晴らしい人間だね。私には勿体ないよ」

 なにも、見た目が良いからだけではない。もちろん、見た目でもそこらの凡人とは比べ物にならないほど整っていると思える。だが、それだけではなく、彼は優しいのだ。そして、純粋なのだ。こうして私のそばで眠っていること自体が、彼が純粋なのだと私に理解させてくれた。

 ほんと、私には勿体ない存在だ。

 きっと、家事もできて料理もできて、見た目も良く性格も良い、素晴らしい奥さんと結ばれたほうが、彼にとって幸せだったのかもしれない。そのほうが、彼の人生を極彩色に飾ってくれたのかもしれない。それも、万人がうらやましがるような、良いものに。

「……私なんかと一緒にいて、本当にこの子は幸せになれるのかな」

 ぽつりとつぶやいた疑問。あとに漏れたのは、涙だった。

 私に、悪魔の私に、この子を幸せにするだけの力はあるのだろうか。生き物を殺す力はあっても、生き物を幸せにする力はないのではないか? そう思って仕方がなかった。

 彼は、彼には、私にない力がある。人を幸せにする力だ。何物にも代えがたい、素晴らしい力だ。他人を害することしか脳がない私には到底真似できない力だ。

 きっと、その力は私になんかではなく、他の人間に使われるべきものなのだろう。彼にお似合いの人間に。

 私には、過ぎた力だ。

「この七年間、君の力を傍で感じて、とても嬉しかった。君のその力は、きっと他の人に使われるべきなんだろうね。君は、他の人と、幸せになるべきだったんだろうね」

 この家に着いたとき、いや、リーマスの残骸で話した時も、彼は私にこう言ってくれた。あなたが僕を求めるように、僕もあなたを求めていると。だから、私はその言葉を信じて、彼をここに連れてきた。だが、その言葉が本心から出た言葉だとは思えなかった。この子は嘘を吐くような人ではないことは百も承知だ。けれど、彼は優しい。泣いた私を、悲しむ私を見て、憐れんで出た言葉ではないのか。そう思えて仕方ない。

 本当は、どうなんだろう。聞きたいけど、それを聞く勇気は、私にはない。悲しいことに、人を害することしかできない私に、そんな問いを投げかけることはできなかった。

 我ながら、酷い生き物だな。

 自嘲気味に笑みを浮かべ、私は言った。

「いつでも良いからね。君が、私なんかいらないと言えば、君が独り立ちできるよう力を尽くして応援し、静かに消えるから。だから、いつでも言ってね。私が、君に期待する前に」

 何を言っているんだ。そんなことをこんな口調で言えば、カノンは猶更言えないじゃないか。

 ほんと、私は救いようのない馬鹿だ。大馬鹿だ。底辺の愚者だ。彼の気持ちをこれっぽっちも思ってないじゃないか。

 本当は、別れたくない。本当は、ずっと一緒にいたい。けれど、彼の幸せを考えたら、離れたほうが良いことは分かっている。

 だけど、だけど、自分は一緒にいたいのだ。我儘なのは承知している。けど、常に傍に寄り添っていたいのだ。たとえ死んでも、彼の魂を追いかけ、私のものにする。そう決めているほど、私は彼が好きなのだ。

 だけど、私と一緒にいたら、彼は幸せになれない。わかっている。わかっているよ。

 けど、けど……!

「い、一緒にいたいよ。傍にいたいよ。カノン……」

 離れたくない。いくら君が、私と離れたほうが幸せになれると分かっていても、私は、君が傍にいないと生きていけないんだ。

 なぜカノンに、人間の子供にここまで依存しているのかはわからない。けど、こうなってしまったからには、もう遅いのだ。

 私は、カノンが起きないようにゆっくりと、優しく、けれど力を込めて抱きしめた。

 そのまま、彼の額に唇を落とす。本当は力いっぱい抱きしめ、彼の唇にしたい。だが、それをしてしまったら、その後の自制が利かなくなってしまいそうだ。だから、額にとどめた。

 でも、これで、私の気持ちは伝わるかな。伝わると良いな。

 ははは。何を期待しているんだ。彼は眠っている。反応が返ってくるはずがない。

 そう、返ってこないのだ。

 ……。なら、普段なら言えないことを言っても、良いよね?

「……私、君を幸せにする自信がないよ」

 思わず弱音を吐いてしまった。まったく、リーマスが落ちた時から今までで何回彼の前で弱音を吐いてしまったのだろうか。数え切れないのではないか? そう思ってしまうほど、多かった気がする 

 だけど、今くらいは、良いよね? 今だけは、彼に甘えても、ばちは当たらないよね?

「……幸せは、後からついてくるものですよ」

「っ!!」

 その声が聞こえた瞬間、私の心臓は今までにないほど大きく脈打った。

 そのまま視線を下に向けると、カノンが目を開き、微笑みながら私を見ていた。

 も、もしかして、

「聞こえてたの?」

「はい。聞こえていました」

「ど、どの辺から?」

「初めからですよ」

「ぐ、具体的には?」

「私なんかといてってとこからです」

 本当に初めからだった。

 ああ、どうしよう。じゃあ、私の弱音を聞いちゃったのかな。これ以上この子に愛以外の感情を、憐れみを向けられたら、私は、私は……!

「幸せになろうとして、幸せにしようとして行動して得た幸せは、本当の幸せではありません。本当に幸せは、こうしたふとした瞬間に感じるものなんですよ」

 天使のような微笑を浮かべて、カノンは私に言った。瞳から感情や思考を読み取ることを不得意とする私でも、カノンの瞳に愛情以外の何物も含まれていないことは、よくわかった。

 つまり、彼は私を憐れんでいるわけではなく、純粋に愛してくれている。そう、感じられた。

「例えば、今、エスルアさんは僕を幸せにしようと必死に考えてくれている。涙を流しながら、自分にとって辛い考えでも、それを受け入れようとしてくれている。その事実を知った僕は、今、幸せです」

「え? ど、どうして?」

 ただ、私は君を幸せにしようともがいているだけだよ。それのどこが幸せなの? 

 そう問うと、カノンは私の頬に手を当てて答えた。

「その全てです」

「す、全て?」

「はい。エスルアさんが、僕を大事に思ってくれている。幸せにしたいと思ってくれている。僕を、愛してくれている。その事実が、その全てが、僕を幸せにしてくれているんです」

「……で、でも、私は———」

「それ以上言わないでください」

 私の唇に人差し指を当てて、カノンは微笑んだ。

「あなたがなんて言おうと、僕は今、いや、あなたに会った時からずっと、幸せでした。そして、これからも、幸せになります。それも全て、あなたがいるから」

「……」

「ですから、お願いします。僕の幸せを願うのなら、僕の元からいなくならないでください」

 心細げな顔をして、カノンは言った。

「僕はもう、これ以上大切な人を失いたくないんです。ですから、エスルアさん。僕から、離れないでください。ずっと、一緒にいてくださいね?」

「……君は、私と一緒にいて幸せ?」

 私の問いに、カノンは頷いた。

「はい。幸せです。とても。この上なく」

「……そっか」

 じゃあ、その言葉を信じよう。私は、二度と君の傍を、カノンの傍を離れたりなんかしない。

 私は、笑顔を浮かべるカノンの唇にキスをした。

「ありがとう。おかげで元気が出たよ」

「それは良かったです。さ、夕食にしましょ。ま、今から準備するんですけどね」

「うん。待ってる。君にちょっかいをかけながら」

「そ、それはやめてほしいですけど……」

「やーだ」

 ふざけた調子で言い合い、私とカノンは笑った。

 その時、胸に温かいものが広がった。冷たい部屋に熱風が吹き込んだかのように、温かく、心地良い空気が私の胸を満たした。

 なるほど。これを、人は幸せと形容するのだろな。

 そう思い、私は笑った。心の底から、笑えた。

 その後、カノンは夕食を作りに向かい、私はリビングで彼の料理が出来上がるのを待っていた。

 そして、料理は出来上がり、二人でテーブルに並べ、夕食は始まった。

 今日の夕食は、倉庫にあった食材を使った簡単な物だった。ソーセージを焼いたものや、スープ、パンに果物で作られたジャム。簡素ではあったものの、とても美味しかった。

 パンをかじりながら、チラリとカノンを見る。すると、彼はなにやら不満げな表情を浮かべていた。

 どうしたのだろか。

「どうしたの?」

「……なんだか、豪勢とは程遠い料理ですね」

「え? ああ、まあそうだね」

 確かに、豪勢ではない。けど、

「とても美味しいよ?」

「そうですか?」

「うん。特にスープが。程よい塩味と濃厚な香りが舌の上で踊ってますぅ~」

「それ、どこの美食家の本ですか」

 冷めた目で見つめるカノンに笑いかけた。

「あはは。君も知ってるんだね」

「ええ、まあ。よく父さんに読まされましたから」

 そう言って沈んだ表情を浮かべるカノン。

 ありゃ、暗くなっちゃった。これはまずいな。

 ……よし。

 私は、ソーセージを食べるために使っていたフォークの脂をなめとり、床に落とした。もちろん、わざとだ。

「ああ、落としちゃった!」

 その声を聞いて、カノンは顔を上げ、直後に苦笑する。

「落としちゃいましたか。新しいのを持ってきます」

「ううん。いいの。洗い物が増えるだけだから」

「ですが、ソーセージはまだ余ってますよ? 食べないんですか?」

「ううん。食べるよ? ただ……」

 唇の端をゆっくりと持ち上げながら、私は片目を瞑る。

「君に、あ~んしてほしいな」

「っ! そ、それは」

「ダメ? 私、ソーセージ食べたいなぁ」

「あ、新しいのを出しますから———」

「それじゃあ洗い物が増えて、君が大変になっちゃうでしょ? 良いから、あ~ん、して?」

「……!」

 カノンは顔をリンゴのように真っ赤にさせて、自身のフォークを使い、ソーセージに突き刺した。

 そのまま、私に差し出してくる。

「うん。ありがとう。じゃあ、いただきまぁす」

 フォークに突き刺されたソーセージの先端を、私は口に入れた。

 そして、

「ん……じゅるっ……はふっ……れろっ……んんっ」

「……!」

 ソーセージの皮を破らないようにゆっくりとした動作で舐めていく。滲み出る液体を逃さず舌で舐めとり、口の中で味わっていく。

 皮の上と先端の割れ目から滴る液体を堪能した私は、歯を使い、肉を傷つけないよう慎重に皮をはがしていった。口内で濡れた皮が舌に纏わりつくが、唾液を使いそれらを順調に喉に流し込み、肉についている皮をはがしていく。

 そして、皮のとれた若干歯ごたえのある熱い肉の棒を口に含み、滴る液体を舐めていった。

 本音を言うと、私は肉よりも滲み出る液体を楽しみたいのだ。だから、こうして味わっている。だって、おいしいんだもん。

 独特の香りと塩気のある液体を舐めながら、いよいよ本題に突入する。

 ふと目を上げると、ビートのように顔を真っ赤にさせたカノンが、こちらをじっと見つめていた。

 ソーセージから口を離し、私は問いかける。

「どうしたの? そんなに顔を赤くして」

「い、いえ、何でもありません。てか、汚いですよ? 食べ方」

「良いでしょ? 君の前なんだから、少し汚くたって。許してね?」

「ま、まあいいですけど、早く食べてください。腕を上げているの、結構疲れるんですよ?」

「はいはい。でも、どうしてそんなに顔が赤いのかな?」

「っ! だ、だから、何でもありませんって」

「あっそう。でも、何でもないのなら、教えてくれたって良いじゃない?」

「っ! ど、どうでも良いですから、早く食べちゃってください!」

「はいはい。わかったわかった」

 苦笑して、私はソーセージの先端を舐める。

 すると、それに反応して、カノンは体をビクッと跳ねさせた。

 全く、これだからいじめられるんだよ。

「は、早く……」

「はいはい」

 これ以上悪戯してへそを曲げられるのは嫌なので、私はその後、堪能することなくソーセージを食べた。

 にしても、顔を赤くするとは、私がソーセージを食べるのを見て、何を想像したのやら。

「ねえねえ、私がソーセージを食べるのを見て、何を想像した?」

「な、なにも想像していませんよ!」

 思わず問いかけると、カノンは慌てて答えた。だが、反応からバレバレだった。

「もしかして、君はソーセージが○○に見えたのかな?」

「……! も、もう知りません! 自分で勝手に食べてください!」

 そう言ってそそくさとパンやらソーセージやらを食べ、一人食器を片付けに向かってしまった。

 ありゃりゃ、へそを曲げられてしまったか。

 一抹の後悔と十分な満足感を得て、私は料理を食べ進めていった。

 にしても、顔を真っ赤にしたカノン、可愛かったなぁ。

 



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森を散策

 すごい今更ですが、UAが千を超えました。この作品を読んでくださり、本当にありがとうございます。
 拙い文章に加えストーリーも弱い駄作ですが、これからも皆様の期待に沿えるよう尽力してまいりますので、応援のほど、よろしくお願いします。
 ちなみに、今回は夜からスタートです。



 

 

 その後、なんとかカノンの機嫌を持ち直した私は、別々に風呂に入り、そのまま寝室に向かった。さすがに風呂を一緒に入るのは出来なかったのだが、いつか一緒に入ってやると固く決心したのは内緒だ。

 そうこうして、私とカノンは同じベッドの中で横になっていた。特に会話を交わすことはないものの、二人が同じ部屋、同じベッドの中、密着しているということ自体が、私達にとっては大切だった。まあ、カノンは顔を真っ赤にさせてうつむいていたけど(その様子を見て同じく顔を真っ赤にしていたのも、内緒だ)。

 だけど、こうして一緒にいるということが幸せなんだなと、そう実感できた。こうして、何気ない日常に幸せはまぎれている。そう思うと、なんだか日々を生きるのが楽しみになってきた。

 これが、七年前だったら考えられなかった。今みたいに彩られた生ではなく、灰色の生を送っていた時からしたら、考えられない出来事だった。

 それもこれも、全てはカノンのおかげだ。

「ありがとう。私を、地獄から救ってくれて」

 私は、寝息を立てるカノンの耳元で囁いた。そして、頬に唇を落とす。

 ふわりと、ほのかな甘い香りと程よい弾力が返ってくる。それにたまらず、私は何回も口づけをした。その都度、彼が一緒にいてくれてありがたいと思った。

 このまま、一生を添い遂げる。そう思うと、自然と頬が緩んでしまう。口から変な笑い声が聞こえてきそうだ。

 それもこれも、全てカノンの所為なんだからね。責任、とってよね。

「カノン」

 私は、再び耳元で囁いた。

「愛してる。誰よりもね」

 その囁きだけを残して、私は眠りについたのだった。

 

 

 

 翌日。私はカノンと森を散策していた。

 この森は、この家を建てた時以外決して人の目につくことのなかった場所だ。そのため、数々の動植物が独自の生態系を生み出し、その枠の中で生活している。

 それは、なにも生き物だけではない。湖、森、川。それら山の恵みも、同じように人の手が加えられることがなく、独自に成長していった。

 その中の一つが、これだ。

「綺麗、ですね」

「それは私のこと? それともこれらのこと?」

「ふふっ。両方です。ま、これらはエスルアさんよりは劣っていますがね」

「あら、嬉しい。お礼に襲ってあげようか?」

「前言撤回。こっちのほうが綺麗です」

「もー、怒らないでよ」

 眉をひそめたカノンの頬を指で突いて、私はふざけた調子で言った。こうした惚気も、今までと違って良い。正確にどこがというわけではないが、なんだか良く感じる。

 カノンのちっちゃな手を握りながら、私は目の前の光景を目に入れていた。

 そこは、花畑だった。色とりどりの花が生えている花畑は、人の手が一切加えられていないのにも関わらず、花々が綺麗に並んでいた。

「一度で良いから、見てみたかったんですよね。こうした花畑を」

 ぽつりとつぶやくカノンの言葉に、私は笑みを浮かべて返した。

「そうだったの。じゃあ、その夢が叶ったね」

「ええ。本当に叶いました。ここに連れてきてくれて、ありがとうございます」

「なに、私も君の喜ぶ顔が見れて嬉しいよ」

 本心から出た言葉だ。本当に、私はカノンの笑顔が見れて良かった。

「さ、では、早速朝食にしましょうか」

 そう言って、カノンは持ってきたバスケットを掲げた。

 それに、私も頷く。

「ええ、そうしましょうか」

 そうして、私達は適当な場所を見つけ、そこに座った。もちろん、シートを広げてだけど。

 そうして、広げたシートの上にバスケットを置き、蓋を開ける。

 中には、なんとも美味しそうなサンドイッチが入っていた。卵、ハム、野菜、フルーツなどが挟まれたサンドイッチは、見ているだけで食欲が湧いてくる。本当に美味しそうだ。

 これを二人で独占できるのだから、これ以上の贅沢はない。

「さ、食べましょうか」

「うん」

 カノンの一言で、朝食は始まった。

 今の季節は夏だが、早朝ということもあってか気温はさほど高くはなく、むしろちょうど良い気温となっていた。ピクニックにはぴったりな気温だ。

 小鳥の囀りを聞きながら食べるサンドイッチはまさに別格の旨さだった。もちろんカノンの腕が良いということもあるが、空腹であること、自然の中で食べること、それらが絶妙に絡み合い、豊かな調味料となって料理を彩っていた。

 端的に言って、最高だ。

「どうですか? お口に合いましたか?」

 心配そうな顔をして聞いてくるカノンに、私は笑いかけた。

「今までで、君の料理が私の口に合わなかったことはなかったよ。けど、これは合う合わないの問題じゃないね」

「それは、どういう意味ですか?」

「う~ん。言うなれば、運命の出会い、かな」

「は、はぁ」

「ふふっ。子供にはわからないか」

 カノンの頭を撫でながらからかう。けど、珍しく彼は反論してこなかった。

 彼はただ頷いて、サンドイッチを頬張るだけだった。それは、へそを曲げたというより、むしろ妥当な評価を受けて何も感じていないといった様子だった。

 なに、自分が子供だって自覚したの?

「……僕は、子供ですよね」

 ぽつりと呟いた言葉。けど、そこに落胆が隠れているのを、見逃しはしなかった。

 ……。

「ふぁっ!」

 カノンの驚いた声が聞こえる。それも、顔のすぐ近くで。

 カノンを抱き寄せた私は、彼の目をじっと見つめた。

「うん。子供だね」

 何を言っているのか分からないと言いたげな彼の視線を受けつつ、私は彼の頭を撫でた。

「けどね。子供だから良いこともあるんだよ?」

「そうでしょうか」

「うん。そうだよ」

「例えば、なんですか?」

「私のパンツが見れるよ」

 途端に顔を真っ赤にさせ、カノンは体を離した。

「は、はしたないですよ! そ、そんなことを言うなんて」

「そう? 君の前ではかなりこういったことを言っている気がするけど」

「そ、それとこれとは別じゃ———」

「何色だと思う?」

「知るか!」

「黒です」

「答えんな!」

 旅芸人がする漫才のような調子で起きた会話。結局、カノンが疲れ、私が満足になるだけだった。

 まあ、いつものことだ。

 すっかり先ほどのシリアスが消えたカノンは、頬を朱に染めながらサンドイッチを頬張った。

 それを真似て、私もサンドイッチを食べる。

 その場には、自然の音に加えて咀嚼音も聞こえた。だが、それ以外はあまり聞こえない。

 そうして、長い時間が過ぎたころだった。

 たくさんあったサンドイッチもなくなり、私達は食後の満足感を堪能しつつ、花畑を見つめていた。

 色とりどりの花が咲く畑は、本当に綺麗だった。

「……いつか、私も綺麗になるから」

「へ?」

 こちらを見たカノンに、私は笑いかける。

「いつか、私も綺麗になる。君が胸を張って、恋人ですって言えるほど、私、綺麗に、素晴らしい女性になる。約束するよ」

「……」

 正面に顔を向けたカノンは、その後ポツリと答える。

「約束しなくて良いですよ」

「どうして?」

 再びこちらを向いたカノンは、笑っていた。

「だって、もうすでになっていますから」

「すでになっている?」

「はい。エスルアさんは、あなたは、僕にとって自慢できる恋人です。誰が何と言おうと、あなたは素晴らしい女性です。それは、たとえこの世の理がすべて変わっても、覆りようがない事実です」

「……そっか」

 そこまで言ってくれるとは。私も、恥ずかしいよ。

 自分でも頬が赤く染まっていることがわかるほど熱くなっている私を放って、カノンはシートの上で寝そべった。

「こうしていると、だんだん眠くなってしまいます」

「分かる」

 短く答え、私は彼の手を握った。

 彼の手は、温かく、柔らかかった。

「エスルアさん」

「なに?」

 彼の呼ぶ声が聞こえ、私はそちらに顔を向ける。

「誓ってくれませんか?」

「なにを?」

「この手を、離さないって」

 その言葉と同時に、彼は私の手を強く握りしめた。決して離さないよう、力強く。

 そして、その力は同様に、彼の意志の強さを表しているように見えた。

 なら、私も彼の思いに応えなければ。

「うん。誓う。私は、絶対にこの手を離さない」

 私も、彼の手を握り返す。力強く。

 彼は、笑った。

「ありがとうございます。おかげで、勇気が出ました」

「勇気が出た? それは、どういう意味———」

 直後だった。

 ふわりと優しい香りが鼻腔をかすめたと思ったら、唇を湿った何かにふさがれた。

 なんだかわかっている。カノンの唇だ。

 カノンが、私にキスをしたのだ。

 それは、ほんのわずかな間のちょっとしたものだったが、それでも、私とカノンを赤面させるのには十分だった。

 そのまま体を離し、互いに黙りこくること数分。

「……ちょ、ちょっとその辺を散策してきます」

 そう言って、カノンは去ってしまった。

 残された私は、唇に残る彼の残滓を感じながら、ポツリと呟いた。

「……だから、大好きなんだよな」

 その言葉に賛同するかのように、小鳥が囀った。

 



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悩みのタネ

 次回は戦闘回です。ほのぼのに戦闘はいらんという方もいるかと思いますが、作者として、なぜか入れたくなってしまい、入れた次第でございます。反省はしている、後悔はしていない。
 今回は短めですが、次回はなんとか長くするので、どうか、ご勘弁を。



 

「ああ、恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!」

 自分でも発熱していることがわかるほど顔を赤く染め、僕は森の中を歩いていた。

 自分からキスをする。その勇気を、僕は持ち合わせていなかった。だけど、彼女の、エスルアさんの言葉を聞いて、途端に勇気が湧いてきたのだ。それも、体を熱くさせるような、興奮とともに。

 そして、僕はその衝動に身を任せ、彼女にキスをしてしまった。本当に短い、ちょっとしたものだったが、それでも僕に後悔と羞恥を覚えさせるには十分だった。

 なぜ後悔を浮かべているのかと思う人もいるだろう。少なくとも、他人から言われたら僕はそう思う。なにせ、愛し合う二人なのだから。

 だけど、だからこそ思う。清楚で、淫らでなく、立派な関係にしたいと。本能と衝動に身を任せてふしだらな生活を送るのではなく、基準と理性をもって互いを尊重し合いながら生活したいのだ。

 我儘、なのだろうか。エスルアさんは僕を求めてくれるし、僕もそれに応えたいと思っている。まあ、彼女は少し過激なところがあるけど。それでも、彼女が僕を求めてくれているのには変わりない。そんな中でこんな思いを浮かべる僕は、我儘なのだろうか。

 それとも、彼女は僕が子供だから、こうしてからかっているのだろうか。

 そんな疑問が、ふと生まれた。

 もしそうなら、僕はどうすれば良いのだろうか。必死に彼女と肩を並べられる存在になりたいともがいてはいるものの、結局それらは空回り、彼女に甘やかされるだけなのではないか? そう思ってしまう。

 だって、エスルアさんの発言がどこまで本気なのか、まったくわからないんだもの。

 本当に、彼女が僕との間に、その、えっと、こ、こ、ここ、子供が欲しいと、言うのなら、僕はそれに応える。十六人だろうが百六十人だろうが、作って見せる。……保つ自信ないけど。

 でも、彼女の思いには精一杯応えようと思っている。それが、恋人というものだと思っているから。だから、僕は彼女を裏切りたくないし、永遠に好いていたい。

 昨日。僕は彼女の思いというものを垣間見た気がする。彼女の言葉を聞いて、僕は彼女を愛するというこの気持ちを更に深めようと思った。

 だって、そうするしかないでしょ? エスルアさんに、最愛の人に、離れたくない、ずっと一緒にいたい、なんて言われたら。

 だから、僕はそれに応えるべく、一生懸命にならなければならない。

 そのために、彼女の思いを受け止めなければ。

 ……だけど、その思いと努力が空回りしていないか、心配だ。

 ……はあ、なんだか、今までの思考を顧みるとぐちゃぐちゃしているな。何を言いたいのだが分からない。

 多分、この思考が、今の僕の心を表しているのだろうな。つまり、僕は混乱している。

 今、自分の脳内をぐるぐるしているのは、彼女の思いに応えたい、けど空回りしていそうで怖いという気持ち。彼女の気持ちがからかい半分の弟に向けられるものではないのかという疑心。他にもいろいろあるけど、今一番悩んでいるのはこの二つだ。

 だって、僕は人と接することを苦手としているし、数年前まではエスルアさんのこと、苦手だったし。

 けど、今は違う。今は、僕は彼女のことを、愛している。

 のだが、それを伝えるには、どうすべきか。

 はぁ、また話がややこしくなった。物理的な整理は出来ても、思考の整理は出来ないだな。

 さっき、エスルアさんが言っていた言葉を思い出した。

「いつか、綺麗になる。か」

 僕は、あの時の彼女の言葉を思い出し、反芻した。

 正直、僕にあのような女性は割に合わないと思う。彼女は強い。物理的にも、精神的にも。一人でも生きていける立派な大人の女性だ。

 それに比べて、僕は一人では生きていけない弱い存在だ。力もなければ心も強くない。くよくよ悩み、このように思考の整理が出来ていないのがその尤もたる証拠だ。

 彼女は約束すると言ったが、約束したのは僕のほうだ。

 僕のほうこそ、彼女と対等に生きていけるような、立派な大人の男にならなければ。そうしなければ、エスルアさんに申し訳ない。

 だが、どうすれば強くなれるのだろうか。正直な話、簡単に答えが出ていればここまで悩んでいない。だからこそ、悩んでしまう。

「はあ。強くならないとな」

 それも、今すぐに。

 そう、悩んでいるときだった。

 ふと顔を上げると、森の中の広場に出た。そこそこの広さを誇っており、リーマスの広場くらいはあるかもしれない。そこだけ木が生えておらず、芝生のような草が広がっていた。

 そして、僕の目が向かったのは、その奥だった。

 広場の奥。僕とは反対側に位置する広場の奥に、一頭の馬が横たわっていた。

 黒い、がっしりとした四肢。大きな体躯。勇ましい顔つきに、額には一本の角が。……角!?

 本来ならあるはずのない体の部位を発見し、僕は思わず額の角を二度見してしまった。

 間違いない。額に一本の大きな角がついていた。色は黒。体と同じだ。

 そして、更に体を見回すと、それが従来の馬とはかけ離れた見た目をしていることが容易に分かった。

 まず、カラスのような黒い翼が一対生えているし、尻尾が魚のヒレみたくなっている。全体的に黒く、まるでおとぎ話に出てくるような馬だった。 

 も、もしかして、伝承に出てくるペガサス? いや、角があるからユニコーンか。で、でも、尻尾が魚の尾ヒレって、ケルピー?

 記憶にある幻獣を片端から思い浮かべるが、どれも合致しない。なにせ、それらの特徴が一挙につながっているのだ。なんだかわからない。

 けど、横たわっているということは、怪我をしているのかな。だけど、地面に血は広がっていない。ということは、病気? 

 大変だ。じゃあ、何とかしなければ。

 と、とりあえず、近寄って確かめなければ。

 この時、僕はこの馬を助けたい一心で何も考えなかった。馬の正体が何なのかも、どこから来たのかも、僕の安全についても。

 近寄った僕は、馬の腹部に手を当て、目を閉じる。

 ……うん。体温は正常、心拍も感じられる限りは平気だ。

 馬の健康状態を見るなんて、片手で数える程度しかなかった。だから、ちゃんと当たっているかは疑問だ。

 けど、今はこの勘に頼るしかない。

 そう思い、今度は馬の頭部を見る。そのために視線を頭に持っていったのだ。

 だが、持っていった瞬間に、僕は固まってしまった。

 馬が、こちらを見ていた。

 綺麗な瞳だった。真っ青で、淡い空色にも、深い水色にも見えた。吸い込まれそうなほど綺麗で、見惚れるような瞳だった。

 ああ、そういえば、エスルアさんも青い瞳だったな。綺麗だった。

 そんなことを考えていた僕は、気づくことなく、意識を闇に落としてしまった。

 

 

 

「おーい。どこだー? いるなら出てこーい。いないなら出てこーい」

 あのキスの後、去っていったカノンを待っていた私だったが、待てど暮らせど彼が現れる気配がなかったため、仕方なく彼を探すことにした。

 森の中を歩きながら、彼の気配をたどる。こういう時に悪魔の力があれば便利なのだが、今の自分は最低限の力しか持ち合わせていない。まあ、それだけで事足りるが、それでも贅沢を言えば力を使いたい。

 はあ、こういう時に悪魔の力を頼りたくなるとは、我ながら情けないな。

 そう思いつつ、私は森の中を歩いて彼を探す。

 その最中に考えることは、彼がキスをしたことだ。

 なぜあのタイミングで彼がキスをしたのかは分からない。けど、悪い気はしなかった。ううん。むしろ、ありがたかった。

 ああ、そのことも礼を言わなきゃ。

 そう思いつつ、私は森を歩く。

 ある一定の距離を歩いていると、私はある異変に気が付いた。

 鳥が、私の視界に入るように低く飛んでいるのだ。それも、私のいく方向についていくように。

 そして、カノンの気配はその鳥の進んでいる方向に向かっていた。

 もしかして、

「知らせてくれているのか?」

 鳥は囀った。どうやら、肯定しているらしい。

 そうか。ならありがたい。

「じゃあ、カノンがいる場所に連れて行ってくれ。彼、きっと寂しい思いをしているだろうから」

 鳥は再びさえずり、森の奥に飛んでいった。

 その後ろを、私は追いかけた。

 この時、私は特に深く考えることなく、鳥の後を追っていった。精々が、彼は森の中で道に迷い、泣いているのだろうなと思っているだけだった。

 だから、森の中の空き地で、彼が血を流して倒れているのを見た時は、心臓が止まるかと思った。

「か、カノン!」

 鳥の案内で空き地にたどり着いた私は、首から血を流して倒れているカノンを見つけ、慌てて駆け寄った。

 体を抱き寄せ、傷の様子を見る。幸いというべきかなんというべきか、血は止まっていた。

 良かった。急いで手当てすれば間に合う。

 そう思い、彼を俗にいうお姫様抱っこし、私は家へ向かおうと後ろを振り返った。 

 そして、直後に固まった。

「まさか、ここに悪魔がいるとは、思わなんだ」

 そこに、一頭の馬が立っていた。それも、ただの馬ではない。角に翼、魚の尾ヒレがついている、全身が真っ黒な馬だ。

 いや、馬というべきなのか。甚だ疑問だ。なにせ、私はこの馬の正体を知っている。

 私の様子を見て驚いたのか、馬は続けた。

「おやおや、俺の姿を見ても怯えないとは、俺の力を感知できないほど弱いのか、あるいはただの愚か者なのか。お前はどちらだ」

「……その質問に答える前に、一つ聞きたいんだが」

 カノンを広場の端に置いて、私は馬に向き直る。

「カノンを傷つけたのは、お前か?」

「弱者が強者をお前呼ばわりか。それが悪いことだと教えなければならないのは骨が折れるが、答えよう。そうだ。俺がやった」

「そうか」

 私の反応に、馬は問うた。

「なぜだ。お前は下級の悪魔のようだが、その子供はただの人間だろう。何を悲しむ必要がある」

「悲しむ? そうか。私は悲しんでいるのか」

 気づかなかった。私が、彼が傷ついている様子を見て悲しんでいるということが。

 なにせ、今の私は、

「それで、種馬」

 ディスレイブを生み出し、私は低い声で問うた。

「遺言はそれで十分か?」

「は?」

 呆気にとられる馬。そりゃそうだろう。なにせ、下級だと思っていた存在が自分を馬鹿にしたのだから。

 続いて生まれたのが、怒りだった。

「お前、誰に向かって口を利いているんだ?」

「分からないのか? どうやら言葉を話せることと、頭が良いこととは結ばれないようだな。愚か者。じゃあ、教えてやる」

 ディスレイブの切っ先を向けて、私は言った。

「お前だ。お前に向かって言った」

「……そうか」

 瞬間、頭上から雷が降ってきた。天気は晴れ。決して雷が降るような天気ではない。

 ということは、こいつが。

 雷をすべて斬り捨て、私は馬を見る。

「手品はこれで終わりか? ハッ。雑魚にもほどがあるぞ」

「お前がそれを言うか?」

 呆れた口調で馬は言った。どうやら、心底呆れているらしい。

 まあ、それはそれで良いのだが。

「それで、遺言はそれで十分かと問うたな」

「ああ、聞いた」

「なら、その言葉、そっくりそのままお返しするぜ」

 大きないななきを上げ、馬は叫んだ。

「雑魚は雑魚らしく強者の前にひれ伏せば良いものを。それをしないとどうなるか、教えてやる」

 そうかよ。じゃあ、こっちも久しぶりに本気と行かせてもらうぞ。

 私は、ディスレイブの切っ先を馬に向けた。

「そうか。なら、私からもお前に教えてやろう。……真の強者の実力をな」

 さあ、

「行くぞ」

 刹那、戦いの火蓋が切って落とされた。

 



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万里を駆ける魔障の名馬

 どうも。戦闘描写が好きなくせに戦闘描写が苦手な作者です。誰だ、好きこそものの上手なれと言った奴。俺には全く当てはまらないんだが!?
 コホン。失礼。取り乱しました。
 はい。今回は戦闘回です。なんとか一話で済ませたくて書いたのですが、いい加減な内容に拙い描写が合わさってなんとも言えない酷さです。ですが、悲しいことに自分ではどこが酷いのか分からないんですよね。なんだか、他の小説よりも酷いなってことはわかるのですが、具体的にどこがというのは分からないんですよね。悲しや悲しや……。
 まあ、今後直していく可能性が十パーセントほどあるので、その可能性に賭けたいと思います。はい。酷いところが見つかればよいのですが。
 さて、長々と申し訳ありません。では、どうぞ。



 

 

 瞬間、数えるのも億劫になるほどの雷が飛来し、私を含めた周囲の地面を焦がした。紫紺の雷は、まさに光速と言っても過言ではないほどの速さで落ちてきたのだ。 

 それを回避して、私は悪魔に目を向ける。だが、悪魔は元いた場所とは別の場所に瞬間移動しており、即座に雷を放ってきた。 

 それを横に転がって回避し、私はディスレイブから波動を放つ。

 放たれた波動は寸分の狂いもなく悪魔に向かった。だが、悪魔は即座に別の場所に瞬間移動し、頭を上から下に振り下ろした。

 瞬間、私の頭上から特大の雷が落ちてきた。それは、一般的な雷と形容するにはあまりにも大きく、強いて例えるなら、まさに神の雷だった。

 それをなんとか弾き落とすと、悪魔は私の背後に瞬間移動し、額の角で私を貫こうとしてきた。

 後方に跳んでそれを回避し、地面に足が着いた瞬間に前方へ大きく前進、強力な突きを放った。

 だが、またしても悪魔は瞬間移動し、今度は頭を下から上に振り上げ、地面から大きな氷柱を生み出してきた。

 地面を這うようにして迫る氷柱を跳んで回避し、私は悪魔に目を向ける。

「ハッ。弱いな。さすがは下級の悪魔だけある」

 悪魔の言葉に、私は冷静に反応した。

「力を誇示するだけが強者ではない。ましてや、数発の雷と一発の氷柱を放っただけで強者を気取るとは……。哀れだな」

「そう油断していられるのも今のうちだぞ」

 悪魔は言葉少なにそう言うと、前の両足を持ち上げ、いななきと共に地面に叩きつけた。

 すると、地面が槍状に隆起し、私の体を下から突こうとしてきた。

 それを横に跳んで回避する。

 悪魔は悪魔で再び瞬間移動し、私との距離を離してきた。

 そして、

「吹き飛べ」

 そう叫ぶと、悪魔はどこからともなく風を生み出した。小さな竜巻だ。

 竜巻は私を追うようにして迫った。だが、それを私はディスレイブで消し飛ばす。

 額の角に体の翼に尻尾のヒレ、水と風と土の三属性を操る力、極めつけに距離を無視した瞬間移動。間違いない。

「お前、スレイプニルか」

 スレイプニルとは、魔界に生息する悪魔のことだ。距離を操る力を持っており、戦場では名馬として活躍する。見た目の通り、スレイプニルは水中、陸上、空中、どこでも移動できるのだ。

「俺のことを知っているのか?」

 悪魔、スレイプニルの声に驚きが混じる。それもそうだろう。下級の悪魔はそうそう自分よりも格上の悪魔を知りはしない。精々が、自分の宿敵となりえる相手だけだ。

 そのため、名前を言った瞬間にわずかな後悔を浮かばせた。もしかして、私の正体を見破ったのか、と。

 だが、相手は興味がないのか、深く追求することはなかった。

「なるほど。俺を知っているのか。だが、敵を知ることが勝利へとつながることは、そうそうないぞ」

「そうだろうな。だが、勝率は上がったな」

「どうだか」

 雷を落とすというスレイプニルの攻撃を回避しながら、私は相手の出方を窺っていた。

 まず、スレイプニルの基本攻撃は雷だ。たまに氷や土を使うことがあるが、本当にたまにしかない。基本は雷だ。

 だが、その雷が厄介だ。光と同じくらいの速さで落ちてくるし、威力も高い。今は切り裂いたり避けたりすることができるが、疲労がたまるとそれもできなくなるだろう。

 ならば、勝負を長引かせるのではなく、一瞬で片をつけなければ。

 なら!

「はっ」

 私はディスレイブに自身の魔力を溜め続け、強力な突きを放った。

 それを、スレイプニルは回避し、瞬時に遠くへ移動する。

 だが、その方向は既に見切っている。

 瞬間移動した方向に斬撃波を飛ばし、私はスレイプニルと自分との距離に限界を設ける。

 するとどうなるか。答えは、

「な、なに!?」

 スレイプニルから驚きの声が聞こえた。無理もない。急に敵と自身との距離が縮まり、能力も制限されたのだから。

 今、私はスレイプニルが移動できる範囲に限界を設けた。これで、スレイプニルはその範囲内でしか能力を使用できず、また移動することもできない。

「お、お前! 一体、何をした!?」

「さあな。何をしたんだろうか。上級悪魔のお前なら、分かるんじゃないか? それとも、その名はただの看板か?」

「く、クソがぁぁぁぁぁぁ!」

 数多の雷を乱雑に放ち、スレイプニルは大声を上げる。

 だが、これこそまさに好機だ。

 私はスレイプニルに接近、上段から思いきりディスレイブを振り下ろした。その刃はすぐさまスレイプニルの皮膚を切り裂き、肉を断ち、骨を砕いた。

 だがまあ、悪魔は内臓を全部取られようが魂が残っていれば生きていられる。つまり、魂自体を破壊しなければならないのだ。

 しかし、今の私に魂を封じる力は残っていない。力を十全に使えたころはそうではないのだが、封印した今では、今のように距離など無機質なものを操ることが精々だ。

 だけど、斬り続ければそのうち死ぬだろう。

 続けざまにスレイプニルを切り続け、私は敵の体力が消耗するのを待った。

 だが、どうやら簡単にくたばってはくれないようだ。

「下級悪魔風情が。調子に乗るなぁ!」

 スレイプニルは再び雷を放ってきた。それも、一発一発が致命傷になりうる、強力な雷を。

 それを、私はディスレイブで切り裂く。と同時にディスレイブに力を溜め、限界までたまったところでディスレイブをスレイプニルに叩きつけた。

 悲鳴にも似た声が森中にこだまする。もちろん、スレイプニルのものだ。

「く、くそ。俺は、俺はまだ死ねん!」

 そう叫び、スレイプニルは地面を槍状にして突き刺してきた。

 私はその地面にディスレイブを突き刺し、力を封じる。

 瞬く間に土に戻っていった槍たちを見つめ、スレイプニルは驚愕の声を上げた。

「お、お前は、下級悪魔ではないのか」

 気づくのが遅い。

「まあ、そうなるな」

 私はやれやれと首を横に振りながら、スレイプニルの反応を待った。

 すると、

「く、くそ、ならっ!」

 大声を上げ、スレイプニルは角を構えて突進してきた。どうやら、能力は効かないと分かったようだ。

 だが、その攻撃こそ、私が待ち望んだ攻撃だった。

 角で私を突く寸でのところで、私は剣を下から切り上げ、スレイプニルの顎を打った。

 大きく顔をそらし、上にあげるスレイプニル。その首、ひいてはその先の心臓に向かって、私はディスレイブを突き刺した。

 断末魔の悲鳴を上げるスレイプニル。その叫びは、己の力を過信したことの後悔と、私に対する驚きに満ちていた。

 まあ、これが最後の教訓だな。

 覚えておけ。

「いくら自然の摂理を操れたとて、その身に魂が宿る限り、命の戒めを解くことはできない」

 そして、私はディスレイブを抜き、地面に着地した。

 背後では、すでに満身創痍となったスレイプニルが、頭を垂れていた。

 

 

 

「まさか、ここで俺よりも強い悪魔と出会うとは思わなかった」

 ぽつりとつぶやくスレイプニルに、私は苦笑して答えた。

「人生、思わぬ出来事の連続さ」

「だな」

 頷いたスレイプニル。なんだか、急に素直になったな。

 まあ、すぐに死ぬからどうでも良いが。

「さてと、じゃあ、死ね」

 私はディスレイブの切っ先をスレイプニルの額に向け、言った。

「来世に期待しろよ」

「ま、待ってくれ」

 切羽詰まったような口調で、スレイプニルは言った。 

「なんだ? 命乞いか?」

「そうだ」

「はあ?」

 命乞いって認めるのかよ。てか、どうして命乞いを?

「なんだ。助けてくださいってか? おいおい、こっちは大切な人を殺されかけたんだ。私には、お前を殺す理由は十二分にある。それでも命乞いをするか?」

「ああ、する」

「潔いなお前」

 素直に感服するよ。

「だが、駄目だ。お前は死ぬ。ここでな」

「なら、せめて話だけでも聞いてくれ」

 本当に助かりたいのか、そう懇願するスレイプニル。何が彼にそうさせているのかは分からないが、まあ話だけでも聞くか。

「で、なんだ?」

「話を聞いてくれるのか?」

「ああ、さっさとしろよ。カノンを助けなければならないからな」

「カノン。あの人間の名か」

「そうだ。早くしろ。今にも死にそうなんだ」

「安心しろ。人間は死なんさ」

「なに?」

 死なない? どうしてそう言える。

「なぜ死なないと?」

「俺のことを知っているなら、俺に他者を癒す力が宿っていることも分かっているだろう?」

「ああ、まあな」

 スレイプニルは、水と風と土の三属性を操る。つまり、水属性、癒しの力も使えるのだ。

「だが、それとカノンと何の関係が?」

「お前は、理解力がないんだな」

「っ……」

「図星か」

 図星だ。

「そ、それで、カノンとお前、何の関係がある?」

「はぁ、お前、理解力を持ったほうが良い……。いや、普通ではありえんか」

「もったいぶっていないで、さっさと言え」

「分かった。分かったから剣を振り上げるな!」

 私が剣を振り上げると、スレイプニルはそう叫び、体を縮こませた。

 早く言えよ。

「端的に言うと、あの人間の傷は確かに俺がつけたものだが、その後にちゃんと癒した。だから、死ぬことはない」

「なに?」

 癒した? 悪魔が、人間を?

「どうしてだ。私が言うのもなんだが、カノンはただの人間だぞ」

 古今東西。人間に味方する悪魔は存在しない。精々、気まぐれに遊ぶだけだ。だから、私のような悪魔は希少だ。

 だが、どうして、こいつはカノンを。

 私がそう問うと、スレイプニルはどこか虚空を見つめるように瞳を向けて答えた。

「優しさに触れたからさ」

「や、優しさ?」

 悪魔の口からは到底聞かないようなセリフを聞いて、私は思わずオウム返しした。

「優しさって、なんだ?」

 そう問うと、スレイプニルはわずかに口元を歪ませて言った。

「あいつ、倒れている俺を見てすぐに駆け寄ってきたんだ。それも、心配そうな顔をしてな。初めてだった。他者から心配されるのは」

「……」

「体に触られたときはさすがに腹立たしくなったが、それでも、人間から優しさを感じて、すぐにその感情は消えた」

「……なら」

「ん?」

「なら、どうしてカノンは怪我をした? どうして首から血を流した?」

「そ、それは」

 答え辛そうに顔を背け、スレイプニルはぼそりと言った。

「実は、腹が減っていてな。一滴でも良いから血が欲しかった」

「そうか」

「そうだ。……ま、待て待て待て! 剣を持ち出すな! 今は俺の話を聞いてくれるんだろ!?」

 おっと危ない。危うくこいつを切るところだった。

「で、血を飲んだ感想は?」

「ん。すごく美味かった」

「そうじゃなくて、心はどうだった?」

「ああ。なんだか、もやもやしたな。病にかかったときのようでもあったが、それよりも耐えられなかった」

「そうか」

 じゃあ、こいつはこいつなりに何かを抱えてるんだな。カノンの慈悲を受けて感動するくらいだ。きっと、心に何かを抱えているのだろう。

 私のように。

 ……。

「だから、人間を殺そうとは思っていなかった。血を飲んだことは謝るが、殺すつもりはないし、殺してもいない。それで、交換条件というわけではないが、俺のことも、殺さないでくれるか?」

「……」

 こちらを見つめるスレイプニルの顔を見つめ返し、私はじっと考えた。

 確かに、話を聞く限りこいつは私達に危害を加えようとしているわけでない。まあ、私に攻撃してきたのは、悪魔としての本能だろう。強い者と戦いたいという、戦闘欲からかもしれない。まあ、私が挑発したからかもしれないのだが。

 さてと、スレイプニルの話を要約すると、

「お前は、カノンを殺していない。傷はつけたが、それでもちゃんと治癒した。だから、自分の命も助けてほしいのか」

「そうだ」

「ふむ」

 まあ、そういうことなら、

「無理だな」

「っ! な、なぜ」

「カノンに傷をつけただけでも重罪だ。治癒したから許してくださいとか、そういうのはいらない。私の命に代えても守るべき存在、大切な存在を傷つけた。殺す理由は、それで十分だ」

 だから、お前はここで死ぬ。

 私は剣を振り上げ、最後にスレイプニルに問うた。

「遺言は、何かあるか?」

「……」

 スレイプニルは目を瞑り、しばし考えるように頭を垂れた。

 そして、

「……あの人間が起きたら伝えてくれ。勝手に血を飲んで悪かったって」

 と、答えた。

 そうだな。謝罪は必要だ。

「それで十分か?」

「ああ。もういい。やるなら早くやってくれ」

「了解」

 私は今度こそ、剣を振り上げ、そして———、

「だ、ダメ!」

「っ!」

「えっ!」

 振り下ろす瞬間、先ほどまで倒れていたはずのカノンが立ち上がり、スレイプニルの体を覆うように、または守るようにしてしゃがみ込んでいた。

 ど、どうして、

「どうして、君が邪魔をするんだ?」

「ダメだよ。この子を殺しちゃ」

 今にも泣きそうな声で答えるカノン。必死の形相で私を見つめ、両手でスレイプニルの体を抱きしめている。

 なぜ、この子は、

「なんでだい? こいつは、君を傷つけたんだよ? それなのに、どうして君は、こいつを庇うんだい?」

「だ、だって……」

 とうとう目から涙を流し始めたカノンは、叫んだ。

「も、もう、目の前で誰かが死ぬのを見たくないんだ!」

「っ!」

 その叫びを聞いて、私は思わず拳を握ってしまった。

 そうだ。この子は、目の前で両親を殺されただけでなく、町の人々が死ぬのもその目で見てきたのだ。きっと、この子の死生観は人よりも重いのだろう。だから、こうしてスレイプニルを、自分を傷つけた相手を守ろうとしている。

 恐ろしいまでに純粋な、優しさだった。

「人間……お前……」

「カノン」

 スレイプニルの呟きに、カノンは反応した。

「僕の名前はカノンだよ」

「か、カノン?」

「そう」

 人々の負の感情を一掃し、柔らかな思いで満たすであろう笑顔を浮かべ、カノンは言った。

 そして、その笑顔は、私に宿っていた殺害への欲求を打ち消すのに十分な力を持っていた。

「……スレイプニル」

 短く呼ぶと、スレイプニルはこちらに顔を向けた。

 その青い瞳を見つめ、私は剣を消す。

「……交換条件だ」

「なんだ?」

 身構えるスレイプニルに苦笑しながら、私は言った。

「私にお前の力を寄越せ。そして、お前の一生を、カノンに捧げると誓え。そうすれば、命を助けてやる」

「ちょ、ちょっと、エスルアさん———」

「その程度で良いのか?」

 焦った声を発したカノンとは対照的に、驚きつつも落ち着いた声で答えるスレイプニル。どうやら、私の言葉が意外だったようだ。

「ああ。そうだ。それで十分だ」

「な、なに言ってるの!? スレイプニルさんも、何受け入れようとしているの!?」

 そう問うカノンに、スレイプニルは若干興奮を滲ませた口調で答えた。

「カノン。お前には分からないだろうが、俺は昔から夢だったんだ」

「な、なにが?」

「他者に、俺より強い誰かに使われるのを」

「へ?」

「は?」

 思わぬ悪魔の発言に、私とカノンは同じように口を開けた。

 それに気づいているのかいないのかは分からないが、スレイプニルは続けた。

「昔から夢見ていたんだ。俺より強い者に使われるのを。俺が安心してこの身を捧げられる者に使われ、一生を終えることを。だから、今、その夢が叶った」

 私を見つめ、スレイプニルは言う。

「さあ、使え。これが、俺の力だ」

 瞬間、スレイプニルの体が風に覆われた。瞬く間に全身を覆ったその風は、スレイプニルの体を徐々に霧状にし、小さな光を宿していった。

 そして、霧状になったスレイプニルは私の体に迫り、吸い込まれた。私の体を霧が包みこみ、次第に晴れていった。

 霧が晴れた時、私の両手と両足に見たことのない籠手と具足が現れた。両方とも黒く、血管のように幾本もの線が入っている。そして、それぞれ黄、緑、青色をしており、血液が流れているように脈打っていた。形は手袋のように指先が使えるようになっているが、手袋よりもゴツゴツしている。

 だが、籠手と具足以外にも、私の体に変化があった。

 新たな力を得たのだ。

「どうだ。これが、俺の力だ。気に入ってくれると嬉しいのだが」

「あ、ああ、十分だ」

 籠手から発せられる声に、私は答える。

 ていうか、

「お前、馬車馬のごとく使われたかったのか?」

「ああ! そうだ!」

 私の問いに、やけに嬉しそうな声が返ってきた。

 まじか。外見が馬だけに馬車馬のごとく……全然うまくない。

 まあいい。

「もう一つの条件も忘れるなよ」

「ああ。この身、永遠にカノンに捧げる」

「分かっているなら良い。だとさ、カノン」

「え!? ぼ、僕!?」

 突然振られたことへの驚きで目を見開くカノン。

「いや、さっき言ったでしょ? カノンに一生を捧げるって」

「いや、でも———」

「俺に事は気にするな。いや、むしろ使ってくれ」

 籠手と具足を光らせながら言うスレイプニルに、カノンは戸惑いを浮かべながら答えた。

「で、でも、君は本当に良いの? だって、僕、人間だし。君は、君自身よりも強い人に使われたいんだよね? 僕、全然強くないよ?」

 最後のほうは小さくなりつつも、カノンは言った。

 それに、スレイプニルは笑い声を上げて答える。

「はっはっはっは! 気にするな! それに、俺はお前よりも弱い」

「う、うそ!?」

「もちろん、物理で戦えば俺のほうが強いが、お前には、俺よりも格段に勝っている部分がある」

「そ、そうなの?」

「ああ。ま、俺からは答えないがな。そのうち、自分でもわかるさ」

「そ、そうかな」

「ああ。そうだ。なにせ、お前は———」

「っ! カノン!」

 スレイプニルの言葉を中断させ、私はカノンを抱き寄せた。

 軽い、小さな体が私の胸に収まる。カノンは顔を真っ赤にさせているが、今はそれどころではない。

「ちょ、ちょっと、エスルアさん。な、なにを———」

「黙って」

 強く抱きしめ、カノンの口を胸で封じる。本来ならカノンが恥ずかしがり、私がにやける場面だが、今はそれどころではない。

 私は、今までカノンが立っていた場所を見つめた。

 そこには、一体の悪魔が立っていた。

 両手に大きな鉤爪を持ち、まるで獣のように背中を丸め、二本足で立っている。大きな尻尾は鞭のようにしなり、紺色の外皮は強固な見た目をしていた。

 初めは一体だけだった悪魔は、徐々に数を増やしていった。

 これは、どういうことだ?

「スレイプニル。これは、どういうことだ?」

「詳しい説明は後のほうが良いのではないか?」

「確かに、そうだな」

 私の返答の直後、悪魔は大きな叫び声をあげた。

 確か、悪魔の名はビーストだったはず。この種類は、ビーストネイルか。

 水のように湧いてくるビーストネイルを見つめつつ、私はカノンを背に庇った。 

 悪魔を見たカノンは、その身を固めた。無理もない。悪魔に大切な人を殺されたんだ。怯えるはずだ。

 だが、今は堪えてもらわなければ。

「カノン」

 短く名を呼び、私はアンカルグを生み出す。

 それをカノンに押し付け、口早に言った。

「カノン。これをもって、すぐに家に戻りなさい」

「っ! ひ、一人で?」

「ええ。そうよ。大丈夫。君ならできる」

「で、でも、エスルアさんは?」

「私は、ごみを掃除しなければならないから。遅れて行く」

 心配げな表情を浮かべるカノンの頬を撫でながら、私は言った。

「大丈夫。その剣を持っていれば、悪魔が寄ってくることはないわ」

「いえ、違います。僕が心配なのは、あなたです」

 そう言って、カノンは私の服の袖を握る。

「お願いします。一緒に逃げましょう。もう、僕を一人にしないでください」

「っ。……カノン」

 心配そうな目。心細そうな口。その全てが、カノンの過去とそれに伴うトラウマを表していた。

 けど、ここは何としても、彼一人で逃げてもらわなければ。

「安心しろ。カノン。俺がいるんだ。こんな雑魚、簡単に倒せるさ」

 スレイプニルの言葉。それを聞いてか、カノンはゆっくりと私の袖から手を離した。

「……必ず、帰ってきてくださいね」

「ええ。必ず、帰ってくるわ」

「約束ですよ」

「ええ、約束する」

 カノンはそう言うと、走って広場を出た。

 残された私は、悪魔に体を向けた。

 悪魔、ビーストネイルは、大きな爪を構えて、私に威嚇の咆哮を上げた。

 まったく、力の差も分からないような下級の悪魔を相手にするとは、骨が折れるな。

 でも、楽しめそうだ。

「さてと、ごみ掃除と行きますか」

「ああ。俺たちの強さを知らしめようじゃないか」

「賛成」

 新たに手に入った籠手と具足を装備し、私は悪魔に向かって歩いて行った。

 瞬間、悪魔たちは一斉にとびかかってきた。自慢の爪を振りかぶり、こちら目掛け飛んでくる。

 さてと、行くか。

「さあ、愉快に素敵にド派手に行くぞ!」

 そして、私は籠手を装着した拳を思いきり地面に叩きつけた。

 刹那、光の速さをも超える紫紺の雷が私の周囲に降り注いだ。高電圧の雷はとびかかってきた悪魔どもを灰にし、地面に落とした。

 なるほど。どうやら、上級悪魔の名はただの飾りではないらしい。

「さすがはスレイプニル。上級悪魔なだけある」

「ハッ。俺の力を舐めるなよ?」

 スレイプニルに、先ほどまで敵だった相棒に笑みを返し、私は次に現れた悪魔の顔面に拳を叩き込む。

 悪魔を大きく吹き飛ばした後、私は後ろに跳んで横から来た攻撃を回避し、横顔に拳をお見舞いした。

 前方から迫る爪を避けるために、私はバク転をするために地面を蹴った。

 すると、蹴った地面から氷柱が現れ、前方から迫る悪魔の体を貫いた。命を奪うまでには至らなかったが、それでもかなりの大怪我を与えた。

 なるほどね。雷の次は氷か。

 私は一人微笑みながら地面に着地、ディスレイブを出現させて、前進と共に大きな突きを放った。

 悪魔を絶命させたのち、私は迫る悪魔どもを片端から剣で切り裂いていった。

 具足の装着された足で悪魔の足元を蹴り、宙に飛ばす。空中に浮かぶ悪魔の体をディスレイブで真っ二つにし、次に現れた悪魔を斬り殺す。

 この場にカノンがいたら気絶不可避な残虐な戦闘が続いた。

 新たに手に入れた籠手と具足、そして私の愛剣を使い、現れる悪魔を次々に殺す。

「どうだ? 俺の使い心地は?」

 スレイプニルの問いに、私は目の前の悪魔を殴り飛ばしながら答えた。

「ふむ。悪くない。中々に楽しめるぞ」

「そりゃ良かった。上級悪魔の俺を無傷で倒したお前だ。こんな力じゃ物足りないかと思ってな。だが、杞憂だったか」

 なんだ。そんな心配をしていたのか。

「そんな心配をしていたのなら、安心しろ。力の無い私には十分な性能だ」

「お前が力無い存在だとしたら、そんなお前に負けた俺は何なんだ」

 少し悲しげなスレイプニルの言葉に、私は苦笑する。

 やはり、負けたことは悔しいらしい。

「悔しいか?」

「何が?」

「私に負けたことが」

 悪魔の顔面を蹴飛ばし、地面から氷柱を生み出して悪魔を刺し殺しながら問う私に、スレイプニルはどこか清々しい声で答えた。

「別に、悔しいとは思ってないさ。俺相手に無傷で勝ったんだ。もとより、力の差は歴然だったってわけだ。悔しいというより、満足さ」

「満足?」

「ああ。俺より強い相手と戦い、負ける。そして、こうして強い奴に使われる。夢が叶ったし、満足しているさ」

「お前の夢、少し歪んでるな」

「お前もそう思うか?」

 スレイプニルのどこか寂しげな言葉に、私は頷かず、答えた。

「まあな。だが、悪い夢だとは思わん。むしろ、そういう奴もいるって知れて、少し嬉しいさ」

「嬉しい?」

「ああ。悪魔は皆、他者を害することしか脳がないと思っていた。お前みたいな、素直に相手の強さを受け入れる力を持つ者はいないと思っていた。だが、その考えが変わった。嬉しい限りだよ」

「そう言ってもらえるなら、まあ良いか」

 そう答えるスレイプニルも、どこか嬉しげだった。

 会話もそこそこに、私は目の前の悪魔を端から順に殺していく。

 だが、その中で逃げようとした悪魔が現れた。私に背を向け、駆けながら逃げる悪魔だ。

 ハッ。逃がしはしない。

「行くぞ」

 そう口にした途端、景色が歪み、私の体は逃げる悪魔の前方に移動した。

 瞬間移動。距離を無視した移動だ。スレイプニルの力が私に宿った今だからこそ使える技だ。

 驚き、口を大きく開けるビーストネイル。その口の中に籠手を着けた拳をねじりこみ、

「貫け」

 口内で雷を発する。

 内臓から順に焼けていく悪魔。その体が破裂する瞬間を尻目に、私は地面に拳を叩き込み、雷を落とす。

 周囲の悪魔を灰塵に帰し、次に現れた悪魔の顔面をぶん殴る。

 のけぞる悪魔の顎を蹴り上げ、更にのけぞる悪魔に追い打ちをかけるように地面から氷柱を生み出して敵を串刺しにする。

 数々の悪魔を殺してせいか、次に現れた悪魔は私の様子を窺うように距離を離してきた。

「ハッ。もう怖気づいたか? おいおい、パーティーはこれからだぞ?」

 両手をバンと叩き合わせて、私は言った。

 すると、悪魔たちは大きな叫び声をあげて、次々に突進してきた。

 そのうちの一体の顔面を殴り飛ばし、のけぞったところで尻尾を掴み、振り回した。

 ボールを打つバッドのように振り回し、悪魔どもを蹴散らしていく。

 そして、最後の悪魔を吹き飛ばしたとき、今まで掴んでいた悪魔を投げ飛ばした。

 宙を舞う悪魔。その前方に瞬間移動し、空中で拳を悪魔に叩き込む。

 顔面に打撃を受けた悪魔はそのまま落下。体を地面に叩きつけた。

 その後を追うように、私は拳を構え、地面に落ちた。

 地面についた瞬間、私は拳を地面に叩きつけた。すると、地面から無数の土の槍が現れ、私の周囲にいた悪魔を串刺しにした。

 風、水、土。それらの属性を操りながら、私は次々に悪魔を殺す。

 すると、

———ガァァァァァァァッ———。

 大きな叫び声と共に、ビーストネイルよりも体の大きい悪魔が現れた。

 体はビーストネイルと同じだが、色が黒く、足の爪も長い。

 今度はビーストクローか。これまた、新しい相手が現れたな。

 地面に着地し、私はビーストクローを見つめる。

「今度は親玉の登場か。ハッ。中身の入ってなさそうな見た目だな。図体だけでかくても中身がなきゃ、相手を楽しめることはできないぞ」

 私の言葉に反応したのか、ビーストクローは雄叫びを上げ、私目掛け爪を振り下ろしてきた。

 その爪目掛け、私も籠手をぶつける。

 互いの攻撃が接し、反発し合う。雷の纏った私の攻撃を、ビーストクローは受け止めていた。

 だが、力を最小にしてこの程度。本当に図体がデカいだけのようだ。

「これほどまでに弱いとはな。がっかりだ」

 力を強め、私は悪魔の攻撃を弾き飛ばす。

 大きく後退した悪魔の顔面に瞬間移動し、私は拳を振り下ろす。

 顔に電気を纏った一撃を喰らい、悪魔は大きな悲鳴を上げた。

 そして、顔を上に向けてのけぞり、胸を見せる。

 そのタイミングで、私はディスレイブを生み出し、ビーストクローの心臓に剣を突き立てた。 

 そして、

「あばよ。爆ぜ散れ!」

 胸に空いた穴に雷を叩き込み、ビーストクローの内側から吹き飛ばした。

 爆ぜ散るビーストクローの体。その血しぶきを浴びながら、私は大きなため息を吐いた。

 周囲には、悪魔の屍が積み重なっていた。だが、次の悪魔が現れる様子はない。

 どうやら、掃討完了のようだ。

「お疲れさん」 

 スレイプニルの言葉に、私は返答する。

「ああ。お疲れ様」

 家のある方向を見つめ、私は呟いた。

「さあ、帰ろう。カノンが待っている」

「ああ。そうだな」

 互いに頷き合い(と言っても、スレイプニルは籠手と具足に変身しているのだが)、私達は家に戻ったのだった。

 

 

 




 はぁ、小説を書くことが上手くなりたい。今年のクリスマスは、サンタさんに文才をプレゼントしてもらおうかな。ははは。
 ……。


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平和な生活の始まり?

 今回、下ネタがあります。予めご了承くださいませ。


 

「ちゅっ……くちゅっ……ふふっ……んっ……くちゅっ……」

 真夜中の寝室に、水音が響く。本来なら聞こえるはずがない音だが、この時は、その音だけが部屋にこだましていた。

 そして、その音源であるベッドの上。新品のため軋む音は聞こえないが、それでも上で動く二人の重みに耐えかね、今にも音を立てそうだ。

 だが、そんなベッドの様子などには目もくれず、ベッドの上で二人は艶めかしい音を立て続けていた。

 ベッドの上でキスをしていた二人は、長いキスを終えて顔を離した。

 ベッドに横たわるのは、まだ年端もいかない少女のような外見をした少年だった。黒の混じった灰のような髪に漆黒の瞳、整った顔立ちをしており、美少女と言っても過言ではないほどの可憐な顔立ちをしていた。しかし、その顔は今、わずかな恐怖と大きな快楽に歪んでいる。

 対して、そんな少年をベッドに押さえつけるように押し倒しているのは、もはや人外の領域に到達した美貌を持つ女性だった。艶やかな灰色の髪に深い群青色の瞳、彫像のように計算しつくされたうえで生み出されたかのような鼻筋に潤んだ艶やかな唇。顔のパーツ全てが、彼女を美女、それも絶世の美女と表現するに値するほどの美貌を生み出していた。

 だが、その女性の口からは唾液が滴り落ちており、瞳は獲物を追い詰めたよう獣のような危険な光を放っており、表情は嗜虐的なものへと変貌していた。まあ、彼女の美貌をもってすれば、そんな表情すら美しく見えるのだが。

 少年は、まるで少女のような愛らしい声で言った。

「お、お願い、も、もうやめて———」

 だが、そんな彼の懇願の言葉を、女性は口で止めた。正確に言えば、少年の口を女性が自身の口で封じたのだ。端的に言えば、またキスをした。

 短い、ただ互いの唇を合わせるだけのキスだったが、効果は抜群だった。

 瞬く間に顔を蕩けさせた少年は、もはや抵抗する気が失せたのか、その身をベッドに落とした。

 それを見て、女性は口元を歪める。

「それは、私を受け入れてくれるってことで、良いのかな?」

「もう、勝手にしてください」

 すべてを諦めた、光の失せた目で女性を見つめ、答える少年。本当に、彼はすべてを諦めていた。

 その様子を見て、女性は舌なめずりをする。

 少年の瞳が、顔が、様子が、その全てが、女性の琴線に触れたのだ。

 少年の胸をゆっくりとなぞりながら、女性は言った。

「じゃあ、行くわね。君のすべてを、私が受け入れて、ア・ゲ・ル」

 その夜、二人の寝室からは絶えず声が聞こえたという。

 

 

 

「———て———ださい。———きてください。———起きてください!」

 わずかに浮上した意識が受け取った声が一段と大きくなったと思ったら、私にかかっていた毛布の感覚が消えた。

 夏とはいえ、若干の肌寒さを感じさせる気温の中で毛布をとられたら、さすがの私もそのまま寝ているわけにはいかない。いくら病にかからないとはいえ、寒さには弱いのだ。

 寒いの、嫌。

「ううん。なぁにぃ?」

「なぁにぃじゃないですよ。ほら、起きてください。もう朝食は出来上がってますよ?」

 目を開けて声のしたほうを見ると、カノンが毛布を畳み、近くの棚に置いているところだった。

「ああ、私の毛布がぁ」

「ほら、起きてください」

 私の嘆きを無視し、カノンはそのままさっさと部屋を出ていこうとした。 

 だが、扉のノブに手を当てたとき、振り返らずに言った。

「……涎、拭いといてくださいね」

「え? 涎?」

 私の反芻を無視して部屋を出ていくカノン。

 その後ろ姿を眺めた後、私は頬に手を当てた。

 ぐっしょりと濡れる指先。枕に目を向けると、一部が盛大に濡れていた。 

 それを見た瞬間、私は先ほどの出来事、否、出来事と思っていたことを思い出した。

 あれ、待って。ということは、あれは夢? 私がカノンとベッドの上でいろいろしていたのって、夢だったの?

 いや、今はそんなことなどどうだって良い。

 ということは、私のあのだらしない顔を、カノンに見られたってこと? 

 彼は、涎を拭いておけと言っていた。ということは、あの顔を見られたということか。

 ……。

「——————!!」

 声にならない叫び声を上げ、私は朝を迎えたのだった。

 

 

 

 朝食。内容はトーストに卵にハム、倉庫にあったイチゴのジャムに簡素なサラダと言ったものだった。健康や腹持ちに良さそうな物ばかりだ。

 トーストを頬張りながら、私はチラリとカノンの顔を窺う。

 カノンは今、無言でサラダを口に運んでいた。ああ、口の端にドレッシングをつけて。舐めとりたい。

 そんな願望を堪えながら、私は思い切って問うた。

「見た?」

「何がです?」

 顔を上げて問うカノンに、私は再度言葉を繰り返した。

「今朝の、寝起きの私の顔、見た?」

「……見ませんでした」

「絶対に見たよね!? 見たよね!?」

 何その間! そして、なぜ顔をそらした!?

「本当のことを言って。今朝、寝起きの私の顔、見たよね?」

「……」

 答え辛そうに顔を逸らしながらも、最後にはカノンは首を縦に振った。

 やっぱり、見たんだ。

「ご、ごめんなさい」

 頭を下げるカノンに、私は苦笑しながら手を振る。

「いや、謝らなくて良いよ。一緒に寝ていたんだ。そりゃ見るよね」

「っ。ま、まあ」

「うん。別にそのことは良いんだ。ただ……」

 私は不安な心をなんとか押しとどめ、問うた。

「私、朝不細工だったでしょ」

「え?」

 キョトンとした表情を浮かべるカノン。

 え、どうして?

「ど、どうしてそんな顔をするのかな」

 だって、涎を垂らしながらだらしない顔をして眠る女なんて、不細工すぎるでしょ。

 ああ、自分で言ってて悲しくなっちゃった。

 どうしよう。自分で聞いていてなんだけど、カノンに「はい。不細工でしたよ」なんて言われたら、私、今後生きていけない。

 だけど、カノンの様子を見ていると、そうでもないようだ。

「えっと、カノン?」

「は、はい」

「今朝の私の顔、どうだった?」

 思い切って問うてみる。すると、

「あ、あの、その……」

「……(ゴクリ)」

 唾液を飲み込み、カノンの反応を待つ。緊張のせいなのか、思わず手のひらに汗を掻いてしまう。

 それを押さえつつ、私はカノンの答えを待った。

 カノンは口を開いた。

「その、可愛かったです」

「そ、そうだよね。不細工だよね———って、え?」

 か、可愛い? あの顔を見て、可愛い?

 え、そ、それって、ど、どどどどういうこと?

「か、可愛い?」

「はい。だらしなく涎を垂らして、ニヤニヤしながら僕の名を呼んでいるところを見たら、なんだか可愛くて、その……」

 耳まで真っ赤に染めて、カノンは恥ずかしげに言った。

「その、キス、しちゃいました」

「……え?」

「っ!! きょ、今日は天気が良いので、洗濯してきますね」

 慌てて立ち上がり、カノンは食器を流しに置いて早々にリビングを出て行った。

 残された私は、カノンの背中を見つめつつ、ポツリと呟いた。

「キス、された?」

 じゃあ、あの夢は、全部が妄想というわけではないようだ。少なくとも、彼と私は、キスを……!

 そ、それに、カノンは、私の寝顔を見て、か、可愛いって、可愛いって……!

「どうしよう。私、幸せ……」

 自分の顔が熱く感じつつ、私は終始悶えていた。

 

 

 

「ってことがあったんだよ」

「ふむ。とりあえずお前らは爆発しろ」

「なんでだよ」

 場所は変わって、新たな住人が出来た馬屋にやってきた。馬屋と言っても、一部屋(部屋と呼んでも差し支えないほどの充実感)ずつの広さが中々あり、人が平然と住めそうなほど整っている。

 内装はさすがに人とは違うものの、藁の代わりに柔らかなマットレスが敷かれており、人でも横になれそうだ。窓もついており、今まさに窓を通じて私はスレイプニルと話をしている。

 スレイプニルに餌(カノンの手作り。人でも食えるほど美味しそう)を持ってきて、ついでにスレイプニルと話をしている状態だ。

 戦闘の時は呼び出すが、それ以外はこうして馬屋で生活する。そうカノンと約束して、今こうしてスレイプニルは馬屋で生活している。本人は今の環境にあまり不満を抱いていないようだ。

 贅沢に皿に盛られた餌を食べながら、私はスレイプニルに今朝あったことを話し、なぜかスレイプニルに爆発しろと言われている。なぜだ。

「はぁ。全く、朝から惚気話を聞かされるこっちの身にもなってくれ。胸やけしそうだ」

「そうか。なら、あまり多く食べないほうが良い。これは捨てるか」

 そう言って餌の盛られた皿を取り上げようとすると、服の袖を噛んできた。

 こら、角が刺さるからやめろ。

「待て。これはありがたく頂戴する。なにせ、カノンの手作りだからな」

「そうかよ」

 皿から手を離すと、スレイプニルは満足げに唸り、再び更に口をつけ始めた。

「にしても、お前、悪魔の癖に性格が丸いな。お前、本当に悪魔か?」

「それを言うなら、人間に恋するお前はもっとおかしいぞ。人のこと言えんな」

「言えてる」

 言われてみれば、私はなんて希少な存在なのだろか。人間に恋する悪魔なんて、今まで会ったことも見たことも、ましてや聞いたこともない。

 本当に希少だな。これで子供が生まれれば、その子はもっと希少になるな。

「ああ、孕みたい」

「お前、男である俺の前でよくそんなことを言えるな」

 呆れた声で呟くスレイプニルを横目で見て、私はわざとらしく言った。

「そうか。お前は男か。気づかなかった」

「お前……」

 恨めしげにこちらを見るが、それ以上言ってこない。スレイプニルと出会ってから今日で一週間になるが、どうやら私の扱い方を理解したようだ。

 ふむ、良いことだ。

「そんなに子供が欲しいなら、カノンに頼めば良いだろ? それとも、年上のおばさんとは体を重ねたくないってか———」

 こちらを笑いながら見るスレイプニルだったが、すぐにその顔を固めた。

 まあ、馬の顔だから表情は読めないのだが。けど、今怯えているのは、雰囲気で分かった。

「おやおや、上位悪魔様が、何を怯えてらっしゃるのですか?」

「い、いや、何でもない———」

「あ?」

「っ! い、いや、ご、ごめんなさい」

 そのまま体を縮こませるスレイプニルの首に腕を回し、私は耳元で言った。

「ところで、さっきはなんて言ったのかな?」

「さ、さっき?」

「ああ。年上の、なんだって?」

「そ、それは……」

 分かりやすいくらいに目を泳がせるスレイプニル。ふふっ、何をそんなに動揺しているのかな?

「おいおい、答えろ、よ!」

「あっ!」

「こ、こらーっ!」

 私がスレイプニルの首の骨を折ろうとした瞬間、どこからともなく愛らしい声が聞こえた。

 声のしたほうを見ると、怒った顔(可愛い)を浮かばせて腰に手を当てて(可愛い)こちらをジト目で睨みつける(可愛い)カノンが立っていた(大好き)。

 スレイプニルの首に腕を回す私を見て、カノンは近寄ってくる。

「エスルアさん。オニールさんに何をしてるんですか?」

「なにって、親愛の証を体で表しているのさ。ね? スレイプニル?」

「何言ってんだ。今さっき俺の首を折ろうと———」

 ぐぎっ

「はい。俺とエスルアさんは親愛の証をこうして表していました」

 うん。よろしい。

「本当に?」

 変わらずジト目で睨むカノン。その愛らしさに思わず抱きしめようと思ったが、理性で堪える。これを耐えられるって、私偉くない?

 そのままカノンの睨みを受けること数秒。フッと息を吐いて、カノンは微笑んだ。

「まあいいです。ですが、あまりオニールさんをいじめないでくださいね?」

「うん。いじめないよ」

「どの口が言うんだか———」

「ふふっ」

「……」

 私が微笑むと、なぜかスレイプニルは体を固めて黙ってしまった。

 おやおや、どうしたのかな? 私の微笑みの魅力にやられたか。

「と、ところで、カノン」

 話題を変えるように口早に、スレイプニルは口を開いた。

「その、オニールって、誰だ?」

「ああ、そうだね。誰のことかな?」

「ああ、それは」

 カノンは笑顔で、スレイプニルに向かって言った。

「君のことだよ。オニールさん」

「は?」

「え?」

 カノンの視線の先には、スレイプニルが。

 ちょっと待って。オニールって、スレイプニルのこと? ていうか、名前考えたの?

「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺にはスレイプニルって名前が———」

「それは、種族としての名前でしょ? 君個人の名前じゃないじゃないか。だから、新しく名前を付けてあげる。それとも」

 心細げな表情を浮かべ、カノンは問うた。

「それとも、オニールは、嫌だった?」

「え? い、いや、その」

 言葉に詰まるスレイプニルに睨みを利かせる。すると、

「い、いや、嬉しいよ」

 と、答えた。

 ふむ。それで良い。

「エスルアさん」

 と、私が一人喜んでいると、カノンが先ほどのジト目とは比較にならないほど威圧のこもった瞳で睨んできた。

 この子がここまで怒るのは珍しい。だから、少し面食らってしまった。

「な、なに?」

「今、オニールさんのこと睨んだでしょ?」

「え? な、何のことかな?」

 冷や汗を流しながら問う私の目を睨みながら、カノンは言った。

「謝って」

「え?」

「オニールさんに謝って。睨んでごめんなさいって」

「え、で、でも」

「謝って!」

「っ」

 本気だ。本気で、カノンは怒っている。

 私はしぶしぶ、スレイプニルに頭を下げた。

「ご、ごめん。睨んで」

「お、おう」

「全く。ごめんね。オニールさん。いや、スレイプニルさん。嫌だったよね。名前つけられるの」

 ああ、カノン、そんな悲しい顔をしないで。

 そう思い、口を開こうとした時だった。

「い、いや、本当に、オニールは俺の名前なんだな?」

 と、食い気味にスレイプニルが問うてきた。

 それに、カノンは頷く。

「うん。でも、嫌だったのなら、スレイプニルに戻す———」

「いや、嬉しい。滅茶苦茶嬉しいよ」

 声音からも分かる喜びの声を上げ、スレイプニルは何度もオニールという名を反芻した。

「そっか。オニール。これが、俺の名前か」

「う、うん。喜んでもらえて良かったよ。オニールさん」

「ああ、嬉しいよ。あ、だが」

 言い辛そうに言い淀みながらも、スレイプニルは言った。

「できれば、呼び捨てにしてくれないか?」

「呼び捨て?」

「ああ。敬語じゃないのはありがたいんだが、『さん』をつけられると、少しくすぐったいというか、あまり良い気持ちはしないからさ。だから、呼び捨てで頼む」

「呼び捨て。分かった。じゃあ、オニール」

「っ! あ、ありがとう! 今後も、何度も名前で呼んでくれ。俺、馬車馬のように働くから!」

 馬が自分で馬車馬のごとく働くとか言って良いのかよ。

 そう思ったものの、口には出さなかった。まあ、スレイプニル、オニールが喜んでいるのなら、それで良いか。

「にしても、名前なんていつ考えたの?」

「三日くらい前からかな」

「そうだったの」

「うん。だって、いつまでもスレイプニルじゃ可哀そうと思って」

「可哀そう。俺のことを、可哀そう」

 と、声のトーンが下がり始めたオニールに、カノンは慌てだした。

「ご、ごめん。可哀そうは嫌だったよね。今度から気を付けるから———」

「嬉しい」

「へ?」

 顔を上げたオニールは、なぜか顔を輝かせていた。

「ありがとう。俺のことを可哀そうと言ってくれて。今まで、俺の境遇を当たり前だというやつしかいなくて苦労したんだ。だから、可哀そうと言ってくれて、嬉しいよ」

「あ、ああ、えっと、そう」

「ああ……! ほ、本当に、本当にお前が俺の主で良かった……!」

 おいおい、何一人で感動してるんだよ。カノンが困っているだろ。

「はいはい。暗い話はもういいでしょ?」

 パンと手を叩いて、二人の会話を中断させる。

 それから、オニールの頭を撫でながら、私は言った。

「これで、新しい生活が始められるね。私とカノンと、オニール」

 語尾で本人を睨むと、彼は縮みこんでしまった。

「こら。エスルアさん。やめてください」

 と、睨んでいると頬を引っ張られた。カノンが精一杯背伸びをして私の頬に手を伸ばし、つねっていたようだ。

 なんだろう。可愛い。

「お前の恋人。すげえ可愛いな」

 私の耳に耳打ちするオニール。それに、私は頷く。

「ああ、私の自慢の恋人だ」

「ほんとだな」

「ほら、二人で話し込まないでください」

 と、カノンが上目遣いに私達を見てくる。

 すごく可愛い。

 それまでの空気を一新するように、今度はカノンがパンと手を叩いた。

「さ、これでやっと、平和な生活が始められますね」

「そうね。やっと、楽しめそうだわ」

「そうだな。俺も、幸せに余生を送れそうだ」

 三者三様と言えど、この時ばかりは、三人の思いが一緒になっていた。

「さあ、家事は一通り終わりました。三人で一緒に遊びましょ?」

「そうね。何が良い?」

「俺は見てるから、二人で遊んで来い」

「ダメ。オニールも一緒に遊ぶの」

 頬を膨らませて叱るように言うカノン。駄目だ。押し倒したい。

「気をつけろ! お前の恋人、お前を狙っているぞ!」

「お、おい!」

 オニールの叫びに思わず反応し、私は拳を振り上げ、すぐに下した。

 危ない。これでオニールを殴ろうものなら、カノンに怒られる。

 そう思いカノンに目を移すと、彼は顔を赤らませていた。

「こ、恋人、僕とエスルアさんが、恋人」

「お、おう。傍から見たらそうだな」

「ええ、私も、そう思っているわ」

 三者三様と言えど、やはりこの時も三人の思いが一緒になっていた。

 まずいな。すごく恥ずかしい。

「さ、さあ、俺も入れてくれるなら、乗馬なんてどうだ?」

 両手をパンと合わせて(どうやった?)、オニールが声を上げた。

 乗馬か。経験するのもアリだな。

「そうだね。でも、良いの? 僕たちを背中に乗せて、大丈夫?」

「ハッ。悪魔の力を舐めるなよ? 百人乗っても、ダイジョーブ!」

「よしカノン。今から百人集めるぞ」

「おい待て! い、今のは冗談だ冗談! 真に受けるな!」

 なぜか慌てだしたオニールに、私は首をかしげる。

「百人乗っても平気だと言ったのは、どこのどいつだ?」

「だから、あれは冗談だって」

 私達を乗せる前から疲弊しているオニール。お前に何があった?

「さ、決まったんだから、早速行きましょ。ね? エスルアさん。オニール」

 そう言って、カノンは私の手を引き、馬屋の扉を開けた。

 その扉から出てくるオニール。漆黒の体を日光にさらし、小さくいななくと、こちらを向いた。

「さ、行こうか。場所は、近くの広場で良いか?」

「それって、僕がオニールを見つけたところ?」

「ああ、嫌だったか?」 

 だが、カノンは笑顔で答えた。

「ううん。嬉しい。行こ!」

「ああ!」

「ええ。行きましょ」

 そうして、私はカノンに連れられ、オニールと共に広場へ向けて歩き出した。

 

 

 

 そして、これが、私とカノンの生活の始まりだった。

 




 はい。今回で、第一章は最終回となります。今まで、このような駄作を読んでくださり、本当にありがとうございます。
 今作はあまり満足のいく作品ではなかったのですが、書いていて楽しかったので、しばらくは続きそうです。エタる心配は、皆無ではありませんが、当分のうちは低いでしょう。確約できませんが(苦笑)。
 そして、こんな素人の書いた作品をお気に入り登録してくださった方々、評価、コメントをくださった方々、本当にありがとうございます。おかげで、不登校気味だった学校に行けるようになりました(唐突な告白)。これも、この作品を読んでくださった皆様のおかげです。この場を借りて、感謝申し上げます。
 さて、これ以上後書きを書いていると作者の敬語の力の無さが露呈していくので、この辺で終わりとさせていただきます。改めて、この作品を読んでくださり、本当にありがとうございました。
 では、第二章でお会いしましょう。それでは。


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創造と具現、そして破壊
狂気の世界


 今回から第二章の始まりです。今章はカノン視点が多めです。それと、新キャラも登場。
 結構乱雑になってきた感がありますが、ご安心を、まだ続きます。
 では、どうぞ。


 ジャラリ、ジャラリ、ジャラリ、ジャラリ。

 地面を引きずる鎖の音が木霊する室内で、一人の少女が天井を見上げていた。

 彼女が見上げる天井には、無数に傷がついていた。焦げた跡、冷えた跡、抉られ跡、斬られた跡、その他さまざまな傷跡がついており、この場で起こった出来事の悲惨さがうかがえた。

 次に、少女は壁際を見た。彼女の瞳が向く方向には、四本の縦線とそれを横切る一本の線が刻まれていた。日付を数えるときに付けるような線だ。

「あと、もう少し」

 その呟きは、鎖の音によってかき消されてしまった。

 そして、次に部屋全体を見渡し、少女はため息を吐く。

「……お腹、空いたな」

 それに呼応するように、少女のお腹から可愛らしい音が響いた。空腹を表す音だ。

 お腹を鎖でつながれた手でさすりながら、少女は更に言葉を紡ぐ。

「ここにやってきた人は、みんな、食べちゃったからなぁ」

 そして、再び視線を部屋全体に向ける。

 そこには、数えることが億劫になるほどの、数多の屍が横たわっていた。

 野獣、幻獣、悪魔、天使、神、人間。数々の種類の多数の生物が、その身を屍へと変え、床に積み上がっていた。

 ただし、種族は違えど、その顔に浮かんでいるのは皆同じだった。  

 皆、一様に、絶望を浮かばせていた。中には憤怒や悲哀などを浮かばせている者もいたが、ほとんどは望みが絶たれた表情を浮かべていた。

 そして、その屍の体は、無惨に切り裂かれていた。血の一滴も残されていない、真っ青な体をしており、凄惨な最期を迎えたことは容易に想像できる。

 それらの屍を見つめ、少女は再びため息を吐く。そのため息が何を示すか、具体的には分からない。だが、彼女が今の環境に飽きていることだけは分かった。

 ため息を吐く少女は、扉の開く音を聞いて顔を上げた。

 そこには、二人の人間が立っていた。二人の手には、同じ指輪が。

 どうやら、夫婦のようだ。片方の男は腰に剣を差しており、もう片方の女は杖を持っている。

 なるほど。剣士に魔法使いか。定番の組み合わせだな。

 少女は口元に笑みを浮かべ、二人を見た。

 対する二人は、やけに緊張した面持ちで少女を見つめた。

「……お前が、あの悪魔か?」

 そう問う男の言葉に、少女は笑みを浮かべて頷いた。

「そうか。そして、こいつらが、過去にお前を殺しに来た奴らか」

 また、少女は頷く。

 男は隣の女に目配せをし、腰の剣を抜く。

「俺たちがここへ来た理由は、分かっているよな?」

 また、少女は頷いた。

 と同時に、少女は今まで座っていたベッドから立ち上がり、両手を広げた。

 鎖が巻き付いた、両手を。

「ようこそ」

「……」

「……レオン。行くよ」

「ああ」

 男は剣を構えた。

 そして、

「行って!」

「行くぞ!」

 男は剣を振り上げながら少女目掛け突進した。魔法のかけられた炎纏う剣を構え、男は少女に迫る。

 対する少女は、笑みを浮かばせながらじっとしていた。ただ、瞳だけ男を追っている。

 攻撃してこず、攻撃を防ごうともしない。ただ、その場に立ってじっとこちらを見つめている。

 まさに好機。そう男は判断し、剣を少女目掛け振り下ろした。 

 剣は寸分の狂いもなく少女の首に吸い込まれ、そして、少女の首を刎ね飛ばした。

 血をまき散らしながら飛ぶ少女の首。その首目掛け、女が魔法の炎を放った。

 蛇のようにうねる炎を、少女の首は黙って受け入れた。少女の首は、炎の渦に吸い込まれていった。

 次に、少女の体を、男は剣で真っ二つに切り裂く。再び女は少女の体を炎で燃やし、消し炭にする。

 これで、少女の体は消滅し、男女は勝った。

 勝利の余韻に浸る二人は、そのまま互いに手を叩き合い、すぐに出ようと出口に向かった。

 だが、出口は既に閉じられていた。謎の、大きな薔薇の蔦に。

「な、なんだ? これは」

「ね、ねえ、レオン。これは、なんなの?」

「ふふっ。ふふふっ。ふふふふっ」

 聞こえるはずのない声が聞こえ、男と女は固まった。

 あり得ない。あり得るはずがない。なぜなら、先ほど自分は、こいつを。

「ふふふっ。ふはははははははははっ! あはははははははははははっ!」

 あり得ない。そんな。こんなこと。

「う、嘘だろ」

 ゆっくりと振り返りながら、男は呟いた。

 男の視線の先には、無傷の少女が立っていた。白い肌には火傷一つ浮かんでおらず、愛らしい顔には切られた跡もない。全くの、無傷だった。

「あははははっ。終わり?」

「っ! クソが!」

「レオン。待って!」

 剣を構えて再度突進する男。 

 だが、その体を蔦がからめとり、雁字搦めにした。扉に纏わりつく蔦と同じ、薔薇の蔦だ。

 棘が体の動きを制限させる中、男は必死に女に向かって叫んだ。

「おい、逃げろ! 早く逃げて、君だけでも生き延びるんだ!」

「そ、そんなこと言われたって———」

 グシャッ

 短い音。しかし、大きな破裂音だった。まるで、トマトを握りつぶすような音だ。

 その音の発生源は、

「れ、レオン!」

 今さっきまで少女に剣を向け、突進してきた男だった。いや、男だったものだった。

 今や、男の体は爆ぜ散り、内臓が飛び散り、血がまき散らされ、残すは数本の骨のみだった。

 そんな光景を目の当たりにし、女は地面に崩れ落ちた。

「そ、そんな、レオン、レオン、レオン!」

「ふふふっ。旦那さん?」

 女は目を見開き、顔を上げた。

 そこには、少女が立っていた。可憐な顔立ちをした、場違いなほど可愛らしい少女。

 その少女の手には、自分が愛する男の顔が———。

「はい。あげる」

 目の前に放られた男の頭。その頭を、女は抱きしめる。

 だが、女は目を離さなかった。否、離せなかった。

 こちらをじっと見つめる少女の顔。その顔をじっと見つめていると、次第に心がふわふわしてくるようになった。まるで、風船になり、空を飛んでいるように。体を浮遊感が覆った。不快ではない。むしろ、快く感じる、そんな不思議な感覚が。

 この感覚に身を任せたい。このまま、この身を感覚にゆだねたい。そう思うようになった。

 そのまま呆然としていると、少女が女に顔を近づけ、囁いた。

「そのまま、委ねちゃいなよ」

「……ふぇ?」

 口を開ける際に発するねちゃりという音と共に、少女は囁く。

「そのまま、身を任せちゃいなよ。きっと、旦那さんも、許してくれるよ?」

 旦那も、レオンも、許してくれる? 

 女は、男の顔を見つめた。苦痛に歪む表情で固まる顔を。

 すると、なぜかその口の端が歪み始めた。初めは見間違いかと思った、そうではないことに気が付いた。

 本当に、口の端がつり上がり始めた。次第に表情を作り、最後には笑みを浮かべた。

 愛する伴侶の笑み。それは、あまりにも不気味で、恐ろしく、そして、

 イトオシカッタ。

「ほら、旦那さん。笑っているよ? あなたも、笑い返したら?」

 少女の声が聞こえる。まるで天使のように囁く彼女の声に、女は再び顔を上げ、少女を見つめた。

 少女の、愛らしい、顔を。そして、瞳を。

 深紅に輝く瞳を。

「は、はは、ははは、あははは」

「ん?」

 女は少女の目を見つめ、そして、

「はははは。アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 大声で笑い始めた。心の膿を、感情を、全て吐き出すように、笑い始めた。

 その様子を見て、少女は笑みを深くする。

「ふふふっ。そんなに笑うと、疲れちゃうよ?」

 聖母のような笑みを浮かべて、少女は女の頭に手を乗せる。 

 女は男の頭を抱きしめ、笑い続けた。本当に、心底楽しそうに、笑った。

「ふふふっ。笑ってもらえて、こっちも嬉しいよ。じゃあ」

 女の胸に手を当て、少女は言う。

「あなたの血と魂を頂戴」

 瞬間、女の体が内側から爆ぜ散った。肉片と血液が飛び散る中、少女は血に塗れた手を口元に運び、舐めた。

「んんっ。ふふふっ。おいしい」

 少女が動くたび、手首と足首に巻き付く鎖がジャラジャラと音を立てた。

 少しの間楽しげに血を飲んでいた少女だったが、すぐの表情を暗くさせた。

「……はぁ、また、退屈な日が始まるのか」

 そう呟き、少女は再びベッドに戻った。

 ベッド近くの壁に新たな縦線を刻み、少女はベッドの上に座った。 

 そのまま、彼女は目を瞑った。

 食事が済んだら、五日後に再びやってくる食料を待つ間、こうして夢想するのだ。

 あの時、こうしていればよかったという、後悔と憤怒と怨嗟に満ちた、もしもの時を。

 

 

 



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お茶会

 

 

 小鳥のささやかな合唱を背景に、緑豊かな森が望めるキッチンに軽やかなハミングが響いた。柔らかな声から溢れ出る旋律は穏やかで、それに乗って、窓から中を覗く小鳥たちも体を揺らしている。

 鼻で歌を歌う人は、名をカノン。私の恋人だ。

 黒みがかった灰色の髪に漆黒の瞳。美少女と言っても過言ではないほどの可憐な顔立ちにちっちゃな背。そのどれもが、本人を愛らしく彩っていた。

 だが、彼は男だ。カノンという名前とその容姿からは想像できないが、彼は男なのだ。全く、神は彼に何を望んだのだか。理解はできないが、共感は出来る。

 カノンを創った神に言いたい。良い仕事をしたな。

 流しの前に立ってオーブンを覗くカノンの背を見つめ、私は小さく欠伸をした。

 本当に、ここにいると心底安心できる。背負っている重荷を全て置いてきたかのように、のんびりと出来た。

 そのまま彼の背を見つめつつ、私は手鏡を取り出し、自分の容姿を確認した。

 灰色の髪に群青色の瞳。人間と大して変わらないこの容姿は、毎日カノンと一緒にいるおかげか、肌にツヤが戻り、生き生きしているように見えた。

 なるほど、カノニウム(私命名。カノンから発せられる特殊な物質。これを浴びると不可視のメーターである幸せメーターがたまる)を毎日浴びているから、こんなに肌が艶やかなのだろうか。そうだったら、もっと浴びなければ。

 だが、今はそれを堪えなければ。なにせ、今彼の邪魔をするわけにはいかないのだから。

 確かに、火の傍ということもあって危ないからというのもあるのだが、それ以前に、彼は今料理中なのだ。

 彼は、料理中にちょっかいをかけられると物凄く怒るのだ。ただその場で怒るだけなら良いのだが、たまにそのまま一日中口を利かないこともある。それだけは回避しなければならない。なにせ、カノンと一日中口を利かないなんて、私に一日中息を止めろというものだ。いやまあ、息を吸わなくても生きていけるんだけどね。

 話を戻すと、カノンは料理中にちょっかいをかけられると怒るため、こうしてじっとしているのだ。まあ、この時間が辛いのは事実なのだが。

 待っている間、私は手鏡を使い、髪形を整えていた。

 今、私は徐々に伸びてきた髪を後ろで束ね、ポニーテールのように下ろしている。カノンはこの髪型が気に入っているらしく、よく私の髪を撫でていた。

 ああ、あの時のカノン。可愛かったなぁ。眠る私にバレないよう(いやまあ、すでにバレていたのだけど)ゆっくりと髪を撫でていたなぁ。私が起きた時は、本当にびっくりしていたっけ。

 ああ、思い出すだけでカノニウムが溜まっていく。だけど、もっと欲しい。

 もっと、カノニウムを……!

「え、エスルアさん?」

「ん? なに?」

「涎出てますよ?」

「嘘!?」

 慌てて服の袖で拭こうとする。だが、その手をカノンに止められた。

 カノンのほうを向くと、彼は微笑みながら、私の口元を布巾で拭ってくれた。布巾からは、甘い香りがした。

「すみません。僕の汗を拭ったタオルですが、裏面で拭いているので我慢してくださいね?」

 え!? と、ということは、この香りは、カノンの汗?

 私は内心で驚き、ゆっくりとバレないように布巾を嗅いだ。

 ああ、カノンの香り、体臭、エキス。たまらん……。

「ま~た変なことを考えてますね?」

 ハッと意識を現実に戻したときには、時すでに遅し。カノンがジト目でこちらを睨んでいた。

 ああ、でも、その睨む顔も、良い……!

「い、いや、何でもない。何も考えてない」

「本当ですか?」

「う、うん」

 しばらく私を見つめていたカノンだったが、すぐに顔を離し、ため息を吐いた。

「まあ良いです。さすがに僕の汗を拭ったタオルで顔を拭かれたくないですよね。配慮が足りず、申し訳ありません」

 そう言って軽く頭を下げるカノン。

 そ、そんな悲しそうな表情しないで。

「い、いや、そ、そそそんなことないよ! むしろ、カノンの香りを感じられて嬉しいというか———あ」

「え?」

 固まる二人。一方は先の失言を察し、もう片方は相手の失言を頭の中でかみ砕いていた。

 先に動いたのは、カノンだった。

「……その、僕の汗を嗅いでいたんですか?」

「あ、ああ、え、えっと」

 冷や汗を垂らしながら、私は言葉を探した。

 確かに、今までは変態発言をしてきた。けど、さすがにカノンの汗、体液を嗅いで興奮していたなんてことは一回も言っていない。まあ、過去に言ったのかもしれないけど、今は言っていない。そして、今後も言うつもりはない。はずだった。

 だけど、今、私は言ってしまった。堂々と汗を嗅いでいましたと、嬉しいと言ってしまった。

 これは、まずい。非常にまずい。何がまずいって、カノンを怒らせるかもしれないことがすごくまずい。 

 これも、ここ最近だ。私が変態発言をしたとき、彼は必ず怒るのだ。そして、たまに一日中口を利いてくれなくなる。これも、定石となっていた。

 だから、今回も、そうなるかもしれない。

 なら、

「ご、ごご、ごめんなさい!」

 ここは、謝罪だ。無理なら伝家の宝刀、土下座を繰り出すまで。

「本当にごめんなさい。つい、カノンを感じたくって、私、カノンの汗を拭いた布巾に匂いを嗅いでいました。本当にごめんなさい!」

 そこまで言って、ハッと気づく。

 何、自分は暴露しているんだ。カノンを感じたいから? そんなの言い訳になるはずがないだろ。何を言ってるんだ。

 ああ、穴があったら入りたい。いや、いっそのこと墓場に埋まりたい。

 そう、一人落胆し、今後のことを考えて絶望していると、私の目を柔らかい何かが覆った。

 それと同時に、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。それと共に、唇と湿った何かにふさがれた。これも、甘い香りがする。甘すぎず、程よい弾力を伴う、優しい感触だ。

 え、これって、

「はほん? (カノン?)」

 そう問うと、私の目を覆っていた柔らかい何かが取れ、漆黒の瞳が目に入った。 

 ということは、今、私は、カノンと……!

 そう思っていると、カノンは口を離した。

 唖然とする私を恥ずかしそうに見つめ、カノンは言った。

「だ、だって、エスルアさんが、僕を感じたいって言うから。だから、僕はあなたがこれ以上変態行動をとらないよう、キスを……」

「か、カノン……」

「あ、あなたの所為なんですからね。あなたが変態行動をとらなければこんなことはしません。けど」

 モジモジと手を揺らしながら、カノンは続けた。

「けど、僕も、エスルアさんを感じたいなって思って」

「……」

 カノン。私のこと、そんなに思ってくれたなんて……。

「ふふっ。ありがとう。カノン」

「ふぇ!?」

 私が彼の頬にキスをすると、彼は顔を真っ赤にして私を見た。

 その目は、明らかに動揺していた。

「ふふっ。嫌だった?」

「……い、いえ、嬉しいです……!」

 それだけ言うと、カノンはオーブンの前に戻っていった。

 本当に、可愛い子なんだから。

 改めてカノンの愛らしさを感じつつ、私はカノンの準備が終わるのを待った。

 そして、

「ふぅ、出来た」

 額の汗を袖で拭いながら、カノンは呟いた。

 カノンが手にする鉄板を、私は彼の後ろから見る。

「おお! すごい! 美味しそう!」

「そうでしょうか。形は崩れていますし、香りからしてすごく甘そうです」

 作り手はそんな感想だが、私としてはこれで十分だ。

「ううん。そんなことないよ。すっごく良く出来てる。頑張ったね」

「な、撫でないでくださいよ。は、恥ずかしい」

「ふふっ。良いじゃない。ご褒美よ。ご褒美」

「ま、まあ、好きにすれば良いじゃないんですか」

 そう言うカノンだったが、満更でもなさそうだ。

 そのことに心の中で温もりを感じつつ、私は鉄板の上に乗ったものを見た。

 それは、クッキーだった。鳥、兎、猫、その他さまざまな形をしたクッキーが、鉄板の上に載っている。

 だが、どれを見ても形が崩れている物はない。香りもそこまで甘味がしつこいわけではなく、むしろ紅茶によく合うであろう程よい感じだった。

 これで、駄目なんて……。彼はパティシエにでもなるつもりなのだろうか。

「さ、行きましょう。オニールを待たせちゃ悪いですから」

「え~、もっと一緒にいましょ? なんなら、ここで二人きりで食べるってのも———」

「なしです。ちゃんと、三人で食べます」

 そう言うと、カノンはクッキーを袋に入れ、お盆の上に乗せた。

 それ以外にも、紅茶のカップやポットを乗せて、準備完了。

「よし。準備完了。行きましょうか」

 そう笑顔で言うカノンに微笑みかけ、私は頷いた。

「ええ。行きましょう」

 そうして、私とカノンは、ティーセットを持ち、広場へと向かうのだった。

 

 

 

「おや? 意外と早く済んだんだな」

 オニールと初めて出会った広場に到着すると、先に到着していた彼が開口一番に言ってきた。

 ちなみに、オニールはスレイプニルと呼ばれる悪魔の名だ。陸海空どこでも移動でき、距離を操ることができる悪魔スレイプニルは、約二週間前に私達を襲ったものの、その後改心(というか、協力?)し、今はこうして仲間となっている。

 オニールの言葉に、私は眉をひそめて問う。

「あら、なに? 私達が油を売っていたとでも言うの?」

「いや、ただ、どうせお前らのことだ。乳繰り合うだろうなと思っただけに、意外だっただけさ」

「ち、乳繰り合う……!」

 なぜかその単語で顔を真っ赤にするカノンの頭を撫で、私は真顔で言った。

「あなたがいなければ、今頃私はカノンを襲っていたわよ」

「そうかよ。俺がいて悪かったな」

「そう思うのなら、すぐにどっか行ったら?」

「お前、俺の前だと毒舌だよな」

 嘆息するオニールをじっと見つめていると、頬につねられる感覚が走った。  

 見ると、カノンが背を伸ばして、また私の頬をつねっている。

「こら。オニールをいじめないでください。仲良く」

「……」

「ふぁっ!」

 思わずカノンを抱き上げると、彼は驚いた声を上げた。けど、暴れないあたり、満更でもないらしい。

「全く、お前らは……」

 呆れた声が聞こえる。だけど、今はそれを無視した。だって、うるさいだけなんだもん。

 カノンを抱き上げたまま、私は近くに置かれていた椅子に彼を座らせた。そして、その隣に私も座る。

 しばしの間顔を赤らめていたカノンだったが、すぐに元の表情に戻し、持ってきたお盆をテーブルの上に置いた。

 皿の上に袋の中身を出し、カップに紅茶を注ぐ。砂糖の入った瓶を配置し、準備は万端だ。

「ほう。これがカノン手作りのクッキーか」

「ええ、あまり美味しそうではありませんが、一応作ってみました」

「美味しそうじゃない? これが? おいおい、お前はパティシエにでもなるつもりか?」

 それ、私が思ったことだから。

 心の中で頬を膨らませつつ、私はたまらずクッキーに手を伸ばした。

 兎の形をしたクッキーをとり、口の中に放り込む。

 うん。美味しい。カノンが作ったと感じられる、優しい味だ。

「ど、どうですか?」

 心配そうなカノンの顔を見つめ、私は笑顔を浮かべた。

「うん。美味しい」

「そ、そうですか。無理していませんか?」

「ううん。そんなことないよ。本当に、すっごく美味しい。さすがだね」

 そう言って頭を撫でると、カノンはわずかに顔を赤らめながら私の手を受け入れていた。

 本当に、カノンの作ったクッキーは美味しかった。程よい甘味とわずかな花の香りが絶妙に合い、とても美味しかった。

 ていうか、この花、私が好きな花じゃない。カノン、覚えていてくれたんだ。

 う、嬉しいな。

「おい、俺にも食わせろ。一人だけずるいぞ」

 と、私が感動していると、オニールが声を上げてきた。彼は馬のため、自分でクッキーが食べられないのだ。

 ハッ。なら、一生食わなければ良いのに。

 そう思うが、口には出さない。カノンに怒られたくないし。

「すみません。はい、どうぞ」

 聖母のように優しいカノンは、駄々をこねるオニールにも優しく、皿に盛られたクッキーから一枚を取ってオニールの口に入れた。

 そのまま頬張るオニール。ややあって、飲み込み、満足げにうめいた。

「ううん。旨い。これだけで店を出せるんじゃないか?」

「そ、そんなに美味しかったですか?」

「ああ。お世辞抜きにして本気で言うが、まじで店を出せるぞ」

「そ、そうですか。良かったぁ」

 ホッと胸を撫でおろすカノン。

 あれ? 私も君のことを褒めたのに、どうしてオニールの言葉のほうで安堵しているのかな?

 ……解せぬ。

 と、一人嫉妬のような感情を浮かべていると、オニールは更に催促した。

「なあ、もっと食わせてくれ。何枚でも進む」

「はいはい。じゃあ、次はこれをどうぞ」

 そう言って差し出したのは、馬の形をしたクッキーだった。

「お、俺に似てるな」

「そりゃ、お前は馬だからな」

「おい、俺はスレイプニルだ。そんじゃそこらの馬と一緒にされちゃ困るんだが———」

「はい。あーんして、お馬さん」

「あーん」

 カノンのお馬さん発言をものともせずクッキーを口の中に入れられるオニール。おい、スレイプニルの威厳と誇りはどこへ行った。

 カノンを見ると、彼は意地が悪そうに笑っていた。なるほど、あれはわざとか。

 だが、悪そうな顔をするカノンも、良い……!

 そんなことを思いながら、私はクッキーを手に取り口に運ぶ。ほのかな甘みと好きな花の香りが鼻腔と口内を満たし、それをちょうど良い味わいの紅茶で流し込む。ああ、贅沢な時間だ。

 その後も、カノンと私。私とオニール。オニールとカノン。そして、三人一緒に会話を楽しみながら、お茶会を終えた。

「でも、良かったのか? 確かに、お茶会を開こうと言ってきたのはお前だが、その準備をしたのもお前だろう。こいつはどうせ何もできないだろうし、俺も何もできなかった。全部お前ひとりに抱え込ませて、辛くなかったか?」

 オニールの言葉に、私も頷く。

 こいつ呼ばわりされたり何もできないと言われたりしたのは癪だが、彼の言う通りだ。今日のお茶会は、全部カノンが準備したものだ。だから、彼の負担になっていそうだが。

「ううん。そんなことないよ。だって、今日のお茶会、楽しかったもん」

 と、笑顔で答えるカノン。その表情から、確かに楽しみが伝わってきた。

 ううん。嘘を吐いているようには見えないから、本心なのだろう。

 なら、良いか。

「お前の恋人。本当に良い奴だな」

 耳打ちしてくるオニールに、私は頷いた。

「ああ。本当に、私にはもったいないよ」

 今でも思う。彼には、もっと彼自身を幸せにしてくれる、良い奥さんがいたら良かったのにと。けど、何の因果か、彼の隣には私がいる。本当、神は気まぐれだ。

「さてと、じゃ、僕はここの片づけをするので、先に戻っていてくださいね」

「了解。じゃ、お守り代わりにこれを」

 そう言って、私はアンカルグを差し出す。この剣は、物事にかけられた制限を解く力を持つ。これ自体にも高い魔力が宿っているため、外敵に対して威嚇できるだろう。

 アンカルグを受け取り、カノンは礼をした。

「ありがとうございます。では、家で会いましょう」

「うん。じゃ」

 そう言って、私はオニールと共に広場を離れたのだった。

 

 



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謎の少女

 おねショタも好きですが、ロリショタも好きです(突然の性癖暴露&ネタバレ)。
 


 

 

「さてと、テーブルとイスはこのままで良いから、後はお皿とかを片付ければ良いか」

 そう呟き、僕はお盆にクッキーを盛っていた皿やティーセットを乗せた。

 にしても、今日のクッキーは自分としてもあまり良い出来とは言い難いものだったのに、二人は褒めてくれた。美味しいって、美味しいって……!

「ああ、気を遣わせてしまった……! もっと腕を上げなきゃ」

 心の中でそう決心し、僕はテーブルから目を離し、周囲を見回した。

 初めてオニールと出会ったのも、この広場だった。以来、ここで乗馬や日光浴、今のようなお茶会を開いているのだ。

 正直、悪魔は怖い。なにせ、僕の家族を、友達を、町を壊したのだから。怖くないはずがない。

 けど、なぜかオニールのことは怖くない。彼の弱い部分を知ったからだろうか。それとも、彼が人間味溢れているからだろうか。どっちかは分からないけど、少なくとも、僕は彼に恐怖心を抱いていない。

 悪魔の中にも、良い悪魔と悪い悪魔がいることが、オニールと出会って少し分かった気がする。まあ、それでも悪魔は怖いけど。

 にしても、本当にここは前回と何ら変わりない。生い茂る木々に豊かな色合いの芝生、様々な動物に錆びた鉄製の扉。

 ……うん? 扉?

 思わず流し見してしまったが、僕の瞳は、確実に錆びついた鉄の扉を映しだした。

 って、え? 扉? こんなところに? 

 そもそも、ここに扉なんてあったっけな。あったらエスルアさんとかが気づくはずだけど。

 そう思い、僕は扉に近寄った。

 それは、まるで牢獄の扉のようだった(実際に見たことはないけど、雰囲気的に)。赤茶色の錆が浮かぶ扉は物々しく、不気味だった。装飾は一切ないが、扉の上部に名札のようなものがあった。

 僕は背伸びをして、その名札を見る。

「……リセア、ドーラ?」

 リセアドーラ。それは、一体何なのだろうか。

 おそらく、この扉がついていた部屋の主の名なのだろうが、リセアドーラなんて名前、生まれてこのかた一回も聞いたことがない。

 じゃあ、どうしてここに扉が現れたんだ?

 僕は不思議に思う、と同時に、心の中で生まれた恐怖心と好奇心の戦いを見守った。

 確かに、扉の後ろを見ても何もない。扉単体で立っているのだ。常識的に考えて、この扉を開けても見えるのは後ろの森だけだ。つまり、開けても害はない。だから、一回開けてみよう。そう思った。

 だが、なんだか嫌な予感がするのだ。たった十数年しか生きていないが、それでも勘というものは働く。その勘が言っているのだ。これは、危険だと。

 結局、勝ったのは好奇心で、扉を開けてみることにした。

 もちろん、鍵がかかっている可能性もあるのだ。開けようとしたところで、開くはずがない。

 そう、思っていた。

 扉の取っ手に手を置き、ゆっくりと回す。

 そのまま、僕は扉を押した。瞬間、

「っ!?」

 扉が、開いた。

 重々しい音を響かせながら、鉄の扉はそれ自体の重みを感じさせない様子で開いた。

 扉が開いたとき、僕の目に飛び込んできたのは、無数に死体だった。

 それは、様々な形があった。獣のような形、人のような形、生き物には見えないような形。様々だ。そんな様々な形の死体が、山と積み上げられていた。

 そして、それらが発する腐敗臭は、僕の鼻を鋭い剣のように貫いた。

 思わず鼻を押さえて目を瞑る。けど、それで堪えられるわけもなく、

「う、う、うええぇぇぇっ」

 クッキーの茶色い破片の混じった黄色い胃液が地面にまき散らされる。胃が痛くなるほど、喉が痛くなるほど、僕は膿を出すように吐き続けた。

 胃の中が文字通り空っぽになったような錯覚を覚えるほど吐き続け、僕は顔を上げた。

 初めに死体に目が行ったが、今はそれ以外にも目が行くようになった。

 赤茶色の無機質な暗い壁に、鉄格子がはめられた窓らしきもの。家具は最低限のものしか置かれておらず、部屋の中央には大きなベッドが置かれていた。 

 そして、そのベッドの上には、一人の少女が座り込んでいた。

 思わず隣に置いてあった曲剣、アンカルグを掴み、少女に向けた。

 こんな死体に囲まれているんだ。こいつは、正気じゃない。

 そう思っての行動だったが、徐々にその剣を下げてしまった。

 少女は、目を瞑っていた。眠っているのか、それともただ単純に目を瞑っているだけなのかはわからないが、こちらを視認している様子はない。

 僕は今まで以上に働く好奇心に身を任せ、少女に近寄った。

 少女の目前にまで迫った。けど、少女は目を開ける様子を見せない。それどころか、微かな寝息が聞こえてきた。どうやら、眠っているらしい。

 僕は、眠る少女の顔をまじまじと見つめた。

 長いまつ毛に小さな鼻、うなされているのか眉は八の字になり顰めているが、それでも彼女の愛らしさを損なうことはなかった。潤む桃色の唇に小さな顔。肩までかかるセミロングの金髪は触り心地が良さそうで、歳のほどは僕より小さく、九歳あたりか。けど、九歳にしては大人びた顔立ちをしているし、身長もそれなりに大きいな。まあ、僕より年上かと問われれば微妙だけど、同年代と聞かれれば首を縦に……いや、無いな。

 そんな不思議な顔立ちの少女を見つめつつ、僕は彼女の頬に触れた。

 ああ、モチモチだ。触り心地良いな。

 って! 何やってんの僕!? 初対面の子の頬を触るとか、気持ち悪すぎでしょ。

 慌てて手を離す。だが、

 

ジャリッ

 

「え!?」

 手を離した瞬間、僕の手首を掴まれ、強引に少女の頬に手を宛がわれた。

 再び触り心地の良い頬に触れるが、僕の頭は思わぬ事態に混乱していた。

 だって、僕の腕を掴み、頬に手を宛がわせたのは、他ならぬ少女本人だったのだから。

 いつの間にか目を開けていた少女と目が合う。じっと視線を交わす中、僕は、彼女の瞳に見惚れていた。

 少女は、真っ赤な瞳をしていた。まるで紅玉のような、綺麗な深紅。そんな彼女の瞳は、僕の目を釘付けにするのに十分な魅力を持っていた。

 ずっと見ていたい。この子の瞳を僕だけのものにしたい。そんな独占欲にも似た思いが胸中に生まれ、僕はじっと彼女の瞳を見続けていた。

 彼女から発せられる、天使の声を聞くまでは、

「……誰?」

 可愛らしい、なんて表現がこれ以上にないほど当てはまる彼女の声。それを聞いて、僕は意識を現実に戻した。

 けど、今度は彼女の声に惚れてしまった。彼女から発せられる柔らかな声に、僕は魅了されてしまった。

 上の空の僕を怪訝に思ったのか、少女は眉を顰める。

「誰? あなた」

「……っ! ぼ、僕はカノン、だよ」

「カノン?」

 反芻する彼女。けど、僕はなんだか感動してしまった。

 耳に心地よい声で僕の名を呼んでくれるなんて、嬉しすぎる。

「カノン? カノン。カノン?」

 と、一人感動していると、少女が何回も僕の名を呼んだ。初めは疑問だけが浮かんでいた声に、徐々に怪訝が含まれていくのを感じた。

 慌てて、僕は意識を再び現実に戻す。

「な、なに?」

「あなた、どうやってここに?」

「ど、どうやって?」

 どうやってって聞かれても、

「そこの扉を開けただけだよ」

「どこの扉?」

「どこって、そこの」

 僕は後ろの扉を指さした。今も開きっぱなしの扉からは、外の景色が良く見えた。

「もしかして、お外?」

「う、うん。そうだよ」

 問う少女に、僕は答えた。

 すると、少女は僕の手を離した後、ベッドから立ち上がり、扉に近寄った。

 その時、少女にしか行かなかった目が別のものを映した。 

 それは、鎖だった。紫色に薄く光る鎖が、少女の腕と足から伸び、壁に繋がっていた。

 こ、これって、

「ね、ねえ!」

 少女を呼ぶと、彼女はこちらを見た。

「なに?」

「こ、これは、なに?」

 鎖を持ち上げると、少女は悲しげに目を伏した。

「そうだった。忘れていた」

「わ、忘れていた?」

 何を忘れていたのだろうか。

「な、なにを忘れて———」

 けど、僕の言葉は最後まで続かなかった。

 一瞬で、少女は僕との距離を詰め、僕の首に手をかけた。

 そのまま、僕はベッドに押し倒される。

 今まで死臭が占拠していた鼻腔を甘い香りが浄化する。きっと、これが、少女の香りなのだろう。

 けど、今の僕に、その香りを感じる暇はなかった。なにせ、僕は生命の危機を感じていたのだから。

 先ほどまで無感情だった少女の瞳に、猟奇的な光が浮かぶ。まるで、獲物を追い詰めた狩人のように、ぎらぎらと嗜虐的な色が浮かんでいた。エスルアさんが僕を性的に襲おうとする時の光とはわけが違う。相手に生への執着を失わせるような、もしくは増大させるようなほど危険な、恐ろしい光だった。

 もしかして、僕はここで死ぬのかな。ここで、僕はこの少女に殺されるのかな。

 嫌だ。そんなの、そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。こんなの、受け入れられるわけがない。「お、お願い、やめて」

 涙を浮かばせながら懇願する僕だったが、少女にこの懇願は届かなかったようだ。

 笑みを浮かべる少女は、僕の首筋に顔を近づけ、ペロリと舐めた。背筋がぞわりとするが、それをなんとか堪え、必死に少女を引きはがそうと肩に手を添え、力を込める。

 けど、少女を引きはがすことはできなかった。

 そして、僕は、少女に、

 

バタリ

 

「え?」

 思わず気の抜けた声を上げてしまった。けど、僕はそれを訂正する暇なく、目の前の光景を呆然と見つめていた。

 まあ、光景というか、少女の様子なのだけど。

「え、えっと、その」

 突然の出来事になんだか気が抜けたというか、呆然としてしまった僕は、そのまま少女の肩に手を置き、僕の体から彼女をどかした。

「……嘘でしょ」

 額に手を置き、目の前の光景を理解しようとかみ砕く。けど、上手く出来なかった。

 だって、だって、こんなこと、ある?

「……お腹空いた」

 少女が、あまりの空腹に僕を捕食する力すらなくなっていただなんて。

 僕の戸惑いを肯定するように、少女のお腹が愛らしく鳴った。

 

 



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リセア

 お待たせしました。次話です。
 あと、謝りたいことがあります。
 本当に申し訳ございません。今日から、一気に三つの話を投稿します。ですので、投稿頻度が落ちます。
 詳しくは活動報告にてお知らせします。


「お、美味しい?」

「うん。美味しい」

 ベッドに座りながら、僕は横でクッキーを頬張る少女に問い、彼女はそう答えた。

 初対面でよくわからないが、少なくとも彼女が嘘を吐くような(もしくはお世辞や気遣いをするような)子ではないことはなんとなく感じたため、おそらく本当にクッキーを美味しく食べているのだろう。

 まあ、空腹は最高のスパイスって誰かが言っていたし、今の彼女ならたとえ腐ったパンでも(出さないけど)美味しいと言って食べそうな勢いだから、激マズのクッキーでも彼女の舌に合っているのだろう。……よくわからないけど。

 結局、あの後気絶しそうな勢いの少女に残っていた手持ちのクッキーを渡し、なんとか彼女を蘇生させ、なおかつ僕は捕食されずに済んだ。クッキーを持っていなかったら、そう考えると少し背筋がゾクッとする。まあ、無かったら無かったで少女を放っておいて逃げるのだが。けど、それをしたら自分の良心が痛みそうで、出来れば選択したくなかった。まあ、結果的にクッキーを持っておいて正解だった。

 幾分か回復した少女は、僕が持ってきたクッキーの袋詰めを抱え込み、リスのように口の中にクッキーを入れ続けていた。それはそれで可愛いのだが、少し落ち着いて食べようよ。

「ところで、君」

「……」

 答えてはくれなかったけど、こちらの言葉を待っているのは分かった。

 だから、僕は部屋に転がる死体のような飾り(だと思いたい)を指さした。

「これ、なに?」

「……装飾」

 まじか。

 少女の淡々とした返答に、僕は思わず大きなため息を吐いてしまった。

 だって、偽物の死体を並べるなんて、悪趣味にも程がある。こんな可愛い子がこのような装飾をするはずがないから、きっと彼女をここに閉じ込めた何者かがやったのだろう。

 本当は、いろいろと質問したいことがある。君は誰なのか、ここはどこなのか、どうして君はここにいるのか、なぜ君は鎖につながれているのか、など。頭に浮かぶもののほとんどは疑問だ。

 けど、今は、

「ね、ねえ、この装飾、どうにかならない?」

 そこまで言って、僕は再びため息を吐いた。

 何を聞いているんだ。こんな少女がこんな装飾をされて嬉しいはずがない。けど、今この状態にしてあるということは、きっと片付けられない何かがあるのだ。それをどうして察してあげられない。

 全く、僕は本当に察しの悪い人間だな。

 そう、自分自身に落胆してため息を吐いていると、不意に少女が両手を打ち合わせ、パンと音を立てた。

 何事かと顔を上げると、いつの間にか死体の装飾が消えていた。死臭と共に綺麗さっぱりなくなっていたのだ。

 ……ということは、

「君、片付けられたの———」

 そこまで口にした瞬間、少女の体が僕のほうに倒れこんできた。

 慌てて抱きとめる。その際、少女の蜜のように甘い芳香を嗅ぎ、一瞬頭がクラっとしたが、そこはエスルアさんとの同棲で培った理性で押しとどめる。

「え、えっと」

 突然の出来事に驚いていると、少女は口を開いた。

「片付けられるよ。けど、疲れるからしていなかっただけ」

「そ、そうだったんだ」

 なるほど。疲れるから。

 けど、今のって魔法だよね。一瞬で装飾を消したんだ。魔法以外の何物でもないだろう。

 すごいな。僕と同年代かそれ以下の少女が魔法を使えるなんて、今までの人生で聞いたことない。まあ、すぐ疲れちゃうのが難点なのだろうけど。そこは修行途中ということだろう。

 ……もしかして、

「君、小さいころから魔法使えた?」

 視線を下に向け、少女に問う。

 少女は答えた。

「うん。使えた」

「そう。……やっぱりそうか」

 小さく頷くと同時に、僕は心の中でもやもやした何かを浮かばせた。

 話に聞いたことがあるだけなのだが、アールリアの中でも辺境の地では、魔法は悪魔の業だとして疎むところがあるらしい。ただ疎むだけならまだ良いものの、悪いと魔法とそれを使う魔法使いを監禁したり、最悪殺したりするところもあるらしいのだ。魔法は基本先天的で使えるものと使えないものが別れるため、自分で決めることができない。だから、そういうところで魔法使いが生まれると、即座に殺されるらしい。

 この少女も、きっとそうなのだろう。魔法が使えるから、きっと、監禁されたんだ。それも、こんな最悪な場所で。

 そう思うと、心のもやもやが次第に形となって表れてきた。それは、怒りだ。

 紅蓮の炎のように胸を焼く怒りが、僕の心に生まれた。

 思わず拳を握りしめ、呟く。

「こんな小さな子に、なんてことを」

 こんな小さな、か弱い少女に、彼女の周りにいた大人たちはなんて惨いことをしたんだ。こんなの、許せるわけがない。

 なにが魔法は悪魔の業だ。そんな非現実的な話、あるわけがない。第一、僕が調べた限り、魔法にはちゃんとした原理があり、その中で悪魔が出てくることはない。だというのに、根拠のない迷信で、か弱い少女を寄ってたかっていじめて。許せるわけがない。許されるわけがない。

 そう、怒りを浮かばせているときだった。

「……なんで、怒っているの?」

「え?」

 下から声が聞こえ、僕は意識を現実に戻す。

 すると、下から少女がこちらをじっと見つめていた。

「なんで、怒っているの? 私、何かした?」

「う、ううん。君は何もしていないよ。ただ、君をこんな目に遭わせた人達に怒っただけ」

 そうだ。この子は何も悪くない。悪いのは、この子にこんなことをした周りの大人たちだ。

「そうなの? じゃあ、なんで、あなたが怒っているの? あなたと私は、赤の他人でしょ? どうして?」

 どうして、か。それは、

「分からないな。だって、考えるより先に思ったんだもの」

「そうなの?」

「うん。僕は、確かに君をこんな目に遭わせた奴らに怒っている。けど、そこになんではないよ。僕が怒っているのに、根拠はないかな」

 少女を見つめる。彼女の綺麗な深紅の瞳は、僕に勇気を与えるように光っていた。

「そもそも、怒るのに理由はないんじゃないかな。確かに理由のある怒りはあるだろうけど、ほとんどは考えるよりも先に思ってしまうんじゃないかな」

 分かりやすく言うなら、怒る場合理由は後から来る、みたいな?

「だから、僕が怒るのに理由はないよ。まあ、強いて言うなら、君をこんな目に遭わせた奴らのその行動を許せないってところかな」

 って、自分で言ってて少し格好つけた感があるな。

 そう、最後に自嘲気味に笑みを浮かべると、少女は少し思案顔になった。

 そして、

「……ありがと」

 と、短く礼を述べた。

 それに、僕は口で答える代わりに小さく頭を下げる。

 すると、少女は微笑んだ。その笑みは、どんな花よりも可憐で、どんな灯よりも明るくさせた。

 思わずにこりと笑みを浮かべると、少女はくすくすと笑った。

「あなたも笑ってる」

「え? あ、ああ、うん、そうだね」

 なんだか、照れるな。今までこんな可愛い子に会ったことがないから、かな。

 僕、この子と出会って今までで何回可愛いって思ったんだろう。数えると二桁はいきそう。 

 まあいい。この子はとんでもなく可愛いのだ。それは、事実だ。覆りようがない真実だ。そう、僕は思った。

 ……にしても、

「ね、ねえ、そろそろ疲れも取れたんじゃない? できればさっき見たく座ってくれるとありがたいんだけど」

「どうして?」

「ど、どうしてって……」

 彼女の思わぬ反応に面食らってしまう。

 だ、だって、今の状況を説明するなら、僕はこの子を抱きしめていることになるのだ。いくら膝の上に乗せているだけとはいえ、彼女が僕に体の重心を傾け、そのまま身を任せえていることには変わりない。

 そして、そうなってくると、嫌でも彼女の体の感触が感じられるのだ。少女特有の柔らかく引き締まり、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる体、ほのかな蜜を宿す甘い香り、彼女の吐息まで感じられ、正直理性が保たない。

 けど、これを説明するとなると、一旦僕の中の羞恥心を捨てなければならない。けど、そう簡単に捨てられたら苦労しない。

 だから、なんとなく伝わってほしかったのだけど、少女には伝わらなかったようだ。

 更に僕のほうに体を傾け、僕の胸に顔をうずめた。

「もっと、こうしていたい」

「え、えっと、なぜ?」

「落ち着く」

 あ、そうですか。

 なんで僕の体が落ち着くのだろうか。少し分からないな。

 そう思っていると、スンスンと音がした。人が何かを嗅ぐときに出るような音だ。

 え、えっと、もし僕の耳がおかしくなければ、少女から聞こえてくるのだけど。ど、どういうこと?

「ね、ねえ」

「リセア」

「え?」

 少女は顔を上げた。

「リセア。それが私の名前」

「そ、そう」

 リセア。じゃあ、この扉にあったネームプレートはこの子のものか。

「じゃ、じゃあ、リセラ。僕の間違いであれば良いのだけど、君、僕の匂いを嗅いでるの?」

「うん」

 間髪入れずに答えたリセアの頷きに、僕は思わず額を押さえたくなった。

 だって、だって、異性の匂いを嗅ごうとするなんて、少し、いや、かなりおかしい。

「あ、あの、ど、どうして?」

 なんだか、エスルアさんと同じような雰囲気を感じる。もしかして、同類だったり?

「あなたの香り、落ち着く」

「そ、そう」

「……変?」

 首をかしげるリセアに、僕は思わず首を横に振った。

「う、ううん。お、おかしくないよ」

「そう、良かった」

 そう呟くと、リセアは再び僕の胸に顔をうずめ、匂いを嗅ぎ始めた。

 にしても、エスルアさんも僕の匂いが落ち着くとか言っていたな。もしかして、僕の香りって異性に落ち着かれる効果があるのだろうか。……いや、まさかな。

 ……。

「あ、あの、リセアさん?」

「リセアで良い」

「わ、分かった。で、リセア」

「なに?」

「僕の胸に顔を埋めて嗅ぐのは良いのだけど、首の匂いを嗅ぐのは、やめてくれないかな。少し恥ずかしいのだけど」

 そう、徐々に顔が上がり、首元にまでやってきたリセアに僕は言った。

 だって、彼女が鼻を鳴らすたびに、彼女の吐息やら香りやらがいちいち僕の鼻に入ってくるのだ。本当に理性が保たない。

 さすがにそこは自重したのか、リセアはしぶしぶ顔を離した。

 ふう。危なかった。もう少しで僕の理性がなくなるところだった。

「ところで、あなたの名前は?」

 こちらを向いたリセアが問うた。

 それに、僕は答える。

「カノン。僕の名前はカノンだよ」

「カノン。カノン。ふへへ」

 え? なに今の笑い声。

 突然不気味な笑みを浮かべたリセアに変質者を見るような目を向けつつ、僕は彼女の手に握られているクッキーの袋を指さした。

「それ、君にあげる」

「……ほんと?」

「嘘を言ってどうするの」

 まあ、この子の境遇を考えれば聞き返すのは当たり前か。

 僕は頷いた。

「うん。それ、君にあげる」

「……そう」

 すると、リセアはクッキーの袋を大事そうに抱きしめた。

「……ありがとう」

「ど、どういたしまして」

 僕のほうを向いてニコリと笑みを浮かべるリセアのその笑みに見惚れつつ、僕は頷いた。

 さてと、そろそろかな。

「じゃ、僕はもう行くね」

「え? ……う、うん」

 驚きの声を上げつつも、リセアは頷いた。

 それを見た後、僕は扉に近寄った。

「ね、ねえ、明日も会える?」

「う~ん。うん。会えるよ」

「じゃ、じゃあ、明日も、来て」

「了解」

 そう言葉を交わし、今度こそ、僕は扉の外に出た。

 



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約束らしきもの

 今回は報告をするために投稿しました。なので、文字数はかなり少ないです。
 報告は、後書きにてお知らせします。


 適当に書き過ぎた……orz
 深夜テンションだったんだ。許してくれ。


「ねえ、カノン」

「どうしました?」

「なんで、そんなにテンション高いの?」

「え?」

 自身の頬に手を添えて首を傾げるカノン。まあ、その動作も可愛いと言えば可愛いんだけど、なんだか白々しいというか、裏がありそうで少し気になるような感じだった。

 思わず、私は彼に問いかける。

「君、家に帰ってきてからかなり落ち着いてないよね。落ち着いてないというか、何と言うか……。何か良いことでもあった?」

「いいえ、何もありませんよ」

 そうは言うものの、家に帰ってきたときのカノンの様子は少しおかしかった。熱に浮かれているというか、興奮が冷め止まないというか、少し様子が変だ。

 きっと、何か良いことがあったに違いない。それも、私に言えないような何かが。

 私は自分でも分かるほど嫌らしい笑みを浮かべ、カノンに近づいて後ろから抱きしめた。

 小さく声を上げるカノンの耳に息を吹きかけて怯ませてから、この子の胸を指でなぞりながら問いかける。

「ねえねえ、何があったの? お姉さんに教えてよ」

「ちょ、ちょっと、エスルアさん。やめてくださいよ~」

 変に間延びして体をくねらせ、私の拘束から逃れようとするカノンに更に追い打ちをかけるようにして体を羽交い絞めにし、私は問い続ける。

「そんなこと言わないでさぁ。教えて? 私の愛しい愛しいカノン君」

「……! え、エスルアさん。そ、そんなこと言っちゃ———」

 再度彼に息を吹きかけて喘がせてから、私は徐々にカノンの逃げ道を物理的にふさいでいった。

 けど、まずいな。逆に私が興奮してくる。やっぱり悪魔は嗜虐的な性格をしているのかしら。

 まあ、この子は受けっぽいし、私とある意味相性が良いのかもしれない。

 そうだったら良いな。

 ……でも、これ以上やっているとこの子が耐えられなさそうだし、やめておこうかな。

 だって、この子かなりエッッッ……! な表情をしているし、口から涎垂らしてるしで、結構、この、私の性癖にグッとくるんだよね。

 控えめに言って、最高です。いただきました。

 ……じゃなくて、そろそろこの子への尋問を止めようかな。

 そう思って体を離すと、カノンは勢いよく息を吸って吐いてを繰り返し、胸を押さえて涙目になった。

 まずい。可愛い。押し倒したい。

「え、エスルアさん! 何するんですか!」

 怒り顔で叫ぶカノンに思わず意地汚い笑みを浮かべそうになるが、それを根性で堪えてから、私は彼の頭を撫でた。

「ごめんね。私が悪かったから、そんなに怒らないで」

「……」

 怒りながら顔を背けるカノンに、思わず内心で「やっちまった」と思った。

 この子を怒らせたらかなりまずいのに、それをやってしまった。怒らないと……良いな。

 そう思ってこの子の顔色を窺うと、カノンは暫し逡巡した後、意を決したかのような表情を浮かべてから、私の顔を見て叫んだ。

「きょ、今日僕と一緒に寝てください!」

 ……………………………へ?

「い、今なんて?」

 聞き間違えかな? いや、そうに決まっている。まさかね。あの子がそんなことを言うなんて……。

「で、ですから」

 体をモジモジさせながら、カノンは続けた。

「ぼ、僕と一緒に寝てください」

「……」

 ……

「ふぁっ!」

 思わずカノンの顔を抱きしめ、胸に押し当ててしまう。

 カノンの息遣いが胸を通して心臓にじかに感じられ、彼の息の根が私の体に浸透するように沁み渡ってきた。

 まずい。てか、駄目。興奮が抑えきれない。

 もごもごと口を動かすカノンを見つめながら、私は彼の頭を撫でる。

「ど、どうして、一緒に寝るなんて言ったの?」

 カノンに向かってそう問うて口元を空けると、彼は恥ずかしげに答えた。

「じ、実は、なんだか少し寂しい感じがしたので、あなたを感じたいんです」

 駄目、ですか?

 上目遣いでそう問うカノンに、私はにんまりと笑みを浮かべながら答えた。

「うん。良いよ。一緒に寝よ」

 そう答えると、カノンは笑顔で頷いた。

「はい! ありがとうございます!」

 カノンの笑顔を見て、私は内心で決意するのだった。

 今日こそ、カノンを襲ってやる。と。

 




 今回から、この作品をもう一回作り直します。
 主な変更点は、戦闘描写を減らして濃くしたり、もっと二人のイチャイチャを増やしたり、色々です。後、ギャグを書きます。……書きたいです。
 一話あたりの文字数が減ったりしますが、そこはご了承ください。手軽にあっさり楽しめる作品を目指していきます。
 登場人物の変更などもしていきます。主要キャラであるエスルアとカノンは同じ(かも)ですが、他を少しいじります。追加したり、消したり、色々します。
 なので、またしばらく期間が空きますが、また書き始めます。具体的には、次の土曜日か日曜日に投稿できればと思っています。(あくまで予定ですが……)
 それでは、報告は以上です。『魔王の側近、一般人(ショタ)と愛を育む』
 改め、『悪魔の王である私は人間の子供と愛を育めるのか?』を、よろしくお願いします。
 追伸、題名はまだ仮です。


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