ハリポタ世界に悪魔として召喚されたんだがどうすればいい? (依瑠iru)
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1回目リドル

 体がベッドから落ちる感触で夢から叩き出された。あっやべ、と思ったときには床と激突している。いってえ……。そんなにひどい痛みではなかったが、寝起きのだるさでしばらく床に伏せったままでいた。ひやりとした石の感触が頬や手にあたって気持ちいい。

 ん? ちょっと待て、おれの部屋は畳だろ。

 違和感に目を開けた。照明はオレンジ色の薄明かりで、瞼の暗闇に慣れた目には眩しすぎずちょうどいい。床の素材はやっぱり石だった。白いインクで模様というか記号らしきものが落書きされていた。ここはおれの部屋じゃない、だと……? どういうことだ。

 部屋を見回そうと身を起こすと、うわ、誰だよ。白い肌の外国人がいた。……日本語は通じるんだろうか? 見知らぬ場所にいることよりもそっちの方が心配になる。歳はたぶんおれと同じくらい。つまり、男子高校生ってところだ。片手にいかめしい革表紙の本を持ち、黒いローブを着ている。魔法使いのコスプレ?

 そいつとおれは言葉もなく見つめ合った。状況が理解できずに呆然としているおれと違い、そいつは驚きで口がきけないようだった。だがその驚愕も興奮に変わり、笑い声が静寂を破る。

 

「は……ははっ、はははっ! この本に書かれていることは本当だったんだ!」

 

 流暢な日本語なのにホッとしつつも、なんだろう、こいつと話しが成り立つ気はあんまりしない。なんか人の話聞かなそうな感じ。

 相手が落ち着くのを待つ間、周囲を見てここの情報を集めることにした。オレンジ色の光は蝋燭の灯りだった。床の模様は円と何かの記号か文字で、ぐるりとおれを囲って描かれている。まるで魔方陣だ。というかそうなのか、黒魔術か。おれは召喚されたのか、と思うのはゲームか漫画の影響……いや、こいつのせいだな。目の前のやつがコスプレしてるせいだ。

 

「なんだかしょぼそうなのは残念だけど、まあこの際なんでもいいか」

 

 そりゃどーいう意味だよ。言い返そうとしたけど、自分が寝巻きのダサいジャージ(小豆色。中学校の校章入り)姿なのと、自分の容姿が目の前の彼とは月とスッポンなので断念した。むかつくことに、目の前のこいつはコスプレじみたローブ姿でも、決してしょぼくないイケメンだった。世の女性たちがイケメンの黒魔術趣味を知ってドン引きすればいいのに。

 

「さあ魔神よ、まずはおまえの名前を聞かせてくれ!」

「魔神? 何言ってんだ、あんた」

「なんだ、僕は魔神以下の小物を呼び出したのか?」

 

 そいつの口調はいたって真面目で、おれの方が困惑させられた。ひょっとしてまだ夢の中にいるんじゃないか? それにしては床の冷たさや肺にしみる夜の冷気がリアルだった。ここは夢か現実か、どっちなんだ。

 おれが黙っていると、相手は「それじゃ悪魔か君は? それならそれでいい。おまえの名前を言え」と偉そうに言ってきやがった。何様だ、おまえ。

 

「……その前に確認していいか? おれをここに呼び出したのはあんたなんだよな? おれをここから帰せるのはあんた次第か?」

「そうだ。僕の要求に応えることができたら、ここから帰してやろう」

 

 相手のぶれない偉そうな姿勢に、おれが何を言ってもこいつは聞き入れないんだろうな、と諦めに似た理解が訪れる。おれは深めの呼吸をひとつして腹をくくった。とりあえずこの状況を丸ごと受け入れようじゃないか。

 

「オーケー、わかった。あんたの要求を叶えりゃ帰れるんだな」

 

 これが夢であれなんであれ、とりあえずこいつに付き合って帰してもらうことにしよう。帰り方はわかった。それが重要だ。

 

「おれの名前は奥峰龍臣。そっちは?」

「ヴォルデモート卿だ」

「はあ?」

 

 世界的大ヒット作の悪役の名前だった。何様かと思えば、俺様でしたか。その小説なら読んだことがあるから、夢なら出てきてもおかしくない。でも、おまえ、まだリドルじゃないのか年齢的に。学生だろ。いや、学生時代からその名前使ってるんだっけ?

 

「なんだ、僕の名前に不満が? 今はまだ無名かもしれないが、これから知らぬ者はいなくなる名前だぞ」

「あーいや、そこじゃなくて……それ本名か?」

「悪魔に本名さらす馬鹿がいるわけないだろう」

「そうなのか?」

「おまえは無知を装ってこちらを油断させようとしているのか? 生憎僕には効かないぞ」

 

 うーむ、悪魔については本当に無知なんだが。悪魔、悪魔ねえ……あ、でもひとつだけ知っていることがあるじゃないか。悪魔が出てくる物語なら読んだことがある。そこで悪魔は何をしていた?

 

「悪魔に用があるってことは、魂を売り渡す契約をするってことか?」

「おまえは何を言っているんだ」

 

 ほとほと呆れたようにヴォルデモート、いやリドルはため息をついた。ヴォルデモートというと蛇顔のイメージが強くて、こいつの綺麗な顔にはトム・リドルという名前の方がしっくりくるんだよな。

 

「魔方陣の中にいる限り悪魔はこっちの言うことを聞かなければならないんだ。願いを叶える代わりに魂を渡すのは、悪魔の方から僕のところに来て話を持ちかけなくてはならないんだ」

「ははあ、勉強になります」

「まったく……どうなってんだよ。悪魔ですらないのかよ、これ」

 

 リドルは舌打ちした。

 超常の力が使えないという点では悪魔どころか魔法使い以下だ。しかしそれを言って、万が一キレたリドルに殺されたら嫌なので黙る。

 これが夢なら、殺されれば夢からさめるのだろうか。英語原作の登場人物がこんな流暢に日本語を話しているのも、夢であれば説明がついた。

 

「日本語うまいな」

「何を言っているんだ。これが英語と言うことも知らないのか」

「おれにはあんたが日本語を話しているように聞こえる。だけどあんたは英語で話しているんだな。おれは日本語で話しているけど、どう聞こえている?」

 

 さっきから馬鹿な質問をするおれにいらついていたリドルが、急に真顔になった。

 

「この魔法陣、翻訳機能もあるのか」

「翻訳魔法なんてあるのか?」

 

 記憶に間違いがなければ、そんな便利な魔法は小説に出ていなかったはずだ。外国の魔法使いも登場していたが、片言の英語を話す描写がされていた。

 

「あるけどどれも実用に耐えない下手なものさ。これはずいぶん出来がいいな」

 

 リドルはあまり言葉の問題に興味がないようで、この話題をこれ以上広げなかった。

 

「龍臣、出てきた以上は訊いておくけれど、ホグワーツにある秘密の部屋の場所を僕に教えろ。知らないのなら探し出して教えるんだ」

 

 おっと、このリドルはまだ秘密の部屋の場所を知らないらしい。

 

「なんだ、そんなことならお安い御用だ」

 

 おれが言った途端、リドルの目が赤く輝いた。背筋に寒気が走る。獲物を見つけた蛇が急に飛び出してきたような――リドルが目的のためなら暴力も殺人も躊躇わないキャラだったと不意に思い出した。

 やばい。ここでふざけたら殺される。リドルは本気で秘密の部屋の場所を知りたがっている。

 リドルが秘密の部屋を開けると、中にいる蛇がひとりの少女を殺すことになるのを思い出したが、だからどうした。おれがここで沈黙を通そうがあの少女は死に、というかもう本の中では死んでいて、殺したのは蛇であり、あの話を書いた作者だ。

 それにおれは自分の命の方が大事だ。いまさら、嘘です知りません、なんてリドルには通用しない。

 

「その部屋なら女子トイレの中にある。何階のトイレかまではわかんねーけど」

「女子トイレだと?」

「嘘や冗談じゃない。おれの知る限り本当に女子トイレにあるんだ。流し台の蛇口に蛇語で話しかけるといい。『開け』とかなんとか。それで秘密の部屋への入口が開く」

 

 言っている間、リドルはずっと用心深くおれの目を見つめていた。翻訳魔法は出てこなくても、人の心を覗く魔法は出てきていた。開心術――その魔法を使えば、相手が嘘を言っているかどうかわかるのだ。

 だからこそリドルは、“冗談だと言ってくれ”と顔で懇願していた。おれの言ったことに嘘がないとわかってしまったから。

 

「……それが本当だとして、なんで女子トイレなんだ。サラザール・スリザリンは男だろう」

「おれにきかれても」

 

 それは作者にきいてくれ。とりあえず適当に返す。

 

「変態だったんじゃねーの」

「馬鹿な! 偉大なスリザリンがへんっ……!」

 

 喉が締め付けられたようにリドルが絶句する。たとえ仮定であってもスリザリンが変態だとは口が裂けても言いたくないようだ。

 リドルの反応が面白いので、おれはまた適当なことを言う。

 

「あー、じゃあ本当はサラ・ザール・スリザリンとかいう魔女だったんじゃねえの?」

「ふざけるな! そうだ、男だということを逆手に取った巧妙な隠し場所だ……」

 

 どうやら自分を納得させる説明を思いついたらしい。本当のところどうなんでしょうか、J. K. ローリングさん。

「で、おれはもう帰してもらえるのか? それとも本当に秘密の部屋があるのか確かめてからか?」

「いやもう充分だ」

 

 リドルは疲れた様子で首を左右に振る。それから思いついたように、「最後に1つ」ときいた。

 

「お前はなんで部屋の場所を知っているんだ?」

「それは……」

 

 正直に読者だからだと答えれば、リドルは先の展開を知りたがるだろう。それではいつ帰してもらえるかわかったものではない。ハリポタ世界にいられるのはなかなか魅力的だが、魔法陣の外に出られないんじゃ意味がない。それに君子危うきに近寄らずというし、未来の闇の帝王からさっさと離れたい。

 この時もリドルは無言でおれを見つめていた。毒蛇に睨まれたような威圧感。開心術を使われているのなら、何を言おうとどうこたえようと無駄なあがきに思えた。おれは早く帰って寝たいという気持ちを前面に出す。これだって嘘ではないのだし。寝ているところを叩き落とされたのだから。

 

「どうだっていいじゃないか。あんたは秘密の部屋の場所が知りたかった。だからおれが召喚された。それで充分じゃないか」

「ふうん……ま、いいけど。そういうことにしておこうか。さ、約束通り帰すよ」

 

 リドルが、おれには意味のわからない言葉を呟く。呪文なんだろう。低い声が堪らなく眠気を誘い、全ての光景は瞼が作る闇に閉ざされた。



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2回目悪戯仕掛け人

 体がベッドから落ちる感触で夢から叩き出された。あっやべ、と思ったときには床と激突している。いってえ……。そんなにひどい痛みではなかったが、寝起きのだるさでしばらく床に伏せったままでいた。ひやりとした石の感触が頬や手にあたって気持ちいい――おれの部屋は畳なのに。

 この感じ、覚えがあるぞ。前にもこんなことがあった。いつだ?

 そうだ、リドル。あいつがおれを召喚したんだ。某世界的大ヒット作の悪役。偉そうだが、質問にはちゃんと答えるという点ではいいやつだった。それに約束通りおれをちゃんと部屋に帰してくれたし。ぞっとする怖さはあったけれど、まあ、終わりよければ全て良しということで。あんなやつと戦ったなんてハリーはすげえな。

 あの時のことを思い出す。リドルが呪文を唱えるや眠くなり、カーテンの隙間から差しこむ朝日に目を覚ますと、おれはベッドの中にいた。ああ、あれは夢だったか、といつもの毎日が始まった。ただ、目覚めれば薄れてしまう夢の記憶にしては珍しく、一年が経っても鮮明に覚えていた。まるで実際に体験したことのように。体がこの石の床や夜の空気の冷たさを覚えていた。

 もしかしてこれって夢じゃない、のか? この床とぶつかった痛みは現実なのか。

 目を開いた。オレンジ色の蝋燭の薄明りと床に描かれた魔法陣があった。その陣の中にいるおれは、相変わらず寝巻きのジャージ姿(背が伸びたので買い替えたが。やったぜ)である。違うのは、

 

「うおっ、すっげえ! 本当に出てきた!」

「この本に書かれていたことは本当だったんだね」

 

 魔法陣の外から二人分の声がしたことだ。

 最初に叫んだのは黒髪のイケメンだ。優等生風だったリドルとは違い、こちらはやんちゃ系というか、ちょっと不良っぽそうなのがまた女子から人気がありそうだ。けしからん。

 次に声を出したのは眼鏡の少年だった。こっちも黒髪だが毛先があちこちに跳ねている。手にはいかめしい皮表紙の本を持っていた。リドルも本を持っていたが、それと同じだろうか? そこまで覚えていない。

 さらに、声もなく驚いてこっちを凝視する少年が二人いた。ひとりは茶色の髪で大人しそうな感じ。もうひとりは背が低くてぽっちゃりしている。計四名だ。全員同じローブを着ていた。制服なんだろう。

 ここもハリー・ポッターの世界だとしたら、こいつらが誰か心当たりがあった。

 

「いくつか質問していいか? あんたたちの名前は? ちゃんとおれを帰してくれるんだろうな?」

「おっと待った」

 

 眼鏡が、矢継ぎ早に言うおれをさえぎった。

 

「人に名前を訊く時は、先に自分の名前から言えって教わらなかったのかい?」

「アポなしで呼び出しといて礼儀を語るなよ。ま、ここでごちゃごちゃやっても先に進まないから名乗るけど、おれは奥峰龍臣。そっちは? まさか人が名乗ったのに答えないような礼儀は持っていないよな?」

「安心したまえ。僕らは騎士道精神の持ち主さ、奥峰。僕はプロングス」

 

 眼鏡――いや、ジェームズは偽名を使った。続いて口を開いたのは、おれの姿を不躾にじろじろ眺めていたイケメンだ。

 

「おれはパッドフットだ。召喚されたくせに偉そうだな」

 

 こいつの本名はシリウスだろう。

 いまだ無言の残りの二人に目を向ければ、茶色の髪が「ムーニー」と名乗った。ってことはリーマスだ。どうもこの召喚に乗り気なのは、黒髪の二人だけのようで、リーマスは全体から一歩引いて眺めている感じだ。冷たい反応ではないんだけど。

 一方、小柄な少年はおれが怖いらしい。物陰から様子を伺う小動物よろしく黒髪二人の陰から、「ワームテール」と小さな声で名乗った。ピーターで確定だ。

 今回はこいつら悪戯仕掛け人に呼び出されたようだ。

 

「あと聞きたいのはちゃんと帰すかどうかだっけ? もちろん帰すとも。僕らの言うことを聞いたらだけどね」

 

 ジェームズの言葉に、騎士道精神とは何かと問いたくなる。スリザリンのリドルと言っていることが同じだった。

 シリウスが、おれに向かってきく。

 

「つーか、ここがどこかきかないんだな。普通そこが気になるんじゃないか?」

「ここがどこだか当ててみせようか? ホグワーツだろ」

 

 目を丸くする彼らの反応に気をよくして、おれは笑った。

 

「そんなローブ着てたらわかるって。それ、学校指定のやつだろ?」

 

 リドルも同じローブだったかな? 服装までは覚えてねーな。

 

「で、おれにしてもらいたいことってなんだ?」

「ムーニーの人狼を治してほしい」

 

 ジェームズの要求は、息をのむほど意外なものだった。てっきりくだらない悪戯に使われると思っていたから。唐突にこいつはハリーの父親なんだなと思った。五巻で下がっていたジェームズの株が急上昇する。スネイプにやったことはひどいものだったが、それはそれとして美点もちゃんとあったのだ。

 

「さ、早くやってくれよ。まさかできないなんて言わないよね?」

 

 ジェームズが急かす。シリウスとピーターは期待のこもった目で見つめてきた。リーマスは無表情で感情が読めない。

 はい、仰せの通りなんでも叶えて差し上げましょう。残りの願いはあと二つありますがいかがしましょう、なんてアラジンと魔法のランプの魔神のようにこたえらたら大円団だったのだけど、おれにそんな力はない。魔法も使えないマグルである。なのになんで召喚されるのか。リドルの時はたまたま相手が知りたいこととおれの知っていることが一致していたからよかったものの。

 誰もがおれの返事を待っている。沈黙がつらい。やめろ、そんな澄んだ目で見るんじゃない!

 

「あー……非常に言いづらいんだが、そのまさかだ」

 

 空気が凍りつき、砕け散った。

 

「できないって……なんだよそれ!」

 

 シリウスがおれにつかみかかろうとしたが、リーマスがしがみついて止めた。

 

「パッドフット! 僕なら大丈夫だから。だから落ち着いて、ね? 殴ったってどうにかなるわけではないし」

 

 もしかしたらリーマスは、おれが人狼を治せるなんてはなから期待していなかったのかもしれない。だから距離を置いて見ていたのでないだろうか。期待が裏切られた時に傷つかないように。

 シリウスが魔法陣の中に入ってくることはなかったが、ものすごく睨まれている。リーマスがとめてくれて助かった。おれより上背のある相手に殴りかかられたらたまったもんじゃない。ベッドから落とされた上に殴られるとか理不尽すぎる。

 ピーターはただおろおろと見ているだけだった。ジェームズがため息をついた。

 

「まあ、そう言われることは覚悟していたよ。君はやっぱり悪魔なわけだ。僕らの願いを叶えてくれる魔神じゃなく。この書き込みは正しかったわけだ」

「書き込み?」

 

 おれが聞き返すと、ジェームズは手にしていた本を掲げた。

 

「この本には魔神の召喚の仕方が書かれているんだけど、余白に『悪魔』って書き込まれているんだ」

 

 もしかしてリドルが書いたのか? その本がリドルが持っていたのと同じなら、だけど。

 

「その本、どこで手に入れたんだ? ホグワーツの図書室にそんなのが置いてあるのか?」

「おれの家にあった本さ」

 

 シリウスが吐き捨てた。

 とすると、リドルがその本をブラック家の人間から借りたのか、リドルがあの後その本を売ってブラック家の人間が古本屋で買ったのか。可能性としてはそんなところか。

 不意にシリウスは残忍な笑みを浮かべる。

 

「こっちの言うこと聞けなかったんだから帰すわけにはいかないな」

「はあっ!? 脅迫かよ、騎士道精神はどこいった!」

「やめなよ、パッドフット」

 

 険悪になったおれらの間をルーピンがとりなす。

 

「そりゃ人狼が治らないのは残念だけど、できないものは仕方ないし。代わりに他のことしてもらおうよ。それでいいかい、龍臣?」

「まあ、そうだな」

 

 ノーと言ったらまた一悶着起こるだろうからうなずいておく。とはいえ、おれにできることなんてあるのか?

 

「他ねえ……」

 

 ジェームズが腕を組んで考え込んだ。おれも考え込みたい。

 

「言っとくけど、誰かに悪戯とかはなしだぞ。できないから」

「なんだよそれ!」

 

 シリウスがわめいた。だが、無理なものは無理なのだ。

 

「そんな力ないんだよ、おれには。生憎小物なんでな。もっと何かしたいんなら、他の悪魔でも魔神でも呼んでくれ」

「君は何ができるの?」

 

 リーマスがきいた。おれが開き直っても変わらず丁寧に接してくれる。いいやつだ。

 うーむ、リドルの時におれがしたことといえば情報提供だ。でも悪戯仕掛け人たちが特別欲している情報がない以上できることは――

 

「予言、とか?」

 

 ここでのおれの特殊さ、アドバンテージは、ここが本の世界でおれが読者だということにつきる。だが、彼らの反応は芳しくなかった。ハリポタの魔法界では、占いや予言の類は信じる人と胡散臭く思う人にわかれていた。彼らは後者らしい。

 

「じゃ、僕たちのことでも予言してみてよ」

 

 ジェームズは明らかに気乗りしていなかった。おれが大したことができないとわかって、興味が薄れているようである。

 

「それじゃまずあんた、プロングスから。えーと」

 

 早死にしますよ、はまずいよな。トレローニの占い学と変わらないと思われてしまう。あの先生がこの時代からホグワーツで教えていたか知らんが。

 

「そうだな、早く結婚するでしょう」

 

 ってこれじゃまるで占いだ。そう思ったら、「安い占いかよ」とシリウスが馬鹿にした様子で言った。リーマスもピーターも言葉にこそしないが拍子抜けしているようだ。ジェームズだけが顔を輝かせ、今日一番の食いつきだった。

 

「相手は? 赤毛の可愛い子?」

「それを言ったらつまんねーだろ」

「ええー、そんなことないよ」

「じゃ、代わりにもうひとつ予言。あんたの息子は魔法界でめちゃくちゃ有名になるよ」

「ええ!? 僕の子供って男なの!? 男か女か生まれてくるまでドキドキする時間がなくなったじゃないか!」

「……あーそりゃ悪かった」

 

 おれは残りの三人を見た。

 

「次は誰やる?」

「おれはごめんだ」

 

 シリウスは断った。こいつも投獄や早死にでトレローニ占い学になるので助かる。

 

「じゃ、僕をお願いするよ」

「ムーニーか。うーん……卒業してからもまたホグワーツに来ることになるだろう」

「へえ。なんでだろう」

 

 リーマスはにこやかに当たり障りなく言った。当たらぬも八卦、当たるも八卦、それくらいの楽しみ方でいい。

 最後はピーターだが、こいつもこいつでなかなか悲惨な未来が待っているんだよなあ。さて、どう予言するか。

 

「ワームテールは……赤毛の家族とエジプト旅行」

 

 彼らはそろってきょとんとした。今の段階じゃ赤毛の家族にもエジプトにも全く心当たりがないんだろう。

 

「さて、約束通り帰してくれるよな?」

「ま、楽しんだしね」

 

 ジェームズは肩をすくめて言った。そして呪文を唱え始めた。

 もし次に召喚されることがあるとしたら、また世代が変わってハリーたちの世代になるのだろうか。そんなことを考えているうちに、眠気に襲われて瞼が落ちた。

 



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3回目シリウス

 体がベッドから落ちる感触で夢から叩き出された。あっやべ、と思ったときには床と激突している。いってえ……。二度あることは三度あるというが、しかし今度は石の床ではなく木の床だった。

 痛みにうめきながら顔を上げた。さらに今までと違うことに、おれを召喚したのは学生ではなかった。マジか。てっきり今度召喚されることがあったらハリーに呼ばれると思っていた。リドルに悪戯仕掛け人ときたらそう思うだろ?

 そこに立っていたのは長い黒髪の男だった。髪は皮脂と埃で汚れてもつれ、服はボロボロ。思わず鼻をつまみたいくらい臭う。もとはイケメンだっただろう顔は、肉がこけて昔の面影をとどめるばかりだ。やつれ果てた風貌の中、目だけが暗くぎらついていた。これから何かやってやろうとでもいうように。潜伏中の犯罪者ってきっとこんな感じだろうか。

 ああ、なるほど、今はアズカバンを脱獄したところか。だとすると、ここはきっと叫びの館なのだろう。

 男が口を開いた。声はかすれていた。長い間誰とも話さず、久しぶりに声帯を使ったかのようだった。

 

「おれが誰かわかるか?」

「シ――いや、違う。あれだあれ、パッドフット」

 

 あぶね、シリウス・ブラックって言うところだった。おれはその名前を知らないことになっているのだ。

 

「お前は変わらないな。悪魔は年をとらないのか?」

 

 おれの時間では、前回シリウスたち悪戯仕掛け人から呼び出された時から数か月しかたっていない。まあ、こっちの事情を伝えることもないだろう。

 

「驚いたな、あんたに召喚されるなんて。おれの力を認めてたようには思えなかったんだが」

 

 この前召喚された時にシリウスと友好的な関係を築けたとは言い難い。今だっておれを見つめるシリウスの目は、じっとりと負の感情を含んでいる。ちょっとやばいんじゃないでしょうか、おれ。冷汗が背中をつたう。ここにはあの時シリウスをとめてくれたリーマスがいない。殴り合いになったら勝てるかな? ろくに食べてなさそうな相手だしいけるか。魔法を使われたら終わりだが。こっちは非力なマグルなのだ。

 

「お前に言ってやりたいことがあってな」

「言いたいこと?」

「お前のせいでプロングスは死んだんだぞ!」

 

 シリウスがほえた。憎しみで顔を歪ませて。ジェームズが隣にいた頃の屈託のない様子はどこにもなかった。

 

「お前は知ってたんだ! プロングスが死ぬこともワームテールが裏切ることも! 予言したよなあ、プロングスの息子が有名になるって。なんで有名になるかも知ってたんだろ!? お前の予言は全て当たったぞ……ムーニーは今ホグワーツで教師をやっているし、ワームテールは夏に赤毛の大家族とエジプト旅行だ。お前がワームテールが裏切ることを言っていれば防げたんだ! プロングスは死なずにすんだんだぞ!」

 

 シリウスの怒声はまるで弾丸ような勢いでおれに叩きつけられた。しかし、ちっとも痛くはない。

 リドルから秘密の部屋の場所をきかれた時も、マートルが死ぬことがわかっていたが答えたのだ。先のことを言うことで防ごうなんて、悪戯仕掛け人を相手にした時にこれっぽっちも思いつかなかった。おれにとって目の前の男は生身の人間ではなく、本の中の登場人物だったから。かわいそうだなとかは思っても、助けようとは思わない。本の中の人間をどうやって助ける? 作者に頼んで書きかえてもらうか? それじゃおれの好きになった話じゃなくなる。読んでいてこっちがつらくなるような展開こみで、その話が好きになったんだから。

 だからシリウスが、おれの予言した通り――本の通り――になったと言って、おれは喜びさえ感じていた。

 

「おい、なんか言ったらどうなんだよ。今の聞いてなんとも思わないのか?」

 

 シリウスの息は荒く、声はさっきより静かだ。長い囚人生活で体力が落ちているのだろう。血走った目だけがギラギラと輝き、まだ力を失っていない。

 おれの返事によってはシリウス・ブラックが本当に人殺しになってしまうんじゃないだろうか。身の危険を感じるが、リドルほどではない。隙を見せたらシリウスは飛びかかってくるだろうから、おれは腕を組んで平静を装う。野犬でも相手にしている気分だ。

 

「あんたの期待しているようなことは思わないな。自分で言ったじゃないか、おれのこと悪魔だって。悪魔に何を期待しているんだ?」

 

 また怒鳴られるだろうと予想したけど、シリウスは乾いた虚ろな笑いをこぼして、立つ気力すら失われたように床に座った。

 

「ああ……そうだ、お前は悪魔なんだよなあ。しょぼい見た目のせいで油断しちまったが。悪魔が人のためになることするわけないって気づけばよかったんだ、もっと早く。……思い出した。そういやお前、あの時帰れるかどうか気にしてたよな」

 

 シリウスは口角を鋭く上げて笑った。嫌な予感がする。

 

「一生お前はここにいろ。おれは絶対おまえを帰さない」

 

 全身から血の気が引いた。憧れの魔法界暮らしだやったね、と思えるほど呑気ではない。魔法が使えないのにハリポタ世界にいてどうするっていうんだ。マグル界で暮らすしかないぞ。戸籍とかどうするんだ。土下座して許しを乞う? まさか! 頭に浮かんだ選択肢を一瞬で打ち消した。

 特別な力のないおれに必要のはハッタリだ。ふてぶてしく見えるように顎を上げてシリウスを見下ろす。

 

「そんなことしたらどうなるのか、わかっていないみたいだな――シリウス・ブラック」

 

 勝ち誇っていたシリウスの表情が愕然と崩れた。

 

「な、なんで……おれの名前を……」

 

 悪魔に本名を知られたらまずいと教えてくれたリドルに感謝だ。おれはせいぜい冷酷に見えるように唇に笑みをはりつけた。悪魔らしく、ね。

 

「おれはなんでも知ってるんだぞ。お前が脱走して身を潜めていることも、これから何をしようとしているかも。ワームテールを殺すんだろ? そのためにアズカバンを脱獄したんじゃないのか。なあ、あんたがおれを帰さないって言うんならそれでもいいさ、シリウス。おれはあんたの居場所を通報する。どこに隠れたって無駄だ。だっておれはなんでも知っているんだから」

 

 シリウスはおれを睨みつけたが、そこにさっきまでの強さはなかった。

 

「お前を呼んだのが間違いだった」

「奥峰龍臣。おれの名前だ。一度くらい名前で呼んでくれよ」

 

 登場人物がおれの名前を呼ぶって普通じゃありえない体験だ。せっかくだし、呼んでもらいたい。たとえそこに良い感情が込められてなくても。

 

「絶対に呼ばねえ」

 

 シリウスは精一杯の抵抗をしてから、呪文を唱え始めた。

 眠気に襲われる前におれは言う。

 

「お前が文句を言うなら、おれじゃなくて神様にすべきだったよ。おれにはなんの力もないんだから」

 

 作者という創造主に。

 返事はなかった。シリウスは途切れることなく呪文を唱え続けていた。つーか、リドルとジェームズが手にしていた召喚の仕方が書かれた本をシリウスは持っていないんだけど、何年も前にやった手順を覚えているのか。すげえな。

 召喚されるのはこれが最後でいい。彼らと会うのは本越しが一番だ。悪魔じゃなくて読者として。

 瞼が落ちる。全ては闇に閉ざされた。



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4回目ドラコ

 二度あることは三度ある。では、四度目は?

 体がベッドから落ちる感触で夢から叩き出された。あっやべ、と思ったときには床と激突している。いつもの痛みで召喚されたことを知った。今度は木から石の床に戻り、おれを呼び出したのもホグワーツのローブを着た少年だった。

 

「僕の言うことを聞け、悪魔!」

 

 少年はおれより年下だろうに偉そうだった。仕方がない。年功序列に対するイギリスと日本の文化の違いなのだろう。イギリス文化よく知らんけど。おれが相手より年下だと思われているとしたら、いくら日本人が幼く見えるとはいえショックだが。

 

「あー……まず自己紹介しようぜ」

 

 おれは頭を軽く振って、眠りの残滓を追い払った。状況の把握は大事だ。でなきゃ今が何巻かわからない。

 

「おれは奥峰龍臣。そっちは」

「悪魔に教える名前なんかない」

 

 少年は鼻でせせら笑った。蝋燭に照らされた頬は薄明かりでもわかるほど青白く、金色の髪をオールバックにしている。その見た目や偉そうな態度に当てはまる登場人物にひとりだけ心当たりがあった。おまえ、ドラコ・マルフォイだろ。

 

「偽名は用意してないのか?」

 

 ドラコのネーミングセンスがどんなものか気になるんだが。

 

「そんなもの必要ないだろう」

「みんな用意していたんだけどな。準備悪いんじゃないか?」

 

 ドラコはかちんと来たようだが、挑発に乗って名乗ることはしなかった。残念だ。

 

「僕がいらないと言っているんだ。いいか、僕がおまえを召喚した主人なんだぞ。犬がいちいち飼い主の名前を気にするか? しないだろう」

「犬扱いかよ! ひでえな!」

 

 年功序列以前の話だった。

 ドラコは胸をそらしてふんぞり返った。ロープの胸元についたバッチが、チカッと光って模様を変える。英字だから意味はわからない。明日から身を入れて英語の授業受けよう。

 

「龍臣、命令だ。方法はなんでもいい。ハリー・ポッターに恥をかかせてこい。第二の試練の最中にみんなの前で。もう二度と表を歩けなくなるってほどの」

「試練?」

「三校対抗試合だ。忌々しことにホグワーツの代表にポッターが選ばれたんだ。どんな卑怯な手を使ったのか……。第一の試練をクリアしてしまうし……」

 

 ぶつぶつとドラコは文句を言った。

 今は四巻か。とすると、ローブについているバッチはハリーへのネガティブキャンペーンだろう。

 

「おれはそういう直接相手に何かすることできないから」

「なんだって!? どういうことだ。召喚用の雌鶏の血が足りないとでも言うのか?」

「え!? おれはそんな物で呼び出されてたのか?」

 

 血って確かに闇の魔術っぽいけど。嘘だろ、知りたくなかった。おれ、スプラッタ系苦手なんだよ……。これ以上血の量を増やされても困るので慌てて言う。

 

「いやいや、血が多くったって無理なもんは無理なんだよ。おれは小物だからな。できるのは予言くらいだ」

「予言? くだらないね。そんなのでポッターをどうこうできるとは思えない。なんだよ、せっかく成功したと思ったら、出てきたのは外れか。もういい、帰れ」

 

 マジか。今までのを思うと拍子抜けな展開である。たぶんドラコにとってもそうなんだろうけど。

 

「余計なお世話だろうが、正攻法でハリー・ポッターに勝つ努力をしたらどうだ?」

 

 どうせ人の言うこと聞かないだろうから、そんなことが言えた。おれの言葉で本の展開が変わることはないだろうという安心感だ。

 案の定、ドラコは鼻で笑った。

 

「悪魔が説教かよ」

 

 そしてドラコは手にした本に視線を落とし、呪文を唱え始めた。

 

「あ、待ってくれ!」

「なんだ?」

 

 ドラコは律儀に詠唱をとめた。

 

「帰る前にホグワーツの中を探検したい!」

 

 ほら、せっかくだし。日本にも魔法界を体験できる場所ができたが、なんといってもここは本物だ。それに四回も召喚されて一度もホグワーツを見学してないのはどうかと思う。もったいない。

 

「なんで僕が悪魔の言うことを聞かないといけないんだ」

「えー、ケチ」

「お前が図々しいんだよ! ほら、早く帰れ」

「心が狭いぞ。そんなんだからハリーに遅れをとるんだ。さあさあ、ホグワーツの中を案内するんだ」

 

 だが、ドラコは再び呪文を唱え始めた。おれがブーブー文句を言うせいで集中できないのが丸わかりだった。

 いつもの眠気が襲ってくる。今回はずいぶんとあっけない終わりだな。でも、登場人物と読者の距離を保つにはこれでいい。おれは自分から瞼を閉じた。

 

 

 *

 

 体がベッドから落ちる感触で夢から叩き出された。あっやべ、と思ったときには床と激突している。いいかげん慣れた痛みに顔をしかめながら、おれは召喚者のため息を聞いた。

 

「またおまえかよ」

「おれだって同じこと言いたいさ」

 

 前回から一ヶ月も経っていない。おれの安眠を返してくれ。

 おれは身を起こしてドラコ・マルフォイと向き合った。前より背が伸びて、大人びている。だが、やつれていて覇気がない。前の元気で無駄に偉そうだった頃が懐かしい。

 

「あの後なんど試しても何も出てこなくて、やっと出たと思ったらこれか」

「これとはずいぶんなご挨拶だな」

「実際そうだろ。おまえに何ができるっていうんだ」

「まあ、そうなんだけど。今は六年生になったのか?」

「それがなんだっていうんだ?」

 

 ドラコは不審そうに返した。

 

「ただの好奇心だ」

 

 学年が特定できれば大体の状況がわかる。今のドラコは死喰い人だ。

 

「もう帰れ。おまえに付き合っている暇はない」

「そうつれないこと言うなよ。愚痴くらい聞くぜ。呼ばれて速攻で帰るってのもつまんないからな」

 

 さあさあ自分が今どんな物語に巻き込まれているか聞かせるんだ。わくわくしてきた。せっかく呼び出されたのだから楽しまなきゃ損である。ドラコのやつれっぷりに心配しないわけではなかったが、でもまあ大丈夫だ。だってこいつにはナルシッサとスネイプがついている。

 

「なんでおまえに話さなくちゃいけないんだ」

「おれは愚痴の聞き相手にはいいぜ。呼ばない限りこの世界には来れないからな、絶対に話したことが漏れない。たまっているもん吐き出せば、すっきりするぞ。なんでもかんでも抱え込んでいると、そのうち折れちまう。精神上よくないな」

「おまえに何がわかる? 話したからなんになるっていうんだ」

 

 ドラコはいらついた様子でおれを睨んだ。

 

「さっき言った通りだ。話したからといって状況はよくなるわけじゃないけど、ちょっとはすっきりするかもしれない。それだけだ。――なあ、ドラコはおれに人殺しをさせるために呼び出したんだろ?」

 

 ドラコの顔がこわばった。おれを舐めきっていたドラコが、初めて恐怖をあらわにしていた。

 

「おれに隠し事は無駄だ。だから、ほら、話してみなよ」

 

 自分の有利さを確信して、おれは自信たっぷりに言う。ついでに思わせぶりに微笑んでみせたりする。

 

「僕は……」

 

 ドラコが迷った様子で、口を開いた。おれは黙って先をうながす。何度か口を開け閉めしていたドラコだが、とうとう言った。

 

「……僕は、人殺しなんてできない」

 

 それから堰を切ったように話し始めた。それは本で読んだのと変わらない状況だった。まるで独り舞台を観ているかのようだ。演者が登場人物本人というのだからなんて贅沢なのだろう。

 おれは相槌を打ったり相手の辛さに共感してみせたりした。他に何ができる? 家族を人質にされ殺人を強要されている子供に、おれが何を言えるだろうか。でもドラコは満足したらしい。

 

「くそ、何を話しているんだ僕は」

 

 泣きはらした目を、ドラコは袖で隠すようにぬぐった。

 

「でも話して楽になっただろう? そうだ、せっかく呼び出されたのだから予言でもしとこうか。前回は何もしなかったしな。……辛いことばっかだろうけど家族は無事だよ」

「本当だろうな」

「信じて損はないぞ」

 

 これは見事な独白劇へのほんのお礼だ。

 ドラコは何度も目を擦っていた。目が腫れてしまうぞ。

 

「ああ、くそ、こんなこと……くそ……。なあ、また召喚してもいいだろ? いや、する。僕の話を聞いたんだ。最後まで付き合ってもらう」

「待て。それはダメだ」

 

 やばい、まずい。過ごす時間が長くなるほどおれに何の力もないことがバレやすくなる。あと安眠が減る。

 

「何度も召喚したら怪しまれる。準備だって手間なんだろ? 雌鶏だか雄鶏だかの血を毎度毎度手に入れて、夜中にこそこそして、バレる確率が上がる。やめろ、よせ。そうだ、愚痴の聞き相手ならマートルがいい」

 

 うん、本じゃマートルの役割だった。おれがその立場を取るわけにはいかない。

 

「マートル?」

「ほら、女子トイレにいるゴースト」

「僕に女子トイレに入れと言うのか?」

 

 ドラコは鼻の頭に皺を寄せ、あからさまに不機嫌になった。常識的で健全な反応である。

 

「マートルがいるから誰もそこのトイレ使わないみたいだし、変質者にはならないんじゃないか。……たぶん」

 

 ドラコの眼差しが冷たい! 痛い!

 

「おまえは本当に頼りにならない奴だな。まあ、いい。おまえの言葉、少しくらい覚えてやるよ」

「そりゃどーも」

「そういえば、おまえの名前はなんだったか? 前に聞いたとは思うんだが」

「奥峰龍臣だ」

「龍臣か。龍臣の予言が当たったらホグワーツの探検に招待してやってもいいぞ」

「本当か!? ありがとう!」

 

 というか前回おれが言ったことを覚えて……!? なんて律儀なやつだ。いいやつじゃないか。

 

「喜ぶのはまだ早いぞ。まだ予言が本当になるかわからないんだから」

 

 つんと澄ましてドラコは言った。

 待てよ。予言が当たったかわかるのは最終巻の終盤で、つまりおれが読者として知っていることもほとんどなくなるわけだ。そうなっても召喚されるものなんだろうか? もしも召喚されて、本が終わった後の登場人物の様子を知れるなら、それはとても心踊ることだけれど。作者の頭の中にしかないこと――ひょっとしたら作者すら知らないことをただの一読者が知れるなんて。

 ドラコがおれを帰すための呪文を唱えている。おれは瞼が落ちるのに任せて、心地よい眠気を迎えいれた。まあ、召喚されるかどうかはその時になればわかるだろう。



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最終回ドラコ再び

 体がベッドから落ちる感触で夢から叩き出され、あっと思ったときには床と激突だ。いってえ……。なんだか随分久しぶりな気がする。もうないんじゃないかって思ってたんだけどな。

 懐かしい痛みにうめきながら目を開ける。ツルツルの床はひんやりとしていて、蝋燭の灯りでもわかるマーブル模様がきれいだ。大理石なんだろうか? おれの知識ではお高そうな石材は全て大理石と判定する。そろそろ誰かクッションでも置いてくれないだろうか。

 

「また召喚できるとは思わなかったが……来てくれて嬉しいよ、龍臣」

 

 安堵したような声が聞こえて、おれは顔を上げた。色素の薄い金髪に、神経質そうな青白い頬の男がいた。仕立ての良さそうなローブを来た成人の魔法使いだ。部屋の様子もあいまってお貴族様って雰囲気。

 

「初めましてじゃなく……?」

 

 首を傾げて記憶を探る。おれを今まで召喚したのはリドル、悪戯仕掛け人、ドラコ――って、ドラコか、こいつ。

 

「うわっ!? でっかくなったなあ!」

 

 久しぶりに会う親戚の子供の成長に驚くような感じ。自分の歳を抜かされてしまったが。ここは本の世界で、おれのいる世界とは時間の流れが違うんだってのを改めて見せつけられた。

 ルシウスもこんな見た目だったのかな、と不躾は承知でまじまじと眺めてしまう。ドラコが立派な大人なのだからルシウスはおじいちゃんになっているだろう。

 

「大体20年ぶりになるのか。あれから何度も召喚を試したが成功しなかった」

「そんなにご指名頂いていたとは驚きだ」

 

 相談相手がマートルだけじゃ不満だったか?

 

「龍臣の言う通り家族は無事だった。父も母もホグワーツの戦いを生き残ることができた。被害を考えると本当に幸運なことだ。だから、礼にホグワーツを案内してやろうと思ったのに」

「マジで!?」

 

 すごい。もしかして今から本物のホグワーツ探検できる? 某テーマパークもまだ行ったことがないのに先に本物行っちゃう?

 期待に目を輝かせるおれに向かって、しかしドラコは無情に告げるのだった。

 

「もう卒業したから無効だ」

「嘘だろ!?」

「仕方がないだろう。ホグワーツの入校許可をとるのに、悪魔を案内するためと言えというのか?」

「適当に誤魔化そうぜそこは。ホグワーツの理事とかなってないのかよ」

「在学中に召喚に応じなかったお前が悪い」

「やだー! せっかくチャンスだったのにー! 薄情者っ! 期待させるだけさせといてっ!」

 

 ぶうぶう文句を言うが、ドラコは澄ました顔で聞き流している。なんてことだ……。うう、おれだってそういう召喚なら駆けつけたかったのに。

 きっと小説が終わった後のことだったから召喚されなかったんだろう。おれがこの世界で特別な力があるのは本の知識があるからだ。知識は力なり。逆に未来を知らなければおれはなんの力もないわけで、悪魔としての条件を満たさない。

 じゃあ今はなんで召喚されたのかって、おれが「呪いの子」を読んだからだろう。全7巻で完結したハリー・ポッターシリーズの続編だ。小説でも映画でもなく、まさかの舞台化、原案J. K. ローリングによる脚本である。日本の地方巡業してくれないかな。映画館のライブビューイングでもいい。

 

「今日召喚したのは龍臣に聞きたいことがいるからだ」

 

 ドラコが真剣な眼差しで、おれに向き合った。ふざける雰囲気じゃなくなったので、おれも真面目な表情を作る。

 

「私の息子の行方が知りたい。お前の知識は本物だからな。息子は無事なのか?」

「アルバスと行方不明ってわけか」

「そうだ」

 

 タイムターナーで過去を変える時間旅行の真っ最中なのだろう。任せろ。シナリオは1週間前に読んだばかりだ。

 

「やはりお前はなんでもお見通しだな」

 

 ドラコは手がかりを逃すまいとするように身を乗り出した。例えるなら決勝戦でスニッチを見つけたシーカーのようといったところか。

 

「まあな。で、お前の息子ってけっこう行方不明になってるけど今回のはどれだ? ホグワーツ特急からいなくなったのか?」

「それは見つかった」

「じゃあホグワーツのトイレでいなくなったのは?」

「それも見つかった」

「じゃあ最後のやつか」

「最後? もう息子がいなくなることはないのか?」

「おれが知る限りじゃな。ハリー・ポッター絡みの小説になるような事件がなければ別だが」

 

 いくらおれが悪魔だなんだと呼ばれても、ここの神様は作者のJ. K. ローリングだ。すべてはローリングのみぞ知る。今はファンタスティック・ビーストの製作中だし、続きが出るとしてもだいぶ先ではないだろうか。

 

「どいつもこいつもハリー・ポッターか」

 

 そう苦々しく言うドラコだったが、学生時代にあった僻みはない。そしてスコーピウスの無事もわかって安心したのか余裕が出ている。

 

「あいつはろくなことをしない……。息子がハリー・ポッターとだけ関わらせない方法はないものか……あいつの息子とは仲がいいままで……」

「ハリーを亡き者にしない限り無理じゃないか?」

「悪魔か、おまえ! いや、悪魔だったな!」

 

 ダンブルドアを殺せないと泣いたドラコには過激すぎたようだ。その良心は正しい。

 

「おいおいなんで距離をとるんだ。遠ざかるな。せっかく仲良くなったのに悲しいぞ」

「早く息子の居場所を教えろ」

「ええーどうしようかなあ」

「くっ、雌鶏の血をさらによこせということか」

「それはいらねえ」

 

 だからスプラッタは苦手なんだって! どうせくれふなら蛙チョコがいい。食べたら帰れなくなるなんて黄泉竈食ひになったら困るが。ハリポタ世界に暮らせることになっても魔法が使えないんじゃマグルの世界行きだ。都合よくおれが魔法の力に目覚めるならともかく。

 

「ああもうわかったよ、ハリーの毛布が手がかりだ。これ以上は言えないな」

 

 というか何年の何月何日かなんて覚えていない。ええっと、ハロウィンの出来事だっけ? そんなレベル。あやふやな記憶で伝えるわけにはいかない。信用が大事だからな。おれの情報が確かだからリピーターになってくれたんだし。

 

「またポッターか」

 

 ドラコは眉間に皺を寄せ渋い顔だ。彼が主役だから仕方ない。

 

「これで息子を助けに行くことができる。礼を言う、龍臣」

「どういたしまして」

 

 沈黙。ドラコはなぜかおれを帰すための呪文を唱えなかった。

 

「まだ何かききたいことがあるのか?」

 

 わずかな躊躇いの後、ドラコは口を開いた。

 

「息子は正真正銘妻と私の間に生まれた子供だ。龍臣なら知っているだろう?」

「ああ。そうか、ヴォルデモートの子供じゃないかって噂があるのか」

「その名を言うな! どうすれば噂が消えるのか知恵を借りたい……のだが、龍臣はそういうのはだめそうだな」

 

 ドラコはため息をついた。話すか迷ったのは、おれに言ったところで無駄なんじゃないかという懸念によるものらしい。

 

「否定はしないが、馬鹿にされている気がする」

「向き不向きがあるという話だ」

「DNA鑑定でもしたらどうだ?」

「それで消えるのか!? どういう魔法で鑑定すんだ?」

「まず必要なのはおまえと息子の髪の毛か唾液、ようは体の一部だな。それをマグルのDNA鑑定する施設に持って行く」

 

 施設と言ったがどこで受け付けてくれるんだろうな? 病院? そういう商売をしている企業? まあ、その辺は自力で調べてもらおう。

 

「待て、マグルと言ったか?」

「ああ。だってこれはマグルの科学技術を使った鑑定方法だからな」

「お前に聞いた私が馬鹿だった!」

「信憑性が高いのに」

「息子と私の血をマグルなんかに渡せるか。大体マグルの検査結果を信じる魔法使いがどこにいる」

「あー……マグル生まれの魔法使いなら……」

 

 おれは頬をかいた。マグル生まれの比率は知らないが、魔法界全体を納得させるには不十分だったかこの方法。

 

「マグル学を必修にしないからこんな問題が起こるんだよ」

「我々の暮らしにマグルの知識など不要だ」

「それで困っているんだから威張るなよ」

「他に方法はないのか?」

「うう、これくらいしか思いつかないな。というか、おれからしたらヴォルデモートが子作りするか疑問だ」

「だからその名を出すな。龍臣にも知らないことがあるのか」

「おっと今のはオフレコで」

 

 なんでも知っている悪魔というふりなので今のは口が滑った。

 ヴォルデモートの血を分けた子供がいるなんて、義経は奥州平泉で自決せずモンゴルに渡った、みたいな民衆が望んだファンタジーじゃないのか?

 デルフィーだって本当にヴォルデモートの子供だったのだろうか。ヴォルデモートの娘だなんてデルフィーの証言でしかないのだから、育ての親が好き勝手に吹き込んだんじゃないのか。それに、ハリーが死んだ世界でデルフィーは、オーグリー様と呼ばれていた。オーグリーというのは、デルフィーの育ての親のペットである。だからあの世界でもデルフィーは孤児だったのだろう……ベラトリックスの娘でもヴォルデモートの娘でもなく。というのがおれの考え。ベラトリックスが7巻時点で妊娠していて出産したのも信じられないし。お腹が目立たない妊婦さんもいるけれど。

 

「やはりポッターに噂を否定するよう頼むしかないのか。……龍臣、また何かあった時は頼むぞ」

「遠慮なく呼んでくれ、と言いたいとこだが、まあ何もないのが一番だろうな」

「違いない」

 

 おれとしては続編が出るのは大歓迎だけどね。リドルに召喚されてからこれで6回目。たとえばドラコに召喚された後にまた学生リドルに召喚されるような、召喚する側の時系列がばらばらになることはなかった。だから、ここの過去編にあたるファンタスティック・ビーストのキャラに召喚されることはないだろう。

 ドラコが呪文を唱える。

 これが最後だと思うとそれなりに感慨深くある。心地よい眠気に襲われてまぶたを閉じた。明日は休日だ。起きたらハリー・ポッターを読み返そうか。



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