八一「甲子園があいと銀子ちゃんの代理戦争になって辛い」 (Planador)
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八一「甲子園があいと銀子ちゃんの代理戦争になって辛い」
棋士という生き物は大概外に出ないから、棋戦とか用事とか、もしくは学校とかがないと家に引きこもりがちな生き物である。今が夏休みシーズンだから余計にだ。
そして、師匠の家で、研究会をするでもなく、テレビに張り付く麗らかな女子が二人。
『14:00より、大阪代表履正社対石川代表星稜の決勝戦です』
今日は清滝一門は珍しく誰も棋戦がない。ふらふらと師匠の家に来たら銀子ちゃんもいて、結果的に天衣以外は一門勢揃いだ。
そして清滝一門が誇る女流棋士の片割れとプロの二人が共々、清滝邸のテレビに噛り付いている。しかも二人の間には見えない火花が飛び散っている。普通に怖い。
「大優勝旗……深紅……北陸に……」
「させない……関西のものは関西の物……他地方に渡してたまるか……」
さっきからあいも銀子ちゃんもずっとこれだ。特段二人が野球に関して関心を示すということがあった覚えはない。この周辺だとタイガース応援のファンは普通に見かけるけど。尚本拠はそれより近いはずのバッファローズファンはそこまで見ない。
何はともあれ甲子園。そりゃぁ銀子ちゃんからすれば、同い年の人間がテレビで試合をしているという三回ある夏の一つかもしれないけれど。でも銀子ちゃん自身がテレビなりネットなりでそうやって映ることも多い且つ他人に興味を示さないから、特段甲子園に拘る必要もないと思うのだけど。
ちなみに銀子ちゃんに言わせれば『兵庫の黒い小童は準決勝で黙らせておいた、先制攻撃でねじ伏せておいた』だそうで。それに倣ってあいも『岐阜? あぁ作者が岐阜の人でしたね、でも準決勝でこっちが勝ちましたから』と応じる始末。ところで作者ってナニ?
俺としては、春の大会は我が福井県勢の敦賀気比が四年前に優勝してるからなぁ……それでいいんだけどなぁ……今回はその敦賀気比、ベスト16で負けちゃったし……。
「というかあれでしょ! 履正社は豊中! 星稜は金沢! 姉弟子的にも大阪市から見て豊中は目の前って程じゃないし星稜に至ってはあいは能登でしょ! そこまでムキになる義理ある!?」
「は? ぶちころすぞわれ?」
「だれのせいでそうなってるとおもってるんですか? じかくはあるんですか?」
何も俺悪くないと思うけど仕方ないから謝っておいた。なんかいつぞやの水掛不動の時みたいだ。すんません……。
「そもそも今年の福井代表の敦賀って、八一の故郷とは山一つどころじゃなく離れてるじゃない。それでそんなこと言うとか馬鹿なの死ぬの?」
「確かに嶺南が北陸かどうかは微妙なとこでしたねごめんなさいでしたァ!」
いや同じ福井県だけど! でも確かに嶺南と俺の故郷の嶺北は殆ど国も違うし嶺南は北陸じゃなくて北近畿という方が適切な気もするし観光ガイドも北近畿になることもあるし。実際どうなの教えて偉い人。
「で、師匠はどっちを応援するんですか? 北陸の人ですからやはり星稜ですよね?」
「は? 八一は大阪出てから長いから履正社でしょ? ほら彼女がそう言ってるのよ隣に来なさい」
「空先生はここぞという時に師匠の彼女ということを推すのはなんなんですかっ! 私だって師匠の弟子だからと言っていいんですかっ!」
「別に止めないけど? でも八一は私を選んでくれるという絶対の自信があるし?」
「勝ち抜けしていい気になるんじゃありませんっ! だらっ! だらぶちっ!」
「俺どうすりゃいいの!? あと試合に関してはどっちにも肩入れしませんっ!」
試合前から騒がしい。試合開始の十分前にテレビ中継が始まったばかりで、それから数分しか経ってないのにこれだ。
「まぁ、たまには将棋以外のそういうのに関心示すのもいいことなんじゃないの?」
「その前にそれどころじゃないけどね……最近気が張ることも多いから却ってゆとりがあるという意味ではいいのかもしれないけど。桂香さん的にはどっち応援とかあるの?」
「別に私はどっちでもいいかなー。どっちが勝っても学校としては初優勝でしょ? いい試合ならそれでいいんじゃないのかしら」
桂香さんのその対応はやっぱり大人だ。いや大人というより肩入れしないがための意見だとは思うけど。
「それよりも、八一くん的には、将棋の称号って称号保持者に挑戦するという図式が常だから、どっちが勝っても初、という事例は珍しいんじゃない?」
――言われてみればそうだ。その視点で考えると、確かに何か位が創設された際の初めて以外は、そういう例がない。
「八一くんから見れば、誰よりも年上として試合を見れる初めての夏でしょ。だから、そういう視点で八一くんも見てればいいんじゃないかな。そうすれば、八一くんがこれまでどういう感じで見られてたのかもわかるようになるかもしれないし」
「それはありかもしれないけど、それより正直この二人のお目付け役としているしかなさそうだけど……」
「あぁ、まぁ、確かにそうねぇ……迷惑じゃない?」
「別に。でも桂香さんは今日はいるんじゃないの?」
「あー、私は道場の方にいるつもりなのよね」
桂香さんがいないとなると、一から俺が見張ってないとどこかでこの二人は取っ組み合いを始めてもおかしくなさそうなんだけどな……。
「とにかく、私とお父さんは道場の方で誰かしらと指してるから。八一くんはお任せするけど、何かあったら呼んでね?」
仕方ない、試合はともかく、こなさなきゃいけない作業をしつつ見張るか……。
――で、試合中はまーとにかく二人ともずっと騒がしくて。道場が割と静謐なことを考えれば、こっちの音量で邪魔になってないか心配になるレベル。
『打ったーぁ! タイムリーツーベースで星稜先制っ!』
「これが! 勢い! あとは自責点なしの投手力で抑えるだけですっ!」
「ほぉ? 抑え込めるならやってみなさいよ?」
『伸びる! 伸びる! ――入ったー! 履正社! スリーランホームランで逆転! 3-1ッ!』
「大会通してピッチャーの初自責点よ? これが実力よ? 強打の前には全てが屈するのよ?」
「まだですっ! 三回表で試合が決まるなんてことはありませんっ!」
『セカンドフライだー! スリーアウト! 三者残塁! しかし星稜七回裏、3-3で履正社に追いつきましたー!』
「ふふふ……まだまだこれからですよ……」
「クッ……やってやろうじゃないの……」
『タイムリー! 追いつかれて直後の八回表履正社勝ち越し―!』
「やってやったわよ、文句ない?」
「ま、まだぁ……」
――そして。
『ぼてぼての当たり! セカンドゴロ! 二塁アウト! 一塁送球! ――アウトォ! ダブルプレーで試合が終わりましたぁ!』
「はわっ!? あ、あぁ……あぁぁ――」
履正社優勝の瞬間、頭を抱えてあいはその場に崩れ落ちた。正直弟子の表情がコロコロ変わるのを見てるのは面白かったけど口にはしない。
これで、北陸勢の深紅の大優勝旗はまたもお預け。大阪勢の二年連続優勝が決まった。同じ都道府県の別の高校が連続して優勝するのは44年ぶりらしい。
「ま、これでまた楽しみが次回に持ち越しになったと思えばいいでしょ。今回で終わりという話じゃないんだし」
「お、おば、空先生はこれを楽しみというんですか!? 楽しみと悲願は違うんです! 今回こそ今回こそと思い続ける県がどれだけあると思ってるんですか!? 北陸と東北は地域全体で優勝旗を持ち帰ることすら今まで一切出来てないんですよ!? いいですよね大阪はそんな悩みとは無縁で! 一回どころじゃなくて何回も五連続敬遠されてみろってもんですっ!」
あーあーあーあいのヒートアップが止まらない。というか五連続敬遠の時生まれてないよね君? 俺もか。
「でも履正社も初優勝じゃない」
「県全体で優勝経験ないと学校がどことか関係ないんですっ! だらっ! だらぶちっ!」
確かに、昨年の決勝は話題になってたなぁ。特段見てなくても勝手に情報が入ってきていた。あの時も東北勢に初の優勝旗をって騒がれてたっけ。俺は――まぁ銀子ちゃんと想いが通じてまだ浮かれてた頃だったわ。
というか東北も未だに地域で優勝ないのかぁ。東北……棋士……祭神雷……いややめようこの話題。
「――うー……うーっ!」
そしてあいはどうにも感情の行き場をなくしているようだ。将棋が一切絡まないことでこうも感情的になるのも珍しい。
そして、どこか思いつめたかのような、だけど何かを決意したかのようにしてあいが立ち上がる。
「あら、どこか行くの?」
「道場でどなたかと指してきますっ!」
ピシャリ、と衾が閉められて、ズンズンという足音が遠ざかっていく。あいがあぁもドスドスと歩くとはなぁ……まぁそれでも俺が普通に歩くぐらいの足音にしかならないのだけど。こうして見るとJSは可愛い。口にしたら銀子ちゃんに絞められるけど。
そして、居間には俺と銀子ちゃんだけが残される。画面の向こうでは、優勝会見も終わり、慌ただしく関係者らが閉会式の準備を進めている。
「――八一。肩」
「はいはい」
麦茶をついで、改めて銀子ちゃんの隣に腰を下ろすと、すぐに左肩にふわっとした香りと共にずしりと重しが乗った。
「あいがすぐに戻ってくるかもしれないよ?」
「大丈夫よ。ほら耳を澄ませてみなさい」
パシーーーーン……。
「ほらね?」
うわぁ……あいちゃんイライラしてるぅ……。あそこまで甲高い音がするぐらいに強く打ち付けてたら、相手もびっくりしてるんじゃないだろうか。気迫に。
「あれをぶつけられる相手は可愛そうになるな……誰が受けてるかはわからないけど」
銀子ちゃん程ではないけれど、いらいらした時の相手を意地でも潰しに行くというのは、それこそ銀子ちゃん譲りなとこがある。最初はそれを銀子ちゃんにやられてたけど、気付けば本人からその発散の仕方を教わっていたらしい。
夏場の午後四時過ぎは、曇っていてもやはりまだ明るくて、雲間から漏れる日差しが部屋の中まで差し込んでくる。
改めて横目で銀子ちゃんを見てみる。学校も棋戦も何もないからこそ今は私服で、外に出ていたわけでもないから、今の格好はラフ、というか楽に半袖にハーフパンツだ。半袖と言っても、それがTシャツであるが故、今だけは人前には出ないという絶対の意思を感じる。
しかし、何の変哲もないTシャツ着てるだけで様になるのはやっぱり美少女だなぁ……というかこれ確か俺の古着じゃなかったっけ……?
「別にテレビはもう消してもいいわよ」
「あ、閉会式まで見るわけじゃないのね」
「感想戦も終わったでしょ?」
感想戦=記者会見。まぁ確かにそういう考えもあるか。閉会式は実際試合とは直接は関係ないし。
「というかなんか不満そうに見えるだけど……」
「――二人きりなのに何もしてこない」
「隣で誰が聞き耳立ててるかわからないんで今は勘弁して……あいもいるし……」
「許す」
「許されました」
「でもこれぐらいなら許されるわよね?」
その声が聞こえるが早いか、ふっと左肩が急に軽くなった。刹那の間をおいて、視界が急に暗くなり、口元が温かいものに覆われて息が出来なくなる。
勢いがつきすぎて、そのまま後ろに倒れてしまう。――これあれだ。完全に押し倒されてるよ。
「これぐらい、の域を超えてるでしょ、これ」
「これでも我慢してる方なのよ?」
「うんまぁそうだろうとは思うけど……」
でも、未だにキスの際は今みたいに自分から攻めても毎回顔真っ赤にする人に言われましてもな。
「というか、話を戻すけど、将棋以外は殆ど関心示すことのなかった銀子ちゃんが、なんで今日の甲子園決勝だけはこうも張り合いを?」
俺に覆いかぶさっていた銀子ちゃんが、左に転がり、二人して天井を見上げている格好になる。
「――だって」
溜めを作る間に左肩がグリグリとされる。まるで猫がマーキングするかのようだ。
「八一を小童に取られるってさ、つい考えちゃう自分がいてさ……」
それを聞いて、少しだけふっと笑みが零れた。まぁ、要は、とどのつまり。
「勝手に代理戦争という体にして見てたってこと?」
そういうと、左肩に載った頭がまたグリグリと押し付けられた。つまりそういうことらしい。
「はいはい」
今だけは年上の何とやらだ。包容力包容力……。
「俺は銀子ちゃんの特別な人で、俺だってそう想ってるわけですから、わざわざ主張しなくてもいいのに」
「――あの小童に乗せられた……」
「だろうね、そうだと思った」
でなければ、今の銀子ちゃんが自分から一々突っかかる理由もない。正直嫉妬される、というのは気分悪いものではないし。
昨年、銀子ちゃんがプロになれたから、改めて想いを伝えて、師匠の家での一門パーティーの場でみんなにはそのことを話した。正直、あいも天衣もその関係で色々あったけど、一応今は落ち着いている。でも二人からはまだ諦めきれないとかなんとかいって、事ある毎に銀子ちゃんとは何かしら起こしてるというのが実情だ。
というより、想いを伝えたということならば、もう気付けば一年以上経ってるんだよな……。
「小童との約束事。代表が勝った方が八一を好きに出来る」
「それはあいが勝ったら俺は何をされてたんだろうね……?」
「さぁ? 自宅で小童に何かしら迫られてたんじゃないの?」
「いや銀子ちゃんはそれでいいのよくないで――」
口にしてる途中でまた唐突に口を物理的に塞がれる。まぁ、とりあえず今はこれで気が済むのならいいのだけど。
うぅ……俺だってもっと銀子ちゃんといちゃつきたい……でも隣にはあいがいて、将棋を指してるとはいえいつこっちに来るかもわからない……。
「でも、こうして見るとすごいわよね……。将棋なんて、究極的には個人プレーなのだから、こうもチームでやる、というイメージが私には全然つかない」
「あれ、そう?」
「野球ってチームプレーのスポーツの筆頭でしょ? 誰かと協力して競技を進める、というのがどうしても感覚的に湧かなくて。ほら、私が基本相手は捻り潰すものだと思ってるから、こういうのはうまくいかなさそうで……」
銀子ちゃんは、炎天下で、数時間もプレーをするということが自分に出来ると思えないということを言いたいのかと初めは思ったのだけど、読みを外した。
あぁそっか、これは銀子ちゃんにとっての感想戦か。あいが去って、代わりに立会人を務めた俺との。
で、その上で俺の考えをそのまま述べるなら。
「俺はそんなことないと思うけどな?」
俺は、銀子ちゃんのその考えをまず否定する。
「そりゃ究極的にはそうだろうけど、というかそうならざるをえないけど。でも、その準備みたいなものは誰かの協力があって成り立つものでしょ。余程他の人との研究会を断って一人でソフトでやるという人もいないわけじゃないけど、大概誰かしら研究仲間がいて、ライバルがいて、その中で切磋琢磨するものじゃないかな? 銀子ちゃんはまずは表立って生石さんと研究会してるわけだし、その時点でただの個人プレー、ということはないでしょ。勿論俺もだけどね」
師匠に弟子入りして、飛馬お兄ちゃんからいろはを教わって、色んな人と対局して研究会して――そして俺と銀子ちゃんとで高め合った。これをチームプレーと言わずになんと言おうか。
「野球はどうなんだろ……門外漢だからこれということは言えないけど、サッカー以上に自身の役割が明確且つ不動だから、絶対的なチームプレー、だけどだからこそ個々人の力量が一目でわかり、スター選手なんかはよくも悪くもとにかく目立つ――というとこかなと。そういう人たちからすれば、ある種自分自身のと勝負となるとこがあって、故に個人プレーにもなり得る、じゃないのかな。そういう意味では案外将棋と変わらないと思うよ」
「そこは具体的じゃないのね」
「門外漢って言ってるでしょーが」
俺だって知識レベルは銀子ちゃん程――というか本を読むだけ下手すると銀子ちゃんの方が知ってるかもわからない。
「星稜は特定の投手ばかり注目されてた節はあるけど、大会全体を見れば当人含めた四人のピッチャーはみんな継投でもなんでも実力があったと思うし。打線だって申し分ないものだと思うし。でも結果だけを見るならば、今回は履正社のチームプレーが上回った。ただそれだけ。だからそういう意味では、深紅の大優勝旗ははっきり言っておまけかな。銀子ちゃんの女流二冠だって、前に話してくれたことを総合すれば、それだっておまけってことじゃないかな? それと一緒だよ」
「ふーん……」
なんとなく長くなってしまった。だけど、銀子ちゃんもこれでわかってくれたかな――と思ったのだけど。
「八一がこうも難しい話をする日がくるなんてねぇ」
「それは流石にひどくない!?」
「昔から勉強は出来ない方だったでしょ、ばーかばーか。はい感想戦しゅーりょー」
あぁもう、俺が長々話したのはなんだったんだ!
「今の八一の話聞いてたら疲れた」
「悪かったね長くて。それで?」
「寝る」
「どこで?」
「おやすみ」
「ここで!?」
「八一も寝ればいいじゃん」
「そりゃ桜ノ宮じゃないし勝手知ったるとこだけどさぁ……」
「それはともかくちょっとこっち向いて」
ずり、と畳の上を滑る音がして、再び口が湿気にまみれる。というか地味に器用だな……。
「間抜けな顔」
「銀子ちゃんはかわいいよ」
「――ばかやいち」
そうこうしている内にお姫様はくかーと寝始めてしまった。ほんとにすぐ寝るなこの子は……。
しかし、外じゃ見ることの出来ない真っ白な腕がどことなく扇情的で、こういう時でもないと見る機会が本当にないから、俺であってもドキッとしてしまって。
――こうも綺麗に育っちゃうと、他の色に染めるのも惜しくなるよなぁ……まぁ俺の色に染めてる最中とも言えるけど……いかんいかん。
まぁ、だけど、今だけは。
「おやすみ、銀子ちゃん」
ゆっくり午睡を楽しむことにしよう。銀子ちゃんと、昔みたいに、二人で。
「――あらあら、反応がないと思ったらやっぱりねー」
「おばさん……師匠の腕に抱き着いて、頭はくっつけて、それはあいに見せつけてるんですか……? 師匠も……だらしない顔……だら……だらぶち……」
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