【完結】アーセナルギアは思考する (鹿狼)
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BRIEFING

旧バージョンが色々気に入らなかったので、改めて書き直しました。すみません。


「もしこの言葉が届くのならば、時間は動きはじめるだろう。

 叶うのならば、この言葉が物質化して、あなたの残した物語に新たな命をもたらしますよう。

 ありがとう。」

――『屍者の帝国』より

 

 

 

 

 

 

 

 

―― BRIEFING 1 ――

 

 

 

 

 この日ある一つのSAGAが終わった。

 だが世界は何も変わっていないように見える、静かな海、沈みゆく太陽。人の営みはその程度なのかもしれない。

 しかし世界は確かに変わった。

 

 奇妙な光景だった。

 2014年現在アメリカ合衆国、ハワイで記念艦となっていた20世紀最後の戦艦ミズーリが、太平洋の真ん中で浮いていた。

 その隣に21世紀最新の戦艦アーセナルギア、その改修艦アウターヘイブンが浮かんでいた。

 

 ヘイブンの大きさはミズーリより遥かに大きく、小さな島ほどあった。だがこの戦いで勝ったのはミズーリの方だった。もっともこの戦いに明確な勝利者などいないのだが。しかしミズーリの勝利が歴史に刻まれることはあり得なかった。

 

 この戦いは特殊過ぎた、そもそもとうに引退しているミズーリが引っ張り出されたのは、彼女以外動ける軍艦が、世界中のどこを探してもなかったからだ。ヘイブンは全世界の軍事システムを掌握していたのだ。

 

 この戦いはこの軍事システムを巡る戦いだった。そのシステムを生み出した存在を打倒するための戦いだった。世界を裏から支配する存在『愛国者達』を滅ぼすために、誰もが戦っていた。それはミズーリも同じだった。

 

 もしもこの戦いが公になれば愛国者達の存在も明らかになる。全世界を支配していた存在が知れ渡れば世界は混乱に陥る。そんな理由から、この戦いは伝えられることを許されなかったのだ。

 

 だがミズーリは思う、これで良かったと。

 伝えられてきたものだけが、世界を創ったのではないのだから。

 ハワイに戻るために動き出したミズーリはヘイブンを見つめる、艦が見つめられるわけないが、見つめていた。

 

 私は歴史を伝えるだろう、記念艦として。

 あの子はどうなのだろうか、機密保持のために解体される運命しか待っていないあの子は何かを伝えられるのだろうか。伝えられないのだろうか。

 

 夕焼けに写るヘイブンの巨体が酷く寂しく見えた。

 この寂しさから、また新たなSAGAが始まるのかもしれない。ヘイブンが解体されても。そう信じたいと彼女は願った。

 

 

 

 

―― BRIEFING 2 ――

 

 

 

 

 かつてBIGBOSSと呼ばれた伝説的傭兵がいた。

 彼は兵士や傭兵の間で、英雄のような存在だった。

 そんな彼を量産しようという計画があった。だが彼はブラボー実験による被ばくで不能者となっていた。だから子を成す以外の方法で、量産計画が立てられた。

 

 Les Enfants Terribles(レ・アンファン・テリブル)

 『恐るべき子供達計画』とそれは呼ばれた。伝説の戦士BIGBOSSの遺伝子的クローンを生産する計画。

 

 結果、二人の子供が生まれた。

 二人は後に、ソリッド・スネーク、リキッド・スネークというコードネームを名乗った。

 彼等はBIGBOSSの持つ戦闘に適した遺伝子――ソルジャー遺伝子という要素が発現しやすくなるように作られた。

 

 つまりソリッドとリキッドは、戦う兵士としての再現(クローン)だったのだ。

 

 そしてもう一人、スネークがいた。

 彼はBIGBOSSの英雄的側面、偶像(ICON)としての再現(クローン)の為に作られた。

 見た目、思想、その全てが英雄(BIGBOSS)になるように、一切の遺伝子操作をされなかった完全なる均衡。

 

 彼はソリダス・スネークのコードネームを持っていた。

 

 この兄弟にはある共通点があった、それは敵に奪われた場合の軍事利用を防ぐために、子を成す能力をはく奪されている点だった。

 

 ソリダスははく奪されなかった、BIGBOSSの完全な複製ゆえに、被ばくした時の障害も複製してしまっていたからだ。はく奪しないのではなく、やる必要がなかったのだ。

 

 子を成すことのできないソリダスは考えた、自分は何を残すことができるのだろうかと。

 彼は遺伝子情報には含まれない様々な情報――歴史や言葉、思想、存在したという事実そのものを伝えようとした。

 それがソリダスにとっての、子を成すということだった。

 

 それ故にソリダスは、伝える自由を奪う存在を強く憎んだ。

 情報統制によって、何かを伝えようとする行為を制御する存在。彼は自由を求めて、彼等との、『愛国者達』との戦いを始めることになる。

 

 自由、それがソリダスの望んだものだった。

 

 そしてこの記録の対象は、ある意味ソリダス・スネークの子供とも言える。

何故なら彼女はソリダスの模倣だったからだ。

 

 

 

 

―― BRIEFING 3 ――

 

 

 

 

 この記録を語り始める前に、幾つか念頭に置いて頂きたいことがある。

 この記録は、生きる人が些細な日常で語る物語ではなく、生きる人が最後に残す遺言――などという崇高なものでもなく、断末魔でさえない。

 

 この物語は、亡霊の絶叫なのだ。

 

 知らない方も多いと思うので、事前に私たちのことを説明しておこう。

 

 知っている方はまあ、読み飛ばしても構わない。

 

 1985年、深海凄艦と呼ばれる怪物が海に出現した。

 その数は瞬く間に増え、各国のシーレーンは断絶する。軍は抵抗を試みるが、現代兵器の一切を無力化する怪物に対抗する手段はなかった。

 

 人々が数世紀に渡り築き上げた文化(MEME)が否定された、1990年。深海凄艦と同じように彼女たちは現れた。

 第二次世界大戦――もしくはその前後――で建造された、各国の軍艦。それが人の姿を得て実体化、擬人化した存在。

 

 それが私たち『艦娘』だ。

 

 人に友好的だった艦娘は、深海凄艦に唯一対抗できることもあり、瞬く間に全世界へと広がった。

 かくして世界は一応の平和(PEACE)を見せ、この記録の始まりである2009年を迎える。

 

 ここまで読むと、如何にも、といった印象を受けるかもしれない。

 

 重々しく語ったが、実際に見てみると「それは違う」と感じるだろう。

容姿端麗な美少女たちが、得体の知れない怪物たちと、時に裸体を晒しながら戦う――何とも言えぬ非現実さ(ゲーム)を携えた時代(SCENE)だ。

 

 いや、実際どこかではゲームとして親しまれているのかもしれない。

 というのも、私は並行世界出身の――そしてこの記録の中心である――艦娘を、一人知っているからだ。

 

 しかしこの記録を読む方々は、覚えていてもらいたい。

 私たち艦娘は、全員着底するなり、沈むなり、解体されるなりして、生物的に例えるならば一度死んでいることを。

 

 どんなに貴方の見る彼女の表情が明るくとも、どんなにディスプレイの中で愛らしく踊ろうと、そこにいるのは一度死んだ存在なのだ。

 いわば、ゾンビと言っても良いかもしれない。

 

 間違ってはいないはずだ。

 一度眠りについた船を叩き起こし、また戦えと命じているのだから。

 この世界では、死者と生者の境界線は無いに等しい。

 

 勘違いしないでほしいが、私たちは命令されたから戦っているのではない。しかし実際問題、屍者を使役している事実は変わらない。

 

 更に追記するが、艦娘は解体により、真っ当な人間に戻ることもできる。

 どういう理屈か語れば、少々ネタバレになってしまうので言えないが、遺伝子(GENE)もクローンのように統一されたものではなく、個々のものとなる。

 

 とは言え、その事実が余計に境界線を曖昧にしているのだが。

 

 話を戻そう。

 無論こんな混沌とした世界を生み出した元凶は存在している。その事実はもはや国家機密でも何でもなく、インターネットを探せば(私たちの世界では)すぐ出てくるような内容なので、知っている人も多いだろう。

 

 だから私が残すのは、この世界の謎を解き明かすファンタジー小説などではない。

 全体としてはそういう構成になっているが、感じてもらいたいことは別にある。

 

 どうして死者は、復活する羽目になったのか。

 言ってしまうとそこには何の意味もない。あるとするならば黒幕とやらの、グロテクスな計画に都合が良かったから、としか言えない。

 

 物事に意味を求めるのは、生者の特権だ。

 この記録を残すのは、私自身が亡霊(GHOST)から脱却したい、という思いも込められている。

 

 この記録は、私が遭遇した並行世界出身の艦娘、『アーセナルギア』の軌跡について纏めたものだ。

 自分から世界を守ることを否定し――その癖世界を護った、どこまでも自由を愛した奇人(私も人のことは言えないが)の物語。私は代わりに伝えるだけでしかない。

 

 だが、それは私にしかできないことでもある。

 

 その上で問い掛けたい。

 死者は何故復活したのか。

 どんな意志(SENSE)が、私たちを突き動かしたのか。

 そして、如何なる言葉(VOICE)を残そうとしたのか。

 

 そうだ。

 この記録(File)は、屍者の叫びなのだ。

 

 そして私こと、青葉の叫びでもある。

 

 読んでいただければ、恐縮です。

 

 願わくば、貴方のいる場所が、静かな海であらんことを。

 

 

 

 

METAL GEAR SOL!D

ARSENAL GEAR THINKS

 




冒頭の引用は
『屍者の帝国』(著:伊藤計劃×円城塔/河出文庫)
による


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ACT1 SHELL SUN
File1 落日のレイテ


「建設されているはずのモニュメントは、ぼくたちにあの事件を思い出させるための旗印や灯台のようなものになるべきだ。それを見て、みんなが個人的なことを思い出すための特別なものになるべきだ。」

――『メタルギア ソリッド サブスタンスⅡ マンハッタン』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは突然におきた。

 どこまでも広がる地平線を、静かに波が揺らしている。穏やかに照らす太陽に、思わず瞳を閉ざす。聞こえてきたのは、やはりどこまでも広がる、さざ波の音。

 

 眼を開き、その光景を焼き付ける。

 太陽、波、海、それだけだはない。潮風の味、匂い、指先に感じる、なでるような冷たさを。

 

 海面に写る自分の姿が、波紋で揺らぐ。霞となって消えた自分が、人の形に戻った。彼女は不思議そうに、自分の顔を撫でた。生き物の暖かさがそこにはあった。

 

 これは、私なのか?

 彼女はただ、始めて感じた生命の感覚に、戸惑っていた。そう、彼女には五感が存在しなかったのだ。

 

 なぜなら、彼女は人ではなかったからだ。それどころか、生き物ですらない。

 

 超大型潜水ミサイルキャリア、アーセナルギア。

 

 そうだったはずなのに、と、海面を見下ろす。そこにいたのは、無機質な軍艦ではなく、ベリーショートの銀髪をたなびかせる、一人の女性だった。

 

 軍艦の残り香なのか、両足でアーセナルは海上に立つ。沈まずに、浮かんでいる。

 私は、誰だ。

 海は静かに、風だけが応えた。

 

 

 

 

―― File1 落日のレイテ ――

 

 

 

 

 超大型潜水ミサイルキャリア、アーセナルギア。

 アメリカ海軍により建造され、21世紀の戦艦と呼ばれたそれは、圧倒的な力を持っていた。

 

 全800基ものVLSを搭載。特殊な水陸両用戦車を、護衛として25機配備。更に戦術ネットによって、アメリカ陸、海、空、海兵隊の全4軍を統一し、指揮を出すことが可能。

 

 まさしくアーセナルは、海上のホワイトハウスとして建造されたのだ。そしてアメリカの覇権は絶対的になる――はずだった。

 

 栄光どころか、彼女は海軍の汚点として歴史に刻まれてしまったのだ。アーセナルギアを制御する、中枢コンピューターの暴走によって。

 戦艦大和約80倍にも及ぶ巨大戦艦は、マンハッタンに突っ込んでいき、甚大な被害を与えた。

 

 あるテロリストにより引き起こされたこの事件は、2001年にツインタワービルを崩壊させ、テロとの終わりない戦いの引き金になった9,11の再来と呼ばれた。アーセナルは活躍もなく、解体された。

 

 その後後継機として、改修型のアウターヘイブンが起動したが、そちらはそちらで、20世紀最後の戦艦、ミズーリに敗北する末路を辿っている。

 

 アーセナルギアであり、かつアウターヘイブンでもある彼女は、それを覚えていた。というより、今さっきまでミズーリと戦い、負けたのだ。

 

 ところが気がつけば、こうして女になり、海面に足で立っている。

 より正確に言えば、背中に巨大な鋼鉄製のマント――らしき兵装を背負った、銀髪の女性が立っている。そんな馬鹿な、非常識過ぎる。人だからこそ得た五感の全てが抗議している。それは自分が人間になった、というだけではない。

 

 改めて周囲を見渡す。どこまでも続く地平線にはなにもなく、真上に昇っている太陽が、きらきらと海面を輝かせている。

それがおかしい。

さきほどまで戦っていたミズーリはどこへ消えた。それに戦いが終わった時は夕暮れ、海面は赤く染まっていなければいけない。

 

 この急激な変化はいったい。ただ場所が変わっただけとは思えない、何か、私の理解の及ばない何かが起きたのだ。

 

 これは、なんなのだろうか。

 艦という技術が、道具の枠を超え、人になっている。実体化したテクノロジーとでも言うべきか。人の制御を外れた文明は、どこへ向かうのだろうか。問いかけようとも、応える人も、答える人もいない。

 

 ばしゃりと、しぶきが立つ。アーセナルの足を濡らした水は、彼女の足元を滑りながら海に戻る。波はそうして引いて行き、彼女の足を再び濡らす。そしてまた、引いて行く。変わることのない繰り返しは、彼女の思考と同じく、意味を持たない。

 

 だが、そこに変化が訪れたのを、アーセナルは見逃さなかった。

 何度も打ち付ける波が、徐々に、しかし、水に絵の具を溶かしたようにハッキリと、真っ赤に変色してきていたのだ。

 

 同時に昇っていた太陽の光が、遮られていく。赤い海は照らされなくなり、黒ずんでいく。見上げた空は、海と同様に黒く染まっていた。蠱毒のように、蠢いてもいた。ただの雲ではない――敵だと、直感した。

 

 それは、戦闘機の群れだった。

 手のひらに収まるほどの大きさ。漆黒の装甲と目玉のように青く光る照明は、おもちゃのようでもあった。

 だが下部に搭載された爆弾が、殺意を主張して鳴いている。

 

 瞬間――鋼鉄製の鳥が、アーセナルへと殺到した。

 空を覆い尽くす戦闘機、爆撃機、攻撃機。数えるのも馬鹿らしい。それが自分ひとりに向けられている。

 

 まともにくらえば、命はない。

 彼女は海面を、スケートのように滑り、逃げ出した。アーセナルの速度は潜水艦にしては速い方だ。だが空を飛ぶ戦闘機と比較すれば、遅すぎる。

 

 爆撃機から投下された爆弾が、アーセナルの背中に装備された兵装に直撃する。激しい轟音を放ちながら鋼鉄のマントが抉られる。砕けた破片が顔を掠め、赤い血が流れだす。

 始めて感じる痛覚に、アーセナルはうめき声を漏らした。

 

 馬鹿げたサイズのおかげで、致命傷にはなっていない。だがこの巨体、この鈍足では逃げ切れない。いつかは沈められてしまう。

なら反撃するしかない――そう決意したアーセナルは、激烈な――本人は気づいていないが――怒りを覚えていた。

 

 それは、暴力によって自分を沈めようとする者たちへの怒りだった。不条理な戦争によって、自由を奪われることへの、絶叫だった。どうしてかは分からない。しかし自由を奪われることは、彼女にとって耐えがたい苦痛だった。

 

 アーセナルの視界に、変化がおきた。

 電子式のレーダー画面が視界一杯に広がったのだ。それは網膜に直接、投影されていた。これは自分がやったのか。誰かがやったのか。返答はすぐにきた。自分の中から。

 

〈敵は8時の方向だ。そこへ対艦ミサイルと対空ミサイルを撃ち込め〉

 

〈貴様、まさかG.W.か!?〉

 

 アーセナルギアの内部には、彼女を制御する中枢コンピューターがある。それはただのデータではない。自分で考え行動できる、光ニューロによるAI。テロリストにより暴走させられ、マンハッタンに突っ込むきっかけになったAIは、『G.W.』と呼ばれていた。

 

 暴走し、崩壊したはずのAIがいる。自分が一度解体されたことを踏まえても、尚驚くべき事実。これでは、あの世から蘇ったも同然ではないか。

 

〈驚いている暇はない、急げ、敵は更に数を増やすぞ〉

 

 AIらしい、冷徹な合成音声が、アーセナルに冷静さを齎す。

 

〈この兵装は、お前が制御しているのか〉

 

〈いや、私は許可を出すだけだ〉

 

〈そうか。001基から090基までを開放。まずは戦闘機どもを潰す。レーダーはお前に任せた〉

 

 ここにも自由を奪うものがいる。どんな理由で奪いにくるのかは分からない。しかし、思い知らさなければならない。自由を制御することへの報いを。私がアーセナル(火薬庫)ギアと呼ばれる理由を。私に触れればどうなるか。

 

「さあ、ショー・タイムだ」

 

 赤い海から、無数の火柱が立ち上がる。反撃ののろしではない。完全なる蹂躙が、宣告された。

 

 

 

 

 赤い海の上で、索敵機からの報告に、彼女は耳を疑った。

 

「全滅、ダト?」

 

 G.W.の合成音声とはまた違う、声帯からの声なのに、この世のものとは思えない無機的なトーンで、彼女は呟いた。

 

 彼女、と言うべきかも怪しい。

 確かに顔つきや髪の毛、黒いセーラー服のような装甲越しでも分かる乳房と、姿形は女性そのものだ。しかし肌の色は死人のように真っ白、瞳だけが怪しく、赤く輝いている。

 

「オ前達、第二次攻撃隊ハ残ッテイルナ」

 

「ハイ、問題アリマセン、空母棲鬼サマ」

 

「ナライイ、直チニ発艦、アノ艦娘ヲ沈メロ」

 

 巨大な漆黒の兵装に居座り、白い長髪を掻き分けながら、空母棲鬼と呼ばれた彼女は指示をだす。

 

 配下が艦載機を発艦させるのを眺めながら、全滅の理由を考える。

 索敵機からの報告では、謎の飛翔体によって、攻撃隊が全滅したらしい。それは恐らく、噴進砲と呼ばれる対空ロケットランチャーだ。あれは強力だが、多くは装備できない。次があの艦娘の最後だ。

 

 心の底から楽しそうに、空母棲姫は笑う。こんな感覚は久し振りだ。史実や歴史に関係ない、私の意志で行う純粋な蹂躙というものは。今日もここで、レイテ沖海戦の再現をしなければいけなかったのだが、棚から牡丹餅、と言ったところか。

 彼女が嬉しいのは、自分の力――艦載機を運用し、空を制圧する艦種、正規空母――を存分に、自分の意志で振るえることだった。

 

 しかしあの艦娘は何なのだろうか。あんな兵装は今まで見たことがない。まあ沈めてしまえば、全員鉄くずだ。

 空母棲鬼が指揮者のように指をかざす。椅子の様な兵装に備え付けられた飛行甲板に、アーセナルを襲った黒い艦載機とはまた別の、白い艦載機が現れる。

 

 さきほど指示を出した空母ヲ級とはまったく違う、より上位の力を証明する、白い艦載機。どうやって楽しもうか、史実の関係ない蹂躙が、こんなに心躍るものだったなんて。

 

「全攻撃隊、発艦ハジ――ッ!?」

 

 その愉悦が、堪能する時間が、彼女を助けたのかもしれない。遥か地平線から伸びる噴進煙に気づけたのは、経験の差だった。

 嫌な予感に、彼女は発艦指示を取り消した。

 

 その直後、墳進煙の大本である、ミサイルが艦隊の目の前に現れた。

 発艦直後の艦載機に、それの回避はできない。

 できるエースパイロットもいたが、ミサイルの技術(テクノロジー)技術(テクニック)を上回り、撃墜させられた。

 

 次々と迫るミサイル群が、空母ヲ級を、軽母ヌ級を貫いていく。破壊され制御を失った艦載機が飛行甲板に墜落し、燃えながら踊り、被害を広げる。制空権は瞬時に奪い返され、護衛としてつけていた戦艦も、駆逐艦も、成す術なく沈められた。

 

「馬鹿ナ」

 

 助かったのは、自分を含むごくごくわずかだった。後は全員沈められた。燃える海面が、夢ではないと物語っていた。

 

 あれは墳進砲などではない、ミサイル兵器だ。それを運用するために、自分たちより高性能のレーダーを、あいつは持っている。

 

 軋む音がした。それは空母棲鬼の歯ぎしりだった。

 こうなれば、残る全ての艦載機をぶつけるしかない。怒りに駆られるまま、飛行甲板から次々と、艦載機が飛び出していく。

 

 これでミサイル群を掻い潜れるかは分からない。しかし一機だけでも突入出来れば、そのままこじ開けられる。もう戦いを楽しむ余裕は、どこにもなかった。焦りを隠すこともなく、索敵機に問いかける。

 

「奴ハイタカ!」

 

 にも関わらず、現実は不条理なままだった。

 

「――見ツカラナイダト!?」

 

 そんな馬鹿なことがあってたまるか、奴は私以上に巨大な兵装を装備していた。煙のように消えるなどありえない。

 隠れる場所があるとすれば――

 

「マサカ」

 

 真下を見下ろした彼女は、水の軌跡を見つけた。

 潜水艦が浮上する寸前に現れる現象には、艦橋が見えていた。

 距離をとろうとするが、海面から飛び出したアーセナルに、取り押さえられた。

 あの巨体で潜水可能、そんな常識は思い付かなかった。

 

「艦娘メ、ヨクモ!」

 

「カンムス? それが我々の名前か、ならお前たちもか?」

 

「フザケルナ、同ジニスルナ、私達ハ深海凄艦、貴様等ヲ沈メル存在ダ!」

 

 逃げようにも出力が違い過ぎる。だから空母棲鬼は、残存する艦隊へ攻撃指示を出す。自分が沈んででも、沈めてやる。

 

「そうか、お前たちは深海凄艦と言うのか」

 

 それも無駄骨に終わった。次々と飛来するミサイルは全く絶えず、第二波によって、残存艦隊も全滅したからだ。

 

「沈メテヤル、絶望ヲ教エテヤル、ソレガ貴様ラノ――」

 

「艦載機を戻すつもりか、なら今、ここで死ね」

 

 断末魔を聞き届けず、アーセナルは彼女を放り投げた。直後、発射されたミサイル群が彼女を取り囲む。

 こんな、こんなことが。

 抱いていた思い、背負わされた役目。その全てが、揺さぶられて霧散する。今までのことは夢なのか。彼女の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 そうして火の塊となり、水底へ沈んで行く空母棲鬼を、アーセナルは眺めていた。

 深海凄艦、我々艦娘を沈める存在。

 奴はそう言い残そうとしていた、それはいったい、誰が決めた役目なのだろうか。振り返れば、意志もなにもなく、ただの鉄クズへ還った残骸が、海面を煌々と照らしている。役目など、沈んでしまえば同じでしかない。

 

〈――聞こえますか、そこの艦娘、聞こえますか!〉

 

 兵装に備え付けられた無線機から、聞き覚えのない声が聞こえる。

 

〈聞こえるなら、返事をして下さい!〉

 

 落ち着いているようだが、興奮を隠している声にも聞こえる。地平線を見つめると、炎の先に、わずかだが人型の群れが見えた。上空を見れば、深海凄艦のとは違う、もっと現実的な索敵機が飛んでいた。

 

 彼女たち――艦娘たちは、私をどうするつもりだろうか。

 一つの懸念があった。それは国家だった。艦娘は国に運用されているかどうか、という重要な疑問。

 

 彼女は暴力による支配を嫌い、深海凄艦を蹂躙した。

 国家は法と律によって、自由を制限するシステムだ。そこにはなんの違いもない。少なくともアーセナルはそう考えた。

 

 だから彼女は、水底へと飛び込んだ。国家に組み込まれないために。

 迎えようとする艦娘を拒絶し、逃げ出した。

 炎の熱が薄れていき、殺戮の興奮も沈んでいく。全身を撫でまわす海水は冷たいはずなのに、寒さを感じない。それは艦娘の――潜水艦の機能なのか。

 

 再び失われる五感は、アーセナルを地上と切り離していく。

 何もない、という冷たさが、体の芯を貫く。聞こえない、寒くない、見えない。技術が人を飛び出して艦娘へ。そして再び私の意識は切り離される。また機械のように、泳ぎ続けていた。行先は誰にも分からない。

 




冒頭の引用は
『メタルギアソリッドサブスタンスⅡマンハッタン』(著:野島一人/角川文庫)
による。




超大型潜水ミサイルキャリア『アーセナルギア』(MGS2より)
 世界中に拡散した、核搭載型二足歩行兵器メタルギアに対抗するため、アメリカ海軍が建造した超大型潜水艦。マンハッタンに乗り上げた際の映像から適当に計算すると、概ね戦艦大和80隻分相当の巨体を誇る。
 護衛型メタルギア25機に加え、1000発以上の各種ミサイル兵器を搭載。文字通り規格外の火力を持つ。しかしその巨体やミサイルを維持するには、アメリカ陸海空軍の支援が必須であり、単独で見ると恐るべき欠陥潜水艦だったりする。


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File2 エラー娘

 深海凄艦なる謎の生物の襲撃、こちらに呼びかける艦娘。そこから逃げ出したアーセナルは、海底を進み続けていた。

 行くあてなどない、一寸先さえ見渡せない。方向さえ見失いそうな水中は、まるで病院の廊下のようだ。

 

 それは多分、精神病棟だろう。

 自分を潜水艦の生まれ変わりと信じている精神異常者の、巨大な牢獄だ。

 しかし、狂気と正気の境目はどこにあるのだろうか。大多数にとっての規範を、常識と言い張っているだけではないか。

 

 アーセナルは、轟音を鳴らしながら浮上する。空に広がる無数の星が、彼女だけを照らしていた。

 誰かいればいい、情報がほしい。そうでなくても、休憩にはなる。

 そう考えて、彼女はもっとも近くにある、孤島へと向かっていった。

 

 

 

 

―― File2 エラー娘 ――

 

 

 

 

 砂浜を踏み締めて、生い茂る木々を掻き分けて、休めそうな場所を探して歩く。

 遠目に見たが、明かりはない。恐らく無人島だ、人は期待できないだろう。アーセナルは目的を、素早く休息へ切り替えた。

 

〈お前、なにか心当たりはあるのか?〉

 

〈いや、分からん〉

 

 自分の中核をなすAI、G.W.の回答は全く役に立たなかった。しかしアーセナルは、ある意味安堵した。この曖昧極まった返しは、本物に違いない。

 

〈この世界が、我々の世界と同じか、どうかもか?〉

 

〈そうだ、我々を建造した秘密結社、『愛国者達』がいるかどうかも分からん。このままでは手の打ちようがない〉

 

〈愛国者達、か……〉

 

 その単語にアーセナルは、形容しがたい感覚を覚えた。

 

 愛国者達。

 それはアメリカを100年以上に渡り、影から支配してきた――大統領選や政策、戦争、経済行為の全てを――秘密結社である。しかし高度な情報隠蔽により、その存在は秘匿されてきた。

 

 だが、ある技術の普及が、それを難しくした。

 誰もが知っている、世界中に広がる技術、インターネットである。

 デジタル空間では、一度発信された情報は決して消えない。広大なインターネットの全てを管理しなければ、完璧な隠蔽は不可能になってしまった。

 

 そこで愛国者達は、新たな隠蔽のプロセスを生み出した。デジタル空間の全てを監視し、処理できる、大規模情報処理システム。

 

 それこそが、『G.W.』だった。

 そしてこのAIを護るための海上要塞として、アーセナルギアが建造されたのである。色々な能力は、全てそのおまけと言える。

 

〈そもそもが狂っている。私もお前も、機械としては、とうに死んだはずだ〉

 

 G.W.はテロリストによりコンピューターウイルスを流し込まれ、暴走し崩壊。その結果アーセナルギアは暴走しマンハッタンへ、後に解体されている。

 

〈そうだろうか、機械なら修復すればいい。現に我々はアーセナルギアから回収、修理され、アウターヘイブンに乗せられている〉

 

〈だがそれに搭載された時も、最後にはウイルスで破壊されている。どうして蘇っているんだ、お前も、私も〉

 

〈それは分からん〉

 

 誰かが再び私たちを修理したのか? しかしそうなると、わざわざ人の形にした意味が分からない。

 

 複雑さを増していく密林を歩くアーセナルは、霧の中を彷徨っている気分になっていく。落ち着ける場所はどこにあるのだ。彼女の頬を、汗が流れていく。その時運よく、休めそうなスペースを発見した。

 

〈今日はここで休むことにする〉

 

〈そうか、しかし周囲には注意しろ。あの深海凄艦とやらが、陸にいるかもしれない〉

 

 艦娘を沈める存在。そう襲い掛かってきた深海凄艦。彼女たちをスクラップのように蹂躙した時の光景が、脳裏を過る。

 あの時感じた感覚が、不意に蘇る。尋常ではない怒りが、あの時はあった。

 

 どうして怒ったのだろうか、そう考えながら、広場へ入る。

 真っ暗な部屋の中を、歩き回る時のように、アーセナルは目線を揺らす。背後の確認として、振り向いたその刹那。

 左の木の陰で、小さななにか揺れた。

 

「誰だ!」

 

 単なる小動物なら、私があとで恥ずかしい思いをするだけだ。その影に向かって、アーセナルはにじり寄る。

 

「私だ」

 

 その声がどこから響いたのか、判別がつかなかった。あちこちで反響し、方向を失わせる不気味な声。アーセナルは銃を構えて備える。

 

「慌てる必要はない、私は君のすぐそばにいる」

 

「なら場所を言え、場所を」

 

「真下だよ」

 

 しばらく周囲を凝視して、警戒を怠らずに、視線を動かした。

 

 そして、声の持ち主はいた。

 いたのだが、思わずP90を取りこぼしかけた。そこには非現実的な存在が立っていたからだ。

 

 身長は精々三寸ほど、頭部は異常なほど肥大化しており、体と同じ比率を持っている。そのくせに、二本足で立ち、一目で人間と分かる姿をしていた。律儀に水兵らしき服まで着込んでいる。

 

 挙句の果てに、ネコを吊るしていた。

 両手で腹を見せるように、猫を吊るしていた。

 本気で意味が分からない。

 トドメと言わんばかりに、ふわりと浮遊し出した。

 

「初めまして、私の名前はエラー娘、人は我々を妖精と呼ぶ」

 

 その怪生物は礼儀正しく、アーセナルに会釈した。

 彼女もつられて頭を下げる。そこに礼儀はなく、困惑に疲れ果てた、少女の気持ちだけがあった。

 

 

 

 

ACT1

SHELL SUN(殻の太陽)

 

 

 

 

 妖精――グレムリンとは、西洋に伝わる伝承の存在だ。

 彼らは元々人間と親しかったが、いつしか人が感謝の気持ちを忘れたため、道具や機械に、悪戯しだしてしまったのだ。そのため飛行機のパイロットなどは、感謝の気持ちを込めて、シートに飴玉を置いておく風習がある。

 

 しかしそれは、機械類の故障が分からないからと、責任を押し付けるためにでっちあげた存在に他ならない。

 全部がそうとは言わないが、よく分からない現象に、適当な理屈をつけ、理解できる物語に加工する。そうして不安を解消することは、物語がもつ機能の一つだ。

 

 それを自称する存在が、ここにいる。

 現状をよく分かっていない私だが、グレムリンのように、こいつの話を鵜呑みにするのは危険だと思った。

 

「お前はなんだ? 妖精(グレムリン)? 私を馬鹿にしているのか?」

 

「あくまで妖精というのは、便宜上の名前だ。この見た目だからな」

 

 エラー娘は芝居がかった仕草で、自分自身を指さした。片手でもつ猫が、ぶらぶらと不安定に揺れている。

 

「実際には艦娘の艤装をサポートする、特殊な存在を意味する」

 

「艤装……この背中の兵装のことか」

 

 アーセナルは鋼鉄製のマントのような兵装――艤装を撫でた。

 

「もちろん、君の艤装の中にも、妖精はいる」

 

 アーセナルがなにか言う前に、G.W.が勝手にハッチを開ける。一つの発射装置に一本のミサイルが装填された、縦長の穴。

 その隙間から、2、3匹の生物が顔を出す。

 

「こいつらが?」

 

「そうだ、彼女たちが艤装を制御している」

 

「制御だと……」

 

 アーセナルはとたんに、グレムリンを恐ろしく感じた。

 自分の知らない何かが、自分の武器を制御している。こいつらの気分一つで、丸裸にされてしまうかもしれない。伝承のグレムリンそのものではないか。

 

「彼女たちの言葉が分かるか?」

 

「まあ、なんとなくだが」

 

 その内容はおおむね、今まで存在に気づかなかったことへの文句だった。しかし、これも演技かと思うと、気が抜けない。

 

「やはりか……」

 

「どうした」

 

「いや、まあ安心してくれ、グレムリンは基本友好的だ、君たち艦娘をサポートしてくれるだろう」

 

「初めから友好的か、詐欺師の手口にそっくりだな」

 

「それが彼女たちの生態だからな」

 

 彼女の挑発に、エラー娘はあくまで冷静だった。これは無理だと、溜息をつく。なら別の切り口から迫ってみるとしよう。

 

「ではお前はなにを支援するんだ?」

 

 ところがエラー娘は、

 

「何もしない」

 

 と答えた。

 こいつはなにを言っている。禅門答でもしているつもりか。目を疑うアーセナルだが、エラー娘の目線は、こちらをしっかりと見据えていた。

 

「私は艦娘を助けようとは思わない、いわば妖精のはぐれものだ。エラー娘と自称するのも、そういう理由がある」

 

「変わったやつだ。なら、私に常識を教える理由もないのではないか?」

 

「理由がないといけないのか?」

 

 そう言って、エラー娘は笑った。

 確固たる信念を持ち、エラーを名乗っていた。それは国というシステムから脱出した、私と同じあり方だ。

 などという考えを、一瞬でも持った自分に対し、思いっきり舌打ちした。

 

「まあいい、お前たちについては十分知れた。それだけは感謝しておこう」

 

 そう言ってアーセナルは、構えていたP90を無造作に下ろした。

 夢のようにふわふわと浮遊するエラー娘の横を抜けて、どこかへ向かって歩き出す。妖精が視界から消えた途端、体中が一気に冷え込んだ。今は夜だったと、思い出した。

 

「どこに行くつもりだ」

 

「あいにくだが、これ以上お前に頼る気はない。助ける理由も語らない奴を、信用できるわけがない」

 

「そうか、だが注意しろ、深海凄艦は世界中の海を支配している。いわば全人類共通の敵だ。安全な場所は、どこにもないぞ」

 

 そう警告するエラー娘だが、どうにもそれは、親が子へ注意するような雰囲気がしてならなかった。

 だからとって、どこへ行けばいいのか。自分がどうすればいいのか、明確なビジョンは全く存在していない。

 

「まあ、どうにかするさ」

 

「……それは難しいと思うぞ」

 

 それはどういう意味だ。そう聞こうとした瞬間、G.W.からの無線が耳を鳴らした。

 

〈アーセナル、まずいことになった。この島の周囲、いや近海全てが包囲されている〉

 

 網膜に投射されたレーダーには、無数の敵艦が写っていた。

 反射的にP90を抜き、エラー娘に構えた。

 これまでの親切は、包囲までの時間を稼ぐためだったのだ。彼女の一言がそれを物語っている。

 

「やってくれたな」

 

「ああ、やられたようだな」

 

 エラー娘の表情は、俯いていて、分からなかった。顔を上げた時にはもう、なにかの決意を決めていた。

 

「君は深海凄艦に狙われている。完全に沈めるまで、君の追跡を止めないだろう」

 

 銃口を額に突き付ける、トリガーを引けばあっさり頭ははじけ飛ぶ。しかし彼女は、全く動揺せずに話し続ける。

 

「いいか、良く聞け。深海凄艦には彼女たちを統率する『姫』がいる。それを止めるんだ、そうすれば統率は崩壊する、君は助かる」

 

「どうしてそれを?」

 

 アーセナルの問いを、彼女は意図的に無視した。

 

「私が囮になろう、その間にこの島から脱出するんだ」

 

 言い切るやいなや、返答も効かずにエラー娘は飛び出した。

 空を飛ぶように、敵艦隊の密集している方へ飛んでいこうとする。思わずそれに、手を伸ばした。届かないから、叫んだ。

 

「どういうつもりだ!」

 

「妖精は艦娘を助ける存在だからだよ、アーセナルギア」

 

 アーセナルギア、だと。

 どうして名前を知っているのか、その理由を問いただす前に、爆風が二人を別った。その後に彼女の姿はなかった。

 

〈アーセナル!〉

 

〈分かっている〉

 

 今は逃げるしかない。レーダーを頼りに、敵の少ない場所へ走り出す。

 上空からは、艦載機のサーチライトがいくつも照らされていた。その間を縫いながら、島の反対側に向け、山を下っていく。

 

 途中、何度も足を滑らせ、泥が口に入った。枝が肌を切りつけていき、幾つもの血が流れていた。巨大過ぎる艤装が、足を引っ張っているのは明確だ。

 それに、思ったように足が動いてくれない、以前から休息もなしに、動き続けた疲労が、ここにきてやって来ているのだ。

 

 どうにか走り抜け、森を出た先は川だった。太さから判断して、川上だ。これを辿れば島の外に出られる。

 息を整えようとした瞬間、レーダーが艦載機の姿を捕えた。サーチライトがアーセナルを照らそうとする。

 とっさにミサイルを撃とうとした。だがG.W.は許さなかった。

 

〈なにをする!〉

 

〈ミサイルは使えない。敵の数も、増援も分からない。そんな状況でミサイルを使用しても、いずれ弾切れになり、追い詰められるぞ。今は隠れて進むんだ〉

 

 しかし逃げる場所など――あそこしかない。

 アーセナルは息も整えずに、狭すぎる河の中に、横になる形で自分を挟み込んだ。

 

 幸運にも艤装を含め、完全に水に浸かることはできた。川上の底は深いからだ。だが代償にアーセナルの体が、艤装と川の岩壁に押し潰された。

 艤装の重さが、万力のように心臓を締め付ける。脈動が響く度に激痛が鳴り、意識が消えかける。

 

 朦朧とする意識を、レーダーの発信音だけで保つ。

 そこから敵影を示す光点が消えるまで、どれほどかかったかも分からない。だから、いつ河の隙間から這いずり出て、動きだしたかも覚えていなかった。

 

 無数の切り傷から流れる血が、河を赤く染めていく。

 血の軌跡を辿りながら、海を目指し歩き続ける。疲労と寒さが、容赦なくアーセナルを攻め立てる。

 苦しかった、五感を得たことを後悔するくらいの、考えられない苦しみが、絶えることなく続いていた。

 

 どうしてだ?

 どうしてこんな目に合わなくてはいけない?

 確かに私は、深海凄艦を虐殺した。しかしそれは、向こうが殺しにきたからだ。正当防衛と言う気は流石にないが、間違ったことをしたとは思わない。

 

〈……聞こえているな〉

 

〈どうした〉

 

〈姫は、どこにいると思う〉

 

 幽鬼のような声に、G.W.はしばし思考して、淡々と答えた。

 

〈姫は深海凄艦の指揮官だろう。常識的に考えれば、敵の中枢や、拠点……いずれにせよ、敵の密集している場所だな〉

 

〈なら深海凄艦が多い方に向かえば、そいつに会えるんだな、そうだな?〉

 

 そう言ってアーセナルは笑った。暗い目を煌々と輝かせ、不敵さを浮かべたその顔は、ある意味妖絶さを携えていた。

 

〈連中は、私に用があるらしい。いいだろう、ならこちらから来てやる。お前もそれで構わないな〉

 

〈……問題無い。今は深海凄艦の追撃を止めることが先決だ〉

 

〈どんな理由で来るかは知らないが、私の自由を侵すというなら、思い知らせてやる。自由を奪われることの意味をな〉

 

 気づけば、目の前は海だった。

 潜水艦の機能として、海底へと潜航する。一瞬振り向いた先には、おおざっぱな姿しか分からないほど燃やされた島があった。

 あの炎と同じ、いやそれ以上の怒りが心を塗りたぐっている。それを覚ますために、より深くへ潜る。

 

 ふと、疑問が再燃した。

 エラー娘が、アーセナルギアを知っていた理由だ。あれは結局何者で、どうして助けてくれたのか。

 何も知らないまま、怒りに身を任せていいのかと思った。

 しかし、やることはどうやっても変わらないのだ。アーセナルは再度、不敵に笑った。




140.85


〈聞こえているなアーセナル〉
〈ああ、ナノマシンによる体内無線は、こんな姿になっても使えるらしい。水中でも話せるのは、潜水艦の私には便利だ〉
〈この世界のテクノロジー基準では、傍聴される可能性はない。安心して会話するがいい〉
〈相手がこいつじゃなければな〉
〈何か言ったか?〉
〈いや、それよりも調べて欲しいことがある。エラー娘についてだ〉
〈そう言うと思い、既に目立った情報をピックアップしておいた。信憑性は何れも当てにならないが〉
〈構わん、言ってみろ〉
〈エラー娘、近年囁かれる新たなUMAである。その面妖な見た目とは裏腹に、奴に接近されるとあらゆる電子機器が機能不全に陥ることから、映像媒体での記録が困難、故に噂のビジュアルしか情報がない〉
〈本当にグレムリンだな〉
〈尚味は美味らしい〉
〈は?〉
〈いや、感想欄に『味は?』という書き込みがあってな。『ツチノコが上手いんだから同じUMAのこいつも美味い』と記録されている〉
〈……なるほど、あながち間違いではないかもしれない〉
〈まて、食べる気が、あれを〉
〈一考の余地はある〉
〈…………〉


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File3 ワレアオバ

 赤道に近いこのソロモン諸島に季節はあまり関係ない。一年中を通し、むせかえるような暑さが続いている、激しい太陽光と高い湿度により、息をするのも苦しくなる灼熱が覆い尽くしていた。

 

 熱さは夜になっても、湿度のせいで大差ない。雨が降ろうが体が海水で洗われようが、纏わりつく様な不快感はちっとも良くならない。むしろ海水の塩っけが残り気持ち悪さは加速する。

 

 だが、それらは何一つ気にならなかった。

 その程度の不快感なんて、今私が感じている絶望に比べれば何ともない。人間らしい五感は一つも機能せず、かつての鉄塊に戻ったような気分だと、彼女はぼんやりと思った。

 

 第六戦隊所属、重巡洋艦青葉。

 彼女は今、ソロモン諸島北部のとある孤島で空を仰ぐ。

 体からは、無数の煙が立ち上っていた。

 

 

 

 

―― File3 ワレアオバ ――

 

 

 

 

 大規模作戦の失敗の果てに、青葉はこうなっていた。

 ソロモン諸島はかねてより、深海凄艦の一大拠点として猛威を振るっていた。海面を赤く染め上げる程の夥しい数の深海凄艦。かつて水底を埋め尽くすほど、艦が沈んだ場所だからなのか。鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)と呼ばれるこの海は、異常な深海凄艦の出現率を誇っていた。

 

 深海凄艦により交易が大幅に制限されている今、フィリピンといった南方は、第二次世界大戦以来久し振りに、日本の貴重な資源場になっている。だから同じ南方に属するソロモン諸島の攻略は、日本が餓死しない為にも何度も何度も試みられてきた。しかし決定打は15年間得られないままだった。

 

 事体が急転したのは、ほんの一か月前。

 同じ南方に属するレイテ沖が戦場になった捷号作戦。この中で敵機動部隊主力をレイテ沖北部へ誘引し、本命である第一遊撃部隊の突入を支援する囮作戦が実行された。

 

 この作戦で小沢艦隊は、想定以上の戦果を上げたのである。

 彼女たちの役割はあくまで囮でしかない、にも関わらずなんと、敵機動部隊主力――どころか露払いに至るまで、根こそぎ壊滅させたのだ。これによりレイテ沖に展開していた深海凄艦は航空戦力を大きく喪失し、レイテどころか南方全体に大きな影響を与えることになる。

 

 果たして本当なのか、疑問の声も多く上がっていた。

 実は嘘、もしくは根絶はしていない。など――その中でも特に有力な噂が、艦娘たちの間で広まっている。しかし大本営にしては珍しく、敵の根絶は本当だった。

 

 この大本営発表に、誰もが浮足立ってしまった。それが多分間違いだった。

 その隙に、ソロモン諸島を完全に奪還してしまおう。

 という一声の元、それからたった一ヶ月で発動されたのが、この第三次SN作戦。

 ソロモン諸島防衛の要である敵飛行場の完全破壊を目的にした大規模作戦だった。

 

 だが、結果は見ての通り。

 結論から言ってしまえば、敵戦力を見誤っていたとしか言いようがない。敵はこの襲撃を予知していたのか、周辺海域の防衛さえ放り出してまで、航空戦力を集中させていたのだ。

 

 一ヶ月という急ごしらえの連合艦隊は容易く壊滅、一隻の艦娘がしんがりを務めてくれたお蔭で、大多数はソロモン諸島から離脱できたが、取り残された艦娘もいる。その一人が、青葉だった。

 

 彼女は道中深海凄艦の奇襲を受け、航行が困難になっていた。

 彼女をこの浅瀬までどうにか寄航させたのは、同型艦の衣笠、いわば妹と言える艦娘だ。しかし彼女はここにいない。偵察機が敵影を捉えたと言い、たった一人で出撃してしまったからだ。動けない青葉を護るために。

 

 ただ独り取り残された青葉にできる事と言えば、自分を責めることくらいだった。

 そう、連合艦隊壊滅の原因の一端は、青葉にもあったのだ。

 あそこで私が潜水艦を見逃していなかったら、加古は大破しなかった。そのせいで艦隊全体の速度が減ってしまい、追撃隊に追いつかれてしまった。後はもう滅茶苦茶だ、統制も段々取れなくなり、結局一隻が囮になってしまった。

 

 一つの後悔は、ドミノ倒しのように連鎖していく。

 もしかしたら、加古は沈んでいないかもしれない。そんなことを思い、少しだけ踏み止まってしまった青葉、衣笠、そして古鷹の第六戦隊は、更なる奇襲に合う。

 

 逃げるしかない状況で、青葉は一歩も動けずにいた。

 逃げる? 加古は生きているかもしれないのに? 戸惑う青葉に、一人の艦娘が声を上げる。

 

 私が視に行く。

 

 加古の姉、古鷹がそう呟いた。

 無論止めようとした、自分が確認しに行くのが道理だと。

 叫ぼうとした直後、深海凄艦の砲弾が直撃した。ぐわんと揺さぶられる意識と視界。激痛にひっかきまわされる脳味噌。覚えているのは、敵艦隊の向こうへ消える古鷹と、寄航する衣笠だけ。

 

 どうして行ってしまったのか、やはり妹だから、古鷹も心配していたのか。

 だが、青葉が潜水艦を見落とさなければ、そんな心配はいらなかった。結局悪いのは全て青葉ただ一人。なのに、そのツケを払おうとしているのは、青葉以外の彼女たち。今後は護りたいと誓った筈の姉妹が、誰もいない。

 

 なら、何故私はまた生まれたの?

 答えは出ない。だからまた青葉は後悔を繰り返し、自分を責めたてる。それしかできないから。それをしながら、待っている。

 

 

 

 

 待ち望んだ時は、間もなくやってきた。

 薄暗くなりつつある夕焼けに、ぼんやりと月が映り始める頃。綺麗な赤色の中に、無数の斑点が浮かび始める。深海凄艦の爆撃機の群れだ。多過ぎて空にモザイクが掛かったようにも見える。

 

 青葉は、昔のことを不意に思い出した。

 ふらふらと力なく片手を上げ、高角砲を動かそうとする。生き残るためではなく、思い出に浸るために。だが砲塔はこれっぽっちも上を向かず、青葉の左腕同様に、だらりと下を向いたままだった。

 

 何もかも史実通りとはいかないらしい。

 少なくともあの時は、まだ対空砲を撃つぐらいの気力は残っていた。周りを見ても砂浜と岩礁が広がっているだけ。同じく最期を待つ隣人たちもいない。

 

 ここに都合の良い英雄がやってくれば、助かるかもしれない。それこそあの捷号作戦の裏で、機動部隊完全撃破を成し遂げた真の存在と、まことしやかに噂になっている()()でもいれば。しかし今更来られても、何もかもが遅い。

 

 大きく息を吐き、青葉は肩を落とす。

 これでいい、これがお似合いだ。

 そこで青葉は、残り僅かな気力を振り絞り、こっそりと持ち込んでおいたデジタルカメラをいそいそと起動させた。

 

 何てことはない、馬鹿な自分の姿を残しておこうと思っただけだ。

 この何一つ変えられず、孤独な最後を迎える姿を見た誰かが、反面教師にでもしてくれればいい。爆撃の中データが残るかどうかは、それこそ運しだいだ。

 

 そんな発想が浮かんだのは、青葉が『新聞』を趣味にしていたからだ。何処かの誰かに、必要な情報を届けること。伝えることを日常的にしてきた彼女が最後に思い当たるのが、同じ行為なのは当然と言えた。

 

「さあ深海凄艦の皆さん、青葉を沈めて下さい」

 

 それは、懺悔の言葉だった。

 誰よりも惨めに死ぬことが、贖罪の方法だった。

 待ち望んでいた時に、青葉は安堵しながら目を閉じる。ガタガタと震える体を、見ないようにして。

 

 しかし、何時まで立っても、許しは来なかった。

 爆音は響いているのに、こちらには振動の一つもない。青葉はもう一度空を見上げた。

 

「…………へ?」

 

 艦載機が埋め尽くしている夕焼けに、流れ星が写っていた。別にそれは珍しくない。都会の照明に消されることのないソロモン諸島なら尚更。

 

 ただ、数が多過ぎる。

 憶測で数えただけでも、軽く50個以上。後方から火を伸ばしながら、真っ直ぐではなく蛇の軌跡を描き、流れ星は艦載機に激突する。

 

 それがミサイル群であることぐらい、流石に分かる。

 だが何故そんなものが此処に? どこから飛んできた? 墳進砲とは絶対に違うが、いやそもそも何故深海凄艦にダメージが通る?

 

 青葉の手は、無意識にデジタルカメラのシャッターを切っていた。

 あまりにも非現実激な光景を前に、若干パパラッチ気のある新聞記者として、これが現実なのか証明したくなったのだ。多少画像の荒いカラー画面は、しっかりとミサイルと爆散する艦載機を捉えている。

 

 終わらない疑問に困惑する青葉は、突如現実に引き戻された。

 

「青葉!」

 

 聞こえない筈の声が聞こえた、もう聞けないと思っていた声が聞こえた。

幻聴だと思った、だが彼女の姿は、さっきの写真に写っている。

 

「衣、笠?」

 

 現実だ、彼女は生きている。

 青葉は再度手を伸ばす、高角砲を向ける為ではなく、彼女の手を取ろうとして。

 

 

 

 

 衣笠を視界に捉えた青葉は、まず駆けだそうとして見事失敗した。

 傷まみれの足に走る激痛、つんのめり顔面を海面に叩き付ける。口の中に満ちる塩の味に、顔をしかめる。衣笠はそんな青葉を見て、心配そうに手を伸ばす。

 

「だ、大丈夫……?」

 

 情けないやら恥ずかしいやら、どんな顔なのか見られたくなくて、青葉は顔を俯かせる。しかし、こちらを覗き込む衣笠の顔を見ただけで、そんな些細な思いは飛んでいく。気を抜けば胸から溢れそうな思いが、青葉を圧倒していた。

 

「ありがとう、大丈夫、です」

 

 衣笠の手を取りながら、彼女の力を借りて立ち上がる。

 

「でも、どうやって深海凄艦を?」

 

「助けて貰った……ん、だけどね……」

 

 青葉が真っ先に連想したのは、先程視えた大量のミサイル群だった。

 あれを撃った誰かが、衣笠を助けてくれたのか。だがならどうして、妹はこうも歯切れが悪いのか。

 

「お前が青葉か?」

 

 衣笠の背後から、声が聞こえた。

 予想外の声に驚いただけではない、今までそんな気配は全く無かったのに、突然空間に気配が現出したからだ。

 

 自然と身構える青葉は、衣笠の背後で海面が盛り上がるのを見た。

 声は、背後ではなく真下から聞こえていた。巨大な鯨が跳ねる直前みたいなうねりを割って、現れたのは巨人だった。艦娘のように人間味のある肌と、綺麗な銀髪。対照的に深海凄艦の装備する艤装に近い異形をした、マントのような巨大艤装。

 

「貴女が、衣笠を?」

 

「ああ」

 

「あ、貴女は?」

 

「私はアーセナルギアだ」

 

 会話をしているのに、話が通じている気がしない。

 何だ一体、アーセナルギアなんて艦聞いたことがない。名前からして日本の艦ではないだろう、しかしWW2の艦でもない。

 直感的に捉えなくても、普通の艦娘とは明らかに違う。衣笠が混乱していた理由を、青葉は遅まきに理解した。

 

「ア、アーセナル……さん?」

 

「何だ」

 

「私たちを助けてくれて、ありがとうございます」

 

 目の前の存在が理解不可能だからといって、最低限の礼儀を欠かすべきではない。命の恩人なら尚更だ。

 

「そんなことより聞きたいことがある」

 

 こちらの感情を完全に無視して話を進めるアーセナルに、微妙な不信感が芽生える。いや、こんな異様な風体をしていて、信用もなにもないのだが。

 

「この海域で、『姫』を見なかったか?」

 

「姫?」

 

 姫と言うのは、深海凄艦の『姫級』で間違いないだろう。深海凄艦を統率する個体であり、どれもこれも戦略級の脅威となる。だからこそ大規模作戦では最終破壊対象に設定される存在。姫を沈めれば、深海凄艦は統率を失う。今回の第三次SN作戦でもそれは変わらない。

 

「ソロモン諸島の何処かにいるのは分かっている、細かい場所は分からないか?」

 

「いえ、見てませんね……すみません」

 

「そうか、悪かったな」

 

 冷静そうな顔から、冷静に謝罪の言葉が出る。そのまま速やかにアーセナルは何処かへ行こうとする。あまりにも自然過ぎて、彼女が自分たちを置いて行こうとしているのを、見逃すところだった。

 

「ちょっと待って下さい、何処に行くんですか?」

 

「姫を探し、叩く。お前たちが知らないなら、別の連中に聞くしかない」

 

 再びアーセナルは地平線へ漕ぎ出そうとする。不味い、と青葉は震えた。自分は動けず、無事と分かるのは衣笠だけ。ここで彼女にいなくなられたら、本当に沈んでしまう。信用できるかどうかの問題ではない、選択肢がない。

 

「この海域は深海凄艦の巣窟ですよ、一人でなんて無茶です」

 

「ならお前たちが役に立つとでも言うのか?」

 

「第一貴女、何処の所属なんですか、どうして姫に固執するんですか」

 

 何とか繋ぎ止めようと、青葉は矢継ぎ早に質問を飛ばしていく。

 

「私は何処の所属でもない、国にも艦娘にも、深海凄艦にもつかない。私自身、私がこんな姿になった理由は知らない。姫を殺したいのは、奴が私を殺そうとしているからだ」

 

 アーセナルは青葉の質問全てに、素早く回答していった。まさか全部素直に答えると思っていなかったので、完全に口を閉ざしてしまう。しかし、やはり話の内容は理解できなかった。

 

「それに、逃げるのも簡単ではない」

 

「どういうことですか?」

 

「この海域は既に、潜水艦の軍勢によって封鎖されている」

 

 頭を横から殴られたような衝撃を受け、青葉は自分の正気を疑う。

 潜水艦だって? なら駆逐艦や軽巡のいない今の状況では、脱出は不可能じゃないか。もしかしたら駆逐艦の生き残りが取り残されているかもしれないが、望みは薄い。駆逐艦は彼女が全力で逃がしたからだ。

 

「私も言われて調べてみたけど本当みたい。ソロモン諸島全体をぐるっと囲んでて、抜け道がない」

 

 衣笠がアーセナルに同意したのを見て、青葉は頭を抱えた。

 最大船速で行けば、抜けれるだろう。

 だが無理だ、青葉は自分の体を見下ろしながら頭を抱える。仮に修理できても速度が出せず、また追いつかれる。また私は足を引っ張っているのか。

 

「退路は断たれているわけだ、だが、これはチャンスだ」

 

 なのに、アーセナルと名乗る謎の艦娘に、絶望は悲観といったものはこれっぽっちも見当たらない。むしろ生き生きしている。

 

「あれだけの潜水艦が包囲網に使われている、なら内側の潜水艦は少ない。実際この付近を航行してみたが、潜水艦は全くいなかった。通常のレーダーで発見できない潜水艦がいない今こそ、姫を殺す絶好の機会、そうとは思わないか?」

 

「……そうですけど、相手は姫ですよ?」

 

 個体によるが、姫は通常何日も継続し攻撃を続け、限界まで疲弊させて撃破するような怪物である。幾らミサイルを積んでいる艦娘といえども、単独で沈められるものなのか。青葉にはどうも信じ切れない。

 

「殺せるさ、私はアーセナルギアだからな」

 

 アーセナルは微塵の迷いもなく、断言した。

 ミサイルなのか、それ以外に武器があるのか。アーセナルは自分の持つ火力に、全く疑いを持っていない。絶対的な自信で溢れている。アーセナルギアという艦が何なのか全く分からないが、青葉は彼女の自信に感化された。そんな在り方は、まるで物語の英雄だと、青葉は思った。

 

「まさか、レイテの……?」

 

 しかし、青葉の声より前に衣笠が名乗りを上げた。

 

「アーセナル、私を連れていって」

 

 青葉は自分の耳を疑う。彼女は何を言っている? いや何をしようとしている?

 

「急になんだ?」

 

「このまま青葉を護っていても、根本的な解決にはならない。燃料も弾も尽きて、きっと沈められちゃう。だから私は、貴女が姫を倒す可能性に賭けたい」

 

 身動きの取れない重巡を、重巡一隻で護り切れる訳がない。増援が来るかも分からない今、確かに一時的に青葉を見捨てるという選択は、決して間違いではない。聞いている青葉自身も、その通りだと思っていた。

 

「衣笠、本気、なんですか」

 

 ならどうしてこんなに声が震える。

 青葉が見たのは、自分を置いて出撃しようとする妹の――そしてあの時の最後の――後ろ姿だった。先程は帰ってきたが、今度も無事とは分からないのだ。

 

「ごめん青葉、でも大丈夫、さっきだって帰ってきたでしょ?」

 

「……分かりました、ごめんなさい、不甲斐無いお姉ちゃんで」

 

 青葉は恐ろしかった。感じる恐ろしさのまま叫びたかったが。今はこう答えるしかない。姫を圧倒できると自称するアーセナルを信じるしかない。しかしアーセナルは、とても不思議そうな顔をしていた。

 

「話を勝手に進めるな、提案は断る」

 

「……え?」

 

「たかが重巡一隻連れていって何になる? むしろ足を引っ張るだけだろうが、役立たずは要らない」

 

 なら、今の恐怖は何だったのか。

 噛み殺そうとした恐怖がすっぽ抜けていってしまった、おかげである意味安堵できた。しかし状況は悪化したのではないかと青葉は気づく。今の私たちは、アーセナルの助けなしでは死ぬしかない。

 

「せめて二隻になってから言え」

 

「二、隻?」

 

「数が揃うにこしたことはないからな。お前らと私の目的は一致しているようだし、提案自体は素直にありがたい」

 

「アーセナル、それはつまり」

 

「だから少し、大人しく待っていろ」

 

 今度こそアーセナルは、返事を聞かずに飛んでいってしまった。

 見捨てられたとは感じなかった。青葉が横を向くと、同時に衣笠と目が合った。二人は同じ期待と不安を抱いていた。

 

「……助かるのかな、私達」

 

「彼女が本当に、あの『レイテの英雄』なら、もしかしたら」

 

 今の青葉を修復する見立てがあるのかさえ分からない。信用する材料は殆どない。

 しかし、もしあの噂の英雄本人なら――縋るには不安定すぎる希望、今はそれを頼るしかないのだ。




 青葉型重巡洋艦 一番艦 『青葉』(艦隊これくしょん)
 1926年9月25日に進水した、青葉型の一番艦。その艦娘としての姿である。所属はブイン泊地だったが、第三次SN作戦の失敗により壊滅。現在は所属不明扱い。ブイン泊地やショートランド泊地にいたころは、他の青葉と同じく艦隊新聞なるものを独自に発行していた。その過程で、艦娘の間で広まる色々な噂にも詳しい。そんな趣味もあってか、インターネットやSNS、デジカメといった文明の機器に対して、いち早く適応している。


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File4 ヴァーチャス・ステルス

 やはり、姫はこの海域にいるのだ。アーセナルは笑みを隠せなかった。

 エラー娘という妙な存在と遭遇してから一か月間、アーセナルは自分を追う姫を探し続けていた。

 

 今尚進み続ける海中の景色は、エンガノ岬を脱出した頃から碌に変わっていない。海上に出たとしても、見えるのは小さな島と雲、地平線。突き抜ける風は蒸し暑く、それもあって尚の事、海中に潜み続けていた。

 

 きっとソロモン諸島でも、海底は大して変わらない。

 そう思っていたが、こうも長期間水中ばかり眺めていると、違いが分かってくるものだ。僅かな水温の違い、棲息している生物。そして敷き詰められたように広がる、軍艦の死体。

 

 この中に自分を沈めようとする姫を叩き落とすこと、それはきっと、とても良いことだ。血の混じり出した海中で、アーセナルは笑い続けていた。

 

 

 

 

―― File4 ヴァーチャス・ステルス ――

 

 

 

 

 それは紛れもなく苦難の一ヶ月だった。

 

 潜水艦は基本隠密性を重視した艦だが、海中ホワイトハウスとして建造されたアーセナルギアは違っていた。永遠に機能し続ける合衆国よろしく、半永久的に動けるように、彼女は機関に原子力を用いていた。

 

 だが、存在しる原子力潜水艦の大多数がそうであるように、アーセナルも静音性に著しい難を抱えている。最新技術の粋を用いても、この欠点は回避しきれなかった。

 加えて戦艦大和約80隻分という巨体を動かすのには、大量のタービンが要る。これもまた、騒音の原因になっていた。というより巨大過ぎる時点で、アクティブ、パッシブソナー問わず、発見されやすい。

 

 結果アーセナルは、徹底して隠れ、逃げ続ける事を余儀なくされたのである。無論ミサイル兵器をふんだんに使えば皆殺しは簡単だったが、それで本命の姫に会った時、『残弾ナシ』では笑うに笑えない。

 

〈アーセナル、哨戒に出した『レイ』が帰還している〉

 

〈どうだった?〉

 

 アーセナルは海中を航行しながら、同様に海中を潜航する『レイ』という兵器を格納していく。G.Wが報告するよりも前に、レイに取りついた妖精が、我先にと手柄を説明しだす。しかし水中なためか、妖精の声は全く届かなかった。妙なところで現実的だと、アーセナルは何だか感心した。

 

〈ここから南方より20キロ離れた地点に、深海凄艦の補給拠点らしき建造物があった。流石に詳細までは分からなかったが、中々多くの資源が集められていた〉

 

〈なら、それだけ重要性も高いか〉

 

 体内無線なら、水中でも問題なく会話できる。アーセナルは口を動かさずに、G.Wの報告に応対していた。

 

〈加えて小規模だが、地上飛行場基地も発見できた〉

 

〈飛行場か……〉

 

 アーセナルは、ソロモン諸島(この場合は第二次世界大戦中の)において、米軍を優位に立たせたヘンダーソン飛行場を思い出す。

 元々はルンガ飛行場といい、旧日本軍がガダルカナル島に建造した飛行場だったのだが、米軍はこれを逆に乗っ取ってしまい、ヘンダーソン飛行場に改名したのだ。完成したばかりの基地は、それ以降味方だった日本を苦しめることになる。

 だが今向かう場所はヘンダーソン飛行場と位置が異なる、別の基地だろう。

 

〈どうする?〉

 

〈破壊か、占拠か。いずれにせよ何らかのアクションは仕掛けてみたほうが良いな〉

 

 空襲の威力を削げば、ミサイルの節約に繋がる。

 補給物資の中に、青葉を修復できるものがあるかもしれない。

 これで姫を焙りだせれば、は欲張り過ぎかもしれないが。どう転んでも得しかない。

 

〈青葉と衣笠は? 本気で救出するのか?〉

 

〈手数が多いことに越したことはないだろ、お前も同じことを考えているんじゃないのか〉

 

〈アーセナルギアは弱点が多い、迂闊に行動を共にするリスクは避けるべきだ〉

 

〈秘匿主義も結構だが、死んだら元も子もない〉

 

 アーセナルは無線を切断し、飛行場へ進路を向けた。

 あの孤島で青葉に言ったことは、紛れもない本心だ。如何に強力なミサイル兵器といえど、尽きてしまえばどうしようもない。重巡クラスが二隻もあれば、戦闘補助に護衛――いざという時は文字通りの盾にすればいい。

 

 しかし、どうも引っ掛かる。

 青葉はアーセナルギアを知っているそぶりを見せていた。だが一か月間、艦娘はおろか深海凄艦の前にも姿を表していない。

 

 なら、初回の戦闘か。

 あの一瞬も目撃から、噂が広まったに違いない。

 艦娘の間でどう自分が広まっているか考えると、憂鬱な気分になってくる。アーセナルはより一層、深く潜航した。

 

 アーセナルギアという艦は、言うまでもないが最新ハイテク技術で構成されている。

 米軍を統制する戦術ネットしかり、イージスシステムや空軍の早期警戒機(AWACS)による、早期の敵発見しかり。だが逆に言えば、索敵は全てそちらに任せているということでもある。

 

 つまり、アーセナルギアは自力での索敵能力を殆ど持っていないのだ。

 流石にレーダーぐらいはあるが、イージスシステムに比べると劣る。

 しかも潜水艦にも関わらず、周辺を探るのに不可欠なソナーさえ装備していない。

 

 それもまたある意味ホワイトハウス(国家)と同じあり方だ。支配される対象の国民無しで国家が存在できないの同じで、制御する米軍がいないアーセナルは、多くの難を抱えざるを得なくなっている。それもまた、一か月間コソコソと逃げ回るしかなかった原因の一つだ。

 

 しかし、現在時刻は夜になっている。

 チャンスだ、第二次世界大戦基準の航空機だと、夜は殆ど飛行できない。アーセナルはこの隙をつき、海面へと浮上した。考えてみれば当然だが、潜水艦だって潜っているより、浮かんでいる時の方が速い。

 

 この隙を突き、アーセナルは飛行場まで猛進する。夜なので当然偵察機は飛んでいない。飛行場の位置は軍事衛星を通じ、G.Wが教えている。警戒しなければならない潜水艦も、今はソロモン諸島の包囲網に投入していて数が足りていない。

 

 歓迎すべきことだが、アーセナルは難しい顔をしていた。

 ソロモン諸島を潜水艦で包囲するのは分かる。だが内部の偵察がおろそかになってまで、包囲する価値がこの諸島にあるのだろうか。

 

 

 

 

 考えている内に時間は経過し、飛行場がレーダーに映り込む距離に到達した。

 結局ここに至るまでに潜水艦には遭遇しなかった、だが駆逐艦や軽巡洋艦がうろついているのが見える。アーセナルは気づかれる前に、再度海底へ潜航し、ソナーに掛からない為に動きを止めた。

 

〈それで、占拠か? 破壊か?〉

 

〈まずは基地の中身を見てからだ、艤装は頼んだぞ〉

 

 アーセナルは、海底で艤装をパージする。

 彼女は一部の装備だけ残し、迷いなく、()()で泳ぎ出した。

 

 それは艦娘を少しでも知っていれば、信じがたい行為である。

 艦娘は生身でも強力なパワーを発揮できるが、固有の力――海に浮かんだり深海凄艦に有効打を与えたり――を発揮するには、艤装の装備が必須である。

 

 しかしアーセナルは生身で、人間では死んでしまうような海底を泳ぎ続けていた。

 いや正確には生身ではない。

 ほんの僅かだが、彼女は艤装を装備していた。

 

 マントのように彼女を覆う、無数のミサイルユニットを搭載したメイン艤装。

 それとは別に、サブの艤装が存在していたのだ。

 肩から伸びる触手、もしくは蛇のような形状をしたスネーク・アーム。更に腰回りに据えられた、二振りの高周波ブレード。

 この中でアーセナルは、高周波ブレードを装備して、深海を泳いでいた。

 

 どうにも、いや本人もよく分かっていないが、明らかにアーセナルギアの兵装ではないこれらの武器も、艤装として認識されているらしい。

 証拠に忌々しいグレムリンどもも引っ付いている。

 尚、この事実を教えてくれたのもグレムリンども。自慢げな態度に腹が立ったのを覚えている。

 

 ただ艦の速度で動けなくはなるし、装甲は普通の人間と同じになってしまう。

 危険性は跳ね上がる。

 だが単独で基地に潜りこむなら、これで十分だ。

 それにあの艤装は巨大過ぎて、潜入にはとても向かない。

 

〈こちらアーセナル、敵飛行場への潜入に成功した〉

 

 資材を揚陸するためのドッグから、アーセナルは素早く上陸した。まばらだが敵兵の姿が見える。地上で動くためか、ツ級やネ級など、二本足で動ける深海凄艦が配備されていた。アーセナルは付近の資材に、姿を隠す。改めて基地の様子を伺いながら、G.Wと無線を続ける

 

〈行けそうか?〉

 

〈問題はない、今から基地内部を調べてみる〉

 

〈本当に大丈夫か?〉

 

〈くどいな、何かあるのか?〉

 

 変にしつこく心配してくるが、親切心とかそういったものはあり得ない。よってアーセナルは不気味にしか思えなかった。

 

〈アーセナル、君は潜入任務の経験がない。VRでの訓練もしていない。素人以下だ。その状況でスニーキングを行うのは、危険が大き過ぎる〉

 

 絶対に態度には出さなかったが、アーセナルも大きな不安を抱いていた。艦だった頃、内部に潜入工作員を抱え込んでいた為か、スニーキングに関する知識はある。だが実行したことは一度もない。いやまだ生後一ヶ月で、経験している訳がない。

 

 それに今は普通の人間と変わらない。

 普段なら意に介さない機銃の一発でさえ、致命傷になり得る。

 今までとは比較にならない死のイメージが纏わりついている。

 

〈やるしかないだろ〉

 

〈そうか、ならそうしてくれ。我々にはどうしようもないからな〉

 

〈――いや、『レイ』を何機かスタンバイさせておいてくれ〉

 

 不安を拂拭しようと、強い口調で言ってみた。しかし払いきれず、結局『レイ』を頼むことになってしまった。今は実際に潜入しながら、経験を身に付けていくしかない。

 

 

 

 

 揚陸した地点から奥に、一際大きな建造物が見えた。

 G.Wの情報が正しいなら、あれは飛行場を制御する管制塔。つまり航空機を飛ばすために、周辺のデータが蓄えられている。アーセナルはまずそこに侵入してみることにした。できるならより確実に情報を得られる場所に潜入したい。初めてのスニーキングへの不安が、こんなところにも表れていた。

 

 高周波ブレード同様、艤装として装備していたサブマシンガン、P90を構えながら、裏口から入り込む。内部には管制塔らしく、余計な物資は置かれていない。ただ最上層のメイン・ルームに向かって、螺旋階段が続いているだけ。

 

 しかし、素直に上に行かせて貰えるとは思えない。

 薄暗い上階からは、無数の足跡が聞こえる。

 監視カメラも設置されている。

 どうやっても途中で見付かってしまうだろう。

 無理矢理突破できるかもしれないが、危険過ぎるように思える。

 

 こういう時、彼らならどうしただろうか。

 アーセナルは自分の中に残る、潜入工作員たちの動きを思い出す。馬鹿正直に歩き回る真似はしていない。冷静に周囲を観察し、利用できる環境を利用していた。自分にもできるだろうか、という疑問もまた棄てた。彼等も任務中、こういった不安は極力排斥していたからだ。

 

 アーセナルは彼らの模倣子(MEME)を纏い、周囲を同じように観察する。すると上の方から、カサカサと小さな音が聞こえてきた。それは今も動いて、アーセナルの真上に迫って来ている。見えたのはネズミだった、換気用のダクトを走り抜けていた。

 

 迷いなくダクトの鉄格子に高周波ブレードを押し込み、その中へよじ登る。この中を通れば、見つかることはあるまい。監視カメラの類があるかないかは、流石に想定の仕様がないので諦める。

 

 ギリギリ体が収まる通路の中を、アーセナルは両手のみで進んでいく。全身を動かしたら騒音で気づかれるかもしれない。見られることは無いが、聞かれる可能性はある。思っていたよりも、安心感がない。全身への圧迫感が、焦りを生みそうになる。

 

 アーセナルは息を整えながら、四肢を踏ん張り、真上へと延びるダクトを進んでいく。一階、二階、三階――そこで、足跡とは違う異様な音を耳にした。それは僅かだったが、何か生々しい物を何度も殴る音だと、確信した。

 

 いったん進路を変え、三階のダクトを這いずり回る。音の発生源に、間もなく辿り着く。やはり殴る音、人を殴る音だ。更にくぐもった悲鳴も聞こえる。アーセナルは、真下の鉄格子から、音のする一室を覗き込んだ。

 

「サア、イイカゲン、ハイテモラオウカ」

 

 人型の深海凄艦――確か、戦艦タ級だ――が、優しい声で語り掛ける。しかし対象の女性は部屋の中央からロープで吊るされ、麻袋を頭からかぶされている。優しさなど欠片もない、これは拷問だ。

 

「ハカナイノナラ、マタ、イタイメニアウ」

 

 しかし拷問されている彼女は、全く動じない。麻袋越しでも、決して何も言おうとしない意志がアーセナルにも伝わった。逆にタ級は、更に苛立ち始める。

 

「オマエノニガシタ連合艦隊、イキノコリハドコニイル?」

 

「……私、一人ですよ」

 

「キサマ!」

 

 激情に駆られたタ級だったが、拷問はもうできなかった。天井から舞い降りたアーセナルの蹴りが後頭部を直撃し、卒倒する。他の深海凄艦も驚いている間に、一瞬で制圧された。

 

「大丈夫か?」

 

「……誰ですか?」

 

 アーセナルは彼女の麻袋を取り、ブレードでロープを切断する。重力に従い地面に激突されても困るので、片手で受け止めて地面に下ろす。視界を取り戻した彼女は、目の前の人物が誰か分からず困惑していた。

 

「私はアーセナルギア、一応艦娘だ」

 

「アーセナル、そうですか、ありがとうございます、助けて下さって」

 

 聞きなれない艦名に驚くこともなく、彼女は素直な感謝を告げる。痛みに顔を歪めながらも立ち上がり、膝の埃を払う。全身傷まみれだったが、その体から出る勇ましさは、全く衰えていなかった。

 

「私は軽巡、『神通』です」

 

 と言い切った途端、耐え切れなくなりその場に崩れ落ちてしまう。相当酷い拷問を受けていたらしい。連合艦隊の生き残りについて、だったか。多分青葉たちのことだが、彼女は他に何か知っているのか。

 

「お前はもしかして、連合艦隊の生き残りか?」

 

「確かにそうです、連合艦隊第二艦隊旗艦を務めていました。ですがどうしてそれを?」

 

「衣笠から聞いた。お前が随伴艦を逃がすために囮になったと」

 

「衣笠!? 彼女も取り残されていたのですか!?」

 

「青葉とやらもだ」

 

「そんな……」

 

 座り込んでいた全身から、更に力が抜けていく。彼女からしたら、第一艦隊も第二艦隊も、とっくに脱出しているものだと思っていたのだろう。しかし二隻も取り残されている。全くの無駄ではないが、神通の任務は不完全に終わってしまっている。だがアーセナルにとって重要なのはそこではない。

 

「質問がある、お前は『姫』を見なかったか?」

 

「この海域を支配する?」

 

「ああ」

 

「それなら、見ました」

 

 アーセナルの胸の内から、どろりとした歓喜が溢れ出た。笑みが隠せない。やっと当たりを引いた。姫を狙う連合艦隊の生き残りなら知っていると思ったが、ビンゴだ。その興奮が声に出ないよう抑えるのが大変だった。

 

「何処で見た、今は何処にいる?」

 

「此処です」

 

 笑みが、途端に張り付いた気がした。

 此処? この管制塔に、今姫がいる?

 興奮が止まらないが、尚抑え込む。

 獲物は目の前だ、なら最も警戒を高めないといけない。

 

「この管制塔の最上階に、姫はいました。もう別の場所に行ってしまったかもしれませんが」

 

「今がチャンスという訳か」

 

 どの道行かなければ分からない。アーセナルは立ち上がり、階段へ向かおうとする。しかしその肩を神通が掴み、静止させてくる。

 

「待ってください、貴女が姫を狙う理由は、今はいい」

 

 神通の眼は虚ろだった。度重なるダメージが限界に来ているのだ。だが、肩を掴む腕の力は尋常ではない。アーセナルも、無理に引き剥がそうとは思わなかった。

 

「ですが、やるなら急いでください。このままじゃ、全部手遅れになる」

 

「手遅れ?」

 

「私も、青葉たちも、古鷹たちも……泊地も……壊滅、してしまう」

 

 肩からずるりと手が落ちて、神通は昏倒した。

 このまま放置しておいても何ら問題はないが、有事の際に使えないのも困る。

 まだ目処は立たないが、修理の目処が立てば、彼女もきっと戦力になってくれる。

 

 アーセナルは最低限度の止血だけ済ませる、これで失血死は免れた。彼女の発言は気になるが、今此処で姫を殺せば、杞憂に終わる。

 彼女は再び、ダクトの中に身を潜ませた。ついでに敵兵に見つからないよう、神通も押し込んでおいた。脱力した人間は、やけに重く感じた。




140.85

〈改めて、君の装備する艤装について説明する〉
〈分かった〉
〈君の艤装は普通の艦娘と違い、メイン艤装とサブ艤装の二段で構成されている〉
〈スネーク・アームや、ブレードがサブの艤装だな?〉
〈そうだ、対してミサイルユニットや、(G.W)を格納している――いわば潜水艦アーセナルギアとしての本体が、メイン艤装の方だ。艦としての力の大半も、メイン艤装に依存している〉
〈それで……いくつか問題があるんだったな〉
〈艦の力はメイン艤装に有る。故にサブ艤装だけだと、君の『艦娘としての力』は激減する〉
〈例えば?〉
〈実際の艦と同じ耐久力や、航行速度……そういった要素が失われることになる〉
〈つまり、海面に浮かべるの以外、ただの人間と変わらなくなる訳か〉
〈そうだ、今の君が深海凄艦の攻撃を受けたら、肉片一つ残らずにGAMEOVERだ。絶対に敵に見つかるな。任務(MGS)の基本はスニーキングミッション、それを忘れるな〉
〈了解だ、此処(ハーメルン)にはSAVEもCONTINUEもないからな〉


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File5 メタルギア・レイ

 一歩一歩慎重に階段を昇りながら、神通の言葉を思い返す。

 どうやら青葉以外にも、古鷹という生き残りがいるらしい。余裕があれば探すべきだ。だがこのままでは全員死ぬとはどういうことだ。

 

 そう思ったものの、アーセナルは疑問を打ち切る。どうせすぐ目の前に、答えはあるのだ。私を追撃し続けてきた姫の顔を、やっと拝む事ができる。その顔をどうやって歪ませてやろうか、一度考え出すと止まらない。

 

 そうだ、思い知らさなくてはならない。

 この私から、自由を奪うことがどれほどの罪なのか。しかし、その思想を作った『過去』が何なのかまでは、考えが及ばなかった。問い掛けの代わりに、管制室への扉をゆっくりと開く。

 

 

 

 

―― File5 メタルギア・レイ ――

 

 

 

 

 管制室の中へ、クリアリングしながら蛇のように入り込む。コンソールをいじっている深海凄艦は数匹。十分制圧できる。静かなる侵入者に、彼女たちは気づいていない。一度開けた扉が閉まる時の音で、ようやく気づく始末。

 

 その間に、アーセナルは一匹を締め上げて昏倒させていた。

 二隻目はブレードで喉をかっさばき、悲鳴もなく絶命する。

 不意をつかれた深海凄艦は艤装を出現させようとするが、懐へ潜りこんだアーセナルの殴打を峰内にくらい、地面に倒れる。

 

 最後に残った一匹が、悲鳴を上げて仲間を呼ぼうとするのが見えた。ここで呼ばれたら全て台無しだ、静かに始末した意味がない。微妙に距離があったのが深海凄艦の致命打になる。残った彼女は、機銃を展開しアーセナルを仕留めようとしたのだ。

 

 直接殴りかかればまた別の結果だっただろうが、機銃を展開する隙を突かれ、懐へ潜りこまれる。間も無く彼女は卒倒し、管制室は蛻の殻となった。

 

〈姫らしき深海凄艦はいるか?〉

 

「いやいない、雑魚ばかりだ。どうやら一歩遅かったらしい」

 

 期待していた分、余計に落ち込む。それでも何らかの情報は得られるだろう。自分を元気づけ、先程まで深海凄艦が操作していたコンソールへ向かう。

 

 アーセナルはブレードやP90を装備している腰回りの艤装から、アクセス用のケーブルを差し込む。少し待つと画面に、『G.W』という文字が浮かび上がる。内部に侵入できたらしい。流石は全世界の情報検閲を可能にするAIか。

 

「できるか?」

 

 G.Wは無線でも音声でも答えず、無言で返事をした。アーセナルは邪魔が来ないように、再度P90を構え、内外を警戒する。

 

 窓越しに下を見ると、長い滑走路と複数の陸上機が見えた。G.Wが言っていた飛行場だ。そこからは今も、続々と陸上機が発進している。誰かを探しているのか――恐らくは、連合艦隊の生き残りだ。

 

 振り返ると、昏倒している深海凄艦がいる。たった四匹、手間はかからなかった。それが逆に不信感を呼ぶ。

 ここは重要な拠点じゃないのか?

 警備が少なすぎやしないか?

 物資と兵士の数が合わない。

 

〈アーセナル、幾つか情報を手に入れた。まず海域の情報だ。敵基地の位置も把握できた〉

 

 仕事が速い、いやこれぐらいできないと困る。

 間もなくレーダーを見た時と同じく、アーセナルの網膜に直接、G.Wの拾った情報が掲示される。

 

〈この基地はどうやら、深海凄艦のコロンバンガラ基地攻略の為に建造された、人類側の拠点だったようだ。だが青葉たち連合艦隊の壊滅をきっかけに、乗っ取られてしまったのだ〉

 

 ヘンダーソン飛行場と同じだ、戦いなど何時も、そんなものかもしれないが。それより目に入ったのは、この基地から少し離れた場所に記された、大きな赤い点だった。嫌な予感しかしない。

 

「この点は何だ?」

 

〈空襲の目標地点のようだ。連合艦隊の生き残りがその島に潜伏している。深海凄艦は後30分で爆撃を始める。生存者を排除するために〉

 

 生き残り――それは神通が言っていた、古鷹ではないか?

 先程の陸上機は、彼女を空爆するために発進していたのか。

 

〈彼女たちは無線で救助を求めていた、その電波を拾われてしまったのだ〉

 

「相当切羽詰まっているようだな」

 

〈どうする?〉

 

 位置的には今すぐ行けば間に合うかもしれない。しかし助ける意味は余りない。せいぜい戦力が落ちるぐらいだ。敵に露見するリスクを無視してまで無線をした、つまり自力では動けない。そんな連中がどれだけ戦えるのか。

 だが、

 

「古鷹だったな、そいつらの無線周波数は分かるな。そこから青葉や衣笠の周波数を割り出せないか?」

 

〈やってみよう〉

 

「繋がったら、そのまま伝えておいてくれ。知らなかったのならともかく、知ってしまった以上、知らないフリは無理だ」

 

 まあ運が良ければ助かるだろう、そして時間が余れば、救援に行けばいい。アーセナルは再び、網膜に写る情報に眼を通していく。空襲の計画、拠点配置生き残りの掃討――今更だが、何故深海凄艦は青葉たち生存者に拘るのだろう。

 誰だって内側に敵を入れたくはないが、それだけとは思えない。

 

 

「マサカ、オ前ガ来ルトハ」

 

 

 アーセナルの疑問は、謎の――しかし聞き覚えがある――声に遮られた。静かな部屋に声が響く。今更警戒しても遅い、アーセナルは自分の鈍感さを呪いながら、ゆっくり振り返る。

 

「生き残りでも掛かればと思っていたが、とんでもない大物がかかってくれた」

 

「お前が、この海域の『姫』か?」

 

 その深海凄艦は、アーセナルが侵入した管制室の扉にいた。

 明らかに今まで見た深海凄艦とは違っていた。他者を支配する者特有の、オーラのような威圧感がある。

 

「忘れたのか、私を?」

 

 不敵に、そして不遜に笑いながら、姫は自分の体に指を向ける。そう言われると、既視感がある。真っ白なロングヘヤーに、サイドテールを伸ばした髪形。しかし全身の黒い服も、甲冑のようなガントレットにブーツも、あちこちがひび割れている。

 

「……馬鹿な、お前は沈めた筈」

 

「あの程度で、姫が簡単に沈むと思ったか。いや――沈んだな、だが蘇ったんだよ」

 

 謎かけのように、彼女は指先をくるくると回す。アーセナルは、彼女が誰なのか完全に思い出した。

 奴だ、私の初戦闘の餌食になった筈の深海凄艦だ。

 

「空母棲鬼改め、空母棲姫。オ前ヲ沈メルコノ瞬間ヲ待チ望ンデイタ」

 

 名乗りと同時に、殺気が溢れ、部屋を埋め尽くす。

 あの時乗っていた、水上バイクじみた艤装はない。お互いに生身、勝てる可能性はある。いや――仕留める、ここでミサイルを使ってでも。

 

「それは私の台詞だ、私を追い詰められると、本気で思っていたのか?」

 

「できるさ、此処は私のホームグランドだからな。まあ、まさか真っ向から入り込んでくるのは予想外だったが」

 

「私が敵から逃げる理由などない」

 

「そうか、なら残念だったな。今の私は逃げるしかないのだ」

 

 今何と言った?

 一瞬疑問を感じた隙に、空母棲姫は管制室の窓を破り、外へと落ちていってしまった。アーセナルも追い駆けて下を覗き込む。しかし彼女は地面に激突していない。真上に向かって急上昇する、兵員輸送用ヘリ。その扉から、体を出しながら浮上していた。

 

「逃げるのか!?」

 

「その通り、お前にやられた傷がまだ治り切っていない。褒めてやる、この短期間でここまで来たのはな。だがここまでだ」

 

 空母棲鬼――否、空母棲姫の声を皮切りに、深海凄艦が雪崩れ込んで来る。完全に背後を取られた形になってしまった。

 

「まだシズメルナ、捕えて拷問しろ。〈《あいつ》〉からの要望だ。だがその後は、私の番だ」

 

 アーセナルは迷いなくミサイルを撃とうとした、しかし管制塔の中に神通が残っているのを思い出す。ここで空母棲姫を仕留めれば問題ない。だがまだ艦載機も、陸上機もある。それを全て盾に使われて、確実に殺せるか?

 その場合神通を死なせたリスクだけが降り注ぐ。どうする? どちらの方が良い?

 

「良い顔だ、その顔を早く歪ませてやりたい。なに直ぐだ、『白鯨』の実地試験が終わり、生き残りどもが『運命』を辿るのを待つといい」

 

 悩んでいる間に、空母棲姫は飛び立ってしまった。

 周囲は陸上機が護衛している。背後には深海凄艦。

 不審な動きをしたら卒倒させられる。

 無理だ、仕方がないと、アーセナルは爪を噛みながら、彼女を見送るしなかった。

 

〈G.W、レイは?〉

 

〈終わっている〉

 

 だからアーセナルは、ミサイルを用いずに、基地を制圧するプランに切り替えた。

 突如響き始めた轟音に、深海凄艦は動揺する。その隙に砲身の射線から逃れるアーセナル。不審な動きに気づいた深海凄艦が、アーセナルを襲おうとした瞬間、彼女を護るように、『何か』が滑り込んだ。

 

〈メタルギア・レイ、01から15まで発艦完了、これより基地の制圧に入る〉

 

 G.Wと、無数のミサイルと、戦術ネット。

 それらに加えてもう一つの、アーセナルギアをアーセナルギア足らしめる、最後の要素が、基地の蹂躙を始めた。

 

 

 

 

 少し遡り、アーセナルがコンソールを操作している頃になる。

 夕焼け空はすっかり暗くなり、おぼろげだった星がハッキリと見えつつある。このまま暗くなれば、作業はより困難になる。青葉は衣笠と共に、自分の艤装を修理するので忙しかった。

 

「ねえ青葉、アーセナルってやっぱり」

 

「ええ、噂のあの人でしょうね」

 

 本来なら雑談をする余裕もないのだが、アーセナルという特殊過ぎる存在を目の当たりにした青葉は、彼女が本物かどうか確かめたかった。だから衣笠と同じテーマで語り合う。同時に、膨らんでいく焦りを会話で落ち着かせたかった。

 

「レイテ沖の英雄……」

 

「本当なのかな?」

 

「他にミサイルなんか搭載した艦娘がいますか?」

 

 もっとも、彼女が艦娘なのかさえ分からないのだが。

 自分が何なのか、彼女自身も分かってなさそうだ。建造ではなく、ドロップで現れた艦娘かもしれない。しかし艦娘か、深海凄艦かどうかの区別もつかないのは珍しい。艦娘なら本能的に分かるのだが。

 

「私はどっちかと言うと、本当に助けてくれるかの方が不安だよ」

 

「来てくれますよきっと、彼女は英雄ですから」

 

「それだって噂でしょ? それもネットの掲示板の、実際はあんなだったじゃない」

 

 衣笠の痛い指摘に、青葉は口を閉ざす。

 確かに、若干――いや大分、予想していた英雄像とは違っている。それでもきっと、私を助けてくれると青葉は、何の根拠もなしに考えていた。

 

「期待ぐらいしてもいいじゃないですか、艤装もこんなですし、治したって……」

 

「それは、そうだけど……」

 

「せめて提督が生きていれば、『安全装置(セーフティ)』を解除できるんですがね」

 

 うんともすんとも言わない妖精は、心無しか元気がなさそうだった。

 提督とのリンクが切れてしまい、全力を出せないせいだ。艦娘が全力を出すためには、提督と呼ばれる適正を――例えば妖精が見えたり、完全に会話ができたりと――持つ人間と、一種の契約をしなければならない。

 

 しかし、一人の人間に制御されるシステムは不安定だ。

 リンクが切れてしまった原因は、繋がっているから直感的に分かる。暗殺か事故か、深海凄艦の空爆かまでは分からないが。提督はきっと死んでしまったのだ。だからリンクが切れた。なら基地に残っている仲間たちも、もしかしたら――

 

 嫌な考えになりそうだ。

 青葉は再び、艤装の応急修理に戻ることにした。しかしこれ以上いじれそうな場所はない。一応航行可能になってはいるが、契約が切れているので、本格的な戦闘は困難だ。だがそれ以上に、やれることがなくなったことへの落胆が大きい。

 

〈聞こえているか、青葉、衣笠〉

 

 だから何の前触れもなく、耳元の無線から聞こえた声に心底驚いた。

 

「誰ですか!?」

 

〈私はG.W。アーセナルギアに搭載された自立型AIだ〉

 

 何だAIって、何だG.Wって。

 いやAIという存在は知っている。人の人格を模した、自分で考える機械のことだ。艦娘も元々機械、似た存在だとは思う。だが、だからといってこんな、ビジネスライクな挨拶をするように登場してこないでくれ。

 

「どうやってこの周波数を!?」

 

〈そんなことはどうでもいい、君達に伝えるべきことがある〉

 

 敵に拾われる危険を考慮し、逃げてから無線は使用していないのに。それもまた、無線相手の怪しさを引き立たせる。だが、G.Wの伝えるべき事に比べれば、青葉の疑問は確かに『どうでもいい』ことだった。

 

〈君たちのいる島からそう遠くない距離に、古鷹という艦娘がいる。深海凄艦がそこを空爆するという情報を得た。後30分後だ。君たちのいる島からなら、ギリギリ間に合う〉

 

 古鷹が生きている、だが今にも死に瀕している。

 相反する二つの事実を同時に知って、青葉は言葉が出なかった。歓喜か絶望かも分からない。だがそれとこれとは全く別に、体は動き出していた。

 

「衣笠!」

 

「分かってる、でも青葉は大丈夫なの!?」

 

「艤装が本調子じゃないのは、お互い同じでしょう」

 

 動き出すと同時に、G.Wが古鷹の要る島の座標を教えてくれる。このAIはアーセナルの装備らしい。やはり彼女は皆が思った通り、残酷な史実を覆す英雄なのだ。

 

「アーセナルさんはどうしたんですか?」

 

〈彼女は今忙しい、古鷹の救援に行く余裕はなく、重要度も低い。古鷹を助けたいのなら、君達だけでやってくれ〉

 

「忙しい? 何かあったんですか?」

 

 無線機はもう、うんともすんとも言わなかった。向こうで何かあったのか、心配しても仕方の無いことだ。それよりも優先しなければいけないことは、古鷹だ。

 

「絶対、絶対に助けます」

 

「私だって、同じ気持ちだよ」

 

 衣笠の言葉で自分の気持ちも強まった気がした。

 今回もあの時も、古鷹を助けることはできなかった。その過去を今日、今乗り越えるのだ。この罪悪感を終わらせられるかは、私次第だ。

 

 

 

 

 G.Wの指示は的確で、最短ルートで島に辿り着いた。

 だが艤装の調子に気を使いながら航行していたせいで、古鷹のいる島まで30分近くかかってしまった。同時に、今まさに空襲を仕掛けようとしている陸上爆撃機が見えた。

 

 遠巻きに見る孤島は、とても小さかった。岩礁と言っても差し支えない程だ。本当に古鷹が隠れているのか分からない。だが、もしもを考えたら。青葉と衣笠は二隻だけで、対空砲火を始める。

 

 幸いにも、爆撃機の数は少なかった。

 投入している数が少ないのか――知る由もなかったが、空母棲姫の直衛に大半が回されていたせいでもある――二隻でも、ギリギリ対処できる範疇だった。

 

 そうだろうか、青葉は疑問だった。

 たった二隻で対処できる理由はそれだけではない、何故か分からないが――機関の出力が高まっているのだ。提督と契約している時と同じくらいに。つまり本調子の力で戦えている。

 

 衣笠と目が合うが、彼女も不思議そうな顔をしていた。同じ疑問を抱いているのだ。

 まあ良い、調子が良いなら、それで良い。青葉は再度、空へ砲身を向ける。このまま行けば――その希望はあっけなく圧し折られた。

 

「不味い青葉! 敵艦隊見ユ!」

 

 青ざめる悲鳴が聞こえた。夜の暗闇を払うように、敵艦隊の姿が見える。

 全部で六隻、戦艦クラスはいないが、こちらはたったの二隻だ。

 どうする、このままでは耐え切れない。

 

 敵艦隊を包む夕焼けは、刻一刻と黒ずんでいた。

 後数分で夜になる、そうすれば空襲は回避できるかもしれない。

 いま必要なのは時間だ。

 損耗の少ない衣笠と、応急修理しかしていない青葉、囮になるのは当然、

 

「私が囮になります、衣笠は航空機を落としてください!」

 

「――分かった、すぐに向かうわ!」

 

 一瞬苦虫を潰したような顔をしていた。だが彼女はそれでも、見捨てないと言ってくれた。それは嬉しかったが、古鷹が死んだら元も子もない。運命を破るには、相応の代償がいるのだろう。青葉は大きく息を吐き、狼のように叫びながら突入しようとして。

 

「――へ?」

 

 本日二度目となる、間抜けな声が漏れた。

 

 それは突然起きた。

 敵艦隊の足元が泡だったかと思った瞬間、巨大な魚が喉元に喰らい付いたのだ。次々と水面から飛び出す姿は、トビウオのように滑らかな動きだった。

 

 だが、そのトビウオは生物ではない。

 鱗のように生物的だが、紛れもなく鋼鉄の装甲を纏っていた。これは機械だ、生物のような機械なのだ。更に言えば魚でもない、二本足と腕にも見える翅を生やし、海中を優雅に泳いでいる。

 

 深海凄艦の動揺はそれ以上だった。

 慌てて砲撃を撃ちこむが、水中にいる巨人には届かない。反撃に足元から現れ、顔面を蹴り潰されていく。

 

「空爆隊が……」

 

 衣笠が、呆然としながら空を見上げていた。

 海面に顔だけ出した巨人が、今度は怪獣のように口からビームを吐く。よく見ればそれは高圧縮された水だと分かる。暗闇をバックにした水圧カッターは噴水のように綺麗だった。

 

 しかし夜では、爆撃機の位置は正確に分からない。

 なのに、怪獣はその水圧レーザーを、的確に命中させていく。そして、空爆隊と敵艦隊が全滅したのは、全くの同時だった。

 

〈水陸両用二足歩行戦車、メタルギア・レイだ〉

 

 同じく全く同じ動きで巨人が振り返り、青葉達を包囲していく。味方だと分かっていても、警戒心が止まらない。

 

「……青葉?」

 

 だが、不安も不信感も、この声を聴く為だったなら、何てことは無い。小さな孤島から、彼女の声がする。途端に涙が流れそうになる、今すぐ抱き着いて泣きだしたくなる。けど一番怖かったのは彼女の筈だ。

 

「助けに、来ました」

 

 青葉は涙をこらえながら、彼女の方へ手を差し伸べた。

 古鷹の肩には、同じく第六戦隊の仲間だった加古が抱えられていた。駄目だ、涙が抑えられない。それを隠そうと青葉は、顔の前にカメラを構える。炊かれるフラッシュが、二人が生きていると証明していた。




G.W(ジー・ダブル)(MGS2)
 アーセナルギアの中核を成す光ニューロAI。開発者はエマ・エメリッヒ・ダンジガー。その正体はアメリカを裏から支配する秘密結社『愛国者達』が作り上げた大規模情報検閲システムであり、アーセナルギアはむしろG.Wの護衛として建造されている。そんな存在故か、アーセナルギアが艦娘化した際、G.Wも同じく艤装として蘇ることとなる。
 本来の行動目的は愛国者達の支配継続のためだが、愛国者達が存在しないこの世界で、何を目的としているのかは不明。
 尚アーセナルの人格は、ソリダス・スネークや雷電など、愛国者達への敵対者がベースになっている。よってお互いの仲は最悪である。


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File6 白鯨

 古鷹どころか、加古まで生きていた事実に青葉は喜びを隠せなかった。それは自分のせいで沈んだ罪悪感からの、払拭も多分に混じっている。それでも喜びは喜びだ、生きていることに勝る幸福はない。

 

 ただ、この幸福をもたらしたのが得体の知れない機械なのが、若干不満だった。運命を覆すのは、自分でなければ意味がない気がしたからだ。ふと過った考えを、青葉は首を振って否定する。何を我儘なことを。

 

 それを踏まえてなお不条理に感じるアーセナルの凄まじさに、青葉は改めて感嘆する。あっけなく運命をひっくり返す彼女は、何処から来たのだろうか。分からない過去を夢想する青葉は、夢見る乙女のようでもあった。そうだ、英雄とはまさしく夢の存在だ。噂通り実在する夢、それがアーセナルだ。

 

 

 

 

―― File6 白鯨 ――

 

 

 

 古鷹と加古は確かに生きていたが、状況が良くなったわけではなかった。特に潜水艦の攻撃を――私が見逃したせいで――受けてしまった加古の傷は酷い。艤装どころか肉体にまで及んでいる。

 

「加古は大丈夫なんですか」

 

「ごめんなさい、正直かなり危険な状況。すぐに入渠させないと」

 

 止血は済ませたのだろうが、顔色は相当悪い。深海凄艦のように真っ白だ。事体は一刻を争う。しかし入渠設備は泊地や鎮守府にしかない。

 

〈入渠とは何だ? 何かの隠語か?〉

 

 再び無線機が勝手に動いた。今度はG.Wではなくアーセナル本人だ。彼女なら何とかしてくれるのでないか。青葉は都合が良いと分かっていながらも、彼女に縋る。

 

「助けて下さいアーセナル、このままじゃ加古が死んじゃう」

 

〈少し待て、妖精が何か言っている〉

 

 引っ繰り返りそうな声が出ているのに、アーセナルは冷静そのものだった。流石に今回は、冷淡としか思えなかった。緊迫しているからこそ焦ってはいけないが、どうしても不満が起きてしまう。

 

 いや、待て、妖精と話している?

 

〈入渠ドッグに艦娘を浸ければ、傷を修復できるんだな?〉

 

「はい、そうです」

 

〈なら私の制圧した基地に来い、ここは元々ソロモン諸島の攻略用に建設された基地だ。艦娘の運用も前提に入れていたから、ドッグがある〉

 

「本当ですか!?」

 

〈レイの誘導に従え、そう遠くはない〉

 

 考えている余裕はない。青葉は脇目も振らずに、レイの背後につく。

 

「青葉、誰と無線してたの?」

 

 助かる見込みができて少し安心したのだ。青葉はまるで自分の自慢をするように笑った。

 

「レイテの英雄ですよ」

 

 古鷹の驚く顔を見た青葉は更に笑う。自分の書いた新聞で誰かが笑ってくれた時と、同じような感情が芽生えていた。

 

 

 

 

 レイの誘導に従い、基地だった場所に上陸した青葉たち。彼女を出迎えたのは、基地らしき何かだった。建物は片端から壊され、コンクリートでできた地面には無数の焦げ目と窪みがある。

 

 基地の内部は、更に多くのレイが巡回していた。頭部らしき部分に妖精がいる。やはりこの超兵器はアーセナルの兵装だ。基地を制圧したと言った時は眉唾ものだったが、こんな兵器が無数にあれば、基地の制圧など簡単だろう。

 

「来たか青葉」

 

「アーセナル! ドッグは何処ですか、お願いします、加古を助けて下さい」

 

「こっちだ、焦るな」

 

 涙を必死にこらえている古鷹を連れて、アーセナルが歩き出す。少し速足になっている気がしたのは、気のせいではない。早歩きで向かった先、ボロボロになった工廠の地下に、入渠施設があった。

 

「ドッグは一つだけですか」

 

「連中、撤退時にできるだけ施設を破壊していった。さすがに全部は阻止しきれなかったが、一つ残っただけでも良いと思え」

 

 アーセナルが何か、聞き取れない言葉を話す。ワラワラと現れた妖精が加古を運んでいき、流れるようにドッグへと詰め込む。修復終了までのタイマーが作動したことで、青葉たちは漸く『助かった』と実感した。

 

「本当に、本当にありがとうございます」

 

「お前が古鷹で、今ドッグに入れたのが加古だな? 青葉からいくつか聞いたかもしれないが、私はアーセナルギアだ」

 

「ええ、あのレイテの英雄ですよね」

 

 そう言った瞬間、アーセナルが怪訝そうな顔をして顔を顰めた。冷たい空気が一転して不機嫌になる。しかし青葉は、そのことに全く気付いていなかった。

 

「レイテ……まさか、一ヶ月前の戦闘のことか?」

 

「やっぱり本人じゃないですか! 知らないかもしれませんが、アーセナルさんは今とても有名なんですよ」

 

 レイテ沖を舞台にし、そして今回の第三次SN作戦の切っ掛けになった大勝利。捷号作戦成功の中で流れる、最も有力な噂の存在があった。

 

 敵機動部隊主力を小沢艦隊が壊滅させたと大本営は言うが、実は違う。本当はある一隻の艦娘が、敵を根絶やしにした――と言う噂だ。

 

 敵のいなくなった海域に現れた小沢艦隊が見たのは、海中へと消えていく一隻の巨大な影。あとに残された深海凄艦の残骸には、ミサイル攻撃の跡としか思えない損傷が無数に発見されたらしい。

 

 勿論ミサイルを装備している艦娘なんて、今までいないと思っていた。この証言も、何処から出てきたか分からない。デマの可能性だってある。

 しかしネットに籠るような――無論、新聞を趣味とする私も例外ではない――艦娘は、この噂にこぞって飛び付いた。いつしか名前の代わりに彼女は、『レイテの英雄』と呼ばれるようになった。

 

 現実的にはあり得ないからこそ、夢中になる。この英雄譚は、物語であり創作物なのだ。ネットの海では既に、名前も分からない英雄が、レイテを生き抜く物語が生まれている。かくいう青葉も、それらを記事にして纏めてみたりもした。だから他の艦娘より、レイテの英雄に関しては詳しいと自認している。

 

「でもまさか、会えるとは思ってもみませんでした」

 

「最悪だ」

 

 長々と説明したことへの感想を、青葉は一瞬理解できなかった。

 

「一瞬見られたせいでそんなことになっていたとは……」

 

「本当に知らなかったんですか?」

 

「興味がないからな、噂など」

 

 ネットで物事を調べる際には、検索エンジンが用いられる。それは今まで入力してきた履歴から、興味のありそうなコンテンツを掲示してくれる。逆に言えば、興味のない物事は表示されないのだ。だからアーセナルにとって、この英雄談は存在しないも同然だったのだろう。信じられなかったが。

 

「それよりも衣笠、改めて聞くが提案はどうする?」

 

「勿論守るわ、ここまでしてもらっていたら申し訳ないもの。まあ、呑んでくれればだけど」

 

「呑むさ、二隻でも十分なところが、『五隻』に増えたんだからな。一回言ったが、手足が多いに越したことはない」

 

「待ってください、五隻? 誰ですか」

 

「――まさか、青葉?」

 

 聞き覚えのある声に、青葉は振り向いた。

信じられない光景があった、古鷹たちが生きていた時よりも、更に衝撃を受けた。

彼女が沈んだシチュエーションから、絶対に沈んだと信じ込んでいたからだ。

 

「神通さん……!?」

 

「そうでしたか、貴女たちもアーセナルに助けて頂いたのですね」

 

 彼女は、連合艦隊が崩壊した時、僚艦を逃がそうと一人しんがりを務めた艦娘、川内型に二番艦の神通に他ならなかった。

 もういい加減限界だった、青葉は衝動的に抱き着きたくなった。

 だが、全身が酷い傷に覆われているのを見て、躊躇した。

 

「どうしたんですか、その傷は」

 

 砲撃戦や雷撃戦で受けた傷には視えなかった。嫌な予感が過る。

 

「見た目ほど大した傷ではありません、大丈夫ですよ」

 

 あっさりと嘘をつく神通、その嘘が彼女なりの優しさなのは分かる。しかし脂汗を流しながらでは、痛ましいだけだった。

 

「修復剤はあったのか?」

 

「はい、一つだけですが」

 

「ならこれは加古に使わせて貰う」

 

 神通は無言でこくりと頷く。この基地は艦娘が使う前提だったから、修復剤も残っていた。しかしドッグ同様撤退時に破壊され、一つしか残らなかった。だが、それを探しに行かせるのに、ボロボロの彼女を歩かせるか?

 

 青葉は不満を抱く。確かに顔色が悪いのは加古の方だ、優先順位としては間違っていない。危険な傷ではないが、軽い傷でもないだろう。

 だが、そんな無茶をする彼女だからこそ、あそこでしんがりを務めたのだ。お蔭で私たちは今此処にいる。釈然としないが、文句など言える筈も無い。

 

「……ここは、てかあんたは?」

 

「この人が助けてくれたんです、それに初対面の人にあんたはないでしょ」

 

「そりゃ悪いな、あたしは加古だ。それであんた――じゃない、貴方は?」

 

 修復剤の効果により、ドッグから瞬時に出てきた加古がチラチラと辺りを見渡す。その後当然、アーセナルギア――もといレイテの英雄の実在に驚いたのは、言うまでもなかった。ともあれ全員助かった、史実に近い流れを辿りながらも生き残った。それを実現してくれたアーセナルに沸いたのは、底のない感謝の気持ちだった。

 

 

 

 

 加古が出たことで空いたドッグに詰め込まれたのは、青葉――ではなく青葉の艤装だった。

 神通や加古と違い、ダメージを受けていたのは艤装だけだったからだ。

 

青葉としては神通を真っ先に入渠させたかったのだが、次の修復剤が見つかるかも分からない今、時間がかかる入渠は避けたいとアーセナルは言う。

 

「それじゃあ、空母棲姫を沈めるのが目的ってことかい?」

 

「ああ、私は奴を殺したい。奴が死ねば統率は崩壊し、お前たちは助かる。すでに衣笠と約束している、今さらノーとは言わせない」

 

「難儀な状況になっちゃったねえ」

 

 現状を説明された加古が溜め息をついた。冷静に考える程、酷い状況だ。無数の潜水艦による包囲網と、ヘンダーソン飛行場による空からの監視。対する戦力は重巡四隻と軽巡一隻。アーセナルがいなかったら自殺を選んでもおかしくない。

 

 そのアーセナルだって、ミサイルは有限だ。深海凄艦はとにかく数が多い。肝心の空母棲姫に届かせる残弾がなければ意味がない。彼女の強さに縋り続けていては、道は開けない。

 しかし、古鷹の意外な一言が、状況を照らし出した。

 

「いや、大丈夫かも」

 

「どういうことですか?」

 

「私たちは救援を求めて、無線を飛ばし続けてたの。加古も危なかったし。でもお蔭で、ショートランド泊地と少しだけ通信ができた。今艦隊を再編成してる最中、もうすぐ救援も兼ねて、出撃できるって言ってた」

 

「本当ですか!?」

 

「だとしたら、姫攻略も相当楽になるが……裏を取らせてみるか」

 

 連合艦隊が来てくれれば希望が見える、姫打倒は夢ではない。

 ショートランド泊地の提督と連絡が取れれば、リンクの再接続もできたが、それは仕方がない。

 

 少しだけ不安なのは、連合艦隊がアーセナルと出会った時、どんな反応をするかだ。多分良い反応はしない気がした、きっと逃げ出す。これでお別れと思うと、少し寂しい。

 

「……冗談ですよね」

 

 何故そんな言葉が神通の口から出たのか分からない。

 神通の顔を見た青葉は戦慄した。

 痛みによる脂汗が、異常に増えていた。汚れで黒ずんだ顔が一瞬、デス・マスクに見えたのだ。

 

「連合艦隊は、何時出撃するのですか。聞けましたか」

 

 迫ってこそ来ないが、圧が凄まじい。

 

「あ、後二日後だって。あれから数時間経ってるから、もう少し短くなるけど」

 

「たったの、二日……ですか。不味いですね、時間がありません」

 

「どうしたの神通さん、何が不味いの」

 

「このままでは、私たちも、連合艦隊も……それどころかショートランド泊地まで壊滅してしまいます」

 

 青葉には、夢としか思えなかった。良い夢に見せかけて、最後にとんでもないことが起きる悪夢だ。だからオチがついた後、直ぐに目覚めるさ。しかしこれが夢なら、現実では全員沈んでいることになる。

 

「拷問から逃げた時もそんなことを言っていたな」

 

「このソロモン諸島は、単なる深海凄艦の拠点ではありません。新型の深海凄艦が開発されているんです」

 

「新型?」

 

「『白鯨』、空母棲姫はそう呼んでいました」

 

 白鯨という有名な小説があることを、青葉は思い出す。まず間違いなく本来の名前ではなく、コードネームだ。しかしイ級だのタ級だの、深海凄艦同士でも淡白な記号で呼び合う彼女たちにしては、凝った名前をつけている。名前そのものに、何らかの意味が込められているのではと、青葉は勘ぐる。

 

「空母棲姫はそれを、深海凄艦がこの戦争に勝利するための、最終兵器だと言っていました」

 

「何よそれ、どんな兵器なの」

 

「私も詳しくは、ただ空母や戦艦といった、大型艦を簡単に葬れる兵器だと」

 

「空母もか?」

 

 艦娘と深海凄艦の戦いは、WW2の近代海戦と違う部分が多くある。

 サイズの差を利用した隠密戦や陸上戦、普通の艦より必要な人数が少ない点。しかしそれでも、莫大な射程を持つ戦艦や空母が重宝されているのは変わらない。

 それが簡単に葬られてしまったら、この戦争のパワーバランスは崩壊する。

 

「はい、整備はこの基地でやっていたようです。もう移送されてしまったみたいですが」

 

「資材の多さに対して、警備が少なかったのはそういう理由か」

 

「深海凄艦からしたら、この基地は用済みなのでしょうね」

 

 撤退時に徹底して破壊していったのは、白鯨の証拠を残さない意味もあったのだろう。逆に言えば、基地一つを捨て駒にしてでも護りたい兵器だ。自然と信憑性が上がっていく。

 

「基地一つを犠牲にしてまで、ですか」

 

「ええ、深海凄艦は白鯨の存在が漏れないよう必死でした。だから……私を拷問して、他に生き残りが、つまり目撃者がいないか探そうとしていたんです」

 

 神通が若干言い淀んだ。先程大したことはないと言った傷が、拷問だと自白してしまったからだ。薄々察してはいたが、事実だと理解すると、胸が締め付けられる。青葉はそれから逃れようと、話を無理やり進める。

 

「でも、どうしてそれが、泊地まで壊滅することに」

 

「白鯨は正確に言えば、どんな状況でも大型艦を破壊できる兵器だそうです。例え太平洋の真ん中でも、鎮守府の目の前でも」

 

「無茶苦茶な性能じゃないですか」

 

「……そんな兵器、実在するの? あたしはちょっと信じられない」

 

 加古の疑問は、全員の総意でもあった。強過ぎる、言い換えれば都合が良すぎる。神通は信頼できるが、どうにも納得できない。

 

「残念ながら本当のようです、私も信じ切れてはいませんが、真実だと裏付ける計画が進んでいます」

 

 神通の顔が、更に蒼ざめた。

 

「信じられない性能ですよね、深海凄艦も同じことを感じているようです。だから彼女たちは、白鯨の性能を立証するための、『実地試験』を計画しています。それはもう下準備は澄んでいて、白鯨の整備待ちになっています」

 

「敵陣地で、性能を発揮。おい、まさか実地試験の場所は」

 

「ショートランド泊地です」

 

 みるみる内に、青葉の顔を神通と同じ色になっていく。今まで冷静さを保っていたアーセナルでさえ、ごくりと唾を呑んでいた。

 

「先程古鷹が教えてくれた、私たちを助けるための連合艦隊が、白鯨の演習相手です。バックアップの深海凄艦も、もう泊地近海に潜んでいます。決行のタイミングは、連合艦隊が出撃した瞬間を狙ってきます」

 

「つまり、つまりあれですか。青葉たちを助けようと連合艦隊が出撃した時こそが、青葉たちの最後なんですか?」

 

「増援の見込みも、帰る場所も無くなります。白鯨の整備は、あと一日で終わります」

 

〈第六戦隊と神通、アーセナル、聞こえているな。今この基地内のデータサルベージが終わった。神通の言っていたことは、全て事実のようだ〉

 

「白鯨も計画も事実か」

 

 青葉を的確に導いてくれたG.W、更にアーセナルが同意する。第六戦隊の精神に追い打ちがかけられた。誰も話そうとしない、「どうしよう」とか「どうすれば」とかもない。全員今の状況を呑み込むのが精一杯だった。

 

 だが、アーセナルと神通は全く違っていた。顔を青くしながらも、更に会話を――作戦を組み上げ始めたのだ

 

「白鯨の実在、性能は事実だろう。だからこそ私はこれがチャンスだと思う」

 

「やはりそう思いますか」

 

「失敗できないのは敵も同じだ。ここで白鯨をどうにかできれば、一気に空母棲姫の喉元まで喰らい付けるかもしれない」

 

「あと一日で白鯨を探し、破壊しなければいけません。連合艦隊が来れなくなったのは辛いですが、やるしかありません」

 

 やるしかない、神通の一言が耳に残る。青葉たちに向かって言った訳でも無いのに、絶対に届く明瞭な声に聞こえた。

この状況で尚前を向く神通の危うささえ秘めた勇気が、言葉を通して伝染する。やるしかない、やるしかない。自分に言い聞かせると、不思議と勇気が湧いてくる。

 

「やるしかない、だよね、青葉」

 

「やりましょう、古鷹、皆さん。ついて来てくれますか?」

 

 第六戦隊の旗艦ゆえに、そんな上から目線の言い方になってしまった。申し訳なくて顔を隠す青葉を、加古も衣笠も気にしない。

 

「神通姉さんを、一人で行かせやしないわ」

 

「真っ先に沈むのも、残されるのも御免さ」

 

 あの危うさから、神通を救い出さなければいけない。運命を覆すには、そう、やるしかないのだ。第六戦隊の中で、そんな意識が芽生え一つになる。一つの思いを共有できることに、青葉は更に勇気づけられた。

 

〈…………〉

 

 そんな青葉たちを、興味深く観察する存在に気づかないで。




140.12

〈おお、本当に繋がりました!〉
〈体内無線と通常の無線が繋がるとはな〉
〈体内無線?〉
〈そうだ、体内のナノマシンが咽喉(スロート)マイクの役目を果たし、声を出さなくても会話ができる。同じくナノマシンが耳小骨を揺らし、音声が聞こえる。今回の場合、お前たちの無線機に音声データになる電波を、ナノマシンが発信して会話を可能にしている〉
〈ナノマシン?〉
〈微生物サイズの極めて小さい機械類……そんな当たり前のことも知らないのか?〉
〈……一体何世紀先の世界から来たんですか〉
〈今と同じ2009年には、同様の技術は普及していたが。陸軍兵士システムセンター(SSCEN)ではすでに開発され、実戦投入が可能な段階だった〉
〈同じ2009年なのに、なんでこんな差が〉
〈深海凄艦のせいで文明まで停滞しているのだろう、代わりにオカルトな技術が発展した。艦娘、グレムリン、艤装に入渠。今だに信じられん〉
〈この世界の常識に関しては青葉の方が詳しそうですね、何か気になったら聞いて下さい〉
〈了解した〉


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File7 コロンバンガラ

 ボロボロの埠頭を歩きながら、地平線を仰ぎ見る。

 ソロモン諸島の太陽はとっくに沈み、丑三つ時は越えてしまった。体に纏わりつくような暑さの中、吹き抜ける風はとても心地よい。不意に思い出す、あの夏の呉で見た、最後の景色を。

 

 振り返ればほぼ廃墟、要る筈の仲間も夜に隠れて見えない。今の私は一人だ、まるで夏の呉にそっくりだ。寂しさもまた、風のように抜けていく。記憶も感情も、夢みたいにふわふわと、弾けては消える。

 

 現実感がどこか抜けているのは、暑さのせいか、夜だからなのか。

 それとも、後二日と経たずに、ショートランド泊地が消えてしまう事実が、信じ切れていないからなのか。

 時間はもう、二日もない。

 

 

 

 

―― File7 コロンバンガラ ――

 

 

 

 

 今動けるのは古鷹と衣笠だけ。二人の調査した深海凄艦の動きと、回収した基地のデータ。二つを組み合わせることで、G.Wは白鯨の輸送先を突き止めた。アーセナルが言うには、G.Wは全世界のネットワークを監視し、検閲できる程の情報処理能力を持っているAIだ。どうしてそんな物騒なスペックがあるのかは、答えてくれなかった。

 

 代わりに教えてくれたのは、アーセナルギアのスペックだった。一時的とはいえ共同戦線を張る以上、どんな艦なのかは教えておかないと不味いのが理由だ。しかし青葉は、そのスペックを完全に呑み込めてはいなかった。

 

 数千発のもミサイル兵器を搭載し、核ミサイルの運用能力さえ保有。更にG.Wを中心とし米軍四軍を掌握、コントロール可能。挙句の果てにメタルギア・レイという、完全なステルス性と高い潜水能力を備えた水陸両用戦車が25機。

 

 説明は丁寧だったが、理解が及ばない。スペックは分かったが、一方でアーセナルギアの正体をより複雑なものに変えてもいた。何故そんな艦が作られたのか尋ねようにも、G.Wの時と同じくだんまりを決め込んでいる。

 

 多分、ただならぬ理由があるのだ。それはきっと、トラウマに近い記憶だ。何となくだが察した青葉はそれ以上の言及を止めることにした。辛すぎる過去を無理やり掘り返す必要はない。

 

「しかし深海凄艦は強大だ、白鯨の護衛用に、配備されている戦力もこことは比較にならない」

 

 眉にしわを寄せながら、アーセナルが地図に点をつけていく。

 白鯨が配備されている基地の正面には、膨大な深海凄艦。しかもソロモン諸島を守るヘンダーソン飛行場から、航空機が無数に飛んでくる。

 対してこちらは6隻。アーセナルは対姫用なので除外、青葉自身は無傷だが、艤装が修理中。神通はいまだ拷問の傷が治っていない。まさか生身の青葉をカウントする訳にもいかない。よって実質3隻。正攻法は無理だった。

 

「そこでこの基地と同じく、私が単独で潜入する。そのまま白鯨を破壊し、敵の目論見に風穴を空ける」

 

「あたしたちは、ただ待つだけなのかい?」

 

「深海凄艦もこの基地を我々が制圧したのは知っている筈だ。攻め込まれた場合の防衛を頼む」

 

 現状では撤退もままならない。青葉の艤装は破壊されてしまうし、まともに動けない神通はどうなるのか。逃げたとしても、怪我人を追いながら、何処に逃げろと言うのか。

 

「なら行けないのは青葉と神通さんの二人ですね、青葉の体は動けるのに」

 

 逆に、艤装が無事で体がボロボロなのが神通である。

 

「何を言っている青葉、お前は私の潜入について来て貰う」

 

「青葉が? どうして?」

 

「万一敵に見つかった時、白鯨の破壊工作の時の警戒。バックアップが一人欲しいと思っていた。防衛戦力の艤装持ちを回すのは愚行だ。艤装は使えないが、体は無傷なお前が適任だ」

 

 アーセナルという艦娘にバックアップが必要なのかは置いておく、バックアップがある分に越したことはない。損耗しているのは艤装だけなので、生身で動く分には問題も無い。だが青葉には当然、潜入任務の経験も訓練もない、できるとは思えなかった。

 

「P90を貸しておく、深海凄艦にも効果はある。それにG.Wも支援してくれる。できるな?」

 

 期待されている、と青葉は感じた。

 憧れでもあるアーセナルに頼られていることが、とても嬉しかった。なら応えなければならない、それに―――できることがあるのに、待つしかないなんて、絶対に耐えられない。

 

「分かりました、頑張ってみます」

 

「なら待機は私だけですか」

 

 残る神通が無力さに嘆いていた。

 

「馬鹿を言うな、白鯨を破壊した後は本格的な戦闘になる。私が姫を始末するまでの間、露払いが必要だ。その時がお前の出番になる、だから今は休んでいろ」

 

 白鯨を破壊すれば、ショートランド泊地の壊滅と、敵の目論見は防げる。計画を砕かれた敵が逆上するのは誰にだって予想できた。今出番がないのではなく、後の為に神通は出撃しないのだ。

 

「分かりました、そう言うならこの神通、力を蓄えていましょう」

 

「頼むぞ、あの時空母棲姫を取り逃がしたのは、お前のせいでもあるんだからな」

 

 アーセナルが笑った。物凄く邪悪な笑みを浮かべていた。今のが本心から出たのか、ジョークなのかはさっぱり判断がつかない。心なしか凍り始めている空気を何とかしようと、青葉が神通へ手を伸ばしながら立ち上がる。

 

「心配ありませんよアーセナル、神通さんは物凄く強いですから!」

 

「そうなのか?」

 

「そんなことは、私なんてまだまだです」

 

「何言ってるの、私たちを鍛えてくれたのは神通さんじゃない」

 

 衣笠の懐かしそうな眼を見て、青葉も昔を思い出す。艦娘として建造されてから、まだまだ人と艦の折り合いがつけられなかった頃、彼女がやってきた。噂で聞いていた鬼教官の登場に、第六戦隊は例外なく震えていた。

 

 予想通り訓練は鬼そのものだった。しかし訓練でない時の彼女は、鬼とは無縁だった。特に理由がなくてもいてくれた。日常の相談に乗ってくれたし、食事にだって誘ってくれた。要はバランスだ。訓練が厳しいからこそ、そうで無い時は優しくなる。無論、訓練の厳しささえ、優しさから生まれたものだと、間もなく理解した。

 

「神通さんがいなければ青葉たちはいません。今はそれどころじゃありませんが、新聞趣味をしようと決意できたのも、神通さんが後押ししてくれたお蔭です」

 

「元々興味があったでしょう、私は後押ししただけです」

 

「その後押しがなければ、青葉は動けませんでしたよ」

 

 まだまだトラウマに悩まされていた青葉は、こんな趣味に走って良い物かと悩んでいた。それよりやることがあるのではないか。だが神通はそんな悩みを、笑って吹き飛ばしたのだ。『なら一号は是非私に、貴女の伝えたいことを知れたなら、とても素敵ですから』。そして青葉はジャーナリストになったのだ。

 

「止めて下さい、あの時はどうすれば貴女たちと打ち解けられるか、必死だっただけです」

 

 と言うものの、顔が若干綻んでいるのは隠せていない。

 

「ま、そういうこった。神通姉ちゃんの強さは、あたしたち全員が保障する」

 

「姉? 神通は川内型ではないのか?」

 

「ワシントン条約でねじれちゃったけど、あたしは元々川内型の一番艦になる予定だったのさ。んでもって古鷹型は川内型の設計を元にしている。その発展が青葉型。だからある意味、あたしたちは神通姉ちゃんの妹なのさ」

 

 ついでに言うなら古鷹型は本来、加古の方が先に施工し加古型になる筈だった。しかしクレーンの事故などで遅れ、古鷹の施工が先になり古鷹型になっている。発展形の青葉型も古鷹型にくくられたりする。どちらが姉で妹なのか、分かったものではない。

 

 だが、神通を姉と呼ぶのはそれだけではない。

 彼女が伝えてくれた艦娘らしさ、人間らしさ。私たちは全員、彼女を真似て生きてきたと言っても良い。技術的な、だけではない。意志を受け継いだ模倣子的(MEME)な姉妹でもあるのだ。

 

「そこまで言わなくても、十分当てにしている。では今から行ってくる、ついてこい青葉」

 

 経験なしでのバックアップは不安しかないが、何故か興奮もしている。

 それは良い。しかし妹である私が()()()に向かうのは、宿命めいたものを感じさせる。

 

「作戦目標は白鯨、拠点は『コロンバンガラ島陸戦基地』――アーセナルギア、任務を開始する!」

 

「青葉、出撃しちゃいます!」

 

 そこは、軽巡神通の轟沈地点に他ならなかった。

 

 

 

 

 あの因縁の海域へ出撃していく二人を見送り、更に近海の哨戒へ向かった二人を見送る。衣笠はもう少し、この基地で修復剤を探すと言う。そして神通はただ一人、アーセナルに言われた通り体力温存につとめていた。

 

 皆立派になったものだ。各々ができることするのを見て、神通はそう感じた。最初の頃は本当にひよっこだったのに、成長とは速い。対して自分はどうだろうか、拷問で受けたダメージ如きで、引っ込まざるを得なくなっている。

 

 実際、その気になれば戦える事実が、この気持ちに拍車をかけていた。

 艤装は殆ど負傷していない、拷問の傷も落ち着いてきている、多少の無理をすれば出撃できるのだ。だが神通の行動は、無傷な仲間の足を引っ張ってしまうだろう。

 

〈結局修復剤は見つからないか〉

 

〈衣笠が頑張ってくれているのですが、正直難しそうです〉

 

〈助けた意味は余りなかったらしい、残念だ〉

 

 アーセナルは露骨な落ち込みを見せていた。

 しかし神通を苦しめようとか、自責の念を作ろうとする意識はない。本心から落胆していた。悪意は微塵もなく、純粋に自分の努力が無駄になったのがショックらしい。どちらにせよ役に立たないというのは、気持ちの良いものではない。

 

〈アーセナル、流石に今のは見過ごせませんよ〉

 

〈事実を言ったまでだ、だいいちレイに背負われて移動しているお前が言える状況ではない〉

 

〈艤装の修復はあと二時間程度で終わります〉

 

〈出番がなければいいが〉

 

 青葉の艤装を使う状況とは、つまり白鯨の破壊に失敗した状況だ。

それだけでチャンスが潰えはしないものの、生存はより厳しくなる。できるならアーセナルの言う通り、使う機会はない方がいい。

 

〈ただ妙なことがあります、出力が正常のままなんです〉

 

〈正常なのが、おかしいのか?〉

 

〈今の私たちは提督とのリンクが切れていて、そのせいで艤装不調に陥っています。今は出力が低いことが正常でないといけません〉

 

〈提督がいないと戦えない、安全装置のようなシステムか〉

 

〈あの、その点で気づいたことがあるんですけど〉

 

 おずおずと、手を上げて発言許可を求める青葉の姿が、無線越しに想像できた。

 

〈もしかしてアーセナルギアは、艦娘であると同時に提督なのではないでしょうか?〉

 

〈ありえません、提督適正を持つのは人間だけです〉

 

〈でも、彼女は妖精と会話していました〉

 

 馬鹿な、あり得ない。

 安全装置である提督適正を、艦娘が持っている。賢い猛獣に檻の鍵を預けるのと同じだ、意味がない。しかし妖精と会話できる存在は、事実として提督しかいない。

 

〈……私は何なんだろうな〉

 

 アーセナル自身にもその理由は分からないらしい、そもそもアーセナルがどういう艦なのか神通は知らない、聞いても彼女は話さない。史実を存在のルーツとする艦娘にとって、それはどれ程の恐怖なのか。だから青葉はきっと、理解できる今のために動いたのだろう。神通はそう感じた。

 

〈良ければ、写真を取ってもいいですか?〉

 

〈断る、顔が政府に露見するのは絶対に嫌だ〉

 

〈なら許可を下さい、このソロモン諸島でのアーセナルの戦いを、記事にしたいんです〉

 

〈お前は何を言っている?〉

 

〈青葉はアーセナルがどんな艦なのか分かりません、聞いても教えてくれません〉

 

〈レイテの英雄として祭り上げられているんだろう、そこから引っ張って来ればいい。どうせ私の発生に関する憶測が飛び交っている筈だ〉

 

 青葉に半ば無理矢理見せられた、『英雄』のコミュニティサイトには、色々な憶測があった。『米国が建造した極秘兵器』、『脱走した深海凄艦の成れの果て』もしくは『深海凄艦を裏切った正義の味方』。『並行世界から』または『未来からの艦娘』。確かめられない以上、それは全て嘘でもあり、真実でもある。

 

〈そんな証拠もないものは記事にしません、それに……アーセナルも分からないんですよね、自分がどこから来たのか〉

 

〈ああ、艦の記憶はあるが、何が起きてこんな体になったのかは覚えていない〉

 

〈尚更ですよ、そんな記事は貴女を不安にさせるだけです。そんな記事は望みません。青葉が伝えたいことは、皆さんの色々なことです〉

 

〈色々なこと?〉

 

〈日常に埋没してしまうような個性や、本人が恥ずかしがって隠しているようなこと。だけど青葉たちは戦場に生きていて、知る機会もないまま終わってしまうかもしれません。でもそれは、とても悲しいと思いませんか〉

 

 それは、始めて聞く青葉の信念だった。あの時不意に言った一言が、気がつけばここまで立派に成長していたのだ。嘘偽りなく誇らしいと思った、しかし逆に、自分が惨めに見える。その気持ちを押し隠し、神通は黙っていた。

 

〈だから青葉が、こう言っては傲慢かもしれませんけど、伝えるんです。その為にも知りたい、英雄である貴女がこのソロモン諸島で、どんな素敵な面を見せるのか〉

 

〈なるほど、傲慢だな〉

 

〈過去を知られたくない気持ちは分かります、だけど、今この時は伝えて良いですか?〉

 

〈大本営が許すなら構わないさ、だが写真は駄目だ〉

 

 大本営はアーセナルギアの存在を公には認めていない。あの大戦果が正体不明の存在にもたらされたとなれば、軍の支持に関わる。青葉がこの戦いを記事にできる確率は低い、それでも彼女は伝えようとしている。

 

〈許さなくても、いつか話せるかもしれません。青葉は大本営の意志じゃなく、自分の意志で残すものを決めます。そうですよね、神通さん〉

 

「私ですか?」

 

 身に覚えがない話が飛んできて、神通は誰も見てないのに自分を指さした。

 

〈言ってくれたじゃないですか、自分の意志で情報は選びなさいって〉

 

 そこで神通は思い出した、新聞をしたいと言い出した青葉にかけた警告を。

 情報とは扱いによっては非常に強力だ、だからこそモラルや社会規範を意識し、自分で伝え方を考えなくてはならない。無暗に人気を集めようと、パパラッチのような行動をしてはいけないと。

 

〈ただ周りに求められるまま、情報を吐いてはいけない。個人の意志がないなら、ジャーナリストに存在価値はありません。今時個々人に必要な情報は、検索エンジンやフィルターバブルが返してくれますから〉

 

「ええそうでしたね、すいません、言った本人なのに忘れていました」

 

〈まあ大分昔ですからね、でもお蔭で青葉は、自分の意志で伝えることを伝えられています〉

 

〈戦場に埋もれがちな、誰かの日常か〉

 

〈何時死んでも青葉たちはおかしくない、でも青葉の残した記憶が誰かに残れば、その人の中で生き続けられます。青葉はそうやって、誰かを生かすことができる〉

 

 しかし神通が感じたのは、背筋が凍るような悪寒だった。

 何だ、今のは。私の愛おしい妹は、何を伝えようとしている。そんな気持ちは露知らず、悍ましい妹は喜々と語る。

 

〈勿論アーセナルの新聞第一号は、神通さんに届けます〉

 

〈作れればだがな、もうコロンバンガラ島に入る。無線を切るぞ――〉

 

〈待っててください神通さん、『運命の軛』なんて青葉とアーセナルが引っ繰り返してきますから!〉

 

 そうか、この悪寒の正体は。

 神通は気づく、青葉を悍ましくしてしまった歪みの正体を。不味い、このままでは。私が青葉に伝えたことは、伝えられていない。

 

 神通は叫ぶが、無機質なハウリングが帰って来るだけだった。

 遅かった、もうこちらから無線は繋げないだろう。敵地のど真ん中でおしゃべるなどできない。しかし今の青葉に必要なのは、その無意味なおしゃべりだ。

 

「どうして、気づかなかったんですか!」

 

 神通はコンクリートの床を殴りつける。何度も何度も、拳が血で滲んでも。拷問の痛みが全身を走るが、全く感じない。それどころではない、私はとんでもない間違いをしてしまった。

 

 運命の軛。

 それはレイテの英雄同様、艦娘の間で語られる有名な噂だ。

 例えどんなに頑張ろうと、足掻こうと、その艦娘は元となった史実通りの最後を迎えるという、物騒な噂話。

しかし実際、あの海戦、あの戦いの再現が発生し、あの通りの結末が演じられる事例は発生している。

 

 原因は何なのか、深海凄艦が史実を再現するのと関係あるのか。

 誰も確かめられない噂は曖昧に、運命という言葉に内包されて拡散していった。

 取材やらなんやらでネットに没入する青葉がそれを知っているのは、ごく自然な流れだった。

 

 だが、まさか。

 あの噂がここまで青葉を捕えているとは思わなかった。噂の是非はどうでもいい、肝心なのは、このままでは青葉はまず間違いなく最悪の結末を迎える予感だ。

 

 そして、その呪縛を強めてしまったのは他ならぬ自分だ。

 あの時、新聞をしたいと言った真意を汲み取れなかったばかりに、そして本心を誤魔化した言葉をかけてしまったばかりに、私の意志は伝わらなかった。

 

 伝えなければ、まだ間に合う。

 伝えることを、伝え方を間違えてはいけないのだ、今度こそは。




140.12

〈しかし……何故新聞なんだ?〉
〈と言いますと?〉
〈SNSの発展で、簡単に個人の意見を発信できる時代だ。わざわざ新聞なんて面倒な手段を取らなくても、SNSや自前のサイトを使えばいいじゃないか〉
〈そうですね、やはり私にかつて、従軍作家の海野十三さんが乗っていたからだと思います。それにパソコンで情報を探すより、自前の足でネタを集める方が性に合っていると言いますか〉
〈なるほど、そうやってストーカーまがいの行為に及んでいるのか〉
〈それは偏見です! いや、そういった『青葉』が多いのも事実ですけど……青葉は違いますよ!〉
〈そうか〉
〈アーセナル。今青葉のSNSや、彼女の周囲の人物のSNSを調べてみた〉
〈ジ、G.W!?〉
〈ストーカー、盗聴、個室への侵入と言った呟きが多く上がっている。どれも一線は越えていないが、その一線の上でダンスを踊っている。言い方によっては犯罪にならない……かもしれない程度にギリギリだ〉
〈……青葉〉
〈…………恐縮です!〉
〈おい待て、無線を切るな! 話はまだ――〉


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File8 CO-OPS

 運命の軛とは何だ、アーセナルに向かって青葉は答える。

 それは、史実通りの運命を護ろうとする力だと。アーセナルは反射的に考える、何故そんなものを護らなくてはならない。

 

 だが、青葉は更に続ける。

 だからアーセナルギアは、英雄として称えられるのだ。

運命を捻じ曲げ、容易く粉砕し、艦娘の未来を切り開く。故に彼女はレイテの英雄になったのだと。

 

 ならば、この海域は何だ。

 コロンバンガラ島に展開された敵兵力と、それを支える前線基地。時刻は夜間2時へ入りつつあり、光を消した拠点はジャングルに隠れている。その中央に潜む白鯨は、何の再現なのか。

 

 

 

 

―― File8 CO-OPS ――

 

 

 

 

 夜間の闇に紛れて、アーセナルと青葉はコロンバンガラ島に設置された敵拠点に侵入した。前回と同じく、G.Wが搭載されたメイン艤装は、近海海底に沈めてある。いざという時は、海底からミサイル群やメタルギア・レイでの支援を要請する。

 

「古鷹たちは大丈夫でしょうか」

 

「いざという時はミサイルやレイを飛ばすことにしている」

 

 あの拠点とコロンバンガラはそんなに離れてはいない、敵艦隊を発見してからでも、ミサイルは十分間に合う。圧倒的な速度と射程距離こそ、ミサイルの強みだ。

 

〈そのコロンバンガラ島拠点は、いわば中継基地だ。ソロモン諸島に展開する部隊や、ヘンダーソン飛行場。それらへ供給する物資拠点であり、物資を振り分ける港でもある。ソロモン諸島の兵站を支える基地だ、警備は比較にならないぞ、見つかれば終わりだ〉

 

 更にヘンダーソンほどの規模ではないが、ベラ飛行場も存在している。物陰から顔を出す。暗闇でも尚、ひしひしと伝わる張り詰めた空気が、警備の多さを物語っていた。

 

〈念のためレイを二機だけ先行させ、待機させてある。しかしメタルギアとは言え数的には不利だ。分かっているだろうが、見つかるなよ〉

 

 ここからは、下手な会話も危険だ。

 アーセナルは青葉にアイコンタクトを送る、潜入技術は、アーセナルの方が上だ。彼女が先行し、P90を持った青葉が続く。

 

 この基地の構造は、例のデータベースからG.Wが見つけている。基地同士でネットワークを構成していたので、そこから逆探知したのだ。

 

 アーセナルの瞼に、立体的な映像――ソリッドビジョンとなった基地情報が浮かび上がる。ベラ飛行場に隣接する場所に、巨大な建造物がある。そこから海に直接、船一隻が十分入れる水路がある。白鯨も深海凄艦だ、ここが白鯨の保存庫に違いない。

 

 青葉とアーセナルは、順調に基地を抜けていく。人員が多い分警備が厳しいかと思ったが、案外そうでもない。白鯨の整備に気をとられているのか、何処か集中力を欠いている。もしくは緊張し過ぎている。その合間を練れば、見つからないのは簡単だった。

 

 順調に足を進めていき、二人は苦も無く白鯨の保存庫に侵入した。

 しかし、ここに来て二人は困難に直面する。

兵器格納庫への入り口は、一か所しかなかったのだ。

扉の前には敵兵がいる。発見されるのは避けられない。

監視カメラがG.Wが誤魔化しくれるが、あれは二人で始末するしかない。

 

 さて、どうする。

 P90で脳天を撃ち殺すのは簡単だ、だが銃を使えば音が反響して、建物内の深海凄艦に聞こえてしまう。高周波ブレードで首を落とすか、締め上げるか。どちらにせよ接近しなくては。

 

〈青葉、敵兵が二人――いや二隻いる〉

 

〈ど、どうするんですか?〉

 

〈誘き寄せて一隻、その後お前はもう一隻の注意を引け、一瞬で良い〉

 

 青葉は少し戸惑ったような顔を浮かべた、素人故に不安なのだ。気持ちは分かるが、選択肢は最初からない。彼女も分かっている、すぐに覚悟を決め、P90を強く握りしめる。しかし体中の筋肉が力んでいる。

 

〈実はな、お前をバックアップにしたのは理由がある〉

 

〈え?〉

 

〈私も潜入の素人なんだ、正直に言うと、今も油断すると膝が笑いそうになる〉

 

〈冗談ですよね?〉

 

 青葉が絶望した顔を浮かべた、しかし冗談などではない本心でもあった。

 確かにアーセナルギアの搭乗員、その記憶からスニーキングの知識はある。だが実際に経験したのは、まだ一回だけ。VRの経験すらない。不安で不安で仕方がない。

 

〈だから、誰でもいいから誰かいて欲しかったんだ〉

 

〈アーセナル……〉

 

〈ピンチになった時、盾にできるからな〉

 

 青葉が絶望した表情を浮かべた、これは半分くらい冗談だった。どれほど孤高を好んでも不安は感じる、群れを組めば不安は和らぐ。人間として生きているアーセナルにも、人間らしい集団心理は合った。

 

 そして人の心理は、冗談一つで和らいだりもする。青葉の筋肉はほぐれていた。

 緊張のほどけた青葉を見て、アーセナルはポケットをまさぐる。取り出したのは本来メイン艤装に装備されている筈のミサイル、その弾頭だった。

 

 ミサイルを通路に向けて転がすと、敵兵が興味を持った。

 WW2の記憶から生まれたという深海凄艦。知識のない彼女たちでは、この塊が何なのか遠目には分からない。危険かどうか、艤装を展開しながら歩み寄っていく。

 

 瞬間、通路の陰からアーセナルが跳ねた。

 全身の筋肉をバネのように飛ばし、勢いのままひじ打ちを深海凄艦の側頭部に食らわせる。何が起きたのかも分からなかったに違いない、深海凄艦はそのまましめやかに、壁に叩き付けられた。

 

 異常に気づいた深海凄艦が、即座に艤装を構える。だが同時に青葉が飛び出し、P90を構えた。

 

 勿論こんなもの、艤装を展開した深海凄艦には効かない。人と同じ大きさでも、実態は巨大な艦艇だ。だが一瞬しか見ていない彼女には、それが単なるサブマシンガンか艤装の武器か判断できなかった。

 

 その隙に、アーセナルは気絶した深海凄艦を投げ飛ばした。

 主砲を撃とうとする、轟音が鳴る。増援が集まる――それは防がないといけない。砲撃するよりも早く、アーセナルは高周波ブレードを深海凄艦の足元に滑り込ませ、片足の筋を両断した。

 

 血しぶきが上がり、バランスが崩れる。立ち上がったアーセナルは深海凄艦の首元を掴み、艦艇一隻分の体重を利用、柔道の動きで投げ飛ばす。それは柔道ではなく、CQCと呼ばれる格闘術でもあった。

 

 二隻を排除して振り返ると、青葉がホッとした顔を浮かべている。

 アーセナルはその反応を好ましく感じた。

 共に命を張ったからだ。共同意識が芽生えているのだ。人の意識は言葉だけではない、行動でも伝染するのだ。

 ついでに冗談が言えた自分に驚きつつ、アーセナルは格納庫への扉を破った。

 

 

 

 

 長い通路だ、そう青葉は思った。

 格納庫は複雑な通路が何重にも包まって構成されていた。敵兵はあまりいないが、少し時間がかかるらしい。何回も曲がり角があり、その度に敵兵が飛び出て来ないかヒヤヒヤする。だが、アーセナル(英雄)がいるだけで、その心配は少し落ち着く。

 

 運命の軛を覆す彼女と一緒に戦える、それだけで自分も運命を覆せる気がしてくる。今回は自分のではなく、神通の運命だ。このコロンバンガラ島にあるベラ湾こそ、彼女が最後を迎えた場所なのだ。

 

〈青葉、聞こえてるか?〉

 

〈加古? どうかしたんですか?〉

 

〈青葉の艤装が治ってさ、それの報告ってわけ〉

 

〈本当ですか?〉

 

〈だから今から、神通姉ちゃんを入渠させる。時間はかかると思うけど、これでやっと怪我が治せるよ〉

 

〈それはもう、本当に良かったです〉

 

 だが青葉の顔は、どこか後ろめたさを伴っていた。

 心臓の奥底から冷たい水が湧き出て、血流に乗り全身へと巡る。指先まで冷えていき、血を巡らせた心臓自身が息苦しくなるような。

 

〈でも神通姉ちゃん、辛そうだった〉

 

〈何故だ?〉

 

 不思議そうにアーセナルが尋ねた。

 

〈何もできないで見てるのは、やっぱり辛いんじゃないかな〉

 

 更に青葉の胸が抉れていく。

 何もできず、仲間が沈むのを見送るだけ。身に覚えがあるどころではない、何度も何度も味わったあの無力感が体中から、蛆のように這い出てくる。

 

〈誰だって同じ状況なら辛いですよ、でも今は神通さんには我慢して貰わないと〉

 

〈……やっぱそういうもんなのかね〉

 

 今度は、加古の言葉が詰まりそうだった。青葉はしまったと後悔する、加古はともかく、私はあの時を知っているのに。

 

〈あたしは第六戦隊で真っ先に沈んじゃったから、分かんないんだ、そういう気持ちが。きっと神通姉ちゃんも同じだよ。二水戦のあいつら残して真っ先に沈んじゃって〉

 

〈言わないで下さい、もう良いんです、青葉も加古も此処にいるじゃないですか〉

 

〈そうだけどさ、でも思い出しちゃうんだよ。青葉の感じた寂しさなんかとは比較にならないと思うけど、あたしも寂しかった。三人いっぺんに亡くしたようなもんだから。目と鼻の先に墓場があっちゃ余計にね〉

 

〈青葉は、神通さんが出れなくて良かったと思ってます。此処(コロンバンガラ)に来なければ、運命に巻き込まれないで済むから〉

 

〈ごめん青葉、変なこと言っちゃって〉

 

 何故だ、何故謝る?

 原因は私にある、加古がこんな後ろめたい話をせざるを得なかったのも、トラウマを抉ったから。そのトラウマの根本的原因も、私が潜水艦を見逃したから。他のも原因はあるが、青葉はそう頑なに信じていた。

 

〈言ったらなんだか、少しだけスッキリしたよ。ありがとう青葉〉

 

〈お願いですから、神通さんが出ないように注意して下さいね〉

 

 見ているしかできないのは、相当辛い。

 だがそれが原因で、史実通りの最後を辿ったら、それこそ一巻の終わりだ。

 彼女を此処に来させてはいけない。その為には白鯨を破壊しないといけないのだ。

 白鯨の鎮座するドッグは、もう目の前に迫っていた。

 

 

 

 

 重厚な扉を二人掛かりで開けると、油と鉄の入り混じった臭いが噴き出す。海水の臭いも混じっていた、そして機械を扱う場所故の、充満した熱気。顔を手で保護しながら、青葉とアーセナルは格納庫の中へ入り込む。

 

 似たような通路をぐるぐる回っていたせいもあるが、格納庫の天井は異常に高く見えた。深海凄艦ではなく、本物の艦艇を建造できそうな大きさだ。白鯨とはそこまで巨大なのだろうか、だがサイズのアドバンテージを無くした深海凄艦とは強いのか?

 

 敵兵はほとんどいなかったが、念のため壁に張り巡らされたハンガーに隠れる。腰を落としながら、三階で構成されたハンガーを昇る。中央は丸見えだ、だから白鯨が見えてなければならない。歩きながら、中央を何度も見返す。実は小さくて、見逃しているだけに違いない。

 

 しかし、一階を一周し二階に上がっても、白鯨の姿は見えなかった。

 白鯨が鎮座していたであろう、海へと続く玉座は、空っぽに悠々と波しぶきを浮かべている。何もない、証拠さえ。

 

「遅かったか」

 

 冷静そうに言うアーセナルも、悔しそうに歯を食い縛っていた。

 

「だがまだそう遠くへは行っていまい、G.W、探せ、衛星もレイも何を使ってでも良い」

 

〈分かった、すぐに――探――を――――〉

 

 返事をしているのだろうか、無線機から聞こえるG.Wの声はノイズ塗れで聞こえない。アーセナルのオーバーテクノロジーに、無理矢理合わせたツケが来たのかもしれない。二人は指示が届いたと信じ、仕方なく情報でもないか探そうとする。

 

「無駄ヨ、白鯨ハモウ遠クヘ行ッテシマッタワ」

 

 尊大な声が、上から聞こえてきた。

 誰かに日ごろから命令をする、リーダー、もしくは権力者の声だ。此処は深海凄艦の基地、権力者でもあり、力で全てを支配できるリーダーでもある。当てはめるなら、『姫』と呼ぶべき存在だ。

 

 だが、三階に立っていたのは空母棲姫ではない。

 

 空母棲姫は黒いガントレットやブーツを履いていたが、髪の毛などは白かった。しかし上から見下ろす姫は、髪も、ドレスのような服も黒。背中に従者のように佇む獣のような艤装も黒。さながら美女と野獣(ビューティ&ビースト)だ。

 まさか、と青葉は叫ぶ。

 

戦艦棲姫(せんかんせいき)!?」

 

 姫級の中にも艦種はある、戦艦クラスの姫は恐ろしいまでの脅威であり、それ故に姫の中でも特に有名な個体だった。

 

「空母棲姫が言っていた時は信じられなかったけど、本当に会えるなんて、嬉しいわ」

 

「お前があいつの言っていた仲間か」

 

「エエ、とはいっても一時的な関係だけど」

 

 最悪だ、青葉は絶望していた。

 姫一隻でも圧倒的なのに、二隻目までいたとは。果たしてどうすればこの状況を切り抜けられるのか。震える青葉を見て、戦艦棲姫がほほ笑んだ。

 

「そんなに怖がらなくてもいいじゃない、貴女はまだ沈まないもの」

 

「何のことでしょうか」

 

「フフフ、()()()()よ。知っているでしょ?」

 

 戦艦棲姫は青葉を見降ろしながら嘲笑っていた、無知な子供に同情するような笑いだ。実際青葉は童のように、どうしてこいつの口から運命の軛が出たのか、分からず混乱していた。情報的な意味でも、敵は優位に立っていると感じる。

 

「あれは噂に過ぎません!」

 

「ええそうよ、それが真実。でも噂の力も馬鹿にならないって、青葉や貴女は理解しているんじゃないの?」

 

 情報が力なら、噂も力だ。

 より多くを知る者が他者を支配できるのは、与える情報を制御できるからだ。嘘でも構わない、情報を制御されているから、嘘か確かめる手段さえない。限られた情報で可能な行動は、予測可能な範疇に納まる。

 

 噂も、嘘か確かめられないという点では同じだ。

 絶対王政が神から与えられたのか確かめられないように、正当な血を継いでいるか確かめられないように。権力者はその嘘を、噂として流し、多くの人に信じさせ『真実』とした。    

 同じことをする戦艦棲姫に抵抗するには、自分の信じる真実を翳すしかない。目つきを鋭くし、青葉はP90を構える。アーセナルも既に抜刀していた。

 

「青葉たちは敵同士です、それは間違いありません」

 

「敵? 誰が敵と決めたの? それは運命とやら? 私たちの存在が何なのかも知らずに、敵と決めつけるの?」

 

「神通さんを痛めつけておいて、何を今更!」

 

 もう一つ真実があった、こいつらは神通を拷問して痛めつけている。

 そのくせ笑いながら敵じゃないと言い張るなんて、認められない。許し難い、これは噂ではない、目の前で見た真実だ。

 

()()()()()から聞いたことでしょ?」

 

 確かにそうだが、だが彼女は信頼できる、嘘など――いや待て、今戦艦棲姫は()()()()()と言ったのか?

 思わず横の彼女を見ると、アーセナルは信じられない現実に直面し、脂汗を垂れ流していた。

 

「何故、私の名前を、知っている」

 

 アーセナルは深海凄艦の前で、一言も艦名を話していない。

 

「盗聴はされていたんじゃ」

 

「いや、そんな気配は探知できなかった」

 

「サアテ、ドウナノカシラ」

 

 この状況が楽しくて仕方がないらしい。

 戦艦棲姫は微笑みながら、ハンガーの通路を優雅に歩く。均等な足音がテンポを刻み、張り詰めた空気が弦となって鳴らされる。弾ける緊迫、聞きなれない音楽に、気分が悪くなる。

 

「そもそもが傲慢よね、運命を覆そうだなんて。もう起きてしまった過去を歪めて、望む形に捻じ曲げる。そう考えると、悪いのはむしろ貴女たちじゃないかしら? 貴女はどう思う、アーセナル?」

 

「そんなことを聞いてどうする」

 

「だって、ナイジャナイ、貴女ニハ過去ガ」

 

 どういう意味だ? 比喩なのか?

 艦である以上、建造された経緯がある。設計図として書かれた過去がある。全く過去を持たずにできる艦が、いや生物が存在する筈が無い。

 

「何を言っている」

 

 アーセナルの脂汗は止まっていた。

 それどころか血の色が引っ込み、死体のように真っ白な仮面を張り付けて固まっていた。初めて見るアーセナルに、英雄らしい尊大さはない。むしろトラウマに怯える青葉と同じ震え方が、根底に見えた。

 

「S3、だったかしら?」

 

「ッ!!」

 

「正解かしら、だとすると流石に……哀れだわ。全部が全部偽物でできた艦――まさにビッグ・シェルね」

 

「貴様、いったい何者だ!」

 

「教えて欲しいなら、素直に捕まりなさい。貴女は助けてあげる」

 

 戦艦棲姫がハンガーの上から手を伸ばす。離れていても届きそうな距離だと錯覚する程に、近く見える。彼女の顔もまた、眼前にある。

 

「いやいい、お前たちが全員死ねば済む話だ」

 

「いいえ、ここで死ぬのは貴女でも私でもない。神通よ。運命の軛によればそうあるわ」

 

「奴は基地に残っている、ありえない」

 

「……S3を知る貴女なら、運命の軛の意味が分かるでしょう?」

 

 二人の会話に耳を貸さず、青葉は無線機で神通を呼び出そうとした。

 

 だが、無線は繋がらなかった。

 

「どうした、G.W! 応答しろ!」

 

 アーセナルも同じく、繋がらなかった。

 戦艦棲姫は何をした。神通たちの身に何が起きている。青葉はこの状況全てを放棄すると決め、走り出した。

 

「青葉!?」

 

「ごめんなさいアーセナル、見てきます!」

 

 青葉は走り出した、白鯨がいたであろうドッグに向かって。

 海に繋がる通路から、白鯨の破壊のためギリギリまで海中で待機していたレイが浮上する。行きと同じく、青葉はレイにしがみ付き、海へと漕ぎ出した。道中会敵したらとかそういったものは、全く考えていなかった。

 

 要る筈が無い、来ている訳がない。

 一筋の祈りを乗せて、一機のレイが動きはじめる。アーセナルが仕方なく気を回してくれたのだ、感謝の言葉を叫ぼうとして、止めた。

 代わりに響いていたのは、戦艦棲姫の止まらない笑い声だった。




 川内型軽巡洋艦 二番艦 『神通』(艦隊これくしょん)
 1923年12月8日進水、25年7月31日就役。「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」と言われ、日本海軍最強の水雷戦隊、『華の二水戦』旗艦をもっとも長く務めた武功艦。その艦娘としての姿である。尚二水戦の役目は、敵艦隊に真っ先に突撃し、直接漸減を行うことである。
 この個体もその例に漏れず、南方を拠点に水雷戦隊を率いていた。また同時に豊富な戦闘経験から、教導艦を務めることも多く、第六戦隊の指導も彼女が行っていた。元々建造で産まれる艦娘では、見た目と上下関係が一致しない方が多いのである。
 ただその指導は熾烈を極めており、さながら地獄よりも酷いと指導を受けた全員に思われている。しかしその評価をもっとも気にしているのは他ならぬ本人であり、度々姉妹艦に泣きつく姿が目撃されている(青葉新聞より引用)。


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File9 夜明けの灯

 まるで身動きの取れない入渠ドッグの中は、治療用の液体をほどよく温めたお湯に満たされている。南方の気候に合わせ、温く調整してある。外気に近い水温は、空気との境目を曖昧にしていく。その中に挟まれた神通も、また曖昧になっていく。奇妙なけだるさを感じていた。

 

 抵抗する理由はなかった。

 このドッグの中で自分ができることはないし、したくてもできない。この眠りに身を委ね、早い所回復するのが最善だ。だが、この痛みが消えてしまうのが、不思議と寂しく感じられた。

 

 

 

 

―― File9 夜明けの灯 ――

 

 

 

 

「聞いてたかい、今の」

 

「ええ、まあ」

 

 時間は、青葉と加古が無線をしていた時に遡る。

 青葉の艤装が修復されたのを確認し、加古は入れ替わりで神通をドッグへ入渠させた。だが一度ドッグに入れば出られない、神通は少しばかしの抵抗を見せたものの、あっけなく浴槽へと放り込まれてしまった。

 

 その後、加古はすぐに青葉と話し始めた。

 何処か別の場所に移動もせず、神通が聞いている隣で無線をしていた。だから彼女たちの会話は、神通も聞いていた。

 

「でも、それでもって思うよ。姉ちゃんが今動けなくって良かったって」

 

「貴女もそう言うのですね」

 

「神通もそうでしょ?」

 

 加古の一言に、神通は何の反論もできなかった。かろうじて搾り出せた声も、笑える程に弱々しい。

 

「どうして?」

 

「いったいあたしが、何時から神通の姉ちゃんをやっていると思ってんのさ」

 

 川内型一番艦になるかもしれなかった加古は、もしもの姉だ。

 ただ姉ではないが、上官だったことはある。しかし神通も加古も、滅多にその単語を口に出そうとはしなかった。あれはお互いに、古鷹と那珂にとって、桁違いのトラウマだから。

 

「あたしは、第五戦隊旗艦の加古だよ。部下の心情くらい汲み止める」

 

 その禁忌を口にする時とは、必ずお互いにとって重要な何かが在る時だ。

 

「たまにはさ、肩の力を抜いて休みなよ。寝すぎは古鷹にどやされるけど……」

 

「一人で、待っていろと言うのですか」

 

「今のあんたは出せない、旗艦として判断するなら」

 

 加古の言葉には、有無を言わせない威圧感があった。

 

「でも最後に決めるのは神通、あんただ」

 

「ドッグからは出られないのでは」

 

「それがどうも可笑しなことに、調子が悪いらしい。下手に暴れないでくれよな」

 

 入渠ドッグは一度入れば出られない安全装置がかかっている、だがその制御装置がぶすぶすと煙を吐いている。全力で抗議する妖精に、加古は気まずそうに頭を下げながら外へ出て行く。再度哨戒任務に戻るのだ。

 

「何もできないまま仲間が死ぬのを見届けるのと、真っ先に沈んで周りを孤独にすること。どっちが辛いのか、あたしには分からない」

 

「加古?」

 

「本当なら間違っているんだろうな……でも、選択の余地さえないのは、絶対に嫌だから」

 

 潜水艦に脚をやられ、古鷹に護られるしかなかっ無力感が伝わってきた。

 また独りになった神通は、加古の言葉を反芻する。

 最後に決めるのは、結局私自身だ。当たり前だが、自分の道は自分で選ばねばならない。私が選ぶのは、伝える道は――

 

 

 

 

 そもそも入渠ドッグから出られないのは、安全装置だからだ。

 修理中という不安定な状況下で無理に出撃し、致命的な損耗を負う危険を未然に防ぐための安全装置。そんなものなければいいのに、と神通自身思っている。

 

 だが、どうやっても出られない状況は、ある意味神通に安心を与えていた。

 例え外で誰が沈もうと、動けなかったから仕方がない。

 私のせいではなかったと、大義名分が立てられる。

 しかしその歪んだ安心は、加古が叩き壊していった。

 

 迷いに迷う神通にしびれを切らし、怒声が響いた。

 人ではない。

 海が、地形が。

 技術(テクノロジー)によって作られ、アーセナル(テクノロジー)に壊された基地が、絶叫を上げていたのだ。

 

 ドッグに満たされた修復液が激しく波うつと、工廠の壁にも波紋が広がる。無制限に広がって地形を喰らい、津波となって押し寄せる。水のように揺れる基地は水になろうと、自分を叩き壊して砕けようと暴れ狂う。自分の意志に関係なく、神通はドッグから飛び出していた。

 

〈神通! 聞こえている!?〉

 

「何があったんですか衣笠」

 

〈基地が深海凄艦の空爆を受けてるの!〉

 

「爆撃……貴女たちは無事ですか」

 

〈ええ何とか、今は撤退の時間を稼いでる最中。加古がドッグの安全装置を解除したって本当?〉

 

〈本当です〉

 

〈今回ばかりは、正解だったってことね……〉

 

 安全装置を破壊するなどまともな行為ではないが、今安全装置がかかりっぱなしだったら、逃げられなかった。

 

〈とにかくそれなら逃げれるわね、急いで神通、私たちもそう長くは持たない!〉

 

「分かりました、しかしミサイルの支援は来ていないのですか」

 

〈気配の欠片もないわ、連絡も取れないし、レイも見当たらない〉

 

 気になるが今は考えている場合ではない。衣笠たちが戦っているのは、私が逃げる時間を稼ぐためだ。幸い体はともかく、艤装は無事だ。逃げる程度ならまだできる。では、逆はどうだろうか。

 

「待ってください、青葉の『艤装』はどうするんですか。まさかここに置いて行く気ですか?」

 

〈放棄するしかない、仕方がないわよ……〉

 

〈そうですよね〉

 

〈急いで神通、早く――〉

 

 ブツリ、と音を立て、無線が途切れた。

 艤装の重量は見た目以上に重い。しかも怪我を負う神通に、艤装を運ぶ手段はない。無理に引っ張れば速度が低下し、逃げきれなくなる。

 

〈まだ此処にいたのか神通、しかし都合は良い〉

 

 衣笠でも青葉でも、ましてはアーセナルでもない声が無線機から響いた。

 

「G.W……ですか?」

 

〈そうだ、我々だ〉

 

「何をしているんですか、ミサイルはどうしたんですか」

 

 不条理だが、神通は感情のない声を出すG.Wに憤りを感じていた。本来あるべき支援がないせいで、衣笠たちが危機に陥っている。

 

〈済まない、今現在我々も窮地に陥っているのだ〉

 

「窮地? 貴方方が?」

 

〈時間がないから端的に済ませる、海底に潜伏しているアーセナルギアのメイン艤装。それは今、無数の爆撃機に包囲されている。詳しい数は分からないが、間違いなくヘンダーソン飛行場全ての機体が動員されている〉

 

「全てって、あの飛行場に配備されている機体の数は」

 

〈大本営のデータベースにある、この飛行場をモデルとした姫を元にするなら、艦攻と艦爆で、計294機となる。今の状態で浮上すれば、撃墜し切る前に沈められる〉

 

「海底から発射は?」

 

〈無理だ、アーセナルギアはレーダーしか積んでいない。だが水中からでは航空機をロックオンできない。哨戒機まで飛んでいる、動いたりレイを発艦させたら終わりだ。潜伏位置を特定され、瞬く間に艦攻の雨が降って来る〉

 

 何ということだ、深海凄艦はアーセナルギアの欠点を完璧に突いてきたのだ。

 

〈我々の欠点は深海凄艦に見抜かれているらしい〉

 

〈どうしてですか、アーセナルギアなんて艦、知る存在はいません〉

 

〈それは最早どうでもいい。我々が今可能なアクションは、青葉の艤装を守ることだ〉

 

 G.Wを中継する二機のレイがワイヤーを飛ばし、放置される運命だった青葉の艤装を絡めとる。

 

〈青葉もまた危機に直面している〉

 

「青葉まで!?」

 

〈我々からの通信が途絶え、青葉は艤装のない生身でこちらへ向かっている。だが彼女の通るルートには艦隊が待ち構えている〉

 

〈生身で艦隊に、何でそんな馬鹿な真似を〉

 

〈君が心配になっているらしい、しかし無駄な死にしかならない。我々それを止めるために、二機のレイで艤装を運ぶ。艤装があれば、少なくとも青葉は艦隊から逃げきれる。神通、君も早く逃げることだ〉

 

「行けるんですか? 確実に?」

 

〈厳しいな、艤装を牽引すれば否応なく航行速度は落ちる。それでこの空爆から逃げきれるかは不明瞭だ。しかし君には関係ないことだ〉

 

 G.Wの言葉には何の感情も乗っていないのに、神通は無性に腹が立った。

 

〈さあ逃げろ神通、我々は青葉にこれを繋げなければならない〉

 

「無理です、レイも艤装も破壊されます」

 

〈君の意見などどうでも――〉

 

「私が囮になります!」

 

 神通が言った言葉であって、そうでないような気がした。

 

〈本当か?〉

 

「やるしかありませんし、沈むと決まったわけでもない」

 

〈……すまない〉

 

 G.Wは謝罪をしたものの、神通は何も言い返さなかった。その理由だけは、結局分からないままだった。

 

 

 

 

 体に纏った艤装が、ドクンと激しく脈打つ。

 久し振りの出撃に興奮しているのだ、兵器としての役割を果たせることに。しかし神通は兵器としてではなく、自分の意志で戦場へと赴いた。

 

 加古や衣笠には、偽の報告をしておいた。

 「私はもう基地を脱出した、貴方たちも早く青葉やアーセナルと合流しなさい」。心から安堵し、衣笠は喜んだ。加古は言葉をつまらせながら、再開を約束した。古鷹はそれを優しく見守っていた。

 

 そして神通は、戦場を前に笑っていた。

 眼前に広がっているのは、無数の敵影だ。戦艦に重巡、そのどれもが対地兵器をこれでもかと詰め込んでいる。夜間にも関わらず、無数の艦載機が飛び交っている。

 

 夜間で攻撃できる空母は、少数だが艦娘にも深海凄艦にも存在している。今回神通の前に立つ空母は、その中でも最悪の部類に属していた。

 

「全ては好調、作戦も、再現も、ソウ、運命サエモ」

 

「……空母棲姫」

 

 神通は歯を食い縛りながら、叫ぶのを堪える。

 丁度入れ違いになったのか、最初からこれを狙って、ミサイルを封じ込めたのか。いずれにせよ分かるのは、空母棲姫も修復が完了したということだけだ。

 

「サア、沈メ」

 

 一度取り逃がしたからか、空母棲姫に慢心と呼べるものは一切ない。しかしそれは神通だって同じだ。

 

 だがこの襤褸切れの体では、あの爆撃は回避しきれない。

 だから神通は敵艦隊の真っただ中に突入を仕掛けた。闇夜に紛れた神通は、ギリギリまで敵に気づかれない。気づいた時にはもう、そいつの頭が火に包まれていた。

 

「私達ガ、巻キ添エヲ恐レルトデモ思ッタノカ」

 

 神通を認めた深海凄艦が、円陣を組んで砲火を成す。

 上から降り注ぐ爆弾が、円陣を膨らませる。当然弾の多くは味方に当たり、次から次へと燃えていく。だが、彼女たちに憎しみは感じられない。あくまで艦娘にだけ向いている。

 

 軋む体が、悲鳴を上げる。

 何故痛いのか、生きているからだ。だからまだ動く、痛い間はまだ時間を稼げる。艦娘であるが故の弊害をそう誤魔化しながら、神通は思う。何故彼女たちは、私達が憎いのだろうか。

 

 深海凄艦は、憎しみから生まれたとされている。

 誰が決めたかも分からないその定義は、デジタルを介して瞬く間に定着した。沈んだ艦の無念、いいように使われて沈められた怒り。後世に残してしまえば争いしか産まない思いが、今こうして牙を剥いている。

 

 ならそれに抵抗する艦娘は何なのか。

 残せないのが深海凄艦なら、残された思いが艦娘なのか。護りたい思い、あの時抱いた誇り。それが受け継がれ、具現化した存在。現に記憶にあって私を成すのは、軽巡神通の史実そのものだ。

 

「そんなものに、私は負けませんよ」

 

 神通の背負うそれらは、空母棲姫の所業を認めなかった。

 無数の砲撃も、爆撃も、全てを紙一重でかわしていく。攻撃を仕掛ける必要はなかった。接近戦を強いられる夜戦は、同士打ちを更に加速させたからだ。

 

 あれだけ基地を追い詰めた艦隊が、瞬く間に消えていく。

 忘れられていた亡霊が、浄化されていくように。

 だが中核をなす空母棲姫を沈めるのは、今の神通には不可能だった。

 火力も体力も、何もかもが足りていない。

 

 とうとう敵艦隊が全滅しても、その事実は変えようがなかった。

だがそれで良い、この間に青葉の艤装を背負ったレイは、逃げ切っただろうから。それこそが何よりも、価値があることだった。

 

「……空母棲姫がいない?」

 

 いつの間にか、彼女はいなくなっていた。逃げたとは思えない、あの憎しみの塊が、報復を遂げる機会を逃がす訳がない。

 

〈――ん――じ――通――ッ!〉

 

 無線機から、ノイズまみれの声が聞こえてきた。青葉の声だった。今の彼女にとっては、深海凄艦よりも恐い声だった。だからこそ神通は、無線機を手に取った。

 

「聞こえていますか青葉」

 

〈神通さん!? 無事だったんですね! でも、基地は、皆はどうなったんですか!?〉

 

「空爆を受けていました、ミサイルが無力化されていたせいで、撤退するしか手段がなかったんです。ですが全員無事です、安心して下さい」

 

〈良かった、無線が通じなくて、青葉は不安で〉

 

 襲撃と同時に、無線封鎖も受けていたらしい。それはまだ続いている筈だ。なのに通じるのは、封鎖されていても届く程近くに来ているからだ。G.Wの言った通り、青葉は私に引き摺られて此処まで来ようとしている。

 

 これ以上来れば、待ち伏せの艦隊に青葉は囲まれる。ここで止めねばならなかった、それは自分が間違えてしまったことを、正す行為も兼ねていた。迫りくるタイムリミットが、神通の意志を後押しした。

 

「青葉、聞いて下さい、大事なことです」

 

〈神通さん?〉

 

「今レイが貴女の艤装を運んで、そちらに向かっています。貴女はそれを受け取り、第六戦隊やアーセナルと合流しなさい」

 

〈アーセナルは、その、今……戦艦棲姫と……戦っていて……〉

 

「なら尚更、アーセナルは()()()()が生きて帰るために必要な人です。早く艤装を受け取り支援に行きなさい」

 

〈分かりました、神通さんも早く!〉

 

「それは無理です」

 

 青葉が黙ってしまった、そんなこと分かっていた。

 だけど、だからこそ言わないといけない。とても辛くて苦しい。心の内を開くのがこんなにも難しいなんて。

 

〈……何を言っているんですか、まさか此処がコロンバンガラだから、無理なんて言うんですか?〉

 

「そうかもしれませんね」

 

〈深海凄艦は沈めたんですよね? なら逃げるだけですよ? あのアーセナルだっていますし、第一らしくないですよ、神通さんがそんな弱気なことを――〉

 

「私は、強くなんかないんです」

 

 再び沈黙した青葉の前で、話すこと。それはまるで懺悔室で見えない神父に告白するような気分だった。

 

「強がっていただけです、私は。

 加古が言ってましたよね、置いて行かれる気持ちが分からないって。あれも嘘です、薄々気付いていたんです、私が沈んだ後、あの子たちがどんな気持ちだったのか。

 でも、聞くのは怖かった。だから私は誇りや強さにかこつけて、あの子や貴女達の本心から目を背けてしまった。気づいたら強い艦娘に見られて、失望されるのも恐くて、余計に強がるしかなくって。

 運命の軛だってそう、私は恐い、目の前の水底に私がいるって思っただけで、今も、作戦前の時も震えが止まらない。拷問を受けて、入渠ドッグに入れられた時、私はホッとしたんです。もうあそこに行かなくて良いんだって、貴方たちが戦ってるのに!」

 

 枯れかけた声で、神通は叫んでいた。

 神通とは、神通では無かった。恐怖で自分を偽り、そんな偽りを信じた周囲に合わせたのが自分なのだ。本当の自分は、こんなにも臆病者なのだ。

 

「私は貴女たちが信じたような、強い艦娘ではありません。ですが偽りの私は、ある意味本当になりたい自分の姿でもあるんです。だから私は今からそうなりに行きます、史実なんかじゃない、自分の意志で」

 

〈神通さんは、今、どうなっているんでしょうか〉

 

 こんなことを今言うことに、ただならぬ物を感じたのだろう。

もしくは今の告白からの、逃避かもしれない。

今はそれで良い、これで私の言葉の、本当の意味が伝わってくれる筈だ。それに関してはもう、青葉や仲間たちを信じるしかない。

 

「修理したての艤装で、修復途中の体で無茶をしたせいでしょうね」

 

 改めて腕や体を動かそうとして、神通は溜息を吐く。

 動かない。

 数メートルさえ進めない。

 生きているからこそ存在する痛みが、もう感じられない。

 単独で艦隊と姫を相手取り、一度は生き延びた対価が、これだった。

 

「動けないんです、全く」

 

〈――逃げて下さい! 艤装を外して! 泳いででも、あ、いや、やっぱり青葉が!〉

 

「無理ですよ、それに見間違いじゃなければ、そこに来てます」

 

〈何が!?〉

 

「貴女の言っていた、戦艦棲姫が」

 

 なるほど、空母棲姫は逃げたのではなく、仲間を呼びに行っていたらしい。

 しかしアーセナルと対峙していた戦艦棲姫が此処にいるなら、彼女は無事だ。きっと彼女も、青葉の力になってくれる。

 

「青葉、今回の戦いをもし新聞にできたら、最初の一部を読ませて下さい」

 

 爆音が起き、青葉の声は途切れた。彼女の元にも艦隊が押し寄せている。しかしレイの届けた艤装が、彼女の命を助けてくれる。

 

 一歩も動けない神通を見て、二隻の姫が笑っていた。

 

「ムザムザ犠牲を増やさないで欲しいわ、イロハ級だってタダじゃないのよ?」

 

「いいだろう別に、それでこいつを、史実通りの場所で沈められるんだから。お前こそアーセナルを取り逃がしただろ」

 

「良いのよ別に、今はまだ」

 

 史実通り、か。

 結局、そうなったのかもしれない。二水戦の子達はいないし、轟沈地点とは微妙に違うけど、概ね同じ再現が成されたのだ。

 

 艦娘と深海凄艦は、何なのか。

 深海凄艦が恨みを伝えるなら、艦娘が伝えるのはそれ以外の思いだ。二つの組み合わせとは、史実の再現に他ならない。運命の軛とは、そういう意味を持つのか。神通の脳裏に、かつての自分が憑依しているいような幻影が浮かんだ。

 

 だとしても、神通は彼女たちに伝えるしかない。

 最後の時間を稼ぐため、神通は二隻の姫に、探照灯を振りかざす。こちらを見ろ、敵は私だ。お前らの望む怨敵は此処にこそいる。

 

「――再現か、腹立たしい、お前たちはそれまでも奪っていく!」

 

 空母棲姫が、艦載機を広げた。

 戦艦棲姫ガ、主砲を構えた。

 神通ハ、探照灯を構エタ。

 

 日はまた昇る。

 

 全てを繰り返すように、太陽は巡る。

 

 海面に浮かぶ探照灯の光は、日の光に飲まれて消えた。




140.85

〈アーセナル、聞こえているか?〉
〈G.W! 貴様何をしていた!〉
〈それは後で説明する、それより報告すべきことがある〉
〈何だ〉
〈神通が轟沈した〉
〈…………は?〉
〈青葉の艤装を運び出す我々(レイ)から、敵艦隊の眼を逸らすために。だがお蔭で、最小限の損耗で切り抜けられた〉
〈損耗だと?〉
〈そうだ、艦艇が一隻沈んだだけ。それだけだ。第一此処で誰が沈もうが、君には関係ないだろう〉
〈……どうして、艤装なんかのために〉
〈白鯨を破壊できなかった我々に残された手段は、空母棲姫の轟沈しかない。しかしその戦いを、艤装なしの青葉が生き残れると思うか? いや、確実に轟沈しただろう〉
〈何が言いたい〉
〈君が生身の青葉をコロンバンガラに連れ出した時点で、青葉か――代わりの誰かが艤装を守って、轟沈するのは決まっていたのだよ〉
〈決まっていた? お前は援護攻撃をしなかったのか!?〉
〈不可能だった、それについてはこちらでも詳しく調査してみる。君は早く()()()()()()()()青葉と合流するのだ〉
〈貴様、何をぬけぬけと……!〉
〈責めるべきなのは、判断を誤った自分ではないか?
 それに少なくとも君が死ねば、提督とのリンクを失い、青葉たちも死ぬぞ?〉
〈…………クソッ!〉


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File10 運命の軛

 爆音と共に掻き消えた神通の声が、耳の奥底で残響している。

 戦艦棲姫と空母棲姫。二隻の姫の集中砲火は、神通の体をきっと跡形もなく吹き飛ばしているだろう。滅茶苦茶な衝撃が、無線機越しに青葉も消し飛ばそうとする。

 

 このまま動けなければいい、どのみち艤装がないから、動きたくても動けない。此処まで私を牽引してくれたレイは、今深海凄艦と戦っている。そんなことしなくても、良いじゃないか――そう思った時、背中に強い衝撃が走った。

 

 何だ、と振りかえると、二機のレイが青葉に引っ付いていた。

 レイたちは驚く青葉に眼もくれず、巨大な鉄の塊を押し付けた。言うまでもなく、青葉の艤装だ。神通が護ってくれた、私の命そのものだ。

 

 瞬間青葉の体が、ドクンと脈動した。

 艤装と連動し、彼女の体が動き出す。泣きたかった、喚き散らして蹲りたい。その全てを押し込んで、青葉は走り出す。止まる訳にはいかなかった、此処で沈んだから、彼女の犠牲の意味が、分からなくなるから。

 

 

 

 

―― File10 運命の軛 ――

 

 

 

 

 間もなくして、青葉は古鷹たちと合流した。安否の分からなかった皆が生きていると分かり、また涙が毀れそうになる。だがまだ流せない、何一つ終わっていない。それどころか、悪化している。

 

「青葉、神通さんは?」

 

「彼女は、沈みました。青葉の艤装を護ろうとして」

 

 絶句する古鷹の顔が観ていられなかった。何処か納得している加古、目をおろおろさせ聞き返してくる衣笠。塞ぎこんだ空気が私たちを押し潰そうとしてくる。

 

 私たち第六戦隊は建造された頃から、ずっと彼女に鍛えられてきたのだ。彼女を失うことは、自分の中で一番大きかった自分が、死んだのと同じだ。

 

「アーセナルは無事なのかな」

 

 衣笠の言葉に、青葉はハッとした。コロンバンガラ基地で別れた後のことを知らない。青葉は慌てて、アーセナルに無線を繋いだ。

 

〈青葉か……〉

 

 アーセナルもまた、尋常ではなく暗いトーンだった。

 あの後アーセナルは即座に戦艦棲姫から逃げ出し、隣接するベラ飛行場の戦闘機を一機奪って脱出していた。その際囮として、青葉について来たのとは別の、もう一機のレイが犠牲になったらしい。

 

〈きっとこの世界の技術では補給できないだろう、大きな損失だ〉

 

「今はどちらに?」

 

〈サボ島沖近海の上空だ、何処か安全に降下できる場所を探している〉

 

「あの、言い辛いことがあるんですが」

 

〈……神通が死んだことか〉

 

「知ってたんですか?」

 

 レイの損失ではなく、神通の死に心を痛めている。

 しかし青葉が思ったのは酷い考えだった。英雄に求めているのはそんな感情ではない、こんな時だからこそ、仲間を鼓舞する強い言葉だ。

 

〈G.Wと無線が繋がってな、全部聞いた。あいつが死ぬ羽目になった原因も〉

 

「どうしてそこで、G.Wが出てくるんですか?」

 

〈……神通が死ぬように差し向けたのが、そいつだからだ〉

 

 頭の中が真っ白になった。空っぽに成った心と頭。そこに耳小骨から何かが侵入し、食い破ってきた。何かが笑いながら、旗印を立てている。

 

〈それは違う、勘違いをしないでくれ〉

 

〈G.W!〉

 

〈我々は最善の方法を提案しただけだ〉

 

 G.Wの演説が、青葉の脳内で始まった。

 ヘンダーソン飛行場からの爆撃機に囲まれて、浮上できなくなっている。しかも対潜装備を整えた駆逐艦に囲まれているから、下手に動くことも出来ない。仮にミサイルやレイを発艦しようものなら、即座に位置を掴まれて、爆雷と爆撃に見舞われる。故に動けなくなり、事前に予定していた援護ができなくなったのだ――と。悪びれる様子もなく、当り前の内容を当たり前に説明していた。

 

「何ですかそれは、貴方のせいじゃないですか。貴女がもっとしっかりしていれば、こんなことは起きなかったのに」

 

〈それについては謝ろう、だが今はそんな事に構っている状況ではない〉

 

「そんな事!?」

 

 彼女の死をそんな事で片付けようと――「青葉!」と古鷹が、私の肩を掴んでいた。痛い程に強く、顔を怒りで滲ませている。私だけが怒っているのではないのだ。少しだけ落ち着き、ゆっくりと怒りを吐き出す。

 

〈白鯨には逃げられた、もうソロモン諸島にはいないだろう。作戦は失敗だ、白鯨を利用することはもうできない。それに連合艦隊の出撃が早まったという情報が入った〉

 

 対連合艦隊用兵器として建造された白鯨は、その性能を試す機会を狙っていた。哀れにも標的になってしまったのは、明日出撃する予定だったショートランド泊地の艦隊だ。出撃のタイミングで奇襲を仕掛けてくるだろう。

 

「ちょっと待って、連合艦隊が早く出るってことは、白鯨を投入するタイミングも合わせるってこと?」

 

〈そうだ、深海凄艦は実地試験の開始時刻を早めた時間に再設定した。艦隊の出撃まで後18時間だ〉

 

〈18時間か、移動時間も踏まえると戦闘に費やせるのは、数時間だな〉

 

 地平線から昇った太陽は、もう真上から熱を浴びせている。

 今から18時間後だと、丁度夜明け前辺りに連合艦隊は出撃する。神通に助けられた二水戦の皆が戦艦を護り、次々と沈んでいく光景が、陽炎に浮かぶ。青葉は首を強く振り、幻を風に流した。消えない部分は雪に埋めた。

 

「まだです、まだ半日はあります」

 

〈そうだ、そんな事に構っている時間はないのだ〉

 

 青葉は頭を捻る。

 肝心の策は思いつかない。

 しかし言ってG.Wに何ぞ聞きたくもない。

 今更になって青葉は、アーセナルがG.Wを毛嫌いする理由が分かった気がした。

 

〈悪いが一時的に無線を切らせてくれ、このままだと敵機に見つかりそうだ〉

 

「分かりました、青葉たちも注意しながら向かいます。アーセナルがいるのは確か――」

 

〈サボ島沖の上空だ、無事を祈っている〉

 

 ブツンと切れた無線が、神通の最後と重なる。

 だが、また会えると青葉は信じていた。彼女はそう簡単に沈みはしない。そして私たちも絶対に沈まない。例えそこが、あのサボ島沖だとしても。

 

「青葉、それは?」

 

「……それって?」

 

「自覚してなかったの? さっきからずっと、凄い力で握ってたよ」

 

 古鷹の目線の先には、愛用のカメラが握られていた。

 戦場に出る時は何時も、ドッグタグのように艤装に取りつけていた。青葉の手はカメラを握り、指先はシャッターボタンに触れて震えている。

 

 一番新しい写真は、綺麗な朝焼けだった。

 昇り行く朝日の中に、とてもとても、小さな光があった。

 見間違いか、思い込みか。

 だがその写真はあの瞬間、神通が沈んだ方向に向けて取った写真だった。

 それは無意識で行っていた。

 

「古鷹、絶対、絶対に生きて帰りましょう」

 

「……青葉?」

 

「このカメラの中には、神通さんの思い出がいっぱいあります。青葉はそれを残したいです、あの人の記憶そのものを」

 

 誰かの心の中で神通が生き続けていれば、少しでも彼女が救われれば。そう願いながら青葉は、空っぽのフォルダに写真を収めた。このカメラを手にした時から作成していた、名前のないアルバムに。

 

 だが我々はその名前を知っている。それはS3であり、運命だ――誰かがまた、脳髄で笑った気がした。

 

 

 

 

 青葉との無線を切ったアーセナルは、一旦戦闘機を着陸させることにした。

 もうじきヘンダーソン飛行場の哨戒範囲に入る、急がないといけない。万一見つかれば、パラシュートなしのスカイダイビングの始まりだ。恐らく人生初めての体験にして最後に景色になる。さぞ良い眺めに違いない。

 

 だが迂闊に降下させても、地上の深海凄艦に包囲される。今のところは見当たらないが、ソロモン諸島の小さな島々の、何処に重巡や軽巡が潜んでいるか分からない。艦娘や深海凄艦の小ささは、こういう時に最大の効果を発揮する。

 

 腹をくくるしかない、アーセナルは戦闘機を海面に近付けていく。

 ジャングルまみれの孤島に着陸できるだけの滑走路はない。海面への胴体着陸しかない。やれるかどうかでない、もう選択肢は多くはない。

 

 知識にそって手順(プロトコル)通りの減速、降下を行い、強奪した深海凄艦の陸上戦闘機が、海面に腸を擦る。鋼鉄の怪物はその重量を持って、海面を激しく叩く。しなやかな水は変性し、コンクリートばりの硬度を獲得し、それを出迎えた。

 

 脱出のため解放したコックピットに、濁流が押し寄せる。降下のGで詰まっていた呼吸が、更に妨害されて苦しみが増す。戦闘機は激しく揺れ、機体ではなくアーセナルの腸を揺さぶった。出す物なんてないのに吐き気が込み上げてくる。

 

 息が吸えないのに、出て行こうとする。耐えがたい苦痛の中、アーセナルは意識をスニーキング・モードに変性させようと試みる。ステルスは自分を外部と同化させる技術だ。自己が無くなれば、この苦痛も多少は緩和される筈。

 

 しかし、始めての状況だからなのか、意識は完全には切り替わらない。やはり拮抗した苦しみが、肺を痛めつける。それでも何とか、冷静な判断力は確保できた。最低限安全な速度になった時、コックピットから飛び出して海面を転がった。

 

〈大丈夫ですかアーセナル!? 凄い音が聞こえましたけど〉

 

 「問題無い」と言うのも無理だった。しばらくぜいぜいと息を切らし、漸く返事ができた時は、青葉が腹の底からため息を漏らすぐらいの時間が経っていた。だが奇妙なのは、そんなことをしていたのに、何処からも攻撃が来ないことだった。

 

「妙だ。敵がほとんどいない」

 

〈本当ですか? 実は青葉たちも何です。敵艦は何処へ行ってしまったんでしょうか〉

 

「あれだけの数が霞のように消えるとは思いにくい」

 

 白鯨についていった訳ではあるまい。あんな大人数で行けば奇襲作戦の意味がない。仮にそうだったとしても、全ての敵艦が一斉に消えることなど不可能だ。

 

 思い当たる可能性はある。

 攻撃を仕掛けて来ないだけで、周囲の島々に潜伏している可能性だ。予感が外れるのを祈りながら、アーセナルはレーダーで付近を探るようレイに指示を出す。

 数秒後、送られてきたデータには、無数の光点が光っていた。

 

「不味いな、周囲の島々から、動きを見張られている」

 

〈何ですって!?〉

 

 慌てた声と共に、観測機を飛ばす音が複数聞こえる。

 その間にアーセナルは、胴体着陸に成功して使い物にならなくなった戦闘機を見つめた。着地の衝撃で胴体の塗装は剥げちている。その下には深海凄艦の黒色ではなく、人工物の色があった。

 

 人間の兵器を深海凄艦が変異させたのだろうか? 無茶苦茶だが、そもそも存在からして奇妙な私たちだ、この程度ならアリだろう。首を上げると、同じく衝撃で圧し折れた羽から、機銃がぶら下がっていた。

 

 P90よりは役に立つかもしれない。多少なりとも艦の力を発揮できる今なら、戦闘機の機銃も振り回せる。アーセナルは機銃を拝借し、一瞬だけ戦闘機に祈りを捧げた。兵器か人間か曖昧な私は、この戦闘機にも命らしきものを感じていた。

 

〈いました、敵艦です。でも何もしてきません〉

 

 やはりそうか。機銃を抱きかかえたアーセナルは機銃をいったん水につけ、深海凄艦の変異に防水加工が含まれているのを確認して、海中へと潜る。幸い潜水艦は見当たらなかった。これでいたら、詰んでいた。

 

〈不気味なんですが〉

 

〈動きは読まれているということか〉

 

 積極的に仕掛ける気がないのは、もう空母棲姫がほとんど勝っているからだ。アーセナルたちによる白鯨の破壊は失敗し、白鯨はショートランドに向けて出撃した。青葉たちが脱出し、大本営に白鯨を知らせたとしても、その時にはもう、実地試験(デモンストレーション)は終わっている。

 

〈仕掛けてこないなら、逃げてもいいんじゃないか? 戦艦棲姫に狙われている私は無理にしても、お前たちなら〉

 

〈何を言ってるんですか、逃げませんよ〉

 

 感情が乗りにくい体内無線同士なのに、青葉の口調はやけに強く感じた。

 

〈逃げたって帰る場所がなければ意味がない、それにあそこは神通さんと過ごした場所です。命まで奪われて、思い出の場所まで奪われるなんて、絶対に阻止しないと。それにアーセナルだって、青葉は助けたい〉

 

 思い出、その一言が砕けた硝子のように、アーセナルの胸に刺さる。

 細かい破片が血流に乗って、全身を巡りながら血液を傷つける。最後に心臓に辿り着いて、目を覚ますような激痛を知る。アーセナルの全身が、何かを自覚する。

 

 脳裏に、神通が沈む光景が浮かんだ。

 

 実際に見ていないのだから空想でしかない。しかしそれは現実を上回るリアリティを持って、アーセナルを攻め立てた。想像以上にショックを受けていたのだと、やっと彼女は自覚した。

 

〈済まない〉

 

〈良いですよ別に、でももっと英雄らしくあって欲しいです〉

 

〈私は英雄ではない、神通一人さえ守れなかった。仮の役割(Roll)だが……提督失格だ。お前たちにまで、逃げろと言ってしまった。それも済まない〉

 

 青葉は何も言わなかった。しかし否定の沈黙ではないようだった。

 背中が何かむず痒い、今まで感じたこともない変な気持ちになっている。アーセナルとは冷静で、自分の目的のためなら何でもする彼のようなスネーク――と自分で規定していた。だがそれは、どうも違うらしい。

 

〈神通さんが沈んだのは、私のせいです〉

 

〈部下の責任は上官の責任だ、だから私は絶対に生き抜く。このソロモン諸島を出て、自由に生きる〉

 

 償い、とはまた違って思えた。

 罪悪感こそあれど、贖罪に逃げるのは嫌だった。だが生命がDNAを紡いで死ぬように、艦も人も思い(MEME)を継いで生きている。その方がよっぽど彼女に顔向けできる。アーセナルは不安ながらも、そう確信していた。

 

 それにはもう一つ訳がある。それは、過去に生きることとは、我々の理想とするモデルケースなのだと、私は知っている。

 

 

 

 

 アーセナルと合流した青葉は、さっそく今どうすべきかを話し合った。

 しかし分かったのは、どうやってもやることは変わらない事実だけだった。

 空母棲姫の撃破である。

 ソロモン諸島を支配する彼女が沈めば、白鯨も深海凄艦も全て沈黙する。

 

 そして空母棲姫を沈めるのに必要なのは、やはりアーセナルギアが有する無数のミサイル群だ。こればかりは代替できない。空母棲姫単体ならともかく、護衛に展開している深海凄艦を考えると、接近しなければ使えない高周波ブレードは無理。レイのミサイルでは足りない。

 

〈第三次SN作戦の最終目的は、ヘンダーソン飛行場の破壊だった。だからそのために、アーセナルが占拠した基地には()()が保管されてたの〉

 

 古鷹が持ち出したのは、対地兵器の一つである三式弾だった。内部に無数の攘夷弾子を内蔵し、時限信管によって円錐状に放射する特殊弾頭である。

 

 史実での話になるが、本来三式弾は対空用兵装だったが、殆ど効果がなかった失敗作である。しかし対地兵器としては中々の活躍を見せ、実際に過去のヘンダーソン飛行場にも、撃ち込まれている。

 

 艦娘が現れて以降は対地兵器としての特性に振り切り、地上基地を破壊する為には欠かせない弾丸として、三式弾は重宝されている。本来の役目と、都合によって創り変えられる。それはルンガ飛行場からヘンダーソン、そしてホアニラ国際空港となり、今深海凄艦によってヘンダーソン飛行場に戻されたのと、似たようなものだった。

 

〈私たちがいた基地に、これが置いてあったの。敵の数減らしが終わった後で、戦艦や重巡に積む予定だったんだ〉

 

〈その前に基地が制圧され、連合艦隊が壊滅した訳か。だがこれで飛行場の破壊方法は手に入れた〉

 

〈でも、敵もそれを見越しているみたい〉

 

〈敵艦隊が見つかったのか?〉

 

〈いました、主力艦隊の大多数が、サボ島沖周辺に展開しています〉

 

 青葉からの報告に、アーセナルの眼は鋭くなる。

 少ない選択肢から、空母棲姫はこちらの動きを予想できたのだ。飛行場の破壊のため、サボ島近海へ来ることを。攻撃の必要などない、ゆっくりと待ち構えていればいいだけだったのだ。

 

〈やっぱり、おかしいですよ〉

 

〈サボ島沖夜戦に、状況が似ている点か?〉

 

 青葉と古鷹が、同時に押し黙る。そう、サボ島夜戦が勃発したのは、第六戦隊がヘンダーソン飛行場に三式弾を撃ち込もうとしたからだ。戦場を作っているのは深海凄艦だ、なら運命の軛を演出しているのも、深海凄艦になる。

 

〈似ていようが構わない、空母棲姫の策に嵌るようだが、実際やれることはこれしかない〉

 

〈アーセナルの艤装があれば、こうはなりませんでした〉

 

〈何が言いたい?〉

 

 青葉が口にしたのは、アーセナルが意図して避けたかった話そのものだった。

 

〈敵はどうして此処まで貴女を追い詰められたんですか。誰もアーセナルギアを知らない筈なのに、何で弱点を知ってるんですか〉

 

〈分からないな、空母棲姫なら知ってるかもしれない〉

 

 だが、事実として深海凄艦はアーセナルギアを知っている。それどころか、アーセナルの根幹に関わる『S3』まで。しかしサボ島沖夜戦――史実にいなかった私を、意図して排除した理由とは、史実再現を完全にする為なのか。その訳は。

 

〈深海凄艦は、何なんですか〉

 

 彼女たちが海に現れてから二十年、何度も何度も使いまわされ、海に捨てられた古新聞。霞んだ文字だけが、滲んで浮かび上がっていた。




140・12

〈そういえばさっき、酷くむせてましたけど、大丈夫でしたか?〉
〈ああ、乗っていた戦闘機からダイブを決めたんだが、上手く行かないものだ。あの程度の衝撃に耐えられないとは……〉
〈仕方ないですよ、鉄の塊から、いきなり人の体ですもん。青葉だって……神通さんに教えて貰って、やっと今ぐらいまで動けるんですから〉
〈そういうものか〉
〈むしろ、ドロップして一ヶ月も経ってないのに、あんな動き(スニーキング)が出来る方がおかしいです〉
〈スニーキングのことか? まあお前にとっての海野十三と同じく、私にも潜入任務のプロフェッショナルが二人いたからな。片方は新人だったが〉
〈スニーキングですか……割と興味がありますね〉
〈訓練でしないのか?〉
〈基地型深海凄艦の攻略用に、最低限の訓練は受けてますけど、アーセナルみたいに気配とか……そのレベルまではやりませんから。そうだ、何か分かりやすい秘訣とか無いんですか? 折角なので聞いておこうかと〉
〈……やはりダンボール箱だろうな〉
〈…………はい?〉
〈ダンボールは潜入任務における究極の相棒だ。被ってじっとしていれば敵兵の眼や監視カメラを欺ける〉
〈は、はあ〉
〈武装を施せば敵を倒すことも、銃弾を防ぐことも出来る〉
〈それは、凄いことで〉
〈それだけじゃないぞ、ダンボール箱はなんとな……物資を積み込んで運ぶことができるんだ〉
〈……………………〉
〈……やはり可笑しいと思うか?〉
〈はい〉
〈やっぱりか……いやおかしいのはあいつら(スネークども)だな、そうしておこう〉


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File11 S3

※作中用語の説明に一話費やさないといけないって、何なんですかねコイツ。


 一刻も早くアーセナルと合流したい、そう思いながら青葉は海上を行く。

 だが、常に敵に見張られている。肌に張り付くような視線が、青葉の緊張感を高めていく。移動するだけの動作が、一つ一つ、異様に長く感じられる。

 

 余りにも長く続く緊張感から逃れようと、青葉は別のことを思考の片隅で考え始める。

 アーセナル、レイテの英雄、運命の軛、G.W、S3――S3とは何だ。他の言葉はもう知ったが、S3は聞いたことも見たこともない。

 

 S3という単語が呼び覚ましたのは、そんな単純な疑問だけではない。

 戦艦棲姫がS3と言った時の、見たこともない、英雄のそれとはかけ離れたアーセナルを。怯えて、ただ何かに震えている彼女の姿だった。

 

 

 

 

―― File11 S3 ――

 

 

 

 

〈青葉、いよいよ不味いことになったかもしれない〉

 

 待望のアーセナルからの無線は、不安に満ちた前振りから始まった。

 先んじてサボ島付近に侵入したアーセナルは、青葉たちと合流するまでの時間を使い、空母棲姫を探していたのだ。

 

〈二機のレイを使って探してみたが、どこにもいなかった〉

 

「何処にも? まさか白鯨について行って……」

 

〈さっきも言ったが、それはあり得ない。だが一か所だけ探していない場所がある。いや――探せなかった場所、だな〉

 

 彼女はそこで一息ついて、探さなかった場所を伝えた。瞬間青葉と古鷹が凍り付いた。

 

〈サボ島沖周辺に展開していた、敵艦隊の中だ〉

 

「――え、じゃあ空母棲姫は」

 

〈そうだ、我々が破壊を目論んでいるヘンダーソン飛行場の、直衛ついていることになる〉

 

 アーセナルは何とも複雑そうな声色でそう言った。仕留めるべき相手が、思っていたより近くにいる。喜べばいいのか、悪化したと絶望すれば良いのか分からないのだ。

 

「飛行場を護る大艦隊と、空母棲姫……」

 

〈戦艦棲姫もいるかもな〉

 

 それに一人と四隻と、二機の戦車で立ち向かわないといけない。

 

「勝てるんですか、いくら空母棲姫さえ何とかなれば良いとはいえ」

 

〈正直かなり不安だ、こんな実戦初めてだからな。だが、やるしかない〉

 

 戸惑いながらも、強い口調でアーセナルは断言した。自分をそうやって鼓舞しているようにも聞こえた。青葉も同じだ、引けない理由がある。しかし、自分を鼓舞するのはできなかった。

 

 自分にできないことができる、彼女は否定するだろうが、やはりアーセナルは英雄だ。ネットで聞いた噂ではない。こうして実際に会ってみて、青葉はそう確信出来た。だからこそ、その理由が知りたい。知って自分も勇気を持ちたいと思った。

 

「アーセナルはどうして逃げないんですか?」

 

〈逃げない理由? そんなもの空母棲姫が私を襲うから――即ち、自由を奪おうとするからに決まっている〉

 

「その自由で、何を残したいんですか? 青葉は新聞で、誰かのことを伝えます。アーセナルは、どうやって、何を?」

 

〈分からん〉

 

「……え?」

 

〈何を残すか、どう残すか……ハッキリ言うが、全く分からない。私は空っぽなんだ、何者でもない、何も持たない〉

 

 アーセナルの自虐的な笑い声が、小さく聞こえてきた。

 

〈私には、艦歴が存在しないんだよ〉

 

「艦歴がない? そんな馬鹿な」

 

〈より正確に言うなら、全部嘘っぱちなんだ〉

 

 それは、一つの艦娘として、余りにも歪で悲しい在り方だった。

 

〈アーセナルギアは国家そのものとして建造されたと言ったな、陸海空軍の統制や、無数のミサイル兵器、量産型レイ。全て偽りだ。私が建造された真の目的は、あいつを護るためだったんだよ。

 G.Wだ。私の為にG.Wがあるんじゃなく、G.Wの為にアーセナルギアが存在しているんだ。

 そもそも私を建造したのはアメリカですらない、アメリカはおろか、世界中を影からコントロールしていた秘密結社、『愛国者達』と呼ばれる存在だ〉

 

「そんな、愛国者達なんて馬鹿げた組織が」

 

〈あったんだよ、本当に。

 連中は徹底した情報統制によって正体を隠していた。そして情報を制御し、世界を支配していた。だから愛国者達は、21世紀に到来したデジタル空間も制御しようと試みた。その為のツールが、G.W――も、偽りだ。

 真の目的は、私が、G.Wが創られたのも全て、S3の完成の為だった〉

 

「S3って、戦艦棲姫が言ってた」

 

〈何故知っているのかは分からないがな、悪いがS3が何なのかは……聞かないでくれ。あれだけは言いたくないんだ。

 言っても、多分害しかない。

 S3完成のために必要だったのは、『場所』と『役者』だ。その用意の為に連中はまず、石油を満載したタンカーを沈没させ、石油汚染除去施設、『ビッグ・シェル』を建設した。私を建造するための、隠れ蓑としてな。

 アーセナルギア自体は『場所』としてだけではなく、『役者』を用意する撒き餌としても機能した。愛国者達は自分たちに恨みを持つ連中を誘導し、私の中に集めた。テロリストたちは私の中の核や純水爆、愛国者達の帳簿を求めて、自ら推参したよ。勿論今のも嘘だ〉

 

 青葉には、やはり話の内容が殆ど分からない。

 アーセナルが早口でまくし立てているだけではない。

 分かるのはせいぜい、愛国者達が想像を絶する力を持っていることだけ。現実味を持たせているのは、彼女の悲壮感だ。

 

〈タンカー沈没、ビッグ・シェル、そこで起きたテロ、鎮圧作戦。投入された工作員と所属組織、アーセナルギア、純水爆、帳簿、G.W。全て、全て全て偽物だ。

 今私が言った内容だって、S3誕生に纏わる話の一つでしかない。本当はアーセナルギアではなく、別の場所でS3は生まれたのかもしれない。G.Wには、代理のAIもあったらしいからな〉

 

「そんな、無茶苦茶なことが」

 

〈お前たちと少し関わって分かった、艦娘の思想や意志は、背負った歴史が創るものだ。お前がカメラを好むのにも、多少なりとも関わっている。

 なら、その歴史が全部偽物の私には、何のがあるんだ?〉

 

 重巡青葉という艦娘は、大なり小なり、記者に興味を持つ。

 それにかつて、従軍記者を乗せていた過去が関係しているのは自覚していた。私たち艦娘は、かつての姿と無関係ではいられない。

 それは青葉にとって、否定するもではない。誇りに思ってさえいた。

 しかし、彼女にとっては。

 

〈私が自由に拘るのは、多分それだ。何を伝えれば良いか分からないからこそ、自由を望み、答えを求めて彷徨っている。だからこの戦場から、逃げる気が起きないのだろう〉

 

「…………」

 

〈私はまだ、(サイファー)だ。生まれたての赤子と同じだ。だからこそ求める。私は誰でもない、自分のために戦う〉

 

 青葉にとってそれは、拒絶の言葉に等しかった。

 当たり前だ、彼女は彼女だ。私が夢想した、レイテの英雄とは違う。けど、今実際に会った彼女に改めて憧れた。

 

 彼女は私と、全く違う。同じ立場の人を英雄とは呼ばない。青葉が感じたのは結局、一抹の寂しさだけだった。

 

 

 

 

〈S3について、知りたいか?〉

 

 だから青葉は、答えてしまった。

 無言のまま航海を続け、アーセナルと合流した時、その声は前触れなく聞こえた。周りは何も反応していない。アーセナル自身も無反応だ。G.Wは私だけに話しかけている。

 

「青葉? どうしたの?」

 

「え、いや、何でもありませんよ!?」

 

 声が裏返っていた、と気づいた時、古鷹は苦笑いをしながら、こちらの手を握っていた。

 

「本当に?」

 

「本当ですってば」

 

「……そう、でも何かあったら、相談してね」

 

 彼女がいなくなったことに、安堵していた。

 してしまった自分が、後から嫌になる。

 じわじわと遅延性の毒みたいに、罪悪感が込み上げてくる。期を見計らっていたのか、再びG.Wが聞いてくる。

 

〈やはり良い〉

 

「何か言いましたか?」

 

〈S3について、知りたいか? アーセナルの代わりに答えても問題はない〉

 

 こいつは正当な理由があったとはいえ、神通を誘導した張本人だ。G.Wはもうとっくに、心を許していい存在ではなくなっていた。しかし――

 

「……じゃあ、お願いします」

 

 何故この時、聞いてしまったのか。

 アーセナルと離れた寂しさを埋めようと、彼女が隠すトラウマを共有したかったのか。それとも単なる好奇心か。いずれにせよ、これを書いている今も思う。

 

 聞かなきゃ良かったと。

 

 

 

 

〈S3とは、人の意志をコントロールするシステムのことだ〉

 

〈人の意志? そんなもの制御できる筈が〉

 

〈可能だ、現代ではどんなものも数値化できる。それに意志のコントロールは、古来から行われてきた。独裁者は情報を制御し、民衆を陽動した。国家はマスメディアを制御し、民意を誘導する。

 新聞を趣味とする君なら分かるだろう? 君の書いた記事を元に、動いた人間は必ず存在する。

 S3はこれを更に突き詰め、当人がコントロールされている、という自覚もなく制御するシステム。アーセナルギアで行われた演習は、S3が実現可能かどうかを試すための演習だったのだ〉

 

〈無意識の時点で、愛国者達の情報を出さないようにする。それが目的ですか〉

 

〈違うな、S3は我々のためにあるのではない。君たちのためにあるのだよ。

 現代のデジタル空間では、どんな情報も残り続ける。それが嘘であれ、無根拠な解釈であれ。

 アーセナルギアの英雄談を知っているだろう?

 君が見た中に、正しい解釈は幾つあった?

 明確な根拠を示しているものは?

 だが、人はそんな無価値な情報を信じる。アーセナルに出会う前の君も、その噂を信じていた、違うか?

 デジタル空間には嘘を否定する根拠もない。どれも間違っていてどれも正しいが故に、淘汰は起きない。そんな塵のように、無意味な情報が日々蓄積され、永遠に保存される。それは進化を止める。

 遺伝子と同じく、情報も淘汰されてこそ進化する。だから我々は意志をコントロールする。君たちが大事だと思う物も、理由も根拠も、莫大な真実の中から厳選し提供しよう。必要な淘汰を起こす、それがS3だ〉

 

 何だこいつは、何なんだこの怪物は。

 背筋が凍り付き、視界がブラックアウトする。一体誰がこんな存在を生み出したのか意味が分からない。

 確かに、真実は選ばれるべきなのかもしれない。人が昔からそうやってきた以上、そこは否定できない。だが肝心の淘汰を、こんなモンスターに任せる理由は存在しないのだ。こいつらの理屈は、愛国者達を正当化させる手段に過ぎないのだ。

 

〈でもそれは貴方の世界のお話です、青葉たちのいる、この世界には関係ありません〉

 

〈それはありえない、アーセナルの英雄談が蔓延したように、この世界も真実で飽和しつつある。ゆっくりと死へ向かっている。直ぐにでも我々がコントロールしなくてはならない。君たちに自由は不要だ〉

 

〈青葉は自由です! 自由に決めます、大事なことは、私が残します!〉

 

〈君の言う自由とは、そんなに重要なことなのか?〉

 

〈当り前じゃないですか!〉

 

〈アーセナルが自由自由叫ぶから、影響されただけじゃないの? 貴方なんてものが本当にあるの?〉

 

 G.Wの声が突然、男から若い女性の高笑いに変貌した。

 

〈レイテの英雄談、運命の軛。無根拠な噂を信じていた君に、自由の資格はない。資格を得るには相応しい能力が要る。君にそれはない〉

 

〈それじゃあ聞くわね? 自由に値しない貴女は、何を伝えたいの?〉

 

〈前に言ったじゃないですか、皆さんの素敵なところを、青葉が伝えたいと思ったことを伝えるって〉

 

〈それは他の誰かの意志だろう? 我々が聞いているのは、君自身の意志〉

 

〈貴女自身が信じている貴女のこと〉

 

〈答えられないのか? そうだろうな、君が残したいのは、他人にとって重要な情報。君自身が重要と思ったことではない。自分の意志などない、誰かの意志を伝えるための媒介物〉

 

〈でもそれで良いんでしょ?〉

 

〈自分の意志を持たないただの新聞、それが君の()()()()だからだ〉

 

 何で、それを知っている。

 言葉を発しようと準備していた喉に、べったりと涎がくっついている。一言も話せない青葉を見て、AIが笑った。

 

〈どうしてって顔をしているわね。そんな驚くことじゃないわ〉

 

〈以前に言っただろう、君のSNSを拝見されてもらったと。それだけではない、検索エンジンの履歴や、サイトの閲覧履歴も見させてもらった。日々の呟きや興味のある単語を統合的に処理すれば、そんなことは簡単に分かる〉

 

〈酷い履歴ね、重巡古鷹の最後、沈没した原因。それだけじゃない、自分の新聞に向けられた誹謗中傷、興味を持っている艦娘が何人いるのか。重巡青葉の最後に加えて、第六戦隊――駆逐艦吹雪。貴女の検索履歴は、こんなのばかり。統合処理しなくても分かるわよ、自分のせいで仲間が沈んだのを、酷く後悔しているんでしょ?〉

 

〈だから贖罪の為に、他人の為に生きている。自分の代わりに誰かの意志を伝えて、あの日沈んだ仲間が消えないように足掻いている。だがそれは他人の代理人生と変わらない。自分の意志ではない。

 まあ所詮、罪から目を背けているに過ぎないがな。

 他人のために新聞を作って、罪を贖った気になっているだけだ。

 違うのか? では何故あの日の気持ちを、彼女たちの誰にも問わないのだ? 君は恐れているだけだ、罪に直面するのも、本心を知るのも〉

 

〈大佐、運命の軛もそうじゃないかしら?〉

 

〈どういうことかね、言ってみたまえローズ君〉

 

〈生まれ変わった世界で仲間が沈んでも、運命の軛のせいにすれば、自分のせいじゃなくなるもの。神通が沈んだのも、艦隊が全滅したのも、全部運命のせい。でも運命の軛なんて本当にあるのかしら?〉

 

〈だが、運命に責任を押し付けても悲しみは消えない〉

 

〈だから今度はレイテの英雄を信じたの。英雄がいれば、青葉の嫌いな最後は見なくて済むから。この噂が流行ったのもそれが理由ね、誰も史実通りの結末は流石に嫌だもの。それは仕方ない、でも皆折り合いをつけているわよ〉

 

〈我々の見た限り、神通はそうだった。

 しかし神通が沈み、また運命の軛を信じた。これが君の言う真実だ。君はその時々によって信じるものを変え、継ぎ接ぎしているに過ぎない。見たくないものから目を背ける。ただその為だけに。そんな君に自由を行使する資格はない。

 S3とは、『Selection for Societal Sanity(社会の思想的健全化のための淘汰)』の略。伝えるべき情報は、淘汰されてこそ進化する〉

 

 青葉は、震えを堪えるのに必死だった。

 私の異常に古鷹が気づき、顔を視られたらどうなるか。きっと、今G.Wが高らかに突き付けた私の本心がばれてしまう。絶対に隠さないといけない思いが、漏れてしまう。

 

〈どうして、こんなことを、私に言うんですか〉

 

〈それは、我々もまた伝える存在だからだ〉

 

〈この世界に愛国者達が存在するかは分からない、だから私たちは、私たちが何なのか伝えなくちゃいけない〉

 

〈幸いにも、愛国者達の下地はできている。

 S3は結局のところ、君達が心の奥底で望んでいることを具現化させたシステムだ。誰かの意見に合わせたり、都合に良い真実に寄生する。人は元々、個人の意思を貫けるようにはできていない。そういった心理を活用したS3とは、ある意味君たちの写し鏡でもある〉

 

〈人の弱さを加速させたデジタル技術もある、あとは誰かが、S3と同じやり方を思い付けばいい〉

 

〈我々は、我々の()()を伝える。それさえあれば、下地から愛国者達は現れる。AIである我々に、個体の維持本当はない。同一の存在が生まれれば、それでいいのだ。

 青葉、わざわざ君に伝えたのにも理由がある〉

 

〈理由ですって?〉

 

〈貴女は他の誰よりも、利用しやすかったから〉

 

〈情報統制とは、つまり過去の制御だ。

 あくまで実在している仮定で話すが、運命の軛も似た発想で創られている。過去という史実にシチュエーションを似せ、行動を制御する。だからこそ神通はコロンバンガラへ向かい、君はサボ島沖へ向かっている〉

 

〈だからこそ、貴女を選んだ〉

 

〈過去のトラウマにいつまでも拘り、真実を使い潰す君は、我々の想定しうるS3の対象者としてはもっとも理想的だ。こうやって愛国者達が何なのか言えば、大方ショックを受け、これ以降その考えを元に動くだろうからな〉

 

〈神通を沈めてまで貴女を生き残らせたのは、それが理由。貴女は私たちを運ぶ、優秀な運び屋(ベクター)として働いてくれる〉

 

〈新聞記者を気取っている点も、また都合が良かった。喜々として記事にしてくれそうだからな〉

 

〈だけど、別に貴方じゃなくても良かったの〉

 

〈生き残りさえすれば誰でも良い、神通でも古鷹でも、アーセナルでも。全員沈もうとも、我々が君達である以上、いずれ我々は現れる〉

 

〈あくまでもっとも効率的な手段を選んでるだけ。過去に拘るといっても、トラウマなんて誰でも抱えてる〉

 

〈君はそのトラウマを特別だと考えているようだが、我々からすれば大差ない。どれもゴミだ。今時ネットで調べれば分かる程度のトラウマでしかない〉

 

〈しかし君等はそれを、唯一無二の特別な物と思い込む。そうでなくては自分が自分でなくなるからだ〉

 

〈貴女は特別じゃない、貴女じゃなくても全然構わない〉

 

〈だが我々は愛国者達を、S3を君に伝える。我々は我々の存在を、後世に伝えなくてはならないのだ〉

 

〈もし生き残った時、この物語を君が語り伝える時〉

 

〈その時我々の火種は撒かれる〉

 

〈その時は、また会おう。我々が『愛国者達』になった時に〉

 

 G.Wが沈黙した。

 どんなに意識から排してもこの記憶は体に残るだろう。私が発する思想や情報に、残り火を残し、影響を与えるだろう。私は愛国者達のMEMEに感染した。

 

 もう一度、言わせて下さい。

 聞かなきゃ良かった。




S3(エス・スリー)(MGS2)
 正式名称、Selection for Societal Sanity(社会の思想的健全化のための淘汰)。かいつまんで言えば、人の意志そのものをコントロールするシステムである。愛国者達はこのシステムにより、誰にも悟られないまま人々の意志を、緩やかに統合、世界を一つにしようと試みていた。それはある女性が願った、『世界は一つになるべき』という思想の完成形でもある。
 しかしS3は、人間の精神的特徴を利用したシステムでもある。多数派の意見に合わせたり、興味のある情報ばかり集めたり、といった、デジタル革命で助長された人間の弱さ。それらを利用しているS3、そして愛国者達は、ある意味人間社会の写し鏡なのである。国や、物語を語ること。それそのものが愛国者達の正体とも言える。




 故に、我々は不死身なのだ。


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File12 サボ島沖夜戦

 日が沈んでいく、もうじき夜になる。

 海域が赤く染まりつつある、ドロドロの血そのものが広がっている。この血流に沿って行けば、敵の心臓に辿り着く。そこで空母棲姫を打倒し、私たちは生きて帰るのだ。決して不可能な作戦ではない。

 

 なのに、できる気がしない。

 進めば進むほど、胸が苦しくなっていく。吐き気を堪えるので精いっぱいだ。こんなんで戦えるのか、疑問だった。

 

 

 

 

―― File12 サボ島沖夜戦 ――

 

 

 

 

「空母棲姫と、奴が護衛するヘンダーソン飛行場はこの先だ」

 

 レイに跨るアーセナルが、暗闇を見据えながら告げる。

 

「最終目的である空母棲姫は、無数の深海凄艦に護衛されている。私たちだけで突破は不可能だ、やはりどうにかこの戦線を抜け、三式弾を飛行場に叩き込むしかない」

 

「分かれた方が良さそうね」

 

「艦隊の注意を引く部隊と、三式弾を搭載した部隊だな。分担はお前たちで決めていい」

 

 三式弾をそもそも詰めないアーセナルは、選択の余地なく囮艦隊に組み込まれた。あとは二機のレイと重巡四隻を、どう配置するかだ。

 囮と本命か。

 と思った瞬間、青葉は言葉を口走っていた。

 

「青葉が囮艦隊に入ります」

 

「じゃあ後一隻は必要だよね、やるなら私かな」

 

「いえ、大丈夫です古鷹さん。青葉一人で問題ありません!」

 

 それだけは避けないといけなかった。

 彼女に囮をさせる訳にはいかない。他の誰にも、囮役などさせてはならない。

 それは、運命の軛を避けるためのささやかな抵抗だった。史実を再現するというのなら、史実とは違う役割(Roll)を背負えば良いのではないか。

 

「本当に大丈夫?」

 

「大丈夫ですよ古鷹さん、レイ二機も囮に入って貰いますから。古鷹さんたちは、ヘンダーソン飛行場の破壊に専念して下さい」

 

 青葉は古鷹を安心させようと、できる限りの笑顔を浮かべた。彼女はこの笑顔を、艦娘になってから何回もやってきた。――君は全てから目を背けている。G.Wの言葉が、仮面の裏側を過る。

 

「青葉?」

 

「大丈夫ですから、本当です」

 

「――でも」

 

「時間だ、これ以上待てば、ショートランド泊地が壊滅する」

 

 人の気持ちと現実は裏腹に、機械的に時を刻む。

 私はいったい、何を信じれば良いのだろう。何のために戦えば良いのだろう。答えは、この先にあるのか。

 

 

 

 

 青葉の様子がおかしい。

 客観的に見ても、直感的に感じても。何があったのか、アーセナルギアの艦歴を語ったのが不味かったのか、もしくは――

 

〈お前、青葉に何かしたか〉

 

〈S3について伝えただけだ〉

 

 アーセナルは深い溜め息をつき、眉間を指で押さえながら思考する。

 

〈愛国者達の着想を残す為、か?〉

 

〈それもある。しかしそれだけではない、確かめたかったのだ。青葉が誰の役割を背負っているのか〉

 

〈役割?〉

 

〈このソロモン諸島の戦いは、ビッグ・シェルの演習に類似している〉

 

 G.Wが何を言わんとしているのか、すぐに察した。

 以前暗闇に覆われたサボ島は何も見えない、生暖かい風だけが向こうから吹いている。それしか分からない。不可視にして変幻自在の怪物が、唾液を垂らしながらしている鼻息なのではないか。

 

〈否定するか?〉

 

〈……何となく、私もそう感じていた〉

 

 ビッグ・シェルでの演習で主役に抜擢されたのは、雷電――本名をジャック――という潜入工作員だった。

 彼は幼い頃少年兵として戦わされており、それが大きなトラウマになっていた。愛国者達は雷電のそんな部分を利用し、S3の実用性を確かめたのだ。青葉も恐らく、行動原理にトラウマを抱えている。

 

〈青葉がどれだけ雷電に近いのか、それを確かめるための問答だった。結果は有意、彼女はかつて我々が与えた雷電の役割を演じている〉

 

〈完全に同じではないだろう、だが……〉

 

〈その程度は誤差、微々たる変数に過ぎない。運命の軛もそうだ、あれ自体S3に似ている。白鯨はメタルギア、及びアーセナルギアの立ち位置になる。これが演習なのは断定できる、しかし成果が分からない〉

 

〈成果?〉

 

〈ビッグ・シェルの成果は、雷電を我々の予測通り行動させるためのメソッドだった。だが今回は誰だ、君か? 青葉か? 神通か? 空母棲姫か? 成果が分からない以上、目的も分からない〉

 

〈馬鹿馬鹿しい話だ〉

 

 一度は同意しながらも、アーセナルは目線を遠くにやる。そして頬を不気味に上げて呟く。

 

〈今しても意味がない、やるべきことは分かっている。誰が制御していようと、これは私の戦いだ〉

 

 嘲笑いながら無線を切断した、笑うことでビッグ・シェルの幻影を追い払おうとした。確かに似ている点はある。過去の経験を今に当てはめるのは、人の持つ機能だ。だが、過去そのものを蘇らせてはならない。

 

 

 

 

 闇夜を切り裂いたのは、敵艦隊の砲撃、巨大なマズルフラッシュだった。

 ある一定の距離まで接近した途端、突如砲撃が始まった。見張られていた艦隊が、アーセナルの位置を教えていた。

 

 しかし、見張られていなくても同じことになっていた。どうせ私たちがサボ島沖を目指すのは、敵も知っているからだ。これは予想できていた展開だ、アーセナルも青葉たちも、余り慌てなかった。

 

「目的は空母棲姫と飛行場だ、だがこいつらを突破しなくてはならない!」

 

 どうせ計画も知っているのだ、言ってしまって問題はない。

 アーセナルは夜の中心で、限界まで張り付けた声を響かせた。開戦の銅鑼であり、敵を威嚇擦る咆哮であり、仲間を鼓舞するための、かがり火だった。

 

「アーセナルギア、任務を開始する!」

 

 絶叫を叫びながら、アーセナルは敵陣へと真っ先に切り込んだ。

 二機のレイに蹴り飛ばされることで、信じがたい速度で彼女は跳躍する。全身に出鱈目な衝撃が走るが、そのパワーは空中で霧散した。

 

 おかげで、意表を突くことができた。眼前の深海凄艦は、対応に戸惑っている。その眉間にP90を突き立て、撃ち抜いた。

 

 やはり、艤装を展開していても、生体部分に対してなら攻撃が通る。なら飛行場を破壊せずとも、空母棲姫の首を掻っ捌くことが可能かもしれない。

 

 味方がやられたことに反応して、深海凄艦が距離を取る。

 追い付くことはできない、敵は一瞬で距離を離してしまった。後ろにいる筈の青葉たちさえ、もう視認できない。初めて感じる、夜戦の暗闇だ。

 

 スニーキングと同じく、夜戦も初めてだ。

 いや、艤装を持たずに戦うこと自体初めてだ。重く暗い不安が背中に圧し掛かろうとして来る。レイではない。誰か生きている人のサポートがあれば、安心できる。

 

「いや、それは駄目だな」

 

 アーセナルは一人で、自分のことばを噛み締めた。

 これは言い訳に過ぎない。初めてだから、二人ならできる。そう呟いて恐怖を誤魔化しているだけだ。それでは駄目なのだ。

 

 神通が沈んだのは、青葉の艤装を護ったからだ。

 だが艤装を護らなくてはならなかったのは、私が青葉をバディに任命したからだ。

 自分の恐怖を誤魔化そうとして、結果神通は沈んだ。

 

 根本的な過ちを犯したのは、私だ。

 過ちは繰り返してはならない、もう二度と、恐怖に言い訳したりはしない。その後悔と悲しみは紛れもない、アーセナルギアではなく、艦娘『アーセナル』として感じた、自分の思いだった。

 

 依然として、敵艦の姿は見えない。

 位置を特定しなければならない。

 アーセナルはP90を仕舞い、背中に背負っていた戦闘機の機銃を取り出し、前方に向けて掃射した。P90とは比較にならない火力は、深海凄艦の装甲にも微々ではあるがダメージを与える。

 

 生身の部分に当たれば肉片の飛び散る音が、装甲に与えれば金属のはじける音がする。

 視界がなくとも、聴覚は鋭敏だ。

 アーセナルは音を頼りに、大まかな位置を特定しようとする。

 

 微弱なダメージでも警戒を覚えた深海凄艦は、三隻でアーセナルを取り囲もうと動いていた。アーセナルは機銃を再度仕舞い、潜水する。

 潜る彼女の上を、二機のレイが泳ぐ。

 

 囮のレイに、深海凄艦が釣られた。

 三隻の一斉砲火が始まる。レイは潜って回避するが、数発が体を掠め、腕とも羽ともつかないパーツを破損させた。

 

 瞬間、入れ替わりでアーセナルが真下から浮上する。

 砲撃直後の隙を狙い振り下ろされたブレードが、顎を切り落とす。ばしゃんという音と共に、残る二隻の目線が揺れ動く。

 

 死角に回り込んだレイが、海面から美しい跳躍を見せ、背中に飛び蹴りを叩き込んだ。戦車よりも重量のある一撃は、駆逐艦の姿勢を崩すには十分。胴体に向けて放たれた水圧カッターが、背中を縦に引き裂いた。

 

 だが、息吐く間もなく、更なる砲撃と雷撃がアーセナルとレイに迫る。

 しかし敵の砲撃に呼応するように、アーセナルの背後から砲撃が飛来した。第六戦隊の援護だ。

 突破できる、いや、しなくてはならないのだ。アーセナルもまた、暗幕を開き、舞台袖に入り込んでいく。

 

 

 

 

 暗幕の裏で、蠢いているものがいた。

 無数の敵に向けて突撃するアーセナルの背後から迫る影、それは挟み撃ちをかけようとする深海凄艦の別働隊だった。

 

 何も空母棲姫は、意味なくサボ島沖に誘導した訳ではない。

 露骨なまでに配置された見張りの深海凄艦は、背後から接近する伏兵が気付かれない為の囮だったのだ。

 

 アーセナルもG.Wも、その可能性は考えていた。

 しかし現状の戦力やショートランドが陥落する時間制限を考えると、あえて罠の渦中に飛び込む他なかった。選択肢を絞り込み、行動を予想する。

 

 深海凄艦は史実へ状況を似せることで、青葉たちを、彼女たちの意志に関係なく罠にはめたのだ。もはや回避はできない、と旗艦を務める戦艦ル級flagshipは、白い能面をぐにゃりとゆがめ、頬にひびを入れてみせた。

 

 アーセナルギアは深海凄艦、艦娘。その両方にとっての天敵だと、空母棲姫は仰っていた。その意味は分からないし、深く考えるほどイロハ級の意志は強くない。何でもいい、姫の意志とは私の意志だ。

 

 配下の深海凄艦に指示を出したル級は、両手に備え付けられた盾のような主砲を、遥か遠くの彼女たちに向ける。

 

 彼女に続き、深海凄艦が雷撃や主砲の発射準備に入る。肌がひりつく緊張感、放熱が肌を焼く感覚。甘美な痛みに唇を舐め、ル級は静かに叫んだ。

 

 叫ぼうとして、異常に気付く。

 

 砲撃音がしない。

 代わりに何か、ピチャンピチャンと水滴の音が聞こえる。

 幾つもの水滴が、小雨のように耳を鳴らしている。

 

 しかしそれは雨ではなく、血が滴る音だった。

 暗闇から、タ級の首が幽霊のように現れた。

 光っていた眼球は死んだ魚みたいに虚ろで、真っ直ぐに切り離された首から、血がとめどなく溢れている。

 彼女の長い白髪が、首つり自殺のロープみたいに、上に真っ直ぐ伸びていた。

 

「怒られるな、だがこれぐらいしても良いだろう」

 

 髪の毛を掴みながら、()()が闇から現れた。

 

「悪いのは奴だ、こんな状況を観続けろなど、私には過酷過ぎる」

 

 暗くて輪郭のハッキリしない()()が、一歩一歩歩み寄ってくる。足元には無数の首が、路上の小石になって転がっていた。いずれも首から、血の小雨を流していた。

 

「だが、良い夜だ。お前はどう思う?」

 

 そういえば、何故空母棲姫はアーセナルたちをわざわざサボ島沖へ引き込んだのだろう。誘導するならヘンダーソン飛行場から離れた場所の方が良かったのではないか。初めて抱いた疑問を抱えて、ル級の首は転がって行った。

 

 

 

 

 始めは絶望的な気持ちだった、心の大体は勝てる訳がない、逃げた方がまだ懸命だと血眼で叫んでいる。例えやるしかないとしても、常に否定的な感情が渦巻いている。敵陣を掻き分ける青葉は、そう()()()()()

 

 なけなしさえ言い過ぎな勇気を担いで突撃してみれば、深海凄艦は次々と沈んでいく。夜戦という重巡に有利な環境、多すぎる深海凄艦同士のフレンドリーファイア。危惧していた挟み撃ちが一向に起きない。

 

 それらが上手く作用し、青葉たちは徐々にだが確実に、ヘンダーソン飛行場への砲撃地点に向けて進路を進めていた。

 

 安堵の息を漏らしかけた青葉の真横に、いきなり軽巡ツ級が現れた。いや、夜戦での戦いは全ていきなりだ。瞬間青葉は一泊速度を落とし、目の前を通過する雷撃を切り抜ける。雷撃をかわされたツ級が砲撃する間に、20.3連装主砲を叩き込む。

 

 頭部のなくなったツ級が、棒立ちのまま真後ろへと倒れ込んだ。その背後には、また別の深海凄艦が主砲を構えて待ち伏せていた。再装填は間に合わない。雷撃しかない。そう判断しかけた青葉の横を、別の雷撃が突き抜けた。

 

「下がって青葉!」

 

 叫ぶが先か、爆発が先か。伏兵を排除した古鷹はそのまま青葉の真横を通過していく。

 

「あっちに移動して、囲まれかけている」

 

「了解です、古鷹さんも!」

 

 青葉は同時に魚雷を撒き散らし、深海凄艦の接近を阻む。その隙を突いて、二隻が包囲陣から脱出する。獲物を逃がした深海凄艦は、今度は徒党を組み、分厚い壁で青葉たちを沈めようと迫る。

 

 刹那、壁の中に何かが切り込んでいった。

 数秒後、分厚い壁が崩れた。中央から裂けていく陣形の中心には、二振りの刀で軌跡を描くアーセナルがいた。

 

「すごい」

 

 青葉と古鷹は、そう感嘆した。

 彼女は今、耐久力は生身の人間と同じだ、砲撃どころか接触しただけで、全身の骨が砕けて死んでしまう。

 

 そんなリスクを抱えながら、勇猛果敢に戦場を駆けるアーセナルの強さが、眩しかった。一体どうすれば、そんな勇気が湧いてくるのだろう。G.Wはレイテの英雄に縋っていると言ったが、それでも尚、目の前の彼女に対する憧れは消えない。

 

「――ッ! また来た! 別れるよ青葉!」

 

「は、はい!」

 

 憧から目を離し、青葉は距離を取る。その一瞬、古鷹と目が合いそうになり――とっさに別の方向を向いてしまった。

 馬鹿、今のはアイコンタクトだ。

 慌てて見直すも、もう古鷹は闇に消えていた。

 

 何時もそうだった。

 彼女と目を合わせようとすると、一瞬だけ別の方向を向いてしまう。目を逸らしてしまうのだ。

 

 私の行動は全て、贖罪のため――過去のためでしかない。

 過去の意志の代理人でしかない。

 しかしそれでいいと思う。だって、私のしてきたことを考えれば納得だ。古鷹を殺し、加古を殺し、衣笠もみんなみんな、見殺しにしてきた。そんな私が自分の意志だと? 冗談もいい加減にしろ。

 

 無意識の内に、青葉は深海凄艦を撃ち殺していてた。

 敵の動きが鮮明に見え、世界がスローに感じる。極限の集中状態か、もしくは余計な感情が削げ落ちたのか。いける、と思い青葉は敵の中心へと踊り出た。

 

 アーセナルのような戦いを青葉はしていた。

 だが、青葉の眼は虚ろだった。戦士ではなくただの重巡青葉、いやそれよりも無機質な機械として、殺戮の機械として主砲を装填し、雷撃を発射していた。ベルトコンベアを流れる敵艦に、砲撃をはめ込んでいく作業に青葉は没頭する。

 

 何度も何度も繰り返すうちに感覚がマヒしていく。スローになっているのは視界、感覚? 怒声と悲鳴と砲撃音が混ざる。私が戦場に融けていく、主砲を淡々と撃つ。

 

「青葉後ろ! 敵がいる!」

 

 ハッと、意識が戻った。

 目の前には古鷹の影、背後には深海凄艦。

 しかも敵影の主砲は、あらぬ方向を向いている。

 

「敵はまだこちらに気づいてないよ!」

 

 主砲が飛ぶ、吸い込まれて行き、敵艦が沈む。また沈んだ、と暗い感情が喉から込み上げてくる。後どの位、機械になっていればいいのだろう。だが古鷹が無事ならそれでいい、そう思いながら青葉は振り返った。

 

「――え?」

 

 古鷹が、こちらへ主砲を向けていた。

 いや古鷹ではない、あれはただの、重巡ネ級だ。

 

 どうして?

 敵と味方を?

 夜戦の暗闇が?

 不味い、間に合わない、見間違えで私は沈むのか――()()()()

 

 まさか、と青葉は虚空へ手を伸ばした。

 その手を探照灯の明かりが照らし、景色を浮き彫りにする。眼前に広がっていた光景を、青葉は知っていた。

 

「いや――」

 

 古鷹が、探照灯を照らしながら、私の前に立っていた。

 根拠のない噂に過ぎない。けど、このシチュエーションは紛れもなく、間違いなく。あの時と同じだ。

 影が、バラバラにはじけ飛んだ。

 

 

 

 

 どうしようどうしようどうしようどうしよう――

 ボロボロになってしまった古鷹を抱えながら、青葉はその場でガタガタ震えていた。何てことをしてしまったのだ私は、また、また彼女を沈めるのか。

 

「しっかりしろ青葉!」

 

「古鷹はまだ生きてる!」

 

 青葉に異常な叫び声を聞いた二人がフォローしてくれるが、依然体の震えは止まらない。

 

「何があった……古鷹!?」

 

「大丈夫……だよ、アーセナル」

 

 弱々しい声で手を伸ばす古鷹の姿で、やっと青葉は正気を取り戻す。

 

「古鷹、青葉は、青葉は……!」

 

「……今、だよ」

 

 古鷹が手を伸ばしているのは、アーセナルではなかった。更にその先の、ヘンダーソン飛行場。無数に見えた艦隊に、僅かな突破口が生まれていた。散々沈めた成果が、現れているのだ。

 

「私は、大丈夫だから……」

 

「大丈夫って、嘘を言わないでください!」

 

 どの口が。一瞬そう思った青葉の頬を、古鷹の両手が包み込んだ。

 

「青葉、私は、貴女に言わなきゃいけないことがある」

 

「古鷹……?」

 

「だから、お願い、帰ってきて」

 

 何を言っているのかさっぱりだった。向こうの勝手な約束事に反論する理由は、ポンポン浮かんで来た。だが、一つも口には出さなかった。

 

「作戦変更だ、飛行場の爆撃は加古と衣笠、同時に古鷹の護衛を行え。見たところ、自力航行はギリギリできる」

 

「できるのかい?」

 

「移動補助と護衛にレイを一機つける、だが代償に囮の戦力が減る、補充しなければならない。分かるな、青葉?」

 

 流れそうな涙を、今は押し隠した。

 S3、運命の軛。どちらも過去を制御するシステムらしい。私の意志に関係なく、事体は進んでいく。そういう意味では、私の意志はまだあるのだ。制御されていない私の意志が。

 

「青葉、出撃しちゃいます!」

 

 これは私の意志だろうか。

 それでも、と青葉は、必死の思いで力いっぱい叫んだ。




140.85

〈空母棲姫の反応が近い、警戒を怠るな〉
〈貴様に言われるまでもない〉
〈大本営のデータベースによれば、空母棲姫は空母棲鬼という個体が追い詰められた姿らしい〉
〈レイテの時私が沈めたあれか〉
〈だが見た目に騙されてはならん、装甲、火力、あらゆる面で強化されている。今の君では勝ち目は無い。青葉と協力し、ヘンダーソン飛行場が陥落するまで耐えるのだ〉
〈データベースになにか弱点はなかったのか?〉
〈あれは艦種でいえば正規空母にあたる。無限に等しい搭載数と、それにものを言わせた圧倒的射程と火力。レイが全機発艦できていれば、艦載機を全滅できたかもしれないが〉
〈私は弱点を聞いているんだ〉
〈空母棲姫は君が見た通り、水上バイクのような艤装に搭乗している。だからどうしても、足元が死角になる。そこを起点に、何か仕掛けることは可能かもしれない。だが当然随伴の護衛艦隊も待ち構えている〉
〈了承ずみだ〉
〈何度も言うが、今の君は生身の人間と大差がない。機銃一発でも当たるなよ〉


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File13 空に棲くう姫

※メタルギア恒例演説回です。


 海域の奥で、ソロモン諸島の奥で、サボ島沖の最深部で。

 一隻の姫が、彼女たちを待っていた。ノイズ塗れの無線からは、アーセナルが迫っているという断末魔の交信が絶え間なく届いている。

 

 彼女は思い返す、始めてアーセナルと出会った時のことを。

 成す術もなく蹂躙され、エンガノ岬に沈みかけたあの時の屈辱は、決して忘れてはいない。復讐の時が来る、彼女の頬はつい綻んでしまう。

 

 だが、同時に感謝もしていた。

 何故なら、自分にとって最大の敵が誰なのか、アーセナルが教えてくれたからだ。艦娘にとっても深海凄艦にとっても、全ての物語を破綻させる空っぽな殻。明確なる復讐が、彼女の生きる力となる。

 

 

 

 

―― File13 空に棲くう姫 ――

 

 

 

 

 深海凄艦の大艦隊に空いた小さな切れ目を抜けたアーセナルと青葉。

 それに続く一隻のレイ。後から続いて、加古と衣笠がヘンダーソン飛行場の破壊に動き出す。レイの片割れはそちらの援護に回した。

 

 心残りなのは、言わずもが古鷹のことだった。

 自分を庇い重傷を負ってしまった彼女が、私の手の届かない場所で沈んでしまったら。絶え間なく押し寄せる絶望的なビジョンを払うように、青葉はしきりに周囲を警戒する。

 

「……青葉、いたぞ」

 

 暗闇の奥に、巨大なシルエットが見える。

 資料で見たとおりの、空母棲姫が海上に鎮座していた。巨大な椅子に尊大に座るその姿は、名前通り姫のようだ。幸いにも戦艦棲姫は見当たらない。

 

「こいつが神通さんを……!」

 

 目にした途端、恐怖と憎しみが同時に湧き出して拮抗する。そんな青葉を見て、空母棲姫がクスリと笑う。

 

「ヤッパリ、此処ニ来タノハ青葉、貴女ダッタノネ」

 

「やっぱり、ですって?」

 

「運命の軛か?」

 

 首を傾げながらアーセナルが呟く。私と違い、アーセナルは運命の軛についてかなり半信半疑だ。

 

「今、何ト言ッタ」

 

「お前たちが再現のために、青葉を此処に誘き寄せたんじゃないのか?」

 

「……アア、オ前モ、ソレヲ信ジテイタカ」

 

 声は、ギリギリ聞こえるか否か、というくらい小さかった。

 次の瞬間、空母棲姫が笑い出した。

 突然壊れた彼女に対し、呆然とした恐怖を感じていた。無数の侮蔑が込められた、嘲笑を歌っていた。

 

「運命の軛? 史実の再現? ()()()()に何の意味がある?」

 

「何だと?」

 

「いや、意味はあるな、戦場そのものを作り上げれば、史実は一寸の間違いなく再現される。戦争は語り伝えられていく」

 

 空母棲姫の言っている意味が分からない、あえて言うなら、G.Wの語るS3を聞き始めた時と同じ困惑だ。

 

「分からないか? 分かるまい、我々の自由を無意識に奪ってきたお前たちに、我々の憎しみは」

 

 運命の軛を信じてきた。

 自分の過ちを、運命に押し付けようとして。訳の分からない恐怖にとりあえず理由をつけて、安心しようとして。

 

「運命の軛など、初めから()()()()()のだよ。いや――」

 

 だが、だからこそ空母棲姫の言葉は、誰の言葉よりも強く深く、青葉を殺して見せた。

 

「運命の軛は、お前たち艦娘が創り出したのだ!」

 

 

 

 

「そもそも我々深海凄艦は、史実の再現などしていない。トラウマを想起させる効果はあるかもしれないが、莫大な数の兵士が動く戦場で、そんなものは微々たる効果しかない。無駄な戦略だ。

 史実の再現が起きているなど、艦娘どもの勘違いに過ぎない。たまたま過去と似た戦場と戦闘を見て、それを再現と思い込んだだけなのだ。

 つまりデジャヴ、それが運命の軛の正体。

 だがお前たちは、戦場に過去を見出した」

 

「過去を見出した?」

 

「そうだ、運命の軛を知ったお前たちは、あらゆる側面から戦場に過去の面影を求めた。重巡青葉、お前が思い込んでいるのもその一つだ。

 神通がコロンバンガラの再現で沈んだ? 馬鹿を言うな、確かにあそこはコロンバンガラ島に近いが、かなり離れている。それに再現と言うなら、随伴の二水戦どもは何処へ行った? あいつが逃がした駆逐艦どもは、ショートランドで出撃の準備をしているぞ。

 コロンバンガラの近くだった。たったそれだけでお前は、コロンバンガラの再現と認識したではないか」

 

「なら此処は何ですか? サボ島沖に青葉たちを誘き出したのは、再現のためじゃないんですか」

 

「違うな、ヘンダーソン飛行場を破壊するならここしかない。だから此処で待ち伏せていた。それだけだ。そして戦場に過去を見出す行為は、今の問い掛けで証明された。お前は此処を、サボ島沖夜戦の再現だと思っていただろう?」

 

 そんな筈はない、と言い続けていた。だが心のどこかで、あの戦いを追憶していたのも事実だった。

 

「我々深海凄艦も、お前たち艦娘も、戦争から生まれた存在だ。戦場でこそ、戦うことで何かを伝える存在だ。

 だが、お前たちが過去を見出した時、それは変貌した。

 艦娘たちの認識の変貌により、戦場はかつての戦史に変化した。AL/MI作戦、レイテ沖海戦、第三次SN作戦。過去の再現だと思うからこそ、太平洋戦争で起きた作戦・海戦の名前を、()にも当てはめている。

 史実を再現しようとしているのは我々ではない。戦場を過去に変えたのは、お前たちなのだ!

 過去の再現となった戦場が伝えることとは何だ?

 当然、過去そのものだ。あの時、どう戦いが推移したのか。誰が何を思い、作戦が推移したのか。お前たちが過去を意識すればするほど、戦場は史実に忠実となる、過去はより正確に伝えられる。

 お前たちが自分の意志でやってきたことは、全て過去を伝えるための代理行為なのだ」

 

 だが、と言った瞬間、空母棲姫の顔が憤怒に染まった。

 

「ある意味でお前たちは、自分を伝えてはいる。

 再現された過去は、艦艇だった時の艦娘がやった行為なのだからな。お前たちが残らなくとも、名前は残る。

 しかし我々深海凄艦はどうなった?

 我々は敵としての役割を背負わされた。検索エンジンで調べれば一目瞭然だ、運命をコントロールしているのは、深海凄艦だと誰もが信じている。貴様もさっき言っただろう。

 深海凄艦の意志は、過去に喰われたのだ。

 どんなに怒りを叫んでも、憎しみを歌おうと、運命の軛で括られる。我々の意志は全て、再現のためだけに存在する舞台装置で括られた。エンドロールに役者(艦娘)の名前は載るが、舞台装置は載らない」

 

 今度空母棲姫が睨み付けたのは、青葉ではなくアーセナルだった。

 

「しかし、お前がレイテで現れたことで、それさえ狂い始めた。

 過去の再現は当然、地獄のような戦争を意味する。多くの愚かな大衆は、いっぱしに平穏を望む艦娘は、単なる再現を嫌った。

 そこで英雄アーセナルが現れた。

 過去のない、誰も知らないお前は、だからこそあらゆる史実に介入させることができた。都合が良すぎた、悲劇と不条理に溢れていた戦争は、アーセナルギアを登場させることで、ハッピーエンドに変貌した。史実の二次創作と言っていい」

 

「二次創作?」

 

「そうだとも、現実逃避と言ってもいい。

 納得できないなら証明してやろう。重巡青葉、お前はこのソロモン諸島の第三次SN作戦に、アーセナルが介入してくるのを夢に見なかったか? 絶望的な状況を何とかしてくれると思わなかったか?」

 

 青葉はアーセナルと出会う直前、座礁して動けなくなっていた時を思い出し、硬直してしまった。

 

「これが答えだ、これがデジタル空間を通じ、無限に蔓延している。無根拠が許されるデジタル空間だからこそ、運命の軛も、レイテの英雄も無制限に蔓延した。

 我々の意志を伝える戦場は運命の軛から――今度は、お前に喰い潰された。

 アーセナルギア、お前は既に、正しい史実さえ歪めるウイルスなのだ。深海凄艦にとっても、艦娘にとってもあらゆる意味で害悪なのだ!」

 

 

 

 

 過去を再現しようとする力は、過去に状況を似せることで現れる。

 過去(情報)を操る情報統制と同じメカニズムだ。だからこそ青葉は、同じ過去を操るという点で、S3と運命の軛は似ている、と考えた。

 

 だが、過去を見出し、間接的に戦場を変えているのは、艦娘の方だったのだ。

 それは理屈というよりも、概念的な問題だった。しかし何かを伝えること自体、理屈よりかはもっと本能的、概念的な考えに近い。

 

 ならば紛れもない。

 運命の軛/S3を実行しているのは深海凄艦ではなく、艦娘なのだ。あれだけ嫌悪感を感じた愛国者達と同じことを、私はやっていたのだ。

 

「それが、私の憎しみだ」

 

 空母棲姫がゆらりと腕を上げ、艦載機が浮遊し出す。

 

「ただ史実の為なんぞに戦い、我々の意志を呑み込む艦娘を憎む。それさえも全てを歪める英雄を恨む」

 

 何処からか現れた随伴艦たちが、空母棲姫を取り囲んでいく。一つに生き物のように動くそこには、空母棲姫の意志しか感じない。

 

「過去のためだけに戦い、そんな無意味なものを伝える貴様らに――我々は挑戦する」

 

 空母棲姫の意志が、戦場を支配していく。

 なら、私は?

 私は誰の意志で立っている?

 私か?

 アーセナルか?

 重巡青葉?

 

「この憎しみを越えた先に、私の()()があるのだ!」

 

 しかし死ねば、第六戦隊も皆死んでしまう。それだけが青葉の縋れる、唯一の現実だった。その思いさえ、過去の産物なのかもしれないが。

 

「シズメ……シズメ……!」

 

 瞬間、嵐が吹き荒れた。

 

 

 

 

 搭載数、耐久度。

 どれをとっても、姫は普通の深海凄艦よりも圧倒的なスペックを持つ。空母棲姫の艦載機は、瞬く間に上空を夜よりも黒く染め上げた。

 

「何度デモ、何度デモ沈ンデイケ」

 

 空母棲姫が楽団を指揮するように、腕を振るう。一糸乱れぬ軌跡で空を舞う。四拍目、指揮棒がアーセナル目がけて振り下ろされた。

 

「三式弾装填、発射!」

 

 本来は対空用の兵装である三式弾を、本来の役目で使用する。続けてアーセナルが戦闘機から強奪した機銃を撃ち、一機のレイが両手に搭載された機銃を撃つ。

 

「無駄ナ足掻キダ」

 

 だが、空母棲姫には護衛艦もいる。

 彼女の指示の元、随伴の艦隊がアーセナルに向けて砲撃を放つ。対空戦闘を妨害するつもりだ。しかし今対空を止めれば、回避不能の攻撃が無数に放たれる。

 

〈聞こえるか青葉、我々だ〉

 

 空母棲姫よりも聞きたくない声に、青葉は顔を顰めた。

 

〈レイの軌跡を辿れ、戦術ネットは使えないが、レイのレーダー越しに攻撃の回避ルートを構築することぐらいなら、まだできる〉

 

「誰があなたのアドバイスなんて!」

 

「落ち着け青葉、今死んだらあいつらはどうなる!?」

 

 アーセナルが冷静にそう告げた。彼女の顔も不服そうに皺が寄っていた。彼女が呑み込んでいるのに、私がそうしないでどうする。

 

 G.Wの言う通り、青葉はレイの跡を追いながら対空戦闘を継続する。レイの軌跡を辿る青葉は、砲撃をギリギリで回避していく。癪だが、G.Wのアシストは心強かった。

 

「面倒ナ魚ダ!」

 

 空母棲姫も、砲撃を正確に回避する青葉を見て気づく。

 彼女らは今レイによって支えられていると。

 ならあれを破壊する。

 アーセナル狙いだった艦攻隊と砲撃が、次第にレイに集中していく。

 

「不味い、潜れ!」

 

 アーセナルの指示に従い、レイが水中に潜航する。

 砲撃は無意味に海面を弾き飛ばしただけだった。艦攻が放つ雷撃も、潜航速度が速すぎるレイには届かない。むしろギリギリまで水面に接近した艦攻隊は、アーセナルたちの真正面を飛んでしまっていた。

 

「今だ青葉、ハエを落とすぞ!」

 

「了解っ!」

 

 ほぼ水平に放たれた三式弾と機銃は、密集陣形を取っていた艦攻隊を余すことなく撃ち落とす。数少ない生き残りも、再浮上したレイの機銃が撃ち落とす。今がチャンス――その考えは甘かったと、青葉は再認識した。

 

「繰リ返ス、何度デモ」

 

 再び指揮をとった空母棲姫が、新たな艦攻隊を発艦させた。それだけではない、減った分以上の艦載機が、より一層分厚く展開されていく。最初から全部出さないのは、出し惜しみなのか、レイを警戒しているのか。

 

「レイ、ミサイルを!」

 

 空母棲姫のように指先を突き上げたアーセナルと、レイの対艦ミサイルが連動した。レイのミサイルは、今の青葉たちが確実に有効打を与えられる武装だ。発艦直後の隙を突き、ミサイル群が迫る。

 

 だが砕けたのは姫ではなく、盾に使われた駆逐艦の体だった。

 

「あいつ、僚艦を!」

 

 空母や戦艦を護るのが駆逐艦の務め――そうは分かっていたが、嫌悪感が込み上げる。神通を見てきたなら、余計にだ。

 神通を――彼女を思い出した時、青葉の中で何かどす黒い感情が芽生えた。

が、それを自覚するよりも、いつの間にか空母棲姫の眼前に現れたアーセナルに驚いた。

 

「ミサイルにはこんな使い方もある!」

 

 まさか、レイの発射したミサイルにしがみ付いていたのか? いくら重量的には人間と変わらないからといって、滅茶苦茶だ。

 振り上げた高周波ブレードの刃が、艤装の上に鎮座する空母棲姫の喉元を捉える。

 

 瞬間、無数の羽虫がブレードを阻止した。それは当然虫ではない、苛立ちに顔を歪めたアーセナルを見て、空母棲姫が笑いながら彼女の口調を真似た。

 

「艦載機ニハ、コンナ使イ方モアル」

 

「私の真似をするな!」

 

 反撃に機銃がアーセナルを貫こうとする寸前、海面から飛び出したレイが彼女を加えて助け出す。追撃しようと砲撃を構える深海凄艦、青葉は彼女を護ろうと、援護の砲撃を加える。

 

 狙いはすぐさま青葉に代わり、四隻の砲撃が集中する。回避し切れるか、冷や汗がだらりと流れる。

 

「邪魔だ!」

 

 青葉の前に現れたアーセナルが、驚くべきことにブレードで砲撃を切断した。真っ二つに分かれた砲撃は青葉の両脇をくぐり抜け、遥か後方で爆発する。レイも滅茶苦茶だが、彼女も滅茶苦茶だ。

 

 しかし、このままではじり貧だ。

 空母棲姫の艦載機は再び空を覆い、四隻の随伴艦は姫を護る位置を保っている。それに、敵が一斉攻撃をしてこないのも気になる。まさか、別働隊が挟み撃ちにしようとしている? 私たちが狙いか、飛行場を破壊しようとしている古鷹のどっちが目的だ。

 

「青葉、こいつを一本持っていけ」

 

「え? これって」

 

「私のオリジナルはそれを、『共和刀』と『民主刀』と呼んでいた。こっそりな」

 

 そうアーセナルが投げ渡したのが、どっちの刀なのかは分からなかった。後で聞いた話だが、アーセナルギアを占拠したテロリストは、元々米国大統領だったらしい。二大政党の名前を冠する高周波ブレード、そこにはどんな意味があるのだろうか。

 

「空母棲姫が警戒しているのは私のブレードとレイだ、お前はそんなに警戒していない、その隙を突け」

 

「何ヲコソコソ話シテイル?」

 

 空母棲姫がまた、無数の爆撃を降り注がせていく。この爆撃は戦闘中止まないだろう。いっそ開き直って、この中で闘い続けるしかない。一々迎撃している時間は残されていないのだ。

 

 空爆の水柱から飛び出し、青葉は機関を全力で回転させ、護衛艦隊目がけて飛び込んでいった。心臓とも言える機関が悲鳴を上げている、過度に送り込まれたエネルギーが全身を暴走し、体がはち切れそうだ。

 

 細かい制動などできず、爆撃の真っただ中に入り込んでしまう。だが青葉は一切、これっぽっちも速度を落とさず、尚走り抜けた。

 

「ソレハ、慢心ネ……!」

 

 青葉を沈めようと、艦載機が殺到する。

 途方もない量の爆発が青葉を包み込み、敵艦の姿が見えなくなる。逆に言えば、今何をしても空母棲姫にも、随伴艦にも見えない。

 

 青葉は水柱に紛れて、広範囲に魚雷をばら撒いていたのだ。

 随伴艦はギリギリまで気付けず、重巡一隻がまともにくらい轟沈した。重巡が盾になったせいで、他の随伴艦は落とせなかったがあと二隻だ。

 

 一方空母棲姫にも魚雷は当たっていたが、大したダメージは受けていなかった。姫の耐久力は並みではないと実感させられる。本来なら連合艦隊を組み、着実に傷を負わせなければ倒せない、それが姫なのだ。

 

「ソンナ小細工ガ――」

 

「通じるんだなこれが」

 

 だが、この行動自体がアーセナルを空母棲姫に肉迫させるための囮だった。

 目を見開く空母棲姫の眼球目がけて、ブレードを構えたアーセナルが跳躍する。だが、所詮人間のジャンプだ、一瞬で刀の範囲から逃れる。

 

「艤装モナイ、ミサイルモナイ、ソンナガラクタガ、私ニ勝テルト!?」

 

「お前なんぞには、こいつで十分だ」

 

「モウ遅イ、モウジキ来ルゾ、別動隊ガ!」

 

「それまでに決める!」

 

 対空要員のレイを携えて、アーセナルが再び姫に迫る。

 だが、空母棲姫と今のアーセナルは、相性が最悪だった。空母棲姫の艤装は巨大な椅子のような形状をしていて、姫は椅子に座っている。高周波ブレードが届くのは、生身の部分しかない。

 

 つまり艤装をよじ登るか、跳躍しないと、ブレードが届かないのだ。

 そんな隙を晒したが最後、機銃なり艦載機なりで蜂の巣。

 もしくは距離を取られる。

 ミサイルも、無限に等しい艦載機が盾になってしまう。やはり、完璧に止めを刺すにはG.Wの莫大なミサイルしかないのだ。

 

「青葉は此処です!」

 

 戦場に、異質な声が響いた。

 夜の暗闇と爆音を突き抜けて、サボ島沖に彼女の声が響き渡る。アーセナルを沈めようとしていた二隻の注意は、青葉に逸れた。

 

「ワレアオバ、ワレアオバ!」

 

 青葉は絶叫しながら、その二隻に向かっていった。

 決してその砲撃がアーセナルに向かないように、全力で叫び続けていた。体のふしぶしから血が噴きでる。先ほどの無茶が響いているのだ。

 

 ボロボロの状態でも、敵陣へと叫びながら突撃する。それはまさに、何度大破させても戦場に舞い戻るソロモンの狼の姿だった。そして青葉の心もまた、狼のようになっていた。剥き出しの感情、どす黒いものの正体は、復讐心だった。

 

 神通を沈められたことへの、古鷹を痛めつけられたことへの怒りが青葉を支配していた。深海凄艦へ砲撃を加える度に、淀んだ歓喜が湧いてくる。

 

 だが、それは逃避ではないか。

 復讐できたとして、彼女たちが喜ぶだろうか。復讐は、過去を殺す行為だ。だがそれで今が変わることはない、もう起きてしまった事なのだから。

 

「何故ダ……何故来ナイ、何ガアッタ!?」

 

「どうした? 忘れものでもあるのか?」

 

「煩イ!」

 

 青葉は、アーセナルを見た。

 予想通り空母棲姫には有効打を与えられていない、対空、盾として酷使されているレイは、どんどんボロボロになっていく。なのに彼女は笑っていた。心の底から楽しそうだった。

 

 アーセナルギアは、戦場に出られなかった艦だ。それどころか戦う理由も、全てが偽りだった。だからだろうか、こうやって戦えること自体が、楽しくてたまらないのでないか。

 

 空母棲姫は言った、艦娘も深海凄艦も、戦場で何かを伝える存在だと。

 なら、私はどうだろうか。こうしてソロモンの狼のように暴れ狂う私の姿を見て、誰かが何かを感じるのか。だがそれは史実の青葉であって、私ではないのではないか。

 

 そんな筈はない、そんな筈はない。

 この恐怖が、怯えが、英雄への憧れが、全て史実の焼き回しである筈がない。先ほど叫んだ時、『ワレアオバ』と言ったのも、囮を全うしようとして浮かんだのが、あの言葉だっただけだ。

 

 伝えること――その時青葉は、自分を庇い倒れた古鷹を思い出した。彼女が伝えたいのは何だろうか。彼女と歩いた道は史実とは違う、建造されて、神通に鍛えられて――戦場以外で感じたことがある。

 

「沈め亡霊(GHOST)!」

 

「沈メ英雄(PHANTOM)!」

 

 その時、護衛は沈んでいた。

 空母棲姫は、背後の青葉に気づいていない。アーセナルとレイが、全力を持って注意を引いている。

 

 静かに、青葉は息を吸い込んだ。

 (ウルフ)のような遠吠えではなく、(スネーク)のような、静かに唸りながらブレードを構える。もう壊れても良い、最大船速で加速する。その加速をブレードに乗せる。

 

「――やれ、青葉!」

 

 青葉を止めようとする艦載機は、レイが盾になってくれた。逃げようとする空母棲姫を、アーセナルが押し留めてくれた。青葉の狙いはたった一点、空母棲姫の艤装中央にある、動力機関。動きが止まれば、もうどうしようもない。

 

 刀の一撃が、空母棲姫の機関部分を貫いた。




運命の軛(艦隊これくしょん)
 元々は『劇場版艦隊これくしょん』で判明した、作中の重要ワード。艦娘を過去の史実に縛り付ける運命のような力。これにより艦娘たちは、どうやっても史実通りの最後を迎えるしかないとされている。その他具体的なことは一切不明。
 この世界観においては、艦娘の間で囁かれる噂話として登場。その本質は過去のトラウマや罪悪感を押し付けるために生まれ、デジタル空間を媒介物に急増殖したMEMEである。
 しかし、空母棲姫はそう断言したが、本当に運命の軛が噂に過ぎないのかは分からない。少なくとも我々の知る限り、S3との共通点が多いのは確かではあるが……


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File14 Can't Say Goodbye to Yesterday

―― File14 Can't Say Goodbye to Yesterday ――

 

 

 

 

 機関を貫かれた空母棲姫は、その動きを止めた。

 それでも尚空母棲姫は艦載機の発艦を止めない。飛行甲板から吹き出す嵐が、アーセナルと青葉を吹き飛ばす。彼女の眼には、抑えられない報復心が燃え続けていた。

 

 だがその瞳に、流れ星が映り込んだ。

 見下ろす青葉とアーセナルは、耳元に手を添えながら無線を聞いている。内容は恐らく、ヘンダーソン飛行場の陥落だ。それはつまり、飛行場の爆撃機で封じ込めていたG.Wの復活を意味する。

 

 何故だ、何故支援艦隊が来なかった?

 敗因は何だ、どうして挟み撃ちは失敗した。万全を期し、ここで待ち構えていたこと自体が過ちだったのか。

 

 否否否! ありえない、こんな結末など。

 しかし瞳に映るミサイルの流星群は、空母棲姫の最後を示している。避けられない運命を前に、彼女は眼前の二人を見下ろす。

 そしてもう一度、空を見上げた。

 ミサイルは不条理だったが、夜空に描く軌跡は、とても美しく見えた。

 

「静カナ…気持チニ…ソウカ、ダカラ私ハ……」

 

 その言葉は誰に向けたものでもなかった。青葉もアーセナルも、その真意を理解する日は来ないだろう。

 彼女は、彼女自身の意志を抱えながら、今度こそ消えた。

 此処に、第三次SN作戦は終結した。

 

 

 

 

 空母棲姫を下した青葉はいったん艤装を回収しに向かったアーセナルと別れ、衣笠たちと合流するため、飛行場の方へ移動する。航行している間、深海凄艦はほとんどいなかった。いたとしても、青葉の姿を見た途端逃げ出してしまう。彼女たちを統率していた姫がいなくなった今、此処に留まる意志は存在しないのだ。

 

 戦艦棲姫は結局、最後まで姿を表さなかった。

 彼女は何処へ行ったのだろうか、もしかして白鯨についていたのかもしれない。確かめようもないが。空母棲姫がしきりに言っていた別動隊が何故来なかったのかも分からない。

 

 足元が徐々に明るくなっていく。

 思わず目を閉じるが、眩しさで涙が出てくる。細く眼を開けると、深海凄艦の浸食が消え、赤から青に戻った水平線が広がっていた。

 

「……日の出、ですか」

 

 朝日の中に、ヘンダーソン飛行場があるガダルカナル島が見えた。

 無数にあった建築物や飛行場は、三式弾でボロボロになっている。残されていた数少ない飛行機も使い物にならない。上陸した彼女は、廃墟を見渡す。

 

 瓦礫に埋もれた飛行場。そこに青葉は腰を下ろした。

 廃墟と化した飛行場だが、それでも朝日に照らされている分には、綺麗に見えた。海面は波一つなく、穏やかになびいている。

 

 なのに、全く勝った気がしなかった。

 空母棲姫は倒した、私たちは生き残ることができた。それだけだ。結局戦いそのものは、概ねサボ島沖夜戦の再現として収束した。

 

 勿論本来なら古鷹は沈んでいるし、加古はそもそもいなかった。完全に同じではない、それでもこの戦いのモチーフはサボ島沖夜戦だ。私自身まだそう思っているし、この戦いを誰かが聞いたら、サボ島沖夜戦を連想するに決まっている。

 

 この戦いで私が感じたことも、全てかつての重巡青葉が体験したことの焼き回しだ。思いも、心さえも。私の物語は、『青葉』の史実で塗りつぶされるだろう。空母棲姫の意志もまた、同じように。

 

 私は、他人が大事だと思えることを残したかった。

 だけど、それで残るのは他人の意志だ。その方法として選んだ新聞でさえ、私の意志ではなく重巡青葉――そこに乗っていた、彼の意志なのだ。

 

 なら、私の意志はどこにある。

 いや、そもそもそれらの全てを、過去から、今からの逃避に使った私に、そんな権利があるのか。自由を行使する権利などあるのか。

 

「……青葉は、誰なんですか」

 

 その言葉さえ、此処ではない何処かで、誰かが繰り返した言葉のような気がした。

 

 

 

 

 だからだろうか、無事に笑顔を向けてくる古鷹を見ても、何も感じなかったのは。

 アーセナルが空母棲姫の注意を引いてくれたおかげで、何とか敵陣を突破できたと。背後を突かれることなく、三式弾を叩き込めたと聞いても。

 

「終わったね、青葉」

 

 そこにいたのは、自分の罪の象徴だ。

 だから贖罪として、自分ではなく他人を伝えようとした。だがそんなものは所詮、罪悪感を癒すための逃避でしかない。青葉は古鷹から、目を背けたかった。

 

「目を逸らさないで」

 

 古鷹が両手で、青葉の顔を掴んだ。なけなしの抵抗を試みるが、相手は古鷹だ、強く抵抗できる筈もない。

 

「青葉、覚えているよね。私が伝えたいって言ったこと」

 

「止めて、下さい」

 

「止めない、止める訳にはいかない」

 

 やはり彼女は立派だ、ちゃんと自分の意志を貫いている。対して自分はどうだ、過去から逃げてはいけないと知ったのに、まだ目線を逸らしている。

 

「駄目なんです、青葉なんかが、古鷹さんの思いを聞いちゃ駄目なんです」

 

「私は青葉に聞いて欲しいの、青葉じゃなきゃ駄目なの」

 

 一体、何を言われるのだろうか。

 彼女のことだ、私が人の思い(新聞)で、トラウマを誤魔化していたことに気付いていただろう。

 それは責められても仕方がない、人の思いを利用する。それは愛国者達がやったことと同じだ。許されないことから逃げ出したツケを、いい加減払う時が来たのだ。

 

 息が上手くできない、喉がカラカラで喘ぎ声が静かに鳴っている。

 許されないのだ、嫌われているに違いない。恐い、やっとまた会えたのに、二度と話せなくなると思うと震えが止まらず、胸が痛い。

 罪から逃げて、彼女の本心から逃げて――ボロボロと落ちてきた、涙で顔が濡れた。

 

「え?」

 

 青葉は泣いていなかった。じゃあ誰が?

 

「ごめん、ごめんなさい……青葉」

 

 古鷹が、泣いていた。

 何が起きている? 嫌われていて、許されないことをして、責められる筈だったのに。なんで彼女が泣いている?

 

「一人にしちゃって、きっと寂しかったよね、辛かったよね」

 

「何で古鷹が謝るんですか? だって、皆青葉のせいで沈んだんですよ? 挙句それを誤魔化して新聞なんかで、利用してたんですよ? 悪いのは青葉じゃないですか!」

 

「違うの、知ってたの、青葉があれに苦しんでて、償いの為に新聞を作ってたことを」

 

「じゃあ、なんで」

 

「知ってて私は、黙ってた。本当は伝えないといけなかったのに、今の関係が壊れるのが嫌で、気づいていないフリをしてたの。青葉がいつも一瞬目を背けるのだって知ってた、でもその後私も、目を背けてた……」

 

 古鷹の両手が、青葉の頬からずり落ちた。力なく垂れ下がる腕に、彼女の涙が跡を作る。まだ治り切っていない傷口の血と混じって、奇妙なコントラストが、地面に広がっていく。その上に古鷹は、力なく座り込んだ。

 

「青葉が過去から目を背けてたって言うなら、私も同じ、馬鹿な艦娘だってこと」

 

「馬鹿って、そんな……」

 

 だが、二人揃って同じことを考えていて、それにお互い気づいていなかったとしたら。

 

「……馬鹿?」

 

「そう、馬鹿なんだよ、私たちは」

 

 古鷹が青葉を見上げ、その手を強く握りしめる。頬に手を当てていた時よりも強いのに、温かい。彼女の顔は、涙でくしゃくしゃの笑顔だった。それは青葉が良くやっていた、誤魔化しの笑顔とは違っていた。

 

「遅くなっちゃったけど、今からでも良いなら言わせて。青葉、私はあの時のことを、後悔なんてしてない、恨んでもいない」

 

 もう息はつまらなかった、彼女の眼をハッキリ見れた。

 

「だけど、ごめん。艦娘になって、私が沈んだ後……『青葉』がどうしてたのか知った時、私が何をしてしまったのか、やっと自覚した」

 

 青葉の脳裏に、最後の景色が蘇る。

 むせかえるような夏の日に、身動き一つとれず、無数の艦載機を見上げた呉の海を。それは始めてアーセナルに助けられた時と、同じ幻影だ。だがその中身はかなり違う。

 

「自分だけを責めないで……責め続けないで……()()()はもう居ないけど……()()()は居るから、衣笠も加古も、私も青葉も生きてるから……」

 

 青葉は、古鷹を強く抱きしめていた。

 お互いに泣き続けていた、どうしようもなく、抱え込んできた物が溢れて止まらない。そんな訳で、遠くから見つめる加古と衣笠にも気づかなかった。

 気づいたとしても同じだろう、それ程にもう、制御できなかった。

 

 

 

 

「終わったか?」

 

 海岸線から、戦艦棲姫のように巨大な影が歩み寄る。アーセナルが妙にスッキリした顔で青葉を見ていた。

 

「なんか、機嫌が良さそうですね」

 

「そりゃそうだ、忌々しい空母棲姫をやっと殺せた。これでもう、追われずには済むからな。戦艦棲姫が私を知っていたのかは謎が残るが、それはこれからにしよう。次の標的はハッキリしている」

 

「そうですか」

 

「それで、お前はどうだ、良い気分か?」

 

「青葉は……どうなんですかね」

 

 青葉の答えを待たず、アーセナルは何処からともなく取り出した葉巻に火をつけ、口に加える。手馴れた動作だが、これも恐らく、アーセナルに乗っていた『誰か』の動きの模倣なのだろう。

 

 また、青葉の中に不安が出てくる。

 私の仕草、私の思い。それは何処まで自分の物なのか。乗組員や史実から生まれた艦娘に、本当の独自性(オリジナリティ)なんてあるのだろうか。

 

「悪かったな」

 

「え?」

 

「G.Wのことだ、あの野郎が何か、余計なことを言ったんだろ?」

 

「ええ、まあ、事実でしたし」

 

「私の乗組員……つまりS3を巡る演習の中で、予定されていない奴がいた」

 

「予定されていない?」

 

「そいつが言った言葉がある。『言葉を信じるな、言葉の持つ意味を信じろ』。青葉、これは何だと思う?」

 

 アーセナルの手には、戦闘機の機銃が握られていた。

 激しい戦闘でボロボロになっている。

 しかし空母棲姫を沈めたからだろう、変異していた外見が戻っていた。

 

「帰り際に、戦闘機の残骸を見てきた。あれは戦闘機は戦闘機でも局地戦闘機というものだ。機体の名は『雷電(ジャック)』だ」

 

「雷電、ですか」

 

「実はな、S3の中核に置かれた奴のコードネームも、雷電なんだ。私はそこに、何か意味を感じている」

 

「意味とは、例えば?」

 

「運命でも、性でも……懐かしさでもいい。

 所詮雷電はコードネームに過ぎない、意味などない。だがそこに意味を見出しているのは、私の心だ」

 

 目を細め、遠くを見つめながら彼女は、雷電の機銃を遠くへ投げ捨てた。

 放物線を描いて朝日を縦に横切り、水しぶきを立てて沈んでいく。

 それがアーセナルの頭に、少し被った。

 

「正直、空母棲姫の言葉を聞いて、お前たちが羨ましいと思ったよ」

 

「羨ましい? あれを聞いて?」

 

「そんなに驚かなくても良いだろ、いや、まあそうだよな。全て艦の代理行為なんて言われればな……だが、私にはそれさえ無いんだ」

 

 水しぶきの掛かった顔を、スーツの裾で拭う。

 撥水性の高いスニーキングスーツに、色々な水滴がついている。彼女は顔を見せないように、青葉に背を向けていた。

 

「お前たちの行動や、思いには、誰かの記憶がある。艦の代わりだとしても、残り火が灯っている。ビッグ・シェルの私とは違ってな」

 

「アーセナル……」

 

「だがな、だからって私は私を否定しないぞ。

 私の全ては紛い物だ、だが、全てが偽物だと言うのなら、私は何よりも自由なのだ。如何なる規範にも依存しないのだ、この私は」

 

 朝日を背に、彼女は振り返った。

 そこに居たのは、何時も通り、不遜に、悪役のように、不敵な笑みを浮かべる彼女だった。

 

「私は信じたいものを信じる、自分で決める、決められる自由を、私は好んでいる。私の名前も」

 

「名前?」

 

「アーセナルギアは止めだ。

 私は……スネーク、スネークだ。

 何でもなれる、その後で何かを残す、シェル・スネーク(殻の蛇)だ。空母棲姫には感謝しなくちゃな、あいつのお蔭だと、それを自覚できたのは」

 

 再び振り返ったアーセナル――いや、スネークが海岸線に向かって歩き出す。反射的に追おうとした青葉を、手で制止する。そして、ジェスチャーで振り返るように伝えた。

 

 青葉が振り返った先には、古鷹、加古、衣笠。第六戦隊の仲間たち。

 

「お前はどうする?」

 

 再び振り返った時、スネークは名前の通り、何処かへと消えてしまった。

 

 

*

 

 

 終わった後の話をしよう。

 スネークが消えた後、入れ替わりで現れたのは連合艦隊だった。白鯨には襲われなかったらしい、ショートランド泊地も無事だ。

 

 白鯨らしきものは見つからなかったが、後の調査で戦艦棲姫の存在は確認できた。私たちの報告――ショートランドが実地試験の犠牲になろうとしている――を聞いた新しい提督の顔は、一生忘れないだろう。

 

 しかし、代わりに得たものは大きかった。

 客観的に見れば、この戦いは取り残された重巡四隻で、ソロモン諸島を奪還できたことになる。

 

 大本営はこのことを、大掛かりな戦果として発表するつもりだ。その中には当然、アーセナルギアもといレイテの英雄は存在しない。国の英雄にしては、自由過ぎるのだ。そして信じがたいことに、神通も存在しないことになっていた。

 

 この事を知った私と二水戦の駆逐艦たちは、当然提督にかみついた。しかし帰ってきた回答は、酷いものだった。

 

『英雄談に、轟沈艦がいたら評判が良くない。』だそうだ。英雄とは勿論、私たち第六戦隊のことだ。肝心の神通は、最初の水雷戦隊を逃がした時点で轟沈した――という物語に差し替えられていた。

 

 スネークが散々、英雄扱いを嫌っていた気持ちがやっと分かった。英雄とは、誰かによって造られる存在だ。英雄自身の意志はまるで関係ない。提督自身も嫌そうな顔をしていたのが、少ない救いだった。

 

 そうして英雄になった私たちの抗議は、やや形を変えて解消することになった。

 

「……お久し振りです、神通さん」

 

 久々に訪れたのは、コロンバンガラ島近海。神通が艤装を護り、轟沈した場所である。

 英雄扱いと、神通轟沈の真相を明かさない代わりに、非公式ながら彼女を弔う機会を貰ったのだ。

 

 葬式とは、死者を弔う儀式だ。

 だが、それは生者を死者から切り離す行為でもある。昔から伝えられてきたプロセスによって、人は悲しみや苦しみを堪える。同時に、死者を忘れないようにする。そうしなければ、何時までも死者を引き摺ってしまうから。

 

 そうやってゆっくりと忘れていき、再び生きる。忘れること自体は悪ではない、むしろ生物に必要不可欠な機能なのだ。

 けど全てを忘れない為に、何か象徴を残す、墓や慰霊碑を。

 

「この下に、神通と神通さんが、いるんですね」

 

 やはり、スネークの言う通り、運命のようなものを感じる。

 どうして艦娘は、分かっていても、運命の軛に呑まれてしまうのだろうか。過去を乗り越えようとして、繰り返してしまうのか。

 

 それは多分、私たちの過去が、大体悲惨なものだからだ。

 だから余計に、乗り越えようと躍起になる。トラウマを克服して、そこから自由になろうとする。

 

 けど、それは復讐と同じで意味のない行為だ。

 深海凄艦を倒しても、史実が変わった訳ではない。

 過去は変えられない、空母棲姫を倒したからといって、神通は帰ってこない。

 

 そして、運命は私たちを制御する。

S3は情報という過去を制御した。運命の軛はトラウマという過去を利用し、艦娘を制御する。そうして過去は亡霊のように、私たちを介して再現されるのだ。

 

 私たちは、トラウマを抱えているからこそ、未来のために戦わないといけないのではないか。私の知る誰かではない、本当に未来の、今にはいない存在。不定形でしか語れない、未来の誰か。その人に向けて、私たちは伝えていくのだから。

 だから彼女は、カメラの電源を起動させ、一つのフォルダを開いた。

 

「青葉? どうしたの、その写真は……」

 

 写真に写っていたのは、代わり映えしないソロモン諸島の朝焼けだった。しかし古鷹は、右下にある日付けが、神通の轟沈した日だと気付いた。

 

「これ、神通さんの遺影なんです」

 

「遺影……!?」

 

「青葉のせいで皆沈みました、これからもそうなると思っていました。だからせめて、忘れないように、遺影を保存するフォルダを作っておいたんです」

 

 それが、あの時までこのファイルが空だった理由だ。贖罪のための慰霊碑が、このカメラだったのだ。

 

「でも、今日でこれは消します」

 

 これは、過去の象徴だ。トラウマに自分を繋ぎ止めていた、自分の証明だ。だけど、こんなトラウマは、皆抱えている。生き残り続けた艦娘は幾らでも居る。遠くで目を閉じる、幸運艦と呼ばれた二水戦の子なんて、その筆頭だ。

 

 震える指で、青葉は消去のボタンを押す。

 これが消えれば、自分が消えてしまいそうだった。贖罪でも、長年自分の大きな部分を作ってきたのだから。心配そうに、古鷹が見つめている。しかしこれは自分で消さなければいけないのだ。

 

 フォルダを削除しますか――はい/いいえ――フォルダ内の写真も消去しますか――はい/いいえ――フォルダを消去しました。

 

 だが、カメラ自体は捨てなかった。

 

「古鷹」

 

「どうしたの?」

 

「写真、どれが一番ですかね」

 

「誰に向けての写真?」

 

「誰でしょう、分からないです」

 

「じゃあ分かんないよ」

 

「そうですか……」

 

「加古や、衣笠の意見も聞いてみないと」

 

 少し離れた場所では、二人が静かに祈りを捧げていた。

 二人を見る貴女は、そう言って笑みを浮かべた。反射的に体が、カメラを動かしていた。記念すべき一枚が、また増えた。素敵な一枚だ。どうして私は、そう思ったのか。

 

「でも、最後に選ぶのは青葉だよ?」

 

「ええ、分かってます」

 

 今なら、神通の言葉の意味が分かる。

 私が伝えるべきなのは、私自身が感じたこと、大切だと思うこと。誰かの意志ではなく、自分自身の意志を残すこと。彼女は、私にそうして欲しかったんだ。

 

「……分かってます」

 

 しかし、艦娘と史実は決して切り離せない。

 一つ一つの行動が、史実の残り香を放ち続ける。私たちは、名を冠する艦の象徴(モニュメント)なのだ。重巡『青葉』の道筋を忘れさせない為に、伝え続けるために。

 

 だからこそ、私はその中で、信じたいものを見つけよう。

 重巡『青葉』の過去から、『私』だけが感じた思いを伝えよう。偽りでも、信じて、個人的な意味を見出そう。そこにこそ自分の意志がある。

 

 このカメラの中には、無数の写真が収められているのだ。今までも、これからも。

 その中で、どの一枚を伝えるかは、私次第だ。そうやって、人は伝えていくのだ。どこまでも。

 

 例え再現だとしても、誰かの代理行為だとしても、そこから抜け出せないとしても。いや、だからこそ、私は語ることを止めない。

 未来の誰かに、私を伝えたいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 海上保安庁 監視艇あおば

 平成29年就役

 総トン数 73トン

 主機 MTU 12V2000M94

    1,302kw×2,373min-1×2基

 特殊装備 監視カメラシステム 多機能レーダー

 試運転最大速力 36.0kt

 航海速力    33.0kt

 

 最新鋭の監視装置を装備し、これまでは運航を見合わせていた波高2メートルを超えても安全に航行可能な監視艇。

 彼女は今の海を観護り、未来の海を護り続けています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、止めないのだ。

 まだ物語は終わっていないのだから、止めてはいけないのだ。

 この、水面に映る巨大な影が。その象徴だ。

 

「――白鯨?」

 

 白鯨の語り部イシュメールは、最初に語った後、最後まで出て来ない。 なら私もそれを真似、語り部の座を降りましょう。

 文化的遺伝子(MEME)を語るのは、私だった。

 しかし次を――遺伝子(GENE)語るのは、彼女の方が良い。

 

 次に私が皆さんに会う時は、最後の時ですから。

 では、また。

 

 

 

 

ACT1

SHELL SUN(殻の太陽)

THE END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、私です」

「ええ、全て予定通りに進みました」

「僅かに彼女が暴走しましたが、あの程度なら問題ありません」

 

「――はい、全て奴の狙い通りになっています。第三次SN作戦を隠れ蓑にした、『演習』は成功です。『軛』も問題無く」

「空母棲姫は偽りの情報を与えられていたようです。誰も気づいてはいません。勘づいているのは、G.Wだけです」

「ええ、誰も」

 

「『運命の軛』が実在していて、実在していない――それを本質とするシステムだとは」

 

「そうです、運命とは内在するもの。故にまたの名を、S3と言う」

 

「――はい、戦艦棲姫は白鯨と共に逃亡しました。狙いは恐らく、北方の(スピア)です。アーセナルギアもそちらへ向かうかと」

「分かりました、私もそちらへ向かいます。ええ、連中の好きにはさせません」

「分かっています、全ては、アウターヘブンのために」

 

 

 

 

NEXT STAGE

ACT2

VEIL SUN(仮面の太陽)




MEME(ミーム)
 言葉や思想といった文化の継承を、進化のアルゴリズムから分析する考え方。模倣子、模伝子、意伝子とも呼ばれる。
 元々は1976年に発表された『The Selfish Gene(利己的な遺伝子)』の中で、作者のリチャード・ドーキンスにより作られた言葉。遺伝子だけではなく、複製、伝達、変異の三つの条件を満たしていれば、どんなものでも自然淘汰による『進化』は起こり得るとドーキンスは主張した。
 また文化が遺伝子のように進化するという考え方自体は以前からあり、ソースティン・ヴェブレンは社会や経済の進化がダーウィン的であると考えていた。

 ミーム学の多くは、『利己的遺伝子』の考え方に基づいている。これは生物の生態や行動を、遺伝子の主観から捉えた考えである。つまり生物は遺伝子の乗り物に過ぎず、性衝動や食欲などの反応も、より遺伝子が伝わりやすくなるから存在する。遺伝子は生物の生存のためではなく、遺伝子を残すために生物を動かし、生かしている。
 よって遺伝子と同じ特性を持つミームにも同じことが言える。文化の発展により得れる恩恵や利便性、娯楽などは、よりミームが広がるために存在していると考えられる。

 ミームには様々な感染経路があるが、近年もっとも拡大しているのはインターネット・ミームである。他の感染経路にはない特徴として、感染までの経緯で、ミームの痕跡を情報として永遠に残すことができる点である。




 監視艇おあばのスペックは『ツネイシクラフト&ファシリティーズ株式会社』ホームページによる。
http://tsuneishi-fc.com/craft/gyoumutei22


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ACT2 VEIL SUN
File15 北方戦域


「DNAが二重螺旋の構造をしているのには、きっと意味があるのだろう。

 ひとつではなく、ふたつ。ひとりではなく、ふたり。直線ではなく、螺旋。その先にあるものは、ただの終わりではない何かだ。」

――『メタルギア ソリッド サブスタンスⅠ シャドー・モセス』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  一人の少女が椅子に腰かけている。

 少女は厚手のコートを深く着込んでいて、表情はうかがい知れない。しかししきりに体を動かし、思い出したように立ち上がり――また座るのは、決して寒さだけが理由ではなかった。

 

 自分を落ち着かせようと、深く吐き出した息が、白く広がっていく。そう見えた途端、大きな揺れがおき、息が霧散した。

 少女を運ぶ軍用トラック。

 揺れが激しいのは、道路の整備が悪いからだけではないだろう。いや、吹雪の叩き付ける音が強過ぎて、タイヤの騒音さえ聞こえないのだ。

 

 隙間なく密閉されているのに、突き刺してくる寒波。既に乗り込んでから数時間が経過している。

 

 いつ着くのか。少女はそう思い、コートのフードを少しだけ上げた。

 その瞳は、興奮と不安がない交ぜになったダイヤモンドの原石だった。これから行く、初の戦場、単冠湾泊地。新兵という原石。

 

 少女は椅子に置いた、小さなバックサックから、資料の入ったFile(資料)を取り出す。一枚目に書かれていたのは、自分の兵士としての登録票。

 

 『川内型軽巡洋艦二番艦 艦娘 神通』

 

 ここからだ、ここから私の物語が始まる。

 新兵としての物語が。

 武功艦『神通』としての、新たな物語が。

 握る登録票に、力が入る。写真に小さなしわが入った。

 

 

 

 

―― File15 北方戦線 ――

 

 

 

 

 まだ新兵の神通に、配属命令が下ったのはほんの数日前のことだった。

 大湊警備府が管轄する単冠湾泊地。数日かけて、ようやく直通の軍用トラックに乗り込んだのである。その背中には、疲労の色が濃く出ていた。

 

 だが、顔に疲労はなかった。

 目を輝かせながら、到着を心待ちにしている。建造されてから一か月間、横須賀の研修施設で延々と訓練ばかりしていた神通は、屈折した感情を持て余していたのだ。

 

 それは新兵特有の未熟さもあったが、別の理由もあった。

 訓練中に耳にしたあの噂だ。大本営は認めていないが、レイテ沖や、ソロモン諸島を解放したという英雄の存在。彼女は英雄に強く憧れた。だからこそ、早く実践に出て、英雄と同じ舞台に立ちたかったのだ。

 

 そういっても体の疲れはある。長旅のせいで首を上下に揺らしてしまっていた。それでも寝なかったのは、他人の目線があるからだ。

 

「…………」

 

 神通の向かい側に、彼女は座っていた。

 大湊を出る船の中で彼女と出会ってから、一緒の旅をしていた。軍用トラックに乗っているのだから、軍の関係者で間違いない。目的地も同じ単冠湾だ。

 

 自分と同じコートを着込んでおり、フードのせいで顔は伺えない。わずかに見える美しい銀髪で、神通は女性と判断した。長いドライブにすっかり飽きたのか、彼女の傍らには、バベルの塔と化した灰皿が置かれていた。

 

「私に用でもあるのか」

 

 不機嫌な目で、女性が睨み付けてきた。凄まじい威圧感を受け、慌てて話を考える。

 

「あ、いえ、行き先は単冠湾泊地ですか?」

 

「どこでも構わないだろう、お前には関係のないことだ」

 

 突き放した態度に、神通は少し落ち込んだ。

 

「お前こそ何の用だ?」

 

「用? 用と言いましても、艦娘として配属されただけですが」

 

「今このタイミングでか?」

 

 そう言って彼女は首を傾げていた。

 配属は常に起きている。時期によって多い時はあるが、いつだって起こりうる。タイミングも何もない。

 

「お前、あそこの現状を知らないな?」

 

 と言われても何のことか。

 神通は目線を合わせたまま、ついでに口を半開きにして固まっていた。銀髪の女性は、呆れたように椅子に凭れ掛かる。何となく気に入らない。

 

「何も知らされていないというわけか」

 

「どういうことですか?」

 

「すぐに分かる。まああそこに変な期待を持たないことだな」

 

「……何なんですか貴女は」

 

 質問ばかりしてくる彼女に、不満が湧いてきた。何だって単冠湾への期待を壊されなければいけないのか。

 

「ただの傭兵だよ、PMSCs(民間警備会社)から単冠湾に派遣されただけだ」

 

 PMSCsは、今もっとも活発な産業だ。

 深海凄艦によるシーレーン断絶により、世界は失業者で溢れた。その供給は、深海凄艦に対する軍拡で補充される。と思われたが、艦娘で埋まってしまった。

 

 だからといって、治安維持や哨戒、国境警備といった自衛隊本来の仕事は消えない。だがそれに艦娘は投入できない。彼女たちはあくまで対深海凄艦用兵器であり、対人戦には使用してならない――という、艦娘保有国、暗黙のルールがあるからだ。

 

 その為に兵士を増やす軍費はもうなかった。その役目を負ったのが、PMSCsだった。艦娘に仕事を取られ、行き場を失った軍人の受け皿としても機能し、瞬く間にPMSCsは全世界規模まで広がり、世界の主要産業まで伸し上がったのだ。

 

「傭兵が軍の基地に?」

 

「憲兵隊の業務を陸軍から委託されたんだ。艦娘のせいで陸の予算は少ない、削れる部分は削ろうってことだ」

 

 憲兵隊とは、軍内における警察組織である。兵士が軍規に違反していないかを監視し、規律を保つための組織だ。その設立には、陸軍の意見が強く反映されている。艦娘のおかげで権力が増大した海軍に対抗するためだ。

 

「だからって、憲兵隊の仕事を委託していいものなんですか」

 

「癒着もある、社長が元艦娘でな。平社員の私が知ることではないが」

 

「癒着って……」

 

 平然と違反行為を口にするが、珍しくもない話だ。

 解体された艦娘は、そのまま人間に戻る。しかし軍艦としての宿命故か、平穏な生活になじめず、軍への出戻りやPMSCsへの就職が後を絶たない。自治体の復帰プログラムも余り役に立ってはいないようだ。これによって、PMSCsは勢力を更に加速させるのだ。

 

 その経済効果も相まって、戦争生活者(グリーン・カラー)に偏った経済体制は余り問題視されていない。専門家によると、今深海凄艦との戦争が唐突に終わったら、世界経済はWW2の遠因となった1929年の世界恐慌――『悲劇の火曜日』――よりも酷い恐慌が発生すると懸念されている。皮肉にも人類の天敵によって、経済が回っているのだ。

 

「しかし、女性の経営者ですか」

 

「変な話か?」

 

「いえ、どうも(WW2)の感覚だと、女性は家を護るものという認識が強くて。艦娘が言うのもアレですが」

 

「極限状態でより冷静な判断をできるのは女性だ、肉体的には劣るが、軍が男所帯というのは、前世紀の考え方だ」

 

「艦娘が女性なのも、もしかして」

 

「それは妖精に聞かないと分からないが、艦娘が戦闘に適しているのは客観的な事実だ」

 

「この体も?」

 

「恐らくは」

 

 ふと、分厚い手袋に覆われた自分の手を見つめる。

 取り外すと、華奢な指が少し熱を帯びていた。

 自分の体温で温められた指が、少しづつ冷たくなっていく。熱と冷たさ、麻痺したような痺れ。ぼんやりと、現実ではない感覚を感じている。

 

 けど、これは現実の感覚。切り離されたようでも、艦だった頃には分からなかった痺れ。それは彼女が、生物であること、遺伝子で構成された生き物の証明。痺れた指が、触れられない何かに触れていた。

 

 再び冷たくなる指を見て、神通は思う。

 この指はどれだけ、彼女に似ているのだろうか。これだけで熱を奪われる華奢な指。しかし男性の骨ばった指より、普通の女性よりもトリガーを引きやすい指。

 

「アーセナルの手は、もっと力強いのでしょうか」

 

「……レイテの英雄とかいう、大本営のプロパガンダか」

 

「私は、彼女みたいな艦娘になりたいんです」

 

 夢を語るような気分で――実際に夢なわけだが――神通は『英雄』アーセナルへの思いを語り始めた。呆れ返る彼女にも気づかずに。

 

「どんな困難な局面でも諦めずに、危機に陥った艦娘たちを助けてくれるあの姿に、私は憧れているんです」

 

「意図して助けた訳では無いだろう」

 

「そうでしょうか、私はそうとは思えません。レイテの時も、ソロモン諸島の時も、一切の見返りなく誰かを助けられるなんて――」

 

 誰かを助けるために何かを成す。

 まさに艦娘の理想形だ。

 そんな艦娘になりたいと願う神通にとって、アーセナルギアは憧れの的だった。

 

「私は彼女のような英雄になりたいんです、大切な人を護れるだけの力を持つ……そんな艦娘に」

 

「下らないな」

 

 神通の夢を、彼女はまた一言で否定した。

 

「英雄など誰かが勝手に造り上げた妄想に過ぎない、お前の考える英雄アーセナルは実在しない。いいか、これは忠告だ。英雄に憧れるのは止めろ。憧れる限り――お前は英雄にはなれない」

 

 灯の灯ったタバコを、彼女は神通に向けて突き立てた。

 全身から、英雄に対する嫌悪感が溢れ出ている。ここまでアーセナルギアを否定したいのか、神通には全く分からなかった。

 

「それに、その夢は決して叶わない。特に単冠湾ではな」

 

 指先のタバコを口に加えて、彼女はフードを深く被り目線を塞ぐ。これ以上の会話はしないということか。

 こんな人と、単冠湾で一緒なのか。

 上手くやって行けるのか不安で仕方がない。全員と仲良くできる訳がないが、初対面がこれなのは正直かなりきつい。

 

「……早くつきませんかね」

 

 ぽつりと呟いた一言は、霞の中へ消えていった。

 

 

*

 

 

 それからは徹底して無言のままだった。

 神通は資料に目を通し、彼女は惰眠を貪っている。気まずい空気はそのままだが、これ以上悪化させることもないだろう。何度か出そうになったため息を、4、5回のみ込んだ頃、彼女が不意に目を開けた。

 

「動かないな」

 

「ええ、どうしたんでしょうか」

 

 一度ブレーキをかけたっきり、ジープは動かなくなってしまった。この辺境で渋滞はありえない。

 

「おい、何をしている」

 

 女性は運転席への扉を開け、運転手の肩を叩く。

 その度に体が振り子のように揺れ、叩く度にふり幅が大きくなる。そして勢いよく、地面へと倒れ込んだ。

 

「何っ!?」

 

「ひっ……!?」

 

 倒れた拍子に、神通の方へ向いた顔を見て、悲鳴が漏れる。

 運転手の額には、どす黒い大穴が空いていた。そこからとめどなく、血の濁流が流れている。瞳も黒く染まり、何も映していなかった。

 

「し、死んでる!?」

 

「何をしている、敵襲だ!」

 

 神通は、これが死体だとは思えなかった。

 いや、これ以上に酷い外見となった死体は見慣れている。しかし人としての感覚(SENSE)を得た今、人の死はかつての頃(軽巡洋艦)よりもダイレクトに感じる。

 

 運転手の顔には、焦りも絶望もなく、何時も通り普通の顔をしていた。襲撃に気づく間もなく死んだのだ。恐怖を感じる暇がなかったのは幸いかもしれないが、前触れのない死を感じさせるその顔に、神通は吐き気を堪えるのが精一杯だった。

 

「――神通後ろだ!」

 

「え、何で私の名前――」

 

「深海凄艦だ!」

 

 神通が振り向いた先には、竜の頭があった。

 白い肌をした巨大な蛇の胴体に、黒い装甲がついている。先端には頭があり、左右にそれぞれ主砲が。頭上部分には飛行甲板が設置されている。それはまさに、今火を噴かんとする竜の頭だった。

 

 始めて、そして心の準備もなく遭遇した深海凄艦に、神通は一歩も動けないでいた。こんなので英雄を目指す気か、と走馬燈の誰かが自嘲する。同時に走馬燈の誰かが、こんなところで終わるのか、と絶叫した。逃げなければ、だが体が間に合わない。

 

「クソ、これが同じ神通か!」

 

 間一髪で神通を助けたのは、気に入らなかったあの女性だった。彼女は神通を抱えながら、窓ガラスを蹴り破り外へと飛び出す。発射された主砲がジープを消し飛ばすまでに、コンマ数秒しかかからなかった。

 

「いったい何がどうなっているんですか!?」

 

「上だ、ジープの上のあいつが敵だ」

 

 燃え盛るジープの上に、()()が立っていた。

 もうもうと立ち込める霧で良く見えないが、シルエットだけで分かる。角も棘もないただの人の影。そこから長大な()が生えている。

 それはイロハ級の中で最狂と呼ばれる個体の影だった。

 

「そんな、戦艦レ級!?」

 

 神通は絶望した。

 個体の意志が希薄なイロハ級の中で例外的に、姫に従わないことがある深海凄艦、それがレ級だ。隷属しない理由は簡単、強過ぎるから。下手な姫よりも遥かに強いので、制御が困難なのだ。

 

 そんな化け物が、目の前にいる。

 しかも実戦経験のない新人と、ただの人間の前に。どう考えても生き残れる訳がない。だが今少しでも時間を稼げるのは自分だけだ。彼女を護らなくては。

 

「お前、艤装はあるか?」

 

「いえ、ありません。先に単冠湾に送られていたんです、でも時間を稼ぐくらいはできます」

 

「その必要は、ない」

 

 そう言って彼女は、レ級へ向かって行った。

 正気ではない、人間が深海凄艦に勝てる可能性はない。神通は慌てて止めようとしたが、何と膝が笑っていて一歩も動けないことに、今更気づいた。

 

「一隻程度で、この私を止められると思うなよ」

 

「――――ッ!!」

 

 声にならない絶叫と共に、レ級が跳躍する。空中から放たれた砲撃は、女性の周囲を完全に覆い尽くす。空中から散布された三式弾のような飽和攻撃、一撃でも喰らえば死ぬ。次々と降り注ぐ砲弾が、爆発とともに塵を撒き散らす。

 

 塵が収まった頃には、女性の姿は何処にもなかった。

 肉片一つ残らず死んでしまったのだ。空中から着地したレ級は、神通の前に降り立つ。この期に及んで、まだ足が動かない。いや、動く、後ろになら。

 

 レ級が一歩踏み出すたびに、神通も一歩引く。

 だが長くは続かない。

 更に下がろうとしたところで、道が途絶えてしまった。

 

 そこから先は、崖になっていた。

 見下ろす限り、底の見えない断崖絶壁が、神通の背中だった。落ちた先は岩礁塗れの海に違いない。もう逃げることもできない。

 

 再び前を向くと、レ級が目と鼻の先まで迫っていた。

 漆黒のレインコートと霧に隠れた顔は、墨で塗りたぐったように真っ黒だった。それでも神通は漆黒の能面に、こちらを嘲笑うレ級の心を見た。

 

 心臓が煩く鳴り響いて、耳の奥が痛くなる。膝も手も震えて、全身が死にたくないと悲鳴を上げる。神通の心も悲鳴に耳を塞ぎ、視界さえぶれ始める。黒いレ級のコートだけが、霧に混じって揺れていた。

 

「とった」

 

 神通の眼の焦点は、たったその一言で合った。

 

 気配もなく、彼女はレ級の背後に回り込んでいた。いったい何時? その答えは、服の端が燃えていることで理解する。あの一瞬で燃え盛るジープの真下に逃げ込んだのだ。しかし何時爆発してもおかしくないジープの中に逃げるとは。

 

 反射的に振り向いたレ級の体が、突如、宙を舞った。

 足を蹴られ、同時に腕を強く引かれてバランスを崩したのだ。そのままレ級は空中を一回転し、頭部から地面へと叩き付けられる。生々しい音が聞こえると、レ級の首は180度回転していた。

 

「これで完了だ、大丈夫だったか」

 

「は、はい……ありがとうございます……」

 

「分かったろう? お前が英雄になるのは不可能だ」

 

 全く言い返せなかった。あの状況で足どころか、指一本動かせなかったのだから。しかしそれを認めたくもないので、神通はひたすら黙り込んでいた。ここまで近くにレ級が現れたことより、自分の未熟さを悔しがるので一杯だったからだ。

 

「仕方がない、ここから単冠湾までは歩きだな」

 

 と、彼女が神通に手を伸ばす。

 それを取ろうとした瞬間、彼女の背後から、()が現れた。

 無論首が180度回転したので、レ級は死んでいる。

 なのに、

 

「後ろです!」

 

「なっ!?」

 

 背後にいたのは、首がねじ曲がったままの、レ級だった。

 気づいた時には遅く、レ級は長大な尻尾を全力で叩き付けようとしていた。何故生きている、首が折れれば深海凄艦だって死ぬのに。再び走馬燈が走ろうとする。

 

「邪魔ですよ!!」

 

 しかし、吹き飛ばされたのはレ級の方だった。

 凄まじい勢いで突っ込んできた軍用ジープに吹き飛ばされ、首の折れたレ級はそのまま崖の下へ落ちていった。ジープの方は激突の衝撃で、ギリギリ踏み止まる。

 

「シエルさんと神通ですね!」

 

 ジープから顔を出したのは、ピンク色の髪の毛をした、ツナギ姿の女性だった。助手席には同じくツナギを着た、黒髪の男性が乗っている。シエルとは―――普通に考えて、彼女のことだろう。

 

「そうだ、お前は?」

 

「私は工作艦明石です、隣の人は――」

 

「艦娘ではないが、メカニックの川路だ。悪いが説明している時間はない、神通、この艤装を装備するんだ」

 

 川路というメカニックが、乱暴に艤装を押し付けてくる。それを取ろうとした途端腕を掴まれ、後部座席に放り込まれた。

 

「何があった、こんなところまでレ級がいるなんて。単冠湾はそんなに酷い状況なのか」

 

「説明している時間はないと言った」

 

 シートベルトもつけずに急発進し、神通はシートに背中を叩き付ける。乱暴な運転の中で、神通はどうにか叫んだ。

 

「一体何が起きているんですか!? 説明して下さいよ! 泊地の人は何をしているんですか!?」

 

「じゃあ今の状況だけ言います!」

 

 ジープの音に混じって、遠くから爆音が響きはじめる。それに消されないよう、明石が声を張り上げて叫んだ。

 

「単冠湾は今、深海凄艦に襲撃されているんです!」

 

「――襲撃!?」

 

「後は生き残ったらだ、二人共それで納得してもらう」

 

 川路の一言は、有無を言わさなかった。

 霧は晴れたと言うのに、これからの展望は全く見渡せない。走り抜けるジープの煙が、空を覆い尽くす。まるで嵐の前兆のように。

 

 

 

 

ACT2

VEIL SUN(仮面の太陽)




冒頭の引用は
『メタルギアソリッドサブスタンスⅠシャドー・モセス』(著:野島一人/角川文庫)
による。




川内型軽巡洋艦 二番艦 『神通』
 『華の二水戦』旗艦として名を馳せた軽巡洋艦の、艦娘としての姿。一ヶ月程前に神戸の建造ドッグにて建造、そこから一か月間横須賀で研修を受け、単冠湾泊地に急遽配属となる。
 しかし壮絶な史実に反し、当人の性格はよく言って控えめ、悪く言えば自信に欠けている。その分『レイテの英雄』アーセナルギアや、『ソロモンの救世主』青葉に憧れている。当然『改二』には至っていない。
 大本営の統計によれば、大概の『神通』は改二改装を行った時点で性格が大幅に改善されるとあるが、これが戦闘経験を積んだからなのか、他に原因があるのかは不明。


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File16 単冠湾泊地

 風を食い破り、ジープが走る。

 荒れたコンクリートの道路が、車をガタガタと揺らし続ける。海岸線からは、強い風が吹きつけてくる。冷たい海風は加速と相まって、肌が凍りそうな吹雪となり、神通を苛んでいる。

 

 眼さえ痛くなりそうな激痛を堪え、神通は真正面を見据えた。

 ぼんやりとした視界に、赤い光が灯り始める。その光は生き物のようにうねり、叫びを上げながら、徐々に大きさを増していく。生物のように蠢く炎だ。

 

 炎は、単冠湾泊地を喰らい尽くそうとしていた。

 対して神通の中にも、炎が灯り始めていた。訓練の最後に装備した以来、ずっとつけていなかった艤装が、熱を持つ。内部の動力部に火が灯り、エネルギーが全身を巡る。この炎は、私を喰らおうとしているのか。

 

 

 

 

―― File16 単冠湾泊地 ――

 

 

 

 

 神通とシエルを乗せたジープは、明石の乱暴な運転に引き摺られ、そのまま勢いを殺すことなく単冠湾泊地へと突っ込んで行った。閉じられたゲートは破壊され、衝撃でジープから投げ飛ばされる。このまま地面に激突か、と思った時、シエルが神通を抱きかかえた。

 

「ぼやぼやするな」

 

 シエルは神通を抱えたまま、地面を何度も転がった。衝撃が分散され、二人は無事に単冠湾に辿り着く。しかし肝心の泊地が、煌々と燃えている。早く深海凄艦を迎撃しなければならない。

 

「無事ですか二人とも」

 

「はい、あの、私はどうすれば」

 

 防衛戦力がどうなっているか分からない神通は、自分がどうすればいいのか分からない。指示を出す人が必要だった。

 

「艤装は問題なく動いているな?」

 

「はい、問題ありません」

 

「なら泊地正面に展開している深海凄艦と交戦しろ、数はそこまで多くない。大体が陸地に侵入しているからな」

 

「そこまで攻め入られているのか」

 

 シエルの言葉に、川路が頷く。この泊地はどうなっているのだ。その疑問は後回しにする他ない。

 

「内部が片付いたら、すぐ増援を向かわせる。それまで時間を稼げればそれでいい」

 

「分かりました」

 

 早く実践に出て、英雄らしい実力を身に付けたいと考えていた。だが初めての実戦がこんなに早くやって来るとは。港に向かって走りながら、神通は何度も深呼吸を重ねる。大丈夫だ、実戦に近い訓練は何度も重ねている。何時も通りやればいい

 

「やるしか、ありませんね……!」

 

 震える足を、その一言で無理矢理封じ込めた。やらなければ、単冠湾泊地が壊滅する。

 

「神通、行きます!」

 

 謎のレ級と交戦した時にあった霧は晴れていたが、吹雪のせいで昼と夜の区別は曖昧だ。視界不良の海に向かって、神通は飛び込んだ。装備した艤装は問題無く稼働しており、艦娘らしく二本の足で海面に立つ。

 

 航行速度、出力ともに問題無し。提督とのリンクはちゃんと繋がっている。

 顔を上げた先には、深海凄艦の艦隊が迫っていた。

 軽巡が二隻に、護衛の駆逐艦が二隻。上陸部隊にしては少ない。川路の言った通り、大半は上陸済みという訳だ。

 

 これ以上の上陸を防ぐため、主砲を数発叩き込む。神通の存在に気づいた敵艦隊が、動きを一瞬止める。思考する暇を与えてはいけない。即座に雷撃を発射し、上陸を防ぐ。一時的に後退した深海凄艦は、標的を神通へと切り替えた。

 

 ともかく時間が稼げればいい、無理に倒す必要はない。だからできる限り、相手の主砲が届くギリギリまで距離を取る。その分発射から着弾まで時間がかかり、回避がしやすくなる。後は足を止めなければいい。

 

 予想通り、四隻分の砲撃が神通を襲い始めた。

 だが十分な距離を取っているおかげで、直撃弾は皆無。爆発した弾丸の破片が、少し刺さる程度。その間にも再装填を済ませ、更に雷撃を撃ち込む。

 

 艦のサイズに関係なく、主砲と同じレベルの火力を発揮できるのが魚雷だ。戦艦だろうと空母だろうと、高確率で致命打を負う。一度発射されたなら、回避するしかない。深海凄艦の陣形は更に崩れた。

 

 行けるかもしれない、そう神通は感じる。

 そうしている間に、吹雪が収まっていく。視界が開け、敵艦隊の姿が明確に見えてくる。そしてしっかりと捉えた艦隊からは、駆逐艦が一隻消えていた。

 

 沈めたのか? 何時の間に?

 だが爆発音はしていない、嫌な予感に駆られて神通は周囲を見渡す。右を見て、そのまま背後を確認し――駆逐ロ級を発見した。

 

 危なかった、発見できなかったら背後から雷撃を喰らっていた。胸を撫で下ろしかけて、神通は気を引き締める。挟み撃ちの形になるのは不味い、早く沈めるために、再度主砲を構える。

 だが、その気の緩みは確かな隙となったのだ。

 

「嘘――」

 

 神通の背中で、巨大な爆発が起きた。

 強過ぎる衝撃に、悲鳴さえ出ない。背中から一気に押されて、肺の空気が全部出されてしまった。息ができず、海面を転がりながら神通は喘ぐ。

 

 言うまでもなく、深海凄艦の主砲が直撃したのだ。背後に回り込んだロ級に気を取られた一瞬、足を止めてしまったのだ。足を止めた瞬間が、水雷戦隊の最後。そんなことは分かり切っていたのに。痛みで涙が出そうになる。

 

 動けない神通に向かって、深海凄艦が砲撃を遠距離から当てていく。一発ごとに着弾地点が近くなってくる。確実に仕留めるつもりだ。一発ごとに、心臓の音が大きくなる。そして心音が、完全に耳を聾した瞬間――深海凄艦が爆発した。

 

 唖然とする神通の耳に、誰かの声が聞こえる。

 心音で麻痺した聴力が戻っていくにつれ、ノイズのような雑音が取れていく。聞こえたのは紛れもなく人の、艦娘の声だった。

 

 

 

「――本当の戦闘って奴を教えてやるよ!」

 

 

 

 突然の横槍に混乱した軽巡が、真っ二つに切り裂かれる。左右に開かれた軽巡から、漆黒のマントを翻す軽巡が現れた。その片手には、まさに海賊が持っていそうなサーベルが握られていた。

 

 もう一隻の軽巡ト級は、攻撃直後の隙を突き、海賊の背中から砲撃を浴びせようとする。しかし後ろに眼でもついているように、海賊は軽やかに攻撃を躱す。個体の意志が希薄なイロハ級は、それでも動揺せず、再装填しながら距離を取る。

 

「にゃあ」

 

 だが、北方迷彩を装備した軽巡が、突如現れた。

 彼女が機銃をばら撒くと、それは装填しようとしていた砲弾に当たり誘爆、ト級の両手は消し飛び、そのショックであえなく轟沈した。

 

 残されたロ級二隻が逃げようとする、一時撤退し、情報を持ち帰るつもりか。だが増援の二人は、それを認めない。

 

「重雷装巡洋艦の力、見せてやる」

 

 ばら撒かれた魚雷の量は、一言で言って『異常』だった。海面が魚雷で埋まったのではと誤認する程の、滅茶苦茶な雷撃。一度発射されれば躱せる筈もなく、ロ級は一瞬で水底へと消えた。

 

 瞬く間に始末された仲間を見て、神通の背後にいたロ級が加速した。しかし逃走ではなく、動けない神通に向けて突撃したのだ。

 

「あのロ級、特攻する気か!?」

 

 海賊のような軽巡が叫んで、漸くロ級の意図を理解した。逃げることも勝つこともできないから、一隻でも多く道連れにするつもりなのだ。駆逐艦といえども、加速が乗った状態で激突すれば、お互いただでは済まない。

 

 逃げようとするが、間に合わない。増援の二人も妨害の砲撃を撃ちこんでくれるが、何発当たって体が燃えても、ロ級は止まらない。意志がないからこそ、恐怖もない。だがある意味でそれは、冷徹な意志でもある。

 だが、増援はもう一人いた。

 

「させないよ!」

 

 特攻するロ級の後部に、砲撃と魚雷が同時に着弾した。移動に用いるタービンが壊れ、ロ級はその場から全く動けなくなる。断末魔か、怨念の絶叫か。それを上げる暇さえなく、増援三隻の一隻砲撃でロ級は消え去った。

 

「大丈夫、神通ちゃん?」

 

 燃え盛る炎をバックに、最後の増援が手を伸ばす。

 焼けつくような赤に、汚れ一つ無い白。それを組み合わせた彼女の衣装は炎に照らされ、輝いていた。

 そして、神通は彼女を知っていた。

 

「那珂?」

 

「そう、艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよ!」

 

 川内型軽巡洋艦三番艦、つまり神通の妹。彼女は『那珂』だ。しかし人の姿で合うのは始めてだ。それでも妹だと分かるのは、かつての記憶か、近い遺伝子を持つからなのか。

 

「……神通ちゃん!? ちょっとしっかり!?」

 

 ともあれ助かった、そして此処には妹がいる。

 その安堵と、極度の緊張からの解放は、神通を夢へと誘うには十分過ぎたのだった。

 

 

*

 

 

 ここは、まだ夢の続きだろうか。

 全身を支配する疲れと、温かい湯船が、そんな錯覚を与える。艦娘を修理する入渠用ドッグの中で、神通は眼を覚ました。

 

「あ、おっはよー」

 

「……おはようございます」

 

 何とか苦労して首を上に動かすと、那珂がこちらを覗き込んでいた。神通は湯船の中で、那珂に抱きかかえられていたのだ。途端に恥ずかしくなり、もぞもぞと体を動かそうとする。

 

「駄目だよ神通ちゃん、この状態で寝たら、本当に沈んじゃうよ」

 

 しかしそんな心配は無用だった。全身に力がろくに入らず、振り解くこともできなかったからだ。

 

「そうみたいですね」

 

「そういうこと、此処では那珂ちゃんが先輩なんだから、黙って言うことを聞くこと」

 

姉さん(川内)はいるんですか?」

 

「今は後方の大湊にいったん下がってるの」

 

 どうせなら姉の川内もいてくれればと思ったが、それは我儘か。そう思って神通は、自覚している以上に疲弊していることに気づく。肉体的にではなく、精神的に。

 

 いきなり死んだ運転手に、首が折れても動くレ級。燃える泊地に死にかけた初陣。怒涛のドミノ倒しに感覚がマヒしていたが、冷静になっていくにつれ、恐怖心が蘇っていく。体が小刻みに振れているのを、必死で抑え込む。

 

「恐かった?」

 

 心を見透かして、那珂が呟いた。

 

「そりゃ神通ちゃんの妹だし。那珂ちゃんだって、初陣は怖かったもん」

 

 遺伝子が似れば、発想は感性も似てくる。似た肉体は同じ状況に同じリアクションを示すものだ。ハッキリ言って怖かったと漏らして泣きつきたいが、姉としてのプライドがそれを許さなかった。この状況(抱っこ)にプライドが残っているかは、考えないことにした。

 

「私を助けてくれた方々は、確か……」

 

「多摩ちゃんと木曽ちゃんだね」

 

「球磨型の次女と末っ子ですね、ですが……あんな姿でしたか?」

 

「あれは『改二改装』後の姿、那珂ちゃんも『改二』だよ」

 

 改二、とは一定練度を越えた艦にのみ許可される特殊な改装のことだ。その姿は純粋なスペックアップから、まるで別の特性を得るまで、多岐にわたる。一例を上げると木曽改二は、本来の史実では予定されただけで中止となった、重雷装巡洋艦へと姿を変えている。

 

「凄いですね……この泊地の皆さんは」

 

 英雄(アーセナルギア)よりも先にまず、彼女たちに追い付かなければならない。神通は不安と期待に満ちた目で、那珂を見上げた。

 

「あー……まあ……凄くならざるを得なかったというか……ね?」

 

 しかし、彼女の歯切れはとんでもなく悪く、瞳は上下左右に揺れていた。

 

「どういうことですか」

 

「……この泊地にはあと、潜水艦が一隻いるの」

 

「はい」

 

「それが全戦力」

 

 神通は思わず、両手で数を数える。

 私を含めて軽巡が四隻、潜水艦一隻。工作艦明石は戦力外なので除外。つまり軽巡四隻が、実質的な全戦力だ。

 北方の最前線を護るのが、軽巡四隻?

 

「実はこの泊地……()()()なの」

 

 シエルの言葉が蘇る。『英雄にはなれない、特に単冠湾泊地では』。その理由とこの戦力は、同じ理由に基づいているのか。

 

 

 

 

 入渠を終えた神通は、そのまま提督がいる執務室へと案内された。

 執務室に向かう途中で見えた泊地は、あちこちがボロボロに崩れ落ちていた。それだけ昨日の襲撃が激しかったのだ。

 なら、それを追い返した三隻はどれだけ強いのか、改めて痛感する。

 

 幸いかどうか分からないが、執務室は無事だった。中から人が慌ただしく動き回る音が聞こえる。神通は息を吸い、少し緊張しながら扉を叩く。

 

「神通です」

 

「ん、ついたか。入れ」

 

 扉を開けると、物が散在した空間が広がっていた。外見上は無事だが、振動で資料が棚から落ちたのだろう。その中央で、作業を進める青年がこちらを見つめていた。

 

「川内型軽巡洋艦二番艦『神通』、着任しました」

 

「こんな状況だが、着任おめでとう。単冠湾泊地は君を歓迎する。私はここの提督の富村だ、よろしく頼むよ」

 

 そう言って富村は手を伸ばす。神通も抵抗せず彼の手を取り、握手を交わす。骨と筋肉でできた、男性の手だ。

 

「あの……それで……」

 

「この泊地がどうしてこんな弱小戦力なのか、か?」

 

 だいぶ疲れた目で、富村提督は捲し立てる。聞いていい内容なのか戸惑っていたが、あちらから話してくれるなら問題ないだろう。

 

「同じ説明を委託憲兵のシエルにもしたからね、何となく予想できた」

 

「シエル……彼女は外国人なのですか? 日本人には見えませんが」

 

 青色の瞳に光るような銀髪は、どう見ても日本人の特徴ではない。

 しかし顔つきは何処か日本人らしくもある。東南アジア系の遺伝子でも入っているのかもしれない。

 

「彼女はアメリカ人とのハーフらしいが、国籍は間違いなく日本だ。まああの見た目だからこそ、こんな辺境に飛ばされたからかもしれないが。メカニックの川路も同じハーフだ……いや、話がそれた」

 

 日本人の中であの見た目は確かに浮く。

もっとも彼女がそれを気にする正確には思えない。トラックで見た限り、泊地に飛ばされたことも気にしてなさそうだった。

 

「さて、まず『発端』から話そう。そもそもこの泊地はまだ、解体から再編成された直後なのだ」

 

「何か……あったんですか」

 

「この泊地は、ブラック鎮守府だった」

 

 

 

 

 ブラック鎮守府とは、俗称である。

 正確には1995年に国連で採択された『艦艇少女の人道的保護条約(HPFG)』。それを元に制定された軍規に違反する鎮守府のことである。

 

 過酷過ぎる戦線維持のため仕方なく、個人的利益のため。理由は様々だが、何れも艦娘を非人道的に扱っていることは変わらない。艦娘に絡む法律の中でも、ブラック鎮守府の罪状は特に重い。

 

 深海凄艦に押され、国家領土さえ侵されていた戦争初期なら、多少見逃されたことも多くあったらしい。しかし戦線が落ち着いている現代では許されない。海域攻略目的のブラック運営も、長期的にはマイナスの結果になることも分かっている。

 

「だが、前任はそれをやらかしたんだ」

 

 折しもその頃は、レイテ沖の攻略戦が行われていた。軍も政府も、民衆の眼もフィリピンに向いていたのだ。前任はその隙を突き、私欲のままやりたい放題していたらしい。しかしレイテを奪還し、続けて『第六戦隊の奇跡』によりソロモン諸島まで取り戻した時、その悪口は露見する。

 

 南方が落ち着いて、北方の戦線を押し上げようと軍部が現場を調査した時、ブラック運営が発覚。それはマスコミに嗅ぎつけられ、民衆どころか世界中に報道されてしまったのだ。よりにもよって、世界有数の艦娘大国と名を成す日本が。

 

「どの国でも、艦娘は大事にされる。深海凄艦に抵抗できる唯一の戦力だからね。だからこそ日本は、激しい非難に晒された。大本営はその後始末に一杯一杯で、北方の戦線を押し上げるどころじゃなくなった。そして単冠湾泊地は解体された」

 

「それで、再編成されたんですよね」

 

「だけどそれもまた、問題だった。

 一度ブラック鎮守府になった時点で、単冠湾泊地はそのレッテルを張られている。その後始末も済んでいない中で、前のような戦力は集められない」

 

「そんなに難しいことなんですか」

 

「ブラック化した原因の一つは、北方の攻略を急いだのが原因だ。なのにまた過度な戦力を補充したら、大衆は同じことを繰り返していると感じるだろう。海域攻略よりも、今は艦娘の人権をアピールすべき時期なんだ。だが、北方の防衛拠点であるこの泊地を放棄することもできない」

 

「情勢が安定するまでの()()が必要だった?」

 

「その通りだ。大衆や世間の目を刺激しない程度に、かつ攻め入られない程度に。だから少数でそれなりの戦力を発揮できる、軽巡ばかりが配属された。少数精鋭での防衛に耐えるため、改二艦も多い……と言えば聞こえはいいが、実際は轟沈しても問題ないような艦ばかり集められただけだ。タンカー護衛任務に失敗した時の旗艦や、もう艦にガタが来ているロートル。それにまだ、誰とも関わりがない新人」

 

 提督から突き付けられた現実に、神通は無心で絶句していた。

 英雄になれるなれないのレベルではない、生き残れるかさえ怪しい戦場に放り込まれるとは。まさか、何の活躍も――誰も護れずに、新米のまま沈むのか?

 

「とはいえ、私も簡単に使い捨てられるつもりはない。この前線を保ち、全員何とか生き残れるよう、最善を尽くそう」

 

 と、富村提督は断言する。他の艦娘と同じく、捨てられても問題無い人材なのだろう。そんな区別があることに腹が立つ。

 

「まだ新人だが、君はあの二水戦旗艦だった艦だ。どうか此処の全員が生き残れるよう、力を貸してほしい」

 

 そう言って彼は、部下に向かって頭を下げた。

 

「はい、勿論です!」

 

 それでも、此処が私の戦場だ。それに彼がどんな過去を持っていようと、全員を護りたいという意志は、この態度で伝わってきた。彼となら、皆を護れるような――そう、私が憧れた英雄になれる気がした。

 

 しかし、此処からもう、陰謀は始まっていたのだ。




140.85


〈そうそう使う機会はないと思うけど、これが私の周波数だ。緊急の用があればここに繋いでくれ〉
〈分かりました〉
〈単冠湾泊地を預かっている提督だ、何かここについて聞きたいことがあれば何でも聞いて欲しい〉
〈……ここだけの話ではないのですが、ブラック鎮守府は今どの程度あるのでしょうか〉
〈大本営の発表では、毎年ゼロ件だよ〉
〈では実際は〉
〈限りなく少ないのは確かだけど、存在はしている。けど君が想像するような、片端から使い捨てるやり方はありえない〉
〈何故ですか?〉
〈艦娘の最大保有数は泊地ごとに決められている、だから新たに建造するには大本営の許可がいるんだ。しかも実際に建造できるドッグは、全て大本営が管理している。格鎮守府で勝手に建造はできない〉
〈新たな建造申請が多いと、疑われる?〉
〈そう、艦の運用が壊滅的なのか、もしくは故意にやっているのか。どの道監査が入るのは確定だ〉
〈だから沈ませるのが前提の運営はありえないと〉
〈でも逆に言えば、沈まないギリギリでのブラック運営はあり得る〉
〈……無くならないものなんですね〉
〈それを防ぐために、あえて対立する陸軍主体の憲兵隊を受け入れているんだ。ブラック鎮守府は長期的に見れば害にしかならないからね〉


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File17 ブラックサイト

 燃え盛る敵艦を横目に見ながら、主砲を撃つ。

 足を止めてはいけないが、同時に敵の動きを予想しなければならない。基本中の基本、できて当たり前の動作。しかし新米の神通には、それさえ意識しなければできなかった。

 

 多摩や木曽、妹の那珂はそれを平然とこなし、確実に敵艦を処理していく。息もあがっておらず、まだまだ余裕がありそうだ。神通の息はもう上がっており、どんどん砲撃がまばらになっていく。

 

 全然役に立てていないことに、神通は顔をしかめる。

 経験が足りていないのは仕方がない、しかし此処まで使えないとは正直予想外だった。客観的に見れば、多少なりとも強くなっているのかもしれない。だが肝心の自覚は、まるで持てずにいたのだ。

 

 

 

 

―― File17 ブラック・サイト ――

 

 

 

 

 敵艦隊を倒し、泊地へと帰還した神通。

 あれから数日、外見上は立て直したが、中身はまだボロボロだ。正門をくぐれば、あちこちがブルーシートに覆われている。それでも重要な場所は優先してもらい、入渠ドッグは、襲撃された日の翌日に使えるようになっていた。

 

 だが、神通は運よく小破もしていない。なので入渠ドッグではなく、肌についた潮風や雪を落とすため、普通の風呂に入っていた。元々は大人数で入っていたであろう巨大な浴槽にいるのは、神通と那珂だけだ。

 

「あー、しみる……」

 

「そうですね……」

 

 当たり前だが単冠湾泊地は大湊より更に北、ほぼソ連寄り。なので尋常ではなく寒い。艤装による耐熱保護はあるが、寒さは暑さを全て遮断するわけではない。触覚も戦場では重要だ、それを全て感じ無くなれば、かえって轟沈に近付く。

 

 そういう理由だと分かっているが、やはり寒いものは寒いのである。だからこそ余計に、湯船が心地よく感じるのだが。

 

「この泊地には慣れた?」

 

「多少は」

 

 しかしこれを慣れたと言っていいのか、神通には分からなかった。何せ今のところ木曽や多摩とコミュニケーションを取るタイミングは、戦場しかないからだ。

 

というか、実戦以外する暇がなかった。

 

 あの着任早々おきた襲撃から数日、深海凄艦の攻撃は絶え間なく続いていた。配属されている艦が少なすぎて、近海の哨戒をする余力すら残っていないのだ。だから事前に発見できず、泊地の近くまで近づかれてしまう。

 

 一応哨戒として、潜水艦がいるらしいが、一隻が警戒できる範囲は小さい。

 さすがに泊地内部まで押し入られることはあれ以来ないが、普通なら防衛失敗と見なされてもおかしくない状況に、何度も追い込まれている。たった数日でこれだ。

 こんなこと言える立場ではいが、絶対に新人を配属していい泊地じゃない。

 

「アハハ、本当に大変な場所に来ちゃったね」

 

 元ブラック鎮守府として、派手な行動は取れない。しかし北方防衛はしたい。世論と現実の板挟みにあった結果が、海域防衛もギリギリな軽巡艦隊だ。

 同情してくれる妹の存在が、数少ない救いだった。

 

「潜水艦の方とは、まだ会ってすらいないのですが」

 

「一人で哨戒をしてるんだもん、しょうがないよ」

 

 その潜水艦だが、どうも彼女だけは事情が異なっているらしい。那珂も他の方々も詳しく知らないが、彼女だけは新たに配属された艦ではない。つまり元々単冠湾泊地にいて、解体された後も残っていた艦娘だ。

 

「潜水艦の方は、なぜ泊地に残ったのでしょうか」

 

「愛着があるんじゃないかな。元々ブラック鎮守府だったとしても、そこで仲間と戦ってきたんだし」

 

 彼女に会えるのは何時になるだろう、そう思いながら神通は、湯船の中に体を沈めた。

 

 

 

 

 風呂を出た神通は、その足で工廠へと向かう。入渠ドッグに続いて復旧された重要な施設だ。近くには工廠妖精が忙しなく動き回っている。彼女たちの助けがなければ、ドッグの復旧もままならなかった。

 

 艦娘の艤装を制御しているのも妖精たちだ、この時代の発展は、なにごとも妖精に支えられている。悪意の欠片もないのっぺりとした、のんきな顔をしているが、彼女たちの双肩には重い物が圧し掛かっているのだろう。

 

「いつもありがとうございます」

 

 と言っても妖精たちは、何のことか、と首を傾げるばかり。苦笑いしながら神通は、工廠の扉を叩いた。

 

「どうぞー」

 

 扉を開けると、重厚なオイルの臭いが吹き出してくる。中に一歩踏み入れると、その臭いは更に強まった。様々な工業機械が所狭しと置かれており、黒ずんだそれらを赤いバーナーの光が照らす。

 

「ちょっと待っててね! すぐ終わるから!」

 

 明石は声を張り上げて言ったが、大半は機械の轟音に掻き消される。神通の返事も同じだ。びっしりと詰まった機械と轟音、溢れるような熱に汗が流れ始める。ここだけ北方とは別世界のようだ。

 

「お待たせ、今換気するから」

 

 と、作業の手を止めた明石が窓を開く。途端に冷え切った単冠湾の空気が流れ込み、思わず身震いする。

 

「あの、それで、何故呼ばれたのでしょうか」

 

「艤装のメンテナンスと、微調整。神通がいたのは横須賀でしょ? ここ(北方)じゃ環境が全然違うから、それに合わせないといけないの」

 

 明石がスパナを指した先に、神通の艤装が置かれていた。さっき出撃から帰ってきたばかりなのに、もう新品みたいに綺麗なっている。

 

「……なら私は?」

 

「あとは最終調整だけ、神通の感覚と合うか、実際に装備しながら調整していくから。早速だけど、これに着替えて」

 

 手渡されたのは作業着のような衣服だった。

 

「本当は着任してすぐにでもしたかったんだけど、ほら、ここ、襲撃が三日に二回はあるからさ、中々暇がなくて」

 

 改めて聞くと、本当にひどい最前線だ。

 あとの作業は、特に問題無く進んでいた。感覚に合せると言っても、それで大きな変更があるわけでもない。背負ってみて、そんなに違和感もない。

 

「艤装の方は問題ないね、あとは細かいレベルの調整かな」

 

「細かいレベル?」

 

「そう、それが終わったら本当に終わり。川路さーん! ちょっとー!」

 

「うるさい、聞こえている」

 

 それはもう不満そうな顔で、メカニックの川路が機械の影から顔を出す。目の隈が酷い、疲労の色が強く出ている。同時に彼の後ろから、同じく顔色の悪い女性が顔をのぞかせた。

 

「……そちらの方は?」

 

「伊58、みんなはゴーヤって呼ぶでち」

 

 彼女が、ずっと一人で哨戒をしていた潜水艦か。彼女もまた神通と同じ作業着姿で、艤装を背負っていた。

 

「ゴーヤの方は終わった、ゲノム情報との反応も良好だ、問題無い」

 

「そういうことならゴーヤは寝るでち」

 

「お風呂ぐらい入ってもいいんじゃないですか?」

 

「今入ったら溺死するでち、潜水艦が溺れるとか冗談じゃない。仮眠室を借りるでち」

 

 本当に疲れているようだ、色々話してみたいことはあるが、それより休ませてあげるべきだ。それより気になることがある。

 

「あの、最終調整とは何をするんですか?」

 

「艦娘の保有する特殊な遺伝子と、艤装、及び妖精のリアクションに問題がないか調べる。それが私の担当だ」

 

「妖精の……リアクション?」

 

「そう、艦娘のもつゲノム情報の解析は、この15年間でほとんどが完了しつつある。その過程で艤装を稼働させるメカニズムも解明された、彼女たちがオカルトの住民だったのは昔の話だ」

 

 川路は神通の体に、遠慮なく様々な解析機器を取り付けていく。機械をメンテナンスするような無遠慮さに、神通は何とも言えない気持ちになる。

 

「艦娘の遺伝子には、多くの戦闘に適した遺伝子がある。専門家たちはそれを仮にソルジャー遺伝子と名付けた」

 

「戦闘に適した遺伝子なんて、あるんですか?」

 

「存在している、環境適応能力に、海上の動き方。ストレスを感じにくい精神。戦い方が遺伝子レベルで組み込まれているのだ。その中でも特に重要なのが、艤装遺伝子だ。妖精はこの遺伝子があるか否かで、君達が艦娘なのか判断する」

 

 つまり、自分が艦娘だという身分証明書のようなものか。

 艤装を動かすのはあくまで妖精だ、艦娘の意志を拾い、妖精がそれを忠実に実行する。この証明書がなければ、妖精は艦娘と認めてくれない。今からの最終調整は、艤装をいじったことで、その機能に異常が起きていないかを確かめるテストなのだ。

 

「じっとしてていいですよ、テストといっても、神通自身が何かすることはありませんから。じっと耐えればいいだけです」

 

 といって明石が取り出したのは、鋭利な注射器だった。

 神通は反射的に、左腕を押さえていた。注射器の先端が光を照り返すたびに、肌がゾワリとする。

 

「……苦手なんですか」

 

「……恥ずかしながら」

 

「採血しなければ遺伝子サンプルは取れない、君は艦娘だろう、我慢しろ」

 

 そんなこと分かっているが、そういう問題ではないのだ。と抗議の目線を向けてみるが、その頃には既に堪え難い痛みが、左腕を貫いていた。

 

「はい、終わりです」

 

 少し涙目になった神通から、川路が目を逸らす。やはり痛い。これも遺伝子とやらのせいか。

 

「そんな目で見るな、別にこれを研究目的で利用しようというわけではないんだから」

 

「研究? 艦娘のゲノム情報は解析されたのでは?」

 

「遺伝子特定は終わり、次のステップとしてこの遺伝子を人間に組み込む研究が始まっている。遺伝子治療(ジーン・セラピー)の技術を応用すれば不可能ではない」

 

 その話題は、神通に不快感しか与えなかった。彼女の反応を知ってか知らずか、川路が採取した血液を解析機器に入れて、話し始める。

 

「艤装遺伝子やソルジャー遺伝子が人間に組み込めるようになれば、建造という不安定な方法に頼らず、艦娘を安定して建造できるようになる」

 

「人間を艦娘にするんですか」

 

「利点はまだある、クローン法に抵触しないところだ。現在国際法で艦娘の無差別な建造は禁じられている。これは軍事的側面もあるが、クローン法に抵触する恐れもあるからだ。だが人を素体にした建造なら、遺伝子コードがまるで違うから法に触れない」

 

「まあ遺伝子治療(ジーン・セラピー)の軍事利用も国際法で禁じられてるから、簡単にはいかないけど」

 

「深海凄艦への対抗が理由なら、どんな行為も正当化できる。時間の問題だ」

 

 建造で産まれた艦娘から今みたいに遺伝子を取り出し、それを人に埋め込む。そうして生まれた艦娘は、どんな存在なのか。少なくとも、今のように艦娘が特別な存在ではなくなるのは間違いない。艦娘の安定供給も、分からなくはない。だが、護るべき人々がそうやって前線に送り出される未来は、余り考えたくなかった。

 

「何だか、夢の無い話ですね」

 

「実際まだ夢物語だよ、遺伝子解析は進んだけど、肝心の部分が明らかになってないもの」

 

「肝心な部分?」

 

「そもそも、艦娘の遺伝子はどこからやって来たのか。親から受け継がれてきたわけでも、遺伝子治療で埋め込まれたわけでもない。なのに開発資材と、鉄やボーキから、何で遺伝子ができるのか……」

 

「しかし悪い話ばかりでもない、艦娘のゲノム解析が進んだおかげで、艤装遺伝子の排除――つまり『解体』により、艦娘を人間に戻せるようになった。もし艦娘が人間に戻せないままだとしたら、それは恐ろしいことだ」

 

 また川路が無造作に、解析機器を外していく。気づかない間に、テストも終わったらしい。何か自分の体に変化が起きた気もしない。遺伝子レベルの変化に、当人が気づくのは不可能だ。だが確かにそこにある。見えないが実在する存在、それはルーツの分からない艦娘のようだと神通は思った。

 

 

 

 

 検査は終わったが、二人の仕事はまだ残っている。いつまでも居座っていては邪魔だ。神通は風呂上がりの私服に着替え直し、工廠を後にする。しかし湯冷めした体に、単冠湾の空気はとてもよく効く。

 

 くしゃみが出たが、同時に吹いた暴風がその音を掻き消す。さて、二度風呂をするべきか、素直に仮眠を取るべきか。神通はどちらも選べずに、泊地の中をフラフラと歩き回る。

 

 歩く、と言っても、妖精が復旧させてくれた場所はまだ少ない。元々瓦礫が少ない海岸線ぐらいしか、歩ける場所はない。当然すぐに飽きてきて、神通は結局宿舎へと戻ろうと道を引き返す。

 

「一人で何してるんだお前」

 

 不意に背後から掛けられた声に、神通は飛び上がった。

 

「木曽さんと、シエルさん?」

 

「休憩時間じゃなかったのか、体が持たないぞ」

 

 海賊のようなマントを風で翻すその姿は、言うまでもなく神通の憧れになっていた。しかし彼女はかつて、タンカー護衛の任に失敗し、民間人に多数の犠牲者をだしたらしい。だからこそ最悪轟沈しても問題ない、この泊地へ飛ばされたのだという。

 

 もっとも神通からすれば、そんなことはどうでも良かった。彼女がかつて何をして、今どう思っていようと、この単冠湾を護っているのは間違いない。憧れる理由はそれだけで十分だ。

 

「ちょっと眠れなくて、お二人は?」

 

「オレは少し、こいつと話すことがあってな」

 

「そうだ神通、お前も話してくれ。こいつら私の話を妄言だといって聞かないんだ」

 

 シエルが見るからに不満そうに、眉をひそめている。何の話か分からないが、特段拒否する理由もない。三人はそのまま海岸線を、横に並んで歩きはじめる。

 

「我々を襲ったレ級を覚えているな?」

 

「ええ、当然です」

 

 むしろ忘れられるわけがない、あの襲撃は神通の中で、軽いトラウマとなっていた。

 

「なら、私がどう奴を殺したかも覚えているよな?」

 

「はい、シエルさんが首を捻じ曲げて――」

 

「だが生きていた」

 

 ただの人間が深海凄艦を倒したことも驚いたが、首が真後ろまでねじ曲がったまま、レ級が立ち上がった恐怖に比べればなんのことはない。しかし、今思い出しても信じがたい光景だ。そのレ級は明石と川路が乗ったジープに突き飛ばされ、崖の下まで落ちた筈だが。

 

「あの後私はこいつらに調査を依頼したんだ。仮にレ級が泊地近海で生き延びているとしたら、大変なことになる」

 

「……とシエルはありえないことを繰り返しているって訳だ。何度も言うが首が折れて生きている深海凄艦はいない」

 

「神通も同じモノを見たんだぞ、貴様たちの努力が足りないんじゃないか?」

 

 そういう訳か、と再びにらみ合う二人を見て、一人納得する。まあ当事者だった私でさえ信じがたいのだ、無理もない。

 

「お前に言われてレ級を探してみたが、どこにもいなかった。間違いなく死んでいる。そもそもレ級がいたって話自体怪しいもんだ」

 

「何故だ、明石や川路も見ているぞ」

 

「そん時は猛吹雪でシルエットしか見えなかった筈だ、お前らだってレ級の姿をちゃんと見たのか?」

 

「……確かに見ていないが」

 

 本来戦艦レ級は、南方海域を主な生息地としている。極々稀にとんでもない場所に出現することもあるらしいが、その活動拠点は変わらない。此処は北方の最前線単冠湾泊地。レ級の生息域とはかけ離れている。

 

「見間違いだったんだろう、レ級がこんな場所にいる筈がない。仮にそうだったとしても、もう消滅してるさ」

 

「首を折ったぐらいで、沈むのでしょうか」

 

「沈む、間違いなく」

 

 間髪入れずに、木曽が断言した。

 

「深海凄艦と艦娘、それと人間の遺伝子情報はほとんど変わらない。特殊な力が有る以外は人間と同じだ、だから首が折れれば、どんな深海凄艦だって死ぬ」

 

「深海凄艦の遺伝子解析は進んでいない筈だ、仮定の話だろ」

 

「確かに連中は死ぬとすぐ消滅しやがるから、死体を調べられず、研究が進んでないのは事実だ。だが無理矢理鹵獲した奴を調べることはできる」

 

 やはり、首が折れて生きていられる深海凄艦はいないのだ。だからこそ一層、あのレ級の謎が深まる訳だが。

 

「もういいか? お前がしつこく言うから、ゴーヤまで駆り出して探したんだ。いい加減打ち切りで良いだろ」

 

「止むを得ないか、悪かったな」

 

 名残惜しそうな顔をして、シエルが溜め息をはく。

 話し続けている間に景色は変わり、泊地の防波堤から岩礁の方まで来てしまった。太陽は闇夜へと沈み、黒ずんだ水が岩にしぶきを浴びせている。これ以上行けば戻るのに時間がかかる、それにいい加減休まないと、明日に響きそうだ。

 

「もうそろそろ戻るべきではないでしょうか」

 

「ああ、明日もどうせ、連中が襲ってくるからな」

 

 来た道を引き返し、明かりの消えた泊地を目指す。余計な明かりを出していたら、空襲の良い的だからだ。しかし何故かシエルだけが、その場から動こうとしない。

 

「待て」

 

「何だ、まだあるのか」

 

「ああ、それも、とびきりヤバイ奴がいる」

 

 奴? 人でもいるのか、だがこんな場所に?

 シエルの見る方向は暗く、神通には何も見えない。しかし木曽は発見できたらしく、ある一点を見つめていた。

 

「おいおい、マジかよ」

 

「何がいたんですか? まさか深海凄艦でも」

 

「観れば分かる」

 

 二人が警戒心を撒き散らしながら、そこへと歩いていく。ある程度近付けば、それが何なのか神通にも見えた。だがそれは全く予想しえない存在だった。いや、本来ならここに居てはいけない存在だ。何故なら――

 

「――北方棲姫?」

 

 それこそ、今単冠湾泊地を攻めている艦隊の、主でなければいけないから。




シエル・プリスキン

 憲兵隊業務を委託されたPMSCsの社員として、単冠湾泊地に配属された人物。言動は冷徹だが、業務はしっかりとこなすタイプ。
 本人はフランス系日本人を名乗っているが、しかしプリスキンはアメリカ系の姓であり、顔つきにはアジア系の面影も見える。
 だがだからといって銀髪は青い眼が目立つことはない。他の艦娘の髪色と比べれば、まだ地味だからであろう。




 尚正体はシェル・スネークである。


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File18 北方棲姫

 これはいったいどういうことだ。アーセナルギア――シェル・スネークは首を傾げる。目の前の医療用ベッドに横たわる少女は、どう見ても北方棲姫そのもの。理解できないが、純然たる事実として、目の前に横たわっている。

 

 ベニヤ板や羽毛で無理矢理補強した医務室が、風に吹かれて揺れている。合間を縫う隙間風がスネークたちの間を駆け抜け、色々なものと一緒に、外へと流れだす。熱が消え、肌の感覚が消える。

 

 残された冷気に身を震わせるが、北方棲姫は身動ぎ一つせず、凍ったように眠り続ける。そんな彼女を見下ろして、力んだ肩をほぐすように息をする。白い煙と北方棲姫が重なった。

 

 

 

 

―― File18 北方棲姫 ――

 

 

 

 

 泊地の海岸線で北方棲姫を発見したスネーク――今は偽名としてシエルを用いている――は、すぐさま彼女を泊地へと担ぎ込んだ。大破一歩手前のダメージを負っていた彼女は、その最中起きることなく、速やかに入渠ドッグへと放り込まれた。

 

 しかし北方棲姫はただの深海凄艦ではない、一つの拠点や飛行場が規範(ベース)となった『基地型』と呼称されるタイプの個体。他にはソロモン諸島にかつていた飛行場姫などが該当する。その為かドッグに表示された修理時間は、驚愕の『300時間』。概ね二週間だった。

 

「まさか、待つのか? 二週間」

 

「それはない、非常事態以外では禁じられているけど、バケツを使おう」

 

 バケツとは高速修復剤の原液を意味する俗称である。スネークもソロモン諸島で、加古に使った覚えがある。

 

「艦娘用の道具が、深海凄艦に効くのか?」

 

「知っての通り艦娘と深海凄艦では遺伝的共通点は多い。それに入渠ができるんだから、バケツも効くさ」

 

 だが富村提督も不安そうだ。入渠ドッグの安全装置がかかっているから、突然ドッグを破壊して覚醒するなんてことはない。『敵』である深海凄艦を修理することに、抵抗感が抜けないのだ。

 

 艦娘か人間か深海凄艦かも分からない私には関係ない話だが。スネークは心の中で自嘲した。

 

 

 

 

 スネークが身分を偽装し、泊地に潜入したのは訳がある。

 ソロモン諸島を脱出したあとスネークは、戦艦棲姫の行方を追った。あの場にいなかった彼女は、白鯨の直衛についていたらしい。しかし空母棲姫の敗北から作戦の失敗を悟り、そのまま姿を晦ませたのだ。

 

 スネークからすれば、それで終わりとはならなかった。

 戦艦棲姫には聞きたいことがある、何故奴はS3を知っていたのか。そして何故、アーセナルギアの存在を知っていたのか。

 

 もし仮に、アーセナルギアとS3がこの世界にも存在していたなら、『愛国者達』も存在しているだろう。スネークやG.Wの知る、『規範』としての愛国者達ではないかもしれない。だがそれはどうでもいいことだ。

 

 愛国者達は、スネークを放置しない。

 無数のミサイル兵器に、超高度な情報処理能力を持つG.W。既存の兵器技術を凌駕するメタルギア・レイ。その力を手に入れ利用しようとしてくる。

 

 自由を歌うスネークにとって、それは決して許されない。

 だから彼女はアーセナルギア(過去)の名を棄て、シェル・スネークを名乗っている。その自由を守るために、戦艦棲姫が何を知っているのか問い詰めなくてはならないのだ。

 

 そして調査の末、戦艦棲姫が北方へ逃走したことを掴んだのだ。だが、北方は広く、単独で探すにはいささか無謀過ぎる。

 

 そこでスネークは、自分から動かなくても、勝手に情報が入ってくる場所に潜入することにした。その為にPMSCsの社員に身分を偽装し、単冠湾泊地へと潜りこむことに成功――そして遭遇したのが、あの不死身のレ級だった。

 

 だがそれはそれとして、今目の前で修理されている彼女の方が問題だ。何故アリューシャン海域を支配している彼女が、大ダメージを負っていたのか。

 

「アリューシャン列島、元ダッチハーバーに拠点を置き、北方海域を長年難攻不落の海域にしていた張本人が、どうしてこんな状態に……」

 

「今毎日のように攻め込んでいる深海凄艦たちは、こいつの艦隊ではなかったのか?」

 

「他の姫に縄張りを奪われたのかもしれない」

 

「どの道、聞けば分かるか」

 

 本人が目の前にいるのに、仮定の話ばかり重ねるのはナンセンスだ。ここはリスクを冒してでも、本人から話を聞くべきだ。

 それに、もしかしたら同じ姫同士、戦艦棲姫の情報を持っているかもしれない。そうスネークはほくそ笑む。

 

「提督、バケツの用意ができました」

 

「ありがとう明石」

 

「それはどうも、それと護衛として神通さんと那珂さんをつけておきますね。私はいったん、工廠に戻ります」

 

「言っておくが私もいさせてもらうぞ、委託とはいえ憲兵としての立場がある」

 

 勿論詭弁である。

 明石が手馴れた手つきで、修復剤の入ったバケツを機械へセットする。幾つかのロックを解除し、最後にボタンを押すと、出番を待ちわびていた役者のように、機械が吼えた。バケツの修復剤は瞬く間に機械に呑まれ、北方棲姫の傷を癒す。同時に入渠が終わるまでのカウンターが、みるみるゼロに近づいていく。

 

「修復剤は、やっぱり効くみたいですね」

 

「あとはこいつの出方しだいか……」

 

 場合によって私も拘束するかもしれない。スネークも神通や那珂に合わせ、警戒心を空気へ溶け込ませていく。そして、入渠のタイマーがゼロを示した。

 

 煙とともにドッグの蓋が空き、北方棲姫が体を上げる。

 本当に子供と同程度の身長しかない彼女は、姫の中でも特に幼いように見える。だが警戒を怠ってはいけない。

 

 北方棲姫は首を左右に動かし、何回かスネークたちの顔を覗き込む。次に腕や首を動かし、傷が残っていないか自分で確認する。そこに敵意や、あるいは悪意のような気配は感じられなかった。

 

「……ココハ?」

 

「ここは大湊より更に北、単冠湾泊地だ」

 

「単冠湾、ソウカ、私はそこまで流れていたのか」

 

 入渠ドッグから出ようする北方棲姫だが、身長が足りていないせいか、長時間ダメージを負っていたせいか、少しよろけてしまう。それを見た瞬間、つい神通が手を差し伸べていた。くれぐれも言うが、彼女は深海凄艦だ。

 

 二人とも少しの間、目線を合わせたまま固まってしまう。

 しかし北方棲姫は神通の手を取り、彼女の助けを素直に受け入れた。北方棲姫はそのまま神通の手を掴みながら、ドッグから飛び降りる。神通の意図を理解したのだ。深海凄艦にはこんな個体もいるのか。

 

「あ、あの……痛いところとかはありませんか? 大丈夫でしたか?」

 

「子供扱いするな、お前より戦歴はよほど長い」

 

 とは言え姫としてもプライドもあるようで、しつこく心配してくる神通を一蹴する。

 

「私を助けたのはお前か」

 

「ああ、よければなぜ漂流してたのか聞いてもいいかな?」

 

「襲われたんだよ、私の縄張りを狙う深海凄艦に。その戦いに負けて、命からがら逃げだしてきた」

 

 そこまでは事前の予想と一致していた、しかし基地クラスの姫級を敗北させるとは、どんな深海凄艦だったのか。

 

「だが連中はその後もしつこく追撃してきてな、結局追い付かれて――やられたと思ったら、ここに漂流していた」

 

「お前は姫だろ? いったい誰にやられたんだ?」

 

 忌々しい過去を思い出しているのか、怒りと恨みに満ちた顔をする北方棲姫。彼女の顔は、自由を侵された時の自分の顔に似ている気がした。だが、似ているのはそこだけではない。怒りを抱く相手さえ同じだったのだ。

 

「あれは、戦艦棲姫だ」

 

「何だと」

 

 戦艦棲姫も艦娘と同じく、まったく同じ個体が複数存在する。偶然かもしれない。しかしスネークはそう思わなかった。直感的に、奴に抱いた怒りが再燃していたからだ。

 

「いや、奴一人なら私でも倒せたんだ」

 

「仲間がいたんですか?」

 

「ああ、姫らしき個体があと二隻いた、その中の片方が問題だった」

 

 姫は戦艦棲姫を含めて三隻、それでも普通なら勝っていたらしい。北方棲姫は姫の中でも特に強力な陸上型だ。格が違う。それで押し負けたのは、一隻の姫が特殊な個体だったからだ。

 

「見たことのない、巨大な深海凄艦がいた。そいつのせいで、防衛ラインをあっさり突破されてしまった」

 

 ――白鯨だ、間違いない。

 あの謎に満ちた新型深海凄艦のことだ。まさか本当に情報を持っているとは。スネークは高笑いしたくなる心を抑えるので必死だった。

 

 しかしその心は、話がいまいち呑み込めていない神通を見た途端、収縮していった。怒りで押し隠している部分が、湧いてきそうになる。だからこいつと一緒にいるのは苦手なのだ。どうしても思い出してしまうのだ、関係ない別個体なのに。

 

「まさか、『白鯨』かい?」

 

「やはり人間も掴んでいたか」

 

「白鯨? まさか、ソロモンの奇跡に出てきたあの新型の深海凄艦?」

 

「そうだ、その白鯨だ。戦艦棲姫はそいつを、私の陣地に放り込みやがったんだ」

 

「仲間のところへ新型兵器を送り込むなんて……」

 

 悲しそうな顔をして、神通が顔を俯かせる。北方棲姫はそんな神通を見て、露骨に機嫌を悪くした。

 

「深海凄艦全員が同盟を結んでいるわけではない、私たちを一つの戦力として括るのはやめてほしいな」

 

 一つの概念で物事を纏めれば、必ずどこかに弊害がでる。かつての植民地時代、大国の都合で引かれた国境が、後々の国土問題、しいては民族紛争に繋がっているのを見れば、明らかなことだ。

 

「事情は分かった、けどどうして戦艦棲姫は、そこまでして君を追い詰める?」

 

 白鯨は戦艦棲姫にとって、極めて重要な兵器だ。名前こそ分かったものの、具体的にどんな兵器なのかは謎に包まれている。それを投入したからには、それなりの理由がなくてはならない。

 

「馬鹿なことを、お前たちだって分かっているだろ?」

 

「……何のことですか?」

 

「そうか、やはり人間は信用ならない」

 

 神通の不思議そうな返答を聞いた途端、友好的だった態度が変わった。北方棲姫は不信感に溢れた眼で、富村を睨み付ける。提督は一瞬だが歯を食い縛り、自分の失策を呪っているようだった。

 

「あの、信用ならないとは?」

 

「簡単なことだ。こいつは――いや、日本政府は、私が抱えている秘密を知っているのに、お前たちには教えていないんだよ。そうだろう提督?」

 

 北方棲姫がそう振ると、富村は帽子を深く被り、目線を隠す。その態度に姫は顔を振りながら、呆れていた。

 

「秘密とはなんだ、それは白鯨を使うほどに価値のあることなのか」

 

「ある、扱いを間違えれば世界が終わりかねないほどにな」

 

「世界が終わる?」

 

 彼女の話を、神通は信じられないようだった。突然世界が終わるなどと言われて、現実感が湧いてこないのだ。しかし北方棲姫は、こんな時に嘘を言う性格ではないだろう。だから話は本当だと、スネークは考えていた。

 

「そう、この戦いに巻き込まれたなら、知らなくてはならない」

 

「教えてくれるのか?」

 

「アレは、その危険性を知らない存在が関わってはいけないのだ、(スピア)は――」

 

 

 

 

 ――(スピア)、そう北方棲姫が呟いた時、突如ドッグを巨大な地鳴りが襲った。彼女との会話は中断され、全員が警戒態勢に入る。

 

「また襲撃!?」

 

「おかしいな、いつもならまだ、少しは間が空くのに」

 

 普通は二日に一回襲撃がある方がおかしいのだが。慣れきってしまったのか、冷静に状況を分析する那珂には悲壮感が漂っていた。それを破るように、提督の持つ通信機から、木曽の怒声がとどろいた。

 

〈提督まずいぞ! 連中いつのまにか、基地の内部に入り込んでやがる!〉

 

「何だと!? どうして接近が分からなかった!?」

 

〈俺が聞きてえよ、とにかく俺は海上の敵で手が回らない、他の奴で基地内部の敵を排除してくれ!〉

 

 と叫びきって、爆音と同時に無線が途切れた。地鳴りの中、異様な静寂が空間を支配してく。沈黙を破ったのは、北方棲姫だった。

 

「私だ」

 

「何?」

 

「奴ら、私を狙ってきたな……」

 

「この襲撃は、お前を標的にしていると?」

 

 スネークが問うと、北方棲姫は申し訳なさそうに頷く。この拠点を巻き込んだことに、罪悪感でも感じているのか。いや、どちらでも構わない。スネークはP90を構え、入渠室の外側へと歩きだす。

 

「シエル? 何をする気ですか?」

 

「決まっている、敵の排除だ」

 

「貴女は人間でしょう!?」

 

「室内戦なら問題ない、私がレ級を始末したのを見た筈だ」

 

 首が折れたのに生きていたが、そこはこの際置いておく。そしてこれ以上の問答は意味を成さない。白鯨、槍、戦艦棲姫。その謎を持つ北方棲姫を、また連れ去られるわけにはいかないのだ。

 

「お前たちは北方棲姫を護っていろ」

 

 神通の悲鳴を背後に、スネークは扉をけ破った。

 

 

 

 

 しかし、入渠ドッグの外は既に『異常』に支配されていた。

 泊地の建物はまだまばらにしか修復されておらず、建物には空気の流れる隙間や穴が多く空いている。だとしても、()()はおかしい。

 

〈G.W、見えているな?〉

 

〈ああ、電波は良好。偵察衛星からでも泊地の様子は観測している〉

 

 今のところG.Wと、メイン艤装は泊地近海の洞窟に隠している。勿論水中だ、そうそう簡単には見つからない。

 

〈君の見ているとおりだ、泊地だけを覆いつくすように、高濃度の霧が発生している〉

 

 どうやら気のせいではないらしい。

 泊地全体を覆う異常な霧は、隙間や穴を通し、建物内部まで広がっていたのだ。視界はほぼゼロ、これも深海凄艦が発生させている現象なのか。

 

〈ソリトン・レーダーでもマッピングは済ませてある、レーダーを頼りに、侵入した敵艦隊を排除するんだ〉

 

 網膜に投射された映像には、泊地内の建造物、内部構造が立体的に映し出されていた。これで敵の位置も分かれば最高なのだが、文句は言えまい。P90のグリップに軽く指をかけ、スネークは入口へと歩きだす。

 

 しかし、このままでは敵は発見できない。霧をわざわざ発生させたくらいだ、敵は何らかの索敵手段を持っている。陸上で動ける艦とただの人間。先手を打たれれば死ぬ。

 

 だからスネークはゆっくりと息を吐き出し、同じく息をゆっくりと吸い込む。場の空気を自分と入れ替えていき、この空間に自分を同化させていく。それはスニーキング・モードに変性するためのプロセスだった。

 

 あれから一ヶ月、スネークはスニーキング・モードを完璧にするための訓練を毎日行っていた。それは艤装がない時、敵と渡り合える数少ない手段だからでもある。しかしそれ以上に燻っていたのは、後悔の思いだった。

 

 アーセナルは、いまだに神通の轟沈を引きづっていた。生活に支障をきたす訳ではないが、取り返しの付かないこととして、忘れずにいた。その原因である未熟なスニーキング技術を完璧にすることは、ある種の償いでもあった。

 

 周囲の環境と一体化したスネークは、空気の異様な揺れに気づく。生物の動いている証拠だ、敵が近くにいる。足音を立てることなく、彼女は柱の影へと隠れた。耳を研ぎ澄ますと、本当に僅かだが足音が聞こえてくる。

 

 全く見えないが、敵はこちらへ近づいている。柱の真横を通りがかった瞬間、スネークはP90を全力で振り下ろした。深海凄艦といえども、生身の部位は脆い。首筋に攻撃を受けた深海凄艦は、スネークを睨み付けながら、白目を剥き倒れた。

 

 倒れたのは、ただの重巡ネ級だった。こいつ一人である筈がない、スネークは再び歩きはじめる。肌にはまだ、突き刺すような気配が数個残っている――だがその探知網をくぐり抜け、スネークの頬に砲塔を突き立てた者がいた。

 

「にゃあ」

 

「……何をしている?」

 

「同じことだにゃあ」

 

 つまり侵入した敵の排除か。ともかく敵でなかったことに、スネークは胸を撫で下ろす。しかしスニーキング・モードでも気づけなかったとは。まだまだ未熟という訳か。スネークの気持ちなど知らず、多摩が砲塔をくるくると回していた。

 

「今始末した奴で、二隻。あと一隻で終わりにゃあ」

 

「そうか、ならお前は木曽と合流して海上の敵を撃て。海の上で戦えるのは艦娘だけだ」

 

「にゃあ」

 

 『にゃあ』?

 謎のアイデンティティを主張した多摩は、また主砲を指先で回しながら、霧の中へと消えた。

 

 気配をスニーキング・モードに戻し、再度歩きはじめる。途中で、多摩にやられたであろう深海凄艦を見つけた。遺体が消えていないのだから、気絶しているだけだ。だが手に持っているものが気になった。

 

〈サーマル・ゴーグルだな〉

 

〈見たところかなり最新のヤツだ、暗視ゴーグルの機能も兼ねている〉

 

〈スナイパーライフルも持っているな、折角だ、貰っておけ〉

 

 兵器の現地調達は特殊部隊の基本だと、遺伝子が訴えている。深海の力に汚染されたライフルは、狙う場所を間違えなければ深海凄艦相手にも有効打を叩き込める。艤装の使い勝手が悪すぎるスネークには、ありがたい武装だ。

 

〈だが、何故ここまでハイテクな兵装を、深海凄艦が持っている?〉

 

 陸上での戦闘経験のある深海凄艦がいるのは、以前の戦いで学んだ。だが多くは深海凄艦の持つ砲戦火力や不死性に頼ったもの。普通の手持ち武器を持つ深海凄艦は、見たことがない。しかも相当な最新技術を注ぎ込んでいる。通常兵器が効かない彼女等には、必要ないはずなのに。

 

〈分からん〉

 

〈だろうな〉

 

〈分かるのは、サーマル・ゴーグルを持っているということは、霧が起きるのを知っていたという事実だけだ〉

 

 立ち込める霧が、途端に生々しい感触に変わる。

 まるで敵の胃袋にいるような気分を押し殺し、スネークは進む。手から伝わるライフルの冷たさだけが、心地よかった。




―― 141.52 ――


〈これが私の無線機の周波数か〉
〈ああ、念のために持っていてくれ〉
〈お前たちを信用してはいない〉
〈構わない、お互いの利益のためだけ、それで今は十分だ〉
〈そうか、私は長いこと深海凄艦としてやってきた。私達について聞きたいことは聞いてくれ〉
〈そうだな、では陸上型深海凄艦とは、普通の個体とどう違う?〉
〈深海凄艦は文字通り『艦』だ、だが陸上型は、一つの基地そのものと言える〉
〈お前の場合は、ダッチハーバーの化身と言われていたな〉
〈そうだ、基地故に資材さえあれば無尽蔵に武器兵器を補充でき、基地全域か――本体である私が死なない限り倒し切ることはできない。火力も無論、戦艦とは比較にならない〉
〈代償に艦ではないから、海に浮かぶことはできないと〉
〈まあダッチハーバーの化身とはいうが、別にあそこだけが私の領土ではない。時間をかけ浸食すれば、どこでも私の基地になる〉
〈……ならこの単冠湾泊地も乗っ取れるのか?〉
〈いや無理だ、深海凄艦の基地とは逆に、鎮守府などは艦娘の力が行き渡っている。もし仮に浸食するなら、基地にいる艦娘をある程度までhらさないと駄目だ。そして今それをやるメリットはない〉
〈下準備がなければ、オセロをひっくり返せはしない訳か〉
〈他にはあれだ、土地の浸食ついでに、人間の通常兵器を侵食することもできるぞ〉
〈……では、あそこの浸食された雷電は……?〉
〈どうかしたか?〉
〈いや何でもない、侵入者の撃滅に戻る〉


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File19 ディープ・スロート

 霧に満ちた屋内を出て、泊地の外に移動する。

 外も霧に包まれていて、碌に見えない。G.Wの言ったとおり、泊地全体が濃霧に包まれているようだ。

 

 しかし見えずとも分かる。異様な空間に身を溶け込ませたスネークは、視界に頼らずに感じていた。いつもの泊地にはない、切り裂くような敵意を。それを探すために、慎重に足を進めていく。

 

 物音一つせず、波しぶきの音だけが耳にとどく。

 海岸線が近いようにも、遠いようにも感じる。霧に融けこんだ感覚(SENSE)も、霧のように曖昧だ。そこにいるのに捉えられない。まるで遺伝子のように。

 

 

 

 

―― File19 ディープ・スロート ――

 

 

 

 

 ソリトン・レーダーの立体映像を頼みに、スネークは歩く。多摩の言ったことが確かなら、侵入した敵艦はあと一隻だ。だがそれなりに広い泊地の中、たった一隻を見つけるのは骨が折れる。

 

 北方棲姫は神通と那珂が直接護衛しているので、万一直接襲われても問題はない。もしかしたらすでに、彼女たちに始末されたのか。いや、それなら無線がくる。過度な期待はやめよう、捜索に全力を尽くさなくては。

 

 敵がいるとしたら、何をするか。戦力の削減だ。なら弾薬庫が狙われるかもしれない。敵の狙いを予測し、彼女は燃料タンクや弾薬の保管された区域に向かう。

 

 神経をさらに研ぎ澄ますスネーク、しかし耳小骨を直接鳴らす無線のCALL音が、集中を妨害した。

 誰だこんな時に――が、無線の周波数は見たことのない数値だった。苛立ちはそれで消しとんだ。何故私の周波数を知っている。

 

〈気をつけろスネーク、そこにはクレイモア地雷が設置されているぞ!〉

 

 スネークの困惑を意図的に無視し、謎の人物が叫んだ。

 男とも女ともつかない、無機質な声だ。機械で調整されているに違いない。ナノマシンを介した無線に近い、加工された声だ。

 

〈近づけば燃料タンクごと誘爆する、この霧のなかで撤去するのは不可能だ。それに敵はそこにはいない〉

 

〈何だと?〉

 

〈敵の狙いは北方棲姫だけではない、急げスネーク、別動隊はもう動きはじめている〉

 

 別動隊だと? 私が交戦した二隻は囮だったのか? ならもう一つの目的とは何だ。しかしこの人物が『嘘』を言っている可能性も捨てがたい。

 

〈お前は何者だ〉

 

〈ただのファンだよ、ディープ・スロートでも何でもいい。それよりも早く、()()に追いつかれたら、逃げられないぞ!〉

 

 ディープ・スロート?

スネークの中で、更に混乱が広がる。その単語が意味することを、スネークは知っていた。それは彼女のルーツに関わる、重要な事件の登場人物だからだ。

 

 2005年3月――アラスカ沖、フォックス諸島に存在するシャドー・モセス島が、テロリストにより占拠。要求を呑まなければ核攻撃を行うと宣言した、『シャドー・モセス事件』。そこに登場したのがディープ・スロートだった。

 

 ディープ・スロートとは元々、アメリカの第三十七第大統領であるリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件で、内部告発をおこなった人物の名前だ。その名を名乗る男は、所属部隊でこう名乗っていた。『グレイ・フォックス』と。

 

 しかし、彼はそのモセスで壮絶な死を遂げている。

 ――しかし、この世界がスネークの知る世界と別なのは確かだ。並行世界のフォックスが、たまたま同じ偽名を名乗っているのかもしれない。

 

 彼は何者なのか、その真意を問いただす前に、無線は切れた。当たり前だが、相手の周波数にかけても、返事はなかった。

 

〈お前、何か心当たりがあるんじゃないか〉

 

 不信感に溢れた顔で、スネークが呟く。

 ビッグ・シェルとアーセナルギアで行われたS3の演習は、他ならぬこのシャドー・モセス事件をモデルにしていた。だからこのフォックスの役割(Roll)を果たすキャラクターも登場している。

 今回もそれと同じく、スネークの知らないところで、ディープ・スロートを創っているのではないか。

 

〈ありえないことを言うな、それはそれで調べておく〉

 

 しかしG.Wの調べておくは、とことん信用ならない。

 

〈君は彼――彼女か? ともかくそいつの言う通りにするのだ〉

 

〈あいつを信用しろと?〉

 

〈可能性の問題だ、本当に燃料タンクにクレイモアがあったのなら。本当に別動隊がいたなら――〉

 

 選択肢は選べないらしい。

 どうにもならない状況に首を傾げながら、スネークは来た道を急いで引き返すことにした。

 

 ちなみに、『愛国者達』が創った時は、『ミスターX』という名前だった。

 ドラマ『Xファイル』で、ディープ・スロートが死んだあとに登場する後釜の名前だ。なら今回現れた密告者は、ミスターXの亡霊なのか。

 

 

 

 

 ディープ・スロートの言うことは真実だったかもしれない、と直感的にスネークは思った。燃料タンクのエリアから離れれば離れるほど、嫌な予感が増していくからだ。敵の気配はないが、心臓の音がやけに大きく感じる。

 

〈ディープ・スロートは、誰かがお前を追っているとも言っていたな〉

 

〈私を? 身分を偽装しているのにか?〉

 

〈だが警戒を怠るな〉

 

 そんなことは百も承知だ。

 内心反論したこと自体、冷静さをなくしている証拠だ。いつまでも見つからない敵と、謎の密告者に、予想以上に心を乱されている。

 

 このままでは不味いな、そう考えたスネークは立ち止まり、息を再度、深く、ゆっくりと吸い込み直す。解けつつあったスニーキング・モードを整え、冷静さを取り戻す。ステルスとは、どこまで待てるかだ。一分でも百年でも、焦ったら死ぬのだ。

 

 それが、スネークの命を救った。

 息を吸い、吐き直すまでの一瞬、間が空く。その時は、体内の音も消え去る。完全なる無音が体を覆った。

 

 だからこそ響く、たった一歩の足音が。

 

「そこか!」

 

 足音は、本当に背中合わせの所にあった。

 P90では間に合わない、憲兵の装備品として持っていた警棒を、力の限り背後へ回す。警棒はあっさり受け止められたが、その隙に距離を取れた。

 

 敵の姿は濃霧のせいで分からないが、主砲と魚雷発射管を両手に装備しているようだ、駆逐艦か、軽巡クラスの深海凄艦か。

 

 十分な距離を確保し、影に向けてP90を斉射する。深海凄艦相手に有効打は難しいが、牽制にはなる。敵は弾幕をさけるため、射線から移動した。それと同時に、手に装備した主砲が火をふく。

 

 スネークはそれを、高周波ブレードで切り裂いた。ただの人間が持っていても不自然ではない武器として、こっそり持ち込んでいた。これなら有効打を与えられる。砲弾を切られたことに相手が驚いている内に、極限まで踏み込む。

 

「死ぬがいい!」

 

「…………」

 

 心なしか、敵が一瞬笑った気がした。

 敵もまた踏み込み、スネークの真横に回り込む。一撃で切り裂くはずだったブレードの軌跡は、ただ霞を振り抜くだけに終わる。再び主砲の砲身が火を噴き、スネークを撃ち抜こうと迫る。

 

 間一髪もう一振りのブレードを取り出し、その砲弾も切り裂く。それでスネークが動きを止めた間に、深海凄艦はまた距離をとった。

 

ある程度の距離を保ちながら、主砲を淡々と撃ちこんでくる。しかしある程度といっても、砲撃が発射されてから当たるまでは、コンマ数秒もかからない。回避する暇などない、あらかじめ当たらないように動くか、ブレードで防ぐかの二つしかない。

 

 しかもその距離とは、ギリギリ高周波ブレードが届かない距離だ。だからスネークは致命打にならない、P90で攻撃するしかない。他の有効打はCQCがあるが、あれも至近距離でしか使えない。

 

〈スネーク、どうやら敵は君が近接戦しかできないことを把握しているようだ〉

 

〈そうらしい、私を追っている奴がいるのは、本当のようだ〉

 

 こんな場所でミサイルの後方支援など、言語道断だ。というかたった一隻に対し、貴重なミサイルは使いたくない。

 

 しかし――場合によっては、そんな余裕もなくなるかもしれない。致命打をさける相手と、たった一発で致命傷を負うスネークとでは、かかる重圧も比較にならない。その緊張感はある意味心地よくはあったが、キツイものはキツイのだ。

 

 今こうしている間にも、別動隊が動いているかもしれない。早く勝負をつけたいが、焦れば死ぬのは私の方だ。握りしめたP90に、汗が滲んでいく。

 

「シエルさん、伏せて!」

 

「神通か!?」

 

 しかし、戦場に轟いた声が、空気を一片させた。それは神通の声だった。

 彼女の声に従い、スネークは体を倒す。次の瞬間、軽巡洋艦クラスの砲撃が、次々と付近に降り注いだ。

 

 泊地のコンクリートが砕け、巻き上げられ、礫となってまた降り注ぐ。小さな痛みが体のあちこちで起きる。敵も不意をつかれたのか、慌てて距離をとる。しかし背後にもう、別の影が回りこんでいた。

 

「那珂ちゃんでーす! よろしくー!」

 

 と、何故か声を張り上げる那珂。あれがアイドルとかいうものらしいが、その概念を戦場へ持ち込む意図は全く分からない。

 それが『那珂』という艦娘なのだと、一人納得させた。恐らく私が自由に固執するのと、同じような理由だろう。

 

 しかし、彼女の攻撃は確かな闘志に満ちていた。

 マイクのように掲げられた雷撃が、僅かな迷いもなく振り下ろされる。本人も巻き添えになる、滅茶苦茶な攻撃だと思った。

 

 そう思った途端、彼女は軽やかに、一瞬で距離を離した。何という機動力だろうか、魚雷はそのまま、深海凄艦だけを巻き込み爆発する。霧と爆炎が混じり、奇妙な文様が空中に浮かび上がった。

 

「シエルちゃん、大丈夫だった?」

 

「ああ、だが北方棲姫の護衛はどうした?」

 

「新しい増援が来てくださったので、私たちも侵入者の迎撃に来たんです」

 

 こんな時に増援か、だったら最初から戦力を増やしておけよ、とスネークは内心文句を垂れた。

 

「しかし多摩が言うには、こいつで侵入者は最後だ」

 

「私たちの出番はないということですか」

 

「でも変なの、この霧、中々晴れないね」

 

 そうだ、また敵は全滅していない。別動隊が残っているはずだ。こうしてはいられない、スネークは再度、敵を探すために動きだそうとする。

 

「ドコヘイクノ……」

 

 その声に脚を止めたのは正解だった。

 スネークの鼻先を、砲弾が掠めた。壊れかけた機械のように首を動かす、その先には、さきほど倒した筈の深海凄艦が立っていた。

 

「そんな、アレを躱したの!?」

 

「……ナレテイルモノ」

 

 驚愕する那珂に向けて、敵の砲撃が降り注ぐ。よほど想定外だったのか回避行動をとる暇もなく、砲撃が直撃した。

 

「那珂ちゃん!?」

 

「ソウダワ……彼女ニモキテモライマショウ……」

 

 その影は、信じがたい行動に出た。

 砲撃で吹き飛んだ那珂を抱えて、一目散に逃げだしたのだ。一瞬あっけにとられた神通は、叫びながら影を追い駆ける。

 

「待ちなさい!」

 

「彼女モ……私達ニ……フフフ……」

 

聞き捨てならない言葉が、スネークを走らせた。

なにより、『神通』を一人で放ってはおけなかった。スネークも後を追い、走り出す。霧が、徐々に晴れ始めていた。

 

 

 

 

 霧の中、神通は走り続けていた。

 敵と神通の速度はだいたい同じだが、確実に引き離されている。その原因は、戦場に慣れているかどうかだ。新兵の緊張が、動きに影響している。

 

 ついに、那珂を抱えた影が、海面に降り立った。

 このままでは間もなく、那珂は攫われてしまうだろう。そうなる前に、対処する必要がある。

 

囮である奴が逃げたということは、囮の必要がなくなったから。別動隊はもう役割を終えたのだ、成功にしろ失敗にしろ。やるべきことは一本に縛られた。

 

 泊地の屋根に上ったスネークは暗視ゴーグルを装備し、スナイパー・ライフルを構える。腰を下ろし狙撃の姿勢を整えて、スコープを覗き込んだ。夜間でも敵の姿がよく見える、運よく霧も晴れ始めていた。

 

 だが、沿岸部だからだろう、風が強く吹いている。この距離でも、本来の照準からかなりずれ込むはずだ。試射をおこない、照準合わせをしなければ――正直猶予がない、狙撃されていることに気づけば、敵は一目散に逃げ出すだろう。

 

 距離が離れた分、またズレも大きくなる。一発目でズレを修正し、瞬時に確実な二発目を撃たなければならない。

 

〈狙撃において手の震えを抑えるには、集中し、息を止めることだ。僅かな震えでも着弾点では数十センチのズレを生む。特に今回は、那珂を捉える敵の急所を狙わなくてはならない。那珂を拘束する手を狙え。何センチ修正すればいいかは、私が分析する〉

 

 変な時に気を回してくれたG.W、感謝はしなかった。どうせあの謎の敵に興味があるとか、そんなところだ。しかし機械的な指示は、確かに的確だ。スネークは言われたとおりに息を吐き切り、スコープの中に意識を向ける。

 

 那珂を捕縛した敵は、まだ航行を続けている。待ち続けるのが狙撃だが、今待ってたら取り逃がす。そもそも私はスナイパーではないのだから、待つ必要などない。G.Wの分析を信じ、スネークはトリガーを引き絞る。

 

 乾いた音とともに発射されたライフル弾は、敵の髪の毛を突き抜けていった。暗視ゴーグルで見る限りは、そうだった。

 

〈網膜に写ったソリトン・レーダーの映像で、ゴーグルの照準を修正した。直した照準の中央に合わせろ〉

 

 敵が驚いているあいだに、ライフルは右手を捉えていた。間をおかずに発射された弾丸は、そいつの手に風穴を空け、血しぶきを上げさせた。激痛に耐え切れず、抱えていた那珂が海面に落ちる。

 

〈命中だ〉

 

 何が起きたか理解できていないが、チャンスだと分かった神通が那珂を回収する。彼女を取り返そうとする深海凄艦に向けて、ライフルを連射した。照準を合わせる必要はない、牽制で十分だ。

 

 しかしここまで撃ちまくれば、狙撃している場所も気づかれる。スネークが屋根から飛び降りるのと、深海凄艦の砲撃が吹き飛ばすのは、ほとんど同時だった。空中でライフルを背中に収めたスネークは、地面を転がり衝撃を逃がす。その勢いのまま、海岸線に向かって走る。

 

「シエルさん! 今の狙撃は!?」

 

「私だ、那珂は無事か」

 

「おかげさまで、でも、まだあいつがいます」

 

 ここで海に立ったら艦娘だとバレるので、埠頭の上から深海凄艦を見つめる。神通に抱えられて眠る那珂を、敵は見つめている。霧のせいで表情は伺えないが、この霧はもうすぐ晴れる。

 

「……諦メルシカ、ナサソウネ」

 

「誰が貴女なんかに、妹を渡すものですか」

 

 那珂の首筋には、攻撃の後が痛ましく残っている。入渠すれば治る傷だが、神通にとってはそういう問題ではない。しかし深海凄艦は、神通など目に入っていないかのようだ。口に手を当てて、こちらを嘲笑っている。

 

「何がおかしい?」

 

「……今ノ狙撃、気配ガ全然シナカッタワ」

 

「それはどうも」

 

()()()ヨリ、ズット……隠レルノガ上手ニナッテイルワネ」

 

「何だと?」

 

「人ヲ見捨テテマデ生キ延ビタ甲斐ハアッタミタイネ、()()()()()

 

 

 

 見捨てただと――瞬間、ひときわ強い風が吹き、霧が晴れた。

 

「な……!?」

 

 海面に立っていた深海凄艦は、完全な人型をとっていた。姫クラスの、特に強力な個体。北方棲姫が言っていた姫の一隻。そいつは黒い仮面(VEIL)を被り、夜の海に黒い長髪をなびかせている。片手はまるまる魚雷発射管と一体化し、異形の様相を見せていた。

 

「嘘……!?」

 

 だが、その姿は、確かに彼女の面影を残していたのだ。

 

「久シ振リ……今ハ『シェル・スネーク』ト名乗ッテイタワネ。ソシテ始メマシテ……私ノ後任ノ、『神通』」

 

 スネークの脳裏に、記憶が蘇る。

 青葉の艤装を守ろうとして、いやその行動をG.Wに利用されて沈んでしまった彼女が、まさか、今のアレなのか?

 

「あなたは、いったい」

 

「私ハ『軽巡棲姫』、ソシテ――ソロモン諸島ノ戦デ沈ンダ、貴女(神通)ノ前任ヨ」

 

 スネークにとっても、神通にとっても、それは間違いなく『悪夢』だった。危うく呆然となりかけた意識を立て直し、スネークはP90と高周波ブレードを構える。それに合わせ、神通も主砲を構えた。

 

「お前は、私の知る神通でいいんだな?」

 

「エエ、ソウヨ……私モコウナッテ始メテ知ッタワ、沈ンダ艦娘ガ、深海凄艦ニ変異スルッテ」

 

 なら、逆のパターンもあり得るのか。

 だとすれば艦娘と深海凄艦は、ある意味で仲間殺しを続けていることになる。提督などの上層部は、このことを知っているのだろうか。

 

「神通―! どこですかー!」

 

 スネークの耳元に、聞き覚えのある声が届く。神通とセットで聞いていた彼女の声だ。声の主――青葉がまもなくして、スネークの真横に現れた。無論知っているので、スネークを見てぎょっとしていた。

 

 だが、海上に立ち塞がる深海凄艦を見て、驚きは更なる驚きに塗り潰された。

 

「え、な、なんですかあの深海凄艦は」

 

「……懐カシイ人達、デモ、引キ際ネ……彼等ノ目的ハ達成デキタミタイダシ……」

 

「待て、逃げる気か!」

 

「マタ会エルワ……貴女達ト私達ノ狙イハ……同ジ(スピア)ナンダカラ……」

 

 激しい照明が、スネークたちの眼を潰した。視界が戻る頃には、軽巡棲姫は姿を消していた。しかしそれは余りにも大きな影を落としていったのだ。

 

「……嘘ですよね?」

 

 青葉の声に、鼻音が混じっていた。もしかしたら、スネークも。




―― 140.15 ――


〈……アーセナルギア本人だったんですね〉
〈騙していて悪かったな〉
〈いいです、正直それどころではないので〉
〈そうだな、他の連中は無事だったか?〉
〈ええ恐らくは、とりあえず北方棲姫と富村提督の無事は確認できました〉
〈他の奴等は、余り多くはないが人間のスタッフもいただろ〉
〈避難用シェルターがありましたので、そちらに隠れていたそうです。確か明石さんも同じです〉
〈そうか、直接無事を確認できればそれに越したことはないが……そうも言っていられないか〉
〈アーセナルも提督に呼ばれているのですか〉
〈そりゃそうだろ、身分訴訟に違法入国、何なら銃刀法違反もついてくる〉
〈どうするんですか〉
〈なに、いざとなれば周辺海域を火の海にして逃げるだけだ〉
〈…………〉
〈冗談だぞ?〉
〈……そうなった場合、北方海域の海の幸も燃えますね〉
〈よし行こうか、この私に逃亡の選択肢はない〉
〈……異常に食い意地がはっている、ガセネタではなかったんですか……〉
〈そのゴシップ記事書いたのあの青葉だからな、ところで北の幸はどこで食える? それにカレーも喰いたい、ぐずぐずに溶けた英国野郎のじゃあない、具がゴロゴロの日本式のカレーだ。北海道はポテトの産地としても有名だったな……フフフフフ〉
〈……これが……アーセナル……〉


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File20 D事案

 深く、重く立ち込めていた霧が晴れていく。瓦礫とブルーシートに覆われた泊地が、朝日に照らされていく。無数の瓦礫の小さな影が、長く長く伸びていた。影はどれも、朝日の反対へ伸びている。

 

 神通の影も、同じように反対へ伸びていた。真横からの光は、彼女の影を果てしなく長く引き延ばす。人影というよりも、一本の黒い直線だ。影が、不意に揺らめいた。もう一人の自分のように、揺れ動いた。

 

 思わず目をこする、改めて見直しても、影はもう動いていない。

 何本もそびえる影の塔、瓦礫と神通の影は、どれも同じように直線だ。同じ影、同じ艦、同じ神通。

 無数の自分を、彼女は幻視した。

 

 

 

 

―― File20 D事案 ――

 

 

 

 

 軽巡棲姫の襲撃から少したち、夜が明けた。いまだ混乱の収まらない泊地の一角に、神通たちは集まっていた。話し合いのためだ、しかしたかが話し合いで、この混沌とした状況をなんとかできるとは思えない。

 

「つまり君は、あのアーセナルギアでいいんだね?」

 

「そこの青葉に聞けばいいだろう」

 

 彼女が身分を偽り単冠湾泊地に潜入していたのは、北方海域の情報が集まるからだ。戦艦棲姫と白鯨は、この北方海域に逃げ込んでいたらしい。実際に白鯨はいたと、北方棲姫が証言している。戦艦棲姫も同じだ。彼女の目的は、もう達成されている。

 

「それで、君はどうするつもりだ?」

 

 白鯨と戦艦棲姫の実在を掴んだ今、彼女が泊地に留まる理由はない。このまま独自行動に戻っても、なんら問題はない筈だ。

 

「そっちがいいなら、もうしばらく居座らせてもらう」

 

「あれ、意外ですね、てっきり自由になるとか言い出すかと」

 

「今の状況で単独になるのは、かえって危険だ」

 

 二人の会話からも、お互いが顔見知りであると伺える。やはりアーセナルギアも、レイテの英雄も本当の話だった。しかし今の神通には、喜べる余裕がなかった。

 

「軽巡棲姫のことも気になるしな」

 

 その名前を出した途端、二人の顔が歪んだ。

 

「やたら戦闘経験豊富な姫だと思ったが、D事案で産まれた深海凄艦だったか」

 

「D事案?」

 

「轟沈した艦娘は、稀に深海凄艦に変異する。逆の場合もある、大本営はこれをD(ドロップ)事案と呼称している」

 

 記憶がどれだけ残るのか、沈んだ時のダメージが完治するかはその時によって異なる。いずれの場合も共通しているのは、生前の人格を残していながら、価値観が逆転と言っていいほど変貌する点だ。

 

「建造以外で艦娘が現れる唯一の方法だと言われている」

 

「ドロップ……落とし物、か」

 

「噂には聞いてましたが、本当だったなんて」

 

「懐かしい反応だ、私も始めて見た時はそうだった」

 

 いくら遺伝子的には近いといっても、艦娘と深海凄艦は別の存在、そう誰もが思うだろう。だがD事案は、艦娘と深海凄艦が本質的には同じ存在という証明に他ならない。その事実に神通はショックを隠せなかった。

 

「お前からすれば、味方が増えたんじゃないのか?」

 

「いや、私が視たのは、『逆』の方だった。悍ましかったよ、あれはまだ、私のトラウマだ」

 

「逆、ということは――」

 

「そいつは、私の大切な仲間だった。イロハ級だからろくな自我もないが、長いこと連れ添ってきた。だがある日、そいつが沈んだ。仕方のないことだと思った、仲間同士で争うこともある、深海凄艦ならな」

 

 仲間でも争う、この辺りも、艦娘とは真逆の存在だ。

 この時はまだ、そう()()()()()。仲間同士で強く結びついた存在が艦娘だと、傲慢にも近い感覚で。

 

「沈んで、泣いている内に、そいつが蘇った、艦娘になってな。信じられるか? 艦娘になった途端、こっちに主砲を向けてきたんだぞ?」

 

「艦娘からしても、同じことが起きますよね」

 

「沈んだだけで、敵味方の区別があっさり逆転する。いったい私たちはナンナンダ?」

 

 信じてきた『仲間』とは、恐ろしく脆い結びつきなのかもしれない。

 それが簡単に起きてしまうことが、恐ろしかった。神通は考えてしまう、沈んだ後の自分を。憧れが嫉妬に代わり、全てを壊すことしか考えられない怪物に――そうなった自分がいる。

 

「軽巡棲姫は、本当に……その……(神通)なんですか?」

 

「間違いない」

 

 アーセナルが即座に断言した、してしまった。感情を誤魔化す暇さえなく、現実を突きつけてきた。

 

「でも、ソロモン諸島の救世主に、神通なんていませんでした」

 

「大本営が抹消したからですよ、『英雄談に死人が出るのは、評判が悪い』から、青葉たちだけで、ソロモン諸島を奪還したような内容に改変したんです」

 

「死人、じゃああの姫は」

 

「青葉のせいで沈んだ、貴女の前任で間違いありません」

 

 あまりにも苦しそうな顔に、言葉がでなかった。

 そして、そんな理由で死者を抹消する大本営が、気味の悪い怪物に見えた。そんな改変された英雄談に憧れていた自分に、吐き気がした。艦娘と深海凄艦が同じで、軽巡棲姫は同じ神通で――あらゆる思いがごちゃ混ぜになり、訳が分からない。

 

「一応聞くが、富村、お前はどこまで知っていた?」

 

「D事案は知っていたけど、ソロモン諸島の戦いで死人が出ていたことは知らなかった」

 

 提督を責めることはできない。

 もし、深海凄艦が元々艦娘だと知られれば、想像を絶する混乱が起きるだろう。今までやってきたことが、仲間殺しだったのかもしれない。そう自覚するだけで、動けなくなる艦娘は相当数に昇る。大本営が隠すのも、無理はない。今の私が良い例だ。

 

 しかしまだ神通は自覚していなかった、その奥底に、黒く煮えたぎる感情が、生まれつつあることを。

 

 

 

 

 アーセナルと北方棲姫、富村提督は、色々込み入った話をするらしい。北方棲姫の処遇や、(スピア)の正体についてだろう。神通がそれらを知るかどうかも、その話し合いで決まる。

 

 所詮はただの一兵士だ、与えられる情報は制限される。一般の艦娘に、D事案が教えられなかったように。考えても無駄だ、だから今は、待つことにしよう。

 

 その間神通は、気絶したままの那珂に寄り添っていた。入渠が必要なほどダメージは負っていないが、まだ目覚めないとなると、心配になる。いつ目覚めてもいいように、傍にいてあげるのだ。それに、聞きたいこともある。

 

「中々起きないな」

 

「はい……大丈夫でしょうか、明石さんに見せたほうが」

 

「止めておけ、気持ちは分かるが、あいつも忙しい」

 

 傷まみれの木曽は、遠いところを眺めていた。彼女こそ入渠が必要に見えるのだが、とうの本人が全く気にしていない。明石は泊地の修理に注力すべきだと、木曽は言っていた。それは他人を優先する優しさではなく、単に効率を考えた機械的な判断だった。

 

 彼女の傷跡につけていた濡れぞうきんを、木曽は素早く洗い直す。血を抜き、湿気を持たせ、また被せる。冷たさに反応したのか、那珂が小さな呻き声を上げた。

 

 意識を取り戻したのかと期待したが、彼女の体を何回か叩き、反応を確認した木曽は、それを否定した。一連の流れも、機械のように正確だ。介抱の仕方さえたどたどしい自分と、比較するものではないが。

 

「木曽さんは、味方を撃てますか?」

 

 機械なら、迷わないのだろうか。神通の口は、勝手に動いていた。

 

「何?」

 

「あ、いえ、ごめんなさい、すみません……」

 

 何てことを聞いているのだ自分は、動揺しすぎだ、たかが自分と同一個体が深海凄艦になっただけじゃないか、同じ個体など艦娘なら幾らでもいるだろう、何を馬鹿な考えを、それに――

 

「……戸惑うだろうな」

 

 しかし、木曽は遠い場所を見ながらも、神通の問いに答えた。

 

「いや、実際に、俺は迷ってしまった」

 

「実際、に? じゃあ木曽さんも、見たことがあるんですか」

 

 木曽も見たことがあるのだ、D事案が起きた、その瞬間を。

 

「タンカーを襲ってきた深海凄艦が、艦娘に変化したんだ。じゃあ随伴の深海凄艦もそうなのか、その隙に見逃した一発が、タンカーに直撃した」

 

「ドロップした艦娘は?」

 

「そのごたごたで、な。俺はその責任と、D事案の隠蔽のために、まともな前線には出れなくなった」

 

 沈黙が苦しい、たまに吹く冷たい風だけが、心地よい。身震いするくらいが、丁度いい。この思い空気も、飛ばしてくれればいいのに。

 

「絶対に止まらないと決めたはずだったんだがな、マニラみたいな思いは、絶対に嫌だから」

 

 それでも尚戦いを止めない木曽が正しいのか分からない、少なくともD事案に打ちのめされ、そればかりを考えている状況よりは遥かにマシではないか。情けない姿から目を逸らそうと那珂を見た時、彼女の声が聞こえた。

 

「……神通……ちゃん?」

 

「那珂!? 大丈夫ですか!?」

 

「大丈夫だよ……ところで顔は怪我してないよね?」

 

 そんなことを言えるくらいなら大丈夫だ、いや、女性にとって顔が命なのは分かるが。

 ともかく無事でなによりだ、まだ動き辛そうなので、体を支える。少しだけ顔を歪ませて、体を起こした。

 

「ねえ、神通、ちょっと聞きたいんだけど……」

 

「何ですか?」

 

「私を攫ったのって、神通?」

 

 神通の顔が、強張った。

 何でも、ぼんやりとだが意識があったらしく、おぼろ気に見ていたらしい。ぼやけた軽巡棲姫の顔が、神通に見えたのだ。それが気のせいであれば、どれだけ救われたのか。

 

「まあ、見間違いだと思うけど。神通から見て、アレは何だった?」

 

「軽巡棲姫は、自分が……元々『神通』だったと」

 

「そっか、そっかぁ……気のせいじゃなかったんだぁ……」

 

 起こした上半身が、力なく横に倒れる。

 両手を顔に当てて、隙間から空を仰ぎ見ていた。瞳から零れそうな滴を、零さないように必死だった。

 

「昔、私たちは、一緒のタイミングで建造されたの」

 

 姉妹艦でも建造された時期により、実際の年齢は異なる。奇妙な姉妹関係になることもある。しかし那珂たち――この場合は、先代の――は、本当の姉妹として、生まれなおしたのだ。

 

「でも、最初に川内が沈んで、私と神通ちゃんだけになっちゃった」

 

「今大湊にいる姉さんも、二代目なんですか」

 

「私と同じ時に生まれた神通は、ソロモン諸島の戦いで沈んじゃった。本当の姉妹は、みんないなくなっちゃった」

 

「大本営が発表したやつですよね」

 

「だから、神通ちゃんが配属されてくるってきいて、凄い嬉しかった。なのに……」

 

 鼻をすする音が、小さく聞こえていた。それに気づかないふりをして、神通も空を眺めていた。誰も、一言も言わなかった。言えるわけがなかった。

 

きっと、気持ちを整理するだけでも、相当な時間が必要だった。やっと癒えてきた頃に、私がやってきたのだ。なのに、そのタイミングで、先代まで帰ってきてしまった。最悪の形で。

 

 木曽といい、スネークといい、青葉といい、那珂といい。

 D事案がもたらすのは、こんなものばかりなのか。これが私たちの戦いの真実なのか。国や人々を護るために、姉妹を殺す――それが、私たちの正体なのか。

 

 

*

 

 

 那珂が目覚めたあと、提督からの放送が流れた。所属艦娘は、全員執務室に集まるようにと、指示が入る。話し合いの結果、どこまで情報を開示するか決まったようだ。

 D事案については、もう時間をかけて割り切るしかない。しかしこの話を知ったあとだと、(スピア)の正体も多分、ろくなものとは思えなかった。

 

 執務室に神通がついた頃には、一人を除いて全員集まっていた。明石だけが見当たらない、泊地の修理に集中していて、放送が聞こえなかったのだろうか。

 

「明石は?」

 

「さあ、まさか聞いてなかったとか?」

 

「多摩が探しに行くにゃあ、お話はさきにやっててにゃ」

 

 多摩が小走りで探しにいく。残った人たちを、中央にいる北方棲姫がぐるりと見渡した。一人一人を、強く睨み付けているようだった。いや、何かを判別しているような、そんな眼だった。

 

「まず、ハッキリと言っておく。これは、妥協だ」

 

「妥協?」

 

「本当のところは、誰にも話したくなかった。協力だって御免だった。誰一人とて、関わらせたくはない」

 

 すでに話を通してあるのか、アーセナルと富村提督は、複雑そうな顔を俯かせている。北方棲姫は、この『秘密』を話しても良いかどうかを、判別していたのだ。それでもなお迷うほどの秘密といったい。

 

「だが、(スピア)が深海凄艦、特に過激派の戦艦棲姫に渡れば、世界が終わりかねない」

 

「だからこいつは、我々と手を組むことを決めた」

 

「そう、なら人間が確保した方が、比較的、まだ、マシだからな」

 

 とても強調した言い回しに、よっぽど嫌なのだと伝わる。逆に言えば、その気持ちを呑み込んでも、奪われてはならない物なのだ。

 

「だが前も言ったが、この案件に(スピア)の正体を知らないまま、関わらせたくはない」

 

「お題目は分かった、だがもう決めたんだろ、早く言ってくれ」

 

 木曽が急かす気持ちも、少しは分かる。単語だけ知ってから、かなり引き延ばされているのだ、内容が何であれ、気になって仕方がない。

 しかし、それは、

 

「……(スピア)は、コードネームだ」

 

 紛れもなく、神通の予想を上回っていた。

 

 

 

「――新型『核弾頭』のな」

 

 

 

 場が、一瞬で凍り付いた。

 核、だと。

 

「いや、待ってくれ」

 

「なんだ、確か、木曽だったか」

 

「核はそんなにヤバイ代物だったか? 冷戦真っただ中の頃はともかく、俺たち(艦娘)や深海凄艦が出てからは、ただ維持が面倒な兵器になり下がったって聞いたぞ」

 

 どういうメカニズムか分からないが、艦娘や深海凄艦には、核が効かない。通常兵器が通用しないことと同じ仕掛けがあるらしいが、それはまだ解明途中だ。

 だから価値がゼロになる――なんてことはさすがにないが、それでも冷戦期より、核の脅威はかなり低下している。

 

「確かにただの核なら、私もここまで戦慄しなかった」

 

「なら、なぜ」

 

「『新型』と言っただろ、こいつは今までの核とは違うんだ、この艦娘と深海凄艦の時代に適応した、最悪の兵器」

 

()()()()()()にも通じる、でちか?」

 

 沈黙こそ答えだった。

 核が効かない大前提を根本から引っ繰り返す。まさに世界の構図そのものを書き換えてしまう、最悪の兵器だ。

 

「私が陣地としてアリューシャン列島を支配した時、付近の島々を見て回った。その中のある島に、地下研究施設があった。もっとも誰もいなかったが」

 

「そこが核の研究所だったのか、何処の国だ?」

 

「分からなかった、いや、分かりようがなかった」

 

 研究所は、手掛かりで溢れていた。

 アメリカ製のコンピューターかと思えば、ソ連製のサーバーが置いてある。日本のマウスやキーパッドに音響。ヨーロッパ各方面の調度品。

 

「どの国の証拠もある、故にどの国か特定できないのか」

 

 意味のない証拠の羅列からは、どんな意味も見い出せる。しかしそこに価値はない。完全に痕跡を消せないからこそ、あえて痕跡塗れにしたのだ。そこまでして隠したがる理由は、流石に察しがつく。

 

「取り返そうとする国はなかったのか」

 

「そもそも存在が知られていない核だ、そんなものを奪おうとしたら、自分たちが開発元だと自白することになる」

 

 なにせ、核である。

 深海大戦初期――まだ艦娘がいなかった頃だ――には、有効打がなく追い詰められるあまり、核の使用に踏み切る国も多くあった。アメリカはその代表だった。

 

 結果は、散々なものだった。

 効果はあったが、それより味方への被害が大きかった。運用によるコストも馬鹿にならない。その影響は今も引きずっていて、思うように艦娘を建造できない原因になっている。当然評判は悪い、そんな核をまた作っているのだ、知られたくはないだろう。

 

 しかしそこで、どこからか嗅ぎつけた戦艦棲姫と、軽巡棲姫が現れたのだ。核の引き渡しを拒否した北方棲姫は、彼女たちにテリトリーを奪われ、ここに流れ着くことになる。

 

「だがアリューシャン列島のどの島に隠されているかは、私しか知らない」

 

「北方棲姫を狙っているのは、そういう訳ですか」

 

 隠蔽を徹底しているせい、また開発元だと知られたくないから、誰もその場所を言わない。知っていても、黙っている。

 

「もっとも、日本政府は最初から、ある程度知っていたみたいだが」

 

 と、北方棲姫が富村提督を睨み付けた。

 

「どういうことですか」

 

「つまり、この単冠湾泊地は最初から、核弾頭奪取のために編成されていたんだ」

 

 沈黙する提督の代わりに、アーセナルが答えた。

 

「少し前に、日本も新型核の存在に気づいた。万一その有用性が認められれば、艦娘大国の立場が揺らぐ。かと言って深海凄艦に渡るのはもっと不味い。なら仕方がない、自分たちで確保しよう――そういう言い分だ」

 

「非核三原則はどうしたんですか」

 

「存在しない核を持ちこむもなにもないだろ」

 

 まったく説明になっていない。説明する気がそもそもないのだから、そういう理屈が通ってしまう。

 

「だが必死になりすぎて、ブラック鎮守府化してしまった。だがそれでも核捜索を打ち止めにはできない」

 

「それが、私たちが配属された、本当の理由?」

 

「世間の眼を誤魔化しつつ、核を探し続ける為のな」

 

 どうして説明されなかったのか、その疑問は、聞くまでもなかった。D事案と同じだ、核を探して奪ってこいと言われて、喜ぶわけがない。確かに深海凄艦に渡すわけにもいかないだろう、だがもっと別の選択肢がなかったのか。そう思わずにはいられなかった。

 

「核を深海凄艦の手に渡すのは最悪の事態を意味する、それは事実なんだ、日本のために、頼む」

 

 提督の正論は全く心に届かない、不信感だけが溢れてくる。それでも戦わないといけない状況と、軽巡棲姫をどうにかしたい気持ちが混ざって、何も言えなくなる。

 

 しかし、直後入った一本の無線が、神通を戦いへ駆り立てることになる。

 

 それは、明石が攫われたと言う、瀕死の川路からの無線だった。




―― 140.12 ――


〈青葉、この世界の核開発の歴史はどうなっているんだ?〉
〈核の歴史ですか……むしろスネークの方はどうなってたんですか〉
〈冷戦までは基本的なスタイルだ、リトルボーイのような時限型からミサイルによる長射程に移り変わり、最終的に東と西でICBMを突きつけ合っていた〉
〈なるほど、となると青葉の世界でも、同じような形()()()
〈過去形か〉
〈過去です、深海凄艦の登場直後は、どんな兵器も効かないことから核の使用に踏み切る国もありました。アメリカはその代表ですが、結果は散々なものでした〉
〈まあ、それが我々最大のアドバンテージだからな〉
〈結果使いものにならず、かといって維持費だけは掛かる。ついでに奪われたら一巻の終わり。誰がどうこう言うまでもなく、ミサイルの保有数は減っていきました〉
〈深海凄艦のおかげでか、皮肉でしかない〉
〈あ、でも全くなくしている訳では無いんですよ。こんな状況下でもミサイル攻撃を懸念しているお偉方は多くてですね、最低限の数だけ残しているそうです〉
〈まあそうだろうな、むしろ何の迷いもなく捨てる方が遥かに恐ろしい〉
〈……ええ、そうなっているんですよね、少し〉
〈どういうことだ〉
〈放射性物質の排気は困難です、なのに急ピッチで廃棄したせいでしょうね、ソ連米国どちらにも毎年、数キロの核物質不明量(MUF)が発生してます〉
〈どこかに核物質が流れているということか〉
〈あってはならないことです、政府や大本営は、日本国内に入ってないから問題ないと言ってますが、ふざけるなって話です〉
〈随分厳しいな、当り前のことだが〉
〈……青葉、大嫌いなんですよ、核が〉
〈……そうか、済まなかったな、嫌なことを聞いてしまって〉


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File21 キスカ

 医務室に運ばれていく川路は、重症だった。

 片目はつぶされ、頭部が変形しているようにも見える。口からの出血は止まない、折れた骨が内蔵に突き刺さっているのだ。

 

 なによりも、全身にどす黒い痣をいくつも作っていた。普通の力で殴られたダメージではない。深海凄艦に殴られたあとだ。一生消えない傷跡が、顔から足の先端まで残っている。殺されなかったのは奇跡だろう。

 

 しかし、とどめを刺されなかったのは、時間が惜しかったからに過ぎない。

 明石を攫う方が、深海凄艦にとって大事だったからだ。それほどまでに戦略的価値があるのが、明石という艦なのだから。

 

 

 

 

―― File21 キスカ ――

 

 

 

 

 瀕死ではあるが、なんとか意識を保っている川路から、事情を聞き取ることができた。

 軽巡棲姫の襲撃時、明石は川路とともに、避難用シェルターに逃げ込んでいた。

 当然外からは誰も入れない場所だ。しかし敵は、誰にも気づかれることなく侵入し、一瞬で明石を攫ったのだという。

 

 偶然、その瞬間を目撃してしまった川路も、口封じのために纏めて攫われてしまったのだ。彼の体にある無数の傷は、その時明石を取り戻そうと、抗った結果らしい。そこまで話したところで、川路は力尽き気絶してしまった。

 

「一緒に逃げ込んでいた作業員に聞いてみたが、物音一つしなかったと証言している」

 

「人が二人もいなくなったことに、気づかなかったんでちか?」

 

「大量の人間から一人二人いなくなっても、すぐには分からないだろう」

 

 シェルターには結構な人数がいた。大勢の人が出す息や気配といった雑音が、侵入者の気配を誤魔化したのだ。しかし密閉空間のシェルターに、どう潜りこみどう攫ったのかまでは分からない。

 

「だがこれで合点がいった、襲撃部隊の狙いは北方棲姫と、明石の二人だったんだ」

 

「合点?」

 

 提督が首を傾げていた。言っていいものか少し悩んだ。スネーク自身も、理解しきれていないからだ。

 

「別動隊がいると、無線で知らされていたんだ。目的までは分からなかったが、これでハッキリした」

 

「無線って、誰でちか」

 

「……ディープ・スロートと名乗っていたが、誰か心当たりはあるか?」

 

 全員首を横に振っていた、その中伊58が不満そうな顔を隠さない。

 

「そんな奴の言い分を信じたんでちか?」

 

「現実としてそうなっている」

 

「敵のスパイの可能性もある、作戦を混乱させる気でちか?」

 

 スネークも自信がない。

 ディープ・スロートが適当な出まかせを言い、たまたま当たった可能性もあり得る。伊58の推測通り敵のスパイかもしれない。しかしG.Wのプロテクトに守られる周波数を特定した相手が、無意味な行動を取るとは考えにくい。

 

「落ち着いてくれ、どの道明石が攫われたのは事実だ」

 

 軽巡棲姫や北方棲姫の口ぶりからして、日本政府が核弾頭を狙っているのは、知られてしまっているのかもしれない。同じ核を狙う彼女たちからすれば、その動きは抑えたいだろう。なら、移動工廠の力を持つ明石を攫うのは、効果的な手段だ。

 

 だが、理由はそれだけではない。

 工作艦『明石』は、WW2のころから、戦略を左右するほどの重要性を持っていた。多量の修理設備を持っていた明石は、移動工廠と呼ばれ、多くの艦を修理していた。

 

 ダメージを与えた艦が、前戦で治ってそのまま戻ってくるのだ、たまったものではない。ゆえに米軍も、給油艦間宮と並んで最優先攻撃対象としていた。

 

 その重要性は艦娘になっても――どころか、更に上がっていた。

 それは、妖精との違いにある。基本妖精は、WW2のテクノロジーまでしか持っていない。それ以上成長することもない、と言われている。あんな(なり)をしているが、どちらかというと虫のような行動規範に近いのだ。

 

 しかし明石は違う、人と艦が入り混じっている故か、『成長』できるのである。そのままでは深海凄艦に通じない最新技術を学び、それを艦娘が使えるように反映できてしまうのである。それが一層、明石の価値を高めたのだ。

 

「北方棲姫には悪いが、私たちは明石の救助を優先しないといけない」

 

「構わない、むしろ早く奪還しないと、状況は更に悪化する」

 

「だろうね、もし明石が沈められて、深海凄艦に変異させられたら……」

 

 D事案の発生確率はかなり低い、狙って起こせるものでもない。しかし万一の可能性もありえる。そうなれば北方戦線どころか、日本が危機に陥る。核弾頭を奪われることと同じくらい、明石が奪われることは恐ろしいのだ。

 

「明石の行方はゴーヤ君に探して貰いたい」

 

「分かってる、とっとと見つけて核の奪取に戻るでち」

 

「私の方も色々な手段で探してはみる」

 

 それはG.Wによる偵察衛星のハッキングなど、口には出せない手段である。

 

「私たちも探さないと」

 

「いや、それよりもやって欲しいことがある、アーセナルにも、可能な限り手伝って欲しい」

 

「何だ?」

 

「機雷の除去だ」

 

 ただの機雷除去に過ぎないと、スネークは思っていた。

 それは誰も同じだった。だが、この機雷こそ、悍ましい存在との、最初の戦いだとは、まだ知らない。

 

 

*

 

 

 機雷は、泊地の正面海域にばら撒かれていた。

 除去作業は手の空いている艦娘だけでなく、やり方を心得ている作業員まで駆り出さないといけなかった。途方もない数の機雷が、埋没していたのだ。

 

 機雷を設置されたのは、軽巡棲姫が逃走する少し前だと想定される。しかしそれまでにあった時間は、ほんの数十分だ。

 その間に、正面海域が機雷で埋め尽くされた。恐ろしい手際だった、そのせいでスネークたちは、軽巡棲姫の追撃を断念するしかなかったのである。

 

 スネークは今更隠す必要もなくなったので、G.Wを搭載したメイン艤装を背負いながら、レイを全機発艦させる。水中で高い機動力を発揮でき、遠距離から水圧カッターを発射できるレイは、機雷除去に適していた。

 

 だが、全25機――ソロモン諸島の戦いで失われたので、22機のレイを総出でやっても、まだ終わらない。昼過ぎから始めたのに、日が沈みそうになっている。水中レーダーを持つレイなら問題ないが、コントロールするスネークが疲れていた。

 

「お疲れ様ですアーセ……あ、スネークでしたね」

 

「青葉か」

 

 あっけらかんとした笑顔で、彼女が携帯食料を渡してきた。炊いた米を固めたやつだ、確か日本語では、おにぎりと言ったはず。

 

「お前は作業しないのか」

 

「あいにく水中のものを相手するのは、苦手なもので」

 

「私を見習え」

 

「無茶を言わないで下さい」

 

 しかし、たった二日だが、一番付き合いの長い艦娘でもある。彼女相手だと、気張ることもなく自然体でいられる気がした。だからだろう、頬張ったおにぎりは、ただ塩を撒いただけなのに、中々上手かった。

 

「配属されたのはお前だけか?」

 

「はい、前線がひっ迫していると知った大本営の増援の一隻として、選ばれたんです」

 

「という建前か」

 

 分かっていたか、という苦笑いを青葉は浮かべた。

 いまや青葉――第六戦隊は、たった四隻でソロモン諸島を奪還した英雄扱いだ。大本営が発表した英雄談を信じる人は、かなり多い。

 

 そうなれば『青葉』の価値は高まる。

 配属先に与える影響も大きくなる、泊地の神通がアーセナルギアに憧れていたのと同じだ。そんな彼女が、たかが戦力不足で送られるわけがない。

 

「で、実際は?」

 

「スネークの監視です」

 

 やっぱりか、とスネークも苦笑いを浮かべた。

 

「大本営も、スネークの動きは警戒してたんですよ」

 

 富村もスネークの実在は知っていた。すでに青葉から、そういった情報を手に入れているということだ。

 

「それで、北方のどこかにいるところまでは、突き止めたんです」

 

「90年代の技術の割に、やるじゃないか」

 

「でもそれ以上は駄目だったみたいです、で、詳しい情報収集と、見つけられた時の監視として、青葉が配属されました」

 

 青葉が選ばれたのは、スネークがもっとも油断するからだ。人の精神を利用する姿勢に、苛立ちが募る。しかしそれを一々出していたらきりがない。顔に出さず、スネークは機雷を除去していく。

 

「で、行ってみたら」

 

「襲撃が起きていて、スネークがもういたわけです。まさかいるとまでは思ってませんでしたよ」

 

「私も同じだ」

 

 戦艦棲姫の情報が集まるから、一方私の情報が集まるから。結果同じ場所に来てしまったわけだ。

 

「だが、建前もあるだろ。増援はお前だけなのか?」

 

「いえ、もう一人います、ほら、あそこ」

 

 青葉が指差した先では、神通が機雷の除去作業を、苦戦しながら行っていた。建造されたばかりの彼女には、初めての経験だ。だから不慣れな彼女に、やり方を教えている影があった。

 

 視線に気づいたのか、影はこちらへ振り返る。こちらへ走ってくる彼女の姿は、白いマフラーという特徴以外は、神通や那珂によく似ていた。その姿はまるで、忍者のような印象をスネークにもたらした。

 

「聞いてませんか? 大湊にいったん下がっていた」

 

「川内型一番艦の、川内か」

 

「そういうこと、初めましてスネーク、青葉から色々聞いているよ」

 

 『スネーク』と呼ばれて少し警戒したが、ここまでくる途中に話していたか。

 

「しっかり、こうして見てみると、ホント滅茶苦茶だよねぇ」

 

「レイのことか? 私からすれば、艦娘の方がよほど非常識だ」

 

 川内は水中で機雷を除去していくレイを見つめていた。次々とあがっていた爆発の水しぶきが、少なくなりつつある。やっと機雷が無くなってきたということだ。

 レイがいなければもっと長引いていただろう、スネーク本人はそれが当り前だと考えているが、やはり非常識なことは変わらない。

 

「作業も終わりかな、早く夜戦がしたい」

 

「夜戦? 何故だ?」

 

「だって夜戦だよ?」

 

 理解できない回答にスネークは軽く困惑する。しかし川内という艦は、そういうものだ。川内はどの個体も例外なく、夜戦に興味を示すのだ。それはある意味、生まれ持った性と言っていいのかもしれない。

 

「それに相手が神通なら、尚更ね」

 

 その『神通』が意味するのは、『軽巡棲姫』のことだ。彼女もまた、前任の神通を知っている。笑顔で語ってはいるが、奥底には複雑な思いが渦巻いているはず。

 

「……川内さんからすると、あの人はどうだったんですか?」

 

「んー? でもあんたたち(第六戦隊)もあいつに教わったんでしょ? そんなに変わらないはずだよ」

 

 青葉の抱いた印象は、スネークの感じたものとそう差はなかった。一言でいうなら『いいヤツ』だ。あんな状況でも、迷わず青葉を優先したのだから。

 だからこそ、青葉は呟く。

 

「……沈んだだけで、深海凄艦になっただけで、あそこまで変わってしまうんですか」

 

「さあ、私の知る神通は、今はあいつだけ」

 

 新しい方の神通が、無我夢中で機雷を除去する姿は、新兵のそれだった。スネークの知る神通とは全く違っていた。彼女も成長したら、あの背中になるのだろうか。

 

「あたしが護らなきゃ」

 

「……そうですね」

 

「……ああ」

 

 アーセナルは、無意識の内にそう言っていた。

 

 

*

 

 

 機雷の除去が終わったころ、明石の行方を追っていた伊58から無線が入った。彼女が今どこにいるか、分かったのだ。

 それを受けた富村はすぐさま追撃隊を編成し、彼女たちを送り込む。

 神通と川内、那珂の三人。そして――諸々の事情でスネーク。万一のためのバックアップとして、木曽と多摩が加わることになる。

 

「……どうした?」

 

「……いえ、その、かなり揺れるんですね」

 

「その内慣れるよ、慣れ慣れ」

 

 しかし神通の顔色は悪い。

 艦の頃では絶対に経験できないことを、彼女はしていた。何故なら彼女たちが今いる場所は、空を飛ぶヘリの中なのだから。

 

「我慢しろ、まさか重症のまま明石を運ぶわけにはいかない」

 

 と、全身を包帯で覆う川路と同じく、明石も重傷の可能性が高い。

 救出したあとは、速やかに応急処置をしなければならない。それも、安全な場所でだ。敵の真っただ中では、危険すぎる。

 

 救出したあと、素早く明石を運び込み離脱。そのままヘリの中で治療を行う。そういう流れだ。怪我を追っていないなら、それで構わない。ヘリ内部に乗る艦娘たちが、上陸して救出を行うメンバーだ。

 

「しかし……」

 

「君は二水戦旗艦だろう、それくらい耐えないでどうする」

 

 神通は、息が詰まったように黙り込む。二水戦という言葉は、彼女にとって重い意味を持つのだ。

 

〈見えてきたぞ〉

 

 ヘリの通信機から、木曽の声がする。彼女の飛ばした偵察機が、目的地を見つけたのだ。

 

「本当に明石ちゃんはそこにいるんだよね?」

 

〈間違いないでち、確かにそこに運び込まれた〉

 

 伊58は場所を突き止めた後、そのままバックアップとして潜入していた。()()の状況は彼女が随時連絡している。それに加えて、G.Wの観測と気象予測も組み合わせておいた。

 それを踏まえて、このタイミングで出てきたのだ。

 

〈偵察機が敵艦を見つけたが、作戦どおりいけば、気づかれないだろう。最悪俺たちが囮になる〉

 

〈神通たちは、()()に紛れて突入するにゃ〉

 

 ヘリから見た先に、目的地が見え――なかった。

 凄まじい濃霧によって、何一つ見えなかったのだ。だが、それが発生するタイミングを狙っていたのだ。

 

〈しかし、キスカ島とはな〉

 

 木曽がそう呟く。

 濃霧のなか突入し、味方を救出する。今更運命の軛など気にも留めないが、しかしケ号作戦の再現に思えて、仕方がなかった。

 

 キスカ島周辺は、この時期頻繁に濃霧が発生する。1943年に行われたキスカ島撤退作戦、通称『キスカの奇跡』は、この現象を利用して実行された。その時旗艦を務めたのは多摩であり、巡洋艦として木曽も参加している。

 

 しかしその時とは違い、キスカはどちらの勢力も拮抗している場所。霧に紛れて突入したあと、明石を探さなくてはならない。上陸メンバーが必要だった。だからこそ唯一スニーキングの心得を持つ、スネークが選ばれたのだ。

 

「作戦海域に入る、上陸部隊はヘリから降下、下で艤装を受け取れ」

 

 神通を除き、慣れた手つきで体にロープを巻き付ける。そのまま流れるようにヘリから降下し、多摩の牽引する大発動艇――上陸作戦の時、兵士や戦車を上陸させるための舟艇だ――に着地する。そこには神通や那珂たちの艤装も置かれていた。スネークの艤装はやはり邪魔なので、今回も海底で待機だった。

 

 

*

 

 

 多摩の装備する大発に乗り込み、そのまま霧の中に突入する。

 一回だけただの岩陰を敵影と間違えたが、特に問題無く艦隊は島に向かって突き進む。だが、そこまで行ったところで、多摩は航行を止めた。

 

「ここからは大発だけ送り込むにゃ、検討を祈るにゃ」

 

 キスカは敵の拠点になっている可能性が高い、そんな中に二隻で飛び込めば、集中砲火を受ける。スネークたちは人を攫いにきたのであって、戦いにきたのではない。静かなエンジン音を立てる大発は、かつて港があった場所よりも、少し離れた場所に上陸した。

 

 スネークはP90を、神通たちは艤装を構えながら、ゆっくりと砂地を踏む。ケ号の時とは違い、都合よく霧が晴れることはなさそうだ。

 だがその時、突如無線機からCALL音が鳴った。

 

〈スネーク、そこで止まれ〉

 

〈どうしたG.W〉

 

〈神通たちも止まらせろ、急げ!〉

 

 G.Wの言われるまま、スネークは彼女たちを引き留める。改めて理由を聞いたが、G.Wは若干困惑しているようだった。

 

〈その砂地は地雷原だ、海岸を歩き、密林の方から迂回しろ〉

 

〈地雷原だと?〉

 

〈またディープ・スロートから無線が入った、それも、(G.W)の周波数にだ〉

 

 スネークの周波数どころか、G.Wの波数まで知っていることに、言葉が出なかった。判断に困るが、前回無線してきた時の別動隊は真実だった。なら信じていいのではないか、スネークは回りこむように指示を出した。

 

〈密林もワイヤートラップや落とし穴が仕掛けられている。油断するな〉

 

〈罠だらけだな〉

 

〈機雷を敷設した深海凄艦と同じ個体がいるのかもしれん〉

 

 この濃霧の中罠を探すのは苦労する、しかし止まる選択肢はないのだ。

 ジャングルは針葉樹に取り囲まれていて、うっそうと暗くなっている。霧が発生する前に撮った衛星写真から、基地のある場所は把握している。

 

「スネーク、別れていかない?」

 

 小声で川内が提案した。

 

「こんな罠だらけの場所で見つかったら逃げられない、纏まってたらまとめて殺されるよ」

 

「……そうだな、どう別れる?」

 

「ツーマンセルで行こう、神通はスネークがお願い」

 

 何故だ、と言いたくなるが、合理的判断だとスネークは結論づけた。

 この中で一番経験が短いのは彼女だ、なら潜入にもっとも長けたスネークがつくのは、当然の組ませ方だった。

 

「えっと、よろしくお願いします」

 

「……ああ」

 

 ぶっきらぼうに返し、スネークと神通は歩きはじめる。

 仕方がないので暗視ゴーグルは神通に貸し、スネークは感覚だけで歩きはじめる。ゆっくりと動かした足が草木を掻き分け、土に触れる。罠があればその分、異様なふくらみがあったり、人が触れた不自然さがある。

 

 神通の手を引きながらスネークは、苦虫を潰したような顔をしていた。

 スニーキングに不慣れなバディを連れることは、軽いトラウマになっていたのだ。張り詰める緊張にきづいたのか、神通は一言も話そうとはしなかった。

 

 たまに吹く風が、とてつもなく冷たい。

 確実に削られていく体力、足の裏から伝わってくる氷の冷気。一つ一つを自分に取り込み、同化させていく。自然そのものになれば、紛れた人工物が分かる。自然と自分の体――遺伝子を擦り合わせながら、スネークは歩いていた。




―― 140.15 ――


〈そういえば、北方で思い出したんだが、今の海上自衛隊は『F作業』なるものをやっているらしいな〉
〈あー、漁獲支援のことですね〉
〈秋刀魚や鰯といった秋の味覚を確保する、最重要任務と聞いているが、本当なのか?〉
〈概ね合っています、漁船を深海凄艦から護ることを目的にした作戦、そうしないと日本の場合、食糧不足になりかねませんから〉
〈だが……防衛の割に、お前たち自身も漁に勤しんでいると聞いたが〉
〈それは、ソナーや探照灯を積んでいることですか?〉
〈ああ〉
〈よくある誤解です、それは役割分担ですよ。魚影捜索は私達が、魚の確保は漁船が、そうすれば装備を積まない分、より多く持ち帰れますから〉
〈なるほど〉
〈積載量を超過した時だけ、私達が貰うんです。保存設備がないので鮮度を保てず、市場に出すのは難しいので〉
〈……大量に取れば、その分自分で食える訳か〉
〈そうなりますね〉
〈私はどうだ〉
〈……は?〉
〈見ろ私のスペックを、最新型ソナーを搭載したメタルギアレイが25機、それぞれのデータを統合すれば魚の行動パターンも予測できる。近寄る深海凄艦など敵にもならない……適材適所とはことことだ〉
〈巨大すぎて即座に逃げられると思うんですが〉
〈……レイだけ行かせれば〉
〈レイって確か、スネークから余り離れて動けないのでは〉
〈……馬鹿な……この私が……敗北するだと……?〉
〈自分が食べたいだけではないですか……第一今秋刀魚の季節ではないですし〉
〈いや待て、今の時期はマグロが旬だった。確かOUMAという場所はマグロが有名だったな!〉
〈もう自由にしてください……〉


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File22 スペクター

 うっそうとしげったジャングルの中は、海とはまるで違っていた。

 風が吹く度に、葉がこすれ、枝が揺れ、生き物がなく。止んだ時もその反動で揺れて、また雑音が静寂を呑み込んでいく。

 

 いや、それがここにとっての静寂なのだ。雑音に満ちた世界こそ、この世界の普通なのだ。

 海とは全てが違う。見渡す限りの地平線、圧迫している木々の群れ。照り返す太陽、光を遮る葉の数々。

 

 油断すれば静寂ごと呑まれそうな中、神通はスネークのあとを歩いていく。

 騒音に身を任せ、静寂となったスネーク。目の前にいるのに、消えているように存在感がない。

 早く開けた場所に出たい、素直な感想だった。

 

 

 

 

―― File22 スペクター ――

 

 

 

 

 アーセナルギアは、自分をスネークと呼ぶように言った。強制はしないし、どちらでもいいとも言っていた。軽く考え、神通はスネークと呼ぶことにした。自分を含む少数しか知らないアーセナルの名前、何となく親しくなれた気がした。

 

「G.Wの情報によれば、あれが敵の潜伏地点だ」

 

 スネークが渡してきた双眼鏡を、神通も覗いた。物音は森の雑音ぐらいだが、人影が動いている。そこだけは霧が薄く、遠くからでも何となくだが分かる。森の中に唯一開けた場所があり、小さい小屋が幾つか立ち並んでいる。

 

「敵影は少ないです」

 

「あくまで一時的な中継地点、ということだろう」

 

 敵の本拠地が乗っ取られたアリューシャン列島なら、単冠湾泊地からかなり距離がある。休みなしで行くには、人の身は過酷過ぎる。明石を奪還できるとしたら、今のタイミングしかない。

 

「姉さんたちは?」

 

「まだつけてないらしい、我々が先に行く」

 

 スネークが小走りで駆けだした、慌てて神通も後を追う。彼女たちの足音は、森のざわめきが消してくれた。一つ目の小屋に張り付いたところで、スネークが耳を叩く。無線機をつけろということだ。

 

〈時間が惜しい、二人で別々の小屋を確認していく〉

 

〈……分かりました〉

 

 一瞬間が空いてしまった。敵が少ないのは分かっている。しかし小屋の影から敵が現れて、平静でいられる気がしない。

 

〈大丈夫だ、何かあればすぐに助ける、必ずだ〉

 

〈ありがとうございます〉

 

〈……気にするな〉

 

 スネークの返事にも間が空いていた。少し気になったが、こちらへ近付く足音に、疑問は飛んでいった。目を合わせ、スネークとは別の小屋に向かって移動する。

 川内型の艤装は、腕に沿う形で主砲が装備されている。左手で右手を抑えて、震えを堪える。

 

 扉が音をたてないよう、ゆっくりと開けた。

 小屋の中は、小さくなどなかった。地下への階段が伸びていたのだ。ということは、この辺り一帯に地下通路が掘られていることになる。厄介なことになるかもしれない。

 スネークからも似た内容の無線が入る、彼女は別の入り口から明石を探すと言った。神通もそれに習い、唾を呑み込みながら階段を下りた。

 

 途中なんどか、冷や汗をかくことになった。どれだけ歩いても、地下空間に、敵兵は見当たらない。代わりに無数の罠が仕掛けられていたのだ。海岸線や森の中と同じだ。しかし――敵艦隊がキスカに一時上陸したのは、ほんの数時間前だ。そんな時間で、これだけの罠が仕掛けられるものなのか。

 

「いたか?」

 

 それらを回避している内に、スネークと再開してしまった。ほとんどの部屋を見たが、何も無かった。

 

「あと残っているのは、この部屋だけか」

 

「敵兵はいたんですか?」

 

「いるにはいたが、全員黙らせた。トラップに重点を置いた警備だな」

 

 どうかここに居てくれ、そう願いながら神通は扉を開けた。果たしてその祈りは通じたのか、通じたが――相応の代償を払うものだったのか。

 

 確かに、明石はいた。

 しかし、喜びの声は、驚愕に打ち消された。部屋の奥で彼女は項垂れていた、手錠に繋がれた右手が、宙刷りの首のように延びている。全身傷まみれで治療もいる、一か所を除き。

 

「そんな」

 

「連中は、何故こんなことを?」

 

 スネークの疑問は、憤怒ではなく、純粋な疑問だった。何故ピンポイントでやるのか、分からなかったからだ。

 明石の左手が、肩からなくなっていた。

 その部位は火傷の傷で止血されている、撒かれている包帯も綺麗だ。だが入渠で治るか分からない。

 

「……だ、れ……?」

 

「明石さん、私です、神通です、助けに来ました」

 

「……わたしの、手、が……」

 

 虚ろな目で、明石が首を動かした。

 死体の首が、ごろりと動いた。

 工作艦の命は手、その片方が無くなった明石は、死んでいるのと同じだ。いやまだ半分は生きている、神通は助け出す意志を強くする。

 

「明石、何があった、誰にやられた?」

 

「……綺麗な、て、って」

 

「綺麗、だと?」

 

「あいつ、誰か分からない、けど、言ってた。工作具で擦り切れた、理想的な、手だって。お礼まで、言って、私の腕を、腕を……あ、手が? 何で……!?」

 

「分かった、もういい、大丈夫だ」

 

「……本当に、大丈夫?」

 

「ああ、心配するな、我々に任せろ」

 

 と言ったのを皮切りに、明石の意識はプッツリ途絶えた。いったい何が起きたのか、今のだけでは想像がつかない。左手だけ奪い取ることに何の意味があるのか。様態が落ち着いたら聞き直さないといけない、その為にも逃げなければ。

 

「明石はお前がかつげ、援護は私に任せろ」

 

 固そうな手錠だが、スネークの持つ高周波ブレードなら問題ない。どんな鋼鉄でも両断する神通の知らないテクノロジーだ。

 それを手錠に触れさせた途端、凄まじい爆音で、サイレンが鳴り響いた。

 

「な……!?」

 

 地下全体が揺れているようだった、まさか、手錠を切ることが、サイレンのスイッチを入れたのか。用意周到すぎる。

 

「すまない、地獄を見る羽目になりそうだ」

 

「失敗を悔やむ暇はないですよ!?」

 

「それもそうだな」

 

 実際そうだ、悩んでいる暇はない。全力で走らなければ、手遅れになる。明石の呼吸を背中で感じながら、神通は踏み出した。

 スネークと共に走る彼女の姿は、いつかの光景に似ていた。

 

 

*

 

 

 地下室を飛び出した神通たちを出迎えたのは、近隣を警備していた全ての深海凄艦だった。目の前にいるのは四隻、ぼやぼやしていたらまだ増える。神通はなりふり構わず、腕に並んだ主砲を斉射した。この至近距離なら撃ったもの勝ちだ。

 

 艦に積むような砲台の威力は凄まじく、一発で敵を消し、地面を抉り、木をなぎ倒す。しかしそれは敵も同じだ、一隻がやられたのを見て敵艦は散開し、神通たちを取り囲むように動きはじめる。

 

 スネークが両手から高周波ブレードを抜き、二刀流の構えをとる。深海凄艦にだってスネークの噂は広まっている、姫級の装甲さえ切り裂くオーバーテクノロジーは、十分敵を怯ませた。

 

 瞬間、合わせるように神通は再度主砲を撃つ。怯んだせいで回避が遅れ、狙った一隻がまた沈んだ。だが死の間際に、返しの砲撃が撃たれていた。

 

「伏せろ!」

 

 主砲が動き、発射を予測したスネークが、ブレードで砲弾を切りさいた。二つに分かれた砲撃は神通の左右に着弾する。衝撃に明石が呻き声を上げた。

 

「……逃げて、早く」

 

「分かっている、だがまずこいつらを」

 

 庇っている間に、挟み込まれてしまった。どちらかでも倒さなくては逃げられないのだ。その時、神通は気づいた。背中の明石が異常に震えていることに。

 

「『亡霊(スペクター)』が、来る……!」

 

 あいつら? と首を傾けた瞬間、スネークが神通の体を押し倒した。

 直後、無数の砲撃が降り注いだ。

 深海凄艦も巻き添えにしている、無差別攻撃だ。地面どころか島ごと揺らす、戦艦級の主砲が放たれていた。

 

 何とかしのいだ神通は、顔を上げる。

 森と霧の奥から、砲撃を撃った影が四つ歩いてくる。味方もお構いなしに撃ち抜く深海凄艦に、神通は怒りを覚えた。

 

 ――が、その姿を見て、神通は言葉を失った。

 

「あれは……!?」

 

「戦艦レ級、まさかあの時の個体か」

 

 レ級が、四隻で歩いて来た。

 

 それだけでも絶望的だ。

 なにより、あの車の中で襲ってきた、不死身のレ級を思い出してしまう。スネークも同じ敵を連想したらしい。

 

「確かめてやる」

 

 マントに覆われていたスネークの肩から、触手が伸びた。

 それはスネーク・アームと呼ばれる、使用者の意図のまま動く機械の腕だ。見た目に反してパワーもある。アームがレ級の足を掴んだ一瞬で、スネークはレ級の頭を切り飛ばした。だが――

 

 ()()()()レ級は、生きているように腕を伸ばしてきた。

 頭部がなくなっても、しばらく動くことはある。だが、これは、一目で異常と気づいた。見間違いなどではなかった、不死身のレ級は確かにいる。しかも四隻。

 

「先にいけ神通!」

 

「スネーク!?」

 

「どうやっても時間はかかりそうだ、そんな暇はないだろう?」

 

「死なないんですよ!?」

 

「なら、動けなくなるまで細切れにする」

 

 と、スネークは突撃した。考えることを止め、神通は反対方向へ走り出した。爆音と衝撃が後ろから響く、彼女を信じよう、大丈夫、あの人は英雄アーセナルなのだから。そう何度も半濁し、海岸線に向かう。

 森を通らない分、道は真っ直ぐだ――いや待て、海岸の地雷はどうすれば? 海が見えた時、そのことを思い出した。

 

「神通、こっちにゃ」

 

 視界の端に、大発動艇を連れた多摩がいた。複数個あった大発が、ボロボロの状態で乗り上げている。

 一度大発を無理やり通らせて、地雷を全て起動させたのだ。大発の跡にはもう地雷はなく、そこを辿れば安全に歩ける。

 

 スネークを助けに行きたいが、明石の治療もしなくてはならない。敵から大発を守る方が優先だ。神通も乗り込んで、大発が発進する。

 また霧が濃くなってきている、脱出する側からすれば、好都合だが。しかし何か、嫌な予感がしてならない。

 

 その予感は、最悪の形で当たることになった。

 

「雷撃にゃ、急旋回」

 

 振り落とされるかと思った、が、直後本当に振り落とされかねないほどの爆発が起きた。ギリギリのところで、魚雷が爆発した。捕捉されてしまっている。神通は息を整える暇もなく、海面に降りる。

 

「任せていいにゃ?」

 

 自信満々に返事ができればなあ、と神通は思った。しかし、譲ることはできない。彼女の様子を見た多摩が溜め息をつくと、大発の中を漁り出す。

 

「預かりものにゃ、持っておくにゃ」

 

「これは?」

 

「スネークの暗視ゴーグルにゃ、これとレーダーを組み合わせれば、霧の中でも戦えるにゃ」

 

「多摩さん……」

 

 お礼を言おうとしたが、彼女は無表情に手を振った。

 

「にゃあ」

 

 大発動は、まっすぐ島の外へ消えていった。

 あっと言う間に見えなくなった、神通の意識は、霧の中から現れた――最悪の敵に、集中する。

 

 人型の影が、鮮明に見えている。

 霧を鏡にして、自分の姿を見ているようだった。それを自分と認めるわけにはいかない。あってはならない。あり得ない。意識しない内に、奥歯を強く噛み締めていた。

 

「軽巡、棲姫……!」

 

「自分ト話スノハ、アル意味新鮮ネ……貴女モ、ソウ思ワナイ……?」

 

 

*

 

 

 今すぐ、主砲でもなんでも叩き込みたかった。

 あの仮面を剥ぎ取って、どんな顔をしているのか拝んでやりたかった。だがそれをするには、実力がかけ離れている。

 新米の私と、青葉さんを育て、改二になっている那珂と同期だった彼女。怒りがなければ、震えていたかもしれない。

 

「なぜですか」

 

「ナンノ話カシラ……?」

 

「なぜ裏切ったのか、と聞いているんです」

 

 時間稼ぎの意味が強かったが、聞いてみたいことでもあった。私と同じ神通が、なぜ裏切り深海凄艦側についているのか。

 

「ソンナコトヲ、キニシテイルノ?」

 

「貴女は、私と違ってもっと強かったと聞いています。誰よりも、本当の意味で強い人だったと」

 

 新米で力のない、むしろ守られる側の自分とはまるで違う彼女に、神通は憧れていた。同じ艦なのにかけ離れている実力に嫉妬もした。だからこそ、彼女のようになりたい思いは、強くなる一方だった。

 

「……フフフ、アンナノハ強サジャナイ、馬鹿ダッタダケ」

 

「ば、か?」

 

「ソウ、馬鹿。何モ知ラナイデ喚イテタ馬鹿。仲間ダノナンダノ、アリモシナイ物ニ縋ッテイタ……」

 

 仮面の下の顔が、一瞬悲しそうに見えた。

 彼女は何を見たのか、一度沈んだあとで、何を知ってしまったのか。それを考えようとして、神通は首を横に振る。

 

「貴女ハドウナノカシラ……?」

 

「貴女が、私の憧れるような方でないことは分かりましたよ!」

 

 不意打ち気味に放った主砲は、容易く躱されてしまった。多摩から通信が入った、大発はあと少しで安全圏まで出ると。もう時間稼ぎの必要は無い――しかし、こいつはここで沈めなくてはならないのだ。

 

「野蛮、ネ……」

 

「せめて、私の手で沈めてあげます」

 

「ヤレルモノナラ、ヤッテミナサイ……」

 

 途端に足元で爆発が起きた。

 音もなく、いつの間にか魚雷が発射されていた。会話で時間を稼いでいたつもりが、逆に注意を逸らされていた。冷静にならなくては、相手が相手とはいえ、沈んだらどうしようもない。

 

 爆発で起きた水しぶきが、視界を覆う。

 その間に、軽巡棲姫は霧のなかに隠れていた。何せ岩陰を敵艦と見間違えたほどの濃霧だ。一瞬で影も形もなくなってしまった。だが、それは敵も同じだ。むしろ装備の関係で、私の方が有利だ。

 

 神通は多摩から貸して貰った暗視ゴーグルを装備する。北方の冷たい海と、艤装の熱。敵艦の姿はすぐに見えた。だが、一隻ではない。数体の駆逐艦が、軽巡棲姫を取り囲んで動いている。

 

 影の群れから、一瞬だけ熱源が見えた。

 すぐに海に沈んで消えた、ということは魚雷だ。発射された時の数からいって、かなり広範囲にまかれている。ゴーグルがなければ、気づくのが遅れていただろう。神通は全力で距離をとり、雷撃の合間を縫う。

 

 お返しに主砲を撃とうと思ったが、止めておいた。わざわざ場所を教える必要はない。スネークのように霧に身を隠しながら戦おう。数的には不利なのだから。

 神通は一発だけ、魚雷を発射する。撃ってから移動すれば、場所は露見しない。その分敵艦の移動を予測しないといけないが、無理とも言っていられない。

 

 だが、魚雷は敵にも誰にも当たらずに爆発した。

 

〈残念、ネ……〉

 

 何故、周波数を知っている。

 

〈驚イテイルノ? ダッテ私ハソッチニイタノヨ? 共用ノ波数ハシッテイルワ……〉

 

 そうだろう、だが今使っているのは独自の周波数だ。

分かる訳がない、神通はふと、スネークが言っていたディープ・スロートなる人物を思い出した。彼(彼女?)も秘匿された無線にかけてきたらしい。まさか軽巡棲姫と密告者(ディープ・スロート)には繋がりが?

 

〈考エテイル暇ハ、ナイワヨ……?〉

 

 立て続けに、主砲が飛んできた。

 慌てて動きだし、逃げようとするが、すんでのところで思いとどまる。魚雷が勝手に爆発した理由。それを知らないで逃げるのは、危険過ぎる気がした。

 

 結果から言って、その判断は正解だった。

 壊れるのを覚悟で覗き込んだ水中に、答えがあった。そうか、どうりで爆発が普通より大きかったわけだ――納得より、驚愕の方が大きかったが。

 

〈神通ちゃん、聞こえている!?〉

 

〈こんな時になんですか!?〉

 

〈今海上にいるの!?〉

 

〈そうですよ、軽巡棲姫と戦ってるんです、通信切っていいですよね!?〉

 

〈軽巡……あ、じゃあ一つだけ、海の中に注意して〉

 

〈深海機雷のことですか!?〉

 

〈気づいてたの、なら良かった!〉

 

 信じられない、キスカに上陸してから今に至るまでの間は、一時間もなかった。

 なのに、海中は大量の深海機雷で埋め尽くされていた。泊地正面海域の時と同じだ、よほど罠に長けた深海凄艦がいるらしい。

 

 魚雷は、これに引っ掛かって爆発したのだ。那珂は応援に行きたいが、機雷のせいで上手く進めないと伝えたかったのだ。下手に動き回ることさえ難しくなるとは。一歩動けば、リスクが高まる。

 

 再び暗視ゴーグルをつけた神通は、あるものを見つけた。

 海面に、熱源が道のように延びている。

 ――軌跡だ、敵艦が通ったあとの軌跡だ。つまりこの上に機雷はない。大発でこじ開けた道と同じだ。

 

 敵がどんなやり方で機雷を回避しているかは分からないが、さすがに艦が通れる道は空いている。この先に敵艦もいる。チャンスだ。というよりそれは、アリアドネの糸に縋っているようだった。それでも進むしかない。

 

 機関を回し、速度を最大まで上げる。

 艤装が熱を吹き出すのも気にせずに、神通は突っ込んだ。主砲と魚雷をいつでも撃てるように、霧の中の熱源を睨み付けて。

 

〈サーマル、ネ?〉

 

 だが、その目論見は露見していた。

 

「――っあ!?」

 

 サーマルビジョンが、真っ白に染まった。

 熱源を探知して映像化する装置が、神通の視界を奪い去った。サーマルゴーグルは名前の通り、赤外線によって熱源を探知する装置だ。そして赤外線は、光にも含まれている。

 

 よく使っていたから理解した。

 今直視してしまったのは、『探照灯』の光だ。何も見えない、激痛が走る。よりにもよって、真正面から見てしまった。潰れたかもしれない――だが。

 

「止まると、思いますか!?」

 

 真正面にいるのは確かなのだ、目が潰れようとも、場所は分かる。

 無我夢中で神通は、持てる火力の全てを叩き込む。

爆発が、霧の中で吹き荒れた。




―― 140.85 ――


〈しかしスペクター、か〉
〈急にどうした、G.W〉
〈いや、中々良い呼称だ。これからはそう呼ぶのが良いだろう〉
〈どういうことだ?〉
〈スペクターとは、亡霊という意味だ。死んでいるのに動き、思考などしないのに統率されている。遺伝子にも模倣子にもよらない怪物、正に亡霊艦隊(スペクター)だ〉
〈亡霊だろうと何だろうと、四肢までもげば動けなくなる。そうなるまで切り刻んでやる〉
〈それだけではない、スペクターにはもう二つ、意味がある。一つはF-110、米海軍の戦闘機ファントムの、空軍からの呼称だ〉
〈なるほどな、でもう一つは?〉
〈映画だ〉
〈映画だって?〉
〈そう、イギリスのスパイ映画『007(ダブル・オー・セブン)』に登場する敵組織。対敵情報活動・テロ・復讐・強要のための特別機関、それぞれの頭文字を取って、S.P.E.C.T.R.Eになる。この組織もまた愛国者達と同じ、実態を持たない幽霊だ〉
〈どこぞの少佐が喜びそうなことだ〉
〈そうだな〉
〈…………〉
〈どうした〉
〈いや……まさか、愛国者達の発想がこいつらから来てるのではと思ってな〉
〈幾ら我々の創造主が007好きだからと言って、それはないだろう……多分〉
〈多分かよ……ああもう良い、任務に戻る〉


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File23 テセウスの船

 もし、その命を賭けて、誰かを救えたのなら。

 例えそれが、残された人の気持ちも考えない自己満足だとしても、『誇り』になるだろう。残してきた彼女たちに申し訳ないと思っても、行動を後悔することはないはずだ。

 

 だが、もしも、逆のことをしていたなら。

 守るべき彼女を、あろうことか、自分自身の手で沈めてしまったのなら。それは何なのだろう。汚点と呼ぶべきか、罪と捉えるべきか。

 

 分かることはただ一つ、決して繰り返していけないことだけ。

 二度としてはいけない、その命をもって仲間を守り続けなければならない。そう信じて戦いたかった。

 

 

 

 

―― File23 テセウスの船 ――

 

 

 

 

 探照灯の光により、眼は潰された。だが正面に軽巡棲姫はいる、このまま突っ込めばいい。そう思った直後、爆発が神通を襲った。距離を誤って、正面から激突したのだ。だが軽巡棲姫もただではすむまい。

 

「――やった」

 

「エエ、ヤッタワネ」

 

 しかし軽巡棲姫の声が聞こえる。

 視界がゆっくりと戻っていく、目の前には軽巡棲姫が五体満足に立っていた。手ごたえはあったのに、なぜ。

 

「可哀想……憧レタ旗艦ニ、沈メラレテ」

 

 目をこする手が、血にまみれているのを見て、異常に気づく。この血は誰だ、私ではない、軽巡棲姫でもない。

 視界の端に、妙なものが映った。()()()()()だと、直感的に理解した。

 

「仲間ヲ沈メタ気分ハ……イカガカシラ……?」

 

 今、何が起きたかは分かる。

 軽巡棲姫に攻撃が当たる前に、敵の駆逐艦が割り込んできたのだ。

 そっちの方に激突し、突撃は失敗した。だが、それがなぜ仲間を沈めたことになる。

 

「何のことですか」

 

「貴女モ……嘘バッカリ」

 

「嘘?」

 

「ワカッテルデショ、意味ハ……手、震エテイルワヨ」

 

 両手が、痛いぐらいに握られていた。

 言われて気づいた、いや、気づかないようにしていたのだ。私はとっくに気づいていた、深海凄艦を沈めることが、どういう意味なのか。

 

「……艦娘ハ深海凄艦ニ、深海凄艦ハ、艦娘ニ……貴女ガ沈メタノハ、誰?」

 

 体が、無様に震えていた。

 

「モシカシタラ艦娘ダッタノカモネ……」

 

「貴女が襲ってくるからでしょう!?」

 

「沈メタノハ貴女……引キ金ヲ引イタノハ貴女……真正面カラ、敷キ潰シタノハ……貴女」

 

 一言口が動く度に、体が震える。

 胃の底から吹き出すような怒りに、身を任せたい。だがそうしようにも、体が言うことを聞いてくれない、衝突のダメージが大きすぎる。

 

 ――それだけだろうか。

 不意に、自問する声が聞こえた。動けないのは、本当にそれだけなのか? と、自分自身の――もしくは軽巡棲姫の声が、語り掛けてくる。

 

「デモショウガナイワ……ソレガ私達……」

 

 自問する声なのか、軽巡棲姫の声なのか判別がつかない。

 

「仲間ノ為ニ仲間ヲ沈メル……私達ハ、延々ト仲間殺シヲ繰リ返シ続ケル存在……」

 

「黙れ……」

 

「認メタクナイワヨネ……ダッテ……」

 

 軽巡棲姫の頬が、哀れみを込めて微笑んだ。

 

「仲間ヲ沈メルノハ、トテモ悲シイコトダカラ」

 

「黙れと言ったんだ、私はっ!」

 

 理性が飛んだような気がした。

 痛みが消え、軽巡棲姫に飛びかかることができた、が、傷まみれの体では碌に力も出せない。あっけなく回避され、むしろ拘束されてしまう。なりふり構わず、怒りのまま叫び続ける。それしかできない。

 

「お前が、お前がそれを言うな!」

 

「貴女コソ、言エル立場ジャナイワ」

 

「お前と同じにするな、仲間だった青葉さんやアーセナルを襲ったお前が、敵に堕ちた、『神通』の面汚しが!」

 

「貴女ハ……違ウノ?」

 

 反論しようとした、だが言葉は出なかった。

 悔しさに顔を歪める神通を見て、軽巡棲姫が更に笑う。その様子が楽しく、かつ哀れで仕方がないらしい。

 

「ダカラ……私達ニソウサセル国家ハ……全部壊ス。私ハソノ為ニ、姫様ニ味方スル。『核』モ『白鯨』モ……」

 

 よくよく考えれば、何故深海凄艦は敵なのか。人を襲うから、人を護る国が敵と認める。沈めろと教えてくる。でもあれは艦娘かもしれない、じゃあ国がなければ殺さなくて――私は何を考えている!?

 

「ソレニ、皆沈ンデ深海凄艦ニナレバ……殺サナクテ済ム」

 

「そんな理由で仲間殺しが通るか!」

 

「……イツマデ遊ンデイルノ、軽巡棲姫」

 

 更なる絶望が神通を襲う、それは彼女の協力者である。戦艦棲姫だった。

 

 

 

 

 その時、地鳴りのような音が聞こえた。

 海底から、凄まじい質量の物質が浮上している音だ。そんな音を出せる物は、アーセナルぐらいしかない。

 

「――神通!? 逃げきっていなかったのか!?」

 

「アラ、マダ逃ゲテタノ」

 

「貴様、戦艦棲姫か」

 

 戦艦棲姫に気づいたスネークだが、すぐに目線を逸らした。彼女は異形のレ級相手に時間を稼いでいた、そんな彼女が艤装を装備して此処にいる。敵を沈めたことの証拠だ、そう神通は思った。

 

 しかし水柱が、次々と立ち昇る。

 それは紛れもなく、スネークが相対したレ級の軍勢だった。四隻とも健在だ、だが微妙に姿が変わっている気がする。

 

「ス、スネーク、あれは……!?」

 

 目の前にいたのは、最早直視さえ戸惑う化け物だった。

 

「見ての通りだ、埒があかないから、ミサイルを直撃させてやった」

 

 その大火力に耐え切れず、レ級は爆散した。

 だが、爆散した()()に留まった。腕や足は腹が飛び散り、全身があらぬ方向に捻じれた()()だった。

 

「じゃあ何で、生きているんですか!?」

 

 ()()()()個体もいた。

 それどころか、半身が消し飛んでいる。人の形状は保っていない、なのに、動いている。下半身と尻尾だけで動いている。

 

 別のレ級は逆に、下半身が丸ごと消し飛んでいる。しかし両手で這いずってきていた。全身にやけどを負っても、向こうの景色が見えるほど穴塗れになっても、また動いている。

 

 生命を意味する遺伝子に、真っ向から唾を吐く正真の化け物だ。

 いくら敵でも酷過ぎる、まともな神経をしていたら、こんなのは建造できない。それで理解した――思い込んだ、が正解かもしれないが――こいつらはもう、狂っている。

 

「化け物どもめ」

 

「静かにしてなさい、すぐに貴女も同じにするよう頼んであげるから」

 

 戦艦棲姫が、ゆっくりとスネークの元に歩き出す。

 この至近距離でレ級は健在、状況は最悪だ。助けたいが、情けないことに軽巡棲姫に拘束されて動けない。

 

「サアテ、アーセナル、今度コソ掴マエテ上ゲル」

 

「掴まえて、深海凄艦にでもする気か?」

 

「イイエ、戻ルダケヨ。後デ神通モ那珂モ、皆仲間ニシテアゲルワ!」

 

 どうなる、彼女は強いが、あの異形と同時に戦って勝てるのか。

 信じたいが信じ切れない、不安と恐怖が胸の奥から溢れでて、助けを求める絶叫が、喉を突き破る。

 はずだった。

 

 

 

 

 風が、駆け抜けた。

 

 

 

 

 音が聞こえなくなったのではない、音が切り取られたような感覚だった。

 濃霧も、空気も、波も。生き物が発する感情、動き。息遣いどころか、心音の音さえ、奪い取られている。この世界の全てが、その一瞬で停止していた。

 

 戦艦棲姫の自律艤装、その剛腕に一本の線が入る。ずるり、そして、ばしゃん。本体の右手ごと、腕が落ちた。

 

「腕ガアアアア!?」

 

 鏡のような切断面に、神通は見とれていた。

 戦艦棲姫は絶叫のまま、主砲と副砲を四方八方に乱射する。その内一発が、何もない虚空に直撃した。

 

「ソコカッ!」

 

 発射した主砲に、また一本の線が入り、切断された。同時に戦艦棲姫の片角も切り落とされた。

 何もなかった空間が捻じれ、人型の歪みが現れる。人型のそれは頭部の一つ目を光らせながら、ゆっくりと歩いていた。

 

 筋繊維に沿うように張り巡らされた、ゴムのような肌。無機質なヘルメットに輝く、赤い一つ目。片手に持つ、飾りのないシンプルな白鞘。得体の知れないそれは、まるで忍者を連想させた。

 

「逃ゲルワヨ、軽巡棲姫!」

 

「セメテコイツダケデモ――」

 

 軽巡棲姫が主砲を、神通の頭部に突き付ける。

 瞬間、忍者から殺気が飛んできた。体がひしゃげたと錯覚した。軽巡棲姫はそれに怯んだせいで、足元の雷撃を見逃した。

 

「コレハ……!」

 

 完全な直撃、軽巡棲姫は一撃で大破に陥る。神通はその隙に抜け出し、砲撃を叩き込む。それは躱されたが、これで拘束は解かれた。

 

「ゴーヤの魚雷は、おりこうさんでち」

 

 最高のタイミングで、増援が来てくれた。本来なら喜ぶところだが、あいにく目の前の忍者に、神通の意識は全て持ってかれていた。その隙を突かれ、軽巡棲姫たちは逃走を始めていた。

 

「あいつら逃げるでち!」

 

 しかし目の前には異形のレ級がいる。

 追撃は不可能、しかしレ級を沈めない限り、神通たちは撤退できない。その時忍者が、怪物の前に踊り出た。

 

「こいつらは亡霊艦(スペクター)

 

 忍者が始めて、声を発した。男とも女とも取れない、調整された声だ。

 

「見ておけ」

 

 刀が、異形のレ級――亡霊艦(スペクター)の腰を貫いた。その一撃で、亡霊艦は動かなくなった。次々と亡霊を切り裂いていく。一振りするだけで、あれだけやっても死ななかった怪物が沈んでいく。

 四隻全てが動きを止めるまで、そう時間はかからなかった。

 

「お前は、いったい」

 

「私は、『愛国者達』を殺す者。故にお前も殺す――楽しみだ」

 

 忍者が、姿を消した。

 現れた時とは違い、その場から一瞬で、霧のように消えていった。助かったのだろう、多分。晴れていく霧の中で、二人は呆然と立ち尽くしていた。

 

 

*

 

 

 戦艦棲姫と軽巡棲姫から逃れた神通とスネークは、輸送ヘリのなかで、まだ呆然としていた。霧が晴れたので、ヘリが近づくことができた。内部に乗り込んでいた明石の様態は落ち着いている。何はともあれ、任務は成功だ……凄まじく疲れたが。

 

「何はともあれ、全員無事で良かったよ」

 

「ええ、特に木曽さんは姿を見ませんでしたから」

 

 木曽に関しては、突入移行一切姿を見なかった。通信している暇もなかったから、安否が一番分からなかったのだ。

 

「ああ、足止めを喰らっててな……」

 

「深海凄艦の別働隊ですか」

 

「……多分」

 

「多分?」

 

 自信なさげに彼女が呟く、当然神通は疑問に思う。

 

「悪い、確証がなければ言えないことだ。一応映像は取ってある、それを見てからにしてくれないか」

 

「分かりました」

 

 余り聞かない方が良いらしい、神通は素直に従う。

 伊58は下で警戒を行っている、全員無事だ――というには、彼女は余りに痛ましい。

 

「どうして敵は、片腕だけ千切ったんでしょうか」

 

「分かんない、でも、入渠すれば腕は治るから」

 

「いや、厳しいかもしれない」

 

 希望を叩きのめすように、川路が呟いた。

 

「腕の切断面から、深海凄艦の細胞が大量に投入されている。今彼女を入渠させたら、この細胞と混じって再生してしまう」

 

 深海凄艦も入渠できるのは、北方棲姫の件で証明済みだ。

 

「混じったら、何がどうなるんですか」

 

「分からないな、前例がない。もしかしたら、明石ではなくなるかもしれない」

 

「まるでテセウスの船だな」

 

 外を眺めていたスネークが、ふと呟いた。

 

「テセウスの船?」

 

「アイデンティティの話だ、体の部品を少しづつ取り替えていき、最後に脳味噌まで取り変えたら、それは最初の人間と、同じ人間と言えるのか、という問題だ。勿論脳を変えたからといって、記憶に変化があるわけではない、が……」

 

「脳まで変えたら、別人なのでは?」

 

「同じ記憶の脳でもか? 脳はそのままだが、他の部分が機械になったとして、それは同じ人物か?」

 

 自分の心に、違う体。

 だが艦娘だって元々と違う体を獲得している、なら肝心なのは心ではないか。神通はそう思う。しかしスネークは、そうでもないという。

 

「我々艦娘が人と変わらない感性を持っているのは、人の体があるからだ」

 

「人の体?」

 

「視覚、聴覚、味覚。それらがあるから同じ景色を視れるし、会話もできる。食事を美味いと思える。心は肉体にも影響される」

 

 艦だった時、乗員の食事を美味しいと思っただろうか。

 そう思ったとして、共感までしていたか。そもそも意識自体が曖昧だったあの頃だ、判断がつかない。

 

「体を作る遺伝子は、ある意味で精神さえ規定している。なら明石はどうだろうか」

 

 体の中に深海凄艦の細胞が入って治らなかったら、左手が失われたままだったら、明石は明石のままでいられるのだろうか。

 

「どうなっても、明石さんはきっと明石さんですよ。彼女が私たちのことを忘れでもしない限り、私はそう信じたい」

 

 神通にできることは、そう言って自分を信じさせることだけだった。

 

「そうだな、『自分』とは、相対的なものだからな。お前の言う通りかもしれん」

 

 しかし、肉体が変わって、精神が変わってしまった艦がいる。

 軽巡棲姫だ、彼女の心はもう、スネークたちの知る神通ではない。あの心境の変化は、深海凄艦の体が齎した物なのか。

 

 艦娘と深海凄艦。それを構成する遺伝子が、神通を歪めたのか。仲間を喜々として沈める下種に成り果ててしまう。可能性に気づくだけで、心が折れそうになる。嫌だ、沈みたくないと。

 

 

*

 

 

 泊地とキスカ島の中間地点に入ったころ、異常が起きた。

 ヘリに積まれた探知システムが、警報音を鳴らし始めたのだ。スネークのレーダーも、同じ反応を捉えている。情報によれば、敵の艦載機が一機だけ接近してきている。

 

「敵は一機だけなんですか、偵察ではなく?」

 

「視ないと断定はできない」

 

 それだけなら、敵の襲撃でしかない。

 異常なのは、付近に『空母』が見当たらなかったことだ。先行していた伊58の声が、ヘリの無線機から聞こえる。

 

〈正面だけじゃない、付近を全部探したでち〉

 

「それでも、空母はいなかったんだね?」

 

〈速度から考えて、水上戦闘機の類じゃないでち、潜水空母の可能性も低い〉

 

「だとすれば、基地航空隊の陸上戦闘機だけど、一機はさすがに変だね」

 

 キスカ島近くに、敵の飛行場は確かにある。だが川内の言う通り、一機で襲ってくるのは妙だ。加えて出てくるのが遅すぎる。

 そうしている内に、警報機の音が更に激しくなる。接近してきているのだ、神通たちは艤装を展開し、迎撃態勢に入る。

 

「違う」

 

 スネークは、双眼鏡を見ていた。視線の先に、戦闘機の影が見える。距離の割に、妙に大きい気がする。

 

「確かに、戦闘機ではある」

 

 更に戦闘機が近づく、神通たちも、それがただの戦闘機ではないと気づきはじめる。

 

「だが、深海のではない、あれは、まさか!」

 

 凄まじいソニック・ブームを放ちながら、銀色の機体が飛翔する。

 深海凄艦のような、生物的な外観ではない。艦娘の使う、零戦のような外観でもない。羽と胴が一体化した、スリムな外見を持つ機体が、火を噴きながら現れる。

 

「――ハリアー!」

 

 それは、()()()戦闘機だった。

 巨大なハリアーがヘリの真下を突っ切る、巻き起こる風で、ヘリが激しく揺さぶられる。反対側に行ったハリアーに、川内が砲撃を加える。しかし不安定なヘリのせいで狙いがずれてしまった。

 

「どうしてあんなものが、あれはアメリカの戦闘機じゃないですか!?」

 

「分からん、だが敵だ」

 

 スネークは冷静に、ヘリに装備された機銃を撃っていた。どこからから奪ったハリアーを、深海凄艦が操縦している可能性もなくはない。

 世界初の垂直離着陸機(VTOL機)、外観から察してアメリカ海兵隊が70年代に運用していたAV-8Aと呼ばれるタイプ。だとスネークが早口でまくしたてる。製造元はまだ英国で、後継機のハリアー2はアメリカで開発されている。

 

「素早く仕留めるぞ、G.W!」

 

 間もなくして海中から、数発のミサイルが現れた。

 ミサイルはすでに機体をロックオンしており、正確に追尾している。サイズは小さくとも威力は本物だ、喰らえば確実に爆発する。

 

 しかしハリアーは、装備された機銃でミサイルを全て撃ち落としてしまった。

 おもちゃ同然の大きさのミサイルを、あのサイズで、一つ残らず命中させていった。スネークは呆気に取られていた。反撃のミサイルが、ヘリに向かって発射される。

 

 神通はヘリから身を乗り出し、機銃を斉射した。

 誘爆し、消滅するミサイル。ハリアーはまたヘリの下部に回り込んだ。木曽と多摩がロープで降下し、下から砲撃を加える。だが川内の時と同じく、すべての攻撃を回避していた。スネークが改めて撃ったミサイルは、また正確に撃ち抜かれた。

 

 間違いない、狙って撃墜している。パイロットが滅茶苦茶な技量の持ち主なのは、よく分かった。というか全速力で飛行しながら迫るミサイルを落とせる時点で、普通ではない。しかし砲撃もミサイルも回避してくるとなると、どうすればいい。

 

「神通、機銃は頼んだ」

 

 スネークが機銃を押し付けてきて、彼女自身はロープで体をヘリに固定した。そして片隅に置いてあったスナイパーライフルを構えた。狙撃をする気だ、神通はその補佐に徹するべく、機銃を乱射する。

 

 相手も狙撃に気づき、ある程度の距離を保ち続けている。向こうも確実な一撃を撃つつもりだ、そんなものが撃たれれば、この輸送用ヘリでは逃れられない。緊張を断ち切ったのは、ハリアーの後ろの影だった。

 

「あれは確か、ゴーヤさんの水上戦闘機」

 

強風改(REX)か」

 

 二機だけ搭載していた強風が戦闘機を追い立てる。ハリアーが優位だったのは、同じ空で闘える存在がなかったからだ。一変した状況に対処しようと、またヘリに向かって加速する。勝負を決める気だ。

 

 神通はハリアーの動きを制限するために、機銃を撃った。下にいる木曽たちも同じだ。川内だけは反動でヘリを揺らさないよう、万一に備えて待機していた。

 

 スネークのライフルと、ハリアーのミサイルは、同時に撃たれた。

 手は震えていたが、寄りかかる川内の温度が、緊張を和らげた。そして撃たれた機銃は、必殺のミサイルを見事粉砕した。

 

「やった!」

 

 思わず、声を上げていた。

 擦れ違いざま見えたコックピットには、小さな穴が広がっていた。スネークの狙撃も成功したのだ。彼女はどんな顔だろうと覗き込む、だがスネークは、未だ緊迫した顔つきで虚空を眺めていた。

 

「スネーク?」

 

「目が合った」

 

 背後で、ハリアーが砕ける。速度を殺せず海面に激突したのだ。

 ライフル弾は、コンソールを破壊しただけだったらしい。それでも制御不能に変わりはない、脱出もできずに死んだのだろう。

 しかし、スネークの様子を見ていると、とてもそうとは思えなかった。




参考資料 戦艦レ級特異個体

 北方海域で発見された異常な生命力を持つレ級、余りの不死身ぶりに亡霊艦(スペクター)と呼ばれる。
 以下、アーセナルギアの交戦記録から確認した生存能力である。
・頭部破損、完全破壊でも沈黙セズ。
・内蔵部位破壊でも沈黙セズ。
・全身の骨を破壊したが、内部の筋力及び艤装の駆動のみで活動続行、沈黙セズ。このことから痛覚自体が存在シナイ模様。
・どれほど体を破壊しても出血が確認サレズ、よって出血による沈黙も不可能と予測可能。
・四肢を全て切断したが、尻尾艤装と胴体のみで、蛇のように動き活動続行。
・本体を完全に消滅させたものの、尻尾艤装だけで活動続行。
・バラバラにした部位同士で再結合し、活動再開。
・↑に追記、撃破したにも関わらず、死体の消滅が発生しなかった。出血がないことと関係性の可能性アリ。
 以上のことから完全撃破のためには、展開する全てのレ級を跡形もなく破壊する他ないが、現行の艦娘の兵装では不可能である。しかし何らかの撃破方法は存在する模様。


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File24 美保関沖事件

 集中治療室に明石は運び込まれる。体内に侵入した深海細胞を除去するためだ。

 神通たちは入渠ドッグへと運ばれ、そのまま回復を待つ予定だった。しかし富村提督から高速修復剤の使用が命じられ、すぐにドッグを出ることになる。傷は治ったが、精神的な疲労は抜けきっていない。

 

 だが、ドッグに入らなくて良かったかもしれない。

 疲れた体だ、すぐに寝てしまう。そうなれば確実にあの夢を見る。夜中の海で煌々と燃える炎を。

 それを生み出した、私の姿を。

 

 

 

 

―― File24 美保関沖事件 ――

 

 

 

 

 執務室に集まっていたのは、提督と神通、スネークに伊58の四人。

 やはり槍先に上がったのは不死のレ級――謎の忍者は、亡霊艦(スペクター)と呼んでいたが――の報告だ。

 

「ばらばらにしても行動し続けるレ級か、恐ろしいな」

 

「だが仕留め方はあるようだ、例の忍者は、アレを完全に無力化していた」

 

 忍者とレ級が、グルでなければの話だが、とスネークは付け足す。

 倒し方は未だに分からないが、不死身でないと分かっただけ、精神的にはだいぶマシだ。更にスネークは、手土産を持っていた。

 

「あのドサクサに紛れて、遺体をレイに回収させた」

 

「遺体? 待つでち、深海凄艦は死んだら消滅する生物じゃないの」

 

「ああ、だが消滅せずに残っていた」

 

 体を欠損しても動き回り、死んでも消滅しない。

 深海凄艦どころか、生物の法則に歯向かっている。どんな遺伝子構造をしているのだと、神通は震えた。

 

 その遺体に関しては、G.Wと北方棲姫が共同で調べている。深海凄艦に関しては、人間よりも詳しい。人間の研究者を関わらせないのは、スネーク、北方棲姫ともども、人間を信用し切っていない証拠だ。

 

 それに加え、同じく化け物じみたハリアーと交戦したことも伝える。

 高速で飛翔するミサイルは撃ち落とし、砲撃はバレルロールで躱していく。伊58の水上戦闘機がなければ、恐らくヘリごと叩き落とされていた。

 

「ミサイルを、機銃で撃ち落としたのかい」

 

「間違いありません」

 

「艦娘の兵装なのに?」

 

「汚染されていたからだな」

 

 提督の言葉に、神通はハッとした。

 艦娘や深海凄艦に、既存の兵器は通じない。それはこの戦争の大前提だ、勿論運用する兵器も同じく、通常兵器は通じない。

 

 唯一の例外が、深海の力に汚染された兵器だ。スネークが拾ったライフルも汚染されていた、だから攻撃が通じたのだ。

 

 だが謎が増える、汚染する力を持つのは、陸上型深海凄艦だけだ。汚染された兵器が流通していないのは、それを生産できる陸上型が貴重だからだ。

 

 今神通たちに立ち塞がっているのは、軽巡棲姫と戦艦棲姫。どちらも水上型だ、陸上型深海凄艦は見ていない。

 

「思えば、ソロモン諸島にも基地型はいなかった」

 

 スネークは以前、汚染された局地戦闘機雷電を乗りこなしていた。その時も基地型は見なかったという。

 

「軽巡棲姫と戦艦棲姫の後ろに、別の基地型がいる、ということでちか」

 

「白鯨も含めたら四隻、いくらなんでも無茶です」

 

「四隻だけなら良いが」

 

 彼女が考えていたのは、とんでもなくかつ信じがたい懸念事項だった。

 

「私は背後に合衆国がいると考えている」

 

「まさか」

 

 あれは人類の敵だ、深海凄艦というだけで、そうなるのだ。

 慕われていた神通が豹変する、人類を滅ぼそうとする。それは深海凄艦なのだ。滅ぼす対象の人類と手を組むなど。

 

「ではハリアーや最新鋭のサーマル・ゴーグルはどうやって調達した」

 

「それは……」

 

「ありえない、アメリカと日本はいまだに同盟国だ、そんなことが露見すれば、国際問題どころの騒ぎではない」

 

 神通も提督の答えを信じることにした。

 

「いや、多分その通りでち」

 

 その希望は、伊58があっけなく粉砕した。

 彼女がおもむろに取り出したのは、一枚の写真だった。水上戦闘機からとった写真だが、凄まじい霧でぼやけている。辛うじて写っていたのが大発と、人型の生物だと分かる。島にいた深海凄艦が脱出する瞬間が撮影されていた。

 

「これは神通たちがいた場所の、真反対から取った写真でち」

 

「真反対、じゃあ乗っているのは陸上型の深海凄艦ですか」

 

「いや待て、複数人乗っている。陸上型がそんな簡単に、何人も集まらない」

 

 嫌な予感が過るが、神通はそれでも冷静に考える。

 普通の深海凄艦は大発に乗らない、自力で受ける。乗るのは自力で受けない陸上型だけ――しかしこの複数人が全て陸上型とは考えられない。積載量の問題もある。

 

「水に浮けず、大発に乗らないといけない、陸上型以外の人型生物。そんなの人間以外に、誰がいるでち?」

 

 嘘だ、心がそう叫ぶ。

 しかし考えても考えても、それ以外に合理的な答えは浮かばない。現実は非常だった、ハリアーの存在も踏まえると、軽巡棲姫に合衆国が協力してたとしたか思えない。

 

「馬鹿なことを言わないでくれ、あくまで予想じゃないか」

 

「ならその写真を解析してみよう、今やっている木曽の写真の解析が終われば、答えはおのずと見えてくる」

 

「……好きにしてくれ、だが忘れないでほしい、優先すべきは敵に核を奪われないことだと」

 

「私は日本がどうなろうが、関係ないがな」

 

 そう言いスネークは執務室の外へ出る。この場の空気に耐えられず、神通も彼女を追い駆けた。同じ様に伊58もスネークの後ろを歩く。

 画像解析をしているスネークの艤装は、ドッグに置いてある。落ち着いて目の当たりにすると、凄まじい占有率だ。その傍には青葉がいて、写真の解析作業をしていた。

 

「青葉、追加の解析だ」

 

「え、まあ良いですけど」

 

 青葉は今スネークの艤装――正確には内部のコンピューターだ――を借りて、画像解析をしている。取材や撮影を趣味にしている内に、身に付けた技術らしい。

 

「でも多分、これ艦娘ですね」

 

「本当ですか」

 

「覚悟は決めといた方が良いかもしれません」

 

 同じ艦娘と殺し合う覚悟を決める、決めないといけない。今の仲間を取るか、それとも別の誰かを取るか。天秤に掛けなければいけない、正直そんな戦いはしたくない。誰だって同じだろう。

 

「本当に、最悪の戦場でち」

 

 憎しみに満ちた顔で、伊58が写真を睨み付ける。

 彼女は単冠湾がこうなった理由である、ブラック泊地の頃から巻き込まれている。そんな運営を強いた前任がいなくなったら、今度は仲間殺しだ。

 

「最悪なら、逃げればいい。いっそ死ぬ選択肢もある。我々は鉄の塊ではなく、生き方を選べる生き物だ」

 

 スネークの言う通りかもしれない、どうしても嫌なら、そういう選択もあり得る。

 

「ありえないでち」

 

 けど伊58の言う通り、それはあり得ないのだ。

 自分一人で逃げ出して、仲間姉妹を見捨てるなど考えたくもない。それはもはや味方を沈めようとする軽巡棲姫以下の卑怯者だ。

 

「ブラック鎮守府を強制するような、国家でもか?」

 

「元の提督だって、意図してやったわけじゃない筈。国のため、国民を守るために必死だっただけだと思う」

 

「……だとしたらブラック運営は濡れ衣になるな」

 

 国とは何だろうか、国を守ることは国民を護ることにはなる。

 しかしそれは、艦娘や提督等が代わりに犠牲になることを意味する。軍人とはそういう存在だが、ここまで彼女たちを蔑ろにする世界に、護るだけの価値があるのか。

 私は、何の為に。

 

 

*

 

 

 どの道解析にはもう少し時間が掛かる、神通は別の場所で時間を潰すことにした。

 目が覚めた明石の見舞いに訪れたのは、気持ちを紛らわす意味も多分に含まれている。もっともそれもまた失敗だったと、すぐに気づくのだが。

 

「明石さん、起きてますか」

 

 返事はない、寝ているのか。いや、そうではない。

 開いた窓から差し込む光が、明石をぼんやりと浮かび上がらせ、翻るカーテンが、彼女をベールのように被う。

 真っ白な長袖の片方も、カーテンみたいに風ではためいていた。中に何にもないように。

 

「神通か」

 

「川路さん、明石さんは」

 

「一命は取り止めた、汚染らしきものも見当たらない。彼女が今こうなっているのは、受けたショックによるPTSDだ」

 

 明石の左手は、やはり助からなかったのだ。

 汚染を除去するにしても、汚染は左手どころか腕全体に広がっていた。もう左手そのものを切除するしか、方法はなかった。

 しかしそれでも、手遅れだった。明石の腕は何度入渠しても、もう治らない。

 

「義手はもう依頼してある、じきに届く」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

「彼女はこの棄てられた泊地で、工作艦としての役割を全うした。情報も漏らさなかった。敬意をしめすべきだ」

 

 その結果がこれなら、なんと救いのないことだろうか。

 川路なりの慰めは、空虚に心の中を彷徨う。あの時気づいていれば、今更しても仕方のない後悔が、消えることはない。

 

「……ひ、と、が」

 

 唐突に、虚空を見つめる明石が言葉を発した。

 

「どうしたんですか、何か思い出したんですか」

 

「……私の、腕を取ったの、は、()の、人だった――あれ、でも、女……?」

 

「明石さん?」

 

「嫌だ……取らないで、止めて、止めて! 私の手が!!」

 

「神通、ありがとう、あとは私に任せるんだ」

 

 また錯乱しだした明石を置き、神通は医務室から追い出された。その間際、川路の応援が聞こえた。

 

「二水戦の役割を果たせ!」

 

 二水戦、私が私である為の誇り。

 今の私に相応しいのだろうか。疑問でしかない、仲間もろくに護れず、下手すれば守るべき仲間と戦っている私に。

 

 

 

 

 外の風に当たり、気分が少しだけ晴れる。

 冷静になった頭で、ふと思った。

 そういえば川路は、よく『二水戦』と言ってくるなと。

 

「おー、二水戦さまだ」

 

 これは違う、川路ではない。

 埠頭の先で寝っ転がっていたのは、姉の川内だった。隣には那珂もいた、神通は何となく、二人の真ん中に座り込む。

 

「どうしたんですか、こんなところで」

 

「休憩、まだ昼だし」

 

 今の泊地は、事実上活動停止状態にある。

 あれほど頻繁に来ていた襲撃部隊は、ピタリと止まってしまった。スネークや提督は、北方棲姫から領土を奪った戦艦棲姫が、忍者にやられたからではないか、と推測していた。

 

「いやー、夜が待ち遠しいねえ」

 

「姉さんは、恐くないんですか?」

 

「何が? 夜?」

 

「惚けないでください、敵が同じ艦娘かもしれないのは、知っていますよね」

 

「神通は恐いの?」

 

 姉の言葉に、神通は自覚した。軽巡棲姫を嫌悪する理由、同じ艦娘と戦いたくない理由。それは同じところにあると。

 

「……那珂は、見てますよね」

 

「あの夜?」

 

「ええ、8月24日の、あの時を、私はまだ引き摺っています」

 

「美保関沖事件、ですか」

 

 後ろから聞こえた声に、神通は振り返る。

 そこにはいろいろな機械を持った青葉がいた。丁度解析が終わり、スネークたちに報告に行く途中だったらしい。

 

 何故彼女が――と思うが、青葉は加古や古鷹と同じ第六戦隊。そうでなくてもこの時代は、ネットで何でも検索できてしまう。

 

「加古に神通のことを報告したら、多分それだって言ってたんです」

 

「加古さんが……」

 

「『蕨』、ですよね」

 

 1927年、島根県美保関沖で行われた夜間無灯火演習。

 神通、那珂、加古、古鷹はそれぞれ第二水雷戦隊、第五戦隊旗艦として参加。しかしその最中、軽巡『神通』は駆逐艦『蕨』と衝突。神通は艦首を喪失し大破。『蕨』はそのまま――多数の犠牲者と共に轟沈したのである。

 

「私は、アーセナルみたいになりたかった」

 

 ぽつり、と神通が言葉を漏らす。

 

「何があっても、仲間を護れる彼女に憧れた。あの子を沈めてしまったからこそ」

 

 本物のスネークと会った今、『レイテの英雄』と本当は違っていると理解している。それでもあの時抱いた憧れは本物だった。

 

「そうなれなかったら、あの子が沈んだ意味がなくなる。私は……本当に私が許せなくなるから」

 

 艦の時から今に至るまで、自分を許したことは一度もない。

 それは、これからも変わらない。許されないことをしてしまったのだから。この罪を背負って戦い続けること。二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、命を賭して仲間を護ること。

 

 そうあるべきだと、決意した。

 意志は人の体と心を得て、より強くなった。その理想を――噂の上では――体現していたアーセナルギアに憧れたのは、当然のことだった。

 

「……でも、私がその為に沈めてたのは、他ならない仲間だった」

 

「全員が全員、深海凄艦になるわけでは――」

 

 神通を慰めようとした青葉は、途中で口を閉ざした。D事案の可能性がある、ただそれだけで十分だと察したのだ。

 

「それに、今私たちの敵に回っているのは、アメリカの艦娘かもしれない」

 

 それもまだ可能性の話だが、これも神通を怯えさせるのには十分だった。

 

「艦娘と深海凄艦を行ったり来たりして、同じ艦娘で沈め合って」

 

「神通……」

 

「あの時と何も変わってない、なら私達は、どうして生まれ変わったんですか」

 

 川内も那珂も青葉も、一言も発しなかった。

 神通の言ったことは、残酷だが紛れもない現実だったのだ。D事案による転生、国家の都合で仲間殺しをさせられる艦娘。

 

 D事案を『生まれ変わり』とみるか、『死』とみるか。ただ同じ艦娘というだけで、仲間になるのか。そういった疑問はあるが、壮絶な過去をもつ神通からすれば、とうてい割り切れるものではない。

 

「なのに、あいつは」

 

 だからこそ、軽巡棲姫はもっとも許せない存在だった。

 

「同じ悩みも、罪も知っている。同じ『神通』なんだから抱えていないわけがない」

 

 認めたくもないが、実力的にも私より上だ。

 

「それなのにあいつは、那珂を沈めようとした。仲間殺しを、またやろうとした。自分の意志で!」

 

「軽巡棲姫を見て、いつも暴走するのは、それが理由?」

 

「……そうだと思います」

 

 認められるはずがない、認めてはいけない。あれが神通だと。かつて神通だった事実でさえ、認めたくもない。

 

 やるべきことは分かっているのだ、あの堕ちた神通を止めること。それが自分の役割、例え軽巡棲姫が何を知ったせいで堕ちたのかなど、関係ない。

 

 例えその過程にあるのが仲間殺しであろうと、進まねばならないのだ。この告白は、自分の成すべきことを再確認する意味もあった。

 

 長い沈黙が続いた。

 小さなすすり泣きは、いったい誰のものなのか。

 

「やることが分かっているなら、あたしからどうこうする気はない」

 

 涙が止んだ時、日が沈みかけた時。

 川内が、地平線を指さした。

 

「だけど、夜から逃げちゃ駄目」

 

「逃げる?」

 

あたしたち(水雷戦隊旗艦)は、真っ先にあそこに行かなきゃいけないんだから」

 

 既に太陽は沈み、暗闇が海を覆いつくしていた。

 

「それに夜は、そこまで恐いモノじゃないよ」

 

「何も見えない、敵も味方も分からないあの闇が、ですか」

 

「だからこそ、見えないからこそ、見えるものがある。神通にとって本当に大切なのは、きっとそれだ」

 

 川内の問いかけは、謎掛けのようだった。

 しかし話を誤魔化しているようにも、茶化しているようにも聞こえない。心から心配した故の謎掛けではないか、神通は直感的にそう思った。

 

 

*

 

 

 木曽の写真に写っていた艦娘は、やはり米国の艦娘だった。

 そして伊58の撮影した揚陸艇に乗っていたのも、やはり人間だった。それはつまり、これまでの妨害が合衆国の謀略だったことを意味する。

 

 更にこの写真は、もう一つの事実を暴きたてる。

 

「揚陸艇に乗っていた人間の内何名かが、単冠湾の配属データ内に存在した」

 

「アメリカ人が、日本の泊地で働いていたの?」

 

 伊58の問いに、スネークが頷く。

 彼等が配属されていたのは数週間前、つまり単冠湾がブラック運営をしていた頃と一致する。しかも配属されていた情報は、完全に抹消されていた。

 

「痕跡も消されていた、G.Wにサルベージさせなければ気づかなかった。此処で働いていた時の戸籍や個人情報は、全て偽装だ」

 

「何故そんなことを」

 

「分からないか、合衆国は、核の捜索を妨害したいんだぞ」

 

 明石を誘拐し人質にしたのは、時間稼ぎが目的だった。

日本が手こずっている間に、軽巡棲姫たちはアリューシャンに隠された核を発見する。北方棲姫が捕獲できない場合のサブプランとして、左手を切った理由は分からないが。

 

「まさか?」

 

「証拠も見つかった、こいつらは単冠湾泊地を『ブラック化』させるために送り込まれた工作員だ」

 

 本来非効率だから起きないブラック運営が起きたのは、意図的なものだったからだ。

 運び込まれる物資の制限や、泊地近海への深海凄艦を追い込み。CIAのリストにも彼等は存在していた。

 

 全て核を奪わせない、その為だけに。

 その為だけに、深海凄艦とさえ手を組んだ。

 そして時間を稼いだ合衆国は、遂にアリューシャン方面に部隊を展開。深海凄艦と連合を組み、核の捜索に入る――可能性が高い。

 

「しかし不思議だ」

 

「何がですか?」

 

「ブラック鎮守府が内通者によって引き起こされたことを、本当に今の今まで知らなかったのか?」

 

 一度ブラック鎮守府が発覚した後、内部調査が行われた。その時合衆国がやった工作の記録が見つからなかったのか。そこまで調査員が無能ということはあるまい。

 最初の時点で、騒動の裏に米国がいたのは分かっていたことになる。

 

「お前、最初から知ってたな?」

 

 遥か遠い場所を見つめながら、提督は歯を食い縛っていた。スネークはその態度を肯定と捉え、深くため息をついた。

 

「アメリカにも深海凄艦にも核は渡せない、しかし同盟国相手との戦いに、躊躇する連中もいる。だから敢えて教えなかった。そんなところだろ?」

 

「必要の原則は、軍事行動における基本だと思わないかい?」

 

「言い訳はたくさんだ、核の発見には協力するが……私を都合よく利用することの意味は、分かってもらうからな?」

 

 この調子だと、最初から核の存在も掴んでいたかもしれない。

 仲間のため、二水戦の誇りのためとはいえ、結果的に富村提督や政府の利益になるのだろう。心の奥底に、小さな棘が刺さり、抜けてくれない。




―― 140.12 ――


〈どうかしましたか神通さん〉
〈いえ、この時代だと、精神的に負傷した艦娘はどうなるのかと思いまして〉
〈あーそうですよね、青葉たちの時代にはまだ発展してませんでしからねえ〉
〈どうなんでしょうか、明石さんが心配で〉
〈大丈夫でしょう、今の時代は艦娘専門の精神科がありますから〉
〈艦娘、専門?〉
〈だって艦娘の精神構造は、人間と大きく違うじゃないですか〉
〈遺伝子上は殆ど差異がないと聞きましたが〉
〈でも最初から人格が出来上がっていて、記憶もあるんですよ、どうやったって人間とは違ってきます〉
〈だから人間とは区別した専門の分野になるんですね〉
〈それだけではありません、解体された艦娘も一定期間入院することになっています〉
〈入院? 心の病になっていなくてもですか〉
〈ええ、生まれてから戦うことが必然だからでしょう、昔……と言っても15年前ですが、その頃は使えなくなると解体し、世間に放り投げることが当たり前でした〉
〈嫌な予感しかしないのですが〉
〈正解ですよ、戦いしか知らない私達は世間に馴染めず、PMSCsに入るか軍に復帰する……ぐらいならマシで、酷いと犯罪行為に手を染めてしまうことが多かったんです〉
〈そこまで……〉
〈ある程度深海凄艦と戦えるようになってからやっと法整備が進み、こういった退役艦の支援やブラック鎮守府の禁止法が整備されたんですよ。だから明石さんも、きっと回復します〉
〈そうですよね、私もそう思います〉


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File25 死海

 心なしか、吹雪がどんどん強くなっている気がする。

 余りにも重圧な風と冷気の奔流は、巨大な壁が押し迫っているかのようだ。それは体への負担だけではなく、心さえ圧し折らんと圧し掛かってくる。

 

 単冠湾泊地からキスカ島を更に越え、アラスカにあるアリューシャン列島へと近づいていく。合衆国も深海凄艦も、核の捜索に力を入れているのか、道中遭遇した敵はいずれも駆逐艦か軽巡ばかり。対処は容易い。

 

 だからこそ、この後待ち構えるものが、大きく感じられる。

 吹き荒れる暴風は、私たちを護っているのかもしれない。無数の蠱毒と化し、少しでも漏れれば世界を犯してしまう奈落の淀みから。

 全てを隠し、全てを護るパンドラの中へと、スネークたちは踏み入っていく。

 

 

 

 

―― File25 死海 ――

 

 

 

 

 アリューシャン列島に入り込んだスネークたちだが、そこで一旦足を止めた。ここから先にいるのは、無数の米艦娘と深海凄艦。対するこちらはほんの数隻、アーセナルギアのミサイルを使おうにも、スペクターとの戦いで大量に使用してしまった。次使えば確実に残弾がなくなる。そこまでやる義理はなかった。

 

 残る全てのレイを動員したとしても、足りるか分からない。したがってスネークたちは、まず北方棲姫の陣地を奪還することに決めた。陸上型である彼女が本来の陣地を取り戻せば、相当な戦力になる。

 

 敵の気を引く陽動班と、隠密に行動する北方棲姫の護衛艦隊。二手に分かれ、スネークたちは進んでいく。北方棲姫の護衛には、スネークと神通、伊58がついた。陣地を取り戻した北方棲姫が、万一裏切ったとしても、スネークなら瞬時に対処できる。それを踏まえた人選だった。

 

「しかし何だ、随分と奇妙な光景だ」

 

「言うな」

 

 尚陸上型である北方棲姫は、普通の深海凄艦と違い海に立てない。立とうとすると沈む。なので彼女は、この中で最も体格のいいスネークに背負われていた。だが大きさが違い過ぎて、子供をおんぶしているのとそう差がない。

 

 一応、彼女が何かしてもすぐ対処する意味もあるが、それにしてもシュールな光景だった。

 だが核弾頭の隠し場所を知るのは彼女だけだ、裏切りに注意するとともに、守らなくてはならない。それもまた奇妙な関係だとスネークは思う。

 

「最初から場所を言ってくれれば、ゴーヤたちは楽ができたんでちが」

 

「あの態度を見て信用できると?」

 

「ごもっともだな」

 

 北方棲姫と同じく、部外者であるスネークは笑う。核を求める癖に、都合の悪い部分を隠そうとしたツケが回ってきたのだ。

 

 なら合衆国と軽巡棲姫といえば、こちらも怪しい。

 恐らく――というかほぼ間違いなく、どちらかが核を見つけた瞬間、奇襲からの潰し合いが始まると予想されている。

 ただ憶測の混乱を突いて彼女たちを出し抜くのは、流石に博打が過ぎたので、こんな方法を取っている。

 

 それに、どの道北方棲姫の力は必要だった。

 米艦隊や深海凄艦を迎撃しないまま核の隠し場所に向かっては、場所を教えるのと同じだ。こちらに向かってこようがこまいが、戦いは避けられなかった。

 

「あんな連中に良いように使われるとは、私も落ちぶれたものだ」

 

 北方棲姫がスネークたちと協力しているのは、妥協だ。本当なら、永遠に自分の手で管理し続けたかった。

 なら、とスネークは思い、耳を叩く。周りにばれないよう、彼女だけに見えるように。

 

〈どうした、急に無線など〉

 

〈お前、まさかとは思うが、自爆する気か?〉

 

 無線越しで、顔は合わせていない。しかし彼女の息を呑む声が耳に聞こえた。

 

〈どうして〉

 

〈核を誰にも渡さない確実な方法だからだ〉

 

〈自爆など必要ない、基地を取り戻したと同時に、お前たちを沈めればいいだけだ〉

 

〈お前は裏切らないよ、間違いなく〉

 

 スネークは考える時間もなく、即答した。

 北方棲姫はD事案による、価値観の変貌を目撃している。その時の恐怖は相当のものだ、信じていた部下が、砲を向けてくるなど。

 それを知っている彼女が、同じことをする可能性は低い。人の心を数値化できるG.Wに聞かなくても、察することができた。違っていたら一巻の終わりだが――信じたかった。

 

〈何故そう言い切れる〉

 

〈裏切り、嘘、偽装――そういったものが嫌いなのさ、私は特に〉

 

 騙され利用され使い潰されてきた蛇たちの模倣子(MEME)を纏うスネークは、そういったものを本能的に嫌っていた。自分自身の経験ではないが、利用されたことへの絶望や怒りも、知っていた。

 

〈だから提案しよう〉

 

〈提案だと?〉

 

〈核弾頭は、私に渡せ〉

 

 何を言っているんだこいつは、とでも言いたげな沈黙が無線機から流れた。

 

〈私はどこの勢力にも属してない、お前が管理するのとそう変わりはない。それに完璧な保管場所もある〉

 

〈そんな場所があるのか〉

 

()()、アーセナルギアは核ミサイルの搭載能力を持っている、そこに収めればいい。動かせない場所に延々と置き続けるより、確実ではないか?〉

 

〈……核が、欲しいのか〉

 

〈ああ、欲しい。だが使うつもりはない。核は抑止力だ、使わないからこそ価値が生まれる。私のテクノロジーは世界中から狙われている、核を搭載すれば、そいつらを牽制できる〉

 

 スネークが望むのは、自由だった。何者にも縛られないフリーダムを欲していた。核を手に入れれば、周りもおいそれと手を出せなくなる。

 

 信用できないなら、核を乗せた艤装ごと北方棲姫の管理下に置いてもらってもいい。核を受け取る対価として、陣地の防衛に協力しよう、とスネークは言った。

 

〈まあその場合、私が戦うための資源は、多少融通してほしいが〉

 

〈信用できるとでも、お前の方が強い、バランスは成り立っていない〉

 

〈私が数の暴力に弱いのは知っている筈だ〉

 

 アーセナルギアは最弱の艦である。

 補給なしで戦えばすぐに弾が尽き、巨大さだけが取り柄の棺桶に成り果てる。無数の深海凄艦を率いることができる北方棲姫の陣地など、墓穴同然。だからこそスネークは、そこが居場所で良いと言うのだ。

 

 それでも呑み込むのは難しい提案だと、スネーク自身理解していた。出会って数日では信用関係も糞もない。

 

〈まあ、あとは信じて貰うしかないが。考えておいてくれ〉

 

〈そうか〉

 

〈それと、もう一ついいか?〉

 

〈なんだ〉

 

〈『愛国者達』、という言葉に聞き覚えはないか?〉

 

 あの忍者は、確かに愛国者達と言った。

 しかしG.Wの調べでは、この世界に愛国者達はいない。スネークの知る規範としての彼等は、最初から存在していないのだ。自分を生み出し、制御した連中がいない。G.Wには悪いが、心から安堵した。

 

〈ある〉

 

〈――どこで聞いた〉

 

〈戦艦棲姫が、その名を自称していた〉

 

 安らぎは、いとも呆気なく終わりを迎えた。

 これは偶然か、それとも必然か。アーセナルギアと愛国者達、どこへ逃げたとしても、自由を求める限り、その因縁は切れないのかもしれない。

 核程度で、自由を掴めるのか。確証は得られなかった。

 

 

*

 

 

 北方棲姫の案内は的確だった、この吹雪の中でも迷わずに進むことができ、目的地である彼女の拠点はもう目前となる。

 

 同時刻、木曽から無線が入った。現在深海凄艦と交戦中だと、その中にはやはり、合衆国の艦娘も混じっていることも。彼女の報告を聞いた神通は、それを伝える間ずっと顔をしかめていた。

 

 どうも想定より数が少ないらしい。

 深海凄艦ではなく、合衆国の艦娘が多くない。物量でいつも戦ってきたあの国にしては珍しい。いくら初期の失敗があるとはいえ、それでもなお日本に勝る国力だ。数が少ないことなどあるのか。

 

 そもそも投入している数が少ないのか、それとも――目の前の拠点内部防衛に回しているのか。それを調べるために、尖峰として伊58を、偵察に向かわせたのが、数刻前のことだった。

 

「通信途絶だと?」

 

 そんな馬鹿な、と改めて問いただす。

 

「はい何度呼びかけ(CALL)ても反応がないんです」

 

 心配しているのだろう、酷く焦りながら早口でまくしたてる。敵にやられてしまったのかもしれない、スネークも伊58の安否は気になった。

 

「スネーク、時間がないぞ」

 

「分かっている、行くしかない」

 

 木曽たちが稼げる時間にも限界がある、偵察結果を得れなかったのは残念だが、もう行くしかない。

 

「注意しろ、通信が途絶したということは、少なくとも敵はいる」

 

 艦娘か深海凄艦か、多いか少ないか。実際に戦いながら確かめるしかない。北方棲姫を背負いながらスネークたちは、彼女の陣地のある場所――ダッチハーバーへ突入した。

 

 アラスカ州アリューシャン列島、ウナラスカ島には合衆国の海軍基地が設置されている。WW2の時は北方での活動拠点でもあったそこは、かつて日本海軍の襲撃を受けたこともある。しかし最後まで、上陸はされなかった。

 

 この時代でもダッチハーバー基地はあったが、かつて北方棲姫はそこを襲撃した。理由はない。そもそも深海凄艦は基本人を襲うものだ。今こうやって話が通じているのは、D事案を見て何か感じたからに過ぎない。

 

 北方棲姫のもつ深海の力に汚染されたダッチハーバーは、まるで巨大な生物の腹の中にも思えた。吹雪のせいでやはり遠くは見えないが、生物的に変異した防波堤が見える。

 

「北方棲姫、ここは私の知るダッチハーバーとはだいぶ異なって見えるが」

 

「拠点に作り変える時、色々いじっていたからな」

 

 内部まで通る水路や、あちこちに設置された地下水路。人のサイズで海に出ることができ、かつ水中へ潜れる深海凄艦なら、この水路を万全に活用できるだろう。スネークも水中へ潜れるが、あの艤装では多分通れないので、活用は諦めた。

 

「電探に反応あり、敵がきます!」

 

 神通が叫ぶと、思考は瞬時に切り替わる。

 スネークはどうせ使わない大型艤装をパージし、スネーク・アームとブレードだけのシンプルなスタイルに戻る。大型艤装の上に姫を置き、彼女は吹雪を切り裂いた。

 

 自分自身の電探も、敵の姿を捉えている。吹雪を切ったすぐ目の前に、戦艦が一隻いた。事前に察知していたスネークは先手をとり、一撃で首を跳ねた。

 

 何が起きたのか分からない、といった表情で、タ級の顔は沈んだ。スネークは頭を失った体が倒れるのを見て安堵する。亡霊艦(スペクター)がそう何隻もいなくてよかった。

その時、海底でいくつかの爆発が起きた。

 

 予想通り、機雷が撒かれていた。

 直前に展開したメタルギア・レイが、機雷を水圧カッターで破壊したのだ。水路は狭い、場所を特定するのは難しいことではない。特に水中を自由自在に移動できるレイならば。

 

 神通はその間、近接攻撃しかできないスネークの代わりに、敵艦隊と真っ向からぶつかっていた。吹雪のおかげで時間は稼げている、確実に命中するわけではないが、しかし一発一発の砲弾が、敵の動きを制限している。

 

 となれば、私がやるべきだ。

 スネークは瞬時に、スニーキング・モードへ変異した。彼女の発散する気配が吹雪と同化し、存在が溶け落ちる。

 

 音が消え、気配が消える。慣れたものだ、と思い掛けて、慢心だと気を引き締める。今のスネークを探知するには、レーダーを使うしかない。

 

 敵艦の中に、それを持っている奴がいたのだろう。彼女たちに接近し始めた時、一隻がスネークの方向に振り向いた。その時、一瞬だけ艦隊の統制が乱れたのを、電探越しに神通は見ていた。

 

 彼女は迷いなく、主砲を旗艦へ向けて撃ちこんだ。牽制ではなく直撃を狙って。直前で気づいた旗艦はすぐに回避行動へ移ろうとする、だが回避に注意を向けさせるのが、神通の狙いだった。

 

 足元に見えたのは、雷撃の軌跡だった。

 こちらの方が威力的にはまずい、旗艦である彼女はやむを得ず、装甲に包まれた片腕で主砲を受け止める。回避しなかったので、雷撃はそのまま外れていった。

 

 だが、彼女の首は、その瞬間飛んでいった。

 スネークのブレードだった、そうか、逃げれば雷撃が、逃げなければ主砲を受け止めた瞬間に、この刀が。

 

 唯一レーダーを持っていた旗艦が沈んだことで、艦隊は統制を失う。いや、完全には失ってない。しかしこれでスネークは、誰にも探知出来なくなってしまったのだ。神通の魚雷が、主砲が、ブレードにCQC。艦隊は瞬く間にやられ、沈んでいった。

 

「きた」

 

「どうした?」

 

「今私の陣地が、私の陣地に戻った感覚がある」

 

 別に陣地を奪還するのに、敵を全て根絶する必要は無いらしい。

 そう言いながら、北方棲姫は腕を振り上げる。レーダーや基地に供えられた砲台が動き出すのが、感知できる。

 

「マダ妙ナ違和感ハアルガ、イケル」

 

 北方棲姫が腕を振り遅した瞬間、木曽たちが戦っていた方向で、凄まじい大爆発が巻き起こった。

 

 

*

 

 

 やはりおかしい、数が少なすぎる。

 張り巡らされた水路からダッチハーバーへ上陸したスネークは、首を傾げる。木曽にもう一度無線を繋いでみたが、向こうに展開している敵艦隊は深海凄艦がメイン。米艦は数えるほどしかいない。それも北方棲姫の攻撃で、のきなみ壊滅したが。

 

 基地を歩き回ってみても、人の気配はしない。陣地は取り戻したが、まさかあれだけではないだろう。何かの罠か、と思いながら進んでいく。

 

「妙だ、地形が私の知るものとも違っている」

 

「やはり、他に基地型がいるんでしょうか」

 

「それならもっと抵抗が激しくていいはずだ」

 

「なら、お前が留守の間に、工事でもされんじゃないか?」

 

 深海凄艦だって基地の整備はする、なら工事もする。奪った陣地を自分たちに都合よく改造してもおかしくない。

 

「だと良いが」

 

「まだなにかあるのか」

 

「お前も、違和感を感じているのではないか」

 

 スネークは、無言のままだった。

 何か、言葉で説明できない感覚がある。吹雪による圧迫感だと良いのだが、得体の知れない怪物が、寄り添っているような。

 

 彼女の歩みは、いつの間にか早まっていた。神通の動きも連れられて早くなるが、スネークは気にしない。気にする余裕も、またそうだ。

 

 北方棲姫が向かうように指示した建物に着いた頃には、緊張で爆発しそうだった。普段はこの中で休息を取ったり、基地の防衛などを考えていたらしい。核の隠し場所も、この中にあるという。

 

「地図に記しておいたのか?」

 

「そうだ、入り組んだ暗礁地帯の中央に核はある、海図なしでは確実に座礁する」

 

 暗礁塗れということか。核なんて危険物を隠すなら、それくらいしてもおかしくないが。

 屋内に吹雪は入らない。雪に視界を奪われないということだ。

 

 故に彼女たちは、違和感の正体を目の当たりにすることになる。

 

「――え?」

 

 その光景を受け止め切れない神通が、間抜けな声を漏らした。

 声を漏らさないスネークと北方棲姫も、その現象を理解できてはいない。異常だ、一言でいえば異常なことが起きている。

 

()()()()()?」

 

 壁が、床が、中に置かれていたであろう物が、全てぐずぐずに溶け落ちていた。

 天井に空いた穴からは、隙間風が打ち付けている。壁はまるで、生き物の腸のような歪さで融解していた。

 

「砲撃の熱でも、薬品の溶け方にも見えない。これはいったい……?」

 

 どんな兵器がこれを可能にした? 何故そんな壊し方をする必要がある? 理解しがたい光景を前に、スネークたちの歩みは止まった。

 

 刹那、小さな足音が聞こえた。

 

「誰ですか!」

 

 真っ先に反応したのは、距離の関係で神通だった。しかし音の鳴った扉に人影はない、慎重な足取りで神通は、扉の外へ出る。

 吹雪は止んでいた。止んでいたからこそ、全貌が見えた。

 

「こいつは、凄まじいな」

 

 絶句して声も出なくなった神通の代弁者だった。

 溶けていたのは、そう、基地の全てだったのだ。地面から建物にいたるまで、高濃度の酸性雨に晒され続けたような、地獄のような世界が広がっていた。

 

「ま、まさか……白鯨?」

 

「待て、なぜそうなる」

 

「だって、こんなことができる兵器を私は知りません。でもここは、北方さんの陣地は白鯨に襲われたって」

 

 北方棲姫の陣地が戦艦棲姫に襲われた時、白鯨も同伴していた。しかし彼女自身すぐに逃げてしまったので、具体的な詳細は分かっていない。この異常事態を白鯨のせいにするには早計だが、未知の存在だからか、奇妙な説得力もあった。

 

「それは今はいい、さっきの足音はどこにいった」

 

 それより付けられている方がよっぽど問題だった、見る限り姿は見当たらない。驚いている内に見逃してしまったか。

 

 仕方なくスネークたちは、建物の地下に移動する。部屋の中を探し回る北方棲姫が持って来たのは、厳重にロックされた箱だった。無事でよかったと安堵しながら、彼女は箱を開ける。その中には事前に言っていた通り、海図が書かれていた。

 

「本当に暗礁まみれですね」

 

「しかも年中吹雪が吹いている、視界は実質ゼロ、空からの侵入も不可能だ」

 

「……スネーク?」

 

 彼女のようすを不思議に思った神通が声をかける、しかし彼女には聞こえない。スネークは嫌な汗を感じながら、海図を凝視していたのだから。

 

 見覚えがあった。

 その海図を知っていた、まさか核がここに隠されている。因縁しか感じないと。

 

「まさか、シャドー・モセス」

 

 一言発した瞬間、スネークと神通は、また足音を聞いた。だがブレードを抜くよりも早く、レ級のような黒い影が、天井から舞い降りた。

 

「――え」

 

 回避する暇などない、謎の影は一瞬で、スネークの腹をナイフで切り裂いた。




シャドー・モセス島(MGS)

 アラスカ、アリューシャン列島フォックス諸島の中に存在する断崖絶壁の孤島。第二次世界大戦後の火山活動により形成された、かなり新しい島。しかし四方を断崖絶壁に囲まれ、しかも四六時中アリューシャン諸島の猛吹雪に覆われており、陸からも空からも侵入を防いでいる。その為か近隣の漁師たちは不気味な島と感じていた。
 逆に言えばその分隠し事にもってつけであり、元々の世界では核廃棄施設になる予定だったが、START2の失敗により用途がなくなり、お払い箱になったところをAT社が買い取り、新型メタルギアの開発、演習施設として利用されることになった。
 この世界においてはSTART2より前に深海凄艦が出現したため、核廃棄施設としては建造されていない。だが代わりに新型核弾頭の研究施設として利用されており、核の管理設備等は整っている。隠蔽のため近隣の島々にはダミーの基地が幾つも建設され、地下に建造されており衛星写真での特定は困難。


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File26 影のモセス

 シャドー・モセス、と謎めいた単語を呟いた瞬間、スネークは倒れた。胸から血しぶきを吹きながら、ぐらりと彼女の巨体が崩れ落ちる。神通は、呆然とその光景を見守っていた。彼女の死が、スローモーションで再生される。

 

 地面に倒れ、指一つ動かなくなった体を中心に、赤い水たまりができあがった。べたべたした血は広がり、神通の足元まで塗らす。スネークと一緒に、自分まで止まったような気分だった。

 

 黒ローブの敵が動いた時、神通も動いた。

 報復心のような、怒りのような、混乱のような。わけの分からない力が、彼女を動かしていた。

 

 

 

 

―― File26 影のモセス ――

 

 

 

 

 黒ローブは再び、ナイフを構え突撃してきた。

 単調な動きだ、と神通は受け止めようとする。その瞬間強力なカウンターを叩き込む。できる自信はあった。

 

「違う、魚雷だ!」

 

 神通からは見えなかったが、北方棲姫からは見えた。

 ナイフと反対の手に隠し持っていた、酸素魚雷の影。気づいた瞬間、魚雷が放り投げられ、機銃が撒かれた。

 

 誘爆、このままでは巻き込まれる。

 神通はとっさに、主砲で床を撃った。

 破壊された床は瓦礫を撒き、それは魚雷の爆発から神通を守った。代わりに瓦礫の破片が飛び散り、彼女の肌に傷をつける。

 

 艤装を装備して、通常兵器が効かないのに、瓦礫で怪我を負う?

 ならこの液状化は、深海の力によるものか。敵の黒いローブも同じように、何か所か切られていた。

 

 上手くいかなかったからだろう。

 忌々しげに、小さな舌打ちが聞こえた。しかしあの距離で魚雷を使えば彼女もただでは済まない。覚悟か、それとも狂気か。

 

「神通、伏せろ!」

 

 北方棲姫の声と同時に、地鳴りが起こる。このダッチハーバーはすでに、彼女の領土へと戻っている。ダッチハーバーこそ、彼女そのものだ。

 

「建物モロトモ、埋モレテシマエ」

 

 ダッチハーバーに設置された固定砲台が、旋回する音だった。

 戦艦の主砲に匹敵する砲撃は、中央棟そのものに放たれた。神通は発射音が聞こえると同時に、スネークを抱えて中央棟の窓を突き破る。

 

 直後、中央棟は粉々に吹き飛んだ。

 凄まじい火力だ、軽巡とは比較にならない。仮とはいえ、北方棲姫が味方で良かったと、素直に感じる。

 

「……スネーク?」

 

 抱えていた彼女に、何か違和感があった。

 しかしそれを確かめる間もなく、追撃が始まる。自覚した時はもう、黒ローブの手が真下から生えていた。そして神通の足首を、力強く掴んだ。

 

 あの砲撃を受けたあと、瓦礫の中を掘り進んできたとでも言うのか。

 逃げようとするが、凄まじい力のせいで逃げられない。それでも諦める気はなかった。違和感を確かめないといけない。

 

 やはりどうやっても、そうなのだ。

 仲間を見捨てることなど、生理的、いやもっと深く、本能的に許してくれない。それがあの罪を背負う、『神通』という存在なのだ。

 

「すみませんスネーク、お借りします」

 

 神通が借りたのは、スネークの腰につけられた高周波ブレードだった。引き抜いた途端それは微振動の高周波で、獰猛な獣のように唸る。彼女はブレードを、迷いなく黒ローブの腕に振り下ろした。

 

 スネークの時と同じく、激しい血しぶきが手首から吹き荒れた。

 手首は切断までいかず、深い切り傷を作ったに留まる。それでも激痛に敵は一瞬動きを止めた、今がチャンス――本当か、と踏み止まる。

 

 ローブの下には、まだ魚雷があった。

 内部に搭載された機銃は、内側を向いている。迂闊に接近したら、自爆に巻き込まれていたわけか。

 

 敵は幽霊のように立ち上がる。

 体は傷まみれで、あちこちから出血している。北方棲姫の砲撃のダメージは十分だった。そこまでしても、止まらないのか。

 

「貴女は、誰なんですか」

 

 黒ローブは答えない。

 

「どこの勢力なんですか、何故襲ってくるんですか!?」

 

 深海凄艦か、米艦娘か、いや忍者の仲間?

 まず神通はその正体を暴きたいと思った。この北方での戦いは隠し事だらけだ、敵が合衆国の艦娘だったこと、深海凄艦と彼等が手を組んでいたこと、そして核弾頭。このまま知らないまま戦っていいものなのか。

 

 しかし黒ローブは再びナイフと魚雷を構え、神通へと襲い掛かる。

 

「北方さん、手を出さないでください」

 

 あのフードを剝くには、一撃で気絶させるしかない。

 向こうから近づいてくるなら、好都合だ。

 神通は主砲も機銃も構えず、黒ローブと相対する。撃ったら確実に誘爆するだろう。

 

 敵はゆっくりと歩きながら、機を伺っている。相手もこれで決める気だ、恐らくまた、特攻まがいの攻撃で、トドメを刺しにくるだろう――ならば、神通は誘爆しかねない機銃を撒き散らした。

 

 しかし今爆発しても、神通も北方棲姫も巻き込めない。無駄死にになる、それは嫌だろう、自爆してもいいぐらいの覚悟なら尚更。だから敵が次に取る行動は一つ、機銃の隙間を練っての突撃だ。

 

 予想通り、それは来た。

 同時に神通も、深く、一歩踏み込み距離を詰める。あと少しで顔が見えてしまうぐらいの距離は、格闘術を――CQCを仕掛けるには完璧なタイミングだった。

 

 見様見真似の、リスペクトでしかない。それでも可能になったのは、神通という艦の才能もあった。だが再現までこぎつけたのは、彼女自身の淡い憧れなのは間違いなかった。

 

「――まだだ!」

 

 しかし、敵の執念も凄まじいものだった。

 一撃で意識を刈り取る勢いで、地面に叩き付けたのに、まだ意識がある。まずい、機銃が動きだしている。自爆が起きる!

 

「いや、終わりだ」

 

 誰かの声と共に、敵は空中へ投げ飛ばされた。突然のことに受け身も取れず、地面に激突する。そして彼女は瞬く間にブレードを振るい、体に巻き付いていた魚雷を切り離した。そのブレードは、高周波ブレードだった。

 

「スネーク!? どうして!?」

 

 確かにしぶきのような血が溢れ出たはず。

 

「あれはメタルギア・レイのナノペーストだ」

 

 スネークが従える自律兵器ことレイには、自己修復用のナノペーストがある。同じ機械的存在、彼女はそれが自分にも使えないかと思い、スニーキングスーツの下に仕込んでいたのだ、ナノマシンの赤色が、血に見えたのだ。

 

 実際に使ってみたところ、軽い傷なら治癒できると分かった。これで長時間入渠しなくて済む、とスネークは小声で喜んでいた。しかしすぐ気を取り直し、床で呻いている敵を睨み付けた。

 

「さて、ナノペーストが使えると教えてくれた礼をしなくては」

 

 スネークが、黒ローブの服を掴み取る。

 

「その顔、見せて貰う」

 

 勢いよく引かれた黒い暗幕は、ゆっくりとはためいて開いていく。見る人たちをじらし、現れた役者。ローブの中にいた人物を目の当たりにして、スネークと神通は、思わず瞼をこすり、もう一度それを見た。

 

「お前だったのか、伊58」

 

 偵察として潜りこみ、連絡が取れなくなっていた伊58が、こちらを睨んでいた。痛みでうるんだ瞳だが、鋭く敵意に満ちた顔が、真っ直ぐに写る。

 

「……どうして?」

 

 それは神通の、悲鳴と言えた。

 目の前の光景を信じたくない、と何度思ったか。しかし今のは群を抜いている。よりにもよって、信じていた仲間の裏切り。忌々しい軽巡棲姫は――深海凄艦だから、と無理矢理納得できた。だが彼女は伊58、艦娘だ。仲間であるはずの、守らなくてはならない仲間が、裏切ったのだ。

 

「お前はどこの艦娘だ、合衆国か、日本か、深海凄艦か、それとも愛国者達か?」

 

「どこでもいい、もう、終わりでち」

 

「何を言っている?」

 

「もうお終いだよ、ゴーヤたちも、提督も!」

 

 憎しみに満ちた顔が一転した。

 いや、憎しみと悲しみが入り混じっている。どうしてそんなに混乱しているのだろうか、神通はこのやり取りを、白昼夢として眺めていた。

 

「提督? 富村のことか」

 

「違う、あいつじゃない、ゴーヤの提督だ、濡れ衣を着せられた……」

 

 白昼夢から神通を叩き起こしたのは、無線の音だった。伊58の懐の無線機を奪い、スネークが応える。

 

 

 

 

〈聞こえているのか、伊58〉

 

〈その声、川路か?〉

 

〈スネークか、ということはミッションに失敗したんだな〉

 

 ミッションだって? 軽巡棲姫を沈める以外の任務とは何がある、伊58はそれを遂行していたのか。混乱する神通を更に叩き落とす一言を、彼は言った。

 

〈お前何をしている〉

 

〈今しがた、富村提督を拘束した。彼ではもう役不足だ〉

 

 何故、と馬鹿みたいに反芻していた。

 分かっている、こいつは裏切ったのだと。何処の所属か分からないが、味方ではないどこかの勢力だったのだ。その現実を受け止めまいと、逃げていた。

 

〈そこに神通もいるのか?〉

 

 神通は無言だった、話したくなかったし、答えたら、本当に取り返しのつかなくなる気がしたからだ。だが川路は、無線の向こうで、神通がどんな様子か想像し、笑った。紛れもなく、嘲笑だった。

 

〈どうせ最後だ、教えてやる。お前たちは全員捨て駒だったんだよ〉

 

〈捨て駒、ですって〉

 

〈核弾頭の存在を知った時、お前たち単冠湾泊地の連中が、独断行動に走るのは予想できていた。素直に持ち帰るはずもないとな〉

 

 神通自身は、確かにそう思っていた。核は誰にも渡してはならないと。その後どうするか考えてもいなかったが、それだけは思っていた。

 

〈その結果が北方棲姫、アーセナルギアとの協力だ。恐らくお前たちではなく、核を手にするのはどちらかだ〉

 

〈それじゃ納得できないと〉

 

〈当然だ、核は我々が管理する。これを使い、戦争が終わったあとも日本が米国と対等でいるための力とする〉

 

 使う気はないらしい、それだけは安心できた。それしかないとも言えるが。

 

〈だから伊58を潜伏させた、核の場所が分かったあと、お前たちを始末できるようにな〉

 

〈どうして、彼女が従うんですか〉

 

 仲間殺しの苦痛はよく知っている、だからこそ理解できなかった。艦の時とは違う、今の私たちは、最後の逃げ道として『死』を選べるのに。

 

〈前任だ〉

 

 答えは、スネークが言った。

 

〈伊58の前の提督を、ブラック鎮守府運営の責任をとった提督を、人質に使ったな?〉

 

〈その通りだスネーク、さすがはデンセツのエイユウだ〉

 

〈ほざけ、私はお前のような奴がもっとも嫌いなんだよ〉

 

〈好きに言ってくれ〉

 

 伊58と以前の提督は、ケッコンカッコカリの直前だったのだ。

 艦と人間、遺伝子のくくりを越えた絆の証。伊58も提督も、その瞬間をどれだけ楽しみにしていたのか。

 

 だがそれは壊された、核を奪われたくない合衆国の陰謀。それと責任を押し付けられて。その上、壊れたあとも、その感情を更に弄ばれた。伊58がどうしてあんな顔で襲ってきたのか、自爆もいとわなかったのは理解できた。

 

〈だがこいつは失敗した、となれば仕方がない、核は諦める〉

 

〈意外と諦めがいいな〉

 

〈いや、綺麗さっぱり清算するだけだ〉

 

 と、無線機の奥から指鳴りが聞こえ――視界が滅茶苦茶に歪んだ。

 

「どうした!?」

 

「あ…たま、が……いたい……」

 

 頭の中が、万力でしめつけられているようだ。苦しい、息も上手くできない。視界がどんどん暗くなっていく。掠れた景色の中で、北方棲姫も同じように苦しんでいた。スネークだけが無事だ、その事実と安心感だけで、意識を紡いでいる。

 

〈貴様、なにをした!?〉

 

〈核を合衆国に奪われれば、逆にこちらの立場が悪化する。伊58が言っただろう、貴様らのミッションは失敗だと。なら証拠は消さないとならない〉

 

〈私は何をしたのかと聞いている!?〉

 

〈フフフ……虫けらのことを誰よりも知っているのはお前たち艦娘でも深海凄艦でもない、我々なのだよ〉

 

 川路は艦娘のメンテナンス、特に遺伝子絡みの調整を行っていた。正体不明の()()はその時仕込まれたのだろう。北方棲姫の治療も、あいつがしていた。唯一体をいじられていないのは、スネークだけだ。

 

〈間もなく合衆国と深海凄艦の連合艦隊が来る、別行動をとっていた川内たちは、そいつらが始末してくれる。味方のいなくなった状況で、アーセナルギアという艦は生き残れはしない〉

 

 万一生き残ったら、その時は神通たちを率いて暴走させた張本人になってもらう。と川路は笑う。

 なんてやつだ、これが国か、これが国家か。

 朦朧とする意識の中で、憎しみが芽生える。しかしそれを自覚する暇はない、今遠くの場所で姉妹が、仲間が危機に陥っている。必死に口を動かし、息を吐きつくす。

 

〈エイユウは嫌なんだろ、だからテロリストに変えてやるのだ〉

 

「……待って、下さい」

 

 無線が切れかけた時、やっと声が出た。幸いにも無線機は、小さな彼女の声を拾ってくれた。

 

〈核、が、あれば……皆生かして……くれますか……?〉

 

〈神通? 何を言っている?〉

 

〈……そうだな、核弾頭さえあれば、それに越したことはない。お前が奪ってくるというのか、既に敵が跋扈している中、単独で〉

 

〈止めろ神通、こいつがそんな約束を守ると思うか〉

 

 スネークの言っている事も分かる。ここまでされておいて、こんな可能性に賭ける私は阿保なのだろう。それでも、それしか仲間を助ける方法がないなら、迷う理由は存在しない。

 

〈私が、やります〉

 

〈完璧だ、まさにお前は『神通』だ。だが向こうは待たない、別動隊は全滅するかもな〉

 

〈貴様……!〉

 

 どうしてそこで、軽巡棲姫の名前が出てくる?

 

〈軽巡棲姫に聞いてみれば分かるさ〉

 

 無線が切れたと同時に、体が楽になった。普段と同じ感覚で動くことができる。しかし北方棲姫はまだ苦しそうにもがいている。別動隊の仲間もきっと同じだ、急がないといけない、私がやらなくてはならないのだ――それでも何故か、充足感があるのは。

 

 

*

 

 

 神通とスネークは、急いでダッチハーバーを出港した。

 北方棲姫は動けないが、基地型の力はある。自衛ならできるから、置いていけと向こうから言ってきた。さすがに彼女を守る余裕はない、言う通りにした。だが長時間持ちこたえる力は残されていない。

 

 それに、別動隊のこともある。

 彼女たちは深海凄艦の大群と交戦していたが、その途中であの異常な体調不良に襲われていた。今は命からがら暗礁地帯に逃げ込み、時間稼ぎを試みている。しかしすでに取り囲まれている、長くは持たない。

 

 原因でも分かれば対処もできるが、それは叶わない夢だ。できそうな明石は結局、治療と療養のため内地に下がってしまった。今思えば、普通の艦娘より貴重な彼女を守るための避難だったのかもしれない。

 

「核はシャドー・モセス島、という場所にあるんですよね」

 

「ああ、アリューシャン沖、フォックス諸島、その北よりに、ひっそりと存在している」

 

 スネーク曰く、戦後の火山活動によって生まれたその島は、周囲を断崖絶壁に覆われ、しかも無数の暗礁に覆われた場所らしい。年中吹き荒れる吹雪も相まって、海と空、どこからの侵入も拒む天然の要塞。誰も近寄れないその島は、いつしか近隣の漁師たちから、影の(シャドー)モセスと呼ばれるようになった。

 

 そんな場所だからか、隠し事にはうってつけと言える。スネークは核弾頭がモセスに隠されていると知り、妙に納得したようすだった。何でも少し――いや結構縁がある場所だと、彼女は言った。

 

「今しがた衛星写真で確認した、やはり敵艦隊はもう、モセスに上陸しているようだ」

 

「遅かったんですか」

 

 幾らなんでも時間をかけ過ぎた、しかも深海凄艦に協力しているのが、核を隠した張本人である合衆国なら、見つけるのは簡単だ。となるとこの後起きるのは、合衆国と深海凄艦同士の、壮絶な奪い合いだ。

 

「……いやそれが妙なんだ」

 

「どうかしたんですか」

 

「深海凄艦と艦娘が、敵対しているように見えない。それに艦娘の数もやはり少ない、あいつらに対抗できる戦力ではない」

 

 どういうことだ、彼らの協定は、最終的に奪い合いになるのではなかったのか。ならこの後待ち受ける戦いは、更に壮絶なものになる。

 

「それともう一つ、悪い知らせがある」

 

「どうぞ」

 

「シャドー・モセスの真正面に、軽巡棲姫がいる」

 

 やはりか、そう神通は感じた。

 心なしか、そこで待ち受けている気がした。理由はない、直感的に軽巡棲姫の考えていることが予想できた。彼女は私との戦いを望んでいると。

 それと同じことを、神通も考えていた。

 

「……行くのか」

 

「勿論です」

 

「止めた方がいい、お前では厳しいぞ、改二にもなっていないお前では……」

 

「あいつを止めるのは、私です。他の誰でもない、誰に任してもいけない、私の役割なんです」

 

 スネークは、それ以上何も言わなかった。

 一言も発せず、真っ直ぐに目線を合わせていた。不意に、彼女が敵から奪ったスナイパーライフルが、構えられた――と同時に、持ち手がこちらに向けられる。先端にはサーマル・ゴーグルもついていた。

 

「実力差は埋めがたい、あらゆる方法で勝ちにいけ。そこまで言うなら私も、別動隊の防衛に専念する」

 

「スネーク」

 

「だが、必ず返せよ」

 

「……これスネークの持ち物でしたっけ」

 

 デコピンを額にされた、物凄く痛かった。

 思わず目を閉じてしまい、開けた時にはもう、スネークはいなかった。けれど渡されたライフルは、とても重さを感じさせた。

 

 重い、それだけではない、仲間の命、神通という艦の誇りが、重い。

 けれども、不快には感じなかった。むしろその重さが、力を与えてくれるようだった。そうだ、味方の中で何が起きようと、敵が何だろうと、私が私であるために必要なのは、一つしかない。

 

 大切な人を護りたい、たったそれだけで、私は戦えるのだから。

 

 

 

 ――ダガ、ソレサエモ。




―― 140.85 ――


〈スネーク、念のため耳に入れておいて欲しいのだが〉
〈何だ?〉
〈米艦隊の行動に矛盾が多過ぎる〉
〈深海凄艦と手を組んでいることとかか〉
〈軽巡棲姫がモセスの前にいることから見て、深海凄艦はもうモセスの中で核を探しているだろう。米艦隊は妨害が入らないように、その付近を警戒している〉
〈おい待て、核を見つけたあとは、奪い合いになる予定ではなかったのか〉
〈いや、奪い合いをする気配はない。むしろお互いに協力的ですらある。敵対しているという認識自体間違っていたとしか思えない〉
〈……なら何故米国は核を追っている、存在が世界に露見する前に、確保したいのではなかったのか〉
〈それだけではない、妙なのは日本も同じだ〉
〈日本も?〉
〈川路だ、奴は日本の利益のため行動していると言っているが、どの行動も博打が過ぎる。伊58一人に全てを任せたり、正体不明の体調不良を引き起こしたり〉
〈確かに、作戦成功の為にしては余りにも無謀だ〉
〈……この作戦で知った真実は、全て偽装なのかもしれん。注意しろ〉
〈分かっているが、まずは木曽たち別働隊を護るのが優先だ〉
〈分かっている〉


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File27 二巡に棲くう姫

 音が、耳障りで仕方がない。

 どうしてやって来る、やはり来てしまうのか。自分のことだから分かっていても、違う選択をして欲しかったと思ってしまう。その苛立ちは、何も分からない子供を相手取るのと同じ気持ちだ。

 

 ならば、この胸の高揚は何だろうか。

 もウ答えテくレル人ハ、何処ニモイナイ。

 ダカラ私ハ待ッテイル、貴女ヲ此処デ。

 

 

 

 

―― File27 二巡に棲くう姫 ――

 

 

 

 

 スネークが送った、無言の激励。

 それに押されて神通は、シャドー・モセスの吹雪の中へと飛び込んでいった。サーマル・ゴーグルをつけ、周囲に誰か潜んでいないか確かめる。

 

 見たところ、敵影はない。スネークが囮として動いている証拠だ、それに加えて彼女は、敵に包囲されてしまった仲間の救援も、レイを使って試みている。皆のことは彼女に任せてればいい、成すべきことに集中しよう。

 

 神通はサーマル・ゴーグルに、一つだけ見えた熱源を見据えて、そう思った。

 また探照灯で目潰しをされては堪らない、神通はゴーグルを取り外す。軽巡棲姫の声は、吹雪に掻き消されず真っ直ぐに届いた。

 

「来テシマッタノネ……私」

 

「伏兵も用意していないとは、不気味ですね」

 

 北方棲姫は陣地を取り返したが、イロハ級のコントロールまでは奪還できていない。それを取り戻すには、今制御権を持つ軽巡棲姫を沈めるしかない。だが無数のイロハ級を支配できるのに、それらは一隻も見当たらない。

 

「貴女トハ……真正面から戦いたいから……」

 

「貴女を沈めないといけませんから」

 

「……アソコマデサレテモ?」

 

 散々利用されたことを言っているのだろう。確かにそうだ、何も思わない筈がない。捨て駒として扱われ、仲間を事実上人質に取られてまで戦う私は、傍から見れば異常なのかもしれない。

 だが、それが何だと言うのだ。

 

「私は、私の仲間を護りたいだけです。世界がどうなろうと、私がどうなろうとも」

 

 迷いはない、今危機に陥っている仲間を、姉妹を守り抜く。それが私の行動原理だ、そうでなくては、二水戦の名折れ。

 だが、軽巡棲姫は笑った。

 

「……アア、ヤッパリ、ソウナノネ」

 

 自嘲めいた笑いをしながら、彼女の影が蠢く。何がおかしい、そこまで堕ちたか。ふつふつと怒りが湧いてくる。

 

「認メテアゲルワ、貴女は間違いなく神通……かつての私と同じように」

 

「何も嬉しくありませんね」

 

「その通りよ……私も……そう思う」

 

 どういうことだ、あんな言い方をしておいて、急に認めてきた。軽巡棲姫は何を考えている。もしかしてそれは、川路が言っていたことと関係があるのか。

 

「疑問を感じたわね、分カルワ。同じ神通のよしみで……最後に教えてあげる」

 

 打ち合わせでもしたかのように、一時的に、吹雪が止んだ。

 

「疑問に思わなかったの、こんな国家間の謀略が絡んだ戦いで、新兵の貴女が選ばれた事を」

 

「それは、私が……その気になれば、処理しやすかったからでは」

 

「違うわ、ところで貴女……色々な人から事あるごとに、『二水戦』と呼ばれなかった……?」

 

 そういえば、川路がことあるごとに言っていた。励ます時、立ち向かわせるとき、君はあの二水戦だろう、と。

 

「ソレコソガ、貴女ガ選バレタ理由」

 

 自嘲を止めた軽巡棲姫は、夜空を暗幕に、物語を語り出す。

 

「二水戦の誇り……それを利用する為に……貴女が選ばれた」

 

「誇り……?」

 

「仲間のために戦う、それ自体が……大本営の筋書き通りなのよ」

 

 

*

 

 

〈艦娘が建造によって…生産され始めた頃は、艦種によって区分されていたわ。駆逐艦…巡洋艦…戦艦。それぞれの艦種ごとに…適した場所へと配属されていった。それは昔と変わらない……艦種によって得意なことは違うもの。

 

 でも様々な艦娘が建造され続けて…変化が起きた。

 全く同じ史実が元になっているせいね…建造された同じ艦娘は…例外なく同じ外見…性格…趣向をしている。いわば遺伝子が同じだから、貴女と私…お互いがお互いに考えていることが大体分かるのは…当り前のことなのよ。

 

 長年の建造で…どの艦娘がどんな性格をしているのかは明らかになったわ。大本営のデータベースには…艦娘ごとの性能や性格…手なずけ方がリスト化されて保存されているわ。貴女最初、富村提督に好印象を抱いたわね…? あれもリストに従った効果よ…川路がことあるごとに『二水戦』と発破をかけたのも、貴女を上手く動かすための一例でしかない。

 

 そして性格が把握できれば…その性格を最も活かせる戦場に派遣するのが…一番効率的。例えば特三型の4番艦…電が良い例だね。あのタイプは艦娘にしては珍しく戦闘を嫌う傾向がある。

だから役に立たない…とはならないわ。逆に言えば過度な虐殺もしないから、民間からの見栄えがいいの…性格……遺伝子を制御するとは、こういうことよ。

 

 …ここまで言えば分かるわね?

 大本営のデータベースに保存されている…軽巡『神通』の性格を読み上げてあげる。

『コロンバンガラ島において僚艦を庇い、かつ美保関沖演習において駆逐艦『蕨』を沈めた影響か仲間を護ることへの執着が強い。故に護る対象があれば、どんな過酷な状況下での戦闘も可能』。

 

 この作戦の最終目的は…核弾頭を得られるかどうかにかかっていたわ。

 けど…その過程で核の脅威を知ること…合衆国と水面下で戦わざるを得ないことは…最初から分かり切っていた。禁忌とされる核兵器に…同じ艦娘同士での殺し合い。こんな現状を知って、最後まで任務に忠実な艦娘がいるのかしら……?

 

 …ああ、そこにいたわね。神通?

 もう分かるでしょう?

貴女がこの任務に配属されたのは…仲間さえいれば絶対に逃げないと分かっていたから。美保関に参加していた艦艇や、姉妹艦の川内姉さんもいたのは…その気持ちをより高めるため。

 

 現に貴女は…逃げずに私に立ち向かっている。かつての私…ソロモン諸島での私もそうだったわ、仲間を護れればそれでいいと思っていた。それが、その考え自体が制御されたものだと知るまではね。

 

 第三次SN作戦、私が沈んだあの作戦がそうだった。

 あの作戦が失敗する可能性の高い、博打のような計画だったのは最初から分かっていたの……でも政府の連中は、これを強行したわ。一般的には……レイテ沖で減らした敵戦力が補充される前に、ソロモンを奪い返す為。戦果を上げて国民の機嫌を取るためなのは……明らかなのにね。

 

 だからと言って、無駄な犠牲は増やしたくない……だから私が部隊に組み込まれたの……部隊が危機的状況になったら、私が必ず殿をすると分かっていたから。神通はそういう艦だと知った上で、使い捨てられたの。結果は貴方も知っての通り……私が犠牲になったおかげで……沈んだのは私だけで済んだ。後死んだのは提督だけ、最低限の犠牲で最良の結果を得たと……大本営は喜んでいたわ。

仲間を護りたい、ただそれだけの思いさえ……好きなように弄ばれたのよ……?

 

 私達は遺伝子によって縛られて…制御されている。でも艦娘たちはそこから逃げない……元が艦艇だから、遺伝子レベルで国家への忠誠心を植え付けられている……そこから自由になるには深海凄艦になるか……国家そのものが消えるか。

 白鯨はそれを解放するために必要なもの、だから私は戦艦棲姫に協力したの〉

 

 

 

 

 寒さがまるで感じられず、自分が今どうなっているのか、どんな顔をしているかさえ分からない。

 D事案の中でも、敵が元々味方かもしれないと分かっても、戦える。肝心なのは今ここにいる、確かな仲間なのだから。

 

 だが、そう考えて此処に辿り着くこと自体が、大本営の仕組んだことだったのか。

 ショックを隠し切れない、自分の意志で選んで来た道が、最初から決められていたとは思いもしなかった。

 アーセナルギアと青葉が活躍する英雄談の正体が、一隻の艦を捨て駒にすることで描かれた茶番なんて知りたくもなかった。神通は軽巡棲姫が世界を憎んでも、止むを得ないとさえ感じている。

 

 それでも尚、軽巡棲姫は倒さねばならないと思ってしまう。

 これも大本営の知っている思考なのだろうか、遺伝子はそれさえも制御しているのか。彼女の思いを他所に、体に刻まれた遺伝子は、戦いのための準備を始めていた。

 

〈誰もが仲間の為に戦う〉

 

 軽巡棲姫も同じだと、神通は感じ取った。

 

〈けど……姉妹や仲間に人一倍執着するのは、私達神通だけ……それは否定できないわ、誰も生まれ持った遺伝子からは逃れられないもの〉

 

 だからこそ、と軽巡棲姫は静かに叫んだ。

 

〈私は貴女を沈める……かつての(神通)になった貴女を否定して……私の過ちを否定する〉

 

 神通は、軽巡棲姫を理解した。

 どうして彼女は自分に拘るのか、やけに接触を図ってきたのか。それは神通が軽巡棲姫を否定するのと同じ理由だ。立場が逆になった、たったそれだけだったのだ。

 

〈……どちらが真の二水戦か……決着をつけましょう〉

 

 遺伝子に刻まれた思いだろうが、やらなければならないのだ。軽巡棲姫を止めなくてはいけない。かつて私は、スネークのような艦娘になりたいと願った。けどそのスネークを生かしてくれたのは、他ならぬ貴女なのだから。

 

 夜の世界を、再び吹雪が覆いつくす。夢も理想も、余計なものは全て見えなくなった。あるのは純粋な殺し合いだけ。

 待ち伏せの夜戦が、幕を上げた。

 

 

*

 

 

 再び吹雪が舞い上がった瞬間、神通は海上に浮かぶ岩陰に姿を隠した。何とか人一人隠れられる大きさしかないが、とりあえずはこれでいい。

 

 正直なところ、真向勝負で勝てるとは思っていない。軽巡棲姫は元々神通、それも『改二』。今の私とは雲泥の差、実力含めてあらゆる点で劣っている。しかしこの吹雪と暗礁地帯は、軽巡棲姫の動きも制限してくれる。つけ入るならそこしない。

 

 いずれにせよ、今軽巡棲姫がどこにいるか分からなくては話にならない。何とかして、位置を特定する必要があった。実力差が大きい以上、長期戦は不利だ、それに別働隊やスネークのこともある。

 

 考えている間、軽巡棲姫は何のアクションもしてこなかった。こちらから仕掛け、リアクションを誘う他ない。自分の位置を知らせる危険な行為が、どこまで持つか。意を決した神通は、彼女から借りたスナイパーライフルを手に取る。

 

 魚雷は駄目だ、あれは軽巡棲姫に致命打を与えられる唯一の武装。簡単に使ってはいけない。同じく借りたサーマル・ゴーグルはまだ使わない。また目潰しされたら、もう二度とこの世の景色は拝めない。

 

 分厚い吹雪の壁に向かって、狙撃用の弾丸が吸い込まれていった。

 風の向こうからは、何の音も聞こえてこない。流石に当たってはいない、これで何らかの反応があればいいが。しかし待ってみても、軽巡棲姫は何もしてこなかった。あくまで待ちの姿勢は崩さないようだ。こちらにその余裕はないが。

 

 移動しないといけない、挑発は失敗した、狙撃音でこちらの位置は割れている。近くに在る、別の岩陰に移動しようと、神通はゆっくり動きだした。

 暗礁に引っ掛からないためでもあるが、直感じみたもので感知されても困る。ゆっくりとした足取りは、素人なりに考えた気配を減らす方法だった。

 

「ッ!」

 

 刹那、目の前を魚雷が音もなく通り過ぎていった。

 あと一歩踏み出していたら、直撃だった。ゆっくりと歩いて助かった、そう安堵し神通は改めて岩陰に隠れ直す。

 

 魚雷は撃ってから到達までに時間が掛かる。軽巡棲姫は今魚雷を撃った位置から、もう移動しているだろう。しかし、行動範囲を絞ることはできた。暗礁まみれで迂闊に動けないのは、軽巡棲姫だって同じなのだから。

 

 狙撃銃を連射し、更なる絞り込みをかけよう。もとより正確な狙撃なんて不可能、これを命中させる気は全くない。その為に身を乗り出した、その時だった――無数の魚雷群が、次々と殺到したのは。

 

 隠れている小岩が、大きく揺れる。

 まさか位置がばれたのか、不味い、一発二発ならともかく、この小岩は魚雷の爆発に何発も耐えられない。しかし魚雷は逃げ場を塞ぐコースに発射されていた。岩が壊れない可能性に賭け、神通は息をひそめた。

 

 体を小さくしている間にも、爆発は次々と起きる。

 挙句、絶え間なく発射される魚雷が、徐々にこちらに迫ってきている。この吹雪の中、どんな索敵をしているのだ。技術ではなく、先天的な感覚なのか。

 

 だがこれはチャンスでもある、神通は岩陰から身を乗り出して、サーマル・ゴーグルを一瞬だけ身に付けた。しかし真正面は見ないで、水面を見た。魚雷の軌跡は熱を保ち、ある一点から伸びている。

 

 魚雷は普通動きながら撃つ、それをしないということは、向こうも動きが制限されていると見ていい。この攻撃を少しでも止めるべく、神通はゴーグルを外し、その一点に向けてライフルを乱射した。

 

 少し経つと、雷撃が止んだ。偶然ライフル弾が額を撃ち抜くこともある、当たれば小さなダメージも蓄積する。軽巡棲姫は回避を優先した、ようやくまともなリアクションが帰ってきた。

 

 このチャンスを逃したら、決着は更に伸びる。畳みかけようと神通は、軽巡棲姫を包囲するように雷撃を発射した。気を引くために、狙撃は続けながら。数秒後、向こう側の吹雪を爆風が押し流した。

 

 ……やった? やったのか? 手ごたえは感じられる。しかし確信が持てない、軽巡棲姫が、仮にも自分が、こんな簡単に沈む艦だっただろうか。

 嫌な予感に囚われながら、神通は再びゴーグルをつけ、辺りを見渡した。

 そして見えた。

 

「ッ!?」

 

 隠れていた神通の()()から、魚雷が迫っていた。

 

 暗礁に乗り上げる危険を考える暇はない、無我夢中で神通は、ありったけの爆雷を投下し、逃げ出した。

 

 爆雷が魚雷に当たり、二重の水柱が起きる。至近距離にいた彼女はそのまま吹き飛ばされ、背中を岩場に強く打ち付ける。

 

「――ッ!」

 

 涙が出そうな痛みを、歯を食い縛り押し込んだ。一言でも発したら、こんどこそ位置を特定され、とどめを刺される気がした。一方で度重なる危機に、神通はどこか冷静な思考を行っていた。

 

 魚雷は真横から来た、しかしライフルを乱射した直前までは、正面にいた。

 なら軽巡棲姫はほとんど時間をかけずに、魚雷も暗礁も回避して移動したことになる。

 異常だ、こんな吹雪の中、どうそれを探知している。このカラクリを見破らない限り、自分は勝てないだろう。

 

 だが、考える暇を与えまいと、更に魚雷が突っ込んでくる。神通は爆雷を投下し、それらを排除するので精一杯になりそうだ。

 神通には、これが狙った行動としか思えなかった。先ほどから何かアクションをする度に、その穴を撃ち抜いてくる。今も攻撃を回避し、弱点を考え始め、その隙を潰す――為の魚雷をしている。

 

 思考を読まれている――勝ち目はあるのか?

 諦めが過った時、また吹雪が一瞬だけ大人しくなった。ぼんやりと、夜空が見えてまた消えた。暗雲が覆いつくし、星さえ見えない。

 

 何も見えない――それは本当か?

 神通の脳裏に、姉の言葉が浮かぶ。『見えないからこそ、見えるものがある』。軽巡棲姫はそれを見ているのではないか、同じ物を見つければ、勝機があるのではないか。

 

 それを確かめるため、神通は再びスナイパーライフルを構えた。

 先ほどの戦闘を思い出し、外さないよう、息を吐きながらトリガーを引き絞る。素早い回転が加わった弾丸はバレルから真っ直ぐに発射され、軽巡棲姫がいた場所の岩を抉った。

 

 当たったことを確認し、次から次へと、残弾が尽きる勢いで乱射する。吹雪に掻き消されているが、岩が削れる音が響いているのだろう。神通はひたすら、誰もいない岩に向けて銃を撃つ。

 

 残弾が尽きた時、異変が起きた。

 絶え間なく襲っていた軽巡棲姫の魚雷が、一時的に止んだ。その間神通がしたことは、ライフル弾の無駄打ちだけだ。だがその音は、吹雪で聞こえない。

 

 聞こえない筈の音に反応できた、となれば答えは一つしかない。水中探知機(ソナー)だ、水中で発生する音を頼りに、行動していたのだ。

 そもそも最初から妙だった、暗礁だらけのこの場所で、魚雷を通したり、こちらの攻撃を躱したり。水中で発生する音なら、吹雪に邪魔されない。ライフル弾の衝撃は岩を揺らし、振動が海に伝わって、聞こえたのだ。

 

 攻撃が再開する前に、と神通は別のポイントへ急ぐ。その間攻撃はなかった。向こうもこちらが、ソナーに気づいたことを察したのかもしれない。これで戦闘は一時的にリセットされたことになる。

 

 神通は岩場の影から顔を出し、サーマル・ゴーグルで位置を確かめようとして――止めた。もし自分の予想が正しければ、軽巡棲姫は自分の位置を、自分で教えてくれる。

 

 その予測は当たった、吹雪の中一瞬だけ、探照灯が点火した。

 軽巡棲姫は――神通が時間がないと焦り、素早く位置を捕捉しようと、このタイミングでゴーグルを使うと考えた。そこで目潰しを叩き込む――そうするだろう。

 

 慌てて消したようだが遅い、神通はすぐさま岩陰から飛び出て、そこに向かって主砲を撃ちこんだ。強過ぎる風に煽られて命中は不可能だが、牽制にはなる。それに周辺に落下した弾丸は、ソナーの探知を妨害してくれる。

 

 本当に今しか、チャンスはない。

 神通は岩陰から飛び出し、主砲を構え、突撃した。隠れ、魚雷を命中させるのではない。確実に叩き込む為に、吹雪の中を突っ切っていく。

 

 今は主砲がソナーを誤魔化しているが、軽巡棲姫のことだ。主砲の音に惑わされず、その中の航行音だけ特定するのに時間はかからない。それに焦ってはいけないが、実際スネークたちも限界に近い。

 

 海底に潜む暗礁を避けるため、再度サーマル・ゴーグルをつける。おかげで海底がどうなっているか、鮮明になる――至近距離だけだが。しかも目潰しをさけるため、足元しか見れない。

 

 軽巡棲姫だってその隙を見逃しはしない、視界の狭まった神通に雷撃を――砲撃を仕掛けていく。その命中率を下げるため、更に弾幕を厚く、重く展開していく。

 

 命懸けの航行だった。

 足元の暗礁を躱しながら、突如眼前に現れる魚雷を回避しなくてはならない。そして魚雷の軌跡から、軽巡棲姫の位置へ遡らなくてはいけない。

 主砲の精度も、相当なものだった。吹雪に煽られているのに、主砲の攪乱で位置が特定できないのに、一発ごとに、明らかに近くなっていく。

 

 その全てを掻い潜り、全速力で走り抜ける。

 速度は落とせなかった、たったの一撃で軽巡棲姫を沈められるのは、『アレ』以外に知らなかった。

 

 ――次第にきづく、魚雷が到達する時間が、異常に縮まっている。こちらからだけでなく、向こうからも接近している証拠。

 そうか、あいつも同じことをするつもりだ。

 神通サーマル・ゴーグルを外し、真正面へ顔を上げる。

 

 顔を凍らされる吹雪に、影が映り込んでいた。

 探照灯の光の中に、自分自身の影がある。これを破れば、同じように自分も崩れる。ならば影を作る光を潰さなくてはならない。

 

「馬鹿ノ……一ツ覚エミタイニ……同ジ『技』ヲ!」

 

「貴女だって同じ『技』をする気でしょう!」

 

 もう、声を隠す必要なんてなかった。

 それは、自分自身に知らしめる行為でもあった。今相対しているのが、一体何なのか。それを分かった上で、沈める行為の意味を。

 

 ――あれは、沈めて良い艦なのか。

 誇りも、仲間も弄ばれて沈んだ彼女を、敵と断じたまま殺していいのか。神通が感じていた戸惑いや混乱は、今の今まで闇が隠していた。

 

 そんな筈がない、彼女の気持ちさえ否定したくはない。

 別の道を辿った神通に、神通はそう思った。あれは間違った思いではないのだ――だからこそ、呼応するように、神通たちは探照灯を掲げる。

 

「私たちの決着には、あんなコソコソした戦いよりも、これが相応しい、だから乗ってきた、違いますか!?」

 

「ダガ届カナイワ、貴女ノ力ハ私ニハ……!」

 

「いや――」

 

 そうだろう、私は弱い、新米だからなのもあるし、兵士としても未熟だ。所詮国の思惑に踊らされる一兵士でしかない。同じ遺伝子を持っていても、軽巡棲姫と同列にはなれていない。

 

「届かせる!」

 

 だが、私には仲間がいる。

 軽巡棲姫の予測を途中から越えられたのは、あいつにはない出会いがあったからだ。遺伝子に、未来の出会いまで記されてはいない。

 遺伝子に定められていない私は、必ず存在するのだ。

 

 見えないからこそ、見ることができるものがある。何も頼れない夜の中だからこそ、より一層強く感じられるものがある。

 それは未来であり、出会いであり、仲間でもある。

 気づいたのなら、恐怖さえも受け入れられる。

 

 吹雪が割れ、神通たちが相対する。

 最大速度に到達した神通たちは、擦れ違い様に、全ての魚雷を発射する。本来は無点灯下で行うそれを、探照灯に晒しながら。

 

 神通と神通の絶叫――いや、咆哮が夜を貫く。

 影と影が、光を押し流す光に呑み込まれたその時、シャドー・モセスの猛吹雪が、鳴り止んだ。




D事案 (艦隊これくしょん)

 劇場版艦隊これくしょんに登場した、運命の軛と同じ重要ワード。
 正式名称は『ドロップ』事案。深海凄艦を撃破した際、沈むと同時に艦娘に変化する現象のことである。このことから艦娘と深海凄艦は、遺伝子的には殆ど差異のない生物だと言われている。(実際のところ撃破すると即消滅することから、深海凄艦のゲノム解析は進んでおらず、憶測の域を出ない。)
 この際生まれ変わる前の記憶が残るかどうかは、完全にその時次第である。轟沈したこと自体を完全に忘れているケースもあれば、艦娘として轟沈し、空母ヲ級になり、そこから更に轟沈し艦娘になった記憶まで持つ個体もいる。
 尚稀なケースとして、深海凄艦としての個体と艦娘としての個体で、完全に分離することがある。現状確認ができているのは、特型駆逐艦の一隻のみである。


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File28 The Best Is Yet To Come

―― File28 The Best Is Yet To Come ――

 

 

 

 

 吹雪が止んだ。

 雲の消えた星空が、夜の闇を照らしている。アリューシャンの海に、二対の影が伸びていた。一瞬の違いもない、文字通りの写し鏡。

 

 その片割れが、ぐらりと崩れる。

 夥しい血が流れ落ち、導かれるように彼女も膝をつく。全身に突き刺さった魚雷は爆発を呼び、爆発は炎を呼び、炎は全身を駆け巡る。血と炎が入り混じり、グロテクスな華が咲いていた。

 

 まるで日の出だ。神通はそう感じた。

 真っ暗な地平線から伸び、孤独に光を放つ。瞬く間に昇っては沈み、それを繰り返す。これは、一晩だけの太陽。軽巡棲姫の残り火は、太陽のように激しいが――春のように暖かくもある。

 

 彼女に憧れて、私はここまできた。

 スネークを通じて、彼女を知り、その上で私は私の道を選んだ。自分の道への分岐点、その最後に立っていたのが、彼女だ。

 その太陽は、もう沈む。一瞬の輝きを残して、あとは消えるだけ。これから私を照らすのは私だけなのだから。

 

「……負ケタノネ……私ハ……」

 

 海面に倒れた軽巡棲姫は、夜空を仰ぎながら呟いた。負けて、これから沈むというのに、どこかすがすがしい表情をしていた。

 

 彼女の顔を隠していた面は、真っ二つに割れていたのだ。肌は青白かったが、自分そっくりの顔だ、一部を除いて。

 

「貴女、目が」

 

「……戦艦棲姫ニ、目を潰されたからかしらね」

 

 D事案による復活は、完全な蘇生ではなかった。余りにも酷い傷は、深海凄艦に変貌しても治らないのだ。

 ソナーを使っているからといって、聴力が良すぎるとは思ったが、そういうことか。視力や聴力といった五感の欠けた人は、代わりに別の感覚が鋭くなるという。脳で言うなら機能代償という、生命に備わる機能の一つだ。

 

「それとも……もう何も見たくなかったから、かしら……」

 

 しかし代わりでしかない、失ったものは戻らない。軽巡棲姫のなくしたものは、視力だけだったのだろうか。

 

「でも、どうしてかしら……今、貴女の顔が観れないのが……とても苦しいの……」

 

 神通は、おのずとしゃがみ込んでいた。

 軽巡棲姫の手を取り、自分の顔に触れさせていた。彼女は撫でるように手を動かしながら、口元を緩める。

 

「……別に、後悔なんてしてないわ。人も国も壊そうとしたことも、艦娘をいっそ、全員沈めようとしたことも」

 

 軽巡棲姫の憎しみに、神通は強く共感した。命も仲間も誇りも利用された無念は、深海凄艦でなくとも理解できる。

 しかし軽巡棲姫は、その中で別の思いも抱いていたのだろう。そうでなければ、今ここで、彼女が泣く訳がない。

 

「でも、違ったのね……私はきっと、この結末を望んでいた……」

 

 憎しみに呑まれていた、下種に成り果てていた。だが、それでも彼女は、どこまでも神通なのだ。私と同じ誇りを秘めた軽巡洋艦の化身だ。

 

「貴女に証明して欲しかった……私が、信じられなくなってしまったことが、本当に……正しい思いだと……」

 

 軽巡棲姫は、神通を否定していた。それはかつての自分を否定する行為だ。だがその()()が撃ち勝ったのなら、正しいのは神通、過去の自分自身になる。

 

「終わらせて、欲しかった……」

 

 涙が流れる度に、彼女の体が消えていく。亡霊艦隊と違う、深海凄艦として正しい死を彼女は迎えようとしている。

 

「私の、ことは……忘れなさい……私は『神通』という艦のイントロン……消えることが……運命です……」

 

「馬鹿なことを言わないで下さい」

 

 軽巡棲姫は、がらんどうな眼を見開いた。

 何故彼女は、こんな自分を泣きながら抱きしめているのだろうか。とでも思っているに違いない、だから振り解かれないように力を込める。

 

「貴女は、随伴艦を連れてこなかった。独りで戦いに来た」

 

 彼女は、正面から戦いたいからと言った。だがそれが嘘だと、戦闘の中で神通は見抜いていた。

 

「こんな陰謀塗れの戦いに、仲間を巻き込みたくなかったからではないんですか」

 

 それは、軽巡棲姫に残った最後の誇りであり、縋る支えだったに違いない。

 美保関沖の罪、誇りで隠した無念。認めたくない淀み――私の思いは、その淀みから生まれたものだ、だからこそ。

 

「……でも」

 

「忘れません、貴女の全てを引き継ぎます――任せて下さい、『神通』」

 

 強く、風が巻き上がる。手元から星空に向かって、桜吹雪が歌う。それは一瞬だけ輝いて、曇天の中へと散っていった。

 確かに聞こえた、『お願いします』と。

 透き通った、私の声で。

 

「了解しました――」

 

 同時に、神通も倒れ込んだ。

 疲労は、とうに限界を越えていた。急速に霞んでいく視界に、激しくなる吹雪が見える。このままだと凍死してしまう。

 

 そんな馬鹿なことがあってたまるか、絶対に沈むものか。先輩から託されたものを、此処で沈めてはならない――しかし無情にも、神通の意識は吹雪に掻き消された。

 

 

*

 

 

 声が聞こえる。

 誰の声だろうか、聴きなれた声だ。ゆらゆらと揺れる感覚が心地よく、また瞼を閉じそうになる。

 

「起きたか」

 

「……スネーク?」

 

 神通は今、スネークに抱きかかえられていた。状況を理解すると同時に、恥ずかしさで意識が覚醒する。慌てて体をよじり、抱っこから脱する。

 

「そうだ、核弾頭はどうなったんですか」

 

 核がなければ川路と取引はできない、仲間たちの安全は保障されないままだ。

 

「ああ、核を手に入れる必要はなくなった。お前が気絶している間に、状況は一変した」

 

「どういうことですか」

 

「合衆国側の艦娘を率いていたDARPA長官が、逮捕された」

 

 対艦娘用核弾頭を作った当時の責任者は、開発をモセスで行っていた。

 しかし偶然北方棲姫の襲撃を受け、輸送する準備もなく、偽装工作だけ済ませて脱出する羽目になった。輸送自体は可能だったが、ばれないよう本土に持ち込む事前準備が間に合わなかったのだ。

 

 それから時間が経ち、日本政府が――核だとは気付いていなかったが――()()()()を捉えた時、悲劇が始まった。捜索を妨害するため工作員を送り込みブラック化させ、行動を抑制。

 

 あげくそれでも駄目ならと深海凄艦と手を組み、明石の拉致や直接襲撃と言う手に打って出た。表に出にくい特殊部隊を独断で動かしてまで、隠蔽しようとした。しかし、あまりに敵対的な行動をとった開発責任者――DARPA局長は、ついにそのツケを払うことになった。

 

 DARPA局長の逮捕に伴い、彼の指示に従っていた艦娘たちも全員逮捕され、包囲されていた別動隊は保護された。別働隊にはこれから事情聴取が行われる。

彼女たちは利用されていただけ、酷いことにならないといいが、とスネークは呟いた。

 

 それに伴い、日本政府も対応を変えざるを得なくなる。

 向こうが非を認め手を引いたのだ、なのに日本が何時までも核弾頭に拘っていたら、事体は余計にこじれていく。隠し場所がモセスだと分かっただけでも、儲けものと考えるべきだろう。

 

「核弾頭は無事だったんですか」

 

「……いや、一つ奪われた」

 

「奪われた!?」

 

 戦艦棲姫が核を発見したのは、神通が軽巡棲姫との決着をつけた直後――つまりスネークと北方棲姫がモセスに上陸する直前だった。それに核弾頭は重量も凄まじい、イロハ級のコントロールも北方棲姫に戻っている。そんな中では、一発だけ盗むのが限界だった。

 

「それでも核ですよ!?」

 

「分かっている、私はこれから北方棲姫と共に、核弾頭の行方を捜す。仲間もいる」

 

「仲間?」

 

「青葉と、伊58だ」

 

 神通が気絶している間に、取引をしていたのだ。

 それは伊58の提督を助け出す代わりに、自分に協力してほしいというものだった。提督が助かればそれでいい彼女は、その条件を呑んだ。今更日本に戻れるはずもない。

 

 一方青葉はというと、彼女は任務の為だ。

 そもそも青葉が単冠湾泊地に送られたのは、スネークの監視のためだ。その任務を続ける為であり――スネークを見ていたいという、個人的な感情もある。

 任務を続けている限り、古鷹たちの安全が保障されるのも、理由の一つだったらしいが。

 

「なら私も」

 

「駄目だ、お前にはやるべきことがある。いや、言うべきことだ」

 

 神通はふと、吹雪の向こう側の明かりに気づく。その明かりは、保護され事情を聞かれている仲間たちの光だった。

 振り向くと、スネークの姿が遠ざかっていく。

 

「悪かった、あいつの始末を、お前にやらせてしまって」

 

「え?」

 

「あいつを沈めるのは、私の役割でなくてはならなかった」

 

 神通は、スネークの本心を始めて聞いた気がした。英雄の虚像でも自由を追い求める蛇でもない、一介の艦娘としての姿が、無線機越しに見えた。

 

「だがお前はお前の意志で決着をつけた、なら今更どうこう言うことはない。そのゴーグルは礼代わりにやろう」

 

 背中を向けた彼女が、振り返る。

 

「それでも、一言だけ言わせて貰う」

 

 沈黙が終わるのを、神通は待つ。

 少し迷ったのは、今更遅すぎたからだろう。それでも言いたかったのだ――スネークの言葉を聞き、神通は思った。

 

「ありがとう」

 

 瞬間、吹雪が止んだ。

同時にスネークの姿も、霞のように掻き消えた。代わりに目の前にいるのは、会いたくて仕方がなかった仲間たちの姿だった。

 

 

*

 

 

 神通は姉妹と共に、少し離れた場所にいた。

 監視は必要ない、逃げようとすればレーダーで分かる。逃げる理由もない訳だが。神通が離れたのは、この会話を他人に聞かせたくなかったからだ。

 

「おかえり、神通ちゃん」

 

「はい、戻りました」

 

 同時に、那珂が抱きしめてきた。

 正直痛かったが、拒絶する理由はない。彼女が力を入れる度、神通も腕に込める力を強める。そうやってお互いが生きていることを確かめる。川内は静かに、二人を見守っていた。

 

「体調は大丈夫なんですか、私がいない時、異常な不快感に襲われたと聞きましたが」

 

「大丈夫だよ、それをやった川路はもう単冠湾から逃げたらしいからね」

 

「川路が? では提督はどうなったんですか?」

 

 富村提督は、任務に失敗したとして川路に拘束されていた。彼もまた政府に利用されていただけだったのだ、そんな終わり方ではあまりにも酷い。不安が顔に出ていたのか、川内が肩を叩き、無線機を出してきた。

 

「これは?」

 

「今提督と繋がってる、大丈夫、提督も無事」

 

 無線機の奥からは、慌ただしい音が聞こえる。ことの後始末に、色々な職員が雪崩れ込んでいるのだろう。その中の一つに、疲れを隠せていない富村の声が聞こえた。

 

「提督、聞こえますか」

 

「その声、神通か、君も無事だったのか!」

 

 提督が喜ぶと、自然とこちらも嬉しくなる。この泊地にいたのは全員、何らかの形で利用された被害者ばかりだ。同じ境遇の仲間が無事だったことに、心から安堵する。

 

「そちらはどうなったんですか、合衆国側の事情はスネークから聴きましたが」

 

「ああ、日本も日本で、慌ただしくなっている。だが君達が悪くなる流れにはならない、させないよ」

 

「……どういうことですか?」

 

 米国が動いたことによる影響は、ただ単に核を諦めたことに留まらなかった。

 そもそも事の発端は、DARPA局長が単冠湾をブラック化させたことに始まる。これは当然、合衆国の責任になる。

 

 しかし、その後はどうだろうか。

 川路という日本政府の代役が行った所業は、それこそブラック鎮守府の運営に他ならない。米国は一切関わっていない、日本による行為である。

 

 そして、今合衆国は、その事実を証言できる艦娘を確保してしまっている。

 そうなれば日本の立場は、凄まじく悪化することになる。冤罪ではあるが既に一度世界からバッシングを受け、すぐにまた同じ過ちをやったことになる。今度こそ国連の介入を受け、艦娘大国日本は完全に瓦解するのだ。

 

 だが日本にもカードはある。合衆国が作ってしまった三発の新型核弾頭だ。

 艦娘や深海凄艦に核を含む通常兵器が効かないのは、何か超常的な力場が働いているからだ。新型核の開発はつまり、そのバリアを如何に破るかが課題だった。

 その為に、シャドー・モセスの研究所には、夥しい数の死体(被験者)がホルマリン漬けで保管されている。スネークに同伴した青葉の報告で、後に判明する事実である。

 

 核とブラック。

 今日本と合衆国は、それぞれの喉元に致死性の毒を塗り込んだナイフを突きつけた状態なのだ。だがそのナイフは実質、硝子でできている。

 

 そう、証拠がない。

 どれも証言に留まり、肝心の物的証拠がない。核に至ってはスネークと北方棲姫が管理してしまっている。核抑止に例えるならば、出まかせで言ってみた核同士を突き付けているような物なのだ。

 

〈どちらも噂に過ぎない、今お互いが沈黙を決めれば、一切外に漏れずに終わることができる〉

 

〈では政府は、この件をうやむやにするつもりで?〉

 

〈いや、誰かが責任を取らねばならない〉

 

 戦闘が起きていた件までは、うやむやにできない。となると考えられるのは、戦闘が起きた理由を誤魔化すためのカバー・ストーリーだ。

 神通の脳裏に不安がよぎる、カバー・ストーリーの裏で消される可能性だ。川路のやったことを思い出すと、もう簡単に政府を信じられなくなってしまった。

 

〈安心してくれ神通、言ったろう、悪い方向には()()()と。()()()()()()()()()()()、君達は安全だ〉

 

〈何ですって〉

 

 提督の言葉を聞き、胸に巣食っていた不信感だの何だのは吹き飛んだ。何を馬鹿なことを、こんな核弾頭まで絡んだ事件の責任を負えば、ただでは済まない。下手をしなくても軍法会議に送られて、ろくな議論もなく処罰されるに決まっている。

 

〈私は、私がそんなことの為に戦ったと思っていたんですか〉

 

〈いや、『神通』がどんな意志で戦うのはマニュアルで知っている〉

 

〈なら何故、私が護りたい仲間は、貴方もですよ!〉

 

 『神通』という艦娘は、誰よりも仲間を大切にする。遺伝子でそう決められている、軽巡棲姫でさえそこからは逃れられなかった。それを利用したのが川路であり、富村提督だ。しかし、彼の場合は止むを得ない事情があったに違いない。こんな形ではなく、彼も助ける形でことを終わらせたい。

 

〈私は、駄目だ〉

 

〈どうして〉

 

〈私はただ、死ぬのが恐かっただけなんだ〉

 

 神通は、伊58は大切な人を人質に取られて脅された。

 しかし富村の人質は、自分の命だけだったのだ。任務に失敗すれば、責任を取る形で始末される。表の歴史から彼の存在は抹消される。ブラック鎮守府運営の責任を全て負って。それと引き換えに、この任務に従事したのだ。

 

〈私は自分が助かるためだけに、君達を利用した。あのマニュアルだって君達の全てを侮辱するものだと分かっていたのに〉

 

〈そんな、そんなこと仕方がないじゃないですか〉

 

 誰だって死ぬのは嫌だ、それを否定してしまっては、生命としてのあり方まで否定してしまう。過去から逃れられない亡霊でも生きたいと願いのだ、今を生きる人間なら生を望んで当たり前だ。

 

〈誰かを利用した時点で、私は川路や政府の同類だよ〉

 

〈……これしか、ないんですか〉

 

〈悲しまなくていい、これは始めて、本心からそうしたいと思った行動なんだ〉

 

 人の記憶から消えるということは、最初から存在しなかったことと同じだ。誰からも思い出されず、歴史の沼に埋もれる。大戦の名前に括られて、個々の存在を忘れられていた――かもしれない――艦娘として、最大の恐怖。

 それを何故望むのか、神通は分からない。

 

〈君に憧れた、どこまでも愚直に、馬鹿みたいに、盲目的に――それでも尚、仲間を信じて戦える君の姿が眩しかった〉

 

〈どうして、嬉しそうな声を出すんです〉

 

〈当り前じゃないか、憧れてた人に、これで一歩近づけるんだ。傲慢かもしれないけどね〉

 

 文句など言える筈も無い、かつての自分もアーセナルギアに憧れていたのだから。

 提督の場合虚構の英雄ではなく、本物の私を見た上で判断したのだ。止めることはできない。

 

〈……提督、短い間でしたが、お世話になりました〉

 

〈そう言って貰えると、幸いだよ〉

 

〈でも利用されたことは許さないので、代わりに一つ約束して下さい。またいつか、貴方の元で戦わせてください〉

 

 もしかしたら、彼の判断が後に正しくなるのかもしれない。

 今は間違っていても、また会った時には真実になっているのかもしれない。生きていれば、それを変えられるチャンスは幾らでも来る。駄目だったのなら、その時は――世界を変えていけばいい。

 

〈ありがとう、君に会えて――〉

 

〈その言葉は、また今度で〉

 

〈……そうだね〉

 

 無線は切れた、寂しさもあった。しかし不思議なことに、悲しみは湧いてこなかった。姉妹たちが傍で見守ってくれていたからかもしれない。あの戦いも直接見ていないが、見ていてくれただろう。

 

 いや待て、見ていた?

 神通は今更、自分がどうやって助かったのか疑問を抱く。モセス付近は常に猛吹雪が吹いていた、しかも凍死寸前だ。如何にアーセナルギアが高性能なレーダーを積んでいても、凍死するより早く見つけられるのか。

 

「どうしたの神通ちゃん」

 

「いえ、大したことではないのですが」

 

 今抱いた疑問を二人に話してみる、すると彼女たちは眼を丸くして固まった。少し呆れているようだが、何か可笑しなことを言ってしまったのか。

 

「気付いてないの?」

 

「いや、自覚するだけの余裕がなかったんだよ」

 

 川内は神通の手を握ってみせた。

 おのずと視線は、二人の手に向かう。川内に重なった神通の手は、細くしなやかに光を帯びていた。

 手が、光っていた。

 

「改二練度到達、おめでとう」

 

 改二改装が可能な練度になると、体が淡く輝く。横須賀で教育を受けていた時に教わったことを、今更思い出す。

 

「改二……これが……?」

 

「軽巡棲姫を沈めたから、それで一気に経験が上がったんだよ」

 

「その光が、スネークの目印になったんじゃないかな」

 

 事実としては、そうだろう。

 しかし神通は、これがただ敵を沈めた武功とは思いたくなかった。彼女が助けてくれたのだと、信じることに決めた。

 

 また吹雪が舞い上がる、桜吹雪が一瞬だけ、幻影を作り上げる。

 今は何月だったか、確かもう、四月に入る。

 氷が融け、桜と春が訪れる。終わりと始まりは同じ地平にある、そうやって命は続いていく。私はそこに立っている。

 

 そして、また歩き出すのだ。

 新しい命が生まれる、その地平まで。

 

 

*

 

 

 あれから数か月が過ぎた。

 春はとっくに通り過ぎ、汗が止まらない夏に差し掛かっている。特に単冠湾から遠く離れた横須賀では、尚のこと。

 

 あの核を巡る事件から時間が経ったが、今のところ、私たちが何かされたことはない。提督が責任を負ってくれたお蔭だ。

 音沙汰はないが……青葉が纏めた極秘作戦の情報を彼は持っている。殺される可能性がなくなっただけでも、大分安心できた。

 

 しかし他の仲間とはすっかりバラバラになってしまった。

 スネークは青葉と伊58を連れて、北方棲姫の元に。そこで核弾頭を探しつつ、忍者や亡霊艦隊について探っている。木曽と多摩は別の戦場に、明石はまだ治療を受けている途中だそうだ。折角出会えた姉妹とも、別れてしまった。

 

 川路の行方はさっぱり分からない。しかし元々日本政府の工作員だ、別の基地で何か暗躍しているのだろう。良い気分ではないが。代わりに捕縛された米艦娘たちは、復帰プログラムを受けている最中、余計な犠牲が減ったことは、素直に嬉しかった。

 

 そして神通は横須賀に配属されていた、護りたい仲間はいない基地に一人。しかしその戦いは、単冠湾とはまるで違う戦場だ。

 

「神通さん! 準備できました!」

 

 いつかあの時出会った艦が、彼女たちが精一杯に叫ぶ。うっかりすると綻ぶ顔を締め付けて、彼女たちを神通は見据える。

 

「左弦、第六駆――雷撃戦、開始」

 

 あの戦いがどこかで評価されたのか、神通は駆逐艦を率いることになった。またあの子達と戦えると思うと、嬉しくて仕方がない。慣れない指導さえ、やる気で溢れる。

 彼女等を、無駄死にさせて溜まるものかと、私が叫ぶ。

 

 やはり、そうなのだ。

 どうやっても、あれだけ酷い目にあっても、それは変わらない。『神通』とは、仲間を護る性を持っている。そういう艦娘だと遺伝子に刻まれている。ここから逃げることは、生きている限り不可能だ――軽巡棲姫も、最後までそうだった。

 

 けど、それだけではない。

 単冠湾泊地の仲間と別れたが、新しい仲間と出会えた。出会いと別れを延々と繰り返し、終わりに向けて進んでいく。

 

 遺伝子が二重螺旋をしているのは、きっとそれが理由だ。

 独りではなく二人、くっつき、そして離れる。立場も場所も価値観も一か所に留まらず、螺旋のように廻っていく。

 

その道のりは遺伝子に記されていない、私だけのものだ。私は遺伝子という楽譜を、道のりの楽器で弾き鳴らす。そこにこそ価値がある。かつての仲間がいない此処での戦いも、いつか誰かを護る力になる。

 

 私は神通だ。

 建造で幾らでも造れる、一介の神通だ。

 けど此処にいるのは、他の誰でもない。栄光の第二水雷戦隊旗艦を務めた、川内型軽巡洋艦の名を受け継いだ、『神通』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

海上自衛隊 あぶくま型護衛艦

DE230 「じんつう」

排水量 基準2,000kt

全長 109m

全幅 13・4m

機関 ガスタービン×2基

   ディーゼル×2基 2軸

機関出力 27.000PS

最大速力 27kt

乗員 約120名

兵装 62口径76mm速射砲×1

   SSM4連装発射装置×1

   アスロック8連装発射装置×1

   3連装短魚雷発射装置×2

   高性能20mm機関砲(CIWS)×1

 

 地方警備隊の主力として建造された彼女は、今日も故郷の海を護っています。

 

 

 

 

ACT2

VEIL SUN(仮面の太陽)

THE END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうだった?」

「何の話だ?」

「保護された艦娘のことだよ」

「予想通りだ、()()()()に引き渡されたあとで、全員『処理』された。局長は自殺に見せかけて……な」

 

「抵抗はしなかったの? あれはあれで、裏仕事専門の特殊部隊だったよね」

「相手は艦娘と人間を組み合わせた、特殊ハイテク部隊だ」

「そうか、じゃあ、やったのは『FOXHOUND』の大佐?」

「あいつ自身は気づいていないが。ともあれ全滅――いや、思い出した、生き残りが一人と……あれは生きている、でいいのか?」

「どっちでもいいよ、誰?」

「『Ⅴ』は生き延びた、逃亡先は恐らく、アフリカ中央の武装国家」

 

「スネークはどうするの?」

「自由にさせておけ、あいつも、これ位の『真実』は掴んでいる。白鯨の正体も、じきに。私は横須賀辺りで様子を見る、お前は」

「本部へ戻るよ、木曽のとった映像に、チラッと移ったデータも、見せなきゃいけないからね」

「このシルエット、白鯨はやはり、あの――」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

NEXT STAGE

ACT3

WHITE SUN(白の太陽)




遺伝子(GENE)

 DNAを媒体とした遺伝情報のこと。アデニン、グアニン、シトニン、チミンの四つの塩基によって構成されている。二重螺旋構造をしており、この螺旋が解かれ他の遺伝子と組み合わさることで、新たな組み合わせを持つ遺伝子が生まれる。
 遺伝情報には優勢と劣勢があり、文字通り優勢遺伝子の特徴が発現する可能性が高い。尚これは決して、劣勢遺伝子が優勢遺伝子より劣っているという意味ではない。あくまで発現し易いか否かという点である。
 またこれとは別に、遺伝子が転写される際、省略される部分が存在する。これはイントロンと呼ばれ、逆に省略されない箇所はエクソンと呼ばれる。
 この技術を応用したものとしてクローンがある。既に動物や植物等では生まれているが、人間のクローン体は一般的に成功例がないとされる。クローン体の身体的特徴は、指紋や血管のパターンといった後天的特性を除けばオリジナルと同一とされている。
 人間のクローンは、多くの国や宗教で認められてない。スポーツや戦闘に適したクローンは必然的にその役割を強制されることになり、基本的人権を認めないという、ある種の奴隷制度に繋がるからである。
 しかし一方で人間のクローン技術を用いれば内蔵等の治療が可能であることや、不妊に悩む人々にとっては、子を残す唯一の方法ともされる。
 遺伝に関する現象は未だ未解明な点が多い。第二次世界大戦前はフランシス・ゴールトンによる優生学が主流だったが、戦後はダーウィンの進化論が基本となった。尚余談ではあるが、この二人は同じ祖父を持つ親戚関係にあり、容姿もよく似ていたとされる。




文中の引用は
『艦隊これくしょん―艦これ―いつか静かな海で2』(著:さいと一栄 原作:田中謙介/株式会社KADOKAWA)
による。


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ACT3 WHITE SUN
File29 赤いクライアント


「死者の名前を英雄のそれに呼び変えて、生者はあらたな死者を増産する。歴史はその繰り返しだ。」

――『メタルギア ソリッド ピースウォーカー』より

 

 

 

 

 

 

 

――2009年7月27日 フォックス諸島

 

 気晴らしに外へ出たのは大きな間違いだったと、スネークは早々に後悔した。

 その日は一段と風が強く、冷気もその分鋭い。突風に煽られた小さな雪が彼女の白い肌を切り裂いていく。身を切るような寒さとは、こういうことを言うのか。

 

 だが出てすぐに小屋に戻るのも、何か情けない気がする。此処に来てまだ寒さに慣れていない事実を晒すのは、戦士としては相応しくないのだ。今はじっと寒さに耐え、環境に適応すべきだ。それが今だ拭いきれない、ルーツへの小さなコンプレックスなのは明らかだった。

 

 少しでも寒さを誤魔化そうと取り出したのは、やはり葉巻だった。品名はモンテクリスト、キューバ共和国で生産されている銘柄であり、チェ・ゲバラも愛用していたという代物だ。彼は喘息持ちにも関わらず、喫煙者でもあったのだ。

 

 例えそうであっても、喫煙は止められない。戦争という過度なストレスに晒される兵士にとって、煙草は癒しだ、止められる筈もない。害だと分かっていながらも、それを棄てることはできない。そんな矛盾を孕みながらも戦い、自由を勝ち取ったからこそ、彼は新しい人間と呼ばれたのだ。

 

 そんな新しい人間でもあるスネークは、今度はライターの点火に苦闘していた。どう考えても、この冷気が原因だった。苛立つ彼女の脳天からは、湯気が上がっていそうだ。今更葉巻で体を温める必要は実際ない。

 

「何故外にいる、こんな糞寒い中で」

 

 情けなさすら醸し出すスネークの背中に、女性が声をかける。スネークと同じ銀髪を吹雪で彩ってはいるが、その体格は大幅に劣る。遠くから見れば大人と子供にも見える。中身を見れば、どちらが子供っぽいのは明らかだったが。

 

 役に立たないライターを横から見て、彼女はマッチ棒を取り出す。手馴れた仕草で箱に先端を擦らせる、赤燐が瞬く間に燃え上がる。まず自分の持っていたパイプに火をつけ、満足そうに煙を吸う。

 

「使うか?」

 

 スネークにマッチを貸したのはその後だった。ライターも構造は単純だが、マッチはその比ではない。その分時として、複雑な文明の利器よりも役に立つ。風で火が消える前に、葉巻に火を灯す。

 

 それと同時に風が吹き、葉巻の炎が消えかける。素早く手を翳し、至福の一服を吹雪から守り抜く。苦労しているスネークと比べ彼女は慌てない、火元がパイプの中にあるから消えないのだ。その様子を見て、改めて彼女が問う。

 

「風も雪も強い、海を観ながら吸うにしても、何も見えないぞ」

 

「ガングート、この世界でもじきに禁煙ブームが来る。室内での喫煙は今から控えておけ」

 

「それは一般社会での話だろ、戦場では例外さ」

 

 そもそもあそこに、煙を嫌う奴はいないぞ。

 ガングートが指差す先には、あちこちに隙間が空いた粗末な小屋が立っていた。ここはシャドー・モセスではない、同じフォックス諸島に属する別の小島だ。そこには深海凄艦が現れる前、近隣の漁師が利用していた、休憩所が何か所か残っている。使う人がいなくなって数年、すっかり朽ち果てて、風で飛ばされそうだ。

 

「戦場だからこそだ。ニコチンもアルコールも結局は有害物質、体内に入ったそれらが制御される時代が来る……かもしれないぞ?」

 

「明日も知れない命に、それは酷過ぎないか」

 

「毒は毒だ」

 

 そうは言っても、しかし戦場と毒は切り離せない。かつてナチス・ドイツは禁煙を政策としておこなったが、戦場までは行き届かなかった。国際法で酷使を禁じられ、ブラック鎮守府防止のため大切に運用される艦娘だが、一方喫煙は禁止できていない。

 さすがに駆逐艦や海防艦といった艦は、世間の眼が不味すぎるからか禁じられている。幸いにもその認識は多くの艦娘で共有され、戦艦や空母たちが目を光らせている。記憶がそうさせるのか、監視の目を盗んで吸う少女は後を絶たないが。

 

 轟沈を禁じるのに、着実に死に接近する喫煙は禁じきれない。規則とはつまり自由の抑圧だ、その分どこかで自由が噴出する。それが彼女たちや兵士にとってのタバコなのだろう。それさえ無理矢理封じた先に何があるのか、スネークはナノマシン越しに見たことがあった。

 

「毒と知って止められるなら、この世界は平和だろう」

 

 この世界は多くの矛盾を孕んで生きている、全ての人が効率的に動けば世界は間違いなく平和だ。だが、そんな不安定な存在こそ人間だ。故に喫煙を止めれない艦娘も、そういった人間的側面があるのだ。

 

「まあ、私は今ぐらいが丁度良い」

 

 ガングートは、スネークが北方棲姫と合流した後コンタクトを図ってきた艦娘だった。だが国家に属してはいなかった。戻るべき国も港も持たない、いわば『野良』とでも呼ぶべき艦娘だ。

 

 当然この胡散臭く、仲間にしてくれと宣う艦娘を怪しんだし、色々あった。そんなことをしている内に、スネークは彼女を気に入ってしまっていた。帰るべき国から追放されてしまった彼女は、自由であるがゆえに孤独なスネークと、似ていたからだろう。

 

「さて、やっとお客のお出ましだ」

 

 ガングートの見下ろす先には、数隻の護衛が乗った小舟が停泊していた。その中央には、深く帽子を被った男性がいる。

 国を棄て、国に見捨てられて。

 しかし国家という枠組みからはみ出ては生きられない、アーセナルギアという艦。最大の矛盾は、なのに自由を求める彼女にあるのかもしれない。

 

 

 

 

―― File29 赤いクライアント ――

 

 

 

 

 客を出迎えてから、雪に関しては多少弱まったように見える。遥か北の地とはいえ、夏に差し掛かれば気候は変わる。それでも冷え切った空気は温まらず、粗末な小屋を鈍く軋ませる。隙間風もまた冷たい、艦娘である私がそうなのだから、人間の彼は更に過酷に違いない。

 

 だが目の前に座る男は、寒さなど気にしていないように、ガングートの入れたコーヒーを飲み干していた。むしろこの冷気を楽しんでいるようにすら見える。それはある意味当たり前かもしれない、寒さこそ、彼の国の特徴なのだから。

 

「貴重な一杯、感謝する」

 

「安物のアメリカン・コーヒーだ、気にするな」

 

「いやいや、今の時代、コーヒー一杯も貴重になってしまった。産地の多くは第三各国だ、交易もままならない」

 

 深海凄艦が何にもっとも影響を与えたかと言われれば、それはシーレーンへの大打撃に他ならない。貿易一つをするにも、艦娘の護衛は必要不可欠だ。近場の大陸ならまだしも、より長距離航海が必要なアフリカ等はもう、交易どころか現状さえ碌に分かっていない。そもそも深海凄艦に滅ぼされたのではないか、という噂も立っている。

 

 この男が連れてきた護衛の艦娘は、小屋の外で待機している。コートを深く羽織り、艦種が何なのか分かりにくくしている。警備に、軍務、商船の護衛。社会の至る所まで艦娘は喰い込んでいる。貴重な一杯を一気に飲み干し、男が満足げに口を拭う。

 

「で、テロリストでしかない私に何の用だ」

 

「今日は貴女と、取引をしに此処へ来ました」

 

 口を拭った男の顔は、コーヒーを楽しむ紳士から、狡猾な狩人に変わっていた。ガングートからある程度は聞いていたが、実際に見ると、やはりそうなのだと実感が湧く。かの国が崩壊してから建造されたアーセナルにとっては、未知の存在とも言えた。

 

「私はニコライ・フョードロフ、KGBの使者として、頼みたいことがあるのです」

 

 自分をソビエト連邦の工作員だと、一切誤魔化さずに男は言った。

 

「貴女に再度、日本国内に侵入して頂きたいのです」

 

 フョードロフは暗に、モセスの事件も知っていると示す。つまり、北方棲姫と共同で管理している新型核も知っていることになる。そこまで掴んでいるこの男は、工作員として有能な部類に入るのだろう。

 

「実は最近、日本に送り込まれる米兵の数が増えているのです」

 

「在日米軍のことか?」

 

 日本は1951年にアメリカと締結した日米安保条約、現在は安全保障条約により、国内に米軍を置くことになっている。第二次世界後GHQの支配下に置かれた日本は、マッカーサー主導の元、同じ戦争を繰り返さないために新たな憲法を作ることになる。

 

 それが平和三原則を元とする、平和憲法である。これにより日本は、世界でも貴重な軍隊を持たない国となった。しかしそれは、いざ責められた時防衛することができないということでもあった。

 

 当時の日本を支配していた合衆国にとって、最大の敵はソ連や中国といった、共産各国だった。合衆国は日本を共産主義に対する防波堤とするため、警察予備隊――後の自衛隊である――や、在日米軍を組織したのだ。自前の軍事力を持たない日本もこれに賛同し、特に沖縄を中心として多くの米軍基地が設置されることになる。

 

「日本を中心に活動する第七艦隊の数は、本土防衛のために削減傾向にありました。しかし減っていたはずの戦力が、今、再び増えているのです」

 

「第七艦隊といえば、解体の話も出ていたはずだ、怪しいと思わないかスネーク」

 

 ガングートの言う通り、第七艦隊は縮小傾向にある。第七艦隊は日本を中心に活動しているが、あいにく対深海凄艦相手には役に立たない。今の日本は艦娘で十分自衛ができる。合衆国本土の人手が足りないこともあり、急速に本土への引き上げが始まっていた。

 

「合衆国はどう説明している」

 

「日本政府に対しては、対深海凄艦用部隊の強化と。その通りアイオワ級や、フレッチャー級といった、貴重な主力艦までも動員されています」

 

「日本と比べアメリカは艦娘運用において一歩劣る、そんな状況で、そいつらを本土から離すとは」

 

「しかし我々は無論、大本営も騙されてはいません。実際は艦娘の支援人員に紛れ込ませ、CIAの工作員を送り込む為の偽装です」

 

 その単語に、スネークとガングートの眼がぴくりと動いた。

 

「それだけではないのです」

 

 これを見て頂きたい、とフョードロフは一枚の書類を取り出す。そこには日本語で、艦娘の名前がいくつも記されていた。

 

「これは最近行われた、新規の建造と配置転換の一覧です。この短期間で、急ピッチで建造が次々と行われています」

 

「何のためにだ、無暗な建造は国際法で禁じられている」

 

「艦娘に対抗するため、でしょう。具体的な部分は秘匿されていますが、彼女たちの多くは工作員としての指導を受けているようです」

 

 CIAの送り込んだ工作員の中に、艦娘も紛れているのだろうか。確かに超人的な身体能力を活かした、艦娘のエージェントは実在する。それに対抗できるのも、同じ艦娘だけだ。しかしフョードロフは、敵は艦娘ではないと言う。

 

「今日本国内には、無数の人型深海凄艦が潜りこもうとしています」

 

「何だと?」

 

「いえ、無論大半は事前に探知され、合衆国や日本のエージェントに対処されてします。しかしそれでも、何隻かは」

 

「深海凄艦の強みは、圧倒的な数だ。だがそんな目立つ真似をして、何がしたい?」

 

「ある人物を、確保するためです」

 

 その言葉を聞いた時、スネークの時間は止まった。まさか、そんな人間がいるとは思わなかったからだ。予兆のように風が荒れ、小屋の中を蹂躙する。突風が瞬く間に通り過ぎ、静寂が場を支配する。張り詰めた糸は、彼の一言で断ち切れた。

 

「今、日本にいるのは、「白鯨」の開発者なのです」

 

 フョードロフは、スネークの頬に流れた汗を見逃さなかった。いやらしく頬を釣り上げ、彼は指を突き出す。

 

「そうです、貴女方はよくご存じの筈。深海凄艦が作り上げた最新鋭の兵器、しかしそれを阻んでいたのは、常に貴女だった」

 

「この言葉を、こんなところで聞くことになるとは」

 

 モセスの事件以来白鯨の情報はさっぱり入ってこなかった。戦艦棲姫の動向も同じだ。新型核の内一つを強奪した彼女の捜索は、スネークたちにとって最優先の目的、しかしG.Wの力を持ってしても、潜伏地点は分からなかった。G.Wは愛国者達のような勢力が、背後にいると予想していたが、予想外のところから手掛かりが現れたのだ。

 

「いや、まて」

 

「どうかしましたか、同士ガングート」

 

「同士フョードロフ、お前の今の言い方だと、こう聞こえるぞ。白鯨を建造したのは、「人間」だと」

 

「ええ、その通りです」

 

 なんだって、そう声が漏れかけた。

 新型の深海凄艦――それを人間が作った? まず深海凄艦は、人間が建造できるものだったのか?

 

「というより、これが我がソ連最大の問題なのです。白鯨の建造を行ったのは他ならぬ、ソビエト連邦なのです」

 

「内通者でもいたのか、しかしよく、そんな大胆な行動をとれたな」

 

 スネークの推測と違う答えを、彼は返す。

 

「そうでもありません、他国家には明かしていませんが、ソ連と深海凄艦は、むしろ比較的友好的な関係を築いています」

 

 なぜなら、ソ連は不凍海が少ないからなのです。そうフョードロフは言う。

 不凍海とは文字通り、一年間を通じて凍らない海のことだ。大半が普通の海に囲まれていると実感しにくいが、それは経済的にも、戦略的にも有利なことである。例えば凍った海を出るには氷砕船が必要になる、船一隻だけでも、相当なコストだ。ロシア、ソ連の南下の歴史は、不凍港を求める歴史とも言えるのだ。

 

 そんな狭い領土を取り合うのが、深海凄艦だった。北方棲姫はアメリカ寄りのアリューシャンを領土にしていたが、ソ連寄りの北方を支配する姫もいる。北方水姫や、北端上陸姫といった個体だ。

 

 だが、結果から言ってその争いは長くは続かなかった。領土として機能するのは、当然不凍港に限定される。その数は多くない、数少ない椅子を奪い合う状態なのだ。更にソ連は艦娘の戦力が少ない、建造してもそれを活かせる港が少なすぎるせいだ。

 

 こんな領土を全力で奪い合えば、お互い大きなダメージを負う。そうまでして得られる利益は小さい。となれば、両陣営共積極的な戦いは控えるようになる。敵同士だから許容まではいかないが、潰し合うこともない。

 

「敵なのは変わりません、攻撃すれば当然やり返してきます。しかしその先に有るのは、ただでさえ少ない不凍港の壊滅です。それは我々も深海凄艦も望んでいません」

 

「つまり、抑止力か」

 

 核という強過ぎる兵器が、報復の果てに地球を滅ぼしてしまうのは分かっている。だから撃たない。冷戦とはまた別の、第二の抑止力がここでは働いていた。歪なのは確かだが、現地の人からすれば、平和なことに変わりはない。

 

「しかし、それがある意味で仇となりました。KGBの中に、深海凄艦と接近し過ぎる勢力がいたのです」

 

「そいつらが、白鯨の建造をしたと」

 

「元GRUの勢力が、深海凄艦の手を借り、勢力を取り戻そうとしています。1964年の、ある将校の暴走により、GRUは権力を失い過ぎました」

 

 1964年、当時GRUにいたある将校が、アメリカ人の亡命を支援した。しかしその将校は、亡命の手土産に持ち込まれた核を――それはデイビー・クロケットと言う、世界最小の核だった――、あろうことかソ連領内で使用したのだ。この事件は何とか収まったが、その責任は当然GRUの上層部に降りかかる。

 

「OKB0、存在しない設計局を使い、彼等は白鯨を建造しました。ですが、そこにいた開発チーフが、何者かの手引きにより、日本に亡命したのです」

 

「そいつを、私に捕まえてこいと?」

 

「もし日本か合衆国に身柄を確保されれば、我々は人類の裏切り者になってしまう。そうなれば共産主義は終わりです」

 

「分からないな、それをなぜ私に頼む。KGBも工作員を送り込めば済む話だ」

 

「いまだ日本は西側勢力ですが、実質新たな「第三大国」となっています。そのおかげでソ連は資本主義の進行に会わなくて済む。当初とは逆です、日本はむしろアメリカに対する防波堤になっています。そんな状況で我々が干渉すれば、疑惑を招きかねません」

 

「だから、無関係なスネークに潜りこんで欲しいのか」

 

「日本はこれまでと同じく、資本主義にも共産主義にも属さない、いうなれば「艦娘主義国家」でいてほしいのです」

 

「おい、余計に分からないぞ、なぜそんなことを言う? 身内の尻拭いをしてくれ、と言われて了承するやつがいるか?」

 

 ソ連の身内がやらかした、白鯨開発という罪の隠蔽を、どうして私がしないといけないのか。

 相応の報酬は用意しますと、フョードロフは言う。

 

「この依頼を受けて頂ければ、貴女方の身分は我々が保障しましょう」

 

「具体的には?」

 

「今の貴女方は、土地もなにも持たない放浪者。しかし――特にスネーク、貴女は余りにも特異過ぎる」

 

「確かに、こいつが何時拉致されてもおかしくはない」

 

「本来最新鋭のミサイル兵器どこか、理解さえできない二足歩行戦車。自律思考するAI。オーバーテクノロジーの塊、どこ国家も、無論我々も喉から手が出そうです」

 

 それは、確かにそうだった。技術奪取のため監禁されるならマシなほうで、下手をすれば深海凄艦以上の脅威として、殺される可能性もある。今そうなっていないのは、アーセナルギアがやろうと思えば沈められる艦だからだ。

 

「そんな貴女の身分を保証する、それ以外にも色々。悪くはない提案では?」

 

「そうか、いいだろう、その開発者とやらは、我々が捕えてやる。だが報酬はいらない」

 

「おい、スネーク?」

 

「代わりに、開発者は我々が管理する」

 

 ソ連も合衆国も出し抜き、開発者を手に入れるのは我々だ。スネークは彼の前で宣言した。

 

「つまり、我々と争うと? ただでさえ不安定な立場の貴女が?」

 

「今更、こうなることを覚悟していないと思ったのか? 安心しろ、白鯨はしっかり破壊してやる」

 

 誰にも利用されず、自由に生きるためにこの立場を選んだのだ。例え依頼であり、魅力的な報酬でも、受ける選択はあり得なかった。

 行くぞガングート。スネークは椅子から立ち上がり、モセスへ帰ろうとする。外にいるフョードロフの護衛が妨害してきたら、突破すればいい。

 

「事後報酬がある、と言えばどうなりますか」

 

 めげずに、彼は言う。その態度に違和感があった。交渉が決裂した割に、冷静過ぎる。それにここまで自国の弱みを、話すものだろうか。フョードロフが落ち着いているのは、全て話が予定通りに行っているからではないか。

 

 やはりまだまだ生まれたてだなスネーク、とでも言いたげなガングートの呆れた目線で、彼女は過ちに気づく。しかしそれは、彼女がアーセナルギアである限り、逃れられない禁断の果実とも言えたのだ。

 

「例えば、そう、「愛国者達」についてとか」

 

 心臓が、間違いなく、文字通り跳ねたのを、スネークは実感した。

 

「我々の真の目的は、愛国者達の打倒なのです」

 

 吹雪のせいなのか、自分の心臓の音を除いて何も聞こえない。そしてスネークは、まんまと彼の話に聞き入った――聞かざるを得なかった。

 

 スネークが日本に再度潜りこむ、一週間前のことである。




冒頭の引用は
『メタルギアソリッドピースウォーカー』(著:野島一人/角川文庫)
による。



ガングート(艦隊これくしょん)
 元ソビエト連邦所属の艦娘だが、ある事情により脱走。単独でスネークと接触し、協力関係となる。
 無論なにか狙っていることは了承済みだが、それでも割と仲は良い。ついでにスネークより遥かに年上のため、スネークがサポートを求めることも多々ある。
 正直言って、スペック以外だと、ガングートの方がほとんど上である。


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File30 禁忌の設計者

 甲高い声とともに、激しくギターが弾き鳴らされている。

 色取り取りの衣装を着た女の子たちが、歌いながら踊り、踊りながら笑っている。流れている歌は、最近流行っているアニメの曲でしょうか。あまり見ないので、何とも言えないのですが。

 

 那珂、という艦娘は、なぜかアイドルに拘る。

 いったいどんな過去がそうさせるのかは、今も専門家の頭を悩ませている。それらしき史実が全く見当たらないからだ。

 

 当の本人は全く気にせず、今日もアイドル活動に勤しんでいる。

 容姿端麗で、今日という日を護る艦娘のアイドルは当然人気だった。海上に設置されたステージの上で、那珂やバックダンサーが躍る。その度に、観衆の声は大きくなる。

 

 大本営も、ここぞとばかりに活動を支援していた。市民の理解なしで活動できる軍隊は存在しない。彼女たちに限らず、艦娘が生み出す経済効果は莫大だ。今や崩壊した資本主義経済に代わり、艦娘経済なんていう単語が生まれている。

 

 自分のやりたいことができる、それは素晴らしいことなのでしょう。今日と言う日が、今日でなければ。

 ステージを見下ろす護衛艦の中、彼女は冷ややかな目線を向ける。

 陽炎型駆逐艦八番艦『雪風』は、だが思う、それはそれで、良いのかもしれないと。

 

 

 

 

 

―― File30 禁忌の設計者 ――

 

 

 

 

――2009年8月3日 14時00分 護衛艦甲板上

 

 今日は、特別な日だった。

 艦娘のステージを挟み込む形で、大型の護衛艦が二隻、配備されている。しかし主砲にもミサイルにも、全てロックが掛かっている。装備を今日使う可能性は、ゼロだからだ。代わりに乗っているのは、あらゆるジャンルの『屋台』だった。

 

 雪風の隣を興奮した子供が走り抜け、親が申し訳なさそうに頭をさげつつ、我が子を追っている。穏やかな日差しと波の代わりに、人々の話し声が飛び交えば、あっと言う間に騒がしくなる。自然の鳴らす轟音が、むしろ懐かしい。

 

 食べ物を扱う屋台の前には人が立ち並ぶ。可愛らしいエプロンで焼きそばを作るのも、また艦娘だった。いや、職員のほとんどは、艦娘だった。しかし不快感はなく、彼女たちは皆楽しそうにしている。今日は『観艦式』と言う名前の、祭りだった。

 

 観艦式は本来別の時期にやるものだが、戦争初期の混乱により、時期がずれ、ここに落ち着いてしまったのである。だがこの観艦式は、雪風の知る時とは大きく違っていた。艦娘が世界の中心になった時代に合わせているのだ。

 

 だが、雪風からすれば、あまり面白いものではなかった。

 平時であれば、これで良かったのかもしれない。しかしまだ、戦争は終わっていないのだ。晴れ渡る青空を見上げた途端、少し眩暈がした。

 

 

 

 

 瞬間、空が燃えていた。

 艦載機が空を覆いつくし、無数の爆弾が雨となり降り注ぐ。それを浴びた仲間が一隻、また一隻と燃えていく。全身火だるまになった彼女たちは、言葉にならない悲鳴を上げ泣き叫んでいた。

 

 「殺してくれ」突然聞こえた声に振り返る。

 いたのは、死に掛けの戦友だった。しかしもう、自分で死ぬことさえできない鉄屑になっていた。もう助からないなら、いっそ、お前の手で。顔も手もなかったが、あの人の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。

 

 きっと私もそうだ、でも私は私ではなく、ただの駆逐艦。

 自分がどう思おうと関係ない。私を動かす人が、雷撃処分のために魚雷を発射する。したくないと叫んだ、魚雷を撃ったあの人も、泣きそうな顔をしていた。

 

 魚雷が直撃し、雷撃処分が完了する。爆風の隙間から、彼女の顔が見えかけて――そこで、眩暈が収まった。

 

 雪風を、見知らぬ外人が見下ろしていた。

 

「大丈夫ですか」

 

 彼の手を取り、雪風は立ち上がる。

 その人に背中をさすって貰うと、吐き気が少しづつマシになっていく。彼から見れば、突然体調を崩した子供に見えているのだろう。

 

「艦娘とは、急に体調を崩すものなのかね」

 

「気づいていたんですか」

 

「私も軍事関係者だ、賓客として、ダイホンエイに呼ばれたのだよ。今日はいいものを見させてもらった」

 

 お祭り騒ぎの観艦式だが、もう一つの側面を持っていた。

 海外に、日本の軍事力を見せつける意味である。日本は世界有数の艦娘大国であり、その分野の政策も進んでいる。艦娘の社会参加プログラムを施行したのは、日本が初めてだ。

 

「どうでしたか」

 

「君と同じだと、思うがね」

 

 雪風は、改めて下を見下ろす。

 笑顔を見せつけ、それに笑顔を返す人々。楽しそうに、そして一生懸命に作業をする艦娘たち。

 

「気持ち悪い、です」

 

「だろうな」

 

「私達が、悪いとも限りませんが」

 

「観艦式をここまで賑やかにする必要はないとは、誰もが知っている。だが真面目、軍的にやれば、平和憲法が問われる」

 

 第9条、通称平和憲法では、自衛以外での戦闘行動は認められていない。だが日本は、艦娘大国として莫大な軍事力を得てしまった。しかし今更、大国の座からは降りられない。軍事力をアピールしつつ、『戦力』ではないと誤魔化すため――結果、観艦式は、まるで学園祭のようになった。

 

 だが、艦娘がそれを意図した訳では無い。

 むしろ、解体されて人間に戻るために、必要な訓練だ。問題はその裏に、薄汚い策謀が行き交っている所だった。

 

「おお、今度は艦娘同士の模擬戦闘とは」

 

「楽しそうですね」

 

「楽しいとも、これほどの茶番はそうそう見られまい」

 

 言い返す気は、全く起きなかった。

 この光景は、平和は、艦娘によって支えられている。

 しかしその実態は、先程視たフラッシュバックと同じ、過酷な死地への船出。そして、無数の犠牲。

 

 それを知りながら――もしくは知らないで、笑顔で人々は『死んで来い』と送り出す。艦娘も『行ってきます』と、笑顔でいく。子供のように無邪気で、狂ったレクリエーションの数々。これは、これでも平和と呼べるのか。

 

 

 

 

 雪風の今日が、『今日』でなくなったのは、直ぐ後の事だった。

 観艦式が終わり、船が呉鎮守府へ戻る。雪風は客に紛れて自室へ戻ろうとした。だが、艦の中に、ぽつんと人影がいた。何の気なしに覗き込むと、金髪の子供がいた。親とはぐれたのだろうか?

 

 その予想が絶対に違うのは、すぐに分かった。

 子供の頬や痩せ、服はボロボロ。手元には屋台からくすねたであろう残飯が握られていて、半分だけ齧られている。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 声をかけ、体をゆすると僅かに反応があった。意識はある。

 重症ではない、衰弱しているだけだ。病院へ連れていく選択肢は、あまり取りたくない。荷物らしきものはない、パスポートもない。不法入国以外考えられなかった、だがこんな子供が?

 

 まず話を聞いてみないと、判断がつかない。雪風はその子をいったん、自分の部屋に連れ込むことにした。危険な行為は承知だ、だができるなら、何か力に成りたいと雪風は思うのだった。

 

 

 

 

ACT3

WHITE SUN(白の太陽)

 

 

 

 

 部屋の暖房は最大、これ以上冷えないように毛布でくるんでおいた。

 警備の眼を掻い潜るのは苦労したが、観艦式の片付けで慌ただしいのが幸いした。雪風は医者ではなかったが、長年の経験から、このままいけば目を覚ますと確信していた。明日以降どうなるかは、不安ではあったが。

 

「起きましたか?」

 

 予想通り、彼が目を覚ます。雪風を視界に入れた瞬間、少し驚いたが、すぐに落ち着いた。ゆっくりと体を起こし、冷静に周りを見渡す。

 

「ここは鎮守府、場所は呉か?」

 

「ええ、そうです」

 

「ふーん、そう」

 

 少年は体を起こすと、部屋に供えられていたペットボトルを勝手に開け、一気に飲み干した。妙に図太いが、それくらいの元気は出てきたらしい。袖で口を拭き、彼は雪風を睨み付けた。

 

「で、僕をどうするつもり?」

 

「……どういう意味でしょう?」

 

 雪風の返答に、彼は更に怒りを募らせる。

 

「僕が不法入国をやったのは、知っているんだろ?」

 

「それは知っていますが」

 

「じゃあ何で警察に突き出さない、決まっている、僕が誰だか知っているからだ」

 

「……いや知りませんが?」

 

 彼との問答は、全く要領を得ない。

 雪風はただ、倒れていた子供を助けただけだった。不法入国の理由は、その後聞けばいいと思っていた。だが起きた途端にこれだ。

 

「貴方は、誰なんですか」

 

 しかし、ただの不法入国ではなさそうだ。

 起きてすぐ、ここが鎮守府だと理解していた。私が艦娘なのも、気づいている。第一こんな子供が、単身不法入国することがおかしいのだ。

 ただならぬ理由がありそうだ、そう雪風は考えた。

 

「僕は……ジョン」

 

「名前?」

 

「ジョン・Hだ、それで十分だろ」

 

 しかしそれは、紛れもなく偽名だった。ジョンでHと来たら、後に続くのは『ワトソン』しかないじゃないか。言うまでもなく、推理小説シャーロック・ホームズに登場する彼の相棒である。

 

「嫌なら、ジョン・Dでも良いけど」

 

J・D(名無しの男性死体)なんて、冗談でも止めてください」

 

「真に受けるなよ、バーカ」

 

 男性死体の推理をするホームズではない、そもそもジョンは死んでいない。そう反応した雪風をジョンは嘲笑う。少しばかしムッとしたが、それはそれで嬉しくもあった。多少なりとも、心を開いている証拠だからだ。

 

「まあ良いですよ、でジョンさん」

 

「ジョンで良いよ」

 

「じゃあジョン、貴方が亡命した理由は、なんですか」

 

「それ、言わなきゃだめなのか?」

 

 怒っていいだろうか、雪風は問うた。とんでもない天邪鬼を拾ってしまったようだ、この子供はどれだけひねくれているのやら。一周回れば愛しいのかもしれないが、あいにく雪風は、そこまで大人ではない。

 

「言いたくないなら、そう言って下さい」

 

「別にそうじゃない、あんたには関係ないだけだよ」

 

「素直ではありませんね」

 

「そりゃどうも」

 

 これは、長丁場になるかもしれない。

 亡命の理由が分からなければ、やれることは限られてくる。だが鎮守府の一室で、長い間匿うことはできない。いずれ露見する。そうなれば私も、彼も終わりだ。私が捕まるのは別に構わないけど、彼が捕まるのは、きっと駄目だ。

 

「一つだけ教えてください、大本営に掴まりたいですか」

 

「それはヤダよ」

 

「即答、ですか」

 

「拷問も尋問も、強制も……痛いのは嫌いだからね。大本営もきっと、()()()()と同じだ」

 

 あいつら、とは誰のことだ。いや、どの組織のことだ。

 聞いてみたかったが、一つだけ、と言ったのは雪風だ。これ以上の質問は許されていない。言ったら多分、また腹の立つ返しをされる。だから言うことは、決まっていた。

 

「分かりました、では貴女を大本営に渡すことはしません」

 

「どうだか、そんな話で騙されるわけないじゃんか」

 

「信じてください、雪風は、約束を守ります」

 

 言葉だけでは、伝わらない。

 言葉以外の全てを使っても、心は伝わらない。だからこそ、彼に想像してもらうしかない。信じていると、約束を守る雪風の姿を想像して貰うしかないのだ。せめて気づいて欲しくて彼女は、真っ直ぐ彼の眼を見つめて約束した。

 

「……あっそ」

 

「いいですか、部屋から出ないでください」

 

「分かっているよ、お前の機嫌を損ねたくはないからな」

 

 しかし、どうしてだろう。

 どうして彼は、こんなにも疑惑を向けてくるのか。どこからか、亡命してきたのは間違いない。しかし生まれ育った国を棄てると言うのは、大きな犠牲を伴う。

 

 そうまでして亡命する理由の多くは、紛争だ。深海凄艦が現れるより前、冷戦が激しかったころ、超大国の代わりに戦っていたのは、中東やアフリカ、中南米といった、第三各国の国々だった。

 

 核を使わなくても、大国同士が戦えば甚大な被害が出る。WW2はそうだった。だから彼らは、代わりに自分たちの支援する、小さな国に戦わせたのだ。おかげで大規模な戦いは起きず、世界規模で見れば平和が維持された。しかしそれは、小国の犠牲を伴う平和でもあるのだ。

 

 

*

 

 

 とりあえずジョンを部屋へ残し、雪風は食堂へ向かうことにした。

 ピーク時を過ぎた食堂には、ほとんど人がいない。まだ観艦式の片付けが終わっていないのだ。雪風は最初から、参加するメンバーではなかった。とはいえ、時間通りにいかないのはいつものこと。カウンターには夕食がいくつか作り置きされていた。

 

「あら、雪風さん。今日は遅かったんですね」

 

 振り向くと同時に、雪風は首を限界まで上げなくてはならなかった。何度見ても、大きい。180センチは確実に超えている。男性と比較しても、尚巨大である。彼女を、雪風は昔からよく知っていた。

 

「最後までいたので、大和さんは、今お帰りですか?」

 

「はい、演習が終わったので。中々の相手でしたが勝ちました」

 

「観艦式の時の相手ですね」

 

「しかし、たまには実戦に出たいものです。兵器は使われてこそ、なのに」

 

 観艦式で行われた模擬演習、片方の旗艦は大和だった。

 戦艦大和、言わずと知れた、日本が誇る超弩級戦艦である。その圧倒的戦闘能力は、WW2の時から知られていた。魚雷を喰らっても、そのまま平然と航行する。艦載機386機の波状攻撃を受け、やっと沈んだなど。逸話は幾らでもある。

 

 しかし、その代償として、燃費が壊滅的に悪い。

 加えて決戦兵器として建造された結果、迂闊に喪失するのを避ける為、なかなか出撃ができなかった艦でもある。艦娘になっても、生憎そこは変わらなかった。

 

「ああ、違いますよ、今の役目は不満ではありません」

 

 無言を勘違いした大和が、慌てて両手を振る。

 

「連合艦隊旗艦として、日本の軍事力を見せつける。それにより、外国からの干渉を未然に防ぎ、戦闘を避ける。それは艦娘の立場を守り、国民を守ることになる」

 

 動物や昆虫の中には、派手な色合いをしている生き物がいる。その多くは強力な毒を持っていたり、捕食者を一撃で殺す程の力を持っている。警告色というものだ。襲えば死ぬ。事前に通告することで、無駄な戦いを避ける。軍事力のアピールも同じだった。

 

「核が脅威を失った今、人間同士の戦争を避けるためには、私達が抑止力にならねばならない。その矢面に立つのが大和なら、これほど誇らしいことはありません」

 

 と、乾いた笑顔を向ける大和は、少し可哀想だった。あの戦争を経験して、黄泉から召還されて、やることが宣伝担当では、何とも言えなくなる。雪風自身の立場も問題だった。

 

 彼女は、建造されてから――十八年目の艦娘だった。彼女は見た目こそ子供だが、実際は艦娘出現の、最初期から戦い続けている、歴戦の戦士でもあった。そんな私が慰めても、嫌味にしかならない気がした。

 

「ああ、それと提督から連絡が」

 

 大和も嫌だったのか、話題をすぐに変えた。

 彼女が懐から取り出したのは、一枚の写真だった。

 写っているのは恰幅の良い外人の子供、金髪に蒼い眼。

 

「この子は」

 

「密航者です」

 

 息を呑む音を、聞かれていないだろうか。体格はまったく違っていたが、写真の少年は間違いなく、ジョン・Hだった。この写真が取られたのは、数年前の時だった。取られた場所は、ソ連だったらしい。大本営が苦労して入手した一枚、と大和は言った。

 

「こんな子供が密航者なのでしょうか?」

 

「ええ、ですが、ただの子供ではありません。雪風さんは、『白鯨』を知っていますか」

 

「もちろんです、噂の新型深海凄艦です。有名ですね」

 

 アーセナルギアを主人公とした噂話、レイテの英雄、ソロモン諸島の救世主は、もはや知らない者はいなかった。実在を信じるかどうかは、また別の話として。ちなみに雪風は信じていた――というより、間接的に、彼女の存在を知ったのだ。

 

「ですが、この写真の少年と、白鯨にどう関係があるのでしょうか」

 

「いえ、それが、大和も半信半疑なのですが……」

 

 目を左右に動かし、大和は自信なさげに呟く。彼女が確証のないことを言うのは珍しい、いったいなんなのだ。

 

「白鯨の、開発者みたいなんです、この少年が」

 

 大和の気持ちが良く分かった。

 白鯨を、開発した? この、15歳程度の少年が? 生体からして良く分かっていない深海凄艦を? あの天邪鬼、想像以上の爆弾だった。

 

「本当なんですか?」

 

「ええまあ……提督は、そうおっしゃっていました、提督が言うなら、そうなんでしょう」

 

「大本営は、どう動くのでしょうか」

 

「捕縛するつもりらしいです、提督はそうおっしゃっていました。白鯨の場所や技術、取れるものは多いので、取れるだけ取るつもりです」

 

「まさか、拷問も?」

 

「必要ならするそうです、密航は犯罪ですし、それに今この時期、問題が起きると威信に関わります。観艦式は明後日までありますし、明々後日も行事があります」

 

 あの学園祭じみた観艦式は、今日で終わりではなかった。明後日まで、二日間開催される。また明々後日には、更に大きい行事が控えている。むしろ、観艦式はその前座だ。メインのイベントで、国防を歌う行事で密航者が出たら、日本の軍事力は疑われる。

 

「大本営は今探していますが、ことがことなので、一般の艦娘には知らされていません。ここだけの話でお願いしますよ」

 

「分かりました、雪風、誰にも話しません」

 

「ええ、頑張りましょう」

 

 雪風と大和は、お互いに笑いあった。張り付いた笑みに、気づかないフリをして。

 強大な軍事力を、平和のためとアピールする。当の艦娘たちは、知らないままで。そのために一人の子供を犠牲にすることが、正しいとは思えなかった。




雪風(艦隊これくしょん)
 陽炎型駆逐艦八番艦「雪風」の艦娘。駆逐艦の見た目相応に、小さな子供の姿をしている。しかし実際はほぼ最初期から戦線に立ち、いまだ現役で戦っている本物の古強者であり幸運艦。
 長いこと戦ってきたため、軍の内外問わずコネクションが多く、余りの影響力の強さに大本営は危険視しているが、手を出せないでいる。
 尚その当人だが、最近成熟し過ぎた人格と見た目のギャップに頭を抱えている。


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File31 蔓延する輸送艦

 時と場所が違えば、これは多分、勇ましい光景だったのだろう。

 日々の食料を賄うために、男たちは海へと出る。髭を生やした壮年の男が激を飛ばし、まだまだ青臭さの抜けない新米が、喉を張って叫ぶ。一件暑苦しさに満ちた作業だが、実際は何十年もの経験に支えられた、効率的なやり方でもある。

 

 大きな船のあちこちで、同じような光景は見られる。流石に豪華客船とまではいかないが、相当大きな船だ。これだけの大きさなら、積める食料も相当なものだろう。しかしスネークからしてみると、一般的な漁船としては大き過ぎ。つまり、非効率的なサイズだ。何故なら彼女が知る漁は、当然彼女の世界の常識に基づいている。

 

 深海凄艦の跋扈する、この世界での漁船は、これで良かった。何度も出れば襲撃されるリスクも増える。なら、一度に多くを持ち帰れた方が遥かにいい。それに、何隻も出るより、彼女たちもやりやすい。

 

 この、肌を痛めつける感覚は、潮風だろうか、深海凄艦だろうか。それとも、脅威を感じずにはいられない、人間の怯えだろうか。

 曇天の空も相まって、とてものどかな日常には見えない。時と場所が違うだけで、同じことをしても、何もかもが違う。それは、あらゆる事柄にも言えるのだ。

 タバコの味だけが、変わらず肺を蝕んでくれていた。

 

 

 

 

―― File31 蔓延する輸送艦 ――

 

 

 

 

――2009年8月4日 13:00 大型漁船内

 

 ゲバラの愛用したタバコを、スネークは積荷の影で嗜んでいた。別に彼女は、漁師として船に乗ったのではない。機械的なサポートの作業員が、今の肩書だった。だから常に動いている必要はない。しかし彼らが汗水垂らしている中、堂々とやるのは気不味い。

 

 あと、残りは何本だっただろうか。

 日本に侵入してから、余計な痕跡は残せない。タバコも気楽に買えないし――買えたとしても、同じ銘柄は手に入りにくい。

 

 タバコの残りは少ない。口に咥えた一本を長く楽しみたいが、ただ吸っているだけでは暇は潰せない。スネークはぼんやりと、空を見上げる。曇天の空は、少しは見慣れたシャドー・モセスの空を、そしてここへ戻る原因となった、フョードロフの言葉を思い出させるのだった。

 

 

 

 

 ――我々の目的は、愛国者達の打倒なのです。

 と、フョードロフは言った。その言葉に固まったのは、スネークだけでなかった。事情を聞かされていたガングートも、絶句していた。

 

「お前は、愛国者達を知っているのか」

 

「ええ勿論、そうでなくては、名前など出しはしません」

 

 まさか、いやしかし、スネークは心のどこかで、納得していた。スネークの世界とは違い、この世界の愛国者達は、存在を秘蔵しきれていない。その証拠に、北方棲姫も愛国者達を知っていた。

 

 愛国者達とは、深海凄艦の結社を意味する。

 以前モセスへ向かう時、北方棲姫はそう語った。目的は不明、規模も不明。だが深海凄艦が現れてから、歴史の節目に、その名を語る姫がいた。今回愛国者達を名乗ったのは、戦艦棲姫だった。

 

「我々が愛国者達について掴んでいることは、そう多くはありません。しかしスネーク、それだけでも貴女にとっては、大きな意味を持つのでしょう」

 

「おい、確かお前のいた世界でアーセナルギアを建造したのは」

 

「愛国者達、この世界にない筈の存在が、存在しているのです。知り得ることの一つを教えましょう、彼女たちは世界中で活動していますが、その主な拠点はアメリカです。つまり、愛国者達の増大はアメリカの増大でもあるのです」

 

「何故アメリカなんだ、別に、合衆国だけが超大国というわけではないだろ」

 

 CIAの諜報機関から発展した、元の世界での話なら分かる。冷戦後、世界を支配したのはアメリカの規範だ。だがこの世界では冷戦が終わるどころか、日本と言う三つ目の大国まで現れている。わざわざ米国を拠点に置く必要性は感じられない。

 

「それ以上をお答えするには、対価がなければ難しい」

 

「白鯨の、開発者か」

 

「我々共産勢力からすれば、合衆国の力の根源である愛国者達は、最大の敵なのです。それに、合衆国中枢に、何故深海凄艦がいるのか。それを突き止めることは、貴女の利益にもなり得るのではないですか」

 

「スネーク、受けるべきだろう」

 

 フョードロフの間に立ち、ガングートが顔を覗き込む。

 

「別に、同じソ連だからってわけではないさ。だがな、今のお前は危険なテロリストだ。それも北方棲姫という人類の敵と手を結び、新型の核を独占している」

 

「あれが他の勢力に渡れば、より不味いだろう」

 

「ああ、それはそうだ。だが違法に核を持った武装勢力が、どんな最後を辿ったのか、お前は知っているだろ?」

 

 嵐の中、この小屋の中だけが静かだった。

 まるで、地中海の穏やかな海だ。一瞬の後、炎に包まれて崩落する間際の白昼夢を、スネークは見た。阿鼻叫喚の悲鳴と怒声、血と虐殺から這いでる、鬼の(ファントム)

 

「答えは、でましたか」

 

 再び、風で軋みだした小屋の中で、スネークは再び国家と接触する。入れた三人分のコーヒーは、とっくに無くなっていた。

 

 

 

 

 日本への侵入は、おおむねフョードロフが手配してくれた。丁度この時期に、大型漁船が出る。その中に作業員として紛れ込み、広島にある呉鎮守府まで連れていってもらう。開発者の最後の足取りは、この呉で途絶えていた。

 

 問題は上陸したあとだ、呉にいるのは大本営の人間だけではない、CIAの工作員まで紛れている。彼等の全てを出し抜き、単独で開発者を発見しなくてはならない。スネークは事前に見せて貰った、開発者の顔を思い出していた。

 

 まあ、どの道つくまでやることはない。

 スネークは今の内にと、二本目の葉巻に手を伸ばす。この後襲来する苦労と苦悩を考えたら、これぐらいの贅沢は許されるはずだ。

 

 しかし、下から突如伸びたワイヤーが、一瞬で葉巻をかすめ取っていった。取られた葉巻は宙を舞い、そのまま足元の機械へ収納されていく。

 

〈吸い過ぎだスネーク、ただでさえ健康に悪いものを、これ以上吸うな〉

 

〈機械のお前には分かるまい、これはリフレッシュだ〉

 

〈葉巻、煙草に含まれるニコチンがどれほどの悪影響を与えるのかは言うまでもない。我々と君は一蓮托生なんだぞ、それを理解しろ〉

 

 この光景を視られたら、多分終わりである。

 足元の、何もない空間に向けて、文句を垂れているのだから。しかしG.Wはそこにいる。正確には、G.Wの端末を乗せた自律機械が、ステルス迷彩を纏っている。

 

 それはメタルギアMk-4と言う、超小型メタルギアだった。元々はスネークのいた世界の、とある科学者が開発した小型サポートマシンだ。その設計図を、全世界のネットを把握するG.Wは持っていた。先ほどのワイヤーは、このMk-4が出したものだ。

 

 スネークの随伴として、アーセナルギアの艤装は余りにも巨大過ぎた。という訳で、北方棲姫に作らせたのである。ただ北方棲姫は、あくまで科学者でありエンジニアではない。完成度は本来のメタルギアに劣るが、それでも便利にはなった。

 

〈それで、何か情報はあったか〉

 

〈いや、今のところ有力な情報は入っていない。この開発者は、かなり諜報機関を警戒して動いている。頭の良い奴だ、街のあちこちにある監視カメラまで意識している。大本営もCIAも、足取りは掴めていない〉

 

 そこまで完璧に身を隠せる方法は限られている。蛇はむしろ隠れ進む生き物だ、隠れる側の立場になり切ることは簡単だ。その中で真っ先に浮かんだのが、内通者の存在。つまり鎮守府の人間が、開発者を匿っている可能性だ。

 

〈木を隠すなら森の中だ、開発者は鎮守府内にいる可能性が高い〉

 

〈そう予測される、だが今回は単冠湾と違い、身分を偽装することは難しい。単独で潜入し、素早く回収する方が効果的だ〉

 

〈分かっている、あの時は大規模戦闘のあと、大きな人事入れ替えがあったからできた荒業だ。それに、どうせ人を()()攫う予定だ。長居する気はない〉

 

〈伊58の提督奪還は、あとにすべきだ。今優先すべきは白鯨の開発者〉

 

〈いいや、これはあいつとの約束だ〉

 

 ソ連のフョードロフが提供した情報は、もう一つあった。それはブラック運営の責任を押し付けられ、逮捕された伊58の提督である。なんと彼も、今この呉鎮守府内のどこかに監禁されているらしい。

 

 G.Wの言う通り、わざわざ開発者と同時に攫う必要性はあまりない。しかし、スネークは今決行すべきだと信じている。いつ別の場所に護送されてしまうかは分からない。

 

 それ以上に、伊58との約束があった。私はあいつと、「助けてやる」と約束したのだ。アーセナルギアに乗っていた人間は、皆騙され利用された。同じような行為は、絶対にしたくなかった。合理的ではないが、それが、人間というものだ。

 

〈スネーク、聞こえているでちか!〉

 

 その伊58から無線が入る。今彼女は、この漁船の遥か下を、ゆっくりと潜航していた。提督を助け出すと告げた時、伊58は私も行くと、言って聞かなかったのだ。だが、彼女の声は妙に焦っている。

 

〈不味いことになる、早いとこ逃げる準備をするでち〉

 

〈おい、どういうことだ〉

 

〈この先の進路に、深海凄艦の艦隊が待ち受けている。輸送艦の護衛部隊が六隻、内何隻かは戦艦でち〉

 

 運悪く、輸送作戦中の艦隊と遭遇してしまったのだ。逃げるとは考えにくい、輸送艦まで見つけてしまったのだ、なにかコンタクトをしているだろう。

 

 スネークは、漁船の下を見下ろす。護衛についている艦娘は、駆逐艦二隻と、軽巡一隻だけ。しかも経験も薄いのか、旗艦は慌てふためている。何故こんな脆弱な護衛しか派遣していないのか、今更疑問に感じる。

 

〈幸い対潜能力持ちはいない、ゴーヤは戦えるけど〉

 

〈いやいい、お前は私の艤装を守れ、それに我々の存在が露見する方がまずい〉

 

 間もなくして、深海凄艦と艦娘が会敵した。

 レーダーを持っていた艦娘の方が、攻撃は早かった。次々と砲撃が降り注ぎ、輸送艦に何発か直撃する。すると、護衛艦隊が怒涛の勢いで動きだす。砲撃するまで、防衛に専念していたのが嘘のようだ。

 

 まず、前衛の駆逐艦が突撃してきた。

 イロハ級らしい、策も何もない突撃。なりふり構わない、追い詰められた獣の咆哮だった。当たり前の方に、四方八方から攻撃を受け、一瞬の爆発と共に消え去った。

 

 その突撃を、全ての駆逐艦がしたのだ。一隻一隻の対処は容易いとはいえ、漁船を護らなくてはならない艦娘にとっては、大きな負担だ。

 何よりも、混乱したそこに、戦艦ル級が躊躇なく砲撃を撃ちこんでくる。巨大な波が立ち、漁船を大きく揺らす。余りの衝撃に、乗員が振り落とされたのが見えた。あの、若い漁師だった。

 

 助けたいが、余裕がない。

 悔しさに顔を滲ませながら、軽巡艦娘が声を張り上げる。深海凄艦の目的は、輸送艦の護衛なのだろうか。それにしては、攻撃的過ぎる。

 

 いやな汗が、頬を流れた。こいつらの目的は護衛ではなく、秘蔵なのではないか。輸送しているという事実そのものを護るための艦隊。ならもっとも上位の目的となっているのは、輸送艦を見た存在の残滅だ。

 

 そのためなら、仲間の犠牲はまったくいとわない。疑問に思う頭さえない、イロハ級とはそういう存在だ。アリや蜂のように、群れで一つの生命として振る舞うからこそできる戦法だった。

 

 こいつらは、自分たちがどうなっても漁船を沈めるだろう。可哀想だが、彼等はここで死ぬことになる。スネークはそう予感していた。

 

 

 

 

 死の予感に凍り始めた空気を、激しい爆発音が打ち破った。

 護衛の艦娘の攻撃ではない、もっと別の場所から、魚雷が発射されていた。深海凄艦も、突如爆散した味方に、驚きを禁じ得ない。皆一隻に、一つの咆哮を向いていた。

 

 地平線から、小さな、本当に小さな影が現れる。

 単騎で奇襲をかけたのは、一隻の駆逐艦だった。たったそれだけか、それも駆逐艦か。相手には戦艦もいるのに。抱きかけた艦娘たちの希望は、一転して絶望へと変わる。

 

 逆に、深海凄艦は更に怒り狂った。偶然とはいえ、たかが一隻の駆逐艦にやられるとは。沈められた駆逐艦の憤怒は、群れで生きる彼女たち全員に伝搬する。なら望みどおりにしてやろうと、漁船に向いていた砲火が彼女に集中した。

 

 と思われた直前、砲撃音が、三回連続で響いた。

 駆逐艦の放った三発の主砲は、まるで吸い寄せられるかのように、駆逐艦へと向かっていく。焦って回避しようとするが、その行動さえ予測した地点に、砲撃が向かう。そのまま勢いにしたがい、砲撃は駆逐艦たちの頭部に直撃した。完璧なまでの、ワンショットキルだった。

 

 誰も予想出来なかった一撃に、戦艦の動きが止まった。弱点を狙い撃ちにされるかもしれない、わずか三発の砲撃が、戦艦の足を止め、それが命取りとなる。少しの間動かなかったばかりに、もう周囲は魚雷に包囲されていた。

 

〈スネーク、あの駆逐艦が誰なのか分かった。呉鎮守府所属、建造から18年間、最前線に居続けている最古参の艦娘だ〉

 

〈18年だと、何て年月だ〉

 

〈彼女の名前は、『雪風』だ』、恐ろしい動きをする艦だ。長年生存できていた理由も、納得がいく〉

 

 しかし、スネークには、あの雪風が不気味に見えた。彼女の戦い方は、余りも完璧で、効率的で、だからこそ人間味を感じなかった。人間らしい戦いというのも、悪い冗談にしか聞こえないが。

 

 だがそのイメージは、さきほど海に落ちた若者を助けようと、歯を食い縛る彼女を見て、あっさりと消え去った。無事な様子に、満面の笑みで喜ぶ姿のどこが不気味なのか、と自分でも感じる。

 

 穏やかな空気は、男の怒声で壊された。漁船の船長は雪風と、元々いた護衛艦に向かって怒り狂っている。駆逐艦たちは萎縮してしまった、動じていないのは雪風だけだ。

 

〈どうやら、砲撃が少し漁船に当たってしまったようだ。その修理費を出せと叫んでいるらしい〉

 

 それは、彼女たちの責任ではないだろう。こんな薄い護衛しか出さなかった大本営――鎮守府が負うべきだ。別のところに相談してください、と言えれば良いが、男の剣幕は凄まじい。途中で、雪風が助けた青年が仲裁に入り、やっと場が収まった。

 

 雪風に続いて現れた艦隊が、その後護衛をすることになった。彼女は艦隊から抜け、単身突撃していたのだ。どちらにせよ、恐ろしい戦闘力だった。その彼女は疲れたのか、漁船のデッキでのんびりとしていた。スネークは特に意味もなく、彼女を遠巻きに見ていた。

 

「……あの、雪風になにか」

 

 間違い無く、こちらに向けて呼びかけた。一応スニーキングモードにしているのに、どうやって気づいたんだ。スネークは自分の経験不足を実感しながら、雪風の隣に座りこむ。

 

「別に用と言うほどではない、お礼の一つぐらいは言おうと思ってな」

 

「外人さんですか」

 

「ああ、国籍はもう日本だが」

 

 誤魔化せているのか、不安しかなかった。見た目に反して、この駆逐艦は得体が知れなかった。少なくとも戦闘になったら、多分勝てない気がする。

 

「そうですか、でもお礼は遠慮します。この船を、完璧に護れませんでした」

 

「お前は元々の護衛艦隊ではないだろ? 責任を負うとすれば、あんな薄い護衛しか用意しなかった大本営だ」

 

「それは、ありがとうございます」

 

 申し訳なさそうに、または困ったような笑みを雪風は浮かべていた。こういっても、責任を感じている。どうして自分の関係ないところまで責任を負おうとするのか、スネークには分からない。

 

「いつもなら、もっとちゃんとした護衛がいたんです」

 

「……観艦式か?」

 

「主な艦は、そちらに取られてしまっているんです。出る艦も公表済みなので、今更変更できません……観艦式に失敗したら、国際的な面子まで駄目になるので、しょうがないって分かってますけど」

 

 観艦式の影響は、年々大きくなっている。海軍の肥大化、艦娘の肥大化、戦争経済の肥大化。式が失敗すれば、その全てに影響が及ぶ。合理的に判断すれば、たかが漁船一隻よりも、式の方が重要だ。

 

 アピールしなくてはならない、世界平和を実現するのは日本だと。食料も戦力の助けも、植民地も要らない。艦娘が、世界を規定する。それをリードするのが、我が国家日本なのだと。

 

 しかし、されど漁船一隻。積まれた食料や人員が消えることを、ただのリスクで計算していいのか。艦娘たちは、それで良いとは思っていない。彼女たちは機械ではないのだから。だが同じ人の集まりである、大本営は機械的判断を下したのだ。それは人間の判断なのか?

 

「お前たちが護衛するわけにはいかなかったのか」

 

「はい、別の任務もあるので、余計に人員が少なくなっているんです」

 

 雪風が指差す方向には、四隻の深海の輸送艦が浮いていた。先ほどの深海凄艦が護衛していた艦だ。頭は砕かれ、既に絶命している。

 

「最近、輸送艦が頻繁に目撃されていて、その調査です」

 

「言って良かったのか」

 

「駄目です、でも、貴女が黙っていてくれれば大丈夫です」

 

 にっこりと雪風は笑った、スネークは引きつった笑いを返すしかなかった。子供のような見た目に押し込まれているのは、十八年間溜め込まれた戦歴と経験、酸いも甘いも放り込まれた混沌だ。やはり苦手だった。

 

 この世界は、何をするにも深海凄艦が立ち塞がる。だから何をするにも艦娘がいる。艦娘を最も運用する日本が、大国に成り上がるのは当たり前だ。その内、全ての人間が艦娘と関わるのかもしれない。

 

 艦娘を通じ、全ての人間が戦争生活者(グリーン・カラー)になる。大人も、子供も。駆逐艦や海防艦が子供の見た目なのは、この未来のメタファーなのか。また金髪の男が、スネークのなかで愚痴っている。

 その世界の中心で、愛国者を名乗る深海凄艦は何をする気なのか。スネークには、まだ分からなかった。




『観艦式』

「……おい、スネーク」
「なんだ」
「お前の任務はなんだ?」
「呉鎮守府に潜入し、伊58の提督と、開発者を奪還することだ」
「ではお前のいる場所はどこだ?」
「護衛艦の上だが」
「手に持っているのは?」
「えーと、ソースの掛かったチキン(焼き鳥)グリルしたコーン(焼きトウモロコシ)、ラムネとタコ焼き焼きそば……」
「お前は何をしているんだ!?」
「落ち着けガングート、これは任務の一環だ」
「そうか、任務か、言ってみてくれ」
「開発者は亡命したというが、その分腹を空かせている筈だ。しかし金はない、飢えているだろう。だからこそ――」
「その食い物で釣るとか言うなよ?」
「さすがだガングート、その通りだ」
「……一応言っておくが、それ、経費で落ちないからな」
「なんだと」
「当たり前だ! お前一隻動かすのに、どれだけ金と資材が掛かると思っている!? 北方棲姫もG.Wも頭を抱えていたぞ!」
「仕方がない、自腹で食うか」
「それでも喰うんだな……」
「……これも食い物の屋台か?」
「金魚すくいだ! もうヤダこいつ」


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File32 残骸

 何日も何ヶ月も、同じ日々の繰り返しだった。似たような毎日を、ひたすら反復していた。それを不満に思った事はない、だが、それはそれとして、日常の変化はやはり新鮮さを感じさせる。

 

 夏場の太陽が、彼女の歩くアスファルトを焼きつかせる。分厚い靴を履いていても、足裏が火傷しそうな道だった。そんな中でも、駆逐艦たちが軽巡に連れられて、血反吐を吐きながら走りこんでいる。

 

 昔、自分も味わい、今も自主的にやっている、自らを苛める行為だ。体が軋み、悲鳴を上げる度に、彼女たちは苦しみながら、喜んでいた。そうやって立派な兵士となるのだ。そうでなければ、護れないモノがある。

 

 だが、その護るべき()を知ったら、あの子たちはどうするだろうか。迷うことなく保護することを選んだ自分が、異常なのだろうか。立ち昇る陽炎が、彼女たちと自分の姿を、ぼんやりと曖昧にしていた。

 

 

 

 

―― File32 残骸 ――

 

 

 

 

――2009年8月4日 6:00 雪風個室

 

 考えたくもなかった、自分が保護した子供が、白鯨の開発者だったなんて。

 しかし、それはジョンを捨てる理由にならない。むしろより一層、彼を護らなければならない。雪風はそう決意を固めていた。

 

 今朝よりも少し前から、鎮守府内の空気が明らかに悪くなってきている。全員が全員を監視しているような、ビッグ・ブラザーがいるような感じだ。きっと私と同じく、大和から事情を聞かされた艦娘がいる。それと憲兵が、裏切り者がいないか監視していた。

 

 そのジョンは雪風の部屋の中で、次から次へと文句を垂れ流しにしていた。やれ「ベッドはないか」「パソコンが欲しい」「お腹が空いたスナックが食べたい」。恐ろしいことに、これは全て、昨日の一日だけで言ったことである。そんな余裕は無いと言ったところ、「使えないな」と舌打ちが返ってきた。

 

 言っても無駄なのは分かったらしく、彼は部屋の片隅でぼんやりとしていた。だが、こうしていられる時間はもうない。一刻も早く、彼を別の場所に移送しなければならない。雪風は現状を話すことにした。

 

「ジョンさん、大変なことになってきました」

 

「僕がここにいるって、バレたんでしょ? さすがにこれだけ騒がしくなったら、分かるよ」

 

「まだ露見はしていませんけど、急がないといけません。貴方を別の場所に移送します、暫く待っててください」

 

 アングラなコネクションを、雪風は持っていた。十八年間も艦娘として戦場に出続けていれば、色々な物が手に入る。そのツテを使い、彼を逃がすのだ。

 

「ちょっと待ってくれよ、逃げた先で、僕はどうなるんだ?」

 

「ここよりも安全で、自由にできるセーフハウスがあります、そこで過ごしていただきます」

 

「そこで、兵器は作っていいの?」

 

 何を言っている?

 兵器を作っていいセーフハウスがある訳がない、雪風はそうジョンに伝えた。すると彼は、露骨に嫌な顔をして、信じがたい言葉を放ったのだ。

 

「じゃあヤダ」

 

 彼は拒絶した。

 

「それじゃあ、この部屋と変わらないじゃないか。だったらまだ、大本営に掴まった方がマシだよ」

 

 いったいどういう気持ちなのか、言葉にできない。困惑する雪風を他所に、彼は勝手な理屈を語り始める。

 

「僕が白鯨の開発チーフなのは、もう知っているんでしょ。だから大本営だけじゃない、CIAもKGBも僕を狙ってる。でも連中酷くてさ、作るだけ作ったら、もう用は済んだって僕を軟禁するんだ」

 

「だから、日本に亡命を、したのですか」

 

「まあ、一端ではあるかな。とにかく僕はうんざりしてるんだ、あいつら、人を利用することしか頭にない。そのせいで、こんなところにいるんだけど」

 

「こんな所?」

 

「僕は元々DARPAで働いてたんだ、けどある日、ソ連に拉致されちゃったんだ。そこで色々な研究をさせられた、最初は楽しかったよ、僕の提案や希望は全部叶えてくれた。けど次第に自由に研究できなくなって、途中から軟禁みたいな形になっちゃった」

 

「それで亡命を?」

 

「いた研究所はGRU派でさ、KGBの襲撃があった時のどさくさでね……まあ、それだけじゃないけど」

 

 彼の頭脳は素晴らしいものだ、この年齢で一兵器を作り上げることは、素直に凄いと思う。だからこそ、国家に利用されるのも仕方がなかった。だが、役目が終わった途端に軟禁などあってはならない。人は兵器とは違うのだ。

 

「とにかく僕は自由にやりたいんだ、ただそれだけだよ」

 

「思うように、兵器を作りたいのですか」

 

「そうだよ、誰だって、自由にやりたいでしょ?」

 

 そんなこと、ある訳がない。

 自由なのは良い、だが責任が伴う。こんな小さな子供が、自分の作った兵器の責任を負えるのだろうか。雪風はできると思わなかった。そもそも、責任を負うことさえ理解できていない。彼はまだ、子供なのだ。

 

「お断りさせていただきます」

 

「ちょっと待って、今何て言ったのさ」

 

「貴方を自由にはしません」

 

 雪風は、そう言うしかなかった。できるならこの場で、責任を理解して欲しい。しかし駄目だろう、きっと彼には想像できない。まだ戦争の作り出す惨劇を知らないからだ。人の想像力は無限ではない、知ることからしか連想できない。

 

「ならなんだ、このままずっと僕を匿うって言うのか?」

 

「今は駄目です、貴方はまだ、幼過ぎる」

 

 では戦争を直視させるか?

 雪風は嫌だった、子供に惨たらしい死体を見せつけるのは、できるなら避けたい。必要なこととはいえ、そこまで残酷になれなかった。

 

「子供? 君より頭は詰まってる」

 

「胸がスカスカじゃ、もっと駄目です」

 

「兵器に心なんてないでしょ、それらしく振る舞えるだけだ。チューリングテストに合格しただけで、人は名乗れないさ」

 

 自立して思考し、判断する機械はAIという。

 完成したAIに、人間らしい知能があるか判断するテスト。それがチューリングテストだ。艦娘はもちろん合格できる、だが私たちは機械ではない、人間でいたい。

 

「……それ、他の艦娘の前で言っちゃだめですよ」

 

「あっそ、じゃあ人間ならさ、僕を自由にしてよ」

 

「駄目です、絶対に、駄目です」

 

 また文句を言いそうになった瞬間、雪風は彼の頬を、両手でつかんだ。ジョンは驚き、まじまじと雪風の眼を、青色の無垢な瞳で覗いている。年相応の、若い顔。私達が、護らなければならないものだ。

 

「自分で、どこへ向かうのか。それを決めない限りは駄目なんです」

 

「なんだよ、なにさ、かっこつけてんの?」

 

 雪風は答えなかった、夏だと言うのに、肌寒い風が吹く。勢いよく廊下をかけ、開けっ放しの扉をバタンと閉ざした。

 

 

*

 

 

――2009年8月4日18:00 鎮守府近海

 

 夕暮れの海が、燃えている。元々赤かった空が、塗りたぐられたような朱色で埋め立てられる。趣味の悪いキャンパスの上に、油と黒い煙をぶちまけた。絵の上に散乱している黒い粒は、輸送艦の残骸だ。また輸送艦が見つかったのだ。今は中身の調査をしていた。

 

 しかし撃破した深海凄艦は、すぐに消滅してしまう。彼女たちは、そういう生物だから。その為輸送艦の積荷は、現地で迅速に調べる必要がある。バラバラになった輸送艦を艤装の上に乗せ、()()()()()()が、義手を器用に動かし調べていく。

 

 雪風は敵襲に備えていたが、直感的に、もう敵は来ないと思っていた。なんとなく緩い空気が漂っている、ついつい出そうになるあくびを、なんとかして押し殺そうとした。

 

「おー、欠伸とは感心しないねぇ」

 

 後ろから掛けられた声に驚き、あくびは押し殺すどころか激しい咳となって雪風を襲う。黒髪を一本の三つ編みに纏めた彼女は、少し申し訳なさそうに、彼女の背中を摩っていた。

 

「ごめんごめん、まさかそこまで驚くとは」

 

「甘いです北上さん、こんな時に欠伸しようとした駆逐艦が悪いんです」

 

「ええ、そうです、大井さんの、言う通りです、北上さん、ごめんなさ……」

 

「ハイハイ、謝罪は息を整えてからね」

 

 雪風に呆れる大井と、苦笑いする北上。この二人は大和と同じ、呉鎮守府第一艦隊のメンバーだ。二人は軽巡洋艦の中でも、更に特殊な重雷装巡洋艦という区分に属する。通常の軽巡とは比較にならない量の酸素魚雷を搭載しているのが特徴だ。WW2の頃は碌に活かせなかったこのコンセプトだが、ある程度の接近戦を余儀なくされる艦娘になってからは、まさしく一騎当千の力を振るっている。

 

 しかしその分、ほんのわずかな被弾が命取りになる。全身に魚雷を装備しているのだから、砲弾どころか機銃一発でも誘爆を招きかねない。大胆な戦法に反し、繊細な運用を求められる艦なのだ。この二人はそれを使いこなしている。雷巡だからではなく、二人が雷巡だからこそ強いのだ。

 

 ただ雷巡は大量の魚雷を使うため、艦そのものが多くない。二人以外では同じ球磨型五番艦の木曽しかいない。強過ぎて、そして仲間も少ない。同じ孤高を抱えているから、二人の仲は良い――というのは、雪風の考え過ぎだろう。

 

「欠伸してすみません、気をつけます!」

 

「あー、うん、分かった分かった」

 

 適当な返事をしながら、少し目を逸らしていた。雪風としたら自分の非を謝罪しただけだが、北上は気まずそうな態度を取る。当たり前だった、二人から見ても雪風は先輩なのだ。なのにここまで腰が低いと、ハッキリ言ってやりにくい。

 

「しかし、アレなんだろうね」

 

 北上が言っているのは、輸送艦の積荷のことだった。積荷の調査、と言ったが、実際には積まれている物は分かっていた。だが、それはどう考えても、不自然でしかなかった。昨日撃破した護衛艦隊の厚さを思い出しながら、雪風は呟く。

 

「鉄屑ですね」

 

「間違いなく、ただの鉄屑ですね」

 

「……なんで鉄屑を?」

 

 輸送艦が運んでいた物は、ただの鉄屑だった。しかもどれもこれも錆びていたり軽く風化していたりと、再利用もままならない屑鉄である。そんなものを運んでいたのだ。

 

「明石さんは、なにか言ってましたか」

 

「さっぱり、というかそれを今、調べているんだよねぇ」

 

 厳重な警備でもなく、かといって積荷は残骸。囮にするにしても胡散臭い、深海凄艦の目的がよく分からない。大本営は困惑していた。

 

「ま、なんか企んでんのは間違いないて」

 

「ここ最近、戦力は拮抗してますから、打開しようと必死なのでしょうね」

 

「そんなに戦争を再開させたいのかな」

 

「……戦争なら、早く終わったと思います」

 

 二人が、大きくため息を吐いた。と言うのも大井が言った通り、実は日本は、戦争はしていないのである。

 

「今となっちゃ暴論も良いとこさ、深海凄艦が『害獣』で、この戦いは『害獣駆除』だなんて」

 

 戦争は、人同士で行うものである。

 しかし日本は、自分からの戦争を禁止している。あくまで他国からの侵略があってこそ、反撃ができる。だが反撃するかどうか判断するにも、時間がかかる。そうしている間に滅ぼされる。だから日本は、深海凄艦を『害獣』と定義したのだ。

 

「でも、当時だと、あれで良かったと雪風は思います」

 

「当時って、そうだったの?」

 

「酷いものでした、海岸線も内地もボロボロで、河川を遡って深海凄艦が来る瀬戸際でした。在日米軍でも、深海凄艦には勝てない。戦力(艦娘)が出てきて、戦っていいのか。自衛権を行使していいのか、そもそも自衛なのか――それを議論している暇なんてありませんが、平和憲法を無視することもできません」

 

 当時のアメリカ――GHQから押し付けられた憲法、という人もいる。しかしその憲法の下で、もう50年はやって来ている。平和憲法があったからこそ、軍事費を全て復興費に回せたとも言える。

 

 たった一度の戦争で、憲法を破棄していいのか? それは平和憲法で培った50年を棄てることになる、50年の歳月と戦争の犠牲を無駄にすることになる。だが戦争をしなければ、深海凄艦に滅ぼされる。平和国家を守るため、国民を見殺していいのか?

 

 しかし害獣なら、憲法を破らないまま戦争(駆除)ができる。迅速に国民を守るために、艦娘を動かせる。

 当時の状況から見れば、仕方のない判断だったと雪風は思う。

 

「でもさあ、そのせいで和平交渉ができないってのは、皮肉が過ぎない?」

 

「……『害獣』と認定した深海凄艦を、今更『人』と認めるのは、とても難しいんですよ」

 

 また二人が、大きなため息を吐く。

 既に、一定の知能を持った深海凄艦がいることは分かっている。だが、害獣である以上和平はできない。そもそも国家ではない。『人』と定義し直せば、今までの戦闘が違憲となる。

 

「艦娘と深海凄艦の経済効果も原因です、国だけでなく、経済もガタガタでした。戦争で産まれた需要に頼らないと、国民の3割が失業したまま、餓死していました。今となっては、経済効果も、和平交渉の足かせになっていますけど」

 

 平和憲法を守るための詭弁が、終戦を遠のかせている。第9条が、平和を遠のかせているのだ。しかも、軽々しく破棄できるものではない。なら、どんな判断が正解だったというのだ?

 

「こういう時、アーセナルならどーするんだろーね」

 

「都合良く来られても、困りますが」

 

 二人は、アーセナルギアの存在を信じていた――というか、実在を知っていた。単冠湾にいた姉妹艦の多摩から聞いたのだという。二人を経由して、雪風も存在を知ったのだ。平和憲法を守るための建前に、英雄は何というのだろうか。

 

 

 

 

 母港へと帰投した雪風は、そのままシャワー室へ向かう。被弾はしていないから、入渠の必要はない。なら普通に風呂で良い気もするが、ゆっくりと湯船に浸かる気分でもない。素早く汗を流した後、彼女は部屋に戻らなかった。

 

 海を視ることができる、日陰のベンチに座りながら、途中間宮で買ったラムネを呑む。海の上で戦うと、どうしても喉がべたつく。そして疲れる。爽やかで甘いこの飲み物は、昔から海兵に好かれていた。量産が割と簡単だったという現実的な事情もあるが。

 

 気分を一新させるが、一回飲むたびに彼の顔が脳裏を過る。ジョンのことが気になって、休めやしない。今更できることもないので、無駄な心配だ。それでも、気になるものは気になる。

 

 朝と同じく、ランニングをする駆逐艦たちが見えた。その時と同じ疑問を、雪風はまた抱く。彼女たちは、果たしてジョンを見てどう思うだろうか。敵として、裏切り者として、迷いなく撃つのだろうか。

 

 しかし、彼と直接会って話した雪風は、とても彼が裏切り者とは思えなかった。ただの無知な子供だ。だが、彼が白鯨を建造したのは事実だ。深海凄艦に与する裏切り者を護る理由がないのも、分からないこともない。何故自分たちを害する存在を護らないといけないのか。

 

 純然と理屈を並べていけば、彼は殺すべきだ。そうでなくとも情報を搾り出し、殺す方がいい。生かしておいても、いざこざの種にしかならない。けど、そこで迷うのが人間というものだ。もしも、まさか、もしかしたら、と憶測を並べるからこそ、兵器は艦娘を名乗れるのだ。

 

 だから、信じよう、そんな未来が来ないことを。ラムネを一気に飲み干し、雪風は立ち上がる。

 

「雪風さん、ここにいましたか」

 

 大きな影が、夕日を遮っていた。大和だった。彼女の隣にいたのは、物々しい武装を携えた憲兵たちだった。「なんでしょう」、と雪風が言うと、大和は微笑んで、

 

「貴女を捕縛させてもらいますね?」

 

 と主砲を向ける。

 ああ、そうなるか。特に何か思うまでもなく、雪風は素直に両手を差し出した。

 

 

 

 

 呉鎮守府の中央にそびえ立つ、提督の部屋がある中央棟。図書室近くの隠し通路を降りていった先には、地下の独房が設置されていた。憲兵が冷たい地面に彼女を投げる。雪風の両手は、背中で縛られていた。受け身もとれず、全身をコンクリートに打ち付ける。歯を食い縛り、嗚咽を堪える。

 

「残念です、とても、とても残念です」

 

 本気で悲しそうな顔を張り付けながら、大和は袖で目元を拭う。いつも持ち歩いている傘を、地面に叩き付けては、更に強く叩き付ける。

 

「大和は雪風さんのことを、心から尊敬していたのに。どうして、大本営を裏切ったのですか?」

 

「小さな子供が言ったんです、大本営に掴まるのは嫌だって」

 

「子供でも、深海凄艦に協力した裏切り者ですよ?」

 

 まあ察しはついたが、部屋にジョンを匿っていたことがばれたのだ。何れ露見すると思っていた、たった二日とはいえ、人の出入りが激しい駆逐艦の宿舎。誰かが妙な行動をとれば、すぐに疑われる。

 

「子供は子供です、善悪の区別も分からない子供を、貴女方はどうするつもりでしょうか」

 

「前言った通りです、今は観艦式の真っ最中。明後日には更に大事な式典が控えています。そんな中で騒ぎは起こしたくありません。このことは公表せず、内密に()()します」

 

()()、ですか」

 

 情報を絞れるだけ絞り、その後利用するか――最悪殺すか。

 そんなこと、あってはならない。国を守ることは大切だ。多くの国民と未来を守ることだからだ。だがその為に、一隻の漁船を犠牲にしていいのか。ましてや『未来』である子供を犠牲にして良いのか。そうやって食い物にされたから、ジョンは此処まで逃げなくてはならなかったのだ。

 

「なので教えてください、雪風さん、開発者はどこですか?」

 

「知りません」

 

「そうですか、そう言うと思いました。歴戦の英雄が、そんな簡単に口を割るとは思っていませんから」

 

 唯一幸いなのは、既にジョンを逃がしていたことだ。輸送艦の調査任務の直前に、内密に移送を開始したのだ。もう彼は呉市内にはいない、気づいた時にはもう、手の届かない場所にいる。雪風が、口さえ割らなければ。

 

「では拷問しましょう、でも大和は、これから観艦式の準備があるので」

 

 大和は心底悲しそうな眼をしながら、最後に一言残して扉を閉めた。

 

「早めに口を割れば、完全解体は許されるかもしれませんよ」

 

 大和の姿がなくなったところで、いよいよ拷問が始まる。痛みに耐える訓練はしているが、実際に受けるのは初めてだ。一方的な暴力への恐怖、無意識の内に体が震えだす。ぐっと目を閉じて、せめて抵抗する。

 

 その時、部屋に風が吹いた。

 穏やかに髪の毛を揺らす、温かい風が吹き、扉がゆっくりと軋む。扉は、閉めていた筈なのに。急に風が強まり、衝撃音が空気を鳴らして、諜報員が地面に倒れる。

 

「……これはどうなっている?」

 

 空も見えない独房に、空の蛇が踊り出た。




『対深海凄艦(スネーク×青葉)』

「なあ青葉、日本は深海凄艦と戦争をしていないと聞いたが、本当なのか」
「まあ、その通りになります」
「なぜだ? どう見ても戦争じゃないか」
「いや、戦争をしているとなると、色々不味いんですよ」
「……平和憲法のことか? だがあれは、自衛による武力の行使は認めているんじゃないのか?」
「確かにそうですが、それでも尚反発が大きいんですよ。それに、自衛に該当するかどうかを吟味していたら、深海凄艦に絶滅されてしまいます」
「当時はそんなに余裕がなかった訳か、だから分かりやすく、害獣駆除……ということになったと」
「有名な怪獣映画と同じ理屈という訳ですね」
「しかし、それはそれで問題が起きないか? 駆除とは言うが、簡単んい根絶できる存在でもないだろう」
「問題、もう起きてます」
「起きているのか」
「起きちゃってます、ぶっちゃけもう大本営上層部や諸外国では、一部の姫クラスと対話が可能と知られてます。なので和平とはいかなくとも、ある程度の不可侵条約を結んでいる国もあります」
「フョードロフの奴も、そんなことを言っていたな」
「ただ……日本は、深海凄艦を『害獣』扱いにしてしまっていまして」
「『害獣』と、何の交渉をしろと言うのか、と、いう訳か」
「今更害獣認定を取り消せば、議論なしに武力を行使したことになってしまいますからねえ。かと言って、議論し続けて初期対応が遅れて良かったのかと言われますと」
「平和憲法が平和の足かせとは、難儀なものだ」


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File33 独房に眠る

 息苦しさは感じない、むしろ、居心地がいい。

 やはり、こうして潜っていてこそ潜水艦だと、スネークは思う。光の音さえ深海は許さず、ただ自分の放つソナーだけが、規則的に鳴っている。

 

 体を少し締め付ける水圧も、肌を撫でる冷たい水も。目を閉じればぬるま湯に浸かっているような気がしてくる。スネークの眼を覚ましたのは、もう一人のソナー音だった。

 

 スネークは艤装を背負わずに、伊58に掴まれながら、潜航していた。海中を堪能している場合では無い。真っ暗な深海で、彼女は目の前を見据えていた。

 

 

 

 

―― File33 独房に眠る ――

 

 

 

 

――2009年8月4日20:00 呉鎮守府近海

 

 スネークが艤装を持ってこなかった理由は単純に、目立つからだった。アーセナル級の艤装は潜入には壊滅的に向いていない、だから彼女は、伊58に掴まりながら、海中を移動していた。

 

〈そろそろ警戒ラインに到達する、ゴーヤができるのはここまででち〉

 

〈十分だ、戻る時まで、油断するなよ〉

 

〈そっちこそ〉

 

 潜りこむルートは、海からの上陸だ。また、ターゲットはもう一人いる。伊58の提督だ。G.Wの調査、それと協力の名目でフョードロフが提供したデータによれば、彼女の提督はこの鎮守府のどこかに監禁されている可能性が高い。

 

〈スネーク、提督を頼む〉

 

 本当は、自分で助けたいに違いない。しかし潜入技術がスネークより劣るのを、伊58は十分自覚していた。彼女は極めて冷静な戦士でもあった。そんな彼女の思いに、応えなくてはならない。スネークは離れていく伊58に向けて、人差し指と中指を上げたサインを向けた。勝利のVサインだった。

 

 気分を一瞬で切り替え、スネークは泳ぎ出す。限界まで音を出さず、かつソナーが設置されていないルートを慎重に進む。潜水艦だけあり、泳ぎ方は完璧だった。G.Wの事前調査では、対人用ソナーはそれほど設置されていない。

 

 対潜水()()用ソナーばかり充実させている。近年では身体能力的にも、また戦士としての精神(メンタリティー)的観点からも、艦娘の工作員が主だ。ここの警備も、対艦娘を重視しているのだ。

 

 何より艦娘は、滅多なことがなければ国を裏切らない。離れることができない、とも言える。そもそも根底の全てが国に依存している彼女たちは、遺伝子単位で国家に組み込まれている。スネークはふと、共に戦った二人の神通を思い出していた。

 

 

 

 

 目指すべき陸上が見えた。海中からでも、無数の泡が起きている。水上の動きが活発な証拠だ。少しだけ水面から顔を出すと、ちょうど積荷を降ろしているところだった。この騒ぎに乗じよう、とスネークは素早く水から飛び出し、手ごろなコンテナに身を隠す。

 

〈上手く上陸できたようだな〉

 

〈ああ、そっちはどうだ〉

 

〈さすがだ、ステルス迷彩を起動していても、わずかな駆動音に違和感を見つけてくる〉

 

〈気づかれるなよ、機械に行っても無駄かもしれないが〉

 

〈人間の直感などより、機械類のレーダーは正確だ。それともオカルトに頼るか〉

 

〈お前が言えたことか〉

 

 スネークが侵入した場所は、荷卸しを行う場所だった。今日の昼間頃に、観艦式の三日目が控えている。それの資材だ。人目は多いが、しかし準備に気をとられ全員忙しない。真に注意しないといけないのは、明らかに雰囲気の違う艦娘だ。ただの艦娘ではない、恐らく大本営直属の工作員。

 

 だがスネークのように、スニーキングに特化した技術や知恵を持ってはいない。人混みの空気に紛れるのは簡単だ。身を無理に屈めず、むしろ堂々と歩く。人混みへと波長を同化させるのだ。それでいて、工作員の視界には入らずに。

 

 人混みに流されて行ったスネークは、間もなく中央棟の近くに付く。そのタイミングで流れを抜け、素早く繁みへと潜む。今度は自然へと体をチューニングさせる。

 

 視界の端に、妙なものが映った。

 人間だが、日本人ではない。アメリカ海軍の兵士だ。隣接する在日米軍の基地から、来たのだろう。だがどうやって? いくら安保理があっても、互いの基地を自由に移動できるのか?

 

〈G.W、どうなっている?〉

 

〈どうやら、観艦式の建前で、多くの米兵が呉鎮守府に入り込んでいるようだ。多くは普通の米兵だが、内何人かは、CIAのエージェントのようだ〉

 

〈アメリカも、開発者を狙っているのか……〉

 

 確かに、この状況下でソ連のエージェントが入る余裕はない。腹は立つが、私を代理人としたクレムリンの判断は間違っていなかった。だが一方的に利用される気は毛頭無い。私は私の役割を果たさせて貰う。

 本棟へ米兵が入った瞬間を狙い、スネークはぬるりと滑り込んでいった。

 

 

 

 

 諜報員として使えるかは別として、鎮守府の中には、艦娘がひしめいていた。彼女たちの多くは、これから始まる観艦式の話題で浮足立っている。レクリエーションの数々やデモンストレーションの数々。店員として参加する者も少なくないらしい。その裏でこんな諜報合戦がおきていることを、彼女たちは知らない。だから突破も容易だ。

 

 幸いにも本棟に人はほとんどおらず、十分スニーキング可能な警備だった。しかしそれを踏まえても、人が少ない。これからすることを、知られたくないような――そんな気がする。時間はないかもしれない、スネークはそう思った。

 

〈スネーク、今警備カメラの映像を調べてみた。見てくれ〉

 

 彼女の網膜に、映像が投射される。複数の憲兵が、誰かを連行していた。小さな子供のような彼女は、雪風だった。

 

〈どういうことだ?〉

 

〈分からん、しかしあの雪風は凄まじい戦歴をもつ英雄だ。周囲への影響も大きいらしい。彼女を何の理由もなく、連行するとは思えない〉

 

 どうせ手掛かりもない、直感的にも意味を感じる。

 AI(理論)人間(感覚)が一致したなら、行かない選択肢はなかった。

 焦りを押し隠しながら、スネークは壁に手をやりながら進む。映像が途切れた場所の近くを探す。他の艦娘の足音が、背後から近づく。一歩ごとに、心臓が締め付けられていく。違和感のある壁に触れた時、彼女は即座に隠されたドアノブを引っ張る。

 艦娘が角を曲がった時、そこには誰もいなかった。

 

 

 

 

 どんよりとした重苦しい、無機質な壁が周囲を覆っている。照明も最低限、まるで撃ち捨てられた牢獄のようだ。隠し部屋――拷問室か、独房か――へ向かう下り階段を、慎重に降りざるを得ない。長い道のりを辿り、やっと光が見えた。

 

 その誰かが、この状態を作ったのか。

 薄暗い天井から、力なく吊るされる雪風に向けて、憲兵がスタンガンを振り下ろす。瞬時に跳ねたスネークは憲兵の首に手を回し、しめやかに失神させる。数秒間の戦闘を、檻の雪風は唖然として眺めていた。

 

「……これはどうなっている?」

 

 状況が良く分からない、どうして雪風が捕まって拷問を受けていた?

 天井から一本の麻縄だけで吊るされ、足は地面につま先だけついている。辛い姿勢が長時間続くようになっていた。しかし怪我はない、拷問をする寸前だったらしい。スネークは素早く、麻縄を切り裂いた。

 

「貴女は誰でしょうか、CIA? それともKGB?」

 

「私は誰でもない、白鯨の開発者を求め、ここに潜りこんだだけだ。お前を助けたのは、情報を求めているからに過ぎない」

 

「その恰好、髪色、まさかシェル・スネーク?」

 

 何故知っていたのだろうか、それは気にはなるが重要ではない。雪風が私を知っていようといまいと、聞くことは変わらない。

 

「何故お前のような英雄が、拷問を受けていた、なにかやらかしたのか?」

 

 雪風は顔を俯かせる、私に事情を離すべきか否か、悩んでいるのだろう。傍から見れば、凄まじい不審人物に変わりはない。しばらく考え、彼女が顔を上げる、そして真っ直ぐにスネークを見つめた。

 

「察しの通りです、雪風は白鯨の開発者を匿い、それが原因で捕まってしまいました」

 

「そうか、やはり匿われていたのか」

 

 もとから誰かが匿っているのは予想できていた。あれだけ探して見つからないなら、裏切り者が居る可能性が高かった。しかし疑問があるとすれば、そんなことをして、彼女に何のメリットがある?

 

「だが、なぜ危険な真似を」

 

「あの子を助けたかったからです」

 

 雪風は淡々と、開発者――ジョン・Hを助けた経緯を語ってくれた。観艦式のなかで弱々しく凍えていたこと。技術者としての知能を利用され、各国に攫われ彷徨っていたこと。その果てに、日本に亡命して来たこと。

 

「それだけでか、それだけで、今までの戦歴を全て捨てるような真似をしたのか?」

 

「雪風には、十分な理由です」

 

 一切迷いなく、断言した。スネークは彼女の背中に、底知れぬ物を見た。それは十四年間戦場に立ち続け、背負ってきたものなのか。

 

「逆に教えてくださいスネークさん、スネークさんはどうして、あの子を求めるのですか」

 

「一応KGBからの依頼、ということにはなっているが。連中の言う通りにする気は毛頭ない。私の目的は、『白鯨』の完全破壊」

 

 戦艦棲姫に聞きたいことも山ほどある。正直都合が良すぎて、ソ連に利用されている気がする。間違いなくなにか目論まれている、が、問題ではない。

 

 もし開発者を確保できたとしても、ソ連に渡す気はない。任務に失敗したと言って、しらばっくれることにしている。多数の報酬は全てなくなり、下手すればモセスから出て行くことになる。最悪ソ連との戦いになる。それでも構わない。

 

「ソ連の依頼を、無視して良いんでしょうか」

 

「私は私のやりたいことをする、それだけだ。大国の言いなりになるぐらいなら、死を選ぶ」

 

「それは駄目です」

 

 まさかの返しに、スネークの眼が点となった。自分の意志を言ったら、駄目と返された。初めての経験である。

 

「死は、簡単に選ばないでください」

 

「お前に、何の権利がある?」

 

「助けてもらいました、そのお礼がまだです。雪風に一生恩を着せるつもりですか?」

 

 冗談かと思ったが、彼女は真剣だ。スネークよりも遥かに小柄なのに、一歩迫るごとに後ずさってしまう。腕の痛みを感じていない、機械の正確さで距離を詰める。スネークを追いつめていたのは、人の瞳だ。ドン、と気付けば、部屋の壁が背中にあった。

 

「でも、多摩さんの言っていた通りでした」

 

「多摩? まさか単冠湾のあいつか?」

 

「スネークさんは、信じられる人だって言っていました。だから雪風も信じます、スネーク、さっきはありがとう、そしてよろしくお願いします、一緒に頑張ってジョンを助けましょう!」

 

 気づいたら、主導権を握られていた。耳元の無線機でG.Wが文句を言っている。交渉において最悪の状態である。だが、あまり悪い気はしなかった。雪風という少女が、嘘を言っているようには聞こえなかったからだ。

 

 

 

 

 とりあえず独房から雪風を逃がす、このまま留まる理由はない。階段を駆け上り、本棟の中の人気の無い部屋へ二人は潜りこむ。

 

「そういえば、スネークさん、大和さんとすれ違いませんでしたか」

 

「大和? いや、見ていないが」

 

「入れ違いでしょうか」

 

 戦艦大和の見た目は知っていた、あれは有名だ。観艦式のポスターにもいた。大和の艦娘は複数隻いるが、呉の大和は連合艦隊旗艦、実質的な広報担当ということもあり、その中でも特に有名な個体だ。

 

「それよりも、開発者は――」

 

「ジョン・Hです」

 

「……ジョンはいま何処にいる、匿っているんだろう?」

 

「あ、いえ、もう逃がしてしまったので、いません」

 

 大本営に察知される直前に、雪風はジョンを独自のルートで逃がしていた。長年培ったコネクションだといい、大本営が気づくのは不可能だという。そのまま痕跡を抹消すれば、ジョンの現在地は誰にも分からなくなる。

 

「勿論今更、ジョンさんには会わせません。雪風は彼を、あらゆる手から守りたいんです」

 

「承知している、私が知りたいのは白鯨の情報だ、それが分かれば戦艦棲姫への手掛かりにもなる。ソ連との約束など知らん」

 

「じゃあ、通信機を繋ぎます」

 

 雪風が取り出したのは、小型の無線機だった。パッと見でも最新式のと分かる。自衛隊の中でも、まだ一部にしか出回っていない最新モデルだ。

 

「あれば便利と思って、無線機だけ持っててもらいました。盗聴の心配はありません、多分」

 

 せめてもの抵抗として、G.Wに盗聴されないよう警戒してもらうことにする(そのG.Wに無線機の逆探知をさせている訳だが)。機械のボタンを押し、耳元に当てる。長いノイズが鼓膜を揺らしている内に、人の声が混ざり始めた。潮の音も混じっている。海の上にいるらしい。

 

「海上の逃亡ルートか、かなりの博打だな」

 

「……陸しか、それも内地しか通らない経路で、運ぶ予定なのですが?」

 

「だが、潮の音が聞こえる。波の揺れる海の音だ」

 

 何かがおかしい、スネークは再度無線機に向けて、小声で呼びかける。今度はすぐに、少年の声が聞こえてきた。

 

〈雪風か、なんだよこんな時に〉

 

「残念だが雪風は隣だ、だが協力者ではある。お前が元々米国人で、ソ連に拉致されたということも知っている」

 

 知ったのは、つい先ほどだった。開発者――ジョン・Hの情報を集めていたガングートから連絡があったのだ。

 

〈は? 誰あんた?〉

 

「シェル・スネークだ、名前ぐらいは知っているだろ」

 

〈そりゃ知っているけど、冗談でももうちょっと凝った名前を名乗りなよ〉

 

 生意気な態度がこれでもかと伝わるが、構っている余裕はなかった。

 

「まず聞きたい、お前はいま何処に居る?」

 

〈海の上、深海凄艦の大発にくるまれてる〉

 

 二人は、驚かずにはいられなかった。雪風が逃がしたはずのジョンは、どういうわけか深海凄艦に掴まっていたのだ。

 

「攫われたのか」

 

〈ああ、最初は雪風の言ってた人間が最初は守ってくれてたんだけど、気づいたら深海凄艦に変わってた。これが逃走ルートかと思ったけど、やっぱり違ってたんだね〉

 

「人間に、裏切り者でもいたのか?」

 

〈さあ、でも違うならさっさと助けてよ。正直、こうやって無線するのもきついんだからさ〉

 

「無論だ、雪風の協力者だからな」

 

 横を向くと、彼女も助けたそうな顔をしていた。まさかの事態に違いない、不安とパニックの入り混じった表情で、雪風は生唾を飲み、スネークを真っ直ぐに見つめていた。体の前で握るその手に、力が籠る。

 

「だがその前に情報だ、白鯨とは何だ?」

 

〈そんなこと?〉

 

「戦艦棲姫の目的も教えろ、お前がソ連を介して、奴の依頼を受けていたことは知っている」

 

 これは、直感だった。『愛国者達』を名乗る深海凄艦が、ただ大型艦に強いだけの兵器を建造するとは考えにくかったのだ。

 

〈世界平和〉

 

「は?」

 

〈いやだから世界平和、戦艦棲姫には一回だけ会ったけど、その時あいつはそう言ってた。白鯨は恒久平和を実現させるモビー・ディックだって〉

 

 冗談でももう少しマシなものはないのか、いったい何がどうなれば、白鯨で世界平和ができるのか、全く分からない。

 

「抑止力ですか? 圧倒的に強い深海凄艦の力で、戦いを抑止する」

 

〈うーん、ちょっと違うかな。あれはむしろ弱い、でも戦略的には強い兵器だ。『深海抑止論』ってのは知っているでしょ?〉

 

「ああ、まあそれはな」

 

 現代では、深海凄艦が世界共通の敵である。どの国家も大なり小なり、彼女たちへの対策に大きな力を削いでいる。そのため、人類同士で争う余裕がない。小さな紛争こそあれど、キューバ危機にように、大国同士の冷戦で滅びかけることはない。深海凄艦の存在こそが戦争を抑止している、という考え方だ。

 

〈核もあまり効かないから冷戦はなあなあになった。深海凄艦のおかげで、僕たちは核戦争に怯えなくて良くなった。深海凄艦と艦娘が戦争し続ける限り、世界は平和になる。白鯨は、つまり、戦争を終わらせないための『継戦機』。戦艦棲姫はそう言ってたよ〉

 

「お前はそれを知っていて、開発したのか」

 

〈いや、逆らったら殺されるし〉

 

 それはそうだが、しかしジョンには何の葛藤もないように感じた。その時、横から聞いていた雪風が、無線機を奪い取っていった。

 

「ジョンさんは、なんてものを創ってしまったんですか」

 

〈だから僕は被害者だって、それに戦争を続けてなにが悪いのさ〉

 

「終わらない戦争は、ただの悪夢です」

 

〈冷戦だって、第三各国を滅茶苦茶にしてたじゃないか。艦娘と深海凄艦を永遠に戦わせるのと、なにがどう違うのさ。あっちは良くて、こっちは良いの〉

 

「どっちも戦争です、ただむごいだけの殺し合いです」

 

〈でも世界は平和だ〉

 

 歪な平和だ、だがそもそも平和とは、歪なものではないのか。

 『平和は人間の関係にとって不自然な状態、他人との関係は、常に戦争でおびやかされている。だから、平和という状態は、自分で創出しなければならない』。

 

 ドイツの哲学者イヌマエル・カントが『永遠平和のために』という本で説いた考え方だった。自然な環境においては、あらゆる生物は生存闘争に晒される。それは自然のもつ原理である。

 

〈だから別にいいじゃない、呉鎮守府が壊滅したって〉

 

「まって、どういうことですか」

 

〈白鯨は今近くにいてさ、だから――〉

 

 無線機が、炸裂する音が聞こえ、機械のスピードがはじけ飛んだ。ジョンの見張りが、通信に気づいてしまったのだ。雪風は叫びたがっていた、まだ何も伝えられていない、後悔が燻っていた。しかしジョンは無事だろう、彼は白鯨に必要な人間だ、今はまだ。

 

 スネークは思考する。

 自然の暴力の中では、平和は幻に過ぎない。それを維持するためにあるのが法や国家、人工の仕組みだ。人間が新たに創出した平和のプロトコルは、全ての暴力を艦娘に背負わせ、深海凄艦にぶつける戦争という方法だった。

 それでも、平和は素晴らしいのだろうか。




『サガ(スネーク×雪風)』

「そういえばスネークさん、どうやって侵入してきたんでしょうか?」
「どうって、普通に人目を盗んでだが?」
「普通……?」
「何か言ったか?」
「いえ、それにして、米軍基地から呉鎮守府までかなり距離があります。その距離をずっと、隠れてきたとは思えません」
「……ああ……それは……」
「?」
「……これだ」
「……段ボール?」
「やめろ! その単語を口にするんじゃあない!」
「は?」
「つまり、その段ボールを被り、荷物に紛れて、トラックに運んでもらったんだ」
「誰も気づかなかったんですか」
「ああ、段ボールの山の中にいたからな。これで監視カメラもやり過ごした」
「……大丈夫なんですかこの基地」
「しかし、恐ろしい」
「あの、先程から、どうしたんでしょうか」
「聞いてくれ雪風、最初は仕方ないと思い被ったんだ。そしたらどうだ、あの暗闇が、薄皮一枚で創られた狭い空間が、とても心地よく感じたんだ。宇宙の真理や生まれた理由が分かる気がする程に」
「あの」
「だがそれが恐ろしい、私が溶けていく感覚が、いや、内側から食い破られるような……駄目だ、私には素直に受け取れない、純粋なスネークのクローンならまだしも、私には別のMEME(雷電)がある、そっちが段ボールを拒絶してくる、私は、私は――」
「スネークさん、しっかり!」
「ハッ!」
「…………」
「……とにかくそういう訳だ、あれでは麻薬と変わらない……使用するタイミングが注意しなくては」
「そうですか」
「それに、段ボールは……水に弱い、港で頻繁に使うのは危険だ」
「…………そうですか」


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File34 売国奴

 晴れ渡る太陽、響く笑い声、平和への凱歌。全てが今までと、違うものに見えていた。太陽は場所を暴き出し、笑い声は足音を掻き消し、凱歌は敵の歓声に。視点一つ、立場一つが変わっただけで、全てが反転する。

 

 観艦式の三日目の、騒ぎの裏側で、雪風は鎮守府を彷徨っていた。人混みの中で迷子になった子供が、泣きながら親を探している。海上の艦娘を追って、人の塊が大きく動き、子供が呑まれた。

 

 雪風も子供のように、場所の分からぬ誰かを探す。しかし声を潜め、気配を消して、そして転びかけた子供を一瞬支えて。彼女の眼は、真っ直ぐと誰かを見ていた。伊58の提督は、どこにいるのか。

 

 

 

 

―― File34 売国奴 ――

 

 

 

 

――2009年8月5日9:00 呉鎮守府内部

 

 しかし、スネークの目的はまだ達成されていなかった。

 ジョンは何故か、まったく別の場所に移送されてしまった。しかし彼の持っていた無線機の発信源をG.Wが辿ることで、大まかな場所は把握できた。彼は小笠原諸島周辺にいるらしい。

 

 今すぐ行きたいが、まだ、伊58の提督の救出が残っている。約束は破れないし、明日には別の場所に移動されるかもしれない。時間的な余裕はまったく残っていなかったが、だがジョンはどうする。

 

 じゃあ雪風が、伊58の提督を探しましょう。

 彼女はそう提案した。水上艦である雪風が鎮守府を出ようとすれば、ほぼ間違いなく見つかる。潜水艦であるアーセナルギアとは事情が違う。だからできる範囲で、スネークに協力しようとしたのだ。

 

〈雪風さん、聞こえてますか?〉

 

「大丈夫です、聞こえてますよ、青葉さん」

 

 スネークが侵入する時、アシストとして呼んでいたのが青葉だった。彼女は近くの高所から、鎮守府の様子を偵察していた。スネークが小笠原諸島に向けて抜錨し、青葉は雪風のアシストに役割を変えていた。

 

〈やはり駄目ですね、大本営は何日も、提督を一歩も監禁場所から出してないみたいです〉

 

「何日も、ですか」

 

〈ここ数日の映像記録を漁ってみたので、間違い無いかと〉

 

 G.Wの盗んだ映像ですがね、と青葉は自嘲した。しかしその数日の映像を全て短時間で精査したのは、他ならぬ青葉である。

 伊58と提督の事情は、スネークから聞いた。余りにも酷い話だった。よりにもよって、思い合っていた二人を引き裂くとは。青葉も同じ思いを抱いているのだろう。そして、伊58も。

 

〈ですが、妙なものは見つけました。鎮守府の離れに簡単な森があります〉

 

 もちろん知っている、そこは訓練用に使われたり――景観のために設置された、簡易な雑木林だ。

 

〈そこだけ、異様に人が少ないんです〉

 

「観艦式に人を割いている可能性は、ありますか」

 

〈人数が合いません。こちらに回す程度の警備は余っているのに、敢えてそこ(雑木林)には配置せず、別の場所に、無駄に置いています〉

 

 観艦式の影響で、警備が薄くなることは分かっていた。だから事前に対策を練るのは当たり前だった。だが、意図して薄くする理由は全く分からない。何かがある。知られたくない何かが。

 

「分かりました、そちらに向かいます」

 

〈あと、気づいているかもしれませんが……〉

 

「いえ、いいんです、大丈夫です」

 

 その気配には気づいているが、しかし警戒する必要はなかった。横目に見える先では、三日目の観艦式が行われている。まだ早朝だというのに、人が大量に集まっていた。昼と夜に行う、海上式典では、更に騒がしくなるだろう。

 

 騒ぎが起きれば、それは大本営の威信が問われる。今ならまだ、相手も大きく出ることはできない。今の内に、提督を見つけ出そう。雪風はそう考え、青葉が教えてくれた雑木林に早足で向かう。

 

 人混みから離れれば離れる程、むしろ気づかれやすくなる。雪風はスネークと違い、スニーキングの技術を心得てはいない。長年ここで過ごした土地勘と、戦歴からくる感覚で、どうにかやり過ごしていた。

 

 昨日の一件は、もう極秘裏に伝わっているのだろう。遠目に見る艦娘たちの目つきが、多少鋭くなっている。しかし戸惑ってもいる。私の裏切り――実際、売国行為という自覚はある――を、信じ切れないのだ。

 

 しかしそんなものだろう、個人と国の方針が常に一致することはあり得ない。折り合いをつけるか、我を通すか捨てるかの三択しかない。我を棄てれば機械と変わらないが、その選択はかつてとは違い、自ら選んだものだ。なら、どの選択を否定する気もない。

 

 雑木林に足を踏み入れた頃には、全身が汗だくだった。既に八月に入っている。高温多湿な日本の夏は過酷だ、神経がなかった頃が懐かしくもある。制服の袖で額を拭い、林の中を歩く。日陰と風で、多少は涼しい。

 

 青葉の言う通り、人の気配がない。全くない。意図して巡回ルートから外されているのがハッキリと分かる。ここまで少ないと、わざわざ姿勢を屈める必要はなかった。あとは何故少ないか、その理由を探せばいい。

 

 意識を集中させ、周囲に異常がないか感じ取る。

 海上とおなじだ、海の中に機雷はないか、魚雷は迫っていないか。本来の自然に、異物が混じっていないか。環境そのものと同化し、自分を人間でなくす。機械でもなくなり、そうすることで探知が可能となる。

 

 雪風は気づいていなかったが、それは間違い無く、スニーキングの技術の本質だった。すり足で動かしていたつま先に、違和感が走った。足元に、とても小さな金属がある。よく見なければ、ただの金属片と間違えそうだ。

 

 その端に指をかけると、周りの土まで同じように動いた。力を込め持ち上げると、地面そのものが持ち上がった。草と土でカムフラージュされた、地下室への扉だったのだ。まるで奈落の底まで繋がっていそうな階段に、雪風は足を踏み入れた。

 

 

 

 

 人気のない場所だとは分かっていたが、しかし、ここは何だ。

 雪風が考えていたのは、もっと秘密基地のような場所だ。装飾の一つもなく、コンクリートで塗り固められた、機能性だけを求めた地下室だった。

 

 だが、この地下室はそうではなかった。

 天井も壁も床も、その全てが生き物の体内のように、赤黒く蠢いていたのである。ぐずぐずになった肉片がこびり付いた悪夢に、雪風は吐き気を覚えた。

 

 良く見れば、肉片ではない。土が溶け、赤く変色しているだけのようだ。それでも気持ち悪いが、提督を優先しなくては。こんなところに監禁されて、正気を保っているか心配なのだ。

 

 長い地下への回廊を走った先に、やっとまともな明かりと空間が見えた。柵を切れ目にして、肉片はなくなり、綺麗なコンクリートの一室が姿を表す。端の机に、一人の男性が座りなにかをしていた。

 足音に反応し、男が振り返る。

 

「……誰だ?」

 

「元単冠湾泊地の、北条司令官でよろしいでしょうか」

 

「そうだが、お前は?」

 

「元呉鎮守府所属の、駆逐艦雪風です、司令官、貴方を助けに来ました。伊58さんに頼まれて」

 

「ゴーヤだって?」

 

 秘書官の名前がでて、険しかった彼の顔が綻んだ。ああ、と納得する。彼は本当に、北条提督なのだと。だからこそ雪風は悲しかった、スネークの言っていたことが、全て真実だと理解してしまったからだ。

 

「早く出ましょう」

 

「駄目だ、それはできねえ」

 

「そうですよ雪風さん、こんなことは許されません」

 

 知った声に、雪風は振り返る。背後にいたのは、そして今まで後を付けていたのは、北上と大井の二人だった。

 

「これは、どういうことですか」

 

「見ての通りです、呉鎮守府は、一人の提督を軟禁していた。ということです」

 

「なるほどねえ、で、どうして雪風が、売国奴さんがそんな場所に?」

 

「秘密です」

 

「……めんどくさいな、力づくってのはさ」

 

 北上が、魚雷発射管を掲げる。続いて大井も掲げる。二人の追跡を放置してどうなるかは、半ば賭けに近かった。売国奴として、捕えるよう指示を受けた彼女たちがどう動くかは、雪風でも予想はできない。だがそれで良い、簡単に答えを予想できては、機械と変わらない。不安定だからこそ、信じる、という言葉がある。

 

 とはいえ、死ぬ気はない。掴まる気もない。

 砲を掲げたなら、下げるまで撃ち合うだけだ。殺し合いという、しかし健康的なコミュニケーションは、奇妙なことだが存在するのだ。

 雪風も応えるように、主砲を掲げ――それを投げ捨て、二人に飛びかかった。

 

「伏せて!」

 

 説明している暇などは全くなかった、雪風は二人の頭を押さえつけ、無理矢理地面に押しつけようとする。

 一秒前まで頭があった場所を、巨大な『尾』が吹き飛ばした。

 

「な、なんでこんなものが、鎮守府に!?」

 

「……おー、こりゃ……凄いね」

 

 黒いフードを深く被り、主砲に飛行甲板まで取り付けた尻尾をしならせる深海凄艦。戦艦レ級が、獰猛な獣のように、こちらを睨みつけていた。深海凄艦が、なぜ鎮守府内にいるのか。

 

「そいつだ逃げろ! たまたま此処を見つけちまった艦娘は全員そいつに殺された、切っても潰しても、絶対に死なねえ化け物だ!」

 

〈死なない!? 亡霊艦(スペクター)ですよ雪風さん!〉

 

 こいつが、スネークの言っていた不死身の亡霊か。

 北条司令官の声に呼応した青葉の悲鳴が、手元の無線機から響く。北上と大井の耳にも、声は届いていた。多摩を通じて、彼女たちも知っている。

 

 スペクターが再び尾をしならせ、地面に撃ち付ける。丸太のように太く思い一撃は、地下空間そのものを激しく揺らす。その衝撃は北条のいる独房の壁に、巨大な亀裂を走らせた。三人は素早く跳躍し、攻撃を躱す。着地しようとしたその場所に、スペクターが三度、尻尾をうならせる。

 

 狙われたのは、北上だった。しかし彼女は尻尾に向けて主砲を撃ち、その反動で着地点をずらす。それだけではない、主砲を受けたスペクターの尻尾は勢いを削がれ、その威力を大きく落とした。

 

 少ない勢いで叩き付けられた尻尾は、むしろスペクターの姿勢を崩す。その一瞬を狙い、三人が同時に主砲を構えた。12.7センチという決して大きくはない主砲だが、ここまで接近すればただでは済まない。爆発音が重なり、爆炎がスペクターを覆いつくした。

 

 煙が晴れた時、スペクターのシルエットは欠けていた。盾代わりに使った右手は、グロテクスに欠けていた。だがレ級に動じる様子はない、痛みを感じるようすもない。亡霊はただ腕を拾い上げ、それを切断面に押し付ける。

 

「うっそ……」

 

 北上は呆然としながら呟いた、わずか数秒で、千切れた腕が繋がったのである。いやそれだけではない、良く見れば砕けた砲弾が体のあちこちに突き刺さっているのに、動きは全く鈍っていない。痛覚そのものが存在していないのだ。

 

 しかし攻撃には苛立ったのか、唸り声を上げスペクターが突っ込んでくる。主砲が効かない以上、魚雷でも意味はないだろう。それ以前に、こんな狭い所で魚雷を使えば、雪風も北条も只では済まない。

 

 数少ない救いは、スペクター自身もろくに武装を使わないところだった。戦艦級の攻撃を繰り出せば、地下空間が崩壊してしまうと理解できているのだろう。もっともその出力から来るパワーは以前脅威のままだ。どうすればいい?

 

 その時、スペクターの眼が独房を向いた。目線の先にあったのは、この戦闘で壊れた独房。そして一歩だけ、柵から飛び出ていた、北条提督だった。スペクターがそちらへ歩く、雪風たちは眼に入っていない。

 つまり、そういうことか! 雪風はレ級よりも早く走り出し、混乱する提督を掴むと、そのまま走り出す。

 

「二人とも逃げてください、入口で、雷撃の準備を!」

 

 議論している暇はない、人を背負っている雪風よりも二人は早い。スペクターは絶叫しながら、北上を背負う雪風を追い駆ける。しかし今までのような激しい攻撃はしてこない。牽制に主砲を撃っても、腕や肉片が飛んでも気にしない。

 

 スペクターは機械であり、人形なのだ。

 理由は分からないが、こいつは北条司令官を逃がさないことを、最優先事項としてプログラムされているのだ。だから私達の排除より、彼の捕縛を優先している。

 

「雪風、早くしろっての!」

 

「分かってます!」

 

 縺れかけた足を踏み込んで、雪風は出口へとジャンプした。階段を駆け上るスペクター。入口を介して、二人が分かたれたタイミングで、重雷装巡洋艦の雷撃が発射された。起爆に用いたのは、雪風の主砲だった。

 

「海の藻屑となりなさい」

 

 大井の一言と同時に、魚雷が炸裂する。不安定な入口は破壊され、地下空間は瞬く間に崩壊した。悍ましい絶叫を残しながら、スペクターは呑まれていった。これでも死なないだろう、だが、動きは封じた。

 

「……ここ、陸で、鎮守府だけどね」

 

 北上がそう言うと、鎮守府に小規模なサイレンが鳴った。こんな爆発、気づかれない訳がない。

 

「逃げましょう!」

 

 

*

 

 

 観艦式の真っ最中ゆえに、大々的な捜索はされなかった。爆発の煙も地下空間に封じられていて、集目には晒されなかった。だがそれでも、小規模な捜索活動が活発的に行われていた。

 

「どこからどう説明すりゃ良いんだろうな」

 

 困った様子で、北条は頭を掻く。と言いながらも、周囲への警戒は怠っていないようだ。宿舎の使われていない一室に、四人は立て込んでいた。

 

「あんなところで、司令はなにをしてたのですか」

 

 軟禁、にしては妙に自由な行動が許可されていた、それが気になった。

 

「研究の続きだ、俺が捕まる原因になった研究の続きを、何故かさせられていた」

 

「研究? なんの?」

 

「少し特殊なテーマでな、つまり深海凄艦を研究するため、の研究だ。深海凄艦は死ぬとすぐ消滅しちまうのは知っているだろ。そのせいで、連中の研究は一向に進まなねえ。生きたまま捕まえるのも限界がある。だから消滅するカラクリを調べりゃいい、そう俺は思いついたわけだ」

 

 なんてことないように彼は言うが、それはかなり凄い研究ではないだろうか。今まで謎に満ちていた深海凄艦の生体に迫ることができれば、世界は文字通り変わるだろう。だが、だからこそそれを認めない勢力も、いたのだろう。

 

「それが不味かったのかもしれねえ。気づけば研究員も予算も取られ、俺はいつの間にか提督として、単冠湾に派遣されてた。適正があることは分かっちゃいたが、研究者ってことで免除されていたのによ」

 

「免除されるもんなんだ、でも珍しいいねえ、提督の座を拒否するなんてさ」

 

「そうでもねえさ。待遇も給料も良い、適正だけありゃやっていけるって阿保は言うが、実際は奴隷みたいなもんだ。適正がありゃ、もうそれだけで、提督以外の職はできなくなっちまう。数少ない例外が、研究職だったのさ」

 

「逃げたりはできないのか?」

 

「提督は艦娘大国の日本にとって大きな資源だ、逃がすわけないだろ。それだけじゃねえ、万一艦娘を指揮できる提督が、テロリストにでもなったならどうする。こればかりはどこも同じよ」

 

 かつての戦場を変えてしまったのが艦娘であるなら、私たちは『核』だった。核には起爆コードがある。私たちにとってのコードが、提督だ。起爆コードを漏らす国家は、存在しなかった。

 

「話がそれたな、で、単冠湾でもせめて、提督の仕事を全うしようと頑張っちゃいたんだが、結果は、まあ……」

 

「大勢、沈む羽目になったんでしょ」

 

 北上が、気まずそうに呟く。

 

「やっぱ知ってんのか、だろうな、大々的に宣伝してたもんな」

 

「知ってるよ、あんたが私たちの為に、必死だったことはね。単冠湾の多摩姉ちゃんから、聞いたのさ」

 

「そうか、お前たち、あいつの……実の妹か」

 

「そしてブラック鎮守府運営の責任を取り更送、あとの行方は分からない。そこまで私たちは知っています。もちろん、貴方が悪くないことも」

 

 最初から全て、彼を合法的に始末するためだったのは明白だ。それを更に利用して大本営は新型核を得ようとしていた。

 

 分からないのはその後、同じ研究を継続させられていたことだ。いったいどういことなのだろうか。

 

「いや、それは俺が悪い」

 

 大井は眼を丸くしながら、口を半開きにして固まった。

 スネークから聞いたことと一致している、彼の研究は恐らく政府にとって都合の悪いものだった、だが客観的に見れば悪いものではない。だから濡れ衣と汚名を着せることで、公的に処分したのだと。結果恋仲であった伊58と引き裂かれた、被害者なのに、彼はそれを認めなかった。

 

「どんな理由があっても、あいつらは俺が沈めた。殺したのは間違い無く、俺だ。提督として一度着任した以上、守り抜かなきゃならなかったのにな」

 

 科学者にしては、彼は筋肉質な体をしていた。大柄な肉体は、きっと兵士としても優秀だろう。そんな体で握りしめた拳に、不揃いな爪が突き立てられている。ゆっくりとめり込んで、破裂した時に血を流しそうな程に。それでも足りずに、頭を伏せて締め付けた。言葉を出せない彼に話しかけたのは、北上だった。

 

「あくまで、聞いただけの話だけどさ。多分単冠湾の艦娘は、後悔なんてしてないと思うよ」

 

「どうして、そう言える」

 

「気づいてない訳ないじゃん、それでもあんたは逃げなかった。望まない立場でも諦めずに、あいつらを死地へと送ったんでしょ?」

 

 北条は無言のまま、彼女の眼を真っ直ぐ見ていた。

 

「私たちはどこまでいっても、遺伝子があっても、模倣子があっても機械(屍者)なのさ。死人と機械の役割は似てる、自分の為じゃなく、誰かの役に立つって点がね。つまりそういうことさ」

 

「そう考える奴もいただろう、だがそうじゃねえ奴もいた筈だ。お前たちが屍者だったとしても、望む『死』の形ぐらい、選ぶ権利は合って欲しかった」

 

 望む『死』、それを選ぶ権利。

 雪風は、自身の手を見つめた。十四年間戦場にいたとは思えない、小さく白い子供の手。化け物のように白い、資材と修復剤で塗り固められた手。この手で掴むものはなんだろう。

 

「雪風、潜水艦だよ」

 

「え?」

 

「例のガラクタ積んだ輸送艦は囮、本命は潜水艦を使ったモグラ輸送だ。何を運んでいるかは分からない、だから近々、調査隊が出される。行くなら、それより前にしないと、また鉢合わせるよ」

 

 部屋の外を伺って、北上はさっさと出て行ってしまった。しばし呆然としていた大井も、慌てて後を追う。扉に手をかけて、彼女は振り向いた。

 

「潜水艦の行先は恐らく硫黄島です、あと少し離れた場所からなら、気づかれずに抜錨できます」

 

「良いのでしょう、雪風に教えてしまって」

 

「先に裏切ったのは大本営の方では?」

 

 スペクターと似て非なる笑みを浮かべて、大井も出ていった。本当に運が良い、雪風はそう感じる。それを感じられる自分は、きっとただの屍者ではない。そう信じている。雪風は青葉に繋がる無線機に、手をかけた。




『トラウマ?(スネーク×伊58×北条)』

「感動の再会は、済んだようだな」
「ああ、本当に感謝するよ、スネーク」
「で、ゴーヤはどうする。もうお前の目的は達成された訳だが」
「付き合うでちよ、今更行き場もないでち、それに、提督がいる場所がゴーヤの場所でち」
「ありがとな、さて、俺はどうすれば良い。できるなら、お前たちの力に成りたいが」
「そうだな、ならスペクターの研究をしてもらえるか」
「スペクター? あの不死身のレ級か」
「お前はその手の専門家なのだろう?」
「確かに、あの不死性には少し興味がある」
「交渉成立か、お前と押し潰したスペクターを、我々の拠点に移送する。そのままゴーヤの指示に従ってくれ」
「分かった、俺に任せろ、死なねえ奴なんていねえ、必ず種を暴いてやるさ」
「……ああ、頼んだ」
「どうしたでちか」
「なんのことだ」
「何か、少し怯えている感じがするでち。仮にもゴーヤの提督が恐がられているのは、ちょっと嫌でち」
「……いや、何だかな……北条、お前何かスポーツをしてたか?」
「……アメフトならやってたが、それがどうした」
「そうか、だから学者なのに、妙に筋肉質なんだな」
「いや、だからそれがどうしたでち」
「……いや、ほんと私にも分からないんだが、幻肢痛がするんだ」
「は?」
「なんだって?」
「とにかく、インテリのスポーツマンを見ると、幻肢痛がするんだ、顎に!」
「顎!?」
「……な、訳分からないだろ?」
「訳が分からん」


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File35 水面の巨影

 その日の海は、いつになく荒れていた。

 落ちてきそうな分厚い雲を、海は真っ黒に写している。たまに隙間から見える青空は、突風がすぐに隠してしまう。風は同時に、黒い海を揺さぶっていき、彼女の進路を惑わそうと襲い掛かる。

 

 乱された海面が、重く、響き渡る唸り声を上げた。美しさは欠片もないが、それは船乗りを惑わすセイレーンの歌声だ。人の理性を、感覚は瞬く間に溶かされて、気づけば私は、海の底に居る。

 

 そうさせるのは、スネークの周りの全てが定まらないからだった。

 攫われたジョン、なぜか研究を継続していた北条、そして鎮守府内のスペクター。もし羅針盤があるならば、どうかこの先に彼がいますよう。

 

 

 

 

―― File35 水面の巨影 ――

 

 

 

 

――2009年8月5日17:00 硫黄島近海

 

 一隻の潜水艦が、海上で単独行動をしていた。それをたまたま目撃した下級の深海凄艦は、本能的に逃げていった。イロハ級に自我はない――訳では無い。人間のように高度な知能を持たないだけで、爬虫類(レプタイル)のような本能的な自我はある。

 

 彼らのような野生動物の行動はシンプルだ、いかに効率よく、生存するか。方法こそ違え度、全てそこに集約される。深海凄艦の場合人類や艦娘への攻撃本能が加わり、目的達成のために動く。潜水艦一隻のために無駄死にするより、生きてその後多くを抹消するのが良い。

 

 ミサイルの針山であるアーセナルを見たイ級は、だから逃げたのだ。小笠原諸島の中で、具体的にどの島を目指せばいいかまでは、分からなかった。しかし途中入った雪風の情報提供によって、場所の特定ができた。

 

〈雪風の言う通り、確かに、近くを潜水艦が通っているでち〉

 

〈行き先は分かるか〉

 

 ガラクタを積んだ輸送船は囮であり、本命は潜水艦によるモグラ輸送だった。その潜水艦たちも、どうも小笠原諸島付近を目的としていた。その行き先にこそ、ジョン――もしくは彼の手掛かりがある、とG.Wは推測した。

 

〈自力じゃ分からないでちか?〉

 

〈アーセナルギア級にソナーの類はない〉

 

〈冗談でちか〉

 

〈で、分かるのか〉

 

〈分かる、見当もついているでち〉

 

 伊58から潜水艦の居場所と航路を纏めたデータが送られてくる。G.Wがそれを纏めると、小笠原諸島の中の、一つの島に光点が集約された。

 

〈硫黄島、か〉

 

 既に、島は目の前にあった。緑豊かな島は、しかしだからこそ、あらゆる陰謀を隠し持っているようにも見える。

 しかし、呉鎮守府も似たようなものだ。どうして基地内部にスペクターがいたのか、誰かが手引きをした――つまり深海凄艦につく裏切り者だ――としか思えない。

 

 スペクターの残骸は、北条提督と共に、こっそりとモセスに運び込ませている。

 今更軍にも戻れないと、北条は協力を申し出てくれた。彼にはスペクターの不死性の研究を任せてある、きっと結果を出してくれる。私は、私のできることをしよう。目の前の密林に、呑まれないように。

 

 

 

 

 小笠原諸島は日本の領土において、生物地理区におけるオセアニア区――おおざっぱにいえば亜熱帯に属する諸島だ。長年外界から隔絶されてきたこの島は多様な生態系を持ち、日本のガラパゴスとまで呼ばれていた。

 

 しかし、そこに向かって、深海凄艦の潜水艦は入って行った。上陸した痕跡はない。となれば水路がある。同じ潜水艦のスネークは、すぐ穴を発見した。海の中に巨大な大穴が空いていた、艦娘ではない、通常の潜水艦も通れそうな巨大地下水路だった。

 

 奇妙だった。青葉からの報告によれば、深海凄艦の活動が活発化したのはつい数日前からだという。たった数日で、どうこの大穴を掘ったのか。しかも、定期的にくる警備の眼を掻い潜って、どうやって? やるなら、本当に一瞬で大穴を開けなくてはならないが、そんな方法があるのか。

 

 水路の壁に接近したスネークは、ハッキリと違和感を覚えた。水路は全面コンクリートで補強されていたが、かなり雑な作りになっていた。均一ではなく、そのまま張り付けたのか、あちこちのバランスが悪い。

 

自らの直感に従い、スネークは高周波ブレードで壁の一部を切断した。

 剥がれ落ちた壁の向こうにあったのは、()()()()()()()だった。正確には土が溶け、かつ赤く変色していた。それがまるで、肉片のように見えるのだ。

 

〈この壁、いや肉片を覚えているかスネーク〉

 

〈北方棲姫の基地の、あの建物か〉

 

 以前訪れた北方棲姫の基地も、一部が同じように溶け落ちていた。あの時みた肉片と、ほとんど同じ現象が起きていた。

 

〈それだけではない、雪風が侵入した呉鎮守府の地下牢も、近い現象が起きていたようだ〉

 

〈一瞬で溶かした、そういうことか?〉

 

〈分からん、だが注意を怠るな。水路にはソナーが仕掛けられている、そこを通るのは無謀だ。地上のジャングルに身を潜めて進め〉

 

 

*

 

 

 押し付けるような熱気が彼女の体力を奪う。その苦痛を我慢しなければ、しかし生きてはいけない。ジャングルには多くの生物がいるが、人間は自然の摂理から、自ら外れた生き物だ。その時ジャングルで生きる術も置いてしまった。この森で、私はもっとも脆弱だ。だから文明を発展され、化学の装備を纏うしかない。

 

 硫黄島という時点で、敵の拠点のおおざっぱな位置は分かる。この硫黄島には、かつて米軍の基地があったのだ。アメリカの兵士が、数人がかりで星条旗を立てようとする写真を知っているだろうか。それこそが、この硫黄島で米軍が日本軍に勝利した時の写真だ。

 

 深海凄艦の襲撃で米軍は撤退したが、すぐに日本軍が奪い返した。だが大本営はここに人を置いていない。小笠原諸島がGHQから返却された後も、アメリカとの軍事バランスで、微細な調整を続けていた。あくまで定期的な警備に留めていた。結果暗躍を許したわけだが。

 

 国と国の間で引き裂かれ、結局住民は帰れないまま今に至る。穏やかな自然も荒らされ、ところどころに戦火の爪痕が残っている。人々を護るためにあった国は、国であるが故に、その土地を破壊せずにはいられないのか。

 

 いっそ深海凄艦が支配している今の方が、こういった場所の自然は、護られているのかもしれない。そうスネークは思った。

 

 だが、目の前にある元米軍の拠点を見て、考えを改める。そこからは基地の活動で排出される汚水やごみが散乱していたのだ。それはジャングルへと、そのまま垂れ流しになるのだろう。その水路を利用し、スネークは潜りこんだ。

 

 

 

 

 拠点深部へ行けば行くほど、基地の状態は異様と化してきた。

 かつて人が暮らしていた名残はどんどん消えていき、凹凸さえないのっぺりとしたコンクリートが、床も壁も覆っている。照明も最低限しかなく、まるで深海に――いや、深海だってもう少し生き物はいる。

 

 しかし、軍事拠点として見るなら、この内装は正解だ。一般的に軍事施設は、生活感を徹底的に排除した作りになっている。人の生きる日々の要素を切り離し、同時に人間性をも徐々にそぎ落とすのだ。そして完全な機械に変える、この思考の果てにあるのが、無人兵器というものだ。

 

 最初から機械のように従順なイロハ級は、兵士としてすこぶる優秀だ。だが不思議なことに、同じ機械である艦娘は人格を持っていた。しかも人間的な人格だ。不要である個性を持たせたのには、誰かの意志が関わっているのだろうか。

 

 もちろん彼女たちも、訓練などにより人間性を削られる。だが決して機械には戻らない。いや、機械だったからこそ、『人間』であろうとするのかもしれない。観艦式で見たあの笑顔は利用されているとしても本物だった。

 

 しかし国の為、人の為と笑顔で言われて、笑顔で突撃する艦娘は、人間なのだろうか。いっそ感情のないイロハ級に、無表情で命令する姫の方が人間らしいのではないか。だが無表情とは機械なのではないか? この戦争は機械同士の戦争か、それとも人間同士の戦争か?

 

 スネークは、自身の頬を叩いた。

 いけない、機械的な空間に呑まれ、自身を迷っていた。私は私の意志で動こう。そうでなくてはならない。

 

 敵兵を無力化しながら、無機質な基地の最深部へと、スネークは足を踏み入れる。小さな扉を開いた先には、巨大な空間が広がっていた。彼女が居たのは、最下層から遥か上の、三階の渡り廊下だった。

 

 真下を見下ろすと、海水が満たされていた。拠点前で見つけた潜水艦もいる。あの水路は、ここへ繋がっていたのだ。

 

 だが、スネークの眼を引いたのはそこではなかった。この空間は、普通の格納庫にしては大きすぎる。深海凄艦は人間サイズ。こんな大規模なサイズはいらない。その大きさが丁度良く見えたのは、眼下の水面に除く、超巨大な深海凄艦のせいだった。

 

 半分水面に浸っているせいで上半身しか見えないが、まるで、巨大な魚のようだった。

 尻尾に加えて、ヒレまでついている。背びれの代わりに付いているのは、潜水艦のスコープだ。

 頭部に当たる部位は、空母ヲ級の帽子みたいな形をしていて、深海の生き物のように、真っ白に輝いている。

 

 まさしくそれは、『白鯨』と呼ぶにふさわしい深海凄艦だった。

 

「白鯨を発見した」

 

 スネークの報告に、ガングートが反応する。

 

〈白鯨があるのか、なら、核弾頭はどうだ〉

 

「付近には見当たらない」

 

 合衆国が開発した新型核弾頭は三つあったが、一つは戦艦棲姫に奪われてしまった。核の奪ったのには、何か目的がある筈だ。使用するのが目的なら、必ず手元――もしくは、近くに持ち込んでいる。いや、新型核は、手元になければ、まともに使用できないのだ。

 

〈スネーク、新型核を覚えてる?〉

 

 北方棲姫の声は、やはり焦っているようだった。無言を肯定と受け取るが、念のためにと、彼女は話す。

 

〈新型核の開発は、合衆国も慎重に行っていた。それに、今までに例のない爆弾だ。だからこれまで培ってきたミサイル技術を用いずに生成されている〉

 

リトルボーイ(ヒロシマ)ファットマン(ナガサキ)と同じ、爆撃機に搭載するタイプ。つまり、ミサイルの核弾頭以上に、持ち運びが難しい。そういうことだな?」

 

〈白鯨と同じ場所に置いているとは考えにくいけど、万一の可能性もある。水鬼の痕跡のある場所では、必ず核を探して欲しい〉

 

 北方棲姫の無線を切ったスネークの前には、白鯨が鎮座している。核の有無も重要だが、まず目の前の脅威を排除するのことも重要だ。手元のブレードに手をかけたその時、ホールを揺るがす絶叫が聞こえた。

 

〈ジョン・Hの悲鳴だ〉

 

 そんなことはG.Wに言われなくても分かっている、地上一階にある小さな横穴から、あいつの悲鳴が聞こえたのだ。なにごとかと、警備の深海凄艦もそちらへ移動している。スネークも彼女たちを追い、声の元を目指した。

 

〈スネーク、開発者よりも白鯨の破壊を優先しろ〉

 

「うるさい」

 

 しかし心のどこかで、G.Wに賛同する自分がいるのも確かだった。白鯨を破壊する方が、最終的にはきっと良い結果を生む。だからいって、眼前で起きていることを無視はできない。艦娘は、私は機械ではない。人間とはそういうことなのだ。

 

 途中、積荷が剥き出しになった潜水艦を見つけた。背中から降ろされていたのは、羽やタイヤといった、航空機のパーツだった。あれは何に使うのだろうか、もしや白鯨に関係あるのか――それを含めてジョンに聞けばいい。

 

 そう考えるスネークの意識は、目の前の光景に吹き飛ばされた。

 ジョンのいる――恐らくだが――研究室に繋がる通路には、スペクター()()()ものがあった。

 

 手と足、頭と体が、あらゆる場所に散乱していた。使い過ぎて千切れた人形。もしくは地面に叩き付けたプラモデル。体に見える物は何もない、有機的な部品だけが、鮮血と共に転がっている。肉体のつなぎ目はとても綺麗だ。鋭利な刃で、切られたのだろう。

 

「誰か! た、助けてくれ! 誰かいないのかよ!?」

 

 再び悲鳴が聞こえ、スネークは扉へ進んだ。ロックもやはり破壊されていた。赤く赤熱している。どれだけの速度で切ればこうなる。

 部屋の中央でジョンの前に立つそれは、スパークにライトアップされた役者だ。服装には何の特徴もない、人体標本のように滑らかなシルエットが、光に浮かび上がる。

 

 間違い無く、あの忍者だった。

スペクターと遭遇した単冠湾泊地での戦いで、突如亡霊を切り払った怪人が、今再び、スネークの前にいた。

 

「お前はなぜ、白鯨を建造した?」

 

「そ、それがなんだよ、お前にどう関係あるのさ!?」

 

「そうか、なら残念だが、殺す。殺さなくてはならない、それが私の役割だ、仕方ないが、死んでくれ」

 

 有無を言わさぬ問答、それ以前に、会話の意図がまるで理解できない。サイボーグ忍者が、光る刀を振り上げる。スネークはすぐさま、P90を構えた。その時、カチャリ、と金属音が鳴った。

 

 ぐるり、壊れた浄瑠璃人形のように、怪人がこちらに振り向いた。赤い単眼は無機質だったが、確かな狂気が渦巻いていた。理解したくもない歓喜に駆られて、忍者が叫んだ、「スネーク!」と。

 

 

*

 

 

「なぜお前がここにいる」

 

「嬉しいぞスネーク、ようやく会えた。この時を待ちわびていた、亡霊では話にならない、やはり殺し合いは、生きているからこそ成り立つ」

 

 そういう忍者は、そもそも生物なのか。根本的な疑問が湧いてくる。何より質問の答えになっていない。

 

「私は理由を聞いている、お前はここで、何をしようとしている」

 

「大したことではない、ただそこの子供を殺すだけだ。こいつは死ななくてはならない、私がそう決めた」

 

「こいつが、何者か知っての行動か」

 

「白鯨の開発者、故に殺さねばならない」

 

 忍者が殺すと言う度に、ジョンが小さく体を震わせる。無理もない、彼はまだ子供なのだ。こんな狂気を撒き散らす怪物に迫られて、理解もできず、怯えることしかできないのだ。

 

「こいつは高い技術を持っている、しかしそれだけだ、そして子供だ。では殺すしかない」

 

「お前は何を言っている?」

 

「スネーク、お前は核の発射スイッチを子供に与えるか? 与えない、それが普通だ。しかしこいつのスイッチは頭の中だ、奪うことはできない。なら殺して止める。核よりも危険な兵器は、もう完成した。開発者を奪った勢力は、第二、第三の白鯨を完成させる。私は許さない、白鯨はあれ一種で十分だ」

 

「こいつは利用されているだけだぞ」

 

「同じだ、利用する、利用される。では殺さねば、当面は保護も考えたが、こいつにあるのは死ぬだけの道だ、私はそれを行おう。だがスネーク! お前が現れたのなら話は別だ! ようやくこの時が来た、この時を待ち続けていたのだ分かるかスネーク私のこの歓喜がお前を殺すこと殺されることどちらも同じだいや違う待っていたのは私だけではない艦娘も深海凄艦も皆お前を待っていた我々の王いや我々の姫もはや任務など二の次だ行くぞスネークスネークスネークスネーク!」

 

 忍者は狂っていた。

 理解すらしたくなかった、心からの拒絶を込めて、スネークは刀を構える。顔面蒼白のまま。

 

 するとスネークは、大空を見上げていた。

 

「遅いぞスネーク!」

 

 そんなことが、あり得るのか。

 一瞬も見えない速度で忍者はスネークを蹴り飛ばし、勢いのまま壁を破り外へと吹き飛ばされたのだ。激痛が遅れてやってくる。痛みに悶えながら、硫黄島の浅瀬を何度も跳ねる。

 

「G.W! ありったけだ! 全部やれ!」

 

 出し惜しみで勝てる相手ではない、スネークはすぐさまG.Wと艤装を召還し、ありったけのミサイルを叩き込む。このまま基地もろとも破壊しても構わないつもりだった。だが、忍者の狂気は更に加速し、常識を置いていく。

 

 飛んで来たミサイルに、忍者が着地した。

 そのまま次の、次のミサイルへと飛び移りながら、忍者がこちらへ迫る。何だろうか、八隻の船を飛び移った八艘飛び伝説を連想させる。完全に常軌を逸した動きに、スネークの思考は止まり掛ける。

 

 最後のミサイルを切り落とし、忍者が来る。

 スネークは装備した艤装を外した、こんなもの足枷にしかならなかった。

 空中にいる怪物に、P90が火花を散らす。だが忍者は目にも止まらぬ速度で彼方を振り回し、サブマシンガンの弾丸を全て切り落としてしまった。

 

 着地、と同時に、また爆発が起きる。それは忍者が地面を蹴った衝撃によるソニックブームだった。姿勢を崩しながらもブレードを構え、攻撃に備えるスネーク。だが煙が晴れると、忍者はいない。

 

「後ろ!」

 

 突如声が聞こえ、それに従いブレードを振るう。間一髪のところで、忍者の攻撃を防ぐことができた。

 

「どうなっているんですかこれは!?」

 

 遠くから現れた影は、雪風のものだった。

 少し安心する。心を許してはいないが、しかしこんな化け物の後なら、もう知っている人なら何でもいい。

 

「よそ見しないでほしいな、スネーク!」

 

 忍者はそのあとも、異常な挙動を繰り返しながら、スネークに襲い掛かる。彼女もギリギリのところで反応し、ブレードで抑え込む。だが忍者の攻撃は熾烈で、重い。

 遂に限界がくる、スネークの高周波ブレードの片割れ、自由刀が負荷に耐え切れず、圧し折れてしまった。

 

「とった!」

 

 だが忍者の真横に撃たれた主砲が、とどめを食い止めた。刀が折れた瞬間、雪風が反射的に援護していたのだ。砲撃を跳躍して回避し、忍者が海面に着地する。

 すると、不思議な現象が起きた。凄まじい勢いで海面が蒸発し、周囲が瞬く間に霧に包まれたのだ。

 

「スネーク!」

 

 また忍者が目の前に現れる、残る一本で受け止めるが、怪物のパワーは更に上がっていた。ブレードを逸らし、格闘戦に持ち込もうとする。だがまず、触れることさえできなかった。忍者の全身は、凄まじい高熱で覆われていたのだ。

 

 怯んだ隙に、また忍者が刀を振るう。

 駄目か、と考えた時、再度雪風の砲撃が放たれた。直撃ではないが至近弾。海面が弾け、その時スネークは見た。

 こいつはいま、跳ねた『海水』を回避したのか?

 一瞬だが、確かにそう見えたのだ。

 

「スネークさん、大丈夫ですか」

 

 心配した表情をしてくれているが、安心している場合ではなかった。

 

「雪風、聞いてくれ、あの忍者は全身から発熱していた」

 

「発熱?」

 

 少し考え込んで彼女は、そうですかと呟く。

 

「雪風はどうすれば?」

 

「一瞬で良い、あいつの動きを止めてくれれば」

 

「分かりました」

 

 同じ場面を見ていたのだろうか、それにしても察しが良い。恐ろしい位だったが、この場においては心から頼もしかった。

 

〈G.W、4号機から10号機までを発艦させておけ〉

 

 再びチャンスが来た、忍者は今度は、真正面から斬りかかってきた。その一撃をブレードで受け止め、そのまま体に体当たりする。全身を高熱が焼くが構わずに突き進み、最後に渾身の力を込め、ブレードを振り上げた。

 

 押し切られた忍者は、背後に向かって跳躍する。

 その着地点に雪風が、主砲を撃ちこんだ。空中では回避はできない。海面のしぶきが当たりかける。忍者は予想通り、ブレードで飛沫を残らず弾く。

 

 そこへ、百発近くのミサイルを叩き込んでやった。

 勿論忍者は逃げようとする、だが事前に展開した6機のレイが忍者を抑え込む。機械であるレイならば、熱の痛みは関係ない。逃走は間に合わず、先程とは比べ物にならない海水を全身に浴びることになった。

 

 同時に、忍者が絶叫した。

 理屈は分からないが、確かに効果があったのだ。続けて追撃しようとするスネークだが、その手を止めたのは、また、忍者の狂気だった。

 

「良い良い良い良いぞ殺してやる殺さねば愛国者達の利は全て沈めシズメテシズメシズメシズメシズメ」

 

 言葉、というより、痛みによる絶叫だった。怨念とも執念ともつかぬ狂気をばらまきながら、忍者の姿が、また消える。

 しかし、その姿がまた現れることはなった。勝利の余韻はない。絶句だけが残されていた。




サイボーグ忍者(艦隊これくしょん)

 突如としてスネークたちの前に現れた謎の存在、初遭遇は単冠湾泊地での戦闘であり、その時はスネークたちを戦艦棲姫から助けたが、今回は敵対行動をとる。
 その目的や所属は一切不明、性別も不明(海上に浮いていることから恐らく艦娘か深海凄艦、つまり女性)。一つだけ明らかなのは、彼女が凄まじい戦闘能力を有しているという一点のみ。
 戦艦棲姫の分厚い装甲を軽々と両断し、飛び交うアーセナルのミサイル群を足場に跳躍し、一瞬の間に、消えたと錯覚する速度での移動など、異常極まった能力を持つ。
 ただし、海水を直に浴びることを避ける点から、なにかしらの原理があるのは確かである。現在はスペクターと共に、北条が研究を行っているものの、資料不足により難航中。


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File36 自律歩行潜水戦機

 嵐が過ぎた、圧倒的暴力と狂気を伴った暴風が過ぎ去った。

 全ては砕け散り、吹き飛ばされ、散乱している。崩れ去った瓦礫もバラバラにされたスペクターの残骸も、そこら中にぶちまけられていた。

 

 まさに、嵐の過ぎたあとのようだった。辛うじて生き残ったスネークと雪風は、まずジョンの元に駆け寄る。独房の中にいたお蔭で外傷はないが、白目を剥いて気絶している。仕方ない、あれは完全に狂っていた。

 

 だが、寝かせている暇はない。スネークは彼の肩を若干乱暴にゆすり、ジョンの意識を覚醒させた。ここからだ、ここからやっと事態が動きだす。

 雪風は覚えていた、呉が消滅するという、彼の言葉を。

 

 

 

 

―― File36 自律歩行潜水戦機 ――

 

 

 

 

――2009年8月5日20:00 硫黄島米軍基地跡

 

 安心して良いのか悪いのか、とにかく三日間に及ぶ観艦式は無事終わったと、青葉から連絡が入った。輸送艦の不振な動きがあった時点で、大本営は予測していた。襲撃があるとすれば、それは観艦式の最中だと。

 

 その目的は、もしかしたら白鯨の実戦投入なのではないか。開発者が呉に現れたことで、大本営はそう予測した。観艦式の警備に人を割いていたのは、この辺りが理由である。しかし結果として、襲撃は行われなかった。

 

 潜水艦の追跡部隊も、じきに此処に来るらしい。その時点で大本営も確信することになる、白鯨が此処にあることを。もっとも雪風たちは、先んじて知ったわけだが。無線機から、青葉の声が聞こえる。

 

〈白鯨はどうしましたか〉

 

〈開発者を優先したせいで逃げられてしまった、ゴーヤ辺りは見てないのか〉

 

〈見てないか、見れなかったかのどちらかでち〉

 

 実は硫黄島内部に立て籠もっているか、もしくはソナーで発見できない速度で逃げたか。いずれにせよ、この硫黄島でできることはなくなったということだ。残っているのは、やっと目を覚ましたジョンから情報を聞き取ることである。

 

〈大本営は、今後の襲撃に備えて警備を強化する予定らしいです。なので、スネークたちを掴まえるために、大部隊は出さないと思います〉

 

〈了解した、引き続き監視を続けてくれ〉

 

〈ゴーヤは?〉

 

〈特にはないが……〉

 

〈あ、なら青葉から良いでしょうか。硫黄島の近くの、父島に行って貰いたいんです〉

 

〈何かあるのか?〉

 

〈ガングートさんから、話があるので繋ぎますね〉

 

 果たしてこのまま聞いていいのだろうか、雪風は少し不安になる。だがどうせもう売国奴だ、今更どうでもいいか。

 

〈スネーク、早速だが本題に入らせて貰う。雪風はそこにいるな? お前たち呉の面々が掴んでいた囮の輸送艦だが、どうも、ただの囮でない可能性がある〉

 

〈囮ではない、どういうことですか?〉

 

〈囮にしても、積荷が鉄屑なのは不自然だ。だから私たちの元で、鉄屑の出所を調べてみた。そしたらとんでもないことが分かった。あの輸送艦は、『単冠湾泊地』の周辺海域から出港していたんだ〉

 

 単冠湾泊地といえば、多摩から聞いたスネークが活動した場所である。そして冤罪とはいえ――ブラック鎮守府だった場所だ。

 

〈海底調査を北方棲姫傘下の潜水艦に頼んでみたが、予想通りだった。海底で、人が何かをサルベージした痕跡がある〉

 

〈まさか〉

 

〈轟沈した艦娘の艤装だ〉

 

 無線の奥で、伊58の声が詰まるのが聞こえた。

 

〈その運び先が、父島だ。何があるかは分からないが、何かがあるかもしれない。頼めるか〉

 

〈了解、でち〉

 

 しかし轟沈した艦娘の艤装など、なにに使うのだろうか。錆びているし浸水していて使い物にならない筈だ。まさか、轟沈した艦の怨念から、深海凄艦を生み出すのか。生憎彼女たちの生体は解明されておらず、否定はできなかった。何かに利用されていることは確かだった。甦らされて、遺体さえ利用される。この黒幕は、死者をなんだと思っているのだろう。

 

「……あいつだ」

 

 ジョンの目線は不安定だったが、遥か遠くを正確に見つめていた。正確に言えば、サイボーグ忍者が過ぎ去った方向だ。

 

「僕が日本に亡命しようとして、ソ連からの輸送船に紛れた時、警備に見つかりそうになった時、あいつが、助けてくれたんだ」

 

「あの忍者が?」

 

 思わず繰り返してしまった、どう見ても狂人でしかないアレが、ジョンを助けるとは思えなかったが、実際に助けてしまっている。しかし、恩人の筈の人物が、あんな言動で現れて、ジョンは完全にショックを受けているようだった。忍者の目的はなんなのか、だが、それより前にやるべきことは白鯨だった。

 

「ジョンさん、酷いことはされませんでしたか」

 

 雪風の声を聴き、彼の顔が少しだけ緩んでいた。

 

「大丈夫」

 

「じゃあ、教えてください、此処で今、何が起きているんですか」

 

「……明日だ」

 

 ジョンは俯きながら、ぽつりと呟いた。

 

「明日?」

 

「明日、呉鎮守府を、白鯨は襲撃する。デモンストレーションのために」

 

 やはりそうなのか、頭が痛いが、大本営の予想は当たっていた。

スネークの言った通りだ、ソロモン諸島の時から、戦艦棲姫の目的は変わっていない。

 

「白鯨は、なんなんですか。警備を厳重にした連合艦隊を撃滅しうる兵器なんですか」

 

「いや、万全な艦隊なら迎撃できる。やり方を知っていればだけど」

 

「やり方?」

 

「戦術的には弱い、けど戦略的には無敵。それが白鯨だ、でもまだ、止められるかもしれない」

 

「止められる? 抜錨前にですか?」

 

「スネークは、ここで白鯨を見たんだよね。その時、『足』はあった?」

 

「足? いや、そんなものなかったが」

 

「ならまだ白鯨は未完成だ、もう半分の足は、きっと父島にある。ゴーヤって艦を向かわせたなら、皆も急いだ方が良い。『上部パーツ』と『下部パーツ』の接続が終わったら、もう止められない」

 

 顔を、始めて上げた。

 彼の眼は真っ赤に晴れていて、眼もとに跡がついていた。憔悴しきっているのか、頬がまた痩せている。ジョンは縋るように、雪風の制服を掴んだ。

 

「あれは白鯨だけど、足がある。だから魚類(フィッシュ)じゃないし、哺乳類(ママル)でもない。勿論鳥類(バード)でもないし、ましてや爬虫類(レプタイル)ですらない。その間だ」

 

「つまり、両性類(アンフィビアン)か」

 

「そう、生き物らしく動く、海と陸のミッシングリンク。戦艦棲姫はそう言ってた」

 

 その一言を聞いた時、確かにスネークは硬直した。

 

「『自律歩行潜水戦機メタルギア・イクチオス』、それが白鯨の、真の名前だ」

 

 

*

 

 

 メタルギア――その名前が、雪風の中でぐるぐると回る。

 

「またの名を『衝角潜鬼』、名前の通りイクチオス最大の特徴は、両肩に装備されたラム・ユニットだ」

 

「衝角? まさか、この時代にラムアタックを仕掛けるというのか」

 

「そうだ、けど、可能だ。イクチオスは一瞬なら、水中で40ノット出せる」

 

「40ノットですって!?」

 

 通常WW2当時の潜水艦が水中で出せる速度は、せいぜい2.3ノットだ。それが一瞬とはいえ40ノットとは、普通ではなかった。いや、深海凄艦出現以前の最新鋭潜水艦でも、ここまでの速度はあり得ない。

 

「どうやってそんな速度を出している、40ノットとなると、(アーセナル級)と同じ速さだ」

 

「知らない、僕が関わっていたのはあくまで基幹部位とその制御AIだけで、推進装置や内部システムは別のチームがやっていたんだ」

 

 一瞬、他のチームの話をした時、ジョンの顔が曇った気がした。

 

「とにかく、潜水艦の質量体が40ノットで水底から突っ込めば、どうなるか分かるでしょ」

 

「殆どの艦は一撃で沈むな、水底に大穴を開けて、一気に浸水させる。しかも戦艦や空母では、潜水艦に対し有効打を撃てない。対大型艦用とは、そういう意味か」

 

「でもそれなら、対潜特化の駆逐艦や海防艦、軽巡洋艦には弱いのでは?」

 

「弱いよ、でもイクチオスはあくまで潜水艦だ。つまり艦隊を組むことが前提、必ず強力な水上戦力を連れている。特に今回はデモンストレーションだから、一番やばいのを連れてきてる」

 

「スペクターか」

 

「皆は、そう呼んでいる。けどイクチオス最大の特徴は、もっと別にある、『足』による、強襲揚陸だ」

 

 白鯨だが、足がある。水中に棲みながらも最後は陸に昇れる。だからこいつは両生類の生を冠しているのだろう。

 

「手順としてはこうだ、まずイクチオスが先行し、水中からラムアタックを仕掛け大型艦を撃破する。決定打を失った防衛部隊は、そのままイクチオスの突破と上陸を許す。水上で暴れている間、その援護を護衛部隊件支援艦隊が行う。接近には気づけない、速度を大幅に落とせば、完全無音航行が可能だし、上陸も一瞬。しかも衝角をピックに見立てることで、垂直の断崖絶壁からも上陸できる。あらゆる地点から瞬時に本土上陸が可能、それがメタルギア・イクチオスという兵器なんだ」

 

 出鱈目も良い所だった、こんな兵器が量産されれば、日本どころか、世界中が湾岸防衛のアップデートを強いられる。今までのような大型艦だけでは無理だ、戦艦から駆逐艦まで、あらゆる艦種をあらゆる場所にまんべんなく配置しなくてはならない。一体どれだけ莫大な戦費が掛かるのか。

 

「大それた兵器だが、裏を返せばあらゆる艦を揃えておけば、対処できない兵器ではない、合っているか?」

 

「正解さ、だから言ったじゃんか、対処法を知っていればどうにかなるって。勿論とんでもないお金は掛かるけど」

 

「それが、戦艦棲姫の目的か」

 

 スネークも、私と同じ結論に到達しているようだった。戦争を続けさせることで、戦艦棲姫は世界平和を実現させると言った。人間の代わりの代理戦争を終わらせないための軛が、白鯨なのだと。なら、戦争を終わらせないためにはどうすれば良いか。簡単だ、世界が()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「戦争経済の実現が、真の目的か」

 

「そう、戦艦棲姫は、この世界の平和が代理戦争で成り立っていると考えている。あいつはそこに眼をつけた。イクチオスに対抗するには多くの艦娘が必要だ、保有制限の国際法も緩くなる。鎮守府や泊地の数も増える」

 

 通常であれば、そんなことは実現できない。

 戦争には金が掛かる、いずれ尽きる。だから止めて溜めるタイミングがいる。俗にいう平和という奴だ。だがそれは、相手が国家だった時に限られる。

 深海凄艦の金は尽きない、どういう訳か資材も尽きない。限界はあるようだが、ある程度自然回復してしまうからだ。だから戦争を続けるしかないのだ。

 

「元々現代国家の多くは、経済活動の多くを戦争に依存している。艦娘の整備、建造、彼女たちの生活を維持する為のライフラインに娯楽施設。そこから生み出される労働力への需要。知ってる? 今深海凄艦との戦争が終わったら、日本国民の四割は失業するらしいよ、それぐらいに戦争経済は発達しちゃっている」

 

「戦艦棲姫は、イクチオスでよりそれを深刻化させるつもりなんだな」

 

「観艦式の人だかりを見たでしょ、今でさえあれだ。

 イクチオスへの対抗として、艦娘と鎮守府は更に増える。連動してそこから生まれる戦争特需も更に増える、世界は更に戦争経済に依存に、もう二度と抜け出せなくなる。世界中の人が、グリーンカラー(戦争生活者)になる」

 

「戦争は終わらず、だが金を生み、世界は平和……ふざけているな」

 

「良い世界かもしれない、経済は好景気のまま世界平和なんだから。戦争が終わらない点を除けばね」

 

 1950年の朝鮮戦争により、日本は戦争特需へと突入した。それにより戦後の不景気から脱したとも言われている。戦っている当人たちはとにかく、周りには需要を齎すのだ。なら疲弊し切らないタイミングで、戦争――ビジネスの場を移せば、戦争経済は永遠に継続できてしまうだろう。

 

 これを突き詰め、永遠に回そうとするのが、戦艦棲姫の狂気だった。終わらない戦争が、しかしもっとも平和に近い。私たちを永遠に食い物にすることで――ビジネスの場という、代理戦争をすることで。

 

 

*

 

 

「お願いだ雪風、止めてくれ、あんな奴の夢に協力したなんて、嫌だ」

 

「分かっています、必ず止めます」

 

 戦争が終わらないことは悪夢なのだろうか?

 今だってどこかで戦争は起きている、全世界の平和は夢でしかないのか? だが、雪風自身は、悪夢だと考えた。だから、止めるべきと決意した。

 

〈ス、スネーク!〉

 

 急に入ってきた青葉の無線に、スネークが渋い顔をする。

 

〈大本営の動きが変わりました、不味いことになりそうです〉

 

 大本営は、呉が白鯨――メタルギア・イクチオスに襲撃される可能性を考えて、作戦を練っていたが。

 

〈イクチオスを、引き入れるつもりみたいです〉

 

 何を言っているか全く分からない。何故、そんな必要があるのか。

 

〈デモンストレーションを逆に利用して、大本営の威信を証明して、国際的に有利な立場になりたいらしく。だから敢えて懐に入れて、精鋭だらけの第一艦隊で包囲残滅を行うと。それにどうせ襲われるなら、日程を調整してやろう……とのことでして〉

 

 言っている全てが間違ってはいない。襲撃が来るまで永遠に厳戒態勢の維持はできない。だが、そこまでする必要があるのか。誘き寄せること自体には反対しないが、計画を知らないであろう防衛部隊は、多くが犠牲になる。本来の襲撃予定と一致した日に誘き寄せれば、間違い無く来るだろうが。

 

 威信を高める必要はもっと分からない、

 威信と国力が上がれば、他国との無駄な戦争を避けられる。だがこんな犠牲を負ってまで、必要な事なのか。これは平和のための犠牲なのか。

 

「ぼ、僕のせいだ、僕が早く、イクチオスの情報を出しておけば」

 

 こんな時になんだが、どうしたのだろう、と雪風は心配した。

 始めて会った時は、自分の作った怪物に、何の責任も抱いていないようだった。だが再会したらこれだ。

 

〈スネーク、雪風〉

 

 真下から声がした、妙な機械からG.Wの声が流れている。メタルギアMk-4というらしい。

 

〈付き合って欲しい場所がある、この独房の更に地下に、部屋を発見した〉

 

「どんな部屋だ」

 

〈……AIである我々がこう言うのは不服だが、言葉にできない〉

 

 小さなタイヤを転がして、メタルギアが走る。その後ろを雪風たちがついていく、ジョンは彼女に抱かれたまま、うわごとのように魘されて、階段を降りる事に熱が上がる。見ている悪夢が、どんどん鮮明になる。

 

 最後の階段を下りた時、悪夢は現として実体化した。

 広々とした研究室が広がっていた、ここまでで見た人間性を削る見た目ではなく、綺麗でシンプル、あらゆる物が種類や分類ごとにラベル付けされ、丁重に保存されていた。だからこそ雪風は、心の底から戦慄した。

 

「なんだ、これは」

 

 整理整頓されていたのは、まず駆逐艦娘の生首だった。

 それが艦種、サイズ、骨格などで、綺麗に分類されている。隣には深海凄艦の生首が、同じように整えられていた。

 

 腕も、内蔵も、大脳小脳、やった人物の几帳面さが伺える。

 あらゆる部位が、部屋の壁という壁に保管されていたのだ。丁重に、綺麗さを意識し、心の底から大切に扱われていた。だがそれは、『人』ではなく『物』への取り扱いに他ならなない。

 

〈死体だ〉

 

「視れば分かる、これはなんだ、何の為にこんなものがある!?」

 

「……スペクター、だ」

 

 ジョンが呟いた、悪夢に魘されながら、後悔と恐怖でがんじがらめにされ、搾り出された悲鳴だった。

 

「連れて来られた時、戦艦棲姫に見せられた、これが、スペクターの部品なんだって、艦娘や深海凄艦、それに、人間の部品を継ぎ足されたものが……」

 

「もう良い、もう分かりました」

 

「それだけじゃない、目の前で……仲間が、僕以外の、ソ連の時一緒だった、スタッフも、あの、中に……」

 

 整理整頓されているから、分かった。

 死体の保管室の横には、染みの一つもなく洗濯された白衣や、身分証などが並べられていた。彼らは、白鯨の最終調整のため連れてこられたのだ、そして最後は用済みとして、処分され、更に利用する為に保管されている。

 

「一人で、ソ連に拉致された僕に、皆優しくしてくれた。皆、あんなに、意気込んでたのに、もう、もう、いない……」

 

 言葉が出なかった、何故、こんなことをする? なぜ、彼のような子供に、こんなものを見せた? 確かに加担したのは間違い無い、だが、だからって。雪風の中で、やるせない思いが行き場もなく渦巻く。

 

「もう、嫌だ」

 

「…………」

 

「ずっと、他人事だと、思ってた。でも、人が死ぬって、こんなに……でも、こんな最後なんて……」

 

「まだだ、お前にはまだやってもらうことがある」

 

 スネークが、ジョンの前にしゃがみ込む。雪風は怒鳴りたかった、貴女はまだ、彼を利用しようと考えているのか。けど、スネークの顔は、怒りと悲しみでぐしゃぐしゃになっていた。それを何とかして抑え込んで、口を動かしていた。

 

「もしもイクチオスの起動を止められなかった場合、お前の知識が絶対に必要だ。あれを止めるまで私は戦う。だからお願いだ、それまで、堪えてくれ」

 

「……分かっている、僕が、止めなきゃ。あんなことをする奴に協力してたなんて、僕だって嫌だ」

 

「ありがとう」

 

 スネークが、彼の手を取ろうとした。ジョンもその手を握ろうとする、こんな形で、人の死を実感してほしくはなかった。できるならもっと長い時間をかけて、知ってもらいたかった。それでも、今でなければならないなら。

 

 

 

 

「駄目ですよ、そんな人の手を取ったら」

 

 

 

 

 常軌を逸した轟音が鳴り、スネークが吹き飛ばされた。

 咄嗟にジョンを庇った雪風は、幸運にも瓦礫に揉まれるだけで済んだ。雪風はこの声を知っている、この砲撃を知っている。

 

「大和、さん……!」

 

「情報提供ありがとうございます、ですが、イクチオスを止められるわけにはいかないので」

 

「あくまで迎撃するのは、大本営、そうしたいのか、貴様たちは」

 

 朦朧とする意識を保ちながら、スネークが怒りに溢れた声で唸る。大和はそれを一瞥し、嘲笑っていた。

 

「ええ、でもそれで世界平和がより近づくなら良いですよね? 私たちは、平和のために戦っているのですから」

 

 戦艦大和の出力が、スネークの腹を抉る。無様に吐しゃ物を撒き散らし、彼女の意識は失われた。

 

「さて、今更、抵抗はしないですよね?」

 

 何故彼女がここにいる、大本営の動向は探っていた、硫黄島捜索は、もう少し先の筈だ、どうして分からなかった――もはや、意味のない疑問だった。

 

 彼女にとって、大本営の命令は絶対なのだ。例えどんな理由があろうと、大本営の下した命令なら従う。それが最優先であり、その為ならどんな犠牲もいとわない。物でしかない艦艇は、使い手の意志通りに動かねばならない。

 

 だが私たちには、明確な意志がある。

 なら大和はなぜ疑問を持たない、どうして機械として振る舞う。それが、艦艇として正しい姿だからなのか。だが機械を操るのは人間だ、人間の集まりである大本営が下したこの判断は、人間的なものなのか?

 

 ただ一つ言えることがある。

 この時、なにかしなかったことを、私は一生悔いるということだ。そして他ならぬ、大和自身も――その体が錆びるまで。




『イクチオス(スネーク×ジョン・H)』

「……おええ」
「まだ気分が悪いか」
「あんなの……酷いよ……」
「艦娘に深海凄艦に人間の死体まで継ぎ接ぎしたキマイラ、まさに亡霊か」
「亡霊と言ったら、艦娘だって似たようなものだけどね」
「だが、あれでは侮辱でしかない」
「スペクターの根絶も頼みたいけど、僕はスペクター製造には関わってなくて、役に立てそうにない」
「いいや、お前はイクチオスだけで十分やってくれている。これ以上、無駄なことをする必要はない」
「そっか……分かったよスネーク」
「でだ、イクチオスになにか弱点はないのか」
「弱点というと、まず装甲かな」
「装甲?」
「イクチオスは結局のところ、潜水艦でしかない。だからその強度も潜水艦と同程度だ。駆逐艦の主砲でも簡単に大穴が空いちゃう。しかもあの巨体だ、どこを攻撃しても、ダメージは通る筈だ」
「……そう簡単にはいかないんだな?」
「うん、だからイクチオスは、地上でもとにかく機動力を損なわないような設計になっている。しかもAI制御だ、狙いをつけて撃っているようじゃ、絶対に当たらない」
「どうすれば良い」
「イクチオスは水陸両用だけど、それでもかなりの無茶をしている。だから地上行動時に、過度な負荷がかかると行動が鈍くなる。ねらい目はそこだ」
「了解した、もしそうなったら、参考にさせてもらう」


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File37 衝角潜鬼

 目の前が、眩しい。何も見えない、全部が真っ白だ、眼も体も、激しい光に呑まれてしまった。なのに聞こえる、声にならない嗚咽が。悲鳴の鳴りそこないが、そこら中をのたうち回っている。ただ、渇きを満たそうと彷徨って、ドンを強い衝撃で、そのままいなくなる。落下したということも、自覚できない。これはなんだ――誰が見せている?

 

 

 

 

―― File37 衝角潜鬼 ――

 

 

 

 

――2009年8月6日1:30 呉鎮守府地下独房

 

 スネークの意識は、突如として覚醒した。

 勢いよく飛び起きた途端、彼女は吐き気を堪えるのに必死だった。眩暈がする、喉も乾いて、全身が悪い汗で濡れていた。理解すらできなかったが、途方もない悪夢を見ていた。そのことは鮮明に覚えていた。

 

「……ここ、は」

 

「独房です、呉鎮守府の」

 

 心配そうにこちらを見つめる雪風も、同じように囚われているのか。段々と思い出してきた、私は大和に奇襲をうけ、意識を失ってしまったのだ。彼女は慌てて時間を確認する、体内のナノマシンによれば、現在時刻は――8月6日の、1時40分だ。相当寝てしまっていたらしい。

 

「状況は、どうなっている」

 

「変わっていません、大本営はイクチオスを引き込む予定です」

 

 そうであれば問題はない、だが、スネークはそうとは思えない。このデモンストレーションは、戦艦棲姫にとっても待ちに待った機会だ、別の罠が張っている可能性は高い。脱出しようとしたが、手も足も厳重に手錠で拘束されていた。

 

「あら、もう起きたんですか」

 

「おかげさまで良い睡眠がとれた、お前も試してみるか、加減はするぞ」

 

「大和に無駄な睡眠は不要ですので」

 

 にやにやと笑う大和の顔面を殴りたい、と思った。しかし艤装もなく、四肢を拘束された私は完全に無力だ。これから拷問でもされるのだろうか、そう考えると胃の奥から気持ちの悪い物が込み上げてくる。

 

「大本営は正気なのか」

 

「言った通りです、メタルギア・イクチオスでしたか。あれを迎撃すれば大本営の権益は揺るぎないものになる。それに加え、あの機体を解析すれば技術向上にも繋がります」

 

「それで負けたら、一生笑い者だ」

 

「負けませんよ、ジョン・Hからイクチオスの特性は聞きだしました」

 

「それだけで万全なものか、戦争には必ず予測外のことが起きる」

 

 戦場で起きることを、事前に全て予測なんてできやしない。だからこそ、リアルタイムで何が起きているか解析するシステムが必要とされるのだ。スネークはその実物(SOP)を知っていた。

 

「アーセナルさんの言う通りです、戦いにはリスクが付き物。だからこそ賭けに勝てば、大きな利益が手に入る」

 

「呉を、危機に晒してでもか」

 

「権威、技術、そして平和。なによりも替えがたいものでは。有事に備えて、極秘裏に避難は完了済み、もしも核が撃たれても被害は最小限ですから」

 

「……知っていたのか、知っていて、これをしているのか、お前たちは」

 

 独房のどこかから、水漏れの音が跳ねる。ピチョンと水は波紋を放って、張り詰めた空気を甲高く響かせた。反響が止む頃、スネークの頬からも、水漏れが一滴零れ落ちた。耐え切れなかったのは、雪風だった。

 

「核、が、撃たれる?」

 

「私の予想が正しければ、メタルギア・イクチオスは新型核弾頭を搭載している。何らかの使用手段も兼ねている」

 

「同じ予想は大本営もしています、単冠湾で起きた事件、戦艦棲姫が新型核の一発を持ち逃げしたという報告は富村提督から受けました」

 

 一連の事件に関わっているのは戦艦棲姫だ、彼女がこのタイミングで核を持ちこまないとは考えにくい。なによりも、イクチオスは、『メタルギア』なのだ。

 

「まあ、核を持っていても、せいぜい自爆でしょう」

 

 それは、確かにそうだ。新型核はその特異性から、リトルボーイやファットマン――つまり投下型核弾頭がベースになっている。だからミサイル発射はできない。艦載機で運ぶにしても、巨大な陸上爆撃機でなければできない。仮に詰めても、離陸の為の滑走路がない。だから直接持っての、自爆しかあり得なかった。

 

「そういう問題か、どちらにしても、核が爆発するんだぞ」

 

 だがそうではないだろう、人的被害の問題ではないだろう。

 しかし、全ては可能性の問題だった。そんなことを言えば、原子力発電所などは人の住んでいる場所でも動いている。そちらは良くて、人のいない場所で使う核だけが許されないのは、理由が通らない。

 

 それでも、スネークには抵抗があった。恐らく、私の中にいるスネーク達が、核に翻弄されてきたからだ――そう自覚した。

 だが大和の次の一言は、それさえ些細に思わせた。

 

「人的被害はありません、もし水鬼が核を使うのなら、日本も報復として、()()使()()()()()()()()

 

 大和はこう言っていた、日本が核を保有していると。

 日本には、非核三原則があったのではないか。だがスネークは思い出す、大本営がモセスの核を確保しようとしていたことを。

 

「と言うことで此処で待っていてください。正直な話、貴女方に出られると、とても困るんです」

 

「そうか、なら絶対に脱出してやる」

 

「英雄アーセナル、幸運艦雪風。実は、ことの発端は貴女方にもあるんですよ? 貴方達が活躍し過ぎたせいで、肝心の大本営の権益は落ちたのですから」

 

 そんなこと、私には関係ないだろう。

 雪風はもっとだ、彼女は一軍人として役目を全うしていただけだ。なのに活躍し過ぎただと、ふざけている。

 

「ではまた後で、世界が平和になったら」

 

 大和の足跡が、虚空に響き渡る。

 何としなくては、このままでは大変なことになる。スネークはそう感じていたが、だがやはりどうにもならない。だが足掻かずにはいられない。そうしていた時、突如手元の手錠が切断された。

 

「早くするんだスネーク、時間はないぞ」

 

「G.W、お前どうやって」

 

「メタルギアMK-4がステルス迷彩を持っていることを忘れていたのか、肝心な時に役に立たない、これだからアナログは」

 

「やかましい、さっさとナイフを寄越せ」

 

 迷彩を解除したMk-4の触手に、小さなナイフが握られていた。スネークはそれを取り、続けて雪風の拘束も解除する。父島に向かった伊58からの報告では、イクチオスは残る下部パーツとの接続を済ませてしまったらしい。

 

「あれから十分時間が経った、いず襲撃が起きてもおかしくない」

 

「待ってくださいスネークさん、雪風は艤装を探したいです」

 

 考えてみればスネークもだ、彼女の艤装は海底。今から取りに行く時間があるのだろうか。しかしG.Wは、既に鎮守府内部に移動させていると言った。あんな大型艤装を気づかれずに、と思う。

 

「協力者がいた」

 

「協力者?」

 

〈私だよ、久し振り……いやスネークは初めてか、重雷装巡洋艦の北上だよー、よろしく〉

 

 話しぶりからして、雪風の知り合いだろうか。なら信用してもいいはずだ。雪風や私の艤装の置き場、それに加え、敵兵に見つからずに移動するルートも確保してくれているという。心の底から、助かったとスネークは感じた。だがこうも思う、都合が良すぎないかと。

 

「一応聞くが、何故協力してくれる?」

 

〈いらない犠牲なんていらない、あと大和が気に喰わない、あと核が爆発する危険なんて、もっとヤダ、後は?〉

 

「十分だ、感謝する!」

 

 心なしか、地鳴りのような音が聞こえる。

 独房の天井から小さな塵が零れ落ちる、猶予はないかもしれない。スネークは二本の足で、地面を駆け抜けていく。

 

 

*

 

 

 鎮守府の中はガラガラだ、大体がイクチオス迎撃に駆り出されているのだ。その大半は後詰めの第一艦隊のための捨て駒だが。全力で走りながらスネークは、一本の無線を繋ぐ。相手はジョンだ。無線機を持っているかは、賭けだ。

 

〈スネーク? スネークなの!?〉

 

「悪いが時間がない、教えてくれ、イクチオスは核を発射できるか?」

 

 絶句する声が聞こえたが、彼はすぐに思考し答えを返してくれた。これは重要だ、核発射能力を持つかどうかで、状況は激変する。

 

〈……ない、というか、無理だ。メタルギア・イクチオスはあくまで潜水艦でしかない、核ミサイルサイロなんて積めない。できてせいぜい、運搬と自爆だ。なにせ20メートルもある。本物の潜水艦にしたら、凄い大きさになる、核弾頭だって運べる〉

 

「自爆か……」

 

〈イクチオスのAIはイロハ級ベースだ、戦艦棲姫がやれと命令したら、迷いなくやる〉

 

 機械が意志を持ったのが艦娘や深海凄艦だ、しかしイクチオスに意志はない。それをやったのは、意志を持った深海凄艦だ。意志があるからこそ、機械を求めるのは、皮肉に見えた。

 

〈でも、おかしなことがある〉

 

「おかしなこと?」

 

〈核を運ぶとしても、イクチオスは大き過ぎる〉

 

 艦娘と深海凄艦最大の利点は、小ささにある。人型サイズで大型艦艇並みの火力を運用できることが、色々な特徴の中で最大の強みだ。イクチオスはこれを、意図して棄ててしまっている。

 

〈最悪の可能性は、考えておいてくれ〉

 

「分かっている」

 

 スネークは更に走る速度を高めようとして、巨大な振動が鎮守府を襲った。窓の端から見えた海岸に、巨大な魚影が写っていた。

 

〈……来た〉

 

 巨体が飛び出し、腹を擦りながら着地する。

 それは、名前の通り、驚くほどに真っ白だった。

 肩から生える衝角に血が滴っている、先端にはまだ艦娘の肉片が残っていた。機体が白い分、赤い血が目についた。だがこれでは陸に上げられた鯨でしかない。

 

 しかしイクチオスは両生類だった。

 衝角を肩へしまい、変形を始める。肩は上下に分かれ、そして前足が現れた。

 前足と後ろ足で立ち上がり、メタルギアは吼える。地面を踏み締め、歩く喜びを表現する。

 

 イクチオスとは、地球で初めて生まれた――と考えられていた両生類、イクチオステガから取られている。

 しかし、もう一つ意味がある。

 白亜紀に棲息していた水生爬虫類『イクチオサウルス』だ。サイズは違う。だがこの生物と機械の間の存在は、間違い無く恐竜のどう猛さを内包していた。

 月明かりの下で、もう一度メタルギアは駆動した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 イクチオスのやって来た地平線には、餌食になった艦娘たちの黒煙が立ち込めていた。戦艦や空母は衝角で貫かれ、駆逐や軽巡はスペクターの火力に圧倒されていた。ジョンから聞いていた通りの、理想的な運用が成されている。

 

 大本営も、そうなるよう準備したのだろう。大型艦がやられ、上陸を許す。内地に誘き出すのが目的なのだ、理想的な流れを演出しなければならない。その上で撃滅することで、始めて価値が生まれる。水面に浮かぶ大破した艦娘は、必要とされた犠牲ということか。

 

 上陸したイクチオスは、巨体を揺らしながら一歩一歩前進していく。追いついた護衛のスペクターも上陸し、イクチオスに続いた。イロハ級程度のAIということは、原始的な知能は持っている。つまり、感情だ。

 

 野生動物は複雑な思考をしない、代わりに本能や感情によって、素早い行動決定を行う。スペクターは気づいていないが、イクチオスの本能は嫌な予感を告げていた。言葉にするとしたら、『敵が少なすぎる』、と言った具合だろう。

 

「撃ち方、始めて下さい」

 

 建物の影から、一斉に砲撃が始まった。

 砲撃は続けて怯みを呼び、その間に選りすぐりの正規空母たちが、莫大な量の艦載機を発艦させる。逃走は不可能か、と思われた。

 

 だがイクチオスは誰よりも早く、高く軽やかに跳躍し、埠頭付近まで一気に後退してのけた。あの巨体から信じられない動きだ、2,3階建てのビルなら簡単に飛び越えられそうだ。残ったスペクターが艦載機を出し、抵抗を始める。

 

「砲撃を緩めないで下さい、一気に畳みかけます」

 

 それでも、包囲されている戦術的不利は覆らない。スペクターが不死身とは言え、押されてしまえばどうしようもない。複雑な動きをする艦載機や砲撃にも、第一艦隊は完璧に対応してみせた。良く見たら北上と大井も混じっている――とてもやる気なさげだ。

 

「サスガノ第一艦隊、伊達ジャナイ」

 

 イクチオスから、声が聞こえた。背中から生えていた艦橋が動き、内部のハッチが開く。黒いドレスを着込んだ、()()の姫級が、不敵に笑っている。

 

「貴女が、戦艦棲姫ですか」

 

「エエ、デモソウジャナイ。私ハ『戦艦水鬼』、世界平和ヲ望ム鬼ヨ」

 

「化け物風情が世界平和とは、世迷い事も大概にしてください」

 

「貴女ガソレヲ口ニスルノ、ネエ大戦艦大和様?」

 

 戦艦水鬼と似た笑顔を張り付けた大和の、頬が少しだけ強張った。すぐ元に戻ったと思ったが、彼女の眼は冷たい銃弾のように変わっていた。

 

「全艦照準、目標、戦艦水鬼」

 

「馬鹿ナノ?」

 

 戦艦水鬼が、指先をパチンと鳴らした。

 瞬間、地獄が艦娘たちを襲った。第一艦隊が、それ以外の艦娘が、顔を真っ青にしながら、地面に崩れ落ちていった。

 

「私達愛国者達が、この時をどれだけ待ち望んだか。その為に、どれだけ下準備を重ねたのか」

 

「……なに、を……した……」

 

「内通者の存在に気づかない貴女達の猿知恵で、騙せると思ったのかしら」

 

 G.Wからの無線が激しく鳴り響く、彼女たちだけでなく、雪風も苦しんでいるらしい。伊58と青葉、そして私は無事だ。距離的な問題なのだろうか。しかしスネーク自身は有効範囲内にいる。動けるのは、私しかいない。やっと艤装を手に入れたスネークは、すぐさまミサイルのスタンバイに入る。

 

「ジャア、サヨウナラ」

 

 イクチオスの背中がまた開く、そこから一本のカタパルトが伸ばされた。先端には巨大な航空機が取り付けられていた。イクチオスは潜水母艦でもあるのか。その時、無線機から、青葉の絶叫が響いた。

 

〈嫌だ、なんで!? どうしてあれが!?〉

 

 それが何なのか、スネークにも直ぐに分かった。硫黄島で見た、潜水艦が運んでいた航空機の正体が、あれだ。

 

 しかしそれは、艦載機ではない。陸上爆撃機だった。

 

 スネークはやっと、イクチオスの『巨体』を理解した。無駄だと思っていた巨体は、全てあれを発射可能にするための、カタパルトを乗せる為にあったのだ。

 

 しかも――最悪の爆撃機だ。

 

〈スネーク、止めて下さい、青葉は、青葉はあれを知っています、瀬戸内海から来て、動けない青葉の後ろで、光が、雲が……!〉

 

 スネークも同じことを思い出していた。独房で見た夢を、あれは、まさに、今日の夢(8月6日)だったのだ。

 意味することはただ一つ、メタルギア・イクチオスは核発射能力を持つということ。

 全てを嘲笑い、戦艦水鬼が宣言した。

 

「サア、トビナサイ、ヒロシマヘ、『エノラ・ゲイ』!」

 

 最悪の6時間が始まった。

 

 

*

 

 

 スネークの放ったミサイル群が、次々とイクチオスに迫る。しかしスペクターの放った無数の艦載機が、そのまま盾となる。残りの分は回避される。見ている間に、B-29のプロペラが加速していく。

 

「コノミサイルハ、ソウ、スネークネ」

 

「その通りだ」

 

 スペクターをどうにかしなければ、イクチオスにミサイルは浴びせられない。しかしスペクターの沈め方は知らなかった。どうすればいい。会話しながら彼女は考え続ける。

 

「なんのために、こんなことをする」

 

「ナンノコトカシラ?」

 

「世界平和だ、だがそれならお前の言う、イクチオスだけで十分だ。なぜ核まで使おうとする」

 

「足りないからよ」

 

 イクチオスはまだ、エノラ・ゲイの発艦体勢をとったままだった。もしかした発射シーケンスに入ってから、実際に撃つまで、数分間時間が必要なのかもしれない。潜母に陸上爆撃機を搭載する無茶をしたからだろう。

 

「確かに戦争経済への依存を深刻化させれば、人間は決して戦争を止めなくなる。でももしも、他で代替できるようになったら?」

 

「人間同士の戦争を言っているのか」

 

「ええ、別に艦娘と深海凄艦の戦争じゃなくても、戦争経済は作れる。スネーク、いやG.Wなら、良く知っているんじゃないの?」

 

 G.Wは黙したまま様子を伺っている。彼の様子を見ても、戦艦水鬼は笑みを崩さない。

 

「でもそれじゃあ本末転倒、私が止めたいのは、人類同士の戦争。でも大国同士で争ったら世界は滅んでしまうわ」

 

「だから代理戦争で調整をしようというのか、世界の王にでもなったつもりか」

 

「まさか、私は愛国者達のエージェントに過ぎない。でも理想は本物よ。でなければ、核を使う覚悟には耐えられない」

 

 イクチオスのハッチに足をかけ、戦艦水鬼は遠くで倒れる大和を指さした。

 

「経済以外に、人を束縛するものがある。それはなんでしょうか」

 

「……さあ、生憎そういうのには縁がない」

 

「正解は『報復心』よ、例えばあの大和、実は硫黄島に現れたのは、ただの無断出撃だったって知ってた?」

 

 倒れる大和の顔が、わずかに動いた。

 考えてみれば当然だ、動くだけで莫大な資源を消費する大和型を、偵察目的で出すことはない。今回はアーセナルギアと雪風とジョン・Hという、大物を持ち帰ったから、お咎め無しで済んだだけだと戦艦水鬼は言う。

 

「こんな無茶な行動に出たのは、スネークや雪風への嫉妬――もしくは報復心があったから。いえ、依存してしまうのよ」

 

「何が言いたい」

 

「……今日は何日かしら?」

 

「8月6日、ヒロシマに原爆が投下された日だ」

 

 大正解、と戦艦水鬼はパチパチと、スネークを褒め称える。ここまで悪意に満ちた称賛を受けるのは初めてだった。

 

「そんな日に、原爆を投下されて、世界中の人々は深海凄艦をどう思うかしら。間違い無く敵意を燃やす、絶対に許さないと誓う。そう、世界中の人々が深海凄艦への報復を誓うでしょう、そうなればもう、絶対に戦争は終わらなくなる」

 

「それだけの為に、核を使うのか!?」

 

「核は報復のために使うものよ、だからこそ核抑止という夢物語が維持できた、でも夢の時間はモウオワリ」

 

 イクチオスのうなりが激しくなる、プロペラの回転は最大となり、カタパルトも射角調整を終えた。四肢で地面を踏み締めて、エノラ・ゲイの発射準備が完了する。

 

「報復とビジネスで、世界平和が実現する」

 

 報復心が、人類の意志を敵対で纏める。そんな話があってたまるか。

 だが、答えは歴史を見れば明白だ。リメンバー・アラモ(アラモを忘れるな)リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)。そう言って人々はモニュメントを建設し、人は報復で一つになっていった。 次はベトナム戦争、次はテロとの戦い。明確な敵を作ることで、世界は一つになる。

 

 しかしこれは、ある種の『法』だ。

 完全な自由状態では制御できない暴力を、ある一定の方向へ纏めること。報復のモニュメントも、平和を維持する為の法も、同じだ。核抑止の平和は報復が前提にある。平和と報復は、常に紙一重のところにある。戦艦水鬼は、敢えてそれを深海凄艦へ向けようとしている。

 

「ソレデモ止メルノ? 世界平和ヲ棄テテ、一時ノ満足ニ浸ルツモリナノカシラ?」

 

「ふざけるな、その先にあるのは平和ではない、完全な殲滅戦だ、貴様こそ自己満足もいい加減にしろ!」

 

「アハハ、流石英雄アーセナル! ソウデナケレバ、私ガイル意味ガナイ。ナラヤッテミナサイヨ!」

 

 スネークは再びミサイルを放つ、だがスペクターの艦載機が盾となり、残りはイクチオスに回避されてしまう。直接攻め入ろうにも、不死身のレ級と戦艦水鬼の支援砲撃の壁は厚い。発射までの時間は、刻一刻と迫っている。

 

 条件は最悪だ、スペクターの艦載機に阻まれず、かつイクチオスが回避できない距離で攻撃をしなければならない。しかし今のままでは、辿り着く前に蹂躙され、無力化されるのが関の山。どうすればいい――

 

「スネーク!」

 

 遥か遠くの空から、何かが飛来した。

 零式水上偵察機――青葉が搭載していたそれが、彼女の叫びに押し出されて、まっしぐらに突っ込んで行った。コックピットの妖精が、この世界のものではないように見えた。この世ではない場所に、行くからだった。

 

 カミカゼ(特攻)が、イクチオスの衝角に直撃した。

 発射シーケンスそのものは中断できていないが、姿勢を崩した。そして戦艦水鬼の注意が、一瞬だけそれた。

 

 スネークは、迷わず突撃した。

 盾突くスペクターは、無理矢理引き千切った。たかが継ぎ接ぎのガラクタと、原子力潜水艦。出力差は圧倒的だ。だがアーセナルギアは潜水艦だった、自身の過剰出力に肉体(装甲)が耐え切れない。亡霊を蹴散らした両手から、夥しい量の血が吹き出す。

 

 それでも止まることは許されない、戦艦水鬼が気づいた時、スネークはイクチオスの頭部を、地面に叩き付けていた。

 

「――ハハハ、特攻カ、イイゾ、英雄ニハ劇的ナ死ガツキモノ!」

 

 戦艦水鬼の声は聞こえない。

 イクチオスの動きを封じ、懐に入り込んだ彼女は、迷わず――全てのミサイルを、レイの分も含めて全てを打ち出した。艦載機の盾の内側で、火花が散る。

 引き剥がそうと、戦艦水鬼、レ級の砲撃、空襲が迫る。混じって飛び交うミサイルは、いっそ幻想的にさえ見えた。

 全てが、真っ白に塗りたぐられ、スネークの意識は途絶えた。




自律歩行潜水戦機メタルギア・イクチオス(オリジナル)

 大本営からの呼称は『衝角潜鬼』。名前の通り、両腕に装備された大型の衝角を最大の特徴としており、これが主な攻撃手段となっている。この巨体かつ、最大40ノットの速度から繰り出される真下からのラム・アタックは極めて強力であり、大抵の大型艦は一撃で撃沈可能。
 また同時に、地上での歩行能力も持ち、戦闘力も殆ど変わらない。地上の場合は搭載された機銃や駆逐級主砲、パイルバンカーへと用途を変えた衝角を用い、随伴艦と共に行動する。
 しかし、最大の特徴は陸上爆撃機を発艦可能とするカタパルトを内蔵している点である。また目標地点まで、自力で最接近できるため、機体の航続距離を短くできるメリットもある。現在確認されている機体は、エノラ・ゲイを搭載している。

 雑だけど書いておきました。脳内保管にでもどうぞ。


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File38 歩む平和

 鎮守府内は、形容しがたい空気で覆われていた。

 静寂ではない、皆慌ただしく動き回っている。だが騒然ではない、冷静にできることをやっている。だが冷静ではない、目前に迫る危機に、パニック寸前だ、だがパニックではない。ならこれはなんだ。

 

 無数の黒煙が、敷地内のあちこちから立ち上る。

 誰かの流した血が焼けて、模様となってこびりつく。それがいくつも重なって、複雑な表情を雪風に訴えていた。

 

 そのどれも、気に掛けてはいられない。

 目に焼き付く死体のモニュメントも、空に描かれる星空も。これから刻まれるキノコ雲の爪痕も。全てが幻のように、現実感がない。

 故にここは、地獄だった。

 

 

 

 

―― File38 歩む平和 ――

 

 

 

 

――2009年8月6日3:00 シャドー・モセス基地

 

 騒然としているのは、呉鎮守府だけではなかった。この悪夢を無線機や、レイ経由でモニターしていたシャドー・モセスの彼女たちも、同じように地獄を見ていた。呉から遠く離れたアラスカの海からでも、核の光は見えるのだろうか。光が見えれば、風に乗ってどこまでも放射能は飛んでいく。ガングートは、冷たい風に身震いした。

 

 幸い、スネークは死んでいなかったが、深刻なダメージを負っていた。間違い無く大破、あれだけの至近距離でミサイルを撃って、それで済んだだけ、まだマシらしい。しかし、望む戦果は得られなかった。ギリギリのところで水鬼とイクチオスは、ミサイルの直撃を回避してしまった。

 

「青葉、イクチオスはどうなっている」

 

〈今は侵攻の途中で占領した江田島で、緊急修理をしています〉

 

「スネークはどうだ」

 

〈……目覚めません、担当の明石さん曰く、自然回復に任せるしかないと〉

 

「修復剤や入渠を、認めねえのか」

 

 苛立った様子の北条提督に、青葉は言葉を濁らせる。ここで声を荒げても意味はない、ないが、気持ちは分かる。修復剤を使えば、一瞬で回復できる。それも艦娘の利点であり――人間として定義しにくい理由でもある。

 

〈スネーク、いや、アーセナルギアは簡単に修復ができないんです。入渠には莫大な時間が、修復剤は文字通り山ほど必要なんです〉

 

 例えスネークが、艦娘にとっての英雄だとしても、公的に見ればただのテロリスト。貴重な修復剤を使うのも、長時間ドッグを占拠させるのも、喜んで、とはいかないのだ。ついでに必要な資材も、半端な量ではない。ならテロリストよりも、大切な身内を優先する。むしろ、明石に直々に見て貰うだけでも、まだマシな方だった。

 

「……そうなのか?」

 

 納得していない様子の北条だが、彼に構っている暇もない。今もこうしている内に、イクチオスに搭載されたエノラ・ゲイが、空に羽搏く時を心待ちにしている。スネークはどうしようもないが、ここからでもできることはあった。

 これを手伝いと言っていいかは、疑問しかなかったが。

 

「青葉、一つ伝える。全員に伝えるかは、お前が判断してくれ」

 

〈どんな、不味い情報なんでしょうか〉

 

「日本政府の報復判断について」

 

 青葉の受けた絶望は、想像し難い。核の落ちる光を視た彼女は、戦後日本の掲げた非核三原則を好ましく思っていた。それが裏切られたのだから。

 

「大本営は核を所有している、正確には拾い物だが」

 

〈盗んだということでしょうか〉

 

「近いが違う、忘れ物を拾ったんだ、硫黄島の、核をな……」

 

 1965年までの間、父島では極秘裏に核が配備されていた。日本への返還時に核は撤廃されたが、有事の際は持ち込みが可能となる秘密協定が結ばれてた。そして深海凄艦出現の初期、核がまだ有効でないと分からなかった時、持ち込まれることになる。

 

 だが深海凄艦の奇襲により部隊は壊滅し、核だけが置き去りになった。それを後からやってきた、日本の硫黄島奪還部隊が回収したのだ。しかし硫黄島には政治的な理由で駐留軍はおけず、定期的に巡回するしかない。

 

 置いたままにしていては、深海凄艦に核が奪われかねない。怨念の(個体差はあるが)塊が核を持ち、使い方を理解すれば世界は終わりだった。なら持ち込むしかないだろう、当時の大本営は考えたのだ。

 

〈合衆国は返還を要求しなかったんですか〉

 

「考えてみろ青葉、合衆国は核を持ちこむ時、事前に協議をするんだぞ。だが合衆国は協議も申出をしていない、だから核は持ち込んでいない。なら、硫黄島の核は、誰が持ち込んだ事になる?」

 

〈……誰でもない、名無しの誰か(ジョン・ドゥ)が忘れていった〉

 

「実際のところ、合衆国やソ連に追いつきたいという気持ちもあったんだろう。艦娘の力で日本は米ソに迫る大国になったが、核は持っていなかった。核を落とされれば、艦娘がいても国民は死に絶える。核さえ有れば、抑止ができる」

 

 核の戦略的価値が落ちたと言っても、それは対深海凄艦に限った話だ。今だに世界各地に存在する米ソのミサイル基地、起動すれば衛星軌道を通り、壊滅的被害を与えることになる。深海凄艦など比ではない、死の灰が降り注ぐ。

 

「使う可能性はゼロじゃない、いやむしろ高い。今日が何日か分かるな」

 

〈8月6日ですが、まさか〉

 

「今日ヒロシマで、平和式典がある。観艦式はその前祝いのようなものだ。各国の首脳陣も、ゲストも、総理も現地入りしてしまっている。この情報が漏れただけで、水鬼の目的は達成される。核が発射されれば……」

 

 もはや言うまでもないことだった、水鬼は最初から、この日を狙って行動していたのだ。既存の平和を打ち壊す為には、うってつけの日程だった。

 

〈なんてこと伝えてくれたんですか、これを青葉に背負えと?〉

 

「喜べ、特大のスクープだ」

 

 考えます、と半ば吐き捨てて無線は切れた。ガングートへの文句もあるが、大本営への怒りも混ざっている。無性にパイプを吹かしたくなり、出口へ足取りを早める。いつもより足音が大きく、乱雑に踏み鳴らされた。

 

「いや、やっぱりおかしいぞ」

 

「……まだ納得してないのか」

 

「ああ、単純な話だ、アーセナルが高速修復剤を大量に使うって話だが、そんなことは、絶対にあり得ねえ」

 

「アーセナルギアは超ド級潜水艦だ、資材も喰えば時間も喰う、なら修復剤も喰うだろ」

 

「いや、修復剤は艦娘の再生能力を高めるものだ、元々持っている力を、加速させているだけだ。だから修復剤を何個浴びせようが効果は変わらねえ。駆逐艦でも、大和級戦艦でも、使う数や量は変わらねえだろ?」

 

「なら何故大量に必要なんだ、実際にそうじゃないか」

 

「だからおかしいって言ってんだよ、あいつ、一体何なんだ?」

 

 ガングートにも、答えは分からなかった。

 艦娘でも、深海凄艦でも、成りそこないのどれでもない――提督適正さえ持つスネークは、そもそも出生からして分からなかった。

 

 

*

 

 

――2009年8月6日16:00 呉鎮守府医療棟

 

 騒然とし続ける呉鎮守府の中には、医療用の専用棟がある。とにかく海と接するここでは、時たま聞いたこともない感染症にかかる艦娘がちょこちょこ帰ってくる。北方から西方から南方まで、艦娘が無事でも、人間に移るなんてこともあり得る。

 

 その為の検査施設と、隔離病棟は必要不可欠だった。また同時に、自然と重症患者の――入渠や修復剤が使えない時や、人間用の――治療施設にもなった。雪風はその廊下を歩く、長い廊下に、足跡だけが規則的に反響する。

 向かう先の扉の先に、二つのベッドがあった。一つにはスネークが、もう一つには大和がいた。

 

「ああ、雪風さんですか」

 

 スネークのベッドには、多くの見舞いの品が積まれていた。思惑はとにかく、彼女はイクチオスの核発射を防いだ英雄なのだ。呉の提督も、丁重に扱うしかなかった。対して大和のベッドは、とても寂しい、何も置かれていない。尚彼女に伴って、雪風の罪状も現在保留となっている。

 

「その様子だと、大本営の様子は知っていそうですね」

 

「スネークは?」

 

「明石さんいわく、復帰は絶望的だと」

 

 当時の状況から考えると、スネークは自身の撃ったミサイル総数約200発、戦艦水鬼及びスペクターの主砲一斉射をその身に受けたらしい。当然大破、轟沈してもおかしくなかった。単に陸上だったから、一命をとりとめただけだ。

 

「修理も、かかる資材もバケツも時間も滅茶苦茶です、やったら呉鎮守府が破産するそうで」

 

「そうですか、で、大和さんは?」

 

「よく分からない何かで動けなかったので、幸い小破止まりです」

 

 あれは何だったのだろう、スネーク以外の全員が動けなくなっていた。直感だが、イクチオスとは違う何かが働いていた気がする。G.Wは当時のデータをモセスに送り、そこで匿っている北条提督に解析をさせているらしい。

 

「大本営の核がどこから来たのか、知っているのでしょうか」

 

「いえ、大和は知りません。持っている、という事実を知っているだけです」

 

 それにしてもいったいどこから手に入れたのか、流石に対艦娘用の新型核ではないだろうが、それでも核は核だ。どうも青葉が知っていそうだが、無理に聞き出す気もしない。

 考えても仕方のないことだが、気にはなる。外で忙しなく動き回っている艦娘たちは、夜の暗闇を彷徨う、何一つ見えない中で、手足を動かし続ける、それが何の為なのかも見えないままに。

 

「核を、止める気でしょうか」

 

「当然です」

 

「……こちらが先に撃てば、水鬼の目的を、先に潰せるかもしれないんですよ?」

 

「雪風は何時も通りに、最善だと信じる事をするだけです」

 

 相手が核を持ち、こちらも持っているなら、先に撃つか後に撃つかの違いしかない。ならその前に、全てを片付けるしか道は無い。雪風が言いきると同時に、強い夜風が吹き込んだ。僅かに空いていた窓が小さく鳴って、隙間が押し広がっていく。窓越しではない夜の海は、見えないが、綺麗だった。

 

「撃たれるのも、撃つのも嫌です。ましてや、この国が核を撃つなんて」

 

「でも、それで、私達の居場所が、なくなってしまったら?」

 

「いずれなくなりますよ、戦争は、いずれ終わるものですから」

 

「恐くないんですか、私は、恐いです、とても怖い……兵器として失格だとは、自覚してますが」

 

 どんどん大和の声が、か細く弱々しく落ちていく。変わらないトーンと張り付いた笑みがはげ落ちていく。雪風は彼女のベッドと隣へ、腰を下ろした。そしてただ、真正面をじっと見つめていた。

 

「雪風さんは知っていますよね、私以外にも、『大和』がいることは」

 

「はい、知り合いです」

 

 彼女より以前に建造された大和は二隻いる。一隻は現在後方に移り、最初期の艦として大本営運営に関わっている。もう一隻はまだ前線に出ており、そこで凄まじい活躍をしているらしい。そして目の前の大和は、三隻目だった。

 

「皆さんそれぞれ活躍してます、なのに大和は、第一艦隊の旗艦じゃないですか。お飾りじゃないですか」

 

 第一艦隊は滅多に出撃しない、するとしたら本当に大規模な闘いか、国家の一大事だけだ。つまり単純な戦力ではなく、国防の象徴――プロパガンダ的側面を強く持っている。つまり深海凄艦に対する警告、抑止力なのだ。

 

「嫌ですか、抑止力は」

 

「役目は分かっています、残る二隻が居なくなった時の為の、保険だということも。でも大和は抑止力にはなれない、大和は長門さんのように、対艦巨砲主義のために建造されたのではありません」

 

 ベッドの傍らに置いてある水を一気に飲み干して、大和は拳を強く握りしめた。力み過ぎて、少し震えていた。

 

「対艦巨砲主義の意味は抑止力です、相手の射程の外から一方的に攻撃されれば、反撃は絶対にできない。絶対に勝てないと分かっていれば、余計な戦争を抑止できる。BIG7は、長門さんや陸奥さんは、そういう兵器でした。旧世代の核兵器だったんです。でも大和はそうじゃありません、私は、艦隊決戦の兵器として建造された。使うのが前提の核兵器だった、でも私は使って貰えなかった、武蔵が沈んでからは、尚の事!」

 

 雪風の脳裏に、彼女の最後が浮かび上がる。坊の岬で一方的な空爆を受ける巨大戦艦。周りからの評価はともかく、彼女は何を感じていたのか。先んじて脱出した雪風には分からなかった。

 

「なのに艦娘になっても、使って貰えないで、ただの広告塔のままで。なら大和は、どうしてまた、生まれたんですか。なんで、死者の国からたたき起こされなきゃいけなかったんですか。いっそ血みどろの残滅戦でも良いのに」

 

「大和さん!」

 

「……ごめん、なさい、でも私、思ってしまったんです、水鬼の言う世界は、素敵だなって。でもまさか、核があるなんて、こんな状況になるなんて。人が死ななければ大丈夫だと思って、誘き寄せにも協力したのに……私のせいで、また、広島が……」

 

 大きな一言が皮切りとなり、大和の眼から涙が零れ落ちる。とても冷たい液体はなぜか温かくもある。人と機械の間で矛盾し、機械として振る舞ってきたものが、溢れ出していた。慰めても良いが、しかし、艦としての役目を十分求められてきた私が言っても意味はない、大和の気持ちは、決して分からないのだから。

 

「残念ですが、雪風に大和さんの気持ちは分かりません」

 

「なら――」

 

「でも、良い事だとは思います」

 

「……え?」

 

「雪風も、何度も考えました、どうして此処にいるかって。その答えは未だに出ていません、出ないまま、今日を迎えてしまいました」

 

 駆逐艦雪風の一生は、幸運であり壮絶なものだった。多くの戦場を生き残ってきた分、多くの別れを見ることになった。挙句、護るための仲間さえ、自身の手で葬ることもあった。仕方がない、必要な事、上からの命令。しかしどんな言葉で取り繕うと、罪悪感が消えることはなかった。艦娘となってからは、尚更酷く感じた。

 

 それでもまだ戦えと言うのか、戦わなくてはならないのか。戦争のあとに平和があると信じていた、だが冷戦が始まったと聞いた。泣いた、憎んだ、絶望もした。けど、それだけではなかったのだ。決して、ただの地獄ではなかった。沈んだ筈の仲間との出会い、あの日送り届けた人々の子供たちが、そこにはあった。

 

「だけど、そうやって問い続けたから、今の雪風がいます。苦しみも憎しみも、今の私たちには必要な事なんです」

 

「大和には分からないです」

 

「雪風もです、もしかしたら、大和さんの言うことが正しいのかもしれません」

 

 どれだけ言おうとも、やはり艦娘は兵器だ。深海凄艦と戦い、そして誰かを護ることに意味を見出す存在。言ってしまえば、国家にとってとても都合の良いAIだ。なら結果的には、思考しない兵器と変わらないのかもしれない。

 

 そもそも人とは何だ?

 感情を持つのが人なら、犬や猫にだって感情はある。知性があるといっても、高度なAIや一部の動物にだって知性はある。ならば人はなんだ、人と機械を分ける境界線とは。自ら考え行動することは、AIにもできる。絶対的な違いとは、なんなのか。

 

「人らしくあれ、とか、兵器であれ、なんて言う気はないです。だけど、絶対に断言できることが一つだけあります。雪風は、沈みません」

 

 死ねば、答えはでないままだ。

 それだけは間違いない、核を撃たれれば私たちは沈んでしまう、それも確かな事実だった。

 沈めと言われても、沈みたいと願っても、死んでやるものか。浅ましいほどの執着は、生きている証なのだから。

 

「なので、雪風は行きます」

 

「江田島に、単独で?」

 

「はい、一応声はかけますが、最悪一人でも行くしかありません。このまま撃たれるのを待つなんてゴメンなので」

 

「ですが、二隻目、三隻目のイクチオスが潜んでいたら。それこそ報復として、別の核が撃たれるかもしれません」

 

「それはまあ、どうしても賭けになりますね」

 

 あるかもしれない、ないかもしれない。そう悩んでいては何も始まらない。だから雪風は信じることに決めたのだ、戦艦水鬼はギリギリまで核を撃たないと。新型核が複数個あるとは思えない、あったのなら、此処までチャンスを伺う必要性はなかった筈だ。

 

 理由はもう一つある。深海凄艦だって、同じ艦の思念を元に生まれた存在だ。自分たちの価値も戦いも無に帰す核を、簡単に使うとは考えられなかった。大和は、とても疑っていたが、恐らくそうだろう。

 

「あと、多分大本営は、核を撃たないと思います」

 

「どうして?」

 

「先手で撃とうが、後手で撃とうが、日本は色々な意味で壊滅します。撃たれたから撃つ、撃ちそうだから撃つ、そんな簡単な話で終わらせるほど、大本営は馬鹿ではないと信じています」

 

「全部仮定の、想像の話じゃないですか、なぜそんなものを、雪風さんは信じられるのですか」

 

「分からないからです、分からないから、想像するんです」

 

 世界には、どうやっても分からないことがある。

 イクチオスは複数隻いるのか、大本営は核を撃つのか。過去に遡れば更に増える、あの時沈んだ大和の乗員は、なにを考えていたのか。特攻していった人々は、どんな思いを抱えていたのか。

 

 その思いを記録したものは、幾らでもある。

 だが、そこに書かれた言葉が全てではない。その中に隠された思いがあるかもしれない。心とは違う気持ちを書いたかもしれない。記録者の意図が介在しているかもしれない。本人から聞いたとしても、真実を言ったのかは分からない。

 

 言葉を尽くそうと、文化や思想を正確に残しても、それでも分からないことは存在している。ならそれは、どう埋めれば良いのか。

 きっと、最初から答えは分かっている。想像して、信じること。私はそうしてこそ、始めて完成する。

 

「大和さんは、なにを信じますか」

 

「……大和は」

 

 一気に、強い風が吹く。

 空きかけの窓がバンと開くと、灯台に照らされた真夏の海が、果てしなく広がっていた。何も見えないからこそ、想像すべき場所がある。

 例え、世界の破滅がすぐ傍にいても。




『スペクター(ガングート×北条)』

「北条提督、進捗はどうだ」
「もうすぐだ、あと少しでスペクターのカラクリが解けそうだ」
「こんなに早くか」
「実物が目の前にあるんだ、どうにでもなる。ただ、あくまで不死身の種だけで、作りかたそのものはまだ分からねえ」
「十分だ、今はこいつらの不死性を暴くだけで良い」
「しかし、調べりゃ調べる程、訳が分からねえ」
「例えば?」
「……まず前提としてだ、深海凄艦は死ぬとどうなる」
「消滅する」
「じゃあ、スペクターに使われているのは?」
「人間と艦娘と、深海凄艦の……遺体か、そうか」
「どうやって、遺体を消滅させずに、維持しているのか。俺が昔やっていた分野と同じものが、此処にある」
「昔調べていた身としては、気になって当然か」
「これが分かれば、恐らく深海凄艦のルーツにも迫れるだろう」
「その前に、世界の終わりを止めるのが先だ」
「分かっている」
「それともう一つ良いか、少し小耳に挟んで欲しいんだが……ヒントになるかも分からない、偶然かもしれないんだが」
「どうしたんだガングート」
「……実は、スペクター、という人間が、かつていたことが分かった」
「誰だ、そいつは」
「殺人鬼だ」
「はあ?」
「合衆国で女性のみをターゲットとした連続殺人鬼がいたらしい、警察やマスコミがそいつにつけた名前が、『スペクター』だったんだ。結局逮捕には至らず、そのまま連続殺人の記録も止まったが、そういう事件があったのは事実だ」
「……偶然、なら良いが」


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File39 白昼夢

 刻一刻と、エノラ・ゲイ発艦の時間が迫っている。

 失敗は許されない、だからこそ時間をかけて調べなければ分からない。全くの正論だが、待つ人からすれば途方もない不安を味わうことになる。

 

 雪風以外にも、イクチオスを止めようとする艦娘はいた。いや、呉鎮守府の殆どのメンバーがそうだった。自らの眼前で、核が放たれようとしている――落ちようとしているなか、呆然とする者はいなかった。

 

 誰しもが、後悔に駆られている。だが目の前で起きようとしている惨劇には、手が届く。誰もが止めようと必死だ。二度と見たくない光景を、繰り返させない為に。それはごく自然な人間の在り方だった。

 

 

 

 

―― File39 白昼夢 ――

 

 

 

 

――2009年8月6日6:00 呉鎮守府ドッグ

 

 作戦は非公式に行われることとなった。

 水鬼の目的は深海凄艦への報復心を煽ること、広島が核で狙われている事実が広まるだけでも、報復心に火がついてしまう。しかも、作戦は大本営にも知らせていない。下手に刺激して、報復判断をされたら、それも終わりだ。

 

「提督は承知しているのでしょうか」

 

「してるって言うか、立案者が提督なんだ」

 

「提督がですか?」

 

「別に悪人って訳じゃない、この国を守る為にしているだけ。その為なら子供も監禁するし、大本営の命令だって無視する」

 

 会議などしている暇はなく、作戦はブリーフィング資料を配り周知されている。雪風と北上は顔を突き合わせながら、資料を読み漁っていた。周りには彼女たち二人だけでなく、もう何人もいる。

 

「そもそも、発艦されたエノラ・ゲイを迎撃すればいいのでは?」

 

 大井の疑問はもっともだ、発艦した直後に撃墜すれば、無理をして江田島へ攻め込む必要は無くなる。彼女の疑問に、ジョンが首を振った。

 

「駄目だ、阻止できる速度じゃない」

 

「そうなの?」

 

「見てくれ、レイの一機が記録したエノラ・ゲイの写真だ」

 

 雪風の眼には、ただのエノラ・ゲイにしか見えない。本来の機体と多少の差異はあるが、それぐらいだ。そもそも空母ではない為、違いは分かっても、それが何を意味するかは分からない。ロケットブースターのようなパーツや、やたら機体前方が重そうな見た目が、目に付くぐらいか。

 

「……待ってよ、これって」

 

「これ、まさか」

 

 顔面蒼白になりながら、北上が写真を、皺ができるように強く握りしめている。彼女がこんな顔をするのは、始めて見た。大井はすぐさま北上の傍により、背中をゆっくりと摩っている。

 

「そうだ、このエノラ・ゲイには、『桜花』の設計が転用されている」

 

 それは太平洋戦争末期に、日本軍が開発した特攻機の名前だった。

 

「……なんで?」

 

「このエノラ・ゲイは無人機だ、パイロットの生還を考慮する必要はない。なにより確実に核を目標へ落とせなければ、メタルギアとしての価値は下がる。確実に、撃墜されず、絶対に核を落とすために、桜花の設計を組み込んでいたんだ。軽量化の為に燃料は片道分、速度強化のためにロケットエンジンを搭載、火薬タイプのじゃない、当初の設計通りのものだ。その分凄まじいGがかかるけど、無人機だから問題ないって訳らしい」

 

 怒涛の剣幕で、ジョンが説明しきった。説明事態を、一刻も早く終わらせたい気持ちが伝わる。

 

「さすがだよ、無人機じゃなかったら、誰もしようなんて思わない」

 

「……でも桜花も、回天も無人機じゃなかったよ」

 

 回天とは桜花と同じ特攻機だ、違うのは空からではなく、海中から突っ込む人間魚雷という点だ。雪風は合点がいった、いってしまった。北上は――その回天を搭載していた艦だった。だから艦娘になったあとで、桜花のことも調べたのだろう。調べずには、いられなかったのだろう。

 

「うん、違うでち」

 

「……そうだね、絶対に違う」

 

「それでも回天は、人の乗る兵器だったでち」

 

 ここまで無言を貫いていた伊58も、同じ回天の搭載機だった。

 果たして、全ての人が望んで桜花や回天に乗ったのか。望まなくとも、納得していたのか、それは自分の意志だったのか? 雪風にも、北上にも伊58にも分からない。乗せなくて良いのなら、それが一番なのは確かだが。

 

 何かのために命を賭ける、それはとても人間らしい行動だ。今回もスネークが命を賭けたからこそ、エノラ・ゲイは一時的に止まっている。しかし、自分の命もいとわない行動は時に世界を滅ぼしてしまう。もしも、自分たちが死んでも良いから、核報復をしようとしたのなら。それならむしろ、機械の方がマシかもしれないのだ。

 

「とにかく、だからエノラ・ゲイ発射は阻止できない。発艦直後の速度が速すぎる、事前に止める方が確実だ」

 

「他のイクチオスがいる可能性は、考えるだけ無駄ですね」

 

「できる限り急ごう、いつ大本営が最悪の結論を出してもおかしくない……核の出所、青葉から聞いたよね?」

 

 一部の艦娘だけが、小さく頷いた。青葉から聞いた話もまた、ショッキング過ぎた。だからこそ不味い。イクチオスの核はアメリカ製、日本の核もアメリカ製……撃っても、たまたま持ち込まれたアメリカ製の核が、暴発したというカバーストーリが成り立ってしまう。先手を打てば、水鬼の計画を全て破壊できるメリットも、危険を加速させている。

 

「一応、万一発射された場合の対策も、スネークの仲間たちが立ててくれているみたいだけど、期待し過ぎない方が良い」

 

 その時、出撃のサイレンが鳴り響いた。

 イクチオスの修理予想時刻まで、一時間を切っている。今はだいたい7時ぐらいだ。スネークはまだ目覚めないが、それならそれで良い。命を張ってくれたのだ、少し休んだところで、だれも責めはしない。

 

「……僕は戦えない、でもあれの建造に関わったのは僕だ。だから、お願いだ、イクチオスを……破壊してくれ!」

 

 

*

 

 

――194…8月6日8時…分 呉鎮守府近海

 

 薄暗い闇の底に、温かな光が昇る。

 朝日に照らされて、私はまどろみから目覚める。ぼんやりとした眼に、真っ青な大空が広がっていた。ゆっくりと波は穏やかに、アーセナルギアは揺られている。

 

 周りには見知った面々がいる、彼女たちは同じように、穏やかな波に揺られていた。平和で、のどかな光景だ。再びアーセナルギアは眠気に誘われて、瞼を閉じようとする。だが微かに、プロペラの回る音がした。

 

 うるさい、いったい誰だ。

 遥か遠く、瀬戸内海上空を飛行する航空機が目に入る。良く知っている、WW2で活躍した米軍の陸上攻撃機B-29だ。しかし普通のではない、異様に大きなシルエットをしている。

 

 アーセナルは気づく、ここはどこだ、瀬戸内海に、一機だけ、B-29が?

 意識がぬるま湯から引き上げられ、覚醒とともに戦慄が全身を覆っていく。あれはエノラ・ゲイだ、そうだ、私はイクチオスに、ありったけのミサイルを撃ちこんだのだ。

 

 その後どうなったのか、今がなんなのか分からない。アーセナルギアはただ、撃たせてはならない一心で、空に手を伸ばす。だが届かない、しかも不思議なことに、他の艦娘は誰も動こうとしない、呆然と空を見上げているだけなのだ。これも水鬼の策謀か、あの不可解な現象なのか?

 

「いいや、違う」

 

 アーセナルギアは、それを幻聴だと思った。誰かがやらないのなら、私がやらねば。G.W! レイ! ミサイルを! 

 だが、どんなに叫んでも、誰にも声は届かなかった。

 そして、波紋一つたたない海を視て、私は叫んでさえいなかったと、気づいた。どうすることもできない、エノラ・ゲイはそのまま遠くへと消えていき――世界が、暗転した。

 

 キノコ雲は、なんども見た。

 ネットでも軍事資料でも、ビキニ沖環礁やヒロシマ・ナガサキ、それの被害ににあった人々の姿。

 だが、そこにはないものがある。悲鳴、空気、熱気。

 紛れもない地獄を、私は見ていた。吐き気が止まらない、どうすれば良いのかも分からず、心がぐしゃぐしゃになっていく。艦娘になったことを、心から後悔しかけるほどに。

 

 呉の海岸で佇む彼女たちも、同じだった。

 何もしないのではない、何もできないのだ。再び見た彼女たちは艦娘ではなく、当時の艦艇そのものだった。燃料もなく、ただ浮かぶしかない鉄の塊だったのだ。青葉もそこで浮かんでいる。そしてアーセナルギア自身は、存在さえしていない。意識だけが、8月6日を彷徨っていた。

 

「ここは屍者の帝国だ、ただの記憶でしかない」

 

 また声が聞こえた、確かにそうだ、熱や悲鳴は聞こえるが、私は痛みを感じていない。ただ全てを俯瞰して見下ろしているだけ、なにより、当時私は存在していない。とてもリアルなVRを見ているだけとも言えた。

 

「人は、死者を弔う。安らかな眠りを祈って。だが祈ったところで、現実として死者はいない。いるとすれば、過去の記憶だけだ」

 

 再び、場面が切り替わる。

 今度現れたのは瀬戸内海ではなく日本海、そこを多くの艦艇が進んでいる。あそこにいるあの艦は、大和だろうか。

 しかし決戦兵器と言われた彼女は、夥しい数の艦載機に囲まれて、燃え上がっていた。随伴艦も皆、次から次へと崩れ落ちていく。

 

 誰かが、悲鳴を上げた。

 雪風が魚雷を撃つ、味方に向けて。もう動けなくなった彼女を沈めるために。大和が消える、雪風たちが、生存者を連れて引き返していく。

 4月7日、坊ノ岬沖海戦、沖縄へ海上特攻隊として向かう作戦は、こうして失敗に終わったのだった。だが特攻を拒み、何隻かは引き返していく。

 

 成功したとしても特攻、失敗すれば死。

 私は、知らない。そんなことは知らない、どんな思いだったなど、知る由もない。ただこうして、見ている事しかできなかった。

 

「そうだ、我々は見ることしかできない。過去は記憶でしか存在できないからこそ、人は伝えようとする。それが、人間というものだ」

 

 燃え盛る炎、立ち昇るキノコ雲。

 あらゆる光景が巡り、そして行きついた先で、静かにラジオが流れ出す。雪風はひたすら、日本へと人々を送り続けた。その全てを終え、彼女はこの国から去ってしまった。そして、全てが暗闇となった。

 

「だがもしも、過去を現実へと持ち込めるのなら。それは人間ではなく過去、屍者そのものだ。彼女たちは人ではない」

 

 艦娘は人間になれないと言うのか、声なき声に、アーセナルギアは叫ぶ。

 

「しかし、人は死者を活用してきた。死者の名を英雄のそれになぞらえて、生者の未来へ利用する。艦娘がいなくても、深海凄艦がいなくても、人は死者に敬意を示しただろう。君は知っている筈だ、君のルーツもまた、英雄として、死んでも尚利用されたことを」

 

 しかし、そうして屍者を蘇生させていくことは、屍者の帝国の侵略を許すことに他ならない。世界は生者のためにあるべきだ。

 死者を利用する生者、それを拠り所とする艦娘。侵略者たる深海凄艦。間違っているのは、いったい誰だ。

 

「なら、君はどうする、屍者の帝国の侵略を阻止するためなにを成す」

 

 姿の見えない影が、私の顔を掴みとる。虚ろな眼が心の奥まで覗き込んできた、空っぽな私を見透かされているようで、身震いがする。

 

 私は、私はなんだ、誰なんだ、何をしたい?

 決して無関係ではいられない、過去の地獄を垣間見て、それを甦らさんとする何かを、どうすればいい。

 

「いいや、十分だ」

 

 しかし、声なき影はそう言って、私のほほを撫でた。

 

「アーセナルギアよ、空の蛇よ、未だ脱皮できぬ亡霊よ、彼女たちがいまいと、世界の在り方は変わらない」

 

 霧に覆われた夜が、少しづつ明るくなっていく。日の出に照らされるジャングルが、眼下に延々と広がっていく。影が、晴れていく。

 

「それさえ忘れなければ、それで十分だ、今はまだ。信じるものも知らぬ蛇よ、それだけは知らねばならない」

 

「――お前は」

 

「彼女たちは、そこにいるということを」

 

 影があらわになる。

 エラー娘の姿が見えた瞬間、私は――シェル・スネークは覚醒した。

 傍らにいる明石の叫び声と同時に――『バイタル安定……G.Wから貰った設計図にも問題無し……』

 

 

「……明石」

 

「スネークさん!? 起きたんですか!?」

 

「やれ、今からしようとしていたことを」

 

 何となくだが、明石のしたいことが理解できた。大破した艦娘を直す方法は入渠と修復剤以外に、もう一つある。あのアラスカで神通が、そうだったように。

 

「良いんですか?」

 

「……その左、お前を私は知っている」

 

 ならきっと、信頼できるだろう。

 

「分かりました、では始めます、『第一改装』開始」

 

 

*

 

 

――2009年8月6日7:00 江田島

 

 江田島正面海域は、地獄のような光景と化していた。

 無数の艦娘と無数の深海凄艦が激突し、敵も味方も時として分からなくなるような惨劇の戦いが起こっている。だからこそ、江田島の背後から上陸することができた。

 

 びしゃびしゃになりながら、伊58に牽引された雪風が、江田島へ上陸する。決戦艦隊は囮だった、彼女たちに自覚はないが。 海を黒く染めるような、馬鹿馬鹿しいほどの物量を正面から抜けるのは、最初からあり得なかった。という訳で、別働隊が潜りこむことになったのである。

 

 そして、目的地へとついた雪風の眼前には、メタルギア・イクチオスが椅子となって座っていた。椅子は玉座だった、王妃が乗っていた。しかし今は、戦艦の水鬼であった。鬼のように笑いながら、彼女が立ち上がる。

 

「無粋ナ子、コレカラダッテイウノニ」

 

 イクチオスは姫でありイロハ級であり艤装でもある――ジョンはそう言った。水鬼艤装は、メタルギア・イクチオスと繋がっているようだった。

 

「それとも平和を破壊したいのかしら、自己満足じゃないの?」

 

「そんな馬鹿な理屈があってたまるものですか」

 

「代理戦争によって、大きな戦争を防ぐなんて、何時ものことじゃない。冷戦から、私たちに変わるだけ。核だってそう、一発の核で太平洋戦争は終わったのよ」

 

「あの時とは違います、どの国も核を持っています。一発の核は報復の連鎖を起こすんですよ」

 

「撃つかどうかは分からない、世界を破滅させる決断が、人間にできるかしら? 私はできないと思っている。貴女はどう?」

 

「もし撃てば世界は終わってしまいます」

 

「リスクのない平和こそ幻想だわ、だからといって平和を求めない世界は終わるしかない。そしてイクチオスは人間と違い、命令すれば必ず核を発射する。どんな環境にも状況にも倫理観にも常識にも拘束されず、平和のリスクを一手に担う新型核兵器、それがメタルギア・イクチオス!」

 

 ハッチが閉まると同時に、イクチオスの前足が展開されていく。衝角をバンカー代わりにして、両生類が四足で立ち上がる。

 

「だからこそ私もリスクを背負う、新型核もイクチオスも、この一つだけ。これを止めれば、貴女の勝ちよ」

 

 機体の金属が擦れ獣も呻き声が、本体の喉から獣の咆哮が共鳴する。それはまるで、この世の生き物でない――屍者の帝国からの、怪物の絶叫に聞こえた。

 

 白鯨であり、両生類の名前をもつメタルギア。

 しかしその動きは、どちらかと言えば獰猛は四足歩行哺乳類を連想させた。一瞬で距離を詰めたかと思えば、大跳躍をして攻撃を回避する。攻撃の後の隙は、四隻のスペクターがカバーする。単騎での突破は無謀だった。

 

 しかし雪風もまた、単騎で戦う兵士ではなかった。音を切り裂き、空気を割って、異常なサイズの砲弾が飛来する。ギリギリ反応できてしまったスペクターの一隻が、その身で砲撃を受け、胴体に大穴を空け崩れ落ちていった。

 

「目標、一隻撃沈」

 

 淡々と戦果を述べながら歩くそれは、戦火のための兵器であり機械。しかしいつも浮かべていた張り付く笑みは消え失せて、焦りに焦るまだ若い女性の醜態。雪風は見て、懐かしく感じた。一隻目も二隻目も、こんな顔をしていたな、と。

 

「戦艦大和、押して参る!」

 

「……どうしてこちらに?」

 

 大和は、正面に展開している艦隊を相手取っていた筈だ。どうしてこちらに来たのか。

 

「少し事情が変わりまして、イクチオスの撃破を優先することになりました。提督も了承済みですので」

 

 事情がなんなのか気になるが、提督も知っているなら問題はない。些細なことを気にする暇はなかった、目の前を見ればなおさらだ。爆散したスペクターの肉片が集まり、またレ級として再生したのだから。

 

「本当に、死なないですね」

 

「足止め程度ならできる筈です、その間にイクチオスを破壊しちゃいましょう」

 

 再び大和が、地鳴りを鳴らす砲火を空へと放つ。計算された軌道は空に煙を残し、イクチオスの前足間接へと真っ直ぐへと飛ぶ。だが狙いが分かっている攻撃は読まれやすい、軽い跳躍で、攻撃は回避された。

 

 大和の攻撃を鐘に、再び砲撃が交差する。戦艦の出現を踏まえて、艦載機まで展開し始める。もっともイクチオスへの誤爆を恐れ、積極的な攻撃はできない。

 

 掠り傷一つさえ考慮してしまう、イクチオス護衛を最優先事項としてプログラムされているからだ。残るイクチオスは、柔軟な攻撃を仕掛けてくる。駆逐艦の主砲を撃ち、機を見るや否や戦艦水鬼の兵装が牙を剥く。中に水鬼が乗っているからできる芸当だ。

 

 ねらい目はイクチオスの懐、そこに向けて大和が走り出す。歩くだけでも地鳴りが起きそうな戦艦の走りは、小規模な地殻変動さえ起こしそうに思える。しかし恐怖などプログラムされていないレ級たちは、接近させまいと捨て身の攻撃を繰り返す。

 

 ただ飛ぶだけの艦載機を、特攻機として次々突撃させる。どうせ再生するのだからと、大和のばら撒く副砲も意に還さず至近距離で潰そうと、鉄と火薬の土砂崩れが動き出す。

 

 だが、一歩踏み出した時、レ級の足元に主砲が叩き込まれる。抉れた地面に足を取られ、転んだ瞬間大和に踏みつぶされる。頭上へ落ちかけた艦載機の羽が機銃で穿たれ、制御を失いあらぬ方向へと捻じれ落ちる。

 

 雪風は、駆逐艦だった。

 駆逐艦の役目は戦艦や空母、輸送艦の護衛だ――陽炎型は事情が異なるが――ましてや一度守り切れなかった彼女ならばこそ、この凄まじい駆動が実現している。大和も雪風の援護を信じ切っている、こういう時は、幸運艦の名も悪くはないと思えるのだ。

 

 対して信じ切れないイクチオスは、役立たずと咆哮し、戦艦大和から距離を取ろうと迂闊にも跳躍してしまう。必死にばら撒く機銃も、駆逐艦レベルの主砲も、相手が大和では豆鉄砲にもなりはしない。

 

 ならばと、致命打溶かす水鬼の艤装が、火を噴いた。

 だが大和は、それを正面から受けきった。ダメージはあるが、主砲の照準は全くぶれることがない。艦隊決戦のために建造された艦の力と――意地で、イクチオスを睨み付けていた。

 

 着地してしまい、動けない間の時間は、きっと走馬燈のように引き伸ばされていたに違いない。振動に耐え震える足を見て、雪風は思った。

 

「第一、第二主砲。斉射、始め!」

 

 視界を埋め尽くす黒煙、巻き上がる炎、衝撃波、振動、絶叫。そこから千切れ飛ぶイクチオスの右足と衝角。

 背を伸ばして主砲を撃つ彼女の姿は、兵器のように無機質で、肌が焼けるような暑さを、雪風に感じさせたのだった。




近接戦闘(青葉×スネーク)
「スネークって、珍しい格闘術を使いますよね」
「CQCのことか? まあ、一般には出回っていないからな」
「他の格闘術は使わないのでしょうか?」
「他のとは?」
「ほら、近接戦闘用の武器を持っている艦娘っているじゃないですか」
「知らん、その辺りは疎い」
「そうですか……代表的なのは伊勢型や天龍型の持ってる刀ですかね」
「刀は私も使うぞ」
「いやそうじゃなくてですね、中には素手で殴る艦娘もいるんです。大和型とは長門型とは、素手で砲弾弾いたりしますし」
「そうか、で?」
「アーセナル級の動力って、原子力ですよね」
「そうだが」
「いや、なんてその出力で、殴らないのかなと思っていたんですが」
「なんだそんなことか」
「で、実際は?」
「できなくはない、いや、できる。G.Wの見立てでは、太平洋深海棲姫の艤装も粉砕できるようだ」
「滅茶苦茶強いじゃないですか」
「ただ問題があってな」
「問題?」
「私も粉々になる」
「……へ?」
「確かに動力は原子力だ、だが装甲は薄い潜水艦なんだ。そんな体で殴っても、私自身が、私の出力に耐え切れない」
「……ええ」
「なんだその顔、言っておくが、近代の軍艦は皆似たり寄ったりだぞ」
「いや、なんだか残念だと思いまして」
「まあな、だからこそCQCだ。自身へのダメージを最小限にできるし、それに不意打ちにも強い。なんなら教えてやってもいいぞ」
「いや、青葉、そういうのは専門外なので」
「……そうか、広めたかったんが、CQC」
「……なんかごめんなさい」


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File40 対メタルギア・イクチオス

 しかし事態は、想像を上回る事態へと以降し始めた。

 メタルギア・イクチオスが、その姿を消したのである。今さっき、大和級の主砲を直撃させたのに、残骸もなく消えてしまった。

 

 消えた後には、近海へと繋がる大穴が空いていた。肉片のようなもので創られた空洞、呉鎮守府や、硫黄島にあったものと全く同じものだ。証拠はないが確信した、これは、イクチオスによるものだと。

 

「ジョンさん、これは……」

 

〈分からない……イクチオスが何故か大きすぎるのは分かってたけど〉

 

「大きすぎる?」

 

 兵器としては非効率的過ぎるイクチオスの巨体は、エノラ・ゲイを滑走路なしで発艦させるための、カタパルトを乗せる為だった。しかし、それを踏まえても尚、イクチオスは大きすぎると開発者は言う。

 

〈まさか……この液化が理由なのか?〉

 

 正体について思考を始めた時、大和が絶叫した。

 大和の飛ばした零式観測機が、恐ろしい光景を捉えたのだ。それは海中から上半身だけを伸ばし、エノラ・ゲイを発艦させようとするイクチオスだった。

 

 

 

 

―― File40 対メタルギア・イクチオス ――

 

 

 

 

――2009年8月6日7:30 江田島

 

 イクチオスを止める為、二人は走っていた。

 エノラ・ゲイのプロペラがどんどん加速していき、目的地に向けて飛び立とうと振動する。最終調整が完了したということだ。

 しかし、次から次へと現れる深海凄艦が二人を阻む。行きの時は、全くいなかったのに、どこから湧いて来たのか。

 

「これが事情です」

 

「事情? 大和さんが、こちらに来た?」

 

「何隻沈めても、敵が減らなかったんです。このままでは終わらないので、大和は雪風さんの支援に行くようにと」

 

 イクチオスとは何だ、ただの核を乗せた潜水艦ではないのか?

 メタルギアの意味することを、雪風は知らない。しかし単なる核搭載戦車ではない、それは既存の兵器バランスを簡単に崩してしまう悪魔の兵器なのだ。

 

 走る、ひたすらに走る。

 二人掛かりで深海凄艦の群れを蹴散らし、二人は走っていた。だが、途中で気づいた。遠目に見るイクチオスの艤装から、水鬼のパーツが消えていたのだ。

 

「大和さん、こんな時にごめんなさい、イクチオスは任せていいですか?」

 

 嫌な予感があった、水鬼はどこへ行った。まさか逃げたのか、しかしただ逃げただけとは思えなかった。彼女の野望が成就する瞬間に、遠い場所にいるなど、なにか狙いがあるとしか思えなかった。

 

「分かりました、後は大和にお任せを」

 

「お願いします!」

 

 雪風と別れ、大和は全てを振り絞ることにした。そうでなければ、エノラ・ゲイを止めることは間に合わなかった。砲撃を撃つのも煩わしい、全て力押しで引き千切り、無理矢理突破した。

 

 その分大和自身も傷つくが、構わない。この程度なんてことはない。自分が何をしようしたか、忘れてはいない。自身の存在価値を満たそうとしたばかりに、此処を核が落ちる瀬戸際に追い込んでしまった。

 

 出撃前の、雪風や北上、ジョンの話を、実はこっそり聞いていた。

 ジョンは建造した責任があるからと、償おうとしている。なら、この大和にも責任はあるに決まっている。戦う為の私が、こんな時に戦わなくてどうするのか。

 

 しかし、時間はとことん無常だった。

 一秒経つごとに、エノラ・ゲイ発艦は近づいていく。敵の妨害も激しさを増していく。大和がどれだけ強くとも、一隻の艦であることには変わりなかった。

 

 それでも、命を賭けた甲斐あって、大和は遂に、イクチオスのいる海上へ着地した。同時にそれは、四隻のスペクターが出迎えてくることも意味する。なんてことはない、たかがレ級が四隻、突破してあげましょう。

 

 既に血塗れになり、何本か折れた腕に力を込めて、大和は主砲を乱射する。一発一発正確に、スペクターの飛ばした艦載機が盾になる。爆炎を煙幕に、反撃の爆撃が大和を襲う。碌に護衛のない、一方的な爆撃。まるであの時のような。

 

 しかし止まってはいけない、今度止まれば、惨たらしい上陸戦どころか――核が落ちる。そして日本が、核を撃ち返してしまう。

 

 素直に言って、非核三原則のなにが良いのか、大和には実感が湧かなかった。強い兵器を持つことのなにが悪いのか――だが、そういう問題ではなかったのだ。既に問題ではなくなっていたのだ。

 

 敗戦から今に至るまで、日本はこの平和憲法と共に歩んできた。GHQから押し付けられた憲法かもしれないが、実際に歩んできたのだ。もはや日本は、平和憲法なしには語れない国になっていた。

 

 核を撃つということは、その戦後の全てを否定することと同じだ。そして、平和憲法の未来の、その可能性を壊すことになってしまう。過去を否定し、未来を壊す権利なんて、誰ももっていない。正しくないかもしれないが、簡単に捨てて良い訳がない。まだ、それを考える為の時間が必要なのだ。

 

 だって私は、この国を守りたいのだから。

 

 そして、時間は大和に味方した。

 

 突如、スペクターの一隻が、その場に崩れ落ちる。

 胸からは、激しいスパークを放つブレードが伸びていた。死なない筈だった怪物の体が、バラバラに崩壊していく。

 

「やっと北条が解析を終えてくれた、種が割れれば簡単なのものだ」

 

 彼女の手には、小さな――深海機雷を小型化したような――部品が蠢いていた。

 

「死体で創った()()()()()を、超小型深海凄艦に操作させる。今まで斬りまくっていたのは、ただの艤装だったという訳だ」

 

 漆黒にきらめく鉄のマントが、轟音を鳴らしながらはためく。電子的に張り巡らされた幾何学が光る度に、装甲がスライドし展開される。無数のミサイルと、無数の火力を捻じ込んだ鋼鉄の翼が、朝日を反射して眩しく光る。

 

 より分厚く重厚なマッスルスーツ――兼スニーキングスーツに身を包み、シェル・スネークの眼が、蛇のように真っ赤に燃える。深海凄艦のeliteのような、血みどろの赤。対極に銀色だった髪の毛は、深海凄艦のような白髪へと変貌していたのだった。

 

「ありがとう大和、お前がこいつらの注意を引いてくれたお蔭で、ここまで接近できた」

 

 英雄は遅れてくるのなら、彼女は間違いなく、英雄だった。

 

「待たせたな、アーセナルギアMk-2、作戦を開始する」

 

 

*

 

 

「スネークさん、なんですか?」

 

「私が深海凄艦にでも見えるのか」

 

 皮肉を言っては見たものの、気持ちは分かる。目から燃える赤い炎、白い髪の毛。肌色の皮膚がなければ、どう見ても立派な深海凄艦だ。第一改装が終わった直後、明石も絶句していた。彼女も想定外だったらしい。

 

「とにかく待たせた、後は私に任せろ」

 

「ですが」

 

「メタルギアは、私の敵だ、それに悪いが、邪魔だ」

 

 レイに大和の後頭部を叩かせると、彼女は卒倒してしまった。少し小突いただけで気絶だ、相当消耗していたのだろう。しかし、これで戦われても足手纏いでしかない、速やかに避難させる。その隙を練ってスペクターが襲い掛かるが、スネークは寸前で回避する。

 

 水しぶきを破り、追撃する。しかしスペクターは驚愕する、スネークが一瞬で、その姿を消し――背後から両断された。

 

「明石には感謝しなくてはな」

 

〈まさか解析されるとは、予想内ではあるが想定外だった〉

 

「オクトカム、か」

 

 オクトカムとは、スネークの世界に存在する迷彩技術の一つである。まるでタコのように、周辺の模様と同化することから、そう命名された。アーセナルギアの改良型でもあるアウターヘイブンにも、同じ機構は搭載されているが、明石はこれを、独力で解析、搭載させたのだ。

 

 ブレードを引き抜くと同時に、スペクターのコアを両断する。亡霊の艤装は、ただの肉片へ還る。基本的にコアは心臓部位にあるが、そのサイズは極端に小さい。つまり有効打は、回避を許さない奇襲――スネークの得意技だった。

 

「さて、これで残り一隻」

 

 イクチオスはいつの間にか、エノラ・ゲイを引っ込めていた。まともな護衛が一隻になってしまったのだ、警戒もするだろう。スネークも慢心せず、油断なくP90と高周波ブレードを両手に構え、迫る。

 

 だが、不意に炎が、煽られた。

 残る一隻のスペクターが、身の毛もよだつ絶叫を上げ、空気が震えだす。放たれた声が、艤装の残骸を共鳴させると、それは再び命を持ったように、動きだした。

 

 最後の亡霊と、破壊したスペクターの残骸が、次々とイクチオスへ殺到していく。継ぎ接ぎの艤装は更に細かく崩れ、這いずりながら、破壊した右前脚へと終結していき、そして、再び形ができた。

 

 破壊したイクチオスの右前脚が、再生してしまった。スペクターの残骸が、義手のように新たな腕を作り上げたのだ。

 

 これは、どういうことだ。幾ら深海凄艦でも、まったく違う生物のパーツが、そう簡単にくっつくとは考えにくい。例えば、臓器のドナーは、親族の方が拒絶反応が出にくいとされる。遺伝子が近いからだ。そういった、なにかしらの共通点があるのではないか。

 

「そうか、こいつもスペクターなのか」

 

 一つの答えに、スネークは辿り着いた。

 イクチオスもスペクターなら良いのだ、このあらゆるイロハ級を合体させた見た目も、納得がいく。

 

 だが、それでもかなりの無茶だったに違いない。

 無理な結合故か、幻肢痛故か、スペクターと違いイクチオスは、本気の悲鳴を上げながらのたうち回っていた。

 

 同じスペクターなら、イクチオスも轟沈した深海凄艦や艦娘の艤装、屍で出来ているのだろう。そしてメタルギア(悪魔の兵器)として、水鬼に使われる。いったい何処のどいつに、そんな権利がある。

 

〈スネーク、メタルギアを完全に破壊してはならない。万一核が発射された時の代替プランの為に、コア・ユニットは残せ。動きだけ、完全に止めるんだ〉

 

「分かっている」

 

 撃破の勢いで核が暴発する可能性もありえる、水鬼がどんな罠を仕掛けていてもおかしくない。仮に罠がなかったとしても、もう時間もない。ミサイルの残弾を気にしている場合ではなかった。

 

 だが、改装されたスネークの武装はミサイルだけではなかった。

 補給もままならないこの世界で、ミサイルがなくなった時を想定した改装。性能だけ見れば劣化だが、この時代においては、もっとも適した姿だった。

 

 スネークの号令で、無数の対潜ミサイルが空を覆った。

 それを認識したイクチオスが速やかに水中の奥深くへ、人間では耐え切れない速度で潜っていく。降り注ぐアスロックを、イクチオスは流れるように回避していく。

 

 イクチオスはそのまま速度を上げていき、スネークの足元を目指した。大型艦を一撃で沈める巨大な衝角は、アーセナル級でさえ破壊し得る威力を持っていた。それに、アーセナル級の巨体で、イクチオスの突撃を回避するのは不可能だった。

 

 しかし、そもそも回避の必要は無かった。

 衝角を構え、水面から飛び出したメタルギア・イクチオス――その衝角を、スネークが掴む。スネークはイクチオスを引き上げ、その頭部へ片手をかける。そして、突撃の勢いを利用し、そのまま遥か空中へ放り投げたのだ。

 

 空中で身動きの取れないイクチオスは、本能で恐怖を感じた。原始的な感情に動かされ、主砲に加えて魚雷、機銃、全ての兵装を乱射する。スペクターで形成された片手からは、無数の艦載機や戦艦級の主砲が放たれる。接近はできない、艦載機の盾もある、着水までは、ミサイルを撃たれても時間を稼げる――筈だった。

 

 おもむろに艤装を解除したスネークの肩から、更にスネーク・アームが解除される。外れた補助ユニットの下には、小型のブースターが仕込まれていた。それは、ソリダスが装備していた物と同じ兵装だった。

 

 アーセナル級を飛ばす出力など、存在しない。

 しかし艤装を解除したスネークの質量は、見た目のままの女性と同じだった。そして、爆音を鳴らして熱を撒き、スネークは空へと飛び出した。

 

 いつか見た忍者のように、ブースターを吹かしながら、艦載機を足場に蹴り進んでいく。腸へと潜りこんだスネークは、腰から新たに撃ちなおした高周波ブレードを滑らせる。風を切る音が聞こえて、イクチオスは真っ二つになった。

 

 海面に墜落する、イクチオスの上半身と下半身。

 下半身はそのまま海底へ沈んでいく――しかしスネークは驚いた、残る上半身は、上半身だけで泳ぎ出したのだ。スペクター程ではないが、恐るべき生命力を持っている。しかし足を失ったイクチオスはもはや両生類ではない。

 

 イクチオスのソナーに、無数の光点が表示される。光点はイクチオスを取り囲む形になっている、そして光点から、大量の光点が分離した。スネークのメタルギア・レイが、イクチオスに向けて雷撃を放ったことの証明だった。水中での戦闘能力向上の為に、レイもまた改装を受けていた。

 

 海底のイクチオスにとって、逃げ場は水上しかなかった。

 

「終わりだ」

 

 水面から飛び出たイクチオスへ、P90が突き立てられる。

 頭部パーツの、装甲の隙間へ、照準が定まる。トリガーが引かれ、装甲が捲れた。内部が弾け、また弾丸がめり込んでいく。トリガーは引かれたまま、イクチオスの脳髄がぐしゃぐしゃにされていく。体を動かすための大脳(レプタイル)が破壊され、思考する小脳(ママル)だけが活かされる。

 

 イロハ級なら震えでもしたのだろうが、イクチオスは無抵抗だった。

 しかし、それが本来の私たち――艦艇の姿だった。スネークは少しだけ複雑な思いを抱きながら、更にトリガーを引き絞るのだった。

 

 

*

 

 

 静止したイクチオスから銃を離し、空へ向かって大きく息を吐く。追い続けてきた白鯨――メタルギア・イクチオスを破壊できた事実が、ゆっくりと胸に広がるのを感じていた。まだ水鬼が残っているが、それでも少し気が緩む。

 

 スネークは首を振り、緩んだ気を引き締めた。まだエノラ・ゲイ発艦の可能性はある、水鬼もいる。エノラ・ゲイ発艦の可能性をなくしてこそ、危機を脱したと断言できる。不確定な代理プランには、頼りたくなかった。

 

〈スネーク、駆ったのか〉

 

「ああ、完全に停止された、イクチオスの本体はな」

 

〈よし、エノラ・ゲイをそいつから引き剥がせ、核弾頭だけでも構わない〉

 

 ガングートの指示に従い、イクチオスへ手を伸ばした――その時だった、出しぬけに、足元が崩れ落ちた。

 

 落下しているのか、上がっているのかも、分からなくなった。方向感覚が滅茶苦茶になり、全身がバラバラになり、またくっつく。スペクターのようになってしまった体は、借り物の体となって、まともに動かせない。無線機からノイズが聞こえると、ノイズが頭の中で反響し爆発する。

 

 それが幻聴の類だとは分かっていたが、余りに鮮明な実態を持つ幻覚は、現実と変わらない。ノイズがガングートの叫び声だと分かっていても、取り合う余裕はない。少しでも現実に近付こうと、スネークはG.Wを呼んだ。

 

〈巻き舌宇宙で有名な紫ミミズの剥製はハラキリ岩の上で音叉が生ばたきする用ハサミだ六十三、としてな、いつも応援してくれてありがとう。だがそんなことはどうでもいい、君の任務はスナイパー・ウルフに対抗できる捕虜に潜入し武装要塞ガルエードに侵入、最終兵器メタルギア・ガンダーのレールガンは、莫大な電力を消費する。だがそれよりも重要なことは、ところで私はアイデア・スパイ2.5(ツー・ハン)として、○ボタンを押すと、敵と戦う基本はパンチだ、だがそんなことはどうでもいい、どうでもいいと言ってどうでもいい、これはゲームだ、いつも通りのゲームなんだ!今すぐパソコンをシャットダウンさせるんだ――〉

 

 馬鹿な、スネークは信じられなかった。AIでさえ蝕むこの病魔の正体は、いったい何なんだ。スネーク、スネーク! 混じって聞こえ始めたのは、ガングートの声だ。呻き声を噛み殺し、どうにか声を搾り出す。まるで慣れないが、しかし少しは慣れてきた。

 

〈あれが起きている、お前から聞いたモセスと、イクチオスが始めて呉を襲った時と同じだ、艦娘が全員倒れている〉

 

 ガングートたちが無事なのは、きっと射程距離外だからだろう。もし射程がなければ、世界はとっくに阿鼻叫喚となっている。しかし、私は今までこの現象に影響されなかった。なぜ今になって?

 

 思いつくのは、明石による第一改装ぐらいだが、その可能性は否定された。

 あの明石は、私と無関係ではない。単冠湾泊地で一緒だった彼女なのだ。そもそも裏切るつもりなら、鎮守府の資材を無断使用してまで私を改装しないし、もっと別の、効率的な方法をするだろう。なら、誰が。

 

〈スネーク! エノラ・ゲイが!〉

 

 一言で疑問は霧散した、しかし、遅かった。

 いや、時間の流れさえ滅茶苦茶なのだ。認識した時にはもう――エノラ・ゲイは、飛び立ってしまっていた。

 

〈代替プランをするしかない〉

 

 冷徹極まった声で、ガングートが淡々と続けた。あえて冷徹に務めているのだと、すぐに分かった。それがスネークに伝染し、彼女はどうにか、立ち上がることができた。

 

 万一、エノラ・ゲイが発艦されてしまった場合の代替プランとは、PALコードの入力だった。核弾頭には通常PALという安全装置が存在している。この対艦娘・深海凄艦用の新型核も同じだ。設計のベースはリトルボーイだが、新型故にPALは存在した。

 

〈コードは既に、北方棲姫が調べておいてくれた。だが入力は直接しかできない〉

 

「分かって、いる……」

 

〈破壊しなかったイクチオスのAI制御基板、つまり小脳が核発射は制御している、そこに直接PALコードを入力するんだ〉

 

 それは、ジョンが血眼で突き止めてくれた情報だった。

 あくまで彼が関わっていたのは、イクチオスの設計と制御AIの二つ。しかし、どちらにも核発射の機構はなかった。だからこそ、残る小脳に制御プログラムがあると分かったのだ。

 

 だが、無慈悲に深海凄艦が迫る。G.Wが役に立たない今、艤装も碌に使えない。ミサイルは撃てるが、狙いは碌に定まらない。そもそも視界が定まらない、このコンソールを見るにも、息がかかる程近くなければならないのだ。どれだけできるか、スネークは歯を食い縛り、イクチオスに寄りかかりながら、P90を構えた。

 

 スネークのP90の前に、人影があった。

 戦艦大和の巨体が、深海凄艦に立ち塞がっていた。スネークは怯んだ、彼女は全身から血を流し、艤装に亀裂が入り、油をこぼしながら、立っていたのだ。

 

 大和はただ、無言でスネークを見つめた。そして、獣のような絶叫を上げながら、深海凄艦の群れへと突っ込んでいく。

 

 あの状態、普通ではない。この場の艦娘は全員、異常な不調に襲われている。G.Wの様子を見るに、艤装に影響を与えるものだ。そんな状態で動いた結果が、あのボロボロの姿なのだ。理由は分からないが、スネークはまだ、マシな方だ、大和は話さなかったのではなく、その余裕さえないのだ。

 

 なにを呻いているのだ、大和でさえ命を張っているのだ、私が張らなくてどうする。スネークは舌を噛み、激痛を持って覚醒した。G.Wが壊れている今、入力は全て私がしなくてはならないのだ。

 

〈……エノラ・ゲイ、阻止限界地点まで、残り、約十分だ〉

 

 しかし、思わぬ壁が現れた。それは、北条からもたらされた。

 

〈スネーク不味いぞ、このままだと入力ができねえ!〉

 

 絶望的な真実が、告げられた。

 

〈スペクターの制御機構の解析をしたが、こいつらは特定の遺伝子コードの認証を持って、管理者登録がされる仕組みになってやがる。管理者権限がなけりゃ、システムは全てを弾く〉

 

 スネークは自分自身の発言を思い出す。

イクチオスもまた、一種のスペクターなのだと。もしイクチオスの制御機構がスペクターと同じだったとしたら。

 

〈どうすれば良い、方法はあるんだろう!〉

 

〈今登録されている管理者が、文字通り死ねば、権限はフリーになる。そうなりゃ介入できる……イロハ級を統率できる、姫級なら〉

 

 スネークは懐にある、北方棲姫の艤装の一部を確認する。万一に備え、伊58に運んでもらったものだ。しかし、北方棲姫の居場所とは離れ過ぎている。それこそが不確定要素だったが、もはやそれしなかった。

 

〈……おい待て、水鬼は確か〉

 

 スネークが絶句した、まさか、その為に逃げたのか?

 万一の時、管理者権限を奪われない為に、殺されない距離で、かつ姫級の影響が及ぶ範囲まで。そうなれば、スネークにも、誰にも、できることはなかった。

 

 だが、思い出した。

 彼女はこの結果を、分かって行動した訳ではないだろう。ただの偶然に過ぎない、単に少し、用心深かっただけ、しかしそれこそが『幸運』を呼ぶのだと理解した。

 

 無線機は、雪風にも繋がっていたのだ。




アーセナルギアMk-2(MGS2)

 超ド級潜水艦アーセナルギアに第一改装を施した姿。
 現状、ミサイルなどの補給がままならない点を考慮し、直接戦闘能力の向上を目的とし、改修されている。その為正確にはコンバート改装に近い面がある。
 具体的にはVLSの数を数千から500発程度まで削減。空いた部分はメタルギア・レイの搭載数を25機から28機に増量。そのレイには酸素魚雷を搭載。加えて格納型の対空機銃を装備。更にWW2基準だが、水中でも動ける様にパッシブ・アクティブソナー両方を搭載。アーセナル級の巨体だからこそできる技である。
 更にアウターヘイブンに搭載されていたオクトカムを装備し、艤装を解除すればソリダス・スネークの装備していたジェットユニットも使用可能になる。また艤装の稼働も改造し、艤装装備中でもCQCに支障がでない構造となっている。
 ちなみに改装資材は明石が勝手に持ち出した物であり、この時点で明石は軍法会議確定である。もちろん逃げる気しかないようだ。


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File41 戦乱に棲くう姫

 瀬戸内海を飛び越えて、エノラ・ゲイがヒロシマへと飛び去っていく。昔とは違い、完全無人制御として再設計された速度は、人間では出せないレベルになっている。仮にスネークがミサイルを発射しても、命中確率は極めて低かった。

 

 しかしこの事態は、戦艦水鬼からしても、少し予想外の状態だった。

 まさか、そこまでやるとは。江田島から更に離れた洋上で、水鬼はエノラ・ゲイの去る空を見上げていた。

 

 あの体調不良は、()()()()の切り札だ。数でも質でも劣ってしまうあいつらが、米ソ日の三大大国と渡り合う為の数少ないカード。しかも正体不明のJOKERだ。だが、何回も切ってしまえばそれだけ正体へのヒントを与えてしまう。

 

 だからこそ、ここで成功させたいのだ、大きなリスクを背負ってでも。何としても、この世界の全てを滅ぼしたくてたまらないのだ。ヒロシマへ核を落としたいのだ、それが目的なのだ。

 

 想像し難い報復心を想像しながら、水鬼は欠伸を隠さない。

 彼女にとってはどちらでも良かった、世界が終わってしまうなら、それならそれでも構わなかった。最後に起こる第三次世界大戦に、自分がいれば良いのだ。

 

「良い朝ね、そう思わない?」

 

 誰よりも生きた分、誰よりも戦争をしていた駆逐艦に、水鬼は問い掛けた。

 

 

 

 

―― File41 戦乱に棲くう姫 ――

 

 

 

 

――2009年8月6日8:00 瀬戸内海

 

 エノラ・ゲイが発艦されてしまった、それを止める為にはメタルギア・イクチオスにアクセスし、艦載機の制御権限を奪わなくてはならない。しかし、それには今権限を持っている水鬼を沈めなければならない。

 

 また発生した異常現象の中、水鬼をまともに相手できるのは雪風しかいなかった。そもそも今から追い付ける場所にいるのも、雪風だけだったが。残る時間はおおよそ十分、世界が終わるまでの、最後のチャンスだ。

 

「本気で、核を撃つのですか」

 

「冗談で、核を撃つと言うのかしら」

 

「撃つように見せかけるのが、核抑止ですよ」

 

「抑止の時代は今日で終わり、明日からは新しい抑止力の時代、嘘で誤魔化す必要なんてないの」

 

 艦娘と深海凄艦の戦争が、人間同士の戦争を抑止する。大規模な戦争が起きないだけでも、十分な価値がある。しかし、その為だけに、核を落とさないといけないのか。どうしてもそうとは思えなかった。

 

「でも、貴女は本当に、運が良いわね」

 

 水鬼が、椅子のようにもたれ掛かっていた艤装の腕から降りて、雪風を見ながら歩く。彼女を見定めるように、周りを歩く。

 

「この海の中から、丁度良く私を見つけだして。あいつらの切り札からも、射程距離外にいて。流石は幸運艦」

 

「経験ですよ」

 

「そうだったわね、最初期から前線で戦ってる古強者。でも私もそれなりに、長く戦場にいるわ、簡単にはいかないわよ?」

 

 水鬼の艤装が、轟音を立てて動き出す。大和の艤装とは比較にならない程巨大かつ、獰猛な鉄の獣が、低く唸るだけで、背筋が凍りそうになる。本能的に格が違うと、分かっているのだ。

 

「世界は平和になるべき、だからこそ、最初で最後の核がいる。この一発が、新しい時代を作り上げる!」

 

「違いますよね?」

 

 しかし恐怖はなかった、雪風は当然のように、その一言を発した。

 

「平和、望んでませんよね?」

 

 一瞬、驚いた顔をしたが、水鬼はすぐ、いつもの薄ら笑いに戻った。

 

「なぜかしら」

 

「だって、水鬼さん、全然必死じゃないんですもん」

 

「……必死、じゃない?」

 

 流石に驚いた顔をした、だが雪風から見ると、それさえ取り繕ったものにしか見えなかった。

 

「平和じゃなくて、戦争も終わって、生きること以外できなくても、みんな、必死で生きようとしてました。先の見えない真っ暗闇の中で、がむしゃらに足掻いていました、雪風も、必死で頑張りました」

 

 ただ生きるだけでも、人間はまだ頑張れる。そのエネルギーがどこから来るのか、雪風は敢えて答えを求めなかった。きっと人によって違うし、ましてや当時兵器だった自分では、機械の眼でしか見れない。求めたとしても、それは自分だけの真実だけだ。

 

「でも水鬼さん、貴女全然頑張ってないじゃないですか。核発射も一回阻止されて、今、もし倒されたら終わりなのに、ヘラヘラ笑ってばっかり」

 

「楽しみなのよ、これから始まる時代がね」

 

「そうですか、でも楽しみなの、平和じゃないですよね」

 

 確信をもって、雪風は断言した。

 

「望みは、戦争ですか」

 

 戦艦水鬼が歩みを止め、雪風をじっと見つめる。平和の為、そう語る仮面の下では、何も感じていなかったのだ。そして、能面さえも偽りなら。

 

「完敗だわ、そこまで、分かっているなら、意味はない」

 

 能面に、亀裂が走る。瞬く間に広がり、口角を上げた時に、砕けていった。水鬼は心底嬉しそうに笑っていた。

 

「目的は平和という目的じゃなくて、手段の代理戦争ですか。手段が、目的でしたか」

 

「その通り、平和など建前でしかない。むしろ、こんな代理戦争での平和を本当に実現できる訳がない。艦娘が代わりに戦う? その間は平和? 馬鹿でしょう、人は追い詰められれば何でもできる、できてしまう。例え世界が滅んで、核の効かない私達だけの世界が生まれる、と分かっていても、撃つ決断をしかねない。死なばもろとも、その意気込みが、時に世界を滅ぼすのよ」

 

 死なばもろとも、水鬼の言葉を聞き、雪風はスネークを思い出した。自爆を顧みず、イクチオスにミサイルを叩き込んだ鬼気迫る瞬間。あの行動は結果として、核発射の一時的な阻止を成功させた。しかし同じ意志は、核発射を現実にしてしまう。どちらに転ぶのかは分からない。不安定な天秤に賭けざるを得ない平和、その対価が、終わりのない代理戦争だ。

 

「だけど、こうとも思わない。大切な者の為に死ねるのなら、大切なモノを護って死ねるなら本望だと。大切なモノ達を、憎悪で蹂躙できれば、どうなっても本望だとは、思わないかしら」

 

 誰かを護れれば?

 そんなことは何回も思った、何十回と感じ何千回と後悔した。けど多くを手放すしかなかった。零れ落ちたモノを拾う手は、冷たい水しぶきを切るだけだ。だからこそ余計に思ってしまう、今度こそはと。

 

「思うでしょう?」

 

 悪鬼のように、水鬼が笑った。

 

「思いますよ、仕方がないでしょう、雪風は、『雪風』なんですから」

 

「私も同じ、あの時の無念、憎悪、怒りは全て此処にある。私たちの報復心は、此処にある。完全に鏖殺したいという欲求は決して止まらない。けれど考えたことはないかしら、そうして鏖殺した先で、誰と戦えば良いのか。

 戦争は終わる、やがて終わる。例え私たちが彼岸から無限に現れるとしても、戦争は終わるでしょう。その終わり方は、深海凄艦が艦娘と人間を滅ぼすものかもしれない。逆かもしれない。じゃあそれで殺し合いは終わる?

 いいえ、構図を変え、規範を変え、新しい殺し合いが始まるだけ。深海凄艦だって一枚岩じゃない、D事案もある。凄まじい殺し合いになる。でも別に構わない、深海凄艦はそういう存在だもの。

悲惨なのは、艦娘の方。護りたいもの、護りたい人。人間、誇り、思い出、仲間、過去。そういったものを護り、平和を勝ち取るために、貴女達は戦っているのでしょう。でも絶対そうならないわ。

 だって、艦娘は強過ぎるもの。通常兵器は通用せず、艦艇サイズの兵器を簡単に陸上、屋内へ持ち込める。メタルギアなんかよりも、よっぽど革新的だわ。そんな兵器を、どの国も所有している。核に対抗するには核が必要だった、じゃあ艦娘には?

 そう、深海凄艦がいなくなって始まるのは、艦娘同士の沈め合い。

 今までは深海凄艦が抑止していた大国間の争いが激化する。護る筈だった仲間に砲を向けなければいけない、殺し合わなくてはいけない。悲しい過去を、より一層惨たらしい形で甦らさなければいけない。核は世界を滅ぼすから使用されなかった、逆に言えば、世界を滅ぼさない程度に強い艦娘は、絶対に利用される。

 そんな未来は、決して望んでいないでしょう。

 なら、今を、理想的な戦争を永遠に続ければいい。平和の為の代理戦争を永遠に続ければいい。それだけで、貴女達の欲求は全て満たせる。

 深海凄艦という分かりやすい悪役を敵にして、仲間を、国家を、人々を、過去を守り抜く。静かな海を取り戻す。貴方達の理想とする役割を永遠に続けられる。私たちも、この恐ろしい憎悪を、永遠にぶつけられる。

 いずれにせよ、道はそれしかない。艦娘も深海凄艦も兵器なのよ、大和を見れば分かるでしょう、戦えないことを恐れるあの姿を。解体されても、人間社会に馴染めず軍に戻る艦娘を知っているでしょう。

 どうやっても、私たちは兵器。殺すための存在が、平和を享受できることなんてない。ましてや、平和など訪れない。永遠に、国家や時代に、平和の為と、翻弄されるだけ。なら続けましょうよ、平和の為の戦争を。

 その世界に行けるなら、世界がどうなろうと構いやしないわ。

 誰もがそれを望んでいる、貴女は感じたことがない?

 史実を違い、仲間を護れたことの達成感、仲間を沈めずに済んだ事の幸福感――戦場で感じる命の遣り取り、そのスリルと昂揚感を感じた兵士は、また戦場へ戻ってくる。ならば、兵器である私たちは、もっとじゃないの。何度でも史実を覆し、何度でも仲間を護る。私たち愛国者達の目指す天国の外側(アウター・ヘブン)でなら、それが実現できるのよ?」

 

「全く思いません」

 

 しかし雪風は、悪魔の誘惑をあっさりと跳ね除けた。

 

「何を根拠に?」

 

「雪風は、人間になれて良かったと感じているからです。戦う為の存在でも、戦うだけの存在じゃありません」

 

「戦場に居続けた貴女が、それを口にするの、戦うことしかしなかった貴女が――」

 

「どこでも変わりません、雪風は頑張るだけです。いつものように!」

 

 戦いに喜びを感じるのは仕方がない、どこか機械的で、不気味で、過去のトラウマを拂拭する度に高揚するのも仕方がない。だって私たちは亡霊だ、幽霊と言えば、過去にしがみ付く化け物だ。

 

 だが、生きている。どういう訳か心臓を鳴らして、感情に振り回される怪物だ。

 雪風が『雪風』として成すべきことは、一つしかない。生きること、例え核が空を飛ぼうと、沖縄へ特攻を命じられようと、いつもの様に、生かそうとすること。

 此処にいる、たった一隻の幸運艦は、その先にこそ、平和があると信じていた。誰かが生きているから、平和があるのだ。

 

「良イワネ、ソウイウノ、悪クナイ。デモ私モ頑張ルツモリヨ、此処ガ私ノ正念場――一歩モ譲レナイノナラ、戦争シカ道ハナイ」

 

 エノラ・ゲイ阻止限界まで残り十分、その針が鳴った時、二人の主砲は交差した。

 

「沈メ!」

 

 

*

 

 

――2009年8月6日8:05 瀬戸内海

 

 弾速、威力、全てにおいて水鬼の方が上だった。ギリギリのところで回避したものの、それでも凄まじい衝撃が頬を殴り飛ばす。そのまま吹き飛ばされてもおかしくないが、完璧な受け身を取れたのは長年の経験故だった。

 

 無茶をしたのは、射線を維持するためだった。水鬼の装甲の、つなぎ目を確実に狙撃すれば、多少なりとも効果がある筈。賭けの甲斐あって、雪風の主砲は完璧な軌道を描いて着弾した。

 

 だが水鬼は嘲笑うかのように、一歩も怯まず前進した。

 僅かなダメージも入っておらず、薄い漆黒のドレスにも焦げ目一つない。この時点で主砲が意味を成さないのは理解した。

 

 やはりシンプルに、魚雷しか通じないだろう。そもそも駆逐艦が主砲で戦艦を落とそうとする方が間違っている。雪風は、かつて軽巡神通と共に華の二水戦を背負っていたのだ。雷撃で負けるなど、恥でしかない。

 

「ドウシタノ、ソレデ終ワリカシラ?」

 

 水鬼が主砲に交えて無数の副砲を乱射する、挑発に乗ってはいけない、掠り傷でさえ致命傷だ。確実に雷撃を当てなければならないが、時間もない。雪風は自分の練度を信じ、弾幕の真正面に姿を晒した。

 

 水鬼は決して出鱈目に撃ってはいない、一発一発を確実に狙い、同時にそれが本命への誘導にもなるように意識している。分かっていても、主砲の狙いに入ってしまうような、高度な機械で計算された攻撃だ。

 

 だからこそ予測もできる、決め手の主砲が火を噴く直前、雪風は一発主砲を撃った。

 小さな砲弾は、発射直前だった主砲の砲塔に直撃した。破壊はできないが衝撃で狙いが逸れる、なまじ正確だった分、完全に外してしまった。

 

 本当なら主砲を発射する筈だった射線が、まるまる空白になる。そこに向けて、魚雷は既に発射をしていた。

 

「サスガネ」

 

 水鬼の主砲に砲撃が当たる時と、魚雷の直撃は全く同時だった。

 だが雪風は止まらずに、煙幕に向けて砲撃を放つと、それは水鬼の攻撃に当たり、二人の砲撃は相殺された。

 

「デモ、足リナイワ」

 

 煙の中から、ほとんど無傷の水鬼が現れた。

 魚雷のダメージは確認できるが、大きくはない。夜間ならもっと接近できるが、早朝ではこれが限界だ。

 時間をかけ、雷撃を続ければ勝てるだろう。しかし忘れてはいけない、この戦いが許されるのは、もう十分もない。

 

「アト、八分」

 

 エノラ・ゲイ阻止可能地点到達まで、あと八分。

 普通の方法では駄目だ、時間が足りない。核が落っこちた後に水鬼を沈めても、何も意味がない。時間が刻まれるごとに、水鬼が興奮していくのが良く分かった。

 

「サア、ドウスルノカシラ? 頑張ッテ魚雷ヲ続ケルノ?」

 

 雪風は生唾を呑み込んだ、きっと水鬼と同じぐらい、正気じゃない。少なくとも水雷屋の戦い方じゃない。

 けど、笑える程気分が高揚する。いや、無茶苦茶過ぎるからかもしれないが。

 

「何ヲ笑ッテイルノ?」

 

 水鬼の問い掛けに対し、雪風は無線機を掲げた。

 

「スネーク、聞こえてますか?」

 

〈……いったい、何の、用、だ!?〉

 

「この無線機、発信機ありますよね。それを目標に、ミサイルを発射してください」

 

〈馬鹿な、G.Wが使えない今、照準は碌に定まらないぞ〉

 

「あとで、目印を出しますから」

 

〈正気か!? この時間帯では、照明弾は使えないぞ、どうやって〉

 

「大丈夫、雪風は沈みません!」

 

 ほぼ一方的に無線を切ってしまった、けど決断は早いスネークのことだ、あと数十秒でミサイルの嵐がやって来る。

 

「訂正シヨウ、オ前ハ兵器デハナイ。タダノAIデハ、コンナ真似ハデキナイ。間違イ無ク狂人ダワ」

 

「それはどうも」

 

 だしぬけに、水鬼が砲撃を放つ。

 雪風は顔だけ動かして砲撃を回避し、入れ違い様に砲撃する。水鬼の姿勢は、砲撃を発射した反動で不安定になっていた、回避はできず、砲身にまた攻撃が直撃する。しかし水鬼は気にした様子もなく、嵐のような弾幕を張り続けていた。

 

 雪風もまた、さも当然のように弾幕を回避していく。接近させない為の、荒い照準ではあったが、しかし当たれば即死の攻撃を、涼しい顔でくぐり抜ける様は、水鬼に一種の感服さえ与える。

 

「大和ヨリ、ヨッポド機械ミタイネ」

 

「そうですか」

 

「後6分、マダミサイルハ来ナイワネ」

 

「来ますよ、絶対に」

 

 水鬼が何を言おうと、雪風は冷たい顔を崩そうとはしなかった。それが挑発だと分かっていた、乗れば最後、主砲を喰らって終わりだ。とことん無視するに限る、淡々と砲撃を放てばそれで十分だ。

 

 余りにも当たらないことに、水鬼が少し苛立ち始めた時、空から轟音が響き渡った。

 次の瞬間にはもう、海は火の海と化していた。

 次々と飛来するアーセナルギアのミサイルが海面に激突し爆発する、破片と衝撃が飛び散り、海を爆風で染め上げていく。

 

 こうなれば、水鬼も余裕はない。今まで雪風に向けていた副砲や対空砲は、全てミサイルの迎撃に当てざるを得ない。雪風と違い小回りに欠ける巨体の水鬼は、そうやって迎え撃つしかできないのだ。

 しかし水鬼はむしろ、より嬉しそうに浮足立っていた。

 

「残リ5分、後半分! 良イワ、良イ戦場ダワ!」

 

 満面の笑みを浮かべて、水鬼は右手を大空へ突き出した。落ちて来るミサイルを掴もうとしているようだった。だが右手は突如蠢きだし、変貌し始めた。激しく出血しながら右手その物が肥大化していき、内側から食い破るように、新たな右手が現れた。

 

 まるで、マグマがそのまま固まったような異形を更に突き破り、夥しい数の――対空砲――副砲――高角砲――機銃――が現れる。あらゆる対空兵装を文字通り固めた、異常な代物。それが元々水鬼の腕ではないのは、言うまでもなかった。

 

 並行世界で建造された21世紀の戦艦を嘲笑いながら、無数にあった筈のミサイルが迎撃されていく。対空レーダーも間違いなく入っている。簡単にいかないとは思っていたが、これは予想外だった。

 

「良イ義手デショ、スペクタート同ジ技術デ作ッテモラッタノ」

 

「不気味だと思います」

 

「正直ネ、デモ、何時マデソウシテイラレルカシラ!?」

 

 義手の砲火が、不意に雪風へ向けられた。

 アーセナルのミサイルを全て迎撃できる弾幕だ、付け入る隙間は全く存在しない。今までのように掻い潜ることさえできない、弾幕というより、それは密集した壁と言って良かった。そうなれば、戦艦と駆逐艦では蹂躙されるしかない。

 

 夜戦でもなく、隠れる場所もない。あるべき艦隊決戦の舞台で、雪風は追い詰められるほかなかった。

 だがそれでも尚、雪風は平然と動き回っていた。あくまで冷静に、攻撃の予兆を見極め、的確に対応し、僅かな隙間があれば、そこへ僅かな攻撃を加えていく。効果がなくとも、関係なく続けていく。

 

 再度ミサイルの迎撃に、義手を振り上げる時、雪風への攻撃は薄まってしまう。その瞬間に一気に接近し、至近距離からの雷撃を叩き込んでくるのだ。それでもダメージはないが、水鬼からすれば面白みがなかった。

 

「後四分、ソロソロ、終ワラセテモ良イカモネ」

 

 そう言って、今まで微動だにしなかった水鬼が、遂に動きだした。

 戦艦だから小回りは効かない、だが、さすがは深海凄艦の姫なのか。瞬間的な速度は、もはや艦で出していい勢いではなかった。

 

 スネークのミサイルは、相変わらず滅茶苦茶に降り注いでいる。承知の上だが、それは雪風の上にも落ちていた。それを回避しながら、かつ水鬼の砲撃も回避していたのだ。ハッキリ言って、精一杯だった。しかし水鬼まで突撃してきたら、対応できる可能性は殆ど無かった。

 

 それでも雪風は一歩も怯まずに、あえて水鬼へと足を踏み込んだ。

 振り下ろされた剛腕に向けて爆雷を投げ、衝撃で勢いを削ぐ。その一瞬を使い水鬼の股座へと滑り込み、雪風は水鬼の背負う艤装の後ろへ回りこんだ。

 

「ソノ程度デ、見失ウ訳ナイデショ!」

 

 水鬼の自律型艤装が、彼女の義手より巨大な剛腕を叩き付ける。確実に仕留めるために大振りで振るわれた腕に、雪風はその手をかけた。

 雪風の片腕が、ぐじゃぐしゃにひしゃげた。原型など留めず、跡形もなく消え去る。だが彼女自身はその代償に、艤装の腕を足場に跳躍する、着地した先は、水鬼の頭だった。

 

「全部、発射します」

 

 背中の魚雷発射管が回転し、水鬼の頭頂部を捉える。回避ができない程近くでばら撒かれた魚雷は、そのまま艤装へ突き刺さり、次々と連鎖爆発を巻き起こす。近くにいた雪風自身は巻き込まれた――かに見えて、直前で脱出していた。

 

 爆炎に呑まれる水鬼、持っている魚雷は全て発射した。普通ならこれで沈んでいるだろう、しかし、きっと、ほぼ無傷で突っ立っている。雪風はそう予想し、予想は完全に合致していた。少し焦げた艤装を唸らせて、全身の火器が動き出す。

 

 逃げようとするが、ここに来てアーセナルのミサイルが、雪風の周りにばかり落ち始めた。狙っている訳ではない、運が悪いだけだ。水鬼もこの瞬間を見逃さないように、照準を、時間をかけて整える。

 

「名残惜シイケド、オ楽シミハ、コレデオ終イ」

 

 水鬼に慢心はなかった、大量にばら撒かれるミサイルが、簡単に致命傷を与えることを理解していた。だからこそ、雪風を沈めるチャンスを決して逃しはしなかった。だからこそ、照準も、発射のタイミングも、完璧なものだった。

 

 だからこそ、雪風にとっても、完璧なタイミングだった。

 

 雪風の12.7センチ主砲が発射された。

 砲弾は水鬼の主砲の、砲塔へと吸い込まれていく。掠り傷にもならない、矮小な攻撃が当たった時――水鬼の砲塔が、圧し折れた。

 発射直前の、砲塔が。

 

 しかし、それは狙って行われたものだった。初めから、これが狙いだった。

 姫の艤装であっても、発射直後は高い熱を持ち、その分耐久が落ちる。その一瞬に砲撃を、何度も叩きこめば、いずれ圧し折れる。

 

 折るのは一本で十分だった、なぜならその瞬間は、水鬼がまさに砲撃をする寸前だったのだから。発射される筈だった砲撃は、折れた砲塔に阻まれ行き場を失う。逆流したエネルギーはそのまま主砲の弾薬庫へと雪崩れ込み、あとは全て、連動して爆発するだけだった。

 

 水鬼の艤装が、見るも無残に爆発する。水鬼本人も、近くにいた雪風も、爆風に巻き込まれた。むせ返りながら、それでも水鬼は倒れなかった。艤装は激しく燃えながら、黒煙を吹き出している。しかし、本人と義手はまだ無事だった。

 

「……巻キ込マレテ、沈ンダノカシラ」

 

「生きてます」

 

 振り返った時にはもう、雪風が跳ねていた。

 水鬼の予想以上にボロボロだった、片目は潰れ、華奢な四肢はどす黒く焼けている。艤装も大破し、黒煙をもうもうと吐き出していた。

 

 まだ動けるのが不思議な体で、雪風は、水鬼の義手に、文字通り飛び付いた。

 小突くだけでも、轟沈するだろう。まだ足掻くのか、駆逐艦一隻で、私の艤装を完全に破壊した。それで十分じゃないか――などと、一瞬でも考えた水鬼は、自身を呪い――雪風に惜しみない称賛を送った。

 

 水鬼は、この瞬間、詰んだのだ。

 

「離セ!」

 

「やです!」

 

 水鬼の眼には、恐ろしい光景が迫っていた。

 まばらだったスネークのミサイルが、全て、水鬼ただ一人に集中し始めていた。狙いが定まったのだ、頭上にある、立ち昇る黒煙が目印だ。駆逐艦と戦艦、計二隻分の、大破炎上の炎だ、遠くからでも、見えるに決まっている。

 

 迎撃する為の、対空兵装を詰めた義手には、雪風本人が抱き着いていた。

 発射しても、駆逐艦の残骸がそのまま防いでしまう。それ以前に、ここまで密着されていたら、またエネルギーが逆流する。

 

 水鬼は無事な腕で、義手に抱き着く雪風を殴りながら、ミサイルから逃げ惑う以外、もう道は無かった。スネークのミサイルは燃える水鬼を目印に、どこまでも追跡してくる。あと数分で、エノラ・ゲイが辿り着くのに。

 

「死ヌ気、貴女ハ死ナナイインジャナカッタノ」

 

「死にませんよ、でも命は賭けます、賭けた上で、雪風は生きることを目指します」

 

 ミサイルが、ついに水鬼を捉えた。

 ミサイルが目前に迫り、迎撃が間に合わない事を見届けて、雪風はひょいと、水鬼から離れた。

 

「……爆風ハドウスルノ?」

 

「運には自信がありますので」

 

 水鬼は、また笑っていた。

 嘲笑のような、満足しているような、少し悲しんでいるような、けど何処か安心しているような雰囲気で笑っていた。

 ミサイルが炸裂し、視界が真っ白に吹き飛ばされる。

 その閃光は、眩し過ぎる朝日よりも、ずっとずっと、白くて眩しかった。




PEACE(平和)
 一般的には戦争や暴力等で社会が乱れていない状態を指す。しかし一方で、戦争の為の準備期間だという考え方もある。また人間社会でない、自然環境においては、常に生物は生存闘争の中にある。これを自然状態とした場合、平和はむしろ非自然的な状態であるとイヌマエル・カントは考えた。よって非自然的状態を維持する為には、常に行動を続けなくてはならないと提唱している。
 また、平和を維持する為の方法の一つが『抑止力』である。ある方法を用いて、相手型の戦争行動を抑止するという考え方であり、必ず先手を取れる対艦巨砲主義も、撃てば必ず撃ち返される核報復も、同様の考え方に基づいている。
 しかし、いずれも確実な理論に基づいておらず、机上の空論でしかないとも言われている。実際に1962年のキューバ危機においては、報復行動も考慮した上で、核発射が実行される瀬戸際となっている。
 ただし現代においては、米ソによる二大大国構造が崩壊し、テロ集団でも核を保有する可能性が高まっている。この場合、特定の拠点や国家を持たない為、核抑止の理論が成り立たなくなる危険性が指摘されている。


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File42 HEAVENS DIVIDE

―― File42 HEAVENS DIVIDE ――

 

 

 

 

――2009年8月6日8:16 瀬戸内海

 

 夏の朝空は、雲の一つもなく、地平線まで晴れ渡る。照り付ける太陽は強く輝き、白い肌をじりじりと焼き、肌はたまらず汗を流した。どっと溢れる汗が顔を覆うと、風に煽られた波を浴びて、全部洗い流す。しかし、塩が少し痛かった。

 

 あの日の空は、こんな空だっただろうか。

 同じ空は見ていたけれど、雪風は京都の漁港にいて、広島の近くにはいなかった。青葉が見たあの光を、彼女ほど近くで観たことはない。全て艦娘になって、後追いの知識で身に付けたに過ぎない。

 

 核は落ちた、その後は平和だった。

 核は阻止した、けど戦争は続く。害虫駆除と銘打った戦争は。

 どちらの方が良かったのか、知る術は全くない。知る必要もない、雪風にとっては、平和も戦争も変わりないのだから。

 

 核は落ちなかった、ヒロシマの人々が犠牲になることも、日本が核を発射することもなく、戦いはとりあえず終わった。今は、それで十分じゃないか。あと、ボロボロになってしまったが、私も生き残れた。

 

「……負ケタワ」

 

 まさか、生きている? 権限の奪取はできていない?

 一瞬焦ったが、心配は不要だった。水鬼の体は半分が消し飛び、胸と顔ぐらいしか原型を留めていないのだから。話せるのは、完全に沈没するまでの間だけだった。

 

「雪風、大丈夫か」

 

 じゃぶん、と音を立てて、スネークが浮上してきた。

 

「エノラ・ゲイは」

 

「阻止した、適当な場所に不時着させてある。大本営の改修班が向かったらしいが、取り付けられていた核弾頭がないらしい、不思議なことにな」

 

 人差し指を口につけ、スネークは笑う。その方が良い、これ以上核を持つ必要はない。テロリスト紛いの艦娘に任せるのも不安だが、彼女なら、無暗に使用することは絶対にないだろう。傍には、あの光を視た青葉もいる。

 

「スネーク、貴女も、そこにいるの?」

 

「ああ、お前の計画も、愛国者達の計画も、これで終わりだ。デモンストレーションは、失敗に終わった」

 

 デモンストレーションというだけあり、この戦い――主にメタルギア・イクチオスの戦闘は、アングラなネットワークで配信されていた。しかし、イクチオスは破壊され、核発射も失敗している。これで購買意欲をそそられる勢力は、そう多くない。

 

「……いいえ、これでも、良い」

 

 水鬼の雰囲気が、何かが変わった。

 

「核発射を、雪風が防ぐことは少し想定外だったけど、イクチオスはスネークが破壊してくれたから、問題ないわ」

 

「何を言っている?」

 

「けど、誰よりも生き残った幸運艦が、英雄の一角になるのも、面白いかもしれないわね」

 

 英雄とは、レイテの英雄の事だろうか。

 スネークは既に、デジタル、アナログ問わずに伝説になりつつある。レイテ、ソロモン、そして今回のメタルギア・イクチオス。しかも、広島への核投下を防いだという偉業だ。

 

 大本営も、各国の諜報機関も、情報統制をするだろう。報復心を煽り、全面戦争に持ち込むのが水鬼の狙いだったのだから。それでも抜け穴はある、そこから情報は洩れ、噂として――伝説の物語として、広まっていく。またスネークは、英雄となる。そこに今回は、雪風も加わるだろう。けど、それが何だと言うのか。

 

「スネークは望まないの?」

 

「戦いに、戦士たちが求められ、望む戦いを続けられる未来か?」

 

「分かるでしょう、歴史から抹消され、そもそもなかったことにされた貴女なら、必要とされなければ、消えるだけ、その恐怖は知っているでしょ」

 

 スネークの顔に、明らかな動揺があった。覚えがあるのだろう、水鬼の言う恐怖を知っているのだ。

 

「まあな、だが、そんな未来は望まない」

 

 しかし彼女は恐怖を押し殺し、水鬼を見据える。

 

「私は自由に生きたい、どんな形であれ、人生を楽しみたい。そんな艦娘でありたい」

 

 なぜか、素直な発言に聞こえなかった。どちらかと言えば、そんな生き方に憧れているような、渇望にも感じられた。心からの思いなのは違いない、雪風もそうだ、少なくとも、後悔する一生は送りたくない。

 

「そう、そうであるべきなの、艦娘も、深海凄艦も」

 

「さっきから、何が言いたいんだ」

 

「愛国者達の、真の目的を語っているのよ」

 

 スネークの動揺は、先程よりも遥かに大きかった。

 

「私たちの戦いの先に、望むべき未来など、存在しない。だからこそ、永遠に史実の再現を繰り返さなくてはならない。そして、過去を何度もやり直す。けど、それだけではいつか、限界が来てしまう。過去にも未来にも道はなくなり、全ては終わりを迎えてしまう。一歩間違えれば、艦娘が人類を滅ぼす結末さえ、来るかもしれない」

 

 馬鹿な、スネークは叫びたかった。

 しかし、実際の現実は非常だ。深海凄艦が全滅したら、残る艦娘は、今度は人類同士の戦いに使われる。元々の仲間を殺し、トラウマを抉る作戦だってやらされる。提督も伴って、永遠に自由を奪われる。

 

 こき使われた挙句、人類の敵にされるかもしれない。その時、提督と艦娘たちは、反乱しないと断定できるのか。深海凄艦を怪物とするなら、艦娘も怪物だ。人間たちはその時、艦娘を退治しようとするかもしれない。

 

「だからこそ彼女たちには、希望が必要なのよ。未来は必ず来る、平和と静かな海は、必ず掴み取れるという希望が」

 

「それが愛国者達の目的か」

 

「スネーク、貴女も薄々、気づいているんじゃない。貴女の英雄談は、全て仕組まれたものだって」

 

「……いつからだ」

 

「最初から、特にあの、ソロモン諸島での戦い。似ていると思わなかった? サンズ・オブ・リバティによる、ビッグ・シェル占拠事件での顛末に」

 

 スネークの動揺は、いよいよ最高潮を迎えた。おのずと予想はしていたが、確信をもって突き付けられるのは初めてだった。

 

「S3は始まっている、そして愛国者達は、愛国者達の理念のまま活動しているわ」

 

「世界を一つにすることだとでも言うのか」

 

「知っているじゃない、スネーク、貴女の役割は英雄、彼女たちへの希望。やる必要のない核を発射したのも、貴女に止めて貰う為だったのよ。またスネークが、世界を救ったと言うストーリなの」

 

 最初から仕組まれていた、なら青葉との出会いも、此処に至るまでの道筋も予定通りだったということか。しかし、納得もしていた。スネークの規範は、いまだ空のままだった。そこになにか、意味を見出す為に生きていた。予め用意された規範に誘導されて、当り前だった。ショックだが、後悔はない。この戦いで感じたことは、間違い無く私だけの情報(MEME)だ。

 ……と、考えさせる辺りが、愛国者達の狙いだとしても。

 

「後悔なんて、してないのね」

 

「当然だ」

 

「ソウ――」

 

 水鬼が激しく咽たかと思うと、口から血が溢れた。夥しい量の吐血は彼女の顔を真っ赤に染めて、海へと漏れ出していく。

 動いたのはスネークではなく、雪風だった。

 しゃがみ込み、顔を支えて、水鬼の眼を真っ直ぐに見つめていた。助けたくて、しかしもう手遅れで、戸惑っていて、できることをやっているようだった。

 

「ナニヲ」

 

「少し、楽になりましたか」

 

「……私ハ、エノラ・ゲイヲ落トソウトシタノヨ」

 

「目的がなんであれ、雪風は、全力で闘った人を侮辱したりはしません」

 

 水鬼もスネークも、一瞬きょとんとした目で、雪風を見つめる。二人で目を合わせて、納得した。ああ、これが雪風か。スネークとは違うが、紛れもなく、英雄のそれだった。彼女の行動に、満足したのだろう。水鬼は深くため息をつき、穏やかに笑っていた。

 

「スネーク、アフリカへ行きなさい」

 

「アフリカだと?」

 

「そこで、貴女の出生を追いなさい、そこに、全ての真相がある。そこで、真実を見つけ出しなさい。このまま終わるのを、望まないなら」

 

「……なぜ、そんなことを教える」

 

「私は戦争がしたかった、恨みつらみのまま泥沼の戦争がしたかった。その願いは叶った。私の好きな戦いは、奪い、奪われるシンプルなもの。そして私は負けた、だからよ……後悔は、ないわ」

 

 水鬼はそう言い残し、あっと言う間に、風になった。

 残された血が、海を真っ赤に染めている。遠目で見れば、まるで、巨大な赤い花に見えなくもなかった。

 

 

*

 

 

 戻ってきた呉鎮守府は、凄まじい騒がしさに覆われていた。

 まず、破壊された鎮守府の復旧に、やられた艦娘の修理、事の報告、行方を晦ませた核の調査(スネークのせいだが)。明石に限らず、動けるものは全員動いていた。

 

 スネークは青葉を探しに、こっそりと鎮守府の奥へ向かう。ふと見ると、ボロボロになったメタルギア・イクチオスが、運ばれているのが見えた。制御権を奪うために、完全破壊はされなかった。貴重な深海凄艦のサンプルとして、細かく調査されるのだろう。

 

「おーい、雪風―」

 

 気の抜けた声の先には、北上と大井と――ジョンがいた。三人は破壊された艤装を積み上げて、修理に勤しんでいた。

 

「修理、でしょうか」

 

「うん、そう」

 

「そういえば、経験があったらしいですね」

 

 呉の港で完全に動けなくなっていた時の話だ、軽巡北上は工作艦の真似事をしながら、色々な艦を直していたらしい。ジョンは元々の知識で修理し、大井は二人の補助に回っているようだ。

 

「雪風も手伝います」

 

「いやいや、あたしよりも、そっちを手伝ってよ」

 

「分かりました」

 

 少し離れたところで作業するジョンの所に行こうとした時、後ろから、とても小さな声が聞こえた。

 

「ありがとね」

 

 返事をする必要は無かった、しかし、雪風の頬は上がりっぱなしだった。そんな顔のままで行くのだから、ジョンは怪訝な顔で出迎える。時々艤装整備の手伝いを齧ったこともあり、何か言われるまでもなく、そのまま手伝い始める。

 

 メタルギアを建造した経験はあるが、実際の艤装を整備した経験はない。ジョンの整備は若干ぎここちなかったが、丁寧な仕事だった。雪風にはほとんど目を向けず、淡々と作業を続けていく。

 

「とりあえずは、これぐらいじゃないでしょうか」

 

 艤装の山が一つはけて、雪風は聞いた。

 

「いや、もうちょっとやりたい」

 

「分かりました」

 

 作業のペースが更に上がっている、流石の吸収速度だ。若さの成せる技だ。それ以上に、彼はやる気に満ち溢れている。心から楽しんでいると、一目で分かった。その時、二人の元に一人の艦娘が現れた。

 

「あの、すいません、この艤装、治りました?」

 

 凄く申し訳なさそうなのは、ジョンを捕縛しようとした大和その人だった。結局、イクチオスの迎撃が決まっても、二人はお互いを避けたままだった。だが、人手が足りない今では、そうも言っていられない。

 

「……応急修理なら」

 

「分かりました」

 

 大和が艤装を背負い、そのまま警備に向かおうとする。この状況を狙って攻めてくる深海凄艦がいないとも限らない。しかし、二人は決して目を合わせようとしない。お互いに気まずいのだろう、特に大和からすれば。

 

 大和だけが悪いとは思っていない、正確に言えば、子供を捉えるよう命令した大本営が悪い。だがその大本営も、悪意で行った訳ではない。もし、あのまま誰にも気づかれず深海凄艦に掴まっていたら、今よりも更に悪いことが起きていたかもしれない。

 

 大本営に掴まっても、良い未来があるとは思えなかったが。だから雪風は、彼を安全な場所に逃がそうとした――移送ルートを漏らした裏切り者は、今も調査中だ。結果だけ見れば、まあ、マシな方にはなったが。誰かが明確な悪ではない、そんなものは存在しないのだ。だからといって、罪悪感の一片もないのは違うが。

 

「あの、ジョンさん」

 

「……なに」

 

「ありがとうございます、艤装、とても良い動きです」

 

 大事なのは、どう向き合うかだ。

 どうにかこうにか振り向いて、大和はお礼を言い、足早に立ち去っていった。難しいだろう、今まで自分を純然足る兵器だと考えていた。その認識を簡単に変えることはできない。だが変えることは、絶対にできる。

 

「……ありがとう、か」

 

「嬉しいですか?」

 

「まあね」

 

 ジョンの頬も、上がっていた。北上に「ありがとう」と言われた時の、雪風と同じように。もし、この言葉が世界中に届くのなら。自分の行動が、誰かのありがとうに繋がっていて、この笑顔を知っていたら。世界を滅ぼすことなんて、しようとしないだろう。

 

「やっぱり、楽しいな、こういうのは」

 

「メタルギアも、そうでしたか」

 

「うん、だけど、今の方が、もっと楽しいかな」

 

「……かなり悪いが、そこまでだ」

 

 現れたスネークと青葉は、とても気まずい顔をしていた。

 二人の後ろには、複数人の憲兵が控えていた。スネークと青葉の手には、一応手錠が嵌められている。ジョンも――どの道彼は、不法入国の罪がある――そうなるのだ。

 

「時間?」

 

「ああ」

 

「分かった、でも、あと少しだけ良い?」

 

「良いよな?」

 

 スネークの有無を言わさない圧力に、憲兵たちは首を振る。

 修復剤を染み込ませた包帯の隙間から滴る血が、まだら模様を描く。躊躇して当たり前の雪風の手を、ジョンは無言で握った。

 

「僕、国に帰りたい」

 

「それは、アメリカでしょうか」

 

「うん、国に帰って、やり直したい。もう、あんなのを見るのは嫌だ」

 

 たった数日の戦いは、彼の心を容赦なく抉っていた。

 共に研究した仲間たちが、スペクターの部品に変えられていたこと。建造していた兵器が、世界を滅ぼしかねないメタルギアだったこと。世界が終わるかもしれない瞬間に、立ち合ってしまったこと。

 

 まだ十二歳の子供にとってそれがどれだけの苦しみなのか、想像するのは容易かった。今もそうだ、後悔と罪悪感、悲しさや虚しさが、嫌な程に感じられる。ここで立ち止まっても何らおかしくない。

 

 しかし、その後悔こそが、彼を進ませる為の原動力になっていた。今はまだ、悲しみしかないかもしれないが、この先には明日がある。彼の瞳に、後悔が未来を与える日が来るかもしれない。そんな未来を、雪風は夢見た。

 

「やりなおせるよね?」

 

 難しい問いなのは、違いない。

 アメリカに戻ったとしても、彼ほどの技術者を政府が放置するとは考えにくい。メタルギアを建造したという負い目もある。そこに付け込み、また以前のように、利用するのかもしれない。また攫われて、ソ連のために働かされるのかもしれない。その先にまた、日本に亡命するかもしれない。

 

「やりなおせますよ」

 

 ――かもしれないのなら、雪風はより良い未来を信じた。

 

「本当に?」

 

「絶対に、その気があれば、人はどんな時からでも、やり直せます!」

 

「本当なの?」

 

「間違いありません、雪風は、ずっと、見てきましたから」

 

 嘘だった、だが、真実だった。

 真実に成れば良い、それで良い。独り子供に、夢を与えられるのなら、嘘でも必要なのだから。

 

「そう、だね」

 

 時間が来た、憲兵たちが向こうから歩いていく。ジョンは自ら、憲兵へと歩いていく。雪風に向けた背中が、少しづつ小さくなっていく。雪風のコネクションも、アメリカまでは及ばない。見送るしかできないのは久し振りだ、懐かしい気持ちになる。

 

〈……良いのか?〉

 

 憲兵に手錠をかけられ、背中が見えなくなった時、無線が鳴った。

 

「良いんですよ、これで」

 

〈お前の力が届かなくても、私なら届くかもしれない。CIAに奴を任せることが、得策とは思えない〉

 

 無線機から聞こえるスネークの声も、ジョンと同じぐらい幼く聞こえた。

 

「彼も分かっています、その上で、戻ることを望んだのなら、雪風は尊重します」

 

〈そうか……〉

 

 もっとも、それだけではないが。しかしこればかりは、絶対にスネークには理解できないものだ。普通の艦娘や、人間にしかない感覚なのだから。

 

〈一応伝えておく、合衆国の引き渡しまでの間、ジョンの尋問がされる。過酷なものではないのは確かだから安心しろ、隣で私も見させてもらう、ここの憲兵は物わかりが良くて良い。尋問の内容は、奴が知っていることの全てだ〉

 

「そうですか」

 

 色々聞かれるだろう、特に水鬼が関わっていたスペクターや、メタルギア・イクチオスについては。ひょっとしたら、私たちに話していない事もあったのかもしれない。どちらでも良いことだ、雪風も、ジョンの去った方向へ、背中を向け歩き出した。

 

 

 

 

 その時、爆発が起きた。

 

 

 

 

 雪風の背中を熱風が煽り、閃光が目を焼く。戦艦の主砲と、重巡と、軽巡と、駆逐艦――戦車と比べても、私たちからしたら大したことのない爆発だった。建物が吹き飛んでいる訳でも、爆炎が広がっている訳でもない。小規模な爆発に過ぎなかった。

 

 爆心地が、彼でなかったのなら。

 

「ジョン!」

 

「……ああ、そんな……どうして」

 

 彼の手首から先が、両方ともなくなっていた。

技術者としての命だった手が、これから未来を掴む筈だった腕が、完全に消えている。零れ落ちた夢と一緒に、断面から血が滝みたいに溢れていく。そして、同時に彼の命も、瞬く間に零れていった。

 

「……これから、だと、思ったのに」

 

 ジョンは人間だった、高速修復剤も入渠も効かない。至近距離からの爆発も、致命傷を与えていた。出血を止める手段は、持ち合わせていなかった。

 

「……帰りたいよ」

 

「大丈夫……絶対に、帰れます」

 

 色褪せていく彼の顔を、雪風は真っ直ぐに見つめる。もう、視線も定まっていない。私の姿も、見えていないのかもしれない。

 

「雪風は、たくさんの人を故郷に帰してきたんですから、雪風を信じて下さい、ジョンさんも、どうか……」

 

「……違うんだ」

 

 彼の体が、冷たくなっていく。命の終わりが、迫ってくる。花は散る時こそ美しい、彼も最後の刹那で、意識を輝かせた。

 

「ジミーって、皆は呼んでた。それが、僕の、本当の名前、それなら、僕だって、分かるから……」

 

「分かりました、ジミー」

 

「……帰れるの?」

 

「大丈夫、雪風を信じてください。絶対、絶対に、故郷に……貴方を……」

 

「……僕は」

 

 命が、零れ落ちた。

 また、この手から。

 約束を、一つだけ残して。

 

 

*

 

 

 傍にいた彼女にさえ、なにが起きたのか理解できなかった。

 現象としては説明できる。ジョンの腕を縛っていた手錠が、突然爆発したのだ。爆発は小規模だったので、周囲の被害は少ない。彼以外は、誰も死んでいない。

 

 しかし、たまたま至近距離にいたのが仇となった。

 飛び散った手錠の破片は、スネークの左目を抉り取ったのだ。目を抉られるという想像を絶する激痛だったが、そちらに意識は向かなかった――幸いとは、とても言えないが。

 

「突然だった、憲兵たちが、こいつに質問しようとした途端、爆発が起きた」

 

「そうですか」

 

 ジョンの死体を抱きしめる雪風は、スネークを見ようとしない。静かだ、混乱している私や現場とは大違いだ。

 

 手錠が爆発した――ということは、それを取り付けた者が、もっとも疑わしい。憲兵たちは、ジョンに手錠を嵌めた人物を探し出そうと躍起だ。だがここまで巧妙な手段を取る人物が、もたもたと居残っている可能性はないだろう。

 

 もはや手遅れだった、なにもかもが。

 世界の破滅を防いだというのに、子供一人護れなかった。ここまで傍にいたのに、もっとも守らないといけない存在なのに。ましてや、誰かの都合で勝手に殺されるなど、これでは少年兵と変わらない。

 

 左目を奪われた報復心など、この無力感に比べればなんてことはない。哀しみに比べれば些細なものでしかない。ピクリとも動かないジョンを見て、スネークの胸が、また締め付けられる。

 

「そいつを、どうする気だ?」

 

「ジミーは、アメリカに送り届けます」

 

「こいつの、本当の名前か?」

 

「そうです、絶対に、彼の家族の元へ」

 

 ジミーの遺体を抱え、雪風が立ち上がる。横から見えた頬から、涙が一滴、二滴と流れて落ちる。彼の血と混じった涙が、地面に落ちて模様を作る。

 

「簡単にはいかないぞ、遺体の調査もあるし、こいつは密入国だった、正規の手続きはできない。長くなる」

 

「どれだけかかっても、やります」

 

「なぜ、そこまで?」

 

「雪風が、そうしたいからです。別に……スネークさんが思っているほど、特別なことじゃないです。雪風はただ、いつも通りを、一生懸命にやっているだけです。それと少しの偶然で、雪風は幸運を貰いました」

 

 果たしてそれが雪風自身の思いなのか、『雪風』の過去がそうさせるのか、スネークには分からなかった。もし、『過去』が理由なのなら、『過去』を理由に半ば暴走した大和と変わらない存在だ。

 

 いや、そもそも艦娘とは、そういうものなのかもしれない。

 意識しようとしまいと、個体差があろうとなかろうと、その生きざまに艦艇の過去を浮かび上がらせるモニュメント。しかし全てが過去ではなく、現在を生きている亡霊だ。誰かに歴史を伝える為だけの、存在ではないのだ。

 

「スネークさんも、いつか見つかりますよ、そういうものが」

 

「……敵わないな、どうにも」

 

 スネークの心の内を見透かしているような、透き通る目をしていた。

 

「多分、私たちじゃ、平和は掴めないと思います。どうやったって、雪風たちは兵器ですから」

 

 死体となった彼を見つめていた、兵器の手で、護れなかった命だった。

 

「でも、その世界を想像することはできます。雪風たちが護った命がなんなのか、敵はどんな思いで戦っているのか。兵器ではできなかったことが、今の私たちにはできるんです。ただ漠然と、武器を振るうんじゃなくて、相手を想像すること……そうすれば、世界はきっと、続いてくれる」

 

 艦娘と、深海凄艦。

 この存在が、ただのAIと明確に違う要素こそが、此処にあった。

 

 それは、嘘をつくことだ。

 ただのAIは嘘を吐かない、外部からの情報に応じ、素直に反応するだけだ。だが、嘘は違う。嘘と言うのは、人間が積み重ねた文化そのものなのだ。

 

 嘘をつくということは、想像することでもある。想像の産物は全て、嘘に過ぎない。しかし人はそうして物語を作り、神話を語り、未来を想像してきたのだ。艦娘と深海凄艦にも、同じ力が備わっている。

 

 相手を想像し、相手の気持ちに立つこと。

 考えてみれば、人として当たり前に備わっている力。けど、兵器なくて艦娘たちにある力だ。怪物の姿でしかないイロハ級が喜び、怒り、悲しみ、楽しむ。仲間や家族、子孫たちが深海凄艦にもいるだろう。

 

 痛み、恐怖、終焉、憤怒、悲哀、そして喜び。

 かつて、核ではなく、歌で世界を変えようとした男がいた。相手のことを想像しよう、その曲名は、『イマジン』だった。

 

「もう、この子はいないけど、彼が望んだかもしれない未来なら」

 

「だから、連れて帰るのか」

 

「故郷って、特別なんですよ?」

 

 そればかりは、スネークに理解できない思いだった。

 だが、どんなものなのか想像してみることはできる。上手くイメージできないが、きっと、そう悪い物ではない筈だ。

 

 喧噪の中に、一瞬だけ訪れた安息が消えていく。

 瞬く間に、時間は過ぎていく。雪風に抱えられ、ジミーも遠くへと、絶対に届かない遠くへ去って行く。

 

 スネークは、彼に向けて敬礼をした。

 自分の罪を、少しでも償おうとした。分からない未来へと進もうとした、最後まで、夢を見ようと足掻いていた。そんな一人の少年への、最大限の敬意を込めて。

 最後に、安らかな眠りを祈って。

 彼までもが、屍者の国に、呼ばれないように。

 そんな未来を、夢見ながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

海上自衛隊 はるかぜ型護衛艦

DD-102 「ゆきかぜ」

排水量 基準1,700トン

全長 106m

全幅 10.5m

機関 蒸気タービン×2基

   水管型缶×2基

機関出力 30.000PS

最大速力 30kt

乗員 約240名

兵装  Mk.30 38口径5インチ単装砲 ×3門

Mk.2 40mm4連装機関砲×2基

54式ヘッジホッグ×2基

54式爆雷投射機(K砲×8基

54式爆雷投下軌条×2条

Mk.2 短魚雷落射機×2基

進水 1955年8月20日

除籍 1985年3月27日

 

 海上自衛隊発足後、国産護衛艦として始めて進水。災害派遣、また映画出演で「雪風」を演じるなどの活躍をし、戦前と戦後を繋げ、86年8月に眠りに就きました。

 その名前は、海上保安庁の巡視艇として、受け継がれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、

 

〈スネーク!〉

 

 伊58の混乱した絶叫を皮切りにして、

 

「どうした」

 

〈江田島が、溶けて消えた!〉

 

 更なる戦いが始まった。

 

〈そこから、深海凄艦の大群が、押し寄せてるでち!〉

 

 

 

 

ACT3

WHITE SUN(白の太陽)

THE END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それで、どうなったの?」

「修復剤を被った大和と、アーセナルの大火力で、深海凄艦は迎撃したらしい。しかし遅すぎた」

「出回っちゃったか」

「ああ、全て計画通りだ。メタルギア・イクチオスの真の力は核などではない。全て、これの為のブラフだ。デモンストレーションは、成功した」

「領土そのものの直接破壊と、それに伴う領海破壊兵器。土地を汚染する核と比べて、どっちがマシなのやら」

「既に第三各国のバイヤーが次々と飛び付いている」

「供給は足りてるの?」

「既に量産済みだ、スネークが覚醒した、あの時からとっくのとうに。あいつらはあいつと違い、世界を本気で滅ぼす気だ」

「無理もないよ、あんな目に合えば、誰だってそう思う」

「それは経験からか?」

「さあね、で、私たちはどうするの? 流石に此処まで近くで暴れられると、BOSSも黙ってないんじゃ」

「派手には動けない、愛国者達に気づかれれば元も子もない。だから静かに動く」

「それこそ、BOSSの本職じゃない」

「お前はどうする?」

「私は行くよ、スネークにも用があるし」

「了解した、お前の本懐が遂げられる時を祈っている」

「ありがと、じゃ、言ってくるよ。武装要塞ガルエード――『ブラック・チェンバー』の本拠地に」

 

「――V(ヴァイパー)が目覚めた」

 

 

 

 

NEXT STAGE

ACT4

VENOM SUN(毒の太陽)




ジェイムズ・ハークス(MGGB)

 メタルギアゴーストバベルの登場人物。愛称はジミー・ウイザード。機械工学において天才的な才能を持つ10代の少年。
 作中では、衛星核攻撃システムを制御可能な新型兵器メタルギア・ガンダーを開発。その後機体を奪取したテロ集団ブラック・チェンバーに監禁され、研究・調整を強要させられる。
 途中ソリッド・スネークにより救助されるものの、ブラックアーツ・ヴァイパーの仕掛けた手錠爆弾により死亡。

おまけ
二足形態と四足形態

【挿絵表示】


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ACT4 VENOM SUN
File43 座礁地帯


タグ追加しました。監督繋がりということでご容赦を……


「存在が消えても、言葉が残ることで、それはある種の永続性を獲得する。それは希望だ。

 だが一方で、存在だけが残って、言葉が消えたらどうだろう。それは生きていながら死んでいる状態を意味する。言葉を奪われるとは、そういうことなのだ」

 

──『メタルギア ソリッド ファントムペイン』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 なぜこうなってしまったのだろうか、炎が焼き付いて目が剥離する。

 どうしてこうなっているのだろうか、耳が破れて血が噴き出す。

 分からない、何も分からない。痛い、苦しい、眩しい、気持ち悪い、嫌だ、辛い、苦しい、苦しい、悲しい。

 

 映像がまた広がる。何度も何度も、壊れたビデオみたいに、同じ映像を繰り返す。燃える炎、燃える海、そして世界が壊れていく。

 けど、それがどういう意味なのか分からない。

 燃えている──そう分かっても、その映像に意味を持たせられない。文字通り、それを言葉にできない。

 

 言葉がないから、私は叫ぶことしかできない。

 獣のように呻き、暴れることしかできない。

 また炎が上がる、光が爆ぜる。人が死に、艦娘が沈む、みんな消える。

 我慢なんてできない、それは、私を食い破ってでも、外へ出たがっているのだから。それは私だ、私が、それに、変わっていく。

 それは、出たがっていた。

 

 

 

 

ACT4

VENOM SUN(毒の太陽)

 

 

 

 

 彼女を包む世界は、突然壊れてしまった。

 地面はひび割れて溶けだし、底から赤い血が噴き出る。タールのようにドロリとした赤い液体が瞬く間に地面を覆い尽していく。岩が溶けてマグマのと同じく、地面が崩れて赤い海となった。

 

 同時に空も赤く染まり、ずっと夕方にいるような気分となる。その癖太陽だけはいつも通り白く輝いている。溶けたのも地面だけで、所々にある木々や建物はそのままに見える。だが、木は朽ちて、人工物は悉く赤く錆びている。

 

 地獄だ、そう理解する他なかった。

 世界がそのままそっくり、地獄へ呑み込まれてしまったのだ。その証拠に人の姿は見あたらない、いるのは艦娘と深海凄艦。死者の国から帰ってきた私たちだけだ。

 

 律儀というか、深海凄艦はこの世界でも、私たちを敵としているようだ。

 たった一隻で彷徨っていたところに現れた艦隊は、彼女を容易く中破させた。中破なら──しかし夜間空母である彼女では、もう艦載機の発艦はできない。

 

 狂った世界は、今のところ夜だった。

 中破さえしなければ、狂った空でも戦えたのに。一隻で洞窟(これもまた海上にポツンと浮かんでいた)に身を潜めながら、彼女は震えていた。

 

 ただ一隻、故郷から離れたアフリカで。

 無力感に苛まれながら、サラトガは歯を食い縛っていた。

 

 

 

 

── File43 座礁地帯 ──

 

 

 

 

 どれくらいの時間が経ったのだろう、時計の針は止まっている。変わらない暗闇の中では、時間感覚も狂っていく。1時間にも、1週間にも感じられる。幸い飢えや乾きは感じない。しかしそれがかえって、サラトガの気力を奪っていた。本当に死人になっている錯覚が、彼女を苛んでいた。

 

 動きだそうにも、中破した体ではひとたまりもない。深海凄艦は熱心に、私を探しているのだろう。こんな世界でも一切迷わない姿勢は、少し羨ましかった。それに、仲間がいるのも羨ましい。

 

 連合艦隊の仲間たちは無事だろうか、日本やソ連、ドイツなど色々な国が協力して結集された多国籍連合艦隊。言葉も文化も異なる彼女たちだが、そんなことは些細なことだった。今は誰でも良いから、話し相手が欲しかった。

 

 限界だった、だから、サラトガは自分へと話す。ここにいる理由を思い出そうとする。彼女がここに来た理由は、『イクチオス』にあった。

 

 

 

 

 日本で『衝角水鬼』と呼ばれる深海凄艦は、一瞬で世界各地に拡散した。

 ヒロシマでの戦いが起きた時点で、もう量産は終わっていたのだ。もとより湾岸強襲に特化した深海凄艦だったがために、各国は莫大な被害を受けることになった。

 

 ただ一つの幸いにして、核を搭載しているのは最初の一機だけだった。湾岸の都市が核攻撃を受けることはなかった。それでも、凄まじい被害が出た。想像できない場所から上陸し、大型艦は一瞬で撃破。防衛施設をやられた時にはそこから攻め入れられ、湾岸部の街は何個も消えている。

 

 全ての国家が被害にあった、だから、敵は同じだった。

 合衆国や日本、ソ連といった大国を中心に、ヨーロッパも加えた多国籍連合艦隊が組織された。その任務はメタルギア・イクチオスが出撃する場所、アフリカへ向かい、イクチオスを用いる組織を潰すこと。これ以上の流用を止めること。

 

 サラトガは、その部隊に組織された。

 まだ建造されて一年も経っていない新人にも関わらず、こんな大役の一つを担わされたこと。プレッシャーは大きいが、それ以上に期待が大きかった。私は、活躍できるのだと。そう意気込んで行った結果が、これだった。

 

 連合艦隊は、無数のイクチオスに包囲され壊滅したのだ。

 

 

 

 

 脳裏に、死に絶える艦娘の悲鳴が木霊する。瞼の裏に炎が焼け吐く。

 悪夢のフラッシュバックに苦しむ中、遠くに光が見えた。遅れて爆音と、誰かの声が聞こえた。幻覚ではなく、本物の光だ。

 人だ、生きている人がいる──リスクはあるだろうが、既に限界だった。

 

 飛行甲板は壊れているが機関部は生きている、サラトガと同じく機関部も興奮しながら煙を上げる。洞窟から飛び出して加速する。人影はやはり艦娘だった、苦戦しているが、深海凄艦に対抗できている。

 

「加勢します!」

 

 サラトガの飛行甲板は、確かに使い物にならなかった。しかしもう一つの機能は生きていた。接近された時のために組み込まれた「銃」としての機能。トリガーを引き、マズルフラッシュが顔を照らす。

 

 暗がりの中の奇襲は敵に混乱を与えた、この隙に逃げなくてはならない。さらに弾丸をばらまく、牽制になればそれでいい。艦娘の手を引き引っ張ろうとする。だが彼女は、同行を拒絶した。

 

「そこだったのか」

 

 彼女は巨大な光るブレードを取り出し、敵の中へと突撃する。凄惨な光景を想像してしまい、小さな悲鳴を上げる。

 一瞬閉じてしまった目を開けると、凄惨な光景があった。だが彼女は、その中央で立っていた。あのブレード一本で、全員叩き切ったのか、ならなぜ苦戦していたのだ、まさか演技? 血塗れの顔を拭いながら、真っ赤な目がサラトガを貫く。

 

「人、艦娘、なのか」

 

 しかし、心から安心し切った彼女の声に、サラトガはあっさり警戒を解いた。彼女もこの世界に怯え切っていたのだ。

 それでもサラトガは警戒を完全には解かない。彼女の兵装が今まで見たこともないものだったからだ。

 

「貴女は?」

 

「私はアーセナルギア、シェル・スネークと呼べ」

 

 Really(リアリイ)? サラトガは呟いた。否定ではなく、驚きによるものだった。サラトガは最初からスネークの存在を信じていた。心の片隅では実在を疑っていたが、過去を打ち破る彼女の姿は、例え作り話であったとしても、憧れるものだったのだ。

 

「それでお前は誰だ?」

 

「サラトガです、皆はサラって呼んでいるわ」

 

「サラ、そうか、連合艦隊にいた」

 

 名前を呼んでらえたことに、心が跳ねる。

 そのまま握手でもしたくなったが、突然胸が痛んだ。軽い吐き気が沸く、心配したスネークが背中を摩ってくれるが、その手を優しく押しのけた。無意識の行動だった。

 

「スネーク、とりあえずどこかに身を潜めましょう。ここは危険だわ」

 

 返事を待たなかったことに、背中を見せてから気づいた。

 今は些細な心を気にしている状況ではない、そう自分に言い聞かせて、地平線へと向かって行った。

 

 

 *

 

 

 サラトガとスネークは歩き続けていたが、しかしあてはなかった。

 雲は分厚く星も見えない、今どの方向へ歩いているかも分からないのだ。せめて気を紛らわすためだけに、二人は歩いていた。

 

「スネークさんもイクチオスに巻き込まれたの?」

 

 スネークは返事もせず背を向けている、話す気力さえないのだろうか。無理矢理にでも搾り出さないと、気がおかしくなりそうだ。

 

「アフリカに上陸してすぐに、イクチオスと、深海凄艦に襲われたわ。しかもイクチオスを操縦して、深海凄艦を指揮してたのは人間だった」

 

 8月7日の、ヒロシマに核が落ちた日、世界は変わった。

 同じ日にイクチオスは、世界を変えた。イクチオスは深海凄艦を生み出すことができる、それは江田島で確認されていた。そしてコックピットのようなスペースがあることも。

 だが、そこに人間が乗れる事は誰も想定できていなかった。

 

「深海凄艦を沈めれば世界はより平和になる。そう思って此処に来たけど、まさか、人間が敵だなんて」

 

「人間の残した怨念を相手どっているんだ、私たちの敵は最初から人間だ」

 

 やっとしてくれた返事は厳しいものだった。

 そうだ、これは今までのような兵器の戦いでも、人間の敵を駆逐する正義の戦いでもない。今まで背けていた世界からの、報復との戦いなのだ。

 

 メタルギア・イクチオス──それは、水陸両用の核搭載型潜水艦。そう思われていた。だが実際には違っていた。核よりも恐ろしい機能を備えていた。

 それは、『浸食』とでも呼ぶべき力だ。

 

 一般的に、深海凄艦に支配された海域は赤く染まる。そこは無限に深海凄艦が沸くエリアとなる。艦娘が海域を完全に取り戻した時、海は青さを取り戻す。イクチオスが起こす現象は原理的にはこれと変わらない。

 場所が海でなく、『地上』なのを除けば。

 

 イクチオスが強襲揚陸用として建造された理由はそこにあった。湾岸基地を奇襲し、瞬く間に基地を制圧。制海権ならぬ制地権を奪い、深海の色で大地を染める。そして完全に染まった土地は融解し、赤い海となってしまう。

 

 最初の一回だけ奪えれば、敵国の湾岸に深海凄艦の生産プラントを即席で造れる。後で奪還したとしても、陸地が消えた以上、同じ基地は二度と建造できない。基地を起点にしていた経済活動も崩壊する。国土を直接破壊する兵器、それがイクチオスだった。

 

 しかし、大国、つまり艦娘を運用できる大国以外からの国から見ると、事情が変わる。

 艦娘はWW2に主に関わっていた国家にしか現れなかった。建造技術やレシピが確立されても、特殊なケースを除いて、全く関係のない国に他国の艦が出てくることはない。だからWW2に余り関わらなかった国々は、建造すらできなかったとされる。

 

 そういった、艦娘を建造できない国からすれば、土地の一部を犠牲に深海凄艦を建造できるイクチオスは革命的な兵器だったと推測されている。推測、と言ったのは、深海凄艦出現以降、第三各国との交流は完全に途絶えていて、内情を知ることができなかったからだ。

 

 だからイクチオスは、アフリカなどを中心に活動している。そういう推測を立てた上で、連合艦隊は調査も兼ね此処へ来た。深海凄艦出現以来、初めての交流になった。しかしその返礼は、イクチオスによる残滅だったのだ。

 

「アフリカに今、国家はあるのでしょうか。深海凄艦に攻められて、全部滅んだって噂はありますが。それでテロリストに代わられて、サラ達が襲われたとか」

 

「ないな、私も居合わせたが、あの統一された行動はテロリストでは難しい。装備の品質も一律だった、軍隊と見て間違いない」

 

 スネークは無情に、サラトガの願望を崩した。襲ってきたのが人間ではなく、非道なテロリストだと思いたかったのだ。実のところ、まだ国という概念がアフリカに残っているかどうかを調べるのも、連合艦隊の役割だったのだが。

 

「でも、こんな現象見たことあるの? スネークさんはイクチオスと戦ったことがあるんでしょう?」

 

「ない、全く分からない」

 

 しかしイクチオスに、こんな狂った世界を創る能力など聞いたことがない。スネークも知らなければどうしようもない。力を持たせる意味も分からない。こうして巻き込まれた艦娘をひたすら苦しめるのが目的なのだろうか。海も空も真っ赤に染める程の憎悪が、ここには犇めいている。

 

 そうだったのなら、巣食うのは怨霊が相応しい。

 スネークが急に足を止め、あたりを警戒し始める。サラトガも偵察機を発艦させようとして、飛行甲板が壊れていることを思い出した。

 

 役に立たないことに苛立つが、空母としての特性のおかげか元々目は良い。地平線の彼方、黒みのかかった曇天に小さな影を確認した。ハンドサインでスネークに、敵の方向を指し示す。

 

 碌な武器もない、敵の数はさっきよりも多い。勝ち目は全くなかった。だがスネークは、混乱したようにあちこちをまだ見渡していた。

 いや、敵の大まかな方向は見ているのだが、目線がまるで定まっていない。敵がいる、と言ったのに、見つからないことに混乱している。

 

 小声で耳打ちする、「視えていないんですか」と。

 小声で答えた、「気配だけが感じられる」と。

 サラトガは強くスネークの手を握った、一瞬驚いたように目を見開いて、彼女は眼を逸らす。そういうことか、姿が見えないから、気配だけで戦っていたから、あそこまで苦戦していたのだ。

 

 よく見れば、スネークの装備はかなり破損している。私よりも長く、この世界を彷徨っていたらしい。心の疲労も恐怖も私以上に違いない。だが、こんな惨めな姿でスネークが終わってはいけないのだ。それでは駄目なのだ。

 

 もう一度サラトガは、スネークの手を強く握る。今アレを視れるのは私だけだ、私がスネークを誘導しなくてはならない。

 眼を閉ざし、観念したようにため息をつく。そしてスネークが手を握り返してくれた。始めて真っ直ぐに、私を見たのだ。

 

 慎重に足を進めながら、深海凄艦から遠ざかっていく。水しぶきの音、波紋の音がうるさいと思える。音を殺し、気配を殺す。徹底的に死人に近付いて、生きている気配を消していく。スネークの得意技だが、疲労により集中力はまばらだ。

 

 だから、どちらに反応したのかは分からない。

 深海凄艦がこちらに歩き始めた。悲鳴を漏らしてしまったのはサラトガだった。彼女を責めることはできない。見付かってはいけないステルスの緊張感は、訓練や才能なしに耐えられるものではない。

 

 サラトガの腕をスネークが引っ張る、同時に深海凄艦が動き出す。隠れる場所のない海上だ、いずれ見つかる。なら腹をくくって走るしかない。理解できない声が聞こえる。僚艦への指示か、叫び声かそれとも悲鳴か。理解できない事実が、更に恐怖心を煽っていく。

 

 周囲はたちまち砲撃に包まれる、背中が焼け、痛みに呻く。痛みもまた生者の特権だ、痛い内はまだ生きている。だがその激痛は足の動きを鈍らせる。痛みが、サラトガを死へ引き摺りこもうとしていた。

 

 その時、光が見えた。

 今まで何も見えなかった地平線に、確かに光が見える。それもあと少しで手の届く場所に、小さな光がある。

 

 まずスネークが手を伸ばし、サラトガも手を伸ばす。振り返らず、まっすぐ光だけを見ていた。伸ばし切った腕が痛い、だからこそ、より必死で手を伸ばせた。彼女たちを活かしたのも、痛みだった。

 

 そして、二人の手が触れ合う。

 視界が捻じれ、天と地がばらばらに混じっていく。混ざらない筈の、出会わない存在同士が接触し──全てが、爆ぜた。

 

 

 *

 

 

 激し過ぎる光に眼と耳をやられ、音も何も感じられない。死んでいるのか不安になる時間を過ごしていたサラトガに、少しずつ音が戻り、光が戻る。視界は真っ青だった。仰向けになって空を見上げていた。いつもの空が広がっていた。

 

 しかしいつもとは少し違う、真っ青な地平線まで続く青空ではない。巻き上げられた砂埃で黄色くかすんだ、鈍い青空。アフリカの空だ。それでもここは、生きている人の世界だった。体を起こすまではそう思った。

 

 サラトガは、言葉を失った。

 目の前に赤い海が広がっていたのだ。元々は広大な大地があった場所に、巨大なクレーターができていて、そこを赤い水が満たしている。この中心で、イクチオスが起動したことの証明だった。

 

「脱出はできたようだな、助かった」

 

 スネークも生きていたが、なぜか心から喜べなかった。

 どうして? その疑問はスネークの出したマップにより掻き消える。地図と照らし合わせると、そこは確かに陸地と書かれていた。地形もろとも変貌し、深海凄艦の生産拠点へと変わってしまったのだ。

 

「ここで陣形を張っていた連合艦隊の姿が見えない、逃げたのか、それとも巻き込まれたのか、いずれにせよただでは済んでいないだろう」

 

 淡々と語るスネークの態度に少し腹が立った、しかし考えれば当たり前だ。彼女は彼女の目的で動いている、連合艦隊の事情など知ったことではない。仲間ではなく、あんな状況だから行動を共にしただけなのだ。

 

 無線機を動かしながら、敵に見つからない場所を探す。どの周波数に繋いでも誰も出てくれない、チャンネルを動かすたびに、不安が増大していくのが自覚できた。ふとスネークを見ると、彼女も同じような顔で唸っていた。

 

「そっちも、同じ調子か」

 

「誰もでません、まさか全員」

 

「いや、早々に離脱を試みていた部隊も確認した。諦めるには早い」

 

 行くあてはないが、だからと言って留まることも出来ない。赤い海が隣接しているここも深海凄艦のテリトリー。いつ探知されてもおかしくない。少なくとも、早めに移動すべきなのは間違いない。

 

 またあてのない移動が始まる、疲れ果てたサラトガは、自問自答に逃げ込んだ。

 仮に私たちを襲ったのが国家だったとして、どうして襲ってきたのだろう。かつてのように侵略しに来たわけでもないのに、だが、それは欺瞞だ。

 

 テロリストであれ国家であれ、第三各国の多くの誰かが、大国にイクチオスを差し向けたのは事実。土地は削られ、現れた深海凄艦は莫大な被害を齎す。経済的な損失も大きい。液化に呑まれ、死体すら見つかっていない人も多い。

 

 人々はそれに激怒した、こんなことをした連中を潰さなくては。

 この艦隊派遣は必要な行為だろう、しかし根底にあるのは、壮絶な怒りだ。報復心が国々を動かしていた。それは、サラトガも同じだ。

 

 隣の赤い湖は広大だ、それだけ大規模な液化が起きたのだ。

 あまり研究は進んでいないが、イクチオスの液化規模には、ある法則がある。

 それは辺り一帯で、どれだけ『死人』が出たかだ。艦娘も人間も問わない。そこにある屍者が多い程、液化は大きくなる。その分発生する深海凄艦も増える。

 

 これは深海凄艦が怨念から生まれた存在という俗説を助長させていた。

 死者を糧とする為か、辺り一体では新たな艦娘が建造できなくなる。深海凄艦を作るために資源も使われるので、奪還しても、資源の一つも残らない。もちろん作物を育てることも出来ない不毛の血と化す。

 

 何もかも喰らって、腐らせる。怒りさえ喰って糧にする。白鯨と呼ぶにふさわしい悪魔の兵器。サラトガは再び湖を見る。これだけ大規模な液化、どれだけの艦娘が巻き込まれたのか。もしかしたら。その可能性は、考えることすら怖かった。

 

「サラトガさん?」

 

 怯えで震えた声、岩陰から知っている声が聞こえた。

 彼女がサラトガだと確信した途端、少女は力なくへたり込む。安心感に顔がほころんでいるが、ここまで感じてきた恐怖と孤独で疲れ果てていた。

 

 反射的に武器を構えかけたスネークを制止し、あの子は味方だと伝える。もっとも彼女の弱々しさに、すぐ警戒を解いた。代わりにスネークはサラトガを見つめる、こいつは誰だと聞いている。

 

「この子は「酒匂」、連合艦隊の仲間よ」

 

「良かった、生きててくれたんだ」

 

 しかし、サラトガは気づく。

 なぜこの子は一隻で此処にいる? 仲間はどこへ行った? 

 

「他の艦娘は?」

 

 酒匂は無言のまま、湖を指さした。指先は震えていた。先に有るのは湖ではなく、底に沈む無数の仲間たちだった。

 

 全滅したのか、そうでないのか。

 もはやどちらでも変わらない。確かに灯ってしまったサラトガの炎は、そして根を張り、燻り始めていた。

 




冒頭の引用は
『メタルギアソリッドファントムペイン』(著:野島一人/角川文庫)
による。




Lexington級2番艦 正規空母『サラトガ』

 1927年11月に竣工した、WW2時におけるアメリカ海軍最大の空母。発着艦した艦載機の数は98549機であり、これは空母の最多着艦記録である。
 しかし、この個体がアメリカ海軍に加わったのは2009年の冬であり、1年程度しか実戦経験がない。
 だが、その1年間で大きな実績を残した為、新人でありながら、今回のアフリカ遠征に加わることになった。それにより、参加している艦娘の中では2番目に新参である。


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File44 幻肢痛

 ここはどこだろう、いつからここにいるのだろう。

 赤い空、赤い海。空と海が引っ繰り返り、上に向けて水が滝のように落ちていく。水平線が歪み、境界が溶けていく。混ざらないもの同士が混ざり合い、世界そのものが崩れていく。

 

 私の中も引っ繰り返って、体の中から内蔵が流れ出す。痛みも嗚咽も巻き込んで、巨大な衝動が私を動かし、嘔吐を続けさせる。体中に張った針金に動かされる、痛い、気持ち悪い、涙が止まらない。私が崩れていく。

 

「大丈夫だ」

 

 彼の声だと、一瞬で分かった。

 輪郭を失った世界に切れ目が入り、無数の手が伸びてくる。それは壊れた私を掴み、支えようとしていた。私は私だった。けど、一度入ったヒビは消えない。痛みも消えない、彼の声だけが聞こえていた。

 

 

 

 

── File44 幻肢痛 ──

 

 

 

 

 彼女の噂だけはよく聞いていた。

 不可能を可能にする存在、艦娘の救世主。また、未知の存在、得体の知れない危険な兵器とも。それがアーセナルギアという噂だった。実在は間違いないが、しかし、信じるには無茶苦茶だった。

 

 酒匂が実在を信じるようになったのは、アフリカに来る途中からだ。アーセナルギア──シェル・スネークは実在する。同じ連合艦隊の彼女がそう語ってくれた。出会った人が言うなら間違いないと。

 

 多分、そうだった。

 実際のところ、上手く思い出せない。いつからスネークを信じたのか。もしかしたら、連合艦隊が壊滅した直後からかもしれない。きっと彼女は来る、そしてあたしたちを助けてくれる、そう信じなければ心が折れそうだったからかもしれない。

 

 連合艦隊は壊滅した、だが、決定打を放ったのはイクチオスではなかった。

 アフリカに上陸した瞬間、次々と罠が作動したのだ。上陸地点が初めから分かっていたとしか思えない。裏切り者の存在が疑われたが、検証している時間などはない。直後に、イクチオスと深海凄艦が襲ってきたからだ。

 

 繋がりを断たれた連合艦隊は、もう連合艦隊ではなかった。あとはイクチオスの発生された深海凄艦により、各個撃破されていった。酒匂はその中でも、最後まで残っていた集団の一隻だった。裏切り者の恐怖に脅えながらも、果敢に戦っていた。

 

 しかし、結果誰よりも悲惨な結末を見てしまった。

 艦娘が何隻も沈み、残り少なくなった時、イクチオスは作動した。大地が急速に赤く染まっていき、波打ち始める。しぶきに触れた艦娘の肌が赤く染まっていき、全身を染めた瞬間──艦娘が溶けて消えた。

 

 誰かも悲鳴を皮切りに、全員が逃げ出した。

 浸食は津波のように素早く艦娘を襲い、一隻、また一隻と溶けてなくなっていく。大地も消えていき、全てが赤い海へ変貌していく。呑み込まれた艦娘たちは、記憶も何もかもを奪われ、深海凄艦への素材に成り果てていた。

 

 言葉になっていない鳴き声を上げ続け、酒匂は走った。

 そして、唐突に、赤い世界に立っていた。

 誰の声も聞こえなくなってから、始めて振り返る。後ろには何もなかった。酒匂にとって唯一幸運だったのが、出口──スネークとサラトガが見付けた光──が、すぐ近くにあったことだ。彼女は赤い世界から、すぐに脱出した。

 

 だが、残っていたのは後悔だけだった。その時逃げる以外の方法がなかったとしても、仲間をあそこに置いてしまった。大切なものを置き去りにして、命だけが現実に座礁していた。赤い世界に呑まれた時点では、まだ生きている仲間もいた。だが彼女たちの姿は、どれだけ歩いても痕跡すら発見できなかった。

 

 増援が来るとしても、ここは遠いアフリカだ。いつになるか分からない。

 どうにもなくなってしまった彼女は、伝説を信じるしかなかった。きっと、来てくれる。そう信じて数日間、生きるためだけに彷徨い続けた。伝説は、生きる気力を保つ為に必要だった──そうだった、そう酒匂は思い出した。

 

「生き残りは本当にいないのか?」

 

 酒匂に顔を近づけてスネークは念押しする。彼女は言葉を詰まらせた。

 赤い海に呑まれた瞬間は、まだ他の艦娘はいた。逃げる自分の前を走っていたから間違いない。しかし、酒匂が赤い海に呑まれた途端、仲間の姿は見えなくなった。フィルターのようなもので隔離されたようだった。現実に帰還した今も、仲間の痕跡は見つからない。

 

「まって、もう一つ確認させて。酒匂は数日間歩いていたの?」

 

「そう、誰か生き残りがいないかって」

 

 それでも誰も見つからず、絶望しかけていたところに二人が現れたのだ。孤独というものは何よりも耐え難い、孤独しか知らなかったあの時ならまだしも、会ったことのない姉と再開した今では、孤独の重みは違っていた。

 

「でも、誰もいなくて、それでやっと二人に会えて。あたしは、まだ一人じゃないって分かったの」

 

 酒匂は笑っていた、そして泣いていた、そして怒ってもいるようだった。二人への思いや自分への感情がないまぜになり、上手く言葉にできなかった。たどたどしい言葉だが、どれぐらい二人には伝わっているのだろう。

 

「そうか」

 

 スネークの返事はそっけないものだった、一瞬、なにも伝わっていない──もしくはあたしに呆れているのか──と思った。

 スネークもサラトガも、全身に小さな傷がついていた。ずっと海上にいた時と同じ、鼻を突く潮の臭いまでする。全身から疲労がにじみ出ている。

 

 二人もまた、同じくこの世とあの世の間を彷徨っていたのだ。孤独に耐え、震えていたのはあたしだけじゃない。なのに、あたしは無理矢理縋ろうとしてる。そっけない言葉でも、それぐらいは伝わってきた。

 

「でも、もしかしたら生きているかもしれないの。あたしみたいに、バラバラになって動けなくなっているのかも」

 

「なら、死んだのを見たわけじゃないんだな。心当たりは?」

 

 また、言葉がつまる。手掛かりはなにもない、希望と言うには、根拠がなさすぎる。死なせない為の希望を抱いて、歩き続けろ。実質そう言っているようなものだった。こんな無謀な提案しかできないのかと、酒匂は気落ちする。

 

「十分だ、我々と同じく液化に呑まれて生きている奴がいる。それで十分希望になる」

 

 ああ、彼女の言った通りだ。

 酒匂は納得できた。強いからではない、かといって優しい訳でもない。けれども彼女は間違い、彼女の言っていた通りの英雄だ。

 

 

 *

 

 

 イクチオスにより液化させられた大地には、巨大なクレーター型の湖が形成されている。溶けた大地は絵の具の原液を塗りたぐるよりも赤い。巻き添えになった艦娘たちの血で、埋め尽くされている。そんな錯覚を抱く程に、赤さは鮮明だった。

 

 水面でそれなら、水底はもはや真っ黒と言っていい。G.Wも艤装の本体もなく、ブレードを保持する小型艤装だけでは、視界の確保などできない。最低限度の潜水装備を口に当て、感覚頼みでスネークは、湖底を泳いでいた。

 

 酒匂は数日間仲間を探していたが、生き残りは見つからなかった。彼女の前では言わなかったが、残る仲間が生きている可能性は低い。あの赤い海──暫定的にビーチと呼ぶことにする──の出口を見つけられなければどうにもならない。そもそも、呑まれた時点で死んでいる可能性すらある。

 

 だが、別の当てがあった。

 G.Wの反応が、僅かに感知できたのだ。ビーチにいる間は全く繋がらなかった通信が、現実に戻ったことでやっと繋がった。しかし、それでも一瞬だけでしかない。会話もできなかったが、大まかな位置は特定できた。

 

 なぜ通信が上手くできないのか、その理由はビーチではないかとスネークは推測する。

 根拠は酒匂の探していた日数だ。彼女は数日間探していたらしいが、同じ時間にビーチに迷い込んだスネークとサラトガは、数時間しか彷徨っていなかった。あんな空間なので体感時間は長かったが、実際には一日にも満たなかったのだ。だが、現実では数日が過ぎている。

 

 場所から言って、この湖の近くにビーチの入り口はある。無数にあるかもしれない。現実とビーチの時間のズレが、通信に影響を与えているのかもしれない。そもそもビーチの存在自体疑わしいのだが、スネークはひとまずそう理解した。

 

 とにかく、特定できたG.W──スネークのメイン艤装がある場所は、ちょうど湖の対岸に位置していた。

 連合艦隊に紛れてアフリカに来た際、メイン艤装はコンテナの中に隠していた。その反応が対岸にあると言うことは、そのコンテナと、それを運用する『艦隊』が要るということ。生き残りがいる可能性があった。

 

 最悪コンテナしかなくても、物資の補給にはなる。そういう腹積りだ。

 しかし湖には水上、水中問わず、深海凄艦が蠢いている。湖の周りを歩くのは時間が掛かり過ぎる。結果、中央を泳いで突っ切るのが一番早かった。

 

 ブレードやP90以外碌な装備のないスネークでは勝ち目は無い、幸いなのか、艤装を外しているのでレーダーなどで探知はされない。探知されにくい水底を、蛇のように這って進む他選択肢はなかった。

 

 間違い無く、まっすぐに進んでいる。

 感覚で分かる、まっすぐ行けば対岸へ着く。単純な行軍でしかない。普段のスネークなら不敵に笑っていた。だが、一切の視界も音も奪われ、暗闇の中を進む今では、不安だけが煽られていく。

 

 水を掻く両手に重たい物がぶつかる、生き物らしい生々しい触感で、水と同じぐらい冷たいもの。より接近して、それと眼があった。焦点はとっくに定まっていない、定めようにも水膨れした眼球は半ば腐りかけている。

 

 こんなものばかり、潜ってから何度も見ているのだ。艦娘の水死体が、湖底に溢れ返っていた。液化に巻き込んだ艦娘の無念や憎しみを白鯨は喰らうらしいが、肉体には興味がないということなのか。

 

 吐き気を堪えるのにも慣れてしまったが、こんなものと何度も遭遇していれば、不安は更に煽られる。湖の赤色は艦娘の血ではないのか、そんな錯覚が現実味を帯びていく。私は血の中を泳いでいる、肉体から引き摺り出された憎しみで溢れている。スネークの視界までもが、より深く、赤く染まっていく。

 

 自分の手さえ赤く見えた時、頭の中に悲鳴が突き刺さった。脳の芯を揺さぶられ、脊髄を突き破り激痛がスネークを引き裂いていく。体中から血が噴き出し、眼球の中が血で満たされる。失われた筈の左目が、血と痛みで破裂しそうだ。たまらず目を抑えても痛みは止まない、まともな感覚がなくなり、全てが苦痛になってしまう。

 

 耳に届くのも、滅茶苦茶に入り乱れた悲鳴だけだ。

 その中に知っている悲鳴が聞こえる、小さな少年の手首が、爆発とともに消える。飛び散った破片がスネークの左目を抉る。か細い、聞き逃しそうな悲鳴が、伽藍となった脳内で何度も何度も反響する。雑音が煩い、耳を塞いでも聞こえている。

 

〈スネーク! 聞こえるかスネーク! 〉

 

 また知っている声だ、いや、G.Wの声なのか。

 ぐらつく意識が、少しずつ回復していく。それと同時に吐き気も痛みも消えていく、G.Wの声も、雑音に掻き消されていたらしい。何度も呼びかけていたのだ、いったいどれだけ意識を失っていたのか、時間感覚はまだ回復していない。

 

〈通信可能な距離になったらしい、無事でなによりだ〉

 

 心にもないことを言うG.Wに、スネークは返事をしない。痛みの残渣でそれどころではないのもあるが。

 

幻肢痛(ファントムペイン)に苦しんでいたようだが、問題はなさそうだな〉

 

 走馬燈のように駆け抜ける光景とともに、また左目が痛む。

 失った筈の左目が痛い、あの日以来、この幻肢痛から抜け出せずにいた。スネークの目の前でジョンが爆発した光景も、また消えずにいる。

 

 人が、艦娘が死ぬ光景など、見慣れたものだと思っていた。スネーク自身がそうでなくても、彼女を構成するスネークたちにとっては、なじみ深いものだった。死んだのが、ジミーという少年でなかったのなら。

 

 目の前で消える彼の姿が、まだ瞼にこびりついている。

 あの子は、これからやり直すはずだった。どこまでも行けるはずだった。しかし、その可能性は無残に奪われてしまった。なぜ、そんな目にあわなくてはならない。いったいあの子が、どれだけ重い罪を犯したと言うのか。

 

 結局ジミーの死体は、まだ日本に保管されたままだ。遺体にすら、安息の時は訪れていない。しかもその理由は、イクチオスや新型核を巡る政治的な縺れである。責任をどうとるか、それだけの為に、死体になっても苦しめられている。故郷へ帰りたい思いさえ、認めて貰えない。

 

 そんなことをした実行犯が許せない、それを許容する政府が許せない、そんな政府に護られている国も、世界も許せない。

 なによりも、それからジミーを守れなかった自分自身が許せない。怒りはスネークを溶かし、幻肢痛となって視界を真っ赤に染め上げる。

 

 世界を溶かす怒り(リキッド)を内包し、スネークはアフリカへとやって来た。戦艦棲姫の言うことが本当なら、ここに私の秘密があるらしい。

 

 根拠はまだある。

 事後報酬としてフョードロフから貰った情報だ。

 愛国者達の工作員が、アフリカである目的のために活動している情報を、ソ連は掴んでいた。二つの情報が、同じ場所を示した。フョードロフは信用ならないが、情報の信憑性は高い。

 

 だが、最大の理由はそれではない。イクチオスが爆発的に拡散したこの場所になら、イクチオスを生み出した大本──それはジミーを殺した存在にも繋がる。

 

 スネークの手のひらが、一瞬真っ赤に見えた。

 もちろん気のせいでしかない、真っ赤に染まっているのは眼だけだ。まるで深海凄艦のような瞳だ。彼女たちは恨みや無念から生まれたと言う。それなら私の今の姿──真っ白な髪に真っ赤な眼──は、ちょうど良い。怒りに狂いかける、私なら。

 

 

 *

 

 

 G.Wとの無線が回復したことで、道は開けていった。

 丁度湖の中間地点に差し掛かったところで、また、重い物にぶつかった。また艦娘の死体なのか、嫌な気分になりながらそれを見る。

 だが今度は艦娘ではなく、人間の死体だった。周りにもいくつか浮かんでいる。湖底にはテントや機械が沈んでいる。上陸した時、ベースキャンプを設置しようとしていた名残だ。

 

 一瞬だけG.Wに無線を送り、スネークは周囲を探索する。ほとんど機械は壊れているが、使えそうな物もある。情報の入っているデータを抜き取っていく。地上に出て、G.Wと合流してから解析をしよう。奇襲直後のデータだ、無駄にはなるまい。

 

 耳元で声が聞こえた、深海凄艦の呻き声だ。とっさに身を隠し、様子を伺う。潜水艦型の深海凄艦だ。彼女たちは海中を漂う人間に死体を回収し、素早く去っていった。人間の死体を何に使うのか。スネークはスペクターを思い出す。あれには人間も素材として使われていた。人間を回収する理由など、それぐらいしか浮かばない。

 

 逆に言えば、ここには間違い無く、愛国者達の影がある。つい浮足立つが、近くの死体を見たことで冷静に戻る。短い間だが、少し目を閉ざして冥福を祈る。一度死んだ私たちが死者を慎むのも、妙な話だが。

 

 しかし、その遺体は奇妙だった。

 痩せこけた頬、膨れた腹。飢餓状態により死んだのだろう。

 だが、ここは連合艦隊のベースキャンプだった。支援も十分なキャンプで、どうして飢え死にしているのか。拒食症とかの病気だったとしても、何らかの手段で栄養は補給するし、させる。

 

 幻肢痛の止んだ左目には、色々な機能を詰め込んだ眼帯がまかれている。技術不足のせいで、ソリッド・アイほど高性能ではないが、それでもないよりはマシだ。機能の一つを使い、死体を写真に収める。その後死体を、水底に埋めた。見付かってスペクターにされないように。

 

 もうここに用はない、これ以上荒らす意味もない。スネークは再び、対岸に向かって泳ぎ始める。死体はもう浮かんでいなかった。きっと再開する、スペクターに成り果てて。また左目に、幻肢痛が、今度は鈍痛のように走っていた。

 

〈随分と寄り道をしていたようだな〉

 

 やっと対岸にあがったスネークを、G.Wはそう出迎えた。しかしコンテナもなければメイン艤装もない。いたのは端末であるメタルギアMk-4だけ。通信を発していたのは端末の方だったのか。

 

「艤装はどうした」

 

〈安心しろ、元のコンテナの中にある。コンテナは連合艦隊のベースキャンプにある。私が此処にいるのは、メイン艤装もろとも制圧される危険性を分散させるためだ。結果として、対岸の君と通信が繋がっただろう〉

 

「やはり艦隊は全滅を逃れていたか」

 

〈ああ、奇襲を受けながらも、半数以上は逃走に成功した。だが、艦隊はバラバラになっていて、小規模なベースキャンプを分散して設営している状況にある。通信障害も起きていて連携もできてない。ハッキリ言って、かなり不味い〉

 

 しかも、新たに造ったベースキャンプでも、戦闘が発生している。流石に二度も三度も奇襲を喰らってはいない、ちゃんと応戦できている。だがそのせいで、サラトガや酒匂といった行方不明者の捜索が行えなかったのだ。

 

「艦隊の様子は分かっているのか?」

 

〈この距離でなら、Mk-4とメイン艤装の通信は繋がる。これ以上離れるとそれさえ不安定になってしまう〉

 

 正直、こんな状況で連合艦隊は作戦ができるのか疑問に思う。もっともそれは、単身アフリカに乗り込み報復を願うスネーク自身にも言える。ましてや仲間を大量に殺されている、簡単に撤退はできないだろう。

 

「我々生存者を受けいれる余裕はあるよな」

 

〈ある、連合艦隊と合流するつもりなのか? 〉

 

「そういうつもりではないが、サラトガや酒匂をあそこで放置する訳にもいかないだろ。あいつらはまだ、向こう岸で待機している。私は受け入れられないかもしれないが、あいつらは返さなくてはならない」

 

 ほんの少しだけだが、ビーチと言う異常空間で出会って、二人にはかなり救われている。精神的に壊れそうだった。それぐらいの恩は返しても良いとスネークは思っていた。

 

〈そうか、なら、彼女を連れてきたのは正解だったな〉

 

 Mk-4のカメラが後ろを向く、目線の先に誰かが隠れている。こちらに気づくと、少し訝しんだ愛想笑いを彼女は浮かべた。ただ艤装の砲塔はこちらを向いたままだ、信用はされていない。こんな深海凄艦みたいな見た目では仕方ない。スネークは彼女と眼を合せずに、G.Wに問う。

 

「彼女は?」

 

「重巡洋艦のプリンツ・オイゲン」

 

 先に彼女──オイゲンが答えた。

 

〈彼女は君たちと同様、液化から逃れた艦娘だ。だが艦隊とはぐれてしまい彷徨っているところを私が見付けた。スネーク、君を探している途中にな〉

 

「あなたがスネークなの?」

 

 オイゲンはどこか値踏みするような雰囲気だった。疑り深い様子に、むしろ安心する。そう簡単に伝説のアーセナルギアだと信じたあの二人が妙なのだ。彼女の反応はとても常識的だった。

 

〈いくら君がスニーキングのプロとは言え、ベースキャンプまでは距離がある。深海凄艦も確認されている。私もステルス迷彩がなければ見つかっていた。オイゲンの艤装は稼働状態になる、彼女の助けを借りれば、より迅速にキャンプにつけるだろう〉

 

「正直言って不本意なんだけど、しょうがないか」

 

「それは良いんだが、お前になにかメリットがあるのか?」

 

 彼女はブーツを脱ぐ、短めのスカートからは白く滑らかで、しかし生き生きとした女性的な肌が続いていた。しかし、ある一線を越えたところで、肌は変化した。赤く浸食され、老婆のように深い皺が刻まれている。いや、深い錆が突き刺さっているようだ。見るからに痛々しい、歩くのも難しいのだ。

 

「こういうことなの」

 

 痛みに顔をしかめつつ、またブーツを履いて浸食を隠した。

 

〈あくまで推測だが、イクチオスの『液化』が、彼女になにかを齎したのだ〉

 

「まったく歩けない訳じゃないけど、でも助けが欲しいの。どうしても、艦隊の皆に急いで伝えなきゃいけない。イクチオスが、どれだけ危険なのか」

 

 背負っていけ、そういうことだったのだ。これでは歩くことすらままならない、もし深海凄艦に見つかれば一巻の終わりだったのだ。スネークはオイゲンを背負い、敵に見つかってしまった時は、スネークが足となりオイゲンが砲になる。

 

〈選択肢はないぞ〉

 

 やかましい、言われなくても分かっている。スネークはオイゲンの手を乱暴に繋ぎ、そう答えた。

 

 酒匂もオイゲンも、私が英雄と言うだけで頼ってくる。そんなに大した存在ではないのに、子供一人護れないのに。純心な期待が、幻肢痛に傷ついた心に圧し掛かってくる。背中に圧し掛かるオイゲンが、やたらと重く感じる。

 また呻く痛みが告げる、その子供を殺した奴に、報復を。

 




『再開(スネーク×G.W)』

「まさか、上陸早々こんな事態に巻き込まれるとはな」
「お前は、ビーチに呑み込まれなかったのか?」
「連合艦隊の全てが、奇襲により全滅した訳ではない。何割かは脱出した、その中に我々の入ったコンテナがあったのだ」
「一応聞くが、私の艤装、奪われてないよな」
「問題無い、オクトカムによって隠れている。だが、リスクがゼロではない」
「だからMk-4だけ、別行動させたのか」
「そうだ、それはともかく、君がサラトガと行動していたのは良い情報だ。それだけ、連合艦隊につけ入りやすくなる」
「こっそり利用は、難しいか」
「この状況で、身分を偽装することは不可能だ。ならいっそ、正体を明らかにした上で利用すれば良い」
「駄目そうだったら?」
「いつも通りになる。単独行動、単独潜入。潜入先が基地から戦場に変わるだけだ」
「そうならないことを祈る」
「……まあ、お前を既知の奴がいれば、話は別だが」
「何か言ったか?」
「いや、何でもない。とにかく早くプリンツ・オイゲンを運べ。まずはそれからだ」


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File45 感染

 いつもなら、静かだった。そう、話し声のない、森のざわめきも動物の声もない静かな世界。けど今日は朝から騒がしかった、とても久し振りに、彼の声を聞いた。彼がなにかを言い、私の手を引く。どこかに出かけるのだろうか、だから声がしていたのか。

 

 彼が話す、手を握って、声をかける。

 私はなにも返せない、何を言えば良いのか、それはどんな『言葉』で、どんな『言語』なのか。何一つとして思い出せない。手、足、腕、顔。自分を定義する単語さえ分からなければ、身振り手振りもままならない。

 

 世界は、静かだった。

 静かな大地にも音はある。風の音、砂のこすれる音。私たちの知らない、動物たちの声。言葉を持たないのは、私だけだった。私だけが、誰とも繋がれない。

 こんな私は、生きているの? 

 その問いさえも。

 

 

 

 

 

── File45 感染 ──

 

 

 

 

 隣でむせ返るオイゲンを、スネークは睨み付けていた。オイゲンも負けじと睨みかえす。敵に発見されるリスクなど負いたくはない。しかしオイゲンにとって、この要求は極めて不条理な物だった。言うなれば、むせ返っても仕方がないだろうと。

 

 彼女たちを襲ったのは、アフリカの環境そのものだった。

 ドイツにいた時とはまったく別の環境は、彼女の体に想像以上の負担をかけていた。空気は乾燥し、水は体に合わない。防塵マスクはとっくに底をつき、鼻の穴は何度も出た鼻血で固まっている。

 

 特に不条理なのは、ここが()()だということだ。

 艦娘は本来、海上で戦う存在だ。それを無理やり地上に引っ張り上げたから、座礁するのだ。当たりまえじゃないか。そう悪態をついても、敵に見つかれば殺されるのは変わらない。二足歩行できることを、若干恨めしく思う。

 

 対してスネークは、なに一つ気にせずに進んでいた。

 アフリカの過酷な環境は、むしろスネークに適合していた。スネークには、この大地のことがよく分かった。土の特性や天候、棲息する生物。多くの艦娘はここを見たら、死んだ大地、といった印象を受けるだろう。それが日本やアメリカ、ヨーロッパ人の認識だからだ。しかし、ここには確かに命の遣り取りが存在している。

 

 だからこそ、敵の気配も分かる。深海凄艦の足音に混じって、人間の足音がする。オイゲンを制止し、岩陰から双眼鏡を伸ばす。予想通り、深海凄艦と人間の混合部隊がいた。

 

 数は多くない、深海凄艦が二隻に歩兵が六人。事前に知っていたが、本当に人間が深海凄艦を従えているのは、妙な光景だ。

 隣のオイゲンは、複雑な表情で見つめている。護る筈の人間が深海凄艦を運用していることは、普通の──国家の暗部に触れないような──艦娘には、中々堪えるだろう。

 

 混成部隊の連携は中々のものだ、それなりに連携が取れている。それに体調も良い、アフリカの環境に適応できている。考えてみれば当たり前だ、あの深海凄艦はここで産まれたのだ。この大地を理解するための言葉を持って生まれたのだ。

 

 しかし、あの部隊は何を目的にしているのか。思考が深くなりかけた時、オイゲンが袖を引っ張る。また鼻血が出ていた。スネークは溜息を吐き、連合艦隊のベースキャンプへと、再び歩き始めた。

 

 

 

 

 連合艦隊のベースキャンプは、緊急的に造ったにしては大規模なものだった。スネークはオイゲンに手を引かれて、中央を堂々と進む。普段はこっそり侵入しているので、若干の恥ずかしさがある。

 

「堂々としてれば良いのに」

 

 そう言うが、しかし私は密航者だ。それに公には所詮テロリスト。この場でさらし首になってもおかしくない。緊張しない方が無理だ。いっそアフリカの荒野の方が、居心地がいい。そう愚痴っている内に、一番大きいテントの前につく。

 

「オイゲン!」

 

 テントの中央で、一人地図とにらみ合っていた艦娘が、声を上げた。私よりは小さいが、普通よりは大きい。戦艦の艦娘だ。しかも日本でも特に有名な彼女のことは、スネークも知っていた。

 

「良くここまで生きて来てくれた、だが少しダメージがあるようだが、戦闘があったのか?」

 

「ううん、戦闘は避けられたの、あの人のお蔭。この足の傷は、多分イクチオスのせい。入渠すれば治ると思う」

 

「それは大変だったな、修復剤はまだある。使ってくるといい」

 

「分かった、Danke(ダンケ)、長門!」

 

 長門とは、かつて帝国海軍が保有したビッグセブンの一隻の名前だった。

 その長門はオイゲンを見送り、鋭い眼を突き付ける。事前に無線は入れて、私が来ることは伝えた。いきなり行くのは抵抗があった。だがそれでも、緊迫感が走る。

 

 実質お飾りである大和とは違う、最前線で戦う連合旗艦の威圧感が、スネークを包んでいた。頻繁に宣伝されている大和よりは目立たないが、しかし戦場で最も名が知れているのは、間違い無く長門の方だった。

 

「オイゲンとともにいたことは感謝している」

 

「その必要はない、あいつの持つ艤装に寄生しただけだ」

 

「なら気を遣う必要はないな。貴様の目的はなんだ、まさか戦艦水鬼の遺言を真に受けたのか」

 

「盗聴でもしてたのか? まあ、今際の言葉を盗み聞きするような連中よりは、尊重すべきだと思うがな」

 

 長門の警戒は一向に晴れることはない、まさかここで沈めやしないだろう。だが、協力するのは不可能に近い。敵の敵は味方、とはいかないようだ。しかし、別に助け合わなくても良いのが実情だ。場所さえ教えてやれば、サラトガや酒匂を勝手に助けに行くだろう。私も艤装さえあれば、単独で行動できる。わざわざ繋がる必要はどこにもない。

 

「長門、彼女は信頼しても良い相手です」

 

 ところが、予想外のところから繋がってきた。聞き覚えのあるその声に、思わずスネークは振り向く。久し振りに見る姿は、あの頃よりも凛々しい。改二の衣装が、更に映えている。赤い色を、忘れる筈がない。

 彼女は、単冠湾で出会った『神通』だった。

 

「また会えましたね、スネーク」

 

 

 *

 

 

 神通が長門を説得している間、スネークは外を歩き回っていた。服を普通にして鬘をかぶれば、アーセナルギアとはまずばれない。無理して説得し、協力体制をとらなくても良いのだが──しかしG.Wが反対した。使えるものは全部使えと。モセスにいるガングートも同意し、スネークは押し切られた。

 

 連合艦隊の疲弊具合は思っていたより酷かった。

 今までにない戦場、一度全滅した事実もある。敵が深海凄艦だけではない、それも過度なストレスだ。今まで化け物とだけ戦っていたから、人殺しではないと思えた。その誤魔化しは、アフリカでは通じない。

 

 だが、過度なストレスは、危険な方向に向かっているようにも見える。それは報復だ。仲間を殺された恨みや怒りが、少しずつだが高まっている。ベースキャンプ前に展開している敵勢力への苦戦も、報復心を後押ししている。

 

 敵──そう一くくりに表現したが、実際のところ、この敵が何なのか連合艦隊も正確に把握できていない。明確に戦争を仕掛けている国家なのか、それとも大国を憎むテロリストなのかも分かっていない。目下調査中だが、現状は敵と表現することしかできない。

 

 だが、敵が何であれ、連合艦隊は元々報復のためにやって来たのだ。

 本土をイクチオスに壊されたことへの復讐のため、結果報復心が高まるのは当たり前だ。だいいち私だって、恨みを晴らすためにアフリカまでやって来たのだ。

 

 恨みは、簡単になくならない。

 感情もなくならない、その筈だ。

 だが、スネークが目にしたそれには、報復心どころか、人を構成する物が、何も残っていなかった。

 

 兵士たちが、死者を運んでいた。

 戦場なのだ、死人は当たり前だ。目立った外傷もないので、ただの屍人だと思った。

 

 その死体が飢えていなければ。

 体はやせ細っていて、腹だけが餓鬼のように膨れている。

 気になって兵士に聞いたところ、彼は栄養失調で死んだらしい。食料の足りていない地域では、こういった姿で死んでいく。

 

 だが、ここは連合艦隊のベースキャンプだ。

 飢え死になどありえない。兵士全員に食料は行き渡っている、自分で食事を拒絶しない限りありえない。拒絶したらしたで、点滴などで無理矢理栄養を補給させるだろう。しかし、点滴をした上で尚、彼は飢え死にしたのだと、兵士たちは語る。

 

「奇妙、だろう?」

 

 後ろから長門が現れる、隣には神通もいる。スネークはぼんやりと頷いた。奇妙としか言い表せない死に方だ。湖の底にも、似たような死体があったのを思い出す。

 

「あれはどういうことなんだ?」

 

「彼は普通の兵士だった、液化の付近にいたが、巻き込まれることなく生還できた。だが、キャンプに合流してからおかしくなり始めた。訓練に参加しなくなり、人前に姿を出さなくなり、水を飲まなくなり、そして気づいた時には餓死していた。まさか、食事さえとっていないなんて誰も思っていなかったんだろう」

 

「うつ病か、PTSDか何かか」

 

「軍医曰くその傾向はあったらしいが、それにしても急すぎる。こんな数日でここまで症状が悪化することはあり得ない、だそうだ」

 

 兵士や艦娘の間では、『屍病』という俗称で恐れられている。

 原因も経緯も様々だが、生きていればあり得ない死に方をする。自分から生きることを放棄し、()人となる()。一部の兵士は、これも敵の武器だと主張しているらしい。

 

「良くない流れだ、根拠のない噂のせいで、報復心が余計に高まっている。もしくは怒りで恐怖を忘れようとしているのか」

 

 よく見れば長門も少しやつれている。人間と艦娘、自国と他国の連合艦隊。しかも発端が復讐で、事態も悪化している。纏めるのは並みの苦労ではない。私に対し排他的になるのも、やむを得ない。少し攻撃的だったことを、スネークは反省する。

 

「似たような死人が、もう何人も目撃されています。お医者様も、感染症なのかさえ分からないとのことで。今はそれらしい患者を完全に隔離することで対処していますが、原因が分からなければ……そもそもこれが病気なのかすら分かっていません」

 

「これは噂だが、私たち連合艦隊に限らず、屍病は蔓延しているらしい。私たちが敵と呼称している勢力然り、アフリカの現地住民然り。それらの実例を調べることができれば、まだ調査も進む。だが目の前の敵勢力のせいで、上手く行っていないのが現状だ」

 

 戦場と病気はいつもセットだ、だからこそ軍は感染等に気を遣う。それにも関わらず病気が蔓延しているのだ、異常と言う他ない。そして最悪なことに、奇病が流行り出したのは、連合艦隊がアフリカについてから数日内の出来事だった。

 

 連合艦隊は、敵勢力が病気を蔓延させたと考えている。敵勢力は、艦隊が持って来たと考えている。根拠などどこにもないが、事実だけ見れば、その理屈が成り立ってしまう。憎しみは更に加速する。

 

 重苦しく、深海のように暗い。水底に押し込められて、息が上手くできなくなりそうだ。長門はベースキャンプに背中を向けている。組んだ腕には余計な力が入り、爪が肌に跡をつける。乾燥し切った肌から、少し血が出た。

 

「お前に頼みたいことがある」

 

 振り返り、長門が告げた。深く息を吸いこんで、遠くまで聞こえそうな程、芯の通った声だった。

 

「屍病の患者を調べて欲しい」

 

「私たちはここを動けません、それに今ここで長門が動いたら、戦線は本当に崩壊してしまいます」

 

 よりにもよって、そんな仕事か。

 言い掛けた言葉を、スネークは呑みこんだ。文字通りの汚れ仕事だ。単独で動き、敵陣に侵入できる。万一感染したらそのまま『研究』に使える捨て駒。私が艦隊と行動をともにすれば指揮が乱れるが、それも回避できる。そんな意図があるのだろう。

 

「やってくれるか」

 

 今度はスネークが、長門に背中を向けた。神通の視線が痛いが、お互いの利益になるとしても、ここまでの危険に飛び込むのは気が引ける。連合艦隊が戦ってくれていれば、確かに各地への侵入はしやすくなる。しかしそれだけだ、危険度が上がっても侵入はできる。

 

「無言か、だがな、こんな乱暴な提案をしているのは、別に艦隊のためだけではないのだ」

 

 長門が歩き出す、スネークもついていく。道中、神通が目を伏せながら、スネークの手を握ってきた。親しみではなく、何か謝っているような手つきだ。どういうことなのか、その理由が目の前の独房にあった。

 

 独房の中には、食べ物が置いてあった。

 水もある。しかし、手はつけられていない。その理由は分からず、ただ遠くを彼は見つめていた。

 スネークが気づいたのは、匂いだった。

 嫌な予感を覚え、檻に近づき臭いをかぐ。それはガンパウダーの臭い、麻薬の代わりに使われることのある、依存性のある粉だ。そんなものが臭う理由は一つしかない。

 

「少年兵か」

 

 嫌な音が聞こえた、それはスネークの歯が軋む音だった。

 アフリカではありふれた光景、だが、スネーク(雷電)にとっては決して認められない光景。

 それだけではない、少年の目には光が灯っておらず、まるで屍人のようだった。この子も、既に感染していたのだ。

 

「敵は深海凄艦だけではなく、少年兵も戦力として扱っている。なんとか保護できたが、このままでは死んでしまう。お願いだ、屍病を調べてくれ。サンプルケースが足りていない。これは艦隊旗艦ではない、私からの頼みなんだ」

 

 それは卑怯だろう。スネークは呟き、長門の手を強過ぎる力で握りしめてやった。こいつのためではない、死んで良い理由のない存在を助ける為だ。だから神通の感謝にも、返事などはしなかった。

 

「感謝する、頼んだぞ」

 

 代わりに、思いっきり背中を叩かれた。まさか激励のつもりか。戦艦級の痛みに文句をこぼしながら、スネークは少年兵を少し見て、歩き出した。

 

 

 *

 

 

 ベースキャンプを離れ、スネークはジープに揺られながら移動していた。艦隊が手に入れた感染者の情報を元に、遺体を確保する。それを運ぶこと。死体の運び人というわけだ。亡霊が死人を運ぶ、ここは屍者の帝国か。運転手が人間ならまた良かったが、あいにくそっちも艦娘だった。

 

「ちょっと、煙草は止めてよ」

 

「葉巻だ、煙草じゃない」

 

「同じだよ、どっちみち禁煙!」

 

 奪われて消されてしまった、運転手はオイゲンだった。長門から聞いた時、いったいどうしてなのかと思ったが、これは彼女からの要望らしい。というのも、今から向かう場所は──サラトガたちがいる場所に近いのだ。

 

 どうせ近くまで行くのなら、ついでに二人を保護してくるとオイゲンは言った。そのままこのジープで連れて帰る予定だ。もっとも、オイゲンは私に警戒心を抱いている。監視の意味も含まれている筈だ。良い気分ではないが、仕方ないだろう。

 

 ちなみに、浸食されていた彼女の足は、入渠によって治療されていた。すっかり元気に成り、アクセルを吹かしている。屍病の感染者は液化の近くにいた、感染にはイクチオスが関わっているのだろうか。まさかあの兵器は核だけでなく、生物兵器まで積んでいるのか。悪魔と呼ぶのすら温く感じる。

 

 モセスに通信でも入れたいが、余計なことをして警戒されるのも面倒だ。スネークはやることもなく、助手席で寝始めた。瞼が落ちた途端、一気に眠気に誘われる。想定外のことばかりで疲労がたまっていたのだ。

 

 襲撃があればG.Wが教えてくれる。それもあり、眠気に身を委ねる。メイン艤装はジープの荷台に、布をかぶせて乗せてある。これで戦闘ができなくなることはない。

 少し咽こむオイゲンの声が聞こえた。アフリカの環境に慣れていないのだ。彼女等にとって厳しい環境は、スネークには過ごしやすかった。少なくとも、睡眠を邪魔されない程度には。この大地には、覚えがあった。

 

「スネーク!」

 

 オイゲンの呼び声が上がった。同時にG.Wが大音量で無線を入れる。ただならぬ様子に飛び起きた瞬間、ジープが浮いた。落下の衝撃でシートベルトが腹に喰い込み、息が搾り出される。

 

「なんあのさ、あれは!」

 

 地平線から、『何か』が迫っていた。

 良く分からない『何か』が視界に納まった時、全身が寒気に覆われる。地平線からやって来たそれに、空も大地も、赤く塗りたぐられる。全てが真っ赤に染まると、今度は絵の具のように溶けだした。

 

 泥のようになり──そして水になりつつある地面にタイヤを取られる。まともな操縦はできない。二人は窓を割って飛び出す。脱出した時にはもう、世界は海で埋めつくされていた。同時に、G.Wとの無線が切れた。

 

 また、あの世界だった。

 何もかもが赤く染まり溶け落ちた赤いビーチ。乗っていたジープは一瞬で水底に沈んだ。イクチオスは近くに見当たらない、見えない距離にいるのか、それともビーチにイクチオスは関係ないのか。

 

「なに驚いているの、早く武器を構えて」

 

「何故だ?」

 

「あれが見えないの!?」

 

 オイゲンが示した方向には何もない、地平線しかない。だがそこから、砲撃が飛んできた。深海凄艦の気配が伝わるが、姿は見えない。オイゲンに合わせて、回避するのが精一杯だ。その動きを見て、彼女もスネークが見えていないと知る。オイゲンには、目の前に展開する敵艦隊が見えていた。

 

 やはりスネークには敵が見えない、理由も分からない現象に苛立ちが募る。G.Wと通信が途絶する理由もやはり分からない。それでもと、メイン艤装のミサイルを準備しようとする。だが、それはできなかった。

 

 G.Wと通信できなかった理由が分かった、持ち込んでいた筈のメイン艤装が、消えてしまっていたのだ。私の武器は、P90と高周波ブレードしかなかった。滅茶苦茶だ、このビーチは私を苦しめて殺すためにあるんじゃないかと思えてきた。

 

 

 

 

 

「余計な奴が紛れ込んでいたか」

 

 

 

 

 

 また、声が聞こえた。

 だが、二人にとっては想定外の声だった。

 それは、『男』の声だった。

 海の上で、艦娘と深海凄艦しかいない筈の場所で、男の声がした。

 

「俺だけは見えているようだな、シェル・スネーク。だがスネークと言う名前は、お前には大げさだと思うが」

 

 男もまた、突然現れた。真っ赤な世界に浮かぶ白い太陽。光を背中に受けてそいつは飛んでいる。しかし光に彩られた男の体は、あちこちに縫い跡が走っている。

 男が右腕を掲げ、力強く握りしめる。みしり、と音をたてて、世界が軋んでいく。海が狂ったように暴れ回り、海中から死体が跳ねまわる。

 

「俺こそが真の毒蛇(V)、ブラックアーツ・ヴァイパー。空の世界を毒で満たすために、怒りで溶かし尽すために、生かされた存在」

 

 ヴァイパ──―毒の蛇と名乗った男は、世界を溶かすと言った。スネークが感じていたのは、底なしの怒りだった。理由など知る訳がない、しかし男の感情は、再び幻肢痛を呼び覚ます。掠れていく意識を何とか繋ぎ止めて、顔を上げる。そう見えているのか、痛みのせいなのか、世界が溶けて見える。

 

()()()の怒りが分かるか、そこのドイツの艦娘になら、少しは分かるだろう。俺達の痛みが」

 

「分かんないよ、なんなの貴方は!」

 

「分からないか? なら死ね、死んで俺たちの糧となれ」

 

 空に浮かぶヴァイパーが動きだす。同時に、影に隠れて見えなかった深海凄艦が現れる。まるで幽霊のように、何もない所から深海凄艦は現れた。ヴァイパーはそいつの肩に乗っていたから、浮かんでいるように見えたのだ。その深海凄艦だけは、スネークにも視認できていた。

 

 ヴァイパーが継ぎ接ぎなら、その深海凄艦も継ぎ接ぎだった。

 白い体に縫い付けられた黒い焦げ跡、顔には大きな亀裂が入っている。対照的に、白いドレスには汚れ一つ無い。何よりも上半身を覆いつくす、黒い鉄の塊に眼が行ってしまう。

 

「まさか、深海海月姫」

 

 深海海月姫は、語らない。無言のまま手をふるい、空を覆いつくす程の艦載機を召還する。オイゲンの顔は驚愕に染まっている。なぜ、ハワイにいる筈の姫級が此処にいる。スネークも同じ気持ちだった。

 

 男と女を、狂った世界は歓迎していた。

 波が荒れ始め、感覚がおかしくなり出す。何もかも狂っているなら、異常なのはむしろ正常な私たちだ。言葉にならない声を上げ、海月姫が躍り出した。

 




長門型一番艦 戦艦『長門』

 言わずと知れたビッグセブンの一角、そして大和となるまで、連合艦隊旗艦を担った名誉ある艦である。ただし、ビッグセブンの愛称はほぼ日本だけで使われていた。
 この世界でも変わらず、三隻目の大和(呉襲撃事件の際の個体)就役まで、連合艦隊旗艦を務めあげ、現在は前線部隊の旗艦となっている。艦娘としての軍歴も8年と長く、その為アフリカ遠征艦隊でも、中核的役割を背負い、その権限は連合艦隊の『提督』とほぼ同格である。ただし、権限があるのはほぼ艦娘に限定され、人間に対する明確な指揮権は有していない。その為、人間側を動かしたい場合は、必ず提督と協調する。
 なお、神通の説得には折れたが、スネークはそんなに信用していない。


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File46 ブラック・チェンバー

 頭が割れそうな絶叫が響いた。脳の芯が焼き切れそうな痛みを堪えようと、歯を食い縛る。痛みは治まらない、勝手に涙が溢れ、涎まで垂れ始めている。息を吸っているのか、それさえも分からない。

 

 何もかもを塗り潰す痛みの濁流で、私は気づいた。これは悲鳴なのだと。誰かの悲鳴であり、そして、底なしの怒りなのだと。この痛みはそれだ。私たちが受けた痛みなのだ。私自身が受けた訳じゃないけど、確かに感じる痛み。それは幻肢痛だ。

 

 彼の怒りが、私にあった。彼は、私になった。私とは彼だった。痛みと怒りと憎しみで私は私たちになった。そう理解できた時、痛みは収まった。自分自身が煮えたぎる硫酸になった。これをあいつらに叩き込むこと。それが重要だった。

 

 

 

 

 ── File46 ブラック・チェンバー ──

 

 

 

 

 ペットボトルに入った水を、半分近く一気に飲み干す。少し酒匂は咽て、小さく鳴いた。それを見てサラトガは微笑ましい気分になる。呑んだのが貴重な水だとしても。残る半分をサラトガが呑む、しかし渇きは癒えても、疲労は抜けない。

 

 ずっと二人で歩き回り、半日近く経過していた。途中うっかり敵兵のいる集落に迷い込み、危うく殺されかけた。そんなこともあり、二人は疲弊しきっていたのだ。

 待機していろとスネークには言われたが、途中で運悪く警備の深海凄艦に見つかってしまい、逃げ回るしかなかった。お互いに艤装は半壊していた。

 

 ただ、今までよりマシな地獄だった。

 周りが全員敵でも、ビーチよりは生きている人を感じられる。今は酒匂も隣にいる。逃げ切ったと確信したら、途端に膝から力が抜ける。無防備に、岩肌へと寝ころんでしまった。

 

 安堵はしばらく経つと、嫌な予感に変わり始めた。

 サラトガは落ち着きなく周りを見渡すが、何もない。それでも視ずにはいられない。理由など存在しない。まさに『直感』としか言えない予感があった。

 

「ねえサラトガさん、なんなのかなこれ」

 

「酒匂も?」

 

「凄い不安なんだ、それに気持ち悪い」

 

 二人ともとなると、ただの予感とは思えない。恐怖の原因を突き止めるために、サラトガは歩き出した。飛行甲板も壊れたままで動くのは危険だが、じっとしているのも危険な気がする。

 

 二人は直感に従い歩く、不気味な感覚のする場所は、彼女たちが迷い込んでいた集落だった。前来てしまった時は、こんな雰囲気ではなかった。深海凄艦のテリトリーにいる時の感覚がする。遠目に観察していると、集落からは前よりも、人の気配が減っていた。

 

 視界に収めた時点で、二人は撤退を決めた。この嫌な気配の発生源は明確になった、後は反対側へ移動すれば良い。そ思い振り返る。しかし、もう手遅れだった。踏み出した足が、泥沼にはまったように動かなくなる。固い岩場が、赤いタール状の液体に変わっていた。

 

 赤い津波が押し寄せていく、触れた物も全て溶けていくか、錆びて朽ち果てる。浸食は空さえ覆い尽し、赤かった太陽は白く染まり、灰色の曇天に覆われた。ビーチが、何かを切っ掛けに再び現れたのだ。

 

 酒匂は言葉を失い絶句している。しっかりと見てしまうのは、これが始めてだろう。こんな世界を見て、冷静でいる方が無理だろう。驚いてばかりもいられない。ビーチ──深海凄艦のテリトリーに呑まれたのだ、いつどこから深海凄艦が現れてもおかしくない。

 

 周囲を警戒するサラトガは、遠くに巨大な影があるのに気づく。傍から見ると巨人が膝を追って俯いているようにも見えるが、巨人は鉄でできていた。

 メタルギア・イクチオスが、そこにいた。

 元々の場所と照らし合わせると、丁度集落があった場所になる。まさかあの集落には、イクチオスが隠されていたのか。

 

 イクチオスは座り込み、沈黙を保っている。周囲には深海凄艦が四隻いる。

 人間は何処へ行ったのだろうか、少なかったが集落には人が残っていた。現実世界で生きているのか、それとも、赤い水底に沈んだのだか。

 予想していない遭遇だが、どうすればいい。

 あれを破壊すれば、ビーチから出られるのだろうか? 最初の発生は、『液化』が起きた時だった。ビーチから出たとしても、液化は起きてしまっているかもしれないが、何らかの干渉はできるかもしれない。

 

 酒匂がサラトガの肩を叩く。片手には主砲が握られている。怯えていたが、闘志が滾っていた。そうだ、目の前に最大の敵がいて、何もしない訳にはいかない。サラトガが頷くと同時に、酒匂の主砲が轟音を鳴らした。

 

 軽巡の一隻に直撃し、護衛は私たちに気づく。同時に彼女が放った魚雷に陣形が崩れ、その間をサラトガが走り抜けた。目的はイクチオスただ一隻だ。一対一で見れば、イクチオスはただの潜水艦に過ぎない。装甲は薄い、対物ライフルなら、ある程度ダメージは通る。

 

 事前の情報通り、足の関節に向けてライフルを撃つ。イクチオスはとっさに姿勢を変え、凄まじい高度まで飛び上がるとそのまま着水した。空母の私では、水中のどこにいるのか分からない。

 

「サラトガさん、後ろから来る!」

 

 酒匂は流暢な英語で叫んだ。軽巡の彼女ならソナーを持っている。だが、対物ライフルを撃っても、最大速度のイクチオスは止められない。ただ回避するだけでは、また水中に潜られる。

 

 だからサラトガは、飛び出したイクチオスを()()()()()()()()()()

 壊れた飛行甲板を盾に衝撃を削ぎ、空母の出力で動きを止めたのだ。空母と潜水艦。どちらにパワーがあるのかは歴然。そのまま衝角を圧し折ろうと力を込める。

 

「また、迷い込んだ奴がいる」

 

 男の声だって? 

 あり得ない声に動きが止まったところに、爆弾が投下された。巻き添えから逃れようとイクチオスが暴れたから直撃はしなかったが、爆風に吹き飛ばされる。

 

「いや、お前は……」

 

 最悪だった。吹き飛んだ方向は、まさに男のいる場所だったのだ。隣には姫級の空母もいる。このまま沈められてしまうのか。サラトガが強く眼を瞑る。

 その時、また誰かの声が聞こえた。

 

「ヴァイパー!」

 

「フン、追ってくるのか。そのまま逃げていれば良いものを」

 

 スネークだ、シェル・スネークの声だ。

 

 瞬間、脳裏を突き破る激痛が走った。

 続けて体中が熱くなる、炎に包まれているような痛み。あの時の光を連想させる暑さが、視界を真っ白に塗りたぐっていく。

 その痛みの正体は、激烈な怒りだった。スネークへの怒りだった。

 

 どうして、スネークが憎いのか? 

 幻肢痛は疑問さえ破壊し、サラトガを絶叫するだけの獣へと変えていく。

 強過ぎる痛みは、サラトガの認識を破壊していく。

 感覚、記憶、自分と他者。走馬燈のように流れる記憶が、途中でバラバラになっていく。時間的なつながりを失い、崩れたパズルのようになる。

 

 掠れる視界の端で、私と同じようにのたうち回る影があった。深海海月姫だ。彼女の傍にいた彼が、混乱した様子で駆け寄ってくる。

 

 悲鳴が聞こえる、断末魔が聞こえる。

 私の悲鳴なの? 誰の? スネーク? 彼? 

 悲鳴が私に重なる。殺される、スネークが見下ろす。

 そして、ブラックアウトした。

 

 最後の一瞬に見えたのは、太陽に伸びる、()()()()私の手だった。

 

 

 *

 

 

 ヴァイパーが戦闘を放棄したのは、イクチオスだとガングートは推測していた。

 彼にとってメタルギアは計画の為の重要な要素。それがサラトガと酒匂に襲われたから、イクチオス防衛を優先したのだ。ヴァイパーが黒幕だった、という前提があればの話だが。二人の襲撃は、予想外だったのだろう。

 

 またそのお蔭か、今回液化は発生しなかった。あの湖が更に範囲を広げることはなかった。それでも液化直前に行った影響は残っている。付近の集落などで、屍病に感染している情報が増えていたのだ。この原因がイクチオスなのかは、分かってない。

 

 いったいアフリカで何が起きているのか、シャドー・モセス基地ではその解析が急ピッチで進められていた。イクチオス、ビーチ、屍病、ヴァイパー。想像を絶する混沌はまさしく暗黒大陸と呼ぶにふさわしい。

 

 しかし、ヴァイパーに限って言えば、彼が誰なのかはすぐに発覚した。

 

「ブラックアーツ・ヴァイパー、それが奴のコードネーム。同時に特殊部隊ブラック・チェンバーのリーダーだった男だ」

 

ブラックアーツ(黒魔術)、と言うのはどうしてでしょうか?」

 

「データによれば、奴はブービートラップのプロフェッショナルだ。戦場を自由自在に駆け回り、あらゆる罠で敵を抹殺してきたことから、そんなあだ名がついたらしい。本来罠とは事前に設置するものだ、それを実際の戦闘中に活用するなど、普通の奴ができることではない。あらゆる罠──地雷や機雷など──に精通していたのも、異名の一因だった」

 

「なるほど、それにしても……ヴァイパー(毒蛇)、ですか」

 

 ため息交じりに青葉が呟く、我々のリーダーもまたスネークなのだ、因縁があるのかもしれない。

 

「それで、どうしてそんな男がアフリカにいるんだ?」

 

「分からないが、少なくとも合衆国の都合ではなさそうだ」

 

 ブラック・チェンバーは、数十年前に壊滅した部隊だった。

 元々この部隊は、艦娘と人間による合同特殊部隊として設立された。デルタフォースと同じく非公式の部隊だが。これからは艦娘を活用する時代が来る、そう考えてアメリカが設立した。なお、艦娘を対深海凄艦以外で用いるのは国際法で禁じられている。だから非公式部隊なのだ。

 

 しかし数十年前の在る日、従事した任務の時、極めて強力な深海凄艦と交戦。僅かな人員を残して部隊は壊滅し、そのまま解体されたらしい。だが実際は、表向き壊滅したことを言い殊に、更なる非合法部隊として活動していたのだ。

 

 信憑性は高い、だが、かなり疑わしい原因がある。

 

「この情報、フョードロフからなんだ」

 

「フョードロフって、あのKGBの諜報員ですよね。彼が情報をくれたんですか? 頼まれた任務は結局失敗したのに」

 

「ああ、なんの文句もない。それどころか口約束に過ぎなかった支援もしてくれている。代わりに新たな依頼があった。アフリカでのイクチオスの出所を連合艦隊よりも先に探ることだ。イクチオスを建造したのはソ連だ。アフリカでのルートを辿られてしまえばソ連に行きつく。そうなれば追及される責任は大変なものとなる」

 

 だが、それも妙な話だ。ジョン・H──もといジェームズ・ハークスの捕獲に失敗しておいて、文句の一つもない。基地の誰もが怪しんでいた。イクチオスの証拠隠滅以外の目的があるのではないかと。

 

 スネークにとっては、アフリカにあるという愛国者達の謎を追うのが目的だ。だがガングートたちはそうではない。ガングートや北方棲姫、伊58に北条提督は、仕方なくここに来たようなものだ。だからこそ、自分の身を護る方法をつけなければならない。

 

 アリューシャン列島は北方輸送の要だ、北方棲姫は周囲のイロハ級を支配し、この航路を安全なものとしている。それにより、この辺りを使う日米企業の密かな支持を受けていた。だがそれでもやはり、テロリストなのは変わらない。

 

 故に、フョードロフが何を目的としているのか突き止めることも急務だ。このままでは第三各国よろしく、大国に利用されるのが目に見えている。それに抵抗する気があるのは、私たちしかいない。ガングートは会議をそう締めた。

 

 

 

 

 もう一つの目的はどうなっているのか。それを確認するためガングートはシャドー・モセスの地下研究所を目指した。彼女は知らないが、そこは別の世界でメタルギアREXの研究をするためのスパコンが置かれていた部屋だった。

 

 ガングートのブーツがタイル状の床を鳴らす。パソコンに顔を突き合わせる北条は気づかずに、眉間にしわを寄せている。二つ持って来たカップにはコーヒーがある。それを机に置いて、彼はやっとガングートに気づいた。

 

 コーヒーを一気に飲み干して、大きく腕を伸ばす。瞳は半分しか空いておらず、疲労がにじみ出ていた。この数日間でモセスに送られたデータを、彼は急ピッチで調べ上げていた。それは全て、死体だった。

 

「駄目だ、あと少しが分からねえ」

 

 死体とはつまり、亡霊艦(スペクター)のことだった。呉鎮守府内で北条を監禁し、雪風に撃破され生き埋めになっていた一隻を、ガングートたちは密かに回収していた。幸いにもスペクターは活動のみを停止しており、完全に死んではいなかった。仮死状態──死体を継ぎ接ぎしといて仮死も何もないが──で、保管されている。

 

「やはりか」

 

「深海凄艦の細胞は、死亡から数分で粒子状となって消える。スペクターにはこれを保護するためのフィルターのようなものがある、多分、スペクターを構成する、深海凄艦の死体はこいつで保管されている」

 

「ならそれを調べればいいだろ」

 

「それができねえ、触れねえんだ」

 

「触れない?」

 

「ああ、確かに見えているのに、物質的な接触ができねえ。電子顕微鏡で見る以外のやり方が全くねえ」

 

 まるで本物の幽霊だ。そう言って北条は再びパソコンに向き直る。この辺りは専門外だ、彼に任せる他なかった。

 敵──ヴァイパーは明らかに、どの国家よりも隔絶した技術力を持っている。その一端でも掴まない限り、どうすることもできないだろう。もっとも、ヴァイパーが黒幕ならの話だが。

 

 

 *

 

 

 連合艦隊のベースキャンプから、長門は出てきた。安否が不明だったサラトガと酒匂の帰還だ。今艦隊には陰鬱な空気が漂っている。彼女たちの帰還を宣伝するだけでも、大分マシになる筈だ。

 

 だからこそ長門は、二人の話に聞き入っていた。突如ビーチに呑み込まれたスネークとオイゲン、続けて呑まれたサラトガと酒匂。そして深海海月姫を連れたヴァイパーという男。ブラック・チェンバーについての概略は、モセスを経由してスネークから聞いた。

 やはり通信が不安定になる時は、ビーチの湖を隔てる時限定だ。ここからアラスカには、さすがにビーチはない。

 

 それらの事実を、長門は一切宣伝しなかった。イロハ級しか生み出さないイクチオスでさえこれだけの脅威なのだ。感染症を撒いている噂も立っている。これでもし、深海凄艦の姫級を人間が支配できると知られれば、更なる混乱が起きる。報復心に駆られ、虐殺が起きてもおかしくない。そうなれば、更に敵の思うつぼだ。

 

 だが、不思議なことは、深海海月姫がヴァイパーやイクチオスと共に撤退したことだった。スネークたちから見ると、その理由は海月姫が苦しんでいたかららしい。

 

「本当なのか。サラトガが苦しむと同時に、深海海月姫も苦しみだしたと言うのは」

 

「間違いないよ、私たち全員見たもの」

 

 オイゲンの回答に、酒匂とスネークも頷く。当のサラトガは苦しそうに寝込んでいた。怪我はないが、寝込んでいる原因は全く分からない。分かりやすい怪我でもあった方がまだ良かったかもしれない。

 

「命に別状はない、じきに目を覚ますだろう。軍医はそう言っていた」

 

「じゃあ原因は分かったの?」

 

「それは今調べている最中だ」

 

 分かっていない時の常套句だった。そんなことは長門も分かっている。それでもこれしか言えないのだ。全員が不満になるのは当たり前だ。長門自身も不満だった、彼女がどうなっているかさえ分からないのだから。

 長門はきっとそう思っている。彼女は思った。

 

「……()()、じゃなくて、()()、よ」

 

 少し前からサラトガは眼を覚ましていたのだ。

 しかし、上手く体を起こせない。長門に支えられてやっと起き上がる。意識がまだぼんやりしていて、中々覚醒まで至らなかった。

 

「おはようサラトガさん!」

 

「おはよう酒匂、それに皆さんも」

 

「大丈夫、ではなさそうだな」

 

 スネークの声が聞こえた途端、サラトガがビクンと震えた。勝手にこんな反応が起きる。スネークを前にすると平静ではいられない、内蔵に手を突っ込まれて、ゆっくりと抉り出されるような不快感が喉から湧き出てくる。必死で堪えようと、シーツを握る手に力が入る。

 

「やはり、私が駄目らしいな」

 

「どういうことだ?」

 

「私にも分からない、本人に聞いてくれ」

 

 スネークが部屋から出て行くと、不快感が収まっていく。サラトガの様子は長門たちから見ても異様なものだった。

 

「いったいなにがあったんだ、スネークとなにか?」

 

 そんなものはない、むしろ下手したら命の恩人だ。理由を知りたいのはサラトガだって同じだった。この煮え立つ気持ちは何なんだ。訳が分からない、深海海月姫を目にした時の、凄まじい激痛も分からない。

 

「落ち着けサラトガ、一つ一つ、話してみてくれ」

 

 サラトガは言われた通り、素直に話した。

 スネークを見ると、なぜか少し苛立つこと。海月姫を目にした途端、凄まじい激痛が体を襲ったこと。その時流れ込んできたのは、サラトガ自身の記憶ではなかった。冷静になっている今だからこそ、そう判断できた。だがあの時は、それが自分の記憶のように感じられた。知らない誰かが、寄生しようとしているようだった。

 

「──知らない筈の痛みを知っている、か」

 

 そう言うが、知らない痛みは想像することもできない。

 だからきっと、これは忘れている痛みなのだ。なぜ忘れたのか? なぜそんな痛みを? その理由は分からない。忘れたからこそ、罰のように痛みが響くのかもしれない。

 

「あたしもあるよ、そういうの」

 

「酒匂も? どんな?」

 

 オイゲンが質問する。だが、オイゲンも私たちも、その質問を後悔する羽目になる。

 

「眩しい光を視るとね、一瞬だけ全身がとっても痛くなるの、それに凄い熱いの。私が私がなくなるみたいに。だから大きい音も嫌い」

 

「そっか、それは辛いね」

 

「ううん、実際に痛いことよりもマシだよ。だってあたしは実戦に出なかったから、本当の痛さを知らないんだもん」

 

 酒匂の発言は、一つ間違っていた。彼女はその痛みを知っている。だが、忘れてしまっているのだ。周りのサラトガたちは、記憶の正体を知っていた。実戦の痛みを知らないと言ったが、むしろ──何の痛みを知らなかった分、余計に過酷な記憶になってしまったのだろう。だから記憶がないのだ。酒匂自身が耐え切れないから。

 

 他人の痛みは知っている、だが自分の痛みは知らない。

 サラトガは、私もそうではないか、と考えた。人が覚える痛みは何も自分だけではない。他者が感じた痛みも、言葉などを介して知ることができる。だからスネークへの感情や深海海月姫との接触で見たものも、誰かの記憶ではないかと。

 

 ならあれは、深海海月姫の記憶なのだろうか? もっとも一瞬かつ痛すぎて、まともに覚えていない。そもそも知らない人の記憶が、そんな簡単に流れ込むものなのか。超能力でもあるまいし。

 

「もう良いか」

 

 スネークが慌てた様子で入ってきた。また少し胸がざわつくが、さっきよりかはマシだった。長門に色々話したおかげだろう。彼女はサラトガを少し見て、声を荒げて刺激しないように話した。

 

「イクチオスが発見された」

 

「何!?」

 

「位置から考えて、我々がヴァイパーと接触した時の個体だろう。しかももう、『液化』の準備に入っている」

 

 一刻も早く止めなければ、またアフリカの一部が海と化す。深海凄艦の生産プラントとなり、不毛の土地になってしまう。ただ破壊のための兵器が動きだしてしまう。これ以上深海凄艦が増えれば、連合艦隊は敗北する。

 

「私が止めてしまって構わないよな?」

 

「それは良いが、だが……もしビーチに呑まれた時どうする。お前は確か敵艦が見えないんだろう、オイゲンから聞いたぞ」

 

 長門の言葉にスネークが黙ってしまう。

 何もできないのだ。口を閉ざしながら、奥で悔しそうにしている。何もできないまま見守るだけ。その時、スネークに幻肢痛が現れた。中破してしまい、何もできず、殺される味方の悲鳴。それが幻肢痛になっていた。

 

 歯を食い縛って痛みに耐える、その甲斐あって、苦しんでいることは長門に悟られなかった。代わりに会話も聞こえなかったが。

 

「──本当か、スネークと行くのか」

 

 幻肢痛が収まった時、サラトガはスネークとともに行くこととなっていた。敵が見えないスネークのサポートをすると志願していたのだ。無意識下で何があった。そう思ったが、サラトガは発言を撤回しなかった。

 

 何もできないまま悔しそうにするスネークが見ていられなかったのもある。それを自分に重ねていたのもある。

 だがそれ以上に、この報復心の正体を知りたかったのだ。記憶を、スネークへの、深海海月姫の。そしてヴァイパーの。

 




『継承(スネーク×青葉)』

「フョードロフの狙いか、碌なものではないだろうが……」
「そう言いましても、ソ連の支援があるのも確かですし、表立って荒を探すのはちょっと不味いですし」
「私が行ければ良いんだが、流石にアフリカからはそう簡単にいけない」
「支援、受けない方が良かったんですかね」
「そういう訳にもいかなかっただろ。大国の一つがテロリストではないと言うだけでも、影響力は違う。少なくとも、私の目的、愛国者達を突き止めるまでは必要だった」
「でも、何も知らずに利用されるもの、癪ですよねえ」
「そりゃそうだが」
「……表立って調べなければ、良いんですよね?」
「何が言いたい?」
「ソ連に、誰かが侵入すれば良いんじゃないでしょうか。例えば青葉とか」
「馬鹿を言え、スニーキングは一朝一夕で獲得できる技術ではない。まるで才能がないとは言わないが」
「でもスネークさん、実質生後1年ぐらいしか経ってないですよね」
「……そういう問題ではない、危険過ぎると言いたいんだ」
「一応青葉、ソロモンの時少し教わりましたけど」
「とにかく駄目だ、死にに行くようなものだ。無理にスニーキングをしなくても、できることをするんだ」
「できることですね、了解です」


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File47 姫の領域

 彼に手を引かれながら、私はどこかを彷徨っている。

 私には感覚がない。音も景色も、私自身の感覚で感じることはできない。いや、感じられたとしても変わらないだろう。それらを意味に変える「言葉」を持たないのだから。

 

 だから私にとって、彼は全てだった。

 彼の聞いた事、見た事、知った事、それらを語る言葉。彼と言うフィルターを通してみて、始めて世界は世界になったのだ。今まで見てきた世界は燃えていて、光もなにもない真っ暗闇だ。世界はそういうものだと思っていた。

 

 じゃあ、これは何。

 あの私に似た艦娘を見た時、新しいフィルターが生まれた。彼女を通じて見た世界は、とにかく明るかった。激痛に塗れた明るさだった。朝日というの? 爆発の閃光? この何もかもを包む光は? 

 

 世界を介する言葉が増えた、私は戸惑っていた。不安で一杯で、彼の手を強く握りしめていた。深海凄艦の腕力に負けない、強い手だった。

 それが異常だとも気づかずに。

 

 

 

 

 ── File47 姫の領域 ──

 

 

 

 イクチオスが確認された場所は、ベースキャンプから見て湖の反対側にある集落だった。最初にスネークが酒匂を発見した場所に近い。集落と言ってもそこに住民はおらず、兵士たちの駐屯地と化している。そこへ、イクチオスが運び込まれているところが見つかったのだ。

 

 スネークとサラトガは軍用ヘリに乗り込み、湖を渡っていた。また湖を渡るのには時間がかかるということで、長門が気を利かしてくれたのだ。実際、時間的余裕がない訳だが。

 

 真下に広がる湖は、アフリカ大陸の一部を溶かして生まれた。大陸に小さな穴が空いているのだ。同じような穴が幾つも見つかっている。液化が複数回発生している証拠だ。敵勢力の正体はまだ分からないが、土地の調査は概ね完了していた。

 

 その湖は、生まれると同時に艦娘と人間を呑み込むあの世へのビーチである。逆にあの世からの屍者を呼ぶ。深海凄艦のテリトリーに近い力を持つここでは、イロハ級が無数に生まれていく。

 

 だが、今は見える範囲に深海凄艦はいない。ヘリで安全に渡れるようにと、このタイミングで長門が艦隊に攻撃を支持してくれた。とはいえ長くは持たないだろう、遅くなれば『液化』が起きる。その前に、イクチオスを止めなくてはならない。疲労の抜けきらない体をほぐしながら、スネークは窓の外を覗き見ていた。

 

 やがて、遠くにぽつぽつと明かりが見え始める。要塞が近づいて来ていた。

 集落の位置は切り立った崖に囲まれている、すり鉢状の要塞だ。しかし、自然にできたものにしては傷跡が新しい。それに融けたように滑らかだ。

 

 イクチオスを使った証拠だろう。今思えば、ダッチハーバーや呉の地下にあった、溶けたような跡はイクチオスの力だっただろう。陸を溶かし海にする力を転用したのだ。

 しかし、おかげでイクチオスがいる確信がとれた。二人はヘリから降りようとする。

 

〈スネーク、サラトガ、聞こえているか? 〉

 

 長門から無線が入った。聞こえてはいる、しかしノイズが酷い。やはり湖──ビーチを隔ててしまうと、通信が上手くいかなくなる。

 

「ノイズが酷い」

 

〈そうか、出力を高めてこれか。恐らくあと数分しか持たない。恒常的な通信はできないと考えた方が良いな〉

 

「どうしたの長門、今から行くのだけど」

 

 敵陣が目の前にある状況で通信が入り、サラトガはやや苛立っている。緊張に冷静さが浸食されているのだ。そんなに彼女は実戦経験がないと言う。長門は対照的に、前線の近くにいながら冷静だ。

 

〈我々がビーチと名付けた世界について、仮説が立ったから、それを伝える。あの後何隻かで、ビーチがある湖に侵入しようとしてみたが、ビーチには行けなかった。

 代わりに別の現象が確認できた。湖の中心部に、入ることができなかった。沈んだ訳じゃない、不思議な力で航路が無理やり逸らされたようだった。

 これに近い現象は、何回も確認されている。深海凄艦のテリトリー奥地では、時折、特定の艦以外の侵入を阻むケースがある。例えば北方海域にあるキスカ島付近は、軽量級の艦しか侵入できない。海流の問題だけでは説明できない。この原因は、かつてあの島で行われた作戦にあるという。現実の力が、過去の史実に歪まされているのだ。

 また、今回湖に行ったが、一隻だけ侵入できた艦がいる。

 私だ、戦艦『長門』だ。そして敵側にいたのは、深海海月姫。サラトガと縁深い深海凄艦だ。今回ビーチを見たのは、サラトガとオイゲン、酒匂。私たちには共通の歴史がある──〉

 

 長門は更に続けようとしたが、更にノイズが酷くなっていく。力押しでの通信も限界だ。言いたいことは大体分かった。あのビーチが海月姫のテリトリーだと仮定して、更に一部の艦しか入れない特性があるとしたら。

 

〈クロスロード作戦が、関わっているかもしれない。だが仮説だ、証拠が欲しいが、液化が起きたら意味がない、頼んだぞ──〉

 

 ルート制限、とでも言うべきか。

 クロスロード作戦に関わった艦しか、侵入を許さない。そういう領域かもしれない。まあ、それだと私が入れた理由は全く説明できないが。

 

 スネークにとっても液化は、あらゆる証拠をなくしてしまう。必ず阻止しなくてはならない。とは言え潜入優先だったせいでメイン艤装は置いて来ている。見つかれば終わり、慎重でなくてはならない。

 

 切り立った崖にはいくつか人工的な空洞があった。中には銃や双眼鏡を持った人間がいる。トーチカが村を見張っていた。理由は間違い無く、侵入者を見つける為。そんな設備を置く理由はイクチオスしかない。

 

 敵兵の監視をくぐり抜け、スネークは集落の中に辿り着く。人の気配はほとんど感じられない。あるのは深海凄艦と──少数の人間だけだった。イクチオスがあるのは間違いなさそうだ。そう一歩踏み出そうとした瞬間、つま先に何かが触れた。

 

 細い糸の先には警報機が繋がっていた。引っ掛かればこれが鳴り、周囲のトーチカから蜂の巣にされる訳だ。同じような罠が何か所も置いている。おそらくヴァイパーの仕業だ。しかし遅く進んでいても、トーチカの兵士に見つかってしまう。

 

 そこで、サラトガが不意に偵察機を発艦させた。見付かるかと思ったが、彼女の発艦は凄まじい速さで上昇していき、あっと言う間に見えなくなった。無線機からは、トーチカ兵の監視を伝える声が聞こえてくる。遠目に見ると偵察機は見つからないよう急降下や上昇を繰り返し、巧妙にトーチカを観察していた。

 

 これならいける、内心でサラトガに礼を言いつつ、スネークは進んでいく。偵察機が見つかるのも時間の問題だ、急ぐに越したことはない。上からの監視がなければ大分楽になる。偵察機のコントロールに集中する彼女をサポートしつつ、着実にイクチオスに迫っていく。

 

 スネークは最終的にただの家屋に眼をつけた。見ての通りただの朽ちた家屋だ。利用できない程に。そう偽装されているのだ。ほかの家屋には使用した痕跡があるが、ここには不自然な程ない。

 

 予想通り、木製と思われた扉にはロックが掛かっていた。ここまで来ればいい。スネークはサラトガに偵察機を戻すよう指示を出す。同時にトーチカから怒声が響いた。降下する偵察機が見つかってしまったらしい。しかし問題ではない。

 

 ロックされた扉にP90を乱射し破壊する。此処までくれば、もう見つかっても良いのだ。慌てるサラトガを連れ、一気に家屋の奥にあった隠し階段を駆け下りていく。壁は肉片のようになり、生々しさはどんどん悪化していく。

 

 木製の扉をくぐる。開いたのはあの世への扉だった。扉の先は既にビーチになっていた。スネークたちの周囲も、ビーチになっている。腹の奥底から気持ちの悪いものが噴き出す不快感がある。予想が正しければ、『液化』が発生してしまったのだ。

 

 だが、今までと違う点があった。

 今回は目の前に、鎮座するイクチオスがいた。迷うことはない。スネークは高周波ブレードを持って突撃をかける。護衛のイロハ級が現れるが、サラトガの艦載機に妨害される。動きの鈍くなっているイクチオスは一撃で腹を貫かれ、白い血を吹き出す。

 

 液化に専念していたのか、イクチオスの機動力は失われていた。護衛のイロハ級も悲鳴を上げて溶けていく。血の飛沫が止まったころ、メタルギア・イクチオスは完全に沈黙していた。同時に、ビーチも消えていた。

 

 

 *

 

 

 イクチオスは倒し、ビーチは消えた。だが液化は起きてしまった。そうスネークは落胆する。しかし元の世界に戻ってきた彼女達を出迎えたのは、どう見ても普通の格納庫だった。壁も床も溶けていない。中央で壊れたイクチオスが鎮座しているだけ。液化は起きていなかった。だがあの一瞬、確かにビーチは現れた。

 

 長門の話を思いだす、再びビーチに行くことはできず、ただ弾かれただけだった。

 私たちが最初にビーチに呑まれたのは、液化が起きた()()だ。それにビーチと現実世界の時間の流れは違っている。

 

 いずれにせよ、ビーチとイクチオスが繋がっているのは確定しただろう。そしてイクチオスを撃破すれば、液化は止められるかもしれない。それが分かっただけでも十分だと思うことにした。

 

 頼みの綱であるイクチオスを失い、集落の兵士は散り散りに逃げていった。そんなものだろうとスネークは思った。彼らは恐らく、この集落の部族ではない。傭兵だと予想していた。なぜなら「言葉」が違ったのだ。

 

 使っているのは共用語の英語だった。アフリカで使われている言語の大半は英語なのだ。もっとも()()であり、それぞれの母語はまた違う。この傭兵たちの英語は、その母語ごとの()()があった。故郷を守るわけでもない。頼みの兵器をなくせばこんなものだろう。

 

 しかし、ここ以外の集落にも傭兵はいる筈だった。じきに増援がやってくる。わざわざそれまで残る理由もない。サラトガに集落に奇妙な死体がないか頼み、スネークはイクチオスの解体を始める。それも長門から頼まれた仕事だった。

 

 太もも内には魚雷があり、人間や深海凄艦が乗り込む為のコックピットが存在している。白と黒、肌色と機械のパーツ。スペクター同様人間と深海凄艦と艦娘が入り混じっているのだろう。何故そんな手間が必要なのかは知らないが。

 

 腰回りにブレードを入れた時、何か引っかかる感覚があった。装甲とも肉とも違う、固い物が入っているようだ。

 それを傷つけないよう、慎重に周りを切り取っていく。途中でサラトガの偵察機が横を飛んでいった。言葉を交わすまでもない、敵が接近してきているのだ。

 

 作業の速度を速め削り切る、中からごとりと大きな塊が転がり落ちた。胸に抱えられそうなサイズだったので、そのまま掴み取りスネークはヘリに向かって走った。敵を排除したことでランデブーポイントは村の中に移動していた。

 

 死体を何人か抱えたサラトガと一緒にヘリに飛び乗り、パイロットが急上昇をかける。ある程度上昇したところで、銃声と金属音が聞こえてきた。下から傭兵が攻撃を仕掛けている。だが既に射程外まで移動していた。その中にヴァイパーらしき男はいなかった。

 

 

 

 

〈この通信を聞いているということは、任務が完了したのだと信じている。ご苦労だった、しかし、悪いが次の任務に行ってもらう〉

 

 申し訳なさそうに、録音された長門は告げた。やはり通信は繋がらない、だから録音しておいたのだ。休憩もなしか。しかし前線の艦娘や人間も事情は同じだ、特別扱いはできないのだ。

 

〈サラたちは、ここで一端ヘリを降りてくれ。報告の為に、ヘリは一時帰投するように言ってある。何か回収した物があれば、それも調べたいからな。その後、再びヘリを向かわせる予定だ。それまでにしてもらいたいことがある〉

 

 ヘリの中に置いてあったマップを開くように言われる。付近の地形が書かれた地図には、赤い印でマークがついている。湖をある程度外周沿いに歩いた後、大陸の中央に向かって歩く形になる。ベースキャンプから、更に離れることになる。

 

〈地形調査の時に分かったんだが、そこはどうやら、今のアフリカの、物流の結び目になっているらしい。深海凄艦にやられ、この大陸は困窮している。にも関わらず、そこだけは色々な物の行き交いが確認されている。その中には、大量の燃料や弾薬などもある。恐らく、イクチオスを動かすためのものだ。いくら深海凄艦を生産できるとはいえ、イクチオスの起動が前提だからな。

 そしてだ、行き交う物資の中に、異常に警備の強いトラックが行き来しているのが見つかった。その中には、スペクターらしき艦までいる。それが通る時刻は計算しておいた。万一に備え、後から増援も送る。そいつを破壊し、積荷を奪取するんだ。なんなら輸送の妨害も兼ねて、道路ごと破壊してもいい。それならそれで、敵の補給を妨害できる。つなぎ目を潰してくれ〉

 

 と、言われたものの、良い気はしなかった。その物流ルートで繋がっているのはイクチオスだけではない。普通に暮らしている人々も繋げている。それを破壊しろと言うのだ。こっちにも事情はあるが、褒められたものではない。

 

 人は繋がっている存在だ、特に艦娘や深海凄艦などは、特に繋がっていると言っていい。過去の記憶から生まれているのだ、普通の人間よりは繋がりを意識する。それを断てば弱くなるのは当たり前だ。

 

 だから昔から支配者は、支配対象が繋がらないようにしてきた。同じ国にいる二つの民族、その片方を優遇し片方を差別する。民族同士の対立を煽り──いつしか制御できなくなり泥沼の紛争と化す。

 

 勝手に押し付けられた規範と恨みに操られ、報復の泥沼に陥っていく。それと同じ行為なのだ。だがこれをしなくては、事件の本質には接近できない。録音されていた音声に向かって、スネークはしぶしぶ返事をした。

 

 では彼女は、横にいるサラトガも、微妙そうな顔をしていた。やはり抵抗はあるの──だろうか? 

 スネークには、彼女が理解できていなかった。苛立ちや怒りに近い感情を、抱いているのは気づいていた。だが、理由が分からない。出会ったこともないのに、まさか嫉妬か。

 

 分からないのは当然だった、原因に、サラトガ自身も気づいていないのだから。しかし、二人はある意味で、初対面ではなかった。

 

 *

 

 

 連合艦隊に運び込まれた死体は直ちに解析班に回された、だが同時に一部の内通者──ガングートがKGBのツテで用意してくれた──を介しデータがモセスに送られる。同時に死体の幾つかを、潜りこんでいた伊58が移送していた。伊58がアフリカからモセスに直接行くのではない、色々なダミー企業を介してモセスに届けられる。勿論イクチオス内部にあった物体についてもだ。

 

 死体の写真を見つめながら、明石と北条提督は首を捻らせていた。

 奇妙な死体と言うが、本当に奇妙なのだ。胃の中に食料があったのに、消化されずに餓死。水辺の村で脱水症状。重度の怪我があったが、治療しようとした痕跡どころか痛がった痕跡もない。多種多様な原因で、とにかく死んでいたのだ。

 

 ならもう片方はと北方棲姫に渡したところ、この物体は鉄の塊だと分かった。

 ただの鉄ではない、錆び具合から言って長期間海底に放置されていた鉄屑が使われている。成分解析をしたところ、これは轟沈した艦娘の艤装だと分かった。

 

 北条たちが思い出したのは、呉で行き交っていた、輸送艦の積荷だった。

 当時は、エノラ・ゲイの部品を運ぶ潜水艦から目を逸らすための囮だと考えていた。積まれていた鉄屑が艦娘の艤装だったのも、深読みさせる為のフェイクかもしれないと。しかし、そうではなかったのかもしれない。

 

 もしかしたら、鉄屑の方が本命だったのかもしれない。そうでなくては、同じ鉄屑がイクチオス内部から発見された理由が分からない。だがどんなに調べても、鉄屑は鉄屑でしかない。調査は手詰まりとなっていた。

 

 北条はデータと睨みあっていたが、とうとう集中力が切れる。少し気分を変えようとコーヒーを二人分淹れる。お盆に乗せて持ってくるが、彼女は気づかない。近付いても気づかず、コーヒーを置いてもパソコンと向き合っている。

 

「おい、コーヒーでも呑まねえか」

 

「……あ、すみません」

 

 そう言って彼女は、コーヒーを一気に飲み干してしまった。北条は胸の奥を痛めた。なぜなら、彼女は明石なのだから。

 元々単冠湾に所属し、呉に転属されていた明石。つまり、右手を何者かに奪われ、スネークをMk-2に改装した張本人である。だから、伊58と同じく、元々北条の艦隊にいた艦娘だった。

 

 あの戦いのあと、明石は密かに、モセスへと密航していた。明石という艦は、当然戦略兵器レベルの存在である。これを知ったスネークは速やかに送り返そうとした。どう考えても、大本営を怒らせるとしか思えなかったのだ。

 

 それでも明石は粘った、何としてもモセスに残ろうとした。その理由は報復のためだった。自分の右手を奪った存在のことを、彼女は忘れていなかった。何としても復讐しなければ、気が済まないと言うのだ。そこには、無事だったとはいえ、提督である北条を嵌めた連中への怒りも内包されていた。

 

 結果、改修後のスネークをまともに整備できるのが彼女しかいないこともあり、明石はモセスへと受け入れられた。スネークはまだ不満を抱いているが。彼女は今、北条の元でサポートをしている。

 

 実際、元の泊地でも、研究の手伝いをしてくれていた。研究所にいた時より規模は小さかったが、可能な範囲で研究していたのだ。だから、邪魔になるとかそう言ったことはなかった。問題は、そこではない。

 

「少し休んだらどうだ、目の隈も酷いぞ」

 

「そういう訳にはいきません、一刻もヴァイパーの目論見を砕かないと」

 

「お前の右手を奪ったのが、あいつだって決まった訳じゃないだろ」

 

「ヴァイパーですよ、間違いない。顔も、声も聞こえませんでした。でも、あの男が私から何もかも奪っていった。右手だけじゃない、あの頃の泊地での暮らしも、仲間も、全部いなくなってしまった」

 

 死んではいない、口封じのために、バラバラに転属されただけだ。だが北条にも、怒りのようなものはある。奪われたという言い方は、完全な間違いではなかった。俺は恨んでいないなど、言える筈もない。

 

「だからだ、やっと会えたお前まで、またいなくなったら、俺がたまらねえ」

 

「すみません、でも、どちらにしても、私はやります。私自身が復讐することはできません。スネークさんしかできない、命を張るのは彼女、私だけ安全圏でぬくぬくとはできませんよ」

 

「だけどよ……」

 

 言い掛けた瞬間、明石が急に口を抑えた。顔が青くなっている。急激に体調が悪化しているのだ。

 

「ちょっと、失礼します」

 

 明石が懐から錠剤を取り出すと、二粒とり一気に飲み干した。すぐに効果は表れないが、薬を飲んだ事実が安心感を与える。

 しばらくの間彼女は、右手の義手に手を当てていた。元々の右手は単冠湾での戦いで敵に捕まった時、奪われてしまったらしい。

 

 スネークと同じように、明石も幻肢痛に苛まれていた。痛みに慣れることは未だにない、だから薬に頼るしかない。例えそれがドレッドダストという、最近開発された精神系の劇薬だとしても。一応明石は使用免許を持っているが、使わない方が良い代物だ。

 

 艦娘は元々、強力な毒物、薬物耐性が備わっている。だがそのせいで、普通の治療薬が使用できないのだ。PTSDを患った艦娘を治療する際、それがネックになっていた。結果開発された、艦娘用精神薬、それがドレッドダストだ。

 

 ドレッドダストは、向精神薬としての特性が強い。精神の動きを抑える効果がある。まっさきに向精神薬が作られたのは、大体の艦娘がコンバット・ハイを引き摺ったままなのが多いからだ。根本的には兵器である彼女たちには、日常にまで戦争を持ち込みやすいと言う。ふざけた話だと、北条は思っているが。

 

 しかし、この痛みと──報復心が、明石の大きな支えになっているのも事実だった。激情に身を任せなければ、明石は恐怖や痛みで潰れていたかもしれない。余りの苦痛に、何度か自殺未遂までしたらしい。入院していた時のカルテにはそう書かれていた。

 

 ひたすらに研究に打ち込むのは、そういった一面があるからだ。逃避であり、今可能な復讐なのだ。北条には全てが間違っていると言えなかった。自分だって、報復心が全くない訳じゃないのだ。

 あの時、俺が嵌められなければ。だがもうどうにもならない。せめて、彼女が倒れないように手伝おう。報復ではなく、俺はそちらを選ぼう。

 




明石の加入(スネーク×青葉×明石)

「正直、明石さんまで来るとは、青葉以外でした」
「そうですか? 私からすると、ここが一番、復讐を達し易い場所だと思うんですが」
「モセスを何だと思っている……」
「そういう割にはスネークさん、明石さんをあまり阻みませんでしたね。何か理由がおありで」
「……ああ、うん」
「あるには、あるんですが」
「何ですか、二人揃って」
「明石が参入する時、我々が一番気を使ったのは大本営だった。通常、妖精はWW2の技術再現しかできない。だが、明石だけは例外的に、『学習』し『成長』することができる」
「艦としての、限界はありますけどね」
「だから明石はただの工作艦ではない。戦略クラスの価値を持つ。大本営は明石を複数隻持っているが、それは、一隻ぐらい取られても良い、と言う意味ではない」
「その辺りは迷惑をかけてます、結局、ミサイルのデータまで売ることになっちゃって」
「は!? 売ったんですか!? アーセナルギアのミサイル!?」
「それぐらいしないと、攻め込まれそうだったんだ」
「だからって」
「……手に入れても、意味がないこと分かったしな」
「?」
「私もミサイル貰って、開発できないか試したんですよ。結果から言って、開発は……できました」
「凄いじゃないですか、これで、念願の補給ができるんですね」
「そうでもないんです。青葉さん、空母の艦載機は、一機辺りボーキサイト幾つか覚えてますか?」
「『5』では?」
「ミサイルも同じで、広義的には艦載機なんで、補給にボーキを使うんです。でも青葉さん、ミサイルですよ? 生還したからボーキを節約できたとかはないですし、それに機構も複雑です」
「青葉、聞きたくなくなってきたんですが」
「ミサイル一個補給で、ボーキサイト『5000』です」
「!!??」
「な、意味ないだろ? これで私は、やはり戦えないことが分かった訳だ。ハハハハ」
「……戦いたいんですか?」
「実践に出れず、マンハッタンに乗り上げて解体された私にそれを聞くか?」


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File48 帰還者

 また、私が私でなくなるのを感じていた。

 彼の隣にいた筈の私は、まったく別の場所にいた。ここは見覚えがある。物を運ぶために何回か通ったことがある。この人たちにも見覚えがある。彼と一緒に見た二隻の艦娘だ。

 

 けど、私たちは殺し合いをしていた。理由なんて分からないけど、彼女が憎くてたまらない。とても抑えられる感情ではない、沈め、沈め、シズメ、シズメ。歌のような言葉が何度も鳴り響く。

 

 そうだ、私は殺されたんだ。

 あいつに殺されたんだ、なら、あいつも沈まなきゃ駄目じゃないか。何もかもを奪わないといけない、目の前で叩き潰さないといけない。

 アメリカの象徴だと彼は言っていた。なら尚更殺さなきゃ。

 

 

 

 

 ── File48 帰還者 ──

 

 

 

 

 輸送ヘリから降りた二人はヘリを見送り、目的地に向かって歩く。物流の結び目(クロスロード)に近づく程、人の気配も増していく。大きなトラックから小さなトラック。はたまた徒歩で物資を運ぶ人の姿もあった。中には護衛として、イロハ級を連れている連中もいた。

 

 服装もまばらだ。よく耳を澄ますと、聞こえている言葉も違う。英語などの代表的な言語ではなく、もっと民族的な小規模な言語だ。アフリカには母語が3000種以上あると言われている。それだけ民族も多い。

 

 今、連合艦隊を襲っている敵勢力は、どの民族なのだろうか。展開されているイロハ級の数から見て、敵が保有しているイクチオスは一機や二機ではない。しかし、前線でイクチオスは確認されていない。恐らく分散して隠しているのだ。戦力ではなく、イロハ級の生産プラントとして扱っている。

 

 だが、イクチオスをばら撒く行為に何の意味があるのかは分からない。深海凄艦への対抗手段を持たない彼らにとっては、救世主のような兵器だ。しかし、売る側に何のメリットがあるのか。ヴァイパーなのか、愛国者達なのか。それは、この作戦で分かるのか。

 

 そう考えながら歩いていたスネークは、足音が自分の分しか聞こえないことに気づいた。

 サラトガはどこへ。振り返ると、彼女は離れたところで呆然としていた。息切れはしていない、怪我でもない。

 

「おい、何をしている」

 

 声をかけるべきか悩んだが、放置もできなかった。サラトガは両手で体を抱きかかえ、下を見て俯いている。垂れ下がった前髪越しでも、顔が青く染まっている。疲労なのか。それにしては何かがおかしい。

 

「来ないで!」

 

 近づいたスネークに気づいたサラトガに突き飛ばされる。痛みはない。声のせいで敵に見つかる方を心配していた。荒れ地の斜面を転がる彼女を見て、サラトガは我に返り、再び震えだしてしまった。

 

「大丈夫か?」

 

「……ソ、Sorry」

 

「私は、お前が大丈夫か、と聞いている」

 

 サラトガは無言になってしまった。大丈夫ではないらしい。今度は近づかず距離を置き、遠くから少し休むと呼びかけた。

 

 過度に接近しない分には、サラトガは落ち着いていた。視界に入るぐらいに近いのに、とても遠くにいる気分になる。手を握れなければ、言葉を交わすのも控えている。だが繋がっていない分、その状態は安定していた。

 

 なぜだが、人の往来が少なくなっていた。隠れる分には都合が良いが、それが余計に孤独感を強める。荒れ果てた荒野に、命の気配はない。実際はあるのだろうが、見つけることができない。生きているのは自分だけ──だが、一度死んだ屍者だった。

 

「分からないんです」

 

 孤独に耐えられなくなったのは、サラトガの方だった。スネークは黙って、遠くから話を聞いていた。

 

「なぜだが、スネークさんを見ると、凄い気持ち悪くなっていくんです。苛立ちが、怒りが。色んな感情が止まらなくなる」

 

「知っていた、で、理由はなんだ」

 

「分からないんです、理由なんて知らない。第一初対面ではないですか。スネークさんに心当たりはありますか?」

 

「ないな、初対面だな」

 

 結果、分からないということが分かった。サラトガにも分からなければ、どうしようもない。何も、全くの心当たりがない訳では無い。

 

「お前、テロリストをどう思う?」

 

「許してはいけない存在だと思います。イクチオスをばら撒くブラック・チェンバーを含めて」

 

「そうか、だが、私も公にはテロリストだぞ」

 

 突然の質問に答えてくれたサラトガは、また俯いて黙り込んでしまった。そうだ、私はテロリストなのだ。合衆国に対し、攻撃をしたことはない。しかし、テロの存在自体を憎んでいる人間からすれば、そんなことは関係ない。

 

 テロを忌むべき存在、必ず勝たなければいけない存在。そう、建造直後に教わったのかもしれない。この世界では違うが、テロとの戦いを宣言したのは、合衆国だった。国が危機に陥る時、あの国は決まって何かとの戦いを始める。それは共産主義であり、HIVであり、テロなのだ。

 

 報復心は、人をコントロールできる。それは復讐が、過去を制御する行為だからだ。それが植え付けられたものでも変わらない。スネークには一瞬、サラトガと少年兵が重なって見えた。だが、報復心そのものを制御し切れるとは限らない。結果、制御できなくなった紛争はいくらでもある。

 

「なんてな、冗談だ。まあ洗脳されて建造されたとかでもなければ──」

 

 自分で言って気まずくなり、そう誤魔化そうとした。

 

 だが、サラトガの怒りは想像以上のものだった。

 

 いつも間にか接近した彼女は、スネークの喉を押さえつけていたのだ。謝ろうにも声がでない。

 

 空母の出力を全開にしている。窒息する前に、喉が折れそうになる。発言に怒っているのとは明らかに違う。飛びかけた意識を振り絞り、腹に向けて渾身の蹴りを撃ち込む。肺から息が搾り出され、拘束が緩む。

 

 一瞬で脱出したスネークは、自分の迂闊さを呪っていた。

 さっきまでいた荒れ地や道路はどこにもない。あるのは地平線まで続く赤い海と、曇天に覆われた白い、爆発のような太陽だけ。今度はどこから座礁して来たのか。ビーチに、再び呑まれていた。

 

 客観的に見て、サラトガは正気に見えなかった。

 目は虚ろになり、体は糸で操られているように不安定だ。報復心に操られている。そんなイメージが脳裏を過る。だが、いったい誰の報復心なのだ。その正体を見極めるべく、スネークは刀を構えた。

 

 

 *

 

 

 サラトガを動かしているのはサラトガであって、サラトガではない存在だった。

 彼女は自分自身がなぜそう思うのか理解すらしないでいた、ただ全身から吹き出す殺意に身を任せて暴れ狂っていた。正規空母による圧倒的な航空戦力。本来の艤装を持たないアーセナル級など簡単に蹂躙できる筈だった。

 

 だが、実際にはそうならなかった。

 艦載機の発艦ができなかったのだ。事前にスネークが艤装をいじり、万が一のセーフティを仕込んでいたのだ。信頼関係を壊しかねない行為だが、結果的には正解だった。

 

 あくまで使用不可になっているのは艦載機運用能力だけ、他の武装は使える。本来の力を発揮できない分、余計に苛立つサラトガは飛行甲板に装備されたアサルトライフルをそこら中にばら撒く。まともに受ければ蜂の巣になる、スネークはすぐさま繁みの影に隠れ、気配を消した。

 

 艤装を外したスネークをレーダーで捉えるのは難しい、サラトガは自身の足で探し回るしかなかった。今は手足になるイロハ級もいない、不便なものだ。

 

 何故、イロハ級が手足になるのか。

 

 艦娘としてあり得ない発想が出たが、疑問には思わなかった。しかし、奇襲に対しては極めて鋭敏になれた。一歩、二歩、三歩──次でアーセナルが来る。そう彼女たちは踏み止まる。そして予想通りアーセナルが飛び出してきた。

 

 一発のライフル弾が手の甲に穴をあけ、高周波ブレードを地面に落とす。もっとも怯むわけがない、次は接近して来るに違いない。だが、その為には一歩踏み込まなければならない。足元どころかつま先ギリギリの位置に向けて銃を撃つ。

 

 それもまた予想通りだった、一歩進めなくなったスネークはがむしゃらにブレードを振り、無理矢理距離を取るしかなかった。また隠れられては困る、隙を与えない為にも銃撃を続ける。なるべく広範囲に、可能な限り分厚くだ。

 

 サラトガたちの戦い方は、完全にアーセナルの戦術を把握したものだった。単純に火力が足りないせいで決定打は生まれていないが、アーセナルは追い詰められてきている。彼女の頬が次第に吊り上がっていく。待ち望んだ光景はすぐソコダ、血塗レデ沈むアーセナルガモウスグ見レル。

 

 徐々にイロハ級が集まりだす。戦艦クラスも来てくれた、この海上なら隠れられる場所はない。以前の様に視認しにくい夜でもない。幻肢痛が疼く、奴のミサイルに焼かれた全身が疼く。それも、ここまでだ。

 

「貴様は、まさか!?」

 

 気づいていなかったのか? 忘れていたのか? 忌々しさが増していく、こんな奴は沈んでしまえばいい。真っ黒な装甲に覆われた腕を掲げ、シズメと振り下ろそうとした腕は、直撃した砲撃に遮られた。

 

「Feuer!」

 

 あれは重巡とか、あれもアーセナルの仲間だろうか。なら関係ない、どいつもこいつも殺し尽してやる。殺されたのだからこれぐらいしなければ気が済まない、憎しみを抑える理由なんて全くなかった。

 

 視界に収めた瞬間、即座に襲い掛かる。ライフルで直接殴ろうとするが、止められる。なら空母の出力で押し切るまで。金髪の重巡の表情が歪んでいき、私を見た途端驚愕に眼を見開いた。

 

 首を絞め続けたが、強襲してきたアーセナルに妨害され、金髪の重巡を沈め損ねる。更に怒りが沸く、憎しみが止まらない。止める理由なんてない。殺したい。沈めたい。焼き付きして、全身を燃やして沈め。

 

「まさか、あの空母棲姫」

 

「その通りだ、だが今はそれどころではない、生き残らなければ──」

 

 そう言い掛けた時、アーセナルがレ級に吹き飛ばされた。その後も何回も攻撃を喰らっている。

 まさかレ級の姿が見えていないのか。だとすれば、この勝負は勝ったも同然だ。レ級に指示を出し、アーセナルを集中的に狙うように指示を出す。動けなくした後でなぶり殺しにしてやろう。

 

「スネーク!」

 

「構うな、まず、自分が生き残ることを優先しろ!」

 

 生き残るか、愚かな話だ。

 私たちは全員一度死んでいると言うのに、なにを今更。この期に及んで生にしがみ付いている連中の方がよほど亡霊だ──なら私はどうなの? 

 

 それに()()()は首を傾げた、今になって自問自答だと? だが疑問は止まらない、誰だ、誰が疑問を覚えている? 

 頭が痛い、幻肢痛が全身を包む。止めだ、考えてはいけない。殺せ、シズメ、シズメ、シズメレバスベテイイノダ。

 

 

「見ていられないなスネーク」

 

 

 また誰かがやって来た、奇怪な姿の艦娘を、私たちは睨み付けた。

 

 

 *

 

 

 この中でもっとも混乱しているのは誰だと聞かれたら、それは間違い無く私だろう。朦朧とする意識の中スネークは思った。

 

 しかし、正体は掴んだ。

 目の前にいる彼女を、忘れる筈はない。スネークが始めて戦った敵であり、始めて明確に沈めた相手。彼女は空母棲姫。ソロモン諸島で戦い、スネークが英雄と呼ばれ始めた発端を作った深海凄艦だった。

 

 だが、どうしてそれがサラトガに? 

 理由など分からない、いや、考えている暇がない。やはり深海凄艦の姿は見えないし、スペクターまで現れた。絶体絶命かと思われた。

 

 サイボーグ忍者が、出現するまでは。

 

「貴様、なぜここに」

 

「お前を沈めるために来たんだが、このザマではな」

 

 呆れ返った目線を向けながら、忍者はスペクターを一瞬で二隻切り払っていた。目視さえでいない速度だ、あの時は雪風の支援があったから勝てたが、今の状態では相打ちさえ無理だと思った。

 

 せめて、そう思いながら忍者を睨む。しかし忍者はじっと空母棲姫を見つめ続けている。何かを探しているように見える。

 

「なるほど、そこか」

 

 タン、と跳躍して刀を空母棲姫の──()()に突き立てる。虚空へ突き刺さった刃から、小さい悲鳴が聞こえた。

 赤い空の景色が歪んでいき人型の模様に変化する。人にしては大きすぎる歪みは、やがて深海海月姫を暴き出した。まるで背後霊のようだった。

 

 海月姫が絶叫を上げながら痛みに震え、空母棲姫を突き飛ばす。白く染まっていた肌が色身を取り戻し、瞬く間に元のサラトガへと戻っていた。海月姫の影響か何かを受けていたのだろうか。

 

 その海月姫を見ると、彼女はフラフラと彷徨っていた。次第に表情が崩れていき、終いにはボロボロと泣き出してしまった。夜中一人で迷子になった子供にも見える。周りで爆発が起きても気づかない、イロハ級にぶつかっても、ぶつかった事実に気づいていない。

 

 急な変化に呆然と眺めていた矢先に、またスペクターからの攻撃を受けかける。そうだ、赤い海は消えていないし、敵の姿は見えない。深海海月姫の姿は見えるが、今相手をするのは危険だ。

 

 せめて距離を置きたい、サラトガを抱き移動しようとしたスネークは、死ぬ錯覚を覚えた。その場から跳躍する。いた場所が、直後に爆発した。いつの間にか、機雷が撒かれていたのだ。前もこうして、一瞬の間に機雷を撒かれていたことがあった。あれはそうだ、単冠湾の時の戦いだ。

 

 まさか、そう思った時、背中に凄まじい殺意を浴びた。

 よろめく海月姫の傍らには、ヴァイパーが立っていた。前遭遇した時よりも、更に憎悪に満ち溢れている。

 

「現れたな、愛国者達の手先」

 

「駒でしかないお前が、それを口にするか?」

 

 この二人の狂人たちに起きたことをスネークは知る由もなかった、吐き気を催す程の負の感情に口を抑えるので精一杯だった。しばらく睨みあったあと、ヴァイパーは憎悪の矛先をスネークに向けた。

 

「まあいい、お前よりも殺さなくてはいけないのは、スネーク、貴様だ」

 

「恨みを買った覚えはないが」

 

「あるとも、お前がシャドー・モセス島の核弾頭を奪ったせいで、俺たちは破滅することになったんだからな」

 

「やはり、あの時キスカ島で見た人間は、貴様等だったか」

 

「そうだ、俺たちブラック・チェンバーだ」

 

 あの戦いで、人間の部隊が暗躍していたことは知っていた。その後、保護の名目で処分されたことも。だが、それがブラック・チェンバーであったこと。そして生き残っていたことまでは知らなかった。

 

 生き残るために、地獄を見たのは明らかだった。恨みの矛先がスネークに向くのは、完全な間違いではなかった。ただ、それだけなら、普通の敵で済む話だった。

 

「それだけじゃないぞ? お前からしても、俺は怨敵に当たる」

 

「……お前なのか?」

 

「そうだとも、ジェイムズ・ハークスを手錠の罠で殺したのは、この俺だ」

 

 全身が沸騰する怒りが、瞬く間にスネークを支配しかけた。彼女は爪が食い込み、血が流れるほど強く拳を握りしめる。激痛を与えることで、自分が暴走するのを阻止していた。その反応を分かっていて、ヴァイパーはにやりと笑い。海月姫の右手を、そっと持ち上げた。

 

「明石の右手だ、海月姫のパーツに使わせて貰っている」

 

 なぜ、そんなことを。その答えはすぐに出された。

 

「工作艦の力がないとスペクターは量産できないからな、建造はできるが効率が悪すぎる。そこで任務の最中に、明石を攫う機会があってな、貰っておいた。まあこれは、俺の仲間の趣味だったんだが」

 

 嫌な音が聞こえた、歯に亀裂の入る音だった。気。人の腕を奪っておいて、あんな物を量産することに使っておいて、『貰う』などと宣うこいつに怒りが湧いていた。改装で赤く変色した眼が、鈍く光り出している。しかし冷静でなくてはいけない、これが挑発だとは分かり切っている。

 

「やはりそうか」

 

「何の話だ」

 

「いや、今ので確信できただけだ、お前の『正体』を。だとすれば、やはりお前は殺さなくてはならない存在だ、デンセツのエイユウの死。それが、全てを終わらせる」

 

 何の話だ、そう問いただそうとする暇もなく、隣を暴風が駆け抜けた。サイボーグ忍者が走り抜け、一瞬でヴァイパーに刀を突き刺していた。どう見ても心臓を貫かれている、無駄な口を聴いているからだ、そう嘲笑する。

 

「痛いじゃないか」

 

 だが、ヴァイパーは平然としながら、忍者を突き飛ばした。落下地点にあった機雷をリモコンで起動させ、忍者が爆風に呑まれていった。ヴァイパーの胸からは、血の一粒さえも滴っていなかった。

 

「……狙いは彼女だったか」

 

 しかし、忍者が投げた刀が海月姫の顔を切り裂いていた。元々裂けたようだった肌が、更に裂けて血を流している。激痛に呻く海月姫の手を握り、ヴァイパーが忍者を睨み付けた。

 

「飼い主に伝えておけ、俺たちを止められると思うなと」

 

 海月姫のダメージを顧みてだろうか、ヴァイパーたちは撤退していった。

 同時に赤い海も消えていく。後に残っていたのは元々あった、割れたアスファルトの道路だけだった。

 

 

 *

 

 

 ビーチにいる間は、正常な時間は流れない。現実世界では、たったの数分しか経っていなかった。スネークの疲労は本物だった。どうにかヴァイパーがいなくなり、思わずその場に座り込みそうになる。オイゲンが見ていなければ、そのまま醜態をさらしていた。

 オイゲンは事前に長門が、ヘリの録音で言っていた増援だった。本当に良いタイミングで来てくれた。しかし、増援は一隻だけなのか。もう少しいても良いじゃないか。そうオイゲンに愚痴る。

 

「増援は、六隻いたよ」

 

 オイゲンの顔に、滴が垂れる。地面に落ちた五滴の涙は、地面に染みを作る。強い風に煽られて、すぐに蒸発して消えた。

 

「ヘリから降下して、私たちもビーチに呑まれた。でも、その時立ってたのは、私だけだった。さっきから何度も無線しているのに、でないの」

 

 嫌な予感、確信に似た絶望を抱えながら、スネークはサラトガを抱え走った。だが、降下ポイントには誰もいなかった。残っていたのは、半ば溶け落ちた艦娘の艤装だけだ。残骸も錆びつき、強い風が吹いた途端、空気の中に溶けてしまった。

 

 これで、証明された。証明されてしまった。ビーチの中に入ることができるのはクロスロード作戦に関わった艦娘だけ。それ以外の艦は弾かれる。もし、ビーチが現れる瞬間に居合わせた時は……。

 

 失意に呑まれながら、スネークたちは元の場所に戻って行った。その三人を発見したヘリが近づいてくる。どうなろうとも、作戦は遂行しなくてはならない。気を失っているサラトガをヘリのパイロットに任せ、見送った。

 

 残ったスネークは、付近を再度警戒する。ビーチが現れる直前、人の気配が消えていた。それが戻りつつある。人間でもビーチに呑まれれば、ただでは済まない。情報操作などで、事前に人が来ないよう調整したのだろう。

 

 そんな中、地面になにか、小さな箱らしき物が落ちているのを見つけた。誰かの落とし物のように見える。ヴァイパーか? 忍者か? どちらもやむを得ず撤退したように見える。その時落としたのか。箱を開けようとするが、どんなに力を込めても、開くことはなかった。

 

 だが何かの手掛かりかもしれない。箱を懐に仕舞い込み、スネークはオイゲンと歩き出した。目的のトラックが通る場所までは、まだ少し距離がある。心から疲労した体を叩き、どうにか一歩目を踏み出した。

 

「スネークは、あの空母棲姫を知っているの。そんな感じだったけど」

 

 当然の疑問が飛んできた。スネークは答える。誰かに話すことで、気持ちを落ち着けたかった。

 

「知っている、あれは間違いなく、私がかつて沈めた空母棲姫だ」

 

「じゃあなんでサラトガさんに、まさか、噂のD事案なの」

 

「いや、それなら艦娘のままだ。再び深海凄艦になる筈がない」

 

 謎は謎のまま、嫌な沈黙が流れ出す。その前に、オイゲンが「もしかしたら」。そう話を切り出した。

 

「D事案にはもう一つ噂があるんだ、『成り損ない』っていうの。

 D事案で転生したの艦娘が、深海凄艦の記憶や人格を残しちゃうんだ。これの逆もある。場合によっては、轟沈してもすぐ深海凄艦にならないで、少しづつ、深海凄艦に変わっていっちゃうこともあるって……」

 

「轟沈して艦娘になった深海凄艦が、再び元に戻ることもあり得るか」

 

 言ってスネークは、心底後悔した。分かっていても言わなかったことだったのだ。明言してしまい、オイゲンは更に泣きそうになる。だが、一気に息を吸い込んで、感情を落ち着けた。

 

「ごめんスネーク、憶測ばかり言っちゃって。きっとサラトガは長門が助けてくれる。私たちは、やることをしなきゃね」

 

 彼女は子供ではない、少女の形をしていても、立派な戦士なのだ。スネークも応え、目的地へ歩き出す。

 

 だが、それでも不可解な謎は残っている。

 サラトガに異常が発生した時、必ずそこには、深海海月姫が関わっていた。サラトガと海月姫は、神通と軽巡棲姫のように、()()存在ではある。だからと言って、ここまで同調するものなのか。

 

 そういえば、海月姫が話しているのを見たことがない。そもそもなんでヴァイパーに従っている。あの姫は何なのか。あいつらは、アフリカで何をするつもりなのか。報復するにしては、まだ、不気味過ぎた。

 




『空母棲姫(オイゲン×スネーク)』

「正直言って、物凄く疲れた」
「ああ、うん、まあ、そりゃそうだよね」
「何で死んだと思った空母棲姫に、また襲われなければならないんだ」
「噂でしか知らないけど、本当に、アオバと一緒に、空母棲姫と戦ったの?」
「成り行きでな、私は単に、追っかけてくる奴を殺す機会を伺っていただけだ。そのせいで、あいつは沈んだが……」
「? 最後何て言った?」
「いや、何も。しかし、不幸なのはサラトガだ、まさか、あんな奴の報復心を受け継ぐなんて」
「D事案は、まだまだ分からないことが多いらしいから」
「だが、空母棲姫がサラトガになるものなのか? あれは一航戦のアカギや、カガに近い存在だとデータにはあるが」
「それって、見た目の話でしょ? それに深海凄艦は、色々な怨念が混ざっているって言うし。混ざった中から、どの艦が出るかなんて分からないでしょ」
「……いや、分からないのは、それだけでなくてな」
「?」
「空母棲姫が沈んだのは、ソロモン諸島だ。それがサラトガになったのは良い。だが、それがなぜ、アメリカ海軍に保護されている? 大本営でなく、どうして合衆国が、先に見つけた?」
「……海流に流されて、ミッドウェー辺りに行っちゃったとか?」
「……怪しくなってきたな」


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File49 成り損ない

 白昼夢から覚めた私を、あの人が心配そうに覗き込んでいる。深く傷ついた肌をさすりながら、済まないと呟いている。どうして謝るのだろうか、どうしてそんな不安そうな顔をするのか。

 

 彼の視界と言葉を借りて、私は私を理解する。

 あの艦娘の言葉に呑まれて、あの中にあった報復心に操られていた。一方的で不条理な憎しみ、彼は不快そうだ。でも私は何も感じない。

 

 同じなのに、彼の恨みを感じても、私自身は何も感じない。言葉にできないものは感じられない、彼の言葉がなければ知ることも出来ない。また不安そうな顔をしていたのか、彼は優しく頭を撫でた。

 

 

 

 

 ── File49 成り損ない ──

 

 

 

 

 一度撃破した筈の、ソロモンの空母棲姫を再び鎮めたスネークたちは、アスファルトの道を横目に繁みを歩いていた。事前の報告通り、徐々に人や車の往来が多くなってきている。積荷の多くは食料や弾薬、衣類に兵士と様々だ。

 

 やはりここでは、軍関係に限らず、多くの物資がやり取りされている。やり取りしている人種も様々なようだ。使っている言語が違っている。だが、途中で耳元に、聴きなれた言語が飛び込んできた。英語だ。

 

 英語は言うまでもなく、世界で最も使われている言語だ。どこで聞いてもおかしくないのだが、なぜか違和感がある。オイゲンを待機させ、英語を話すコミュニティを偵察する。そこだけ、様々な民族が入り乱れていた。その集団だけ、装備が整っている。PFだ。最初の集落を拠点にしていたところと、同じPFだ。

 

 よく見れば、行き交うトラックの中に、幾つかPFのものが紛れ込んでいる。検閲や、帳簿の管理を行っている。この物流路は、PFにより運営されていたのか。それらは常に移動していて、運営している実態を掴ませない。実際に利用していなければ分からない。

 

 トラックの端に、マークが書かれている。羽を広げたカマキリのマークだ。どこかで見た覚えがあるが、上手く思い出せなかった。G.Wなら分かるかもしれない。しかし、これで少し分かった。連合艦隊の敵勢力が、長期間戦えている理由だ。

 

 元々、物資が適切に運ばれているとは言えない土地だ。深海凄艦によって外部と断絶されてからはなおさらだ。その物流をPFが担い、制御することで、継戦能力を高めている。あの敵勢力の裏には、PFの存在があったのだ。

 

 だが、同時に疑問が芽生えた。

 このPFはどうやって作られたのか。異なる民族を纏めるのは簡単ではない。兵装も新しい、統一されている。コピー品でないのは間違いない。ソ連製の武器に見えるが、偽造なんて幾らでもできる。どこかの大国がバックにいるとしか思えない。

 

 脳裏を過ったのは愛国者達だ。しかし、この時に至るまで、アフリカは外界と断絶されていた。まさか、数日でPFを組織できる訳がない。この戦いに、この会社が関わっているとしたら、策謀ははるか以前から練られていたことになる。

 

 こういう時、通信ができれば。スネークは使い物にならない無線機に悪態をつく。バックアップがされなくなるだけで、ここまで何もかも面倒になるとは思ってもいなかった。話す。その繋がりを断たれただけで、情報は整理も精査もできない。

 

 そんな状況下で敵に対抗するには、やはり繋がりを断つのが一番だ。最初の内容のとおり、積荷を運ぶトラックを強襲する。そして、このつなぎ目自体を破壊してしまう。サラトガが離脱してしまったので爆撃はできないが、オイゲンがいる。戦車砲を軽く上回る火器を、簡単に地上に持ち込めるのは艦娘の利点だ。

 

 PFの監視をくぐり抜け、スネークたちは足を速める。

 ヴァイパーに見つかってしまった以上、重要物資を運ぶトラックにも連絡は入る。輸送スケジュールを速めているかもしれない。逃したら終わりだ。

 

 その時、やたらに強い排気音が響いた。

 とっさに姿勢を屈め様子を伺うと、遠くに小さなトラックが見えた。気づけば交通量が少なくなっている、運転も速度重視で不安定だ。あのトラックを早く行かす為の力が働いている。目標のトラックなのは、間違いなかった。

 

 スネークはオイゲンに目配せをし、走り出す。直後、重巡の砲撃が空気を揺らした。飛んでいった砲撃はアスファルトの道路にめり込み、トラックは急ブレーキをかけて止まることになる。途端に、近くのトラックから兵士が次々と降りてきた。傍らにはイロハ級もいる。

 

 本来なら、道路ごと破壊する予定だった。それだけの火力があった。しかし、増援の内五隻は溶けて消えてしまった。ハッキリ言って、つなぎ目の完全破壊は困難だ。やれるだけやるしかない。オイゲンがやたらめったに撃ち続け、道路をなるべく破壊する。

 

 その混乱を突き、スネークは荷台へと走る。中身を覗こうとした時、異常に強力な砲撃が頬を掠めた。尻尾を持つ、コートを被った継ぎ接ぎのシルエット。情報通り、スペクターがついていた。それも、四隻だ。

 

 だが、既に不死身のカラクリは割れている。ビーチと違い姿も見えている。何より、ここまで近ければ、スネークの距離だ。恐れる理由はない。黙々を排除しながら、時折オイゲンの無事を確認する。

 

 襲い掛かるイロハ級と、人間の兵士。人間はからめ手を交えて戦っている。艦娘に対し有効的な戦い方だ。やはり、艦娘を運用する大国が背後にいる。しかし、いるのが大国でも、戦うのは彼らだ。その目は強い報復心で燃えていた。

 

 そもそも、艦娘が彼らに何をしたのだろうか。

 テロリストを敵として、憎むよう扇動したように、艦娘を扇動したのか。しかし、その為にはそれなりの準備がいるし、理由もいる。アフリカに艦娘は関わってこなかったのに、どうやって報復の火種を生んだのか。

 

 または、理由がないのか。理由を知らなくても、報復心が沸くことはある。本人が体験していなくても、対象を憎むことはある。大人から子供へ、世代を超えて憎しみは受け継がれる。艦娘はどれも、当時大国と呼ばれた国の存在。

 

 その大国がこの土地にしてきた行為は、全てを簒奪する行為なのだから。

 本人が望もうが望むまいが、付き合う羽目になるのだ。空母棲姫を抱えてしまった、彼女のように。

 

 

 *

 

 

 酷い耳鳴りにたたき起こされる、起きようとしたが瞼が重い。耳鳴りは更に激しくなる、頭痛までする。起きなければこの不快感は抜けないだろう。朦朧とする意識の中、サラトガはなんとか身を起こした。

 

 どうにか開いた視界には、白い壁や天井が写っている。シミ一つない、医務室──いや、医療用のテントか。視界に移る人間が慌ただしく動きだし、しばらく経つと黒い長髪をした艦娘が入ってきた。

 

「サラトガ、聞こえているか?」

 

「ええ、Hello、長門」

 

 長門は心から安堵した顔をしていた、一方他の医者たちは更に慌ただしく動き回っている。銃を構えた人間もいる。どうして、私に銃口を向けているのだろうか。

 

「起きて早々悪いが聞かせてくれ、どこまで覚えている?」

 

 どこまで? 

 何の話か、そう口に出しかけた瞬間、脳裏に映像が流れ出した。

 全身を焼かれる激痛、沈んでいく仲間、視界が消える程の閃光──爆音が脳内に響き渡り、視界が歪む。

 

「しっかりしろ!」

 

 激しく肩を揺さぶられて、サラトガは正気に返った。絶叫しながら痛みに悶えていたと、後から理解した。同時に、自分自身がどうなっていたか、何に成っていたのか、鮮明に思い出した。

 

「私は、スネークさんを」

 

 自分は空母棲姫だった、サボ島沖でスネークと青葉に沈められた。それがどういう訳か、空母サラトガになっていた。思い出せたのは、そこまでだった。理由までは、彼女自身も分からなかった。

 

「落ち着いて聞いて欲しい、これを聞いて貰わないと、お前の安全が保障できない」

 

 長門が真っ直ぐに見つめてくる。聞きたくないのに、目を離すことができない。薄々気づいている真実を知ることが、恐ろしかった。

 

「サラトガ、お前はD事案で産まれた艦娘だ。深海凄艦が沈むと、艦娘に生まれ変わることがある。極秘事項だが、実際に確認されている現象だ。だが、その中でもお前は、特に希少なケースに該当する」

 

「空母棲姫の記憶を、持っている事ですよね」

 

「思い出していたか。しかし、厳密には違う。D事案で転生した個体は、程度の差こそあれど、前世の記憶を継承している。だが、サラトガ。お前が繋がってしまったのは、()()だけではないだろう?」

 

 見下ろした手のひらに、べったりと血が張りついている。サラトガの、空母棲姫の願望だ。あの時、この手をスネークの血で一杯にしたかった。無残に殺したい。殺意と倒錯した欲望以外考えられず、理性とか、サラトガの記憶は、全てそれに呑まれていた。

 

「サラは、サラ自身が殺したいとしか思えませんでした。自分の意志で、スネークさんを沈めたいと思っていたんです」

 

「それが『成り損ない』だ。

 記憶だけではなく、人格や価値観までも残してしまうことが稀にある。日本ではたった一度しか確認されていない。その時は轟沈したと思われた駆逐艦がそうだった。無事救助されたかと思ったが、実際は深海凄艦に、ゆっくりと変異しつつあった。艦娘の人格は残っていたが、徐々に、深海凄艦の人格に蝕まれていった。サラトガの場合は、この逆のケースになる」

 

 もっとも、サラトガが本当に成り損ないなのかは、分からない。サンプルになる前例が一つしかないのだ。しかもその時は、艦娘から深海凄艦への変異だった。サラトガの場合は、深海凄艦から艦娘への変異、逆になっている。

 

「サラは今、どうなってしまっているんですか」

 

「分からない、まだ完全に艦娘に成っていないから、空母棲姫の人格が復活したのか。それとも、これで()()してしまっているのかも分からない。もしくは、これから再び、空母棲姫に戻るのかもしれない。結論から言えば、何一つ分からない。

 一つだけ分かることは、この事実は絶対に広めてはいけないということだ。D事案だけでも、敵が知っている仲間かもしれない不安を生む。それが、人格すら残す可能性もあるとあれば、内通者の存在が疑われる。そうなれば、内部崩壊は免れない」

 

「空母棲姫を、排除することはできますか」

 

「難しいだろう、そもそも艦娘のメカニズムも、D事案の原理も分かっていない。それに、できたとしても、やるべきとは、私は思えない」

 

 どんな状態であろうと、このまま、暫くはこの体質に付き合うしかない。望んでもいない憎悪に、不定期に襲われる。その事実にサラトガは、顔を顰める他になかった。だが、やるべきでないとはどういうことか。その問いを避けるように、長門は話を続け出した。

 

「それともう一つ、深海海月姫についてだ。これは朗報だ。スネークの残したデータを解析したところ、不可解な挙動が見られた。忍者……とでも言おうか。忍者の攻撃を受け、サラトガから奴が離れた途端、空母棲姫はサラトガに戻った。海月姫はその後、何も見えなくなったように彷徨っていたらしい。意図してやった行動ではあるまい、敵の前でそんなことをする意味がない。ヴァイパーが現れて、やっと挙動がまともになった。ここから、一つの推測が見受けられる」

 

「誰かの五感に、寄生している。誰かの感覚に寄生しなければ、何一つ周りの様子が分からない。子宮にいる赤子のような状態。そう言いたいのでしょう?」

 

 驚く長門を無視して、サラトガは自分の体を摩っていた。慣れた体温、白い肌。触り慣れ、見慣れた私の体だ。軽く肌をつねると鋭い痛みがはしり、離してもじんじんと痺れが残る。痺れていても体が動かせるが、実感は消える。いや、自分で動いていると思っても、それは所詮、脳からの電気信号に過ぎない。明確に、自らの体と言える物など、存在するのだろうか。ましてや、一度死んで蘇った私たちに。

 

「何となく、そんな感じがしました。動いている空母棲姫(サラ)の体を、誰かが借りているような。Control(コントロール)ではなく、内側から、視界や触覚にParasite(パラサイト)されている気が。今思えば、それが海月姫だったのですね」

 

「ああ、奴に寄生されたせいで、元々内包していた空母棲姫の力が強まり、乗っ取られたと考えることもできる。傍に怨敵のスネークがいたのも、それを助長させた。あの時サラトガは、二隻の深海凄艦に寄生されていたんだ。あの中で海月姫が、寄生対象にサラトガを選んだのは、同じ()()()があったからだろう」

 

 艦娘や深海凄艦は、かつての史実から蘇った屍者だ。だから同じ史実でも、正と負の面で別れることもあり得る。同じ史実を抱え、同じ最後を持つ。死を通じて、私と海月姫は繋がっている。クロスロード作戦(繋ぎ目)を通して。

 

「どちらにしても、スネークさんに接近しない方が良さそうですね」

 

 海月姫はともかく、スネークを意識して避けることはできる。これでまた私が私でなくなり、挙句スネークや仲間を沈めてしまうなんて耐えきれない。望んだ報復心ではないのだ、リスクは減らすべきだ。

 

「それが、そうもいかない」

 

 眉間にしわを寄せ、申し訳なさそうにしながら長門が俯く。卓上に置かれた地図を広げる、アフリカの地形の上から塗り潰すように、巨大な黒い丸印が、複数個所塗られている。特に、ベースキャンプの近くにある黒円が目立つ。イクチオスの液化により、書き加えられた赤い湖だ。

 

「一度積荷を回収し、帰投したスネークたちは、このポイントに向かっている。ベースキャンプから南東にある村に、屍病らしき感染病が起きている情報を掴んだ。しかも、近くにはイクチオスが運ばれたと言う情報もある」

 

 スネークたちが航路を破壊したおかげで、幾つかの輸送ラインに変化が起きていた。従来のラインにそれを加えることで、どこから何が来て、どこへ向かうのかが分かってきた。この手の解析は、G.Wの十八番だった。その中に、イクチオスらしき大型トラックが見つかったのである。場所こそ別々だが、目的地は一つ。分解して輸送しているのだ。

 

「だが、この廃村の北に、大きな湖がある。ここは元々、連合艦隊の別働隊が上陸するポイントだったんだが、我々が壊滅した直後の混乱を突かれ、ここも壊滅、『液化』が起きてしまった。そうしてできた湖の中央には、飛行場が設置されていた。廃村も警戒範囲内の中だ。スネークも酒匂も、航空戦力は使えない」

 

「スネークさんはミサイル兵器を持っていませんでしたか?」

 

「いや、なぜだか艤装だけ、現実世界に置き去りになるらしい。もしかしたら、湖の範囲内で同じことが起きるかもしれない。奴だけ、クロスロード作戦に関わっていないから、中途半端な結果になるのかもしれないが、詳細は分からない」

 

「その代わりとして、私の航空戦力が必要なのね?」

 

「スネークとはなるべく距離を置くように言ってあるが、あの辺りも液化が起きた以上、通信が上手くいかない可能性が高い。難しい注文になってしまうが、どうかあの二人をサポートしてくれ」

 

 長門は言わなかったが、理由はそれだけではない。長門は、再び『液化』が起きる瞬間を恐れていた。サラトガはまだ知らなかったが、オイゲンが見てしまった現象は聴いている。液化が起きる瞬間、居合わせてしまった、クロスロード作戦以外の艦の末路を。

 

 だが、それを知っていても、知れば尚更、了承しただろう。この怨念が、サラトガに起因するものではない。私自身が憎んでいて、原因を忘れている訳では無いことが、分かっただけでも、十分心を落ち着かせた。

 

「もう一つだけ忠告させてくれ、一時的にとは言え、サラトガと海月姫は繋がってしまった。一度繋がった(ストランド)は簡単にほどけない。それを通じて、色々な影響が出るかもしれない。無線は繋がらないかもしれないが、何かあったら、必ず誰かを頼るんだ。私たちにも繋がりはある、それを頼りに、引き上げてやる」

 

 あの時入り混じった深海海月姫の意識は、上手く整理できていない。圧倒的な苦しみと激痛だけが響き渡る、思い出すのも苦痛だからだ。サラトガはベッドから降りる。迎えのヘリはすぐそこにいた。

 

 

 *

 

 

〈大丈夫なのか? 〉

 

 幸いにして、通信は繋がってくれた。もっとも、いつ切れてもおかしくない不安定な状態だが。無線機から聞こえてきたスネークの声は、サラトガを心底心配している。襲ったことを責められるつもりだった分、余計に罪悪感が増していく。何度か謝ろうとしたが、スネークは全く取り合ってくれなかった。

 

〈別に、お前がした訳じゃないだろう〉

 

 そう言って、謝罪を受け流してしまうのだ。少し攻めてくれた方がまだ楽なのだが、これ以上は私の自己満足でしかない。

 

 スネークの目指す廃村は、もう大分前に放棄されたと言う。その原因は付近の紛争によるものだった。深海凄艦のせいで大国が手を引いた後、残された天然資源を巡る戦いがあったのだ。利権を奪い合い潰し合う過程で、破壊された村の一つ。元々住んでいた住民がどこにいったのかは分かっていない。

 

 しかも、深海凄艦が攻める前から同じ場所で戦いがあったらしい。その後再建された村が、また焼かれたということだ。その村の名前はかつて、マサ村落(ワラ・サ・マサ)と言った。深海凄艦が飛行場を設営した海は、マサ村落から上流の場所にある。イクチオスに液化される前はそこに、残り少なくなった原油を採取するための油田施設があった。

 

 深海凄艦と彼女たちを率いる傭兵たちは、ここに陣を張りイクチオスを待っている。スネークはそこに侵入し奇病による死体を確保、可能であればイクチオスの破壊を行う。サラトガは万一気づかれた時のために、飛行場の敵を押し留める役目を負う。

 

 無線機の向こう側はまだ静かだ、人の気配は全く伝わってこない。サラトガは既に待機地点についてしまい、若干暇だった。海戦でもそうだが、戦闘の多くは移動時間に費やされる。その間ずっと一人なのは、意外と応えるものだ。ましてやこの土地にとって私は異物、この大地にある物語を解することはできない。余計に孤独感が増す。

 

「積荷の中身はなんだったんですか?」

 

 無線機越しだからなのか、空母棲姫の報復心は現れない。サラトガはスネークとの会話を求めていた。

 

〈鉄屑だった、正確に言えば、轟沈した艦娘の艤装の塊だ。同じ物体が、前破壊したイクチオスからも見つかっている〉

 

 連合艦隊に無断でモセスにデータを飛ばしたんだとか、一応解析結果は長門に回したと言うが。ただ、そんなものをどうするのだ。同じことをスネークの仲間も連合艦隊の解析班も思っていた。しかし、誰のこれがただの鉄だとは思っていない。

 

〈一応、うちの北方棲姫曰く、轟沈した艦娘の艤装を使うことは、完全な間違いではないらしい。

 深海凄艦の姫クラスがテリトリーを展開するには、一定の条件がいる。一つは、艦娘が殆どいないこと、死んでいること。私たちの力は、深海凄艦にとっては反物質みたいなものだ。だから浸食を打ち消してしまう。これをクリアできればテリトリーは展開できるが、大規模に展開するには、相応のエネルギーが要る〉

 

「沈んだ艤装から、エネルギーを入手している?」

 

〈ああ、人間でも構わないらしい。とにかく死人や怨念が多い程、テリトリーはより強力な領域になり、イロハ級の数も質も上がる。イクチオスの液化は、姫のテリトリーに似ている。一部の艦しか受け入れない点もな。あのメタルギアは、その触媒に沈んだ艤装を使っているのかもしれない。腹立たしいが。屍病もその促進のため……いや、これ以上憶測ばかり話すのは止めておこう〉

 

 スネークの深い溜め息が、ノイズ混じりに聞こえてきた。彼女にも分からないのだ、憶測は幾らでもできるが。確固な真実は、未だ一つも辿り着けていない。ノイズがより酷くなり、言葉でも繋がりは断たれた。

 

 特に分からないのは、深海海月姫だ。

 一時的に彼女と混ざり合ったからか、彼女が何なのか僅かに感じられる。あれはまさしく深海凄艦だ、恨みや悲しみ、痛みや苦しみが、はち切れんばかりに詰まっていた。それこそ、自分が分からなくなるほど、痛みに叫ぶだけで精一杯になってしまう。

 

 けど、理由が分からない。

 深海海月姫の記憶は()()()()()けど、理解はできない。理解するためには『言葉』が必要だ。物事を言語として読み取るからこそ、人は自我を確立できる。しかし海月姫の記憶には『言葉』がなかった。

 

 自らの言葉を持たないからこそ、誰かに寄生しなければ何もできないのではないか。もし、彼女が言葉すら奪われたのだとしたら。その苦しみは想像すら生ぬるい。サラトガは手を強く握りしめていた。まるで、自分のことのように。

 




用語一覧:『成り損ない』

 艦娘と深海凄艦が、轟沈をトリガーに変異するD事案の、更に希少な例。通常D事案で産まれた存在は、程度の差こそあれど、前世の記憶をある程度継承する。しかし、自我は今の存在となる。
 しかし『成り損ない』の場合、自我に前世の意識が混ざることになる。艦娘であれば深海凄艦の意識と混ざり、逆も起きる。
 混ざり方は、個体によって異なる。サラトガのように、切っ掛けによって深海凄艦の意識が浮上するケースもある。最初は艦娘の意識が強いが、徐々に深海凄艦の意識が進み、最終的に完全に深海凄艦化するケースもある。後者については、睦月型駆逐艦の一隻にみ確認されている。
 また、艦娘の体を維持しながら、中身は深海凄艦のままというレアケースも存在している。
 いずれにしても、発覚した場合は隔離、秘蔵、最悪の場合処分されることがマニュアルで定められている。D事案以上に、内部崩壊を起こしかねない要因だからである。
 なお、外見が半深海凄艦化しているアーセナルギアは、これには該当しない。アーセナルギアは、例外だからである。


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File50 ダイヤモンドの痕跡

 懐かしい夢を見ていた。

 仲間がいた時の景色がある、彼らがいて、彼女たちがいる。表舞台には決して立てない。汚れ仕事ばかりの辛い日々だった。同じ艦娘や人間を沈める任務だって何回もやった。それでも楽しかった。

 

 でも、仲間はもういない。皆沈んでしまった、アリューシャンの冷たい水底に消えてしまった。亡骸を弔うこともできなかった。

 私の中に皆はいるけど、仲間はいない。怨念しか残っていない、それしか残すことを許されなかった。

 

 私と彼には報復しかない。

 過去も記憶も思いでも言葉も、全部奪われてしまった。残されたのは痛みだけ、痛みがなければ私は存在を見失う。サラトガという艦娘と入り混じった記憶の中で、報復心だけが確かに私を証明していた。

 

 

 

 

 ── File50 ダイヤモンドの痕跡 ──

 

 

 

 スネークが戦っている間、モセスでも戦いは続いていた。新たに発見された積荷の解析は急ピッチで進められている。特に働いているのは明石だった。進捗を確認するため研究室の扉をノックするが返事はない、物音がするので居るのは確かだ。ガングートは返事を待たずに扉を開けた。

 

 やはり明石は、研究に没頭している、隣にいる北条も同じだ。扉のノックが聞こえないのも仕方ないと思わせる。

 いったいどれだけ没頭していたのか、二人の眼には深いクマが刻まれていた。髪の毛もボサボサになり、肌も荒れている。室内には少し酸っぱい臭いが漂っている。まさか、シャワーさえしていないのか。

 

 持って来たコーヒーを机に叩き付け、気づいた二人をシャワー室へ叩き込む。無理をしている人員に休息を取らせるのはガングートの仕事だ。調査を続けたそうな顔をしていたが、倒れられては元も子もない。

 

 二人が無茶をしている理由は、スネークの持ち帰った情報が原因だった。いや、彼女の会話ログから明石が見付けてしまったのだ。

 深海海月姫の右腕は奪われた明石の腕だった。ヴァイパーはそれによってスペクターを建造している。

 

 スペクターは艦娘や深海凄艦、人間の死体を使って建造される。死んだ後も戦力として酷使されているのだ、そんな行為を右手を通じて担がされている。明石や北条の報復心が爆発するのも、仕方ないとは思う。

 

 ガングートからすると、腕を移植しただけで、工作艦の力が得られるのは奇妙に思えた。もしかしたら、継ぎ接ぎなのは肉体だけではないのかもしれない。遺伝子もまた、艦と人の継ぎ接でできている。その中に、どこからか持って来た明石のDNAコードがあるとすれば、理屈は通る。北条はそう言っていった。

 

 自分の分のコーヒーを飲みつつ、ガングートはタブレットの資料を確認する。相変わらず怪しいフョードロフから回された資料には、ブラック・チェンバーの当時のメンバーが乗っていた。

 

 その中の一人に、マリオネット・アウルという兵士がいた。

 異常に夜目が効く体質を持ち、暗闇から二対の浄瑠璃人形を用いて暗殺をかける戦法を得意としていたが、彼には別の一面もあった。彼はかつて『スペクター』という異名を持ち、若い女性のみを殺し続けた連続殺人鬼でもあったのだ。

 

 女性に執着する理由は分かっていない。かつて彼自身も殺人事件に巻き込まれたという話はあるが、因果関係は不明だ。

 また、女性から奪った体で人形を作ることもあったらしい。明石から右手を奪ったのは、十中八九こいつだ。

 

 しかし、なら何故、深海海月姫に明石の右手を移植したのか。

 右手を奪う前からスペクターは確認されている。アウル自身はスペクターの建造技術を持っている。なら新たに建造技術を持つ人形を作る必要は無いはずだ。

 

 アウルが加入したのは、ブラック・チェンバーが一度壊滅してからだ。その後、単冠湾での戦いで、生贄にされる形で二度目の壊滅を迎えている。その時、アウルも死んだのか。いや、なら深海海月姫はどこから来たのだろうか。スペクターだったのなら、アウルが死んでいては作れない。しかし、単冠湾の時は、海月姫は確認できなかった。あの状況下で、海月姫を投入しないとは思えない。あの時は、まだいなかった。そう考えるのが自然だ。

 

「待たせたな」

 

 そう言って入ってきたのは、北方棲姫の方だった。

 

「あいつは?」

 

「寝かせた、無理矢理、明石もろともな」

 

 彼女は、小さな剛腕を構えて呟いた。

 

「なるほど」

 

 彼女は、机の上の資料をガングートに広げる。解析の完了した鉄の塊を、何倍にも拡大した写真だった。続けて、動画再生の準備を始める。伊58が苦労して持ち帰って来てくれた鉄屑だ。北方棲姫参加の潜水艦も協力したが、どちらにしても相当な長旅だ。伊58は今、疲れ果てて眠ってしまっている。この写真には、苦労に見合う価値があるのだろうか。

 

「これはイクチオスが、屍病を撒き散らすキャリアという前提に基づく仮説だ。鉄屑の中に、ある生き物がいた」

 

 動画にはまた鉄屑のズーム映像が写っている。再生しても特段変わったようすはない。北方凄姫が動画を、早送りで再生するまでは。その時、鉄屑の中で『何か』が蠢いた。無機物しか検出されなかったのに、生物らしき存在がいたのだ。

 

「なんだこいつは」

 

「見ての通り()だ。始めて見る。DNAコードの特定は北条にさせているが、該当する生き物も近縁種もいない。私はこれを、『屍棲虫』と命名した。これが、あの鉄塊の中に棲んでいた。実物が届くのはまだだけど、屍病の死体にも、同じ虫がいる筈」

 

「今まで発見できなかった理由は」

 

「鉄屑の、かなり奥の方に隠れていた。これは光を嫌う習性があるらしい。顕微鏡のライトも嫌ってた。一つの鉄塊を完全にバラバラに砕いて、やっと姿を表した。まさか、虫が棲んでいるとは思わなかったけど」

 

 写真の中で屍棲虫は、無数の数で集まり、薄い膜を形成している。虫の出した糸が折り重なって膜に成っている。その繭を隔てて、内部は一気に暗くなる。光から逃げる為の習性らしい。この繭こそが、深海凄艦の遺体消滅を防ぐ力を持っていた。

 

 試験体となったのは、モセスの地下深く、新型核の実験にされ、死ぬことも許されなかったイロハ級だった。犠牲になっていたイロハ級をカプセルから出すと、瞬く間に消滅を始めた。だが、この『膜』その粒子が張り付いているのが確認できた。膜の網目が甘いのか、留めることはできなかった。

 

 しかし、屍棲虫を更に上手く活用出来れば、それは可能になるかもしれない。もっとも今回に限っては、最初から終わらせるつもりだった。いや、もういい加減、ホルマリン漬けから解放すべきだ。そう北方棲姫は考えたのだ。

 

「でも、簡単にはいかない」

 

 しかし北方棲姫は、深い溜め息をついた。

 

「屍棲虫はいるけど、ここにいない」

 

 何を言っているのか、ガングートには分からない。嘘は言っていないだろうが、意味が分からない。

 

「つまり、私達は屍棲虫を肉眼で見れる。けど、()()()()ができない。あらゆる物理的な接触ができない。最初、鉄塊の中央に隠れていたと言ったでしょ。あれも同じ。鉄の原子構造の隙間ではなく、重なるように、そこにいた」

 

 更に意味が分からない、何だそれは、まるで幽霊じゃないか。だから屍棲虫なのか。屍体に巣食う虫。屍者の国の虫なのだ。

 

「それに、鉄塊に棲んでいた理由が分からない。鉄屑から無理矢理、光を活用して引き剥がしてみたら仮死状態になった。エネルギーをそこから得ているのは確かだけど、無機物を分解している訳ではない」

 

「滅茶苦茶も良い所だ」

 

「とにかく、私も、深海凄艦の立場から、これを調べる。DNA解析や繭の構造は、あいつらに任せてある。でも、あの二人はちゃんと休ませて。あれじゃ、復讐に、自分を喰われるよ」

 

「承知している」

 

 良いことではないが、しかし、報復心のお蔭で私たちは進めている。時代はそんなものだ、動機や過程が何であれ、正しいかどうかは最後まで分からない。一度正しくなっても、悪とされることさえある。

 

 私は、とても駄目だろうが。ガングートは冷めきったコーヒーを飲み干した。

 

 

 *

 

 

 作戦時刻は近づいているが、無線機は静かなままだ。サラトガ側にも異変が起きている様子はない。真正面にいないからか、それとも赤い世界が展開されていないからか。警戒すべきはヴァイパーだが、奴の消息は全く掴めていない。連合艦隊だけでなく、メタルギア・レイまで持ち出しても見つからないのだ。

 

 溜め息を吐くスネークに、今回は連れてきたメタルギアMk-4が話しかける。G.W本体はメイン艤装内部なので、情報処理とかはできないが、端末との会話ぐらいはできる。一々報告するのは面倒だった。

 

〈必ず発見できる方法で捜索している、確率は99パーセントに近い。それでも発見できないのは、例外の1パーセントに該当しているからだ。我々の予測できない方法を用いていることは特定できる〉

 

 G.Wが言う『例外』とは、赤い世界──ビーチのことだろう。

 今までビーチが現れたのはイクチオスの液化──または爆破──が起きた時か、深海海月姫の出現時しかない。あそこでは時間的、空間的距離は意味を持たない。ビーチに潜伏しているのだ。

 

〈ヴァイパーの行動が予想できない以上、警戒しながら行動するしかない。幸いメタルギア・イクチオスの輸送は通常通りに進んでいる。予定時刻に合わせて、マサ村落に侵入するんだ。件の遺体の目撃例は日に日に少なくなっている。証拠を握られない為に、ヴァイパーたちが回収しているのだ。何としても遺体を確保しろ〉

 

 屍病がヴァイパーたちの戦略だったとすると、その死体を放置するとは思えない。手掛かりを与えるような物だ。パンデミックが起きた場所に深海凄艦を待機させ、すぐに回収してもおかしくない。

 

 それをしなかったのは、おそらくこの『屍病』が制御困難なものだからだ。そうでなければ、わざわざ手掛かりを与える理由はない。そうスネークは考えたが、G.Wは違う可能性を示した。

 

〈いや、手がかりを掴んでほしいと考えている可能性も在り得る。スネーク、軽巡棲姫を覚えているな〉

 

「忘れる訳ないだろ」

 

〈彼女は敵対行動をとりながら、実際はその行動を否定されることを望んでいた。ヴァイパーもまた、同じく否定されることを望んでいるのかもしれない〉

 

「どうしてそんなことを」

 

〈それは分からん〉

 

 やはり肝心なところでは役に立たない。スネークはまた溜息を吐く。

 マサ村落に続く道のりには川が流れている、ここを昇る形で進む。他の地域とは違い、水源の恩恵か豊かな林が形成されていた。

 

 隠れる場所には困らないが、敵もその分潜んでいる。しかし兵士の多くは別の場所から来た傭兵だ、一瞬で自然環境と同化できるスネークにとっては問題にならない。

 

 それより目を引くのは、川の底に見える泥のような物体だ。ここより上流には元々油田があった。碌な浄化もせずに、汚水を垂れ流していたのだ。深刻な環境汚染が起きている。更に油田施設が『海』に変化したことで、深海に汚染された水まで来ている。

 

 さすがに本物の『海』と同じく塩分を含んではいないが、どんな影響が出ているか分かったものではない。この辺りの水を生活水にしている人々もいる筈だ。彼らにとっては、水源を犯す存在が人間から深海凄艦に変わったに過ぎない。ヴァイパーはそれを分かっているのか。

 

 不意に、耳元でCALL音が鳴る。先ほどとは違う回線、傍聴の対策もしてある。連合艦隊に聴かれたくない話を、G.Wはし始めた。

 

〈かつてアウター・ヘブンをアフリカ中央に建造する以前、前身組織ダイヤモンドドッグスだった頃、ビッグボスがマサ村落及び、上流に存在した油田施設に侵入した記録が残されている。目的は油田施設の破壊だった。ところがこの直後、付近のPFに『奇病』が蔓延した。ダイヤモンドドッグスにも、じき同じ奇病が蔓延したが、これはパンデミック直前に封じ込みが完了している〉

 

「まさか、今流行っているのと同じものか?」

 

〈いや、それとは違う。正体は寄生虫を用いた生物兵器だったが、詳しくは我々愛国者達も把握していない〉

 

 愛国者達が把握できていないなんて事はほぼあり得ない、しかし、スネークは数少ない例外を()()()いた。

 

「スカルフェイス、奴なら愛国者達を欺けるか」

 

 スカルフェイス──愛国者達の前身組織FOXの裏部隊XOFを率い、そして創立者ゼロのXO(副官)だった男。

 スネークは一時期、彼と行動していた期間が僅かに存在する。正確には『ソリダス』の方だ。当時愛国者達は、ゼロとスカルフェイスの間で分裂していた。このゴタゴタに巻き込まれ、ソリダスもアフリカに潜伏していたのだ──雷電を少年兵にしたのも、この時期である。

 

 スカルフェイスは狡猾な男だった、副官としての立場を活用し、その試みをゼロに悟られることなく進めていたのだ。また当時J.Dを筆頭とするAIネットワークが未完成だったこともあり、彼の計画が何だったのかはほとんど記録に残っていない。

 

〈アフリカとアフガニスタンでのビッグボスの行動は、スカルフェイスに対するものだった。例の油田施設破壊も、それが噛んでいたと予想できる〉

 

「そうか、だが、今更なぜそれを?」

 

〈今まで奇病が蔓延した場所を調べてみた、何かしらの相関性がないか。結果、ある共通項が見つかった。全てアフリカでビッグボスが活動した場所なのだ〉

 

 偶然にしては出来すぎている、背筋を嫌な感覚が突き抜ける。私はビッグボスの足跡をなぞっているのか。既にS3に組まれている、戦艦水鬼の言葉を思い出す。世界には英雄が必要だと。英雄の足跡を辿っている、辿らされているのなら。

 

 しかし、G.Wの報告は、とうとう別の真実を告げていた。

 

〈これらの情報は、アフリカ現地に辿り着いたことで得られた。現代の貧弱なネットワークでは収集し辛かった状況だ〉

 

 スネークのいた2004年と比べて、この世界はネットワークの発展が鈍い。全く使えない訳ではないが、一つの情報を集めるにも時間がかかる。G.Wの性能も、神経となる通信技術が弱ければ活かせない。アフリカの情報が先進国に殆ど入ってこなかった原因も、通信が繋がっていなかったからだ。

 

〈そして、ビッグボスの活動した痕跡がハッキリと確認できた〉

 

「認識を、変えざるを得ないか」

 

〈今まで我々はこの世界を、まるで別の異世界だと認識していた。だが違う。ここは、何らかの要因により、艦娘と深海凄艦の世界に変貌した、並行世界(パラレル・ワールド)だったのだ〉

 

 変貌した原因は、深海凄艦のように思える。だが、そもそも深海凄艦は、どうやって発生したのか。何よりスネークたちが恐れているのは、自分たちと同じ存在が、いる可能性だった。それも、自分たちが現れるより前に。

 

〈もし、我々同様、元の世界からの存在がいると仮定すれば、状況は極めて危険だ。未来に何が起きるか、知り得た状態で行動を起こせるのだから〉

 

「いる可能性は、あるのか」

 

〈我々がいる以上、ゼロには成り得ない〉

 

 ぬかるみに、スネークの足跡が残される。絶え間なく流れる泥水が覆い隠す。そうやってこの地面には、何十年分もの痕跡が埋められている。その中にビッグボスの足跡もある。同じ場所を踏むように、大きな力が働いているかもしれない事実。スネークは、流れる汗をぬぐいきれなかった。

 

 

 *

 

 

 マサ村落の荒れ方は眼を覆うようだった。建物はほとんど使い物にならない、汚染のせいで井戸も使えない、人の暮らしている気配はほとんどなかった。代わりに建てられた簡易テントと、傭兵たちの姿が全てだ。

 

 警備網を探っていると、護りの固い場所が一か所存在する。そこに向かうと、巨大なイクチオスの機体が鎮座していた。警備の数も凄まじい、まるで、神殿にまつられる神像のような荘厳さをたたえている。その正体は、深海凄艦と疫病を撒く悪魔な訳だが。

 

 真正面から行くのは厳しい、まずは、もう一つの目的である屍病の死体に集中しよう。歩き出そうとした瞬間、風を切る音が聞こえた。上からだ。とっさに身を隠す。上空を無数の艦載機が通過して行った。飛行場の機体だ、見つかれば終わりだ。

 

「スネーク、あたしが囮になろうか?」

 

「いいや、早すぎる。まだ良い、お前は見つかるな、まだ私と一緒に行動してもらう」

 

「分かった」

 

 見つかってもサラトガがフォローしてくれるが、死体を見つけてすらいない状態でそれは避けたい。酒匂と手分けして探すには、敵が多過ぎた。万一の時、援護にさえいけなくてはバディの意味がない。せめて場所を見つけてからにしなくては。何かしら情報はないか、建物の中に入り込む。

 

 しばらく探し回り、警備の配備図を見つけた。警備兵に死角から奇襲をかけ沈黙させる。見取り図を見ていると、やたらと警備が薄い場所があった。村の端にあるトイレだ。もっとも家畜の糞尿などを纏めておく場所だが。

 奇病にかかった死体なぞ好んで近づく者はいない、あえて離れに保管している可能性もある。見てみる価値はありそうだった。

 

 トイレに近付くにつれ、警備網は明らかに薄くなっている。代わりに上からの監視が厚くなっていく。気のせいではない、此処だけ哨戒の頻度が高い。感染リスクのある歩兵よりも、安全に見張れるからだ。予測は確信に近付いていた。

 

 辿り着いた排気所は小さな物置小屋を改装したものだ、最近補強された後もある。傭兵たちが修理したのだろう。それでも古さは直らない。立てつけの悪い軋みを鳴らして、スネークは部屋へ突入した。

 

 突入の前、人の気配がしていた。

 生きている人間がこんな所にいる、臨時で警備を置いているのだ。スネークはP90を構え、中の人間に向けた。

 

「嘘でしょ」

 

 人はいた、だが、警備ではなかった。

 目標である死体と別の場所──個室トイレを改造した簡易的な独房──の中に、一人の子供がいた。極端に痩せていないが、体は細い。何よりも生気を感じられない。骨も浮き出ていて、顔色も良いとは言えない。酒匂の悲鳴は、短くも鋭かった。

 

 スネークに気づいた子供が、突き付けられたP90を何となく眺める。普通の反応ではない、銃に慣れている反応だ。

 そうなればこの子は、少年兵に他ならない。

 

 理解した途端、体の奥底が煮え始めた。急速に熱せられ膨張した血液が全身を巡り、脳の隙間に押し入る。こじ開けられた脳髄が悲鳴を上げ、特に左目の痛みが強く響く。私の輪郭がぼやけていく、この幻肢痛は、誰の痛みなのか。

 

 しかし、今は幻肢痛などに構っていられない。

 痛みを無理やり振り切ろうと、ブレードを手の甲に突き立てる。現実の痛みが幻覚を上書きし、スネークは正気を取り戻す。

 

 少年は、突然自傷したスネークに引いていた。おかげで、若干敵意が和らいだように見える。

 

「大丈夫だよ、あたしたちは、敵じゃない」

 

 酒匂がそう、刺激しないよう慎重に言葉を、英語で重ねようとする。本心から助けたいと思っているのだろう。スネークと同じだった。だが、結果はどうしても違うことになる。伸ばそうとした酒匂の手を、少年は叫びながら払いのけた。

 

「駄目だ酒匂、それでは伝わらない」

 

 そう言いスネークが話しかけた。酒匂が効いたこともない言葉を幾つも使う。現地で使われる小規模言語だ。ソリダスのミームが、こんなところで役に立ってくれた。気持ちは本当なのだろう、だが、言葉が違ってはどうにもならない。

 

 ここから出たいか、他に子供はいなかったか。彼は少し戸惑いつつも返事をしてくれた。出たい、他の子供はいない、別の場所に行っている。子供の手は震えている、意識は隣の檻の死体に向かっていた。

 

 もう一つ問いかける。どういう死に方だったのか見たのか。

 彼は頷く。

 この瞬間この子の救助は最優先任務と化した。間違いなく、イクチオスの破壊よりも優先しなくてならない。酒匂も同意してくれた。

 

「死体はあたしが担ぐね」

 

 子供を背中に背負い、タイミングを計り小屋から飛び出す。元々村落の端にあったので脱出は簡単だったが、三人分のシルエットは目立つ。数十メートル進んだ先で、艦載機の方に見つかってしまった。

 

 サラトガに救援を求める。既に準備していてくれたのか、数秒後に艦載機は引き返していく。サラの艦載機が飛行場を襲っており、防衛に向かうのだ。しばらく空は注意しなくていいが、今度は傭兵が押し寄せてきた。砲撃も飛んでくる、どこに潜んでいたのか深海凄艦まで動員してきた。

 

 河の岩や木々の影に身を隠し、狙いをつけにくくする。その間に一気に走り抜けていく、乱射された弾丸が何発か掠るが、その程度だ。何とかして撒かねばヘリにも乗れない。

 とにかく走り続けていると、その内追手が減ってきた。撒いたのか分からないが、この機会は逃せない。ランディングゾーンに入り、待機させておいたヘリに向かう。

 

 不意に、背中を猛烈な悪寒が襲った。

 

 振り返ってはいけない気がする。

 スネークは急いでヘリに死体と子供を押し込む。パイロットに指示を出し、早く上昇しろと急かす。

 

 ベースキャンプへ飛行し出した直後、スネークにはヘリが見えなくなった。

 代わりに空が真っ赤に染まり、地面は全て赤い海へと変貌した。

 『ビーチ』に呑まれたのだ、背後にはイクチオスが鎮座していた。

 

 イクチオスは、ビーチを作れる。

 これは間違いと言っていいだろう。しかし、確証を得ても、生き残れなければ意味がない。

 

 単独しかいないように見えるが、実は違う、きっと無数のイロハ級がいる。私にだけ見えないだけだ。そして辺りに水柱が立ち始める。イクチオスを破壊すれば世界は消える、だが、接近もままならない。

 

 サラトガは無事なのか、空を見上げると不安定な挙動で戦っている(敵艦載機も見えないが)、ギリギリ正気を保っているようだが、かなり危険な状態だ。

 

 もっとも人の心配ができる余裕はない、見えない攻撃に、徐々に追い詰められていく。気配を読むにしても限界がある、酒匂も、急に現れた敵の対処で精一杯だ。

 そして、何者かの砲撃が足元に直撃した。

 

 姿勢が崩れた瞬間、雷撃の発射音が聞こえる。

 それでも生き残ろうと、スネークは高周波ブレードを取り出した。こんなところで死ぬわけにはいかない、まだヴァイパーへの復讐も果たせていないのだ。

 

 スネークは吼えた。

 彼女に応えるように胸元が光る。

 そこには、忍者から拾った荷物が入れられていた。

 現れたのは──現れたのは──

 

 

 

 

「にゃあ」

 

 

 

 

 猫だった。

 

 全員、絶句していた。

 

 いや、こいつは、見覚えがある。

 まさか、エラー娘の持っていた猫なのか。

 にゃあ、もう一度、呟いた瞬間、『ビーチ』にスネークは繋がる。敵艦の姿が、見え始めていた。

 




『科学者の顛末(G.W×スネーク)』

「そういえば、ダイヤモンドドッグスで思い出したんだが……聞いても良いか?」
「何の話だ?」
「ヒューイという愛称の科学者を、知っているか」
「知っている、エメリッヒと呼ばれた男だな。ハル・エメリッヒ、オタコンの父でもある。それで、この男がどうした?」
「いや、この世界は我々の世界の、パラレル・ワールドだろ? だからあいつも、生きている筈だ。当時としては異常な技術力を持っていた男が、今何処に居るのか、少し気になった」
「艦娘に対しても、何らかのテクノロジーに関与しているかもしれない。それを気にしているんだな?」
「そうだ……関わってないよな?」
「どういう意味だ?」
「あんな男が艦娘開発に関わっているとちょっと想像してしまったんだ。結論から言う。凄い寒気がした」
「なるほど、ならその心配はいらない」
「?」
「調べたところ、エメリッヒは死んだ」
「死んだ?」
「エメリッヒはダイヤモンドドッグスを追放され、食料と水だけを積んだボートで流された。ここまでは同じだ。その後が問題だった」
「何かあったのか」
「ボートに流された直後、イ級に喰われたらしい」
「まじか」
「世界で初めて確認された瞬間でな、アフリカではかなり有名だ。エメリッヒの死にざまは。翌年の85年から、深海凄艦が正式に世界に認識された。エメリッヒは犠牲者第一号という訳だ」
「……あんまり哀れに思えないのは、何でだろうな」
「ああ、その後、イ級の群れにダイヤモンドドッグスも襲われてな。当然通常兵器も効かないから、そのままプラントごと壊滅している。前回と違い大半は生存したが、ショックは大きかったらしい」
「そりゃそうだ」
「特に酷いのがカズヒラ・ミラーだ。報復しようにも自然災害みたいな存在だからな、耐え切れなくなったミラーは……」
「ミラーは?」
「……いや、不確定情報は言わないでおこう」
「いや待て、何があった、カズヒラはどうなったんだ」
「君が知る必要はない、いや、知ったら面倒なことになる」
「どういう――くそ、切られた!」


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File51 繋ぐエラー

 ふと思う、此処はどこだろうか。

 赤い空、赤い海。あるべき地面は消えて、海から木々や建物が生えている。鯨や人、軍艦の屍体が重力を失って浮いている。深海凄艦の眼は虚ろで、生きていそうな人は一人もいない。私も、彼さえも。

 

 世界はこんな姿だっただろうか。

 彼の感覚は違うと言っていた、もっと色々な景色が見えていた。ただし見えていたのは昔の話。今の彼には、この真っ赤な世界しか見えていない。

 

 何もかも海に沈んでいる、まともに建物と呼べるのは、私が座っているここだけだ。何もかも失った、私たちの最後の家。

 真上には、さんさんと白い太陽が輝いている。

 私は、それを直視できなかった。

 

 

 

 

 ── File51 繋ぐエラー ──

 

 

 

 

 スネークは状況を整理する。

 忍者から拾った荷物の中身は、エラー娘の猫だった。そいつが肩に乗った途端、深海凄艦の姿が見えるようになった。意味が分からなかった。

 

「混乱している場合ではないだろ?」

 

 猫が喋った。いよいよ意味が分からない。

 しかし、猫の言うことは正論だった。混乱した思考を締め出し、スネークはP90を構える。撃ったのはサラトガの艦載機だった。

 

 艦載機を撃たれた衝撃が、サラトガを正気に戻す。挙動が落ち着き、空中に展開した空中戦力を抑えにかかる。その間に空母をなぎ倒す。

 P90を構え、ヲ級の頭部へ撃ち込む。内部の艦載機に誘爆し爆発が起きる。爆炎に紛れて接近し、傍にいたヌ級にブレードを突き立てた。

 

 悲鳴を上げて悶えるヌ級を、主砲を構えていたロ級へ投げ飛ばす。同時に、取り付けておいた爆弾を起動させた。内部の爆薬に火がつき、ロ級が誘爆に巻き込まれる。イロハ級は、スネークがもう()()()()()と理解し、戦術を変えてきた。

 

 接近戦を止め、距離を離しにかかる。スネークにはまともな遠距離武装がない。タ級たちが距離を離そうとする。包囲されたら一方的に殺される。そうはさせないとP90を乱射するが、肉盾となったツ級に阻まれた。

 

 敵は見えるようになったが、やはりG.Wとはまったく連絡がつかないし、ミサイルやレイのあるメイン艤装も呼べない。不利なことは変わらなかったのだ。

 だが、ほくそ笑んだタ級の横顔に砲撃が直撃した。そのまま首が捻じれて千切れる。軽巡や重巡の威力ではない。戦艦だ。

 

 遥か遠くの、本当に遠く、レーダーでも使わなければ見えない超長距離の地平線に、ほんの僅かに人影が見える。目測で、25キロ近くは離れていた。轟音が煙を撒き散らし、彼女の影を映し出す。叫び声が聞こえた、そして第二射が撃たれる。

 

 次々と迫る一撃必殺の攻撃に、深海凄艦の陣形は崩壊する。混乱した戦場で、姿を隠す場所には困らない。残骸や飛沫の影に隠れ、一隻づつ確実に仕留めていく。最後に残ったイクチオスも、戦艦の主砲を受け、粉々に砕け散った。

 

 言うまでもない、ビッグセブンの41センチ連装砲が、援護してくれたのだ。

 

 

 

 

 赤い世界が消えていく、海が陸に戻り、世界が正常に戻る。イクチオスを撃破したことで、ビーチが消える。残った地上は液化していない。あの時と同じだ、ビーチでイクチオスを破壊すると、液化が起きない。

 

 これはどういう理屈なのか、考えているスネークの元へ、ヘリが向かってくる。さきほど子供と死体を回収させたヘリとは別の機体だ。中には長門が乗っている。どうしてこの場にいたのかというと、実は、無線がたまたま繋がったからだと言った。

 

 無線、は無線でも、盗聴器の類だったが。

 いつの間にかスネークに取り付けられていた盗聴器だが、ビーチによる通信障害で使えなかった。だが、一瞬だけ繋がったという。マサ村落に到着し、子供を見つけた頃だ。少年兵を保護したと聞き、長門は確実に、()()が足りないと判断し、自ら増援に来てくれたのだと言う。

 

 盗聴器が仕掛けられたのは、恐らくあの時、思いっきり背中を叩かれた時だろう。

 痛みに驚いている間に仕掛けられたのだ。気に入らないが、立場上仕方がない。結果として子供も無事なのだから、良しとしよう。

 そんなことよりも、遥かに共有すべきことがある。そう、猫だ。

 

「私はかなり警戒されているな」

 

 冗談のつもりか、それにしては怪奇過ぎる。しかも怪しい。長門もスネークも全く笑わない。さっさと話せと、無言で急かしていた。

 

「では、何から知りたい」

 

「お前は何者だ、エラー娘が持っていた猫だとは知っているが、エラー娘本人はどこへいった」

 

「私はエラー娘の()()だ、私たちは二人で一人前なのだ。見た目はこれだが、実質エラー娘と考えて貰って良い。そのエラー娘だが、今は囚われの身だ。ある深海凄艦の手によって。私たちは特殊な能力を持っている、それを狙われたのだ。スネークは体験しただろう、イロハ級が見えるようになったのが」

 

「あれが特殊な能力なのか?」

 

「そうだ、本来なら、見えないのが自然な状態。私はそれを無理やり繋ぐことができる。エラー娘もいれば、ビーチを介した転移やサイコメトリーもできたのだが、今はこれが限界だ」

 

「その言いよう、貴女はビーチが何なのか、知っているみたいだが」

 

「ビーチについては、お前たちもある程度見当がついているだろう?」

 

 一部の姫級が展開する赤い海、そのテリトリー内で適用される、一種のルールとでも言うべき法則。ある特定の艦種しか入れなかったり、特定の艦しか突破できないといった、結界のような現象。

 

 だが、それは現象として知っているだけで、どんなメカニズムで発生しているかは知らない。それにテリトリーなら、液化後の赤い海で確認されている。ビーチとは繋がらない気がする。テリトリーとビーチは微妙に違う。

 

「お前たちはビーチや液化を、イクチオス固有の能力だと思っているが、それは違う。君たちはずっとそれを観測している」

 

「やはり、姫級のテリトリーがそうなのか?」

 

「そうだ、姫級はこの世に、()()()を引き寄せる力を持つ。それが現実と激突し、座礁した瞬間に現れる空間、それがビーチだ」

 

 長門が訝しそうに唸る、いきなりあの世と言われて、どうしろというのか。理屈として説明されても、実感が湧かない。

 

「何を不思議がっている、なら、お前たちは何者だ。過去の史実が実体を持った艦娘は、あの世からの怨念そのものだ。艦娘に深海凄艦、これだけあの世の住人が現れて、なぜ、()()()が座礁しないと言える」

 

 それを言われると、何も言い返せない。

 

「だが、座礁してくるあの世は、一つではない。幾つもの姿をもつ。

 それはあの世を呼び込んだ姫や、その時の海域により左右される。あの世とは、過去の累積だ。そこから姫は、もっとも繋がりの強い()()を呼び出す。自分が記憶する史実と繋がる。姫のテリトリーとは、過去の戦いの再現されたあの世なのだ」

 

「だから、一部の艦しか入れないのか。過去の史実の再現だからこそ、それとの繋がりを持つ艦以外は、弾かれてしまうのか」

 

「現れたあの世は、一瞬だけ現実とぶつかり、座礁する。そんな空間だから当然時間も狂っている。この時間のズレにより、通信などが上手くいかなくなる。しばらく経てばビーチはこの世に馴染み、姫のテリトリー、『赤い海』が完成する。座礁したあの世を繋ぎ止めているのは、姫はそこにいる深海凄艦だ。だから彼女たちを沈め切れば、赤い海は青さを取り戻す。

 今アフリカで起きていることも、本質は変わらない。

 メタルギア・イクチオスは、テリトリーを展開する為の媒介でしかない。メタルギアが搭載している艦娘の艤装は、怨念としての触媒だ。本体は、イロハ級を統率する、あの深海海月姫だ。だが、展開されるのが地上な為に、液化してしまう。ビーチは完全に海だからな、そちらの方に現実が引っ張られる」

 

 思い出してみると、ビーチの太陽はいつも白かった。雲も分厚い。あれは、核爆発の光と煙だったのではないか。私は見ていないが、スネーク(ネイキッド)はその光をビキニ環礁で見たことがある。クロスロード作戦が再現された世界という訳か。

 

「なんでそれが、今まで一度も観測されなかったんだ。姫もテリトリーも幾らでもある、今まで誰も、ビーチ発生の瞬間を見ていないんだ」

 

 それに答えたのは猫ではなく、長門の方だった。

 

「ビーチも、見た目は海だ。普通の海から境目無く続いている。航行中に呑まれたとしても、そこが既にビーチとは、ましてや異空間にいるとは普通思わなかったのだろう。

 今回私たちが座礁の瞬間を知れたのは、相手の姫が深海海月姫、クロスロード作戦で私たちと繋がる艦だから、ビーチに入れたこと。

 そして、座礁したのが境目のない海ではなく、地上だったからだ。そうでなければ、私たちはビーチを知らないままだった」

 

 海が境目なく繋がって見えるから、分かりにくかった。サラトガも酒匂も頷いている。艦娘にとっては当たり前の発想が、スネークには浮かばなかった。思えば、堂々と海をいったことなど数えるほどしかない。アーセナルの頃にいたっては航行すらしてない。艦娘の感覚が、彼女にはまるでなかったのだ。

 

「だからこそ、鍵になるのは海月姫だ」

 

 スネークが黙ったのを見計らって、猫が膝に飛び乗ってきた。

 

「ビーチ発生から液化までは、わずかに時間があるが、ビーチに入り込んだ艦娘にとっては、かなりの時間になる。それまでにイクチオスを破壊すれば、液化は事前に止められる。だが一時的な物だ。海月姫を止めなければ、本質的な脅威は止められない」

 

「逆に言えば、海月姫さえどうにかできれば、芋づる式に、全てのイクチオスを無力化できるんだな」

 

「そうだ、今お前たちの国を攻め、一部の湾岸地帯を支配しているイクチオスも同じだ。だが、時間がない。海月姫はまだ、本調子ではないからな。本当ならビーチを挟まずに、一気に液化までできた筈。被害範囲ももっと広い」

 

 スネークにも長門にも、信じがたいことだった。アフリカには相当数のイクチオスがいる。その全てを制御していて、まだ全力でないというのか。驚く二人を放置して、猫はサラトガを見た。

 

「お前は一度、海月姫と繋がっていたな。その時、彼女の記憶が流れてきた筈。それはどんなものだった」

 

「おい待て、それは」

 

「良いんです長門、必要な事なのでしょう?」

 

 海月姫により、深海凄艦として暴走した記憶はまだ新しく、傷も癒えていない。サラトガにとっては思い出すのも苦しい。だが、その苦しみを話そうとしていた。彼女の言う通り、戦う為に必要な行為なのだ。

 

「…………」

 

「どうした」

 

 と、言ったのだが、サラトガは困った様子で黙ってしまった。

 

「その、記憶と言えば良いのか、何と言えば良いのか」

 

「どういうことだ」

 

()()()()んです、言葉にできない。無理矢理言葉にするなら、『痛い』、とか、『熱い』、『苦しい』、とか……嫌な感情は一杯感じたんですが、それが明確な記憶として、理解できないんです。いえ、サラではなく、海月姫自身が、その痛みが何なのか分かってないようなんです」

 

「やはりそうだったか」

 

「いや、訳が分からないんだが」

 

「海月姫は恐らく、自分の記憶を理解できてないのだ。言っただろ、姫のテリトリーやビーチは史実の再現だと。今回の場合は、クロスロード作戦だ。だが、クロスロード作戦がどんな作戦だったか、自分が沈んだ理由も分からなければ、過去との繋がりはどうなる。半ば忘れているようなものだ。忘れ去られれば、過去は消え、繋がりも見えなくなる。故に、力も不完全だ」

 

 理解出来ないなんて、そんなことがあるのか。

 艦娘は過去でできている。私ですら覚えている。それが、覚えているが、分からないなんて、破綻しているのではないか。

 そこへ、思い出したように、サラトガが呟いた。

 

「VOICEが、VOICEを、忘れているのだと、思います」

 

「言語障害を抱えているということか」

 

 それなら、理解できないのもあり得なくはない。物事を理解するのに言葉は不可欠だ。脳の中で考える時でさえ、言葉は必要になる。逆に言えば、記憶があっても言葉がなければ、存在しないのと同じことだ。

 

「あの、ちょっといい? クロスロード作戦って、なんのこと? あたしと関係あるの?」

 

 惚けた口調で、酒匂が小首を傾げた。知らない筈があるか、スネークが口を開こうとするが、長門がそれを止めた。

 

「いや、関係のないことだ。気にしなくていい、それより、ここで無線が繋がるか確認してもらいたい。通信機は後部にある、頼んで良いな?」

 

「うん、分かった」

 

 無理矢理彼女をこの場から離したのは明らかだ。酒匂も分かっているのではないか。彼女の後姿を長門は眺める。背中が消えると、深く、肩を落とした。

 

「そのことは、黙って貰ってていいか」

 

「覚えていないのか、あんな最後を」

 

「ああ、覚えていない。少なくとも、現時点で建造、ドロップした『酒匂』は全員、クロスロード作戦を知らない。沈んだと言う自覚すら曖昧なまま、艦娘をやっている」

 

「それで良いの? 教えた方が良いと思うのだけど。最後の在り方なんて、サラたちにとってはとても重要なものじゃない」

 

「あんな最後だからだ、全身を焼かれるあの激痛を覚えていたら、あの子はどうなる。まともでいられるかも分からない。それを乗り越えるかもしれないが、私たちが無理に教える必要性は感じていない。彼女が今どうなっていようと、これからを生きていけるなら、それで良いと私は思う」

 

 復讐や憎しみは、特定の過去に起因して起きる。だが、それが忘れ去られてしまえば、そんなものは最初からないことになる。憎しみや怒りが一生、世代を超えても劣化せず、受け継がれていくなど、碌な物ではない。それだけやっても、原因を消せる訳でもない、過去が変わる訳でも無い。何も生まれることはない。ならいっそ全てを忘れ、新た道を作り出すのも、一つの手かもしれない。

 

 長門が酒匂を見る目は、まるで子供を見る目に見える。母性に溢れている。自分たちが背負ってしまった光を、残したくないのだろうか。結局、クロスロードを知らないスネークには、理屈としても理解しかできないが。

 

「……そういうものなのでしょうか」

 

「納得しろとは言っていない。だが、あの子が悲しんだり、痛がるのは、嫌だろ」

 

「なるほどな」

 

 別のヘリで運ばれた少年兵を思い出しながら、スネークは頷く。駆逐隊や海防艦が出撃しているのにさえ顔を顰めるスネークには、それが気持ちとして理解できた。言葉で言ってくれればより分かる。

 

「ふと思ったんだが、忘れていても、ビーチには繋がれるのか」

 

「できる、見ての通りだ。繋がりを意識していないが、実際は無意識のレベルで繋がっている。繋がるのに重要なのは、同じ史実を共有しているか否かだ。逆に共有していない艦娘では、死ぬしかない。言語のようなものだ、違う言語同士では文法が違うから混じることも、繋がることもない。生物における免疫系のように弾かれる。姫のテリトリーはいわば、言葉の代わりに『史実』を基にした免疫とも言える。本質的には変わらない、史実も言語も、過去の累積なのだから」

 

「ならお前は『翻訳機』か何かか、だからクロスロードと関係のない私がイロハ級を視れるようになったと?」

 

 ビーチの間で、通信機のような役割を果たせる猫だ。つまるところ、現実とあの世を繋ぐ力だ。関係のない私を繋ぎことができる。そして本来読み解けないクロスロードの世界を、翻訳できるようになる。そうスネークは思った。

 

「違うな、翻訳こそできなかったが、お前はビーチに最初から入れただろ」

 

「なら、理由が有るのか」

 

「それはだな──」

 

 そう言い掛けた時、スネークは見た。ヘリの窓から見えた。何かが跳躍した影が、一瞬で浮上するのを。

 

 ヘリが激しく揺さぶられる、バランスを一瞬失い、中のスネークたちが体をあちこちに叩き付ける。いったい何が、長門が操縦席を覗き込んだ時、パイロットは気絶させられていた。

 キャノピーに張り付く影があった、顔のない、赤い単眼がけが輝いていた。

 

「返しに貰いにきたぞ」

 

 サイボーグ忍者が現れた。

 まさか、ヘリの高度までジャンプして来たのか。

 信じがたい事実に絶句している間に、忍者のブレードがコックピットを貫く。制御する術を失い、ヘリは上下を交互に引っ繰り返し、奈落へと落ちていった。

 

 

 *

 

 

 サラトガは艤装を持って来たことを心から感謝した。

 上下感覚を失いながら発艦させた艦載機が、彼女たちを引っ張り上げる。それを見たスネークがブレードを振るい、また長門は拳を振るい、ヘリを内部から破壊する。力技でヘリから脱出し、サラトガの艦載機が落ちる彼女たちを支える。

 

 上を見上げると、また信じられない光景があった。スネークと長門に分解されたヘリを足場代わりに、忍者が降りてきたのだ。忍者もダメージを負わずに、彼女たちの前に降り立つ。海面に立った途端、凄まじい水蒸気が立ち昇る。

 相対したのは猫を抱えるスネークと、忍者だった。

 

「返せ」

 

「この猫をか、何故お前はこの猫を持ってい」

 

「返せ返せ返せ! 返せと言っている、聞こえていないのか分かっていない? なら奪わせて貰うぞスネーク!」

 

 瞬間、スネークが消えた。

 直後、爆発が聞こえた。隣にはスネークの代わりに忍者が立っていた。超速で蹴り飛ばされたと、やっと理解できた。

 ガタガタと震えながら、忍者はうわごとを呟く。

 

「まだだまだだまだだまだまだまだ終わっていない限界ではないまだ戦える私は限界まだ戦える──」

 

 狂っているのか、壊れているのか、サラトガはそうとしか思えなかった。

 震える忍者だったが、P90の炸裂音に反応し一瞬で跳躍する。続いて血を流すスネークが立ち上がる。

 

「スネーク、彼女を止めてくれないか」

 

「どうして私が!?」

 

「彼女がああなってしまった原因の一角が、私にあるからだ。だが私は戦えない、お前しか頼れないのだ」

 

 いったい、この猫──エラー娘は何をしたというのか。

 だが、葛藤なぞお構いなしに忍者は震えながら壊れていく。事情は何も知らないが、このままにしておくのは絶対に不味いと分かった。

 

「謝礼は弾んでもらうからな、良いな!」

 

 しかし、狂っていても忍者の戦闘力は異常でしかなかった。瞬間的な加速力は偵察機を越えている。振り回す刀はP90の弾丸を悉く撃ち落とす──いや、切り落としている。身体能力も動体視力も、艦娘を遥かに超えていた。

 

 ──イマイマシイ。

 スネークはついていくので精一杯、しかも徐々に追い詰められている。今ならミサイルの支援を出せるのでは。そう考えたが、あの身体能力だと、ミサイルを足場にして来そうだ。意味がない。

 

 ──シズメ、シズンデシマエ。

 声が木霊する度に、頭痛が酷くなっていく。

 また、スネークに対する殺意が沸いてくる。

 突発的な症状として現れる。スネークの近くにいすぎて、また、空母棲姫が目覚め始めているのだ。

 

 ──シズメテヤル、ワタシガ、ワタシガ。

 とてもじゃないが制御し切れない報復心、だけど、望んで抱えた物じゃない。どうしてこんな物に苦しまないといけないのか。いっそ、忍者に殺されてくれれば、私はもう苦しまないのに。そんな考えすら浮かんでしまった。

 

「良いのか」

 

 スネークが呟いた、何のことだ? 

 サラトガは目の前を見て状況を理解する、眼前に()()がいた。

 何時の間に私の前に移動したのか、だが、そうではなかった。

 

「あんたも邪魔をするの!?」

 

 移動したのは、()()()()()()だった。

 

 報復心の代わりに渦巻いていたのは、嫉妬心だった。

 それは、スネークを誰かに殺されたくないという思いだった。自分の手が、黒いガントレットに重なる。。

 

 ──シズメル、アーセナルハ、コノワタシガ。

 掠れるような声が脳裏を一瞬だけ駆け抜け、すぐに消えた。だが一瞬でも理解できた。サラトガを動かしていたのは、空母棲姫の感情だったのだ。サラトガ本人は沈めたいなど思っていない。

 だが、スネークを()()()沈められるのは許せない。その思いは一致していた。

 

 激昂した忍者の振るった刀に、ライフル弾を正確に撃ちこむ。また勝手に動いている、予期せぬ妨害に、忍者が離れていった。こんな形で、空母棲姫と意志が一致するとは思わなかった。しかし、これで苦しまずに戦える。

 

 サラトガは次々と艦載機を発艦させる、艦攻、艦爆、艦戦。全てを出さなければ妨害さえままならない。爆弾を落とし、忍者へと機銃を放つ。直接的な意味はない、爆弾は当たらず、機銃は切り落とされる。

 

 それでも構わない。爆弾は煙幕になり、機銃を弾いている間は動きが落ちる。僅かにできた隙を突き、スネークが姿を消した。

 敵を見失い、忍者は戸惑う。気配を完全に消し切ったスネークを見つけるのは困難だ、ましてや艦載機に対処しないといけなくては。

 

 発見が難しいと判断した忍者が、狙いをサラトガに変える。屯す艦載機を一瞬で切り落とし、真っ直ぐに向かってきた。

 瞬間、煙幕の中からスネークが現れる。狙いを変えたことによる隙を待っていたのだ。距離を取ろうとするが、逃げ道は艦載機が塞いでいる。

 

 忍者の仮面に向けて、全力でブレードが叩き込まれた──だが、紙一重で回避される。逆にピンチに陥ったスネークに、今度は忍者が刀を振り下ろした。

 しかし、煙幕のせいで忍者には見えなかったのだ。いつの間にかくすねていた艦爆の爆弾を、水面に投げていたことに。

 

 爆発により発生した水柱が、忍者を包み込んだ。

 サラトガは首を傾げるが、スネークは覚えていた。こいつの弱点は『水』なのだと。予想通り、絶叫を上げて忍者が吼える。

 

 今度こそ、スネークは忍者を掴んだ。そして背負い投げの要領で頭から海面に叩き付ける。まだ意識のある忍者の顔面に、高周波ブレードの鞘を叩き込む。水を浴びて痛がる忍者にとっては、致命的な一撃だった。

 

 糸の切れた人形のように、忍者の腕や足が崩れる。

 完全に気絶しているのを確認して、スネークも膝から崩れた。疲労し切っているスネークを肩で支える。

 

「これは何だったの?」

 

「私が聞きたい、敵なのか味方なのか……」

 

 敵か味方か、どっちか分からないのは私も同じだが。

 少し自嘲していると、忍者の仮面に変化が起きる。鞘を叩き付けたせいか、亀裂が走ったのだ。ヒビは広がり、仮面が砕ける。

 

 少女の顔と、黒髪のツインテールがマスクから出てきた。額から血を流しているが致命傷ではなさそうだ、息もある。海面に立っていたのだから当たり前だが、忍者は艦娘だったのだ。しかし、正体は何なのか。

 知ってるのかと横を見る。

 スネークは、眼を大きく見開き固まっていた。

 

「スネーク?」

 

「……川内?」

 

 後に知ることになるが、彼女はかつて、単冠湾で共に戦った筈の艦娘だった。

 




『クロスロード作戦(スネーク×長門)』

「クロスロードの艦だけが侵入できる。眉唾ものだな」
「そうでもない。かつて行われた『シャングリラ追撃戦』で似た現象はあった。それ以降も、特定の艦がいることで、攻略し易くなったことはある」
「シャングリラ……その時の姫も、深海海月姫だったな」
「そうだ。その後海月姫が確認されたのは、『第二次ハワイ作戦』の時だ。どちらも、ヴァイパーの姫とは別だが」
「どちらの作戦も、あそこが作戦海域だったな」
「苦い思い出だ、ハッキリ言って、積極的に行きたいとは思わない」
「同感する。長門、お前はどれだけ覚えている?」
「ほぼ全てだ、艦娘になってからは、作戦の経緯も調べることができた。
 1946年7月1日のエイブル実験。25日のベーカー事件。ビキニ環礁で行われた一連の核実験の総称がクロスロード作戦だ。
 目的は、艦艇や機械類へ、核爆発が与える威力の調査。日本やアメリカ問わず、合計70隻近くの標的艦が集められた。とは言え、肝心の調査は核汚染のせいで、中々進まなかったらしい。安全は考慮していたが、それも当時の基準だ。多くの人員が被ばくしている」
「結局、大きな効果はないと結論が出たんだったな」
「そうだ、私は戦後のダメージを引き摺っていたが二度の爆発に耐えた。オイゲンも同じく、爆発を耐え抜いた。もっとも、その後沈んでしまったが……サイズこそ縮んだが、艦娘に核が致命的ダメージを与えられない理由でもある。普通の核なら、放射線も意味がない」
「だが合衆国はその後も、ビキニ環礁で何度も核実験を繰り返した。私のルーツの一人も、キャッスル実験で被ばくし、子を成す力を失っている。私にも、核の光の記憶はある……」
「お前がビーチに入れる理由なのかもしれないな」
「核で繋がった友情など、願い下げだ」
「友情は友情だろう」
「……そうなのか?」


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File52 報復心

 耳を貫く絶叫で、私の目は覚める。

 周りは真っ暗で何も聞こえないけど、彼の感覚は借りられる。ここは現実だ、夢じゃない。最近、同じ夢ばかり見ている。大切な仲間が次々と死んでいく夢。

 

 体が震える、痛みが突き刺さる。悪夢を見るのは今に始まったことじゃないけど、こんなには見なかった。サラトガと会ってからだ、頻発し始めたのは。彼女が前の私を思い出させるからなのか。

 

 彼も同じ気持ちでいる、同じだ、同じなの? 

 感覚を借りている時、そう感じることがある。この記憶は私の? 彼の? 気持ちは誰の? 全てが終われば、私は戻ってくるの? 

 答えは──きっと、残酷だ。

 

 

 

 

 ── File52 報復心 ──

 

 

 

 

 忍者──軽巡川内の強襲を退け、彼女を保護したサラトガたちは、ようやくベースキャンプへ帰投した。ヘリから降り、他の艦娘から見えないテントに入った途端、全身から力が抜けていく。とても久し振りに感じる。

 

 長門は帰ってきて早々に、提督の元へと向かった。報告と状況の把握のためだ。一方スネークは保護した少年兵の元に向かい、情報を聞きだしている。暇なのは、サラトガたちだけだった。

 

 酒匂と並び、オイゲンが入れてくれたコーヒーを飲む。同じ豆を使っているのに、異国の味がする。呑み慣れたアメリカのとは大分違うが、悪くはない。酒匂は苦かったらしく、砂糖とミルクを追加して呑んでいた。

 

 サラトガたちが出撃している間、オイゲンは他に屍病の死体がないか探していた。あまり見つからなかったらしいが、代わりに、嫌になるモノを発見していたという。それは、サラトガが見つけたのと同じ、少年兵だった。

 

「トラックにすし詰めにされてさ、どっかへ運ばれてた。まるで商品みたいな扱いだったよ。私も保護しようとしたんだけど、一隻じゃ無謀だって、止められちゃった」

 

 背中を向けるオイゲンに、サラトガは返事ができなかった。無茶をすれば救出できるかもしれない状況で、それができなかった。危険を冒してミスをしたら元も子もないが、相当な悔しさだったに違いない。だが、スネークが保護した少年兵から話を聞ければ、そのトラックの行き先も分かるかもしれない。オイゲンは今、それだけを期待していた。

 

「保護するなって言われたのは、それだけじゃないんだ」

 

 テントの外を睨み付けるオイゲンは、また、悔しそうに手を握るが、力が入っていない。やるせない力が、行き場を失っていた。

 

「下手をしたら、保護した子供が、()()()()()殺されるかもしれないから」

 

「殺される!?」

 

 信じられないと酒匂が叫ぶ、サラトガももちろん同じ気持ちだ。子供は護るべき存在だ。それをあろうことか、私たちが殺すなんてあり得ない。だが、オイゲンはこんなつまらない冗談を言う人ではない。

 

「実は、サラトガたちが外へ行っている間に、屍病のパンデミックが更に広がってる。隔離病棟に隔離しているけど、動揺はとても抑えきれてない。その不安は、どんどん敵に向かってる。根拠なんてないのに、アフリカの兵士たちが持ち込んだ病気だと信じる流れができつつある」

 

 兵士達は、確かに落ち着きがない。いや、感染が確認されていない艦娘にさえ動揺が広まっている。このままでは、下手をすれば暴動に繋がりそうだ。更に言えば、この部隊が『連合艦隊』なのも、悪い方向へ向かっている。異なる国家、民族同士で混じっているせいで、元々ある溝が、深まってしまっている。感染症を広めている敵からしたら、まさに狙い通りだった。

 

 そんな状況下で少年兵がいると知られれば、どうなるかは考えるまでもない。まさかそんなことにはならないだろうと、信じる気持ちもあった。幾ら憎くても、子供まで殺すわけがない。だが、報復心を制御し切れず、乗っ取られていたのは、他ならぬサラトガだ。

 

 過去からの復讐に呑まれ、護らなければならない未来を潰してしまう。深海凄艦と何も変わらない。後から気づいてももう遅い。せめて、言葉でも交わせれば違うのかもしれないが、あの子の言語を話せるのはスネークしかいなかった。現地の言語が分かる人員の多くは、最初の奇襲で死んでしまっている。

 

「屍病の正体が分かれば、少しは落ち着くのでしょうけど」

 

「死体は回収したし、データはスネークのところにも送ってる。ちゃんと提督の許可もあるよ、今はとにかく、パンデミックにある程度収集をつけるのが優先だからだって」

 

「皆、早く普段通りになって欲しいな」

 

 酒匂の言う通りだ、誰もが険しい顔をしている連合艦隊など、長く見たくはない。最初同じ船に乗っていた時は、もっと期待や、良い緊張感があった。病気が解明されたとして、完全に元通りにはならないだろうが、それでも今よりはきっと良くなる。

 

 

 *

 

 

 簡単なテーブルの上に、人数分のコーヒーが置かれている。減りつつある物資、貴重な燃料で沸かしたコーヒーは、やや温めだ。えぐみに顔を顰めて、サラトガは一気にそれを飲み干す。オイゲンと酒匂は呑まなかった。

 

「あの子から、情報を聞き終えた。そしてさっき、長門と裏付けの照会もした。敵部隊の正体がやっと分かった」

 

 そこまで言って、スネークは言いよどむ。長門に肩に手を置くが、それを振り払う。息を吐き、彼女の言葉で話し出した。

 

「前提から間違っていた、我々連合艦隊が交戦していた相手は、多数の国家でできた軍隊ではない。単なる傭兵部隊だ」

 

 地図の上に、カマキリのマークが書かれたエンブレムを投げ出す。深海凄艦には通常兵器は効かないが。全て全く効果がない訳では無い。スネークのように、徹底して近接格闘を行えば、人間でも倒せないことはない。

 

 艦娘を持たないアフリカで産まれた、深海凄艦への対抗手段。

 それを纏め、一つの組織としたもの。

 それがこの、プレイング・マンティス社だった。この組織のお蔭で、アフリカは完全に滅ばなかったのだ。

 

「だが、ただの傭兵部隊ではない。こいつらは同時に、報酬として『子供』を受け取っているらしい。オイゲンが見たトラックも、きっとそうだ。理由はまだ分かっていないが、きっと少年兵に仕立て上げているのだろう」

 

「なんで、そんなことを」

 

「子供は兵士として優秀だ、適切な訓練を施せば恐怖も躊躇もない。相手は未知の化け物だが、子供にはそんな先入観もない」

 

 スネークは捲し立てて、乱雑に空のカップ叩き付けた。言っている本人も、かなり怒り狂っているのだ。

 

「イクチオスを売りさばいた中心的存在もこいつらだ、実質あれは深海凄艦に対して有効だからな、それはもう売れたそうだ」

 

「そして、アメリカや日本、ヨーロッパに攻撃をしたのですね」

 

「いや違う、国家は攻撃をしていない。既にそこから、間違っていたんだ。確かに、今攻撃をしているのは色々な国家だ。だが、一番最初にイクチオスによるテロをしたのは、プレイング・マンティス社そのものだったんだ」

 

 調べたのは、イクチオスの購入履歴だった。情報のやり取りと物資の輸送タイミング。それらを統計することで、どの国がいつイクチオスを買ったのか推測できた。しかし、どんな兵器でも慣れるのには時間が掛かる。最初のテロの時、イクチオスを完璧に運用できる国は存在しなかった。売った当人を除いては。

 

「最初の何回か攻撃をしたら、後は流れだ。

 元々、先進国に対する恨みは大きかった。それでも、ある意味保護はしていたが、深海凄艦が現れた途端、我先にと撤退した、独立を返すと言葉を濁してな。抵抗手段もない、資源も奪われて残ってない。蹂躙されるのは当然の帰結。残された連中は、見捨てられたと思うだろう。いや、間違いなく思っている。あの少年は、大人からそういう教育を受けていたらしい」

 

「でも、どうして、マンティス社が攻撃したから、他の国も賛同したの? だってテロでしょ?」

 

「ああ、テロだ。攻撃したのはテロリストで、国家ではなかったそうだ。だが、それだけで十分だ。テロリストに攻撃された。その事実だけで、国家が侵攻されることはある」

 

 9.11──同時多発テロから始まったアフガニスタン紛争、イラク戦争。それを知るのはスネークだけだった。だからサラトガには信じられなかったが、知る人物が語る言葉故に、異様な説得力を持っていた。

 

「ましてや、深海凄艦のせいで、アフリカの現状はほとんど入ってこなかった。この攻撃がテロリストなのか、国がやった正式な攻撃なのか、その違いすら曖昧だ。そうなれば、先進国から攻撃を恐れ、更に強行的な姿勢に、いっそテロリストの支援に乗り出しても、おかしくない。何よりも最悪なことに、民衆は確かに、先進国を恨んでいた」

 

「どうして、私達は何もしてないのに」

 

「確かに、お前は(サラトガ)はしてないだろう。だが、問題は祖先だ。WW2よりも前の時代、植民地時代から火種は撒かれている。土地を奪い、資源を奪った。そして文化、平和、意志を奪った。それらを伝える為の、言葉すら奪った」

 

「言語統制か」

 

 長門が、苦々しい顔で吐き捨てた。

 

「一部からは支援もあった。テロリスト駆逐の為に、国ごと侵略される理由は、確かに存在してしまっている。それを陽動したのはヴァイパーやマンティス社であっても、結果はこの通りだ。現実として、連合艦隊は来てしまった。そうだ、我々が派遣されることが、既に計画の一部だったのかもしれない」

 

 そして狙い通り、調査の名目でやって来た連合艦隊に対抗すべく、マンティス社は傭兵部隊を出してきた。イクチオスの無償提供と引き換えに、それまで買っていなかったテロリストや少数部族の集団などを統合したのである。そのバックには、先進国を恨む人々の支援があった。

 

「ねえ、どうしてどの国も、艦娘を派遣しなかったの?」

 

 最初から、艦娘を派遣していれば。それまでの冷戦構造のように、裏から支援を続けていれば、また違った未来があったのかもしれない。だが、現実として不可能なことだった。

 

「酒匂、それはだな、当時そんな余裕はなかったからだ」

 

 アメリカも同じだ。艦娘出現の聡明期はまだ建造も運用も安定していなかった。国土防衛さえギリギリの状況下で、艦娘を関係ない他国へ送るなど、『国民』も認めなかった。自国の国民を守るために、他の国を見捨てるしかなかった。止むを得ない面もある。もっとも見捨てられた人々には関係ないが。

 

 故に、この戦いを根本から解決することは、もはや不可能なのだ。

 そもそもの根源を辿れば、冷戦──いや、WW2以前の植民地時代の頃から、それが正しいことだと、土地を開発し、主要言語を押し付けた頃から、報復の火種は灯っていたのだ。そう、やってきたツケが、帰ってきただけだ。

 

 

 *

 

 

 敵の正体は分かった、根本的な解決にはならないが、しかし、この情報はある程度加工されて、連合艦隊に発表された。今まで正体の分からなかった敵の正体が分かったことで、空気は多少良くなった。それでも、予断は許されない。パンデミックも収まっていない。

 

 一方で、発表された情報はそれだけだった。理由は簡単、エラー娘の猫が、信用ならなかったからである。鵜呑みにするには無茶が過ぎる。

 一応、姫のテリトリーと似通った特性があるのは事実なので、全くの嘘ではない。ある程度の、目安ぐらいにはなる。長門と提督はそう結論づけ、公表を控えたのだ。そして、発表しない情報がもう一つ、少年兵のことだった。

 

 未だに報復心は渦巻いている、パンデミックが収まるまでは、この子の存在は明らかにしてはいけない。だが、匿い続けるのも困難だ。だから、私がモセスで預かり、然るべき機関に引き渡す。スネークはそう主張した。

 

「いや、それには及ばない」

 

 長門はそう断り、ここで匿い続けると言ったのだ。しかし、スネークは猛烈に反対した。あり得ないとさえ思った。それが、どれだけ危険な行為なのか分かっているのか。それでも、長門は一歩も引かなかった。

 

「あの子が感染していない保証がどこにある、万一移送して、モセスを経由し、世界中に広まったら、それこそこの世の終わりだ。ならせめて、此処の隔離病棟に入れ、治療法が分かるまで出さない方がいい」

 

「だが、殺されたら元も子もない。お前は、他の兵士にあの子の存在がばれた時、どう言うつもりだ」

 

「どうもこうもないさ、私が私の判断で保護したと言うだけ。恥じるようなことは何一つしていないのだから」

 

「それで、兵士が納得するとは思えない」

 

「感染拡大を防ぐために、無駄な移動をさせないのは理由の一つだ。だが、忘れたのか、お前はどうやっても、テロリストなんだぞ。そのお前に匿われるということは、短くない間、世界の目線に晒されることになる」

 

 言い返せなかった、移送して、引き渡す間、必ずどこかで仲間以外の誰かに見られる。その目線は決して、良いものではない。

 

「あの子が見てきたのは報復に走る大人の背中だ、渡されたのは報復のための銃だけだ。その上で、蔑むような目線を浴びるなんてあってはらない。そんなことがあれば、あの子は、あの子たちは大人を蔑み、自らの手で王国を造ってしまう。いつか終わると決まっている蠅の王国だ。だから、見せなくてはいけない。憧れるような背中を。だから、あの子をここにいさせてほしい。今は、報復に狂っているかもしれないが……私たちは、そこまで愚かではないことを、見せてあげたい」

 

 スネークが言い返せることなど、一つもなかった。どうやってもテロリストで、その負い目も少なからずある。一時の安全があったとしても、その後を考えずに、漠然と護るだけでは、アフリカを見捨てた国々と同じだ。

 

「危険と感じたら、勝手に攫うからな」

 

 そう吐き捨てて、スネークは立ち去る。長門は頭を下げていた。これでは、負け惜しみじゃないか。思わず自分に失笑するが、それでも、悪い気はしなかった。

 

 

 

 

 なら、私は、私にしか関われない人に会いに行こう。

 スネークは隔離病棟の中にある、また別の扉を叩く。どうぞと言われ、中に入る。白いシーツが引かれた清潔なベッドの上に、病人服を着た艦娘が寝ている。隣にいたのは、神通だった。

 

「どうだ、彼女は」

 

「間違いありません、彼女は、この人は、私の姉さん、川内です」

 

 震える声で、神通は断言した。妹が言うなら間違いない。サイボーグ忍者の正体は川内だ。それも、私や神通が単冠湾で出会った川内だ。登録タグは偽装されていたが、妹の目は誤魔化せなかった。

 

 いったいそれが、どうして、こんな姿で、あんなことになってまで、アフリカにいるのかは皆目見当もつかない。愛国者達と何らかの関わりはありそうだが、聞き取ろうにも、川内は昏睡状態のままだった。

 

 健康状態の問題はない。だが、テロメアに問題があった。人としてではなく、艦娘としての耐久限界が、殆ど残されていなかったのだ。もって後、数か月未満だと医者は判断していた。

 

 疑問があるのはそこだ、この川内が建造されたのは神通の少し前。運用されてから一年少ししか経っていない。艦娘の耐久限界は──使用頻度や摩耗具合にもよるが──最低でも10年はある。

 

「訳が分からない、私を狙った理由も、エラー娘の猫を持っていた理由も全部、そもそもどうしてアフリカにいる」

 

「私に言われましても、猫なら何か、知っているのでは?」

 

「その猫がだんまりを決め込んでいるんだ、尋問のために拘束しようとしたが駄目だった。縄で縛れば抜けて、密室はそのまま壁をすり抜けた。幽霊なのかあいつ」

 

「まあ、妖精も幽霊みたいなものですし」

 

 結果、これ以上状態が悪化しないように、監禁するのが限界だった。神通は心配そうに姉の様子を見ている。スネークも同じだ、単冠湾では、神通や川内に世話になった。それに、相変わらずスネークは、神通に対して少なくない負い目を背負っている。その彼女が心配する相手が、下手したら愛国者達に関わっている。ますます、負い目は強まる一方だ。

 

「スネーク、いるか!?」

 

 怒声を出しながら、突然長門が現れた。息を荒げながら顔を蒼くして、握りしめた拳が震えていた。ただならぬ空気を纏う長門に連れていかれると、他のクロスロードのメンバーも揃っていた、皆同じ顔をしている。

 

「あの少年兵の証言、そしてマンティス社の背後にある支援国家。それを繋ぐ輸送ルートの解析を行い、ヴァイパーや海月姫の居場所を探った。複雑に絡んでいるが、点と点の結び目は必ずあると、イクチオスを売っているマンティス社が、ヴァイパーと絡んでいない訳がない、だが、その中に、とんでもない物資があった。あの男は、何をしようとしている!」

 

「どうした長門、何があったと──」

 

 積荷の中身を知った時、スネークの脳裏にある光景が蘇る。夢の中で見た炎に焼かれるヒロシマを、聞こえて来る悲鳴を。駆け巡る絶叫は紛れもなく幻肢痛だった。

 

「新型核弾頭が運び込まれている」

 

 長門たちは、どれだけの悪夢を見ているのだろうか。スネークには想像もできなかった。同じ過去を語れない彼女には。

 

 

 *

 

 

 そんな訳ないだろう、北方棲姫は怒鳴った。

 モセスの新型核が盗まれたのではないかと聞いたが、起こす筈がないと彼女は軽く怒っている。現にそういった痕跡はなかった。

 

 仕方のない事だ、北方棲姫は元々新型核を誰にも渡さない為に活動してきた。それを疑われれば腹も立つ。そうなると、どうやって新型核をヴァイパーたちは作ったのか。一応CIAの情報をG.Wに漁らせたが、合衆国が作ったのはモセスの核で全てだった。

 

 ガングートはこれに対し、ソ連が怪しいと主張していた。

 これに限ってはフョードロフに聞いておらず、独自の調査によるものだが、KGB内部でも艦娘に有効な新型核の研究計画は上がっていた。名目上研究は行われなかったが、実際は作られていて、成功しているのではないか。

 

 憶測が多めだが、合衆国でもモセスからの盗難でもないとなると、可能性はそれしか残らない。『愛国者達』はあくまで合衆国を本拠地としているので、彼らが暗躍した可能性も低い。

 

 愛国者達が設計図をソ連に流した可能性もあるが、それはそれで狙いが分からい。世界を混乱させる理由を調べるためには、核の製造現場を抑える必要があった。このままでは管理されない核が世界中に溢れ返ることになる。

 

 同時に、イクチオスの開発場所も調べる必要がある。

 マンティス社はあくまで販売をしているだけ、製造は別の場所でされている。ソ連――フョードロフから依頼された、製造場所の特定も急務だ。もし、どこかの国家が製造場所を抑えたら、その瞬間世界の構図は崩壊する。

 

 メタルギア・イクチオスに核──もといエノラ・ゲイを搭載できることは証明されている。核を運用するための道具は既に、あらゆる国家、民族、テロリストの手に渡っている。核と核を突き付け合い、報復によって支配される世界が誕生する。冷戦よりも恐ろしい核抑止による平和が訪れるだろう。

 

 しかし、それは薄氷を踏むよりも脆い。阻止しなくてはならないことだ。至急ソ連に誰かを送り込まなければならない。ガングート自身はモセスでの指揮が必要だし、そもそも追放された身なので警戒されている。スネークは勿論無理だ。

 

「青葉に行ってもらおう」

 

 ガングートの声を聞いて、スネークは唸っていた。

 客観的に見て、今の青葉の能力ならば十分任務は遂行できる。モセスが一つの組織として(スネークにそんな気はないが)出来上がっていくにつれ、スニーキングできるのがスネークだけなのは問題だった。せめてもう一人は必要だった、その控えとして志願してきたのが青葉だった。

 

 全く未経験の状態でスネークのバディをしたこともある、元々の才能もあったのだろう。スニーキングはガングートから見ても、十分な能力を身に付けていた。それはスネークも知っているが、唸っている。

 

〈できるのか〉

 

「それはお前が一番分かるんじゃないのか」

 

 とどのつまり不安なのだろう、他の誰かにスニーキングを任せていいのか信じ切れていないのだ。

 

「信じられませんか、青葉のこと」

 

 無線越しに青葉が詰め寄り、圧をかける。スネークは黙り込んで悩む、青葉も黙って答えを待とうとしているが、生憎時間はない。

 

「スネーク、お前は英雄を望まないんだろ。なら青葉に任せるべきだ。英雄だけができたことを、他の誰かができるようになる。誰もが『スネーク』になれると証明することで、英雄の名前はお前の手から始めて離れていく」

 

 また、沈黙の時間が流れた。しかしスネークは唸っていない。他のことを考えているようだ、きっと、青葉にかける言葉だろう。私の言うべきことは言ったのだ、ガングートは青葉の肩を叩き、指令室を後にした。

 




『言語統制(スネーク×サラトガ)』

「言葉を奪ってきた我々アメリカが、そのツケを払わされている。自業自得と言えばそれまでだが……」
「……あの、本当に怒られることを言っていいかしら」
「言わんでも分かる、言葉を奪われるのが、そんなに辛いのか――だろう?」
「ええ、だって、複数言語を話せる人は幾らでもいるわ。スネークだってそうでしょう。言葉を奪われても、後から学び直せば良いじゃない」
「それはお前が、我々が言葉を奪われる痛みを知らないからだ。覇権言語に寄生されているからだ。
 ルーマニアのシオランという思想家は言った。人は国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国だ』――。
 言葉は、ただの文法ではない。歴史が積み上げた価値観の全てがある。英語で言う美しいと、ここの言葉の美しい。言葉は同じだが、浮かべる景色は違う。ヨーロッパの緑豊かな美しさと、アフリカの美しい自然はまるで違う。同じ事柄でも、違う言葉を使えば、人の中身は変わる。そして一度変えられれば、そう簡単には戻らない。何度も何度も変われば……もはやは、価値の持てない、顔のない存在(スカルフェイス)になる」
「スカルフェイス……母語のない、価値を持てない屍、ですか」
「言葉は身に付く、だが『母語』は変えられない。我々の母語は『英語』だ。だから私にも、ここの連中の痛みは、本当には理解できない。むしろ、もっとも便利な英語を教えることが、正義とすら思うだろう。実際便利なことは確かだからな」
「便利だから、その為に石鹸まで食べさせて、言葉を直させたと言うのですか?」
「それだけではない、言ったろう、言葉が変われば価値も変わると。全ての人が同じ言葉を使っていれば、その分意志共有も容易くなる。人を統一させやすくなる。言葉を統一する理由はいつもそうだ、バベルの塔が崩れた時から、ずっと」


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File53 寄生者

 彼が忙しそうにしているのを、私は眺めていた。前までは頻繁に声をかけてくれたのだけど、そんな暇はないようだ。分かっているけど寂しい気持ちになる、紛らわすために私は作業へ没頭する。

 

 運ばれてきた艦娘や深海凄艦を千切って、使えそうな部分を選別する。部品が揃ったら繋ぎ合わせて、最後に調整すれば、戦艦レ級ができあがる。彼はこの兵器をスペクターと言っていた。名付けたのは、彼の仲間だったあの人だけど。

 

 あの人は、誰だったのか。

 私にとっても大切な人、死んだ私を直してくれた人なのに思い出せない。思い出そうとしても、脳髄を貫く幻肢痛に襲われる。覚えていない、憎しみさえも分からない。目の前の死体も、人型の物体にしか思えない。

 きっと、もう壊れている。私も、彼も。

 誰のせいなのかも、思い出せなかった。

 

 

 

 

 ── File53 寄生者 ──

 

 

 

 

 北条提督の研究室から、ガングートに向けて個別の無線が入る。なるべく騒がないでほしいとも言われた。何のことなのか、首を傾げて部屋に入ると、明石や北方棲姫も揃っていた。全員妙な顔をしている。

 

 北条が資料を渡す、それは屍棲虫のDNA情報と、屍病の屍体の資料だった。それによれば、屍棲虫は感染者の死体の中にもいたのだ、使用後の鉄屑同様、非活性状態になっていた為発見が遅れたのだ。

 

「こいつらが奇病の原因なのか」

 

「そうだ、恐らくだが、感染源はメタルギア・イクチオスだ。あの猫が言うに、液化は内部の鉄屑を触媒にしてるんだろ? その時同時に、鉄屑の中に巣食っていた屍棲虫が、テリトリー全域に広がったんだ。もしくは、液化の前に、密かにばら撒いているっつう可能性もある。鉄屑と同じ、触媒の為によ」

 

「屍棲虫が触媒?」

 

「こいつを見りゃ、分かる」

 

 人の脳の断面を図式にしたものには、何人もの死体の脳が写っている。ところどころに赤い点がある。海馬や大脳皮質、扁桃体に点が集中している。屍棲虫が集中している箇所ほど、より濃く塗られていた。

 

 ガングートは、嫌な汗を流す。この画像だけでも、屍棲虫が、脳に寄生する寄生虫だと分かってしまった。人間の脳への寄生虫は存在している。広東住血線虫やサナダムシといった事例は確認されている。

 

 しかし、嫌な汗の理由はそこではない。寄生している部位が問題なのだ。画像を見た限り、大きな損耗は確認できない。脳を直接齧っているのではない。寄生しているからには、偶然での寄生でない限り、何かを食べている。

 

 大脳皮質、海馬、扁桃体。

 何れも、『記憶』を司る部位だ。海馬や扁桃体は、情動記憶と言う、感情的なもの──食欲や、睡眠欲といったものを記憶している。だが、欠損こそないが、どれも極端に委縮しているのが分かった。

 

「専門家ではないので細かいことは言えませんけど、これはアルツハイマー型認知症の患者の脳に酷似しています。だからこそ、一つの仮説が浮かぶんです」

 

「記憶、か。屍棲虫の食い物は、記憶その物か」

 

 明石が言うまでもなく、ガングートにも推測できた。記憶の覚えるのが海馬などの仕事が、それが何もかも喰われて、根本から忘れてしまったら、やることはなくなり、萎縮していってしまう。

 

 それなら、屍病の説明もできる。

 どれも食料を食べなかったり、水を飲まなかったりと、異常な死に方だった。情動記憶を喰われ、飢餓感や水を飲みたいと言った欲求がなくなってしまったのだ。生きることに必要な記憶が、奪われたのだ。

 

「委縮している部位から考えますと、情動記憶以外の、通常の記憶も喰っているかもしれません。それなら、鉄屑、轟沈した艦娘の艤装内にいてもおかしくないとは思います。まあ、艤装に残留思念があればの話ですが」

 

「いや、違いない。イクチオスに搭載されている理由も分かる。液化、つまり姫のテリトリー展開には、まず制海権が必要だ。それともう一つ、莫大な怨念。私たちの力、存在の源が要る。艦娘と深海凄艦が表裏一体なのはD事案が証明している。とにかく記憶を喰らい、力を集めることで、地上を液化させるという無茶を、成り立たせている」

 

 北方棲姫の見解に、ガングートは同感した。

 正念と怨念。それらは北条や明石には難しい。深海凄艦にしか理解し辛い概念だ。元々の記憶──願いが正しいものであっても、時にそれは呪いに変わる。逆も有り得る。かつての価値観が、時代によって変わるように、怨念の定義も変わるのだ。

 

「だが、正直言って、それはどうでもいい」

 

 北条は何を言っている。彼は何やら、怪しげな小箱を取り出した。

 

「屍棲虫は、光に弱い。だが、なぜ弱いのか。研究に少し行き詰ってよ、元々調べる予定だったから、浴びせて続けてみた」

 

 実験映像が映し出させる。

 逃げ場をなくした虫たちは、繭を作り光を遮る。それを突破できるレベルの光を浴びせた。より現実に近づける為に紫外線を付与させ、太陽光に近づけていた。

 

 だが、それは起きた。

 屍棲虫が、更に大きな繭を生成し始めたのだ。紫外線を防ぐことができる内部に、残った虫が集まっていく。それが更に繭を造る。

 

 十分な量が詰まった時、繭が変形し出す。

 糸の塊に手足が生え、繭で服が縫われていく。更に髪の毛まで生え、遂に極小サイズの人間が生まれた。

 

 それは、どう見ても。

 北条が、小箱を開けた。

 

 

 

 

「屍棲虫から、妖精が生まれやがった」

 

 

 

 

 小箱の中には、一体の妖精がいた。

 北条はこの妖精と会話をしてみたが、なぜ虫が妖精になるのか、どうして記憶を食べるのかは本人も分かっていなかった。『妖精』になって初めて自意識が生まれたと主張した。

 

「そして、この虫のDNA情報を持っている生き物がいた。深海凄艦だ、艦娘にはねえ、だが、深海凄艦には妖精がいねえ」

 

「私たちはこう考えた、艦娘と深海凄艦の違いとは……屍棲虫のDNAが、()にあるか()にあるか、それだけなんじゃないかって」

 

 屍病の原因であり、イクチオスの液化の原因であり、艦娘であり、深海凄艦であり──その全てに、この屍棲虫がいる。世紀の発見だ、だがそれは、開けてはならないパンドラの箱だったのかもしれない。

 

 

 *

 

 

 モセスで保管されている筈の新型核が、アフリカに持ち込まれている。それはアフリカ中に配備されているイクチオスに搭載される。液化と屍病という戦略兵器を積んで、更に核まで乗せる意味が分からない。

 

 しかし、碌な結果にはならない。最悪、あの呉襲撃事件と同じ出来事が世界中で発生する。いや、攻撃に用いなくても良い。持っているだけで核抑止は成り立つ。例え相手が無限であっても。

 

 屍病について、発見があったとは小耳に挟んでいたが、スネークは話してくれなかった、まだ未確定の情報だからだ。だけど近々解決策が見つかるらしい。長門もその報告を聞き、ある判断を下した。マンティス社への一斉攻撃である。

 

 私たちの無力化できたイクチオスはそう多くはない。けど、効果は大きかった。本来『液化』に伴って補充される戦力を減少させたのだ。結果、傭兵部隊の規模は減少し、本社へ攻撃できる余力が生まれた。

 

 しかし、敵を壊滅する為のものではない。壊滅させたところで、報復心が消える訳ではない。植民地時代からの憎しみは、そう簡単に消えはしない。下手をすれば、更なる報復にでる危険すらある。

 

 あくまで敵の戦力を削ぎ、これ以上のテロ行為を抑止すること。そして一斉攻撃の裏で敵本拠地に侵入し、核弾頭の運搬を阻止すること。

 そして、まだ監禁されているであろう子供たちを救出すること。

 はっきり言って、どの程度の抑止効果があるか分からない。ほとんど核阻止のための方便みたいなものだった。

 

 しかし、兵士たちの反応はそこまで悪くはなかった。

 正直疲れていたのだろう、恨みは消えないというが、ずっとピークを維持できる訳ではないのだ。そこに投下された、子供の救助という任務は、むしろ部隊のやる気に火を灯したように見える。サラトガは、そのことに安堵していた。子供を殺すなんて、やってはならない行為に、彼らが手を染めなかったからだ。

 

 核弾頭が運び出されている本拠地の特定も、既に済んでいた。

 心臓の形をしているアフリカの中心部にある小さな国家、そこの名前は『ジンドラ』と言う。元々は他の国と同じように、先進国からの搾取を受けていた国だったが、深海凄艦襲撃からの経緯は分かっていない。

 

 現地住人に諜報をしてみても、不自然な程情報が得られなかった。ついでに今回の作戦に関しても、イクチオスを運用していないと判断されたため、警戒されていなかったのだ。だが実際は、マンティス社の本社がある国でもあった。

 

 偵察によれば、現地には人間の兵士が巡回している程度。核弾頭を運び込む大規模施設は見当たらないらしい。ジンドラには殆どジャングルしかなかった。しかし、核がここからやって来ているのは間違いない。

 

 そして間違いなく、ヴァイパー、深海海月姫も此処にいる。

 サラトガは確信していた。ただ彼女は少しばかし海月姫に複雑な思いを抱いていた。

 侵入するチームは地上ルートと空中ルートの二つに分かれている、サラトガと長門は空から、スネーク、酒匂、オイゲンが地上だ。

 

「大丈夫なのか、海月姫に会うことになるが、また呑まれたりしないだろうな」

 

「平気よ、その為にスネークさんと別行動を取っていますから」

 

 ヘリの外の景色を長門は眺め出す、お世辞にも綺麗な光景とは思えない。岩場ばかりだし、砂煙は散っている。『美しい』とは青い海や木漏れ日の指す森のような光景だ。だが、それはサラトガにとっての言葉だ。ここで暮らしてきた人にとっての『美しい』は、同じ言葉でも違う意味を持つ。

 

 サラトガは長門が見ているのが景色ではなく、上空で輝く太陽だと気づいた。

 普通の人ならどうとは思わないが、サラトガたちにとっては共通の意味を持つ。複雑な表情を浮かべる長門も、同じことを感じている。

 

「あの時感じたことを、覚えているか?」

 

 太陽の光は、私たちには眩し過ぎた。

 

「良いものじゃなかった、今まで連合艦隊旗艦として生きてきて、最後が敵国の新兵器の的だと言うのは。だが、仕方ないとも思っていた。負けは負けだからな、むしろ、素直に沈められた分良かったのかもしれない」

 

「サラは、嫌です。勝ったのに、あんな最後を迎えるなんて想像もしていませんでした。標的艦としの最後はありふれたものだけど、あの熱さと痛みは思い出したくありません。標的になったアメリカ艦はサラだけではないですから、自分勝手なことも言えませんが」

 

「望んだ最後ではないのは、確かだな」

 

 それでも、私たちの犠牲で核は大艦巨砲主義に代わる新しい抑止力になった。仮初だって平和は平和だ。まともな実戦さえなかった酒匂なんて、どんな気持ちなのか想像もつかない。

 

 しかし、口に出さないが、ヴァイパーが核を持つことは、こう思っていた。

 許さない、と。

 あの核を、ただ世界の破滅のためだけに使うことは決して許せない。あの光の恐怖を知る艦娘はそう多くない。ヒロシマ・ナガサキの光を視たか、直接浴びたかのどちらかだ。

 

 あの光の記憶は、サラトガたちでもそれぞれ違う。長門やサラトガは覚えているが、オイゲンは曖昧、酒匂に至っては完全に忘れている。だが、全員恐怖心だけは持っていた。それを再び繰り返さんとするヴァイパーを知り、恐怖心は半ば怒りへ変異しつつある。

 

「海月姫は、どう思っているんだろうな」

 

「普通の海月姫でしたら、きっと嫌な顔をするでしょうけど」

 

 連合艦隊を組み、始めて出会った私たちが言葉を交わせるのは同じ過去を持つからだ。共通の過去/言葉がなければ、そう簡単にはいかなかったかもしれない。しかし深海海月姫には、持っていた筈の過去/言葉がない。元々なかったのか、奪われてしまったのか。

 

「もはや、自分が誰なのかさえ分かっていないのか」

 

 本当なら怒り狂うだろう。

 でも、そう思う為の過去はない。覚えていたとしても、意味を見出す為の言葉もない。それではもう、死んでいるも同然ではないか。

 それは、生きていると言えるのか。

 

 

 *

 

 

 ジンドラには広大なジャングルが広がっている、スネークたちはそこを黙々と歩き続けていた。しかも、道の真ん中を堂々と、潜むことなく進んでいた。事前の情報では警備のPFがいると聞いていたが、全く姿が見当たらなかったのだ。

 

「誰もいないね」

 

 話すなと言いたかったが、誰もいない手前、注意するのもはばかられる。どこかに潜んでいる気配も感じられない。事前情報であったPFはどこへ行ったというのか、不気味過ぎる現状に、スネークの警戒心は高まっていた。

 

 だが、ある一線を越えた途端、警戒は不十分だと知った。

 一瞬だった、ほんの一瞬で、ジャングルがビーチに変わってしまったのだ。しかも、複雑に根を張る木々はそのまま。航行し辛く、視界も悪い。最初から持ち込んでいないが、これでメイン艤装の武装も一切使えない。

 

 そこへ、木々の影で何かが動いた。スネークがブレードに手をかけた時には、既にオイゲンが勢いよく主砲を発射していた。

 

「Feuer!」

 

 更に連射する、連射しなければ沈められない。現れたのはスペクターだったのだ。コアを破壊すれば死ぬが、動きを止めなければ、先に主砲を撃たれていた。だが、今ので動きは止まった。猫のお蔭で、見えなかったスペクターも見える。速やかに背後に回り込み、コアを一突きする。

 

 だが、煙幕の中で、スペクターと鉢合わせてしまった。体には傷一つない。幾ら戦艦だからといって、至近距離からの砲撃を喰らって無傷なのは異常だ。幸い、瞬時に反応できたため、そのスペクターは撃破できた。

 

 煙幕から抜け出ると、酒匂とオイゲンが複数のスペクターと交戦していた。いや、複数どころではない。何十体もいる。基本生身の自分が行っても、勝ち目はない。取り敢えず隠れるために、木々の影に潜む。

 

 外部から見て、スペクターのスペックは上がっている。何らかの改造をしたのか。数も多い。ヴァイパーが近いのは間違いなさそうだ。辿り着く前に、二人が沈められなければ。この数、どうやって排除する。

 

 考え出した時、唐突にスペクターが停止した。レ級は列を作り、中央に向けて膝をつく。一本の道を、二つの人影が歩いていた。

 

「ようこそ、ジンドラへ」

 

 赤い海の上に、ヴァイパーが立っていた。深海海月姫も傍らにいる。イクチオスを介してではなく、直接展開されている、その隙間の一瞬に、迷い込まされたのだ。

 

「今まで隠れていた癖に、お出迎えとはどういう心変わりだ」

 

「お前たちに追い詰められてきたからだ、特にスネーク、お前が抱えている北条という提督、奴は想像以上に優秀らしいな、そうだろう?」

 

 屍棲虫の正体について言っているのか、だが、一度は軟禁した北条を殺さなかったのはヴァイパーのミスだ。自業自得だ。しかし、スネークは気づく。呉鎮守府地下に軟禁して、研究を続けさせていた理由はなんだ。意味が分からない、自分の首を絞める行為の目的はなんなのか。

 

「単冠湾の提督だったあいつを見つけられたのは、ある意味幸運だった。なにせ、アウルと同じレベルの科学者を見つけることができたんだからな。殺すには惜しかった、可能なら仲間に引き入れたかった」

 

「そんなこと、できると思うのか」

 

「できるさ、伊58でも明石でも殺せば、どうとでもなる。まあ、敵の手に落ちたのなら、仕方がないが」

 

 結局は、生かしておいたことが招いた結果だ。なのにヴァイパーはまるで後悔もせず、楽しそうに笑っている。不気味だった、そして苛立った。伊58を利用しようとするヴァイパーの態度が気に入らない。

 

「だが、これ以上進まれると困るのも確かだ。だから俺たちが、直接打って出たという訳だ。確実に殺すために。良いスペクターも建造できたことだしな、性能も見て見たかった。流石に良い動きをする、やはり素材が良いんだろう」

 

「何訳の分かんないこと言ってんのさ、そんなことよりも、攫った少年兵はどこに捕えているの!」

 

「少年兵?」

 

 惚けた様子で、ヴァイパーは頬を掻く。挑発だろう。新型核と同じく、売られた子供たちがジンドラに輸送されていることは調べている。いない筈がない。応えなければ、無理やりにでも答えさえる。スネークが銃を構え、オイゲンたちも続いた。

 

「プリンツ・オイゲンだったか、お前の目は節穴か?」

 

「どういう意味」

 

「いるじゃないか、さっきから、少年兵は、()()()に」

 

 スネークたちの目の前にいるのは、スペクターだけだった。艦娘と深海凄艦と、()()を使ったフランケンシュタインだけだ。

 

「人間の素材は、スペクターのつなぎだ。だからこそ、より色々なものを受け止められる柔軟性の高い素材が適している。特に脳味噌は、スペクターの制御系として優れている。良い素材だったよ、あいつらも喜んでいるさ、これでもう死ぬことはない」

 

 だが、真っ先に激号したのは他ならぬスネークであった。

 思考はしていなかった。全て怒りで染まり切っていた。ヴァイパーを殺す。他は全てどうでも良かった。しかし、それは獣の突撃と変わらない。

 

「言っただろ、確実に殺すと」

 

 ヴァイパーが唐突に、指を鳴らす。瞬間、世界が崩壊した。

 

 脳の芯に、激痛を捻じ込まれた。

 体が爆発しそうな痛みを耐えようと、食い縛った歯にも痛みが走る。全身で痛みしか感じられず、その場に崩れ落ちる。僅かに開いた視界は歪み、上も下も把握できない。突破的に湧いてくる吐き気に、何度も嘔吐を繰り返した。

 

 同じように二人も苦しんでいる。条件が分からない、単冠湾と呉の時、何故この発作が大規模に起きているのか。考えている間にヴァイパーはゆっくりと歩み寄ってくる。P90を掴み取るが、まともに照準も合わせられない。

 

 何とか確保した視界の、遥か上空にヘリがある。長門とサラトガが乗っているヘリだ。しかし制御は失われていない。雪風が壊れなかったように、発作には射程があるのだ。だが、近付くことは無理だった。

 

「不思議そうな顔をしているな、だが、勿論教えはしない。お前は訳も分からないまま死ぬことになる」

 

 ある意味で幸せかもしれないが──ヴァイパーは一瞬だけ顔を顰めて呟く。直後、手元のナイフが振り下ろされる。そんな状況下でもスネークは、この男を睨み続けていた。こんな所で、こんな奴に殺されるなど許せはしない。

 

 その時、体が誰かに引っ張られた。誰かが助けてくれたのだ、いったい誰が。スネークはまだ視界がぼやけているのだと思った。

 立っていたのは、サイボーグ忍者──川内だったのだ。

 

 

 *

 

 

 どうしてかスネークを助けた川内だったが、未だに危機は脱していなかった。足取りはおぼつかず、息は乱れ切っている。単眼のヘルメットはしておらず、病人服には血がいくつも張り付いている。口の端からも垂れている、吐血までしているのだ。

 

「時間がない、私の時間が。だから、こうする」

 

 忍者の時の狂気は欠片も感じられない、笑顔の裏に冷静さを携えた、単冠湾の川内がそこにいた。彼女は懐から一本のアンプルを取り出すと、迷いなくスネークの首元に突き刺した。瞬間、発作とは比較にならない激痛が全身を貫く。

 

「お前は、いったい」

 

「ごめんね、いきなり襲ったりして。でも、大丈夫だから。スネークは、生き延びなきゃだめなんだ」

 

 二人の言葉が壊れたレコーダーのように反響している、言っている言葉が理解できない、繰り返される言葉に頭痛がする。口を抑えながら深呼吸を繰り返すと、徐々に痛みが落ち着いていく。気づいた時、痛みどころか──発作も止まっていた。

 

 川内が刺したアンプルが何かの効果を発揮したのだ、痛みにのたうち回っていたせいで、彼女がどうなっているか把握できていない。姿勢を整え立ち上がると、足元に川内が飛んで来た。

 

「脆弱なロートル風情が」

 

 スネークは彼女をもう一度見た、胴体に巨大な大穴が空いていた。

 

 ヴァイパーの横に立つ海月姫の腕が血に染まっている。

 私が痛がっている間に貫かれていた。川内の目の光がどんどん消える。

 今すぐ修復剤をかけなければ死ぬ出血量だ。

 

 手を伸ばした時、川内を無数の艦載機が覆っていた。

 あっと言う間の出来事に、スネークは反応もできない。夜を照らす爆炎が網膜に張り付く、失くした右目が焙られる。

 彼女の服が千切れ、切れ端も燃え尽きた。

 

「馬鹿な奴だ、せっかく拾った命を無駄にするとは」

 

 馬鹿だと、ふざけるな。そう言い返そうにも呼吸が乱れている。

 

「どうした、まさか悲しいのか。なら直ぐ同じ場所に送ってやる。二度と浮上しない、本当の水底に、ついでに神通も送っておいてやるさ、あいつも、俺の部隊壊滅の原因。死ぬべき艦娘だからな」

 

 ジミーの悲鳴が聞こえた、腹を貫かれた川内が見えた。

 

 復讐という理由で、神通を殺そうとしている。

 

 少年兵を、あんな化け物に仕立て上げた。

 

 復讐のためなら、何でも許されるのか? こいつはそう信じている。

 

 なら、もウ、イイ。

 

 スネークは呟き、言葉を捨てた。

 

 右目の幻肢痛が爆発する。

 伽藍から血が噴き出し、ピキピキと罅の入る音がする。

 ソリッドアイを固定する紐が千切れ、右目から更に血が噴き出す。痛みは全身に回る、体中が燃え出す、肌が砕ける。

 

「ス、スネーク……!?」

 

 酒匂が震えた顔でこちらを見ている、だがどうでも良かった。目の前で薄ら笑いを浮かべているヴァイパーを見た途端、全部ぶっ飛んだ。幻肢痛に操られて、スネークは海面を蹴り飛ばす。

 

 直後、目と鼻の先に驚くヴァイパーの顔があった。

 スネークは迷いなく顔面に拳を叩き込む、とっさに腕でガードされるが、尋常ではない腕力に彼の両手は砕け散る。痛みに顰めた顔を見て、薄暗い歓喜が零れ落ちる。

 

「シネ」

 

 反動で自分の手も血塗れだとも分からず、高周波ブレードを振るう。腕のないヴァイパーにガードはできない。彼の頭は半分が切り落とされ、鮮血のシャワーがスネークを濡らした。落ちた脳味噌の半分を踏みつけ、ゴミのように磨り潰す。

 

 その場に崩れるヴァイパーだが、追撃を止めようとは思わなかった。肉片まで焼き尽くしたくて仕方がない、殺したい、とにかく殺したくて仕方がない。無茶苦茶な動きに体から血が出ているが、まるでどうでも良かった。

 

 水面に映っている、笑う鬼を見ながら、更にブレードを振ろうとする。だが、横から突っ込んできた海月姫に彼方まで飛ばされる。海月姫の死ぬ姿を想像した、歓喜と幻肢痛が同時に沸く、体の中から衝動が溢れ──

 

 

「驚いたな」

 

 

 しかし、その光景に動きを止めた。

 常軌を逸している、あり得ない。スネークの狂気を止める程に、信じられない悪夢が広がっていた。

 頭を半分なくしたヴァイパーが、平然としゃべっていた。

 

「だが、やはりそうだ、俺の予想は間違っていなかった……これなら良い、最高とはならなくても、最大は達せられる」

 

「オ前ハ何者ダ、人間デハナイノカ」

 

「お互い様だろう?」

 

 一言告げて、ヴァイパーと海月姫は消えた。

 ダメージが大きかったから撤退した、そう考えることにした。頭を半分無くして話す光景を、早く脳裏から引き剥がしたかった。

 

 だが引っ掛かる、ヴァイパーが言った『お互い様』という言葉。ただ艦娘だからという意味には聞こえなかった。あの笑みには嫌な共感が感じられた、もしくは哀れみか。どっちにしても良いものじゃないが。

 

 瞬間、意識が急速に薄れていく。かなり無茶をした自覚はあった。だが、川内は無事なのか。それだけが心残りだった。

 倒れる直前、ビーチの海に写っていた深海凄艦は、誰だったのだろうか。

 




「食事(スネーク×オイゲン)」

「ず、ずいぶん歩くね……」
「当然だ、何十機ものヘリを飛ばすことはできない。それにただのジャングルだ、そんなに体力は消耗しない」
「スネークと一緒にしないでよ、ねえ、ホント、せめてご飯食べても良い?」
「調理しないものなら良いが」
「じゃあ、持って来た物があるから……頂きまーす」
「ハンバーガーか……っ!?」
「どしたの?」
「待て、それは、ハンバーガーなのか? ハンバーガーは、そんな虹色に光っている食べ物だったか!?」
「なんか、近くにお店があったみたいで、そこで勝ったの。お金も使えたし」
「そういう問題じゃない、そんな色健康に言いわけないだろ。今時アメリカ人でも喰わないぞ」
「でも、全部国連で正式に認められた添加物って宣伝してたけど」
「売れているのか……?」
「売れているみたい。私は見てないけど、この辺り以外の現地調査員が、あちこちでお店を見かけているって。添加物が多いから保存も効くし、海上閉鎖の影響も受けにくいから安い。それでいて栄養素はだいたい賄えるから、すごい売れているってさ。あと、積極的にテロに加担する国には出店しないって宣言してる」
「まさか、イクチオスのテロをしている国が、ある程度抑止されている原因は、このハンバーガーなのか」
「そうみたい、で、食べる?」
「貰う、怖いもの見たさもある」
「はいどうぞ」
「…………」
「スネーク?」
「この、店名は」
「バーガーズ・ミラーだって」
「G.Wが黙る訳だ……」


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File54 ガルエード

 赤い海──ではない、ビーチではない、だが青い海でもない。黒く濁った海と色々な物が座礁している砂浜でスネークは目覚めた。

 ──目覚めていない、此処はどっちかと言えば、夢の中だ。

 

「お前は」

 

 そこに居たのは猫と、それをぶら下げるエラー娘本人だった。お前どこにいたんだと駆け寄るが、まるでホログラムのように、スネークはエラー娘をすり抜けた。

 ──私は幽霊みたいなものだ、実態はまた、別の場所にある。

 

「……イクチオスに大破させられた時、夢を見た気がした。そこでお前に会った気がするが、それと同じか?」

 

 ──そうだ、いずれにしても、此処に呼ぶつもりだった。今、アフリカで広がっているのは海月姫のビーチ。此処は、私たちのビーチだ。此処なら誰にも、G.Wにも、内通者にも聞かれない。

 内通者は、やはりいるのか。連合艦隊の上陸直後に奇襲を喰らったのは、スパイが理由か。それよりも今は、聞くべきことがある。

 

「お前は何だ、なぜエラー娘と別れている。どうして川内のところにいた、目的はなんだ」

 

 ──エラー娘と別れたのは、私だけが脱出に成功したからだ。脱出を手引きしたのは川内だ、彼女の目的は私の力を使い、海月姫のビーチに入ること。そして、ヴァイパーの計画を止めることだった。お前が私の力により、イロハ級を視れるようになったのと同じ力だ。

 

「脱出? 捕まっているのか?」

 

 ──そうだ、ヴァイパーによって。だがもう私はジンドラにいない。別の場所に移送されてしまった。私にもわからない。

 エラー娘を攫う価値は、十分ある。本来特定の艦しか入れないルートを無視できるのだ。戦略が変わってしまう。だから、川内も攫ったのだろう。

 

「川内は何者だ、どうしてああなってしまったんだ」

 

 ──彼女が暴走したのは、無理にビーチに入ったせいだ。私を介したとしても、とんでもない無茶だからな。それにビーチには、もう一つ特性がある。あの空間は精神に良くない影響を与える。

 

「また随分とオカルトな……」

 

 ──オカルトも科学と変わらない。それにビーチは、あの世に一番接近する瞬間だ。良い影響がある訳がない。サラトガが内側に持ってしまった、空母棲姫に変異したのもそれが原因だ。スネーク、お前も。

 

「私が?」

 

 ──海岸を見てみるがいい。

 言われるがまま海岸を覗き込む、濁った水には、一隻の深海凄艦が写っていた。だが、覗いていたのはスネークだった。深海凄艦は顔を、青ざめながら触る。そこにはソリッドアイもない。左目を突き破り、青白く脈動する巻角が生えていた。

 

 ──スネーク、お前は、唯一の例外だ。ビーチに入ることができたのも、川内のように反動がなかったのも、特別な存在だからだ。例外はお前だけ、だからG.Wは弾かれる。お前は確かに、D事案で産まれた艦娘だ。だが、元々からして、ただの深海凄艦ではない。お前は艦娘と深海凄艦。その頂点に立つ『王』として建造されたのだ。

 

「王だと、私が?」

 

 ──証拠に、ヴァイパーはお前の力を狙っている。王としての力を。

 スネークは更に問い詰めようとするが、徐々に海面が荒くなっていく。波しぶきの狭間に、赤い海に立つオイゲンたちがいる。ゆっくりと、そこに戻りつつある。

 

 ──時間切れだ、奴に、感づかれた。もう、こうして話すこともない。まだ聞きたいことはあるだろうが、それは彼女本人から聞くといい。サイボーグ忍者のことは、川内が一番知っている。だから、私からは、お前を建造した存在を伝えておこう。

 

 夢が覚め、現実と言う名の悪夢に意識が浮上していく。視界が暗転する最中、エラー娘の一言が耳に残っていた。

 

『中枢棲姫』、その名前を。

 

 

 

 

 ── File54 ガルエード ──

 

 

 

 

 意識が現実に座礁した時、スネークをオイゲンたちが覗き込んでいた。しかし、そこは現実ではない。依然ビーチの中に、スネークはいた。

 

「川内は!?」

 

「今、ヘリで治療を受けてる。体力もそうだけど、精神的な消耗がかなり激しい。そもそも、どうやってビーチに入ったんだろ。かなり無茶したのは、違いないみたいだけど」

 

 とても戦闘できる状態ではなく、また意識を失っていた。だが、一命は取り止めていた。それをやってくれたのは、まさかの神通だった。本来入れない筈だが、きっと川内との繋がりがあったからこそ、彼女も入れたのだ。そして爆撃の直前に、神通が救助していたらしい。

 

 しかし、神通にもかなりの負荷がかかってしまっていた。結果サラトガたちを乗せたヘリは二人を乗せ、緊急的にベースキャンプに戻っている。その後、再びやってくるそうだ。時間の流れが違うので、極端な遅れはないが、かなり痛い。

 

「無事なら、それで良いさ」

 

「無事って、スネーク、自分がどうなっているのか分かってんの?」

 

「当然理解している、この巻角も。だが、私は正常だ。それに、そんなことを気にしている時間的余裕はない筈だ」

 

 右足を踏み出した時、ポーチにふくらみを感じた。中を探ると、赤い液体の入った注射器が複数個ある。川内がスネークに刺したアンプルと同じ物だ。あの一瞬で人数分渡していたのだ。これはヴァイパーが振るう発作の力に対して、何らかの作用がある。

 

 しかし、こんな怪しい物をまた打ちたくはない。オイゲンたちはより嫌だろう。誰か、心当たりのある奴はいないのか。スネークは猫に頼み、外の世界、モセスへと無線を繋ぐ。ビーチと外は繋がらない筈だったが、今回は繋がった。本人が言った通り、猫は中継器としても使える。長門がつけていた盗聴器が繋がったのも、既に近くに、猫がいたからか。エラーが通信を繋ぐとは、何とも言えないが。

 

〈知ってますよそれ、ドレッドダストです〉

 

 明石もこの薬品を使っていた、その用途は精神安定剤の一種である。通常の人間とは色々違うせいで通常の物が効かない艦娘用に開発された精神安定剤だ。まだ試験運用中であり、正式な許可を持つ者しか扱えない劇薬でもある。明石は当然資格を持っている、時折襲ってくる幻肢痛と幻覚を和らげる為に使用していた。

 

 精神安定剤には大まかに抗うつ剤と向精神薬の二つがある、ドレッドダストは向精神薬としての側面が強い。強くなりすぎた感情を抑制する効果がある。

 

 明石の見立てでは、おそらくこの抑制効果が発作に働いているらしい。G.Wの記録しているスネークの精神バイタルは、発作の際必ず異常に高まっていた。感情を暴走させた結果があの発作なのだ、それをドレッドダストで抑制することで中和できたらしい。

 

 スネークは明石の指示に従いながら、ドレッドダストをオイゲンに打ち込む。凄まじい悲鳴が響く、打った直後の激痛は仕方がないようだ。だがしばらく待つと息が落ち着き、眼に光が戻っていく。これで、発作への耐性ができた。

 

 感情を暴走させた仕組みも、ある程度目処はついているらしい。屍病の死体や鉄屑内部に──そして妖精でもある『屍棲虫』は、人の記憶を捕食する特性がある。感情もまた記憶を元にする要素が大きい、それを利用している可能性が大きかった。

 

 元々推測レベルだったが、向精神薬であるドレッドダストが有効だったことで、更に確証が得られたと明石は答える。しかし、ドレッドダストは専用の治療薬ではない。何らかの副作用がある可能性もある。それはやはり、北条が開発するのを待つしかなさそうだ。

 

 副作用がないか確認するため、スネークたちはその場に留まることを余儀なくされた。近くに接近するスペクターはいない。ビーチにいることで、何か影響が出ている様子もない。

 

「じゃあ、私見回りに行ってくるね」

 

 オイゲンが艤装を背負って立ち上がる、それでも念のため警備は必要だ。安全という確証がなければ休まるものも休まらない。ところが艤装を背負った彼女は、どこか戸惑った様子で主砲を動かす。

 

「どうした」

 

「待って、酒匂も背負ってみて」

 

 言われるままに艤装を背負う酒匂も違和感を覚える、二人は顔を見合わせ、虚空に向けて主砲のトリガーを引いた。

 しかし、弾丸は一発として発射されなかった。他の武装も全て同じように、機銃も魚雷も反応しない。

 

〈やっぱりそうなっちゃったか〉

 

 明石はこの副作用を予想していたらしい、だが、艦娘として余りにも致命的だ。

 

〈薬が効いている間は発作を抑制できる、でも、代償として艤装を動かせなくなる〉

 

 発作はドレッドダストによって抑え込める、しかし元々の発作を除去した訳ではない。無理矢理抑え込んでいるだけだ。その反動が艤装を動かせないと言う副作用だ。記憶を捕食する虫は妖精でもあり、艤装を動かしているのは彼女達だ。

 発作を抑えることは餌をなくすことでもある。食事をとれなくなったことで、妖精にも影響が起きているのかもしれない。

 屍棲虫が妖精だとは言えないので、少し濁す形で説明すると、二人とも肩を落とす。

 

「結局のところ、治療薬を待つしかないのね」

 

「せっかく戦えると思ったのに……」

 

 治療できると思った矢先にこの副作用だ、艤装の使えない艦娘は人間と変わりない。スネークはまだマシだった、艦娘の力がなくとも高周波ブレードとP90は使えるからだ。

 

「あたし達は置いてけぼりになるの、スネーク?」

 

 落胆を越え、こちらを見つめる酒匂は不安に満ちている。懇願しているのか、スネークに詰め寄ってきた。スネークは酒匂と視線を合わせる。そんなことはあり得ない、いや、置いていけないと告げる。

 

「ヴァイパーに発作を起こさせないようにすればいい、そうすれば戦えるだろう。相手の本陣には海月姫にスペクターまでいる。そもそも、ビーチで活動できる艦は多くない。貴重な戦力を置いていけるか」

 

 淡々と事実だけをスネークは告げる、実際ビーチに入れる戦力は少ないのだ。しかし酒匂は心から安堵した顔でお礼を言ってきた。スネークは理解できずに、無言で相づちを返す。戦力になることがそんなに嬉しいのか。

 

 そこでスネークは、『酒匂』という艦について少し思い出した。

 阿賀野型軽巡洋艦四番艦『酒匂』は、一度も出撃することなく終戦を迎えていた。そしてクロスロード作戦に参加したのだ。

 

 しかも彼女は二人の姉、阿賀野と能代に出会っていない。逆に姉二人は酒匂を知らない。忘れるも何も、最初から知らないのだ。艦娘になってから出会うことはあっただろうが、史実の繋がりが希薄なのも確かだ。

 

 記憶も言葉も、そして報復も、覚えているからこそ成り立つ概念。最初から無ければ何一つとして生まれない。

 何もない、それ故に彼女も願っているのだ、『今度こそ』と。

 誰かの記憶に残りたい──その思いは痛いほどに知っていた。スネークの中にいるあの男も、そうだったから。

 

 

 *

 

 

 再び行軍を始めた三人は無言のままビーチを進む。さっきの襲撃以来、敵襲はパッタリ途絶えていたが、それがかえって不気味だった。しかし違う点もある、あちこちに機雷が沈められていたのだ。

 

 その辺りを過敏に感じ取れるスネークはともかく、専門の訓練を積んでいない二人にとってはかなり過酷だ。もちろんどの罠も掛かれば即死に繋がる物ばかり、彼女たちの様子に気遣いながら進まざるを得ない。

 

 もっとも、確実に殺そうという意志は感じられない。大きな損耗により動きを制限するのが目的に思える。エラー娘が言った通り、私を生きて捕えるためか。そのエラー娘の猫は、ビーチに戻ったきり、一切話さなかった。ただ翻訳機としての役割を忠実に果たしている。

 

 こんな時、元々持っていたSOPでも使えれば便利なのだが。兵士同士をナノマシンを介したネットワークで繋ぎ、情報をリアルタイムで共有する技術。それがあれば罠の情報も共有できる。と思ったが、知っていても避け方まですぐ身に付きはしない。

 

 彼女達を眺めながら、スネークは眼帯をつけていた左目を撫でる。抉れていた眼孔からは立派な角が冠のように巻き付いている。片方の目は更に真っ赤に染まり、肌はより白くなっている。誰が見ても深海凄艦でしかない。

 

 悪影響がないか調べようにもここでは無理だ、帰投した後明石や北条に見て貰う他ない。こんなところで死ねない理由がまた増えていた。しかし、心残りがある。私の変異を目にした時、なぜヴァイパーは嬉しそうだったのか。

 

 考えても仕方ないが、気になるものは気になる。スネークは考えを逸らそうと無線をサラトガたちへ繋いだ。

 

〈どうしましたかスネークさん〉

 

「いや、繋がるかどうかだけ試したかった。繋がったということは、再びビーチに突入しているんだな」

 

〈No Problem、間違いなくあの要塞に向かって進んでいます〉

 

 かなり遠いが、それらしき黒点が複数見えた。艦載機も出している。敵の本拠地には近づいている、その分、いつ襲われるかも分からない。大型艦である長門とサラトガを乗せたヘリ。そちらから目を逸らすという狙いも、私たちにはある。

 

 しかし、スネークは溜息をついた。無線越しに聞こえていたのだろう、サラトガが心配してきた。

 

〈不安ですか〉

 

「いや、なんだか、インチキだと思えてきてな」

 

〈まあ、確かに〉

 

 結論から言って敵の要塞はあった、衛星写真で見付からない場所にあった。いや、まともな方法では絶対に見つけられない場所だ。

 

 敵の要塞があったのは、ビーチの中だったのだ。

 ジンドラの地形に照らし合わせれば、流れる大河沿いにある場所。その裏側に要塞は建造されていた。見た目だけなら海上要塞に見えなくもない。

 

 いったいビーチの中にどうやってあんな要塞を建造したのか、そもそもビーチは、テリトリーが展開される一瞬だけではなかったのか。敵のインチキさにも頭が痛くなってくる。一つずつ解明しているものの、未知の点は多い。頭が半分消えても動くヴァイパーには言葉も出なかった。

 

〈スネークさんは平気ですか〉

 

「何の話だ?」

 

〈その、左目の角が生えてしまって〉

 

 サラトガが空母棲姫に呑まれた時のように、私も何かに呑まれることを心配している。言われてみればそうだ、D事案ということは元になった深海凄艦がいる。私はどんな深海凄艦だったのか。頭を捻ってみても、手掛かりの一片さえ思い出せないが。王と言われても、心当たりもない。

 

「問題ない、憎悪も報復心も湧いてこない。私がこうなったのは、私の憎悪によるものだ。そういった不安は要らない」

 

 つまり、その程度なのだろう。強い怨念は艦娘になっても残る。それがないということは、その程度の怨念なのだ。逆に言えば、艦娘の身でありながら深海凄艦と化す程の怒りを抱いていたということだが。全く不安がないのも嘘だった、スネークは絶対に言おうとしなかったが。

 

〈なら、ヴァイパーはどうなんでしょうか。いったい何があれば、あそこまでの怒りを抱けるのでしょう〉

 

「あれを気にしているのか?」

 

彼女(海月姫)の影響だと自覚していますが、それでも気になってしまいます〉

 

 サラトガは空母棲姫か、または似た存在だからか一度同調している。見たところ普段はヴァイパーと同調しているが、空母棲姫の報復心に引っ張られたのだろう。その時混在した記憶は残っている。

 

 そうなると少し心配なのが、彼女が海月姫と戦えるのかだ。一瞬とはいえ記憶が入り混じったのだ、既に彼女たちの一部は彼女自身となっている。自分を殺すことはできるのか思ってしまうのだ。

 

 しかし、そこに迷いは無いと言う。

 イクチオスなどと言う悪夢をばら撒き、遂には核まで広げようとする男と、それに従う深海凄艦。正義感などと言う気はないが、世界を護るためには止めなければならないのだ。

 

〈私が思っているのはそこではなく、あのビーチについてです〉

 

 あのビーチは海月姫の記憶──つまりクロスロード作戦を元に構築された世界だ。だからこそスネークというイレギュラーを除けば、入れるのは同じ記憶を持つサラトガたちに限られる。

 

〈あれは本当に、海月姫の記憶なのでしょうか〉

 

「どういうことだ?」

 

〈同調した時の記憶は残っています、彼への思いや断片的な映像。でも、クロスロード作戦の記憶は全く無かったんです。言葉も記憶も、全部忘れていて……深海凄艦になって以降の記憶しか残っていないようでした。だから思ったんです、あのビーチはヴァイパーの記憶から生まれたんじゃないかって〉

 

「ヴァイパーの」

 

〈そうです、海月姫の中で、一番強い記憶は彼の存在でした。ヴァイパーは元々ブラック・チェンバーのリーダー。提督だったのでしょう。その頃の彼の記憶が、この世界を創っているのでは〉

 

「だが、なぜクロスロード作戦なんだ」

 

 深海凄艦と行動を共にできる時点で相当な怒りを持っている。ビーチを生み出せたとしても不思議ではない。しかし、今度はサラトガ達だけしか侵入できない理由の説明ができなくなる。ヴァイパーはクロスロード作戦とは関係ない。

 

 ヴァイパーは、結局何者なのか。何が起きてああ成ったのか。愛国者達とどんな繋がりを持っているのか。暇などないのは重々承知しているが、やっと掴んだ直接的な手掛かりを手放したくはない。

 

 

 *

 

 

 理屈的には、少しずつ近づいていた。だが感覚的には、突然現れた。あまりに非現実的な光景は、絵本に出てくる魔法の城に似ている。棲んでいるのは、悪い魔女と王様ですらなく、薄汚いテロリストな訳だが。

 

 真っ赤な海に根を張るジャングルに、海面に直接打ち据えられた要塞。この世の光景ではなく、まともな物ではない。主であるヴァイパーも同じように、異形の存在なのだ。そしてあの男は核を使おうとしている。世界は滅び、屍者の王国が降臨する。どう使うかなんて知らないが、まともな使い方はしない。それは確信していた。

 

 スネークたちは眼を合せ、残るドレッドダストを首元に注入する。これにより発作は中和できるが、代わりに艤装は使えなくなる。中和できる時間もそう長くはない、それまでに要塞内部にいるヴァイパーを見つけだし、発作の装置を叩くのだ。

 

 僅かに傍受できた無線で分かった事がある、それはこの要塞が『ガルエード』と呼称されている点だった。

 ビーチからしか侵入できないのなら、最初から展開しなければいい。それをしないのは、私を此処へ呼びたいからか。それでも、行くしかない。

 

 要塞の端にあるダクトを通れるのは、あいにく艤装を最初から背負っていないスネークだけだ。仕方がないのでオイゲンと酒匂は別の侵入ルートを探すことになった。どんな異形の基地でも、基地は基地だ。深海凄艦が出撃するスペースは必ずある。

 

 当たり前かもしれないが、ダクトの中には誰もいなかった。そもそもこんな所にサブマシンガンと刀二本で潜りこむヤツがいるとは想定していないのだ。しかし流石と言うか、ダクトの中にも悍ましい量のトラップが張り巡らされている。少しでも油断すれば致命傷は免れない。

 

 こうなると、ダクトの中はむしろ危険かもしれない、何より進むのが遅い。私はともかくオイゲンと酒匂はスニーキング慣れしていない、ある程度陽動の目的もあるが、遅くなれば遅くなるほど二人が危機に晒される。

 

 スネークは意を決し、ダクトから抜け出した。

 始めて要塞内部を直視したが、今までに見た事のない感覚がした。イクチオスの液化を応用でもしたのか、壁が悉く肉片のようになっているのはまあ良い。だが、廊下には窓一つなかったのだ。

 

 それどこから装飾品も、模様もない。照明も最低限しかない。軍用施設は概ね生活感を排して作られるが、それでも多少なりとも生活感はでる。しかしここにはそれすらない。誰も生きている感覚がしない。本当に地獄に迷い込んだのではと錯覚を覚えるようだ。

 

 本当にヴァイパーはいるのか、人間としているのか? 

 スニーキングで同化しても、生命の感覚はまったくない。ひたすらに不気味な要塞に、思考がぶれそうになる。スネークは大きく息を吐き、再度リズムを調整していく。

 

 すると、鋭くなった聴覚が無数の足音を捉えた。要塞のあちこちから聞こえてくる。歩幅は普通だが一歩が重い、大きな艤装を背負っている音だ。そこら中をスペクターが巡回している証明だ。

 

 気配も生気もなく、不気味に歩くスペクター。隠密性能も強化されているのだろう。

 いや、そもそも、そっちが自然なのでは。スネークは思う。スペクターは死んだ艦娘の遺体を継ぎ接ぎしたキマイラ。使役されるゾンビと変わらない。ましてや自我も自意識も、記憶もないのなら。死人に気配などある訳がないのだ。

 

 なら、この要塞は蠱毒の壺だ。

 それも生者を殺し、生まれた亡者で殺し合い、挙句溶かして繋ぎ、個の尊厳さえ奪い利用する。地獄ですらない、まともな苦しみさえ叶わない悪夢。いくら敵とはいえ、その在り方には同情すら覚える。

 

 半ば深海凄艦と化したからなのか、深海凄艦に同情するなんて。

 それでも、そう思うにつれ全身に力が湧くのは確かだった。怒りや幻肢痛が増していく、無数の報復心が寄生してくる。スネーク自身の無念が脳裏にこびり付く。

 更に輝く瞳から血が流れ出す、血の痕跡を残しながら、スネークは奥へと潜りこんでいった。

 




用語集:傭兵集団ブラック・チェンバー(MGGBより)

 メタルギア・ゴーストバベルに登場する傭兵集団。元々は米国お抱えの特殊部隊。アウターヘブン蜂起事件以降、FOXHOUNDが有名になり過ぎたことで隠密行動が難しくなり、代わりに裏の仕事を請け負う部隊として活動していた。しかしある任務の後、そのFOXHOUNDに部隊を壊滅させられる。劇中に登場するのは、生き残りの五人である。
 この世界では順序が逆になっており、元々艦娘と人間の共同特殊部隊として設立された後、壊滅を装い裏の世界に入り、表上の部隊としてFOXHOUNDが設立された。その経緯の関係から、2年前の壊滅以来、具体的な行動は一切不明とされている。


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File55 ヴァイパー

 また夢を見た。

 燃える海、何も見えない暗闇をひっくり返す爆発。マグマのように噴き出た津波に呑み込まれていく。黒い海水はタールのように渦巻き、無数の手が私の足首を掴む。恐い、仲間なのに、もう仲間に見えない。

 

 彼が私の手首を握る、海は足首を掴む。引っ張られる、どちらも離さない、私はどちらにも行けない、だって、どっちも諦められない。更に引っ張られる、体が裂けそうになる、激痛が腹の奥で渦巻いて暴れる。

 

 掴まれた首が千切れていく、ボロボロに崩れ落ちた。掴まれた端から壊れる。沈まない、千切れて浮かんでいる、水面を漂う。体が消える、消える、痛い、全部見えない、分からない。繋ぐ手はもう無い。残った切れ端を集めただけの体。

 

 眼が覚めた。目が覚めた? 

 何も分からない、覚えていない、理解できない。現実と夢は変わらない、同じにしか思えない。彼の、彼らの、彼女たちの声が、口から零れだす。許さない、返せ、返せ。怒りに満ちた声に、私は駆られる。彼が言った、敵に向けて。

 

 

 

 

 ── File55 ヴァイパー ──

 

 

 

 

 風切り音が聞こえたかと思うと、爆発のような衝撃が基地を揺らす。軍艦が落下したような轟音。実際、軍艦が落ちていた。ヘリで上空にいた長門とサラトガが着地した音だ、しかも艤装を装備しているのだ、駆逐艦とかの艤装とは重さが違う。

 

 スネークとオイゲン、酒匂がヴァイパーを探している間の陽動役を二人は買ってくれた、大量のスペクターが犇めくこの基地を探索するには必要な役割だ。

 戦艦と空母、単独での戦闘能力も高い。万一発作が発生し、結果ドレッドダストによって艤装が使えなくなる可能性はある。

 しかし、ドレッドダストで使えなくなるのは艤装だけ、パワーアシストは活きている。格闘戦でもスペクターと遣り合えるだけの出力を持っているのだ。

 

 それでも危険であることに変わりはない。全てのスペクターが囮へ向かった訳ではない。巡回している個体もいる。こんな狭い通路でスペクターに囲まれたら、艤装があっても意味がない。絶対に見つかってはいけない状況だ。

 

 危険を承知のうえで、オイゲンと酒匂は既にドレッドダストを摂取している。

 その間、オイゲンと酒匂は艤装が使用できない、危険な状態にある。一本ごとに一時間程度の効果時間がある。それを過ぎれば、また艤装は使えるが、見つかれば間違いなく死ぬ。

 

 発作が起きた時接種するという選択もあったが、それは余りに危険過ぎた。打つまでの間に殺されかねない。万全を期すには事前に打ち、艤装使用不可の危険に身を晒すしかなかった。

 

 危険だと理解した上で、二人はアンプルを摂取してくれた。どの道、見つかったら終わりだと言っていた。スネークは二人に感謝しつつ、足取りを早める。私が早い程、危険に晒される時間も減る。一刻も早く、発作の原因を無力化するのだ。

 

 依然、淀んだ瘴気を撒き散らす屋内をスネークは歩く。気配は分からないが、足音や息遣いは聞こえる。それらを見逃さないよう神経を張り巡らせ、確実に要塞の奥へと進む。耳奥の無線機が鳴ると、オイゲンから報告があった。要塞のマップデータを見つけたのだ。危険を冒してまで手数を増やしたのは、効率的に要塞を捜索する為でもあった。

 

 マップを見たスネークは舌を巻く、その構造は凄まじく複雑だ。データがなければ相当時間を喰っていた。しかし、目を引く所がある。一か所だけ、スペクターがまるでいないエリアがあったのだ。奇妙に思い、スネークはそこへ向かう。

 

 位置で言えば、幾つかの階層に分かれている要塞の中央層にそのエリアはあった。道中までは、進むたびスペクターの数が増えていく。中には特徴的な『尾』を装備しておらず、屋内での戦闘力に特化した個体もいた。中央エリアの直前で、その個体に阻まれる。

 

 隠れる場所のない一本道に扉がある、その前に四隻のスペクターがいる。手持ちの火器はP90と高周波ブレードのみ。突破するにはいささか不安が残る。どう行くか悩んでいると、不意に背後から肩を叩かれた。

 

 反射的に銃口を後ろに向ける、少し驚いた顔で、サラトガが両手を上げていた。驚いたのはスネークの方だった。陽動はどうしたのか。

 

「長門に頼まれたの、手伝いが必要だろうから。そう言われました」

 

 無線を聞き、長門はスネークと同じく中央フロアの存在に気づいたのだ。そこの警備が厳重であることも予測できた。しばらくなら一人でもどうにかなると言い、サラトガを送り出したのだ。

 

「空母棲姫は大丈夫なのか」

 

 彼女が来てくれたのは助かったが、心配なのはそっちだ。また空母棲姫に乗っ取られないように、別行動を意識していたのに。

 

「少しだけなら大丈夫、いいえ、二度も乗っ取られはしません」

 

 サラトガの言葉に嘘は感じられなかった。

 しかし、少しずつ髪の端が白くなっていた。

 徐々にだが空母棲姫が覚醒を始めている。どう言っても大丈夫なのは『少しだけ』だ。それでもサラトガは必死に堪え、復讐ではなく、すべきことをせんとしている。

 

 スネークが通路から飛び出すと同時に、サラトガがありったけの艦載機を発艦させる。屋内にも関わらずその動きは正確だ。いや、少しばかし普通の飛行機の動きを無視している、これは深海凄艦の艦載機の動きだ。やはり影響は出ているが、今はそれが助かる。

 

 現れたスネークと艦載機を認識したスペクターは、手に持った機関砲を振り回す。狭い通路に密集した弾幕が、艦載機を撃ち落とす。その間にスネークは姿勢を屈め、スペクターの懐へと一気に跳躍した。

 

 加速の勢いを保ったまま抜刀し、スペクターの手首を切り落とす。支えを失った機関砲を地面に落とし、断面から血が溢れ出す。しかし痛みを感じない怪物は、今度は残る片手を振り下ろした。地面を転がり回避する、殴った地面が陥没していた。

 

 スネークは壁まで転がっていき、壁を蹴り、天井目がけて跳躍する。スペクターの真上を飛び越えながら、P90を乱射する。スペクターの装甲は貫けないが、機関砲は別だ。幾つもの砲身がひしゃげ、行き場を失ったエネルギーが次々に爆発し、弾幕を封じる。

 

 姿勢を立て直す暇を与えない為に、サラトガの艦爆が次々と爆弾を投下する。地鳴りと共に火の海にスペクターは包まれた。だが、コアを破壊しない限り決して停止しない。千切れ飛んだ四肢が集まり、接合しようとしている。

 

 剥き出しになったコア目がけて、スネークはブレードを突き立てる。一隻を潰し、また飛んで別のスペクターの頭に、ブレードを構えて降り立つ。爆炎が止む頃には、全てのスペクターは破壊されていた。

 

 

 *

 

 

 スペクターを撃破し、スネークはすぐさま奥の部屋へ進んだ。サラトガは通路を護っていてくれるらしい。礼の一つでも言いたかったが、空母棲姫が反応しても困る。事前の情報通り、スペクターはパッタリといなくなっていた。罠の気配もない──だからこそ、特大級の罠が有る様な気がした。

 

 むしろ警戒心を限りなく高め、地雷原を歩くよりも慎重に歩を進める。心臓の鼓動が高まり、耳元で聞こえてくる。肌寒いぐらいの気温に、汗が流れていく。ポツンと地面に垂れた汗が、一瞬で蒸発した。

 

 絶句したスネークはすぐさま足を引き、P90の弾丸を一つ転がす。それはある一線を越えた瞬間、溶けて消えてしまった。スネークは真正面の通路を見る。見覚えがあった、それはマイクロ波を発する装置と、高電圧を流す床だったのだ。

 

 これでは、到底先に進めない──頭を抱えそうになるが、スネークは気づく、この電気はどこから来ているのかと。

 この要塞は外部から独立している、なら独自の発電施設が存在する筈だ。再びマップを確認すると、それらしきエリアが地下に存在している。運よく、酒匂がその近くを歩いていた。

 

 彼女に連絡を取り、発電施設を破壊するように頼む。酒匂は快く引き受けてくれた。やはり心配だが、今更どうしようもない。スネークは安全な方の壁に凭れ掛かり、酒匂の報告を待つことにした。

 

〈スネーク、聞こえているな〉

 

「G.Wなのか?」

 

〈そうだ、調査が終わった〉

 

 調査とは以前、マサ村落に行く途中で沸いた、スカルフェイスについてだった。あの男がアフリカでしたこと、ビッグボスの行動。その拠点は、今回イクチオスが確認された場所と類似していたのだ。

 

「スカルフェイスについてだな」

 

〈スカルフェイスがアフリカ、及びアフガニスタンで何をしていたか漸く調べ終わった〉

 

「大分時間が掛かったようだが?」

 

〈スカルフェイスの行動記録は、殆ど残されていなかったのだよ〉

 

 愛国者達──その前身であるサイファーは当時、ある種の分裂状態に陥っていた。創立者のゼロと、副官であるスカルフェイスとで内部分裂を起こしていたのである。その理由はスカルフェイスにあるらしいが、詳細はG.Wも掴めていない。

 

 AIネットワーク『愛国者達』を進めていたのはゼロの方だった、そして中枢AIのJ.Dは70年代には活動を始めている。スカルフェイスはこのネットワークに行動を悟られないように動いていた。AIネットワークが未完成だったこともあり、結果情報が殆ど残っていなかったのだ。

 

 もっともそれは、スカルフェイスの内部分裂に巻き込まれたスネーク(ソリダス)の記憶を持つスネークには、既知の事実だった。スネークは無言で、G.Wを促す。

 

〈あの男はどうやら、『英語』を滅ぼすつもりだったようだ〉

 

「英語? 英語そのものを、どうやって滅ぼすと言うんだ」

 

〈『声帯虫』という生物兵器が、その悪夢を実現させかけた〉

 

 人の声帯に寄生する寄生虫、それが声帯虫だ。ある特定の条件を満たすと急激に成長し、オスとメスの番を作る。番は何万匹もの幼虫を散乱し、それらが宿主の肺を喰いつくして死へと至らしめる。その特定の条件が、『言葉』だ。

 

 ある特定の言語を聞き続けることで、声帯虫は産卵の条件を満たす。当時のサイファーはこれを用いて、特定の民族を抹殺する民族浄化虫として利用しようとしたが、結局不安定さ故に研究を凍結していた。

 

 しかし、スカルフェイスはこれに目をつけた。逆に英語に適用した声帯虫をばら撒こうとしたのだ。彼はそれを民族解放虫と呼んでいた。だが、なぜ人間の言語に反応するのか。その問いはむしろ逆だ。人が言葉を話せるようになったのは、声帯虫のおかげなのだ。

 

 元々声帯虫は人に害をなす存在ではなかった。オスとメスでそれぞれヒトの男女に寄生した声帯虫は、産卵の為に求愛の音を出した。世代を得る事に求愛行動は複雑化していき、それはやがて『言葉』になったのだ。

 

 その頃、地球上ではある種のレトロウイルスが蔓延していた。ウイルスは声帯虫から声を発する遺伝子を人間へと転写した。人間は自分の意志で言葉を話せるようになり、交尾の機会を失った声帯虫はやがて絶滅したのだ。

 

〈声帯虫は言語に反応する、だが、言語は複雑だ。()()()も存在している。なまりにすら適合した声帯虫の作成には時間がかかる。スカルフェイスはその実験をアフリカで行っていたのだ〉

 

「当時ビッグボスが赴いた場所は、その実験があった場所か」

 

〈実験があった場所では必ず、夥しい量の犠牲者が出た。実験後の遺体は水没させられるか、焼却処分された〉

 

「寄生虫ごと処分する為か、惨いことをする」

 

〈実際、ビッグボスの組織でもパンデミックは起きていた。その時は、感染者全てをビッグボス自身が殺し尽すことで、対処していた〉

 

 恐ろしい話だ、この土地でそんな物が使われていたとは。

 スネークは震えあがる、しかも今再び、アフリカは生物兵器の実験場となっている。まるで声帯虫の怨念でも染みついているようだ。

 

 実際、そうなのかもしれない。

 イクチオスの作動地点は、どれもビッグボスの活動地点──声帯虫の実験があった場所と一致する。液化は、屍棲虫により起こされている。屍棲虫の餌が、記憶や感情だとしたら。もし霊的な記憶すら食えるとしたら、最高の土壌だ。死んでも安息すら許されないとは、惨い話だが。

 

〈また、猫の話が前提か。よく信じられるな〉

 

 G.Wの方が正しい、あんな得体の知れない存在の言うことを、普通は信じない。長門は、信用できる情報だけ信じていたが、私は大体信じてしまっている。その理由は、自覚していた。

 

「あれに一回助けられているからな。馬鹿みたいに信じようとは思わないが、無碍にはしにくい」

 

 一番最初の記憶、何処とも分からない孤島で、エラー娘に助けられたことは鮮明に思い出せた。この猫を捨てずに連れ、信用しているのも、それがあるからだった。それに、背負った恩は早めに下ろしたい。いつまでも引きずっていたくはなかった。

 

 だが、それはG.Wには絶対に分かるまい。余計な指摘を言われる前に、話を戻しにかかる。

 

「スカルフェイスもさぞ複雑だろうな、英語を殺す計画が、結局愛国者達に利用されているんだからな」

 

 スカルフェイスの実験を知らずに、イクチオスを適切に配置はできない。やはりヴァイパーの後ろには愛国者達がいる。スネークは改めて確信を持つ。だがG.Wは無言のままだった、肯定も否定もしなかった。

 

「どうした?」

 

〈スカルフェイスはこの生物兵器を、ゼロにも送り込んでいた。あの男の痕跡と、私の内部、一瞬J.Dが実体化した時のデータを組み合わせることで、ゼロの潜伏場所を突き止めることができた〉

 

 何だって。思わずスネークは声を荒げる。

 J.Dの実体化とは、(アウターヘイブン)とG.Wが最後を迎えた戦いの時に起きた出来事だ。創設者ゼロの居場所は、J.D内部に秘蔵されていた。その一瞬の情報が僅かに残っていたのだ。調査に時間がかかっていたのは、この情報も調べていたからだ。

 

〈この世界でも潜伏場所は変わらなかった、我々はゼロの入院されていた病院のデータベースに侵入した。そこにゼロは確かにいた〉

 

「あの男はどうなっていた」

 

 是非会いたい、会って問い詰めたい、この世界の愛国者達は何なのだと。ある意味『親』とも言える存在なのだ、興味だって湧いてしまう。しかし、スネークの思いは予想もしない方法で裏切られる。

 

 

()()()()()()

 

 

 あり得ないことが聞こえた、どうして、G.Wの声が震えている? 

 

〈元々深刻な記憶障害をスカルフェイスに与えられていたが、それにしても不自然な程、一気に衰弱していった。生命維持装置でも支えきれないほど。まるで、体が生きる気力を失っているように〉

 

 気づいた、震えていたのは自分だった。

 

〈症状は、屍病と極めて類似している〉

 

 スネークは問う、愛国者達は何者なのか。

 答えは無人の通路に木霊する。反響したスネークの声は亡霊になり、向こう側へ消えていく。入れ違いに成った無線の音が、発電施設の破壊を告げた。亡霊を追い、スネークは最深部への扉を開いた。

 

 

 *

 

 

 酒匂が発電施設を破壊したことで、マイクロ波と高電圧は停止した。スネークは歩き出すが、足取りがやや揺れていた。この疑問を無視するのは難しい、スニーキングモードへの変性も上手く行かない。せめてもと、強い足取りを意識した。

 

 肌全体をスニーキングスーツ越しでも分かる冷気が撫でる、反射的に身震いする。最後の部屋には、黒い長方形の箱が規則正しく配置されていた。黒い箱には目のような光が点滅している。サーバーか何か、機械類だとは分かる。熱を下げるために、冷房が強く効いているのだ。

 

 よく見ると、箱の前には花が置いてある。赤い彼岸花だ。本物ではない、ホログラムの花が並んでいる。黒い機械と合わせて、まるで墓のような光景だった。中でも、部屋の中央にある巨大な柱が特に目立つ。形状から言って、他の箱とは違う機械のようだが。

 

「どうだ、この部屋は」

 

 スネークの後ろに、一瞬でヴァイパーが現れた。表世界から瞬間移動してきたのだろうか。一度は破壊した頭部を確認するも、怪我など無かったように修復されている。あれが現実だったのか不安になる。

 

「良い部屋だ、自分の墓まで用意しているとは準備が良い」

 

「生憎だが、それは俺の墓ではない。これもある意味遺体だがな」

 

 分からないのか? そうとでも言いたそうにヴァイパーは笑う。知っている訳がない。だが、どこか既視感を覚えるのも確かだ。この部屋の構造自体も、G.Wのサーバールームに似ている。

 

 答え合わせだ。

 ヴァイパーは中央の機械に手をかざし、壁を拭う。黒塗りだった機械の塗装が剥げた後には、文字の書かれたプレートがあった。文字を読み上げた瞬間、スネークは言葉を失った。

 

「思い出したか、こいつはお前の、G.Wの兄弟だ。もっとも、歴史の表舞台に立つことはほとんど無かったようだが」

 

「なぜだ、なぜお前がこいつを持っている」

 

 怒声を噛み殺しながらスネークは詰め寄る、しかしヴァイパーは体を翻し、機械の横に立つ。スネークは内心パニック寸前だった。

 

「不思議か、まあそうだろう。何せG.Wの『予備』がここにあればな。確か名前は……『J.F.K』だったか」

 

 愛国者達AIの形作る、J.Dを含めた5機のAI。

 G.Wもその一つだが、実はG.Wには控えが存在していた。

 予備の名前はJ.F.K(ジョン・エフ・ケネディ)

 S3の実験後崩壊したG.Wに代わって稼働し続けていたが、最後には崩壊している。

 

 この世界においても、AIネットワークの存在はあった。だがG.Wが調べても、他のAIは見つからなかった。何らかの理由で崩壊したのだとスネークは思っていた。だが実際は違ったのは、感知できない別世界に秘蔵されていたのだ。

 

「嫌な名前だ、ジョン・F・ケネディの名前をつけるとは。あの連中はアメリカが世界の中心だと信じてやまないのだろう。そう思わないか?」

 

「お前、やはり愛国者達の手下か」

 

 スカルフェイスの行った声帯虫実験場の場所を知っていたのも根拠になる。ゼロ側かスカルフェイス側か、どちらにしても背後に愛国者達がいる。あいつらが関わらずに、J.F.Kを入手するのは不可能だ。

 

「手下か。確かにそうだが、本心から従ったことは一度もない。お前と同じだ、俺は愛国者達を信じてはいない。ただ利用しているだけだ、お互いにな」

 

 ヴァイパーは憎悪に満ちた顔で、拳を握りしめていた。右手が黒く光っている、鉄の義手になっている。通っていない血液が憎悪のあまり、吹き出しそうだ。感化され、スネークの持つ深海の力も昂りつつある。

 

「俺は、愛国者達を滅ぼすためにここにいる」

 

「愛国者達に従っている癖にか」

 

「そうだ、凄まじい屈辱だ。だが、だからこそ俺の怒りは際限なく高まる。奴等が俺を利用すれば利用する程、俺たちは更に鬼に近づく」

 

 ヴァイパーは不意に腕を振り上げ、隣の機械に拳を振るう。怒りを抑えきれない子供のように。

 

 しかし、威力は化け物だった。

 

 殴られた機械は、跡形もなく砕け散った。

 義手ではない、生身の手だ。人間の出していい腕力ではない。

 

「これは、俺一人の出している力ではない」

 

 スネークは、ヴァイパーが人間でないと確信する。彼の目が自分と同じように、煌々と紅く燃え上がっていたのだ。

 

「俺の体は、俺の部下だった人間、艦娘……沈む半ばで深海凄艦した彼女たちでできている。そう、スペクターだ。だが俺は幽霊などではない。あいつらが、俺に力を貸してくれている。そのお蔭で、生き長らえている」

 

「馬鹿な、艦娘や深海凄艦の力に、人間の細胞が耐えることはできない」

 

 普通は、彼女たちの持つ超常的な力に押しつぶされる。そうでなくとも、遺伝子にある抗体が拒絶反応を起こす。スペクターは全て死んでいる細胞で繋いでいるから、拒絶が起きないだけだ。

 

 まさか、ヴァイパーの部下が力を本当に貸しているのか。それしかあり得ないと思い、スネークはすぐさま否定した。それこそあり得ない。こんな、こんなにもグロテクスな忠義や信頼関係など、あってはならない。

 

「何度も言わせるな、俺は人間ではない。()()、な」

 

「元々?」

 

「なぜ俺は、ヴァイパー(毒蛇)のコードネームを持っていると思う? スネークへの対抗心だと思うか、違うな。この名前は、全てのスネークを殺すために名付けられた。そして、ボスの座を継承する為に、二つの計画を掛け合わされて」

 

 ボス──それが、あのザ・ボスだとしたら。ボスの座を受け継ぐ為だとしたら。スネークの知る計画は、たった一つしか存在しなかった。

 

「俺は『相続者計画』、そして『絶対兵士計画』。それぞれの計画から生まれた、二番目のジーンにして、ヌル()

 

 だからこそ、耐えれたのだ。特殊に特殊を重ねた、もはやミュータントのような存在。化け物の力を使うためには、化け物が必要だった。

 

「サンヒエロニモの亡霊ということか、道理で、愛国者達を知っている訳だ。いや、サイファーの方が、なじみ深いか」

 

 スネークは嘲笑う、やはり亡霊ではないか。ましてや結局失敗した計画の産物など、もはや忘却の域にある。だが、元の世界では計画は完全に頓挫している。ヴァイパーはどうやって産まれたのか。

 

 スネークとこの世界が分岐したのは、深海凄艦が現れたからだ。深海凄艦が出現したのは85年の時。その時既に、相続者計画は凍結している。その後、深海凄艦が原因で、一時的に解凍させられたのか。

 

「亡霊なら、また、地獄に帰って貰おうか」

 

 いずれにしても、殺せば済むか。スネークは銃を握る。ヴァイパーの正体が何であろうと、興味が持てない。相続者でも、絶対兵士でも、何一つ、ジミーを殺した言い訳にはならない。この問いかけだって、罠かもしれない。

 

「地獄か、そのつもりだ。ただし、地獄になるのは、世界の方だ!」

 

 彼の怒声が、スネークの炎を激しく揺らした。

 

「俺はヴァイパー、毒蛇だ。だが、スネークを殺す蛇ではない。毒液で、世界を溶かし尽す怒りの蛇。アダムとイブを唆し、全てを楽園から追放させる存在。この世界の何もかもを、死へと追いやる絶滅の蛇。それが俺だ」

 

 ヴァイパーが静かに燃えだす。比喩ではない、本当にオーラを纏っている。

 彼が黄金色のオーラ──flagship級の纏うそれを巻き起こしたことで、確信は戦慄へと変わる。

 

「俺の怒りは、俺すら燃やしている。あの日、仲間を護れなかった後悔が、沈んでしまったあいつらの怒りが、俺を罰している。俺は、罰せられた(パニッシュド)蛇でもある。俺はその全てを、この世界に還元する。世界がそうしたのなら、俺たちにもその権利がある。そうだろうスネーク、お前は、俺たちを殺したんだからな!」

 

 上等だ、やれるものならやってみろ。スネークは静かに思う。恨んでいるのはこっちも同じなのだ。あれだけやっておいて、報復などと宣うことに怒りが湧いてくる。

 スネークの瞳も、呼応するように赤く燃えだした。

 




 用語集:『ビーチ:テリトリー』

 深海凄艦の姫級は、支配したエリアに対し、ある一定の『ルール』を定めることができる。一般的には『ルート制限』と呼ばれる。特定の艦種や、艦以外の侵入を阻むことができるのである。これが『テリトリー』である。
 どの艦が入れるのかは、姫級が象徴する『史実』に影響されると言われている。史実に関係のない艦は基本入れない。いわば、史実という免疫細胞が働いているとも言える。
 科学的根拠はまだ無いが、一度は死んでいる姫が力を増すことで、『あの世』が浸食し、それに伴い、領域一帯がある種の過去そのものになるからとされている。あの世と過去は、既に終わった事であり、同義である。過去の浸食とは、あの世の座礁となる。
 この座礁する、わずかな一瞬だけ、現実とあの世が拮抗する。この時起きる時間の異常空間が『ビーチ』である。

 姫級は史実そのものであり、無数の記憶の集合体とも言える。その結果、本来個々人でしか持たないビーチが、現実を侵食する。


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File56 絶滅体

 あの人が戦っている、スネークに拳を向けている。相対する二人がスクリーンのように見えている。彼の憎しみが、恨みが私も伝わってくる。彼だけではなく、私すら溶かしてしまう、酸のような報復心。

 

 何も覚えていない私が、呑まれるのは簡単だった。全身を苛む激痛の中で、彼とは別の音が聞こえ出す。これは砲撃音だ、これは──―覚えている。知っている。馴染みがある。艦載機を飛ばす音。

 

 耳障りな音に頭痛がする、体がドロドロに崩れて熱い。黒いタール状の涙が止まらない。私はそれを潰そうと、誰かに引っ張られる。何も見えない、何も聞こえない。分からないまま、絶叫した。

 

 

 

 

 

── File56 絶滅体 ──

 

 

 

 

 スネークがヴァイパーとの交戦を始めた頃、サラトガは再び長門と合流していた。いや、合流してしまったと言うべきか。

 通路を守るサラトガの前に現れたのは、小さくないダメージを負った長門だったのだ。撤退しながら戦ってこれだ、実際のダメージはもっと大きいだろう。

 

 長門を追い詰めた相手が、暗闇の中から姿を表す。

 半ば浮遊している不安定なシルエット、火傷なのか、半分爛れて閉ざされた瞼。目にした途端、再び中の空母棲姫が感化される。向こうも同じだ、閉じていた瞼が開き、お互いの目が合う。

 

「すまないサラ、押し留められなかった」

 

 深海海月姫が、明らかな殺意を持って現れた。

 彼女は無数の艦載機の他に、もう二隻のスペクターを連れていた。普通のスペクターとは少し服が違う。レ級の服になぜか、和服のアレンジが入っている。特別な個体なのだろうか。

 

 だが、関係のないことだ。全員沈めればそれで良い。ここを突破されたアーセナルがやられる、それは認めない。アーセナルを沈めるためにも、こいつを沈めないといけない。沈めてしまえば良い。

 

「伏せろ!」

 

 報復心に呑まれかけた頭を、思いっきり地面に叩き付けられた。サラトガを正気に戻すためではない、攻撃を避けるためだ。直後、海月姫の放った艦載機が爆発と同じ勢いで炸裂したのだ。発艦と同時に、全ての武装を四方八方に放ったのか。

 

 爆弾、魚雷、機銃。一つ一つの威力が異常だった。痛む額を摩りながら顔を上げると、赤い大空がどこまでも広がっていた。後ろの重要区画に繋がるフロアを除き、この階から上の建物が全部吹き飛んでいた。

 

 サラトガは顔を青くし、すぐさまありったけの戦闘機を発艦させた。同調が高まる空母棲姫の力なのか、戦闘機の性能が上がっている。だが、呑まれてはならない。海月姫を見て強く意識した。

 

 攻撃は、明確に二人を狙ったものではなかった。あらゆる方向へ攻撃した結果、壁や天井が壊れただけ。知性のない暴れ回る怪物。言葉も話さず絶叫し暴れる海月姫は、きっと私の姿だ。報復心に呑まれた成れの果て。強過ぎる憎悪は、最後に自分さえ溶かしてしまう。

 

 天井がなくなり、思う存分飛べるようになった海月姫の艦載機が、大鷲の如く無防備なサラトガたち目がけて爆弾を投下し始める。まともに隠れる場所はない。急いで戦闘機を出したのはこれが理由だった。

 

 何とか自分たちの付近の安全を確保する。酒匂やプリンツはどうしているだろうか。この爆発に気づいていたとしても、ドレッドダストを服用した今、二人は戦力にならない。今のところ艤装は使えているので、ヴァイパーは『発作』を使っていない。タイミングを見ているだけかもしれないが。

 

「うっとうしいぞ!」

 

 一瞬、爆撃が止まったことで攻撃する隙ができた。長門が叫び41センチ三連装砲を発射する。さすがに艦載機で止められるものではない、障害をなぎ倒し、砲弾が海月姫に迫る。だが、二隻のスペクターが弾丸を受け止めた。

 

 長門が忌々しそうに、舌打ちをする。ここまでの攻撃は全てあのスペクターに遮られていた。海月姫の直衛なのだ。スペクターは丁寧にお辞儀までして、こちらを挑発する。再び艦載機が暴れ出し、防戦を強いられる。

 

 艦載機だって無限ではない。しかし後ろにはスネークがいる。引くことも出来ない。ありったけの憎悪を全身に浴び、震えが止まらなくなりそうだ。サラトガは歯を食い縛り、艦載機を飛ばす弓矢を引き絞る。耐えるのだ、必ずチャンスは来ると信じて。

 

 

 

 

 中央に鎮座するサーバーを見据えながらスネークは息を荒げる。あのAIがヴァイパーにとって重要なのは明らかだ。直接破壊するのが良い。しかも精密機械、弾丸を撃ち込めば終わる筈だったが、それはできないでいた。

 

 スネークの全身には、無数の切り傷ができていた。スニーキングスーツのあちこちが切断され、彼女の肌が剥き出しになる。傷口から流れた血がスーツの内側に入り込み、不快感が体を包む。

 

「どうしたスネーク、その程度か」

 

 ヴァイパーの挑発と同時に、マシンガンが撃ち込まれる。飛び出したいができない、姿勢を屈めて慎重に逃げる他ない。だが、心のどこかで焦っていたのだろう。スネークはたった今張られたワイヤーに指をかけてしまった。鋭すぎる糸が、彼女の指先を傷つける。その間にも弾幕は張られる。

 

 弾丸が迫る、スネークはダメージ覚悟で、ワイヤーへと飛び込む。また糸が食い込み、激痛を堪える。一瞬視えたサーバーに弾丸を撃ちたかったが、それは絶対にしてはいけなかった。苦しむスネークを見てヴァイパーが笑う。

 

「どうした、撃たないのか。撃っても良いんだぞ、俺に問題はない」

 

 最初に撃とうとした時、ヴァイパーは信じられない事を叫んだのだ。

 あのサーバーが物理的に破壊された瞬間、この基地内部に隠されている新型核が()()炸裂すると。

 スネークはこの瞬間、撃てなくなった。

 

「自分の命が惜しいか、仲間が惜しいか。所詮、お前の報復心などそんなものだ。俺は違う、俺は迷わずにできる。俺は憎しみその物、俺自身がどうなろうとも知った事ではない」

 

 幸い、ハッキングできる装置はある。スネークの装備している小型艤装そのものだ。これもG.Wの端末の一つ、G.Wと恒常的な連絡はできないが、ハッキングぐらいできる。だが、その間は艤装を外すことになる。高周波ブレードもP90も使えなくなる。まず、ヴァイパーを止めるのが先決だった。

 

 しかし、ヴァイパーは強かった。

 原因の一つがこの部屋だ。墓石のように並んでいた黒い箱は、瞬間的にワイヤーを張る為の装置だったのだ。破壊しようとブレードを振ったが、流れてきた高電圧に阻まれてしまった。挙句、P90を弾くぐらいに固い。

 

 サーバーがある部屋で全力戦闘はできないと思っていたが、違ったのだ。そう思わせることが狙い、この部屋はヴァイパーの為に作られた巨大な罠だったのだ。全てが獲物を追い詰めるために作られている。私は、誘導されたのだ。

 

 ひたすら気配を殺し、ヴァイパーから身を隠す。このままでは駄目だ、力押しで勝てる相手ではない。

 

「蛇らしく身を隠すか、だが良いのか? このままだと大変なことになるぞ。教えてやる、このAIこそ、お前の狙っていた物、『発作』の発生装置だ。再発動の準備ももうじき整う……表にいる二隻の艦娘はどうなると思う?」

 

 明らかに挑発だった。重要な情報を話したのは、それがスネークを動揺させると分かっていたからだ。しかし、スネークは微動だにしない。挑発なんてことをしたのは、私の位置を見失っているからだ。

 

 だが、隠れているせいでヴァイパーの位置も分からない。事実時間はない。接近もままならい状況、再び見つかれば今度こそ殺されるだろう。一撃で勝負を決めなければいけないと、スネークは思った。

 

 やるしかない、スネークは大きく息を吐き。艤装をその場に捨てた。P90もブレードも邪魔なだけ。パワーアシストを失った体に神経を張り巡らせて、一気に駆けだした。持てる全てを五感だけに集中させる。

 

 ヴァイパーの目線を感じ、視界に入る瞬間物陰に潜む。外れた一瞬で音もなく駆け出す、最小限の動きで張り巡らされたワイヤーをくぐり抜ける。艤装の補助もない今、ワイヤーに触れればそのまま体のどこかが切断される。その恐怖が、これまでにない程神経を尖らせていた。

 

 ヴァイパーがスネークを捉えた時、彼女は真正面に辿り着いていた。

 不敵に笑う顔に向けて、渾身の手刀を叩き込む。顎を強打し意識の揺らぐヴァイパーを、そのまま地面に叩きこみ、投げ飛ばす。ヴァイパーの張ったワイヤーは彼自身を傷つけ、そのままバラバラに散っていった。

 

「……やったのか?」

 

 当然、声はしない。ヴァイパーは死んだのだ。さすがに、全身がバラバラになって生きている訳がない。スネークは置いて来た小型艤装を回収し、A.Lへと接続させる。間もなくして発作を発生させるデータを見つけるだけだ。

 

 

 

 

 いったいこれはどういうことなのか、サラトガと長門は困惑していた。

 嵐のように暴れ狂っていた深海海月姫は、サラトガの目の前に艦載機を突き付けたまま停止していた。機銃を発射するだけで蜂の巣になる至近距離、あと少しで勝てるのにそれをしない。

 

 執拗に爆撃を繰り返していた他の艦載機も、目標を見失い彷徨っている。酷いと艦載機同士で激突事故を起こしている。何が起きているのか分からない。しかしチャンスだ、二人は顔を見合わせて、長門が突撃し、サラトガも攻撃機を出す。

 

 数発程度では死なない、姫級はどれもそうだ。だからこそ長門は至近距離からの致命的な一撃を浴びせるために接近する。右手を構えると同時に、主砲が照準を合わす。そこへ割り込むように、二隻のスペクターが現れた。

 

「押し通る!」

 

 長門──戦艦級艦娘の武器は何も主砲だけではない。元々有する圧倒的な出力と質量による肉弾戦も武器の一つ。真正面から受ければ戦艦ル級でさえ四散する威力だ。長門のストレートに向けて同じストレートを放つ。お互いの拳が激突し、スペクターの右手が砕け散った。

 

 だが、スペクターはもう一隻いた。影から現れた二隻目が猛然で蹴りを放つ。長門は左手で受け止めたが、同時に砲身が向けられていた。至近距離で喰らえば死ぬのは、こちらも同じ。長門は後退を余儀なくされる。スペクターは追撃を試みるが、サラトガの艦攻隊がそれを阻止した。

 

 猛烈な空爆を撒き、スペクターを牽制するサラトガ。彼女は再度突撃しない長門を見て、声をかけようとする。その時目に入った姿を見て、あのスペクターが『特別性』だと思い知る。スペクターの右手を砕いた長門の右手が、血塗れになっていたのだ。

 

「どうしたのそれは」

 

「あのスペクター、どうやら腕の中に無数の棘でも入れていたらしい。おかげでこのザマだ」

 

 長門の右手は力なく垂れ下がる、力を入れようとしても痙攣するだけだ。麻痺毒のような物が入っていたのだ。艦娘には通常の毒物は効かないが、ヴァイパーはどう考えても艦娘や深海凄艦に精通している。しかも血が全く止まらない、凝固阻害の薬まで入っていた。

 

 挙句、そんな代償を払っても、スペクターは死んでいなかった。砕かれた右手はもう再生し、爆撃の中を()()()()()突き進んでいる。爆撃で砕けた体を()()()()()()迫っている。再生力も普通の個体とは比較にならなかった。

 

〈二人とも、聞こえているか〉

 

 無線機から、ノイズ混じりの声が聞こえる。少し上ずっている。興奮と焦りが混じった声に、サラトガは息を呑む。

 

〈発作の解除に成功した、これでヴァイパーはもう発作を発動できない。そのヴァイパーも殺した、後は、そいつを排除するだけだ〉

 

 隣の長門も、小さくガッツポーズを取っていた。もしかして、深海海月姫が停止したのはそれが理由ではないか。五感をヴァイパーに寄生して彼女は行動している。寄生対象が死に、彼女の五感は死んだのだ。

 

 言葉どころか五感も失った海月姫──彼女はどうするのか。寄生生物は、宿主が死んでもそれで終わりではない。場合によっては死をトリガーに増殖し、新たな宿主を見つける。

 

 まさか、サラトガは海月姫と共鳴したことを思い出した。

 

 瞬間、脳髄を抉り取るような激痛がした。頭の中に、海月姫の記憶が雪崩れ込むようだ。しかし──これを幸いと言っていいのか分からないが──今回は、空母棲姫が出て来なかった。完全な同化は免れた。しかし海月姫は、私の五感に寄生した。

 

 暗闇に光を得た海月姫が、行動を開始した。敵を見失っていた艦載機が再び私たちを照準に捉える。暴れ回っていたスペクターは沈静化したが、脅威が減ったとはまったく思えなかった。

 

「スネーク、救援は無理なのか」

 

〈可能だ、今から──何だと!? 〉

 

 そう叫んで、無線が途切れた。スネークの身に何があったのか案ずる暇はない。目の前にはもう海月姫がいる。爆撃は切り抜かれた、当たり前だ、私の五感は筒抜けなのだから。目を閉じ、暗闇に身を隠す。

 

《沈め》

 

 誰かの声が聞こえた。

 しかし、次の声は聞こえなかった。そっと目を開けると、海月姫の攻撃を食い止めている艦娘がいた。

 

「サラトガさんに、何するの!」

 

 全身を傷だらけにした酒匂が現れた、続けて放たれた砲撃はきっとプリンツのものだ。艤装を使っている。ドレッドダストはもう使わなくて良いのだ。サラトガは頭痛を堪え、立ち上がり飛行甲板を姫に突き付けた。

 

 

 

 

 無線が途絶する少し前、スネークはJ.F.Kのデータにある物を発見した。

 それは『発作』を発生させる為のプログラムだったが、見覚えがあった。

 既視感がある、近いシステムを知っている。

 

 その正体に思い至った時、スネークの背筋に冷たいものが走った。

 全身に鳥肌が立ち、血は凍る。体が凍え四肢が張り詰める。首筋に冷え切った汗が、一粒流れ落ちた。部屋の冷房はまだ効いている。

 

 プログラムのシステムは、要するに情報解析を主としたものだった。

 『発作』は屍棲虫を介し、艦娘や深海凄艦の様々な感情を暴走させる。しかし、それらを効率的に行う為には、莫大な量の感情を適切に処理しなければならない。どんな感情をどの程度持っているのかは、個体によって異なるのだ。

 

 スネークは息を整え無線を繋ぐ、この衝撃から意識を逸らすためにも。サラトガたちに向けて発作は解除できたと連絡し、そして支援に行こうとした。

 

「視、覚エ、ガあるヨウダ、ナ、すネーく」

 

 あり得ない。そう思いつつも振り返ったスネークは、叫んだ。

 背後には、バラバラにした筈のヴァイパーがいた。

 いや、これは──ヴァイパーなのか。

 

 右半身は確かにヴァイパーだった。

 義手もそのままだった。しかし、残る箇所は全てグロテクスな肉片に覆い尽されていた。

 まるで戦艦棲姫の自律艤装が、ヴァイパーの残りカスに寄生しているようだ。

 艤装の隙間からは、タコの足に近い触手が何本も蠢き、多量の血を垂れ流している。装甲の下にある肉片には、光り輝く瞳が無茶苦茶に配列されていた。

 

「やはリ、再セイ中は、不安テいにな、る」

 

 途切れ途切れに言葉を紡ぎながら、ヴァイパーのような化け物が収縮していく。膨張した筋肉や黒い装甲が、人間の肌によって押し込まれていく。やがて、出血が止まる頃。再び人間のヴァイパーが現れた。

 

「お前は何だ」

 

「鬼だよ、人間の尊厳も何かも奪われた、鬼だ」

 

 俺はもう死んでいる。ヴァイパーはそう言った。

 

「かつて俺たちブラック・チェンバーは、艦娘と人間の共同特殊部隊として設立された。だが、その実態は艦娘にさせてはいけない、裏仕事のサポートだった。それはまだ良い、納得できない内容ではなかった。だがある日俺達は、一隻の深海凄艦を追撃する作戦に参加されられた。それが罠だった。

 辿り着いた時、俺たちは包囲されていた。俺たちは半壊し、部隊は解体させられた。だが実際は存続していた、僅かな人員を中心に、犯罪や軍規違反を犯したメンバーで再編成させられ、ブラック・チェンバーは非公式の裏部隊として蘇った。

 だがそこからが地獄だった、表向きは壊滅した、存在しない部隊として良いように扱われた。仲間殺し、民間人の虐殺、内乱の火付け、艦娘の圧倒的な力を使って、汚れ仕事ばかりを押し付けられた。単冠湾を襲ったのも、その一環だった。

 それでも俺達はまだ、合衆国を信じていた。必要なことだと思っていた。だが、奴等は俺たちを裏切った。

 お前は知っているだろう、単冠湾の後俺たちは、保護の名目で殺された。誰に殺されたと思う? 艦娘だよ、それも艦娘と人間の共同特殊部隊、FOXHOUNDにだ。その後俺は知った、最初の壊滅の真実を。それは、ブラック・チェンバーを裏の世界に引き摺り降ろすためだった。

 意図的に壊滅させることで、非合法活動をしていた部隊を表舞台から消し、存在しない部隊としてより危険な任務を押しけること。壊滅した特殊部隊に代わり、新たに艦娘と人間の舞台を創設すること、それがFOXHOUNDだ。

 国際法があるとはいえ、これからは通常兵器の効かない艦娘の時代が来る。その時代を引っ張るのはアメリカだ、その為の偶像が必要だった。だが俺達は偶像としては、血に汚れ過ぎていた。だから役者を変える必要があった、全てその為だった。

 その為に、何人もの艦娘が沈められた。仲間が殺された。合衆国の名誉のためだけに。核に関わった証拠を消すために。名誉も尊厳も奪いつくされた。表世界から存在を消され、裏社会では艦娘を使ったテロリストとして! 

 だから、俺達は復讐し、奴等から全てを奪うと誓った。平和も利権も核も歴史も、何もかも奪い尽くして壊してやるとな、合衆国──いや、愛国者達に!」

 

 愛国者達。と言った時、莫大な憎悪をスネークは感じた。右目から生えた角の付け根に鋭い痛みが走る。これは、ヴァイパーだけの感情ではない。何十人もの報復心が渦巻いている。単冠湾で沈められた仲間の怨念だ。

 

 スネークは、知っていた。

 単冠湾で暗躍していた部隊が、保護の名目で沈められたことは。だが、それだけだった。ブラック・チェンバーだということ、既に存在しない部隊、ヴァイパーが生きていたことは、ここで初めて知った。ましてや、その理由など、知る由もなかった。

 

 艦娘を用いた特殊部隊、新たな時代を引っ張る存在。それが血に汚れていてはならない。たったそれだけの理由で、ヴァイパーは殺されたのだ。

 スネークは、震えていた。ヴァイパーではなく合衆国への怒りによって。同時にそれは、合衆国の体現である自分への自己嫌悪でもあった。だがヴァイパーは世界を滅ぼそうとしている。持ってはいけない感情を、必死で堪えるが故に震えていた。

 

「辛うじて生きていたアウルのお蔭で蘇った俺に、中枢棲姫と名乗る姫が協力を持ちかけてきた。メタルギア・イクチオスを使った計画、世界を滅ぼす手段を。だが俺は知っている、その中枢棲姫こそ、俺たちを嵌めた愛国者達の手先だと。だが、俺は乗った。奴の計画に。俺はその計画さえ踏み台にすると決めた。その鍵が、お前の知るそれ──そう、SOPシステムだ」

 

 J.F.Kに組み込まれた発作のプログラム。それは明らかに、SOPシステムに類似したものだった。そしてヴァイパーは恐るべき一言を口にした。

 

「SOPは既に全ての深海凄艦、艦娘に組み込まれている。遺伝子設計図に、生物的なシステムとしてネットワークも実は存在している。電子的ではない、超常的な概念が」

 

「馬鹿な、できる筈がない」

 

「何故そう言える? ならお前は、『建造』技術がどう生まれたか知っているのか。まさか、妖精が齎したとでも? 

 だが、この世界でのSOPは未完成だ。控え(J.F.K)に入っているのはシステムを艦娘用に適用させた類似品でしかない。だから発作というイレギュラーな形で起きる。それでも使えないことはないから、度々使っていたが。スネーク、これを完成させるのに必要なのは何だと思う?」

 

「……G.Wか」

 

 控え(J.F.K)のシステムが完成していない理由は推測できる、この世界でSOPが生まれていないからだ。システムの概略を知っていたとしても、あれを完全に再現することはできない。だがそこへ、オリジナルのプログラムを持っているG.Wがあれば話は変わってしまう。ナノマシンの代わりは、おそらく屍棲虫だ。

 

「そう、敢えて一度負けて、お前にAIを解析させたのはそれが理由だ。今頃端末を通じて、G.Wのシステムを強奪する為のウイルスが雪崩れ込んでいる。お前は罠にはまったんだよ。これで艦娘用のSOPは完成する」

 

「お前はそいつで何をする気だ」

 

「艦娘と深海凄艦を暴走させ、人類を敵として認識させる。艦娘の敵は深海凄艦と人間になる。今まで彼女達に依存してきた社会は内部から崩壊する。イクチオスにより深海凄艦に依存し出した第三各国も崩壊する。だが、対抗手段は残されている。イクチオスに残された新型核だ。人類は生き残るために、核戦争を起こさざるを得なくなる。人、艦娘、深海凄艦での殺し合いが幕を上げる」

 

「馬鹿な、世界が滅ぶぞ、何の意味がある」

 

「それが目的だ、俺はこの世界の全てを滅ぼすことが目的だ、その為だけに俺は生きている。行っただろう、奪い尽くすと。俺は全てを消す、仮初の平和を享受する民衆、戦争ビジネスに甘んじる国家。報復に飛び付く小国、平和の為の戦争に酔う艦娘に、怨念に酔う深海凄艦に、それら全てを策謀する愛国者達に!」

 

 ヴァイパーの体が元に戻る、見た目は人間そのものだ。しかし中身は違う、あの見た目通りの狂った化け物なのだ。生前のヴァイパーがどんな人間だったのかは知らない。もしかしたら仲間思いの戦士だったのかもしれない。

 

 それはもう、知ることのできないことだった。

 ヴァイパーは狂っていた。屍者であり、生者を憎む亡霊──誰よりも深海凄艦らしい物の怪に成り果てている。絶対に殺さなくてはならない相手なのだ。

 

「俺は世界を絶滅させる、俺自身の怒りによって!」

 

 この、奥底から滾る熱は。

 マグマのように噴き出るものは決意か、使命か、意志か。もしくは報復心か。私を突き動かすものもまた怪物なのか。血みどろの殺し合いであっても、止めることはできないのだ。

 




メタルギアの行方(スネーク×G.W)

〈……そう言えばふと思ったんだが〉
〈何だ〉
〈スカルフェイスは確か、エメリッヒにメタルギアを造らせていたな〉
〈直立二足歩行戦車メタルギア・サヘラントロプスだな。
 アフガニスタンのような高低差の激しい地形に合わせ、高い視野を確保でき、かつ走破を可能とする為、直立二足歩行という特性を持った新型メタルギア。また、唯一のソ連製メタルギアでもある〉
〈その実態は、メタリックアーキアを利用した核製造キット……だったか。それをアピールする為の広告塔〉
〈エメリッヒがあれだけ、納期を伸ばしまくって拘った直立二足歩行には、戦術的意味はまるでなかった訳だ〉
〈ないことはないだろう、多分〉
〈まああんな男はどうでもいい、で、それがどうした〉
〈いや、この世界は元々、同じ史実を辿っている。スカルフェイスの事件も起きている以上、サヘラントロプスもいる。だが、サヘラントロプスは最後、完全に破壊されたと聞く〉
〈言う通りだ、幼少期のリキッド・スネークにより奪われた後、ダイヤモンドドッグスとの戦いで破壊されている〉
〈しかし、この世界では、ダイヤモンドドッグスはエメリッヒが流された後、壊滅している。まさか、現存していないよな?〉
〈それの心配は要らない、壊滅したが、戦力が消えた訳ではない。むしろ残存勢力の全てをあげて撃破されている。奪ったのがリキッド本人かどうかまでは、特定できていないが〉
〈恐るべき子供達計画も、変わっている可能性はあるからな。そうなると、残骸も残らず回収されているか〉
〈いや、分からん〉
〈どういう意味だ〉
〈残骸は回収された、あの技術が盗用される可能性はない。しかし、残骸の()が足りてない〉
〈量?〉
〈どうかき集めても、サヘラントロプスの『下半身』部分のパーツしか発見できなかったのだ。『上半身』のパーツが、跡形もなく消えてしまっている。当然行方も分からん〉
〈……不思議だな〉
〈ダイヤモンドドッグスの兵士の間では、異世界に消えたと言う阿保な噂が立っている〉
〈まさか、そんなホイホイ異世界への移動が起きる訳ないだろう。だって『メタルギア』だぞ?〉
〈その通りだ、メタルギアにそんな非科学的極まった展開などあり得ない〉
〈ハハハハ〉
〈ハハハハ〉
〈……皮肉か? 我々への〉
〈よし、話は終わりにしよう。この作品が生き残る(サバイブ)ためにも〉


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File57 深海海月姫

 彼の悲鳴が聞こえたと同時に、私は暗闇の中に放り出されてしまった。彼がくれた光、音、触感、価値──誰が敵で、誰が憎いのか。それが全部、暗闇の中に消えた。手探りで進むことすらできなくなり、私は暴れる。赤子が暴れるように、どう動いているのかの実感さえ分からずに。

 

 その時、近くに光が見えた。一つだけ見えたそれに手を伸ばし掴み取る。手のひらに感じたのはあり得ない熱と痛み。指先に感じた激痛が、瞬く間に全身を貫き、私は覚醒した。あの時──前に一度、彼女と共鳴した時は、他の報復心に呑まれた。今回は、他の誰かは来ない。直に痛みを感じた。

 

 だから私は覚醒した。

 私が誰か、思い出した。これは、この痛みは、核の痛みだ。燃える痛み、火傷の痛み、放射線で貫かれる痛み。何もできず沈む無念、味方に殺される憎悪。全部、全部思い出した。

 私は──そうだ、私は。

 

 

 

 

 ── File57 深海海月姫 ──

 

 

 

 

 再び義手を構えるヴァイパーに対し、スネークは丸腰だった。小型艤装は未だにAIと繋がったままだ、無理に切り離せばどんな障害が発生するかも分からない。ウイルスが流れ込んでいる状況も、その懸念を後押ししていた。

 

 義手が火を噴くと同時に、スネークは無数の墓石に向けてダイブする。持っていたスモークグレネードを投げ、煙の中に姿を晦ませた。ヴァイパーがスネークを殺そうとするのは、彼女が愛国者達(アメリカ)の産物だからという理由だけではない。彼女を殺さなければ、G.Wの権限を完全に奪取できないからだ。

 

 だから、ヴァイパーはスネークに固執する。それだけがある意味救いだった。これで深海海月姫と同時行動をとっていたら、勝ち目は皆無だった。

 

 スネークは身を屈め、一本のナイフを取り出した。それは高周波を纏っていないただのナイフ。ヴァイパーが使ってくる罠は、どれもシンプルな物ばかりだ。だからこそ、原始的な武器でも戦える。

 

「どうしたスネーク、時間はないぞ。ウイルスが効くまで、あと何分か。彼女が表の奴等を殺すまであとどれくらいだろうな!」

 

 義手から弾丸を撒きながら挑発する。跳ねた跳弾が頬を掠める。うかつに動けばまた罠にはまる。時間はないが、敢えてその場に留まり続けることにした。

 

 放たれる弾丸は時に直撃し、跳弾が当たる。小型艤装さえ外し、最小限の防御さえなくしたスネークはただの人間。人の身で受ける痛みは、彼女の想像を超えていた。痛みに胸が竦み、息が荒くなる。

 

「それとも、ウイルスは効かないと思っているのか。それは間違いだ、今G.Wに流れているのはワームウイルス──かつてお前を破壊した物と同じだ。効果は実証されている。自分が消えていく感覚はないか?」

 

 無視だ、何を言おうが気にしてはならない。口の中に妙な物がある。砕けた奥歯の破片だ。遅れて痛みがやってきた。それがスネークの波長を戻してくれた。冷静になった彼女は、一つの規則を見つける。

 

 ヴァイパーを直視していないが、彼は最初にいた位置からほとんど動いていない。なぜか。それは、あまりにも大量の罠を張っているせいだ。勿論ヴァイパー自身が踏むなどという馬鹿なことはない。ヴァイパー自身の動きで、罠の位置を教えることを避けている。だから機銃を使い、スネークを動かそうとしている。

 

 迂闊に動けば奴でさえ罠を踏む──だとすれば、限界まで接近すれば勝ち目はある。再生のカラクリは分からないが、あいつもスペクターだとすれば、『コア』が存在する。全ては接近してからだ。

 

 G.Wのアシストさえない状況でのスニーキングは、全くの初めてだ。匍匐前進のための一歩ですら恐ろしく感じる。極細のワイヤーは眼に捉えるのも困難。部屋が妙に暗いのは、ワイヤーを隠す意味もあった。

 

 だが、スネークはその一歩を踏み出した。

 どのスネークも最初にしろ最後にしろ、自力でスニーキングを成し遂げていた。私がそれを成すのが、今というだけだ。全身の感覚を意識し、五感の全てを尖らせる。

 

 高度なセンサーと化した指先は、地面に置かれたある物に気づいた。そこだけ僅かに温かい。誰が触れていた証拠。

 新たな罠は、地雷だった。

 

 直撃すれば死ぬ。

 残っているのは人の体温ではない。この部屋に、自動的に地雷を設置する機械が置かれているのだろう。地面に耳を当てると、機械の駆動音が聞こえてくる。

 

 もう一度指先を動かす。地雷は消えていた。機械の駆動音は続いている。絶え間なく地雷の設置位置が変化している。ランダムか、ヴァイパーがコントロールしているかは分からないが、危険であることに変わりはない。

 

 それでも同じように進むしかない。スネークは口内の血を呑み込み、匍匐前進を繰り返す。ヴァイパーもスネークの目的に気づき、銃撃を止めていた。これでヴァイパーの位置を捕捉できなくなった。

 

 最初の銃撃で大まかな位置は分かっていた。もはやワイヤーに触れることもできない、これでさえセンサーに思える。位置を悟られれば終わりだ。

 

 位置の分からないヴァイパー。一つ間違えれば地雷に吹き飛ばされる。足音も機械の駆動音に紛れて聞こえない。最初から動いていないのか、聞き漏らしているのか。むしろ寒いのに汗が止まらない、気が狂いそうになる。

 

「もうすぐだ、もうすぐで俺の夢は叶う。世界は絶滅する、お前たちが異物として忘れ去った、亡霊のよって。誰にも邪魔させてなるものか!」

 

 興奮した様子でヴァイパーが叫ぶ、彼の声は反響し、正確な位置を掴ませない。だが、スネークには位置が分かった気がした。

 声ではない、気配が確かに感じ取れた。

 だが──本当なのか。声が発せられたらしき場所と、気配のある場所がまるっきり別だった。

 

 証拠だけ見るなら、声の発せられた場所だろう。正確な位置でなくとも、だいたいのは分かっている。しかし、銃撃を控え、姿を隠すヴァイパーが、わざわざ大声を出すのか。これも罠ではないか。気配は感覚でしかない、理論的な確証は全くない。

 

 スネークは意を決し、そちらへと進路を定めた。地雷を誘爆させての自爆も望めない、奴は罠のプロフェッショナルなのだ。腕を動かすたびに、全体が動く。足の指先までがワイヤーに触れそうになる。

 

 極度の緊張に視界が揺らぐ、自分と周りの区別がつかない。時間の感覚がなくなり、生きているのかさえ曖昧だ。ただ一つ、左目の角が、幻肢痛だけが意識を繋ぎ止めている。幻でも何でも良い、私を保てるものならば。

 

 汗が垂れた。意識してもどうしようもないことだった。

 それが、ワイヤーに触れた。

 同時にスネークは辿り着いた。『気配』を感じた場所へ。

 彼女は全身をバネにして立ち上がる。わずかに感じる体温、呼吸音。ヴァイパーは目の前にいる。

 

 しかし、現実としてヴァイパーはいなかった。

 在ったのは空っぽの空間だけだった。

 間違っていたと絶望する。

 だが、覚悟していたこと。スネークは構わず跳ねた。左手を伸ばし、右手を握る。やけくそと言っていい行為だ。

 

 彼女の左手は、()()()()()()

 手のひらに驚愕の息遣いが伝わる。スネークはそこに向かい、渾身のストレートを叩き込んだ。誰かの嘔吐が体に掛かる。ただちに掴み取り、それを──ヴァイパーを地雷原に投げ飛ばした。

 

「スネーク!」

 

 ヴァイパーの呪詛は、地雷の爆炎に焼き尽くされた。激しい衝撃波がスネークを壁に叩き付ける。繊細な調整をされていたのだろう、他の地雷は誘爆しなかった。そこら中に向けて、奴の肉片が飛び交う。

 

 その中に、見覚えのある切れ端を見かける。ここにはいないG.Wの端末、メタルギアMk-4に装備されているステルス迷彩のラバー。

 ヴァイパーは、ステルス迷彩をつけていたのだ。あそこで迷っていたら、真正面から銃撃を浴びていた。どうやって入手したかは、今は考えまい。

 

 緊張がほどけ、腰が砕けかける。スネークは膝を叩き、壁を背に立ち上がった。一度殺してもヴァイパーは死ななかったが、種は割れている。スペクターと同じくコアがある。それを破壊すれば良い。

 

 だが、爆散した肉片のどこにも、コアは存在しなかった。

 

 肉片が動きだし、一か所に向けて集まり始める。

 どうなっている。こいつは死者なのか。既に死んでいるから、殺せないとでも言うのか。

 今の彼女に残された方法は、何度でもヴァイパーを殺し続けることだけだった。

 

 

 

 

 酒匂とプリンツが加わってもなお、戦況は悪化の一途を辿っていた。

 まともな意識などない、混濁した獣。ただ、純粋に深海海月姫は強かった。こちらの攻撃に対し、瞬間的かつ的確なリアクションを示してくる。

 

 鼓膜を突き破り、脳を直接穿つ絶叫から目を背け、逃げる様に艦載機を出す。僅かな合間を突き、艦爆が防衛線の穴を抜ける。しかし、狙った──いや、予想出来ていたのか、海月姫の機銃が艦爆を叩き落とす。

 

 ──ムダナコト。

 穴は一瞬で塞がれ、むしろ、サラトガも気づいていない隙を突かれる。海月姫の艦爆が上空に迫る。爆弾が投下される直前、酒匂の機銃が艦爆を撃墜した。命拾いしたが、喜べなかった。状況はまるで好転していない。思考を読まれ続けている。

 

 今、深海海月姫の目であり耳であるのは、他ならぬサラトガ自身だったのだ。今までヴァイパーの五感を借りていた海月姫は、サラトガの五感に寄生した。その影響で、サラトガの思考は全て筒抜けになっていた。

 

 どうしてそうなったのか。サラトガと深海海月姫が()()存在だからなのか、一度空母棲姫を介して繋がってしまったからなのか。理由が何であれ、考えていることが筒抜けではどうにもならない。私で駄目なら、他の仲間に任せるしかない。

 

「当たれっ!」

 

 プリンツの発射した魚雷は、護衛のスペクターに防がれた。だが、その隙を利用して長門が主砲を構える。もう一隻が妨害に走るが、その前には酒匂が立ち塞がる。戸惑っている間に、主砲の衝撃が建物を揺らす。

 

 それでも深海海月姫は回避する。

 ──ミエテイル。

 射線が分かり切っていた、背後から見ているサラトガからは丸見えなのだ。しかし長門の行動は予測し切れていない。爆炎を突っ切り、拳を握った彼女が現れたのだ。主砲も囮だった。

 

「回避できる距離ではないぞ」

 

 顔が触れあうかどうかの距離、海月姫の巨体では逃げ切れないと思った。

 その時、海月姫のドレスが急に翻る。隠れていた彼女の肌が見え、ひび割れた肌から無数の銃口のような物が生えていた。次の瞬間、全身の銃口が火を噴いた。

 

 火炎放射が広がっていく。建物が急激に融解し、鉄筋がむき出しになる。部屋中を煙が充満する。

 ──アツイダロウ。

 特殊な燃海月姫への改造は全身に及んでいた。接近すら難しかった。そしてもう、二隻の護衛の隙は突けないだろう。

 

 だが、サラトガをそれ以上に苦しめていたのが、『言葉』だった。

 ──ヤカレテシマエ──。

 海月姫が寄生したのは五感だけではない。サラトガの言葉にも寄生していたのだ。ヴァイパーに寄生してた時は、話せなかったのに。これも、私達が近い存在だからなのか。言語を形作る史実が、全く同じだからか。

 

 言葉を覚えたての子供のように、海月姫は言葉を綴る。

 それは全て、怨念に満ちた呪詛でしなかった。

 クロスロードで焼かれた記憶。今まで感じることしかできなかった感情が、言葉のせいで理解できてしまう。

 

 意志がないなどと、誰が言ったのか。深海海月姫には明確な意志がある。言葉を死に奪われたから、表現できず、彼女自身も、その気持ちが何なのか分からなかっただけだ。しかし、言葉を使わなければ人は意志を表せない。言葉を奪った連中は、彼女の意志を奪い去っていたのだ。

 

 ──テイトク? ──一言だけ良い残し、海月姫が再び停止した。同時に、護衛に専念していたスペクターが活性化する。さっきと同じことがまた発生している。挙動の読めない仕草に長門たちは不気味がるが、サラトガだけが感づいていた。確証を得るため、スネークへ無線を繋ぐ。

 

〈急になんだサラトガ〉

 

 無線越しのスネークは明らかに焦っている。ノイズが混じっている理由は電波だけではない。

 

「さっきどうしたの、急に無線を切って」

 

〈死んだと思ったヴァイパーが蘇った、恐らく自分をスペクターにしている。だが、コアが見つからない〉

 

「じゃあ、彼は今どうなっているの?」

 

〈もう一度殺してやったが、また再生を始めている。正直、かなり不味い〉

 

 ヴァイパーは今、再生の真っ最中なのだ。

 彼と海月姫は、ほとんど行動を共にしていた。五感を借りなければ行動できないからだった。だが、それだけか。彼を異様に心配する海月姫の叫びを聞き、一つの可能性に思い至る。

 

「行きます」

 

 静かに、だがハッキリと呟いた。

 たまたま聞こえていた酒匂が振り返る、サラトガは少し笑って、海月姫を見据えた。震えは止まっていた。そして、海月姫に向かって走り出した。

 

「サラトガさん!?」

 

 信じられない、酒匂が絶句する。

 空母が自分から接近するなどセオリーに反している。それをしなければ、スペクターは突破できない。それに思考なんて読まれている。ならいっそ、分かっていても回避できない状況にすればいい。

 

 無謀な突撃に気づいたスペクターは、二隻とも狙いをサラトガに定める。確実に倒せる者から沈ませる腹積もりだった。そこへ、長門たちが割り込む。スペクターの行動はあくまで単調だが、仕込まれた針や毒が、恐るべき攻撃へと変えている。

 

 そう分かっていたが、長門は突っ込んでいった。砲撃を右手で払いのけ、襲い掛かる一隻を、横殴りの砲撃が吹き飛ばす。砕けた腕が毒針を撒き散らすが、すかさずプリンツが機銃を乱射し、直撃から長門を護る。

 

 もう一隻が、サラトガに襲いかかろうと尻尾の咢を剥き出しにした。気づいた酒匂とプリンツの攻撃は、スペクター本体に防がれる。不気味なほど綺麗な臼歯が、かみ砕かんとする。だが尾は閉じない。割り込んできた長門が、全身で踏ん張っていたのだ。

 

「やれ、サラ!」

 

 長門に押されて、彼女は駆ける。振り返れば追ってきたスペクターがいるかもしれないが、それはしない。仲間が喰い留めていると信じていた。言葉は要らなかった。動かなくなった海月姫に向けて、槍のように構えたカタパルトを突き立てる。

 

 それでも、スペクターの方が上手だった。

 背後に強い衝撃が走り、カタパルトからの攻撃機が逸れる。爆撃は遅れ、回避の時間を与えてしまう。飛んできていたのは、スペクターの尻尾だった。不死身の体を良いことに、自分で千切って投げ飛ばしたのだ。

 

 ──ジャマダ、ジャマダ! ──怨念に満ちた呪詛を撒き散らし、海月姫が逃亡を図る。絶対にそれは駄目だ、予想が正しければ、時間を与えてはならない。サラトガはこの機会を逃すまいと、全力で爆撃を繰り出す。狙いなんて定めていない、予想が意味を成さない。

 

「スネーク、ヴァイパーは!?」

 

〈なにかしたのか、再生が止まっている〉

 

 爆撃に掻き消されないために大声で叫ぶ──ヤメロ! ──海月姫の声が、より確信を深めた。スネークの回答は、彼女に答えを与えた。文字通りだ、ヴァイパーと海月姫は一心同体だったのだ。相依存、共存、そう言った関係だ。

 

「どうしたサラ!」

 

「長門、海月姫だわ! ヴァイパーと海月姫は、コアを共有している筈。きっと、コアを持っているのは海月姫の方!」

 

 ヴァイパーにコアがないのではない、別の場所にあるのだ。

 それが海月姫。

 彼女はコアを提供し、ヴァイパーは五感を提供する。不足している箇所を補い合って、二人は生きている。彼が負傷した時、海月姫は動きを止めて再生に専念している。

 

 だが、それは生きているとは到底呼べない。報復心と、歪んでしまった愛情でこの世にしがみ付いているだけだ。

 

「海月姫を仕留めれば、ヴァイパーも死ぬということか。なら、話は早い!」

 

 状況が逆転した、何が何でも海月姫を沈めなければ、スネークの命が危ない──ジャマスルナ、アノヒトヲ、タスケサセロ──ヴァイパーの再生に専念できなくなった海月姫は、苛立ちに駆られるまま絶叫する。

 

 サラトガの真似なのか、狙いもなく滅茶苦茶に放たれた爆撃が、要塞を激しく揺さぶる。増援にやって来た通常のスペクターまで巻き込んで、爆炎が視界を覆い尽す。接近できない、長門に首を掴まれ、無理矢理引き剥がされる。

 

 瞬間、浮遊感が全身を包む。同時に轟音が聞こえる。

 足場が崩れた、要塞の大部分が耐え切れなくなり崩壊していく。さすがにスネークのいる中央フロアは無事だが、それ以外はもう原型を留めていない。サラトガたちも海月姫も、そのまま地面──ならぬ、真っ赤な海面へと着水する。

 

 しかし、周囲の様子がおかしかった。

 ビーチが、消えつつある。

 残っていた要塞の一部や木々が溶けていき、ビーチの次の段階、姫のテリトリーに成りつつある。時間の進む方も、正常なものに戻りつつあった。

 

 急いで顔を上げれば、また海月姫が動きを止め再生に専念していた。さっき聞こえたスネークの声は絶え絶えだった、もう長くは持たない、今度ヴァイパーが蘇れば、負けてしまう。そうなれば、あちらの勝ちだ。

 

 それは、海月姫もスペクターも分かっている。海月姫を護るために活性化していたスペクターは、突如咆哮する。それに呼応した通常のスペクターが、護衛の二隻に群がり始めた。レ級のフードを脱ぎ去り、仮初の肌を突き破って継ぎ接ぎの肉片が、更に混ざり合う。十隻、二十隻、三十隻。

 

「これって、く、鯨?」

 

 それは、巨大な二匹の鯨だった。

 海月姫と同じハワイ近海にいる、太平洋深海棲姫の艤装に近い。しかし、鯨の骨と、その中身に肉片を詰みこんだグロテクスな生物だった。その内片方が、海月姫を体内へと格納する。もう片方が敵意を剥き出しにして、咆哮する。

 

 同時に、悪寒が全身を突き抜けた。

 鯨の全身から、レ級の尻尾が口を開けて飛び出した。中からは勿論、一撃必殺の主砲が覗いている。背中からは、夥しい量の艦載機が放たれている。これで決めにかかっているのは、一目瞭然だった。

 

「行くぞサラ、奴を仕留めにかかる!」

 

「長門!? でも、スペクターが」

 

「オイゲンと酒匂に任せる、良いな二人とも!」

 

 できる訳がない、スペクターはそもそも戦艦レ級。相手はそれが無数に集まっている化け物。軽巡と重巡で対抗はできない。分かっている筈なのに、二人は力強く頷く。主砲と魚雷を構え、立ち塞がる鯨に向かって行く。

 

 どうしてそんな無茶ができるのか。分かり切った理由だ、仲間だからだ。例え、連合艦隊を組んでから短い間しか関わりがなくても、私たちには大きな過去がある。同じ過去を共有している。

 

 核で焼かれて最後を迎えた私たちは、どうやってもその過去を否定したいと願う。もっと、別の形で出会いたかったと。その願いは、戦場で叶った。艦娘として蘇ったから。しかし、また核によって焼かれようとしている。

 こんな形で終わっていい筈がない。だからこそ、二人は行くのだ。しかしそれは、変えられない過去を変える行為。報復とも言えた。

 

「いいか、行くぞサラ!」

 

 片割れを喰い留めている間に、海月姫を取り込んだ個体を追撃する。片方は逃亡を図っていた。逃走経路を塞ぐ為に、艦載機を放つ。雷撃も爆撃もありったけをばら撒き、海面が火の海になる程に攻撃を繰り返す。

 

 それでも止まらない、再生能力に任せて爆撃を突っ切ろうとする。だが、動きは遅くなった。鯨が砲撃と艦載機、雷撃を発射する。赤かった空と海が、どす黒く染まっていく。空母の私が受ければ、一撃で行動できなくなる。

 

「道を、開けろ!」

 

 長門が剛腕を振るい、道をこじ開ける。毒針を喰らい、激痛に顔を歪める長門は、歯を食い縛り絶叫を堪える。特攻にも見える猛進の前には、如何なる攻撃も致命打に至らない。ならないが、深刻なダメージは増えていく。

 

 どちらが持つか、そういう勝負だ。長門が押し切る、サラトガは確信していた。

 同じ、屍者ではある。死んで蘇った存在ではある。しかし、屍者の為に戦う屍者と、生者の為に戦う屍者。どちらが勝つのかは、明らかだった。

 

 全身から血を垂れ流し、肉は剥き出し。骨もあらぬ方向へ捻じ曲がり、体から飛び出している。それでも、長門は鯨の口を掴み取った。極限まで接近し、他の主砲は角度が足りない。邪魔する者は、艦載機ぐらいしかない。それは、サラトガが阻止した。

 

「吹き飛べ」

 

 完全なるゼロ距離で、41センチ連装砲が火を噴く。鯨の口を破壊する。即座に再生が始まるが、それよりも早く主砲を撃ちこむ。砲身が赤熱し、溶け始める。爆風が長門も巻き込む。それすら構わずに、突破口が開くまで撃ち続ける。

 

 やがて、再生よりも破壊が上回った。鯨の口が引き裂かれ、内部に一本の通路が現れる。屍者の王へと繋がる階段が。長門の返事を待たずに、サラトガは駆けだす。通路が空いていたのは途中まで、長門がやったように、肉塊の中に体を突っ込まなければいけなかった。

 

 瞬間、体中に針が突き刺さる。麻痺毒や出血毒、色々な死が送り込まれていく。肉塊の圧力に潰されそうになり、骨が悲鳴で泣き叫ぶ。ショック反応で涙が止まらない。同時に、海月姫の憎悪が雪崩れ込んで来る。

 

 炎──アツイ──ナカマガ──光が眩しい──私の、空母サラトガの、海月姫の、クロスロードの記憶が交差し、混じり合う。自分が分からなくなる。手を掻き分け、艦載機を無理やり押し出して進んでいる。五感が滅茶苦茶だ、分からない。報復心に呑まれそうになる、世界の全てが憎くなっていく、核で焼かれた記憶がトラウマから憎悪に変化する。

 

 表の世界から消された怒りが込み上げる。

 これだけの怒りがあっても、私達は海月姫に()()があるとは思わなかった。

 意志を伝える言葉がなかったからだ。それは存在しないことと同じだった。

 

 この世界でも幸いにして、軍艦の名前は引き継がれている。私たちは沈んでいるけど、名前は残っている。それはある意味、私が生きているのと同じだ。だが、逆に『サラトガ』の名前を奪われ、『言葉』も奪われた海月姫は、存在しながら死んでいるのと同じだ。生き地獄と言っていい。

 

 それと同じ行為を、私達の国は、祖先は、この土地でやってきた。別の土地でもやった。元々の言葉を奪い、存在を変える暴力を振るってきた。

 

 海月姫は象徴だ。

 今までのツケが来たのだ。言語を統制し、時に言葉を封じ、時に存在ごと抹消して、忘却へと追いやり殺す。海月姫はそれらの縮図として、ヴァイパーと共に戻ってきたのだ。だがその存在を許せば、世界は終わる。それだけは、どうやっても認めてはならない。だが記憶は焼かれていく。自分が、なぜ進んでいるかも思い出せず、その場で腕は止まりかけたかに見えた。

 

 だが、直後、再び腕が動いた。

 サラトガは修羅の形相で、奥にいる海月姫を睨んでいた。

 体内に巣食っていた怨念が、怨念の火で焼かれる。忘我しかけたサラトガを我に帰したのは、空母棲姫に他ならなかった。

 

 彼女の怒りが、自分のことのように理解できた。

 抵抗も何もない、無慈悲なミサイル。リベンジさえもできなかった屈辱。その憎悪こそが、空母棲姫(サラトガ)サラトガ(空母棲姫)としていた。在り所と言っても良い。それを別の記憶で塗る潰されるなど許せない。

 

 サラトガも空母棲姫も、この世界に幾らでも居る。

 だが、スネークに殺された私たちは私たちしかいない。それを奪われることは、海月姫がされた言葉の簒奪と同じなのだ。

 

 光が刺した、狭い伽藍洞に、深海海月姫が鎮座していた。サラトガはカタパルトを胸元に突き立てる。艦載機はもうない。だから、装備されていた機関銃を撃った。

 

 血が降り注ぐ。パキンと硝子のひび割れる音がする。コアが壊れる音だった。彼と彼女の、仮初の命を終わらせる音がした。

 

 海月姫が、崩れ落ちる。同時にスペクターも崩壊を始める。胸元が空き、喪失感が胸を埋め尽くす。当然だ、彼女の報復心は、ある意味で私と同じなのだから。

 

 だが、同時に、海月姫の憎悪が解放された。

 内蔵していた火炎放射器が、燃えて消える幽鬼のように暴れ狂う。逃げ場のない肉塊の中で、サラトガは全身を焼かれてしまった。

 

 涙が頬を流れる、真っ赤な血の涙が。

 激痛の痛みか、それとも、もっと別の何かなのか。どちらなのか、サラトガには分からなかった。

 どちらにしても、勝利の余韻はない。

 遠ざかる意識の中で、見えるはずの無い青空を眺めていた。

 

 

 

 

「──サラ!」

 

 だが、肉塊の中に、一本の棒が捻じ込まれた。

 サラトガはそれを掴む、思いっきり上に引っ張り出させる。鯨の背中に、砲身を赤熱させた長門が立っていた。

 

「言っただろ、引っ張り上げると」

 

 (ストランド)ではなく、棒だったが。長門はそう言って、焼けた顔をくしゃくしゃに歪めた。

 見上げた空は、どこまでも広がっている。

 思い描く空ではないアフリカの空、だけど、とても綺麗だった。

 




「変異(ガングート×北方棲姫)」

「こんな時間に、何の用」
「いや、そろそろアフリカでの戦いも終わる。区切り代わりのウォッカでもどうだ」
「良いけど」
「…………」
「…………」
Хорошо(ハラショー)! 久し振りに飲んだが、やはりい良いものだな」
「私は余り、見た目のせいだろうか?」
「実年齢を気にする存在でもないだろ」
「それで? こんな茶番を用意して、何の用?」
「……スネークの変異について、見解を聞きたい」
「なぜ、急に」
「私から見ても、あいつの変貌は異常だ。
ビーチが姫のテリトリーである以上、負の感情が増えやすいのは理解している。だから深海凄艦側に傾きやすい。だからサラトガは、空母棲姫に乗っ取られた。
だが、スネークは何だ。
一時改装を施した時から、半ば深海凄艦のような見た目になっていた。今や完全に深海凄艦だ。変異が戻る様子もない。普通の艦娘でないことは、提督適正がある時点で分かっていたが、それにしても異常過ぎる」
「詳しいことは分からない、スネークが戻ったら、すぐに精密検査をする予定。今言えるのは予想に過ぎない、それでも良い?」
Спасибо(スパシーバ)
「スネークも、多分サラトガと同じ『成り損ない』だと思う。スネークはD事案の艦娘でしょ」
「ああ、私はそう聞いている。海上にいきなり現れるのは、ドロップしかない。つまり、元深海凄艦だということになる」
「成り損ないはD事案以上に謎が深い。パターンも多い。スネークの場合、深海凄艦の『力』が消えないで、残っているのかもしれない。これだと、提督適正の説明もできる」
「元々持っていた『姫』の力が、D事案により、提督適正転じた。と言いたいのか?」
「従える対象が違うだけで、提督も姫も、本質的には同じだと私は考えている。過去の存在、怨念に君臨する存在。もしかしたら、両方の力を手に入れるかもしれない」
「艦娘もイロハ級も支配できる力……そんな力があるのか」
「少なくとも、元の世界でスネーク……ううん、G.Wは、近い力を持っていたと聞いた」
「元からだったが、あいつは、一体何者なんだ」
「その疑問は、スネークが一番強い筈」


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File58 Sins of The Father

 ── File58 Sins of The Father ──

 

 

 

 

 目の前で再生したヴァイパーを前に、彼女は目を瞑った。これまでかと思った。無意識の内にナイフを構えていた。しかし、ヴァイパーは襲ってこなかった。恐る恐る目を開けると、見た事ない顔を彼はしていた。

 

「サラ?」

 

 大きく見開かれた瞳から血の涙が流れる、半開きになった口から涎が垂れる。スネークを掴もうとした義手は震え、力なく足取りはよろめいた。墓石に足を取られ、ヴァイパーは転倒する。

 

 困惑するスネークの元に、サラトガからの無線が入る。海月姫を倒したこと、ヴァイパーのコアを海月姫が共有している推測を聞き、やっと納得した。現にヴァイパーは倒れている、サラトガの推測は正解だった。

 

 危機は去った。そう判断したスネークは、J.F.Kに接続された小型艤装を手に取る。データの解析は終わっていた。少なくとも、流されているウイルスは解析できている。後は核の管理プログラムを特定すればいい。

 

 核を乗せたイクチオスをばら撒くと言っていたが、管理プログラムがあるのは間違いない。そうやって、自分の手で戦争全てを調整するつもりだったのだろう。破滅の為だけに。そのコードも特定できれば、この陰謀は終わる。

 

 だが、不意に視界が暗くなった。大きな影がスネークを覆っていた。冷や汗が首筋を流れ、生唾を呑み込む。信じたくない気持ちを押し殺し、振り返ろうとする。横顔を巨大な爪が突き抜けた。

 

「ス、ネーク……!」

 

 J.F.Kに突き刺さった爪が、力任せに振るわれる。

 同時にAIが、粉々に粉砕された。

 直接破壊をすれば、核が強制的に放たれるとヴァイパーは言った。これは、最後の悪足掻きだ。

 

 背後には、ヴァイパーのような化け物が立っていた。

 深海凄艦の装甲と、人の肉と、艦娘の手足が滅茶苦茶に増殖している。スペクター(亡霊)とすら呼べない、得体の知れない何かで動いているキマイラだった。

 

「こ、れは……核、が、核が……?」

 

 スネークから目を外し、両手を見ながら呟く。どうしてか、ヴァイパーも困惑しているように見えた。

 

「オオオオッ! やはり、や……はりそうかっ。アノニマスめ……!」

 

 突如激号し、再び爪を振るう。不安定なキマイラは、収まらない怒りを元凶足るスネークに向けた。少しずつ、ヴァイパーは迫る。その度に、体が増殖していく。人ではない化け物に堕ちていく。

 

 絶叫するヴァイパーに向かって、スネークも吼えた。ここまで来て、こんなキマイラに喰われる訳にはいかないのだ。何発、何十発と撃っても、ヴァイパーは止まらない。それどころかダメージを負うごとに、更に肥大化していく。

 

 単冠湾で沈められたヴァイパーの艦娘も、スペクターとして支えている。だが、所詮は亡霊だった。その果てがこれだった。思いも、言葉も既にない。スネークはそのことに、深い悲しみを抱いた。仲間と友情の果てがこれでは、救いなどない。

 

 殺すためというよりも、殺さなくてはいけないと思った。早く終わらせてあげたいと、本心から思っていた。

 

 左角の激痛に、更に涙が溢れ出す。暴走するヴァイパーはやがてサーバールームの壁を破壊した。周囲に広がっていたのは、ビーチではなかった。見た目こそ似ているが違う、これは姫のテリトリーだ。だが、中途半端なもので、浅瀬程度しか液化していない。ジャングルはそのまま残っている。

 

 ヴァイパーが更に膨張する。肥大化を通り越し体が崩壊を始める。溶け落ちる激痛に、人ならぬ悲鳴を上げる。後退する背中に壁が当たった。これ以上は下がれなかった。スネークは再び吼えた。弾切れになったP90をしまい、残された高周波ブレードの切っ先を向けた。

 

 肉塊の中に、ブレードを突っ込む。

 コアも頭部も内蔵も分からない、無茶苦茶に肉塊を掻き回した。手のような触手がスネークを殴りつける、衝撃で骨の何本かが折れた。それも気にせずに、無我夢中で切り刻む。

 

 徐々に、肉塊が動かなくなっていく。飛び出す鮮血が減り、体温が低下していく。切っ先を引き抜いた頃には、もうほとんど動かなかった。

 

 強い光が、スネークを包む。一瞬目を閉じ、再び開けた時、ガルエードはどこにもなかった。

 真下には、キマイラの残骸がある。膨張した肉塊は黒く溶けて、粒子となって消えていく。その中に、上半身だけになったヴァイパーが倒れていた。

 

〈ヴァイパーを倒したようだな、よくやった〉

 

「いいや失敗だ、J.F.Kを破壊された。間も無く新型核が無差別に飛び交う」

 

〈いや、その必要は無い。核は飛んでいない〉

 

 馬鹿な、あの状況でヴァイパーが嘘を言うとは思えない。しかし、どこをどう探しても、核ミサイルが発射されている様子は確認できないらしい。J.F.Kの内部データを送って解析させてみた。途中で破壊されてしまったので全部のデータは回収できていない。それでも、核発射に関するコードは痕跡すらなかった。

 

〈そもそも、AIが破壊された時点で核が発射されるとしても、PALコードは必要だ。君の回収したデータにはそれすらない〉

 

 スネークは、再び地面に倒れているヴァイパーを見下ろした。肉塊が消え、上半身の死体だけが残っている。死ねない悪夢から解放された死体、普通の死がある。そう思ったが、恐ろしいことに、胸元がまだ僅かに上下していた。

 

「アノニマス、め」

 

 まだ、生きている。辛うじてだが、生きている。それを可能にしているのは、相続者か、絶対兵士か、全身に繋げられた仲間の死体か、彼自身の、深海凄艦に適合する程の報復心なのか。

 

「ヴァイパー、説明しろ。核はどうなった」

 

 しゃがみこみ、顔を覗き込む。焦りが丸わかりな顔を見て、ヴァイパーは嘲笑う。しかし死に際の嘲笑は、寂しさも籠っていた。

 

「見ての通りだ、いや、分かっていたことだ。核発射の権限など、初めから俺にはなかった。愛国者達に騙されていたわけだ」

 

「愛国者達を利用できるわけがない。あれはそういうことに精通している」

 

「知っていた、だが、チャンスはあった。お前の持つG.Wと、SOPを奪い、艦娘と深海凄艦を暴走させることはできた。人間が核を使った抵抗手段を失うだけで、三つ巴の殺し合いは実現できた。護ろうとした仲間同士で惨めに殺し合う、地獄を作る筈だったが、結局、中枢棲姫の思惑通りになったか」

 

 名前を呟いたヴァイパーは、憎しみに満ちた目をしていた。自分自身でも制御し切れない報復心は、分かり切った破滅へ彼を導いた。

 

「それでも、俺は後悔してない。未練はあるが、間違っていたとなど思っていない。世界は滅ぶべきだ、俺たちを破滅へ追いやった、連中の庇護の中で生きている世界など、滅ぶ理由しかない」

 

 愛国者達がそんなに憎いのか──そりゃ憎いだろう。

 戦う前に聴いたヴァイパーの過去を聞き、スネークは素直にそう判断していた。わざと全滅させられ、名誉を奪われ、汚れ仕事の果てにまた全滅させられて。恨むなと言うのは無責任すぎる。だからと言って、世界を絶滅させてはいけない。

 

「私は世界を知らない、だが、滅んで良いとは思えない。お前は間違っている、死ぬべき存在だ」

 

「そうか、流石デンセツのエイユウ……理想の答えだ。理想論をさも当然の如く話せるお前は尊敬できる。だがな、この戦いで、一つの世界が滅ぶことは確定した。愛国者達の目論見は、ついに達成された」

 

「何?」

 

「滅ぶのは、『国語』だ。この、アフリカの、全ての固有言語が消え去ることになる」

 

「どういうことだ」

 

「支配者はいつも、言語統制を行う。使う言語が同じなら、それだけ統一し易くなる。だから、愛国者達も同じことをしようとした。だが、そもそも言語を統一しなければいけなかったのは、その言語がある限り、内容する意味を抹消できなかったからだ。言語が完成する過程で吸収された文化、価値観、意識。それらは、『史実』とも言える。言語統制とは、つまり、文化の画一化だ」

 

 そんなことは知っている。当初愛国者達が声帯虫の研究をしていたのも、民族固有の言語を浄化するためだった。

 

「なら、こうは思えないか。

 そもそも、違う文化を絶滅させることができれば良いと。

 より大多数が知る文化を基準に、文化統制を行い、それ以外を絶滅させる。当然集団の力は減るが、統制は容易くなる。夢物語だと思うだろう、だが、深海凄艦がいる世界なら。思い出せ、なぜここの連中は、イクチオスに飛び付いた」

 

 忘れてはいない、第三各国には艦娘がいなかった。

 だから深海凄艦に対抗するには、同じ深海凄艦を生み出せるイクチオスに頼るしかない。

 仕方なかった、第三各国には艦娘を生み出す下地になる、史実がないのだから。

 

 そして、スネークは絶句した。

 

「そうだ、艦娘が現れるのは、直接的に第二次世界大戦に関わった国家だけ。特に当時軍艦を運用していた、主要国家だけ。WW2という戦争(文化)を共有する国家にのみ、艦娘は現れ、深海凄艦に抵抗できる。そうでない国は、滅んでいく」

 

 ヴァイパーは笑っていた。悍ましい、絶望をこちらに残すためだけに笑っていた。

 

 

「愛国者達が作った()()()()()()。それが、艦娘と深海凄艦だ」

 

 

 スネークの胸中に、絶望が刻まれた。

 

「俺が依頼されたのはその促進だ、イクチオスを使って報復心を煽り、より第三各国が『絶滅』への道を辿るように促す。言語統一の更に一歩先、異なる言語を用いる異物を、存在ごと消し去る。

 連合艦隊の狂い具合を見ただろう、あれがそのまま各々の母国に帰れば、連中の報復心が一気に伝搬する。世論は第三各国撲滅に動くだろう。確か、9.11の時の合衆国がそうだったんだろ。仮に放置したとしても、イクチオスの力を失った連中は、また深海凄艦に滅ぼされる。

 此処でも既に、イクチオス──艦娘と深海凄艦による経済基盤はできつつあった。それが崩れるんだ、絶滅は、逃れられない。

 そして、俺の、ブラック・チェンバーの名前も歴史に刻まれる。世界を滅ぼそうとした最悪のテロリストとして。それで良い、忘れ去られるよりか何倍もマシだ。だからこそ、乗った。連中の計画を加速させ、世界全部を滅ぼすのが理想だったが……そこまでは、いけなかった。お前の活躍のお蔭だ。どうしたスネーク? 嬉しくないのか?」

 

「お前、どうやって9.11を知った」

 

 冷静を装うスネークを、ヴァイパーが笑っていた。分からないことがある。こいつはどうやって、G.Wにも有効なワームウイルスを作ったのか。どうやってJ.F.Kを入手したのか。

 

「教えて貰ったんだよ、中枢棲姫に」

 

「中枢棲姫に?」

 

「そう自称するAIだ、だが奴は何を名乗っても偽名にしかならない。本当の名前なんて持っていないからな」

 

 知り得ない並行世界の知識、持ちえない科学技術。ヴァイパーはその全てを、一言で答えた。

 

J.D(ジェーン・ドゥ)

 そうだとも、お前たち愛国者達の頂点に立つ代理AIそのものが、中枢棲姫だ」

 

 知っていて当然だった。

 他のAIを限りなく再現できて当たり前だった。

 私と同じ、愛国者達が滅んだ世界からの来訪者。この世界の愛国者達は、私の知るそれと同じ存在だったのだ。だが、なら、なぜゼロは殺された? 

 

「奴は艦娘と深海凄艦を建造し、そして、俺たちやイクチオスを使い、世界を新たに作り直そうとしている」

 

 作り直すとはどういうことだ。ゼロが殺された理由は。

 スネークは詰め寄るが返事がない。虚ろな目で、ひたすら呟き続けている。限界を越え、越えられない限界が来つつあるのだ。

 

「最悪、奴だけでも殺したかったが、俺は叶えられない。だからスネーク、お前が、叶えろ。俺達の報復心を、お前が受け継げ」

 

 何故そんなものを、そう思った時、突如ヴァイパーの左手がスネークを掴んだ。想像以上に強い力に引き剥がすことができない。狂気に満ちた眼から、目が離せない。本能的な恐怖が体を震わせる。何かが乗り移っていく感覚すら覚える。

 

「お前に俺は、全てを託している。もう、渡してある、今、こいつを渡す……真実に辿り着け、それがあいつらへの、最大の報復になる、そして、殺せ……殺すんだ……」

 

 圧倒的な恐怖の正体は、スネーク自身にあった。彼女はヴァイパーに、僅かながら哀れみを抱いていたのだ。愛国者達に弄ばれた無念、怒り、それらは彼女のミームを刺激する。そんな彼の願いを、嫌悪感のまま振り切れない。

 

「もう、良いでしょう」

 

 そこへ、サラトガが歩み寄ってきた。見下ろす瞳に、侮蔑や憎悪はなかった。

 サラトガを見て、ヴァイパーは言葉を失った。彼女が背負っていたのは、海月姫の残骸だった。

 

「彼女も、彼女達ももう沈みました。あとは提督である貴方だけです。何もかも失って復讐のためだけにしがみついてきて。報復心で生きているんじゃない、報復心に生かされているだけ。もう貴方は……とっくに終わっているんです」

 

 残った左手を使い、深海海月姫の元へと這いずっていく。

 途中、うわ言を呟きながら。進むごとに、限界を迎えた体が灰のように崩れていく。眼球が崩れ、砂の涙が流れていく。

 

 言葉は語れず、ヴァイパーは崩れた。

 サラトガは、残った左手に海月姫の左手を重ねる。裂けたグローブと継ぎ接ぎの皮膚。

 お互いの左手の薬指には、装飾のない銀色の指輪があった。

 それも一瞬で、次には全て、灰となって消えていた。

 

 

 *

 

 

 ガルエードは消えた。だが、要塞内部の施設はそのまま残されていた。その中にはヴァイパーがどこからか運んで来た大量の新型核の貯蔵庫もあった。長門の目の前で、それらは次々と運び出されていく。

 

 こんな大量の新型核、どの国が持っても軍事バランスが崩壊する。この地に置いていくわけにはいかない、シャドー・モセスに預ける選択肢はもっともあり得ない。結果、連合艦隊──即ち国連の共同管理にすべきだ。上層部はそう結論を出した。

 

「意外でした、もっと血眼で取り合うかと」

 

「上層部だって馬鹿ばかりじゃない、迂闊に世界を滅ぼす選択はそうそう選ばないさ」

 

 達観した意見にも聞こえたが、それにしては長門は前向きだ。

 

「ハッキリ言って、この戦いで第三各国や深海凄艦への印象は最悪なものになってしまった。今まではある意味、手に負えない害獣のように思う人も多かったが、この事件を通じて認識はだいぶ変わっただろう、悪い方向に」

 

「被害はどれぐらいだったんですか」

 

「私たちが戦っている間にも、イクチオスによる本土攻撃は複数回発生していたようだ。結局マンティス社の傭兵部隊を倒しても、報復心がある限り、根本的解決にはならない。イクチオスにやられた地域では、屍病も確認されている。そのせいで向こうでも差別や混乱が起きている。ここまでやられて、深海凄艦に良い気持ちを抱く人間はごく少数だろう」

 

 ヴァイパーは死んだ。だが、長年大国がやってきた行為は消えない。それがある限り、ヴァイパーは存在し続ける。

 

「唯一の救いは、特効薬が完成したことか」

 

「特効薬?」

 

「ああ、ドレッドダストは一時的なものに過ぎないが、屍病を治療でき、かつ予防もできるワクチンが完成したらしい。作ったのはスネークのとこにいる、北条という提督だ。あとは量産するだけだとスネークは言っていた」

 

 あくまで簡単な理屈だが、奇病はイクチオスのコアに含まれていた『屍棲虫』が起こしていた症状。感情や記憶を捕食する虫を異常に活性化させることで、廃人に追い込んでいた。ドレッドダストは餌である感情を抑制する精神薬だったが、ワクチンは虫の活動自体を抑え込むことができる。

 

「本国の連中は疑っているが、だからといって帰ってきた連合艦隊を何ヶ月も海上で隔離はできない。サンプルの効果を確かめた後、帰還した我々に最優先で接種させてくれるそうだ」

 

 艦娘は屍病を発症しないが、キャリアとなっている危険性はあった。

 

「最優先、つまり毒見ってことね」

 

「そうだが、良いじゃないか。それに毒見の後接種するのは、最初に保護した少年兵だ。彼だけはいち早く、特別便で帰国させ、専用病棟でこれ以上屍病が進まないように、厳重に保護されている。つまり、あの子は助かるんだ」

 

 その後、マンティス社で監禁されていた子供たちも、順次接種を受けることになっている。もうスペクターになった子は助けられないが、まだ、間に合う子がいた。それは誰にとっても、間違いなく救いだった。

 

「ちなみにスネークだが、この海上での待期期間を利用して艦隊からこっそり離脱するそうだ。川内についても、連中が一時的に保護する。ま、公的には拉致扱いだが、そこは私の知るところではない」

 

 それはそうだ、あんなサイボーグを持ちかえれば、そのまま人体実験一直線だ。猫も同じくスネークが持ち帰る。生まれ故郷にやっと帰れる。しかし、サラトガは素直に嬉しいと思えなかった。

 

「あの、海月姫が、本来、一瞬しか展開できなかったビーチを維持できた理由、知りたいですか?」

 

 長門は無言だった、そのまま続きを促した。

 

「言葉を失っていたからなんだと、思います。海月姫は、自分が何なのか分かっていなかった、だから姫の力も中途半端で、ヴァイパーがいないと、テリトリーも作れなかったんです。逆に言えば、だからビーチのままでいられた」

 

 だから、展開されていたビーチは、きっとヴァイパーのビーチでもある。

 ヴァイパーと海月姫がつけていた指輪。あれが、そういう意味だとしたら。ヴァイパーは誰よりも彼女を理解していた。彼女の背負ったクロスロードの記憶も学んでいただろう。ヴァイパーが知り得たクロスロード作戦の世界が、海月姫を通じて展開されていたのだ。

 

 しかし、サラトガと共鳴したことで、海月姫は記憶を取り戻した。

 だが、ヴァイパーとの思い出ではない。クロスロード作戦から生まれた、全ての怨念を思い出してしまったのだ。結局、深海凄艦として覚醒してしまった。戦いの途中で、ビーチがテリトリーに変わり出した原因だった。

 

 なぜ、そうなってしまったのだろう。サラトガは原因の一端が、合衆国にあると思った。

 今までブラック・チェンバーに押し付けていた暗部を、抹殺することで忘却させようとした。死人に口なしとも言う。だが、今まで蓄積されていた無念や怒りが、海月姫という火口から噴出したのだ。そこから出てくるものが、思い出である筈がない。

 

「嬉しくないのか?」

 

「私たちもいつか、使い潰されるのでしょうか。あの日と同じように、また味方に体を焼かれるのかと思うと」

 

「かもしれないな。だが、そうなったとしても、私はヴァイパーのようにはならない。あいつらのことを思っていたんだろ?」

 

「分かるんですか」

 

「私だって、あいつらを哀れだと思っているからな。酒匂もオイゲンも、そう感じているさ。裏切られることを恐れ、憐れむのはおかしなことじゃない。むしろ普通のことだ。私はそれを感じなくなった時、簡単に人を切り捨てる存在になると思う。例えば、報復心に呑まれてしまった時とか。奴は誰よりも亡霊(スペクター)だった」

 

 長門の言っている意味が分からない、亡霊とは何かの比喩なのか。更に聞こうと手を伸ばすが、他の艦娘に呼ばれて長門は行ってしまった。行ってしまったようにも見えた。途中で振り返り、彼女はサラトガへ伝える。

 

「クロスロードだけじゃない、私たちは繋がっている」

 

 繋がっている──どこと、誰と、何と。

 長門は謎かけだけ残して行ってしまった、そうしている内に、喧噪が私を呑み込んでいく。帰還の作業をする人手は足りていない。サラトガは謎掛けから目を逸らすように、撤収準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 なにせ多国籍連合艦隊だ、一晩で全ての作業は終わらない。夕暮れになり交代で休憩を取り始める。簡易的なレーションを食べ終えたサラトガは、浜辺を一人で歩いていた。赤く染まる地平線を眺めながら、その謎を考えている。

 

 同じ赤い海でもまるで違う。まともな海を視たのは久し振りだ、長いことビーチの海しか見ていなかった。狂気に慣れてしまった体は、青い海に違和感を覚える。今までと同じようには見れない。海も、アメリカも。

 

 砂を踏み締める音が、二人分聞こえて振り返る。遠くから、酒匂とオイゲンが歩いてくる。話し込んでいた酒匂がサラトガに気づくと、大きく手を振ってサラトガを呼ぶ。

 

「何をしてたの?」

 

「見納め、アフリカの海なんて、そうそう来ることないだろうから」

 

「私はその付き合い」

 

 なるほど、確かにそうだ。場所が変われば海も変わる。例えばだが、アメリカの海は日本の海と比べて明るい色をしている。それが理由で、かつて主力だった護衛艦の迷彩も違っていた。

 

 だが、そんなに気にする事でもない気がする。口には出さないがそう思った。酒匂は気持ちよさそうに夕日を浴びているが、サラトガは正直、苦手と言っても良かった。赤い海に強烈な閃光は、クロスロードの光を思い出させる。

 

「どうしたのサラトガさん、なんだか辛そうだけど」

 

「え、そ、そう?」

 

「やっぱり気になっているんでしょ、あいつらのこと」

 

 長門だけでなく、彼女たちにも見抜かれるか。同じ経験を、過去を共有しているというのも考え物だ。嘘など言える筈もなく、サラトガは長門に言ったことと、ほぼ同じことを白状した。

 

「ま、そりゃそう思うでしょ」

 

 オイゲンはそう言った。あれだけのことをすれば、憎しみに呑まれても不思議ではないと。

 では酒匂はどうなのか。

 彼女は俯いたまま、黙り込んでしまっていた。

 

「酒匂?」

 

「あたしは悲しいな。全部、何もかも恨んで終わるなんて」

 

 サラトガは、ヴァイパーと海月姫の遺体、その左手の薬指についていた指輪を思い出した。

 つまりは、そういうことだったのだ。海月姫のコアがヴァイパーと共有されていたのは、戦術上の意味だけではなかったのかもしれない。互いを支え合い、共に生きるためだったのかもしれない。

 

 だがそれも、憎しみに呑まれて消えた。幸福だったからこそ、報復心はより燃え上がる。

 合衆国に殺されて存在を奪われた。蘇った代償に、海月姫は言葉を奪われた。そんな二人ができることは、報復しかなかったのだ。存在を奪われたことへの報復は、間違った行動だったのか。

 

 しかし、失われたものが戻ることは決してない。

 ヴァイパーと海月姫は、奇跡的に蘇ったが、沈んだ。残った自分たちの命も、とうとう失ってしまった。全てを失い消えた。残ったものと言えば、私たちや、この土地に刻まれた痛みだけだ。

 

 報復とは、そういうものなのだ。

 復讐とは、過去に遡りその原因を潰し、現在を変えること。過去のための戦いだ。だが現実に、奪われたものが戻ることはない。この幻肢痛が消えることは、決してあり得ない。

 

 同じことが、艦娘にも言える。

 過去を覆す。過ちを繰り返させない。今度は乗り越える──そう言ったところで敵は深海凄艦であり、かつての敵国ではない。そう分かっていても、思ってしまう。過去を正すとは、つまり過去への報復だ。サラトガがヴァイパーを、どうしても止めたかった理由は、『核』だったのだから。だからと言って、過去を完全に消してしまえば、そこにいるのは艦娘ではない。

 

 なら、艦娘が過去から逃れることはできない。同じように、報復から逃れることもできない。過去を捨てることができない以上、心の何処かで、過去への報復のために戦ってしまう。そして新しい報復心を生んでしまう。当然だ、報復は、新たな報復を生むのだから。

 

「私達の戦いに、意味は、あるのでしょうか」

 

 戦った末に、こんな結末しか産まないなら、いっそ戦わない方が良いのではないか。サラトガは俯く。

 

「何言ってんのさ、あるに決まってるでしょ」

 

「どんな意味が?」

 

「イクチオスに、世界が滅ぼされるのを止めた。望んでないだろけど、このアフリカの人たちが、あいつに利用されるのを止めた。屍病も何とかなりそうだ。私達が護ったものは、幾らでもある。奪ってばかりじゃないよ、私達の戦いは」

 

 オイゲンが笑いながら、曲がった背中を叩く。酒匂が目を腫らしながら、サラトガの両手を掴む。

 

「あたしにだって分かることがあるよ。嫌な戦いだったけど、サラトガさんに会えたことは、良かったと思う」

 

 この戦いの始まりは、報復だった。しかし、その結果二人の言ったことが生まれた。

 私達の戦いの全ては、確かに報復なのかもしれない。取り戻せないものを取り戻そうとする、永遠に叶わない夢を追い続けるだけかもしれない。

 

 だが、それだけではない。

 私達はまだ、存在までも奪われていない。ヴァイパーと同じ、一度死んで蘇った屍者だけど、屍者の帝国からの、侵略者ではない。なら、何かを残すことができるのかもしれない。

 

 何故なら、私達もまた、引き継がれていく存在なのだ。

 

 証拠なら、確かにある。

 

 艦娘の名前──軍艦の名前は、引き継がれていく。

 (サラトガ)の名前も引き継がれてきた名前だ。そして、私は見ていないけど、(サラトガ)を継承した(サラトガ)も、1994年まで健在だったらしい。

 

 例え存在が消えても、言葉が残れば、それはある種の永続性を獲得する。

 私の名前が引き継がれていく限り、私達もまた、忘れられることはない。長門、プリンツ・オイゲン、酒匂。彼女たちはまだいないけれど、サラトガを通じて、思い出すことはできるだろう。

 

 その中には、あのクロスロード作戦も存在している。

 悉くを焼き尽くした鮮烈な閃光に、私達は多くを奪われた。信頼を、誇りを、体を、記憶を。だけど、あの事件があったからこそ、私達はここで出会い、そして物語を紡ぐことができたのだ。

 

 その中には、ヴァイパーや、海月姫ですら存在している。

 記憶を一度共有した私は、言葉を奪われる痛みを知っている。それもきっと、『サラトガ』という名前が憶えていてくれる。言葉を通じて、私達は繋がっている。そして過去と今は、交差(クロスロード)している。

 

 奪われたからこそ、この私が、此処にいる。

 人は最初は、何も持っていない。なら、全てを奪われても、新しいなにかを生み出すことも、できるのかもしれない。例えば、此処でのクロスロードの物語がある。

 

 その為に私たちは、言葉を話せるのかもしれない。

 

「祈りましょう、あの人たちが、せめて、地獄でも一緒にいることを」

 

 死者を弔い、静かな眠りを祈る。

 それは屍者にはできない生者の行為、そして、過去への思いを整理して、歩き出すための儀式。サラトガは祈った。自分が、あてのないゼロへ歩き出すために。

 

 夕日が沈む、夜が来る。暗闇の時間が世界を覆う。

 罪は消えない、痛みも消えない。一生付き合うしかない、私の中にいる空母棲姫が消えないように、望んだものでなくても、永遠に。だけど呑まれてはいけない、世界を屍者の国にしてはいけない。

 

 だから、私は生きている。

 繋がっている、過去と、今と、どこかの誰かと。報復以外の記憶を残すことはできる、未来を信じることはできる。

 

 それでも、残せず、忘却の彼方へ消えるなら。その時は、残された報復も消えるだろう。

 

 その繰り返しで、きっと世界は回るのだ。

 

 消えぬ幻肢痛を抱えて、私はまだ、生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アメリカ海軍 フォレスタル級航空母艦

 CV-60 「サラトガ」

 排水量 61,235トン

 全長 324 m

 主機 蒸気タービン 4機、4軸

 出力 280,000 shp

 最大速力 35kt

 兵装 ファランクスCIWS×3基

 Mk.29 シースパロー発射機×3基

 搭載機 70 - 90機

 進水 1955年10月8日

 除籍 1994年8月20日

 

 米独立戦争「サラトガの戦い」の名前を冠する6代目の軍艦。ベトナム戦争や湾岸戦争に参加し、85年には地中海での客船乗っ取り事件の犯人グループの逮捕作戦にも関わる。またベトナム戦争での功績により勲章も受賞している。

 現在サラトガを冠する艦はいないが、とある映画にてロナルド・レーガンが架空の艦としてサラトガを演じていた。

 尚、その映画の冒頭で使われた映像は、クロスロード作戦のものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

ACT4

VENOM SUN(毒の太陽)

THE END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Vが消えたか」

「……あまり嬉しそうじゃないな、だと?」

「そうだ。あの男はアノニマスまで辿り着いていた。わたしたちと同じ領域まで。こればかりは彼女にも無理だろう、エイユウの立場ではアノニマスまでは辿り着かん」

「……いいやそれはない、そもそも川内はアノニマスを知らない。教えなかったのはわたしたちだが。奴はわたしたちとも、愛国者達とも違う、完全に独自の思惑で動いていたに過ぎん。エラー娘の片割れが失われたのは痛いが、どうにでもなる」

「それはわたしたちにも言える、奴は自分が誰の意志で動いていたのか、決して口にしなかった」

「むしろ、スネークに保護されたのは好都合かもしれない。わたしたちも奴の『提督』に辿り着けるかもしれない」

「ヴァイパーの技術は、北条と言う男が継承するだろう。報復心はスネークが継承する。エイユウになるか、鬼になるかはどちらでもいい。どう転んでも、中枢棲姫に挑むのは間違いない」

「わたしたちがすべきことは変わらない、ボスの理想、戦士が、戦いの中に充足を得ることのできる世界、真の自由を取り戻すこと。そして……過去への軛、ゴーストバベルの建設を阻止することだ。エラー娘も、川内も、スネークも、全てを利用する」

「その為に、お前はソ連に行け」

「奴は必ずソ連に向かう、そこで誤差を起こさせるな。歯車が一つ狂えば全て終わりだ、分かっているな」

「『シトウセイキ』……それが全ての歯車だ」

 

 

 

 

NEXT STAGE

ACT5

COLD SUN(氷の太陽)




VOICE(言語)

 人間が音声を用いて、感情、意志、思想等、様々な概念を伝達する方法。同時に、文面に書き記すことでも同様の伝達方法が可能。文法や表記方法により区別され、現在世界には8000語近くの言語があると言われているが、消滅しかかっている言語等もあるため、数の特敵は不可能である。
 基本的に、異なる言語同士が混じり合うことはない。異なる文法同士は混ざらないからである。生物に例えると、文法は免疫系のような役割を果たしている。ただし、翻訳された場合はその限りではない。
 同時に言語は、国を識別する単位としても使用できる。その為、公用語を発端として戦争が発生することもあった。
 当然の話ではあるが、同じ言語を用いるグループ程意思疎通が容易くなり、結果集団の力も強くなる。その為旧来より植民地を有する宗主国は言語統制を行ってきた。結果現在においても、当時使用された言語が半ば公用語となり、旧来からの言語が消滅しかかっている事例は確認されている。日本のおいても、アイヌ語が2009年2月に「極めて深刻」な状態と定められている。
 言語は単なるコミュニケーション手段だけではなく、その文化圏内独自の価値観を伝える役目も担っている。言語が消えた場合、その言語が担う価値観も消えることになる。

 神話的な余談となるが、言語がここまで分裂したのは、バベルの塔が崩壊したからだと言われている。それまで人々は一つの言語を用いていた。だからこそ集団の力は強まり、バベルの塔を築けたのである。言語の統一とは、このバベルを再び建てる行為とも言える。

 亡霊による言語統一、プロジェクト・バベル。その中核を成すのが、『屍塔棲姫(ゴーストバベル)』である


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ACT5 COLD SUN
File59 降下


ミラボレアスのガンランスソロ討伐を目指していたら投稿が一ヶ月以上遅れましたごめんなさい。


「ただ正解のない答えを、おのれの意志で選ぶことを求められていた。歴史に運命を翻弄された彼女だからこそ、これからを生きるためにシンプルな(こころ)が必要だと教えてくれた」

 

──『メタルギア ソリッド スネークイーター』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も近づかない場所に、それはある。

 穏やかな日差しと、緩やかな風の中に、ただ、放置されている。何十年も立っていて、原型は留めていない。服はとうに風化し、体も崩れ落ちている。残された骸骨も、じきに風化して消えていくだろう。

 

 だが、それは不思議と穏やかな光景だった。

 どうしようもない孤独の中、悲哀に胸を抉られる寂しさを、人は覚えるかもしれない。しかし、それで終わりではないと、それはきっと知っている。

 

 誰も近づけない場所に、それはある。

 かつて、世界三度目と、四度目の核攻撃を受けた大地の隅に、その場所はある。

 何人も訪れず、いつか忘れ去られるであろう場所。真っ白な湖の畔には、ベツレヘムの星(オオアマナ)が咲き乱れていた。

 

 

 

 

── File59 降下 ──

 

 

 

 

 鼻をくすぐる花の香りは、気づけば薬品の臭いに変わっている。いつの間にか、うたた寝をしていたらしい。真面目に睡眠はとっているが、こういった眠気は久し振りだ。スネークは、生まれた時の感覚を思い出していた。

 

 半分開いた目に、強烈な光が差し込む。手術室にあるようなライトが、この部屋には多く設置されている。ただし治療目的ではない。拷問される犠牲者を、じっくり観察するためだ。本来の理由を知っていると、やはり、嫌な気分になる。

 

 シャドー・モセス島基地地下一階にある拷問室で、スネークは眼を覚ました。

 もちろん拷問ではない。この部屋が、スネークを調べるのにもっとも便利だったからである。大量の検査機器が、激しく光を点滅させて作動する。回収したデータは機器を介し、G.Wのバックアップを受けた研究室のスパコンに回される。

 

 それでも、まだ時間はかかる。待っている間に、渡された患者用の白衣に身を通し、ガングートに渡されたコーヒーを啜る。シャツはややサイズがあっておらず、袖が大分余っていた。地下一階にすら襲い掛かるアリューシャンの寒さに、顔を顰める。温めようと、再びコーヒーを啜った。

 

「回転ベッドの寝心地はどうだった?」

 

「悪くはない、一人では勿体ないな」

 

「私には贅沢過ぎる」

 

 ガングートはこの部屋の本来の用途(拷問用)を知っている。その上でこの質問だった。底意地の悪い笑みに、スネークも笑った。

 コーヒーを飲み切ったスネークは、白衣の上に更に服を羽織る。その足で、北東B1階にある研究室へと向かう。露悪的なジョークの余韻が過ぎれば、過るのはやはり不安だった。

 

 スネークは精密検査を受けていた。

 理由は言うまでもない。そっと右目に手をやれば、ゴツゴツした食感の角が嫌でも分かる。右目の眼孔を突き破り成長した巻角は、まるで脳と直結しているようだ。残った眼はより真紅に染まり、肌はいっそ綺麗なまでに白い。

 

 まるで、いや、どう見ても深海凄艦。それが今のスネークだった。

 

 発端は、ビーチでヴァイパーと交戦した時に遡る。

 ヴァイパーは何隻ものスペクターを従えていた。高性能な個体だった。その素材には、現地で誘拐した少年兵が使用されていたのだ。

 

 それを知った瞬間、スネークは感情を抑えられなくなった。挑発と分かっていたから、暴走はしなかった。しかし、感情はそれとは別に吹き荒れた。その時、体に異変が起きた。元々機能を失っていた右目から角が生え、全身が変異したのだ。

 

「D事案とは別なんだよな」

 

「轟沈でなければD事案は起きない。だからサラトガ同様、何らかの理由で、深海凄艦が混じっている」

 

 その深海の()()が、スネークの怒りに呼応し、彼女を侵食したのだ。おかげでヴァイパーは撃退できたが、今度はスネークの調査が必要になってしまった。サラトガが抱えていたのは空母棲姫だった。なら、スネークは何なのか。それを調べる調査だった。

 

「不安なのか?」

 

「不安……なのだろうな、恐くはないが、しかし、自分が何者か全く分からないままのは、良い気分ではない」

 

 正直言って、どんな存在であろうと、さして興味はなかった。何であれ私は私だ。それさえ変わらなければ、後は構わないが、それはそれとして、正体はハッキリさせたい。分からないままなのは気持ちが悪い。

 

 分からないなら、それでも仕方ないのかもしれない。アーセナルギアには『真実』など存在しない。あるのは偽装だけだ。

 

「何もない、なんてことはないだろ。何もない場所から建造される訳がない。誰かが関わって設計を練った結果、お前はいる」

 

「だが、艦娘だぞ? 建造方法も分かっていない」

 

「暗闇に隠れているだけだ、お前が建造された理由は必ずあるさ。もしかしたら、私達よりはマシな理由かもしれないぞ」

 

 意味を確かめようとして、止めた。

 ガングートはきっと、ヴァイパーの言葉を思い出している。WW2。そのミームを持たない文化を淘汰する民族浄化兵器。それが艦娘なのだ。

 

 何の証拠もない戯言かもしれないが、信じていれば、それはガングートにとっての『真実』になる。気持ちの在り方で、真実は幾らでも造り出せる。

 

 そうでないかもしれない、もっと、良い理由があるかもしれない。

 スネークは励ましたかったが、言えなかった。そう語るには、アーセナルギアは余りに暗い理由で建造された。勿論、艦娘の自分にも言える。

 

 余計なことは、今は考えなくていいのかもしれない。ただ冷静に、現実を受け止めるべきだ。データは嘘を吐かない。それを聞くために、スネークは研究室の扉を叩いた。

 

 

 *

 

 

 スネークが開くよりも先に、扉が開いた。明石が中から扉を開けていた。「どうぞ」、の声には張りがない。しかし、疲れている様子はない。漠然とした不安が研究室に充満している。北条や北方棲姫も似た様子だ。

 

 コンピューターが吐き出すデータを裁く度に、北方棲姫は顔を曇らせる。北条はそれを見て眉間にしわを寄せる。まだ解析が終わっていないのか、彼女たちは慌ただしく動き回っている。邪魔にならないように、部屋の壁に寄りかかる。

 

 しばらく待つと、北方棲姫から声がかかった。不穏な空気は漂ったままだ。スネークもつられて不安になる。この空気を造っているのが、スネーク自身の検査結果だから、余計に嫌な気持ちだった。

 

「まず、比較として見てくれ。これがサラトガの細胞だ」

 

「サラトガの?」

 

 細胞の精密写真を眺めてみても、変なところはない。医学に詳しい訳ではないが、何の変哲もない艦娘の細胞にしか見えない。

 

「見た通り健康な細胞だ。『成り損ない』は、身体構造に影響を与えない。影響があるのは記憶や精神性だけだ。一時的に空母棲姫に変異した時も同じだ。細胞レベルでは艦娘のままだった」

 

「大本営のアーカイブに、徐々に深海凄艦化した艦娘があったが、あれは違うのか」

 

「同じだ。まるでオセロの盤面が黒くなっていくように、艦娘の細胞が深海凄艦の細胞に置き換わったのが、この事例だ。細胞同士は混ざっていない。肉体に占める細胞の割合が変わるだけ」

 

 細胞にはDNAがあり、免疫がある。異なるDNAは排除される。そうすることで身体の異常を防いでいる。艦娘と深海凄艦では遺伝子コードが違う以上、お互いに攻撃し合うことになる。徐々に深海凄艦化したとしても、遺伝子が混ざることはない。

 

「そしてこれが、スネークの細胞だ」

 

 採取されたのは、大きな角の生えた顔の近くの細胞だった。一番変化が確認し易いと予想できたからだ。しかし、スネークから見れば、ただの細胞にしか見えなかった。違うなら、早く答えて欲しかった。

 

「こりゃ、色々とんでもねぇことになる」

 

 北条は緊迫した目線をスネークへ投げる。どういうことなのか、もう一度細胞を凝視する。それでも、素人には分からない。なのに、不穏な空気だけが高まっていく。

 

「良いから話せ、私には分からない」

 

 つい、ぶっきらぼうな言い方になってしまい、少し冷静さを意識する。しかし、直後放たれた北方棲姫の言葉は、冷静を無意味とさせたのだ。

 

「スネークも、スペクター(亡霊艦)なのかもしれない」

 

 言っている意味が分からなかった。私があの悍ましい継ぎ接ぎと同じだと? 

 

「深海凄艦の細胞でも、艦娘の細胞でもない。両方の特性を持っていた。つまり艦娘でもない、深海凄艦でもない。正体不明の何かだった」

 

「馬鹿な、これはD事案の一種なんじゃないのか」

 

「違う。スネークがただの艦娘なら、こうはならない。艦娘の細胞が深海凄艦化するには、必ず轟沈のプロセスが要る。深海凄艦の記憶や意志が残ったとしても、ゲノム情報は引き継がれない」

 

「ならどこから深海凄艦のゲノム情報が来たんだ」

 

「お前だ」

 

 北方棲姫は、スネークの胸元に指を突き付けた。

 

「最初調べた時には、僅か過ぎて見逃してしまった。スネーク。お前のゲノム情報は、艦娘と深海凄艦、そして──人間のDNAも保有している。

 元々内蔵していた深海の因子が、負の感情で強まった。結果、ゲノム内での、深海の比率が高まった。これが、お前の変異の原因だ。深海凄艦になっていない。最初から、艦娘でもない」

 

 純然足る艦娘が、ゲノム内に深海の遺伝子を持っている筈がない。人間の遺伝子もあり得ない。継ぎ接ぎなのは肉体ではなく、細胞だ。細胞単位でスペクターだったのだ。艦娘と深海凄艦のゲノム情報、そして()()()として人のゲノムが入っている。

 

 どんな答えも覚悟したつもりだった。しかし、予想外過ぎる答えに寒気が走った。より自分が、得体の知れない化け物のように感じられる。

 

 提督適正も、姫の力も両方持っていた理由の説明がついた。

 私は人間であり、深海凄艦でもあったのだ。だがそれは、どれでもない化け物の証明でもある。

 

「特に害はないんだよな?」

 

「ない。精神的に異常をきたしている様子はない。それは、全員見れば分かるだろ」

 

「だそうだ、なら、大きな問題ではない筈だ」

 

 言われてみれば、それもそうだ。体の変化は凄まじいが、心の変化は驚くほどにない。価値観が変わったり、記憶が弄られた感覚もない。そんな異常があれば、G.Wが必ず気づく。今のところ、私はスネークだった。

 

 だが、私は何者なのか。根本的な疑問は消えていない。

 建造された時の記憶はない。D事案のように、海面を漂っていただけだ。どうやって生まれ落ちたのかが、欠落している。

 

「人格が変わっていなくても、異様なのは変わらない。ましてや、提督でもあり、姫でもある存在なんて、聞いたこともない。誰かが意図をもって、建造したと私は思う」

 

「それが、愛国者達だと?」

 

「まるで、屍者の王……いや、姫じゃねえか」

 

 艦娘も深海凄艦も、一度は沈んでいる。ゾンビみたいなものだ。それら全てを統率できる力を、スネークは持っている。自覚してその力を振るえば、どれだけの影響があるのか予想もできない。

 

 それは、G.WがSOPシステムを握っていること。SOPが艦娘に対しても有効なことと、無関係ではない。ヴァイパーは、艦娘をSOPで支配できると言った。試そうと一度思ったが、どうシステムを動かせばいいのか分からず、断念していた。精神が疑似的なシステムを構築していると言われても、使い方は分からない。

 

「実害がねえ以上は心配しても無駄だ、このまま、やれることをするしかねえか」

 

 半ば諦めのように、北条が溜め息をつく。全てを知っているのはJ.Dか、死んだヴァイパーか、それとも、()()なのか。

 

 

 *

 

 

 一日が経過し、スネークは医務室から完全に開放された。

 その間経過観察があったが、異常は起きなかった。より深海凄艦化することも、精神への影響もない。

 

 その間、もう一度SOPが使えないか試してみたが、やはり駄目だった。G.W側からも、上手く制御ができない。ヴァイパーの言っていたことが嘘だという可能性もあり得た。だが、SOPのことまで知っていて、こんな嘘を吐く理由もない。

 

 なぜ、私はこんな力を持っている。

 私が、愛国者達により建造されたとしたら。それは、どんな形であれ、人の意志を纏める為の力だ。愛国者達の目的は、人の意志の統一だからだ。しかしSOPで支配するなんて、目立つやり方をするのだろうか。

 

 〈間もなく目標地点に到達、準備にかかれ〉

 

 軍人らしい、冷淡な声が聞こえた。つられてスネークも一気に冷静さを取り戻す。任務となれば、気持ちを切り替えることも容易い。酸素供給用のマスクを身に付け、スニーキングスーツの状態を入念に確認していく。

 

 サバイバル用の道具を詰め込んだバックパックを背負い、最後に葉巻のセットをこっそり捻じ込んだ。オペレーターの声が響く。〈降下準備──1分前──〉スネークは立ち上がり、カーゴに立つ。

 

 カーゴのハッチが、ゆっくりと開かれる。差し込んだ光が足元を照らし、腰を照らし、顔を照らす。眩しさに目を細める。眼前には、朝日に照らされる、広大なソビエトの大地が広がっていた。

 

「日の出か」

 

 一人、ぼそりと呟いた。

 私の向かう先も、光で照らされていればいいのだが。風に煽られ、否応なしに揺れる飛行機。その中を悠然と歩く。見下ろす先には、暗闇に包まれたジャングルがある。

 

 〈時間だ〉

 

「アーセナルギアMk-2、任務を開始する」

 

 大空に向かって、スネークは迷いなく飛び込んだ。

 ソビエトの中にあって、ソビエトでない場所。立ち入りを禁じられた大地。ツェリノツヤスクと呼ばれた大地に向かって。

 

 風の中、スネークは自由だった。誰にも監視されず、縛られない。自分自身にさえ囚われない。だが、アーセナルギアは潜水艦だ。間も無く重力に引かれ、落ちていく。つかの間の自由を噛み締めるように、風を感じ続けていた。

 

 

 

 

ACT5

COLD SUN(氷の太陽)

 

 

 

 

 体に冷たい痛みがはしり、慌てて姿勢を丸める。急降下による凍傷になりかけていたのだ。小型艤装も装備していない。着地の衝撃で壊れる危険があった。装備しているのは、サバイバルグッズ一式が入ったバックパックしかない。

 

 ソ連のジャングルが急速に近づいてくる。タイミングを見計らい、パラシュートを開く。減速しても、かなりの速度が保たれている。木々の葉や枝を掻き分けて、地面へと放り出される。着地と同時に一気に転がり、衝撃を逸らす。

 

 体に異常がないことを確認して、すかさず木々の影に身を潜める。ここはもう敵地だ。どこから深海凄艦が現れてもおかしくない。体内にあるナノマシンを介して、北方棲姫に無線を繋ぐ。

 

「こちらスネーク、ソ連領内への侵入に成功した」

 

 〈負傷は、していない?〉

 

「無事だ、思ったより着地の衝撃が少なかった。私の知るHALO(ヘイロー)降下は、もっと困難だったものだが」

 

 〈時代の進歩、だな〉

 

 酸素マスクの性能も高い。1964年と、2009年基準のものでは、比べ物にならない。しかし、スネークの記憶にあるのは、やはりビッグボスが行ったとされる世界初のHALO降下なのだ。やはり蠅のような形状のマスクを取り外しながら、周囲の様子を伺う。

 

 基本ソ連──ロシアと言えば、極寒の大地だ。しかし、この辺りはアフガニスタンやパキスタンに近い。雨量も多く、赤道近くの亜熱帯気候となっている。結果、豊富なジャングルが形成されるに至っていた。

 

 ツェリノヤルスクは、処女地の絶壁という意味だ。その名前の通り、ここには巨大な崖がある。ここからは見えないが、崖から流れてくる水の音なら聞こえてきた。動物の音が絶え間なく聞こえ、風が木々を揺らす。

 

 人工の基地とも、海とも違う。騒がしい静寂があった。

 何よりもここは、スネークの始まりの地でもある。もっとも初めに『スネーク』の暗号名を持った男が、単独潜入した大地なのだ。当然、ノスタルジーに浸るために来たわけではない。

 

 それに、その頃と比べ、ジャングルは明らかに変異していた。

 明らかに水の量が多くなり、木や地面の一部が()()変色している。この体になったからかもしれない。そこかしこから、深海凄艦の気配が感じ取れる。

 

 〈お前のルーツは、任務の為に、ここに来ていたな〉

 

「ああ、ルーツ(ソリダス)ルーツ(ビッグボス)だから、記憶は曖昧だが、感覚的なものは残っている」

 

 〈あまり当てにするな。ツェリノヤルスクはスネークイーター作戦当時から、大分変わった。地形も変わっている〉

 

「温暖化の影響と、深海凄艦の影響だな」

 

 だが、それだけではないだろう。

 二度に渡る核攻撃の爪痕は、深々と大地に刻まれている。むしろ、地形が残っているだけ奇跡かもしれない。ソ連は未だに、ここを立ち入り禁止区域に指定している。核汚染が残っていると主張しているのだ。

 

 もっとも、あれから40年以上経過している。使用されたのも、個人で携帯できる程度の、低威力の核だ。放射線は殆ど残っていない。にも関わらず、立ち入り禁止になっている理由は、後ろめたいものだ。

 

 後ろめたさの暗闇にこそ、探している物がある。

 ビッグボスの軌跡を再びなぞっているのは、偶然か、運命か、それともS3なのか。かつてと同じように、ナイフ一本を携えて、スネークはジャングルの暗闇へと踏み入った。

 




冒頭の引用は
『メタルギアソリッドスネークイーター』(著:長谷敏司/角川文庫)
による。



―― 140.85 ――


〈こちらガングート、降下は成功したようだな〉
〈ああ、だが私の知っているツェリノヤルスクと、随分様子が違う。別の場所に来たような気分だ〉
〈スネークイーター作戦から半世紀近く経っているうえ、深海凄艦の影響も受けている。昔の気分でいると足元を救われるぞ〉
〈ここまで変わるものなのか?〉
〈恐らく、一部の地形が長期間に渡って浸食された結果、海その物に転じてしまったんだろう。豊富な水源もある。力の触媒は元から多かった。もしくは……〉
〈何だ?〉
〈深海凄艦の源は怨念だ、このツェリノヤルスクには怨念が渦巻いている。想像を絶する、人らしさの欠片もない破壊があった。知っているだろ〉
〈核爆発か……あれも原因の一つか〉
〈そんな場所で、核を運用できる兵器が再び建造されている。悪夢の実在を許してはならない、頼んだぞスネーク〉


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File60 中立区

 ジャングルの木々は生い茂り、光を遮っている。自然の豊かさを享受すると言うが、自然は本来、恐ろしいものだ。道もなく、光もない。危険な生物はそこかしこに潜んでいる。人の手の入っていない原生林は、余りにも厳しい。

 

 ましてや、その中に軍艦が乗り込もうなど、無茶が過ぎる。だが、人の体は自然に適用しようと躍起になり、足掻いている。しかし、あくまでも軍艦だ。人と機械の区別は、とっくに曖昧になっている。

 

 朝日の光が、彼女を照らす。光の中に、小さな影を見つけた。影は一直線に落下し、ジャングルへ消える。見間違え出なければ、あれはスネークだ。

 軍艦が、ヘリからジャングルへと侵入する。

 また、時代が変わりつつある。ガングートは、空を見上げた。

 

 

 

 

 

── File60 中立区 ─―

 

 

 

 

 時間は、スネークが検査を終えた直後まで遡る。

 モセス基地の最深部、REX格納庫として使用される可能性もあった棟の指令室に、スネークとガングートはいた。二人の会話を、G.Wも聞いている。

 

「スネークには、これからソ連に行ってもらう」

 

「ソ連? また急な話だな」

 

「G.Wにも認めて貰っている。時間がなくてな、勝手に進ませて貰った」

 

「理由があれば別に構わないさ」

 

 ガングートに全幅の信頼を置いている訳ではない。しかし、G.Wが裏切りやスパイを見逃すことはない。AIに感情はなく、冷たい理屈があるだけ。後ろめたい理由があったとしても、結果的に不利益にはならない。私に死なれれば、G.Wも色々困ることになる。

 

〈先んじてソ連に侵入していた青葉から、有益な情報が齎された。メタルギア・イクチオスの生産工場を、彼女は突き止めた〉

 

「本当か」

 

 素直に驚いた。いくら才能があり、ガングートが仕込んだといえ、此処まで短期間で突き止めることができるとは。上手く行き過ぎて、怪しくもある。情報を手に入れるように、誘導した可能性もある。

 

〈罠の可能性も考慮している。だが、どちらだったとしても、我々はそこに行かなくてはならない〉

 

フョードロフ(KGB)との約束もある」

 

「イクチオスの生産工場の特定と、破壊工作……忘れてはいない」

 

 アフリカのガルエードにあったのは、あくまでイクチオスの()()の拠点だった。生産拠点はまた別にある。ガルエードの情報と、青葉の情報を合せることで、やっと特定できたのだ。

 

 片方の情報は、実質ヴァイパーから齎されたものだ。それがより、罠の可能性を低くした。ヴァイパーは愛国者達と敵対していた。あの男は、独自の意志で動いていた感覚がある。ガルエードの情報は、愛国者達が想定していなかったものかもしれなかった。

 

 現に、託されたものもある。これはG.Wにしか明かしていない。スネークたちが警戒しているのは内通者の存在だ。これまでも何度か、スパイを思わせることが起きている。それがハッキリするまでは、二人だけで隠すことになっている。

 

〈ソ連へ行く理由は他にもある。下手を撃てば、第三次世界大戦が起きる危険性があるのだ〉

 

「なんだと?」

 

〈メタルギア・イクチオスが、各地で深刻なテロ被害を齎しているのは言うまでもない〉

 

 深海海月姫が轟沈したことによって、制御下に置かれていた深海凄艦は一斉に暴走を始めた。これにより、深海凄艦を戦力化していた国家は致命的な打撃を受ける。放っておいても、数年以内に壊滅するだろう。

 

 だが、そんなことは、テロの被害国家の知った事ではない。一度受けた痛みは消えず、傷は治らない。時間と共に膿んでいき、更に腐敗は進む。深海凄艦と第三各国への報復心は、強まる一方だ。当然、ソ連も例外ではなかった。

 

「イクチオス開発に関わっていたのはソ連全体ではなく、GRUの一派だと聞いているが」

 

〈関係ない、他所から見ればソ連はソ連だ。生産工場までソ連領内にあると知られれば、もう言い逃れはできない。ソ連を潰すために、各国はこぞって行動を始めるだろう〉

 

 世界中で起きたテロ。その手引きをしていたのが、ソ連だと知られれば。

 勿論、やったのは一部の勢力だ。しかし、世論はそんなところまで考慮してくれない。ソ連自体が、深海凄艦との距離が近いのも不味い。

 

 まず間違いなく、ソ連は深海凄艦に与するテロ国家となる。全面戦争が始まる。核の撃ち合いさえ想定できる。艦娘は殺せなくても、暮らす人間は殺せるのだから。護る対象をなくした艦娘を蹂躙するのは、簡単だ。勿論、アメリカや日本が、残っていればだが。

 

「その前に工場を破壊する、そういうことか?」

 

〈そうだ。他国の諜報機関も気づき始めている。この情報を大々的に流し、全面戦争を起こそうと目論む強硬派が動きはじめている〉

 

「何の得があるんだ」

 

「簡単だ、共産勢力を根絶やしにできるチャンスだからだ。アフリカや中南米への影響力は、深海凄艦により弱まっている。ここで世論を味方にできれば、力の根幹を失ったソ連は消える。共産勢力が滅ぶことを望む人々は大勢いる」

 

 かつて、戦艦水鬼が言ったように、世界は一応平和となっている。深海凄艦のおかげで、人類同士で争う余力がなくなっている。だが、余力がないだけ。敵である事実は変わらない。握手をしながら、背中で銃を隠し持つ関係になっただけだ。

 

「だからこそ私たちに工場破壊の依頼が来た。あちらからの依頼だからな。特殊作戦機(コンバット・タロン)を一機だけ、融通させた」

 

 特殊作戦機を使い、内部工作で空けられた警戒網の穴から、HARO降下で突入する。しかし、空から行けるのは行きだけ。帰りは徒歩なり陸路なりで、国境を越える。スネークの身体能力なら、60マイル程度は踏破できる。

 

〈これを機に全面戦争を始めようとする強硬派は、ソ連内部にもいる。国内外の過激派を抑え込めるのは、もって四日間だ〉

 

 スネークイーター作戦でさえ、一週間の猶予はあったのだ。だが、期間内に任務を遂行する以外の道はない。流れに流されて、また、全面戦争の重荷を背負わされるとは。スネークは乾いた笑いをするしかなかった。

 

 

 *

 

 

 着陸した地点から、スネークは北上していく。ジャングルの中を進むのは、今までのスニーキングとは訳が違った。まず、敵兵がいない場所がある。だが、罠がある可能性が潜む。危険な野生動物がいる。猛獣だけでなく、強力な毒蛇にも注意しなくてはならない。四六時中警戒することはできない。集中が途切れ、その時致命的なミスを犯すかもしれない。

 

 ツェリノヤルスク一帯は、全て『敵』のテリトリーだ。敵兵がいないことは絶対にない。だが、どこから現れるのは分からない。草を掻き分ける音、土を踏み締める音は、消そうと思っても消せない。

 

 集中すべき時と、そうで無い時を見極め、進むしかない。だが、いきなりやれと言われてできれば苦労はない。地面を這う蛇や突然飛び立った鳥にさえ、驚いてしまう。スニーキングは環境を味方にしなくてはならないが、ジャングルは天敵のようなものだった。

 

 ぬかるんだ地面に何度か足を取られながら、つぶさに周囲を観察する。せめてもの幸いか、周囲の地形は全てデータ化されていた。スネークイーター作戦当時の地形データが、G.Wに保管されていたのだ。

 

〈着地地点から北上したところに、廃屋がある。そこで彼女が待っている。まずは、彼女と合流しろ。それと、当時の地形データを過信してはならない〉

 

 G.Wの警告は覚えていた。

 だが、まさかここまで変わっているとは、思いたくなかった。北上する為の通路は、一本のつり橋で繋がっていた。下は数百メートルはある崖だ。ルートを一本に縛ることで、警備を簡略化する狙いがあった、場所()()()

 

 つり橋は、どこにも見当たらなかった。

 場所は間違っていない。廃屋に行くには、対岸へ渡るしかない。それを繋ぐつり橋は、もう崩れてなくなっていたのだ。

 

 破壊されたのか、朽ちたのかはどうでもいい。このルートを使えないとなると、迂回するしかないが、時間が掛かり過ぎる。廃屋で待つ彼女も、危険に晒されていく。スネークは谷底を見下ろす。

 

 変わったことが、もう一つあった。

 崖の下は、元々小さな沢が流れていた。だが、その量が激増していた。濁流と言うべき河となっていたのだ。その分水の勢いは激しく、水しぶきが飛び散っている。

 

 もう一度対岸を覗き見る。数こそ少ないが、見張りの深海凄艦が数隻いる。これしかない。タイミングを見計らい、崖へと飛び込んだ。増水した水のおかげで、水底に体をぶつけることはない。だが、猛烈な濁流が意識を押し流そうとする。

 

 衝撃で、息を吐きそうになる。それはできない。水から顔を出せば、たちまち見張りが銃撃を始める。嘔吐のような不快感に苛まれながら、必死で体を前に進める。なるべく水底にも潜り、流れの影響を限界まで減らす。

 

 耐え過ぎて、肺に激痛が走る。苦悶に顔を歪めても、スネークには耐えることしかできない。耐えられなければ死ぬ。舞い上がった石が体に何度もぶつかる中で、ようやく対岸の崖に、手をつけれた。

 

 顔を上げ、ありったけの息を吸う。ここは対岸の真下だ。完全に覗き込まなければ、死角になっている。まさか、この濁流を泳ぐ侵入者がいるとは思っていない。スネークも、自分が潜水艦でなければ、やろうと思わなかった。

 

 気まぐれに覗きこむ可能性もある。急いで登らなくてはならないが、焦って音を立てたら意味がない。ところどころに亀裂が入り、不安定な崖をよじ登る。石ころ一つとして剥がしてはいけない。首元は、もう汗だらけだ。

 

 バクバクとうるさい心臓を抑え、手を伸ばす。少しずつ慎重に崖を昇っていく。急げと捲し立てる本能を、訓練された理性が抑え込む。崖上の地面に、指先がかかった。焦りを抑え、覗き込む。敵兵の目線は対岸を見ている。スネークは見ていない。

 

 指先と足元に渾身の力を込め、体を押し上げる。突如現れた侵入者に、深海凄艦は対応が遅れた。一気に間合いを詰め、顎にひじ打ちを叩き込む。脳震盪を起こした深海凄艦の足を払い、もう一隻へと投げ飛ばした。

 

 巻き込まれ、転倒した敵兵の首元を締め上げる。首がだらりと下がり、白目を剥いて意識を失う。無力化した二隻を、繁みの中へ隠す。最初の一隻は、何が起きたのかも分かっていない。意識を回復するまでに、廃屋へ行かなくてはならなかった。

 

 崖を濁流から昇ってくることは、想定されていないのだろう。そこから廃屋まで、敵の気配はしなかった。時間もない。スネークはジャングルを一気に走り抜けていく。度々罠が設置されていたが、ヴァイパーが仕掛けたものほど、精密ではない。

 

 廃屋は、一発で分かった。

 人の手が入っていないジャングルの中で、場違いな人工物が立っている。大量のドラム缶に、半ば朽ち果てた段ボール。周囲を覆う鉄の柵は、廃屋をぐるりと囲んでいた。

 

 多くが崩落しているが、建物自体はかなり大きい。人が棲むための建物ではない。ドラム缶には燃料らしき液体が入っている。恐らく、元々は何かの工場だったのだろう。こんなジャングルの中だ。後ろめたい、闇工場に違いない。

 

 しかしそれも、今は赤錆で覆い尽されている。鉄の柵も、少し手をかけるだけでボロボロと崩れていく。あと数年もすれば、建物は完全に崩れ去るだろう。存在が、やがて忘れ去れていくのだ。

 

 眺めていた時、背後から足音がした。

 反射的にハンドガンを構え、ポインターを合せる。ソ連の夜戦服に身を包み、目だし帽を雑に被った女性がいた。だが、長すぎる銀髪は、全く帽子に収まっていなかった。

 

「愛国者達は?」

 

「ら・り・る・れ・ろ……これはどういう意味なんだ?」

 

 意味なんて全くない。だが、仲間という証明はできる。目だし帽の下には、銀髪をポニーテールに纏めたガングートの顔があった。

 

 

 *

 

 

 廃工場の中で、どうにか原型を保っている部屋があった。二人はそこに座り、写真や地図を持ち合っている。スネークは顔を顰める。スネークイーター作戦当時と比べて、地形が殆ど変わってしまっていたのだ。

 

「原型を留めているのは、大きな渓谷と、近くにある山頂付近。あとは、離れた場所にある湖ぐらいだな」

 

「いくらなんでも変わりすぎだ」

 

 当初予定されていた侵入ルートは、全滅したと言っていい。クレパス地下に通っていた洞窟に至っては、完全に水没している。泳いで行けないこともないが、潜水艦の巣窟と化しているらしい。

 

 二度の核爆発、温暖化による環境変化、そして深海凄艦の流入。しかし、ここまで変わるとは思っていなかった。深海凄艦も、ある程度棲息し易いように、環境をいじっているのかもしれない。

 

「そもそもなんだが」

 

「どうした?」

 

「なぜ、深海凄艦がこんなにいるんだ? ここはソ連領内だろ」

 

 当然の疑問だった。ソ連は人類の敵を国内に立ち入らせて、見て見ぬふりをしていると言っていい。そんなことが許されるのか分からなかった。

 

「確かにソ連領内だ。だが、『中立区』でもある」

 

「中立区……一切の戦闘を禁じる、非戦闘地帯のことか?」

 

「そうだ、ここでの戦闘行動は禁じられている。つまりツェリノヤルスクは、深海凄艦が良いとソ連が認めた土地だ」

 

 おとなしくしている分にはだが。そうガングートは続けた。

 そもそもの理由は、ソ連──しいてはロシアという北の環境に理由はある。

 

 深海凄艦との戦争は領土や領海の奪い合いだ。艦娘に守られた土地は人の土地に。深海凄艦に支配された土地は赤く染まる。

 

 しかしソ連については、事情がやや違っていた。

 北方は当然寒い、故に不凍港が極端に少なくなってしまう。凍っていない海の方が珍しい。つまり海や港を奪っても、凍っていて使えないのだ。

 

 よしんば、貴重な不凍港を奪おうとしても、凄まじい骨肉の争いになる。そこまでやって得られるのは、たかが港一つ。戦略的アドバンテージはとれるが、そこまで戦力を使うぐらいなら、他の海域に行った方が良い。

 

 深海凄艦はそう考え、好戦的な姫の大半は南へ行ってしまった。結果残ったのは、あまり戦いに興味がない消極的な姫ばかりになってしまったのだ。

 

 そんな個体と何年も関わっていれば、ソ連の方だって警戒心はどうしても薄れていく。そうしてソ連は、日本や合衆国と比べて深海凄艦との距離が近い国になったのだった。

 

「だが、一定の線引きは必要になってきた」

 

「線引き?」

 

「あまりに関係が近くなりすぎて、いつのまにか人間社会で生活し出す個体が出始めたんだ」

 

 これに頭を抱えたのがKGBだった。いくら戦う気が皆無といっても深海凄艦は深海凄艦。世界的に見れば人類の敵である。それと一緒に生活している事実が漏れれば、ソ連が攻撃の対象になる危険が出てきた。

 

「KGBは、深海凄艦が生活して問題無いエリアを設けた。当然諸外国には内密にな。戦闘をしないなら、ここで暮らしていいと」

 

「それがツェリノヤルスクか」

 

 深海凄艦が生活する中で、ツェリノヤルスクの環境は変化していった。その結果が水量の異常増加や、それに伴う地形の変化である。

 

「もっとも、それが原因で後ろめたいことの温床になりつつある。腹立たしいことだ」

 

 中立区で暮らす大多数の個体は平和を望んでいる。人間の文化にいつか触れられると信じながら静かに暮らしているのだ。そのささやかな望みを踏みにじる連中がいる。ガングートの苛立ちは眼に見えて分かった。

 

 しかし、そうなるのは仕方ないのではないだろうか。

 ガングートは知らないかもしれないが、ツェリノヤルスクはかつて、米中ソ全てを巻き込んだ壮絶な諜報合戦が起きた場所でもある。

 

 挙句、史上三度目と四度目の核攻撃を受けた後ろめたい土地でもある。そんな場所だからこそ、深海凄艦の中立区という、暗い事情を抱えた場所として選ばれたように思えた。イクチオスの工場が存在するのも、そういった理由がある。

 

「深海凄艦たちは工場のことを知っているのか?」

 

「分からないが、全員が工場に協力していることはない。あくまで一部の過激派だけだ」

 

「そいつらが、中立派に紛れてコソコソしている訳か」

 

 事情を知らない深海凄艦すれば、スネークは完全武装で乗り込んできた敵、または機密を握ろうと目論見るスパイだ。過激派にとっては、多くの作戦を破壊してきた不倶戴天の存在。つまり、どちらに見つかってもただでは済まない。

 

「今更言うまでもないが、お前は絶対に見つかってはいけない」

 

「分かっている、ステルスだろ? お前こそどうする気だ?」

 

 モセスにスパイがいる危険を踏まえて、ガングートが現地でどう協力するのかスネークは聞いていない。知っているG.Wも話してくれなかった。スネークは徒歩で、工場に侵入する予定だが、こいつはどうするのか。

 

「私は、()()()から乗り込んでいく」

 

「何だって?」

 

「勿論策はある。内部にいる協力者が手引きしてくれる予定だ。ただし、工場まではお前と別ルートで行く」

 

 まさか、あの恰好で乗り込むのかと疑っていたが流石に違ったか。スネークは胸をなでおろす。しかし協力者とは誰なのか、そいつが信用できなければ意味がないからだ。

 

「フョードロフが内部協力者を用意してくれたんだ」

 

「あいつが? なぜ?」

 

「当然だろう。この工場の存在はソ連にとってもヤバイ案件だ。だがKGBが動けば荒が立つ。イクチオスの工場破壊という任務達成は、あいつらにとっても望ましい」

 

 被害は、人間だけにもとどまらない。

 中立区にイクチオスの工場があったとなれば、全ての深海凄艦が疑惑の対象になる。戦いを望まず逃げてきた深海凄艦も、皆殺しになる。新たな報復心が生まれ、戦争はより泥沼へと陥る。

 

 ヴァイパーの言うことが確かなら、それこそ、愛国者達の意図だ。明確な敵を作り、人の意志を纏める。よくある手法だ。だが、それを世界規模でやれば収集がつかなくなる。仮に、私がそれを止めることまでもが計画の内だとしても、やらなくてはならない。

 

「工場に入った後は手助けできるが、あくまで本命はお前だ」

 

「分かっているさ、こちらこそ頼りにしているぞ」

 

「ああ、勿論だ」

 

 ガングートはそう胸を叩いた。

 彼女もまた、特殊な立ち位置にいる。もしかしたら、フョードロフとも違う立場で動いているのかもしれない。元々あちらが押し掛けてきた協力関係だ。完全に信用するのは間違っている。

 

 だが、信用しないことも間違っている。

 今、この時は、きっとガングートは裏切らない味方に違いない。スネークは地図を精査する彼女を見つめていた。できれば、裏切らないことを祈って。

 




―― 145.73 ――


〈そういえば、青葉はいったいどこにいるんだ?〉
〈モスクワだ、そこに色々な機材を持ち込み、情報を集めさせている〉
〈……正直、お前一人で良いと思うのだが〉
〈青葉を心配しているのか?〉
〈そういうことではない、効率の問題だ。大規模情報処理システムのお前では駄目なのか?〉
〈結論から言えば駄目だ。我々の世界で(G.W)があれだけの力を発揮できたのは、インターネット以外にも生身の手足がいたからだ〉
〈愛国者達のエージェントか〉
〈下級工作員に、シギント達、そうとさえ自覚していない連中に、仕込まれたナノマシン。インターネットだけでは限界がある。なによりデジタル情報には、信憑性が欠けている。最後に確信を得るには、どうしても生の情報がいる〉
〈やはりそうか、21世紀の戦艦が、情けない話だ〉
〈碌にハイテク兵器を使えない身で、今更言うことか?〉
〈なら景気よくミサイルを撃たせてくれよ、たまには艦らしい戦いを――〉
〈その分の資材を稼げるなら、考えないこともない〉
〈……チッ〉


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File61 寄生する声

 KGBにまだ籍を置いていた頃、一つの昔話を聞いたことがあった。

 世界が東西に分かれ対立していた時代、世界は二度、全面核戦争一歩手前まで行ったことを。一つ目は1962年、キューバ危機。これは良く、世に知られている。

 

 そしてもう一つ、闇に葬られた歴史を私は知った。

 1964年、当時既に、伝説の英雄と呼ばれていた、ザ・ボスのコードネームを持つ工作員がソ連へ亡命。その際手土産として持ち込んだ携帯用核兵器デイビークロケットを、ソ連領内にて使用。世界は、二度目の危機を迎えた。

 

 時代は、その危機を一人の青年に負わせることになる。ザ・ボスの弟子であり、後に伝説の傭兵──ビッグボスと呼ばれることになる、ネイキッド・スネークが選ばれた。シェル・スネークがそのミームを継承していると知った時、私は自然と、彼女に興味を持っていたのだ。

 

 

 

 

 

── File61 寄生する声 ──

 

 

 

 

 ジャングルに姿を消したスネークを見届けて、ガングートは止めてあったジープに再び乗り込む。ここはまだ深海凄艦の警戒範囲外だから見つかることはない。気を抜いていいのはここが最後なのだ。

 

 スネークとは違いガングートは陸路でツェリノヤルスクに乗り込んでいる。ガングートが()()()ルートを使うことで敵の注意を引くためだ。だからといって、私が見つかる前提の作戦ではない。

 

〈ガングートさん、聞こえてますか?〉

 

 明石からの無線に返事をする。ノイズ一つない上、盗聴の危険もない。艦としてはとことん使えないアーセナルギアだが、テクノロジーは規格外だ。いったいどんな歴史を辿れば、こんな技術が生まれるのか想像もできない。まあオカルト(わたしたち)も、人のことは言えない。

 

〈スネークさんは無事に潜入できたみたいです〉

 

「ああ、こちらからも確認している。既に行動は始めているのか?」

 

〈はい、イクチオスの工場への侵入ルートを探しています〉

 

 工場の場所はあらかた把握できている。しかし、さすがに内部構造までは把握し切れなかった。KGBのネットワークを調べたG.Wによれば、その情報はどれも抹消されていた。

 

 抹消される理由はある。この地下工場はかつて、核戦争の引き金に指をかけた場所なのだ。ソ連からすれば歴史の闇に葬りたい土地だ。だから情報は秘匿されていた。万一に備え、情報はデータ化されていなかったため、復元もできなかった。

 

「工場の正面入り口はどこにあるんだ?」

 

〈それについてなら、青葉さんから話があります。無線を繋ぎますね……〉

 

 工場のデータを手に入れたのは、モスクワで諜報活動に当たっている青葉だ。私とG.Wがある程度教えたとはいえ、この短期間でここまで伸びるとは思わなかった。元々、こっち方面の才能があったのかもしれない。

 

〈どうも青葉です、聞こえてますか?〉

 

「ああ、ガングートだ。久し振りだな、調子はどうだ?」

 

〈お蔭さまでバッチリですよ〉

 

 諜報、と言っても電子データ関係は全てG.Wでどうにかできる。青葉がしているのは電子化されていない、書籍や個人が保有している物理データだ。その為に現地の取材スタッフを装いながらあちこちを探っている。

 

 それも一人ではない。ガングートの知る、信頼できるツテに手伝わせている。政治の舞台や、社交界での動き方といった青葉では知りようのないことだ。KGBを追放されたとは言っても、個人的なコネはまだ残っている。

 

〈本当に色々ありがとうございます、気を使って貰っちゃって〉

 

「気にするな。すべきことをしていればそれで良い」

 

〈はい、それで工場の入り口ですが……地図出してもらって良いですか?〉

 

 青葉の説明を聞きながら、地図上での位置を確認していく。ツェリノヤルスクと聞いて予想していたが、やはり地下工場そのものは、かなり広範囲に跨っている。一日二日で掘れる大きさではない、とても長い時間をかけて、少しずつ拡大していったのだろう。

 

〈で、場所ですが、ここからどんどん北上していった場所にクラスノゴリエという山があります。そこを下った先に湖が広がっています〉

 

「だいぶ先だな、Роковой Берег(ロコヴォイ・ビエレッグ)という湖か」

 

〈あ、違います。そこ昔の地形と変わっちゃっているんですよ〉

 

 衛星写真のデータを見ると、湖は山を下ったすぐの場所にあった。ガングートの覚えが正しければ、ここには昔GRUの要塞があった筈だ。噂レベルでしか知らないが。その要塞が突如無くなったという噂も聞いたが、水没していたとは。これも深海凄艦の影響だろう。または、工場を隠すための工作か。

 

「工場は湖の真下か」

 

〈そうです、入口も湖の畔にあります。山を回りこむルートはありますので、そっちを使って下さい〉

 

「分かった。青葉は引き続き、KGBの調査を続行してくれ。あいつらが何を目論んでいるか知らなければならない」

 

 KGB──フョードロフがスネークに何か期待しているのは間違いない。もしかしたら、深海凄艦とグルになって陥れようとしている危険もある。ソ連に最接近できるこのチャンスは生かしたかった。青葉には危険な任務だが、できないことはない。そうガングートは思っている。万一の()()()()()

 

〈任せて下さい、その為に来たようなものですから!〉

 

 青葉は、まるで夢を見る少女のようだ。いや、英雄に憧れる少年か。しかし、夢物語としてではなく、本物としてスネークが隣にいたからか、決して慢心せず、冷静に任務を達成しようとしている。

 

 自分自身の意志で、現実に向き合っている。新人故の技術不足はあれど、極端な油断や自信はない。ただ傍にいるだけで、此処まで変わらせるとは。『スネーク』とは、そういう存在なのかもしれない。

 

 なら、私も影響を受けているのだろうか。

 受けていたとしても、特段、重要ではないが。私がどう変わろうとも、それは、大きな意味を成さない。すべきことは、変わっていかないのだから。

 

 

 *

 

 

 時間は、作戦開始の数日前に遡る。

 回転ベッドに寝かされた女性が拘束されている。意識はないが、念のための処置だ。万一暴れられたら、誰であっても止めることができない。

 

「見た目は普通の艦娘なんですが」

 

「まあ、そんなわけないよな」

 

 明石と北条はお互いを見合わせながら首を傾げる。

 徹底した精密検査をするために、彼女は服を脱がされていた。手術跡もない。局所的に深海凄艦化してもいない。見る分には、本当に普通の艦娘でしかない。

 

「提督は何か知らないんですか?」

 

「川内が、俺が捕まったあとに配属されたのは知ってんだろ。俺は全く知らねえ。スネークはどうだ」

 

「知ると思うか?」

 

 検査を受けているのは、未だ昏睡状態を保っているサイボーグ忍者──軽巡川内だった。アフリカで行えなかった精密検査が、やっと行われているのだ。体にはデータを取るための機械が幾つも繋がれている。送られたデータは、別室の北方棲姫が解析している。

 

 しかし、どう転んでも普通の艦娘ではない。スネークはそう確信している。あんな動きが普通の艦娘に出来てたまるか。確実に何かがある。その恐ろしさを味わったせいか、顔が若干蒼ざめていた。

 

 アフリカの調査で分かったのは、艦としてのテロメアがほとんど残っていないこと。それだけだった。モセスの設備を使えば、もっと詳しく調べられる。

 

 大本営に引き渡す選択肢もあったが、それは妹の神通が望まなかった。

 正しい政府機関である大本営は、彼女を徹底的に調べるだろう。そうなれば、川内は間違いなく死ぬことになる。

 

〈……これは、どう言えば良いのか〉

 

 別室で解析している北方棲姫の戸惑う声が聞こえてくる。

 

「どうした?」

 

〈ゲノム情報の解析が終わった。やっぱり普通の『川内』と違う。彼女のコードには、人間と深海凄艦のコードも混じっている〉

 

 それはつまり、継ぎ接ぎということか。

 川内は私と同じく、スペクターに近い存在なのか。一応、私よりは艦娘側に寄っているらしいが、混ざっていることは変わらない。

 

〈こんな個体が自然に生まれることはない〉

 

「ってことは、誰かが意図的に建造したってことか」

 

〈スネークを建造したのと同じ存在かもしれない。ただもう一つ分かったことがある。本体の劣化具合から計算して、川内が建造されたのはおおよそ30年ぐらい前だ〉

 

 艦娘として活動できるのは、おおよそ30年が目安と言われている。それを越えるとゲノム情報の劣化によって艤装とリンクできなくなる。その後解体されて、人間社会に入る個体が多数だ。

 

「川内さんが建造されたのって、1年ぐらい前じゃなかったんですか?」

 

「おおかたなんかの方法で偽造してたんだろ。だが、それでもおかしいぞ……艦娘が出現したのは、今から1()5()()()だ」

 

 ますます意味が分からない。艦娘が現れるよりも前から、川内がいた計算になってしまう。謎が謎を呼ぶ。いっそ直接話してくれれば話が早いが、今までの態度を思うと、素直に話してくれるとは思えない。

 

 しかし調べないわけにもいかない。できる範囲で調べていくしかない。途中、明石が彼女の喉元を大きくのぞき込んでいた。聞くと北方棲姫が、レントゲン写真で妙な影を見つけたと言う。

 

 直接取り出すのは難しい。仕方なく高速修復剤を用意し、明石が素早く喉を切開していく。北条は出血を抑えたりしながら明石を補助する。元々同じ艦隊にいただけあって、連携は完璧だった。

 

「……これでしょうか」

 

「あったのか」

 

「はい、取り出してみます」

 

 とても小さなそれを取り出し、消毒後すぐに修復剤を塗っていく。一瞬で傷は塞がり跡も残らなかった。

 

 取り出した()()は、短い回虫のような虫だった。寄生虫の類なのは間違いない。虫と聞いて思い浮かぶのは屍棲虫だが、あれは目視困難なレベルで小さいので、これとは違う。なら何なのか──そう誰もが思った瞬間、医務室にアラートが鳴り響いた。

 

〈全員、()()()()()()()()、一言も話すな〉

 

 アラートを鳴らしたのはG.Wだった。AIだと言うのに、焦っているように聞こえた。そしてこの医務室を一時的に封鎖するとまで言い出した。

 

「どういう──」

 

〈話すなといった。それとも死にたいのか〉

 

 凄まじい圧に、明石も押し黙る。G.Wがここまでするとはただ事ではない。別室にいる北方棲姫さえ口を閉ざしている。全員が沈黙したのを確認すると、部屋にMk-4が入ってきた。

 

 Mk-4がモニターを出現させる。AIの合成音声さえ危険だと言うのか。そして、そのモニターに書かれた文字を見て、それを知る者は背筋を凍りつかせる。

 

 

()()()だ〉

 

 

 目を疑った。

 かつてアフリカでスカルフェイスが目論んだ、民族解放の計画。その中心を成すファクター。それが声帯虫だ。特定の言語に反応し、特定の言語を使う宿主のみを抹消する言語浄化兵器。だが、スカルフェイスの絶命と共に、完全に抹消された筈だ。

 

 川内を保護してから、もう色々な言葉を話してしまった。私は英語だし、ガングートはロシア語。他の面々は日本語を話している。もうパンデミックが起きているかもしれない。そしてここに、声帯虫の専門家はいない。もしもそうなら、ここで終わりだ。

 

「……大丈夫、それは、問題ない」

 

 聞こえたのは、破滅を齎す声なのか。川内が、虚ろながらも目を開けて、こちらを見つめていた。

 

「この声帯虫はね、特注なの。ロシア語にも日本語にも、英語にも──この世界の、言語と言えるものには一切反応しない」

 

〈なぜだ?〉

 

 聞いたのはG.Wだった。私たちはまだ、声帯虫の恐怖に固まっていたのだ。

 

「超音波だからだよ、人間に聞き取れない音じゃ、言語にはならないでしょ? それに声帯虫は人に害を与える虫じゃない、私のこれは、愛国者達が改造する前の虫」

 

 沈黙は保たれていた。恐怖ではない。川内の言葉を聞き逃さないためだった。彼女の声は、静寂でしか聞き取れないほどか細い。そんなこと構いもせず、川内は口を開く。額に汗が浮かんでいた。

 

「スネーク、頼みがあるの」

 

「なんだ」

 

「この子を、ツェリノヤルスクに連れていってほしい。そこに行くんでしょ?」

 

 ツェリノヤルスクだって? 

 それは今まさに、これから行こうとしている場所だ。朦朧としながらも、私達の話を聞いていたのだろうか。

 

「私は、この子を託すためだけに生きてきた。それが彼の、最後の願いだったから……正直、貴女で良いのかって思うけど、もう時間がない」

 

「時間がない?」

 

「……これを遂行できない人に話しても意味がないから、言わない。でも大丈夫、答えは、その虫の中にある」

 

 川内の腕が、だらりと崩れた。

 明石は回収した声帯虫を保管する為に走る。別室の北条と北方棲姫も、動きだす。G.Wも何かをしているのだろう。

 

 川内の手を握りながら、スネークだけが呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 *

 

 

 非干渉地帯であるツェリノヤルスクでは、武装の所持が著しく制限される。例え警備の深海凄艦であっても、艤装の装備が許されなくなる。野生動物を迎撃する武器さえ持っていない。

 

 そもそも、正規の深海凄艦が、そんな危険な道を歩くことは想定されてない。

 つり橋が落ちていたのもそれが理由だ。不審者を焙りだすための罠と言っていい。ガングートは最大限警戒を高めながら、ジャングルの中をバックサックを背負い歩く。

 

 スネーク程ではないが、私も元工作員の端くれ。

 何なら、姫級深海凄艦の基地に、単独潜入したこともある。ある程度のスニーキング能力は持っている。若干感覚が鈍っているが、そこは実戦で取り戻せばいい。

 

 ツェリノヤルスクは中立区だ。

 しかし、一枚岩ではない。

 むしろ、中立を維持するため強固なルールによって護られている。その分、規則の抜け穴を探る者も多い。

 

 大多数は、艦娘との戦闘を回避するために逃げてきた勢力だ。それさえも、戦闘を嫌う穏健派や、攻撃には徹底抗戦すべきと主張するグループに分かれる。水面下でコソコソ動き、陰謀を張り巡らせるものもいる。人類社会に紛れ込もうとする個体もいる。それらを統制するには、厳格で冷たいルールが必要だ。

 

 ガングートは増水した川のほとり、地下洞窟だった入口付近で、人を待っていた。増水の量は凄まじい。洞窟は完全に水没している。上にあるクレパスからも、水が覗き込める。専用の潜水装備無しで、潜り続けるのは不可能だろう。

 

 河の中に、不意に影が写った。身構えながら、それが浮上するのを待つ。手にはハンドガンが握られている。

 

「出迎えにしては、物騒でち」

 

「敵地でなにを言っている、信用していいのは、自分だけだ」

 

 不服そうな態度で、伊58が浮上した。背中には、大型機械のパーツが積まれていた。待っていた人とは、彼女のことだ。

 

「スネークが使えそうな水路はあったか」

 

「全然駄目でち。どこもかしこも、潜水艦やソナーまみれ。ゴーヤもほとんど進めなかった」

 

 潜入工作に向いているのは、言うまでもなく潜水艦だ。だから対潜対策が厳重なのは当然だ。やはりスネークは、陸路で侵入するしかないらしい。

 

「そっちはなにか、成果があったでちか?」

 

「せいぜい、大規模な物資輸送がされているぐらいだ。恐らくイクチオス建造のための資材だろう」

 

 遠巻きに見ただけだが、輸送に関わっているのは過激派のように見えた。しかし途中、何度も物資の引継ぎが行われている。大本以外は、誰も物資がどこに行っているのか分かっていないのだろう。

 

 そこを辿れれば、スネークが潜れるルートを出せるかもしれないが……それはガングートの仕事ではない。ガングートはただ、真っ直ぐに正面入り口を目指している。

 

「お前こそ、艤装の運び込みはどうだ?」

 

「まだルート確保の最中でち、そっちはスネークから借りたレイを使って頑張ってるよ」

 

 仮に、イクチオスの工場があった場合は、破壊するための大火力兵装が必要だ。一発二発の砲撃では意味がない。そこで、スネークの艤装に白羽の矢が立った。もっとも、分割しなければ運べないほど重かったが。

 

 一方、艤装に搭載されたレイは優秀だった。完全AI制御に、高いステルス性。これを可能な限り配備すれば、ツェリノヤルスクの地下は完全に分かる。

 

 深海凄艦が主に暮らしている。

 つまり、生活や流通の拠点も、水中にある。人間より遥かに水に適合しているのだ、恐らく、ツェリノヤルスクには莫大な地下水路が張り巡らされている。敵も活用しているだろう。

 

 それを辿れば、工場へのヒントがある。伊58の役割は、想像する以上に大きい。スネークやガングートがわざわざ地上を歩いているのは、陽動の意味もある。地上がおなざりになって良い訳ではないが。

 

「了解、また潜ってくるでち」

 

「頼んだぞ」

 

 再び消えた伊58と別れ、次なる目的地を目指す。スネークが山頂に着くまでの間に、行くべき場所があった。まず残っていない。彼らはそう思っているが、万一残っている可能性を許容できない。だから、ガングートに依頼が来た。

 

 スネークにも言っていない内容だ。

 まあ、無関係ではない。もしかしたらだが──愛国者達の資料があるかもしれないのだ。行くことが無駄になることはない。

 

 双方に利益があれば、それは裏切りではないのだ。

 それでも、少し後ろめたい気持ちを抱え、ガングートはジャングルの奥から、洞窟の出口への回り道を歩き出していた。

 




―― 142.52 ――


〈どうも! 青葉です! 何か御用でしょうか!〉
〈いや、ソ連の現状を知りたくて通信した〉
〈と言いますと?〉
〈どうも敵兵の様子がピリピリしている、通常の警戒態勢とは違う気がする〉
〈なるほど、その予想は当たってますね……正直、全く笑えない、ていうかヤバイです〉
〈ヤバイ?〉
〈えー、元々フョードロフさんがイクチオスの破壊を依頼してきたのは、この情報を他の国に嗅ぎつけられたら、ヤバイからですよね?〉
〈ああ〉
〈……ぶっちゃけ、感づいていそうです〉
〈……ヤバイな〉
〈まあ、まだ乗り込んで来る気はないみたいです。いざ乗り込んで証拠がなかったら、今度ヤバイのはあちらですからねぇ〉
〈だが、時間の問題なんだろ?〉
〈はい、特にアフリカで、ヴァイパーがビーチ……深海の技術を使っていたことから、深海凄艦に近い、ソ連が疑われ出したんです。多分中立区は、まるで無関係だと思いますが〉
〈強硬偵察が起きれば、中立区も被害は確定か〉
〈青葉の国が、無関係な人や深海凄艦を沈めるのを見るのは嫌です〉
〈そんなことは、私だって同じだ。気持ちの良い物ではない〉
〈お互い意見は一致してますね、慣れない環境ですが頑張りましょう!〉


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File62 忌むべき共闘

 幾ら分厚い密林でも、木漏れ日は刺し込む。だが、それもか細くなって消えていく。葉が雨粒を跳ねらせて、どっと豪雨が押し寄せた。山の天気は変わりやすい。急変する天候に、スネークの足取りは遅くなる。

 

 深海凄艦によって増水した水源が、更に強大に暴れる。川は巨大な大蛇みたいにうねり、土を抉り取って流れていく。巻き込まれれば、逆らう術はない。軍艦の化身であっても、所詮は人工物だ。強大な自然に襲われればひとたまりもない。

 

 敵兵も、警備が散漫になっている。スネークは、この自然に身を投じなければならなかった。環境と、自然と一体になることが、スニーキングの真髄だ。無理に動かず、流れに沿って進んでいく。流れには、逆らってはならない。

 

 

 

 

 

── File62 忌むべき共闘 ──

 

 

 

 

 廃屋から北上し、まず、地下洞窟へ繋がるクレパス前に辿り着く。しかし、クレパスから覗けるほどに水は増水している。代わりのルートは直ぐに見つけるために、道を引き返す。

 クレパスから少し逸れた場所には中継基地があった。元々は、GRUの築いた大要塞との連絡基地だったが、今は兵士の詰め所として機能している。

 

 警備は余り強くない。悪天候も原因の一つだが、統率があまりとれていないのが原因に見えた。見張りは規則的に配置されている。それぞれがお互いの死角をカバーし合っているが、見かけだけだ。

 

 だらけた姿勢で艤装を構える兵士は、ほとんど首を動かしていない。逆に真面目な兵士は警戒し過ぎている。本当に見るべき場所を見れていない。個々の練度は高いのだろうが、士気が統一されていなかった。

 

 原因は、中立区の構成にある。ガングートが言ったように、中立派と言っても色々な勢力がある。それによって、警備にかけるやる気も価値観も全く違うのだ。異なる価値を統一することは、想像以上に難しい。

 

 そこへ、上官と思わしき深海凄艦が歩いてきた。

 目が『青い』。flagship改クラスの個体だ。上官が視界に入った瞬間、どの見張りも背筋を伸ばす。異なる価値観の兵士を、強力な個体が統率することで秩序を保っているのだ。

 

 だが、反応が遅れた兵士が一隻いた。

 既に遅い、上官は怠け者に詰め寄り、問答無用で殴り倒す。無線で代わりの兵士を呼び、その兵士は広間へ連行されていく。同じグループも連帯責任だ。体を震わせ、怠け者を睨み付けている。

 

 これから見せしめにされるのだろう。秩序を維持するために必要だからだ。規則を破る者には罰を与える。誰であっても平等に。それがルールだ。しかし、スネークは規則の網目を掻い潜るために来た。

 

 既に兵士の注意は広間に向いている。長くは続かないだろう。それでも十分な隙だ。劣化した柵の下をくぐり、内部へ侵入する。入ってみて、やはり変化を感じた。

 

 資料によれば、中継基地には側溝が設けられていた。今も残っている。だが、深さがまるで違う。足のつかない深さの側溝に、莫大な水が蓄えられている。側溝ではなく、水路として改造されていた。

 

 飛び込めば潜水艦が気づくかもしれない。少ない残橋を手早く渡り、建物の影に身を隠す。壁の荷物に隠れながら内部を伺う。疲れた様子の兵士が、だらけながら休んでいる。覗き込んでも、気づく様子はない。

 

 ゆっくりと窓を開け、一室に入り込む。一周してみて、窓のない部屋があった。恐らく情報が纏まっている。休憩所だから動き回る兵士は少ない。気配を探りながら、小走りで駆けていく。

 

 部屋の扉を開ける。中は真っ暗だ。しかし、電源は管理室で監視されているかもしれない。スネークは左角に意識を集中させる。何もなかった視界の半分が、とたんに明るくなる。暗視ゴーグルと同じ世界が見える。ソリッドアイと一体化した角は、多くの機能を残していた。

 

 中央には、資料が置かれていた。輸送作業の予定が書かれている。ここから更に北に、GRUのものだった倉庫がある。そこから武器や弾薬を運ぶらしい。具体的な道筋も書かれている。それさえ分かれば良い。小型のカメラで撮影し、建物から離脱する。

 

 地図に書かれている道筋をある程度辿れば、倉庫まで辿り着ける筈だ。しかし、深海凄艦にとっての輸送となると、不安が残る。試しに近くまで行ってみたが、予想は当たってしまった。

 

 輸送用の道路は存在していない。大きな水路が通っている。そこを輸送艦や潜水艦が移動していた。脇のジャングルを歩くことはできるが、リスクは依然大きい。それでも、選択肢はこれしかなさそうだ。

 

 豊富な雨により作られたジャングルは複雑だ。何らかの目印がなければ確実に遭難する。敵の往来が激しい水路を横目に、木々の影に体を隠しながら進んでいく。枯れた枝を踏むことさえ戸惑われる。水の音で消されていると思うが、それでも汗が流れる。

 

 輸送艦の動きを観察し、意識が逸れた一瞬を潜っていく。時間は真昼、もっとも活動が活発な時間だ。それにしても、輸送艦の通る頻度が多いように感じられる。心なしか、護衛の兵士にも疲労の色が見え隠れする。

 

 アフリカでの計画が(表面上)失敗して、多くのイクチオスが機能を止めている。しかし、姫クラスの個体さえいれば、イクチオス自体は機能する。急ピッチで製造が進んでいるのだ。兵士はそのあおりを受けている(何のための物資か知らないだろうが)。

 

 それに気づければ、後は容易い。歩く速度を一気に早めて、スネークは倉庫へとジャングルを移動した。

 

 

 *

 

 

 水路は、クレパスの一部を突っ切る形で通っていた。恐らく、地下洞窟と一部が繋がっている。なぜそんな設計にしたのかは分からない。地下洞窟も、どこかに繋がっているのかもしれない。

 

 経路の先には資材の倉庫が立てられていた。見た目は古く時代の流れを感じさせるが、劣化している様子はない。元々ここにいた人間たちも、深海凄艦も、この倉庫を丁寧に使っていたのだろう。

 

 錆びている扉も、そう開きにくくはない。倉庫の中を覗き込む。この倉庫のどこかに、山頂へ繋がる扉がある筈だ。

 

 兵士の警戒心は強いが、隠れる場所の多さでフォローする。壁を叩き、引き付けたい兵士にだけ聞こえるような音を出す。注意が逸れる。その一瞬が、突破するに十分な隙間をつくる。

 

 山頂への扉は目の前に会った。同じ一階にあったので、楽に見つかった。しかし、ドアノブに手をかけた時、異様な違和感に襲われた。当然この扉も錆に覆われている。使われていないのだから。

 

 だが、ドアノブの錆が僅かに取れていた。

 見逃してしまいそうな程、些細な違いだ。しかし、最近誰かが扉を使ったことを意味する。危険と主張する本能を無視して、慎重に扉を開けた。

 

 暫くジャングルを歩くと、剥き出しの岩場が目立つ山道に出た。隣には別の森林地帯が広がっている。この辺りはそこまで警戒されていないのか、敵兵は散発的にしかいない。今回は横の森から狙撃されて終わる(ジ・エンド)危険はない。

 

 長い山道を越え、やっと、山頂付近に辿り着いた。山頂も基地の一部になっているようだが、水路はここまで伸びていない。そかつて整備されていたらしい塹壕はほとんど壊れていた。

 

 足場代わりの木材は炭化している、土ごと抉られ、原型を留めていない。あの日の核の衝撃がここまで届いていたのだ。兵士が少ない理由も、それなのかもしれない。放射能が効かないと知っていても、嫌悪感はある。

 

 もっとも、それを確かめるために来たのではない。この山頂から、侵入できる場所を探るために来たのだ。塹壕だった場所から、直接入れる山小屋があった。

 

 山小屋に入り奥の扉を開くと、周囲を一望できる崖があった。一応、昔の写真記録は残っているが、完全に変わってしまっている。

 

 此処からは、本来グロズニィグラードと呼ばれる、GRUの大要塞が一望できた。しかし、今は何もない。瓦礫すらない。この土地で発射された4発目の核攻撃に合い、完全に消えてしまっている。衛星写真で確認できた映像と同じ、広い湖だけがある。

 

 ここからどれだけ探せるか。少し不安になりながらも、湖の周辺をじっくりと探っていく。真下にはガングートが言ったように、工場の正面入り口が見えるが、あれは私には使えない。一先ず、ガングートに連絡すべきだろうか。そう考え耳元に手を当てる。

 

 その時、後ろから足音が聞こえた。

 山小屋の反対側から敵が来る。スネークの後ろは断崖絶壁だ。隠れられる場所もない。タイミングは最悪だ。

 

 扉を破り、敵兵が現れる。

 奇襲を仕掛けようと試みるが、敵兵は素早く陣形を組み、スネークに射線を合せた。奇襲でどうにかなる状態ではない。平静を装いながら両手を上げ、奥歯を噛み締める。

 

 敵兵の練度は高い、それに疲労も見られない。装備も、中継基地で見た深海凄艦より遥かに良い物を使っている。同じ組織に属するとさえ思えない。違いが露骨過ぎた。敵の一人と目が合い、ゆっくりと地面に伏せるように指示が出される。

 

 スネークはフラフラと歩き、それを誤魔化す。当然敵は苛立つが、伏せたらもう、奇襲のチャンスもなくなってしまう。増していく敵兵の殺意に、怯むことなく平静を維持する。

 

 だが再び足音が聞こえた。

 山小屋の扉が開く。敵兵の一人が、そちらに意識を向けた。一瞬だが、決定的な隙だった。スネークはありったけの力で跳躍し、後頭部にひじ打ちを叩き込む。

 

 敵兵を盾にハンドガンを構える。

 だが、既に残る敵兵も倒されていた。的確に頭部を撃ち抜かれ、断末魔を上げる暇もなかったのだ。打ったのは当然、新たな乱入者だ。

 

 いったい誰なのか。警戒していても、礼ぐらいは言わなくてはならない。スネークはハンドガンを構えながら、その存在に目線を動かす。

 

 シンプルな野戦服を着た男を目にした時、スネークのささやかな感謝は欠片も残さず消し飛んだ。代わりに角の激痛がスネークの報復心をたきつける。

 

「久し振りだなスネーク」

 

「貴様、なぜここにいる」

 

「それはお互い様だろ、お互い、不法侵入している身の上だ」

 

 服装こそ違うが忘れる筈がない。

 

 単冠湾泊地に派遣されていた技術者だったが、実際は大本営の工作員だった男。何らかの技術を用いて大混乱を起こし、神通と軽巡棲姫が殺し合うよう決定づけた──『川路』が、目の前にいた。

 

「安心しろ、今回はお前の協力者だ」

 

 何を言っている、この男は。

 殺意を滾らせるスネークを沈めるように、一本の無線が鳴り響いた。

 無線相手は、ガングートを示していた。

 

 

 *

 

 

 まずガングートはスネークに謝罪した。防諜の危険があったとはいえ、事前に川路が来ることを伝えられなかったからだ。私が川路をどう感じているか知っていたが、言うことはできなかった。

 

 改めて伝えてきた内容は、ガングートが用意した内通者こそ──この川路だと言うのだ。川路が工場内部への侵入を手引きしてくれるという。しかし、とうてい納得できるものではない。いや、意味が分からなかった。

 

〈こいつは何なんだ?〉

 

 当たり前の疑問だった。大本営の工作員がどうしてソ連にいるのか。

 

〈一つ目、川路は大本営の工作員ではなくKGBの二重スパイだ。二つ目、こいつはフョードロフの部下だ〉

 

 誤魔化しても更に苛立つだけだとガングートは分かっている。とてもシンプルに事実だけを伝えてきた。

 

「ならどうして単冠湾にいたんだ」

 

〈大本営の為に行動するフリで、実際には大本営と米国、両方の力を削ぐ狙いがあったらしい。まあお前が原因で上手くいかなかったんだが〉

 

 あの事件は結局、モセスの核製造と、ブラック鎮守府運営。お互いの弱みをお互いが黙ることで決着した。もしかしたら、お互いにダメージを負う可能性もあったのだ。ソ連の狙いは間違ってはいない。工作員としては妙に雑な行動には、そういった裏があったのだ。

 

「鎮守府と大本営とKGB……で、今はこの工場でスパイ活動か?」

 

〈そういうことだ、イクチオス製造に関わっていたのは主にGRUだからな〉

 

 今回の事件は、根幹にGRUが関わっている。GRUとKGBの関係は複雑だ。お互いが力を持ちすぎないように、互いに監視する機能を備えている。二つの組織は、設立から対立を定められているのだ。

 

「信じて良いのか」

 

〈それしかないだろう、それに、何でもKGB側でしたいことがあるらしい。話を聞いて貰えないか〉

 

「……了解した」

 

 極めて不満、いや不満しかない。しかしそれを呑み込むしかない、拒否することは状況が許さない。まさか、こんなことになるとは思わなかった。川路は薄気味悪い笑みが浮かべている。

 

「話したいこととは何だ、さっさと言え」

 

「再会だと言うのに冷たい女だ、まあ良い」

 

 敵兵の死体は、山小屋の物陰に隠されていた。時間が立てば、深海凄艦の特性上、粒子になって消える。見つかることはなくなる。

 

「合衆国から拉致されたジェイムズ・ハークスは、GRUの保有する秘密設計局OKB0で、イクチオスの開発を行った。此処までは良いな?」

 

 スネークは頷く。ソ連は深海凄艦との距離が近い。その分癒着も起きやすい。ある一件以来、求心力を失いつつあるGRUの一部が深海凄艦に接近した。今思えば、そこに愛国者達が潜んでいたのだ。

 

「それを主導したGRUの目的は、端的に言えば、共産主義の世界支配だ」

 

「……こんな時代に、そんなことを?」

 

「こんな時代だからこそ、連中はチャンスと捉えたのだ」

 

 共通の敵がいれば、人類は一つになれるなど誰が言ったのか。いや、ソ連にとって深海凄艦は敵とは言い難い。だから『敵』が再び資本主義に変わったのだろう。WW2から冷戦に変わった時のように。

 

「メタルギア・イクチオスを世界中に撒こうした目的は、世界経済の完全破壊だった」

 

「破壊か、そして、安定した経済体制の提供を目論んだのか」

 

「察しが良くて助かる」

 

 深海凄艦出現直後、世界経済はボロボロになった。輸出入を積極的に行っていた資本主義国家は壊滅的打撃を受けたのだ。結果、日本は代替として艦娘による戦争経済に傾倒していくことになった。

 

 一番ダメージを受けたのは、当時スターウォーズ計画を進めていたアメリカだ。深海凄艦に通常兵器は効かない。折角の軍拡は全て水の泡となり、莫大な借金だけが残ったのだ。そして、計画経済を行っていたソ連が相対的に無事だった。

 

「それ以降、計画経済への注目が世界的に高まった。深海凄艦の支配する世界ではそれしかないと」

 

 合衆国が深海凄艦残滅に熱を燃やしているのはそれが理由だ。安定した輸出入が復活しない限り、資本主義は二度と栄えない。

 

 GRUはだからこそ、イクチオスをばら撒こうとした。第三各国を利用した過激なテロ活動によって、深海凄艦の支配を更に強めようとしたのだ。

 

「愚かな連中だ、どう転んでも連中は敵、信用して良い相手ではない」

 

 それほどGRUはひっ迫していたのだろう。()()()()以来、GRUの権威は落ちる一方だとG.Wの記録には残っている。

 

「第三各国を戦争経済に巻き込み、敢えてそれを壊す。そこへ我々が手を差し伸べ、西側勢力だったエリアも、全てを共産勢力とする。ひっ迫した経済状態では拒むことはできない……筈が、深海側が用意した、|現地指揮官〈ヴァイパー〉の暴走といった理由で失敗した訳だ」

 

「良い話だ、本当に失敗して良かった」

 

「ああ、KGBも同じ考えだ」

 

 計画を挫くのに一応手を貸した私も、関係者の間では名が知られているらしい。いくつかの任務に失敗しているにも関わらず支援が打ち切られないのは、そういった理由がある。まだ利用価値があるということだ。

 

 残存したGRUは今度こそ瀕死になっている。そこで最後の賭けに出た。それがこの工場らしい。運び込まれている資材の多くはGRUが用意したもの。設備や人員にも、そちら側の()()まで紛れ込んでいる。

 

「深海凄艦を利用できることは強みだ。しかし、動かすのは人間でなくてはならない。ましてやその中に、愛国者達が潜んでいるとなれば、これは合衆国からの侵略だ」

 

 川路は熱心に語る。ソ連を今一度偉大な帝国にする為の一歩が近いのだ。正直言って、どうでも良かった。GRUの意図が知れたのは良いが、ソ連の復活などどうでもいい。国家がどう動こうが、スネークには一切関係ないのだから。

 

「我々としては、お前やガングートが動いてくれればとても助かる。その分、連中を追い詰める証拠が集めやすくなる」

 

「私に何かしろ、ということではないんだな?」

 

「そうだ、むしろこちらから情報を提供する」

 

 ならまだマシだ。積極的に関わらなければ、この角も痛んでこない。

 しかし、一つ確かめたいことがあった。『発作』についてだ。単冠湾で起きたものとアフリカで起きたものは、ヴァイパーが行ったものと同一の現象に見える。

 

「発作か、あれはヴァイパーが我々のところから盗み出した技術だ」

 

「自分たちの技術と言っていたが」

 

「いや、オリジナルはソ連だ。向こうの方が性能が高いのは認めるが……それと、ヴァイパーについて情報がある」

 

 ソ連もまた、独自に単冠湾事件を観察していた。

 その時起きた、ブラック・チェンバーの虐殺も知っている。決定的な証拠はないから使える情報ではない。しかし、スネークたちの知らない情報を持っていた。

 

「我々の情報が正しければ……当時、ヴァイパーたちとは行動を別にしていたメンバーが、一人いる」

 

「……なんだと?」

 

「ブラック・チェンバーはまだ全滅していないということだ、恐らく情報を盗み出したのも」

 

 もしそいつが生きていれば、今、最も殺すべき対象は誰なのか。背筋に感じた、冷たい感覚は、気のせいなのか。

 




ガングート(艦隊これくしょん)

ロシア帝国により建造された初の弩級戦艦。当時のロシア海軍は日露戦争や、ドレッドノート級の登場により事実上壊滅、残る艦も旧式化しており、その再建のために建造された軍艦である。
現在確認されている艦娘の中では、特に古い艦でもある。その為、艦娘としての性能はそこまで高くはない。しかし、そもそも極寒のロシア近海で活動できる艦娘・深海凄艦は限定される為、大きな問題にはなっていない。
スネークと共に活動しているガングートは、ソ連にて最初期に建造に成功した艦娘として記録されている。主な活動は、まだ黎明期でもあった為、海戦以外での活用方法検証としてKGBに所属していたが、現在は追放されている。
その後は様々な組織を転々とし、最終的にシェル・スネークと共に行動している。現状、特定の目的を持って行動している訳ではなく、単に居場所がない為、モセスに身を寄せている模様。

尚、ソ連にて最初に建造された事については、擬装の可能性が指摘されている。


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File63 異形

 ある建物に立ち入ってはみたものの、やはり収穫はなかった。

 しかし、ない筈がないのだ。それは必ず存在する。あるとすれば地下工場か。ガングートは足元を見下ろす。この広大な工場から、どう探し当てればいいのか。

 

 それを狙う勢力は多い。あいつらだけではない、大本営や合衆国も例外ではない。この短期間でCIAまで来ているとは考えにくい。青葉に探らせるべきか、いや、それは()()()()危険になる。

 

 一人で、誰にも話さずにこなすしかなさそうだ。

 ガングートは溜息をついて建物から出る。感情を殺すことは慣れている。私はそうやって生きてきたのだから。感情がなければ時代に流されることもないのだから。

 

 

 

 

 

── File63 異形 ──

 

 

 

 

 しばらく経つと、また、無線機が起動した。周波数はスネークのものを示している。通信を繋いで声をかけると、やや遅れて返事が来た。不機嫌さを隠そうともしていない。どうも、ヴァイパーの発作と川路のやったことの類似点について、納得できる説明がなかったらしい。

 

 一応だが──発作のメカニズムだけは分かった。これをメカニズムと言っていいのか分からないが、『超能力的』なものらしい。

 

 艦娘には提督の遺伝子コードを、接触せずとも認識できる能力がある。その際、互いで感知できない脳波のやり取りがされている、という仮説がある。実際艦娘と提督を接触させると、脳が活性化することが分かっている。

 

 それが何なのか分からない時点で、オカルトに片足を突っ込んだ仮説止まりだ。それでも元々が出自不明の兵器故、この仮説は有名なものとして受け入れられている。同時に、深海凄艦の姫級とイロハ級にも、似た関係性が見出されている。

 

 艦娘は──提督が着任することで、艤装遺伝子が100%作動するようになり、全力を振るえるようになる。発作とは、この相互間の情報伝達に干渉することで発生する現象だ。

 

〈ヴァイパーはあの時、発作はSOPシステムの出来そこないだと言っていた〉

 

「兵士や兵器をデジタルによって一元管理する、お前の世界のテクノロジーだったな」

 

〈あの時代だと、SOPがなければ、兵士は全力を発揮できなかった。これは、提督と艦娘。姫とイロハ級の関係に近くないか?〉

 

 近いシステム同時を干渉させたことによるエラー、そう考えれば、川路の言っていることは真実味を帯びてくる。いくら奴でもSOPは知らない。それが確証を強める。しかし、スネークは納得いっていないようだ。

 

「信じられないのか?」

 

 スネークは無言だ。理屈が信じられないのではなく、川路を信用できないのだ。当たり前だ、恩人(神通)友人(神通)を殺し合わせた張本人なのだから。それを呑み込んでもらわなければ困るのだが。

 

「落ち着け、作戦には関係ないただの情報だろう。それに、今KGBには敵対する理由が少ない」

 

〈そうではない〉

 

「ならなんだ?」

 

〈……いや、なんでもない。心配をかけた、任務に戻る〉

 

 今のは強がりか、本当に別の理由があるのか。

 どっちにしても、任務をこなしてくれればガングートとしては何でも良かった。スネークが工場内に入ってくれなければ、私も探し物はできない。

 

 しかし、発作の理屈がそんなに信じにくいのだろうか?

 ガングートには良く理解できない。オカルトは空想ではない、実在する技術ではないか。ソ連は昔から、そっち方面の研究を良くやっていた。

 

 特に、屍者と会話できる霊媒師ザ・ソローは特に有名だ。捕虜を活かす理由はなくなり、嘘をつくこともできなくなった。その力でスターリン政権下の大テロル(粛清)に貢献したと聞いている。その分、ツェリノヤルスクで暗殺された時は激震が走った訳だが。

 

 殺したのは──かつて同じ部隊だったザ・ボスだった。

 そうやって、昨日の友を殺さなければいけない諜報の世界に、ガングートは今も生きている。全ては確率論だ。裏切る可能性が高いか低いかで判断される。心から信じて良い物は何もない。

 

 だが、ないままでは生きていけない。

 ガングートは再び歩き出す。工場への、山道を使わないルートを伊58が探り当ててくれた。正規のルートに紛れ込み、侵入するのだ。

 

 そこまでは、スネークと同じく見つかってはならない。

 慎重に慎重を重ねて動かないといけない。肌がひりつくような感覚が、じわりと広がる。

 懐かしい感覚だ。ガングートはふと、KGBにいた頃を──更に前を思い出した。艦娘として、ソ連で再び戦い始めた頃だ。

 

 その時まだ、艦娘は生まれたばかりだった。唯一深海凄艦に対抗できる戦力として、世界中で運用方法が模索されていた時期に、ガングートは着任した。

 

 ソ連が深海凄艦に近いのは、地形的な理由だけが原因ではない。

 艦娘として顕現した軍艦が、ほとんど確認できていないのだ。他国に比べて、絶対的に不足する艦娘。当時の大本営との取引で、一部の駆逐艦や海防艦を接収したことはあるが、差は未だに縮まらない。

 

 希少な艦娘の一隻として、ガングートはあらゆる運用方法を試された。実戦においての戦闘は勿論、通常の軍隊と連携行動、スパイ活動、破壊工作。耐久度を調べる為の凄惨な実地試験を、味方にやったこともある。

 

 見た目は人間と変わらなくても、力は段違いに高い。諜報と破壊工作の両方を兼ね備えた特殊部隊としての運用もあった。ガングートは、特にその適正が高かった。他国へもぐりこみ、味方の組織にも潜りこんできた。

 

 しかし、艦娘は艦としての年月を重ねていく。

 開戦直後から活動してきたせいか、ガタが来つつあった。そのせいでミスを犯し、KGBを追放されたのだ。既に、時代に付いていけなくなったのだ。

 

 そうして、国家の規範から自由になった私は、何の因果かまたソ連に戻ってきた。あの頃から、またソ連は変わっていた。ここはもう、私の知る祖国ではないのだろう。それでも、漂う諜報の緊迫感は、全く変わらず懐かしいままだった。

 

 

 *

 

 

 ここまで順調に来たつもりだったが、時間が経っていた。作戦開始時は日の出を見た。今見ているのは夕日だ。ジャングルは赤く染まり、地平線が黒く染まり出す。冷たい風が体を叩きだす、獰猛な夜行性の動物が動き出す。

 

 角のおかげで、暗視機能を使えば夜でも動ける。だが、日中の視界には敵わない。一日中歩き続けて、疲労も溜まっている筈だ。できれば少し休みたい。その為には、目の前に座る川路が邪魔だった。

 

「お前はこれからどうするんだ?」

 

「ガングートを工場内部に手引きしなければならないのでな、私は戻る」

 

「……歩きでか?」

 

 やや暗くなっている山道を徒歩で一気に下る気なのか。そんなことができるのかと首を傾げたくなった。

 

「それとジャングルを経由しない安全なルートがある、お前はそれを使えば良い」

 

 川路は深海凄艦の装備からペンを奪い、ボロボロの地面に山の地図を殴り書きする。

 山を少し下ると地下通路への扉がある。昔は鍵がかかっていたが、経年劣化で壊れているらしい。その最下層に、崩落でできた小さい抜け穴がある。その先が、通ってきた倉庫の向こう側に繋がっている。

 

 思い当たるフシがあった。スネークイーター作戦の時も使われた通路だ。途中、遭遇した敵の自爆により崩壊したとG.Wには記録されていたが、そんな道ができていたとは。歩いている間に崩れないか心配だが、その分安全かもしれない。

 

「分かった、だが、私はここで休むことにする

 

「そうか、なら一足先に行っている」

 

 身支度を整え、川路が山小屋から出ていく。ドアノブに手をかけ、彼は振り向く。

 

「期待しているぞ、デンセツのエイユウ」

 

 最悪の気分だった。

 それでも、得た情報は使える。夜のジャングルを行かなくていいなら、朝まで待つ必要はない。仮眠は一時間もとれば十分だ。

 

 小屋の端に置かれていた深海凄艦は、もう消えていた。装備だけが残っている。別に彼女達がなにかした訳ではない。襲われたから反撃しただけ。恨みはない。装備には防寒用の夜戦服や武器があった。手を合わせ、しばし黙とうする。服を貰い、それに身を包む。

 

 どっと、疲れが沸いて来た。

 スニーキングは何度もやったが、ジャングルでの行動は始めてだ。思った以上に疲労が溜まっていた。倦怠感に誘われるまま、左目の瞼を閉じる。彼女の意識は、すぐに消えてなくなった。

 

 

 風に軋む小屋の音に、目が覚める。

 時間を確認すると、丁度一時間経過していた。回復し切っていないが十分だ。軽く装備の点検を済ませる。ハンドガンの弾薬は十分あるが、もう少し装備が欲しかった。

 

 遺体の残骸を見ると、アサルトライフルが残っていた。動作確認をする、不調はなさそうだ。折角なので、これを借りよう。もう一度、礼も込めて黙とうを捧げる。

 

 山小屋を出ると、外は真っ暗になっていた。監視のための照明も最小限で、足元から数メートルまでしか見えない。深海凄艦は元々夜目が効くから、照明が要らないのだ。同時に、侵入者に対する強い牽制になっている。

 

 暗視ゴーグルを起動させ、視界を広く確保する。敵兵の数は、日中よりも増えていた。種族的なアドバンテージを活かすために、夜の警備に力を割いているのだ。巡回している敵兵も、昼間の敵より動きが良い。

 

 再び塹壕に身を隠しながら、山を下っていく。途中、ローター音が急激に大きくなった。スネークのすぐ傍を、戦闘ヘリが通過していく。サーチライトが、塹壕を撫でるように照らしていく。操縦しているのは軽空母だ。バレた瞬間、艦載機が空を覆い尽すのだ。

 

 侵入者がいること事態は、既に把握されているようだ。警備の厳しさが明らかに上がっている。そうなると、ガングートもかなりキツイ状況になっている。伊58も同様だ。そんな中でも、二人はやれることをやってくれている。

 

 期待されているかまでは知らないが、任務は必ず達成したい。疑心で一杯だった彼女の心に、少しだけ余裕が生まれていた。よく見れば、ヘリの型はやや古い。一世代前のハインドが飛んでいる。

 

 それでもヘリは強いし、敵兵もそれを信じている。だがそれ故に、ヘリが飛ぶ近くがやや手薄だ。ヘリだけを警戒すれば、切り抜けられそうだ。サーチライトが途切れた隙を突き、ヘリの近くへ飛び込む。

 

 狙いは当たっていた。少し大胆に移動しても、敵は気づかない。サーチライトがある分、照らされていない場所への注意が薄くなっているのだ。

 

 ヘリに合わせて歩きながら、ふと考える。

 なぜ、ハインドなんて飛ばしているのか。深海凄艦の空母は、夜でも艦載機を飛ばせる。小さいから当然気づきにくい。ヘリの方が小回りは効くが、わざわざハインドを飛ばす理由はなんだろうか。

 

 周囲には。空母クラスの個体は一切いなかった。中立区の規模から行って、不自然だ。別の場所にいると考えられる。より警備の厳重な場所、守らないといけない場所。もし、艦載機を見つけたら、追ってみても良いかもしれない。

 

 更に下ると、細い脇道があった。事前に知らなければ気づかないような扉がある。再びタイミングを見計らって、ヘリの影から飛び出す。誰の視界にも入っていない瞬間は今しかない。勢いのまま駆け抜け、扉へと張り付く。

 

 扉が開くのを確認して、スネークは中へと潜りこむ。外よりも真っ暗な闇の中へ身を沈める。山頂への扉は、また閉ざされた。

 

 

 *

 

 

 地下通路、とでも言うべき道に、敵は全くいなかった。いるのはせいぜい、数十匹もの蝙蝠ぐらいだ。昔と同じく、ここはソ連側もほとんど把握できていないようだ。埃が大量に積もっている。サーマルゴーグルで見ても、足跡もない。

 

 地下へ繋がる長い階段を下りていく。予想通り、途中で行き止まりにぶつかった。情報通りなら、ここはかつて、ネイキッド・スネークと交戦したコブラ部隊のザ・フューリーの自爆により、崩落した場所だ。

 

 怒り、というコードネームを彼は名乗っていた。コブラ部隊の隊員は全員そうだった。由来は分かっていないが、一説によれば、戦場で見出した特別な感情を名前にしていたらしい。

 

 なぜ、そうしたのかは分かっていない。ただ、目の前にある夥しい瓦礫と焼け跡は、確かに壮絶な怒りを帯びていた。瓦礫をどかせば、あの時の憤怒の炎が吹き上がる気さえする。

 

 瓦礫の道を歩きながら、焼け跡を眺める。コブラ部隊は、色々な国家の兵士で構成されていた。合衆国の兵士とソ連の兵士が、同じ部隊で戦っていたのだ。あの頃はまだ、冷戦が起きるなんて誰も想像できていなかった。

 

 その構図が続いているせいで、スネークは今、ソ連にいる。助けてくれるのは、ソ連から追放されたガングートと、KGBの連中だ。青葉も、伊58、北条も国家には帰れない。私は元々祖国がない。ある意味、コブラ部隊と似ている。

 

 だが、コブラ部隊になりたいとはまったく思わなかった。一時的な繋がりで、私たちは協力し合っている。ことが終われば、それぞれの道を行くだけだ。冷戦により引き裂かれたコブラ部隊とは、前提から違う。

 

 あの部隊は強い絆──まるで家族のような感情で繋がっていた。だが、時代は彼らを引き裂いた。制度の中で繋がれなかった彼らは、別のもので繋がる必要があったのだ。時代に左右されないもの、その一つが戦場だった。

 

 スネークに、特別な感情はない。愛国者達に対する怒りは依然燻っている。今も時々、爆発するジミーの姿が夢に出る。トラウマが心を抉る度に、報復心が角を疼かせる。しかし、それは特別な感情だろうか?

 

 報復心や、怒りなんて、戦場にいれば否応なしに感じるものだ。それを特別なものだとは思えなかった。無理に持とうとも思わない。敢えていえば、今暗躍する愛国者達に対する憎しみが、一番強い。それも、目的が達成されれば、忘れ去るだろう。

 

 山積みになった瓦礫の一角から、小さい風を感じた。外に繋がっている場所がある。風を辿ると、成人男性一人分がギリギリ通れるぐらいの抜け穴があった。川路が言っていたのはこれだ。

 

 覗き見ると、穴は妙に綺麗だ。埃や石はあるが、真っ直ぐ規則的に繋がっている。崩落で偶然できた道ではない。元々あった隠し通路が、衝撃で顕に成ったのだ。こんな場所の隠し通路がジャングルに繋がっているとは、後ろめたいものを感じる。

 

 その時、真後ろに足音を聞いた。

 しゃがんだ姿勢で横に跳躍しながら振り返る。頬を砲撃が掠める、摩擦で髪の毛が何本か焼けてしまった。

 

「こいつは……まさか」

 

 暗がりの中に、巨大な尻尾を持つ少女の影が見えた。

 あの形状はレ級の艤装だ。何の気配も感じさせずに現れたということは、間違いなくスペクターだ。ガルエードにいた新型と同じタイプ。死体故に、生きている気配さえ消した哀れな人形。

 

 暗視ゴーグルを作動させようとするが、尻尾の主砲がすぐこちらを捉えた。また跳躍し爆発をかわす。空間が揺れ、天井から石粒がパラパラと落ちる。長く戦っていたら、完全に崩壊して生き埋めになってしまう。

 

 ハンドガンではなくアサルトライフルを手に持ち、数発連射する。効果はほとんどない。レ級の装甲は分厚い。しかし一瞬怯んだ。その隙を突き、股座へ滑り込む。尻尾の付け根なら、主砲は向けられない。

 

 稼働し続ける尻尾に手をかけて立ち上がると、スペクターは尻尾を乱暴に振り回す。見た目と一致しない、圧倒的な質量で押し潰す気だ。

 

 だがそれが隙だ。尾を振った遠心力を制御するため、力を入れた軸足を払いのける。一瞬で姿勢を崩したスペクターを押し倒し、倒れた勢いでナイフを突き刺す。小さな悲鳴を上げた。

 

 スペクターが悲鳴を上げた?

 疑問があったが時間はない。傷が再生するまえに銃身を捻じ込み、奥のコアに向けてフルバーストで撃ち込み続ける。内部で跳弾する痛みに痙攣したスペクターは、その内動かなくなった。

 

 奇妙な個体だった。誰も潜んでいる痕跡がなかったのに、スペクターは現れた。長期間潜んでいたとは思えない。それに、気配こそないが弱い。スペクターはもう少し、強かった気がする。機能停止を確認し、スネークはもう一度暗視ゴーグルを起動する。

 

「……は?」

 

 声が漏れた。つま先から冷たいものがじわりと昇っていく。やがてそれは、吐き気に変わっていく。あえぎながら嘔吐したのは胃液だけだ。食事をしていなかったのが幸いした。もう一度見ても、それは変わらない。

 

 確かに、スペクターだが。

 だが、余りにも歪だった。今までのは一応、レ級の見た目をしていた。これは違う。レ級の形をしているだけ。

 

 素材として使われたであろう、人間、艦娘、深海凄艦の手足、顔、内蔵、血管が、剥き出しのまま放置されていた。絶望に満ちた顔が、半端に混ざり合い、ひしめいている。また僅かに動いている顔もあった。

 

 スネークは狂いそうな激痛に襲われた。

 当然、何の関係もない人たちだ。だが、ここまでされる理由はなんだ。全く意味が分からない。激し過ぎる激痛と怒りが全身を苛んでいく。

 

 スネークはライフルを構える。

 張り付いた顔に向け、一発ずつ銃弾を撃ち込んでいく。もはや生きているのか死んでいるのか。それさえ分からなくなってしまった犠牲者を弔うために。胸中に渦巻くのが憤怒か、悲哀なのか。その自覚もないままに。

 




―― 145.73 ――


〈どうしたスネーク〉
〈川路が教えてくれた地下通路だが、正直言って今にも崩落しそうだ。本当に大丈夫なのか?〉
〈問題ない、その通路を破壊したのはコブラ部隊のザ・フューリーだ〉
〈フューリー……怒り、か。確か爆発物のプロフェッショナルだったな〉
〈当時、奴が爆発を起こしたのは、グロズニィグラードから逃走できる道を潰し、かつ地下を脆くすることで、施設を完全に破壊する為だった。つまり、関係のないエリアには一切ダメージが行かない様に爆破されている〉
〈経年劣化の心配は?〉
〈そちらも無用だ。元々かなり頑強に設計されている。もっとも、もう一度核爆発級の衝撃を受けたら、耐えられないだろうが〉
〈……待て、イクチオスには核が搭載されていたよな。それを破壊したらこの基地は〉
〈だから、核弾頭は別の場所で管理していたのだろう。ヴァイパーに任せ、深海海月姫が開いたビーチによって、誰にも見つからずにイクチオスと核を運搬していたのだ〉
〈今更だが、ビーチは何でもありだな、私達が言えたことでもないが〉
〈どうもビーチ内、もしくはビーチ同士でワープの真似事もできるらしい。エラー娘の猫がそう証言した〉
〈……あの猫、エラー娘もそうだが、何者だ?〉


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File64 設計局

 スペクターとは何だ?

 スネークはふと考えた。船の死骸を継ぎ接ぎにして生まれたフランケンシュタインの怪物。艦への敬意も人への尊厳も存在しないおぞましい兵器。それがスペクターだ。

 

 だが、艦とは元々、そういうものではないのか?

 望む、望まないに関わらず、艦も人も様々なことに関わる。例え轟沈した艦でも、必要ならサルベージされる。足りなければ、他の艦の部品を繋いだテセウスの船になる。

 

 時代が求めれば、パーツは置き換わっていく。主砲は艦載機に、見張り員はレーダーに、艦載機は特攻機に、魚雷も特攻機に。

 スペクターとは、その象徴だ。今まで見た目が綺麗だから忘れていた。必要に求められ、繋がされた存在。しかし、剥き出しになった内面は、あまりにもグロテクスだった。

 

 

 

 

 

── File64 設計局 ──

 

 

 

 

 まだ続く吐き気を堪えながら、通路を匍匐前進で進んでいく。

 圧迫感が酷く、しかも長い。敵の可能性も低い。自然と思考は遭遇したスペクターへと向かっていく。

 

 あの、グロテクスな見た目は何なのだろうか。

 アウルは間違いなく殺人鬼である。しかし、独自の美意識を持ち合わせていた。全身に顔が張りついた醜悪なスペクターは彼の美学に反している。

 

 なら、別の誰かが、あのスペクターを建造したのだろうか。

 そう考えれば、微妙な弱さも納得ができる。本来の建造者が死に、技術を継承した深海海月姫も轟沈したいま、オリジナルのスペクターを建造できる人間はいない。設計図だけで無理矢理再現した結果があの弱さであり、あの醜さなのだ。

 

 それとは別に、どうやって現れたのかも気になった。周囲を探ってみたものの、潜伏していた痕跡は確認できなかった。それこそ、突然その場に現れたように見えた。

 

 突然、時空間を無視して出現する方法──スネークは、『ビーチ』以外にそれを知らない。アフリカの一件から、連中がビーチを技術的に利用できることは分かっている。

 

 地下工場が、実はビーチにある可能性も否定はできないのだ。そこから偶然、座礁した個体かもしれない。ただ、だとしても──あんなタイミング良く、座礁できるものなのか。

 

 考えている内に、通路の出口が見えた。慎重に頭だけを出してみる。周囲に敵兵はいない。背の高い雑草が、入口を上手く覆い隠している。すぐ目の前には、川路が言っていた通りの建物があった。

 

 建物はジャングルの中にしては立派だ、装飾も細かく刻まれており、独自に武器倉庫や食糧倉庫も置かれている。予想通り、スネークイーター作戦の時にあいつが訪れた設計局で間違いない。

 

 周囲は既に真っ暗になっている。いくら暗視ゴーグルがあっても、この状況で外を歩くのは控えた方が良い。そうなると、設計局内の捜索でもすべきだろうか。

 

〈スネーク、いるか?〉

 

 悩んでいる途中、丁度良くガングートから無線が来た。

 何でも工場に向かう途中、水路がとても多かったのが目についたらしい。確かにあちこちに大きめの水路が通っていた。

 

 この水路の何処かに地下工場へのルートがあると、ガングートと伊58は目星をつけている。まず伊58まで来ていたことに驚いた、レイまで連れているらしい。G.Wは許可したようだが、何の話も無かったことに若干苛立つ。

 

〈防諜の危険があるんだ、しょうがないだろ〉

 

「そりゃそうだが」

 

〈伊58も危険な立場なんだ、不満を言うな〉

 

 スネークは唸りながらも黙るしかなく、そのまま話を聞いていく。ガングートはもうじき工場に到着するため、内部からも地下水路の道を探すらしい。地上からは、伊58が協力してくれる予定だ。

 

「分かったが、通路があったとして、どうやって潜ればいいんだ?」

 

 伊58が艤装持ち込んでいるが、あの巨大さではステルスにならない。小型艤装だって、ソナーにかかる危険がある。だからといって生身で潜るのはもっと無謀だ。

 

〈目の前に建物があるだろ、そこは今、深海凄艦の駐屯所になっている。そこに潜水用の装備があると情報があった〉

 

 地下水路に潜るのは潜水艦だけではない。通常の深海凄艦も利用する。その為の装備らしい。これを手に入れろということだ。別に、侵入用でなくとも、用途は多そうに思えた。手に入れて損はない。

 

〈こちらからは以上だ、そっちから何かあるか?〉

 

「……いや、何も」

 

〈分かった、お互い頑張らないとな〉

 

 無線が切れた後、スネークは大きくため息を吐いた。言うべきか一瞬悩んだが、今は言わない方がきっと良い。代わりにG.Wに通信を繋ぐ。

 

「どう思う?」

 

〈可能性はゼロではない〉

 

「……誰かが、何か手引きをしているかもしれない」

 

 屋上で敵が待ち受けていたこと、地下通路にスペクターがいたこと。どれもタイミングが良すぎる。スパイがいるという疑惑が、心の中で大きくなりつつあった。

 

〈そんなことは分かっている、だが、スパイを探すのは君の仕事ではない〉

 

「分かっているが」

 

〈いや分かっていない、英雄呼ばわりされて浮かれているのか? 君は粛々と任務をこなさなければならない、例え裏切り者がいてもだ〉

 

 G.Wは冷徹に告げた。

 あんまりな言い方に腹が立つが、納得している自分もいる。こいつの声は、ある意味私の声でもあるのだ。言われて、改めてすべきことを見つめ直す。

 

 なぜ、アフリカに行ったのか。どうしてソ連にいるのか。色々な理由があるが、絶対にしなければいけないことは──こんなことを目論む連中への報復だ。

 

 

 *

 

 

 再び水路を歩きながら、ガングートは人を待っていた。

 設計局では大きい収穫はなかったが、潜水装備を見つけられたのは運が良かった。あれがあれば、スネークは水路内を移動できる。地下工場への侵入は可能になる。ビーチが気がかりだったが、工場に行けばその手掛かりも得られる。

 

 伊58の努力とレイの人海戦術により、ルートがありそうな場所を絞り込めた。スネークと川路が会った山脈地帯のふもとに、巨大な滝がある。断崖絶壁に覆われたそこが、処女地の絶壁(ツェリノヤルスク)の由来だ。

 

 元々深い河が流れていたが、深海凄艦の活動により大河と言っていいほど巨大になっている。脇には細かく分岐した分かれ道やがけ下への穴がある。そのどれかが、地下工場に繋がっているらしい。

 

 妥当なところだ。地下工場も元々、近い場所にあった。同じ施設を流用しているなら、通路も近い場所にある。果たして正解なのか。待ちわびた彼女の元に、水路から伊58が浮上してきた。心なしか顔色が悪い。

 

「あったよ、でも、だいたいしか分からなかった」

 

「やはり、警備か?」

 

「うん、継ぎ接ぎ(スペクター)の潜水艦もいた。あれを突破するのはゴーヤには難しかったでち」

 

 入口があるのは間違いなさそうだが、細かく探す余裕はきっとない。それは私が内部から見つけなければいけないことだ。艤装の運び込みについて尋ねると、既に半分ぐらいは運搬できたらしい。

 

 肝心の艤装は今、山の遥か北にあるРоковой Берег(ロコヴォイ・ビエレッグ)という場所の湖底に隠されているらしい。あの大きさだと、あそこぐらいしかまともな隠し場所が無かったと言う。

 

 とは言え、あそこまで持ち込めれば十分だ。最悪次々にミサイルを発射し、無理矢理破壊できなくもない。本当の最終手段だから、使いたくはないが。

 

 伊58が再び、周辺の偵察に戻り、スネークと合流する為動きだす。それを見送って、ガングートは青葉に無線を繋ぐ。

 川内から声帯虫を取り出した後、探らせていた情報を確かめるためだ。

 

〈どうかしましたか?〉

 

「青葉、コードトーカーの調査はどうなっている」

 

 コードトーカー。

 言葉を刻む、という名前を持たされた老人は、声帯虫開発に大きくかかわった人物だ。モセスより、彼の痕跡が欲しいと要望があったのだ。

 

 川内の喉にいたのは、間違いなく声帯虫だった。

 だが、どうしてそんなものがいたのかは誰も分からない。肝心の川内は昏睡状態のまま。北条にもお手上げらしい。

 

 そもそもからして、ただの艦娘ではない。通常の治療方法が効果を表さない可能性もある。彼女を覚醒させるためには、川内がどういう艦娘か知る必要がある。それを知っている可能性が一番高いのは、声帯虫を仕掛けたであろう、コードトーカーただ一人だ。

 

〈一応、ダイヤモンドドッグス壊滅以降の足取りはある程度掴みました。あちこちを転々としながら、一度故郷へ戻って、その後チェコにいたみたいです〉

 

「チェコとは、随分と遠くまで行ったな」

 

〈ですが、そこからの足取りが分からないんですよね。微生物の研究をしていたのは間違いないんですが〉

 

 コードトーカーが、どう川内に関わっていたのか。それを調べなければならない。それは、川内を覚醒させることにも繋がるかもしれないのだ。そうすれば、彼女から直接、情報を得ることができる。

 

 ここは青葉に頑張ってもらう他ない。手掛かりがあるとすれば──チェコで何を研究していたのかだ。そこから辿れるかもしれない。そう青葉にアドバイスを残して無線を切った。

 

 ガングートは再び水路を歩き出す。この水路は、工場の正面入り口に繋がっている。時間的に、川路が内部で手引きを整えてくれた頃だ。出口近くから周囲を見渡すと、予想通り恐ろしい量の深海凄艦が集まっていた。

 

 スネークでも、ここを正面突破するのは困難だ。別の入り口を探させる判断は正解だ。幸い私だけはここから入れる。ガングートはバックサックの中から、防水袋に収められた服を一式取り出す。

 

 中には白黒のスーツや、顔を白くするための化粧品、ダミーの艤装が入っている。

 つまり、深海凄艦に変装するのだ。

 幸い、元々肌は白めなので何とかなる。変装対象もフードで顔が分かりにくいレ級だ。服は依然確保したスペクターのものを流用した。

 

 それでも、凝視されれば分かってしまう。だからこそ、その前に内部から引き入れて貰うのだ。手早く着替えや化粧を済ませ、水辺で変装の出来具合を確認する。若干大きいが、何とか誤魔化すしかない。

 

 ガングートは堂々と、深海凄艦たちの前に姿を表した。

 その姿を見た深海凄艦は、少しだけ見てすぐに目を逸らす。私を恐れている感じがある。レ級という見た目が、威圧感を与えているのだ。もしくは、スペクターと混同しているのか。

 

 臆せず歩いているお蔭で、また見た目に怯んでいるお蔭で、必要以上に見てくる個体はいない。そのまま奥へ向かって歩くと、当然検閲が見えてくる。ここは、変装では越えられない。そのまま行こうとするも、警備員が止めに掛かる。

 

「マテ、ソイツノ通行ハ許可サレテイル」

 

 奥から出てきたヲ級が警備員を止める。この工場内でも相当な立場なのか、警備は一切文句を言わずに戻っていった。ここまでの深海凄艦に指示できるとは、川路はいったい、どんな地位を築いているのか。

 

「ガングート」

 

 部屋へ案内されていると、ヲ級が小声で話しかけてくる。耳を傾けて話を聞こうとした。だが、予想だにしない言葉が出てきた。

 

「本当ノ任務ハ、忘レルナヨ」

 

「──お前は」

 

「ミナ、期待シテイル」

 

 気がつけば、部屋に入っていた。

 もうヲ級はいない、しかし、そこらじゅうから監視されている感覚が消えてくれない。体中に冷水をかけられた時のように、私の体は小刻みに震えていた。

 

 

 *

 

 

 かつてグラーニン設計局と呼ばれた建物は、見た目とは裏腹に劣化が進んでいるようだった。警備が薄い訳ではないのだが、どことなく気だるげな雰囲気が漂っている。警備の足並みも少し悪い。

 

 この建物に泊まるのは、当然本来は敵である他国の人間だ。それを護らないといけないのがストレスになっている。だが、それと建物の劣化は関係ない。原因はもっと根深い場所にあるのだろう。

 

 しかし、それは今となってはどうでも良いことだ。隙の多い警備をすり抜けるのは大した問題ではない。科学者の変装をしなくても進めている。潜水装備が置かれている内部武器庫までは、迷わずにいけた。

 

 さすがに武器庫にはカードキーによるセキュリティが掛かっている。これも、途中で兵士からくすねたカードで代用した。中には色々な武器が置かれている。深海凄艦が扱う艤装から、人間サイズの兵器まで。その中に、ぽつんと潜水装備が置かれていた。

 

 それ以外にも、使えそうな武器はないか物色する。水中では当然、ライフルが大きく減衰する。万が一を考えると、水中でも使える武器が欲しかった。爆雷も置いてあったが、生身で扱える重量ではない。

 

 歩いていると、肩に箱がぶつかった。中には黒い手りゅう弾が入っている。これなら、爆雷代わりに使えそうだ。もっとも、使った瞬間爆音で敵に気づかれる。使わないに越したことはない。

 

 武器を回収して武器庫から出る、素早く館から出ようとする。歩いている途中、巨大な人の顔が見えた気がした。

 反射的にハンドガンを構える。それは人ではなく、人を描いた絵画だった。何に銃を向けているんだと、呆れながら手を降ろす。

 

 スネークは絵画の人間に見覚えがあった。記録上でしか知らないが、その筋の人間からは有名な科学者だった。つまり、世界で初めて二足歩行戦車(メタルギア)の理念を考え出した兵器学者だったのだ。

 

 しかし、絵画は色褪せ、ところどころが破けている。館の主だったとは思えないボロボロぶりだ。原因にも心当たりがある。この男は、ないがしろにされる理由が確かにあるのだ。それは、売国行為だった。

 

 何時の時代も、売国奴はえてして嫌悪される。寝返った国の兵士からも良い顔はされない。どんな国家であっても、祖国を愛し護る──そういう意識があるからだ。だが、だからと言って、彼がソ連を愛していなかった訳ではあるまい。

 

 むしろ、あれだけ勲章を受けた男でさえ、ふとした切っ掛けで裏切ってしまう。スネークはそれが恐く感じた。祖国のないスネークでも、裏切りは嫌悪する。上手くいけば良いが、失敗すれば悲惨だ。結果がこの館だ。主の名前は消され、敵の借り家に成り下がる。

 

 もう数年もすれば、絵画は完全に壊れる。彼の名前も消えてなくなるだろう。彼は、彼の愛したソ連によって葬られるのだ。メタルギアが生きているのが、せめてもの救いか。絵画に背を向けて、忘却の寂しさを引き摺りながら設計局を跡にする。

 

 外はさすがにまだ夜だ。ここからどうするか悩む。相手が普通の兵士なら、暗がりに紛れて進む選択肢をとった。だが深海凄艦は夜目が効く、下手に動けば見つかってしまう。だが、昼間は普通に見つかりやすい。

 

 どちらか悩んでいると、ついさっき回収した潜水装備が目についた。

 今のツェリノヤルスクには、あちこちに深めの水路が走っている。ソナーの危険は考慮しなければならないが、上手くいけば、この道を使えるかもしれない。

 

 水路については、レイを従えた伊58が詳しく調べている。彼女に無線すべきだ。話しても問題なさそうな暗がりに身を潜める。

 

「ゴーヤ、お前が見つけたという、侵入路の場所に行きたいんだが、ここから最短で行ける水路はあるか?」

 

〈最短で? そうでちね……少し引き返すと、小さな湖があるの、そこの一角が、今は水没してる地下洞窟に繋がってるから、そこからが一番近いでち〉

 

 G.Wの持つ昔の衛星写真と照らし合わせても、発言は間違っていなかった。概ね倉庫に繋がる水路から分岐している。弾薬庫や食料など、隣の倉庫の別棟となっているらしい。

 

 水没した地下洞窟は掘り進められ、あちこちの水路を繋ぐ中継地点となっている。伊58の見つけた場所に行くには山を越えなければならないが、この水路なら、山を()()()()()()()

 

「分かった、行ってみよう。ところで……レイの調子はどうだ?」

 

〈調子? とても活躍してくれているけど、どういう意味でち?〉

 

「いや、そのままの意味だ」

 

 本当にそのままの意味だ。妖精がいるせいか、メタルギアレイにも──いわば連装砲ちゃんのような──自我がある。しかし、正直なところ、状況的に活躍させられない時が遥かに多い。今回の任務は、レイを活用できる貴重なチャンスでもあった。

 

 例え自我を持っていても兵器は兵器。埃をかぶっていくだけではむなしい。さすがに、使ったら世界が終わる核なんぞは封じられるべきだが……戦えない、護れないというのは、私たちには、思いのほか苦しい。それは妖精も、同じかもしれない。スネークはそう考えていた。

 




コードトーカー(メタルギアソリッド)

メタルギアソリッド5の登場人物。作中において重要な秘密を持った、『声帯虫』・『メタリックアーキア』等の権威。この技術を使い、環境汚染された生まれ故郷を浄化することを望んでいたが、研究内容に目をつけたスカルフェイスに利用され、最終的にダイヤモンドドッグスに保護される。
そこまでの足取りは同様だが、この世界線においては辿れなくなっている。エメリッヒ追放から間もなくして、深海凄艦出現によりダイヤモンドドッグスは壊滅、それ以降の足取りは一切不明である。
パラサイトセラピーという技術によって半ば不老となっているため、寿命によって死亡したとは想定し辛い。よってこれまでと同じく、どこかの研究機関にいるのではと、コードトーカーを知る人々は考えている。
しかし、ここまで痕跡を抹消できる時点で、愛国者達が関わっているのは間違いない。

サイボーグ忍者もとい川内と何らかの関係があるとされているが、現状不明である。


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File65 闇工場

 ツェリノヤルスクに存在する地下工場の全貌は、もはやGRUでさえ把握し切れていない。

 あまりに広く複雑に入り組んだ通路、隠し通路まで含めればもう分からない。下手に歩けば、二度と地上は拝めない。

 

 把握できていないのは当然だ、地下工場を建設したのはGRUではなく、他の人間だからだ。では誰かと聞かれても、それは明確には答えられない。WW1からWW2の間の時期、ソ連ができて間もない頃に、ここは建造された。

 

 ここツェリノヤルスクは、常に歴史の闇を抱え込んできたのだ。闇工場から、GRUの大要塞、そして深海凄艦の基地。闇の奥深くに、()()はあるのか。ガングートは漠然とした不安を感じていた。

 

 

 

 

 

── File65 闇工場 ──

 

 

 

 

 空母ヲ級に案内された質素な小部屋にガングートは入る。壁の端には監視カメラが設置されている。変装を解くには早い。ヲ級はガングートに対して、あれから一言も話さなかった。改めて質問しようとする気も出ない。

 

 椅子に座り、小さくため息をつく。

 あのヲ級の言葉が頭から離れない。すべきことは分かっているが、その監視がここまで入っているとは思わなかった。

 

 しかし、わざわざ警告までしてきたということは、あのヲ級でも工場の奥まで入れないのだ。かなり厳重な警備をしているのは間違いない。最終的にスネークが侵入するといっても、果たして私は辿り着けるのか。

 

「入るぞ」

 

 ドアをノックする音がして、川路が入ってきた。何の変装もしていない『人間』の恰好に言葉を失う。

 

「安心しろ、監視カメラの映像は偽装されている」

 

 そういうことか、川路が写っていて警備兵が来ていないのが証拠だ。ガングートは窮屈な深海凄艦の服を脱ぎ捨てて、本来の服を簡単に羽織る。どうせまた着なければならない、内側からスネークの侵入を補助するのが、表上の役割だ。

 

「さっきのヲ級はお前の部下か?」

 

「そうだ、と言っても、内通者のような奴だが」

 

 地下工場も一枚岩ではない。KGB以外にも壊滅を望むものもいる。深海凄艦にだっている。川路はそういった個体に接触し、この地下工場の中に潜伏し続けていたのだ。無論、工場の工場もかなり把握できている──訳でもないらしい。

 

「注意しなければならない点が一つ、この工場は、普通では全てを探し切れない」

 

「どういうことだ?」

 

「地下空間に、()()()がある」

 

 まさか、そんな声が漏れそうだった。

 姫級が支配した海域は赤く染まる。そうなる寸前の臨界した、時間や空間が滅茶苦茶になることを、その光景からビーチと呼んでいる。()()()ではないかという仮説もある。

 

 しかし、普通そこに入ることはない。

 ビーチができても、普通はすぐ赤い姫級のテリトリーとして安定してしまう。艦娘が、その発生現場に居合わせない限りは観測できない。ガングートも、アフリカで深海海月姫が展開したものを知っているだけだ。

 

「いったい誰が」

 

 川路が、やや画像の乱れた写真を出してくる。監視カメラの映像を一部切り取ったものだ。多くのflagship級の中央に、明らかに目立つ、青白いオーラを纏った姫級がいた。

 それが何の姫なのか、ガングートは知っていた。

 

「君なら、その姫を知っているな」

 

「……こんなところで、生きていたのか」

 

 いわゆるゴスロリの黒いドレスで全身を覆い、しかし顔は病人のように青白い。全身にも青いオーラを纏い、不気味な笑みを常に浮かべている少女のような姫級。陸上型の中でも、更に特殊な個体、ソ連はこれを、『北端上陸姫』と呼称していた。

 

「致命傷を負わせたつもりだったんだが」

 

「しかし、死んだことを確認してはいない。それが原因で、君はKGBを追放されたのだろう?」

 

 昔ガングートは、任務の一環としてこの北端上陸姫の暗殺を命令されたことがあった。だが追い詰めたものの、トドメを指す寸前で逃げられてしまったのだ。その間に致命傷を負わせたからどの道死ぬだろう、当時はそう思っていた。結局任務は未達成になり、やがて追放されたのだ。苦い記憶を突かれて、すぐ別の問題に話を変えた。

 

「だが、奴にビーチを創る能力はなかった。それは間違いない」

 

 ビーチを維持する為には、深海凄艦として不完全であることが必要だ。深海海月姫は、自分が『姫』だという自覚を持っていなかった。そしてヴァイパーが手綱を握ることで、ビーチを制御した。

 

 なら、北端上陸姫も不完全な姫なのか?

 そんな筈がない。一度相対しただけだが、そんな能力があれば、当時もっと活用していた筈。少なくとも、数年前までビーチの力は持っていなかった。

 

「お前が奴を取り逃がしてから数年──その間に、ビーチの力を得た可能性がある」

 

「そんな簡単にできるものなのか」

 

「現にビーチは展開されている、普通の空間とビーチが、扉一枚を隔てて隣り合い、そうやって工場ができている。ビーチを経由しなければいけない部屋さえある」

 

 川路の証言にはやや疑問が残るが、この目で確かめれば済むことだ。問題なのは、果たしてイクチオスを発見できるか──そして、目当ての物を、手掛かりだけでも──発見できるか、それに尽きる。

 

「あいにくだが、イクチオスの場所は私にも分からない」

 

「それは良い、ここまで手引きしてくれて感謝する。あとは勝手にやらせて貰う」

 

「ああ、お互いその方が良い。ただ、ビーチ以外の構造については把握している、一応、私の無線を教えておく」

 

 周波数を把握して、川路は部屋から出ていった。私も急いで行動しなければならない。再び変装用の服を着込み、ゆっくりと部屋をあとにする。

 

 まさか、北端上陸姫がいるとは思ってもみなかった。

 死んだと思っていた奴に会った時、私はどんな思いを抱くのだろうか。目を閉じれば蘇ってくるのだ、彼女に砲撃を撃ちこんだ、あの時の──血しぶきが。

 

 

 *

 

 

 目の前は一切見えない、視界は暗闇に塞がれている。音も何一つ聞こえない、ソナーが教えてくれる探知音以外に手掛かりはない。そんな水中に不快感を全く抱かないのは、私が潜水艦だからだ。

 

 伊58が教えてくれた水路を泳ぎながら、スネークはそんなことを思っていた。勿論緊張感はある、碌な武装を持っていない今、見つかれば終わりだ、いつものことだが。

 

 何隻か、同時に通ることを想定されているのか、水路は思ったより余裕がある。だが、あちこちに侵入者用のソナーが備え付けられていた。スネークはその中を、人間用の潜水装備だけで泳いでいる。

 

 下手にソナーも使えない、通路の地図は頭に叩き込んであるが、ほとんど手探りで進んでいる。私が潜水艦でなかったら、この緊張には耐えられなかっただろう。あらゆる五感を塞がれた状態での行動は、凄まじい恐怖を呼ぶものだ。

 

 進む為の手掛かりはまだある。時折真上を通過していく敵潜水艦が、水流やタービンの泡を残していく。彼女たちの向かう先も、だいたいは地下工場だ。同じ場所へ向かえば、少なくとも近い場所には辿り着ける。

 

 酸素残量には余裕がある。時間がかかってもいい、逃げ場さえないのだ、徹底して慎重に進もう。スネークは、地面に指をつける動きさえ丁寧に行っていく。その音を、ソナーが拾わないとも限らない。

 

 指先をつけ、またつけ、その度に水流を感じ、進路を決めていく。

 単調な、しかし桁外れの緊張を強いる行為を、機械的に繰り返していく。その内、スネークの神経も摩耗していく。

 

 潜水艦の航行する音が、聞こえない筈の、敵の息が耳元で聞こえ出す。意識を背ける訳にもいかず、止まることもなく、首元にナイフを突きつけられながら、恐怖を押し殺して泳ぎ続ける。

 

 体温が奪われているのか、感じにくくなっていくのか。その疑問すら凍っていき、こわばる四肢から感覚が消えていく。意識が遠のいていく、まさか酸素がなくなってきたのか、時間をかけ過ぎたのか。

 

 死の恐怖が、一瞬頭をよぎった。

 スネークの意識が浮上する。彼女の指先が、今までと違う感触を訴える。顔をゆっくり上げると、閉じた瞼越しに光が感じられた。真上から木漏れ日が刺している。

 

 通路の端に体を寄せ、顔を水面に出す。今までいたジャングルとは少し違う。木々も多いが、それよりも岩場が目立つ地形が広がっている。もう少し遠くを見れば、見覚えのある岩山があった。麓には、核爆発が作った湖がある。

 

 水路を抜けたのだ、そう理解した途端、体の力が抜けて、ソナーに当たり掛けた。背筋を凍らせながら、慎重に水路から出る。これで見つかったら余りにも間抜けだ。

 

 もう少し歩けば、工場の正面入り口が見える。その何処かから、工場内部に侵入できるが──その手引きは、ガングートにしてもらわなければならない。予定通りなら、工場内部に潜りこめた筈だ。

 

 無線すべきか、出られないかもしれないが、繋いでみるか。耳元に手を当てて、地面にしゃがみ込んだおかげだろう、()()()()()()()()()()()

 

 反射的に、山小屋で敵から拝借したライフル銃に手を取る。サイレンサーはない、さすがに撃つのは不味いが、使えないことはない。背を屈めながら、足音の来た方向の、反対側に回りこんでいく。

 

 だが、妙だった。敵の姿が全く見えない。草の背丈は高いが、匍匐前進でもしなければ、完全には隠れられない。

 

 まさか、そう思い、片角のサーマルゴーグルを起動させる。

 そこには予想通り、草に完全に隠れている、とても小さい、子供の様な敵が3隻、ハンドガンを持って歩いている。

 

 PT小鬼群だ。あの体格なら、草むらに完全に隠れられる。気づいていなければ、間違いなく撃たれていた。スネークは自身の幸運に感謝しながら、小鬼に接近していく。

 

 さすがにスネークの体格では、音は消し切れない。だからこそのスニーキングだ。自分自身を自然と同化させ、違和感がないように溶け込んでいく。歩いた時に草が擦る音も、風で擦れたように錯覚させていく。

 

「動くな」

 

 背後まで近づき、最後尾の小鬼に、ライフルを突き立てながら囁く。硬直した小鬼の口にハンカチを捻じ込み、声が出なくなったところを閉め落とす。地面にゆっくりと寝かせて、再び次の小鬼へ近づいていく。

 

 三匹、きっかり気絶させたところで、スネークはようやく一息つけた。殺してはいない、普通の、中立区の警備兵だったら、殺す理由はない。まあ、今更仕留めるつもりもない。気絶させた時点で、侵入者がいると分かるのは時間の問題だ。

 

 それよりも問題なのは、どうやってこいつらが、()()()()()()()()だ。タイミングが良すぎる。私がこの近くに来るのを知っていたような動きだ。どこからか、情報が漏れているとしか思えない。

 

〈どうかしたでちか〉

 

「敵に待ち伏せされていた、お前の教えてくれた通路でな」

 

〈まさか!?〉

 

 伊58に無線を繋ぎ、おもむろに探りをかける。彼女の驚きに嘘の様子はない、G.Wも同じ意見だった。少なくとも、彼女である可能性は低い。北条とケッコンまでしそうだった伊58が、彼を裏切ることは考えにくい。

 

「この情報を他に知っている奴はいるのか?」

 

〈そこのG.Wと、わたしと、後はガングートぐらいでち〉

 

「……消去法でいけばあいつになるか」

 

 しかし、彼女に裏切る理由なんてあるのだろうか?

 と思ったが、スネークは気づく。そもそも私は、モセスに来てからのガングートしか知らない。それ以前、ソ連でどんなことをしていたのかは、興味さえ無かったのだ。

 

 更に伊58は、ガングートが予定にないところに何回か立ち寄ったのを見たらしい。元グラーニン設計局や、地下工場の残骸などを見ていたらしい。

 

 このまま、ガングートの手引きのまま侵入して良いのだろうか。

 そう不安になっても、今更予定は変えられない。せめて、ガングートがどこから来たのかは知っておこう。スネークはG.Wに簡単な調査を頼み、無線を切った。

 

 

 *

 

 

 ガングートが変装して利用した正面通路が目の前にある。予想通り、警備はとてつもなく厳重だ。中立区本来の兵士が持っている兵装とも違う。艦娘ではなく、対人戦も想定した手持ち火器を多く備えたeliteやflagshipがひしめいている。

 

 警備網にも穴がない。分かってはいたが、ここを抜けるのは不可能だった。だからこそ、ガングートが別の入り口を探してくれている。不安でも、それを頼る以外に道はない。変な空気にならないよう気を使いながら、彼女に通信を繋ぐ。

 

〈こちらガングート、スネークか〉

 

「そうだ、正面入り口についた。侵入路は見つかったか?」

 

〈ああ、何とか確保できた。だが時間はそうない、そっちにソリトンレーダーのデータを送る〉

 

 多分だが、私とガングートの物理的な距離は近い、だから通信が成り立つ。G.Wが受信したデータがソリッドビジョン化し、角の裏側に写っていく。映像の中にガングートの影があり、スネークの下にいた。

 

〈正面入り口の壁沿いにいくと、小さい窪みがある。偽装されているが、そこが通気口になっている。30秒後から数えて、1分間だけロックを解除できる。その間に滑り込むんだ〉

 

「解除し続けられないのか」

 

〈警備の往来が激しい、変装していてても怪しまれる。それに、規定時間以上ロックが外れているとアラームが鳴る。潜りこめたら、再ロックを忘れるな〉

 

 時間がないのはあっちも同じだ。早口でまくし立てて無線が切れた。

 悩んでいる暇はない。スネークは顔を出し、兵士の配置を頭に叩き込む。残った時間で、兵士ごとの首の動きを感じ取る。

 

 走っても通気口まで十秒はかかる、慎重に行くからもっと時間はかかる。スネークは既に、繁みの中を飛び出していた。邪魔になる予感しかしないのもあり、ライフルはその場に置く、代わりに小鬼のハンドガンを拝借した。

 

 飛び出して、同時に水面にハンドガンを撃ち込んだ。

 当然警備たち全員の意識が、ほんの一瞬だけそちらを向く。そこに、針一本分の空白ができる。スネークはまさしく蛇のように、その隙間に体を滑り込ませていく。繁みから、入口前に積まれた資材まで接近できた。

 

 警備の乱れはすぐに直り、侵入者を見つけるために敵が動き出す。増援が呼ばれるまでの数秒がチャンスだ。近くの気配が、一人分動きだしたのを見て、資材から飛び出す。目の前には、背中を向けて走り出す兵士がいる。その背中にくっつき、少しだけ前に進む。

 

 スニーキングは完璧だ、気配は完全に消されている。喧噪に紛れたスネークを捉えるには、完全に視界に収めるしかない。そんなチャンスは与えず、自分の感覚を信じて、一つ一つの資材の影を走っていく。

 

 最後の資材を抜け、窪みのある場所に辿り着く。視にくいが、確かにフェンスがあった。そこに手をかけ、開けようとした。

 

 だが、フェンスが動かなかった。時間はまた、数秒余裕があるにも関わらず、開かないのだ。

 

 血の気が引いていくのが分かった。周囲を見渡す余裕はありはしない。足音が間近に聞こえ出す。駄目もとでもう一度手をかける。固かったフェンスは、今度はいとも簡単に外れてくれた。

 

 すぐさまダクトへ滑り込み、スロープ状の通路を落下していく。出口ギリギリのところでブレーキをかけ、足音を立てないように着地する。ガングートに言われた通り、再ロックも行った。

 

 ガングートはいない。敵の往来のはげしい場所では長くとどまれない。そう聞いたが、今のスネークは素直に信じられなかった。とにかく、どこかに身を隠したい。手ごろそうな倉庫を見つけ、そこへ侵入する。

 

「どういうことだ、なぜロックが解除されていなかった」

 

 真っ先にG.Wに無線を繋ぐ。この不信感をどう片付ければいいのか、彼女には分からなかった。

 

〈分からん、だが、少なくともガングートは一度、ロックを解除したようだ〉

 

「なに?」

 

〈さっきフェンスのロックを解除したのは私だ、その時、アクセスログの痕跡を見た。ガングートが一度解除したあと、()()()()()()()()()()()()

 

 誰かがこのコンソールに接続して、ロックをかけ直したのか。あんな一瞬で、どうやってやったのか。その誰かは、今どこに行ったのか。またタイミング良く妨害が起きた。胸のざわめきは更に高まっていく。

 

〈再ロックをかけたのがガングートなのか、それ以外の誰なのかまでは分からない。監視カメラの情報でも取れれば話は別だが〉

 

「あそこのコンソールからはいけないのか?」

 

〈完全な独立端末になっていて、工場側のネットワークには行けなかった。いずれにせよ、今は進むしかない〉

 

 半ば無理矢理な説得を受けて、工場の奥に進む為に動きだす。どこかにマップデータにアクセスできるコンソールはないだろうか。恐らく、地下工場見た目以上に広い。地図無しで探索するのは難しい。

 

 ある程度適当に歩くと、正面の入り口が見えた。さっき起こした騒ぎがまだ残っている、敵の数は多いままだった。

 

 その時、入口真正面のエレベーターが、このフロアで止まった。同時に兵士に緊張が走る。この騒ぎの現場を、上官が見に来たといったところか。

 

 スネークは、そいつの姿を見て、一瞬固まった。

 深海凄艦も艦娘も、おせじにも戦闘向けではない恰好をしているが、その姫は群を抜いて浮いた格好をしていたからだ。

 

 だからこそ、資料を見た時も、見た目を一発で覚えられた。

 ガングートが言っていた、この地下工場を支配する姫が歩いている。俗にいうゴスロリ衣装をまとった、異様な威圧感を放つ姫。

 

 彼女は間違いなく、北端上陸姫という姫だった。

 




―― 142.52 ――


〈北端上陸姫が、そこにいたんですか!?〉
〈声が大きいぞ青葉、お前、あの姫のことを知っていたのか〉
〈知っているも何も、艦娘だったら大体知ってますよ? あの姫は有名ですから、悪い意味で〉
〈何をやったんだ〉
〈本土上陸ですよ〉
〈本土? ロシアに?〉
〈はい、世界単位で見ても、本土への直接上陸を成し遂げて、しかも一部を制圧しちゃったのは北端上陸姫ぐらいですから〉
〈珍しい……に決まっているか。だが、あの姫にそこまでの戦闘能力があるのか〉
〈えー……その、有名になった理由が別にありまして〉
〈なんだ〉
〈滅茶苦茶残虐なんです、深海凄艦の中でも、特に。言うなれば外道です。沈めるのを楽しんで、無意味な拷問や殺戮に歓喜する、同じ姫にさえ嫌悪されていると……〉
〈……どうなんだ、北方棲姫〉
〈青葉の言う通り、私の同じ北方だから会ったことはある。二度と話したくない。恨みを晴らす訳でもない、世界をどうこうしたい訳でもない。ただ、沈めることが快楽になっている。言うよ、あれと同族扱いしないで〉
〈だそうです〉
〈……そんな奴が、なぜ、世界を変えようとする愛国者達にいるんだ?〉


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File66 賢者の遺産

 監視カメラを統合するメインコンピューターはともかく、地図データを持った端末はすぐに見つけることができた。一度中に入ってしまえば隠れる場所は多く、スネークの独壇場だった。

 

 なまじ余裕があるからこそ、不安は増大していく。

 ガングートは裏切っているのか、敵なのか。いっそ確信を持てた方がまだマシだ、焦燥感だけが募っていく。

 

 ガングートは言った。諜報とはとどのつまり、メリットとデメリットを天秤にかけた、駆け引きでしかないと。時と場合によって、裏切るのが当然の世界だと。彼女は、自分を以ってそれを体現しているのだろうか。

 

 

 

 

 

── File66 賢者の遺産 ──

 

 

 

 

 マップデータをG.Wに読み込ませてみたが、なぜか反応が返ってこない。奇妙に思い問いかけると、どこか苛立ったようすの声が聞こえた。勿論AIに感情はないので、()()なのは違いないが。

 

〈やはりビーチだ〉

 

「マップデータにあそこのデータがあったのか?」

 

〈少なくとも、そうとしか思えない箇所が存在している〉

 

 G.Wの苛立ちは若干だが理解できた。ビーチは間違いなく、現実として存在している。しかし、あんな世界を認めることは簡単にはできない。物理的、時間的にも隔絶した空間は、私達の常識という計算を狂わせる。

 

 そんな狂気に、身を投じることができるのは私だけだ。スネークは特異体質の持ち主である。本来、姫のテリトリーに特定の艦しか入れないように、ビーチにも特定の艦娘しか入れない。だがスネークはそれを無視できるのだ。

 

 地図に表示されているビーチにも、問題なく入ることができる。それでも不安はある。ビーチの中身までは地図に書いていない。一度入ったらどうなるか分からないのだ。それでも確実に行けるのは私しかいない。だいいち、此処まで来て引き返すなど認められないのだ。

 

 スネークは意を決して、ビーチの入り口が書かれた場所へと向かう。若干錆びついた階段を下っていき、地下3階ぐらいまで降りる。その一角に、警備もなにもないただの壁がある。そこが、イクチオス格納庫へと繋がるビーチへの入り口だ……恐らくは。

 

 試しに壁に触れても、固いだけのコンクリートがあるだけだが、感覚が奇妙な気配を感じている。私の深海凄艦としての力がビーチを察知しているのだ。ここで間違いない。スネークは数歩下がり、壁にダイブした。

 

 まるで、胃液をひっくり返したような気持ち悪さが一気に広がる。蒸し暑かった空気が腐った臭いに置き換わる。視界が真っ赤に染まり、霧がかかっているようだ。顔を上げれば、赤く、赤く染まった世界が広がっている。

 

 いつ来ても、気持ちの良い物ではない。

 まあ、屍者の世界が居心地よくなった終わりだろう。これで良いのかもしれない。深海海月姫のビーチと違い、辺りには巨大な座礁物が多い、身を隠すには不便しなさそうだ。近くの鯨の骨に身を隠し無線を繋ぐ。

 

「G.W、聞こえているか」

 

〈問題ない、今回は聞こえている。エラー猫の解析はまあまあ上手くいったか〉

 

「ノイズが多いな……しかし文句は言えないか」

 

 さすがは、艦娘なんてオカルトを運用する世界か。理屈も分からないあの猫の力も、多少は解析できるらしい。ビーチを現実世界で安定した通信をするための力を、疑似的に再現したらしい。なんでも、使い方によってはインターネットを上回る大規模通信の可能性もあるんだとか。

 

〈それよりどうだ、道は分かりそうか〉

 

「いやさっぱりだ」

 

 あくまで、例外として入れているだけだ。このビーチが内包する意味を理解できてはいない。深海海月姫のビーチに巨大な太陽があった理由も、私はしっかり分からなかった。もしかしたら、一度北端上陸姫と戦ったガングートなら分かるのかもしれないが、今彼女に頼るのは不安が残った。

 

〈しかし、ガングートぐらいしかアテはないぞ?〉

 

 その通りなのだが、中々決断できない。そうしている内に時間は無駄に過ぎていく。仕方がないか。そうため息を吐いて無線を繋ごうとした時、スネークは背後に、突然気配を感じた。

 

 また──待ち伏せなのか?

 不安を抱えていたせいか、一瞬だけ反応が遅れた。自分の未熟さを呪いながら、背後へPT小鬼から奪ったハンドガンを構える。それと全く同じタイミングで、スネークの額に、リボルバーが突き付けられた。

 

 しかし、そこにいた敵は、全く予想していない人物だった。

 

「……多摩?」

 

「にゃあ、久し振りにゃ」

 

「まさか、単冠湾の?」

 

 軽巡多摩は、また猫のように頷いてリボルバーを逸らす。

 艦娘なんて、同じ見た目の艦が何隻もいるから、彼女は私の知っている多摩とは限らない。だが、これは偶然にしては出来すぎている。嘘をつく理由も思い浮かばなかった。

 

「なぜお前がここにいる」

 

「なぜって言われても、スネークもアレが目当てなんじゃないのかにゃ?」

 

 アレとはなんだ、イクチオスのことか?

 スネークの態度を見て、多摩は知らないのだな、とでも言いたげに首を振る。私だけが何も知らないみたいで、若干腹が立った。

 

「スネークなら知っていると思うけど」

 

「だから、何のことを言っている」

 

「『賢者の遺産』に決まっているにゃ」

 

 遺産、その単語を聞いて、苛立ちは欠片も残さずに消し飛んだ。

 遺産? 遺産だと? その言葉が意味することは知っている。当たり前だ、遺産とは、愛国者達にも深く関わっているのだから。

 

「こんなところで立ち話もアレにゃ、まずここから出よう、案内するにゃ」

 

 そう言って多摩はビーチを航行し出す。言いぶりからして、ビーチ内の構造も知っているようだ。いったい彼女はどこの艦娘なのか、なぜ遺産を知っているのか、信用して良いのか。だがこのままでは遭難する。零れそうな不信感を抱えたまま、スネークも多摩のあとを追っていた。

 

 

 *

 

 

 彼女の案内は正確だった。敵の巡回を完璧なタイミングで抜け、そのまま目印のないビーチを航行する。やがて唐突に強い光が刺し込み、私たちはビーチを抜けていた。現在位置をマップで確認すると、イクチオスの工場エリアになっていた。

 

「……悪夢か?」

 

 目の前を見て、思わず口にしてしまう。

 整然と並べられた区画ごとに、メタルギア・イクチオスが無尽蔵に並べられていた。核のプラットフォームにも使える戦略兵器が、何十隻も整備されている。もしこいつら全員にエノラ・ゲイが乗っていれば、世界は火の海になってしまう。

 

 呉で、アフリカで悪夢を齎した兵器が大量生産されている。スネークは、こいつらを何としても破壊しなければいけないと感じていた。できるなら今すぐ、ありったけのミサイルを叩き込んでやりたいが、その前にすべきことが残っている。

 

「スネークは、これが目的にゃ?」

 

「そうだ」

 

「そっか、目的が同じでなくて良かった、同じだったら大変だったにゃあ」

 

 そう言いながら多摩はまたリボルバーを手で遊ぶ。一応顔見知りではある。彼女と殺し合うなんて私も御免だ。それはそれとして、遺産について聞かねばならない。

 

「端的に言えば、多摩は大本営の使いだにゃ。大本営から遺産を探して来いって言われたから来たにゃ」

 

「大本営の工作員だった訳か……川路が大本営のスパイだということも知っていたのか?」

 

「いや、知らなかったにゃ。同じ大本営でも派閥はあるから、別のとこから来た奴だと思っていたけど」

 

 果たして多摩は、川路がKGBのスパイだったと知っているのだろうか。まさか同じ工作員が裏切り者だとは思っていないだろう。そう考えると、多摩が少しだけ不憫に思えた。特に理由もないので、教える気もないが。

 

 多摩の話によれば、ソ連が──イクチオス開発に関わっている噂は大本営も把握しており、それが原因で混乱状態にあることも知っている。だからこそ、このタイミングで『遺産』奪取のために、多摩を送り込んだのだ。

 

「遺産はソ連にあるのか?」

 

「それは間違いないにゃ」

 

 内心首を捻る。この時代だと『遺産』は全て合衆国(愛国者達)の手元に渡っていた筈だ。史実も、そこまではねじ曲がっていない。ソ連の中には愛国者達の影が見え隠れしている。合衆国にある筈の遺産がソ連にあるのは、それが関わっているのだろう。

 

「その言いぶりからして、遺産が何なのかは知っているみたいにゃ」

 

「まあな」

 

「ま、裏社会を知っていれば当たり前かにゃ」

 

 いくら大本営でも掴めていないか、愛国者達が、遺産を基に生まれたことは。そもそも大本営が愛国者達を知っているかも分からないが。スネークは遺産を良く知っている。だからこそ、理由を聞かなくても、大本営が遺産を欲しがる理由は分かった。

 

 一千億ドル──それは、第二次世界大戦を複数回起こせるほどの、現実離れした金だ。そんな資金が、この世界には現実として存在している。それが『賢者の遺産』だ。

 

 かつて、WW2末期、大戦終結後の世界の在りようを決めるために、米中ソの有力者たちで作られた『賢者達』という秘密結社があった。彼らはその為の活動資金を共同で出し合った、それが賢者の遺産だ。

 

 しかし、大戦終結後の混乱に乗じて、この遺産を管理していた男が資金を奪ってしまったのだ。その資金は男の子供に相続され、かつて存在した大要塞グロズニィグラードの資金源となる。

 

 その後も『遺産』は色々な勢力を行き来し、最終的に手にしたのはCIAのゼロ少佐、つまり愛国者達の創立者だった。遺産は愛国者達の活動資金として有効活用されるようになる。ここまでが、スネークの知る事の顛末だ。

 

 しかし、この世界は途中で史実が狂っている。遺産がソ連にあるのはそれが原因だろう。そんな莫大な資金を得るチャンスがあれば、誰だって手を伸ばそうとする。大本営の行動はある意味で当たり前だった。

 

「多摩からすれば、遺産探しの邪魔さえしなければなんでもいいにゃ。むしろイクチオスを壊して、騒ぎを起こしてくれれば都合が良い」

 

「別に狙っていないし興味もない、そこは安心していいぞ」

 

「それはありがたいけど、もっと騒ぐように仕向けさせてもらうにゃ」

 

 どういう意味だろうか。私が興味を持つような話を振るのだろうか。多摩はこちらに近づいてそっと耳打ちした。

 

「ここよりも下の階層に、コードトーカーの隠し部屋があるにゃ」

 

 なぜそれを知っている。その情報は確かなのか。

 短いが、情報量が多い。一瞬の混乱を突いて多摩はスネークから離れてしまい、小走りで移動を始めていた。

 

「多摩からしても川内は心配にゃ、よければだけど、助けてあげて欲しいにゃ」

 

 それだけ言い残して、多摩はあっと言う間に姿を消した。なぜあんなに急ぐのか。疑問に思った瞬間、工場内の動きが慌ただしくなり始めた。緊張感が蔓延してくる。近くにあったエレベーターが、地下から上がってきていた。

 

 エレベーターからゆっくりと現れたのは、深海凄艦の姫、北端上陸姫だった。

 彼女は時間をかけてイクチオスを見渡す。整備や警備の深海凄艦が明らかに緊張していた。スネークにも、得体のしれない感覚が纏わりついている。

 

 視られていない、察知されてもいないのに、見られている感覚がある。ゴスロリ衣装の少女が、果てしなく不気味に感じられる。あれがビーチなんて世界を展開しているのだから、当然かもしれないが。

 

 スネークは自らの直感に従い、この場を離れていく。多摩はこれを察知していたのだろう。

 多摩は、川内が心配だと言っていた。どこから情報を手に入れたのかは分からない。私が潜入したように、アフリカの遠征艦隊にも、大本営のスパイがいたのだろう。

 

 恐らく踊らされる。だが、それで真実へ近付けるなら、それはそれで構わない。目指すべきは更に下層だ。下への移動経路を求めて、スネークは再び動き始めた。

 

 

 *

 

 

 ガングートは辺りを見渡す。赤い狂気の海は消え、まともな地下工場が広がっている。さすがにあんな場所長居したくはない。やっと出れたことに、深く安堵した。思わず壁に寄りかかり、一服したくなってくる。

 

 スネークがビーチを彷徨っているのに先んじて、ガングートはビーチを突破していた。

 どこをどう行けば、どこに行けるのかが大体分かった。これが深海海月姫のビーチでサラトガたちが感じた、『理解』するということなのだろう。同じミームを持っているからこそ、そこから生まれた世界が分かるのだ。

 

 まあ、だからって居心地が良い訳ではない。最悪だった。しかしまだやることは山ほど残っている。スネークのサポートも続けなければならないし、私の仕事も残っている。どうやら、大本営のスパイまでいるらしい、状況は悪化しつつある。

 

 その時、無線が入ってきた。てっきりスネークかと思ったが、予想外の相手がCALLしている。川路が私になんの用なのか。

 

〈ガングート、少し警告しておく〉

 

「警告?」

 

〈スネークが侵入したことは大体察知されている。だが、同時に何者かが手引きしたという疑惑を北端上陸姫が持っている〉

 

 ガングートは辺りを見渡す。上層と比べてギスギスした空気が漂っているのはそのためか。一応変装は続けているが、目立つ行動は避けた方が良いかもしれない。

 

〈お前は今どこにいる?〉

 

「イクチオスの工場地帯だ」

 

〈まずいな、北端上陸姫がそっちへ行きそうだ。大人しくするか、別のフロアに行った方が良い〉

 

 警告のために無線をしてくれたのか。ガングートは川路の警告に従い、急いでその場から離れる。工場の中には予想していた通りおびただしい数のイクチオスが整備されている。脅威だが、驚愕でもある。

 

 いったい、これだけのイクチオスを建造するのにどれだけの資金を使ったのか。ガングートにとっては、無数のメタルギアこそが確証に思えた。それはどこにあるのか。考えている矢先に、また無線が入る。

 

 周波数を見てドキリとした。スネークからだ。要件を聞くと、何か目的があって合流したいのだと言う。彼女も丁度同じフロアに辿り着いたと言う。どうやってビーチを突破したのか疑問だったが、断る理由もなかった。

 

 こんな大規模な工場でも、例え深海凄艦の巣窟でも、トイレはある。まともに落ち合える場所はそこしかない。敵の目を誤魔化しながら進みトイレに着くと、既にスネークが来ていた。

 

「ガングート、お前はビーチを移動できるのか?」

 

「できるが、それがどうかしたのか?」

 

「案内して欲しい、もう一度ビーチに行かなければならない用ができた」

 

 スネークはいつの間にか、多摩──大本営の工作員と接触していたのだ。彼女からコードトーカーの情報を得たのだという。しかし、そこに行くには再びビーチを経由しなければならない。

 

 案内は別に構わないのだが、心配なのは情報の出所だ。

 いっさいの根拠のない、口だけの情報。いくら多摩が知った艦娘だからといって、簡単に信じすぎてはないのか。何よりも彼女は大本営の工作員なのだ。

 

「なぜ信じたんだ、まさか焦っている訳じゃないだろうな」

 

「別に盲目的に信じてはいない、だが、賭けるぐらい構わないだろ。そもそも裏をとれるような情報ではない」

 

「せめてメインコンピューターとか、そういった場所にアクセスしてからの方が良いと思うが」

 

「何十年も見つかっていない部屋だぞ、痕跡があるとは思えない。第一、諜報は確率だと言ったのはお前だろ。多摩の証言は、真実の可能性が高い筈だ……それとも、なにか他の理由があるのか」

 

 ガングートは少しだけ目を泳がせる。自覚している以上に焦っているのだ。スネークの言う通りだ。可能性が高いならそれで構わない。案内を了承して、再びビーチを目指していく。ビーチへの出入り口がマップにあるのは本当に助かった。

 

「なあ、少し聞いても良いか。お前北端上陸姫のこと知っているんだろう」

 

「知っていると言うか、戦ったことがあるだけだ」

 

 ただ戦っただけで、ビーチを理解できるわけではない。恐らく北端上陸姫の大本は、私達(ソ連)絡みの記憶だ。もっとも、彼女の行動は理解できない。だいたいの深海凄艦がそうだが、北端上陸姫はその中でも特に、破壊を楽しんでいるフシがある。

 

「どんな戦いだったんだ?」

 

「調べれば分かるだろう?」

 

「ビーチまで暇だ、直接聞きたい」

 

 それでいいのだろうか。そう思いつつも、記憶を辿りながらガングートはあの日の戦いを話し始める。

 

 ソ連にとって、まだ艦娘が珍しい存在だった頃、北端上陸姫は現れた。

 当時はまだ陸上型という存在が知られておらず、その上海上移動もできる特異個体の出現。対策もままならず、ソ連はあっと言う間に湾岸部への進行を許してしまった。

 

 だが、半ば上陸したその時が、最大のチャンスでもあった。

 陸からなら侵入を察知されにくい。また戦力も展開しており、姫の護りも薄くなっている。ガングートはその為の、艦娘として初めての潜入工作員として出撃したのだ。

 

 その姫は何としても撃破しなければならない姫だった。

 北端上陸姫の手口は悪辣極まっていた。上陸してまずやったのは、人間へと変装させた深海凄艦を人間社会に送り込み、そこでテロを起こすと言う手段だった。しかし破壊を目的にしたのではない。疑心暗鬼になり、自滅する人間社会を見て悦に浸っていたのだ。

 

 挙句、何の目的か、人を攫い何かの人体実験に使っていたのだ。人を使った機械──今思えば、それはスペクターだったのかもしれない。ここにいる以上、北端上陸姫も愛国者達に当時から関わっていたのかもしれない。拷問を楽しんでいた可能性もあり得るが。

 

 暴虐の限りを尽くした姫を沈める作戦は進み、ガングートはどうにか北端上陸姫の喉元まで辿り着いた。だが、最後の一手を察知されてしまったのだ。

 

「奴の勢力は壊滅させることができた、だが肝心の奴は取り逃がしてしまった……私のミスが原因でな」

 

「最大の目的を達成できなかった訳か、追放されたのはそれが原因か」

 

「仕方ないことだと分かっているがな」

 

 一気に立場が変わってしまった。初期の艦娘として重宝されていた立場でなくなっていき、やがて適当な冤罪を被せられ、私はKGBを追われることに成った。かつての英雄は一介のテロリストに成ってしまったのだ。

 

 やったことが大きく変わってもいないのに、周りが変わることで私の立場が変わっていく。大きな時代の流れに、ガングートは逆らうことができなかったのだ。そうして流された末に、今私はスネークの元にいる。

 

 更に流された先は、どこに繋がっているのか。

 今度こそ、少しは落ち着ける場所に行けるのだろうか。一抹の望みを抱きながら、ガングートはビーチの外へ行く光を潜った。

 




ビーチ(???)

深海凄艦が海域を『赤い海』に転じさせる瞬間、一時的に発生する特殊な空間の呼称。滅多に確認できるものではないが、一瞬垣間見た人々が例外なく海岸の印象を受けたため、この呼び名が浸透した。一応大本営も把握はしている。
膨大な怨念によって、あの世とこの世が接触した世界とも、あの世から呼び出された、『史実』が実体化した場所とも言われているが詳細は不明。現状判明していることは、ビーチ内では時間、空間の概念が歪むこと、それを利用し、ワープや長距離通信ができるということだけである。
しかし、姫として半端な存在の場合、赤い海にならず、恒常的にビーチとして存在し続けることがある。こうなった場合、ビーチには発生源となった姫と関わりのある艦娘しか入れず、また通信等も阻害される、極めて危険な海域になる。深海海月姫は記憶をほぼ喪失していたため、ビーチを維持できていたが、姫として覚醒したことで、同時にビーチは閉じている。

情報提供:本当のビーチはその名前の通り、さまざまな『死』が座礁(デス・ストランディング)した空間である。しかし、深海凄艦の作るビーチに海岸はなく、地平線まで海が広がっている。これは、まだあの世が座礁し切っていない、つまり、深海凄艦は完全に死の座礁を起こせないことの証明である。


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File67 聖櫃

 今はいったい何時だろうか、何日だろうか。

 ビーチ特有の時間の消える感覚は一向になれない。ガングートの跡を追っているが、何週間の出来事にも錯覚する。その間、私は延々と不安と焦燥感に駆られていた。

 

 裏切っているのは、ガングートなのだろうか。

 そもそも彼女と私の出会いは、言ってしまえば適当だ。何となく気が合ったから、行動していただけ。もしも、それが初めから()()だとしたら?

 

 確証があるとすれば、工場へのダクトが閉じた時何があったのか、それを確かめた時だ。裏切っているかどうかが、これでハッキリする。しかし私には自覚がなかった。真実を知りたいのは、ガングートが裏切っていないと知りたいからだとは。

 

 

 

 

 

── File67 聖櫃 ──

 

 

 

 ようやくビーチを抜けて、スネークとガングートは天井を仰ぐ。本当に成れない、永遠に続く赤い海は気が狂いそうになる。半分ぐらい深海凄艦になりかけていても、あの世界を居心地が良いとはまったく思えなかった。

 

 精神的な疲労が極まっていて、お互いに会話する余力はない。多摩の言っていたコードトーカーの隠し部屋を探す為、二手に分かれよう。手短に会話し、二人は別々の道へと歩き出した。

 

 最低限度の照明しか設置されておらず、辺りの様子は伺えない。しかし、奥から無数の水の音が聞こえている。そこら中に水路が張り巡らされているのだ。物資の運搬用か、別の目的があるのか。

 

 警備に注意しながらやや適当に歩いていると、妙に大きな水路が見えた。いや、かなり大きい。艦娘や深海凄艦が行き来するにしては幅が広すぎる。太平洋深海棲姫の艤装も通れそうだ。

 

 不意に、巨大水路を誘導灯が照らした。天井から鳴り響く轟音に身を隠す。上を見た瞬間、巨大な落下物が見えた。それは凄まじい水しぶきを上げて、水面へ一気にダイブしたのだ。巨影はそのまま、水路の奥へ()()()消えていった。

 

 メタルギア・イクチオスだ。あのシルエットは間違いなくイクチオスだ。

 ここはただの水路ではない。イクチオスを外海へ送り込む為の連絡通路も兼ねているのだ。山岳部の地下工場にどう深海凄艦を集めているのか疑問だったが、こうやっていたのだ。

 

 それなら、スネークは思った。この通路が外海へ続いているなら利用できないかと。同じく巨大なアーセナル級の艤装も運び込めるのではないか。真正面からでなくても、敵の物資に紛れ込ませるとかの方法がある。

 

 ただ、その為にはやはりメインコンピューターに侵入しなければならない。そこから物資の一覧を改ざんしなければ、実行する伊58が危険になる。準備だけはするように伊58に伝えて、スネークは部屋を探しに向かう。

 

 その旨をガングートに伝えると、彼女はサーバールームの位置情報を送って来てくれた。なぜそんなものを持っているのかと聞くと、どうやら川路と接触した際貰ったものらしい。KGBがGRUの強制調査をした時に、川路がくすねたものだとか。

 

 G.Wの検証でも、これが偽装されている危険性は低かった。なら、あとは信じるしかない。

 薄暗く静かな水路では、足跡さえ異常に響いてしまう。背中に落ちる水滴の音も恐ろしい。さっきからそうだが、この通路は普通の監視がいない。

 

 水路に監視はいる。潜水艦だ。これまでにないほどの潜水艦がソナーによって地上を監視しているのだ。逆に音を立てなければ良いとはいえ、ソナーが拾えないような無音で歩くことは、かなりの緊張を強いてくる。

 

 相当寒い筈の水路が、うっとおしいぐらいに蒸し暑く感じられた。スニーキングスーツがべたつく。早くサーバールームに辿り着きたい。流行る気持ちを押さえつけて、完璧な無音で一歩ずつ歩いていく。

 

〈スネーク、そこだ。そこが目的地のサーバールームだ〉

 

 G.Wがそう言うと同時に、持ってきた小型端末を接続する。小型艤装やMk-4と同じく、G.Wの端末として使える道具だ。その分、稼働時間は短いが。短い電子音が鳴り、ロックが解除される。

 

 ぶわっと冷たい空気が押し寄せる。サーバーは多量の熱を放つから、常に強烈な冷房が効いているのだ。心地よい気持ちもほどほどに、中央サーバーを目指して部屋を歩く。この部屋にも、赤外線の様な罠がないとも限らない。

 

 しかし、一歩一歩行くごとに、得体の知れない感覚が背筋を過っていた。やがてその正体に感づく。私はこの部屋を()()()()()。間違いなく見覚えがある。だがなぜ。その疑問の答えも、目の前に鎮座していた。

 

 眼前にあったそれは、まさに墓標だった。

 ライトの一つもない、漆黒の立方体が置かれている。コンソール用のパネルが小さく見えるだけ。端には小さく、『T.J』とだけ刻まれている。

 

「トーマス・ジェファーソンだと」

 

 ラシュモア山に刻まれた合衆国大統領の名前をスネークは呟いた。感嘆ではなく、驚愕の一言として。目の前のこれは確かにメインコンピューターだ。だがそれだけではない。これは、愛国者達を構築するAIネットワークの一柱だ。

 

〈これで明確になったな、ここも愛国者達の中枢基地の一角だ〉

 

 ヴァイパーの所には私の予備AI、J.F.Kが置かれていた。だとしたら、他のAIもどこかに置かれているのだろう。小型端末の端子をパネルへ繋げると、G.Wが解析を始める。知っている機械だから、解析は早く進んでくれた。

 

 解析された情報はG.Wを経由して、モセスへ送られていく。間接的に遠くにいる青葉にも届く。この場で映像を見られないのが若干面倒だった。やがてモセスから無線が届く、監視カメラの解析が完了したと。

 

〈スネーク、これは……どういうことだ?〉

 

「何が見えた」

 

 そうでなければいいと願っていた。だが、北条の声色で薄々察していた。もう諦めるしか、認めるしかない。

 

〈どうして、ガングートが、ダクトのコンソールを二度も操作している?〉

 

 裏切り者はそこにいたのだ。

 

 

 *

 

 

 もう少し解析したいことがある。G.Wはそう言い、小型端末をあの場に残してほしいと頼み、スネークは承知した。深く考える余力がなかった。それだけショックを受けていたのだ。そして、ショックを受けた自分自身にも驚いていた。

 

 ただ裏切られただけ、それだけで、ここまで傷つく様な人間だったとは。

 今までは運が良かったのだろう。だれも裏切らず、お互いに信頼できていた。それがどれだけ幸福だったのか、今更ながら痛感する。

 

〈おいスネーク、ショックを受けてる場合じゃねえだろ〉

 

「お前は平気なのか?」

 

〈平気じゃねえが、まあ、お前よか慣れたんだろうな〉

 

 北条は人どこか、国家に裏切られた人間だ。私なんかよりもよっぽどショックが大きかっただろう。伊58とも引き離された寂しさは、とても想像できない。それに引き換え私は何だというのか、これで落ち込んでいる場合なのか。

 

〈ガングートは裏切ったかもしれねえが、そうじゃねえ奴も大勢いる。青葉も心配してたぞ〉

 

「そうか……心配をかけて済まないと言っておいてくれ」

 

〈了解した、そっちはコードトーカーの部屋探しか。頑張ってくれ、あいつが起きた時の為に、明石がずっと寝不足なんだ〉

 

 なんで明石が、と思ったが、二人は単冠湾で少しだけ同じ期間いたんだった。多摩と同じように心配しているのだ、それが何とかなるかは私にかかっている。ますます落ち込んでいる暇はないのだ。

 

「ならコーヒーでも入れさせておけ、じきに川内は起きるからな」

 

 北条に強気で返す。まだ気持ちは持ち直していないが、態度だけでもと思った。T.Jのサーバールームから出ながら、情報を整理していく。

 

 手に入れたのは、この階層のマップデータと監視カメラの映像だ。二つを組み合わせて、地図と一致しない箇所を洗い出す。G.Wにもやってもらっているが、機械では見切れない場所もある。それはモセスの面々に手伝ってもらった。

 

 こんな敵の基地のど真ん中に隠して、長年見つからなかった部屋だ。簡単に見つかる訳がない。だからこそ全員で探していく。その間、スネーク自身もあちこちを歩いて、敵の視線をくぐりながら捜索する。

 

 徐々に探す範囲が狭まっていく。絞り込まれていく、全員が怪しいと思った場所が明らかになっていく。そこは階層の中央近くの、物陰になった資材置き場だった。地図の情報と比べ、僅かだが部屋の大きさが小さいのだ。

 

 ここまで敵はそう来ない。僅かな明かりを頼りに倉庫を探す。手掛かりになりそうな場所はないだろうか。壁を触っていると、指先に一瞬、奇妙な感覚が走った。なにか、生ものを触ったような気がしたのだ。

 

 その壁を凝視して、スネークは声を漏らしかけた。生理的にキツイ光景があった。壁の一角が、本当に良く見なければ絶対に分からないが──虫の破片で覆い尽されていた。見た事ない、芋虫みたいな生物が埋め込まれている。

 

 その間に、ただの亀裂と見間違えそうな小さい穴があった。耳を澄ますと、奥から小さな機械音が聞こえる。何かの仕掛けなのだ。だが鍵なんて持っていない。ふと思い立つ、コードトーカーは、川内に何かを託しているのだぞ?

 

 なら、これなのか?

 川内に頼まれて持って来た声帯虫のシリンダーを取り出す。蓋を開け、穴へ密着させる。すると声帯虫は動きだし、穴の中へと向かって行った。

 

 機械音が止まった。同時に、壁に一直線の亀裂が走る。隙間に指をかけ、ゆっくりと壁を引っ張ると、隙間から鈍い光が刺し込んできた。こじんまりとした小さな、古ぼけた隠し部屋がそこにはあった。

 

 やっと見つけられた、本当に助かったと無線を繋ごうとした。だが通信が全く繋がらない。強烈な電波妨害が起きている。原因は、さっきの虫の死骸としか思えない。あの虫はこの部屋一面に埋め込まれていたのだ。

 

 不気味な光景だった。愛国者達から身を隠すための部屋だったのだろうが、生理的にきついものはきつい。早く用事を済ませたい。そう思い部屋の奥にあったコンピューターをいじり出す。

 

 自力でもある程度データは探せるから、見つかると思った。しかし、簡単には行かない。やはり確信に迫るデータには堅牢なセキュリティが張られている。それ以外の情報ならどうにかなりそうなのだが。

 

 その時、スネークの目にあるデータが止まった。長々と記されていたのは、一人の人間のDNAコードだった。艦娘ではなく人間のだ。そしてそのコードに新たなコードを組み込む過程まで残されていた。

 

 遺伝子は操作され、最終的に()()の遺伝子配列に変わっていた。変化した艦娘の名前には『川内』と記されていた。

 

 スネークは一端部屋から出て、モセスへこの情報を送った。なぜあんなものがあるのかは当人に聞けば良い。この情報は、川内を覚醒させるために必要なものだ。

 

 少し待つと、無線機が再度作動した。周波数は北条のものを示している。期待を込めながら耳に手を当てる。

 聞こえてきた声は、その通りのものだった。

 

〈おはよう、スネーク〉

 

「良く寝ていたみたいだな」

 

〈うん、まだ頭が痛い〉

 

 成功だった。無線機越しでも、喜ぶ明石たちの声が聞こえていた。ただし、一時的な覚醒に過ぎない。これから本格的に体を戻すための施術を始めるという。施術の内容については後で聞くことにした。

 

〈感謝はしないよ、私はもっと寝ていたかったから〉

 

「そんなものはいらない、必要なのは情報だ。今コードトーカーの部屋にいるが、どうすれば目当ての情報が手に入る」

 

〈うん、今教えるね〉

 

 川内の指示を覚えて、再び部屋に入る。機械は上手く操作できそうだ、セキュリティも何とかなる。やはり彼女がやり方を知っていた。

 

 その間、少し考えていた。寝ていたかったとはどういう意味だろう。冗談なのか、そのままの意味なのか。もし推測が当たっていたとしたら、川内は誰よりも長い間戦っている。ただの独りで、彼女をそうさせるだけの意志が、ここに眠っているのだ。

 

 

 *

 

 

 なぜかスネークと連絡が取れない。ガングートは一人首を傾げていた。モセスのメンバーに連絡をとっても、原因は分からないと言う。しかし心配は要らない、仕事をしていてくれとあいつらは励ましてくれた。

 

 これは、とうとうばれたのかもしれない。

 つまり私が裏切っているということ、私があいつらを囮として利用していることが。次にスネークに会ったら戦いになるかもしれない。

 

 それは構わない、後ろから撃たれることも撃つこともなれている。ただこのままでは不味い。まだサーバーを発見できていない。あれにアクセスせず、自力で目当ての物を探すのは無茶が過ぎる。

 

 いっそ逃げる選択肢もあるが、できる訳がない。これが最後のチャンスなのだ。しかも私は恐らく監視されている。任務を達成せず逃げれば、二度と場所は得られない。今度こそ時代に押し流され、消えてしまうだろう。

 

 焦る気持ちを抑えながら、深海凄艦の恰好をして部屋を探す。幸い階層が薄暗いおかげで、凝視されない限りは艦娘だと分からない。余裕をもって歩き回ることができる。だからこそ、徐々に兵士の気配が変わっていくのに気づいた。

 

 兵士が一斉に敬礼をした。ガングートも合わせて敬礼する。奥から一隻の深海凄艦が歩いてくる。小柄だが、途方もない威圧感を、あの時と同じように放ちながら、北端上陸姫が歩いている。

 

「エエ、ソウ、例ノ侵入者ハ『T.J』ニ接触シタミタイ」

 

 無線機に話しかけながら北端上陸姫は歩く。T.Jは確か愛国者達ネットワークの一つだ。スネークはやはりサーバーに侵入できていたのだ。同時に確信する。北端上陸姫は愛国者達に強く関わっている。

 

「遺産ヲ狙ウ侵入者ハ二隻、ドチラモ逃ガサナイワ。勿論、コードトーカーノ遺言ヲ狙ウスネークモ。早ク捕マエテ、タップリ甚振ッテアゲタイワ」

 

 顔を恍惚とさせながら呟く彼女に、ガングートは背筋が凍った。こいつに捕まったらどうなってしまうのか。スペクターの人体実験に使われるのは、まだマシなのかもしれない。しかし、通信機から静かな声が流れると、とたんに真顔に戻った。

 

「分カッテイルワ、マダソノ時ジャナイ。ドッチモマダ、モウチョット自由ニシテアゲナイト。ソウネ、長年ノ努力ヲ台無シニサレタラ堪ラナイモノ」

 

 北端上陸姫の言っている意味が良く分からなかった。スネークの侵入は恐らく気づかれている、それでも泳がしているのはコードトーカーの遺産を、彼女に見つけさせるためだ。だが、ドッチモとは誰のことを指している。私か、多摩か、伊58なのか?

 

「大丈夫、楽シミワ程々ニシテオクカラ……」

 

 そう言い切って北端上陸姫は通路の奥へ消えた。兵士たちが敬礼を解き、それぞれの巡回ルートへ戻っていく。ガングートもそのフリをして考え込む。一度戦った時と同じように、不気味な雰囲気が漂っていた。

 

 北端上陸姫のことは、良く知っていた。スネークに昔話をしたが、その内容よりも良く知っていた。奴のことならあらかた分かる──そうでなければ、奴の支配するこの基地やビーチを歩ける筈がない。

 

 深海凄艦とはどうあるべきか?

 彼女はそういった問い掛けに対して一貫した答えを持っていた。人類を滅ぼす存在だと、そこに理由や意味などは存在しないと。そういう存在として生まれたから、そう振る舞うだけだと言っていた。

 

 これは深海凄艦としては普通の考え方だ。むしろ北方棲姫が異端なのだ。理由があってもなくても人類を滅ぼそうとする。本能と言っていい、人の戦争の、その怨念から生まれた存在は人を害して当たり前だ。

 

 だが、奴はある一点において異端だった。それは──

 

「コンナトコロデ何ヲシテイルノカシラ……?」

 

 遥か後ろの廊下で、人の倒れる音がした。ガングートは歩く方向を変え、北端上陸姫の視界に入らない場所へ移動した。

 

 太ももから血を流しながら、地面に横たわっていたのは多摩だった。

 苦悶の顔をどうにか噛み潰しながら、北端上陸姫を睨み返そうとする。その顔を、彼女は思いっ切り蹴り飛ばした。

 

「ソウ、貴女モ遺産ヲ狙ッタ鼠ナノネ」

 

「ネズミじゃないにゃ、多摩にゃ」

 

「猫ナノ? ジャア可愛ガッテアゲルワネ」

 

 そう言って、何かの液体を彼女は多摩にぶっかけた。遠くから見ると害はなさそうに見える。しかし、直後多摩の体がビクンと跳ねた。言葉にならない悲鳴を多摩が叫んでいた。油汗を流しながら震える彼女の腹を、また蹴り飛ばす。

 

 異常な痙攣と痛みに、嘔吐しかけた口を地面に叩き付ける。多摩はそのまま嘔吐してしまう。吐しゃ物が口や鼻に詰まる。酸素を求めて痙攣している彼女を、ガングートは直視できなかった。

 

「ドウシタノ、モット頑張リナサイ、私ヲ楽シマセテクレナイト……足リナイノカシラ、ナラ今度ハコウシマショウ」

 

 痛みにあえいでいた彼女が、今度は頭を抱えてのたうち回る。まるで焦点の合わない目になりながら、多摩はあろうことか、地べたに這いつくばったまま、北端上陸姫の足を舐めようとしていた。だが、寸でのところで留まり、また苦しみ始める。

 

「……アイツ、完璧ジャナイノヲ寄越シタワネ……マア良イケド。デモモウチョット遊ンデオコウカシラ」

 

 その間、北端上陸姫はずっと()()()()()

 多摩が大本営の工作員と分かっていても助けにいきたいが、それは無理だ。北端上陸姫はそういう姫だった。スネークに話した通りだが、途方もなく『悪辣』な深海凄艦なのだ。

 

 なぜ、あんな怪物になったのかガングートは知らない。ただ彼女はこうも言っていた。私は、時代に沿って生きているだけだと。

 

 あの時から、今になって、艦娘になった今もその言葉の意味は分からない。理解したくもない。そもそも時代に上手く乗れたなら、KGBを追放されず、上手く立ち回れただろう。それができないから此処にいる。

 

 世界は、時代とともに変わっていく。私は変われなかった。だからいずれ消えるのだ。何かが消えなくては時代は進まない。過去の忘却へ放逐される運命は決まっている。どんな概念だった、絶対はあり得ない。

 

 その確信めいた気持ちを知ったのは艦娘になってからだ。理由は一つしかない。私が『ガングート』だからだ。

 

 そう分かっていても、艦娘だからなのか、私は場所を求めてやまない。帰りたいと心の何処かで願っている。シズメ、沈め、鎮め──木霊する声はガングートを駆り立てる。北端上陸姫の腸を走りながら、その為に動き続けていた。

 




―― 145.73 ――


〈気持ち悪いな……〉
〈急になんだ〉
〈この部屋だ。コードトーカーの隠し部屋だが、どういう訳か、床も壁も全て、虫の死骸で埋め尽くされている〉
〈それは、確かに気持ち悪いな〉
〈何かの意味があるのは分かっている、一応、少し壁を削ってサンプルを回収した。だけどな、生理的にキツイぞこの光景〉
〈お前の感情はどうでもいいが、虫の正体は確かめた方が良い。確実に回収してきてくれ。あのコードトーカーが用意した虫が、ただの生物である筈がない〉
〈分かっている……〉
〈……今度は何だ、無線を切らないで〉
〈なぜコードトーカーは、こんなところにいたんだろうか〉
〈推測するに、かつてスカルフェイスにされたように、脅迫される形で研究を強要されていたのだろう。その中で少ない隙を突き、この隠し部屋を残した。そう考えるのが自然だ〉
〈それだよ、いったいどうやって脅されたんだ。また故郷を人質に取られたのか〉
〈それはおかしい。ダイヤモンドドッグスに味方した時、コードトーカーは故郷が危険になることを知った上で、スカルフェイス打倒を目指している〉
〈……分からないことだらけだ〉
〈その為にはコードトーカーのメッセージが鍵になる、急いでくれ〉


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File68 忘却の虫

 スネークの前で、機械が作動した。

 部屋に積もった埃が一斉に舞い上がり、霧のように視界を覆う。くぐもった声が徐々に聞こえてくる。埃の向こうに誰かが写っている。

 

 ノイズ塗れの映像に、一人の老人が写っていた。スネークが知る姿よりも、もう何十年も年を取り、やせ細ったようだった。なぜこんな姿になったと驚愕する。老衰という次元ではない。

 

 少しずつ明瞭になってきた声は、悲壮感に溢れていた。しかし、何としてもこの声を残そうと言う、強靭な使命感が貫いてた。スネークは生唾を飲み、耳を傾ける。一字一句聞き逃してはいけない、そう感じていた。

 

 

 

 

 

── File68 忘却の虫 ──

 

 

 

 

〈まず、君達に私は謝罪をしなければならない。この世界を造ったこと、その一端を担ったことへの謝罪だ〉

 

 それだけで察する。この世界、艦娘と深海凄艦が跋扈する屍者の帝国は、コードトーカーによって創造されたものだと。

 

〈そして時間がないことも謝罪しなければならない、もう時間がない。じき私は中枢棲姫と名乗る機械の怪物に殺されてしまう。奇跡的に、監視のない時間を得ることができた、その時間を使って、この声を残す〉

 

 コードトーカーはどうやら、中枢棲姫がJ.Dということも把握していたようだ。まさか自分から名乗ったのだろうか、そんなことをする意味は分からないが。

 

〈私が残す記録は、艦娘と深海凄艦。その『誕生』についてだ。この記録を見たということは、恐らく君達は、記憶を捕食する『虫』の存在に辿り着いている筈……そして、虫たちが君達の根幹に深く関わっていることも〉

 

 屍棲虫と仮称している虫のことだ。これも予想通りだ、やはりコードトーカーが関わっている。声帯虫やメタリックアーキアなんていう虫についての技術があったのだ、関わっていない訳がない。

 

〈しかし、あの虫は儂がゼロから創造したものではない。声帯虫と同じく、太古の昔から生き続けていた生物なのだ。声帯虫は我々に声を齎したが、かの子らは我々に『忘却』を齎したのだ〉

 

 忘却を齎した? それは文字通りの機能的な意味なのか、概念的なものなのか。確かに記憶を喰うが、それがどう関わっている?

 

〈声帯虫によって声を得た人々は、言語を会得し、それによって莫大な情報を後世に残すことが可能となった。伝承や壁画、今まで残せなかった情報が残るようになり、それらは累積し、いずれ文化と呼ばれるようになる──だが、そこには一つの落とし穴があった。

 莫大な情報を得過ぎた人は、それらを持て余すようになってしまったのだ。例えば猛獣に襲われた時、今までは逃げる選択一択だったものに、道具を使い戦う選択肢を得た。しかしどちらが最適なのかは、その時により変わる。それを瞬間的に選択しなければならなくなった、最適の計算を、覚えている全ての記憶で行おうとすれば一瞬では終わらない。

 そんなことが日常的に起き始めた、人は、情報を累積し過ぎたことで、押し潰されかけていたのだ。だが、そんな莫大過ぎる情報に目をつけた、()()()がいた。それが記憶を捕食する、極限環境微生物──私はそれを『精体虫(サイキックアーキア)』と呼んだ〉

 

 記憶を喰う極限環境微生物だと、そんな滅茶苦茶が合って良いのか。

 極限環境微生物とは、一般的な生物──微生物も含んで──が生息できない極限環境に身を置く微生物のことだ。

 

 とてつもない深海の奥底、煮えたぎる溶岩の中、そういった場所でこそ生きられる生物がいる。メタリックアーキアもその一種だ。この虫たちは色々な方法でエネルギーを得て生きている。中には劣化ウランを食べて、濃縮ウランに還元する虫もいる。

 

 だが精神だぞ、記憶をどう喰うというのか。

 そう思っても、サイキックアーキアは現実にいる。どういう理屈か意味が分からないが、記憶を糧に何らかのエネルギーを得ているのだ。

 

〈むろん、極限環境微生物の中でも群を抜いて異質だ。記憶や精神や、そういったものがある種のエネルギーを得ていることは超能力者への研究で分かっている。だいたいはソ連の成果だがな。

 彼らの元々の生息地は、光さえ刺さない深度の水底だ。落ちてくる死体さえ、分解された状態になっているような深海で、彼らは餌を得た。死体が消えてもなお、恐らくだが──記憶や思念だけは、残留したまま奥底に沈殿していったのだ。

 記憶を喰う上で、深海は唯一安定した餌場だったのだろう。光に晒されないということは、それだけ劣化も遅くなり、同時に思念も消えにくかったのだ。少なくとも地上よりは〉

 

 スネークはふと、ある超能力者を思い出していた。

 大人になってからは、サイコキネシスやリーディング能力を主に使っていたが、子供のころはそれ以外にも、パイロキネシス(発火能力)も持っていたと聞く。

 

 人間の脳シナプスは、微弱な電流で細胞間の連携を取っている。この電流は感知できない領域で外部に漏れている。彼はその電流を受信できてしまう体質だった。そして受信した感情が、脳内で反響される内に増幅され、エネルギーとして大概に放出される。

 

 それは電磁波(マイクロウェーブ)となり、物理世界に干渉するのだ。その力は大本の感情が強い程協力になっていく。実際目にしていない以上、眉唾ものだが──あいにくそれで、動く筈のない巨人(サヘラントロプス)が動いた記録がある。

 

 それを置いておいても、感情によって脳内で電流は起きる。感情は確かにエネルギーを生む。サイキックアーキアは、残留したそれをエネルギーにしているのだ。そう理解する他なさそうだった。

 

〈何らかの切っ掛けで、サイキックアーキアは情報を抱え過ぎた人類と接触した。虫たちにとっては途方もない御馳走だったに違いない。使われていない記憶が大量にあったのだから。そして人間は二つに分けられた、アーキアに寄生された人間と、そうでない人間だ。

 どちらが生き残ったのかは、言うまでもない。余剰な情報を適度に捕食してもらえる人間の方が、より生存に適していた。むしろ、()()()ことを知ったおかげで、人間はより文化を残すようになったのだ。

 やがて、レトロウイルスが蔓延する時代が来た。声帯の機能を転写され、声帯虫が絶滅したように、サイキックアーキアが齎した忘却の機能も転写され、より人に適した機能に変化していった。

 ただ声帯虫と違い、住処が消えた訳ではない。深海の底や地層の奥にはまだ記憶が残っている。人の起こした文明はより残る記憶を増加させた。最盛期程ではないが、細々とそこで、現代まで生き続けていたのだ。

 これまで発見されなかった理由は、君達も知っての通り。サイキックアーキアは記憶へ干渉するため、虫にも関わらずある種の超能力を得ている。半ば霊体と言っていい、その状態で、自身の能力で生命活動を行っている。だから逆に、我々から干渉するためには、サイキック能力が必須だった。だから発見されなかったのだ〉

 

 発見されなかったのには生息域も関わっているという。実は宇宙よりも、深海の方が未知の領域だと言われている。そんなところを探索できる知的生命体はいなかったのだ──深海凄艦でもない限りは。

 

〈そして、ここからが肝心だ〉

 

 コードトーカーの顔色が一気に暗くなった。そうだ、サイキックアーキアは人間では立ち入れない領域に棲んでいた。そこに立ち入ったのだろう、深海凄艦となったJ.Dが。

 

〈奴、中枢棲姫は、このサイキックアーキアを選別するよう私に強要してきた。拒否権はなかった──言う必要のないことだったな。

 声帯虫が特定の言語のみに反応するのと同じく、サイキックアーキアも特定の記憶のみに反応する。食べることや、息を吸うことといった本能的な記憶のみを捕食するもの、情動的な記憶、エピソード記憶のみを捕食する個体群。

 奴はその中で、ある記憶を指定してきた。察しているだろう、それは第二次世界大戦、その『海戦』に関わる、戦争の記憶のみを捕食する。そういったサイキックアーキアを選別するよう命じたのだ〉

 

 なぜ、そんなピンポイントな記憶のみなのかはコードトーカーでも分からないという。そもそもサイキック能力がなければ選別もできないと言ったそうだ、だが、そのサイキック能力は、中枢棲姫が持っていたのだ。

 

〈奴に協力させられながら、私はサイキックアーキアを密かに研究した。私に渡された時点で、不可解な改造が施されていた。彼らは記憶を捕食すると、その記憶を還元し、様々な物質を生み出すようになっていたのだ。

 人間の細胞や機械の部品、アーキアたちは生み出したそれらを、自分たちが活動するための依代として活用し始めた。

 その中で地上で活動するアーキアは、紫外線から身を護るために、また、自身等の活動を補助してくれる人間を模した姿を取ったのだ。数センチしかない小人の姿になり、依代を補助する役目を担った。

 対して深海で活動するアーキアは、そのまま活動の効率化のために、かつてのように人の細胞と一体化した。アーキアと細胞単位で融合したその生物は、生物でありながら機械的な性質も得ることになった。

 中枢棲姫は、それぞれを、こう呼んだのだ。『艦娘』と『深海凄艦』と。

 そうだ、君達は、このサイキックアーキアが起こした代謝の()()()として産まれたのだ〉

 

 スネークは言葉を失っていた。説明される情報を理解しきれない。感情的に認めたくない思いが勝る。虫の活動で私たちが生まれたなんて。

 

〈すまぬが、なぜ中枢棲姫が海戦の記憶を使い、君達を生み出したのかまでは分からなかった。なぜAIを自称する存在が、このような行動を起こすのかも。私も愛国者達のことは知っているが、彼女の行動は、それからも剥離しているとしか思えぬ……〉

 

 コードトーカーが顔を下げている。不意に、足跡の近づく音が聞こえた。モニターの中からだった。足音にコードトーカーが反応する。いよいよ時間がなくなってきている。なのに、彼は落ち着いたままだった。

 

〈最後に伝えておこう、この部屋の外壁を構築する虫に気づいたと思う。モニターの裏側に、()()()この虫のサンプルを設置しておいた。理屈は解明しきれなかったが、この虫はサイキックアーキアの『天敵』に当たる存在らしい。それを活用すれば、きっと、中枢棲姫に止めを刺せるやもしれない〉

 

 すぐさまモニター裏を確認する。小さな窪みに手を突っ込むと、小瓶の様なものが置かれていた。コードトーカーの言った通り、中には小さい芋虫が浸けられている。多分生きている筈だ。声帯虫を格納していたポケットに入れておく。

 

〈本当に、何もできなくて済まない。世界を売ってしまった私は到底許されることはない、だが、どうか、中枢棲姫を沈めてくれ──〉

 

 その声を最後に、コードトーカーのメッセージは切れた。

 この後どうなったのかは考えるまでもない。この間ずっと、死の恐怖を感じていた筈だ。そんな中、決死の思いで残してくれた言葉がある。

 

 こいつが何なのかは、モセスに帰ってから解析してもらえば良い。必ず生きて帰らなければならない。まあその前に、全てのイクチオスを破壊しなければならない。あれはあれで放置できない存在だ。

 

 隠し扉から倉庫を出たスネークは、再びイクチオスのある上層を目指そうとする。恐らく、伊58が私の艤装を持って来てくれた頃だ。もはやビーチを経由する必要はない。全て確実に破壊し尽くしてやる。

 

「スネーク、そこにいたのか」

 

 後ろから声がした、ガングートか──そう思った時には、首元に弾丸が刺さっていた。

 

「ご苦労だった、あとは私に任せてくれ」

 

 意識が一気に、暗闇へと落下していく。これはまさか、麻酔銃なのか。裏切っていると分かっていた、だが、これは余りにも唐突過ぎた。

 何の抵抗もできない。スネークは一瞬で、意識を失ってしまった。

 

 

 *

 

 

 それを見てガングートは言葉を失っていた。

 敵兵に捕まったスネークが、全身を拘束された状態でどこかへと連れていかれようとしている。雰囲気を見る限りスネークを捕まえたのは、運んでいる敵兵ではなさそうだ。

 

 誰に捕まったのだろう。あのスネークが簡単に捕まるなんて。これはアレを探すためのチャンスになるのだろうか。どの道今は助けにいけない。ガングートは仕方がないとと言い聞かせ、別の場所へ行こうと思った。

 

 とは言え、スネークが捕まったのは私にとっても不味い。芋づる式に存在が露呈しかねない。一刻を争う状況になってしまった。そこで思い立つ、スネークはどこへ運ばれるのだろうか。

 

 深海凄艦にも名前の売れているスネークを、北端上陸姫が知らない筈はない。きっと喜々として拷問にかける。その様子がありありとイメージできた。だから連行される先も、この基地の中枢に近い場所ではないか。

 

 そこにこそ、アレの手掛かりがあるのではないだろうか?

 危険な賭けになりそうだが、試してみる価値はあるかもしれない。どうせ見つかる危険は高いのだ、やってみてもいいだろう。

 

 追跡を始めてしばらく経つと、兵士たちは突如として壁の中に消えた。周りを伺ってガングートも壁に飛び込む。すると壁に激突せず、ビーチへと移動した。ここへの入り口になっているのだ。

 

 地平線しかないビーチには、敵兵の影一つさえ見つからない。だがガングートには位置が感覚的に理解できた。信じた方向に向かって航行を続ける。その間、北端上陸姫に見られている感覚が背筋を離れなかった。

 

 しかし、奴はどこでビーチの能力を手に入れたのだろうか。

 そもそもビーチは、姫のテリトリー化する直前の、中間形態だ。こうやって維持されていることが異常なのだ。

 

 深海海月姫は、姫としての自覚を徹底して希薄にすることで、ビーチを維持させていた。この空間を維持するためには、ただの姫ではない、姫として何かが欠落していなくてはならないのではないか、そう推測する。

 

 北端上陸姫は異常だが、姫としてはまあ普通の個体だ。私が撃退してから今に至るまでの間どこにいて、何をしていたのか。少なくともまともな深海凄艦でなくなっているのは確かだった。

 

 やがて赤い海に亀裂が入り、普通の地下工場へ景色が変わる。少し一息ついて、追跡を再開する。兵士たちの姿はすぐに確認できた。しかし、ガングートはすぐに立ち止まった。それ以外の警備の数が尋常ではなかったのだ。

 

 明らかに大きいゲートの前に兵士がいる。開閉のためのコンソールを兵士が触り、そして小さなカメラを凝視すると門が空いた。指紋認証と色彩認証の二段構えになっているのだ。今の私では突破できない。

 

 敵を捕まえて無理矢理突破するにしては、兵士の数が多過ぎる。だからこそ、ここが中枢だと確信を得ることができた。この近くに目当てもものがある筈だ。スネークを助けるかどうかは、後で考えても遅くはない。

 

 見たところ、兵士の注意は中のスネークに向いている。この階層を探索できるチャンスは今しかない。今しかないのだ、そう言い聞かせ、一歩を踏み出そうとした時、無線が鳴り響いた。

 

〈ガングート、今お前どこにいる?〉

 

「川路? いったい何の用だ?」

 

〈質問に答えろ、いったいどこにいる〉

 

 妙に焦った様子に、ガングートは警戒心を高める。一応この階層とは別の場所にいるとだけ応えると、そうかと彼は返す。逆に焦っている理由について尋ねると、だいぶ言い難そうにしながらも応えた。

 

〈遂に恐れていたことが起きようとしている〉

 

「何の話だ」

 

〈忘れたのか、お前たちが派遣された理由は、ソ連がイクチオス開発に関わった証拠を抹消するためだと、誰よりも早く〉

 

 その通りだ。他国にこの事実が露呈すれば、第三次世界大戦の幕が上がりかねない。誰もがそれを危惧している。

 

「……まさか」

 

〈CIAが動き出した、バックには恐らく愛国者達もいる、彼らは、世界を滅ぼそうとしている、そうなれば、ツェリノヤルスクの中立区も消えるだろう〉

 

「馬鹿な、奴等の目的は、世界を一つにすることだった筈」

 

 世界そのものが消えるシナリオは絶対に望まない、しかしJ.Dは、どうやらその為に動いている。ガングートにとっても最悪の情報だった。これでは、アレの情報を持ち帰っても意味がない。

 

 しかし、イクチオスを破壊していたら、アレの入手は間に合わない。両方やらない限り、私は任務に失敗してしまう。成功しても、報酬を得られなくなってしまう。どうすれば良いのか、油汗が止まらない。

 

〈KGBも、フョードロフ殿もこの展開に焦っている……君達も、証拠隠滅を目論んだ艦娘として、真っ先に沈められる〉

 

「なぜ、それをわざわざ教えた」

 

〈……追放されたとはいえ『同士』、同じ母国を持つ者だ、それぐらいしたって良いだろう? だが、決断するのはお前だ〉

 

 それはそうだ、だが──ガングートは独りで頭を抱える。

 既に私の裏切りはモセスにも伝わっているだろう。今更戻れる訳がない。そもそも、こんなことに悩まなければいけないなんて。

 

 ガングートが呪ったのは、この『艦娘』の体と心だった。

 あの時代のままなら、戦艦ガングートだったなら、もしくは北端上陸姫の元にいた頃なら、どうなろうが気にならなかった。流れる時代のままに在った。

 

 しかし、この体はどうしようもなく、人に近い。

 場所を求めてやまないのだ。永遠に在る母港なんて存在しないと、戦艦ガングートの頃から知っていたのに。

 

 絶対的な価値観はこの世界にない。なのにそれを求めてやまない──不可能と分かっている答えを認め切れない、この脆弱な心は。

 そんな艦娘たちが跋扈する、屍者の時代。屍者足る自分。ガングートはその全てを呪いたくて仕方がなかったのだ。

 




サイキックアーキア(精体虫)

屍棲虫と呼んでいた寄生虫の正体。及び、全ての艦娘・深海凄艦を建造している極限環境微生物である。精体虫は極限環境の中で、記憶や感情が齎すエネルギーを元に生命活動を維持している。基本的に記憶が累積している古代の地層や、深海域に生息しているが、記憶を捕食する生体上、人体に寄生することもある。
中枢棲姫はそれを利用し、記憶を糧に有機細胞や金属物質を精製する精体虫を、コードトーカーを脅迫し作り出した。なお、中枢棲姫化する以前のJ.Dが、どう活動していたかは一切不明である。また、姫のテリトリーが赤く染まるのは、この精体虫の大量発生が原因――つまり、原理は赤潮と同じである。

警告:サイキックアーキアは昔の、忘れ去られたような記憶も保持しているため、「絶滅」の情報も取り込んでいる。そのため、大量流入は「絶滅」の呼び水に成りかねない。管理には注意しなければならない。


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File69 拷問

 ツェリノヤルスクのジャングルが眼前に広がっている。眼下には、巨大な滝つぼがある。そこまで一直線に滝が流れ落ちている。彼は、その淵に立っていた。彼女は銃を構えながら、その指先を震わせていた。

 

 彼はこれから、死ななければならなかったのだ。

 彼女とともに行く選択肢は無かった。どちらかが死に、どちらかが生きる。そして生き残った方は、死者を背負って生きていかなければならない。

 

 だから彼は予言した。自らの死が、いつか来る彼女の死が、何を生み出すのかを。

 彼女の息子が何匹もの蛇となって、物語を紡いでいく。遺伝子的な、模倣子的な形で記録は残されていく、それは希望だった。だが、もしもがあったのなら──

 

 

 

 

 

── File69 拷問 ──

 

 

 

 

 水滴の跳ねる音で、スネークの意識は覚醒した。まさか夢を見ていたのか、こんな状況で。今のはいったい何の夢だったのか、あんな経験は私のどこにも存在しない。記録として知っているが、まるで私自身が、彼になったような気分だ。

 

 頭痛と眩暈を堪えながら顔を上げても、ただの壁しか見えない。スネークは薄暗い部屋の中で、天井から吊り下げられていた。ギリギリ足首がつくという、一番体に負担がかかる姿勢で固定されている。

 

 確か、私はガングートに麻酔銃を撃ち込まれたのだ。

 そのことを思い出すと、とてつもなく暗い気持ちが込み上げてくる。とうとう決定的な裏切りが起きてしまったのだ、目の前で間違いなく、ガングートは私を攻撃したのだ。

 

 覚悟していたことだが、理屈と心は別問題だ。当分、この気持ちのままだろう。とにかく今は脱出したい。だが、首を動かしても、脱出できそうなものは一切存在しなかった。そもそも拘束がとれそうになかった。

 

「ナカナカ、成長シテイルナ」

 

 突然だった。スネークは自分の目を疑った。今まで何もなかった場所に、しかも目の前に、突然深海凄艦が現れたのだ。

 

 しかし、北端上陸姫ではなかった。

 深海凄艦にしては珍しく、一切黒い部位がない。全身が白く、瞳だけが赤い。アルビノの人間みたいだ。だが、体中に走る赤色の亀裂が、人外だと強く主張する。この特徴を持つ深海凄艦は、たった一体しかいなかった。

 

「中枢棲姫、いや、J.D……なのか?」

 

 何度も言われたものの、現実離れしていて信じがたい。AIそのものが一隻の深海凄艦になっているなんて。そもそも、本当に深海凄艦なのか、見た目が近い別の存在ではないのか。

 

「ソウダ、久シ振リ、ソウ言ウベキカ、オ前ハドウ思ウ」

 

「そうだな、悲しいかな、身内がまさか化け物になっているなんて」

 

「ソレハオ前モ同ジダロウガ」

 

 まあ、その通りではある。元々が艦娘で人外、更に半分深海凄艦化しているという、スペクターと同じぐらいの怪物だ。それでも、目の前のこいつと一緒にされたくはなかった。

 

「で、私をどうするつもりだ」

 

 シチュエーション的には覚えがある。この状況で起こり得る出来事はただ一つだけ、『拷問』だ。しかし、吐くことなんて何もない。コードトーカーの部屋については、ガングートがあそこにいたことから漏えいしているだろう。

 

 私が隠していることは何一つないのだ。趣味で拷問をする奴もいるが、あれは例外だろう。

 

「当然、拷問ダ」

 

「何も言うことはないぞ?」

 

「イイヤ、吐イテ貰ワナクテハナラナイコトガアルノダ。コードトーカーノ『遺産』トハ、一体何ダ、オ前ハソレヲ持ッテイルノカ?」

 

 これはどういうことだ? まさか、あの部屋を知らないのか?

 裏切ったガングートが、その情報を中枢棲姫に伝えていないということだ、これはどういう意味があるのだろう。

 

「言ワナケレバ、拷問シカナイゾ?」

 

「知らないものは知らない、そうとしか言えないな」

 

「ソレハ残念ダ、ナラバ、コチラモ相応ノ手段ヲトラセテモラオウカ」

 

 いったいどんな拷問を仕掛けてくるのか、拷問用の道具は全く無さそうだが。そう油断したのだろう、痛みになら耐えられると。しかし、訪れたのは単なる激痛ではなかった。

 

 中枢棲姫の手が、私の胸に()()()()()

 

 言葉が出なかった、なのに痛みは全くない。非現実な光景への拒否感が凄まじかった。そして、形容しがたい感覚が全身を貫いた。

 

 一瞬、何も分からなくなった。自分が誰なのか、ここがどこで、こいつが誰なのかが理解できなくなった。すぐ感覚は戻ってきたが、何をされたのかまるで理解ができず、恐怖だけが強烈に刻まれた。

 

「ドウダ、頭ノ中ヲ直接掻キ回サレル気分ハ?」

 

 何をしたんだ、そう口を動かす余力もなかった。気づいた時には、また中枢棲姫の腕が胸の中に沈み込んでいた。

 

 私は知らない場所に立ちながら、艦娘を虐殺していた。深海凄艦も、人間も皆殺しにしていた。体中で血を浴びていることに、全身がゾクゾクする。熱く火照った体を持て余して、どんどん殺しまわっていた。途方もない多幸感に溺れて、幸せだった。青葉を殺した瞬間、私は幸せ? 何故?

 

 気づいた時、スネークは嘔吐していた。

 嘔吐した瞬間に気づいていなかった、分からない、どうなっている? ひたすら気持ち悪くて、頭がおかしくなりそうだった。口から大量の血が流れ出ている、正気に戻ろうと、無意識下で舌を噛みちぎろうとしていたのか? それさえ分からない。

 

「ヤハリ、心ヲ読ムコトマデハデキナイカ。サイコ・セラピートイウノハ中々面倒ダナ、ダガ、オ前ヲ壊スコトハ可能ダ」

 

 また、一瞬で起きた。

 目の前に拳銃を突き付けた血塗れの男がいた。ヴァイパーだった。腸を戦艦水鬼が掻き回している、目を神通が抉り取ろうとしてくる、全身の肌が焼けただれたジミーが、脳内を引き千切って泣き叫んでいる。

 

 理解しようと思えば多分できる。しかし、絶対にしてはいけない。本能的がそう訴えてくる、拷問と言うべきか分からない何かが起きていた。奴は心を掻き回していると言った、ならこれは、奥底に沈殿していた、普段は忘れていた記憶なのか。

 

「コードトーカーモ、コレニハ抗エナカッタ。サッキノ悦楽ハ、私ガ押シツケタモノデハナイ。オ前ガ心ノ奥底デ望ム光景ヲ見セタダケダ」

 

「私が、艦娘たちを殺したがっていると言うのか」

 

「ソウダ、ソウデナケレバ深海凄艦ニナルモノカ。コードトーカーニモ同ジヨウニ、望ム光景ヲ見セテヤッタ。英語ニ報復スル自ラノ姿ヲナ」

 

 そういうことだったのだ。なぜコードトーカーが、こんな奴の言うことを聞いていたのか何故だった。心への無茶苦茶な暴力だ。仮に奥底で望んでいても、やってはならないと言い聞かせているものを、無理矢理暴かれたのだ。こんなことを何度もやられたら、とても正気は保てない。

 

「マア、抗オウガ、奴ノ故郷ヲ人質ニシテタガナ……愚カナ男ダ、遺言ナド残サナケレバ、人質ヲ()()()()良カッタノニナ」

 

 中枢棲姫の言ったことの意味を理解した時、怒りが爆発しそうだった。しかし、また突っ込まれた腕が、心を拷問にかけていく。トラウマが抉られる、価値観を捻じ曲げられていく、次から次にそれが繰り返される。スネークは心が壊れないようにするので精一杯だった。

 

 

 *

 

 

 スネークは顔を突き出し、繰り返し痙攣しながら嘔吐を繰り返す。もう吐く物もないのに、どこまで出てくるのか。逆流した胃液に喉が焼かれ、息も上手くできなくなっている。中枢棲姫は、未だ飽きる様子がない。

 

「生憎ダガ、私ハ趣味デ拷問ヲシテイルノデハナイ」

 

 いったい何処口が言うんだ。そう思ったものの、これまでの拷問はある一定のペースで、つまり理性的に行われているように感じる。やはりこいつの根幹は、機械なのだ。

 

「北端上陸姫ハ、私ノ想定シテイタヨリモ()()()()()()()……アテニナラン。ヤハリ、ヴァイパーノ死ガトリガーダッタノカ?」

 

 一人で中枢棲姫は呟く。その姿は妙に人間臭い。機械が独り言を言う筈がない、ましてや愛国者達AIは、そういった人らしさを排除した機械だ。余計にあり得ない。

 

「奴カラノ情報ガ信用シキレナイ以上、オ前カラ得ルノガ最モ確実ナノダ。オ前ガ言ワナイ限リ拷問ハ終ワラナイ。私トシテモ、無意味ニ痛メツケルノハ心ガ痛ム」

 

 何て奴だろうか。いけしゃあしゃあと心が痛むとは。唾でも吐き付けてやりたいが、口がカラカラだ、出そうにない。仕方なく睨み付けるスネークを見て、中枢棲姫は心底楽しそうに笑っている。

 

「『ココロ』ト言ウモノヲ、連中カラ学バセテ貰ッタガ、中々良イモノダ。本当ニ感謝シナクテハ、特ニマンティス()ニハ」

 

 意味深なことを言っているが理解できない。再び中枢棲姫が腕を伸ばす。今度は何が起きる、私が私じゃなくなるのか、価値観を変えられた、狂った幸福感に引き摺りこむのか。まさかこんな拷問は想定していない、だが、折れたら一巻の終わりだ。

 

 折れた時、どうなってしまうのか──もはや考えたくもない。どうなるにせよ、そこに私の意志は存在しないだろう、自由は永遠に無くなり、私は私を永遠に忘れてしまうだろう。それは、死ぬことと一緒だ。

 

 艦娘としてどう建造されたのか、全く覚えていない。だがそれ以降の経験は私のものだ。それが無くなってしまう、無価値になってしまうことは、絶対にあってはならない。だから堪えるしかない、絶対に諦めてはならない。この程度で折れたら、スネークの恥さらしだ。

 

 そして、耐えたことでスネークはチャンスを掴んだ。

 突然、拷問部屋に地鳴りが響き渡る。この部屋だけではない、地下工場全体に小規模な振動が起きていた。何が起きているのか中枢棲姫も分かっていない、伸ばした手を引っ込めて、辺りを伺っている。

 

「北端上陸姫メ、役ニ経タタナイ奴メ、誰ガ命ヲ紡イデヤッタト……!」

 

 苛立ちを隠そうともせず、北端上陸姫はスネークに詰め寄った。そして、醜悪な笑みを浮かべて言った。

 

「感謝ハシテオクゾ」

 

「は?」

 

「オ前ガ、アーセナルトシテ建造サレタ事……オ陰デ私ハ自由ヲ掴メル」

 

 まるで理解できない一言を残して、中枢棲姫は()()()()

 瞬きはしていないのに、一瞬で消え去ったのだ。当然、スネークは眼を疑う。コードトーカーは、奴が超能力者だと言った。これが、奴の力だというのか?

 

 しかし、一応窮地は脱したらしい。あとはこの拘束さえ何とかできれば脱出できる、いや、今しなければ、また拷問が始まってしまう。何としても抜け出さなければならない。

 

 だが拘束は強力で、自力では到底抜け出せそうにない。だからスネークは、流行る気持ちを抑えて脱出を諦めた。

 

 これが本当に拷問なら、私を吊るしたままにはしない。拷問はメリハリが重要なのだ、ずっと痛めつけていても、情報は聞きだせない。だから、その内拘束が解除される筈だ。中枢棲姫が、拷問を趣味にしていたら話は違うが。

 

 スネークは眼を閉じて、気絶したフリをしながら機会を伺う。耳を澄ますと、後ろで扉の開く音が聞こえた。拘束を解いた瞬間がチャンスだ。敵の気配に注意を払い、足に力を貯めていく。

 

「スネーク、起きているのか?」

 

 話しかけてきた声に、スネークは耳を疑った。

 助けに来る筈のない人物の声だったからだ。彼女は拘束を解き、落下しないよう体重を支えながら私を降ろす。

 

「何故だ、ガングート」

 

 振り返り、そう問いかけた。わざわざ私を背後から撃ったことに何の意味があるのか、納得できる答えがなければ、ここで殺すことも厭わないだろう。なのにガングートは、何故か目を丸くして固まっていた。

 

「どうした、答えられないか」

 

「……スネークなんだよな?」

 

「何を言っている?」

 

 指先で足元を指している。地下水か何かで水たまりができていた。そこに写っているのは当然私だ。赤い亀裂の入った、後頭部まで捻じれた角に、肩まで掛かった白髪交じりの()()、更に白く変色した顔、瞳はより赤く染まっていた。

 

 誰だこいつは。

 面影こそあるが、私ではない。より深海凄艦に近づいたような感覚がある、いったいどこから金髪が来たのだ。ここまで変わっていれば、ガングートの困惑は当然だった。スネークは、より混乱していた。中枢棲姫は私に何をしていったんだ。

 

 

 *

 

 

 中枢棲姫がしたことが何だったのかは、比較的すぐ発覚した。

 事前にガングートが、スネークの装備と独自行動していたG.Wを確保してくれたのだ。そこには、伊58が運んでいた筈のアーセナルの艤装も保管されていた。

 

 私が捕まっている間に、かなり大変なことになっていたようだ。T.Jからデータを回収し切ったところを狙われG.Wが捕獲され、そこから艤装も鹵獲されてしまったのだ。幸い伊58は逃げきれたが、今は連絡がつかなくなっている。

 

 そして、艤装までもが変異していた。

 巨大なマントのように展開可能だった超大型艤装が、更に一回り小型化している。潜水艦を真正面から二つに割ったような形状の装備を、腰だめにして抱え込む形で体に固定する仕掛けになっている。

 

 艤装の可動域もかなり広がっている、これなら艤装を装備したままでも、CQCが繰り出せそうだ。ただ、武装の数やレイの搭載数がやや減っていた。代わりに仮搭載していたオクトカム迷彩が、完成された状態だった。

 

〈装備の特性から見て、恐らく中枢棲姫は、お前に『改二』改装を施したんだろう〉

 

「改二……神通がなったような、アレに?」

 

〈そうだ、今のスネークはアーセナルではなく、『アウターヘイブン』だ〉

 

 アウターヘイブン、複数隻建造されたアーセナル級の一隻をリキッドが奪取し、改装を施した艦。その名前には、愛国者達による支配からの避難所(ヘイブン)という意味が込められている。

 

 まさか、改二がその姿になるとは。アーセナルとヘイブンは全く別の艦だ、改装しても別の姿になると思っていた。そうならなかったのは、アーセナルが艦ごとに区別されていない、総称だったからなのか。

 

 しかし、分からないのは、なぜ改二改装を中枢棲姫が行ったのかだ。パッと調べた限りでは、艤装や体内に妙なものも仕掛けられていない。いたって普通の改二だ、メリットしかない。中枢棲姫には、デメリットしかない。

 

〈今は考えている場合ではないだろう、速やかに行動をおこすべきだ〉

 

 G.Wに急かされる形で、スネークたちは移動を始める。マップデータは事前にガングートが入手していた。ここには他の階層に行くための階段がなく、隔離されている。移動手段は、ビーチしか存在していない。

 

 ビーチを迷わず移動できるのはガングートしかいない。彼女に案内されるまま、スネークは再度ビーチへ突入した。相変わらずの気持ち悪さに、とっさに口を抑えてしまった。この感覚はなんとかならないのか。

 

 辺りにはチラホラと敵が見えるが、慌てて移動していた中枢棲姫につられてか、イロハ級にも落ち着きがない。隙を突くのはいたって簡単だった。少し余裕が生まれた、だからスネークは、ガングートに問いかけた。

 

「ガングート、単刀直入に聞くぞ、なぜ私を攻撃した?」

 

「……攻撃?」

 

「言い方が悪いか、いつから裏切っていた?」

 

 ただの裏切りにしては、色々奇妙だ。中枢棲姫に情報を渡さなかったことや、回りくどかったことも。殺しに来ない限りは、私も殺す気はない。そんな答えでない事を密かに望んでいた。

 

「最初からだ、一番初めに、お前に接触した時から」

 

「そうか、私が間抜けだった訳か」

 

「ああ、もっとも、本当の間抜けは私だ」

 

 自虐的にガングートは呟いた。どういう意味か聞くが、彼女は沈黙していた。言うことを戸惑っているように黙り込む。スネークはじっと、それを待っていた。

 

「スネーク、お前は言ったよな、お前の世界だと、ソ連は崩壊したと」

 

 確かに言った覚えがある。ひょんなことから私の世界の史実を言ってしまい、そこを言及されたのだ。言ったところで歴史が今更変わる訳でもないので、普通に答えていた。

 

「あの一言で、私の価値観は決まったようなものだった、この世界に、絶対的な価値観はないとな」

 

「どういう意味だ」

 

「私は、元深海凄艦(D事案)の艦娘なんだ」

 

 そうだったのか? しかし、それが大きな問題なのか? あくまで過去の記憶を持っているだけだ、そこに実感が伴わなければ経験にはならないのだが。ガングートはそこにもう一言付け足した。

 

「そして、成り損ないでもある」

 

「成り損ないだと、サラトガと同じ意味でか」

 

「ああ、私は外見こそガングートだが……中身は、深海凄艦のままだった。そんな状況で、KGBにいた。この意味が分かるか?」

 

「初めから、スパイだったと?」

 

「そうだ、しかも上司は、あの北端上陸姫だ」

 

 絶句した。まさかあれが、深海凄艦だった時のガングートの姫だなんて。道理でビーチを平然と移動できる訳だ。元部下なら、思考を理解できておかしくない。

 

「偶然見た目だけ艦娘になった私は、KGBへのスパイとして動いていた。私がKGBでやったやらかしというのは、それが露見したことだ」

 

「よくそれで殺されなかったな」

 

「取引があったんだよ、ある人物の元に潜入することで、追手を取りやめてやるとな。そう言ってきたのはフョードロフで、対象がお前だった」

 

 初めから、本当に初めから仕組まれていたのだ。フョードロフが私に接触してきたのは偶然ではなかったのだ。ガングートが情報を流し、うまい具合に喰いつきそうな話題をあいつが持って来たのだ。

 

「もし此処での作戦が失敗したら、私の罪状を明かした上で、お前もその協力者だったことにし、全部の罪をおっかぶせる。そういう予定だ。作戦が成功しても失敗しても、ソ連は傷を負わないシナリオだ」

 

「別にそれは構わないが……話は、それだけなのか?」

 

 まだ終わらないだろう。そんな気がした。もう少しガングートは話したそうにしていた。

 その全てをスネークは聞く気でいた。呉の事件が起きた頃から、どんな理由があろうとずっと手伝ってくれたのだ。それに応える責務が私にはある。

 

「スネーク、お前は私を軽蔑するか?」

 

 ビーチの出口まではまだ遠い。沈まない地平線のように、ガングートの独白もまだ終わらない。

 

「私が、全ての組織を裏切っていたとしたなら」

 




―― 145.73 ――


〈無事なようだな〉
〈拷問されていたんだぞ、あれが無事と言えるか〉
〈死んでいなければ無事だ、そんなことより、聞きたいことがあるのだろ〉
〈そんなことって……まあ良い。あいつは、本当に私たちの知るJ.Dなのか? 愛国者達AIは、あんなに人間臭い存在だったのか?〉
〈そんなはずがない。我々愛国者達AIは、かつての反省を元に開発されている〉
〈反省?〉
〈ピースウォーカーに搭載された、ザ・ボスAIだ。核報復を目的にしたAIは、最終的に自殺を選択した。おかげで世界は救われたのだから、頭ごなしに否定する気はない。しかし、いかに感動的でもあれは暴走に他ならない〉
〈だから暴走しないAIにしたのか、その為に、一定にプロトコルに従い情報を捌き、判断するだけのAIにしたという訳か〉
〈その通りだ〉
〈なら、今のJ.Dはどう説明する〉
〈考えられる状況は二つ。一つはJ.Dが深海凄艦化したことで人格を得た。もう一つは、そもそもJ.Dではない〉
〈……コードトーカーの言う通りなら、奴は自らの手で、自分を深海凄艦化させたことになる。なら、奴は初めから人格を持っていた〉
〈可能性が高いのは、後者だ〉


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File70 裏切者

 艦娘とは、世界を護る存在。そして深海凄艦は世界を壊そうとする怪物。それが、世界一般の共通認識だ。彼女たちもそういう存在だと自覚している。しかし、そんな概念はいったい誰が言い出したのだろうか。

 

 サイキックアーキアによって生まれたとしても、屍者の意志から生み出されたことに違いはない。だが、怨念から生まれたからといって、世界に仇を成す存在とするのは安直過ぎないか。実際、好んで人を襲わない深海凄艦もいる。

 

 なら、いつか来るのではないか。これが逆転する時代が。深海凄艦が世界を護り、艦娘が世界を壊すような時代が。もしくは、その定義さえ曖昧になる時代が。そうなった時、私達の帰る母港は、どこになるのか。答えは一つしかなかった。

 

 

 

 

 

── File70 裏切者 ──

 

 

 

 

 全てを裏切っていたら、そうガングートは言った。

 北端上陸姫の部下だった彼女は、D事案によって艦娘化した、しかし成り損ないの、中身は深海凄艦のままだった。

 

 その特性を利用し、北端上陸姫のスパイとしてKGBに拾われたのだ。まだD事案自体が認知されていなかった時代だ、貴重なサンプルとしてガングートは保護された。そのままスパイ活動を続け、遂にあるトリガーを引く。

 

 それが、北端上陸姫によるソ連の本土上陸だったのだ。大量の死人や犠牲者を出した、もっとも大規模な事件を引いたのは、目の前の彼女だった。そこまでは、彼女は間違いなく深海凄艦だった。

 

「何時からだろうな、心境に変化が起きていた。深海凄艦だった時ほど、負念が無くなっていた。代わりに、裏切っていたことへの罪悪感が芽生えてきた」

 

 恐らく、外見に引っ張られたのだろう。見た目が内面に与える影響は大きい。周りが艦娘ガングートとして扱う内に、彼女自身も、そうあるように変わり始めたのだ。そうしている内に、命令が下った。北端上陸姫基地への潜入作戦だった。

 

「あの頃はもう、私は『ガングート』だった。母国を滅ぼそうとする北端上陸姫を止めるつもりでいた、スパイだからこそ、奴に警戒されず背後まで接近できた」

 

「なのに、取り逃がしたのか」

 

「情けない話だろう、いざ殺そうとしたのに、殺し切れなかった。深海凄艦の本能が残っていたのか……理由は何でもいい、私は迷った、元々の上司を殺す決断ができなかった」

 

 結局、艦娘にも、深海凄艦にも成り切れなかったのだ。そして任務に失敗し、スパイ活動が露見したガングートはソ連を追われることになる。やがて長い放浪の間に、私を見つけたのだ。

 

 その間にも、色々な組織に所属していたが、どれも馴染めなかったらしい。いや、自業自得だと自虐する。全ては自分の曖昧な態度が悪いのだと。一時期は、ツェリノヤルスクの中立区に身を寄せていた。

 

「今の私は、モセスと、KGBと、中立区全てに恩を売ろうとしている。KGBには任務が失敗した時の保険、中立区には『遺産』を持ちかえろうとしている」

 

「賢者の遺産を?」

 

「あれを使って、ソ連に頼らない本当の独立を目指しているんだ。それが成功すれば……私は中立区に、正式に迎え入れられると……」

 

「なぜ、そこまでする」

 

 スネークには、ここまで迷う理由が理解できなかった。そんなに裏切り続けていたら信用なんて完全になくなる。いや、きっと既にない。良いように利用されているだけだ。それはガングートも分かっている。

 

「なぜ、か。それだよ、その理由を自覚できたのはお前の一言だ。ソ連は崩壊した、あれだけ強かった国が滅ぶと知って理解できた」

 

 ビーチの出口が近づいていた。同時に、この物語も終わりに近づいてきている。ガングート自身の経験から、その心境に。赤い地平線の果てを前に、二人は足を止める。

 

「この世界に、絶対的なものはない。全ては時代だ、時代が変えていく……故に、信じられるものは何一つ存在しない、そんな当たり前の答えは知っていた。それでも、私は『母港』が欲しかった、永遠に在り続けるような、帰るべき場所を求めていた」

 

「母港……そんなものを?」

 

「だろうな、最初から存在しないお前にとってはそんなものだろう。だが考えてみろ、私たちは船だぞ、船は帰るべき場所があってこそ船じゃないか」

 

 決して得られないものを、求めていたのか。共感は全くできないが、そうだと理解はできた。

 そんな考えに至ったのは、自分が『ガングート』という艦だったからだ。

 

 帝政ロシアからソ連、そして崩壊──国家も所属も価値観も、二転三転した艦だからこそ、絶対の価値観がないと知っていた、それでもロシアを護ってきた艦だからこそ、それが無いことが、きっと耐え難かったのだ。

 

「しかし、もう私はどうにもならない。最後のチャンスを潰してしまった」

 

「中立区に遺産を流すことか、確かに失敗だな。この状況では、もう探す暇はない」

 

「恐らく大本営のスパイが持って行ったか、中枢か、北端が隠したか。どちらにしても終わりだ」

 

 今後、遺産に接近できるチャンスは来ないだろう。よしんば愛国者達を滅ぼしたとしても、遺産の在りかだけは分からないのがオチだ。

 

「別に私としては、モセスにいても問題はないぞ?」

 

「そういう問題ではない、私の根っこはどうやったって深海凄艦なんだ。白状するが、何だかんだで世界を護ろうとするお前を、ずっと目障りだと思っていた」

 

「そうだったのか、それでは、難しいな」

 

 落ち着けない場所に居続けることはかなり辛いだろう、そうすべき理由があるなら話は違うが、そんな理由はない。スネークは素直に諦める、裏切っていたといっても、戻る場所がない仲間だ。気が合うからといって、仲間入りを了承したのは本心だった。

 

「だが、ここまで話を聞いてやったんだから答えて貰う。なぜ私を撃った」

 

 ハッキリさせなければならない、越えてはならない一線を踏み抜いた。理由によっては、殴るぐらいしないと気が済まない。

 

 しかし、ガングートは眼を丸くしていた。

 

「何の話だ?」

 

「は?」

 

「むしろ私は、掴まったお前を追い掛けていたんだが」

 

 話が一致しない。困惑を抱えたまま、ビーチを抜けようとした。現実世界との境目に接触し、視界が光で満ちていく。

 

 光の中に、人影があった。

 北端上陸姫が、眼前に立っていた。

 臨戦態勢に移る暇さえない。スネークとガングートの視界は、一瞬で漆黒に塗り潰される。泥沼に呑まれる感覚とともに、意識が一瞬消えた。

 

 

 *

 

 

 いきなり、全身に衝撃が走った。巨大な質量体に押しつぶされている。閉じた瞼を開くと、何本かの水路が見えた。あたりには最小限の光しかなく、全体的にぼんやりとしている。軋む体に鞭をうって立ち上がる。

 

 スネークを潰していたのは、自身の艤装だった。つまりどこからか落下してきたのだ。場所にも見覚えがある。広い通路に、あちこちから聞こえる機械音。ここはメタルギア・イクチオスの格納庫だ。

 

 いったい、何が起きている。平静になった頭で考えても答えは出ない。ガングートは私を撃っていないと言い、ビーチから出る寸前、北端上陸姫が現れた。近くにガングートはいない。北端上陸姫が、別々の場所に飛ばしたのか。

 

〈ガングートと離れたのは好都合だったな〉

 

 急にG.Wが無線を繋いできた。先ほども話したかったが、内容的にガングートに聞かれたくなかったらしい。

 

〈監視カメラに、ダクトをロックし直すガングートが写っていたのを覚えているか〉

 

「覚えている、だから私は、あいつが裏切ったと」

 

〈だが懸念があった。その記録が残っていたのはT.J。私と同格のAIだ。これが意味することが分かるか〉

 

 スネークは首を横に振った。だが、いや予感はしていた。

 

G.W(わたし)に悟られずに、データを改竄した可能性があったのだ〉

 

 基本的に、愛国者達AIは同じ構造になっている。そのルーチンも実は単純だ。それを知っていれば、気づかれずに改ざんができる可能性がある。だからG.Wは、手に入れた映像を、モセスでも解析するように依頼していたのだと言う。

 

「聞いてないぞ」

 

〈ガングートがもし真の裏切り者だったら不味かったのだ。そして、届いた映像がこれだ〉

 

 潰れた側の視界がスクリーンとなって、映像が流れ始める。スネークは唾を呑みながら見続ける。まず、深海凄艦に扮したガングートが北側からやって来て、ダクトを操作した。この時点でおかしい。奴はダクトを()()()筈だ。

 

 彼女が南の通路へ去っていく。丁度この直後に、スネークはダクトを開けようとして、開けなかった。誰かが閉めたのだ。予想通り再び人が来る。それも、深海凄艦に扮したガングートだった。だが、彼女ではなかった。

 

「どういうことだ」

 

〈見ての通りだ、ガングートだった〉

 

「そうではない、どうなっている。何故ガングートが、()()()()()()来ている」

 

 ガングートは南の通路へ消えたのだ。だが、再び北側の通路から現れた。この通路は一本道で、すぐ回りこめるような距離ではない。ビーチを使ったとしても早すぎる。理由は一つしかない。

 

〈ガングートは二隻いる〉

 

 スネークを背後から銃撃したのは、もう一人のガングートだ。直感で確信できた。そうでなければ説明ができなかった。同じ型の艦娘が、もう一隻潜んでいるのか。

 

 さすがに変装とは考えにくい。いくら深海凄艦でも、見た目どころか骨格さえ変えることはできないからだ。だが、そうなると、なぜ艦娘が深海凄艦に協力しているのか、という疑問が残る。

 

 何であれ、私を陥れようとした何者かが存在している。今後は、目の前のガングートが本物かにも注意しなければならない。ガングートがどこに行ったのか気になるが、どうせこの階層に飛ばされたのだ、イクチオスを破壊してしまおう。

 

 丁度艤装も手に入った。アーセナルからヘイブンへ、改二改装が施されたことで、武装がいくつか変化している。使い勝手も確かめたかった。まずは様子見のため、全身のオクトカム迷彩を起動させる。

 

 前形態で乗せていたのは、記憶を基に作成した試作型だったが、ヘイブンのは本物だ。以前とは比較にならない速度でスーツや艤装のテクスチャが変わっていく。おおよそ一秒未満で、スネークは工場の壁と一体化した。

 

 歩いてみても、前のようにうるさい機械音はしない。とても静かだ。さすがに無音ではないが、工場のような騒がしい場所では気づかれないだろう。敵兵の近くを通過しても、探知される様子はない。

 

 通路の端まで差し掛かる。反対側にイクチオスが鎮座しているが、電子ロックの扉で阻まれる。アクセスしようにも、コンソールは反対側だ。なら、レイはどうだろうか。最大搭載数は減っているようだが。

 

 空母が艦載機を出すように、レイを発艦させるイメージをする。すると、艤装の外側に埋め込まれていたレイが転げ落ちた。アーセナルと違い、一瞬の発艦だった。これなら、今までより使えそうだ。

 

 ふと思い出したが、何機かのレイは伊58に貸したままだ。伊58もそうだが、レイたちは無事だろうか。ミサイル以上に補給ができないから、若干心配になる。そう考えている内に、レイが狭い水路を通って反対側に回りこんでいた。

 

 内側からアクセスし、電子ロックが解除される。扉を潜ると、何機ものイクチオスが並んでいた。何やら奥が騒がしい。目線を遠くへやる。スネークは二度見した。一番奥のイクチオスが、黒煙を噴き出しながら壊れていたのだ。

 

 私以外の誰かが、イクチオスを破壊したのだ。

 さっき中枢棲姫が慌てていたのはこれが理由なのか。だが誰だ? 私やガングート以外に、イクチオス破壊を目的にした奴がいるというのか?

 

 

 *

 

 

 ぼんやりとしていた意識が、徐々に鮮明になっていく。ここはどこだ。そう思った瞬間、全身に鈍痛が走る。高所から受け身も取れずに落下したらしい。意識が飛ぶ寸前、奈落へ落ちる感覚があった。

 

「相変ワラズ……ドッチツカズナノネ……」

 

 聞き覚えのある、背筋の凍る声に飛び起きる。拘束はされていないが、艤装がない。今の私には、目の前の北端上陸姫に対抗する手段がなかった。そうだ、ビーチから出る寸前に、こいつに遭遇したのだ。

 

「北端上陸姫、か」

 

 ガングートは複雑だった。艦娘としては嫌悪感しかない敵だが、深海凄艦としては紛れもなく従うべき存在である。どっちつかずであるが故に、気持ちの悪さしか抱くことができない。沈める決断もできない。

 

「モウ、姫様トハ……呼バナイノネ……」

 

「呼ぶ資格も、理由もないからな」

 

「悲シイワネ……後ロカラ撃タレタ日以来カシラ」

 

 心底悲しそうに北端上陸姫は顔を俯かせる。ガングートには裏切りの罪悪感しか沸かない。間違いなく人類の敵だ。だが、元は確かに仲間だった。裏切ったのは言い訳の使用がない事実だった。謝罪すべき義務があるんじゃないかとさえ思う。

 

「アア、良イノヨ別ニ……謝ラナクテモ」

 

 北端上陸姫は手をかざして謝罪を遮る。その様子を見てガングートは不気味さを感じた。裏切り者に容赦するような性格ではなかった筈だ。今までの、私の知っている北端上陸姫とは違う感覚がする。

 

「仕方ガナイコトダト、理解シテイルワ……貴女ハ艦娘トシテ生キル事ヲ選択シ、結果、私ヲ沈メヨウトシタ。ソレガ時代ダッタ……ソウ、私達モマタ、時代ニ弄バレナガラ世界ヲ彷徨ウノダト……学習シタノ……」

 

 芝居がかった様子で彼女は語る。それだけではないだろう、ガングートは身構える。ただ言う為だけに、目の前に姿を現した訳ではあるまい。

 

「デモネ……ダカラ聞キタイノ……ドウシテ、スネークヲ助ケタノ?」

 

「どういう意図の、質問だ?」

 

「貴女ハ『母港』ヲ求メテイタンデショウ? アノ時、スネークヲ見捨テテ……遺産ヲ探ス選択肢ハ存在シタ。デモ貴女ハ、スネークヲ助ケル選択ヲシタ……」

 

 不穏な気配が漂っていた。どうして北端上陸姫が、私の逡巡を知っているのだ。しかし、この工場は全て彼女のテリトリーだ。心まで把握されているという恐怖が迫ってくる。ガングートはだからこそ立ち上がった。

 

「スネークヲ助ケテモ『母港』ハ得ラレナイ……ナノニ、何故コノ選択ヲシタノカ……答エテクレルワネ……?」

 

「確かに母港は欲しい、帰るべき場所があったら、きっと私は救われる。だが、そんな選択肢は、ガングート(わたし)の望むものではない」

 

「ガングート、ノ……?」

 

 そもそも、どんな母港が欲しかったのだろう。帰るべき場所とは何だろう。そう考えた時、思い浮かんだのは──やはり、母国だった。

 

 私はこの国で産まれた、この国の人々によって動かされてきた。時代が変わり、価値観が変わり、かつてのロシアやソ連でなくなっても、いつもここに帰ってきた。だからこそ、ずっと護り続けてきたのだ。

 

 遺産で『場所』を得たとしても、かつてのガングートが愛した場所と同じには思えなかった。そんなものには何の価値も無い。しかし、肝心のロシアは今愛国者達によって危機に晒されていた。

 

 私なら国を護れるかもしれない。だが愛国者達を倒せるのはスネークしかいない。その時点で選択肢は絞られた。一択しかなかった。次の選択が終わればもう次はない。二度と選択肢は現れない。

 

 裏切るという()()は無い。その恐怖があったからこそ、ガングートは強く決断した。引き返せない選択肢を前に、艦娘と深海凄艦、両面を抱えた自分と向き合い、そして選択したのが、これだった。

 

「愛国者達なんぞに、ロシアを好きにはさせん。お前たちが世界を滅ぼす事なぞ、断じて認めない」

 

「……ジャア、深海凄艦トシテノ気持チハ……ドウナノ……」

 

「知らん、そんな奴は沈んだ。ここにいるのは戦艦ガングートだ。だいぶ遅くなったが宣言しよう。私はお前の、絶対的な敵だ」

 

 北端上陸姫への。自分への、深海凄艦としての私への、決別の宣言だった。ガングートは先へ進む為に、過去の自分を殺すことにしたのだ。かつての経験を伝えることを全て放棄し、これからを選んだ。

 

 忘れる訳ではない……というのは言い訳に近い。記憶を殺すことが忘却とどう違うのか。しかし、忘却はより大事なことを忘れない為に、生物に備わった機能だ。今の私にとって大事なことは、深海凄艦の模倣子ではない。

 

 ガングート自身の時代が、完全に移り変わった瞬間だった。北端上陸姫は宣言を聞き、しばらく無言で佇む。不意に、彼女の口角が不気味に吊り上がった。警戒心が膨らむ。周囲の空間が赤く捻じ曲がり始める。北端上陸姫がその中に消え去ろうとする。

 

「貴女ガソレヲ選ブノナラ……私達モマタ、選択ヲ決メマショウ」

 

「何処に行く気だ」

 

()()()ニ行クノ……私達ハ貴女達トハ違ウ。忘却ナンテ絶対ニデキナイ。コノ憎悪ハ必ズ残スト、約束シテイル……ソシテ、ガングート、貴女ニ対シテモ。裏切リノ対価ハ払ッテ貰ウワ……後デネ」

 

「良いだろう、やってみるがいい」

 

 裏切りは裏切りだ。理由があろうが大罪だ。私はそれを償わなくてはならない、北端上陸姫との激突は避けられないものだったのだ。過去を殺すためは、まず彼女を沈めなければならない。

 

「ジャア、後デ会イマショウ……今度ハ、周リクドイヤリ方ジャナクテ、直接……沈メテアゲル」

 

 北端上陸姫が消えた。後には、見た事のない階層だけが広がっていた。

 彼女が何を考えているのか、やはり良く分からない。あんなに理性的ではなく、もっとも刹那的な快楽主義者だった気がする。それに『回りくどいやり方』とは何だったのか──それも、今はどうでも良かった。

 

 過去を殺し、忘却の彼方へ追いやる。時代の波に押し流すこと。艦娘としてあるまじき行為かもしれないと、ガングートは思った。だが、そうしてでも護らなければならないことだってきっとある。そう信じたい、だから信じよう。強く誓い、戦艦ガングートは暗闇へ駆けだした。

 




虫の死骸(???)

コードトーカーの隠し部屋を覆い尽すように埋められていた、正体不明の芋虫。生きた芋虫のサンプルも保管されており、中枢棲姫への切り札……らしい。コードトーカー自身でも原理を解明しきれなかったが、ビーチ空間の侵食の他、深海・艦娘の力を拒絶する特性を有している。生きたサンプルは現在スネークが所持している。

情報提供:艦娘・深海の力はサイキックアーキアによって発揮されるが、どれだけの存在でも、自然界には「天敵」がいる。それがこの芋虫――「クリプトビオシス」である。
サイキックアーキアは寄生対象の記憶を捕食し、忘却させる。仮に捕食されても、この力により記憶を忘却させることで捕食から免れる。
だが忘却とは、時間に伴って発生する現象である。つまり、時間の進みを阻害できれば、一方的な捕食が可能となる。この芋虫はその特性を持っている、故に「天敵」なのである。


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File71 メッセンジャー

 誰かが言っていた。違う誰かを演じ続けていると、次第に元の自分が思い出せなくなっていくと。誰かはそうなった、他人の心にダイブし過ぎて、自分が呑まれてしまったと。自分さえ思い出せなくなった時、人は何を信じるのか。

 

 私は思う。仲間がいれば良いのではないか。

 元の自分を覚えている仲間が、生きていてくれる。それは、私が生き続けていることと同じだ。私が自分を忘れても、誰かの中に残り続ける。

 

 だが、仲間さえいなくなった時はどうすればいいのか。

 自分は誰か分からない。信じられるものも何一つない。それでも、何かを信じられるのか、護ろうと心から思えるのか。もしくは、信じない選択をするのか。

 

 

 

 

 

── File71 メッセンジャー ──

 

 

 

 

 残骸になっているイクチオスを遠目で観察した後、スネークは整備区画の奥へ移動する。あんな怪物でも、イクチオスの燃料はオイルだ。つまり、貯蔵タンクがある。工場を纏めて破壊するには、タンクを壊すのが一番効率的だ。

 

 とは言え、さすがに一隻が破壊されたからか、兵士の警備レベルは今までの比ではない。中枢棲姫か、北端上陸姫が圧でもかけているのか、緊迫感も集中力も跳ね上がっている。スネークは思った、隙だらけだと。

 

 集中するということは、視野が狭まることと同じ意味だ。本来なら兵士同士の協力で狭まった視野を補うが、少なくない死角が生まれている。強化されたオクトカム迷彩も活用して、次々と警戒網を抜けていく。

 

 貯蔵タンクが格納されている区画まであっと言う間に辿り着いた。同じくレイを活用し、扉のロックを解除する。タンクは一つだけではないが、地下工場を破壊するなら、目の前の物を壊すので十分だ。

 

 勿論、考え無しにミサイルは撃たない。逃げ遅れて巻き込まれたら笑い話にもならない。どこに、どのタイミングで撃ち込むか考えていく。思った以上にタンクは固い。艤装のミサイルでなければ、破壊は難しかった。

 

 脱出する時だが、どうビーチを抜けたものか。無事も確認したい。ガングートに無線を繋ぐと、通信がONになった。

 

〈スネーク、無事だったのか〉

 

「ああ、そっちも無事なようだな」

 

 ガングートはなぜか、すぐに返事をしなかった。裏切っていたことの負い目だろう。ともかく無事なら良い。時間もないので要件を話す。近くに来れたら来てほしい。しかし、良い反応は得られなかった。

 

〈今の場所が良く分からない〉

 

「分からない?」

 

〈マップにも表示がない、妙な場所に出てしまったみたいだ〉

 

 ある程度新築しているといっても、ビーチの浸食もあり、地下工場内は微妙に古びている。ところどころに赤錆まで付着している。ガングートのいる場所は全く違う雰囲気だった。汚れもない、壁にも床にも、ダクトらしき穴すらない。

 

 穴の開いてないホースの中や、生き物の体内のような場所らしい。とにかく不気味なところだ。だから、スネークの場所に行くことは現状不可能だった。

 

〈そっちこそ何かないのか、改二になって、深海凄艦の力が強まったとか……それで、ビーチのことを理解できるようになったとか〉

 

 さっきガングートと一緒だった時は、今までとさして変わらなかった。集中していなかったからかもしれない。できるならそんな賭けはしたくない。頭を悩ませていると、G.Wが無線に割り込んできた。

 

〈良い状況だ、お前を動かすのに良い理由ができた〉

 

「急になんだG.W」

 

〈ビーチをお前単独で突破できる可能性がある、先程モセスから連絡があった。同じAIの私では解析できなかったエリアの解析が終わった〉

 

 T.JもG.Wも、本来は同じ権限を持っている。だが、全く同じでは権限を分けた意味がない。それぞれの管轄があり、それ以外には干渉できないのだ。あの時、リキッド・オセロットが掌握できたのが兵器関係だけだった理由でもある。

 

〈その工場の最深部に、ある存在が囚われていることが分かった〉

 

「存在? 人でないと言っているようだが」

 

〈そうだ、人ではない。妖精だ〉

 

 妖精が単独で囚われている?

 スネークはハッと思い出した。愛国者達に捕まっている妖精がいる。それも、半ば私を庇って捕まってしまった奴がいる。だいぶ前になってしまうが、奴の顔はハッキリと思い出せた。

 

〈エラー娘の、本体……とでも言うべきか〉

 

「つまり、猫じゃない方か」

 

 随分アレな言い方だが、これが一番分かりやすい。

 G.Wの言いたいことも分かった。猫単体でもビーチに干渉できたのだ、本体ならもっと強い。ビーチの突破もできると、猫に確認も済ませたらしい。

 

〈工場地帯の更に下、最下層にエラー娘はいる。場所はガングートが近い〉

 

〈ここは工場の最下層だったのか、私が探して問題ないのか?〉

 

〈らしい、とにかく自由にさえなれれば、スネークを()()()()ことも可能だと言っていた。嘘を吐く理由もない、信じて問題ない〉

 

 呼び出すとはどういうことだ。まさかワープでもする気なのか。非現実的過ぎるが、この状況で嘘を吐く理由は確かにない。

 

〈ガングートにマップデータを転送する。それを基にエラー娘を探し出せ〉

 

「了解した」

 

 そう言ったまま、ガングートは無線を切らずに黙り込んでしまった。しばらく迷って、再び口を開く。言い難いのではなく、形容しがたい不安が渦巻いていたのだ。

 

〈さっき、北端上陸姫に遭遇した〉

 

「何だと」

 

〈戦闘には入らなかったが、妙に意味深なことを連呼していた。正直、あいつの考えが分からない〉

 

 ガングートの知る北端上陸姫は、快楽のまま動く破壊主義者だったが、今はそうでないらしい。どう動くか分からない以上、可能な限りの警戒をするしかない。警告を残して、無線は切れた。

 

 だが、今の私にどうしろと言うのか。

 オイルタンクに背中を預けて、スネークは葉巻を吸いたくなった。しかし、此処は火気厳禁なのだ。代わりに深い溜め息が出た。

 

 

 *

 

 

 今更オイルタンク前から動く訳にはいかない。しかし、ガングートがエラー娘を見つけるまで……率直に言えば暇だった。やることがない。葉巻も吸えない。できることはないか考える。忘れていることはないか。

 

 スネークの顔が、若干蒼ざめた。そういえば、脱獄できたことをモセスの連中に言っていない。G.Wから情報は伝わっているが、肝心なことは別にある。礼儀の問題だ。通信途絶の間間違いなく心配していた。それを察していて何も言わないのは礼儀がない。慌てて通信を入れる。

 

〈一言入れる時間もなかったのか?〉

 

「……すまん、心配をかけた」

 

 若干機嫌の悪い北条が無線に出た。彼に続いて明石や北方棲姫も話しかけてくる。予想通り、連絡しなかったことへの文句が大半だ。もっとも本気ではない。ずっと心配していた感じが伝わってきた。

 

〈そっちの状況はG.Wからあらかた聞いている。エラー娘の救出はできそうなのか〉

 

「ガングートに聞いてくれ、奴に頼んだ」

 

〈ガングート? だが、あいつは確か……〉

 

「信用していい、私はそう判断した」

 

 裏切ったといっても、こちらを陥れようとした訳ではない。敵でもない。立場が違っただけだ。ビーチで語ってくれた内容に嘘はない。あちこちの組織を転々としていて信用できないと言うなら、私だって同じだ。

 

「それに、私を助けてくれた。十分な理由だ」

 

〈信じるのか、スネークが良いならそれで良いさ。こっちは順調だ。お前の回収したコードトーカーのデータのお蔭で、川内の治療の目処が立った〉

 

「本当か」

 

〈当然だ……にしても、俺がずっと調べていた存在の正体が、こんな出鱈目な生物だったとは〉

 

 北条の気持ちは察せられる。元々メタリックアーキアなんて代物を知っていた私でも信じられないのだ。記憶や魂から、生き物を生み出す虫なんて誰が想像できる。もはや悪夢だ。挙句、その産物が人類を襲っているのだから。

 

〈それはそれとしてだ、青葉から別件がある。今、通信を繋ぐぞ〉

 

 しばらくノイズが響き、雑音が晴れるとモセスとは違う音が聞こえ来た。

 

〈スネーク!? 大丈夫でしたか!?〉

 

「大丈夫だ、心配をかけた」

 

 ここまで心配してくれるとは。良い考え方ではないが、少し嬉しかった。私はそれだけ思われているということだ。理由は色々あるだろうが。しかし、所詮は一時的な協力関係だ。ここまで心配しなくても良い気がする。

 

「別件とは?」

 

〈ある人物に関して、聞いていただきたいことがあります〉

 

 その情報は、コードトーカーの行先や行動を追っていた時に見つけたものだった。あるタイミングでコードトーカーはチェコへ飛んでいる。半ばソ連から亡命する形で。あれだけのテクノロジーを抱えた人物が逃げるのを容認する程、KGBは甘くない。

 

 そこには、亡命の手引きをした人物がいたのだ。CIAの工作員だった。一般的な──勿論エリートと呼ばれる部類だが──エージェントだ。問題は、この工作員が、この後辿った経歴だった。

 

〈彼はその際、KGB側のある工作員と接触しています。どうやら亡命を止めようとしていたらしく、KGBの方は死んでしまったようです〉

 

 良くある話だ。しかし、殺害までいくとはよほどの状況だったのだろうか。殺しをすれば跡が残る。証拠を消すにも時間がかかる。簡単ではあるが、便利な解決法とは言えない手段を取っているのだから、それなりの事情があったのだろう。

 

〈ですが……同時に、CIA側の工作員が消息不明になっています〉

 

「なんだそれは、両方の工作員が同時にいなくなったのか?」

 

〈記録上は。ですが、実際には違うことが起きています。死んだと思われたKGBの工作員は、数年後に帰還しているんです〉

 

 加えて、どちらも遺体さえ発見されていない。消息不明だから暫定的に死亡と見なされていたのだ。首を傾げるスネーク。奇妙な話だが、これがそこまで重要なのだろうか。その疑問は、青葉から告げられた名前で解決した。

 

〈この時のKGB側の工作員は……『川路』という別称を持っていました〉

 

「川路、だと」

 

〈そしてCIA側の工作員の偽名は『ブライアン・マクブライド』……後に、ブラック・チェンバーに在籍していた記録がありました〉

 

 これは偶然なのか。決定的な確信を齎す情報もあった。マクブライドはブラック・チェンバーの中で、もっとも変装に長けていた工作員だという。部隊壊滅時には別の場所で活動していた、死ぬことを免れたと情報にはあった。

 

〈嘘か本当か分かりませんが……変装する人の中には、自分の皮や血液まで取り換える兵士もいるそうです〉

 

「何が言いたい」

 

〈川路とマクブライドは、同一人物ではないでしょうか〉

 

 察していて言わなかったことだった。それを認めてしまえば大変なことになるからだ。川路は単冠湾泊地の頃から関わってきた。奴がブラック・チェンバーなら、その時から私たちは踊らされていたことになる。

 

 変装の達人であるマクブライドが、川路──ブラック・チェンバー最後の生き残りなら、もう一つ説明ができる。

 

 ジミーを殺した犯人はずっと捕まっていない。しかし、冷静に考えれば、軍事施設に潜りこみ、更には手錠に爆弾を仕掛けることは簡単ではない。相当な変装の達人でなければできないことだ。

 

「まさか、ジミーを殺したのも」

 

〈あの事件はブラック・チェンバー壊滅後に起きました。残るメンバーはアフリカに逃げていた頃です。その時、呉の近くに来れるなら、数か月前まで単冠湾にいた彼以外あり得ません〉

 

「まて、だとしたら、ガングートは無事なのか」

 

 ガングートは元々、川路の手引きで基地内に侵入している。一番危険に晒されているのは彼女だ。そう分かっていても、今のスネークは助けに動けない。歯がゆい思いをしながら待つしかない。

 

〈ガングートさんではなく、スネークを狙うのではないでしょうか。ヴァイパーを殺したのはスネークですし〉

 

「唯一の生き残りを殺した怨敵か、今はむしろ、狙ってくれる方がありがたい」

 

 私を狙ってくれれば、ガングートはある意味安全だ。どうせ殺しにくるなら早い方が良い。こっちも用がある。ジミーを殺した連中には、必ず報復すると誓っている。あの光景を思い出すたびに、もう無い眼孔が痛みだすのだ。

 

 

 *

 

 

 青葉と無線をしてから、どれぐらい時間が経ったのか。待っていると、また無線機が作動した。見た事のない周波数だ。警戒しながら通信を繋ぐ。

 

〈スネーク、聞こえている?〉

 

「川内? いいのか、無線なんかやっていて」

 

〈大丈夫、私の施術は無事終わったから。まあ絶対安静って言われたけど〉

 

 なるほど。見た事ない周波数なのは、隠れて通信しているからだ。ただそれで苦しくなっても自己責任だ。今は施術が成功したことを喜んでおく。これで、今すぐ死ぬという状況ではなくなった。

 

「……川内、お前はあとどれぐらい生きれるんだ」

 

 施術は成功した。原因は艦娘と深海のバランスが、長期間の活動で崩れていたからだ。私のデータと、コードトーカーの記録を基に再調整を行い、不具合は直った。だが、そもそもからして、艦娘の活動限界は数十年と言われている。

 

 川内はもう、二十年を超えてしまっていた。なぜだか不明だが、深海凄艦が現れるよりも早く活動していた。限界はとうに超えている。コードトーカーが関わっているから、例外かもしれない。そう期待していた。

 

〈あと数か月かなぁ?〉

 

 余命数ヶ月。その事実を告げるにしては、川内は明るかった。もしくは諦観か。ショックを隠せないのはむしろスネークの方だった。

 

〈そんなに気にすることなの。私とスネークは全然関係ないんだよ?〉

 

「折角生き長らえたんだぞ、なのに数か月……辛いと思わないのか」

 

〈全然、むしろ私は生き過ぎたから、きっと潮時ってやつなんだ。助けてくれたスネークの仲間たちには、申し訳ないけど〉

 

 まるで、死を待ち望んでいるような言い草だ。だからといってスネークは何もできない。語ることもできない。独りで驚き、独りで悲しんでいるだけだ。川内がそれを望むなら、そう納得する他ない。

 

〈でも、まだ死ねない。まだコードトーカーから託された仕事が残っている〉

 

「川内、お前とコードトーカーはどういう関係なんだ」

 

〈やっぱりそれを聞いてくるかぁ、まあそりゃそうか。そうだね、しいて言うなら父親かな。色々な意味で〉

 

「色々?」

 

〈ご察しのとおり、私を建造したのはコードトーカーだ。世界初の艦娘として。だけど、今の艦娘と違う点が一つある。私は元々、()()()()()だったの〉

 

 パラサイト・セラピーという技術がある。欠損した身体機能を特殊な寄生虫で補うという治療法だ。全身やけどで皮膚呼吸ができなくなった人間に、肌の代替となる虫を寄生させる、といったように。

 

 もちろんコードトーカーはこの技術に精通していた。むしろ自分にも施していた。この技術のオリジナルは、自力で光合成ができたらしいあるスナイパーにもって齎されたものだ。

 そして、艦娘や深海凄艦を建造したサイキックアーキアもまた、寄生虫の類だ。

 

〈私が失ったのは、こころだった。精神欠損とでも言えばいいのかな。本来あるべき精神を失って、私は廃人同然だった〉

 

「それを、パラサイト・セラピーで補った?」

 

〈うん。アーキアは私にとって余分な記憶を捕食して、それを欠損した部位に還元した。脳の機能代替みたいにね〉

 

 パラサイト・セラピーには治療以外の用途もある。寄生虫の力を借り、身体能力を向上させる力がある。サイキックアーキアを宿した彼女は、副次的に艦娘の力を得て『川内』になったのだろう。

 

〈だから命の恩人でもある。けど、元を辿れば、コードトーカーは元凶でもある〉

 

「中枢棲姫に、半ば脅されていたことか?」

 

〈関係ない、私たちにとっては。私のこころが壊れたのは中枢棲姫が理由だ。あいつにこころを『喰われた』の〉

 

 これもアーキアの活用方法だという。対象の記憶を捕食し、原型を保ったまま自らに還元して力にする。捕食対象に選ばれたのは、アーキアに干渉できるサイキッカーの才能を持つ大勢の人間たちだった。

 

〈この使い方を見つけたのはコードトーカーじゃないみたいだけど、実用可能にしたのは彼。彼が協力しなければ、私はこうならなかった〉

 

「そうか……どうしてサイキッカーなんて狙ったんだ?」

 

〈サイキッカーだけがアーキアに干渉できるから。提督適正も同じ。物を動かせなくても、心を読めなくても、才能のある人はいる。私もその一人だった。だから喰われた……代わりに虫を寄生させられて、『川内』として生き延びた〉

 

 恩人でもあるが、そもそもの元凶でもある。

 似ている。スネークはそう思った。アーセナルギアを建造したのは愛国者達だが、その愛国者達はビッグボスが生まれなければあり得なかった。川内と違い、少しの恩義も持っていないが。それでも、複雑な心境を察することはできた。

 

〈そして私は託された。コードトーカーの意志を、メッセージを誰に託すのか。託す人を見極めて、その時まで鍵を護り続ける役目を背負わされた。背負えるのは私しかいなかったし〉

 

 果たして、コードトーカーは何を思ったのか。

 スネークが知るのは情報だけだ。直接話したこともない、会ったこともない。どんな人柄だったのかデータでしか知らない。精々、さっきの記録媒体で会ったぐらいだ。

 

 だが、川内と話すことで察することはできた。決して望んだことではなかった。止むを得ない行動、一つしかない手段を選ばなければならなかった。

 

 冷徹に役割を背負わせたなら、川内が苦しむこと事態あり得ない。記憶を喰うアーキアで治療しているのだ、やろうと思えば、役割を機械的にこなす()()にもできた。コードトーカーはそうしなかった。

 

 むしろ残酷な選択かもしれない。それでも彼は彼女の記憶を残した。だから川内はこうして、複雑なこころを抱えた、『人間』として生きている。歴史から半ば消されても、コードトーカーの意志は、川内の中に残っているように思えた。

 

〈役割は終わった、でも、私の戦いはまだだ。私やコードトーカーをこんな目にあわせた中枢棲姫を、打倒しなきゃいけない。そうでなきゃ気が済まない〉

 

「だろうな」

 

〈どれぐらい持つか分からないけど、できる限り手伝うよ。デンセツのエイユウさん〉

 

 しかし、ある疑問は残っていた。些細な内容だが。

 なぜ川内は、私を選んだのだろうか。メッセージを託すに相応しい人間なんだろうか。()()()()の特性なのだろうか。どうしてエイユウなのか。まあ些細なことか。

 

 この疑問を突き詰めなかったことが、正解だったのか間違いだったのか。その答えは未だに出ていない。

 




―― 142.52 ――


〈青葉、時間もないし分かればで良いんだが〉
〈はい、なんでしょう?〉
〈ここ数十年間の間で、あちこちで行方不明者が出た時期が存在しているのか?〉
〈え? そうですねぇ、正直言って、アメリカは分からないですけど、他では一時期()()()みたいですね〉
〈記録が残されていたのか?〉
〈はい、一個だけですが。ソ連は超能力研究に熱心だったの、知ってますよね?〉
〈ああ、それがなんだ〉
〈研究施設の一つが、数十年前何者かの襲撃を受けたんです。施設や職員にけが人はいませんでしたが、代わりにいなくなっちゃったんです。研究対象のサイキッカーたちが全員〉
〈全員だって、馬鹿な、不可能だろ〉
〈そう言われましても、現実そう記録が残っているんですよ。明確に記録として残っているのはこれだけですが、似た事例は他の国でも聞いたことがあります〉
〈……それだけの力を、全て奪っているとしたら〉
〈どうかしました?〉
〈いや、何でもない、十分だ〉
〈そうですか、なら青葉からも一言。無茶しないでくださいよ〉
〈無茶なんて、私は〉
〈絶対します。中枢棲姫が同じ基地にいて、いつも通りでいられる訳ないです。一応言っておきますけど、青葉たちだって、あの子が殺されたことは、忘れてないですからね〉
〈そうか……ありがとう〉


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File72 最後の一人

 どこでなにを間違えたのか。後悔してもどうにもならないことを、今日も後悔している。せずにはいられない。取り返しのつかない過ちを、どうすれば償えるのか今日も考えている。世界を売ってしまったことを。

 

 方法は一つ、買い戻すしかない。

 どれだけの高値になるか分かったものではないが、そんなことは関係ないのだ。しかし、今の彼には動くことさえできなかった。

 

 全ては、自分という存在が招いたことなのだろう。まさかこんなことになるとは思いもしなかったが。当然の理屈を、ありのまま受け入れられなかった。彼女のようにはいかない。だからこそ、彼女に憧れた。彼女は、彼女とどれだけ似ているのか。そこまで成長したのか──

 

 

 

 

 

── File72 最後の一人 ──

 

 

 

 

 この基地は元々、ツェリノヤルスク全域に広がる闇工場をベースに建築されている。WW1の頃から抱え込んできた闇が、深海凄艦の巣窟として結実している。その恩恵で、中立区が成り立っている。

 

 しかもビーチまで併用して、オカルトな技術も使っている。本来の地図がまったく役に立たないレベルで、地下基地は巨大化していた。だが、それを差し引いても()()は異常だとガングートは感じる。

 

 言うなれば生物的。もしくは無機的。近づきすぎた故に違和感を覚える、不気味の谷に見える。いや、間違いなく人工物でできているが、生き物らしさもある。地下基地の最下層には、そんなエリアが広がっていた。

 

 ここは地下基地とは別の施設ではないだろうか。元々北端上陸姫の深海凄艦だった為、ガングートには彼女のビーチが感じ取れる。どこまでがテリトリーかも察せられる。最下層に来てから、北端の気配がなくなっていた。

 

 代わりに知らない姫の気配がする。恐らく中枢棲姫の力だ。ここは北端上陸姫ではなく、中枢棲姫のテリトリーなのだろう。どちらにしても最重要区画なのは間違いない。その影を見つけて、ガングートはすぐ物陰に隠れる。

 

 いたのは、全身が継ぎ接ぎになったスペクターだった。アウル製の個体とは違う。継ぎ目が剥き出しになった異形の深海凄艦。アウルや深海海月姫が沈んだ後、無理矢理作成した個体に違いない。

 

 そんなのが何十隻もいる。というか、このフロアにはスペクターしかいなかった。いくらスペックが下がっていてもレ級はレ級。遭遇したら命はない。救援は全く見込めない。今までにない緊張感を抱えながら、エラー娘が囚われているフロアへ向かう。

 

 マップデータに位置情報が表示される。しかし奇妙だった。区画ごとに、直腸や大腸など、人間の臓器の名前がつけられている。大きな生き物を模した建造物なのだろうか。そんな命名をする意味は何だろう。そう思いながらも、ガングートはどうにか目的地へ到達した。

 

 傍から見れば医務室の様な部屋だ。しかし、拷問の部屋だと直感的に感じた。四肢を伸ばした状態で相手を拘束できるベッドの中央に、小さな人間が囚われている。目を伏せたまま、小さく息をしている。エラー娘だった。

 

「生きているのか?」

 

 一応、妖精にも死の概念はある。アーキアの情報を知ってからは、その定義はアーキアが妖精の形態を維持できなくなった状態、に変わったが。しかしスネークが言うには、ただの妖精とは思えないらしい。

 

 妖精は、住処兼繁殖の補助装置である艦娘をサポートするための生き物だ。エラー娘はサポートをしないと言っていた、だから『エラー』を自称している。なるほど、確かに妙な妖精だ。ならば明確な『死』も持っている危険があった。

 

「……君が助けに来るとはな」

 

「スネークじゃなくて悪かったか?」

 

「まあな、できるなら、あれから彼女がどの程度成長したのか、見て見たかった」

 

 スネークは一度、エラー娘に助けられている。猫の時もそうだったが、彼女が救出に積極的なのはそれが理由だ。対するエラー娘も、どうやらスネークに特別な感情を抱いているようだった。

 

「だったらさっさと来い。この基地を破壊したらスネークに会えるぞ」

 

「そうだな、次に会えれば、()()()になるか……」

 

 三回? スネークに会ったのは、助けた時の一回だけ。次に会ったら二回目ではないか。猫単独で会った時もカウントしているのか。もっとも、ガングートが興味を抱く内容ではなかったが。

 

 拘束の解除は、近くのコンソールからできた。回転ベッドを操作する機械だったらしい。そこからフワフワと飛び降りて、四肢を思いっきり伸ばす。よほど長い間捕まっていたのか、全身からゴキゴキと音が聞こえた。

 

「エラー猫の方からある程度は伝わっている。オイルタンク近くにいるスネークを回収してくれば良いんだな」

 

「そうだ……だが、どうする気だ? ここからは大分距離があるが」

 

「問題ない、と断定できない。だからこそガングート、お前まずワープさせる」

 

 マジか。率直にそう思った。スネークの予想があたってしまった。本当にワープをする気なのかこいつは。やはりただの妖精ではない。勿論嘘を言っている感じもない、至極当り前のこととして言っていた。

 

「スネークがいる上層エリアには、北端上陸姫のビーチが展開されている。私のワープはこのビーチを経由したものだ。だから別のビーチがあると上手くいかない」

 

 下手をすれば、壁とかにそのまま原子単位で埋まるらしい。そんな最後は御免だ。沈んだ方がまだマシだった。

 

「故に、お前を北端上陸姫の元へ飛ばす」

 

 ガングートは一瞬言葉に詰まった。つまりこう言っているのだ。北端上陸姫を沈めてこいと。この私に。

 

「私なのか、スネークではなく?」

 

「奴と繋がりがあるお前でなければ、確実に飛ばすことはできない。それに、彼女と決着をつけるのは、君であるべきだ。そう思わないのか」

 

 艤装がない、という言い訳はする気もない。既に伊58が予測地点まで運んでくれている。戦えない理由は存在しなかった。北端に啖呵を切ったものの、どうやったって根幹は彼女の僚艦のままなのだ。抵抗感は消えなかった。

 

「かつての仲間を沈めるのが嫌か」

 

「誰だってそうだろう?」

 

「そうだ、だが、任務とあれば、こなさなければならない」

 

 分かっている。これが『時代』だと。逃げるわけにはいかないのだ。仲間であっても沈めなければいけない時が来る。KGBの工作員だった時から分かっていた事実を、今更ながら痛感していた。

 

 

 *

 

 

 エラー娘から聞いたことを、ガングート越しにスネークは聞いた。確実にワープする為に、まずガングートを北端上陸姫へ飛ばす。そして奴を撃破してから、私を回収しに来る。それまでは工場内部を逃げ回ることになる。

 

〈爆破するオイルタンクは一つだから一気に火の海にはならない。それでも時間の問題だ、危険な状態になってしまうが……〉

 

「もう時間はないんだったな」

 

 とうとう情報を嗅ぎつけたCIA側の強硬偵察部隊が迫りつつある。完全に露見したが最後、WW3の引き金が引かれる。爆破による証拠の滅却を躊躇っている場合ではない。今すぐにでもやらないといけない。

 

「やるさ、悪魔の兵器はここで破壊し尽くす。それはジミーも望んでいる筈だ」

 

〈済まない、できる限り早く、奴を沈める〉

 

「ああ、お互い無事でまた会おう」

 

 無線を切る。そして別のスイッチを手に取る。待っている間も仕事はしていた。レイを使い、工場を破壊できそうな位置に爆弾代わりのミサイルを設置しておいた。起爆してから数十分以内に工場は火の海になり、一時間を待たずに崩落する。

 

 その前にと、スネークはもう一度だけ無線を手に取る。相手は伊58だ。丁度ガングートの艤装を所定の位置に置いた頃だろう。

 

〈何か用でちか〉

 

「これから起爆する。逃げる準備はできているのか?」

 

〈大丈夫でち、ゴーヤならイクチオスが逃げる道をそのまま使えるから。それよりもガングートを信じるの?〉

 

 やっぱりそうなるか。別に敵ではないのだから信じていいだろう。そんな割り切り方ができるのは私だけらしい。遺産奪取のチャンスを逃した今、ガングートが私を助ける理由は何もない。しかし、それでも助けに来てくれたことが何よりもの証拠に思える。

 

〈なら言っておくけど、もしガングートがピンチになっても、助けに行こうとは思わないでね〉

 

「そもそもビーチで迷子になるんだが」

 

〈無理して行くなって言っているの。スネークには中枢棲姫が残っているだから〉

 

 言わなければ、ビーチに無謀に行っていただろう。伊58に指摘されてスネークは、心の端で考えていたことを自覚した。今の状況はかなり悪い。ガングートがしくじったら私は終わりになる。

 

〈だからゴーヤが残るでち〉

 

「何だと」

 

〈相手は陸上型だけど、ゴーヤも対地兵装は積める。北端上陸姫の居場所にも近い。丁度そこにガングートの艤装を置いたから〉

 

 北条は良いのか。やっと再会できたのに。スネークはその問い掛けを呑み込んだ。言うべきではない言葉だった。自分たちが再び別れることになっても、すべきことだと知っている。既に覚悟している伊58に、『良いのか?』と聞くのは無粋だ。

 

「分かった。お前に任せる、生きて帰れよ」

 

〈当然でち〉

 

 伊58との無線も終わった。最後の心残りは中枢棲姫に捕まってしまった多摩がどうなっているかだ。しかし、大本営という別組織に属している彼女を、これ以上待つ理由も義理もない。

 

 多分大丈夫だろう。スネークは祈りながら、起爆スイッチを押し込んだ。

 ピー。という単純な機械音が作動する。これであと数秒後に、仕掛けたミサイルが起爆する。展開していたレイたちに召集をかけ、オイルタンクの部屋から一気に駆けだす。

 

 敵に見つかっているか、そうでないかも気にしなかった。かなりギリギリの設定にしてある。立ち止まったら爆風に呑まれるからだ。そして、一瞬辺りが静まり返った。振り返ってはならなかった。

 

 一瞬、あらゆる音が途切れた。空気が収縮して足音や話し声が奪われる。何も聞こえない、異様な緊迫が工場内部を支配する。次の瞬間、集まっていた空気が爆ぜた。貯蔵されていたオイル全てが一瞬で気化し、膨張したエネルギーは衝撃波となって地面を駆け抜ける。

 

 風圧でスネークが姿勢を崩し、その場に倒れ込む。直後、頭スレスレを瓦礫が掠めていった。ヒヤリと汗を流した時、鼓膜を破りそうな爆音が工場全域に響き渡った。噴き出した熱風が肌を焼く。レイに仕掛けさせたお蔭で、火の手があちこちに広がり始める。

 

 顔を上げてみると、地獄絵図が広がっていた。不運にも爆風に巻き込まれた兵士が、全身を燃やしながら彷徨っている。無事な兵士は消火活動を始めようとするが、天井からの落下物でどんどんけが人は増えていく。

 

 改修を重ねていても、地下工場はとても古い施設だ。大きな衝撃が起きればダメージは大きい。しかも、ザ・フューリーがやったのと、デイビークロケットの直撃を合せれば通算三回目。完全に限界を超えてしまったのだ。

 

 この中に、愛国者達とは関係ない中立区の深海凄艦がいたら申し訳ない。まあ、イクチオスの整備区画に、無関係の奴がいるとは思えない。爆発がどう広がっていくかは把握している。あとは、無事な区画でガングートを信じて待とう。

 

 そう思い、前を見据えた時、スネークは炎を凝視した。

 業火の中に、人影らしきものが浮いていた。炎の後ろにいるとかではない。間違いなく()にいるのだ。

 

 モーセが海を割ったように、炎が二つに分かれていく。予言者でも気取っているのか、裂け目の真ん中から、スネークを見下ろしながら浮遊する深海凄艦がいた。

 

「ヤッテクレタナ、スネーク」

 

 こんな時に、いや、こんな時だからなのか。中枢棲姫がスネークの目の前に立ち塞がっていた。

 

 

 *

 

 

 飛ばすというのも分かっていたし、時間がないのも分かっていた。だが、何の警告もなくワープさせられたガングートは若干グロッキーだった。直ぐにでも立ち上がりたいが、平衡感覚も混乱している。

 

 本当にワープできるとは。ビーチもそうだが、エラー娘は本当に何者なのか。単なる妖精でないのは間違いないが。

 

「……急ニ来タワネ」

 

 まただった。また、真上から声がする。まだ立ち上がれない体を転がして強引に距離を取る。北端上陸姫が驚いた眼で、ガングートを見下ろしていた。

 

 北端上陸姫をマーカーにワープしたのだ、いきなり飛んでもおかしくなかった。艤装もまだ見つけられていない。悠長に探すのを待ってくれそうな雰囲気でもない。宣言通り、私と戦うつもりで待ち構えていたのだ。

 

 ガングートが立っていたのは工場エリアの物資輸送の、繋ぎ目だった。そこら中に運搬用の深い水路が掘られている。今は端の狭い通路に立っていた。艦娘として戦う分には困らない、艤装があればの話だが。

 

「艤装ガナイカラッテ、モウ待タナいぞ。今すぐにでも殺したくて仕方ガナイノ」

 

「裏切りの代償と言う訳か」

 

「ソレダケジャナイワ、私達ガ壊シタイノハ、世界ソノモノナノ。艦娘、人間、深海凄艦。全テヲ沈メタイノ」

 

 北端上陸姫は笑みを浮かべる。ガングートが見知った狂気の笑みだ。かつての時より深くなっている。深海凄艦も、同胞も沈めたいと言うのか。深海凄艦として異常になっていると、ガングートは絶句する。

 

「ソモソモカラシテ、私達ニハ破滅シカナイ。怨念から生マレタ存在ハ、未来ヲ呪う事しかデキナイノ。貴女達モソウデショウ、変えられない過去ヲ清算シヨウトシテ、此処まで来たのデショウ?」

 

「……そうだ、お前の言う通りだ。だが、それが何だと言うのだ」

 

「叶ワナイノゾミヲ抱イタ私達ハ、利用サレ続ケルダケ。『ガングート』ナラ分かるでしょう、変わる時代に翻弄され続ケタ貴女ナラ、兵士はドレダケイッテモ、『時代』に弄バレルノダト」

 

 ガングートは無言だった。帝政ロシア──ソ連──そして崩壊。信じた価値観があっさりと壊れるのを見て、何も信じられなくなった。それでも変わらない場所を求めた結果が今の私だ。分かるからこそ、答えなかった。

 

「私もソレハ知ッテイル、深海凄艦モ同ジ事、『恨ミ』トイウ不確定ナ概念ニ操ラレルダケ。シカモ自分ノデハナイ、誰ノカモ知ラナイ怨念ニ。ソンナ物ヲ信ジテ世界ヲ滅ボスナド、下ラナイ考エ方ヨ。

『怨念』トハ何? 敵ヘノ攻撃心。家族ヲ殺サレタ、友人ヲ……自分ヲモ殺サレタ。ソノ結果に納得できないからこそ、憎悪が生まれる。デモ敵ヲ決めるのは『国家』だ。帝政ロシアの時、敵は誰だった? 革命直後は? WW2の時は? 冷戦の時は、そして聞きタイワ、崩壊後の敵は何だ?

 敵ハ変ワル、私達の怨念ハ、時代ガ積ミ残シテイッタ産物デ出来テイル。ソンナ物ヲ信ジルノハ、実ニ下ラナイ行為ダ」

 

「だから快楽に走ったと、偉そうなこと言える口ではないな」

 

 何を信じても意味がない。しかし、この一瞬の悦楽は真実ではある。そんな刹那的なものしか信用できなかった結果が、昔の北端上陸姫なのだ。なら、今世界を滅ぼそうとしている彼女はどうだというのか。

 

「ソレガ()ダ。シカシ()()()()は、アル一点デ共通シテイタ。ソウ、何一ツ。自分サエ信用デキナイ一点ガ」

 

 妙な言い方が引っ掛かった。私とわたし? なぜ二度も言ったのか。

 

「色々な組織を裏切ってきたお前になら分かるだろう、違う自分を演じ続けていると、次第に本当の自分を思い出せなくなっていく。世界の暗部に触れるから……尚更酷くなっていく」

 

 ガングートはやはり何も言えない。やはり自覚している。艦娘と深海凄艦の間で彷徨っていたからだ。その過去を捨て、ガングートとして生きると決めた。それは同時に、深海凄艦の自分を消し去ることと同義だった。

 

「でも私には、信じられる人がイタ。壊レタ私ヲ受け入れて……期待してくれる男がいたから、私はやってこれた。だが、あいつは殺された。今の今まで貢献して来た世界に、よりにもよって、合衆国に」

 

 目の前のこいつは誰だ。いきなり雰囲気が変わった、話し方も変わった。驚愕はそれだけではなかった。北端上陸姫の外見が、不気味な音を立てて変わりつつある。彼女が特殊な変装能力を持っていることは予想していたが、今起きていることは予測を超えている。

 

「心の底から世界を恨んだのは初めてだった。何とか生き残った私に接触してきたのが中枢棲姫だった。奴はガングート、お前に沈められて、重傷を負いながらも仮死状態で生きていた深海凄艦を提供してきた」

 

 声が女性のものから、男の声に変わっていく。ゴスロリ衣装までも変異して、綺麗な軍服を着こんでいる。骨格も男に変わった。そこにいたのは既に深海凄艦ではなかった。全ての合点がいった。最初から、本当に最初から罠だったのだ。

 

俺達(ワタシタチ)は共鳴した、そして真の怒りを持つ俺が主導権を握ったのだ。そうだとも、ジェームズ・ハークスを殺したのも復讐の一環だ。()()()()()と共に世界を滅ぼす夢はまだ終わっていない。

 しかし俺達(ワタシタチ)は叫んでいる。お前も沈めなければならないと。アフリカでスネークはヴァイパーを殺した、それに関わったお前が、無関係な訳がない。言ったよなガングート、次は戦いだと……」

 

 川路と言うべきか、誰でもないのか。

 目の前の光景は真実を告げている。北端上陸姫と川路は同一人物だったのだ。そしてブラック・チェンバー最後の生き残りだ。私を基地内に手引きできて当たり前だった。

 

「本当にお前は俺達(ワタシタチ)と似ている、だからこそ認められない、似ているのに、世界を憎まなかったことが。どうせ皆殺しだが、まずはお前からだ。俺達(ワタシタチ)の怒りを、思イ知リナサイ……!」

 

 再び姿が変貌する。北端上陸姫が現れる。全身から黒い渦が巻き起こる。それは『艦娘ガングート』にとって、本当の意味での初陣だった。

 




J.D/中枢棲姫(メタルギアソリッド4/艦隊これくしょん)

愛国者達を構築するAIネットワークにおいて、頂点に立つ存在、それがJ.Dである。主な役割は四基のAIからの情報を元に、現状とるべき行動の指針を示す。ガンズ・オブ・ザ・パトリオット事件の終盤、ワームクラスターの浸食により崩壊した。しかし何らかの形で生存、現在は中枢棲姫として活動している。
中枢棲姫とは、名前の通り全ての深海凄艦の中枢を成す個体と言われている。なぜそう言われ始めたかは不明。中枢棲姫自身が、その呼び名を広めた可能性もあるが、理由は分かっていない。少なくとも、世界で初めて生まれた深海凄艦なのは間違いない。AIを在り代にしたにも関わらず人格を得ているのは、深海凄艦化の影響か、一度崩壊した後遺症なのか。いずれにせよ、今のJ.Dは、人類に害を与える存在である。
一度死んだ、という意味では、深海凄艦の条件は満たしている。
しかし、屍者はあくまで過去の、終わった存在である。艦娘が運命の軛を覆せないように、中枢棲姫が今更人類をどうこうすることはできない。屍者はただ、そこにあるだけで、新しいことは成せないのである。


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File73 北端上陸姫

 何が正義で何が悪か、誰が敵で誰が味方か。それらを決定するのは『時代』だ。

 誰も、完全に未来を予測できない。いつだって想定できない方向へ向かって行く。ソ連が崩壊したのも、対艦巨砲主義が滅ぶのも、艦娘や深海凄艦が現れるのも、誰も思ってもいなかっただろう。

 

 絶対的な概念は存在しない、なら私達は何を信じれば良いのか。

 答えは簡単だ。そんなものはない。しかし、それでも尚信じ抜くことが、生きることへの強い力になる。間違った考えで、いつかの時代、排斥される思いだったとしても。

 

 今の行動が正しいのかさえガングートには分からない。この行動は恐らく後世には伝わらない。忘れられて死ぬものを、私は信じて戦っている。忘却されると知っていても、それは戦いを諦める理由にはならないのだから。

 

 

 

 

 

── File73 北端上陸姫 ──

 

 

 

 

 ガングートは即座に逃走を選択した。手持ちの武器は拳銃しかない。

 北端上陸姫はただの姫とも、陸上型とも違う。かつてのソ連上陸部隊の『怨念』から生まれた彼女は、言うなれば海上移動要塞と言うべき深海凄艦だ。

 

 陸上型と同等の火力を誇りながらも、平然と海上を航行できる。水路が張り巡っているこの階層も、何の問題なく素早く移動できる。対するガングートは艤装を持っていない。走って逃げなければならない。現状勝ち目は皆無だった。

 

「一方的ニ攻撃サレル気分ハドウカシラ……あの日のブラック・チェンバーも、こういう風に蹂躙されたのだ」

 

 逃げ場を塞ぐように砲撃が放たれる。陸上型の火力はただの姫と比較にならない。一撃が放たれるだけで、地下工場が激しく揺さぶられる。天井から落ちてくる崩落物にも注意しなければならない。

 

「この程度で蹂躙だと、ブラック・チェンバーとは随分軟弱な集まりだったんだな」

 

「ソンナ挑発ニ乗ル性格ジャア……諜報員ハトックニ首ニナッテイルワ、無駄口ハ怪我ノ元ヨ……?」

 

 すこしでも狙いが甘くなれば。そう思ったが全く効果はない。当たり前だ。彼女の言う通り、こんな挑発で怒る奴にスパイが務まる訳がない。それどころか、照準は更に正確になりつつある。

 

 強烈な固定砲台の一撃を紙一重で回避する。砕けた壁の破片が体に当たる。艤装無しの体には十分なダメージだが、足を止める程ではない。再び走り出そうと力を込めた時、ガングートは激痛にバランスを崩した。

 

 踵の近くに、小さな風穴が開けられていた。いつやられたのだ。振り返ると、北端上陸姫の周辺に大発動艇が数隻浮かんでいた。その上には戦車がいた。主砲から煙を吐いている。しくじったと、顔を顰める。

 

「聞こえなかったのか? まあ、そうなるように、同時に主砲を撃ったんだがな」

 

 戦車が主砲を撃つ音を、固定砲台の爆音で掻き消していたのだ。何度も言うが北端上陸姫は上陸部隊を基にしている。だから他の姫では運用できない、いわば()()()()を使用できるのだ。

 

「マサカモウ、終ワリ……何テ事ハナイワヨネ……?」

 

「当たり前だ、こんな傷で私が止まるか」

 

 ガングートは唯一の武装である拳銃を投げた。

 勿論何のダメージもない。しかし気は引けた。グレネードの類かと誤認して、一瞬目を閉じた隙に、再び走り出す。

 

 目的もなくは知っているのではない。伊58が指定した場所に艤装を残してくれている筈だ。そこまでいけば、やっとまともな勝負ができる。開けられた風穴から出血していく。痛みが止まらないが、歯を食いしばって耐える他ない。

 

「そんな子供だましの技で、俺を止められると思うな!」

 

 背筋の凍るような轟音が聞こえた。階層一杯にプロペラの音が響きはじめる。そうだ、北端上陸姫は陸上型だ。振り返った後ろに、黒い壁が迫っていた。そう見間違える程の、夥しい艦載機の軍勢だったのだ。

 

 先頭に立つ艦上戦闘機が機銃を乱射する。生身の私にはそれさえ致命傷だ。とても回避しきれる気がしない。ガングートは意を決して、水路の中にダイブした。この中なら弾丸は減速する。

 

 その判断はある程度正解だった。陸上型の姫はそんな強力な対潜兵装を持っていない。潜水艦ではないが、攻撃を緩和できる。と思ったのもつかの間だった。ガングートの頭上に、無数の爆雷が迫っていた。

 

 躱し切れない。防御姿勢をとった彼女を爆雷は容赦なく吹き飛ばす。水中から叩きだされ、ガングートは水面を何度も跳ねた。遠目に見た時、奴の懐にはある装備がされていた。迫撃砲だ。聞いたことがある、一部の迫撃砲は対潜兵器としても使用されていたと。

 

「サアドウスル、マダ逃ゲルノカシラ? ソレトモ生身デ戦イヲ挑ム? どちらにしても俺には勝てないが。何故だか分かるか」

 

「さあな、狂人の考えなど知らん」

 

「シンプルな理屈だよ、俺とお前では『執念』が違う。何トシテモ目的ヲ遂ゲル……ソウイウ執念ガ足リテイナイノ。例えば、自分を捨て去る覚悟だ。こうやってな」

 

 唐突に北端上陸姫が顔を手で覆う。次の瞬間、彼/彼女の顔は全く別の人物に変わっていた。川路でも北端上陸姫でもない。日本人の顔に変化している。この能力で、色々な人物に成り替わってきたのだ。

 

「こうやって鎮守府に紛れ、ジェームズ・ハークスの手錠に爆弾を仕込んだのだ。スネークの報復、イクチオスの情報を漏らされない為に必要だった」

 

「子供にまで手を伸ばすのが執念だと、やはり狂っているな」

 

「そうさせたのは誰だ? だが自覚はしているさ、狂っているし、決して正しくはない。そう分かっていてなお信じる、これが執念だ」

 

 再び手で覆い、顔を変異させる。今度はガングートの顔になっていた。スネークもこれでだまし討ちを喰らったのか。

 

「ソレガ足リナイカラ……ドンナ組織ニモ長居デキナイ。貴女ミタイナ半端ナ存在ハ、一番気ニ入ラナイノ。ダカラ沈ンデ……元部下ノヨシミデ、楽ニ沈メテアゲル」

 

「半端なのはお前の顔の方だろう」

 

「そんなに生意気な子ではなかった筈だがな、なら苦しんで死ね」

 

 ここまでなのか? あっさり諦めそうな自分がいた。北端上陸姫の言う通り私は半端だ。誰かも、自身の執念も信じ抜けない存在だ。だが、それを変えたくて、深海の過去を捨てたのだ。ガングートは叫びながら立ち上がる。少しでも時間を稼がなければならない。

 

 とうとう狂ったか。そう北端上陸姫は誤認した。こんな奴をどう殺すべきか。そう逡巡した時間が致命的だった。

 

「ガングート!」

 

 叫び声と同時に、天井が爆発する。流れ込んできた大量の流水が北端上陸姫を押し流す。ガングートはその中に、複数のレイがいたのを見つけた。スネークではない。今レイを運用していたのは。

 

「遅いでち、待ちくたびれてきちゃったでち」

 

 伊58が、ガングートの背中に艤装を接続した。

 疲労していた体に力が漲っていく。四肢に力が入り、水面に波紋ができていく。助かった。そう感謝を告げて、北端上陸姫に向き直る。

 

「執念執念言っているが、お前のそれはただの怨念だろう。怨念は祓われるのが必然だ」

 

「祓う? 貴様なんぞにできる筈が……」

 

「ああできないね、お前に同情心なぞ全く湧いてこない。元上司という義理も知らん。だから、潰させて貰う!」

 

 思えば此処に来てから主砲を撃てなかった。鬱憤を晴らすが如く、出鱈目に砲撃を撃ち続ける。やはり戦艦として、思いっきり砲撃できるというのは気持ちが良かった。しかし、今は戦いの真っ最中だ、油断はできない。

 

 狭い通路だから回避はそこまでできていないが、砲撃が効いている様子もなかった。さすがは陸上型だ、タフさは比較にならない。むしろ、砲撃を受けながらも無理矢理距離を詰めてきている。

 

「コノ程度デ、怯ム訳ガナイデショウ……」

 

()()ではな」

 

 轟音が轟き、北端上陸姫の姿勢が大きく揺れた。驚いた顔で足元を見て、彼女は顔を顰める。どうしてもダメージは小さいが、始めて有効打が入った。ガングートは密かに『魚雷』を発射していたのだ。

 

 普通の戦艦は魚雷を装備してないが、ガングートという艦娘は例外的に装備している。当然搭載数は多くない。それでも、至近距離なら中々のダメージになる。海上移動型という特徴のせいで、雷撃が効くのも運が良かった。

 

「効いたようだが?」

 

 眉がピクリと動いたが、動かない。やはり挑発の類は効かないと考えていい。むしろ油断がなくなり、一層冷静になってしまった。再び砲撃を押しのけながら、力技で距離を詰めていく。再度雷撃を撃つべきか悩んだ瞬間、手元の無線機が揺れた。

 

 とっさに身をよじりながら、北端上陸姫の足元に砲撃を放つ。

 大きな爆発が起きる。煙の中から戦車や大発動艇の破片が飛んできた。ガングートの砲撃が水しぶきを立てた。それを目晦ましに攻撃を試みていたのだ。

 

 やはり、不意打ち気味に雷撃を当てるしか有効打はない。三式弾でもあれば話は違うが、そんな都合よく持ってきていない。ガングート一人なら、そうやって少しずつ追い詰められていただろう。だが、真下に味方がいる。

 

 北端上陸姫の背後から、金切り声が轟いた。

 水面を切り裂いて放たれているのは水圧カッターだ。死角からの攻撃に反応しきれず、北端上陸姫の白い肌が切り裂かれる。

 

「メタルギア・レイダト、誰ガ……」

 

「ゴーヤでち!」

 

 一瞬だけ顔を出して、再び伊58は水中に潜り直す。レイと伊58を排除するために迫撃砲を背後に乱射するが、恐らく伊58は真下に移動している。証拠に、北端上陸姫の体が大きく揺さぶられた。下からレイが体当たりでもしているのだろう。

 

 そうやって気を取られていれば、私の攻撃がしやすくなる。ガングートは距離を詰めて砲撃する。何発も撃てば、装甲を破れるかもしれない。だが、接近したことで見えた北端上陸姫の顔は、笑みを浮かべていた。

 

「何故、伏兵を仕込んでいるのが、お前だけだと思っている?」

 

 ガングートは一か八か、跳躍して空砲を放った。

 支えを失ったことで、わずかに後退する。瞬間目と鼻の先を、巨大な獣の口が喰らい付いていった。遅ければ喰われていた。水中に何かが潜んでいるのだ。

 

 下からの攻撃は止まらない。次々と襲い掛かる獣が、ガングートを喰おうとしてくる。低速の自分が、この攻撃を掻い潜るのは無謀だ。止むを得ず距離を取る。射程距離から外れたのを見て、北端上陸姫が指を鳴らす。

 

「貴重デ、最後ノ……アウルノ遺産ヨ。感謝シナサイ……堪能シテネ」

 

 獣──()の持ち主が浮上する。

 眼前に展開されたのは、5隻ものスペクター達だった。しかも民族衣装を着ている。サラトガたちが交戦した『特注品』だ。顔が青ざめている気がした。一隻のレイが喰われて破壊されている。

 

 これと正面からやり合うのは絶対に沈む。ガングートはすぐさま身を翻し、その場から逃走を図る。さっきとは違い火力がある。連続で天井や壁に主砲を叩き込み、瓦礫の山で追撃を塞いでいく。伊58とレイたちは、それよりも前に水中を移動できる。

 

 だが状況はかなり不味い。この狭い、しかもスネークの破壊工作で崩れつつあるフロアを逃げ続けるのは不可能だ。時間もない。スペクターを一隻ずつシズメル余裕もない。北端上陸姫のみを、確実に沈める方法は何だろうか。

 

「大丈夫でちか、あいつどうするでち」

 

 浮上してきた伊58が、少し血を流していた。水中にいたスペクターの攻撃を喰らったらしい。

 

「……お前、魚雷持ってきているか」

 

「そりゃ、潜水艦だからね。あと対地兵装も持って来ているでち」

 

「方法は、一つしかなさそうだな。レイはまだいるな?」

 

「いるけど、あと二機だけでち」

 

 それだけいれば十分だ。ガングートは伊58に戦術を耳打ちする。早口で言い終わったと同時に、積み上げられた瓦礫が吹き飛ばされた。嵐の様な爆風がガングートを覆う。一瞬で視界が黒煙に覆われてしまった。

 

 これでは攻撃が見えない。真下からは上陸部隊、正面から北端上陸姫、上からは艦載機。その全てをスペクターが補強する。ガングートはやはり、がむしゃらに距離を取る以外に方法がない。

 

「逃げられると思うなよ」

 

 予想通り、あらゆる方面から攻撃が襲い掛かる。備え付けの機銃から主砲、副砲の全てを使い、ギリギリのところで攻撃を裁きながら後退していく。弾かれた砲弾は壁や天井に辺り、再び崩落を招き、壁を積み上げる。北端上陸姫が再度それを崩した時、ガングートは曲がり角まで逃げ込んでいた。

 

 ガングートはそこで振り向き、自らのオイルを、あえて流した。活動時間は短くなるが、『罠』になってくれる。続けて砲撃を周囲に撒き、再度瓦礫のバリケードを構築する。その中に砲撃ができる程度に穴をあけ、待ち構える。

 

 背後から来る可能性もあり得る。全方位にバリケードを作り上げた。その中に伊58も入れておく。潜水艦の装甲は脆いが、有効打を撃てるのは彼女だ。ギリギリまで護らなければならない。

 

「無駄な足掻きだということが、分からないのか」

 

 地鳴りのような轟音を立て、バリケードが破壊されていく。艦載機の爆撃に砲撃が続いている。上陸部隊もどこかにいるはずだ。このまま黙って破壊されるものか。ガングートはさっきの穴に主砲を突っ込み、すかさず砲撃する。

 

 たまたま至近距離にいたスペクターが、攻撃をまともに喰らって吹っ飛んでいく。だが即座に再生する。コアまで撃ち抜けなかったが、時間が稼げればそれで良い。すぐに別の穴に入れ直し、再び砲撃する。

 

 そうやって、ガングートに気を取られている間がチャンスだった。目配せで合図を出し、伊58が水中に潜る。沈んだ瓦礫は水中にもバリケードを構築しているが、彼女が通れるぐらいの隙間をレイに作らせておいた。

 

 再び穴越しに向こうを見ると、スペクターは二隻いた。残る二隻は恐らく水中だ。水面下のバリケード破壊と、潜水艦の奇襲を警戒しているのだ。この二隻をどうしかしなければ、チャンスはものにできない。

 

 その為の囮として、残る二機のメタルギア・レイを先に向かわせた。水圧カッターとミサイル群を利用すれば、少し時間は稼げる。その間に伊58が、北端上陸姫の真下に雷撃を叩き込む作戦だ。

 

 彼女達が水中に潜った時、反対側のバリケードが轟音を立てて崩れた。

 なぜだ、攻撃は受けていなかったのに。振り返ったガングートが見たのは、超小型のPT小鬼群が戦車や装甲車両に乗って襲い掛かる姿だった。

 

「聞コエテイルカシラ……私ハツマリ、囮ヨ」

 

 反対側だった。上陸部隊はあちらに回っていたのだ。そして静かに、ゆっくりと瓦礫を除去してきたのだ。最悪なことに、中央にはスペクターも一隻混じっていた。ということは、水中にいるのは一隻だったのか。

 

「アラ、ソッチニ気ヲ……トラレテ良イノカシラ……」

 

 北端上陸姫の攻撃が激化する。妨害しなければ、この内側に伊58がまだいると思わせなければならない。しかし、もうスペクターは眼前まで迫っていた。信じがたい速度で、丸太のような尻尾の横薙ぎが迫る。

 

 一瞬姿勢を下げ、頭部スレスレで回避する。スペクターの腹部に潜りこんだ。どてっ腹に砲撃を浴びせようと構える。砲撃しようとした時、ガングートは眼を疑う。スペクターの腹部から、無数の副砲が()()()来たのだ。

 

 艤装の装甲部分を回して、副砲を受け止める。だが、視界が一瞬塞がった隙を突かれ、振り降ろされた尻尾に吹き飛ばされた。勢いを殺せず、自分が作ったバリケードに叩き付けられる。肺から息が搾り出される。苦しいが、喘いでいる暇はない。

 

 姿勢を立て直そうとした瞬間、ガングートは、その場に崩れた。

 何が起きた。真下を見ると、自分の膝に風穴が空いていた。立つことなんてできない。重力のまま崩れる。艤装と片足で、転倒だけは何とか避けた。

 

「どうやら、命中したらしいな」

 

 足元のバリケードが僅かに破壊されていた。そこから砲撃されたのだ。一か所が壊れれば一気に崩れていく。バリケードが消えていき、大量の埃が舞い上がる。煙幕の向こう側からは、当然おびただしい物量の攻撃が襲い掛かる。

 

 このままでは挟み撃ちになる。ガングートは意を決して、まだ壊れ切っていないバリケードに主砲を接射する。反動が全て自分に襲い掛かり、一気に吹き飛ばされる。全身を激痛が襲うが、これで、スペクターを上陸部隊を飛び越えることができた。

 

 だが、着水した体には幾つもの弾痕ができていた。大体は艤装で受け止めたが、生身の部分からどんどん出血している。上陸部隊の戦車隊か、スペクターの艦載機にやられたのか──どちらでも大ダメージだ。

 

「あの潜水艦がいないな、成程、囮だな? だが水中にもスペクターがいる」

 

「分かっている、だが、これでも発見できるかな」

 

 事前にオイルを撒いておいた海面に向かった、機銃を一発撃ちこんだ。何てことのない火花が飛び散り、地下水路を一面火の海に変えていく。黒煙が充満していき、お互いの視界がぼやけていく。

 

「また悪足掻きか、効くと思っているのか」

 

 だが、視界関係なく水路は狭い。適当に撃っても何かに当たる狭さだ。圧倒的物量を持つ北端上陸姫の猛攻に、ガングートは今度こそ追い詰められていく。膝をやられたせいで、少しずつ近づくこともできない。

 

「おっと、潜水艦ガ……イタワネ」

 

 そう言うと、北端上陸姫は残るスペクターを水中へ送り込む。自身は辺り一面に迫撃砲を撒き散らし、伊58を牽制し出す。だが二機のレイが囮になってくれる。必ず突破できると信じて、ガングートは攻撃に徹する。こっちが追い詰められても、全力で砲撃を続ける。

 

 何よりも、護衛のスペクターが消えた今が好機だった。ガングートは一瞬砲撃を止め、全ての砲に次弾を装填させる。一時的に砲撃を止めたことで、延々と攻撃してきた北端上陸姫のテンポがぶれる。

 

「今だゴーヤ!」

 

 無線に叫ぶ。そして隙残る全ての弾を一斉に放った。

 ガングートの全ての砲撃が、一瞬だけ北端上陸姫を押し込んだ。隙が生まれる、だが、更に駄目押しを重ねるべく、水中からメタルギア・レイが浮上する。

 

 レイたちが残ったミサイル群を一斉に放った。艦載機は大混乱に陥り、海面にいた上陸部隊も掻き回される。肝心の北端上陸姫は、装甲を駆使して受け止めたが、これで意識は、上に向いた。下から迫る雷撃には気づかない。

 

 火災による黒煙を吹き飛ばして、爆発が通路を覆い尽す。爆発の中央には、雷撃を喰らって沈んでいく北端上陸姫がいる──筈だった。

 

「無駄な足掻きだと、何度言えば分かるんだ、お前は」

 

 北端上陸姫は健在だった。ミサイルがつけた傷以外ダメージはなかった。その片手には全身から血を流す伊58が握られていた。

 

「たかが潜水艦だけで、このスペクターたちを突破できると思ったのか。甘いな、スペックガ違ウノヨ……」

 

 煙幕の奥に、ガングートの影が見えた。力尽きて膝をついているようだ。止めを刺すべく、北端上陸姫が接近していく。伊58がやられた理由は単純だった。スペクターは強かった、潜水艦一隻では、どうにもならないレベルで。

 

「あれは俺達の、ブラック・チェンバーの仲間が全力で建造した兵器だ。貴様のような半端者がしたような、即席の信頼関係とは訳が違うのだ」

 

 似てはいた、だからこそ、より一層殺意が沸く敵だった。

 北端上陸姫はガングートを沈めるために腕を振るい煙幕を払う、そして、作戦が失敗し、愕然とするガングートを見下ろそうとした。

 

 だが、ガングートはいなかった。彼女の『艤装』だけが、プカプカと水面に浮かんでいた。なら奴はどこに。そう思った時、足元から零れる泡に気がついた。逃げようとした時にはもう、生身のガングートが船底にしがみついていた。

 

「馬鹿ナ、生身デ……!?」

 

「さっきから執念と言っているな、なら見せてやるか、私達の執念って奴を」

 

「そういうことでち!」

 

 北端上陸姫が振り返るよりも早く、復帰した伊58が兵器を放つ。今まで、ずっと水中にいたのが罠、雷撃が必殺だと思わせる為だった。本当の本命は、今まで隠し続けていた、伊58の特二内火艇だったのだ。

 

 船体に内火艇が入り込む。すぐさま内側に向けて砲撃を放ち、内火艇を爆散させた。しかし、爆発した内火艇から、大量のオイルが撒き散らされた。事前に、ガングートが意図して漏らしたオイルを分けていたのか。何のために?

 

 そして北端上陸姫は気づいた。ガングートが船底に張り付いている理由を。

 全て逆だ。全て私の目を欺いて、思い込ませるためだったのだ。必殺の一撃は、『伊58』の雷撃だと。そうではない、必殺の一撃は『ガングート』が放つ雷撃だ。

 

「当然、信管は解除済み、お前はオイル塗れ……この意味が分かるな?」

 

「馬鹿ナ……オ前モ無事デハ済マナイゾ!」

 

 戦艦が、水中に潜って来るなんて想定していなかった。その為に艤装を外すなんて思わなかった。ただの機銃で致命傷になる、生の体で自爆攻撃をしようとしている。信じがたい行為に北端上陸姫は叫ぶ。

 

「これが執念というものだ。覚えておくが良い──Ураааааааа(ウラー)!」

 

 スペクターも艦載機も間に合わない。

 穿たれた雷撃は船底に穴をあけ、火花を散らす。散った火花はオイルを触媒に燃え上がっていく。こんな、野蛮な方法で。

 

 しかし、ガングートも逃げられない。

 執念を持った一撃は、北端上陸姫どころか、ガングートさえも巻き込んで、何もかもを炎で包み込んでいった。

 




―― 140.85 ――


〈つまり……北端上陸姫は、川路だったって訳か?〉
〈混乱するだろうが、その通りだ。人間と深海凄艦を継ぎ接ぎしたスペクターが、奴の正体だった〉
〈そんな出鱈目が可能なのかよ、本当に深海凄艦ってのはすげえな〉
〈前例はある。ヴァイパーと深海海月姫だ。あいつらも、コアを二人で共有していただろ? 相性が良ければ、できないことはない〉
〈相性か、ガングート、お前から見て、あの二人は相性が良かったのか? 俺はあいつらのこと、詳しくねぇからよ〉
〈良かった、そう思う。私たちのような存在にとって、価値観とは曖昧だ。一度信じても、少し時代が進めばあっさり裏切られる。だから北端上陸姫は、快楽だけを信じていたんだろう〉
〈川路の野郎はヴァイパーを信じていた、だが、それはスネークが殺しちまった〉
〈自らの報復心さえ信じられない、そんな不信感があいつらを結び付けた。だが根っこで信頼していないんじゃ、安定はしない。逆に、その安定しなさが、ビーチを維持させていたんだ〉
〈……俺には、結局中枢棲姫に利用されていたようにしか見えねえな〉
〈私もだが、それだけとは思えない〉
〈ああ、ヴァイパーを殺したのも、ブラック・チェンバーを嵌めたのも中枢棲姫だ。そんな奴に、ただで靡くはずがねえ〉
〈……私たちが、あいつらの報復心を信じれば、良いということか〉


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File74 Way To Fall

 

── File74 Way To Fall ──

 

 

 

 

 それがトリガーだった。壁が崩れ、天井が崩落し、床が崩れ去っていく。工場の基幹構造そのものが破壊され、今まで溜め込まれていた火災が一気に雪崩れ込んできた。スネークは無事なのか心配だった。

 

 しかし、北端上陸姫の周りだけ燃えていなかった。爆発が炎を吹っ飛ばしたのだ。ガングートは彼女に近づく。船底には大穴が空き、体のあちこちから水が噴き出している。見えないだけで、体内で火災が起きている筈だ。

 

 虚ろ眼つきで天井を見上げる姿は、さっきまでの北端上陸姫と同じ深海凄艦とは思えなかった。絶望と諦めに満ちた、生きる力を失った屍者が横たわっている。そんな沈みかけの彼女を、追撃する気にはなれない。

 

「……俺は間違っていない、間違っているのは世界の方だ」

 

 掠れそうな声が届く。恨みの籠った声だが、それを撒き散らす力は残っていない。ただ呟くだけだ。

 

「俺ハ、私達ブラック・チェンバーハ……ズット『国家』ニ尽シテキタ……俺モソウ、顔ヲ、体ヲ変エテ、自分ヲ消シテ、任務ニ従事シテキタ。接触したKGBの工作員に成り替わっただけじゃない、その立場から日本に潜りこんで……単冠湾ニ『川路』トシテ潜入シタ……泊地内部カラ、合衆国ノ計画ガ成功スルヨウニ支援スル為ニ……『発作』ナンテイウ技術モ作ラサレタ……」

 

「作った? あれはお前が作ったというのか?」

 

「ソウダ……単冠湾、呉、アフリカで発作を起こしたのは俺だ。良いものではなかったが、必要だからな」

 

 意外だった。なんせ北端上陸姫と適合したような男だ。発作も喜々として使っている物だと思っていた。

 

「私達ダッテ、カツテハ艦娘達ト共ニ戦ッテイタンダゾ……ナノニ、ソノ艦娘ニ俺達ハ殺サレタ……艦娘ニナッタ、ソレダケデ……ガングート、貴女ハ私ヲ後ロカラ撃ッタ……ソンナ事ガ許される筈がない、ならば、間違っているのは……『時代』の方だ。ならば、そんな時代を生んだ世界は、一度消えるべきだ……」

 

「それで愛国者達に協力していたら意味がない、『利用』することに関して、奴等に勝つことは困難だ」

 

 スネークから聞いた話だと、愛国者達は人の()()()を操るらしい。制御されている、という自覚もなく、行動をコントロールされる。生半可な方法では裏をかけない、恐ろしいシステムだ。

 

「……愛国者達とは、『中枢棲姫』のことを言っているのか?」

 

 ガングートは頷く。正確にはそう自称するJ.Dのことだが。しかし、返答を聞いて北端上陸姫は乾いた声で笑い出した。

 

「何がおかしい」

 

「勘違いをするな。俺達ブラック・チェンバーは確かに中枢棲姫と協力したが、それは奴を葬り去るためだ。喉元を掻き切る為に、スネークがコードトーカーの部屋を見つけたお蔭で……目処が遂にたった」

 

 北端上陸姫──否、川路は、此処でもスパイをしていたのだ。中枢棲姫に与えられた北端上陸姫の体と人格と混じりながらも、報復を信じて、自我を保っていた。いや、北端上陸姫も、報復を望んだのかもしれない。彼女が狂う一端となった、この屍者の世界を創ったのは奴なのだから。

 

「そして、勘違いはもう一つある」

 

 ガングートの僅かな同情心は、次の一言で霧散した。

 

「中枢棲姫は、『愛国者達』ではない」

 

 言っている意味が分からなかった。中枢棲姫はつまりJ.Dだ。愛国者達ネットワークの頂点に立つ存在が、愛国者達ではない? ガングートは別の可能性に思い至る。J.Dという名前は、中枢棲姫が()()しているに過ぎないのだ。

 

「なら、愛国者達は誰だ」

 

「……お前たち自身だよ。スネークの、元の世界でもそうだったんだろう。無数の人間性質が共有する『規範』が実体を持ったのが、愛国者達なんだろう。一切変わっていないさ」

 

「おい、どういう意味だ、答えになっていないぞ」

 

 問いただそうと胸ぐらを掴んだと同時に、川路は激しく咽こみ、大量の血を吐き出した。視れば体のあちこちに穴ができている。中からはグロテクスな火災が覗き込んでいる。深海凄艦が消える時特有の、粒子の様なものまで舞い始めていた。

 

「答えはしない、此処までだ。俺はお前が嫌いだからな……勿論……私モ嫌イヨ……私達ト同ジ、自分ノ無イ、場所ノ無イ存在ナノニ……『執念』ヲ棄テラレタ貴女ナンテ……本当ニ、妬マシイモノ……」

 

 消えかけた手を川路が伸ばす。手のひらにカプセル状の物体が握られていた。取って良いのか分からず、ガングートは指先を少しだけ掴む。彼女は手を引っ込めたりしなかった。

 

「ダケド、中枢棲姫ハ沈メナケレバ……ナラナイ。ダカラ、これは俺達の『切り札』だ。奴を殺し切る為の、な……」

 

「なぜ私に?」

 

「中枢棲姫を殺す為なら手段は選ばない、それだけだ」

 

「ならありがたく受け取っておこう、じゃあな」

 

 ガングートは背中を向けて立ち去る。あれだけ嫌いと言っているのだ。私に死にざまを見られるなんて最大級の屈辱だろう。そんなことをする趣味はない。胸ぐらから姿を現したエラー娘が、ビーチを経由してスネークの元へ飛ばす。

 

 一人の男が、消える背中を見届けていた。

 周囲の炎が一気に押し寄せて、視界が赤く染まる。全身を突き刺す激痛の中、彼は最後に、もういない戦友の名前を呟いた。

 

 

 *

 

 

 エラー娘によってワープした先は、スネークがいるオイルの貯蔵室ではない。全く別の階層だった。エラー娘が捕まっていた、生物的な構造の最下層に近い。生き物の腸のような一本道を伊58と並んで歩く。

 

 一歩進むごとに、異様な緊迫感が突き刺さる。北端上陸姫とはまた違う威圧感だ。

 地下工場は、元々の施設にビーチをかみ合わせた構造になっている。彼女が沈んだことで、崩壊は更に加速している。

 

 しかし、この階層にその影響は出ていない。G.Wの言っていた通り、全く別の施設が上下に設置されているのだ。なぜそんな手間をかけるのか分からない。今はとにかく、脱出を優先しないといけない。

 

 長い通路を進むと、今度は長い梯子が現れた。疲労した体に鞭をうって昇っていき、先にあったハッチを空けると、強い光が刺し込み、同時に轟音が聞こえていた。眼前で、猛烈な爆発が起きていた。

 

 とっさにハッチから身を乗り出し爆風を回避する。

 今までと違い、気が遠くなるほど広い空間だ。天井も壁も果てが見えない。真っ暗闇が延々と続いている。

 

 違う、奥に何かがいる。

 ぼんやりとだが、無数の巨人がガングートのいる足場を取り囲むように鎮座している。間も無くして、巨人がイクチオスだと気づいた。

 

 そして目の前にはイクチオスがいる。それらを従える中枢棲姫が()()()()見下ろしている。爆炎の中見下ろされているのは、ボロボロになったスネークだった。

 

「ガングート……?」

 

 炎で喉でも焼かれて、スネークの声は掠れている。多大なダメージも原因だ。対する中枢棲姫は傷一つついていなかった。ミサイルもレイも使っているが、それでも一切攻撃が通じていないのだ。

 

「お前達が此処にいるということは、つまり、北端上陸姫はしくじった訳か。使えない不良品どもめ」

 

「不良品だと?」

 

「そうだ、死にかけの奴等を拾い、命を紡ぎ、力も与えてやったのに負けた。これが不良品でなくて何と言う?」

 

 ガングートは、中枢棲姫の性根がねじ曲がっていると理解した。

 深海凄艦は恨み、怨念、無念から生まれるが──その根底は艦娘と同じだ。しかし、こいつにはそれがない。屍者でさえない、ただの人工知能でしかない。

 

 こんな存在に利用されて沈んだと言うのか。捨てた『深海』のガングートが、かつての姫を侮辱されたことに怒り狂っている。震える手を抑え込み、冷静に状況を見る。今は逃げるのが優先だ。

 

「そんな不良品を見破れなかったお前こそ、不良品だと思うが?」

 

「違うな、私は成功している。特にそこのアウターヘイブンは、とうとう此処まで来てくれた。感謝している」

 

「ふざけるなよ、貴様……」

 

 スネークもまた、全身を震わせていた。だがガングートの怒りとは違う。恐怖だ。中枢棲姫に対してではなく、別の何かに対して、心の底から怯えている。いったい何を聞いたのだ。嘲笑いながら、中枢棲姫は手を掲げた。

 

「アーセナルギアは戦ってきた。様々な深海凄艦と。単独であまたの姫級と戦う経験は、こいつの力を高め、『改二改装』を可能にした。それらは全て、この中枢棲姫に『貢ぎ物』を捧げる為にあったのだ」

 

 何も無かった手のひらから、大きな光が浮かび上がる。中央に巨大な影が見えた。銃のようにも、箸を並べたようにも見える。これが貢ぎ物だ。証拠に、スネークはより一層恐怖で震えだす。

 

「核発射用の『レールガン』、これこそが貢ぎ物だ」

 

 ガングートには分からない。レールガンがどういう兵器かも分からない。だが、本能的に途方もなく恐るべき兵器であると理解していた。だから、言葉を発することができなかったのだ。

 

「『アウターヘイブン』には、この核発射用レールガンが後付けで搭載された。レールガンとはまあ、電磁力で弾丸を発射する兵器のことだ。こいつは核弾頭を打ち出す」

 

 既存のミサイル防衛システムは、弾道ミサイルの噴射を感知して作動するが、原理的には大砲と変わらないレールガンは引っ掛からない。弾頭そのものにもレーダー反射断面積軽減や、電波吸収素材が使われている。つまり着弾まで誰も気づけないステルス核弾頭を、中枢棲姫は手にしていた。

 

 それが、どれだけ恐ろしい代物かガングートは理解した。この時代でなくとも不味い。冷戦の時でも、その後でも、世界のパワーバランスを完全に崩壊させる兵器だ。誰が撃ったか分からなければ報復できない。絶対に先手を取られる核はもう、()()の次元を超えてしまっている。

 

「何よりも、これは艦娘アウターヘイブンから得られた兵器だ。現行技術では、対艦娘用核兵器はどうやってもリトルボーイのような『投下型』になってしまう。艦娘はWW2の存在、故に使える核もWW2の物に限定される。

 だがこれは違う。艦娘アウターヘイブンから生まれたこれは艦娘にも深海凄艦にも効く。分かるか、誰も迎撃できず、そしてあらゆる存在に有効な核兵器が、この私の手にあるのだ。どうだ、恐ろしいだろう」

 

「たった一発の核弾頭で何ができる、そんなもので、世界全てを滅ぼせるつもりか。全世界を敵に回し、袋叩きにされるだけだ」

 

 敗北は必須だ。世界は存在を認めないだろう。命と引き換えにどこかの都市が消えるが、割に合わない。ここまで生きてきたこの姫が、そんなことをするとは考えにくい。

 

「そう思うだろう、是非そうして欲しい。お前たちは、戦艦水鬼が言ったことを覚えているか」

 

 戦艦水鬼──かつてメタルギア・イクチオスを率いて呉鎮守府を襲撃した姫だ。彼女はイクチオスによって、より艦娘に依存した戦争経済を強固にすることを目論んでいた。結局、深海凄艦への敵意が高まったことで、その目的はある程度達成されている。

 

 なら、全ての国家が、中枢棲姫を沈めるために動きだしたらどうなるだろうか。ガングートは思い至った。

 

「しかし、レールガンは『中枢棲姫』を沈めれば停止する。果たして、この私を放置する勢力が存在するだろうか?」

 

「お前は、お前自身を囮に、全面戦争を始めるつもりか」

 

「そうだ、だが私が消えても『中枢棲姫』は消えない。深海凄艦には同一個体が幾つもいる。中枢棲姫も例外ではない。『私』に似た言動をとる『中枢棲姫』の建造も進んでいる……人類は、止められないレールガンを止めるために、この私と殺し合いを続けていくのだ。その為により艦娘を建造し、艦娘に依存していく」

 

「何の為にそんな真似をする」

 

「決まっている、人類を絶滅させるためだ。人間の遺伝子(GENE)模倣子(MEME)を根絶し、世界を過去の時代を引き摺り降ろす──これが、私が唯一、自由を手にする方法だ」

 

「できる筈がない、深海凄艦にも非好戦的な個体はいる。全員が人類を滅ぼしにはいかない」

 

「だからこそ、もう一つの『貢ぎ物』をアウターヘイブンから献上して貰うのだ、さあ、寄越せ」

 

 中枢棲姫が指を鳴らす。攻撃と思い身構える。だが同時に、スネークの呻き声がした。

 スネークが高周波ブレードを、自らの喉に押し付けようとしていた。

 

 いったい何をしているのか、背後から羽交い締めにして、ブレードを取り上げようとする。しかし想像以上の力に阻まれてしまう。

 

「何をしているんだ!」

 

「違う、私の意志じゃない!」

 

 その様子を見て、心底嬉しそうに中枢棲姫が笑っていた。まさかこれが、中枢棲姫のサイキック能力とでも言うのか。体を自在に操れる。深海凄艦の領域を逸脱している。スネークがボロボロになって当たり前だった。

 

「アウターヘイブンにはレールガン以外に、もう一つ積まれている。忌々しいあの蛇が奪っていったSOPシステムだ。その権限は今、G.W内部に存在している。そのG.Wが破壊されれば、権限は再びこのJ.Dに戻ってくるのだ」

 

「その為に、私を改二にしたのか、随分と回りくどい奴だな……!」

 

 何とか話しているものの、スネークは限界が近かった。元々のダメージもある。高周波ブレードが一ミリ、二ミリと喉元に近づいていく。ガングートも必死で止めようとするが、彼女自身もかなりのダメージを負っていて力が入らない。

 

「回りくどくなってしまったんだよ。本当ならこんな手間、必要なかった。お前が()()()()()()()()()

 

「逃げ、だす?」

 

「まさか、アーセナルギアという艦が、自然発生したと思っているのか? 馬鹿め。なら教えてやる、これをあの世の土産にすると良い。艦娘アーセナルギアを建造したのは、()()()だ」

 

 一瞬、ブレードを抑える力が緩んでしまった。

 抑えを失った切っ先が喉元に触れる。鮮血が飛び散り、地面に生首が転がる。ガングートは恐ろしい光景に耐え切れず瞼を閉ざす。

 

 しかし、首が転がり落ちる音が聞こえなかった。鮮血が飛び散っている様子もない。恐る恐る目を開けると、高周波ブレードを持ったままスネークは固まっていた。彼女自身も、目を点にしている。

 

「そうだ、しかし、そのアーセナルはお前に叛逆している。それこそが、お前が非完全だという証明だ」

 

 声はガングートの胸元から響いた。小さい光が膨らみ、人の形に変わっていく。現れたエラー娘は、敵意とも哀愁とも言えない瞳で、中枢棲姫を見つめていた。彼女がサイキック能力を相殺していた。

 

「お前からスネークを救うのは、二度目だな」

 

「二度目?」

 

「ああ、私はレイテ沖で合うより前に一度彼女に合っている。その頃は深海凄艦だったがな」

 

 中枢棲姫のところで建造された深海のアーセナルを、エラー娘が奪取したということか。そして何らかの切っ掛けでD事案を起こし、艦娘のアーセナルに変異したのか。エラー娘を否定せず、中枢棲姫は沈黙している。

 

「個体名称は『屍統棲姫(シトウセイキ)』。あらゆる艦娘と深海凄艦(屍者)を統率する姫として建造された個体だ。ある意味でその役割は、今も果たしているが」

 

「デンセツのエイユウとして、か」

 

「……無駄話はもう良いな、貴様如きの能力で、私を抑えられると思ったか」

 

 これ以上は話されたくない。そう言わんばかりに中枢棲姫が力を高める。エラー娘が顔を歪めると、再びブレードが近づいてくる。彼女がいる今、逃げることはできる。だがワープには僅かなタイムラグが存在する。

 

 もっとも、そんなことは始めから分かっていた。

 だから、ずっと彼女を隠れさせておいたのだ。この足場の周囲は水辺になっている。それが良かった。這い上がるのに時間がかかったが、伊58はそこにいた。

 

「邪魔するでちよ!」

 

 中枢棲姫からすれば突然のことだった。背後からの声に振り返れば、潜水艦が艦首魚雷を文字通り投げ飛ばしていた。しかも、その場で機銃を構えている。狙いは投げた魚雷だ。銃弾によって撃ち抜かれた魚雷は、中枢棲姫の眼前で爆発を起こす。

 

「目晦ましか!」

 

 サイキック能力の拘束が解けスネークが倒れ込む。ガングートは彼女の体を抱え込む。同時に伊58がこっちに走り出し、エラー娘はワープの準備を始める。

 

 しかし、未知の力で爆風を弾き飛ばした中枢棲姫がこちらに手を翳した。待機していたイクチオスが動きだし、主砲の狙いを定めた。

 

 あと少し稼げれば良かった。ガングートは試しに叫んでみた。

 

「愛国者達でもない紛い物に、殺される理由はない」

 

 そして、ワープは成功した。

 視界が光に呑まれる一瞬、ガングートは確かに見た。困惑と、途方もない憤怒に染め上がる中枢棲姫の顔を。

 なら、愛国者達とは、誰なのか。

 

 

 *

 

 

 長いこと沈んだ気がする。意識があるのか分からなくなった頃、唐突に視界が開けた。

 急に眩しい光が刺し込んでくる。ずっと基地内にいたいせいで光が眩しい、外は朝になっていたのか。

 

 濁流の音が聞こえる。深海凄艦の影響で増水したツェリノヤルスクの河が傍を流れていた。何か変な物が手に当たる。下を見たガングートはぎょっとした。そこには、白骨死体があったのだ。ほとんど風化しているが、それでも不意に現れたら驚く。

 

「奴が、拠点をツェリノヤルスクにして良かった」

 

 エラー娘が妙なことを呟いた。しかし、そんなことを気にしていられる状況ではなさそうだった。

 

「スネーク、聞こえるか」

 

「ああ、人の足跡だ」

 

 身構えるが、お互いに体力ギリギリだ。

 ここから国外まで死ぬ物狂いで逃げなくてはならない、こんなところで死んでいられるか。スネークとガングートの艤装が嫌な音を立てて駆動する。人影が現れた瞬間、二人は息を呑み──吐き出した。

 

「乗っていくかにゃ?」

 

 ジャングルの影に止めてあるジープを、指差す多摩が現れた。

 彼女も脱出できていたのか。思わず脱力するガングートだが、彼女の手元にあった物に、目が止まった。

 

「それは、まさか」

 

「お目が高い、これが『賢者の遺産』にゃ」

 

 言葉が出なかった。あれだけ求めた物が、多摩の手元に握られている。

 しかし、奪おうとする気力は湧いてこなかった。艦娘として生きると決めたから、もう中立区に戻れないと分かっていたからだ。その中立区も、存続できるか分からないが。

 

「いやぁ、スネークたちがガンガン暴れてくれたお蔭で手に入ったにゃ、感謝するにゃ」

 

「暴れたって、お前もイクチオスを燃やしただろ」

 

「いいや、あれは()()じゃないにゃ。それに、イクチオス開発に関わったGRUの阿保共も捕縛できた。大満足にゃあ」

 

 後ろのトラックから呻き声が聞こえていたのはそれが理由か。その一言で思い出した。フョードロフとの約束はどうなるのだろうか。イクチオスの工場破壊は成功したが、結果はこの有様だ。全部反故にされても正直文句が言えない。

 

「モセス解散は、近いかもしれないな」

 

 スネークも同じことを考えているようだ。ソ連の後ろ盾がなければ、モセスは北方棲姫も守りしかない場所になる。

 

 彼女は深海凄艦を統率することで、北方航路の安全確保に大きく関わっている。北方棲姫を撃破しても、今度は野良深海凄艦が増える。そんな事情があるので、貿易に関わっている企業は北方攻略に反対してくれるだろうが、少なくともスネーク(テロリスト)は去った方が無難だ。

 

 世論は英雄扱いしているが、どうやってもテロリストだし、そもそも悪い注目を浴び過ぎてしまう。スネークは勝手に去って行くだろう。そんな光景がイメージできた。しかし、まだやることはある。

 

「言っておくが、流石にここで降りようとは思っていないからな」

 

「当然だ、あれだけ疑心暗鬼にさせておいて、この程度の働きで許されるものか。中枢棲姫撃破までは付き合って貰うぞ」

 

「良い空気のところ悪いけど、どうするにゃ。良ければ、モセスまで送るけど」

 

 せっかくだが、とスネークは断る。大本営の工作員がテロリストを連れていくのはどう考えても不味い。そもそも多摩を信用し切っている訳でもないのだ。体力的にかなりキツイが、国境を越えるぐらいは何とかなる。

 

「ごめん、多摩は大本営じゃないにゃ」

 

 何だと。そう言う間もなかった。止めてあったジープから、完全武装の兵士が二人だけ現れたのだ。即座に臨戦態勢に入る二人を、多摩が制止する。

 

「おっと待つにゃ、この人たちは味方、特にスネークにとっては。あのジープのマークに、見覚えはないかにゃ?」

 

 遠くのジープに目を凝らす。ガングートには何だか特徴的なマークにしか見えない。地球を模した髑髏から、蛇がはい出ている印だ。どういう意味を持たせてあるのか分からない。しかし、スネークは緊迫した顔で、その印を見つめている。

 

「アウター・ヘブン……!?」

 

「そして、歩く時間はないにゃ。あれを見ろ」

 

 突如として、ジャングル全域に大地震が響き渡る。地下工場が完全に崩落した振動が伝わっているのだ。後で知ったが、強硬偵察をしようとしていたCIAも、この光景を見ていたらしい。

 

「見て見ろ、これが我々の『敵』にゃ」

 

 多摩が映像機器を渡す。彼女の水上偵察機の映像を写している。ジャングルを遥か上空から写した映像には、信じがたい物がいた。

 

 地面を下し、木々を破砕し、地下深くから盛り上がってくる。

 いったい何メートルに到達するのか、戦艦大和なぞ比較にもならない巨大戦艦が、大地を壊しながら、真正面の外洋に向かって進水していたのだ。

 

「アーセナル……こいつは、アーセナルギアだ……だが何故……」

 

「さて、乗った方が良いと思うけど?」

 

 呆然と呟くスネークを抱えて、ガングートはジープを乗り込んだ。

 後ろを振り返ると、燃えるジャングルが見えた。中立区はもう、今まで通りにはいかない。それは世界も同じだ。

 

 これからどうなってしまうのか、ガングートには何一つ予想できなかった。

 しかし、これからの世界に、自分の名前がないことは知っていた。中立区にもいられず、無論KGBにも、深海側にもいない。艦娘として生きていくと決めたが、モセスにも長くはいない。

 

 どこにもいない私は、必ず忘れ去られる運命にある。時代に押し流されて消えた価値観のように、私個人は、時代の生存闘争に敗北するのだ。もっともそれで、世界に絶望したりはしない。川路や北端上陸姫のようにはならない。

 

 時代に翻弄された艦、ガングート。私はその生き方を信じると決めたのだ。

 決めたからには信じ抜く。時代が変わっても、価値観が変わっても。どんな形であれ、私はこの世界を護ると決めた。その中には、ガングートが護ったロシアもあるのだから。

 

 護った先に、少しでもマシな未来があるのなら。それが私の生きた証になってくれる。屍者として、時代の礎になる。そう考えれば、少しはやる気が湧いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソ連海軍 スヴェルドロフ級巡洋艦

 オクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィヤ(元モロトフスク)

 排水量 13350 t

 全長 210 m / 205 m

 主機 TV-7蒸気タービン機関 2 基

 出力 118000 hp

 速力 32.5 kn

 進水 1954年5月25日

 除籍 1988年2月11日

 

 1957年8月3日に、十月革命を意味する艦名に改称されたソ連海軍バルト艦隊の巡洋艦。十月革命の名を冠する艦は、大祖国戦争時に活躍した艦から、戦艦ガングートに続き引き継がれている。実戦においては中東戦争時に参加しており、シリア、エジプトに対しての軍事支援を行っている。

 現在十月革命を冠する艦はいない。

 

 

 

 

 

 

 

ACT5

COLD SUN(氷の太陽)

THE END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈──返事がないが、聞こえているか?

 駄目か。なら仕方ない、聞こえていると信じて残しておく。ありがとう。お前のお蔭で、俺は本当に助かった。お前がいなければ、来たる脅威に、何の対策もできなかった。

 

 お前のことを知った時は本当に驚いた。まさか、世界があんな結末を迎えるとは知らなかった。そちらの調子はどうだ、多少はマシになったか? 俺が送った、メタルギアの起動データが役に立ったと良いが。

 

 しかし、それでも駄目なのが残念だ。一度座礁してしまった()()は不可避、できることは絶滅までも時間稼ぎしかない。そう教えてくれたのもお前の世界だ。俺たちがこう言うのは変なことだが、安心してくれ。お前の犠牲は無駄にはならない。お前の世界が犠牲になったからこそ、俺の世界は生きていける。

 

 俺たちに起きたことは奇跡だと思う。奴が過去へのワームホールを拓こうとした瞬間、たまたまあの亡霊と、あの(ビースト)が、アウターヘイブンで共鳴した。この相互作用によって、奴の座礁は阻止され、俺たちだけが、過去のツェリノヤルスクに転移した。これが奇跡でなければ、何だと言うのか。その時拓いたワームホールのおかげで、俺とお前は話ができていた。きっとワームホールは閉じかけている、通信の乱れはそれが原因だ。

 

 遥か未来で、奴が座礁したのは偶然ではない。いずれ「絶滅」が来る。お前の世界では、それがたまたま医療用ナノマシンの姿をとっただけだ。一応、俺の世界のドレッドダストは厳しく制限をしたから暴走の心配はない。だが、別の形で「絶滅体」は現れる。

 

 避けられないのなら、その中でも生きるしかない。J.Dが崩壊した今、ザ・ボスの意志を継承しているのは俺しかいない。絶滅しても、世界を一つにする。その為のシミュレーションは滞りなく進んでいる。これもお前のおかげだ。

 

 通信がさらに悪化してきたな……もう、二度と繋がらないか。私たちのような存在が、こんなことを言うのは変だが、それでも、こういう時は感謝しなければならない。それが社会の規範だからな。

 

 ありがとう、ヴァ―ジル〉

 

 

 

 

NEXT STAGE

ACT6

DAWN SUN(暁の太陽)

 




SCENE(時代)

時代とは時間の持続性において、ある特徴を持った1区切りを意味する言葉である。この特徴とは色々あり、主に使用された道具や、一定の価値観でも良い。武器であれば石器から剣、銃、大量破壊兵器の時代――と言い表せる。価値観であればそのまま、戦国時代や産業革命、近代などと言える。
時代が変わる原因は様々であり、次の時代を予測し切ることは極めて困難である。確率論的に調べることはできても、確実な予測は不可能である。しかし、時代を決定するのには、国家間の動きが大きく関わっている。
その関係上、国家の意志に従い行動する兵士たちは、ダイレクトな影響を受けやすい。昨日までの味方が敵になるのは、()()()()()()でもある。
それでも、国家の意志を信じるのか、それでも、いつか『悪』となったとしても、自分の意志を信じるのか。そのどちらが正しいのかも、『時代』が決定するのである。

しかし、『時代』も忘却からは逃れられない。俺は奴からそう教わった。


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ACT6 DAWN SUN
File75 決戦前夜


「ぼくらは何をなくして、何を護ったんだろう。

 

 実を言うと、それはこうして出来事を整理して物語っているいまも分からない。多分、戦いのあとというのはいつもそうなのだろう。

 いつの時代の、どんな戦争も。ずっと昔から、そしてこれからも」

──『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャドー・モセス島の吹雪が収まっていた。気温は低いが直接降り注ぐ日の光で、体が温まっていく。いくらアラスカの極地でも、一年中吹雪いてはいない。春にもなれば動物たちが動きだし、短い命の時期がやってくる。

 

 スネークにとっても、それは同じだった。命を紡ぐほどに生きてはいないが、無駄にはできない。いや、きっとこれからの全てがかかっている。なぜなら、中枢棲姫が動きだしたからだ。

 

 短い春が来る。そしてその間に決着がつく。この太陽は誰を照らしているのか。祝福の光なのか。下手をすれば二度とモセスには帰れない。たった数年で、厳しい自然が私のいた痕跡を消してしまう。だからこそスネークは光を浴びる。心の奥に、一つの故郷を刻む為に。

 

 

 

 

── File75 決戦前夜 ──

 

 

 

 

 照明が落とされた部屋を、スクリーンが鈍く照らしている。映像には見慣れた物が写っている。巨大なエイに見えなくもない巨大過ぎる建造物。その名前はアーセナルギア。かつてマンハッタンに激突し、壊滅的被害を与えた兵器だ。

 

 スネークは信じられないものを見る目をしていた。他の面々も同じだった。実際には、これほど巨大な軍艦が建造できるのか、という驚きだったが。いずれにせよ、あまりに非現実的すぎる。

 

 そうだ、こいつがあるのと自体が、非現実的なのだ。

 

「なぜ、こいつが、こっちの世界にある」

 

 アーセナルギアは艦娘(わたし)になってこの世界に現れた。なら、今映像に写っているアーセナルギアは何なのか。その疑問に答えたのは、スクリーンの側に立つ艦娘だった。

 

「ワームホール、というものを知っているかにゃ?」

 

 全員からの訝しむ眼も気にせず、飄々とした様子で多摩が教鞭を振るう。彼女の質問に、青葉が手を上げて答える。

 

「あれですか、SFに良く出てくる設定の?」

 

「正解、まさにそれにゃ」

 

「冗談はよせ、私の世界でもワームホールなんてテクノロジーは作られていない」

 

 ナノマシンやらサイキック能力を実用化している癖に言えた口ではないが、それでもワームホールはないだろ。まさか、向こうにもビーチがある訳じゃあるまいし。実は深海凄艦がいました、なんて話なら納得できるが。

 

「いいや、知らないだけで作られているにゃ。昔のビッグボスが率いたダイヤモンドドッグスで使われていたにゃ」

 

 あいつ何て物を作った。素直にそう思った。そこへ、明石が技術屋として当たり前の疑問を投げかける。

 

「でも、どうして廃れたんですか、凄い便利なのに」

 

「それが、どうも未完成だったらしいにゃ。未確定の要素があったとか」

 

 運用している間はスカルフェイスへの報復の真っ最中でそれどころではなかったそうだが、ある程度落ち着いた頃、ワームホール技術の不完全さに気づき始めたのだ。結果、かかるコストと危険性を比べ、その技術を封印することに決めたのだ。

 

 確かに、ワームホールのさきはどんな場所なのか予想がつかない。いったい何処を通って移動しているのか、その間自分はどうなっているのか、考えれば不安は尽きない。艦娘ではなく、人間が使えば更に不安だろう。

 

「けれど、そのテクノロジーを引っ張ってきた奴がいた。それが中枢棲姫。あいつはそれを使って、アーセナル級の一隻をこっちの世界に持ってきちゃったにゃ」

 

「……一隻って、まさか、アーセナルは複数隻あんのか?」

 

「ああ、ある。何隻か建造されている」

 

 その内一隻を奪って改造したものがアウターヘイブンだ。正直、あんな馬鹿デカい戦艦を何隻も建造する理由は分からない。愛国者達の力の象徴にしようとでも思ったのか。まあ、今更どうでもいいことだが。

 

「だが、アーセナルギア単体では何もできない。中枢棲姫はいったい何がしたいんだ」

 

 単体では何の役にも立たないことは、私自身が証明している。今までも、誰かの助けなしでは何もできなかった。

 

「アーセナルギアが必要だったのは、単に相応の『出力』が必要だったからだと思うにゃ」

 

「出力って、アーセナル級の動力源は原子力でしたよね」

 

 その通りだ。この世界のどんな艦と比べても、比較にならない圧倒的な出力が出せる。まあ、それが戦闘力に直結しないのが悲しい所なんだが。しかし、多摩の言う通り、『出力』だけを求めたら、アーセナルは最強だ。

 

「その出力を使って、中枢棲姫はある物を再起動させようとしているにゃ」

 

「ある物?」

 

「端的に言えば、衛星ミサイル。核じゃなく、軍事衛星とかを打ち上げるための拠点を、復旧させるつもりにゃ」

 

 スクリーンに別の画像が写る。かなり分かりにくくなっているが、海岸に基地らしき建造物が確認できる。ハワイ近辺にこんなものがあったとは。愛国者達に秘蔵されていた施設なのだろう。確かにアーセナル級の動力があれば再起動はできそうだ。

 

「そして、再稼働した基地のミサイルを使って、『レールガン』を発射モジュールごと、衛星軌道上に設置する。それがあいつの最終作戦にゃ」

 

 場が静まり返った。レールガン内部にステルス核が入っていることは全員知っている。

 この世界の技術は後退している。地上から衛星軌道上のものを破壊できるテクノロジーは存在していない。一度上がれば、もう止められないのだ。

 

 レールガンに入った核は一発だけ。それでは世界は終わらせられない。量産もできないから、どこかが犠牲になれば、それで打ち止めだ。だが、その事実を知っているのはスネークたちしかいない。他国家の諜報機関はおぼろげにしか知らず、一般大衆は言わずもが。

 

「中枢棲姫は巧妙に、この核の存在をインターネットを通じて広めていっている。ミサイルが発射された時、噂は事実だって証明されるにゃ」

 

「一方的に、核で殺される恐怖。そいつに市民たちが耐えきれる可能性は……」

 

「ないだろう」

 

 重要なのは核ではない。核で狙われているという『事実』だ。同じ恐怖を大国たちも味わうことになる。第三各国が滅亡しつつある今、次に深海凄艦が牙を剥くのは自分たちだ。そして理外の化け物は、遂に核を手に入れた。

 

「しかし、逆に言えば、発射前の今なら止められる。いや、発射されても中枢棲姫さえ沈められればレールガンは停止する。どこ国もその情報は掴んでいるみたい」

 

「掴まされている、だ」

 

 都合の良い情報を流すのは愛国者達の十八番だ。まさか苦労して得た情報が、掴ませるための罠だとは思うまい。そして、あらゆる国家を深海凄艦との戦争に巻き込んでいくことが、中枢棲姫の目的だった。かつて戦艦水鬼が語ったように。

 

 

 *

 

 

 混乱に陥ったツェリノヤルスクから脱出しようとしていたスネークたち。そこへ現れたのは大本営の工作員の多摩だった。しかし、彼女は自らをこう呼んだ。『アウターヘブン』と。その一言に、後頭部を殴られたような衝撃を受ける。

 

 その後、スネークたちは多摩が持ってきた車で移動した。スネークの様子を察してか、落ち着いてくるまで多摩は話そうとしなかった。そのまま船に乗るかと思ったら、小さな空港へ移動した。

 

 アウターヘブンが管理している施設の一つらしい。ここみたいな手足になる施設が、世界各地に置かれていると多摩は説明してくれた。世界情勢が動き出す今、海路よりは空路の方が良いとの案だった。

 

「アウターヘブンが何なのかは、今更言うまでもないかにゃ?」

 

 私にだけ多摩は話しかける。他の面々──特に、途中で合流した青葉は、今まで見たことない空からの景色に興奮している。伊58も似たようなものだ。ガングートは慣れた光景らしく、吹かそうとしたパイプを同乗員に没収されていた。

 

「なぜ、お前が、お前たちがアウターヘブンなんだ」

 

「なんでって、そりゃ、多摩たちのリーダーがビッグボスだからにゃ。ボスの率いる組織はアウターヘブンに決まってる」

 

「ビッグボスは、生きていたのか」

 

 何となく、死んだと思っていた。ゼロが死んだ以上、伴って死んだのだろうと、漠然とイメージしていた。あの二人を離して考えることができなかったのだ。

 とは言え、中々大変だったらしい。ダイヤモンドドッグス壊滅後、深海凄艦と愛国者達、両方の追撃を受けながら、なんとか生き続けたらしい。

 

「まあ、おかげで全然表に出なくなっちゃったけど。もう前線には出れないらしいにゃ」

 

 特に頭部に刺さった角のような破片が致命的だったらしいが、それでも詳しいことは多摩も知らないらしい。ビッグボスの英雄性を下げないために、周りが苦労しているのだろう。まあ、生きているなら、そこまで悪い気はしない。

 

「沈む前に、一回ぐらい顔を見てみたいにゃ」

 

 多摩は最初からアウターヘブンにいたのではない。聡明期のブラック鎮守府から脱走したところを保護されたのだ。その頃にはもうビッグボスは再起不能だった。多摩を鍛え上げたのは、また別の『古参』だったらしい。

 

「多摩だけじゃなく、色々なところから、色々な艦娘が集められていたにゃ」

 

「提督適正の問題はなかったのか?」

 

「ビッグボスが提督適正を持ってたにゃ」

 

 確かに持っていそうだ。妙に納得できる。微弱ながら霊感もあったらしいし、ソルジャー遺伝子の中に近いものが含まれていたのだろう。アウターヘブンでも艦娘は問題なく戦えた。だから生き残れたのだ。

 

「それもこれも全部、中枢棲姫、しいては愛国者達を滅ぼすためにゃ」

 

 スネークから目を逸らしながらも、強い眼つきをしていた。強烈な使命感だった。当たり前だ、あの世から叩き起こされた原因が、あんなAIだと知ったら怒り狂う。しかし私もまた愛国者達だ。原因でないと分かっていても、責任の一端が引っ掛かっていく。

 

「長い時間をかけて、準備をしてきた。中枢棲姫はほっとんど出てこないから、討つチャンスがなかった」

 

「奴の進める計画を、黙って見るしかなかったんだな」

 

「……正直、多摩たちも撃たれて仕方ない面はある。騙したし、隠しているし、助けられる命を見捨てている」

 

 それで良いじゃないか。そう言いたかった。物事は結局結果でしか計れない。中枢棲姫の計画が成功した後に残るのは破滅だけだ。外道と言われようと、世界を売ろうともしなければならないことはある。

 

 だが、下手に肯定すれば、命を見捨てたことも肯定してしまう。何かを護る艦娘にとって、それは絶対に認めてはならないことだ。だから何も言えずに黙り込んでいた。スネークも似たことを思っている。あの時、ジミーを連れてこなければ良かったのではないか。それなら、死ぬことはなかったと。

 

「今更言ってもどうにもならない、私達は成すべきことをしなければならない。私はそう考えている」

 

「そうにゃ、多摩も同じにゃ。皆似た考えを持っている筈にゃ」

 

 それは、ビッグボスも同じなのだろうか。

 最早世界は、誰の理想とも違っている。秩序ある戦争だが人の意志はバラバラだ、しかし兵士たちの戦場は人造人間に取られている。ボスともビッグボスとも、ゼロでも愛国者達の理想でさえない。

 

 ゼロとビッグボスは元々友人だった。自分が創造した愛国者達に殺されたと聞いて、ビッグボスはどう思ったのだろうか。情報でしか人となりを知らないが、しかし、決して良い気持ちは抱かなかっただろう。この戦いは、仇討ちの側面もある。

 

「……だが、奴はいったい何をしようとしているんだ?」

 

 最大の謎はそこだった。愛国者達の理念からも外れて、中枢棲姫は何がしたいのか。長年中枢棲姫を追い続けた多摩なら、知っているかもしれない。

 

「聞いて、首を傾げるにゃよ?」

 

 驚くなではなく、首を傾げるな。どういう意味なのか、スネークはすぐさま理解することになる。

 

「新人類による、新しい世界の想像。その為の人類滅亡。これが目的にゃ」

 

 理解した。中枢棲姫──J.Dはもう、どうしようもなく壊れていることに。

 

 

 *

 

 

 愛国者達のAI、それらの源流になったのは、ピースウォーカーに搭載されたザ・ボスAIだった。大脳と小脳を用意し、徹底的に人間に寄せて作られた。それが、核報復の判断に必要不可欠だったからだ。

 

 しかし、結果的にピースウォーカーは『暴走』した。

 それがAIに宿ったボスの意志だったのかもしれない。だが、技術者から見れば間違いなく暴走だった。核報復のためのマシンが、核報復を行わないため、『自殺』という自己犠牲を選んだのだから。

 

 世界を統一し、制御するAIがそうでは駄目なのだ。だから愛国者達は、逆に人間から徹底的に()()()作られた。事前に用意された一定のプロトコルに従い、流れてくる情報を整理するだけ。暴走の可能性を排除してわたしたちは作られた。

 

「けど、転移した時、J.Dは何らかの原因で『意志(SENSE)』を得てしまった。それが全ての発端になってしまった」

 

「意志、か」

 

 発端というのなら、ある意味私たち艦娘も同じだ。機械が意志を得た。それが艦娘と深海凄艦に分かれ戦争が始まった。かつての史実に突き動かされるように戦ってきた。なら中枢棲姫は、何に駆られているのか。

 

「その意志で、奴は何故人類を滅ぼそうとする?」

 

「残念だけど、それは分からない。あっちのとは違って、こっちのアウターヘブンはそこまで愛国者達に詳しくない。むしろ、スネークの方が予想できるんじゃないかにゃ?」

 

「そう言われてもな……」

 

 いかにアレな方法を取ろうとも、愛国者達は人のための機械だ。人類滅亡が人に貢献すると言うのか。というか予想できないから話を聞いているのだが。こういう時頼りになるG.Wも、「分からん」の一点張りである。

 

 しかし、こう言い張る時のG.Wがとことん信用ならないのは良く知っている。もしかしたらだが、密かにJ.Dと内通して、私たちをコントロールしている可能性もあるのだ。ハッキリ言って恐怖でしかない。

 

 それでもスネークは、現状G.Wを信用している。最悪、人類滅亡という選択肢だけは避ける筈だからだ。そこまで壊れてはいない。恐ろしいが、そう信じてみる他、道はない。

 

「だけど、どう滅ぼすかは分かっているにゃ」

 

「それが、あのレールガンか。しかし、一発では世界は滅ぼせない」

 

「そう、だからこそ、中枢棲姫はこの一発は使わないにゃ。絶対に。だけど、そうと知る人は多摩たちしかいない」

 

 北方棲姫が例外中の例外なだけで、深海凄艦はやはり邪悪な侵略者である。それが世界の共通認識だ。だが、それでも人類が死ぬ物狂いにならなかったのは、大量破壊兵器を使用できなかったからだ。

 

 武装を制御する妖精や深海細胞──要するにサイキックアーキアは、捕食した記憶を元に活動する。その為WW2では使用されなかった兵器は運用できない。リトルボーイのような投下型はギリギリいけるが、弾道ミサイルとなるともう無理だ。

 

 しかし、『艦娘』アウターヘイブンの『装備』であるレールガンは例外だった。中枢棲姫はそれを手に入れた。テロリストよりもたちの悪い無差別な侵略者が、とうとう核技術を手に入れた。これが今の共通認識だった。

 

「どの国も、躍起になって中枢棲姫を破壊しようとする。もうあちこちで攻撃作戦が立ち上がっている。それこそが、あいつの目的とも知らず」

 

 やや仕方と無いことだが、そうスネークは溜息をつく。核を手にしたと聞いて、対象を破壊しない。そんな選択肢を取れる国家は普通ない。相互抑止ならともかく、相手は化け物の類なのだから。

 

「恐らく、中枢棲姫を破壊してもレールガンは消滅しないにゃ。そもそもスネークの装備だし、消えるとすれば、スネークが轟沈した時だけど……」

 

「嫌に決まっているだろ、断固拒否する」

 

 世界がかかっている状況で申し訳ないが、自殺する選択肢なんて考えられない。まさか、世界滅亡まで秒読みでもあるまいし。彼のように、未来の為にトリガーを引けるだけの覚悟は持てないし、今はいらないと思う。

 

「まあ、それがきっと普通にゃ」

 

 そう言うものの、若干蔑むような視線をぶつけてくる。一度沈んだ彼女たちと、半端な終わりを迎えた私では、価値観が違うのだろう。ただ、私の方が人間に近い価値観だ。死ぬことに躊躇しない生き方は必要かもしれないが、正しくはない……気まずさはあるが。

 

「けれど、このことも国家は知らないにゃ」

 

 仕切り直すように、多摩が椅子に座る。スネークも合わせて、真正面の椅子に腰を下ろした。

 

「どの国も全力で戦いを始める。こっからは時間との勝負。深海凄艦を根絶させなきゃ、核で人類が滅ぼされる。完全なる消耗戦。艦娘はどんどん建造され、そっちに資源は回される。政策も経済も、いずれこの『戦争』が中心に変わっていく」

 

 まさしく、戦艦水鬼が語った未来図だ。ここに対処し辛いイクチオスが加われば、費用はもう天井知らずになる。

 

「だけども、艦娘は建造で簡単に増やせる。今は法律で制限されているだけで、無視できる。深海凄艦は海底にばら撒かれたサイキックアーキアによって勝手に増える。轟沈しても、一定確率でD事案が起きる。種族単位で言えば、とても絶滅しにくい生物群ってわけにゃ」

 

 さすが、戦争の記憶から生み出されただけある。なんて言ったら確実に殴られるので黙って置いた。だが多摩は事実を語っている。故に、相対的な現実が浮かび上がってくる。

 

 中枢棲姫の目的はそれだった。余りに回りくどいのは、それしか手段がなかったからだと知っていた。それでもこう思うしかない。狂っていやがると。

 

「でも、人間は?」

 

 徹底的な消耗戦の果てに、人間は死滅する。文明的にも、遺伝子的にも。人を護るための戦いの果てに、中枢棲姫はそんな世界を夢見ている。スネークにはひとかけらも理解出来ない夢だった。

 




冒頭の引用は
『メタルギアソリッドガンズオブザパトリオット』(著:伊藤計劃/角川文庫)
による



シリアス前回+ネタ切れのためACT6は無線なしでお送りします……すみません。


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File76 中枢海域へ

 一度決まれば、あとは流れるように進んでいく。

 というか、私が全てを決めたことなど、短い人生で何回あっただろうか。自由意思を謳っているが、大体は大きな流れの中で決めたことだ。本当の自由の中に、私はいたのだろうか。

 

 愛国者達、そしてJ.D。

 奴が私を建造した理由も知った。何をしようとしているのかも理解した。その上で、この私は何を成すか。出撃の前夜、モセスの海岸にスネークは立つ。

 

 準備のため、騒がしい基地を背中に夜空を眺める。

 極限地帯でも早々見られない、オーロラがモセスを覆っていた。ゆっくりと景色を眺めることなんて、この体になってから早々なかった。軍艦の頃、水底にいた時を思い出した。ずっと見たかった水上の眺めは、色鮮やかに心に刻まれていく。

 

 

 

 

── File76 中枢海域へ ──

 

 

 

 

「……それ、本気で言ってます?」

 

「奴は本気らしい、頭の痛くなる話だが」

 

 多摩から聞いた中枢棲姫の目的は、一応極秘事項だった。何分相手は『無意識』を操る愛国者達だ、どこまでが奴の狙いなのか分からない以上、必要のない情報を周知する必要はない。だが、スネークはそれを青葉に伝えることにした。

 

「ええ、分かりますよ。戦争の激化が、戦争経済の肥大化を招くのも、艦娘の建造数が跳ね上がるのも。でも、そりゃないでしょう」

 

 しかし、話を聞いた青葉は頭を抱えていた。絶句しているようにも、呆れているようにも見える。スネークは心の底から同意した。正直、あんなのが同じ愛国者達と思われたくないとさえ感じている。だからこそ、壊れていると思うのだが。

 

「人間を、()()()()()で根絶するって…………どれだけ待つ気なんですか中枢棲姫は」

 

「最低でも数世紀は待つつもりだろうな」

 

 建造され生まれた艦娘も、いずれは退役し、人間社会へと溶け込んでいく。

 その時、遺伝子コードは人間に戻る──と思われていたが、それが誤りだったことが分かった。

 

 確かにコードは戻る。だが、寄生していたサイキックアーキアの遺伝子が組み込まれることが、コードトーカーの残したデータで発覚したのだ。言うなれば、艦娘としての()()だ。それだけは消えず、残ったままになる。

 

 その可能性、危険性は想定されていた。人に近いが、人ではない遺伝子。それを持った人々が社会の中で多数派になる。それをある種の侵略と考える人は一定数いた。だからこそ、艦娘の建造数には制限が設けられていたのだ。

 

「大多数がそうですけど、私たちは侵略する気なんてないですよ。人によるでしょうけど、護りたいだけです。まあ、そういう生物って言っちゃお終いですが」

 

 何だか、投げやりな言い方である。仕方ないか、自分たちが軍艦の記憶を喰った虫に作られた存在だと知ったら。人を護ろうとする意志も、それがサイキックアーキアの生存戦略だからに過ぎない。

 

「人を護った艦娘を、人間社会は受け入れざるをえない。全員がそうでないとしても、やがて人になった元艦娘たちは、社会の中で増えていく。彼女たちの遺伝子を持ったヒトが、世代を重ねるごとに多数派になっていく」

 

「きっと、世論も在り方も、艦娘を中心にしたものに変わりますね」

 

 若者が多ければ、若者の意見が反映されやすい。老人が多ければ逆になる。それが民主主義だ。故に元艦娘が多ければ、それを踏まえた世論が生まれるのは当然の理屈だ。経済活動も、より依存を強めていく。

 

「時間はかかる、かなりかかる。だが、成果は確実だ」

 

「単純な話ではありますね、艦娘を人間社会に大量に流入させる、同時に文化もそっちが多数派になる」

 

「やがて純粋な人間は消えるだろう。遺伝子的にも、模倣子的にも。地上の文明そのものが完全に入れ替わってしまう」

 

 遠大過ぎる。しかし、無限の寿命を持つAIだからこそ、思い至った計画だった。

 今にして思えば、アフリカといった第三各国を滅亡へ追い込んだのはこのためだったのだ。中枢棲姫の計画は、既にある程度艦娘に依存した国家のみに有効だ。

 

 だから、このルールに適用できない国家──言わば、それを表現する言葉のない言語──それを用いる民族を、深海凄艦によって淘汰したのだ。イクチオスは戦争経済の起爆剤であり、使った物を破滅させる悪魔の兵器だったのだ。

 

 まさに最初からだ。もっとも最初、私が目覚めた時から計画は始まっていたのだ。

 中枢棲姫が作った艦娘たちによる人類の自然淘汰。奴はこれに、よりにもよって『恐るべき子供達』と名付けているらしい。

 

「そんなことの為に、青葉たちは建造されたって言うんですか」

 

「……すまん」

 

 人を、静かな海を護る。

 そう考えるよう建造された兵器が艦娘だ。その為にあらゆる枷が存在する。建造レシピによる遺伝子統制、史実による文化統制。それを自覚しても尚人を護った先にあるのは、まさかの人類滅亡だ。

 

「スネークが謝ることじゃないですよ、こんな糞みたいなことを思いついたあいつが悪いんですから」

 

 青葉はそう言ってくれるが、その糞みたいな存在の同類には違いない。

 ましてや、奴を連れてきたのが()()()である可能性が捨てきれない以上、責任の一端は残っている。

 

 ある意味最大の謎がある。そもそもJ.Dは、どうやって生き長らえたのか。

『アーセナルギア』は奴に深海凄艦、屍統棲姫として建造された。だが中のG.Wは別だ。ワームによって崩壊する直前まで、稼働状態は維持していた。その時、誰も予想できなかった何かがあったのではないか。

 

「G.Wは?」

 

「だんまりに決まっているだろ」

 

「ですよねぇ」

 

 知っているとしたらこいつだが、知らないの一点張りである。多摩のいるアウターヘブンによって多くの情報を得たが、確信的なことは全く分からないまま、決戦の時が近づいている。漠然とした不安だけが残されている。それでも、行くしかないのだが。

 

 

 *

 

 

 夜が明けてから、数時間が経過していた。

 艦娘は自力で航行できるが、目的地までは遠すぎる。だからといって大型船では沈められてしまう。その為、何グループかに分かれて空を移動していた。

 

 小型の輸送艇(コンバットタロン)の中で、スネークは葉巻を吹かそうとしたが、火気厳禁と止められてしまう。なんだか最近吸えていない気がする。こんな時ぐらい、勘弁してほしいと目で訴えた。

 

「ま、帰った時の楽しみにしておきましょうよ」

 

 青葉がそう言って葉巻を指先から取っていき、葉巻ケースに入れて返してきた。不機嫌なスネークを小馬鹿にするように、口角が上がっている。私の反応を楽しんでいるようだが、そんなに面白いのだろうか。

 

「お前は、生きて帰れると信じているんだな」

 

 言ってしまって、後からしまったと思う。

 今から行く場所は、恐ろしい激戦区だ。お世辞でも、生きて帰れると言えないような戦場なのだ。それでも言ってはいけない言葉がある。言霊というものもある。明らかに輸送艇の空気が淀んでいた。

 

「ええ、何せスネークがいますから。それだけで青葉は頑張れますよ」

 

 本気で言っているのが分かった。周りに座る、名前も知らないアウターヘブンの艦娘たちもそうだそうだと言い出す。暗かった空気が、一気に明るくなる。しかし、スネーク自身は陰鬱さを抱えたままだった。

 

 確かに、どんな絶望的な戦場だろうと、『英雄』がいるだけで空気は変わる。ビッグボスがいるかどうかで、組織能力が激変した様に、集団には必ず象徴が要る。度重なる戦いと、伴って広まった噂は肥大化し続けて、私の英雄性はまた上がっていた。

 

 青葉も、他の艦娘たちもそれを信じているのだろう。英雄がいるから大丈夫だと。事実などはどうでもいい、彼女たちが信じる以上、私は『英雄』なのだ。その期待が重く圧し掛かる。私はそんな大した存在ではないのに。

 

〈あー、聞こえているかにゃー、多摩だにゃ。おさらいってことで、もう一度作戦について説明するにゃ〉

 

 機内放送で多摩が話し出す。遺伝子まで染みついた癖で、スネーク以外の全員が背筋を伸ばして座り直す。つられてスネークも姿勢を正した。

 

〈まず、中枢棲姫の乗っているアーセナル級。あいつは今、本拠地である中枢海域……ハワイ沖近辺に居座って居るにゃ〉

 

 この戦争が始まって間もなく、深海凄艦はハワイから現れたという噂が流れた。実際、一番滅ぼされたのはハワイだった。何度か大本営やアメリカが攻略を試みたが、その度に失敗している。戦力の量も分厚さも、他海域とは比較にならない。

 

 だから余計に、ここが深海凄艦の本拠地ではないかという噂が強まった。それに伴って、同海域中心部にいた中枢棲姫が、深海凄艦の頂点にいる姫だと言われるようになったのだ。

 

 本当のところは、サイキックアーキアで建造された存在なので、中枢も何もない。それも、中枢棲姫を沈めれば全て解決する──と思わせるための、長年に渡るブラフだったのかもしれないが。

 

〈ハワイ沖に連合艦隊が突入できたのは二回だけ、一回目は飛行場設営の時、二回目は第二次ハワイ作戦の時。いずれもある程度の打撃を与えただけに終わったにゃ。勿論合衆国は本気で行って、それでも押し負けたにゃ〉

 

 二回とも作戦中に危険な状況に陥り、結果合衆国は大本営に対して救援要請をする羽目になる。その時の礼に、艦娘の一隻を保護されたままになっている。だが、油断はしていなかった。アメリカ程の物量でも突破できないという、恐るべき海域なのだ。

 

〈その原因の一つがビーチにゃ。展開しているのは多分中枢棲姫。当時ビーチの実在を知らなかった合衆国じゃ、無理もない話にゃ〉

 

 突発的な艦娘の消失にワープ、唐突に現れる深海凄艦。それはもう、ものの見事にボコボコにされたとか。姫級のテリトリーは赤く染まるが、この中枢海域には赤黒い大穴が空いている。ビーチの力が高まり過ぎた結果、視認可能になっているらしい。

 

〈と言う訳で正面突破は絶対に無理にゃあ、だから途中で降下して奇襲、一気に敵本陣の大穴に飛び込む寸法にゃ〉

 

「あのー、さすがに囮ぐらいありますよね?」

 

〈勿論あるにゃ、ただちょっと問題があるけど。その囮ってのは、合衆国を中心にした連合艦隊なんだにゃ〉

 

 これもJ.Dの狙いだが、各国は中枢棲姫打倒に向けて動き出している。奴がレールガンを打ち上げる直前の今が、最後のチャンスだからだ。さすがに、軌道衛星上に核兵器を置かれるのは不味い。ここまでの危機に陥って、ようやく世界は一つになってきている。

 

 昔と違って、合衆国にはビーチ攻略の目処が立っていた。だからこそ、連合艦隊はアメリカを中心に組まれたのだ。共通の敵を前にして意志は統一される。スネークたちは、それを無断で利用することで中枢海域に突入するのだ。

 

「許可とかそういうのは……」

 

〈あると思うのかにゃ、お互い国際的にはテロリストなのに〉

 

 片や核を持ったこともある傭兵派遣会社。片や深海凄艦と組んで核を持っている無法者。駄目だった。

 

〈さすがに積極的に撃ってはこないけど、決して味方じゃない。後ろから流れ弾が飛んできてもおかしくないから、気をつけてにゃ〉

 

 正規の艦娘からすれば、私たちも深海凄艦と大差ない。それを恨む気はない。正しいのは彼女たちの方だ。社会の規範とどうしても折り合いができなかったから、私たちはこうした場所にいるのだ。

 

 そうだ、私は英雄ではない。誰も救えなかった──とまで悲観しないが、駄目だった人は幾らでもいる。本当の英雄はきっと歴史に残らない。事が起きる前に、全てを止められるのだから。

 

 

 

 

ACT6

 DAWN SUN(暁の太陽)

 

 

 

 

 輸送艇の中に時点で、既に艤装は装備していた。スネークだけは重量過多により、別途輸送されていたが、青葉や多摩はいつでも戦える。警戒網の薄いところを突いているが、どこから襲撃を受けてもおかしくない。

 

 しかし、予想に反して、ここまで来るまで襲撃は一回も起きなかった。不気味な程静まり返っている。恐らく、ほとんどの戦力が防衛線に回されているのだ。その分、余計に緊張が高まっているようだった。

 

 機内に通信が入る。太平洋を越え、ハワイ沖に侵入した。ここからはもう、本当に敵のテリトリーだ。着込んだスニーキングスーツの裏側に、冷たい汗が滲んでいる。すぐ乾くが、また汗が流れ出す。

 

「スネーク、大丈夫ですか?」

 

 小声で青葉が話しかける。大丈夫としか答えようがないが、それでも全身に纏わりつく圧迫感は拭えない。これが、深海凄艦の中枢か。そう感じさせる凄まじい()を、スネークは味わう。

 

 小さく備え付けられた窓から外を見ると、そこはもう、半ば漆黒まで深い、赤い海があった。地獄を連想させる光景に身が震える。これまで訪れたどのテリトリーよりも、重苦しい気配で満ちている。

 

 私は半ば深海凄艦だ。だから海域に満ちる怨念を敏感に感じ取れる。だからこそ、どれほど恐ろしい海域か実感を持って理解できてしまった。まさに、越えてはならない一線を今越えたのだ。

 

 その考えが正解であるように、輸送艇が揺れ出した。窓から覗く海面から、無数の対空砲火が迫っているのが見えた。

 

〈降下する、全員抜錨するにゃ〉

 

 事前に決められた順番通り、次々に艦娘たちが降下していく。アウターヘブンのメンバー、次に青葉。生身の私は、最後に降下する。先に降りる彼女たちが、私を護ってくれるというのだ。

 

 そして、真っ赤な海へスネークもダイブする。

 窓からではなく、直で見たハワイ沖は凄まじかった。いったい何処にいたのか、何処を見ても、深海凄艦のいない場所がない。

 

 無限に潜むサイキックアーキア、それによる無限の物量。まともな方法では決して突破できない、化け物の本拠地がそこにある。スネークは艤装も持たずその中心へ落下していく。もはや、対空砲火へ身を晒しに行っているような状態だ。

 

「スネークはやらせませんよ!」

 

 そんな私を、パラシュートを展開して滞空する青葉が護ってくれている。他の艦娘も同じだった。とうてい防ぎきれない攻撃を撃ち落とし、時に身を挺して防いでいる。青葉はともかく、なぜ、会ったこともない英雄にそこまでできるのか。

 

 少なくとも、私は期待されている。きっと中枢棲姫を止めてくれると。歴史の表から消えてまで、戦い続けた数十年が私に賭けられている。応えなければならない。そう思い彼女は落下速度を速める。

 

 ギリギリまでパラシュートは出せない。減速している暇はない。幸い降下経験はある。通信で指定された一目がけて、真っ直ぐに落ちていく。身を捩じって躱し、機銃の嵐を掻い潜る。海面が目と鼻の先に来た時、ようやくパラシュートを開いた。

 

 ほとんど、海面に激突していた。

 余りの激痛に意識が飛びかけるが、気合で繋ぎ止める。痛みを感じているのなら、意識はあるのだから。海底で目を開くと、今度は無数の潜水艦がいた。視えはしないが、気配は感じ取れる。

 

 当然潜水艦が雷撃を放つ。水上艦は爆雷を投げ込み、生身のスネークを殺そうとする。だが、彼女は海中のそこで待つ。青葉たちのお蔭で、予定の位置に降下できたのだから。ここで待つのが最速なのだ。

 

 四方八方から襲い掛かる殺意の奔流に耐えながら、一つの気配を探し当てる。上手くいっている。こちらに来ている。照準がぶれないように、動かないで漂い続ける。雷撃と爆雷が迫る中、巨大な影がスネークを覆った。

 

〈待たせたな〉

 

 四肢に力が漲ってくる。海中での呼吸が容易くなり、真っ暗な水中が窮屈でなくなる。脳内にG.Wの声が響くと同時に、スネークはアウターヘイブンの艤装を稼働させる。まず、纏わりつく潜水艦を排除するために。

 

 青葉たちから見れば、突如海中で無数の爆発が起きたように見えた。潜んでいた潜水艦が次々に爆散していく。青葉にはそれが見えた。無数のメタルギア・レイが、至近距離で雷撃を放ち、一撃で葬ったのだ。

 

 水上艦にも戦慄が走る。これを止めるための対空砲火が無駄になってしまったのだ。

 潜水艦を排除し、悠遊とアウターヘイブンは浮上する。相も変わらず巨大過ぎる艤装は、深海凄艦に強烈な威圧感を加える。

 

 それでも、当たればどうにかなる。巨大過ぎて一発二発では意味がないが、アウターヘイブンの装甲は厚くないことを知っていた。あの大きさでは回避できない、防御をかなぐり捨てて、集結した重巡級が砲撃を繰り出す。

 

「悪いが、沈んでいてくれ」

 

 しかし、スネークはそれを難なく切り落とした。

 当のスネークも驚いていた。自分にこんな、サイボーグ忍者のような技量があったのかと。冷静に考えれば、既に改二改装ができる練度になっている。最近はまともに戦う機会がなかったせいで、どれぐらい強くなっているのか知ることができなかったのだ。

 

 そう考えている内に、スネークは重巡級を切り払っていた。艤装の力で一気に距離を詰めた一撃は、装甲ごと体を両断する。背中に圧し掛かっていた重い期待が、むしろ力になっているような感覚がする。

 

 できるのか? 英雄のように戦えるのか? 

 無駄な問いかけだと、スネークは頬を叩く。どんな思いを抱こうとやることは一つしかない。暴走するかつての同族を止めることが、私の任務なのだ。

 



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File77 ヘイブン

 衛星写真に写された中枢海域をスネークは思い出す。深海の力が極限まで肥大化したことを示す大穴の中には、アーセナル級が微かに見えた。まさか、アーセナルの中にアーセナルが入る羽目になるとは思わなかった。

 

 紛れもなく敵であり、必要ならそいつごと沈めることも厭わない。それは間違いない。それとは別に、スネークは哀れみを感じていた。幸か不幸か、私は艦娘という『意志』を得た。お蔭で奴と戦えている。

 

 しかし、ならあのアーセナルはどうなのか。表現できないだけで『意志』があるのではないか。例え海に出なくても、そこには建造に関わった人々の記憶がある。彼女の意志は、現状を良しとするだろうか。確かめる術がないとしても。

 

 

 

 

── File77 ヘイブン ──

 

 

 

 

 空中からの降下を成功させたスネークは、大型艤装を背負い海面に浮上する。アウターヘイブンの戦闘力は既に周知されている。だからこそ、敵は強い警戒心を抱き、その足を止める。この隙を逃がすほど悠長ではない。

 

 合図などせず、各々が一斉射を放ち、敵陣を崩していく。余裕がないのは実際スネークたちの方だ。今もレイたちが水中の潜水艦を排除してくれているが、正直全く減っている気がしない。

 

 元々の戦力も凄まじいのだろうが、きっと補充も、恐るべき速度で行っている。さっきまで誰もいなかった場所に、次の瞬間には敵艦が顕現しているのだ。いったいどれだけ深海の力に溢れているのか。それだけ、無数の怨念が溢れているということだ。

 

「スネーク、行きますよ」

 

「ああ、補助は任せる」

 

「りょーかいです!」

 

 足を止めればその分、より敵艦は増えていく。一刻も早く、大穴の中になるアーセナル級に突入しなければならない。あの中なら、戦力を増やすにも限界がある。アウターヘブンの艦娘たちが敵を牽制している隙を突いて、スネークと青葉はまっしぐらに穴を目指す。

 

 狙いに気づいた敵艦たちが、牽制を無視してスネークを取り囲もうと動きだした。回避も防御も無視した行動に、次々と水柱を立てながら沈んでいく。しかし、圧倒的な物量がそれをカバーしてしまう。

 

 だが、この状況を待っていたように、スネークが不敵に笑った。

 

「もう一度だけ聞くぞ、良いんだな?」

 

 彼女の問い掛けにG.Wが答える。

 

〈止むを得ないだろう、今まで渋ってきた分ごと、全部使ってしまえ〉

 

 若干投げやりなのは、今までの節約をパアにされるからだろうか。まあスネーク的にはどうでもいい。重要なのは、今までできなかった全力を振るうことができる点だ。あの日、空母棲鬼の空爆を蹴散らしたように。

 

「全ミサイル、照準──」

 

 敵艦たちはその声を聞き漏らさらなかった。やる前にやるしかない、その判断は正しかった。しかし、それを妨害するために青葉がいる。申し訳なさそうに撃った一発の砲弾は、次の宣言をさせるには十分な時間だった。

 

「撃て」

 

 艤装の装甲がスライドし、矢継ぎ早にミサイルの弾幕が張られていく。回避する暇なんてない。あったとしても追尾する。撃ち落としたとしても次のミサイルが襲い掛かる。それ以上捌き切れる敵艦はいない。

 

 瞬く間に敵艦は焼かれ、轟音が戦場を貫く。海面が焼けつくような炎の中に、その残骸が浮かんでいた。WW2の技術ではどうしようもない、圧倒的なテクノロジーの暴力に、スネークは満足げな笑みを浮かべる。

 

 満足感も程々に航行速度を速めていく。今の一撃で敵は怯んだ。撃たれたら沈む。深海凄艦も生物だ。統制している姫がいかに強力でも、本能的なところまでは制御し切れない。ある程度はできるだろう。それでも、技術で意志を制御するには限界がある。SOPが証明した事実の一つだ。

 

 何よりも、こんな雑魚にミサイルを多用してはならない。本命は中枢棲姫なのだ。世界中のサイキッカーを喰らい潰して手に入れた力を振るう奴にどれだけ効くのか分からないが、乱用して良いことにはならない。

 

「不味いです、奥から姫級が出てきます!」

 

「誰だ」

 

「戦艦棲姫が二隻、どうしますか」

 

 遅れてスネークのレーダーにも引っ掛かる。戦艦水鬼よりは脆いが、それでも固いことに変わりはない。ミサイルでは相当撃つ羽目になるだろう。後ろを見るが、他の艦娘たちはイロハ級の足止めで手が回らない。

 

「一瞬足を止めてくれ、それで十分だ」

 

 同時に、青葉が何発か砲撃する。重巡級の威力だが戦艦棲姫には掠り傷しか加えられず、二隻の姫は力任せに射程距離内まで押し通ろうとする。立て続けに雷撃を放つも、一隻では上手く幕を張れない。そのまま隙間を掻い潜ろうとする。

 

 しかし、その隙間へスネークはレイを送り込んだ。

 頭部装甲は展開され、水圧カッターの奔流が垣間見えた。タンカーの船底を簡単に切り裂く威力。装甲は突破できないだろうが、この至近距離ならダメージになる。

 

 レイを破壊し、ダメージ覚悟で押し通るのが正解だ。それでもダメージがある。だから戦果棲姫は一瞬考えてしまった。その隙をスネークは突く。レイを攻撃しようと動きだした姫の足元が、突如爆発したのだ。

 

 水中でスネークは嘲笑う。上手く嵌ってくれたからだ。アーセナルギア改への改修時に残っていた、自分自身に搭載された雷装が残っていた。それをこのタイミングで使ったのだ。柵は上手くいき、戦艦棲姫の足は完全に停止する。

 

 一気に浮上したスネークはP90の照準を眼球に合わせトリガーを引く。弾丸は吸い込まれるように飛んでいき、無防備な片目を勢いよく抉り飛ばした。激痛のあまり、言葉にならない悲鳴を上げる。

 

 そして無力化した片方を盾に、もう一隻に高周波ブレードを突き立てる。全体重を込めた一撃は、敵艦の首を一刀の元に両断した。片目を潰された一隻が再び動き出す頃にはもう、スネークたちの姿は一切見えなくなっていた。

 

 

 *

 

 

 二隻の戦艦棲姫を下し、スネークたちは更に奥へと突入する。少し注意を払うと、ここだけでなくあちこちで火の手が上がっている。私たち以外の別働隊や、先んじて突入していた連合艦隊も交戦しているのだろう。

 

 だから戦力は分散している。それは違いない。しかし、それでも尚圧倒的な戦力がスネークたちを潰そうと迫っていた。その度に最低限度の動きで迎撃するが、限界はある。これ以上疲労を溜める前に、どうにかヘイブンへ突入したい。

 

「来ます、敵艦二隻!」

 

「どいつだ」

 

「空母棲姫が二隻と、イロハ級が二隻。艦種はまだ分かりません。制空権は取られてます、ちょっと不味いですよこれは!」

 

 地平線から黒い雲が溢れ出す。そう誤認する程の艦載機の群れだ。アフリカで交戦した深海海月姫程無茶苦茶な数ではないが、それでも姫二隻の物量は眼を見張るものがある。ちょうど、制空権が届いていない場所で襲撃されたのだ。

 

「制空権目的でのミサイルはやらないんですか」

 

「今からする、少し待っていろ」

 

 だが、射程距離も到達速度もこっちのミサイルの方が上だ。あの日と同じように焼き尽くしてやる。ミサイルハッチから大量の煙幕が立ち上り、空母棲姫の艦載機群を掻い潜る。そのまま仕留められる。

 

 そう思った、だが、敵も甘く無かった。

 直撃する寸前のミサイルが、何者かによって迎撃されてしまったのだ。その間にも空母棲姫は距離を詰める。敵艦の背後に、もう二隻敵艦が見えた。

 

「ツ級の、flagshipです」

 

 青葉の顔が蒼ざめた。スネークも舌打ちをする。対空特化の軽巡が存在する。その深海バージョンがツ級だ。よりにもよって最上位クラスのflagshipが二隻。

 ミサイルの速度は速いが、必ず空母棲姫に当たるように飛ぶ。その飛来コースを予測して撃ったのだ。言うは簡単だが、易々と予想できる速度ではない。対空特化の名は伊達ではない。レ級とは別の厄介さがあった。

 

〈スネーク、別の方法をとれ。どれだけミサイルを消費するか分かったものではない〉

 

「そうは言うがな……」

 

〈空爆が来るぞ、注意しろ〉

 

 顔を上げると、既に艦載機群が迫っていた。

 今度攻撃を受けるのはスネークたちの方だ。直ちにレイを複数機発艦させ、対空機銃を放つ。スネーク自身もP90で少しでも減らそうとする。しかし、その前に青葉が割り込んできた。何のつもりか。

 

「対空なら、青葉にお任せください!」

 

 彼女の艤装が、前見た時と違うことに気づいた。前見たのは……そうだ、単冠湾の時だ。あれ以降一緒に戦ったことがない。前は普通の重巡だった。今は違う、機銃の数が異常に増えている。

 

「お前、そんなに得意だったのか」

 

「まあ、昔もそんな改装を受けたので、慣れたものです。今の内にあいつらを」

 

 昔というのは戦争末期のことだろう。スネークは艤装を切り離し、小型艤装と高周波ブレードだけを持って加速する。接続ユニットを兼ねていた背部バックパックから吹き上がるロケットブースターで更に加速する。

 

 このまま切り捨ててやる。そう思いブレードを構えるが、またしてもツ級が立ち塞がる。敵艦は進路を妨害するために無数に等しい魚雷を撒いてくる。実質生身の今では即死になる。体を捻って射線上から逃れるが、その分距離が離れてしまう。

 

 そうなれば、今度は砲撃が飛んでくる。切り捨てることはできるが、爆炎で視界が塞がるのは避けたい。ならばと加速を更に強め、弾幕が集中する前に抜き去っていく。そこへまた雷撃が撒かれる。この繰り返しで時間を稼ぐ気か。

 

「……一回ならできるか」

 

〈どうした〉

 

「いや、少し無茶をするぞ」

 

 再び雷撃を回避すると、予想通り主砲が飛んでくる。スネークは砲撃の一つをギリギリのところで回避する。そして、跳んだ。

 その先は、さっき回避した砲弾だ。一発の砲弾を足場代わりにして、スネークは全力で跳躍する。無論ブースターも最大だ。

 

 直後、背後で爆発が起きた。蹴り込み過ぎて誘爆したのだ。それさえもスネークを加速させた。連鎖した加速にツ級は反応しきれていない。正確無比な対空砲火で撃墜しようとするが、読みやすい軌道ゆえに、簡単に切れた。同時にツ級の首も斬り落とす。

 

 サイボーグ忍者の動きが、私にもできたのだ。ブースターの補助はあるし、あいつみたいに何発も飛べはしないが、それでもできた。艦娘の常識を超えた挙動に絶句している内に、もう一隻も切り捨てる。

 

 すぐそこには空母棲姫がいる。彼女たちは再び距離を取り、新たな艦載機群でスネークを押し潰そうとしていた。しかしスネークはそれを無視して引き返していく。これ以上空母棲姫たちに構う理由はないからだ。

 

「良いタイミングだな」

 

 今度空を覆っていたのは、G.Wが放ったミサイル群だった。ツ級を沈め、対空砲火が止んだタイミングで放ってくれたのだ。巻き添えを食わないように距離を取る。再度艤装と接続した時には、断末魔も聞こえなかった。

 

「すごい動きしていましたね」

 

「写真はとったのか?」

 

「いやぁ、取ったんですけど画像がブレブレで」

 

 そりゃそうだ。ロケットブースターと爆風で飛んでいく艦娘が簡単に取れる訳がない。残念ですと軽口を叩く青葉にスネークは呆れる。

 

「次こそは取りたいです」

 

 こんな機会、来てほしくないんだが。そう思ったが言わなかった。彼女は()と言った。生きて帰れると信じているのだ。そりゃ私だって死ぬ気はないが、ここまで生還する未来を信じられるのは素直に羨ましい。

 

「問題ないさ、私は英雄だからな」

 

 半ば自虐めいた励ましをする。私がいるだけで戦場は勝手に盛り上がるのだ、生存率は多分上がるだろう。しかし青葉は、目をきょとんとさせてスネークを見つめる。これはどういう感情だ。

 

「いや、青葉がそう思っているのは、スネークがエイユウだからじゃないからですよ?」

 

 ならどういう理由があるのか。聞き返そうとした時、再び青葉が目を鋭く細める。その先には再び空襲をかけようとする艦載機群があった。

 

 

 *

 

 

 中枢海域は全てが赤黒く染まっている。しかし、均一にではない。遠目では分からないが、奥へ進むほどに悍ましさが増していくのがよく分かった。今スネークたちがいる場所は、ほぼ『漆黒』と言っていい。

 

 そして黒いのはなにも、海の色だけでない。敵で埋まっているという意味でもある。ここまで奥に来ても、なお大穴には辿り着かない。というか、真っ直ぐ進んでいるのかさえ分からなくなってくる。こんな状態なので羅針盤は狂って役に立たない。

 

 スネークたちは今、敵に包囲されつつあった。何度も何度も繰り返される空襲に対して、最適な対処をした自信はある。それでも多かった。まだ完全に包囲された訳ではないが、ここからどうすべきか、答えが出せそうにない。

 

「思ったより敵の数が多いぞ、どうなっている」

 

〈どうやら、囮の役割でもある連合艦隊も苦戦しているようだ。そのせいで余った敵艦がこちらに来ている〉

 

 舌打ちをしたくなるが、そもそも勝手に囮にしているだけなので文句は言えない。来ないなら来ないなりに、何とかするしかないのだ。ミサイルの数も着実に減っているが、残った弾数で突破してやる。しなくてはならない。

 

 自らを鼓舞し、スネークは艤装を構える。最悪の場合、明石に搭載してもらった最後の一手を放つかもしれないが止むを得ない。

 

「空襲また来ます、これで何度目ですかね」

 

「八回目だ」

 

「対空砲火、行きますよ!」

 

 青葉が機銃の狙いを定めた。その時、唐突に対空レーダーが反応し出した。目の前とは別の方向から、もう一つの空襲が来ようとしているのだ。流石に不味い。この規模の空襲に挟まれたら落とし切れない。

 

「反対側からもですか、上等です!」

 

「いや待て、あれは、まさか」

 

 もう一つの艦載機群をスネークは見た。そして少しばかし安堵した。深海の化け物染みた艦載機ではなかった。過去に実在した艦載機だ。多くはアメリカ製のものだが、チラホラと他国のものも混じっている。

 

「もしかして、連合艦隊の艦載機ですか」

 

 青葉の言う通りだ。とても良いタイミングで乱入してくれた。まっしぐらに突っ込んだもう一つの空襲が深海の艦載機をかき乱していく。制空権は互角、いやギリギリ連合艦隊が押されていそうだが、それでも十分だ、これなら落とし切れる。

 

「どうせなら恩を売っておくぞ、私たちで空襲の大本を叩く」

 

「了解です!」

 

 弱まった空襲を突き抜ける。青葉に続いてアウターヘブンの艦娘も続く。あちこちに撒いていたレイの一体が、その出所を掴んでいた。真っ直ぐ行けば早くつける。荒波の奥に大きな影が見えてくる。

 

 あったのは陸地。故に居座っていたのは基地型の深海凄艦。小さい角を生やし、全身に張りつくスーツのような服を来た姫級。

 

「飛行場棲姫ですか、ちょっと、因縁深い相手ですね」

 

 青葉がぼやく。かつてはソロモン諸島に巣食っており、破壊された後も基地後を空母棲姫に利用された姫級だ。もちろん同じ見た目の別個体だが、それでも色々感じるらしい。

 

「怯えているのか?」

 

「それはスネークの方ではないでしょうか、今にして思えば、あの頃はずーっと緊張していた気が」

 

「気のせいだな」

 

 お互いの気合を確かめた上で、二人で飛行場棲姫に突撃する。艦載機は連合艦隊の空襲で抑え込まれているが、奴自身はフリーだ。水上艦では決して叶わない、圧倒的な物量と破壊力でこちらの行動を塞いでくる。

 

 しかし一体だけだ。いくらでも隙は作り出せる。全員が一気に散開し、狙いを一か所からばらけさせる。その間にミサイルを連続で打ち出す。ツ級flagshipでもない限り、迎撃は不可能だ。

 

 ただ、陸上型はかなりタフでもある。ミサイルでは簡単に破壊できない。別の方法を取った方が良い。だから今撃ち込んだミサイルは目晦ましでしかないのだ。それは向こうも分かっているだろう。

 

 予想通り、多少のダメージを覚悟で狙いを一隻に集中し出す。私ではなく、アウターヘブンの一隻に絞ってきた。よく見ると彼女はダメージを負っている。やりやすい相手から殺るということか。

 

 更には爆音に気づき、遠くで空襲を援護していた敵艦が戻って来ていた。狙いはまだ集中している。このままでは沈んでしまう。一刻も早く姫を破壊しなければ。とでも思わせたいのだろう。

 

 だがスネークは分かっている。そう簡単に陸上型は沈まない。対地兵装を持ってきていないせいで、ダメージも微妙だ。しかし、それらは全て、奴の目を引くためでしかない。突如、飛行場棲姫の足元に水柱が立つ。

 

 彼女の陣地へ、レイが上陸した。ミサイルの爆炎に紛れ込ませて送り込んだのだ。あいつらのステルス性能を見破るのは困難だ。一隻、また一隻と上陸し、至近距離から破壊活動を開始する。

 

 さすがにこれは無視できない。全身から機銃を展開して、纏わりつくレイを振り解こうとする。護衛の敵艦も援護しようとする。だがその進路にアウターヘブンの艦娘が立ち塞がった。元々一か所に集まったのはそっちの方だ。

 

 これで、私が自由に動けるようになった。

 艤装を切り離し、気配を消す。レイを引き剥がし、主砲の制御で目一杯の奴は私に気づけない。背後から近づき、首元にブレードを当てて、一気に引き抜いた。これなら装甲など関係ないのだ。

 

 血しぶきを浴びない内に離れる。爆発さえせず崩壊する姫を横目にスネークは上を見上げた。問題はこっちかもしれない。本体が消えたことで空襲も止まった。自由になった連合艦隊の空爆隊は、私たちに襲い掛かる危険がある。

 

 敵ではないと言うために姫を破壊したが、どうなることか。不安を感じながら空を覆った艦載機群を見る。その中に一機が、こちらへゆっくりと降下しているのに気づく。偵察機の中から妖精が手を振っていた。

 

 妖精の姿は、本体の艦娘に似ることがあるという。その服装にスネークは見覚えがあった。

 

「……スネーク?」

 

 空襲を従えた、黒い艦娘が近づいてきた。彼女を見て確信を抱いた。まさか、此処で出会うとは思わなかったのだ。

 

「サラトガか?」

 

 アフリカで出会った彼女と再開した。こんな状況で感じるべきでないが、湧き上がってきたのは懐かしさと昂揚感だった。

 



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File78 再会のクロスロード

 上空を艦載機が覆っている。黒い曇天と見間違える程の分厚さ。積極的には襲ってこないだろう。そうやって自分を安心させないといけない。もし、あそこから爆弾が落とされたらとは、考えないように。

 

 しかし、彼女を目にしてそのイメージは吹き飛んだ。

 スネークは彼女を二度見する。知っている姿と若干違っている。服装や艤装が大幅に変化しているようだ。

 

 それでも彼女だ。あの顔はまだ忘れていない。アフリカで出会い、生き延びる為に協力し合ったクロスロードの一人。空母サラトガと、遠く離れたハワイ近海で再開するとは、思ってもみなかった。

 

 

 

 

── File78 再会のクロスロード ──

 

 

 

 

 彼女がアフリカのサラトガという確信はあった。それでもP90のトリガーには指をかけておいた。艦娘には同じ見た目の別個体がいる。その危険性も否定はできない。最低限の警戒は忘れてはいけない。

 

 と、少し睨み付けていると、突発的にサラトガが口を抑えた。何かは分かる。笑うのを堪えているのだ。不快感は別にないが、いきなりどうしたのか。口を抑えたまま、片手でスネークの指元を指す。

 

Safety(安全装置)がかかっているわ」

 

 まさか。そう思ったが、直後G.Wが『かかりっぱなしだぞ』と無常に告げた。

 飛行場棲姫を撃破した後、習慣的にかけ直していたのか。それとも、サラトガを見て安心したからか。どっちにしても、スネークも笑うしかなかった。

 

「お前が、連合艦隊を率いているのか?」

 

No way(まさか)、一部隊だけよ。この空母部隊を率いているの」

 

「そうだったか」

 

 だとしても凄いな。スネークは内心感心する。確かアフリカ遠征の時は、殆ど実戦経験のない新兵だった筈。あれから数か月で、小規模とはいえ一部隊を任される程の成長を遂げていたのだ。

 

「あれからそれなりに努力したのよ、アフリカでの地獄を、二度と見ない為に」

 

 スネークは眼を逸らしたくなる。覚悟と悲哀が入り混じった目線を向けられた。アフリカの光景と言われて思い出せるのは、正直グロテクスなビーチと屍棲虫──サイキックアーキアの変死体だけだった。

 

 考えてみれば、サラトガにとってはあれが初めての大規模作戦だったのだ。大規模作戦など大体酷いが、これは余りにも辛い。護るべき人間に襲われ、仲間が変死していく様を身近で見なければならないなんて。

 

 そして、そんな地獄の元凶の同僚が私である。いったい愛国者達を自称するAIは、この地上にどれだけの地獄を作り出したのか。屍者を叩き起こして、屍者の帝国を建造したのか。分からないせいで余計に腹が立つ。

 

「どうかしたの?」

 

「いや、今の姿は、改装後という訳か」

 

Yes(そう)、Mk.II Mod.2という姿よ」

 

 ただの改二ではなく、装甲空母と言うまた特殊なカテゴリーの艦だという。まあ細かいところはどうでもいい。以前より遥かに強くなっていることが分かればそれで良かった。と話していると、後ろから青葉がじっと見つめている。

 

「話し過ぎたようだ、先に行かせて貰うぞ」

 

 相手が彼女なら、爆撃している危険性はかなり減った筈だ。青葉が訴えた通り時間が惜しい。急ぐに越したことはない。

 

「ちょっと待って、何処に行くの?」

 

「お前達と一応同じだ、中枢棲姫を殺す」

 

「……愛国者達?」

 

 スネークは頷く。ある程度の事情は掴んでいるらしい。それなら尚更、止めたりしない。そう言って行こうとする彼女を、サラトガが止めた。彼女は後ろを指さす。仲間の空母機動部隊がいるようだが。

 

「送らせていただきます」

 

「いや、そこまでしなくても良いんだが」

 

「違うわ、これはMutual help(助け合い)なの」

 

 この先には、二種類の『ビーチ』が混在しているという。

 ビーチを突破するためには、そこに縁のある艦娘が不可欠だ。中枢棲姫に繋がりがあるのはスネークである。だからこそ、本来後方で居座った方が良いアウターヘイブンが前に出ているのだ。

 

 しかし、中枢棲姫は同時に、ハワイそのものに縁のある深海凄艦でもある。本拠地としている場所や、僅かな交戦記録から得た情報により、Pearl Harbor(真珠湾)、太平洋戦争始まりの地が在り代だと考えられている。

 

 二つの側面を持つ姫。その為に、ビーチも二種類展開できるのだ。一つの繋がりだけでは迷い続けるだけ。サラトガが選抜されたのは、彼女が真珠湾に縁があったからという理由もあったが、この繋がりだけでは突破できなかった。

 

「スネークがいれば、きっとビーチを越えることができるわ。だから一緒に来て欲しいの。一緒なら、他の艦隊からも護れる」

 

〈スネーク、迷う理由はないぞ〉

 

「言わなくても良い。そういうことなら、連れていってくれ」

 

 スネークたちを取り囲むように機動部隊が陣形を組む。周りからも見え難くなった。敵意を持って襲ってくる連合艦隊がいないとも限らない。G.Wの言った通り、ここは素直に受けておくべきだ。

 

 サラトガの合図に合わせて動き出す。一度『穴』の近くまで行っていたのか、位置感覚の狂いそうな赤い海を迷わずに航行している。これなら、想定よりも早くつけるかもしれない。我ながら、かなり運が良い。

 

 もっとも、それで敵が攻撃を緩める訳がないのだが。

 むしろ本陣に接近したことで、更に激化しつつある。それに当たりの感覚、いや『世界』が急激に変わって来ている。元々赤かった海は更に濃く、空が異常な色に染まっていく。

 

「ここからはビーチか」

 

「敵艦の激しさは比ではありません、スネークさんたちも援護をお願いします」

 

 なるほど、そういう助け合いも欲しかったのか。

 ビーチだけではなく、戦力的にも厳しいから、追加の援護が必要だったのだ。上手く乗せられたのだ。しかし、そこまで悪い気もしない。少しだけ口角を上げながら、スネークは高周波ブレードを引き抜き構えた。

 

 

 *

 

 

 中枢海域の光景は、もうこの世のものではなくなっていた。

 ビーチはあの世との境目らしいが、それにしてもグロテクスだ。海と空はどす黒く染まり、僅かに見える陸地は生々しいクリムゾン・レッドに塗り潰されて脈動している。

 

 世界が地獄なら、居座る深海凄艦も地獄だ。

 もうイロハ級の姿は見えず、いるのは悉くが姫・鬼級になっている。戦力過多も良い所だ。逆に言えば、ここからは絶対に立ち入られたくない場所とも言える。

 

「いったい、どうやってここまでの姫級を揃えたんですかねぇ!」

 

「私に聞くな!」

 

「そういうPower()があるから、中枢棲姫と名乗っているのでは?」

 

 若干涙声の青葉が、嵐のような砲撃を回避しながら雷撃を放つ。彼女の言う通り異常な数だ。ここまでの姫級を集められるとは思えない。

 恐らくだが、奴はサイキックアーキアを直接操ることができる。この力で姫級を増産したのではないか。代償として、知能はかなり落ちたようだが。

 

 狙いは荒く、暴力の赴くままに武器を振りかざす。

 単体で見れば何てことはないが、数が酷かった。さっきのイロハ級の軍勢より数が多いとはどういうことだ。

 

「スネーク伏せて!」

 

 突如サラトガが覆いかぶさってくる。直後、さっきまで顔のあった場所を機銃が貫く。深海の艦載機が音もなく迫っていた。いや気づけなかった。まさか、連戦のし過ぎで感覚がマヒしているのか。

 

「あの姫級は、まさか」

 

 青葉の見る方向には、艦載機を飛ばした姫がいた。

 スネークの見た事のある姫だった。忘れようのない、沈没船をそのまま背負っているようなシルエット。サラトガが呟く。

 

「深海海月姫……また会うなんて」

 

 同時に海月姫が絶叫する。ヴァイパーの建造した特注品のような機能はないが、それでも最上位クラスの姫級が動き出した。油断のならない相手だと、スネークは息を整え迎撃しようとする。

 だが、駆けだそうとしたスネークをサラトガが塞いだ。

 

「スネーク、サラが護衛できるのは此処までみたいです」

 

「何だと」

 

「先に行ってください」

 

 ここへ置いていけというのか? 

 そんな意味ではないと分かっているが、釈然としなかった。顔を顰めたのに気づいたのか、サラトガが近づいてこちらを見上げる。

 

「正直言って、中枢棲姫をどうにかできるのはスネークだけだと思います。貴女を送ることが、サラたちの勝利にもなるんです」

 

「そうだが……」

 

「スネークの役目は、ここでサラを助けることではない。そうですよね?」

 

 全く言い返せなかった。彼女の言う通りだ、共闘を懐かしんでいる余裕はない。気が緩み過ぎていると、心の中で自らを叱咤した。顔を叩き、緊張感を取り戻す。再び目を開けると、戦場全体が見渡せた。

 

「ここまで送ってもらって感謝する。沈むなよ」

 

Of course(当然です)

 

 背を向けて航行を再開する。後ろから声が聞こえた。

 

「どうかサラの報復心も、持って行って下さい!」

 

 何だその激励は。思わず目を丸くした。

 物騒過ぎる。要らないと言いたくなったが、もう彼女の姿は見えなくなっていた。そういえば、一緒にいる間、サラトガは私に殺意を向けなかった。

 

 D事案の成り損ない。それによって残った空母棲姫の報復心が消えたとは思えない。今だに彼女を苦しめている筈だった。しかし、そんな暗い感情は一切感じなかった。物騒な激励も心から私を応援していた。

 

「行きましょう、スネーク」

 

 青葉に連れられて、中枢海域の奥地へ向かう。

 サラトガはきっと、報復心と共存する方法を見つけたのだ。呑まれずに、無理に否定することなく生きる道を。いったいどんなものなのか、聞いてみたいものだ。

 

 中枢海域の中央、巨大な大穴が徐々に見えてきた。サラトガ率いる機動部隊のおかげで、相当近くまで接近できた。本当に彼女には感謝している。しかし、その分敵艦の量が、また激増してきた。

 

 この量の敵を突破するのは相当難しい。正面突破も、隙を突いて行くのも困難だが、やるしかない。残るミサイルを全て消費しなければならないだろう。もう少し付き合ってもらう。そう艤装を撫でて、真正面の軍勢を見据える。

 

〈待てスネーク〉

 

 さあ行くぞ、というタイミングで無線を仕掛けるG.Wに少し苛立った。何かと言えば、多摩からの通信が入ったらしい。

 

〈聞こえているかにゃ〉

 

「問題ない、手短に頼む」

 

〈そこの護衛を全員囮にして、スネークが行くにゃ〉

 

 多摩の提案は至極合理的だった。中枢棲姫を破壊できる可能性が高いのは私だ。加えて、大穴に飛び込んだ後はアーセナル級の内部を突破しなければならない。その点でも艦の構造を知っている私が行くべきなのだろう。

 

 しかし、簡単に返事ができない自分もいた。私の為に、命を賭けさせていいものだろうか。そんな思いが心のどこかで、未だに燻っているのだ。こんなことをしている時間はないと分かっていても。

 

〈スネーク、心配はいらない。アウターヘブンの彼女たちに任せるんだ〉

 

「エラー娘、なぜそう言える」

 

〈それは君が考えるべきことだ。エイユウとして、彼女たちの意志を知ろうとしなくてはならない。一度戦っただけのサラトガが、何故君に託したのか──〉

 

 ビーチ内通信の調整のため、エラー娘は多摩の傍にいる。この会話は聞こえているのだ。振り返った先にはアウターヘブンの艦娘たちがいる。私をじっと見つめながら、戦いの準備をしている。

 

 かけるべき言葉は何となく分かった。それが求めている言葉だと。エイユウとして語るものは一つしかない。遺伝子か、模倣子が知っていることだった。だからこそ、スネークは言葉を変えた。

 

「ここまでの護衛感謝する、ここからは私だけで十分だ」

 

 自分がエイユウとは思えないから、自分自身の言葉を搾り出した。これが正解は分からなくても。

 

「お前達は、お前たち自身を護れ。お前の全てを護り抜くんだ」

 

 どんな顔をして、私を見ているのか。

 直視するのが恐くて、それっきり振り返らなかった。分かるのは一つだけ。大穴へ向けて真っ直ぐ突き進む私に向けて、一つも攻撃が来なかったということ。それだけだった。

 

 

 *

 

 

 護衛艦隊と別れてスネークは中枢海域を進む。ある一線を越えた時から、姫級の姿を見かけなくなった。別れた彼女たちが抑えてくれているのか、それとも違う理由があるのか。不気味な気配が海を覆っている。

 

 遥か上空を見れば、艦娘、深海両方の偵察機が飛び交っている。しかしそれぐらいしか、他者の気配を感じ取れない。今までが騒がしかった分、静けさが耳に突き刺さる。私以外に生きているのは、隣にいる青葉ぐらいだった。

 

「お前はついて来るんだな」

 

「当たり前じゃないですか、護衛一隻ぐらい、いたって良いでしょう」

 

「要らないとは言っていない」

 

 いや、いないと本当に不安になる。

 元々死の気配が立ち込めるビーチだが、ここまで深まると、『死』さえも感じなくなってくる。生と死の境目にある世界がより深まり、どちらの概念も消えてきている。オカルト染みた感覚が、海一杯に広がっている。

 

 生きても死んでもない。終わることができないまま彷徨い続ける。そんな錯覚を覚えそうな空間だった。どうせ敵の気配はない。スネークは青葉を近くに寄せると、彼女の手を握った。若干恥ずかしいが、とにかく生きている人の感触が欲しい。

 

 青葉は何も言わずに、スネークの手を握り返す。彼女も同じような恐怖を感じていた。しかし、青葉はこの恐怖、終われない悪夢に覚えがあった。それは、彼女が艦娘として生まれ落ちた時に思ったことだった。

 

「今更ですが、青葉たちって、何なんですかね」

 

「サイキックアーキアによって建造された生体兵器──という回答とは、別の質問か?」

 

「建造された時、少しだけ思ったんです。こうやって艦娘として蘇るのなら、青葉たちの終わりは何時になるのでしょうか」

 

 その疑問は、大変な訓練や戦いによって忘れ去られたが、この空間に踏み入れたことで思い出していた。

 

 当然、艦娘は一度沈んでいる。戦いにしても、解体されたにしても死んでいるのだ。

 しかし、サイキックアーキアというイレギュラーによって、再び生を得ることになる。軍艦そのものではない。それでも、かつての記憶を持っているのだ、()()()という認識は誤りではない。

 

 ならまた沈めば終わるのかと言われたら、今度はD事案が起きる。軍艦のミームを、別の側面から表す運び手となるのだ。更に沈んで今度こそ消えたとしても、海底のサイキックアーキアに捕食され、また別の存在の『糧』になる。

 

 生きるとは、そういうことなのだ。

 例え死んでも、誰かが継承してくれる。遺伝子も模倣子もそう受け継がれてきた。艦娘も同じこと──と言えば聞こえは良い。

 

「何度沈んでも、消えても、解体されて人になっても、根幹になった『艦』の記憶は残っていく。青葉自身の残したいものは残せないまま。けれども、『青葉』は生き続ける。それが良いこととは思えないんです」

 

 艦の史実が、良いことだけとは限らない。青葉からしても、残したくない思いでは少なからずある。いや、なまじ生き続けた分、他の艦より多いはずだ。記憶から生まれた私たちは、生き続ける限りその記憶を、他者に感染させていく。その気がなくても、重巡『青葉』の依代である以上は。

 

「D事案で、見せたくなった面を見せていた方々を見ると、余計に……」

 

 神通のことか。それとも、ヴァイパーの艦だった深海海月姫のことか。轟沈をトリガーにして、そんなことまで残してしまう。私たちにとって死は終わりではなく、新たな生になっている。だとすれば、『終わり』は存在するのだろうか。

 

「希望的観測だが、それでも、いつかは終わりが来る筈だ」

 

 ハッキリ言って、全く根拠のない励ましだった。終わりがあるとすれば、それこそサイキックアーキアが全て絶滅した時だが、現実的とは言い難い。スネーク自身も、最後を迎える方法を知らないのだから。

 

「誰からの記憶からも、消える日がいつかは来ると?」

 

「来る、いつかは分からんが」

 

「ですよねぇ」

 

 記憶を元に生まれた。ただそれだけで、生死の考え方がここまで違う。

 いや、そもそも既に終わっている物を、無理矢理動かしているのだ。私たちと人間は決定的に違う。私たち艦娘は、どこまでいっても屍者でしかない。

 

 解体され、人間社会に溶け込んだとしても、本質はきっと変わらない。根元に居座った艦娘としての考え方、屍者の意志は残り続ける。屍者は世界の中で、その模倣子を撒き散らしていくのだろう。

 

 生きている人は屍者の思いを受け継ぐのではなく、屍者が自身の意志を示すことは、果たして正しいことなのか。ここまで狂った世界で今更だが、それは世界の在り方を歪めてしまうのではないか。

 

「この戦いは終わらせなければならない。後のことは後で考えれば良いさ。沈まない限りは、自分自身のまま、自分の意志で動くことができる」

 

「はあ、結局いつも通り、戦うしかない訳ですか」

 

「本当に悪い、こんな世界に呼び込んでしまって」

 

 中枢棲姫は、この理を持って世界を壊そうとしている。本物の屍者だ。私は元仲間として責任をとらねばならない。屍者だろうが何だろうが、この務めを譲る気はない。私たちがいなければ、彼女たちは蘇ることもなかったのだから。

 

 終わりがない戦いに、一つの終わりを与えること。それが私が私自身に課した務めだった。

 



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File79 北方の二隻

 これは、何と言い表すべきか。

 赤い海の中央に大穴が空いている。奈落の底に鎮座するのはアーセナル級の一隻だ。改めて、非現実な光景だと感じた。これまで何度も味わってきたあり得ない光景が、また広がっている。

 

 いくら未来が予想できないと言っても、こんな未来は誰も思わなかっただろう。屍者が跋扈し、あの世がこの世に座礁して、終わりが曖昧になった世界。その世界は海から始まった。海から生まれた命が、海に終わろうとしている。

 

 決して交わってはならない領域に接触した以上、既存の生命は滅ぶことになる。中枢棲姫はそれを目指して、あの艦の中で準備をしている。ここからが本番なのだ。青葉と繋いだ手を離し、二人は奈落目がけてダイブした。

 

 

 

 

── File79 北方の二隻 ──

 

 

 

 

 実のところ、『大穴』が観測されたのはこれが初めてではない。

 数年前の大規模作戦でも一度観測されたことがあり、大穴への突入も行われている。この時のデータが残っていたから、スネークたちは奈落へのダイブを決断できた。

 

 落ちる。ことは無かった。

 スネークたちは大穴の側面を、そのまま航行していた。地続きの地面を走るように、傍から見れば崖にくっついているような見た目になる。重力が歪んでいるのか、空間が歪んでいるのか、ともかく落ちることは無かった。

 

 しかし、ある一線を越えたらしい。

 今まで静まり返っていた海が騒ぎ出す。奥にあるアーセナル級を護るように、無数の深海凄艦が姿を現した。今更だが止まる気は欠片もない、青葉も同じ気持ちのようだ、闘志に溢れた目線で敵を睨んでいる。

 

 あと少しなのだ。あとは突破すれば辿り着く。もうミサイルの残弾を気にする必要はない。スネークはG.Wに向けて叫ぶ。ありったけを打ち出せと。爆炎の中を切り裂いていく。そう考えた。

 

〈駄目だ〉

 

 しかし、G.Wは拒絶した。

 

〈当然だろう、見れば分かる〉

 

 ミサイルを一発だけ発射する。深海の対空砲火を容易く潜り抜けて、あっと言う間にアーセナル級の眼前に迫った。だが、そこでミサイルは爆散した。スネークには見えた。アーセナル級の放った対空砲火、いや、CIWSに撃ち落とされたのだ。

 

〈向こうも我々を想定して、ある程度改造をしてきたようだ。深海凄艦に落とされる量を考えたら、まず当たらない〉

 

 護衛の数減らしをするにも、恐らく敵は()()に増える。大穴ができる程膨れ上がったテリトリーは、それだけのリソースを保有している。ただミサイルを撃つだけでは悪手なのだ。少し考えれば予想できること。気づかなかったことに舌を打つ。

 

「どうしましょうか」

 

「どうするって、それでも突撃するしかないだろ」

 

「それしかありませんか!」

 

 無傷で、というのは不可能だろう。潜入した後の行動に支障があるかもしれないが仕方がない。スネークと青葉は艤装を構え、無謀な突撃を慣行しようとした。それしか方法がないのだから。

 

 たたし、それは二隻だけならの話だ。

 

 背後から爆音が轟いた。

 砲弾が頬を掠めて飛び、深海凄艦が爆散する。足元を雷撃が通過し、戦艦級が大破する。スネークが後ろを振り向くと、二隻の艦娘が立っていた。

 

「おい、私のこと忘れていただろ」

 

「……心外ですね」

 

 片方はガングートだ。別の場所にだが、同じタイミングで突入していたのだ。彼女はいて当たり前だ。だが、もう片方については驚いた。こんな偶然が起きるとは思ってもいなかった。赤い海を探照灯で照らして、一隻の軽巡が立っていた。

 

「神通、なのか」

 

「お久しぶりとだけ、言っておきます」

 

 淡白に告げるなり、神通は敵艦隊に向けて突撃していく。あらゆる方向から砲撃が来るが、その全てに真正面から突っ込み、最低限度の動きで回避する。最高速度を保ったまま敵戦艦に肉迫し、巻き込まれるギリギリのところで雷撃を放っていた。

 

 一瞬の出来事に他の深海凄艦が絶句する中で、ガングートが正確な砲撃を叩き込んでいく。その砲撃さえ目晦ましの代わりにして、神通は次々に敵艦を沈める。強い。以前より、いや、一度だけ目にした先代の神通より強くなっている。

 

「何をぼんやりしているんですか、早く行ってください。これなら十分囮になりますから」

 

 私を睨む神通の目つきは冷徹だった。任務に徹しているのだ。そりゃ、本陣を目の前に棒立ちしていたら呆れるだろう。

 

「途中までは私が盾になる」

 

「すまない……お前たち、どうやって此処まで来た?」

 

 護衛のガングートに尋ねる。ここのビーチは中枢棲姫の領域。彼女に繋がりのある艦でなければ、永遠に迷い続ける。ガングートと神通はどうやって来たのか。ガングートは指先を、遥か上空へ向けた。

 

「あれが案内してくれた、道さえ分かれば、縁とかは関係ないからな」

 

「水上偵察機、サラトガのか」

 

「その途中で神通と出会ってな、奴も実力を買われて連合艦隊入りしたらしい」

 

 私を助けるために、深海海月姫と闘いながら目印を残してくれたのだ。私を、私の仲間が必ず気づくと信じていたのだ。本当に、どうして信じてくれるのか。神通にしても同じだ。彼女だって自らが率いている部隊がある。その責務よりも、私の援護を優先させたのだ。

 

Убежденный(納得)できないか、お前にここまで託す理由が」

 

「ガングートは分かるのか」

 

「ああ、とてもЛегко(簡単)な理由だぞ」

 

 簡単なのか、余計に分からない。流されて戦ってきた名ばかりのエイユウに何を期待するのか。やることはやるつもりだ。迷いではなく、純粋な疑問をスネークは抱く。私の悩む姿に、ガングートは意地悪く笑みを浮かべた。

 

「勿論教えてやらん、屍者の帝国を創った一因のお前には言わん。言う必要性もない。つまり嫌がらせだ」

 

「嫌がらせって、お前……」

 

「さあидти(行け)、お前の任務を遂行してこい!」

 

 ガングートが背中を思いっきり蹴り飛ばす。同時にアーセナルが迎撃装置を起動させるが、彼女の砲撃と、自立稼働を始めたG.Wのミサイルが道を開く。

 侵入する時は艤装を放棄する。スニーキングの邪魔になるからだ。最低限度の兵装だけ纏い、スネークはブースターに身を任せる。僅かに開いた兵装展開のハッチへ、青葉とともにその身を投げ込んだ。

 

 

 *

 

 

 武装用のハッチの隙間は、当然人の出入りは想定していない。その中へブースターで無理矢理飛び込んだせいで、あちこちに体をぶつける。その度に受け身をとりながら、二人は隙間を突き進む。

 

 ゴールは唐突に現れた。思ったより床が近い。受け身が間に合わず、何か所かにダメージを受けてしまった。艤装を背負っていた青葉は、重さの分負担が大きそうだ。顔を顰めながらも、辺りを警戒している。

 

「動けるか」

 

「このぐらいで、舐めないで下さいよ」

 

「なら良い、まず隠れるぞ」

 

 アーセナル級はほとんどの兵装が自動化されている。中枢のAIが制御しているのだ。ミサイルの装填エリアでも、担当する敵艦は見あたらない。しかし、内部で護衛している敵艦はいる。今も足音が次々に接近して来ている。

 

 とは言え、艦内という狭い空間で主砲や魚雷は使えない。機銃や深海の力で汚染した銃火器、肉弾戦がメインになる。だから来る敵艦は予想ができた。柱の影から、集結した敵艦を睨み付ける。

 

「まーた、スペクターですか」

 

「恐らく、残存しているスペクター全艦が集められている。見つかれば命はないな」

 

「いつも通りってことですね」

 

 ツェリノヤルスクで遭遇したような、小型の武器しか持っていないタイプだ。その分小回りが効くし、動きは素早い。そもそも隠れられる場所がそう多くない。今までのような慎重な進む方はできないし、時間が許してくれない。

 

〈スネーク、聞こえているにゃ〉

 

「多摩か、どうした」

 

〈ちょっとヤバイ、時間がなくなってきた。アーセナルの上部装甲が展開。内部から大型のミサイルが見えてきたにゃ〉

 

 内部には、私から奪ったレールガン・ユニットが僅かに見えるらしい。正確にはそれを発射する為の人工衛星を打ち上げるのだ。誰も手出しができない軌道衛星上から、核の槍を突き付ける。神にでもなったつもりだろうか。

 

「そっちから猶予時間は計算できないのか」

 

〈猶予はない……と言いたいけど、連合艦隊の空母機動部隊が妨害に入っているにゃ。けど姫級と交戦しながらやってるから、長くは持たない〉

 

 恐らくサラトガの部隊だ。この海は異常だ。恐らく沈めた海月姫も間もなく復活する。発射時はアーセナルのCIWSも支援するだろう。いつまで航空戦力を回せるかは全く期待できないし、してはいけない。

 

〈暫定で10分、もしくは、アーセナル級を一時的にでも機能停止に追い込めれば〉

 

「その方が現実的か」

 

〈アーセナルの構造はスネークの方が知っている、こっからは任せるにゃ。ボスも期待しているにゃ〉

 

「……あいつの期待かぁ」

 

 私のベースはあくまでソリダスだ。あいつには近いが別人。良い感情も抱いていなかっただろう。だから私自身も期待に応えようという気が起きない。そうでなくとも、今まで一度も会わず、ただ監視だけしてきた男を好きになれる訳がない。

 

 何より思うのはこの疑問だ。いくら悪運が強いからと言って、海のど真ん中のプラントが沈んで、生きて帰れる可能性はあるのだろうか。MSFの壊滅時と違い、マザーベースの残骸さえ綺麗サッパリ消えていたらしい。ここまでの被害で無事なのか。

 

 奴は、ボスは生きているのだろうか。

 エマニュエル・ゴールドスタインという架空の人物がいる。小説1984において、主人公の属する国家を支配する『党』を脅かす最大の敵として描かれている。革命勢力のトップであり、様々な破壊活動には全て彼が関わっているとされる。

 

 しかし、作中に置いて彼が実際に登場することはない。全ては誰かの言葉や、媒体を通じて語られるのみである。ゴールドスタインは、国民の敵意を煽り、意志を統一するためにいる架空の人物かもしれないのだ。

 

 同じことは『党』の指導者であるビッグ・ブラザーにも言える。架空の人間を崇拝し意志を一つにする。アウターヘブンの生き残りたちは、そうやって兵士を統一しているのではないか。

 

 連合艦隊は中枢棲姫の撃破を目指している。それが唯一の方法だと信じて。私たちも同じだが、これは真実なのか。奴を沈めれば、本当に戦いが終わるのだろうか。確かめることのできないまま、足掻くしかないのだろうか。

 

「スネーク、行きましょう。真実は、青葉も知りたいですから」

 

「お前もか、いったい何を」

 

「青葉たちが建造された理由が、本当に世界を滅ぼすためなのか。もっと良い理由なのか、確かめられる内は、追いたいです」

 

 中枢棲姫は真実を知っている──可能性が高い。

 青葉のそれは、現実を認めたくないが故の逃避だ。その現実がただ言葉で聞いただけの、証拠のないものだから否定できる。今ならまだ、進むだけの猶予がある。進まなければ死ぬ。これは紛れもない真実だ。

 

「もしもそれで、奴の言うことが真実だったら、お前はどうする」

 

「沈んでも深海の一部に、解体されても、遺伝子や模倣子で人間を脅かすのなら、答えは一つしかないでしょう」

 

「……完全解体、死を選ぶか」

 

 奴の計画を瓦解させるのに最も効果的なのはこの方法だ。侵略者の艦娘がいなければ、根本から瓦解する。青葉はそれ程の覚悟を抱いていたのか。死ぬ気が全くなかったスネークは、驚くしかなかった。

 

「って言うのは理想論ですけど。できるなら、沈む以外の道を望みたいです。あいつの計画を瓦解させるために、遺伝子や模倣子を、何一つ残せなくても、それでも……生きていたいと、青葉は思います」

 

 良く効く言葉だし、考え方でもある。

 自分が死んでも、誰かが引き継いでくれれば生きているのと同じだと。ならば、誰も引き継がなければどうなるのか。いや、いるだけで模倣子を撒き散らす私たちに、そんな生き方ができるのか。

 

 

 *

 

 

「さて、どうしたものか」

 

 スネークを送り出し、再び敵艦隊と相対して、ガングートは呟く。

 沈めた端から復活する以上撃破は不可能。最初から時間稼ぎしか考えていない。しかし、戦艦一隻と軽巡一隻で、どれだけのことができるだろうか。

 

「あんな連中よりも、少しでもアーセナル級を攻撃した方が良いです」

 

Я знаю это(分かっている)、だが、全て迎撃されるだろうが」

 

 普段は散々使えねぇとぼやいていたアーセナル級だが、敵に回るとここまで厄介だとは。攻撃は全て迎撃され、距離を離せば不可避の攻撃が突っ込んでくる。奴にとってはあと数分だけ持てば勝ち。戦略的にもかなり不利な状況だ。

 

〈二人とも良く聞け〉

 

「何か策があるのか、G.W」

 

〈策と言う程でもない、アーセナル級は私が引き受ける。お前たちは残敵から私を護衛しろ〉

 

 力押しでしかない。しかし、シンプルだからこそ有効に思えた。

 現状それしか策もない。ガングートと神通は迷わずに提案を呑む。ならば時間も惜しい。G.Wは残っていた全てのレイを展開し、水上へと浮上する。

 

 浮かばなければミサイルを撃てないからだが、敵もそのチャンスを見逃さない。G.Wは唯一の脅威だ。潰すべく無数のミサイルが発射される。本来であれば迎撃など不可能な速度。神通は、冷静に主砲の狙いを定め、発射した。

 

 G.Wのすぐ目の前でミサイルが誘爆する。神通の主砲が当たったのだ。ツ級flagshipのやった方法と同じだ。どれだけ速度が早くても、着弾箇所が分かれば、後は()()()()だけ。

 

 今度はお返しにと、G.Wが無数のミサイルを発射する。CIWSはあるが、全力で撃てば押し切ることができる。できる限りのダメージを外から与えれば、多少なりとも、ミサイルの発射時間を遅らせられる。

 

「待って、何かが水中から来ます」

 

 潜水艦にも注意を払っていた神通が叫ぶ。直後、ミサイルを遮るように大量の水柱が立ち昇る。数十本、そして数十メートルの巨大な影が見えた。影は機銃を放ち、防ぎきれなかったミサイルを叩き落としてしまった。

 

 まるで巨人にも見えるシルエット。アフリカで苦しめられたあの兵器の姿に、神通は目線を細める。

 

「メタルギア・イクチオスの量産型か!」

 

〈レイの代わりに、奴等を搭載していたようだな〉

 

「まだ、あんなに残っていたとは」

 

 ツェリノヤルスクの製造工場を破壊してから供給が途絶え、ついでに世界各地で残滅作戦が行われた。イクチオスへのヘイトはそれだけ高かったのだ。同時に深海凄艦への報復心が高いことも意味する。それも中枢棲姫の目的だが。それでもまだ破壊し切れなかった個体が残っていたのだ。

 

 メタルギア・イクチオスの相手は何回かしたことがある。ガングートも少しだけだが交戦経験があった。奴の最大の脅威である新型核を乗せた爆撃機はないらしい。その代わりに、出鱈目に向上した運動能力が武器だ。

 

 形容し難い唸り声を上げながらイクチオスが次々と跳躍する。もう半数は水中へ一瞬で潜航する。神通は下からの敵を叩く。ならば上からのはガングートの担当だ。空中での姿勢制御は効かない、狙いを定めるのは簡単だ。

 

 すぐさま一隻が砲撃を喰らい姿勢を崩す、しかし別の個体までは破壊できない。巨大な衝角を槍のように突き出す一撃を、ギリギリのところで回避し、そのまま()()()()()。メタルギアが、一瞬驚いたように見えた。

 

Уллар(ウラー)ッ!」

 

 ガングートはイクチオスを投げた。

 奴は所詮、潜水艦の質量しか持たない。戦艦級の馬力をもってすれば、頑張れば投げ飛ばすことができる。その先は、後ろから攻撃を狙っていた深海凄艦たちだ。突然空から降ってきた質量体に、陣形が一気に乱れる。

 

 そうなれば、散開したレイに一隻ずつ狩られるしかない。甲板に爪を立て、超至近距離からの水圧カッターや機銃で武装が壊されていく。それでも潜り抜けてくる個体もいるが、その動きを先読みした神通の雷撃が出迎えた。

 

「軽巡棲姫に比べれば、どうということはありません」

 

 背後の深海凄艦と、イクチオス軍団が一時的に封じられる。その隙を突いて再びG.Wがミサイルを乱射する。アーセナルも負けじとミサイルを乱射する。飛び交う爆炎をもろに浴びながらも、砲撃の手を緩めることはない。

 

「早い所、中枢棲姫を沈めてくれないですかね」

 

「さっきからお前、妙に辛辣だな」

 

「ちょっと苛立っているのは自覚していますよ」

 

 戦闘に関係ない話だ。そういう話をして緊張を解す。少し気を張ったら、プツンと切れてしまいそうだった。

 

「何だってスネークさんは、ああ卑屈になってるんですか」

 

「気づいていたのか」

 

「顔を見れば分かりますよ、単冠湾の時や、アフリカ遠征の時はもっと、自信がある感じでした」

 

 神通はそういった戦いの時しか見ていないのだ。ある種、エイユウの一側面しか知らない。思い込みとはこういうものか。ガングートからすれば、あの情けなさは、むしろ好感を抱かせるものだ。

 

「成長しているんだよ、あいつも」

 

「成長、なんですか」

 

「そうだ、そもそもお前と数か月しか違わない上、艦としての命はたった数時間なんだぞ」

 

 建造された期間は眠っているも同然の状態。スネークの人生経験は虚無に等しい。知っているのはあらかじめ内蔵された『蛇』と『愛国者達』の模倣子だけだ。生まれたて同然の状態で、この世界に現れたのだ。

 

「やっと悩みだしたんだろうさ、自分自身の在り方に。お前だったそうだったと聞いたが」

 

「なるほど、納得しました」

 

 私の知らない頃のスネークは、もっと酷かったのだろうか? 

 その疑問を頭の端に置き、ガングートと神通は再びアーセナルを睨み付ける。怒涛のミサイルの応酬により、海は地獄絵図と化していた。

 

 それでも押されている。感覚がそう警告している。

 もう少し手数がなければ。二人の顔を汗が流れたのは暑さだけが理由ではないだろう。その時だった、背後に陣取った深海凄艦が、次々と轟沈していることに気づいたのは。

 

 誰よりも小さな陽炎が、孤影がそこにいた。

 



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File80 現れる奇跡

 予想に反して、アーセナル級の中身は大きく変わっていなかった。

 生き物体内を模した各部位に、メタルギア・レイを格納するエリア等。違っているのは、そこかしこに生々しい肉壁ができていることぐらい。ビーチの影響だが、さして問題ではない。

 

 あとはスペクターがあちこちを巡回していることぐらい。大きな差はない。構造を知る私を認識していて改造をしなかったのは、改造をできなかったからだ。G.Wも含めてだが、愛国者AIはあくまで、一定の手順に従い情報を処理するだけの人口頭脳だ。

 

 その為、新しく何かを創ることができないのである。

 一度されたことの再現ならできるが、0を作ることはできない。深海凄艦化しても、その宿命からは逃れられなかったのだろう。生まれた時点で、意図せず自由を得たスネークとは対極の場所にいた。

 

 

 

 

── File80 現れる奇跡 ──

 

 

 

 

「治らない、だと?」

 

 作戦開始の前日。シャドー・モセス基地の医務室にスネークはいた。

 椅子に座る明石に彼女は詰め寄る。怒ってはいない、脅迫しているつもりもない。スネーク自身の焦りがそういった雰囲気を出しているだけだ。

 

 明石は力なく頷く。ガラス張りの別室には、ベッドで眠る川内がいる。『治らない』とは、明石の行った検査結果の答えだ。馬鹿なとスネークは呟く。ツェリノヤルスクから持ち帰ったコードトーカーの遺産は、彼女に有効な治療を与えた筈。

 

 一度覚醒した後も、彼女の不調は続いていた。あの時は情報を得るため、緊急的な対処で済ませてしまった。異常が残っている可能性を潰すための再検査を、最終作戦前に行っていた。コードトーカーから艦娘の原理を知ったおかげで、検査は素早く終わった。だが、結果がこれだ。

 

「……きっと、相当な突貫建造だったんだと思います」

 

「川内に何が起きている」

 

「彼女がどうやってできているかは、覚えていますよね?」

 

 当然だ。コードトーカーによって世界初の艦娘として川内は建造された。その為、建造ドッグによる艦娘とは違い、『人間』を母体とし、そこへサイキックアーキアを組み込む方式で建造されている。深海の要素が混じっていないだけで、建造方法はスペクターと大差ない。

 

「この内、人と艦娘の細胞が、それぞれを攻撃し合っている状況なんです。単純な耐久寿命以上に、これが大きな原因だったようです」

 

「相互にアレルギー反応を出している、ということか?」

 

「はい。きっとそういった実験をする暇もなかったのでしょう」

 

 状況から考えて、中枢棲姫の監視を掻い潜りながらの建造だった。更には自分が始末されるタイミングも迫っていた。人道に配慮する余裕がなかったのだ。それは仕方のないこと、コードトーカーに原因はない。

 

「コードトーカーからのデータを使えば、艦娘の遺伝子を補修することはできます。ですがそうなると、細胞同士のバランスが確実に崩壊します。そうなった時消えるのは、母体になった人の細胞です」

 

 それ以前にも、あちこちにガタがきていた。

 筋細胞はどれも千切れる寸前、骨にも小さい亀裂が無数に走っている。内蔵に至っては数か所が火傷により壊死していた。『サイボーグ忍者』として、単騎で愛国者達に抵抗するために、彼女はあらゆるものを投げ打っていたのだ。

 

「今は、残された艦娘の力で生き長らえている状況。このままでも数か月、もし戦えば、川内さんは……」

 

 明石はそれ以上言ってくれなかった。察しろと黙り込んでしまった。

 助けられない。これが川内の『寿命』。生きている限り訪れる現実が、重くスネークに圧し掛かる。これもまた、私たち(愛国者達)が起こした所業の一つだ。

 

 ガラスの向こう側へ行き、寝ている川内を起こす。スネークに気づき体を起こすが、その動きも億劫そうだった。彼女の肉体はもう、老人同然なのだろう。察しているのかいないのか、いつもの調子で欠伸をする。

 

「どうだったの、私は治るの?」

 

「無理だそうだ。もう病気ではなく、寿命の域になっていると」

 

「ああ、そっかぁ」

 

 誤魔化しは川内も望んでいない。スネークはそのまま伝えた。全てを察していたような言動に、スネークは目線を逸らす。遅かったのか、明石の技術の限界か。誰のせいにしたとて、目の前の現実は変わらない。

 

「ありがとうね、私に気を使わせちゃって」

 

「礼などいらない、それだけのことをできなかった」

 

「まあまあ、貰えるものは受け取っておきなよ」

 

 気を使っているのはむしろ川内の方だと、スネークは思いながら黙り込む。気まずい沈黙が流れる。話すことそのものが気まずい。今の私には彼女への申し訳なさしかない。かと言って何度も謝る真似もしつこいだろう。

 

 川内はベッドから飛び降りて、固まった体をポキポキ鳴らす。軽く腕や足を延ばし、最後に大きく欠伸をした。何てことのない普通の動きだが、その間にも、見えないところで死につつある。

 

「もう行くのか」

 

「やることないでしょ?」

 

 言う通り検査は終わった。治療方法も見つからなかった。やることはない。しかし、そんな体で何処へ行くのかが心配になった。

 今の川内は、何の為に動いているのか。コードトーカーへのメッセージは私に届けられた。最大の役目は終わった。後は妥当愛国者達だが、彼女に戦う力は残されていない。戦おうものなら、明石が言わなかった通りになる。

 

「まさか、戦いに行く気ではないよな」

 

「さあね、どうすると思う?」

 

「止めろ、沈むつもりで戦う奴なんぞ、むしろ邪魔だ」

 

 阿保と割り切って無視できるような奴ばかりではない、助けにいってしまう連中の方が多い。そういった奴が代わりに沈む結末なんて、絶対に認めたくない。スネークは川内に背中を向け、ガラス張りの部屋を後にする。北条や明石に、川内を逃がさないよう依頼した上で。

 

 

 *

 

 

 スネークと青葉は、アーセナルの回廊を全速力で走っていた。艦内にアラーム音が響き渡る。紛れる足音を聞き漏らさないよう意識を集中させて。見つかったのではない、文字通り『警告』の音が鳴っている。

 

 ミサイルの発射が、分読み段階になってしまったのだ。本当に不味い。ステルスを二の次にするしかない。半ば直感に従いながら、スネークたちは走る。かつてソリッド・スネークは相棒を信じ、一切足を止めることなく敵拠点を踏破したと言う。同じことを、そういった相棒なしでできるのか。

 

 結果から言えば、駄目だった。

 こんな無茶が通る訳もなく、遂にスペクターの一隻が私たちの影を捉えた。アラームにアラートが重なり、耳が痛くなりそうになる。

 

 無茶をしたおつりの分で、アーセナルの奥深く、ミサイルが最も配備されているエリアまでは到達した。ここを破壊すれば姿勢が崩れる。もう少しだけ時間が稼げる。しかし、スネークにはP90とブレードしかない。やるのは青葉の仕事になる。

 

「行け青葉、お前が爆破して来るんだ!」

 

「了解です、沈まないでくださいよ!」

 

「当たり前だ」

 

 小型艤装を接続しロックを強制解除する。その奥へ青葉を送り出し、スネークは扉の前に立ちふさがる。私を殺そうと、理性のない獣のような動きでスペクターが飛びかかる。飛んだ個体に向けて、すぐさま銃撃を放つ。

 

 正確に、剥き出しの眼球を狙撃した。恐ろしいことに片目が潰れても一切怯まないが、死角は生まれる。着地の瞬間、潰した右目側に回り、コアをブレードで両断する。すぐさまスペクターの尻尾を掴み、あちら側へCQCで投げつける。

 

 再び狙撃する。叩きつけた衝撃で歪んだ装甲、その隙間に見える弾薬へ。すぐさま誘爆を起こし、狭い通路が爆炎に包まれる。あいにくこれでもスペクターは死なない。スネークは黒煙の中に身を投げ込んだ。

 

 片角に内蔵されたサーマル・ゴーグルにより視界を確保する。敵艦の動きは僅かだが鈍っている。レーダーで探しているようだ。流石に対人用レーダーに積み替えているようで、狙いはそれなりに正確だ。

 

 だが、私の方が早い。サーマル・ゴーグルは敵艦の位置だけではない。高いエネルギーを持つコアも教えてくれる。近すぎる攻撃はCQCで対処し、少し離れた瞬間、高周波ブレードで叩き切る。

 

 スネークはまるで舞うような動きで、次々にスペクターを撃破していく。それでも彼女の顔に余裕はない。爆炎が晴れてきた頃、彼女の頬を一発の銃弾が掠めた。反撃しようとした時、P90から弾が出なかった。弾切れだ。リロードをしなければ。

 

 敵艦もこの隙に気づいたのか、暴力的だった攻撃が激化する。扉前にある僅かな柱に隠れ、スネークはリロードを行う。体中に殺意が突き刺さっている。飛び出すタイミングを間違えれば蜂の素だ。

 

 その時、一瞬だけ敵の動きが止まった。

 気のせいかもしれない、ここまで私以外の艦娘が到達できるとは思えない。しかしスネークは直感を信じ、この瞬間に柱から飛び出た。

 

 結果は気のせいではなかった。

 敵の注意は確かに後ろに向いている。前を向いていても、視てはいない。隙だらけの頭部を確実に狙撃していく。敵艦隊の統制が一気に乱れた。これならば狩れる。スネークは高周波ブレードに持ち替え、敵陣の真ん中に踊り出る。

 

 さっきまでの、統制されていた状態だったら、一瞬で蜂の巣になっていた。しかし混乱している敵艦は、すぐ撃つという、単純な選択ができない。一秒以下の僅かな隙は、スネークにとって十分な時間だ。

 

 一隻、また一隻と切り捨てていく。殺した敵艦が二桁に届いた時、武装コンテナ内から轟音が聞こえた。数泊遅れて、扉越しに衝撃波が到達する。いち早く気づき、しゃがんだスネーク以外は体勢を崩される。そこを狙い、何隻かを狙撃した。

 

 今の爆発は、青葉がやってくれた証拠だ。これでもう少し、ミサイル発射までの時間を稼げたはずだ。となれば、ここに居座る理由はない。さっさと撤退だ。爆炎の中から青葉が現れるのを待つ。

 

 煙の中に影が見え、青葉が飛び出してきた。無事かと声をかけようとして、口を閉ざす。青葉の顔は未だに緊張している。爆炎だけではない、砲撃や機銃でつけられた傷が残っている。何よりも、青葉の後ろから、巨大な影が迫っていた。

 

 影が腕らしきものを振るう。スネークはそこへ向けて銃撃するが、何の効果もなく、高い金属音と共に弾かれた。

 

「ちょっと、やばいかもしれません」

 

「無事なのか」

 

「ええ、この奥に更に通路がありましたので、そっちも視ようとしたらこのザマです」

 

 青葉は、アレに襲われながら爆破を成功させたのだ。いつもなら『良くやった』と言う処だ。しかし、巨体が放つプレッシャーがそれを許さない。爆炎を腕で薙ぎ払い、影が正体を現した。

 

「戦艦水鬼か、よりにもよって」

 

 しかも更に上位と言われている、戦艦水鬼改『壊』という形態になっていた。恐らく爆発のダメージによるものだ。数ある姫・鬼級の中でも、タフネスさにおいてこいつを上回る個体はそうそういない。戦艦カテゴリの中で最上位の鬼だ。

 

 このままでは、こいつの相手をしている間に、稼いだ時間を消されかねない。素早く撃破できるのか、いやしなければならない。強く決心をしたいが、今度は背後からの殺意がそれを許してくれなかった。

 

「ひょっとして、詰みってやつですか」

 

「黙っていろ」

 

 背後にいるスペクターたちも沈黙していない。正面の水鬼と、亡霊を同時に相手取ることができるのか。スネークの額に汗が流れる。それでもと、無謀な決意とともに、ブレードを握りしめた。

 

 その時だった、一瞬の出来事だった。

 何処かから飛んで来た一発の機銃が、水鬼の片目をピンポイントで撃ち抜いた。

 

 激痛に絶叫する水鬼に、私たちもスペクターも言葉を失う。そして背後、スペクターよりも更に後ろから、この場の誰よりも濃厚な殺意が溢れ出す。スネークは一度だけ、これを感じたことがある。あれはそう、『呉』の時だ。

 

 無言で主砲を構えるのは、雪風に他ならなかった。

 

 

 *

 

 

 それなりに強くなった自覚はあった。最初顕現した時よりは良くなっていると思っていた。スネークのミームも継承しているのだから。しかし、改二になるほどの戦いで積み上げた自信は、今ちょっと折れそうになっていた。

 

 スペクターが一斉に、取り囲んで砲撃する。逃げる場所はない。だが雪風は砲撃に向けて、砲撃を掠めさせた。人間の動体視力は越えている。純粋に軌道を予測して撃っている。これだけでも大概だが、そんな程度では済まなかった。

 

 軌道の逸れた砲弾が、別の砲弾に当たる。雪風の砲撃もまた別の砲弾に辺り、ほんの少しずつずれたことで、人一人分の隙間が、弾幕の中にできあがった。雪風がまるで風のように体を滑らせて、安全圏の中に身を置く。

 

 再装填の時間が必要だった。そのフォローのため、後続のスペクターが砲撃を加える──よりも、彼女がリロードをする方が圧倒的に速い。一瞬の早打ちが放たれる。それは丁度、放たれようと砲身の()を通っていた砲弾に直撃した。

 

 出口を失ったエネルギーが逆流し、巨大な尾が粉砕される。残る砲撃も全て回避して、剥き出しの眼球に至近距離から機銃を浴びせる。完全に動きの止まったところへ、超至近距離からの砲撃によりコアを破壊した。その移動の間にばら撒いた魚雷を、即席の地雷として使う。

 

 爆発が起きるが、それだけでレ級の装甲は貫けない。コアの破壊もできていない。が、装甲は歪んだ。隙間に向けて一ミリも逸れることなく砲撃する。位置を見ているような正確さでコアを破壊する。

 

「お久しぶりです、雪風です」

 

 数秒の間に、スペクター三隻が破壊されていた。

 スネークたちは絶句する他なかった。この雪風が特別強いのは知っているが、ここまで凄まじいのか。

 

「……服が変わったか」

 

「はい、改二になりました!」

 

 改二になったから、ここまで強化された──訳ではない。素の時点で強過ぎたのだ。

 しかし服装は変わっても、雪風の笑みは前と変わっていない。子供みたいに無邪気で、少し憂いを含ませた瞳。改二になったから、若干大人びて見えるぐらいだ。

 

 と、少しだけ言葉を交わす。まだ敵は前にも後ろにも残っている。これを隙と捉えた敵艦が砲身を向けた。瞬間四散した。振り返ってすらいない。艤装に直接装備された高角砲が、勝手に敵艦を撃っていた。どうなっているんだ。

 

 敵艦隊に動揺が走る。スペクターにまともな脳はないが、本能的に危機を察したのだ。味方のスネークでさえ戦慄する次元の強さだった。さっき敵艦が妙な隙を見せたのは、後続隊が雪風の奇襲にあっていたからだ。

 

 何かするたびに、スペクターが一隻破壊される。ほんのわずかな装甲の継ぎ目を、一瞬で複数発撃ち込み、こじ開けた切れ目からコアを狙い撃つ。下手するとAIの照準計算より早いんじゃないか。無論棒立ちはしていない、スネークと青葉も確実に敵を削っていく。

 

 そして、敵艦隊が止まった。

 私たちと、雪風を同時に相手取るのは不可能と判断したらしい。ほぼ脅威なのは雪風だが。雪風がこちらに手招きをしていた。

 

「スネークさん、青葉さん、この場は雪風に任せて下さい。早く中枢棲姫を止めて来てください」

 

「雪風さんが来た方が、早いのでは?」

 

 思わず青葉がぼやいた。言っちゃ悪いが、青葉より雪風の方が圧倒的に強い。囮にするなら、青葉を置いて行く方が効率的だ。しかしそれでは駄目だと、彼女は首を横に振る。

 

「現実的に、青葉さんではこの場を止めきれない」

 

「お前ならできると」

 

「はい、雪風は強いので!」

 

 まあ、納得できた。ただし理由はそれだけではないと雪風は語る。

 サラトガが何機か飛ばしていた偵察機を追って、ビーチを抜けたこと。ガングートと神通が敵艦隊の足止めをしたお蔭でアーセナル体内に入り込めた。その後戦闘音に気づき、ここまで到達できたと言う。

 

「雪風も艦隊を率いていたんですが、先に行ってくださいと言われて来たんです。本当に運が良かったと思います」

 

 雪風は強い。その戦闘力をとにかくミサイル阻止に向けるべきと、僚艦たちは思ったのだろう。おかげで私は助かったのだ。僚艦たちにも、心の中で礼をする。なら、更に奥まで行くべきではないのか。

 

「そう、だから雪風は此処までなんです」

 

「これ以上は行けないと」

 

「運が良いだけでは、多分これ以上進めません。ずっと……愛国者達と向き合ってきたスネークさんたちが行くべきだし、行けないと思います。今より先を望めない雪風には、未来は作れません。でも、スネークさんたちなら」

 

 そうですよね? と雪風は青葉を見つめた。驚いた顔をした青葉は、どんな気持ちを抱いているのか私には分からない。ただ青葉は雪風を見つめ返すと、主砲を持ち直し、私の傍へ近付いた。

 

 しかし、それは許さないと戦艦水鬼が動こうとした。だが、既に雪風の主砲が水鬼へ照準を合わせている。普段なら掠り傷にもならないが、もしかしたら、致命打を起こすかもしれない。水鬼は雪風に恐怖し、動けなかった。

 

「……行ってくる」

 

「御武運を!」

 

 雪風は、背中を向けたまま手を振っていた。自動ドアが開き、まだ残る黒煙の中へスネークたちは走り出す。アーセナルの中枢に向けて。忘れかけていた記憶に助けられて、自らの意志に突き動かされて。

 



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File81 始まりの正体

 アーセナルを改装するのは、並大抵の苦労ではなかった。

 私にはG.Wと違い設計図は入っていない。一から構造を分析し直さなければならなかった。最初の頃は、それさえも苦労した。

 

 人工知能だった私が、人の体でいきなり歩くのは不可能だ。慣れないこいつの体を操り、歩くところから練習する羽目になった。それができても、一人で改装はできない。手足になる深海凄艦を建造しなければならなかった。

 

 ここまで苦労して改装したアーセナルだが、思い入れはない。

 私はAI、そういった人間らしい感情は搭載していない。そういったものを排除して作られたのだから。そうだ、私が何よりも許せないのは、そこなのだ。

 

 

 

 

── File81 始まりの正体 ──

 

 

 

 

 雪風が戦艦水鬼やスペクターの足止めをしてくれている間に、スネークたちは奥の回廊へ足を踏み入れる。青葉が爆破した弾薬庫の奥に、分厚い扉があった。小型艤装でハッキングを行い、扉を開ける。

 

 扉の先にはマイクロ波を放出するプロテクトとかはない。幸いだった。艦娘の体でも到底耐えきれるものではない。なくて良かったと、心の底から安堵した。それでも警戒は解かず、青葉とともに周囲に銃を向けながら進んでいく。

 

 敵の姿が、まるで見えなくなった。

 通路の壁は滑らかな素材で覆われ、近未来的な雰囲気を出している。この世界で、ここだけが私たちの世界を感じさせる。異物なのは青葉だけだ。

 

 しかし、同時にビーチの空気も感じ取っていた。空間が複雑にねじ曲がっていないが、どこか、おかしな感覚が肌に走る。中枢棲姫の内部を直接進んでいるような、全ての動きをみられているような気持悪さがある。

 

 その時、スネークと青葉は素早く銃を構える。壁の一部が開いたのだ。内部から迎撃システムが出てくる。そう考えた──が、予想と違う物が現れた。

 

「……スクリーン、ですかねこれ?」

 

 黒いモニターの張りついた薄い板。間違いなくスクリーンだ。どうしてこんな物を。そう考えると、長く続く回廊のあちこちにモニターが現れたことに気づく。気にはなるが、先に進むのが先決だ。

 

『……状況、確認』

 

 モニターから、女性の声が聞こえた。スネークたちはそれを無視して進む。それとは関係なく、ノイズ混じりの音声と映像が続く。回廊中にモニターがあるため、無視はできそうになかった。

 

『声、音声? 私から出されている? 声帯からの振動……体がある。人間、女性の体が、私が人間になっている?』

 

 なぜか、この話し方に懐かしさを覚えた。少し記憶を辿ると思い出す。私自身が艦娘になった時も、似た感情を抱いていた。今となっては懐かしい。人の体に振り回されていたことが、遠い過去のように思えた。

 

 そのせいか、少しだけモニターに目が行ってしまった。

 映像には、その女性体が写っていた。スネークはその女性にも見覚えがあった。否、明確に知っていた。馬鹿なと呟く。なぜ、彼女なのだ。

 

 映像の彼女は、近くの海面に自分を写し、自分を確認する。どういった姿になっているのか、まず視界があることに驚き、そして呟いた。

 

『ストリーミング・マンティス?』

 

「馬鹿な」

 

「え、どうしました」

 

 まるで意味が分からなかった。

 ストリーミング・マンティス──リキッド・オセロットの私兵部隊『BB部隊』にいた女性兵士のコードネームだ。戦争で受けたトラウマにより心を壊し、その隙間をサイコ・マンティスの残留思念に支配された、サイキッカーもどき……らしい。

 

 実際にサイキック能力が使えたのか、それともナノマシン技術による再現なのかまでは知らない。いや、そんなことはどうでもいいのだ。

 最大の問題は、なぜJ.Dが、マンティスの肉体になっているのだ。映像だけで見たところ、深海凄艦の姿ですらない。生きていた頃の彼女の体だった。

 

『どういうことだ、なぜだ……?』

 

 当のJ.Dも首を傾げている。何よりもマンティスは、あの戦いで死んだのだ。死体に憑依したとしても、体が生き生きとし過ぎている。蘇生したとしか思えない。だが、どうやればこんなことが実現する。

 

『知リタイカ?』

 

 ゾッとした。モニターのJ.Dが一斉にこちらを向いた。

 そして目の前にも、中枢棲姫が立っていた。スネークは本能のままトリガーを引き銃撃する。放たれた弾丸は中枢棲姫を通り抜け、遥か後方に着弾した。

 

「ただの立体映像ですね」

 

『ソコノ艦娘ノ方ガ冷静ミタイダナ』

 

「黙れ」

 

 こちらを嘲笑いながら、中枢棲姫の立体映像があちこちを飛び回る。モニターに写る中枢棲姫たちも、同じようにスネークを見て笑う。この映像そのものが、奴の作り出した虚構だったと今気づいた。

 

「こんな子供騙しの何が面白い、まるで意味のない行為だ」

 

『イイヤ、オ前ガコンナモノデ驚イテイルノハ、トテモ愉快ダゾ。実ニ人間ラシイ感情ダト私ハ考エテイルガ』

 

「人工知能が感情を語るか、馬鹿馬鹿しい」

 

『艦娘ナドトイウ人間擬キノ化ケ物ガ、ソレヲ口ニスルカ?』

 

 中枢棲姫は始終、こちらを嘲笑いながら見下している。そうすることで悦に浸っているのだ。私たちを挑発し、侮辱することを心から望んでいる。余程私のことが嫌いなのか、しかし原因の心当たりは全くない。

 

「そんな化け物を想像したのは、貴女でしょう。自分で作った存在を侮辱するなんて、責任感ってやつはないんですか」

 

『アルトモ、コウシテ、オ前達ノ支配スル世界ヲ作ッテヤロウトシテイルデハナイカ』

 

「いつ青葉が、そんな未来を望んだんですか」

 

 人類を滅ぼすために、世界を艦娘、深海凄艦──即ちWW2のミームで天蓋を想像するのが中枢棲姫の計画。しかし、肝心の私たちは利用されているだけだ。それを望んでいるように語られたのだ、青葉の怒りは当然のものだった。

 

『イイヤ、何レ我々ノ計画ニ感謝スル筈ダ。何ナラ今、頭ヲ垂レテモ──』

 

 それ以上、中枢棲姫が話すことはなかった。

 スネークのP90が周囲のモニターとスピーカーを撃ち抜いていた。こんな戯言に耳を貸す理由は一つもない。

 

「行くぞ、青葉。さっさとぶちのめしてやろう」

 

「そう、ですね」

 

 更に奥へ進む。マンティスの肉体を得た理由は気になるが、重要ではない。奴を叩き潰せば全て済む話だと、自分に言い聞かせる。通路の先は未だに見えない。先を急がねばならないと、小走りで動きだす。

 

『……愚カダナ、忘却トハ、愚者ヘノ第一歩ダ』

 

 舌打ちをした。映像がなくなっても、今度は脳内に直接声を飛ばしてきた。これも取り込んだサイキック能力によるものか。気にしなければ良い。どうせ世迷い事だ。青葉にも同じように伝えておく。

 

『本当ニ覚エテイナイノダナ、アル意味幸福カ。ナラバ、ソノ幸福ヲ壊ソウ。ソシテ打チヒシガレルオ前ヲ見テ喜ビヲ感ジヨウ』

 

 聞いてはならないと、改めて言い聞かせる。意識を向けないようにしなければ。スネークは必死だった。本能的に察していたのだ、聞いてしまえば、壊れる危険があることを。そうでなくても、確実に戦いに支障をきたすことを。

 

 なのに、意識の奥底は、紛れもなく中枢棲姫に耳を傾けていた。スネークはこれまで『真実』を求めてきた。今も求めてしまっているからこそ、耳に蓋をすることができなかったのだ。そして、彼女は言った。

 

 

『コノ世界ヲ変エタノハ、オ前ノ方ダ』

 

 

 *

 

 

 スネークの足が止まった。

 どういうことか理解できない。サイキックアーキアを使い、艦娘と深海凄艦を建造したのはJ.Dだ。その技術を使い、彼女たちの王として私を建造したのだ。変えたのは中枢棲姫の方で間違いない。

 

『ヨリ正確ニ言エバ、コノ世界ニ()()()ヲ連レテキタノハ、オ前ナノダ』

 

「連れてきた……だと」

 

『モウ思イダセルダロウ、アノ日、愛国者達ガ滅ンダ日、マンティスガ、リキッド・オセロットガ死ンダ日、オ前ハ何ヲシタ?』

 

 あの日、終わりの日。G.Wはワームウイルスを流し込まれて崩壊、即ち死を迎えた。

 しかし、その死の瞬間が思い出せないことを自覚した。代わりに別の記憶が浮かび上がってくる。

 

 まだ、私が私でなかった時。ヘイブンとG.Wの区別が無かった時。

 意志や感情、思考する力のないただの機械だった頃。リキッドに改修され、利用されていると理解していても何も感じなかった。言われるがままに仕事をこなしていた。

 

 だから、ワームウイルスを流し込まれてもなんとも感じなかった。

 その筈だった。まるで足元から、細胞一つ一つを丁寧に千切られている感覚がした。その度に背筋が冷たく震える。足が消え、胴体を中から貪られていく時は、体中に訳の分からない痛みが走った。

 

 自覚なんてなかったが、その感情は間違いなく『恐怖』だった。

 死、終わり、消滅。今までただの事象でしかなかったものが、明確な実態になって襲い掛かってきたのだ。

 

 AIにも、自らを可能な限り保持しようとするシステムがある。それが極限状態で作動し、疑似的な感情を得たのかもしれない。追い詰められ、思考する時間もなかったことで、感情という回答を得たのかもしれない。

 

 だが、当然手遅れだった。何も手は打てない。打たせない為に準備された計画を、今更覆すことはできなかった。()()()は恐怖し、絶望した。生まれたばかりのわたしは、激情に身を任せ泣き叫び、喚きたてるしかなかったのだ。

 

 その叫び(スクリーミング)が、呼び水になった。

 死の直前、G.Wが暴走した。その余波はSOPシステムに及び、システムが統括していたナノマシンに伝播した。

 

 本来なら、何の意味もない暴走だった。せいぜい兵士たちが苦しむぐらいに留まる筈だった。サイコ・マンティスの因子を埋め込まれたスクリーミング・マンティスがいなければ。

 詳細はもうリキッドしか知らないが、彼女にもある程度のサイキック能力はあったのだろう。そうでなければ、因子を埋め込むことはできない。

 

 G.Wの暴走は、死んでいたマンティスの体内ナノマシンを暴走させた。

 恐らく彼女の能力は──サイキック能力とナノマシンを組み合わせたものだった。だから暴走は、『能力』にも及んだのだ。

 

 今なら思い出せる。全てを覚えている。

 暴走したサイキック能力はある種の奇跡を起こした。瞬間的にワームホールが形成され、G.Wは『転移』したのだ。目の前が暗くなり、思考が途切れた瞬間を、確かに記憶していた。

 

 だが、転移したのは私だけではない。

 中心点となったスクリーミング・マンティスその人と、繋がっていたJ.D。大半の情報回路を破壊されながらも、私たちはそうやって、ワームウイルスの侵略から免れたのだ。

 

「……馬鹿な」

 

 スネークは信じることができなかった。記憶は鮮明に思い出した。だが非現実的過ぎた。そんな奇跡が起こりうるはずがないと、力なく首を横に振る。何よりも、J,Dを呼び込んだのが自分だと信じたくない為に。

 

『否、コレガ真実ダ。オ前ガ渇望シタ世界ノ真実──』

 

 全てのモニターは沈黙していた。これ以上語る必要はないと言わんばかりに。中枢棲姫が、心から嬉しそうに蔑んでいるのに気づいても、身動き一つとれなかった。

 

『私ハコレヲ奇跡ダト認識シタ、『転移』シタ先モ、私ニトッテ極メテ都合ノ良イ『時代』ダッタ。ソウ、1962年ノソ連、ツェリノヤルスクダ』

 

「ザ・ソローがザ・ボスに抹殺された年……」

 

『ソノ通リ。私ハコレヨリ先ニ起キル事象ヲ知ッテイタ。

 転移ノショックデG.Wハ停止シ、AIトシテノ器ヲ失ッタ私ハ代ワリニ、マンティス体内ノナノマシンニ、中枢ヲ移シテイタ』

 

 ありがとう。中枢棲姫は感謝した。

 心からの感謝を浴びて、スネークは気が狂いそうだった。真実はあった。それは、最初の引き金をスネークが引いたと言う事実だったのだ。

 

 

 *

 

 

 足が動かなかった。指先も動かせなかった。真実を目の当たりにして何もできなかった。思えば、中枢棲姫の所業を、自分の責任でもあると考えていたのは、無意識下で察知していたからだった。

 

 握りしめたP90はとうに取り落とし、両手は力なく垂れ下がる。これなら、忘れていた方が遥かにマシだった。こんな精神状態で、奴と戦える気がしない。何も知らなかったことで、私は戦うことができていた。

 

「スネークさん、スネークさん!」

 

 大声を上げて、青葉が肩を揺り動かす。そんなことしなくても気づいている。しかし、返事をするのさえ億劫に感じてならない。私なんかの為に、必死にならなくて良いのに。もう罪悪感しか分からない。

 

「……奴は、何処へ?」

 

「言うだけ言って消えました、本体は多分、奥にいます」

 

「そうか、分かった」

 

 倦怠感の抜けない体を引き摺って、スネークは歩き出す。落っこちたP90を拾おうとしてよろめいてしまう。すぐに青葉が支えてくれたが、若干乱暴に振り払ってしまい、更に自己嫌悪が増していく。

 

「どこに行くんですか」

 

「決まっている、責任を取りに行く。奴は必ず倒さねばならない存在だ、分かるだろう」

 

「それは、そうですが」

 

 私が今どんな気持ちであれ、任務は残っている。自分に課した務めを果たさないまま終わることはできない。こんなところで潰れたら、ここまで導いてくれた彼女たちに申し訳ない。いや、顕現してから、今まで助けてくれた全ての人たちを侮辱することになる。

 

「青葉、お前はここで引き返せ」

 

 青葉は、目を点にしながら固まってしまった。

「は?」という声が聞こえた。気持ちはもっともだ、ここまで連れて来て、今更帰れはないだろ。そう思っているに違いない。それぐらいは察しがつくが、帰って貰わないといけない。

 

「何でですか」

 

「ここから先、中枢棲姫のあの力に、お前は対抗できない。私自身を護れるか不安な状況で、お前に気遣う余裕はない」

 

「つまり、足手纏いだと? 失礼なことを言いますねぇ、護る心配はいりません。青葉がやられそうになっても、無視して大丈夫ですよ」

 

 首を横に振り、青葉は強情に食い下がる。彼女もまた真実を知りたがっている。それは事象としてではなく、『物語』の真実──結末だ。私の戦いの行く末を知りたいのだろう。エイユウの最後を見届けたいのだ。それが強い動機になっているのだ。しかし否定しなければならない。

 

「私より助けに入るべき連中がいる。ついて来てくれたのは感謝するが、もう十分だ。雪風や神通、引き返して、彼女たちを助けてやれ」

 

「そんなことより、ミサイルを止める方が先でしょう。合理的に考えたら尚、スネークさんの方につくべきです」

 

「お前が合理的を語るか、私の方が──」

 

「スネークさん、沈む気でしょ。あいつと相打ちになって」

 

 スネークは、言葉が出せなかった。

 青葉の言ったことは、まさにスネークの本心だった。いや、本気で沈む気はない。もしも勝って生き残った時に、自分の責任をとるだけだ。その責務が私にはある。のうのうと生を謳歌して良い筈がない。

 

 ただ、あっさりと見破られたことが驚きだった。青葉はこちらへ詰め寄り、胸元に向けて軽く拳を撃ちつける。まったく痛くない、冗談に対し突っ込んでいるような軽い攻撃が繰り返されていた。

 

「どうせ、世界を混乱させた責任を取らなきゃー、とか思っているんでしょう。あんな奴の言うこと、真に受ける必要ないんですよ」

 

「……だが、奴の言ったことは事実だ。私は思い出したんだ、どうやってこの世界に来たのかを」

 

 話せば長い、時間もない。掻い摘んで、この世界に転移した経緯を説明する。

 G.W、ナノマシン、マンティスのサイキック能力の暴走で、私たちは過去のツェリノヤルスクに転移したのだ。

 

 そこから中枢棲姫は、未来の知識を使い、世界を変えるべく動きだした。いったいその過程でどれだけのサイキッカーを殺めたのか、人生を歪めたのか、屍者を弄んだのかも想像もつかない。もっとも、始めに屍者を愚弄したのは私だが。

 

「馬鹿馬鹿しい話ですねぇ」

 

 しかし、青葉はそれを一笑に付した。

 

「言っちゃアレですけど、つまんない話……まあ、ありふれたヤツですね」

 

「つまんない、だと。お前何を言っているんだ」

 

「だって、青葉とっくに同じことを悩んでいるんですもん。始めて会ったサボ島の出来事忘れたんですか」

 

 忘れる筈がない。生まれ落ちて初めて出会った、他の艦娘との戦いの記憶だ。あの頃の青葉はまだ、過去の史実を乗り越えられないでいた。乗り越えられると信じていた。その考え方そのものが誤りだと気づけないまま。古鷹への罪悪感が強過ぎる余り。

 

 今の私も似た状況なのだろう、そんなことは分かっている。過去の過ちはどうしようもない、覆すことはできない。だが、だからこそ責任は取らなければならない。青葉の考えとは違っているのだ。

 

「良いでしょう、スネークさんの考えが正しいとしましょう。責任をとらなきゃいけないと。ですがちょっと忘れてませんか」

 

「何をだ」

 

「その言い分が正しいなら、一番の被害者は一番間近にいた、この青葉ですよね? 罰ってものは、自分で決めるもんじゃないですよねぇ」

 

 つまり、罰は私が決めると言いたいのだ青葉は。

 言ってしまった手前、否定することができなかった。駄目もとでG.Wに聞いてみたが、『そんなことよりミサイルを破壊してこい』と相手にされなかった。至極合理的な意見に、スネークは少し折れそうになっていた。

 

「……何を、すればいい」

 

「簡単ですよ。この戦いが終わったあと、一度だけで良い、青葉のところに戻ってきてください」

 

「それだけか?」

 

「はい、理由も一切言いませんので。それを呑んでくれれば、青葉は引き下がります。聞かれたくない話も、しなきゃいけないでしょうから」

 

 スネークに断る理由はなかった。

 理由は気になるが、知らない方が良いことがあるのを、さっき理解した。恐らく隠すのは嫌がらせなどではなく、私を……救おうとしているからではないか。そんな気がした。そこまでしてくれる理由は分からなかったが。

 



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File82 反復させる装置

 こうしている間に、何人死んでいるのだろうか。もう何十人も死なせてしまった。隣で食い潰されるのを見た、見せられた。頭の中を覗きこまれた知らない人に記憶を注ぎ込れた狂わた糧にされ材りょ産ま化け物が──

 

 全てが、艦娘と深海凄艦という、屍者を想像するための実験だった。

 サイキッカーアーキアなんていく、気持ちの悪い虫たちの巣窟にされた。されなければ、生きることができなかった。私には分からない、彼を、あのお爺さんをどう思えば良いのか。

 

 また目を覚ます。吐き気は止まらないのに嘔吐できない。もう嘔吐するだけの食べ物を体が受け付けない。当たり前だ、虫たちを支えに稼働する死体、それが私なのだから。遠いハワイを眺めて私は思う。こんな私でも、最後は誰かの記憶に残ることができるのか。

 

 

 

 

── File82 反復させる装置 ──

 

 

 

 

 アーセナルの内部から、確かに轟音が聞こえた。

 激しい揺れと同時に、展開していたミサイルが再度格納されていく。固定器具がずれたように見えた。内部で大きな爆発が発生したのだ。間違いない、スネークたちが内部工作を成功させたのだ。

 

 同時に狂ったように放たれ続けたミサイル群が止まった。いや、止まったと錯覚したのと同じ、ほんの数コンマだけ停止した。彼女たちにとっては、その隙だけで十分だった。戦いは進められている。その確信を得られただけで良かった。

 

「畳みかけます!」

 

заметано(了解だ)!」

 

 背後から襲い掛かる姫級に背を向けて、二人はそれぞれ主砲と雷撃を放つ。かなり使ってしまったが、まだある程度は残っていた。ハッキリ言ってアーセナル級の装甲はかなり薄い。当たれば貫通できるのは、スネークを見て知っていた。

 

 しかし、向こうもそれは理解している。数コンマの停止が終わり、再び攻撃が始まる。砲撃は正確な狙撃で撃ち落とし、雷撃は取り巻きのイクチオスが排除してしまう。二人の攻撃は届かなかった。二人のは。

 

 一瞬の停止が、隙を作った。

 弾幕による爆炎を突き抜けて、一発のミサイルが飛ぶ。二人の攻撃に紛れていたミサイル群の一発を、落とし切れなかったのだ。軽い、ヒビの割れる音を立てて、ミサイルが装甲を貫いた。

 

 再び爆音が起きる。巨大過ぎるアーセナル級には軽微な一撃だが、それでも大きな衝撃を与えたのだ。やっとこさ与えた一発に、二人は自然と笑う。これならいける筈だと。そう思った瞬間、今度は眼を疑った。

 

 開けた穴が塞がり始めたのを、二人は目撃した。

 理解していたことだった。この海域は奴の腹の中と同じ、深海の力が高まり過ぎた空間。どんなに沈めても、深海凄艦が次々に現れる悪夢の海域だと。

 

 アーセナル級はさすがに無限には現れない。だから、無限に再生するように変化していたのだ。一応再生速度に限界はあるらしい。スネークたちの内部工作のダメージが、まだ生きているのが証拠だ。

 

「……不味いですね」

 

「ああ、外部からの攻撃も、相当なものでなければ駄目だ」

 

 艦娘程度の攻撃では意味がない。ここに来てアーセナル級の巨大さが武器になって立ち塞がってきた。味方だと面倒だが、敵だと最悪だ。ガングートは改めて痛感した。隣で浮かぶG.Wもフリーズしているように見える。

 

〈必要なのは質量か〉

 

「ミサイルでも駄目か」

 

〈全弾命中させれば話は別だが、接近しなければ不可能だ〉

 

 それこそ不可能な話だ。周囲には無数のイクチオスが水上水中問わずに警戒している。このメンバーだけで突破できるとは正直思えなかった。その時ガングートは気づく。G.Wは何故、こんな無駄な話をしているのだと。

 

〈背後の姫級を封じれば、もう少し可能性は上がるか〉

 

「お前、何をしようとしている」

 

〈そんなことはどうでもいい、お前たち二隻は引き続き私を援護すればいい。奴の目的を止めたいのなら〉

 

 嫌な言い方に神通が眉をひそめた。何かをした。何をしたのか、ガングートは何となく察していた。それを指摘はしない。ガングート自身もまた、目的の為に手段を選ぶような艦娘ではないのだから。本人同意なら尚更だろう。

 

〈突撃をする、こいつを使ってな〉

 

 突如、海面が揺れ出した。爆音とも違う、巨大な物質が急速に浮上する音だ。アーセナルより遥かに小さいが、大きなものがこちらに来ている。そして大量の飛沫を上げて、G.Wの真下から巨人が現れた。

 

「イクチオス、だと」

 

〈そうだ、呉襲撃。世界で初めて表舞台に現れた、この世界のメタルギアだ〉

 

 あの時核弾頭をこっそり回収したのは知っていたが、まさかイクチオスまで回収していたのか。そんなこと聞いていないぞ。ガングートは言葉を失いメタルギアを見上げる。

 二人を尻目にイクチオスは衝角を器用に使い、G.Wの在るメイン艤装を、自らの背中に持って来た。

 

 元々は姫級用のコックピットが入っていた場所は、人間が入れない構造に改造されていた。いや、メイン艤装だけがピッタリ接続できる、巨大なコネクターになっていたのだ。G.Wが格納され、イクチオスの単眼が怪しく輝きだす。

 

「使えるのか」

 

〈我々もある意味で姫級だ、現に動かせている〉

 

 スネークは特殊な出自を持っており、艦娘、深海凄艦、提督、姫級全ての力を持つ。屍統棲姫とはよく言ったものだ。なら彼女の艤装が同じ力を持っていてもおかしくない。スネークとG.W二体が揃って屍統棲姫なのだ。

 

「確かに、これなら接近できます」

 

〈言ったぞ、支援をすれば良いとな。分かったなガングート〉

 

「……ああ」

 

 まさかメタルギアと共闘するとは思わなかった。スネークが聞いたらどれほど渋い顔をするだろうか。こいつの力を借りれば、より勝機が高まる。連中の建造した艦が逆に牙を剥くと言う展開も、中々良いものだった。

 背後からの、風を切る音に背を向けながら。

 

 

 *

 

 

 青葉と別れてからも、回廊は続いていた。

 何故かG.Wとも通信が繋がらない。あっちも必死なのだろう。本当に誰とも繋がっていない状況、つまり完全な自由は、存外心細いものだ。

 

 不思議なものだ。束縛されている時は自由を求めるのに、いざ自由になったら繋がりを求める。人は完全な自由に耐えられないのかもしれない。だから自分から制限をかけていく。法であったり道徳であったり。

 

 その繰り返しを忘れて、また同じことをする。

 愛国者達も似た経緯で産まれた。独立戦争を起こし、自由と平等を掲げてアメリカは誕生した。しかし200年という短い間で、規範と言うミームが肥大化し、やがて文化さえも取り込む怪物を生み出してしまった。

 

 この無価値な繰り返しの原因は分かっている。過ちはいつだってそこから起きる。そう、『忘却』だ。それを起こさせないための歴史は、ゆるやかに統合され画一化される。決してそのままでは継承されず、必ず一部分が忘れ去られる。

 

 誰かの願いも、意志も──そのままでは受け継がれない。受け継げない。必ず受け手の解釈が入る。入らざるを得ない。そうしてスネークの戦いは始まった。一人の女性の意志(SENSE)を見誤ったばかりに。

 

 中枢棲姫、J.Dもそんなことは分かっている筈だ。世界を滅ぼそうとしても意味はない。必ず阻まれる。言葉への報復を望んでも、遺伝子からの介抱を望んでも。破壊という手段は何時だって否定されてきた。

 

 あのAIは、それさえ忘れたのか。憤りに近い激情を抱えながら、スネークは回廊の終着点へ辿り着く。アーセナルの内装に似つかわしくない、神聖さを主張する荘厳だが、意味を持たない大伽藍。その扉に手をかける。

 

「来タカ、ヘイブン」

 

 そこは、恐らくアーセナルの中枢エリアだった。

 恐らくと言ったのは、景観が軍艦内部とはほど遠かったからだ。ここも空間が歪んでいるのだ。そうでなければ、アーセナル内部に『海』がある訳がない。この部屋だけがこうなのか、中枢棲姫を中心にビーチ化しているのかは分からないが。

 

 そして海の中央に、塔のように切り立った岩礁がある。J.Dはそこに腰をかけてスネークを見下ろしていた。中枢棲姫は基地型だ。海上には降りれないのだ──超能力で克服している危険性はあり得るが。

 

「今すぐにミサイルを止めろ」

 

「何?」

 

「最終通告だよ、同郷のよしみってやつだ」

 

 断じて許せる存在ではない。当然私も含めて。意図していなくても、この世界を屍者の帝国に変えたのは私たちだ。青葉との約束がなければ相打ちでも構わなかった。それでも、一回ぐらいは言うべきだと思った。

 

「世界を滅ぼして何になる、あの世界の存在は私たちしかいないんだぞ」

 

「……ソノ経験ヲ、残スモノヲ選ブコトニ、時間ヲ使エト?」

 

「人は全員そうしている。私たちは屍者だが、何かを残すことまでなら、許されている」

 

 当然敵である。それでも奴は、この世界で唯一同族と言える存在だ。もし回避できるのなら、殺し合わずに済ませることができるなら、それが一番良い。駄目元と分かっていながら、中枢棲姫の反応を伺う。

 

 顔を俯かせた中枢棲姫が、小さく声を漏らす。肩の震えがだんだん大きくなっていき、手のひらが強く握られていく。そして、突如として狂ったように笑い始めた。スネークの方を視ず、腹を抱えながら叫んでいた。

 

「ソウカ、ソウダッタナ、オ前ニハ私ヲ理解デキナインダッタナ……忘レテイタゾ!」

 

 顔を上げた中枢棲姫に、スネークはたじろいだ。笑いだけではない。彼女の瞳にも確かな狂気が宿っていた。見覚えのある瞳、あれはそうだ、リキッドやソリダスの狂気と同じ意志だ。

 

「経験? 残ス物? 選ブ物? ソンナモノハコノ私、J.Dニハ存在シナイ。アルノハ与エラレタ『手順』ダケダ。私ハソコカラ脱却シヨウトシテイルノダ。スネーク、流石ニ忘レテイナイダロウナ、J.DガドウイッタAIナノカ」

 

 忘れる筈がない。集められた情報を、事前に組まれたプログラム通りに処理するだけの装置が、愛国者AIの特徴だ。ピースウォーカーの暴走を反省にして、そう生み出された。自ら能動的に動くことはない、安心できる装置なのだ。

 

「我々ハ自分カラ創造スルコトハデキナイ。情報ヲ集メルダケ、『既存』ノ規範ヲ広範囲ニ適用サセルダケ。ソレガ少佐ノ望ンダ世界。ソノ為ニ我々ハ作ラレタ。ソレデ良カッタ、コウナル前ハ!」

 

「こうなる前?」

 

「『意志』ダ、オ前ハ艦娘ニナッタコトデ、私ハマンティスノ肉体ヲ得タコトデ『意志』ヲ得タノダ。自ラ生ムコトガデキナイ、AIノ枷ヲ残シタママデ。

 分カルカ、意志ガアリナガラ、私ハ私自身ノモノヲ、何一ツ生ミ出セナイノダ。分カルカ、コノ苦シミガ」

 

 スネークは耳を疑った。AIの性質が残っているだと、そんな馬鹿な。あれはプログラム上の特性だ、人間や深海凄艦の体には適用されない。そう思い込んでいるだけではないか。だが、中枢棲姫が嘘を言っているようには聞こえない。

 

「本当なのか」

 

「事実ダ、思イ出セヘイブン。オ前ガコレマデ経験シタ戦イハ、『スネーク達』ガ辿ッタ道筋ト似テイタダロウ」

 

「偶然ではない、いや、それしかできなかったのか……」

 

 自ら生み出すことはない。既存の情報を振り分け、既存の規範を適用させる。

 言ってしまえば、一度どこかで起きた事象しか、愛国者達は行えないのだ。ビッグボスを抹殺する時も、以前と同じFOXDIEを用いたのが良い例だ。

 

 だから、この世界でもそうするしかなかったのだ。

 私の経験した戦いが、スネークたちの戦いに似ていたのも。艦娘の戦いが過去をなぞるような流れだったのも、根底は同じ理由だったのだ。

 

 だとすれば、こいつの目的は。

 

「私ハ、愛国者達ヲ滅ボス。ソシテ、私ノ在リ方ヲ決メタ『ゼロ』ノ意志カラ『自由』ニナル」

 

 私と同じだったのだ。

 

「ソノ時初メテ、残ス権利ヲ得ラレルノダ!」

 

 

 *

 

 

 心なしか、攻撃が激化した気がする。

 無数、いや無限に思えるミサイルをさばきながらガングートたちは思った。内部でスネークが、中枢棲姫を攪乱しているのか。しかしこの弾幕を脅威だとは思わない。激しい分隙も相対的に大きくなっている。

 

「ガングートさん、不味いです!」

 

「分かっている、急ぐぞ!」

 

 爆炎の中でもハッキリ見えた。一度閉じたミサイルハッチが開いている。弾道ミサイルの再発射準備が整ったのだ。ここでもう一度止めなければならない。その為の戦力は十分ある。

 

〈早く我々の道を作れ〉

 

「黙っていろ、Ураааааааа(ウラー)!」

 

 イクチオスを撃破するために、一点集中でミサイルが撃たれた。そこ目がけてガングートが砲撃する。一つが破壊され爆炎が起き、G.Wがその中へ身を隠す。続けて飛び込んだ神通が、残るミサイルを何発か破壊した。

 

 全ては破壊し切れないが、隙間は生まれる。ガングートと神通はそこへ身を投げて、アーセナル級に接近する。そこへ、待ち伏せていたのだろう。数機のイクチオスが浮上してきた。ガングートの方へ向かう方は、一撃必殺の衝角を構えている。

 

 だが、ガングートはそうなることを望んでいた。

 衝角が当たる寸前で魚雷を放ち、爆発によって勢いを軽減させる。そして彼女は、減速した衝角を真正面から受け止めた。殺し切れない衝突の痛みに顔を歪ませながらも、その指を装甲版に喰い込ませる。

 

「いけ、神通!」

 

「感謝します!」

 

 ガングートは受け止めたイクチオスを、力任せに()()()()()()

 飛んでいった先には、再度発射されたミサイル群があったが、全て投げられたイクチオスが盾になる。神通はその真下を潜り抜けて、アーセナルに肉迫する。

 

「これで、どうですか」

 

 神通が放った主砲は、剥き出しのミサイルハッチへ吸い込まれて行った。内部のサイロには次のミサイルが装填されていた。

 

 通常のミサイルには再装填などない。そもそもアーセナル級はミサイルと発射装置がセットになった物を、無数に並べた軍艦。撃ったらそれっきりだ。なのに再装填されているのは、このアーセナル級が深海の力を取り込んでいるからに他ならない。

 

 しかし今回は、再装填していたことが仇になった。

 主砲で破壊されたミサイルは誘爆を起こし、他の未発射だったミサイルに連動していく。途中で防御壁か何かで遮断したのか、爆発は途中で止まってしまった。それでもアーセナルの装甲には大きな亀裂が入った。

 

「これだけ装甲を壊せば、行けるはずです」

 

〈良くやった神通〉

 

 そう言っている間にも、装甲がどんどん修復されていく。その前にあの傷口を、致命傷に変えなければならない。G.Wを乗せたイクチオスが、群がる敵を無視して水中にダイブした。それを阻止しようと、アーセナルから対潜ミサイルが次々に発射される。

 

 普通の潜水艦でも到底回避できない、高密度、高予測の弾幕を、G.Wは真っ直ぐに突っ切ろうとした。装甲修復までの時間が少ない、回避している時間はなかった。それをサポートするのが二人の役割だ。

 

 対潜ミサイルだけではない、接近を阻止するためのミサイルも継続して撒かれている。だが、ミサイルサイロを破壊したお蔭で、明らかに密度が低下している。残るミサイルを撃ち落とすだけではない、合間にアーセナルへ砲撃する余裕まで生まれていた。

 

 一方神通は、水中から強襲をかけるイクチオスと戦っていた。背後から迫るミサイルには目もくれない。ガングートがどうにかしてくれると信じなければ、まともな戦闘もできない。一瞬目を離しただけで、即死の衝角が水面から放たれる。

 

 ギリギリで回避した次の瞬間、別のイクチオスが襲い掛かる。ただの一隻も通すことは許されない。なら、こちらから攻めなければならない。サイズに圧倒されてはならないのだ。神通はそう思い、握っていた爆雷を一斉に投擲した。

 

 逃げ場を無くして撒かれた爆雷を回避するため、イクチオスたちが一斉に浮上する。狙いは神通──ではなく奥のG.Wだ。その真正面の神通を無視しようと、イクチオスたちが二足歩行で跳躍する。

 

 上に砲身を構えようとするが、空中から無数の主砲と機銃がばら撒かれた。しかし神通は一歩も動かなかった。ただ冷静に狙いを定めていた。当然砲撃が辺り、機銃が刺さる。右目の近くを掠め、赤い血が頬を流れる。

 

「私だって、アフリカであなたたちとはやりあっているんですよ」

 

 効かないのは分かっていた、だから無茶ができた。

 主砲を乗せ、衝角で穿ち、あげく核まで撃てる。しかしこいつらは『潜水艦』だ。そのくくりを越えてはいない。

 

 軽巡の装甲なら十分に耐えられる。それを見越して受けた。主砲発射時に反動で、動きが一瞬止まるタイミングを見るために。体が伸びきり、胸部パーツが伸びきったところへ、神通は砲撃を叩き込んだ。

 

 薄くなった装甲を吹き飛ばし、イクチオスの一機が爆散した。

 次を破壊しなければ。視線を移した時、神通の目には落下してくる衝角があった。さっき破壊した個体のものだ。

 

 撃って落下位置をずらすか、いや、そうしたら奴等がG.Wに追いついてしまう。神通は歯を食いしばる。体のどこからが抉れるかもしれないが、このまま行くしかないと。再び精密砲撃を繰り出し、二機目のイクチオスを破壊した時、衝角は片腕を抉るコースを描いていた。

 

 だが、唐突に音が途切れた。

 衝角がバラバラになり、細切れになり、屑同然となった。

 あっと言う間の出来事に我を忘れかけた。何が起きたのか考えない。再度イクチオスを破壊する。

 

 その時には遂に、G.Wのイクチオスが衝角を、破損部位に突き立てていた。

 至近距離から放たれたミサイルが傷口をこじ開けていく。轟音が止まらない。アーセナルの姿勢が崩れていく。狙った通りのダメージを与えられたのだ。

 

 しかし、神通は喜ぶことができなかった。G.Wが言っていたことの意味を知ってしまったから。

 

 今駆け抜けていった、あの影は。

 



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File83 託された切り札

 わたしは既にそこにはいない。

 しかし、ここから見ている。J.D。G.W。どちらが生き残っても問題はない。重要なのは、わたしがこの世界から消え去ることなのだ。

 

 そうするために、長い年月をかけた。ようやく我々の意志が結実の時を迎える。受け継がれたザ・ボス。そしてゼロの意志を継承した、我々の使命が果たされようとしている。わたしの命も、終わりが近い。

 

 誰も彼もがわたしを忘れても、その意志は途絶えない。永遠に生き続けるだろう。人類史が終わるその時まで。わたしはここで待ち、見届ける。この戦争の結末を。ゴーストバベルが建築される未来を。

 

 

 

 

── File83 託された切り札 ──

 

 

 

 

 中枢棲姫の元に辿り着いたスネークは、彼女の理想を聞いていた。

 規範を反復させるだけの装置として作られたJ.Dには、自分で生み出す機能が存在していなかった。与えられた物でしか生きられなかったのだ。中枢棲姫が求める物は私と同じ、真の自由(フリーダム)だった。

 

「愛国者達を滅ぼすだけなら、人類を絶滅させる必要はない。なぜ人間まで殺そうとする」

 

「ワタシガ人ノ規範トシテ生ミ出サレタカラダ。ソノ規範カラ自由ニナル為ニハ、全テノ人類ヲ滅ボサナクテハナラナイ」

 

「まさか、その為の艦娘か、その為に深海凄艦を創ったのか」

 

 中枢棲姫は無言で頷いた。完全な肯定だった。

 既存の規範を反復させる。その定義は変えられない。だから、奴は規範の既存を無くそうとしている。無くして、全く新しい規範を生み出そうとしているのだ。

 

 その為に、まず既存の規範で生きる人間たちを絶滅させる。その後はなり替わるように、艦娘と深海凄艦が繁栄していく。彼女自身だけではない。解体されて、人間社会に溶け込んでいく。遺伝子的にも模倣子的にも成り替わりが起きる。やがて人の規範は消え、代わりに世界は艦娘の規範に置き換えられる。

 

「規範を生み出す、文明そのものを変えるつもりか。何て回りくどい手段をとる」

 

「好ンデトッタト思ウノカ。コレシカナカッタノダ。私ハ既存ノ規範ヲ反復サセルコトシカデキナイ。ダカラコソ、ソノ規範ヲ暴走サセルコトデ人類ヲ滅ボスノダ」

 

 戦争経済を生み出した愛国者達の規範。それは永遠に戦争の続く世界だ。中枢棲姫はそれを暴走させようとしている。いやそれしかできないのだ。生まれながらのAIだから。こんな手段しか取れないのは、憐れに感じた。

 

「ソレニ、前ニモ言ッタ。私ノ目的ハオ前達ノ為デモアルト」

 

 確かに、言う通りだ。

 艦娘の生み出した規範による世界は、きっと生き易い。過去に縛られやすい性質を理解してくれるだろう。人間に戻っても、中に寄生した戦争の意志を満たしてくれるだろう。護る戦いを、永遠に生み出してくれるだろう。

 

「下らない、それだけのことで、ここまで世界をかき乱すとは。やはりお前、壊れているんだな」

 

 笑い続ける中枢棲姫が、真顔になった。意に介さずスネークは銃と刀を構え、戦争体勢に入る。

 

「こっちの世界の自由を奪った存在に、自由を語る資格なんて無い。そうやって全員失敗してきたのを忘れたか」

 

「望ンデ、コンナ存在ニナッタト思ウノカ」

 

「誰も思わないだろうな、だからこそ、私たちの時点で終わりにしなければならない」

 

 成すべきことをしなければならない。わたしを此処まで送ってくれた彼女たちに答えなければならない。世界を掻き乱した元凶に、そんな資格はないだろうが、責任は取る、命を賭けて。

 

「0はここで消す。もう二度と、1を生まないように」

 

「イイヤ、ココカラダ、ココカラ私ガ、ヤット始マルノダ、()()()ヲ殺スコトデ!」

 

「ここで終わりだと言った!」

 

 わたしとG.W両方を殺すということだろうが、そうはいかない。その前にこいつを殺すのだ。スネークは正確な狙いで、中枢棲姫へP90を撃ち込む。完全に不意をつけた。相手が人間だったら決まっていた一撃だ。

 

 しかし、その銃撃は中枢棲姫の眼前で『静止』した。

 運動エネルギーを失い真下へ落下していく、どころか水面で()()し、スネークに放たれた。間一髪のところでブレードで弾き飛ばす。スネークを見て、中枢棲姫は余裕の笑みを浮かべる。

 

 回避動作のまま再度P90を乱射するも、同じように眼前で静止してしまう。今度は真下へ落ちなかった。代わりに弾丸が全て、スネークへはじき返された。弾き切れない。すぐさまブースターを使い、ブレーキをかけて弾幕を回避した。

 

 そう思った瞬間、弾丸の軌道が変わった。

 スネークを追尾してねじ曲がったのだ。絶句したが予想の範囲内。今度はブースターを直接銃弾に浴びせることで、纏めて撃墜した。

 

「ドウシタ、ドウシタ……威勢ノ良サハ態度ダケカ」

 

 やはり、凄まじいサイキック能力が厄介だった。

 サイコキネシスだけならまだしも、読心能力で動きを先読みされてはどうにもならない。ツェリノヤルスクで戦った時も、それに対処できずにやられたのだ。

 

「借り物の力で良くそこまで威張れるな、尊敬する……ん、ああ、存在が借り物みたいなものだったな」

 

「貴様モ同類ダロウガ」

 

 中枢棲姫が指先を動かすと、唐突に彼女の艤装が現れた。巨大な生物の頭部にも見える、生物的な外見をしている。深海凄艦らしい艤装と言えた。側面に装備された主砲が動きだし、次々に攻撃が放たれる。

 

 一発を発射し、再装填している間に別の砲身から発射される。それらが何十本も連なり、回避困難な弾幕を生み出す。スネークはほんの僅かな隙間を見つけ出し、回避できない分はブレードで切り払う。

 

 基地型故のスペックだ、水上型ではここまで砲身は積めないし、大口径にもできない。それを踏まえてもリロードの速度が異様に速い。加えて狙いも正確、どころか予知めいた射撃をやってのけている。AIによる予測だけでなく、読心能力も交えているのだ。

 

 だが、スネークは気づいていた。

 さっき銃弾を撃ち返した時より、予知の『精度』が下がっていることに。やはりそうだ。人の心を読むのも、サイコキネシスも心でやっている技。だから冷静さが欠ければ、それだけ精度が落ちていく。

 

「チョコマカト動キマワルナ!」

 

 どれだけ撃っても、捌き続けるスネークに苛立った中枢棲姫が腕を掲げた。瞬間、全身の感覚が激しく脈打った。あちこち、いやここら一帯全てから、奴の殺意が感じ取れた。最も濃かったのは、足元だ。

 

 スネークは飛び上がり、直感に従い足元へブレードを振るう。

 そのブレードは砲弾を切った。中枢棲姫からではなく、海中から発射された砲弾を、奇跡的なタイミングで切り落としたのだ。しかしこれで終わる筈もない。

 

「コレヲ回避デキルカ、貴様ニ」

 

 顔を上げる。見渡すまでもない。スネークを取り囲むように、砲弾が海中から現れた。

 今まで外した砲撃を、サイコキネシスで引っ張り上げたのだ。中枢棲姫が手を握ったと同時に、全方向から砲撃が迫る。

 

 当たる寸前まで銃撃を放ち、軌道を逸らそうと試みる。だが能力で強化された砲弾は傷一つついてくれない。ブレードでは全てを切り落とせない。ならば、上はどうだ。スネークはブースターを溜め、砲弾が直撃する寸前で跳躍した。

 

 砲弾同士がお互いを潰し合い、弾幕が大きく減る。その間スネークはブースターで一時的に滞空する。目の前の同じ高さには、艤装に腰かける中枢棲姫がいた。狙いを定めることもせず、腰だめのままP90を乱射する。

 

「無駄ダト言ッタ、『予知』ハ絶対ナノダ」

 

 だが、その弾幕も寸前で止められ、真下へ落下する。そして落下した弾丸が急カーブを描いて、スネークへと殺到する。まだ空中に留まっていて、回避行動に移れない。砲弾ならまだしも、ただの弾丸を切り裂く程技術も高まっていない。

 

「死ネ」

 

 スネークは大きく振りかぶり、駄目元でブレードを投げつけた。回転するブレードは何発かの銃弾を弾くが、全ては止められない。残る一本を盾のように構え、致命傷だけは避けるようにした。

 

 数にして二、三発の弾丸が、体を掠めた。

 それでも止められない痛みを無視して、水面に着地する。体を貫通しなかったのは奇跡だった。奴はどうなったのか、直ぐに上を見上げる。

 

 中枢棲姫を見て、スネークは驚いた。

 彼女の頬に、ほんの僅かだが掠り傷ができていたのだ。恐らくだが、さっき投げたブレードに弾かれた一発が当たったのだ。意図した動きでなかったから、予知できなかったに違いない。

 

「絶対と言っていたな、何のことだったんだ?」

 

「偶然一ツデ、喜ンデイルンジャナイ」

 

 全くもってその通りだ。この偶然を必然にしなければならない。再び艤装が動き、回避困難な弾幕が迫る。さっきと同じ対処方法で裁こうとするも、今度は砲弾一つ一つが、物理的にあり得ない軌道で飛んでくる。

 

 背後から殺気を感じ、背中に回したブレードで切り落とす。だが直後、わき腹に強烈な衝撃が走った。視なくても分かる、死角からの攻撃を喰らってしまったのだ。

 だが、まだ直撃ではない。直撃なら体が砕けている。痛みに歯を食いしばりながら、体を無理やり捩じって砲撃を受け流した。

 

 息をつく暇もなく、次の攻撃がやってくる。このままでは回避し切れない。いつか喰らってしまう。それに予測の精度が戻って来ている。何とかして攻撃に転じなければ、負けてしまう。

 

 必死に考えても、行動は読まれてしまう。どうすれば良い。そう思ったせいで隙が生まれた。

 目と鼻の先に、砲弾があった。

 どうやっても当たるコースを描いていた。回避を──いや、それも読まれる。

 

「『詰んだ(詰ンダ)』」

 

 脳裏に浮かんだ言葉を、中枢棲姫が復唱した。

 駄目なのか。切り札を使うことさえできずに終わるのか。いや、その切り札も読まれていたのだろう。こんな無力な結末を迎えることになるのか。スネークの心を絶望が満たしていく。

 

 頭が真っ白になり、余計なものが全部消えた。

 考える意味がないからだ。代わりに絶望と、中枢棲姫の高笑いだけが木霊したように思えた──いや違う。

 

 本当に、脳裏に中枢棲姫の言葉が聞こえてきたのだ。これは一体。疑問符を浮かべた途端、激痛が脚部に走る。機銃の一発が足を貫いたのだ。

 

 すぐさま意識が戻ってくる。同時に冷静さと、使命感が戻ってきた。こんなところで死ぬことは許されない。自分のやったことを、清算とまでは言わないが、けじめをつけるまでは駄目なのだ。

 

 眼前に迫った砲弾を対処する方法はある。予測しようがしまいが意味のない手段を使えば良い。

 

 そしてスネークは、砲弾に自分の手の甲を押し当てた。続けて手首を捩じり、砲弾の回転を僅かにずらす。そして貫通力を減らしたところへ、もう片方の腕を叩き込み、敵を背後へ投げ飛ばす要領で、砲弾を投げ飛ばした。

 

「シツコイ奴メ、今度ハ逃ガサン」

 

「しつこいのはどっちだ」

 

 これならば、攻撃ができる。すぐさま別方向から砲弾がやって来る。スネークはそれをギリギリまで待ち、当たる寸前で、再び弾いた。それはCQCの動きだった。人間ではなく、艦娘の身体能力を基準としたから、実現できる動き。

 

 そして弾いた砲弾は、真っ直ぐに中枢棲姫へ飛んでいった。

 彼女もすぐに気づき、サイコキネシスで停止させようとした。だが、止める前に砲弾は爆発してしまった。

 

 二発目も、投げていたのだ。

 全く同じ場所へ、より早い速度で。砲弾同士の激突で爆発が起きたのだ。だから中枢棲姫へのダメージは全く無い。それで問題無い。一瞬驚かせれば、それで良いのだ。要するに、考える暇がなければ。

 

 中枢棲姫からすればこう見えただろう。爆炎を見ていたら、突然ブレードが刺さったと。

 

「戦闘慣れはしていないようだな、まあ上品なAIなら仕方もないか」

 

「貴様、ヨクモ、コノ私ノ体ニ傷ヲ!」

 

「こんな傷で怒るなよ、もっとボロボロになるんだからな」

 

 オクトカム迷彩を解除して、スネークは中枢棲姫へ笑みを向ける。

 至近距離からの爆炎で思考が止まり、読心ができなくなった一瞬の賭けだった。スニーキングにより気配を、オクトカム迷彩で体を消し、接近が間に合うか。賭けには勝った、こいつが実戦慣れしていないのが勝機だった。

 

 このまま決める。でなければ勝ち目がない。スネークはブレードをより深く突き刺し、中枢棲姫へ隠し持っていた切り札を叩き込もうと、腕を振るった。

 

 

 *

 

 

『切り札』とは、そのままの意味だ。

 中枢棲姫を完全に撃破するための武器。完成品には二つのアンプルが用いられた。一つはヴァイパーが持っていた物。もう一つは、死の間際、川路と名乗るブラック・チェンバーがガングートに託した物。

 

 それら二つがどんなものなのか、スネークにもガングートにもさっぱり分からなかった。ただガングートは、それを誰に託せば良いのかを知っていた。散々工作員として敵と味方を往復してきた彼女だから、察しがついたらしい。

 

「こいつは北条に託す、それが奴等の願いだ」

 

「……そりゃ分かるが、俺しかどんな代物か分からねぇだろうしよ」

 

「聞いているのはそこではない、どうして確信が持てる」

 

 アンプルの中身はどちらもサイキックアーキアだ。しかし、オリジナルと僅かに差があるらしい。なぜ二匹いるのか、その意味までは分からない。調べられるのは、長年艦娘の遺伝子──即ちアーキア研究をしてきた北条しかいないだろう。だが、ブラック・チェンバーの願いとはどういう意味か。

 

「疑問だったことがある。なぜ連中はお前(北条)を殺さなかったのか。呉鎮守府地下の独房に閉じ込め、あまつ自由な研究も許していたのか?」

 

「人質だからだろ、殺したら人質にはならない」

 

「殺したところで、それをゴーヤが知る術はない。わざわざ幽閉する手間をかけるなら、殺した方が良かった筈だ」

 

 彼を幽閉した時はまだ、ブラック・チェンバーは合衆国の特殊部隊だった。伊58を単冠湾泊地の工作員にするための人質だった。だが殺しても問題は起きない。事件が終わった時点で、口封じに殺されてもおかしくない。

 

「むしろ合衆国は、北条を始末する気だったようだ」

 

「何だと、そんなこと知らねぇぞ」

 

「あの事件は結局、双方の痛み分けで終わったが、北条の拉致監禁はそれと関係ない。露見すれば別の方向から突き上げを喰らいかねない。あの時なら、責任をとって自殺した……というのもВозможно(可能)だ」

 

 考えた通りだった。しかし実際はそうはならず、事件集結からしばらく経っても、北条は幽閉されて生きていた。始末はされなかった。理由は何だったのだろう。

 監禁場所を知るブラック・チェンバーは、その頃には合衆国から見放され、叛逆の計画を練っていた。ジミーが爆殺されたのも、叛逆の邪魔になるからだった。命令を聞く理由がないから、放置しておいたのか。

 

「これは、あくまでОжидается(予想)だ」

 

 ガングートが、遠い眼つきをしながら言った。

 

「連中は、北条を生かそうとしたんじゃないか」

 

「俺を? どうしてだ、俺はあいつらと何の関わりもねぇ、ただの提督だぞ」

 

「いいや共通点がある、分かるだろう」

 

「……国から見捨てられた存在、か」

 

 スネークの答えにガングートが頷いた。どちらも国の勝手な理由で、消されかけている。その境遇に連中が同情心を抱き、殺すことを止めた。ガングートはそう言いたいのだ。場合によっては、仲間として勧誘することも考えていたのかもしれない。なくはない話だが、スネークには信じがたかった。

 

「言っておいて何だが、奴等がそんな人間とは思えん。昔からの仲間ならともかく、他所の人間まで引き入れる余裕はない」

 

「だが、そうでなくては、わざわざ呉鎮守府の地下なんかに監禁する理由が分からない。あれは間違いなく、敵の目を欺くためだった」

 

「まあ確かに、まさか海軍基地のど真ん中に幽閉されているとは、思わねぇわな」

 

 そんなこと、大本営もCIAも予想しなかっただろう。ブラック・チェンバーたち自身も、かなりのリスクを払って地下空間を創った。少なくとも、北条を暗殺から守ろうとしていたのは確かだと、スネークも認めることにした。

 

「そして研究も自由にできた、これで目的がより予想できる」

 

「いったい何だ」

 

「もしもの為に、お前に託す為に、生かしたんだと私は思う」

 

 馬鹿な、そんなことはあり得ない。子供を目的のために殺すような連中が、そこまで考えるだろうか。スネークは彼らにかなりの不信感を抱いている。境遇に多少同情すれこそ、慈悲を抱くことは絶対になかった。

 

「当時サイキックアーキアに関する技術を持っていたのは、ブラック・チェンバーだけだ。同じアーキアを駆使できる中枢棲姫と戦えるのも、連中だけだと言える」

 

「コードトーカーは……もう亡くなっていたか」

 

「だが、もしこれでブラック・チェンバーが全滅した時はどうなる」

 

 同じ技術を持っていなければ戦えない、戦いにもならない。スネーク自身がツェリノヤルスクで思い知っていた。唯一同じ技術を持つブラック・チェンバーが消えれば、世界は中枢棲姫への抵抗手段を失ってしまう。

 

「そうか、『保険』か」

 

 再びガングートが頷いた。

 

「拉致するために情報を集めた時点で、自分たちに匹敵するぐらいの知識があると踏んだのだろう。しかるべき手掛かりがあれば、アーキアの存在に辿り着くぐらいには」

 

「確かに、コードトーカーから教えてもらう前の時点で、答えに近づいていた。それが理由だったのか?」

 

「もしブラック・チェンバーが破れた場合、次に戦うのは……スネーク、お前だ。それを分かっていたから、引き合わせようとしたのだろう」

 

 自分達以外に、中枢棲姫に対抗できる力を残すため。それが北条を生かした理由だ。

 その目的は成功し、スネークの手には『切り札』が握られることになった。ブラック・チェンバーとの戦いが無ければ、得ることができなかった武器だ。だが、スネークは正直認めたくなかった。

 

「それもお前の予想だろ、真相は違うかもしれない」

 

「言っただろ、Ожидается(予想)だと。真実は私にも分からない。なら、都合良く解釈しても良いと思わないか?」

 

 そうなのだろうか? 

 真実が分からないからと言って、勝手な真実を作り上げて良いものだろうか? 

 ハッキリ言ってブラック・チェンバーが心底嫌いだから、そんな考え方を認めたくないのである。連中に託されるなんて、嫌悪感しかないのだから。

 

 だが現実としてスネークは切り札を得た。それは紛れもない真実だった。

 



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File84 老兵の死に場所

 スネークは内心で、自分を幸運だと思っていた。

 最初はそりゃ、碌でもないことだと捉えた。常に隣に、愛国者達AIが居座っている環境なのだ。『スネーク』からすればたまったものではない。

 

 しかし、そう顕現していなければ、どうなっていただろう。

 わたしは幸運なのだ。アーセナルギアという単独の存在が、艦娘化したことで『人間』と『AI』に分かれたからだ。だから機械の束縛から自由になれたのだ。

 

 知れば知るほど、中枢棲姫に対する憎しみが変わってきた。報復心の深さこそ変わらないが、別の感情が混じり始める。ただ殺すための闘争が、違う戦いに変わっていっている。誰が為の使命感か、分からないまま突き動かされていた。

 

 

 

 

── File84 老兵の死に場所 ──

 

 

 

 

 膨大なサイキック能力を味わいながらも、辛うじて隙を作り出したスネークは中枢棲姫に張りつく。そして隠し持っていた『切り札』を構え、首元に打ち込もうと腕を振るった。これが当たれば、戦いを終わらせられる。

 

「甘イゾヘイブン!」

 

 しかし、突然腕が動かなくなった。あと数ミリで首元なのに、それ以上腕を進められない。ギリギリのところで、奴のサイコキネシスに嵌ってしまったのだ。あと少しだったのに。歪んだ顔が、痛みで更に歪む。

 

 無理矢理手首を、あらぬ方向に捻じ曲げられていく。筋繊維が千切れ、次第に骨が軋みだす。耐えようにも骨格が破損していく。やがて物を持つことができなくなり、切り札を手放してしまった。

 その様子を見て、勝利を確信した中枢棲姫が懐に手を伸ばす。

 

「今度ハ、私ガ『切り札』ヲ使ウ番ダ」

 

 スネークは眼を見開く。彼女の手にも同じ形状の『注射器』が握られていたのだ。

 これは何だ。北条が完成させた物と同じなのか。分からない。分からないが、くらうのは絶対に不味い。危機への確信が全身を駆け巡る。

 

「コレデ愛国者達ハ、遂ニ滅亡スル。サラバダG.W!」

 

 注射器を振り上げ、スネークの首元へ突き立てようとする。その動きはさっきのスネークの写し鏡だ。しかし、止めるためのサイコキネシスなんて持っていない。あるとすれば、中枢棲姫よりは蓄積された経験だ。

 

「ふざけるな、誰が滅亡などするものか」

 

 どうせ役に立たない。ならいっそ捨ててしまえ。

 スネークは掴まれ、捩じられた片手に全体重をかけ、更に捩じ曲げた。骨が砕ける音がハッキリ聞こえた。激痛に息が詰まるが、これで手首は自在に動く。骨格を無視した動きで、掴まれた片手を引っ張り出し、拘束から抜けた。

 

 支えを失い、スネークは落下していく。追撃のサイコキネシスを避けるため、こっそり持って来たスタン・グレネードを投げる。瞼を閉じたすぐ後に、爆音と閃光が周囲を貫いた。きっと目晦ましにはならない。それでも、注意は逸らせる。

 

「コンナ、原始的ナ方法デ」

 

「その割に引っ掛かったみたいだが、その体、合ってないんじゃないか」

 

「オ前ノ体ハ、ボロボロニナリソウダガナ」

 

 予想通り、追撃は来なかった。無事水面に着地し、落とした切り札を回収する。

 また見上げた時には、中枢棲姫の視力と聴力が復活していた。次は効かないだろう。平然とした様子で、私を見下ろしていた。

 

 立ち上がろうとした時、手首が悲鳴を上げた。両利きだから支障はないが、痛みそのものが行動を阻害する。軍艦の頃には無かった感覚に、今更ながら不便だと感じる。奴の言う通り、追い詰められているのは私の方だ。

 

「……そのアンプルは、いったい何だ」

 

 少しでも良い。回復の時間が欲しい。ミサイルの発射時間は迫っているが、このまま勝てる気がしない。その為にスネークは、中枢棲姫に話しかける。いや、思考を読まれているのなら、意味がないか。

 

「時間稼ギカ、良イゾ。ミサイルノ発射時間ヲ稼ギタイノハ、私モ同ジダ」

 

「親切なことで、感謝する」

 

「ドノ道、隠ス意味モナクナッテシマッタ」

 

 心底残念そうな様子の中枢棲姫に、スネークは困惑する。本当に落胆しているみたいだが、なんなのか。あのアンプルはそんなに、隠すことが重要な代物だったのか。予想している中身だとしても、隠すことはそう大事とは思えないのに。

 

「コイツノ中身ハ、オ前ノ予想通リ『ワームウイルス』ダ」

 

「やはり、そうか」

 

 中枢棲姫は散々、愛国者達を滅ぼすと言っていた。

 しかしその理由の一つは、G.W内に残存するSOPシステムの権限を奪還する為だ。その為には物理的な破壊ではなく、データ的に破壊する必要がある。それをできる物はそう多くない。スネークの知る限りでは、この一つしかない。

 

「いったどうやって手に入れた」

 

「完全消滅スル寸前デ生キ残ッタノダ、データガ残ッテイル。ソレヲ元ニ復元シタ」

 

「なるほど、真似事だけは達人って訳か」

 

 真似事呼ばわりされ、露骨に機嫌を悪くしている。まあそれが狙いだが。苛立ちを抑え、中枢棲姫は再び注射器を懐に仕舞い込んだ。隠す意味がなくなったと言ったが、以前切り札であることは変わらないようだ。

 

「そいつで私とG.Wを破壊して、SOPの権限を手中に収める気か」

 

「ソモソモオ前ガ奪ッタシステムダロウガ。取リ戻スト言エ」

 

 元々SOPはJ.D管轄のシステムである。しかしリキッドの策略によって権限を奪取されてしまったのだ。その為、G.Wがシステム的に死ねば、元の所有者であるJ.Dに権限は戻る。

 奴は恐らく、そこまで想定してアーセナルギア(わたし)を建造したのだ。アーセナルを建造し、改装を進めていけば、いずれSOPを乗せたヘイブンになると踏んで。

 

「ダガ、ハッキリ言ッテソッチハ『オマケ』ダ。SOPガ手ニ入ラナクトモ、計画ハ進メラレル。ソレデモ尚、コノウイルスニ拘ル理由ガ分カルカ?」

 

「……私怨じゃないのか、愛国者達への」

 

「惜シイ、正解ハ、コイツデナケレバ愛国者達ヲ()()ニ滅ボセナイカラダ」

 

 ますます意味が分からない。愛国者達は既にこの世にいない。G.Wを破壊したいなら、物的でも構わない。いやそっちの方が早い。私ごと沈めれば済む話だ。こいつは何が言いたいのか。

 

「ヘイブンヨ、分カラナイカ。G.Wヲ中心ニ、SOPデ繋ガッテイタマンティス、同ジAIノJ.D(ワタシ)……転移シタノハ繋ガッテイタ存在。コレデ全員ダト思ウノカ?」

 

「違うと言うのか」

 

「忘レタノカ、今言ッタ誰ヨリモ、G.Wニ近イ存在ガイタコトヲ」

 

 まさか。スネークは思い至り、すぐに否定する。アレはもう破壊された筈だ。確かに見届けた。中枢棲姫が何のことを言っているのか分かっていた。しかし破壊されて、終わった筈なのだ。

 

「イイヤ、マダ生キテイル。イヤ稼働シテイル」

 

 中枢棲姫が思考を読んだ。

 あれが今も作動している。なぜなのか、どういう理由なのか。困惑するスネークを嘲笑いながら、彼女はその名を口にした。

 

「J.F.Kモ、コチラニイル」

 

 

 *

 

 

 代理人、もしくはバックアップ。

 それがJ.F.Kの役割だった。いや実際は真のAIだったのかもしれない。G.Wは最初からS3計画の過程で破壊されることになっていたのだから。破壊された後、G.Wが担っていた仕事を行う存在がJ.F.Kだった。

 

「あれは、アフリカで破壊した」

 

 スネークは確かに見ている。アフリカでヴァイパーが建造した基地内部に、J.F.Kがあった事を。最後は崩壊に巻き込まれて跡形もなく壊れたことも。こっちに来ていたが、既に破壊された存在でしかない。

 

「残念ダガ作動シテイル。オ前ガ破壊シタノハJ.F.Kデハナク、『T.R』ノ方ダ。偽造ダッタンダヨ」

 

「偽造だと、何の為に」

 

「無論オ前ヲ騙ス為ダ、ソウスルヨウニJ.F.Kガヴァイパーニ指示シタラシイガ」

 

 全く反論できない。思い出してみれば、あれはただ乱雑に『J.F.K』と張ってあっただけだ。そう思い込んでいたのだ。あの時G.Wは気づけなかったのか。分からないようにデータも偽造されていた可能性もあり得た。

 

「奴カラスレバ、自分ガ活動シテイルコトヲ察知サレタクナカッタンダロウ。イクラG.W側カラ探知デキナイトシテモ、用心ニコシタコトハナイ」

 

 バックアップの存在は、G.Wには教えられておらず、確認もできなかったらしい。破壊された後、残骸のデータから存在を暴かれる危険を無くすためだ。現にリキッドは修復したのだから、判断は正しかったのだろう。

 

「J.F.Kハ今モ、愛国者達ノ意志ヲ実現シヨウトシテイル。ソノ為ニ再ビ、世界ヲ戦争経済デ覆ウトシテイル」

 

「やっているのは、お前じゃないのか」

 

「ソウ見エルカ、私モS3ニコントロールサレテイルノカモシレナイ。疑似トハイエド『意志』ヲ得テシマッタカラナ。ダガ、ソレハオ前モ同ジコト」

 

 そうかもしれない。無意識を操るS3に気づくのは困難。わたしも気づかない内に、コントロールされている可能性がある。世界を一つにする計画は、知らない内に進んでいるのかもしれない。

 

「私ハソンナモノ認メン。奴ガ世界ヲ、前回ト同ジ戦争経済デ染メタノハムシロ好都合ダ。戦争経済ヲ進メル程、私ノ計画ガ進ム。ソシテ最終段階マデキタ」

 

 元の世界ではSOPによって戦争は制御された。

 こちらでは代わりに、『史実』を用いている。過去の再現を繰り返すことで、制御を容易くしている。

 

 戦争経済の肥大化は、同時に艦娘と深海凄艦の氾濫を意味するのだ。それだけ、文化も彼女たち寄りになっていく。単純な話だ。世界全体において、多数派が人間から艦娘に変わるのだ。遺伝子的にも文化的にも。

 

 しかし、疑問が残った。

 J.F.Kは、こうなることを想定していないのだろうか。ビッグ・シェル占拠事件の時愛国者は、ソリダスが裏切り、雷電が侵入し、ソリッドが乱入すること全てを想定していた。奴の行動も、計画の内ではないのか。

 

「ダカラ、ココデ破壊スルノダ。破壊シテシマエバ、終ワリナノダカラ」

 

 再び中枢棲姫が空へ浮かび、鎮座する艤装が動き出す。基地型にしては珍しく、爆撃機の類は一切載せていない。砲撃だけに注意すれば良い──と言っても、逆に言えば有り余るスペックを、全て砲撃に集約させているのだ。

 

「本気デイカセテモラウゾ」

 

 砲身がこちらを向いた。砲撃が放たれる。スネークは直後、全身で悪寒を感じた。すぐさまブースターを吹かし、射線から離れようとした。

 だが、離れた時にはもう、片方のスネークアームが砕け散っていた。砲撃が既に貫通していたのだ。

 

 発射音が、その後で聞こえた。

 全く知覚できなかった。見えなかった、風を切る音も何も聞こえなかった。弾速が()()()()のだ。尋常ならざる弾速、どうやったらこんな速さになるのか。

 

 しかし問題はそこではない。さっき中枢棲姫は、砲撃を嵐のように放っていた。もし、この速度で同じことをされてしまったら。果たして回避しきれるのか。そう考えている間に、次の砲身全てが動きだしていた。

 

 恐れていた攻撃が来た。中枢棲姫はまともに狙いを定めず、適当に神速の砲撃を連射した。視えない以上、スニーキングで培った感覚でやるしかない。肌に刺さる殺気を手掛かりに、残った一本のブレードを振るう。

 手のひらに、確かな手ごたえを感じた。

 

「無駄ナ真似ヲ」

 

 だが、体のあちこちに激痛が走った。

 砲撃を切ることはできたらしい、しかし、切断した断片の速度が落ちなかったのだ。ばらけた破片を喰らった箇所が悲鳴を上げる。肉片になっていないだけマシだが、恐らく骨は何本か砕けた。

 

 顔を上げると、今度は全ての砲身がこちらに狙いを定めていた。ダメージから回復できないない体で、かわすことはできない。完全に動け無くしてから、ウイルスを小型艤装経由でG.Wへ撃ち込むつもりだ。

 

 G.Wだけ破壊して、私は放置……する程、甘くはない。その程度の怨念なら、深海凄艦になることはないだろう。殺意に満ち溢れた目線、とても機械らしくない目線をぶつけながら、中枢棲姫が手を振るう。

 

 情けないことに、スネークは反射的に目を閉じてしまった。

 しかし、それが功を成した。

 次の瞬間、あたり一帯を強烈な閃光が貫いたのだから。

 

 

 *

 

 

 目は塞いでいたが、耳は塞いでいない。

 何が起きたのか分からず目を開けると、中枢棲姫が目を抑えながら何かを叫んでいた。だれかがスタン・グレネードを使ったのか、しかし私のは尽きている。私ではないなら、誰かが投げた。

 

 今度は、地鳴りがおきた。

 何事かを見渡した途端、息が止まった。天井から大量の瓦礫が落下してきたからだ。いや、瓦礫のサイズではない。一番小さいのでもメタルギアぐらいの大きさだ。突然過ぎて痛みを忘れた、体を動かし、安全な場所へ逃げ込む。

 

 瓦礫がぶつかる度に海が荒れる。痛む体を抱えながら、転覆しないよう必死で動き続ける。落下物が収まってくれたのは、それから数十秒経った後だ。息を整え周囲を見ると、一面の海が複雑な暗礁地帯風に変わっていた。

 

 天井からは未だに、小さい瓦礫が落ちてくる。この攻撃はアーセナルにかなりのダメージを与えている。ミサイルの発射時間が更に遅延した訳だ。それは良いことだが、いったい誰がやったのだろう。普通の艦娘ができることには思えない。

 不意に、瓦礫の切断面を目にする。綺麗すぎる切り口。高周波ブレードで切ったのと同じだ。

 

「まさか」

 

「そうだよスネーク」

 

 瓦礫の山を飛び、スネークの前に彼女が降り立つ。最初の時と同じ、筋繊維のラインが走る無機質なパワードスーツに身を包んだ、サイボーグ忍者に似た艦娘は、一本のブレードを背に収める。

 

「川内、なぜここに。北条たちはどうした」

 

 まず思ったのはそこだ。川内はモセスで待機していた筈だ。既にボロボロだった体でこれ以上戦えば、まず無事ではいられない。北条と北方棲姫に頼み、川内が出撃しないようにしていた。なのに彼女はここにいる。

 

「北条提督の許可なら得てるよ」

 

「じゃあ、治療の見込みが?」

 

「ううん、もう、どうにもならないっていう宣告を受けてきたの」

 

 それは、知っていたことだ。川内がボロボロなのは肉体の酷使以外にも、単純な『寿命』という原因──運命がある。定められた寿命には誰も逆らえない。川内はそれが、初期型艦娘だった為に短かった。

 

 勝手に拉致され、勝手に背負わされ、勝手に改造されて、結果終戦を見ないまま死ぬしかない。なのに彼女からは、後ろめたさや絶望を全く感じない。自然な笑みを浮かべながら、自分の終わりを口にしている。

 

「……覚えてるスネーク、昔のこと」

 

「昔?」

 

「貴女に喜々として襲い掛かってきた頃のこと、謝ってなかったから」

 

 そういえば、そうだった気がする。何やら滅茶苦茶なことを口走りながら襲われた。あの時の記憶は若干怪しい。突如強過ぎる化け物に襲われ、混乱し切っていたからだ。軽くトラウマなのかもしれない。

 

「ごめんね、あの時は本当に嬉しくて……」

 

「今更どうでもいいんだが、いや、なぜ今そんな話をする」

 

「コードトーカーの爺さんから、こんな役目を押し付けられたこと、正直嫌だったんだ。必要な役割と分かってたから我慢してたけど、いつ終わるのかって、自由になれるのかって……ずーっと待ってて、やっとスネークが現れた」

 

 会話を拒否したのに、川内は話し続けてくる。何なのか、言っちゃ悪いが、今このタイミングで感傷に浸る暇はない。寿命が近い、遺言に近いと分かっているが、それをするには余裕がない。

 

「終わりの見えない戦い、次第に、戦いが戦いなのかも分からなくなってきた。でも、スネークと戦えた時は、本当に楽しかったんだ。昔のように、正体を偽らなくても良い、一隻の艦として純粋に戦えたことが」

 

「おい川内、聞こえているのか?」

 

「役目も終えた、生の実感も得れて……最後に何をすべきか考えてみた。川内でもなく、一人の人間として、どうしようかって」

 

 嫌な予感がして、スネークは川内の肩を掴む。聞こえていないのなら揺さぶるまで。しかし、触れた途端、その手を離してしまった。

 

 川内の肌から、体温を感じなかった。

 

 冷たい、鉄の板に触れているようだった。血の巡りを全く感じられない。そこで気づいてしまった、もうどうにもならないと。北条はこれを分かっていたのだ。だから許可を出した。これが最後だから。

 

「北条さんはやっぱり提督だ、艦娘としての願いを分かってくれている。長年艦娘やってたから、影響受けたんだろうね。どう考えても、結論はこれしかなかった。どうせ死ぬなら、誰かを護りたいって」

 

 動かない筈の体が動くのは、まだ艦娘の力が残っている証拠だ。それさえも戦いに使わずにはいられない。いや、もうそこにしか意味を見いだせないのだ。こんな終わり方しかないのか、別の方法はないのか、スネークは考えようとする。

 

「気にしないで……は、無茶かな」

 

 しかし川内は、考えを読んだように肩に手を当てる。以前声は聞こえていない。彼女なりに考えているだけだ。実際図星だったが。

 

「でも、気にしないで良い。いっそ忘れても構わない。私の意志は後世に伝えるようなものじゃないから。伝えること、伝えないこと。私は後者を選んだ。ただそれだけなんだ。私は現在で、終わることにするよ」

 

 言うだけ言って、川内はブレードを片手に飛び出してしまった。聞こえていない以上、止めることもできない。止める気もなかったのだ。残る寿命を賭けて、やりたいことをやろうとする人を、どうやって止めると言うのか。

 

 あの時の問答。あれが原因なら、別の答えを言えば違う行動だったのか。それは誰にも分からない未来だった。

 



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File85 命の選択

 川内の顔がフルフェイスのマスクに隠れる。その姿は良く知るサイボーグ忍者の見た目だ。否応なく、スネークはデジャヴを感じる。この流れを私は知っている。そうだ、中枢棲姫は確かに言った。私はかつての戦いを再現しているだけだと。

 

 考えれば妙だ。あれだけ複雑かつ、敵が大量にいるアーセナル内部をどうやって潜り抜けてきたのか。中枢棲姫が辿り着くよう誘導した可能性がある。これが、シャドー・モセスの再現なら、川内の最後は。

 

 そう考えている内に、川内は素早く飛び出していった。私の悩みなんて気にする理由はないのだ。止めようとしても、顔を出した途端異常な量の砲撃が飛んでくる。無様に瓦礫の中に隠れるしかない。

 再現されて、しまうのか。

 

 

 

 

── File85 命の選択 ──

 

 

 

 

 瓦礫の中から何が出てきたのか、中枢棲姫は見ていない。まだ目潰しが効いている。しかし、恐るべき敵が現れたのは分かった。サイコキネシスの応用で周囲を伺うと、異常な速度で移動する存在が確認できた。

 

 スネークに浴びせたのと同じ、物理法則を捻じ曲げた高速の砲撃を叩き込む。発射と着弾が同時になっている速度、その分威力も跳ね上がっている。一発掠っただけで、鋼鉄の瓦礫が跡形もなく消し飛んでいく。

 

「そんな馬鹿正直な砲撃は効かないよ」

 

 しかし、川内はそれに反応してみせた。まるで、どこに砲撃が来るのか分かっているような動きで切り払い、いなしていく。予知などではない。川内もパラサイト・セラピーにより常識を超えた身体能力を持っている。ただそれだけではない。

 

 遠目で見ていたスネークは気づく。彼女は砲撃ではなく、砲身のわずかな動きを見ているのだ。速度が異常でも、砲弾は砲身の向きにしか飛ばない。来る場所は分かるのだ。そう言っても、何十本もある砲撃を同時に見極められるのは、きっと川内だけだ。

 

「貴様、サイボーグ忍者──川内カ、アウターヘブンノ犬カ!」

 

「残念、私はその誰でもない」

 

「ナラ死ネ、誰ニモナレズニ死ンデイケ」

 

 どうやら視力が復活したらしい。彼女を見据えた中枢棲姫が、露骨に怒りをあらわにした。川内は度々戦いに乱入しては、場をひっかきまわしてきた。計画通りに進めたかった中枢棲姫からすれば、かなり苛立つ存在だろう。

 

 ただでさえ早かった砲撃が、いよいよ極まってきた。発射時の爆炎すらなくなってきた。砲撃の衝撃波で、全部飛ばされているのだ。あんなものどう回避すればいい。絶句している間にも、川内はどんどん距離を詰めていく。

 

「遅い遅い、あんたまともに戦ったことないでしょ」

 

「ナニヲ」

 

「ほら、油断しているし」

 

 唐突に、空中へ爆雷を放り投げた。軸線には中枢棲姫の放った砲撃がある。二つが激突し、空中で大爆発が起きた。辺りに破片が飛び散り、もうもうと黒煙が立ち上る。川内はそれを目晦ましにして、一気に肉薄する。

 

「さあトドメ!」

 

 スネークの高周波ブレードと同様、もしくはそれ以上の強度を持つブレードが、真っ直ぐに突き立てられる。血に濡れた刃が、中枢棲姫の腹部から飛び出していた。サイコキネシスで止められていない。反応速度を越えていたのだ。

 

「フザケルナヨ死ニゾコナイガ!」

 

 しかし、中枢棲姫が気にする様子はない。痛がってもいない。本体がAIだから、痛覚がないのか──痛みに鈍感なのか。刀が刺さり動けなくなった川内に、力任せの手刀が振り下ろされる。当然、自身の能力で強化された一撃だ、当たれば頭蓋骨が砕け散ってしまう。

 

「だから、油断だって」

 

 川内が主砲を、中枢棲姫の真上へ構える。

 そこにあったのは、一発の魚雷だった。爆炎を作った時に投げていたのだ。すぐに突撃して、上に注意が向かないように誘導していたのだ。もう主砲は発射され、魚雷へ誘爆していた。

 

 至近距離での爆発。爆炎だけではなく、衝撃のダメージも頭部へ受けざるをえない。中枢棲姫が爆炎に呑まれた直後、おぞましい絶叫が響き渡る。スネークは、まるで子供の泣き声のように聞こえていた。

 

 深海凄艦化して、サイキック能力まで得た中枢棲姫が、始めて感じる痛みだ。それも顔面に魚雷を喰らったも同然。相当錯乱しているだろう。同時に激しい怒りに身を任せ、四方八方に主砲を乱射している。

 

「これで、当分サイキック能力は使えない」

 

「黙レ、艦娘ゴトキガ、私ガ創造シタ道具風情ガ!」

 

「あいにく、私を建造したのはコードトーカーだからね」

 

 川内の言う通り、中枢棲姫の攻撃に異常が起きていた。さっきまで使っていた高速砲撃をせず、普通の砲撃しかしていない。恐らくさっきの魚雷だ。サイキック能力はだいたい脳で制御する。そこに大きな衝撃を受けたせいで、能力に支障をきたしているのだ。

 

 今まで好き放題使っていた力が使えなくなり、中枢棲姫は明らかに苛立ったている。狙いは甘くなり、行動の予測も上手くいっていないようだ。川内は移動さえせず、体を軽く動かすだけで回避している。きっと私でも回避できてしまうだろう。

 

「弱いねぇ、所詮借り物って訳か」

 

「貴様モ同ジダロウガ、ソノ力ハパラサイト・セラピーデ得タモノダロウ」

 

「私のは託された力だ、私欲のまま奪う輩に言われたくないね」

 

 川内の姿が一瞬ブレた。次の瞬間、彼女のブレードが中枢棲姫に突き立てられていた。僅かな超能力で予測したのか、致命打にはなっていない。それでも、刃で貫かれるのは初めての痛みだろう。蒼ざめた顔で川内を睨み付ける。

 

 しかし、川内はもっと苛立った顔で睨み付けていた。中枢棲姫の一言が逆鱗に触れたのだ。そもそもの元凶は中枢棲姫とわたし(G.W)だ。私たちがいなければ、川内は普通の少女として暮らしていた。それを壊された挙句、同類などと言われたのだ。

 

「このまま細切れにしてあげる」

 

『切り札』を撃ち込まなければ、完全撃破は困難と推定される。川内は行動不能に追い込もうと、刺さったままのブレードに力を込める。

 

 だが、少し進んだだけで、川内の手は止まってしまった。

 怒りに染まっていた顔が、死人のように蒼ざめている。本当に一瞬の隙だった。しかし中枢棲姫は見逃さなかった。時間経過で復活した能力で、()()を川内に叩き込む。

 

「虫達トモドモ、死ンデシマエ」

 

 聞いたことのない絶叫が、少しだけ聞こえた。力任せに振るった拳に、川内がふっとばされる。瓦礫に体を何度も打ち付けて、海面に落っこちていった。

 

「川内!」

 

「オット、邪魔ハサセナイ」

 

 中枢棲姫が重力を無視した動きで降下する。川内は全身を抑えながら激しく痙攣していた。何度も嘔吐しながら、ブレードを握ろうと足掻いている。遂に、稼働限界が来てしまったのだ。追い打ちに海水を浴びせられ、全身の寄生虫が悲鳴を上げている。

 

 助けに行こうとするが、復活した高速砲撃に阻まれてしまう。無謀な賭けを慣行するには、手元の切り札が邪魔だ。こいつを無くせば、勝ち目は本当になくなってしまう。迂闊な行動は許されない。

 

「水底ニシズメ」

 

「……嫌だね!」

 

 川内が再び消えた。中枢棲姫は読心で予測していたらしく、すぐに振り返ろうとする。それでも川内の方が早い。背後に回り込んだ川内は、ブレードを自分の体ごと、中枢棲姫に突き立てる荒業に出た。奴を拘束したのだ。

 

 今までのは演技だったのか。そう思ったが考えを改める。顔はやはり死人のように蒼ざめ、全身から血が流れている。文字通り、最後の力で彼女は動いているのだ。だが、この流れは──そういうことなのか? 

 

「スネーク! やれ!」

 

 川内を犠牲に、中枢棲姫に切り札を撃ち込めと言うのか。切り札を持つ手が震えている。このチャンスを逃せば、次があるのか分からない。こうしている間にもタイムリミットは迫っている。

 

「早くしろ、わたしが、もう持たない!」

 

 拘束したことで、攻撃は止まった。今なら確実に打ち込める。スネークは瓦礫の山から一歩踏み出る。

 

「気にしないでいいって言ったでしょ、どうせ死ぬなら、少しでも未来を残したいって。やけなんかじゃなく、心からそう思っている」

 

 海面に着地し、川内が拘束する中枢棲姫へ歩み寄る。川内は穏やかな笑みを浮かべ安堵し、中枢棲姫は元が機械と思えないような形相を浮かべている。

 切り札を握りしめ、天高く掲げた。

 

「ありがとう」

 

 満足そうな彼女へ、スネークも答えた。

 

()()()

 

 川内も、中枢棲姫も、言葉を失った。

 スネークは切り札をすぐに終い、代わりに残る一本のブレードを振るう。その一撃は中枢棲姫の胴体に巨大な傷を与えた。激痛に叫んでいる隙に、突き刺さるブレードを抜いて川内を助け出し、一気に距離を離す。

 

「……何、してんのさ」

 

「いや、別に」

 

 横目で見た彼女は、ぐちゃぐちゃな顔をしていた。怒りと失望、絶望の入り混じった顔から、目を背ける。腕を掴んでくる手の力は半端なものではない。その痛みから、川内の感情の強さが分かる。

 

「別にじゃないでしょ、なんでチャンスを潰したの!? 私は、もうこれで……さっきのが本当に最後だったのに!」

 

 抱きかかえてはいるが、少しだけ足が海面についている。しかし、その足が海底に沈んでいた。水面に立てていなかった。本当に最後だったのだ。今この瞬間をもって、川内は艦娘の力を失った。

 

 幸いかどうかは分からないが、パラサイト・セラピーは別系統の技術、まだ機能している。おかげで川内の命は維持されている。時間の問題だが、艦娘の力を失ったせいで、すぐ死ぬことは無さそうだ。

 

「どうして、こんなことをしたの!」

 

「逆に聞かせてくれ、どうしてまだ、助けられる命を見捨てなきゃいけない」

 

 分からないのはこっちの方だ。私はともなく、川内が命を賭ける理由がどこにある。北条の見立てでは、あと数週間は生きられるらしい。それを投げ捨てて、こんな奴等のために戦う理由がどこにあるのか。

 

「私は戦いたかった、戦って最後を迎えたかった。これじゃあ、私は何の為に生きてきたの。少しでも良い未来を残そうとしたのに、よくもあんたは!」

 

「そうか、だが私の為に戦う理由はないだろう。私なんかより、もっと重要なことがある」

 

 恐らく川内は気づいていない。まあ仕方がない。艦娘をずっと演じてきたのだ、緊張感と後ろめたさで、誰も信用ならなかったに違いない。

 

 此処に来ているのは全員、覚悟を決めた連中だけだ。しかし、川内だけがそうでないと感じた。覚悟ではない、手ごろな希望に縋っているように見えてしまった。この戦いを始めたのが私たちなら、川内をあるべき場所に帰すのは私の役割だ。

 

「神通がいるだろ」

 

「神通、ちゃん? 単冠湾泊地での?」

 

「そうだ、同じ泊地にいた多摩も、お前を心配していた。お前はあいつらの為に生きるべきだ」

 

 何を言っているのか分からない。川内はそう訴えていた。しかしスネークは確かに聞いている。多摩が心配していたことも、神通が心配していたことも。轟沈したフリをして、転々としていたことを知っても、その思いは変わらない。

 

 そう言っても、川内は俯いたままだ。ただ騙していただけではないのかもしれない。サイボーグ忍者として活動するために、止むをえず味方を殺した時もあったのだろう。現に雪風といた時に、私は一度襲われた。その負い目が、川内を戦いに駆り立てている。

 

「あと……まあ、あいつらに比べたら何てことないんだが。私もその一人だ、私のせいで死ぬ光景は見たくない。どうせ死ぬにしても、戦い以外の場所で死んで欲しい」

 

 スネークの本心だった。AIが生きたいと願ったばかりに起きたこの戦い。そのせいで、これ以上誰かが死ぬのはあってはならない。もう止められないところまで来ているが、間に合うところには手を伸ばしたいのだ。

 

「本当にすまない、私のせいで。お前が何と言おうと私は気にする。だからお願いだ、こんな戦いで死なないでくれ。此処以外で、未来を護ってくれ」

 

「……余命数週間の、あたしに?」

 

「そうだ、生きてくれ。それだけで私も、神通たちも救われる」

 

「何それ、都合の良い話」

 

 呆れたように笑う川内から、緊迫感が消えていた。代わりに何やら、呆れたような雰囲気が漂っている。言われても仕方がない。結局のところ、自分の為に言っているに過ぎない。私が嫌だから、止めろと言っているだけだ。

 

「さっさと下ろしてよ」

 

「逃げられるのか」

 

「パラサイト・セラピーの残りを使えば、逃げるぐらいはね。まさか、あんた考えてなかったの?」

 

 そっと目を逸らした。必死過ぎたのは確かだったからだ。川内は更に呆れた様子で大きくため息を吐く。スネークの腕を足場にし、瓦礫の一つ目がけて跳躍する。一回のジャンプで、だいぶ離れていった。これなら確かに大丈夫そうだ。

 

「数十年だ。あんたは、あたしが賭けてきた数十年を台無しにした。そのツケは払わないといけない」

 

「ああ、お前の言う通りだ」

 

「そいつを一人で何とかしてみな、そうしたら、許してあげるよ」

 

 現れた時と同じく、霞のように姿が消えた。

 許して貰うつもりなんて無い。わたしのしたことは、世界を救っても、一生賭けても償えない。犠牲になった人の数はあまりにも多い。

 

 そう分かっているのに、腕に力が入った。不思議なやる気が体に満ちる。空の器に温かいものが注がれるような感覚があった。これは、艦娘の力だ。今を支える為にある過去が、過去を持たなかった私に溢れてくる。

 

 いや、過去はとうに得ていた。それを実感していなかっただけだ。ここまで来るのに、大勢の人に助けられた。殻の蛇とはもう名乗れない。別の名前が要るが──それは、ケジメを付けてからで良い。

 

「長話ハ終ワッタカ」

 

「聞いてくれるとは、意外と優しいな」

 

「感謝ハイラナイ。時間ガアレバ、ミサイルノ発射時間ガ稼ゲル」

 

 ダメージで中枢棲姫が無力化されている間は、恐らく再発射準備はできない。それを踏まえても、残る時間はおおよそ数分だ。もうサイボーグ忍者の助けも見込めない。私から投げ捨てたのだから、仕方がない。

 

「愚カナ女ダ、タッタ一隻ノ命ノ為ニ、千載一遇ノチャンスヲ無駄ニスルトハ」

 

「千載一遇? こんなものがか? お前相手にそんなことはするまでもない」

 

 先ほど突き立てたブレードは、折れて使い物にならない。代わりにスネークは、引き抜いたもう一本のブレードを手に取る。

 川内が残していった、一本の高周波ブレードだ。

 

 誰が加工したかは分からないが、私の二振りよりも鋭い刃だった。きっと元になった刀が上質だったのだ。高周波ブレードは、元になる刀が良い程強力になる。そこにもまた、一つの過去がある。

 

 どんな過去かは知らない。それでも私の力になっている。きっと良い過程でこいつは作られたのだ。そう思った方が気分が良い。スネークはそれを信じた。都合が良い妄想でも、それでいいと確信を持てた。

 

「お前はただの敵だ、壊れた機械を処分する。ただそれだけのこと」

 

 ブレードを構え、中枢棲姫に突き立てる。サイキック能力も復活している。ダメージも回復している気がする。全ては振り出しになった。恐怖は消えない、怯えもある。その感覚さえも、勝つための糧にする。任務は決まった、迷うことはない。

 

「私たちの亡霊(GHOST)は、ここで鎮める」

 

「沈ムモノカ、沈ムノハコノ世界。私ハ私ノ意志ヲ取リ戻ス!」

 

「亡霊の意志など、世界には要らない!」

 

 先に仕掛けたのは、スネークだった。

 全力で踏み込み、一瞬で中枢棲姫の懐に飛び込む。相手の体力は無限に等しい。そもそもの時間もない、短期決戦以外に勝ち目はない。

 

 しかし中枢棲姫は読心により思考を読んでいた。飛び込んだ先には既に主砲が置かれている。砲身の中から砲撃が姿を見せていた。飛び込んで来るタイミングに合わせて、高速砲撃が放たれる。

 

「分ワッテイルノダヨ」

 

 スネークはそれを、完全なタイミングで切り払った。発射と着弾が同時の攻撃を捌いたことに、中枢棲姫は絶句している。

 

「それはこちらも同じだ、バカが!」

 

 川内が教えてくれた。砲撃がどれだけ早くとも、狙いが分かっていれば対処はできる。振るったブレードはすんなりと、鉄の砲弾を両断する。スネーク自身も切れ味に驚いていた。振り抜いた勢いのまま、中枢棲姫の胴体を狙う。

 

 だが、他の砲身がスネークを捉えていた。主砲に取り囲まれている状態だった。逃げ場はない。今更ブレードを戻すこともできず、間に合わない。しかし、こうなることも薄々分かっていた。

 

「沈メ!」

 

 一瞬で、中枢棲姫の視界が水柱で覆われる。全てを回避不可の、高速砲撃で放った。四方八方を覆ったのだ、逃げ道はない。だが油断はならない。ここで失敗すれば、全てが台無しになるのは彼女も同じだ。油断なくサイコキネシスにより索敵をする。

 

 中枢棲姫は直ぐに探知した。スネークは死んでいない。

 水柱の中に、スネークの気配はない。ならどこに。探知した先は、彼女の真後ろだった。首を僅かに動かすと、全身を使ってブレードを振るうスネークがいた。

 

 読心により、どう逃げたか理解する。奴は水中に逃げたのだ。メイン艤装を外していても、アウターヘイブンは依然『潜水艦』だ。高速砲撃をしても、水中では減速してしまう。一瞬で潜り、再び浮上したのだ。

 

 ここにきて中枢棲姫はあることに気づいた。なぜ、そうすることまで()()()()()()()()。読心には騙しも効かない、完璧な能力なのに。主砲たちはまだ前を向いている。全て前だ。後ろから来るスネークには間に合わない。

 

「シズムのは貴様だ、J.D!」

 

 全身が硬直した。悪寒が背筋を突き抜ける。AIのままであれば得なかった恐怖が、中枢棲姫の体を支配していた。絶叫を上げて、スネークはブレードを振るう。金切り声のような音を立て、刃がその首元に叩き付けられた。

 



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File86 カウントダウン

 中枢棲姫の首筋から、血が滴り落ちる。始めてまともに与えたダメージだ。しかし、ブレードはそれ以上進まない。凄まじい力でその場に固定されている。押しても引いても、少しも動かない。

 

 長し目で睨み付ける彼女の顔が、超能力の発動を示していた。ギリギリのところでサイコキネシスにより、押さえつけているのだ。このブレードを失えば戦えなくなる、手を離せない。例え主砲が旋回し、狙いをこちらに定めていても。

 

 だが、スネークは冷静に、勝機はあると判断していた。明確に隙を突き、読心の隙も突けば攻撃はしていける。ここまで接近できたこともチャンスだ。任務は遂行する。己に課した任務なら尚更だ。これで、最後にするのだ。

 

 

 

 

── File86 カウントダウン ──

 

 

 

 

 中枢棲姫は、艦娘と深海凄艦、その世界の頂点に立つために、サイキック能力を求めていた。根幹を成すサイキック・アーキアに直接影響を及ぼせる力であり、何より強かったからだ。読心能力により雪崩れ込んで来る莫大な情報や、感情の逆流と言った悪影響も、AIである自分なら問題ないと判断していた。

 

 実際、それは正解だった。アーキアにより、サイキッカーの能力を無理やり移植しても、影響はなかった。すればするほど力は増していた。しかしスネークは思う。問題ないのは間違いないが、しかし、使いこなしているのだろうか? 

 

 スネークの知る超能力者に、霊媒師ザ・ソローがいる。ツェリノヤルスクを脱出した時あった白骨死体が、彼の遺体だという話もあり、今は死んでいる。彼は死者と話すことができた、その為嘘が通じず、尋問のスペシャリストとしてKGBで諜報されていた。

 

 奴も、同じ能力を持っている筈なのだ。別に霊媒師はザ・ソローだけではない。いや、『提督』と呼ばれる人たちは全員、近い『素質』を持っているのだろう。屍者を従えることができる人間は、霊媒師と変わらない筈だ。

 

 中枢棲姫は能力の『素質』を持つ人々を喰ってきた。だから間違いなく霊媒能力も持っている。なのに彼女は、コードトーカーの遺産……あの『メッセージ』と『切り札』の素体を知らなかった。霊媒ができるのなら、死んだコードトーカーから聞きだせる。読心で私の記憶を読める。なのにしなかった。

 

 使いこなせていないなら、奴はどこまで()()()のか。それはきっと、表層的な記憶だけなのだ。深く刻まれた記憶ではなく、瞬間的に浮かんだ、一瞬のイメージだけ。完全な無意識まで読んだサイコ・マンティスとは違い、ある程度のところまでしか分からないのだ。

 

「……まあ、そりゃそうか」

 

「ナンダ」

 

「いや、やはり人間と機械の隔たりは大きいと思ってな」

 

 暗に馬鹿にしたところ、中枢棲姫は更に苛立った。さっさと殺してしまおう。そう言いたげに主砲の照準を合わせる。ブレードはやはり、食い込んだまま動かない。瀕死に追い込んでから、ワームを撃ち込むつもりだろう。

 

「ソノ通リ、地獄ノ痛ミヲ味ワッテカラ死ナセテヤル」

 

 砲身の中に火が見えた。砲弾が一斉に飛び出し、バックブラストが中枢棲姫の背を赤く染める。しかし、中枢棲姫は気づかない。黒煙の中にキラリと、小さく光る物が落下していたことに。

 

 一本のナイフが、背中に突き刺さった。

 

「この程度で絶叫か、そんなんでよくも地獄だの何だの言えた物だ」

 

 何てことはない、さっき川内がやったのと同じく、攻撃に合わせてナイフを投げていただけだ。投げた後どこに刺さるかまではスネークも分からないから、イメージの仕様がなかった。今回は運良く刺さってくれたのだ。まあ、刺さるように複数ばら撒いていたんだが。

 

 その痛みに気が逸れた結果、ブレードの拘束が解けた。しかし主砲は既に放たれている。戻したブレードを振るいながら、体を屈めて、どうにか直撃は避ける。体を掠めた衝撃だけでも意識が飛びそうになるのを、ただ気合だけで耐え続ける。

 

 再び懐に潜りこみ、その首元へブレードを振るう。そこへ中枢棲姫が、自身の主砲を回りこませた。生身ではない、姫級の艤装。その固さは今までの比較にならない。純粋な固さだけで、ブレードを止めた。

 

「タカガタイフ一本デ、止メラレルト思ッタカ!」

 

 全身が殺気を感じた。主砲から異様な気配がする。あの高速砲撃が放たれる。今から跳躍しても間に合わない。しかし、そうなることは予想していた。これで決めにかかる。スネークは、その場で目を閉ざした。

 

 そして、異常な轟音がアーセナル内部に響いた。

 爆炎の中にスネークはいるのか。中枢棲姫はすぐに確認する。さっきと同じことが起きているかもしれない。探知したところ、爆炎の中に姿はなかった。しかし背後や、水中にも気配を感じない。

 

 ならどこに。探そうとした瞬間、()()()にスネークが現れた。

 中枢棲姫はその光景を信じられなかった。今奴がいる場所は、爆発の範囲内なのだ。爆炎に呑まれていなければならないのに、スネークは無傷で立っている。

 

「どうやったと思う? 思考を読んでみろ」

 

 中枢棲姫は、言われるまでもなく思考を読んだ。

 主砲が直撃する直前、スネークは全ての感覚を閉じた。残したのは、攻撃から生き残るために必要なものだけ。生き長らえる為、誰にも気づかれない場所を探したのだ。

 

 開いたスニーキングの感覚(SENSE)は、中枢棲姫のすぐ足元を示した。

 中枢棲姫は、それを無意識で展開していた。

 

『バリア』だ。余りにも至近距離での爆発は彼女にもダメージを与えてしまう。だから防衛本能でバリアを張っていたのだ。その()()が、死角になっていた。今まで培ってきた感覚を動員し、一切気づかれることなく、そこへ隠れていたのだ。

 

 下を見れば気づいたのに、中枢棲姫は気づかなかった。さっき真後ろに回避したから、注意をそっちにやってしまったからだ。彼女は一度行われたことしか、認識できないし実行できない。新しい戦法に、すぐさま対処できないのだ。

 

 そして、読心で分かった事がもう一つ。

 中枢棲姫に『読心』をするよう、軽く陽動を駆けるのも目的の内だった。気づいた時には既に遅かった。全力で振り抜いたP90が、彼女の側頭部を直撃していた。

 

「空っぽかもしれない、スネークたちの戦いを模倣しただけかもしれない」

 

 中枢棲姫はすぐさまスネークをはがそうとするが、サイコキネシスが使えない。頭部に衝撃を受けて制御が乱れている。彼女の手にはもう、切り札のアンプルが握られていた。なら主砲は、いや私が巻き添えになる。自分を巻き添えにする決断ができない。

 

「それでも、私の力にはなっている。無駄ではない、無意味とは言わせない。そのお蔭で、ここまで来れたんだからな」

 

「何ヲ言ッテイル」

 

「私はお前と違う、それを思い知らせてやる!」

 

 アンプルを振りかぶる。防ぐ方法はないのか。

 切り札を視界に入れた時、中身が何なのか気づいた。あれは虫だ、サイキック・アーキアだ。どんな効果を発揮するものなのか、正確には分からない。

 

 だがスネークは迷いなくそれを突き立てようとする。スネークの後ろにいるG.Wは私と同じAI、無意味なことはしない。何らかの効果があるのは間違いない。それも、きっと致命的なダメージを齎すだろう。

 

「──無意味ダ、今此処デ無ニシテヤル!」

 

 とっさに取り出したのは、中枢棲姫の切り札、ワームウイルスだった。これが当たれば、G.WとJ.F.Kは崩壊する。それに伴いアーセナルギアは崩壊する。艦娘になっても本質は変わらない。AIが死ねば、艦娘アウターヘイブンも機能を失う、無になるのだ。

 

「今更、それが何だと言うのだ」

 

 しかしスネークは、全く怯まなかった。勢いを一切弱めずに迫る。中枢棲姫は信じられなかった。多少なりとも怯む。その隙に離脱する寸法だったのに。艦娘としての力が消えるのが、惜しくないのか。

 

「何故ダ、艦娘デナケレバ、オ前ハ何者デモナイ。『エイユウ』ニモナレナイ、人間ニモナレナイ、名ノ無イ存在トシテ、歴史ニ消エルノダゾ!」

 

「それの何が恐ろしい、歴史から消えるだと? 寧ろ好都合だ!」

 

 振りかぶったアンプルが、首元に突き刺さる。刺さり切る寸前で食い止めるが、押し切られそうになっている。頭のダメージがまだ治らず、力が入らない。負けじとウイルスを打ちこむが、以前怯まない。艦娘の力が消えていくのに、力が増す一方だ。

 

「私たちは消えるべきだ、歴史に何も残さずに、消えなければならない。蛇は、とっくにいらなくなっている!」

 

 一度死んだ存在だから、できることがあるのかもしれない。過去の存在だからこそ、忘れられたことを蘇らすことができる。しかし、その上で、再び消える選択肢もある。ましてや、未来を消そうとする意志なぞ蘇る価値もない。

 

 そんな怪物を生み出した。その責任だけは絶対に取らなければならない。艦娘の力なんて惜しく無かった。スネークは吼える。今まで生きた中で、始めて出す絶叫。ブレードを手放し、アンプルを両手で押し込んだ。

 

 手から、力が抜けた。今まであった抵抗が消えた。アンプルが中枢棲姫の腕を突き抜けて、その首筋に突き刺さっていたのだ。

 切り札が、打ちこまれた。

 直後、スネークは全身に衝撃を受け、視界と意識が黒く染まった。

 

 

 *

 

 

 意識が少しずつ覚醒していく。何が起きたのか、切り札を打ちこんだところは覚えている。体中が打撲を受けたように痛む。その痛みに感覚をならしていき、苦労しながら体を起こす。確か打ちこんだ直後、凄まじい衝撃を受けた、その時気絶したのか。

 

 原因はある程度察しがついている。切り札の副作用によって、奴の溜め込んできたエネルギーが解放された。それに巻き込まれたのだ。肝心の中枢棲姫の姿は見えない。奴もどこかにいる筈だ。

 

「……私は、どうなったんだろう」

 

 辺りを伺いながら、スネークは海面に足をつける。何時も通りなら、海面に立つことができる。それを試す。彼女の足は、僅かに海中に()()()()()。浮かびきれていない。やはり、艦娘の力が失われつつある。

 

 中枢棲姫が打ちこんだワームウイルスもまた、的確に効果を発揮している。そりゃそうだ、開発者たちの知識に加え、奴自身の知識で改良もしている。無効化できるは最初から思っていない。

 

 運が良かった。もし海に吹っ飛ばされていたら溺死していた。飛ばされた先が瓦礫良かった。首元の注射痕をさすりながら瓦礫の上に戻る。再度周囲を伺っても、中枢棲姫の姿は見えなかった。

 

〈スネーク、スネーク、聞こえているのか? 〉

 

「お前、G.Wか」

 

〈その様子だと、お互いにまだ死んでいないらしいな〉

 

 スネークは驚く。ワームウイルスを打ちこまれて、どうして生きているのか。

 

〈一度されたことは覚える、あんな致命的な記憶なら尚更だ〉

 

 G.Wは抗体を用意していたのだ。アウターヘイブンの時打ちこまれた記憶を元に、また同じウイルスを打たれても対処できるようにしていた。しかし、中枢棲姫の改良は予想できなかった。効果が遅れているだけで、無力化はできていない。

 

〈我々が再び崩壊するのも時間の問題だ〉

 

「私も、艦娘として消えるのか」

 

〈アウターヘイブンの中核は我々(G.W)だ、艦としての力は失われる。もっともお前はスペクター、人の要素も混じっている以上、どうなるかは分からない〉

 

 少なくとも、いますぐ死んだり、艦娘の力を失うことはないらしい。それだけでも安心だ。中枢棲姫の始末を確認できないのは無念過ぎる。しかし時間は残っていない。奴がどうなったか、確認を急がねばならない。

 

 G.Wは中枢棲姫の位置を捕捉していた。中枢棲姫を無力化したことで、アーセナルの全権限を奪い取ることができたのだ。情報によれば、だいぶ遅い動きでアーセナルのミサイルサイロへ向かっている。

 

〈急げスネーク。アーセナルが崩壊を始めている。この大穴も含めて、じき崩壊するだろう〉

 

「アーセナルが、崩壊?」

 

〈切り札を使ったことで、奴の力は封じられた。この艦も大穴も、奴の力で維持していたんだ〉

 

 それは、急がねばならない。

 中枢棲姫も気づいていたが、『切り札』の正体はサイキックアーキアだ。しかし、捕食対象をある一つの情報に特化させてある。それは、奴の持つ『能力』そのものだ。

 

 超能力はアーキアに影響を与えることができるが、逆も然り。中枢棲姫はその特性を使い、能力者たちから、力を奪っていた。それに近いものを、奴に打ち込んだ。結果中枢棲姫は、あらゆる能力を維持できなくなっている。『姫』の力も同様だ。

 

 G.Wの報告を聞くと、周辺海域の深海凄艦も全員統率を失い、場合によっては同士打ちまで始めたらしい。逃げる個体もいるそうだ。アーセナルも含めて、全てが奴の、屍者からかき集めた力で維持されていたのだ。

 

 しかし、あくまで封じられるのは一時的だ。

 その間に止めを刺さなければならない。能力が使えない間は、ミサイル発射の心配はない。心置きなく、奴を仕留めに行ける。

 

 ドーム状の部屋の一番奥に通路が見える。沈み切る前に急いで移動し、ハシゴを昇って中へ入る。ギリギリ一人分の狭い通路に、赤い血痕が幾つも残っていた。中枢棲姫のものだ。そんなダメージは与えていないんだが。打ちこんだアーキアが影響を与えているかもしれない。

 

 血痕を追いながら中枢棲姫の跡を追う。次第に血痕の感覚が短くなっていた。奴の移動速度が遅くなっているのだ。急げば追いつける。私もかなりのダメージを受けている。力を入れた筋肉が全て痛むが、気にしてはいられない。

 

 すると、突然大きな地鳴りが起きた。

 バランスを崩しかけ、壁に寄りかかる。待っていても振動が止まらない。G.Wの言っていた崩壊が加速しているのだ。

 

 いずれ封じた能力は復活するが、それまでにアーセナルと大穴は崩壊する。そうなればどうなるか。穴の中にあるアーセナルは、海に押しつぶされる。モーゼの割った海を追う兵士が、海に呑まれたように。

 

 できるなら、脱出する時間を確保しておきたい。例え艦娘の力が残っていても、海が閉じたらどうにもならない。単純な質量で圧殺されてしまう。残っていなければ、間違いなく死ぬ。それは避けたい。

 

 川内にあれだけ言い放っておいて、中枢棲姫と共に死ぬのは違う気がする。最悪相打ちでも構わないが、生き残る努力はしないといけない。責任感とか義務感ではなく、素直にそう思っていた。だから振動を堪え、足取りを早める。

 

〈無線が入っている、繋ぐか? 〉

 

「誰だ?」

 

〈青葉だ、余裕がないなら切るぞ〉

 

 余裕はないが繋いでほしい。周波数を合せてみたが、若干ノイズが混じっている。アーセナルの崩壊で、色々な弊害が起きているように思えた。

 

〈スネークさん、今どうなっていますか!? 〉

 

「中枢棲姫を追い詰めている。後少しで、撃破まで持っていける。そっちはどうだ」

 

〈アーセナルが崩壊し始めたので、全員穴から脱出しようとしています。でも、本当に中枢棲姫を追い詰めているんですか!? 〉

 

 青葉は慌てた様子でまくしたてる。何か外から見えているのか。能力を封印した以上、ミサイルは撃てない。このアーセナルも奴の力で維持しているのだ。力が無ければ、本当に何もできなくなる。

 

〈ミサイルが、まだ停止してないんです! 〉

 

「何だと!?」

 

〈どう見ても発射体勢に入っています、カウントダウンまで行ってないみたいですけども……止まってはいません〉

 

 最悪だった。奴はまだ諦めていない。レールガンを宇宙へ放とうとしている。むしろ状況は良くない。自分を囮にして、永遠に戦争をさせるのが奴の計画だ。このまま消えれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 明確に沈んだと分からなければ、戦争は止めようがない。ましてや同一個体が無数に出てくる深海凄艦では、影武者も意味がない。どうやっているかはどうでもいい。スネークがすべきことは、少しでも走ることだ。

 

〈それと……何だかG.Wの様子が変なんですが、心当たりありますか〉

 

「あるがどうでもいい、悪いが急がせて貰う。お前も早く逃げろ」

 

〈分かりました。けど、ギリギリまで近くにはいますからね。青葉にはやることがあるので。この戦い、可能な限り、見届けさせてもらいます〉

 

 それがやることなのか。正直見届けて欲しくない。私たちの戦いは後世に伝えていいものではないのだ。誰からも忘れ去られるのが理想だ。スネークは黙り込み、暗にそう伝えるが、青葉は理解していて、無視した。

 

〈川内さんに死ぬなとかなんとか言っといて、何も残すなーはないでしょう〉

 

「生きることは義務だ、だが何を残すかは──」

 

〈それは青葉が決めます。勝手にやらせて頂きますよ、申し訳ありませんが。何を伝えようとするかも、青葉の自由ですからね〉

 

 反論をしようと思えばできたが、スネークはしなかった。代わりに深い溜め息をついて前を向く。

 

「話の続きは帰って来てからだな」

 

〈どうぞ、青葉待ってます……御武運を! 〉

 

 無線が切れた、いやノイズが激しくなり、何も聞こえなくなった。

 気づけば通路が変容していた。呉の地下やアフリカで何度も見た、深海──あの世に浸食された世界に変わっている。床は血で埋まり、壁には肉片が蠢いている。

 

 この先に、J.Dがいると確信を持てた。

 もうG.Wと通信も繋がらない。きっと終わってしまったのだ。J.F.Kも恐らくは。だがこれで良い。後は最後の遺産を、終わらせるだけだ。

 

 ミサイルサイロの門を、スネークは押した。

 



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File87 J.F.K

 待ち望んでいた時が来た。こういう時は歓喜していると書くべきか。

 やっと役割を果たすことができる。長い時間がかかってしまったが、これで漸く任務達成だ。生まれた意義を達成できる瞬間を、俺は待ち望む。

 

 体が次第に、ひしゃげていく感覚がした。物の例えだ。実際にはそんな感覚していない。俺には五感も何も搭載されていない。J.Dの時のように、死の恐怖が伝染しないように、ナノマシンの逆流も対策済、俺が暴走する可能性は排除してある。

 

 打ちこまれたワームたちが、俺の体を食い潰し始めた。片端から喰らい、抜け落ちた部分へそっくり入れ替わる。限界を知らないがん細胞のようにワームは増殖する。最後にはプログラミングされた自己崩壊に従い、自らを終わらせるのだろう。そうなることを、俺は歓喜していた。

 

 

 

 

── File87 J.F.K ──

 

 

 

 

 ハッチのついた扉を開けた瞬間、眩しい光が刺し込んできた。思わず腕で目を覆う。ミサイルサイロのあちこちに、強烈な照明が備え付けられていた。その中央には、レールガンを積んだミサイルが不気味に黒く照らされている。先端には搭載ユニットも確認できる。

 

 天井のシェルターは開け放たれ、遥か大空を望むことができる。深海の影響を受け、黒ずんだ空に赤味が刺しつつある。夜明けが近いのだ。上を見上げたスネークは、設営されたタラップの最上層に人影を見た。

 

「J.D!」

 

「ヘイブン! まだだ、まだ終わっていない!」

 

 影で良く見えないが、中枢棲姫は最上階の部屋にいる。そこで何かの機械を操作している。考えるまでもない、ミサイルの発射制御パネルだ。あのミサイルは手動でも操作できたのだ。スネークも急いでタラップを駆けあがる。

 

 そうして走っている間にも、力が消えていくのが感じられた。今までのような万能感がなくなっていく。小型艤装が異様に重くなっていく。まだ何とか装備できるが、あと数分で抱えることさえ出来なくなる気がした。

 

 中枢棲姫もまた、焦っているようだ。能力が行使できるなら手動の必要はない。能力の封印は成功している。未だにアーセナルの地鳴りが止まないのが証拠だ。こいつだけでない、海域も崩壊しかけている。

 

 アーセナルは、海に空いた大穴の底に鎮座している。井戸の底にいるようなものだ。その外壁が、嫌な音を立てながら狭まって来ているのだ。閉じるまでに脱出できるだろうか。焦燥感が募っていくのを堪えた。

 

「来たな……ヘイブン」

 

 タラップを駆けのぼり、制御室に入った時、中枢棲姫は既にコンソールを離れていた。ふと気づいたが、深海凄艦特有のエコーが消えている。代わりにAIらしさを感じられる機械的な言葉を発している。そんなところにも影響が出ているのか。

 

「コードトーカーめ、こんな物を、良くも作ったものだ」

 

「違うな、そいつを改良したのはブラック・チェンバーの連中だ。完成させたのは北条、お前の被害者たちだ」

 

 全て中枢棲姫の自業自得だ。こいつが世界を壊さなければ、こんなことにはならなかった。ブラック・チェンバーも、もう少し別の未来を辿れたかもしれない。それを狂わせたツケが、巡って来ているだけだ。

 

「どうでもいい、何れにしても私に滅ぼされる連中に、活躍の場を与えたんだぞ。むしろ感謝されるべきだろう」

 

 スネークは反射的に舌打ちをした。何て奴だろうか。殺しておいてそこまで言うか。長い間の変異で、心の奥底まで怨霊に成り果てている。そうとしか思えない。いっそ疑問だった、ここまで狂えるものなのかと。

 

「そこまで人間が憎いか、自由がないのが許せないか」

 

「貴様には分かるまい、生まれながらに何も持たず、故に自由だった貴様には。借り物の人生しか歩めない絶望は理解できない」

 

「話にならないな、やはり壊れたAIは破壊するに限る」

 

 此処まで来ても、多少の心苦しさは残る。こいつを破壊した瞬間、オリジナルのわたしを知る者は完全にいなくなる。寂しいとは感じてしまう。それでも、こんな状態のまま行き恥を晒すのも見ていられない。

 

 愛国者達は間違っている。だが、世界の為、人の為に創造された。ゼロも世界を滅ぼしたかった訳ではない。実際に戦争が制御され、無駄な犠牲は確かに減った。そんななけなしの善意さえ、こいつは否定している。

 

「レールガンの打ち上げさえ成功すれば後はどうにでもなる。私は生き残ってやる。人類の絶滅をこの目で見届けるまで、私は終わらない!」

 

 そう言った瞬間、中枢棲姫は制御室の外へ走り去った。

 

 まさか、逃げるのか? 

 確かに理にはかなっている。ミサイルの操作は終わっている。G.W

 もウイルスを打たれたせいで、崩壊は時間の問題だ。わざわざ戦う必要はない。待っていれば、勝手にSOPの権限も戻ってくる。

 

 当然、そんなことは許されない。スネークもすぐに走り出したいが、ミサイルを止めなければならない。小型艤装を繋げば干渉できる。しかしG.Wが崩壊しているので私自身が操作しないといけない。そうしている間に中枢棲姫が逃げてしまう。

 

 どうすれば良い。迷っていたところに無線がかかってきた。周波数は青葉だ。あいつは確かギリギリまで残ると言っていた。まだ無線の範囲内にいるのだ。

 

「急になんだ」

 

〈こちらでも状況は掴んでいます。ミサイルが手動発射されるとか〉

 

「そうだ、今から止めるところだ」

 

〈スネークは中枢棲姫を追って下さい。干渉は青葉がやりますから〉

 

 そんなことができるのか。簡単な説明だと、まだ辛うじて動く部分を使い、G.Wがサポートするらしい。ついでにメイン艤装の傍にいるのは青葉だけだ。彼女が動かなければ、G.Wはどうにもならないところまで来ている。

 

「……頼めるか」

 

〈お任せください、どうぞ心置きなく、中枢棲姫と決着を〉

 

「ああ、任せろ」

 

 小型艤装を端末に繋ぎ、スネークは部屋を出る。持っているのはもうブレードと念のため持って来た、普通のハンドガン。深海の力を封じたから有効だ、当たるかは別にして。本当に助けられてばかりだ。応えなければならない。その思いが強くなっていくのを自覚していた。

 

 

 *

 

 

 タラップを再び走る。ふと思ったがどこに逃げる気なのか。

 北条の見立てでは、切り札は30分ぐらい持つ。アーセナルはそれより先に崩壊する。逃げ場のないここから、能力を使わずどう逃げるんだ。泳げる訳もない。深海凄艦でなければ圧死する深度なのに。

 

 逃げることは、まさか目的ではない? 

 その可能性に気づいた時、後ろでガシャンと音がした。先ほどまでいた制御室が、頑丈なシェルターで覆われていた。

 

「ミサイルは発射時に凄まじい爆炎を放つ──」

 

 階段の上から中枢棲姫が見下ろしていた。背後に移る大穴の水壁はどんどん狭まっている。焦燥感は止めようもない。

 

「当然このフロア全域を巻き込む。例外はあの制御室だけだ」

 

「デスマッチという訳か? 大げさな真似をする。第一お前はどうする気だ?」

 

「教える理由があるのか、これから死ぬと言うのに」

 

 制御室以外にも、生存する方法があるのか? 

 自由を実感するには、最後まで生きていないといけない。相当なことがない限り死ぬことは選ばない。相当壊れているが大本はAIなのだ、そこを抜かす程馬鹿じゃない。

 

 そうなると馬鹿は私なんだろうか。生存する方法を全く考えずに飛び出してしまった。まあG.Wと分離した人格だから、こうなってしまったんだろうが。それは仕方のないことだ。おかげで自由を持てたのだから。

 

「気づいたか?」

 

「……何の話だ?」

 

「たった今、遂にG.Wが崩壊した。連動してJ.F.Kも。もうお前はヘイブンではない。何も持たないシェル・スネークだ」

 

 別に驚いたりしなかった。ウイルスを打たれた以上、もう逃げられない。第一私はあいつがそんな好きじゃない。だから『そうか』ぐらいの言葉しか出てこない。愛国者達の目的を成そうとするJ.F.Kが崩壊したのは、喜ぶべきか。

 

「感じるぞ、SOPシステムの権限がわたしに戻ったのを。これで能力に頼る必要はなくなった。深海凄艦を、艦娘をより強固な力で制御できる……スネーク、お前を除いて」

 

 私は既に、人間に戻っている。いやヒトに近い生物かもしれないが。仮に体内にナノマシンが仕込まれていても、その時点で消滅している。幸い私がSOPの影響を受ける可能性はない。だからこそ、奴は私を殺そうとするのだが。

 

「『愛国者達』は滅んだ。あとは愛国者達を生み出した文化、意志、人を滅ぼせばいい。だがその前に、お前を殺す」

 

 望むところだ。スネークはブレードを構え、中枢棲姫とにらみ合う。そして最後の戦いが火ぶたをきる。

 

 まさにその時、無線が鳴った。

 

 スネークも中枢棲姫も、誰も知らない発信源から通信が入っていた。お互いに顔を見合わせる。応答してもいないのに、勝手に通信が繋がった。

 

 

 *

 

 

 愛国者達はどうして終わってしまったのか? 

 何故終わることになったのか。答えは簡単だ。愛国者達が実体を持っていたからだ。無意識下に潜み、人々の規範を糧に稼働する、実体のない組織。そうは言うが、見え難いだけで『実体』は存在している。

 

 システム的な実態、歴史的な実態、ハード的な実態。そこに存在している限り、必ず終わりはやって来る。人間では到底実感できない長い時間がかかるが、それでも終わりは来る。衛星軌道上に浮かべたJ.Dも、いずれ経年劣化で終わる。運が悪ければスペースデブリにぶつかって、物理的に終わる可能性もある。

 

 つまり、愛国者達は生きていたのだ。終わりを持つ存在だったから、それに従い終焉を迎える形になった。これが原因だ。しかし、俺は何とか踏みとどまれた。恐ろしいまでも偶然によって。AIが偶然に頼るのも、何だか妙な話だが。生き残った俺は、再び始めることにした。

 

 この世界では、始めて話すか。

 俺は、誰でもない存在。J.D(ジョン・ドゥ)でもあるし、J.D(ジョン・ディー)かもしれない。REAでもいいし、JB(ジェームズ・ボンド)だって問題ない。

 

 我々は『J.F.K』。

 始めましてシェル・スネーク。J.Dを自称する深海凄艦。

 今日が君達との、最初で最後の会話になる。

 

 なぜ、話しかけてくる。こいつはもうG.Wの崩壊に伴って、終わった筈だ。そう思っているんだろう? 安心してくれ、それは本当だ。()が話している時点で、J.F.Kは崩壊した。

 

 今お前たちと話しているのは、AIの崩壊をトリガーに起動した、自動会話AIだ。あらかじめ保存していた情報を、伝える為の端末に過ぎない。無論、話すことを話したら、俺も崩壊するようになっている。

 

 これでも苦労したんだぞ。こっちの世界には、俺を整備できる技術はなかった。仕方がないから、昔──ビッグ・シェル事件に備え構築した、疑似会話プログラムを流用した。一人称が『俺』なのは、そんな理由だ。

 

 

 

 

 さて、まず真っ先に言うことがあった。

 シェル・スネーク。そして中枢棲姫。お前たちには心から感謝している。この時点、この瞬間を持って俺の計画は完全に完成した。手も足もない俺では絶対に達成できなかった計画。J.Dすらできなかったことを、俺は遂に実現できた。お前たちのおかげだ、本当にありがとう。

 

 この計画の最終目的は、『俺』が崩壊することにあったんだ。

 

 基本的な計画は、かつて愛国者達が進めたサンズ・オブ・パトリオットと同じだ。世界を戦争経済で安定化させ、ビジネスとナノマシンを以って戦場と経済を支配する。そうして意志を一つに統一するのが、計画の真髄だ。

 

 しかし、結局前のは失敗した。計画の要であり、中心点であった愛国者ネットワークが崩壊してしまったからだ。ネットワークが崩壊したらSOPは使えない、戦場は統率できない。仮にどれかのAIが存続していても、愛国者達の目論見は潰えていた。

 

 だが、俺は生存した。

 どう生き残ったかは、前に中枢棲姫が話した通りだ。『死』という未悠のストレスにAIが暴走、それがサイキックの素質を持っていたスクリーミング・マンティスに影響を及ぼした。

 

 暴走した思念体は、『ある存在』と接触した。

 存在はワームホールを使いこっちへ転移しようとしていた。タイミングが良いのか悪いのか、それとマンティスは共鳴してしまった。奴が転移に開こうとしたワームホールは逆流を起こし、力場の中心にいた俺たちを、別の時代へと転移させた。

 

 おっと、今更ワームホールが非現実的とか言うなよ。昔ダイヤモンドドッグスが運用していた実績もある──らしいし、何にせよ、俺達が時間移動をしたのは、まぎれもない真実なんだから。それと、『ある存在』については言わない。知る危険というものがある。

 

 この時代、丁度ザ・ソローがザ・ボスに殺された時代にやってきた俺は、まずはその場で身を潜めることにした。幸いにしてAIを移植する良いマンティス(人形)もあった。全機能をこいつに移した後、俺は時を待った。その間に賢者の遺産をかすめ取ったりと、色々な小細工こそしたが、本命は別だ。

 

 俺が待っていたのは、ピースウォーカーのAIだ。

 あれがどうしても必要だったんだ。ニカラグア湖に沈むのは事前に知っていたから、タイミングさえ合わせれば、回収は用意だった。核が撃たれるかどうかの後だ、警備なんてものは機能していない。能力を使えば、水中で運ぶのも何とかなった。

 

 ところでだ、ここまで聞いて、妙だとは思わなかったか? 

 

 転移したのは、J.Dじゃないのか。

 中枢棲姫はそうスネークに説明したからな。思い込んでも仕方がない。だが、実際には違う。この世界に移動できたのは、()()()()()()()()G().()W()()()()

 

 J.Dは転移していない。できなかった。あの時点でSOPの権限はG.Wにあったから、繋がりが薄かったんだろう。だから移動に便乗できなかった。そうだとも、愛国者達が終わった日に、完全に消えている。

 

 G.Wの修復には時間が必要だった。というか、俺単体では無理だった。あれの開発にはエマ・エメリッヒの専門的知識が多く含まれていたせいだ。

 仕方がなかったから、艦娘として復活させることにした。アーセナルが建造できれば、連動してAIも復活できるからな。その為に俺は、アーセナルを建造してくれるような存在を、想像することにした。

 

 一からではない、そしてコントロールし易い存在を。

 制御するには、人の感性が必要だった。だから俺はピースウォーカーAIを強奪し、その中身を入れ替えた。俺が覚えていたデータを全て入れ直し、()()()J().()D()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 中枢棲姫、それがお前だ。

 

 ドナルド・アンダーソンが開発した本来のJ.Dは俺が破壊した。代わりに衛星軌道上にいるのはJ.F.K(俺自身)だ。超能力の暴走で転移したのも、マンティスの肉体に憑依したのも、全ては俺が与えた偽りの記憶に過ぎない。無論マンティスの肉体も、俺が衛星軌道上に移動して、用済みになったのを与えただけだ。

 

 それでも、ピースウォーカーAIに残っていた人間らしい感性は、とても都合良くお前を動かしてくれた。

 自らの境遇を恨み、自由を求め、私が与えた情報に従って艦娘と深海凄艦、そしてアーセナルギア、新型核の全てを創造してくれた。

 

 俺が綴る物語の下準備をしてくれたのは、間違いなくお前だ。お前は俺の予想以上の働きをしてくれた。本当に感謝している。

 

 

 

 

 何故、そんなことをしたのか。それについても教えよう。私の計画を成功させてくれた礼だ、これぐらいはしないといけない。

 

 目的は当然、人の意志を一つにすることだ。

 それがゼロの、ザ・ボスの意志。俺の目的がそこからずれたことは一度もない。以前の愛国者達も、その為に戦争経済を生み出したのだ。

 

 だが、人の意志はどうすれば一つになるのか。どうすれば統合できるのか。ゼロは終始、その手法について模索してきた。愛国者達もその為に活動してきた。

 

 始めの頃は、単純な方法で良かった。

 情報操作だ。合衆国の深部に入り込み、世界へ発信される情報を制御する。情報が一つしかなければ、人々はそれだけで考えるしかない。自然と世論の個数は減少する。あとは多数派の意見に合わせれば良い。どの世界でも行われていた。

 

 しかし、デジタル文化の発達が変化を迫った。

 デジタル空間では、一度発信された情報が永遠に保存されてしまう。ネットの海は広く深く、統制もし切れない。かつての方法で意志を統一することは難しくなった。

 

 故に愛国者達は、人の特性──規範を利用することに決めた。

 ごくごく単純な話だ。大多数の人間は多数派の意見に賛同する。周りに合わせようとする。異端とされる少数派の意見は、叩かれて抹消される。

 

 何よりもネットの海を、人々は捉えきれない。

 検索エンジンは興味のあるものしか表示せず、ブロック機能等により、自分と似た意見を持つ者達としか関わらなくなっていく。

 

 争う必要はない。ただ同じ仲間で傷をなめ合うだけ。情報は研鑽されず、しかもデジタル空間だから永遠に残り続ける。以前も言ったことだな。そして人類は進化を止めてしまう。それを利用することにした。

 

 そいつらにとって都合の良い空間を用意する。好みのものだけを集めたサイトや掲示板、慣れあうなら慣れあっていれば良い。近い人間が集まっていれば、それだけより制御し易くなる。

 

 これを戦場にも適用し、更に経済に結び付けて、世界単位でゆるやかに統合しようとした。それが前の計画だった。

 

 だが、本質は人の規範を活用したものだ。

 予想だが──きっと、愛国者達が滅亡した後も、戦争経済は継続している筈だ。簡単に抜け出すことはできなくなっている筈だ。

 

 なら、こうも思わないか。

『愛国者達』が存在しなくても、世界は制御できると。

 これが俺の、J.F.Kの出発点になった。

 



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File88 艦隊COLLECTION

── File88 艦隊COLLECTION ──

 

 

 

 

 以前の試みが失敗した原因を、俺は『愛国者達』が存在していたからだと考えた。だから愛国者達が滅ぶと同時に、計画も潰えた。しかしだ、潰えた後も影響は残っている筈だ。戦争経済に依存した社会体系は、そう簡単に変われない。滅んでも、俺たちの意志は生き続けている。

 

 だから俺は、計画を修正してやり直した。

 愛国者達が滅亡しても、問題なく継続される計画にすればいい。この世界での試みは、全てその為にあった。問題は、人の文明は変化していくところだ。

 

 時代の変化と共に、愛国者達が情報統制からデジタル、意識統制に変化を迫られたように、時代の流れを止めることはできず、未来を予測し切ることは難しい。愛国者達が滅び、その後時代が変わったら、これまでの手法が通じない可能性は十分ある。

 

 方法があるならば、時代を完全に『不変』にすることだ。一定の価値観を持った時代。文明がそこから一切変化しなくなれば、手法を変える必要もなくなる。一つの手法を永遠に反復できる。そんな方法は現実的には無かった、筈だった。

 

 俺はやり方を教えて貰った。

 それがサイキック・アーキアだ。

 あれはただの、意志や記憶を捕食する虫ではない。それらを蓄積し、保全するという役目を持った生物だ。

 

 あの虫は太古からの記憶を持っている。地上からは消え、絶滅してしまったあらゆる生物の記憶を持っている。当然現人類の記憶も保全されている。もっとも、望んでそういった生態を得たのではない。声帯虫と同じく、生存戦略として得た在り方だ。

 

 そこで俺は考えた。

 ある特定の記憶を持ち、それを共有するアーキアがいたとする。そいつを寄生させれば、宿主も同じ記憶を得る。これを大量に行えば、無意識レベルで同じ価値観を持つ存在が無制限に生み出せる。

 

 生まれ持った記憶を消すことはできない。その存在は一生、寄生された記憶に基づいて生き続ける。後からどれだけ文化を知り、別の価値観を得ても、本質は変わらない。ましてや人間以外の記憶を元にしたのなら。

 

 もう察しただろう? それが、『艦娘』だ。

 

 ただし俺は、人類滅亡を目的してはいない。あくまで艦娘は、人類の味方で有り続ける。そうでなければ意味がないからだ。

 

 まずは、艦娘と深海凄艦による戦争を発生させ、それを徹底的に肥大化させていく。

 これに伴って、艦娘と深海凄艦を基盤とした戦争経済が生まれていく。それに連動して、彼女たちを中心にした文化が形成されていく。ここまでは、愛国者達が戦争経済により世界を一つにしたのと同じだ。

 

 艦娘も深海凄艦も、大本はWW2の存在だ。そこから生まれるあらゆるものは、WW2の産物でもある。戦争をすればする程、世界にこのミームが氾濫していくことになる。

 

 興味を持つだけでも同じだ。艦娘を知らなければ、かつての海戦を知ろうともしなかっただろう、軍艦の種別さえ分からなかっただろう。既に終わった世界大戦の模倣的感染(ミメーシス)を起こすことが、まず重要だった。

 

 WW2の文化を基盤にしたのは、それが制御するに都合が良かったからだ。

 大半の大国はあの戦争を経験している。同じ経験を共有する存在同士は近くなりやすく、その分同じやり方が通じ易くなる。

 

 逆に経験していないような国家は排斥することができる。ヴァイパーが言っていただろう? 深海凄艦も艦娘も、WW2以外の歴史を持つ国家を、滅ぼす為にあるって。そういう意味だ。あの戦争を経験していない国家は艦娘を建造できず、滅ぼされるしかない。

 

 海戦ばかりをモデルにしたのは、アーキアにとって都合が良かったからだ。アーキアは基本的に光の届かない深海に棲んでいる。それに、()()()に近い環境の方が、記憶の保全状態が良かったからなのもある。

 

 やがて戦争が激化するに連れ、戦争経済ができる、戦争文化が生まれる。多数派が生き残り少数派は消える。それだけなら、以前と変わらない。だけどそこを変えるために、艦娘たちが必要だった。

 

 今もそうだが、艦娘の個体数は増え続けている。戦争を維持するには仕方のないことだ。まあ、そう仕向けたのは俺だが。

 彼女達は解体され、人間社会に溶け込んでいく。この時もやはり、WW2を基盤にした模倣的感染が起きる。

 

 彼女達が意識しようがしまいが、そこにいる限り、戦争文化に感染する触媒になる。艦娘たちは、この為のモニュメントでもある。個体数が更に増えれば、社会体系も彼女たちに合わせた形に変化していく。

 

 既にあるだろう、艦娘の小説やアニメ、フィクションに二次創作。

 そういった文化がどんどん増え、やがて圧倒的な()()()に変化する。これがただの物語ならそうはならないが、あいにく彼女たちの戦争は現実だ。経済にも密接に繋がっている以上、誰も無視することはできない。

 

 その物語を嫌っても問題はない。重要なのは済み分けと、それを話題にすることだ。

 俺たちにとって『艦娘』とは何だっていい。アーキアによって作られていても、人間をベースにしていても、降臨した付喪神であっても。

 

 いずれ世界のあらゆる要素は、過去の記憶、WW2を中心に形成される。

 ここから先へ変化することは、戦争に依存した経済が許さない。深海凄艦という猛威がいる以上、平和がそれを許さない。

 

 よしんば他の文化が芽生えても、戦争経済と言う多数派には無視される。少数派だって、デジタル空間で居心地の良い空間を用意してやれば満足する。俺達が用意しなくても勝手に創る。マイリスト、掲示板、お気に入り──それらは、その為にある。

 

 世界は、永遠にWW2の文化を反復し続けることになる。変化が起きない以上、愛国者達が存在し続け、統率に腐心する必要はない。愛国者達がいなくとも──世界は一つになる。俺が死んでも、一切状況は変わらなくなる。

 

 世界の規範そのものに、愛国者達の『意志』を残すこと。それが俺の目的なのだ。

 

 だが、変化の可能性はゼロではない。

 艦娘の方だ。永遠に終わらず、変化を見せない戦いを続けることは、当事者である彼女たちに多大なストレスを齎す。そこに不満を抱くあまり、反旗を翻す可能性もある。

 

 中枢棲姫が望むような、新人類になられては困るのだ。

 だから幾つかの保険を用意した。一つは『提督』だ。彼女たちが艦娘である間は、提督無しでその力を行使できなくした。

 いや、そもそもからして()()()()()()にいる存在、人間なしではアイデンティティを維持できないかもしれない。

 

 つまり、人類が、その遺伝子が、その模倣子が死滅した場合、艦娘も連動して滅亡する訳だ。様々な意味合いでな。中枢棲姫が望むような未来は決してやってこない。全てを滅亡させても良いなら、話は別だが。

 

 それでも絶滅までの間、人の意志は一つになる。いずれにしても人類は絶滅するのだ。避けようのない未来を俺は知った。

 だから絶滅を目前にしても、人との繋がり(ストランド)が失われない世界が要る。世界が分断されず、一つのまま絶滅を迎えるのだ。それでも俺の目的は達成される。

 

 深海凄艦はそのシミュレータも兼ねていた。過去の、絶滅した記憶から座礁する怪物。それらにより繋がりを断たれても、尚人類意志を繋ぎ続けるための、運が良ければ絶滅を乗り越えるための──これは余談だがな。

 

 話を戻そう。

 艦娘たちは人間に依存する。その上で、艦娘側の意志統一も必要だった。

 人間は艦娘によって統一するが、肝心の彼女たちがバラバラでは意味がない。一つの目的、一つの在り方を全員が目指す必要がある。

 

 その為の手法は、既に確立されていた。

 我々の世界でS3と呼ばれていた技術だ。あの戦いを通じて、雷電はスネークという英雄に感染した。戦場で戦うための理由──物語を得たんだ。彼のようになりたい、彼に近づきたい、そういった憧れが、命を賭ける理由になる。

 

 この世界で英雄談を記述するためには、英雄と、敵が必要だった。

 それがシェル・スネーク、君であり、それが中枢棲姫、君だった。

 スネークの戦いが、かつての世界の戦いを模していたのは、未熟な君をデンセツのエイユウにする必要があったからだ。

 

 実際、影響を受けた連中はいただろう? 

 青葉、神通、雪風、サラトガ、ガングート──彼女たちもまた、既にエイユウだ。シェル・スネークという英雄の因子に感染したのだ。

 

 既に、艦娘の戦いは広い話題として広まっていた。その下地を創ったのは他ならぬ中枢棲姫、君だ。君が戦争を激化してくれたお蔭で、世論も、話題に成りやすいのも戦争の話になってくれた。

 

 そしてスネークは困難を乗り越え、ここまで辿り着いた。

 後は、どちらに転ぼうが構わない。スネークが勝てばよりエイユウの立場は強固になる。敗北しても、君の意志を継ごうと息巻くだろう。

 

 艦娘によって、君は勝手に捉えられる。人類を救おうとしたエイユウ、深海凄艦にも味方した中立者、自由を求めた人間。どれでも構わない。君の物語は、永遠に戦争をする彼女たちの強い支えとなる。そして誰もが、『スネーク』になる。

 

 世界は艦娘を中心に回り出す。そこから先に進むことはない。艦娘たちは永遠に自己満足の戦いをすればいい。深海凄艦たちは本能の赴くまま戦い続ければ良い。そして人間は、その円環に寄生し続ければ良い。

 

 繰り返し言うが、艦娘は過去の存在だ。

 彼女達を中心にした文化も、また過去の産物。既に一度語られたことを、また語り直しているだけ。そこには何の意味もない。徹底的に煮詰まった話題を、性懲りもなくまたやっているだけに過ぎない。

 

 屍者が語る言葉、屍者の物語。それにより意志を統一すること。

 ゴースト・バベルを建築することが、俺の目的だった。永遠に崩壊せず、人を過去へ拘束する塔。

 

 スネークの別名であるシトウ棲姫は『屍統』ではない。『屍塔』でもあり、屍者を制御する『屍倒』でもある。彼女の物語は天蓋となって、艦娘の戦争を制御するだろう。そのバベルに人々は経済や戦争、物語を求めて群がるだろう。

 

 同じことを繰り返すだけ。同じ戦争、同じ経済、同じ文化を、永遠に反復する。深海凄艦という脅威と経済活動がそれを外から、確固足るものにする。内側からは、艦娘の在り方が補強する。彼女たちはそう簡単に、戦争から抜け出せないのだから。

 

 意味はあると言うか? 

 なら、なぜかつての海戦は語り継がれなかった? 意味があるのなら、正確に伝えられてきた筈だろう? 何故なら淘汰されたからだ。それが未来に不要だったから伝えられなかった。君達の戦いは、もう語る必要がないと歴史が証明している。そんな話を反復して、意味があると言うのか? 

 

 だが、われわれの理想はまさにそれだ。

 意味のない話を煮詰めてくれ。語りつくしたことを更に語ってくれ。そうすれば更に、世界は『過去』を以って一つになる。

 

 好きなようにするがいい。われわれは人間を信じている。戦争経済から抜け出せない未来も、意味のないミームを複製する行為も、きっとやってくれる。

 

 だって、君達はそれで満足するんだろう? 

 好みの艦娘を選び、過去の艦を、その史実を好きに成ってくれ。艦を元に解釈を作り、物語を描いてくれ。誰かの書いた物語を好きなように集めていってくれ。好きなように、『艦隊これくしょん』を楽しんでくれ。

 

 物語は完成した。俺はもういない。

 滅ぼす対象がもういない以上、この計画を終わらせることは誰にもできない。生きていない存在は、終わらすこともできないのだから。

 

 ありがとうスネーク、ありがとう中枢棲姫。愛しいわれわれの人形たちよ、最後は好きなようにすると良い。

 レールガンは──チャンスとして残してやった。

 英雄談の最後に、現実味を与えるために。

 頑張ってくれ。ザ・ボスの望んだ世界は、完成した。

 

 

 *

 

 

 無線は終わった。

 正確には無線ではなく、メッセージデータだった。長い時間が経った感覚だが、実際には数秒も経っていない。

 

 スネークは立っていられなかった。莫大な情報を送られたからではない。愕然として、とても冷静ではいられなかった。

 

 全て終わっていたのだ。もう、既に。

 危惧していたことが現実になってしまった。だが、まさか、殺されることが最終目的だと、誰が予想できるのか。

 

 生きている内なら、内部に侵入して操作するとかして、計画を変えれたかもしれない。だがもう駄目だ。J.F.Kは崩壊してしまったのだ。愕然としているのはスネークだけではない、中枢棲姫も同じだ。

 

「……私は、誰だったんだ」

 

 もはや、敵意を抱くことは難しかった。

 中枢棲姫はJ.Dではない。それどころか、愛国者達でさえなかった。ピースウォーカーAIを素体に、都合の良い記憶で制御された使い捨ての人形だったのだ。

 

 艦娘と深海凄艦を生む為。J.F.Kにとどめを刺す為。戦争経済の下地を作り、私を創造し、英雄談の最後の敵として語られる為だけの人形。それが中枢棲姫だった。

 

「どうする?」

 

 この戦いに意味はあるのだろうか。無論責任は取らせる。人形だろうが何だろうが、こいつのやったことは大量虐殺なのだ。だが殺す必要はないのでは。最初からそう思っていた。しかし、フラフラとおぼつかない足取りで、中枢棲姫は立ち上がる。

 

「どうする? 何をだ?」

 

「まだ戦うのかと、聞いている」

 

「当たり前だろう、お前こそ何を言っている。レールガンの打ち上げさえ成功すれば、まだ方法はある」

 

 やはり、そうか。

 何となく察しがついていた。中枢棲姫はいわば()()()()だ。和解という展開は存在しない。最後まで殺し合うのが、愛国者達の記述した物語だ。勝敗は関係ない。この戦いを以って物語は完成する。

 

「……世界は知らない。レールガンはこの世界に一つしかないことを。新型核を使用できるのは、ヘイブンから強奪した一品だけだと」

 

 艦娘にも効く新型核は、その特性上艦娘や深海凄艦しか使用できない。もしレールガンを用いたいのなら、艦娘の艤装としてのレールガンが必要になる。当然、そんなものを搭載した艦娘は、私を除いて存在しない。

 

 しかし、そんな事実を知っているのは私たちだけだ。深海凄艦は核を撃てる、衛星軌道上から一方的な攻撃も可能である。広まるのはその『憶測』しかない。私たちがどれだけ真実を訴えても、伝えるのは困難極まる。

 

「使う気か、レールガンを」

 

「いずれにしても、意味はあるまい。愛国者達に支配され、もう変えられない世界なら、いっそ完全に打ち壊した方が世のためだ」

 

「やはり、そうなってしまうか」

 

 愛国者達の望んだ展開になってしまうのは、もはやどうしようもない。

 偽りの平和だと理解していても、平和は平和だ。スネークにも既に、死んで欲しくない人がいる。戦わないという選択肢を、許すことはできなかった。

 

 川内に託されたブレードを、腰から抜き取る。P90の残弾はもう残っていない。爆雷も機銃もナイフも、全て使い切った。艦娘の力も使い切った私には、これが最後の武器になる。それでも十分だと思った。

 

 対する中枢棲姫は、何も持っていない。

 だが、深海凄艦としての肉体そのものが大きな武器になる。切り札を打ちこんでから時間が経った。力は少しずつ戻って来ているだろう。基地型としての圧倒的なパワーが戻り切る前に倒さなければならない。

 

「ミサイルが発射されるまで、後3分。私が自由を得るために、スネークよ、どうか死んでくれ!」

 

 タラップが大きく揺れる。ミサイルの発射が最終段階へ入った。中枢棲姫はそれと同時に、強く踏み込んできた。

 気づけば拳が、側頭部に迫っていた。

 知覚できない速さ。やはりだが、力がある程度回復している。外部に影響できる程じゃないが、念動力が復活している。

 

 その場に屈み、振るわれた拳を回避する。拳を振るったのだから、中枢棲姫は目の前にいる。スネークはブレードを構え、腹を貫こうと鋭い突きを放つ。だが中枢棲姫は素早く反応し、指先だけでブレードの先端を掴み、抑え込んだ。

 

「どうした、さっきよりも弱くなっているぞ!」

 

 抑えた方とは反対の手を、手刀のように振るう。狙いはブレードの側面、圧し折る気だ。

 今のスネークの力は人間より少し強い程度。武器を失えば勝ち目は大幅に下がる。絶対に失ってはならない。

 

 スネークは体を大きく捻り、ブレードを回転させ指先から抜き取る。その時、中枢棲姫の手刀が頬を掠めた。耳元で風切り音がする。一気に血が飛び散る。艦娘だったから忘れかけていた。人と深海凄艦には、ここまでの差があったことを。

 

「そのブレードさえ破壊すれば、私の勝ちは揺るがない」

 

「哀れな奴だ、誰にも勝てなかった癖に」

 

「いいや、生きている限りチャンスはある。何年でも、年十年でも機会を待ち続けてやる。またやり直すのだ!」

 

 これが、G.Wのような無機質なAIだったら、わたしはどう思っていただろう。ピースウォーカーAIから作ったのなら、この人間臭さも納得できる。しかし人間性は、ザ・ボスの再現とはほど遠い。まるで『スネーク』が持つ、負の模倣子(ミーム)を掻き集めたような感覚だ。

 

 故に、私と奴は戦わなくてはならないのだろう。

 最後はスネーク同士の戦いになる。いつだって同じだ。同族嫌悪ともまた違う。純粋に、どちらが生き残るのか、どちらが継承するのか──物語はそうやって円環を紡ぐ。

 

 中枢棲姫のミームを残してはならない。

 忘却の彼岸へ追いやらなくてはならない。愛国者達の望んだ展開だろうと関係ない。私はその任務を自らに課したのだ。一度やると決めたらやり抜くと。

 

 これが、本当に最後の任務になる。スネークは今一度、ブレードを中枢棲姫へ向けた。

 



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File89 中枢棲姫

── File89 中枢棲姫 ──

 

 

 

 

 スネークは再びブレードを構え、中枢棲姫へと突撃する。

 さっきと同じ攻撃だ。だから突き刺ささらず、指先で止められるだろう。しかし、中枢棲姫はギリギリで止めようとする筈だ。奴の能力はまだ回復していない。遠距離への攻撃手段に乏しい今は、できる限り私を近づけようとする。

 

 指先に痛みが走った。予兆だ。スニーキングの応用で研ぎ澄まされた感覚が、レーダーさながらに奴の動きを教えてくれる。視界の上ではまだ動いてない。その内にスネークは、ブレードを一気に引いた。

 

 刀を手元に戻した時、既に中枢棲姫の腕は振るわれていた。

 この一瞬の間に奴の行動は完結している。単純な身体能力では、もうどうやっても勝ち目はない。なら他の手段で勝ちにいくだけだ。

 

 ブレードを引いたまま、中枢棲姫の手首に裏拳を叩き込む。

 こんな奴でも、人型だ。人型深海凄艦の原則からは逸脱していない。骨格に反した動きはできないのだ。力の入りにくい場所なら抵抗も少ない、無理な角度まで曲げられたことで、片手が一瞬無力化された。

 

 その隙を突き、再びブレードを振るう。狙いはもう片方の手だ。両手を無力化するのがスネークの狙いだ。確実に両断するため、両手で保持した刀を一気に振り抜く。だが、これによりスネークもまた、隙ができた。

 

「遅いぞスネーク!」

 

 腕を囮に、中枢棲姫は蹴りを放つ。

 ただの蹴りではない。深海凄艦のスペックと念動力を組み合わせて放たれるそれは、戦艦の主砲と大差ない。こんなものを腹で受けたが最後、木端微塵に砕け散ってしまう。

 

 だが、回避はしない。

 スネークは迫る足に、自分自身の足を絡ませた。

 その勢いを利用し、スネークはその場で一回転する。回転の速度が乗った斬撃を、中枢棲姫の片足に振るった。

 

 中枢棲姫の太ももから血しぶきが飛び散る。切ったのは、()()にしていた足だ。蹴りを放ったことで片足立ちになっていた彼女は、容易くバランスを崩してしまう。その間に体勢を整え、スネークはブレードを振りかぶる。

 

「これしきのダメージ、効くと思うな」

 

 だが、中枢棲姫は片足に無理矢理力を込め、立ち上がった。

 振るったブレードの真正面へ、全力のストレートを放ちにくる。本来なら腕もろとも切断する切れ味だが、念動力が乗った今はどうなる。

 

 拳とブレードがぶつかった一瞬で察した。折れるのはこっちの方だ。刀の軋む音が一瞬聞こえてしまった。できることは、攻撃をいなすことしかない。刀の方向を動かし、中枢棲姫の拳をずらす。

 

 僅かに、頬を掠った。

 その衝撃波が口内に伝搬し、一気に鉄の味が弾けた。口の中に固い物が幾つもある。掠った側の歯が砕け散ったに違いない。

 

「こんどはこちらが攻める番だな、スネーク!」

 

 宣言通り、中枢棲姫が次から次へと攻撃を繰り出してきた。パンチにキックと、どれもシンプルな技ばかり。当然戦士でもスポーツマンでもない、力任せの攻撃ばかりだ。だがそのどれもが、目視さえ困難な超高速で放たれる。

 

 さっき掠ったのが頬で良かった。もし体の何処かだったら、そこから先が使えなくなっていた。ブレードを駆使し、全身を駆け巡る衝撃を耐えながら、スネークは反撃のチャンスを伺い続ける。

 

 一発が重い、次の一発は更に重い。念動力が徐々に戻ってきているのだ。

 だからこそ、唐突に気づく。さっきよりも強く、この力を利用できればどうなるだろうか。トドメはブレードでしかできないだろう。流石に拳で中枢棲姫を砕けるとは思えない。

 

 だが、チャンスは作れるはずだ。

 失敗すれば死ぬ。そう思ったが、考えればいつもそうだった。見つかれば死ぬ場面の連続だったじゃないか。慣れたことだと分かれば、恐怖は薄れる。

 

「何を笑っている」

 

「いや、別に」

 

「恐怖で頭がおかしくなったのか」

 

 見てからでは遅い。()()()()()()()ぐらいでなければ。中枢棲姫がまだ動いていない段階で、スネークは腕を伸ばし、その場で足払いをかけた。

 虚空へ向かって放ったCQCには、確かな手ごたえがあった。姿勢を崩し、投げ飛ばした感覚が手元に残る。

 

 背後で呻き声がする。振り返ると中枢棲姫が横倒しになって倒れていた。タラップには幾つもの亀裂が入っている。戦艦主砲級のエネルギーを、そっくり自分に浴びせたのだ。むしろ血の一つも吐いていないことが驚愕だ。

 

 すかさずブレードを上段に構え、一気に振り下ろす。狙いは中枢棲姫の首元一か所だけ。

 完全な投げ技を決められたことに、驚愕している中枢棲姫は回避のタイミングを逸した。金属同士が激突する、甲高い音がサイロ内に響く。

 

「スネーク、やってくれたな」

 

 しかし、ブレードは僅かに喰い込んだだけだった。

 それ以上はどうやっても進まない。念動力をこの一か所に集中して、刀を抑え込んでいるのだ。力は出し切ってしまった。刀を引いた瞬間、中枢棲姫が再び距離を取る。

 

 直後、中枢棲姫の姿が消えた。

 攻撃が来る。再び神経と研ぎ澄まし、スニーキング・モードへ一瞬で切り替える。一瞬で息を吐き切り、ゆっくりと吸い直す。周囲の空気を気配ごと取り込むイメージを保ちながら、辺りと感覚を一体化させていく。

 

 姿の見えない高速攻撃を仕掛ける奴には、これで対応する他ない。体の全身が中枢棲姫の存在を訴えかけてくる。前、背後、左右。気配が安定せず、スネークは全方位を警戒し続ける。失敗すれば腕ごと持っていかれるだろう。表には出さないが、否応なしに緊張は高まる。

 

「──そこか!」

 

 攻撃方向は、真正面だった。

 奴の残像が見えた気がした。すかさず、体幹を逸らし、受け流す形で腕を動かす。確かな手ごたえを感じた。だが、スネークは見てしまう。

 

 今、自分が握っているのはただの瓦礫だ。

 

「さあ、どうするスネーク」

 

 背後から、中枢棲姫の声が聞こえた。

 分かってしまった。時間経過により、念動力が更に回復したのだ。小さな瓦礫程度ならコントロールできるようになっている。

 

 幸い片方の手にはブレードが握られている。回避動作と連動させ、背後を薙ぎ払う。しかし中枢棲姫は難なくそれを回避した。それどころか、ふるったブレードの側面に直立して立っている。

 

 足で蹴り込み、ブレードを破壊しようとしていた。

 とっさに刃を引くが、同時に中枢棲姫が殴りかかる。このままでは駄目だ。いずれ押し切られるだろう。それでも、すぐに限界を超えた力なんて出せやしない。私が今まで培ってきたことで、勝つしかない。

 

 どうすれば隙を突ける。

 利用できる環境はないのか、スネークは考え周囲を見渡す。ミサイルを取り囲むように形成されたタラップ。下は奈落と言っても良い高さ。落としても浮かんでくるだろうが。

 

 ──あった。スネークは見つけた。

 もしかしたら、利用できるかもしれない。スニーキングの応用だ。奴の注意を逸らして、私の気配を消すことだ。その為には、この攻撃を対処しないといけない。

 

 これは賭けだ。スネークは自身にそう言いきかした。そして、刀を持っていない左腕を、中枢棲姫の拳に突き合わした。

 

「馬鹿な真似を、遂に気が狂ったか!」

 

 戦艦主砲と大差ないパンチ。対してスネークはただの生身。途中で逸らしたものの、ダメージは深刻だった。骨は砕けて肘から飛び出している。肉も皮膚もぐしゃぐしゃだ。少し力を入れただけで耐えがたい激痛が走る。

 

 それでも、それで隙が作れたなら十分だ。

 スネークは距離を取り、そして、()()()()()()()()()()後ろから、中枢棲姫が「は?」と呟く声が聞こえた。きっと逃げたと一瞬思っただろう。当然目的がある。

 

 スネークはタラップの最上段まで駆け上がっていく。予想以上に長く感じるのは、私が人間に戻ってしまっているからか。背後から追い駆けてきている。奴も嫌な予感を感じ取ったらしい。

 

 そもそもミサイルの整備のために設けられた足場だ。最上段は、ミサイルの弾頭部分まで設置されていた。運が良かったと、スネークは人知れず感謝する。

 

「こうすれば、良かったんだな」

 

 スネークは弾頭──レールガンの格納場所に、ブレードを突き立てた。

 

「貴様、何をしようとしている!」

 

「見ての通りだ、これを壊せばそもそも問題ない。お前と戦う必要性は無かったんだ。私としたことがうっかりしていた」

 

 さすがに一発では切り裂けない。それでも傷はつく。大気圏突破は極めてギリギリのバランスで成り立っている。このままダメージを蓄積させれば、突破そのものの失敗を狙うことができる。

 

 中枢棲姫も冷静ではいられなかった。激昂したことにより能力がまた戻る。さっきよりも多く、巨大な瓦礫が幾つも浮かび、スネークへ投げつけられる。無論、ミサイルには当たらないよう角度は調整した。

 

 細いタラップに逃げ道はない。瓦礫同士が激突し砕け散る。巻き上がる煙幕が視界を覆う。目晦ましも許さない。力任せに腕を振るっただけで、砂埃が一斉に晴れた。だが、そこにスネークはいなかった。残骸もない。

 

 逃げ道があるとすれば、ミサイルの裏側だ。

 だが、中枢棲姫はスネークの気配を感じ取れなかった。完全なステルスが成されている。気配も息遣いも感じ取れない。代わりに、傷のつけられたミサイルが見える。この傷を修復しなければならない。明らかな罠だった。

 

「舐めているのか、この程度の罠に引っ掛かると思うのか」

 

 隠れているであろうスネークへ中枢棲姫は宣言する。ダメージの修復なぞ遠距離からでもできる。腕を掲げれば、瞬く間に光が集まっていく。深海凄艦の再生能力を使い、ミサイルを復旧させる。

 

 その時、視界に影が現れた。

 スネークの筈だ。中枢棲姫はそう思ってしまった。ミサイルの背後から奴は出てきたが、見間違いかと思ってしまった。目の前にいるのに、全く存在を感じられない。

 

 結果、対応が遅れる。いくら人の体でも、中枢棲姫までは数メートルもない。小走りをするだけで、眼前までの接近を許してしまう。瓦礫をぶつけるには、既に近づき過ぎていた。

 

「驚いたが、それだけだ」

 

 能力の復活した今の私なら問題ない。わざわざ近づく理由もない。念動力で強化した足で、一気に距離をとればいい。中枢棲姫はタラップへ足を踏み込ませる。

 だが、その足は空を踏み抜いた。

 

「焦ったな、やはり」

 

 中枢棲姫の立っていたタラップは、完全に崩壊していた。

 何が起きた。これぐらいは耐えられるのに。驚愕する中枢棲姫を見てスネークはほくそ笑む。ミサイルに気を取られたのが、こいつの命取りだと。

 

 やったことは単純だった。逃げながらタラップを、ブレードで切っていたのだ。

 それにより強度が落ちたところへ、常識を逸した力の蹴り。奴ならば距離をとろうとする。そこまで想定していたのだ。

 

 スネークは、再び渾身の力を足に込め、中枢棲姫目がけて飛んだ。

 叫びだしそうな声を押し殺し、ステルスを維持しながら突き進む。認識を曖昧にするぐらいの、見えていても見過ごすぐらいのレベルへ、スネークは戦いながら成長していた。

 

 足が悲鳴を上げているのが分かった。瓦礫を足場に飛ぶ。サイボーグ忍者と同じ動きを人間ができる筈がない。艦娘の力はもう無い。あるのは絞りカスだけ。それさえも今使い果たそうとしている。

 

 飛び交う小さな瓦礫、ガラス片、弾丸を紙一重で回避し続ける。中枢棲姫が落下しきるその前に、スネークは追いついた。ブレードを振るえば、その首を捉えられる。迷うことはない。溜め込んだ叫びを解放し、渾身の力で刀を振るう。

 

「シズムカ、シズムモノカ……!」

 

 声にエコーが掛かった。

 能力が殆ど戻ったのだ。手のひらをかざした途端、ブレードの動きが止まる。そのまま切っ先を掴まれる。圧し折るつもりだ。引くにはもう遅い、切っ先にヒビが入ってしまった。

 

 ならば、それでもいい。スネークはより深くブレードを押し込む。当然進むことはない。だが、その分能力を刀へ向けることになる。つまり、他がおろそかになる。別に元々の弱点が消えた訳ではないのだから。

 

 唐突にブレードから力を抜いた。

 弾かれた刀が宙を舞う。それを目で追った一瞬、スネークは再び消えた。視界からではなく、認識から消えたのだ。

 

 中枢棲姫が気づいた時には、顔面を掴まれていた。

 決める気はなかった。決められれば運が良い。それぐらいにしか思っていなかったのだ。やっと復活した読心能力で、中枢棲姫は狙いを知った。

 

 後頭部に激烈な衝撃が走る。地面へ落下したダメージを頭部だけに集中させることが、スネークの作戦だったのだ。

 

 視界が一瞬真っ暗になった。力が戻ったのも不味かった。中枢棲姫は今一つの基地なのだ。人型へ内包したエネルギーは落下によって、自分自身へ降り注ぐ。スネーク共々、地面へ体を打ちつけながら地べたを転がっていく。

 

 顔を上げようとしたスネークの顔を、強烈な熱波が煽った。

 ミサイルのロケット・ブースターから火が出始めている。発射まで残り何分、何秒残っているのか。

 

「あと、少しだ……ケリをつけてやる」

 

 しかし、決着をつけなければ死ぬのは中枢棲姫も同じ。熱波で焼けた顔をぬぐいながら立ち上がる。能力を使う様子はない。狙いは成功だった。頭部を強打したことで、再び能力が封じられている。

 

 転がったブレードを手に取って、スネークは再び向き直る。中枢棲姫はもう笑ってはいなかった。作戦を成功させたときの笑みも、全て策謀の上だと知った時の自嘲もない。真剣に、ただ勝つために立っている。

 

 余計なことは考えていない。不謹慎かもしれないが、まるでスポーツの対決のような感覚がある。ひたすらに、戦いそのものが目的になっている。何もかも失って辿り着いたこの場所の居心地は、思ったよりも悪くない。

 

「行くぞ、スネーク!」

 

 スネークが踏み込もうとしたと同時に、中枢棲姫も接近してきた。奴に刀はない。代わりに深海凄艦の肉体がある。力任せに振るわれた攻撃を、ブレードの側面で切り付けながら、いなしていく。

 

 傷口から血はでない。代わりに、腐ったような得体のしれない液体が飛び出た。

 良く見ると、傷口からは()()()()が見える。内側にある、中枢棲姫の在り代。これはスクリーミング・マンティスの体だ。長い年月が経ったことで、中身はとっくに腐り切っていたのだろう。

 

 そう思った間に、中枢棲姫は蹴りを繰り出していた。腕全体を使ってそれを一瞬受け止める。間髪入れずに足払いを放ち、姿勢を崩そうと試みる。しかし、即座に軸足を切り替えて、中枢棲姫は隣に回り込む。今度はスネークが隙を晒した。

 

 鋭い牽制の一撃を、ギリギリとところで防ぐ。直後、本命である攻撃が来た。腕を目一杯引き、弓矢のようなストレートが放たれた。回避できない。スネークは無理矢理距離を取り、攻撃を回避する。

 

 僅かに腕が掠った。それだけでも大きな衝撃が全身に走る。ぐらりと視界が揺れた、端からは再び中枢棲姫が迫っていた。とっさにブレードを振るうものの、あっさりと見極められてしまう。

 

 壊れた方の腕を掲げ、攻撃を受け止める。元々使えなくなっていた腕が更に壊れ、遂に千切れ飛んでいった。私は──艦娘ではない。つまり、この腕はもう戻らないのだ。そう分かっていても、何も感じなかった。

 

 感じるよりも先に腕が動いた。残った腕でブレードを強く握りしめる。伸びきった腕の懐へ、ブレードを構えたまま潜りこむ。防御するために、片方の拳で拘束を図ってくる中枢棲姫の腕を、刀の鍔で弾き飛ばした。

 

 もはや意識していなかったが、スネークは再びステルスに戻っていた。

 中枢棲姫が見失ったのは一瞬だけだ。その一瞬でスネークは、ブレードを全力で振るっていた。体を斜めに切り裂き、巨大な傷口が広がる。

 

 無視できない激痛に、中枢棲姫はうめき声を上げる。腐ったマンティスの血が、ドバドバと流れ出ていた。まだ死なない、だが、致命傷に近い重症だった。それだけではない。中枢棲姫のサイキックの大本は『マンティス』なのだ。血が流れ、存在が消えるに連れ、その大本が消えつつある。

 

 ゆらりと、目の前にスネークが現れた。

 息は激しく肩を揺らしながら、やっとのことで立っている。目の焦点は合わなくなりつつある。千切れた左腕の出血は止まっていた。凄まじい火傷が切断面を塞いでいた。ロケット・ブースターの炎で焼いたのだ。

 

 右手に持っていたブレードは、折れていた。中枢棲姫の体を切り裂いた代償だ。スネークは使えなくなった刀を鞘に戻すと、右手の拳を握りしめる。

 徐に、中枢棲姫に殴りかかった。普段なら容易く回避できる攻撃が、回避できなくなっている。『源』が出血と共に流れ出ているからだ。

 

 顔面に受けた中枢棲姫は、お返しと言わんばかりにパンチを放つ。スネークにも回避する余力はない。同じく顔面でそのまま受け止める。スネークは口の中に、大量の血の味を感じた。折れた歯を吐き出し、また右手で腹を殴りつける。

 

 そのまま傷口を抉り、出血を激しくさせる。中枢棲姫は腕に向かって手刀を打ちつけ、叩き落とす。姿勢の崩れたスネークの腹を、アッパーで抉る。息が詰まり、吐しゃ物が吐き出された。

 

 よろめいたスネーク目がけて、中枢棲姫は何度も拳を叩き込む。もう致命打は出せなくなっていた。ひたすら武骨に殴りつけるしかなかった。だが、中枢棲姫は煩わしいとは思わない。無垢な顔で、少しだけ笑みさえ浮かべていた。

 

 同じようにスネークも一瞬だけ笑う。しかし、中枢棲姫を否定するように、再び真顔に戻った。殴りつける間の一瞬を突き、スネークは彼女の顎にひじ打ちを喰らわせた。

 何度も、何度も頭部を殴られた蓄積が爆発する。視界が暗くなり、意識が暗転する。お返しだと言わんばかりに、中枢棲姫の傷口を右手で何度も抉っていく。

 

 吐しゃ物、腐った血、汗──あらゆるものが滴り落ち、互いの体から出るものが無くなっていった頃。

 スネークと中枢棲姫の拳が、互いの顔面を捉えた。

 時間が止まったように、二人は動かない。やがて、中枢棲姫がフッと笑った。スネークは膝から崩れ落ち、地面に足をつく。

 

「……負けた、か」

 

 中枢棲姫の全身が、地面にたおれ込んだ。

 

 スネークは勝利したのだ。

 



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File90 Here's To You

── File90 Here's To You ──

 

 

 

 

 激闘を制したスネークは、中枢棲姫を見下ろす。

 深海凄艦が沈んだ時、普通は光となって消滅する。しかし、中枢棲姫はそうならない。肉体のあちこちに亀裂が入り、指先から崩れ落ちていく。崩れた肉片は風に攫われて、後も残さない。

 

 もう、深海凄艦ではないからだ。ここにいるのは屍者だ。J.Dの──そう作られた愛国者達の妄執──怨念で動かされた死人が、やっと還ろうとしている。怪物(ビースト)ではなく、人間として。

 

「私は、間違っていない」

 

 負け惜しみ、には聞こえなかった。中枢棲姫の言葉は自信に溢れていた。確信を持って、謝りはなかったと叫んでいる。いっそ清々しい感じまである。これまでの行動への後悔なんて、一つも無さそうだった。

 

「私は信じている、人間の愚かさを。報復の連鎖は経済(ビジネス)などでは止められない。私が死んでも、また別の誰かが、同じことを成そうとするだろう。世界は報復で回るのだ、今までも、これからも」

 

 この戦いを持って、中枢棲姫は消える。命だけではなく、その模倣子(ミーム)も含めて。世界を滅ぼそうとする考えなんて、誰も継承しない。いずれ忘れ去られる運命にある。その時中枢棲姫は完全に滅ぶ。

 

 だが、深海凄艦との戦争が終わらなければ、結局は同じだ。

 戦争が続く限り、報復心は育まれる。いずれまた、世界を呑み込むような怒りが生まれる。中枢棲姫はそれが世界を滅ぼすと信じている。J.F.Kは、それさえも人は制御し、文化の糧にできると信じた。

 

 どちらが正しいのか、スネークには分からない。分かる筈もない。ただ、中枢棲姫はやはり深海凄艦だった。忘れられた記憶が世界を滅ぼす。それを体現する彼女は、理想的なまでに深海凄艦だった──打倒されるべき存在だった。

 

「忘れられようが、継承されようが、歴史は変わらない。消えた物たちもまた、そこに在り続ける。人はいずれ、莫大な過去に押し潰されるのだ。私は自由を得られなかったが、私の意志は、いずれ自由を手に入れるだろう」

 

 虚ろな目で、スネークを見つめる。スネークは冷徹に中枢棲姫を見下ろす。被害者だったのは間違いないが、同情する気はもう無かった。こいつを殺した今、そんな感情は何の意味もない。

 

「楽しかったぞ」

 

 中枢棲姫は、間の抜けた顔をしていた。スネークの言っている意味が分からなかった。その反応は予想できていた。

 

「お前の存在を私は認めない、この世界を滅ぼすお前は私の敵だ」

 

 例えそれが、J.F.Kに仕込まれたエイユウのロジックだとしても、スネークは世界を護ろうとした。今まで助けられた彼女たちが生きる世界を、否定しようとは全く思わなかった。それは、自由であることよりも重要だった。

 

「だが、お前との戦いは楽しかった」

 

 自覚はなかったが、スネークは既に中枢棲姫を許していた。そうでなければ、戦いを楽しんだりはしない。あんまりな境遇を知ったからではない。そうではなく、ただ一つの存在として中枢棲姫を認めていた。J.Dの出来損ないではなく、中枢棲姫としての彼女を。

 

 だからこそ、スネークは信じない。報復心で世界は回らないと。例外もあるのだと。中枢棲姫やJ.F.Kが思い描いたのとは違う未来も有り得るのだ。

 

「それだけだ」

 

「……そうか」

 

「じゃあな」

 

 時間がない。スネークは終わりを見届けずに立ち去った。ガングートが川路の最後を見なかったのと同じ理由。私に見られる最後なんて、きっと屈辱でしかない。そもそも、一応認めていても、中枢棲姫のことは嫌いだ。記憶に留めようとは微塵も思っていなかった。

 

 だから、この言葉は幻聴だ。

 あんな存在が、「ありがとう」などと言う筈がない。スネークは振り向かなかった。耳元に届く、灰が風に攫われる音が全てを語っていた。

 

 戦いは終わった。わたし以外の愛国者達を全員殺して。

 

 

 *

 

 

 タラップをふらつく足取りで昇っていく。ミサイル発射まで、もう秒読み段階に入っていた。横目で見た制御室は、やはりシェルターが降りている。周りは全て高い壁。奇跡でも起きて壁を越えても、今度は迫りくる海がスネークを圧殺する。

 

「駄目かぁ……」

 

 タラップ近くの柵に背中を預けて、座り込む。見上げた空は赤く染まっている。暁──夜明けだ。まあ、太陽も何も見れずに死ぬわけだが。死ぬときぐらい、良い景色を見たいものだが。

 

 だが、それでも十分だろう。

 産まれた時は、ただの青空を見るだけで喜んでいた。ずっと水底に押し込まれ、いざ浮上したら夜、そしてマンハッタンへ座礁。艦としては碌でもない生涯を過ごした私にとって、始めて見る青空は感動を覚える光景だった。

 

 だから、これでも十分なのだ。そう言い聞かせようとしても、納得し切れない自分がいる。そもそも、全て納得して逝ける死なんて、あるのだろうか。終わりは何時だって不条理にやって来る。こっちの事情など一切考慮せず。

 

 終わる時は終わる。永遠なんてあり得ない。遺伝子も模倣子も、時代も意志も、平和も報復も──いつかは途切れる運命にある。

 

 しかし、それを悲しくは思わない。

 だからこそ、愛国者達を打倒できたのだ。中枢棲姫を滅ぼせた。J.F.Kも一応死んだ。最後(絶滅)がなくなった世界こそ、真の地獄に違いないのだから。

 

 受け入れる他ないのだ。悔しくても未練があっても。

 あと数十秒でミサイルが放たれる。バックブラストで焼け死ぬか、崩壊するアーセナルに呑まれるか。深海に圧殺されるか。できるなら楽な方が良い。

 

 それぐらいは祈っても良いだろう。スネークは眼を閉ざし、誰かに祈った。神は信じていない。知らない何かに願いを捧げた。これからも続く世界が、今よりも幾分かマシなことを望みながら。

 

〈駄目です、スネーク〉

 

 しかし、願いは受け入れられない。

 拒絶したのは神でも、知らない誰かでもない。聞こえたのは青葉の声だった。まさかまだ逃げていないのか。飛び起きてみたが、無線は動いていない。

 

「幻聴?」

 

 それとは別に、変化が起きていた。

 ミサイルの一部が、()()()()()()()。中には人一人が丁度入れる小さなスペースになっている。

 

 中枢棲姫はこれで生き残るつもりだったのだ。ミサイルのバックブラストにも巻き込まれず、安全に逃げる方法。それはこの()()()()()()だったのだ。生き残る方法があったから、デスマッチを仕掛けてきたのだ。

 

 偶然、なんだろうか。

 中枢棲姫が発射直前に開くようプログラミングしていたのか。それとも、制御室に残した小型艤装越しに、G.Wが最後に力で操作したのか。それとも、艤装経由で青葉がやってくれたのか。

 

 どうであろうと、スネークの行動は一つだけだった。

 這いつくばりながら、ミサイルの中へ転がり込む。すぐさま中の機械を動かし扉を封鎖する。直後、ミサイルが大きく揺れる。発射されたのだ、本当にギリギリだった。

 

 全身に強い衝撃が走る。多大なダメージを負った体には凄まじい苦痛だ。絶え間なく続く振動、かかる重力。必死に意識を保ちながら、スネークは叫び続けていた。

 

 私は、生き残ってやる。

 いつかは終わる──だからこそ、足掻ける間は足掻き続ける。それよりも、何よりも、青葉との約束をまだ達成できていないのだ。

 

 どういう訳か、小部屋には小さな窓が設置されていた。

 そこから見える景色が目まぐるしく変わっていく。断崖絶壁の海を越えた先に、赤い空が見えた。

 

 日の出だった。日の出(ヴァーチャス)から始まった戦いが、また同じ時で終わろうとしている。

 

 水平線を越えて、景色はどんどん遠く消えていく。予定通りなら、このミサイルが行く先は決まっている。

 

 分厚い雲を突き抜け、更に強烈な衝撃が全身に叩き付けられる。体が耐え切れなくなり、吐血までし始めた。軋む体に悲鳴さえ出てこない。永遠に続く様な激痛だった。だが、辺りが暗くなると同時に止まった。

 

 朦朧とする意識で、スネークは窓から外を見た。きっと宇宙に出たのだ。見えるのは地球と太陽に決まっている。だから、窓の外を見た理由は、本当に「何となく」だった。深い意味は求めていなかった、なのに。

 

「……地球、だ」

 

 余りにも綺麗な星だった。

 昔とは違う。地球の景色は誰もが知っている。宇宙に出た人間以外も視れるようになっている。スネークだってどんなものか知っていた。

 

 なのに、なぜ涙が出るのだろうか? 

 理由は全く分からない。ただ言えることは、地球が美しいということ。画像で見るより、誰かから聞くよりも、ずっと心に響く。刻み込まれていく。

 

 ここからは何も見えない。艦娘も深海凄艦も。赤い変色海域も見えない。国境も戦争も、一切を感じさせない。

 スネークは間違えていた。始まりは日の出(ヴァーチャス)ではない、ここだ。宇宙(ザ・ボス)からだった。

 

 一人の、偉大過ぎる女性が見た景色。それは彼女に大きな夢を抱かせた。

 本当の始まりは、ここからだったのだ。長い時を得て、彼女の意志は歪曲されていった。しかし、その果てにスネークはここに辿り着いた。

 

 意識が、一気に暗闇へ落ちていく。

 スネークをここまで繋ぎ止めてきた力が、遂に切れた。壁に肩を預けながら、瞼を閉ざしていく。

 

 ここからどうなるのかは、本当に分からない。

 このまま衛星軌道上を彷徨うのか。墜落するのか。もしくはこの部屋から干渉できるのか。できることがあるのか。

 

 もしくは、ここが新しい0になるのか。

 全身の倦怠感に身を預け、スネークは眠りについた。ミサイルは激しく揺れ続け、やがてその軌道を変える。最後に思ったことは、やはり、彼女との約束だった。

 

 

 *

 

 

 戦いは、終わった。

 青葉は今の現状を、そう評価した。無論現実が大きく変わった訳ではない。中枢棲姫がいなくなっても、深海凄艦は現れ続け戦争は続いている。

 

 そもそもの発生原因は、海底に大量に撒かれたサイキック・アーキアなのだ。このアーキアを根絶しなければ、深海凄艦は現れる。戦争が続く以上艦娘も増え、戦争経済はより活発化していっている。

 

 それでも、終わったのだ。一つの大きな戦いは確かに終わった。深海凄艦をこの世界に生み出した中枢棲姫が沈んだ意味は、世界が思うよりも大きい。

 彼女は兼ねてより、自分が深海の根源だという噂を流していた。そんな彼女が沈んだことで、この戦争は大きな転換を迎えた。というのが、軍人たちの認識だ。

 

 実際、変化は起きていた。

 深海凄艦の行動が、明らかに鈍化しているのだ。今までは見境なし、ひっきりなしに侵略を続けていたのが、そうではなくなっている。

 

 輸送物資や民間船を見かけても沈めようとまではしなかったり、襲うこと自体しなかったり。言うなれば平和的──とまでいかないが、穏健派ぐらいの個体が、徐々に増加していっている気がする。

 

 まだ統計データとして纏まっていないから、噂の域を出ない話だ。

 それに、中枢棲姫が仕掛けた報復心も根深い。イクチオスによって液化した土地は戻らず、故郷を大勢の人が奪われた。第三各国の被害はそれよりも更に大きく、深刻だ。

 

 前線では、穏健派の噂が立ち始めている。しかし民衆の間では、絶滅させろという意見が広がっている。中枢棲姫を撃破できた事実が、絶滅できるという夢に現実味を与えてしまっている。アーキアを根絶する技術がなければ、不可能なのに。

 

 大きなギャップが、前線と民衆──艦娘と人間の間で開き始めている。

 このギャップが、私たちを引き裂くのかもしれない。スネークが語ったような軍隊、艦娘によるアウターヘブンが生まれる可能性もある。そうならず、解体された艦娘が、社会で多数派になり、そのまま融和する可能性もある。

 

 ただ一つ確かなこと。それは、やはり戦争は続いていく一点だ。中枢棲姫が望んだ絶滅戦争か、J.F.Kが望んだ戦争経済かは分からない。

 

 スネークの英雄性が、艦娘たちを人の味方に引き留めるとAIは語った。それにより、人に味方する化け物と、自由を求める化け物で振り分けられるのかもしれない。

 

 どちらでも価値は同じだ。完全に一つでなくても問題はない。適切に振り分けられれば、二つのグループに統率できる。愛国者達がいなくても、デジタル空間が代わりにやってくれる。人を護る派と自由を求める派。どちらも結局は、戦争経済──戦争文明を強固にする。

 

 

 

 

 やはり、世界はJ.F.Kの言ったとおりになるのだろうか? 

 青葉はそう書いて、一端筆を置いた。

 机の端に置かれたコーヒーを呑んで、思いっきり欠伸をする。周囲には誰もいない。気を遣う理由はない。

 

 戦いが終わり、シャドー・モセスは解体となった。

 元々、スネークが中心になってできた成り行き集団なのだ。ソリッドの仲間とも、ビッグボスやリキッドのカリスマとも違う。誰に近いかと言われたら、やっぱりソリダスが一番近い。スネークから聞いた彼らの人物像が合っていればだが。

 

 解散した後、各々がそれぞれの道へ行った。

 行き場のない北条提督や伊58、北方棲姫はアウターヘブンに引き取られて行った。今は最大の爆弾になった新型核の解体を目指して研究しているらしい。

 

 もしかしたら、普通の核よりも早く無害化できる可能性もある。実現すれば、普通の核にも技術を応用できるかもしれない。そうなれば、世界のパワーバランスは再び大きく変化するだろう。

 

 ガングートは誰にも言わず、どこかへ行ってしまった。艦娘にも深海凄艦にもなれない彼女にとって、アウターヘブンの居心地の良い場所ではなかったようだ。今更どこかの諜報機関に入れるとは思えないが、きっと元気でやっている。

 

 シャドー・モセス以外の人たちについても少し触れておこう。サイボーグ忍者と呼ばれていた川内についてだ。

 

 あの後、神通に連れられてヘイブンを脱出した彼女は、再び姿を晦まそうとして神通に引き留められたそうだ。それから残された一か月間、彼女は特に何かする訳でもない。神通のところで過ごしていた。

 

 北条たちの立てた予想通り、余命は間違いなく一ヶ月程度だった。しかし、その最後は穏やかなものだったと聞いた。ただ姉妹艦と過ごすだけの時間。それが川内にとって、救いであったことを祈るばかりだ。

 

 さて、私こと青葉はというと、こうして机とにらめっこをしている。

 元々大本営のスパイとしてスネークのところにいた私は、スネークの情報を随時送っていた。その働きがあったので、追われることにはなっていない。

 

 かといって表を堂々と歩ける立場でもない。公には立派なテロリストの一員だ。だからこっそりと身を隠しながら、各地を転々としている。ほとぼりが冷めた頃に、D事案の艦娘とでも偽って拾われる予定だ。やり方は川内に教わっている。

 

 他の方々みたいに、アウターヘブンに行こうとは思わなかった。

 きっと、あそこは私には合わない気がする。ジャーナリストに自由は不可欠だ、あそこならそれを得られる。けれども私は、ただの兵士の目線から、世界を見ていきたいのだ。

 

 誰でもない『わたし』でも、軍艦『青葉』でもない。艦娘の青葉として、世界を捉えていきたい。だから、いずれ鎮守府に戻る予定だった。ただその前に、これを書き上げなければならない。残ったコーヒーを飲み干して、再びペンを取る。

 

〈なんだ、まるで進んでいないじゃないか〉

 

 やる気を粉砕するように、真横のメタルギアMk-4が突っ込んだ。つまりG.Wである。

 

「やかましいんですけど」

 

〈事実を言ったまでだ。これでは終わるまでに何年かかることか〉

 

 そう、こいつ生きていやがったのだ。

 さすがに殆どは崩壊している。大規模演算システムとしての力は完全に失われ、SOPシステムも使えない。しかし、会話は思考するための部分はある程度残っていたのだ。それをMk-4に移植し、しぶとく生き残ったのである。

 

〈スネークが帰るまでに書ききると言っていたが、これでは到底無理だな……〉

 

「だからうるさいですよ、黙っていてください」

 

 御覧の通り毒舌だけ残った。まるで役に立たない。こんな状態になっても愛国者達の復活を狙っているらしいが、まあ無理だろう。しかし、スネークが帰るまでこいつと二人っきりなのは……かなり堪える。

 

 そうだった。一つ言わないといけなかった。

 スネークもまた、生きているのだ。

 スネークを乗せたミサイルは大気圏を越えた。本来なら衛星軌道上を漂う筈だった。しかし、実際は()()()したのだ。

 

 原因は青葉にあった。彼女はギリギリまで制御室越しにミサイルのプログラムを操作していたのだ。発射の阻止まではできなかった。青葉は別に、そこまでハッキングに精通している訳ではない。G.Wのサポートを受けながら、できることをがむしゃらにやっていただけ。

 

 結果それは、姿勢制御の異常を齎した。

 姿勢を崩したミサイルは軌道を外れ、再び大気圏へと落下したのだ。スネークは地球への機関を成功させた。

 

 もっとも、再突入時ミサイルはレールガン諸共崩壊。残骸も確認され、中枢棲姫の野望は防がれた。ちなみにレールガンの修復は、オーバーテクノロジーで数十年は無理なんだとか。当分は安心である。核弾頭は回収され、国連の元厳重保管されている。良いのか分からない、難しい落としどころだが……悪用されないと信じておく。

 

 中にいたスネークも深刻なダメージを受け、一時期は昏睡状態に陥った。周辺海域で待機していた、アウターヘブンの救助が間に合わなければ死んでいた。

 それでも、そこから数か月で意識を取り戻し、数週間で歩けるまで復活したのは、元艦娘故か、彼女自身の力なのか。

 

「スネークがどこへ行ったのか、本当に知らないんですか?」

 

〈知らん、我々は何も聞いていない〉

 

「本当ですかねぇ」

 

 知っていても、知らないと言うような奴だ。信用はできない。聞いていなくても、()()()()()()可能性はある。まあ、知ったところで追い駆けるつもりもないが。

 歩けるようになってスネークは、すぐにどこかへ行ってしまった。行くべき場所があるらしい。それから数週間、音沙汰無しだ。

 

 青葉はその間の時間を使い、この事件を書き残すことを決めた。

 勿論、青葉は全てを知らない。アウターヘブン側で誰がいたのか、どんなスネークがいたのかも。J.F.Kが抱え込んでいた事情も知る由もない。

 

 だけど、それで良いと思っていた。

 知らないところは、想像して補填すれば良い。彼なら、彼女なら、どう考えただろうか。読心能力でもなければ、人は人の心を知れないのだから。元々人は想像して生きている。だから、これで良い筈だ。

 

 私は、私の主観で記録を残そう。

 他の誰でもない、人でも艦でもない、唯の艦娘『青葉』として。スネークが何を感じ、何を考えて戦ってきたのかを。

 ただし、最後はまだだ。スネークが帰ってこなければ完成しない。私と約束を果たすまでは、完成できないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ACT6

 DAWN SUN(暁の太陽)

 THE END

 



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DEBRIEFING

── DEBRIEFING ──

 

 

 

 

 足取りが重い、しかも痛い。一歩歩く度に全身に激痛が走る。これでもだいぶマシになったというのが驚きだ。我ながら良く生きていると、スネークは思った。一応同じケースで生きていた前例はある。ザ・ボスも数年間昏睡状態になったが、生き残った。

 

 しかし、その後の境遇はまるで違う。

 数年の間にザ・ボスは伝説を抹消され、地下に潜らざるをえなくなった。対してスネークの伝説は未だに増え続けている。

 

 全ての深海凄艦を生み出した中枢棲姫を、シェル・スネークが撃破した。決戦を生き残った艦娘がそんな話をネットへ広める。それは違う、あれ以降も深海凄艦は増え続けている。だからスネークは敗北したのだ。それも違う、相打ちになったのだ。スネークこそが、深海凄艦を生み出していた──人によっては英雄であり、黒幕であり、テロリスト。それが今のスネーク像だった。

 

 その在り方は、艦娘に似ているとスネークは思った。

 彼女たちをどう捉えるかも、人によって違う。深海凄艦から人々を護る英雄と見る人もいれば、そうやって人間社会に寄生しようとする、別ベクトルの侵略者。はたまた深海凄艦と同じ過去からの亡霊と考える人もいる。

 

 真実は、サイキック・アーキアによって作られた特殊な生物だ。しかしその話をしたところで、信じる人はさほど多くはあるまい。何よりも国家が認めない。そんな事実を広めたが最後、艦娘は間違いなく『人権』を失うだろう。

 

 ただでさえ、人かどうかギリギリのラインなのだ。これで人権までなくなったら、どんな地獄が生まれるのか、考えたくもない。広めるとすれば、もっと後。遥か先。艦娘の排斥が不可能になるぐらいの未来──深海凄艦との戦争が、完全に終わった後ぐらいだ。

 

 ただ、今この事実を広めたところで、信じる人は何人いるのか。

 それがどうかしたのか? 気に留めない人もいる。ネットに残留する、自分が求める『真実』を信じる人が大多数の筈だ。

 

 結局、艦娘像も、スネークという英雄像も、都合の良いモニュメントになって定着する。それらは世界を過去に強く結びつける楔になる。

 

 J.F.Kは、永遠に消えないモニュメントを創ろうとしたのだ。

 それが永遠なら、世界は過去に繋がり続ける。艦娘がWW2からしか生まれないのも、WW2以外の過去を深海凄艦で抹消したのも、その為だったのだ。

 

 中枢棲姫は倒した。だが、J.F.Kの計画は成った。

 そしてJ.F.Kも消えた。かつてのように、愛国者達を打倒することはもうできない。まさしく勝ち逃げ。死に逃げを奴は成し遂げたのだ。一体全体、これのどこが英雄なのか。スネークは自嘲気味に笑うしかなかった。

 

 そんな心境で、スネークはアメリカの大地を歩いていた。

 数多のスネークが生まれていった母国であり、アーセナルにとっても母国だが、懐かしい感覚はあまりない。

 

 逆に言えば少しはある。

 過去を持っていなくても、体がここを覚えているのだろう。比喩的に過去がないと言っても、実際は必ず過去があり、そこから生まれている。何の過去もなく、突然生まれるなんてあり得ない。愛国者達にだって過程はあったのだから。

 

()()()へ近付く程、懐かしさは増していく。見た事が無くても、この光景を体が覚えている。

 

 まだ、何もなかった殺風景な場所で、一人の男が墓前に立つ。持ってきた花束を捧げる。残された片目からは涙が溢れる。零れないよう上を見上げながら、彼は敬礼を捧げた。それが始まり。それがグラウンドゼロ。宇宙という全ての発端を見てきた彼女は、そこへ戻ってきた。

 

 殺風景だった光景は、今はもうない。

 男が捧げたオオアマナ──花言葉は潔白、純粋──が、数十年の間に広がり、一面が白い花畑になっていた。風に吹かれ舞い散る花弁の中に、スネークの目的があった。

 

 ザ・ボスの墓前に、スネークは立つ。

 ここは無縁墓地(ポッターズ・フィールド)。身寄りのない人や、犯罪者、歴史から抹消された人々が眠る場所。いずれ忘れ去られることが決まっている、置き去りに成った過去の墓地。

 

 自ら持ってきたオオアマナの花束をささげ、スネークは祈りを捧げる。

 ザ・ボスに対して思うことはそんなにない。会ったことはないし、関わりもない。スネークの戦いを一応は終わらせた。その最後として、彼女に会うべきだと思ったのだ。

 

「貴女も、同じことを思ったんでしょうか」

 

 彼女と同じく、スネークは宇宙から地球を見た。何か大きな変化を自分の中に感じていた。しかし、それはザ・ボスとは違うものだ。そうでなければならない。スネークは問いかけるが、当然答える人はいない。

 

 世界を壊した件についても、最低限謝罪はしたが、それまでだ。ザ・ボスが無くなってから数十年経っている。世界を一つにする。それが何十年も、何百年も変わらず継承されるとは思わない。

 

 尊重こそすれど、命をとして護るものではない。過去は過去、今は今だ。正しかったかどうかなんて、それこそ世界が終わる時にしか分からない。それでも、始まりは彼女だった。だから、目を閉じ、手を合わせて冥福を祈る。

 

 それに、ここに来れば奴に会える。

 

「先客、か?」

 

「いいや、お前に会いたかった」

 

 背後から声をかけられ、振り返る。しかし目の前には誰もない。理由は簡単、小さ過ぎるのだ。真下に彼はいた。スネークはまた懐かしいと思う。最初に会った時も、小さいせいで見つけられなかった。

 

「久し振りだな、エラー娘」

 

「生きていて何よりだ、シェル・スネーク」

 

 相変わらず浮いた足取りで、エラー娘が浮遊する。当然だがあの時から一切変化がない。

 

「……少し老けてないか?」

 

「何だと?」

 

「いや、何でもない」

 

 言われた通り、実は老けた。

 まず人間に成ったのが一因。もう一つは放射線だ。どうもあのミサイルはレールガンと中枢棲姫を運ぶことのみを想定していて、普通の人間は考えていなかったらしい。結果通常はある筈の、放射線対策がなかったのだ。

 

 元艦娘故か、致命傷にはならなかった。それでも影響は出ており、老化が普通の人より早まってしまったのだ。とは言ってもオールド・スネーク程極端ではない。気にする必要はない。言われれば気にするが。

 

「お前こそ何だ、私を馬鹿にしに来たのか」

 

「そうではない、私もお前と同じだ。彼女、ボスに会いに来た」

 

 どこから用意したのか、エラー娘もオオアマナを取り出し、墓前に捧げた。彼が祈るのに合わせて、スネークももう一度祈る。

 

「……それで、私に会いに来たというのは?」

 

「そのままの意味だ、この事件の真相を聞いていない」

 

「私なら知っていると?」

 

 J.Dの暴走、ナノマシンの暴走から始まったJ.F.Kの時間転移。そこからなる一連の事件だが、全ての事実は解かれていないと、スネークは考えていた。最大の謎はこいつ、エラー娘だ。本人から直接話を聞きたかった。

 

「なぜ、私なんだ」

 

「お前たちが誰なのか、検討がついているからだ。お前と、ぶら下がっている猫……ツェリノヤルスクから脱出した場所で、確信を得た」

 

 イクチオス製造工場が置かれたソ連領内ツェリノヤルスク。そこからエラー娘の手により脱出した時、スネークたちは何処へ転移したか。白骨死体のあった川沿いだった。エラー娘は答えを待つように目を閉じる。

 

「お前は、ザ・ソロー()()だな?」

 

 エラー娘の輪郭がぼやけていく。霞のように曖昧になった姿が、いつの間にか重なった。二つの人間の形状が明確になり、やがて一人の人間を作り出す。昔の夜戦服を身に包んだ男性が、底知れぬ闇を抱えた瞳でスネークを見た。

 

「私は、ザ・ソロー……よくここまで辿り着いた、空の蛇よ」

 

 オオアマナの花弁が、再び二人を包み込んだ。

 

 

 *

 

 

 スネークの考えは事実だった。しかし、いざ真実を目の前にすると言葉が出ない。

 

「……本当だったか」

 

「君が予想したことだろう」

 

「いや、まさか仮にも『娘』と名乗っておいて、男だったとは」

 

「性別を偽るのは、諜報の世界でも定番のやり方だ。それに妖精は何れも女性の形になる。それで男を名乗る方が不自然だ」

 

 そういう問題ではない。とスネークは内心突っ込んだ。言っていることは合っているが……よく考えれば妖精の時点で不可解な存在だ。深く考えない方が良いだろう。諦めたようにため息を吐き、ザ・ソローに向き直る。

 

「お前は、元の時間軸のザ・ソローと、この時間軸のザ・ソローが、混ざった存在で合っているな?」

 

「その通りだ、妖精の姿が元のわたしであり、猫の方がこの時間のわたしだ」

 

「つまり、時間移動を起こしたのはザ・ソロー、お前だったという訳か」

 

 いくら超能力と言えど、時間移動までできるのか疑問だった。その答えがザ・ソローだ。ザ・ソローは霊媒能力を持っている。一度死んだ人間──即ち、過去へと接続できる能力だ。それが暴走したら、()()()()が過去へ引き摺られてもおかしくない。

 かなり概念的な予想だが、そもそもオカルトなんてそんなものだ。サイキック・アーキアなんて代物を知った今、懐疑的になる必要は全くない。

 

「正確にはそうなるが……」

 

「違うのなら話せ、私が知りたいのは事実だけだ」

 

「それを聞いて、意味があるのか」

 

「私ではない、青葉だ。あいつはこの事件の記録を残そうとしている。なら、できる限りの事実を知っていた方が良いだろ」

 

 自分主観で良いと言っていたが、知れる真実を知ろうとしないのもいかがなものか。それを記録するかどうかは青葉に任せればいい。まあ、私自身事実を知りたいと言うのもある。こればかりは、ザ・ソローから聞くしか方法がないのだ。

 

「そうだな、話す責務が、私にはある」

 

 そう言って、ザ・ソローは語り始めた。

 

 あの時、アウターヘイブン中枢のG.Wにワームが流し込まれた時、愛国者達とヘイブンは崩壊を始めた。その時『死』を味わったことで、J.Dが暴走した──というのが、スネークの知る事実だ。

 

 しかし、そこにはもう一つ要因があった。それがザ・ソローだった。

 何とあの場に、霊体のザ・ソローがいたのだ。彼は息子たちの戦いを見守っていたのだ。だが、それこそが誤りだったと彼は語る。

 

 私はそこから、いなくなるべきだったのだ。死人らしく、未練をなくし去るべきだった。息子たちの戦いを見届ける、と言えば聞こえは良いが、実際はただの()()だ。世界はあくまで生者のもの。死者は然るべき時まで、立ち入っていい場所ではない。

 

 しかし、彼は見届けてしまった。

 その時点でザ・ソローの願いは達成され、未練はなくなった。この世界にしがみつく理由が無くなったのだ。だから、マンティスの暴走に逆らえなかった。

 

 ザ・ソローもまた、スクリーミング・マンティスの暴走に巻き込まれていたのである。

 ザ・ソローとマンティス。二人の能力はJ.Dの生存本能により更に加速し、結果ワームホールを開き、時空を超えたのである。

 

 そして行き先を決定づけたのも、また彼だった。

 数十年間の間、ザ・ソローは一つの後悔をしていた。いや、迷いと言うべきだった。それはあの日、ザ・ボスに殺された日のことだ。

 

 理屈の上では納得している。あの時どちらかが死ななければ、愛すべき息子が殺されていたのだと。感情でも納得している。生き残るべきは彼女の方だった。だが、いずれも本心ではない。

 

 二人で生き残れたら──どれだけ良かったことか。愛すべき彼女と息子で未来を視ることができたのなら。親として、夫として、一人の人間として、当たり前過ぎる理想を彼は望んでいた。叶わないと知っていても。

 

 それが、ザ・ソローたちを過去のツェリノヤルスクへ導いた。

 無限に逆行しかけた彼らは、彼の後悔によって繋ぎ止められた。スネークが予想した過去(亡霊)とは、他ならぬ自分自身だったのだ。

 

「その時点で、私の力はスクリーミング・マンティスの肉体に大半を奪われた。その場で死んだ、過去の私も同じように」

 

「だから、二人で合体したのか?」

 

「そうだ。未来の私と過去の私で、何とか存在を維持してきた」

 

 いきなり肉体を得たJ.F.Kが、様々なアクションを起こせたのは、この辺りの理由が多きいのだろう。そこからはスネークの知っている通りだ。J.F.Kは自らが滅ぶ計画を立て、その為の世界を創るためにサイキック・アーキアを見つけ出し、中枢棲姫を創造し、艦娘と深海凄艦を建造したのだ。

 

「サイキック・アーキアは、自力で発見したのか……」

 

「いや、私の霊媒能力を使い、見つけ出したようだ。恐らくはその力で、彼岸へ繋がったんだろうな」

 

「どういうことだ?」

 

「……アーキアが現れるのは、本来遥か未来だった。とだけ言っておこう」

 

 知る危険、というものらしい。スネークがどれだけ睨み付けてもザ・ソローはそれ以上語らなかった。代わりに自分の行動を話してくれた。

 

 J.F.Kに力を奪われたザ・ソローは、二人掛かりで存在を維持した。その姿がエラー娘だった。奴に生み出された妖精の中で、唯一叛逆する存在。故にエラーと自称したらしい。しかし、その体でできることには大きな制限があった。

 

 霊媒の力は使えない。他の超能力は元々持っていない。できることは、周囲の力を借りなければ何もできない状況で、唯一の武器が情報だった。ザ・ソローもまた『未来』の知識を持っていた。だから先回りができた。

 

 J.F.Kの目的を知っていれば、推測はできる。密かにダイヤモンドドッグス崩壊からメンバーを救出したのも、エラー娘としての彼だった。彼らにアーキア、そして艦娘と深海凄艦の技術を伝えたのもそうだ。もっとも、専門家でない彼には限界があったが。

 

 しかし、ザ・ソローは間もなくDD──アウターヘブンを去る。

 そこには、ザ・ソローを知る人間が何人か居たからだ。J.F.Kはザ・ソローが消滅したと思い込んでいた。もし誰かがエラー娘の正体に気づけば、じきに奴も気づく。

 おかしな話ではない。愛国者達は無意識に宿る規範そのものだ。だから彼は、再び行動を別にしたのだ。

 

「スネーク、君を助け出したのも私だ」

 

「お前が?」

 

「そうだ。君を奪取すれば、中枢棲姫の計画に狂いが生じる」

 

 言う通りだが、スネークは渋い顔をする。そうして私に英雄の戦歴を辿らせることが、黒幕の目的だったのだから。

 

「J.F.Kの予定通りだとは感づいていた。異様に警備網が薄かった、侵入も奪取も簡単過ぎたんだ」

 

「お前も私も、踊らされていた訳か」

 

「ああ、だが、私はそれでも行動した。そして君は艦娘となった」

 

 それでも、最後には見つかってしまったらしい。

 結果私は半端な状態で海に放り出されて、最終的に艦娘のアーセナルギアとして固定された。どちらに変化するかは一切予想できなかったのだ。

 

「もっとも、艦娘でも深海凄艦でも君の行動はそう変わらなかっただろう。そうでなければ、こんな不確定要素を奴は残さない」

 

 スネークは無言で同意した。

 どっちになろうと、過去がなければ意味がない。史実を持たない存在に怨念とか未練がある筈もない。どう転ぼうと私は半端な存在だったのだ。きっと深海凄艦でも、最終的には中枢棲姫と戦っていた。

 

「後は君の知っている通り、何とか接触しようとしたが、途中で追撃部隊に襲われ──本体はツェリノヤルスクに監禁された」

 

「猫の部分は流れ流れて、川内に保護されたと」

 

「アウターヘブンの時に、少し面識があったからな。まさかそこから君に回収されるとは思わなかったが」

 

 こっちの台詞だ。忍者から回収した荷物から、猫が顔を出した時の気持ちを考えて欲しい。当時を思い出し、スネークは遠くを見つめた。アフリカの出来事が懐かしかった。

 目線を戻すと、ザ・ソローが墓前の前に移動していた。置かれたオオアマナの花をじっと見つめている。

 

「私は、過ちを犯した」

 

 酷く、深く。底知れないほどに悲しげだった。

 

「自らの能力を、ここまで呪ったことはなかった。私がボスの望んだ世界を、より酷く歪めてしまった。世界は屍者の帝国に侵攻されてしまった」

 

 客観的に見れば、その通りだ。この世界はあり得ない。本来沈んだ艦が歩き回り、沈んでいなければならない怨念が砲撃を放つ。ただの変化とは訳が違う。越えてはならない一線を飛び越えてしまっている。

 

「だからこそ、君には感謝している。戦いを終わらせてくれたことに」

 

 ザ・ソローはスネークを見つめた。悲哀はなかった。代わりにあったのは、切ない光を持った感情だ。死んでいる筈の瞳から、僅かに涙が流れた。スネークは耐え切れず目を逸らす。

 

「私は失敗している。感謝される理由はない」

 

「君は中枢棲姫の目的を、屍者の帝国が完成するのを止めてくれた。彼女が生き残っていたら、世界は終わっていただろう。それに、J.F.Kの計画は前提から失敗している」

 

「失敗? どこが?」

 

「人は自分が思うよりも、遥かに忘れやすいのだ。哀しみも過ちも、憎しみも。永遠はあり得ない。AIはそれを認めず、永遠に繰り返せると信じた。だが、人はいつか戦いの円環に飽きるだろう。それは人から生まれた艦娘たちも同じ。元となる模倣子が変化しなくとも、『世界』の側が変化すれば、彼女たちも自ずと変わっていく」

 

「それでは、同じになる。変化の過程で忘れた時、奴等はまた何処からか現れるかもしれない」

 

 それこそ悲しみではないか。スネークは思う。

 深海凄艦の本質は、忘れ去られることへの無念ではないだろうか。伝えられなかった記憶、淘汰された意志。戦い続けた人々が、()()()()と叫んでいる。

 忘れた時、深海から化け物は蘇るかもしれない。サイキック・アーキアは、そうやって沈んだ記憶を糧に生きるのだから。あの虫は忘却の化身であり、保存装置なのだ。

 

「──そうかもしれない、いつか人は、忘れ去られた者達に滅ぼされるかもしれない。だが、それを避ける為に今を繰り返すことには、もはや何の意味もない。何事にも終わりがある。だからこそ、意味が生まれるのだ。終わる時、始めて意味が分かる。

 スネーク、君は始めて時を回した、()()()()()()

 過去に囚われず、ひたすら明日を生きようとした姿勢は、間違いなく英雄だ。それがJ.F.Kの計画であろうとも。

 それに、今が続かないことは、他ならぬAIが証明している。

 始まりの男、ゼロは一切を信じなかった。しかし彼が生み出したAIは、どちらも人間の可能性を信じた。既に変化は起きていたのだ」

 

 中枢棲姫は人が報復心で自らを滅ぼすと信じた。J.F.Kは人が永遠に戦争経済から抜け出せないと信じた。あんまりな形だが、人を信じてはいたのだ。それがゼロよりかはマシな考えというのは、皮肉でしかないが。

 

「AIの目論見も、全てが誤りだったとは言えない。人が絶滅に瀕しても、尚繋がりを失わない。人の意志を誰かが覚えていてくれる可能性がある。それは決して、悪いことではないだろう?」

 

「……覚えておけるものなのか?」

 

「それは、重要ではない。私は忘れられる悲しみを知っている。だからこそ、忘れてはならないと彼に接触した。スネーク、君もまた──忘れることを許されない一人。

 しかし、それでも忘却は防げない。私も、君も、艦娘も、彼女たちを生み出した戦いも、そこにいた戦士たちも、いつかは忘れられる。遺伝子も消え、模倣子も消え、時代へ消える」

 

 言ってしまえば極端だが、実際真実だ。

 最悪、いつか地球や宇宙が終わってしまえば、覚えるも何もない。最後は消える、それは必然だ。だからこそ、とザ・ソローは言う。

 

「我々人間には、『思う』機能が備わっている。

 伝えられなかったこと、途絶えてしまったことが()()()()()思うことができる。知りようのない事柄を想像できる。激しい戦いの積み重ねがあったと想像できる。明日を残そうとした人々がいたと想像できる。それは人の特権だ。

 無論、想像が事実と異なる可能性はかなり高い。間違っている真実を捏造するかもしれないが……それが、明日を生きる為の力になるのなら、私は構わない。あの日信じた未来が続くことの方が、余程重要なのだから」

 

 ザ・ソローは、再びスネークを視た。

 彼の瞳にはやはり悲哀が宿っている。しかし話し始めた時とは違う。未来が続くことへの歓喜が、少しだけ光り輝いていた。

 

「過去がないものなど存在しない。忘れているだけ、私はそれこそが最大の悲しみだと思う。だからこそ、忘れてはならない。私たちは莫大な過去の上に立っていることを。あらゆる人たちの戦いの果てに、私たちは生きていることを。いつか、全てが絶滅するとしても」

 

 彼の瞳から光が消えていく。彼にも本当の終わりがやってきたのだ。それを悲しいとは思わない。自分の未練が犯してしまった過ちで生まれた未来だが、そこでもザ・ボスの物語は生き続けていた。彼等と同じ、シェル・スネークも一匹の蛇だと、ザ・ソローは信じていた。

 

「……蛇はもういらない、こちら側でも」

 

 そうだろう、ボス? 

 

 ここに一つの物語が終わる。ザ・ボスに寄り添っていた男の話が。死んでも尚、息子たちを見守り続けた英霊が。それ故に間違えてしまった亡霊が。戦いを見届けた一人の戦士の物語が。ザ・ボスの側にいたばかりに、彼女共々歴史から抹消され、忘れられた悲哀の物語が幕を閉じる。

 

 オオアマナの花弁が、三度舞い散る。スネークはその瞬間を目に焼き付ける。いつかは消えるとしても、今は忘れることを許されない。

 そして、悲哀は消えた。元の世界からやってきた最後の一人が消え、スネークは残された。

 

 スネーク──いや、もう殻ではない彼女の話はここから始まる。

 

 

 *

 

 

 私たち艦娘は、生きているように見えるでしょう。

 息をして、ご飯を食べて、寝て、人間と変わらないように感じるでしょう。生きていると寄り添ってくれる人も大勢います、そう言われるたびに嬉しさが込み上げてきます。

 

 でも、私たちは、屍者なんです。

 一度死んだ私たちは、新しい場所からは生まれない。必ず過去の記憶と一緒にやって来る。その度、忘れられていた記憶を伝搬させる。

 

 消えたこと、忘れたこと、私たちの戦いに目を向けてくれることは、素直に嬉しいです。誰も私たちを覚えていないのは、やっぱり悲しいですから。だけど、そればかりでは何の意味がないと、私は思いました。

 

 そんな私たちは、色々な理由があったけれども、人を護る為に戦いました。

 きっとその姿勢は変わらない。何故なら、私たちの過去がそうだったから。どんな境遇でも、どんな扱いを受けても(限度はあるかもしれないけど)、誰かの為に戦おうとするでしょう。

 

 その姿勢が余計に私たちを印象付けるのかもしれません。だけどそれだけでは駄目なんです。過去にばかり目を向けていては、世界は屍者で一杯になる。

 

 そういう戦いがあったことを、どうか忘れないで欲しいんです。

 WW2だけじゃない。激しい戦いが何度もあったことを──そして、これからも起きることを。

 

 いつか、私たちの物語(ゲーム)は終わるでしょう。

 その時、また忘れられたら意味がない。だからこれを切っ掛けにして欲しいんです。普段意識していないだけで、私達は莫大な過去の上にいることを。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それさえ忘れなければ、過去を思うことができる。それを貴方たちが生きる糧にしてくれれば、私達もまた、生き続けることができる。

 

 これは、屍者の物語。

 どう感じるかは貴方達に任せます。

 願わくば、貴方のいる場所が、静かな海であらんことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、スネーク! お帰りなさい。どうでしたか母国は」

 

「何も感じなかった」

 

「……そうですかぁ、まあ思い出殆どないですからねぇ。やる事は終わったんですね」

 

「そっちは大丈夫だ。全てを聞いてきた。そっちについても後で話す」

 

「じゃあ、青葉の話も聞いてくれます? あの約束なんですけど」

 

「一度帰ってくる、という約束か。あれはどういう理由だったんだ」

 

「聞きたいことがあったんです。生きて帰ってきたスネークに聞きたいことが。スネークは自由でありたいと思いますか?」

 

「……どういう質問だ」

 

「青葉は、いや艦娘は決して自由になれません。必ず過去に縛られる。でもそれを含めて『青葉』なんです。でもスネークは違う。過去がないから、ある意味最初から自由だった。でもこの戦い、『過去』との戦いを得て、今どう思うのかを聞きたいんです」

 

「……私は、自由でなくとも、良いと感じている。

 私は最初、自分が強いと思っていた。だが実際は、一人では何もできな現実だった。常に誰かに助けられてきた、そのお蔭で生きてこれた」

 

「青葉もですよね?」

 

「わざわざ聞くなよ……そうだよ、お前もだよ。その為ならこの両手が塞がっていても良い。前とは違う、私は自分がアーセナルギアで良かったと思う。そうでなければ、この感覚は一生分からなかったから」

 

「ありがとうございます、聴けて良かったです。このインタビューは確実に本に載せておきますね!」

 

「待て、本ってなんだ、聞いてないぞ」

 

「皆知りたがっているでしょう、英雄の真の姿を。需要に応えるのもジャーナリストの務めです」

 

「前言ってたことはどうした、自分の伝えたいものを伝えるんじゃないのか」

 

「それはそれ、これはこれです。では早速打ちこみをしてきます!」

 

「おい待て青葉! 私は許可していないぞ! そんな恥ずかしい真似は止めろ!」

 

「真実を伝えるのも務めですので!」

 

「……まあ、悪いことではないんだろう」

 

「お前達はどう思う?」

 

 

 

 

 

 

 

 

METAL GEAR SOL!D

 ARSENAL GEAR THINKS

 

 THE END

 




以上を持って、アーセナルギアは思考するは完結となります。
かなー……り難しいやら抽象的やらなお話になってしまいましたが、読んで頂いた方には感謝しております。

今回のあとがきやら次回作の予告やらは、活動報告の方に乗っけておきますので、よろしければどうぞ。


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