江戸は深川に在る呉服問屋の二代目、鶴屋亀吉は
その夜も、町で拾った女を伴っていた。
逢瀬に利用するのは、軒を並べた茶屋の前に浮かんだ屋形船だ。
いつもの船頭にそれ相当の
そうすりゃ、野中の一軒家同然に、誰に
船頭はその間、
いい具合に舟が揺れるもんだから、つい、うとうとなんて事もあるわけで、これが本当の
なんちゃって。そんな駄洒落を言ってる場合じゃねぇ。
「うううっ!」
唸るような女の声に、
「ちっ!今夜の女は、ちっとも色っぽくねぇな」
毎回、色んな女の艶っぽい声を耳にしている船頭は、がっかりした。
「うーーーっ……」
「なんだなんだ?鶏が首を絞められたみてぇな声を出しやがって。お陰で目が覚めちまったぜ」
船頭が
「せ、船頭!」
亀吉が呼んだ。
「へ。若旦那、どうなすったね?」
船頭が振り返ると、蒼褪めた亀吉の顔が提灯の明かりに揺らいでいた。
「お、女が死んじまった」
「えーっ!」
「し、し、死んでる」
船頭は、
「発作みてぇに突然、胸元を押さえて、……どうしょう?」
女の処理に困った亀吉が船頭に尋ねた。
「どうしょう?と仰られても……」
「金なら幾らでもやるから、後の事は頼むよ」
気の小せい亀吉は、金に物を言わせると、女の後始末を船頭に頼んだ。
その後、船頭の姿が消えた。
一方、亀吉の女癖は一向に直らなかった。それから間もなくして、
「おう!船頭、頼もうか」
芸者を連れた亀吉が、初めて見る頬被りの船頭に声を掛けた。
「へ、
俯き加減の船頭は、亀吉と芸者を乗せると、
だが、舟は一向に進まなかった。
「おう、船頭!」
亀吉が障子を開けると、煙管片手に月を見上げている船頭に声を掛けた。
「……へ」
「ったく、何してやがんでぃ!まだ、茶屋の前じゃねぇか。早く漕ぎやがれ」
「くくくっ」
船頭が不気味な笑いをした。
「気色悪いな。何笑ってやがんでぃ」
「この舟は、呪われてるんで、進みませんよ」
「今、なんて言った?」
「殺された船頭の祟りですよ」
「な、なんだと?」
「あっしをお忘れですかい」
船頭はそう言って振り向くと、頬被りの手ぬぐいを外した。
そこにあったのは、死んだ女の処分を頼んだ船頭だった。
「お、おめぇは、あの時の船頭じゃねぇか」
「そうですよ。あんたに殺された船頭ですよ。……あの時、金なら幾らでもやるから女の処分を頼むと言いながら、……いや、金をやったら、後々
「もう一人だと?ど、どこだ」
「ここですよ」
その声は背後からした。吃驚した亀吉が振り向くと、それは連れの芸者だった。
「おめぇは今日初めて会った芸者じゃねえか。舟の上にゃ、俺と船頭と死んだ女しか居なかったんだぜ」
「その死んだ女がこの私ですよ。化粧で女は化けますからね。あの時、船頭さんを川に突き落とした後に、私まで川に投げて、あんたはこの舟で逃げた。……つまり、この舟は幽霊舟ですよ。ふふふ……」
女は腕組みすると、
「ゆ、幽霊舟だと?」
亀吉がたじろいだ。
「若旦那、そうですよ。茶屋の通りをご覧な。人は通っているのに、あっしらには見向きもしない。つまり、見えてないんですよ、あっしらが」
「ふざけるな!舟から降ろせっ!」
亀吉が舟から降りようと片足を上げた途端、もう一方の足を何かが掴んだ。
「ぐえーーーっ!!」
だが、茶屋の前を行き交う者は誰一人として亀吉の声に振り向かなかった。
「さあぁ、参りましょうかぁ。のろ~い、……舟で、ゆっくりとぉ」
背後から聞こえる船頭の声は、回転数を間違えたレコードのように低音で鈍かった。
語り:
完
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