転生公爵令嬢の憂鬱 (フルーチェ)
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同僚とトラックと転生

賢者の孫はアニメから入ったにわかです、衝動が湧き二次書き始めました。
シリアス薄めです、先人の方ほど上手く書ける自信はありませんが頑張ります。


「そんじゃ今日も一日、おつかれ!」

 

「お疲れさま――っと」

 

 キンキンに冷えた生ビールで満たされたジョッキをぶつけ乾杯を交わす。

 少しばかりの残業を済ませた会社帰り、週末なこともあって同じく残業だった同僚と会社近くの焼肉屋へと呑みに来ていた。

 野郎二人でサシ飲みとは色気の無い話だが、気楽なことは良いことだ。

 

「今週もなんとか終わったな、ああ沁みる」

 

 目の前の同僚が一口でジョッキをほとんど空にして感慨深そうに呟いていた。

 何でもない一日の終わりだが、こうした時間が仕事が楽しいわけでもなければ帰りを待つ嫁も居ない、独り身である俺達のような現代人の癒しである。

 美味いものを食べ、呑み、楽しむ。

 

 ニュースを覗けばろくでもない事件に暇がない世間にいくら思いを馳せたところで解決するわけでもなし、自分達の生活で手一杯な小市民の日常だ。

 こうして同僚と飲み交わし、休みが終わればまた来週も変わりない日常が始まるに違いない。

 

「そういやあいつまだ残ってたけど大丈夫かな」

 

「んー……手間取ってるみたいだったけど、いつものことだし大丈夫なんじゃないか」

 

 あいつ、というのが誰かについては言われなくても分かる。

 俺達が帰る頃合いになってもまだ仕事が終わらない様子だった同僚の一人だ。

 

「まあ時間さえかけりゃなんとかなるだろうけどさ、こう毎度の調子だと、なんかなぁ」

 

 どことなく不満そうな気配が見て取れ、その気持ちは分からないでもない。

 うちの会社はそれなりにホワイト企業で残業すればその分しっかり給金がもらえ、まだ勤続年数も浅い俺達のような若手同士では長く残業した奴の方が手取りも多くなってしまう。

 だからというか定時までに捌ききれなかった仕事を残業してこなしている件の同僚に対して不満も出てくる。

 

 しかもそいつは他の社員が帰宅した後も自分が残っているのを自身の能力不足ではなく、振られている仕事量が過剰なせいと考えている節があり改善も見られない。

 とはいえそんなことは会社の方で把握していることだろう、査定の評価が低ければ昇給は厳しいし、場合によっては肩を叩かれるかもしれない。

 愚痴を垂れる同僚を宥めすかし、タクシーへ送り届ける頃には辺りもすっかりと暗くなってしまっていた。

 そんな時間でも人気に満ちた繁華街の街並みを眺め、ふと気づく。

 

 ――おいおい、まさか今帰りなのかよ。

 

 こちらに気づく様子もなく、疲れ切った目をして目と鼻の先を歩いているスーツ姿の青年がさっきも話していた同僚だった。

 どれだけ遅くまで会社に残っていたのか、心配よりも先に呆れてしまうが次の瞬間、そんな思考が吹き飛ばされる。

 

「ちょ……待てお前!」

 

 同僚の向かう先、横断歩道の信号は完全な赤表示。

 それが見えていないかのように奴は歩調を弛めもせず車道へと踏み出していく。

 そんな最悪のタイミングで、信号近くにも関わらず大型のバンが前方車両に追い抜きをかけ、かなりのスピードで横断歩道に飛び込んだ。

 

 駆けながら伸ばした手が届く間もなく、目の前で同僚はバンに撥ね飛ばされてしまう。

 どう見ても、助かるような撥ねられ方ではない光景に身が凍りつく――それが仇となった。

 手遅れながらブレーキをかける大型バン、それによって車道を走る車の流れも乱れる。

 

 後方から来た大型トラックも例外ではなく、パニックでハンドルをきってしまいでもしたのか、縁石を乗り上げたトラックがあろうことかこちらへと迫ってきていた。

 体を駆け抜ける今まで感じたことの無いほど大きな衝撃、痛み。

 傍で上がった悲鳴が遠く聞こえる、体が地面を跳ね転がった感触を最期に体中の感覚が薄れていく。

 

 悔しさのあまりか、意識だけは妙にはっきりとして死の淵であるのによく言われる走馬灯のようなものすら見えてこない。

 しかし嫌だ、嫌だといくら心の中で叫んでもそれは止められないようだった。

 

 ――畜生。

 

 そうして無念の中、この日、俺は死を迎えた。



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決意する転生者

※主人公の名前としていた「ユーリ」が原作中主要人物と被ってしまっていたため「ターナ」へと修正しています。
修正前からお読み頂いている皆さん申し訳ありません。  2019/9/16


 アールスハイド王国、マーシァ公爵領。

 王国において有数の肥沃な土地に恵まれており、古くから王国の発展に貢献している地の一つ。

 そんなマーシァの地が有する広大な山林を流れる川裾に、釣り糸を垂らす老爺の姿。

 

 衣服は山歩きに合わせた動きやすそうな物だったが仕立て良く身分の高さを窺わせ、傍には護衛らしき帯剣した男性まで控えてもいた。

 釣りに興じる老爺の意識は水面よりもすぐ隣、岩場に屈み釣り糸の先をじっと見つめている幼い少女に向けられている。

 

「すまんな、こんな爺に付き合わせて。疲れてはおらんか?」

 

「――平気ですお爺様、どうかお気遣いなさらず」

 

 とても年頃が五歳の少女とは思えないほどのはっきりとした受け答えが利発さを喜べばいいものか、幼気のなさを嘆けばいいものかと老爺を悩ませる。

 その名をウーロフ・フォン・マーシァという老人は既に爵位を息子に譲ってはいたが、かつてはこの地を治める公爵家の家長だった。

 現在ではアールスハイドにおいて多くの貴族がそうであるように、王都で役職に就いている現公爵の息子に代わり領政を取り仕切っている。

 

 そうした人生経験豊富な人でありながらも目の前の実の孫娘である少女にどう接すれば良いか考えあぐねていた。

 事の起こりは里帰りしてきた息子夫婦から相談を持ち掛けられたことによる。

 母親譲りの艶やかな黒髪をして将来は見目麗しく育つだろう、整った顔立ちをした娘のことを彼らは目に入れても痛くないほど溺愛していた。

 

 そんな愛娘の様子が近頃おかしく、塞ぎこむように思いつめているところをよく見かけるのだと言う。

 幼い子供の行動が読めないのは当たり前のことだが、あまりに真に迫った様子を不安に思った両親は気の休まるようにと、この初夏に自然豊かな自領へと娘を連れて来たのだった。

 それにしてもなんと落ち着いた子だろうか、とウーロフは胸の内で呟く。

 

 往々にして幼子というのは好奇心の塊だ、身の回りのあれこれに興味を持ち思いのままに行動し、喜び泣く。

 物事を判断する知識も経験も足りない、未成熟さ故の浅慮は子を育てる親にとって避けられない試練である。

 しかし彼の記憶する限りこの子がそんな有り様を見せていたのは物心もつかないほど小さな頃まで。

 

 ある年の収穫祭で荷崩れを起こした作物の山に埋もれあわや死にかけて以来、子供らしい無軌道さは鳴りを潜めてしまった。

 初めは心配していた少女の父母も精神的に傷付いてしまったような様子が見られないこと、すっかりと良くなった聞き分けに安心しきっていた。

 そうしてこの子はよく学び、適度に遊び、公爵家という地位の高い生まれでありながら周囲を見下すことも無い模範的な子女として成長していたのだ、ついこの間までは。

 

「ターナや、まだ魔法は怖いか?」

 

 顔を向けず投げかけた問い掛けに孫娘、ターナの肩がピクりと反応し確信が深まった。

 少女の様子がおかしくなった切っ掛けらしきものは既に両親から聞き及んでいる。

 この世に満ちる魔力を制御し、何もないところに火を起こし水を生じさせる、常ならざる現象を生み出す技術、魔法。

 

 個人の技量によりその規模は様々だが、熟達した使い手は大魔法と呼ばれるような超現象をも操り、ウーロフもその域にある人物を一人は知っていた。

 とはいえ魔法そのものは普遍的な技術で、小さな火種を生み出す程度なら一定の教育さえ施せば誰でもできる。

 アールスハイドでは魔法師の教育は身分の隔てなく盛んに行われており、ターナに対しても先だって専門の家庭教師があてがわれたという。

 

 これだけ利発な少女だ、さぞや優秀な使い手として育つに違いないと皆信じ切っていた、しかし。

 

「……はい、正直恐ろしく思います」

 

 教わるにつれ、この少女は魔法という技術に対してはっきりと忌避感を示していた。

 聞くところによれば初めの授業では素直に教師の指導を聞き、初めての実演で拳大の炎を生み出すほど適性を見せていたという。

 その結果に両親も喜んでいたのだが、指導が始まり間もなくしてターナは魔法という存在を拒絶するようになっていた。

 

「恐ろしい、か。確かに魔法は使い方を誤れば不幸を引き起こすものだ。しかしだからこそ正しい使い方を学び、力を制御できるようにならねばならん」

 

 子供に話すには難しい理屈だが、この子なら理解してくれるのではないかという考えるウーロフは言葉を重ねる。

 特に権力を持つ、自分達のような貴族にとっていずれその認識は必要なことだった。

 しかし珍しくも少女は首を小さく振り拒絶の意を示す。

 

 早まったかと後悔しかけたウーロフの耳に、ターナの口から漏れた呟きが届く。

 

「制御なんて、できるわけがありませんよ」

 

「……何?」

 

 どういうことか尋ねようとした時、聞こえた草木を掻き分ける物音にハッとしたウーロフは釣り竿を放り立ち上がる。

 

「ウーロフ様」

 

「分かっておる」

 

 同じく気配を察した護衛の青年が腰の剣に手をかけながら物音の方、木立の先へ視線を飛ばす。

 嫌な胸騒ぎが高まり空気が緊張する中、現れた存在にウーロフ達の表情が険しく歪んだ。

 身の丈にして二メートルは裕に超えるかという巨躯の野生動物、大熊。

 

 冬ごもりから目覚めてすぐの春先ならまだしも、今の時期にこんな人里近くまで山を下りてくるのは珍しい。

 孫の心配をしておきながら肝心の警戒が緩くなっていた己の怠慢を嘆きながらもウーロフは剣の柄を握りこの子だけは守らねばと覚悟を決める。

 魔物化してはいないようだが、本来なら駆除するためには腕利きの魔法師かハンターを集めなければならないところだ。

 

 ウーロフも護衛も魔法の心得は多少あるが、いかんせん相手との距離が近すぎる。

 馬よりは遅くとも、熊の足は人などより遥かに速い。

 詠唱が終わるよりも早く迫る爪はこちらの頭を叩き割ってしまうだろう。

 

 それでもやらねばならないと、意を決して踏み込もうとした瞬間だった。

 目の前の熊が後退る、まるで怖気づいたようにして。

 同時、視界の端から大熊へと一条の白い筋が奔った。

 

「は……?」

 

 何が起こったかと口に出すよりも早くその結果が目に映る。

 鋭い刃に切り裂かれたかのように、首筋から血を噴き出した大熊が呻きながら地へ倒れ伏す。

 明らかな致命傷、起き上がることは二度とないだろう。

 

 呆然としながらウーロフが今、目にした白条の発生元である後ろへ目をやるとそこには。

 すぐ脇の宙に、水球を浮かべさせたターナの気まずそうにして目を伏せている姿があった。

 今奔ったのはおそらくあの水球から放たれたものだと直感する。

 

「まさか……無詠唱魔法?」

 

 信じられないと言わんばかりの護衛の声。

 しかし目の前で起こっているのはそうとしか説明のつかない現象だった。

 

「ターナ……お前は一体」

 

 魔法とは魔力を用いて自身のイメージを具現化させるもの。

 そのために起こしたい現象を表した詠唱を行うのが現代魔法師の主流である。

 詠唱せずに魔法を行使できるのは熟練の使い手のみ。

 

 それを齢五つの少女がやってのけた、しかも並の魔法師でも仕留めるのに苦労するだろう大熊を一撃で屠るほどの威力で。

 魔法を忌み嫌っていたはずの孫娘にどうしてそんな芸当ができたのか、ウーロフの疑念を更に深まることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――やってしまった。

 

 後悔の念に苛まれるあまり、部屋へ戻るなり無暗に豪華な天蓋付きのベッドに突っ伏してしまう。

 祖父と護衛のあからさまにドン引きした顔を思い出すと憂鬱は一層深まった。

 仕方ないことだとは分かる、あんな猛獣をこんな小さな子供があっさり仕留めてしまうなんて普通に考えて有り得ないし、異常だ。

 

 しょうがなかったのだ、魔法なんてものがあっても大熊が人間なんかあっさり食い殺せる生物であることには変わりない。

 祖父達も命懸けの覚悟を決めていたようだ、見た目の迫力も凄まじくて姿を見たときにはこちらも心臓が止まるかと思った。

 かばわれなければ我に返る間もなく、そのまま襲われて食われてしまっていたかもしれない、実のところ危機一髪の事態だった。

 

 それでも咄嗟に魔法を使ってしまったことは悔やんでしまう。

 帰るまでは黙っていてくれたが、きっと爺様や事情を聞いた両親からどうしてあんな魔法を使えたのか、追及されてしまうことだろう。

 説明はしたくない、したところで信じてもらえるかも疑わしい。

 

 自分には前世の記憶があるんです、なんて与太話。

 

 同僚の信号無視による交通事故に巻き込まれる形で死んでしまった前世の記憶が甦ったのは収穫祭で崩れて来た荷物に押し潰されて死にかけたときのこと。

 初めはひたすら混乱した、何せここは日本じゃないどころか魔法なんて非科学的な存在が当たり前の世界で、おまけに自分は性別すらも変わってしまっていたのだから。

 ターナ・フォン・マーシァ、それが今の自分、私の名前。

 

 どういうわけかこの国、少なくとも周辺諸国では貴族はフォンというミドルネームを持つものらしい。(フォンはミドルネームではなく、貴族称号たるドイツ語の前置詞である。)

 実は遥か宇宙の彼方にはこんな魔法が存在する星があったのか、それとも記憶する科学文明が滅びた後に地球が有り様を変えたのか。

 はたまた全く次元の異なる異世界に生まれ変わったのか、気にしたところで分からないことだらけで考えるのを諦めたことも多くある。

 

 精神が男のまま性別が変わってしまったことには将来に多少の不安を、いやものすごく感じてしまうがそれについてはまだ慌てる時間じゃない。

 幸いというか前世の記憶はしっかりと、死ぬ間際の嫌なものまで残っていたから価値観の違いに戸惑うことはあってもなんとか利口な子供として振る舞えている。

 只の人も年の頃が十より戻れば神童のように見えるのか、可愛がってくれる両親の期待が申し訳なかったがこれまで上手くやってこれた。

 

 けれどただ一つだけ、未だに受け入れられないことがこの世界にはある。

 

「ターナ、起きているか?」

 

「――! はい」

 

 ノックの音に続き聞こえた声に身を起こし返事を返す。

 この声は爺様のものだ、やはり来てしまったかと深呼吸して緊張をほぐしベッドから身を離す。

 

「開いています、どうぞ」

 

「ああ――入るぞ」

 

 流石は公爵家に連なる人物というべきか、ウーロフ爺様はこんなお子様相手にでも礼儀を払ってくれる。

 承諾を得てから入室してきた祖父を緊張しながら迎え、

 

「……?」

 

 一人だけ、共に来るのではないかと思っていた両親の姿がないことが不思議になる。

 そんなこちらの思惑を察したのか、ウーロフ爺は安心させるように微笑みを見せた。

 厳めしい顔つきをした人なので、効果はとても薄いものだったが。

 

「エリック達は呼んでおらん、来たのは私だけだ。座って話せるか?」

 

「……はい」

 

 父の名を告げ自分だけで来たという意図が読めなかったが、あんなことをしでかした手前帰ってもらうわけにもいかず頷いて返すと歩み寄って来た祖父は隣、ベッドの端に腰を落とした。

 それに倣ってこちらもベッドに腰掛けるとウーロフ爺はゆっくりと語り始めた。

 

「驚いたぞ、まさかターナがあんな魔法を使えるとはな」

 

 やはり気にするのはそこだろう、しかしそれには沈黙で返すことしかできない。

 どう言い繕ったものかと考えあぐねていると、じっとこちらを見ていたウーロフ爺は言葉を重ねてくる。

 

「今回の件だが、まだエリック達には話していない、護衛の奴にも黙っているよう言っている」

 

「え?」

 

 予想外な発言につい相手の顔を見返してしまう。

 

「ターナが賢いことは知っている、何か事情があるんだろう?」

 

「……事情、というほどのことではありません」

 

 実際のところこれは複雑な話じゃない、魔法が恐ろしいと、あの渓流で口にしたそれがほぼ全てだ。

 魔力を操り、思い描いたイメージを具現化する、そんな魔法をこの世界の人々はただ便利なものとして何の抵抗もなく使用しているが、その恐ろしさを理解している人はいるだろうか?

 燃え盛る炎、極薄に閃く流水、そんな現象を頭に思い浮かべ大気に満ちる魔力を練り上げれば現実のものとすることができる。

 

 炎の熱さも、水の厚みも、物理的にどんな現象によって引き起こされているのか、理屈を知っても人の感覚では知覚できないというのに。

 しかも分子の構造だとか、原子の配列だとか、科学が未発達なこの世界の人々は知る由も無い。

 なのに上辺のイメージだけを元に魔法はその改変を成し遂げてしまう。

 

 それこそ街一つを吹き飛ばすような大爆発だって、イメージさえしてしまえば引き起こせる。

 ミサイルのような戦略級の兵器なんてこの世界には存在しないからそんなことはそうそう起こらない。

 しかしウォーターカッターをイメージして大熊を仕留めたあの魔法のように、物理の知識なんて義務教育程度にしか無くても実現できる。

 

 それを自分が制御しているなんて、とても思えなかった。

 もしそんな魔法に甘えて戦略級の攻撃魔法なんて使ってしまえばまるで人間兵器、国からは重用してもらえるだろう。

 けれどそうして使われた魔法を目にした人々も、いずれ見たイメージだけで再現できるようになってしまうかもしれない。

 

 テレビや漫画誌で表現される実現可能かも疑わしい空想科学でもこの世界の魔法は再現できることを確認している、杞憂なんてことはないはずだ。

 そうなってしまえば世はちょっとした気の迷いで大災害を引き起こせる危険人物だらけ。

 いくら街中で攻撃魔法の使用を禁じる法律があっても使用を封じることは出来ないんだから。

 

 ミサイルの発射スイッチを持った人がそこらじゅうに居る世界なんて、恐ろしすぎる。

 それを現実のものとしてしまうイメージを広めないよう、自重しなければならない。

 俺――私にとっての魔法の恐ろしさとはそういうことだ。

 

 生まれ変わりのことをぼやかしつつ、そんな気持ちをかいつまんで説明すると爺様は神妙な顔つきで考え込んでしまっていた。

 世迷言と適当に聞き流しているようには見えない、祖父がこんな子供の話でも真剣に聞いてくれる人だったとは。

 密かに感動するがマーシァの家は貴族、それも格では最上位の公爵家だ。

 

 そんな力を持ちながら甘ったれるなと一喝されるんじゃないかと不安もある。

 しかしこの話の何が琴線に触れたのか、ウーロフ爺は呵々と笑い、頭をわしわし撫でて来た。

 

「わ――じ、爺様?」

 

「本当にお主は……子供離れしておるな、並の大人でもそこまで考えることはできんだろうに」

 

 まあ精神的にはとっくに成人している身なものでして、とりあえず気分を害した様子はないようだった。

 前世の記憶故の思考を褒められるのはなんだか不正をしているようで後ろめたく、素直に喜べない。

 そんな複雑な心境でいると、いつの間にか祖父は表情を真面目なものに戻してこちらを見つめていた。

 

「だがなターナよ、恐ろしいのは皆同じだ」

 

「皆……ですか?」

 

「そうよ、お主のように先が見え過ぎるばかりに恐怖を感じる者は珍しいがな。多くの平民達は分からぬが故に将来が見えず、不安を抱えて生きている」 

 

 祖父の言うことは、なんとなくではあるが理解できる。

 日本のように全ての人に教育が普及した社会と違い、前世感覚で中世頃のこちらの世界はそこまで至っていない。

 このアールスハイドでは平民でも貴族とほぼ変わりない教育が受けられるが、隣国のブルースフィアとかいうけったいな名前の帝国では平民に対する差別が酷いものらしく無学な者がほとんどだという。

 

 知識が無ければ行動選択の幅は狭まり、将来の見通しなど立てられず、とても自由には生きられない。

 それを不幸と見るかは人によるだろうが、生殺与奪が人任せな生き方は不安ではあるだろう。 

 

「貴族という存在はな、そんな彼らを導く存在でなくてはならん。少なくとも私はそう思っている」

 

 貴き者としての責務、ノブレスオブリージュというやつだろうか。

 貴族なんて身分とは縁の無い庶民生活をしてきた身にはピンと来ないが、ウーロフ爺がその考えに誇りを持っているらしいことは声音から伝わってくる。

 平民を搾取の対象としか見ず、領政を代官任せにして不正を横行させる貴族も少なくないと聞く世の中で立派なことだ。

 

 つくづく前世で暮らしていた人々とは価値観が違うのだなと思い知らされ、つい見入っていた祖父の顔が薄い笑みを象る。

 

「誰にでもできることではないだろうさ、だからこそ――お主のような者がそう成ってくれたらと思ってしまう」

 

 思いがけない期待をかけられている事実に息が詰まる。

 数多くの人々の生き方を左右する生き方なんて想像もつかなかった。

 何より、前世の記憶があると言っても学者のような知識があるわけじゃない自分が誰かの役に立てるなんて思えなかった。

 

「無理、ですよ……こんな臆病な私なんかじゃ」

 

 そんな拒絶の言葉に祖父は静かに首を振って示す。

 一体この人はどうしてそんなに期待をかけてくれるのだろうか。

 

「臆病なぐらいでいいんだよ、特にターナのように大きな力を持つ者が恐れ知らずだったならとんでもない誤った道へ突き進んでしまうかもしれんだろう? お主が自分の選択が正しいのか、誤っているのか、世界にどんな影響を与えるのか、考えることができる人間だからこそ、私はこう思った」

 

「……そういう、ものでしょうか?」

 

「ああ、勿論無理にとは言わん、婿をとって慎ましく生きるのも一つの道だろう」

 

「そうですね、それも……あれ?」

 

 無理強いしないでくれるのはありがたいのですがお爺様、それだけはご免なんです。

 男性と添い遂げる将来なんて想像しただけでも鳥肌が立つ、もしかするとこの提示された道で独り立ちしなければ心の貞操を保つことはできないのではないのか。

 よく考えれば公爵家の令嬢なんて身分は縁談に事欠かない、というよりそれが求められる立場だ。

 

 気づかされた予想よりも遥かに切実な危機に電撃のような衝撃を受ける。

 そんな未来は何としても回避しなければならない、例え魔法なんて胡乱な技術に手を出してでも。

 

「――お爺様」

 

「うん?」

 

 ベッドの上に正座して居住まいを正してから深く、頭を下げる。

 祖父が動揺する気配を感じながらこの時芽生えた心からの願いを口にした。

 

「私は公爵家の当主を目指します、どうか貴族としての職務をご教示下さい」

 

 そうして俺、改め私、ターナ・フォン・マーシァは転生五年目にして貴族としての道を歩むことを決意したのでした。

 



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賢者の孫

 とある転生した公爵令嬢が決意を固めてから約十年後。

 アールスハイド王国領内のとある森の奥地にひっそりと建てられた小屋で祝宴が開かれていた。

 参加者は十人に満たないものの、そこには知る者であれば目を疑うほどの顔ぶれが揃っている。

 

 アールスハイド国王、ディセウム・フォン・アールスハイド。

 その護衛として同席している近衛騎士団所属、クリスティーナに宮廷魔法師団所属のジークフリード。

 元近衛騎士団長だったミッシェル・コーリングに王国有数の大商会代表をしているトム・ハーグ。

 

 そんな王国の重用人物達はこの日、この家の家主である老人、かつて王国を滅ぼしかけたと言われる魔人を討伐した大英雄である賢者マーリン・ウォルフォード。

 彼の孫であるシン・ウォルフォードの成人を祝うために集まっているのだった。

 王国においては十五歳で成人と見なされる、王国の重鎮達が顔を並べる中で上座に座らされたその青年、シンは照れ臭そうにしながら皆からの祝辞を受けていた。

 

「あの小っこかったシンが成人するとはねぇ」

 

「あっという間じゃったのう」

 

 過去を思い出すようにしみじみと呟き交わす、年老いてはいるが背筋は曲がらず壮健ぶりが明らかな老爺と老婆。

 王国では知らない者が居ないほど有名な『賢者』マーリン、そして『導師』メリダ・ボーウェン、その人たちだった。

 シンという青年は生まれて間もない頃、魔獣による被害に遭い身寄りの無くなったところをマーリンによって拾い上げられていた。

 

 賢者としての名声に集まってくる人々を疎んじ隠棲していたマーリンは真綿が水を吸い込むが如く教えを学び取っていくシンに感動し、この日まで身に着けた魔法の術を彼に教え込んでいる。

 シンが異世界の日本と言う国で交通事故に遭い転生した人間であり、前世の記憶を思い出していたが故にそれを可能としたことを知らないまま。

 シンに入れ込んだのはマーリンだけでなく、魔道具開発の第一人者として知られるメリダ、剣聖の二つ名を持つミッシェルらも同様で、各々の技術を彼に授けている。

 

 そんなある種の英才教育を受けて育ったシンの習熟ぶりは同年代の平均からかけ離れ、特に魔法の分野に至っては彼がよく嗜んでいたアニメや漫画といったサブカルチャーのイメージを参考にしたことにより飛び抜けてしまっていた。

 地形を変えてしまう程の威力を持つ魔法の数々を披露された面々は驚愕し、どうして自重を教えなかったのかとメリダから責められるマーリンを見てようやくそれが普通ではないことに気付かされるシン。

 

「えー……これってそんなにヤバイの?」

 

「ええ、この力は異常です、このままでは各国がシン君を取り込もうと躍起になる」

 

「加えてずっとこの森で育った世間知らず、社会に放り出したら各国の思惑に踊らされかねないでしょう」

 

 クリスティーナやトムの評価に前世で社会人だった経験のあるシンがそんなことはないと言わんばかりの顔をするがそれを口にすることは無かった。

 自分の異常性を認識していないシンの為としてやがて考えたディセウムが王都にある高等魔法学院に通わせてはと発案するに至る。

 同年代も多くその年頃で優秀な魔法使いが集まるそこでなら周囲のレベル、常識も学べるだろうという配慮らしい。

 

 一時シンを自国に取り込もうとする気かと勘ぐったマーリンが怒気を滲ませたが、ディセウムが彼を政治利用することはしないと誓ったことでその矛を収める。

 そんな二人から勧められた入学を、シンは同い年の友達が出来るかもしれないし楽しそうと快く受け入れるのだった。

 自らの精神年齢がその同年代と比べ一回り以上高いことはすっかりと忘れたままに。

 

 この時ようやくディセウムがアールスハイド国王であることやマーリンとメリダが元夫婦だったことを今更ながらに知ったシンが年明けの入学試験に合わせ王都へ引っ越すことが決まる。

 そうして成人祝いと魔法のお披露目に二日間滞在したディセウム達も王都へ帰る頃合いとなった。

 シンの事を甥っ子同然に思っているというディセウムは自分が王であることを知っても、付き合いの長さから畏まった態度を取れないという彼を咎めるどころか嬉しそうに受け入れ別れの挨拶を告げる。

 

「ではなシン君、君が来るのを楽しみにしているよ」

 

「うん、またねおじさん。国王なんて、忙しそうなのに俺のお祝いに来てくれてありがとう」

 

「気にすることはないさ。確かに顔を出した方がいいか悩んだ案件はあったがね、代理に向かわせた息子がなんとかやってくれているだろう」

 

「息子?」

 

「うむ、君とは同い年になる。あれも魔法学院に入学予定でね、会ったら仲良くしてやって欲しい」

 

 さりげなくディセウムが口にした言葉に、見送りに立つメリダが呆れるようにして釘を刺す。

 

「まったく簡単に言ってくれちゃって、本当にそいつは大したことない問題なんだろうね、大体国王ともあろう者がこう簡単に国を空けるんじゃないよ」

 

「ハハハ……いいではありませんか、マーリン殿のお孫さんの成人祝いなど参加できなかったら一生後悔しますよ。そ、そうだ、王都にいらっしゃるのですし、そちらの内容も皆さんにお伝えしておきましょう」

 

 頭の上がらないメリダから責められ、露骨に話題を逸らすディセウムには一部の者達から呆れるような視線が向けられるが、それ以上の追及をする者も居なかった。

 

「昨夜お披露目のパーティーが開かれた筈ですが、王国の歴史上最年少で公爵の爵位を継ぐことになった者がおりましてな、その人物がなんとシン君と同年代なのですよ」

 

「シンと同じって……よくもまあそんな無茶が通ったね、当主が急逝でもしたのかい?」

 

「いえ前当主は健在です、ですがその者が代行した領政の発展ぶりが目覚ましく、功績、資質、共に大なりとして前当主が強く希望したのですよ」

 

 半信半疑な様子だったマーリンやメリダらもその言葉に感心したようにしている。

 身分格差の解消が進み貴族らしい慣習が見直されているアールスハイドならではのことだったが一人、貴族という制度の理解が浅いシンはあまり内容を気にしていない様子だった。

 

「確かに前例の無いことではありますが、かの公爵家の王国に対する貢献は抜きんでていましてな、近年では税収だけでも他の貴族の比較にならないほどです、そんな彼らの意向を無碍にはできませんでした」

 

「あっけなく言ってくれるね、そんな急成長している領土なんて怪しいもんじゃないか、なにか怪しい手でも使ってるんじゃないだろうね?」

 

「もちろん不正が無いか査察は行っておりますよ、農地拡大、移民の受け入れ、新事業開拓、色々と成長する要素はあったようですが決め手となったのはやはり――魔道具でしょうな」

 

 その言葉に導師と呼ばれるほど魔道具に造詣の深いメリダが目端を上げ関心を示す。

 ディセウムの続けて語るところによれば新当主が立ち上げた工房が扱っている魔道具が民間で好評を博し、多大な売り上げを見せているという。

 魔道具とは付与魔法と呼ばれる手法により物品に魔力を転写することで魔法の扱えない者でも付与された魔法が扱えるようになるという代物だ。

 

 その利便性から需要は広く、高度な付与魔法を扱える者の少なさから市場価値も高い。

 過去にメリダの開発した魔道具を超えるような発明は長らくされていなかった、そんな魔道具事情に変化が見られるのは数十年来のことだった。

 

「へーそんなことが……婆ちゃんとしてはプライド傷ついたり、する?」

 

「何言ってるんだい、魔道具ってのは人の役に立ってなんぼなんだ。誰が造ったものでも、それがより人様の役にためになるならそれは良い事なんだよ」

 

 シンの魔道具の第一人者としてのプライドが傷つけられたのではないかという心配が杞憂に終わり、そんなメリダの言葉を聞いた皆が「流石メリダ様……」などと言いながら感じ入る。

 そんな周囲の反応を当のメリダは気恥ずかしそうにして咳払いしていた。

 

「……とはいえ、新しい魔道具ってのはどんな代物か気になるね。あたしも何か学べるところがあるかもしれない」

 

「それでは王都にいらしたときにでもかの工房の魔道具をいくつかお持ちしましょう、メリダ殿もお二人とご一緒されるのでしたね?」

 

「ああ……それぐらいならいいか、頼んだよ。あたし以外の造った魔道具がこの子にとってもいい勉強になるかもしれない」

 

「……メリダ様以上の付与魔法を扱えるシン君には今更かもしれませんがね」

 

 メリダの教えを受けシンも数々の魔道具を過去に製作している。

 超音波を用い高速で刃を振動させ硬質な物体でも容易く両断するバイブレーションソード。

 ジェット噴射により移動や空中での機動を補助するジェットブーツ。

 

 マーリンやメリダをして原理や付与方法の分からない魔道具を生み出しているシンの規格外ぶりは関わる人間の知る所で、幾度となく皆を唖然とさせていた。

 己の理解する言葉で現象を書き込み、書き込める文字数には素材の質により制限がある。

 その付与魔法の仕組みと制約を日本語という、これまた前世の知識により縮小した結果なのだが、それもまたオリジナルの言語を生み出したシンの天才ぶりが為せるものとその場の皆は疑わず、信じ切っているのだった。

 



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公爵令嬢ターナ

 賢者宅で成人祝いが催された日の夜。

 アールスハイド王都の貴族住居が集中する区画、ある屋敷に大量の馬車が乗りつけていた。

 貴族のものであるだけに豪華な邸宅が数多い地区の中にあって一際大きいその屋敷を所有するのはこの日、当主が代替わりすることになったマーシァ公爵家。

 

 新当主のお披露目挨拶という題目のパーティーに招かれ、大広間に集まった貴族達の注目を集めているのは来賓と挨拶を交わし続ける齢十五の成人を迎えたばかりの少女。

 癖の無い艶やかな黒髪を靡かせドレスに身を包んだその新当主、ターナ・フォン・マーシァは幼い頃に家族らが予想した通り、誰もが目を引くような美しい容姿に成長していた。

 しかしそうして目を引かれた者達のほとんどは一瞬痛ましいものを見るような目をしてしまう。

 

 その原因はターナの片目を覆う眼帯、瀟洒な金糸の刺繍があしらわれ装飾品のような趣きを呈してはいるが、隻眼という障害は妙齢の女性が負うものとして重い。

 にも拘わらず当のターナにそれを気負っている様子はなく、年上ばかりの王国貴族と向かい合う様は立場に遜色ない堂々としたものだった。

 若輩者が公爵家の代表となることを不安視していた者達も少なからず居たが、その立ち振る舞いに考えを改めさせられている者も多い。

 

 開宴から少し遅れ、広間へやってきたある人物の姿に会場がざわめきを見せた。

 姿を見せたのは新当主と変わらない年頃に見える整った容姿の青年だが、この場にその人物を知らない人間は居ない。

 アウグスト・フォン・アールスハイド、現国王ディセウムの長子であり後継となることが確実だろう王子だ。

 

 背後に護衛らしき二人の青年を従え参加者達が空けた道を進み、広間の中央へと進んだアウグスト王子をパーティー主催者であるターナが迎え、恭しく礼の形を取る。

 

「顔を合わせるのは交流会以来か、久しいなターナ嬢――いや、マーシァ公」

 

「はい、本日はようこそお越し下さりましたアウグスト殿下」

 

「ああ、急用で来られなくなった父上に代わり、このアウグストがそなたの爵位相続を祝わせてもらう」

 

「――勿体無きお言葉、光栄に存じます」

 

 アウグストの言葉に一瞬眉端を震わせるターナだったが、頭を下げた瞬間のことでその感情の揺らぎに気づくものは居なかった。

 そんな気配を察した様子も無くアウグストは顔を上げたターナに言葉を重ねていく。

 

「それにしてもその年で爵位を継ぐとは大したものだ、人づてには聞いているがそなたが領政を取り仕切るようになってから公爵領の収益は右肩上がりらしいな」

 

「お褒め頂き恐縮ですが、父と祖父の人脈、何より盛り立ててくれている領民達の尽力あってこそと思っております」

 

「そう謙遜するな、大したことのないように言われてしまっては立場の無くなるものも出てしまうぞ、こいつのようにな」

 

「で、殿下、要らぬことを仰らないでください」

 

 口元を意地悪そうに歪めたアウグストに示された背後の護衛の一人、中性的な顔立ちをした青年が慌てて首を振る。

 その顔を見たターナは、ああと彼の言わんとするところを悟る。

 控えた青年の名はトール・フォン・フレーゲル、フレーゲル男爵家の嫡子だ。

 

 職人の街として知られるフレーゲル男爵領の優れた工芸品は国内外で高い人気を誇っていた。

 しかし最近になり台頭してきたマーシァ商会、その名の通りマーシァ領に拠点を置く商会の扱う品々にその座を脅かされつつあるのが現状だった。

 彼自身に含むところがあるかは分からなかったが、短期間で目覚ましく発展した分だけお株を奪われてしまった者達に妬みや恨みを覚えるものが居たとしてもおかしくはない。

 

 急成長の代償として避けられない事態ではありターナに悪びれた素振りは無かったが、むしろこんな場で臣下をからかうような真似をするアウグストに驚かされている。

 肝の太さに感心するべきか、不躾と呆れるべきか、判断に困るところだった。

 

「まあそれはそれとして、そなたも高等魔法学院の試験を受けるらしいな?」

 

「ええ、母上の要望でして。領政については父と祖父に一時預けることになっております」

 

「ならば来年からは同級生となりそうだな、公なら心配無用だろうが合格を祈っている。それと学院は貴族の権威が及ばぬ所だ、入学できたら王族相手と気兼ねすることなく学友として接してくれて構わん」

 

「――ご配慮痛み入ります」

 

 「ではな」とその場を離れ他の貴族に挨拶を受ける王子の後ろ姿を見送ったターナは思わず漏れそうになったため息をぐっと呑み込み押し殺す。

 王子と会話した直後にため息など吐いている姿を見られればどんな噂を立てられるか分かったものではない故に。

 しかしアウグスト王子殿下、世間一般では立場に驕ることなく勉学に励み、魔法の訓練も人一倍に打ち込む傑物として知られ中等学院では首席も取っている彼と対面したターナの内心は明るいものではなかった。

 

 学院は完全な実力主義、優れた魔法師育成の為に王国の定める法により権力を用いて他者に圧力をかけるようなことは出来なくされている。

 そんな権威の及ばぬ地だからとて、彼が無二の王族であることには変わりなく、大抵の人間は対等に扱うようなことなどできるはずもない。

 であるのに気兼ねなく接するように求めるとは、それ自体が特別扱いを求めているのと大差ないことに気づいているのだろうかと、垣間見えた無自覚な傲慢さがターナを嘆かせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨夜はご苦労だったねターナ」

 

「ええ、立派な晴れ姿でしたよ」

 

「ありがとうございます、父上、母上」

 

 パーティー翌日、王都を出立した馬車内で対面する父エリックと母ロジーヌから改めて褒め言葉をかけられた。

 悪い人ではないがいささか私に対して甘すぎるきらいがある両親はパーティーが終わってから終始この調子で、面映ゆくてしょうがない。

 まだ成人してすぐに爵位を譲り渡すと相談されたときは本気なのか再三確認したが、決意は変えられなかった。

 

 急遽都合しなければならなくなった相続税を考えると今でも頭が重くなるが、いずれは通る道だと割り切るしかないだろう。

 貴族のお歴々と顔を突き合わせなければならなかったことによる精神的な疲労が残っている気がして体はだるかったが、領へと戻る両親を無事に送り届けなければならないので我慢する。

 

「ターナの制服姿を一番に見れないのは残念だけど……合格したら顔を見せに来てくれるわよね?」

 

「もちろんです、どうか期待して待っていて下さい」

 

 快く返すとパッと表情を華やがせるロジーナは嫁入り前余程の箱入り娘だったのか、幼くすら感じられる気性の人だ。

 世間知らず、というわけではないようだったがその素直に感動を表す様にはよく和まされる。

 当初の予定では高等学院へ入学するつもりもなかったのだが、人並みの青春を体験して欲しいと強くお願いしてきたこの母に押し切られる形になってしまった。

 

 公爵家を継ぐ決意をしたあの日から、年頃の少女らしからぬ行動ばかりを見せ心配をかけてしまったことはずっと引け目に感じていたし、ある事情によりこの右目を失ったときには卒倒までさせてしまっている。

 前世で親孝行を十分に出来なかったツケが回ってきたのかもしれないが、喜ぶ母の顔を見るのは悪い気がしなかった。

 申し訳ないことに孫の顔を見せてあげることはできないだろうし、無理のない範囲で母の望みには応えるように務めている。

 

 ともかく公爵家の当主となったからにはこの両親の為も含め、これから一層気を引き締めなければならない、が。

 昨夜のパーティーで肩透かしを食ったことを思い出すとつい気を張り過ぎているのだろうかとも考えてしまう。

 マーシァ公爵家は十年前からその勢力を大きく伸ばし今や王国の筆頭貴族、その気になれば王政に口出すことも出来るし、王家もこちらを軽んじることは出来ない。

 

 それだけに当主の代替わりとなれば釘の一つや二つ刺されることを覚悟していたのだが、やってきたのは国王ですらなく代理の王子殿下。

 しかも本当に爵位相続を祝いに来ただけらしく、予想された肚の内を探るような声かけは一切なかった。

 もちろんこちらから妙な企みを起こすつもりはないものの、あの無警戒さは臣下として心配になってくる。

 

 ――それにしても、『急用』ねえ。

 

 国王陛下が頻繁に護衛を連れ王都からお忍びで出歩いていることは把握していたが、どこへ向かっているかまでは調べていない。

 まさか印籠ぶら下げて世直しに出てるわけじゃあるまいが、最高位貴族の世襲を放ってまで出向く用件とは一体何なのか。

 興味はあったが、知ってしまうと後悔してしまいそうな予感がして、結局使いを出す気にはなれなかった。

 

「――っ」

 

 その時、常に周囲へ張り巡らせている感覚にある反応が引っかかった。

 

「ん? どうかしたかいターナ」

 

 馬車の前方風防へ目を向けると、それに気づいてはいない父が気遣ってくる。

 同時に車両脇のドアが小さくノックされ、外から呼びかけてくる声があった。

 

「おじょ――閣下、少しよろしいでしょうか?」

 

「分かってる、すぐに行こう」

 

 騎乗し随行していた護衛の声に立ち上がると、流石に何か起こったらしいと察した母も眉根を寄せ心配そうな顔をしてこちらを見上げてくる。

 

「大したことではありませんよ。そろそろ馬達が疲れてきたようです、休憩に丁度良さそうな場所を相談してきますので母上達は中で待っていて下さい」

 

 安心させるために微笑んでみせるがそれでも二人の顔にはいくらかの心配が滲んでいる。

 自信ありそうに笑えていないのか、まだまだ修行不足らしい。

 

「……出発前にマドレーヌを焼いてきてあるんです、休憩時には紅茶を淹れますから、良ければ召し上がって下さい」

 

「あら、ターナの手作り?」

 

「それは楽しみだね、期待して待っていよう」

 

 ころりと破顔し期待通りの反応を示してくれる父と母。

 あまりに期待通り過ぎて、実はこちらが気遣われてしまっているのかもしれない。

 どちらにしても気遣い無用になった両親を残し、ドアを開け車外へと向かう。

 

 既に馬車は停まりそこには馬から降りた二人の若い護衛、同年代である青年達が待っていた。

 

「確認した?」

 

「はい、猪型が一頭、魔物化しているようです、まっすぐにこちらへ向かってきます」

 

 応じたのは望遠鏡を手にした革鎧に身を包み、兵士然とした出で立ちの青年、グリード。

 生真面目そうに短い髪を整えた、専属の護衛としてついてくれている馴染みの一人だ。

 彼が報告したように何処から迷い込んだのか、街道の先から歪んだ魔力をその身にまとわりつかせた生物が駆けてくる気配が感じられる。

 

 この世界に生きる生物はほとんど例外なく魔力を扱うことができる。

 しかし人間と比べその制御能力が低い野生動物は過剰に魔力を摂取すると一種の暴走状態に陥ることがある。

 これが俗に言われる魔物化で、そうなった生物は体組織にも変化が見られ凶暴化し、元になった生物次第では一般人の手に負えなくなる。

 

 今こちらへ迫ってきている猪型は最大級の脅威度として表される災害級には及ばないものの、通常手練れの魔法師を揃えて対処するべき相手。

 

「どうします? 俺らで相手しましょうか」

 

 しかしもう一人の護衛、少し巻き癖のある短髪をしている青年グランは緊張した様子もなくそんなことを言ってのける。

 そして実際、領が抱える兵団の一員として常日頃訓練を重ねている彼らにはその程度の力量があるのだった。

 目視が難しい距離から接敵に気づいたように、魔力を周囲に広げ生物の気配を探る索敵魔法の心得もある。

 

 二人に任せても問題は無いだろう、しかし両親を待たせている今回はあまり時間をかけたくはない。

 

「いや、私がやるよ。グリードは休憩地の選定、グランは後始末を頼める?」

 

「――了解です」

 

 一瞬意外そうに目を瞠る二人だったが、すぐにこちらの意図に気づいたらしく声を合わせてきた。

 そうして護衛であるはずなのに退がった二人を置いて、馬車の前へと出る。

 心配そうに見てくる壮年の御者に微笑んでみせてから前方を見やると、彼方に見える小さな輪郭が徐々に大きくなりつつあった。

 

 迫る猪の脚は速く、間もなくこちらまで辿り着くだろう。

 赤く染まった瞳に殺意を滾らせ、駆けてくるそんな魔物に対し、ゆっくりと持ち上げた手の指を向け準備を整える。

 魔法という現象はイメージにより形を成すが、イメージとは頭の中だけで組み上げられるものじゃない。

 

 例えば挙動、両手を上げて見せれば喜びを示す万歳を連想する者もいればホールドアップ、降伏を連想する者だっているだろう。

 降伏を意味する白旗が所によっては相手を皆殺しにしてやるという宣言に――なんてのは極端な例だとしても、染み付いた認識は時として思考よりも早くイメージを構築する。

 強く認識していれば挙動だけでイメージを補強することができ、魔法を扱う上でそれは一つの武器だ。

 

 指を向ける、この仕草で言うなら指し示した相手に(まじな)いをかけるという、対象指定の補助動作。

 そうして矛先を定めなければこの魔法を使うのは躊躇われる、自分の体験が元になっているだけに、下手をすれば己に向けて放ってしまうような気がするから。

 練り上げた魔力に乗せるのはあの日、あの時、全てが終わってしまった瞬間の感覚。

 

 膨大な魔力が魔法へと変換されていき、視線の先で赤目の猪が畏怖に毛を逆立たせるのが見て取れたが既に遅い。

 ろくに魔力を制御できない魔物程度にこれを防ぐ術は無く、現象を表す陳腐な囁きと共にその魔法は放たれた。

 

「≪即死魔法(デス)≫」

 

 猪の体がビクリと震え、疾走していた脚がもつれたかと思えば勢いそのままに崩れ転がっていく。

 土煙を上げながら転がった猪が再び動き出す気配は無く、一瞬で決着は着いた。

 あまりにもあっけなく、理不尽な命の終わり。

 

 こんな殺し方をされるなんて、自分ならごめんだった。

 魔物ではあるが、せめてもの礼儀として掌を合わせ奪った命に詫びは入れておく。

 

「……こんな魔法が使えちゃう世の中は、どうにかしないとね」

 

「いや、お嬢以外にそんな魔法使える人間居るんですかい?」

 

 呆れるように突っ込みを入れてくるグランの声には正直傷ついた。



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転生者と魔道具

設定垂れ流してテンポ悪いですが次からは本筋ちゃんと入っていきたいと思います。


 ――初めて自分で買い物してしまった。

 

 生まれてからずっと森の中で暮らしていたから買い物も人混みも、全てが新鮮だ。

 感動と共に屋台で買った串焼きの味を噛み締める。

 前世で社会生活を送っていたときには当然買い物ぐらいしたことはあるから正確には違うかもしれないけど。

 

 成人祝いから半月して、王都に引っ越してきた俺はじいちゃんに勧められて街を散策していた。

 昔じいちゃんが魔人討伐の功績を称えて下賜されたっていう家はすごい豪邸で、ディスおじさんが手回ししてくれたらしく使用人の人達もたくさん居る。

 思った以上のVIP待遇で、もう狩りも料理もしなくていいみたいだ。

 

 森の生活は日本の生活と比べたらそりゃあ不便だったけど、十五になるまでの間でもうすっかり馴染んじゃってたし、なんだか手持ち無沙汰になっちゃいそうだ。

 

「っと、ここは……魔道具屋か」

 

 導師、なんて呼ばれるぐらい有名らしいばあちゃん以外の人が造った魔道具には興味があった。

 食べ終わった串焼きの串を異空間収納に放り込んで入ってみると、店の中は物だらけで散らかっているように見えなくも無い。

 カウンターの奥にはいかにも魔法使い、って感じのローブを着た人が本を読みながら店番をしていた。

 

「置いてある魔道具、試してみてもいい?」

 

「……いいけど、大事に扱ってくれよ、一級品ぞろいだから」

 

 うさんくさいものを見るような目をされててなんだか感じが悪い。

 そういえば魔導具は高いって言うし、冷やかしと思われてんのかな?

 たしかに値段の相場なんて分かんないけど……まあいいや。

 

 試しに手に取ってみた皮手袋に書いてある文字を見ると『吸引』の魔法が付与されているらしい。

 値札を見たらほんとに高い、さぞかしすごい効果があるんだろうなと手に着けて魔力を通し、ディスプレイの果物にかざしてみたらペチッっと吸い寄せられた果物がくっついた。

 

「……えっ? これだけ!?」

 

 こんなんじゃとても値段通りのお金を出そうなんて気になれないだろ。

 俺でもこれぐらいの魔道具、簡単に造れちゃいそうなのに。

 なんだかがっかりして吸引手袋を棚に放って店を出たらさっきの店員が怒った声を出していた。

 

 そういえば大事に扱ってくれって言ってたっけ、しまったな。

 でもあんなので一級品なんて……いや、ばあちゃんの付与魔法がすごかったのか。

 森の家に『侵入防止』と『状態維持』の結界を張ったメリダばあちゃんの魔道具と比べたらあんなの子供だましにしか思えない。

 

 ばあちゃんは生活の役に立つ色んな魔道具を開発していて、国によってはじいちゃん以上の人気者らしい。

 成人したらどうしようか皆で話してるときにジーク兄ちゃんも言ってくれたけど、俺もそういう風に人の役に立つ魔道具を造って生計を立てるのもいいかもしれないな。

 魔法を付与するときに書き込める文字数は高価な素材ほど多くて、すごい魔法が付与されたものほど値段も高くなる。

 

 けど英語みたいに単語を組み合わせないといけないこの世界の言語じゃなく、日本語を使える俺なら文字数をかなり短縮できる。

 日本にあってまだこの世界には無い、便利な生活道具だって再現できるはずだ。

 

 そしたらばあちゃんは喜んでくれるかな、などと胸を躍らせながら賢者の孫、シン・ウォルフォードは王都の街並みを歩いていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――っ」

 

 唐突にブルリと寒気が走り、何か嫌なことが起こる前触れのようで何かトラブルの予兆を見落としては居ないかと不安に駆られてしまう。

 しかし心当たりのようなものは一切ない、今の気の迷いは何だったのかと首を傾げるばかりだ。

 

「どうかしましたおじょ……閣下?」

 

「いや、何か忘れてるような気がしたんだけど気のせいだったみたいだ、ごめん」

 

「珍しいですねー、閣下がそんなこと言うの。まあ今日のところはここまでにしときましょうか」

 

 そう言って壁一枚、ガラス窓を隔てた先の部屋からこちらを見ていた白衣の女性、ヒルダは周囲に散らばったレポート用紙をまとめていく。

 内壁を頑丈な金属壁に覆われたこの部屋は通称『実験室』、彼女にある種の魔法を観測してもらうために用意した部屋だ。

 あちこち焦げたり、溶けたりとしている室内を見回して不始末が無いか確認し終えてからヒルダの待つ前室へと向かう。

 

「お疲れさまでした、でもやっぱりすぐには慣れませんねー、この呼び方」

 

「慣れるのはゆっくりでいいよ、ここには気にする人もそんなに居ないしね」

 

 ねぎらいながら外していた眼帯を机から拾い、付け直していると楽しそうにレポート紙へとペンを走らせるヒルダの姿につい苦笑が湧く。

 彼女との付き合いは長いが、正式に公爵となってからも気安い態度に変化は見られないようだった。

 公私を弁える分別を持ち合わせていることは知っているので、咎める必要も無い。

 

 マーシァ工房の開発主任である彼女には主に新型魔道具の試作を担当してもらっている。

 前世の知識にある機械工業品、よく見知ってはいてもそれ専門のエンジニアなどではなかったターナに内部構造など把握できているわけもなく、それを再現することは不可能だった。

 自分には出来ないならば単純な事、出来る人間にやらせればよいと、幼い頃から祖父と共に各国を巡り細工の得意そうな人間を数多くスカウトしてきた。

 

 その中でもヒルダは魔法を用いて大まかに再現してみせた記憶にある機械の動作を優れた洞察力で読み取り、魔道具の形に落とし込むことが出来る類まれな才能の持ち主だった。

 加減を誤って周囲によく金属片を吹っ飛ばしたりする危険な実験にも嬉々として付き合うなど肝も据わっている、得難い人材だった。

 

「それにしてもお嬢の魔力制御力も結構なものになってきましたね、新しい付与考えたんですけど、試してみます?」

 

「んん……私だけが扱える付与が増えてもねえ」

 

 魔法を付与するにあたり、魔力を転写する必要があるわけだがそもそも術者がその魔法を扱えなければ付与は成功しない。

 そして複雑な魔法はそれに比例し必要な魔力も大きくなる、こればかりは日頃から魔力制御を訓練していなければどうにもならない問題だ。

 高度な魔道具を作成できる付与魔法使いが希少な理由の一つでもある。

 

「いいじゃないですか、特注仕様のハイエンド品、高く売れますよ~。お客は喜ぶ、工房は儲かる、皆幸せで言うこと無し」

 

「はいはい……それよりもアレの小型化は進んでる?」

 

 気の乗らない提案を適当に流して問い掛けると、ニッと自慢げな笑みを見せてヒルダは白衣の内から小さな物体を取り出し、机上をこちらへと滑らせてきた。

 長方形の、掌からすこしはみ出すぐらいの大きさのそれを手に取り、ためつすがめつ眺めると思わず感心の息が漏れる。

 

「……パーツは全部量産できるレベルなの?」

 

「当然、ウチの職人達は皆やればできる連中ですから」

 

 魔力を通すと手にした魔道具、通信機が起動し正常に動作することが確かめられる。

 かねてから開発を進めていた新製品、これが実用化すれば()()()()と動きやすくなる。

 

「でも魔力通さないと使えませんから、ちょっと扱いづらいんですよね。とっくに量産できてるあちらの特許はまだ取らないんです?」

 

「うん、悪いけどまだ時期尚早だと思う、もう少し時期を見計らいたい」

 

 新しい技術が広まることで時に混乱をもたらすことがある。

 努力してくれた職人達には申し訳ないがこれらの発表はまだ先のことになるだろう。

 それでもここまでのものを仕上げてくれた職人達の技量には感謝しかない、これはボーナスを弾まないとだ。

 

 マーシァ工房の魔道具が大きく進出できた理由として最も大きい、優れた品質がある。

 従来の魔道具は付与文字の制約に素材の価格など、工業品としてネックとなる要素があまりに多かった。

 しかも付与する魔法もまた術者のイメージを再現するものであるため、同じ用途のものでも製作者により出力がばらついていたりなどする。

 

 そんな品々を見てある日ふと思いついたのは付与する文字を省略することができないかという発想だった。

 文章を構築する各単語の頭文字を並べる、前世では当たり前に用いられる手法。

 これを適用すれば火器管制装置、なんて長ったらしい言葉もFCSの三文字で表せる。

 

 それと同じことができはしないかと試した結果は劇的だった。

 文字を縮小しても、縮小元となった言葉がしっかり認識できていれば付与は成功する。

 それにより細かな部品へ回転数や出力の値、イメージに左右されない動作制御を付与することが容易となり、それらを以て組み立てた魔道具は品質も均一に仕上げることが出来ている。

 

 魔道具によって組み立てられた魔道具、この技術の実用を機にマーシァ工房の躍進は始まったのだった。

 

「喜ぶのはいいですけど、気を付けて下さいね。こういうの研究してるのは私達だけじゃないんですから、実用化してたのに特許で先を越されるなんてことになったら悲惨ですよ。……ま、ほとんどお嬢のおかげで出来たようなもんですから、そうなっても文句は言いませんけど」

 

「――確かに、気を付けないとね」

 

 前世の知識に発想を使いズルをしているような罪悪感はあったが、これぐらいの発想いずれ誰かが思いついてもおかしくはない、あくまで自分はそれを早めただけだろう。

 それに職人達の頑張りは別物だ、しっかりと生かして利益を還元しなければ罰が当たるというものだ。

 

 それにしても今日に限って――今まで感じたことの無い胸騒ぎがするのは何故だろうか。

 



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邂逅

 アールスハイド国立、高等魔法学院。

 優秀な魔法師の人材発掘の為に広く門戸を開かれた学院は完全実力主義を伝統として掲げており、貴族であろうと平民であろうと入学希望者には平等な条件の下で試験が行われる。

 入学試験当日、試験会場である学院にターナが到着した頃には次々と集まる受験生たちで校舎前にちょっとした人だかりができていた。

 

 まずは試験会場に向かうべく、掲示板に張り出されている院内の見取り図を確認したいところだったが同じ目的らしい受験生達が壁となってしまっている。

 時間がおしているわけでもなし、仕方ないので空くのを待とうとしていたのが、せっかちな者も居たらしい。

 

「おい貴様、そこをどけ」 

 

 掲示板のすぐ前に立つ黒髪の受験生にそんな荒っぽい声をかけ、どかそうとしている金髪の男子が居た。

 人目も多いこんな場所でよくそんな横柄な真似が出来たものだと呆れてしまいそうだったが、そんな言葉をかけられた相手の対応もなかなかに豪胆なものだった。

 声をかけられたことに一切の反応を見せず、気にした素振りもないまま掲示板を眺め続けている。

 

 背後の青年が声を荒げ「聞こえないのか!?」と問いただしても一切の無視。

 ……まさか本当に聞こえていないのだろうか?

 

「この無礼者が!」

 

 ついに痺れを切らした青年が無反応な相手の肩を掴み振り向かせようとした瞬間、今までの鈍感ぶりが嘘のように機敏な動きで身を翻した黒髪の青年が逆に相手の手を掴み取り、瞬く間に捩じり上げてしまった。

 呼びかけていた青年が思いがけない反撃に呻き、降って湧いた暴力沙汰が周囲の受験生たちの間にどよめきを起こす。

 

「貴様……何をする! 離せ!」

 

「さっきから何なの? いきなり人の肩掴んでさ」

 

 さっきから、ということは聞こえてはいたらしい。

 それでいて無視し続けてからのこの対応とは、どちらに同情すれば良いのか分からなくなってくる。

 こんな場所で喧嘩を始められても迷惑なこと極まりないが、仲裁に入ろうにもこんな手合いをどう宥めすかせばいいだろうか。

 

 悩んでいる内に始めに声を掛けた金髪男子の方がカート・フォン・リッツバーグという貴族らしき名を名乗り、自分に逆らえばどうなるか分かっているのかと恫喝し始める。

 しかし王国の定める法により学院で権力を振りかざす行為は処罰の対象となる。

 それを知っているらしい相手の青年は意味が分からないとばかりに「はい? 俺はシンです」などと名乗り返した後に戸惑い顔で相手の違法行為を窘める。

 

 問題発言を指摘されてしまった男子だったが、怯むどころか学院の教師程度に自分を裁ける訳も無いなどと、見当外れなことをわめき立て始める。

 発端はどうあれ流石にここまでの権力にあかせた横暴な立ち振る舞い、王国貴族の立場に居る者として看過するには目に余る。

 貴族の男子、カートを諌めるべく間へ割って入ろうとした、矢先だった。

 

「そこまでだ」

 

 人前で話し慣れた人間特有の、よく通る声。

 野次馬に集まっていた人垣が割れ、その声を放った青年の姿が諍う二人へ歩み寄っていく。

 先日のパーティーで挨拶を交わした、この国の貴族であれば知らない者は居ないその人物の姿にカートも流石に畏れを見せている。

 

「あ、あなたは……」

 

「学院において権力を振りかざし、他人を害することは優秀な魔法使いの芽を刈り取る行為であり、これを破った者は厳罰に処する」

 

 それが学院の校則などといった水準のものでなく、国の定める法であることを指摘した上でその青年――アウグスト王子殿下は冷ややかな目を向けながらカートを糾弾する。

 今の発言は王家に対する叛意を示すものであるのかと。

 王国権力の頂点に位置する一族を前にたちまち低姿勢となるカート。

 

 そのままアウグストに入学試験会場という場所で騒ぎを起こしたことを窘められ、反論の余地を無くしたカートは悔しそうな目つきで争い相手、シンという名の青年を一瞥しながらもその場を後にしていった。

 騒ぎが収まったことで掲示板前に落ち着きが戻る。

 

「我が国の者がすまなかったな、他に止めようとしてくれた者も居るようだったが、相手が相手だけに口を出させてもらった」

 

 黒髪の青年、シンに話しかけながらアウグストは止めに入ろうとする動きに気づいていたのか、ターナへと視線を向けてくる。

 問題が解決したならそのまま関わりなく済ませたかったターナだが、王族から視線を向けられ無視することなど出来る筈もなく、離脱を諦め二人の元へと向かう。

 面識があるわけではないのか、こちらを見て眼帯姿に一瞬目を瞠ったシンはアウグストとの間に視線を動かしながら不思議そうにしている。

 

「――どうもアウグスト殿下、ご機嫌麗しく存じます」

 

「ふむ……まあいい、丁度良い機会だ。マーシァ、君も彼のことは知っておくといい。それにしてもさっきの自己紹介は傑作だった、聞いた通りの世間知らずのようだな」

 

 呼び方に違和感を覚えるターナだったが、先だってパーティーで告げられた言葉を思い出し得心がいく。

 気兼ねなく接するようにとのこと、どうやら社交辞令でなく本気であったらしい。

 言葉の後半はターナでなくシンという青年に向けられたものだった。

 

「私の名前はアウグスト・フォン・アールスハイド、親しい者はオーグと呼ぶ。……シン、君の事は父上からよく聞いているよ」

 

 その名乗りにアウグストがどういった人物であるのか悟ったらしく驚いた様子を見せるシンだったが、次いで飛び出したのはターナの方が目を剥かされるような発言だった。

 

「アールスハイド……ってことは、ディスおじさんの息子!?」

 

 こともあろうに現国王陛下をそんな親戚のように呼ばわったことで王国民である周囲の受験生たちがぎょっと驚きに目を瞠る。

 

「そんな風に呼ばれたのは初めてだな、俺が王子であることを知ると媚び(へつら)ってくる奴らばかりなのだが」

 

「だっておじさんのことずっと親戚だと思ってたからさ、従兄弟? ぐらいにしか思えなくって」

 

 王族を敬う気配が欠片もない、口を開けば閉じることができなくなりそうな発言に絶句させられてしまう。

 しかし王族を軽視しているような悪意は感じられない、成人しているだろう年齢でありながらこの非常識さは純粋と言うべきなのか、無知と言うべきなのか。

 従兄弟などと言う発言にさしもの殿下も呆けるような顔を見せていたが、やがて噴き出したのは無礼に対する怒りではなく、心の底から楽しそうな笑いだった。

 

「ふ――ははははは! 聞いたかマーシァ? 従兄弟だと……本当に面白い奴だ」

 

「……殿下、お戯れは程々に下さい。周りの者が何事かと思います」

 

 見れば先程の騒動と変わりないぐらいの野次馬が集まりつつある。

 ただでさえ王族のアウグストが居るのに、そんな大抵の国民にとっては雲の上の相手と気安く話す人物にも好奇の視線が寄せられている。

 試験前のデリケートな時間だというのに気の休まる暇がない、騒ぎを起こすなとカートを追い払っておいてこれではとても示しがつかないだろう。

 

「ふふふ、マーシァ、ここまでしろとは言わんが、あの時言ったようにお前も気を使わないでくれていいぞ。しかし確かにこれ以上は迷惑か、時間もないことだしな」

 

 騒動が立て続き、いつの間にか試験開始時刻が迫っていた。

 周囲で受験生たちの移動が多くなりざわめきが増していく。

 

「次に会うのは入学式かな? 試験は互いに頑張ろう」

 

 心臓に悪いやり取りを目の前で見せつけられたターナの心情など露知らず、アウグストは颯爽と院内へと立ち去っていく。

 その背中を見送っているシンのことを知っておいた方がいいと、何故アウグストが言ったのかは結局理解できなかった。

 シンに対してカートとのやり取りで一言注意をしておきたかったターナだが、彼が王族にとっての重要人物であるかもしれない可能性が生じたことで不用意に発言する気を削がれてしまった。

 

 ため息を漏らしたくなるのを堪えながら、差し障りのなさそうな言葉だけを掛けてこちらも試験会場へ向かうことを決める。

 

「どなたか存じ上げませんが、試験の合格をお祈りしています、失礼」

 

 いっそ落ちてくれたら関わり合いにならなくて済むのだけれど、などという本心は胸の内にしまいこみ、ターナも足早にその場を後にし――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………厨二病? いやそんなわけないか』

 

 そんな、耳にしていればもっと早く彼のことを理解できただろう、言葉を聞き逃してしまうのだった。



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実技試験

 入学試験の内容は大きく分けて筆記と実技の二種類。

 筆記試験といっても近代化の進んだ前世日本のように、複雑な計算を要する数学や物理といった科目があるわけではないので実のところ難度はそう高く無い。

 あくまで前世基準であるが、義務教育を修了したぐらいの理解力があれば満点近い点数を取ることは容易いだろう。

 

 この世界の基準でも真面目に中等部までの教育をこなしていればそれに近い成果は得られる筈だ。

 勉学に熱心な者なら言うに及ばず、上位成績者の点数はほとんど横並びだろう。

 よって最もこの試験結果に影響を及ぼすのはこの後に行われる実技試験と言える。

 

 学院に複数ある室内練習場、弓道場やクレー射撃場のように細長い間取りが取られたそこに五人の受験生たちが順に呼ばれ学院教師である試験官監督の元、攻撃魔法の実演を行わされる。

 生活に貢献する魔法を付与した魔道具が広まった世の中で、魔法使いの技量を測るには攻撃魔法という評価方法は古くから続く悪習とも言えるものだったが、威力を左右するイメージの具体性、魔力制御力。

 魔法を披露して見せる行為がそういった要素を測るのに有用なのは事実でもある。

 

 分けられたグループの受験生たちに混ざり呼び出しを待っていると、やはり目立つ容姿をしている為かあちこちから視線を感じてしまう。

 

 ……もう少し地味なデザインにしておくべきだったかな。

 

 あのシンという受験生も気にしていたし、特にこの右目を覆う眼帯は目を引く。

 とはいえ粗末にしすぎても色々と差し支える事情があるので、我慢するほか無いだろう。

 

「――ね、貴女」

 

 そう少しの辛抱だと思っていたのに、意外にも声を掛けてくる者が居た。

 順番を待つ間知り合いでなくても雑談を交わす人間はそこそこ見られたが、よりにもよって自分に話しかけてくるとは珍しい。

 顔を向けた先に居たのは明るい赤の長髪をした女の子、王都にいくつかある中等学院の制服を身に着けている。

 

 少女は目が合うと一瞬どきりとしていたようだったが、物怖じしないタチなのかすぐに立ち直る様子を見せていた。

 

「急に話しかけてごめんね、一緒に来た子と別の組になっちゃってさ、他に女子はあんまり居ないみたいだし。――迷惑だったかな?」

 

 彼女の言うように周囲は男子の比率が高いようだった、どういう基準で順番が決められているのか不明だが先に練習場に入ってしまった女子も居る。

 そんな中で暇を持て余し、つい声をかけてしまったというところだろうか。

 少女とは初対面だったが、邪険に扱う理由が特にあるわけでもない。

 

「構いませんよ、暇をしていたのは私も同じですから」

 

「そう? なら良かった、皆緊張してるみたいだけど、一人で考え込んでたら気疲れしちゃいそうなのよね」

 

 リラックスの仕方は人それぞれということだろう。

 こちらとしてはそれほど試験に気負いしているわけでもないので、僅かな時間彼女に付き合うぐらい問題は無い。

 

「貴女、あまり見ない顔だけど王都の外から来た人なの?」

 

「ええ、今まではマーシァの街で過ごしていましたから」

 

「ああ、あの最近有名な……だったらあの噂聞いてないかしら?」

 

 少女が上げたのはここ最近で王都を賑わせている有名人物達の話題だった。

 数十年前、王国を滅亡の危機に陥れたという存在、魔人。

 魔物化するのは野生動物だけでなく、人間という種もまたそのリスクを孕んでいる。

 

 過去、かつてない大規模魔法の行使に失敗した魔法師が集めた魔力を暴走させてしまい、魔人と化してしまったのだという。

 理性を失くした魔人は湧き起こる破壊衝動のままに破壊を撒き散らす存在となり、人の限界を超え魔力を操る魔人は軍の力をもってしても止められなかったそうだ。

 そんな災害と変わりない存在を討伐し、英雄として名を馳せることになった人物こそ。

 

「『賢者』マーリン様、『導師』メリダ様。かのお二人が今王都に戻られてるのよ。そしてなんと……そのお二人の御孫様が今年、この学院の試験を受けに来てるんだって」

 

 目を輝かせながら語る少女の浮かれた語り調子は大袈裟なようにも聞こえるがこの国、いや周辺の国であってもそれは別段珍しいことでは無い。

 賢者マーリンと導師メリダの英雄譚は本人達が未だ存命でありながらも数多く出版され、世界中に出回っている。

 物語を盛り上げる為、明らかに誇張された部分まで見受けられる内容でありながら、魔人という実在した災厄を払った二人を英雄視する感情は広く人々に根付いていた。

 

 いささかその持ち上げぶりが不自然なまで過剰に思えるのは魔人と言う災厄を体験しておらず、伝聞の風評に疑念を持ってしまう前世の感性によるものなのだろうか。

 

 とはいえそんな気持ちを口に出すのは心からその存在を信じている人に対して無粋だ。

 それに賢者などと呼ばれる人物の孫がどのような人物なのかは少し興味がある。

 しかしそのお孫さんについては王都でもあまり知られてはいないらしく、適当に相槌を返している内に試験の順番が回って来た。

 

「あ、順番みたいね、行きましょうか。それと名乗り忘れてたけど、私はマリア・フォン・メッシーナ、よろしくね、同級生になれるようお互い頑張りましょ」

 

 屈託の無い笑顔を浮かべ握手の形にした手を差し出してくる少女、マリア。

 名前からして貴族の令嬢であるらしいが、カートのようにそれを鼻にかける様子は無い。

 そもそも国王主導により貴族の意識改革が進められている王国では彼女のような貴族の方が主流なのだった。

 

「――ありがとう、私はターナ・フォン・マーシァ。よろしくマリアさん」

 

 アウグスト殿下が言うように、全く気にしないとまではいかなくとも仰々しくなり過ぎないように挨拶したつもりだった。

 しかしマリアの方はそうもいかなかったようで。

 

「え……? マーシァって……あの公爵様、本人!?」

 

 最年少で爵位を継いだ自分の名は知られていたらしく、手を握ったままマリアが硬直してしまう。

 貴族の娘と当主では立場も遥かに異なる、無理もないが当然の反応が何故か新鮮に感じてしまってつい苦笑など浮かべてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では一人ずつ、得意な魔法をあちらの的に向けて撃ってもらう。目標は破壊だが、出来ずとも練度が基準に達していれば合格とする」

 

 魔法師の象徴でもある、ローブを纏った試験官が練習場の奥を示しながら試験内容を説明する。

 標的として用意されているのは衣類展示用のトルソーを思わせる半端な人型、それが五体紐に吊るされ並んでいた。

 まず指名を受けた男子が前に立つと、息を整えて魔法の行使へと移る。

 

『全てを焼き尽くす炎よ! 我が意に従い敵を撃て――ファイヤーボール!』

 

 威勢良く詠唱と魔法名を唱えた男子の手元に、拳程の大きさの火球が発生し撃ち出され、命中した的が表面を焼き焦がされながら衝撃にふらりと揺れ動く。

 破壊には至らなかったが、魔法と呼び表せる体裁は整った一撃に他の受験生たちは感心したように息をついている。

 共に練習場入りしたマリアはもっと実力を秘めているのか、そこまで大した反応は見せていなかったが。

 

 後に続く他の受験生も大仰な詠唱の割に、魔法そのものの威力は控え目で滑稽にも見える。

 しかしそれはあくまで前世の創作物に影響を受けた感性がそうさせるのであって、彼ら自身は大真面目だ。

 一般的に詠唱を工夫し、それに見合ったイメージをすることが強力な魔法を使う秘訣であると信じられていることによるのだろうが、詠唱に凝る余り抽象的なものとなり、肝心のイメージが全く追い付いていないのが惜しまれる。

 

 必要となる魔力もあまり十分な量を集められているようには見えず、制御力もこれでは大きな威力を望めるわけがない。

 

「――よっし!」

 

 そんな中で唯一、的を粉砕するほどの威力で魔法を放ってみせたマリアが快哉を上げる。

 伸ばした腕から槍のように放たれた火炎は余波で吊るし紐を焼きちぎり、打ち砕かれた人形が地へと転がり受験生たちが大きくどよめく。

 

「お見事ですメッシーナさん、次は……マーシァさん、前にどうぞ」

 

 魔法技術で同年代の平均を大きく上回っているらしいマリアに拍手で賞賛を示していると、照れ臭そうにしながらも拳を握り反応を返していた。

 権力の及ばない規則はあるものの、公爵という身分に少しばかり気が引けている試験官の気配を感じながら入れ替わり前に立つのだったがその時、大きな揺れが起こった。

 

「なっ……なんだ!?」

 

 地面から響くようなものではない、そもそも火山だらけの日本のような環境に無いこの国で地震などそうそう起こるものではなかった。

 校舎全体が何らかの衝撃を受けたかのような揺れはすぐ収まったものの、異常事態に受験生だけでなく試験官までも慌てふためいている。

 

「――っ、落ち着いて! 無暗に動かず待っているように、外へ確認してきます」

 

 若年者ばかりの受験生と違いすぐに落ち着きを取り戻した試験官が指示を飛ばすと練習場の外へ駆けていく。

 試験中だというのにとんだアクシデントだ、まさか貴族の子女が集まるのを狙ったテロでも起きたというのか。

 しかし意外にもすぐに戻って来た試験官の表情は気の抜けたような疲れたような、緊張感のないものだった。

 

「先生、何があったのですか?」

 

「ああ中断させてすみません、今の揺れは……受験生の一人が試験で放った魔法によるものでした。怪我人などは出ていませんので、すぐに試験は再開させます」

 

 その答えには尋ねた自分だけでなく、マリアを含めた場内の皆が呆気にとられてしまった。

 群を抜いていた先程のマリアの魔法でもあの規模だというのに、その受験生は一体何者だというのか。

 今大騒ぎになったようにこの試験内容、そして屋内という環境でそんな魔法をぶっ放したという事実も別な意味で驚きではあるが。

 

 内容はともかく確認してきた教師の言葉に嘘はないようで、奇妙な空気になってしまったが試験は続行するらしい。

 集中力を削がれた受験生が居なければいいのだが、当の自分がそうなってしまっては元も子もない。

 公爵家の名を背負っている以上、不様な結果を晒せば家に迷惑がかかってしまう、そんなことになるのはまっぴらごめんだ。

 

 深呼吸を挟み、自分の試験だけに集中する。

 目標は無傷で残った的の一つ、腕を上げ指を伸ばし構えを取る。

 先日遭遇した魔物に向けたものと違っているのはその形、掌を垂直に人差し指を前に、親指は上へ、残る指は握り込む。

 

 撃つ、という行為を想起させるのに知る限りでこれ以上の挙動は無い。

 拳銃を示す、その型を見慣れないマリア達や試験官が訝しむ気配を感じながら魔法を打ち起こしていく。

 

準備(セット)

 

 聞くだけで情景を想像できるような詠唱を思い付けるなら良かったのだが、生憎とそういった文章を組み上げる感性は持ち合わせていない。

 私にとって詠唱は挙動と同じく補助としての役割しかないもの、ならばその文言はイメージに直結するような簡潔なものであることが望ましい。

 今回、用いるのは炎、指先の空間に赤い揺らめきとして小さな灯火が生じる。

 

 背後の受験生たちの間で失笑が起こったように、そんなものを放ったところで大した威力になるわけがないので、次の段階へ進む。

 元庶民が理解している燃焼の仕組みなど大したものじゃない、可燃物、酸素、熱源といった三要素を理解していても、それらを現象として上手く組み立てるイメージは今一つ湧かなかった。

 難しく考えすぎなのかもしれなかったが、解決策として選んだのは実に単純な手。

 

 出力を上げたいなら、その源を増やしてやれば良いのだ。

 

増幅(ブースト)

 

 急速な魔力の高まりを感じ取るだけの感覚を持ち合わせた試験官、マリアが顔色を変える。

 それほど今集めている魔力は並の魔法使いが扱わない、扱えない規模のものだった。

 通常魔法に必要な魔力はイメージに沿って定まり、術者が集めた魔力から必要な量が供給され発動する。

 

 制御が甘く、魔力が足りなければ失敗するし、余剰ならば暴発を起こしてしまう、必要な魔力量の見極めも魔法師としての力量の一つ。

 だがそもそも魔法とは道理を無茶で捻じ曲げるもの、ならば無茶に無茶を重ねるぐらいどうということはないのではないか。

 どれほど理屈を頭の中で描こうとも、結局は無から有を生み出す魔力という万能物質に現実を改変させていることに変わりはないのだから、それこそ常識に捉われる必要は無い。

 

 魔力により生み出された炎はより魔力を注げばその勢いも強くなるのが道理と、魔法(イメージ)を重ねる。

 ある事情により魔力制御にだけは自信がある、私によって集められた魔力を注がれた炎は瞬く間に火勢を増し、闇をほのかに照らす灯火から鉄をも鋳溶かすような炉炎へと姿を変えた。

 

封入(パッケージ)

 

 揺らめく拳大の炎がぐにゃりと形を変え、指先に収束する。

 円錐形の細く小さなそれは弾丸を思わせる形状に仕上がっている。

 実体の無い炎に勢いを与え、物理的な破壊力を付与させることが誰にでも当たり前に出来るのだ、これぐらい発想一つで調整できる。

 

 残る工程は撃ち出すのみ、それを表す言葉はやはり陳腐だが、これをおいて他に無いだろう。

 

「――発射(ファイヤ)

 

 その軌跡に赤い光条を残して、放たれた炎の弾丸は瞬き一つの間に目標へと達する。

 着弾と同時に弾けた熱量は放射状に人形を灼き溶かし、原型をとどめないまでに融解させた。

 

「よし」

 

 弾の貫通はしていない、周辺への被害は無いので残る受験生の試験に差し支えは無いだろう。

 試験官が絶句しているように、こんな魔法を扱える学生はそうそう居ないだろうし、良好な結果が期待できる。

 ――ただ一つだけ心残りがあるとするならば、魔法の腕に自信があったらしいマリアをがっくりとうなだれさせてしまったことだけは申し訳なかった。



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無自覚な二人

 入学試験から数日が経ち、王都にあるマーシァ家の別邸で迎える朝。

 今日は魔法学院の合格発表が行われる日だ。

 学院の構内に張り出されるらしいその結果を確認しにいく為に支度を整えていく。

 

「本日は学院まで赴かれるのでしたね」

 

「ああ、世話になるよ」

 

「いえこれが私の仕事ですので、どうかお気遣いなく」

 

 そう言って傍に控えるようにして同行してくれているのは王都での護衛を担当してくれている男性で、名をオルソンという。

 年は今年でもう四十になり、顔には薄くだが皺が浮き始めていた。

 長年マーシァの家に仕え当主の護衛を任されている人で幼年の折、熊に襲われそうになったときに傍に居たのもこの人だ。

 

 基本的に王都の治安は良いのだが、それでも不埒な輩が存在しないというわけではない。

 不自由には感じてしまうが、自分のような立場の人間が護衛もつけずに出歩くわけにもいかないのだった。

 護身用の魔道具は数点持ち歩いているし街中で攻撃魔法の使用は禁じられているが、万が一ということもある。

 

 この身に何かあれば迷惑をこうむる人間はとても多い、そんなことになってしまうぐらいなら多少の不自由は許容しなければならない。

 そうして彼のお陰で、眼帯をしていながらも恵まれている容姿につられてしまったような輩が寄ってくることは無かったのだが。

 

「あ――」

 

 不埒でない人からは逆に目を引いてしまったようだ。

 学院までの道すがら、こちらへ向いた声に反応してみればそこには実技試験で知り合った少女、マリアが意表を突かれたような顔を見せていた。

 そんなマリアの反応を青いロングヘアーの少女が隣で不思議そうに見ている。

 

 二人ともに中等部の制服という同じ格好。

 おそらく青髪の女子が試験の折マリアが口にしていた連れの子だろう。

 気づいておいて無視するというのも感じが悪い、どうも対応に悩んでいるらしかったがこちらから声を掛けることにしよう。

 

「ごきげんよう、マリアさん。試験日ぶりですね」

 

「どうも……マーシァさん、あの時は随分気安くしてごめん――すみません」

 

「ターナで構いませんよ、それに学院は堅苦しいのが疎まれるようですから、あの時のようにくだけた話し方をしてくださって結構です」

 

 公爵という家格がやはり畏れ多く見えるのか、敬語になってしまっているマリアだったがこちらにそんなことを気にするつもりはない。

 殿下に倣うわけではないがここは例の法とやらを利用させて頂こう。

 

「……本当に、いいの?」

 

「ええ勿論。そちらは話されていたご友人でしょうか?」

 

 水を向けた青髪の少女はすぐに反応できず目をしばたかせていたが、何事かマリアに耳打ちされると口元に手を当て驚いた様を見せる。

 

「ええっとその……クロード子爵家のシシリーと申します、よろしくお願いします」

 

 シシリーというらしい少女もまたマリア同様に貴族であるらしい。

 家絡みの付き合いがあったのか、たまたま学院で知り合っただけなのかは分からないが、まあそれは些細な問題だろう。

 連れだって合格発表を見に行くところなのだろうが、女の子が二人で護衛は無し。

 

 王都の街中で面倒な輩に絡まれることもそうそう無いだろうが、用心しておくに越したことはないだろう。

 ちらりと視線を背後のオルソンへ向けると、心得た様子で僅かに頷いてくれたのが見て取れた。

 

「――学院まで向かわれるのでしたらご一緒しませんか? お二人は王都に長く過ごされているようですし、お伺いしたいことが少しありまして」

 

「私はいいけど……シシリーはどう?」

 

「えっ? うん……マリアがいいなら構わないよ」

 

 すんなりと提案は受け入れられ、彼女達と共に学院へ向かうことになった。

 警護対象が増えオルソンの負担が増えた分、こちらも索敵魔法を広げ警戒を強めておく。

 生物は常に一定の魔力をその身に帯びているが、敵意などのように攻撃的な感情を持っているとその魔力に歪みのようなものを感じることができる。

 

 自分で制御した魔力を広げてやれば生物の反応だけでなく、そういった害意を持った存在を察知することも可能になる。

 学院に着くまでの間に引っかかる反応は無く、結局は徒労に終わってしまったが何も無ければそれで構わない。

 校門にオルソンを残し受験番号が張り出されている掲示板で確認した結果は三人とも合格。

 

 喜び合う少女達を微笑ましく見守り、教科書類と制服の支給される受付へ向かう道中で「あっ」と何かを見つけ声を漏らすシシリー。

 彼女の視線の向く先、受付の方を見てみるとそこには目を引く男子二人組の姿がある。

 金髪の男子、アウグスト殿下が入学試験の際にあのカートと騒動を起こしていた黒髪の男子を白々しい口調で囃し立てていた。

 

 聞こえる声によれば黒髪の男子が入試首席を獲得したらしく、新入生代表挨拶を任されたらしい。

 シシリーがうっすら顔を赤らめながら目を向けているのはそんな男子の方。

 

「お知り合いかな?」

 

「ああうん、知り合いっていうか本当に会ったのは一回だけなんだけどね。この間街で柄の悪い連中に絡まれちゃったとき、シン――あの男の子に助けてもらったんだ」

 

 気がそぞろになっているシシリーに代わり、マリアの方が知り合った経緯を説明してくれている。

 マリアもシシリーもかなり容姿の整った少女であるせいか、ナンパというには荒っぽい輩に絡まれてしまったことがつい先日にあったらしい。

 そこを救ったのか黒髪の彼、シンという青年で魔物ハンターであるという屈強な悪漢三人をあっさりと素手で叩きのめしてしまったのだという。

 

 それ以来シシリーは彼のことをよく気にかけていたそうで、マリアも言葉にすることはなかったがようするに一目惚れというやつであるらしい。

 

「あっ――」

 

 見れば説明を受け終えたシンとアウグストは今にも帰ろうとしている。

 そんな彼らに声をかけようかどうしようかとまごついているシシリー。

 お相手の方にそんな気があるのかどうかは分からないし、余計なお節介かと思いもしたが。

 

 正直、まどろっこしい。

 

「殿下」

 

「ん? マーシァか、お前も来ていたのだな、そちらの二人は……」

 

 アウグストに話しかけたことでマリアとシシリーが慌てる様子を見せていたが腹を括ってもらうしかない。

 奥ゆかしいのは結構だが、チャンスなんて手を伸ばせるところにいつまでも居てくれるわけじゃない。

 もう手遅れになってから後悔するなんてことのないようにして欲しいと思っていたのだが。

 

「シシリー!? 来てたんだ! ……マリアも」

 

「は、はい! シン君……お久しぶりです」

 

 お相手のシンの方が食いつくような反応を見せたことにおやと首を傾げさせられてしまう。

 明らかなシシリーとの反応の差に「私はついでか」とマリアも呆れるような顔をしている。

 

「なんだ、知り合いなのかシン?」

 

「ああ、この間に街でちょっと……」

 

 入学試験の時は初対面らしかったというのに、随分と親し気な様子を見せるアウグストはシンの反応に何かを察したらしく含み笑いのような表情を浮かべている。

 ――どうやらご執心だったのはシシリーだけでないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰からともなく立ち話もなんなので場所を変えてはどうかと言い出し、相談の結果。

 

「へえ、前に寄った魔道具屋とはすごい違いだな」

 

「ここには私も初めて来たな」

 

 物珍しそうにシンとアウグストが店内を見渡す。

 綺麗に陳列された魔道具の品々に魔法付与に適した金銀細工の数々。

 王都に出店しているマーシァ商会の系列店は盛況なようで、通路は広々としているが少なくない数の人々が往来を繰り返していた。

 

 客層は身なりの良い貴族風な者もいれば平民らしき人々も多い。

 このあたりは一般の魔道具店と異なる、庶民向けの廉価な魔道具も取り揃えているマーシァ商会ならではの光景だ。

 どうしてか魔道具に興味があるというシンに紹介しようと店を案内することになっていた。

 

「……シシリーさんはこちらを利用下さったことがあるそうで?」

 

「はい、こちらの店は便利なものが多いってお姉さま達からよく聞いてましたから」

 

「でしたらどうでしょう、シン君の案内はシシリーさんにお願いしてみては」

 

 素直な気持ちを言えば、カートとのやり取りで彼にはあまり良い印象がない。

 押し付けるような気持ちもあったがアウグストは名案とばかりに賛同しマリアも後押ししてくれる。

 そうして二人きりにされたシンとシシリーはあからさまに互いを意識したぎこちない様子で店内を巡りに行った。

 

 後悔どころか何の心配もいらなさそうな雰囲気には世話を焼いておきながらなんだが、勝手にやってくれと言いたい。

 こちとら中身はアラフォーおやじで年頃の女の子もまともに恋愛対象に見れない、というか肉体的に見てもしょうがない身の上なのにあんな空気を見せつけられてはやるせなくなってくる。

 今更人並みの恋愛をすることに未練があるわけではないが、実に羨ましい事だ。

 

「……ところで殿下、彼のこと。話しておかずに良かったのですか?」

 

「ほう、知っていたのか?」

 

「推測ですが、入試首席なのでしょう? 彼」

 

 アウグストの反応でその推測も外れてはいないようだと確信を深める。

 首席レベルともなれば実技の魔法技術は相当なものであることは間違いない。

 そして先日の入試では一人、あの校舎を揺るがすような飛び抜けた魔法を行使した受験生が居た筈だ。

 

 王都における学生の平均レベルを考えるとそんな人物が今まで埋もれていたとは考えにくい。

 ならば外部からの受験生であるはずで、最近になって王都にやってきたといういかにもそれだけの魔法が扱えそうな人物の噂が出回っていた。

 

「『賢者』マーリン・ウォルフォード、かのお方のご令孫が彼、ということで合っているでしょうか?」

 

「そう――あいつが英雄の孫、シン・ウォルフォードだ」

 

 やはりか、という思いと共に残念な気持ちが湧いてくるのはそうであって欲しくなかったという気持ちもあったからだろうか。

 賢者というからには聡明な人物を想像してしまう、そんな人物から育てられたわりに彼の精神性に成熟しているような気配は見受けられなかった。

 かのマーリン様は放任主義なのだろうか、口には出せないそんなことを考えていたこちらと違いマリアの方は。

 

「え…ええっ!? ……シンが、賢者様の……お孫様!?」

 

 憧れの人物が思いもよらないところから現れたことでパニックに陥っているようだった。

 

「……それで彼の事をご存知だったわけですか、随分と親しくもされていたようですが」

 

「ふふふ、従兄弟のようだと言われたこともあるが、あいつのような奴は初めてでな、それに親近感のようなものを感じないでもない」

 

「親近感ですか? アウグスト殿下がシン、に?」

 

 マリアが思わず尋ねたように、何を言い出すのかと思ってしまうような言葉だ。

 由緒正しい王族であるアウグストと噂によれば人里離れた地で暮らしていたという賢者の孫との間にどんな親近感を感じるような要素があるというのか。

 

「私の周りに寄ってくるのはこれまで王子という身分に媚び諂ってくる輩ばかりで同年代の知り合い、ましてや友人と呼べるような奴は居なかった。あいつも生まれてからずっと賢者様と森の奥で密かに暮らしてこれまで同じ年頃の人間と触れ合う機会が無かったらしい、それで似たもの同士のように感じたのかもしれんな」

 

「殿下……」

 

 マリアが王子という特別視されることを避けられない身分に生まれついた者の苦悩を慮るような眼をしている。

 ただ、今の発言に引っかかるところが無かったわけでもない。

 

「……殿下」

 

「何だ?」

 

「確か殿下には幼少の頃からリッテンハイム侯爵家とフレーゲル男爵家のご子息がお付きとしてつけられ行動を共にされていた筈ですが、記憶違いでしたでしょうか」

 

 年も同じ彼らを公爵を襲名したパーティーの日に伴ってきていたのを目にしていたのだが。

 

「いやその通りだ、奴らは私の護衛も兼ねているからな、魔法学院にも入学を予定している。それがどうかしたか?」

 

「……いえ、大したことではありません」

 

 存外に薄情な方なのだろうか。

 今の発言に違和感を覚えてすらいないらしい辺り、殿下の友好に対する考え方を尋ねてみたくもなってくるが無礼な言い方をしてしまいそうなので止めておこう、下手に藪は突くまい。

 

「――ああ閣下! こちらにおいででしたか」

 

 声に振り向くと慌てた様子の店員がこちらへ小走りでやってくるところだった。

 商会に勤める人間はほとんど私の顔を知っているので店に来れば声を掛けられないことはないのだが、その様子がどこかおかしい。

 

「どうかした?」

 

「はい、その……お連れ様が」

 

 言いにくそうに店員の口にした言葉に、嫌な予感が背筋を伝うのを感じる。

 以前にも感じたことがあるような、奇妙な感覚だ。

 誘導する店員についていった先には生活魔道具を扱うコーナーで困り顔をしているシンとシシリーの二人。

 

「……何があったのかな」

 

「いや、別になにかしたわけじゃないはずなんだけど……」

 

 首を傾げながらシンが手に持ったサンプルの魔道具を示してみせる。

 一定範囲内の温度を調整する機能を持つ、商会の扱う魔道具の中ではごく一般的な家庭用の商品の一つだ。

 

「なんか、壊れちゃったみたいでさ」

 

「……壊れた?」

 

 外観に損傷は見られない、が、付与された魔力の気配も無い。

 当然付与魔法は簡単に消えてしまったりするものではなく、なにもしていないのにこんな状態になることはあり得ない。

 

「……本当に何もしていない?」

 

「はい、シン君は普通に使っていただけです、私も見てましたから」

 

 シシリーが身を乗り出してかばうように力強く言う。

 別に責めているわけではないが、ウチの商品がなにもしていないのに壊れたなどという話が広まっても困るのだ。

 不良品があったのなら同一品に問題が無いか調べなければならないし、商会の信用にも関わってくる。

 

 ただ何故だろうか、深刻な原因があるわけではなさそうに思えてしまうのは。

 それを確認をするためにも関係ありそうなことを彼に聞いておかなければならない。

 

「揺さぶったり落としたりはしていない?」

 

「してないよ」

 

「過剰に魔力を注ぎ込んだりもしていない?」

 

「うん、起動に必要な分だけしか通してない」

 

「……付与された魔法を解析しようとしたりは?」

 

「あ……それはやっちゃった」

 

 やってんじゃねえか!

 

 十年以上矯正してきた口調が崩れそうになるのを必死に抑えこむ。

 前世でもこういうことはよくあったことだ。

 「何もしてないのに壊れた」という輩は大抵自分がやったことが原因となっているなど思ってもいないが為に入念に確認しないと自覚すらしない。

 

 まさか賢者と呼ばれる人物の孫がそんなことをやらかすなどとは思いもしなかったが。

 

「どうしたシン、マーシァ、何かあったのか?」

 

 遅れてついてきた殿下に精神的な疲れを感じさせないよう努めて返す。

 

「いえ……問題はありませんでした。ウォル――シン君、サンプルと一緒に置いてありますから、魔道具を扱う際にまずは説明書に目を通すようにして下さい」

 

「えっ? ああ本当だ、ごめん」

 

 ウチの工房で製作された魔道具は機密である文字省略や組立技術の漏洩を防ぐ為に防護処理が施されている。

 客先での使用時は魔力自体が流れないよう鍵付きの機構を切り替えるなどして誤作動の無いようにしているが、無理に付与された魔法の詳細を読み取ろうとすれば付与された魔法が消失するのだ。

 説明書にそういった処理が施されていることは記載されているのだが、今回は無駄となった。

 

 そもそも付与内容を覗き見るような魔法を扱える人間が希少で、普通なら作動することもない機能なので彼の魔法の腕が高いが故に起こってしまった事態でもある。

 魔法は一流以上なのにどこか抜けているところがあるのは、森の奥であまり人と触れ合わずに暮らしていたというのだからしょうがないのだろうか。

 通常なら弁償請求を考えるところだが、世界中の人々から尊敬される英雄の孫にそんな真似をしては余計な風評被害を招くかもしれない。

 

 今回は注意するだけにとどめよう――入試首席を取るような人物がまさか同じ失敗を繰り返すような人ではないだろうし。

 



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各々の入学準備

度々頂いている誤字報告に助けられています、ありがとうございます。


 合格発表を見に行った日の夜、色々とあった今日一日のことを振り返っているとやっぱり強く思い出すのはあの子のことだ。

 シシリー・フォン・クロード、王都にやってきた日に街でチンピラみたいな連中に絡まれてるところを助けたことで出会った女の子。

 一目見たときに頭に雷が落ちたような衝撃を受けたような錯覚がした、それぐらいの美少女。

 

 それに子爵家、貴族のお嬢様らしいけど偉ぶったりすることもせずに接してくれる性格も良い子だ。

 彼女も魔法学院を受験して合格したらしいので同級生になる、それを思うだけでこれからの学院生活に胸が弾みそうだ。

 受験の日に会った女子がたまたま声を掛けてくれたお陰で再会できたのは本当にラッキーだった。

 

 あっちの子も綺麗な顔をしてるみたいだったけど、顔を斜めに覆ってる眼帯の方にまず注意を引かれた。

 一瞬何のコスプレかと思ったけど、よく考えたら目の傷を隠す為のものなんだよな。

 口に出さなくて良かった、また常識知らずって注意されちゃうところだったよ。

 

 あの後連れて行ってもらった魔道具屋では少しトラブっちゃったけど、大事にはならなかったみたいで助かった。

 ちょっと付与された魔法見ようとしただけであんなことになるなんて。

 それにしても付与魔法の除去、ばあちゃんからは俺以外にあんな真似する奴見たこと無いって聞いてたんだけどな。

 

 朝から家にやってきたディスおじさんは約束通りあの商会の魔道具を持ってきてくれていた。

 俺が出掛けてる間にそいつを調べていたばあちゃんも随分と驚いていたみたいだ。

 

「シン、入るよ」

 

 そんなことを考えてたらばあちゃんが扉をノックして入って来た。

 

「もう始めてるのかい?」

 

「ううん、今から書き換えるとこ」

 

 ばあちゃんが言ってるのは机の上に広げてある今日もらってきた魔法学院の制服に付与された魔法についてだ。

 青いジャケット、シャツ、ズボンに付与された魔法は『魔法防御』、『衝撃緩和』、『防汚』の三つ。

 『防汚』はまだいいとしても残る二つは魔法と衝撃の威力を「和らげる」だけのものでしかなかった。

 

 いい素材を使ってるらしく折角付与できる文字数が多い服なのに勿体無い、そこで書き換えだ。

 受付では付与魔法はいじらないように言われたけど、導師として名が知れているばあちゃんに頼むのは問題ないって言われたから俺がやっても問題ないだろう。

 まずは付与された魔法文字が浮き上がるようにイメージして魔力を通して、浮き出て来た文字を俺が創った『魔法効果無効』を付与した杖で慎重になぞってやると付与が消えていく。

 

 そうしてまっさらな状態に戻せば今度は俺流の付与魔法をかけてやれる。

 新たに付与するのは『絶対魔法防御』、『物理衝撃完全吸収』、『防汚』、『自動治癒』、この四種。

 問題は絶対魔法防御、コイツだ。

 

 絶対というからには全ての魔法を防げるようにしたいが火や水に対しては防御方法を変えなけりゃならない。

 そして付与する文字にイメージが追い付かなかったら魔法は発動しないんだ。

 全ての魔法を防ぐ具体的なイメージ、それを組み上げるためにはどうすればいいか――

 

 

 

「出来たー! ああ~~すっげぇ集中した~~!」

 

 悩みに悩み続け、ようやくのことで俺はその魔法付与に成功した。

 思いついたのは魔法を止めるんじゃなく、構成している魔力そのものを霧散させる障壁。

 こちらに害を成す魔法だけ消失するようにイメージしたから治癒魔法や自分で発動させた魔法に対しては効果を発揮させない。

 

 ずっとこちらを心配して見てくれていたばあちゃんにこの付与をしたことは人に話しちゃいけないって釘を刺されてしまったけど、新しい挑戦を成功させた達成感に包まれたその日はぐっすりと眠ることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷の執務室で机に積まれた領政に関わる書類の束を捌いていく。

 祖父と父に任せているといっても、私が独自に立ち上げた企画を元に進行している事業や工房に関わる事案には目を通しておきたかった。

 現場の情報は正しく把握しておかなければ地に足着いた運営はできない、そうなれば簡単に足元を掬われかねないと前世で多くの大企業が身をもって証明してくれた。

 

 無理のない労働環境をつくるには上の人間が環境をしっかりとコントロールしなければならない。

 時間外労働で調整などもってのほかだ、無理をした、させたツケは回り溜まってミスや不具合を誘発する。

 好きで残業などしたことがない身としては自分の下で働いてくれている職人達にそんな負担はかけたくない。

 

 権力とは無縁な平社員だった時とは違い、今はそこを左右できる立場に居るのだから出来る限りのことはしたい――そう思えるようになったのは祖父に感化されたこともあるだろうか。

 滅私奉公とまではいかないけれど、視察に出た先で領民達の笑顔を目にするとこの生き方もだんだんと悪くないものに思えるようになってきた。

 

「閣下、夜食をお持ちしました」

 

「ありがとう、中にどうぞ」

 

 控え目なノックをして了承を得てから入室してきたのはオルソン。

 屋敷にはメイドも雇い入れているが、こういった雑務も彼は身辺警護の一環としてよくこなしている。

 紅茶と黒いチョコ菓子の載った盆を机の脇に置いたオルソンの目に憂いが見えた気がしてつい苦笑してしまう。

 

「心配いらないよ、夜更かしするつもりは無いから」

 

 余裕が必要なのは上に立つ人間も同じ、特に睡眠不足は脳にくる。

 回らない頭で大事な物事を判断するわけにはいかないので、これでも寝る間は惜しまないようにしているのだ。

 それでもオルソンはどうやら安心しきらない様子だったが。

 

「左様ですか……差し出がましいことを申し上げますが、お嬢――閣下はもう少し羽を伸ばされても良いのではないかと思います」

 

 付き合いの長い人間ほど、たまに昔馴染みの呼び方をぽろっと漏らす時がある。

 人目も無いこんな場でそれを責める気は無いし、彼がそんなことを言いたくなる気持ちは分からないでもない。

 小さな頃からあちらこちらの国を回って、事業を模索して、領政に関わって来た子供なんて大人の目線から見ればさぞかし不自由なものに見えるだろう。

 

 人格が歪んでもおかしくはない、既に形成されきってる私のような者でなければの話だが。

 

「んん……この道を選んだのは我儘でもあるからしょうがないと思うんだけどね、それに――楽しみが無いわけでもないんだよ?」

 

 怪訝な顔をするオルソンの前に積み上げられた書類の中から数枚を抜き出し広げる、そこには商会から上って来た私の手によるものではない、新しい魔道具の概要や図面、商品としての展開計画などが記されている。

 自分一人では前世のテクノロジーを再現など出来なかっただろうし、出来たとしてもただ上っ面の動きを模倣しただけの応用性の無い代物しか造れなかっただろう。

 知識の乏しいこの身に出来たのは切っ掛けをつくること、そしてそれをとっかかりに彼らは次々と新しい魔道具を生み出している。

 

 通信機など一部の時流を先取りし過ぎている代物は例外として、工芸、調理、農業、多様な現場で使用される生活魔道具のほとんどは現場の設計だ。

 中には自分の頭では思いつかなかっただろう、前世の機械製品よりも精密な加工精度を持つ魔道具すらある。

 それ自体が動力となり得る魔道具の組み合わせ、付与魔法の可能性というものは末恐ろしくもあるが、彼らが次はどんなものを生み出すのか、楽しみにもさせられる。

 

「……魔法師よりも付与魔法使いの育成に熱心になった方がいいだろうにね」

 

 思うに、攻撃魔法を扱える魔法使いを多く抱えることなどよりも質の良い付与魔法師を揃える方がよっぽど重要視されるべきだ。

 何せ魔道具はこの世界の誰にでも扱える、どんなに優れた魔法障壁や物理障壁を扱える魔法師だろうと、例えば『魔法効果無効』なんて付与をそれなりの質量が確保できるクロスボウのボルトにでも施してつるべ打ちにすればものの数ではない。

 大砲でも運用されるようになればその流れはもっと加速する、その辺りに発想が及ばない辺りどこかこの世界はずれているという印象を受ける。

 

 イメージとは頭、脳に思い浮かべるもの。

 そこに干渉しているであろう魔力によって知性が歪められてるんじゃないかと考えた時期もあるが、その仮定だと私も漏れなく影響を免れないので否定したいところだ。

 

 ――ずれている、と言えば。

 

「ああぁ……」

 

「っ!? か、閣下? どうなされたので」

 

 急に呻き出してしまったせいで心配されてしまった。

 しかしそれぐらい思い出したくないことを思い出してしまったのだ。 

 本日、学院で支給された魔法学院の制服。

 

 付与された魔法については自分が扱えるものより格落ちするものだったがそちらはさして気にしない。

 別に戦場に赴くわけでなし、常在戦場の心構えは今のところ持ち合わせていなかった。

 問題はそのとち狂った、デザイン。

 

 どうして貴族の子女も通うような学院の女子用制服が、胸元開きまくりでスカート丈も超絶ミニ仕様なんだと、責任者を問い詰めたい。

 

「……ケープ、後は履き物を用意しないと」

 

 入学式までに用意しなければならないものが、少し増えた。



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Sクラス

※主人公の名前だったユーリですが作中、主要人物と名前が被ってしまっていました。
作者の不注意で恥ずかしい限りですが今話から主人公の名前を「ターナ」に変更し過去話も修正しています。
混乱させるような真似をしてしまい読んで頂いている皆さんには申し訳ありません。

誤字報告修正また複数頂いています、ご指摘頂いている皆さんありがとうございます。


 魔法学院のクラス分けは入学試験の成績順にS、A、B、Cの四つに振り分けられる。

 次席だった私はSクラスとなり、入学式前には同じクラスとなる生徒達と集められていた。

 あの賢者の孫シンに王子殿下、そしてマリアとシシリーの二人組。

 

 Sクラスは総員十名と他の三クラスと異なり少数になっていて残るは五人。

 男子は二名、すらりと背が高く柔らかいというよりも緩い目つきをした男子と、いつぞや見た殿下の護衛である中世的な顔立ちに眼鏡をかけたトール・フォン・フレーゲル。

 残る三名が女子、眼鏡を掛け肩程まで黒髪を伸ばしている子に、ただでさえ露出している胸元を更に緩め豊満な体つきを強調したような女子。

 

 残る一人の女子は小さい、中等部に入ったばかりの子供と見紛いそうなぐらい幼く見える女の子だった。

 この場に居るのは皆が成績上位者であるはずだが、ちらほらアクの強そうな人物が居るようだ。

 ……あまり人の事を言える立場ではないけれど。

 

 代表に指名されたシンはすらすらと、自分が世間知らずだから仲間外れにしないで欲しいなどと冗談さえ交えて新入生挨拶をこなしていた。

 難色を示していたのは何だったのか、とても言葉通りには聞こえないその挨拶には一部の教員、参列貴族が眉を顰めていたが大半の者には好感的に受け入れられているようだ。

 すぐ後のディセウム国王陛下、直々の祝辞でも随分と彼に目を掛けているらしい事を言及していた。

 

 曰く、皆の固定観念を吹き飛ばしてくれることだろうから彼から色々と学ぶと良いのだそうで。

 確かに賢者マーリンや導師メリダに幼い頃から育てられたという彼に興味が無いわけでは無いのだが、先日の出来事を思い出すと一抹の不安もよぎる。

 常識を学びに学院へやってきたというが今の挨拶、これまでの言動、ただ人里離れて暮らしていたというだけにしてはどうにもちぐはぐな印象を受ける。

 

 どんな教育を受けていたのか知らないが強力な魔法が扱える人であることだけは間違いないようなので、警戒もしておいた方がいいだろう。

 悪い人物では無さそうだが悪意が無いからといって他者に被害をもたらさないとは限らない、むしろ常識がないというならそれ故の過ちを犯す危険性も考えられる。

 英雄の孫であるからといって彼もまた素晴らしい人物であるとは保証できない、しかしこの国の『賢者』に対する崇拝めいた雰囲気がそれを人々に忘れさせはしないか――それだけが心配だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まずは入学おめでとう、Sクラス担任のアルフレッド・マーカスだ、よろしくな」

 

 入学式終了後、案内されたクラスの教室で担任となる教員、アルフレッドとクラスメイト達とで自己紹介をする運びとなった。

 実技の授業も担当するというアルフレッドは元宮廷魔法師団の所属で五年前に学院教師となったらしい。

 尊敬する人物は賢者マーリン殿で、このクラスの担任となれ嬉しく思っているという。

 

 賢者の孫以外の生徒達も居る前でよくそんな贔屓を疑われてしまいそうな事を言えるのものだと思ってしまうが、他の生徒達に気分を悪くした気配は感じられない。

 この国ではこういった反応が普通ということらしい。

 入試の成績順に自己紹介させることにしたようで、生徒の一番手にシンが指名された。

 

「はい。えーと初めましての人もそうでない人もいますが、改めましてシン・ウォルフォードです」

 

 新入生の中で最も注目を集める存在であるシンの自己紹介には皆が興味深そうに耳を傾けていた。

 最近まで森の奥で暮らしていたこと、賢者マーリン氏に教わり一通りの魔法が扱えること、導師メリダ氏からも付与魔法を教わり魔道具の作成もできるということ。

 最後にアルフレッドに倣うようにして尊敬する人物としてマーリン、メリダ二人の名を挙げて紹介を終えるシン。

 

 賢者と導師からつきっきりで教育を受けたという事実に、予想通りクラスメイトは似たような羨望の眼差しを向けていた。 

 

「次はターナ・フォン・マーシァ――閣下、お願いします」

 

「はい」

 

 その呼ばれ方に一部のクラスメイト達がぎょっとする様子を見せていた。

 学院が権力を振るえない場所であるとはいえ、担任であるアルフレッド氏でもその扱いに戸惑う素振りを見せていたようだから無理も無いだろう。

 貴族の子女が多く通う学院ではあるが、学生の内から貴族の位を受けている人間は滅多に、というよりまず居ない。

 

「皆さま初めまして、ターナ・フォン・マーシァ。若輩者ではありますが公爵の位を拝しております。とはいえご存知の通り、学院は権威の及ばぬ場でありますので気兼ねなく接して下さって結構です」

 

 とは言っても家の名を侮られるわけにはいかないので無礼なまでに気安ければ相応の対処をさせてもらうつもりだが。

 公爵という肩書きに加え眼帯の印象もあって少し引き気味な人も居るようだったが商会を運営するに当たって身に着けた営業スマイルを浮かべてみせるとそんな気配も大分和らいでいた。

 付与魔法も含め魔法がそこそこに扱えること、そして同調圧力に屈するようで少し躊躇われたが好き好んで和を乱す必要も無いので尊敬する人物として祖父と父母を挙げておく。

 

 控え目に自己申告したつもりだったが、付与魔法が扱える人間自体が希少な為か皆からは感心したような目を向けられているようだった。

 

「ふむ……次はアウグスト殿下、お願いします」

 

「はい。皆、既に知っているとは思うが、改めてアウグスト・フォン・アールスハイド、この国の第一王子だ。だが知っての通りこの学院は王家すら身分の貴賤を問わない、皆もシンの様に遠慮なく接してくれ。シン程では無いがある程度は魔法を使えると自負している。まあシンに比べたら本当にある程度だがな。尊敬する人物は父上とやはり賢者マーリン殿だな。これから宜しく頼む」

 

 入学式の挨拶でも感じたが、随分と王族の方々はシンの事を気にかけているようだ。

 気安い間柄をアピールするかのように一々彼のことを引き合いに出している。

 彼の護衛である青年、トールも「殿下とそれ程仲が良いのか」と驚いた様子だ。

 

 その後マリア、シシリーと既に見知った人物の紹介が続き残るは五名。

 アリス・コーナーという溌剌とした平民出身の小柄な少女、マリアとシシリーもそうだったが、当然のように尊敬する人物として導師メリダの名を挙げていた。

 賢者の英雄譚が広く出版されているせいか周辺国でほとんどの男子はマーリン氏、女子はメリダ氏を憧れとしているらしいので当然の流れだが、ここまで特定の人物がもてはやされているとうすら寒くもなってくるというのは言わぬが花だろうか。

 

「自分はトール・フォン・フレーゲル、フレーゲル男爵家の嫡男です。私はアウグスト殿下の護衛と学友になる様に幼少のころ選出され、以来ずっと殿下と共に歩んで参りました。この度はアウグスト殿下の高等魔法学院進学の為と、自分は魔法職の護衛となる予定ですのでこの高等魔法学院で研鑽したいと思いやって参りました。尊敬しているお方は自分もやはり賢者マーリン様です。宜しくお願いします」

 

 護衛というには同年代の男子と比べ少し小柄で違和感のある男子トールだが、彼の言葉を聞くと先日のアウグスト殿下の言っていたことを思い出してしまう。

 平民と貴族との身分差解消を進める王家の教育あってのことなのだろうか、どうにも殿下は権力に媚びる存在に嫌悪感があるようだ。

 そんな感性が護衛となることを命じられたトールの存在を素直に同年代の知り合い、あるいは友人として認めることを拒ませていたのかもしれないが、殿下がシンとばかり積極的に交友を深める様を見ていると彼の事が可哀想にもなってくる。

 

 残る三名、尊敬する人物に女子では珍しくマーリンの名を挙げ魔法が大好きだと語る眼鏡の少女リン・ヒューズ。

 風紀を乱しそうな感じに制服を着崩した女子は実家がホテル経営をしているというユーリ・カールトン。

 所属生徒の割合において男子が圧倒的に多い騎士学院が嫌で魔法学院に来たという軽薄さが覗く男子のトニー・フレイド。

 

 皆平民でSクラスの貴族、平民の身分割合はシンという判断に迷う人物を除けばほぼ半々、実力主義という触れ込みは本当らしい。

 今日は学院の授業も無く、この後は自由行動となる。

 互いを、特に英雄の孫であるシンに対して気にする素振りを見せている生徒も居たが解散後、すぐにマリアが何事か真剣な面持ちで相談を持ち掛けていたせいかそれぞれに下校していくようだった。 

 

 マリアがシンを連れ出した廊下の先には何か思いつめたような表情でシシリーが待っている。

 その様子に気になるところはあったが、シンという強力な魔法使いが既に関わっている所へ首を突っ込んでも邪魔になるだけかもしれない。

 

「お前もあいつが気になるか?」

 

 と、目を向けているところを勘違いされたのかアウグスト殿下に声を掛けられてしまった。

 

「いえ、彼と言うより彼女達ですね。知り合いではありますので、あのようなところを見てしまうと多少気にかかります」

 

「そうか? 昨今のマーシァ領は優秀な魔道具を開発しているらしいからな、参考に導師様の薫陶を受けるシンの話でも聞きたいのではないかと思ったのだがな」

 

 どうにも殿下は彼を中心として物事を考えるきらいがあるようだ。

 まあ注目を集める存在ではあるのだろうから、見当外れとも言い難いが一緒くたにされてしまっては困る。

 

「そういえば、禁止されていないとはいえ重ね着とは、制服には十分な付与魔法が施されているはずだが不満でもあったのか?」

 

 珍しそうに指摘を受けたのは私が制服の上に羽織っている、胸まで覆う程度の色を合わせた青いケープ。

 幸か不幸か、睡眠時間に気を遣い忙しいながらも規則正しい生活を送って来たせいかこの体はそれなりに発育が良い。

 否応なく際立ってしまう胸元を隠すための準備が何らかの付与魔法がかけられたものと勘違いされたようだ。

 

「単なる身だしなみです、個人的な考えではありますが、年頃の婦女子がみだりに肌を晒すものではないと思っておりますので」

 

「ふむ……? 学院の制服におかしなところはないように見えるが、変わっているな」

 

 マジにそう思ってんのかよ、と聞いてしまいたいのをぐっと堪える。

 驚くべきことに学院の生徒達は女子の制服に対してふしだらと思っていない人間がほとんどらしい、グラマラスな体型をしているクラスメイトのユーリは少し目を引いていたようだが。

 ケープを用意し商会で開発済みのストッキングまで履いてきた自分の方がかえって目立ってしまっているのが不思議でしょうがない。

 

 頭痛がしそうな現状を嘆いているそんな時だった。

 

「おいシシリー! 貴様俺の婚約者でありながら他の男と話すとは何事だ!」

 

 そんな教室にまで響くような怒号が廊下から聞こえて来たのは。

 



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カートの暴走

主人公の名前変更、大分漏れがあったようで報告を複数頂いております。
ご指摘下さった皆さんありがとうございます。


 物騒な気配に教室の入り口から廊下を覗いてみれば、そこには先程出て行ったシンとマリアにシシリー。

 その三人を忌々しそうに睨み据えるカート・フォン・リッツバーグの姿があった。

 聞き覚えがあると思ったが、今の怒鳴り声はどうやら彼のものだったらしい。

 

「あいつよ! ずっとシシリーに付きまとって、自分の婚約者だって周りに言いふらしてるの」

 

 マリアが言うところを信じるなら彼はそんなストーカー的な行為を繰り返しているらしい。

 不愉快そうな顔に怯えたようにしてシシリーが頼るように寄ったシンの袖を掴むと、その挙動が癇に障ったのかカートはこめかみに青筋を浮かべ歩みより手を伸ばす。

 

「――っ! こっちに来い!」

 

 しかし目の前で、まして親交を深めつつあるシシリーに対してそんな蛮行を許すわけが無いシンにより伸ばされた腕はあっさりと掴み取られ捻り上げられてしまう。

 苦悶に呻くカートは入試の時と違いすぐに解放されていたが、それで冷静に返ったわけでは無いらしく血走った目つきをシンへと向ける。

 

「無礼者が……いいか!? そこの女は俺の婚約者だ、貴様なんぞに話をする権利は無い!」

 

 これはまた随分な物言いだ。

 自分以外の男と話すなという、どのような貞操観念によるものか相手の人格を無視するような無茶ぶり。

 しかも婚約者という下りがマリアの言う通りならただの言いがかりでしかない。

 

 ……これが本当に貴族として、まっとうな教育を受けた者の言い分なのだろうか?

 

 尋常でないカートの剣幕に怯えているシシリーだったが、その肩にシンの手が掛けられる。

 そうして何事か囁かれた彼女は意を決するように拳を握ると、微かに震えながらも相手をしっかりと見据えて言葉を放つ。

 

「私は……あなたからの求婚はお断りしました、勝手に婚約者と言われるのは迷惑です、止めて下さい!」

 

 彼女からの反発にショックを受けた様子で言葉を失うカートだったがそれも一瞬のことで、怒りを強めた彼は一層声を荒げ、感情のままに飛び出した手がシシリーの襟を掴む。

 

「何様のつもりだ……貴様ら女は男の傍で愛嬌を振り撒いてればいいんだ! しかもこの俺の傍に侍らせてやろうというのに……ふざけるなよバカ女が!」

 

 あからさまに過ぎる女性に対して差別的な発言、目の前でそんな台詞を聞かされたシシリーも信じられないとばかりに目を見開いている。

 そんな発言をして反感を持たれないわけがなく、真っ先に反応したシンが襟を掴んだカートの手を払いのけ、逆に相手の襟を掴み寄せる。

 

「ふざけてんのはどっちだよ、何でも自分の思い通りになると思ってんのか? 思い上がってんじゃねーぞ」

 

 怒気を滲ませた瞳で睨み、そんな声を放ってシンはカートを軽く押し退ける。

 彼に敵わないことは理解しているのか悔しそうに歯噛みしながらも反撃は見せないカートだったが、引き下がる素振りもまた無く。

 

「く……くくく、そんな事を言っていいのか?」

 

 嫌らしく口端を歪めながらそんな事を言い出したカートの様子に限界を悟る。

 明らかに冷静さを欠いている彼の立場と状況、入試の時の振る舞いも考えればどんな行動に出るかは想像できる。

 相手をしているシンの方も徐々に怒りを溜め込んできているようだ。

 

 学生同士の口喧嘩程度ならまだいい、時には衝突するのも若人にとっては良い経験。

 しかし傷害沙汰までは勘弁願う、このままヒートアップすればどちらかが――確実にカートの方だろうが、痛い目に遭いかねない。

 廊下へ踏み出し、制止するべく声を放つ。

 

「そこまでにしてもらおうか」

 

「俺の父親は――何?」

 

 水を差されたカートが不愉快そうにこちらを見る。

 入試前からあれだけ色々とあったのだ、これまで関わった人物には軽く調べを入れてある。

 彼の父、リッツバーグ伯爵は財務局の事務次官、同じく財務局に勤めるシシリーの父、クロード子爵の上司に当たる。

 

 大方その父に何事か吹き込んで脅しをかけようとしたのだろう。

 権力の悪用を禁じられた学院でそんな真似をしようものなら王国の法により罰せられるというのに正気だろうか。

 

「何だ貴様は?」

 

「ターナ・フォン・マーシァ。私の身上についての説明は必要かな?」

 

 少しの間、眉を顰めていたカートだったが、やがて驚愕したようにハッと目を見開く。

 非常識な行動ばかり見せるから不安だったが、説明の手間は省けたらしい。

 

「マーシァ……まさか、公爵閣下!?」

 

「そう、まあ身分に関して今はどうでもいいのだけれどね」

 

 たとえ父の助力を得られたとしても、こちらが逆立ちしても敵わない相手であることは理解しているのだろう、カートは口をパクパクとさせて絶句している。

 随分と身分を笠に着ているらしい彼に公爵として止めるよう命じるのは容易い。

 しかしそれでは私もまた法を犯す立場となってしまうし表向きその身分を利用することはできないが、この様子では必要もないだろう。

 

「リッツバーグ君、まずは落ち着きなさい。このままでは君のお父上の顔にまで泥を塗ることになるよ」

 

「なっ……何故、私は……」

 

「クロード嬢は君と交際するつもりは無いと示した、ならば素直に引き下がりなさい。力尽くで言うことを聞かせようとする真似をこの国では許していない、学院では貴族の権力など意味を持たないのだしね」

 

 そこまで言ってようやく無力を悟ったらしいカートは口をつぐんだきりしばらく肩を震わせていたが、やがて恨めしそうにシンを一瞥すると踵を返し、この場から離れて行った。

 騒ぎを起こした張本人が去り、ようやく場の空気が弛緩する。

 

「――はぁ、ありがとうございました、マーシァさん」

 

「気にすることはないよ、見たところ貴女に非はないようだから」

 

 やっと気を抜けたことで、こちらへ礼を口にしてきたシシリーの表情も和らいでいる。

 

「随分と控え目に留めたな、もう少しきつく窘めておいた方が良かった気もするが」

 

「権力を振るえないのはこちらも同じです、それにああいった手合いは追い詰め過ぎれば時にとんでもないことをしでかします、この場で取り押さえ処罰するなら構いませんが、入学初日からそれでは彼の両親が気の毒でしょう。リッツバーグ伯爵は公正な人物と聞きますし」

 

 次いで教室から出て来たアウグストが指摘するところは理解出来ないでもなかったが、この場では限界がある。

 調べたところかの伯爵は不正や横暴とは程遠い、公明正大な人物であるらしい。

 だからこそ、そんな父を持つカートがあのような振る舞いを見せるのが腑に落ちないところでもあったのだが。

 

「オーグも居たのか、えっと……ありがとうマーシァさん、大分頭にキてたから助かった」

 

 シシリーに続いてシンもまた礼を言ってくる。

 これまで聞いた話では人付き合いに慣れているはずは無いが、先程の荒っぽいやり取りは随分と堂に入っていた。

 実のところ私が介入したことで最も被害が少なく済んだのはカートなのかもしれない。

 

「初日から災難だったなシン、まあお前がキレたらどうなるか見てみたかった気もするが」

 

「冗談じゃないだろ、って言うか居たんならさっさと止めろよ!」

 

 からかうような事を言うアウグストの首に腕を絡め怒ってみせるシン。

 気安くなっているのは殿下だけではないようで、王子に対する普通の友人のような扱いにはマリア達も目を丸くしている。

 私はもう諦めた、一々気にしていては胃が持たない。

 

「でもこれであいつ、シシリーを諦めたと思う?」

 

「いや、あんな様子だと気を抜かない方がいいと思うよ。それで俺も考えたんだけど、皆この後ウチ来ない?」

 

 このままカートが引き下がるとは思えないらしいマリアの言葉に同調したシンが発した提案。

 それに驚き、色めき立つマリアとシシリー。

 男子の家に誘われた反応として妙な気がしたが、すぐその理由に思い当たった。

 

 彼の家に行くということは皆が憧れる人である賢者と導師におそらく会えるということ。

 であればこの反応にも納得が行く。

 案の定二人に強い憧れを示していたマリアが勢い込んで承諾しシンをたじろがせていた。

 

「行く! 絶対行く!」

 

「では私も行くか、どうせ父上もシンの家に行くだろうしな」

 

 当然のようにアウグストも同行すると宣言し、多忙な筈の国王陛下まで賢者宅に向かうということを当たり前のように言ってくれる。

 相手は国を救った英雄、功績に報いるものであるしある程度は仕方ないと割り切るつもりではあったのだが国賓とでも言おうか、圧倒的な待遇を受ける彼らはそこらの貴族よりよっぽど特権階級めいて見える。

 あまり関わり合いになりたくはないが蔑ろにも出来ない、距離の取り方には注意しないといけないなと、こっそりため息を呑み込んでしまった。

 

「マーシァはどうする?」

 

「はい? ああ……私は遠慮させて頂きます、調べておきたいことも出来ましたので」

 

 偉人に会える折角の機会をあっさり捨てるのが意外に思えるらしく、シンを除くその場の三人から信じられないものを見るような目を向けられてしまう。

 別に私自身はシンと親しいわけでもないし、おかしいことを言ったつもりはないというのに、面倒な事だ。

 

「勿体無いよターナさん! 折角賢者様方とお会いできるのに……調べるってそんなに大事なことなの?」

 

「ええまあ、先程のカート君のことで少し」

 

 隠す必要も無いので聞いてきたマリアに素直に教えると、流石に軽視できない問題であるらしく皆からの追及も収まる。

 

「彼も王都の中等部で教育を受けていたのでしょう? それにしてはあの様子、尋常でないものだったように感じました」

 

「それはまあ、確かに、そうだな」

 

「いくら色恋に目が眩んでいたとしても、それだけであそこまで常識を忘れ暴走するのはいささか腑に落ちません、ですので私なりに調べてみようかと思います、また学内であのような真似をされても迷惑ですから」

 

 問題を解決するなら原因を解消しなければならない、この場合はカート青年の凶暴化した理由とでもなるだろうか。

 成人と見なされるとはいえまだ十五の多感な年頃、この世界でそういったものが流行したという話は聞いたことはないが、ひょっとするなら怪しげな薬物にでも手を出してしまった可能性もある。

 いずれにせよ見逃しておけば予期せぬ事故を引き起こしかねない不安要素は排除しておくに限る、どこかの偉い人が昔そんなことを言っていた気がした。

 

「そっか……ごめん、浮かれてた。それなら、私も……」

 

 気づくとマリアが申し訳なさそうな顔をして言い淀み、シシリーも似たような表情になっている。

 急にどうしたのかと思いかけたところで、ああと気づかされる。

 

「マリアさん達が気にする必要はありませんよ、私が勝手にやることですから、王国貴族の身としても彼のような者を放ってはおけませんし。……どうしても気になるというなら、ウォルフォード君にも何か考えがあるのでしょう? そちらの経過報告でもして下されば十分です」

 

 自分達の事情を押し付けたように感じてしまっているのか、気が咎めているらしい二人をそうとりなしておく。

 賢者様方に会えると感激していたところをがっかりさせてはあんまりだろう。

 やがてこちらの言い分を了承したようにアウグストが頷いて示す。

 

「そうか、であれば何も言うまい。マーシァ、そちらで何か分かれば私達にも報告してくれ」

 

「――承知しました、それでは皆様、御機嫌よう」

 

 礼を取りその場を後にする、まずは外に控えている筈のオルソンと合流して財務局に向かうと決めていた。

 シンがシシリー嬢らを招きどんな手を講じるのか、興味はあったがこちらはこちらで日々の平穏を守るために動くとしよう。

 なにせ賢者と導師、本人達まで居るのだから、有効な対策を練ってくれることだろう――きっと。




遅れ、短い、申し訳ない!
大体アイスボーン(に負ける作者の弱い心)のせい。


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帝国からの亡命者

すごい間が空いてしまいごめんなさい、ペース戻していきたいですね。
まだまだ誤字脱字抜けきらないようで修正入れて下さる方々ありがとうございます。


 財務局には事前の連絡も無しに押し掛けることになってしまったが、王国に多大な税を納める領地の当主を無碍に扱えるわけもなく事務次官、ラッセル・フォン・リッツバーグ氏との対談はあっさりと叶った。

 忙しくしているところに仕事を増やされる苦労はよく分かるし、学院の規則どうこうが無くとも職権を乱用するような真似は好むところではなかったが今回は非常時、大目に見てもらいたい。

 この間の即位お披露目会に挨拶に来てくれていたので面識はあったリッツバーグ氏は噂通り丁寧な物腰で対応してくれたが、こちらの話が進むにつれ表情を曇らせ、やがて頭を抱えこみそうなまでに落ち込んだ様子を見せる。

 

「あのカートがまさか……そんな振る舞いを」

 

 息子の学院での振る舞いはラッセルにとって寝耳に水だったらしく、信じられないとばかりに呟く声は震えていた。

 しかしこちらにそんな嘘をつくメリットも無く学院での騒動には目撃者も数多い、事実かどうかは調べればすぐに分かること。

 やがて決心したように顔を上げたラッセルはカートを問い質し、態度によっては処分を考えると発言したがそれは留めておいた。

 

 本当におかしくなっている人間は自分がそうであることに気づかないもの、下手に指摘すれば周囲こそがおかしいのだと暴走させる危険も予測される。

 カートの言動は問題は問題だが、かろうじてまだ致命的とまでは至らない、まずはさり気なく何かあったか聞き出す程度にしてほしい。

 そして父にとって意外だったように、中等部時代のカートは悪評とは無縁なぐらいに真面目だったようだ。

 

 そんな彼が変調する切っ掛けとなったことに心当たりが無いか、尋ねてみた結果――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、先生でしたらまだ学内に、研究室の方ではないでしょうか」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

 対応してくれた教員に礼を言って、中等部学院の校内に足を踏み入れる。

 名門であるこの学院には貴族生徒が数多く通い、王子殿下やその護衛であるトール達、カートも在学していた。

 聞けた話によるとカートはこの中等学院で三年の頃からとある研究会に通っていたという。

 

 ラッセル氏も変化といえばそれぐらいしか心当たりがないというし、なにか手掛かりでもあればとこうしてやってきたわけだが。

 

「シュトローム先生はこちらにいらっしゃいますか?」

 

「――はい、何かご用でしょうか? 中にどうぞ」

 

 研究室に割り当てられた部屋の扉をノックすると若い男性の声が返って来た。

 了承も得たので扉を開き、中へ足を踏み入れると研究室を任されている、オリバー・シュトローム教師らしき人物がこちらに顔を向けていた。

 聞いていた通りの一目で分かる風貌、白く長い髪に浅黒い肌、そして何より特徴的な両目を覆うゴーグルのような眼帯をしたオリバーは入室したこちらの姿に僅か居住まいを正したようだった。

 

 護衛(オルソン)を連れてもいるし質問しにきた生徒といった風体には見えないのだろう。

 しかし両目の視力を失っているにしては杖も持っていない、彼の方もなかなか異彩な雰囲気を放っている。

 感知系の魔法を使用しているお陰らしいが、見た目からしていかがわしさを感じてしまうのは否めない。

 

 胸の内で警戒心を少し強めておく、ともあれ受験前には家庭教師まで引き受けていたという、カートに何かしらの影響を与えた可能性があるこの人物から話を聞いておきたかった。

 王都には自由に動かせるような人材をまだ配置していないので調査には時間もかかるし、事を急ぐなら自分が赴くのが手っ取り早い。

 

「お初にお目にかかります、オリバー・シュトローム先生でいらっしゃいますね?」

 

「ふむ……確かにそうですが、貴方は?」

 

「失礼、私はターナ・フォン・マーシァと申します。この度はこちらの卒業生であるカート君の事で少しお尋ねしたいことがあり参りました。良ければ少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

 名乗ってみせるとオリバーが控え目な驚きの反応を示すが、それがカートの事を聞かれたせいか、貴族が訪ねてきたせいかまでは判断がつかなかった。

 目は口程に物を言うが、眼帯のせいで反応を窺いにくいのが面倒だ。

 片目ではあるが同様に眼帯をしている私の言えたことではないかもしれないけれど。

 

「構いませんよ、そちらのテーブルへどうぞ、お茶でも淹れましょう。それにしてもかの公爵様が訪問されるとは、カートに何かあったのでしょうか?」

 

「私のことをご存知で?」

 

「はい、この学院には貴族の生徒が多いですから、そういった話題も自然よく耳にしますので」

 

 愛想良さそうな微笑みを浮かべながら茶を用意するオリバーの所作は淀みなく、やはり盲人のそれとは思えないほどだった。

 とはいえ実際に目は覆われているので、魔法の腕によほどの自信を持っているということだろうか。

 応対用らしいソファに腰を落とし、ティーカップをテーブルに置いて対面へ座ったオリバーと向かい合う。

 

「それでカートのことでしたか――」

 

 自ら切り出したオリバーに合わせ学院でのカートの横暴ぶり、過去の人物評との相違について触れるとこの人物もまた意外だったように驚いた素振りを見せる。

 

「それは確かにおかしいですね、彼は貴族としての自覚を強く持つ人でありましたが、民は守るべきものという認識も持ち合わせていた筈です。――かつて私が居た帝国の貴族達とは違って」

 

 つい眉を顰めそうになったのを押さえ込む、座らず背後に立つオルソンからも少し緊張を強めた気配が感じられる。

 この教師が生粋の王国民ではない、隣国ブルースフィア帝国からの亡命者であることは既に知り得ており、それこそが彼に対してやや慎重になってしまう理由だ。

 帝国は近隣の小国へ侵略を繰り返している領土野心に溢れる国、アールスハイド王国に対しても隙あらば侵略戦争を仕掛けようと機を窺っている。

 

 貴族と平民との間で身分格差が激しいかの国からの亡命者自体は珍しくもないが、そんな国からやってきた人間とあれば間諜(スパイ)を疑ってしまうもの。

 そんな身の上をこちらが触れるまでもなく自分から明かしたのは表裏の無い人格故か、それとも素性を隠し疑念を持たれまいとしたのか。

 それにしても、彼のような人間に若者に教育を行う学院教師という身分を与えている王国は実に寛大というか、危機意識が薄いというべきか。

 

「そうでしたか、つまり先生も彼の意識変化に心当たりはないのですね?」

 

「ええ、熱心な生徒でしたからね、高等学院の受験前には頼まれよく個人授業も行いましたが、そんな様子は見られませんでした。気づけなかったといえば不甲斐ない限りですが」

 

 そんなことを言いながら消沈した様子を見せてはいるが、見た目そのままに受け取ることはまだ出来ない。

 口ぶりでは帝国貴族の気性を嘆いているようだが、今のところカートに接点を持ち、何か彼に影響を与えることが出来そうな者は目の前の人物しか居ないのだから。

 貴族とはいえたかが一国民にそんなことをして何になるのかと言う問題もあったが。

 

「しかし意外ですね」

 

「……意外とは?」

 

「お話を聞く限りマーシァ様は彼と付き合いがあったわけでもないようですが、ここまで気になさるとは。閣下ほどの身分の方であれば気に留めることでもないように思えましたので」

 

 確かに、傍から見れば一貴族の子息が乱心している程度の問題、公爵自ら手を出すような問題でないように見えるだろう。

 その辺り貴族が同じ爵位持ちであっても格下を見下す傾向にある帝国の民らしい物の見方とも取れる。

 

「そうでもありませんよ、ただ学院生活ぐらい平穏に過ごしたいだけです」

 

「平穏、ですか……それならばむしろ関わろうとしないものでは? 失礼ですが、閣下はこの問題で部外者と言って良いぐらいと思われますが」

 

「いいえ、平和に暮らしたいならその為の備えこそが肝要ですよ」

 

 世の中自分一人で回っているわけではない、益となる人間も居れば害となる人間も居る、ただ仲良くしましょうと言って平和に暮らせれば苦労はない。

 お隣の国が良い例だ、野心溢れる国が目と鼻の先にあるのに国防を疎かにするのは愚かとしか言いようがないだろう。

 ただ王国はいかんせんその辺り緩い雰囲気があるので、いざという時うちの領でも対応できるよう私兵は整えている。

 

「誰にも迷惑をかけない生き方なんてなかなか出来るものではありません、たとえ理不尽に思えるものだとしても、不安の芽は潰しておくべきです」

 

 カートの問題にせよ、放置しておけばどんなトラブルに発展するか分かったものではない。

 累が及んでから文句を言っていては遅い、防犯意識を持つことは大切、それは前世から変わらない認識の一つだ。

 

「……閣下は珍しい考えをお持ちなのですね、王国でそのような発想を聞いたのは初めてですよ」

 

 感心したようにオリバーが口にした言葉は嘆かわしいところでもある。

 良くも悪くもこのアールスハイド王国は平和主義に染まり過ぎている。

 利害関係というよりも、独自の善悪という観念で物事を判断しがちな国家は正直なところ――危うさを感じてしまう。

 

「残念ながら、そのようですね。では先生、こちらの学院にはいつ頃から――」

 

 とりあえずそれは今考えるべきことではない、もういくつか確認しておきたいことを尋ね、結局この日の調査はあまり進展の無いまま終わりを遂げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……行きましたか」

 

 訪問者の気配が学内から消えたのを確認できると、つい残された室内で独り言交じりのため息が漏れた。

 まさかもう嗅ぎ付けられるとは、カートの仕上がりは順調というべきだがここまで見境を無くすほどシシリーという少女に執着心を抱いてしまったのは誤算だった。

 そのせいで厄介そうな人間に目を付けられてしまった、表面上はこちらの元帝国民という素性にも関心を示さず大した疑いを向けていないようではあったが。

 

 ――お飾りの当主、というわけでもなさそうでしたねぇ。

 

 若くして公爵に即位したという少女の噂は聞いていたが、僅かなやり取りだけでそこらの貴族よりも油断ならない相手と判断するには十分だった。

 片目に眼帯をした特異な容姿にまず目を引かれるが、そんなことよりも年頃の若者離れした落ち着きぶり、平和に慣れた王国民らしからぬ視点、ぼろを出したつもりは無かったがあの用心深さからするなら明日にでも監視をつけられてもおかしくはない。

 そうなれば動きにくくなり()()にも支障が出ることは間違いない。

 

 事を急ぐ必要を感じたオリバーは足早に学院を後にすると、慎重に周囲の気配を探りながら夜の気配が滲み始めた王都のある地区へ歩を進めていった。



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不穏の兆し

返信が滞りがちですみません、感想に目は通しておりとても嬉しくありがたく受け取っています。
毎度ながら誤字脱字訂正下さる方もありがとうございます。


 王都の治安維持を担当している警備局を出ると陽は落ちかけ空も薄暗くなり始めている。

 亡命者であっても個人にそんな措置をとることに難色を示す局員もいたので苦労はしたが、なんとかオリバー・シュトロームに対して明日から監視をつけるよう依頼することは出来た。

 杞憂であればそれでいい、こんな時間になってしまったし今日のところはひとまずここまでにしておこう。

 

「悪いね、こんな遅くまで付き合わせてしまって」

 

「いえこれが私の役目ですから、閣下が気になさる必要はありませんよ」

 

 嫌な顔一つ見せないオルソンに感謝を伝えながら一考する。

 周囲には人通りもないことだし、この辺りなら構わないか。

 

「オルソン、こっちに。遅くなってしまったし近道しよう」

 

「よろしいのですか?」

 

「ああ、屋敷の皆に心配かけても申し訳ないからね」

 

 建築の隙間から裏路地へと入り、街路から目の届かない辺りまで来たところで手頃な壁に手をつけその魔法を行使する。

 

接続(コネクト)

 

 呟き浮かべたイメージ通りに触れていた壁の一部分が切り取られたように歪み、屋内の景色が映し出される。

 これは映し出されているのではなく、あらかじめマーキングしておいた屋敷の玄関と目の前の壁の表面が空間的に繋がったことによるもので、つまりは空間跳躍(どこでもドア)だ。

 使用にはかなりの魔力制御が必要となり、使っておいてなんだがこんなあらゆる業界を震撼させそうなとんでもない真似ができるのだから魔法というものは本当に無茶苦茶である。

 

 そうして屋敷には一瞬で帰り着いたわけだが。

 

「な……ターナさん、いったい今どこから?」

 

「……えぇ」

 

 どうしてか、そこには壁だった空間から出て来た私達を目を丸くして見ているマリア、アウグスト殿下、その護衛二名の姿があったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「帝国出身の学院教師か……確かにそんな者が居たな、胡散臭い奴だった」

 

「僕と殿下もその教師の研究会とやらに誘われたことがありますね、結局卒業まで一度も行くことはありませんでしたが」

 

 応接間で事務次官からの聞き取り、そして関係の疑われるオリバーについての報告を聞いたアウグストにトールが当時の印象を語る。

 聞くところによれば彼は積極的に優秀な生徒を自分の研究会へ勧誘していたらしい。

 オリバーを敬遠していたらしい二人がその誘いに応じることはなかったそうで、どのような研究会だったのかは不明だが参加したカートの魔法技術は確実に上がっていたという。

 

「拙者は誘われませんでしたな……」

 

 暗に優秀でないと判断されたようなものであるせいか、同じ学院出身でトールと同じく王子護衛のユリウス・フォン・リッテンハイムが気落ちした様子を見せる。

 妙な訛り言葉で話す彼も高等魔法学院には合格していたが、残念ながら上位十名からは漏れAクラスの所属となったようだ。

 背の高い体格はがっしりと鍛え込まれ、短く整えた金髪といいトールとは実に対照的な容姿をしている。

 

 護衛としてどちらが頼りになるか、見た目の印象だけで判断するなら大抵の人間が彼の方を推すだろう。

 入試の順位からして魔法の技量はトールの方が優れているのだろうが、正直要人の護衛ともあろう者があまり体を鍛えていないように見えるのはどうかと思う。

 それにしても彼らの方からその日の内にやってくるとは、登校初日からあちらこちらを回った疲れで気が緩んでいたのかもしれない。

 

 確かに報告してくれとは言われていた、王子殿下を含めた一行を外で待たせておくわけにいかなかっただろう使用人達を責めるわけにもいかないし。

 賢者宅の訪問後、こちらの調査結果を聞きにやってきたというアウグストらに先程の魔法を見られたのは不覚だった。

 この世界で長距離を一瞬にして移動するような魔法を使える者は居ない、悪目立ちするのを避けるには隠しておきたかった。

 

「それにしても驚いたぞ、まさかマーシァも転移魔法を扱えるなどとはな」

 

()とは?――まさか」

 

「うん、シンがシシリーの制服の付与をかけなおしてくれたんだけど、何かあったときに守れるようにって学院まで明日から送り迎えしてくれることになったの。その時見せてくれたんだけど」

 

 そうして披露されたのが目の前と望んだ場所との空間を繋げる、賢者殿でも扱えない彼のオリジナルだというゲートと名付けられた転移魔法であったらしい。

 マリアの説明によれば、賢者マーリン氏はシンが自分以上の魔法の使い手であるように語っていたという。

 同年代の青年が英雄とされる人物以上の力量であるなどと、それだけでも驚くことだったというのに続いた説明は耳を疑ってしまうようなものだった。

 

「……ごめん、今のもう一回聞かせてもらってもいいかな?」

 

「? いいけど、確か絶対魔法防御、物理衝撃完全吸収に……」

 

「あとは自動治癒と防汚、ですね。殿下と僕達も同じ付与を施してもらいました」

 

 トールが補足したシシリー、そして殿下らの制服にシンがかけなおしたという付与魔法。

 その内容に口元がひきつきそうになるのを抑えるのがやっとだ。

 デザインはともかく、学院の制服は素材も上質で付与できる文字数も多い。

 

 だとしてもそれだけの魔法を付与するに足りるだろうか、いやそれ以前に魔法や物理を完全に無効化してしまうなど、どんなイメージで実現させたのか。

 元々付与されていた軽減効果でも一般的な魔道具としては上等なもので、購入しようとすれば相当な代価が必要となる。

 それを遥かに凌駕する代物をポンと、しかも無償で友人に与えてしまうとは、常識が無いとは聞いていたがまさかここまでとは。

 

 好意的に見ればクラスメイトの安全を願う優しさを賞賛するのだろう。

 しかし金額に換算すればいくらになるか予想もつかない、そんな魔道具をシシリー嬢らが所有していることが万が一よそに知れたらかえってその制服を狙う輩を呼び寄せてしまうかもしれないとは考えなかったのだろうか。

 送り迎えをするというのならカートへの対策としてはそれだけで十分なように思える。

 

 過保護というか……それだけ彼がシシリーに対して入れ込んでいるということだろうか。

 今回ばかりは何食わぬ顔で同じものを受け取っている殿下らにも少しばかり呆れてしまう。

 王子という立場だからなのだろうが、身分を気にせず接してくれと言いながらこういった恩恵はあっさりと受け入れている。

 

 打算でやっているのなら舌を巻かされるというものだが、どうやら素で違和感を感じていないらしいのが空恐ろしい。

 

「そういうわけだ、これでクロードの身の安全は保障されたようなものだろう。ただマーシァには調査の礼もあるし教えたが、これに関して前もって内密に伝えておきたいことがあってな」

 

「それはご足労頂きありがとうございます、内密に……とは?」

 

「うむ、この魔道具について、シンがそのような付与ができることを含め口外しないように頼む、これは国王陛下直々の命令と思ってくれて構わない」

 

 ほんの少しだが安心する、この魔道具が他の人間にとって気の迷いを起こしかねないほどのものだということは殿下達も理解していたらしい。

 魔獣狩りをする命の危険と隣り合わせなハンターを筆頭に、こんなものを欲しがる人間はそこらじゅうにいくらでもいる。

 このことが知れたらやっかまれるのは勿論のこと、制服を奪おうとする者が出てこないとも限らないからな――と、そこである違和感に気づく。

 

「陛下直々に……というと?」

 

 何故その名が今出てくるのかと不思議に思っていると、真剣な顔つきでアウグストがその理由を語った。

 

「この付与が持つ危険性は父上も強く懸念しておられた。このことが軍部にまで知れたなら、周辺国への宣戦布告を望む声が上るやもしれぬとな」

 

「それは――」

 

「察したか? もしこの制服と同じ付与を装備に施せば我が軍は他の国家を容易く圧倒できるだろう、その誘惑に負けるものが確実に出ると父上も予想されていた。そんなことがあってはならないからな」

 

 思わず絶句してしまったこちらを前にスケールの大きな懸念とやらを殿下が語る。

 こちらからするならそんなことよりも陛下の軍部に対する信用の無さ、そしてコントロールする自信が無いかのような語り様が気になってしょうがないのですが。

 現在の軍務局のトップ、騎士団総長のドミニク氏はそんな野心溢れる人物だという評価は聞かないし、国王ともあろうお人がそんな事を言うとは。

 

 王国の軍部といえど一枚岩ではないらしいのでその判断には一理なくもないが、軍事力を備えておくのは国防の観点からしても重用なことではないか。

 ましてお隣には侵略戦争を始める切っ掛けを今か今かと待ち構えているブルースフィア帝国のような国もあるのだから尚更のように思える。

 しかしマリア、トール、ユリウスらも真剣な顔で殿下の話に耳を傾けており、疑問に思う者はこの場に居ないようだった。

 

「……承知しました、私もその付与については口外しないようお約束します」

 

 賛同を得られたと判断したのか、殿下は返答に凛々しく頷いてみせていたが、こちらの気分はなかなかに暗澹としたものになってしまう。

 意識が高いのは結構だが、備えを怠ったばかりに末端で犠牲となる者が出なければいいのだけれど。

 落ち込んだ気を紛らわすのに用意されていたショコラケーキをフォークで刻み口へ含む。

 

 くどくない程よい甘味をストロベリーとラズベリーの層が引き立て、幸福感が多少は今の気分を和らげてくれる。

 話が一段落ついたことで、マリアらも供されていた紅茶やケーキに手をつけていく。

 密かに反応を窺うと、皆口に入れた瞬間に目を瞠っており、幸福そうに表情を緩めるマリアなどを見るに出来は悪くないようだ。

 

「ほう……先程頂いた夕食にも驚かされたが、マーシァの家はたいした料理人が居るようだな」

 

「初めて見るタイプのケーキだったけど……なにこれすごく美味しい」

 

「お口に合ったのなら幸いです、料理は我が領の自慢の一つでもありますので」

 

 比較対象が前世だけしかないので決めつけすぎるのも良く無いが、この世界の食文化は時代にそぐわず多様に発展している。

 それでも科学文明が発達した前世日本ほどではないし、うちの領での食事については転生してからこちら発展に力を入れている。

 なにせ転生しゼロからスタートした体では前世でそれなりに嗜んでいた酒が呑めず辛い思いをした。

 

 ただでさえ跡取りを目指し激務の毎日、嗜好品ぐらいは充実させようとした結果である。

 しかしながら味覚というものは環境によって育つもので、ところ変われば味の付け方も変わるもの。

 前世で記憶していたおぼろげなレシピ通りに調理しても、この世界で育った舌には合わないものが多かったのでその調整にはとても苦労させられた。

 

 お蔭でこの立場なら必要もないのにすっかりと自炊が上達してしまっている。

 開発する料理は監修がメインで仕上げは本職に任せているが菓子作りの方は今でもよくやるし、目の前のケーキも自作だ。

 父や母はそれを咎めるどころか喜んでくれるような人だったので幸いだったが、これも貴族としては結構な異端者だろう。

 

 ジャンクフードみたいなものなら分かりやすく大味で流行るだろうし、一儲けもできそうだが食文化の発展を妨げそうなのがちょっと怖かったのでまだ手は出していない。

 

「……マーシァ領ではこれだけのものが市井にも出回っているのか?」

 

「ええ、近年は平民向けのレストランも増えてきましたし、これぐらいの品でしたら誰でも口に出来るでしょう」

 

「大したものだ、それだけ民の暮らしに余裕があるということだろうからな」

 

 これが自分は特別扱いされるのが当たり前と考える帝国貴族なら平民と同じ程度の物を食わせたのか、あるいは平民などに与えるのかと激怒するところだろうが、そうでないのがこの国での救いだ。

 王国に属する領では平民向けの食堂など珍しくもないがあちらの国ではひどいものらしく、今でも奴隷のような扱いを受ける民がほとんどだとか。

 放置しておくには胸が痛む話だが、一貴族が介入するにはまだ、力が足りない。

 

 扱える魔法の全てを躊躇いなく振るえば特権に甘える貴族を物理的に駆逐することはできるのかもしれないが、力づくで反対勢力を葬る領主など恐怖の対象にしかならない。

 こういうときばかりは足枷となる公爵という身分を少し煩わしく思ってしまう。

 身分が無ければ人を殺めることに対する忌避感が拭えるというわけでもないから、そう都合よく勧善懲悪を行うヒーローのようにはなれないだろうけど。

 

「噂には聞いていたが、王都と比較してもそちらは中々進んでいるようだな。先の転移魔法、もしかするならマーシァの領では他にも扱える者が居るのか?」

 

 思索に耽りそうになっているとフォークを置いた殿下がこちらを見ながらそんなことを切り出していた。

 流石に王族ともなればそれぐらいは気になるだろう、何かしら追及は受けるだろうと思っていた。

 

「いいえ、お聞きしたウォルフォード君を除けば今のところあれは私しか扱えません」

 

「そうか……それにしても賢者様方の指導を受けたシンなら話は分かるが、一体どのようにしてそれだけの魔法を扱えるようにまでなったのだ?」

 

「ご存知のように我が領では魔道具の研究が盛んでありますから、それが新しい発想に繋がっているというだけのことです。三人寄れば文殊の――ああいえ、研究者達が知恵を出し合ってくれるので、その成果と言えるでしょう」

 

 通じるかどうか分からない言い回しを訂正しつつ、誤魔化しに走る。

 魔道具研究が盛んなのは事実だが、私が使う魔法は前世で培ったイメージを魔力量でごり押したものが多い。

 空間接続型の転移魔法もその内の一つだ、普通の人間にはおいそれと真似できないだろう。

 

 むしろ賢者の指導を受けたとはいえ、齢十五にしてその賢者を越える魔法を扱えるというシンの方こそこちらからすれば異才に見える。

 才能と子供特有の柔軟な発想が合いまった結果なのかもしれないが、当人と接した印象を思い出すと素直に納得できないところもあった。

 あのぽやっとした青年が次々と新しい魔法、付与を生み出しているという事実が私には今でもどこか腑に落ちないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……なんだかどっと疲れたな……?」

 

 予期せぬ客人を見送って私室に戻り、つい独り言を漏らしながらようやく本当に気を弛めていると聞きなれたノックの音がする。

 

「お休み前に申し訳ありません閣下、ブランケ氏から()()が入っております」

 

「ああ分かった、どうぞ入って」

 

 入室してきたのは予想通りにオルソン、その手には盆に乗った小ぶりな魔道具が携えられている。

 瀟洒な装飾が施された、フック型の受話器を保持したアンティーク調の箱。

 富裕層向けにデザインされたマーシァ工房製の通信機、その先行試作型だ。

 

 量産予定の電波を生成するタイプではなく、魔力で通信する為に中継器を用いずとも超長距離で通話が可能な壊れ仕様。

 領や各地に派遣している人間との連絡用にこの屋敷にも一つ置いているのだった。

 恭しく差し出された通信機から受話器を取り、耳に当てるとよく知る声がすぐに聞こえてくる。

 

「はい、こちらターナ」

 

『――おっ、夜分遅くにすみません閣下、ちぃと連絡しておきたいことがありまして。それにしてもこんな遠くからほんまに話せるとはすごいもんですなぁ、はっはっは!』

 

 また奇妙な訛り、エルス商業国でよく使われている喋り方で話しているのはマーシァ商会の営業担当、ダミアン。

 元々はエルスの商人だったが、商会が軌道に乗る以前から領に移り住んで来たところを雇用した人間で、かの国はそういう人間がよく居るがいつも妙にテンションが高い。

 

「連絡しておきたいこと?」

 

『ええ、クルトで農業関係の魔道具、大口の受注が取れましたんで、工房の方に口添え頂きたいと思っとりまして』

 

 その報告に少し驚かされる。

 クルトといえば広大な農地を持ち、食料自給率が三○○%を越えるという農業国。

 それだけの農地を維持する補助には昔から導師メリダの開発した魔道具が用いられ、導師の人気が高まる分だけ導師の手によらない魔道具を扱うマーシァ商会は参入しづらい市場の筈だった。

 

「すごいじゃないか、どんな手を使ったの?」

 

『そいつはまあ地道な努力の成果ってやつですよ、ああ勿論汚い手なんか使っとらんさかい安心して下さい、詳細は報告書にまとめておきますから。それでちょいと仕様に融通きかせて欲しいところがありましたんで――』

 

「分かった、けど無茶ぶりはしないようにね、現場の事も慮るように」

 

『はは!承知しとりますよ。――それと、これは別件なんですが』

 

 そこでダミアンの声音が変わる、どうやら真剣な話であるらしい。

 

『王都の周辺なんですがね、ここしばらくの間でえらく魔獣が増えとるんじゃありませんか?』

 

「……魔獣が?」

 

『いえね、討伐数を調べればすぐに分かるんでしょうが、このところ王都のハンター協会が捌く魔獣素材の量が増えとるようでしたから、お耳に入れとこうと思いまして』

 

 それは初耳だった。

 ハンター協会の収支についてわざわざ調べることをしていなかったとはいえ、魔獣素材は様々な用途に需要のあり高額で取引される品、把握していなかったのはこちらの手落ちと言えるかもしれない。

 しかし魔獣が大量発生でもしているのならば世間の話題に上がるだろうし、それがないということは討伐の手は足りているのだろう。

 

 本当に魔獣が増加しているとすれば何故なのか、気にはなるが決して危急の事態とは言えない、であるはずなのに。

 この時、最近よく覚えのあるものとは違う、嫌な予感が背筋を走るのを確かに感じたのだった。




2019/11/08.一部文章を修正しました。


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オリジナル()

今回は原作読んでて気になったとこではありますがちょっと重箱の隅突き度が高いかもしれません、申し訳ない。



 学院生活二日目にして気の重さを感じながら教室の扉をくぐる。

 学校が嫌いだからとかではなく、一番乗りだったらしく無人の室内で別の理由に頭を悩ませているとすぐにアウグストがトール、ユリウスらと共に登校してきた。

 

「おはようございます殿下」

 

「早いなマーシァ、おはよう。それと学院ではそんな敬称を使わなくても構わないぞ」

 

「殿下のお気持ちはありがたく思いますし、配慮はさせて頂きますが最低限の礼儀は必要かと存じます。この程度はご容赦下さい」

 

 へりくだりアレルギー持ちの殿下はこちらの態度にあまり納得がいかないご様子だったがこれ以上譲る気はない。

 誰もかれもが殿下のように寛容な態度を取れるわけでは無いし、公衆の場で下手にタメ口を聞いてこちらが常識を疑われるような羽目になるのは勘弁だ。

 

「それはさておき殿下、朝方屋敷に警備局の者から報告がありました」

 

「警備局から? シュトロームとかいう教員の監視を依頼したという話だったな、奴に何かあったのか」

 

「氏とは別件、になるかどうかはまだはっきりとしませんが――カート・フォン・リッツバーグが消息を絶ち、伯爵から捜索依頼が出されたそうです」

 

 こちらが出した依頼との関連性があるかもしれないと、警備局のオルトという捜査官が情報を持ってきてくれた。

 伯爵家に余計な風聞が立たないよう極秘で捜索が始まっているとのことで、無暗に言いふらさないよう頼まれたが関係者には伝えておくべきだろう。

 

「カートが!? また何か企みを――いや誘拐でもされた可能性もある、か?」

 

「それも踏まえて捜索中とのことです、彼が自ら出奔したのか、何者かが関与したのかは今のところ不明です」

 

 貴族家の嫡男が誰にも何も告げず雲隠れしたなど十分に異常事態だが、行方が分からない以上報告を待つしかない。

 こちらに出来るのはせいぜい関連がありそうなシシリー嬢の周辺で警戒を強めておくぐらいだろうか。

 関与した可能性のある人物として挙げられるのはやはりシュトロームだが、昨日中等部を出てから今日の朝までの時間はその行動が把握できていない。

 

 今朝は中等部へ普通に出勤していたらしいが、空白の時間が少しばかり気になる。

 そんな時に当のシシリー、そして彼女を護衛することになったというシンにマリアの三人が教室に姿を見せた。

 

「おはよう、どうしたんだオーグ? 朝から怖い顔して」

 

「ああシン、クロードにメッシーナも今来たところか。まず聞け――」

 

 カートが失踪したという話を聞かされるとシンらも顔色を変える。

 

「マジか……これなら朝も教室までゲートで来れば良かったな、何も無かったわけだけど」

 

「お前が居るのだからそうそう滅多なことにはならないだろうがな、警戒はしておけ。マーシァも、もしカートがよからぬ行動に出てくるような事があればクロードを守ってやってくれ、あの転移魔法なら逃がすのも容易いだろう」

 

 牽制しておこうと口を開きかけたが間に合わず、ぐっと息を詰める。

 案の定シンがきょとんとした顔をこちらへ向けていた。

 あっさりと転移魔法が使えることをバラしてくれた王子を密かに呪っておく。

 

「転移魔法って、まさかターナさんもゲートが使えるのか?」

 

 そんな君が勝手に命名した魔法は知りません、としらばっくれたいが王子の手前それも出来ない。

 ため息を吐きたいのを我慢しつつ観念して問い掛けに応じる。

 

「……ええ、それらしきものは扱えます、もしもの際はそのように致しましょう」

 

「すごいな、爺ちゃんでも真似できなかったのに、同い年で使える人が居るなんて思わなかったよ」

 

 それで終わりとしてくれたら良かったのに、シンは興味深そうに突っ込んでくる。

 その隣ではシンが他の女子と接近するのを危うく思っているのか、シシリー嬢がハラハラとした様子を見せている。

 彼と交際を始めたというわけでは無いらしかったが、嫉妬心を抱くには早すぎやしませんか。

 

「思えばそれだけの魔法使いが二人も居る学院は賢者様の住まいと同じぐらいには安全かもしれませんな」

 

「確かに。それにしてもお二人はその年でそれだけの魔法を修めていらっしゃるわけですが、特別な訓練でもされているのですか? シン殿は賢者様のお孫ですから少しは分かりますが……ターナさんまでとなると、何か上達の秘訣でもあるのでしょうか?」

 

 トールが気になったらしいことを尋ねてきたが、差し障りない範囲でなら答えても構わないだろう。

 どうしてか近年の魔法使い達は訓練の方向性が誤った方にいっているようでもあったし。

 

「別に特別なことをしているわけではありませんよ、魔法はイメージも大事ですが、何より魔力制御の訓練さえしっかりしていれば確実に向上します」

 

「魔力制御の、ですか?」

 

「ええ」

 

 放出魔法を防ぐ単純な魔力障壁にしても、扱える魔力の量が増えるだけで強度は格段に上がる。

 前世由来のイメージが無くともそちらを鍛えるだけで魔法の威力は上るものだし、むしろ余計な知識は無い方がいいかもしれない。

 現象の仕組みを知ることは出来ない事を知るということでもあるので。

 

 例えば王都はたいして水回りの良い土地になく、消費される生活用水はその大部分を魔法使い、あるいは魔道具で生み出すもので賄っている。

 水を生み出す魔法というと私なら大気中に含まれる水分を集めて、なんてものを想像してしまいがちだが本当にそんな理屈で水が生み出されているわけがない。

 そんなことをしていればあっという間に大気は乾燥しまくり引っ張れる水分の方が簡単に底をつくが王都の気候にそんな気配は見られないのだから。

 

 おそらく何もないところから水を生み出すという魔法においては私よりも、それが出来ると当たり前に思い込めているこちらの世界の魔法使いの方が簡単に実現できる。

 つまり魔法を構築するイメージに理屈はさほど重要ではなく、それが出来ると思い込めることの方が大事なのだろう。

 そんな事情で私は科学的な観点を持ち込んでしまいがちな初歩的な火を生み出すだとかいった魔法はむしろ苦手で、科学的に証明できないような突飛な魔法の方が得手だったりする。

 

「そうそう、魔力制御は爺ちゃんにも鍛えさせられたよ。まあゲートみたいな魔法はイメージも過程をしっかりしないと発動しないみたいだけどね」

 

「――ゲートのイメージに過程、ですか?」

 

「うん、あれ? ターナさんもそこ苦労しなかった?」

 

 そう言ってシンは適当な白紙を机に広げるとA、Bと示した二つの点を描き、この二点を最短距離で繋げるにはどうすれば良いかと言い始めた。

 

「それで俺の場合は……こう」

 

 皆が注視する中でシンは紙を折り曲げ、二点をくっつけてみせる。

 

「紙を空間としたらこれで二か所の距離はゼロになる、それでこうして空けてやった穴が――ゲートだ」

 

 ペンを突き刺し、二つの点を『繋げた』イメージを披露してみせたシンにそれぞれが呆気にとられた様子だった。

 

「確かに最短、だな、昨日の付与の時も言っていたが、これが発想の転換というやつか。全く、導師様も仰っていたが、お前の頭の中はどうなっているんだ?」

 

「私は説明されてもよく分からないわよ……ターナさんも自力でこんなイメージ編み出したの?」

 

「――え? ああ……どうかな」

 

 あまりに呆気にとられていたせいでマリアの声に反応が遅れてしまう。

 おそらく他の皆とは違う方向性で、だろうが。

 本当に、見事なまでにこの世界の魔法の理不尽を体現してくれたものだ。

 

 紙の上で二つの点を繋げることが出来たから、どうしたというのだろうか。

 現実の空間は紙を折り曲げるように容易くねじ曲がらないし、理屈をすっとばしたこれは過程というよりもこんなことが出来たらいいなという願望でしかない。

 まるで求めた結果に無理やり辻褄を合わせたような無茶ぶり、そんなイメージで空間転移が実現できてしまうのだから、魔法というものは恐ろしい。

 

 キリっとした顔でシンは語ってみせたが、これなら卵を立てたコロンブスの方がよっぽど頭を捻っているだろう。

 彼の言う「過程」がまともな理論すらを伴っていないことを他の誰も疑問に思っていないらしいのが辛いが、魔法とはそういうものなのだからしょうがない。

 ……誰も疑問に思っていないといえば。

 

「ウォルフォード君、これ――どうして()()なのかな?」

 

「え?」

 

「いや大したことではないのかもしれないけど、この()()をそんな風に呼ぶなんて、この国で聞いたことが無かったからね」

 

 当たり前のように使われたせいで気づくのが遅れたが、シンが書いて見せたのは紛れもなくアルファベット、この世界で使われていない筈の言語だ。

 少なくともアールスハイドと周辺国で異なる言語は使われていないし、聞いたことも無い。

 仮に存在するとしても、ずっと森の奥で暮らしていたという彼がどうしてこの文字を知り得ているのか。

 

「あっ……」

 

 指摘された意味に気づくと、シンはしまったといわんばかりの焦った顔になる。

 それに何の違和感も感じていなかったらしいクラスメイト達もこちらが口にしてようやく奇妙さに気づいたらしかった。

 優秀なSクラスの生徒にしては、随分と暢気ではないか。

 

「まさか、これもシン君オリジナルの言語なんですか?」

 

「……オリジナル?」

 

「はい、あっ……殿下、マーシァさんには……」

 

 非常に気になることを口走ったシシリーが何か確認を求めるようにアウグストへ顔を向けていた。

 

「マーシァには昨日教えている、口止めも頼んであるから心配はいらんだろう」

 

「そ、そうでしたか。あの、シン君に付与魔法をかけてもらったときのことなんですけど」

 

 なんでも、シシリー達の制服に付与を施す際にもシンは導師ですら理解できないという、未知の文字を使用していたらしい。

 聞けばそれは彼が幼年の頃から開発したというオリジナルの言語で、それを用いることで文字数の大幅な短縮が可能になったとか。

 

「そ、そうそう、手癖でついこっちの字を書いちゃったみたいだ、ごめん皆」

 

 そんな弁明をするシンに他の皆が彼ならしょうがないと言わんばかりにあっさりと納得する一方で、こちらの疑念はますます深まる。

 幼い子供の一人遊びで、見聞きした創作物の影響を受け架空の設定を膨らませるということはままあること。

 ひょっとしたら新しい文字、なんてものを考えることもあるかもしれない。

 

 しかし付与の内容を信じるなら文字を置き換えたグ○ンギやアル○ド的な単純な代物ではない。

 完璧に成立する言語を幼い子供が、ましてやサブカルチャーの発展に乏しいこの世界で生み出せるものだろうか。

 

 ――ひょっとして、こいつ。

 

「マーシァは居るか?」

 

 お呼びがかかったのはその可能性に思い当たった時だった。

 声の方に目を向ければ、教室の入り口に担任アルフレッドの姿がある。

 

「はい、こちらに」

 

「来ていたか。先程来客があったそうで、君宛に手紙を預かっている」

 

「手紙、ですか?」

 

 シンに対する追及はひとまずおいて、何やら用件があるらしい。

 

「来客とは、どちら様からのものでしょうか?」

 

 わざわざ学院を経由して私に手紙を送るような人物に心当たりはない。

 そうして返された言葉は流石に軽視できないものだった。

 

「ああ、なんでも中等学院の教師で、オリバー・シュトロームと名乗っていたそうだ」

 

 ――本当に、学院生活というものはもっと穏やかなものじゃなかっただろうか。

 



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正体

なろう原作の方は第一部完、のようですね。
どんな風に続くのだろうか……


 昼休みに学院を抜けてやってきたのは平民向けの商店が多く軒を連ねる商業区。

 その通りにあるオープンカフェで目的の人物は待っていた。

 浅黒い肌に白の長髪、両目は眼帯に覆われているが見える範囲の顔の造作は端正に整い、他のテーブルからチラチラと視線を向ける女性客も見られる。

 

 カフェの敷地内に足を踏み入れたところでこちらに気づいたようにして男、オリバーが顔を向けてきた。

 相変わらず、盲目とは思えない感知力だ。

 

「来て下さったのですね、閣下のようなお方をこのような形でお呼び立てして申し訳ありません」

 

「いえ、今は学生の身分でもありますし、お気になさらず結構ですよ」

 

 ぶっちゃけると本心では公爵相手にこんな呼び出しなんて随分大胆だなと思っているが、アールスハイド流ならこの対応も間違ってはいないだろう。

 帝国なら無礼打ちで首が飛んでもおかしくはなさそうだが、こっちでは王子がアレであるし。

 感化されたわけでなく、目の前の相手の意図を測らなければならないので今回はこうして応じたわけだが。

 

 ウェイトレスに紅茶を注文しオリバーの対面に腰掛けると少し周囲から視線が集まってくるのを感じられる。

 眼帯をつけた男女が顔を突き合わせている絵面なんて奇異そのものだろうし、無理もない。

 

「それで、直接話したいご用件とは?」

 

「はい、折り入ってご相談したいことが。これを話すには私にもいささか迷いがあったのですがね……ブルースフィア帝国が諜報機関を抱えていることはご存知ですか?」

 

 逡巡しているような素振りを見せながらオリバーが切り出した言葉に頷いて返す。

 その存在は各国でそれなりの立場に居る人間ならほとんどが知る話だ。

 国家の安全保障の為にそういった情報収集を担う立場の集団を備えるのは何ら不自然なことではないし、むしろそれがないアールスハイドを含めた他の国の方が心配になる。

 

「もしかするなら彼らが王国内に入り込み、何かしらの工作活動中で、カート君の件もその一端ではないかと懸念しまして」

 

「……なかなか突拍子の無い話のようにも思えますが、今は一般人である貴方が何故そんな心配を?」

 

「とある事情で、そういった気配に敏感にならざるを得ないのですよ――信じがたいと思われるでしょうが、私はかつてかの国で帝位継承権を持つ公爵でありましたから」

 

 動揺を顔に示してしまいそうなのを押しとどめる。

 皇帝が世襲ではなく、議会の選挙で選ばれる帝国においてそれは紛れもなく貴族として最高位に属する立場である筈だ。

 事実とするなら、そんな人間が王国に亡命しているとは一体何故。

 

「私にとって平民が貴族に虐げられることなく暮らせているこの国は理想でした。帝国にもこの景色を広げたいと、奔走していた時期もあったのですがね」

 

 素直に信じることは難しいがオリバーの語る様子は与太話という雰囲気でもない、一旦疑惑を棚に上げ彼の言うことを事実と考えるなら。

 平民を搾取の対象としか見ない貴族が大半を占める帝国において、彼の存在は異物であっただろう。

 ならば亡命に至るまで、何が起こったのか想像するのは難しくない。

 

「……謀略ですか」

 

「ふふっ、察して頂けて助かります。その通り、私の行いを快く思わなかった他の貴族たちは民を扇動して暴動を引き起こし、私を陥れました」

 

 大多数の帝国貴族からしてみれば平民優遇の政策など自分達の立場を脅かす害悪でしかない。

 いかなる手管が用いられたのかは知る由もないが、満足に教育を受ける機会の無い帝国の平民なら操るのはおそらく難しくもなかっただろう。

 情報を得る手段が限られた文明レベルなら風説を流布するだけで信用を失墜させることも出来る。

 

「結果として私はこの国に逃れることとなったわけですが、それでも生きていることが知られれば私を陥れた貴族達から命を狙われてもおかしくはありません。ですので彼らの手先が自由にならぬよう、閣下のような立場のあるお方にお頼みしたかったのですよ」

 

 そんな話ならば私ではなく王城に報告を入れるべきではないかと思うが、自分の立場が明るみになるのを避けたいにしてもいささか腑に落ちない。

 それにしても抑揚なく淡々と語る様は自身の境遇を不幸と感じていないかのよう、あるいは感情を押し殺してでもいるのか。

 

「話すべき立場の方は他に居るようにも思えますが、なぜ私にそんな事情を?」

 

「そうですね……昨日言いましたように、お会いするより以前から閣下のことは人伝に聞いたことがありました。この方ならば真摯に受け入れて下さるのではないかと考えた次第です、不遜な物言いになりますがこちらの国の方はいささか防諜意識が低いように感じておりましたので」

 

 額面通りに受け取るなら評価されているらしく普通なら面映ゆくもなるのかもしれない。

 しかし怪しい人物から褒められて素直に喜ぶ気にはなれず、そんな不審感が伝わったのかオリバーは苦笑しながら言葉を重ねていく。

 

「これは余計な世話かもしれませんが、お気を付け下さい。力を増せばそんな王国であっても妬む者は出てくるでしょう、人というものは簡単に掌を返す生き物だ、下らない姦計に踊らされた我が領民のように」

 

 忠告のようなその言葉には何処かこちらを憐れんでいるような響きがあった。

 そして人に対する不審感を示す瞬間、声音こそ変わりないものだったが、微細な魔力の揺らぎを肌に感じ取ってしまう。

 押さえ込んでいるようだが、これは間違いなく湧き起こる感情によるもので、おそらくその源は怒り。

 

 少なくとも、彼が人――帝国民に対して明確な敵意を抱いているのは確かなようだった。

 

「私のように貴方が――」

 

「忠告はありがたく頂戴しましょう、同意は出来ませんが」

 

 言葉を遮るとこちらがそんな不躾な真似をすると思っていなかったのかオリバーは意外そうにしている。

 どんな意図をもってそんな身の上話を始めたのかは分からなかったが、話を聞くのはこれぐらいで十分だろう。

 

「貴方の仰り様を聞くと、随分とかつての領民達を蔑まれているような印象を受けます」

 

「……そのような感情があるのは否定できませんね、彼らからはあまりにもあっさりと裏切られてしまいましたから」

 

 運ばれてきた紅茶に口をつけ、一息入れる内に気持ちの整理をしていく。

 この世界に生を受けて十五年、肉体的にはまだまだ若輩の身だが漫然と生きて来たわけではなく見て来たもの、教わったものは多くある。

 

「私は貴方の不幸を知らない、その思いの丈を推し測ることはできません。それでも彼らに憎しみの矛先を向けるのは間違っていると思います」

 

「――ほう?」

 

「彼らが貴方を裏切ったのは愚かだったからではなく、信じる力が足りなかったからでしょう。十分な教育を受け、世界を知ることができる我々と違い、彼らは道理を判断する知恵を積み重ねることも満足にできないのですから。真実を知ったなら彼らも貴方に詫びようとするのではないでしょうか」

 

 思い当たるところでもあったかのようにオリバーの眉端がピクリと持ち上がる。

 それがブルースフィアという国の現実だ。

 搾取の対象でしかない平民は教育を受けられる機会など僅かで、何が正しいのか、何が間違っているのか、判断することもままならない。

 

「彼らは貴方を追い詰める道具とされたようなもの、であるなら恨むのは筋違いです。ナイフで人を殺めた咎人が裁かれることはあっても、ナイフを裁こうなどとは普通考えもしません」

 

 オリバーが全て真実を語っているとしても罪の根源は帝国貴族にある、操られた民達に背負わせるべきではない。

 人生を人の手に委ねるしかない人々はただ生きていくだけでも不安だらけで足元もおぼつかず、大きな意思の下では容易く流されてしまうものだから。

 

「貴族とは民を導くものと私は祖父より教わりました。始めはただ将来の危機から逃れるのに必死だっただけですが、今ではそうありたいと思っています」

 

 足掻いてみたところでどうせ何も変わりはしないと、自分の生活に手一杯だったころとはもう違う。

 ちょっと口が滑ってしまったが、少なくともこの手の届く範囲でそんな人生しか送れないような環境は無くしていきたいと思う。

 

「帝国で生きるのに、貴方は純粋過ぎたのでしょうね。民のことを守ろうと思うなら彼らの自由を脅かし、誤った方へ導こうとする輩とも戦わなければなりませんから」

 

 私にとっての善行が彼にとっての悪行となり得る、人の世はそういうものだ。

 とりわけ帝国のような国ではそれが顕著だろう、こちらの感覚でまっとうな人間ほど生きづらいに違い無い。

 偉そうなことを言ってしまったが気に障っただろうか、先程からオリバーは仏頂面で押し黙ってしまっている。

 

 感情持つ人間は理屈を説かれたからと言って、はいそうですかと納得できるものではないし、不幸を味わった人間にしか至れない境地もあるだろう。

 憎い気持ちを抑えきれない人を責めるのも酷というものだ。

 

「……実に、珍しい見識をお持ちなのですね閣下は、改めて思いましたよ。確かに民の為と言いながら彼らの目線というもので物事を考えたことはこれまで無かったようだ。遅きに失したとはいえ、なかなか有意義な物の見方を教えて頂きました」

 

 反感を買ったかと思いきや、予想外にオリバーの口調は柔らかく、いや愉快気なものになっていた。

 どんな琴線に触れたのかは分からないが、それまでの態度が崩れたことに何故か神経が引き締まった。

 念のため魔力を広げ周囲を探ってみるとオルソンに頼み手配した通り、警備局、あるいは魔法師団の人間らしい反応が感じ取れる。

 

 それぞれ配置についたようだし、そろそろ切り出して構わないだろう。

 

「参考にして頂けたのなら幸いです。それと、つかぬことを伺いますが――昨夜どうしていらしたのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 過去に同情すべき経歴があっても、彼が現在疑わしい人間であることに変わりはない。

 それらしい反応でも窺えればと尋ねてみたのだった、が。

 

「自宅で学院の授業計画を組んでいました。――と、言う予定でしたが、気が変わりました」

 

 にわかに緊張する空気の中、オリバーは薄笑みを浮かべてさらりと言い放つ。

 

「昨夜でしたらカート君の家にお邪魔していましたよ、彼に対して行っていた実験の仕上げにね」

 

 何を言っているというのか、告白する言葉だというのにすぐ中身を理解できなかった。

 実験、という不穏な語句について思考を走らせるよりも先に、オリバーが立ち上がる。

 

「閣下には改めて名乗らせて頂きましょう。オリベイラ・フォン・ストラディウス、これが私の真の名、そして――」

 

 持ち上がったオリバー――オリベイラの手が目を覆っていた眼帯を取り払う。

 そうして露わになった目元は思わず息を呑み注視してしまうのを避けられなかった。

 そこにあったのは赤い、瞳だけでなく眼球全体が紅く染まった眼、オリベイラはまるで魔物のようなその双眸でこちらを見据え。

 

「かつて王国を存亡の危機に追いやった魔人、その第二号が私です」

 

 大胆不敵に、その言葉を告げるのだった。



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第二の魔人

今回はあまり間を置きたくなかったので、気持ち早めの投稿になりました。


 その男の紅い眼に気づいた他の客が呆然と動きを止め、我が目を疑うように擦る者も居た。

 見間違いでないことを悟ると、談笑の声は止み周囲は水を打ったように静まり返る。

 それも一時のことで魔物の特徴を有する人間、魔人の存在を知覚した誰かの絹を裂くような悲鳴が上がった。

 

 一気にカフェを中心に喧騒が広がり、辺りの客は我先にその場から逃げ出していく。

 そんな中に取り残されてしまった、わけだが。

 

「この状況で茶を嗜む余裕がおありとは、流石ですね」

 

 まだ飲みきっていなかった紅茶に口をつけていると魔人、オリベイラが感心したような声を掛けてくる。

 事態に追いついていない思考を整理する時間が欲しかったところなので、まだ声をかけないで欲しかった。

 パニックになりそうな頭を落ち着けながらさてどうしたものかと考える。

 

 怪しいとは思っていたが、まさか魔人とは。

 過去王国を滅ぼしかけた魔人は実験に失敗したことで魔力を暴走させ理性を失い、衝動のままに破壊を振り撒く災害のような存在だったという。

 しかし目の前の人物はどうか、先程まで至って普通に会話出来ていたし、そもそも学院の教師を務め人並みの日常生活までこなしていたのだ。

 

 外見的なもの以外に特徴は一致しないが、隠すことを止めたのかオリベイラが周囲に集める魔力からは背筋に悪寒を走らせるような寒気を感じる。

 確実に言えるのは、大人しく捕まってくれる気は無さそうだということぐらいか。

 

「――閣下、お退がり下さい!」

 

 様子を窺っていたのだろう、石畳を踏み鳴らし警備局の捜査官、朝に屋敷まで報告に来たオルトが駆けて来る。

 同時に周囲から通行人に扮し、あるいは建物の影に潜んでいた騎士団、魔法師団の兵士達が飛び出しオリベイラを遠巻きに囲んだ。

 しかし魔人という伝説級の存在を目の当たりにし、怯えが拭いきれていない者も居るようだ。

 

 そんな彼らに任せてしまうのは若干不安だったが、ひとまずはオルトの声に従うことにしよう。

 こちらが椅子から立ち上がり、場から退くのをオリベイラは悠然と余裕に満ちた佇まいで見送っていた。

 民間人の避難誘導を始めているらしい、警備局に連絡を繋いでくれたオルソンがすぐに傍へ寄ってくる。

 

「閣下、ご無事ですか?」

 

「大事ないよ、伝えてくれてありがとう」

 

 魔人の目の前からは脱したわけだがまだこの場を離れるわけにはいかないだろう。

 あれが伝え聞く通りの能力を有するのなら、とても放置しておけるものではない。

 

「シュトローム、いやオリベイラ・フォン・ストラディウス、貴方がカート・フォン・リッツバーグの失踪に関与しているとして間違いないか?」

 

「ええ、彼を昨夜の内に連れ出したのは私ですから」

 

 事も無げに答えるオリベイラに対してオルトが憤りを露わにする。

 

「彼をどこにやった! 実験とは……一体何をするつもりだ」

 

「答える義理はありませんね」

 

 素性を明らかにしたものの、やはり大人しく投降するつもりではないらしい。

 そんなオリベイラの態度に苛立ちを募らせた様子で、囲む兵の中から黒いコートを纏った魔法師らしき男が一歩歩み出る。

 

「貴族子弟誘拐犯の捕り物になるかもしれんと聞いて来てみれば……魔人だかなんだか知らんがふざけやがって……退がれ、オルト!」

 

 男――魔法師団長であるルーパー・オルグランは巨大な火球を無詠唱でオリベイラへ向け放つ。

 流石に学生とは比べ物にならない魔法行使の練度だったが、それもオリベイラが自身の周囲に展開させた魔力障壁によって呆気なく防がれる。

 

「チッ……これを防ぐか」

 

「ルーパー様……」

 

「ぼさっとするな、相手は魔人だぞ! 確保、あるいは討伐を最優先、総員でかかれ!」

 

 その号令を皮切りに、魔法師達が一斉に放出魔法を打ち込んでいく。

 しかし、そのいずれもオリベイラの魔力障壁を突破できる気配は無い。

 それもそのはず、障壁に込められている魔力量がそこらの魔法使いとは桁違いだ。

 

 これではいくら魔法を撃ち続けたところで徒労にしかならない、魔法師団も王国ではエリート揃いの筈だが、彼らとオリベイラとの間には制御できる魔力量にそれほどの差がある。

 一応話が通じる相手に警告も無く攻撃を仕掛けたことは嘆かわしく思うが、始まってしまったものはしょうがない。

 

「オルソン」

 

「……はっ」

 

「すまない、離れていてくれ」

 

 護衛である彼にこう命じるのはとても心苦しい。

 オルソン自身も不甲斐なさそうに厳めしい顔つきを歪めている。

 しかし残念ながら、今はそれが必要な時だ。

 

「っ!? 避け――」

 

 ルーパーが兵士達に警告を発するも間に合わない。

 オリベイラが腕を払うと、当然のように無詠唱で生じた炎が太い鞭のようにうねり、囲んでいた魔法師達はその一薙ぎで魔力障壁を打ち砕かれ地べたに這いつくばってしまった。

 圧倒的な力量差を前に軽傷で済んだ兵士達の顔にも戦慄が浮かび、ルーパーやオルトも憔悴している様子だ。

 

 そんな皆の前で、更に驚くべき光景が広がる。

 

「やれやれ……精強と知られるアールスハイドの兵であってもこの程度ですか、大したことはありませんね」

 

「な――」

 

 ため息を吐いて見せたオリベイラの体が浮き上がり、宙へ舞う。

 浮遊魔法、それはこの世界で未だ実現させた者の居ないとされる魔法の一つだった。

 

「もう十分でしょう、そろそろお暇させて頂きましょうか」

 

「いいえ」

 

 流石にこのまま見逃すわけにはいかない。

 

「どうか投降願えませんか? オリベイラ・フォン・ストラディウス殿」

 

「おや、残られていたとは勇敢なことですね。しかし残念ながらその申し出を受ける必要性は感じません――失礼」

 

 こちらへと向けられたオリベイラの掌から放たれた炎の奔流が熱波を撒き散らし、瞬きの間に目の前へ迫る。

 

「閣下――!」

 

 着弾した爆炎が広がり土煙が舞い上がる。

 とてつもない威力を秘めたであろう魔法が直撃するのを目の当たりにしたオルトが叫びを上げた。

 

「……存外に、呆気ないですね。これでは――」

 

「野郎、女子供にまで容赦無く……あ?」

 

 オリベイラに僅か遅れ、その違和感にルーパーら他の人間も気づいていく。

 土煙が晴れ無傷のまま何事も無かったかのように立っているこちらの姿が露わになったことで、泰然とした態度を保っていたオリベイラも目を瞠る。

 

「――魔力障壁を張ったようには見えませんでしたが?」

 

「答える義理はありませんね」

 

 わざわざ手の内を明かす必要は無い、先程彼が口にした言葉をそのまま返し反撃に移る。

 イメージ通り広げた掌に生じたのは紅く光る、小さな蛍火の群れ。

 

惑火(フレア)

 

 ふわりと鼓草が種を散らすように飛び散った蛍火が目標を包み込むように広がり、収束していく。

 狙いのオリベイラが全周囲に展開した魔力障壁に接触した瞬間、火の粉が目を灼くような光を放ち爆散する。

 咄嗟に顔を覆ったオリベイラは、その魔法を受けても自身の魔力障壁に揺るぎないのを感じ取ると怪訝そうに眉を顰めた。

 

「初めて見る魔法で驚かされましたが、どうやら見掛け倒し――っ!?」

 

 その通りである。

 

封入(パッケージ)削岩錐(ドリル)

 

 爆炎が晴れた先で準備を終わらせたこちらを見て顔色を変えるのが見て取れた。

 必要魔力は少ないが、見た目が派手なだけでろくに威力は無い今の魔法の目的はもちろん目眩まし。

 人一人倒すのに周囲を焼き尽くすような規模のド派手な魔法を用いるなんて時間と魔力の無駄だ。

 

発射(ファイヤ)!」

 

 尖る先端から炎の帯が螺旋状に広がるその弾を撃ち放つ。

 初めて表情に焦りを浮かべ、回避が間に合わないことを悟り魔力障壁を一面に収束させるオリベイラだったがそれは悪手だ。

 

「なっ――」

 

 高速で回転しながら障壁に到達した火炎錐は一瞬で障壁を削り穿ち突破する。

 驚愕するオリベイラは目と鼻の先で弾けた魔法の爆発に打ち飛ばされ、地へと叩き落された。

 間近で爆発を受けた上に地面へ叩き付けられる衝撃は肉体が強靭になっているであろう魔人といえども耐え難いものである筈だ。

 

 倒れ伏したオリベイラはなんとか膝を立てていたが衝撃の抜けきらないその体は震えている。

 

「あの障壁を、抜いた!?」

 

「まさか……魔人に優ったというのか?」

 

 ボロボロだった魔法師達が信じられないとばかりの反応を見せながらも絶望的な状況がひっくり返されたことで歓喜する姿が見える。

 記録の通りなら国を滅ぼせるかもしれない化け物を相手にさせられていたのだから、その反動も大きいようだ。

 

「……くっ、ははは……まさか、賢者でも導師でも、その孫ですらなく、貴女のような人に追い詰められるとは、まったく予想外にも程がありますね」

 

 顔を上げたオリベイラの表情は痛みで歪みながらもどこか愉快そうなものだった。

 

「まさか障壁が耐えられないのではなく、貫かれるとは、一体どういう仕掛けなのです?」

 

「何、単純なことですよ」

 

 聞いた人間は皆、何言ってんだコイツ? みたいな反応を返してくるような代物だし、これぐらいなら言ってしまっても構わないだろう。

 

「ドリルに貫けないものがあるわけないでしょう?」

 

 魔法とはイメージの具現化、ならばドリル=貫くモノという概念を付与することぐらいできないわけがあるものか。

 それを聞いたオリベイラは虚を突かれたようにポカンと、初めて見せる顔をしていたが、やがて傑作そうに周囲へ響くほど大きな声で笑う。

 

「本当に、無茶苦茶なお方だ、やはり今日、ここに来て正解でした」

 

「――それはどういう意味です?」

 

「それにお答えする前に閣下、一つ気になっていたことをお聞かせ頂きたい。先程、貴女は民を導くと仰いましたが、一体何処へ導こうというのです?」

 

 まっすぐに向けられる紅い瞳には真剣な色が宿り、こちらの隙を窺うようなものではないように感じた。

 明らかに我を失い魔物と化した生き物の目つきではない――人として相応の態度で応えるべきだ。

 

「決まっています、より良き明日――未来へ、ですよ」

 

 とても素面では口にできなさそうな、青臭い台詞を自分でも驚くほど躊躇いなく言うことができた。

 それは前世か今世か、どこかで耳にしたことがあるものだったかもしれない。

 先行きが不安で、生きるのが窮屈な日常、誰もがうんざりとするようなそんな人生を強いる世界にはしたくない。

 

 何の才も智慧も無い、ただの一般人が夢見るには分不相応な夢。

 けれど散々うんざりとしていたからこそ、そこに手を伸ばせる力を得てしまった今――簡単に諦めたらきっと自分を嫌わずにいられない。

 何もかも放り捨て逃げ出してしまえるほど、この小市民は恥知らずになれなかった。

 

 言葉を聞き終えたオリベイラが沈黙し暫くの間、誰も声を発することなく静寂が訪れる。

 余計な問答をしてしまったせいか、周囲の兵士達からも妙な視線を感じるし、いい加減終わりにさせてもらおう。

 

「カート君の行方も含め、こちらも聞きたいことは多くあります、まずは身柄を抑えさせてもらいますよ」

 

「――ふぅ、恥を晒すことになるのが心苦しいですが、私はまだ捕まるわけにはいきません。貴女には敵いませんが――他の方はどうでしょうね?」

 

 ふらつきながらも立ち上がったオリベイラが魔力を集め始め、場の緊張が高まる。

 周囲には先程の魔法を受け倒れたままの兵士達も居る、オリベイラにとって彼らの命を奪うのは造作もない事だろう。

 大量の人質が辺りに転がっているようなものだ――普通なら。

 

「それは叶いませんよ、たとえ魔人であろうと、貴方が魔法使いである限り――私には勝てない」

 

 この期に及んでもすんなりと捕まってくれないというのなら、奥の手を切らせてもらうまで。

 眼帯の留め金を外し、隠していた右目が露わになると、険しい顔つきをしていたオリベイラだけでなくあちこちで息を呑む気配が伝わってくる。

 覆い隠していたそこにあるのは白、瞳を象った彫りのある真珠眼。 

 

 当然ただの義眼ではない、詰みの一手を指すべく右目へと魔力を通す――その時。

 

「――っ!」

 

 突如として湧き起こった反応が背筋に悪寒が走らせる。

 怖気を催す魔力の高まりがこの場ではなくある方角、高等魔法学院の方から発生していた。

 

「どうやら、成功したようですね」

 

 オリベイラの不敵な微笑みが、こちらの一つの敗北を教えていた。



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新たな英雄

原作沿いが大部分な回であまり進展がないですね、次回は早めに更新したい。


 魔法学院から感じる魔力の性質はオリベイラから感じるものにどこか似通っている、それが意味するところは。

 

「カートは無事に魔人化したようですね、これで王国における私の目的は達成されました」

 

「魔人、化……まさか、王都周辺で魔物が増加していたのは――っ!」

 

 呆けている場合ではなかった、生じた魔力の反応に気を引かれてしまっている内にオリベイラから火球が放たれている。

 その狙いはこちらではなく、先程の魔法で軽く傷を負い脇で膝をついている捜査官のオルト。

 

「……防壁(シールド)!」

 

 咄嗟に間に割って入り掌を向け展開させた魔力障壁でそれを受け止める。

 障壁によりその熱と威力は完全に遮られたが、その向こうでオリベイラが足元へ向けて打ち込んだ魔法による爆発が起こり、爆炎と共に辺りを覆い隠すような土煙が上がる。

 その目的は視界を奪い不意を突くこと、ではなく。

 

「しまった……!」

 

 急速に遠ざかるオリベイラの魔力反応。

 逃げの一手、目的を達したという言葉からして最早この場に用は無いということか。

 包囲する時間を稼ぐつもりが、まんまと足止めされていたのはこちらだったらしい。

 

 魔人と化した影響で身体能力も常人のそれを上回るだろうオリベイラを追うのは困難だ。

 一杯食わされた事実に歯噛みしてしまうが後悔先に立たず、まずは事態への対応だ。

 

「オルト捜査官、オルグラン団長!」

 

「――っ、はっ!」

 

「怪我人の救護、及びオリベイラの追跡を任せます。ただし、オリベイラの追跡はおおよその逃走方向を探れれば良しとする。もし抗戦されるようなら即時退くよう兵に厳命して下さい」

 

「承知しました!」

 

 緊急事態とはいえ外部の、それも年端もいかない娘の指図を受けてくれるかどうか心配だったが二人は拍子抜けするほど素直に応じてくれた。

 何はともあれ助かるのには違いない、駆け寄って来たオルソンにも続けて指示を飛ばす。

 

「オルソン、追跡に加わってくれ。異常事態があればアレを使ってもいいから私に連絡を」

 

「承知しました、閣下は?」

 

「私は学院に跳ぶ。――厄介なことになっているだろうからね」

 

 学院からの魔力反応は健在だ、オリベイラの言葉に偽りがないならその元凶はおそらくカート。

 人工的に魔物、あるいは魔人を生み出す技術を生み出した可能性のある彼を逃がしたのは痛手だったが、こちらも無視は出来ない。

 すぐに適当な建物の壁とSクラス教室とを繋げ、驚愕するオルソン以外の人間達を尻目に学院まで転移する。

 

 到着した教室は無人。

 予定通りならクラスメイト達は今の時間、練習場で魔法の実習を行っている筈だ。

 すぐに学院内の気配を探ると本校舎と講堂の間、校庭の辺りで魔力が濃くなっているのが視える。

 

 おそらくカートはそこだろう。

 身体強化の魔法を効かせ、窓から飛び降りて駆け走りまっしぐらにそちらを目指すと――居た。

 すぐに視界に入った校庭の中心、オリベイラとは違い獣のように猛りながら魔力を集めているカートの姿。

 

 その眼は赤く染まり、本当に魔人と化しているように見える。

 それに伴い制御力も上がっているのだろうが、我を失ったように興奮しているカートが集めすぎている魔力は暴走寸前、一つ誤れば学院が吹き飛んでもおかしくはない。

 すぐに止めなければならない、が。

 

「カーートォォ!」

 

「なっ……ウォルフォード君!?」

 

 対峙していたらしいその人物に気づくのが遅れてしまった。

 叫びながらカートへと突っ込むシンの手には何らかの魔法が付与されたと思しき一振りの剣が握られている。

 制止する間も無く飛び込んだシンが振るった剣は過たずカートの首を捉え、その命ごと断ち斬る。

 

 魔力の暴走を懸念したのかシンがカートを包むように魔力障壁を張っていたが、その死体が崩れ落ちると同時に魔力は霧散し事なきを得る。

 絶句していると魔人化していたとはいえカートを殺す結果となったことを悔やむように地面を殴りつけているシンに駆け寄る二人の男女。

 

「大丈夫かシン!?」

 

「シン君、怪我は……」

 

「ああ……大丈夫……」

 

 アウグストとシシリーに気遣われ、シンは人を殺めたことに負い目を抱いているのか顔色を悪くしながらも立ち上がる。

 

「カート……あいつ、シシリーのことを付け狙ったり、魔人にまでなっちまったけど、討伐することしか出来なかったのが悔しくて……絶対におかしいんだ、こんなこと。何かこうなった理由がある筈なのに……!」

 

 魔人化がカート自身の意思によるものではないことを察しているのか、胸を痛めている様子のシンを痛ましそうにシシリーらが見ている。

 どのタイミングで魔人となったのかは分からないが、元に戻せる保証などどこにも無い以上、暴走状態にあったらしいカートを被害が出る前に殺すことで処理した彼を責めることは誰にも出来ないだろう。

 もう少し早くこの場に駆けつけることが出来ればせめて拘束することは出来たかもしれないが、間に合わなかった以上はこちらも同様のこと。

 

 思えばオリベイラはカートの暴走を防がれないよう、私を学院から遠ざけたのだろうか。

 救えたかもしれない命を取り零した無力感に苛まれていると、いつの間にかシンの周りにはSクラスの面々が集まってきており。

 

「信じられない! カートが魔人化したときはもうダメかと思ったのに……」

 

「自分も死を覚悟しました……」

 

 冷や汗を浮かべながらマリアやトールが魔人という災厄を前にした脅威を語る一方で。

 

「ウォルフォード君、凄かった」

 

「ね! ね! 魔法も凄かったけど剣で魔人の首をスッパリって!」

 

「あれなら騎士養成士官学院でも首席を狙えるのではござらんか?」

 

 魔人となったカートがどれほどの脅威だったのかは不明だが、それを圧倒したらしいシンに対しリン、アリス、ユリウスらが称賛するとそんな空気が変化したように見える。

 

「うちは代々騎士の家系だけど、あんなにきれいな剣筋は見たことがないねぇ」

 

「ウォルフォード君ってぇ、やっぱり凄い人?」

 

「お前ら……見てたのかよ?」

 

 トニー、ユーリらも戦いの一部始終を見届けたらしく浮ついた様子でシンを褒め称える。

 ……危機感が薄いというか、魔人が現れたにしては随分と余裕があったらしい。

 

「校舎内までは避難したんだが、途中で振り返ってみたらお前が魔人を圧倒し始めててな、そのまま見学させてもらった」

 

 アウグストに至っては見学などとまで口にしている。

 暴走状態にあったとはいえ、自国の民が殺されるのを目にした王族の発言としては不謹慎ではないだろうか。

 微かな苛立ちを覚えながら、そのままカートの遺体を転がしておくのも捨て置けず彼らの方へ向かう。

 

「……む、戻ったのかマーシァ。幸いだったな、信じられない話かもしれんがカートの奴が魔人に――」

 

 こちらに気づいたアウグストが目を瞠り、次いで他の面々もぎょっと目を見開いている。

 ああ眼帯を外したままだったと、その反応で思い出し顔を背けるついでにカートの亡骸の脇にしゃがみ、転がる頭部の見開かれた瞼を閉じさせる。

 どうしようもなかったと理解していても、紛れも無い被害者となった彼に心の中で詫びずにはいられなかった。

 

 このまま彼の遺体が人目に触れればリッツバーグ家に余計な悪評を招くかもしれない。

 異空間収納からシーツを取り出しカートにかぶせておく。

 

「マーシァ、その目は……」

 

「ただの義眼です。こちらも色々とありましたので、おおよそ状況は把握しております」

 

「なんだと? 一体何が――」

 

 事情を聞きたい様子のアウグストだったが、そんな彼に呼び掛ける校庭に響くような大声に遮られる。

 

「殿下ーー! 御無事ですか、魔人はどこに!? 我々が全力を以てお守りを……」

 

 通報があったのか、鎧に身を包みハルバードや長槍で武装した騎士団員らが王子の危機とあってか必死の形相で駆けてきていた。

 そんな彼らに対しアウグストはもう遅いとばかりの顔をして告げる。

 

「もう終わった、魔人ならあそこに倒れているのがそうだ」

 

「……な、えええ!?」

 

 伝説の魔人が再び現れしかも既に倒されているという、二重の予想外な事態に騎士達は驚愕に包まれる。

 

「ま、まさか魔人を討伐されたのですか……?」

 

「ああ、私ではなくこのシン――シン・ウォルフォードがな」

 

「ウォルフォード……! け、賢者様の御孫様ですか!?」

 

 騎士達の落ち着きなくひたすら慌てふためく様は段々と呆れが湧いてくるほどだった。

 そんなことよりも事態の収拾を優先して欲しいものだが、そうこうしている内に危機が去ったことが伝わったのか生徒達も校庭に集まり始めている。

 魔人が現れたという報せも広まっているらしく、怯えた様子でざわつきを見せている生徒達を見たアウグストが何を思ったのか、声を張り上げる。

 

「皆、安心しろ! 魔人は賢者マーリンの孫、シン・ウォルフォードが討伐した!」

 

 そのよく通る声は集まった生徒達の耳にも届き、一瞬辺りが静まり返る。

 次いでその場に訪れたのは、英雄の孫の活躍に対する熱狂だった。

 

「凄い! さすが賢者様の孫!」

 

「英雄……新しい英雄の誕生だ!」

 

「賢者様の孫、シン・ウォルフォード!」

 

 あっという間に校庭は熱に浮かされた人々によるシンを称賛する声で満たされる。

 生徒達に名を連呼されシンは耐えきれないように身を屈めていた。

 

「恥ずすぎる……やめて……」

 

「やっぱりこうなったか」

 

 その騒ぎを扇動した張本人のアウグストが呟くのをシンが恨めしそうに見ている。

 王子は何気ない風にしているが、皆の恐怖を鎮静させようとしたにしても実質的な脅威が去った後でこんなシンを担ぎ上げるような真似をするのはいささか軽率ではないか。

 彼の活躍を周囲に印象付けたい、そんな狙いでもあるのかと勘ぐってしまいそうになるが、何はともあれ国内の事態はこれで収束に向かうだろう。

 

 ――カートという少年の命を犠牲に払って。

 

「何が平穏に暮らしたい、だ。この間抜け……っ」

 

 この騒動の元凶である魔人、オリベイラに対して大層な理想を語っておきながら身近に居た人間の命すら守れなかった。

 とどのつまり、自分も平和に被れて危機に鈍感になっていたに違いない。

 周囲が新たな英雄の誕生に浮かれる中で、そんな不甲斐なさに胸の内は晴れないままだった。

 



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焦りと温もり

またちょっと焦りが出たのか誤字訂正を頂きました、ありがとうございます。
前話と引き続き進展薄い回なので早め投稿します。


 魔人が再び現れたという事件は瞬く間に王都全域に知れ渡り世間を震撼させている。

 内の一方、昼過ぎに教室移動中だったシン達の前に現れ、彼らの目の前で魔人化したというカートの件。

 事件を隠蔽することは不可能だったが、オリベイラの犯行であることが確定的であったので魔人となったのが被害者と言えるカートであるということについては箝口令が敷かれた。

 

 現れた魔人が一人でなく、しかもそれが人間社会に紛れ込めるほど完全な理性を有していたという事実は国王陛下を始め首脳部の人間にも信じがたいものであるらしかったが、多数の目撃者が居る以上認めざるを得ないだろう。

 王国は過去に魔人が現れた際に崩壊寸前にまで追い込まれている、そんな魔人を倒せなくとも撃退したことが捜査局や魔法師団の人間を通じて知られてしまっていたせいで私自身も随分と関心を引いてしまったような気がする。

 シン・ウォルフォードがカートを――あまり好ましい言い方ではないが、討伐していたことが無ければ単独の魔法使いがそんなことをやってのけたとは信じてもらえなかったかもしれない。

 

 と言っても、シンの評するところカートは魔人化してなお一国を滅ぼせるほどの力量を持っていたようには感じられなかったらしく、過去の事件と同列に扱うには疑惑が残る。

 魔物も元になった生物が強靭な種であればあるほど脅威度は増し、虎や獅子の類であれば災害級と呼ばれるような軍を挙げて討伐に望まなければならない程だ。

 一介の学生でしかなかったカートではそこまで至らなかったということだろうか。

 

 一方で、ブルースフィア帝国方面に離脱したとしか足取りが掴めなかったというオリベイラの方は確実に国王軍では太刀打ちできないだろう実力を持っていた。

 彼ならばこの時代の一国程度、私や賢者の孫のような例外が居合わせなければ滅ぼすようなことも可能かもしれない。

 それはすなわち、私やシンもまたやろうと思えばそれぐらいの事が出来るということなのだから他の人間にとっては恐ろしい話である筈なのに、それを指摘する声が全く上がらなかったのは信用されていると喜ぶべきなのか、危機感の無さを嘆くべきなのか。

 

「――まあ、余所様の事を言ってばかりもいられないか」

 

 ようやく帰り着いた自室でため息交じりにそんな愚痴を漏らす。

 報告や聴取を済ませ、陽も完全に落ち切った頃合いの帰宅となった。

 これで一段落、とするわけにはいかない、机上に置いてある固定型の通信機を取りある連絡先を呼び出す。

 

 短い呼出音の後に通信は繋がり、見知った声が受話器から聞こえてくる。

 

『は~い、こちらヒルダです。閣下ですよね? こんな時間に珍しい』

 

「こんばんはヒルダ。夜分にすまないね、取り急ぎ連絡しておきたいことがあったから」

 

 マーシァ工房の総責任者は私であるが、今後の展開には開発主任である彼女に話を通しておきたかった。

 急な予定変更は私にとっても忌むべき所業だったが、そうも言ってられない時もある。

 

「特許の取得を早めたい品がいくつかあるんだ、リストにして渡しに行くから後日確認して欲しい」

 

『ああ、それぐらいなら構いませんよ。皆いつになるかって心配してましたし』

 

 すんなりと了承が得られた事にほっと胸を撫で下ろす。

 今日は厄介な事ばかりあったせいか、急な連絡に難色を示すでもなく応じてくれる彼女の存在がありがたく思える。

 

「ありがとう、それと隊に回してる装備のハイエンド品を増産したい」

 

『んん……? いいんですか、そっちは工房じゃ全部用意できませんけど』

 

「構わないよ、現場の皆には申し訳ないけど素材の調達と加工をお願いしたい。私も空いた時間はそちらの付与にあてるから」

 

『……ちょっと……お嬢? 少し、いいですか?』

 

 不意にヒルダの声調が変わる。

 流石に性急に頼み過ぎただろうか、彼女だっていきなりあれこれと依頼されれば気を悪くもするだろう。

 謝りを入れようかと考えた矢先、受話器からの言葉が続く。

 

『お嬢が居るのは王都の別邸ですか?』

 

「ああ、今は自室の通信機から繋いでるよ」

 

『それは好都合、私は工房の自室にいますから、ちょっとあの魔法でそちらと繋げてもらえます?』

 

 それきり通信が切られてしまう。

 直接話したいということだろうか、よっぽど腹に据えかねるような発言でもしてしまったのか、会話を思い返してみるがそれらしいことが判別できない。

 失態を犯してしまったかもしれない予感に腹の内が冷えるような錯覚を覚えながら、部屋の壁と彼女の私室とを魔法で繋ぐ。

 

 すぐに向こう側から姿を見せた白衣姿のヒルダは怒っているようには見えなかったが、こちらの顔を見るなり嘆くように眉根を顰めてしまう。

 

「はぁ……便利ですけど、遣り取りするのこればっかりじゃ、やっぱりいけませんね」

 

「ヒルダ? すまない、何か怒らせるようなこと――」

 

 どうしてそんな顔をされてしまうのか分からずにいると、ついと伸ばされた手がこちらの胸を押す。

 反応が遅れ、足をもつれそうになりながら後ろへ後退ると、そのまま迫って来たヒルダによって。

 

「う、わ――っぷ」

 

 後ろにあったベッドへと押し倒されてしまった。

 こちらの頭の両脇に手をついて見下ろしてくるヒルダの青い瞳と目が合う。

 

「お嬢、今日何か、あったでしょう?」

 

 まだ魔人騒動については相談していないし、王都であった事件の情報などマーシァの街には届いていないだろう。

 それでも彼女には何かあったと見透かされているらしい。

 

「……どうして、そんなことに気づいたのかな?」

 

「そりゃ気づきますよ、普段から無理するのは良くないって言ってる人があんなこと言い出せば。お嬢の付与がそんな楽な作業じゃないってことは私が一番良く知ってるんですよ」

 

 大人げなく、不満そうに口先を尖らせて言うヒルダだったが、それは正確な指摘だったので反論できず黙らされてしまう。

 込める魔法のイメージを文字によって刻み込むのが付与魔法、口にするのは簡単で何でも無い作業のようにも思えるが、これが意外に神経を使う。

 何しろ付与の間は魔法のイメージを維持し続ける集中力が必要とされるし、イメージが複雑なほど、刻む文字数が多くなればなるほど、その負担は大きい。

 

 米粒に般若心経を書く、とまではいかないにしても、それに近いレベルで精神的な消耗を強いられる。

 そうでなければもっと多くの魔道具が世に出回っているだろう。

 

「それで、何があったんです? 差し障り無ければ話してみて下さいよ、溜め込むのは良くないですって」

 

 誤魔化すには遅すぎたし、体勢を変えてくれる様子の無いヒルダもこちらを逃がす気はないようだ。

 払い退けることは容易いけれど、彼女を相手にそんなことをしたくないし、する気も起きない。

 

「ちょっと事情があってね、全部は言えないんだ。ただ……」

 

 守れたかもしれない命を失ってしまった。

 違和感に気づいたときから手段を尽くしていれば名前を告げるわけにはいかない彼は助かったかもしれないのに。

 もうそんな事態を招くわけにはいかない、だから全力を尽くそうとしていただけ。

 

 そんな思いをどうにか口にしたのだが、ヒルダはまた嘆くように息を吐いて見せるのだった。

 

「一つ聞きますがそれ――お嬢は悪く、ないですよね?」

 

「……悪く、ない?」

 

「ええそうです、詳細は知りませんがその件、悪意を持ってたどなたかがいけないのであって、お嬢に非なんてこれっぽっちも無い、違いませんか?」

 

 それは、正しい。

 今回の事件に際して、少なくともカートのストーカー疑惑を調査こそすれど害そうとなど考えてもいなかったし、何より手を下したのはオリベイラという男。

 いかなる動機があったとしても、カートを死に至らしめたのは間違いなく彼であり、彼がいなければカートは死ななかっただろう。

 

 これでもしこちらに対して非があるなどと言われれば筋違いだと言わざるを得ない。

 そう、理解は出来ている。

 

「……でも、全力でやっていれば、彼の死は防げたかもしれないんだよ。そうと知っていれば、気を弛めることなんて――っ」

 

 出来ない、そう口にしようとした瞬間、顔を包み込むような圧力によって遮られてしまう。

 目を白黒させながら状況を把握してみれば、どうやらヒルダの胸元に顔を沈めるようにして抱き締められているらしかった。

 精神的な異性に、そんな事をされていることを知覚すると一気に思考が熱に染まる。

 

「ちょ……ちょっと、ヒルダ、何をやって……」

 

「無理することが全力だなんて、私は認めませんよ」

 

 からかうような気配とは縁遠い、その静かな声に慌てていた頭が冷やされていく。

 少なくとも今、彼女から自分は気遣われているのだと、否応なく悟らされてしまう。

 服越しに触れ合った肌からは人肌特有の、気が休まるような温もりが伝わってくる。

 

 年を重ねるにつれ気恥ずかしさが増し触れるのを躊躇ってしまいがちだが、それは何より安らげる暖かさだった。

 

「大体無理したところでどうにもならないことがあるって分かってるでしょう? 人は神様になんてなれっこないんですから」

 

「……そうだけど、それでも、俺は……」

 

「ほらもうボロが出た。()()()()、してますよ?」

 

 人前ではとても出来ない失態を犯してしまい、ぐっと息が詰まる。

 私が前世の記憶を持つ人間であることを知っているヒルダはそんな情けない姿を見て笑っていた。

 科学的な知識や機械の構造を伝えるにあたり、どうしてそんなことを知っているのかと疑問を持たれるのは当然のことだ。

 

 だから彼女のように、一部の人間には私の転生事情を話してある。

 今にして思えば前世の記憶があるなんてよくも信じてもらえたものだ。

 ――男性であったことも含めて。

 

 それを気にしてないかのように、ヒルダはこちらを抱き締めたまま祈るように穏やかな表情で囁いてくる。

 

「お嬢は十分に全力でやっていますよ。だから無理はしないで下さい、貴女が辛いと同じように辛い人がたくさん居るんですよ、私も含めて」

 

 そんなことではいけないと、叫ぶ理性があった。

 祖父の教え、貴族として、大きな力を持っているなら、それを人の為に生かすべき。

 けれど今自分がやろうとしていたのは、本当にその道に相応しいものだっただろうか。

 

 こんな風に我が身を省みるのを忘れ、身近な人に気遣われてしまうようなみっともない人間に、ついていこうとしてくれる人なんて――居ないのではないか。

 

「……ヒルダ」

 

「はい?」

 

「少し、休むよ。落ち着いてから考え直すから、さっきお願いしたことは少し待って欲しい」

 

「承知しました、ごゆっくりお休み下さい」

 

 思えば今日は気を張り詰め過ぎていた。

 少しだけ頭を休めようと決め、気が抜けると一気に睡魔が押し寄せ、ヒルダの微笑みを最後の記憶にして意識が微睡の中へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それに思いを馳せるようになったのはいつの頃からだっただろうか。

 決定的だった出来事だけは鮮明に思い出せる、幼い頃に連れて行ってもらったお祭りで買ってもらった風車の玩具。

 うっかりと坂道で落としてしまったそれが川の岩場に引っかかり、水面に浸かった羽車がぐるぐると回っているのを目にした時だ。

 

 人が息を吹きかけずとも、風車は回る、絶え間なく。

 なんでもない光景であるはずなのに、飽きることなくその光景を眺めていた。

 川を水が流れていくのはごく自然なこと、けれどそこには人のように息切れしない力が働いているのだと初めて知覚する。

 

 彼らはどれほどの力をもっているのだろうと、家にあった荷車の車輪を外して水路に据え付けてみたときは盛大に叱られたものだった。

 祖父だけはそんなタチの悪い悪戯にしか見えないような真似をした私を怒らず、子供の戯言にもよく付き合ってくれたが。

 そんな祖父の力を借りて初めて組み上げた、水の力を羽車が麦を突く杵へと伝えてくれる絡繰りは不格好で出来の悪いものだったが、感じたことの無い昂揚をもたらしてくれた。

 

 けれど父と母はそんな私の成果を喜んではくれなかった。

 『こんなもので遊んでいる暇があったら、魔法の勉強でもしなさい』

 幼い私はにべもない両親の言葉に愕然とした、けれど今にして思えばそれも無理からぬことだったように思う。

 

 広大な農地を持つ私の生まれ故郷には当時既に偉大な付与魔法使い、導師が開発した魔道具が広く普及していた。

 麦を挽くのに杵を突き臼を回すのはとっくに時代遅れ、風が凪いでしまえば風車は無力だが、魔力を通すだけでいい魔道具ならいつでも上質な粉が加工できる。

 私が夢中になっていたのはそんな時代遅れの産物だったのだ。

 

 そんな現実を知ると、今まで輝いて見えた世界が急に色褪せて見えた。

 あんなにも惹かれた、魔法という技術に依らない自然にある力は世の中の誰もが下らない、役に立たないと切り捨てているもので。

 それが無価値だと、否定されたのが悔しくてならなかった。

 

 苦労して作り上げた絡繰りが、邪魔にしかならないから解体されるのだと知った時には思わず家を飛び出していた。

 何の考えがあったわけでもない、ただ嫌だった、納得できなかった、それだけ。

 子供の現実逃避でしかない、けれど逃げた先、不出来な水車小屋の前で、その出会いはあった。

 

 羽は不均一で、回転も安定していないそれを立ちつくし眺めていたのは仕立ての良い服を着た、自分より少し年下に見える少女。

 長い黒髪は艶やかで、畑仕事を手伝わされる農家の子と違い手肌に荒れも無く、育ちの良さが傍目にも窺える。

 近所で噂になっていた、どこかの国からやってきているという貴族様だと一目で分かった。

 

 どうしてこんな一農家の敷地にそんな子が来ているのかは不思議だったが、気分がささくれだっていた私は大切な場所に踏み入られたような気がして、散々やってはいけないと注意されていたはずの失礼な振る舞いをするのだった。

 

「……何やってるの? ここ、私のウチなんだけど」

 

 びっくりとした様子でこちらを見返してきた少女は声を掛けたこちらが驚くぐらいに整った顔立ちをした女の子で、乱暴に声をかけてしまったことにチクリと胸が痛んだ。

 それでも荒れていた気分は言うことを聞いてくれず、睨むような顔をしてしまっていた私にその子はぺこりと頭を下げ言うのだった。

 

「勝手にお邪魔してしまいすみません、こちらのものが気になってしまったものでつい」

 

 年下なのに、大人みたいな喋り方をするその子が気持ち悪くてたじろいでしまっていた。

 そんなこちらの気持ちなど知らず、顔を上げた少女は言葉を重ねる。

 

「お聞きしたいのですが、こちらの絡繰りを造られたのはどなたか、ご存知……知っていますか?」

 

 途中でようやく自分が子供離れした言葉遣いをしていたことに気づいたようにして言い直していたのは子供相手の話し方ではないと思い直したせいらしい。

 そんな配慮に気づく由もなかった私はぶっきらぼうな答えしか返さない。

 魔道具をたくさん持ち合わせている貴族がどうしてこんな無駄なものを作ったのかと聞いているのだとばかりに思っていたから。

 

「私」

 

「……?」

 

「だから……私だよ、それ、造ったの! おじいちゃんに手伝ってはもらったけど……あなたに迷惑かけたわけじゃないでしょ、文句あるの?」

 

 まだ子供だったとはいえ、年下相手に大人げない態度。

 けれどそんな態度にショックを受ける様子も無く――いや、別のことに衝撃を受けていたその少女は暫くの硬直の後、飛びつくようにこちらの肩をひっつかんだのだった。

 

「君が!? 本当に、これを、作ったの? 一から?」

 

「っ!? え、う、うん……そう、だけど……」

 

「――すごいよ。おれ……私なら、絶対にこんなの無理だ、君みたいな人が居るなんて……」

 

 相手を怒らせてもしょうがないと、幼いながらに自分でも分かる態度をとっていたから、その反応は予想外すぎて呆気にとられてしまう。

 そうしているうちにすっかりと感動した様子のその子は一人頷きを繰り返し、告げるのだった。

 

「お願いします、どうか君の力を私に貸して下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしい夢から覚め、瞼を開くと目の前には成長したあの日の少女が寝息を立てている。

 男性の心を持つという彼女からしてみれば嘆かわしいことなのかもしれないが、その寝顔は未成熟ながら見惚れる程に女性的な魅力が溢れている。

 やたらと自己評価の低い彼女は自分が人にどれほどの影響を与えているか、理解していないのだろう。

 

 そんなに結果を求めるまでもなく、支えてくれる人なんていくらでも居るのに、相談もなく無茶をしかける。

 困った雇い主だが、折れかかっていた自分に手を差し伸べてくれたこの人のことを見放す気なんてさらさら起きない。

 こんな機会も滅多に無いので、そんな寝顔を存分に眺めているとやがてその瞼が震えうっすらと開いていった。

 

「お目覚めですか?」

 

「……うん? ああ……ヒルダか、おはよう」

 

 ぼんやりとした様子で目覚めの挨拶を交わし、身を起こした公爵たる少女はややしてからようやく同じベッドで横になっている人物の存在に気づいたらしく、かっと目を見開いてその場から飛び退きそのままベッドから転がり落ちた。

 こんな姿はとても人前に晒せまい、日頃必死に保っているらしい落ち着いた佇まいで醸し出している大物感が台無しである。

 

「――痛っつぅ……、い、や……ヒルダが何で? あぁ変なこと……いやいや出来るわけが無いし!」

 

 すっかりとパニックに陥り顔を真っ赤にして慌てふためくその姿に笑ってしまうのが抑え切れない。

 彼女の魔法に頼らなければマーシァ領には帰れないことだし、一晩共にさせて頂いたわけだが寝間着にシャツ一枚になっていたことで妙な誤解までさせてしまっているらしい。

 間違いなんて起こりようも無いわけではあるが。

 

「隣で寝てただけですから大丈夫ですよ。ただ――お嬢が相手なら私はいつでもその気になって頂いて構いませんけどね?」

 

 冗談めかして告げさせてもらった言葉には偽りの無い気持ちが込められていた。



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帝国、終わりの始まり

大局的な話をつくる頭が無くって展開はアレですが、賢者世界政治部の方々もたいがいなのでまあいいかな!


 魔人再来という大事件があり生徒の一名が亡くなるという被害を受けながらも学院は通常営業らしく、翌日も平常通りの登校となった。

 分かりやすい変化といえば街中や学院のあちこちで「彼」の名を噂し囁く声が漏れ聞こえてくることだろうか。

 新英雄、シン・ウォルフォード。

 

 その実態が明らかにならず、ただ再び現れた魔人を賢者の孫が討伐したという活躍だけが広まったせいか彼を英雄視する人間が既に多くなっているようで、巷では若い女性のシン様シン様とアイドルに浮かれるような反応も覗けた。

 カート以外に被害らしい被害が出ていないこともあるのだろうが何と言うか、熱に浮かれやすい王国の国民性がよく顕れている。

 オリベイラと対峙していたこちらに関しては魔法師団や捜査局の人間が数多く居合わせていたこともあるし、逃がしてしまってもいるので幸いにして大きな話題にはなっていない。

 

 シンの活躍が隠れ蓑のようにもなっているのだろう、騒がれずに助かるのでそこだけは感謝しよう。

 そうした環境で登校してくるだけでも注目の的だっただろうシンは教室にやってきた時点で随分と疲弊した様子を見せていた。

 

「言った通りクロードやメッシーナに付いてもらって正解だったろう?」

 

「ああ……登校どころじゃなくなるところだったかもしれないなこれじゃ」

 

「ある程度は諦めろ、今度叙勲を受ければ更に騒ぎは大きくなるだろうからな」

 

 シシリーの護衛をする必要は無くなったわけだが、今度は逆に人払い目的で彼女達に付いてもらい登校しているらしい。

 加えてシンには魔人討伐の功績を称え勲章の授与が決まったらしいので、今後彼を英雄視する動きはますます過熱することだろう。

 これについてはシンを政治利用されることに忌避感を示しているという賢者、導師の両人が激怒したらしいが、国王陛下が頭を下げてまで説得したことにより承諾を得られたのだとか。

 

 隠居していたとはいえ賢者様方もまた王国民であり、シンもそれに準ずる見方が出来るような気がするのだが、王国において英雄というネームバリューはそんな振る舞いまで許すものであるらしい。

 上級国民なんてワードが頭に浮かぶが、そんなことを言えばきっとこちらが無礼と扱われてしまうだろうから口にはできない。

 

「あ、おはようターナさん」

 

「おはようございますマリアさん、朝からご苦労様でした」

 

「あはは、私はシンについてただけだし、そんなことないよ。あの二人相手じゃ除け者感あったぐらいだし」

 

 マリアが呆れ混じりの表情であの二人、と示した先には仲睦まじく労わり合うシンとシシリーの姿がある。

 相変わらず関係は良好なようで、彼らからすれば今の状況も役得といったところだろうか。

 

「……ごめんねターナさん」

 

「はい?」

 

 唐突に謝罪を口にするマリア、理由が分からずにいると彼女の方も唐突に過ぎたことを自覚しているのか自分から説明し始めた。

 

「昨日ターナさんがあいつのこと悼んでるみたいだったから、正直言って私どうしてそんな気持ちになれるのか分からなかったんだ。そりゃあ同級生だけど、シシリーに酷い真似してた奴だし」

 

 その言葉で彼女が言わんとすることの大体を察する。

 魔人化したカートだが、あの時彼の死を悲しむ人間はほとんど居なかった。

 それまでの振る舞いから彼女達からしてみればマイナスな印象ばかり目立っていた人物であるので無理からぬことと言えなくもないが、事情を明かされた関係者の間ではそんな話も違ってくる。

 

 あの暴走がオリベイラによる魔人化実験の副産物である可能性が濃厚とあっては、彼のことをそれまでのようにただの悪人とは見れない。

 そんな事実に気付かず、カートを悼んでいた私を奇妙なもののように見てしまったことが申し訳なくなったのだろう。

 

「気にされずとも結構ですよ、あの状況では無理も無い事でしょうから」

 

「でもターナさんだって大変な目にあってきた後だったわけでしょ? ちょっと無神経だったなって思うから、やっぱり謝らせて」

 

 貴族の子女としてはサバサバとした性格の珍しい子だと思っていたが、律儀でもあったらしい。

 本気で気にしていなかったのだが、ここまで言われて拒絶してはかえって彼女の気を重くしてしまいそうだ。

 

「マリアさんも意外に繊細な方ですね、では今回はその謝罪を受け取らせて頂きます」

 

「意外には余計だよ……ていうか魔人と戦ったって聞いたけど、怪我とかしてない? 大丈夫だったの?」

 

「魔法師団の方々も駆けつけて下さいましたし、相手もすぐに逃げてしまいましたからね」

 

 その問題についても何かしら突っ込まれるだろうとは思っていたが、あまり詳しく聞かれたくないので適当に流させてもらおう、としたが。

 

「謙遜するな、報告を聞いたがなんでもほとんどお前一人で撃退したようなものらしいじゃないか」

 

 どこから聞いていたのかアウグスト殿下が横槍を入れて下さった。

 こちらが社交スマイルを凍りつかせる前でそれを聞いたマリアが目を丸くし、興味を引かれたらしいシン達までもが顔を向けてきている。

 

「一人でって……魔人を、ターナさんが?」

 

「ああ、シュトローム――いや、ストラディウスか。かの魔人は居合わせたオルグラン団長を含め、魔法師団の人員では歯が立たなかったらしい」

 

 放っておけば全部解説してくれそうだったが、中断させようにも王子殿下を相手にして話を遮るのはなかなか度胸がいる。

 言葉を選んでいる内にアウグストは丁寧に事の一部始終を話してくれた、こちらの方には箝口令とか敷かれていないらしい。

 

「浮遊魔法まで使いこなす魔人だったらしいが、一歩も動くことなくそんな相手を打ちのめした手並みにはオルグラン団長が感服していたそうだ」

 

「浮遊って、空を飛べたってのか!?」

 

「とのことだ、シンでもそこまでの魔法は無理か?」

 

「ああ……まだそんな魔法は使ったことないな」

 

 まだ、ということはいずれやってみるつもりなのか、彼ならいつかやってみたら出来たとか言いだしそうな気もする。

 オリジナル言語の件以来、彼についてはひょっとしたら前世の記憶を持つ人間なんじゃないかと勘ぐっているが、探りをいれ過ぎてこちらが怪しまれるような事態は避けたい。

 同じ境遇の人間なら協力できるとは限らないし、敵よりも厄介な味方というのは世の中よく居る。

 

 上から目線のようで少し自己嫌悪してしまうが、もう少し彼の人となりを見定めたい。 

 しかしやはりオリベイラ個人が能力の高い魔人だったのか、この反応からしてカートは浮遊魔法も使えなかったようだ。

 

「やっぱり魔人の強さにも個体差があるのかな、爺ちゃんから聞いてたほど強くなかったし、それで爺ちゃん達と同じ功績って言われても、なんだかなぁ」

 

「そんなことありません、あの時シン君が居なかったら私や皆もどうなってたか……皆を守ってくれたんですから、誇りに思っていいはずです」

 

 叙勲に際して釈然としない思いはあったようで納得いかなそうにしているシンだったが、シシリーはそんなことはないと褒め称えている。 

 初め会ったときの印象は随分と繊細そうに見えた彼女だが、カートという同級生の死を気に病んでいるような素振りは無い。

 そんなことよりもシンに夢中、といったところだろうか、なかなか独特な感性の持ち主なのかもしれない。

 

「聞きたいのだが、シンにマーシァ、魔人はどの程度の脅威に感じた?」

 

「脅威、ですか……そうですね、少なくとも災害級と呼ばれる魔獣よりは遥かに危険でしょう。知性がある上に扱える魔力の量も質も並の魔法師の比ではありませんでしたから」

 

「カートの方はほとんど我を失ってるみたいだったけど、それでも虎とか獅子の魔物よりは強いと思う。それに魔物の相手は慣れてるけどあんなに邪悪な魔力を感じたのは初めてだったな、大した魔法は使ってこなかったけど」

 

 被害は抑えられたとはいえ、オリベイラは逃がしてしまっているので王族として気にせずにはいられないのだろうか。

 求められた所感を述べてみたわけだがカートに対するシンの評価、邪悪とはなかなか斬新な表現をしてくれる。

 あの怖気を催すような魔力の波長をそう表したくなる気持ちは分からないでもないが、善悪の観念を持ち込んでいいものか。

 

 言うならば魔力を介して内に抱える憎しみを伝えられているような感覚。

 つまり魔力は感情を媒介し得るのだろうか――そういった働きは今まで意識したことがなかった。

 

「ふむ、いずれにせよオリベイラの動向次第だが、対抗策は欲しいところだな……マーシァも出来れば研究会に参加してくれると助かる」

 

「……研究会とは、何の話でしょうか?」

 

 魔法学院の生徒が学内で様々なものがある研究会のいずれかに所属させられることは知っているが、どうして今その話が出てくるのか。

 

「ん、ああそういえば昨日の話をマーシァは聞いていなかったな。実はシンに新しい研究会を立ち上げてもらうことになったんだ、おそらく他のSクラスのメンバーも皆そちらに所属するだろう」

 

 俺が提案したわけじゃないんだけど、と呟いているシンを気にすることなくアウグストはその新しい研究会とやらの名を教えてくれた。

 

「究極魔法研究会という。お前ほどの魔法使いが参加してくれれば魔人対策にも有用な魔法が開発できるかもしれん」

 

 至って真面目な顔をして、その実に頭の痛くなりそうなことをのたまった殿下に眩暈を覚える。

 ――そんなことは学生がやることではないでしょうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある公爵少女が頭を抱えている頃のブルースフィア帝国、その中心たる帝都の城では緊急に会合が開かれ、集まった帝国の政界において重要な役職を与えられている貴族達はその面持ちに不安を色濃ゆく覗かせている。

 その場で最も上座に座る、今代の皇帝として名を継いだ男、ヘラルド・フォン・ブルースフィアは不機嫌そうな苛立ちを隠しもせず、それがまた周囲の者に圧迫感を与えていた。

 

「それで、アールスハイドからの伝達について、詳細は分かったのであろうなゼスト?」

 

 皇帝ヘラルドは会議室の端に立たされているこの場に召喚された人間で唯一の平民階級であり、諜報部隊の長である壮年の男、ゼストに報告を求める。

 その内容は先だってアールスハイド王国からもたらされた情報の真偽を確かめるためのものだった。

 帝国との関係は良く無い、むしろはっきり悪いと言える王国だったが、災害と大差ない存在である魔人の情報は共有されるべきとして既に使者が派遣されていた。

 

 王都に現れた魔人が帝国方面へと離脱した、その報せだけでも帝国の人間を震え上がらせるものだったが、更にそこには彼らにとって無視できない情報が含まれていた。

 問いを受けたゼストは皇帝の苛立った様子にも怖気づいた様子なく丁寧な物腰で応じる。

 

「はっ、まず結論から申し上げますとこの度アールスハイドよりもたらされた報せは――欺瞞情報であったようです」

 

「……欺瞞、だと? どういうことだ」

 

「順を追って説明致しますと、まずアールスハイド王都に魔人が現れたという情報、これは事実のようです」

 

 淡々とそんな情報を口にしたゼストに参列する貴族達から口々に「話が違うではないか」などと責めるような言葉が飛ばされるが、当のゼストは顔色一つ変えず報告を続ける。

 

「しかしこの魔人については王国の手によって討伐済みとの確認が取れております、功労者への叙勲も近日執り行われる予定であるようです」

 

「何? 既に倒されている……だと?」

 

「はい、しかしその際に王国軍にも少なからず被害が出た模様、そこから目を逸らすための誤情報であると判断されます」

 

 過去には王国に甚大な被害をもたらしたという魔人、その脅威がこちらに向くのではないかと危惧していた帝国貴族達は既に討伐されたという報せに安堵する素振りを見せるものもいたが、変わらず浮かない顔のままでいる人間もその場には多数見られた。

 皇帝であるヘラルドもまたそんな人間の一人で、気を抜いた貴族達を威圧するかのようにテーブルへと拳を叩き付けながら声を荒げる。

 

「腑に落ちん。そんな目的であるとしても、何故奴らはあの名前を――オリベイラの名を使えたというのだ!?」

 

 それこそがヘラルドを筆頭に多くの貴族達の心中を荒立てている元凶だった。

 前帝の時代、公爵の一人だったオリベイラは自領土での平民優遇の政策を進めていた男で、それは他領からの移住を招き税収は向上、国への上納金も増えたことで貴族院の法衣貴族達からの評価も高くなり次代の皇帝として選ばれてもおかしくないまでに支持を高めていた。

 現皇帝であるヘラルドとその一派はかつてそんなオリベイラを疎んじ、謀を企てた側の人間達。

 

 その思想に感銘を受けたとして経営方針を学びたいとする要請に当時のオリベイラは快く応じ、帝都に滞在して貴族達に指導を行っていた。

 そうしてオリベイラが空けてしまった領地でヘラルドは配下の者に若い女性を中心とした誘拐事件を起こさせ、それが領主の手によるもので平民優遇の政策はその為の餌であったと噂を流していく。

 オリベイラ自身は平民にも分け隔てなく接する、温厚な人柄で慕われている人物だったが、その父は旧来の帝国貴族然とした人間であり、貴族に対する不信感を拭いきれなかった平民達は都合よく踊らされていった。

 

 偽の憲兵による、偽の誘拐犯検挙、そんな様を見せつけられたストラディウス領民達は暴動まで起こしてしまい、折り悪く第一子の出産が近づいていた妻の為に領へと戻ったオリベイラはそんな現場に直面することになる。

 優れた魔法使いだったオリベイラはそんな領民達との抗戦で魔力を暴発させ死亡、したものと今まで考えられていた。

 そんな彼が実は生きており、しかも魔人になっていたなどと聞けばヘラルドらが落ち着いていられるわけもない。

 

 もし真実が伝わっていれば復讐されると分かり切っているが故に、オリベイラ・フォン・ストラディウスと名乗る魔人が帝国に向かったという報せを聞いた彼らはこの日まで、いつ彼がやってくるのかと精神を擦り減らし続けていた。

 

「そちらについては王都にて、旧ストラディウス領からの亡命者が確認されておりました」

 

「亡命者だと? なぜそんなことが分かった?」

 

「王都に潜ませております協力者からの情報です、その者が王国関係者と接触を図った形跡があり、その折に何らかの、帝国が気にせざるを得ない情報がもたらされた可能性は十分にあるかと」

 

 そこまでゼストが報告し終えると室内がシンと静まり返る。

 やがて長い黙考の後に口を開いたのはそれまで苛立った姿ばかりを見せていたヘラルドだった。

 

「……魔人が討伐されたというのは定かなのだな?」

 

「はい、そちらは裏付けもとれております、王都の市井はその話題で持ち切りだったそうです」

 

「フン、そういうことか……アールスハイドめ、姑息な手を」

 

 やっと得心がいったという体で息を吐くヘラルドにその思考が掴めずにいる側近達が恐る恐る口を開く。

 

「陛下……王国の意図がお分かりに?」

 

「無論だ、ゼストよ、以前の報告によれば王国は今魔物の発生事案が増加し、軍もその対応に追われているそうだったな?」

 

「――はっ、そのようでございます」

 

「つまりは魔物の対応に加え、魔人の対処で損害を受けた隙を我が国に突かれまいとしているのだろう」

 

「おお……と、いうことはつまり」

 

 その推測に感動し、期待を覗かせる貴族達の前でヘラルドは尊大な様を見せつけるように立ち上がると手を振って見せる。

 

「皆の者、戦の準備を進めよ、今こそアールスハイドを手中に収める、千載一遇の好機であるぞ!」

 

 異を唱えることすらできない覇権国家となること、侵略による領土拡大を続けて来た帝国にとっての悲願が近づく予感に室内の雰囲気は会合が始まる前から一変していた。

 熱に浮かされた貴族達がヘラルドに賛同を示す中で一人、ゼストのみは冷えた目でその様を眺めている。

 国家を運営する立場にありながら、この場の貴族達にゼストのもたらした情報、それが具体的な数値もなく不確かなものがほとんどであることを指摘する者は誰もいなかった。

 

 それはこれまでゼストという男とその部隊が敵国の内情を探り、国防の隙を調べ上げ帝国の侵略行為を支えてきた実績の持ち主であることが大きかったとはいえ、迂闊に過ぎることを気にしないままに彼らは破滅への一歩を踏み出してしまうのだった

 




今回の帝国ざっくり変化点

シュトローム「興が乗って正体バラしちゃったからフォローよろしくね☆ミ」

ゼスト「」


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究極魔法研究会

尺の切り方に迷ったので短めですが一話更新します。
返信いつも遅れがちですが、感想、誤字訂正下さる方々いつもありがとうございます。


 新入生に対する研究会説明後、予想通りというべきか、すっかりと名前の知れ渡ったシンには各研究会からの誘いが殺到した。

 すぐに彼が新たな研究会を立ち上げることが知られると今度はそちらへの入会を希望する生徒が殺到し、Sクラスの教室は一時押し掛ける人で出入り困難なまでになった。

 全ての生徒を受け入れるわけにもいかず、顧問の教師となったアルフレッドの提案により異空間収納の魔法が扱える者に限り入会を認めると条件が定められ、Sクラス以外からの入会者は三名にまで絞られたらしい。

 

 付与魔法を研究している生活魔法研究会なるものが存在しているらしく、そちらの方が穏やかに過ごせそうではあったがオリベイラの件があり殿下から魔人に対抗できる稀少な人材として認識されているのが仇となった。

 こちらもかの魔人を野放しにしておくには危険とは考えている。

 情報源が多いのに越したことはないので、オリベイラへの対策方針が固まるまで仮に、という条件をつけて私も入会することになった。

 

「仮などと言わず参加してほしいが……マーシァにとってもシンの魔法は参考になるだろう?」

 

「私自身は別に魔法を極めたいなどという目的があるわけでもありませんから、折を見て生活魔法研究会の方に移籍させて頂きたいと思います」

 

「惜しいな、無理強いは出来んが……そういえば」

 

 研究会に割り当てられる部屋で、Aクラスからの入会者を待っている間、ふと思いついたようにアウグストが尋ねてくる。

 

「異空間収納は使えるのに、鞄を持ち歩いているんだな?」

 

 全員が異空間収納の魔法を使えるSクラスの生徒達は学院に鞄を持って来ない。

 教科書や筆記具などすべて異空間収納に納めておけるからだ。

 そんな中でそれらを鞄に入れ持ち歩いている私がおかしく見えたのだろう。

 

「習慣づけです、私の領では公共の場で異空間収納を使用することは禁じていますから」

 

「禁止……? それはまた何故……領民から不満の声は上がっていないのか?」

 

「はい、そもそもそれだけの魔法を扱える魔法使いが民間に多く居るわけではありませんから、王都でも街中での攻撃魔法の使用は禁じているでしょう?」

 

「それは危険だからだと分かり切っているだろう?」

 

 同列に扱うのが信じがたいというような反応を見せる殿下だったが、こちらからするなら何故扱わないのかという気にもなる。

 その理由を示す好例はすぐに目の前で披露されるのだったが、気にも留められなかった辺り手遅れなのだろう。

 やがてやってきたAクラスからの入会者は殿下の護衛だったユリウスと他二名。

 

 家が鍛冶工房をやっているという少年、マーク・ビーンズに、両親が王都では有名な食堂である『石窯亭』を経営しているというオリビア・ストーン。

 ユリウスに続き幼馴染というその二人が自己紹介するとマークの家、ビーン工房は質の良い武器を取り扱っているとして王都で評判らしく、シンが武器を新調したいと相談を持ち掛ける。

 魔人を討伐した英雄の武器に代わる代物などそうそう無いと焦るマークだったが、そんな彼に対して。

 

「じゃあ俺の剣ちょっと見てくれる?」

 

 思惑ありげにシンは自身の異空間収納から一振りの直剣を取り出すとマークに渡す。

 こうして人を殺傷できる凶器が取り出し自由だというから禁止せざるを得ないのに、この国では誰も気にしていないらしいのが悲しい。

 凶器がいつでも出し入れできる上に生物の死体すら収納できる、つまりは物的証拠の隠蔽も容易で、こんな魔法を攻撃魔法同様に危険視できないわけがないだろうに。

 

 そんな私の嘆きをよそに、シンから受け取った剣を観察していたマークが驚愕を露わにしていた。

 

「これ……普通の鉄製の剣じゃないっスか! しかも薄くて耐久性もあまり……本当にこれで魔人を斬ったんスか!?」

 

 魔法学院の生徒は大半が剣というものに対し造詣は深くないが、その反応には皆が大なり小なり驚きを示す。

 賢者の孫で、新英雄、そんな彼なら扱う武器も上等な代物だという思い込みがあったのかもしれない。

 カートに止めを刺したときのことを思い出すと、剣にはなんらかの魔法が付与されているらしい反応があった。

 

 その辺りに何か絡繰りがあるのかと考えていると、剣を受け取り本当に言われた通りのものらしいと確認しているアウグストにシンが種明かしをしていた。

 

「剣は普通だけど魔法付与してあるんだ、魔力を通してみろよ」

 

「魔道具なのか――これは、刃が微細に振動している……!?」

 

 言われた通りに剣へと魔力を通したアウグストがその変化に瞠目しているが、それを聞いたこちらは背筋に嫌な悪寒を感じてしまう。

 振動って、まさかね。

 

「で、これ斬ってみ?」

 

 用意のいいことに、シンが異空間収納から取り出した二の腕ほどの長さの丸太を放る。

 斬ってみろと言われても唐突のことで、すぐに対応できなかったアウグストは丸太の放物線上に剣を掲げることしかできなかったのだが。

 刃に接触した丸太はろくに抵抗すら生じていないかのようにスッパリと、真っ二つに両断され床へ転がった。

 

 ……えぇ。

 

「なっ……何だこれは!? 全く力を加えずに……」

 

「バイブレーションソード――刃に超高速な振動を加えるとそういう風に物が斬れるようになるんだ」

 

 自信作なのか、少し得意げにその付与内容を語って見せるシンに皆が呆気にとられている。

 私もまた呆気にとられてしまっていた、多分他の皆とは別の理由からだろうけど。

 超高速な振動、つまりは超音波カッターのような理屈なのだろうか。

 

 前世なら色んな分野で用いられていたし、ネット通販でも簡単に購入できる確かに良い切れ味のちょっとした工作にもってこいの品だ。

 けれど今実演されたように、太い丸太を一刀両断なんて真似ができるような代物じゃなかったはず。

 摩擦が抑えられるとはいえ、そんな使い方をしようとすればまず刃の方がポッキリと逝く。

 

 にも関わらず彼の剣はそれを成し遂げている、私がやっているように、こうあれとするイメージを創り上げ道理を捻じ曲げているのかと思いもしたがシンの顔を見るとそれも無さそうだ。

 あの自信ありそうな顔は本気で「高速で振動する刃は凄い切れ味になる」と信じている顔だ。

 魔法に頼らずその原理を再現することがこの世界ではまだ出来ないので立証は出来ないが、彼が常人離れした魔法を扱えるという理由の一端を知れた気がする。

 

 何が()になっているのかは分からないが、この思い込みの強さはこの世界で強みになる、なってしまうのだから。

 

「薄い刃……そういう条件だけでいいなら自分にも打てます」

 

「ほんと!? 助かるよ、色々試したいことあったんだけど、今までは人伝に頼んでたから細かい調整とかできなくてさ。放課後に君の家行ってもいいかな?」

 

 嬉しそうにはしゃぐシンに、並の付与魔法使いでは到底作れないような魔道具を持ち出しながらまだ足りないのかと言わんばかりに皆が畏れ交じりの視線を向けている。

 

「それはいいがシン、街中を歩くならお前の評判を聞きつけた人間に囲まれたりしないよう注意しろよ。特に、良く知りもしない女に囲まれたりすると面倒臭いぞ」

 

 次期王位に就くことが確定的な王子として、嫁入りを期待する貴族の子女などに囲まれた過去があるらしいアウグストが忠告を入れるとシンもハッと思い出したような顔をする。

 

「確かに知らない場所にはゲートも使えないしな……いっそ変装するか姿を消してでも行くかな」

 

「姿を消す……って何ですか?」

 

 さらりとシンが口にした言葉の意味が分からず、トールが問い掛けると。

 

「いやこうやって」

 

 その一言と共にシンの姿がその場からかき消える。

 実際には何らかの魔法により姿が見えなくしただけで、彼自体はどこにも行っていないようだったが。

 

「えっ!? シン君、どこですか?」

 

「嘘っ……急に消えた!?」

 

「いやそんなに驚かなくても……」

 

 慌てるシシリーとマリアに見えないまま返事したシンはすぐに魔法を解除し姿を現した。

 いや目の前の人の姿が前触れもなく消えれば普通は驚くでしょう。

 魔法を披露する度に似たような反応をされているのだから、それぐらいは分かるんじゃないかと思うのだけれど。

 

「な……何今の? どうやったの?」

 

「光学迷彩の魔法を使ったんだよ」

 

 マリアの問いに何でもないことのようにそう返している辺り、この世界の文明レベルでそんな知識を用いることが常識的でないことを本気で分かっていないらしい。

 前世の記憶持ちであることはもう確定的である気がするが、知識と倫理のつり合いがあまりにもとれていない。

 世俗に関わりを持たない箱入りな人間だったのだろうか。

 

「人間の目って光が反射したものを見てるだろ? だから俺の周囲に魔法で干渉して光を歪めてやると、俺の周りの風景に反射した光が俺を迂回して前に居る人間に見える。結果俺が消えたように見えるってワケ」

 

 当然のことながら、そのシンの説明を理解できた人間は誰も居ないようで、皆ひたすら頭の中に疑問符を浮かべるような顔をしている。

 

「……マーシァは理解できたか?」

 

「……いえ、おぼろげにしか。真似できる気はしませんね」

 

 レンズで視力を矯正している眼鏡は発明されているのだから、光を操ればそういった目の映り方に干渉できると発想できる人間は居るかもしれない。

 ただ綺麗に人一人の姿だけ消してみせるだとか、どう光を歪めれば実現できるのかだとか彼の魔法では一切考慮されていないだろう。

 かの賢者様はそんな過程なんてすっとばした魔法を次々とゼロから開発していく孫を見て本当に疑問を持たなかったのだろうか。

 

「ターナさんでも無理だったか……まあここは究極魔法研究会なんだから、これぐらいで驚いていられないだろ?」

 

「いきなり究極すぎる!」

 

 その常識離れぶりに皆が口々に「もう生暖かく見守ろう」と呆れたり、「少しでも学びとる」と意気込んだりとしていたが、いずれにしても圧倒されてしまったことには違いないだろう。

 それにしても彼だってほとんどが森暮らしだったとはいえ、十五年もこの世界で暮らしているだろうに。

 親の顔が見てみたいとは言うが一度賢者様の顔を拝んでみたい、二つ名通りさぞかし知性に富んだ人なのだろうと考えていたが、実態が怪しくなってきた。

 

「流石と言わざるを得ないが光学迷彩だったか、もしこんな魔法が広まってしまえば戦場でも奇襲が簡単に成功するだろうな。みだりに使用することは控えろよシン」

 

「お、おう。そうだな、気を付けないと……」

 

「……逆に広めきってしまった方が安全かもしれませんがね」

 

 呟くと意外そうにシンとアウグストがこちらを見てくる。

 ああやっぱり思い至ってはいなかったのか。

 

「それはまた何故だ? 真似できる奴が現れたら今言ったような危険があることは分かるだろう?」

 

「いいえ、あくまで姿が見えなくなっているだけで魔力反応まで消せるわけではありません、索敵魔法を使えば発見は容易です」

 

 この世界の生物は例外なく魔力を持つ、故に視覚だけを誤魔化しても存在を隠蔽することはできない。

 普段そんなことに気を回していない民間人の目を欺くぐらいなら楽だろうが、そこで魔法が使用されている反応まで垂れ流しているのだから人によってはすぐに気付く。

 指摘されてようやくそこに気づいたようにシンらは「あっ」と声を漏らしていた。

 

「なるほど……確かに索敵を緩めなければ発見できる、そんな魔法があることが知っていれば対処のしようもあるということか」

 

「盲点だったな……確かに魔力の反応は消しようがない」

 

 魔法に頼れば魔力を使わざるを得ず、それは自身の存在を発信することになってしまう。

 実のところこの世界で完全な隠形は不可能に近いのだった。

 

「為になるな――やはりマーシァ、正式に研究会に参加しないか?」

 

 こんな気疲ればかりしそうな研究会はまっぴらごめんですと、口にしてしまいたいがなんとか堪える。

 治安も大事だが、早く移籍するためにもオリベイラの所在が明らかになって欲しいものだ。



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新装備

また返信遅れてしまっていますが感想、誤字修正下さる皆さまいつもありがとうございます。
今回はちょっと難癖回みたいになってしまいましたが、孫のお話上でどうしても気になってしまう部分でもあったので。
次回はもうちょっとストーリー進展させたいですね。


 シンの装備新調は最終的にマークの家、ビーン工房に依頼することになったらしい。

 クラスメイトのトニー、騎士の家系であるという彼にアドバイスをもらったり、魔人に対抗できる存在としてアウグストが王家からの資金援助を約束したことでその日の内に工房にも話はついたようだ。

 その際にシンがシシリーに防御魔法を付与したアクセサリーをプレゼントすることがあったらしい。

 

 魔人騒動など世間が不穏な中、何かあったときの為にということらしいが、換金すれば平民がしばらく遊んで暮らせそうな代物をあっさりと贈るとは、前回制服の付与をかけ直したという時にはその辺りを誰も指摘しなかったのだろうか。

 クラスメイト全員に配るつもりでいたらしく私は辞退させてもらったが、まるでキャバ嬢に入れ込む童――いや、いくらなんでもこれは両人に対して失礼な例えか。

 親しい人には安全で居て欲しいし、慕う人からのプレゼントは打算が無くても嬉しいものだろうし。

 

 偏見が過ぎるひねくれた見方をしてしまいそうだった自分を嫌悪しつつ、これから臨まなければならない祝賀会に向け気を引き締める。

 場所は王城、謁見の間。

 玉座へと続く絨毯の脇を自分を含めた王国貴族や要職に就く者達が固め今回の主賓、勲章を授与される彼を待っている。

 

「救国の勇者! 新たなる英雄! シン・ウォルフォード様御入場!」

 

 声高らかにその到着が告げられる。

 入場してきた正装のシンは列席者達からの拍手に迎えられ流石に緊張した様子を見せながら玉座の前へ進み跪く。

 そして玉座に座るディセウム国王陛下が魔人討伐の功績を労い、勲一等に叙する旨を告げる。

 

 賢者の孫であり新英雄、そんな彼の知名度は貴族のご歴々の間でも既に高まっていて、あちらこちらから興味深そうな視線が向けられている。

 魔人が再び現れたという事態は王国民にとって悪夢の再来だが、それをまだ若年にして討伐せしめた彼とどうにかして縁を結んでおきたい人間も多いだろう。

 そうした雰囲気の中、シンに勲章を授けた後にディセウム陛下がおもむろに声を上げた。

 

「皆の者、よく聞け! このシン・ウォルフォードは我が友、賢者マーリン・ウォルフォードの孫であり、我にとっても甥のような存在だ。彼がこの国に居るのは彼の教育の為であって、決してこの国に利をもたらす為ではない!」

 

 この状況を予想していなかった貴族達に動揺と困惑が広がる中、陛下は更に言葉を重ねていく。

 

「彼を我が国に招く際、賢者殿と約束したことがある、彼を政治利用も軍事利用もしないことだ! その約束が破られた際、英雄の一族はわが国を去る、そのこと努々忘れるな!」

 

 その唐突な宣言には陛下の前だと言うのに、大多数の貴族達がざわつくのを隠せなかった。

 てっきり彼が王国の発展に尽くしてくれるのだろうとばかりに思っていた人間達にとっては肩透かしを食らった気分になることだろう。

 公式の場で、国王陛下から直々にこんな宣言をされては彼にアプローチをかけようとしていた人間も考え直さざるをえない。

 

 ただ――隣のシンに対して安心させるように力強く微笑んで見せている陛下を見て思ってしまう。

 我が息子に国宝級の付与魔法が施された服を受け取らせておきながら、臣下には今のような発言をしてしまうのはいかがなものだろうかと。

 しかも彼の装備開発には王家からの援助も約束されている、利用しないというならそういった干渉も控えておくのが筋ではないか。

 

 いけないのはあくまで彼を利用することで、彼が勝手にやること、それを支援することで利益を受ける分には何の問題もないというのは、いささか詭弁に感じる。

 いくら王国にとって大恩ある人物に対する配慮だとしても、まるで一国家が上位者に(かしづ)くようですらある。

 陛下は賢者殿を我が友と称したが、氏に対する字面通りではない依存性が垣間見えたようで、こちらはまた一つ気が重たくなってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 授与式後はそのまま大ホールにてパーティーが催され、陛下の宣言こそあったが親交は深めておきたいのだろう、主役たるシンは次々と挨拶にやってくる貴族やその子女の対応に追われていた。

 お蔭さまで公爵位を襲名したばかりでそれなりに注目されているこちらへ流れてくる人も少なくなっている。

 気を張りながらひたすら挨拶するのはとても疲れるし、婿にいかがかと言わんばかりに貴族家の次男坊を紹介されるのもこりごりだ。

 

 今日はこのまま目立たず過ごさせてもらおうとしていたのだが、近づいてきた壮年の男性二人組が丁寧に会釈してくるのを無視もできなかった。

 

「貴方は……魔法師団のオルグラン団長、先日は世話になりました」

 

「はっ、閣下におかれましてはご機嫌麗しく。それに先日のことについてはむしろ私共の方がお礼を申し上げなくてはならんでしょう」

 

 あの時の部下に対する指示から察するに粗野な言葉遣いが素なのだろうが、ルーパーは流石に場慣れしているのか完璧とはいかずとも堂々とした折り目正しい態度で接してくれた。

 私としては気揉みしてしまう殿下相手よりも正直こういった相手の方が助かる。

 

「そちらの方は確か……」

 

 共に来ていた男性に目を向けると、ルーパーに促されその服の上からでも鍛えられた体つきをしていることが分かる人物が名乗ってきた。

 

「閣下にはお初にお目にかかります、現在の軍務局長を務めさせて頂いている、騎士団総長のドミニク・ガストールと申します」

 

 つまりは王国における軍事の長だ。

 挨拶を返しつつそんな人達がやってきたことを密かに驚くが、自分の立場をよくよく考えればそうおかしな話でも無いのだったが、それよりもルーパーの方がこちらに用があったらしい。

 

「あの魔人が正体を見せたとき、部下共々すっかり助けられてしまった閣下には改めてお礼を申し上げておきたかったのですよ」

 

「お気になさらず、魔人が再び現れるなどと誰にも予想できないことだったでしょうからね」

 

「仰る通り、しかし賢者殿の御孫様もそうですが、それを撃退して下さった閣下には感謝してもしきれないでしょう。王国の国防を預かる身としては不甲斐ない限りですがね」

 

 確かに魔人という脅威に対して為す術のなかった事実は軍事に関わる者として沽券に関わることだったろう。

 ルーパー同様に隣のドミニクもまた痛ましい顔つきになっている。

 

「そんなこともあり、閣下が陛下に奏上して下さったと言う案件は実にありがたく存じます」

 

 ルーパーが口にしたのは先日の魔人騒ぎがあってこちらから具申した王国軍の補強案だった。

 王政に籍を置いていない身で軍事に口を出すのは少し憚られたが、オリベイラを相手に蹂躙されるのみだった兵達を見た後では放置しておくのも気が咎める。

 また同じようなことがあった時に、彼らでも対抗できるようになって欲しいと願ったのだが、この様子を見るとなんとか受け入れてもらえたらしい。

 

「魔力制御の訓練は当然の事、言われてみれば確かに魔法師であっても身体能力の鍛錬を疎かにすべきではありませんでした」

 

「ええ、学院でも感じましたが王都では優れた魔法使いほどそこを軽視しがちなようですね」

 

 学院では同じ高等学院である騎士学院と魔法学院、互いの評価をたまに耳にする。

 曰く、騎士学院の生徒から見た魔法学院生徒はモヤシ。

 魔法学院から見た騎士学院の生徒は脳筋と評されているという。

 

 偏見と言ってしまえばそれまでだが、魔法を扱える人間の多くが身体強化の魔法で解消できるあまり肉体的な鍛錬を軽視しているのは事実だった。

 いくら身体強化の魔法が使えても、それが扱えない状況であれば鍛えている人間と比べてスタミナの無さ、なにより明らかな打たれ弱さが露呈する。

 障壁を抜かれた攻撃を受けた際にあっさりと動けなくなってしまえば仲間の足手まといとなってしまうことは避けられない。

 

 軍隊として継戦能力を下げるそういった要素は可能な限り排除しておくべきだろうとして、具申案には魔力制御の訓練を積む重要性と共にそちらの見直しも盛り込んでいる。

 

「ただ付与魔法師の育成に関しては――」

 

「ちょっといいかい?」

 

 難しそうな顔をしてルーパーが続けようとした言葉が横合いからの声に遮られる。

 揃って顔を向けた先には高齢の男女の姿。

 年嵩の感じられる皺の刻まれた面立ちに反して背筋はすらりと真っ直ぐに立ち衰えを感じさせない。

 

 二人が身に着けているのは王国から勲一等に叙された者に対して贈られるマント。

 何より授与式にも参列していたその人物達の存在を知らない王国民は居なかった。

 

「――っ!? これは賢者様に導師様、いかがなさいましたか?」

 

「ああいいよそんなにかしこまらなくて、ちょっとそっちの子と話したいんだけど譲ってもらってもいいかい? 大事な話をしてたってんなら後にするけど」

 

「滅相もありません! ルーパー?」

 

「ああ、では閣下、話半ばで申し訳ありませんが、失礼致します」

 

 元祖英雄とでも言おうか、王国にとって尊敬と崇拝の対象である賢者マーリンと導師メリダの声掛けに恐縮しきった様子でルーパーとドミニクは離れて行ってしまった。

 軍内部の人間である彼らからの話はもう少し詳しく聞きたかったが、相手が相手なだけにしょうがないか。

 そんな人物が用があって来たというのだから、こちらとしては気が休まらないが。

 

「賢者様、導師様のご両名にはお初にお目にかかります、若輩の身ではありますが公爵の位を戴いているターナ・フォン・マーシァと申します」

 

「アンタの事はシンやディスからよく聞いてるよ、本当にそんな齢で爵位を継いでるなんてねえ」

 

「――お見知りおき下さったとは、光栄に存じます」

 

 覚悟はしていたが、やはり目の当たりにすると表情に出さないよう意識するのに努めなければならなかった。

 自身が英雄であるという自負の為せる振る舞いなのか、遥か年下とはいえ公爵に対して物怖じするどころかアンタ呼ばわりとは。

 偉大な功績を挙げた人物であることは理解しているつもりだが、だからといって礼儀を弁えないというのは品格を疑ってしまう。

 

 誰にでも分け隔てなく接する人柄と言えば聞こえは良いし、こちらが平民だったのなら素直に感動できたのかもしれない。

 シンの保護者だった人物のこうした面を見ると彼がどうして常識知らずに育ったのか頷けてしまいそうだ。

 

「ほほう、この婆さんを相手に立派なものじゃな、この国の者は大体が恐縮して縮こまってしまうのにのう。シンにも見習わせたいわい」

 

「お黙り、元はと言えばアンタが常識を教えないからシンはそうなっちまったんじゃないか。っとにもう」

 

 好好爺然として笑ってみせるマーリンだったがメリダが叱りつけるとシュンとしょげた顔をしてみせる。

 二人は元夫妻関係にあったそうで、復縁したという話は聞かないがその様は離婚しているとの話が嘘のように見えた。

 また別の話によればメリダ氏もまたシンが幼い頃から付与魔法の指導を行っていたという。

 

 であるのならシンと同じく世俗を離れていたマーリン氏だけでなく、外部とも交流があったろうこのお方にも常識云々の責任の一端はあるように思うが気に病んでいるような素振りは無い。

 

「ま、導師だなんだと敬われるのはアタシもこの爺さんも面倒なタチでね、アンタも気兼ねなく接してくれると助かるよ」

 

「……お気遣い痛み入ります、私にも立場がございますので難しいところもあるでしょうが、そう努めさせて頂きましょう」

 

 これ以上考えるのは止めておこう、目の前の現実こそがこの国の常識であるのだからこちらの方が異端である。

 下手に突っ込みを入れれば顰蹙を買う未来しか待っていない、そう確信するには十分なものを王都に来てからこちら見て来た。

 

「シン――今回の叙勲であの子も名が知れ渡っちまった。あの子の無茶苦茶っぷりには振り回されちまうかもしれないけど、見放さず仲良くしてやってくれないかい?」

 

「はい勿論、確かにシン君の破天荒ぶりには驚かされる毎日ですが、彼が道を誤りでもしない限りは友好にありたいと思います」

 

 色々と肝を冷やされることは多いが、現状彼はクラスメイト。

 国王陛下の宣言もある以上、政局に巻き込まれることも無いのだろうし、害が無ければ友好的な関係は築けるだろう。

 

「フフフ、なかなかはっきりと物を言うじゃないか、しかしただハイハイって頷く輩よりは信用できるさね。それに心配は要らないよ、あの子には小さい頃から事の善悪について厳しく躾けてある、そんなことにはならないさ」

 

 自信あり気に仰いますが導師様、善悪については躾けても常識は教えなかったのですか。

 ――いかん、考えないようにするんだった、ふとした拍子に暴投が飛んできて返球のコントロールが外れそうになる。

 

「そうそう、アンタの商会で開発してる魔道具、よく出来てるっていうか、たいしたもんじゃないか。アタシやシンでも仕組みが分からない魔道具なんて初めて見たよ。一体どんな付与を使ってるんだい?」

 

「機密もございますので全てお伝えすることは出来ませんが、設計思想からして既存の魔道具とは異なっておりまして――」

 

 そうしてハラハラとさせられっぱなしで祝賀会を過ごし、屋敷へと帰り着く頃にはすっかり疲労困憊になってしまっていた。

 窮屈なフォーマルドレスから着替えるのも億劫になり授与式帰りそのままの格好で私室の執務机に突っ伏していると労ってくれる声が頭の上から降ってくる。

 

「お疲れ様です閣下、随分お疲れみたいですね?」

 

「……精神的にだけどね」

 

 声の主はいつもの白衣姿のヒルダ。

 恥ずかしい所を見せてしまったあの日以来、部屋に設置した転移魔法を付与した魔道具で彼女は頻繁にこちらを訪れている。

 依頼してある素材を持ち込んでくれてもいるが、そうした理由をつけて私の顔を見に来てくれているらしい。

 

 万が一に流出しても困るので、付与した魔法は私と彼女にしか通過できない仕様にしてある。

 便利に過ぎる魔法を自分の為だけに使うのは後ろめたくもあったが、頭を冷やしてくれる彼女のような存在が傍に居てくれるのは正直助かっていた。

 依存しているようで、また別の後ろめたさがあるのも事実だったが。

 

「新英雄様の勲章授与式でしたっけ、何かトラブルでもありました?」

 

「いいや、式もパーティーも問題なく終わったよ。ただ賢者様と導師様にご挨拶して、ちょっと気疲れしちゃって」

 

「あの御二方にですか、クルトでも導師様はすごい人気なんですよね。伝記もたくさん出版されてますけど、どうでしたか、実際にお会いしたご感想は?」

 

 生国の名前を出しながら尋ねてくるヒルダだったが、正直なところあの場でお二方から受けた印象は『じじバカ』『ばばバカ』、それらが大きすぎる。

 賢者様には魔法の腕前を披露してもらうなんてわけにもいかないのでしょうがないし、導師様はより広く民間への普及を目指しているこちらの商会の魔道具に共感は示して下さった。

 しかし事あるごとにシンを引き合いに出され、自分達以上の使い手であるが思いやりのある良い子だとか、規格外に見えても理不尽な存在ではないだとか語られては辟易もする。

 

 魔人をどう撃退したのか聞かれ誤魔化している時の方がまだマシだった。

 そんな気持ちが顔に出ていたのか、いつの間にかヒルダを苦笑いにさせてしまっている。

 

「あらあら、どうやらあまり馬の合うお相手では無かったご様子ですね」

 

「……偉大な方々だっていうのは理解してるつもりなんだけど、どうにもね」

 

 相手が相手なだけに、おおっぴらに愚痴を言うのも憚られるので言葉を濁していると、部屋の扉がノックされた。

 

「閣下、調査を任されていた件の報告に上がりました」

 

「ああオルソンか、どうぞ入って」

 

「失礼します――ヒルダ女史もおいででしたか」

 

 白い包みを手にして入室してきたオルソンが玄関を通らずやってきているヒルダと目礼を交わす。

 魔道具を置いて少しの間は驚かせてしまうことがあり、屋敷の警備を任せている彼に余計な苦労をかけるのが心苦しかったが近頃は慣れてくれたようだ。

 

「どうだった?」

 

「はい、王子殿下が仲立ちとなりシン・ウォルフォード殿発案、ビーン工房製の装備が騎士団に配備されるようです。一般販売もされるとのことで、一点入手することもできました」

 

 この場には身内しか居ないせいか、その報告にはついため息を漏らしてしまった。

 わざわざ調べずともいずれ知れることではあったが、シンがビーン工房に製作を依頼した新装備、そのアイディアを流用した装備が騎士団の正式装備に採用されたらしいのだ。

 アウグスト殿下がシンとなにやら密談していたから不安に思っていたのだが、利用しないという話はどこにいったのか。

 

 しかも一般に販売するとは、需要があるとするなら魔物ハンターぐらいだろうが、シンの方から自主的に販売した商品を扱うのはセーフだとでもいうのだろうか。

 オルソンが手にしている包みがその現物なのだろう。

 差し出されたそれを受け取り、一体彼はどんな代物を開発したのだろうかと恐る恐る取り出してみると。

 

「――剣?」

 

「剣ですね」

 

 一振りの直剣、ぱっと見た感想はそれ。

 それだけならどうして新たに騎士団に採用されるのかも不明だが、先に気づいたヒルダが指摘した。

 

「鍔のとこに何か仕掛けがついてますね」

 

 見てみると確かに只の剣の柄にしてはおかしな造りになっている。

 触ってみようとしたところでオルソンから制止が入った。

 

「閣下、少々お待ちを――失礼」

 

 何かと思い見てみれば、持ち込んでいたらしいマットを机の上に広げ始めた。

 ますます意味が分からなくなり何のつもりかと見てみて気づいたが、オルソンもどこか疲れたような表情をしていた。

 

「結構です、鍔のグリップが可動する構造になっておりますので作動させる場合はそちらの上で、刀身も水平にされた方がよろしいかと存じます」

 

 感情を押し殺したように淡々としたオルソンの語り口にとても、とても、嫌な予感がするのは何故だろうか。

 妙な緊張感に包まれながら言われた通り、刀身を倒し水平にして、鍔の可動部をスライドさせてみる。

 

 びょん、と、刀身が柄から射出されマットの上へと落ちる。

 

 その光景に誰も言葉を発せず、しばしの沈黙が訪れる。

 

「え……マジ?」

 

「お嬢、口調口調」

 

「あ……ごめん、うん……でもこれ……ええ?」

 

 思わず口調が崩れるぐらいには衝撃的過ぎた。

 

「これは……何かしらの魔法を付与する前提で造られてるのかな?」

 

「いえ、軍に配備される品はその状態で完成品であるようです。……申し上げにくいのですが、破損した刀身を破棄、交換して使用することで武器を持ち替える隙の解消、及びコスト節約になるとのことで」 

 

 シンの振動剣のような付与魔法が施されるのではないかという、最後の望みもあっさりと打ち砕かれる。

 彼が用いる剣は刀身が薄くしてある為に強度が低いので破損しやすいとは聞いていた。

 これはその解決策のつもりなのだろうが、真っ当な刀身を扱う騎士達にまでこんな仕様の剣を回してどうしようというのか。

 

 仕掛け一つで飛び出し、柄に差し込む造りにした刀身なんて強度が落ちるのは目に見えている。

 大体コスト節約だとか、剣という武器においてコストの大部分を占めるのは使い捨てるというその刀身そのもの。

 そもそも剣に用いられる鉄、いわゆる鋼自体が安い代物じゃなく、平均的な収入の平民なら購入することすらおいそれと出来ない。

 

 それの強度を落としてまで交換できる仕様にするなんて、これを採用した関係者達は何を考えているのか。

 国内の消費を活性化させようとする狙いでもあるというのか、まさか賢者様の御孫様、新英雄様が考案した武器なら素晴らしいものに違いないなんて考えだけで採用されるわけでもないだろうに。

 ――いや無い、と言い切れるだろうか、近頃自分の常識に自信が無くなってきた。

 

 直剣一振り、戦場においてメインウェポンとはなり得ないにしても、時として命を預ける存在であることには変わりない。

 そんな代物をこんな有り様にして、ビーン工房の職人達はなんとも思わなかったのだろうか。

 ウチの領の鍛冶に携わる職人達がこんな武器の製作を依頼されたら激怒するような気すらするが。

 

 腹黒い見方をすれば採用した騎士団、シンが発案者であるとの評判を聞きつけた民間のハンター、需要は膨大でこの剣が想定通りの使われ方をすればするほど製作のビーン工房は儲かる仕組み。

 政治利用、軍事利用は駄目でも商業利用はオーケーというのか、賢者利権とでも称してしまいたいものが発生しているじゃないか。

 頭を抱えたくもなる、いや無意識の内に抱えていた。

 

「あー……オルソンさん、お疲れのようですから、ちょっと閣下に甘いものでも差し入れ頼めます?」

 

「承知しました、直ちに。――閣下、どうかお気を確かに」

 

 この場の人間はこの剣が斜め上な方向にヤバイことは理解してくれているらしいのがせめてもの救いだった。

 衝撃のあまり、オルソンが退室したのを見送ったヒルダが気まずそうな顔をしながら脇まで歩み寄ってするりとこちらの頭を抱きかかえるのを無抵抗に受け入れてしまう。

 

「大丈夫ですか、お嬢?」

 

「……一応、まだ、なんとか」

 

「うーん……今日は少し、お嬢の気持ちが分かったような気がしますよ」

 

 あやすように頭を撫でられる感覚に不甲斐なく癒されてしまいながらも、その感想を抱かずにはいられなかった。

 

 ――この国、大丈夫?

 



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魔法学院教師の憂鬱

予想していなかった量の感想頂いて驚いています、返信がまったく追い付いていなくて本当に申し訳ありません。
頂いた感想は全て嬉しく読ませてもらっており、とても励みになっています。
読んで下さっている皆さまいつもありがとうございます。




 究極魔法研究会の当面の活動はメンバーの魔法技術を底上げすることになったようだ。

 自分から望んで研究会の代表となったわけではないらしいシンだが、魔人の再来に加えて帝国の情勢に不穏な気配が漂い出したこともあり、皆が自分の身ぐらいは守れるようにと活動には積極的な姿勢を見せている。

 以前に疑問を持たれたように魔力制御の訓練が疎かになっていたのはSクラスメンバーの皆も例外では無かったようで、まずシンによりそこの強化が提案された。

 

 魔力制御の訓練を毎日続けているというシンに目の前で腰を抜かしてしまうほどの魔力を集めてみせられた面々はその重要性を悟ったようで熱心に訓練に打ち込んでいる。

 加えてシン流の現象の過程をイメージするという手法の指導も、それで強力な魔法が扱えているシンという実例が目の前にあるせいか素直に受け入れられていた。

 結果として研究会の参加者は日々メキメキと魔法の力量を上げているわけだが。

 

 ……このまま好きにさせていいのかな本当に?

 

 Sクラスの皆はアールスハイド国民、学院を卒業すれば魔法師団、トニーなどは騎士団に入る可能性もあるが、いずれにしても大半は王国軍の所属となる可能性が高い。

 シンの指導を受け、彼らがそこらの魔法使いとは比較にならないような実力を身に着けて軍属となることは先だって陛下に禁止された軍事利用に他ならないと思えるのだが。

 叙勲後にシンを一目見ようと学院に詰めかけた一般人が正門を塞いでしまい大迷惑を起こし、ゲートで彼の家に研究会メンバーがお邪魔した際にシンから皆が指導を受けることになった旨は賢者様方に報告してあるが、諌められるどころか好意的に受け止められているようだった。

 

 何がセーフで何がアウトとなるのか、その境界線はなかなかに曖昧なようだ。

 威力の上がった魔法の実践に学院の練習場では不足らしく、今日もメンバーの大半はシンが日頃魔法の練習に使っていたという荒野に連れて行ってもらっている。

 私はといえば、殿下からはあまりいい顔をされていないが、いつでも移籍できるように彼らと距離を取らせてもらっているので、学院に残り練習場の一画で。

 

「どうぞ先生、マリアさんもどうぞ」

 

「うん、ありがとう」

 

 顧問ではあるが指導するのはシンである為に出番の無いアルフレッド教員、そして今日は珍しく居残り魔力制御の訓練をしていたマリアに淹れた紅茶を差し入れる。

 練習場は攻撃魔法の使用が解禁されている場所でもあるので、異空間収納に収めているテーブルやら椅子やらを持ち出し、片隅を休憩スペースのように改造させてもらっていた。

 魔道具のコンロやシンクを備えた携帯キッチンまで設置したときはアルフレッドが冷や汗を垂らしていたが、使用後はきちんと片づけると約束して了承してもらった。

 

「ありがとうございます、しかし……閣下にこのような真似をさせてしまうのは、なんというか……」

 

「お気になさらず結構ですよ、学院はそういう場所なのでしょう?」

 

 学内に使用人を呼び出すつもりも無いので紅茶も茶菓子も手ずから用意しているわけだが、公爵自身にそんなことをさせてしまっていることに落ち着けないアルフレッドはそわそわとしている。

 マリアの方も似たようなものだったが卓に並べてある本日の茶菓子、フォンダンショコラに気を引かれているようで別な意味にそわついている部分があるだろう。

 フォークを入れるといい具合にとろけたチョコレートが中から溢れ出てくる。

 

 うん、出来は問題ないし焼き立てなので味も悪くない。

 口に入れたアルフレッドが小さく目を瞠り、添えた生クリームをつけて二口目を味わったマリアも瞳を輝かせるのが窺えた。

 こういった甘味は既にアールスハイドでも受け入れられている、相変わらずこの世界の娯楽的な文化は偏って発展したものだ。

 

「これは驚き――いや、失礼……まさか閣下がこのような特技をお持ちとは、存じ上げませんでした」

 

「貴族の子女とあればそれが普通でしょう。奇矯な趣味をしている自覚はあります」

 

「なんだか皆が訓練してる間にこんなの頂いちゃうと悪い気もするな……でも、美味しい」

 

 前世と今世の味覚の差を調整するのに大分苦心したこともあって、今ではそれなりの腕前になっているらしい。

 まあ貴族なら多くの場合まず家事など人任せであるし、それが手料理など披露すれば先生のような反応をされるのが普通だろう。

 見た目も気性も幼気溢れるアリスあたりに知られれば「ずるーい!」などとひがまれてしまいそうなこともあり、複雑そうな顔をしてマリアもフォークを進めている。

 

「休憩は大事ですよ。根を詰め過ぎてもいけません」

 

「でもまだ一時間もやってなかったんだけど?」

 

「一休み入れるには十分ですよ。それ以上はもう効率が悪いぐらいです」

 

 ずっと魔力制御に打ち込んでいたマリアをこうして休憩に呼んだのにもそれなりに理由はある。

 当然マリアは不思議そうな顔をしているが、難しい理由でも無いので説明はしておこう。

 

「効率が悪いって、どうして?」

 

「そうですね……マリアさんは魔力を集めるとき、自分がどういう状態か分かりますか?」

 

「自分の状態、ううん……どういうって、こう魔力を感じ取って、集めて……暴走しないように集中して――」

 

「はい、それです」

 

 求める言葉は出してくれた。

 ただそれが答えであることを知らないマリアやアルフレッドは首を傾げているが。

 

「人間、意識して集中した状態というのは長く保てないんですよ。ある程度を超えると自分では集中しているつもりでも意識が散漫になっているものです」

 

 脳の限界とでも言おうか。この辺りの能力はこちらの世界の人間も変わりないことを過去に検証して確認できている。

 車の免許を取る機会があれば講習などでも聞かされる、前世では一般常識に近い内容だ。

 

「魔力制御の訓練中に精度が落ちて来た覚えはありませんか?」

 

「ええっと、確かに……しばらく続けてたら暴走させちゃいそうになってヒヤッとしたことはあったかな」

 

「そういう時は休憩を挟んだほうが良いでしょう。頭の疲労というものは目に見えづらいですから、調子の悪い時に無理をするより、良い状態でやった方が成果も身に付きやすいですよ」

 

 訓練はやればやるほど効果が出る、なんてことはない。

 根性論にものを言わせたスパルタ教育は精神的なタフネスなら養えるかもしれないが、肉体的な面はよろしくない。

 魔力制御もまた同じだと少なくとも私は考えている。

 

「……もしかしてリンがよく暴走させちゃってるのって」

 

「可能性はあるかもしれませんね。リンさんは魔法に熱心ですから、自主練も人一倍でしょうし」

 

 自己紹介のときも尊敬する人物にマーリンの名を挙げたリンは放出魔法の習得に熱心で、シンから少しでも多くの事を学び取ろうとしていた。

 そんな彼女はよく魔力を暴走させているようで、朝から髪を焼け焦がしたまま登校してきたりとしてシンなどから暴走魔法少女なんて呼ばれていることもある。

 この辺りのことをシンは経験しなかったのだろうか、暴走させたことがあまりないまま制御力ばかりが上がってしまったのか、あるいは魔法と言うものを扱うことに対して子供が遊びに夢中になるように熱中していたのか。

 

 ちょっと思考が脇道に逸れかけたところでマリアがじっと視線を向けてきていることに気づく。

 

「あのさ、聞いてみたかったんだけど……ターナさんは魔法使う時に詠唱してるよね、変わってるけど」

 

「そうですね、あれも詠唱と言ってしまって差し支えないでしょう。どうしてそんなことを?」

 

「ほら、シンって無詠唱派じゃない? 賢者様もそうだって言うし、でもターナさんも同じぐらいすごい魔法使いなのに詠唱するから、ひょっとしたらとんでもない発想ばっかりしてるシンよりもターナさんの話の方が参考にできるかなって……侮ってるわけじゃないんだけど、失礼に聞こえちゃったらごめん」

 

 ひょっとすると今日学院に残って練習していたのはそれが理由だったのだろうか。

 マリアが言ったように、現在の主流に反してシンは無詠唱派。

 イメージさえしっかりしていれば魔法は発動する、そして戦闘中に詠唱している暇は無いし行使する魔法が相手にバレては意味が無いとは彼の言。

 

 言わんとするところは分からないでもないが、それ以上に彼からは詠唱に対する忌避感のようなものを感じたような気もする。

 

「入試後の会議でも聞きましたが本当にそうだったのですか……確か魔法師団の団長、ルーパー殿も無詠唱派らしいので、実力者は皆そこに行きつくのかと思っていました」

 

「無詠唱に利点が大きいことは否定しませんが、だからといって詠唱も捨てたものでは無いですよ?」

 

 詠唱はあくまでイメージの補完、などとマーリン氏は説明していたが私にとっての認識は異なる。

 そう口にすると賢者様の言葉を否定するようなものなので二人は目を剥いていた。

 しかし明らかに天才型の感覚派であるあの方の解釈は正直なところあまり当てに出来ない。

 

「補完というより、私にとっては呼び水ですね」

 

「呼び水?」

 

「あくまで私なりの捉え方ですが。例えばマリアさん、甘いものと聞いたら何を思い浮かべますか?」

 

 水を向けられたマリアはこちらの意図を図りかねているようで、数瞬きょとんと目を瞬かせていたがややすると問い掛けに応じてくれた。

 

「甘いもの、よね……だったらケーキ、かな。今これ食べてたせいかもしれないけど」

 

「それでも構いません、マリアさんのように菓子を連想する人も居れば果実を連想する人も居るでしょう。重要なのは記憶とは単一で存在するものでなく、記憶同士に結びつきがあると認識することです」

 

 言葉一つとっても人により抱く印象は千差万別だが、中には耳にしたり口にした瞬間、脳裏に思い浮かべてしまうほど紐づいたイメージを持つ言葉もあるだろう。

 難しい勉強も好きな分野に例えるとすんなり理解できたりとするように、そういった傾向は好ましいものであったり馴染み深いものであるものが顕著だ。

 つまり言葉とイメージにも繋がりを設けておくことができる、応用すればゼロから魔法イメージを組み上げるよりも日頃から反復し繋がりを強めた言葉、詠唱の方が素早く魔法を行使できることもある。

 

 昨今流行りの詠唱は文言ばかりが壮大なようで、その辺りはあまり意識されていないせいか時間はかかるし威力は出ないしといいところが無いが。

 

「日頃の積み重ねも大きいでしょうね、一夜漬けで覚えた知識よりも日頃から予習復習しておいた知識の方がすんなりと引き出せるでしょう?」

 

「それはまあ、確かにそうね……魔力制御だけじゃなくってイメージにも練習が必要かあ……」

 

 元魔法師団所属の魔法学院教師であり、究極魔法研究会の顧問であるアルフレッドが自分の存在意義を問うような遠い目をしているが、そちらは見なかったことにしよう。

 それにしても、語ってはみたものの他に同じような真似をする人間も居ない自己流であるこんな手法を賢者様達の熱心なファンであるマリアが真剣に聞いてくれるだろうかと思っていたが、意外にも彼女はしっかりと耳を傾けてくれている。

 折角彼女にとっては憧れの人の孫であるシンから直に教わる機会をふいにしているのだし、少しぐらいは追加で教えてもいいかもしれない。

 

「それと詠唱の意義を語っておいてなんですが、こんな技もあります」

 

 すっと手を脇へ持ち上げ、何が始まるのかとマリアらが視線を向けて来たのを確認してから囁く。

 

『――炎よ』

 

 いかにもそれらしい、魔法の詠唱。

 すると空気が割れるような音を伴って掲げた手を取り巻くように白い閃光、放電現象(スパーク)が奔り、語句にそぐわない現象の発露にマリア達が驚きを見せる。

 

「えっ!? 炎って……でも今の……」

 

「雷の魔法、に見えたな……」

 

「はい。先程説明した詠唱とイメージの繋がり、それをあえて意識せずに魔法行使すればこんな真似もできるということです」

 

 頭の外と内の動きを切り離すのはなかなか難しいが、シンが言うような使う魔法がバレる危険性をフェイントとして逆手に取れる。

 即死魔法やドリルのような道理を創り出す魔法が裏技とすればこちらは小技といったところだろうか。

 

「詠唱も無詠唱も、どちらが良い悪いというわけでなく、使い方しだいで色々な可能性があるものです。誰からでも、教わったやり方が正しいと決めつけない方がいいでしょう、マリアさんにはマリアさんなりの魔法の使い方が見つかるかもしれませんから」

 

 この世界の魔法は良くも悪くも自由だ。

 大きな危険性を孕んでもいるがどのような用途にしても可能性は未知数、ひょっとしたら目の前の彼女が将来、世界に大きな益をもたらす魔法を開発するかもしれない。

 そうした芽は出来る限り潰さず、むしろ育みたいとは思っている。

 

 マリアはしばらくの間、言われた言葉を反芻するように固まっていたが、やがてハッと我に返ったようにして口を開く。

 

「っていうことはターナさん、無詠唱も普通に使えるんだ……」

 

「……ええまあ、魔力制御にはそれなりに自信がありますから」

 

 そう言えば彼女に無詠唱で魔法を使うのを見せたことは無かったのだった。

 参考にしたかったという話だったのに、これではかえって迷わせてしまっただろうかと申し訳なくなってしまう。

 そうこうしている内に学外へ魔法の実践に行っていたメンバーが戻り、予想通りに不満を漏らしたアリスらの分まで追加の菓子を用意してその日の活動は終わったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ブルースフィア帝国の軍が宣戦布告も無いまま王国領へと侵攻、領土を侵犯したという報せが入ったのは翌日の事だった。



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帝都の陥落

返信遅れる中感想や誤字指摘、ありがとうございます。
全て嬉しく読ませて頂いているので、年末立てこんでしまっていますが暇を見て思いつき、返しやすいものからなるべく返信したいと思っています。
漏れあったら申し訳ありません。


 先だって帝国の全軍に近い兵を動員し、アールスハイド王国領へと侵攻した皇帝ヘラルドは重い足取りで皇城へと戻り帰っていた。

 臣下や兵すら伴わず、凱旋などといった華々しさとは程遠い苛立ちと焦燥がその顔には浮いている。

 それもそのはず、出陣したヘラルド率いる帝国軍は王国軍に対して見るも無残な大敗を喫していた、上に。

 

「どういうことだ……国内の魔物は減少していたのではなかったのか……いや、これもあ奴の企みか!」

 

 苛立ち紛れに一人わめくヘラルドが護衛の兵に足止めさせ、通過してきた帝都の街中はいずこからか大挙してやってきた魔物が溢れ返り、地獄絵図と化していた。

 獰猛な魔物の群れに一般都民は為すすべもなく、数少ない戦闘の心得のあるハンター達も入り混じる災害級に抗しきれず魔物達にその身を食い散らかされている。

 進軍先には立て直しに追われ帝国の侵攻に気づいていなかった筈の王国軍が完全に布陣し、減少傾向にあった筈の魔物からは軍が出払う隙を狙ったかのように帝都を蹂躙されてしまう。

 

 それもこれも王国軍との交戦間際、姿を消した斥候部隊の長ゼストのもたらした情報がことごとく偽りだったことによるもので、彼に対して憤懣を向けるヘラルドだったが、都合の良過ぎる情報を鵜呑みにし諫言してきた臣下を躊躇いなく切り捨て進軍に踏み切った自身の迂闊さを責める様子は微塵も無い。

 傲慢な帝国貴族の気性を体現するように育ち、他者を追い落とすことで皇帝の座を射止めながらも他者から謀られることに鈍感すぎた彼は未だに失態の責を自分以外に求めていた。

 

「これはこれは哀れな――いや、貴方には実にお似合いの、不様な姿ですねえ」

 

「何……っ!?」

 

 帝都の有り様と比べ城内は不自然なほど荒らされた形跡も無かったが、ヘラルドが辿り着いた謁見の間には一人の男が待ち構えていたかのように玉座に腰を落としていた。

 男性ながら細やかな白髪に整った面立ち、皇位に届かんとする立場と併せてかつてヘラルドが忌々しく感じていたものを持ち合わせたその人物。

 

「き、貴様……オリベイラか!?」

 

「ええ、お久しぶりですヘラルド・フォン・リッチモンド」

 

 皇帝であるとは認めないとでも言うかのように公爵であった頃の名で呼ばれ屈辱に顔へ血気を昇らせるヘラルドだったが、オリベイラの紅く染まった瞳に気づき出しかけた激昂の声を詰まらせてしまう。

 かつて陥れた相手が魔人と化し、目の前に現れた状況にヘラルドですら絶望の淵に立たされたことを理解する。

 

「どうしても貴方だけは、この手で葬りたいと思っていたのですよ」

 

 オリベイラの掌に生まれた赤い炎が、自身の全てを奪ったヘラルドへの憎悪を表すように轟々と火勢を増していく。

 恐れ慄くヘラルドだったが、放射される魔力の密度と籠った情念の深さに金縛りにあったかのようにその場へと縛り付けられてしまう。

 

「ま……待て……私は皇帝だぞ……こんな真似をすれば、帝国貴族達が必ずや貴様を――!」

 

 この期に及んでもへりくだることすらできず、傲慢な姿勢のままだったヘラルドを包んだ業火は断末魔の声すら覆い焼き尽した。

 

「心配せずとも帝国貴族はあの世に送って差し上げますよ、一人残らずね」

 

 ヘラルドの亡骸が焼け崩れる様を憎悪に満ちた目で見届けると、オリベイラは撃ち放った魔法の余波でくり抜かれた城の外壁から帝都を見下ろす。

 眼下では帝国軍の兵士達がオリベイラによってこの日の為に魔物化させられていた獣の群れに抗戦しながらも、徐々にその数を減らしていった。

 無力を悟り撤退命令を待たずに帝都から逃げ出そうとする人間も少なからず見られたが、そんな者達は魔法により狙い撃たれ命を散らしていく。

 

 魔物によるものでない、街並みの陰に潜みその魔法を放っているのは帝国、斥候部隊の隊服に身を包んだ男達。

 そのいずれもが王国で実験を重ねたオリベイラの手により魔人化させられた、完全に理性を保った魔人達である。

 

「――シュトローム様」

 

「ああゼスト君、よく誘導してくれました。お蔭さまで第一段階は問題なくクリアできたと言って構わないでしょう」

 

 帝国軍から離反した男、ゼストが姿を見せ恭しく跪く。

 帝国を既に見限っていた彼と彼の部隊はオリベイラに与し、その復讐に加担していたのだった。

 

「報告させて頂きます。帝国軍を迎撃した王国軍がこちらへ進軍を続けているようです。しかしながら差し向けた魔物で足止めは出来ましたので、退却してきた帝国軍が全滅するまでには間に合わないでしょう」

 

「敵国であっても魔物の被害は見過ごせないとでもいうのでしょうか、ご苦労なことですねえ」

 

 帝国側が無残に敗走した後とはいえ、義憤に駆られ敵国の領内を進軍してくる王国軍に呆れめいた思いを抱くオリベイラだったが、すぐにそれを振り捨てるとその瞳に冷たい光を宿す。

 

「まあ些細なことです、それでは始めましょうか――帝国の終わりを」

 

 その後、帝都に駆けつけた王国軍が目にしたのは帝都民の亡骸が至る所に転がる目を覆わんばかりの惨状。

 そしてオリベイラを首魁とする十以上もの災厄の象徴、魔人達の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、王国としての対応は?」

 

「ひとまずは静観するつもりのようです、独断専行も厳に慎むようにとのことでした」

 

 魔人達の手により帝都が陥落したという急報は当然王国や周辺国に大きな衝撃をもたらした。

 一人だけでも王国を滅ぼしかけた魔人が同時に複数確認されたという、それだけでも驚愕すべき事態。

 ただオリベイラは撤退する王国軍を追撃する素振りも見せず、先の言動からも察せるようにその目的は帝国への復讐に向いているらしい。

 

 それに対し王国は厳戒態勢を取りながらも、手出しできずにいる。

 何しろ相手は単独でも一国の軍隊を相手取れる魔人。

 カートのような例であればその評価も絶対ではないが、迂闊に敵に回せる相手ではないのは確かだ。

 

 放置するのも気が気でないが、下手に刺激し彼らの矛先が自分達へと向けば犠牲は計り知れないものとなりかねない。

 そんな理由から緊急に陛下より発された命令で帝国へ干渉することは制限されることになった。

 マーシァ領の城館でその報告を聞いた父エリック、そして祖父ウーロフも重い表情となっている。

 

「……国境方面の警戒を強めねばならんな、王国に関心を示していなかったとはいえ、油断はできんだろう」

 

「はい、しかし帝都が陥ちたことで帝国内は混乱しきっているでしょう、民への影響が心配ですね。それに……オリベイラという魔人がどこまでやる気なのかも」

 

 ウーロフに頷くエリックも普段の温和な表情を沈痛なものにして懸念を口にしているように、おそらくは皇帝をその手にかけたと思わしきオリベイラだがそれで彼の企みが終わりだとは到底思えない。

 複数の魔人を率いている上に、状況からして魔物化させた生物を操ることも可能なのだろう。

 それだけの戦力を集めて帝国にどこまでのことを起こすつもりなのか、楽観視などできるはずもない。

 

 国家としての機能は保持できないだろうし、できるなら平民階級にある人間の安全確保ぐらいはしたいものだが、陛下の指示も誤ってはいない。

 魔人という特大の外患を招くようなことがあっては軍を動員しても王国全土の国民を守り切ることは難しい。

 自国を守るということを第一とするなら止むを得ない処置だ。

 

 そしてそれは私にとっても同じこと、マーシァ領だけが狙われるなら恐らくは対応できるだろう。

 しかしもし他の領地、更には他の国にまで飛び火するようなことがあればそれら全てを守り切る保障はできないし、責任など取りようも無い。

 もどかしくはあるが、現状では帝国に対して直接手を出すことができない。

 

「……逃れてくる民すら受け入れてはいかんわけではないのだろう?」

 

「ええ、あちらからやってくる分にまでは制限のしようもありませんから、陛下もそこは禁止されていませんでした」

 

「ならばせめて受け入れ態勢だけは万全に整えておこう。書類は急ぎつくらせる、すまんがいくつか承認をもらえるかターナ?」

 

 現役復帰してから領の軍務を預かってもらっているが、こうした時の祖父の判断の早さにはいつも助けられる。

 祖父の言うように、気落ちするよりも行動が制限された状況でもできることをやっていくべきだろう。

 

「お手伝いします、予算は問題ないでしょうがターナ、構わないかな?」

 

「勿論です、ただ父上、お爺様、一つだけ条件をつけさせて下さい」

 

 これを言うには少しばかりの決心が必要だったが、近頃の王都での経験を省みると踏み切るべきだと感じていた。

 

「隊への魔導具導入を始めます。組み上げ指示は工房に出してありますので、準備できしだい配備をお願いします」

 

 口にすると流石に父上達も微かに瞠目していたが、反応が控え目だったのはそれが遠からず来る事態だと予期していたのかもしれない。

 

「……良いのか? 次の査察で間違いなく指摘されることになるぞ」

 

「構いません、アレらの特許申請が通れば他国からもそうそう手を切られることは無いでしょうし、万が一にでも自活できる備えはあります。相手は魔人、そんな相手に無策で兵を立ち向かわせるわけには行かないでしょう」

 

 兵士というのは時として国家の安全を守るために命を懸けるもの、とはいえ無為無策に危地へ放り出されるようなことがあってはならない。

 戦闘員であろうとそうでなかろうと、命の重みに変わりはないのだから、軽々に扱うようなことをしてたまるか。

 こちらの決意が揺らがないのを分かってくれたらしい祖父が重いため息を漏らし、嘆かわしそうに目を細めて呟く。

 

「……王都の現状からするなら仕方あるまいか」

 

 父上共々、その反応には苦笑でしか返せないが、つまりはそういうところだ。

 魔人という脅威を目にしてなお、王都では未だにこちらの奏上した案以外で積極的な軍備の増強策は打ち出されていない。

 王子殿下にはなにやら考えがあるご様子だったが、うかうかしていて丸腰に近い状態のままでいたくは無かった。

 

 静観するのは良いが、悪戯に時間を浪費していざ危機が迫った時に兵を犠牲にしては元も子もない。

 この決断が無駄になればいいと思いつつもそうはならないだろうことを予想しながらこの騒動の発端である、魔人となった男の顔を思い出す。

 オリベイラ・フォン・ストラディウス、取り繕っていた面はあるのかもしれないが、言葉を交わした時に感じた彼本来の気性は理知的なものであるように感じた。

 

 そんな彼が復讐という行為に駆り立てられるのにはあの時語られた以上に、余程の出来事があったのだろう。

 国家に属し、法を遵守する立場において彼の行いを肯定することはできない。

 もしまた対峙するようなことがあれば、彼に対してどういう立場をとるか、定めておかなくてはいけないだろう。

 

 新たな決意を胸に、久しぶりに自領で過ごす余暇は慌ただしく過ぎて行った。

 

 



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若さゆえの過ち

いつもながら感想、誤字修正頂きありがとうございます。
ちょっと貴族の名前について無知を晒してしまっていたかもしれないのでまた文章を一部修正するかもしれません。
お恥ずかしい限りです、誤字修正指摘下さる皆さまいつもありがとうございます。


 

 帝都を襲撃したオリベイラが今後どういう動きを見せるかは予測できなかったが、王国も各国と連携し「旧帝国」を監視しながら緊急事態に備える方針を固めたらしい。

 そうした流れの一環として軍のレベルアップを図ることも決まり、魔法学院の生徒にも学生の内から騎士と魔法使いの連携を学んでもらうとして騎士学院との合同訓練が実施されることになった。

 帝国のような例外を除き、基本的に他国とは平和的な関係を築いているアールスハイドでも有事には学生が徴兵されることがあるらしく、それを想定したかのような訓練内容。

 

 そんな事態の深刻さを考慮してというわけだろうか、訓練地となる王都近郊の森までの移動に両学院、全生徒分の二頭引きの馬車を用意するという奮発ぶりは。

 行軍の練習も兼ねて現地まで徒歩で移動させようという提案は為されなかったのか、費用を考えると営業のダミアンあたりが聞けば頬をひきつらせそうな話だ。

 訓練はオリベイラの実験によるものか、近頃増えていた魔物を相手にした実戦が行われるとのことなので魔物素材の収穫次第では取り戻せるかもしれない。

 

 ともあれ訓練当日、現地では両学院から四名ずつ八人で組んだグループで行動することになり馬車もそれに合わせ振り分けられていたのだが。

 

「良かったのかオーグ? こっちだけ五人になっちゃって」

 

「構わん、お前に手を出されたらそれだけで終わってしまいそうだ。それでは私達の訓練にならないだろうからな」

 

 成績順に分けられているという編成上、魔法学院のメンバーは本来なら私とシン、殿下、マリアの四名になる筈だったが移動中の馬車内にはシシリーの姿もある。

 他の生徒と比べ力量がずば抜けていると評価されるシンを戦力として扱った場合、殿下が口にしたようなことになってしまうので彼は戦力として数えないようにと想定した配慮らしい。

 戸惑うようにしながらも視線を交わし、班が分かれなかったことを喜ぶようにしてシンとシシリーがはにかんでいる様子を見ると、配慮されたのは別の事情なのかもしれないが。

 

 班編成の発表時に驚いた様子も無かった殿下が何かしら口添えしたのかもしれない。

 シンが使用する魔法を加減してくれれば済む話だが、入試の件を思い出すとあながち的外れな配慮でもないかもしれないのが困る。

 対面座席に腰を落としている、何か言いたげにしながらも王子が交ざっているせいか指摘してこない騎士学院の生徒達には申し訳ない限りだ。

 

「……まず、名乗らせてもらう。騎士学院一年首席、クライス・ロイドだ」

 

「次席のミランダ・ウォーレスよ」

 

「……ノイン・カーティス」

 

「ケント・マクレガーだ」

 

 騎士学院の彫りが深く整った顔立ちをしている男子が仏頂面で自己紹介をすると後の生徒達も続いたが、いずれもどこか不機嫌そうな様子を見せている。

 もともと魔法学院と騎士学院の生徒は仲が良くないとは聞いていたが、ここまで露骨なほどとは。

 こちら側も順に名乗り返すと、流石に知れ渡っている英雄の孫の存在を騎士学院生徒達が囁き合っていたが狭い馬車の中でのことなのでほとんど筒抜けだった。

 

 魔人討伐の功績も伝わっている筈だが騎士学院側の紅一点、ミランダの口からは「所詮魔法使いでしょ」などと明らかに侮った発言が飛び出している。

 男性に対して肉体的なハンデがあるというのに次席という彼女は相当に努力を積み重ねているのだろうが、それだけに自意識も高くなってしまっているのかもしれない。

 しかしながら殿下も居るので表立って魔法使いを蔑むことはできないようだ。

 

 私の身分まで把握しているのかは分からないが、そんな騎士学院生徒達の様子にため息を吐いたシンが声を上げる。

 

「なあ、訓練の前に聞いていいか? 君ら、魔物と戦ったことは?」

 

 その言葉が癇に障ったのか、ミランダが目つきを鋭くし苛立った反応を見せる。

 

「何!? 自分が魔人を倒したからって自慢してんの!?」

 

「じゃなくて、俺達はこれから実際に魔物を討伐しに行くんだ。騎士がどうとか、魔法使いがどうとか下らないこと言ってると――死ぬぞ?」

 

 釘を刺しておくつもりなのか、言いながらシンがすごんでみせると一瞬ひるむミランダ達だったが、すぐにムキになったようにして声を荒げた。

 

「う……うるさいわね! 魔物討伐ぐらい、本来なら私達だけで十分なのよ!」

 

「……ミランダの言う通りだ、せいぜい我々の邪魔にならないようにしておくんだな」

 

 ミランダの言葉と彼らの意見は違わないらしく、クライスも同意を示している。

 反応から察するに、魔物との戦闘経験は無い可能性がありそうで危なっかしいのだが。

 

「君達、少し落ち着きなさい。今回の訓練は――」

 

「ほうっておけマーシァ、シンも」

 

 まず騎士学院の生徒達にクールダウンして欲しかったが、殿下からのストップがかかる。

 視線が冷ややかなものになっている辺り、相手の態度がよほど肚に据えかねたのだろうか。

 

「奴らはこの訓練の意義が理解できていないようだ。望みどおり手を出す必要はない、好きにやらせてやればすぐに分かるだろう」

 

 つまりは彼らだけで魔物の相手をさせてみようと言うのか。

 態度に問題があったのは確か、しかしその判断ばかりは流石に軽率に思わざるを得ない。

 

「……それは流石に承服致しかねます。訓練とはいえ魔物相手、怪我では済まない事態になる可能性もあるのですよ?」

 

「余計なお世話よ! そんなヘマを私達が――」

 

「っ! よ、よせミランダ」

 

 こちらにも反発しようとしたミランダを隣のクライスが慌てて押しとどめる。

 制止した彼から何事か耳打ちされると、ミランダがぎょっと驚いた様子でこちらに視線を向けていた。

 それだけで大体どんなやり取りがされたのかは予想できる、どこかで私の事を知り得ていたクライスがそれを教えたのだろう。

 

 権力の濫用を禁じられているとはいえ、大貴族相手に歯向かえる平民もそうそう居はしない。

 萎縮させてしまったのは不本意にしても、今なら少しはこちらの言葉に耳を貸してくれるかもしれなかった、が。

 

「案ずるな、こちらにはシンも居る。緊急事態にまで手を出すなとは言わないから、滅多な事にはならないだろうさ」

 

 何かあってもシンなら対処できるだろうということか、殿下は彼に余程の信頼を寄せているようだ。

 同級生である彼をそこまで頼りにするのは友人関係という枠組みを越えて利用しているようで正直いかがなものかと思うが、当のシンは悪い気はしていないらしくアウグストに承知したという風なアイコンタクトを交わしている。

 それに王子殿下の意向とあれば従っておくのが無難、だが。

 

「お言葉ではございますが、こちらで危険と判断すれば手出しはさせて頂きます。貴族たるものが国民の命を無暗に危険に晒すわけには参りませんので」

 

「む……まあそこまで言うならいいだろう、私にもそんなつもりは無い」

 

 さてどんなものだろうか、このお人はなかなか自分に敵対する相手に容赦がない。

 カートにしてもそうだったが、自分の国の民に対してすらあからさまに辛辣になれる辺り暴君の素質があるのではないか。

 新たな懸念に胸を苛まれている内に馬車は目的地の森林へと到着し、降車地点は各グループの実力に合わせて設定されているらしく私達は最深部まで進まされることになった。

 

 予定通りなら現地にて軍から派遣された教官と合流する手筈となっており、馬車から降りた皆が周囲を探っていると。

 

「ったく……何でよりによってお前と……」

 

「軽率な態度は相変わらずですね。少しはシンを見習ったらどうです?」

 

 険のある言葉を交わしながらやってきた、それぞれ制服を身に纏っている魔法師団の男性、騎士団の女性の姿にシンが驚きを見せる。

 

「ジークにいちゃんに……クリスねーちゃん!?」

 

「よう、シン」

 

「今日はよろしくお願いしますね」

 

 シンと気安そうに挨拶を交わすその男女にはマリア達や騎士学院生達も色めき立つ反応を見せている。

 ジークフリート・マルケス、そしてクリスティーナ・ヘイデンと言えば魔法師団、騎士団それぞれの若き俊英として名高い人物で、各所にファンクラブまであるという人気ぶりだ。

 そんな二人と親し気に話すシンを殿下やシシリー以外は羨ましそうな目を向けているが。

 

「二人が教官なんだ……頼むからケンカしないでよ?」

 

「コイツが絡んでこなかったら――」

 

 心配そうなシンの言葉に対して異口同音に反応して見せた両氏は、お前が言うなと言わんばかりに鋭い目つきで睨み交わす。

 同じような境遇でありながらその仲はよろしくないようで、早くも剣呑な雰囲気を漂わせていた。

 

「だからそれをやめろってんだよ!」

 

 シンはそんな二人の険悪さを熟知しているぐらいに親交があるらしい。

 近衛として王族、特に国王陛下の護衛を務めることも多い二人なだけにそちらの絡みで縁があったのだろう。

 人前で不仲を露わにするそんな姿を見ても幻滅には至らなかったようで、クライスらが浮ついた様子で挨拶を交わした後に訓練開始となったわけだが。

 

「へぇ、最初は騎士学院生だけで魔物をねぇ……」

 

「軍に入りたての頃はよくあるいざこざです、いいんじゃないですか。シンが居れば万が一もないでしょう」

 

 まずは騎士学院生だけで訓練に臨ませようとする殿下の方針はクリスティーナとジークフリートにもあっさりと受け入れられることになった。

 口ぶりからしてこの二人もシンの実力に全幅の信頼を置いているらしい。

 生徒達を監督するべき教官の立場として、生徒の一人に安全を担保してもらうというのはいささか無責任なようにも思えるが。

 

 魔物と遭遇するための移動が始まると、周囲を警戒しながら先行する騎士学院の生徒達も一様に緊張した様子を見せていた。

 

「騎士学院の連中、急に黙り込んだな?」

 

「いつ魔物が現れてもおかしくないんだ、緊張しない方がおかしい」

 

 シンの疑問に殿下が答えたように、魔法の心得が無い騎士学院の生徒達は魔力索敵で生物の気配を探ることもできないので無理もないことだろう。

 

「まぁ十歳で大型の熊の魔物を瞬殺したシンは平気だろうがな」

 

 いつの間にそんな彼の経験を聞いていたのか、殿下がわざとらしく先を行く騎士学院生達にも聞こえるような声でそんなことを言い放つと、クライスらは一瞬驚きを露わにしてますます緊張してしまったようだった。

 明らかに煽っているし、ここまでくると流石に底意地の悪さすら感じてしまう。

 

「殿下、あまり――っ」

 

「っ! ジークにいちゃん」

 

 いい加減に注意しておこうとした矢先、広げている魔力索敵に反応があった。

 同じく察知したらしいシンに呼びかけられたジークフリートが頷きを返す。

 

「お出ましだな。騎士学院生の諸君、出番だよ」

 

 声を受けたクライスらが顔つきを強張らせる。

 あれだけ強がりを口にしていたがおそらくは初の魔物相手。

 殿下の言葉ではないが、緊張しない方がおかしいというものだ。

 

「そこの藪の向こうから近づいて来てる、戦闘態勢を取れ」

 

 魔法師団に属するだけあり魔力索敵で接近する魔物の動きを把握できているジークフリートの指示に、それぞれが携えていた剣を抜き構えていく。

 騎士学院生達の武装は剣のみ、本来が連携という動きの訓練目的であるせいか重武装はしていない。

 それだけに魔法の支援も無く魔物の相手をするのはリスクの高い試みだ。

 

 そうこうしている内に奥の木立を抜けて藪から察知されていた生物、魔物化した猪が吠えながら飛び出してきた。

 凶暴性が高まっている魔物は人を視認すればすぐに襲いかかって来る。

 猛然と突進してくる魔猪にクライス達が大なり小なりの怯えを見せる中、同じように一瞬怯みながらもミランダが先んじて飛び出した。

 

「ビビるんじゃないわよ!」

 

 突進を避けながら剣を振るいつけるミランダに続きクライスらも躍りかかるのだったが、そのいずれもまともな傷を負わせてはいない。

 

「嘘――っ!?」

 

 基本的に魔物化し変質した生物は身体能力が飛躍的に向上する。

 初めて目にする魔物の突進速度に追従できなかったミランダ達はまともに刃を立てることも出来なかったのだ。

 その発達した身体能力にものを言わせ、たちどころに突進を切り返した猪は一度やりすごしたミランダ達へ再び襲いかかる。

 

狙撃(スナイプ)

 

 突進に勢いは乗りきっていなかったが、猪が口元に生やしている一対の牙は少しまずい。

 当たり所が悪ければ深手になりかねないので、弾道に補正をかけた魔法で狙い撃たせてもらう。

 囁きと共に両の掌に忍ばせておいた極小の金属礫を弾き出すと、魔力により加速した礫は狙い通りに猪の牙を穿ち、生え際から叩き折った。

 

 不意打ちと痛みで呻かせながらも猪の突進自体は止まらず、即座の反転に反応できなかったミランダ達はひとまとめに撥ねとばされてしまう。

 

「うわ――ぁ!」

 

 轢き飛ばされ地に転がる四人はそれぞれ致命傷には及ばないまでもそれなりのダメージを受けたらしく、すぐに身を起こしながらも息を震わせている。

 

「何なのよ……たかが猪なのに、こんなに……っ!?」

 

 完全に立ち直れていない騎士学院生達はまたすぐに反転して迫ろうとしている魔猪の姿に愕然とし、逃げ出すことも出来ずに硬直してしまう。

 これでは逆転の目も無いだろう、それを悟ったのか控えていたシンが文字通りに飛び出した。

 なにかしらの魔道具なのか、靴の底面から気流を噴き出して宙を推進している。

 

 猪のすぐ脇へと降り立つと、シンは間髪入れず取り出していた例の振動剣を振り上げ、顎下から猪首を一刀両断して見せた。

 ドサリと猪の頭部が地に転がる悲惨な光景に、クライス達は半ば腰を抜かしている。

 

「い、一撃……!?」

 

「いつの間に……」

 

 シンの動きを目で追えていなかった四人はひたすら慄いていた。

 

「み、皆さんに回復魔法を……」

 

「お待ちください、シシリーさん」

 

 負傷した騎士学院生達を治療しようと踏み出しかけたシシリーだったが、それをクリスティーナがとどめると四人の方へ歩み寄っていく。

 何をするつもりなのかと見ていれば。

 

「――不様ですね」

 

 開口一番に騎士学院生達をこき下ろし始めた。

 ああ、はい、そういう手合いでしたか。

 内心でため息を漏らしながら、付き合っていられずこちらから四人の方へ出向かせてもらう。

 

「大言壮語を吐きながらあの程度の魔物に――? マーシァ……閣下、何をなさるおつもりで?」

 

「治療に決まっているでしょう? 暢気に話している内にまた魔物が迫ってきたらどうするのですか」

 

 それに無謀と知りながら説得を諦め挑ませておいて、失敗したなら罵り威圧するなど、監督するべき上の立場の人間の振る舞いとしてはみっともないじゃないか。

 耐えられる反骨精神溢れる人ならいいが、下手をすれば相手に過ちを反省させる以上に、萎縮させ行動を狭めかねない。

 そんな風に教育と称した圧迫を受ければ心が挫けてドロップアウトしてしまう人間だっているというのに。

 

「まだ私の話は終わっていません。痛みのある内に彼らを説得しておかなければ……」

 

「そのような真似をなさらずとも結構です。まずロイド君、ウォーレスさん、痛む場所を教えて下さい」

 

 クリスティーナが言いすがってくるが、耳を貸すつもりはなかった。

 監督役の言葉を無視するこちらに戸惑いながらも呼び掛けた二人が目の前に膝をつき、すっかりと消沈した顔を見せる。

 

「……も、申し訳ありません。クリスティーナ様の仰る通り、こんな醜態を……」

 

「気にする必要はありません。貴方達はまだ騎士として見習いの学生、むしろ失敗するのが当たり前というものです」

 

 大体からしていくら情勢が不安定になったからといって、いきなり魔物相手に実戦させようという訓練内容に難がある。

 更にそれを騎士学院の生徒だけでやらせようとしたのだから、上手くいく見込みなどあるわけが無かった。

 

「責を問われるならむしろ、上の立場でありながら無茶を強い、それを許した私や殿下、監督役の方々の方です」

 

「い、いえ! そんなことは……」

 

「違いませんよ。訓練の場で、貴方達に何かあったならそれは未然に防ぐ手を講じなかった私達の責任です」

 

 慢心や過ちが許されない場というものは確かにある。

 しかし今、彼らの立場はそこに無い。

 

「自分達の行いが無謀だったことは理解しましたね?」

 

「……はい。それは身をもって、実感しました」

 

 言葉だけでなく、沈痛な面持ちからしてクライスもミランダも十分に反省はしているだろう。

 それが出来ているなら十分、きつい言葉をかける必要は無い。

 

「ならその経験を胸に刻んで糧にしなさい。一度も失敗せずに成長していける人間なんてそうそう居はしません。犯した過ちを繰り返さないようにしていけば、貴方達は今日より前に進んでいけますよ」

 

 失敗するのは構わない、問題はそこから立ち上がれるかどうかだ。

 失敗を犯してしまうことを恐れて、立ち止まってしまうことこそ最悪。

 そうさせない為にならいくらでも手を差し伸べよう、今の自分にはそれぐらいの余裕があるのだから。

 

「――はい」

 

 今、引け目からずっと泳がせていた視線をこちらに向けて返事してくれた二人にはこうした気持ちが伝わっていると信じたい。

 そうしてクライス、ミランダの傷を治療し始める脇で。

 

「す、すまん……俺達はお前達を見下していたのに……」

 

「そんなの気にしてないですよ、今は同じパーティなんですから、これぐらい当たり前です」

 

「――! 君……」

 

 治療を受け始めた残る二人の騎士学院生、ノインとケントが微笑みかけるシシリーに頬を紅潮させ、その反応を察知したシンが微かに苛立ちを滲ませていたのが妙に気に掛かった。

 



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賢者の孫の魔法

年末年始ゆっくりと、し過ぎた……大分間隔あけてしまいましたが年始初投稿になります。
遅れ巻きながら明けましておめでとうございます、感想、評価、誤字修正入れて下さる皆さまいつもありがとうございます。


「魔法から――撃て!」

 

 クリスティーナの号令の下、アウグスト、マリア、シシリーが一斉に魔法を放つ。

 無詠唱で放たれたそれらは迫っていた狼の魔物へと狙い通りに命中し、動きを止めた。

 

「魔物の動きが止まりましたよ、騎士学院生!」

 

 続けて呼びかけられた騎士学院生、ノインとケントが飛び出していき怯んでいた狼を手にした剣の一閃で仕留める。

 魔猪との初戦から彼らも素直に指導を受け入れるようになり、基本的な連携だという魔法使いによる牽制の後に止めを刺す、一連の動きは板についてきた。

 

「ようやく形になってきたな。……ていうかアイツらやたら魔法の精度高くないか? 無詠唱でポンポンとまあ……下手したら俺より」

 

 平均的な学院生、どころか魔法師団の兵すらも及ばないようなレベルでアウグストらが魔法を扱っていることにジークフリートが動揺を隠せないでいる。

 

「ああ、俺が研究会で魔法教えたんだ。あれまだ本気じゃないよ」

 

 戦闘に参加せずその隣に居たシンが何でも無い事のように種明かしをする。

 実際シンからの指導によりアウグスト達は狼程度の魔物なら仕留めてしまえる威力の魔法を使えるようになっていた。

 連携の訓練であるので手加減をしているが、実戦なら騎士学院生達に止めを任せる必要もない。

 

「マジかよ……」

 

 明かされた事情は現役の軍人であるジークフリートに衝撃を与えているようだった。

 それだけ彼のような軍人を差し置いて学生である殿下達が飛び抜けた実力を有していることが歪であることに、シンは気づいているのだろうか。

 後ろから聞こえてくる会話に気が散りそうになるのをこらえ、こちらの戦闘に意識を引き戻す。

 

「来ますよ、二人とも目を逸らさないように」

 

「――はいっ!」

 

 私の前で構えているクライスとミランダが顔を前方、迫ってくる二頭の狼の魔物へ向けたまましっかりとした返事を返してきた。

 魔法で仕留めるのが容易いのはこちらも同じだが、連携を学ぶと言うからにはそれらしい動きをしなければならない。

 とはいっても普段は魔法使いより後ろに控えてもらって、動きを止めてから「はいどうぞ」と突撃してもらってばかりでもいられないだろう。

 

 なにせ今回の訓練を行うことになった切っ掛けは魔人。

 脅威度の低い魔物相手にしか通用しないような戦術ばかりとっていても備えになるとは思えない。

 あえて手を出さなかった狼達が立ち塞がるクライスとミランダへ飛び掛かる。

 

「くっ――!」

 

 閃く狼の牙と爪を、二人は剣や籠手でなんとか受け止める。

 日頃から近接戦闘の訓練を重ねているだけあって、落ち着いていればそれぐらいの防御技術を持ち合わせているらしい。

 とはいえ盾も槍も持たない彼らにあまり無理はさせられない、狼達を押しとどめる二人の後ろでこちらも魔法の行使に移る。

 

(アロー)

 

 指先に顕れる五つの(やじり)型の炎。

 森の中で火の魔法は無暗に扱えないが、これだけ凝縮すればそうそう周囲に飛び火することもないだろう。

 事前の打ち合わせ通り、こちらの詠唱を聞き取ったクライス達が受け止めていた狼を押し飛ばし距離を空ける。

 

 それに合わせてほぼ真上に撃ち放った鏃が急角度で折り返し、二頭の狼目掛けて直上から降り注ぐ。

 クライス達と相対していた狼はそれに反応することが出来ず、無防備に射抜かれた魔物達がその身を傾がせる。

 機を悟り踏み込んだクライス達に急所を斬り裂かれ、体勢を立て直す間もなく狼達はその命を散らせた。

 

「ふぅ……」

 

 無事魔物を仕留めたことに安心してクライスが息を吐いているが、気を抜くにはまだ早い。

 後ろで察したシンとジークフリートを無言の手振りで制しつつ、装填をすませておく。

 

「――太矢(ボルト)

 

 手の甲に生みだした炎を今度はクロスボウで用いるような杭状の矢に形成し、構える。

 詠唱は小声で行ったが、聞こえていたのかミランダがハッと目を瞠り、剣を下ろしていたクライスと背中合わせになるよう回り込んだ。

 

「どうしたミラン――っ?」

 

 その挙動の意味が理解できなかったクライスが聞くよりも早く、木々の隙間から今片づけたものと同種の狼の魔物が二頭飛び出す。

 出てきた瞬間に用意を済ませていた杭矢を撃ち出し、片割れの頭部を貫いて絶命させ、もう一頭は待ち構えていたミランダが受け止めてくれた。

 

「ロイド君、仕留めて!」

 

「――っは、はい!」

 

 奇襲に対応できなかったクライスだがこちらの声にはすぐ反応してくれた。

 狼もミランダの剣に食らいついてしまったせいでクライスの攻撃を避けることは出来ない。

 焦りながらも振るわれた刃閃は頸部を捉え、一撃で仕留めることに成功する。

 

 首から血を噴き出しながら崩れ落ちた狼が動かなくなったのを確認すると、冷や汗を浮かべながらクライスが周囲を警戒していた。

 

「後続はありませんよ、お疲れ様です」

 

「……申し訳ありません、油断しました」

 

 言葉通り申し訳なさそうにクライスが頭を下げてくるが、索敵魔法の使えない騎士学院生には今のような不意打ちを防ぐのは難しいだろう。

 

「いいえ、意地の悪い真似をした私の方こそ謝らなければいけません。ウォーレスさん、カバーに入って下さってありがとうございます」

 

「そ、そんな、たまたま足音が聞き取れただけですから」

 

「お蔭で私も落ち着いて対応できました。残心を忘れないのは大事ですが気を張り続けるのも難しいものです、今のように死角を補い合えば魔法使いの支援が無くともリスクを抑えれるようになるでしょう」

 

 索敵魔法で事前に感知できるのは有効だが、乱戦になってしまえば一々報せることも難しくなる。

 並の人間では一人で全周囲を警戒することなどできないのだし、連携というなら魔法使い相手でなくとも互いにフォローし合う意識を大事にしてもらいたい。

 そんなわけで話を聞いてくれるようになった彼らには殿下方とは少し違った戦法をとらせてもらっているが、少し険のある視線を後ろから感じる。

 

「……一撃か、それに見たこと無い魔法だな。あの子――っと、閣下にもシンが教えてるのか?」

 

「ああいや、研究会は同じなんだけどターナさんには全然教えたことないな」

 

 シンとジークフリートが話す脇で、こちらを見ているクリスティーナの視線は訓練開始時よりもいくらか冷ややかだ。

 まあ教官として派遣された彼女を差し置いてクライス達に指示したりとしていれば、いい気はしないだろう。

 しかし騎士である彼女の意見を無視するのは強引過ぎたかもしれないが、この班分けは魔法学院生と明らかに力量が離れすぎているし、もう少し彼らにも騎士学院生にも配慮して欲しい――大人げなさが目立つ殿下辺りは特に。

 

「噂の公爵閣下ですか、魔人を撃退したという話でしたが、先程からの戦闘を見ている限りではそこまで突出したものは感じませんね。殿下方と違い騎士学院生を矢面に立たせているようですし」

 

「そりゃあ普通の魔法使いは前面に出ないんだから普通だろ、シンみたいに近接戦闘までイケるのが常識離れしてるだけなんだからよ」

 

 やはりあれだけの人前で戦ってしまったせいか私についても噂が出回っているらしい。

 とはいえあのとき見せた魔法だけでは実力を完全に測られることもないだろう。

 オリベイラ達が世界初の魔人ほど被害をもたらさなかったこともあるかもしれない。

 

「シシリー、怪我はないか?」

 

「え? は、はい、私は大丈夫ですけど」

 

「疲れたならいつでも言ってくれ、シシリーのことなら必ず守って見せるからな」

 

 ノインとケントがシシリーを気遣う姿が目に映る。

 彼女に治療を受けてからというものの、二人は戦闘や移動の合間にこうしてアピールしてばかりいた。

 マリア曰く、あの手の男はか弱くて優しい女に簡単に惚れるとのことで、つまりはそういうことらしい。

 

 騎士学院が男性比率の高いこともあるのだろうが、クラスメイト達のそんな分かりやすい態度にはミランダも苛立ちを募らせているように見える。

 そうしたノインらへの苛立ちといえばシンの方が相当なご様子で、騎士学院の二人がシシリーに話しかける度に顔を不機嫌そうに歪めていた。

 まだ交際関係には至っていないらしいが、意中の少女に寄ってくる虫におかんむりと言ったところだろうか。

 

 と、訓練中でありながら大分弛みつつあった空気の中、厄介そうな生体反応を感知してしまった。

 

「マルケス教官」

 

「どうし――ああ、こいつはちょっとヤバそうだな」

 

 言わんとすることは察してくれたらしく、この場に居る中では索敵範囲の広いジークフリートとシンが表情を険しくする。

 目を反応の方へ向けていると、やがて駆け込んできたのは教官に連れられた別の班の学院生達。

 

「ああ! ジーク先輩、クリス姉さま、逃げて下さい! 大量の魔物に追われてるんです!」

 

 二人の顔見知りなのか、教官らしい魔法師団の女性がこちらに向けて警告を発してくる。

 普通の学生では魔物を一人一体相手にするだけでも一苦労なのだから、言葉通りならここまで慌てるのも無理はない。

 

「規模は?」

 

「少なくとも百は居ます!」

 

 ジークフリートに答えた女性の言葉にはこちらの班のメンバーもほとんどが驚きを露わにする。

 大量にしても百もの群れとは滅多に見られるものではなく、何かしら原因がありそうなものだが、まず迫ってくる魔物達に対処しなければならない。

 

「ジークにいちゃん、俺がやるよ」

 

「ん……そうだな、頼めるか?」

 

 そこで名乗り出たシンにジークフリートもあっさりと応じる。

 他班の教官が逃げてきたように、百以上の魔物を相手するなど軍の魔法師でも容易ではない。

 どう対処するつもりなのか分からないが、それをあっさりと申し出る辺り余程自信があるのだろう。

 

「そんな……シン君一人でそんな数……」

 

「シンに任せておけば大丈夫だよシシリーちゃん、ほらお前らも下がれ、シンの邪魔だ」

 

「正直我々よりブッチギリで強いですからね」

 

 心配するシシリーらを相変わらずの信頼ぶりを見せつけながら教官方が下がらせる。

 ここまで信頼を受けるからに、教官達はシンがどれだけの魔法を扱えるのか知っているのだろう。

 それならばこちらが手を出さなくてもいいのかもしれない、他の皆と同じように離れておくが、そういえば彼が魔法を使うのをちゃんと見るのはこれが初めてだっただろうか。

 

 魔道具を使った戦闘は先程見せてもらったが、この状況を一体どう捌くつもりなのか。

 前に出たシンは感覚を確かめるように手を握り開きしながら呟く。

 

「久々に爆発系行くか」

 

 ……爆発?

 少し、いや大分物騒な言葉が聞こえたような気がしたのだが、既に彼は膨大な魔力を手元に集め魔法の構築にかかっている。

 見えてきた、土煙を上げながら迫ってくる魔物の群れに向けて、シンが両手を突き出した瞬間、大気を震わすような轟音が広がる。

 

 シンから放たれた視界一面を覆ってしまうかのような爆炎は猛進してきた魔物達をまとめて薙ぎ払い吹き飛ばしていく――周囲の森林ごと根こそぎに。

 もうもうと舞い上がった土煙が晴れた跡には、森の一面が削り取られたかのような変わり果てた光景が広がっていた。

 

「……うしっ、すっきりした!」

 

 今、彼はなんと言ったのか。

 言葉が出ない、というか出そうとしたら空けた口が塞がらなくなりそうな気すらする。

 確かに魔物の脅威は残らず取り除かれた、多大な森林資源を道連れにして。

 

 これしか方法を思いつかなかった、というよりもまるで憂さ晴らし目的だったかのような発言が聞き間違いであったらどれほどマシだっただろうか。

 あまりの破壊規模の大きさに騎士学院生だけでなく魔法師団の教官まで絶句している。

 

「どうなるかと思ったが、シンについてきてもらって助かったな」

 

「……これを見て、殿下に思うところは何もないのですか?」

 

「……? すごい魔法だとは思うが、シンだからな。魔法使いとして劣等感を感じないとは言わないが、気にし過ぎてもしょうがないだろう」

 

 自分の国の、育てればかなりの年月を要する森林資源が無為に吹き飛ばされたのだが、本当に殿下は素直に感謝しているらしい。

 いや人命救助が目的なので、無為にというわけではなかった。

 それにしても他にやりようが無かったのかと思ってしまうのは、傲慢な考えなのだろうか。

 

 シンの実力に畏怖しながらもそこを問題視している人間はこの場にいないらしく、シシリーなどは真っ先に彼の身を気遣い駆け寄っている。

 

「シン君、大丈夫なんですか? こんな……地形が変わるぐらいすごい魔法使ったりなんかして」

 

「ああ俺は平気だよ、爆風は障壁で防いでるし」

 

 常識を学びに王都へ来たというが、この有り様では別な意味で彼の常識破りに警戒が必要なのかもしれない。

 もし同じような真似を自分の領地でしでかされたら平静でいられるだろうか。

 もやもやとした感情に胸を苛まれながらも、先程クライスに注意した身として気を弛めてばかりもいられない。

 

 そうこうしている内に今の騒動の元凶が近づいてきているようだった。

 

「一体何があったんだよ?」

 

「あ、あの……私達はもっと浅い所で訓練してたんですが、急に索敵魔法の探知外からあの魔物達が近づいてきて……」

 

 逃げてきた教官達に事情を聞いたジークフリートが何かに気づいたような反応を見せる。

 

「ということはあいつらお前達を追ってたわけじゃないな。何かから逃げてきた、ってところか」

 

 逃げてきた、と単純に言っても今の群れには大型の熊のような魔物まで含まれていた。

 そんな魔物までもが逃げ出すような相手、という存在がほのめかされ再び緊張が高まる中、それは姿を現した。

 騎士学院生達、シンから指導を受けるアウグストらも息を呑み視線を吸い寄せられる。

 

 魔物化したことにより野生のそれよりも大きな体躯を持つ大虎、災害級と評される生物。

 討伐には軍を動員しなければならないほどで、通常単独で遭遇したなら死を覚悟しなければならない相手だった。

 恐怖に震える騎士学院生達の前で、怯んだ様子も無いシンが睨みを飛ばす。

 

「ジークにいちゃん、俺が魔力で威圧して足止めしてるから皆の避難を――」

 

「いえ、それは必要ありません」

 

 また一人で相手取るつもりだったらしいシンが私に遮られたことで驚きを見せる。

 今回は一頭の災害級が相手で、さっきのような魔法は使用しないのかもしれないが、希望的観測に縋るには大分こちらからの信用度が落ちてしまっていた。

 余計なお世話かもしれないが、正直さっきのようなことを見過ごす羽目になるのもストレスが溜まる。

 

「あれは私が処理しますので、ウォルフォード君も引いて下さい」

 

「処理って……いや俺だけで十分だけど?」

 

「マーシァさん! 危険ですよ、シンに任せて下がりなさい!」

 

 シンは完全にやる気なようだし、クリスティーナ教官も声を荒げてくるがこちらも譲るつもりはないので強硬手段に移らせてもらう。

 まず前に出ながらシンが集めている魔力を認識し、その制御を丸ごと奪い取り霧散させておく。

 

「――っ!? ちょ……ターナさん何を……っていうか、ええっ!?」

 

 まさか自分の魔力制御が越えられるとは思っていなかったのだろう、流石に泡を食った様子でシンが目を剥いている。

 何をやったのか認識できているジークフリートや魔法学院生達が目を丸くしている一方で、こちらを引かせようというのか後ろから寄ってくるクリスティーナの気配を感じながら、ありったけの魔力を集め、告げる。

 

動くな(フリーズ)

 

 その場の全員が一斉に息を詰まらせたような気配が伝わってくる。

 そちらの反応はあくまで余波で、最も深刻な影響を受けたのは指を向けた災害級、シンの威圧から解放され動きだそうとしていたところを金縛りにでもあったかのように硬直している。

 身動きを封じる魔法を行使したわけではないが、膨大過ぎる魔力に込められた強い意思は言葉だけでもこうした影響をもたらす。

 

 即死魔法を使えば殺めるのは容易い、しかし人前であんな魔法を使って見せては危険視されて面倒なことになるだろう。

 手段を決め沈黙で満たされる中、ゆっくりとシンを横切り大虎の前へと歩んでいく。

 魔力を集めてこそいるが、災害級を相手に無防備に接近していくように見えるのかクライスの上げる声が耳に届いた。

 

「閣下――っ!」

 

 目と鼻の先にまで近づくと、窮地に立たされ金縛りを振り切った大虎が牙を剥いた。

 開かれた顎が迫り、鋭利な牙がこちらの首元へと突き立つ。

 

「ターナさんっ! くっ……?」

 

 シンが嘆いてみせたように、傍目からすれば助かる見込みのない光景だっただろう。

 しかし目の前で、大虎の牙は私の身に爪先ほども刺さっておらず、どころか肌と制服の表面で完全に押し止められてしまっている。

 

「悪いけど、放っておくわけにもいかないからね」

 

 魔物化してさえいなければ殺める必要もないが、凶暴性が高い個体は処分せざるを得ない。

 喰らいつこうとした牙を防いだのは単純に物理障壁、ただ私のものは込められた魔力量が尋常ではない上に、身体を覆うように表面に展開している。

 障壁と名がついているからといって一々壁のように張る必要も無い、見た目だけでは障壁を纏っていると分からないようにもしていた。

 

 自分の領地でも魔物は少なからず発生することが有ったので魔物との戦闘にはもう随分と慣れた。

 しかし今世では生憎と小さい頃から多忙な身だった故に、近接格闘はあまり修練を詰めていない。

 なので魔法の選択に面倒になったらこうした力押しをさせて頂いているわけだが。

 

『――――ッ!?』

 

 身体強化を発動し、丁度良い位置にあった虎の首を脇へと締め抱えると驚愕するような気配が伝わって来た。

 圧倒的な格の差がある場合、力押しとは呆れるほど有効な戦術というもので、どれだけ必死に抵抗しようが無駄に等しい。

 障壁同様に膨大な魔力で強化した膂力で以て、もがく魔物の首を捩じり曲げていく。

 

 爪が打ち付けられるのも一切構わず障壁で受け流しながら捩じり続け、やがてバキリと乾いた音が響いた。

 災害級と言えども、頸椎を砕かれては生命を維持することはできない、フッと操り糸が切れたかのように押さえていた大虎の体から力が抜け地へと崩れ落ちた。

 絶命を確認してから息を吐いて、服についてしまった汚れを払う。

 

 ああ防汚の魔法がかかっているのでこんなことをする必要もないのだった。

 無手で災害級を屠ったことにドン引きしていそうな視線を背中に感じて、ついため息が漏れてしまいそうだったが、やってしまったことは仕方がない。

 



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決別

ますます返信追い付かなくなってしまっており申し訳ありませんが感想には全て目を通しています、皆さまいつも本当にありがとうございます。
誤字修正も全て適用できていなかったりしますがとても助かっています、ミスが抜けず不甲斐ないですが入れて下さる皆さまありがとうございます。


 合同訓練終了後、王都に戻った参加者のほとんどは同じ班となった両学院生と和やかな雰囲気で談笑を交わしており、期待された訓練結果を得られたらしい。

 ただ一部、他の究極魔法研究会メンバーと同じ班だった騎士学院生には随分と気落ちした様子が見られ、事情を聞いてみると。

 

「いやー、中等部の知り合いが居たんだけどね」

 

 騎士学院に知人が居たらしいトニーの談に寄れば、その人物が彼に対して敵意を剥き出しにしていたとのことだが。

 

「彼が好きだった子が僕に告白してきたことがあってさ、今は別れちゃったしキスまでしかしてないから、割り切って欲しかったんだけどねー」

 

 と、普通は顰蹙を買ってもおかしくないようなことをあっけらかんと言ってのけていた辺り、自ら地雷を踏みに行ったのではないだろうか。

 ユーリ、アリス、リン、トールら四人の班では、女子の前でいいところを見せようとやる気を空回りさせていたようで、騎士学院生達が魔物に翻弄されるのを見かねた彼女達がほとんどの魔物を片付けてしまった上に、リンが魔力制御を誤って暴走させ、周辺を吹き飛ばしたりして彼らに無力感を与えてしまったようだ。

 

「だからあれほど力を抑えろって言ったのに……」

 

 そう嘆く様子を見せるシンだったが、森の一画を吹き飛ばしておいて言える言葉ではなく、殿下ですらも「お前が言うか」と指摘を入れている。

 

「毎日の魔力制御の訓練で相当威力上がってんだよ」

 

「ごめん、つい」

 

「調子に乗った」

 

 アリスにリンが申し訳程度に謝っているが、この分ではあまり訓練の成果も無かっただろう。

 シンからの指導で魔法の実力は上がっているのだろうが、こうした加減のできないところを見ると正直不安にさせられてしまう。

 そんな様子を神妙な顔つきで見ていたジークフリートが、学生である彼女達にまで実力で抜かれていてもおかしくない現状に焦ったようにしてシンへ声を掛けていた。

 

「なあシン、お前達の練習法教えてくれねえか? 魔人騒動の事もあるし、軍の力の底上げも必要だと思うんだ」

 

 その訴えにシンから意見を求めるような視線を送られたアウグストは首を横に振って返す。

 

「シン特有の過程からのイメージは伝えるべきじゃない、軍事利用に当たるし国のパワーバランスが崩れかねんからな。既にマーシァの奏上案で魔力制御の訓練は軍でも始まっている、そちらで強化を図ってもらうしかないだろう」

 

「そっか……ごめん、ジークにいちゃん、全部は教えられないんだ。ほら、ディスおじさんにも宣言してもらっちゃったし」

 

「ああ、そういやそうだったな。陛下の命令じゃあしょうがない、地道に訓練するしかねえってことか……」 

 

 肩を落とすジークフリートをシンが宥めるのを横目に、殿下が集まっていたSクラスの面々に向けてなにやら呼び掛け始めていた。

 

「皆聞いてくれ、この機会に伝えておくが究極魔法研究会の面々はシン以外は卒業後、国の管理下に置かれる。おそらくは私直轄の特殊部隊となるはずだ」

 

 衝撃のあまり、耳を疑ってしまうような発言が飛び出したような気がするが、残念ながら聞き間違いではないようだった。

 他のクラスメイト達もすぐにその発言を呑み込めず、言葉を失っているようだ。

 

「このまま行けば私達は世界最強の部隊となる。各々感じているだろうが、それだけシンの指導による魔法効果への影響は大きい。脅威とも言える戦力が各国に猜疑心を抱かせないためにも、国を越えた様々なケースで我々が動く必要が出てくるはずだ」

 

 何なのか、これは、国を越えた様々なケース?

 世界の警察でも自称するつもりなのか、それをやれば他の国が安心すると本気で思っているのだろうかこのお方は。

 悪いと自覚すらしていないような顔を見ていると、平和に利用するからと嘯き、ミサイルに転用可能なロケット開発をどんどん進めるような国家を思い出してしまう。

 

 それ以前に今の今、ジークフリートの訴えを退けておいて、シンの指導を受けた人間を取り立てるなどとは。

 特殊部隊と言い換えたところでそれが大々的に陛下が禁じた軍事利用でなくてなんなのか、しかも王子自らそれを破るとは言葉も出ない。

 シンもそこで初めて事の大きさを知ったかのように気まずそうな顔になっている。

 

「ごめん……俺……ひょっとして皆の人生、変えちゃった?」

 

 殿下の口ぶりからするなら選択の余地は無いらしく、研究会の人間達は卒業後の進路を定められてしまった形になる。

 それを申し訳なく感じたのだろうが、返された反応は彼の不安と裏腹なものだった。

 

「何言ってんのシン君! これって超エリートコースだよ!」

 

「凄いっス! 自分もその一員になれるなんて!」

 

「異例の特別扱いだよねえ」

 

 浮かれた調子で声を上げるアリスとマークに、トニーも満更ではなさそうな顔を見せている。

 確かに王子殿下の直属部隊などなろうと思ってなれるものではない、傍から見れば大出世というものだろう。

 賢者様やシン絡みの事情に一切合切、目を瞑ったとして、だが。

 

 予想外の反応に戸惑い気味なシンの肩に触れ、殿下が安心させるように語り掛けている。

 

「気にするな、使い方さえ間違えなければシンの――我々の力は人類を救う希望にもなるのだからな」

 

 その使命感に満ちた表情を見ていると、殿下は本気でその人類の希望とやらになるつもりらしい。

 王族とはいえ、一人の人間がこうまで夢を見れるとは、シンによる指導の弊害は随分と深刻な事態をもたらしてくれたようだ。

 

「シン君はきっと……世界の希望になりますよ」

 

「シシリー……」

 

 きわめつけに夢見る乙女のような顔をしたシシリーからの言葉を受け、シンは完全に不安を払拭されてしまったようだ。

 魔人に対抗できる希少な人間とは分かっているが、世界の希望とは。

 夢見がちに思える彼らのこうした一面は、幼い頃から賢者様方の英雄譚に憧れて育ったことに由来するのだろうか。

 

「しかし、私が制御するにも限度があるからな、無茶はし過ぎるなよシン。――それでマーシァ、お前は立場もあるので部隊に組み込むわけにはいかないだろうが、事態が事態だ。いざとなれば協力を要請することがあるかもしれん。その時はよろしく頼む」

 

「いえ、お断り申し上げます」

 

「ああ――何?」

 

 こちらの返答が理解できなかったかのように殿下が目を瞬かせ、研究会の皆もぎょっとした視線を向けてくる。

 

「……どういうことだマーシァ。事が世界の危機だということはお前も分かっているだろう?」

 

「お言葉を返すようですが殿下、ご自分が何をやろうとしておられるのか、本当に理解しておいでですか?」

 

 まさか拒まれると思っていなかったのか、きつい言葉での反発に面の皮が厚い殿下も僅かに鼻白んでいる。

 しかしこれ以上の軽挙妄動ぶりにはこちらも付き合う気にはなれない。

 

「ウォルフォード君からの指導を受けた生徒達を徴用するなど、陛下より禁じられた軍事利用に他ならないでしょう」

 

「だから私直轄の特殊部隊として扱うと言っている。他国との戦争行為に運用するなどといった真似はしないと保証しよう。各国からの監視機関も受け入れるつもりでいる」

 

 この期に及んで真顔でそんな事を言ってのけるとは。

 気高い理念を掲げるのは結構だ、本当に平和的な目的のみに彼らの力を生かそうとしているのかもしれない。

 しかし、それが誰にでも受け入れられると考えるのは甘すぎるだろうに。

 

 アールスハイドの人間のみで構成された特殊部隊、もし他国と戦争状態になったときそんな集団が傍観に徹してくれるなどと誰が思うだろうか。

 言うまでも無く、アールスハイドは周辺国に対して圧倒的な軍事的優位を確立させるだろう。

 他の国からするなら迂闊に逆らうことも出来ない、敵対などもってのほか。

 

「魔人に匹敵する戦力を持つ部隊を抱える唯一の国家に、他の国々が何も思わないとでも? 殿下はアールスハイドが覇権国家となることがお望みなのですか?」

 

「そのようなつもりは無い! 魔人に対抗する為にもシンの魔法は必要だが、使い方を誤れば逆に世界を滅ぼしかねん。不用意な拡散を防ぐために必要な措置だ」

 

「――それが技術を囲い込んだ側からの言葉では、お為ごかしにしか聞こえない者も居るでしょう」

 

 この体が幼い頃から懸念していたように、強力すぎる魔法が広まってしまうのはこちらとしても勘弁願いたい事態だ。

 しかし人類を救うなどというお題目を掲げながら、一国の学生達がその力を独占するなどというのは、あまりに傲慢ではないのか。

 まるで使命感に酔っているような、人々を守りたいのではなく『自分達が守る』という行いを目的にしているようですらある。

 

「第一に旧帝国領の魔人の動向は不明ですが、不測の事態に研究会の人員だけで対応できるとでも? 学院は皆、中退させるのですか?」

 

「……そこまで強いるつもりは無い。活動はともかく、正式な部隊編成はあくまで卒業後の話だ」

 

 予想通り、であって欲しくは無かったが、本当に殿下は自分でも世界の危機と評する問題に研究会のメンバーだけで臨むつもりであったらしい。

 

「つまり学業の片手間に世界を守ろうと仰るのですね。それはそれはなんとも――馬鹿げた話を為さる」

 

 無礼と言えるだろうこちらの発言に皆が息を呑み、殿下やトール、ユリウスらに至っては目を剥いているが問題が問題だ、これ以上引き下がるつもりは無い。

 

「マーシァさん……いくら何でも殿下に対してその発言は……」

 

「王子殿下の行いと言えど、見過ごせるものとそうでないものがあります。事が十名ばかりの人間でどうにかできる事態でないのは明白でしょう。それも軍部に即応できる部隊を創設するのならまだしも、学生達で解決しようなどと、どれだけの犠牲が出るか分かったものではありません」

 

 トールの苦言にも構ってはいられない、臣下であっても主君がここまで無茶を言い出せば口出しさせて頂く。

 こちらが推し測れなかった深い考えでもあるというのなら話は違ってくるが、この方にそんなものは無いと断定できてしまうのが問題だ。

 

「賢者様方を敬い意向を尊重するのは結構です。しかしそれは人々の命と天秤にかけられるほどのものでしょうか? 力の扱いにせよ、私からするなら殿下はあまりに民を侮り過ぎているように感じられてなりません」

 

「ちょ……ちょっとターナさん、そんなことないんじゃないか? 俺はオーグぐらいに皆の事を考えてくれている王族なんて、そうそう居ないと思うけど」

 

 入学からこれまで友人関係を築いている殿下が責められるのを堪えかねたのか、シンが口を挟んでくる。

 親しい人間からするなら殿下は権力を濫用せず、身分に分け隔てなく接する優れた為政者としてでも捉えているのかもしれない。

 シンが賢者の孫でなく、優れた魔法の使い手でもなかったなら、王子はシンに見向きすることもなかっただろうが。

 

「……この件に関して、ウォルフォード君は殿下に怒ってもおかしくは無いのですよ」

 

「俺が、オーグに? どうしてそんな……」

 

 やっぱり想像していなかったらしく、ついため息が漏れてしまう。

 

「殿下の仰る特殊部隊は帝国領にて確認された魔人達への対応も視野に入れたもの。それで間違いありませんね」

 

「その通りだが、何か問題があるというのか?」

 

「つまりウォルフォード君、貴方が良かれと思い指導した研究会の皆は殿下によって、世界で最も危険な場所へ連れ出そうとされているのですよ」

 

 そこまで口にすると、ようやくシンや他のメンバーもその状況を理解したようにあっと声を漏らす。

 軍籍にある者達を置いて、こんな危機感の薄い学生達に世界の危機とやらを処理させようというのだから、呆れるしかない。

 

「でも……シン君は私達のことを思って魔法を教えてくれてるんですよ。シン君の優しさを……そんな言い方しなくたっていいじゃないですか」

 

「ええ、彼が優しい事は私も理解していますよ」

 

 シンのことを悪く言っているように聞こえたのか、すっかりと彼を信じ切っているシシリーが庇ってくるが、こちらの返した言葉には意表を突かれたようで目をキョトンとさせている。

 

「だ、だったらどうしてそんな……」

 

 戸惑いながら言葉を濁すシシリーは純粋と言えば良いのか、私のような発想はしないのだろう。

 シンの振るえる力は大きい、常人とは比べるべくも無く。

 入学からこちら、その恩恵を存分に受けてきた彼女のような人間からするなら、彼はさぞかし優しい人間に見えることだろう。

 

 ただそれが、本当に彼女のことを思ってのことなのか、彼女に優しくしたいという彼自身の欲求を満たすために行われたのかは分からない。

 私からするなら彼が本当に誰に対してでも優しい人間であるのなら、利用されれば国を去るなどと賢者様や導師様の言いなりにならず、人々の為に行動を起こしても良さそうに思えてしまうのだが。

 利益を絡めて物事を見てしまうのは不純かもしれないが、そんな所が彼は人に対してというより自分に対して優しい、自分が傷つかない為に動いているのだと、感じてしまう所以になっている。

 

 そんな彼に頼り切りになるというのは、彼と親しくは無い人間のことを思えば、危うげに感じられてならない。

 

「ウォルフォード君、貴方も成人している身なのですから、もう少し自分の行動が人にどんな影響をもたらすのか、考えるべきだと思います。貴方ほどの力の持ち主なら尚更。そして殿下、貴方のお考えに私は賛同することが出来ません。事と次第によっては魔人への対抗策について独自に動かせて頂きたいと存じます。――失礼」

 

 どの道、オリベイラの所在が知れた時点で究極魔法研究会に籍を置き続ける義理も無い。

 彼らと距離を置くことを決心し、様々な感情が入り混じった視線を背中に感じながらも、私はその場を後にするのだった。

 



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少女の転機

前話と繋げ切れなかった回になるので早めに投稿することにします。
正直私も貴族制度については詳しくないどころじゃないのでツッコミどころ満載になってしまっているかと思います、ガバ設定申し訳ありません。


 ターナさんが行ってしまうと、場の空気はどこか居心地悪いものになってしまっていた。

 殿下直属の特殊部隊に入れると浮かれていた皆も素直に喜べなくなっているみたいだ。

 私自身、殿下の話を聞いたときには正直胸が湧かなかったと言えば嘘になる。

 

 国家の枠組みを超えて、世界の為に活動する魔法使い。

 まるで小さな頃から憧れた賢者様、導師様のように。

 自分もそんな風になれるのかもしれないと、昂揚した。

 

 けれどターナさんからしてみればそれは納得のいかないことだったらしくて、あの礼儀正しい彼女があそこまで強く殿下を批判するなんて思いもしなかった。

 現実に存在する魔人という脅威から人々を守るのに、シンのお蔭で魔法の腕が上がった私達が役立てるならそれ以上のことはないと思う、けれど。

 

「……まさかマーシァに反対されるとはな」

 

「驚いたよ、それもオーグに向かってあそこまで言うなんて……戦争には利用しないっていうのに、そんなにまずかったのか?」

 

「シンの魔法を広めることのリスクが大きすぎることには変わりないが、マーシァの懸念も分からなくはない。強大な軍事力を持つ国が警戒されるのは自明のことだからな。しかし、いやだからこそ、我々の有益性を世界にアピールしていく必要があるだろう」

 

 悩み込んでいた殿下は部隊の結成を諦めてないらしくて、決意を新たにするようにして表情を引き締めている。

 

「悪意に晒される弱き者を助けるのは力持つ者の責務だと私は考えている、それを果たすのにどうかシン、皆も力を貸してくれないか?」

 

「――ああ! 任せろよ、魔人なんかに負けないぐらい、鍛えてやるから」

 

「そ、そうっスよね……ちょっとビビっちゃいましたけど」

 

「要は僕らが皆をしっかり守って、負けもしないぐらいに強くなれば問題無いんじゃないかな?」

 

 段々と元気を取り戻していく皆を見ていると、どうしてか胸の奥にひりつくような感覚が湧き起こって、もどかしくなった。

 

「そ、そうですよ! シン君に教わればきっと私達も……世界を救う希望になれますよね」

 

「元からウォルフォード君の魔法は全力で学ばせてもらうつもり、当然私も付き合う」

 

 研究会に入った皆は自分の成長を実感している。

 今までとは比べ物にならないようなすごい魔法を扱えるようになっていくのが嬉しくて、楽しくて。

 自分もシンのように、英雄になれるんじゃないかと、心のどこかで思っているのかもしれない。

 

 でも、シンと同じぐらいに、ひょっとするとそれ以上にすごい、あの人はそれでも心配していたのだ。

 救えないかもしれない人達の事、それに――自ら危険に飛び込もうとする私達の事すらも。

 思えば入試の結果を見に行ったあの日から、気遣われてばかりだったことに今更になって気づいてしまう。

 

 前にも柄の悪い連中に絡まれたっていうのに、懲りずにシシリーと二人だけで街中を歩いてしまっていた自分は何て浅はかだったんだろう。

 きっと大丈夫、何とかなる、そんな何の裏付けもない保証が裏切られる時は呆気なくやってくるのに。

 一度はシンに助けられた、でも次は――?

 

 誰かが助けてくれる保証なんてどこにも無い。 

 きっと、彼女はそれを無くしたいと思っているんだ。

 それに思い至った瞬間、胸の奥のわだかまりがストンと腑に落ちた気がして、同時に私の意思は決まってしまっていた。

 

「そういえばアリス、さっきから珍しく静かだけど大丈夫?」

 

「うん……ターナさんが研究会辞めちゃうってことはさ……もうあのお菓子食べられないんだよね」

 

 リンに声を掛けられたアリスにとっては特殊部隊がどうこうよりも、研究会活動の休憩時によく振る舞われていたお菓子をもう味わえないかもしれないことの方がショックだったらしい。

 

「……コーナー、まったくお前と言う奴は……確かにその気持ちは分からないでもないが、石窯亭の料理も大したものなのだろう?」

 

「ちーがーうーのっ! 殿下は分かってないよ、石窯亭の料理も良いんだけど、マーシァさんのお菓子もこう……幸せな気分になれて楽しみだったんだから」

 

 見た目相応の子供のように駄々を捏ねるアリスを傑作そうに研究会の皆が笑っている。

 まだ同じクラス、研究会になって間もないけれど、皆の仲は良好ですぐに和やかな雰囲気を取り戻していた。

 

 ――これならきっと、シシリーも大丈夫だよね。

 

 ただ一つ心残りだった、幼い頃からの親友の存在。

 絵本のお姫様みたいに淑やかすぎて、私がついてあげていないと不安になるぐらいだったけど、あの子にはもうシンがついているのだから。

 こちらの視線に気づいたのか、不思議そうに首を傾げたシシリーが声を掛けてきた。

 

「――? マリアもさっきから静かになってたけど、大丈夫?」

 

「うん、大丈夫だよ。それと――ごめんねシシリー、応援してるから頑張って」

 

 これだけじゃ何を言われてるのか分からないだろう、目を丸くしているシシリーから一歩離れ、殿下へ向けて口を開く。

 

「殿下」

 

「ん、どうしたメッシーナ?」

 

「すみません、その特殊部隊――私は辞退させて下さい」

 

 その発言で再び皆をざわめかせてしまったのが、ちょっとだけ心苦しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと待ってマリア! ――ごめんなさいシン君、先に戻ります!」

 

 アウグスト直属部隊のみならず、究極魔法研究会からも脱会を宣言して去ってしまったマリアを追いかけシシリーが駆けていく。

 ターナに引き続き、マリアまでもが抜けていったことに、残ったメンバーも流石に動揺を隠せずに居た。

 

「よろしかったのですか殿下、マリアさんは既にシンさんからある程度の魔法を教わっていますが」

 

「……研究会を抜けるとまで言われては無理に引き止めるわけにもいかんだろう。本人の自由意思を無視すれば、それこそ国として利用していることになってしまう」

 

 確認してきたトールに淡々と返しながらも動じていないわけではないらしく、アウグストの表情には陰が差している。

 あくまで特殊部隊の活動は本人達の善意によるもので、国家から強いられているわけではないという言い訳も立たなくなってしまう。

 シンからこれ以上の教えを受けることを諦めてまで辞退したマリアを引き止めることはアウグストにもできなかった。

 

「それにしても意外だ、賢者様方にも憧れていたメッシーナがこの機会を棒に振るとは」

 

「シシリーとも仲が良かった筈なのに、どうしてだろうな……やっぱり――」

 

 その決断をもたらす可能性として、彼らが思い浮かべてしまうのは自然、一人の少女の姿だった。

 

「マーシァがあそこまでの使い手だったとはな。実際どうなんだシン、お前から見た彼女の力量は」

 

「いや、俺もあんなことされたのは初めてだったし、予想出来ないよ。物心ついた頃から魔法の訓練やってた俺より魔力制御が上なんて……信じられないってのが正直な所」

 

 訓練中の事を思い返している二人に、その現場を見ていない他の面々が何の話をしているか掴めず疑問顔を向ける。

 

「あの、殿下。マーシァさんと何かあったのですか?」

 

「ああ話していなかったな、私達の班は訓練中、百頭近い魔物の群れと災害級の魔物に遭遇したのだが――」

 

 並の人間では助かり得ない事態に遭遇したことをさらりと話され驚愕する研究会メンバー達だったが、それらが討伐された下りを説明されると言葉も失くし暫くの間絶句させられる羽目となっていた。

 

「す、素手で災害級の魔物を、ですか……?」

 

「そうだ、身体強化の魔法は使っていただろうがな。魔人を撃退したという話は耳にしていたが、目の当たりにすると予想以上だ。味方で幸いだったとしか言い様がない」

 

 改めて安堵したように息をつくアウグストに、考え込むようにしていたシンがぽつりと問い掛ける。

 

「なあ、ターナさんって、小さい頃から魔法の才能があったのか? 誰も使ったことの無い魔法を使ってたりとかは?」

 

「――お前のようにか? いや、むしろ幼い頃のマーシァは魔法嫌いとまで言われるほど魔法を避けていたらしいぞ」

 

「ぇえ? 魔法、嫌い!?」

 

「ああ、何しろ彼女は公爵家の一人娘だからな、貴族の間ではそれなりに知られている話だ。先々代の当主に諸外国へ知見を広める旅に連れられてからある程度改善したと聞いていたが、あそこまで急成長しているなどとは誰も予想しなかっただろうな」

 

 一時ポカンとしていたシンは納得が行かないようにして散々に頭を捻らせていたが、やがて諦めたようにため息を吐いて見せる。

 

「んん……思い過ごしかな。それにしても良かったのか? ターナさんが公爵って、偉い貴族なのは知ってるけど、権力の最高位に居るオーグにあそこまで言わせちゃって、示しとかさ」

 

 シンの指摘にアウグストらは一瞬硬直するも、すぐ何事かに気づいたようにして渋い表情で頷きを見せる。

 その反応を訝しむシンに、アウグストからの目配せを受けたトールが口を開く。

 

「シンさん、確かに王族である殿下に対して、並の貴族ではまともに意見することも難しいでしょう。しかし彼女程の大貴族ともなると話は違ってくるのですよ」

 

 貴族の階級について、上司部下のように単純な権力差で考えてしまっていたシンはトールの説明に考えを改めさせられることになるのだった。

 

「特にマーシァ公爵家は昨今発展が目覚ましく、王家が身分を保証せずとも交易を望む諸外国は引く手あまたでしょう。それに王家に近しい血筋でもあります、例えば独立を宣言すれば支持する貴族が出てもおかしくはありません」

 

「そ、そこまで!?」

 

「あくまでマーシァ家が王国を見限りでもしたらと考えられるパターンの一つですが、もしそんなことになれば多大な税収を失う我が国の損害は計り知れません」

 

「もっともそんなことをすれば王国の庇護を失うかの領にも少なからず負担は避けられん、領民に重荷を負わせることになる選択を軽々しくマーシァが取るとは思えんが……」

 

 苦々しい表情になりアウグストが言いづらそうに言葉を濁すと、後を引き継ぐようにしてトールが言葉を重ねた。

 

「立太子の儀を控えているとはいえ、殿下はまだ一人の王子、場合によっては彼女の言葉の方が力を持つことすらも有り得るでしょう」

 

 すっかりと貴族はアウグストに逆らえないものとばかり思っていたシンはあっけにとられてしまう。

 

「……やはり知らなかったようだな、賢者様方もそういった機微には疎いご様子だし」

 

「ああ……爺ちゃんから教わったのは魔法のことばっかりだったしな……もっと婆ちゃんやトムおじさんに教わっておけばよかったよ」

 

「今更初等部の教育を受け直すわけにもいかんしな、おいおい学んでいくしかないだろうさ。元々お前はそれが目的で王都に来たんだろう?」

 

 偉大な英雄を育ての親に持つことを普段羨ましがられることの多いシンだが、がっくりと肩を落としたその時ばかりは皆から憐れみの視線を集めてしまうのだった。

 

 



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魔人の進撃

いつもご感想ありがとうございます、また短めになってしまい申し訳ない帝国回です。
そういえば賢者の孫アプリゲーム化するそうですね、なろうラノベのゲーム化はちょくちょくありますがどうなるやら……。


 帝都が陥落し、首都機能が停止した帝国の情勢は混迷を極めていた。

 国内にはオリベイラにより放たれた大量の魔物が蔓延り、街間の流通も封じられてしまい食料枯渇の危機に陥る都市が次々と出始める。

 調査に出たハンターも一人として帰ってくることはなく、打開の兆しが見えないそんな状況に、皇帝の崩御どころか帝都が攻め落とされたことすら知らない帝国の民達は不安に包まれ、治安は悪化への道を辿る一方。

 

 その上に、それぞれの街を治める領主である帝国貴族達は自分達の保身を最優先に図り、平民達から食料の徴収までも始めてしまった。

 日を追うごとに飢えに苦しんでいく民達は不満を募らせながらも、自分達を虐げるには十分な私兵を抱える領主に反抗することもできず打ちひしがれていく。

 限界が近づいていたある街で、遂に押し寄せてきた魔物の大軍によって街の大扉が押し破られ、瞬く間に喧騒が人々へ伝播していった。

 

 誰もが終わりを予感したその時だった、どこから発せられているか分からない男の声が住民達の耳に届いたのは。

 

『やあ皆さん、御機嫌いかがですか?』

 

 場違いに過ぎる穏やかな声に、一層の混乱が広がる中、声の主が告げたのは思いもしない言葉だった。

 

『もし、あなた達の中に貴族に対して強い怨みや憤りを感じている者が居るなら、街の南門に集まって頂きたい。――貴族を打倒する力を与えましょう』

 

 それは一方的に搾取され続けてきた帝国の民にとって抗いがたい、正しく悪魔の囁きだった。

 尋常でない状況の中、怪しさを感じてしまう者も居たが、目の前に魔物の危機が迫る住民達には残されている選択の余地も無い。

 

『なるべく急いだ方がいい。皆さん既にお疲れでしょうし、魔物達から逃げ切る力もそんなに残ってはいないでしょうからね』

 

 程なくして、南門へと集まった大多数の住人を迎えたのはやはり魔人となった男、オリベイラだった。

 傍らにもう一人の魔人となった女性を従えたオリベイラは住人達を眺め、その目に宿る暗い感情を見取りながらも問いを投げかける。

 

「皆さんの貴族に対する怨みや怒りは本物ですか?」

 

 その言葉に人々は憎悪に表情を歪め、言うまでもないような態度を示しながらも口々に怨みの丈を語る。

 

「……俺は婚約者をこの街の貴族に奪われた。そして半年後、飽きたからという理由で彼女は帰って来たよ、冷たい遺体となってな」

 

 その理不尽な光景は帝国において日常だった。

 帝国の貴族にとって平民は己の欲を満たす道具に過ぎず、意思など関係なく物同然に扱われていた。

 真っ先に言葉を発したその男は瞳を血走らせながら怒りを募らせていく。

 

「あんたが何者かは知らないが、弄ばれて殺された彼女の仇を取れるなら……俺は何だってやってやる!」

 

 帝国の歪みが表出したように、住民達は今まで貴族達から受けた仕打ち、それに対する怨みを打ちあげていく。

 取るに足らないことで斬殺された息子、重い税の取り立てに耐えきれず過労死した両親。

 家族、あるいは自身の大切なものを奪われ続けた人々が抱える、オリベイラの求める感情の源がそこには溢れていた。 

 

「よろしい。叶えましょう、あなた達の望みを」

 

 言うとオリベイラは掌へ、並の魔法使いには扱いきれないほどの量の魔力を集め、凝縮させていく。

 差し出された手から放り出されたその魔力塊は住人達の体へと吸い込まれ、本来暴発する筈のそれらは憎悪に呼応するようにして人々の身を包み、染め上げていく。

 

「が……あぁ、あああっ!」

 

 己の体が変質していく苦痛に歪む住民達の瞳はやがて真っ赤な、魔人を示すものへと変じていた。

 

「成功です、やはり植え付けたものではない感情と目的は魔人化に適しているようですね」

 

 王国で重ねた実験によってこの時既にオリベイラは人を魔人化させる手段を確立させていた。

 そうして魔人へと変質させられた住人達は唆されるままに領主の館へと襲撃に走る。

 魔法の教養が無くとも、魔人化により魔力制御と肉体の強度が格段に強化された元平民達は貴族の私兵をものともせず、あっという間に領主館の制圧を成し遂げる。

 数刻の後に貴族の縁者や従っていた者達の屍が累々と転がる館では、縄で縛りあげられ転がされた壮年の領主が恨めしそうに自身を取り囲む魔人達を見上げていた。

 

「貴様らぁ……この私にこんな真似をして、どうなるか分かっているのだろうな……」

 

 死なない程度にいたぶられ、傷だらけになりながらも居丈高な態度を崩さないその男は、今まで散々に虐げてきた平民達へ心の底から理不尽そうな目を向けている。

 前へと歩み出たオリベイラがこの期に及んでもそのような振舞いを止めようとしないのを呆れるように見下す。

 

「おやおや、まだ自分が助かる気でいるのですか」

 

「……っ、見ているがいい、皇帝陛下が必ずや私を助けに来て下さる。我ら帝国貴族には、貴様ら下賤の輩には分からない絆があるのだからな!」

 

 男が縋りついている希望を叫んだ瞬間、オリベイラの手がその頭を掴み床へと叩き付ける。

 加減する理性こそ残されていたが、彼の背から迸るそんな衝動的な行動を起こさせた感情の丈に、平民達までもが怯んだ様子を見せる。

 

「――下賤と言ったか? この木っ端貴族が」

 

 痛みに朦朧とする男の顔を掴み上げ、睨み据えたオリベイラの顔はそれまで見せていた落ち着きぶりが嘘のように荒れ狂っていた。

 溢れんばかりの憎悪に見開かれた赤い瞳と歪んだ狂相は目の当たりにした貴族すら怯えさせる。

 

「帝国貴族には絆があるだと? ――その絆とは、ヘラルドを皇帝にする為にとある貴族を嵌めた絆の事か?」

 

 かつてヘラルドの企てに加担した貴族の一人である男は、公にされていないその事実を口にされ明らかな動揺を見せる。

 何故と疑念を抱いたときようやく、男は目の前の魔人がかつて自分達が陥れた人物であることに気づくのだった。

 

「私が誰かを思い出したか。ヘラルドは既に始末したよ、お前の頼る帝国などもう存在はしない」

 

 自分達への復讐する理由を持ち合わせたオリベイラの存在によって、受け入れがたい、信じようとしていなかったその現実の可能性を認めてしまった男の表情がその時初めて絶望に染まる。

 それを見取ったオリベイラは心の底から愉快そうに、目の前の男が知る穏やかだった頃とはまったく異質な仄暗い感情に染まった笑みを浮かべていた。

 

「その顔が見たかった」

 

 それきり、あっさりと興味を失ったかのように笑みを消し去ったオリベイラは男を魔人と化した平民達の方へと放る。

 

「もう始末して結構ですよ」

 

「……ぶっ、ま、待てストラ……ぐぁぁっ!」

 

 身を翻したオリベイラの背後で、容赦なく放たれた平民達の魔法により男はその命を散らした。

 そうして一つの街を滅ぼし領主館を後にしたオリベイラに、以前から付き従っていた魔人の男女が合流する。

 

「シュトローム様、この街の貴族の係累は全て始末し終えました」

 

「残る魔人とならなかった平民達ですが、いかがなさいますか?」

 

 恭しく報告する、元諜報部の男ゼスト、そしてミリアという名の女性。

 自らの手足となり帝国崩壊に加担した二人に判断を仰がれたオリベイラは街へと目を向け、思案するような間を挟む。

 この状況になっても恐れの方が勝ったのか、暴力的な手段に訴えることを躊躇ったのか、オリベイラに与しなかった平民達も数多く居た。

 

 そんな彼らの処遇をどうするか、帝国民に対するオリベイラの容赦の無さを知る二人はその返答を半ば予測しながら待つのだったが。

 

「放置して構いません」

 

「――よろしいのですか?」

 

「ええ、貴族にも私にも反抗することすら出来ない、取るに足らない存在です。手をかけるまでもないでしょう」

 

 微かに動揺しながら視線を交わす配下の二人をからかうかのようにオリベイラは言葉を付け足す。

 

「どのみち魔物に襲われ遠からず命を落とすでしょう、運が良ければ国外へ落ち延びることもあるでしょうが、些末なことです。ああ、貴方達が始末しておきたいというのであればそうして下さっても構いませんよ?」

 

 オリベイラが言うように、放置したとしても魔物が蔓延る帝国内で抵抗する術を持たない彼らが生存する芽は限りなく低い。

 逃げたとしても魔物やゼストの部下が情報封鎖を続ける他の街には辿り着くことすらできないだろう、しかし生き延びる可能性はゼロではなかった。

 諜報部に属していたゼストのような人間からするなら、帝国の現状を国外へ知らせることになる要因は排除しておきたいところでもあったが、それは時間の問題でもある。

 

 魔人の矛先が自分達へ向く事を恐れ、他国が手を出してこない以上、平民まで根絶やしにする行為には彼でも躊躇いを振り切れなかった。

 

「……我々はシュトローム様のご意思に従う所存であります」

 

「結構です、なら次の街に行きましょうか。帝国貴族だけは一人残らず葬らなければなりませんからね」

 

 平民に対して関心の失せたようなオリベイラだったが、貴族に対して抱く深い憎しみは変わりなく、どころか一層増しているようですらある。

 こうして彼は付き従う魔人の数を増やしながら一つ一つ、帝国という国の痕跡を潰していくのだった。



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続、転生者と魔道具

尺と視点的な都合で今回は二話投稿します。
感想、評価、誤字修正下さる皆さんいつもありがとうございます。


 最近恒例になってしまっているけど、今日の研究会活動の魔法訓練もゲートを使えるようになってからよく使っていた荒野に皆でやってきている。

 燃焼を促進させる酸素を意識して火力の上がった炎魔法や、大気中の水分を利用することで規模の増した水魔法。

 その他の風や土を使った魔法も、俺が教えた現象の過程をイメージすることで皆その威力や精度が跳ね上がっている。

 

 学院の練習場じゃ手狭過ぎるもんだから、こうして周辺に被害が及ぶ心配の無い荒野にまでやってきているわけだ。

 実際もう皆が扱う魔法はそこらの魔法使いを越えてしまってるんだろう。

 放たれた魔法で地面が抉れたり、岩山が吹き飛んだりしていく光景を見てオーグも唸っている。

 

「まるで一国の軍事演習風景だな」

 

「でもまだ魔人を相手にするには足りないと思う」

 

 魔人になったカートの魔力制御は相当なものになっていた。

 話に聞いた、完全に理性を残しているような魔人が居るのなら、扱える魔法の威力もきっと凄いものになる。

 ここはやっぱり装備の方も整えておくべきだろうな。

 

 そんな事を考えながらもこっそり気にしてしまうのはシシリーのことだ。

 皆と一緒に放出魔法の実践練習をしているけど、いつもより表情が硬いような気がする。

 多分、研究会を辞めてしまったマリアが数日前からこの場に来なくなったことが影響してるんだろう。

 

 二人は小さい頃からの幼馴染だって聞いていた。

 ずっと仲良くやってきたらしいのに、喧嘩別れしたわけじゃないにしても、落ち着いていられるわけがないよな。

 

「やはりクロードの事が心配か?」

 

「ああ、無理しないでくれるといいけど」

 

「だったらせいぜいお前が支えてやるんだな、どうせなら恋人としてでも」

 

 オーグがこっちの気持ちを見抜いたみたいだったけど、余計な一言にぎょっとさせられる。

 

「こ……恋人って、俺達はまだそんなんじゃ……」

 

「何を言ってるんだ今更、お前だってクロードからどう思われているか、勘付けないほどの朴念仁でもないだろう?」

 

「そりゃあ、もしかしたらって、思ったりはしてるけどよ」

 

 王都に来てから縁が出来たシシリーとは悪くない仲を築けていると思う。

 何かと俺の事を気遣ってくれるのはきっと、彼女がただ良い子ってだけじゃないんだろう。

 でもやっぱり勘違いだったらどうしようと考えてもしまって、あと一歩が踏み出せない。

 

「まったく、英雄にもなっておいてそんなところで怖気づかなくてもいいだろうに、告白するなら早めがいいと思うがな。もし魔人達との戦いが始まればそれどころでは無くなるだろう、この戦いが終わったらなんて悠長な事を考えていたらいつになるか分かりもしないぞ」

 

「そんなフラグみたいなこと考えねえよ!」

 

 反射的に返してしまった言葉に、オーグが「フラグ……?」と首を傾げる。

 やべ、ついこっちの人間には分からない事を口走ってしまった、適当に誤魔化さないと。

 

「と、とにかく! シシリーのことは真剣に考えるよ。それより合宿の件は大丈夫なのか?」

 

「そちらは問題ない。定期的に旧帝国の状況を報告してもらうことになっているから王都まで戻らなければならないが、お前にゲートで送り迎えしてもらえばなんとかなるだろう?」

 

 情報収集して回っているらしい王国の斥候部隊によれば、旧帝国の状況は悲惨の一言らしい。

 機密らしいけど、いざという時に戦力として必要とされるかもしれない俺達、究極魔法研究会にはその情報が知らされていた。

 魔人達は帝国領内の街や村を次々と襲って、そこを治める貴族や住人達を殺して回っているらしい。

 

 しかも襲撃の度に魔人はその数を増やしているらしい。

 どうやってかは知らないが、リーダー格らしいオリベイラという魔人は本当に人工的に魔人を生み出せるみたいだ。

 こうしている間にも人々が命を奪われているかもしれない状況に、手出しできないことをオーグも悔しそうにしていた。

 

 研究会の皆も魔人が増え続けているという話には表情を強張らせていた。

 魔人に対する恐怖心は簡単に振り切れるもんじゃないんだろう。

 そこで恐怖心を感じなくなるよう、レベルアップを図るために俺が企画したのが研究会での強化合宿だ。

 

 もうすぐ学院も夏の長期休暇に入るので丁度良い。

 今まで以上に魔法の訓練に打ち込める、この案には皆も喜んで賛成してくれた。

 王都からしばらく離れることになるから、王族のオーグには問題があるんじゃないのかと思っていたけど、この様子だと本当に問題ないみたいだ。

 

「それぐらいならいいよ。でもやっぱり完全に留守にするわけにもいかないんだな」

 

「まあ私も立太子の儀を控える身であるからな、これぐらいの負担は止むを得んと理解している。それにこの事態の矢面に立っている父上などと比べれば軽いものさ」

 

 学生だっていうのに、あれこれ不自由を強いられることをオーグは何でも無い事のように言う。

 俺と同じ年頃だっていうのに、これが本物の王族ってやつなんだろうな。

 こういうところは素直に尊敬させられてしまう。

 

「アレの配備が進めば手間も少なくできるのかもしれんが、こればかりは頼りづらいことだしな……」

 

「ん――アレって?」

 

「シンはまだ聞いていないか? まあ特許の申請が通ったのもつい先日のことだからな……マーシァの工房が新たな魔道具、通信機の開発に成功しているんだ」

 

 難しい顔をしてオーグが教えてくれたその内容には驚かされた。

 通信機なんて、今まで遠距離で連絡を取る手段が無かったこの世界じゃ革命的な発明じゃないか。

 

「通信って……マジにか?」

 

「事実だ。驚きではあるが、帝国の周辺国で綿密な連携が必要とされる今の状況では願っても無い助けになるだろう。マーシァの方でもそれは理解してくれているようで、王国をはじめとした各国の首脳部には先行して商会から提供されている」

 

「……ちなみにそれ、どんな形してるんだ?」

 

「形? そうだな……本体はこれぐらいの箱型で、長細い受話器とセットになっているが、受話器は使わなくても通話可能らしい」

 

 オーグが手振りで表してくれた本体っていうのは、人の胴体ぐらいのサイズがありそうだった。

 予想したよりも結構大きめみたいだ、前世の記憶で言えばレトロな映画に出て来そうな古い電話機に近いタイプなのかな。

 その割に無線式だっていうからまた驚かされたけど、よく考えれば魔法で音を届けるんだからおかしい話でもないんだよな。

 

 そう考えると俺でも簡単に作れそうな気がしてきた。

 例えば音声送受信、なんて付与をすればたったの五文字で抑えることができる。

 イメージも携帯式の電話を思い浮かべればいいし、そんなかさばる大きさじゃない、持ち歩き可能なサイズで仕上げれそうだ。

 

 ――あれ?

 でも魔道具なんだから、無線式っていうなら相手側の通信機も魔力が通った状態でないと繋がらないよな。

 常に誰かに魔力を通しておいてもらうなんて面倒なことが必要だとは思えないし、ターナさんの工房はそこをどうやってクリアしたんだろう?

 

「それ以上にとんでもない特許申請もあったが……その内知れることだろうし今は置いておこう。ともあれそういうわけで、危急の事態にはこれまで以上に迅速に対応できるだろう。複数購入の申請には少しばかり条件を呑むことになったがな……」

 

「条件って、なんでまたそんな?」

 

「お前のバイブレーションソードと一緒さ。誰にでも使える、強力な魔道具は軽々しく広めるものじゃないだろう? 通信機も当分は販売せず出荷に制限を設けるらしい」

 

 ああそういうことか。

 俺の開発した魔道具、ジェットブーツやその他の生活魔道具も馴染みのトムおじさんを通じて特許申請してある。

 ただバイブレーションソードみたいな殺傷力の高い武器は止めろってばあちゃんからもきつく注意されていた。

 

 販売された魔道具が善人だけの手に渡るとは限らない。

 もし悪用されたらって危険性を考えれば、しょうがないことなんだろう。

 

「広めるにはまだ早いってことか、誰でも使えたら便利になるのにな。そういえばなんでまた……ターナさんは一体どんな条件をつけてきたんだ?」

 

 同じ国の人間相手だっていうのに、正直ターナさんがどうしてそんな事を言い出すのか分からない。

 特殊部隊に皆が所属することになるって教えられた時には一悶着あったけど、俺にはオーグが皆の力を悪用することは無いだろうって信頼できる。

 貴族社会のことは未だによく分からないけど、こんな緊急事態の時ぐらい助け合ったり出来ないんだろうか。

 

「大まかに言えば、自治権の拡大だな。これまでもかなりの裁量を任されていたが、マーシァ領における法、軍事、経済は今後完全に公爵家に一任し、独自に外交を結ぶことも承認された。見返りとして約束されたあちらからの臨時支援も大きいが、破格の待遇と言えるだろう」

 

 オーグも普段より大分悩んだ風な顔をして言っているし、大変なことみたいだ。

 実を言えばそれがどれだけの意味を持つのか、しっかり理解できないんだけど、また世間知らず扱いされるのも嫌だし余計な事は言わないでおこう。

 

「聞いてた以上に、すごい影響力あるんだな、ターナさんの公爵家と商会って」

 

「それはそうさ、今回の件で業界最大手と言っても過言ではなくなったしな。だがシン、お前だって商会を立ち上げる話が出てるんじゃなかったのか?」

 

 そうだった、トムおじさんを通じて特許申請してある魔道具なんかは俺の名前、新たに立ち上げることになったウォルフォード商会から販売されるらしい。

 ばあちゃんもそうだったらしいけど、組織の立ち上げとか面倒なところは全部トムおじさんがやってくれている。

 開発した魔道具を渡すだけなんだけど、俺も名目上は商会長ってことになるらしい。

 

「賢者様の孫にして新たな英雄の商会だ。業績次第では、というより確実にお前もかなりの経済的な影響力を持つことになるぞ」

 

「じいちゃんのネームバリューのお蔭みたいな言い方するなよ。作った生活魔道具の方はばあちゃんにだってお墨付きをもらってるんだからな」

 

 とんでもない発明ばかりするって注意されることもそりゃあ多いけど、生活の役に立ちそうな魔道具だって色々開発してるんだからな。

 特に前世で言うルームランナーとかいったトレーニングマシンを再現した魔道具の類はアレンジも加えてある自信作だ。

 負荷をかけて損傷した筋肉が、修復されるとき今まで以上の強さになる、いわゆるところの超回復。

 

 俺製作の魔道具は自然回復力を強化する付与がされてあって、すぐにその効果が現れる。

 使ってみたばあちゃんからも体が引き締まった気がするって好評だった。

 魔道具に関しては第一人者だったばあちゃんがそんな評価をしてくれたんだから、それなりに売れるんじゃないかって期待はある。

 

 今の生活に不自由は無いし、アイデア料として貰えているエクスチェンジソードの売上の一部とか、これまであまり意識していなかった。

 けど影響力っていうのを上手く、たくさんの人の役立てることが出来るなら、魔道具開発の方も積極的になってみていいかもしれないな。

 魔人騒ぎでゴタゴタが続く中で、明るい希望みたいなものが芽生えた気がして俺の胸は少し熱くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学院の休日、定期的に行われるようになった騎士学院との合同訓練で少し疲れてもいたんだけど、なんだか別邸でジッとしていられなくって、つい街中まで足を向けてしまっていた。

 究極魔法研究会を離れたことで、シンと同じ研究会に所属していることを喜んでいた父さん達を悲しませてしまったけど、非難までされることは無くてホッとした。

 エリートコースを外れてしまったのに心残りが無いと言えば嘘になるけど、仕方ないよね。

 

 私自身が決めたんだから、もう戻るつもりは無い。

 シシリーからも悲しそうにどうしてって言われたけど、あのままじゃきっと望んだ私になれないって、思ってしまったんだから。

 国家の枠組みを越えて活動する特殊部隊、そこに居れば普通の魔法使いじゃ出来ないような活躍の場が待っているんだろう。

 

 それこそ賢者様、導師様のような、英雄的に。

 けれどきっと、できなくなることも増えてしまう。

 他の国から監視されないといけないような組織の一員なんて、身勝手な行動は許されないだろうし。

 

 あくまでアールスハイド王国を中心に活動する魔法使い、その括りからは逃れられない。

 私はこの国の貴族として生まれたんだから、それは当然のことでもあるんだけど。

 ――旅をしてみたいなんて、言ってみたら怒られるかな。

 

 昔、賢者様達がそうしていたように、各国を巡って人々の助けになる。

 小さな頃憧れた将来像の一つだった。

 貴族の子女がそんな真似をするなんて、両親が許してくれるとも思えないけど。

 

 ……でも今の国王陛下はまだ王子だった頃、そんな賢者様達に弟子としてついて行ったことがあるんだったっけ。

 よく考えると立場の割に、奔放に過ぎるんじゃないかって今更になって気づく。

 憧れる前にそう一歩引いた視点で物事を考えるようになったのは、やっぱり彼女の影響なんだろうか。

 

 研究会の皆と違う道を選んでしまった私は将来どうしようかな、なんて考えながら歩いているそんな時だった。

 

「やあ君、ずいぶん可愛いね。一人みたいだけど、一緒にお茶でもどう?」

 

 歯の浮くような台詞で男から声を掛けられてしまったのは。

 本当に誘いたいならもうちょっとマシな文句を考えなさいよと変なことに腹が立ってしまう。

 普段は一緒に歩いているシシリーにばっかり声が向くせいか、こんな風に声を掛けられるのも久しぶりだけど、目の前の軽薄そうな男にホイホイついていく気なんて起きなかった。

 

「無理、他当たってちょうだい」

 

「え?……ま、待ちなよ、少しぐらい良いだろ?」

 

 はっきり断ったのにしつこい男だ。

 肩に手が伸びてきてるし、ちょっとひねってやろうかしら。

 街中での攻撃魔法の使用は禁止されてるけど、身体強化の魔法ぐらいならいいかなと考えていたんだけど。

 

「ちょっとそこの! 止めなさいよ、嫌がってるじゃない」

 

 正義感のある人が居たみたいで、制止する女性の声が上がった。

 というかこの声、聞き覚えがある?

 びくついてそそくさと男が立ち去った後、声の方を見てみると。

 

「大丈夫だった……って、貴女、確か……メッシーナさん?」

 

「貴方達、騎士学院の……ミランダにクライス?」

 

 意外そうに目を丸くしていたのは、あちらの学院も休日の筈なのに、合同訓練の時みたいにしっかりと装備を整えた二人。

 合同訓練で行動を共にした騎士学院生達の姿がそこにはあったのだった。



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少女達の選んだ道

あんまり原作キャラをいじりすぎるのも考え物かもしれませんが、当作では一部キャラに大分変化があると思います。
気になってしまう方には申し訳ありません。


 王都でも有数の敷地面積を持つ邸宅だけあって、とても広い中庭で。

 訓練用の木剣を片手に構えた騎士学院の男子、クライスが威勢良く「お願いします!」と叫んで模擬戦に望む。

 相手は確かオルソンっていう名前だったと思う、ターナさんの護衛である男の人。

 

 結構年配みたいだけど体つきはがっしりしていて、厳めしい顔つきもあって殿下の護衛もやってるユリウスよりも威圧感がある。

 そんなオルソンさんは切っ先を正面に向けた木剣を両手で構えて、身動ぎもしない。

 同じようにじっとしてその様子を窺っていたクライスだけど、おもむろにオルソンさんが木剣を持ち上げた瞬間に踏み込み迫って行く。

 

 剣は真っ直ぐに、突きの構え。

 流石に体を鍛えている騎士学院生、その勢いは私にとって目で追うのも難しく、もし同じ距離から自分が受けたら物理障壁を張るのが間に合うかどうか怪しい。

 けれどオルソンさんにまったく動じた様子は無くって。

 

「――っ!」

 

 突きが胸に届きそうに見えた次の瞬間、するりと下りてきたオルソンさんの剣はクライスの剣を撫でるように払いその進路を余所へ曲げてしまっていた。

 伸ばし切った剣を引き戻す間も無く、つんのめったクライスの首元には木剣があてがわれている。

 実戦なら彼の命は無い、余程二人には実力差があるのか、どこからどう見ても容易くあしらわれてしまった図だ。

 

「突きは最速の剣の一つですが、動きが正直過ぎますよクライス君。まともに隙を見せてもいない相手に打ち込むには練度も足りません」

 

「……失礼しました、精進します」

 

 指摘を受けて冷や汗を垂らしながら謝るクライスから少し離れた場所には、先に挑んで同じように相手にならなかったミランダが肩を落としている。

 聞けば二人はあの合同訓練の日から、強くなるにはどうすればいいかターナさんに相談した結果、こうしてオルソンさんから指導を受けることになったそうだ。

 よく公爵を相手にそんな相談をしたなって思うけど、騎士学院の首席と次席なだけあって、向上心も人一倍なのかもしれない。

 

 そうしてオルソンさん監督の下、模擬戦から二人の鍛錬が始まる。

 ストレッチから素振りまでは私も落ち着いて見ていたけど、中庭を短い間隔で走り往復させられたり、何度も何度も屈伸するような運動をさせられて足腰を震わせる姿。

 見たことも無いトレーニング用の器具で、また何度も何度も重量物を持ち上げさせられ、顔を真っ赤にしながらぜいぜいと息を震わせる二人の姿に肩身が狭くなりそうだった。

 

 ――もしかして騎士見習いって皆こんなきつそうな鍛錬してるの?

 同性のミランダまで、愚痴を漏らすこともなくハードなトレーニングに打ち込んでいる姿を見せられると、今まで脳筋と彼らを馬鹿にしたこともあった自分が恥ずかしくなってくる。

 魔力制御の訓練が生温いものに感じてしまうぐらい、彼らの鍛錬風景は衝撃的で、ノルマをこなし疲労困憊して座り込む二人に声を掛けるのも躊躇ってしまう程だった。

 

「お、お疲れ様……貴方達、ひょっとして毎日こんなことしてるの……?」

 

「は、ぁ……毎日、じゃないわよ……やる日はいつもこれぐらいだけど……それに、まだ終わってないもの」

 

 ミランダの発言には耳を疑ってしまいそうだったけど、クライスもうなだれながら頷いていた。

 

「そう、だな……しかし、必要なことだ」

 

 そうしてオルソンさんに連れられて、心配になってしまうぐらいの疲れ振りをみせる二人と向かったのは、邸内の食堂。

 

「閣下、本日のトレーニングは終わりました」

 

 クロスの掛けられた長いテーブルの端にはこの屋敷の主である、ターナさんが座って何かの作業に勤しんでいた。

 対面には初めて見る、少しウェーブがかったブロンドの女の人が座って同じように作業している。

 

「ご苦労様、用意は出来てるよ。こちらはまだちょっとかかるから、二人とも、時間の経たない内に食べちゃって。マリアさんも待たせてごめん、お茶の用意はしてあるから、どうぞ召し上がって」

 

「ああいや、私は何もしてないし……うん」

 

 ターナさんが用意したというのはテーブルに並べられた料理の数々なんだろう。

 傍目には結構がっつり系で重い、疲れ切っているときには遠慮したいんじゃないかっていう品が並んでるように見える。

 それでもミランダ達は促されるままにテーブルに向かい、料理の前へと座った。

 

「……食べれるの?」

 

「――ああ、閣下のご厚意を受けながら、無駄になど出来ん」

 

「それに、食べるまでがトレーニングなのよ……筋肉は何もない所から湧いてきたりしないんだから」

 

 ミランダが何を言ってるのかよく分からなかったけど、どうやらそれは必要なことみたいで。

 死にそうな顔をしながらも二人は黙々と食事を摂り始めた。

 

「メッシーナ様はこちらへどうぞ」

 

「は、はい、どうも……」

 

 オルソンさんも二人に付き合って結構な運動をしていた筈なのに、疲れたような顔色も見せずに私を案内してくれた。

 控えていたメイドさんに淹れてもらった紅茶はとても美味しいと舌は感じているんだけど、どうにもそれに浸れるような気分じゃない。

 ターナさんの屋敷に行くっていう騎士学院の二人についてくる形でやってきたわけだけど、こんな光景を見ることになるなんて思ってもみなかった。

 

 二人のトレーニング中、ターナさんは何かの用事でやってきていたという貴族や役人の応対をしていたらしい。

 やっぱり公爵家の当主ともなるとそういった対外的な仕事もこなさなくちゃいけないんだろう。

 せめて学院を卒業するまで即位は待てば良かったのに、ターナさんのお父様もひどいことをする。

 

 でも年上ばかりの相手と堂々とした様子で向き合える彼女の佇まいは様になっていると感じてしまう。

 アウグスト殿下もそうなんだろうけど、これで同年代っていうんだから、自分が未熟なように感じてちょっと後ろめたい。

 今も公爵としての仕事の延長のような事をしてるんだろうか、チラッと窺ってみた先では何か長い杖のようなものをターナさんが手に取っていた。

 

 端が幅広になった一方を肩に当てて、細いもう一方を遠くへ向けるような仕草。

 次は片手で短く振り――硬い音を響かせて折り畳まれていた刃が先端へ跳ね起きる。

 思わずビクッとしてしまった、もしかしなくてもあれは武器なんだろうか。

 

「問題無さそうだね」

 

「ではこれで仕上げますよ。あと(ブルーム)の方はもう増やさないんでしょう?」

 

「うん、訓練期間も取れないだろうし、適性の差で人員の確保も確実じゃないから」

 

 少し聞いただけじゃ分からないけど、きっとターナさんの領地でも魔人に備えて対策を進めてるんだろう。

 女の人はマーシァ工房なのかな、話す雰囲気を見てると、なんだかクラスの皆よりも親しそうに見えるんだけど。

 

「そういえば閣下、例の条件いっそのこと税金の免除もお願いすれば良かったんじゃないですか? そうしたら大分余裕も出来たと思うんですけど」

 

「駄目だよ、あの方々は独善が過ぎることがあっても、基本的に善良なんだ。あからさまに反抗するような真似は人々からしたら悪行に捉えられる。敵対よりも、より益を振り撒く方向で対抗しないとこっちが悪者にされるよ」

 

 ……ちょっと不穏な会話まで飛び交っているような気がする。

 あの方々、っていうのが誰なのかは、聞かない方が良いんだろう。

 そうしてちょっと肝を冷やされている内に、一区切りついたのかターナさんはこちらの正面に席を移ってきてくれた。

 

「お待たせしたね、マリアさん。訪ねて来てくれたのにごめん」

 

「そんなのいいって、大した用事も無いのにいきなり来ちゃった私の方が失礼なぐらいなんだし」

 

 研究会を辞めたターナさんの事が心配だったのは本当だけど、忙しい中で時間を取らせちゃったかと思うと申し訳ない。

 

「こちらが閣下のご学友様ですか?」

 

「そう、マリアさんは初対面だね、こちらは私の工房で開発主任をしてもらっている――」

 

「ヒルダと申します、どうかよろしくお願いしますメッシーナ様」

 

 丁寧に頭を下げてくるヒルダさんというらしいその女性は平民なんだろう。

 私も貴族の子女なんだからある程度敬われることは分かってるけど、最近周りが凄い人だらけなせいか自分にそんな態度が向けられると恐縮してしまう。

 

「い、いいですよそんな気を遣わなくて、私なんてただの伯爵家の娘っていうだけなんですから」

 

「いいえ、名門と知られる王都の魔法学院において五指に入る成績でいらっしゃるのですから、謙遜されずとも良いかと存じますよ。それにしても閣下、様子を見に来てくれる学友がいらっしゃったなんて良かったですね。例の研究会の件で肩身の狭い思いをしておられるのではないかと心配しておりました」

 

「そんな人をボッチになったみたいに――ああいや、普通に話してくれるクラスメイトぐらい居るからね」

 

 言葉は丁寧だけど、ヒルダさんの声音にはどこかからかうような響きがあった。

 それにターナさんも機嫌を損ねた様子は無くて、やっぱりどこか気を許しているみたいな感じがする。

 公爵なんて立場からすると意外だけど、学院の外でも落ち込んだりしていないらしいのにはホッとした。

 

「そういえばマリアさん、研究会を抜けて、後悔はしてない?」

 

「えっ……ターナさんは殿下の案に反対なんじゃなかったの?」

 

「それは勿論変わりないんだけどね。殿下の特殊部隊――に参加するのは他の人にとって間違いなく名誉なことだろうから。賢者様に憧れてたんでしょう、私の事なら気にしなくても良いんだよ?」

 

 ああ、これはどうやらこっちも心配をかけちゃったみたいだ。

 入試の時といい、あれだけ賢者様、導師様を尊敬してるなんて公言していた私がシン達と距離を置くようなことをしたらそんな気にもなるよね。

 私自身、今でも胸の内に揺れてるものがないわけじゃない。

 

 でも――うん、やってみたいことは、見つかった気がする。

 ミランダ達の姿を見たからっていうわけじゃないけど、彼女なら、応えてくれるような予感があった。

 

「あのね、ターナさん。一つ、お願いがあるんだけど」

 

「お願い?」

 

「うん。長期休暇に入ったら……ターナさんの領地に、お邪魔させて欲しい。ううん――鍛えて、欲しいの」

 

 憧れているだけじゃ、いつまでも変われない。

 私はこの人達の居るところまで、手を伸ばしたいんだ。

 この日、そんな決心が私の胸に芽生えたのだった。



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前準備

毎度ながら、感想、評価、誤字指摘ありがとうございます。
また返信怠りがちで申し訳ないですが、更新はしっかり続けていきたいと思います。


 長期休暇の初日、アールスハイド王都を離れ、いくつかの領地を経由した先の街へマリアはやってきていた。

 駅馬車から降りたマリアはその領地、マーシァ領の玄関口のような役割を果たしている街の予想外な風景に目を丸くする。

 

「結構、っていうか随分栄えてるのね」

 

「なんだか田舎町って感じもしないじゃない」

 

 応じたのは共に乗り合わせてきたミランダの声、続いてクライスも馬車から降りてきていた。

 二人もまた学院が長期休暇となる間にこの地を訪れることになり同行している。

 マリアらが意外そうに見回したように、遠くには一面の麦畑も覗けるその街は王都とまではいかずとも、田舎町とも呼びづらい様相だった。

 

 農村から発展したようではあるが、石造りの建築は整然と建ち並び整理され、市が開かれているらしい広場の方は活気に満ちている。

 停留所もしっかりとした建物が用意され、休憩所でくつろいでいる他の領からの旅行者らしき姿も数多い。

 

「マリアも知らなかったの?」

 

「そりゃそうよ、私だってターナさんの領地には初めて来るんだもの」

 

 この頃の付き合いの中で、名前で呼び交わすようになったマリアとミランダがそわそわと、落ち着かなさそうに街を見回していると。

 

「おう、嬢ちゃん達。さては例の学院生か?」

 

「はい――っ!?」

 

 掛けられた声の方へ顔を向けたマリア達はぎょっと目を剥かされてしまう。

 そちらからはアールスハイド魔法師団所属を示す、黒いコートを纏った男性が向かってきているところで。

 現役の魔法師団長であるその人物との遭遇に、三人は揃って驚いてしまう。

 

「オルグラン、団長っ!?」

 

「ああそんなビビんなくていいぜ、上司部下ってわけでもねえんだからな」

 

 かしこまろうとするマリア達を鷹揚に制するとルーパーは三人の旅装を眺め、納得したように頷きを見せる。

 

「あ、あの……オルグラン様がどうしてここに?」

 

「あん? 聞いてないのか、まあ言いふらすようなことでもなし、そりゃあそうか」

 

 意外そうに片眉を上げてみせながらもルーパーはすぐに理解したようにして、後ろへ引き連れた部下らしき者達を示す。

 

「ちょっとした研修みたいなもんだ。マーシァ閣下からお声かけ頂いてな、見込みのありそうなやつを連れて来たのさ」

 

 そんな計画が進められていたと知らなかったマリア達は納得しながらも、そんな事情の割にルーパーらが十人ばかりの小人数であることを意外に思う。

 軍人に対する研修というならもっと大規模なものを想像するし、連れられている魔法師達も士官級の人間ばかりというわけではないようだった。

 

「研修、ですか?」

 

「まあな、結構美味そうな店も出てるし、ビールでもひっかけたかったところだが――おっと」

 

 言葉半ばでルーパーが首を曲げた方をマリア達も見ると、構内の施設から全身をくまなく黒地の装束に覆っている青年が一行の元へ向かってきていた。

 マリア達の前へとやってきた青年は丁寧な仕草で頭を下げて見せる。

 

「お初にお目にかかります、王都からお越しの魔法師団の皆さま、そして学院生の方々ですね?」

 

「おう、合ってるぜ」

 

「ようこそお越し下さいました。皆さまの公都までの道のりを案内するよう申し付けられております、公爵領、警備隊所属、グリード・ハーゲンと申します。車輌に案内させて頂きますのでどうかこちらへどうぞ」

 

 前もって案内役が付くことを知らされていた面々はグリードの言葉に頷くと、その誘導に従い停留所の奥へと足を向けた。

 

「私達用に用意して頂けてるなんて、流石は公爵家ね」

 

「助かるぜ、駅馬車の座席じゃあケツが痛くてしょうがなかったしな」

 

 ミランダやクライスが微かに興奮したような調子で囁き交わし、駅馬車にうんざりとしていたルーパーも表情を緩める。

 国内とはいえ、王都からでは二日以上かかる旅の道程で、大抵のものが木の板を並べただけの質素な造りをしているような馬車にルーパー同様の不安を抱えていた魔法使い達が安堵する様子に、先導するグリードが何故か苦笑しているのを見ながら、マリアはふと気になったことを口にする。

 

「あの……オルグラン様みたいな方が、この時期に王都を離れてもよろしいんですか?」

 

 魔人騒動で国中が危機に備えている時に、魔法師団のトップであるルーパーがこうして王都を離れていることはマリアにも不思議に思えた。

 軍事に関わるかもしれない事情を尋ねるのを少し躊躇うマリアだったが、ルーパーはそれにあっさりと答えて返す。

 

「あまり良くは無いがな、緊急時には閣下に例の魔法で送って頂けることになったんだよ。確か嬢ちゃんは知ってるんだよな?」

 

「ああそれで……」

 

 転移魔法の事を知るマリアはそれで納得することが出来た。

 それでも魔法師団長ほどの人物が研修とやらの為にこうして出向いている疑問が消えたわけではなかったが。

 

「まあ個人的な希望も無かったわけじゃないがな。今が大事な時だってのは分かってるがそれでも――?」

 

 何事か言いかけたルーパーだったが、案内された先の雰囲気が変わって来たことに気づき眉端を上げる。

 構内の中央を挟み込むようにして外まで続いている、一見して柵らしきもの。

 内側には金属製らしき構造物が仕込まれ、屋内のこんな場所に何の為に設えてあるものか判断がつかない。

 

 それは他の面々にも同じことで、皆が不思議がっていると、手元で何かを確認した案内役のグリードが告げる。

 

「間もなく車輌が到着します、危険ですので柵の内側には入らないようにされて下さい」

 

 マリア達が困惑を深めながら、グリードが顔を向ける方へ同じように目を向けていると、やがて言葉通りに車輌が見えてくるのだったが。

 

「おいおい、マジか……」

 

 見慣れない、長細い車体は馬に()かれることなく、柵の内側を滑るように進入してきた。

 馬どころか車輪すらも見当たらない、その車輌が静かに目の前へと停まるのを目にした王都からの一行は揃って目を丸くしてしまう。

 

「本日より運行を開始します、魔導列車にて皆さまを公都までお連れ致します。車内は快適に造られておりますので、到着までは半日とかからないでしょうが、ごゆるりとくつろぎ下さい」

 

 そんなグリードの説明をすぐに理解できた者は、その場に居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通された応接間で準備が整うのを待つ間、ふと今日来る予定になっている王都からの来客達の事が頭に浮かぶ。

 今頃は列車に乗り込んだ所だろうか、遠距離の交通手段としてはまだ馬車が主流であるこの世界の人からすれば、さぞかし戸惑うことだろう。

 もっと説明しておけば良かったかと反省するが、今となってはグリードが手際良く案内してくれるのを祈るばかりだ。

 

「どうかしたんですかい、閣下?」

 

「お客様方についてちょっと、驚かせてしまうだろうなと思ってね」

 

 顔色を曇らせてしまっていたのか、護衛についてもらっている青年、グランに声を掛けさせてしまった。

 オルソンは公都にてその他の来客達を迎える準備を進めてもらっているので、今日は代役として彼についてもらっている。

 

「そりゃあ驚くでしょう、あんなの。あれも閣下の発明品でしたっけ?」

 

「施術は私だけど、付与の考案はヒルダ。車体のデザインについては大分相談したけど」

 

 整備できたのは二車線だけとはいえ、自分でもこんなに早く列車が運用できるようになるとは思っていなかった。

 いつもの実験中、彼女にとある構造について問い掛けられたのが事の始まりだっただろうか。

 

 

『それで熱を抑えられるんですか?』

 

『うん、確か軸の周りを金属球で囲むんだったかな。専門職じゃなかったし、完全に構造は分からないから再現は難しいけど』

 

『っていうかですよお嬢。本当に要ります? それ』

 

『え?』

 

『魔法なんですから、車輪を回して走る方法にこだわらなくたっていいんじゃないかなーって。ほら、この前お嬢に聞いたハンパツ力でしたっけ、物を浮かせたりするような現象もあるんでしょ?』

 

『あるにはあるけど、まさか――』

 

 

 迎え入れてからこちら、既存の工学を学び、魔道具を部品として扱う発想を取り入れたヒルダは工房の中でも飛び抜けた発想を度々見せていた。

 その全てが実現したわけではないが、あの魔導列車もその一つ。

 

「――まさかベアリングすっ飛ばしてリニアにいっちゃうなんてねえ」

 

 列車の動力として用いられているのは磁力、前世で言うリニアモーターカーというものに相当するだろう。

 当然その源は魔力、魔法によるもので、まともに車輌を走らせ、制御するだけの付与を実現するには長い開発期間を要した。

 こんな時代にリニアなんて、前世(むこう)の技術者が見たらちゃぶ台をひっくり返すに違いない。

 

 こちらの魔法師が付与内容を見ても略字だらけ、魔道具の複合だらけの構造には匙をぶん投げることだろう。

 正直まともに構築された理論を元に製作されたとは言い難く、大分私のイメージ補正にものを言わせてしまっている。

 一般の魔法使いが付与できるような形を整えるのには、もっと長い年月がかかるだろう。

 

 とある孫氏の振動剣と大差無い無茶ぶりだが、いい加減それもこの世界の現実と、受け入れる必要があるかもしれない。

 いかに前世では理論的に有り得ないような現象でも、魔法が存在するこの世界では成立し得る。

 高速で振動する剣は鉄をも両断出来るし、炎は酸素を注ぎ込んでやるだけで青く染まる。

 

 あり得ないなんて考えたところで、目の前で実現しているのだから、それは紛れも無い現実だ。

 そんな世界で第二の生を受けた以上、受け入れていくしかないだろう。

 今まで散々に余計な気苦労をする原因ともなっていた事をようやく割り切り、自戒と共に胸に刻んでおく。

 

 時速にして数百キロで車輌を走らせることが出来てしまう、この付与は迂闊に広めると危険な技術の一つだ。

 列車ではなく、砲弾でも撃ち出せば災害級の魔物どころか魔人だって木っ端微塵に出来る。

 まだそこらの個人にできる魔法ではないとはいえ、軽々しく売り出してはいけないだろう。

 

「俺からしたら便利で助かるとしか思いませんけど、お嬢――っと、閣下みたいな魔法が使えなくてもあっちこっちすぐに行けるんですから」

 

「そういう人がほとんどだっていうのは分かってるけどね、念には念を入れないと」

 

「けど運用始めたんですよね? 今まで待ったかけてたのに」

 

 暇潰しに差し障り無い範囲の内容でグランと話していたが、そんな質問をされるかもとは思っていた。

 通信機を始め、これまで完成していても隠していた技術を公開し始めた理由はいくつかあるが、アールスハイド王国としてでなく、この領自体に他国から目を引きたかったことが大きいだろうか。

 王家の方があんなことをやり始めてしまった、というのも無くは無いがそちらは小さい理由……だと思う。

 

「結局あれの貸し出し、始まっちゃったんですか?」

 

「みたいだね……」

 

 気心の知れた相手しか傍に居ないせいか、ついため息が漏れる。

 あれ、とはアールスハイド王国より、周辺国へ貸し出されることになった魔道具のことだ。

 使用は対魔人にのみと約束の交わされた、シン・ウォルフォードの魔力障壁が付与された防御魔道具。

 

 今の情勢で、並の魔法使いでは対抗できない魔人の魔法でも防げるそんなものを求めない国家があるわけも無く、その配備は着々と進んでいるらしい。

 そして無償では無いらしく、魔道具を借り受けた国家からはアールスハイドに賃貸料が支払われているとか。

 帝国の侵略で、少なくない戦費がかかったことだろうし、別に金儲けすることを咎めるつもりはない。

 

 命は金で買えないが、金で救える命はある、稼げる時に稼いでおくのは悪い事ではない。

 ただ、政治利用しないと誓った賢者の孫に作ってもらった魔道具で、こんな火事場で水を売るような真似をするのはどうなのかと、思わなくも無い。

 この動きでアールスハイドに借りをつくったことになる国も少なくないのだから、尚更に。

 

 だがそれにより安心を買えている人々が居るのは事実。

 とやかく言ったところで人のためになりはしない。

 こちらはこちらで、用意を進めさせて頂くとしよう。

 

 ノックの音に返事を返すと、今やってきている町を代表する人物の声が扉越しに聞こえてきた。

 

「閣下、準備が整いましたので、会場へどうぞ」

 

「ありがとう、すぐ向かいます」

 

 立ち上がり、弛めていた表情を引き締めたグランを伴って部屋の外へと向かう。

 領内の街々を巡り、この領で新たに定めることになる方針を説明して回るのも夏季休暇の間には終わるだろう。

 内容が内容だけに、遣いを出すのではなく自分自身が出向いて回りたかった。

 

 反発を抱く領民も居るかもしれない、それを思うと心臓が張り詰めるような錯覚に捉われてしまいそうになる。

 けれどもこれぐらいで弱音を吐いていたら、あの魔人の前で叩いてしまった大口が嘘になってしまいそうだ。

 もう一度あの男と向き合う日が来るかは分からないが、どうかその時、目を逸らさずに立ち会えるような人間でありたい。

 

 そんな思いを胸に抱きながら、扉を開き待っている人々の元へ足を運んだ。

 



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軍と魔法と少女達の青春と

毎度ながら、感想、誤字指摘、評価、ありがとうございます。
遅れないようにと言いながらちょっと間隔空いてしまい申し訳ありません。
某ソシャゲ原作の格ゲーにちょっとはまりこんで不覚……


 グリードやグランなどが所属する組織は警備隊などと称しているが、実質的にマーシァ領における軍隊と変わりない環境を整えさせていた。

 そんな彼らが使用する演習地に、この日は外部からの見学者を招いている。

 昨日到着したルーパー氏をはじめとするアールスハイド魔法師団。

 

 そしてダーム、クルト、カーナンといった近隣国家の軍事関係者が、用意された見学場から現在行われている警備隊の演習風景を眺めている。

 反応は一様と言って差し支えなく、それぞれが信じられないものを見ているような顔をしていた。

 

「まさか本当にこの規模の軍で、災害級を……」

 

 皆が目を向ける先では付近にある未開拓の森林から誘導された、虎や獅子といった災害級の魔物ばかりが警備隊と交戦しており、その戦況は一方的なものになっている。

 通常、災害級を討伐するには一軍でかからなければならないとされているが、今回招集した警備隊の兵数は百、総数で五千に満たない内の一部だ。

 それでも魔物と交戦する彼らに損害は無く、どころか今回おびき出された十頭を超える災害級の群れは布陣した警備隊によって、捕捉から数分の間にそのほとんどが蹴散らされていた。

 

 まず目視できる距離にまで近づいた魔物達の大半が、兵達の標準武装である杖というより小銃に近い形状をした魔道具から一斉に放たれた魔法射撃で脱落している。

 弾幕から逃れた魔物も集中砲火を浴びてすぐに散り、数頭が持ち前の身体能力でそれをもかいくぐっていたが、その牙が兵達に届くことはなかった。

 四人組の小隊単位で散開した兵達は襲いかかって来た魔物に対し、狙われた正面の隊が魔道具による防御障壁を重ね攻撃を防ぐ。

 

 その隙に背後から別の隊が躍りかかり、武装に展開させた杖剣(バヨネット)で脚や太い血管の走る腿部を切り裂いていく。

 魔力により身体能力が飛躍的に上がっていたとしても、そんな痛手を負えばたちどころに機動力は失われる。

 距離を離した兵達から一斉射撃を受け、災害級と恐れられていた魔物達は次々と処理されていった。

 

「あの魔道具も閣下が製作されたのですか?」

  

「いいえ、あれは工房の職人達によるものです。付与に関して私は一切手を加えていません」

 

 災害級に対抗できているのだからそう思ったのかもしれないが、本当に大部分の警備隊へ配備している装備への付与魔法は私の手によるものではない。

 私が居ないだけで製作できなくなってしまう装備なんて制式採用するには不安定過ぎることもあるし。

 それでも質問してきたルーパーが驚いた顔をしているのを見ると、やはり今までこんなやり方で災害級を討伐しようとした人間は居なかったようだ。

 

 この世界の戦争においてはまず、魔法による撃ち合い、その後騎士などによる近接戦闘に移行する形式が主だという。

 陣形や陽動などの戦術概念はあるらしいが、一方的に遠距離から魔法による攻撃を加えるのは卑怯だとする精神がどの国にも根付いているらしい。

 だからといって一撃で人間なんて引き千切ってしまえるような災害級を相手にまで、まともに接近戦を挑まなくても良いだろう。

 

 魔物は知恵が回らなくても、肉体的なハンディがあり過ぎる、特に魔法も扱えない騎士達にそれをやれというのは無謀というものだ。

 

「あの魔道具の威力に関しては、驚かれるほどのものではありませんよ」

 

 他の面々への説明も兼ねて、信じ切れない様子のルーパーの疑問に答えていく。

 実際に兵達に持たせている魔道具の威力は、王国の魔法師団に所属する平均的な魔法師が扱えるものと比べても大差無いぐらいのものだし、シンや現在の究極魔法研究会の生徒達と比べれば明らかに劣るはずだ。

 ただし、射撃として火線を集中させやすいよう、付与魔法使いには衝撃力を込めた魔力を光線めいたイメージで撃ち出すものに統一させている。

 

 熟達すればフィクションのレーザー光線めいた貫通力にまで達するこの魔法は私よりもむしろ、この世界の人々にとって馴染み深く、広く用いられているものでもあるので付与師達の習熟も早かった。

 後は防壁の付与と並行して、純粋に威力や強度を向上させれるよう付与する魔法に絞ってイメージの構築を固めてもらった。

 魔法使いというと、火やら水やら、風やらをあれこれと操るものを想像しがちだが、兵士にそんな真似ができる必要はない。

 

 使用できる魔法は規格化され、魔道具によって全ての兵士にそれらが扱えることで戦術も組み立てやすくなる。

 警備隊では騎士や魔法使いといった区別は無く、一部の例外を除いて装備は統一していた。

 統制された集中射撃によって魔物の硬い外皮は貫けるし、前衛の兵士達も魔力障壁で身を守ることが出来る。

 

 慣例や財政など、小難しい事情はどの国にもあるのだろうが、まず言いたいことは一つ。

 

「魔人の大量発生という未曾有の危機に立ち向かわなければならない兵士達に、まともな矛と盾ぐらいは持たせておくべきでしょう?」

 

 いかに私の領地や殿下の特殊部隊が力をつけようとも、限度がある。

 もし侵攻を目的に他国へ魔人がなだれこんできたとき、救援に向かおうとも犠牲は避けられないだろう。

 なら自衛する手段ぐらいを持ち合わせておいてもらいたい。

 

「……つまり、我々にもあの魔道具を融通してもらえると?」

 

「いいえ、そこまでの余裕は私共にもありません」

 

 招待客の一人、ダーム王国の長官、ラルフ・ポートマン氏が恐る恐る問い掛けてきた。

 シンが扱うような魔法を無効化する障壁の前には無力だが、他国からすれば災害級を損害もなくあしらえる装備は恐ろしくも見えることだろう。

 それが手に入るとなれば、誰でも欲しがるのは目に見えている。

 

 しかし付与に使われる素材はコストがかさむ、このところ色々と地域開発を進めてしまったこともあり、こちらの領にも他の国にまで回している余裕は無い。

 

「ですので、お伝えした通り、付与魔法の適性がある方々をお招きした次第です」

 

 落胆する様子を見せていたラルフらが表情を張り詰めさせる。

 今回彼らを招いた理由について察してくれたのだろう。

 

「多少の訓練は必要とされますが、あれらの付与はそう複雑なものではありません。ご希望であれば、我が領にて、付与魔法の指導を受けて頂くことが可能ですが、いかがされますか?」

 

 付与魔法師の育成、今まで各国の軍部が疎かにしてきたその効果が大きいことは伝わっただろう。

 あとは変化する意欲に乏しい、この世界の人々にそれが受け入れられるかどうかだが。

 結論として、こちらからの申し出を辞退する人間はその場に居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ~……」

 

 今となってはとても人前では出せない、気の抜けた声がつい漏れ出る。

 演習見学から研修指導の手配し、領政に関わる報告と決裁を済ませただけで一日のほとんどが終わってしまった。

 それだけでも一日中、肩肘を張って過ごすのはやはり気疲れする。

 

 少し遅い時間、ようやく一人きりになって城館の浴場で広い湯船に浸かれば気も緩んだ。

 全身が湯の温もりに包まれていくのを感じながら、今日の出来事を反芻していく。

 王家では防御魔道具の貸し出しや、殿下の特殊部隊など、魔人対策として進めているらしいがそれだけで事足りるとは到底思えなかった。

 

 元帝国領の偵察報告によれば魔人となった人間の数は百を下らない、相当な規模になっている。

 彼らが今後どういった動きを見せるのかは不明だが、こちらが推奨した魔道具装備の普及もすぐにとはいかない試みだし、対応に備える為に気の休まらない日がしばらくは続きそうだ。

 しかし魔道具産業で大分名が知れたとはいえ、一公爵家の呼び掛けにそれなりの国が応じてくれたのは助かる。

 

 王国からも魔法師団長ほどの肩書きを持つ方が来てくれるとは思わなかった。

 叙勲式の時も挨拶された事はあったが、意外に好感を持たれているのだろうか。

 その理由に思い当たらず首を捻っていると、脱衣所の戸が開かれる音を耳が捉え、続いた数人分の足音にぎょっとさせられてしまう。

 

「ああ閣下、まだ入ってらしたんですね」

 

「っ、ヒルダか……どうしたの? 何か連絡でも――」

 

「それもありますけど、お邪魔してからにしますね。あ、お二方、着替えにはそちらの籠を使って下さい」

 

 熱い湯に浸かっているというのにヒヤリとした感覚が背筋を伝う。

 まさかと思いたいが、まさかの事態らしい。

 

「ちょっ……待ってヒルダ! すぐに出るから、話は後で……」

 

「すぐにって閣下は入ったばっかりでしょう? ロジーヌ様からご学友とゆっくりさせてあげてって言われてますから、観念なさって下さい」

 

 母上の名を出されてはぐっと声を詰まらされてしまう。

 ずっと人並みの娘のように振る舞ってこなかったせいか、人の良い母と家族交流を薄くしてしまったことは引け目に感じている。

 だからといって物事を許容するのにも限度がある、というのに。

 

 こちらの心情が分かる筈のヒルダはあっさりと、昨日から滞在中のマリアとミランダを連れて浴場に足を踏み入れていた。

 

「うわ流石に広い……お邪魔します」

 

「分かってはいたけど、ウチの家とは全然別物ね……」

 

 三人の姿が視界に入らない内に、即座に顔を背けて肩まで湯船に身を沈める。

 この体になってもう十年以上だ、気にしなくてもいいのではないかと思えてくる一方で、彼女達に対して不誠実なことをしているような気がして、直視するのは躊躇ってしまう。

 目を固くつむりながら、どうやって抜け出そうかと考えていた矢先、真っ直ぐにこちらへ向かってくる足音が一つ。

 

 そのままざぶりと、ヒルダが隣に浸かってきたことで仰天してしまいそうになる。

 

「……えぇ!?」

 

「汚れ落としの魔道具で垢は落としてありますよ、まあマナー違反ではあるんでしょうけど――こうでもしないとお嬢は逃げちゃうでしょうし」

 

 後半を囁くように呟いたヒルダにそのまま、湯の中で手を掴まれてしまう。

 振りほどけないことはないが、少し手荒になってしまう。

 そんなことをすればマリア達から不審がられる、とはいえ精神的な性別のことまでバレてしまうようなことはないだろうが。

 

「少しは慣れておいた方が良いですよ、ずっとこんな状況が避けられるとも限りませんからね」

 

 ヒルダの囁きに、意気地が削がれる。

 ずっと避けてはきたが、この程度の事態で平静を欠いているわけにいかないのも事実ではあるのだ。

 罪悪感が胸を(さいな)んでくるが、こちらもそろそろ腹を括らなければならないか。

 

 そうして懊悩している内に、体を流し終えたマリア達も湯船に入ってくる。

 国内に温泉地があるせいか、この国には他人と風呂を共にする文化は普通に存在する。

 二人から気恥ずかしがるような気配は感じられなかったが、こちらが瞼を下ろしたままでいることは気を引かれてしまったらしい。

 

「――閣下?」

 

「ああ、ちょっとミランダ……」

 

 感知魔法で人の動きは把握できている。

 どうやらマリアがミランダに何やら耳打ちしているようだ。

 何故かと一瞬思いかけたが、そういえば入浴にあたり眼帯を外していた。

 

 彼女には眼帯の下を一度見られているし、そのせいで目を閉ざしているのだと考えたのだろう。

 勘違いさせ申し訳なくはあるが、今ばかりは助かる。

 気まずそうになっているのを感じることだし、こちらから話題を逸らしてしまおう。

 

「二人には折角来てもらったのに、かまってあげられなくてごめんね。何か不都合は出てないかな?」

 

「いえいえ不都合なんて! きついのはありますけど、当たり前のことですし、望んで来たんですから、問題ありません」

 

 学院が違うので言葉遣いなど強要していないこともあり、いつものかしこまった調子でミランダが答えてくる。

 彼女にはこの街に常駐する警備隊で指導を受けてもらっているが、報告を聞く限りではなんとかついていっているらしい。

 軍隊の訓練には王都でやらせていたような、純粋に肉体を強化する為のものでない、精神的な面を鍛えることを目的としたものもある。

 

 過酷な環境に耐えるには必要なものであるから、ヘルウィークやSEREとまではいかないが、過剰な負荷のある訓練や罵倒も許容している。

 それも含めて耐えているというのだから大したものだ。

 

「私も少し見せてもらったけど、よく耐えれるわよね本当……」

 

「体は日頃から鍛えてるしね。あなたの方こそ、王都のトレーニングは続けてるんでしょ?」

 

「まあそっちと比べたら量は少ないけど、それぐらいはね」

 

 ミランダが口にしたように、あの鍛えて欲しいと言い出した日からマリアは騎士学院生二人と同じように体力トレーニングも受けてもらっていた。

 魔法使いであるので強制はしていないのだが、魔法で身体強化した状態で動くのには体を動かす感覚を鍛え込んでおくことも大事と教えてしまったせいか、彼女の方から志願している。

 魔法学院生らしく、今まであまり体の方は鍛えていなかっただけに相当辛いはずだが、元が努力家なこともあってか頑張って食らいついている。

 

「――実を言えば、すぐリタイアするんじゃないかって思ってたわ、ごめんなさい」

 

「え? どうしたのよ急に、そんな謝ることなんてないじゃない」

 

「いいえ。今まで魔法学院の生徒なんて、全然体も鍛えない、根性無しなんて思ってるところもあったのよ。……正直、やっかみもあったと思う。騎士じゃどうあがいても、賢者様方みたいにはなれやしないって、分かってたから」

 

 ミランダが神妙な声音でそう口にすると、茶化せるような雰囲気でないことを悟ったマリアも息を詰める。

 それは生まれ持った適性で、魔法の才能が大きく左右されるこの世界で、多くの人が抱える葛藤かもしれない。

 魔法は強大な力を扱えるだけに、その才が無い人々は魔法使いに対して憧れもするが、劣等感を抱く人も少なくはない。

 

 騎士学院生達の魔法学院生に対する悪感情はそういった心情に由来するところもあるだろう。

 実際に恵まれた境遇でありながら、魔法で何とかなるからと、体を鍛えるのを疎かにする人間が多いこともある。

 騎士見習いの彼女達の目に、それは怠慢に映るのかもしれない。

 

「でも、きつくても頑張ってる貴女を見たら、そんなこと考えてた自分が恥ずかしくて、申し訳なくなっちゃったのよ。だから、ごめんなさい。」

 

「そんなこと、やっぱり謝らなくてもいいわよ。知ってるでしょ? 私達だって、騎士学院生のこと、脳筋って呼んで馬鹿にしてた。……きっと魔法が使えない、貴女達のこと、見下してるところがあった。こっちこそ謝らせてほしいぐらいよ」

 

 訓練に打ち込むミランダ達の姿を見て、思うところがあったらしいマリアはこの数日の間で、随分と彼女達に対する態度が変化していた。

 合同訓練以前とは別人のように、柔らかい表情を向けてマリアは言葉を繋いでいく。

 

「自分がどれだけ恵まれてるか、全然理解できてなかった。その差を埋める為に、ミランダ達がどれだけ努力してるのかもね」

 

「……そう言われると、こそばゆいんだけど……お互いさまってことかしら?」

 

「ま、そんなところでしょ?」

 

 やがて落としどころをつけたらしい二人は視線を交わし、どちらからともなく微笑み合う。

 そこには名前で呼び合うようになったこと以上の親しみが感じられて、こちらまで微笑ましい気持ちにさせられてしまった。

 

「青春してるなぁ……」

 

「羨ましいなら、お嬢も青春してみたらどうですか?」

 

 口端を意地悪そうな笑みの形にしたヒルダに取られた二の腕に、柔らかい感触が当たるのを感じてついビクりとする。

 今は自分にもある、その感触の元で耐性がついていなかったら飛び跳ねていたかもしれない。

 

「……今は忙しいし、そういう青春は……もうしばらく我慢する」

 

 とはいっても、湯の熱さによらない熱が顔に浮いてくるのは隠しきれなかったようで、忍び笑いするヒルダからつい顔を逸らしてしまうのだった。

 



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一時の平穏

展開がちょっとスローペースで申し訳ない。
そろそろ進展大きくしていきたいですね。

原作で唐突に「結構前世の記憶持ち居るんだよね」なんて話が出てきて白目になりそう。


「城館の浴場を利用させて頂いたのは久しぶりでしたけど、広い湯船に浸かるのはやっぱり気分が違いますねぇ」

 

 そんなことを言いながら湯上りのヒルダがほくほく顔で濡れた髪を拭いている。

 こちらも同じく長い髪拭きの最中で面倒な作業の一つだが、見栄えを気にしないで良い身分でもないので前世のようにがしがしと適当にぬぐって済ませるわけにもいかない。

 普通の貴族なら侍女にでもやらせるのかもしれないが、こちらの方が気楽にやれるので自分で済ませている。

 

 同時に上がったマリアも貴族身分なので少し気になっていたが、問題なく一人で片づけているようだったが。

 

「――? 何よミランダ、変な顔して」

 

「分かってはいたわ。分かってはいたんだけど……っ」

 

 拳を握り怒りを抑えるような顔をしていたミランダがそっとマリアの二の腕に触れ、がっくりと肩を落とす。

 その様子で彼女の心情を察してしまうが、マリアの方はまだ分かっていないようで不思議そうな顔をしている。

 

「腕なんか急に触って、どうしたのよ?」

 

「いいわよね、まだこんなに柔らかいんだから……私達騎士見習いはね、鍛えないといけないから、どんどん、固くなって来ちゃうのよ!」

 

 悔しそうにミランダが言うように、筋肉量が増えればどうしても体つきはがっしりとしてくる。

 一般的に、体つきに程よく柔らかさがある女性の方が男性受けする。

 騎士として向上心豊かな彼女ではあるが、それとこれとは別問題なのか、脂肪を保ったまま実力をつけれる魔法使いは女性の騎士からしてみれば羨ましい存在なのだろう。

 

「……ふふ、見てなさい、貴女だってこのまま鍛えていけばお腹が割れてくる日もそう遠くは無いから」

 

「わ……割れって、そこまでする気はないから! あくまで私は魔法使いだし」

 

 本当に妬んでいるというより、ミランダの言葉は友人同士でじゃれているような調子だった。

 しかし異性からどう見られるかそれなりに気になる年頃なのか、そういった変化が気にならないわけではないらしいマリアは強く返しながらも、恐る恐る感触を確かめるように自分の腹の辺りに触れている。

 それだけでは不安だったのか、視線を泳がせたマリアとこちらの目が合ってしまう。

 

「あ、ほらターナさん見たら分かるじゃない、そこまでしなくたっていいんだって」

 

「う……それはそうだけど」

 

 引き合いに出されると困ってしまうが、実際私の体には領主業務で筋トレの時間が取れなかったこともあり、あまり筋肉はついていない。

 大半の事が魔法でどうにかなってしまうので必要はないのだが、健康の為に少しぐらい時間をつくりたいところだ。

 今より少し幼い頃にはオルソンにつけてもらっていた護身術の稽古も、忙しくて最近はご無沙汰になっていることもあるし。

 

 そういえばこちらの世界ではあまり武術の技法は発達しているように見えなかったので、前世で小さい頃に手習い程度にやらされていた武道をオルソン達に見せる機会もあった。

 それまでは剣筋の鋭さだとか、やたらと力任せな技がもてはやされていたみたいだが、今頃はどうなっているのだろうか。

 そんな風に気を散らしていたせいか、忍び寄っていたヒルダの手に気づくのが遅れてしまった。

 

「――ぅわ!」

 

「太ってる感じでもないのに本当に柔っこいですね、結構甘い物お好きな筈なのに」

 

 肌着越しではあるが、急に腹を摘ままれれば慌てもした。

 情けない声が出てしまったのを誤魔化しつつ、流石に人前でそんな真似をしてきたヒルダを窘める。

 

「ヒルダ……そういう真似は流石に、時と場合を選ぼうか」

 

「あはは、いいじゃないですかこれぐらい。胸に触ったわけでもなし」

 

「いや同性でも胸を触ったりなんかしないでしょ……」

 

 あまり堪えた様子の見られないことを呆れていると。

 

「あれ? しないの?」

 

 マリアから妙なところに反応されてしまった。

 

「……しないのって?」

 

「うん、胸とか触ったりって。シシリーの実家って温泉地だから、遊びに行くと一緒に入ったりしてたんだけど、私達はそういうことも普通にしてたから」

 

 前世の知らない女子ワールドではそういうことも日常的だったのか、こちらの世界特有のやり取りなのか、予想外な事実にマジかと、天を仰ぎそうになる。

 ぐっとそれを抑えていると、ミランダが何か面倒なことでも思い出してしまったかのような遠い目をしていた。

 

「シシリーって、ああ、あの子ね……」

 

 合同訓練の際に、シシリーには騎士学院側の男子が熱を上げてしまっていたせいか、彼女からしても複雑な思いがあるようだ。

 

「ああいう子は男子からも好かれそうよね……まあ彼女にはウォルフォード君が居るんでしょうけど。そういえば今回はあの子と一緒じゃないの?」

 

「うん、研究会の皆はシシリーの領地で合宿することになったみたいだから」

 

 シシリー嬢の実家、クロード領の温泉地といえば国内でも有名だ。

 一瞬スパリゾートなんて言葉が頭に浮かんだが、今の時代ではそこまで開発も進んでいないだろうし、訓練後の体を労るには丁度良いとでも考えたのだろう。

 究極魔法研究会の面々が夏季休暇の間に強化合宿を計画していることは知っていたが、果たしてどんな訓練をしているのか。

 

「合宿か……あのウォルフォード君が指導してるんでしょ? なんだかすごいことになりそうね」

 

 ミランダは素直に感心しているようだが、こちらとしては頭痛のタネの一つであるので、聞いていて気が重くなる。

 結局、殿下は特殊部隊の創設を思いとどまることは無かったらしく、研究会の面々には着々とシン流の英才教育が進んでいる。

 偉大な賢者に育てられた新英雄の教えを、王族が息のかかった人間の間で独占させているなどと、他の国に知られたらどう思われるか。

 

 せめて殿下が自分は指導を受けず、監督に徹するというのならまだ少しは説得力もあるのだが、そんな素振りは微塵も見られず熱心に訓練に打ち込んでおられるようだ。

 もうすぐ王太子となるお方が前線に赴く腹積もりで居るのも呆れるが、自ら活躍したいあまり指導に制限をかけているのではないかと勘ぐってしまう。

 シンが圧倒的な実力で活躍する様は同年代である殿下達に対して、憧れと同じぐらいに劣等感を抱かせている可能性があることだし。

 

 そんな彼らが同じような実力を身につけ、活躍できる可能性を示されたら、飛びついてしまうのも無理はないのかもしれない。

 人の上に立つべき者としての教育を受けている筈の殿下までと考えると、嘆かわしい事ではあるが。

 これに関してはシンのように常識離れした魔法が扱えてしまう、私のような立場から言っても受け入れられ難いことだろう。

 

「そういえばマリアもここの施設で色々教わってるのよね、そっちの調子はどうなの?」

 

「ああ、それね……シンの魔法を説明されたときと同じぐらい衝撃の連続よ」

 

 こちらに来てから従来の体力トレーニング、魔力制御の訓練に加えて、ある授業を受けてもらっているマリアがその質問に眉根を寄せていた。

 現在では王都の学院で受けるのが主流である高等教育だが、将来的にはこちらの領でも行える学院の創設を目指している。

 その指導要領策定の一環として、彼女には魔法学院のカリキュラムには無いちょっとした理化学的な授業を受けてもらっていた。

 

 まだ二日目で初歩的な分野しか教えられていないはずだが、それでも物理法則なんて魔法でどうにかしてしまえる環境に馴染んだ人からするなら驚かされる内容だったらしい。

 

「ていうかアレって、シンの言う過程ってやつよね。まさかこっちでは当たり前に知られちゃってるの?」

 

「まだ研究院に出入りしてる人間ぐらいだよ、いずれは編纂して学問として確立してもらう予定だけどね」

 

 魔法を使用しない環境下で繰り返される実験の成果はそれなり、というか予想以上に上がっている。

 物理的な変化に干渉せず、観測する手段は魔法でどうとでもなることもあるだろうか。

 とはいえそれでシンのような魔法を扱える人間を量産しても困ったことになるので、早い内に対抗策も考えなければ教育には組み込めないが。

 

「私からしたら一体どうしたらそんなこと調べようと思うのよ、ってことばっかりだったんだけど……」

 

「……というより、皆が気にしなさ過ぎなだけなんだけどね」

 

 この世界の、という言葉を省いて口にした言葉にマリアが首を傾げる。

 まあそんな反応が返ってくるだろうとは予想していた。

 

「気にしなさ過ぎ、って?」

 

「そうだね……当たり前、の中身についてかな。例えば研究会に居たマーク・ビーンズ君だけど、彼ならウォルフォード君から教わるまでもなく、炎を高温にする方法なんて知ってるはずだよね?」

 

「うん……マークが? ああ……そっか!」

 

 察するところがあったのか、分かりやすくマリアがポンと手を合わせて理解を示す。

 鍛冶工房の跡取り候補だった彼、マークは自分で剣を打つこともあったらしい。

 そんな彼が金属を加工する技術を知らないわけが無く、高温の炎など日常的に目にしている筈だ。

 

 この世界の魔法の法則上、卓越した炎魔法を扱えるようになっていてもおかしくはない。

 にも関わらずそんな様子は無いのだから、いささか鈍感と言わざるを得ないのではないだろうか。

 当人の資質に左右されることとはいえ、人間というものは林檎が木から落ちることすら疑問に思うほど想像力豊かな生き物である筈なのだが。

 

 まあ殿下の直属部隊に入れば実家を継げなくなると理解しても「親父は現役だし、自分の子供に継がせれば良い」なんて言っていたらしいマークだ。

 家業に対してそんなに熱心でなかったのかもしれない。

 一人息子がそんな調子だったご両親と、期待を背負わされることになる、未来の彼の子供にはご愁傷さまであるが。

 

「当たり前……そっか、気にしてなかっただけで、そこら中に切っ掛けがあるのよね……シンが何言ってるのか分からない、なんて思ってたけど、考えるのを止めちゃ駄目だったかな」

 

 シンによる過程の説明に、これまであっさりと思考を停止していた自分を悔いているようにしているマリア。

 あの説明は随分と理論とかすっ飛ばしているようだったので、引き合いに出しては無理も無いと思ってしまうが。

 賛同できないとはいえ、どうやら私の影響で殿下直属の部隊というエリートコースから外れてしまったらしい彼女の事は正直気がかりだった。

 

 彼女もまた賢者様や導師様に憧れていたが、その気持ち自体が邪まなものであるわけではない。

 将来どんな魔法使いを目指すとしても、願わくば休暇中の経験が彼女なりの答えを見つける手助けになって欲しいものだ。

 そんな彼女のような人々を脅かされないよう、備えておくのは間違いじゃないだろう。

 

 各国の装備強化もあるが、それだけでは対抗しきれないだろうオリベイラのような脅威も確実に存在する。

 

「……仕事が一段落したら、私もトレーニング再開しないとね」

 

 日頃から鍛えなければ体力なんて落ちる一方だ。

 好ましい事態ではないが、私自身でなければ太刀打ちできない相手が出てきた時の為にも、無理は禁物だが時間を捻出しておきたい。

 

「ご無理はされませんようにね。それにほら、閣下みたいな方は運動し過ぎると――垂れたりとかしそうで色々心配でしょう?」

 

 この体で負担がかかりそうな部分を茶化すように言っているが、ヒルダも心配はしてくれているのだろう。

 無理をしていると思われないように調子を合わせ、軽く笑って返すことにする。

 

「平気だよ、休養は忘れないし。若いんだから靭帯治しておけばそうそう垂れもしないだろうしね」

 

 魔法の万能ぶりにあかせて、何気なく口にした言葉だったのだが。

 

「――お嬢、今何て?」

 

 勢いよくこちらへとヒルダの、だけでなくマリアやミランダの顔までもが振り向けられていた。

 そこに至って、胸が垂れる要因については誰かに教えたことが無かったと、今更になって気づく。

 自分から口にするのは気恥ずかしい話題であるからしょうがないと思っていたが、彼女達にとって聞き捨てならない情報であったらしい。

 

 薄着でぐっと詰め寄ってくる女性陣の圧力に焦るも、すぐに追い詰められてしまった。

 

「ターナさん、それちょっと詳しく」

 

「いや、その、ちょっと、近すぎるから! まず離れて……」

 

「そんなのいいですから、白状しないとお嬢が秘蔵してる酒の在処、ウーロフ様にバラしちゃいますよ」

 

 そうして一時ばかり、世界の危機だとか、領主としての責務だとかを忘れ、知り得る情報を吐かされることになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく扱いに馴染んできた受話器を耳に、通信先へと口を開く。

 相手の方は目の前に居ない人物と話すことにまだ慣れないのか、声の調子が少しばかりぎこちないようだった。

 

「で、そっちの様子はどうだ? 魔人連中に動きは?」

 

『状況に変化は無い。が、油断は出来ん、国境線の監視はまだまだ緩められんだろうな』

 

 マーシァ領へ滞在してから一週間が経ち、ルーパーは軍務局長ドミニクとの定時報告がいつもと変わりないことに安心しながらも、魔人勢力の動向が読めないことに同じ程度の不安を燻らせていた。

 いつ危機が迫るか分からない情勢の中、特別に利用を許可された通信機でこうして連絡は取れていなければ、流石にルーパーもおいそれと王都を離れたりはしなかっただろう。

 

『そちらの、研修とやらの調子はどうなんだ?』

 

「ああこのままだとちっとばかり、まずいことになるかもしれねえな」

 

 最近発生したある悩みを漏らすと、受話器の向こうから息を呑む気配が伝わってくる。

 ルーパーからしてみればそれなりに切実な問題だったのだが、その反応には少しばかり罪悪感を感じさせられてしまっていた。

 

『何があった?』

 

「――酒が進みすぎる」

 

『……は?』

 

 くっくっく、とつい笑いを漏らしたルーパーの耳に、事が深刻でないことを察したドミニクの深いため息が届いた。

 

「流石に四六時中訓練浸けなんて気が滅入っちまうからな、息抜きに街まで呑みに行くこともあるんだけどよ。店数は少なくねえし、初めて見る美味い肴がそこら中にあって飽きがこねえ」

 

 初めの内こそ領の法により、異空間収納が使えないといった不便を感じていた魔法師団一行だが、今では帰る日が来るのを惜しむ者まで居る始末だった。

 酒の肴に限らず、遊技場や王都に存在するような劇場もあり、大衆的な娯楽に事欠かないことも拍車をかけている。

 

「ま、冗談はさておき順調ではあるぜ。魔人相手でも大分マシにやりあえるようになるかもしれん。想定通りに運用できれば、だがな」

 

 ルーパーが言うように、魔法師達は順調に付与技術を修めつつあった。

 しかし魔道具装備へ更新するには相応の予算がかかる、運用を上申してもすぐに採用されるかどうかは難しい所だ。

 被害は少なかったとはいえ、帝国との交戦はあったし、つい最近に殿下の鶴の一声でエクスチェンジソードが導入されたばかりでもあるので尚更。

 

『その辺りはお前達が戻ってから話を詰める必要があるな。ところでルーパー、話は変わるが』

 

「あん? どうした」

 

『賢者様のお孫様、ウォルフォード君がクロード子爵家の令嬢であるご学友と婚約されてな、王都でその披露パーティーが開かれることになった』

 

「婚、約? あの彼がか、そりゃあめでたいことだな」

 

 今や新英雄であるシンに婚約者が出来たというのは王国にとってそれなりの大ニュースになる。

 間違いなく慶事ではあるが、それを祝いつつもルーパーの胸の内が少しばかりざわついたのは、こんな情勢の中でという思いのせいか、彼と同年代の少女達が奔走し、厳しい訓練に打ち込む姿を間近で見ているせいか。

 

『その日は立会人として国王陛下も出席される、公爵様にも話は行くだろうが、一応伝えておこうと思ってな』

 

「陛下までか……」

 

 賢者様達と親しい現国王陛下なら当然そうなるだろう。

 警護の面ではクリスティーナやジークフリートが居るとはいえ、重要人物が集まりそうなその日に自分も戻っておくべきだろうかと一瞬考えるルーパーだったが。

 

「……了解した、また何か異常があれば連絡してくれ」

 

 決断には至らず、受話器を置いたルーパーはしばらく瞑目した後、肩を鳴らしながら通信用の部屋を出ていく。

 時分は夕刻、呑みに繰り出すには良い頃合いだったが。

 

 ――若い連中に負けてばかりもいられねえしな、魔力制御の訓練でもやっておくか。

 踵を返したルーパーの足は真っ直ぐに宿へと向かって行くのだった



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魔人達の思惑

遅くならないようにしたいと言いつつ間が空いてしまって申し訳ありません。
迂闊にあつ森を起動してはならない戒め……。


 国内の貴族が治めていた町々、全てを攻め滅ぼしたオリベイラは帝都へと戻り、魔人と化した元帝国民達もほとんどがその後に続いていた。

 これまで自分達を苦しめてきた貴族達を赤子の手をひねるがごとく葬り去ったことで、元平民達の中には魔人となったことで得た力の全能感に酔いしれる者も少なからず出てきている。

 そうした影響もあり、帝国を滅ぼしたならば次は世界統一かと浮かれる魔人達だったが、対照的に玉座に腰掛けるオリベイラの瞳からは感情の色が消え失せていた。

 

「さて……皆さんのお蔭で無事に帝国を滅ぼすことが出来ました、これは大変喜ばしいことです」

 

 そう淡々とオリベイラが告げると、広間に集まった魔人達は口々に彼を称え追従する言葉を上げていく。

 一方で以前からオリベイラに従っていた者達、ミリアやゼスト率いる諜報部隊はそんな様を冷ややかに眺めていた。

 

「しかし……帝国を滅ぼすことが私の目標でしたからねえ……この後はどうしましょうか?」

 

 オリベイラが続けたその予想外な発言に、熱狂していたはずの魔人達が困惑していく。

 逆にその反応が理解できないとばかりに首を傾げるオリベイラへ、一人の屈強な体格をした魔人が問い掛けた。

 

「お、お戯れを……シュトローム様、私達魔人の力で、世界を統一なさるのでは?」

 

「世界統一? 何故そんな面倒なことをしなければならないのですか?」

 

 もとよりその題目は魔人となった者達の間で囁かれていた、もしかするならという願望の一つでしかないもので、オリベイラがそんな野望を漏らしたことなど一度たりとも無い。

 それがいつしか独り歩きし、彼らが思い違いしてしまっただけのことだったが、身勝手なことに憤慨する者も少なからずその場には居た。

 

「……だったら、なぜ、私達を魔人にしたのですか!?」

 

「帝国を確実に滅ぼすための手駒が欲しかっただけです。私は貴族を打倒する為の力を与えると言っただけですよ? 一体どうしてそんな話になっているのですか」

 

 こちらの方こそが心外とばかりに告げるオリベイラに、呆気に取られる魔人達だったが、手駒というその言葉が気に障ったのか、その一部が激昂しながら魔力を集め出す。

 

「貴様……そんな事の為だけに俺達を……っ!」

 

 しかしその魔力は鬱陶しそうにしながらオリベイラが手を振ってみせただけで制御権を奪われ、霧散してしまう。

 同じ魔人でありながらその圧倒的な力量差に呆然とする元平民達へ向けられるオリベイラの瞳は、敵意を向けられながらも変わらず感情の色を宿していなかった。

 

「迷惑です、あなた方がどういう野望を抱こうと自由ですが、それを私にまで押し付けないで頂きたい」

 

 反感を覚えようとも、対抗することすら出来ないことを理解した魔人達は歯噛みすることしか出来なかった。

 

「分かりました……ならば私は好きにやらせて頂く!」

 

「最初からそうして下さい」

 

 離反を宣言した一人が出ていくと、集まっていた元平民の魔人達は動揺しながらも、やがて出て行った男の後を追って行く。

 集まっていた魔人の大半を占めていた元平民達が去ったことで、静けさに満ちた広間でオリベイラはうんざりとしたように嘆息を漏らす。

 

「まったく、一体何を考えているのやら」

 

「恐らく不相応な力に酔っているのでしょう。ここに残っている者達と違って、出て行ったのは今まで戦闘経験など全く無かった者達ですから」

 

「……あの反応を見るに、自分は必要な存在として選ばれたとでも勘違いしていたのかもしれませんな。搾取され続けてきた反動もあるのでしょうが、唐突に力を得たことで自尊心ばかりが膨れ上がったと見える」

 

 冷徹に評したように、玉座の傍らに控えていた男女、ミリアとゼスト、そして元諜報部隊の者達はオリベイラが彼らに対してなんら執着心を抱いていないことを分かっていた。

 魔人となり膨大な魔力を制御できるようになりながら、それを扱う術に関してはまったくの素人である元平民達に何の指導もしなかったのは、彼女達もまた相手を駒としか見ていなかったことによる。

 事が済めば用済みとなる存在でしかなく、処分されてしまう可能性すら視野に入れていた。

 

 だからこそ彼らをあっさりと野放しにしてしまったことを気になりもしたのだったが。

 

「そういうものですか……あなた方は、行かなくてもよろしいのですか?」

 

「……私達はシュトローム様の御力に心酔する人間ばかりですから」

 

 その場に残ったのは皆やはり、平民であるというだけの理由で帝国の体制に虐げられてきた者達ばかり。

 命懸けの任務を与えられながら、まともに見返りを与えられることなく酷使されてきた者。

 貴族の私欲によって自身の自由、家族の命までも奪われてしまった者。

 

 そんな彼らにとって、帝国を滅ぼす機会を生み出し、その為の力を与えてくれたオリベイラは紛れも無く救いだった。

 加えてかつてオリベイラが帝位継承権を持つ帝国貴族でありながら平民の地位向上に奔走し、それが故に他の貴族に陥れられた過去を知ってからは忠義に近い感情まで抱くようになっている。

 それだけに、彼が自分達に対して他の魔人達同様に、まともな関心を示していないことが苦痛でもあったのだが。

 

「それより、よろしいのですか? 彼らをあのまま放置してしまっても」

 

「構いませんよ、彼らが私の障害になる訳でもないでしょうし。むしろそうなってくれた方が暇潰しになっていいのかもしれませんがね」

 

 離反した魔人達が反旗を翻す可能性を暇潰しと称したオリベイラをミリアは痛ましい思いで見てしまう。

 帝国を滅ぼすという目的を果たした彼は目標を失い、すべてがどうでも良くなっているかのようですらあった。

 

「まあ遠からず自滅してしまうのが関の山でしょう。アールスハイドのカート君も賢者の孫とやらにあっさり殺されてしまったようですし、あの国には私を追い詰めた閣下もいらっしゃることですしねえ」

 

 薄く笑いながらオリベイラが語った言葉に、他の面々が目を見開き驚愕を露わにする。

 先程の光景を見るまでも無く、並の魔人と比しても一線を画するオリベイラの実力を知る彼らにとって、それほど信じがたい内容だった。

 

「シュトローム様が実験台とした魔法学院生の顛末(てんまつ)は聞き及んでおりました。しかし追い詰めるほどの者が居たなどと、にわかには信じがたいのですが……」

 

「私も全力を出し切ったわけではありません、しかし正面から勝ち筋を見出せなかったのは事実ですよ。なにか隠し玉も用意していたようですしね」

 

 オリベイラの脳裏をよぎるのは眼帯を外し、白い眼を晒した少女の姿。

 相手の口ぶりから、ただの義眼ではなく魔道具の類、それも相当な効果を秘めたものと推測される。

 圧倒的な魔法の技量に加え、そんなものまで備えている人間という彼らにとっての紛れも無い脅威だが、その人物を回想するオリベイラの口端にはそれまでとは僅かに趣きの異なる微笑が浮かんでいた。

 

「シュトローム様……?」

 

「私が言うのもなんですが、魔人といっても絶対的な存在ではないということでしょう。そんな彼らが踊る様を精々楽しませてもらいましょうか」

 

 変化は一瞬の事で、すぐに表情を嗜虐的なものに戻したオリベイラは離反していった魔人達の未来を嘲笑う。

 自身にとっても脅威となる存在を語りながら危機感を見せない姿に、ミリアが気遣うような視線を向ける一方で、元諜報部隊の長、ゼストが密かに思考を深めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉座の間を離れたゼストは帝城の廊下を伴った三人の部下と話しながら歩いていた。

 

「任務ですか?」

 

「そうだ。ローレンス、アベル、カイン、お前達にはこれから出て行った魔人達に紛れ、奴らの行動を誘導してもらう。我々の脅威となる者達の戦力確認の為にな」

 

 まだ若い、青年頃の三人は告げられた言葉を一瞬不可解そうにしていたが、すぐに顔色を変えてゼストへ問いただす。

 

「脅威って……まさか!」

 

「アールスハイド王国、正確には賢者の孫シン・ウォルフォード。そしてマーシァ公爵だ」

 

「……それらに対してシュトローム様に手を出すつもりはないようでしたが?」

 

「そうであってもだ。あのお方がそれほど力を認めるまでの人間、いずれ必ず我々の脅威となる。危険の芽を摘めるのなら早いに越したことはない」

 

 いくらオリベイラに他国を侵略する気が無かろうと、彼ら魔人は人々にとって災厄に他ならない。

 他の国々が将来的に自分達を排除しようと動き出すのを予測していたゼストにとって、それは必要な行いだった。

 ローレンスらは一時難色を示しながらもその判断を理解すると、すぐに与えられる任務の内容へと意識を切り替えていた。

 

「ならその手段は、奴らにアールスハイドを襲わせでもするんですか?」

 

「いや、かの国は大国だ。賢者の孫や公爵が出てくる前に軍だけで討伐されかねん」

 

「てことはそいつらをおびき出せそうな状況を演出する必要がありそうですね……うへぇ、面倒な」

 

 上司に対するものとしては軽薄な口の利き方をするローレンスだったが、ゼストに気を悪くした様子はなく、アベルらも軽く睨むだけにとどめている。

 彼ら諜報部隊の人員はそのほとんどが平民にして特に貧しい出身の者達。

 幼い内から両親を亡くすなどして生きる糧を得る術を失っていた所を、ゼストに拾われた者がほとんどだった。

 

 彼らと彼らの為に諜報部隊の待遇改善を貴族相手に求めてきたゼストの間には立場以上の信頼があり、気安い間柄はそんな関係に来歴する。

 

「近くの国を襲わせる、ってところですかね」

 

「一方は公爵なんだ。簡単に身動きできないだろうし、それだけじゃ不足だろう」

 

「となると……ああ戦力を分ける必要もあるかもな、連中相手とはいえ余計に面倒そうだ」

 

 具体的な指示を出すまでもなく、内容を詰めていく部下達に信頼を込めてゼストは後を任せる旨を告げた。

 

「お前達になら出来ると信じている、期待しているぞ」

 

「ま、やるだけやってみますよ。元は優~秀な貴方の部隊の一員ですから」

 

「必ずやご期待に沿えるよう努力します」

 

 帝国が滅んでも従ってくれている部下達を見送ったゼストはその胸に、彼らに対する感謝と共にある念を抱いていた。

 この任務は自分達、魔人にとって脅威となる存在の実態を把握したかったのは事実であるが、それ以上に新たな主と仰ぐ、オリベイラに対して報いたかったところが大きい。

 自国の腐敗ぶりを理解しながらも、いつかは変わってくれるのではと愚直に職務を全うし続けていた彼は、踏み出すことのできなかった自分達に、変わる切っ掛けを与えてくれた主にミリア同様、深い忠誠心を持っている。

 

 そんな主が目標を失くし、時に世界の全てに興味を失ってしまったかのようにしている姿が彼にとっての悩みの種であり、出来るなら新たな目標を見つけて差し上げたいとすら考えているゼストだったが。

 そのために見出した相手こそが賢者の孫、そして。

 

「そして――閣下、か」

 

 脅威と定めた存在、特にその一方は思わず独りごちてしまう程度には気にかかるものとなっていた。

 その存在について触れるとき、あれほど貴族を憎んでいたオリベイラがむしろ表情を穏やかなものにしているように見えたのだった。

 性根の捻じ曲がった帝国貴族とは違う、他国の貴族であるせい、それだけにとどまらないものがあるように思えるほどには。

 

 考えても詮無い事と、ゼストは一旦思考を振り払い、放った部下達の成果に思いを馳せる。

 元より彼も離反していった魔人達に戦力となることは期待していなかった。

 無論並の人間には太刀打ちできない存在ではあるが、そんな事は他国にとっても百も承知に違いない。

 

 全土に魔物が蔓延る地となった帝国ではあるが、他国へ逃れた平民も少なくは無い、大量の魔人の存在は世界に知れ渡っていることだろうし、対策は進められているだろう。

 小国の一つや二つは滅びるかもしれないが、それに伴い犠牲となる人々に対して罪悪感を抱かなくなってしまっている自分にふと気づき、ゼストは眉根を寄せる。

 初めて確認された魔人のように、理性を失うことこそ無かったが、魔人となったことで自身の価値観が決定的に変わってしまったことは彼らも気づき始めていた。

 

 信頼関係にあった部下達、盟友であるミリア、主君となったオリベイラ。

 それぞれに対して抱く情はまっとうな人間だった頃と変わらない。

 しかしそれ以外の他者に対して、どうしてか同じ人間として扱おうとする感情が欠落している。

 

 自分達が人々の暮らす世界に対する異物となってしまったかのような錯覚を覚えながら、ゼストは残った感情、オリベイラに対する忠義を果たすためだけに行動を開始するのだった。

 

 



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始動

いつもながら感想、評価、閲覧して頂いている皆さまありがとうございます。
詰まり気味でまた間隔空けてしまい申し訳ありません

コロナの影響で世間は大変ですが、早期の収束願いつつ少しでも紛らわしになれば幸いです。



 夏季休暇の半ばだったが、流石に外すわけにはいかない用事の為に王都へ戻って来た。

 この日、王城前の広場に設営された会場で行われるのはアウグスト殿下の立太子の儀。

 これをもって殿下は正式に王太子、次期国王として任命される。

 

 式典は公開されており一般国民も観覧することが許され、王城のテラス下の広場から多くの参加者が儀式の様子を見つめていた。

 しかしこちらは王国貴族として祝う立場であり、会場の脇で儀式に立ち会っているわけだが、究極魔法研究会の面々も参列しているのはどういう意図なのだろう。

 まさかこの場で例の特殊部隊を創設することを発表でもするつもりなのか。 

 

 完全に放置するのも気が休まらないので、彼らが夏合宿中のクロード領には調査員を派遣していた。

 シンが転移魔法や索敵魔法を頻繁に使用するので可能な人選も難しく完全ではないが、その甲斐はあってある程度は彼らの行動を把握できていた。

 把握できても結局は頭を悩まされることになったのが悲しいところだが。

 

 まず夏合宿についてだが、研究会の生徒達に加え保護者として賢者様に導師様も同行したらしい。

 この世界の基準において一応は皆、成人しているわけで、子供扱いしているようにも見えるが相手はあの英雄夫妻だ。

 シンは頭が上がらないようだし、他の生徒達も同行を喜びこそすれ、異議を唱えたりはしなかったらしい。

 

 過保護ではあるが微笑ましく見れなくも無い、それだけだったのなら、だが。

 どんなやり取りがあったのか、報告によれば賢者様方は合宿中、研究会の生徒達へ積極的に指導を行っていたらしい。

 あれだけ国に利用されることを疎んじているらしかったというのに、殿下の意向にそれだけ賛同されたのか、それとも孫の学友だから政治とは関係無いとでも言うのか。

 

 いずれにしてもそれだけ充実した環境での合宿内容など、現役の軍属魔法使いからしたら羨ましいことこの上ないだろう。

 現段階で既に、研究会の大半が一人で災害級の魔物を討伐できるようにまでなっているらしい。

 そして合宿の途中、何故か殿下の婚約者であるコーラル公爵の息女、エリザベート嬢のみならず王女であらせられるメイ様まで加わっていたと聞いた時には流石に耳を疑った。

 

 殿下が心配になったのだというエリザベート嬢は魔法の素養に恵まれず、合宿は見学に終始していたらしい。

 一方で以前から賢者様達に憧れていたというメイ王女の方は優れた素質を見出されたらしく、研究会の面々同様に指導を施されていたとか。

 研究会所属で無い上に王族だというのに、それを止める人間が居なかったというのだから、もうどこからどこまでが政治利用にあたるのだとか考えるだけ無駄に思えてきた。

 

『我が息子、アウグスト・フォン・アールスハイドよ。汝は王太子となり、この国の為、国民の為に、身を粉にして邁進することを誓うか?』

 

『はい、私はこの国の為、国民の為に、命を捧げる事を誓います』

 

 そのやり取りはスピーカーめいた拡声の魔道具で会場の隅々までとどろき、アールスハイド王族らしい模範的な答辞に列席者や観覧する国民達が誇らしげな表情で歓声と拍手を送る。

 本当に、宣言通りの行動を心掛けてくれるのなら素晴らしいお方なのだろうが。

 その時、懐へしまっていた魔道具、小型通信機が不意に小さく振動する。

 

 通信が飛ばせる相手は立太子の儀に出席することを知っている人間に限られ通話に応じる必要は無く、これはある事態の起こりを報せるためのものだった。

 覚悟はしていたが、遂に来たかと腹の内が冷え込むような緊張を感じてしまう。

 

『うむ、よく言うた。汝を王太子として認めよう、国民の為いっそう努める事を期待する』

 

 陛下が王子へ激励の言葉を送る中、魔力索敵に城中からこの会場の方へ駆けてくる人間の気配を感じ取る。

 通信機はアールスハイドを含めた周辺国に貸与してあるので、そちらからも連絡があったのだろう。

 息せき切ってテラスに続く階段を駆け上がったその兵士が呼吸を挟み、声を張り上げようとしたのを見てすぐに魔法を発動させる。

 

「――――っ?」

 

 叫んだように見えた兵士、その声が全く周囲へ響かなかったことで、その姿が見えている会場の参列者や兵士本人が怪訝な反応を見せる。

 

「落ち着きなさい。儀仗兵、彼から取り次ぎを」

 

「!?――しょ、承知しました」

 

 こちらで大気に干渉して阻害した、兵士の報告内容は予想がつく。

 危急の用件ではあるがしかし、この場には多くの国民の耳目が集まっている。

 そんな場所に余計な混乱を招く必要は無いだろうと、指示を飛ばして控えていた儀仗兵を兵士の元に向かわせた。

 

 報告を聞き取った儀仗兵が顔を青くし、それを取り次がれた陛下と殿下も表情を張り詰めさせる。

 緊急事態を悟った参列者達、そしてシン達も顔つきを神妙なものにしていき、観覧していた国民の間にも何かあったのかと気遣わし気な雰囲気が漂い出す。

 その様子を見下ろしていたアウグスト殿下はなにやら意を決したように口元を引き締めるとテラスの端に立ち、拡声魔道具に向かう。

 

『皆、落ち着いて聞いて欲しい。たった今、隣国スイード王国に魔人が現れ、王都へ迫っているとの報告が入った』

 

 堂々とその事実を公開したアウグストに、居合わせるほとんどの人間が目を剥いている様が見て取れる。

 こちらからしても驚きだ。

 これだけ人の集まった場所で、天災の訪れとも言える魔人の出現をあっさりと報せて、パニックになりでもしたらどう収拾を付けるのか。

 

『だが心配するな、魔人に対抗する手段を我々は既に持っている――シン!』

 

 呼ばれたシンが意図を察したように、ハッとした顔になりながら殿下の隣へと向かう。

 ここで彼を持ち出すというのはつまるところ、そういうことなのだろう。

 彼らにとっては()しくも、絶好の舞台となったわけだ。

 

 先の魔人討伐で名は知れ渡っているシンが姿を見せると、会場の雰囲気は一変して大きな歓声に包まれる。

 国民のこうした感情を煽る殿下の手並みに関しては流石としか言いようがない。

 

『彼はシン・ウォルフォード。周知だとは思うが、新たな魔人討伐の英雄だ。我々は彼と共に研鑽を続け、遂に魔人と対抗できるだけの力を得た……!』

 

 大仰にそう語ると殿下は身に着けていた儀礼用の装束に手をかけ、どういう仕様だったのか一振りで脱ぎ捨てる。

 その下には青を基調とした色合いの衣装を着込んでいたようで、何かと思えばシンも、そして合わせたように控えていた究極魔法研究会のメンバーも揃いの外套を脱ぎ捨て、着込んでいたらしい揃いの衣装を晒していく。

 研究会、というより例の特殊部隊のユニフォームにでも当たるのか、そんな代物を既に用意していたらしい。

 

 立太子の儀の最中にトラブルの連続だが、その音頭を取っているのが王太子殿下であり、国王陛下にも咎める様子が無いので、参列者の誰もが雰囲気に呑まれてしまっているようだ。

 勢揃いした研究会の生徒達に皆が視線を集める中、殿下から何事か囁かれたシンが慌てふためいている。

 状況からして、国民に向けて何か言葉を掛けるよう求められたのだろうが、こうして偶像(アイドル)めいた扱いを受けることを彼は了承したのだろうか。

 

 殿下に利用されているように見えなくも無い彼は可哀想であるのかもしれない、感情のままに施しを与え続けた自業自得とも取れなくはないけれど。

 

『えー、俺を始め、ここに居る仲間達は魔人に対抗できる力を十分に持っています、だから安心して下さい……』

 

 殿下からどんなリクエストがあったのか、そこで一度口ごもるシンだったが、続いた彼の台詞にはあらゆる意味で表情筋を抑えるのが困難だった。

 

『俺達――アルティメット・マジシャンズが、必ず魔人達を討伐してきます!』

 

 それが彼らの部隊名、なのだろう。

 研究会時点で相当なものだったが、究極の魔法使い達とは大きくでたものだ。

 しかし人々には大ウケだったようで、会場は瞬く間にそれまで以上の大歓声に包まれた。

 

 研究会の面々の一部も気恥ずかしそうにしている辺り、部隊名の考案は即興だったのかもしれない。

 発言させておきながら可笑しくてたまらないかのように、こんな事態の最中で笑いを堪えている殿下から目を外し、そろそろいいだろうと陛下の元へ向かう。

 念のために、眼帯は外してしまってから。

 

「――陛下、進言をよろしいでしょうか?」

 

「む? どうしたかマーシァ公――」

 

 こちらを向いた陛下が、白い義眼を見て一瞬言葉を詰まらせる。

 眼帯以上に見た目から多少の衝撃を与えてしまうだろうことは予想していたので、そちらの反応は気にせずこちらの意見を申し上げさせて頂こう。

 

「スイードに魔人が現れたとのことですが、陛下もまた――アルティメット・マジシャンズでしたか、彼らにその対処を任せるおつもりなのですか?」

 

 そのやり取りは当然、殿下達の耳にも届き、部隊名を口にされたシンが自分でも恥ずかしいと思っているのか身をよじっていた。

 

「うむ。シン君だけでなく、彼らの事は息子からもよく聞いている。彼らならば、いや彼らにしかこの事態は解決できないであろうからな」

 

「我が領ならばこのような事態に備えがあります。すぐに救援に応じることもできますが、スイードへ兵を派遣するお許しは頂けないでしょうか?」

 

 その意見には陛下も目を瞠り、研究会改め、マジシャンズの面々も驚きを示している。

 

「……そなたの領で画期的な戦術が運用されていることは聞いている。しかし魔人に有効かまでは未知数だ、この場で応じることは出来ぬ。何よりシン君には魔人を討伐したという実績がある、そんな彼の鍛え上げた部隊が救援に向かうというなら誰もが納得してくれるだろう」 

 

 予想はしていたが、やはり陛下も殿下と同じように、未だ学生の身である彼らにこの事態解決を委ねるつもりらしい。

 とはいえ実績という点を持ち出されると抗論しづらいのも事実だ。

 成果を既に上げているものと上げていないものとでは、前者の方が信用を得られやすいのは言うまでもない。

 

 だからと言って納得できるわけではないが、これ以上言いすがり、いたずらに時を浪費して犠牲となるのはスイードの民かもしれないのだ。

 食い下がるのも、これが限界だろう。

 

「……承知しました。ですが一つだけ確認を――殿下、スイードまではどのようにして向かわれるおつもりでしょう、転移魔法を?」

 

 水を向けられたアウグストが、こちらが諦めたことで緩めかけた気を引き締める。

 

「いや、シンはスイードに行ったことがないからな、転移魔法は使えない。しかし合宿中にシンが開発した浮遊魔法で向かう、これなら馬車よりも遥かに速く到着できるだろう」

 

 その言葉に息を呑む気配がマジシャンズ以外の人々から伝わってくる。

 つい先日までは魔人オリベイラ以外扱える者の居なかった筈の浮遊魔法をもう開発したとは、一体どんなイメージで実現させたのか気にはなるが今は置いておこう。

 

「それはどの程度の速度が出せるものでしょう? 音よりも速く、とは申しませんがそれに迫る程度は可能でしょうか」

 

 驚くどころか追及されるとは予想していなかったようで、一瞬息を呑んだアウグストが返答に迷い、シンへと目を向ける。

 

「音よりもとは……どうなんだシン?」

 

「い、いや……移動は風の魔法を使って自分でやってもらうし、流石にそこまでスピードは出せない」

 

 基本的にクロード領と王都以外に向かう様子も無かったようので、そんなところだろうとは思っていた。

 危機に備えて合宿するのはいいが、どう危機に向かうかはまるで考えていなかったらしい。

 関わりを避けるあまり、そういった指摘を入れなかったこちらの落ち度もあるかもしれないが。

 

「それでは間に合わないでしょう。スイードまで私が転移魔法を開きますので、救援に向かわれるのでしたらそちらからお願い申し上げます」

 

 転移魔法は行き先のイメージが無ければ使用困難だが、私なら過去に祖父から連れて行ってもらったことがあるお蔭でスイードまで繋げることができる。

 協力を申し出たことで、意表を突かれたような顔をするシン達だったが、いち早く我に返ったアウグストが首を縦に振った。

 

「分かった、頼む」

 

「いいのかオーグ?」

 

「当然だ、スイードの民の命が懸かっているのだからな」

 

 殿下の特殊部隊を認めようとしなかった私の手を借りることに、戸惑いを覚えるメンバーも居るようだったが、流石に人命が懸かっていることは理解しているらしい。

 面子にこだわってこの申し出を拒むようなら、それこそ全員ふん縛ってでも勝手にやらせてもらうつもりだったが、取り越し苦労に終わって幸いだ。

 

「しかしそうだな……マーシァ、空に大きくゲートを開くことはできるか?」

 

「……可能ですが」

 

「ならそのようにして欲しい。どうせなら国民を安心させるために、我々の魔法を披露しておきたい」

 

 この期に及んで宣伝に余念のない事だ。

 全て無視して転移魔法に叩き込んでやろうかと魔が差すものの、そんなことが出来るわけもない。

 説得するのも面倒なので、要望通りにテラスの上空に転移魔法を開くと、初めて目にする人々からどよめきが上がった。

 

「よし……シン」

 

「ああ、じゃあ全員に浮遊魔法を掛ける、行くぞ皆!」

 

 膨大な魔力を集めたシンが魔法を行使すると、メンバーが一斉に宙へと浮きあがり、それぞれが起動した魔法の風を操り中空の転移魔法の入り口へと飛んでいく。

 開発した、とは言っていたがその様子を見ると浮遊魔法自体を扱えるのはシンだけらしい。

 常識外れな魔法の連続に呆気に取られる人々の前でついに彼ら、アルティメット・マジシャンズが始動したのだった。

 

 殿下の謳い文句あって、転移魔法の繋がるスイードへ消えたシン達を、その場のほとんどの人間が誇らしげに見送っていた。

 それにしても迷うことなく全員で飛び込んでいったが、大胆な事だ。

 ただでさえ十名程度の部隊、戦力の温存などと言ってもいられないのだろうが――

 

「ん――?」

 

 ふと気づけばまた会場へ向かってくる人の気配がある。

 やはり慌てた様子の兵士が何か報告を持ってきたようだが、今度はこちらが手を出すまでもなく、儀仗兵に止められ陛下に取り次がれている。

 それを受けた陛下が血相を変え、気まずそうにこちらへ顔を向けてきた。

 

「マーシァ公」

 

「はっ、いかがなさいましたか?」

 

「スイードに現れたものとは別の魔人集団が国内に確認されたそうだ。他国の領土を跨ぎ侵入してきたらしく、発見が遅れたらしい。問題はその進路なのだが……」

 

 わざわざこちらに呼びかけられたことあり、陛下が言葉を濁した先の内容に察しがついてしまう。

 それにしてもただ他国へ侵略するだけにしては面倒な動きをしている、彼らは一体何を目的にしているのだろうか。

 

「そちらの集団はマーシァ領に向けて進軍していると推測される。シン君達にはスイードを通じて可能な限り早く駆けつけられるよう伝達するが……」

 

 シン達は通信機を持ち歩いていない、連絡を取る手段が限られている以上すぐに助けを求めることはできないわけだ。

 あの規模の部隊でこういった局面に対応できるわけもなく、元よりこちらに求めるつもりはないので問題は無いのだが。

 

「承知しました。我が領への侵攻ということであれば、遺憾なく対応させて頂けるのでむしろ幸いでしょう」

 

 領内での軍事行動は自由を許されている。

 こうした事態を想定していたわけではないが、不幸中の幸いだ。

 

「マーシァ公……いや、そなたの力量も聞き及んではいるが、こちらからもすぐに応援は派遣する。それまでなんとか持ちこたえるよう努めてくれ」

 

「承知しました、では私も領へ戻ることと致します」

 

 魔人の戦力が未知数である以上、私でも絶対は保証できない。

 しかしこれまでの報告通り、戦闘訓練も受けていない、元平民の魔人が大半のようであるなら。

 

 ――試してみる価値はある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ターナさんの転移魔法でスイード王国に出た俺達は、雨の降りしきる中まだ無事な王都の街並みを見てほっと息をつく。

 けど油断してばかりも居られない、魔力索敵を広げてみると――居た。

 彼方から猛進してくる多数の気配、魔人達の魔力反応だ。

 

「時間が無い――皆、城壁から魔人共を迎え撃つぞ!」

 

「了解!」

 

 オーグの号令に皆が応じてスイード王都をぐるりと囲む城壁に向かう。

 カートを操っていた魔人が使っていたって話を聞いて、思いついた『反重力』のイメージ。

 原理は分からないけど、重力の反対の力をイメージした結果は上手くいき、新開発できた浮遊魔法。

 

 調子は良好で、合宿中に皆で訓練したこともあって、俺達はあっという間に城壁の上に辿り着く。

 飛んできた俺達にスイードの兵隊さん達が慌てていたが、オーグが救援に来たことを説明すると、もう来たことにまた驚きながらも歓迎してくれた。

 正直、魔人に対する戦力としては話にならないだろうけど、こちらの軍にも俺の魔力障壁が付与された防御魔道具が貸し出されているらしい。

 

 それなら庇って戦う負担も減る、万全の体制で魔人共を迎え撃てそうだ。

 もう一度魔力索敵を伸ばして気配を探ってみると、魔人達はどうやら馬に乗って移動してきているらしく、ぐんぐんこちらへ迫ってくる。

 旧帝国領で確認されたように、従う魔物が居ないらしいことをオーグが不審がっていたが、こちらの背筋を震わせるような、邪悪な魔力を感じ取った皆も顔つきを険しくする。

 

「シン君……」

 

「大丈夫だよシシリー。合宿で皆強くなった、落ち着いて戦えば、あんな連中に負けないはずだ」

 

 迫ってくる連中からは災害級の魔物と比べても強い魔力を感じるけど、魔人化したカートと比べると変わらないか、少し劣るぐらいの反応がほとんどだ。

 不安げに見てくるシシリーを安心させようと笑って見せると、俺も気を引き締めていく。

 奴らが帝国みたいに、関係無い他の国まで滅ぼそうっていうんなら――

 

「覚悟しろよ魔人共……一体残らず討伐してやるからな!」

 

 気付けば決意を込めたその言葉が、俺の口から漏れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「状況は?」

 

『隣接する領地を抜けた魔人勢力は公都への進路を取っていますが、帝国方面の砦に配置していた部隊が既に展開しております。魔人達の総数は五十に満たない程度のようです』

 

 百に満たない程度の戦力で他国へ攻め入ろうとは無謀極まりないが、一人一人が天災級の魔人ならそう甘く見てもいられないか。

 城館の私室で、通信機越しにオルソンからの報告を聞きながら、こちらも準備を進めていく。

 例のけったいな部隊名を得た同級生達が救援に向かった隣国の事も気になるが、まずはこちらの対処を済ませねばならない。

 

 少し視てみたところ、彼らが身に着けていたあの青い衣装にはシンが学院制服に施していたものと同質の付与が施されているらしかったので、彼ら自身の心配はあまりしていない。

 魔法も物理も無効化してしまう、国宝級の装備に身を包んだ特殊部隊とは豪儀なことだ。

 あんな装備なら魔人相手でも危うげなく立ち回れることだろう。

 

 呆れ半分に思いを馳せながら、新しく仕立てた領主用の衣装に袖を通していると、部屋に居合わせているヒルダの物言いたげな視線に気づき、苦笑してしまう。

 

「本当に、その服で良いんですか?」

 

「うん、決めたことだからね」

 

 心配してくれている彼女には申し訳ないと思うし、これまで定めてきた自分の在り方に背く行為でもあるので後ろめたさもある。

 けれど今だけはこの判断が必要だと感じた。

 これまで外を出歩くのに身に着けていたものと、異なる仕様の衣装を身に纏うことで、気を新たにしてオルソンへ指示を告げる。

 

「私もすぐに向かうけど、まずは第一段階。侵攻してくる魔人達は全て――生かして、捕らえるように」

 

 願わくばこの決意が功を奏することを、今はただ祈るとしよう。



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覗く暗躍

更新が超停滞してしまっておりまして時期が時期なだけにご心配もおかけしたようで申し訳ありません。
一度筆が止まってしまうと再開にかなり手間取ってしまうようで、エタったんじゃないかとがっかりさせてしまったかもしれず申し訳ありません。
感想返信もできておらず不甲斐ない限りですが、ちょっとずつ書く余裕戻ってきましたので、また更新再開させていきたいと思います。


 馬に騎乗した一団が、街道より大きく外れた平原を駆けていた。

 それぞれの質素な服装には統一感はなく、組織的な印象は欠片も無い、魔人の集団。

 旧帝国領よりこの地、アールスハイド王国マーシァ領に踏み入った魔人達は、他国に侵入してからも無警戒に馬を進めていた。

 

「それにしても王国の連中慌てるだろうな」

 

「ああ、ヨウドウ作戦だっけか?」

 

 それは集団の内の誰かが言い出した作戦だった。

 早々にアールスハイドへ攻め入ろうと大半の魔人達が意気込む中、まずは周辺国を落とし戦力を増強すべきだという案。

 人を魔人化させることが出来るのはオリベイラのみであり、魔人戦力を増やすことは出来ないが、捕虜や降伏者は得られるはずと賛成意見も上がり、スイード王国が標的として定められた。

 

 そして救援に動こうとするはずのアールスハイドへ攪乱を兼ねて、魔人の脅威を植え付ける為に戦力の一部で強襲を仕掛けるのだと。

 ただでさえ二百人に満たない少数の戦力を分けるなど愚策に思えるが、教養の得られる身分に無かった平民出身の彼らは魔人としての圧倒的な力に溺れ、企みが上手くいくものとすんなり信じ込み、行動に移してしまった。

 世界征服などという題目を掲げオリベイラから離反した魔人達だが、実際のところは魔人化の影響により溢れ出る暴力衝動の矛先を求めていた者がほとんどで、侵略の目的などどうでも良かったのかもしれない。

 

「もうアールスハイドには入ったんだよな、随分遠回りさせられたが道は合ってるんだろうな?」

 

「俺に聞くなよ。確かあいつらが……あれ、どこに居るんだ?」

 

 陽動作戦を提案し、国外の道を知っていると道案内を買って出た者達。

 その姿がいつの間にか見えなくなっていることに気づき、話し込んでいた魔人達は首を傾げる。

 陽動に参加している魔人の数は五十、簡単に見失いはしないだろうというのに。

 

 しかし他の誰かに所在を尋ねようとするより早く、魔人達の行軍は止まることになった。

 

「来やがったぞ!」

 

 先頭の魔人が大声で全体へ届けた、接敵の報せ。

 僅かな緊張が走るが、ほとんどの魔人達の表情は嘲笑めいた弛みを帯びている。

 迎え撃ってくる人の軍隊など蹂躙の対象でしかないと、帝国で街々を滅ぼした経験が彼らに印象付けていた。

 

 そんな中、まだ距離は遠く指先程の大きさにしか目視できない彼方の隊列から、魔法により拡張されているらしき声が届く。

 

『停止されよ。入国、及び入領の目的を聞かせてもらいたい。こちらは――』

 

 その勧告が終わらない内に、魔人達は我先にと攻撃魔法を放ち、先制攻撃を仕掛けていた。

 暴れる口実だけを求めていた彼らにとって、流儀も作法も知ったことではなく、容赦なく放たれた魔力の塊は。

 

「あ――?」

 

 隊列に届く寸前、展開された何重もの魔力障壁によって阻まれ、余波の風圧のみを辺りに撒き散らして終わった。

 帝国ではあり得なかった、自分達の魔法が阻まれる光景に、余裕に溢れていた魔人達の表情が固まる。

 そうしてやがて彼らは、魔人にあらざる人間達の戦力を自分達が甘く見積もり過ぎていたことに気付かされるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何枚割られた?」

 

「最低で五枚は貫かれたようです。流石に災害級を上回る魔力量と言ったところでしょうか」

 

 侵攻してきた魔人迎撃の為に出陣していたマーシァ領防衛隊、その陣中でマーシァ家の先々代当主であるウーロフが部下と言葉を交わしていた。

 現役復帰し、防衛隊の指揮を預かっている彼は襲来した魔人を前に慌てる様子もなく、報告に静かに頷いて返す。

 

「やはりその程度か。第一号の魔人とは比べるべくも無いな」

 

 これまで一体で一国を滅ぼしうる脅威として認知されていた魔人だが、複数の存在が確認されるのに伴い、その認識が必ずしも正しいとは限らないことが推測されていた。

 魔物がそうであるように、魔人もまた元となった人間の力量によってその振るえる力に大きな差が生まれる。

 過去にアールスハイドを滅ぼしかけた魔人は、国内でも一二を争うほどの魔法使いだったこともあり、軍隊ですら太刀打ちできないほどの存在と化した。

 

 しかし魔法の素養どころか、ろくに教養を積むことすら許されなかった帝国平民が主である、目の前の集団はどうか。

 放たれる魔法の構成は稚拙にして粗雑、更には今しがた完全に防がれたのは何かの間違いなのだとでも言わんばかりに同じ単純な放出魔法が繰り返されている。

 敵の中にウーロフが孫娘より話に聞かされていた、オリベイラのような魔人が存在したなら、マーシァ領の兵達であっても撤退せざるを得なかっただろう。

 

 だがその心配は杞憂に終わった。

 魔道具による出力の安定した障壁を突破し得るような威力も、かいくぐるような技巧も、彼らは持ち合わせていない。

 ならばウーロフらは粛々と務めを果たすだけだった。

 

「攻撃を開始する。各隊に杖撃(じょうげき)と障壁の配分を伝達、囲い込め」

 

 淡々と発された号令の後、防衛隊から一斉に火線が放たれていく。

 その弾幕に目を剥きながらも魔力障壁を展開し防ぎきる魔人達だったが、圧倒的な物量差から浴びせかけられる魔法を前に反撃もままならなくなっていき、いつしか追い詰められる一方となっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい……冗談だろ」

 

 その光景を遠方から観察する人影が二つ。

 瞳は赤く、魔人の特徴を宿したゼストより任務を与えられた元諜報部隊の男達。

 スイード方面を担当したローレンスを除く二人、アベルとカインは思惑から外れた展開に焦りを滲ませていた。

 

 誘導こそ上手くいったものの、魔人達はマーシァ領の兵達を前に手も足も出ていない。

 いくら元平民といえど、並の軍隊程度は圧倒できる能力を有しているとの目算であったのというのに。

 これでは賢者の孫や公爵当人の戦力を測るどころの話ではなかった。

 

 次々と撃ち込まれる魔法に晒され、身動きもままならない魔人達は、ゆっくりと戦線を上げている兵達に囲まれつつあった。

 五百は下らないだろう兵数に、完全に包囲されるのも時間の問題と見える状況を前にしてカインが迷いのある声を漏らす。

 

「あれだけの魔道具を揃えた部隊が居るなんて……どうする、介入するか」

 

「いや、今さら手を出したところで遅いだろう。それにあの数だ、下手に巻き込まれれば俺達まで危うくなる」

 

 諜報部隊の一員として幾度も実戦を経験し、魔法の指導も受けてきた彼らには平民の魔人と比べれば隔絶した実力を持つ自負がある。

 それでも目の前の状況は無策に飛び込むには危険であると思わせるのに十分な有り様だった。

 古来から戦場において最も有効な力とされてきた、数の暴力。

 

 装備さえ十分であるなら自分たち魔人でさえもその脅威には抗いきれないかもしれないのだという思いに、固唾(かたず)を呑みながら事の推移を見届けようとするアベルらだったが。

 

「助けてやらなくていいのかい?」

 

「――っ!?」

 

 投げかけられた、第三者の声にその場を飛び退ることになった。

 いつの間にやら、目と鼻の先にまで近づいて来ていた男が二人。

 身に着けた装束の特徴がマーシァ領の兵と一致することに、アベルとカインは失態を悟った。

 

「……カイン」

 

「悪い……気を抜いた」

 

 通常、魔法使いは集めた魔力を一つの魔法に変換するため、複数の魔法を同時に起動することは出来ないと知られている。

 魔力障壁を展開しながら放出魔法は放てず、その逆もまた不可能。

 一方が索敵魔法で周囲を警戒するために二人組で行動していたアベルたちだったが、予想外な戦況のあまり、周囲への警戒をおろそかにしてしまった。

 

「どうやらあんたらも魔人みたいだが、連中とはずいぶん毛並みが違うな」

 

「どうあれ、事情は聞かせてもらわなくてはならない。大人しく我々に同行願えないか?」

 

 赤い両目という魔人としての特徴を隠していない以上、素性が割れるのは自明のことだったが、まだ若い兵達の態度に違和感を覚えたアベルは眉根を寄せる。

 

「随分と悠長なことを言うな……俺達が何か分かっているのだろう?」

 

「それが何か? 何はともあれ入領の目的を教えてもらえるかな、こっちも手荒な真似はなるべく避けたいんだ」

 

 魔人という存在に対してたった二人で相対しながら、あまりに危機感の欠けて見える物腰に、むしろアベルたちは警戒を強めた。

 視線を交わし、一歩前に立つアベルの背後で、カインが瞬時に索敵魔法を起動させる。

 そうして周囲を走査し、目の前の二人以外に自分達を窺っているような反応が見られないことが一層カインを困惑させた。

 

「……近くに居るのはこいつらだけだ」

 

「まさかな、いくら魔道具で武装しているとはいえ、二人だけで俺達を取り押さえれると踏んだのか?」

 

 元平民の魔人たちを圧倒できたのはあくまで数の利あってこそ。

 それを理解するアベルはカインと視線だけで意思の疎通を済ませ。

 

「――ちっ!」

 

 一息に兵達の懐へ飛び込んだ。

 体の陰に開いた異空間収納から抜き放つと同時に振るわれる剣。

 魔人の身体能力で撃ち込まれたその一撃は、並の兵士なら十分に戦闘不能に至らしめるだけの威力が込められていた。

 

 しかし。

 

「――!」

 

 今度はアベルの方が目を剥かされることとなる。

 逆袈裟に振るわれた剣を、男は咄嗟に構えた一風変わった杖のような得物でしっかりと受け止めていた。

 

(押し込めん、だと――?)

 

 人の首をも捩じ切れる、魔人の膂力による剣撃を、ただの人間が受け止めて見せたことはそれだけ驚きに値することだった。

 魔力の流れから身体強化の魔法が使用されたことが窺えるが、それでも並の魔法使いには不可能な芸当。

 もう一方の兵士が同じ武器を構えるのを視界の端に捉えたアベルは驚愕を呑み込み、後方へと跳躍する。

 

 次の瞬間にはあっさりと引き下がって見せたアベルに兵士たちが息つく暇を与えず、カインによる魔法が放たれていた。

 横一文字に空間を歪ませながら飛来する、風を操った刃。

 これもまた並の人間には防ぎえない威力を持つ魔法であるはずだったが。

 

「グラン下がれ!」

 

 踏み出した兵士が手を掲げ生み出した魔力障壁は完全にカインの魔法を防ぎきってみせる。

 それは決して手を抜いたせい、というわけでもなく、魔法を放ったアベルの渋面からもそれは明らかだった。

 

「風の刃か……そういやお嬢はなんでか、この手の魔法苦手だったな」

 

「軽口叩いてる場合か」

 

 魔法の威力以上に、アベルの圧力に隠されていたカインの攻撃にも対応して見せた兵士たちの練度が、魔人二人にこれ以上の任務継続が困難であることを知らしめる。

 会話を挟みながらも警戒を緩めてはいないその姿を前に、彼らがとった行動は。

 

「――退くぞ」

 

「……ああ」

 

 目にした全てを報告することすらできなくなる前に、一目散にその場から退くことだった。

 敵地で発見されてしまった以上、悠長に構えていても事態が悪化こそすれ、好転することなど滅多にないと、諜報部隊としての経験に彼らは学んでいた。

 背に視線を感じながらも、追ってくる気配の無いことに安堵しつつ、報告せざるを得ない事象の数々がアベル達を苦悩させられることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あっという間に小さくなっていく背中を見送り、二人の魔人と刃を交えた兵士、グリードとグランはようやく大きな息を吐くことができていた。

 工房で量産されているものと異なる、ターナの手による付与が施された特別製の魔道具を持たされていたことで対抗してみせた二人だったが。

 

「追うか?」

 

「よしとこうぜ、こっちの身が持たなくなりそうだ。あれが本物の魔人か……肝が冷えるっていうか、怖いねえ」

 

 魔人の動向に不審を感じ取ったウーロフの指示により、周辺を探っていたグリード達が発見した二人は明らかに集団に属する魔人達と別物の力量を持っていた。

 表面に出さないよう振る舞った二人だがその実、彼らの膨大な魔力を前に竦み上がりそうになるのを押さえ込むのに必死な思いをしている。

 相対するだけで神経を擦り減らされていただけに、長引けば不利を背負うことになるのを感じていた彼らにとっても相手が退いてくれたことは幸いだった。

 

「悔しいが、あいつらの正体が何なのか考えるのは俺達の仕事じゃないな」

 

「確かに。他に目はないようだし、司令に連絡するぞ」

 

 あっさりと整理をつけグリードが通信機を取り出す。

 

「こちらグリード。戦場を観察していた魔人二名ですが、申し訳ありません、取り逃しました」

 

『了解した。十分だ、手勢を回せずにすまんな』

 

「いえ承知しています、魔人との初戦闘ですから」

 

 通信に応じた部隊の長、ウーロフが事の子細を聞き終えると二人を労う。

 

『ご苦労だった。到着しているターナに伝えよう』

 

「と、仰いますと……」

 

『うむ、魔人達は間もなく鎮圧できるだろう』

 

 未だに魔人達との交戦は続いていたが、領主の到着。

 それが意味するところを知る二人の間で、確信を持った言葉が交わされるのだった。

 

 



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その眼の真価

当初はシリアス薄めの予定だったのですが最近真逆路線に突っ走ってしまっていますね。
魔人の扱いばっかりは軽く流せないのでなんとも悩ましい。

更新遅れていたのに暖かい感想を頂きありがとうございます。
相も変わらず返信をおろそかにしてしまっていますが、全て読ませて頂きとても励みにさせて頂いています。


 魔人達の侵入地点から最も近い砦まで、転移魔法で跳んだときには防衛隊の出動も済んでいた。

 曇り空の下、接触が予想される位置まで馬で向かう道すがら、予定外の同行者となった一行が差し迫った表情になっているようだったので声を掛けておく。

 

「無理をなさらずともいいのですよ?」

 

「いえ! 世話になっておきながら、指を咥えてこの事態を眺めておく気にはなりません。我々だけでもお手伝いさせて頂きます」

 

 同行を願い出てきたのはダーム王国のラルフ・ポートマン氏。

 魔人侵攻の報せに伴い、魔道具指導を受けに来ている方々には万一に備え避難準備するよう伝えてあったのだが、氏には武人気質なところがあるのか部下を引き連れ助力を申し出てきた。

 勇ましくはあるが、魔人相手に戦力となり得るかは難しいところであるし、状況次第では彼らの出る幕も無い。

 

 断ってしまっても良かったが退去させるのは難しくもないし、こちらの方針を伝える良い機会になるかもしれなかったのでついて来てもらうことにした。

 そう時間もかからない内に、攻撃性の放出魔法が放たれる気配と音が伝わってくる。

 緊張を強めるラルフ氏とその部下達を連れ、やがて辿り着いた戦場では、既に一方的となっている戦況があった。

 

「これは……まさか」

 

 ラルフ長官が息を呑んで見やる先で、一定の距離を保ち兵士達に取り囲まれた魔人達はまるで自分達が張った魔力障壁に押し込まれているようだった。

 散発的に魔法を放っているようだったが、いずれも兵士達の障壁を抜くことは出来ていない。 

 見たところ、ろくに損害らしい損害も出ていないようだ。

 

 予想以上の優勢ぶりにラルフほどではなくとも驚いていると、こちらを察知してきた索敵装備の兵士達が駆け寄って来る。

 

「閣下、ご到着ですか」

 

「ご苦労様。状況を確認したいのだけど、お爺様――ウーロフ司令はどちらかな?」

 

 尋ねてはみたが余程に余裕があったのか、兵が問い合わせるまでもなく、その人物の方から声が掛かった。

 

「着いたか、ターナ」

 

「司令。はい、ただいま」

 

 馬から降りて、オルソンを従えてやってきた祖父を見上げる。

 もう年は八十を越えているのに、相変わらず体格の良いお方だ。

 賢者マーリン氏もそうだったが、この世界には随分とタフネス溢れるご老体が多い、これも魔力の賜物だろうか?

 

 ダーム王国の一行を一瞥しつつ、成り行きは察してくれたようで追及もせずに祖父は説明を優先してくれた。

 

「見て分かるだろうが、既に大勢は決している。攻めてきたのは元平民の魔人のみのようだな」

 

「そのようですね、あれでは王都に現れたオリベイラ氏にはまるで及ばないでしょう」

 

「それと戦闘の様子を盗み見ていた魔人が二人居たらしい。グリードとグランが接触したが、逃げられてしまったそうだ」

 

 つけ加えられたその情報には少しばかり意表を突かれる。

 彼ら二人は兵士としての訓練期間も長く、実戦経験も豊富な防衛隊の精鋭。

 しかも魔道具装備はハイエンド品、究極魔法研究会――アルティメット・マジシャンズの面々を相手にしても遅れはとらないはずだ。

 

 彼らから逃げおおせることが出来る時点で、並の相手ではないことが窺い知れる。

 そんな存在が盗み見ていたとは、偵察行動と見るべきか、なんにせよ気にかけておくべきだけれど。

 

「……気になりますが、今は目の前の事態を終わらせましょう」

 

 魔人達は圧倒的な劣勢に追い込まれながらも、現実を受け入れまいとするように未だ抵抗を続けていた。

 せめて一点突破を狙い火力を集中させるなど彼らが出来ていたなら違った結果もあったのかもしれないが、その程度の統率もとれなかったようだ。

 祖父もそれを見抜いたからこそ陣を薄くするリスクを負ってまで包囲を仕掛けたのだろうけど。

 

 このまま殲滅するのは容易い、けれどそれをするには()()()()()()()

 留め金を外し眼帯を取り払うと、中には初めてこの素顔を見る者もいるだろう兵士達やラルフ一行が息を呑む気配が伝わって来た。

 

「司令、兵士達への切り替え指示をお願いしてもよろしいですか?」

 

「引き受けよう――無理はするなよ」

 

 引き締めたままの顔つきが一瞬、こちらを心配するように歪んだのが見えてありがたさが湧いてくる。

 ――これからもっと、気苦労をかけてしまうだろう真似をしでかすことを思うと、申し訳なくもなってしまうが。

 

「はい、ありがとうございますお爺様。では――」

 

 左の白眼に魔力を通し、刻まれた魔法を打ち起こす。

 そうして視界に生じる変化。

 正確には視えているわけではないがこの魔道具、『擬似神経』と『魔力視』が付与された義眼を用いると、不思議にも掴み取れるようになることがある。

 

 この世界を満たしている『魔力』、それらが眼には視えなくともそこに在るということを、脳が知覚する。

 特定条件下に置いて固体化し、魔石と呼ばれる形態になることで物質として目視することができるようになる魔力だが、大気中に存在するそれは人間の目に映る存在ではない。

 これはそれでもどうにか観測する手段が欲しかった私の、過ちが生んだ産物だ。

 

 魔法を制限するにはやはりその源である魔力に干渉する手段を確立させるのが有効と思われた。

 干渉するにはまず、観測できなければ話にならない。

 それには魔力の存在をなんとなく感じ取れるだけの、この世界の人が持つ感覚だけでは不十分だった。 

 

 初めの内は失敗ばかり、『魔力視』だけを付与した眼鏡をつくってみたりもしたが、イメージに左右される魔法の悪影響か、出来たのは索敵魔法のまがい物のような代物ばかり。

 失敗続きでハイになっていたところもあったんだろう、目に視えないのなら、視えるように適応できないかなんて試みてしまったのは。

 痛み止めの魔法頼りに、挿げ替えた左目、つけ加えた『擬似神経』の付与。

 

 結果として、凄まじい後悔をする羽目になる。

 視えないものを視ようとすることを脳が拒絶でもしているように、魔法でも上手く抑えきれない悶絶するような痛みが連日、頭の中を駆け抜け、まともに外出することもできない。

 止めてしまえば楽になる誘惑を振り払いながら過ごした、気が狂うんじゃないかと言う日々はしかし、無駄に終わらなかった。

 

 眼には映らない、しかし視えている、そんな矛盾した奇妙な感覚で魔力そのものを捉えることができるよう、私の脳は適合してくれたらしい。

 漂う魔力という存在を新たな感覚で正確に掴み取れるようになったことで制御力も格段に向上し、何よりの成果として。

 

「――活動休止(スリープ)

 

 今では魔力そのものを対象とした、魔法を行使できる。

 この魔法の影響下に置かれた魔力は、人の意思一つで現象へと変換されるその性質を停止させる。

 

「――!?」

 

 一切の魔法が使えなくなった魔人達が慌てふためく光景が目の前に広がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おい馬鹿! なんで障壁を消すんだよ!」

 

「違う! 勝手に消えたんだよ!」

 

「魔法が出ない――どうなってんだよ!」

 

 

 魔人達の間で怒号が飛び交う。

 仲間を責めていた者達も、起こった異変に気付くと動揺を露わにしていった。

 そんな魔人達の足元に。

 

「な――っ」

 

 取り囲む兵士達から、魔道具による威嚇射撃が撃ち込まれる。

 抉れ飛ぶ大地、魔法を扱えなくなった彼らが再び攻撃に晒されればどうなるかは、誰の目にも明らかだ。

 一方的に押し込まれ、魔法すら使えなくなり、魔人となったことで得た全能感を失った彼らの顔に絶望が浮かぶのに、そう時間はかからなかった。

 




表現力が追い付かなくて書いてる作者自身が軽くポルナレフ状態になりつつあるオリジナル設定、正直強引な言い回し多いかもしれず申し訳ありません。


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魔法の可能性

前話とまとめたかったのですが区切りが半端になりそうだったので分割して連続投稿しています。


 広範囲の魔法無効化は味方にも影響を及ぼすが、こちらの魔道具装備は全て、内蔵された魔石から出力を得る付与を施した特別仕様。

 一般的に魔道具に組み込む魔石の用途としては、人の手を介さずとも起動状態を保てるよう微弱な魔力を流し続けるためのもの。

 しかしこちらの装備においては、付与魔法が消費する魔力までも魔石から供給させる機能を追加したことで、大気中の魔力が停止した状況下でも使用可能にしている。

 

 当然ながら魔石の消耗は激しくなり、燃費は劣悪。

 一般的に魔石は稀に産出し、高価で取引される希少資源として知られて来たので、少し前までの常識で見ればとんでもない散財をしでかしているように思われることだろう。

 が、うちの工房では魔石を人工的に生み出すことに成功しているので、実際の出費はごく僅か。

 

 以前にヒルダから公開時期を聞かれたときは時期尚早と答えたが、昨今の魔人騒動への対応で通信機と共に早くも日の目を見ることになってしまった。

 その甲斐はあって魔人達の反応は、戦意を喪失し嘆く者、あるいは悔しさに激情を浮かべる者、様々だがもはや勝ち目が無い事を十分に示せたようだ。

 

「さてターナ、問題はあやつらが大人しく捕まってくれるかどうかだが、素直に投降してくれると思うか?」

 

「難しいでしょうね」

 

 捕縛を目的と掲げたわけだが、それが一筋縄ではいかないことは分かっている。

 魔法こそ封じたが、魔人の驚異的な身体能力までは抑えきれない。

 全力で抵抗されでもしたらこちらも相手も、無傷では済まないだろう。

 

「……投降? まさか、奴らを生かして捕えるおつもりなのですか? ご冗談でしょう?」

 

 こちらの会話が聞こえたラルフが耳を疑うようにしている。

 帝国を滅ぼした魔人達に対して、その反応の方が自然なのだろう。 

 魔人とは人にあらず、速やかに討伐すべきであるのだと。

 

 でも私は、そんなことのためにこの膠着をつくり出したわけじゃない。

 彼ら、魔人となった帝国民たちの境遇を思えば、とてもそんな気にはなれないだろうに。

 

「司令。一時この場を、私に預けて下さいませんか?」

 

「なんだと?」

 

「確かめたいんです。本当に彼らが、言葉の届かない存在になってしまったのか」

 

 少なくとも、オリベイラという名の魔人は違ったと、私は考えている。

 復讐に囚われてこそいたのかもしれないが、言葉を交わす中で響き、通じるものがあった。

 魔人を人類に仇名す存在であると、一括りにしてしまうのは本当に正しいのか、疑念が生まれるぐらいには。

 

 私の提案を受けた祖父は顔つきを険しくしたまま暫しの間、黙り込んでしまう。

 やがて重々しく開かれた口から、返された言葉は。

 

「……いいだろう」

 

「ありがとうございます」

 

 こちらの意思を尊重してくれた祖父に感謝の意を伝え、魔人達が身を寄せ合っている方へ足を向ける。

 

「待て。今、護衛を――」

 

「いりません。私の魔法の腕はご存知でしょう? 兵も、良いと言うまで動かさないようお願いします」

 

「な――」

 

 私が一人で行くとまでは想定していなかったのか、流石の祖父も面食らった様子で言葉を失くしている。

 だが常人離れした魔法を扱えることも理解しているせいか、止めるべきか迷っているらしい内に、こちらは陣を抜けていた。

 引き止めたいのか同行したいのか、動揺しながら足を浮かせる皆を手で制しつつ、まっすぐに歩く。

 

 何が起こっているのか分かっていない風な魔人達の元に辿り着く、前に。

 

「――解除」

 

 魔法の無効化を解く。

 これから臨む彼らとの対話に、この魔法はきっと邪魔になるだろうから。

 魔力の変化に気づき、僅かに活力を取り戻し始めた魔人達の視線がやってきたこちらにも集まってくる。

 

 そこには好意的な感情とは程遠い、肌に刺さるような敵意が明確に込められていた。

 

「皆さま初めまして。私はターナ・フォン・マーシァ、若輩ながらこの地の領主を任されている者です」

 

 こちらの名乗りに魔人達は意表を突かれた様子だったが、すぐにその表情へと怒気を滲ませていく。

 その源はやはり、こちらの素性によるところが大きいだろう。

 

「王国の、貴族か」

 

「はい、公爵の位を戴いております」

 

 魔人達の間をどよめきが駆け抜ける。

 まだ年若い身で、貴族家の当主だと主張しているのが信じがたかったのかもしれない。

 だがそんなことを気にする余裕は無いのだろう、近い位置に居た一人の男が拳を握りしめながら発したのは今の状況について誰何する言葉だった。

 

「何のつもりだアンタ、攻撃を止めて……俺達をじっくりいたぶろうってのか?」

 

 自分達から攻めてきておいて随分な言い草だが、平静を欠いていそうな相手にそんなことをわざわざ指摘するのも面倒だ。

 

「降伏を勧告しに参りました」

 

「……降伏、だと?」

 

「抵抗を止め、こちらの指示に従って頂けるのであれば、身の安全は保証します」

 

 そこまで告げると、魔人達はしばらく意味が理解できなかったかのように固まってしまう。

 やがて魔人の男が絞り出した声は、いかなる感情によるものか、微かに震えているように感じられた。

 

「正気かよ、俺達は魔人だぞ? どんな存在で、なにをやって来たのか、アンタらだって分かってんじゃねえのか?」

 

「理解しているつもりです。しかし貴方達の境遇を鑑みれば、情状酌量の余地はあると判断しました。罪を許すとまでは申せません、帝国貴族達を殺めた事実、そしてもし無辜の民にまで手をかけていたのなら、相応の処断が必要となるでしょう。しかし――」

 

 先だって、この法を領内に公布した時にはやはり拒絶感を示す民もいた。

 この地を離れた領民も一人や二人ではない、それでも私は彼らを獣のように扱うことはしたくなかった。

 

「我が領においては、意思を交わし得る限り、魔人であっても人間として扱われる。決して貴方がたの生命と自由を、不当に脅かすことはしないと約束します」

 

 辺りがしんと静まり返り、遠くから息を呑む気配が伝わって来た。

 おそらくはダーム王国の一行から、狂人とでも見られているのだろう。

 本来なら、権力で人の行いを縛ることは控えるべきだ。

 

 差別を恐れるあまりに、過剰な締めつけを行い生まれた反発は、逆に差別を助長させてしまいかねない。

 だが魔人という存在を人々の間に受け入れるのに、この世界ではまだ互いの理解も余裕も足りていない。

 魔人である彼らに対しても、多くの制約を課さなければならないだろう。

 

「このままでは貴方達にとっても未来はありません。どうか、従って頂けませんか?」

 

 差し出した手に、目の前の男の目が見開かれる。

 ほとんどの魔人達が仲間同士で顔を見合わせ、困惑を囁き交わしていく。

 捨て鉢にならず、こちらの言葉に耳を貸して欲しかった。

 

 こちらの手をじっと見つめていた魔人の男が不意にうつむき、肩を落として震わせる。

 顔も見えず、どんな思いが彼の胸を満たしているのかは察し取れない。

 程なくして、顔を上げた男の瞳には――

 

「――舐めてんじゃねえぞ、腐れ貴族がよ!」

 

 滾るような憎悪で満たされていた。

 瞬間、振りかぶられた男の腕が魔力を纏い、薙ぎ払われる。

 差し出していた右手が打ち飛ばされ、激痛と喪失感がこちらの思考を一瞬白く染め上げた。

 

「ぁ――――く、ぅ!」

 

 後方からこちらの名を叫ぶ声が遠く聞こえる。

 紅い鮮血が手首の辺りから飛び散り大地を汚し、目をやった一瞬、肉とは違う、白いものが見えた気がした。

 歯を食いしばって漏れだしそうな悲鳴をなんとか押しとどめるこちらの前で、男が激情を露わにしていた。

 

「何が人間としてだ……俺達が今さら、そんな虫の良い台詞に騙されるとでも思ってんのか!? 俺達が苦しめられてる間、のうのうと平和に暮らしてやがったてめえらなんかに、俺達の何が分かる!」

 

 叩き付けられる拒絶。

 こうなることを予測してはいた、伝え聞くだけでも彼らの受けてきた仕打ちは惨憺たるものだ。

 貴族と言う存在に対する不信感、そして手を差し伸べることができなかった国外の人間に対する怨みは根深い。

 

 積もり積もった憎しみこそが、彼らの暴走の原動力。

 理屈だけでは感情を押し止められない、人はそういう生き物だ。

 

「総員――」

 

 こちらの危機に、祖父が号令をかけようとしていた。

 やはり魔人とは相容れないのだと、皆が感じたことだろう。

 

 ――けれど、まだ、終わっていない。

 

「……っ、全軍、停止!」

 

「――ターナっ!?」

 

 魔力をたぐりよせて張り上げた声に、突撃しようとしていた兵達の足が威圧され止まった。

 本当ならこんな愚行に耳を貸したくもないだろう皆には申し訳なく思う。

 けれどまだ、尽くせる手はある、あるはずなのだ、この世界ならばこそ。

 

「くっ……まだ戯言を言い足りねえってのか? 哀れな平民に情けをかけるのはそんなに気持ちが良いのかよ」

 

 煽るように男が重ねていく荒い言葉に、乱れる息を整えながら耳を傾ける。

 

「分かってねえなら教えてやる。俺達にとっちゃ、お前ら人間はもう別の生き物にしか見えねえんだよ。殺すか殺されるか、その選択しか残っちゃいねえ」

 

 それは嘘だ。

 今私に向けて振るった一撃は明らかに、殺すためのものでなく、脅すためのもの。

 期待しているのだろう、私が掌を返すことを。

 

 貴族とは醜いものだと、その正体を見せてみろとでも。

 信じたくない、否定したがっている、揺さぶられている。

 そう、こちらの言葉が全く届いていないわけではない。

 

 ならばもっと踏み込むまでのこと、その手段ははじめからこちらの手の内にある。

 ある青年は、魔人の魔力を邪悪と評した。

 けれどゲームの中でもないというのに、絶対的な悪など存在し得ないはずだ。

 

 あくまで向けられた憎悪や殺意、感じ取った好ましくない感情を彼がそう評したに過ぎない。

 つまり魔力とは制御した者の感情を伝達しうる物質なのだと仮定できる。

 ならば軸の異なる感情を伝えることができたとしても不思議はない。

 

「……それぐらい、おかしな話ではありませんよ。魔人となる以前まで、貴方達には帝国の貴族が自分と同じ人間であるように見えていたのですか?」

 

「はっ……そ、それとこれとは話が違うだろうが!」

 

「いいえ、生まれ、血筋、肌の色、思考の違い、この世界に一人として同じ人間など存在しない。迫害される理由になることがあったとしても、別の生き物であることは共存できない理由にはならない」

 

 あくまで理想のお話だ、互いが互いを完全に尊重し合える世界なんて、前世でも実現できていなかった。

 けれども私はその綺麗事を通したいのだ。

 鼻で笑われてしまいそうな言葉だとしても、この気持ちに偽りはないと、集めた魔力を魔力のままに、広げていく。

 

 右手の痛みを止めるのも、身を守る障壁を纏うのも、全ては後回しだ。

 攻撃を防ぐ魔力障壁の魔法にはどうしても拒絶の感情が付きまとう。

 気持ちを伝えようという時にそれをすれば、不審感となって彼らに伝わりかねない。

 

 無理をしなくても良いと言ってくれた人がいる。

 それでも出来る限りの手は尽くしたいと思った。

 だからこそ、こうして何の防御魔法も付与されていない、ただの服を着てここまでやってきた。

 

「確かに、私に貴方達の気持ちを理解することはできないでしょう」

 

 彼らと違い私は今世、恵まれてきた。

 そんな私がどうして奪われ続けてきた彼らの気持ちが分かるなんて言えようか。

 

「それでも――」

 

 残っている左手を差し出すと、目の前に立った彼が目に見えてたじろぐ。

 

「この手を取ってくれるのなら、引き上げてみせる。貴方達が人として、生きられる世界まで」

 

 不幸の果てに行き着いたのだとしても、この手の届く場所まで彼らは来てくれた。

 全ての人を救うことが出来ないとしても、目の届くところぐらい、この理想を押し通したい。

 魔人達、そして目の前の男が赤い目を呆然と開きこちらを見ていた。

 

 それまでと違い、怒りの中に深い迷いをたたえながら。

 

「……なんだってんだよ、今さら……今さら、そんなこと言われようが……は……帰ってこないんだ」

 

 震える声音で、誰かの名前を男が呟く。

 口ぶりからして、すでにこの世に居ない、虐げられる生活の中で失った、奪われた人の名だろう。

 元平民の魔人達のほとんどは、そうした経験を持つ人々であるはずだ。

 

「人間を止めちまったあとで、人間扱いされるなんて……ふざけてやがる、腹が立ってくる……嘘に聞こえねえのが、気持ちわりいよ」

 

 呻くようにして、男は胸の内の鬱憤を吐き出していく。

 誰かを想う気持ちを残していた彼は気づいた上で、ここまで来たのかもしれない。

 魔人となった自分達もまた、滅ぼされるべき存在であるのだと。

 

「怨みを晴らすためだけに貴族共を殺して回った、俺達だってもう、あいつらと同じクソ野郎だ。アンタみたいなやつから、救われるいわれなんて、ないだろ」

 

「言ったように、罪を赦すわけじゃない。それでも――どうせ生きるのなら、幸福を求めて生きて欲しい」

 

 不幸に生まれて、不幸なまま生き、不幸に死ぬ人生なんて、あんまりだ。

 せめて彼らには、そこから抜け出す道を、自分達で選んで欲しかった。

 視線を合わせていた男ががくりと膝をつき、うなだれた瞬間、周囲を漂っていた魔力を通して伝わっていた悪寒が和らぐ。

 

「アンタの目を見てると、自分がガキになったみたいで、うんざりしてくるな」

 

 男の雰囲気が変わったことに気づいた魔人の一人が、険しい顔つきで声を落とした。

 

「……いいのか?」

 

「死にたいなら好きにしろよ、あんな真似をした相手からこんな情けをかけられたら、俺はもうどうしたらいいのか分からなくなっちまったよ」

 

 仲間に素っ気なくそう返した男はこちらを見上げ、血をとめどなく流し続けている右手を痛ましそうに一瞥する。

 

「……その手を借りる気になるかは、まだ分からねえ。けど……逆らう気も失せた。投降、させてもらう」

 

 死にたくはなかったのか、それとも同じように抵抗の意思を失ったのか。

 投降の意思を示した男に、やがて迷いながらも他の魔人達も行動を同じくしていった。

 次々と魔人達が膝をついていく姿に、信じられないものを見るような目が兵士達の陣中から向けられていた。

 

 全員が全員、こちらの言葉を信じてくれたのかまでは分からない。

 けれどどうにか、私は目的を達成することが出来たらしい。

 

「――それでは私、ターナ・フォン・マーシァの名において、貴方達を拘束させて頂きます」

 

 こうして、マーシァ領における魔人達の侵攻は終結した。



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事後処理

時間かけても全然書き進まないのは久しぶりで、かなり間隔が空いてしまいました。
ただ話してるだけの回は本当苦手なようでぐだりつつ申し訳ないです。
読んで頂いている皆様にはいつも感想やご指摘ありがとうございます。

ちょっと展開を急ぎ過ぎたのか主人公が理想主義者な感じ強く出てしまったようですね。もうちょっと小物に描写できたらいいのですが筆力不足を痛感します。
某地下墳墓の主とか絶妙なバランスですごい。


 

 魔人達の拘束はつつがなく終わったが、唯一の負傷者となってしまった私は仮設された天幕で応急処置を受けていた。

 十分に深手と言えるぐらいの傷、というか手首から先が吹っ飛んでいたので、早目に治療できて良かった。

 といってもいくら回復魔法といえど、欠損はすぐに元通りとはいかない。

 

 魔法も物質をゼロから造り出すことはできないので、無理に治そうとすれば回復機能か体そのものか、いずれにしても負担が大きくなる。

 傷は塞いで痛みも無いが、完全治癒には少しばかりの日数がかかるだろう。

 付与を施したギプスで包んだ腕を首掛け紐に吊るし、ようやく人心地がつけられたところで。

 

「このような真似は二度と許さんからな。縛り付けることも辞さんぞ」

 

「はい……申し訳ありませんでした」

 

 待ち構えていた祖父にあの説得行為について、絞り上げられることになった。

 いくら強力な魔法が扱えるからといって、あそこまでの無茶をやらかせばこうもなるだろう。

 致命傷は防ぐつもりでいたが、この手に受けた痛みで平静を失い、もし追い打ちを受けてしまっていたら、防げた保証は無い。

 

 男性より女性の方が痛みに強いというのは本当なのだろうか。

 真実ならこの時ばかりはこの身に生まれたことを感謝できるかもしれない。

 

「まったく、お前と言うやつはどうしてこんな無茶をするのか……その目のときも、ロジーヌを泣かせただろう」

 

 怒りながら嘆くようにしている祖父の言葉には、ただ詫びることしかできない。

 多くの責任を預かる身として、この身を軽々しく扱ってはならないことは重々承知していた。

 無暗に危険に晒すようなことは無責任でしかなく忌むべきこと、そう戒めてはいるのだがこうして無茶をしてしまうのは――死ななければ安い、どこかでそう考えてしまっているからかもしれない。

 

 迷惑をかけてまで無理をする必要はない、けれど終わってしまった後で、ああしておけば良かったなどと後悔しても遅い。

 前世で親よりも先に死んでしまう、特大の親不孝をしでかしてしまった身としては特にそう思ってしまうのだ。

 もっと会っておけば良かった、孝行しておけば良かった。

 

 自分の死を悲しんでくれると確信できる家族だっただけに、転生し記憶を取り戻した後は、そう悔やんだ日々も多い。

 明日できることを今日やる必要はない、前世でも今世でもそんな考えでの後悔を経験してしまった。

 命を捨てる気なんてさらさら無いけれど、全て上手くいく冴えたやり方が思いつかないのなら、せめてぎりぎりまであがいてみたい。

 

 下手をすれば多くを失いかねないけれど、それが二度目の人生、今日に至った自分の生き方だった。

 しかし他の人がそれを許してくれるかというのはまた別のお話で、祖父の様子を見れば今後同じような真似は許してもらえないかもしれない。

 

「彼らはどうしていますか?」

 

「指示通り、まずは飯を食わせている。まともな食事は久しぶりだろうが、そのせいか今は大人しくしているようだな」

 

 捕らえた魔人達にはひとまず食事を摂らせるよう指示していた。

 事態がどう転ぶにせよ、飢えていては余裕がなくなり判断も鈍くなる。

 どれほど効果があるかは分からないが、せめて腹ぐらいは満たしてもらっておこう。

 

 後は彼らに科す罪状と制約を詰めていかなければならないが、まだその前にやっておかなければならないことがある。

 

「お爺様、お叱りを受けた後だというのに申し訳ありませんが、すぐに王都へ向かわなければなりません」

 

「何?……魔人達の鎮圧が終わったことなら、こちらから通信を入れるが」

 

「いえ、魔法通信は導入が始まったばかりです。重要な案件を伝えるには向こうも気が休まらないでしょう。何より――」

 

 本当に事が済んだのかと、心配して文字通り飛んできそうな方々が居る。

 彼らがウチの領地へやってくるのは阻止しておきたい、対応が面倒そうだ。

 そんなこちらの本音を聞いた祖父は複雑そうに顔をしかめ、ややして重いため息を漏らす。

 

「アルティメット・マジシャンズだったか。徴用どころか本当に学生の特殊部隊などが創設されるとはな……世の中も変わったものだ」

 

 世の中がというより、良くも悪くも変わっているのは彼らだけではないかというのが本音だが、そこは口に出さず苦笑いして誤魔化しておく。

 気を抜くとつい不敬な物言いが口をついて出てしまいそうだ。

 

「確かに面倒なことになりそうではある。やむを得んか……」

 

 まず賛同を得られないだろうこちらでの魔人達の処遇について、話さなければならないのは気が重い。

 大分血を流してしまったし、本調子からは程遠いコンディションだがそれでも、この決断に踏み切った私が行くべきだ。

 

「ただし、護衛にオルソンの倅共を連れていけ。こればかりは絶対だ」

 

 倅共、というのは幼い頃の外国巡りの最中に出会い、今ではオルソンの養子に収まったグリードとグランの二名を指す。

 彼らなら戦闘魔道具の扱いに習熟した腕利きでもあるので、護衛として申し分ない。

 

「それと、事が済んだならすぐに戻り休むのだぞ」

 

「はい、承知しました。説明に少し手間取るかもしれませんが……」

 

「だろうな。今のお前にあまり無理をさせたくはないが……ふむ」

 

 言葉の最中に考え込むような間を挟んだ祖父の、次の言葉には少しばかり意表を突かれてしまう。

 

「ターナ、追及が面倒となればだがな――賢者様、導師様の判断を仰ごうとしてみろ」

 

「賢者様がたの、ですか?」

 

「わけあって詳しくは言えん。しかしかの魔人については王国にも色々とあってな、我々が魔人達を投降させることができた今なら、陛下も無視はできんはずだ」

 

 世界初の魔人を討伐した英雄である二人。

 むしろ魔人の脅威を最も熟知していそうであるのに、どうしてそんな人物を頼れというのか不思議だったが、爺様には何かしらの確信があるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな助言を受け、転移魔法で王城までとんぼ返りしてすぐに、慌ただしく周辺を駆けていた兵達がこちらに気づき顔をハッとさせる。

 

「マーシァ閣下!? お戻りに――そのお怪我は」

 

「ああこちらは気にしないでほしい。それよりもできれば陛下にお目通り願いたいのだけど、取り次ぎをお願いできるかな?」

 

 侵攻してきた魔人たちの鎮圧が終わった事を告げると、更に驚いた様子を見せながらも兵士の一人が報告の為に城の奥へと駆けていく。

 

「スイードにも出たという話でしたが、そちらは大丈夫だったのでしょうか」

 

「さて、あちらも同じような魔人しか居なかったのなら、殿下達が後れを取るとは思えないけどね」

 

「例のアルティメット・マジシャンズってのは十人ぐらいしか居ないんでしょう? そんなにすごいんすか?」

 

「それはなにしろ新英雄が直々に鍛えた部隊だから。並の軍隊じゃ太刀打ちできないはずだよ」

 

 待つ間、傍に控えているグリード達はスイードの情勢を気にしているようだったが、あちらにも連絡員は滞在させている。

 もし不測の事態があれば通信が入っているだろうから、彼らだけで撃退できたのではないかと予想していた。

 シンが持つ災害級すら仕留めれる魔法技術に、国宝級の装備を独占しているのだから、それぐらいはやって頂かないと困るというものだし。

 

「――お待たせしました。陛下がお会いになるそうです、会議室にてお待ちですのでご案内致します」

 

 そうしている内に、思ったよりも早く戻ってきた兵士が礼を取り告げてくる。

 

「ありがとう。ところでスイードへの対処がどうなったかは伝わってきているかな?」

 

「はい。既にアルティメット・マジシャンズの方々により撃退が完了し、皆様つい先ほど転移魔法にて戻られております」

 

 答えてくれた兵士の表情は実に誇らしげなものだ。

 自分の国の王太子や尊敬する英雄による華々しい活躍を間近で見ればこうもなるだろうか。

 その内容について少し気にかかるところだが、そこまでは聞くまでもなくすぐに知れることだろう。

 

 案内された先の会議室の扉が開かれた先には国王陛下だけでなく、シン、アウグスト、そして究極魔法研究会のメンバー。

 アルティメット・マジシャンズの面々が勢揃いしていた。

 

「マーシァ公、無事だったか――む」

 

 しょうがないことだが、私の吊っている腕を見て、陛下だけでなく皆が顔色を変える。

 そんな彼らを見る限り、スイードに向かった面々に負傷者は出ていないようだ。

 後ろの二人にマジシャンズメンバーから物珍しそうな視線も向けられているのを察して、一応断りを入れておく。

 

「こちらの二名は私の護衛です、同席してもよろしいでしょうか?」

 

「それは構わないがマーシァ、その傷は……もしや、そちらにあのオリベイラが現れたのか?」

 

「いいえ、こちらの領にやってきた魔人達は元平民の者しか居ないようでした。この傷は私の自業自得のようなものですので、あまり気にされないで下さると助かります。スイードで彼の姿は見えなかったのですか?」

 

「……? ああ、スイードに現れた連中も元平民ばかりだったようだ。聞いていたオリベイラらしき魔人の姿は確認できていない」

 

 となると、王都に転移する間際に報告を受けた、あの話は口から出まかせというわけでもないかもしれない。

 

「まず治療を受けなくても良いのか? シンならばその傷も治せるかもしれんぞ」

 

「こういった傷は急速に治すのも体に無理がかかりますので、お気遣いだけありがたく頂きます」

 

 回復魔法までこなせるらしい、シンの技術がどれほどのものかは不明だが、流石に彼でもノーリスクで深手を治癒できるとは思えない。

 それに片手が使えないのは不便ではあるが、もし貸しをつくったと思われでもしたら面倒であるし、遠慮させて頂こう。

 

「そうか……それにしても、先ほど通信による報告も届いたが、本当にそなたの領地だけで対処できたとはな。して被害の方はどうか?」

 

「損害と呼べるものはありません。強いて挙げるなら部隊の運用にかかった費用ぐらいでしょうか」

 

「……なんだと?」

 

「もとより魔人の動向については警戒しておりましたし、万全の態勢で迎え撃つことができました。なぜか領都を目指していたようでしたから周辺都市の住民を避難させる必要もありませんでしたので」

 

 大体からして他国に攻め入るのに、手ごろな立地に橋頭堡を確保するでもなく、いきなり中枢めがけて突撃してくる無謀っぷり。

 魔人ならやれるという考えがあったにしても彼らの侵攻は杜撰に過ぎた。

 聞けばスイードの方もまっすぐ王都を強襲してきたという話、失敗を懸念していないかのようですらある。

 

 一瞬、戦闘状況を観察していた魔人が居たという報告が脳裏をよぎるが、まだ情報も整理できていない。

 そちらは後ほど正式な形での報告にまとめさせてもらうとしよう。

 被害がゼロとは予想していなかったのか、呆気に取られている様子の陛下にこちらからも気にしていることを尋ねていく。

 

「スイードの方では被害が出たのですか?」

 

「……既に百人前後の魔人達が王都に迫っていたからな、我々は城壁の外で迎え撃ったが、僅かにあちらの軍に死傷者が出ている」

 

 十人ばかりの彼らではカバーするにも限界があるだろうことは明白なので、殿下の返答を予想はしていた。

 とはいえ他国となればこちらの領地から兵を回したとしても、十全に対応できた保証はないので、犠牲については悼むことしかできない。

 シンが合同訓練の時に見せたような広範囲の爆発魔法を使用していたなら状況も違ったかもしれないが、その場合はスイードの王都周辺が焼け野原となったことだろうから、流石に彼でも踏み切れなかったことだろう。

 

「にわかには信じがたいのだが、本当に被害なく事を済ませたというのかね?」

 

「はい。詳細は後ほど情報を整理し改めて報告させて頂きます。ダーム王国軍から我が領に滞在しておられる方も事態を観察しておられましたので、そちらに確認していただいても構いません」

 

「ふむ……いやすまぬ、そなたが虚偽の報告をするとは疑っていない。単独で魔人を撃退したそなたの力量には改めて感心している」

 

「お言葉ですが、この度迎撃に当たったのは我が領の兵士達です。現地に到着した時には魔人たちは既に無力化されておりましたので、私が手を出す必要はありませんでした」

 

 数で言えばスイードの方が多勢だったようだが、シン達以外に魔人の相手が出来る集団が居るなどと信じられなかったのか、居合わせる面々が息を呑む気配が伝わってきた。

 そしてこちらも予想していたことではあるが、陛下と殿下の顔つきに驚きだけでなく警戒するような色が差したのも分かる。

 

「うそ……兵隊さん達だけで片付いちゃったってこと?」

 

「そりゃあ俺たちもそんなに強くないなって思いましたけど……スイードの人達は手も足も出てなかったっすよ?」

 

 一応この場は陛下の御前であるのだが、アリスやマークらは口々に囁き交わし驚きを示している。

 しかし王族の方々には自由な発言を気にするようすもなく、相当にフランクな付き合いを許容されているようなので、気にしない方が良いらしい。

 

「……マーシァ公」

 

「はい」

 

「犠牲が出なかったのは喜ばしい事である。しかし魔人の集団を討伐せしめるだけの戦力を一領土が有しているというのが事実であるのなら、いささか懸念を示さざるを得ない」

 

 以前から一国が強大過ぎる力を持ってしまうことを憂慮する発言をなさっていた陛下なのだから、やはりそうした危惧を招いてしまっているのだろう。

 ならば我が領の兵士達は大人しく殺されておけばよかったのかだとか、殿下の特殊部隊を容認しておいて何を今更だとか、言ってしまいたいことは色々ある。

 しかし直接的な指摘がどうしてか通じないことも最近分かってきたので、アプローチの仕方は変えていく必要があるだろう。

 

「陛下のご懸念については理解しているつもりです。しかし我が領で軍備を充実させているのはあくまで防衛の為、決して領土拡大を図ろうなどとする野心はないことをご理解頂きたく存じます」

 

「それはそうであろうが、他国がそれを額面通りに受け取ってくれるとは限らぬぞ。国内であっても疑いの目を向ける者が出かねん」

 

 同じ言葉をご自分のご子息にもかけて欲しいものだが、賢者様やそのお孫様と同じグループは例外とでも言うのだろうか。

 彼らの聖域めいた扱いが実にやるせないが、今ばかりは貧血で倒れかねないので深く考えるのを止め、言葉を継いでいく。

 

「陛下、まず魔人達の鎮圧に用いた装備ですが、実際にはそこまでの脅威に値しないものです」

 

「む……? どういうことか」

 

「兵に行き渡らせている量産魔道具ですが、付与されている魔法は王都の魔法師団が扱うものと比べてもそう差はないものです。そちらの皆様が身に着けておられるような装備の前には容易く無力化されてしまうことでしょう」

 

 一部のハイエンド品なら話は別だが、こちらは量産しているわけではないこともあり今は伏せておくことにする。

 グリードとグランもそこを誤魔化したことよりも、アルティメット・マジシャンズ達がそんな装備に身を包んでいることを小さく驚いているようだった。

 

「これは魔法師団のルーパー団長からも認識していらっしゃるはずです」

 

「それが真実であるなら、どうやって魔人の脅威に対抗できたというのだ?」

 

「まず侵攻に加わっていた魔人達はいずれも魔法の心得がなかった平民の者ばかり、語り継がれる魔人とはその実力に遥かな隔たりがあると予測します。おそらくアールスハイドの軍をもってすれば対応は可能だったでしょう」

 

 そこで陛下がアウグストの方へと視線を向ける。

 実際に戦った人間の意見を求めたのだろう、迷うようにしながらも殿下が発した言葉はこちらの評価を否定するものではなかった。

 

「……間違ってはいないでしょう。私たちはほぼ無傷でスイードの魔人達を討伐しましたが、あれら全てに一国を滅ぼすほどの力があったとは思えません」

 

「むう……そのようなことが」

 

 強くとも圧倒的とまではいかない個人の力量、数の有利が生かせる戦場。

 魔人達の撃退が危なげなく終わったのは相性や環境に恵まれたところが大きい。

 兵の質が上がっていたとはいえ、個人個人で見ればシン達の比ではないのだから、オリベイラ級の魔人が確認されたなら即座に撤退させる手筈は整えていた。

 

「捕らえた魔人達はいずれもまともに教育を得ることのできない、似たような境遇の者ばかりのようでしたから、過去の魔人と同列に語るには無理があるでしょう」

 

 おそらく彼らは訓練の一環で森林の一画を吹き飛ばすようなこともあったという、アルティメット・マジシャンズのような大規模破壊もできはしない。

 そういった性質の違いを挙げていくのだったが、やはり一部分を聞き逃さなかった陛下の眉根が険しく寄るのは避けられなかった。

 

「待て、今……捕らえたと聞こえたが、何かの間違いではないのか?」

 

「いいえ、確かにそう申しました。我が領に攻めてきた魔人達は全て拘束し、捕らえてあります」

 

 陛下の、そしてアルティメット・マジシャンズらの顔色が驚愕に染まる。

 予想した通り、この方々の魔人に対する認識はそういうものであるらしい。

 

「正気かマーシァ!? いつまた暴れだすか知れない連中を捕らえるなどと、あり得ん話だろう」

 

「あり得ない、とは――もしや皆様はスイードの魔人達を皆殺しにされたのでしょうか?」

 

 聞き返すと、そんなことを聞かれるのが心外だとばかりに殿下があっさりと答えて見せる。

 

「無論だ。劣勢が明らかになるなり逃走を図ったいくらかの魔人共は逃がしてしまったがな」

 

 なんら引け目なく毅然と言い放ってみせる殿下に、同じような反応を示してみせているマジシャンズの面々。

 彼らもつい先日まで軍属になく、刃傷沙汰とも縁遠い、人殺しなど経験したこともなかった筈の学生たちだったというのに。

 魔人化しているとはいえ、言葉を交わせる人の形をしたものを何人も殺めてきておいて、それを引きずる様子もない。

 

 一体どんな特訓を施せば、多感な年頃の少年少女がそんな境地に至れるというのか、空恐ろしくすらある。

 

「ターナさん……魔人を捕まえたってのはすごいと思うけど、どうするつもりなんだ? カートの時は俺もなんとか人に戻せないかって試したよ。でも……スイードに攻めてきた魔人達は、もうそんなこと言ってられるような連中じゃなかった」

 

 沈痛な面持ちでシンが発した言葉に、他のメンバーも頷き同意を示している。

 

「あいつら、兵隊さん達をいたぶって楽しんでたんだよ?」

 

「明らかに自分の力に酔ってるって、感じだったねえ」

 

「元が人間でも、弱者をいたぶって愉悦を感じるようなクズに成り下がってた。犠牲を増やさないためには仕方ない」

 

 続けてアリスにトール、リンが口々に魔人を非難しているように、彼女らが自分たちの正当性を疑っている様子はない。

 他のメンバーも気持ちを同じくしているようで、こちらへ向けられる視線には不服そうな感情が込められている。

 確かに一方的に侵略し、容赦なく人々を害そうとしたのは魔人達、シン達に責められるいわれはない。

 

 ただ傷一つ負わず、魔人達を圧倒できるだけの力を身に着けておきながらそんなことを言ってのける彼らには少しばかり、我が身を省みて欲しいと思うのは傲慢なのだろうか。

 

「魔人達の残虐性については否定しませんが、だからといって彼らを鏖殺(おうさつ)してしまうというのはいかがなものでしょうか」

 

「そうせざるを得ないだろう、奴らは到底話の通じるような手合いではない。お前ほどの者が、そんなことも分からなかったというのか?」

 

「はい。そもそも残虐性など、人は魔人にならずとも持ち合わせているもの。罪は罪ですが、魔人ならば法の下に裁く必要すら無いとまでは思いたくありません」

 

 彼らが共通認識としているだろうところへ、明確に反対してみせたことでこちらの正気を疑うような気配は一層強まった。

 

「そ、そんなわけが――」

 

「無い、などと、まさかお考えになっているわけではないでしょう殿下?」

 

 無礼を承知で言葉を挟ませてもらうと、反論しようとしていたアウグストが言葉を詰まらせる。

 この国の王太子などという身分にある人間が、あの帝国の内情について把握していなかったなどと言うのなら呆れるほかないが、そこまでは至らなかったらしい。

 

「……オーグ、ターナさんは何を言ってるんだ? 魔人が危険な生き物だってことぐらい、誰でも分かると思うんだけど」

 

 遠回しな言い方をしたこともあり、こちらの言わんとするところに気づけないらしいシンが不思議そうに聞いている。

 推測している通り、彼が前世の記憶を持つ者であれば察することもできそうであるが、そうならない辺りよほどの早逝だったか、それとも私の知る世界とは似て非なる世界からでも生まれ変わったのか、疑問だが今は隅に置いておこう。

 

「魔人となった彼らの気性、その由来を思えば酌量の余地があるのではないかという話ですよ。そうですね……まずウォルフォード君、クロードさんとのご婚約、おめでとうございます」

 

「えっ? あ、ああ……ありがとう」

 

 こんな空気の中で祝われるとは思ってもみなかっただろう、こちらがかしこまっていることもあり戸惑いながらも礼を返してくるシン。

 何を言い出すのかという気配を周囲から感じながら、目的へ向け言葉を繋がせてもらう。

 

「ウォルフォード君、これからお話しするのは例え話ですので、どうか気を荒げずに聞いて下さると助かります」

 

 幸いにして、陛下もマジシャンズの面々もこちらの言い分を聞く姿勢を取ってくれている。

 こうした理知的な面もあるのだから、説得力を示せれば多少の理解も得られるのではないかと期待したい。

 

「奥ゆかしく見目麗しいクロード嬢はウォルフォード君にとって大切な人でしょう。一般的に多くの男性が羨むような存在でもあるかと思います」

 

「ま、まあそう、かな」

 

 俗に言えば自慢の彼女だろう、シシリーに対する誉め言葉に、シンは照れくさそうにしながら同じような反応を示しているシシリーと視線を交わしている。

 二人の仲が親密であることは疑いようもない、例として挙げるのにも丁度いいだろう。

 

「しかしある貴族がクロード嬢に目をつけ、権力をもって強引に婚約を破棄させ、己の妾とするために(かどわ)かしたとしましょう」

 

「なっ……そんなこと、許すわけがないだろっ!」

 

 前置きはしたはずだが、シンは目を剥いて憤りを露わにする。

 彼女のことをそれほど大事に思っているということなのかもしれないが、今はもう少し冷静さを保ってほしい。

 

「落ち着けシン、例え話だ。第一、この国でそんな真似は許されない。マーシァも二人の間を知るなら趣味が悪いのではないか?」

 

「いいえ殿下、皆様にご理解頂くためには適切な例えであるかと思います。ウォルフォード君、殿下が仰るように、私が今口にしたような出来事もアールスハイドにおいては起こりえません。貴族の横暴は禁じられていますし、貴方にもそれを拒む力があります」

 

 何より賢者様のお孫様を相手に、そんな不届きな真似をしでかせる人間が居るわけがない。

 そんな横暴貴族が居たとしたら、彼から魔法で文字通りに吹き飛ばされそうだ。

 

 流石にそこまではしないだろうけれど……しないよな?

 

「しかし、かのブルースフィア帝国はそんな横暴がまかり通る国だったのですよ」

 

「ブルースフィアって……え?」

 

 横暴な貴族を取り締まる法も意識も無く、抗うような力を持つ平民など居ない。

 その事実を正確に認識していなかったらしいシンはしばらく硬直していたが、やがておそるおそるアウグストに尋ねた。

 

「帝国って、まさかそこまでひどい国だったのか?」

 

「それは事実だ。あの国における貴族の腐敗ぶりは、他国から見てはっきりと目に余るものがあった」

 

 テレビ放送やインターネットのように、国外の情報を容易に得られる媒体がまだ無いこの世界では、隣国の内情に対する理解にも立場によって差が生じる。

 アウグストに近い立場に居たトールやユリウスらの反応は控えめだが、残るマジシャンズメンバーからは大なり小なりの動揺が窺えた。

 

「かの国における、平民階級の人々に対する扱いはむごいものでした」

 

 過酷な労働に、食い扶持を考えないような重税など序の口。

 態度が気に入らなかったなどという理由だけで私刑に処されてしまうことすらあったという。

 例えとして挙げたように、婚約者を戯れに奪われる者も居たようだ。

 

「権力に酔い、平民をいたぶり愉しむ、魔人とならずとも人はそうした性質を持ちうる生き物です。彼らは魔人となったから残虐になったわけではありません、スイードで皆さんが目にしたのは虐げられた過去により歪んでしまった結果に過ぎないでしょう」

 

「……だとしても、人々を脅かす魔人の行いが許される道理は無い。人類の敵となる道を選んだのは奴ら自身だ。それを助けようなどという考えは誰にも受け入れられはしないぞ」

 

 こちらの言葉が同情的なものに聞こえたのか、少し誤解しながらもアウグスト殿下は変わらず険しい表情を向けてくる。

 だが私は彼らのように、魔人とは人と非なる生物であり、これを殺すことは仕方のないことであるとでも言うように振舞う気にはなれない。

 もし殿下の言葉を元平民の魔人たちが聞けば、こんな風に考えてしまう者も居るだろう。

 

 ――腐った貴族共にはなんの手も出さなかった癖に、俺達にはそんなことを言うのかと。

 

 実際、圧政に晒される自分たちをどうして他の国々は助けてくれないのかと、考えていた帝国民は数多い。

 もちろんそれは口にするほど簡単な話ではなく、どんなお題目があったとしても大国であるブルースフィアを相手に戦争を吹っ掛けれる国がそうそうあるはずもない。

 実力行使で圧政者を排斥できたとしても、残された帝国民の処遇、生き残った貴族により内乱の火種が生じる可能性、様々な問題が山積する。

 

 だからといって、帝国民に自分たちの境遇を諦めろというのも酷に過ぎるだろう。

 殺してきた魔人たちが、どんな思いでそこに至ってしまったのか、少しぐらい考えてもよさそうではあるが、世界を守るために戦っているのだという自負はその程度の情けも捨てさせてしまうのか。

 

 自分の力に酔っている、というのは、彼らの身にも刺さる言葉のように思える。

 

「私は彼らを保護したつもりはありません。我が領においては魔人であっても人として扱うというだけのことです」

 

「人として? どういうことだ」

 

「捕らえた魔人たちはその罪状を明らかにし、法にのっとり量刑を定めていきます。罪を償い終えたとしても、監視を解くかまでは今後の経過次第とし、この姿勢を他領、他国にまで求めるつもりもありません」

 

「マーシァ公。確かにそなたの領には格別な自治権がある。しかしそのような外患を抱え込むような行いまでは承服しかねるぞ。その魔人たちが潜めていた本性を現し、人々に害を為したならどうするつもりか?」

 

 国王としてこの事態を看過できないだろう陛下からはやはり了承は得られないようだ。

 だがここで踏みとどまれなければ、魔人たちに対しての言葉が嘘になってしまう。

 

「――その時は、この爵位を剥奪されることになろうとも構いません。私自身もいかなる処分だろうと受けいれる所存です」

 

 代々受け継がれてきた、由緒あるこの爵位には肩書だけでない、先人たちの想いが積もり重なっている。

 伝統を否定することはそれを大事にしてきた人々の思いを蔑ろにするようなことでもある。

 軽々しく投げ出すようなことは言うべきではない、それだけに陛下であっても息を呑んでたじろぐ姿を見せていた。

 

 既に魔人の暴走を防ぐ手段を講じてあるからこその見栄切りだったが、そこまで教えてしまう必要はない。

 

「……そなたの覚悟は理解した。しかし……これはどうしたものか」

 

 沈痛な面持ちを陛下から向けられたアウグストが同じように眉根を寄せ苦慮を示している。

 ただ意見を求めているわけではなさそうなその雰囲気を訝しんでいると、殿下の方から口を開いてきた。

 

「マーシァ、対策はどうあれ、魔人たちが大人しくしている保証が無いことには変わりない。その怪我も、奴らを殺すまいと無理をした結果ではないのか?」

 

「その通りです。しかし――最終的に彼らが説得に応じ、降伏を受け入れたことを鑑みれば、その甲斐はあったと考えています」

 

 自分たち以外の生命にろくな価値も見出さない、帝国貴族を相手にした交渉であれば、要求される代価はこんなものでは済まない。

 シン達が魔人に対してどんな手段で接触し、殲滅に至ったのかは分からないが、魔人たちが説得に応じたという事実はよほど信じがたかったらしく一様に驚愕を露わにしている。

 

「それに今回の侵攻は魔人や帝国民としての特徴を考慮しても、腑に落ちない点が多くありました。捕らえた者たちに事情を聴取すれば、調査しきれなかった帝国内部の動きについて知ることもできるでしょう」

 

 魔人たちを捕らえた利点の一つに、その時にして思い至ったらしい陛下や殿下が顔色をハッとさせる。

 警戒されていたオリベイラの姿も無く、報告されていた大量の魔物も引き連れずに、元平民ばかりが無謀な襲撃に及んだ経緯について、皆殺しにしてしまったシン達には知ることができない。

 生け捕りにすることも難しくはなかっただろう、圧倒的な力量を身につけながら、貴重な情報源を潰してしまったことを今更ながらに把握した殿下は冷や汗を垂らさんばかりだった。

 

「――利点もあることは分かった。だが世界征服などと大それたことを目論むような魔人が存在するのもまた事実だ。多くの人々が危機に瀕していることに変わりはない。これから他の国々と連合を組む上で、我が国がその方針を受け入れることはできない。魔人たちの監視にはこちらから条件を設けさせてもらうぞ」

 

「それにはこちらもやぶさかではありませんが、過度な干渉は控えて頂きたいと考えております」

 

 魔人たちにこれ以上の不信感を植え付けてしまいそうな要求を突き付けられても困るのだが、相手方からは不服そうな気配が窺える。

 こちらとしては今の殿下の発言には気になるところもあったし、平行線に終わりそうな気配のする問答は早めに済ませてしまいたいのだが。

 

「この場だけでは判断できないこともあるでしょう、改めて場を設けるのが良いかと存じます。そうですね……魔人の問題とあらば、参考に賢者様がたのご意見など賜ることをできるかもしれませんし」

 

 思い出したウーロフ爺様からの助言を告げてみるが、さて効果の程はどんなものだろうか。

 窺い見ればどういうわけか、シンや殿下は悪い案ではないとばかりの反応を示す中でただ一人、ディセウム陛下のみが虚を突かれたような顔をしていた。

 

「爺ちゃん達にか……話を聞くぐらいならいいんじゃないか?」

 

「そうだな。何よりかつて魔人を討伐されたお二人だ、誰よりも魔人の危険性は熟知しておられるだろう。……流石にマーシァでも賢者様がたの反感を買うようなことは避けているのか?」

 

 都合の悪い結果となりそうな意見をこちらから提示したことで、殿下などは不審そうに小首を傾げていたが、他のメンバーはマーリン様ならと懸念していない様子だ。

 かの英雄お二人が、魔人を擁護するはずがないと信じ切っているのだろう。

 だがそんな空気に水を差すかのようにして、国王陛下の咳払いが響く。

 

「う、む……確かにマーリン殿やメリダ殿に意見を求めるというのは悪い判断ではない。しかし既に一線を退かれているお二人に、重荷を背負わせるようなことは控えるべきかもしれぬ」

 

「父上? かのお二人であればその程度の助言ぐらい授けて下さると思いますが」

 

「アウグストよ、合宿の折にもお二人が懇意にして下さったことは聞いている。しかしそれはあくまでお二人のご厚意あってのこと、こちらから協力を求めるような真似は極力すべきでない」

 

 陛下の否定的な姿勢には、シン達だけでなくこちらまで少しばかり呆気にとられてしまった。

 シンが特殊部隊に組み込まれていることや、殿下に国宝級の装備を受け取らせておきながら、今になって意見を求めることをどうしてそこまで躊躇うのか。

 これは祖父の言う通り、世界初の魔人にまつわる言い伝えには何かしらの事情が抱え込まれていそうだ。

 

「マーシァ公。捕らえた魔人の扱いについては熟慮する必要を認める。今後の動向を観察しつつ協議の場を後に設けよう。場合によってはマーリン殿に意見を求めることになるかもしれんが……それまではそなたの領の法による処断を尊重する。無論、緊急時の連絡手段については協力してもらいたい」

 

「……承知しました。手始めに王都との連絡経路の整備を急がせます」

 

 無線式の通信機を融通しなければならないかもしれないが、すんなりと猶予が与えられた。

 効果が覿面(てきめん)に過ぎて怖いぐらいだが、一体どういう裏事情があるというのか。

 何はともあれ目的は果たせたことで少し気が和らぐのを感じる。

 

 最後に一つだけ、確認してからお暇させて頂くとしよう。

 

「では、事後の処理も残っておりますので、私は領へと戻らせて頂きたいと思いますが――殿下」

 

「――む、なんだ?」

 

 陛下の心変わりに困惑した様子のアウグストに水を向ける。

 

「先程、他の国々と連合を組むと発言しておられましたが、それはどういった意図によるものでしょうか?」

 

 魔人たちに対抗するためのものと考えるのが普通だが、現状この国を除いてまともに魔人に対抗できる戦力を持つ国など存在しない。

 アールスハイドと並び大国と称されるエルス商業国、イース神聖国であってもそれは同じことだろう。

 おそらく一方的にアールスハイド側が戦力――アルティメット・マジシャンズを差し向けることになりそうだが、それで連合というにはニュアンスが引っかかる。

 

「そうそう殿下、スイードの手応えからして、魔人ってあたし達だけでも討伐できる気がするんですけど、連合なんて組む必要あるんですか?」

 

 シン達の間でも伝えられていなかった議題なのか、アリスが不思議そうに殿下へ問いかけている。

 

「そうだな、他の国の戦力では、まともに魔人と戦うことすらできないだろう」

 

 他国の戦力があてにできないことは殿下も理解しているらしい。

 こちらの領から技術指導を行った国々の魔道具が使い物になるにもまだまだ時間がかかるだろう。

 尚更どうしてと言わんばかりの視線を集めながら、アウグストは神妙な面持ちでその言葉を告げた。

 

「しかし、我々だけで魔人を討伐したとなると、アールスハイドの功績が大きすぎる」

 

 …………はい?

 

 一拍遅れて殿下の言葉を理解した瞬間、意識が遠のくのを感じてしまった。

 



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彼女にとっての予想外

積み過ぎたゲームを消化してたら遅れる遅れる……まともに感想返信もできずにすみません。
また間を開けすぎての更新となり、読んで頂いている皆さんには重ね重ね申し訳ありません。


「――以上がスイードに攻め入った魔人たちの顛末となります」

 

 元ブルースフィア国、実質的にオリベイラらの拠点となった帝城で、ゼストによる離反した魔人たちの動向が報告されていた。

 玉座に腰掛けたオリベイラは、離反した魔人たちの行動が失敗に終わったことを聞き終えると冷ややかな笑みを浮かべる。

 

「無様ですねぇ。あれだけ息巻いて出ていきながら、ほとんど手も足も出なかったとは」

 

「しょせんは強者に従うことしかできなかった者達。魔人となれどその本質は変わらなかったのでしょう、より強い者が現れれば当然の帰結かと」

 

「アールスハイドの若き精鋭部隊ですか。フフ……華々しいですね、見せ物としては映えることでしょう」

 

 ゼスト達からするなら、魔人を苦も無く討伐できる部隊など脅威にほかならないが、オリベイラは他人事のように聞いている。

 魔人の扇動が彼の興味を引くための(くわだ)てでもあったゼストは、その薄い反応を内心で惜しみながら、自身の想定の甘さを悔やんでいた。

 部下ローレンスによるアールスハイド特殊部隊、その戦力報告には元々諜報部隊に属し、実戦経験も豊富な彼らをして舌を巻かされている。

 

 並の軍属魔法使いと比較にならない、高威力にして広範囲の放出魔法。

 人を容易く屠れるはずの魔人による攻撃を歯牙にもかけない防御力。

 何より、そんな魔法使い達の中にあってすら抜きんでた実力を持ち、瞬く間に魔人を殲滅していったという賢者の孫の存在。

 

 どれをとっても懸念事項となる部隊が結成されたことは、彼らにとって由々しき事態と言えた。

 更にゼストの胸の内を苛む問題はそれだけにとどまらない。

 

「帝国領へ逃げ帰った者達については観察中ですが、もう一方。マーシァ領へ差し向けた魔人ですが……そちらは予想通り、一人も生還者は居ないようです」

 

 アベルとカインが誘導した魔人たちについては、彼らが離脱を余儀なくされたことでその成り行きを見届けることが出来ていなかったが、それまでの戦況から生存は絶望的だろうと推測されていた。

 

「賢者の孫の部隊同様、あるいはそれ以上に驚異的な戦力と言えるかと。魔道具を完全に配備した部隊の存在は我らにとっても予想外でした」

 

 当初の算定とは裏腹にその結果は散々たるもので、侵攻した側ではあるが魔人たちの方が被害は大きくなってしまっている。

 まともな軍規に従った采配でないにしても、大失態とみなされてもおかしくはない結果に、あらゆる叱責も覚悟していたゼストだったが。

 

「生還はゼロですか……本当にそうでしょうかねえ」

 

「……? 状況からして、殲滅されるのは時間の問題であったようですが」 

 

「まあそういうことにしておきましょう。それで、報告というのは済みましたか?」

 

 不愉快そうにするどころか、薄笑みすら浮かべて見返してくるオリベイラに、動揺を押し殺しながらゼストが肯定を示す。

 

「はっ。この度の失態については言い訳のしようもなく――」

 

「構いませんよ。貴方は私に指示される立場でもないのですから、好きにすればよいでしょう」

 

 変わらず自分たちへ関心を向けていない姿勢を示され、ゼストの胸の内には深いわだかまりが生じるのだったが。

 

「しかし同じ王国の人間でも随分と対応に違いが出るものですね……特殊部隊とやら、それと公爵閣下の動静について調べるのであれば、今後も報告を聞かせて頂けますか?」

 

「――シュトローム様がお望みとあらば」

 

「結構。暇つぶしになるような面白い話が聞けることを期待していますよ」

 

 そう言い捨てるなり玉座から離れ、居室へと去っていくオリベイラ。

 彼が関心らしきものを示したことはゼストにとって意外であったが、喜ばしい事態でもある。

 手駒とできる魔人の損失は痛いところだったが、かの勢力に目を付けたのは間違いではなかったと、その内情をより深く調べるために再びゼストは思索を巡らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏季休暇へ入りマーシァ領へとやってきてからの日々。

 利用させてもらっている魔法実技の訓練場を出たマリアは休憩所に立ち寄り体を休めていた。

 そうして購入したドリンクを飲みながら一息つけているところに。

 

「精が出るようだな、メッシーナ」

 

「えっ……あっ、アルフレッド先生!?」

 

 王都に居るはずの意外な人物から声をかけられたことで居住まいを正すマリア。

 休暇中である教え子にそんな態度を取らせてしまったことにアルフレッドは苦笑いすると、共にやってきていたミランダへの礼を口にした。

 

「休憩中にすまんな。ウォーレス君もありがとう、助かったよ」

 

「いえ、このぐらいでしたらお安い御用です」

 

 キビキビと応じるミランダの姿とそのやり取りから、彼女がここまでの道案内を務めたことをマリアも察する。

 

「ミランダも休憩?」

 

「というか午後は暇をもらってるわ。こっちの兵士さん達もこの間から忙しいみたいだし」

 

 残念そうなミランダの返答に、マーシァ領が魔人侵攻の事後処理に手間を取られていることを知るマリアも同情するような視線を返す。

 忙しいところに負担をかけてまで指導を願い出るほど面の皮が厚くもない二人は、先日からほとんど自主トレーニングに勤しんでいた。

 

「その様子を見ると魔法の鍛錬も充実しているみたいだな」

 

「はい。シンから教われなくなったのは残念ですけど、こっちで教わることもためになりそうなことばかりですから」

 

「それは何よりだ。研究会を抜けると聞いたときは大丈夫なのかと心配していたからな……まあ熱心なのはいいが、休暇中の課題も忘れるんじゃないぞ?」

 

 表情柔らかにしつつ、アルフレッドが釘を刺すように告げる。

 密かに受けていた気遣いに礼を言うようにして、マリアも朗らかな笑みでそれに応じた。

 

「大丈夫ですよ。初等部のお子様じゃないんですから、課題忘れなんてやらかしませんって」

 

「はは、まあSクラスの皆が優秀なことは知っているから俺もあまり心配はしていない。……いや、コーナーあたりはちょっとばかり不安にさせられるが」

 

 幼気に溢れるクラスメイトの姿を彷彿させられ、あり得そうな予想にマリアが軽く噴き出すと、アルフレッドもつられたように小さく笑みを浮かせる。

 そうして挨拶ついでのやりとりをいくらか交わしたところで、マリアの方から抱いていた疑問を口にした。

 

「それにしてもどうして先生がこちらに、学院のお仕事は大丈夫なんですか?」

 

「通常の授業は無いし、こう言うのは情けないが究極魔法研究会にも俺が顔を出す必要はない。少し王都を離れるぐらいの時間ならつくれるのさ。それでどうして来たのかと言えばだが……」

 

 言いづらそうに言葉を濁しながらちらりと周囲を窺い、他に人の気配が無いことを確認したアルフレッドが言葉を繋ぐ。

 

「後学のため、ってところか」

 

「後学?」

 

「魔法学院教師として、だな。今年度から色々あったのもあるが、俺も昨今の魔法教育に思うところがある。それでこちらなら参考にできそうなこともあるんじゃないかと考えてな」

 

 表舞台に現れると同時に脚光を浴びる立場となった賢者の孫、シン。

 魔人という災厄の再来、大量出現。

 それらに並ぶ魔法、魔道具を扱うターナら公爵領の存在。

 

 いずれも魔法に関係する立場の人間であれば、関心を引かれずにはいられない出来事がこの短い間に起こり過ぎた。

 衝撃を受ける以上に、魔法使いの教育に携わる者として、アルフレッドが抱いたという感情が。

 

「危機感、ですか」

 

「そうだ。ウォルフォードやマーシァのおかげで、俺達は過去のように国が滅びそうになるような危機は免れている。だが……彼らが居なかったら、どうなっていたんだってな」

 

 現実に救われてしまっていることもあり、誰もが考えずに、考える必要の無くなっていることではある。

 しかし常識の範疇にある軍隊では対抗することのできない魔人が現れている現実の前に、その仮定を軽んじることはマリアにもできなかった。

 効果の薄い詠唱に頼った魔法が巷に流行し、並の魔法使いの力量はかつて魔人という災厄を祓った賢者、導師の両名に及ぶべくもない。

 

 たまたま運よく時代に英雄的な存在が居合わせてくれたからいいものの、ほとんどの人々は二度目となる世界の危機に、自分たちの力で立ち向かうことすらできていなかった。

 およそ半世紀の間、過去に学ぶどころかろくに魔法技術を進歩させることすらできていないことは確かに、危機感を抱くのに十分である。

 

「可能な範囲で取り入れるにしても、天才的すぎるっていうのか、シンの発想は常人じゃ理解が難しそうだからな。訓練場で聞いたみたいにマーシァの魔法なら参考にできるかもしれないかと思ってたところに、王都に詰めなきゃならなくなったルーパー団長からこっちでの研修を勧められて、渡りに船だったってわけだ」

 

「はあ……でも、王都にも魔法学術院はあるんですよね? そちらでの研究じゃ不足なんですか?」

 

 話を聞いていたミランダが不思議そうに漏らした言葉に、マリアとアルフレッドは渋い顔つきにならざるを得なかった。

 彼女の言う通り、確かにアールスハイド王都には魔法研究の最高峰、魔法学術院という機関が存在する。

 しかし、その機関が詠唱魔法の実態をまともに検証することもせず、野放しにしていた実態を知る者の視点からするなら、研究機関としての能力は怪しいものだった。

 

 詠唱が流行したそもそもの原因だが、過去にとある魔法使いが賢者マーリンの魔法を真似ようと試みたことによる。

 なかなか氏の魔法を再現できず、苦心していたその魔法使いはやがて詠唱の文言を工夫し始めた。

 そして試行錯誤を重ねる内に、マーリンが扱っていたものに近い威力の魔法が行使できてしまったという。

 

 その魔法使いの頭には実際に目にしたことのある『賢者マーリンの魔法』という確としたイメージがあったことで、実際には制御できる魔力量がそれに追いついたというだけのことだっただろう。

 詠唱自体の効果が微々たるものだったことは予想に難い、しかしその成果を目にした世の人々は詠唱を工夫すれば魔法の威力を底上げすることができると信じ込んでしまったらしい。

 詠唱と威力の因果関係がしっかりと検証されていたなら、大層な文句を考えたところで意味がないことは知れただろう。

 

 魔法師団などには無詠唱で大威力の魔法を行使できる人間も少なからず居たのだから、それぐらい考えることができてもおかしくはない。

 しかし現代では数多くの魔法使いたちに詠唱が重要なのだと誤解が広まってしまっている。

 それを防ぐこともできなかったのだから、王都魔法学術院の能力も疑われるというものだ。

 

 そんなマーシァ領での見解をマリアから聞いたアルフレッドは、不甲斐なさを示すようにしてがっくりと肩を落としている。

 

「賢者様方が後進の育成に興味を持たれていなかったとはいえ、この認識の遅れは痛いな。どう修正したものか……メッシーナはこちらでしばらく教わっているらしいが、違いは感じたか?」

 

「て言っても、私も一から教育受けてるわけじゃありませんし。アウグスト殿下も警戒されたように、まだ教育には組み込めてないみたいですよ?」

 

「そういえば、シンの魔法規制は王家の意向もあったんだったな。懸念も分からないではないんだが……」

 

 強力過ぎる魔法を無暗に広め過ぎれば新たな争いの火種となりかねない。

 その発想自体は頷けるもので、マーシァ領でも通常教育の改定はまだ進んでいなかった。

 

「うーん……確か殿下から禁止されたのはシンの魔法イメージだから……こっちで教わったことのさわりぐらいならいいかもしれませんけど」

 

 シンが強大な魔法を使える大きな要因の一つ、常人では思いつきもしないようなイメージ。

 特に拡散を禁じられた部分がそこだったことを思い出しながら、伝えられる内容を吟味するマリアの頭の中には、ふとした疑問も湧いてきていた。

 

(過程をイメージすることが大事って言ってたけど、その割にはシンの魔法って――)

 

 マーシァ領の研究院で、理解度を測るという名目で研修を受ける内に、マリアには以前に語られたときには感心することしかできなかったシンの魔法イメージが随分と大ざっぱであるように思えてきた。

 道筋自体は間違っていないが、そこを渡るための手段が不明確であったり。

 そもそも道筋が立証不可能なものであったりすることがほとんどであったような、と。

 

 火が燃える、そういった現象そのものに小さい頃から疑問を持ったシンが一人でその仕組みを解明し、編み出していったイメージだとマリアはかつて賢者マーリンに語られたことがある。

 しかし今となってはろくな施設も無い森の奥地で、幼い内からあれだけの魔法が編み出せるものなのだろうかと、疑問も湧いてくる。

 彼が天才だからと皆が納得していたが、シンとマーシァ領、二つの魔法を経験したマリアの観点からはそんなレベルにもとどまっていないように思えた。

 

 まるで分かっている答えに無理やり辻褄を合わせたかのような、座りの悪さがあるような。

 

「メッシーナ?」

 

「――っと!? すみません」

 

 思考がずれかけたマリアは呼びかけに我を取り戻し、今は考えなくても良い事だと元の思考へ頭を切り替える。

 

「ええっとですね。正しい魔法の発動過程を浸透させるための初期教育みたいな話を聞いたことがあります」

 

「確かに、魔法学院の受験生ですら詠唱を重視する者は多いんだ、王都もまずそこは手をつけないといかんだろうな」

 

「それでまあ、魔力を精霊って例えて解説されたりしてましたね」

 

「精霊って……お伽噺みたいなか?」

 

 理論的とは程遠い、その例え方を聞いたアルフレッドは虚を突かれたように目を丸くする。

 その反応をもっともと予想していたマリアは頷きを返し続けていく。

 

「どこにでもいるその精霊に、私たち魔法使いはお願いすることで魔法という現象を起こしてもらっているんだとします」

 

「……魔法を使えない私からしたら、魔力を感じるなんて言われてもピンと来ないんですが、そんな説明してしまって問題ないんですか?」

 

「例えということならアリだな。魔力なんて言い方も、皆がそう呼んでるだけのことだ」

 

 魔法使いでないミランダの問いかけに答えつつ、気を取り戻したアルフレッドは真摯に耳を傾けていくのだったが。

 

「それで、言わば下請け業者である精霊さんは、発注元である私たち魔法使いのお願いを読み取って、魔法として仕上げてくれるわけですね」

 

 メルヘンな導入から一転し、世俗的な印象を背負わされた例え話にガクリと腰を折られる。

 

「……そこにもっとマシな表現は無かったのか?」

 

「あはは……導入までに要改善ってターナさんも言ってましたね」

 

 苦笑いを浮かべながらも適切な改変が思いつくわけでもないので、呆れを受け入れながらマリアには聞いたままに解説を重ねるしかなかった。

 

「精霊さん達はとても優秀なので、私たちからの発注内容が大まかでもちゃんと形にしてくれます。でも具体的なほど完成度は高くなる、魔力(コスト)がかけられるなら尚のことです」

 

 そこまで語られるとアルフレッドも今度は腑に落ちたように目を瞠り、再び顔つきを真剣なものにしていく。

 魔法の心得がないミランダも理解を示すかのように、聞かされた言葉を反芻していた。

 

「ただ人と違う精霊さんに言葉は通じません。だから頭に思い浮かべるイメージの具体性が大きく影響する――なんて設定が考えられてるみたいですよ」

 

「ふむ……物語調にして初等部の内から採り入れれば、魔法教育の導入として悪くないかもしれないな」

 

 魔法学院の教師として思うところがあったのだろう、しきりに頷きを見せていたアルフレッドだが、上手く伝わったらしいことにホッとした姿を見せているマリアに、ふっと表情を緩ませる。

 

「え……な、何かおかしかったでしょうか?」

 

「なに気にするな。一教師として、逆に教えられてしまうぐらいの生徒の成長が嬉しかっただけだ。負けないように俺も頑張らないとな」

 

 率直にアルフレッドから褒められてしまったことに気づくと、マリアは照れながら慌てたようにパタパタと手を振り乱す。

 

「わ、私なんてまだまだですよ! ターナさんやシン達と比べたら、ただの学生なんですし」

 

「上を見過ぎだ。こちらでの研修だって自分から願い出たんだろう? 幸運には恵まれたのかもしれないが、メッシーナは努力だって十分してる方だろうさ」

 

 更に褒め言葉を重ねられてしまうと、魔法学院への入学からこちら、常識外れな人物ばかりを目にしてきたせいか、自分を卑下してしまいがちだったマリアは言葉も失くして顔を赤くしてしまう。

 珍しい姿を面白がるようにして、にやつくミランダの視線から耐えきれなくなったようにして、マリアは話題を逸らしにかかった。

 

「そ、そんなことより! 王都ではターナさん、大丈夫なんでしょうか?」

 

「うん?」

 

「その……今回のことで、良くないこと、言われちゃったりしてないかなって」

 

 マリアが示したことが世を騒がせる、遂に帝国から国外へ踏み出した魔人たちのことだとアルフレッドはすぐに理解した。

 

「魔人たちを生かして捕らえた、という件だな。俺も驚いたよ、まさかそんなことができるなんて……いや、誰もやろうとも思わなかっただろうしな」

 

「というと、やっぱり」

 

「ああ。どうしてそんなことをするんだと、疑問に思う声は多かった」

 

 ほとんどの人々にとって、特にアールスハイドの人間からするなら魔人といえば恐怖の象徴でしかない。

 そんな存在は魔物と同じように駆逐して然るべきというのが、世界中の一般認識だ。

 下手をすればマーシァ領が周囲から孤立しかねない事態を予想し、マリアとミランダは顔色を曇らせる。

 

「二人はマーシァ閣下が間違ってないと考えているのか?」

 

「間違ってないというか、魔人に対して恐怖心はもちろんあるんですけど……」

 

「帝国の人達がどんな暮らしをしてたか、聞いた後だと……安易に討伐して欲しいとは言えませんね」

 

 それが夏季休暇でマーシァ領に来てから、帝国の内情を学ぶ機会のあった二人の心境だった。

 その言葉を聞いたアルフレッドは二人を安心させるように微笑んで見せた。

 

「ああ――そういう声も、今になって出始めている」

 

「え? なんでまた……」

 

「つい先日、出版された本があってな。難民の話を元に、帝国における人々の暮らしを綴ったものだ」

 

 魔道具の普及により、印刷技術の高いこの世界では書籍の流通も広まっていた。

 最も出版を拒もうとしただろう帝国の消滅により、無事に世へ出回ることとなったその書籍によって帝国の人々の悲惨な生活が知れ渡るにつれ、魔人となった人々に同情的な意見も出てきたのだという。

 

「それでも不安は拭いきれるものじゃないだろうがな。ただもう一つ、閣下にとっては追い風になりそうな噂も出ている」

 

「噂、ですか?」

 

「俺も王都からこっちに来る馬車で乗り合わせた、商人らしい人の会話を聞いただけなんだがな。……やけに声のでかいエルス訛りで、少しばかり胡散臭くもあったが」

 

 その時のことを思い出したように、小さく首を捻りながらアルフレッドが告げた内容にはマリア達も目を丸くしてしまった。

 

「――闇に堕ちた魔人達を、武器も持たずに説き伏せた公爵閣下の振る舞いが、まるで聖女のようだ。なんて話が現場を直接目にしたダーム王国の人々から広まりつつあるらしい」

 

 それはとかく英雄的存在に憧憬を抱く、人々の習性故にか。

 耳にした当事者が思惑を超える展開に、頭を抱えることになる事態が広まりつつあるのだった。



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飛び込みの依頼

二か月以上も更新空けてしまいましたが、寒くなってくると布団にこもりがちなダメ人間で申し訳ない……。
どうにかペース戻したいところですね、年末休みいっぱいもらいたいですが望み薄な悲しみ。


 片手が使えないこともあるが、しばらく当主としての執務は大部分をお爺様たちが代行して下さることになった。

 休養に努めろとほのめかされているのだろうけれど、昨今の情勢の中でただ惰眠を貪っているわけにもいかず、執務室で報告書に目を通し始めた矢先にやってきたのが彼。

 

「いやー大変だったみたいですなあ。まあどうにか切り抜けられたみたいで、ほっとしましたわ」

 

 仕立ての良い服を着込んだ壮年男性、商会の営業担当として領外に出ていることが多いダミアンはそんなことを言いながら、からりと笑って見せた。

 身なりはしっかりしていた方が取引相手に対して印象が良いのだとかで、頭髪も几帳面に整え、にこやかな表情を浮かべるその見た目は相変わらず好人物然としている。

 彼の出身国であるエルス訛りは敬語に直すのが面倒らしいので、大分くだけたしゃべり方を許している一人でもあった。

 

「やると言ったからにはやらないとね。そんなことより、貴方は何か言っておかなきゃならないことがあるんじゃないんですか?」

 

「たははっ、流石に耳に入っとりましたか」

 

 悪びれもせず、笑いを少し意地悪そうに歪めたダミアンにはため息が漏れそうになる。

 耳が痛い、というよりむずがゆくなってしまいそうな例の噂は既にこちらの耳にも届いていた。

 ついでに目の前の人物が行く先々で、噂を助長するかのように魔法で地方の村の災害支援などをしていた私の幼い頃のエピソードを広めていたことも把握している。

 

「勝手をしたことは申し訳ありません。けどまあ、そのぐらいは堪忍しといて下さいよ。魔人を受け入れるなんて無茶するんやったらプラスになりそうな要素はいくらあっても困らんでしょう?」

 

「それは確かに、そうだね……」

 

 言われた問題を前に考えれば、持ち上げられて恥ずかしいなんて言ってられない。

 良い評判が広まってくれるのは喜ばしいこと、ではあるのだが。

 

「それにしても聖女、かあ……どうしてあの国の人達がそんな呼び名を使うかな」

 

 噂の発端となったダーム王国は、近隣諸国の間で唯一認知されている宗教、創神教の信仰が篤い地だ。

 そして聖女とは創神教の現教皇、エカテリーナ猊下がかつて呼ばれていた二つ名でもある。

 ラルフ長官は確か創神教の敬虔な信者であったはず、彼らが軽々しく人をそんな風に呼んだりするだろうか。

 

「だからこそ、つうこともあるかもしれませんよ?」

 

「だから、というと?」

 

「なにせあの国は聖人、殉教者イースの生国ですから。閣下の行いが響くところでもあったんちゃいますかね」

 

 殉教者イースといえば、かの宗教の信徒でない私にも覚えがある。

 おおまかに言えば、王権に対して我が身を省みず、貧困層の救済を訴え続けた人物だったはず。

 

「闇に堕ちた魔人たちを前に兵も連れずに歩み寄り、説き伏せた。なーんて話、聞きようによっちゃあ感動ものでしょう。こっちも自慢のしがいがあるってもんですわ」

 

 人の悪そうな笑みを浮かべて語る様子からして、ダミアンはあの噂を積極的に広めているに違いない。

 しかし殲滅したところで気に病む人間など誰も居ないと、魔人の受け入れに消極的だった彼には迷惑もかけているので、今回は大目に見ることにしよう。

 懸念するところとしては、元聖女たる教皇猊下の反感を買ってしまわないかというところか。

 

 成り立ちに差異もあるので同じ価値観を適用するには難しいが、王室や皇室と並ぶ権威から顰蹙を買うような真似は避けたいところだ。

 

「私の評判はともかくとして、例の本で少しは民間からの理解が得られるといいんだけどね。陛下や殿下からは睨まれてしまいそうだけど」

 

 あまりにひどかった帝国民の暮らしぶりを知れば、哀れみの感情ぐらい抱けそうなものだと思える。

 特にアールスハイドは驚きの識字率ほぼ百パーセントを誇る国なので、一定の効果を期待したいところだ。

 魔人は滅ぼすべきとお考えらしい王家の方々からするなら、迷惑な話かもしれないが。

 

「ええんとちゃいますか? あちらさんだって似たような真似やろうとしてるみたいですし」

 

「似たような真似?」

 

「おや、まだご存じありませんでしたか。まあわいも王都に寄った時に業界のもんから聞いただけなんですがね、新英雄殿の物語が出版される予定らしいですよって」

 

 新英雄の本、とは。

 いやまさかと思いたいのだが。

 

「――新英雄というと、賢者マーリン様でなく、シン・ウォルフォード君の?」

 

「さいですな。王太子殿下を中心とした王家からの働きかけがあったらしいでっせ」

 

 聞き間違いであってはくれなかったらしい。

 いくら魔人討伐の功績を挙げたとはいえ、世間に現れてから一年と経たない彼の物語を書こうなどとは、気が早すぎるように感じるのだが。

 正直、シンを英雄として祭り上げるためのプロパガンダではないかと勘ぐってしまう。

 

 その物語の内に、アールスハイド王家の人間と親交を結ぶような場面が描かれでもしていたら、印象操作もはなはだしいだろうに。

 

「そこまでやるかあ……」

 

「はっはっは、王家の方々は新英雄様にも入れ込んでらっしゃるみたいですなぁ」

 

 次々とシンが活用されていく現実にこちらは気が休まらないというのに、愉快そうに笑えているダミアンが羨ましい。

 国内の人間だけが集まる場だったとはいえ、あれだけ大々的に政治利用しないと宣言したというのに、正気なのだろうか。

 それに本など出すとなれば、本人にも知らせの一つや二つ、入りそうなものだから、せめてシンの方から拒絶して欲しかった。

 

 結果はどうあれ、彼自身は自己顕示欲が高いわけではなさそうに思えたのだが。

 いや、拒絶しようと思えば容易いだろうに、流されてしまっている辺り、実際のところ彼も英雄としての評価や厚遇を悪く思っていないのかもしれない。

 

「その英雄様の部隊、アルティメット・マジシャンズでしたっけ。活動も開始したみたいですな」

 

「ああ、同盟締結に向けて周辺国を回るらしいね」

 

 こちらで投降させた魔人たちからの聞き取りで、彼らの首魁と目されていたオリベイラが目標を達成したことで無気力状態となっていることが明らかになっていた。

 その事実には王国の重鎮も驚きを隠せなかったが、スイードを襲撃したような彼から離反した魔人の脅威は未だ残っており、これを取り除くための方策は必要とされ同盟もその一環と言える。

 実際には連合とは名ばかりで、魔人問題の解決に各国が参加したという建前、本来なら単独でも解決できるアールスハイドから戦功を分け与えるための口実づくりだったか。

 

 殿下の目論見からするなら、シンの指導を受けた特殊部隊やアールスハイドが他国から脅威とみなされないためでもあるらしい。

 そもそも、政治利用してはならないシンが居なくては成立しない部隊の功績が、どうしてアールスハイドに帰属すると考えることができるのかが疑問なのだが。

 

「本当にあのお方は、言わなければバレないとでも思っているのかな」

 

「聞きました感じ、どうにも賢さと狡さの線引きに甘いところがあるみたいですな殿下は」

 

 取引において、狡猾に立ち回ることが必要とされる場面はある。

 しかし敵に対するならともかく、公平な立場の相手に対して、都合の悪い情報を隠し過ぎるのは考えものだ。

 公正さを欠いていたことが明るみになり、信用を損なえば容易く回復することはできない。

 

 そんな綱渡りを平気でやろうとしているように見えてならないので、こちらとしては実に気が気でない。

 

「まあどうか、とばっちりをもらわんよう気を付けといて下さいよ」

 

「肝に銘じておくよ」

 

 魔人対応の報告に赴いた際、体調がよろしくなかったこともあり、同盟締結に向けて動き始めた殿下らを諫めることはしなかった。

 どうにも以前の忠告は効果が見られなかったらしく、あくまで彼らは魔人の対応に自分たちアルティメット・マジシャンズが中心となってあたろうとしているらしい。

 それならそれで、こちら側も備えさせてもらうとしよう。

 

 魔人だけでなく、彼らへの対策も含めて。

 

「言うまでもなかったみたいですな。ところで魔人連中の調査は捗っとりますか?」

 

「まだまだ始めたばかりだから、進展は分からないよ。気になる?」

 

「そらそうでしょう。わいらは金を回すのが仕事なんですから、底の抜けた桶に水を貯めようなんて馬鹿はおりませんよ」

 

 魔人たちを金食い虫と言わんばかりの評価だが、あながち的外れでもない。

 最終的に投降したとはいえ、精神的に不安定な者が少なくない魔人にはそれなりの兵をつけておく必要がある。

 軽視できないぐらいには費用もかかり、分かってはいたことだが彼らの受け入れにはデメリットが大きい、が。

 

「――彼らが魔人にされたときの状況は聞き取れてる。生物を魔物化する方法については魔法というより、魔力そのものの扱いが関わるみたいだから、意外に早く確立できるかもしれないね」 

 

 当然ながら誰かを魔人化させようなどとは考えているわけではない。

 しかし周辺諸国、代表的なところで言えばカーナン王国が魔物化した羊の素材を特産品としているように、家畜などを自由に魔物化できるようになれば高価な魔物素材を扱う産業が出来上がる。

 実用化できれば今回の損失を補って余りあるぐらいの利益を叩き出せるだろう。

 

 そちらの関係で仕事が増えてしまい、忙しそうにしている研究畑の者達には申し訳ないが。

 何かしらの形で(むく)いれるようには考えておこう。

 迂闊なことを約束すると、ヒルダあたりからとんでもない要求をされてしまいそうだが。

 

「そら結果が出るのを楽しみにさせてもらえそうですな。骨折り損にはならなそうで嬉しい限りですわ」

 

「私としては余計な話を広めることを自重して欲しいんだけどね?」

 

「やることはやっとるんですから堪忍したって下さいよ。ところで閣下はしばらくお暇なんでしたっけ?」

 

 ふと思い出したようにダミアンが聞いてきたように、こちらも平時と比べれば大分に手が空いている。

 どうしてそんなことを気にするのかは良い予感がしないが、回りくどくされるのも面倒なので単刀直入に行かせてもらおう。

 

「何かして欲しいことでも?」

 

「はははっ、お見通しですか。いやなにね、この間報告させてもらった件の納品にまたクルトまで行きたいんですけど、近頃は街道も物騒でしょう? なんでしたら閣下の転移魔法で送ってもらえんかと思いまして」

 

 オリベイラが増殖させたらしき魔物が元帝国領から流れてきている影響で実際に、周辺国では輸送路で魔物と遭遇するケースが増えている。

 あまり身贔屓するのも一部の関係者から咎められそうだが、無暗に危険に晒すのも良い気はしない。

 

「いきなりクルトまで転移するのはよろしくないと思うから、本来通過する関所に話を通すなら構わないよ」

 

「そらもちろん構いませんよ。いやあ助かります」

 

「それと、お爺様から出歩くときは護衛をつけるよう厳命されてるから、行くならグリードとグランも同行すると思う」

 

「こっちはむしろ安全が増しますから、そんなん願ったり叶ったりですわ。ああでも男所帯だと閣下のお世話する人間が足らんですな」

 

 素直な気持ちを言えば、身の回りの世話ぐらい自分の手だけで事足りるが、公爵という立場を鑑みれば対外的にはよろしくない。

 侍女を連れて行けば済む話だが、かえって煩わしいというのも本音だ。

 

「世話してもらうなんて面倒なだけなんだけどね」

 

 そんなこちらの心中を見透かしたようにして、ダミアンがぴんと人差し指を立てる。

 

「そういうわけにもいかんでしょうなあ。そこで提案なんですが――世話役とはいかんでも、夏季休暇中の同行者としては適当なお方がいらっしゃいましたやろ?」

 

 



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固定観念の違い

プロットちっくなものは最後まであるのですが、書く時間捻出できない書き手で、読んでくれている皆さんには申し訳ありません。
あんまり更新遅すぎるのも問題なので、なんとか今回を機にペース戻していきたいですね……。


 ダミアンからの頼みを受け、旅支度を済ませた翌日にはクルトへ到着していた。

 いくら高い魔力制御が必要とされるとはいえ、転移によるこの移動方法が知れ渡れば『転移門』的な魔道具の製作を望む声が上がりそうなものだ。

 もちろんそんな便利に過ぎるものを実用化しようものなら、悪用対策をはじめ考えなければならない問題も山積みになるので、今から頭が痛い。

 

 近隣諸国の中でも随一の農地面積を有し、過分なまでの食料自給率を誇るこの国では、王都の周辺にまで広大な穀倉地帯が広がっている。

 この国の人々は一体どれだけ農業に入れ込んでいるのかと、気になって仕方がない光景を横目にしながら王都入りを済ませ、依頼の品を届けに向かったのはこちらにも進出しているマーシァ商会の店舗。

 そうして今、立ち会うことになった商会前の広場で催されているイベント風景を眺めていた。

 

「客入りは上々なようですなあ。結構結構」

 

 ほくほく顔でダミアンが言うようにこのイベント、マーシァ工房製農機の展示会は盛況なようで、来場者が溢れかえっていた。

 どうしてそんな需要があるのかといえば、この地は広大な農地を有するだけに、それの整備、収穫にとても人力だけでは追いつかないことがある。

 過去に導師メリダ様が農業関連の魔道具を多数開発したことで、クルトは農地に見合うだけの収穫量を収めることができるようになった。

 

 そんな歴史あって、この国の人々は賢者様よりも導師様を敬う精神が根強いのだとか。

 それだけに、この地に流通している魔道具はメリダ様開発の魔道具、かつて氏の弟子だったというエルス自由商業国の大統領が販売権利の大部分を譲り受けたものがほとんどであったはずだが。

 

「よくこれだけ人が集まったね。この国でうちの魔道具を広めるのは難しいと思ってたのに」

 

「そこは地道な草の根活動ですよ。それにあの方も引退されて長いやさかい、なんもかんも導師様の魔道具頼りじゃあ行き届かんところも出てくるもんですって」

 

 聞けばクルトでの販路開拓は以前から進めていたらしい。

 導師様開発の魔道具を使うことではなく、魔道具を生活に役立てるという教えを活かすことこそが、かのお方の意を汲むことなのだと意識改革のセミナーも定期的に開いていたのだとか。

 メリダ様とは一度しかお話ししたことは無いが、その辺りの思想については見誤っていないだろう。

 

 なによりダミアンの言うことももっともだ。

 導師様が発明した魔道具は人々の生活環境を格段に向上させたが、それが始まったのはもう何十年と前の話。

 それを参考にもっと生活を便利にする魔道具がいくらでも開発されていておかしくはないというのに、領外における魔道具性能の更新は鈍い傾向が見られる。

 

 技術の基盤となる概念が異なっているとはいえ、前世と比べれば驚くべき進歩の遅さだ。

 偉大な発明者を敬うあまり、その技術を改変するためらいが、守破離の過程を妨げてでもいるのかもしれない。

 いつぞやの替え刃剣でも思い知らされたが、この世界の人々は物事に対する着想が随分とずれているように思う。

 

 ――いや、この場合ずれているのは自分の方なのだろうか。

 

「上手い事いったら、エルスの連中の悔しがる顔が目に浮かびますわ」

 

 こっそりと人の悪そうな笑みを浮かべるダミアンにため息で返しておく。

 彼の事業が上手くいった時、需要を大きく奪われることになる、かの商業国は結果的に損害を被るわけだ。

 導師様の魔道具という商権の上に胡坐をかき過ぎたツケが回ってきたとも言えるが。

 

 あの国の商人は利益に敏い、悪く言えば金にがめつい面がある。

 それ自体は咎められることではないが、大国と言えるまで発展した現在、その利権を拡大しようとする動きにいささか横暴さが目立つようになっていた。

 そんな風潮に嫌気がさして国を出てきたという、ダミアンからすればいい気味ぐらいに思っているのかもしれない。

 

 まあ私としても、インサイダーめいたやり口もためらわないあの国の現状は好ましく思わないので、この件に関しては存分に彼の背を押させてもらおう。

 

「……うん?」

 

 そこでなにやら街の方から騒がしい気配が伝わってきた。

 耳をすますといくつもの歓声が聞こえ、物騒な事件が起きているというわけではなさそうだが。

 

「何かあったのかしら?」

 

「みたいね。でもこの感じ、なんだか最近よく覚えがあるような気がするのよね……」

 

 騒動らしきものに気づいたミランダの疑問に応じたマリアが首を傾げている。

 ダミアンが同行者にと勧めてきたのがこの二人だったが、確かにこの時期の連れとしては物々しくなくて助かる。

 思えば折角の夏季休暇だというのに彼女たちも訓練続き、この機会に少しは羽を伸ばして欲しいものだ。

 

 それはさておき街の喧騒だが、マリアと同じように私にも覚えがある気配を醸し出している。

 まるでアールスハイドで街を歩く新英雄たる()のことを人々が囃し立てているときのような。

 思い当たると同時に嫌な予感がよぎった直後、展示会の広場前を駆け走り横切ろうとした集団が足を止める。

 

 騒ぎが起きていた方角から走ってきたらしいその面々は、見知ったこちらの顔に気づいたようにして「あっ」と声を漏らしていた。

 

「……彼らの行動も捕捉しておくんだったな」

 

 聞こえないようぽつりと嘆くも遅い。

 彼ら、アルティメット・マジシャンズらの表情には、良い避難先を見つけたとはっきり書かれているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らは同盟締結の為に諸国を回っているという話だったが、移動には例の飛行魔法を使っているらしく、想定以上のペースで国々を回れているようだ。

 他国の特殊部隊が察知もされずに国境をほいほいと行き来している、そんな事実は警戒心を抱かれてもおかしくなさそうだったが、今のところ魔人へ対抗するために動いているアールスハイドには、どの国家からも好印象が得られているらしい。

 より明確な脅威である魔人の存在があることで気にならなくなっているのかもしれないが、それほどアールスハイドの信用は篤かっただろうか。

 

 他人事のように考えるのもなんだが、どの国でも賢者様がたの人気はすさまじいものがあるので、かの方々の出身国であることも手伝っているのかもしれない。

 ともあれ国家首脳部との交渉は王子殿下が担当し、残るメンバーはその間に訪れた街を観光し時間を潰していたらしい。

 そんな最中に彼らの同行者、アウグスト殿下の妹君であらせられるメイ・フォン・アールスハイド王女殿下が、シンが賢者の孫であるということを公衆の面前でうっかり発言してしまったばかりに、この国にも多数いる賢者ファンから追いかけ回されていたのだと。

 

「……どうしたものかな、これ」

 

 まだ多くの人々に敵対的な魔人が残っている状況で、王家の要人がこうも簡単に国外を出歩くとは。

 王女殿下は賢者様がたからも魔法の指導を受け、かなりの素質を認められていると聞くが、それでも戦闘員として数えるわけにはいかないだろう。

 それでも安全だと信じられるほど、シン達はアールスハイド首脳部から信頼を受けているというのか。

 

 ……受けているんだろうな、きっと。

 

 黄昏れてしまいそうになるのを抑えつつ、胸の内のわだかまりから意識を背け、会場裏に引き入れたマジシャンズメンバーと向き合う。

 

「いやー助かったよ。まさかターナさんとこんなところで会うなんて」

 

「メイ様、反省」

 

「うう……ごめんなさいです」

 

 客の多かった展示会にまぎれ、追っかけ集団を撒くことが出来たシン達。

 最後に王城で会ったときはあまり良い雰囲気でなかった筈だが、あっけらかんと笑ってみせているアリス辺りは流石というべきか。

 リンに迂闊な行動を注意されうなだれているメイ様は彼らと殿下同様の付き合いをされているのか、随分と気安い関係を築いているようだ。

 

「お助け頂き感謝申し上げますわ。それにしてもターナ様もこの国にいらしていたなんて。……それに爵位を継がれたのでしたね、これまでのようにはいきませんが、どうぞ良しなに為さって下さると嬉しく思います」

 

「こちらこそ。エリザベート嬢におかれましては、お変わりないようで何よりです」

 

 丁寧な礼をとってみせたエリザベートにこちらも礼を返す。

 家柄が同じ公爵家ということもあって、彼女とは以前から面識があり見知らぬ仲ではない。

 名家の生まれだけあって、彼女は実に礼儀正しい貴族として模範的な令嬢だ。

 

 ……基本的には。

 

「王女殿下にエリザベート嬢もアルティメットマジシャンズの皆さんに同行されていたのですね」

 

「会談の方はアウグスト様にお任せするのが一番でしょうから。既にダームとカーナンでは了承を得られたようですし、こちらでもきっと上手く話をまとめられることでしょう」

 

 会談に対して特にサポートをするつもりも無いらしい様子を見ると、彼女たちの同行は未来のファーストレディーとして経験を積むとかいった狙いもなく、ただ物見遊山に出たかっただけらしい。

 殿下がシン達との交流にかまけ、婚約者である彼女との交流を疎かにしていたせいもあるのだろうが、護衛対象として負担となるというのに同行をいとわないあたりなかなか豪胆だ。

 こういった殿下が絡むと見境を無くしてしまうところがこの令嬢の困ったところでもある。

 

 野次馬をやり過ごせたのなら厄介事の種にしかならなさそうな彼らにはさっさとお引き取り願いたかったのだが、展示会に並ぶ魔道具の品々がシンやユーリの興味を引いてしまっているらしい。

 

「はぁ~、王都の魔道具屋じゃあ見かけないものばっかりねぇ」

 

「この国じゃ婆ちゃんが開発した魔道具が主流って聞いてたけど、この辺りに並んでるのもそうなのか?」

 

「ううん、デザインの趣が全然違うみたいだし、マーシァ工房のオリジナルじゃないかしらぁ」

 

 農機を観察しながら意見を交わすシンらの後ろで、二人の接近が気になるようにシシリーがそわそわと気揉みしている。

 シンとユーリは純粋に魔道具が気になっているだけのようだが、それでもあんな態度を表に出してしまう辺り、なかなか嫉妬心の強い方なのかもしれない。

 

「こっちはまさかトラク――牽引の魔道具? こんなものまでもうあるのか……」

 

「……? ()()って、もしかしたらウォルフォード君もこういう魔道具つくろうとしてたの?」

 

「えっ? あっ……そうそう、けど俺どんな農業系の魔道具があるか知らなかったからさ。いやー参考になるよ。ははは」

 

 何やら口を滑らせたところをユーリに指摘され、誤魔化すように笑うシンの姿が見える。

 

 これだけ農耕に力を入れている国があるのだ、とても人力だけでその整備をすべて賄えるわけもなく、この世界でも馬に曳かせる農業(すき)ぐらい発明されている。

 その動力を魔道具に代替させようという発想は私が何か言うまでもなく、環境を整えるだけで開発部の方から発案された。

 ただ今でこそ『農具を牽引するモノ』という観念に縛られているが、トラクターなんて大枠は自動車と変わりない。

 

 いくらこの世界でも、乗り回す内に『移動用の乗り物にしたら便利じゃね?』ぐらい考える人はいくらでも出てくるだろう。

 民間に普及させてしまえば経済効果も期待できるが、某吸血鬼の方が嘆いたように広め過ぎると損なわれる利便性もある。

 それに絡んだ利権が出来上がってしまう前に出来れば法整備と規制を済ませておきたい――とかいう懸念はさておき。

 

「そういえば賢者様のお孫様も商会を立ち上げなさるとか。どんな代物扱われるんでしょうなあ」

 

「それは本当に気になるね……」

 

 ダミアンの囁きは私にとっても切実に気になるところだ。

 以前にマリアから聞いた話では、王国にあるシンの暮らす邸宅には彼による発明らしい魔道具のトイレ設備があったという。

 その便利機能というのが、動作から何から前世でいうウォッシュ〇ットそのままだったのには色んな意味で驚かされた。

 

 おそらく私と同じ、前世の記憶を持つのだろう彼が、たまたま便座メーカーの人間でその構造を把握していたという可能性も無くは無い。

 けれどもし『こんな風に動いて良い感じに水で洗ってくれる』みたいなふわっとしたイメージだけで魔道具の付与を成立させていたら。

 科学技術が発達した世界の家電製品の数々、それらを彼はあっさりと模倣できてしまいかねない。

 

 それらが商品として売りに出されれば、扱う商会はさぞかし繁盛することだろう。

 この世界において、一切法に触れるようなことはないし、人々の生活を豊かにすることでもある。

 ただ私の感性からするなら、人々が積み重ねてきた知恵と努力の上澄みを掠め取るような行為のような気がして躊躇ってしまう。

 

 そんな私も魔道具の開発環境に前世の知識を一切利用していないわけではないので、想像通りのことをシンがやったとしても明け透けに批難できないのだが。

 このもやついた感情を振り切ることはなかなか出来そうになかった。

 

「参考っていうなら、やっぱりウォルフォード君もメリダ様みたいな魔道具を開発していくの?」

 

「そうだな……やっぱり俺も作るなら婆ちゃんみたいに、生活を楽にする魔道具を造っていきたいよ」

 

「ふふ──シン君はやっぱりシン君なんですね」

 

 将来の展望を語り合っているシン達だが、その計画が滞りなく運べば数段飛ばした世代の商品をぶちこまれた市場も大いに乱れることだろう。

 ウチでも新製品の公開時には注意していることだが、彼の商会がその辺り上手く周囲と擦り合わせできるかどうか。

 既得権益をごっそり奪われて、失業者が大量に出たりとか、技術の継承が途絶えたりだとか、しなければいいが。 

 

「私もメリダ様に憧れる身として負けてられないけど、シン君相手だと先が思いやられそうねぇ……新しい魔道具の構想とか浮かんじゃったりしてる?」

 

「もう畑仕事の魔道具は結構あるみたいだし、俺ならそれで汚れた服なんかを洗う……そう、全自動で洗濯してくれる魔道具なんてどうかな?」

 

「――いいと思います! そんな魔道具があったらきっと色んなお屋敷や家庭でも楽になりますよ」

 

「勝手に洗濯してくれるってことぉ? それは確かに……?」

 

 またも出所が前世環境らしきシンの思いつきに、感動を示すシシリーだったが、ユーリの方はすぐに釈然としない思いを抱えたようにして首を傾げてしまう。

 

「あ、あれ? なんかまずかったかな」

 

「ううん……でも、よく考えたらそれって、さっき見かけたあれに……」

 

 言葉を濁しながらユーリが視線を動かした先には、農機とは別のコーナーに陳列された魔道具――衣類にも対応した汚れ落としの清浄機が並んでいた。

 つられるようにしてその魔道具の説明書きを黙読したシンが、驚きに目を瞠る。

 

「洗いもせずに汚れだけを落として綺麗な状態にしてくれるって……そんなこと出来るの!?」

 

 開発元の人間であるこちらに問うようにして、そんな驚いたままの顔を向けてきていたが、こちらとしては何を今更としか思えない。

 国王陛下は彼が皆の固定観念を吹き飛ばしてくれるだろうなどと口にされていたが、どうやら彼自身が悪い意味でも前世の固定観念に縛られているようだ。

 

「ウォルフォード君……魔法学院の制服にかけられている付与はご存じですね?」

 

「制服に? ええっと、元々かかってたのは確か……『魔法防御』、『衝撃緩和』にあとは『防汚』――あ」

 

 口にしてようやく思い当たったように、口を丸くしている。

 そう、とっくに付着した汚れのみに干渉できる魔法は、私や彼が口を出すまでもなくこの世に広まっているのだ。

 商品化には多少アレンジが必要となるにしても、後はその魔法の影響先を変えてやるだけで、洗濯など手間いらずになる。

 

「なるほど『防汚』。言われてみれば、今までどうしてこんな発想をだれもしなかったのかって気にさせられるわねぇ」

 

「そっか……服を綺麗にするなら洗濯って先入観持っちゃってたなー俺も」

 

「シン君でもそんなことがあるんですね……」

 

 しみじみとシン達が語り合う中、一連の流れに訝しむような目つきをしたダミアンがこちらにだけ聞こえるように囁いていた。

 

「魔法の第一人者みたいなお方にしては、えらい回りくどい考え方されますなあ」

 

 考えた方の土台が魔法ではなく、科学文明に依っているせいだろうが。

 本当にこんな発想をする孫に疑問をろくに持たない辺り、賢者様や導師様級の思考が不思議で仕方ない。

 賢者様といえば、いい加減に彼らの追っかけも諦めたことだろうし、魔道具も見終わったのならお引き取り願いたかったが。

 

「――っ!?」

 

 一帯に響き渡る警鐘の音。

 非常事態を報せるその状況に、場の人間が一斉に顔つきを険しくする。

 次いで、クルト城門の方から馬で駆けて来た兵士の上げた叫びに、一層皆の警戒は深まる。

 

「緊急警報発令! 魔人が襲来した! 民間人は速やかに避難せよ! 繰り返す――」

 

「魔人? この国にまで……」

 

 とびきりの非常事態に驚かされるが、シン達が居合わせているこの日に、魔人が襲来したという。

 ただの偶然と片付けるには、不審を抱かざるを得ない状況が目の前で起こっていた。

 

 



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