チートで転生!イレギュラーくん (Colore)
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標的I 転生者来る!

 この世には夢とロマンに溢れた作品が数多く存在する。男のロマンを描く熱い漫画や、とんでもない未来を予想するSF作品、そんな世界に憧れて自己投影したキャラクターを冒険の世界へ送り込む小説。起こり得ないからこそ、人々は渇望し手を伸ばす。

 そういった人々は多く存在し、現代日本に生まれた俺もまた、その一人であることは否定できない。特別異世界転生が好きなわけでもないし、異世界転移が自分の身に降りかかったなら、小心者である俺は足をすくませ身動きの取れないまま死ぬ予感がする。なのに、面白いと思った作品は異世界転生に集中してしまうのが俺の性格で、日常を非日常にする憧れは心の奥底に深く存在した。

 その憧れを実現させる機会は突然降りかかってくるもので、風呂に入っていた俺は突然の頭痛に襲われた。頭が痛くて痛くて締め付けられ吐き気を催し、視界は段々と赤く染まり何も見えなくなっていく。痛みで呼吸は速くなり心拍数も上昇する。何とかして助けを呼ぼうとするが、助からないのは心のどこかで分かっていた。それでも痛みから逃れようと必死にもがいて脱衣所に這い蹲る。もう既に視界は赤く染まり何も見ることはなかった。痛い、痛い、死角を奪われたために更に酷くなる頭痛は、人生をまともに平凡に生きてきた中で最も苦しい拷問だった。俺が何をしたと、世界を呪う。死ぬ間際は脳内麻薬で痛みを感じないと、どこかで聞いた覚えがある。なのにどうしてこんなに痛いんだ、全くの嘘じゃないか。畜生。まだ見てないアニメも、やってないゲームも沢山あるのに。何で俺が。何で。痛い。苦しい。痛い。

 徐々に精神を可笑しくさせて、最後に聞こえたのはばあちゃんの叫び声だった。この時は既に痛みしか感じない。死ぬのはあまりにも怖すぎて、人生のすべてを凌駕するほどの恐怖で。この世界を呪いながら俺の短い人生は幕を閉じた。18歳だった。

 

 

 

 俺が前世の記憶を取り戻したのは物心がついた直後だった。膨大な記憶に熱を出した俺は1週間ほど寝込み、18年を約168時間で経験した。やっと現実の世界で目を覚ました俺は既に前世の人格と融合していて、それ以前の人格はどこかへ消えてしまったらしい。それほど衝撃的な記憶だった。

 起きた直後は混乱し、死への恐怖に歩くこともままならないほどだった。死というのはあまりにも怖い。いつ唐突に襲ってくるか分からない。今の両親へ怖い怖いと泣きながら抱きついて、必死に安心を得ようとして、今生へ縋りついた。

 ようやく幼稚園へ通えるようになったのは、それから1ヵ月後のことだった。精神が18歳で幼稚園へ通うという違和感を何とか押し殺し、前世で後悔したことは今生で全部やってやろうと思った。俺の決意は、さながら異世界転生主人公だ。

 所謂現世転生で、俺の住んでいる"ナミモリ"という地名には全く意識を向けずに生活していたある日、幼稚園の隅で虐められている男の子を見かけた。明るい茶髪に、大きな瞳。どこかで見たことある容貌だなと思いつつ、余計なことに関わりたくない俺はそのいじめを静観していた。お遊戯タイム終了のチャイムが鳴り、いじめっ子たちはそそくさと教室に戻る中、男の子は暫く泣いたままその場を離れなかった。その様子に声をかけようとも思ったが、時間に遅れると面倒くさいので放置し無視を決め込んだ。

 退屈な幼稚園の一日が終わると、今度は集団退園が待っている。多くの子供は集団退園で家まで帰るのだが、一部の子供はそのまま園に残り保護者が迎えに来るのを待つ。俺は普段は集団退園で変えるのだが、今日は親がたまたま用事が入ってしまい、迎えに来るまでじっと待つことになった。虐められ泣いていたあの男の子もまたその一人で、寂しげな表情でじっと遊ぶこともなく保護者を待っている。

 暫くして現れたのは初老のおじいさんだった。優しげな瞳に、真っ白な髪の毛。掘りが深く、どう見ても日本人には見えない涼しげなおじいさんはにっこりと微笑んだ。

「おじいちゃん!」

 静かだったクラスに大きな声が響く。明るく声を発したのはあの男の子だった。男の子が小走りに駆け寄って、何度か転んでやっとおじいさんの元へ辿り着くと、おじいさんは「綱吉」と優しげに声をかけて男の子を抱き上げた。

 綱吉、その名は徳川将軍の一人で、15代目の元服名。しかしそれ以上にしっくりと馴染む男の子は、紛れもなく漫画の主人公沢田綱吉そのものだった。俺が目を見開いたのも知らぬまま、二人は楽しそうに家に帰っていく。

 その後、俺の母親が迎えに来て俺も家に帰ったが、眠るまでずっと落ち着かないまま過ごした。

 沢田綱吉がいるこの"ナミモリ"は並盛であり、リボーンの世界のメイン舞台である。多くの人が行き交う並盛商店街に、いずれ多くのマフィア幹部が入院を繰り返すことになる並盛病院、今は大人しいがいずれ不良校としてその名を轟かせる並盛中学校。今入ってきたチラシには、隣町黒曜の大施設、黒曜ランドの宣伝が大きく描かれている。この世界が漫画の世界であると確信するのに、そう時間は掛からなかった。

 俺は物語の主人公ではなかった。まず始めの衝撃はそんなどうでも良いことだった。前世だって主人公じゃない、そんな事は分かりきったことだったのに。どこか転生というだけで慢心していたらしいことを今になって理解する。

 その次の衝撃は、俺が主人公の側で生活している事実だった。つまり、俺が大胆に動けば俺は物語に介入し、マフィアとしての非日常を手に入れることが出来る。ぬか喜びしたのもつかの間、もう一つ大きな問題に直面した。俺はただの一般人で、家系も普通、能力も普通、特徴があるわけでもなく、このまま沢田綱吉に考えもなく接触したら俺は間違いなく死ぬ。

 そう頭で考えたら、克服したと思っていた死への恐怖が再び蘇る。死にたくない。前世のように何も出来ずに死ぬなんて絶対にいやだ。両手で身体を抱きしめ何とか震えを止めようとする。死にたくない。落ち着かなきゃ。呼吸を調整して、何とか震えを抑えるが、死への恐怖は精神に深く刻み込まれている。考えを変えなきゃ。死にたくない。なら死ななきゃ良い。

 

 今から、何かできることはあるだろう。

 

 そんな時、ふと誰かの顔が頭を過ぎる。真っ白な髪で、沢田綱吉にも似たシルエットを持った男。前世で好きだったキャラクター。誰だったか、どんな容姿だったか思い出せないが、この世界に間違いなく彼は存在する。俺が男の心で惚れたキャラクター。

 彼に会うまで、俺は絶対に死ねないし、死なない。そう決意すると、手から暖かなぬくもりを感じて見やった。特に変な様子はない。ただ、暖かくて、何か血液以外の存在を感じることが出来た。

 思い出したのは死ぬ気の炎。俺にも炎の能力はあるはずで。しかしその命の炎を灯すには、死ぬ気の覚悟を強くイメージしなければならない。死への恐怖心がある俺にそんな事が出来るのかと失笑するが、死なない可能性が増えるなら、どんなことでもしたかった。一度死を体験した俺は、誰よりも死が怖いが、誰よりも強い耐性を持つこともまた可能だと思っていた。

 俺の死ぬ気の決意。男の意地。俺は彼についていきたかった。この身を挺してでも寂しそうな彼を救いたいと心から願った。誰よりも強く、必死に生きてきたが、人の温かさを無視したまま孤独になった男。彼の強さと冷酷さと、内に秘めるどこか弱いところにたまらなく惚れてしまった。その後の決意した表情も大好きだった。俺は彼のためだったら死んでも構わない。

 しかし彼の側にいられるようになるまでは絶対に死ねない。死に切れない。俺は死ぬ気で、彼に従う。

 

 俺は心の底から強く決意して、小さな拳に全神経を集中させた。



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標的II ボンゴレ九世来る!

 一瞬、たった一瞬だったが、その拳に小さな炎が灯ったような気がした。

 

 暖かさを覚えた拳は、力を混めた事でドクドクと細かく鼓動してるのが良く分かる。憤怒の炎を灯すザンザスなどは、生まれながらにしてその手に炎を宿すことが出来たというのは覚えていて、試そうと思ったが結果は上手くいかない。それはそうだ、自分は転生者といえど、別に精神に異常があるわけでも家庭環境に問題があるわけでもない。憤怒の炎をこの身に宿すことは出来ないのは明白だった。

 それでも、僅かなものだったとはいえ炎を感じられるのは大きかった。リングや石などの出力装置がない上に、恐らく覚悟の量も足りていないのだとはいえ、炎が灯ったのは幸先が良いと思わずにはいられない。座り込んでいた身を更に屈めて、喜びに震える。

 そのとき子供部屋の様子を見に来た母親に心配されたので、今日はこのまま普段どおりに過ごし寝ることにした。明日から、明日からは覚悟を研ぐ訓練を始めよう。炎を出すという負荷を経験した体は異様にだるく、眠りに落ちるのもそう時間は掛からなかった。

 

 

 

 朝、目覚まし時計の音と共に目を覚ます。身体の疲れはすっかり取れ、朝日も、窓を開けた際に入り込む涼しい風も、穏やかに流れる雲も何もかもが素晴らしく感じられる。こんな素晴らしいポテンシャルは久々だと少しはしゃいで、階段から転げ落ちてしまったのは自分だけの秘密にする。

 今生の母親は、前世の母親とは違った味の料理を出すが、味は絶品でどんなに落ち込んでいても元気をもらえる。母親の笑顔も素敵で、身内贔屓ではあるが、どんな女優も敵わないほど美しい女性だと思う。そのことを一点の曇りも無く伝えると、母親は困ったように、でもとても嬉しそうにお礼を返すのが、また素敵な女性であることが伺える一つの長所だ。

 母親の優しい笑みを背に、今日も幼稚園へと向かって暇な授業を受ける。鍵盤ハーモニカなど使ったのは一体いつ振りだろうか。スカスカと軽い手触りに懐かしさを覚えつつ、さいたさいたを演奏する。

 突如、耳を劈くような酷い音が教室を覆った。その音の発信源は、同じクラスの沢田綱吉。どうやら運動、勉強だけでなく、直感で動かすものにも少々難があるようだった。時期ボンゴレ候補であんなにかっこよく活躍するのが印象的だったので、本当にこのままあの未来が訪れるのかと不安になる。

 

「綱吉くん、息はゆっくり吹こうね」

 

 若い女性の先生が丁寧に綱吉に教えて、音自体は酷いものだったが、それでも何とか音量は抑えられるようになったらしい。要領が悪いとはいえ、言われたことをゆっくり反復練習すれば相応のものになるようだ。

 泣きそうになりながら何度も何度も練習して、ようやくさいたさいたが吹ける様になった綱吉は、心の底から嬉しそうに笑った。その笑みに心を揺さぶられる。きっとあの笑みが、大空でたる理由なのだと思う。

 先生が他の園児を見に行ってから、俺はこっそりと綱吉の側へ近寄る。

 

「綱吉くん」

 

 俺がそう声をかけると、綱吉は大きく身体を振るわせ、警戒するようにこちらを見やった。未だ薄く涙を浮かべる大きな瞳に、蛍光灯の光がキラキラと反射してガラスのように透き通って見える。澄み渡り、素直な性格だと分かる瞳は、好意を覚えるのに十分だった。

 

「何? 俊夫(としお)くん」

 

 以外にも俺の名前を覚えていた綱吉に驚きつつ、微笑んで隣に座る。幼い綱吉は少し身を引いただけで、逃げることはしなかった。

 

「……俺と友達になろ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 本当はもっと気の聞いた話がしたかったが、本人を前にするとどうにも緊張してらしからぬ言葉を使ってしまった。今まで適当に会話して友達になってきたばかりに、こうして何か考えて友達になろうとすると難しい。しかし、そんな言葉でも綱吉は嬉しかったようで、瞳に溜まった涙を手で乱暴に拭い去り、明るい太陽の様に笑って俺に頷いた。

 

「うん」

 

 それが、俺たちが友達になったきっかけだった。

 

 綱吉を虐めていた男の子たちも、俺が隣にいると手を出しづらいのかこの日は近寄ってこなかった。綱吉は初めて出来た友達――綱吉から言われたのでそう思っているが、実際は良く分からない――が嬉しかったのか、俺の側を離れずにずっと話しかけてきていた。

 子供ながらの良く分からない話だったが、ロボットが大好きで言葉足らずに話すのはとても同意できたので馬が合うようだった。俺も昔から戦隊ヒーローや、ロボット物のアニメが大好きだった。綱吉と意気投合して、俺たちは退園までずっと話し合った。

 今日も俺は保護者待ちで、綱吉も同様だったので、語らいはどちらかの保護者が現れるまで存分に続いた。珍しく興奮する綱吉と俺を見た先生は驚いていたが、嬉しそうに笑い様子をじっと見ているだけだった。

 お迎えが来ましたよ、と先生が告げ二人で顔を上げると、先日のおじいさんと俺の母親が同時に来たらしい。綱吉は俺の手を引いて玄関まで駆けていった。

 

「綱吉くん、お帰り」

「ただいまおじいちゃん!」

 

 仲良く笑いながら抱きしめあう二人を視界の端に、俺は母親の前に立った。俺と一緒に現れた綱吉の関係を察して、母親が特上の笑みをこぼすと俺の頭をなでてくれた。どうしようも無く気持ちよくて、自然と顔が綻ぶ。

 

「お友達できたんだね、良かった」

「うん」

 

 少し照れ気味に答えると、気持ちを察した母親が面白そうに笑う。吊られて俺も笑って、クスクスと小さな合唱が始まった。

 そんな笑い声を聞いてようやく俺の事を思い出したのか、おじいさんに抱きしめられたまま綱吉は俺の方を指差してにっこり笑った。

 

「おじいちゃん! 友達の俊夫くん!」

「そうか。そうか。初めまして、俊夫くん」

「初めまして、田中俊夫です」

「もうしっかり挨拶ができるんだね。えらいよ」

 

 褒められながら差し出されたシワの深い手に自分の小さな手を乗せ、握手を交わす。おじいさんの手は暖かく、厳ついがとても優しい手なのが印象的だった。

 

「今日は俊夫くんとも一緒に遊びたい! 家に連れてったらダメ?」

「私は構わないよ。でも、俊夫くんの家にも俊夫くんの家の都合があるからね。ちゃんと自分で聞いてきなさい」

「うん」

 

 自分の知らない話を他所に会話を進める綱吉とおじいさん。綱吉の家に行くなんて聞いてないが、もし遊びに行けるのであれば行ってみたい気持ちは大いにある。というのも、あのボンゴレ十代目が誕生した家だ、オタクでいう聖地巡礼に他ならない。気にならないといえば嘘になるだろう。

 おじいさんの腕の中からゆっくりと立ち上がった綱吉は、俺の前に駆け寄ってきて、少し恥ずかしそうにはにかみながらこちらを伺った。

 

「俊夫くん、今日遊べる?」

「……お母さん」

「いいわよ。思う存分遊んできなさい」

 

 女神のような微笑で許可を出した母親に見ほれながら、俺は再び綱吉に向き直る。心底嬉しそうにはしゃぎまわる綱吉に手を取られ、俺も一緒に幼稚園の下駄箱前でくるくる踊った。へんてこりんな踊りではあるが、嬉しさを表現するのにこれ以上のらしさは必要ない。

 

「田中さん、綱吉くんの家は並盛町の……あぁ地図がありました。この辺りで」

「あら、私の家もこの辺りなんです。ご近所ですね」

「えぇ、細かく言えばこの辺りで……田中さんの家を過ぎたあたりですね。時間になったら私が責任を持って俊夫くんを家までお送りします」

「本当ですか? では、預けさせていただきますね。ウチの俊夫を、よろしくお願いします」

 

 丁寧に頭を下げた母親を見て、俺も一緒になって頭を下げる。おじいさんが悪い人ではないのは、母親も分かったらしい。頭を下げる俺たち親子におじいさんは優しく声をかけ、途中まで一緒に帰ることになった。

 帰り道の綱吉はおじいさんの上に乗ることもなく、俺と肩を合わせてロボット談義に熱中している。俺も熱中していて、同中の保護者の会話についてはよく覚えていない。唯一覚えているのは、帰り際に俺の家で母親を見送る際、母親が嬉しそうに涙を溜めていたことだけだった。

 

 綱吉の家は一軒家で、庭もあって、結構広く感じた。それは俺が小さな身体だからかもしれないが、それにしても庭の余裕が凄かった。そういえば駐車場はないんだなと思いつつ、使う人もいないからこそのこの広さなのかとも思う。

 綱吉に手を引かれ玄関を潜ると、サラサラのショートカット美人な女性が立っていた。綱吉のお母さんだという。初めて肉眼で見た綱吉のお母さんはとても綺麗で、ウチの母親とタメを張るんじゃないかというレベルだ。

 そして居間からひょっこりと厳つそうなおじさんが出てくる。綱吉のお父さんだそうだ。初めてつれてきたのだという綱吉の友達、つまり俺を抱きしめてぐりぐりしてくるのは些か距離感に問題がある気はする。

 

 綱吉はとても愛に溢れた生活をしているようだった。

 

 おじいさんが綱吉のお父さんを制止して、ようやく俺が離れられると、綱吉はおもちゃを持って俺を引っ張った。おもちゃの箱の中には小さな車や、変形合体ロボ、大き目のはしご車など、男の子らしいおもちゃがたくさん詰まっている。思い切り童心に返った俺は全力でおもちゃで遊び、めちゃめちゃに散らかした後は全力で片付けた。時間はもう4時ごろで、小腹が空いてきたのを知っているのか、綱吉のお母さんがメロンを切ってくれたので、みんなで食べる。

 時々、綱吉を除いた全員からの暖かい眼差しを分かってしまって、こそばゆい不思議な感覚を覚えた。

 お腹も満たされた綱吉は、疲れてしまったのかいつの間にか寝てしまった。ご両親曰く、こんなに綱吉がはしゃいだのは久々だったらしい。それを聞いて俺も嬉しく思う。小さい子供が元気にはしゃぎまわるのは良いことだと、昔から思っていた。

 綱吉を軽くみやってから、縁側に座っているおじいさんの隣へ腰を下ろす。おじいさんは何か分かってる風に、だが何も言わずに俺の事を眺めていた。

 

「綱吉くんにこんなに素敵なお友達が出来て、私はとても嬉しいよ」

 

 おじいさんは軽く吹いた風に乗せて飛ばすように囁く。どこか遠いところを見つめて、夕暮れの赤く染まり始めた空を見上げていた。

 

「俺と綱吉は、今日初めて話して友達になったんです。不思議と話が楽しくて、ずっと友達だったみたいな気持ちがします」

 

 子供らしさを忘れないように言葉を気をつけつつ、俺も遠いところを見つめて独り言の様に言葉を返す。きっと、おじいさんにはこんな小芝居したところで無駄なのはわかっているが、それでも俺は今は子供なので、年相応を心がける。

 

「綱吉くんはそういう子だ。これからも仲良くしてあげて欲しい」

「……はい」

「きっと、これから沢山のことが降りかかるだろうから、友達でいてあげて欲しい」

「はい」

 

 未来のことがなんとなく分かっているのであろうおじいさん――否、現ボンゴレボスIX世は切実に、懇願するように俺に囁く。俺はそれに応えられるだけの自信は、本当は無い。俺はもしかしたらこの先、未来で、綱吉を裏切る可能性だってある。俺の目的のために。きっと、それもIX世は分かっていて、俺に頼んでいるのだと思う。

 俺は、綱吉がマフィアになるまでは側にいて、心が挫けないように支えてあげたい。この純粋な彼が、俺が存在することにより大きないじめにあう可能性だって捨てきれない。自分に言い訳をして、俺は心の中でIX世に誓いを立てた。

 IXはそれを了承したように、静かに目を閉じて、俺も真似して風を楽しむように意識を逸らす。

 背後から視線を感じるのは誰だろう、と出来うる限り予備動作をなくして振り返ると、一瞬だけ真剣なまなざしを宿した綱吉のお父さん――現ボンゴレ門外顧問ボス沢田家光――が俺を見ていたからだった。気にしないようにして、時計を見やる。そろそろ帰る時間だろう。

 

「さ、俊夫くん、そろそろお家へ帰る時間よ」

「はい」

「綱吉も……」

「起こさないであげてください。俺たち、明日も幼稚園で会いますし!」

「分かったわ。おとうさーん! 俊夫くんを送ってあげて!」

 

 綱吉のお母さん――コレからは奈々さんと呼ぶことにする――が大きな声で声をかけると、少し重たい音を立てながら何かが動く音がした。

 

「よし分かった! んじゃ帰りはおじさんと帰ろうな」

 

 ドスドスと歩いてきたことから、その音は家光さんから発せられたものだと分かる。玄関まではIX世と奈々さんが見送ってくれて、少し名残惜しいと思いつつ足を奮い立たせた。

 

「またいつでも遊びにいらっしゃい」

「俊夫くん、気をつけて帰るんだよ」

「はい! ありがとうございます、とても楽しかったです! また来ます!」

 

 子供らしく元気に挨拶をして玄関を出ると、まるで小箱でも持ち上げるかのように軽々と家光さんに抱え上げられる。そのまま肩の上に乗せられて、ゆっくり俺の家のほうへ歩き始めた。

 

「今日はありがとな、うちのツナと遊んでくれて」

「とても楽しかったです。メロンもご馳走様でした」

「おっしっかりお礼が言えてえらいぞ~! 俊夫くんは良い子に育つな!」

 

 少し談笑して、調子の乗った家光さんが俺を軽く振り回すが、バランスを崩したように見えて全く崩れないのはさすがプロである。体感を鍛えてるのがよく分かる。ちょっとフラッとしたように思えても、それはジェットコースターの急降下と同じで、俺に楽しんでもらうためにわざとそういう振る舞いをして、安全には気を抜かないのが良く分かる。とても良いお父さんだと思った。

 

「ところで、おじいちゃんとは何を話してたんだ?」

 

 少し真剣なトーンで俺に話を振る。誤魔化す必要もないくらい他愛も無い話だと子供らしい言葉で伝えると、家光さんはそっかと笑って俺を振り回した。それが楽しくて、遊園地にいるような気分を味わって俺は家まで辿り着いた。

 家光さんが家のチャイムを鳴らすと、見慣れた母親の顔がひょっこり現れる。初めて見た顔に囲まれた後だったために、自分の親を見た安心感は底知れない。嬉しくなって顔をほころばせて、ただいまの挨拶をする。

 

「俺はツナの父で家光といいます。今日はありがとうございました」

「いいえこちらこそ。俊夫も楽しかったみたいで、またお願いできたら嬉しいです」

「それは勿論! ウチはいつでも大歓迎ですよ。それじゃ、家内が待ってますんで」

「ええ、ここまで送ってくださりありがとうございました」

「ありがとうございました」

 

 とろけた顔の家光さんに、俺は母親と合わせてお礼を伝える。歯を見せて笑った家光さんに頭を軽く叩かれて、嬉しそうに家光さんは俺の家を後にした。

 

「珍しいわね、俊夫がそんなに嬉しそうな顔をするなんて。楽しかった?」

「うん。綱吉がはしご車で走ってるときに、踏切を作ったら、綱吉のお父さんが交通ルールを教えてくれたんだ」

「それは素敵ね」

 

 優しく笑って頭を撫で、母親は晩御飯の準備へと再び取り掛かった。俺は手を洗って、一人子供部屋に戻る。母親の料理する音と、時々カラスの鳴き声が聞こえてくる部屋はいつも以上に静かで、寂しさもあるがとても居心地の良さを感じた。

 床に大の字で寝転がったとき、ふと昨日の夜に立てた目標を思い出す。覚悟を強くする訓練。すっかり今日は遊び呆けてしまったけど、決意は強くなるのだろうか。

 

 そもそも、どうすれば決意が強くなるのだろうか。

 

 漫画などで言えば、守るものがあれば決意は強くなる。そう、綱吉もそのタイプだった。しかし、今幼稚園児の俺に、命をかけて守るような人はいない。一体どうやって……。

 そこで先ほど誓った言葉を思い出す。そうだ、俺は綱吉がマフィアになるまでは友達でいようと誓ったんだ。マフィアのボスに。それを糧にすれば、少しはコツがつかめるかもしれない。

 俺は勢いよく起き上がって、精神を集中させる。握りこぶしに力を込めて、大事なのはイメージすることだと自分に言い聞かせる。

 一番酷い虐めのイメージ。綱吉が中学生に殴られて、血を吐くシーン。我ながらに凄くリアリティのあるイメージが出来たと思う。ただの想像であるはずなのに、怒りがふつふつと湧いて来るのが良く分かる。その気持ちを拳に集中し、力を込めると、拳に暖かい感覚が宿るのを感じた。

 くすんでいてとても小さいながら、それは紛れも無く死ぬ気の炎だった。ようやく、その姿を肉眼で確認することができたことに、俺は心底喜んだ。

 どたどたと足音が響いてしまったらしく、料理中の母親に心配されてしまったが、俺は大きな声で大丈夫と告げ、再び集中力を高める。



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標的III 新属性来る!

 何度か練習して、小さな炎が出せることを確認した俺は息をはいて休憩することにした。その間に、幾つか死ぬ気の炎について復習しようと思う。

 ごろごろと部屋を転がりまわってやっと得た色鉛筆とらくがき画用紙を使い、属性とそれに対する色を描いていく。

 

大空…橙

嵐……赤

雨……青

雷……緑

晴……黄

雲……紫

霧……紺

 

 大空は調和、嵐は分解、雨は沈静、雷は硬化、晴は活性、雲は増殖、霧は構築。

 

 我ながら良くここまで覚えていたと驚く。人物なら、メインキャラクターであればある程度思い出せるものの、細かいところは記憶の欠損が激しい。それだけ昔のことである。こんなことなら、死ぬ前に全巻予習しておけばよかった。後悔したって無駄な前世はもう忘れることにする。

 ここまで思い出して、ふと気になることが出てくる。俺の炎は色が無かったように思えた。いやそんな事はあるはずが無い。あまり長時間燃やすことが出来ないから、記憶がまだ完全に作られていないのだろう。そう思って、俺はもう一度拳に炎を灯す。

 ……やはり、無い。くすみ過ぎているのかもしれない。しかし、こんなにまで綺麗に色が無い……いやねずみ色とでも形容するべきか。そんな小汚い色の炎が拳の上を不規則にチリチリと燃やす。

 集中力を切らし、輝く星が光に照らされ溶ける様に見えなくなるが如く散っていった炎は、確かにアニメで見たどんな炎よりも異様な姿をしていた。

 その炎をらくがき画用紙に書き込もうと色鉛筆を持ち上げたところで、母親が俺をご飯に呼ぶ。

 

「はーい!」

 

 死ぬ気の炎を出したことにより疲弊した体力は素直で、俺はいち早く母親のご飯が食べたかった。食卓へ向かってみれば、並んでいるのはから揚げに鳥のスープ。普段は一度に出てこない組み合わせに瞳を輝かせ、母親が椅子へ座るのを今か今かと待ちわびる。

 今日父親がいないのは、どうやら残業を押し付けられたらしく、いつに無く母親は寂しそうだった。だから俺は寂しさなんて吹き飛ばせるように笑って、から揚げを一つつまみ食いする。

 

「こーら、お行儀が悪いぞ!」

 

 困ったように笑いながら注意する母親は、一息吐いて椅子へ座った。

 

「いただきます」

 

 二人でそう声をそろえてご飯に手をつけ始める。今生の母親のから揚げもこれまた美味しく、胸肉を使っているのにジューシーに揚げるのがとても上手いのだ。口の中いっぱいにから揚げを頬張ると、火傷してしまって大変なことになる。

 ひたすら美味しそうに食べる俺を見て、母親は少し落ち着けたらしい。若い奥さんに寂しい思いをさせる男は俺が忘れさせてやる。その意気込みでモグモグ食べる。美味い。

 明日のお弁当用に揚げておいたというから揚げも、あっさりと俺は平らげ腹を満腹にする。父親用のから揚げをまた揚げる時に、明日の分も揚げて置くというので、その言葉に甘えてしまったのは不覚だった。いくら今幼稚園児といえども、中身はそろそろ自立を促される年だ。流石に大人気ない気持ちで罪悪感が襲う。

 しかし、平らげてしまったのはもうしょうがないので、次から気をつければ何も問題ない。

 それから一人で風呂に入って、死ぬ気の炎を灯そうとしたが、今日はもう体力の限界でガス欠だったようだ。ただ小さな拳が俺の前にあるだけで、何が灯ることもなかった。

 

 死ぬ気の炎を出した夜は、普段以上にぐっすり眠ることができる。今日もまた同じで、死んだように眠りについた。

 

 

 

 今日も同じように幼稚園へ通って、朝から綱吉は少し不貞腐れていた。昨日の帰り際、見送れなかったのがそれほどいやだったらしく、可愛い怒りだと笑って謝った。綱吉は勿論そんな程度じゃ許してくれなかったが、今日もこうして会えるから心配ないと思ったと伝えると、少し納得したようにまた心を開いてくれた。

 こうして俺たちは着々と仲良くなっていき、小学校に上がるころにはコンビと認識され、いつも仲良く過ごしていた。

 俺と綱吉のクラスが離れた時には、綱吉の気の弱さに付け入っていじめが起こっていたことも多かったが、できるだけ守るようにして、綱吉の心に少しでも負担をかけないようにしていた。

 しかし、そういった虐めは綱吉が少しでも気が強くならないと解決しないため、たまには心を鬼にして注意することもあった。その度にビビッて無理だよ、と口に出す綱吉だったが、少しは心に留めてくれているのか、俺が注意した後はいじめの勢いが衰えることが多かった。

 綱吉の心の強さを他の人が感じ取っているのに他ならないと、俺は思っている。

 綱吉は大空で、かつボンゴレの直系の血を濃く引く子孫だ。かつてのI世のカリスマ性を引き継いでいてもなんら可笑しくないのだ。そうやって少しずつ成長していく綱吉に、俺は保護者的な視線を向けていたのかもしれない。

 

 そんな多少難はあれど穏やかな生活も、勿論タイムリミットは来る。

 いつしか俺たちは十二歳になり、小学校の卒業を迎えた。殆どの児童は、中学校も変わらず同じようなメンバーでやっていくためにそれほど危機感は覚えなかったが、俺はどうしようもなく落ち着きをなくしていた。

 物語が始まるのは、中学一年生の夏頃だ。つまり、綱吉が早くて後二ヶ月でマフィアになってしまう。それを考えるとどうしようもなく寂しかった。そして、俺も決意しなければならない時が来た。

 俺は未だに平和な生活を送っていて、幼い時にボンゴレIX世を見たといえど、あの方は全く俺に威圧感を与えることも無く日本を去っていった。だからマフィアという存在に対しての危機感が全く無いのだ。危機感は無くとも、命が危ないことだけは十重に知っている。綱吉とかかわっていけば、確実に巻き込まれ、命が幾つあっても助からないような状況になるだろう。その上、俺の憧れのあの人にも近づくことは出来なくなってしまう。

 最近は、綱吉の率いるボンゴレに入ろうかとも思っている節がある。それでも良いのかもしれない。7年間以上を綱吉と共にし、親友の地位まで築き上げて、このまま綱吉が怪我するのを見ていられるだろうか。迷いが捨てきれずに、中学に入ったところで俺は毎日ボーっとするばかりだった。

 

 幸か不幸か、綱吉とは同じクラスで、しかも隣同士だった。「お前と一緒で嬉しい」と言ってくれた綱吉には激しく同意するが、それが意味するのはリスクが上がったという事。素直に喜んでいる暇も無い。

 

 家に帰っても気分が晴れないまま、俺は机の上に置いた石を眺める。たまたま石を売っているフェアで見つけたもので、この石は死ぬ気の炎を灯すことが出来る存在だった。俺が死ぬ気の炎を出す訓練をしているとき、最近はこの石にお世話になることが多い。

 集中して石を持つ。体内に流れる管をイメージして石へ注ぐと、そこから以前よりもいくらか大きくなったくすんだねずみ色の炎が燃え上がっていた。見たことの無い炎。この炎が意味することも分からない。

 俺は何年もこの世界で生きてきて、いまだ何一つ分かってはいなかった。

 

 この炎を灯す覚悟、それは今でもあの方に向いている。そのはずだ。未だ見たことの無い彼に想いを馳せる。

――綱吉と、彼、どちらに想いを寄せた方が上手く灯るだろうか?

 ふとそんな考えが頭を過ぎる。今までは灯すだけで疲れてしまうため、あまり連続して灯すことは無かったのだが、最近は余裕が出てきたのか数回連続で燃やしても体力が残っているほどだ。やってみる価値は、あるのかもしれない。

 彼を思い出す。もうぼんやりとしか覚えていなくて、上手くイメージできないけれど、それでも今の俺の性格を形成してる大部分を占めている。彼が俺の死を望んだとき、俺は死ねるか。考えが鈍る。結局、炎が灯ったのは最初よりも小さい炎だけだった。

 では、綱吉はどうだろう。意識を向けて、もう一度集中する。綱吉が虐められているだけで腸が煮えくり返るほどに腹立たしいし、弱虫だけど優しいところが最高の長所で。俺が涙を抑えているときに、支えてくれたのも綱吉だった。綱吉が俺の死を望んだときに、俺は死ねるか。応えは簡単、絶対にありえない。でも、守る。死なないけど綱吉は守りたい。そう思って力を込める。

 

 その時、初めて炎が音を出した。

 

 炎というのは、突然着火すると音を出すことがある。それは小さな炎では到底聞こえない小さなものだが、炎が大きくなればその音もまた聞こえるようになる。

 そう、俺の石にはいつもよりもずっと大きな炎が灯っていた。漫画で見るような立派なもんじゃ決して無いが、今の俺にできる精一杯だと思うととても誇らしかった。

 俺が喜び頬を上げたとき、ズキリと鈍い痛みが頭を襲った。これはただの頭痛じゃない。俺が死ぬときと同じくらいの痛みが頭を襲う。呻いて這いずってどうしようもなくて、助けを呼ぼうにも両親は出払っている。強烈な痛さを記憶に刻み、俺の意識は途絶えた。

 のだろう。気づいたときには痛みも無くなり、真っ暗な空間に閉じ込められているようだった。現実じゃない。それだけは確実に分かる。

 暫くすると、俺の記憶に侵入してくるように知らない記憶が頭に流れる。……それは、炎に関してのことだった。

 

 頭のイメージを文章にするのなら、このようになる。

 

 始めに、地球があった。そしてそれを包み込むように覆う手があった。

 次に現れたのは、花の形の石と、それを囲む様に並ぶ石の原石。どこかで見たことがあるのは、多分リボーンの漫画のどこかに登場したからだろう。

 その石がおしゃぶりという形になり、そしてリングへと変化した。これはつまり7³のことだろう。

 そうして世界が進んでいく中、一つの光が地球へ落下した。

 覆う手は何度も拒もうとしたが、拒みきれないそれはどこかの国へ落下した。

 落下した場所には白い炎が灯り、7³のイメージをかき消していった。

 白い炎は地球を真っ白に染め上げ、その地球自体が炎と化し、手から零れ落ちてしまう。

 何も無くなった空間に、再び地球と手が現れた。それは同じ時を繰り返し、そして白い炎も訪れた。

 その炎が地球を訪れた隕石に漂着し、地球の周囲を回る衛星となった。

 衛星は海を管理し、地球は平穏を保った。

 白い星は7³に近づいても、拒まれてしまう。そして巨体となった白い星は、覆う手の外側をいつまでも回り続ける。

 

 イメージはここまでだった。このイメージから汲み取ったものを、全て言葉にしようとすればあまりにも難しく、抽象的な表現が多いために何を表しているかも良く分からない。

 ただ、確かに言葉として頭に浮かんだのは、月の炎と月のリング。

 汲み取れたのは、その炎の玉自体が7³と同等の力を持ち、しかし7³に及ばない存在という事。世界から省かれたイレギュラーだという事。所謂転生特典というものだろう。

 思い身体を動かして目を開けると、持っていた石はどこかへなくなってしまい、変わりに二つの石がはめ込まれたリングだけが落ちていた。世界からのたった一つの贈り物、どこからかそう聞こえた気がした。

 

 暫く休んで、体調を見てリングを填める。俺の右手の中指にしっくりくるサイズのそれは、まさしく俺専用の指輪とみて間違いは無いらしい。ここに来て唐突のサプライズだった。

 集中して、死ぬ気の炎を灯す。光り輝くそれはねずみ色でこそあるが、先程よりも断然大きな炎を灯している。リングの上直径500円玉くらいはあるんじゃないだろうか。

 炎を消して、開けた窓から外を眺める。何も変わることの無い、穏やかな空が広がっていた。そらには、まだ明るいというのに白い月がぽつんと、何も無い空に浮かんでいた。

 

 未だにマフィアの世界に入るのか、入ったら誰につくのか、何も分からないままだが、幼少から気になっていた事柄の一つは無事に分かったのが嬉しかった。

 この炎は俺の炎。月の炎。特性は未だ分からないが、それだけ判明しただけでも素晴らしかった。

 

 疲れ果てた俺は、この後母親が起こしにくるまで眠っていた。



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標的IV 最強の家庭教師来る!

 いつもと変わらない目覚まし音で目を覚ます。清々しい朝とは裏腹に、疲労が残っている俺の身体は重く鈍い。まだ眠い目をこすって、重たい頭を持ち上げ、身体に鞭打つように支度を始めた。

 

 月の炎という存在を知ってから、俺は毎日欠かさず死ぬ気の炎を燃やす訓練をしていた。それと同時に、基礎体力作りにもせいを出している。これから先、月の炎を持っていればいつか逃げなければ、戦わなければならなくなることがあるかも知れない。そんな思いもあって、学校終わりには出来うる限り訓練をしている。

 そうして忙しなく毎日を過ごしていると、時間が経つ感覚も随分と早くなった。気がつけばもう六月の半ばにもなろうとしている。

 あの恐ろしい存在が来るのはそろそろなんだろうな、と綱吉の家を一目見やる。最初の方は俺に引きずられるように学校へ来ていた綱吉も、段々とつまらなさそうな表情になり、不登校気味になっていた。俺がいた程度じゃ綱吉の不登校の未来を変えられなかったと少し後悔する。そもそも、綱吉が不登校になるなんてことは忘れていたのだが。

 

 今日も綱吉のいない学校を終え、家に帰る途中に再び綱吉の家を見やった。二階の窓の奥には綱吉の部屋が広がっている。しかし今日はどうやら様子が違うようで、赤ん坊がこちらを見ているのに気づいた。

 目が合った。直感的にそう思って身体ごと視線を逸らす。できるだけ早足ぎみに家に帰って、今日は炎の訓練を休むことにした。彼に目をつけられて無理矢理勧誘、何て体操な想像はしていないが、第九の属性を持つ者として勘付かれるのは、今の俺にはまだ怖かった。この炎の扱いもよく分からない、もしかしたらボンゴレや世界にとって危険因子になるかもしれない。その可能性は捨て切れなかったからだ。もし仮にそうなってしまった場合は、あらゆる人脈の下存在を抹消されてしまうかもしれない。

 体力づくりにだけ勤しんで、今日は他に体力を使う事無く布団へ入る。もしかしたら、リボーンがファミリー勧誘に躍起になっている間はこの力を使わない方が良いのかもしれない。決まれば早いと、俺は綱吉のただの友人として、隣の席の奴として生活することを決めた。

 

 綱吉が変態になったり、とんでもないことやらかしたり、転校生がガン飛ばして来たりもしたが、何の障害も無くこの世界の物語は進んでいるらしい。俺は綱吉が疲弊しているときに、そっと愚痴を聞いてやる。それこそ、親友のなせる業だろうと思っていた。

 俺はあくまでも、ただの綱吉の親友でいるために、リボーンや獄寺が怪しい発言をしていたとしても無視を決め込んだ。綱吉はそんな俺に安堵しつつ、一般人の友達として扱ってくれる。俺にとってもそれは都合が良かった。

 たまたま、赤毛のお姉さんや牛の子を見かけても、関わらないように全力で避けた。あれらに関わってしまったが最後なのは俺も良く知っている。だから、昔は沢山お互いの家で遊んだ仲だった綱吉とは、学校以外では会わない。綱吉もそれを望んでいるように思えたから。

 

「お前、十代目のなんなんだよ」

 

 しかし、運悪く守護者と遭遇してしまうことはあるわけで。特に俺を目の敵にしてきた獄寺と、綱吉の家の近くで出会ってしまったのだ。出切るだけ避けてはいたけど、人の気配を察知できない俺が咄嗟に回避できるわけでもない。

 

「十代目ってよく言ってるけど……綱吉のことだよね? 俺は綱吉の友達だよ。獄寺くんもよく知ってるでしょ」

 

 そうやって顔に笑みを貼り付けやり過ごそうとするが、獄寺は満足しなかったようで俺に敵意をむき出しにする。所謂殺気と呼ばれるものなのか、先ほどから俺の肌がピリピリと反応して気持ちが悪い。獄寺レベルでこんな不安になるんだから、俺は相当弱いんだなと再認識する。

 

「るせぇ。お前が一番十代目が心許してる奴だというのが気にくわねぇ」

「そういわれても……幼馴染だからじゃないかな。最近の綱吉は、俺といるよりも獄寺くんや山本くんたちと仲良くしてる方が楽しそうだけど」

 

 俺といるよりも、という言葉に反応したのか、獄寺は少し表情を軟化させ、俺を睨む。この程度のチンピラにビビるくらいだ、俺は裏社会なんて目指さない方が良いのかもしれない。

 そうやって意識を他にそらすと、獄寺はつまらなさそうに俺を睨みつけ、綱吉の家へと向かっていった。よかった、喧嘩に発展したら勝てるか分からない。俺は独学で鍛えているとはいえ、習う師がいるわけでもなく、実践だって一度もやったことがない。所謂動体視力が足りないだろうし、反射神経も鍛えられていない。そんな俺が、通り名が付くほどの相手に立ち向かえるとは到底思っていなかった。

 

 

 

 獄寺や山本が綱吉の回りにいることが多くなり、綱吉と俺との距離は自然と離れていった。……いや、俺からゆっくりと離れていったというのが正しいところだと思う。現に、綱吉は時々俺を気にしている。俺も綱吉を気にしている。それでも、俺が綱吉を守ると決めたのはマフィアになるまでのことで、マフィアに関わってからは俺が守って上げられるほど弱くないし、強力な味方もいる。よく満身創痍にはなっているが、驚きの回復力によってその笑顔を絶やさなかった。

 あまりにも過激なために、リボーンを疑問視したこともあったが、着実に綱吉の肉体が鍛えられているのが分かったし、離れていった俺から言う事は特に無いだろう。どうせ口を出したところで軽くあしらわれて終わるのは目に見えていた。

 

 そうして月日は巡り、10月がやってきた。今月は綱吉の誕生日がある。……同時にリボーンの誕生日があるのは、前世知識である。綱吉が可哀想だったのを、今生になって強く思い出す。

 

 リボーンの分の誕生日プレゼントとは別に、綱吉のプレゼントを選ぶ。綱吉は何が嬉しいだろうか。少し悩んで、全く浮かばないことに気づく。綱吉の友達を長年しているが、中学生で買える範囲で浮かぶものが無い。ゲームカセットは……リボーンの目に入ったらまたツナが扱かれそうだ。なら、と以前流行していたものを思いだす。お菓子でリュックサックでも作ろう。コレで綱吉へのプレゼントは決まった。

 次はリボーンへのプレゼントだが、彼の好物といったらコーヒー以外浮かばない。実は俺もコーヒーが好きで、たまに飲んだりもしている。しかし、コーヒーも奥が深く、高級豆であっても味の違いで好みが分かれる。現に、俺は酸味のあるコーヒーが苦手だ。リボーンは酸味のあるコーヒーを好みそうだし、俺が選らんがコーヒー豆を美味しいと思ってもらえる自信が無い。なら、お茶請けを。俺はケーキと合わせるのがすきだが、誕生日ケーキが用意されてると思うので、日持ちするお菓子が良いだろう。たしか、近所のケーキ屋で真空パックのブラウニーを置いている店がある。そこそこ賞味期限も長いし、もってこいかもしれない。

 俺は買うものを決めて、まずは商店街へと足を向けた。

 

 

 

 工作は意外と難しいもので、思わぬところで手こずるものである。接合しようとした箇所が上手くされなかったり、動かせるように余裕を持たせたはずが余裕が足りなかったり、四苦八苦しながら4日が過ぎた。完成は綱吉の家に持って行くギリギリになってしまったが、一応当日に完成したのでよしとする。

 俺は作った作品を持って、意気揚々と綱吉の家へと繰り出した。

 

 どたばたと最近は騒音の耐えない綱吉の家に足を運ぶのは久々のことで、なぜか緊張してしまう。何とかインターホンをならすが、胸の鼓動が激しくなっているのがよく分かる。緊張自体は、このプレゼントが正解だったかどうかも含まれているだろう。

 

「はーい。あら、俊夫くん! お久しぶりね、元気してた? 今丁度リボーンちゃんとツッくんのお誕生日会してるのよ。上がって上がって」

「お邪魔します」

 

 昔と変わらず、可愛らしい笑顔で迎えてくれる奈々さんと軽い挨拶を交わして、正直入るのが躊躇われる綱吉の部屋の前へ立つ。綱吉から距離をとり始めてから来てなかったので、半年以上はもう来ていないかもしれない。……というのは理由の一つだが、正直殺し屋ばっかりいるこの空間に足を運ぶ気になれないのだ。身の危険を全身で感じるから。

 意を決して三回ノックする。

 

「はーい。何、かあさ……俊夫くん!」

 

 出てきたのはやつれ気味の綱吉だった。目をいっぱいに見開いて驚いているのがなんだかマヌケで、少し笑ってしまう。

 

「一日早いけど、お誕生日おめでとう」

 

 そう言って俺は部屋の前でお菓子のリュックサックを渡した。今の俺の最高傑作で、俺の夢とロマンをつめた作品だった。喜んでもらえると俺も嬉しいが、綱吉はどう反応してくれるのだろうか。

 

「え……俺に? えー!? ありがとう! こんな凄いの作ってくれたの……? なんかずっしりしてるし中にも入ってるのかな? 嬉しいよ!」

「俺も喜んでもらえて嬉しいよ。さ、右についてる紐があるだろ? 引いてみて欲しい」

「え? うん」

 

 不思議に思いつつ紐を引いた綱吉。俺の作戦通りで、やっぱり綱吉は俺に対して警戒はしていなかった。お菓子のリュックサックがみるみる姿を変えていくと、それは綱吉の上半身を覆うように変形した。一部はその身を腰に巻き、変身ベルトのようにパイの果実とアポロ11号チョコが飾られている。このプレゼントの名は。

 

「リュックサック型変形ベストプラスベルトだ」

「なにこれーーーーー!!!! 何!? 重かったのは変形用のパーツ!?」

「そうだよ。何気に作るのに4日以上かかって」

「4日で作れるもんなのーーーー!?」

「かっこいいです十代目!」

 

 思ったとおり大げさに反応してくれる綱吉と、持ち上げる獄寺の様子が面白くて思わず笑ってしまう。あまりの意味不明さにみんなも笑い始め、綱吉の部屋は笑いで満たされることとなった。俺もここまで気に入って貰えると作ったかいがあったというもので、心から嬉しく思う。

 

「これで身を守りつつ食糧問題が解決するな。俊夫に58点だぞ」

「守れないし解決しないよ!!!」

「なんかよく分からないけどありがとー」

 

 一生懸命脱ごうとしている綱吉を尻目に、リボーンからの評価を受け入れる。自分から積極的に関わって生きたいとは到底思えない存在だが、最強の家庭教師様から褒められるのは純粋に嬉しい。はにかみながら、俺はもう一つのプレゼントを差し出す。

 

「これはリボーンくんに。近所のケーキ屋のチョコブラウニーなんだ。良かったら貰ってよ」

「サンキュー。旨そうだな」

「俺のオススメだよ」

「そうか。俊夫にプラス20点で」

 

 リボーンが満足してくれたようで俺も嬉しい。やることは終わったので、いち早くこの場から逃げ出そうと一歩身を引く。

 その姿を漆黒の瞳で見つめてくるリボーンがなんだか怖くて動きづらい。たじろいでいる俺を、綱吉が見つけて不思議そうな顔をする。

 

「あれ、もう帰るの?」

「うん。プレゼントを渡しに来ただけだったから」

「気をつけて帰れよ。ところで一つ良いか?」

「何? リボーンくん」

「俺の誕生日のことはいつ知ったんだ?」

 

 一番触れられたくなかった核心を突かれる。それはそうなんだ。俺は一度もリボーンから誕生日の話を聞いていない。それを思い出してしまったのはチョコブラウニーを買った後だったんだ。買ってしまったものの、人にあげるつもりで買ったものを食べる気は起きなかったし、どさくさに紛れて渡したらいけるかなと思ったのも事実。しかしこの三日間で考えた取って置きの嘘があるんだ。

 

「獄寺くんや山本くんが話してるのをちょっと聞いてしまって。どうせだから買って来たんだ」

「そうか。わざわざありがとな」

「どういたしまして」

「俺のプレゼントも……なんか物凄くびみょーな気分だけど、美味しく頂くよ。ありがとう!」

「それじゃ、また学校で」

 

 何とか切り抜けて、恐ろしい二階の部屋を去る。赤髪のお姉さんがあの中で一番何も隠してなくて怖いので、早々に逃げるに越したことは無い。

 

 今日は清々しい気分だったので、明るい気持ちで家に帰り炎を灯す訓練をする。リボーンも誕生日会ということで向こうに集中しているだろうし、万が一というのはあまりなさそうだ。そう思いながら、自分の決意をリングへ灯す。

 未だにくすんで小さい炎しか宿らないそれは、今日はいつも以上に小さいままだった。それが意味するのは、今まで以上に死ぬ気の覚悟が鈍っていることと同義。……原因には身覚えがあった。

 今日のバースデーパーティを見たとき、確かにこの優しくて平和な日常が命がけでも死守したいと心の底から思ったのは本当だった。誰かが死んでしまうというのなら、絶対にそれを阻止したいとも思った。しかし、目の前にいる職業の殺し屋。彼らに殺意を向けられたら、俺は脚がすくんで何も出来なくなってしまう。その恐怖が帰ってから己の身を支配していたからだと思う。

 たまに見かける、綱吉とお姉さんの実践鬼ごっこ。おかしな色をしたその料理がぶつかった後には、どろどろに溶けたり綺麗な断面になっているところが多く存在した。あんなもので襲われたら、俺はたちまち絶命するだろう。

 リボーンもそうだ。綱吉を殺す気は無いとはいえ、本物の銃を向けている。あの銃口が俺に向いたら。リボーンがやってきて初めて見ることの出来た重い質感は、俺を恐怖させるのに十分だった。

 恐ろしい。それ以外の感想が抱けなくて。死ぬ気の覚悟が鈍っていくのは、炎に灯さずとも分かる。

 

 こんな経験をしても、何かを守るために強くなれる綱吉は本当に凄い人物だと理解した。俺はこうして関わらないようにしているにも関わらず震えているのに、何とか真正面から立ち向かおうとする綱吉は俺よりも何倍も素晴らしい人間なのだと気づかされる。己の未熟さ、小物さに嫌気がさす。

 

 気づけば、静かに灯っていた炎も、俺を見捨てるように消えていた。




リボーンのことだから読心術で分かっていそうだけど、スルーしてくれるリボーンの優しさ。あると思います。


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標的V 脱獄犯来る!

 あれから、色々あったといえばあったけれど、俺自身とは直接関係ないところで全て終結していた。日に日に鍛えられている綱吉を遠目から見ていて、俺も対抗心が湧いてこないわけではない。

 小学校まではずっと俺に守られてきた存在が、無理矢理とはいえ身体が鍛えられ薄く筋肉がつき始めている。運動はだめだめだとはいえ、昔よりも基礎体力はついているだろう。だからなのか、負けるのはなんとなくいやで、身体を鍛え始める。

 鍛えると言っても、ジムに通うだとか崖登りを始めるとかそういったことではない。あくまでも、今の俺ができる全てだ。特に後者に到っては、異次元の能力を持った奴が鍛える方法で一般人の俺がすることではない。部活に入ることも考えたが、柔道部もボクシング部も、あまり入る気になれなかった。柔道部に関しては入った方が良いというのは頭では分かっているのだが、踏ん切りがつかないまま日々を過ごして、ついに二年へと上がってしまった。情けないと笑われても仕方が無い。

 担任の教師からは入っておいた方が良いと何度も言われたが、それでも帰宅部という甘美な時間を手放すほどの気力は持ち合わせていなかった。

 

 今日は始業式、クラス発表の日である。真っ赤な紙の花に囲まれた名前の5つ下に俺の名前は記載されてあった。出席番号順じゃないこのボードがあまりにも見づらいため、来年からは是非出席番号順で記載して欲しいものだ。と上から目線で思いながら、綱吉の名前を確認する。……名前が無い。

 

「俺の名前が無いーー!!」

 

 綱吉も同じように探していたようで、最近鍛えられている喉から大声で嘆きだす。最近の綱吉はつっこみ属性がついたのか、大声で何から何までつっこんでいて大変そうだった。見てるこちらは飽きないので、これからも綱吉はつっこみ属性として過ごして欲しい。

 綱吉が一生懸命探して、ようやく見つけたのは真っ赤な紙の花の下だった。豪華な装飾に紛れて見つからなかっただけらしい。流石にこれには笑うしかない。

 

「あ、おはよう俊夫くん。今年も同じクラスだね! 良かったー」

「おはよう綱吉。今年はなんだか波乱万丈なクラスになりそうだね」

「俺としては去年も波乱万丈だったし、これ以上何も起こって欲しくないんだけど……」

 

 変わらぬ調子で挨拶を交わす。多少避けているのにも関わらず、普通に声をかけてくれる綱吉は流石だと感心する。気まずい空気にもならずに、普通に会話できるのがとても嬉しい。

 俺は綱吉を避けてから、クラスの男グループにたまに話しかけて仲良くしてもらってはいるものの、特別友達と呼べる人間はいなかった。それまでずっと綱吉を行動を共にしてきたし、他の人はそれぞれ別のグループを形成していたから、獄寺たちがくるまでは実質俺たち二人がグループだった。今は俺がぼっちで、綱吉は大きなグループを形成していて寂しい気持ちもあるが、一人には慣れているのでこれと言った支障は無い。誰かから嫌われるわけでもなく、静かに過ごすというのもストレスが溜まりづらくていい。

 そんな事を考えながらボーっと校舎を眺めていると、いつの間にか綱吉は内藤ロンシャンのペースに取り込まれていた。もう少し綱吉と話したかった気持ちはあったが、内藤ロンシャンには絶対に関わりたくないので心労で白くなっている綱吉を無視して教室へ入る。

 

 同じクラスゆえに完璧に関わりを絶つ、という事は勿論出来ないので絡まれたらどうしようかとも思ったが、そんな事態にはなりえず、内藤ロンシャンは綱吉に絡んだだけで他に興味を示さなかった。

 俺も目立つ方ではないし、安心して息を吐く。

 訪れるかも知れないと低い可能性を高く見積もって、安心という言葉を被せた期待が現実にならない事に残念がる自分が嫌になる。平凡でいたいのか、危ない橋を渡りたいのか、自分が分からなくて。綱吉の命の危機を見かけるたびに平凡でいたいと思うし、その心が嘘じゃないのは自分が一番分かってる。でも、非凡に巻き込まれる度に強化される青春らしい彼らの絆が羨ましくて、非凡に手を出したくなることもある。ただの好奇心に過ぎない、危険な行為だ。好奇心は猫を殺すということわざが存在するとおり、何の考えも無しに関わって良い物ではない。

 最悪の場合、俺のせいで未来が変わって全員死亡ルートもありえるのだ。そんな未来は恐ろしいと思う。

 

 退屈な校長の話だったからか、そんな考えを延々としてしまう。意識を今に切り替えて、俺は下駄箱へ向かった。

 たまたますれ違ったのは風紀委員長の雲雀恭弥だった。彼は眠そうに欠伸をすると、つまらなさそうに窓の外を眺める。

 

「何見てるの。咬み殺すよ」

「ご、ごめんなさい」

 

 今日は頭が動いていないのか、危険人物をジッと見てしまってその人から睨まれる。触らぬ神に祟りなし、彼には関わっちゃいけないのに。

 頭を下げてそそくさと校舎を後にすると、雲雀さんはまたつまらなさそうに校舎の奥へと消えていった。

 リボーンとの関わりが無く風紀を守っていれば、雲雀さんとの接触はほぼ無い。病院送りにされるという心配は一切無いのが素晴らしいが、やはりそういった意味で俺に特別な能力と言うのは無いようだ。

 

 俺の月の炎はこの世界に転生した俺のための特別な能力、と思って問題ない。それはあの記憶が表していた。しかし、それ以上に俺を有利にする特殊能力……つまり肉体強化だとか、特別な血族とか、見破る力だとかは一切無く、綱吉以上に平々凡々な人間だった。俺が何故この世界にいるのかも、何をすればいいかもわからない。

 ここに存在するという事は世界に求められたことなのだと思っている。そうでもしないと気が狂ってしまいそうなのが現状だ。

 

 帰り道で一人悶々と考えながら、家の前まで歩いてくると買い物帰りの母親がそこにいた。家の中では勿論顔を合わせるが、こうして一緒に玄関をくぐるのは久々で少し照れくさいところがあった。

 帰ってきた母親は直ぐにお昼ご飯を作り始め、俺はそれを手伝う。今日のお昼はオムライスだと、母親が笑って言った。母親のオムライスは卵の部分が言い難いほど絶品で、俺の好物の一つだった。そういうときは、俺がケチャップライスの担当で、母親が切ってくれた食材をフライパンで炒め始める。俺がある程度成長してからは、母親とこうして料理することも珍しくは無かった。

 学校の話をしたり、テレビで知った話などをお互いに出し合いながら、楽しく食事を終える。精神年齢が倍の俺に反抗期は来ない。ホルモンバランスが乱れるのか、多少情緒が揺れるとはいえ、分別のつく俺が親に八つ当たりをすることはありえなかった。

 

 煙が充満しているような頭を抱えながら、俺は部屋に戻って運動着に着替える。何はともあれ、運動しなければ始まらない。まずはランニング。そしてその後腹筋や背筋を鍛える筋トレだ。準備運動も勿論してから、俺は家の周りを走りこむ。運動すればこのモヤも晴れるんじゃないかと、淡い期待をしながら。

 

 家の周りを走って五周。前は走るだけでいっぱいいっぱいだったのも、最近は少し周りを見る余裕が出てきた。カラスの鳴き声に耳を傾けるし、ムクドリの集団に目を動かす。そうやって走りながら見る風景はとても綺麗で楽しかった。

 目標の数走り終えたら、汗で濡れた額を拭う。最近は日光が暖かくなってきて、走っていると汗が滲んでくる。春が感じられるのが嬉しい。

 こうして身体を動かしていれば、沈んだ心も少しは自信を取り戻す。今の俺にとっては、前向きになるには運動が丁度良いらしい。嬉しい発見だった。

 少し未来に対して明るさを取り戻した俺の頭は、余計なことをまた一つ考え始めた。

 

 ……そろそろ俺にも、武器が必要なのでは。

 

 いやいや、と頭を横に振る。確かに、これから先マフィアと関わる決意をしたのならその訓練は必要不可欠だろう。しかしこの国をどこかお忘れだろうか。江戸時代、刀狩を行い、それ以降武器の所持を禁じられた国である。今の俺が手に入れられる武器なんて小さな鋏や包丁だけ、暴漢と対峙しても勝てるかどうかの貧弱さだ。どうやって武器を手に入れるんだ。

 そりゃあ、ボクシング部の笹川了平は素手が武器だ。そして一般人で、見た目は俺と同等の平凡さかもしれない。しかし、あれは昔から喧嘩をしてきて、妹を守るために必死で掴んだ体術だ。俺との差は歴然だし、そもそもアルコバレーノから見初められるほどの天才肌だ。無理だ。追いつこう何て考えたら死んでしまう。

 そういう事を考えるのは巻き込まれてからでも遅くは無い。

 そう思って、俺は日課の筋トレへ意識を戻していった。

 

 

 

 騒がしかった始業式から、また俺は何事も無く数ヶ月過ごし、夏が来た。あれから俺は結局普通の人程度に身体を鍛えた薄い筋肉からの進展は無い。ともあれ、中学二年生の夏が来た。

 思春期真っ只中、まだ進路先も考えなくて良い気楽な夏だから、本来は嬉しいはずなんだけど、今年はそうも言っていられない。なぜなら、そろそろバトル編が始まるからだ。

 俺の記憶は年々薄れていってる。もう守護者の各属性の特徴とか、ほぼ覚えてないレベルで忘れている。それでもバトル編が始まるのはこれくらいだって言うのはハッキリと覚えていた。詳しい日付なんて知らないが、これから綱吉の戦いは始まる。

 

 風の便りで、また綱吉たちが色々やらかしたのだと聞いたのはつい昨日のことだった。もうそんな頃かとほぼ覚えてない話を掘り出しつつ、俺は母親のお使いをこなしていた。

 あたりは夕暮れで、歩いているのは隣町。なんでこんなところへ来ているかといえば、叔母の家がこの近辺にあるからだった。並盛から、黒曜ランド方面へ向かった住宅街のある一角に叔母は住んでいる。なので、少し歩けば叔母の家に辿り着くのだ。

 ピンポーン、と鳴った少し高めのインターホンはカメラ付きで、インターホンの前に出れば挨拶をしなくても俺が来たのだと直ぐ分かる。少し勢いよく開いたドアの隙間からは、母親よりも更に可愛らしい造形の叔母さんが顔を覗かせていた。

 

「いらっしゃい、俊夫くん。わざわざありがとう」

「いえいえ。俺たちだけじゃ食べきれないので、是非もらってください」

 

 そう言って差し出したのは、福引大会で当たった缶詰の詰め合わせ。俺の家はそんなに頻繁に缶詰を食べるということをしない。なので、半分は叔母さんの家に渡すことにしたのだ。そういうお裾分けを渡すのが俺の役目だったりする。

 

「いつもありがとうね。姉さんには内緒だけど、こっそりお小遣い。お勉強頑張ってね」

「そんな……良いのに」

「ちょっとしたお礼よ。受け取って?」

「……分かりました。ありがとうございます!」

 

 叔母さんの行為には甘えてしまう。中学生でお小遣いの少ない俺にしたら、こうした時々もらえるお小遣いは貴重だった。一度は勿論断るが、内心最高に喜んでいるのは隠していきたい。

 軽い挨拶を済ませて、俺は振り返り自宅を目指す。最近はトンボも出てきたようで、夕暮れの空にトンボのシルエットが美しかった。

 静かな夕暮れに趣を感じていると、どこからか鈍い音が聞こえてくるのが分かる。それは俺の帰路の先から聞こえているようで、少し不安になりながらも足を進める。二つ先の脇道に一瞬見えたのは黒曜中学の制服で、どうやら喧嘩が起こっているらしい。ここら一体はまだ黒曜のテリトリーなのでこういったことも珍しくは無い。

 意を決して視認できる場所まで歩いていくと、そこには倒れた黒曜生と記憶にある髪型の奴が二人、返り血を浴びて立っていた。

 

「何見てるびょん!」

 

 殺気を含ませて睨んでくるガラの悪い黒曜生……犬――苗字の方は生憎もう覚えていない――の威嚇に、俺は咄嗟に尻餅をつく。

 

――殺される!

 

 その恐怖から、動けずにただ彼らをじっと見つめることしか出来なかった。俺は、相手の武器を知っている。だからこそ、今ここでその攻撃を一撃でも受けたら死んでしまう恐怖があった。仮に、仮にだが、犬の能力は避けられれば致命傷で済むだろう。しかし、千種――犬と同様、苗字は覚えていない――の攻撃は毒針で、その無数の毒針を受けたら確実に死ぬ。いや、もしかしたら一般人にたいていは普通の針かもしれないが、それでも九割の確立で死ぬだろう。俺は不良たちみたいに生命力が強いわけではないから。

 

「めんどい。……行くよ、犬」

「おい待てよ! こいつはどーするんら!?」

「ほっとけば……座ってるだけだし」

「でも見られたし、ボコッといた方がよくね?」

「……めんどい」

 

 気の抜けたトーンで会話をしつつ、議論されているのは俺の処分だった。千種の発言から犬が戦闘態勢に入ったことで、どうやら俺は処刑コースらしい。そんな暢気に考えている場合じゃない。

 どうする? どうしようもない。相手はマフィアを大量に相手にしてきた極悪犯。筋トレしかしてない俺が真っ向から挑んで勝てる相手ではなかった。

 震えながら考えている間に、犬は牙を嵌めて身体を動物の様に変化させる。始めて見たマフィアの闇は、確かに闇と呼ぶに相応しい様相をしていた。圧倒的な威圧感で、俺の体は一ミリだって動く気配は無かった。

 殺される。そう覚悟した。

 

――死にたくない。まだ、俺は、死ねない。

 

 目をぎゅっと瞑って襲ってくる痛みを覚悟した時、ポケットに入れていたリングが反応した気がした。

 いつまで経っても来ない痛みが不思議で、そっと目を開くと拳を振りかぶったまま制止した犬の姿があった。千種もこちらに目をやったまま動く気配は無く、明らかに異様な光景が広がっている。まるで時間が止まっているような……。俺はハッと思い出してポケットからリングを乱暴に取り出す。普段は何の変哲も無いリングだったが、今に限っては小さい石がチカチカと瞬いている。リングが反応するという事は、死ぬ気の炎が感知されたという事……。つまり、この状況は月の炎の特性だという事だ。

 不穏なリングを指輪に嵌めて、決意を込める。先ほど感じた命の危機を思い出して、その時と同じになるように神経を集中させると、リングには今までで一番大きな炎が灯る。純度も今までで一番高い。

 ……いや、ここはともかくさっさととんずらしよう。いつこの謎の能力が解けるとも限らない。早いところ嗅ぎ付けられない程度に逃げてしまおう。重い足を引きずってでも、何とか並盛まで戻ってきた俺は、灯していた炎を消すと時間が戻ってくるように始まった。雲が動いて、人もいる。どうにか死ぬのは免れたようで全身の力を抜く。

 やはり、獄寺のチンピラにらみよりも圧倒的なその眼力は目の当たりにすると恐怖で支配されてしまう。闇の世界の恐ろしさの片鱗を味わっただけでこの有様。今はたまたま逃れられただけで、次逃げられるとは限らない。今だって気持ちの悪い汗がダラダラと流れていた。

 何とか、全力で家まで走って、自室のベッドへ倒れこむ。つかれきった俺は、そのまま意識を手放した。

 

 ***

 

 城島犬がその拳を振りかざすと、目の前の人間は瞬時に姿を消した。辺りを確認しても、臭いを確認しても、パッタリと存在を消したそれに首を傾げる。

 

「あんのヤローどこ行ったんら!」

「……どこにも居ない」

「なんれ! さっきまでここにいたのに! 柿ピーも見たよな! アイツがいたの!」

「見てた。……これは、骸様に報告したほうが良さそうだ」

「ムカツクびょ―――――――ん!!」

「はぁ……めんどい」

 

 頭をガシガシと掻き毟り腹立ちを表現する犬を尻目に、柿本千種は男について考える。千種が感じ取った印象では、あの男は自分たちから逃れられるほど強くは無く、一般人でも弱い部類。それなのに、自分たちの前からいなくなったと、千種不可解な現象に頭を悩ませる。

 

(とにかく……骸様に報告しないと)

 

 少しずれたメガネを押し上げ、千種は黒曜ランドへ歩き始める。

 

「あっ柿ピーどこ行くんら!」

「帰る。……シャワー浴びたい」

「柿ピーそれしか言えねーのかよ! あっだから先に行くんじゃねーびょん!」

 

 腹立ちをぶつける様に不良の死体に一蹴し、犬は千種を追い越すまで全力でその場から走り去っていった。黒曜町の住宅街に残ったのは、苦しそうに吐き出される不良たちの呻き声だけだった。



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