ど健全なる世界 (充椎十四)
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頂き物と番外編
【頂き物】そして変態は動き出す【三次】


 匿名希望、はえーよホセということでホセ(仮)様から頂きました。マーブリックを生んだ彼女の話。


 気が付けば、私たちの世界は、エロを書くことすら発禁処分を食らうものだとされていた。微妙なサムシングすら発禁を食らう。性に関するものは十八禁など当然、微妙にスケベな駆け引きすらアウトなど、誰が思うだろうか。

 

 同時に、その歪みに気付けたのはNOスケベ世界をぶち壊さんとする猛者が世に憚ったからである。その人は強かった。まず同人誌を配布することでミームを拡大させた。反応した人たちはわりとカジュアルに年齢層を公開していると分かったのでありがたかったが、どうも大部分は20代にさしかかったあたりから30代まで。受け止めづらいと感じているらしいのは今の私たちの親世代くらいだ。つまり、その上は凝り固まってて変えにくい。反応人数は配布数の2~3倍ほど。しかし、コピーが流れているのだろうか、効果は確実に広がっている。

 そんな彼らを動かした彼女の名前はカラメル半月。なぜカラメルなのか。なぜ満月でなく半月なのか。キャラメルではないのか。あのさくさくしたやつだっけカラメル。それはカルメラか。

 閑話休題。彼女の詳細はわからないが、お茶の間を騒がせそうな内容で報道されているらしいと言うことは分かった。まだ数は少ないが、製本と配布からそこまで時間が経ってないと思えばメディアにしては驚異的な反応スピードである。まだただの同人誌に過ぎない。凄まじいしかしカラメル半月女史について知ることはできた。それだけ色々と手広くやろうとしていたし、実際やってのけているのである。

 とりあえず、もう少しなにかないかとニュースでかじった単語を適当に検索エンジンに放り込めば出るわ出るわ。しかしこれはどうしようもない。あ、本人の公式垢あったわ。他のツイートからの引用で探すよりユーザー検索すれば一発だったのか。プロフを確認すると私はすでにフォローしていた。ナイスだ、記憶のなかったはずの私よ。

 

 ううん、しかしわかったところで何の足しになろうか。私が今後の生活を続けるための解決策を探すのに、恐らく彼女は関係ないのである。突然変異みたいな同人作家だった可能性は否めないし、まずリプかDMしても埋もれるのは想像できる。では、どうすればいいのか。彼女だけでなく、私の知っている有史時代と同じ世界を知っている人間はどう探せば良いのだ。

 と、まあ一人でうんうん唸っていると、部屋に見慣れない本の一段を置いていたのに気付いた。しかも気合いの入った想定の、推定洋書である。私は英語は準2級までしか持ってないぞ。いや、そもそもこんなもの買っていたのだったか記憶が怪しい。

 ちゃんと手にとってタイトルを確認すると、ご丁寧な革張りの本は表にタイトルがなかった。開いて中表紙を確認すれば、こちらにはきちんとタイトルがあった。よかった。しかしよくよく読んで考えてみて、固まった。

 そのタイトルは、 ”The call of cthulhu” 。つまり、『クトゥルフの呼び声』。ラヴクラフト御大の本である。現代では宗教が強くて性的なものを規制されてるってことは、つまり冒涜的なこれは、どうあがいても禁書目録入りしている。

 でも同時に希望でもあった。同じ出身ならこの本、もしかして仲間探しのダシにできないか。ちなみに私はクトゥルフを読んだこともTRPGをやったことも卓動画も馴染みがない。馴染みがないだけに、これを訳して世に出すなら余計に仲間が必要だ。

 

「母さん、私これから英語とドイツ語とフランス語やりたい。翻訳したい。これ仕込むにはどうすればいい?」

「まあ待ちなさい。翻訳なら訓練校かメソッド本を買うのがいいから。図書館にいくのがいいよ」

「流石母よ、すぐ検索してみる」

 すぐにOPACで翻訳に関する本を予約した。ちゃんと翻訳の学校にいくのも良いけど、まず目的がばれたくないのだからそっちの方が安全だった。

 

 できるかはわからないし、できてもこいつは禁書だ。つまり、私は世界のかなりやべー人たちの敵になるということである。

 正直、ここまでする必要はないんだろう。ぼーっと流されててもまあなんとか生きていけるし、私は私で努力すれば良いのかもしれない。

 だが、そんなことよりクトゥルフだ。これが訳されることでどんな影響が起こるか見てみたい。これはもう半分職業病みたいなものだと思う。これまでの経緯をまとめた上でこれからの社会を観察したい。心ゆくまで社会変化を書き留めて、研究して、あわよくば論文にしたい。なぜなら、それが楽しいことだと私は知っているからだ。その変化のうねりが愉快だと、後の人間に大きく反映されて、確実に違うものになるとわかっているから、どうしてもやりたいのだ。悪魔に魂売らなくたって翻訳ならできるんだから、だったらそのくらいの手間を惜しんではいけないだろう。そのための2、3年なんて安いもんだ。

 

 

 

 

 という決意をしたのは振り返るとかなりのバカだったんじゃないかと、今は冷静になれる。しかし論文を諦めてなどいない。あれから苦節1年半、ガタガタなりにやっと翻訳したクトゥルフを片手に二窓でスレを立てる。一種の召喚の儀式である。仲間よ来い、できれば腐敗したお話とかもできて卓に抵抗のない猛者。

 

 そのタイトルはそう、『【何者かの】冒涜的な本を作ろう!【呼び声】』



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【頂き物】タコ壺の信念と、視線の話【三次】

 頂き物の三次創作となります。

・作者様HN

 2020/6/19にマシュマロを送った人(仮)様


・作者様からのおことわり

 本編とはまるで違うテンションの短編です。全体的に暗いです。
 登場人物は原作に登場しないオリキャラです。氏名などの固有名は意図的に伏せています。登場人物達(本人、姉、従兄)が通っていた学校の話も、調べきれた範囲ですが実際に存在しない学校構成になるように設定しています。
 以上の点を御理解の上でお読みください。


 もしよろしければ、私の思い出話をお読み下さい。

 病床の女が、衝動のまま書き綴った記憶です。拙くて長くてつまらなくて、暗い思い出話です。

 あの頃の思い出に、成人した今も明るさを見出すことはできません。楽しさを主題に何かを綴るだけの気力も意向もありません。誰がどう見ても特異で、極端で、馬鹿馬鹿しくて、そして私の人生の中でも決定的に大きな悲しみの記憶です。

 一生涯忘れ得ない経験をするに至った、小学5年生から中学1年生の頃までの、断片的な思い出話です。

 

 他の人の深層精神のありようを『こうであった』と断言する形で微に入り細に入り記すことは、例え身内の話題であっても、私にはとても出来ないことです。人が、他人の心の内に入り込んで精神そのものを覗くことなど絶対に出来ないのですから。

 でも、当時、私自身がどういう風に感じ取ったか、私自身がどういう解釈をしたのかは、私の責任の限りで書ける事柄です。無論、それでも、厳密な意味で小学生や中学生だった頃にタイムスリップすることもまた不可能であります。この文章は、成人した私が思い出して綴ったもの。つまり『今の私』が『当時の私』を振り返って解釈した文章にしかなり得ません。

 

 その事を踏まえて書きます。『記録』と『記憶』と『推論』を、完璧に分離して書くことも私には出来ません。今から記すのは、そうしたものがどうしても不可分に入り混じった、ある一個人の思い出話です。

 

 

「そういえば、明日の夕方に、TVでさ、ものすっごく変なメイクをした人が出るらしいよ。詳しく知らないけど、何か話題になってる作家さんなんだって」

「へぇー……。どんなメイクなんだろうね」

 

 小学5年生だった頃のある日、仲の良い同じクラスの友達がフッと思い出したように教えてくれたことを覚えています。金曜日の放課後、帰宅途中の会話でした。

 休み明け月曜日の朝にはその作家さんの顔が話題になるのかなぁ、なんてことを思いながら、あいづちを打ったのも覚えています。すぐ後、自宅近くの交差点で、いつものようにその子に「さよなら」を言って別れたことも。

 

 東都郊外のとある教会。そこから道一本挟んで向かいにあった2階建ての小さな一軒家が、私の家でした。

 教会の牧師の父、7歳上の姉、そして私、合わせて3人暮らし。『教会運営元の所有物件に住まう牧師と娘2人の父子家庭』、世間的な立ち位置としてはそういう枠組みで言い切れる家族でした。

 私が帰宅した時、父が自宅にいました。普段、私の学校帰りの時間帯は教会にいることの方が多かったのですが、こういうこともたまにあるのでした。

 

「ただいまー。ねぇ、お父さん。さっき友達に教えてもらったんだけどね、明日の夕方にものすごく変なメイクした人がTVに出るんだって。気になるんだけど、明日見てもいい?」

 

 当時、土曜日の夕方はたいてい他の事をしており、何か見たい番組がある時は事前に言っておく必要がありました。日頃何か見たい番組があるわけでもなく、私がこういう風に申し出たのは珍しいことであったはずです。

 父から許可が出るものだと思っていました。何かやるべきことがあってそれで駄目だと言われる可能性はあるかもしれないけれど。

 でも父の反応は予想外でした。青くなって唇を震わせ、私の肩を掴んだのです。

 

「その人は見るな。もしこれから見てしまっても、何も聞かずにチャンネルを変えなさい!!」

 

 小学5年生の女子が両肩を鷲掴みにされながらそういう風に言われ、「はい」と言えない状況が想像できるでしょうか。驚きながらもとにかく了解しました。

 何か喋ってはいけないことを喋ってしまった気がしました。よほど見てはいけない人がTVに出るのだと悟りました。

 以前うっかり母に失礼なことを言った時に、父がこんな反応をした事はあります。しかしTVの番組についてそういう風に言われたのは初めてのことで、予想だにしないことでした。

 

 休み明けの月曜日、登校の時「お父さんが駄目だって言ったからTV見れなかったよ」とは友達に言えました。ただ、父がどう反応したのかについては、何故か姉を含めて誰にも話せませんでした。

 

 ――友達が話題に出したのはカラメル半月先生のことで、教えてもらった番組は土曜日夕方の密着インタビュー。のちに散々有名になるあのメイクが、ノーモザイクで地上波で初公開されるという点で、画期的な放送でした。

 番組制作サイドは事前にネット上で『あの先生の特殊メイクをモザイク無しで地上波初公開!!』と公言していたそうです。このためファンのコミュニティが局地的にかなり盛り上がっていた、……そういう細かな経緯を知ったのは、私が成人してからです。たぶん友達は、どこかで知って教えてくれたのでしょう。

 

 私がカラメル半月先生の存在を(間接的であれ)耳にしたのは、この出来事が一番最初のはずでした。

 

 

 母とは死別していました。

 独身時代は、近所にある私立の学校法人の事務職員だったそうです。父が属する宗教法人が母体になっている学校でした。ある時、同じ法人に属する若い信者の集まりで父と出会って結婚、ごく普通に主婦となり、長女(姉)を出産。

 そして2度目の出産で、次女(私)の誕生とほぼ同時に天に召されたのだそうです。臨月の頃、当時7歳の姉と一緒に外出中に、脳の血管に深刻な問題が発生して道端で突然倒れた、救急車で運ばれて緊急帝王切開を受けた、私が生まれるなり心臓が止まった、……と、聞いています。

 

 幼かった頃を今振り返ってみるに、母がいない家庭であるということ、それ自体による孤独は特に無かったように思います。

 確かに生きた母はいない家庭でしたが、近隣に住む父方の祖母が日常的に家に来て、色んな事を手伝いに来る家でもありました。

 母方の伯父さん一家も近所に住んでいました。夫婦と子ども(従兄)の3人連れで毎週日曜日に礼拝に来る人達で、当然に私達とも交流がありました。従兄は姉の1歳上で、私にとっては頼もしいお兄さんでしたし、特に姉にとってはお互い何でも相談できる間柄だったようです。

 通っていた学校の教職員の先生方にも、私は知られていました。母のかつての勤務先に入学したのが大きいです。入学当初の頃は『あの人が命懸けで生んだ子、もう入学する年なのか!』という反応があったとか。

 そして何より、信仰心から教会に来られる信徒の方々。私の誕生の経緯を当たり前のように御存知で、人によっては、母と私の両方を特別視する傾向が強かったように思います。

 

 総じて、私自身が意図しようがない経緯ゆえに気に掛けられているという一点で、たまに居心地の悪さを感じることはありました。

 ただ、ほぼ顔見知りの大人しかいない狭い世界の中で、私に向けられる感情は、憎しみや敵意とは本当に真逆のものでしたから、そういう意味では実に幸せな幼少期だったと思います。

 

 

 私が小学5年生の頃は、ちょうどカラメル半月先生が世に出てどんどんと知名度が上がっていった、初めの時期でした。今もそうですが、当時からあの先生の激烈なファンになる方がいる一方で、激烈に嫌う方も世の中に大勢いたのです。

 身の回りの大人は、程度の差こそあれ、皆、あの先生を嫌っている方でした。本気で『姦淫という悪徳をわざわざ復活させた淫魔』だと思っている人もいたようです。

 

 『姦淫』=『唾棄すべき悪徳』とみなす思想の宗教団体は、これまでもカラメル半月先生に対して、敵対、無視、攻撃、etc思い切りネガティブな反応を示しています。ただ、いつ頃どんな反応をしたのか、どんな見解を発表したのか、団体によって様々です。主張のトーンも団体次第で違いがあります。

 子どもの信徒にはこの先生の情報を絶対的に触らせず、極力遮断して口に出すのも禁ずるという選択も、考え方次第では有り得ました。実際にそういう風にしている宗教団体は現に存在します。

 しかし父が属する宗教法人は、そうした対応を取りませんでした。このTV番組デビューの2~3週間後くらいから、子どもを含む信徒全員に先生への批判を説き、世に溢れる淫らさの撲滅を呼び掛け、そうした『完全に健全な見解』を絶対的な正義として一貫して主張し続けたのです。

 ゆえに、否定一辺倒という目線でしたが、『カラメル半月』というペンネームと活動自体は把握しておかねばいけない環境でした。私が日頃交流していた大人の方々は、おおよそ教会や学校の関係者に限定されます。そうした環境で過ごした小学生だったことを御理解頂ければと思います。

 

 教会の礼拝の説教では、清さと正しさを強調して創作物への警戒を呼び掛ける内容がぐんと増えました。牧師として真剣に強く説教する父の姿を、私は何度も見ています。

 通っている小学校でも同じような注意を何度も受けました。信仰を理由に入学先を選んだ生徒が9割9分を占めるような私立です。指導のトーンはかなり強いものでしたが、先生に反発したり露骨に馬鹿にしたりする生徒は外形上は皆無でした。

 

 ただ、小学5年の終業式の日の下校中、いつものように『清く正しくありましょう、悪いものには触れずにいましょう』と学校で指導を受けてから帰る帰り道、前述の友達が「先生たち必死だったね」と話題に出したことがありました。

 

「熱心なのはいいことなんだよ。熱心すぎてちょっと怖い。……今言ったの、内緒だよ?」「うん」

 

 『汝姦淫するなかれ』。それまでごく当たり前の教義だったもの。この教義に反するものが、カラメル半月先生の手で世の中に溢れかえった。だからみんな必死になっている。教義を絶対的に守ることが正義なのだと、口角泡を飛ばして世の中に訴える人がいる。

 その構図が、小学生の私達の立場でもおぼろげに見えていました。

 

 

 友達は大人達の熱心さにちょっと引いていて、父はカラメル半月先生を思いっきり嫌う側。

 では、その時まだ大人ではなかった姉はどうなのか。ふと思ってその日の夕飯時に切り出したのです。

 

「カラメル半月って作家さん、お父さんもそうだけど、教会に来る人達もとっても嫌っているよね。お姉ちゃんはどう思ってるの? お姉ちゃんの意見は聞いたことないや」

 

 姉は、高校の卒業式もとうに終わっていました。第1志望校の法学部に合格して受験も終了しており、ちょうどそうしたことを尋ねる余裕が出来た時期でした。

 聞かれた姉は、茶碗に箸を置いて腕を組み、意外にも少し考え込んだのです。

 

「うーん。あの作家さんの考え方は聞く限り私には合わないみたいだけど、……父さん達みたいな嫌い方はしていないかなー」

 

 父の顔が露骨に強張りました。

 当時の私にも分かりました。父にとっては耳を疑いたい言葉だったのでしょう。父は、姉も(他の信徒の方と同様に)カラメル半月を非難するものなのだと思っていて、問い詰めたくなる寸前なのをどうにか堪えていた。

 

「えっとね。……父さんは正しい生き方の道が世の中に一本だけあって、それ以外は全部間違ってるって思ってる。信念を持つことってそういうことなんだろうね。違う?」

「そうだな! あんな誤った意見が野放しになっている現状が、聖職者として私は許せん。誤った意見を振りまいているあの悪魔もだ。お前はそう思わないのか?」

 

 いくらでも熱弁を振るえそうな勢いの父に対して、姉はとても冷静に見えました。

 

「父さんはそうなんだろうね。信念を持つことってそういう事なんだと思う。

 でもね、この国で法律を考える人達が法律を作る時って、必ずしもそういう風には考えてくれないんだと思う。扇を広げた時の扇の骨みたいに、右の端から左の端までいろんな考えがあるって思ってて、……父さんみたいな考え方も、カラメル半月みたいな考え方も、どれも、扇の骨のそれぞれ一本一本みたいに、色んな考え方の1つ程度にしか捉えてくれないんじゃないかな。

 あの作家さんは、この国の憲法を、……憲法に書いている思想や表現の自由を後ろ盾にしているらしいからね。そういう意味で、あの人の後ろ盾は法律的にはとても強いよ。性的な事を含めて『人間がどう生きるべきか』って、思想の自由にもろに関係することだもの。宗教的に見ておかしな内容でも、法律的には、世の中にある色んな色んな思想の中でも今目立っている思想、って、そういうものにしか捉えてくれないらしいから」

 

 父は苦虫を噛み潰したような表情をしていました。

 姉の言うことも別に間違ってはいないのでした。まさに法学部に入学しようとする上の娘に「法律で物を言うな」と言う訳にもいかず、宗教的な信念それ自体を否定している訳ではないから「神を侮辱するな」とも言えず、父として「生意気だ」とはみっともなくて言えず。

 ちなみに、後日、姉本人からこっそり「呟きったーの受け売り言ったんだけど、バレなかったわー」とネタ明かしされました。父がネタ元を把握していたら、即座に「ネットの受け売りで喋るな」とツッコミを入れてたことでしょう。

 ともあれ姉は喋り続けました。神経を使って喋っているのが丸分かりの話し方でした。

 

「……その上で私の好みを言うなら、あの作家さんの考え方は私には合わないよ。でも正直、あの作家さんが何しようが無関心なまま放っておけばいい、っていうのが本心かなぁ。何か目立つ主張をするってことは、誰か賛成する人の目線や、反対する人の目線だけじゃなくて、興味本位の野次馬の目線にも晒されることでしょ? カラメル半月を嫌いな人が反対するのも止めないけれど、私は野次馬でいたいかな。弁護士目指すのに集中したいし」

 

 ムスッとしたまま何も言わない父は、姉を『聖職者の娘にしては温すぎる』と感じたかもしれません。

 間違ってはいないことを言って本心を述べたつもりの姉は、父を『視野が狭くて頭が固い』と感じたかもしれません。

 言いたいことが山ほどあってもお互いに飲み込んだらしい夕飯時、辛うじて激しい言い合いは回避されました。途方もなく冷ややかな時間でした。

 

 それまで私の日常生活の中で聞く『カラメル半月』の名前は、常に強い批判と嫌悪が結びついていました。姉の意見が、嫌悪のトーンの低さという点では目立って突出していたのですから察して下さい。

 まるで子どもの魂の中に杭を打つように、大人の人達は『清く在れ』と執心していました。でも、世の中の人全員にはそれは必ずしも自明の徳目では無くて、時に『色んな思想の一つ』で切り捨てられてしまうこともあるのだということ。父が悔しがっているけれど反論不能という論理の存在が、当時の私にはとても新鮮でした。

 

 

 姉は、妹の私からみても冷静沈着で頭が良い方だったと思います。

 私達姉妹が通っていた私立学校は中学までしかなく、そこから上の進学は否が応でも生徒次第になります(生徒によっては、中学受験して別の中高一貫校に転校することもありました)。

 姉は持ち上がって進学した中学校で上位の成績を取り続け、ある時、「できれば弁護士になりたい」と公言して父を説き伏せて塾通いを開始。高校は公立の進学校に進み、そこから法学部への入学を果たした、という経歴でした。

 

 大学1年生の年にものの試しで行政書士試験を受験して、結果、合格したらしいです。姉が言うには夏から3ヶ月の集中勉強の付け焼刃で、合格したのは多分まぐれだとかどうとか。

 その時はそういうものなのだと思ったのですけれど、実は法学部生としてもそれなりに凄いことだったようです。試験の受験者は数万人。合格率は年によるけれど10%内外で、つまり数千人かは合格者します。その内10代合格者の割合は例年1%前後、人数ではおおよそ数十人。流石に『不世出の天才』と言うには大げさにすぎるでしょうが、『優秀な学生の1人』とは言えるのではないでしょうか。

 

 姉が弁護士を目指す事を、少なくとも私の目の前では父は止めませんでした(もちろん、私が知らないところで何かやりとりがあった可能性はありますが)。

 弁護士は、法律を駆使して社会的弱者を守る方向にも、強い人により強い法律の後ろ盾を与える方向にも、どちらにでもなれる職業です。姉が弁護士志望で法学部に入ったのだと聞いた信徒の方々は、前者のような弁護士を期待して、ある時までは概して肯定的でした。

 

 姉が高校3年生の頃、カラメル半月先生は華々しくTVデビューした訳ですが、以後の一貫した世間での目立ちっぷりは、姉が法学部受験を決めた頃には到底予想できない事だったと思います。

 先生が一貫して憲法上の表現の自由や思想の自由を当たり前のように強調し続けたことも、実に予想外だったと思います。

 

 

 私が小学6年生に進学し姉が大学1年生になった年も、相変わらずカラメル半月先生は新聞にもTVにも出ずっぱりで、教会の礼拝の説教でも批判の常連になっていました。

 

 ジョークグッズの大ヒットがニュースになり、ジョークグッズ大ヒットを分析した新聞記事が話題になり、その新聞記事を紹介したTV番組がネット記事になり、鋭意作成中の別のジョークグッズの作成ドキュメンタリーが深夜放送にも関わらず良い視聴率を取り、……。

 そういう風に膨らんでいく話題の数々は、第三者のポジティブな評価や興味本位の揶揄を含んだ瞬間、大人の人達の情熱でブロックされるわけですが、それでも面白がっている『だけ』の非信徒の方の存在は、私の耳にも届くわけです。

 無防備にニュースに晒されればどれほどあの特殊メイクの顔を見つけることになるのだろうかと思うような日々です。潔癖さについて信念を持つ一部の方々にとっては、忌々しかったのだと思います。

 

 カラメル半月先生の活動は、実に幅広く喧々諤々の議論を世の中に産み出し続けました。その頃の新聞の特集記事のうちの1つ、特に先生を擁護する側と非難する側両方を載せたものの中に、ある弁護士の方が寄稿した記事がありました。

 非難する側に、宗教的な観念から意見を述べた宗教者の方がおられたからだと思います。ある中年の信徒の方で、その特集記事の全面コピーを持参し、日曜日の礼拝の前に世間話として父に熱く語り出した方がいたのです。

 信徒の方がぼちぼち礼拝に来始める頃合いでした。その場で座っていた何人かの人達全員の耳に入るような声で、その方は、紙面の宗教者の方の意見を立派な意見だと褒め称えておられました。……そこまでは良かったのですが、姉にとって問題になったのはおそらくその後の発言です。

 

「しかし酷い弁護士がいるんですねー。この悪魔の問題で口出してくる弁護士は、みんな若者を堕落させようとするか、表現の自由とか言い募る奴ばっかりです。まともな態度であの悪魔を退治しようとする方々は見たことがない。

 もうここまで来ると、先生の上のお嬢さんみたいに、世間に出して若い人しかいないところで勉強させることも、弁護士を目指させることも、両方とも、自分の子を淫らな悪魔にすることと同じに見えてきますよ。法学部とかに進学させるなんてとてもとても、……例えば先生の上のお嬢さんは大丈夫でしょうか」

 

 私の横にいた姉は確実に聞いてました。姉のすぐ後ろにいた伯父夫婦もです。

 その人がどれほど本心に忠実に喋ったのか分かりません。口下手なのか、それとも口が達者なのか、分かりません。当てこすりをどれほどの割合で含めたつもりなのかもわかりません。その時の私は、正直に申し上げて『姉に聞かせるつもりで言った強引な当てこすり』だと感じました。今でも、そう思っています。

 沈黙がありました。姉に注目してはいけないのに注視してしまうような。何か喋るべきなのに喋ってはいけないような。

 壇の下でその人と向かい合って一方的に話を聞く形だった父は、私達姉妹の方をチラチラ見ながら(もしくは姉の反応を案じながら)言葉に迷っていました。私も姉の横で狼狽するより他になく、その他の方々も困惑するしかないようで、ひたすら沈黙がありました。

 

 姉は真っ青でした。

 怒っているのか悲しんでいるともとれる表情で唇を噛み締めて立ち上がり、私を押しのけたかと思うと一目散に教会の外へと飛び出していきました。

 

 従兄が、伯父さん夫婦よりも遅いタイミングで礼拝の場に入ろうとして、姉とすれ違いました。

 姉は泣きながら駆けていたそうです。従兄が呼び掛ける間もなく走り去ったのだと聞いています。次いで、迷いながらも心配して結局は追いかけてきた私とも教会の出入口でかち合い、そこで従兄は私を引き留めました。

 

「今はそっとしておいた方がいいよ。心配だろうけど、追いかけなくていい」

 

 従兄はあの場で何があったのか見ている訳ではないのに、それでもそうした方がいいのだと確信があるように感じられました。取るべき態度が分からない小学生の私の心境の中に、取り合えず与えられた解でした。言われた通りに足を止めました。

 

 私が小学6年生で姉が大学1年生の、学年末の出来事でした。

 この日以後もその発言をされた信徒の方は礼拝に参加し続けていましたが、姉と従兄は全く参加しなくなりました。

 

 

 先に述べた通り、従兄は姉の1歳上でした。この頃は姉と同じ大学の理工学部生になっていました。元々は別の大学に入学したのですが、その学部も大学も不本意すぎたため仮面浪人で大学自体を変え、一浪相当の年齢として姉と同じキャンパスの同級生になったという経緯でした。

 

 伯父さん夫婦から是非書いてほしいと依頼を受けたので、細かい事情を書いておきます。

 従兄は飛行機が好きでした。最初の受験の時には、第一志望校の入試の一週間前なのに珍しい飛行機を見に行って、帰り道で雨に打たれてびしょ濡れになり、それから何日か寝込んだそうです。入試直前で快復したものの、病み上がりで受験する羽目になって大失敗してしまい、その他の学校の入試も調子が狂ってことごとく失敗したのだといいます。

 辛うじて、滑り止めで受けた大学で教育学部の理科専攻に入学できたものの、そこはどうしても合わなかったそうで、5月の末には「仮面浪人して再受験したい」と言い出した、ということでした。

 

 亡くなり方がああいうものでしたから、世間では、一時期、従兄の事を『恋愛小説を書いてた情報学科のマニア』とする論評が流れていたらしいです。率直に申し上げて、事実に反する内容が含まれると思います。

 飛行機の話題になったらまるで話が止まらない人でした。その点でマニア気質には違いありませんが、仮面浪人の末に再入学した先は理工学部の『航空工学科』です。『情報学科』ではありません。飛行機を造る会社への就職を強く強く希望していました。

 

 大学のサークル活動では文芸部所属だったそうで、従兄本人は、他人の創作活動全般には内容を問わず寛容な方だったと聞いています。

 ただ本人が生前唯一書き上げた遺作には、当時流行していた恋愛要素は全くありませんでした。物語の舞台は、飛行中に機体が物理的におかしくなって、次から次からトラブルが発生するジャンボ旅客機。機長と副操縦士が、管制と協力して地上への帰還を懸命に目指すという筋書きのフィクションです。

 架空のドキュメンタリー番組を抜粋して論評しているという体裁で、ブラックボックスの書き起こしの引用と、発生したトラブルの再現から構成されていました。鳴り続ける操縦席内の各種ブザー音と、操縦席内の操縦者ふたりの緊迫したやり取りと、管制官との通信の描写で合わせて8割以上を占めます。書きたい内容を思い切り書いたらしいと思われるそれは、どこをどう読んでも恋愛のれの字も無い、関係者の懸命な努力によるハッピーエンドで決着させた航空小説でした。

 

 つまり『恋愛面で濃い内容の創作をする人達と交流があった』こと、『嗜好(=飛行機)に忠実に創作をしていた』こと、それはどちらも事実です。性的な内容を含む創作物に関して、教会の主張よりもより柔軟な知見を持っていたことも、おそらく事実です。潔癖さが信条であったなら、そもそもそういう創作をしている人が好きに創作していたサークルには、入っていないはずでしょうから。

 とはいえ従兄自身が自らの手で『恋愛面で濃い内容の創作を書き散らしていた』という情報は、伯父さん夫婦が知る限りは見受けられないといいます。限りなく誤報に近いのではないか、と認識されているようです。

 

 何度でも繰り返して書きます。姉にとって、そんな従兄は、何でも相談できる間柄だったようです。

 悩み事を打ち明けて相談できる相手は、妹の私ではなく、従兄でした。妹は自分が相談して頼る存在ではなく、自分が一方的に庇護し支援するだけの存在だったのです。自分が相談する時は1歳上の母方の従兄に頼ったのです。

 そうした姉妹の関係性に不満はありません。年齢差が大きいのですから極めて自然なことでしょう。姉と比べてはるかに未熟な私には、のちに明らかになる姉の内心の葛藤は、とても受け止めきれないことでした。仮に私が姉から何か相談されても、力になることは絶対に出来なかったと思います。

 しかしその親しい関係性が要因となって姉と従兄にあの悲劇が生じたことも、(父が一方的に悪者であり、姉と従兄に落ち度はないという大前提の上で)また客観的な事実のように、今は思います。

 

 

 私が小学校からそのまま中学校に持ち上がった年、姉と従兄は揃って大学2年生になりました。

 中学校では陸上部に入りました。小規模な私立中学校ゆえ部活動も全体的にこじんまりとしており、悪く言えば全校的にハングリーさが薄く、良く言えば全校的にのんびりしていました。

 そもそも何か体育活動に軸足を置きたい生徒は、部活が売りの他校に進学するなり、スポーツクラブに入るなりしていたはずです。陸上部も大きな大会に出たりする子は皆無ですが、他校と交流したりする機会も皆無とは言えず、ほどほどの熱心さでほどほどに夢中になれる部活動ではありました。私には合っていました。

 

 姉は中学生の頃常に全科目で学年トップクラスの成績だったそうですが、私の方にはそんな頭はありませんでした。国語と社会が比較的得意で、英語が並みで、他の科目は壊滅的で、陸上の短距離走が好き。ごく凡庸な中学生でした。

 姉と従兄は優秀だけれど、私はそうでないということは漠然と分かっていました。姉にとっての『法律家になること』や、従兄にとっての『飛行機関係の職に就くこと』のように、何か将来目標にしたいというものも特段無く、陸上も短距離に限っては平均よりは出来る方で、それだけでしかないという、それだけの女子だったのです。

 

 結局はあの中学校には1年生の間しか通えませんでしたが、仲良く持ち上がったクラスメイトと共に過ごした、特筆すべきこともない平凡で平和な中学1年生の記憶は、後から振り返ると貴重なものとなりました。

 

 大人になった今だから言えます。勉強も部活も平凡だからこそ、教会の教えを肯定した面は確かにありました。

 姉や従兄は勉強に才があり、それぞれやりたいことを見つけて、才能を肯定されて大学生活という居場所を見つけたように思えていました。妹の私は勉強も部活も平凡で2人のようにはなれないけれど、でも『信仰が強固であること』=無条件に良いことなのだからひとまずはそれで良い、と、そう無意識に考えていたのです。

 

 教会の礼拝に毎週参加する中学1年生の妹。全く参加しなくなった大学2年生の姉。この1年間はそうなりました。

 この年度までは、教会や学校の教えをそれなりに純粋に信じることが出来ていて、私自身その事を良いことだと信じて疑っていませんでした。

 

 

 教会や学校や父が教えるのは、『健全に清らかに生きるべきこと』、そしてもちろんそうした教えに反する『カラメル半月先生への敵意』。これらは全くブレてはいけない生き方の芯であると捉えられ、私達子どもを含めてこの教えに染まることを激しく強く当然視していました。

 併せて『結婚して子供を産む事が人としての義務であること』と、『人の繁殖は子を産むための聖なるものであって、淫らさが入る余地がないこと』も、信徒の正しい姿として絶対視され強調されていました。内部でこのような価値観が貫徹されていたことは、姉の亡くなり方を語る上で絶対に外せないことです。

 

 世の中には、『どんな宗教団体が、いつ、どのようにカラメル半月先生に対応したのか』を、学問としての比較宗教学の話として、色んな団体の見解を外側から系統立てて分析している学者の方がいます。

 父が属する宗教法人は、のちに父が起こした事件の特筆性ゆえにそうした比較の対象となり、論文の題材になりました。その学者の方の見解によると、タイミングと批判色の強さを軸にして様々な団体を分類して並べてみた時、この宗教法人の対応は、どちらかと言えば、ごく早期に強いトーンで強硬な態度を示したかなりアグレッシブな一群と言えるのではないかとのことです。

 しかし、そのような諸団体を俯瞰するような視線の、冷徹で客観的な学問上の見解そのものを、その頃の私が学ぶ事はありませんでした。

 

 先に述べた小6の時の礼拝の出来事については、私は信徒の方の発言に引いていました。ただし『信仰の熱心さゆえに姉を当てこすって泣かせた』とだけ解釈していましたし、いずれ姉も信徒の方もお互いに和解して姉は教会に復帰するものと考えていたのです。

 父に引き摺られた見解でした。あの日落ち着いた父はあの信徒の方を穏当にたしなめ、「法学部に入ったからと言って淫らだとは言えません。清らかに過ごし熱心に信仰する弁護士や法学生も実際におられます」という趣旨の話をしたのだそうです。そして礼拝の後、自宅では「お姉ちゃんが落ち着いてあの人を許す日を待とう。あの人は熱心過ぎたんだ」と、私に話したのです。

 

 身も蓋もない話ですが、この国の法律に基づき合法的に宗教法人として存在する組織が、専門職としての弁護士を全否定して、弁護士と全くの無縁のまま組織として存在し続けることは、極めて困難です。

 1つの理由として、父が述べたように、いかなる職業の方でも信仰心を持つことは有り得ることで、弁護士の方が信仰心を持って信徒になるということももちろん有り得るということ。

 また別の理由としては、宗教法人それ自体が主体となり、どこかの法律事務所と契約して弁護士の専門知を求める、という営為が、現代社会の中で普遍的に存在するということ。

 ひょっとしたら、内部用語でいうところの『淫らな創作物を創る人』ならば、信徒になることを拒絶したかもしれません。『世の中に有るべきでない職業』との判断にも説得力があったかもしれません。しかし、弁護士という、以前から存在していて有益に見える職業の存在意義を否定する見解は、宗教法人の構成員として現実を顧みる思考があれば、中々出せないことだったでしょう。

 

 しかしそうした判断の裏事情を勘ぐる思考も、その時の私にはありませんでした。教えられたことを疑うだけの視野も、自我も、反抗心も、まだその時の私には育っていませんでした。

 教え方に熱心な大人達に引くことはあっても、教義の正しさ自体は、私の心の中では当たり前の観念でした。プログラミングで動くロボットのように『かくあるべし』の信念が埋め込まれたような感があったと思います。

 そんな自分達が所属する世界が、その世界の外側の人にとってどれほど極端/穏当に見えるもののか、そうした外側からの視線の存在を知ってはいても、私の中で認識の物差しにはなっていませんでした。

 

 

 中学1年生の3月末、木曜日の夕方。家族3人が揃った夕飯時。父はご飯を食べながら姉に切り出しました。

 

「ここ1年教会に来ていないようだが、今度の日曜日には顔を出してくれないか? 酷いことを言われたのは分っている。あの人は『熱心すぎて言い過ぎてしまったから謝りたい』とずっと仰っていた」

 

 姉は無表情でした。椀をテーブルに置いて、吐露するように答えました。小さいけれど芯のある喋り方でした。

 

「父さん。あの人の言ったことは、私にとっては狭すぎるし深すぎるタコ壺の中の意見だったよ。……あの人と同じ見方には私はなれないし、あの人の意見にはついていけない」

「だが、あの人を許すことだけは出来ないものだろうか?」

 

 姉がこの質問に肯定することを、父は期待していたのかもしれません。

 あるいは否定であったとしても理解は示したかもしれません。将来は『淫らな悪魔になる』と言われることは、信徒の価値観では実に深刻な問題です。『言われたことが重大すぎて許せない』との返答だったとしたら、それはまだ父でも共感できる範囲内だったでしょう。

 

 姉は、壁に貼ってあったカレンダーを見ました。翌日の金曜日は姉の属する法律相談サークルの活動日、翌々日土曜日は私が陸上部で他校と合同の記録会。そのスケジュールを確認して言ったのです。

 

「……父さん、明後日の土曜日に、家でじっくり2人だけで話せない? 明日は大学で1日予定が埋まっているから」

「分かった」

 

 真剣な話し合いをしたいのだと思いました。父と姉だけの、私が首を突っ込むべきでない話し合いを望んでいるのだと。

 

 

 この木曜日当日の夜、姉と従兄の間で、メールでやりとりした記録が残っています。

 

『兄ちゃん、ちょっと頼まれごと良い?』

『どうした?』

『父さんと話し合いたくて、言いたい事紙にまとめたんだけどさ。読んで意味が通じるか見てくれない?』

『了解。ただし明日大学でジュース1本奢れ』

『分かった』

 

 

 土曜日。私が他の中学校に出かけて呑気にトラックを駆けているその時に、自宅で、姉と父は相対したのです。

 

 父が調書で残した姉の言葉を、そのまま転載しておきます。今回この原稿執筆にあたって、父の国選弁護人から頂いた資料の中に調書がありました。父の公判はとうに終わっており、掲載に際して法律的な問題はないはずです。

 父の目線で喋ったことですから正確でないかもしれません。ただ、伯父宅の従兄の机の中にはほぼ同趣旨の原稿がありました(警察の方が後日見つけたそうです)、姉と従兄両方の指紋も、どちらかの推敲痕もありました。姉の弁の立ち方にも違和感は感じませんから、言ったことはおおむね事実ではないかと推測しています。

 

「父さん、言う通りに生きなきゃいけない義務はあるのかな。母さんは尊敬してるし、命懸けで産まれてきたあの子とも仲は良いけれど、私は、子どもを産むことそのものには正直恐怖しか無いよ。お産の直前に脳血管やられて死んでいくことがどんなことなのか、7歳の時に目の前で見たから。 

 私には合わない道を宣伝しまくっているけれど、カラメル半月には一目置いているよ。価値観を並べて比べる対象がなければ、考え方がどんなに違うのかを知ることはできなかった。あの人がいなければ、父さん達の信念が一本道だってことにさえ気づかなかった。思想の自由も信仰の自由も、それこそ信じる教派を変える自由くらいにしか思っていなかったはずだし、無理矢理にでもこだわって子供を産んで育てようとする弁護士になってたんだと思う」

 

 姉は父を見ながら冷静に話し切ったそうです。暴れもせず声を荒げる事さえせず、事前に丁寧に添削して用意していた言葉を、冷静に。

 

「たぶん私は、男性とそういうことは全くしないままに生きて死んでいくんだよ。

 男女の交わりに子を産む意義だけ見出す生き方でも、流行りみたいに愛を大事にする生き方でも、どれかだけを選んで進まなきゃいけない義務はないもの。カラメル半月だって『やるなら自己責任だ』って言ってるもの。なら私は何もやらずに生きていくって、そう決めた。

 私が7歳の時に感じた恐怖を否定しないで。子どもを産む生き方だけ、1つの『正しい道筋』だけに私を染め上げたいんなら、父さんはわがままだ」

 

 頭に血が上がった父は、姉に殴りかかりました。

 

 

 そして姉は従兄にメールしています。

 

『助けて。父さん逆上した。殴られて部屋に逃げてる。うちに電話して。コール音で我に返らせたい』

『大丈夫かよ。電話しながらそっち行く』

『助かる』

 

 私達の家と、従兄が暮らす伯父さん宅は、徒歩5分の距離です。従兄は1人で留守番をしていた時にこのメールを受けたと思われ、誰にも報告せずにすぐさま家を出たようでした。

 

 従兄の携帯からの固定電話への発信は長く続きましたが、父は全く電話に出ませんでした。ずっと鳴り続けるコール音に、従兄は胸騒ぎを感じたことでしょう。

 うちに飛び込んで姉の部屋に一直線に走り、従兄が見つけたのは、血を流しながら虫の息で倒れる姉だった、はずです。

 

 慌てて姉を抱き起そうとした従兄の視野の外側、血まみれの刃物を持った父がいたそうです。

 従兄が家に入り込んでくる音を聞いて、とっさに部屋のドアの後ろ側に潜んだのだそうです。かがんだ姿勢の後ろから首を狙ったのだといいます(後の検証で、傷の形からも立証されました)。

 父は始終無言、従兄は襲われたことに気付かず、姉も声を出せなかったと思われます。

 

 叫ぶ声も争う音も、家の外側には漏れませんでした。ただ2人分の血だけが流れました。

 

 

 人間こうあるべきということを誰かに指示したいとは思いません。そういう風に説く資格は私にはなく、そういう地位になりたいとも思いません。しかし『当時、私はこう思った』とは書けます。『今、こう思っている』ということも書けます。

 

 どうして父はどこかで自首してくれなかったのだろうかと、後で何度も思いました。

 凶行に走る前に引き返す機会はあったはずなのです。姉を殴った時、姉の部屋の中で刺した時、そして従兄を刺した時。いずれかの機会において、悔やんで、反省し、自首することが、現代日本社会の法規範の中で生きる者として当然の事ではなかったかと思います。

 法律的な話として、心の中の信仰の形がどうあれ、日本の法律ではこうした殺害行為は単なる犯罪として処断され、社会的に排斥される行為です。人間の生命を奪う法律的な権限は、そもそも父には絶対にありません。生き方について考えが合わないにせよ、姉を刺殺したその時から、父は、法律上単なる殺人犯として断罪されるべき者でしかなかったのです。

 しかし父は自首しませんでした。遺体と血の隠蔽を行い、父の思う『間違った性観念を振りまいている人』を憎むことにしたのです。破綻した思考だと思います。

 

 宗教的にはどうでしょうか、世の中には、父がやったことに関して『淫らな我が子を糺し、悪魔を殺そうとして果たせなかった英雄』と見なす方もおられようですが、私はそのような見方に関しては絶対的に賛同できません。

 姉の言い分は、果たして『淫ら』だと言えるものでしょうか。父の振る舞いは果たして『英雄』と言えるものでしょうか。

 

 何かを信じることそのものがすなわち絶対的な悪だとは、今の私は思いません。さりとてその信仰の下に、己に合致しない考えを憎むことを、究極的には生命を奪うという行為を、更にそうした行為を絶対的正義として肯定する思想を、宗教学的には『狂信的思想』と評価されるのだといいます。そういう見方や評し方が、今の私にはしっくり来るのです。

 

 もう父を憎むことと悩むことに疲れすぎてしまいました。こうした思いについてこれ以上細かく深く書くことはしませんが、私が父の所業を許したことはこれまで一度も無かったこと、それだけは、はっきり明言させていただきたいと思います。

 

 人がどう生きるかはその人の自由です。人の振る舞いについてどう評価するのかも自由です。信仰的に敬虔な生き方であろうが、堕落した生き方であろうが、しかしそれは究極的には自己判断で自己責任でしかありません。

 人の考え方に賛同する自由も否定する自由もある一方で、無理やり賛同させたり否定させたりする権利もまた誰にも無いのだと、今はそう思います。

 

 

「おかえり、さっきお姉ちゃんが家出したぞ。カラメル半月の主張にかぶれていて私と喧嘩になった。実に全くもってけしからん作家だ!」

 

 私が帰宅して最初に聞いた言葉がこれでした。何も知らない私にはショッキングな情報でした。言ってくる父もちょっとテンションがおかしいように思えました。

 ショッキングには違いない情報でしたが、言われた事自体は腑には落ちました。姉がカラメル半月先生のことについて必ずしも教会の教えに従うような考え方でないことは、これまで書いたように私の目にも明白でしたし、父があの先生を嫌悪している事もまた明白です。

 姉があの人の肩を持てば父がそれに反発するだろうというのも、明確に想像し易い構図でした。父の顔が怒りに染まっているのも当然で、驚きつつも、大学生くらいに大きくなれば家出先の当てがあるんだろうか、どこに行ったんだろうか、……と考えた、その時です。

 父が私の肩を鷲掴みにしました。

 

「明日カラメル半月の仲間を抹殺しに行くぞ。それが我ら信徒の義務だ」

 

 言われた私のドン引き具合と混乱っぷりは、これまでで最大級のものでした。

 そしてその思考はそのまま私の表情に出ていたのでしょう、父は一瞬で怒気に染まり、私の肩を掴んでいた手のひらを襟首に掴みかえたのです。

 

 人生で初めて殴られました。あれは確かに感情任せの拳でした。少なくとも8発は受けました。

 その日のその後の出来事は、全く覚えていません。

 

 

 本来は日曜日は礼拝の日です。教会の牧師は絶対に教会にいないといけません。

 表向きは体調不良という理由で、ごく内々には家出した長女の行方を捜すという理由で、真相は父の頭と従わされた私の中に留められ、その日の礼拝に、父は欠席しました。

 

 父の運転する車に乗って、私達はピンクウェーブ本社へと移動しました。当時、ピンクウェーブ社の会社規模は、まだ東都のビル一棟の中に収まる程度でした。カラメル半月先生は、その日生放送のTV番組でコメンテーターをするということが事前に公表されており、ひょっとしたらその前に会社に寄ってそこから出勤するのではないかと思っていた、……というのは、父の供述調書にあったことです。

 

 父に与えられた鞄を持っていました。凶器が入っている鞄だけを持たされていました。

 誰も出てきませんようにと祈りながら会社の前の路上に立って暗い顔をしてひとりで待つこと約2分(防犯カメラに映っていたので、待機時間に間違いはありません)、会社の前に車が止まり、よりによってあの有名なメイクの先生本人を含む大人数人の集団が、父の予想通りにビルから出てきたのです。

 

 私は、青タンまみれの顔で泣きべそをかいている私服の中学生でした。ハタから見たら意を決して助けを求める被害者に見えたでしょう。演技しているのだか本心を言いたいのか自分自身今でも分からない叫び声で、まったく父に指示された通りにその先生方の集団に呼び掛けたのです。

 

「助けて下さい! お父さんに殺される……!!」

 

 僅か数mの距離を走り抜けて目標の集団に接触する前に、私は派手にけつまづきました。前方にスライディングするように歩道に倒れこんだ私を、車に乗る寸前のはずの皆さんが足を止めて注視していました。

 先生方にとって、真後ろの父は死角でした。こうすれば刃物を持って襲い掛からんとしている姿には気づかないだろうという、そんな企みでした。

 

 

 カラメル半月先生のメイクは、本当に本当に目立ちます。敵意を持って標的にしようとする側にとって、これ以上ない目立ち方です。だから唯一の標的として狙われて、だから助かったのです。

 

 数秒の出来事でした。

 集団の中でも真後ろではなく真ん中あたりにいた先生を刃物で狙おうとした、駆けてきた父が刺すように伸ばした利き腕は、どうしても集団の内側に入り込まざるを得ませんでした。誰かの視界に入るからこそ必然的に気づかれて、とっさに父の腕はブロックされたのです。

 熱狂的なファンを制止するという日常業務の延長線上、偶然にも気付いたのは大柄な男性のスタッフで、腕をぶつけて止めてから『刃物を持った男』という情報を認識したのだといいます。……のちに私はそう聞きました。後から考えればあの先生の警護にしては呑気だったという反省の弁も、私はその時一緒に聞きました。

 

 ともあれ、訳の分からない誰かの叫び声が重唱の形で上がって、同時に派手な格闘になりました。カラメル半月先生は慌てて車に押し込められ、路上では刃物を掴み続けたい父と、刃物を取り上げたいスタッフ数名との戦いが始まっていました。

 私は、転んだまま、その有様を目の前で見ていました。

 

 

 大勢の人が周囲にいました。

 興奮状態の叫び声の中心点となり注目が集まりまくる路上、父は流血しながら興奮状態で大暴れする、刃物を取り上げられて組み伏せられつつあるひとりの中年男性でした。

 とにかくたくさんの視線を浴びました。狙われていた当事者の集団と、その他大勢の野次馬が騒いでいました。緊迫感あふれる騒ぎの中で、私達はとにかく注視されていました。

 

――あの人の言ったことは、私にとっては狭すぎるし深すぎるタコ壺の中の意見だったよ。あの人と同じ見方には私はなれないし、あの人の意見にはついていけない。

 

 ろくに受け身を取れず膝と肘と顎を擦りむいて地べたに倒れ込んでいる私の脳内に、いないはずの姉の言葉が湧き上がって響きました。あの時自宅のテーブルで聞いた言葉を喋る人なんて誰もいないのに、勝手に思い出されたそれは、回路に電気が走るようにそのまま現実の判断に繋がりました。

 不意打ちの、天啓の如きひらめきの瞬間でした。姉にとってあの礼拝でのあの人の意見がそうであったように、私にとっても父の見方もまた同じではないか、私自身から見た父親もまた、タコ壺の中の人ではないか、と、……そう感じてしまったのです。

 

 気付くのが本当に遅すぎました。私は、この場において父と同一の信念のままに同調して共鳴できるだけの感性は持ち得なかったのです。父の振る舞いを正しいと思えるような判断力は育たなかったのです。

 初めて、父の姿を心の底からみっともないと思いました。その振る舞いを、まるでタコ壺の中の信念であるかのように外側から見つめる揶揄の視線の方が、より私には共鳴できるということに気づいてしまったのでした。そう感じてしまう自我の存在を、この時に初めて意識したのでした。

 

 脳が揺さぶられたような極めて重大な気付きでした。アスファルトの上にうつ伏せに転げたまま、ただただ激しく悶えて慟哭する事しか出来ませんでした。

 

 

 襲撃の前の日の、土曜日の段階で、父は、伯父さん夫婦に問い合わせていたそうです。

 

「うちの上の娘が冒涜的な発言のあげく家を飛び出した。衝動的に家から出て行ったように思えたが、玄関先でお宅の息子と合流していたから、事前に従兄妹同士で家出を示し合わせていたようにも思える。ふたりがどこか行く先に心当たりはないか?」

 

 伯父さん達は本気で驚いたそうです。

 ただ、父の口ぶりは21歳と20歳の同じ大学に通う従兄妹同士の家出、それも父娘の喧嘩の延長線のような説明です。父の喋り方に違和感はあってもそれは父と姉の揉め事があったゆえと感じたといいます。父娘のセンシティブな問題に従兄が口を出したとしか解釈できず、警察に通報して大事にするような判断にはまだ至らなかったそうです。

 携帯に電話をかけても繋がらないこと、伯父さん宅に何も行き先を示すものが無かったこと、どちらもそこそこの心配の材料でしたが、そう真剣には思われていなかったそうです。

 何しろ、最初の受験の前に飛行機を見に行った時だって、一旦は携帯が繋がらないことがあったらしいのです。むしろ従兄が姉を危ない場所に連れまわしてはいないかと、(2年前のように飛行機関係でニッチな場所に連れて行ったりしていないかという意味で)伯父さん達は2人を気に掛けていました。

 

 全ての真相が明らかになったのは、父が逮捕されてからです。

 警察は、事情聴取でも変わらず泣きじゃくりまくる私から、前日以降の父の有様を根気よく聞き出しました。そして姉について、ある程度の強い疑いをもって自宅に家宅捜索に入りました。

 果たして父の部屋のクローゼットから、姉のみならず従兄の亡骸もすぐさま発見されました。血だらけになった姉の部屋のカーペットや、2人分の血が付いた刃こぼれした刃物や、バッテリーを抜かれて壊れた2人の携帯電話や、返り血を浴びた父の服が、一緒くたになって押し込められていたそうです。

 

 指紋も、掌紋も、DNAも、まるで誤魔化そうとした形跡は見受けられなかったそうです。携帯の通信記録も、警察の手で簡単に復元されました。誰がどうやってどういう形で殺害に至ったのか、実に明確でした。

 探偵の人達が推理するどころではなく、完全に筋書きが見えている単純な事件です。証拠を何もかも突き付けられた父は、取り調べで大人しく自白したのだと聞きます。

 

 父は、長女と義理の甥の2名を自宅で殺害し、かつ、ピンクウェーブ本社前の路上にて次女を巻き込んでカラメル半月先生の殺害を企てたとして起訴されました。最終的には無期懲役が求刑され、その通りの判決が確定しました。

 

 

 私の方はというと、警察に確保され補導され、児童相談所に保護されましたが、家庭裁判所で何か処分を受けたわけではありませんでした。

 警察や検察の見立ては、『錯乱した牧師が長女と義理の甥を手に掛け、更に次女の目の前でカラメル半月氏を殺そうとした事件』です。父は一度も否定せず、判決もその見立てに沿いました。私が殺人未遂の従犯として糾問されることはありませんでした。

 

 私は東都を離れました。東都から遠く離れた施設で、高校を出るまでは親族も知り合いも誰もいない場所にいました、そしてその地での高卒就職に至ったのです。

 母方の親族は、従兄を殺されたために私を受け入れることは出来なかったと思います。逆に父方の親族は私が拒絶しました。

 そもそも私が自宅近辺で過ごす事自体が到底不可能な事でした。日常が壊れた感覚というか、世界が地盤からひっくり返って丸ごと崩壊したような孤独感というか辛さはあったけれど、でもあの地域で暮らし続けたならもっと大変な体験をしていたでしょう。遠くの施設に入れるという大人達の判断はそういう面で妥当であったと思います。

 

 父の判決が確定した時、私はどうしても黙っていることが出来なくて、施設の先生に相談して、弁護士さん経由でカラメル半月先生に手紙を出しました。

 私も父の指示で鞄の中に包丁を潜ませていたこと、襲撃しようとする父をどうしても止められなかったこと、私も殺人未遂の従犯で追及されるべきだったのになぜかそうはされなかったこと、そして、あの時ピンクウェーブの人達へ走るのではなくどこか遠くに逃げて通報するべきだったと思っていること、全て書いてお詫びしました。

 しばらくして先生からお返事を頂きました。文面には、逆に私への慰めと激励がありました。

 私が手紙に書いたことは先生も既に全て御存知でした。それでもなお先生にとっては、警察の見立ての通り、父は『かなりアグレッシブな団体に所属していて、おかしくなった牧師』であり、私は『父親の手駒にされて傷付いた、中学生の下の子』であったのです。父が判決を受け入れて、私自身も施設で大人しく暮らしていること両方に納得している、私に刑事責任を殊更に問う意向は特に無いとのことでした。

 先生の御恩情には、ここに書ききれない物を含めて、心から感謝しています。

 

 

 この世に適合できない父の情念に振り回された一家は、父自身を含めて結果として1人ずつこの世から消え去っていくしかないのだと思います。

 最初から母はおらず、姉は従兄と共に殺され、父は刑を全うする前に医療刑務所で一昨年没しました。いまや私自身も遠からず死ぬ運命にあります。

 先日、骨髄を病んでいることが分かりました。発見された時には難しい状態で、今は緩和ケア療法を選んで療養中です。

 

 あの一連の事件から10年と少しが経過しています。おそらく私自身があの事件について語るのは、この原稿が最初で最後になるでしょう。

 どうしてもこの思い出話を書きたかったのです。魂の内側から湧きだす衝動のままに、私が見てきたものを綴りたかったのです。この思い出を読んで頂けたのでしたら幸いに存じます。

 

 

※編集部注

 執筆者は〇月〇日に亡くなられました。この原稿は亡くなられる1月半前に当編集部に御提供頂いたものです。心より哀悼の意を表します。 編集部一同




・作者様あとがき


 『ど健全なる世界』を読んだ時、カラメル半月のカリスマ的行動に宗教界からの反発があることと、何度か殺されかけたことについて記載がありました。「では、反発や激発で一括りされている人達のコミュニティでは、ミクロの目線ではどういう葛藤が起こっただろうか」と思い至った時に、この三次創作のネタが降ってきました。
 暗さ一辺倒の作品になるだろうと思いました。本編はカラメル半月が殺される話ではないのですから、必然的に、殺しを決心する途中までの話か、殺し自体に失敗した話になるのです。信仰心が強い人の主観では書き辛く、その人達を見ていた側の目線の方が書きやすいと思いました。

 設定と筋書きを考えるのは、色々な断片を削りだしてピースにして、組み合わせて一枚のパズルに仕立て上げたような感じでした。
 信仰的な理由でカラメル半月を殺しに行くという激発に至るのならば、そういう犯罪に至るらしい経緯が必要です。まず牧師の父の造形が出来、傍観者としての娘の記述で書く、全て終わった時点からの娘の追想で一貫させることが固まりました。
 両親が揃って激発する描写は私の技量的にちょっと無理そうです、横でたしなめる大人がいない、唯一の大人の父だけが、とにかく子どもたちには信仰上『正しく』あるべきだと強く願って暴発しそうな家族構成になりました。
 その父を激発させる要因を考えて姉の設定ができました。父子家庭になった経緯と関連してトラウマに悩む姉は、また理性的で法を物差しに考える性格でなければならず、その姉を裏面で支える、マニア趣味に肯定的な従兄の設定が最後に出来ました。

 私が書きたかったのは、姉が作中で言っていたように、物語の舞台が現代日本である限り、どんな信仰を持っていようが、主観的にどんなに大切な信仰であろうが、社会的には、それ自体は他者と並列させた一本の扇の骨(あるいはタコ壺の中の信念)としか扱ってくれないのだということです。
 何かに物申したい時、信念を表明する自由は誰にもある。ただしそれを表明することは、外側から、誰かの反発や共感の視線のみならず、興味本位の野次馬の視線をも自由に受け入れることなのだ、ということ。それこそが、私が書きたかったものなのでした。

 しばらくぶりに、心から書きたいことを書き上げきれた、世界観を含めて納得がいく短編を書いた経験となりました。
 ハーメルンで当作をパスワード限定公開した時、充椎十四様に御感想を頂きました。(抜粋させて頂きます)「血が通った、肌の下に青白い血管が透けて見える作品です。まさにこのお話は被害者の手記であり、一人の少女の人生を描いた名作だと思います。」という全面的な賛辞の御言葉でした。
 そうした評価を頂けることは私にとって最大級に幸せな事です。こちらこそ本編と雰囲気がまるで違う三次創作の献呈を快く受容して頂いたこと、充椎十四様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


2020/7/27追記
 作者様よりあとがきの補遺を頂きました。割烹に掲載させていただいております。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=243186&uid=287158
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=243187&uid=287158

2022/07/16追記
誤字脱字5箇所修正


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【アンサーストーリー】有情

頂いた三次創作「タコ壺の信念と、視線の話」のアンサーストーリーとして書きました。モデル連中に先に読ませたら「批判多そう」という感想でしたので、それをご理解の上お読みください。

追記:誤字報告ありがとうございます。ただ「亡くな『ら』はった」は誤字ではありません、すみません。椎野は中高から私立で、近畿圏全域から生徒が来る学校にいたため、近畿圏内のあちこちの言葉が混ざっております。本人にはこれが自然な言い回しとなります。


 これまで何度も改装を重ね、防衛力を高め続けてきた本社ビルを引き払う――と言うと倒産みたいに聞こえるけど、明後日から始まるのはただの本社移転作業。

 新本社ビルならぬ新本社基地が完成したのだ。これからは建物の外をのびのび歩ける生活が待っている。

 

 明日の午後からは引っ越し業者が出入りできるよう、このビルのセキュリティのレベルを下げる。つまり私がこのビル内を歩き回れるのは今日が最後――ということで、ガランとした会議室を占拠して酒と食料を運び込んだ。壁には『水○橋本社ビルお別れ会』という貼り紙。

 

「私悪い子だからさぁ、カセットコンロと肉持ってきたんだよね。あ、お肉はちゃんと朝からタレにつけてあるからね! あの冷蔵庫にミッチリよ!」

「野菜は?」

「安心してくれたまえ、野菜ジュースがある」

「あんたってほんと馬鹿――食料係を任せたのが間違いやった」

 

 椎野ちゃんは額を押さえながらふらりと去って壁際で寝落ち用のエアーベッドに電動空気入れを繋ぐと、その横にうんこ座りでしゃがみ込む。世捨て人みたいな背中だ。

 私は一人焼肉で米も野菜も食べずに延々と肉だけ食ってビール飲む派だから、焼肉で米と野菜を食べたがる椎野ちゃんの気持ちは今なお理解できない。――今日はチートデーで良いじゃん、肉食え肉。焼肉は肉を焼くから焼肉っていうんだよ。

 

「そう言えば半月さん、焼肉するということは火災報知器を切ってるんですか?」

「切ってないけど切らなくても良いでしょ。持ってきたの無煙コンロだし。替えのプレートも持ってきてるの準備いいでしょ」

「はあ、まあ無煙なら火災報知器は反応しないはず――でも屋内で焼肉って部屋に匂いが染み付くやつじゃないですか。良いんですかそれ」

「良いの良いの、どうせ明後日で引き払うんだから。それに次この場所使う会社はこのビル使わないのよ。建て壊しだってさ」

 

 秋山ちゃんの心配にひらひら手を振る。どうせ壊すんだし、フロアマットに肉の匂いを染み付かせたって肉やタレを床に溢したって無問題なのだ。

 キャンプ用のアルミテーブルを展開させながら玉城ちゃんが肩を竦める。

 

「うへー、次ここに入るトコってお金あるんですね。建て壊しとかいくらかかるんだろ」

「あー、玉城ちゃん。はっきり言ってね……『ピンクウェーブの入ってたビル』に入りたいと思うような企業は少ないんだよ。次にこの場所を使おうと思うなら建て替えるしかない」

「ああ……」

「あと、ここらへんのビルはだいたい賃貸。地主から土地借りてビル建ててるとこばっかだよ」

「誰も手放しませんよねぇ、こんな好条件な土地。この立地なら……今以上の防犯設備付きのビルを新築したとしても決して損することはないでしょうし」

 

 アルミテーブルをウェットティッシュで拭いてる秋山ちゃんの言葉に「そうそう」と大きく首を振って頷く。『二十三区内で都営地下鉄の駅もJRの駅も近く、ある程度でかいビルが建てられる土地』なんてなかなか空きが出ない。ピンクウェーブ跡地でも欲しいって会社は多かったはず。

 

 テーブルが広げられればすぐカセットコンロやら缶ビールやらが並んでいく。私の持ってきた生肉はコンロの横にででーんと存在感を放ってるし、焼肉用トングも四つ。寝落ち用ベッドも壁際に二台設置された――つまり、ぱーちーの準備は整った。

 テーブルに固定された椅子に腰掛け、私は缶ビール、玉城ちゃんと秋山ちゃんはジュース、椎野ちゃんはガツンとレモン缶チューハイをそれぞれ手に持つ。

 

「では、代表としてわたくしから一言。愛し愛されてきた水○橋本社ビル……でも明日の午後から引っ越し業者が入るから私は出社できないし、三人はまず出社する必要がないし、私たちにとっては今日でお別れみたいなもんです――というわけで『さらば水道○本社、嗚呼桃色の波動よ永遠たれ』、朝まで楽しもうぜー! かんぱーい!」

「「「かんぱーい」」」

 

 お別れ会という名目だけど参加者は私とマーブリック三人娘の四人しかいない。秘書室の皆とか開発チームとかその他たくさんも誘おうか迷って、私が誘っちゃったら皆は断れないだろうから誘うのを辞めた。ここは魔都東都――『徹夜の呑み会に引きずり込まれても相手に殺意を抱かない人』を選ぶならこの三人以上の人はいないのだ。仕方ないね。

 

「来たときから思ってたんですけど、この会議室、テーブルと椅子がないと広いんだなって」

「たしかに。我々がここを利用する時ってほぼ必ず撮影機材がありましたし、あまり広さを感じませんでしたが……広いですね」

 

 玉城ちゃんが会議室をぐるりと見回し、秋山ちゃんの視線も右へ左へと走る。――けど、旧本社ビル時代からピンクウェーブとズブズブ付き合ってきた私には、この部屋の様子には少し懐かしさを感じるのだ。そうだよ……始めはこんな風にがらんどうで、物がなくて、寂しいくらいに広かった。

 

「新本社に持っていかない備品はオークションにかけるって言ってましたっけ」

「そうですよー。私が司会進行やって、広報の松井さんと姉さんが商品の紹介で。二週間くらい前ですね。使用済っぽさあふれるやつが妙に高い値段で売れていったのはちょっと……ちょっとっていうか割と本気で気色悪かった、はは……」

 

 移転のために出た中古備品を売ろうと言い出したのは広報部の松井さんだ。絶対に欲しがる人がいるので売れます、と真剣なプレゼンをされたから『マーブリック生放送特別編』と銘打って、松井さん主導のもと公式チャンネルでオークションをしてもらったのだ。

 出品したのは社員の汗と涙とその他様々な体液が染み付いたアレとかコレとか、うっかりリモコンを強にしちゃったせいで身悶え暴れた社員の剛腕で表面が凹んだ長机とか、倉庫に眠ってた来客者用お土産()とか――リサイクルショップでなら買い叩かれるはずのどれもこれもが、異常な額で売れていった。

 

 落札者たち、もっと生産的な活動にお金を使えないんだろうか?

 口に焼肉とビールを交互に流し込み、こっそりゲップした。

 

「まあでも――ありゃあ『オークションの収益は全て犯罪被害者遺族の支援活動に使われます』って言うたんが入札祭りに拍車をかけたんやと思うで? 出品した備品のいくつかは見てるこっちが頭おかしいなる値段になったしな」

「なるほど、自分の入札が誰かを救うという幸せな妄想が財布の紐を緩ませた、と……」

 

 犯罪被害者遺族支援への寄付は松井さんの案だ。「どうせ備品のほとんどは減価償却で1円の価値しかありませんから、いくらで売れてもうちに損はありません。最低落札額に梱包費と送料を含めておけばこちらの持ち出しもありませんし」と説明されて、この人すげー頭いいなーと思いました(こなみかん)。

 秋山ちゃんはうんうん頷きながら「いいことですね」と口を開いた。

 

「こちらは粗大ごみの処理費を削減できて、購入者は数量限定激レアグッズを手に入れられて、犯罪被害者遺族は支援が厚くなるんですから」

「粗大ごみってばっさり言い切って草」

 

 秋山ちゃんの言葉は今日も切れ味が鋭い。

 正面の椎野ちゃんが目を丸くした。

 

「粗大ごみの処理費ってタダちゃうん?――あ、いや、事業ゴミは別かスマン」

 

 その場のみんなの視線が椎野ちゃんに集中する。

 

「いやいや、家庭の粗大ごみも有料ですよ姉さん」

「粗大ごみは申し込みしてコンビニやスーパーでチケット買わないと出せませんよ。それしないと粗大ごみの不法投棄になっちゃうので気をつけてくださいね」

 

 えっ何それって顔されても。粗大ごみは全国どこでも有料だと思うよ。

 

「待ってぇな。粗大ごみでチケットって何なん、聞いたことあれへんのやけど」

「聞いたことないことないでしょ。椎野ちゃん粗大ごみ出したことあるでしょ?」

「そりゃ当たり前やがな、粗大ごみくらい出したことなんべんもあるわい。実家出て入隊するって時に学習机とかそこらへんまとめて出したし……。せやけどホラ、粗大ごみは月イチで回収車が来てくれはるやん? チケット制とか何それ知らんねんけどっていう。何を申し込みすんのよ」

「月イチで回収車!? 粗大ごみの!?」

「そんなの初めて聞きましたよ、私。椎野さんなにか別のものと誤解してませんか?」

「いや、待て――待て、もちつくんだ。ひらめいた。ググろう。椎野ちゃんがなにか別のと誤解してるかもしれないし、椎野ちゃんの地元はタダなのかもしれない、もしかしたら、可能性はないわけじゃない、メイビー」

 

 我々には文明の利器、スマートなフォーンがあるのだ。椎野ちゃんは大阪の――どこ出身だったっけ。たしか北部だよね。

 

「――えっウソ、マジだ椎野ちゃんの地元タダで粗大ごみ回収してる。月イチで回収車が来るし個数制限もない」

 

 にわかには信じがたい情報だけど、市の公式ホームページに「月イチで回収車が回っています。無料です」って書いてある。スマホを回し見したら玉城ちゃんが画面を二度見した。

 

「ほんとにそう書いてる……」

「なんです、この粗大ごみの楽園は。出し放題で大丈夫なんですか?」

「ええ……? みんなの地元では粗大ごみの回収が有料って方が違和感あんにゃけど。もしかして東都も有料やったりする? まだこっち住んでから一度も粗大ごみの出したことあれへんし、出し方確認してないんよね」

「少なくとも港区は有料ですね。個数制限はありませんけど」

「西東京市でも有料ですよ」

「渋谷は一個四百円からだよ? 椎野ちゃんのマンション台東だっけ――あらやだぁ、台東区も有料ですねぇざんねぇん」

 

 なんでお別れ会で粗大ごみについて検索してるんだろうか。

 

「引き取りがタダなら捨てちゃいたいゴミたくさんありますよ。父がブームに乗せられて買ったアコースティックギターとか、姉さんがさっき言ったように学習机とか」

「あーあるある、処分に困るやつ。うちは古い自転車と折りたたみ式のベッドフレームが長い間物置に転がってたね。もう捨てたのかな、アレ」

「絨毯。買うのは良くても捨てるのが不便なんですよね、買う前に知りたかった。……夏に入りかけの季節に捨てたので、汗だくになりながらカッターで切りましたよ。二度と絨毯なんて買うものかって思いましたね」

 

 肉の消費スピードは落ち始めてもビールの消費スピードとゴミ捨ての話は止まらない。ビール減らしてるの私だけだけど。

 

「うちの地元粗大ごみ無料回収ではあるけど、捨てたくても捨てられへんもんはあるで? お仏壇とか」

「外聞的に? それとも重量的に?」

「どっちも」

 

 どっちもかぁ。肉をひっくり返す――いい感じに焼けてきてるけどプレートの焦げの塊が貼り付いてきた。

 

「粗大ごみ置き場に仏壇なんて置かれてたら目立ちますね。どの家がそんなことをしたかなんて田舎じゃあすぐバレますし、村八分……いや、村十分待ったなし」

 

 玉城ちゃんの発言に私も頷く。そんなことした日にはもうその町では住めない。

 焼肉プレートはだいぶ焦げが付いてきたし、油でギトギトにもなってきたから交換しようかな。ビールの空き缶もテーブル占領してきてる。少し片付けないと狭いな、ひーふーみー……今四缶目か。椎野ちゃんは――全然減ってないじゃん。あーん? 俺の酒が飲めねぇのかァーン?

 

「ごみとして出すとか出さないとか以前に、仏壇って粗大ゴミなんですかね。うちの実家にも仏壇ありますけど、処分方法とか考えたことありませんでした」

「仏壇の処分方法――お焚き上げ?」

「半月さん、とんど祭りは神道ですよ」

「あらやだぁ事件事件、神道が仏教焼くことになっちゃうわーアハハ!」

 

 宗教戦争の新たな火種を呼び込んじゃうところだった。笑って誤魔化せば大丈夫だ問題ない。

 

「危険な話題はやめよっか。じゃあ……仏壇以外で、みんなは『捨てたいけど捨てられないもの』って何かある?」

「捨てたいけど捨てられないもの? うーむ」

「彼女の母親ですね。嫌いなら家と縁切ればって言ったら私が縁を切られかけましたが」

「お、おう……私はお祝いでもらった人形です」

 

 どうしよう、まともそうな発言主が今のところ椎野ちゃんしかない。まず秋山ちゃんの彼女――秋山ちゃんが縁切りを勧めるレベルの家庭崩壊のお嬢さんは色んな意味で怖いし、お祝いでもらった人形を捨てようとするのはちょっと引く。

 でも人間を捨てるよりは人形を捨てる方がマシだし、闇深そうな秋山ちゃんの話は聞きたくないから玉城ちゃんに水を向けた。

 

「玉城ちゃんのって、お祝いでもらった人形が実は呪いの市松人形だったとかそーゆー話?」

「いやいやまさか、違いますよ。普通の人形です。純粋なプレゼントで――私が生まれたお祝いにって母が貰った人形なんですけど、でも、お祝いの気持ちは嬉しいんですけど、デカすぎるんです。仕舞おうにも飾ろうにもかさばって邪魔で」

 

 玉城ちゃんは「置き場所がないんですよ、本当に邪魔なんですよ。でも捨てるのは憚られるんで、あっちに置いたりこっちに移動させたりとしてます」とため息をつく。

 なるほど、そういうものなら捨てたくても捨てられない。きっと床面積をかなり食ってるんだろう。

 

 玉城ちゃんの話が案外まともだったから、秋山ちゃんの話もまともかもしれない。

 

「秋山ちゃんは……」

「私の彼女――徐さんって言うんですけど、まあ母親との関係が崩壊してまして。同性愛者であることを母親からバチクソに否定されて罵られて『あんたなんて産まなきゃ良かった』とまで言われたそうなので、籍を抜いてしまったらどうかと提案したら家から叩き出されました」

 

 うわぁ。まとも……まともって何だっけ。ためらわないことだっけ?

 

「時々聞く話やな」

「ですです。受け入れてほしくてカミングアウトして、国や家族から受け入れてもらえず日本へ逃げてきたり東都へ逃げてきたり――って案件、多いですよねぇ」

「そうなんです。でも彼女はお姉さんと仲が良いそうなので……。お姉さんを含む家族と縁を切るくらいならお前を捨ててやる顔も見たくない出てけと言われまして、鉄鍋やらなんやらでボコボコに殴られました」

「そう言えば去年だったっけ、頭から血を流して青あざだらけでウチに転がり込んできたのって――」

「この件ですね。あ、頭の血は切りつけられたわけじゃなくて、インスタントカメラを投げつけられて当たりどころが悪かっただけですので。額の怪我って案外血が出るんですよ」

 

 その徐さんって子と秋山ちゃんは今も付き合っている――割れ鍋に綴じ蓋な仲なのか、それとも徐さんがよほど魅力的なのか。

 秋山ちゃんも癖が強いし、破れ鍋かなぁ……バイオレンスな愛情表現にドン引きだよ。

 

「話、変えましょっか」

 

 玉城ちゃんがわざとらしい笑顔で手をパンと叩き、私はそれに笑顔で飛びついた。秋山ちゃんの彼女こわいもん。

 

「半月さんの『捨てたくても捨てられないもの』ってなんなんですか?」

「私の『捨てたくても捨てられないもの』? 実家に帰省しないまんま縁切られたからね……幼い頃の思い出のアレコレは手元にないし、弟からのメールによれば実家に残ってた私のもの全部捨てられたっぽいのよねぇ」

「ありゃりゃ」

 

 『絶対に手放したくないもの』は一人暮らしする時に持って出てるし、捨てたくても捨てられないものなんて……あったわ。

 

「あったよ、捨てたくても捨てられないもの。あったあった。加害者の親族とか身内からの手紙。あれめっちゃ捨てたいんだけど、捨てたら色々問題があるから捨てられないの」

 

 何なのそれって顔してるけど、三人には入社時に見せたから読んだはず。

 

「あれだよあれ。もう十年近く前のでさ。娘と甥を殺して、もう一人の娘を殴って脅した父親が私を襲おうとした――って事件あったじゃん。あれの、父親に脅されて犯行に協力させられた娘さんからの手紙みんなにも読んでもらったでしょ? ああいうのが何十通もあるのよ」

「ああ、ありました! あれは酷い事件でしたよね。当時は私も中学生でしたし、学校でかなり話題になった記憶もあります」

「せや、読んだわ。あれなぁ……。亡くならはったんって甥やったっけ? 息子ちゃうかったかな」

「甥っ子甥っ子、確か甥っ子。そのはず」

 

 手紙に従兄って書かれてた覚えがあるもん。

 

「かなり淡々とした文面のお手紙でしたよね。細かいところはもう覚えてませんけど、読んでて胸が痛くなる手紙でした」

 

 玉城ちゃんに「ウンそうなんだよォ」と力いっぱい応えた。ジョッキに指二本分だけビールを残す。

 

「そういう『読むと胸が痛む』手紙がね、何十通もあるわけですよ! 百通いってるかもしれないけど数えてない。そんで、手紙をくれた人達には申し訳ないんだけど、私への謝罪の気持ちとか罪悪感とかがさあ……重いのよ。メンヘラの相手してる方がマシだろって思うくらい重い」

 

 一度愚痴りだすと口が止まらない。焼肉ぱーちーなのに申し訳ない。アルコールのせいかな? とりあえずもう一度口を潤して、ため息をついた。

 

「マジで謝罪とかそういうの要らんけん、私に手紙を送ってこないでほしい。ほんまに要らん。送ってくるな頼むから。ネガティブ方向に拗らせた激重感情を丹精込めて書き連ねた手紙とかさ、読んでて滅茶苦茶疲れるし心抉られるんよ。それに謝罪の手紙送ってくるような人ってだいたい心が折れてたり折れかけだったりしとるけんな、返事の手紙の文面はかなり気を使わないといけないんだわ。つらい。私の返事一つで自殺者が一人増えるかもとか思うと適当な返事なんて書けない。きつい。心療内科どこ? こころのクリニック今すぐ全国に開院して。

 正直言って脅迫状の方がマシなんよ、無視して問題ないし警察に証拠品としてスルーパスできるんだもん。あの手紙の束まとめたファイル見るたび憂鬱になるんだよ、ほんま気が滅入ってしんどい。本当の本当に捨てたい。でも捨てたらお前には人の心がないのかとか何とか言われるけん捨てられん」

 

 許してくださいと膝にすがりついてくる相手を蹴り飛ばして歩けるほどには、私はふてぶてしくない。ふてぶてしくなりたーい!

 五缶目を開けてジョッキに六割注ぎ、神泡サ○バーを持って残りで神泡を注ぐ。自宅で簡単に神泡が楽しめる最高のおもちゃだよ神泡サーバ○……有難うタカラ○ミー、きめ細かい泡マジで美味い。泡が美味い……。もうこれからの人生は神泡だけでいい。あわあわうまうま六缶目も開けちゃえガハハハハ。

 

「せや――あったわ、うちにも捨てられんものが。聞いてくれんか」

ほーほほーほ(どうぞどうぞ)

 

 ジョッキを口に咥えたままダチョウ○楽部的に手を差し出したら、椎野ちゃんはふっと暗く笑った。

 

「推し変した後の、前まで推してたキャラや芸人のグッズ。イベント会場限定ペンライト、入場者特典ノベルティ、味の薄いコラボカフェドリンクで胃を瀕死に追い込みながら集めたランダムコースター……ブームが去ったあとに手元に残るそれら。既にそいつから心は離れ、ただ邪魔で……さりとて捨てられず、むなしく家の中を転がるかつての推しの顔」

「ううん……譲らないんです?」

「メル○リで確認したら底値、送料のみやろうなって価格設定――なのに売れてない元推し。うちに置いておく余裕はない。捨てるか? でもこいつは一度推した相手、推し変したけど多少の情がある。捨てたら可哀想やねん、可哀想なんやけど、処分したい。切ないこの心の揺れよ……」

 

 何故か秋山ちゃんが涙ぐんだ。

 

「……愛ですねぇ」

「ですです。やっぱり姉さんって愛が溢れてますね」

「ええー? この話のどこに愛があるのか全然私分かんなかったんだけど? グッズ捨てられないのって愛なの? 教えてくれる?」

「わかんねーのかなぁ、これが愛だよ、愛。トゥルーラブってやつ」

「椎野ちゃんのドヤ顔はお呼びじゃーない」

 

 一体全体、何が愛なのよ。

 

 それからどう話が転がったか忘れたけど嫌いな親戚の話になり――玉城ちゃんは「伯父」と一言。秋山ちゃんは「密な親戚づきあいはしなかったので」ってことで嫌いな親戚なし。私はウザい絡み方してきた従姉、椎野ちゃんは「父方にも母方にも嫌いなやつばかりやで――アレな宗教団体の信者とかもおるし、交流は断っとる。名字しか知らん遠縁が愛媛におるっぽいけどそいつらも嫌い」と不思議な回答。名字しか知らないのに嫌いって何なんだろう。

 でも愛媛かあ……愛媛なら確か曾祖母ちゃんが愛媛の出だったはず。

 

 気がついたらエアーベッドに寝転がっていて、スマホのアラームが鳴っていた。同じベッドに椎野ちゃん、もう一つのベッドに秋山ちゃんと玉城ちゃんが転がって寝ている。

 飲み会のあとは片付けられ、会議室の中は寒々しくがらんとしている。窓の外から差し込む朝日は白い、頭は痛い。

 

 アラームで起きたんだろう、薄く目を開いた椎野ちゃんが寝転がったまま私を見上げた。

 

「はよ……もう朝か……」

「うん、おはよー」

「うむ。歯ぁ磨いてくるわ」

 

 ベッドから下りた椎野ちゃんは荷物を漁ると歯磨きセットを取り出し、私の前にウ○ンの力を置くと、元自だからなのか寝起きにしてはしっかりした足取りで会議室を出ていった。

 固い腕枕で凝った肩をぐるりと回す――息が酒臭い。私も歯を磨きに行こう……これ、頭痛薬と一緒に飲んで良かったっけ?



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【拓銀令嬢パイルダーオン】番外編・上【コナン要素キャストオフ】

エゴサの神には見つかりたくない……頼む、見つけてくれるな……


 少年漫画やライトノベルには「致命的な性犯罪者」はそれほど出てこない――皆無ではないが。

 糞尿を煮詰めた汚いヌガーのようなキャラクターは物語を波乱万丈にする彩りの一つである。幾人もの異性をはべらし、色気の滴る愛人を抱え、金と権力で奪った美女を手元に縛り付ける……というキャラクターもいる。――だが。少年漫画やライトノベルの女キャラクターは夜道を歩いていても「不審者が出るかもしれない」と不安を覚える様子がないし、親は不在の我が子を心配する際に「性犯罪による誘拐では」と疑うことはない。

 ゆえに、工藤新一はデートの相手を放置して黒の組織を尾行するし、ぬ〜べ〜の生徒の保護者はこども達だけでの冒険を心配しても不安は持たない。年頃の娘を一人暮らしさせたり長期の旅行に出たりする展開もままある。

 

 性犯罪に限らず、主要キャラクターたちは夜にこっそり出かけても公園で盛り上がっているカップルと遭遇することはないし、両親のベッドシーンをうっかり見ることもない。

 性的な要素が極端に少ない世界、それが少年漫画やラノベの世界なのだ。

 

 ――さて、1998年のゴールデンウィーク、桜もすでに散った昼過ぎはまさしく快晴。東京都葛飾区にある亀有公園は亀有駅から一番近い遊具のある公園だ。

 その亀有公園のベンチに高校生ほどの少女が二人、無防備に眠っている。他にはボール遊びに興じたり木陰でゲームボーイに向き合う少年少女の姿もある。平和な光景だ。

 ドッジボールで勝負が決まったのだろう、わっと上がった歓声に二人は同時に目を覚ました。細身の方が「なっ、何――ッ!?」と声を上げて姿勢を崩し、ドスンと地面に転がった。子どもたちは自分たちの遊びに夢中で、彼女らに目を向けることすらしない。

 

「こ、これは、今まで読んでいたエロ漫画は!?」

「おま、一言めがそれかいな! 知らんとこおる時は誘拐を疑えや誘拐を!! ま、待て、あんた顔が若い!!」

 

 細身ではない方――強風にさらされているような髪型の少女が細身の少女を指差す。くせ毛なのだろう。

 

「えっ、あっ、ほんまや! 椎野ちゃんの顔面がピチピチじょ!!」

 

 お互いにお互いを指差し、そして自分の顔に触れる。女子高生くらいだろうとお互いの見た目を評価する。二人共さっきまでは三十路に入った女だったはず、何が起きたというのか。

 

 一人は――細身の方は、世を忍ぶ仮の名前をカラメル半月という。鎌○半月は美味い。カラメルも美味い。美味い✕美味い=とっても美味い、という安直な名前だ。歳は三十歳で、大学在学中にスケベの伝道師として有名になり某一神教から悪魔認定を受けている……受けていたはずだ。今はただの女子高生にしか見えない。徳島県出身。

 もう一人、くせ毛の方は藤吉敏江もしくは椎野敏江という。二十歳のときに母方の叔父夫婦に養子入りして椎野と名字を改めるが、高校生の時分は藤吉の姓を名乗っている。彼女もまた三十歳ほどのはずなのだが――高校生あたりの年頃にしか見えない。大阪府出身。

 

「一体何が起きとんねん……うっ、存在しない記憶が蘇る……!?」

「頭がかち割れそう……!」

 

 二人して頭を抱え、「身に覚えのない記憶」の流入にうめき声を上げる。

 

 半月に蘇った「ないはずの記憶」。友人たちと「大学受験勉強が本格化する前の高2の間にデ○ズニ○ランドへ行こう」と東京へ旅行に来ており、昨日はランドで一日遊び回った。今日は東京や千葉に親戚がいる友人たちと別行動を取り一人東京ぶらぶらをしている、というもの。――半月には全く覚えのない、そんな出来事などなかったはずの記憶だ。

 藤吉に蘇った「ないはずの記憶」。東京の親戚が死に、葬式への参加と遺産についての話し合いのため、彼女は父とともに東京へ来ていた。親戚はアパートの大家をしていたが子がないため売り払うことになりそうだ。アパートの部屋から現金が盗まれていた、犯人は店子だろう、という話を聞いていられず、彼女は当てもなく都内をうろつき……ここへ来た、というもの。――親戚が死んだのはもっと後だったはずだ。彼女が高校生だった時分ではない。

 

 藤吉は痛む頭を押さえながらこの状況となった原因について考え……ひとつ、思いついた。

 

「もしや、これは過去編か……?」

「えっ、なに過去編って、どういうこと?」

「……あんな半月ちゃん、『AさんとBさんには実は過去に交流したことがあったが、二人とももしくは片方が忘れている。その過去の縁によって原作の時間軸に事件が発生する』――という展開はアニメや漫画ではママあるもんなんや。つまりいま我々がこうして若返った姿で出会っているのはッ、『後付設定の過去編』!」

「なっ、なんだって――!?」

 

 二人とも名探偵コナンワールドで十数年ものあいだ共に「三十歳の誕生日」を迎え続けてきた仲だ。その説明だけで半月はまるっとズバッと理解した。

 

「安心し、これが過去編なら数日もしたら元の時間軸に戻れるはずや。それまではマァ……女子高生気分を楽しもうやないの」

「護衛がいないのとか三十年ぶりだよ。どこに行っても良い……最高じょ……!」

「マァ、過去編とちゃうかもしれんけども」

「ええ……?」

「見てみ、あっこ。交番があるやろ」

 

 藤吉が指差す方向には確かに交番――背面しか見えないが交番であろう建物――がある。

 

「東都の亀有公園に交番はないんや」

「えっ、マ?」

「マ」

 

 「亀有公園前には交番がある」と誤解している人も多かろうが、亀有公園前に交番はない。公園最寄りの交番は駅前の北口交番だ。

 

「公園内に交番があるっちゅーことはや……ここはコナンワールドとちゃう、っちゅーこっちゃ……」

「そんな――じゃあ、こち亀ワールドに来てるとか!?」

「わからん」

 

 交番内を見てみよう、と立ち上がり移動し――交番の前を横切ってまたベンチに戻る。

 

「こち亀ちゃうなぁ」

「うん」

 

 交番にはちょび髭の部長も、カモメ眉の男も、スーツ姿の美男もいなかった。いたのは白髪の多い角刈りの老年男一人だ。

 

「ヒントがなさすぎやけん、ほんま分からん。ここはどこなんよ。過去編ちゃうなら何なん」

「うーん……とりあえず連絡先交換しとこか? 過去編とちゃうならクロスオーバー番外編かもしらんし、お互いなんの連絡手段も持たんのはやばいやろ」

 

 メモ帳を持ち歩かないタチらしく、藤吉はティッシュの広告を袋から取り出しその裏にボールペンで住所氏名電話番号を書き込む。

 消費者金融の広告だった。

 

「わあ、時代……」

「ええやろぉ、配ってる人にくれぇ言うたら幾らでもくれるで。さすが金貸し懐が潤っとる」

「地元、配ってる人見たことない」

「……せやな」

 

 半月の出身は徳島の田舎だ。最寄り駅に改札はないし、朝と夕方以外に走る電車など片手の本数しかない。ちなみに一両編成で単線だ。

 山の縁をトコトコ走る電車で高校に通う半月が街金の広告入りポケットティッシュを受け取る機会などあるわけもなかった。

 

「半月ちゃん()、娘に届いた手紙親が開けてるタイプ?」

「わかんない。先ず手紙なんてもん届かんけん」

「ああー……」

「椎野ちゃんは?」

「今はまだ藤吉やで、養子行ってないから。うちも届くのはチ○レンジの案内だけやから分からん」

 

 地元民同士――それも子供同士で手紙を送り合う機会はほとんどない。送るとすれば年賀状くらいだ。

 万難を排すため、電話でやり取りすることが決まった。

 

 話し合ううちに時間は過ぎるもので、藤吉の腹がくぅと鳴った。公園の時計を見れば3時を回っている。

 

『ほーっとどっぐ、ほーっとどっぐ、ほーっとどっぐもありありあり……』

 

 「三分待ってやる」ではなく「三分だけ時間をくれ」と歌う、アイスクリームとホットドッグの移動販売車が、まるでタイミングを見計らったかのように公園へ近づいてくる。

 公園の前で停車した車を子どもたちが物欲しげな目で見つめているなか、藤吉は軽い足取りで車に近寄りホットドッグを二つ買い一つをベンチで待っていた半月に渡す。

 

「お代は将来返してな。トイチでいい」

「え、悪魔? 今払うのに」

「将来の高額納税者への投資やねん、値上がりするって分かっとる株を買わん投資家はおれへんやろ? マァ受け取ってぇや」

「なんてふざけた主張だ」

 

 そんなくだらない会話を交わしながらホットドッグを食べきり――そろそろ帰るかと腰を上げる。

 

「家へのお土産何がいいかなぁ……。椎野ちゃん、じゃなかった藤吉ちゃんか。何か良いの知ってる?」

「東京土産はミルフィユがええよ。生モンちゃうし軽いからおすすめ。東京で甘いもん買うならベ○ン、大阪で甘いもん食べるならホ○ンやね」

「ほほー。どこにお店あるの?」

「東京駅前の百貨店に入ってるはずやけど……どこやったか……」

 

 しゃべりながら歩いても駅まで五分掛からない。駅前の店舗の看板をぐるりと見た藤吉は違和感を覚え――馴染みのない銀行名に首を傾げた。

 

「穂波銀行、か」

 

 どっかで聞いたようなと独り言ち、しかしすぐに意識は半月に向かう。

 

「こっから東京駅ってどれにどう乗るの?」

「運賃表見たらええがな」

 

 路線図が複雑すぎて分からない、地図アプリほしいと泣く半月の背中を軽く叩いて、藤吉は運賃表を見上げた。

 

 ――地図アプリの有難みを感じながら着きましたる東京駅。コナンワールドでは鈴木財閥の百貨店があったはずの場所に立っていたのは、耳馴染みのない名前の……しかし外観はそっくりな帝西百貨店なる建物だった。東日本にあるのに帝「西」とは一体これいかに。

 

「帝西……? 椎野ちゃん、もしかしてこれ、もしかするんじゃね?」

「もしかしてだけど〜もしかしてだけど〜これって帝政続いてるってことなんじゃないの〜」

「おお……」

 

 訂正を諦めた藤吉が小声で歌えば、半月は瞳をキラキラ輝かせる。

 

「めっちゃ異世界っぽい……!」

「せやなぁ」

 

 二人がこれまでいたのはコナンの世界だ。コナンの世界は二人の知る歴史――コナンが漫画として存在している世界――とほぼ同じ歴史を辿っているのだが、米花町周辺の治安は悲惨、無惨、まさに末法。街のあやゆる場所で出血大サービスの殺人事件が毎日発生しており、「あそこにホームレスがいないのはみんな殺されたからだよ」という根も葉もない噂やら「米花町を通る路線には乗るな。爆破されるぞ」という事実やらで都内どころか世界に悪名が轟く街である。

 そんな「異世界っぽさ」など欲しくなかった、というのが二人の正直な想いである。

 

 しかし、今回迷い込んだ異世界はどうだ。帝政が残っているようではあるが、一般人が一般生活を送ることを阻むものではない。――なんと言ってもデ○ズニ○ランドもあるのだ! 二次大戦中に反日プロパガンダアニメを流していたディズ○ーの施設を作ろうなど、常識的に考えれば許可が下りようはずがない。なのにデ○ズニ○ランドがある。

 つまり、帝政だとしても日本は平和で、表現の自由や思想信条の自由が認められているということだ。

 

 仮想戦記は仮想戦記でも平和な歴史を辿った仮想戦記の世界に違いない。二人の期待は自ずと膨らむ……きっとここは、治安が良い世界だ。

 

 治安の良い異世界体験にはしゃぐ気持ちが抑えきれず、キャピキャピとしゃべりながら店内を進み――二人は地下へ降りるエスカレーターの前で男に呼び止められた。

 体格が良い男だ。身につけているのはストライプのワイシャツ、肩には黒い上着をマントのごとく掛けており同色のスラックス。ティアドロップのサングラスにオールバックがとても似合う。

 

「渡○也……?」

「渋い趣味のお嬢さんだなァ……残念だが俺はそっくりさんだ」

「残念。で、我々に何かご用ですか?」

 

 男はもったいぶった態度で頷くと、藤吉と半月に右手のひらを差し出す。

 

「君たちはとてもいい声をしている――テレビに出てみないか? いか○バン○天国という番組なんだが……素人出場枠が余っててね、今日収録なんだが」

「出ます。よろしくお願いします」

「椎野ちゃん!?」

 

 二つ返事で出場を決めた藤吉に半月は目を剥くも、藤吉は半月の腕を掴み「家族にテレビ出てくると電話してきますのでそこでお待ち下さい」と渡哲○もどきへ言い残して階段の電話コーナーへ向かった。

 緑色の電話機が五台並んでいるそこで半月は藤吉の腕を掴む。

 

「どう見てもあれ不審者じゃけん、あかんよ! やめとこ、な、椎野ちゃん。今ならさっさと逃げて終いにできるけん」

「不審者かもしれん……が、半月ちゃん、玉城ちゃんと秋山ちゃんの実家住所覚えてる?」

 

 コナンワールドで運命共同体として手を取り合い生きてきた仲間二人の名前を出され、半月は「ええと」と口ごもる。

 

「玉城ちゃんは……福井県メガネ市!」

「鯖江市な。鯖江のどこに住んでるかとか、細かい住所は覚えてる?」

「えーっと……覚えてない……」

「やろ……」

 

 秋山は岡山県岡山市出身だった気がするが、違うかもしれない。岡山県のどこかであることは確かだ。

 

「こっちから連絡を取る手段はないし、見つけるのも難しい。なら、あっちに見つけてもらうしかないやろ」

 

 だから歌う、テレビに出る。このチャンス逃したらあかんとうちのゴーストが囁いとんねん。詐欺師やったらごめん許して、と藤吉は言い切った。

 

「ちなみに元の世界ではイカ天はとっくに放送終了しとるし、素人枠なんてものはなかった記憶がある……やっぱ詐欺かもしれん。先に謝っとく」

「貴様!!」

 

 果たして一時間後、二人はテレビ局にいた。詐欺ではなかったので一安心。

 

 収録ギリギリで入ったスタジオには二人が見知った顔もあるが知らない顔もたくさんある――やはりここは異世界ということなのだろう。

 誰の歌を歌うか決めているなら音源を用意する、とスタッフに言われ、藤吉は少し考える素振りをして曲名を伝える。しかしスタッフはそんな曲は名前を聞いたことがないと首を横に振る。

 

 代わりに用意してもらった物は、カスタネットとタンバリン。あと顔を隠せる大きさのサングラスを二本。これだけあれば十分だ。

 素人枠は番組の始めに枠が当てられているようで、半月らの前に二組が歌った。

 

「なんと最後の二人は今日出会ったばかり……大阪と徳島から来た急造女子高生ペアです。『チーム・米花町』」

 

 出会ったばかりの二人と聞いて期待が一気に薄れたらしい。観覧席では小声のおしゃべりが始まる。

 いかにもな私服で――似合わないサングラスを掛けた二人の姿を笑う者もいた。

 

 二人は舞台に立つと肩を組む。そして体を左右に揺らしながら口を大きく開く。

 

「てってっテレビを見るときはァ〜」

「部屋明るくして離れて見てね!」

 

 あまりにもキャッチーなフレーズだった。一度聞けばすぐ覚えられる、耳に馴染みの良い音程に司会も目を丸くする。

 なんせこの世界にこち亀はない。つまり、このフレーズもない。

 

 腕を解いてそれぞれ立つと、半月がタンバリンを叩きジャカジャカと音を響かせてリズムを取り始める。藤吉がスタンドマイクの高さを調節し自分の背に合わせる。

 

「ではお聴きください――おいでよ亀有」

 

++++

 

 授業開始前の空き時間。テレビに出た人と会うにはどうすればいいと思う、と裕次郎に聞かれ、瑠奈は頭を横に倒した。

 

「その人の出てる番組の観覧に応募してみるとか。人気の番組なら抽選になるかもしれないけど、何度か応募すれば当たるんじゃない?」

「いや……その人たちは芸能人じゃなくて、歌番組に素人枠として参加した一般人なんだよ」

「テレビの言う素人はだいたいアルバイトだろ。テレビ局に問い合わせすればいい」

 

 栄一の言う通り、街頭インタビューを受けている「一般人」が番組の仕込みだった……ということはままあることだ。しかし歌番組の素人出場枠は違う気もする。

 

「そう思って問い合わせたんだけど、本当に素人だったんだ。出場者が足りなくて探していたところに、方言丸出しで喋っている二人組を東京駅で見かけて、オチ要員にひっぱってきた……って」

「品がないな」

「うん。方言を笑う風潮は好きになれないよね」

 

 本当に一般人だったということは分かったが、その二人に会いたいというのは何故なのか。裕次郎は周囲をちらりと見回して人の耳目が自分たちに集中していないことを確認すると、声を一段小さくして「実は……」と語りだす。

 泉川家で保護している半島系亡命貴族の子女が「彼女たちに会わせて。ねえさんに会いたい」と繰り返しているらしい。むろん彼女に姉はいないはずなので、何かの機会に世話になった年上の女を「ねえさん」と呼んでいるのだろう、と。

 

「へえ。その『ねえさん』って人はどんな人たちなんだ?」

「それが、一言では説明しづらい人なんだよね……。番組を録画しているからダビングして持ってくるよ」

 

 翌日裕次郎が持ってきたDVDを、昼休みに視聴覚室を借りて流す。

 

『誰かが呼んでいるような雨上がりの午後』

 

 誰も瑠奈を見ていないから、彼女がどれだけ変な顔をしていても指摘する者はいない。冒頭のフレーズも、視聴覚室内に響いている歌も、瑠奈がよく知っているモノ――こち亀のオープニングだ。

 

『チーム米花町のお二人でしたー!』

 

 自分以外の転生者が、二人もいる。それも一般人として。

 

「どうやってこっちに引きずり込もうかしら♪」

 

 程度の違いこそあれ、ざっくりとでも「これからの」歴史を――未来を知っている人材がいる。……敵対されては厄介なことになるだろう。

 瑠奈は画面に映る二人組をじいと見つめ、ニッと笑んだ。




拓銀令嬢要素薄すぎでござるの巻〜!

なおモデル3人は「龍と結婚したという先祖がいる」「何代か前までは地元の大名の右筆やってた」「(韓国にある)先祖の墓が国立公園になってる」という素敵なネタを持っていたので、有り難く使う所存。


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【拓銀令嬢パイルダーオン】番外編・下【コナン要素キャストオフ】(差し替え版)

セルフチキンレースしてる。

誤字報告ありがとうございやす……おろろーん
》yelm01さん

原作の設定に一部勘違い(例:北日本民主主義人民共和国の範囲は樺太のみのところ、北海道も含むと誤解していた)があります。この勘違い部分を訂正すると拙作の足元が崩壊しますので、直しようがなく……。ご勘弁ください。
あと「日本人が腐っちまった」と三島◯紀夫が自決する流れが拓銀令嬢の歴史では想像できず、別の方じゃないかなぁと考えてこうなっております。


 仮想戦記の世界であろうこの世界、日本史も世界史も面白いことになっているに違いない。今すぐ日本史の教科書がほしい――こんなにも日本史を学びたいと思ったのは、半月にとって初めてのことだった。

 しかし藤吉は親戚の遺産問題の話し合いのために東京に来ており、遊びに来ただけの半月のようにすぐには家へ帰れない。半月は「めんご!」と片手を揺らして新幹線とバスそして電車に揺られ帰宅し、早速日本史の教科書を開いた。

 

「日本民主主義人民共和国……? わっつ?」

 

 何度読み返しても理解できず半月は教科書を机の上へ投げた。

 北海道がつい数年前まで共産圏で、ソ連崩壊の雪崩その他様々な事情により日本へ編入されたばかりだという――何が起きているのかさっぱり分からない。

 分かりたくないから理解できない、という方が正しいかもしれない。

 

 ゴールデンウィークの翌週の土曜日、半月は藤吉に電話をかけた。

 

『敗戦後、アメリカンドリームならぬ「北海道ドリーム」を叶えようっちゅー内容の広告打って、社会主義とか共産主義掲げてる人ほぼ全員北海道に押し込んだんだらしいねん。うちらの知る史実でもあったやろ、夢と希望の◯鮮半島に移住しましょってキャンペーン』

「ああ……映像◯世紀とかで見た覚えあるわ」

『せやからほら、旧北日本国家評議会で書記局長してた出居(でい)……のオジは北海道でヒーロー扱いやったとか』

「え、なんで?」

『ロシアのスパイやっとってん、日本軍人の身の上で。せやから本土におったらヤバいってんで戦後北海道に親類縁者みんな仲良く移住したってわけ』

「ひえ……」

 

 未だ現役の黒電話から、チャキチャキとした声の――しかし血なまぐさい内容の話が届く。

 

「椎野ちゃんどうやって一週間でそんなに情報仕入れたん? こっちはこわごわ教科書めくって悲鳴上げるくらいしかできてないのに」

『うちは比較的デカい図書館が近所にあるから開館時間内雑誌から新書から読み放題なんですわ。通学と休み時間もモリモリ読みまくりー! 仮想戦記たーのぴー! ヒャッハァ!』

「ああー流石都会」

 

 革命つまりクーデターを良しとする共産主義の国家――日本民主主義人民共和国はクーデターで滅びたという。業が深い話だ。

 妙にハイテンションな藤吉の話はまだまだ止まる様子がない。

 

『そんでや。日本の国境線が我々の知るものと全く違ってることはまあ、今は横に置いておいてやなぁ、マァ聞いてェや』

「うん」

『北海道が日本民主主義人民共和国なんちゅう別の国で、かつ内ゲバしとったことで――我々にとってかなり切実な問題が発生しているのである』

「え、何……? めっちゃ嫌な気配してるし怖い話は聞きたくありません椎野菌バリアー」

『そんな軟弱なAT(※オートマチックトランスミッション)フィールドで私を阻めると思ったか? 教えてやろう、80年代後半から90年代にデビューするはずの北海道出身作家とか漫画家とかがやな――北海道の動乱のせいでほとんどおらんねん。笑えるやろ、笑えよ、ハハッ』

 

 半月は卒倒しそうになった。

 

「ちょっと待って、あの、北海道出身じゃなかったっけ、京極……」

『もちろん図書館に置いてなかったともよ、レンガ本。司書さんに聞いても「そんなタイトルの本は聞いたことがありません」って言われたしな。……まことに残念ながら、道産ミステリーは生と死の瀬戸際どころか死に両足を突っ込んでいるのです。これからに期待しよう』

「そんなバナナ――あ、ミステリーが駄目なら、警察小説とかは? たとえば佐々木◯……」

『警察対警察って小説とかアメリカのスパイが活躍する小説書いた人やろ。北日本政府が認めたと思うか?』

「待て、なんだこれ、なんだこれマジで信じたくないほんまに信じたくないんじゃけど、あの、ホンマに?」

『非情だが現実は厳しい。実は氷室◯子先生も北海道でな……うん……この数年作品が一冊も出てないから、うん』

「追い打ちかけんでくれるかなぁ!?」

 

 嫌だ、嫌だよぅと半月は恥も外聞もなく泣いた。両親が畑に行ってなければ、あまりの嘆き様を心配されていただろう。

 北海道出身作家がほぼ壊滅ということはだ。その作家の作品を読んで「自分も作家になりたい」と瞳を輝かせたはずの後進の作家たちも生まれづらくなるわけで――つまり、影響は計り知れない。

 

『小説もそうなんやけど、それ以外もヤバかったりする。ハガ◯ンの作者、北海道出身なんよなぁ。現時点でデビューできてないし、先生がご存命かどうか調べる手段なんてものがあるわけもなかった』

「ひええ有名作品……! 私は見てないけど名前はよく聞く……!」

『国が違うのもあって網走番◯地を撮影する許可下りんかったみたいで。他には幸福の黄色いハン◯チも北◯国からもあれへんねん、怖いねぇ』

「ぉワァ……」

『黄色いハンカチが撮影されんかったから――へへっ、すっげーぞ。金八先生やってんの別の俳優さんや』

 

 どういうことなのかといえば、武田◯矢のデビュー作であり、助演男優賞を貰った出世作――それが黄色いハンカチなのだ。

 この機会を逃せば一生芽が出ない……とは言わないが、銀幕デビューが遅れれば遅れるほど「出演するはずだった」作品は別の俳優のものになる。当たり前のことだ。

 

『でも読者として一つ嬉しいのは、戦死したり自決したりした作家が生きてはることやね。たとえば――』

 

 知っているはずの作品がよく似た別の作品になっている世界、似ているけれど異なる『異世界』。半月はもやもやと湧いた胸焼けに「おえっ」とえずく。

 

『大丈夫か――大丈夫ちゃうわな』

「うん、うぇっ……」

 

 繰り返しえずき、「ごめん、トイレ、一時間して電話なかったら今日はもう無理ってことで」と受話器を置いた。よたよたとした足取りで縁側のサンダルを引っ掛け、三歩先の和式便所に閉じこもる。食道は熱いのに頭は寒いほどに冷えている。

 消化中の朝食が口内を焼きながら便器にボタボタと落ちていった。

 

 天井近くに設置された箱から下がる紐を引っ張れば、貯水槽からの水が流れて白に青がまだらに混ざるドロドロ――高菜おにぎりが下水に落ちてゆく。下水管を塞ぐ蓋が跳ね上がるベコンという音。

 酸っぱい匂いは清涼な水の香りに押し潰されて掻き消えていった。

 

「あー、……きっつ……」

 

 冷たいタイルの床に座り込んで天井を見上げる。この情報をまとめた藤吉の手腕は感嘆すべきものであるが、今の半月にその余裕はない。

 ひりつく口をもごもご動かしてツバを飲み込んだ。

 

++++

 

 半月と藤吉が「やめテぇンヤー」「うワーンヤー」と騒ぎつつ泣いている頃、二人と同じく仮想戦記ジャパンの自分に憑依した(と本人が判断した)玉城まことは、以前から不健康に青白かった顔色を更に青ざめさせていた。

 

 玉城はもともと李氏朝鮮の貴族の血を母方に持つ一般女性であった。「ハーフって言っても韓国語全然喋れなくて、そらで言えるの数字と挨拶だけなんですよねぇ」と、彼女はコナンワールドで出会った友人(はんげつ)たちに語っている。

 ――コナンワールドでは、母方の先祖が貴族だろうが豪族だろうが蛮族だろうがなんだろうが、玉城は日本国籍を持つ純朴な一般女性であった。半月のせいで宗教団体に睨まれていること以外は平穏で、平和に生きていられた。

 

 ありふれた一般の女性だったのだ。しかし、この仮想戦記ジャパンでは違う。

 

 この世界における玉城の立場はというと、なんと三代前の当主やら五代前の当主やら六代前の当主やらが王族から嫁を迎えているという「かなり王族の血が濃い」――朝鮮系亡命貴族の直系子女であった。亡命の理由はいくつかあるが、最大の原因は政争に破れたことだ。ありふれた話である。

 とはいえ政争に破れようが亡命しようが名を変えようが血統を変えることはできない。年若くいくらでも洗脳できる年齢の女子である玉城は、朝鮮王国再興を目指し「我こそは正当なる朝鮮の支配者なり」と名乗る連中に嫁として狙われており、これまで幾度となく誘拐されかけてきた。日本へ密入国してきたらしき自称王族から口説かれたこともある。

 

 ロマンス小説にありそうな設定だ。そのうち石油王も玉城を誘拐しに来るに違いない。

 

 出生地の福井県は半島に近すぎるということで、彼女は数年前に日本国内での後見人たる泉川家を頼って上京し――引きこもりになった。繰り返される誘拐騒ぎで人嫌いになりかけていたところ、東京は人が多すぎたのだ。

 ろくに日光も浴びず部屋の中で漫画やらテレビやらを見て過ごしている彼女が健康優良児なわけもなく、ビタミンD不足でくる病になりかけては無理やり外に連れ出される不健康児だ。昼夜は逆転し視力は低下、コミュニケーション能力は言わずもがなだった。

 玉城のコミュ力はスライムレベルだった――過去形である。

 

 もはや玉城はただの引きこもり病弱少女ではない――平行世界の自分の記憶が溶け込んだ彼女は自分の置かれた立場を冷静に判断することができ、このままでは泉川家……いや、この国に使い捨てられてしまうだけだと理解した。なんせこれまでの玉城は政治も勉強もできないヒキニートだったのである、道具としてしか使い道がない。

 どうしよう、どうすれば挽回できる。悩むこと数日。一朝一夕に昼夜逆転生活が治るわけもない玉城の悩みはジリジリと深夜も続いた。そんな時。

 

『てってってーれびーをみーるとーきはー』

『へーやあーかるーくしーてはーなれーてみーてね!』

 

 漫然と付けっぱなしにしていたテレビからそんな声が聴こえてきたのだ。画面をバッと見れば、歌うのはくせ毛の方――椎野だ。一緒にいるのはすっぴんの半月で間違いない。

 

『誰かが呼んでいるような〜』

 

 見たところ二人は高校生あたりの年頃で、今の玉城より三歳かそこら年上と思われる。

 

「姉さん、半月さん……!」

 

 玉城の双眸から熱い涙が溢れる。

 姉と呼んではいるが椎野と玉城の間に血縁は無い。椎野が冗談で口にした「お姉様とお呼び!」から定着した呼び方なのだ――そんな会話をするくらいなので二人の仲は良い。

 

「おろろーん、ねーさーん!」

 

 液晶テレビに抱きついてワンワン泣いた。今すぐ二人に会いたい。『チーム米花町』と名乗っているのだから玉城の知る二人であろう。

 また、この世界にこち亀はない――「こちら葛飾分屯基地警備班」ならある。架空の基地「葛飾分屯基地」の警備班に所属する隊員の両津2曹が、ゲート勤務が暇だからとガンプラを作ったり近所の人と茶を飲みお菓子を貰ったり小遣い稼ぎを始めたりするコメディだ。直属の上司は叩き上げの大原2尉、同僚に防大卒のエリート中川1尉、秋本3曹などなど……魅力的なキャラクターも人気な漫画でアニメ化もしている。

 舞台はほぼ葛飾区亀有がメインとはいえ、漫画のタイトルに亀有の文字はない――「ああここは亀有」など歌わないのだ。

 

 歴史が違えば人気作品の舞台も変わる。至極当たり前の話である。

 

 しかし一つだけであれば無視できる違い(・・)も複数あれば目につくもので、相違点を見つけるたびに玉城の胃はしくしくと痛む。時々思い出したように、床を転げ回りながら「なんで〜!」「やだ〜!」と泣き喚きたい衝動に駆られるのだ。

 

 違和感だらけの世界だ、一人ぼっちで過ごすなんて耐えられない。二人に会いたい。

 

 ――週に一度ほどの頻度で玉城の様子を見に来る泉川家の子息に「姉さんに会いたい」と愚痴を零した結果ここが拓銀令嬢の世界だと知ることになり、玉城は「この世界はクソ……ふざけてる……」と一人で泣いた。

 

++++

 

 秋山あかねは小学校の四学年下――1年生に桂華院瑠奈なる少女がいること、平成を迎えた現代にも華族制度が残り桂華院財閥やら岩崎財閥やらテイア自動車やらという企業が存在していることを認め、「うわぁ」と声を漏らした。

 天才児たちによる群雄割拠時代の幕開けであればまだ良かった。互いに対抗し対立しているなら、四角い箱に様々なサイズのビー玉を詰めるようなもので、どこかに隙間が生まれるものだ。しかし彼らは仲が良い――重なり合い利益を共に追求する姿はベン図に近い。

 

 彼らをたとえるなら孔明に龐統と司馬懿仲達その他名将名軍師連中が一同に会して仲良くしているようなもの。成り上がろうとしている者からすれば悪夢そのものの集団だろう、バラけてくれればまだ対抗できる――かもしれないのに、彼らは友達として仲良くグループを作っている。本人らにそのつもりはないのだろうが、子供の立場を利用して談合しているようにも見える。

 それが華族の政治なのだと言うならそうなのかもしれない。

 

「みなさん、今日も気をつけて帰りましょう! さようなら!」

 

 1年生より一時間長い授業を終え、帰りの会で日直がハキハキと声を張り上げた帰りの挨拶を唱和する。そしてドアに近い席であることを幸い、秋山はランドセルを背負ってさっさと教室を立った。

 一階へ下りれば下駄箱前はすでに生徒でごった返している。人混みを縫って靴を履き替え――徒歩で学校を出る。

 

 秋山は華族ではない――地元のお殿様つまり現在で言う華族に代々仕える士族の生まれであり、才能を見出され華族の後見を得て帝都学習館学園に入学した。迎えの車を寄越してもらえるような立場ではないし、寄越してほしいと思うこともない。徒歩で駅まで行き、電車に乗り、家の最寄駅からは自転車を漕ぐ。

 政治とカネの世界とは無縁なのだ。縁あって東京の学校に入っただけで、勉学を収めたら地元に戻るつもりだ。東京で華々しく生活していらっしゃる一族の方々の役に立つような人間ではないのでどうか野に捨て置いてほしい。そう願っている。

 

 駅に着き改札を抜けた正面の窓から乗り場の様子を確認し、乗り場の端で喫煙している男を見つけて秋山は顔をしかめた。電車が来るまで改札前で待っていた方が良さそうだ。

 2分と待たずに電車の到着を告げるアナウンスが流れ、階段を降りる。

 

 秋山は拓銀令嬢のストーリーを事細かに覚えているわけではないが、知識と金と権力で様々な困難を叩き潰す話だったはず。

 彼らと関われば世の中を裏から動かす立場の一人になれるだろう。当事者にはなれなくとも、側でそれを観覧できるだろう。

 

 しかし海千山千の政界経済界の怪物と角突き合わすなど秋山には無理だし、したいという気持ちもない。――なんせここは華族制度が残る世界、アニメのセリフを借りるなら「何をやっても許されるのが特権階級ゾイ」。目をつけられたらどんな目に遭わされるか……。後見人に迷惑をかけるようなことになれば、秋山は帰る家を失ってしまう。

 

 車窓の向こうを流れ去っていくのは見慣れた(・・・・)東京の町並み。広い道路を走る車の多さよ。真っ直ぐな道路をびゅんびゅんと車が走っていく。

 

 ――どうして道がこんなに広いのだろう。更地を開発したのなら広い道路にも整理された区画にも納得できようが、この世界の東京は空襲を受けていない。

 史実では44年の末頃から東京は空襲を受け、焼夷弾に晒されてあちこちが焼け野原にされたはず。だから戦後の開発が手早く進んだのだと何かで読んだ。

 なのにどういうことだろう、焼かれた東京も、焼かれていない帝都も、そっくりな顔をしている。

 

 45年の敗戦であれば死んでいるはずの人が生きているのに、焼けたはずのものが残っているのに。

 

 車窓の横、車内に掲示された広告には。◯島由紀夫待望の最新作という文字が踊っている。

 「激震のノンフィクション」「戦後日本を復活させたのは」――広告に印刷されている顔は、かつて神であった人のもの。




 44年の年末に条件付き降伏をしているなら、東京は空襲を受けてないことになるんですよね。
 ということは、戦後東京の開発は「立ち退き交渉」からやらないといけない。住民を即座に立ち退きさせられる権力者はといったら、戦後「人間宣言」された方くらいじゃないかなぁ……っていう。

 というわけで、四人それぞれの違う視点や立場から「拓銀令嬢のいる世界」を眺める話でした。

 かなりギリギリというか、ボーダーから半月歩踏み込んだ部分もあるので、回答できない場合があります。ご了承ください。

++++
 原作の設定で当方の勘違いがありました。北海道は北日本民主主義人民共和国になってなかった――読み返して確認したところ、最初に読んだときに「樺太道新聞」の記述から「あー、樺太と北海道か」と誤解し、そのまま思い込んでいたようです。爆発四散して来ます。

 とまあ、そういう勘違いやら「読んでたけどすっかり忘れてた部分」やらによる悲惨な現状に加え、その悲惨なものを先生に補足されている悲しい現実から目を背けたいので、こちらの番外編は続きません。

 でも楽しんでくださった方に申し訳ないのと、私のもったいない精神が疼くので、続いたらこうなる予定だった……というのを載せておきます。

――――

 瑠奈たちによる玉城への尋問を経て藤吉が捕獲され、死なば諸共と半月も引きずり出される。
 得意なことは何かと聞かれて「スケベなこと全般」と答える半月、「司会進行役」と答える藤吉、「ええー」と回答を渋る玉城。どうにかこうにか三人には利用価値のある知識がほぼ皆無と分かってもらえるが、「未来知識を他所で漏らされると面倒だから」と監視付きで東京暮らし開始。

 藤吉は拓銀の原作既読だが19年時点でアニメ化や漫画化していない作品の記憶があやふやなため「なんかそういうウェブ小説があったかも?」という程度しか思い出せない。半月はもともと読んでいない。
 玉城の説明により「限りなく元の世界に近い異世界」であることを半月・藤吉も理解し、色々あって元の世界では「小児性愛に関する事件」が問題になっていたことを思い出す。
 三人は「イエスロリショタノータッチ」「リアルでは常識的な年齢差の相手と付き合え」の思想を広めるべく、ミッションT・S・F(乳・尻・太腿)(通称「目指せ横島大作戦」)を立ち上げる。

 出版業界に圧力をかけることもあるため、父方も母方も「プー太郎駆け落ちの末に誕生した」やら「先妻死亡で養子に出された」やらという自慢しづらい血統の主だが一応華族……という藤吉が代表として立つ。なお母方に養子へ行くのは母方本家が子無しかつ叔父が病がちなので、うっかり本家の資産が分散されることがないように(≒相続人=後継者)。玉城は表に出たら貞操が危険だし半月は一般市民なのでどうしようもない。

 藤吉が父方の親類の葬式と相続についての話し合いに参加したのは、叔父の寿命がそろそろ尽きそうなので一度現場を経験しておこう……という事情があった。

 こうして性技の使者なのか正義の使者なのか微妙な連中による身分(藤吉の階級)と金(玉城の個人資産)と知識(半月のスケベ知識と藤吉・玉城のサブカル知識)によるサブカル侵略が始まる。はじめは瑠奈も「自分たちの知っている作品を再現したいのかな?」と温かい目で見守っていたが、最終的には頭を抱えて「なんでこうなった」と呻く。
(後見人に迷惑がかかる可能性がある&肉体年齢が幼すぎるため除外された秋山は対岸から「わー、さすが半月さんだわ」と感想を漏らす)

 〜エンド〜


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一部
俺が不健全にしてやるぜ


 初めに違和感を覚えたのはいくつの時だったか……確かまだ一桁の年齢の時だったと思う。

 地元の小さい本屋には成人向けの本が一冊もなく、テレビで報道される様々な事件に性犯罪はない。年齢を重ねるとともに増えたコンビニの本棚は性的に健全な雑誌ばかりだし、保健体育の教科書はまるで生物学的で犬猫の交尾の記述に似ている。中学に入って知った英語の「セックス」は「メイクベビー」であって「メイクラブ」じゃないらしい。なんとも微妙な違いだ。

 

 私の今いる世界が何なのかは、高校受験を視野に入れ、進学塾の行う全国統一模擬テストを受けるようになった中学二年の夏に明らかになった。模試の結果と共に送られてきた上位五百名の氏名と点数、二度目の人生だというのにその一覧に載れなかった私はふてくされながら同世代の天才君たちの名前を流し見て、目を剥いた。全国三位、降谷零。

 目を細めてみた。三位に降谷零。見間違いかと思って目を閉じて揉んでからもう一度。上から三行目に降谷零。これを同姓同名の偶然だろうと笑い飛ばせない理由、証拠は実は他にもいくつかあるのだ。日本の首都の呼び方が東京ではなく東都、ナイトバロンとかいうミステリー小説が本屋に並んでいる。ちなみに作者の名前は知らない。

 

「まじかぁ」

 

 少年向けマンガの世界だったのなら、この健全具合にも納得がいく。主人公はもちろんとして、度しがたいスケベが一人として存在しない世界なのだ、ここは。だから主要キャラがコンビニに並んでいるアダルト雑誌を見かけて照れることも、主人公たちがうっかりレンタルビデオショップで十八禁コーナーに入ってしまうこともない。そういう性的な情報が未成年の視界に入ることがないよう、路地裏にある薄暗いお店とか寂れたビルの地下にあるネオンが点滅するお店といった「未成年お断り」な場所が別にあるに違いない。

 健全な世界、凄い。住み分けが半端ない。そう思っていた。

 

 

 

 帝丹ではない地元の進学校を卒業して、東都大ではない地元の有名私立大に入り……入ったテニスサークルの先輩たちの健全度合いに首を傾げた。ヤリサーじゃないのは良いことだけど、他称「スケベな先輩」によるセクハラが紳士的すぎる。手を握るだけ、肩に触れるだけ、口説くだけ。確かにセクハラで、人によっては嫌悪感で吐いてしまうこともありうる接触だけど――ぬるい。

 無理やり肩を抱いて頬と頬がくっつく距離まで顔を近付けられるわけでも、腰やお尻に手を回して揉んでくるわけでもない。なのに他の人からの評判がスケコマシでスケベ。

 

 貴様らはもじもじしてる中学生かと思いつつケータイで調べたワードは「春画」、検索結果はまさかのゼロ。ドーナッてるのーこの島はー? 日本から春画とエロなくしたらどうなるのよ、ただ嗜好がちょっとやばげな国民という要素しか残らんではないかどうするつもりだ。島国の誇りはどこに消えた。

 次に検索したワードは「成人向け」。検索の結果出てきたのはグロ画像だけだった。そうだね成人向けだね確かにね。エロは?

 

「嘘だろおい……まじかよ」

 

 続いて検索した「セックス 方法」は、「刺して出して抜いて終わり」としか言いようがない代物だった。エロスが完璧に不足している。おいおいマジかよエロのない人生とか灰色過ぎだわ信じられるかコレ冗談だろ? エロがないなんて逆に不健全だと思わないのか。青春の熱い情動をスポーツだけで発散できる訳がないように、人類の性欲を抑圧してどうするんだ欲だけに。

 

 そして何よりエロが足りない現実に打ちのめされて、私は――この人生はじめての同人誌「エロス―性春―」を二週間で書き上げていた。文章俺、絵俺、印刷俺の全部俺の愛に溢れたエロの本、略してエロ本。コンビニコピー機と人力ホチキス止めの表紙込み八ページで少部数、かつネタがネタなので、性行為(刺した! 出た! 終わった!)ありの少女マンガ描いてるネッ友のスペースに委託させてもらい、私は市場調査という名目の買い物に回った。

 ちなみに私はネッ友の本をうっすらエロい少女マンガだと思っていたが、この世界の常識ではかなり際どい本だったらしい。どうりで絵柄もマンガも上手いのにフォロワー数が少なくて面子が濃いわけだ。

 

 ネッ友による濃い面子への拡散のお陰あってか刷った五十部が全て捌け、るんるんと新幹線で家に帰ってエロさに欠ける戦利品を熟読していた時のことだ。呟きったーの通知が鳴った。なんと珍しい@通知、それもフォロー外の人からだ。

 

「この本の内容は本当ですか? って本当だよ私自身で試したことに誤りはない」

 

 刺して出したら終わりなこの世界にジョークグッズはない。ジョークグッズはないが、電動マッサージ機はある。執筆の二週間で入ってはならないゾーンに突入したまま戻れなくなった感もある。今までの交尾に戻れなくなる覚悟があるなら試して味噌と返信してその晩は寝た。

 

 アラームに起こされた朝、ガラケーの下半分に表示されている呟きったーからの通知を押した。

 

@_seisyun 彼氏と本の内容試してみました!すごかったです!新しい扉開けました!

 

 ほらな! 私の言った通りだろ!

 ――しかしそんな風に鼻を高く伸ばしていられたのは数日だけのことで、続々と増える実体験報告に私は切れた。彼氏いない女によくも惚気られたもんだ、表へ出ろ寝取ってやる。

 幸せカップルが視界に入るだけで腹立たしいので、しばらく呟きったー休みます宣言して通知も切り、彼氏は出来ないのに男友達は増える女子大生生活に頭を捻りながら二ヶ月ほどを過ごしたある日のことだ。男友達の一人・タダシの手に、見覚えのある本があった。

 

「タダシどうしたそれ」

「従兄から送られてきた本。すげーやばいからマジでこれ。試したらマジでやばい。天国見たわ」

「うん、やばいよタダシ、あんたの語彙が特に」

 

 タダシの手にあるのはどこからどう見ても私のコピー本だ。どうなってるんだこれ。急用が出来たと言い訳して代返をタダシに頼み教室を出る。学費が高い私立大らしく綺麗なトイレの個室を一つ占領し、久しぶりに呟きったーを開く。

 通知がカンストしていた。上からざっと流し読みすると「もっと色々知りたい」「知らない世界に来た心地です」「もう以前のセックスには戻れません」「見せてもらっただけなので手元に一冊ほしい」「印刷所で製本してくれ金なら出す」「全国の本屋に置くべき性教育入門の書」「○潮新書です。先生の書かれたご本についてお話をしたいのですが」云々。DMには複数の出版社からメッセージが来ている。

 

 長い溜め息が漏れた。マジか、まさか私がエポックメイキングしてしまうとは思いもしなかった。いいぞもっとやれ。エロよ増えろ。きっと私は後世に渡って「エロの先駆者」とか呼ばれるんだろう……あれれソレどんな羞恥プレイ? まだエロスの伝導者と呼ばれる方がマシな気がするから先にエロスの伝導者を自称しておこう。

 プロフィールを編集して名前を「カラメル半月★エロスの伝導者」に変更する。鎌倉○月は美味しい。キャラメル○ンデーのドゥーブルキャラ○ルムーンも美味しい。名前の由来なんてそんなもんである。

 そして一番上に「復帰しました」と呟きを固定し、続けて「コピー本に続けて第二段の構想があるから、前の分とまとめて本にする。原稿はこれから書くから待ってちょ」「まさかここまで広まるとは予想外でした。商業で出すかについてはまだ考えたいので時間をください」と呟いた。はやく制限文字数百四十字に変わらないだろうか、七十字はきつい。

 

 サークル参加申込可能かつ日帰り可能な場所で開催される直近のイベントにサクサク申し込んでデビットカードで支払いを終え、申し込みましたと呟いてトイレを出た。

 

 ――私はただ、不健全に餓えているだけなのだ。尻が踊り脚が舞い汗と汁が飛び散るエロい本を読みたいだけなのだ。ベビーをメイクするためだけの行為ではなくラブをメイクする行為の方が魅力的だと思っているだけなのだ。男同士や女同士も素晴らしいむしろもっとやれ。

 だがこの世界に不健全な本はなく、ド健全な本が溢れている。愛の確認作業たるセックスはなく、交尾にしか見えないセックスがこの世に溢れている。BL? 今まで本屋で見かけたことがありませんね。GL? 存在しないジャンルですよ。ああ、なんて健全すぎて逆に不健全で不健康な世界!

 

 私は他人が描いたエロ本を読みたい。他人が書いた濡れ場を読みたい。肉体関係から始まる恋物語、なんて粗筋を聞いただけで涎が溢れる。

 体はエロを求めている。エロほしい……エロほしい……! エロゲが元になった名作なんて数多あるし、エロゲ音楽には神曲が多い。エロがない世界なのに日本でWind○wsが普及した理由がよく分からない。なんでだろう。

 

 閑話休題。読者からの熱いエールにやる気スイッチがオンした私は、イベントに悠々間に合う日数で第二段を書き上げた。第三段も出せるのではないかと一瞬思ったけどすぐにその思い込みは捨てる。こういう時はだいたい脱稿できないものだ、次のイベントで出そう。

 そして参加したイベントは、サークル主参加は初なのに壁に配置されて困惑。一般参加者入場時間前に出来た長蛇の列を見ながら、誰にも売り子を頼まなかったことを嘆いた。あと、叶うなら前世で壁サーになりたかった。そして今生は石油王になりたかった。

 

 それから私はサークル参加を五回ほど繰り返し、商業に移動した。この不健全・エロス推進同人誌が新○新書になったことでバラエティ番組に取り上げられ、顔にモザイクかけて声にボイスチェンジャーかけたカップルが「新しい世界開けましたー!」とか「これは革命ですよ」とか話す様子が放映された。ちなみに私は聖飢魔○な化粧をしてインタビューを受けたはずがモザイクにされていた。

 ――その年の本屋大賞やベストセラーに自分の本が輝くのを印税ワイン(白)を傾けながら見て、次のイベント日程を確認する。俺、次のイベントではエロ本を探して歩くんだ……。

 

「なんでだよぉ!」

 

 エロい本がない。オリジナルから二次創作まで、広い会場を一つ一つ見て回ったのにエロい本がない。ネッ友の薄い性描写あり少女マンガ以上のエロを描いた本がない。なんでだよ、エロに目覚めたんじゃないのかよ。BLくれよ……って、待てよもしかして男色すら存在しなかったとかそんなことないよね。

 男色の検索結果、ゼロ。ここは性行為が交尾でしかない世界なんだぞ、男同士のオセッセが生まれると思っていた私がバカだったのだ。馬鹿者が、大間抜けめ!

 

 唇を噛み締めながら家に帰り、呟きったーを開く。「成人指定のエロスの本描くわ。次のイベントでは年齢が確認できるもの持ってきてください」と書き込んで返信を見ず画面を閉じた。

 

 それからエロ本作家の先駆者として、自らもエロ本を描きつつ、保健体育の教科書のコラムに寄稿したりAV制作のオブザーバーしたりジョークグッズ会社の役員になったり変態性欲と題した寄稿同人誌の編集したりしていたら、マネジメントを外注している会社経由で連絡が来た。貴方にしか頼めないことなのです、警察庁でお会いしたい、交通費なら出す云々。

 私は、変態的なことをしている以外は全うに生きているつもりだ。親に顔向けはできないしテレビで顔出ししちゃったから帰省もできないけど犯罪には関わってないし。すまんな孫の顔は弟に頼んでね。何ら後ろ暗いことはないぜ、と警察庁に行った私を待っていたのはなんと、「表舞台に立てない警察官」のためのハニトラ教育担当官をしないかという話だった。臨時勤務扱いだが三年契約だから公務員共済にも入れるよ、年金も増えるよ、と言われてホイホイ判子を押した。大学に通ってることを考慮して東都通いを週一に抑えてくれたあたり、流石公務員。

 

 一年目はハニトラ教官になる警官を相手に、あーんなことやこーんなことや男同士でも気持ちよくなれるんだぜ前立腺って言ってだなグフフ……先ず洗浄からな、を教えた。女同士でもこういうU字状のを使えばゲヘヘ、とかも教えた。会社で絶賛開発中なので発売したらよろしく。

 二年目は、大学を卒業して東都に拠点を移したことで授業頻度が週二に増えた。教官見習いたちと一緒に潜入捜査官向けエロス講座をねっちょりやって過ごした。

 三年目、生徒の中に私が一方的に知ってる顔があった。降谷零と諸伏景光の二人だ。流石主要キャラ顔がいい。存在が既に星のように光り輝いている。

 

「本物の半月先生……! サインください!」

「うおっ、まじだ! サインください!」

 

 ちょっと何が起きているのか訳が分からないです。



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お前の性癖を数えろ

 性的に開発()途上であるこの世界。セックス=交尾で、男色も酒池肉林もSMも存在しなかったど健全ワールドに性産業はない。こいつぁヤベーぞ……遅い性に目覚めた童貞ほど暴走しやすいものはない。ふええ、こんなの性犯罪が増えちゃう……。

 ということで、ジョークグッズ会社を使って遊廓もどきを作った。そこで働く予定のお姉さん方には私が「擬似新婚さんごっこ」とか「男の浪漫」とか「エロくてきれいな奥さんが嫌いな男はいない」と拳を握りしめながら指導し、ああーんなこととかこぉーんなこととかを図も交えながら教えた。

 ……教えたお姉さん方をど健全運営で働かせてたら、店を始めて一年半で半官営になった。 遊廓もどきは儲かると見たヤクザが真似を始めたせいで、最大手で一番クリーンなうちを半分官営にしてお上が介入することになったのだ。ちなみに遊廓もどきと同時並行で作ったホストクラブも一緒に半官にされた。

 

 そのホストクラブだけど、半官になる二ヶ月前から降谷零が働き始めて数ヵ月働いて、うちの店では禁止されている客との性行為を理由に辞めた。――つまり裏社会に潜るための便利なルートだったわけよ、うちは。

 元々甘いマスクにエキゾチックな容姿だから、降谷零もとい安室透はハニトラに向いている。というか私がハニトラ教育の監督役な偉い人に「こいつぁスケベ要員だぜ! 俺の見立てに間違いはない!」と猛烈にプッシュしてエッチな潜入捜査官に育てた。だって日本の会社の社長より石油王に口説かれたいでしょ、つまりそういうことだ。

 

 そんな風に楽しくスケベな仕事をしていたある時、某少女マンガ雑誌で海の闇云々とか天使のTA云々とかというマンガの連載が始まった。連載追えるの最高! 毎月二十冊買ってファンレター書くぅ! できれば色紙ほしい!

 そう呟いたーに書いたら会社経由でサイン色紙が来た。有名人になるって最高じゃねーか今日から君は客間に飾る家宝だよ。

 我が家にやってきた色紙にキスの雨を降らせていて、ふっと気付いた。そういえばSMって単語を聞いた覚えがないな……。サド侯爵はもしかして本を書いてないのだろうか? 検索したら名前だけは見つかったので、大学ではフランス文学を専攻していたという社員に調べさせた。

 そしたらなんとサド侯爵、本来なら死後に再評価されるはずが生前の不遇そのまま歴史の海に埋没し、資料がほぼ散逸していた。そんな面白そうな話を私が放っておけるわけがない、「いいか今日からここはフランス文学史のゼミだ生徒を集めろ」と会社の会議室一つを占領し、フランス文学専攻に鞭打って教授先輩同期後輩院生の縁を掻き集めさせ翻訳させた。出版はいつもの新○新書。

 

 そんなことを繰り返していたら称号が増えて性癖の解放者とも呼ばれるようになった。そして半官半民のお店にSMバーも増えた。先日なんて役所から高額納税ありがとうって礼状まで届いた。

 

 ――むろん、私の進んできた道がまっすぐで滑らかだった訳じゃない。国が性風俗を乱しているという主張の固い市民団体による集会が何度もあったし、性犯罪を助長しているという意見もあった。でも私からすれば性に目覚めたばかりの猿に理性を求める方が考えなしだし、風俗店がヤクザやマフィアのドル箱になる可能性の高さを考えると半官半民で営業する方が治安のために良い。理性的な人間しかいない社会なら性はもちろん軽重問わず犯罪を犯す人は出ないんだから。

 そう反論しても、やることなすこと何度も攻撃されて、途中、自分は何のためにこんなことをしているのかと悩んだりもした。私は大学に入ったばかりの尻の青い時分から、健全すぎて不健全な世界に不埒を持ち込み、色気もクソもない交尾にイヤンアハンな愛と夢を溢れさせ、大人しい創作界に性的に過激なビッグウェーブを起こしてきた。

 それもこれも、「人の描いたスケベ本を読むため」ただそれだけの目的でここまでやってきた。こんな大声に出して読むと恥ずかしい日本語のため、私はあっちに手を伸ばしこっちに手を伸ばしてエロスの普及に努めてきたのだ。お陰で両親からは二度と帰ってくるなという手紙が来たし、弟とのやり取りはもっぱらメール。エロエロな、違う色々な物を捨てて世のため人のため私のため、私は不健全の道を走ってきた。

 

 だから、そろそろ自分の欲望だけを満たすために生きてもいい気がする。

 

「貴方は今までもずっと自分の欲望を満たすために活動してきたのでは?」

「それとこれとは違うんですよ風見くん」

 

 警察官向け「性風俗店設置による治安の向上に関する講義」のために警視庁にやってきた私は、警察庁を出入りする中で仲良くなった風見くんが大講堂まで案内してくれたのを良いことに現状への不満と将来への希望について愚痴った――ら、回答がこれである。

 全く風見くんは分かってない。趣味が仕事になった人はラッキーでハッピーな奴に見えるものだが、中には趣味が仕事になると苦痛に感じる人もいるのだ。私はその後者なのだ。

 

「ははっ、冗談でしょう」

「こんにゃろう」

 

 鼻で笑ってくれた風見くんとウフフアハハと肘鉄砲の撃ち合いをしていた私の視界の端に、大講堂の出入口あたりで何やらうろちょろしているイケメン二人がちらついた。

 

「あ、あっち見てよ風見くん。あそこにイケメンが二人もいる」

「はあ……いますね。あの二人がどうしました?」

「きっとあの二人、顔面偏差値が高いからモテモテなんでしょうね。スケベ偏差値はどうなのか知らないけど」

 

 悲しいことに、この世界には顔面偏差値が高いのにスケベ偏差値が底辺な奴がまだまだ多すぎる。昔よりはマシになったけど。

 

「あー、来実ちゃんになりたい。スケベが上手いイケメンに誘拐されてスケベな目に遭いつつ安全安心な危険を乗り越えてスケベなイケメン中国マフィアとゴールインしたい」

「あれは漫画です、現実を見てください。あと、国外に移住することだけは絶対に止めてくださいね」

「頼まれても移住なんてしませんよ、心配しないで」

 

 イケメンはイケメンであるだけで高ステータスだと思うけど、黒龍みたいにベッド上のステータスも高くないと気持ちが萎える。想像してみてくれ……ホテルの雰囲気のあるバーで出会ったトム・クル○ズと最上階の部屋に雪崩れ込んだら、ドアの鍵を閉めた二分後にピロートークが始まるんだ。そんなのってないよ。

 私の店の女の子達から聞く話によると外国からスケベ目的で日本に旅行に来る客は多いそうで、だがしかし大抵の客は一瞬でフィニッシュしてエピローグがスタートするという。そんな男で溢れている外国に行きたいと思えるだろうか? 私は全く行きたいとは思えないし、今は日本のスケベレベルを上げるだけで手一杯なので自力でどうにかしてくれとしか言えない。

 

「そろそろ仕事の話をしても良いですか?」

「あっはい」

 

 風見くんが今日の講義のサポート係だったらしい。どうりで誰も声をかけてこなかったわけだ。

 

「先にお伝えしているとおり、講義は午前と午後にそれぞれ一回ずつ。各部署から最低一名は参加するように伝達していますし、貴方が一般警察官相手に講義するのは初めてですから、かなりの数の参加者が来ると思われます。あと、スライドのサポートは私ではなく後から来ます田中がする予定です」

「了解です。そうだ、スライド使った講義は一時間ちょっとで終わらせて残り時間を質問タイムするって話しましたよね? 質問者にマイク持っていく係は右と左に二人いる方が時短になりませんか」

「そうですね……総務からもう一人寄越すように伝えます。他に何かありますか?」

「いえ、今のところは」

 

 何度も大学の講義に呼ばれたりしてるし、大人数相手の講義も慣れている。見た感じ準備は完璧だ。

 講義が始まるまであと二十分もあるのに立ち見参加者まで出始めているのを見ながら、警察は暇なんだろうかと考えた。警察が暇なのは良いことだ……治安が良いってことだからね。

 

 最後列から二列目の長机に、さっき話題にしたイケメンたちと良い男の三人が仲良く揃って座っていた。



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愛欲を取り戻せ

 全くの別世界なら「私の基盤になった様々なもの」はほぼ全て存在しないのだと諦めもついたろうに、変に似ているから勘違いしてしまう。

 数年前、保健体育の教科書に関する話し合いで訪れた出版社、そこでパラパラと見た中学国語の教科書に載っていた源氏物語の話は末摘花の巻だった。中学向けなら王道の若紫の巻じゃないのかと疑問に思いはしたけど、その時はスルーした。スルーしてしまったのだ。

 

「この光源氏計画ってなんですか?」

「えっ……嘘だろ……?」

 

 同人誌・変態性欲の編集が大変すぎて○潮社に押し付けた結果の季刊紙「愛と欲」に載せる予定のコラムを添削してくれている担当編集・竹田くんの一言に雷撃が走った。

 源氏物語は平安時代から続くロングセラー立身出世恋物語のはず――だというのに何故? いや、ただこれまで「光源氏計画」という表現がなかっただけかもしれない。源氏物語はちゃんと存在するんだしね。

 

「竹田くんは源氏物語ってもちろん知ってるよね?」

「源氏物語……源平合戦の平家物語みたいな話ですか?」

「何が起きておるのだ古典文学」

 

 助けてグー○ル先生! 竹田くんは東都大の国文学卒のエリートなのよ! どうして知らないの!?

 調べた結果、スマホが教えてくれたのは残念な現実――源氏物語がどマイナー古典文学扱いを受けているということだった。時折陽の目を見るのは末摘花くらいで、若紫その他の巻はほぼ研究すらされていない悲劇。当然の流れとして大和○紀のあさきゆめ○しなんてマンガも存在しない。

 どういうことだ、瀬戸内○聴は何してるんだ! 人生をかけた愛が大好きな尼さんは何をしている!? 文句つけてやる! うわヤバい検索しても瀬戸内海しか出てこない……もしかして駆け落ちせず作家にもならなかったの? そんな恐ろしいことってある?

 

 泣きながら京都○学に連絡して古典文学等の国文学の教授らと会いたいとアポを取り付け、十数年前に一冊だけ出ていた源氏物語に関する書籍を読みつつ京都に飛んだ。始めから終わりまで読んだけどセックスに関する話題が一つもない神は死んだ!

 

「源氏物語を不健全な解釈込みで全訳してくれる方はいませんか」

 

 今なら即金で研究費用に五百万出す。私がそう言った瞬間にニマついた顔をした新古今和歌集の男教授と、枕草子の男女助教授に鎌倉文学の副学長を付けた四人チームに頼むことになった。現行の固く健全すぎる解釈を打ち破るなら京都○学が一番向いていると見込んでの選択は正しかったようだ。

 

 一緒に食事でも……と学食でドネルケバブを食べつつ話したところによると、日本に限らず世界全体で、十六世紀半ばから十七世紀半ばまでのおよそ百年――室町末期から安土桃山を経て江戸時代初期までの期間に、性風俗が一度衰退したのだという。

・世界全体で火山活動やその他様々な天災が起きる。

・地球全体が冷え込み、どこもかしこも冷夏が続いて世界の人の心からは余裕が、実生活からは食料が消える。

・身体は闘争を求める。

・フロ○がアーマード・コ○の新作を作る。――ではなく性行為から情緒その他様々な文明的要素が消える。

 ということがあったのだとか。

 

 一度衰退したものを取り戻すのは難しく、またいくつかの宗教が「肉欲という原罪が減るのは良いことだ!」とか「煩悩が減って良かったね!」という冗談がきつすぎる対応をとったため、性風俗の文化が蘇ることなく今に至るんだそうな。

 

「室町末期までの文学に多大な影響を与えた源氏物語は日本文学史で重要な地位を占めていて良いはずなんですが……。江戸時代から今に至るまで、健全な作品しか評価を受けられないものですから、臭いものに蓋とばかりに無いもの扱いされてるんですよね」

「ウワァ……」

「いやぁ今回の提案はほんと、流石は半月先生! 分かってる! って思っちゃいましたよ」

「先生はどうやってこういう性風俗に関する書籍や知識を掘り起こしているんですか?」

「マア色々と見て回りまして、ハイ」

 

 予想以上に酷い。頭を抱えながらとぼとぼと東都に戻り、迎えの車で呻いていたら――車に衝撃が走った。

 

「ひっ人が! 人が飛び出してきて、それで!」

「とりあえず警察呼んで!」

 

 気が動転してあわあわとしている秘書に声を張り上げ、車を転げ出て被害者の様子を確かめる。日没後の暗がりで分かりにくいが、被害者はニット帽被ったロン毛だ。お前、お前、もしかして諸星大!?

 道路に座り込んだロン毛に駆け寄ると、ロン毛は足を押さえながら苦痛の声を漏らす。

 

「つぅ……骨が折れたようだ……」

「市街地の安全運転で!?」

「……ヒビかもしれんな」

 

 ここらはもう我が家に近い。会社帰りとか塾帰りの歩行者や自転車がよく通る道だから時速二十キロも出してないのだ。だからと言ってそんな簡単に前言を撤回するんじゃない。

 

「お兄さん。どんだけ生活に困ってるのか知らないけど、当たり屋はいけないよ。うっかり死亡なんてことだってあり得るんだから」

「俺は当たり屋では」

「ドラレコ持って一緒に警察にいく?」

「……俺は当たり屋ではない」

 

 頑なに認めようとしないロン毛。押し問答が続いて果てが見えないので、財布から五人の諭吉を取り出して首元からお腹に突っ込んでやる。

 

「それで一週間の宿見つけて、就活スーツとか買ってハロワに行ってきなよ。まだ若いんだから。ね、ロン毛くん」

「違うと言っているだろう! 俺は当たり屋じゃない! 金がほしい訳ではないんだ!」

 

 服の中の諭吉を取り出そうと服に手をかけたロン毛は、近づいてくるパトカーのサイレンが聞こえたのか目を剥いて私を見た。

 

「警察を呼んだのか!?」

「そりゃあ事故だもんで」

 

 後から交番に飛び込んで「米花ナンバーのト○タカロ○ラに轢き逃げされました! 車体はグレーでした!」とか言われてみろ、私が捕まってしまう。こういうのは一般でも良くある示談金目的の犯罪だから、特に私みたいに恨みを多方面で買っている立場なら当然その可能性を疑ってかかるべきだ。

 私がそう答えるや否やロン毛は舌打ちをするや機敏に立ち上がり、足のヒビとは何だったのかと言いたくなる軽やかなランニングフォームで事故現場を去っていく。

 

「えっ、あの人逃げちゃったんですか……?」

「うん。示談金目的の当たり屋だったんだろうねぇ」

 

 それからすぐ現れた警察に被害届を出して、九時を過ぎた頃やっと家に帰ることができた。鞄を廊下に落としソファーにバタンと倒れ込む。

 

「あれでナンパして成功するのか……古典的すぎない?」

 

 いや、その「古典」が歴史の海に消えてるなら、真新しい手段と言える――言えるだろうか。そうとは思えないけど。

 

 数年後、歴史学者たちを巻き込んで作った「エロスの日本史」と京都○学の皆さんで作った「新・全訳源氏物語」を同時刊行したことで古典ブームが起こり、古典文学の学者たちが変態扱いを受けるという悲劇も起きた。

 

 変態扱いもみんな一緒なら寂しくなくて良いね。



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エロスは地球を巣食う

脱字報告あざます
>AKATSUKIYAMIさま


 あの女には自覚があるのかないのか――自覚があるならばあんな悪びれない態度など取れないだろうから、きっと無自覚に悪辣なのかもしれない。

 人類が捨て去ったはずの姦淫によって人心を惑わし、世を混乱させる悪魔。イブの楽園追放をもたらした蛇。性に狂った堕落者を産み出す淫婦。愛という言葉に泥を塗る恐るべき煽動者。正しい信仰心を持つ者には受け入れがたい、もはや滅ぼすべき魔王そのもの。政界にもあの女を野放しにしている日本にきちんと指導すべきだと唱える者は多い。

 

「接触は失敗だ。全てな」

『嘘でしょ!? 交通事故でもダメだったの!?』

「警察を呼ばれた。嫌になるくらい冷静で全うな対処だった」

 

 宮野明美との接触時には成功を収めた手段だが、あの女――カラメル半月を名乗る女には全く効果がなかったどころか、強請の当たり屋扱いを受け服の中に万札を突っ込まれる有り様だ。

 長いため息を吐きながら頭を掻きむしる。国際通話の遠い声が今は鼓膜にちくちくと刺さってならない。

 

 ――アメリカをはじめ、先進国の多くが「性」ブームに荒れている。人類が捨てたはずの原罪の一つが、一人の日本人の姿をとって再び世に現れた。それは今や子作りの手段でしかないはずの性行為に快楽を求め、恥ずかしげもなく「セックスは愛だ」などと宣う。人を堕落させるための嘘に「愛」という言葉を使うなど信じがたくおぞましい所業だ。

 だが、いくら彼女が悪魔のような存在だとしても「法律に定められた罪を犯していない」彼女を逮捕出来るはずがない。だからと言って命を狙うなど短絡的な解決はもっての他だし、むしろ彼女が死ねばそれはそれで信者共が騒いでブームが悪化しそうだ。

 

「もはや打つ手なしだな。今回で顔は割れた、もしまだあの女への接触を試みるというなら俺以外の誰かにさせてくれ」

『分かったわ……お疲れ様、シュウ』

 

 五年ほど前のことだ。あの女は「子供を作るための作業」であるべき性行為をメイクラブと呼び、小規模なサークル活動程度の組織でしかなかったカウンターカルチャーグループ――ボヘミアニズムやヒッピーがそれにより爆発的に沸いた。そしてあの女の悪魔を模した化粧を真似たミュージシャンが間欠泉のように人気の階段を駆け上り、ひたすら猥語を叫ぶだけの音楽や男女のべったりとした性行為を喜ぶ音楽がラジオから流れるようになった。

 あの女は人類を退行させ、堕落させ、人々の視界を遮ろうとしているのだ。およそ正常や正義とは程遠い。

 

 悪貨は良貨を駆逐するという。

 あの女の流した毒は既に、消し去ることが困難なほど広がっている。この膿を絞り出すことはもう不可能なのではないか……そんな諦めが肺を重く満たす。あの女は法律を知っていて、常識があり、一般人の振りが出来る淫毒の塊だ。生きているだけで世界の害であり、しかし殺せば死体から毒が広がる。

 もうこんなにも毒が広がってしまった後では、もはや人類が以前の姿に戻れないことは明白だ。だが、だからと言ってあの女の毒を放置することもできない。何らかの手段を取らなければ――しかし、その「何らかの手段」がどのようなものであるべきか、きっとこの世の全員が分からずにいる。

 

 ため息を吐いたが、コールタールは肺の奥深くに沈んだままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラメル半月という作家を知ったのは、大学二年の始めのことだった。流行に敏い学友が教室に持ち込んだ十数ページの薄いB5サイズの冊子には「性春―エロス―1・2」と書かれ、作者の名前だろうカラメル半月なる文字列もあった。

 

「なんだ、これ」

「今ネットで話題の同人! 頭おかしいくらいやばい列に並んで手に入れた戦利品!」

 

 その場にいた友人連中で車座に机を囲み、今までに見たことも聞いたこともない情報の書かれた紙面を読んだ。とうてい本当のことだとは思えずオカルト本だろうと結論が出かけたが、実験好きの一人がこう言ったことで流れが変わった。

 

「実験してみようぜ。これを試したところで死ぬわけじゃなし、オカルトだったならオカルトだったってことで良いじゃん」

 

 罰ゲームでゲテモノを食べるよりはマシだろう、と今晩それぞれ試すことになった。冊子を水平に広げて写真を撮った後、言い出しっぺが「明日感想言うし聞くからな!」とニンマリ笑んだのをみんなで小突き回した。

 ――試した結果はまあ、天国を見たと言おうか、新しい扉が開けたと言おうか。まるで宇宙に放り出されたような軽い酔いと解放感があった。こんなストレス解消法があるなんて想像だにしておらず、気付けば二度目の解放を得ていた。

 

 どうしてこんなことを知ることができたのだろうか。何か偶然の出来事があって、自らの体で調べたのだろうか? 次の朝大学で会った学友たちは目を輝かせてカラメル半月の凄さを褒め、俺もそれに賛同した。

 誰かが新刊を手に入れてくる度、そしてそれを読む度、興味が膨らんだ。

 

 大学四年の夏だ。半月先生が同人誌をまとめた新書を出版したことで大いに話題になり、テレビ番組に出ると呟きを見て番組を録画予約した。が、なんと先生の顔にモザイクが、声にはボイスチェンジャーがかけられていた。やはりテレビでの顔出しは身バレするからかと意気消沈したがしかし、なんと先生自身がその処理に困惑していた。後で番組側は「風俗を乱す化粧をしていたから」と説明したが、呟きったーは「は?」「ふざけるな」と大荒れに荒れた。番組側が勝手なことをしなければ半月先生の顔を見られるはずだったと思うと、俺も呟きったーに「無能」と書き込んでいた。後から顔出しでテレビに出るようになったが、確かに悪魔的なメイクで公序良俗を乱しそうだったのが面白かった。

 

 その、一度は会ってみたい、話してみたい相手――半月先生と、まさかハニトラ教育で会えるなんて。

 かつてはハニトラ対策授業だったそうだが、数年前からはハニトラを逆に取り込みトラップを仕掛け返す授業になったのだとか。流石だ。

 

「性行為ってね、お互いの気持ちが正直に出るのよ。バスやタクシーの運転と一緒でね、車に乗せてる相手をただの荷物だと思っていたら運転は知らぬ間に荒くなるし、気を付けて運ぶべき相手だと思っていたら自然と優しくなる。ただ自分だけが気持ちよくなるために腰を振ってたら相手を傷つけるだけし、相手のことを思いやった行為には愛が宿るのよ」

 

 性行為は子作りじゃない、愛を育む行為だ。メイクラブだ! という発言が流行語大賞になったのはつい二、三年前のことだ。「子作り」という表現に重圧を感じている夫婦は案外多いのだろう。

 その「愛ある行為」を武器に出来る。そう半月先生に太鼓判を押された俺はヒロに自慢した。だが自慢して良い相手がヒロしかいないのが少し、同期たちの顔が思い出されて寂しかった。

 

 ――身に付けた技術は裏切らない。快調過ぎてむしろ怖くなるほど簡単に黒の組織に潜り込んだ俺は、昨晩聞き知った情報を飴のように舐める。

 黒いニット帽に膝近くまで伸びる黒のロングヘア、目付きが悪い悪人顔の男が先生の車に当たり屋をした……なんて、面白い情報だ。この組織は先生に対して「触らぬ神に祟りなし」「とりあえず拝んでおけ」「死んだ時に起きるだろう世界の混乱の方が怖い」というスタンスだし、まだ末端の一人とはいえ「宮野明美の恋人」をそう簡単に捨て駒には出来ない。ならばどうして諸星大は先生に接触を図ったのか。

 他の組織にも所属しているか……接触を図らねばならない個人的な理由があるか。どちらにせよ組織からすれば困ったネズミだ。

 

「ねえ、面白い話を聞きませんか」

 

 薄暗いバーに現れた黒いロングヘアの男に、俺はそう囁いた。



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人の心を豊かで性欲あふれるものに

ス○ーバックスに殺されたら骨を拾ってください


 宮武外骨という人を知っているだろうか。政府に向かってベロベロバーと皮肉な新聞を書いて禁固刑を受けたり、一人目の奥さんを借金の形にして新聞発行の資金にしたくせに買い戻せる目処が立っても迎えにいくのを忘れて三行半を叩きつけられたり、牢屋でこっそり新聞を発行したり、政府を皮肉る新聞を書いたら捕まるため手法を変えて性行為等々に関する新聞を書いたり、二人目の奥さんが亡くなって数日後に三人目を迎えたり、「三人目四人目の妻は性衝動を発散する必要のために迎えた」と恥ずかしげもなく友人連中に公言したりしていたスケベなおじさんである。

 スケベなおじさんだったはずなんだ。

 

「外骨からスケベを抜いたら何が残るの? 単なる反骨ジャーナリストの一人扱いになってるとか本当にこの世界マジ無理……リスカしよ……」

 

 がいこつがゲラゲラ笑ってこう言った、と歌いながら宮武外骨の全集を閉じ、この資料のために図書館まで走ってくれた秘書室の子に「時間ある時に返しに行っといてくれる?」と頼んで渡した。

 

 専属秘書の髙野さんがくすくすと笑いながら口を開いた。

 

「先生、さっきの歌面白いですねぇ。なんて歌ですか?」

「ん? これはがい○つの歌って言うんだけどちょっと待て検索するから」

 

 ヒット数ゼロ……もうやだこの世界おかしいよ!

 オイオイフ○ークルもいないとかオイオイ! 常温コーラコラみたいになっちゃったじゃないのよちょっと待ってよ。歌と言えば放送禁止歌だっていうのに! まあ仕方ないイ○ジン河がないことは諦めよう。網走番○地も仕方ないから諦めよう。だけど放送禁止歌にS.○.Sもないのはどういうことだ。

 ちょっと待って喘ぎ声間違えた天○越えもない。こりゃひでぇや、ははっ。グループとして性的なアピールがあったピンク○ディーも、歌詞に性的な描写があった天○越えも無くなってる。もはや笑うしかないよあははっ。

 

「歌謡曲までもとはね」

「先生? せんせー?」

 

 ははは……燃え尽きた……真っ白な灰に……。髙野さんが凄く慌てているけどフォローする気持ちの余裕はない。ふざけんなよ健全ワールド本当にふざけないで頂きたい。この衝撃はまさに、めぞん○刻の次に聞いたこともなければ見たこともないるーみっく作品が存在したことに気付いた時くらいの衝撃だ。私に語尾萌えを教えてくれたラムちゃんはどこ行ったの? 性転換沼に頭から飛び込ませてくれたらんまは?

 手塚先生の作品は実は高校になってから読んだから、手塚先生の性癖ぶちこんだ作品がオタク開眼のきっかけじゃないんだよね。すまない。ちなみに先生の作品もいくつかない。リボンの○士とかふしぎの○ルモとか。

 

「先生、ほらワンちゃんですよ」

 

 髙野さんの気遣いは嬉しいけど涙が止められない。だってこの世界ってば変[HE○]もないし、シティーハンタ○も銃夢―GU○MU―も聖○―RG VEDA―も天○の血族も変態○面もないんだ。こんな世界なんて生きている価値あるの? クレしん見ないなと思ったら存在してなかったとかもう膝から崩れたからね。確かにクレしんから下ネタを無くしたら名言しか残らないから面白味に欠けるけど、存在すらなくさなくても良いじゃない。こんなのってないよ。

 もうこんなの死んで来世ガチャ回した方が良くない? 次の世界がもっと悲惨だったら来世に期待でワンちゃんダイブ(誤字ではない)かな。はぁークンカクンカ、ワンちゃん最高だよ特にうちの子は最&高、なにせお顔の凛々しい黒芝で性格がエンジェルな女の子なんだもん。役員の強権で社員ならぬ社犬に迎え入れてから私の心の平穏はこの子に保たれている。

 

「すー……はー……」

「先生正気に戻りました?」

「すぅぅぅぅぅはぁぁぁぁぁぁ」

 

 髙野さんが私の顔に乗せてくれたワンちゃんは太陽の匂いがする。つまりワンちゃんは正義。きゅんきゅんきゅい!

 ブルブルと唇を震わせながら息を吐いたらワンちゃんが暴れて逃げ、私の心は傷ついた。

 

 勢い良く立ち上がり上着を羽織る。

 

「いよしっ! 良さげなのナンパしながら撮影所いこう。というわけで髙野さん連絡お願いね。私これから準備するから」

「ええーっ、またですか?」

「私の心の癒しなんだよ」

 

 外出時用の聖飢○Ⅱメイクをがっつり決める。警察に出入りしている間は特に身バレに気を付けた方が良かろうということで、警察で仕事する時以外の外出時は聖飢魔○の顔面で通しているのだ。警察でのお仕事が終わったらもう面倒くさいから化粧しなくて良いや。

 

 顔が世紀末伝説だとはいえ、鋲付きの首輪とか革ジャンとかは趣味じゃないし何より着替えるのが面倒くさい。本日のゆるふわコーデと首から上の解離に髙野さんが顔をひきつらせるのをさくっと無視して社用車の後部座席に乗り込んだ。

 私専用の社用車はト○タ車の中で一番一円当たりの価値が高いことで知られるカロー○。この「一円当たりの価値が一番高い」というのはつまり、同じ価格で手に入る車の中で一番品質が良いということだ。よほどの車好きでもない限り、初めて買う車は安い価格帯のものになる。トヨ○は「うちの車、性能良いでしょ? だから次の車もうちで買わない?」とアピールするため、カロー○の一円当たりの価値を高いものにしたのだ。つまりお買い得ということだ。これはもう○ローラに走るしかないね! というわけで前世に乗ってた車は全部カロー○だった。慣れた車が一番なのでこの人生でも車はカロ○ラ。

 

「髙野さん車止めて歩道に寄せて!」

「嘘ぉ」

 

 撮影現場に向かう途中、視界にチラリと映り込んだ歩行者に目をとられた。ちょうど進行方向が同じだったその男が近づいてきたところでウィンドウを開ける。

 

「そこな元ラガーマンっぽいお兄さん、ちょっとビデオに出てみません?」

「は?……おまっ、カラメル半月……?」

「はい、本人です。それで、ビデオに出てみません? 日給はこんくらい出しますよ」

 

 いかにも裏の世界の人間ですといった強面は美男子と呼べるものじゃないけど、短く刈り込んだ黒髪や分厚い胸板、がっしりとした四肢が素晴らしい。もう本当に素晴らしい。許されるならば撫で回したいくらいに素晴らしい。

 男は「あー」とか「うーむ」とかしばらく唸ったけど最終的に頷き、私の隣に乗り込もうとして目を剥いた。

 

「なんだその格好」

「私も女の子ですよ。おしゃれだって楽しみます」

「そういう話じゃねぇ……」

 

 顔とのギャップがひでぇ、と愚痴りながら乗ってきた彼を連れて出発。

 

「ビデオに出るっつって、一体何のビデオだ?」

「エーブイってビデオですよ。大人向けのドラマです」

「へぇ……。俺はシロートだが良いのか?」

「素人だから味があるんですよ」

 

 ウィークリーマンションの一室もとい撮影所に着いて、監督のネエさんに彼を紹介する。

 

「ネエさんの見立てではどっち?」

「受けよ」

「だよね!」

 

 というわけでネエさんと愉快なマッチョたちで彼をベッドに拘束し、カメラを回す。

 

「おい何が始まるんだ、これ」

「撮影ですって」

「撮影ってもんは先に台本読ませるもんじゃねぇのか!?」

「台本要らないんで問題ありません」

「おい、さっきから嫌な気配しかしねぇぞ! 何をする気だ!?」

「はーい竿役さん入りまーす」

 

 嫌だ、兄貴、兄貴ー! と助けを求める彼があんまり可哀想だったから、仕方ないねと解放して別の猫役を呼んだ。

 渡した温かいココアを飲みながら撮影が進むのを見ていた彼がどんどん青ざめていくのを見ながら、これで黒の組織からちょっかいが掛かることはないな、とこっそり胸を撫で下ろす。こういう手合いからは、訳の分からない、理解できない別次元の存在と思われるくらいがちょうど良い。同じ世界を生きていると思うから敵視されるのだ。異世界の住人なら敵も味方もない。

 

 実際に異世界出身だから敵視とかそういうの本当にやめてほしい。世界地図でスケヴェニンゲンやエロマンガ島を見つけて爆笑するのがこの世でたった一人、私だけというのは辛すぎる。

 

「そうだよ、今からでも遅くない……。こんな間違った歴史は修正しなきゃ……」

 

 その呟きが聞こえていたのか、彼――ウォッカが宇宙人を見るような目で私を見ていた。



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失ったエロばかり数えるな

 市街地からほど近く、サラリーマンや学生がふらりと入りやすい喫茶店・ポアロ。蘭の家の真下ということもあり月に二三度は来ているその店で、時々顔を見る女がいる。

 ――その女はいつも五人から六人くらいの美男美女を連れていて、女以外のメンバーはコロコロ変わる。美男美女らから先生と呼ばれている姿を何度も見た。何の教師をしているのだろうと思ったけど、蘭の親父さんから「お前にゃまだ早い。せめて高校……三年かそこらになってからだな」と止められてしまった。中一にはまだ駄目なことって何なのかは分からないけど、親父さんの目が真剣だったから言いつけを守っている。

 

 夏休みも終わりだるい二学期が始まったばかりのある日、美男美女を連れていない「先生」と、三十路半ばだろう男がボックス席にいた。

 

「小学生が楽しみながらだんだんと性の自覚を持てるようなゲーム、ですか」

「はい。教科書は先生のコラムも交えた物に改訂しているのですが、現場の教師が教えたがらないそうで。別のアプローチをしたいんです。今はゲームと言いましたが、別の何かでも全くかまいません」

「なるほど」

 

 生の自覚とはどういうことだろうか。生きているという自覚……みんな普通に自覚してると思うんだけど。自分が死んでると思って生きてる奴なんてそうそういないだろ。

 

「最近の小学生ってスマホ持ってますよね」

「ええ。親とスマホを共有しているとか、こども用スマホとか聞きますね」

「ようつべも見れますよね」

「ええ。動画を流すんですか?」

「動画というより、歌がメインです。楽しく歌って、知らぬ間に性に感心を持つような歌を拡散しましょう」

 

 その二ヶ月後だ。部活終わりに仲間がスマホを出し、聞いたら絶対に笑える歌があると言われて画面を覗く。スピーカーから流れ出したのは妙に深く良い声で――金○がどうのと歌っていた。

 

「なんだこれ」

「金太の大○険って歌」

 

 そういうことを聞きたいんじゃない。

 

 ――今ならおっちゃんの言葉の意味が分かる。あの「先生」と呼ばれている女はカラメル半月、性行為の革命児で、教育者。性風俗の歴史資料をどこからか発掘しては研究させる歴史学者のパトロン。また、俺が美男美女だと思っていたのは全員女の舞台スタァ。東都と宝塚に専用の舞台を持つ歌劇団の団員だった。性風俗関連だけでなく様々な文化活動――歌劇団を始め、私立美術館の設立、伝統芸能や古典音楽の発掘に再興――にも私財を投じるカラメル半月の活動を、ある人は「ゲスの人気取り」と貶し、ある人は「彼女こそまさしく色女」と褒めた。

 あと、カラメル半月は金○の冒険やバスト○いの歌の作詞者だ。落差が激しすぎる。

 

「店員すゎ~ん! ビールお代わりぃ!」

「かしこまりましたー!」

 

 最近出来た居酒屋に夕飯を食べに来たが、おっちゃんがいつものように酔っ払ってしまい大声で店員に注文したのを、蘭が「そんなみっともない大声出さないの!」と叱りつけた。蘭の言うとおりみっともない。

 

「店員すゎ~ん! 生大ジョッキ二つと枝豆とキムチ~!」

「はいはいかしこまりましたー!」

 

 別の席から上がった声に顔を上げれば、少し離れたテーブルでポアロの常連――カラメル半月が笑顔でこちらに向かってにこにこと手を振っていた。向かい側の席には背の高い黒髪の男が座っていて、苦笑している。

 

「あー、あの人かァ。敵わねえよなぁ」

「そうね、いい人よね」

 

 おっちゃんがカラメル半月の対応に頭を掻き、蘭がそれに頷く。会話が自然と途絶えた俺の耳にカラメル半月とその連れの話し声が聞こえてきた。

 

「やればやるほど失われた百年の悪影響があっちこっちにあるのが見えてきて、もう涙も出んわ」

「まあ先生呑めよ。呑んだら気が楽になるから」

「――かぁーッ! ビールが美味い! この世は糞!」

 

 既に三分の二減っていた大ジョッキを干し、カラメル半月は分厚いガラスのジョッキをドンとテーブルに叩き付けた。

 

「金瓶梅が! 発禁! 焚書! 写本もなし!」

「まあ呑めって。な?」

「諸伏君は分かってないんだ、金瓶梅が白話小説に与えた影響というものを全く分かっていない。金瓶梅が一瞬輝いただけで消えたらドミノ式に紅楼夢も生まれませんでした、とか普通思わないじゃん!? ウィキのあの記述の薄さったらもう悲惨という他ないよ。つまり宗教が悪だったんだ。全ての国民よ今こそ決起し悪を討つべし! 天に代わって誅をなす!」

「先生呑もう」

 

 彼女が何を言っているのか分からないが、何かショックなことがあったらしいことは分かった。

 

「神が人を救ってくれるというのか?――キリスト教の坊さんも仏教の坊さんも、祈れ修行しろ喜捨しろと人に偉そうなことを言うくせに祈っても奇跡は起きず、修行したら世俗との関わりを失い、喜捨しても幸運は巡ってこず、ただ奪われていくばかりだ。知ってるか、うちの店に来る外人の八割はクリスチャンだし、坊主頭の客のほとんどは生臭坊主だ」

「お待たせしました生大ジョッキ二つでーす」

「ありがとうございまーす聞いているか諸伏君」

「へ? ああ、はい」

「その点多神教は素晴らしい。あいつらは人類を救うとかそんなこと考えちゃいないし、ぶっちゃけるならただの天災の擬人化だもん。初めから人を救う意思のない神ってのは救いや奇跡を期待させないから良い。修行を強いず、喜捨も強いず、そして何よりスケベが多い。最高じゃん」

 

 結局はそこに行き着くのかと呆れてしまって、メニューに視線を落とす。もう少し何か食べたいと胃が主張しているのだ。

 

「コナンくん、何か食べたいのあるの?」

「あ、蘭ねえちゃん。あのね、あとちょっとだけ食べたいなって思うんだけど……」

「じゃあこのだし巻き卵はどう? わけっこしよ」

「うん!」

 

 写真のだし巻き卵はふっくらとしていて確かに美味しそうだ。

 注文しただし巻き卵は写真の通りに分厚く、柔らかく口中に出汁が溢れた。はふはふと言いながら食べ終えて店を出る時、カラメル半月のいるテーブルを振り返った。

 

「日本に生まれて良かったよぉ」

 

 どういう話の流れがあったのか、カラメル半月はめそめそと泣いており向かいの席の男に慰められていた。

 後日、呟きったーで「金瓶梅の写本持ってる人いない?」という彼女の投稿がリツイートで回ってきたが、俺のアカウントに回ってくる前に「うちの土蔵にありました。送りましょうか」という画像付き返信が届いていた。そしてその返信に彼女本人が「貴方のご先祖様が素晴らしい色男であったことに感動の涙が堪えきれません。DMから住所を教えて頂けませんか?学者と一緒にお伺いさせて頂きます」と返信しているのを見て、インターネットの凄さを改めて感じた。

 

 あれから数年が過ぎ金瓶梅が現代語訳され新○文庫から出版された数日後、中○共産党の広報担当官が顔を真っ赤に染めて「あれは我が国の小説ではない。日本人の創作だ!」と叫んでいた。ギリシャみたいに認めれば良いのに、否定すれば否定するだけドツボに嵌まり抜け出せなくなると分かっているんだろうか。

 半月さん本人から貰った金瓶梅に集中するため、ニュースを流しているテレビの電源を切った。




名言とか名コピーで上手く合うのを探すのが大変になってきた。
ところで一時日刊ランキング1位だったってマジですか。


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我十有五にしてエロを志す

 最近ポアロに来るようになった、とある客から睨まれている。多方面から大小様々な恨みを買っている自覚はあるし、初対面の相手から睨まれたり罵られたりは日常茶飯事だけど、この男――沖矢昴から恨まれている理由がさっぱり分からない。数年前に当たり屋的運命の出会いを演出しようとした赤井をハイ論破しちゃったことを逆恨みされているとか? それならとんだ八つ当たりだ、当たり屋だけに。

 

 割と頻繁に命を狙われていることもあり、「通う店」は私のストレスが溜まらない最小限まで絞っている。ポアロはその中でも優良な店の一つだ。なにせ二階には警察と縁が深い毛利探偵事務所があり、毛利さんの元同僚の何人かがこの店の常連。店内は奥行きがあり実はテーブル板に鉄板が入ってる。

 だから、ポアロ通いを止めるというのは私の選択肢の中にはない。

 

「さっきからこちらをご覧の様子ですけど、何か私にご用でしょうか?」

 

 ずっと睨まれているのは気分が悪い。そう声をかけると沖矢昴はふっと鼻を鳴らした。

 

「いいえ、見ていたつもりはありませんが。何故僕が貴方を見ていると?」

「視線を感じましたので」

 

 沖矢昴の糸目を正面から見て、思いだしたことがあった。

 

「不躾な提案だとは思いますけど、その目、危ないから一度眼科を受診なさった方が良いと思いますよ」

 

 沖矢昴の糸目では、瞳孔が全く瞼に隠れてしまっている。これは眼瞼下垂という病気にあたり、生まれつきの人と、加齢などを原因とする人の二種類ある。

 眼瞼下垂の何が悪いかと言えば目に悪い。瞳孔が一部隠れていることで、視界全体を全円の瞳孔で見る時よりも目への負担が大きくなる。視力低下の原因の一つだ。

 他にも目への負担から頭痛や肩こりなどを発症することもあり、眼瞼下垂による不利益は大きいと言える。

 あと、目を大きく開こうとすると眉毛が持ち上がる。眉毛が持ち上がると額に皺ができる。額に皺ができる。額に皺ができるんだよ……。大事なことだから三回言った。眼瞼下垂、なんて恐ろしい奴なんだ。

 

 私の要らないお世話をどうとったのか、沖矢昴は「そのうち、自分が必要と思ったときに行きますよ」と返事した。

 沖矢昴の皮を剥いだ素顔はぱっちりした大きい目だし、自分には必要ないと思ってるんだろう。欧米の血が入った顔はこれだから羨ましい。ちょっと羨ましすぎて憎いし、睨んできたことへの仕返しだ、嫌がらせをしてやろうじゃないか。

 

 中に詰めた商品名を余さず記入した伝票を貼り付けた段ボール箱……その箱の側面には我が社のロゴがプリントされていて、中身も我が社が制作に深く関わる品々だ。特殊性癖のアダルトビデオとオナニーグッズ。オマケにお尻がポカポカするローションも入れてあげた。そして沖矢昴が不在の隙を狙い、日付・時間指定の宅急便でお届けし――灰原哀ちゃんが沖矢昴を見る視線が絶対零度を下回り、阿笠博士はそっと彼から距離を置いた。男の尻を狙う変態扱いだ、さぞかし心にクることだろう。

 今更私を敵に回すことの意味を知ったところでもう遅い、信頼は既に失墜したのだから。

 

 ちなみにこの嫌がらせ、諸伏君らによるとアングラ業界で「スケベ爆弾」と呼ばれているらしい。これをされた悪人はほぼ全員が健全な外国へ逃げるそうで、そのお陰か日本国内の治安は急激に改善されていっている。

 代わりに外国の治安が悪くなろうがそんなことは私の知ったこっちゃない。

 

 沖矢昴にスケベ爆弾を送った数日後、ポアロでコーヒーを飲んでいたら、私がカラメル半月であると知っているコナン君が店に駆け込んできた。

 

「先生、沖矢さんに何かしたろ!」

「沖矢さん? えーっと、私が知ってる人?」

 

 沖矢昴め、コナン君に「カラメル半月に理不尽な嫌がらせされたよう!」って泣きついたに違いない。自分の目的のために子供の純粋な感情を利用するなんて全くふてえ野郎だプンプン。

 

「その沖矢さんって人がどんな人か分からないんだけど、どんな人なの?」

「え……いや、知らないなら良いんだ。ごめんね先生、変なこと言っちゃって」

 

 痛い腹を探られた時にギクッとかハッとか口に出したり顔に出したりするのは少年向けマンガのキャラクターかコメディアンだけ、私は真面目で常識のある一般人だから正直に顔に出したりなんてしないのだ。残念だったね、はーっはっははーははははーひふーへほー!

 内心高笑いしながら優雅なコーヒータイムを過ごし、迎えのトヨ〇カロー〇に乗って家に帰った。

 

 ――私は着々と「存在感のあるサブキャラ」の地位を築いている。少年マンガワールドでは、主人公格キャラの隣家の住人とか、主人公が良く通う飯屋のオバチャンとかは事件に巻き込まれないし死なない。

 梓さんを見てみろ、存在感も名前もあるけど毒にも薬にもならない立場のサブキャラだから事件にさほど巻き込まれないし死を覚悟するようなシーンもない。つまり、こうして時々主人公と絡むシーンがある程度の私は絶対に死なないのだ。

 

 と、ストロン○ゼロを一人で開けてコンビニのレンチンおつまみを楽しんでいた時だ。スマホが震えメールの着信を伝えた。送信者は私が支援している研究者の一人・平畑さんで、メールの内容は私の寄稿に関する連絡だった。文庫本で四ページ分、期限は今月末まで、と。

 四ページ程度ならさして負担じゃない。了解ですと返信してスマホをテーブルに置いてまたチューハイを呷る。

 

 私が金銭的支援をしている学者さんたちの直近の成果は、一年近く前に出た「真・現代語訳 古事記」。この本は日本神話があはーんでいやーんだったということを日本中に広め……日本語を読める外国人らが「カラメル半月を生み出すくらいだ、そりゃあ日本人にはスケベ遺伝子が流れてるに違いない。神話からしてエロいんだ」と日本人を馬鹿にするという悲惨な事態が発生した。

 確かに日本人はスケベだ。だが、ギリシャ人とイギリス人、アメリカ人、インド人や中国人らに「やーいドスケベ遺伝子保持者!」と言われたくはない。てめえ本当のギリシャ神話を読んでから言え、イギリスもアーサー王物語とかその他スケベ有りの創作物を加筆修正して「エロス描写なんてなかった」ことにした癖に生意気だ、やーいお前イギリス人の子孫! カーマはどうしたオイこっち見ろよ、あんたんとこ官能小説たくさんあるでしょ。

 

 だからギリシャ神話をはじめ外国文学の研究者たちに発破をかけた。その結果が、今回寄稿についての連絡が来た本……再来月書店に並ぶ予定の「翻訳 ギリシャ神話完全版」だ。もちろん現代ギリシャ語版も出す。なおアーサー王物語は二年内に本の形にできると聞いているし、その他もおいおい手を出す予定。人のことを指差して嗤った奴等に鏡を見せてやれ。

 

 ――私がこうして手広くパトロン業務を始めたきっかけは平畑さんだ。日本文学スケベ発見事業をしていることを聞き付けた彼が「ギリシャ神話を知っていますか!」とうちに飛び込んできたのが初めての出会いで、彼の話がきっかけでスケベ発見事業が世界規模のものになった。

 ギリシャ神話を始め、世界の様々な昔話、文学、芸術……それらが書き換えられたり焚書されたり破壊されたりしたという。

 

 ギリシャ神話からは露骨な性描写が削られ、近親相姦した兄妹は他人ということになり、オナニーは全力疾走に変わり、浮気性のゼウスは三十人くらいに分裂してそれぞれが別神ということになった。神話や文学がこんな悲惨な目に遭ったというだけで気が遠くなるのに、彫刻や絵画は破壊、破棄。……気が付いたら病院のベッドで寝ていた。パジャマなのは気絶する前にゲロしたからだそうな。

 

「現実が辛すぎる……もうこのまま入院していたい」

「退院日は明日ですよ」

 

 駄々をこねたけど病院のベッド数は有限だし、私は胃壁を除いて健康だった。一晩だけ泊まって次の朝に追い出され、仕方ないから家で三日間ふて寝した。

 

 それから数週間後、私がギリシャ神話研究に金を出したことをどこから聞き付けてきたのやら、現れたのは國學○大學の若手神職の皆さん。日本神話も健全化修正受けてるんだよ、と肩に手を置かれた時は目が死んでそのまま腐り落ちるような気持ちになった。文明開化時に西洋の文化や考え方がどっと流れ込んできた際、明治政府の皆さんは悩んだ。「神の国日本」と国内外に語るための古事記・日本書紀がスケベ過ぎたからだ。

 

 かくして古事記はかつての内容を取り戻し、ギリシャ神話はそろそろ公開。

 半年前からギリシャ領事館が「変なことをするな」「何を考えている」「金ならいくらでも出す」と何度となく必死な調子で訴えてきているけど、誤解しないでほしい。私はただ、真実を明らかにしようとしているだけだ。不発弾のごとき扱いには全く疑問しかない。

 真実を明らかにするという点で私と探偵のどこに違いがあるんだ、答えられるなら答えてみろ。

 

 「翻訳 ギリシャ神話完全版」の出版から数日後、ギリシャ政府の広報担当官が「修正を受ける前のギリシャ神話は、先日出た本の通りです」と憔悴しきった顔で記者の質問に答えていた。




 目は大事ですよ。眼瞼下垂を疑って眼科に行ったところ、緑内障の危険があると診断されましたから。目は大事。


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祝福しろ、エロスにはそれが必要だ

原作キャラ×オリキャラ描写が入ります。


 なかなか増えないスケベ漫画スケベ小説……数年ほど彼らの自然発生を待っていたけど全然現れてくれない。いや、現れないというか、単発で時々現れはするものの続かないというのがより正確かもしれない。

 既存の漫画雑誌でスケベなものを連載することが出来ないなら、新しく場所を作ってしまえば良い。金の力で解決できることならガンガン金を使おうじゃないの。ということで渋りに渋る出版社に金の力でごり押しして月刊誌「ゑろす」の発刊を決め、呟きったーでスケベメインの雑誌を作ることを宣伝した。――原稿は漫画でも良いし、イラストでも良いし、小説でも良い。とりあえず定期的に原稿を上げてくれれば問題ない。ネッ友とネッ友の知り合い連中も含め五十人ほどから連絡が来て、誰もがスケベな創作物への意気込みを熱っぽく語ってくれた。

 スケベで増えた友達ほど信用出来る相手はいない。我ら生まれた日は違えども、と兄弟の杯を交わして私が長女になった。

 

 で、ゑろすの売れ行きはと言えば。出版社の連中が目を擦るほど売れた。需要はあったのだ。

 ここから男性向け女性向け、漫画と小説の文化を進めていけば、自然とスケベが深化ないし進化していくに違いない。わくわくするね。

 

 だがしかし、発刊から一年半が過ぎた頃に久しぶりにゑろすを読んで、首を傾げることになった。ファンタジー系がないのだ。高校生同士の探りながらのセックスとかオフィスで他の人にバレないよう虐めるとかSMクラブで運命の出会いを果たして合体とかはあるのに、触手で天井から吊るしたり不思議なパワーで相手を自分に惚れさせたり笹耳褐色肌エルフ騎士が敵に捕らわれてくっ殺からの即堕ちとかがない。非現実的な設定の話が一つもない。ファンタジーとは少し違うけど男の娘や女装子もない。

 まさかそんな冗談ではない。リアル系ばかりでは食傷するに決まっているじゃないかスーパー系もよこせ! というわけで、久しぶりに創作活動の時間だよ。

 

 ところで、前世において私は二次創作BLの書き手だった。なのでキャラ同士をくんずほぐれつさせるのは得意でもオリジナルでキャラクターを作る能力はない。ないなら仕方ないから借りてくるしかない。

 お借りしますは最高に面白くて沼ったけど原作が未完結のまま私が天に召されてしまった神作品――鬼滅の○。鬼○の何が良いって敵が美人なのが良い。美形な敵、これだけで胸を焦がす熱が抑えきれないのに、主人公が美少年。はいはいカップルリングカップルリング、美人攻めで美少年受け、はい確定。二人が互いに憎み合う敵同士なのも狙い撃ちされた気分だもっとやれ。なにせ対立する二者という萌え設定の素晴らしさはアンパン○ンが証明している。理解しあえない二人が時にぶつかり時に相手を助けつつも永遠に敵なんだよ。尊い。それに加えて頭おかしいブチ切れ系キャラ×正統派主人公キャラなのもテイストグッド。そんな二人を合体させる妄想だけで五合炊きの炊飯器が空になる。

 ああ、炭ジロにくっ殺って言わせたい。

 

 挿絵はネッ友に頼んで私が読みたいエロい小説を書きおろし、ゑろすに載せた。評価は「悪くない手ごたえ」と言ったところか、十人が十人好むものではなかったようだけど、一部の層から熱狂的に受けたのだ。私としては鬼舞さんにヌルヌルのスケベ触手を生やして炭ジロを汁だくに出来たうえ、鬼舞さんに捕らえられた炭ジロに「くっ……殺せ!」と言わせられてもうそれだけで大満足だったから、同士がいてハッピーラッキーと言った感じ。

 そして私がスーパー系スケベをゑろすに載せた三ヶ月後に完全ファンタジーで騎士も出るBL読み切りが載り、その二ヶ月後には魔法少女モノのGLでシリーズが始まった。

 

 ――こうして漫画や小説によるNLGLBLその他を広めていると、呟きったーのDMを通じて国内外からメールが届くようになった。自分の性別に悩んでいます、同性を好きになってしまいます等々。特に国外からのメールは内容が切実で、親や友人に性的指向がバレたら殺される、ときた。それも送信者は愛の国の住民であるはずのフランス人。フランスでいったい何が起きているのだ……。

 というわけでフランス文学専攻だった船迫君に話を聞いてみた。

 

「え? フランスはカトリックですからね、そういうの特に厳しいですよ。カトリック圏内では同性愛者は家の恥、存在することすら許されないので、殺されて事故死ということにされるとか、親族からリンチ受けて同性愛を捨てることを誓わされるとか。プロテスタントも確かに厳しいですけど、家族の縁を切られる程度なんでとりあえず命は無事ですね」

「クリスチャンやべぇ」

「前に聞いた話によるとアメリカには同性愛者とかばかりが集まった町があるそうで……確かセント・ヴァレンタインって名前だったかと。通称の方が有名でソドムって呼ばれてますよ」

「この世界間違ってんな」

 

 性的指向を変えられるなら、性別で悩む人なんていない。誓うまで集団リンチとか草も生えない。二十一世紀は中世だったのかと頭を抱えて悩んで、半月後。呟きったーに二か国語で呟きを投稿した。

 『日本には性別による愛の壁は存在しないと私は信じてる。だけど、いまだ壁が高くそびえる国に住む友がいることを知ってるし、彼らに手を差し伸べたいと思ってる』。

 一般的じゃないことがなんだ、それが悪だなんて誰が決めた。他人に迷惑かけてないんだから、本人の好きにさせてやれば良いのに。

 

 ゑろすで同性愛も扱っている私が彼らを見て見ぬふりなどできるはずがない。性的マイノリティを支援する団体としてレインボー○ボンジャパンを組織し、国内外の皆さんのための相談窓口を開設した。――その窓口から上がってくる報告に頭痛が痛い。日本への移住希望や日本での就職あっせんを求める方々の名簿が日々より厚く更新されているのだ。

 この全員が日本に移住してきてみろ、日本は虹の国になってしまう。いや、虹の国になっても良いんだけど日本国内の混乱必至では? 困った、まことに困った。というわけで諸伏君経由で警察に名簿をぶん投げた。

 

「来年四月から、毎月五十名ずつ受け入れましょう」

 

 諸伏君が胸元のバッジが重そうな初老の男性を連れてきたのは、名簿を投げてから一週間後のことだ。

 

「本気ですか?」

「本気ですとも」

「何故そんな思い切ったことを」

 

 男性は目じりに皺を寄せた。

 

「答えられませんが、先生の損になるようなことにはなりません」

「そうですか……。では質問を変えますけど、どこからそれのための予算を?」

「人道支援目的のものとして、来年度から予算に組み込みます」

 

 まさか警察がオッケーサインを出すとは思ってもいなかったから、ハァそうですか、としか返せなかった。

 

 年度が変わり迎えた海外の皆さんは半年のあいだ寮で暮らしながら日本語学校に通い、彼らが学校を卒業する頃にようやく初めて会いに行った私に――癖のある、でも意味がちゃんと通じる日本語で言った。

 

「日本のブックストアは、他のマンガマガジンと一緒にゑろすを置いてる。私の国はできない。本当にありがとう」

 

 彼らは、ネットなどを通じて日本の情報を集めてきたんだろう。日本の本屋ではゑろすが他の漫画雑誌と並んで平積みされていることを知って、ここなら自分らしく生きられるのではないかと希望を持ったのかもしれない。

 ――正直なところ、エロで世界を変えられるなんて思ってなかった。自己満足から始まった私の我儘が案外受けた、そのくらいの認識だった。

 

 人道支援、なるほど、あのおじさんの言うとおりだ。私がただ知らなかっただけで、無自覚だっただけで、エロは人を救っていたのだ。

 

「つまり、一神教討つべし!」

「どうしてそうなった」

 

 外出時にボディーガードをしてくれている諸伏君に、私は胸を張って答えた。

 

「ソドムだなんだと言って人を傷つける教えなんてクソッタレだ。そんな前時代的な石頭なんて私がかち割ってくれる。私は私の思う正義のため動くのだ、今までの倍返しだ! 世界を救うんだ!」

「待ってやめてまだ早いから、落ち着いて!」

「待たぬ! 引かぬ!……ん?」

 

 諸伏君の今の言葉、どっかおかしくないか。一瞬考えて気付いた。

 

「諸伏君、まだ早いってどういうこと?」

 

 世界を救うにはまだ色々と足りないんだと言う。なら、揃うのを待とう。私は待てができる賢い女の子なのだ。

 

「開戦する時は声をかけてね」

「先生は安全な場所で守られててくれよ……先生だって『守られるべき国民の一人』なんだぜ」

「仲間外れ良くないと思います」

「我儘言わないで」

「私は日本一の駄々っ子だぞ。言うことを聞いてくれなきゃ長野のお兄さんに『貴方の弟に泣かされました!』って連絡するからね」

「別に良いけど」

 

 諸伏君にばっと振り返った。

 

「先生、俺とじゃ嫌か?」

 

 授業の一環とはいえ、私と諸伏君は尻を掘削し尻を掘削された仲だ。まさか諸伏君がおねショタ好みで女教師攻めモノが好きだったとは……。

 甘えた声音でセンセーと呼んでくる同い年の男の目は笑んでいて、さっきの言葉が本気とも冗談とも分からない。――だけど諸伏君はイケメンで、公安で、日本の治安を裏側から守る立場の人で、私のボディーガード(派遣)だ。

 まあロミトラだろうが本気だろうが業務上の都合だろうが私はどうでも良いし、諸伏君の顔はイケメンだ。イケメン無罪。いやイケメン有罪。罪状は私をときめかせたこと。一生かけて償ってください以後よろしく。

 

「結婚を前提とするお付き合いなら良いよ」

 

 ――というわけで結婚が決まった。「一般人男性と結婚を前提にお付き合いしてます」と朝のバラエティで話したら、呟きったーで「どんな恋人性活送ってるんですか」と質問が来た。ごまかす必要性を感じず、正直に書く。

 

 主に私が掘ってます。

 

 そのせいでと言おうかそのお陰でと言うべきか、呟きったーに私×男の創作が大量に投稿され、ゑろすにも女攻めの話が増えた。

 衣装さんのお勧めで女教師風の恰好でテレビに出たその日の呟きったートレンド1位は「女教師半月・溶けてカラみ合う性指導」。

 

 ああ……日本は平和だ。




次は掲示板回になる可能性。


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愛に気付いてください

 様々な国の人が来日し、夢の国、虹の国、愛の国等々の称号を得た日本はもう向かうところ敵なしではなかろうか。なにせ外国語を母語とする人員――それもスケベ耐性のある皆さんが増えたおかげで、神話等翻訳班の負担が二割減したからだ。そして一定年齢以上の皆さんはラテン語も堪能ときている。最強の武器を手に入れた気分だ。

 しかし、自分の意思で国を出てきた皆さんを挙げて「日本に誘拐された!」とか言われるのには困った。「国にいたら殺されるって言って逃げてきたんだけど」と理性的に説得を試みたのに「去れ悪魔!」って水を掛けられたのにキレ散らかさなかった私を誰か褒めて欲しい。他にも無言電話やら罵倒メールやらハッキングやら、温厚な私もそろそろ戦争を覚悟してしまいそうだ。

 

 そんな時に現れし風見君は素敵なウィルスを携え、爽やかな微笑みで社内に春風をもたらしてくれた。

 

「うちのセキュリティ班が作ったウィルスです。ハッキングを仕掛けてきた端末に感染すると――」

 

 サンプルだという映像は、世界各国のスケベ画像や動画を集めたスライドショーだ。

 

「自動で画像や動画を収集し、ハッカーの端末と内部ネットワークで繋がった全ての端末にこのようなスライドショーを流し続けます」

「うわぁ」

 

 スケベ動画サイト見たらウィルスに感染して「未払い視聴料として3万1500円お支払いください」って表示が画面から消えなくなった時のことを思い出した。学生でも微妙に払えなくもない金額を指定していたあたり、こちらの心理を突いた素晴らしい詐欺だった。払わなかったけど。

 生まれ変わって二十数年、まさか自分が「詐欺する側」になるとは。時間の流れを感じる。

 

「ねえ、これにウィンドウ付けて英語で『このスライドを止めるには四百ドル払え』って書いたら?」

「その案頂きました!」

 

 どこの誰に払うかは書かない、だってジョークだしね。イッツァジャパニーズジョーク。

 ――でも、詐欺することと言うより他人に嫌がらせすることを楽しんでいた私は、このウィルスの影響について全く思い違いをしていた。私にとってはこんなウィルスなんてゲラゲラ笑い飛ばせるジョークでしかなかったけど、ど健全な世間の皆様には毒だったらしい。

 世界のいくつかの国の公共機関がダウンした。そして我が社へのハッキングは消えた。

 

 邪魔なハッキングが消えたお祝いということで、社内で「公安謹製ウィルスが集めてくるエロ画像」上映会を行った。……何故か中には私の世紀末メイクスクショもあったけど、基本的には全うにスケベな奴が流れる。時々我が社の商品画像もあったりして、その度にみんなで歓声を上げた。

 我々からすれば楽しく面白い画像でしかないけど、エロに耐性のない人にはグロよりグロテスクに思えるかもしれない。特に信心深い人たちは背徳的だの神を冒涜しているだのと言うだろう。と言うか背徳的だ冒涜的だとデモをしている方々がいるから、そういう声があることは知ってる。

 こっちはこっちで楽しくやるからそっちはそっちで健全を貫いていれば良いものを、どうして突っかかってくるんだか。

 

 ところで、冒涜的と言えばコール・オブ・クト〇ルー。発禁処分受けてた。こっちの支援なしで日本に移り住んできたとある人が「実はこれ発禁の本なんだけど、先生気にならない?」と見せてくれたおかげで発禁処分を受けていることを知った。

 創作神話まで発禁処分とは恐れ入るぜ、と愚痴りながらグー〇ル検索にタイトルを打ち込んだら――まあ、なんということでしょう。「この本は所有しているだけで神の意思に反します」という本の目録が。教義が中世過ぎてやばい。前世でもアメリカとかに「聖書の教えに反するから地動説を教えない」という学校が存在したけれど、この目録ほど酷くはないと確信して言える。

 目録に載っている本には私が知っているものも知らないものもあった。とりあえず全部「先進国では認められているはずの言論の自由」の点から批判しようとして、また諸伏君ストップを受けた。

 

「先生、爆弾は単発でバラバラにするより一度にドカンの方が効くんだぜ」

「なるほど説得力」

 

 今のところ、諸伏君が知っている私の手札は二枚。殺されるから逃げてきた方々の証言と、人権侵害の所有禁止書籍リストだ。この二つでもかなり大きな爆弾だと思うけど、諸伏君はいいやと頭を横に振った。

 

「過度な規制が人々の発展にどれだけの悪影響を与えてきたか、俺たちは世界のすべての人に証明しなきゃいけない」

「おお、壮大な計画」

 

 ――きっと、あのいかにも偉いんだろう男の人も、諸伏君も、風見君も、日本を夢の国にするために動いているんだろう。自由の国の名を日本のものにして、ジャパニーズドリームを描こうとしているんだ。

 諸伏君の輝く瞳を見てしまったら、もう戦争を諦めるしかない。仕方ないからちまちました嫌がらせもとい、性癖開発事業に意識を変えた。

 銅製、触手、SM、ファンタジー、女攻め……メモに並ぶ字面は最低だ。諸伏君は私のメモを覗き込むと「今度双頭でどう?」なんてことを抜かしている。一人で遊んでろ。

 

 だが、いや、しかし……双頭か。双頭ね。

 

「双頭と言えば蛇とか獅子とかあるね」

「ん? 外国の国旗か?」

「いいや獣姦の話」

「ジュウカン?」

 

 やっぱり存在しなかったか。目を輝かせて聞きたがる諸伏君にまた今度ねと言って、髙野さんに内線をかける。

 

「山羊相手って、どう思う?」

『獣臭そうですね』

「だよね……山羊モチーフの悪魔でいくか。愛と欲の〆日いつだっけ」

『毎月十五日ですよ。新〇に連絡しましょうか』

「お願い。再来月号に載せられるようにするから」

『畏まりました』

 

 そして愛と欲に三か月連続で載せたのは、悪魔の誘惑を受けた中年の男が最終的に山羊姿の悪魔をファックする話だ。愛と欲は何でもありの同人誌「変態性欲」が元だから、読者には握手を以って獣姦が受け入れられた。が。送られてくる感想に「獣との恋なんて目から鱗!」なんてことが書いてあったのを見て、顔を抑え天を仰いだ。

 美女と野〇が……ない……。

 

「よっちゃん、原作付きで漫画描かない?」

 

 思えば既に十年近い付き合いのネッ友漫画家にライ〇電話をかけた。

 

『即答はできないな……どんな話?』

「真実の愛のパワーで野獣が人に戻り美女とゴールインする少女漫画」

『詳しく』

「魔女の魔法で二足歩行の獣にされた王子が街の美女を浚って自分を愛するように強要するんだけど、美女の純真な心に触れて美女を解放。しかし美女が『どんな姿でも貴方が好き!』と愛を叫んで魔法が解けハッピーエンド」

『担当さん連れて会社行くわ。都合の良い日教えて』

 

 そして、美女と〇獣はゑろすが女教師攻めモノに染められている中で一筋の清涼剤になった。まともな恋愛漫画であるはずなのに変に目立っていたのは他のシリーズや単発が女教師祭りに狂っていたからであって、原作者に私の名前が載っていたが故の悪目立ちではない。きっと。

 

 ――秘書室の子に買いに行ってもらったコーヒーとハムサンドを三時の休憩の伴にする。保温ボトルからマグに移したコーヒーは香り高く、苦みが控え目で私好みの味だ。でも、前に買ってきてもらった時と味が違う。

 もしかしてと思い秘書室に首を突っ込んだ。

 

「ポアロに店員増えた?」

「あ。分かります? 安室さんっていうイケメンが先週から入ったそうで、彼が淹れてくれました」

 

 今日の買い出し係・竹本さんがにこにこと答えてくれた。

 

「なるほどね。……あの時はまだ竹本さん入社前だよね、その安室ってイケメンはうちの店で昔働いてた子だよ。客の粘着に遭って辞めたけど」

「そうなんですか!? うわあー、でも納得です。あれだけイケメンなら当然お客さんもたくさん付くでしょうしね。……もしかして、先生のお気に入りでした?」

「あ、バレた? もしずっとうちの店にいたら、安室君、天下獲れると思ってたよ」

 

 秘書室が歓声に包まれる。

 

「じゃあ、お付き合いは――お突き合いはされてたんですか!?」

「付き合ってはなかったけど突き合いはしたね」

「諸伏さんはそれをご存じないですよね?」

「知ってるよ」

「NTR! NTRだわ!」

「この萌えを今すぐ文章に打ち込みたい、打ち込みたい……ッ」

「穴と竿を共有した男二人! ハァー凄いやばい。やばい」

「何を言ってるの女に弄ばれる良い男二人の図っていうのが良いんじゃないの」

 

 流石の私でも自分に萌えるのは難しい。ドアを閉めて部屋に戻り、前世から気になっていたハムサンドにかぶり付いた。

 

 安室君は竹本さんと面識はない。ないにも関わらず私のための買い出しだと判断してコーヒーを私好みのものに変えた安室君、ハイスペック過ぎない? 人類を辞めているんじゃないだろうか。まさに超人、天才、透視能力者もしくはサイコメトラーか。

 なんて、彼だって完璧超人じゃない。ささいなミスだってするし、そういうところ人間味があって良い。なんせつい半月ほど前に彼の潜入先のバーに諸伏君と突撃したら、力加減をミスったのか金属製のシェイカーを凹ませたし、諸伏君の注文を作り忘れたりしたのだ。彼にもうっかりがあるのだなと思うと微笑ましかった。彼もちゃんと人間なのだ。

 

 近いうちにまたポアロに行こう。きっと喜んでくれるはずだ。




Pixiv様の方で諸伏君の割合を
業務上の都合5割、スケベ目的3割、愛2割と書いたら愛が少ないと大好評。やったぜ!

感想返信について活動報告を更新しております。一読頂ければと思います。


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愛痛くて愛痛くて震える

 本屋にかの撲殺鈍器がないことに気付いたのは、確か中学二年の春から梅雨あたりの頃だった。図書館にある反応が遅い検索端末で蔵書検索をしても、著者の名前はもちろん作品名すら一件もヒットしなかった。私がその時に探していた本は――前世で私が好んだミステリ作家の一人で、文庫本版が撲殺鈍器と呼ぶ他ない、京極〇彦の百鬼夜行シリーズだ。

 ミステリ界に彼が存在しないなんて信じられないというより、受け入れられない。似ているようで似ていない異世界だから等という理由であのシリーズを諦めきれるはずがなく、市内の大型書店に電話したり出版社の作品目録を一から確認したりと方々探し回った。探し回って、そして理解した。この世界は糞だ、と。京極堂おらずして日本のミステリを語ることなど出来ないし、京極堂なくして日本のナンバーワンミステリを名乗るのは笑止千万。

 

 存在しない物をいかにして世に出すか。お年玉とお小遣いの前借で買ったパソコンの微妙に粗い液晶を見ながら、マウスをただひたすらクリックする。突如開くワード7、白紙の文書が表示された。――いつの間にかポインタがワードの位置まで移動していたらしい。

 

「私が書け、ってこと……?」

 

 偶然の出来事だとは分かっているが、私はワード7が「言い出しっぺの法則」と囁いている気がした。だが私には知識がない。心理学から陰陽道から、あのシリーズは様々な知識を煮詰めて作られた傑作なのだ。私に書けるはずがない。はずがない、と思いつつ図書館で神道やら各国の風土記やら、本を探してネタを見つけてはノートにメモしていった。

 

 さて次は心理学について調べるか、と通い慣れた図書館を歩き回った私は頭を抱えることになった。心理学の本が、三冊しかない。それも専門用語が翻訳されておらず原語表記のままという翻訳書が二冊と、聞き覚えのない日本人の本が一冊だ。むろんア○ラー心理学とかそういうのもないし、心理学入門とかのテキストも存在しない。

 何が起きているのかさっぱり分からなかったが、そういえばここはコナンの世界だったということを思い出して、納得した。探偵が謎解きする理由はきっと、これなのだ。犯人の心理を感覚的に理解できるスキル持ちでなければ難事件が解決できないのだ。そういう世界なのだ。だから心理学の掘り下げが浅い。

 

 しかし一度かの撲殺鈍器を太陽の下に連れ出すと決めたからには立ち止まってなどいられない。本屋に何冊かあるのを見て学校の図書館に購入希望を出せば、学生が学術的関心を持っていることを喜んだ司書さんが数冊入荷してくれた。学生には手が出せない値段だったので有難く借りて、返却期限を三回くらい延長した。

 それでも足りない資料は、長期休みを利用して国立国会図書館まで行った。東京都心で勤めている叔母さんがいたから取れた手段だ。――そんな奮闘を続けることおよそ三年、どうにかそれらしい物が書きあがった。自分で読んでいても粗が多いし、文章に深みはなく、自己満足極まりない残念さが漂う。だけど自力ではこれ以上ブラッシュアップできないのだ。どこをどう直せばいいのか分からないのだ。

 

 書いている途中から薄々気付いていたことだが、これを発表するのは恥ずかしい。なにせ私は本当の京極堂を知っているからコレジャナイ感が凄いのだ。

 違うんだ、本当の京極堂はもっと頭が良いし言い回しも素晴らしいし皮肉っぽいし、違うんだ、こんなのじゃないんだ。そう思えてしまって、進むも退くもできなくなった。クオリティはどうであれ完成させたくて書ききったけれど……京極堂を名乗る駄作としか思えなかった。素人が思い上がって書いた劣化版だ。

 呻きながら自室のフローリングに転がり、ワードが表示されたパソコン画面を見上げてはまた呻き顔を覆った。自分の厚顔無恥さがみっともなく、恥ずかしかった。これを出版社の賞に応募するなんて、自分が京極堂の作者を詐称するなんて無理だ。

 

 でも、どこかで、誰かに読んでもらいたかった。

 

 散々迷いつつ投稿した先は小説家に○ろう。もしかしたら私と同じような境遇の人がいるかもしれない、その人が、前世で見覚えのある小説タイトルなどに反応してくれるかもしれない。そうなれば良いなと思って半年――UAは百に届かず、私の求める誰かからの反応はなかった。

 素人小説で、ミステリで、超長編。確かに初見バイバイだし、読む気が起きないのも分かる。分かるけれどショックで、私はなろうのマイページを開くことすら止めた。

 

 ……あれから約十年。今なら心理学ジャンルが悲惨だった理由が分かる。ギリシャ神話があの状態だったからだ。

 

 先日参加した――知り合いの文系教授経由で参加を捻じ込んだ、心理学を専門とする教授の皆さんの学会は、学会(仮)だった。日本全国から集まった人数、三人。日本の心理学教授の総数、三人。高校の漫研同期が数十年ぶりに集まって呑もうという同窓会にうっかり紛れ込んだ他人のような居心地の悪さを初めは感じたが、三人の教授は良い鴨がやってきたとばかりに心理学の素晴らしさを語りまくってくれ、贅沢な講義をほぼタダで受けてしまった。ちなみに出費は呑み代のみ。

 これから是非心理学の発展のため頑張ってほしいと言って小切手を三枚切れば、泣き上戸でもないのに彼らは滝のように泣いていた。

 

 私がエロ文学以外にも金を出すとどこから聞いたのか、ナンタラ研究所やらカンチャラ製薬やらドッタラ学研究室やら……色々なところから資金援助を希望するメールが届くようになった。その中の一件に既視感を覚えてむむと唸る。

 さっき秘書室の子が持ってきてくれたコーヒーから湯気がくゆりと舞い、ブラインドの隙間から差し込む青白い光をキラキラ反射した。

 

「美馬坂近代医学研究所ねぇ」

 

 どこで聞いたのだったか、医学なんて人間ドックくらいしか縁がないはずなのに。変に頭に引っかかるから何度もミマサカと唱え、そうだ、とパソコン画面へ身を乗り出した。魍魎の匣だ。そうとも、二巻の舞台じゃないか。

 メールの文面は見慣れたもの――様々な分野に関心を持っておられる貴殿に、是非我が研究所をご視察頂きたい、云々。色々なところに無心メールを送っているに違いないが、いかにもお堅そうなキンダイイガクケンキュウジョさんが、ジョークグッズ販売にAV製作や性風俗店運営なんぞしている私にこんなお願いをしてくるのだ。よほど切羽詰まっているに違いない。

 

「気になるけど、気のせいだよなぁ……きっと」

 

 液晶画面をなぞる。当たるも八卦当たらぬも八卦な我が勘は「関わらない方が良いんじゃない?」と言っているし、ぶっちゃけ面倒そうだ。

 

 これ以上メールを確認する気が起きず、なんとなく思い立って本棚に近寄った。私が関わる雑誌がきれいに整頓されて並んでいる。月刊誌の愛と欲、愛と欲別冊で季刊誌の変態性欲、月刊誌のゑろす、その他。

 愛と欲のバックナンバーから適当に一冊抜き出し、目次を上から下まで見て「ほう」と声が漏れた。「蒐集者の庭」が載っていた。表紙を確認すれば去年の七月号、新進気鋭の若手作家デビューの文字と共に作品タイトルと久保竣公の名前が踊っている。

 

 短い文字列から目を離せないまま椅子に戻り、座って、目次に書かれたページを開く。京極堂が端的に説明した粗筋に肉を付けた話だった。

 音量を絞ったテレビが、昨晩遅くに人身事故があり、女子高生一人が重体だと伝えている。

 

 まさか、いや……この世界は「コナンの世界」でしかないという思い込みをしていたのだろうか。京極堂は存在するのか。だが、この世界にはエロスと心理学がまだまだ不足している――。

 乾いた喉にぬるいコーヒーを流し込む。脂汗が背中をじっとりと濡らしていた。




そろそろ更新スピードが落ちます。ご了承ください。


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スケベが欲しけりゃ馬鹿になれ

 有り難いことに、と言うべきか。どこぞの産院で母娘三名死亡――なんていうセンセーショナルな事件は、秘書室の子を全員動員しても風見君ネットワークを突いてみても見つからなかった。姑獲鳥はなかったのだ。

 ならばあのニュースは単なる偶然で、同名の小説を同名の作家が書いただけ……と思いたいところだが、こうも要素が重なってしまうと不安が消えない。胸の中がもやもやしてどうしようもないのだ。

 もしかして京極堂の面々が別名で存在するのではとも思ったが、新○にはうつ病を抱えた前衛小説家なんていなかったし、実家が清明神社な編集者もいない。中野に古書店を営む宮司はもちろん神保町に探偵社を構える財閥次男もおらず――京極堂も薔薇十字探偵社もないのだ。百鬼夜行シリーズのような猟奇事件が起きないことを喜ぶべきなのだろうが、あの小説とあの名前が頭の端にずっと引っかかっているから、むしろ存在してくれなければ困る。

 

 だが、現実に京極堂はいない。事件の気配はある。

 

「私に憑き物落としをしろと……? 悪魔憑きにする自信はあるけどドーマンセーマンは無理だって」

 

 助けてよ皆のヒーロー陰陽師! 呼ぶから今すぐ来てくれ。

 

「そのツキモノオトシってのは何だ?」

 

 溜息を吐いたところで部屋に入ってきた諸伏君は、早い夏季休暇を取った社員の土産――萩の月と煎茶を二人分、盆に乗せて持っている。

 

「憑き物落としっていうのはまあ、何て説明したものかな。こういうのは京極堂の十八番であって私は専門家じゃないんだけど、ざっくり言えば相手の思い込みを解消することかな。

 目から鱗が落ちるって慣用句があるでしょ? あれは新約聖書が由来の表現で、ペテロだかパウロだか、そんな名前の男の目から鱗のような物が落ちてイエスキリストの信者になった、って話が元。相手の目から鱗を落としてやって、理論的で整頓された世界に導くのが、さっき私が言った憑き物落とし」

「教師の授業のようなものか?」

「理論武装した宗教学って言う方が近いかな。お説教やらお説法やらを聞かせるから」

 

 机の端に置かれた煎茶に手を伸ばす。淹れたてはクーラーで冷えた指先には熱すぎるけど、熱いのを飲みたいから茶托を引っ張ったら諸伏君が「零れるだろ」と手元に運んでくれた。

 湯気に顔を突っ込むようにしてお茶を飲む。これから起きるかもしれない惨劇を思うと寒くてならない――萩の月の包装を剥いで半分食べた。甘い。そしてお茶は熱い。

 

「よく分からないが、なんか御大層なものみたいだな」

「頭が良くて知識も豊富なら誰でもできるよ。私はどっちも足りないけど」

「先生は色々知ってるじゃないか」

「スケベだけね」

 

 私が関わる雑誌・愛と欲は、書店に平積みする関係上、載せる内容には強い制限をしている。小児性愛や売買春、死姦その他様々な「反社会的性癖」は愛と欲に載せてはいけない、と。私は、道徳がどうとか反社会的な知識がどうとか、そういう区分けなんて正直面倒くさいと思っている。だけどこういう「リアルに持ち込まれると大変な性癖」を書店で仕入れられてしまうと、性的に早熟なだけの馬鹿が周囲を巻き込んで事件を起こしてしまう可能性が否定できない。そんな事件が起きてみろ、私は槍の穂先でツンツク突かれて躍ることになるし、マナーを守って性癖を隠している面々の肩身が狭くなる。それでは困るのだ。

 となると、そういう「一般でやるとかなりヤバい」性癖に関する投稿があった際にどうするのかという問題が生じるんだが、それは「別の掲載先を作る」という方法で解決した。その別の掲載先こそ愛と欲別冊の変態性欲。別冊にするだけでは子供の目に留まるから通販限定、通販できるのは三年以上愛と欲を定期購入した二十五歳以上に限る。

 

 こうして絞ったおかげで購読者数は七百人ほどだけど、どいつもこいつも真の変態ばかりで飽きがない。読者投稿欄などいつも各々の性癖暴露大会で混沌の様相を呈し、罵倒とマウントの取り合いにより戦争が起きた回数は両手で足りない。中にはお仕えしているお嬢様に関する惚気という一見まともそうな投稿もあるが、数少ない。

 『~前略~

 彼女の若く柔らかい手がこのみっともない髭面に触れる度、彼女の張りのある美しい声が耳垢だらけの耳管を打つ度、私は胸が苦しくなり泣きそうになる。だが私はけっして小児性愛でも少女性愛でもなく、ただ彼女が彼女であるというだけで幸福感の海に浸ることができるだけだ。変態性欲の読者の一人として、私の異常な性癖を語るべきなのだろうが、私は彼女によって齎される全てが愛しく尊く思える、輝きに満ちた毎日を自慢したい。

~後略~』

 数回にわたり、この投稿者への罵倒メッセージが掲載された。投稿者自身も「でも羨ましいんでしょう?」と一言載せたから質が悪い。

 

 なお、紙面で紹介のあった異常性癖に類する性犯罪等があった時には購読者名簿を警察に提出すると先に通知している。仲間から性犯罪者を出すな、が変態性欲のモットーなのだ。おかげで皆よく訓練された変態ばかりだよ、わが軍は。

 毎号表紙イラストを頼んでいる変態が事故で腕の骨を折った際、表紙イラストがないよりはと思って私が習字で書いた「僕たち変態紳士」の一文が受けてからというもの、投稿者のペンネームは皆「変態紳士・○○」「変態淑女・○○」に変わり、読者投稿欄の名前は「変態紳士淑女の集い」に変わった。

 

 私もそうだが、彼らは誰も彼も自由気ままで手前勝手で、仲間には親切だ。マウント取り合うけど。

 

「話は変わるんだけどさ、諸伏君、変態紳士の一人としての君に頼みたいことがあるのよ」

「へえ、どんな頼みだ?」

 

 電話機の横のメモに手を伸ばして、名前と職業を書いていく。

 中禅寺秋彦(宮司兼古書店主)、榎木津礼二郎(探偵)、関口巽(前衛ないし幻想小説家)、木場修太郎(刑事)。

 

「この四人。もしかすると苗字が違うとかして微妙に名前が違う可能性はあるけど、この職業の、こんな感じの名前の人がいないか調べてくれない?」

「……期限は?」

「今月末まで」

「二週間足らずか。問題ないぜ」

「有難う変態紳士!」

 

 諸伏君の仕事なら簡単に調べられることだけど、これは個人的なお願いだ。だから変態紳士という仲間の親切に頼る。

 彼らが存在するならする、しないならしない。それをハッキリさせないと熟睡できやしない。事件も起きるなら起きる、起きないなら起きないとハッキリ教えてくれれば良いのに。

 

 ――調査結果は思った以上に早く、頼んでから五日後の昼過ぎにあった。ペラペラのA4一枚に四人の簡単な情報が纏められている。

 

「興禅寺秋彦、青森県八戸市在住の宮司兼古書店主……青森県ね、そう」

 

 幼い頃に青森県の祖父母に預けられてからずっと青森暮らしで、都心で暮らしたことは一度もない。――待ってくれ、驚いた時に「わいはー」って言う京極堂が想像できない。八戸なら南部弁だったか、もし彼に「んがほんずなしじゃ(君は非常識な人だな)!」と言われてもその場で意味を理解できる気がしない。私は南部弁のネイティブスピーカーではないのだ。

 

「大岡礼二郎、京都の名家大岡家当主の弟。大阪市堺筋本町にビルを所有し、薔薇十字探偵社を構えている。住民票からはその持ちビルが住居兼事務所と思われる……。はあ?」

 

 何故大阪に行った。関西弁の榎さんなんて見たくないぞ私は。一階の借主から「どないでっか?」と聞かれて「ぼちぼちでんな」と答える榎木津礼二郎なんて私は想像できない。無理だ。いいや、違う。京都出身なら京都弁だ。いけずなことを言うに違いない。止めろ!

 

「関口達也、東都生まれ東都育ち。これまでの短編作品は全て文芸春○に寄稿している前衛作家。ライバル出版社にいたのかこの野郎! ぶっ殺すぞ!」

 

 関さんは罵っても良い、私知ってる。

 

「木場秀介、大阪府警捜査一課所属の刑事。鬼の木場秀と呼ばれており、府警の服部平蔵本部長からの評価は高い。大岡礼二郎とは高校の同級生で今でも親交がある……ふぇぇ、もう駄目だ……!」

 

 こんなにバラバラに住んでいたらもう、どうしようもない。京極堂なんて青森にいるんだぞ、青森に。東北新幹線の中でも東京から青森まで行く列車ははやぶさのみ、そして八戸は一部列車通過駅。どうしろと言うんだ。八戸から三沢空港に行って飛行機に乗るとしても一日三便。ちなみに三沢空港に自前の滑走路はなく、隣接する航空自衛隊三沢基地のそれを借りている。

 東都に来いよ! 住居から何から世話するから! 主人公が青森に引きこもってて不在です、なんて冗談ではない。ドーマンセーマン! ドーマンセーマン! 今すぐ呼びましょ陰陽師! シャケ召喚!

 

 机に伏せて泣いたら諸伏君が「どうしたんだ先生、辛いならベッド行くか?」と声をかけてきたけど、そっち方面の慰めは今は要らないから後でおいで。




現在青森暮らしのため、周囲には南部弁だけならまだ良かったのに津軽弁ユーザーが多い。若い人の津軽弁ならまだ聞き取れるのだが、老舗な津軽弁ユーザーの方々の言葉は魔法の呪文である。
ちなみに私は大阪府出身で京都人を親に持ち、高校でクラスメイトに大阪京都奈良和歌山兵庫(瀬戸内海側)三重がいたため関西ごちゃまぜ弁ユーザーである。


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貴様は今まで読んだエロ本の数を覚えているか

サブタイトル『とっとこコナンくん』


 運命の八月二十九日――果たして右腕は見つかった。トラックがうっかり踏んでしまったという謎の右腕のニュースは朝からずっと報道バラエティの話題で、チャンネルを変えても人の顔が変わるだけだった。

 

「京極堂は青森、猿は文○、久保はうちの作家……謎が解ける余地がなくない?」

 

 頭を掻きむしりながら部屋をぐるぐると歩き回る。どうにかして事件、久保の事件だけでも止めなければ……だがどうやって現場に行けば? 雨宮による誘拐を止めれば連続バラバラ事件は起きないが、その雨宮を止めるためには事件前に彼と接触する必要がある。どうやって会えば――はたと立ち止まった。そうだ、三週間近く放置しているメールがあるじゃないか。

 見学に来ないかと言ったのはあっちだ。いける、これで勝つる!

 

 美馬坂近代医学研究所からのメールに載っていた番号に早速電話をかけ、そちらに見学にお伺いしたいのですがと言い終える前に電話の相手――美馬坂教授本人が「今日にでも!」と叫んだ。前々から資金難で、加えて加菜子ちゃんの生命維持のため一層の金が必要になった彼には私の提案を蹴れるはずがない。

 だが、電話の向こうで「急ぎの要件の相手でないなら別日にして頂けないかね」という聞き覚えのある声。目暮警部っぽい声が聞こえた。なんで目暮警部が美馬坂のところにいるんだ……東都の事件だけ扱ってろ、お呼びじゃないんだよ今は。

 

「警部さん、いらん口出しはよしてもらおう。この電話相手は私にとっても我が研究所にとっても重要な客なのだ!」

「予告状が届いている現状で迎えるべき客かね!? いいかね、客を迎えるというなら少なくとも明日、いいや明後日にすべきだ。我々にも準備というものがある!」

 

 明日か明後日。明日はまだしも、明後日では誘拐後だ。行く意味がなくなる。

 何か研究所に向かう理由が欲しい。私が説得したところで雨宮が止まるかは謎だが、決定的なことをしでかさないように捕まえておくことは出来る。美馬坂近代科学研究所にも久保にも関わりたくないというのが偽らざる本音であるが、それでは要らない死者が出てしまう。被害者が加菜子ちゃん一人だけであるうちにどうにかしてしまいたい。

 

 ――京極堂は青森。青森と東都は新幹線で数時間だから呼べないこともない。が、私みたいな不審人物に呼ばれたところで彼が東都に来るとは思えない。

 京極堂は東都におらず、よって憑き物落としをする者がおらず、私はこれから起きるだろう流れを知っている。私がするしかないんだよな。

 

 研究所へは明日の昼に訪問する旨の約束を取り付け、内線で髙野さんに明日の予定変更を伝えてから机に突っ伏す。

 

 あるじゃん、救済とかそういうジャンル。私には真似できないけど、あるじゃん。救済時には主人公が死にかける「生か死か!?」な流れがあったりして、読者はそれにハラハラドキドキしながら読み進めていき、救済に見事成功した暁には「あんたには命を救われたぜ……困ったことがあったらいつでも俺を頼りな」とか救済対象から言われるわけだ。

 だが良く考えてほしい。そんな簡単に覚悟完了し零を瞬着して闘いに身を投じることなど、平和な世界で平々凡々と生きてきた我々にできることだろうか。たいていの人間は我が身が可愛いし暴力反対、敵前逃亡ならぬ戦略的撤退をするものだろう。私も命を狙われていることが分かった時には即座に公安に泣きつき、ボディーガード(派遣)を付けてもらったのだ。私は私が一番大事だ。

 さて翻って今回の事件、私の命は危険に晒されるだろうか? 否だ。雨宮がうっかり匣で殺すのは美馬坂の助手だけであり私は安全安心。もし雨宮の説得等に失敗したとしても、巻き込まれる可能性があるのは女子高生だけで私は対象外。ならば無辜の民のため動かねばなるまい。いいかいコナン君、事件に首を突っ込んでいいのは自分の安全が確保された時だけなのだよ。

 

「美味しいコーヒーが飲みたいと心の中で思ったなら! 行動は既に終わっているのだ!」

 

 というわけで少しぶりにポアロに来た。カウンターの毛利探偵に片手をあげて席に着き、苦みの少ないコーヒーとソフトクッキーを楽しんでいた……その時だ。

 

「探偵さん! 私分かったんです……! 加菜子は突き落とされたんだって!」

 

 気管に入ったコーヒーが諸伏君のシャツをまだらに染めた。

 

「何だって……!? 頼子ちゃん、本当かい」

「はい、はっきりと分かったんです。あの時加菜子は突き落とされて……ううっ!」

 

 毛利探偵に泣きつく頼子ちゃんの姿。ちょっと予想外過ぎて呆然とするのも仕方ないよね。だって毛利探偵が巻き込まれているんだ、止めろコナン首突っ込むな放っておいてくれ。

 シャツの染みをお手拭きで叩いている諸伏君に謝って、髙野さんに電話をかける。

 

「文○、先月号と今月号用意しててくれる?」

 

 何を書きやがった関口、目眩か? 目眩なのか?

 

 

 

 

 お盆休みは空手部が合宿だということで、蘭が不在の間はポアロで飯を食うことになった。初日の土曜日は蘭の作り置きを食べたが、二日目の今日は何もない。おっちゃんが重い腰を上げたのは夕飯にはまだ早い五時過ぎ――待ち時間を嫌がるおっちゃんらしい。

 だが、梓さんは申し訳なさそうに両手を合わせ、俺たちの入店を断った。なんと六時から、とあるミステリサークルの貸し切りになったのだと言う。

 

「何てサークルなの? ホームズ愛好会とか?」

「あはは、違うよ。私も詳しくはないんだけど、ウブメの夏っていうネット小説の同好会なんですって」

「ウブメ……ふうん。有難う梓さん!」

 

 ウブメというのはひらがなで書くのか、カタカナなのか、それとも漢字を当てるのか。ポアロの代わりに入ったコロンボで注文を待ちつつ辞書アプリで調べれば、産女もしくは姑獲鳥と書くらしい。検索をかけて出てきたのは『姑獲鳥の夏』という小説投稿サイトへのリンクと、考察スレ等々。十年以上前に投稿された小説ながらなかなか人気のようだ。有名動画サイトの百科ページを見れば、謎解き前で更新が止まっていることや考察をブログに載せている人一覧が載っている。――親父の名前もあった。知ってて黙ってたな、あのじじい。独り占めしようなんてそうはいかねえんだよ。

 

 夕食を終えてコロンボを出れば、歩道で不思議な二人組が何やら騒いでいた。

 

「こっちや箱顔。そらグズグズしとらんと、はよせえ」

「地図確認しとるっつぅとるやろが! そう言うてお前さっきから似たよなトコグルグル回っとるんやぞ!」

 

 凛とした洋風の見た目なのに浮かぶ表情や声の調子が少年そのものな男と、えらが張って四角い顔の厳めしい男。方言と話の内容からして、関西から来た迷子だろう。

 

「ねえねえ、おじさんたち迷子?」

 

 声をかければ、洋風の――ハーフだろう男が俺を見下ろして「へえ!」と歓声をあげた。

 

「おい高野豆腐、オモロいモンおるぞ。お前も見てみ」

「あん? このチビがどないしたんや」

「チビ? チビとちゃうやろ、ガキやけど。――お前の探しモンは何やら面倒そやな。殺されんよに気つけや。そんで、いきなり声かけてきてどないしたん」

「あ……えっと、おじさんたち迷子じゃないかと思って……」

 

 この男は何を知っていて、何に気付いたんだ!? じりじりと二歩後ずさるが、男が俺の反応を訝しがる様子はない。当然の反応と言わんばかりだ。

 

「何お前ガキ脅しとんのやみっともない。――ボン、ワザワザ声かけてくれて有難うな。おっちゃんたち迷子やってん。でも今度から知らん人に声かけんのはお父さんとかお母さんとかと一緒にしよな? おっちゃんはこれでもお巡りさんやさかいエエけど、ボンみたいな子供誘拐して海外に連れてく悪い人も世の中にはおるさかいにな」

「はぁい」

 

 高野豆腐という不思議な呼び方をされた男はハーフの男の頭をポカリと殴ると、しゃがんで俺の頭を撫でながらそう言った。

 

「せやからお前は高野豆腐なんや。ほらはよポアロに案内させぇ。僕は暇とちゃうんや」

「お前が地図見んの邪魔しとったんやろが! ふざけとんのちゃうぞボケ! ボン、すまんけどポアロっつぅ喫茶店知らへんか? おっちゃんたちそこ行きたいねん」

 

 全く雰囲気の違う二人だが、姑獲鳥の夏同好会のメンバーだというなら納得だ。普通に知り合って仲良くなるような仲には見えない。

 案内のため先導しながら、話しかけやすい方に話題を振った。

 

「おじさんたちはどうして今日ポアロに来たの?」

「知っとること聞いて何がしたいんや?」

「大岡! ガキいびんなや!――今日はな、『姑獲鳥の夏』っつぅミステリ小説を好きな奴ばっかりで集まる……オフ会って分かるか? 小説の話しながら飯食う会すんのや」

「へぇ~。その姑獲鳥の夏って面白いの?」

「オモロい。そこらのミステリなんぞ比べもんにならん。ああホンマなんで更新がないんや……もう作者さん亡くなってしもたとか考えたないわ」

「作者さん亡くなってるの!?」

「いんや、そうとちゃうかって言われとるだけや。俺は信じとらん」

 

 高評価に期待で胸が膨らむ。

 

「ボクも読んでみたいな!」

 

 俺がそう言った瞬間、男が口ごもった。

 

「ボンにはまだ早いんちゃうか? 漢字も多いし、ルビもないさかい……せや、中学出て高校入ってから読んだらええわ!」

「コーコーセー言うたらもうそのガキ読んでエエ歳やん。やっぱお前ほんまに高野豆腐やな、パーちゃうか」

「誰がパーじゃパープリン!」

 

 ハーフの男は間違いなく俺の身に起きたことを知っている。だが男の恰好は華やかなレース襟の付いたグレーの上下で、黒づくめの奴らの仲間らしくない。言動も子供っぽく自分の知識を隠そうとしていない……。これがワザとなら凄い演技力だ。何を考えているのか、何が目的なのか、謎は深まるばかりだ。

 ポアロに着き、二人を振り返る。

 

「ここだよ!」

「ボン有難うなァ! ここまで案内してくれたお駄賃や、これでジュースでも買うたらエエ。とっとき」

 

 握らされたのは百二十円。断ろうと口を開く前に男達は店の扉をくぐってしまった。カウベルを鳴らしながらドアがゆっくりと閉まっていく。

 

「そら、榎さんのお通りだ、道を開けろ!」

「アホ」

「わあ本当に榎木津と木場修だ!」

「リアル榎木津じゃないですか。あ、僕は――」

「君こそ猿だ。見れば分かる」

「ひでえ」

「初対面の相手に言うべき言葉か、貴様は」

 

 笑い声に溢れた店内では、口調をがらりと変えたハーフの男が猿顔の男に渋面を向けていた。




俺は現職を辞めるぞジョジョー!
近々大阪に戻り再就職先を探すぞ!


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エロスは大変なものを盗んでいきました

 三十一日の昼、美馬坂近代医学研究所に着いた私を待っていたのは――正確に言うと待っていた訳ではなくブッキングしただけなのだが――毛利探偵一行+頼子ちゃんだった。私は患者の面会が目的ではないので美馬坂教授の解説つきで研究所内をぐるりと案内されていたんだが、美馬坂教授が今いる患者の診察に行くというので無菌テント前までついて行った。そして加菜子ちゃんと面会していたらしき毛利探偵一行と合流、というわけだ。

 

「これは先生! どうしてここへ?」

「毛利探偵こそ。私は美馬坂教授のお誘いで、研究所の見学に来ておりまして」

「なるほど」

 

 毛利探偵が加菜子ちゃんたちを知っているのは、予想通り事故現場に毛利探偵一行がいたからだという。最近知り合ったという小説家と呑んだ帰り、乗っていた電車で人身事故が起きたらしい。運が良かったのか悪かったのか監視カメラの範囲から外れた場所であったため犯人の姿は映っていないが、頼子ちゃんの証言によれば黒い上下の男が加菜子ちゃんを突き落としたとか。駅が高架じゃなかったため犯人は線路を走って逃げたのだろう。

 恐ろしいことをしやがるもんだぜ、と毛利探偵が肩をすくめたその時、室内に須崎の悲鳴が響いた。

 

 コナン君が黙って走り出し合成樹脂のカーテンを抜け中に入る。毛利探偵一行はもちろん私もその後を追い、テントの中に入る。機械の音がぶんぶんと響く中、ぽっかりと空いたベッドは人の抜け殻を呈している。枕のへこみや掛け布団の歪み、床に広がる砕けたギプス。

 頼子ちゃんを横目に見れば、彼女はまるで救いか悟りを得たような目をして微笑んでいた。

 

 

 

 毛利探偵事務所にその男がやってきたのは、盆休みの最中――十四日の九時過ぎだった。彼の妻が怪しげな新興宗教に入信しているので調査してほしい、と。その宗教の名は穢れ封じ御筥様と言うそうだ。

 男の名前は田子正平、妻は雅恵というらしい。

 

「寄付と言うんでしょうか、お賽銭と言うんですか、教主の男は箱の中に持ち金を入れさせて、穢れた金を浄化だとか何だとか、まあ詐欺ですよ、金を巻き上げていくんです。初めはまあ雅恵が何を信じようがホラ、信教の自由がありますし、構うつもりはなかったんですが、日に日にどんどんのめり込んでいって、家にある金目の物は全部処分しないとならない、悪い気が溜まっている、モウリョウだなんだと大騒ぎするようになったんです」

 

 汗かきらしい男……田子はハンカチで何度も額を拭いながら、ぶつぶつとその御筥様のやり口を非難する。おっちゃんは田子の言葉にウムと渋い声で頷いた。

 

「どう聞いても詐欺ですな」

「でしょう! だから毛利探偵には、あの御筥様とやらの化けの皮を剥がしていただいて、妻の目を覚まして、渡しちまった金を取り戻したいんです!」

「でしょうなぁ……。よしっ! 分かりました。この名探偵毛利小五郎が、その不信心な詐欺野郎をとっ捕まえてやりましょう!」

 

 最近は殺人事件ばかりに遭って食傷気味だったのか、地味な調査業務だというのにおっちゃんのやる気は高い。

 

「そのオンバコサマとかいう怪しい奴等など、私の手にかかればチョチョイのチョイですよ! ヌハハー!!」

 

 そう高笑いしたおっちゃんは二週間後に進捗を連絡すると伝え、田子さんは「かの有名な名探偵が太鼓判を押してくれた」といたく感激した様子で帰っていった。大丈夫か、これ。

 ――穢れ封じの御筥様なんて言う不可思議な名前の宗教団体については俺も初耳だ。怪しげな新興宗教、いいや、おっちゃんがさっき言っていた通り詐欺師に違いない。箱に悪いものを封じるというのはきっと方弁で、箱の中に入れさせた金品を着服しているのだろう。

 

 これからその御筥様を見に行くというおっちゃんに子連れなら怪しまれにくいよと説得をして事務所を出れば、なんとつい数日前にポアロへ案内したハーフの方の男と陰険そうな男の二人組がポアロから出てきたところだった。

 陰険な顔の男は葬式帰りのように全身真っ黒な恰好だ。黒の組織か……?

 

「先日のガキじゃないか! だが君、変な宗教団体に行きたがるなんて悪趣味極まりないよ」

「えっと……」

「ちょいと変なことを言うな、あんた。なんで俺とコイツが宗教団体を見に行くって知ってんだ?」

 

 流石にこの男の発言を危険に感じたらしい。おっちゃんがずいと前に出た。

 

「だって行くんだろう? なら分からない訳がないよ」

「榎木津、君のように一目で色々なものが見通せる者は少ないんだよ。論理的に説明されねば理解できないんだ」

「そうなのかい? 全く不便そうだな。まあ持たざる者の持たざるを以って悪となすなんてことは僕の美学に反する」

 

 陰険な男がきびきびした声でハーフの男へ話せば、ハーフの男は鼻を鳴らして肩をすくめた。おっちゃんの表情が厳しくなっていく。

 

「それで! どうして知ってるんだ!」

「だって依頼人と会ったろう。タコ焼きだかイカ焼きだか、僕はタコ焼きよりも明石焼きの方が上品で好きだけどね」

 

 男の言葉でおっちゃんの怒りがしぼむ。

 

「なんでぇ、依頼人の知り合いかよ心臓に悪ィ」

 

 本当に、この男は田子さんの知り合いだろうか? もし田子さんの知り合いで、彼の悩みを知っているほど親密なら、今ここに田子さんがいないのはおかしい。背中を押した友人たちに合流するものじゃないのか?

 

「ねえおじさん、おじさんは何で前と口調が違うの? 関西の人なんでしょ? じゃあ関西弁じゃないとおかしいよ」

 

 話題を繋ぐために話しかければ、ハーフの男は蠅を払うように手を振った。

 

「関西人なら必ず関西弁をしゃべるのか? あいにく空気は吸うばかりの物じゃないことを僕は知ってるし、イギリス人には英語で、フランス人にはフランス語で挨拶すべきことも知ってるよ」

 

 彼の言うことは分かりづらいが、きっと「相手に通じる言葉を選んでいる」と言いたいのだろう。

 

「さあ行くぞ本屋! あの引きこもりウジ虫もそろそろ起きだしてくる頃だろう。すこしのことにも先達はあらまほしき事なり。虫でも猿でもいないよりはマシだ」

「ああ、仁和寺の法師にはなりたくないからね。だが案内役なら猿より虫の方が好ましいな。虫は知らせるものだからね」

 

 陰険な顔の男はさして楽しくもなさそうな表情でそう言い放つ。話題にされている男に対してなんとも失礼な言い様だ。

 二人はもはや俺達のことなど眼中にない様子で、俺達とすれ違い歩き出す。

 

「なるほど、なら何の虫だい。猿顔の虫なんていたかな」

「ウジ虫は蠅になるだろう」

「蠅の知らせになんて僕は従いたくないぞ。奴らはゴミ箱にしか連れて行かないよ」

 

 ウジ虫やら猿やら蠅やら、貶されているにもほどがある誰かについて話しながら、二人は曲がり角に消えた。

 

「――行くぞ、坊主。……あの二人は見習うなよ。親しき仲にも礼儀あり、人を虫やら猿やらと言うもんじゃねえ」

 

 適当な推理で人を犯人扱いすることと、親しい相手をウジ虫扱いすることのどちらがより礼儀知らずなのか。前者じゃねぇかなと思うものの、言ってることは間違っていないから「はぁい」と頷いた。

 

 ――着いた御筥様とやらは四角い箱の形をした建物で、近所に聞き込みしたところ新興も新興の宗教組織だった。俺の役目は母親が入信してしまった可哀想な息子で、おっちゃんはその母親の兄。妹と甥っ子を心配して聞き込みに来た、という設定だ。

 

 子供がいる方が口が軽くなるのか、隣家の風呂屋の親父は色々と御筥様について教えてくれた。モウリョウと書かれたメモの入っていた壺の話や、御筥様の建物があの姿になったのは去年の八月末だとか、それから信者が増えていき今に至るとか。

 モウリョウ――またモウリョウだ。そのモウリョウとやらは何だっていうんだ?

 辞書アプリは『魍魎』という字を当てるのだと表示し、山や川に住む化け物や水の神等々、妖怪の総称だという。

 

「モーリョーねぇ……妖怪なんぞ河童しか知らんぞ。河童の川流れっつーくらいだ。よほど泳ぐのが上手い妖怪なんだろうな」

 

 事務所に帰ってから辞典を引いたおっちゃんが、ガニ股歩きで冷蔵庫に向かうとビールを取り出しその場でプルタブを開けた。

 

「モーリョーがなんだ。御筥様ァ? 変な名前しやがってよぉー!」

 

 回転椅子に飛び込むと机に両脚を上げ、テレビをつけてビールをまたゴクゴクと干した。

 

「受けるんじゃなかったぜ。ヨーカイなんぞてんで科学的じゃねぇってのに」

 

 その通り、科学的じゃない。宗教なんてそんなものだと言ってしまったらその通りなんだが、底冷えするような気味の悪さが付き纏うのだ。何かが起きる気配が――。




水木○げる不在の悪影響


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そして何よりエロスが足りない

「君はあれをなんだと思う」

 

 きりりとした声に、男はずばりと答えた。

 

「異界の神の自慰行為(オナニー)さ!」

 

***

 

 思えば、想定外の要素がありうることを想定していなかった。病室に雨宮らしき男の姿がなかったこと、須崎が駆け足で病室を出て行ってしまったこと、私も事件関係者として軽い拘束を受けたこと、諸伏君が今日は本庁に行っており護衛が公安関係者ではなかったこと。

 

「コナン君、君にしか頼めないことがある。さっき部屋を出ていった人が……きっとこの施設の関係者だとは思うのだけど、一人いるんだ。その人がちょっと気になってね。私はここを離れられないから、コナン君が見てきてくれないかな」

「なんだって!? 分かった、先生ありがとう!」

 

 須崎が出ていったことに気付いていなかったらしいコナン君は、私の言葉に表情を引き締めると「ぼくトイレー」で病室を脱出した。小さい背中が今はとても頼もしく見える。お願いだコナン君、雨宮の犯行を止めてくれ。そうすれば事件が一件だけで済むんだ!

 ――だが残念ながら、ミステリが始まる前に終わることはなく。須崎は殺害されており雨宮は消えた。狂ったように泣く柚木陽子を見ながらほぼ無策でここへ乗り込んだことを悔いる。偶然に頼った事件防止計画は崩壊し、私の予想通りなら久保は雨宮と出会ってしまう。久保に監視を付けなければ……。

 このご時世、狙われるのは御筥様の信者の娘だけとは限らない。女子中学生と知り合う機会など、そこらへんにごろごろ転がっているのだから。

 

 

 

 何か没入できるものが欲しくて、小説○になろうの『姑獲鳥の夏』を読み始めた。一章一章が重く、性的な匂いに満ちていて、深い古典知識に溢れている。投稿されているのは五章までなのに読み切るのに四時間近くかかった――途中で風呂に入ったりしたからもう十一時近い。

 

 小説の舞台は第二次世界大戦から数年後の東京。だが仮想歴史モノらしく「異常性癖」や「子作りを目的としない情動による性行為」などが一般的とされている世界観だ。平行世界の話なんだなとは思ったが、こんな性的な情報や情動に溢れた時代なんて室町時代まで遡るか、ここ最近かだ。安土桃山江戸明治大正昭和平成――数百年間その姿を消していた性衝動が蘇ってからまだ十年ほどしか経ってない。

 性という名前の暴力に頭を横から殴られるような心地を味わいながら読んでいって、そしてあの四角い顔をした関西弁の男の言葉の意味が分かった。これは子供が読むものじゃない。せめて高校生にならなければ……中学生では早すぎる。

 また、あの大岡という男が何故黒い男から榎木津と呼ばれていたかの謎も氷解した。登場人物そっくりだからだ。きっと黒い男は京極堂、四角い顔の男は木場修と呼ばれている。ウジ虫やら猿やらと呼ばれている男は関口に似ているのだ。

 

 感想ページを開けば、続きを望む大量の声で溢れている。当然だ、これだけ読み応えのあるミステリが未完のままなんてミステリ界の損失と言う他ない。作者が続きを投稿しない理由は謎だが、全くもったいないにも程がある。

 グーグ○検索には考察サイトや同好会、申請制チャットルームなどがずらりと並んでいる。そのリンクの一つをタッチして開いた。『姑獲鳥の夏の作者は半月か』というブログ記事だ。

 

 ――姑獲鳥の夏が投稿されたのは十二年前。作中で提示される資料の希少性や幅広さ等から、少なくとも十五六年前に構想は粗方出来ていたと思われる。一時は国文学者の作かと思われたが、名乗り出る者はおらず作者は未だ不明。

 さてカラメル半月が性の再発見をなしたのは姑獲鳥の夏が投稿された二年後、半月は当時大学在学中で十九歳であった。彼女が作者であるとすると、姑獲鳥の夏は半月十七歳の時の作となる。構想と執筆期間を二年としても、十五歳の少女があのエロスとグロテスクに満ちた物語を考えたことになる。にわかには信じ難い仮説だ。

 だが半月の作品と姑獲鳥の夏には少なくとも三つの共通点がある。

① 宗教的基礎が希薄な同性間恋愛差別や女性蔑視の世界観

② 快楽を伴う性行為を職業とする婦人・青少年の登場と、それらを汚らわしいものとする社会常識

③ 研究対象から外されてきた日本・世界の性風俗の歴史に関する詳細な知識

 これらをただの偶然として片付けることは困難であろう。以下略――

 

 十五かそこらで姑獲鳥の夏を書けるだろうか。俺はホームズが好きだが、十五歳の時にこのクオリティの事件と謎を練り上げられたかと言えば、無理だ。作者は別の人だろう。

 だけど何故作者は名乗り出ないのだろう。こんなにすごい話を書いているのに。

 

 興奮のせいなのか、次の朝は六時半過ぎに目が覚めた。おっちゃんはまだ夢の中だし、あと一時間は起きないだろう。台所を見れば食パンが切れている。財布をつかんで階段を降り――掃き掃除をしていた安室さんと会った。

 

「おはよう、コナン君。早いね」

「おはよう安室さん。なんだか目が覚めちゃって……パンも切れてるし、買いに行こうと思って」

 

 黒の組織の幹部、赤井さんが悪魔と罵るバーボンかもしれない彼は人の良さそうな笑みを浮かべている。

 「人々を悪の道に引きずり込む原罪の悪魔」という赤井さんの言葉は、安室さんには全く当てはまらない評価だ。爽やかで親切で、誰からも好かれる愛想の良い青年だと思う。だが隠しカメラで顔と声を確認した赤井さんは安室さんがバーボンだと繰り返す。本当なのか嘘なのか――誤解の可能性もあるよな、と俺は思っている。似ている他人なんじゃないのか? 従兄弟とか、それより遠縁の親戚とか。血縁者が似るのは当然ありうる話だ。

 

「あ、そうだ安室さん。姑獲鳥の夏って小説、知ってる?」

 

 安室さんは目を剥いて俺の肩を掴んだ。

 

「どうしてその小説を知っているんだい!?」

「だってこのあいだポアロでそのオフ会したんでしょ? 梓さんが教えてくれたよ」

 

 俺がそう答えると安室さんは額を揉みながら溜息を吐いた。

 

「大人向けの本だから、コナン君にはまだ早いかな。大学生くらいになってから読むと内容がつかめるようになるから、今はまだ読まないでいて将来の楽しみにしておくと良いよ」

「うん、わかった!」

 

 安室さんと別れ、コンビニに向かう。

 

 安室さんは普通の善人だ。性欲の沼に引きずり込む悪とか鬼とかいう赤井さんの評価は間違ってる。組織のバーボンはそういう男なのかもしれないけど、安室さんは一般的な善性を持っている人だ。間違いなく人違いだろう。

 コンビニで買った食パンの袋をガサガサ言わせながら事務所に戻ると、開店前のポアロの店内で一人、安室さんが電話をしていた。表情はにこやかで善人らしい微笑みを浮かべている。

 

「やっぱ赤井さんの誤解じゃねーか」

 

 『慈母のように優しく性愛の海に連れ込む妖怪』という評価はすっかり頭の端に追いやられ、俺に気付いた安室さんと手を振り合って事務所に帰った。

 

「――それで、その裏切り者の口を割らせれば良いんですよね?」

 

 安室透はコナンの独り言を読みながら、目の下に皺のできる柔和な微笑みを浮かべた。

 

「ちょっと絞ってやれば泣き出すんですから、簡単な仕事ですよ」

 

 電話相手がクツクツと笑う声。

 

『流石、愛欲の悪魔は言うことが違うぜ』

「当然、僕ですから」

 

 称賛をさらりと受け流して目を伏せる。

 

「そうだ、見に来ますか? 観客が貴方だけというのも寂しいですし、ジンも一緒にどうです。僕のセックスショーは高いんですよ」

『行かねえよ』

「それは残念」

 

 それから二言三言交わしてから通話の切れたスマホを見下ろし、安室透は少年のようにニッと笑んだ。



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エロスはどこへいった

短い。すまん。


「聞きたまえ、榎木津」

 

 男は苛立ちを隠さぬ声音で言った。

 

「あの男が我々に言わなかったことがある。会場だった店についてだ」

 

***

 

 私には柚木加菜子を誘拐する理由がない。元々招かれた立場であり、訪問の日程を決めたのは美馬坂教授、今日初めて病室に入った。そして私はむしろ誘拐されて身代金を請求される方であって、他人を誘拐する必要性が全くない。

 

「快盗KIDならサイン付きの予告状があるはずだが――まるでKIDの奇術だ。少女一人が煙のように姿を消してしまった」

 

 目暮警部の言葉に毛利探偵が「全くですな!」と大声で頷いた。

 加菜子ちゃんの人間消失マジックと死体で見つかった須崎という事件の連続にざわつく警察にちょっと不安を覚えつつ、夢見がちな夢想を語る頼子ちゃんを見やる。加菜子ちゃんは天女に生まれ変わったのだ、云々。そんな混沌とした室内に、私の声は思いがけず大きく響いた。

 

「この世に不思議なことなど何もないのだよ」

 

 コナン君が目を大きく見開いて私を振り返った。そんなじろじろ見ないでよ照れるだろ。

 持ってきてもらって座ってたパイプ椅子から立つ。

 

「美馬坂教授、貴方の理想――貴方の研究は素晴らしい。貴方の研究の一層の深化、発展のため私が出来ることは何でもしよう」

「――有難い」

「ですが」

 

 このおっさん狂ってるんだよな。

 

「私にとっての『生きる』とは、自分の意思をある程度自由に世間に発露できること、だと思っています。ただ血液が流れているだけの肉体に意思の発露はない。――柚木陽子さん、貴方は一度、教授としっかり話し合った方が良い。私たちは同じ単語を使ってコミュニケーションしているけど、同じ単語が同じ概念を意味しているとは限らない」

「何を……」

 

 少し血の気が引いた唇をはくはくとさせる美馬坂教授を後目に柚木陽子さんを見れば、彼女も顔色を悪くしながらコクリと頷いた。

 

 

 

 久保竣公から電話があったのは十一時前のことだった。今日の昼過ぎに伺う予定だったが急用のため行けなくなった、もし可能なら今晩どこか店で食べながらというのはどうだろうか、と。

 小説のため名探偵と名高いおっちゃんを取材したいという話だそうで、守秘義務に反する話をするわけでなし、子連れで構わなければと返したおっちゃんに久保は「全く構いません」と返したようだ。今晩の晩飯は二駅先の海鮮呑み屋で食べることが決まった。

 

 駅前の店で合流した久保はいかにも神経質そうな造作の男で、かっちりした格好の中に鑑識がしているような柔らかい素材の白手袋がぼんやりと浮いている。――手袋のへこみ具合からして何本か指がないようだ。

 

「貴方が毛利探偵!?――いえ、失礼。もっと取っつきづらい慇懃な方を想像していたものですから」

 

 その言葉におっちゃんはハハハと笑う。

 

「探偵は依頼人に寄り添うものですからな。不愛想では務まりませんよ」

 

 まずは一杯とジョッキをぶつけ、飲みながら探偵のいろはを語るおっちゃんとメモを取る久保。三色海鮮丼Aセット――ネギトロ、イクラ、サーモンの三色丼とみそ汁にお浸しのセットだ。ちなみにCセットまであった――を食べながら、おっちゃんの自慢話に内心突っ込みを入れまくる。よくまあここまで自慢話を続けられるもんだぜ。

 呑み放題の制限時間、一時間半が過ぎる頃にはおっちゃんの呂律はふにゃふにゃになり久保の目は酔いで据わっていた。よたよたと店を出たところで「貴重なお話を聞かせて頂きました」なんてお世辞にしか聞こえない挨拶をして別れ、歩いて二分の駅で電車に乗り――その列車で、人身事故が起きた。

 

 被害者の名前は柚木加菜子、その場に居合わせた被害者の友人は楠本頼子。楠本頼子は嵐のように泣きじゃくり会話が成り立たなかったが、おっちゃんは現場を警察に引き継ぐ際に彼女へ名刺を渡していた。何かあったらうちに来なさいと。

 

「可哀想になぁ、友達の自殺を見ちまうなんてよ」

 

 ――その認識が誤りだったと分かったのはそれからおよそ二週間後、ポアロに飛び込んできた楠本頼子は言った。「加菜子を突き落とした犯人がいる」と。

 ちょうどそのころは御筥様の調査が暗礁に乗り上げていた。御筥様の教主である寺田兵衛は実直な男で、俺の目から見ても詐欺をしている風には見えない。詐欺師とはそういうものだと言ってしまえばその通りだが……ありふれた善人で、狂信的に筥の力を信じている。理性的で理論的な説得はことごとく押し切られて仕舞いだ。力強い声で「帰られよ!」と繰り返されてしまえば帰る他ない。おっちゃんは御筥様の調査に嫌気が差していた。そんな時に飛び込んできた、全く目先の違う事件だ。おっちゃんがそれに飛びつかないはずがなかった。

 

 楠本頼子の願いにより、事務所の皆で柚木加菜子の入院する美馬坂近代医学研究所へ行った。まさかそこで半月先生に出会うことも、誘拐事件が起きることも、殺人事件が誘拐とほぼ同時に起きることも……予想だにしていなかったんだが。

 

「そうだ、柚木さん。事件とは全く関係ないんですが、お宅の隣の方ってもしかして、平野さんってお名前ではないですか?」

 

 事件とは関係ないと言いながら、どこか固く切実な声音の半月先生に、柚木陽子はきょとんと目を瞬かせる。

 

「いえ、うちは端の部屋ですので……隣は片方しかありませんが、河野さんとおっしゃる方です」

 

 なら良かったと答えた半月先生の表情は、こんな場なのに安堵に満ちている。

 

「『くも』はないんだ」

 

 その独り言は何か凄く重くて、質問を許さない雰囲気を漂わせていた。




魍魎の匣のざっくりとした説明を活動報告(19.9.23)に載せております。


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帰って来たスケベ

スケベだよ


研究所からの帰りの車中、風見君経由で公安に久保の監視を頼んだが、明確な理由がないと人員を出せないと言うので「重大犯罪の危険性がある。むろん私の勘だ文句あるのか」で押し通した。「知っている」というのはなんともままならないものだ――無駄にイライラする。

 無駄にイライラするから、AV撮影の予定を次の日に繰り上げた。何度も顔を合わせている男優二人やその他スタッフに「色付けるから!」と謝り倒して撮影現場……都心から離れた人気のない公園の公衆便所に集合し、楽しいAV撮影の始まりだよ。

 

 作業服姿の竿役がベンチに腰掛けうほっいい男――某アベさんネタである。いつかしたい、いつかしたいと思いつつ時が過ぎ、ようやっと最適な男優二人を見つけたのだ。このネタをするのはこの二人しかいない。

 流石にマジモンの公衆便所でファックするのは衛生面で不安が大きいので、公衆便所シーン以外をここで撮る。男優二人のエロティックな雰囲気に溢れる涎をハンカチに吸わせ、スケベシーンに興奮し、ナマだから無修正なあれそれに喜びの舞を踊る。やっぱりスケベは最高だぜ!

 

「スケベって最高だと思わない? あるがままな……獣じみた本能を刺激して、ヒトというものの魅力をより高めるんだ。性欲に従うことはなんら恥ずかしいことじゃないんだよ」

「確かに、先生と仕事するようになってから差別ってか、偏見はなくなりましたねぇ。ヒトも動物の一種なんですよね」

 

 撮影スタッフと語りながらリアル便所での撮影を終え、また車で移動してちょっと古いビルの便所に移る。経年劣化とかで見た目はアレだが(清掃業者さんが)苦労して除菌し磨き上げたトイレだ、ここでファックしても衛生面の問題はない。

 スケベって良いな。ストレスが昇天していくんだ。なんていうか――セックスという生命力の発露に晒されて元気が補充されるというか、炎に当たって冷えた体を温めるような心地なんだよ。立川流に目覚めそうだ。

 

 昼の休憩時間、何かしら自分で選んで食べたいと思いビルの一階にあるコンビニまで下りた。そして横面を殴られたような衝撃……玩具コーナーに遊☆○☆王OCGvol.1、アテムとブルーアイズのプリントされたパックがそこにあった。

 

「えっ、なっ……ちょっ」

 

 どういうことよコレ、と指させば、一緒にコンビニに来ていたカメラさんが「ああ、それですか」と笑った。

 

「うちの坊主がなんか欲しい欲しいって言ってるヤツですね。子供向けのトレカでしょ? でもトレカなんて際限ないじゃないですか……買わない、うちじゃ禁止って言ってるんですよ。コンビニにあるの見たら子供だって欲しくなっちゃうだろうし、置かないでいてほしいんですけどね」

「店員さん在庫あるだけ全部」

「先生!?」

 

 カメラさんは信じられない物を見る目を向けてきたが、リアルのデュエルは大人買い出来る者が勝利を掴むと決まっている。秘書室に電話して原作の既刊全部とОCGのボックスを四箱買っておいてくれるよう頼み、休憩時間の残りを開封式(ツ○キャス)に当てた。放送中に「これからはデュエルの時代が来る」「ハハハ! 俺は勝利を掴んだぞ!」「見ろ、私の旦那だ……格好良いだろ、ブラマジって言うんだぜ」とか言ってたら、半月後、キングから会社経由でサイン色紙が来た。やっべ家宝家宝。

 後日ウィキを見たらブラマジのページに半月の旦那(非公式)って書いてあった。そして、それに照れて怪しい笑い声を上げている私のスマホ画面を見た諸伏君に浮気者と詰られた。違うんだこれは別次元の話なんだ。融合じゃなくてユーゴなんだ!

 

 ちなみにコンマイがブルーアイズ召喚に生贄を必要とするルール改定を行った時に「やめろ、社長の嫁が……社長の嫁が!」と呟いたらpixivに社長×ブルーアイズのイラストや漫画が大量に投下されてケモナー大満足。日本は未来を走ってる。

 

 ――話は戻って撮影だ。撮影を終えた時は賢者タイムに似た解放感に満たされ、清々しく爽やかな気持ちで世界を見ることができる。煩悩の塊であるはずの私もうっかり解脱しそうだ。

 しかし。便所前の階段で悟りを開きそうになっていた私の耳に、五階のサウナへ汗と汁を流しに行く男優二人の足音と会話が響いた。

 

「山田○郎物語知ってる?」

「いや知らん」

「前にドラマやっててさぁ……先日原作者さんが……」

 

 ドラマ。そうだドラマだ。ビデオばかりやってきたがドラマって良くないか。私がメガホン取らなくて良い、いやむしろ私がメガホンを取ったらいつまでも撮影が終わらない。誰か良さげな監督にメガホン渡してドラマを撮ろう。何故今の今まで思いつかなかったんだ――全国放送のドラマとか最高に洗脳にピッタリじゃないか。テレビの前を占領している奥様をこっちに引きずり込むにはドラマが最適だし、もちろんドラマが好きな男も多い。老若男女を染めるため……月9、この枠を獲る。金に糸目は付けねえぜ!

 

「帰りに本屋に寄るから、手配お願い」

「畏まりました!」

 

 私の決意に溢れた目をどう思ったのだろう、髙野さんは力強く頷いてくれた。

 そして帰り道に立ち寄った本屋で、私は思い出深いタイトルと再会した。マリア○がみてる。奥付は先月の十五日。パラ読みして頷き、髙野さんに指示を飛ばす。

 

「今すぐコバル○に連絡DA☆ 全速前進!」

「アイアイマム!」

 

 帰宅してから本日の戦利品(1冊)の写真と共に「運命の出会い」って呟いたら、「見つからないはずがなかった」「そのサーチ能力なんなん?」「ほーん読むわ」「やめろマリ○てにスケベシーンはない穿った目で見るな」等々のレスで通知が埋まった。分かっているとも、マリみては女の子同士の精神の繋がりが醍醐味なんだ。つまり奥様方が取っつきやすく沼にはまりやすいというわけだ。

 

 資金力こそパワーで撮影を進めたマリみ○は百合界の住人を数多く生み出し、この道がまり○りに繋がっていくんだなって思いました、まる。

 私、超偉くないか……数十年後には神に祀り上げられるんじゃないのかこれは。流石だな私。

 

 ――そういえば、この世界に腐女子という呼び名はない。思考回路が腐っているのはみんな一緒、ただ薔薇に偏っているか百合に偏っているか全部まとめて美味しく頂けるかの違いでしかないからだ。その中でそれぞれケモナーとか下克上スキーとかといった分岐をしていくだけで、根っこは皆、花が好き。BL好きは薔薇派、GL好きは百合派、全部好きなのは花束派と呼び分けられる幸せな世界である。ちなみに私がこの呼び方で定着させた。

 その花束派筆頭と見られている私の下には、望まずとも周囲から恋愛相談が飛び込んでくる。自然と他人の恋愛事情に詳しくなるし目も鍛えられ、秘書室で百合の花が咲いていることや――美馬坂教授と柚木陽子さんの間に禁断の愛が存在していることにも気が付いてしまう。

 

 十五年前に近親相姦、それも父と娘でやることやってる二人に頭痛が酷い。当時の世間では想像すらされたことがなかった禁断の恋愛である。私のような前世持ちでもなければ、パパへの愛やら娘への愛を拗らせてベッドにゴーとか普通は思いつかない。爛れ過ぎだろうこの父娘。やばいよ。

 だから本当に、美馬坂教授に死なれては困る。捕まってもらっても困る。司法解剖や精神鑑定されては大変困るのだ。

 

「事件起きるなよ、絶対に起きるなよ。エミューじゃないぞ」

 

 神様仏様、と手を擦り合わせて空に向かって祈ったのに、私の切なる願いは叶わなかった。女子中学生二人死亡、久保は逃走。

 

「公安なにしてんの!?」

 

 私の悲鳴に諸伏君はペコペコ頭を下げたけど、私に謝ることじゃない。いや、謝ってほしいけども、今ではないのだ。

 

***

 

 男は電話相手に叫び声をあげる。

 

「む、無茶なことを言うんじゃない! 僕は○春の小物で、あっちは新○の役員でもある大人物だぞ! 繋ぎなんて無理だ……そう、それに君はつい先日東都へ来たばかりだろう! 店は良いのか!」

 

 通話相手はとぼけているのか元からそういう口調なのか、淡々と言葉を返す。

 

『君、ポアロの常連だと言っていただろう。なら彼女に名前を知られていないにしても、顔を覚えられている可能性は高い。君があのとき彼女と顔見知り程度であることを教えてくれていたら、僕は無駄に青森と東京を往復せずに済んだのだ』

「暴論だろう! 僕は、先生に声をかける勇気なんてないんだ……同じポアロで同じ空気を吸う、ちょっと顔に覚えがある常連同士という程度に認識してもらえればそれで良いんだ! それが……声をかけるだなんてできない!」

『君は厚かましいのか恥ずかしがりなのか分からないね。ストーカーとは君のようなどこに出しても恥ずかしい者のことを言うんだ。君がみっともない男であることは既に誰もが知る事実なのだから、今更じたばた暴れたりなどせずに落ち着きを覚えたまえ』

「君が東都に来なければ何ら問題はないんだぞ!」

『君は姑獲鳥の夏を完結まで読みたくないのか?』

「そりゃあ、いや、読みたいとも。だけどそれとこれとは別だろう。作者と先生が必ずつながっているかなんて分からないんだぞ!」

 

 男の激高したような怒鳴り声に、通話相手はため息を吐いた。

 

『作者は半月本人か、身近な人間だよ。でなければ説明がつかないことはたくさんあるんだ――君もそれには頷いていたと思うんだけどね』

 

 男は言葉に詰まった。何度となく掲示板やグループチャットで議論してきたことだからだ。

 

『三日後、またそちらへ伺うよ。むろんまた君の家に泊めろなんて言うつもりはないさ。適当にホテルでもなんでも取ろうじゃないか。すこしばかり教えるのが遅かったとはいえ情報源は君だし、僕たちは君に筋を通さないことをしたくないから事前にこうして伝えているだけなんだよ』

「僕たち、ってどういうことだい?」

『大岡……いや、榎木津と僕だ』

「悪夢的な組み合わせじゃないか! 木場はどうしたんだ」

『木場は仕事だよ。盆休みはもう終わったからね』

 

 男はうわああと悲鳴を上げ、しゃがみこんだ。

 

「分かった、僕の負けだ」

 

 そして叫ぶように宣言した。

 

「僕も一緒に行動する!」




魍魎の匣のざっくりした説明を19.9.23の活動報告に載せております。


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エロスは激怒した

 頭を掻いたら、赤茶けた抜け毛が指の股に挟まっていた。ストレス性の脱毛だ、本当に嫌になる。

 私はストレス源とはなるべく距離を取りたいと思っているのだが、世の中はショッギョムッジョで世知辛い。望んでいないのに向こうからやってくる事件――防げるはずの物も、青山神の悪戯なのかそれとも京極神の嫌がらせなのか、運命的偶然の重なりにより実行に移される。まったく心折な世界だ。この世は地獄ですって江雪も言ってた。

 

 抜けた毛をゴミ箱にポイして机に突っ伏し、脱力してため息を吐く。歴史修正させろマジで……一度人理を滅却した方が良いよこの世界。なにせウン十年ウン百年、ウン千人ウン万人が泣いて苦労して積み上げていくはずの性愛の歴史がゴッソリ削られているんだ。私の短い人生でそれを組み立て直すなんてどだい無茶な話で、割と本気で心労がやばい。

 どうして私がこんな苦労をせねばならんのだ、ふざけるんじゃない。私は享受する側になりたかったのであって、こういう風に心を削りながら供給する側になりたかったわけじゃないというのに。

 

「諸伏君、今日一日は半裸で過ごさない? 上半身だけ脱いでくれればそれで良い」

「えっ!? 何で!?」

「何でって思うよな、私もそう言われたら不思議に思うだろうよ。でもこれにはちゃんと理由があるんだ――男の乳首を見ていると私の心が豊かになるんだ」

「そ、そうなのか……?」

「うん。そしてパフパフさせてくれるともっと心洗われて幸福になるんだ、私が」

 

 というわけで半裸の諸伏君を侍らせて仕事をしていたんだが、そこに風見君から電話があって「メンゴ! 久保逃がしちゃったし女子中学生二人死んだ!」という報告である。私は椅子に沈んだ。

 

「ハゲる……心労で禿げるぞこれは。この世界は私に不親切すぎる。急性の胃潰瘍で即入院レベルだ」

 

 ちなみに私は救急車に乗るのが好きだ。ストレッチャーと呼ぶのだったか、車輪の付いた担架に乗せられると案外背中と地面が遠くてドキドキするし、救急車に搬入される時の「冒険の始まりだ!」感はなかなか味わえるものではない。意識がはっきりしている状態で乗る救急車は凄く楽しい。

 え? もっと健全な楽しみを見つけるべき? 命狙われてるからなぁ、貸し切りじゃないと遊園地にも行けないんだ。

 

「先生、元気出してくれ。ほら男の乳首だぞ~」

「ばぶー」

 

 顔を埋めた推定Bカップは最高だった。柔らかくて包まれているようだ……ここがエデンだったのか。

 七味唐辛子から大麻だけ集めて加熱処理が上手くいっていない種を探して非合法大麻ガーデニングをするより、もちもちの男のおっぱいに顔を埋める方が危険で非合法じゃなかろうか。これは常習性があるぞ。バブチャンになってお仕事したくなくなっちゃう。

 ハグやキスはストレス解消に良いと前世の○イッターかネットニュースで読んだ覚えがあるけど、雄っぱいパフパフの威力には敵うまい。これから諸伏君は私の専属裸執事なんだ――そうだ裸執事だ。何故私は裸執事を忘れていたんだ……ゲイストリップを生で見ることなく前世を終えてしまった悲しさと寂しさを、今こそお金の力で埋めよう。男の娘だろ、ガチムチだろ、ノンケも良いな。ノンケのストリップをゲイストリップと言って良いのか知らないが。

 

 とりあえずストリップが見たい。間近で脱ぎ脱ぎしてくれるのを見たい――もしやこれが会いに行けるアイドル!? 凄いな秋○、私はA○Bに興味がなかったから実感がなかったが、今改めて考えてみると彼の発想は素晴らしいの一言に尽きる。

 

「ハコを用意しなければね、先ずは彼らを彩る最高のハコを……」

 

 匣や筥はハコ違いだから遠慮してどうぞ。

 言い忘れを思い出して風見君に電話をかける。

 

「言い忘れてた。久保は美馬坂近代医学研究所に現れるからそこを確保して」

『また勘ですか?』

「勘じゃないさ、今度はね。確定的未来だから」

 

 私の連絡から二時間後には、「誘拐犯からまた要求があるかもしれない」ということで研究所に詰めていた警官二人に追加して、三人の公安警察が研究所の警備として合流した。そしてその日の深夜近くに久保を確保。私は万歳三唱し風見君を褒めちぎった。

 あとは加菜子ちゃんに関する一連の事件と楠本頼子問題と柴田の遺産相続問題と御筥様問題だけだ! だけ、と言っておいてなんだがたくさんあるな。

 まあぶっちゃけ、御筥様は放置してても良いのではないかと思わなくもないのだ――どうせ久保の逮捕で父親にもなんらかの調査が入る。命の危険はないのだし、私が手を出す必要性を感じない。よし、見なかったことにしよう。御筥様なんてものはなかった。

 

 加菜子ちゃん関連はもちろんながら、頼子ちゃんと柴田の爺さんもどうにかせねばなるまい。頼子ちゃんの行為は衝動的なものだったとはいえ殺人未遂に違いはないし、子供だろうが心神耗弱状態だろうが罪の重さは変わらない。情的酌量や更生の余地によって量刑が軽いものになるだけだ。頼子ちゃんはきちんと自分の行為の責任を取らなければ。

 現代医学のお陰なのか柴田の爺さんはまだ会話ができる意識レベルを維持しているようだから、誤った遺言状を遺してしまう前に面倒は解決してしまった方が良い。爺さんは凹むかもしれないが、そんなもの私の知ったことではない。

 

 だがな――美馬坂教授父娘と雨宮さん、これどうしよう。生命維持のためとはいえ四肢切断はどうなんだ、それに内臓まで取ってしまっては快復などまず望めない。機械に繋いでいれば死にはしないだろうが、それは「死んでいない」というだけだ。これが何の罪に当たるのか私は分からないが、間違いなく犯罪だろう。

 そして雨宮さんが「死にかけ」の少女を誘拐したのは……保護責任者遺棄致死罪だろうか。あと須崎への殺人罪もある。

 なんにせよ三人とも必ず豚箱行きだ。雨宮さんは分からないが美馬坂父娘には責任能力がちゃんとあるのだし。

 

「なんか朝から疲れた。働きたくない」

 

 フローネルしたい。でも出社したし、諸伏君もいるし、ポアロ行こうかな。

 

「朝からポアロ、どう思う」

「ホワイト企業らしくて良いんじゃないか?」

「うむ。我が社は超絶ホワイトを推進しているから問題ないね」

 

 というわけで内線で髙野さんに「三十分後くらいにポアロ行きたいから準備よろしく」と頼み、ほぼ何も手を付けてない書類を見なかったことにして立ち上がる。

 

「何か持っていく物はあるか?」

「デッキ」

「りょーかい」

 

 デュエリストたるものマイデッキを持ち歩かないなど言語道断、だがまだOCG化されたカードの種類が少なすぎて中身はお察し。パックあくしろよ……待ってるぜ。

 上着をもう一人のボク又はユーヤっぽく袖を通さずに歩いたら肩から滑り落ちた。安全ピンを買わねばならないな、これは。

 

「ひょっ」

 

 ――そして入ったポアロで、私は白目を剥いた。京極堂と榎木津と関口がいる。関口だけは見覚えがある……この店の常連だったはずだ。中野のあたりに住んでいるとばかり思い込んでいたから、こんな身近に関口がいるなんて思いもよらなかった。

 

「先生? どうしたんだ?」

 

 私の顔を覗き込む諸伏君に答えるべき言葉を持たず、私はようよう一言絞りだした。

 

「メロス私を殴れ」

 

 きっとこれは夢に違いない。だって青森と大阪にいるはずだもん。なんでいるんだ。

 

***

 

 柚木加菜子さんが煙のように消えてから数日――まだあの人体消失の謎が解けず、考えながら歩いていた俺の視界に飛び込んできた三人組。京極堂、榎木津、関口を思わせる容姿と雰囲気の男たちだ。

 

「先生は毎日来るわけじゃない……それに、何時に来るかもまちまちだ。必ず会えるとは限らないから、それは了解していてくれよ」

「むろんだ。さっきから同じ言葉を繰り返さなくとも、それについては既に我々も承知している。そろそろいい加減にしないか」

「でも……」

「でもも鴨もない」

「面倒臭い男だなぁ。本屋、君も分かっているだろう。このウジウジしてみっともないことこの上ないウジ虫は、デモに参加しないくせにデモデモと口で言うことは得意なんだ!」

 

 榎木津――大岡が俺を見つけてパッと笑みを浮かべた。

 

「あの時の無駄に賢しげなガキじゃないか。君、どうして半月がポアロの常連だと言わなかったんだ。おかげで駅弁を三種類も食べたが、どれもこれも冷めているし味は濃いし美味しくないしで辟易としたぞ! 僕は冷え切ったトンカツなぞもう二度と食べないぞ」

「えっと……?」

 

 一度ポアロまで案内した程度の関係でしかない男にどうしてこう責められるんだ? それに駅弁がどうこうとかどうでも良いことだろう。返事に困り口ごもった俺と大岡を見比べて、京極堂っぽい男がため息を吐いた。

 

「榎さん、子供を困らせるものではないよ。どうやら親しい間柄というわけでもないんだろう」

 

 突然絡んですまなかったね、と淡々と話す京極堂もどきに、気にしてないよと答えてニッコリ笑ってやった。が。

 

「それが君の処世術かな。だとするともっと表情を磨いた方が良い、今のままではむしろ怪しいからね」

 

 男の言葉に愕然と立ち尽くす俺からふいと視線を切って、京極堂もどきは同行者二人と歩き出す。その背中が曲がり角に消える直前、慌てて追いかけて辿り着いたのはポアロだった。

 彼らに続いて店に入り、カウンター席でオレンジジュースを頼む。

 

「まさか朝から晩まで店の一角を占拠することはないだろうね」

「ああ、十時から十一時までと二時から四時までの二回のつもりだよ。彼女ほど命を狙われていればね、込み合う時間には絶対に来ないだろう」

 

 さっき、大岡は先生がポアロの常連であるかを確認してきた。関口もどきは見覚えがあるからここの常連だし、京極堂もどきの発言からも先生が目当てであることは確かだ。……こいつらは何が目的なんだ? 先生の命を狙っているにしては堂々とし過ぎているし、うち一人が常連だ。赤井さんと違って言葉の端々に先生への敵意がないし、加害を目的としていないことは間違いない。

 

「いらっしゃいませ、ご注文がお決まりになりましたらこのベルでお呼びください」

 

 安室さんがメニューを手に三人の席へ向かい――大岡が「おや」と声を上げた。

 

「君、半月と繋がりがあるんだったら、いつ会えるか都合を聞いてくれないかい」

「――何を仰りたいのか分かりませんが」

「いいや君、そんなに濃い縁がありながらシラを切るんじゃないよ。僕たちはただ半月に会いに来ただけなんだから」

 

 大岡を不審人物と認めたのだろう、睨む安室さんに対し大岡は飄々としている。

 

「やめてくれ! 榎さん、僕はここの常連なんだぞ! 問題を起こさないでくれ!」

 

 関口もどきが大岡にすがりついた、その時だ。

 

「お邪魔しますこんにちは梓ちゃぁんコーヒーとハムサンド」

 

 ドアのカウベルが鳴る。店内を見回した先生は一言、「ひょっ」と鳴いた。



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二部
愛欲、おぼえていますか


京極の会話が難しすぎて無理。


 ここでは話が出来ないから、と連れてこられたのは彼女が代表の一人として勤める会社――ジョークグッズの製作・販売や風俗店の運営等を手掛ける株式会社ピンクウェーブ。ビルに入るにはICカードの社員証か、写真付き身分証明書の提示を必須とする一時通行証で改札を通らなければならない。すれ違った清掃業者も首から通行証を下げていたが、私が渡された通行証とは色が違うから、きっと有効期限付きとかそういったものだろう。

 正面玄関の掲示板に『弊社の窓は全面防弾ガラスとなっております』等々と掲示されているのは犯罪抑止効果を狙っての表示と思われる。

 

 実際に自分の目で見て、ようやっと彼女が常に命の危険に晒されているという実感が湧いた。

 

 カラメル半月という女性についての情報は多い。宝塚と東都で女ばかりの歌劇団を運営しているとか、性行為を楽しむムーブメントの火付け役だとか、文化の再発見事業には金を惜しまないとか……テレビを単なるBGMとしている私でさえこれだけ知っているのだ。彼女の手は私が思っているよりも長く大きいに違いない。

 

「改めまして。ご存じでしょうが、カラメル半月です。こちらは護衛の諸伏」

 

 応接室に通され、黒い革張りのソファに座れば切れ長の目をした女性が紅茶と茶請けのクッキーを並べてくれた。そして十分も待ったろうか、デーモンメイクをすっかり落とした半月先生と護衛の人が戻ってきた。

 薄いメイクしかしていない彼女はとても平凡で、赤茶けた髪を顎先で切りそろえているくらいの特徴しかない。護衛の諸伏さんは人の良さそうな笑みを浮かべているが、服の上からでも首から下がゴリゴリの筋肉に包まれていることが分かる。彼に本気で殴られたら私など簡単に死ぬだろう。

 

「興禅寺です。右は――」

「大岡礼二郎さ」

「そして左は関口達也です」

 

 京極堂、いや、作者の前で興禅寺を京極堂と呼ぶのはおかしいか。興禅寺が私を紹介してくれたのに合わせて軽く頭を下げた。諸伏さんは何故か面白いものを見るような目をしている。

 

「そうだろうそうだろうと思っていたが、まあ貴方が夏比古だというのは予想の範囲内だ。先生の書いてはる話から見えるものはどれも世間の認識とズレがある。姑獲鳥はその最たるものだね」

 

 途中京都弁だろうか、耳慣れない口調が混ざったが、大岡が快活に笑った。本人が一番ズレている大岡――むろん私は彼のことを榎木津とか榎さんと呼んでいるのだが――に世間とのズレを指摘されては堪ったものではないが、初対面の先生にはそういう理不尽さは分からないだろう。

 

「導入も何もなくズバッと仰るね。貴方たちがこうして私に会いに来て、ノコノコと会社にまでついてきたのは、その姑獲鳥に関して何かあるからでしょう。……もしやどこぞの産院で嬰児連続死亡事件なんてものが起こり、皆さんが巻き込まれている、とか?」

「い、いえ! そういう事実はありません!」

「それは良かった」

 

 私が慌てて否定すれば、先生は心底安心したと言わんばかりに笑んだ。

 

「我々はただ、謎解きをしにこちらへ参ったのです」

「本屋にもネットにも謎解き本やサイトがあるでしょう。それで謎解きをしていたらよろしいのでは」

「いいえ、我々が解きたい謎は本屋にも謎解きのサイトにもありません。姑獲鳥の憑き物を落として頂かねば――まるで樹木に果が実るように心の中で膨らみ続けます。枝からもぎ取られることなく、落ちることも許されない果は樹上で腐り、やがて毒を発し枝を遡り……本体を枯らします。毒となる前に収穫していただきたい」

「京極――興禅寺! あれが毒だなんて、何を言うんだ! 先生に失礼にもほどがあるだろう!」

 

 ソファから腰を浮かしそう責めた私を宥めたのは、予想外にも先生本人だった。

 

「関口さん、良いんですよ。本当のことです。あれは元々腐りやすいものですから」

 

 驚いて先生を見たが、驚いているのは私だけだった。

 

「関口君、この場で君に説明するのは先生に対して全く申し訳ない時間の浪費だが、説明せねば君が納得できず、より一層の時間の浪費が生じるようだ。――少々こちらで話してもよろしいでしょうか」

「どうぞどうぞ」

 

 中禅寺は私に膝先を向けて、いいかねと口を開いた。

 そして散々貶されながら言われたのは、あのエタって久しい作品は『異常』とされる様々な性癖の持ち主を刺激し煮詰める力を持っているということだ。

 

「いくらテレビを見ない君でも、ミロス島のヴィーナスは知っているだろう」

 

 突然美術の話に飛んだな。ミロス島のヴィーナスとは、確か――そうだ。

 

「両腕がない像だろう」

 

 トルコの何美術館だったか忘れたが、博物館だったかもしれない。トルコのどこかに展示されている両腕のないヴィーナス像のことだな。だがどんな像かと言われても写真だって見たことがないから、両腕がない像であるというくらいしか知らない。

 だがこの男は詳しく知らないと私が正直に言うと、鼻を鳴らして馬鹿にしてくるのだ。

 

「あのヴィーナス像は現存する裸婦像としての価値はもちろんとして、両腕の欠けによる魅力があれの価値を何倍にも高めている」

 

 何故か先生が天を仰ぎ、顔を覆った。

 

「ほかにはサモトラケのニケ、国内では『古伊賀水指 銘 破袋』が有名どころだ。金継ぎもある種の欠けや破壊を経た美を有するが、本来の機能や形を損ねていない点で傾向が異なる――普通ならあるはずのものがない。存在しない、欠けている。それはつまり『想像する余地がある』ということだ。ミロス島のヴィーナスは腕がないことで、どのようなポーズであったのか、何を手に持っていたのかと研究者の想像を刺激する。人というものは、自らの想像力や探求心に触れるものに対して魅力を感じ、その対象物について詳しく知りたくなる。君も無駄に事件に首を突っ込んではその度に火傷していると聞いている。実感があるだろう」

 

 大岡が興禅寺の向こうで、紅茶のお代わりを持ってきた女性に「確かに僕は美しいが、ヒトの恋人を盗るような真似はしないよ。安心したまえ」と言って、渋い顔でヨックモックを口に放り込んでいた。

 

「人の話をちゃんと聞いているのか、君は。聞いているならもっとそれらしくしたらどうだ」

「……はあ」

 

 我ながら気の抜けた返事だったが、興禅寺は納得したらしかった。

 

「エタった小説も、つまりまあ『欠け』ている。姑獲鳥の夏に関してはそうだね、事件がすでに発生して証言や証拠が全て出揃っているのに放置されている『謎解き』という『欠け』。これが人を惹きつけている。結末は決まっている――けれど、作者の頭の中にしかないのだ。表出していない情報は、それを知ることができない立場の者からすれば始めから存在しないことと同義だ。作者が発表するまで、解は存在しない。

 そして、その存在しない解……魅力的な『欠け』に取りつかれた、我々のような無駄な努力に人生を賭けるような暇人らが、ああだこうだと騒ぐのだ。

 今この場に三人いるが、この謎解きに関しては特に、三人寄れば文殊の知恵などというのは全く当て嵌まらない。船頭多くして船山を登るというのだ。あれだこれだと騒ぐうちに迷走を繰り返し、思いがけない道を進んで山に登ってしまうことはままある。

 この山登りが闇の男爵などなら弁天山やら八重山で済むのだが、君も理解っているだろうが、姑獲鳥の場合は富士登山だ。それも船頭が登山道を行くわけもないから樹海入りだ。西も東も分からず気付けば樹海の奥へ入り込み、抜け出る手段はもちろん目印など何もない。――現実に樹海で迷えば待っているのは死だが、小説相手ではそうはいかない。ただひたすらに、本人にはその自覚なく、深入りしていくのだ」

「樹海に入らなければ良い」

「本人は大海を渡っているつもりなのにか?」

 

 私は黙るしかなかった。常に迷い続けてこれまで生きてきた私の胸に、興禅寺の言葉は深く刺さった。

 

「深入りし、抜け出せない迷宮で人がどうなるかは、君も経験があるはずだ。心を病む、それがうつ病ならまだましかもしれない。新しい扉を開いてしまうよりはね」

 

 気が付けば興禅寺は正面を向いていた。

 

「扉の材料だけ準備しておいて、正しい出口を用意していない。だからここへ来た、と」

「――ええ、そうです。ただ読みたいという個人的な望みのためだけなら、私はここへは来なかった」

 

 半月先生は「次から次に面倒な」と吐き捨てるように一人毒づくと、顔を覆ってため息を吐いた。

 

「出口を用意していないから沼に沈んでいく、というのはそちらの考えでは正しいのでしょうが、私にとっては違います」

 

 先生は悲しいのか寂しいのか、まるでもう無い故郷を思い出すような顔で言った。

 

「あれの結末は、この世界の人間には早すぎる」

 

 笑い声が上がる。爆笑だ。笑っていたのは興禅寺の向こう――大岡。




尻を叩くため宣言する――と言ってもまだ先だが。
2020年1月のインテックスに参加してこれを頒布する。頑張る。主に辞表を上手く投げる方法と再就職先の発見を頑張る


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愉快なスケベ仲間がぽぽぽぽーん

とても長い。
すみませんpixiv版のクッションページ付けたままだったので外しました。


 笑い転げてソファーからすら落ちた大岡――榎木津はよろよろと起き上がり座りなおすと、「そら、僕が正解だったろう! いいか本の虫、この世には不思議なことは一つや二つくらいならあるのだ!」と京極堂の肩を叩いた。

 

「君はどうやって零れ落ちてきたんだ――ああ本人にも分からないならそれで良いわ。しかし全く、こんな面白いことがあるとはな」

 

 興奮のせいか口調が乱れた榎木津に、私の前世の記憶がだいたい読まれたことが分かる。

 

「見えたのか」

「見えた? ああ見たとも、それが君の言う『正しい歴史』とやらか。なるほどこの世界とは色々違うらしい」

 

 榎木津は閃光弾に目を焼かれ、通常の視力が低下する代わりに過去視の能力が向上したはずだ。目を焼かれなければ軽い過去視しかできなかったはずなのに――何がきっかけなんだ。パカパカではないだろうし、光に関する何かしら……ああ、そうか。

 

「レーザーポインターで目を焼かれたのか」

 

 一時、爆発的に流行ったレーザーポインター。教師、スポーツ選手、同級生、動物……それらへの嫌がらせやいじめ等でニュースになることは今でもよくある。

 

「その通り! やはり分かるんだな」

 

 身を乗り出した榎木津を、初耳だったらしく目を見開いて見る京極堂と関口。

 

「まあ、少々視力が落ちた程度だ。コンタクトをしていれば生活になんら不便はない」

 

 そう言うと尻の位置を直して足を組んだ。

 

「コンタクトのある時代で良かった、と言って良いものか分からないけれど、それは今は横に置いておこうか。私が異界から来たと初めて思ったのは?」

「報道バラエティさ。君はある時こう言ったのさ――『こんな世界間違ってる、歴史修正しなきゃ』とね。大きく出たものだ。『こんな世の中間違ってる。私が改革してみせる』ならまだしも、『世界』に『歴史』で『修正』と来た」

「ああ――」

 

 つまり失言から足をすくわれたのか。内心頭を抱えながらどうにか榎木津と向き合っていれば、榎木津は要らない親切心なのか、さらに言葉を続けた。

 

「他にも、これは七年ほど前だったか、『地動説を認めない一部の』云々あたりは聞いていてあれほど楽しいものはなかった。大多数の旧教徒は未だに天動説を信じているし、進化論も認めていない。この世の全ては神が作り、女は男の肋骨から生まれた付属物だと信じている。現代日本の発展は資本主義を許した広義の福音主義――プロテスタンティズムなくしてありえないが、自称真のカトリシズムの体現者らはこの世にうじゃうじゃいる。『一部』という表現は相応しくないのだ」

 

 浮いていた背中を背もたれに倒した。

 そうとも、私は前世の常識を定規にしているし、まだ「この世界」の常識を把握しきれていない。私の知る常識がこの世界での常識と異なることが多々あるのだ。七年前ならまだそれに気づく前で、無意識に前世の常識を垂れ流していた。

 

「ああ負けた。負けだ。その通り私は、この世界にうっかり転がり込んで出られなくなった異邦人だ」

 

 関口が凄く目を輝かせているが、それ以上に視線が痛いのは諸伏君だ。なにそれ初耳、という目をしている。言わなかったっけか……確かに前に何度か言ったはずだ。冗談だと思われてスルーされていたのかもしれない。

 

「じゃあもうぶっちゃけて言わせてもらおうかな……この世界は歪んでいる。本来あるべき流れから変なところで逸脱して、自縄自縛してしまっている。まさか青山先生の作った世界がこんな状態になっているなんてね、始めはびっくりしたし焦ったし、嘘だろうと思った。あまりに酷すぎる」

「だから軌道修正をかけた、と?」

「ええ」

 

 京極堂の言葉に軽く頷いた。

 

「では現状が『本来あるべき姿』と言うことでしょうか」

「いえ、まだまだですね。これから時間と共に自然と修正されていくと思っています――良くも悪くも、まだこの世界の性風俗は生まれなおしたばかりですし」

 

 だから姑獲鳥も魍魎も人類には早すぎるんだ。まだ変態性欲にすら近親相姦の投稿はないんだぞ、自作の扉の方がまだマシでまともだとどうやって理解してもらったものか。

 

「皆さん、明日お時間はありますか」

 

 そうだよ、見せちゃえばいいじゃん。大丈夫だ京極堂ならきっといける問題ない。ただ関口がどう感じるかは知らない。

 

 明くる朝、現地集合で現場――美馬坂近代医学研究所前に集まったのは、警官に伴われた楠本頼子、京極三人組、そして哀ちゃん抜きのコナン一行と安室君だった。ちょっと訳が分からない。

 

「どうして子供がいるんだ……?」

「僕たち、頼子さんが心配で」

「少年探偵団は悲しい思いをしている人の味方なんです!」

「私たちも手伝うよ!」

「帰れ」

 

 コナンこの野郎。探偵団の監督役として阿笠博士が一緒なら問題ないとか思っているのかもしれないが、問題ありまくりだ。青少年の健全な育成を阻害するつもりか。殺人事件慣れしているあたり既に不健全な状態だと言えるが、性癖の方で不健全になるには早すぎる。まだ六歳とか七歳でしょ、公園でサッカーしてなさい。

 

「阿笠博士、この子達を連れて帰ってください。子供の来る場所じゃない」

「しかしのぉ……」

「しかしもお菓子もないんですよ。危険すぎる」

「お菓子!? どこにあるんだ!?」

「家の食品棚にあるからおうちにお帰り」

 

 それに少年探偵団を連れて行ってみろ、研究所が爆発してしまう。私は劇場版でビルやら飛行機やら観覧車やらが景気良く爆発されていることを知っている――炎上する美馬坂近代医学研究所と消防車の放水を見ながら「美馬坂さん……柚木さん……!」とか叫びながら泣く結末はご遠慮したいのだ。

 私が本気で子供の参加を拒絶していることが分かったのだろう、柚木陽子さんお手製脅迫状を見つけちゃった刑事・高木くんが「では僕が子供たちを見ていますよ!」と言い出した。

 

「伊達刑事、高木刑事と一緒に子供を見ていてもらえますか」

「俺もか?」

「高木刑事は見るからに子供に甘そうなので」

「あー……」

 

 分かった、と頷いてくれた伊達さんも子供に甘いんだが、今年四歳になるお子さんがいることから子供の監督に関してとても信頼できる。抜け出そうとするコナンをちゃんと捕獲してくれるだろう。優しいだけでは駄目なのだよ高木くん。

 えーだのなんでだのと騒ぐ子供たちを二人に預け、子供の監督で全く役に立たない阿笠博士を引きずり研究所の中に入る。子供が見てはいけない世界があることを、この人はちゃんと知らなければならない。

 

 階段を上り、今は除菌カーテンが解放された病室に入る。大小様々な四角い箱……もとい機械が並んでいる室内は、病室だからか、物が多いのに無機質だ。

 病室に集まったのは十三人――美馬坂教授、柚木陽子さん、全然あったことがなかったけど柴田の爺さんの顧問弁護士である増岡さん、加菜子ちゃんの親友だった楠本頼子ちゃん、チーム京極の三人、そして風見君たち公安警察が二人。部屋の外にはもっと警官がいる。

 

「今日こうして集まっていただいたのは、今回の柚木加菜子ちゃん殺人未遂及び誘拐事件、須崎さん殺人事件が全てお互いに影響しあって発生した事件だからです。諸事情によりこの場には部外者もいますので、あえて説明しますと、事件関係者は教授、柚木さん、増岡弁護士、楠本頼子さん、被害者の柚木加菜子ちゃん、この場にはいませんが雨宮典匡さん、そして殺害された須崎さんの七人です」

 

 一呼吸おいて父娘を見て、それから楠本頼子ちゃんに顔を向ければ、自信に溢れた笑みを返された。

 

「先ずは、第一の被害者柚木加菜子ちゃんの人身事故――いえ、殺人未遂事件から」

 

 衝動的であれ、計画的なものであれ、楠本頼子が人を突き落としたという事実は変わらない。――全く不本意な憑き物落としが始まった。

 

***

 

 事件の概要についてはニュース等の報道を通じて知っていた。だがまさか、事故当時現場にいた被害者の親友が犯人だったとは。彼女――楠本さんは青い顔で震えている。

 

「嘘よ……だって加菜子は天女に」

 

 言い訳とも呼べない言葉を繰り返し、私じゃないわと叫んだ楠本さんに先生は死んだ目で答えた。

 

「だって貴方、見えていたんでしょう。柚木加菜子ちゃんの首の付け根にあるニキビが」

 

 楠本さんはくらりと膝から崩れ、別室に運ばれた。

 

「加菜子ちゃんで一人、須崎さんで二人、そして中学生で合わせて四人。四人死にました。これを多いととるか少ないととるかは微妙なところかもしれませんが、これ以上の悲劇が続かないように……これで全てを終わらせるために、つまびらかにできる限界ギリギリまで――明らかにしていきます、柚木さん」

 

 柚木陽子が顔を上げた。白色灯だけが原因ではないだろう、血の気がすっかり引いた顔は青白い。まるで死人のようで、目の奥の怯えがなければ人形と思ったかもしれない。

 

「教授と話はされましたか」

 

 色のない唇が震え、「ええ」と細い声が聞こえた。

 

「同じ地獄に落ちる気ですか」

 

 柚木陽子は答えない。先生が表情の抜けた声でそれに、それが答えですか、と呟いた。

 

「十五年前、柚木陽子さんは柴田財閥子息と駆け落ちします。たった一晩の逃避行、しかしその一晩で子供が宿った……とされている」

 

 柴田財閥の弁護士、増田がちょっと待ってくださいと声を上げる。

 

「ご子息は――柚木さんも、お腹の子供は二人の間の子供だと」

「言うだけならタダでしょう。何とでも言える。でもDNAは嘘を吐きませんから、加菜子さんの部屋で毛髪でも探してください。又は……相模湖で見つかった腕や足でも良い」

「――は?」

 

 それは増岡の声だったのか、私の声だったのか……もしかすると、他の誰かの声だったのかもしれなかった。

 

 

 モノクロの世界で焼いたもんじゃ焼き――鮮やかな色を無くせばただグロテスクにしか見えない半液体。一時期、色と言う概念を忘れて過ごした私には、気分転換にと家族が連れて行ってくれたあの色のないもんじゃ焼きは、恐怖だった。

 無駄に明るい店員の声、店内を満たす統一性の欠けたざわめき、耳の中で遠く反響するラジオの曲、食う音、ガラスのように冷たい膜一枚隔てた景色、そしてドロドロでぐちゃぐちゃとしたもんじゃ。

 ソースの香りは快とか不快とかそういった区別がつかず、ただの『強い刺激』だった。正面の両親は歪んだり正されたり、あれは私を案じた笑みだったのだろうが、私には嘲笑に見えて仕様がなかった。当時の私は……認知が全く歪み切っていたのだ。

 

 この事件は――そうだ、あの時のもんじゃだ。父親に反発して他人の子を我が子と偽った息子、子を育てるためにその嘘に乗った女、少女は過度な同一化の夢を見て親友を手にかけ、狂った科学者は永遠の命を描くため少女の四肢をもいだ。禁断の恋を秘めていた男は箱詰めの少女を連れて境界を渡り……一昨日、四肢とほとんどの内臓がない少女の遺体を持った狂人が関西で保護されたという。

 

 座り込んだ私の耳に、京極堂の声が聞こえた。なるほど、と。

 

「この世界には早すぎる」

 

 父親の、美馬坂教授の研究と娘の生命維持のため狂言誘拐の予告状を作ってしまった女が、儚く笑んだ。

 

「先生は、優しい方ですね」

「いいえ。もし私が優しければ、あの時、見学に伺った時に止めていたはずですから」

 

 大人しく警察に身を任せる二人を見つめる先生に、榎木津がふらりと近寄った。

 

「追い詰める必要がなくて、久保が無事なら、あれもこうなっていたんだろうか」

「少なくともこの件に関しては『正しい歴史』よりはマシなんだろう? ならば誇れば良いじゃないか」

「――ふは」

 

 笑って、先生は言った。

 

「ありがとう、榎木津」

 

 後ろに引っ張られていくような感覚、まるで時間を遡っているような奇妙な浮遊感があった。――そうとも今は令和ではなく、平成でもなく、昭和で……私が生まれるよりもっと前の、そうとも、人々がもっと泥臭かった時代であるべきではないのか。どうしてこの場に先生がいるのか、どうして私はこんな洋装なのか。どうして――どうして京極堂は着流し姿でないのだろうか?

 

***

 

 近親相姦のことを言わずに済んでラッキーだ。大人しくお縄についてくれて有難う教授。内心そんな風に踊っていたら、榎木津もとい大岡がお疲れ様とばかりに肩を叩いてくれた。人の記憶を読めるというのは、こういう時には有難い。読まれたくない時はもちろんあるとはいえ、話す必要がないという便利さが今は助かる。

 

「――真実は時に人を傷つけるから、白日の下にさらされるべきではない真実もこの世にはある。阿笠博士、貴方もよくご理解頂けたでしょう」

「ああ……ウム」

 

 挙動不審でびっしりと汗をかいている阿笠博士に何か言いかけた大岡の口を叩くようにして塞ぐ。分かっている、間違いなく、この爺さんは隠しマイクでコナンに全て聞かせていたことくらい、私も分かっている。

 

「聞かせるつもりで連れてきたんだよ」

「ふうん。君も趣味が悪いね」

 

 趣味が良かろうが悪かろうが、これでコナンの知りたがりが防げるならそれで良いじゃないか。全部ぶっちゃけた訳じゃないのに見ろよ関口の顔を、真っ青で蝋人形みたいじゃないか。加菜子ちゃんが近親相姦の子供だなんて教えれば錯乱して機械に頭を打ちつけ始めそうだ。

 

「好奇心は猫を殺す。博士、これからも少年探偵団の保護者として行動するなら、あの子たちにそれをちゃんと教えなければ」

「はい……」

 

 しおれた阿笠博士から離れ、きっと数日前まで加菜子ちゃんの血がこの中を巡っていたのだろう機械に腰掛ける。コナンワールドでもあるお陰なのか、大人しく連れていかれる美馬坂教授の背中を見送り、共犯として裁かれるだろう柚木陽子さんも警察に背中を押され歩き出す。

 

「――そうだ、半月先生」

 

 立ち止まることなく、涙の跡が残る目で柚木さんが振り返った。

 

「隣の家の方は河野さんとおっしゃるけれど、お向かいのアパートに……平野さんという方が住んでおられます。これが何の役に立つかは私などには分かりませんが……」

 

 背中から倒れそうになるのをなんとか踏ん張り、横の機械に手を突いて姿勢を保った。

 

「そう、ですか。有難うございます」

 

 頭の中でぐるぐると渦が回る。そうだ、長屋なら隣家の中も見えるだろうが、アパートでは無理だ。だが窓越しに、もしかするとお互いにベランダが向かい合っていたりしたら、相手の家の中だって見えてしまう。

 蜘蛛の足を生やした老女のケタケタという哄笑が頭蓋骨に反響して脳を揺らす。張り巡らされた蜘蛛の糸、首元の赤い発疹を掻く男、少女たちの狂気。吐きそうになった私の腕を諸伏君が掴んだ。

 

「もろふしくん」

 

 衝撃が大きすぎて、名前を呼ぶだけで精一杯だ。だがその諸伏君を押しのけて私の前を陣取った大岡――いや、榎木津だ。この世界の神であるべき男だ――がグイと顔を近づけ私と目を合わせる。

 

「それが『正しい歴史』か」

 

 ああ、と呻いた。

 

「そうだ、これが、辿るべき『正しい歴史』だ」

 

 榎木津は不愉快そうに鼻を鳴らし、私の胸倉を掴む。

 

「溜め込んで破滅するつもりか? あほらしい。君お得意の自慰行為はどうした!」

 

 視界にラメがきらめいた。これは高いぞ、デパートコスメのラメだ。もしくは魔法のエフェクトだ。

 

「榎木津」

「なんだ」

「お陰で目が覚めた気がする」

「当たり前だ」

 

 榎木津が手を離したことで体勢を崩した私を、諸伏君が受け止めて引き寄せてくれた。

 

「諸伏君、頼みたいことがある。蜘蛛退治なんだけど」

「俺が先生の頼みを断ったことあるか?」

「ないなぁ」

 

 凄く大きな蜘蛛を潰さないといけないんだ、と口に出してから思い出した。凄く大きな蜘蛛が出てくる小説の存在を。

 そうだ、この世界でハリ○タを見かけた覚えがない。もしかしてガチガチの宗教観のせいでFA、間違いないな。確か前世でもハ○ポタを禁止しているクリスチャン学校があると聞いたことがあるが、魔法学校ファンタジーが生まれる土壌すら破壊してしまうのはいかがなものか。そういうのはいけないと思います。

 でもだからと言って私が和製ハリ○タを書くとかそういうのは無しで――私はそんなに暇ではないのだ。九時五時だけど。

 

 立ち上がり気合を入れる。

 

「突然ですが関口さん、小説を書いてみませんか」

「……はあ」

「書いて頂きたいのは児童向けファンタジー、こっそり裏側に異常性癖がチラチラ見えているような見えていないような星の瞬きを隠した、魔法学校を舞台にした小説です」

 

 ぎょっとした目はきっと、今なお凝り固まった宗教の歴史を知っているからだろう。大丈夫ちゃんと名前は隠すし護衛もつけるから。

 

「大丈夫、貴方にはファンタジーが似合う! 滅茶苦茶似合う!」

 

 白目を剥いて倒れた関口を京極堂が「こんなところで寝るな」と引っ張り起こす。仲が良いのは良いことだ。くるりと体の向きを変えて榎木津に向き直り、胸を張る。

 

「榎木津、私は歴史修正主義者だ。好きにやってきたし、これからも好きにやる」

 

 このど健全なる世界で生きていくなんてごめんだから、私の都合の良いように世界を変える。

 なんせ最初の本からして自慰・セックス指南本、自慰行為は大の得意だ。

 

「私の奔放な自慰を最前線で見せてやる。だから手伝ってくれないか」

 

 差し出した手は――




一部完
二部に続く……これ以降は資料収集などのため更新はゆっくりになります!


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君の性癖えぐっちゃうぞ

 中世ヨーロッパのセックスは、ずだ袋に女性を入れて股間部分に切れ込みを作り、そこから一物を差して行うものだった。現代の先進国で一般的なセックスはそれほどではないが、まあ私の感覚からすれば酷いものだ。――慣らしもせず刺して出して抜く。

 確かに「子作り」だが、これは愛もくそもないただの作業でしかなく女性の肉体のことを全く考えていない。濡らす努力をしない男に突っ込まれたらただ痛いだけだし、それによる傷で痛みや病気が発生するのは間違いない。女性が尊重されていないのは明らかだ。

 

 食べても毒がなく、きちんと保存すれば清潔で、油っぽくないラブローションの開発を指揮したのは、この悲惨なセックス事情がきっかけだった。

 

「知らなかった……。だから先生の会社って医療品も扱ってたのね」

「そうだよ。うちの主力の一つは医療品だよ」

 

 世界で一番女性に売れている商品が我が社のラブローションなのは至極当然の流れと言える。始めは国内のドラッグストアーの生理用品コーナーに置いていたのだが、日本人はもちろん海外からの観光旅行客が爆買いしていくという報告があがって来て驚かされた。自分のために、娘のために、友人のために……と、主に女性が買って帰るのだ、と。

 そして追って受けた調査結果にフムフムと納得した。国内でも少なからず発生しているのだが、海外でも、陰部の裂傷を原因とする女性の死亡が社会問題になっているらしい。そりゃあ慣らさず突っ込めば裂けるのは道理というものだろう。男の竿が多種多様なように女の穴も多種多様、ポークビッツしか入らない穴に無理矢理ペットボトルを突っ込めば破裂する未来しかない。何事にも限度というものがある。

 常識的に考えれば誰でも分かることだ。分かることなんだが、その「常識を考える」ことすらしない奴は多い。

 

「医療品と言ってもローションがメインでね。蘭ちゃんも園子ちゃんも知ってるだろうけど、ローションがあったから命が助かった、なんて話はたくさんある」

 

 保健体育のコラム欄やら新聞連載やら報道バラエティやらで、同意のない性行為がもたらす悪影響について繰り返し伝えてきたつもりだ。どうして子供同士や子供と大人の性交がいけないのかも、道徳ではなく肉体的な問題を挙げて説明してきた――負担が大きすぎて母子ともに死ぬとか、成人男性のペニスなんぞ未発達な体に受け入れようとしたら股間が文字通り裂けるとか。手術をする場合はいくら掛かるか、それは大人がどれだけの時間働いたら手に入る金額か、そして未来の自分への影響がどのようなものになるか。

 蘭ちゃんの世代はそういう性教育を受けた始めの世代。子供への性教育についていらない口出しをしてくるジジイババアがいないお陰もあり、少し過度かもしれない性の解放と危険性の教育を受けている。

 

「お陰でうちは世界企業さ」

 

 こうして手広くしているせいで――まあ自業自得なのだが――年々社員数が増えている。事務職の多くはリモートワークだが、社員の身の安全やらなんやらの点から現行の本社ビルでは不足する……ということで、色々あって東都の私立大学跡地に分屯基地を作ることになった。間違えた新本社を作ることになった。

 そして今はまだ部内秘なのだが、本社の移転に合わせ私の代表取締役就任が決まっている。私は控えめだから私が会社を自由にできる権力なんていらない、会社が私を自由にさせてくれる今の身分の方が良いです、と社長に泣き落としをしかけたら「先生の涙は安いねぇ」などという酷い言葉で却下された。まことに不満である。

 

 閑話休題。愛あるセックスの推進には、セックスの抱える様々な課題についての教育も必要不可欠だ。楽しくセックスしたいならその前にちゃんとお勉強をしなければならない。六年前だったか七年前だったか、朝の報道バラエティで児童教育の専門家だという戸田先生と教育に関する話をして――どういう話の流れだったか忘れたが、授業についていけない子の話題になったのだ。

 

「ああ、貧困世帯やIQ70以上の境界の子たちは大変ですよね。行政による支援にも限界がありますから、私のような私企業が手助けできることがあるならしたいと思っているんですけどね」

「教会の子供? いやいや、どうしてここで教会が出てくるんですか?」

 

 戸田先生の困惑した顔に私も困惑した。いやいや、IQ70以上の境界の子供と言えば、IQ70以上85未満の「軽度知的障がいとは認定されないが周囲によるサポートのあることが望ましい」子供のことだろう。この人は何を言ってるんだ。

 

「軽度の知的障がいで特別支援学級に入れない子がいますよね、そういう子達のことですけど」

「はい?」

「……はい?」

 

 ――この世界に知的障がいの概念がないだなんて思わないだろう、普通に考えて。支援もなくただ切り捨てられているだけ、というのはちょっと困りますお客様ふざけるな。知的障がいという基準がなければ境界の子供という層も存在しなかろうが、それは知的障がいを持っている子供がいないこととイコールではない。見て見ぬふりされ、無いもの扱いを受けているということなのだ。これはやばい。

 

 知的障がいなら心理学だろうと国内における心理学の三賢人、以前お酒とご飯をおごってくれた皆さんの名刺に電話を掛けて助けを求め……彼らから教えられたところによると、児童心理学と心理学は色々と違うのだそうだ。児童の思考回路は大人のそれとは違うから云々、私には理解できない理論があれやこれや。

 では大人からやっていこうということで、大学生のIQ調査を行うことにした。生徒のIQテストに協力してくれる大学を募ったところ都市部で手を挙げてくれたのが十校ちょっと、地方で手を挙げてくれたのが五十校ほど。一部からは私の来校を求められたが、学校長ら教授陣の研究の傾向等々から私への殺意の存在が否定できないのでお断り申し上げた。私が安心して訪問できるのは公立と神道系だけだな。

 その都市部で手を挙げてくれた大学の一校は、研究に協力する代わりに寄付等の金銭支援をしてほしいと言ってきた。調べればなるほど経営は青息吐息、理事の席を用意するとまで言われたから有り難く椅子をもらい、その大学――東都学園大学での調査や研究に乗り出したというわけである。学費の一部免除を餌にして全校生徒をデータにしたお陰で、心理学三賢人は「我々はこれで心理学の最先端を行く……!」と、ちょっと教育によろしくない表情を浮かべたりしていた。

 

 大学で研究を始めてしばらく、文理の施設集約化のため空いた土地を買い取れたのは予期せぬ幸運と言える。

 だが、「せっかく広い土地が手に入ったんだから俺たちの街を作ろうぜ!」と言ってしまったのが間違いだったのだろう。大学跡地が分屯基地化することになった。周囲に張り巡らされる(予定の)鉄条網、ゲートには警備員が常駐(する予定)……施設整備部、電気・給気部、土木・警備部、車両整備・輸送部その他色々の新設も決まり、元自衛官用の受け入れ枠はないかと既に打診が来ている。どこから聞き付けたのか早々とロ○ソンが内部の売店として入りたいと言ってきているし、東都キャン○ィーンやビバレッ○東都から自販機の設置契約について封筒が届いた。まだ計画段階なんだが……本当にどこから漏れたんだ。

 

 まあそんなことは横に置いておこう。この新本社(ビル単体とは言ってない)のわくわく都市計画が楽しすぎてはりきっていたら、いつの間にか代表取締役就任が決まってしまったというわけだ。

 

「先生の会社ってどこに向かってるんですか?」

「どこだろうね……」

 

 ピンクウェーブが手掛ける事業を指折り数えてみる。

 

「ジョークグッズ、風俗店、医薬品、教育、服飾、翻訳、出版、イベント運営、動画配信……」

 

 まだ他にもあるけど代表的なのはこれだ。そんな私の話を蘭ちゃんと園子ちゃんは変な顔をしながらメモにそれを書き付けていく――中学の授業で、身近な誰かにインタビューし一枚新聞を作るというグループ課題が出たそうで、ちょうどポアロにいた私にその白羽の矢が立った。

 改めて考えると手広くやりすぎだ。やりすぎだが後悔はしていない。

 

「イベントといえば私はマーブリックのシーノが好きだな」

「だよねー! アッキーとタマキって全然表に出ないから謎が多いけど、シーノはテレビにも出るし親近感あるっていうか」

「ああ、うちのイベント進行役と言ったらシーノだもんね」

 

 マーブリックは我が社が抱える頭のおかしい三人組の愛称で、正式には変な色の波紋○走(マーブリックオーバードライブ)という。現在卒論のため休職中の秋山、上がり症で人前に出たくない玉城、副業禁止な公務員のためボランティア扱いの椎野の三人のメンバーで構成されたお笑い――ではなくTRPG動画配信者トリオだ。

 神保町で手に入れたコール・オブ・クト○ルーを個人で翻訳していた秋山とそのオンラインの友人……玉城と椎野の三人が投稿していた動画は前世で聞き覚えのある言い回しばかりで、「SAN値の貯蔵は十分か」「魔法の呪文読まされて~渋谷でSAN値がガックガック~」「いつ喚ぶの?今でしょ」等々、私の腹筋を狙っていた。DMで繋ぎを取れば「見た目は子供、頭脳は大人」と返信が来たから笑いながら「その名は名探偵コナン」と送り、仲間だと知れた。

 

 先述の通り、秋山ちゃんことアッキーは卒論のため現在休職中であり、玉城ちゃんことタマキは「私に人前に出ろだなんて死ねと言うのか!」と善逸ばりの汚い悲鳴で嫌がり隠れるため、職場に秘密でボランティアな椎野ちゃんことシーノがイベントに出ることほとんどだ。「顔出ししたら職場にばれるから色々な意味で死ぬ」と言って仮面を被るくらいならさっさと辞めてくれば良いものを、でもでもだって満期金が欲しいんだよォと現職にまだしがみついている。来春に満期を迎えるとのことで、つまり来春までシーノは無給労働が決まっている。

 この三人――というより秋山ちゃん一人――が禁書を翻訳したりTRPGにして遊んだりするため翻訳部ができ、宗教的な理由で外部の印刷会社にその翻訳本の印刷を頼めないので内部に出版部ができた。動画部はむろんマーブリックのプロデュース部門だ。なお部と言いつつも数人しかいない。

 

「それで、まとめるとピンクウェーブってどんな会社なんですか?」

「えっ……」

 

 うちってどんな会社なんだろう、むしろ私が教えて欲しい。とりあえず企業理念は「隣人をスケベに染める」だよと答えておいたが、質問に対する回答になっていない。

 会社に戻る車の中でグループトークに「うちの会社ってどんな会社よ?」と送ったら、卒論に集中しているはずの秋山ちゃんから返信があった。

 

『性癖を実現する会社では?』

 

 とても正論だった――正論だったから広報用ポスターに採用した。うちは性癖を実現する会社です。




・半月
 君(同類ともいう)がいるから微かな夢(脳内にしかない前世の性癖)でも(実現することを)諦めない。

・マーブリック三人組
 流石に半月も一人では心が折れるだろうということで現れしTRPG動画配信者。みんなSAN値がやばい。これ以降の出番の予定なし。
 私の趣味がとても入っている職業の人がいるけれど、趣味なのでスルーしてください。非常時には鉛弾が口から出る筒状のものを受領する職業ですウェヘヘ!


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エロスが似合わない人なんていない

短いしマーブリックが出張ってしまった。


 マーブリックの三人がトロピカルランドに遊びに行ったらしい。羨ましさのあまり泣いてしまったら、園内で事件が起きたせいでジェットコースターにしか乗れなかったらしいと髙野さんが教えてくれた。「これが天罰という奴だ! 自分たちだけで遊びに行った裏切り者どもに天誅を下したのだ!」と笑ってしまった。

 

 ――だがちょっと待てよ。そういえば工藤優作先生の息子の新一くんは高校二年生ではなかっただろうか。そしてトロピカルランドで事件、もしかして「ジェットコースターで首が飛んだ事件」と「見た目は子供、頭脳は大人になっちゃった事件」が起きる日だったのでは……?

 はっきり言って名探偵コナンで私が知っている映画は「大観覧車の上でアムロとアカイが殴り合い、爆弾で観覧車がゴロゴロするアクション」「腕力ゴリラな安室の女になれる人知と常識をポイ捨てした近未来風味カーアクション」「平次の活舌が悪かったのか紅葉さんの耳が悪かったのか分からないが、とりあえず平次の女になれるバイクDE空中散歩」「キッドの女向けと見せかけた京園ラブラブKARATEアクション」だけだ。映画しか見なかったせいで他のストーリーはさっぱり分からない。幼い頃にロマノフ王朝の子孫がどうのこうの、ラスプーチンがなんだかんだ……という映画を見た覚えはあるが、ウン十年前に見たきりのストーリーをはっきりと覚えているわけもない。

 一番年が近い相手――椎野ちゃんに電話を掛ける。動画撮影中であれば担当マネの茂登山くんが出るだろう。

 

『ハイもしもし』

「私だよ! 私私! 私だってば」

『貴方、もしかして……』

「そう! 本社の個室で諸伏君と一緒にいる私だよ」

『答えるのがはよ過ぎんか』

 

 この世界にオレオレ詐欺はない。もっと殺意に溢れた詐欺が多く、人命に直接的な影響のある詐欺はほぼないと言って良い。それをして治安が良いとは言えないのがなんとも悲しいところだ。

 椎野ちゃんが出たのでそのままトロピカルランドの事件について聞くことにした。

 

「トロピカルランドで事件に遭ったって聞いたけんど、何の事件?」

『浮気男の首が飛ぶ事件でっせ。一話の』

 

 ちなみに私も椎野ちゃんも西日本の出身だ。だから二人だけの場では地元言葉が出るのだが、大阪人はよく「関西――ああ、西日本って意味の関西な」という言い方をするし中部以東の出身者からは同じ関西弁話者と一括りにされるけれど、椎野ちゃんは大阪で私は徳島だから言葉が色々と違う。

 

「てことはつまり――」

『これからはあざとい高山声が聞き放題。楽しみやね』

 

 違う、そうじゃない。

 

『せや、トロピカルランドでブラックラベルの方々と目があったんにゃけど「うわっババ踏んだっ!」てな感じでバッと目を逸らされたんよね。うちら三人ともあの人らと関わった事あれへんし、半月ちゃん何か知らはらへん?』

「んー、まぁ……ウォッカのラベル剥いでベッドに縛り付けた事が有るじょ。ペットボトルからカルピスゼリーを注ぐじょてぇ脅して泣かせたけん、それ」

『なるほど。写真があればワッ○アップで送ったって』

 

 諸伏くんが不在とはいえ、どこに耳が有るか分からない。組織の呼び方もその他表現も、知っている者が聞けば分かるという程度ながら変えている。身内に通じれば良いのだ、通じれば。

 

 にしてもなんだ、良いことを聞けた。黒の組織が私をアンタッチャブル扱いし、逆にヤバい組織や団体の物理攻撃から私を守ったりまでしてくれていることは降谷くんから聞いていた。だがジンやウォッカが三人から逃げたということは、マーブリック――つまりピンクウェーブの社員も触るな危険の劇物と認識されているのだ。

 つまり、我々は組織とコナンの関わりに巻き込まれない。別の事件には巻き込まれるかもしれないが、黒の組織からの邪魔な介入はないのだ。

 

 我が覇道を遮る者などおらんのだ! ははは!

 

 ――だが、いいなぁ遊園地、めっちゃ遊びに行きたい。前に遊園地を借りたら前日の間に爆弾が仕掛けられてたりペーパーナプキンに危険な薬品が仕込まれていたり、殺意に溢れた方々が色々と仕掛けてきたんだよな。黒の組織が裏側から手を回してくれているとはいえ私の命を狙っているのは裏の筋の方々ばかりではない。表の世界に暮らす清廉潔白な方々が私の命を狙っているのだ。

 気軽にホイホイ遊園地に行けちゃうマーブリックが羨ましい。私だって遊園地に行ってジェットコースターに乗ったり観覧車から地上を見下ろしながら「人がごみのようだ」と呟いて高笑いしたい。

 遊園地に行きたい。小さくても良い。

 

「遊園地行きたいわ……」

『半月ちゃん……』

 

 つい零れた愚痴に、電話の向こうから明るい声が応えた。

 

『建ててまえばええんちゃうん』

「あ?」

『半月ちゃん、お金はなんのためにあると思う? 使うためやろ。建ててまえ建ててまえ』

 

 建てちゃえ遊園地。まるでやっちゃえNISS○Nのような言い様に目から鱗が落ちた。建てちゃえば良いのか。

 

「ほなけんど、どこの土地買うんけ? 都心やし建てたら建てたで維持費いるし、ひどい高いけんな」

『東都に拘る必要ないんやし……地方でええんちゃうん』

 

 社員の保養地にするのはもちろん、関連会社や国へも保養施設として貸し出してしまえ。なぁに多少都会から遠かったところで問題ないだって保養施設だもん――洗脳のような椎野ちゃんの言葉に乗せられ、気が付いたら遊園地の建設が決まっていた。

 

 まる一日借りるのと自分で建ててしまうのと――どちらの方が安いかと言えば圧倒的に前者なのだが、『思い立ったらいつでも行ける安全な保養施設』という魅力に屈してしまった。税理士からは「税金対策ですか?」と聞かれたが、私が対策したい相手は税金ではなく自称普通の人々なテロリストだ。

 

 ――私は知らなかったのだ。コナンは原作が始まると時空が歪むことを。遊園地建設計画が昨日決まったら明日は除幕式、なんてことはざらなのだと。そして誰もそれを疑問に思うことがないのだと。諸伏くんが「何が問題なんだ?」なんて可愛く首を傾げたが問題だらけだ。何が起きているんだ。

 

「昨日の今日だぞ、一体何が起きているんだ! どうして誰も疑問に思わない……!?」

「ククク……これがコナントラップですよ、半月さん!」

「この時空において、『来年』は二十年くらいしないと来ないのです」

 

 「コナン始まったね」なんてのほほんとしていたマーブリックを緊急事態だと呼び出せば、その年下組が悪役っぽい決めポーズと口調でそう言った。

 

「えっマジ?」

 

 コナンってそんなに続いていたのか。長過ぎないか。五年くらいに縮められないのか。

 

「そう! つまり私と貴方はこれから二十年ちょっとの間、三十歳の誕生日を迎え続けるのさ」

「うわ、三十の壁というメンタル的に来る年齢で止めるのやめろォ! せめて二十七歳くらいで止めて!」

 

 ちなみに二十七歳なのは玉城ちゃんだ。あまりのことに頭を抱えれば、椎野ちゃんの手が私の肩に乗る。見上げた表情は慈母の微笑み。

 

「一人じゃないよ、仲間がいるから」

「椎野ちゃん……」

 

 もちろん一人で二十年を過ごすよりはマシだが、私合わせてたった四人で乗り越えるには、その年月は長すぎる。

 涙をこらえるため唇を噛み締め、努力して笑みを浮かべる。

 

「頑張って一緒に生き延びよう」

 

 来年完成予定の新本社、そこに逃げ込めるのは少なくとも二十年後。途中で死んでしまいストーリーからドロップアウトする……なんて流れは御免だ。

 というわけでマーブリック、君たちには早いうちからコナンとコナンの周りで起きる事件に関わって貰いたい。私はほら、仕事が忙しいから。

 

 そんな皮算用をしていたせいなのか、コナンだけでなく京極堂までやってきて私を事件に巻き込んでくれた。

 肉壁(マーブリック)は何をしているんだ!!!!




割烹にも書きましたが、現在ゴタゴタしております。これからも更新速度は低迷します。


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エロスとは太陽のようなものだ

前言撤回、マーブリック活用します。便利すぎた。


 椎野ちゃんがアメリカ旅行の土産だといって天狗のビーフジャーキーと電子レンジで作れるポップコーンを持ってきた。日本でも手に入るのに何故このチョイスなのか。

 

「土産はさて置いてだ。国の金でアメリカ旅行、そんなのが許されていいのか……!」

「訓練ですよね? 隊長が糞だしおっさん連中がうざいとかも話してましたし」

「知ってる! 聞いた! けどなんかズルい! 私もニューメキシコでホワイトサンズに砲弾ぶちこんでハードロックな感じのレストランで金髪お姉さんがサーブしてくれる分厚いステーキを食べたいんだよ!」

「ハードロックって何ですか?」

「オッフ……いや、良いんだ気にしないでくれ」

 

 髙野さんの返答に絶望し、泣きたいときのグループトーク『ぼくたちコナン』を開いて文字を打つ。秋山ちゃんと玉城ちゃんは仕事だろうが、椎野ちゃんは新幹線で移動中のはずだ。

 

フルムーンを探して

『この世界にロックがないって誰か知ってた?』

 

 十数秒後に既読がついた。

 

しいの

『悲しいけどこれ、現実なのよねェ』

フルムーンを探して

『なんでだよぉ!ふざけんなロックがないとか本当に信じられないおかしいよ!』

しいの

『仕方ないのだ。だってこの世界には黒人の地位向上の一翼を担ったビート・ジェネレーションすら存在しないのだ』

フルムーンを探して

『ビート・ジェネレーションって何ですか、アライさん!』

 

 なんぞそれ、と首を傾げていれば椎野ちゃんもといアライさんが詳しい説明をしてくれた。

 ビート・ジェネレーションとはビートに熱狂した世代のことを言う。そのビートが何かと言えば、1940年代から1950年代のアメリカで若者たちの間に流行した、豊かさ・国・文化・大人たちへの反抗だ。白人が築いた文化への否定が黒人礼賛に繋がり、「白人による」黒人の文化発掘――現代では文化の盗用と言われてしまうだろうが――がなされた。その一つがロックンロールだ。

 ロックンロールは元々がゴスペルやリズム・アンド・ブルースから生まれた黒人音楽の一つで、じわじわと人気が広がりつつあったそれにセックスアピールという味付けをして人気を博したのがエルビス・プレスリー。つまりセックスアピールが否定されるこの世界においてロックンロールはメジャーになる機会を失した音楽であり、当然ハードロックなどというものはない。

 このあたりで既読が増えた。誰だろうか。

 

フルムーンを探して

『詳しいな』

しいの

『そしてビートがいないからビートルズが現れないのだ』

『音楽系なら私は詳しいんだ』

フルムーンを探して

『ビートルズも!? ちょっと待って、ビートルズって昆虫じゃないのか』

しいの

『ビートルズはBeatlesだけど昆虫はBeetles、スペルが違うのだ』

『ビートルズにはビートが強く影響している、という説があるのだ』

フルムーンを探して

『嘘だろ』

『ずっと昆虫なんだと思ってたのに』

『知らなかった』

しいの

『で、ビートの流れを継ぐヒッピーもいない。というより下火でサークル活動レベルだったのだ。そのせいで音楽で言えばフォークソングが流行することはなかったし、マクロビやヌーディストも現れないのだ。前世における日本の第一次ヨガ・ブームはサンフランシスコ経由のアメリカン・ヨガだったんだけど、これはヒッピーにヨガが流行った影響なのだ』

フルムーンを探して

『マ?』

『フォーク・クルセダーズが存在してない理由ってそれ? ヒッピーって名前だけしか分からないんだけどビートとどう違うの』

しいの

『そして今アメリカでヒッピーが爆発的に増えてて、日本は聖地になってるのだ!』

『それ』

フルムーンを探して

『マ?』

しいの

『マ』

『ヒッピーはざっくり言えばマリファナやって世界がカラフルだねウフフ、世界はラブ&ピース、戦争反対でマクロビ食のブラウンライス食ってニコチャンマークの缶バッジでフリーラブにフリーセックスそして同性愛でオーガニックなのだ』

フルムーンを探して

『何故に日本が聖地に』

『すまん、意味が分からない』

しいの

『ヒッピーはフリーセックス賛成で日本には半月さんがいるからホラ……ね?』

 

「『ね?』じゃないよ! そのヒッピーって連中、日本に来るんじゃないだろうな……これ以上日本が混沌の国になるなんて御免だぞ私は」

 

 頭を抱えた私を髙野さんが心配そうな目で見ている。そして――おずおずと口を開いた。

 

「まだお知らせしていなかったんですが、アメリカの慈善団体のフリーラブというところから連絡が来ておりまして」

「まじか」

 

フルムーンを探して

『話変わるけど、椎野ちゃん歌上手いよね?』

しいの

『下手じゃないって程度でしかないけど』

『もしかしておいやめろ私は嫌だぞ』

タママ

『藁』

フルムーンを探して

『君ならできる! できるったら出来る! 大丈夫だサポートなら任せろ。ボイストレーナーから何から最高のものを揃える! 今日から君はビートルズ!』

『玉城ちゃんやっはろー!』

タママ

『圧が強い』

『やっはろー』

しいの

『嫌だ!! 私はカラオケで平和に歌っているだけで良いんだ!! 私は出来てもずうとるび程度なんだぞ!? 私にYesterdayの真似をさせるんじゃない!』

タママ

『ずうとるびwwww』

フルムーンを探して

『ずうとるびが何かは知らんが任せた! 君に決めた! 玉城ちゃん説得任せた!』

 

 スマホを机に置いて伸びをする。通知でスマホがバイブレートしているが無視だ。

 頑張れ椎野、応援してるぞ。私の代わりにヒッピーの神となれ。

 

 ――椎野ちゃんのボイトレが終わりアルバムの収録が始まった頃、これから音楽業界に進出するよと発表したら、ガチガチのオーケストラや音楽関係者から非難声明が発表されたうえ「音楽を穢すな」といった内容の脅迫も大量に会社に届いた。

 無視してリリースしたら新聞に犯行声明が載り、椎野ちゃんから「ショップや他の隊でも声が似てるって噂されてる。どうしてくれる」「最近いろんな人からカラオケに誘われてる。怖い」「身バレが怖くてスーパーで声出せなくなった」「おい返事をしろ」とメッセージが届くようになった。

 任期満了を待たずに退職すればいいのに。

 

 そして移民にヒッピー系が増えたことで風見くんに怒られた。

 

「全く、こんな新興宗教の信者ばかり増やして」

「仕方ないのだ。私にはどうしようもなかったんだ。ほら笑ってくれよ風見くん、ラブ&ピース、ピースピース」

「それはVサインでしょうが」

 

 この世界に絶望した……。なによりアヘ顔ダブピーの単語が生まれる可能性がないということに絶望した。

 

「ええいうるさい、私がピースだと言えばこれはピースなんだ! 私が白と言えば黒も白に変わるから烏は全身真っ白なんだ。だからこれはピース、分かったか!」

「諸伏、この天狗の鼻を折れ」

「はっ! 了解しました!」

 

 会社で風見くんと諸伏くんに泣かされたから家では私が諸伏くんを泣かせてやった。




言い訳。マーブリックの使い勝手が良すぎたんだ!

1月12日のコミックシティ大阪と2月23日のハルコミ東京に、これ(一部)を本にしたやつを持って参加する予定です。


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スケベは悪ではない

 ヒッピーはフリーラブでフリーセックス。唯一有難いことはヤク中にはなっていないことだ。ラリっていないとはいえ公共の福祉に反した性的露出が甚だしいので、新大久保の土地と建物をセットで一区画買収し、ヒッピーランドと名前を付けて彼らに開放した。

 呼び寄せてしまった私に責任の一端があるし、ということで用意した場所だが、なんとヒッピー以外もそこを利用しているらしい。

 

「旅行者が?」

「はい。付近の監視カメラの映像から、旅行者が多くヒッピーランドを訪れているそうです」

「へえ! 早速観光地化されちゃったのか。こりゃあ廃れるのも早そうだ」

「いえ、観光地化したわけではありません。ヒッピーランドの者達からの話では、旅行者たちはフリーセックスを目的としているらしく……中には路上で行為に至る者も出ています」

「嘘だろ」

「嘘ではありません」

 

 ヒッピーランド周辺は元から治安が微妙と言う事もあり、区画内に駐在所を設置している。私専用対応窓口の一人である風見くんは眉間に深いしわを刻んで頭を緩く振った。

 

「これがその旅行者の国別割合です」

 

 受け取って、ハハと乾いた笑いが漏れた。六割がイギリス人だ。

 甚だしく割合が偏っている。いや、確かにイギリスは郵便ポストやフェンスや道路とセックスして逮捕された者の産出国であるが、それは前世のイギリス人であってこの世界のイギリス人ではない。イギリスに何が起きているんだ。

 

『あまり知られていませんが、イギリスは異常性癖への締め付けがヨーロッパ諸国の中で一番緩い国ですよ。国外では純潔な紳士を演じていますが、国内では性的に弾けていますね』

 

 帰国子女でイギリス文化に詳しい、アーサー王伝説翻訳班の相田さんに電話して質問をぶつけたところ、そんな答えが返って来た。

 

『国教会のトップは国王ですから、他のカトリックやプロテスタントのように俗物性を徹底的に排除する必要がなかったんです。国王には跡継ぎが必要ですしね』

「そう言われれば確かに」

『しかしイギリスの周辺諸国では厳しく禁欲が強いられていました。カトリックの国もプロテスタントの国も性欲そのものを無くそうと動いているのに、その中で「性欲万歳」なんて言えないでしょう。そんなことを周囲に触れて回れば神敵とされ国の存亡の危機です』

「国の存亡の危機」

 

 凄くスケールがでかい。カノッサの屈辱という宗教絡みの事件があったくらいだから昔は宗教の持つ力が大きかったと知ってはいるが、「遥か昔の歴史上の事件」という程度の認識しかなかった。宗教問題がそんなにも切羽詰まったものだとは。

 ――性欲が原因であれ何が原因であれ、自分の国が滅ぶなんて誰だってごめんだ。イギリスは必死に隠したに違いない。

 

『ここでイギリスが島国であったことが功を奏します。他国などの外部からの干渉や様々な情報の行き来を抑えられたのです』

「おお……!」

 

 島国の利点は国境を侵され難いことだけじゃなかったのだ。素晴らしい。

 

『とは言いますが、実は大陸でも王候貴族には禁欲の強制がありませんでした』

「貴族なのにですか」

『貴族だからです。尊い血筋を残す必要があるという大義名分がありましたからね。実在は確認できていませんが、様々な性指南本があったとか。それらは市民革命等の際に滅失した物も多いようですが、今なお隠し持っている一族がいると聞いた事が有ります』

 

 これだから権力者って奴は嫌なんだ。他人に我慢させるのは良くとも自分には甘いのだ。昔は教会関係者の上層部には貴族の子弟やらなんやらが多かっただろうし、『貴族は別』と贔屓があったに違いない。

 

『話をイギリスに戻しましょう。このように国全体が禁欲から免れたイギリスですが、鎖国していたわけではないので、性欲への規制が厳しいヨーロッパ大陸からの移住者や、その移住者がもたらす大陸での考え方に賛同する者達もいました』

 

 カルヴァンに影響を受けた禁欲的な改革派――つまり清教徒が国教会に反発して新大陸に渡ったとか、寒い冬に家の中で出来る娯楽などセックスしかなかった庶民が禁欲を強いる大陸に反発したことで国教会の権威が強まったとか、イギリス海軍はヤギを船に乗せて性処理に使ったとか、相田先生はイギリス近代~現代史の小ネタをあれこれと披露してくれた。最後のヤギやばいな。

 しかしイギリスの冬が寒いと言っても、大陸にはイギリスより寒い地域があるだろう。ノルウェーやスウェーデンにフィンランドの上半分などはイギリスより緯度が高い。ロシアは永久凍土を抱えているし、その点はどうなんだ。

 

 その疑問への回答がこれである――『雪国はアル中などによる自殺者も多いんです』。

 後で椎野ちゃんから聞いた話によると「前世でも冬には酒飲むかセックスするかゲームするかメタルがなりたてるくらいしか娯楽がないって人がたくさんおったのに、この世界は禁欲でメタルはもちろんロックもない。娯楽は酒とゲームだけやし、ゲームに興味がない奴はアル中になってしまうわな」だそうだ。秋野ちゃんから「精神病の研究も進んでませんしね」という追撃もあった。私の思っていた以上に、セックスと大衆音楽の有無は精神の健康への影響が大きいようだ。これは酷い。

 

 さて話を戻そう。セックスを求めてヒッピーランドに来ている観光客の六割がイギリス人という問題についてだ。国外では清廉潔白な紳士の仮面を被っていたイギリス人が、何故わざわざ日本に来て性欲を発散しているのか。性的なものは国内生産国内消費しているのではなかったのか。

 というわけで、彼らの狙いが何なのか知らないかとヒッピーランドの国民たちに聞いてもらうことにした。もちろんそれを彼らに聞きに行くのは私ではなく、現在命令無視の罰でヒッピーランド駐在所に詰め込まれている松田くんと萩原くんの二人だ。

 なおこれは命令ではなく「民間からの依頼」なのだが、治安維持活動の一環だからこれも業務の範囲内だ。風見くんからお墨付きをもらったから間違いない。

 

 数年前に萩原くんが大怪我を負った爆弾事件と先日松田くんが観覧車から空高く飛翔し軽傷を負った爆弾事件は同一犯らしく、二人は「自分達の手で犯人を捕まえてやる」と鼻息荒く命令違反何のそのという捜査を行っていたらしい。私は風見くんからそう聞いただけだから本当のところは知らないが、観覧車から飛び降りた松田くんが軽傷だったというのは流石に話を盛っているに違いない。もし本当に飛び降りたのだとしても、地上に近い位置にある籠からだったとか。

 ――原作でこの二人がストーリー開始時には死んでいるキャラだと知っているが、事件の内容などの細かいところはもう覚えていない。ド嵌まりしていた時ならまだしも転生してから既に三十年近いのだ、出番がほぼない彼らの名前と所属を覚えていただけでも凄いだろう。

 

 そんな事情やらなんやらは横に置いておいて、とにかく爆処組二人は今ヒッピーランド対応係だ。聞き込みは捜査の基本、頑張って警察官の任務を果たしてくれたまえ。

 がんばえー!

 

 楽しんできたら良いよと伝えたが、松田萩原ペアは不特定多数の目がある場所で下半身をモロ出しにする趣味を持っていなかったらしい――もちろん私も人前でする趣味はない。依頼を伝えた数時間後に聞き込みの結果を送ってきた。

 

 エクセルシートに入力されたデータから分かったのは、ヒッピーランドを訪れた観光客たちのヌーディスト率が激しく高いことだ。大はしゃぎで全裸になりセックスに至る老若男女が来訪者の八割近くいるらしい。

 よほど人前で脱ぎたかったのだろう。自分の家やヒッピーランド以外でやれば間違いなく猥褻物陳列罪で現行犯逮捕される行為だし、広い場所で衣類から解放されたい気持ちが分からなくもない。しかし旅の恥は掻き捨て、後は野となれ山となれ精神で好き勝手にされては困るのだ。

 

 正確なデータを得るためヒッピーランドを出入りした旅行客を数ヶ月間にわたり調査し、やはり一番フリーセックス参加者数が多かったイギリス、イギリス人やアメリカ人のふりをしたヌーディストが案外たくさんいたフランスとドイツ、そして一番営業妨害回数が多いアメリカ、各国の大使館へ「どうにかしてくれ」という手紙を添えたデータを内容証明郵便で送った。

 イギリスからはヌーレクツアーの打診があり、フランスとドイツからは「うちの国民にはそんなのいません」、アメリカからは逆に「ヒッピーランドを閉鎖しろ」という返事が来た。

 

 イギリスが緩いのか、それとも他国が厳しすぎるのか。ヌーレクツアーのお誘いメールに「一日全裸遊園地って企画はどう?」と返事して良いか風見くんに電話をしたら数日後にゴーサインが出た。

 今日も日本は平和だ。




次もイギリス編予定


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寄せて上げるがスケベの叡智

12日に控えたインテックス大阪参加のため、どうにか仕上げました。


 イギリス旅行が決まった。なんと旅費はあちらの国持ちだと言う。

 

「イギリスに行きたい! 行きたい行きたいとても行きたい! 返事は『いいとも!』しか認めない!」

 

 大使館経由で届いたお誘いが魅力的過ぎて机をバンバン叩いたら、諸伏くんが気楽な声音で答えた。

 

「いいともーっ!」

「えっ、マジで? いいの!?」

「良いからこうして持ってきたんだぜ」

 

 海外旅行は夢のまた夢だと思っていた。空港で入国拒否されるならまだ良い。某一神教の非合法武装組織に飛行機がハイジャックされて機内と私が蜂の巣になることはほぼ確実、一方通行で引き返せない空の旅にアテンションプリーズ。国内線でも飛行機に乗れない身には国際線など自殺行為でしかない。

 というわけで一般旅客機だと私が死ぬため、プライベートジェットを使うらしい。

 

「プライベートジェットってことはまあまあ人数が乗れるよね?」

「ああ」

「そんで、お手紙にはあっちでSPも付けてくれると書いてある」

「もちろん日本人の護衛もついていくけどな。あちらさんにしか分からないような道もあるだろうから有難い」

「マーブリックも連れていこう」

「は?」

「女子旅だよ女子旅。あの三人も旅行しづらい身だし、私一人で遊ぶより女四人で遊ぶ方が楽しいからさ。あと、一人で行ったら三人から向こう五年は恨まれそうだ」

 

 たとえば航○自衛隊を退役してロッカーになった異色の経歴持ち某大阪府民からは「ふざけとんのちゃうぞオイ、なに一人でワクワク旅行しとんねんおかしいやろ。うちらも呼ばんのかいオイ」と口汚く罵られることが確実だ。他の二人からもじっとりとした目を向けられること間違いなし――イギリスが国として歓迎してくれるという今回を逃せば次の機会などないかもしれないのだ。今しかない。今でしょ。

 諸伏くんには悪いが、婚前旅行はまた別の機会にしようじゃないか。流石に他人の金でハネムーンの予行など私はしたくないのだ。

 

 ということで、目立つのを避け関空からプライベートジェットで飛び立った。楽器ケースは持ち込まなかったがスーツケースは四つ以上持ち込んだ。

 

「私がルートマスターの上に乗るから、車を皆で囲んで『ダビデだ!』って口々に叫んでほしい。これは真面目なお願いです」

「すまん私は敖閏より敖紹のが好きやねん。一人でやっとってくれ。……先ず行くんはキングスクロス駅やろ、オクスフォード大のクライストチャーチとボウドリアン図書館はロンドンから一時間やし、できればダラム大聖堂も見たい。あとリバプールに行かせてほしい」

「敖炎は半月さんのすぐ横に同じ声がいますけどね。私はギムナジウム巡って制服男子を見れればもうわが生涯に一片の悔いなし。私いつ死んでも良いわ」

「ゴウエン……? とりあえず私は大英博物館に籠ってても良いですよね?」

 

 駄目だこいつら。それぞれ行きたい場所やしたいことを考えてくるようにと伝えておいたはずなんだが、一人はロケ地巡りを推していて一人は欲望剥き出し、最後の一人は団体行動をするつもりすらない。私を含む四人のうち二人が下戸で残る二人は呑める方だが呑むスピードを抑えており、一人も酔っぱらってもいないのにこの惨状。

 ちなみに私は終の真似がしたいからルートマスターを半日貸し切りにする予定だ。

 バスの上に立ってダビデコールをされるためなら、金なんていくらでも積む。天使のなっちゃんがいないのは諦めるとして、せめて「オーッ! デイヴィッド!」と呼ばれたい。

 

 ――人目をはばかる様にして夜の十一時に関空を飛び立ってから九時間が過ぎ、今のところ空の旅は平和で何の問題もなく過ぎている。イギリスまでは十三時間ほどの航路だと言うからあと四時間くらいだ。

 

 昨晩、私はCAさんが出してくれたフランスワインやらスコッチウィスキーやらを水で割ったりウィル○ンソンのジンジャーエール(原材料に生姜は入っていない)で割ったりしながらナッツをポリポリしたが、辛口の酒が苦手な椎野と呑めない二人はラズベリーモヒートの着色料で盛り上がったりジュースを飲んだりチョコレートを摘まんだりしていた。ちなみにあの鮮やかなピンク色はやはり着色料らしい。

 そんな風に夜遅く(日本時間)までウェーイしていたせいで朝八時(日本時間)を回った今もまだ眠い。朝食も有名店の監修したお弁当のはずなんだが、睡眠不足で何もかもが喉に引っかかる。旅行先に着く前から既にしんどい。

 

「半月さん元気ないですねぇ」

「タダやからって呑み過ぎたんやろ。すみませんスッチーさんウコン系ドリンクありませんか」

「先生大丈夫ですか?」

 

 三人とも口では心配そうなことを言っているが、声が笑っているせいで心配されている気がしない。CAさんがくれたウ○ンのチカラを飲んでまたソファー席に沈んだ。

 

「元気が出ない。もうこれはルートマスターの上でダビデコールしてもらえないと元気が出ない。顔が濡れて力が出ない」

「餓鬼か」

「友達が二人だけって寂しい人ですね」

 

 ――だが、こんなにも終ごっこを楽しみにしていた私に、空港で迎えてくれた大使館の職員は冷たかった。

 

「狙撃されたいんですか?」

「いえ……されたくないです……」

 

 国家機密レベルで私の訪英は秘密にされているが、どこに他国や狂信的な宗教家の皆様の耳や目があるか分からない。馬鹿なことを言うなと怒られ、一般的な観光旅行の範囲を逸脱しないツアーで満足しろと言い含められた。夢破れた悲しみのあまり「そうなるだろうと思ってた」などと抜かしたマーブリックの連中の身柄をイギリスに売り払ってやったが、私は全く後悔していない。

 なに、旅行期間は十日あるのだ。今回の金を出してくれたのはイギリスだし、そのうち二日くらいイギリス人にあちこち引きずり回されたくらいで文句をいうな。――そのあいだ私は諸伏くんと二人で良い感じのカフェとかレストランとかも巡るつもりだ。邪魔がなくて良いや。

 

 結果、椎野ちゃんはライブハウスに、玉城ちゃんはイギリスの放送局に、何故か秋山ちゃんだけ本人の要望通り大英博物館に連れ去られていった。玉城ちゃんが「こっちへ来るな! 私は行かんぞ! 俺のそばに近寄るなぁぁ!」とか叫んでいたが、ネタに走れるくらいだから大丈夫だろう。

 後から聞いた話によると椎野ちゃんはライブハウスで通夜の歌とマリアを称える歌で盛り上がり、秋山ちゃんはイギリス紹介番組やらバラエティ番組やらにゲストとして引きずり出され、秋山ちゃんは宗教的制約のため表に出せない芸術品を見せて貰ったらしい。私はその間に日英の大使館へ呼ばれたり、国の偉い人と旅行会社の偉い人たちから日英の国際便の本数を増やすから水○敬ランドもとい一日全裸遊園地企画実施日を月に三日くらい入れてほしいと言われたり、諸伏くんと案外美味しかったキュウリのサンドイッチを共有したり、なんか思っていたより柔らかくてレバーっぽかったブラックプディングに首を傾げたり、ネタで注文したスターゲイジーパイをもそもそ食べたりして過ごした。

 

 三人と合流してから観光に行くのだ。ロンドン市内から出なかった私は三人から礼を言われこそすれ、怒られるなど心外である。

 

「で、我々を売った言い訳は?」

「ムシャムシャしてやった。今は反芻している」

「この牛野郎!」

「ンモっ!」

 

 二日目の晩に帰って来た三人に囲まれ怒られたが、チョップ一発で許された。

 終ごっこができないのは残念だが、イギリスの魅力はルートマスターだけではない。ルートマスターは惜しいが、蝋人形館とかホームズ博物館とかといった屋内で完結する名所もある。玉城ちゃんがやりたがっている制服男子観光もそうそう危険ではないだろう。

 

 観光地を巡り、椎野ちゃんの希望で最後に向かったリヴァプール。そこの酒場の舞台に立っていたのは前世で見た覚えがある顔ぶれ――グループ名は『ロング・ジョン&シルヴァー』。なんだその名前。ビートルズじゃないのか。

 

「なんで名前がそれのままで燻ってんねん……アッ、宗教的制約……! って分かるかそんなもん」

 

 頭を抱えた椎野ちゃんの腕を掴み、さあ契約だ(いこうぜ)と舞台に引っ張った。




 ちなみに通夜の曲はFinnegans Wake、マリアを称える歌はHail Holy Queen。


 リヴァプール出身のロックグループやミュージシャンは何人もいるんだぜ。


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求めよ、さらばスケベが与えられん

 十人も入らない小さい会議室、そこに集まった私とマーブリック三人――過去に想いを馳せる会・第四回とホワイトボードに踊る文字は玉城ちゃんが書いてくれた。動画の編集作業を担っているだけあって司会進行が上手い。

 

「えー、本日の議題は『思春期』。自分達が思春期に何を好んだかを、えー、丸裸にすることが主目的です。司会は私、玉城がいたします」

「いよっ!」

「たーまやー」

「司会いつもありがとうございまーす」

 

 全員で拍手し、秋山ちゃんが口許をもにょもにょとさせて恥ずかしそうに言った。

 

「……こういう性癖暴露話って照れますね」

 

 確かにあまり他人と共有する類いの話ではないが、地元(前世)を同じくする仲間なのだからちょっとくらい掘り下げてチャオッスでコアな話をしても良いではないか。

 

「ま、黒歴史を掘り返すのとはまた別の恐ろしさがあるわな。自分のスケベ本遍歴なんて」

「私はタイトルだけは言わない。絶対に言わない。司会としての強権を発動してでも言わない」

「あっ、私も内容とか言いたくないです!」

 

 玉城ちゃんと秋山ちゃんが早速今回の会合の目的に反する主張をし始めた。

 

「まあエエけど……逆にタイトルとか内容とか言わん方が半月ちゃんの妄想刺激するかもしれんよ」

「それでも無理、無理なんです!」

 

 私は玉城ちゃんたちの嫌がることを強いたいわけではない。猥談で盛り上がりたいだけなのだ。言いたくなければ言わなくて良いということで、トップバッターは私。

 

「初めて買ったエロい漫画は、PTAに『子供に読ませたくない雑誌』として指定を受けていた時の少コ○から。『囚~愛玩○女~』」

 

 なんだそれという顔をした玉城ちゃんたちに対し、椎野ちゃんは眉間に皺を寄せている。

 

「なんかタイトルに覚えがあるようなないような……。連載は○コミ本誌?」

「いや、チーズ」

「内容は?」

「美少女を購入したイケメンが、無垢な少女にあーんなことやこーんなことをして調教していくやつ。作者は刑○真○。私はこれで源氏物語の可能性に目覚めた」

「あっ、分かった。本屋で見たこと有るわそれ。確か雑誌に載ってたんを立ち読みしたはず」

 

 秋山ちゃんは世代じゃないからか「全然さっぱりわからん」という顔をしている。――そう、通じなければ恥ずかしくない。相手に通じていないなら、タイトルを言おうが作者名を言おうがなんら問題ないのだ。どうせこの世界で検索しても見つからないのだし。

 しかし玉城ちゃんの顔色は微妙に悪くなり、目が泳ぎ始めた。知ってたのか思い出したのか、可哀想だから突っ込まないであげよう。

 

「あの頃の小学○は凄かった。どの連載作品もエロかった……。一番好きな絵柄はゲットラブの池山田○」

「かわいいもんな」

「そうなんだよ……」

 

 懐かしんで、次。椎野ちゃんのターンだ。

 

「私は少年誌や青年誌が多くて、中学で先輩が部室に持ってきた『ふたり○ッチ』が初エロ本。初めて買った性描写有りの漫画はワ○ピースか復活のアンソロだったはず」

「ありふれてて面白味がないな」

「うっさいわ。あとは性描写について理解できてない年の時に見たのを含めば○ヴァかね……。ちょっとエッチな描写があっただけのものを含めばぬ○べ~、美神、カム○伝とか」

「カ○イ伝? たしかだいぶ古いやつじゃなかったっけか」

「家にあったら読むやろ」

 

 次、玉城ちゃん。

 

「私もふた○エッチが初エロ本です……が、そのあと古事記にハマりまして、はい」

「ですよね、神話や古典ってヤバイですよね! 神話って異種婚姻譚好きにはたまらないというか、アブノーマルで神秘的なのに生々しい肉感を持っていて」

「食いつくと思った……」

 

 サビキ釣りの鯵のごとく秋山ちゃんが食いついて玉城ちゃんが早々と華麗なターンエンドを決め、秋山ちゃんのターン。

 

「私が初めて買ったのはヘルマフ○ディテの体温って本です。両性具有の話で」

「あ、それ知ってる。アリ○姫がブログで勧めてた本やろ。確か出版されたのは平成二十年……くらい……」

 

 椎野ちゃんは静かになった。可哀想に……。私も似たようなものだけど、椎野ちゃんは間違いなく私より前の生まれだもんな。傷付くのはよく分かる。にこに○ぷんとドー○ツ島を見ていたと言うが、私と玉城ちゃんはみど・ふぁど以下略だけだし、秋山ちゃんはスプーも見てたらしい。年齢差を考えたら辛いばかりなんだから、考えなければ良い。私は年齢差なんて計算しないようにしている。

 

「話変えません? ほら、思春期に好きだったラノベとか青少年向けのナントカ文庫とか」

 

 萎れた椎野ちゃんを見た玉城ちゃんが慌てて別の話題を出した。だがその話題で困ってしまうのは私だ。

 

「……実は私、ラノベの類いはあんまり読んでないんだよね。がっつりファンタジーな小説も無理だし、読めるものが限られてて」

「えっ、先生ハリポ○とかはご存じですよね?」

「映画とかマンガならいけるし、ハ○ポタは『主人公が非魔法使いの世界から魔法界に飛び込む話』だから読める。だけど『一から十まで異世界』という話がどうにも合わない。十二○記で言えば陽子ちゃんや要くんの話は読めるけど恭王あたりの巻は無理」

 

 私の頭は固い、それは自分でも分かっている。現実に存在する何らかの要素を感じられない話は読むのが苦痛なのだ。だから創竜○は好きだが銀河○雄伝説は一巻も読みきれず、魔女集会通りは二度借りたがダークホルムはあらすじだけ読んで本棚に戻した。

 全部がファンタジーな話には掴みやすいドアノブがないのだ。私にとって。はてし○い物語みたいに誘導してくれれば読めるんだけども。

 

「気持ちは分からんでもない……けど、ハイファンタジーが読めんってことはスレ○ヤーズも未読?」

「うん。でもアニメは見たよ。ス○イヤーズとスレイヤー○ネクスト、たしか再放送のだったはず」

「ならオーフェ○はぐれ旅とかトリブ○とかロードス○とかデルフィニ○戦記とか○言シリーズとか」

「トリ○ラはアニメを見た。あとは本屋で何度も見かけたからタイトルくらいは知ってる」

 

 椎野ちゃんと玉城ちゃんが「まじかこいつ信じられん」とか「そんな人種がいたなんて」とか「この世代で読んでない方が希少価値」とか言い始め、元から世代が違う秋山ちゃんは「私も読んでませんよ!」とフォローになってないフォローをしてくれた。

 

「まあそこらへんは半月ちゃんの嗜好の話やし、横に置いとこ。どうせ今挙げた作品全部この世界に存在してないんやし」

「えっ、今挙げられたやつ全部スケベだったの? 読んどきゃ良かった……もったいないことをしてしまった……」

「何でそうなるんや。発表媒体のファンタ○アとかス○ーカーとか電○とかのレーベルが存在せんから生まれんかっただけやで。異種婚姻とか悪魔とかそういうものに対する制約が厳しすぎてな……」

 

 お陰さまで風の○陸もフルメタもゴシックもタクティカル・ジャッジメ○トもザ・サ○ドも卵王子もDクラも猫は知ってい○のかももレギオスもリアルバウトも伝勇伝も火魅○伝もまぶら○も存在しないんだ! スニーカーならオーラバ○ラーにお・り・○・み、円環○女、ムシウ○、レンタル○ギカ、フォーチュン○エスト、レディー○ンナー、理系なら興奮しない奴がおかしいされ竜、スニーカーにおいて異彩を放ち後々ビーン○で新装版が出てイラストレーターも変わったやさ竜! まだあるぞ電撃ならブギーポップ、キノ○旅、半分の月、悪魔のミカ○、住めば都の○スモス荘、インフィニティ・○ロ、猫の○球儀ああああ挙げきれないつらい! シャナ!

 

 ――そうタイトルをあれもこれもと羅列してくれた椎野ちゃんには悪いが、ほぼ分からない。それを正直に言えば「じゃあ何なら知っているんだ」と聞かれたから読んだことがあるレーベルの名前を挙げた。

 

「ホワ○トハートで、タイトルと内容もしっかり覚えてる話は十二国○とゴースト○ント。だけど中3かそこらの時にミステリに嵌まった……ってか相棒に嵌まってミステリばっか読むようになってさ、それからラノベは読んでない。ああでも薔薇とか百合のなら読んだよ。マリみてとか少年舞妓とか」

「あっなるほどそういう」

「納得。長くて二年かそこらしかラノベ見てなくて、それもかなり堅めの少女向け。あとは薔薇百合のつまみ食い。読んだ覚えがある異世界ものが十○国記くらいで迷い込み以外のハイファンタジー除外じゃあ色々限られるわな」

「先生は官能系特化だとばかり思ってました。ミステリお好きなんですね」

 

 官能系も好きだよ私は。薔薇でも百合でも美味しく食べるし、直接的表現も婉曲的表現も大好きだ。スケベは元気をくれる。リリンが生み出した文化の極みだよ。

 軌道修正なんだろう、玉城ちゃんが秋山ちゃんに「どういう本読んでた?」と水を向ける。

 

「神話はもちろんとして、小説だと静かな狂気や精神崩壊、救いがない話が好きですから、海外の有名どころなら変身や若きウェルテルの悩み……ドイツ文学やロシア文学を読んでました。国内なら太宰や芥川は外せませんね」

「今、秋山ちゃんだけは敵に回したくないって思ったよ」

 

 怖いわ。人畜無害そうな顔をするんじゃない。私たちにも分かりやすいように有名な作品の名前を挙げただけで、秋山ちゃんのことだ、もっとやばい本を読んだに違いない。

 

「ま、ということは、や」

 

 椎野ちゃんが頬杖を突きながら空いた左手で頭を掻いた。

 

「半月ちゃんがラノベに弱いからラノベ業界に手を出してなかったってだけってことやね。なんかドカンと爆弾用意してるんかとばかり」

「何にも用意してないよ。ぶっちゃけラノベがどういう物なのかとかもよく分かってないし。擬音多ければラノベです、とかそんな感じ?」

 

 ラノベとはなんぞや、というのは私が思っていたより複雑だったのだろう。三人とも悩み始めた。事件があり謎を解けばミステリであるように、AとBがあればラノベになるものと思っていたのだがどうやら違うようだ。

 

「これはうちの解釈やけども、ラノベというものには肉感がない」

「肉感」

 

 初めに口を開いたのは椎野ちゃんだった。

 

「一般の文芸なら、成人男性が朝起きれば顔を洗って髭を整えるけど、ラノベのキャラクターたちが髭を剃る描写はあんまり見たことがない。女子高生のキャラは失恋でもしないと髪を切らないし毎日同じ髪型で学校に行く。外観設定が変わるような何かしらの出来事が起きない限り、初めに作られた枠から外れない。五歳のツナも二十五歳のツナも同じ髪型で、ギャグシーン以外で坊主頭やアフロにならないのと似た感じ。青少年らしい悩み以外の思考の矛盾といった『人間らしさ』が欠けてる――分かりづらいけどこれで堪忍」

 

 両手を顔の横に上げた椎野ちゃんの言葉を秋山ちゃんが次ぐ。

 

「……椎野さんの言うような人間らしくなさっていうのありますよね。私がラノベについて思い付く要素は『読者層の限定』です。メインターゲットの中高生が没入しやすいキャラクターを主人公に据え、日常では味わえない命を懸けた戦いや背中を預けられる仲間の存在などを擬似体験させる。読むジェットコースターと言えば良いんでしょうか、ラノベとはそういうものかなと思いますね」

「えっ、もう私の番? 二人とも出すの早すぎ……えー、読んでも教養にならない内容? とか?……アッ違うんです適当ですもうちょっと考える時間くださいすみません」

「いや、確かにラノベは教養にはならん。ギガスレ○ブを唱えられる人より法華経唱えられる人の方が世間さまの目で見て教養がある」

「実生活で使わないコアな知識は身に付きますけどね……」

 

 三人の話を総合すれば、「登場人物は生身の人間っぽくない」「青少年向けでアトラクション的」「特殊な知識ばかり身に付く」のがラノベということになる。こう言うと何だコレとしか思えないが、青少年向けの漫画もそういうのが多い。

 

「よーし分かった。うむ。ここにいる四人とも、ある程度の文章力がある……そして私以外はラノベがどのようなものかを実際に読んでるから知っている! つまり!」

「流石半月さん! さりげなく自分を除外する手腕! そこに痺れる憧れるぅ!」

「やめろ嫌な気配しかせんぞ」

「なんて分かりやすい導入」

 

 ざわつく三人を見渡し、人差し指を空へ突き上げた。

 

「そう! 君たちがラノベのパイオニア!」

「すみません、私大学と翻訳で忙しいんですよね」

「うちも本職があるしなぁ……三連休はこっちでイベント進行してるわけやし、無理やわ」

「むりむりむりむり、私むり」

 

 というわけで玉城ちゃんにラノベ第一作を任せることになったの――だが。

 

「長編が……長編が書けません……ッ!」

 

 玉城ちゃんはショートショートを書けても長編を書けない人だった。「どうしても二千文字の壁を越えられない。私には無理だ」と泣き崩れ、ラノベ計画は頓挫した。

 私はその時「頓挫した」と思ったのだが、なんと本人の玉城ちゃんがラノベの誕生を諦めていなかった。

 

「絶対に売れること間違いない作家志望の子を捕まえてきました! 才能の塊! ゆくゆくはアニメ化映画化間違いなしです!」

 

 半年後、我が社のラノベレーベル・衝撃文庫の創刊と共にデビューしたのは、現役大学生の徳本敦子ちゃん二十二歳。作品タイトルは『空色の国』。

 どうやってこんな子を見つけてきたのか聞いたら「作中で友人に作品をパクられて自殺した人です!」と言われたので、コナンって業が深いなと思いました。まる。




※五巻


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真実はいつもエロスひとつ

 幼稚園児の時分に見たアソパソマソ……なんかドキソちゃんが食パン仮面に恋してなかったりアソパソマソのバイキソマソへの殺意が高かったりしたが、八割私の知ってるアソパソマソの通りのアニメ。あれを見て以降、アニメと言えるアニメを見てないことに気づいた。

 新聞のテレビ欄に並ぶのは仮面ヤイバーやらヤイバーマンやらYAIBAやら――どの児童向けコンテンツにも「ヤイバ」とついていて、二度目の幼稚園を満喫していた私は「なんかキナ臭いな……ペロッ、これは洗脳とか陰謀の味!」「ヤイバだけにヤバい何かしらがあるに違いない」と考えた。

 報道による……もしかすると国家ぐるみなのかもしれない洗脳をされてはたまらんと思ってアニメを見なくなり今に至る私のもとに椎野ちゃんが持ってきたのは、A4用紙の束だった。

 

「椎野入りまーす」

「ようこそー。その書類なに?」

「これは書類ではない。脚本だ」

「その声真似、バーンよりモロじゃない?」

「黙れ小僧、お前にサンが救えるか」

「……二人とも何の話してんだ?」

 

 椎野ちゃんは諸伏くんの手に紙の束を渡すと、私のデスクトップにUSBメモリースティックをひょいと差した。白いシンプルなスティックには黒マジックで「す○いや~ず」。

 私の机に両腕をつくと、椎野ちゃんは真剣そうな顔をした。

 

「実はあのあと私も思い直したんや。玉城ちゃんだけにラノベを押し付けるなんてみっともないことをしたなーと。申し訳ないことしたなーと」

「あ、玉城ちゃんもうラノベギブアップしたよ」

「えっマジで!? いつ!?」

「先月のはじめ」

「まじかそんな前に……。まあ良いわ、そんなことよりこいつを見てくれ」

 

 パソコン画面を上から覗き込み椎野ちゃんが開いたのはワードファイルの一覧だ。フォルダ名は「すれい○~ず」で、ファイル名はシンプルに数字だけ。

 

「何なのこれ?」

「ス○イヤーズのアニメ脚本。とりあえずネクストまで書き出した」

「まるで理解できんぞ」

 

 「脚本を書き出す」とはどういうことか話を聞けば、なんと椎野ちゃんはなるべく記憶に忠実に無印とネクストの五十二話を文字起こししたのだという。台詞はもちろん背景や見せゴマについても書き加えてあるから「脚本」と言った、ということらしい。

 さっき諸伏くんに渡したのはアニメ一話から五話の部分だそうで、諸伏くんは紙束に頭を突っ込むようにして読んでいる。面白いんだな。

 

「こんだけのものをよく書き起こせたね」

「そらー原作繰り返し読んどったんはもちろんやけどアニメ何度も見たし。あと、ドラマガの設定資料集読み込んどったからさ、細かいところもまあどうにかこうにか埋めれたっていう。オリジナルの執筆は無理でもこういうのならイケるかと思ったら案外イケた」

「凄いな……でもなんでスレ○ヤーズ? 他にもメジャーどころあるだろうに。とあるとかダンまちとかデスマーチとか、私でもタイトルと概要を知ってるレベルの作品がたくさんあるのに」

 

 椎野ちゃんは肩を竦めて「むりむり」と頭を横に振った。

 

「あんなぁ半月ちゃん、何事にも段階というものがあるんや。まず、元気はつらつで苦難を苦難と思わない80年代少年向けのヒーローは取っつきやすいがガキ臭い」

「80年代の少年向けとか見たことない」

「せやろな知ってた。90年代は悩むとなったら人生を賭けて悩むってのが増える。NINKU-忍○-もシリアス多かったし、こどちゃや赤僕は少女向けながらかなりヘビーだったやろ」

「そこらへん全然覚えてない」

「バカモン何故覚えとらんのだ。で、00年代は始めこそ嫌だ嫌だと言ってるけど結局巻き込まれるし自分から首を突っ込む主人公が増えた印象が強い。

 しかし00年代前半と後半は傾向がやはり異なっててな。前半の作品ならビバップにまりメラと最終兵器○女、ギャラ○シーエンジェルは是非見ておいてほしかった。見てた? あっ見てなかったんならもう良えわ。とりあえずあずまんがは神。後半はPumpkin Sciss○rsとBlack lago○nがいいぞ。あとは脳噛ネ○ロにデスノ、仮面のメイドガ○……正直ここらのあたりから作品数が増えすぎて見る気がなくなってきてた」

「たしかにアニメの枠が増えたような……?」

「ゆる○りとニャル子さん、タイバ○、FAT○、スペ☆ダン、ジョ○ョ、ストプラ、うし○ら、GATE、ユーリ○n ice、ベルセ○ク、○世界食堂、○ルパン……他にも色々見たけどぶっちゃけ全部追うのとか無理。多過ぎて目が死ぬ」

「バトル系多くないか」

「甘酸っぱい青春ものは好きちゃうねん」

 

 掛け算ありきでタイ○ニとか○ョジョとかうしと○を見ていた私と違い、椎野ちゃんは純粋にバトルものが好きなんだろう。入隊したくらいだし。

 

「でや。子供の物だったのから対象年齢を次第に厚く広くしていくのに少なくとも二十年とか三十年かかったわけよ。ところがどっこい、この世のアニメ業界は80年代始め――もしかすれば70年代で止まっている。70年代はあっかっどーう鈴之助ぇ、キャシ○ーンでバベル○世、キャンディキャン○ィ、はいからさん、未来少年○ナンの時代やで。正義のために肉体を捨てたり鼻ペチャだってお気に入りなヒーローヒロインが溢れた世界に『僕は戦いたくない』とか『戦うより俺の歌を聞け』とか放送したところで視聴率は取れん」

「なんでそんな古いのまで知ってんの?」

「好きだからに決まっとるやろ。うちの本棚はCDとビデオと小説と設定資料集で埋まっとったくらいやからね」

 

 というわけで先ずはス○イヤーズのような「主人公の性格はちょっとアレだが勧善懲悪な内容の物」から種類を広げていくのが良いのだ、と話をまとめた椎野ちゃんに頷く。

 

「椎野ちゃんの情熱はよく分かった。いくらでも出そうじゃないか。どの製作スタジオが良いとかの希望は――」

「いやいやいや、ピンクウェーブにアニメ事業部作らんと」

「え、外注じゃないの?」

「外注したところでどこが作ってくれるんや。デモはデモデモあの娘のデモは、と断られるに決まっとるやん。せめて子会社にせんと」

 

 え、デモが何だって?

 しかし諸伏くんがワクワク読んでいることから椎野ちゃんの持ってきた脚本が読みやすいし面白いことは間違いない。宗教がなんだ規制がどうだという柵なくのびのびとアニメを作ろうというなら、うちで作ってしまった方が手っ取り早い。

 諸伏くんに声をかけた。

 

「諸伏くん、それ面白い?」

「……ん? ああ、面白いぜ。魔法とかそういう設定は目新しいけど、内容は悪者退治だろ? 斬新すぎないし良いんじゃないか」

「そっかー」

 

 椎野ちゃんに振り返れば「神の奇跡以外は全て外法」「仏教に奇跡はないから想像の外」と悲しい現実を伝えられた。魔女っ子ジャンル全滅じゃないか。

 歪みすぎていてもはや草も生えない……鳥取砂丘など目ではなくゴビ砂漠、いやサハラ砂漠だ。枯れきっている。はやくなんとかしないと。

 

 ――というわけで自転車操業っぽかったアニメ制作スタジオを三つほど取り込み合併させ、子会社にアニメスタジオ・とるね~どというのを作った。新規事業開拓部署にほぼ一から十までやってもらったから細かいところは知らないが、ピンクウェーブが取り込む際に逃げるように辞めていったアニメーターは七人いたらしい。敬虔な宗教者たちがうちの事業に嫌悪感を持っていることはもちろん知っているが、宗教を理由にして仕事を辞めるというのが私には理解できない。ムスリムに飲酒を強要するような行為でもなかろうに。

 そうタイムラインで愚痴ったら、秋山ちゃんから電話が掛かってきた。

 

「はろー。電話してくるなんて珍しいね、どうしたの」

『秋山です、驚かせちゃってすみません。今ちょっと腱鞘炎でして……入力が辛いので電話しちゃいました』

 

 秋山ちゃんはまだ現役の大学生だからレポートなども多いようだ。学生生活を満喫すれば良いのにと私は思うのだが、クトゥルフやら海外の神話や古典文学やらの翻訳作業に積極的に参加してチームメンバーとオールナイトパーリィ(徹夜)を繰り返している。健康に悪いしうちはホワイト企業、お願いだから業務時間を守ってほしい。

 

「秋山ちゃん休もう」

『休んでますよ、腱鞘炎ですし。それで今進めてるというスタジオ・とるね~どの退職者と宗教の話ですけど』

「あっはい」

 

 秋山ちゃんに話させると長くなるのだ。愚痴らなければ良かった。

 しかし後悔しても時すでにお寿司。私には秋山ちゃんによる宗教談義を止める術がないし、他に秋山ちゃんを止めてくれる人もいない。電話を切るわけにもいかないから有り難く清聴する。

 

 曰く、仏教で性欲を否定する教えが広まっているのは日本や中国などの一部アジア。制限の厳しいキ○スト教に対抗した結果であったり、教えが混ざったりした結果だとか。他にも植民地支配を受けた国々はだいたいキリ○ト教の国になったため性的締め付けがきついそうだ。

 

「えっ、じゃあイスラ○教は?」

『戦争やら寒冷期やらで男が減ったのはどこも一緒なんですが、イス○ーム圏では金と地位と命がある死んでいない男が女性の囲い込みをしました』

「うん、命があったら死んでないね」

『男の数が少なく、姉妹全員まとめて嫁にするということがままあったため、旦那の家はもはや姉妹たちの居城。妻たちの機嫌を損ねないための方法として丁寧な性技は次第に男の必修科目となっていきました』

「キリ○ト教と同じやり方をしてたまるかという堅い意思を感じるような気がしないでもない」

『そういう面もあります』

 

 まじか。

 

『話しは少し戻りまして仏教なんですが、この世界に生まれてからチベッ○仏教の名前を読んだり聞いたりしたことってありますか?』

「えーっと……そういえばチベット自○区しか聞き覚えがないような気がする」

『そうなんです。チベ○ト仏教は国内で全く話題にあげられていません。チ○ットにはダラ○・○マが代々存在するのに、です』

「やばいなそれは」

 

 ヤイバよりヤバい、と戦いた私に秋山ちゃんの猛攻が続く。

 

『チベ○トは幸運なことにキリ○ト教と対抗したり、キリス○教の流入による教義の混乱が起きたりということがありませんでした。そのためこの世界では「一番私たちが知る仏教らしい」仏教はチ○ット仏教です。

 まあ仏教の話はとりあえずここまでにして聞いてください、古代キ○スト教で正統信仰を確立させた聖人のアウグスティヌスなんですけどこの世界では聖人の認定を取り消されてただの一神父扱いにされているんですがキ○スト教における聖アウグスティヌスの存在価値は果てしなく高く大衆社会の分析で名を残した近代のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントは聖アウグスティヌスを博士論文の題材に選び』

 

 返事を待つことなくしゃべり始めた秋山ちゃんは相槌すら打つ暇すらくれず、私はじっと話が終わるのを待った。ようやっと電話を切り通話時間を見れば一時間四十六分。聖人の話が一時間以上続いたわけだ。そういえば退職者と宗教の話がなかったが、こちらからまた電話する気は起きない。

 私にとってはアウグスティヌスが聖人指定されていようがされていなかろうが正直なところどうでも良く、本屋に並んでいる本が成人指定であるか否かの方が重要だ。ため息を吐いてスマホを来客用ソファーに投げた。

 

 今はスタジオ・とるね~どの問題だけでなく衝撃文庫の創刊に関する書類とかそんなのの書類も回ってきていて、目が回るし手が足りない。なにしろ衝撃文庫発刊より前にスレイヤー○の放映を始めておかなければノベライズ版を出すことができない。何もかも巻きでしなければ。

 

 ――椎野ちゃんはイベントに出る度に番宣したりなんだり、積極的に新作アニメの知名度を稼いでくれた。自分の記憶から捻り出した想い出のある作品だ、椎野ちゃんがリキを入れるのは当然だろう。SNSでも椎野ちゃん脚本のアニメということで話題になっていた。

 深夜枠になったのは椎野ちゃんの希望だ。ゴールデンタイムにこういう「宗教をいたずらに刺激しかねない」アニメを映すのは難しいし、先ずは「見たいから録画する派」とか「夜更かしまでしてライブで見る派」を取り込めれば良いという判断だ。

 そしてその判断は当たり一話の掴みは上々。話数を重ねても評判は五中の四前後を保った。

 

 しかし、九話まで放映した三日後。複数のキ○スト教団体が公式に発表したのは『ピンクウェーブ所属タレント・マーブリックオーバードライブ椎野は神の敵、悪魔である』。

 呟きったーに流れるニュースと大量のリツイートがタイムラインを埋め尽くす中、燦然と輝く椎野ちゃんの呟きを見つけた。

 

【知らなかったのか……?

大魔王からは逃げられない……!】

 

 ネタに走る余裕があるようで安心した。 




・椎野
 年上として何かすべきと思い行動した結果、いくつかの福○派団体から悪魔認定を受けた。

・半月
 既にバチカ○から悪魔として認定されている。

・秋山
 話したいことに集中するあまり始めの話題を忘れた。


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彼女に恋は難しい(番外編)

短い


 バレンタインデーに送られてきたチョコレートを使ったチョコレートフォンデュパーティーの参加者は私も含めて四人。主催者で会場提供者の私、マーブリックの三人である。

 何も混入されていないことが確認されたチョコレートを滝にしてバナナやらマシュマロやらを食べるだけの企画だが、材料がバレンタインチョコで今日が二月十六日というバレンタインすぐ後だから、当然ながらバレンタイン当日やら恋人やらの話になった。

 

「椎野ちゃんも恋人の二人や三人作ればいいのに。半年もイギリス行ってたんだし、よさげなのと知り合う機会はたくさんあったんじゃないの」

「いやいや、半年とかほんま短いから。あと知り合った人ほとんど性癖が狂っとる中高年から熟年男ばっかりやし。無理」

 

 ――などというまともな話題だったのは始めの二十分だけだった。久しぶりの飲酒だというチューハイ2缶で酔った椎野ちゃんが「うちかて普通の恋人がほしいんや」と叫んで空き缶を握り潰した。

 

「どうしたんです、椎野さん」

「おうおう、どうしたどうした」

「何かあったんですか」

 

 ちなみに秋山ちゃんには同性の恋人がいて玉城ちゃんはフリー。

 

「見合い話が来たんや……話持ってきたんは顔の広いおばちゃんでな。恋人募集中の男がおるんやけどどない、って」

 

 大阪にもお見合い文化が残っていたとは。よほどの金持ちか田舎にしか残ってないと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。

 

「その男、身長百九十弱、ムキムキ筋肉、三男!」

「椎野さんの好みそのものじゃないですか。高身長、筋肉、長男以外」

 

 秋山ちゃんの言葉に私も頷く。椎野ちゃんは前に「胸板が厚くて高身長が好み。長男以外で」と言っていた。

 

「で、三男だけど長男次男はサラリーマン、三男が農家を継いで田んぼ耕してる」

「うっわ……雲行きが怪しくなってきた……」

 

 前に見合いをした経験がある玉城ちゃんがぼそりと呟いた。

 

「長男既婚だけど三人目のベビーが奥さんのお腹にいて、実家暮らし。つまり三男と同居。次男は知らん」

「その人との結婚は止めておいた方が良いですよ、椎野さん。田舎の農家における長男以外の男子の地位は目糞です。そのうち三男ともども長男に家を追い出されてお仕舞ですよ」

「ウン。でもな、結論出すにはまだ早いんや。ちょっと待ってや、まだあんねん。車がないと生活が不便な土地で、将来的には今ある農地を売り払うつもりらしい」

「なにその地雷原」

 

 秋山ちゃんが意見を翻し、玉城ちゃんは呻いた。そりゃそうだろう、「女が結婚したくないと思う男」の要素を踏み抜きまくっている。

 

「こんな相続やら何やらで揉めてひっちゃかめっちゃかになること間違いなしの不良債権、なんで紹介してくんねん。まともな男教えてくれや……。ってかこの男は何人兄弟やねん……」

「まあ呑めよ」

「我が侭は言わん。多くは求めん。背が高くなくてええし、胸板が厚くなくてもええ――ただ、もう少し、まともな条件揃えた男と結婚したい……」

「呑みましょう」

「呑んでください」

 

 我々は一致団結して哀れな椎野ちゃんを潰すことにし、度数が高めのチューハイを持たせて呑め呑めと勧めた。

 私の知ってる男連中――大学の同期とか先輩とか含む――には農家の三男レベルの地雷原男はいない。椎野ちゃんの知り合いのおばちゃんという人はどんな人脈をしているんだろうか、逆に気になる。

 

「じゃあ私がなんか良さげな男を紹介するってのはどう? 警察から社員から学者から取り揃えてるからさ。椎野ちゃんってどんな顔が好みなのさ」

「イケメンが好きです。でも超イケメンはもっともっと好きです。イケメン無罪、顔の良さは免罪符」

「分かる。で、どんなイケメンが好きか詳しく教えて。私も知ってる相手ならそういう顔用意するから」

「せやな……眉間に皺を蓄えてて、仏頂面で、皮肉っぽく、頭が良くて、痩せぎすじゃなくて、ちょっと髪が長い方で、腕組みが似合い、子供受けしないタイプの三十代男性」

 

 ニッチな趣味だが一人これだという男が思い浮かぶ。原作と違い彼は未婚だし、風見君から貰った調査によれば確か恋人もいなかったはずだ。

 

「京極堂じゃん。好みならモーション掛けてみれば良いのに」

「ちゃうもんスネイプ先生やもん、京極堂ちゃうもん。自分でもこりゃ高望みしすぎやなーて分かっとんねんで、ちゃんと。せやから森の熊さん系男と結婚しようと思て」

「全然傾向が違う気がするんだが」

「うちが欲しいのは本物であってパチモンとちゃうんや。どうあがいても本物が手に入る訳あれへんねやし、しゃーないがな。別の良さげなん探すしかあれへんがな……。ああでも京極堂が嫌って訳とちゃうで、ただ京極堂よりスネイプ先生の方が好きってだけやねん」

 

 なお顔だけなら榎木津も好きらしいが、椎野ちゃんによれば「榎木津に絡まれたらストレスで胃に穴が空くこと間違いなしだから親しくなるのさえ嫌だ」ということでアイドル枠らしい。気持ちは分かる、榎木津はイケメン無罪の許容範囲外だ。いくら顔が良かろうが金を持っていようが、あれを恋人や旦那にするなど自殺行為だ。考えたくもない。

 他はどうかと言えば、先ず椎野ちゃんと半年一緒にイギリス取材旅行した関口については「嫌いじゃないが自虐と愚痴が多くて疲れる」と言っていたから除外。知り合いの大学教授は京○大学の人ばかりだから変人奇人が多く、良くも悪くも常識的な椎野ちゃんに合わないだろう。しかし、私の知り合いで椎野ちゃんが好きそうな感じの顔で今フリーな警察官を紹介したら私達は竿姉妹で穴姉妹な仲になってしまう。それは勘弁して欲しい。

 

 椎野ちゃんを見れば、しくしく泣きながらチューハイを干している。理想がスネイプ先生だと言ってはいるが、京極堂は椎野ちゃんの好みの要素を存分に備えている。京極堂もとい興禅寺に連絡してみよう。

 彼が誰かに積極的に粉を掛ける姿など全く想像できないけれども。

 

 ――その晩、興禅寺に電話したら断られた。




嘘みたいな見合い話だろ以下略。


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Meの腰は軽いに限る

エロくない


 不要不急の外出はするなと政府が言ったことを受けて、社長が「延ばせない事案以外は二週間後ろ倒しにして、人が集まる大規模イベントは中止か無観客にしてネット配信で生放送。全裸ランドについては半月さんが責任もって休園させなさいね、出勤は管理職以外自宅待機でなるべく会社に来るな。その他の人員は特別休暇ね」と決めた。政府とずるずるベッタリな我が社らしい判断……だとはいえ、私は一応これでも次期社長という偉い立場の人なので出勤している。

 

 いつものようにどこぞの部署へ遊びに行くことはできないし、回ってくる書類もほぼない。暇すぎる、とテレビをつければニュースバラエティーのチャンネルだった。

 感染症を専門にする大学教授やら研究所の所長やらがゲスト席で神妙な顔をしている。

 

 ――テレビに出ると大学教授だったり経済学者だったり評論家だったり、経歴が立派な方々と並んで座るのだが、他のゲストの身分の字面が格好良い。私の「ピンクウェーブ役員」の数倍格好良い。私もああいう席で「○○学者」や「○○評論家」と呼ばれてみたい。

 格好良さげに聞こえる資格があるなら私も欲しい。

 とはいえ「なんか格好良さそうなイメージがある資格」には法律系が多く、大学で軽く商法をかじった程度の私にはどれがどういう資格なのかさっぱり分からない。しかし我が相棒の諸伏くんは公務員試験を突破している頭が良い男、分からないことは諸伏くんに聞けば問題ない。

 

 私の机まで椅子を引っ張ってきた諸伏くんと通信教育の一覧を表示したパソコンを共有する。

 

「司法書士って、『司法』書士と言うからには司法試験受けるんだっけ?」

「司法試験を受けるのは弁護士だな。司法書士は司法書士試験ってのを受けるんだぜ」

「弁護士試験って言えば良いのに」

 

 教材代で三十万もするのか。高いだけに難しいに違いないのでパス。

 

「行政書士は?」

「ざっくり言えば、頼めば行政に書類を作って提出してくれる人」

「自分で作れば良いじゃん」

「お役所は書式や添付書類について厳しく定めているから素人には難しくてな、専門の人が要るんだぜ」

「ほーん」

 

 ちょっと分かった気がする――分かった気がしているだけかもしれないが。教材費は六万円で司法書士の五分の一、素人にも手を出しやすい資格に違いない。

 

「宅建士は土地や家屋の取引のとき、取引に関する重要事項について責任を持つ人。比較的取りやすい資格だが、まあ半月さんの業務には全く無縁だな」

「ほー」

 

 宅建士の教材も六万円ということだから、行政書士と似たような難易度に違いない。

 ユーキ○ンで受けられる法律系の通信教育はこれだけだ。――そういえば椎野ちゃんがナントカ士の資格を持っているとか言っていなかったろうか。玉城ちゃんは前職で介護士を取って、秋山ちゃんは大学で司書を取っている。椎野ちゃんはナニ士だったっけか。頭が良さそうな資格だったという覚えがあるのだが。

 

「諸伏くん、椎野ちゃんが持ってる資格は何だったか知ってる?」

「椎野さんの持ってる資格? いや、俺は聞いたことないな」

 

 法律系の資格だったと思うのだが、興味がなかったからよく覚えていない。「へー資格持ってるんだ、すごーい!」でスルーした記憶がある。

 

「諸伏くんは私が資格を取るなら宅建士か行政書士かどっちが良いと思う」

「宅建士だな」

「それはなんで?」

「宅建士は法律を深く理解して解くような問題はまずないんだ。条文をカッチリ覚える必要もないし、過去問を解きまくったら受かる」

「へー」

 

 ――どうせ時間はあるのだ、宅建の勉強でもしてみようか……そう思ったのだが。

 

「やめとき……半月ちゃんに法律の勉強はあかん。向かん」

「えっ、なんでさ」

 

 次の日、ガラガラの社内をマーブリックが案内するという動画のため出社した椎野ちゃんは私の決意表明に「あかんあかん」と手を振った。そんな痴漢アカンみたいに言わなくても良いと思う。

 

「分かりやすく言おか。半月ちゃんが法律を勉強するとやな……」

「勉強すると?」

「オークションで攻めに競り落とされて囚われの身になった受けやら、借金でやくざの愛人になってどうこうとかいった系統の話が読めなくなる」

「えっ、なんで!?」

 

 玉城ちゃんや秋山ちゃんも首を傾げる。法律を勉強したらこれらが読めなくなるとは一体どういうことだ。

 

「半月ちゃんは頭固いもん。民法を勉強したら、やくざ攻めが受けをオークションで競り落としたら『人身売買はそもそも違法だからこの売買契約は無効、攻めは受けの代金をオークション側に払わなくて良い』とか『受けが売られる元になった借金が死んだ親のものなら、借金取りに返済しちゃ駄目。すぐに相続放棄して逃げろ』とか考えてしまって気楽に話を読めんようになるし、金持ち攻めが貧乏受けに対して『お前にマンションを買ったんだぜ』と言ったら『愛人契約のための不法原因給付ですね分かります。まあ書面によらない譲渡だから引き渡しされた時点で既にマンションは受けの所有物だよね。でも一応登記を確認しておいた方が良いかも、いつでも売って金にできるから』とか考えるようになってしまうんや……。刑法を勉強しても『はい暴行罪成立しましたー、はよ警察に駆け込め』とか考えるようになってまう。間違いない」

「なるほど、そういう」

 

 秋山ちゃんが納得したと頷いたけど、私には椎野ちゃんの言葉が魔法の呪文にしか聞こえない。

 

「ごめん全部呪文に聞こえる。椎野ちゃんってなんの資格持ってるんだったっけ」

「行政書士。行政書士は国家公務員一般より難易度低いから公務員目指してた人にお勧めの資格なんやけど、法律に関する理解がある程度必要になるから法律初心者がテキストだけで合格水準の知識身に付けるのは難しい。もし受かりたいんなら塾に通うのとかメールで質問できるタイプの通信教育を推奨やね」

 

 どうして自衛隊に入ったのか聞いたとき、椎野ちゃんが「国家公務員も裁判所職員も一般企業も落ちたけど公務員の安定した地位と給料と満期金が欲しかったし、自衛隊は共済組合貯金の利率が最高」と言っていたのを思い出した。

 陸自ってどうなのと聞いたら「陸の女は筋肉のついた陽キャが多いから貧弱な人にはお勧めできん」と言われ、じゃあ海自は良いのかと聞いたら「海の女は船の中で嫌われるぞ。陸勤務ならまだしも、船に乗るのはお勧めできん」と言われ、なら椎野ちゃんがいる空自はマシなんだなと聞いたら「エル知っているか、空自は網走にも分屯基地がある。ヘケッ! 空自の基地は僻地祭りだよ!」と言われた。何故海の女が船の中で嫌われるかについては「女を船に入れたせいで居室からシャワー室までの全裸ダッシュができなくなり面倒が増えたから」だそうな。船上生活は大変だ。

 

「法学部ってそこらへんの私大じゃアホウ学部とか言われてるけど、行政書士って法学部出身ならすぐ取れるような資格だったりするの?」

「あー、そらー無理無理。近畿圏における高偏差値有名私立でも教授が自分の著作買わせるためだけに開講してるような授業もあるし、法学部で授業受けてたら法律が必ず身に付くってわけやない。

 法学部は卒論があれへんし、卒業生には法律の言い回しをちょっと齧った程度で満足して四年間ウェーイってやってた無能もおる。自分で積極的に情報集めてまともな教授捕まえた学生なら行政書士も楽々受かるやろけどね、法学部なら誰でも受かるって難易度とはちゃうよ」

 

 確かに。うちの学部でも学力や真剣さの差が激しかったのだ、法学部が真面目人間ばかりなはずがない。

 

「だから椎野さん凄いんですよ、行政書士の資格取ってるってこと」

 

 秋山ちゃんが言うのにウンと頷く。法学部なら誰でも取れるわけではない資格を、椎野ちゃんは真面目に勉強して取ったのだ。尊敬してまうやろー。

 

「いやそんな褒めんといてぇな。うちそんな偉うないねん。弁護士とか司法書士とか税理士のが勉強する範囲広いし、難易度高いし、公務員受からんかったし、お祈りメールばっかもろた……し……」

 

 椎野ちゃんの背中は丸くなり、肩は落ち、目は死んでいく。

 私には関係なかったが、私たちの就職活動は就職氷河期の最後っ屁の時期に被っていた。文学部で国文学を専攻していた私大卒の女などポコポコ落ちまくったに違いない――人生二度目なのに不器用な椎野ちゃんが可哀想で涙がでちゃう。

 

「でもほら! 資格取ったんだから凄いって! 行政書士の免許証とかそういうのあるんだよね。見てみたいなー、滅多に見ることないし是非見てみたいなー!」

「そうですよ! 椎野さんのちょっと良いとこ見てみたい!」

「免許証、私も見てみたいですから、ね!?」

 

 闇落ちしそうな椎野ちゃんを光の世界に連れ戻すべく褒めに褒めたが逆効果だったようで、遂に燃え尽きてしまった。二人掛けソファーに引きずっていき転がしておいたからそのうち復活するだろう。

 

「ところでさ、秋山ちゃんはいつ法律勉強してたの。そんな暇なかったと思うんだけど」

「大学で長期休暇に公務員試験講座がありましたから、そこでしましたよ」

「休みの時まで大学で勉強するとか正気じゃねぇな……」

「ですです。私だったら頭パンクしますね」

 

 秋山ちゃんの勉強に対する情熱が半端ない。夏休みというものは家でクーラーガンガンにかけてアイス食べながらテレビを見たり、図書室で秀才イケメンの隣の席に座って本を読んだり、プールや海で男をナンパしたりナンパされたり、友達とバーベキューしながらビール缶を何本も空にするための期間のはずではなかったのか。それが普通の夏休みじゃなかったのか。

 三月は追い出しコンパで酒を呑んで、四月は新歓コンパで酒を呑んで、五月はゴールデンウィークだから酒を呑んで、六月は雨が憂鬱だから酒を呑んで、七月は夏休みになるから酒を呑んで、八月は炭火の焼き肉が美味しいから酒を呑んで、九月は大学が始まるから酒を呑んで、十月はキノコが美味しいから酒を呑んで、十一月はなんだか寒いから酒を呑んで、十二月はターキーレッグが美味しいから酒を呑んで、一月はお餅が喉に詰まらないように酒を呑んで、二月はチョコレートを肴に酒を呑んで(そしてベッドにもつれ込んで)いた私と秋山ちゃんは根本的に違うようだ。

 

「椎野さんはああ言いましたけど、半月先生が勉強するなら応援しますよ。法律は知れば知るほど面白いですから」

「面白いと思えるか不安しかないわ。……資格取りたいとかそういうの抜きにして気になったんだけど、宅建士って行政書士と似たような資格って感じでOK? 諸伏くんには宅建士を勧められたんだよ」

「全然違いますね。先ず難易度が違います、宅建の方が優しいです」

「へー」

「へー」

 

 ユー○ャンでどちらも六万円だったから同じレベルの資格かと思ったのだが、秋山ちゃんの話によれば違うらしい。中学と高校の公民で憲法に触れた程度の玉城ちゃんと私は全く法律のほの字も分からないから「へー」と言うしかない。

 

「興味がなさそうですね……。そうだ、大多数の人がこれを聞くと法律を勉強したくなるっていう話がありますよ! 賃貸マンションを引き払う時に敷金を返されますが、『日常生活』による経年劣化を原因とした壁紙や畳の張り替えなどの費用は、貸主の負担です」

「嘘ぉ、私前のアパート出るときに畳の張り替え代請求されたんですけど!?」

 

 玉城ちゃんが悲鳴を上げたが、流石にそれは私も知っていた。

 

「他はそうですね、故意に親や兄弟を殺したら両親の遺産を継ぐことができない、とか。このコナンワールドには良くある事件ですが、親殺し兄弟殺しはすごく損です」

「えっ、なんで?」

「被相続人……これは遺産を残した人のことですが、その被相続人や、自分と同等に遺産を受ける権利を持っている人……兄弟とかですね。これらを故意に殺したり殺そうとしたりした人は相続人としての地位を失うんですよ。だから親を殺したり兄弟を殺したりすると、刑務所に放り込まれて職を失うわ、遺産も受けとれないわ、ということになります」

「へー」

「遺産なんてほとんどない身には縁遠い話ですねぇ」

「私は親子の縁切られてるぞ」

 

 沈黙がその場を支配した。

 

「……話を変えましょうか」

「それが良いね」

「そうしましょうそうしましょう」

 

 満場一致で話題を変えることにした。

 

「あっそうだ、親の縁と言えば民法に親族関係というものがありまして」

「ちょ、話変えようって言ったじゃん!」

「……くくく、馬鹿め。秋山ちゃんに語らせれば満足するまで話が変わらぬことなど知っていたろうに……」

 

 知らぬ間に椎野ちゃんが復活して隣の簡易キッチンでカフェオレを作っていたようで、お盆を手にテーブルに戻ってきた。コーヒーの美味しそうな香りが漂う。

 

「ま、コーヒー牛乳でも飲んで気分変えようや」

 

 椎野ちゃんのお盆には人数分のカフェオレが載っている。

 

「コーヒー牛乳ってなんですか? カフェ・オ・レでは」

「やめてや今度はジェネレーションギャップネタ持ってくんの。心の隙間に刺し込むような鋭いナイフでお姉さん瀕死の重傷ですわ」

「何気ないジェネレーションギャップが椎野ちゃんを傷つけた」

「えーっとカフェオレとコーヒー牛乳って同じものですよね! ね!」

 

 胸を抑えて苦しむ椎野ちゃんは元気そうだ。しかし、秋山ちゃんの世代にはもうコーヒー牛乳の表記はなかったのか……私は銭湯やスーパーの売場で見た覚えがあるけど、秋山ちゃんは名称変更後しか知らないのだろう。玉城ちゃんがギリギリ記憶にある境界かな。

 

「秋山ちゃんは銭湯でコーヒー牛乳を見たことがない世代なのか……」

「ひぇっ、時代を感じるぅ……」

 

 恐怖に震える我々三人に、いやいやと秋山ちゃんが手を振った。

 

「銭湯が元々なかったんですよ。山の奥だからどの家にもお風呂があったので近所になくて……あ、憲法判例の公衆浴場距離制限は知ってますよ!」

 

 その判例とやらには興味がないから別に知りたくないし説明してくれなくて良い。

 

「うちみたいな田舎でもどの家にもお風呂があるので、むしろ大阪に銭湯が残っているのが不思議です。東都に来たときも銭湯があちこちに残っていてビックリしましたし」

「へぇー。玉城ちゃんはどう? 近所に銭湯あった?」

「うちは……そうですね、車で五分のところにありますね」

 

 私は近所に大きい温泉があったから銭湯はなかった――もう潰れたけど。椎野ちゃんの実家は自転車で五分のところに銭湯があるという。

 

「うちの近所の銭湯はまあ寂れてますけど、細々と生き延びてますね……。なくなると困るって人がいるんだと思います」

「うちんところは文化住宅とか市営住宅とか、風呂がない家の多い地域が近かったから銭湯も繁盛しとったみたい」

 

 秋山ちゃんの「文化住宅……?」という言葉で、この話題も変えることに決まった。今日は地雷祭りなのだろうか。

 それと今日の話題は「私が先生と呼ばれるために取るべき資格について」であり、私に格好良い称号を付けられる楽で簡単な方法が何かないかについて話そうというものなのだ。アラウンド九十年生まれを二十一世紀少女が泣かせる会合ではない。

 

「んな都合のええ資格なんて存在せーへんて」

「地道に勉強しましょう」

「そんな資格があるなら私も欲しいです」

 

 知ってた。




・半月
 酔ったときの絡み方がうざいと評判。

・椎野
 あまり呑まない。

・秋山
 酔った半月のアルハラが酷いので酒が呑めない振りをしているがザル。

・玉城
 呑めない。


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日本のエロスはそんなこと言わないよ

時事ネタ


 私が宗教団体その他の団体から命を狙われているため業務や人員を都市部に集中させず各地に分散させていたことにより、今のところ我が社に感染者はいない。テロ対策で準備していた様々なこと――食料品や衛生用品を含む――がまさかウィルス対策で役に立つとは想定していなかったが、緊急時に「やれ出勤なしでの業務はどうする」「マスクがないぞ」「消毒液もだ」と慌てずに済んだのはテロ対策室のお陰である。

 

 夢の基地こと新本社は既にいくつかの建物が九割方完成しており、その中には単身者用アパート三棟も含まれる。そこに東都本社勤務社員の体調不良者を放り込むと決めたのは社長だ。「ただの風邪だったとしても、今の時期では誰だって家族を危険に晒したくないでしょ」と、経営者としても人間としても見習うべき神対応だ。ちなみにアパートには水だけでなく電気もガスも通っていないので、バス会社から車のバッテリーをレンタルして各部屋にタコ足を這わせた。水はウォーターサーバー。

 これらの事情によりお風呂に入れない不便な環境だが、家庭内感染させるより良いと言って引きこもる社員が今のところ二十人ほどいる。これを見通していたとはさすが社長、人徳と能力を兼ね備えた男。あと十年くらいは社長の座にいてほしいのだが、そろそろ自立しろと怒られたので諦めるしかない。

 

 ――ほぼ業務はストップしているから仕事といえる仕事は午前中に頑張れば終わってしまうし来客もないのだが、責任者が毎日半ドンで帰宅というのは憚られる。あと、会社へはわりと頻繁に取引先から電話が掛かってくるから誰か責任者が常駐しておいた方が良い。しかし数年前に喫煙が原因の脳溢血をした社長は自宅に押し込んでおかなければならない……というわけで、体調が良く既往症もない私が会社で寝泊まりすることになった。

 むろん寝床はある。取り扱う製品の都合上、我が社は本社ビル内に浴室やシャワー室、ちょっとスケベな雰囲気のあるベッドルームも備えているのだ。

 

「泊まり込みに来ました」

「職場で缶詰されに来ました」

「私が来た」

 

 本業の都合で諸伏君は私の泊まり込みに付き合えない。警備員さんがいるとはいえ一人で寂しい夜を過ごすのか――と思っていたらなんと、マーブリックの三人が駆けつけてくれた。

 

「三人とも……!」

 

 本社内には狭めだがベッドルームは三つある。一人あぶれる計算だが、椎野ちゃんは災害時用に十台ほど買っておいた野営ベッドかソファーを繋げた上で寝て貰えば良いだろう。寝袋も持ってきているようだから問題ないはずだ。

 警備員さん用の宿直室は使えないし。

 

「除菌用品も持ってきたで。キエルキ○ってやつ」

「あ、それテレビで観たことあるー!」

 

 前々からリモートワークを推進していたこと、今は私が決裁すべき業務もほぼないこと等々、縮小営業中の我が社は十五時退勤だ。これは十五時に帰宅準備を始めるという意味ではなく十五時に会社のゲートを出るという意味で――それから私はずっと暇だということだ。

 応接室という名の休憩室で、ピー抜き梅風味の柿の種をざらざらと四つの皿にあけながら椎野ちゃんがため息を吐いた。続いてGHクレタ○ズのチェダーチーズポップコーンが柿の種を覆い隠し、大粒ラムネは袋ごと渡された。飲み物は各自でペットボトルと紙コップ。私はウィルキンソ○のジンジャー、玉城ちゃんはゼロカロリーのペ○シ、秋山ちゃんは缶コーヒーで椎野ちゃんは濃いめのカ○ピスと選ばれし綾○。

 

「というわけで、こちらにありますは会議室からパクってきたプロジェクターとスクリーン、このちょっとお高めのスピーカーはレンタル品だから取扱い注意」

「これから何が始まるんだ……!?」

「ジメジメした気持ちを吹き飛ばそうということで、ホーム○ローン2上映会、はっじまーるよー! ホームではない場所でアローンではない我々が見るにはええんちゃうかな、2の舞台もホームちゃうけど。現大統領でウォーリーを探せごっこが出来るのも魅力的やし、他にもDVD持ってきてるから次は好きなん選んでな。ちなみに見ている人間を鬱にする映画として『出口の○い海』と『八甲田山』も持ってきたある」

「その二つはパスで」

 

 これだから元自は。

 

「他にもお勧め映画はたくさんあったんやけどなぁ……こっち、性の規制厳しかったやん。今も海外はキリキリ表現の自由締め上げられてて笑えんし。そのせいで消えた偉人、消えた名作、消された歴史とその遺物はたくさんある」

「いるねぇ」

「いますねぇ」

 

 秋山ちゃんも頷いた。きっと私より、ど健全に改変された神話を元の不健全な姿に戻そうという学者連中と一緒に仕事をしている秋山ちゃんの方がいっそうそう思っているに違いない。

 

「芸術品もせやけど、映画でも消えた作品は数知れず……男は○らいよシリーズ、この世界で見たことある? あらへんやろ? そらそうや、存在せんのやもん。フーテンの寅さんの『フーテン』がな、あっちこっちで女と仲良くなるのがダメ。日本のヒッピーやもん。裸の大将の聞き覚えは? ないやろ? そらそうや、モデルになった画家の山○清自身が全く評価されとらん。まるでダメ。さいなら」

「酷すぎわろた」

「マジかぁ」

 

 玉城ちゃんは全く笑っていない顔で「わろた」とか言っている。笑えないわな。

 

「こっちは洋画やけど、ヒッピーがブームになったからこその映画『イージー・ラ○ダー』はまるで別の代物と化した駄作やし、『天使にラブ○ングを』は主人公がマフィアの愛人って設定からしてダメ。本当の父親が誰か分からないというビッチママが問題なんやろな、『マンマ・ミ○ア!』もない。『アダムス○ァミリー』は宗教上の柵から原作が存在せん。一気に年代が若返るけど『トワイラ○ト』『ダークシ○ドウ』といった『人を無差別に襲わない、思考回路がまともなモンスターがヒーロー』な作品も軒並みバイナラまた来世。『ミュータント・タート○ズ』は見た目が怪物、バイビー。魔法や魔訶不思議な道具がバンバン出るから神の奇跡を損なうとして『ナルニア○物語』『大魔法使いクレスト○ンシー』『果てしない物○』『指輪○語』系統は映画化以前に原作が生み出されてないか、少部数発行のち絶版。ゲドもない」

「終わってんな」

「人から聞かされると心にぐさっと来ますね」

 

 言論統制レベルじゃなかろうか、これ。

 

「邦画に戻るんやけどさ、これがほんまに残念なんやけど、黒○明監督の遺作『まあだ○よ』がないんや。太閤記でボンバーこと松永を、男はつら○よで二代目おいちゃんを演じた松村○雄の演技が魅せてくれる名作中の名作! ほぼ一から十まで松村達○が語っているような映画やけど、ほんまにこれは良い……良かったんや……良かったんやで。でもな、モデルで原作者の内田百聞が文壇に存在せんのや」

「ちなみに舞○の森鴎外もいませんねぇ」

 

 ため息を吐く椎野ちゃんと秋山ちゃんには悪いが、私は内田百聞の名前なんて初耳だし○姫はタイトルしか知らない。舞-H○MEは知ってるけど。あと私の分かる範囲の作家で言えば太宰治がいないのは知ってる。この世界は本当に大丈夫なんだろうか。

 

「とりあえずさ」

 

 手を伸ばしてプロジェクターのリモコンを取る。

 

「そんな話してたら鬱になるから、映画見ようぜ」

 

  ちなみに日本の忍者ファンタジーは「忍者だから」という理由で問題ないらしい。判断基準どうなってるんだ。陰陽師も「日本だから」良いのだとかなんとか、どうにか理由をつけてファンタジー作品を観たいという気持ちが透けて見える。

 

 ――大統領が若いことに一番盛り上がった上映会が終わったのは十八時になろうという頃だった。

 

「ホームアロ○ンってマフィアのボスとホテルマンのBLシーンもあったんだね。忘れてたわ。……跪いて、愛していると言ってみろ」

 

 三人は目を見合わせて、ホテルマン♂役を押し付けあった。結局玉城ちゃんがホテルマン役になったらしい、何とも表現しがたい歪な作り笑いを浮かべて手を揉んだ。

 

「……愛しております、お客様」

「もっと真剣に言え!」

「「「愛してますぅー!」」」

 

 血だらけのメリークリスマスだ。良い年が来るぜ。……まだ四月だけど。

 

「ところで先生は夕飯どうするとか考えてました?」

 

 秋山ちゃんは柿の種にたどり着いてない皿を遠い場所に押しやった。

 

「私は……レトルトとかカップ麺を秘書室に積んであるから、そこから食べていこうかと。でも今日はもう何か食べたいとは思えないね。皆はどうすんの? 何持ってきた?」

「聞いて驚け、ホットプレートと電気圧力鍋と調味料の類を持ってきた」

「椎野さんに言われて食材持ってきました。ぷち○と鍋とかも」

「私は袋麺に鍋や食器です」

「神降臨かな」

 

 常温保存以外の食材は秘書室の冷蔵庫に入れさせて貰いました、と玉城ちゃん。三人はそれぞれ持ってくる物を決めて来たらしく、腕力と体力に自信のある順で重く嵩張るものを持参したとか。

 玉城ちゃんは元介護だから食材係になったのだろう。

 

「――仲間って、良いね」

 

 そして、翌日の夕飯はタコ焼きだった。



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ハッピーウェデ○ング前エロス

 半月の仕事は手広く、性風俗に関するものからファッションまで手掛けている。財閥ほどとは言わないがピンクウェーブが回す仕事が業務の八割を占める……という中小企業は数多く、もしピンクウェーブが倒れれば国内外で大規模な金融恐慌が起きるだろうレベルで経済を回している。

 彼女の保有する様々な資産は――もし彼女が志半ばで斃れることがあれば、彼女の両親に相続される。しかし調査によれば彼女の両親は「性行為は子作りのみのためのもの」という思想に従って生きている近現代の典型的な夫婦で、祖父母や一定年齢以上の親類縁者も同様。性行為に否定的な思想を持つ彼らにカラメル半月の資産や権利が流れれば……どうなるかなど考えたくもないが、彼女の資産が紙屑にされることは間違いない。また、彼女が死ねば「積極的に性風俗の復活を肯定する」ことで改善された国内の治安は再び悪化するだろう。

 

 カラメル半月を死なせてはいけない。もし死んだとしても、遺産を両親に相続させてはならない。

 死なせないために護衛を付けたが、残念ながら人が絶対に死なない保証などない。治安が微妙な東都であれまだ治安がまともな地方であれ、人が死ぬ理由は殺人被害のみではない。人は病気で死んだり、事故で死んだりもする。死は案外身近にある。

 

 ところで、相続というものは揉めるものと相場が決まっている。 二十年以上相続で揉めているような例も珍しくない、と言えば分かりやすいだろう。

 たとえ故人が「個人資産は全て国に寄贈する」と遺言をしたとしても遺族には遺留分――国が法律で認めた「相続できる」権利――がある。未婚の半月の場合は、彼女の両親が彼女の有する財産の三分の一を相続できる。

 だが半月が既婚であれば話は変わる。既婚子なしなら両親の遺留分は六分の一、配偶者の遺留分は三分の一。既婚子ありなら両親の遺留分はない。よって、半月には結婚し子を産んでもらわなければならない。または養子を迎えてもらわなければならない。

 

 とはいえ、彼女の結婚相手は厳格な選定をするべきだ。政争に参加されては困るので政治家は除外、芸能界は当たり外れが大きいのでとりあえず除外、省庁の国家公務員総合職は個人に権力が傾き過ぎるので除外、財閥関係者は経済界のパワーバランスが変わり過ぎるので除外、大学教授や一般人は要警護対象が増えるだけなので除外、海外のナンタラの社長やらなんやらは野心が強すぎるので除外。警察庁と警視庁のダブルチェックで彼女の身近にいる未婚の男を一人一人調査した結果、指名を受けたのは――諸伏だ。

 血の繋がった兄は刑事であり、有事の際には保護しやすい身分であること。兄弟そろって警官のため一般企業とのしがらみがないこと。カラメル半月と同い年で、捜査官育成の際の教育を通じて精神的・物理的に距離が近いこと。ある程度「見られる」容姿であること。自分で自分の命を守る手段を持っていること。その他様々な要素を満たす、政治的に一番都合の良い男が彼だった。

 

 ――諸伏は半月が嫌いではない。好きか嫌いかと言えば好きだ。半月と一緒に過ごす時間は楽しい。

 だがそれだけを理由にして彼女と「家族」になって良いのか。カラメル半月は「性行為は愛を伝え合える行為である」と広めたが、気持ちの良い性行為に愛は必須ではない。半月と諸伏の性交は愛を確かめ合うためのものではなく、ただ快楽を得るためだけの物なのではないかと……家族になるためのものではないかもしれない。それが諸伏に二の足を踏ませていた。家族とは――もっと、愛に溢れ、思いやりに満ち、落ち着いた関係のことを言うのではないのか?

 

 マイノリティな性的嗜好を持つ人々への差別に怒る半月を諸伏がどうどうと止めていた際、彼女の口から「責任をとれ(結婚しろ)」という発言が出た。

 

 その時、この任務について上官から直接指示を受けた時の会話が諸伏の頭に思い出された。

 

「苦労するぞ、お前」

 

 何を言いたいのか分からず「苦労ですか」と単語を繰り返せば、上官は深く頷いた。

 

「一度結婚してしまえばもう離婚なんて許されんだろう。残る人生ずっと任務で消える」

 

 それはどうだろう、と思ったのだった。苦しい任務だろうか、と疑問を抱いたのだった。

 

 なぜなら、半月は教官と生徒だった時から諸伏らの気持ちを尊重してくれていた。諸伏がよしよしおねショタセックスに目覚めた際には諸伏と半月の二人で実演し、同期の女子生徒が赤ちゃんプレイに目覚めた際には半月はわざわざ成人サイズのよだれ掛けやらおむつやらまでも用意して全力で女子生徒のママになってみせた。同年代の女子に胸を吸われながら「なるほどこれがおっパブ」となにやら頷き、数ヶ月後に「おっぱいを吸う」だけの風俗店を立ち上げた。諸伏にその趣味はないが、話を聞くに盛況らしい。

 「ただ異物感を耐えるだけ」「ただ刺すだけ」だった男女の性的なあれそれを楽しく気持ち良いものに変えるという信念の下、半月は様々なことを諸伏らに指導してくれた。刹那的で快楽主義な面が少しばかりあるが、半月は真面目で努力家だ。目的を果たすのための苦労を厭わない人だ。

 

 ――半月と行動を共にするようになり数年が過ぎたが、彼女を一番愛しているかは分からない。高校時代に付き合っていた彼女の方が輝いて見えたし、実を言うと未練もある。

 だが任務の円滑な遂行のため諸伏は彼女と結婚するべきで、彼女には死なれては国益を損なうので簡単に死なれては困る。彼女とのセックスは解放感があり気持ち良い。信念を貫く姿には尊敬の念を覚える。

 

「先生、俺とじゃ嫌か?」

 

 諸伏を振り返った半月の目は見開かれていたが、嫌悪感は浮かんでいない。諸伏との交際により生じる利益について計算をしているようだ。

 

「結婚を前提とするお付き合いなら良いよ」

 

 それで命が保証されるなら鉄の首輪を付けられることも厭わないのだろう半月に、諸伏は「もちろん!」と笑顔を浮かべ頷いた。




短くて申し訳ない。ネタの内容的にコメディ向きじゃなかったのでシリアスな描写を頑張ったんですが、私のシリアスの執筆レベルは低いようです。


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ど根性下剤ラン

下剤とかそういう方向の下ネタがありますのでご注意下さい。


 出勤したら、私宛に本社ビルの爆破予告が届いていた。なんだか昔懐かしい気持ちになる、新聞の見出し文字を切り貼りして作られた脅迫文だ。

 

 こんなの届きました、とにこやかな笑顔で脅迫文を持ってきてくれた秘書室の子に警察へ連絡してくれるよう頼めば、もう電話しましたと言う返事。割りとよくある脅迫だからか慣れたものだ。

 本体は警察に提出してしまうから、警察が来る前にコピーを取り脅迫状ファイルに綴る。ファイルの紙束はまあまあ厚い。

 ちなみに脅迫状ファイルの他には暗殺未遂ファイルというのがある。液体を掛けられたとか路上で襲われたとか狙撃されたとか、その時の状況や犯人(ないし組織)の情報をまとめて綴っている。こっちもまあまあ厚く、なんとなく測ったら六センチ近い。乾いた笑い声が漏れた。事件一件につき書類一枚というわけではないから嵩が増えるのは仕方ないことだとはいえ、これだけの量があると心に来るものがある。

 

 命狙われ過ぎだよぉ辛いよぉ、と秋山ちゃんたち三人とのグループトークにメッセージと画像を送れば「草生やして良いんですかこれ」「藁」「新聞の切り抜き方にこだわりを感じなくもない」という返信が来た。ドラマで見るような脅迫状にこれ以上の感想がでないんだろう。どの文字も綺麗な正方形に切られているから、テンプレートを使ったに違いない。

 私はとっくに慣れてしまったことだとはいえ、まだうちに所属したばかりで付き合いの浅い三人とも私を心配してくれ、秋山ちゃんが代表してお昼前に本社ビルへ来てくれることになった。勤務中の椎野ちゃんが来ないのは当然として比較的近所に済んでいる玉城ちゃんがどうしてこっちに来ないのかと言えば、昼から病院の受診予約があるからだ。

 けっして秋山ちゃんが暇人だから代表になったわけではない。

 

 お昼ごはんは秋山ちゃんからの差し入れの野菜たっぷりサンドイッチと名前が長いコーヒー。来客用テーブルにお店を広げ、脅迫状ファイルをその横に置く。

 

「見てよこの厚み。何て言うか……その……悲しいことなんですが、フフッ……前にちょろっと見せたときより厚みが増しちゃいましてね……。この世界の人たちってマジで殺意が高杉君。前は殺害予告、その前も殺害予告、今回はビル爆破予告で『お前を殺す』。やばい」

「なんともかんとも……草も生えない厚みですね。押さえつけられた性欲の発散に殺人衝動が増幅されているとかはないでしょうか?」

「ああーありそう。なかよし(セックス)するって言うし、ラブラブセックスで人の心が豊かになるってことかな」

 

 つまり(ラブ)は地球を救う。某チャリティー番組も真っ青な救い方だ。募金不要で誰でも今日から始められる、素晴らしい。

 痩せの大食いなのでサンドイッチはペロリと消えた。ゆっくり上品に食べてる秋山ちゃんと私では育ちが違うのだよ、もちろん悪い意味で。

 

「半月先生って食べるのはやいんですね」

「あーそりゃ、口が大きいのと噛まずに飲み込むせいだわ。噛めって何度も言われたんだけどもう癖になっちゃってて。でも最近なんでか食欲ないんだよね」

「早食いは体に悪いですよ」

 

 この二ヶ月後、年一の健康診断で引っ掛かった。胃がんになりかけだったそうで、有難いことに日帰りで済んだ……が、消化器内科の医者から「半月さんは消化器が少し弱いようですから、来週は大腸を診ましょうか」とにこやかな笑顔で予約票と処方箋を出された。

 

「いやいや身内には胃がんしかいないですから私! それにほら、今回の胃がんは日々のストレスが原因だと思うんですよ。私ってば色んな組織や個人から命狙われてますし? 大腸の検査とかする必要がないと思うんです」

「ストレスは体に良くありませんよ。それにがんは遺伝性のものだけじゃありませんから、ちゃんと調べましょうね」

 

 嫌だ無理だと泣いても喚いても状況は変わらず、諸伏くんは医者の手先になり、あれよあれよという間に検査前日。

 

 一人で受けるのは嫌だったからマーブリックの三人を巻き込んだら親の仇のごとく罵られることになった。秋山ちゃんが「まあ、良い機会だということで今回は矛を納めましょう。どうせそのうち検査は受けないといけなかったわけですし」と言ってくれたお陰で収まったけど、「このクソアマ! 下剤だけに!」と怒られるのは流石の私も堪えた。バカアホは良いけれど、否定できない罵倒をするのは止めてほしい。

 翌日に検査を控えた今晩は、諸伏くんの運転する車で病院に行くため我が家で前泊。女四人で楽しいお泊まり会だ。椎野ちゃんにはわざわざ有給を取らせてしまい申し訳ない気持ちもあるけれど、隊の健康診断では大腸内視鏡検査をしないらしいから、この機会に検査してしまえば良いと思う。

 

「二十一時に飲むマグコ□ールっていう液剤はネット情報によるとスポドリっぽいそうです」

 

 玉城ちゃんがスマホ画面をスクロールしながら言った。

 

「へー」

「つまりスポドリと偽って下剤を飲ませることができるんか」

「それは草。でもまあ美味しいに越したことありませんから、スポドリ味なのは良いことですね」

 

 その日の晩までは良かった。寝る前に一度トイレに行って皆で雑魚寝だったから良かった。だが我々は間違えたのだ。

 一般的に、マンションの各家庭のトイレは一つ。ファミリー向けでも単身者用でも一つだ。……つまり、我が家にトイレは一つしかない。

 

 下剤を飲むことの意味を、我々四人は全く考えていなかったのだ。

 

「はよう、はよう出ろ……さっさとひり出せ……」

 

 トイレの扉の向こうから椎野ちゃんの呻き声が聞こえる。九時から飲み始めた下剤――モビプレ○プはとても強力だった。

 

「あと十分」

 

 便座に腰かけたまま応えれば、トイレのドアノブがガチャガチャ鳴る。

 

「ざけんな半月……ぶっ殺すぞ……」

「なるほど、新手の拷問です?」

「我々は客ですよ。ホストたる家主がトイレに引き込もってどうするんです」

 

 秋山ちゃんからの当たりが強い。

 

「お泊まり会とか言い出したのって誰でした?」

「せめてホテルに泊まっていればこんなことには……」

「某薄型で軽快な紙パンツがほしい。家にはあるんです」

「漏れる……栓が決壊する……」

「何が悲しくて女ばかり四人でトイレの奪い合いしなきゃいけないんですか」

「うう……今だけアナルプラグがほしい……今だけで良い……」

「そんな! 尻開発否定派の姉さんがプラグだなんて――もう姉さんは限界だ! 半月先生早くトイレから出てください!」

 

 ドアをドンドンと殴ったのは玉城ちゃんだろう。玉城ちゃんと椎野ちゃんの二人は血の繋がった姉妹じゃないけど本当の姉妹のように仲が良い。

 だが、そんな姉妹愛に溢れたことを言われても、私は便座から立つことができない。私の尻にも現在進行形で愛が溢れているのだ。

 

「三人は知らないだろうけど、この便座と私のおしりは愛し合ってるんだよ。引き離すなんてそんな無情なことは……私にはできない……」

「うるさいわさっさとトイレ出ろや! 姉さんの尊厳のために!」

 

 トイレの鍵は特にこだわらない限り小銭があれば外からでも開けられるタイプのものだ。外から鍵を開けられてしまい、よぼよぼで要介護2の椎野ちゃんは元介護職玉城ちゃんのサポートにより便座に座らされた。

 私は放り出され失意体前屈の姿勢、音姫がトイレのドア越しに響く。放り出された衝撃で今の私は自分の括約筋に信用が置けない。普段から括約筋のトレーニングをしてるけど下剤には勝てなかったよ……。

 

「決めた。二度と大腸検査前のお泊まり会なんてしない」

 

 床を見つめながら宣言する。お尻の確認をするのが怖い。

 

「異議なし」

「二度とごめんですね」

「お腹辛い……しんどい……」

 

 秋山ちゃんからの当たりが強い……。

 

 よちよちとトイレから出てきた椎野ちゃんが「もう……ゴールしても良いよね……?」と青ざめた唇を痙攣させたけど、「今回ギブアップしても、どうせそのうち検査しないといけないんだよ」と正論を振りかざして下剤の続行を促す。また絶食からやり直す苦労を考えれば、今日このまま四人全員で励まし合いつつやりきってしまった方が良い。

 現状は励まし合うと言うよりトイレの使用を巡り罵り合ってるけれども。

 

 浴室で下半身の尊厳の確認をしてから居間に戻れば三人とも既にテーブルに戻っていた。一人一人の前に鎮座ましますモ○プレップの袋にはまだ1リットルを超える量が残っている――我々の戦いはまだ続く。

 

「まだこんなに残ってますからね、先は長いです。頑張りましょう」

「うぇっ……もう無理……味が先ず無理……辛い……」

「姉さん、ただのお水と交代で飲むとお水が甘く感じて美味しいよ」

「……うんっぷ」

 

 椎野ちゃんはモ○プレップの味が合わないらしく青い顔で、容器に差したストローからチューチューと吸っている。

 時々えずく声が響く居間は静かだ。さっきまでの大騒ぎがなんだか懐かしく感じる。

 

「なあ、うぇうぇ言っといてなんやけど、何かハナシしてくれん?……こう、シモではなく……もっとこう……気が紛れるような……うち横で聞いてるから……おぇっ!」

 

 だから椎野ちゃんの提案に皆頷いた。

 

「そうですね。黙ってひたすら下剤を飲んでいるとなんだか気が滅入ってきますし」

「そうしよう。静かで寂しいと思ってたんだよね」

「気が紛れるようなって、どんな話が良いですかねぇ」

 

 数時間後に大腸カメラが待っているせいで、話題は『既往歴や持病』になった。

 

「特に既往歴なし、のはず。親不知抜いたってのが既往歴に入るなら親不知くらいだね、きっと。持病はなーし」

「胃がんになりかけって言ってませんでしたっけ」

「あー忘れてた。そうそう胃がんの初期だったんだわ」

 

 内視鏡検査のついでで手術をしてもらったから、正直に言って、がんだったという実感は全くない。がん保険で三百万が下りるそうだが「そんなに貰っちゃって良いの? 初期も初期だから転移もなにもないのに?」の他に感想と言える感想がない。自覚症状なんて無かったし。

 

「我々を大腸カメラに巻き込んだ理由、そんな簡単に忘れます?」

「それはまあその通りなんだけど、スコーンと忘れてたね」

 

 玉城ちゃんは納得していない顔だが、秋山ちゃんはこくりと頷いた。

 

「確かに実感が無いと忘れますよね。喉元過ぎればなんとやらと言いますし、半月さんは切り替えが速いですから忘れていたのも仕方ないのかも。

 持病なら私はハウスダスト、ブタクサ、その他いくつかの果物や野菜が軽度重度は横に置いといてアレルギー持ちです。一番ひどいのがハウスダストで。あとアトピー性皮膚炎で肌が弱くてすぐかぶれるので、ステロイドとは竹馬の友の間柄ですね」

 

 卵アレルギーや小麦アレルギーは聞いたことがあるから知っているけれど、野菜や果物のアレルギーはさっぱりだ。

 

「ひょえー、多い……」

「秋山ちゃんはたとえば何が食べられないの?」

 

 訊けば、「そうですね」と秋山ちゃんは顎に手を当てる。

 

「バラ科の果物……って言ってもどれがバラ科の果物なのかとか知りませんよね。林檎や梨、梅、苺、さくらんぼ、キウイ、枇杷とか、そのあたりがバラ科の果物です。あれらを食べたら口の中が腫れ上がります。あと柑橘類、蕎麦、ゴマ、生の山芋とか……」

「多くない!?」

「食べられるものかなり制限されますね、それ。鶏軟骨にレモンかけられないやつ。

 じゃあ次私ですね――私は鼻炎で花粉症、キノコがアレルギーで軽度の難聴。ストレス性の」

 

 玉城ちゃんの前職は特養の介護士で、入所者からのパワハラとかが積もり積もって難聴になったと聞いている。こうしてマーブリックがピンクウェーブの所属になるまでは労災からの一時金や貯金を切り崩して生活していたとか。いっぱい食べて元気になってほしい。

 

「キノコ食べれないとなると……茶碗蒸しとか食べれなくなるのかな」

「そうですね。あとは鍋、豚汁、炊き込みご飯とかはキノコが入ってることが良くあるんで、外食するときなるべく避けてます」

「今度からコース料理とか懐石料理を食べるときにきのこ使った料理が出たら貰うよ私」

「私もきのこは食べられますので、ごま豆腐とかとろろ掛けのナントカとかが出たときには交換して貰えると助かります」

「二人とも……! ありがとうございます!」

 

 きゃっきゃっとハイタッチしていたら、椎野ちゃんがか細い声で囁くようにして言った。

 

「うちは、甲殻類……あとイカ……おぅえっ! は、食ったら発疹出る……。花粉症でおぇっ、慢性鼻炎で、蓄膿症、慢性頭痛……そんでストレスに弱い……すぐ胃に来る……」

 

 椎野ちゃんはテーブルに両肘を突き、碇指令のごとき姿勢だ。

 

「ちょっ、姉さんしゃべって大丈夫?」

「椎野ちゃん無理すんな、今は話さなくて良いから」

「そうですよ、吐き気がしているなら声を出すのも辛いのでは?」

「つらい、けど、話に混ざりたウプッ、混ざりたいんや……仲良く話してるの、横で見るだけは、思ったより寂しい……。あとな……三人ともさっきから、下剤減ってないで? うぇっ」

 

 指摘に私は口をつぐんだ。飲めば出るということはつまり、またトイレの使用を巡って争うことになる。それが分かりきっているから飲む気が起きないのだ。

 モビプレップの何が面倒くさいかと言えば「一気に全部飲む」ことが許されないところだ。一気に飲んでしまえたら楽なのだが、処方されたとき、コップ一杯を十分から十五分かけて飲むよう薬剤師から注意を受けている。とてもまだるっこしい。

 

「うっ、すまん、トイレ……」

「あ、うん」

「いってらっしゃい」

「御武運を」

 

 戦場(トイレ)に向かう椎野ちゃんの背中を見送り、ストローでモビプレップを吸い上げる。

 

「椎野ちゃんマジで胃腸弱いよね」

「腸液が胃に逆流してきたことがあるらしいですよ。前に下宿に遊びに行ったとき、薬棚を見たら色んなメーカーの胃薬が揃えられてましたし。確か鎮痛剤も五種類は置いてあったかと」

「薬箱ではなく薬棚というあたりにそこはかとなく闇を感じます……」

 

 心身ともに鍛えて元気になりたいと思って入隊したのだと聞いている。訓練すれば体力はつくだろうけど、内臓を鍛えるのは難しいと思う。普通に考えてブートキャンプで身に付くのは筋肉だけだろう。

 

「覆面で顔出しなしとは言え、イベントの司会進行役なんて重圧のすごい業務させてて大丈夫なんだろうか。今更だけど心配になってきた」

「それは大丈夫です。姉さんのストレス源ってほぼ人間関係なんで。

 初対面でもなんなく喋れるタイプだから分かりづらいだけで、姉さんもれっきとしたどこに出しても恥ずかしいコミュ障ですから」

「それを言ってしまうと……この場の全員がコミュ障ですよ」

 

 秋山ちゃんの言う通り、始めにネットで本音をぶつけ合ったから対面してからも比較的円滑にコミュニケーションできているというだけで、私は趣味嗜好のためなら親含む親族と絶縁してもへっちゃらな破綻者だし、椎野ちゃんは思い込みが激しく頑な過ぎるところがあるし、玉城ちゃんは仕事以外で他人と関わるのが苦手で混乱のあまり「フヒヒ」とか言い出すし、秋山ちゃんは自分の専門が話題のときには人の話を聞かず喋り倒すところがある。まだ知り合ってから長くはないが、既に各々のコミュ力の低さは露呈している。

 我々四人は自分がコミュ障だから他人がコミュ障でも許せるという、同病相憐れむな仲だ。傷の舐め合いチームともいう。

 

「さして有名なわけでもないのにピンクウェーブの公式動画主に起用されたじゃないですか、私たち。それに関して中傷やら当て擦りやらされてたんで、今回のヨボヨボ姉さんの原因は胃でしょうね。中傷の八割は嫉妬によるものですし、私たちがあえてそれを気にしてやる必要はないんですが……」

 

 こいつらCoCで卓囲んでるとか前世持ちの仲間じゃん唾つけとこう、という勢いでピンクウェーブに誘ったから、根回しも何も足りていなかった。その皺寄せがマーブリックへの中傷として現れているのだろう。

 実は会社の住所にマーブリックに対する殺害予告などの脅迫状も届いている――三人が私の同類だと思われたからだ。

 

「私のせいだ、ごめん……」

 

 三人にも脅迫状が届いていることを伝えれば間違いなく椎野ちゃんの胃が死ぬ。いつか伝えるべきだろうが、その日は少なくとも今日ではない。

 

「どうして半月先生が謝るんですか。悪いのは中傷してくる人達ですよ? ピンクウェーブ公式になったおかげで玉城さんの収入の不安がなくなり、私も学費の借金の心配しなくて済むようになりました。椎野さんだって本当に喜んでるんですから。だから気にしないでください。

 ただまあ、心ない中傷ツイ○トを見る度に椎野さんの繊細なガラスハートが傷付くことについてはどうにかしたいと思っていますが」

「そうですよ、明日のおまんまの心配しなくて良いっていうのはほんと有難いです。私たちが頑張って人気を集めれば中傷なんて埋もれると思うんで……頑張りますよ」

 

 ――後で分かったのだが、DM経由で直接マーブリックに殺害予告などが届いていたらしい。SNS担当をしている椎野ちゃんのメンタルが削られるのも当然だということで、私のツイ○ターの管理を頼んでる広報にマーブリックのアカウントの管理も頼むことになった。

 

「話を戻しましょうか。椎野さんは甲殻類とイカがアレルギーで、花粉症に慢性鼻炎で蓄膿症、慢性頭痛でしたっけ。……確か前に『年末は蟹を食べるのが至高』とか言ってませんでした?」

「そういえば言ってましたね。グループトークに写真も投下してたはずですよ」

「どういうことだ」

 

 トイレから戻ってきた椎野ちゃんは「そんなん理由は一つだけやろ」と堂々とした態度で、言った。

 

「たとえ、全身痒くなろうとも……蟹は正義ぅぷっ」

「わかるマン」

 

 アレルギーによる発疹や腫れなどで苦しむ未来が待っているとしても、美味しいものを食べたい。蟹美味しい果物美味しい、と椎野ちゃんと秋山ちゃんが頷き合う。

 

 駄目だこいつら。好きなものを食べてアレルギーで死ぬなら本望だとでも言うつもりか。

 殺人予告には怯えるくせにアレルギーを怖れないというのはどうかと思う。どちらに当たっても死ぬという結果は同じだろうに。




上に書きましたアレルギーや持病に関しては、全てモデルが実際に抱えている持病です。アレルギーと認識しているうえでアレルゲンを口にして全身をかきむしったり、口の中を腫れ上がらせたりしているのも、モデルが実際にしていることです。
決して真似しないでください。


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オタクとスケベのラ◯ン履歴

>わくわくドドメ色魔女集会(4)
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 今日 

しいの

たっけて

事故った

どこに連絡すればいい?警察にはもう電話した

JあF? 19:21

猪苗代湖

事故!?姉さん大丈夫ですか!!!!!????? 19:21

しいの

わいチャリ

相手車

後ろから前に回り込まれて道塞がれたけど踏ん張ったので転けなかった

相手の車は少しへこんだ 19:22

Bibliomania

こんばんは

怪我はなかったんですね?良かった! 18:23

しいの

で、JあF呼ぶべき? 19:24

猪苗代湖

呼ばんでいいと思いますが……

警察はまだ到着してないんですか?ってかどこで事故ったんですか? 19:25

 

事故ったの把握

既読219:29 とりあえず警察に任せてればおk

                      ☻ ♪

 

 椎野ちゃんが事故った。帰宅途中、自転車に乗ってる椎野ちゃんが交差点を直進したら、後方からの車が椎野ちゃんを追い越して角を曲がろうとしたそうで。転倒とかでの怪我はなかったようだけどまあ、どこか痛めてるだろう。

 事故の当日はSMS、翌日昼前に着信。

 

『一晩経ったらあんよ痛くなってきたよー、あーん、よ』

「下らん駄洒落言える余裕あって良かったえ。死によったら元も子もないけんな」

『ほんまそれな』

 

 事故の処理はどうなったのか聞いたら、椎野ちゃんが接触時に踏ん張って転けなかったため人身事故にはならず物損事故扱いになったらしい。

 

「うちってほら、装甲車が突っ込んできたり花火が投げ込まれたりってことままあるけん、椎野ちゃんが軽い事故で良かったーって安心した」

『はんげっちゃん……うるるん心配されて感動したぁ……! ところで装甲車ってどゆこと?』

 

 詳細は部外秘なので黙秘。出社したら資料を見せるよとだけ伝える。

 

 椎野ちゃんたちヤバい色の波紋疾走(マーブリック)はピンクウェーブの所属だから、私同様に命を狙われてる。国外の過激派組織が「神敵倒すべし」とか言いながら私たちの顔写真付き木偶の坊を散弾銃の的にしてたり、国内外の信心深い皆さんが「魔女裁判! 魔女裁判!」とか盛り上がってたりするのだ。二十一世紀に魔女裁判とか頭おかしいんじゃないの? 馬鹿なの?

 そんな状態だから三人には護衛を付けてる――のだけど、『ただの事故』はなかなか防げるものじゃない。護衛の皆さんも慌てたようだ。

 

 まあなんにせよ、椎野ちゃんが無事で良かった。

 

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 今日 

しいの

診察待ち暇どす

何か面白いのない? 10:12

Bibliomania

そんなこと急に言われても 10:14

しいの

じゃあ大喜利()しよう付き合って

名作タイトルを一字改変して迷作にする遊び

ex)イワンの馬鹿→イワシの馬鹿 10:15

Bibliomania

なるほど

餡を・カレーにな とかはありです? 10:15

しいの

あり 10:15

猪苗代湖

なるほど?

では、プーな大人になった僕 10:16

 

既読310:16 就職氷河期の闇じゃん

 

しいの

嫌な思い出がよみがえる……

つらい 胸が痛い 10:16

猪苗代湖

明るいものがいいか。霧島、部族辞めるってよ 10:17

しいの

どこの部族???

グンマー? 10:17

猪苗代湖

グンマーは草

まだグンマーを知らないって漫画思い出した 10:17

Bibliomania

ありましたねそんなの 10:18

猪苗代湖

羊たちも沈黙 10:18

しいの

普段騒がしい羊たちが静かになるなんておかしい――何か起きているに違いない

パンツ・ラビリンス 10:19

猪苗代湖

どんな迷宮www待ってその言い回しもしかしてアフロでは 10:20

しいの

ギミックが全部パンツ

バレたか 10:21

 

既読210:21 それ男物?女物?

 

猪苗代湖

やべえラビリンスじゃねぇかwwwww 10:21

しいの

パンツに食いつくなんて半月ちゃんのエッチ!変態! 10:21

猪苗代湖

流石半月さんぶれない 10:21

 

既読210:21 パンツに貴賤はないけど区別はあるんだよ

 

しいの

すまんちょっと意味わかんないや 10:22

猪苗代湖

軌道修正しまして

時をかける少佐 10:22

しいの

ヘルシ◯グの? 10:22

猪苗代湖

よろしいならばタイムリープだ(cv飛田) 10:22

 

既読210:23 男はツラだよ

 

猪苗代湖

顔でしか判断されないのか……可哀想に 10:23

しいの

世知辛い世の中ね 10:24

猪苗代湖

ローマの命日 10:24

しいの

火山噴火した? 10:24

猪苗代湖

それでもボブはやってない 10:25

 

ボブが可哀想だと思わないんですか!?

既読210:26 で、ボブは何したの?パンツの窃盗?

 

しいの

半月ちゃんをボブが名誉毀損で訴えそう 10:26

 

既読210:26 解せぬ

 

猪苗代湖

草ww永遠に0

10:26

しいの

のび太の点数かな?

のび太「失礼だな、3点はとってる!」 10:27

猪苗代湖

のび太の話になってるwwww

ファインディング・ホモ 10:27

 

おっ、私の生き甲斐を一言で表した名タイトルじゃん!

既読210:28 ファインディング・ホモの半月です♡ヨロシクおねがいします♡

 

しいの

ゆがみねぇな 10:28

猪苗代湖

突き抜けてて好きですよそういうの

でも同性愛の皆さんにすごく悪いことした気がするので謝ります

なぐり逢えたら 10:29

しいの

BASARAってるね 10:29

猪苗代湖

wwwwwwBASARAwwwwwwww

ノットファーザー 10:30

 

お館さぶぁぁぁぁぁ!!!!!

既読210:30 養育費を払えと請求する女、遺伝子を調べろと反論する男

 

猪苗代湖

ガチでノットファーザーじゃん 10:31

しいの

(お館様を)訴えて勝つよ! 10:31

 

タイトルに偽りなしを目指したらこうなった

既読210:32 涼宮ハ◯ヒの躁鬱

 

しいの

ハルヒに何が起きたの???? 10:32

猪苗代湖

なにがあったハルヒ 10:32

 

既読210:32 なんかあった

 

しいの

せやな

10:33

猪苗代湖

せやなとしか言えなくて草

アルプスの少女カイジ 10:33

しいの

ミックスがやばすぎるわwww 10:34

 

既読210:34 ザワ…ザワ…

 

しいの

スイスの山奥から都会に現れし博徒――その名はカイジ……

かつて世界を震撼させた伝説の博徒・おじぃから全てを受け継いだ若き鬼才の物語が、今、始まる…… 10:35

猪苗代湖

すごい読みたい 10:35

 

既読210:36 椎野先生新刊待ってます

                      ☻ ♪

 

 

 足を痛めたということで通勤事故の申請はリモートでやってもらった。提出された書類を見るに、椎野ちゃんも注意不足だったけど相手方も確認が足りなかったっぽい。軽だとしても自動車は自動車だし、生身で対抗できる重量じゃないしね。

 病院に行かせたりなんだりのため二日ほど休みを押し付けたらグループトークで笑点もどきを始めるくらい暇かつ気持ちの余裕もあったみたいで、出社した椎野ちゃんの顔色は健康的だった――けどその下半身の関節という関節には包帯がぐるぐる巻きになってる。

 

 応接用ソファーを勧めて私も正面に座る。秘書室新人の竹田さんがお茶持ってきてくれた。

 

「整形外科行ったんだっけ」

「うん、めっちゃ混んでたわ」

「どひゃー。どんくらいで治るって?」

「最低でも三ヶ月は通うかなーって感じやね。今も腰や膝が痛い」

「ひぇっ重傷……交通事故こわ……私は運転なんてしないぞ絶対にだ」

「いや、そうでもない」

 

 そうでもないってどれが。

 

「実は我が家は母親以外全員交通事故経験者でな、みんな生還してんねん」

「お母さん以外全員交通事故被害者とか椎野ちゃんち呪われてんの?」

「まさか。父は交差点で車同士の事故、上の兄も車同士で追突事故、下の兄はチャリで坂を下ってる時にブレーキがイカれ運悪く横道から現れた車と接触しかけたけどチャリをドリフトさせながらジャンプしたから無事。チャリは壊れた。なお下の兄はともかく父と上の兄は被害者側」

「待て待て下のお兄さん何者なんよ」

 

 スタントマンか、いや、前に下のお兄さんは配管工だとかなんとか聞いたような気がする。もしかしてマリオ?

 

「ただの配管工やな――事故ったんは高校生ん時やけど。父の事故はもう四十年は前で、上の兄のは一昨年で下の兄のは二十年くらい前だから呪われてるってことはない。はず」

「ほんなら違うか」

 

 家族全員立て続けに事故ったのかと思った。

 

「上の兄はカマ掘られて首がムチ打ちになったからと言って、半年通院」

「半年」

「慰謝料を百万近くむしりとった」

「百万」

 

 椎野ちゃんの話によると、加害者から支払われる慰謝料の計算には「通院期間」と「通院日数」が関わってくるらしい。

 たとえば3月20日から5月20日まで通院したなら通院期間は2ヶ月、1ヶ月は30日と計算して通院期間は60日。で、週に3回のペースで通ったとすると通院日数は24日。

 通院日数の倍数――48と通院期間の60を比べて、数の小さい方が慰謝料算出に使われる。だいたい1日あたり4200円が相場らしい。

 というわけで、この場合は48×4200でおよそ20万円が慰謝料として支払われるのだそうな。あと慰謝料請求時に弁護士を頼むとちょっと額が増えるとか。

 

 椎野ちゃんのお兄さんは半年ものあいだ真面目に整形外科に通い、そして弁護士もつけたから百万円近い慰謝料を受け取ったのだそうだ。

 

「はっきり言って、整形外科に通ってマッサージやらなんやら受けて治療完了したらムチ打ちや打撲による痛みが完璧になくなって五体満足元気一杯になってる――というわけではない」

「えーうっそー。うちなんて毎週してもーてるえ、気持ちええけんな」

 

 デスクワークが増えてから肩凝りに悩まされるようになったから週一でアンマさんに来てもらってて、施術後は肩が軽くなるし頭痛も取れる。それが気のせいだとは思えない。だけど椎野ちゃんは首を横に振った。

 

「ちゃうちゃう、半月ちゃんが毎週呼んでるのは整体でうちが通うのは整形外科。整体と整形外科は別もんやねん。医者の診察があって医者の指導下での治療や処方箋を行うのが整形外科で、患者があれこれ言って揉んでもらうのが整体なんよ」

 

 わからん。

 

「あー……ざっくり言えば『肩が凝っているので湿布貼っておきますね』が整形外科で、『うーん肩凝ってますねぇガチガチですよモミモミ』が整体ってこと」

「なるほど」

 

 湿布貼って肩凝りが治るならフェイ◯ス買い溜めする必要ないよねってことか……分かったよ椎野姉ェ! 整体と整形外科の違いってやつが! 言葉でなく心で理解できた!

 私の顔を見て椎野ちゃんが頷く。

 

「で、痛みが取れんからー言うてもずっと整形外科に通い続けられるわけとちゃうやん? 相手の自賠責とか任意保険使って通院してるわけやし、捻挫だけで半年通院とかはでけへんよな。だから、通院は怪我の症状から妥当な期間通って、通院期間終了後に貰う慰謝料を『事故って痛めた体のメンテナンスを続けるために整体に行く』費用にするって考えるとええんやと。

 数ヶ月から一年以上後に事故の後遺症が出ることもあるらしいし、貰えるなら貰っとけって言うのが上の兄もとい経験者からのアドバイス。

 確かにそら自分が被害者な事故の後遺症治療で身銭切るってなったら腹立つし、貰えるもんは貰とこうと思てさ。うち今回の事故で腰も痛めてるし、少なくとも三ヶ月は通うやろ」

「どっしぇー、何事も先達はあらまほしきことなり……上のお兄さん頼りになるぅ」

 

 事故の被害者にも加害者にもなったことないから知らなかったけど、そういうもんなのか。

 

「というわけでや、うちこれから少なくとも一ヶ月はほぼ毎日病院通いんなるからよろしくね」

「分かった。色々たいぎぃやろーし、出社無理そうなら言ってな」

 

 安全運転してもらってるし私が運転することもないし、事故ることはそうない――はず。まあ事故ったら椎野ちゃんに頼ろう。

 

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 今日 

猪苗代湖

前世の懐かしい作品でなぞなぞしまーす

ヒントは3つ

1つ目:少年向け漫画 12:21

Bibliomania

範囲広すぎません? 12:32

 

既読312:34 【急募】二個目のヒント

 

猪苗代湖

2つ目:頭から花が生えてる 12:35

しいの

タランタリラン! 12:35

Bibliomania

テンテンくん 12:36

 

既読310:36 多重人格探偵

 

Bibliomania

タランタリラン とは 12:36

猪苗代湖

お、みんな揃いましたね

3つ目:ジャンルはギャグ・コメディ

タランタリラン???? 12:37

 

ギャグ・コメディならテンテンくんで確定かな

既読212:37 タランタリランは知らん

 

Bibliomania

テンテンくんですねぇ 12:37

猪苗代湖

そうでーすてんてんくんでーす

懐かしいよね

あれ?姉さんの霊圧が消えた? 12:38

                      ☻ ♪




交通事故して足腰痛めたのでそれをネタにしました。大丈夫です軽傷です。
ライン部分は各キャラのモデルに協力お願いしました。多少は改変してるけどだいたいこんな感じです。

ラ◯ン形式だからこそのメッセージ羅列なので、こちらは支部に載せない予定です。

タランタリランわかる人は僕と握手。


追記
整形外科と形成外科間違えていたので直しました。指摘……ありがたし……!


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